東方狸囃子 (ほりごたつ)
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~日常~
第一話 優しいうさぎと


――サラサラ

――シャリシャリ

 音がする。

 風に揺られ竹の葉が鳴る音だ。

 ここは人の手に荒らされることのない竹林、迷いの竹林と呼ばれる地。

 わずかに傾斜した地面や異常な速度で成長する竹のせいで、進んだ道を振り返るだけで景色が変わってしまう場所。目印に出来るようなものも無いため、一度入り込めばまず迷ってしまい、只の人間であれば出られなくなるだろう。この地に住んで長い妖精ですら『何時来ても迷う』と嘆くほどなのだから。

 

 この竹林から無事脱出したければ、この地に長年隠れ住み今ではここの案内人を名乗る少女を頼るか、ここは私の土地だと主張するイタズラ好きな妖怪うさぎを見つけるしかないだろう。そんなうさぎも今は竹林の誰かの住まいにいて、姿を見つける事叶わない状態にあるが。

 

 

 お天道さまが天辺をとうに過ぎ、日も傾き始めた頃。

 いまだ寝床から出ることもせず惰眠を貪る妖怪が一匹、心地がいいとは思えないせんべい布団から尻尾だけを投げ出し、今日も薄い掛け布団の中で丸くなっている。昨晩も深酒だったのだろう、空が白んで来る頃に帰宅し着物を脱ぎ捨て床に入ったようだ。

 

 ここ数年間はそんな生活の繰り返しである。

 たまに朝早くから目覚めることがあるとすれば、近くで日課のイタズラを仕掛け獲物がかかるまで暇を持て余す妖怪うさぎ、因幡てゐが湯を沸かしこの妖怪の家の茶葉で一服する音で目覚めるくらいだろう。今日はその「たまに」に当たる日だったらしい、慣れた手つきで竈の火を起こし茶葉の入った筒で頭を小突く絵が見える。

 

「いい加減起きたら? 毎日毎日朝方まで酒飲んで、アヤメも少しは生活習慣改めなさいよ」

 

 自宅だというのに、てゐからぞんざいな扱いを受けるアヤメと呼ばれた女がこの話の主役。

『囃子方アヤメ』狸の妖怪である。

 

 小突かれた頭を撫でつつ寝ぼけ眼でてゐを睨むが、睨まれた方は意にも介さず茶を啜っている。てゐに起こされる時は大体この調子だ。どちらも慣れたもので叩いた方は悪びれる素振りはないし、叩かれた方も文句も言わずにいそいそと支度を始めた。

 ごそごそと起きだして、枕元に脱ぎ捨てられた緋色の襦袢と、髪の色とよく似た小袖を羽織り袖を通す。肩よりも下、肩甲骨くらいまで伸ばした灰褐色の髪を緩く纏めて振る、その際頭の上で揺れるのは犬より少し丸みのある耳。自身の体と同じか、それよりも長く大きいかもしれない髪と同じ色の縞尻尾。それを器用に使い体を支え地を踏みしめる、コミカルに動く尻尾は彼女本体よりも目立つかもしれない。尻尾を細めて小袖の尻尾穴から出すと腰に巻きポンポンと軽く撫で叩く、寝癖で多少縞柄がよれているがまあいいだろう。

 これに愛用の銀縁眼鏡と紫色の生地に白の菖蒲柄をあしらった長羽織、いつのまにか住み着いた酒虫の入った白徳利を肩にかけ、少し長めの煙管を咥えればいつもの彼女のスタイルだが、今は寝起きでどこに出かけるわけでもない、小袖を羽織る程度で十分だろう。

 

「あんたの幸運わけてくれればあたしはきっと長生きできる、だから大丈夫」

 

 少し寝ぐせのついた頭をポリポリと掻きながら卓に着き、てゐから湯のみを受け取りながらそう答えるが、返答した相手はこちらを見ることもなく茶を啜っている。まるでここはてゐの自宅だと言わんばかりの振る舞いようだ。

 

「毎日自堕落に過ごす妖怪に分ける幸運はないわ」

 

 寝起きのボヤケた頭でテキトウな返事をしたら見事な正論で返された、なにか反論しようにもこの兎相手では分が悪い。足掻いても勝ち目がないとわかりきっているため、まだ動きたくないと怠惰を好む体を起こし、淹れてくれた茶を啜る。辛辣な言葉をぶつけてくる友人、あたしを起こさずに一人茶を飲み帰ることも多いが、今日のように目覚めを告げてくれた時にはあたしの分のお茶も淹れてくれるのが常だ。口は厳しく態度は甘い、そういうのが好みだという性癖を持った異性からはとても魅力的に見えるかもしれない。

 

「忠告ついでに言っとくが寝巻ぐらい用意しなよ、四月といえどまだ冷えるよ」

「はいはい、長命で健康優良な先輩の言うことだからね、ご高説ありがたいわ」

 

 てゐ好みの少し濃い目に淹れる茶が、ボヤケた頭をスッキリとしてくれる。

 なんでもこの妖怪うさぎ、長年健康に気を使い暮らしてきた結果妖怪変化の力を付け今に至るらしい。健康に気を使えば長生きできるというがさすがに限度がある、とは思うのだが体現している者が目の前にいては反論も出来ない。

 言い返せず黙ると、ジト目であたしを舐めるように見る。寒さもあるが見られた場合の心配でもしてくれているのだろうか、ここを訪れるのはてゐを含め数人の友人と呼べる人達くらいだ、全て同姓であるし見られたところで気にすることもない。

 

「‥‥酔っぱらいの火照った体には冷たい布団が心地いいの」 

 

 ありがたい忠告を続けざまに貰い静かにしていたが、このままダンマリ決め込んでも話しにならんので苦し紛れを口にする。

 当然こいつにゃ効かないが、そんな事も悔しいほど知っている為気にせず、いつものように煙管を手に取り煙を燻らせた。今しがた生活習慣について言及されたばかりだが、こればかりはやめるつもりもないし、やめられそうにもない。

 

「百害しかなくて一利もないものがどうして好きかね」

「いざって時に役立つこともある、煙ってのは中々に便利なもんなの」

 

 浮いた煙を眺めながら茶を啜りぼやくてゐ。

 健康に対するお小言は気にせず、頬を軽く突き輪っか状の煙を出しては、ネズミや雀に変えて見せた。狸だけに化ける・化けさせるというのはお手の物なのだが何かしら媒体がないと上手いこと騙せない、あたしの場合煙管の煙を媒体として化かし合いをする。自然界の煙や場合に寄っては霧でも化かすことも出来るのだが、煙管に拘るのは単純に愛煙家だからだろう。

 

「煙なんてどこにでもあるもんじゃなし、不自然な事も多いだろうに」

「あたしにはこれで自然なんだからいいの。化かし合いは化け狸としての習性みたいなもんだ、言ってみればてゐのイタズラと同じようなもんよ。お優しいうさぎさんは今日はあたしの面倒見に来ただけ?」

 

 妖怪なんて人間から見れば自然から現れた不自然の塊みたいなもんだ、今更だろう。

 このお優しいうさぎさんには日課がありそれをこなしてから我が家に来るのが常なのだが、稀に何の用もなく我が家を訪れる事がある。その時はとりとめもない世間話をしながら時間を潰していくのだが、大体は日課を終えて少し一服していくというのが多いようだ、強くは言えんがこいつも暇だな。

         

「イタズラついでの 面倒見(ひまつぶし)だよ。帰っても姫様の思いつきに振り回されるか、師匠の小間使いをさせられるだけなんだ、忙しくなる前に少し骨休めしていかないとね」

 

 なるほど、今朝はいつもの休憩だったようだ。姫様と師匠という敬うべき立場の者について話しているはずだが、その表情はどこか小馬鹿にしたような風に見えた。

 

「思いつきの要らぬ難題ふっかけられたり、実験動物にされたんじゃたまったもんじゃないしね」

 

 何かを思い出すように住まいの屋根を見つめながら呟くうさぎさん。過去たった一度だけだがお供も連れず姫様だけで我が家を訪れたことがあった。有り余る暇な時間を潰すために来たそうだが、やれなにか面白い事をしろだ、以前のように化かして見せろだ、面倒な事になったのは厄介な経験として記憶に焼き付いている。

 

「ご近所さんなんだ、もうちょっと顔を見せろって姫様が言ってたよ」

「またそのうちに難題でもいただきに行くか、今は夜雀の屋台に通うのに忙しくて。中々どうして暇がない」

 

 淑やかに笑い無理難題をふっかけてくる姫様を瞼の裏に思い浮かべながらテキトウに返事をしておき、ここ数日間の深酒の理由を述べる。

 いつだったか覚えてないが、ここ迷いの竹林の案内人にどこか旨い酒場に案内してとお願いしたら連れて行ってくれた屋台。メインであるヤツメウナギ料理が抜群に旨く、普通のウナギとは違った軟骨のコリコリとした食感を提供してくれる場所が毎晩の管巻き処だ。

 飯も酒も旨いが女将の機嫌が良い日には歌も楽しめて、調理しながら即興で唄う女将はとても愛らしいと評判だ。元々は自身の能力で夜目を利かなくし、ヤツメウナギで治療するというマッチポンプな商売だったと聞くが、それは人間相手の話であって妖怪の自分にはどうでもいいことだろう、事実今まで夜目が利かなくなったことはないわけだし。

 

「毎晩屋台通いとは随分羽振りがいいねぇ、ご相伴にあずかりたいもんだわ」

「臨時収入があってね、河童と賭け将棋をしたのさ、その結果が毎晩の屋台通いってわけよ」

 

 そのつもりもないくせに何を仰る兎さん。

 と、口の回りが達者な兎詐欺の言葉は聞き流し、毎晩の屋台通いが出来ているタネを話す。

 竹林から少し離れた妖怪の山。

 天狗衆を筆頭に河童や神様連中、説教臭い仙人様などが住まうお山。

 幻想郷の集団勢力としては一番の規模を持つ地だ。普段は他所との交流もなく静かなお山なのだが、最近は神社ごと外から引っ越してきた神様が一騒動起こしたりとなにやら騒がしい場所。そんなお山で毎日毎日何かの発明に精を出す河童と賭け将棋をして少し儲けたのがちょっと前、よくある臨時収入だな。

 

「あんたが賭けに勝つとは珍しい事もあるもんだ」

 

 自身で言うことではないが賭け事に対する運はない、あたしが持っている能力のせいなのか、そもそも運に見放されているのかは分からないが賭け事で勝つことはあまりない。

 幸運を呼ぶ兎詐欺を常日頃見ているのだから常勝出来てもおかしくないと思うのだが。

 

「ちょっとしたアクシデントがあったのさ、河童の勝ちたいという意識がどういうわけか『逸れちゃった』みたいでね。将棋はさっさと投了して、なにやらモノ造りに励みだして相手にしてもらえなくなった、だから掛け金貰って今に至るわけさ」

 

 『逸らす』これがあたしの力だ。

 皆に肖り言うなら『逸らす程度の能力』ってとこか。

 使い方によっては非常に強力な力なのだが、あくまでも『逸らす』であり、性質としては受動的なもので自分から相手にこうさせたい! 等にはあまり向いておいないが、色々と使い出のある能力ではある。夜目が利かなくなる能力を逸したり、注意力や警戒している方向を別の方向へと逸したり、普段の生活にも便利な能力だとあたしは気に入っている。

 てゐに言われるほど負け越しちゃいないが、それは能力を使用して相手が負ける方向へ逸らしす事が出来たから繋がった勝ちであり、あたしの運で掴みとった勝ちではない。

 純粋な運頼りの勝負なら言われる通り珍しい勝ちで間違いないと思えるが。

 

「あたしが言うことじゃないが詐欺に近いねぇ、かわいそうに」

「なに、だましちゃいないだろ、あの子が自分で降りたのさ。それにモノ造りに没頭できて河童としちゃありがたいだろうよ」 

 

 

 兎詐欺、と書けば因幡てゐと読めるくらいにこの性悪うさぎの話は有名だ。人間に直接終わりを届けるような事はないが、身内相手にイタズラを仕掛けては楽しんでいるようで、あたしとしては因幡てゐと書いて小悪党と呼んでもいいんじゃないかなと考えている。

 てゐとは違ってあたしは詐欺行為で勝ってはいないと軽い言い訳をし、煙をぷかっと漂わせてあの河童のリュックの形を取らせる。そういやあの伸びる機械の手はどこにどう収まっているのか、一度中身を見てみたい。

 

「ほどほどにしときなよ、小手先であしらえないおっかない妖怪もいるんだから」

「相手もやり方も選んでいるよ、後日胡瓜も差し入れたさ、多分これで問題ない‥‥あの胡散臭いのや、角生やしたウワバミ連中にこれ以上目を付けられるの簡便だからね」

 

 小手先であしらえないおっかない妖怪と言われても、多すぎて誰の事を言っているのかわからない。それなりに長生きなあたしと随分と長生きな先輩うさぎ、大概の事ならお互い口だけでどうにでもなるのだが、口八丁を理解した上でなお喧嘩腰の大妖怪も少なからずいる。

 その辺との兼ね合いを心配してくれているのだろう、口だけはお優しいうさぎさんだ。

 直接名前を出して呼んだかしら? とこられても厄介な事にしかならない、少しぼかして返事をしておいた。

 

「……そろそろ痛い目見たほうがあんたの為になるかもしれんウサ」

 

 本心ではないよ、そうわからせるためわざと語尾にウサなんてつけている。

 てゐがウサとつける時は嘘話している時なのよ! ともう一人の永遠亭のうさぎが騒いだことがあったが、語尾くらいで使い分けているなんて思い込めるとは若い証拠だ。この詐欺師がわかりやすい事をするわけがないだろう。嘘か本当かなんぞわからんのだから、言葉をヒントと受け取って構えておくのが一番だ、あたしはそう思っている。

 

「そうなったらごめんなさいして全力で逃げまわるわよ、そうならないようどうにか道を逸れて行きたいもんだがねぇ」

 

 能力でどうにかしたいもんだが、如何せん自分を逸らすなど能動的に使用するとすこぶる使い勝手が悪くなる。出来なくもないのだが使わなくても大差ない程度にしか逸れていかないのだ。それならばいっそ使わずにいたほうがいい、その方が万一の時に使えるし手札は見せないほうがいい事もある。てゐとそんな話をしていると遠くで黄色い声が聞こえる、どうやらイタズラにかかったかわいそうなうさぎがいるようだ。

 

「獲物がかかったようだよ、手助け(からかい)に行ってあげたらどうよ」

「そうだね、今頃は穴の中で尻を抑えて涙目になっているはずの、かわいそうなうさぎさんの救助活動(からかい)に行ってくるわ」

 

 仕掛けた罠にいつもの獲物がかかったらしい、てゐの名前が何度も竹林中をこだましている。

 呼ばれる方も、悲鳴を聞いてニヒヒ笑いで楽しそうだ。あたしなんかとは孫と祖父母以上に年が離れた年長者だというのに今の姿は子供そのものでとても愛らしくも見える、そう見えてしまうのもこの兎詐欺の怖い所かもしれない。

 

「目が真っ赤になるほど泣きはらす前に助けてあげなよ」

「元が元だから限度がわからないウサ」

 

 笑うてゐを少しだけ窘めるように言う、内容はたしなめるとは真逆っぽい気がせんでもないが。

 うさぎの目は赤い、なんて言われるが実際のうさぎさんは黒目だ。たまに赤いのもいるがそいつは体の色素が抜け落ちて生まれてしまった珍しい部類のものくらいだろう、まあ、今話題に上がっている永遠亭のうさぎは赤い目してるけど。

 

 そんな事を考えているとウサウサ笑う背中が出て行く。

 その背を見送り、今日の屋台のお品書きはなにかなと期待しながら、薪を尻尾で巻き込みつつ風呂炊きの為の火種を竈から移し始めた。




初めての創作・投稿です。
時代背景や設定など粗が目立つ事になるやもしれません。
ゆるく続けていければいいなと思います。


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第二話 もんぺと夜雀時々蛍

 少しぬるいが暖を取る風呂でもない、全身洗えればよしとしよう。

 今は風呂より屋台屋台、女将の手料理を肴に軽く酒を引っ掛けるのが出かける前から楽しみだ。

 

 ここ数年の楽しみのひとつを思う。

 通い始めは豪勢に頼んでみたり多少見栄をはったものだが、それを続けられるほど懐に余裕もないし長くは続かなかった。そんな、ちょっと前を思い出し、全身さっぱりと洗い終える頃には山の彼方にお日様が落ちる頃となった。このくらいの時間になれば通い先の女将ミスティア・ローレライも屋台の開店準備を済ませ、客の入りを待つだけになっているだろう。

 

 そういえば以前に開店前からミスティアと話し込んだ事があったのも思い出せた。

 今と同じ時間帯、日が落ちて開店時間が迫る頃、いそいそと準備に追われるミスティアを眺めていたことがあったがあれはダメだ。体躯の小さな女将がせっせと準備に勤しんでいる所を眺めていると、待っているだけなのが心苦しくなり、ちょっとのつもりがきっちり準備を手伝うことになってしまった。その日、ミスティアからは感謝とお礼のおでん種を2・3品頂いた、いつも通り旨い飯ではあったのだが‥‥その日以降開店前に向かうのは控えるようになった。

 手伝うくらい苦ではないしわけないことだが、あの子はきっと手伝ったあたしになにかしらご馳走してくれるのだろう。素直に嬉しいしありがたいことだと思うけれどそれはちょっとご遠慮したい、食いにいっているのであって施しを貰いにいっているわけではない。少し食って、ちょっと酔って、軽く払って、またねとおあいそ。そんな気安い感覚で飲み食いする場所が欲しくて通っているのだ。

  

 辺りもすっかり暗くなり人の時間から妖かしの時間に変わる。

 身支度も終わり、いつもの格好でいつもの屋台の場所まで竹林をふらふらと歩いて行くと、遠くに見慣れた赤もんぺの妖怪が歩いていた。

 

「お~い、妹紅! 妹紅や~い」

 

 ふくらはぎに届くぐらいの長い白髪を揺らし、不良のように少し背を丸め、両手をポケットに突っ込むスタイルで歩く少女があたしの進む先にいる。声に気付いた少女が振り向く。

 藤原妹紅 赤いもんぺの妖怪と言ったが本人曰く人間で、いいとこのお嬢様だったらしい。

 もんぺ、正確には指貫袴というものらしいがそれにも平安の貴族が使っていた八藤丸の文様らしき柄が描かれている辺り、本当に貴族の娘さんだったのだろう。だった、とは正確には妹紅は普通の人ではない、どこかで不老不死の薬を飲み蓬莱人になったそうだ。

 人であった頃は綺麗な黒髪でその姿をあたしは見たことがあるらしい。自分の事なのにらしいというのも変だが、その頃は寺巡りで忙しく都での記憶が薄いのだ。本人に覚えてないと伝えた時には少し拗ねられたが、親の後ろに隠れ会話をすることもない程度の、妹紅から見たとても一方的な出会いだったらしく、覚えていなくてもしょうがないわね、と軽く笑われて流されてしまった。拗ねられ損に思えるのは気のせいだったと思わないが、まぁよしとしよう。

 

「お、アヤメか、これからミスティアの所? 私達も行くとこなんだ、一緒にどう?」

 

 私達? と前を見れば少し先に見慣れない人影が見える。

 カブトムシ等甲虫を思わせるような、燕尾状にわかれたマントを羽織り、頭には二本の触角がピコピコと動いている女の子。上は少しゆったりとした白いブラウス、下は紺のキュロットパンツなんて姿で、新緑の髪色と格好から活発な印象を受ける少女。

 あたしと妹紅を交互に見つめてくる際に触角がピコピコと揺れる、なんともいえずかわいい動きである。ふと目が合うがそらされてしまった、緊張でもしているのだろうか?

 こういう時は話しかけて、会話の引き出しをこじ開けてみたくなる。

 

「こんばんは、その触角は虫の妖怪? 初めましてかな? 以前に会っていたらごめんね、人の名前と顔を覚えるのが苦手なの」

 

 自慢だが人の顔や背格好を覚えるのは早い方だ、二三会話でもすればその相手の特徴を覚えることができている。化かしたり馬鹿したりするには相手をよく見るのが重要で、その培った経験からきているのだろうか覚えが早い。

 名前も忘れることはあまりないのだが、互いに自己紹介を済ませた相手以外を名で呼ぶ事はない。その辺も小馬鹿にする材料になりえるからだ、話のタネはいくつあってもよい。そう思う。

 話が少し逸れたので戻そう。

 

「こ、んばんは。あ、初めまして‥‥ですね リグル・ナイトバグと言います。仰る通り虫、蛍の妖怪です」

 

 やはり緊張しているのか辿々しい挨拶をしてくれた、リグルという蛍の少女。 自己紹介くらいでここまで緊張されると少しやりにくい気がする。まぁ紹介も済ませたし蛍と聞いて思うこともある、素直に質問してみよう。

 

「そんなに緊張しなくてもいいのよ、取って食うわけでもなし。あたしは囃子方アヤメ、狸さんさ‥‥ところで ねぇ、やっぱり光るの?」

 

 蛍と聞いてやはり気になるのはそこだろう。

 マントで隠される事なくキュロットパンツを見せているその部分、そこを覗きこむようにを見ながら聞いてみる。

 

「!……いや、そのですね‥‥」

 

 素直な疑問をぶつけてみたのだがこまらせてしまったらしく、あたしの視線の先を両手で隠しながら妹紅の影に逃げてしまった。もじもじ困ったように縮こまる。

 するとあたしから匿うように妹紅が前に立つ。

 

「あぁ、すまないリグル こいつはこんなやつなんだ 悪気はないから、な。アヤメも初対面でズケズケ聞くのもどうかと思うわよ?」

 

 困らせるような質問だと思わなかったのは本心だ。

 もじもじとする姿を見て中々愛らしいとも思っているのも本心だが。

 

「困らせるつもりはなかったんだけど、気に触ったなら申し訳ないね。お詫びにミスティアのところであたし『達』がなにか奢るからさ、それで勘弁して?」

 

 さらりと『達』と言ってみたが、あたしからリグルの方に気が逸れていたのか、妹紅には気が付かれなかったようだ。それはそれは丁度いい、見た目華奢な子だし、手持ちで足りなくなることはないだろうが、ここは妹紅にもご機嫌取りを手伝ってもらうことにしよう……気付かれ怒られたら、後で筍掘りでも手伝えばいいだけだろうし。

 

「いつまでも立ち話していても腹が減るだけよ、後は道すがらに話しましょ」

 

 二人を促し先に歩き出す。

 てゐに起こされてから食事を取っていないから、それなりに腹も減っている。

 ここで話を膨らませるよりも、屋台で腹を膨らませた方がいいだろう。

 

「あ、待ちなさいって、リグル行くわよ。とりあえずそんなに緊張しなくても大丈夫だから、ね」

 

 困るリグルをなだめるように話す妹紅。

 輪廻から外れた者の割には人付き合いするし人の面倒もよく見る。

 色々大変だと思うこともあるがこれが彼女のいい所の一つだ、言うだけ野暮だろう。

 

「はい、みすちーも待っていますし行きましょう」

 

 妹紅に促され歩み出す。

 少し傷つけたかなと思ったが困った程度だったようだ。

 ならもうちょっとからかってもいいかもしれないと考えたが、妹紅に焦がされる未来が見えたので今日は諦めるとしよう。

 

 そんな二人を見て歩き出す。

 三人並んで、とはいかず、一人だけ少し離れて通い慣れた竹林を歩いて行く。

 後ろから眺めるとやっぱり尻も気になるけれど、言いたくないなら言わなきゃいいし今後聞かなければいいだけだ 女なら少しの秘密しぐらい持ってるほうがいいと思う。

 

~少女達移動中~

 

 少し歩いて目的地が見えてきた。

 リアカーに調理用設備を載せ屋根を付けただけという、シンプルな造りの屋台が目的地。八つ目と書かれた提灯が四つほど屋根の角に下がっており、屋台の周りだけをほのかに照らしている。竹林の中でそこだけが明るく小さな灯りでも十分に目立っていた。

 のれんをくぐると聞き慣れた声で迎え入れてくれる、可愛らしい女将がいつものように微笑んでいた。

 

「いらっしゃい、二人はともかく一緒にリグルがいるのは珍しいわね。さ、掛けて掛けて、いつも通り白焼きからでいいかしら?」

 

 歓迎の言葉を言うと、返事を待たずにヤツメウナギを三尾焼きだした。

 

「こんばんは、リグルは竹林近くを飛んでた所を私が声を掛けたのよ。こっちは途中でいっしょになったの」

「元々みすちーの屋台に向かってたんだけど、どうせならと誘ってもらって」

「いつも通り歩いていたら妹紅を見かけてね、声をかけたらこの子もいたのさ」

 

 三人とも律儀に答えなくてもいいかと思ったが、二人を見た後こっちを向かれたら答えざるを得ない。

 

「なるほど、それで変な組み合わせだったわけか。なんかリグル今日は静かね?なにかあったの?」

 

 ミスティアからそう言われ少しだけ戻った表情がまた困ったような顔に戻るリグル。普段はもっとちがう子なのか、あたしの前ではこんな風に静かな面しか見せてくれないが。人見知りというやつかね、まるで出会った頃の妹紅のようだ。

 

「あたしと初めて会ってそのままって流れだからさ、緊張してるんだと思うよ? ねぇリグル、たまには知らないお姉さんと飲むのもきっといいものさ、緊張はどっかに捨てて楽しく飲もう?」

 

 酒宴好きとして酒の場でつまらそうな顔をされるのも嫌なのでゆっくり促していく。

 最初は仕方ないとして、そのうちいつもの顔ってのを見せて貰えるようになれば上々だ。

 

「お姉さんかどうかはともかく、緊張してたら美味い物の味もわからないわよ。気にせず飲もうよ」

 

 フォローだが少し引っかかることを言う、が緊張を説く軽口へと繋げてみるのもいいだろう、酒の席での笑い話なんてそんなもんだと思うし。

  

「まだおばさんやおばあちゃんになったつもりはないんだけど、あたしがおばあちゃんなら妹紅も婆さまだな」

 

 互いの髪を見比べて言ってみる、あたしも灰褐色で若々しい黒髪とは程遠いがこれは狸としての毛の色そのままの色だ、手入れにもそれなりに気を使っているし気に入ってもいる。

 

「おばあちゃんと婆さまって言い方になにか悪意を感じるけど、気のせい?」

 

 そう言いながら自身の白髪を撫でる妹紅。

 言ってやった婆さまに近い色合いだが光を透かす綺麗な髪だとも思う、所々に結っているリボンもキャラに似合わず可愛い趣味だ。

 

「気のせいよ。さ、お年寄りは放っておいてお姉さんと飲みましょう」

「口喧嘩で勝てるとは思ってないからもういいわ、さぁ乾杯よ乾杯」 

 

 なんやかんやと言いながら二人でリグルに向かいコップを突き出す。

 気心知れた相手だとこいう場合に掛け声もいらず楽だ。

 

「はい、いただきます…乾杯」

 

 一瞬戸惑ったようだがすぐに破顔し、あたし達とグラスを合わせた。

 

~少女酒宴中~

 

 そこそこ飲んで、ほどほどに酒が進み、会話が弾むようになった頃。

 手が空いたミスティアが話をぶり返した、話題は掘り返しほしくないものだったが、酒の席だし気にせずに乗っていく。

 

「で、実際どっちがお年寄りなの? 髪の毛だけみたら妹紅さんの方なんだけど。あ、でも若白髪って人もいるみたいだしどうなのかしら?」

 

 つまみもほどほどに出し終えた女将が頭の三角巾を外して隣に座り、あたしの髪を撫でながら聞いてくる。

 

「みすちー、私たち緑やピンクだし、髪色で判断はできないと思うよ?」

 

 そう言いながら自身の緑の前髪を撫でる、若葉のようにつやつやしていてこっちも綺麗な髪だ。

 若々しくて羨ましいなと思いつつ、似た髪色の妹紅と向かいあい見つめ合うこと数秒、こっちの年寄りはいくつだったか訪ねてみる事にした。

 

「あたしは千から先は数えてないから覚えてない、確か妹紅は藤原さんだ、藤原で貴族って言うとあれだ、大化の改新だーって騒いでた頃の人よね?」

「私の言う藤原はそれよりも後よ、あいつがまだ都にいてチヤホヤされてた頃の藤原家。ついでにいうならその藤原は私の祖父にあたる人よ」

 

 確かそんな藤原さんがいたなと口に出してみるがあたしの知る藤原さんではなかったようだ。

 あいつと言った時に少しだけ真顔を見せる、あいつとは姫様の事だ、今までもこれからも永いお付き合いをしていく間柄だというのに何が気に入らないのか。殺しあうほど仲がいいように見えるのだが。

 

「あー‥‥ってことはあたしのが婆か、その頃にはもう化けてたわ」

 

 言われて少し考える、妹紅の祖父にあたる人が宮中で力をつける頃にはすでに人を化かしていた頃だ、その時代は妖怪としてそれなりに楽しんでいた頃で、話を合わせてみれば妹紅よりはあたしの方が年上だろう。

 

「てことはアヤメさん、いくつのおばあちゃんなの?」

 

 髪を撫で続けるのに飽いたのだろう、妹紅のリボンを使いあたしの髪に小さなおさげの二本目を結いながら聞かれる。

 

「んー、あぁ当時のあたしを知ってる人がいるわ、この幻想郷に。ほら人里の、妖怪寺の下に埋まってた太子とか」

 

 当時は周囲からの呼ばれ方が少しちがったと思うが当人は変わらずあり続けている、耳なのか髪なのかよくわからないあれが揺れる様を思い浮かべながらそう答えた。

 

「豊聡耳神子か、あの人なら私より随分前の時代の人よ。あの人の虚構説唱えたのが私の父上だったし」

 

 妹紅の父親、藤原不比等。

 藤原氏の始祖と言われ一族隆盛の基礎を作った人である。

 豊聡耳神子虚構説も藤原氏の権力保持の為飾り立てられたものだったという説があり、これを行った候補者の筆頭に藤原不比等が上げられる、って話だったか、そんな事を里暮らしの人間から聞いたような気がする。

 

「……妹紅、あまり広めないほうがいい話だと思うわ」

「そうね……聞かなかったことにしておいて‥‥」

 

 いつか現世で復活出来る、そう信じて眠りについた聖徳太子が聞いたら怒りを買っても当然の話、それをサラリと言う妹紅に少しばかりの注意をする。言ってから気がついたのか、目を細め言うんじゃなかったと愚痴を吐いた。

 

「話を戻しましょ、豊聡耳神子さんと同じ年代って事かしら?」

 

 おさげを結い終え満足したのか、ほくほくとした表情で質問を続けるミスティア。

 

「いや、確か太子が寺立てるって言うんでさ、化けて見物しようと材木持っていったのさ。で、建立予定地で本人と会ってしまって、太子の能力で化け狸だとばれちゃってさぁ。あれって親しげに話すじゃない? その時もさ、昼間に妖かしは珍しいですねとか言われて」

 

 あたしを見ながらにこやかに話す神子さんを思い出し苦笑しながら答えた。

 

「アヤメさんってその頃から化け狸なんですね、結構な大妖怪なんですかね‥‥扱い方考えたほうがいいのかなぁ?」

 

 口ではそう言いながらもおさげを揺らして遊ぶのをやめない女将。

 そのつもりがないのなら言葉にしないほうがいいと思うが、こんな無邪気さが良くて通っているのだ、何も言わずに酒を煽っておくだけとした。

 

「大妖怪かどうかはともかく、婆なのには違いないわね」

 

 少し流れが変わっていたのにそれを言い出す当たり年寄り呼ばわりされたのを気にしていたのだろう、妹紅に意趣返しされてしまった。

 

「まぁ、あたしはいつまでも若若しくあるつもりよ? まだまだ肌の張り艶もあるし‥‥幻想郷だと周りもそんな年齢だし、むしろ年上の方が多いし、下から数えたほうが早いかもだし」

 

 気付けば寝ていた幼く見えるリグルを視野に入れつつ、色々と口篭もっては酒を飲む夜になった。本人がざっくりと記憶していたよりも多めに年齢を重ねていた事がわかり、少しだけ肌の手入れを気にするようになり、生活改善に乗り出すのはもう少し先の事。



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第三話 人里にて教師と

手直ししていたら年が明けておりました
自分含め、皆様に良い年になるといいなと思います



 明日の天気は悪くなるわ、鈴仙に洗濯は控えるように伝えよう。

 日課であるイタズラの仕込みを終えてから来たんだろう。珍しく日の高いうちから起き出して、住まいの外で万年床かと思われた布団を干し、なにやら桶を眺めていたらそんな事を言われた。

 

「朝帰りとは、この間の忠告は耳に入っていなかったようだね、徳利でもひっくり返したか?」

 

 起きてきただけでまだ少し寝ぼけている頭、表情もボヤケたままのあたしに向かい、懲りないお説教をしてくれる誰かさん。言ったところで聞きはしないとわかっていていってくるんだ、ただの嫌味だろうな。

 

「昨晩は早くに寝たさ、今朝はお天道さまを眺めながら煙管の掃除でも、と思ったところよ おはよう」

 

 言うと桶を覗き込んでくる。

 そうやって覗いてみても桶に張ったぬるま湯の中には煙管が沈んでいるだけだぞ。煙管はたまに掃除をしてやらないとヤニが詰まってしまう、こよりなどで管を通してもいいのだが湯に浸けておくとふやけて掃除が捗るのだ。普段は面倒くさがりなあたしだけれど、愛用品や気に入ったモノに対しては変にマメさを見せる事がある。

 

「へぇ、掃除か。これくらいのマメさを暮らしにもむけてみてはどうだい?」

 

 煙管の掃除だったり、普段から着ている着物の虫干しだったり。その暮らしぶりはぐうたらな面のほうが目立つあたしだが、身だしなみだけはいつも小奇麗にしていつもり、それも知っていて言ってくるのだ。朝っぱらから全開の節回しだな、てゐちゃんよ。

 

「サボれば煙管はつまるが、あたしは別につまったりしないわ」

 

 つまらない相手だと思われていれば茶をしばきに来たりはしないだろう。そう邪推して言い切ってみると、確かにつまらない相手ではないかもね、なんて褒めるような事を言う兎詐欺さん。

 ただの煽てでしかないのだろうが、褒められた事実に変わりはない。そう思い、満足そうな薄笑いで見てやると、少しだけ納得する素振り。

 

「ふむ、そこで返答に詰まるくらいなら可愛げもあるだろうにね」

 

 まるであたしに可愛げがないようないい方だが、幼い妖怪や力ない者には優しい面を見せたりする事もなくもないし、可愛い小物や綺麗な物を好む事も知られている。そこから鑑みれば、それなりに可愛げがあるのを見知っていられるとも考えられるのでこれもタダの軽口だな。

 

「お生憎様、そこで詰まっちゃ口八丁でやってこれてないよ‥‥それより、湯も湧いてるし、ちょっと一杯付き合いなさいよ」

 

 そう言って返事は聞かず住まいへ戻る。

 言われた方も何も言わずに後を追って入ってきた。

 朝っぱらから軽口言い合ったから舌が乾いた気がする、あたしはそう思ったから誘ってみたが、どうやらあちらもそうだったらしい。こういう時だけ見た目通りの素直な兎さんに見えてしまって、ズルい。

 

「てゐ、茶葉の残りが少なくなっているなら教えてもらえるとありがたいのだけど」

「よその家のお茶っ葉事情にまで口を出すつもりはないね」

 

 卓に肘付く性悪にないならないって教えてくれと言ってみるも、何も込められてないような軽い口調で、他人の家の事情にまで口出しせんと返されてしまった。

 まるで手にしている茶筒と同じ口調だ。話しながら茶筒を軽く揺すると音がしない、中身が入っているならばサラサラ動く葉音がするだろうが、生憎今入れた分でおしまいだ。

 そんな事は知らないわ、と気にせず茶を啜るてゐ。茶筒を開けると底が見えた。

 

「まぁ、買い物がひとつ増えただけか」

「日の高い時間から起きだしたのはそういうことかい」

 

 自分の湯のみを口にふれさせたままボソっと呟くと、あたしの呟きはてゐの予想と違った答えがだったらしく、態度も機嫌もいささかばかり斜めに傾く。頬杖ついて傾ぐ兎、可愛いお目目を細めてくれて何やら言いたげな顔にも見えるし、そういう事ってのにお返事しておく事としよう。

 手持ちの煙草が残り少なくなってきていた、少し前くらいからそろそろかそろそろか、と考えてはいたが人里に出るのも億劫で今日まで先延ばしにしていて、我慢出来なくなったのが今朝なのだ。

 

「煙草がもうないのさ、切らす前にと思ってね、ついでの買い物が増えただけさ」

「そうね、掃除だけで起きるわけがないわね」

 

 空いた湯のみをてゐから受け取り流しに置きながら背中越しに会話すると、一人何かに納得したような落ち着いた声で失礼な事を言われた。事実だから否定はしないが。

 

「そうよ、起きるわけがないわ。これから里まで出かけるから、暇だったら布団取り込んでおいて」

 

 茶を啜り一息ついてどうせ暇なんだろうとわかっている妖怪ウサギにこう言ってみる。

 

「あたしゃあんたの親でもなけりゃ女中でもないんだけど、人様の家でまで家事なんてやりたくないわ」

「人里に福の神が来たって話聞いたかい?なんでも大繁盛らしいと。で、そこに負けじと向かいの店も頑張ってるみたいだよ」

 

 住まいの永遠亭では家事をやってますとでも言いたい口ぶりで話すが、助手という名の小間使い任せにしているということは聞かなくてもわかる。

 仕方がないので物で釣ろうと土産包を摘むような仕草をし話す。

 

「蕎麦屋が混み合ってるみたいだね、お向かいは団子屋だったか」

「山の仙人も買いに来るってさ、そうね……三本でどう?」

 

「八本」

「四本ね」

 

 互いに指を立てて交渉をするが、四本で話が纏まった。人数分要求するとは中々かわいい所を見せるウサギだ。意外と住まいを提供してくれた者への恩義感じているのだろうか?

 いや、ないだろうな。

 

「いってらっしゃい 暇をつくって待ってるよ」

「なるべく早く帰るつもりだけど、布団がそのままなら土産はなしよ」

 

 下心を隠さない笑顔で見送ってくれるてゐにそう言い残し、尻尾を左右に振りながら歩き出した。

 

~少女移動中~

 

 ふむ、こんなもんかと買い足した茶葉と煙草を見る。茶葉は当然茶筒に入っているが、煙草の葉も色の違う茶筒に入っている。

 一見紛らわしいのだが自分もてゐも間違って煙草で茶を淹れるような事は未だしていないので、特に不便と感じだことはない。もしもてゐを怒らせるような事があれば話は変わるだろうが。

 

 後は土産の団子…と、寝巻か。

 夜は酔ってそのまま寝ることが多いので風呂は起きてから入る習慣がついている。寝る時は裸だったし着物の替えもある、今朝のように布団もたまには干しているし自分で不潔だとは思っていない。がこれから暑くなってくる、寝汗が気持ち悪くなってくるはずだ。

 アレは嫌なのよね‥‥この際だ、言われたとおりにしてみるか。

 おばあちゃんの知恵ぶ‥‥先人の知恵は有効活用してみよう、この先を曲がって里の中央に出れば大道具屋があったはずだ、寝間着の一着ぐらいはあるかもしれない。

 

『人里の大道具屋 霧雨店』

 人里で買い物するなら霧雨に行けば大体揃う、周りからそう言われるくらい品数は多いし種類もある、日用品から用途のわからないようなものまであるという。

 商売上手だが一人娘と喧嘩して声荒げる姿がよく見られるとも聞いた、今は娘が家を出てしまいそんな声も聞こえないらしいが。

 

「お邪魔するよ、ちょっと品を見たいんだが‥‥」

 

 のれんをくぐり声を掛けると、帳簿をつけていた男が作務衣や浴衣を並べてくれた。作務衣を手に取りこれでいいかと伝えようとしたが子供の声でかき消された。

 正午近くにはなるのか、寺子屋が終わって里の子供が遊びはじめたのだろう。この雰囲気だとあの先生もすぐに出てきそうだ。見つかって小言を言われる前に用事を済ませ帰るとしよう。二着ほど作務衣を風呂敷に包んでもらいそそくさと帰るかと思ったが、土産をまだ買っていない、忘れてましたで済ましても構わないのだが、後が怖い。

 てゐのイタズラに比べれば先生の小言の方がいく分かマシだろう。仕方がない、と団子屋へと歩みだしたがすぐに引き止められる。

 

「昼間から行動していることもあるんだな」

 

 振り向かなくとも声の主はわかる、人里の守護者 上白沢慧音だ。

 半人半獣という人外の身ではあるが寺子屋で教師をする、礼儀正しい教育者。人と共に有り長く里を守ってきた者、大人からも子供からも慕われているのだろう、里を歩けば誰からも声を掛けられ笑顔で返す先生の姿が見られる。人に対し過保護になりすぎる所と、授業が堅苦しく難しくてつまらないという所が惜しいとは思うが、その堅苦しさもこの先生の良い所の一つなのかもしれない。

 

「今日は何をしに来たんだ? やっと素直になりに来たのか?」

 

 知らない仲ではないのだがその表情はどこか冷たく感じられる。礼儀正しいといった割にはあたしへの対応は他人行儀なものである。

 それもそのはず、あたしはこの先生に良く思われてはいない。嫌われているわけではないのだが飽きられているというか、一歩引かれたような立ち位置にいる状態だ。

 以前は挨拶を交わし甘味処でお茶するくらいの仲だったと思うのだが、ちょっとした出来事があってからはこんな感じである。

 

「買い物しに来ただけよ、先生。後は土産でも買って帰るか、というところ」

 

 そう言いながら視線を団子屋へと向けた、だが要件を聞いても慧音の冷めた視線は変わらずあたしを見ている。慧音とこんな感じになってしまった原因があたしにあるのは間違いないのだが、特に何かやらかしたわけではなかったりする、というよりあたしはなにもしていない。簡潔に言うなら、竹林で血を流し戦う妹紅と輝夜を眺め酒を飲んでいただけだ。その時の事をどこからか話を聞き付けた天狗の記者が、あの狸は血を流す人間を見ては楽しみ、その血を浴び肉を食らう恐ろしい妖怪だ!等と尾ひれ背ひれを付け足して新聞を発行。

 それを読んだ慧音から本当なのか!? と言及され、楽しんでたのは本当だと言ったためである。

 

 後日、あれは脚色され事実とは大分異なった話で、実際はなんでもない事だった。と妹紅から聞いた慧音の謝罪を受けたのだが、今でも里の人や一部の妖怪からは誤解されたままの状態が続いている。あたしとしてはなにもせず妖怪としての箔がついたわ、と思ったくらいだったのだが、そこが腑に落ちないらしく、なぜ自分のことなのにちゃんと疑いを晴らさないのかと問い詰められたりしている。本人は気にしてないというのになんとも世話焼きな人だ。

 

「貴女はいつまで放っておくつもりだ、あの記事はいい加減なものだったというのに」

 

 正面に立ち腕を組み、少しだけ怒気をはらませながら語る慧音。口調や雰囲気こそ怒っているような素振りに見えるが目には優しさが浮かんでおり、悪さした子供を叱りつけるような風にしか見えない。

 

「別に困る事もないし、このままでいいと思ってるんだけど?」

「そうは言ってもだな、誤解したままの里人だってまだいるんだ」

 

 悪びれるような事もなく答えると両の手を少し大げさに投げ出しさらに捲し立てられる、無駄に動きが大きいのは普段子供にこうしながら授業を行っているからだろう。慣れた手つきだというのがわかる。

 

「今のところなにも不都合を感じてはいないわ、買い物だってこの通り。それにあたしは人も食っていた妖怪よ? 恐れられても当然じゃないかい、先生?」

 

風呂敷と買い足した手荷物を軽く持ち上げ見せつけながら過去には人も食っていたと告げる。

 好むわけじゃないが人も食えるし食っていた、けれど幻想郷で襲ったことはまだない。食後の掃除の手間が面倒というのもあるが、里で買い物したり会話したりしているとどうにも襲う気が起きないのだ。

 

「‥人を食うとは初耳だった、けれどそれなら余計に誤解をとくべきだと思うんだが」

 

 少し驚いたような慧音だったが、すぐに表情を戻し正論を述べる。

  

「幻想郷に来てからは襲っていないからね、甘味処の爺さんによう!狸の姉ちゃん!なんて呼ばれたらさ、食う気もなくなるわよ。あぁ甘味処で思い出した、土産の団子を待っているやつがいるんだった、そろそろ帰るよ。それじゃあね 先生」

 

 少し強引だが会話を切り返答を待たず歩き出す、視線は感じるが何も言ってこない。

 あたし達の話が終えるのを待っていた寺子屋の子供達も慧音の周りに集まりだしたした。今日はこれで済ませられそうだ、また捕まる前に土産を買ってさっさと帰るとしよう。帰って煙管の掃除もしなきゃならないわけだし。



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第四話 店主と黒白

少しだけ戦闘描写を入れてみました




 妖怪も足を踏み入れないような原生林。

 一言で表すならそう表現する場所、それが幻想郷の魔法の森。

 木々が太陽の光を遮り、日中でも薄暗くじめじめとしている森、ここにしか生えない種類のキノコが幻覚を見せ立ち入った者を惑わすという話は結構有名だ。

 

 そんな怪しい森の近くにわざわざ店を構える変わり者がいる。いつものように座って、客であるあたしが店内にいるというのに手元の書物に目を落とし読みふける男、森近霖之助がそう。

 ぱっと見た限りでは背の高い人間の青年といったところだが、半人半妖の身らしく普通の人間の何倍も生きていると言っていた。店を開いておきながら儲ける気があるのかないのかよくわからない。が、そんなことはあたしには関係がない、今日はこの男に聞きたい事があって訪れているのだ、とりあえずこちらに興味を持ってもらえるようにしよう。

 

「茶屋ではないし、お茶が出てきておもてなし、なんてのは思っていないけれど……いらっしゃいませもないなんて、本当にここはお店なのかしらね」

 

 霖之助の営むこの店、香霖堂の戸を開いた時に目があったきりで、それから一言も本から話さない男に少し嫌味を言ってみる。

 

「お客様なら歓迎するし接客もしよう、しかしひやかしの相手をするくらいなら本でも読み進めたほうが有意義な時間だと思わないかい?」

 

 そう言うとまた視線を本に戻す男。雨宿りだの、暇つぶしだのと、お買い物以外の用事で訪れ続けてきたせいですっかり客とは見られていないようだ。

 

「今日は珍しく購買意欲を持ってきてるんだけど、持ち帰るようにするわ」

 

 霖之助の座るカウンターの奥に積んである、未整理と書かれた箱を見つめながらつぶやく。

 

「ハァ‥‥なにか気になるものでもありましたか お客様」

 

 しおりを挟みパタン、本を閉じるとようやくこちらを気にする素振りを見せた。

 

「ちょっと探しものがあってね、森近さんなら拾ってきてないかな、って」

 

 大概のものは人里、霧雨の道具屋で揃うためこの店が繁盛することはない。霖之助自身からも繁盛させようとする姿勢が見られないし、並ぶ品も癖のあるような物。飾ってあるだけで非売品と表記された物が目立つが、中にはこのお店でしか入手出来ない物もあった、今日の狙いはそんな物である。

 

「外の物かい? 最近はこれといって入荷していないが」

 

 二つの結界で外の世界とは切り離されたこの幻想郷で、この店は唯一外の世界の品物を並ぶ店だった。といっても霖之助自身がどうにかしているわけではない。幻想郷には外の世界からモノが流れ着く場所がある、そこに出かけては拾ってきたものを店に並べているというものだ。仕入れ値ナシの丸儲けでウマイ話だと思えるが、幻想郷でも割りと危険な場所なので、値段=労賃といった感じだろう。

 

「河童が作った物だけどここならありそうな気がしてね、聞いてみようと思って。こう、小さい提灯からホースが二本伸びていて、そのホースで液体を移動させる時に使うやつなんだけど」

「ああ、あれなら在庫があるね、多少形が違うものがあるけれど液体を移動させるという用途は変わらないものだ」

 

 形と用途を伝えると思い当たるものがあったのか、いそいそと探し始める。

 積まれた未整理の箱を弄ってみたり、奥に消えてしばらく物音だけを聞かせてくれる店主さん。

 暫くしてから戻ってきて出してくれたソレは、形は様々だが同じ用途の物数点。

 

「これだこれ、結構便利なんだよこれ」

 

 目先にある数個の内の一番近くにあったポンプを手に取り、程々に柔らかそうな赤いところをフカッフカッっと、何度か摘んでみる。

 

「商品をむやみに触らないで貰いたいね、そんなに強い材質じゃないようだし」

 

 ごめんごめんとカウンターに戻すと、

 

「それで、いくつくらい入用で? すでに伝えたように在庫はあるから多少多くても構わないよ」

「いや、一つで十分。消耗品だけどしばらくはもつだろうから。ああそうだ、森近さん、聞きたいんだがこれの正式名称はなんて言うんだい?」

 

 そう言って購入予定のポンプを摘む。

 筒先を店主の眼鏡に向けてフカフカさせると、動かない古道具屋の前髪が揺れた。 

 

「使ったことがあるんじゃなかったのかい?」

「河童のところで使ったことはあるんだが、あたしは『燃料のあれ』とか『シュポシュポ』とか呼んでいたし、それで通じるから正しい名前は知らないんだよ」

 

 説明に納得したのか、静かに頷く。

 

「にとりの‥なるほど、君が選んだそれは『醤油チュルチュル』というのが正式名称だよ。形の違うものは『石油ポンプ』という名前だ」

 

 あたしのポンプの横に他のものも二三並べられる。

 

「へぇ、ホースの付いている位置がちょっとちがうだけなのにこれらは名前がちがうのか、同じような物なのにね」

 

 フカッフカッと醤油チュルチュルを摘んでみる。

 

「僕の能力を知らないわけではないだろう? それは『醤油チュルチュル』だ。間違いないよ」

 

 彼のもつ『道具の名前と用途が判る程度の能力』の力だ。

 彼が知らない、見たこともないものでも名前と用途がわかる能力だという。非常に便利なように思えるが正しい動かし方や動力源などはわからない等、なんとも痒い所に手が届かない能力だと思う。

 

「作った河童に後で名前を教えてやろう、あの娘は『にとりポンプ』なんて呼んでいたけど正しくは『にとりチュルチュル』だったよってね『チュルチュルにとり』でもいいかもしれないね」

 

 そう言い意地悪に笑ってみせた。自分の作った物がすでに外にあったと伝えると、発明品に命をかける彼女はきっと面白い反応を見せてくれるだろう。

 何か汚いような物でも見るように目を細める霖之助が何か言いかけた時、入り口の外で何やら物音がした。直後、香霖堂の扉をドカッと箒で突き破る勢いで開き少女が入店してくる。いつもの事のなので特に慌てたりはしないが、その度に強い扉だと感心する。

 

「よう! 香霖! でかいキノコが取れたんだ、台所を借りるぜ。なんだアヤメもいるのか、仕方ないからお前にも食わせてやる」

 

 左手に下げた籠からはみ出すキノコをあたし達のいる方に掲げ快活に笑う黒白。あたしに気が付くと、一瞬残念な表情を浮かべるがすぐに笑顔に戻った。

 

「あたしの分はいいわ、怪しいキノコを食って泡吹きたくないし」

「僕も遠慮しよう、魔理沙。食欲もそれほどないしね」

 

 二人とも魔理沙の方は見ずに答える。

 

「遠慮しなくてもいいんだぜ、これはうまいんだ、いっぱい取れたしたまには私が食わせてやる」  

 

 返答を聞き流し台所に向かうこの少女。人の話は後回しにして自分のやりたい事を楽しそうにやる、本当に自由な少女だ。この少女は出会った時からこんな調子なのでもう気にしてはいない。

 初めてあった時にもこんな風に押し切られて、弾幕ごっこをする羽目になった。

 普通の人間に狸が一杯食わされた時の話だ。

 

~少女想起中~

 

 真っ赤な霧が幻想郷を覆う異変『紅霧異変』 

 それが終わり少しした頃、香霖堂の店主で暇潰しをしている時であった。

 乱暴に扉が開けられて黒白の少女が入店してきた。

 

「物は大事にしてくれといつも言っていると思うんだけどな、魔理沙?」

 

 扉は見ずに声だけを掛ける霖之助から視線を移し入り口の方を見ると、黒と白のモノクロカラーに箒を携えた少女が立っていた。  

 

「見たことない顔だな、香霖の知り合いか?それとも襲いに来た妖怪か?私は霧雨魔理沙、普通の人間の魔法使いだ 後者なら痛い目見せて追い出すぜ?」

 

 へへっと笑い構えてみせるこの魔法使い、にこやかに物騒な事を言うものだ。

 家を飛び出し一人で森に住みたまにやってきてはツケで買い物をする、そんな黒白の魔法使い見習いがいると店主が言っていたのを思いだす。

 愚痴の割には表情が穏やかだったのが印象的で強く記憶にある。この娘の格好と霖之助の態度を見る限りこの少女がその娘なのだろう、そう感じ取れるような雰囲気があった。

 

「自己紹介で脅されるってのも中々ないもんだ、囃子方アヤメよ。森近さんから聞いてない? たまにこうして暇を潰しているんだけど」

 

 手のひらを魔理沙に向けて自己紹介。やる気はないよと仕草で伝えてみせるが、はたして理解してもらえるだろうか。

 

「そんな妖怪の話聞いたことないな」

 

 即答される。

 

「客でもない妖怪を誰かに紹介なんてしないよ」

 

 霖之助にそう言われ確かに説明する義理も縁もないな、と納得した。そんな霖之助とあたしのやりとりを見た魔理沙は警戒を解いてくれたようだ。それから少し会話をし、慣れてからは魔理沙の止まらない口撃が始まる。

 

~この間の赤い霧の異変覚えてるだろ? あれは私も解決に動いたんだぜ! まぁ、最終的には霊夢にいいところを持って行かれたけどな~

~でも吸血鬼には会えたんだぜ、妹のほうだったけど。変わった羽してたんだが、外の世界だとあんな羽のコウモリもいるんだな~

~アヤメは狸の妖怪なのか、それなら尻尾は増えるのか?~

~化け狸の鍋でもつつけば不死や不老に近づけると思うか?~

~聞いてくれよ、香霖はひどいやつなんだぜ……~

 

 ちょっとした自慢や質問、他にも店主への悪口やら、表情をコロコロ変えながら話す魔理沙は、良くも悪くも印象に残る元気な少女だった。

 

「まあいいや、そんなわけでアヤメ。出会った記念に弾幕勝負といこうぜ」

 

 幻想郷で最近流行りだした弾幕ごっこ。力の差がある人妖でも対等に戦えるとして、急速に広まりつつある新しい遊びである。妖怪の起こす異変でも行われるものだそうで、その強さを競うよりも美しさや優雅さを競い合うものだそうだ。

 先日の紅霧異変でもこの遊びが行われ、結果人間が異変を解決してみせた。

 湖の上空でおめでたい色をした巫女と氷の妖精が射ち合っているのを見かけたが、確かに綺麗で良いものだと思った。自身でやりあうよりも見ながら酒の方が、なんてあたしは思ってしまったのだが。

 

「争うなら外で、出来れば遠くでやってくれると助かるよ」

「あたしとしては、今は弾幕ごっこよりもここでぼんやりしていたいんだけど」

 

 座る店主からは遠回しに魔理沙を連れて出て行ってくれと言われるが、あたしはカウンターに頬杖付いて拒否の姿勢を表す。

 

「なんだよ、売られた喧嘩は買おうぜ?今ならスペルカードのおまけ付きだ」

 

 そう言って数枚のカードを取り出し、一枚一枚柄も絵も違う物があたしの前で扇の様に広げられる。

 

「弾幕もスペルカードも考えていないわ、カードは持ってすらいないし。拳も使えない相手に喧嘩を売るのはひどいんじゃないかしら?」

 

 挑発されても気にもとめずカウンターから動かない。喧嘩と言ってくるくらいだ、やる気も用意もないものを嫐る気はないのだろう。諦めてと態度で示す。

 

「むう‥‥それもそうだな、じゃあ次に会うまでにちゃんと考えておけよ?次は逃したりしないからな」

 

 とても残念な顔をされたが興が乗らないのだ、身を引いてもらうことにした。

 

「忘れてなければ用意しておくわ」

 

 すっかり臨戦態勢になっていた魔理沙をなだめていると、あたしたちのやりとりを眺める霖之助が何かを渡してくる。

 

「良ければつかってくれ、売り物じゃないしお代はいいよ」

 

 そう言って白紙のカードを渡された、スペルカードだ。用意するつもりがないのがバレバレだったらしく、勝負しない理由を潰されてしまった。

 

「‥‥ありがとう森近さん、用意がいいのね」

「それを楽しんでくれて、うちに来る頻度が下がればいいと思っているよ」

 

 少しだけ色を浮かべ笑顔でお礼の言葉を吐くと、とてもいい笑顔で返答された。

 

 

 あの日は素直に引き下がってくれた魔理沙だったのだが、後日出くわした時には宣言通り有無をいわさず弾幕勝負を挑まれた。

 

「お、アヤメじゃないか あの時はお流れになったけど今度こそ勝負だ!」

 

 以前見せた笑顔を浮かべあたしに対し構えてみせる。

 

「あら魔理沙、誘いは嬉しいけれどまだルールも把握してないしスペルも考えてないよ」

 

 渋ってみせるとすこし考える表情をした後、とっ捕まった。

 

「次は逃さないって伝えたはずだぜ、それにルールは簡単だ。当たらなきゃいいし当てればいい、それだけだぜ。カードは私に負けた後ゆっくりと考えればいいんだ」

 

 簡単だろ、そんな顔で理不尽な事を言うもんだと思ったが、そのまま魔理沙の勢いに押し切られる形で勝負を受ける流れになってしまった。

 

「初陣前に何か言っておくことはあるか?」

「そうね、出来れば慣れるまで手加減してくれると助かるわ」

 

 力なく首を振り、弱者アピールを試みるが効果はなく、空中で対峙する魔理沙からの気配りだろうか、最後通告があたしに突きつけられた。

 

「習うより慣れろだ、そこは頑張ってほしいんだぜ!」

 

 空中で対峙するあたしにそう言うと箒に魔力を込め加速する魔理沙、上下左右にと三次元的な動きで周囲に弾幕をばら撒き、あたしに狙いを定めてくる。

 

「手取り足取り教えてくれる、優しい先生のが好みなんだけどね」

 

 聞いたルールを思い出す限り被弾したとしても痛い、悪くともすげえ痛いくらいで済むだろう。 そんな事を考えながら迫る弾幕を回避していく。開始数秒で被弾終了なんてのはさすがに楽しくないだろうし、あたしの練習にもならない。乗りかかった船だ、やれるだけやってみよう。

 

「やっとやる気を見せたな、じゃあもっと練習させてやる」

 

 放つ弾幕の種類を増やしあたしの動きを制限してくる魔理沙。こっちは慣れていないのも相まって逃げても避けても追い掛け回され、だんだんと余裕がなくなってきていた。

 忙しい初陣になったわね、と一人愚痴る。そうしてぼやきながらしばらく逃げまわっていると、弾幕や動きもなんとなくわかってくる。これくらいなら凌いでいられるかと思った矢先、箒にまたがる魔理沙がこちらに叫ぶ。

 

「避けるのはうまくなったじゃないか!ならこいつはどうだ!」

 

――魔符『スターダストレヴァリエ』

 

 宣言と同時に魔理沙が左手のカードを掲げるとキラキラと輝く星形の弾幕がコレでもかと迫ってくる。

 

「おお、こいつは綺麗で厄介だ、どう逃げたらいいかわかんない」

 

 初めて味わうスペルカードはとても綺麗な星だった、今が夜であたしが下から眺める側だったなら、素晴らしい星見酒が味わえたことだろう。

 

「悪態付くなら余裕だな、うまく躱すか綺麗に当たるかしてくれよな!」

「スペルカードのない相手、それも初心者にこれはないんじゃない!?」

 

 素直な感想だったのが魔理沙には余裕からくる軽口と思われたようだ。放たれる星の勢いが増していき、避けるよりもかすり当たりする事のが多くなっていく。

 返答しながら逃げ回るがルートがまずかったのだろう、逃げ道がどんどんなくなっていく。

 

「持っているのに作らないのが悪いんだぜ?」

 

 ごもっともである。

 以前に次回はと言われたはずだ、これについては言い逃れ出来ない。 

 

「そうね、あたしが悪かったわ! ッつっ!」

 

 会話する余裕などなかったのに話していたのがまずかった。弾幕が左大腿部に当たる、予想通り結構な痛みが走る。女の子が遊ぶ綺麗で楽しいものなのよ、なんてあの隙間から聞いていたが、なるほど綺麗で楽しい痛みだ。幻想郷の過激な少女達にはちょうどいいのかもしれない。

 

「やっと一回被弾したか。そのまま落ちてくれても良かったんだが、初心者にしちゃいい逃げだな」

「結構痛いのね、少しびっくりしたわ」

 

 攻撃に成功し嬉しいのか今までにない笑顔を見せる魔理沙とは対照的に、あたしの顔はしかめっ面だ。当たりどころが悪ければ死人も出る、そう聞いていたが実際に食らって納得だ。

 

「ならもっとびっくりさせてやるぜ!」

 

 そういい魔理沙が魔道具を構え再度カードを掲げた。

 

――恋符『マスタースパーク』

 

 先ほどのように大量の弾幕を撃ってくるかと構えるが少し様子がちがっていた。

 手に持つ魔道具に力が流れ込み光を纏っていく。

 

「痛いで済むか、食らってみるといいぜ!!」

 

 魔理沙の叫びと同時に放たれた高出力の魔力の光線。

 周囲に光と音を轟かせながら高速で迫るそれに、どうしたもんかと一瞬動きが止まる。思考に気を取られた分時間が過ぎ、もう避けきるのは無理な間合いになってしまった。

 

「本当に! 勘弁してよね!」

 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ

 

 強引に体を捻り、ギリギリで光線から体をずらす。

 あたしの妖気と魔理沙の魔力が干渉し音を立てる。

 掠めた袖が焼切れて地面へと落下していく。

 腕もかすめていたようで触れた右腕が焼かれたように熱くなった。

 

「これも避けるなんて凄いじゃないか!ちょっと見なおした」

 

 関心する魔理沙だが、その声には驚きと悔しさが混ざっているのが伺える。切り札のようなものだったのだろう、さっきまでの笑顔は見られなかった。

 

「褒めてもらえてありがたいけど、本当にギリギリだったわよ。似たようなのを見てなければ今頃まる焦げだったかも」

「へへっそれなら次はだった、じゃ終わらせない!」

 

 再度魔道具に魔力が込められ光を纏っていく。

 

「今度はおまけもつける!」

 

 魔道具から放たれた魔力光と共に魔理沙から弾幕がばら撒かれる。先ほどと同じようにどうにか捻って避けきろう、その考えは甘かった。考えていた逃げ道を弾幕で潰されもう後がない。

 

「うん、これは参った あたしの負けね」

 

 迫る魔力の光を前に、変に冷静な頭になったあたしはそのまま光に飲まれていった。

 

~少女墜落中~

 

「お、当たったな! 私の勝ちだ!!」 

「そうね、今日はあたしの負け。人間の小娘に驚かされる日がくるとは思わなかったわ」

 

 勝負が決まり戦闘態勢を解いた魔理沙が近づいてきた、あたしは素直に両手を広げ降参と告げる。

 

「私のとっておきを食らってピンピンしている相手に褒められても嬉しくないな」

 

 褒めたというのに募っ口をしてスネるような仕草。あれで落とす自信があったのだろうが、当のあたしは元気なものである、あくまでも本体はって事だが。

 

「そうでもないわ」

 

 そういって魔理沙に尻尾を向ける。

 プスプス焦げるあたしの縞尻尾。

 直撃はした、だがあたしは妖気を込めた尻尾を盾にし受けきったのである。

 

「こんなもん傷のうちに入らないじゃないか」

「あら、大事な大事な尻尾が焦げて結構傷ついてるのよ?」

 

 大事な尻尾を指さしてこんなもん扱いされたことに一瞬ムッとしたが、生えてない相手に気持ちはわからないだろうと考えた。

 本当に、常に毛並みを整え一番気を使っている尻尾を傷つけられたのだ。結構凹んでいる。

 

「私としては撃墜したかったんだが?」

「犠牲がなければ多分落ちてたわ、大したもんよ」

 

 まったくこの娘は物騒なことしか言えないのだろうか?

 

 素直に感心したことを告げるとやっと満足したのか、いつもの笑顔を見せてくれた。

 

「なぁ、アヤメ」

「何かしら?」

 

「避けるばかりでなく反撃しても良かったのに、なんでなにもしてこなかったんだ?」

 

 全部終わってから聞くことか?‥‥と思ったが悪びれることもない彼女に素直に答えよう。

 

「言ったでしょう? 考えてないって」

 

 少しだけ意地悪に笑いそう言った。

 

「……本当に考えてなかったのか、てっきり弾幕くらいはあるもんだと思った」

 

 一瞬呆けたがすぐにヤレヤレといった表情になる。

 

「そうね、思った以上に楽しめたし、真面目に考えるようにするわ‥‥もう焦がされたくないし、倒す手段は必要よね」

 

 気の抜けた表情をする魔理沙を横目に尻尾を撫でて、本気で凹むあたしだった。



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第五話 退屈と天狗

特にない日のお話




 住み慣れた我が家で煙を漂わせ微睡んでいる。

 とくに何事も考えずに煙管を咥え、一呼吸。

 筒先から上る煙が周囲をゆっくりと漂った。

 眠りから覚めて一番に行われている習慣、特に思い入れもない、思い入れられるような事もなくなった、習慣になっている事だ。何も思わず吸いきって葉が燃え尽きると、煙管をカツン一叩きして燃え残りを捨てた。

 

 今しがた楽しんでいた物を卓に置き、立ち上がって軽く背を伸ばす。

 寝起きの気怠い体を動かしてから着替え、なんとなく外に出た。

 今日も特に予定はなく、高く登ったお日様を見て、なにをするかと首を傾げていた。

 

「こう毎日やることも行くとこもないと、何か事件でも起きないかと考えてしまうわね」

 

 誰もいない自宅前で一人愚痴る。

 すると、眺めていたお日様とは逆の方向から聞き慣れた声が返ってきた。

 またうるさいのが来たと声の方へ振り返ると、ゆっくりと降りてくる見慣れた姿の少女がいた。度々見る光景なのだがそのたびに、短いスカートがなぜめくれないのか不思議に思っていた。何時だったか聞いてみたところ、私のスカートは鉄壁なのよ、なんて言われたがどうやら自身の能力でめくれないように抑えているだけらしい。

 せっかくの能力をそんな事に使うなんて勿体ないわ、残念そうに言ってみたが、アヤメならわかるでしょう? とふわりと回転しスカートを靡かせながら返答された。

 

「それならばご自身で何かしたらいいのですよ、暇を持て余しているのでしょう? 楽しく事件を起こして、楽しく退治されましょう、そうして事が終わった後に私の取材を受けましょう。うんそれがいいですね、さ、それではなにから始めましょうか?」

 

 なにも言わずにいると、ひとりで騒ぎたて盛り上げようとしている。

 新聞記者として来ると大概こうで、煩い。

 

「そうですね、何を致しましょうか? そうだ、狸の妖怪なんですし火をつけた薪を背負って山中を走り火事を起こされてはいかがですか? それとも泥船を浮かべて霧の湖を汚されてみては?」

 

 同胞の有名人を例えに使いあたしの興味を惹こうと頑張る新聞記者。

 顔を見せたと思えばのっけからこれである、一人なのに姦しい事この上ない。

 

「共食いを見て楽しむ趣味はないわ、火傷に唐辛子を塗りつけられるのも嫌だし。あたしに異変を起こせってのなら期待するだけ無駄ね」

 

 あたしはやる側ではない、眺めている側だ。

 やる側に回ったら眺めて酒を楽しめない。

 

「あやややや、せっかく有意義な時間と力の使い方を提案したというのに。それでは私が記事にできないじゃないですか」

 

 そう言って手帳を開き何かを書き加えていくが、どうせ大した内容ではないだろう。

 

「他人にばかりやらせないでたまには自分からなにかしたらいいんじゃないの? 普段は騒ぎを知らせる側なんだから、一介くらい起こす側になってみればいいじゃない」

 

 言ってもやらないと分かりきっているこの天狗に少しばかり煽りを入れてみる、すると普段は見せない、ほんの少しだけ真面目な表情で見つめ返された。 

 

「私は山の天狗です、行いを見守る観察者で何かをするわけにはいかないのですよ」

 

 真面目な表情は一瞬だけで、すぐにいつもの記者の顔に戻る。

 凛としていれば冴える美しさが垣間見えるくらいなのに、毎回毎回下手に出てくるから三枚目役が多くなる。そんな事はわかっているようだが本人は気にしていないようだ、その潔さには共感出来るものがある。

 

「観察者? 見てるだけって言う割にはあることないこと書いてバラ撒いてくれたじゃない、あたしに対する風評被害はどうしてくれるんだろうね?」

 

 仏頂面で煙管をふかし煙を記者に向けて吹く、煙が届く前に風で掻き消えてしまった。

 

「あや? ご本人が被害と感じていらっしゃらないのに何か問題があるのでしょうか? 訂正してもキリがない、そうおっしゃるなら訂正記事を書いてもよいのですが」

 

 にやにやとそう言いながら手帳になにか書き留める、ちょっとの文句を書き留めている動きにしてはやたら長く走るペン先。

 さっきの物言いがどんな面白いデタラメに書かれたのか、一度見せてもらいたいくらいだ。

 

「あー困るわー、ない事ばかり言われて傷ついてるわー」

「棒読みでおっしゃられても何も感じませんねぇ、はぁ‥‥少しは長く生きてる妖怪らしくされてはいいんじゃないでしょうか」

 

「そっくり言葉を返せるんだけど」

 

 軽く微笑んで言葉を返すと、同じように微笑んで返答される。

 

「いいでしょう、これ以上お話しても貴女からネタは出てきそうにないですし、今日のところは諦める事にします」

 

 そう言って手帳を胸元のポケットにしまいあたしの隣に並び腕を絡めてくる。

 

「そう言えば聞いたわよ? にとり騙して儲けたんですってね」

 

 さっきまでとは口調も雰囲気も変わって話しかけてくる。

 仕事モードとプライベートで使い分けているようで、こちらがあまり見ることのない本来の彼女だ。明るく活動的で魔理沙とは違った快活さをもっている。

 さっきの話の続きではないがとても齢千年を超える大妖怪とは思えない明るさだ。

 

「またそれか……とりあえず中に入りましょ、お茶ぐらい出すわよ」

 

 二人共砕けた雰囲気で住まいへと入っていく。

 なにも知らない人が見れば妙齢の少女二人が笑いあって見えるだろう。

 実際は幻想郷では年上の方が少ないかもしれない烏天狗と古狸の二人なのだが。

 

~少女移動中~

 

 二人分の茶を淹れて向かい合わせに座る。

 てゐ以外で我が家にお茶しにくる数人の内の一人が慣れた手つきで湯のみを受け取った。 

 

「で、それ誰から聞いたの? 前にも訂正したけどあれはあの子の自爆よ?」

 

 卓に頬杖を突き正面に座る友人の顔を見る。

 

「目のいい部下からよ、あの娘が言うには何かに促されたように投了したって言ってたわ」

 

 いつも真面目にお勤めをこなす白狼天狗の事だろう、あの娘も厄介な上司を持ったもんだ。態度悪く出来のいい上司に度々振り回されて、気苦労の絶えない毎日なんだろうなと思う。

 

「‥‥あぁあの狼ちゃんか、あの娘はあたしの能力知らないでしょ? ならあたしから仕掛けたと勘違いしても無理はないわ」

 

 あたしの能力を知っている者はあまりいない、能力を使わねばならないような荒事にはなるべく首を突っ込まないにしているのもあるが、使用してもあまり気が付かれないというのもある。あの白狼天狗もあたしの『逸らす程度の能力』を知らないはずだ、気がついたとしてもあたしが何かして河童が促されたようにしか見えていないだろう。実際何かはしているのだが、そこに気がつけるようになるのはいつ頃だろうか。

 

「なるほど、能力は使ったけど気が逸れたのはにとり自身だものね、相変わらず狡い能力よね、それ」

 

 記者の仮面を外すとなかなか辛辣な事も言うので非常に面白い。

 こちらの顔で取材をした方が面白い話を聞けそうなのに。

 

「タネが割れてる相手には中々使いにくいんだけどね、あんたの能力みたいにバレても気にならないものならもっと良かったのに」

「風向き逸らして扇風機変わりにするアヤメに言われたくないわ。それより山に入るのに私をダシにしないでよ、後で大変なんだから」

 

 この天狗の記者の有する『風を操る程度の能力』は非常に厄介なもんだと思う。

 あたしの能力も相手にバレても対応を変えれば困るような事はないのだが、この天狗の能力はバレてもそのまま好き放題に出来るくらいのものだ。

 それはそうだ、だって風だもの。防ぎたければ絶対に壊れない壁でも周囲に立てて籠もるか、あたしみたいに逸らせるなどやり過ごすくらいしかないだろう。

 

 能力の話になったのでついでに語るが、この天狗の部下。白狼天狗の狼ちゃんも能力を有している、なんでも千里先まで見通せるとか。目のいい部下との評価はここから来るのか、悪巧みしては見つかり小言を言われることから来るのか。後者だろうな、そう思っておこう。

 真面目すぎて苦手だわ、なんて言ってはいるがこうして話題にしても嫌な顔をしないのだからそれなりに気に入っているのだろう。

 話が逸れた、本筋に戻そう。

 

「狼ちゃんにはこれから入るよって教えてるわ、いつもこっちを見てるんだし。土産受け取って挨拶してくれるのよあの子、かわいい所あるよ」

 

 山に入ると真っ先に顔を合わせるのは彼女だ、恐らく侵入者の監視でもしているのだろう。毎回毎回ご苦労さんと思って土産を持って行くこともあるのだが、その度になんやかんや文句を言いながらも土産を受け取る彼女は中々によい性格だと思う。

 いつも真面目に対応してくれるのだが、抑えられるだろうに隠さず尻尾をぱたぱたと振る様は愛らしい、がそれが狙いなのか天然なのかわからない。狙いなら真面目どころかしたたかで、あたし好みではあるが。

 

「それも嫌な顔してたわよ、歓迎の出迎えじゃないのに! って。私も呼んだ覚えのないあんたのせいで上から叱られるのよ」

 

 叱られるという割には大して気にしていない顔だ。

 実際気にしてないんだろうな、上とは言っているけれどそれは立場上の上役というだけで、実力ではこいつの方が高い所にいる気がするもの。

 

「狼ちゃん以外は頭が硬くてダメだね、おかげで嘘つくハメになる。それに叱られるのはいつもの事でしょ? たまには山にいたらいいじゃない、そうすりゃ呼んだのも嘘じゃなくなるもの」

 

 たまに会いに行ってもいつもいないのに、と言うのは少し恥ずかしいので遠回しに言っておく。

 

「ネタが私を呼んでいるの、山に篭っていたら記事にされない事件がかわいそうだわ」

 

 遠回しな表現には気が付かれずに話が進んでいく、その辺拾って記事にすればとも思うが、自身にも被害がありそうなネタはあまり好まないようだ。

 

「あたしからすればネタにされるほうがかわいそうだわ」

「あら、知られるって事はいいことじゃない、誰かさんなんか楽に恐れてもらえるって喜んでるし」

「その話に戻るの?あれを良しとしない人のが多いって話よ、実際迷惑被ったって人も多いんでしょ?」

 

 この天狗が発行している『文々。新聞』の購読者は結構多い。多いと言っても天狗の新聞を山以外に発行しているのは文ともう数人くらいなのだが。

 他紙は山の天狗だけで読む身内限定の物ばかりだが、文々。新聞は幻想郷全体の記事が多くそれなりに楽しめる記事もたまにはある。

 あまり褒めると購読しなさいとうるさいので本人に伝えたことはないが。

 

「火のない所に煙は立たないのよ? 十割が真実ではなくても少しの事実が入ってれば‥‥それは報道する価値があるわ」 

 

 少しだけ新聞記者の顔を覗かせ目を輝かせる。

 

「嘘を付くのに少しの真実味を混ぜると信憑性が増すって話ね」

「多少の嘘から出る真も往々にしてあるってことよ」 

 

「多少、ねぇ‥‥あんたの常識という尺定規を一度見てみたいものだわ」

「私のは巻き尺だから伸び縮み自由な使いやすい尺定規よ」

 

 ああ言えばこう言う、である。

 ひらりひらりとかわされてからかい甲斐がなくて困る。

 

「そろそろ行くわ、近く博麗神社で宴会があるって話だし今日はこれから顔を出してネタを仕入れるつもりだったのよ」

 

 そう言うと湯のみを置き席を立つ。

 

「せいぜい退治されないようにね、あの巫女おっかないし」

「善処するわ、それじゃあまたね」

 

 言い残し飛び立つと、風に乗り一瞬で姿が小さくなった。

 天狗を見送り二人分の湯のみを洗い桶に浸し、やることないな、なんか起きないかな、と、どこかの誰かに期待しながら煙管をふかすのだった。 



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~地霊組小話その壱~
第六話 主従と約束時々昔話 ~上~


予定としては3話構成になる予定です




 いつもの夜、いつもの竹林、いつもの屋台。

 長椅子に座りいつものように酒を飲み、いつものように肴をつまむ。

 正面ではいつものようにミスティアが微笑んでいる。

 お気に入りの空間でお気に入りの時間を楽しむ、いつも通りの良い夜。

 

 ただ、いつもとは少しだけ変わっている景色が一点。

 アヤメの座る長椅子の逆側で九本の尻尾が揺れている。

 あの妖怪の賢者、八雲紫の式である八雲藍が座っているのだ。

 藍自身も金毛九尾の狐という妖獣としては頂点にいるだろう大妖怪なのだが、八雲紫の式術での強化も合わさり、この幻想郷で逆らう妖怪を探すのが大変な大物だ。

 そんな大物がなぜ一妖怪のアヤメと肩を並べて飲んでいるのか?

 並んで座るアヤメからは緊張の気配は感じられない、屋台の女将も特に焦ったり恐れたりすることなく、慣れた手つきで切り盛りしている。

 なぜこうなっているのか、これから語られるだろう彼女達の昔話を聞いてみよう。

 

〆 

  

「いつも通り好きに頼め」

「言われずとも、いつも通りにするわ」

 

「それならばよいのだが、約束なのだから好きなだけ飲み食いしてくれていいのだぞ?」

「言われずとも、好きにしているわ」

 

 二人共見ているのは手元の料理と酒、互いの顔を見ずに会話をしている。 

 

「いつも通りご機嫌斜めか、やはり気に入らないか?」

 

 確かにいつものアヤメより酒を楽しめていないように見える。

 

「そうね、式に押し付けて本人は寝こけているってところがいつも気に入らない」

 

 素直に文句を述べる、だが声色には怒りはなく呆れが込められたものだ。

 

「そう言ってくれるな。冬眠期に入られてしまったんだ、紫様も本当は同席したいといつも仰られているぞ」

 

 こちらも素直に返事する、いつものやりとりといった返事だ。

 

「なんとでも言えるけど本当はどうだか、でもここは藍を立ててそういう事にしましょ。貴方も毎回押し付けられて大変ね」

 

 年に一度、この九尾の狐と飲み明かすことがその年の締めとも言えるくらいの恒例行事となっている、そして話し始めはいつも誰かさんへの悪口だ。

 

「私はあの方の式だ、命とあらば大変だと思うことなどないさ」

「ああそう、狸と飲んで来いって命令は結構な面倒事だったと思うけど?」

 

 初めてアヤメが藍の方を見た、友人にだけ見せる気安い笑顔を浮かべて。

 

「最初はそうだったな、けれど今ではちょっとした『気晴らし』にはなっている」

 

 気晴らしと聞いてほんの少し落ち込む姿勢を見せると、

 

「あら『楽しみ』とは言ってもらえないのね?」

 

 と、科を作って詰め寄り藍の手を取る。

 

「なんだ、そう言わせたいのか?」

 

 気にすることもなく平然と答えられると態度を戻し、

 

「たまには色のあることでも言ってみたら面白いのに、という話よ。でも藍が言っても素なのか狙ってなのかわからないから『気晴らし』でいいわ」

 

 フフっと笑い酒を煽った。

 

「なら良いではないか、相変わらずよくわからんことを言うな」

「少しだけ女心を教えてあげたのよ、嫌味にもならなかったけど」

 

 位にも介さない藍を横目にコップを見つめる。

 

「その辺りは紫様の分野だ、私がそうした機微に疎いのはわかっているだろう?」

「かつて国傾けて遊んでたやつのいうことじゃないね」

 

「あれはそう見える幻術で、そうしたほうが楽だったというだけだ。そういったものを素面で面白がるのは我が主だけで十分だと思ったが、変なところだけ紫様に似ているな。付き合い方を考えなければならんのだろうか」

 

 言い終わると小さな溜息をつく藍。

 

「似てるとかやめて、あんなに胡散臭くないわ」

 

 アヤメの方はゲンナリとした表情を見せた。

 顔は合わせない二人だが、どちらの表情も普段より少し緩いように見える。

 屋台で酒盛りを始めて結構な時間が過ぎ、二人共気持ちよくなる程度に時間が流れたからだろうか。二人の会話が止まり一瞬無音の空間が出来ると、静寂を破るようにミスティアに切り出した。

 

「お狐様と狸さんだし、険悪かと思っていたら逆なんですね。お熱い事で」

 

 そう言いながら酒を注いでくるミスティアに畳み掛けられた。

 

「いつからなんですか? いつ一緒になるんです? 式には呼んでくださいね、私歌いますから。やっぱり晴れの雨降りの日? でもアヤメさんのほうがお嫁さんって感じでしたよね、さっきのは」

 

 そう話しながら先程のアヤメと藍のやりとりを真似る。

 姿こそ華奢な少女に見えるがさすがに妖怪だ、少しだけ色気の見える仕草をする。

 

「残念ながらそういうんじゃないよ、律儀に約束を守ってくれているだけだ。共通の相手に対しての愚痴仲間ではあるけどね」

「そうだな、そんなところだな」 

 

 クスっと笑うと藍も合わせて小さく笑った。

 

〆〆 

 

 以前に八雲紫から受けたお使いのお礼として、たまに好きなだけ飲み食いさせろ、と約束を取り付けた事があった。書面に残すような大げさなものではなくただの口約束だったのだが、毎年の恒例行事と言えるようになるまで約束通り付き合ってくれている。胡散臭さが服を着て歩いていると評判の妖怪だが、これは素直に感心できた。

 けれど一度も八雲紫本人と卓を囲んだことはない。変わりにいつも式が来る。

 最初は、面倒だからとか、あたしとの約束を嫌がらせに使うつもりだとか、そんな風に考えていた。藍は主の命を破らないし、あたしも事を構えることはないと踏んで、狸と狐の気まずい酒盛りというのを演出したかったのだろう。

 ところが、紫の狙い通りとは行かずに、狸と狐は意外と気が合い談笑をする程度の仲になってしまった。これは思う所とちがう着地点だろう 少しは悔しがれと思っていたのだが、最近はこうなることを見越して式に任せるようにしたのかな。と思えるようになってきた。

 

 八雲紫は冬眠中、外界との繋がりを断ち切って深く眠る。

 それこそ自身の式との繋がりも薄くなるほどの深い眠りだ。通常時であれば全て把握出来る式の行動や言動も、眠りに落ちると少しだけわからなくなる、なんて言ってたが普段から全部見てはいないようだし、起きていようが寝ていようが然程違いはなさそうなのだけれどね。

 それでこの宴会に話を戻すが、約束を果たすため、と向こうから日にちを指定してきてくれるのがお決まりで、日にちの方も決まって紫が冬眠に入ってからの日取りになっていた。ちょっとの酒飲み話に付き合うのも面倒なら約束なんぞ破ってしまえばいいのにと最初は思っていたが、藍からの話を聞く限り狙ってやっているそうで、そうする裏が何かしらあるのだろう。

 

 ソレについて藍と二人で語り合った事も過去にあった。これは藍が考えた考察で主に対する忠誠心混じりの話になるから、よい点ばかりが目立つ考察だが、そこは藍の心情を察して聞いて欲しい。

 繋がりの薄くなる時期を狙うのは たまにはゆっくりしてきなさい、という親心。

 紫様が来ないのは 気の合う友人と愚痴でもなんでも言ってらっしゃい、という親心。

 全ては私を気遣い思ってくださっての事だ、と藍の中で結論づけられたようだ。

 主従にとってとても都合の良い考え方なのだが、まあこれもいいかと思っている。

 主を信じて話す友人が楽しそうに見えたからだ。

 こういう利用のされ方なら、それほど悪い気もしない。

 

「約束ですか、どんな約束をしたんです?」

 

 先程の浮いた雰囲気は消え、すっかり女将に戻ったミスティアから質問を受ける。

 

「以前にちょっとお使い頼まれてね、その報酬に好きに飲み食いさせろって約束させたのよ」

 

〆〆

 

 ああ、これは面倒な事になった‥‥

 なんで朝からこうなっているんだ、今あたしの顔には不満と書いてあるに違いない。

 目覚めると我が家にスキマ妖怪がいるのだ。

 勝手に茶を淹れ一人飲んでいるのだ。

 あぁこれは夢だなと、もう一度横になるつもりで体を倒すが、あるはずの床に吸い込まれる。

 一瞬の浮遊感を感じた後、見慣れた我が家の卓の前に落っことされる。

 

「客が来ているのよ? お茶は自分で淹れたからもてなしはいいけれど、とりあえず起きてくれないかしら」

 

 そう話しかけられ、体を起こされる。

 

「おはよう、用はないから一服終えたら帰ってくれると嬉しいんだけど」

 

 要件はない、当たり前だ。紫と会わなければならないような用事は作らないし、もし出来てしまったら別の方法を探すだろう。そう思えるくらいに紫に関わると厄介事が多い。

 

「つれないのね、久しぶりなんだし少しは喜んでくれると思ったのに」

 

 とても切ない表情を見せる妖怪の賢者様、大した役者だ。心にもない事を言いながらそれだけの表情が作れるとは。赤の他人が見たら確実に勘違いされるに違いない、紫を知っている相手には何の効果もないが。

 

「久しぶりね紫さん、会えて嬉しいわ さようなら」

「貴女は本当に‥‥まあいいわ今日はお願いがあって来てみたの、お話いいかしら?」

 

 この通り、あたしには効果がない。あたしが本当になんなのか、何を言いかけたのか続きが気にはなるが、気にすると負けだ早く進めて終わらそう。

 

「拒否権はないんでしょう? 仕方ないから話だけならいくらでも聞いてあげるよ」

「そう、では一言で済ませますわ」

 

――貴方に地獄に落ちてもらいたいの

 賢者様の口からはこれだけが発せられた。

 

「寝起きで地獄に落ちろとはひどいね、泣きそう」

 

 心情としては正しいだろう、布団から出され、死ねと言われたのだ。泣いてもいいくらいの言われようだが、今の言葉は別の意味合いでの言いっぷりだろう。幻想郷での「地獄に落ちろ」はちがう意味も持っている。使い方はそのままだが意味が変わるというか、行動になるのだ。

 

「泣いてもいいわよ、それでも地獄には行ってもらうから」

 

 扇で口元を隠され、話される。

 よく見る姿。こういう時は本当に泣き顔が見たいか、いいから話を進めましょうという時だ。言われっぱなしは悔しいから本当に泣いてやろうかと思ったが、茶化す材料をわざわざ増やすだけなのでやめた。

 

「はぁ……で、旧地獄でなにするの?」

「八雲の使いになってもらいたいのよ」

 

 行動になるとはこういう事だ。

 旧地獄跡地。この幻想郷の地下深く、地上の世界よりも広い地底世界。その昔本来の意味の地獄の一部だったのだが、地獄の経費削減の為スリム化と称して切り捨てられた土地だ。そこに行けってのが起こされた理由らしい。

 

「そういったお仕事ならあたしよりも向いてる優秀な狐様がいると思うの」

「今回は八雲の名前がないほうが都合がいいのよ、弾幕ごっこは知っているでしょう? あれが旧地獄でもルールとして受け入れられているか見てきて欲しいの」

 

 なるほど、見物してこいという事か。

 物見遊山とはならない物騒な見物になる事請け合いだが。 

 

「出会った妖怪に片っ端から喧嘩を売ってこいってこと?」

「違いますわ、野蛮ねぇ。喧嘩を売られた時だけでいいわ」

 

「喧嘩待ちするなら八雲の名前を出した方が旧地獄ではいいと思うけど?」

 

 八雲の名前は恐れられている、が同時に恨まれもしているだろう。幻想郷のワンマン社長だ、不平不満を持つ輩もいる。地底に篭った妖怪たちはまさに不平不満を持つ者達で、八雲と聞けば地上なら安全な傘になるが、地底なら喧嘩買いますという売値札にもなりえるだろう。

 

「どういうことかわかりませんわね、今回は『八雲』から見える景色よりも一妖怪から見られる話が聞きたいのよ」

 

 白々しい、が何も言わない。後が怖いからだ。とりあえずあたしに持ってきた理由でも聞こう。

 

「なんであたしなの? もっと真面目に仕事する奴に任せるべきじゃないかしら? お山の哨戒天狗とか真面目よ? なんなら紹介するわよ?」

「アヤメなら相手を殺めることはないだろうし、多分殺される事もないと思えるからよ。程々に手抜きして程々に楽しんできてくれそうですし、適任だと思えましたの」

 

「まるで見たかのように言われているわね。まあいいわ、どうせ断れないんだろうし、行ってくる」

 

 使いの件を了承すると、穏やかな笑みを浮かべる紫。

 胡散臭さの少ない笑みは珍しいので少し眺めた。

 

「ありがとう、きっと断らないと思っていましたわ。お使いの報酬はどうしようかしら? 余程の事でなければなんでも聞くわよ?」

「じゃあ頃合いは任せるから、好きに飲み食いさせて」

 

「あら、そんな事でいいの? もっと余程の事でもいいのに」

「変にお願いするときっと後が面倒、今回はこれでいいわ」

 

 仏頂面でそう伝えてみても紫の表情は変わらず、どこか裏を感じるままの笑顔だ。下手にゴネたりすれば本当に面倒事が増えるところだったのかもしれない、危なかった。

 危機はさったと安堵しつつ、取り敢えず快諾してしまったし、言われたお使いとやらをさっさと済ませて帰ってこようと気を入れ考える。見るなら旧都が適所だろうし、ちょっとぶらついてくればいいかな、そう考えていると‥‥

 

「旧都の中心に地霊殿という建物がありますわ、そこへの言伝も一緒に届けてちょうだいね。一言、楽しめているかしら? と聞いてくれればいいから」 

 

「話終えて追加の要件はずるくない、紫さん」

「話は終わり、なんて言ったかしら? 話の途中でわかったと言ってくれたから嬉しかったのに、私」

 

 胡散臭く笑われる。

 一番良く見る、一番見たくない笑い顔だった。

 

「……早まった?」

「いいえ、もう遅いわよ? それじゃあよろしくね。急ぎではないけど出発が早いと嬉しいわ」

 

「今日明日には出ろと聞こえたからすぐにでも行くわよ」

 

 まだ頭の回らない寝起きを狙って話を持ってきた理由はこれか、とため息をつきながら出発準備を整え始めた。



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第七話 主従と約束時々昔話 ~中~

中編です
3話構成と言いましたがもう少し伸びるかもしれません




「帰ってきたら自宅で待っていて、藍を使いに出すから話は藍にして頂戴。それと、久しぶりに顔を見たのだからもう少しかわいい顔が見たかったわ」

 

 最後にそう言い残し八雲紫はスキマに消えた。

 そんな事を言われても、昔から顔を合わせれば面倒事か厄介事しか持ってこないのが悪いのだ。ただでさえ寝起きだったのだから、いい顔なんぞ出来るはずもない。

 

「ぼやく暇があるならさっさと支度してお使いを済ますとしますか」

 

 ゴソゴソ着替え、早速妖怪のお山へと向かい飛び立った。

 妖怪のお山にはぽっかり空いた大穴がある、そこが広大な地底世界への入り口である。徒歩で一周ぐるっと回るのに十分くらいはかかろうかという広い入口、どこまでも続くように底の見えない穴だが太陽の光は地下深くまで届いている。横穴なんかも多く空いていて、中には外の世界に通じる道もあるなんて話も聞くがそれは眉唾ものだろう。妖怪でも生きては戻れないかもしれないという危険さで、公には立ち入りが禁じられている場所だ。

 

「出来れば何事もなくおねがいしますよっと」

 

 危険という話は数々聞いたが、特に気にする事もなく降っていった。

 ゆるゆると降っていく。

 暫く下がり続けてみたけれど、周りの景色は変わらない土の壁。陽の光が届いているためか、話で聞くほどオドロオドロしい感覚もなく危険な場所という感じもしなかった。

 気負いすぎたか。そう思い、少し気を緩めるとそういえばと想い出すことがあった。

 

 地霊殿に行くならば確実に通るだろう地底の繁華街。

 あそこには面倒な相手がいるんだよな‥‥会えば間違いなく喧嘩を売られるとわかっているのがいるのだ。以前に喧嘩を売られた時はうまいこと化かして逃げおおせる事ができたが、それからしばらくは顔を合わせていない。

 

「忘れてくれて……ないわね、きっと」

 

 思考が漏れ口に出るが、独り言を聞いてくれる相手はいない。

 

「ちょっと見てこいって割には面倒なお使いだよ、あの時だって‥‥」

 

 誰も居ないのをいいことに口数が増えていく、内容はあの妖怪の事ばかりだ。

  

「自殺者にしちゃゆっくり下っているし、文句も個人宛てばかりだね。お姉さん」

「死ぬ気はないし、ただの独り言よ。盗み聞きは趣味が悪いわ」

 

 不意に声を掛けられた、周囲を見渡しても誰も見られないし殺気や敵意も感じられないが誰かしらいるのだろう、見えない相手にそう告げて降りるのをやめ煙管を取り出し一服つけた。

 無視して進む事も出来る雰囲気だったが、悪意のない相手に少し興味が湧いた。

 

「なんだい、人間かと思ったら狸か。地上の妖怪が何の用だい? 此処から先は危険だよ?」

 

 声と共に姿が現れた、綺麗な金髪に茶色系で統一された召し物の女。スカート部分がふんわりと丸みを帯びているのが特徴的な女。両手で抱えた桶からも強い印象を受けるけれど、あれはなんだろうか?

 

「ご忠告ありがたいわ、でも地霊殿に用があってね。行かなきゃもっと危険な事になる」

「地底より危険って、最近の地上は物騒になったのかい? 昔よりは楽しい世界になったってことかね」

 

 地上と聞いて大穴の入り口を眺める妖怪。

 何かを思い出すように見上げる横顔を見て、なんだろう、どこかで似た雰囲気を知っているような気がする、そう思った。

 そうして少し考えて思いつくモノがあった、土蜘蛛だ。大江山の鬼退治をやってのけた天晴な人間が長いこと床に伏せっていると聞きつけて、死なれる前に顔くらい見てやろうと見物に行った時にいた法師だ。襲いに行って返り討ちにあい逃げていったまでは見ていたが、襲われた侍のやる気がこっちに飛び火したもんだから、あたしも慌てて逃げたのを覚えている。

 

「いや、暮らしは相変わらずさ。昔の貴女みたいに厄介なのに目を付けられてるってとこよ、土蜘蛛さん」

「おお、忘れられたものと思っていたけど覚えているのもいるんだね。あたしは黒谷ヤマメ、言われた通りの土蜘蛛さ」

 

 知られている事に驚いてはいたが特に気にせず笑顔で自己紹介してくれた、人間が恐れとともに伝え、いつしか忘れ去られた恐ろしい妖怪と思えない明るい声と笑みが返ってきた。

 

「囃子方アヤメ、狸で正解よ。ちょっとだけ長く生きてるからね、土蜘蛛も知らなくはない。で、なにか用? 侵入者は追い出すぞとかそういう話?」

「いやいやそうじゃないよ、生きてる来訪者が珍しかっただけだ。誰も拒みゃしないから楽しんでいくといいさ」

 

「歓迎どうも、テキトウに遊んでいくさ。時間がある時にお前さんともゆっくり話したいところだね。色々楽しい話が聞けそうだ」

「地底の妖怪と話したいとか、変わった地上の狸さんだ」

 

 明るいし口数も多い。これはもしかしたらと思い、お使いに付き合ってもらう事にした。

 

「面白そうな物に目がなくてね、気になる人や遊びは話を聞いてみたくなる。最近はそうだな‥‥弾幕ごっこって遊びがイイね、知っているかい?」

「あの綺麗な花火みたいなやつか。旧都でもよく見るよ、喧嘩変わりにやる輩が多くなった。代わりに血は見なくなったが焦げた妖怪を見るようにはなったね」

 

 収穫ありだ、ありがたい。

 最初からこうなら思っていたよりは面倒なお使いにならないかもしれないな。

 

「そうかいそうかい、こっちでも流行っているか。良いこと聞けたよありがとう」 

「どういたしましてだ。さて、そろそろ行くよ。先約があってね、遅れるとうるさいやつなんだ」

 

 またそのうちに、そう言うと先に穴を降りそのまま闇に消えていった。

 燃え残った葉を払い煙管をしまうと、あたしも後に続いて闇を進んでいくことにした。

 ちょっとした情報も聞けたし中々によい出会いだった。

 

~少女移動中~

 

 しばらく降り、陽の光が届かなくなるとようやく底と思われるところに着く。自生した苔が薄く発光しているくらいしか光がない、地底っぽさ満点の景色に身を混ぜる。穴の最深部に降り立ったついでに煙管を手に取り煙をふかすと煙を炎に変え視線の先に浮かべた。足元が照らされれば十分で、そのまま歩を進めていった。

 少し歩くと人工的な灯りが遠くに見えてきた、灯りが暗闇映えし美しく見えるが、実際は地上のルールに従えなくなった荒くれ者達が済む忘れられた都だ。

 聞いた話では雨が降ったり雪が降ったりするそうだが、空がないのにおかしなもんだ。

 都の入り口らしき所に差し掛かると橋が見えてきた。あれを渡れば都かね、と歩を進めようと足を踏み出した時だ、またも声を掛けられる。

 

「いよう、さっきぶりだ。無事に来れたね」

「ヤマメと親しげに話すなんて妬ましい妖怪ね。知らない妖怪と仲がいいなんてヤマメも妬ましくなったもんだわ」

 

 先ほど話した黒谷ヤマメと金髪緑眼の女性に話しかけられる。

 ヤマメと同じくらいの上背だがヤマメよりも少し華奢な体躯だ。それでも女性らしい凹凸が見えるし、短いスカートからのぞく足は綺麗でスラっとしている。ヤマメといいこいつといい見知らぬ妖怪には声をかける決まりでもあるのかね‥‥いや、ただ暇を潰せる獲物を見つけたってところか。

 

「妬まれるほどヤマメの事を知らないよ、相方をとったりしないから安心なさいな。ヤマメ、そっちのはなんだい?」

「この娘は水橋パルスィ、あんたなら橋姫って言えばわかったりするのかい?」

「勝手に人の事を話さないでよ、それに相方ではないわ」

 

 橋姫か、町や国の入り口とも言える橋を守護する女の神様だったはず。

 しかしここは妖怪の縄張りだ、神様なんて崇められることもないだろう。

 てことは嫉妬に狂った鬼神の方か、人が出たり入ったりするところで妬んでいたら忙しくて仕方ないだろうに。

 仕事熱心‥‥というより強欲と言った方が適切か、妖怪だしな。 

 

「橋姫ね。丑三つ時にカンカンと、頑張って祟ってる人間のろうそくに化けてみたのは中々楽しかったわ」

「呪術邪魔して笑うなんて肝が座ってるわ、妬ましいわね」

 

「妖怪なんだ、化かしてなんぼだろう?出会ったばかりで妬まれるほど考えてもらえるとは照れてしまいそうだね、あたしは囃子方アヤメという。化け狸だ」

 

 何を言っても妬まれてしまいそうなのでテキトウにはぐらかしておく。

 

「褒めてないわよ、物事をいい風にだけ捉えないで」

「そんなもん捉えたもん勝ちだ、言った側の都合なんて知らないわよ」

 

 そう言い笑うと、この世の全てを恨むような目で睨まれてた、これまた面白い娘を見つけたと思ったがヤマメに口を挟まれる。

 

「ちょっとの会話でパルスィがこんな目をしてるのも珍しいわ。アヤメも面白いね、橋姫相手に軽口かい」

 

 フォローのつもりなんだろうがヤマメも同じように睨まれている、あまりからかうのも悪いしこのへんでやめておこう。

 

「気を悪くしたならすまないね、ちょっと楽しくなってしまった。さっさといなくなるからそう睨まないで」 

 

 緑の瞳が怪しく揺らいでいる、女の嫉妬は恐ろしいというが、事実そうなのだろう。少し妬まれただけで心に何やら浮かんできそうな感覚だ、体に悪そうな物は少し逸らしておいたほうがいいだろう。

 

「あんたなんか気にかけないわ、つけあがらないでよ妬ましい。フンッさっさと行ってもうこないでくれるとありがたいわ」

「ま、こんな娘なんだ、気にしないでくれると助かる。それでまたそのうち相手してもらえるともっと助かるよ、この娘は友達いなくてね」

 

 睨まれるヤマメ、睨むパルスィ。なんだいやっぱり相方じゃないか。

 

「気が向いたらまた来るよ、その時はもう少し自慢話を増やしてくるから、きっちり妬んでもらうとしよう」

 

 そう告げ都の中心へ向かって歩き出した。

 後方でなにやら話す二人の声がするが、またなにか妬んでいるんだろう。

 楽しそうでなによりだ、そういやヤマメの隣に桶入り少女がいたがあの娘はなんだろう。次にあったらそこも聞いてみるとするか。

 

〆〆

 

 橋を抜け町並みを歩く、そろそろ旧都の繁華街。

 一番活気があり一番危ない所だろう、生活の喧騒の他にも荒々しい会話があちらこちらから聞こえてくる。あたしにとってもこの辺りが一番危ないところだと言える、酒場に賭博、情婦にヤクザという場所だ、お酒大好き喧嘩大好きな人達がいないわけがない。

 弾幕ごっこについてはヤマメから話も聞けたし、実際に町を歩いている間に空で撃ちあう姿を二度ほど見られた。紫が思っている以上に浸透し楽しまれているのだろう。

 後は地霊殿への言伝を済ませれば無事お使い完了だ、先に見える酒場の門戸をぶっ飛ばして倒れる鬼になど引っかからず先を急ごう。嫌な予感しかしない。

 

「そこの紫色の羽織、ちょっと待ちな」

 

 以前にも聞いた覚えのある声がした、ああ、あそこで佇む蛇妖怪のに声をかけたのだろう、綺麗な浅葱色の羽織だ趣味がいいね。

 変な輩に声かけられて難儀なことだが頑張ってくれよ。

 

「待ちなって言っているだろう、聞こえてないとは言わせないよ」

 

 ガシッと左肩を掴まれる。

 振り向かず視線を左肩に移すと、輝くような金髪とそれをかき分けるように生える赤い一本角が見えた。

 

「声を掛けているのに振り向きもしないとは、随分じゃないかアヤメよう」

 

 結構な量の酒が腹に収まっているのだろう、艶やかな唇から酒精混じりの吐息が漏れている。

 ああ捕まってしまった、出来れば顔を合わせずなんて思うんじゃなかった。

 最初から意識しなきゃ良かったんだ。

 と、色々と後悔するがもうすでに遅い。

 

「どこであっても酒びたりね、姐さん」

「お前には言われたくないねぇ、酒虫付きの徳利持った狸なんて他にゃいないよ」

 

 そう言いながら豪快に笑ってはいるが目は表情ほど笑っていない。

 

 徳利の方も覚えているのか、忘れてくれてもいいものを。

 その言いっぷりはまだ狙われているんだろうね。

 お前は人気者だね、と徳利を一撫でし横の鬼へ返答する。

 

「これは勝手に居着かれただけよ、金も手間も掛からずありがたいけれど」

「そうだな、それは悪くないぞ。萃香のに比べれば大分弱いがいい酒らしいしな」

 

「鬼の酒と比べられたらあたしの酒虫がかわいそうだわ」

「そうだかわいそうだ、だからアヤメ。あの時の賭け死合の続きといこう、今回はすっぱり負けておいていっておくれよ?」

 

 ここにいるのは、会えばこうなるのはわかっていたのに。

 なんであたしはこの仕事を受けてしまったのか‥‥昨日の自分を恨んだが、あの場で断ればやりあう相手が変わるだけだと気付き、恨んだ自分を窘めた。

 恨み事の一つでも考えないとあのスキマに負けたようで憎らしい、なので少し考えを改めて。

 見知らぬ土地で旧友と出会い語らう、こんな機会をくれるなんてあの妖怪の賢者様はきっと素晴らしい方だ、きっとこうなるのも計算の内なんだろう!

 とても楽しいお使いだ、やりがいある仕事をありがとう!!

 と心から呪った。




今更ながらのお話ですが、原作は神霊廟辺りまで進んでいる世界観です。
過去の異変などは昔語りのような形で描ければと思います。


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第八話 主従と約束時々昔話 ~下~

 カランコロンと先を進む鬼の下駄が鳴る。

 その音が近づいてくると、人垣が割れて歩きやすい道が出来上がる。

 この鬼の前に立ち、邪魔をするような者はまずいないだろう。

 それほどまでに恐れられ、慕われている。

 

「なあ姐さん、どこまで歩くのさ。このままじゃ旧都の外まで出ちまうよ?」

「ああそうさ、外にでるのさ。旧都の近くじゃ十分に動けないだろう?」

 

 あたしの歩みは遅い、とても遅い。前を歩く鬼と少しずつ距離が開く速度で後をついていくが、程々に鬼が立ち止まりあたしの到着を待つ。待たずにそのまま行ってくれていいよ、そしてできれば何もなかったと忘れてどこかで飲みつぶれてくれ。

 

「動くなら空でいいじゃないか、高い建物があるってわけじゃないんだろう?」

「空だと踏ん張りが効かないからね、殴るなら地の上で踏ん張ったほうが気持ちよく殴れる」

 

 空を見上げながら言ってみる、少しだけ期待している方に賭けて鬼に問いかけるが捕まった時と同じようにガシッと肩を掴まれる、そうしてそのまま肩を組まれた。

 ああやっぱりそういう勝負になるのか、弾幕ごっこが流行りだしていると聞いたからほんの少しだけ期待したけれど無駄だった。勝てもしないのに賭けた結果だろうか。こうなっては仕方ない、いかに死なずに済ませるかを考えるしかない。

 

「しかし姐さん、昔と違って本気の殺し合いはご法度だろう? 姐さんに殴られて生き延びる自信はないよ?」

「あー、スキマのが広めたがってる新しい取り決めの事かい?」

 

「それさ、あたしがこっちに降りてきたのもそれが広まってるか確認の為なんだ。確認しに来て自分で破っちゃ何言われるかわからない」

「アヤメよぅ、確認って事はまだ完全にそうなったわけじゃないって事だろ? てぇ事はだ、取り決めの範疇外の出来事もまだあるって事になるな」

 

 なら問題ない、勝手に納得し一人笑う鬼。

 この鬼がこれから何をしたいのかはわかるがそれは勘弁願いたい、だから今回はお付き合いできませんよと論を説いたのに、正しい論で説き反された。勇儀姐さんや、鬼なんだから脳筋でいてくれていいのに‥‥いや昔から何かと聡い方だった、もう一人のあっちだったら少しはやり込めたかね。

 と、別にいるもう一人、小さめな厄介者を思い出してみたが、強く掴まれる肩からはやる気というか、殺る気なんてのが感じられて、現実逃避は無駄だとすぐに悟った。

 

 事実勇儀姐さんの言う通りだろう。

 弾幕ごっこの取り決めが完全に広まっているのならわざわざ確認などよこす必要もない。紫もそこはわかっているはずだ、だからあたしに話を振ってきたのだろうし。

 自慢だがそれなりに長生きしているし力もある。もし荒事になってもその辺の妖怪なら胆や口だけでどうにでも出来る、それくらいの妖怪ではあるつもりだし、紫からもそう思われていると思う。そこを買われて今回の使者だったわけだが。

 

 それでもこの鬼はあたしのハッタリや後ろに見える紫では止まらない、止められない。仮にこれが幻想郷の有力者全てに対する敵対行為だったとしても止まらないだろう。

 自分の思った通りにやりたい事をやり、力ずくで上に立ち、胡座をかいて笑う。幻想郷のパワーバランスを個人で担う鬼、それをまとめていた一角(ひとかど)の人物なのだ。

 

「アヤメ、どうにかして逃げようとか、旨いことはぐらかそうとか考えてるだろ?」

「そうね、能力使ってどうにかならんかと今四苦八苦してるところよ」

 

「ハッハッハ、珍しく素直だが言ってる事は面白くないな。二度も三度も逃げられないよ? 気を逸らすのに必死だが今回はダメだ、今のあたしはお前を捉えて離さないさ」

「理由はわからないけどそうなんでしょうね、事実逸らせていないようだし。熱烈な思いを受けてあたしも嬉しいわ」

 

「ああそうだ、あたしは力の勇儀、星熊勇儀だ。逸れる事なくまっすぐ行くさ」

 

 妖怪の山のかつての頂点、鬼。

 それの頭目、鬼の四天王、星熊勇儀。

 

 彼らだけでも幻想郷の一大勢力と言える天狗衆を、その身に宿る力のみで押さえつけ支配していた連中の天辺だ。わざわざ恐ろしさを語る必要もないだろう。 

 もう随分と前の話だ。あたしが人の都でそれなりの有名人となった頃に喧嘩を売って来た鬼と共にいた勇儀姐さん。その時の喧嘩相手は別の方だから今は端折って語るけれど、その喧嘩の後からは度々開かれる酒宴に呼ばれるようになり、いつだったかあたしの徳利を気に入ったから譲ってくれとせがまれた事があった。

 どうにも逃げ場がなかったために酒の勢いを借りて、その時はどうにか化かして逃げた相手がこの鬼の姐さんだ。逃げた後でも何度か会って話したり飲んでだりしているが、その度に寄越せと煩かったこの女、地底に引っ込んでから少し落ち着いたって聞いてたのに‥‥以前より平和になった幻想郷でなんでまた鬼と喧嘩せにゃならんのか、もう溜息もでん。

 豪快に笑う勇儀姐さんを見つめ、本格的に覚悟するしかないかとそう思った時、誰か来た。

 

「私への使いが旧都にいるけれど、用事を済ます前に離れていっていると聞いてみれば‥‥争い事は取り決め内で、そう決めあったはずですよ。勇儀さん」

 

 聞き馴染みのない声があたし達の横合いから聞こえてくる。

 

「『昔』の喧嘩の続きなんだ、『今』の取り決めに当て嵌まらないさ。そう思うだろ? 地霊殿の主よぉ」

 

 そう言われ視線を鬼の腕組みから現れた妖怪に移す。

 

「どうも、初めまして。地霊殿にて灼熱地獄の管理を任されています、古明地さとりと申します。あぁ、自己紹介は結構ですよ、読ませてもらいましたから。囃子方アヤメさん」

 

 読ませてもらった?

何の事だ?

紫に名札でも縫い付けられたかね?

羽織の袖や徳利をまじまじと探し見ていると、答えが話された。

 

「私は覚です、そこは聞いてきては‥‥いないと。さすがに名札はないと思いますが‥‥それともそういうご関係なんでしょうか?」

 

 覚、そう言われ少し考えるがすぐに思い当たった。

 姐さん達がお山にいた頃だ、随分前の妖怪の山に心を読むのがいたな、と。

 しかし紫に飼われる、ね 気持ち悪いこと考えるもんだ。御免こうむるね。なんでもかんでも押し付けられる姿しか見えない。三食昼寝に夜は酒、移動にスキマ使い放題なんて条件でも遠慮するわ。

 

「頼み事をするくらいなら友好的な関係なんでしょう、それでも随分な言われようですね。あの方ですし、わからなくもないですが」

 

 顔を伏せ少し苦労の見える表情をするさとりを見て、紫の評価は誰から見ても対して変わらないんだな、と一人納得した。

 

「地底も含めて先を考えていらっしゃる聡明な方だとは思っていますよ、信用できるとは微塵も思っていませんが」

 

 その言いように、ここの管理者も何か色々と言われてるんだろうな、そう感じ取ることが出来た為再度納得し、頷く。

 

「いつまでも放っておかれてもあたしは考えを改める気はないよ? そろそろ始めたいんだがいいかねぇ、さとり?」

 

 表情は楽しそうな風に見えるが、少しだけ怒気を孕んだ声でこちらに問いかける勇儀姐さん。握った拳を平手で受けてパシンなんて響かせてくれるが、そうやってやる気をみせてくれてもお生憎だ、あたしには伝わらないぞ?

 

「あたしはこのまま睨み合いで済むならそうしたいんだけど……出てきたって事はなにかあるんじゃないの? 古明地さとりさん?」

 

 気が逸れないなら話を逸らす。丁度いいタイミングで出てきたんだし、これは話を振っても問題ない相手だと考え、さとりに押し付ける。

 さぁ、うまい事言っておくれよ、出来れば掲げた拳を収められるような事を。

 

「他人任せにしないでもらいたいですね‥‥勇儀さん、今貴方に暴れられては旧都としては困ります」

「誰が何に困ると言うんだい?喧嘩の続きをするなんてここじゃよくある話じゃないか」

 

「貴方が鬼で、その頭目である以上困るのですよ。頭目が全力で暴れたら下の者達への示しがつかない、せっかく弾幕ごっこが流行りだしてそちらに気が行き始めたというのに」

「そんな事か、これは鬼の喧嘩じゃない。あたし個人の喧嘩だ。他のも同じ鬼なんだ、若い鬼でも種族と個人の違いくらい弁えている」

 

 だから問題ないってか、事実そうだろうな。鬼の決闘、喧嘩の流儀なんて詳しくないし知りたくもないが、見聞きしのも、体験したのも一対一だ。言いっぷりからもそれがお決まりだとわかるし、それ以外にも拘りみたいなもんがあるんだろう。 

 

「そうなんでしょうけど、暴れる者もきっと出るでしょう? そうしたら貴方は力で抑えるつもりでしょう? それが困るんです」

「ん、この地底で強い者が弱い者を押さえつけてなにがまずいんだい?」

 

「今まではそれでも良かったんですよ、ですがこれからは変わっていく。力ない者も、日陰に隠れるような者も、やりようによっては大見得気って歩けるようになる。今はそうなり始めている所なんです、そうなるように幻想郷が動き出しているところでもあります。この地底も幻想郷の一部、少しずつですが上と同じように動き出しているのですよ」

 

「それを素直に受け入れろと?」

「最初から全部とは言っていませんよ、それに私は戦うなとは言っていません。あくまで取り決めの内でやって欲しいと、そう述べているのです」

 

「周りくどいねぇ、要点だけ言ったらどうだい?」

「例えば拳や蹴りに弾幕に充てる妖気を回して戦うなら、それは弾幕ごっこの範疇に入るのではないのでしょうか?」

 

 方便、いや詭弁か?

 どっちにしろ苦しく思える。形だけは弾幕ごっこの体裁を保ち、命のやりとりではないと納得出来なくもないものだが、鬼の嫌う嘘と近い言い草だ。言ったさとりにも自覚があるらしい、変化を語った表情は強張ったものに変わっている。

 

「ほう、弾幕のね。それで威力を抑えての喧嘩か」

「盃の酒を溢さずにやるのと然程変わらない枷だと思いますがいかがでしょう?」

 

 あたしとさとりが思うほどこの提案は悪い印象を与えなかったようで、勇儀の態度が変わることはなかった。それを見てさとりの顔に少しだけ安堵の色が浮かぶ。

 

「なるほど面白いかもしれない、しかしいいのかい? 拳の勢いは変わらんよ?」

「相手が人間ならそこも考慮すべきでしょうが、勇儀さんが全力でやるつもりだった相手、それくらいでどうにかなるようなものでもないでしょう?」

 

 このまま矛先がさとりに向けばと思い、口を挟まず何処に着地するか興味が湧いたので見守っていたが失敗だったか、鬼の矛先は変わらずあたしを向いたままで逸れる事などはなかった。

 それでもどちらかが確実に死ぬ死合から、全力でやればどうにか生き残れるかもしれない試合に変わっただけ重畳か?

 いや、さとり、ちがう。あたしが望んだのはこんな結果じゃなかった。

 

「何を期待されていたのかわかりませんが、私達の話は終わりました。後は二人で旧交を温めてはいかがでしょうか?」

「そうだな、口ばかり動かしてると体が冷める一方だ」

 

 もう話は決まった、さっさと心構えを済ませろ、とでも言いたげな二人の視線。仕方がない、覚悟を決めよう。

 

「まあ、命の心配をせずとも良くなっただけましか。これが終われば姐さんから逃げ隠れしなくて済むなら気が楽になるわ」

「おお、初めて見せるなそんなやる気のある顔。引き締まった表情ってのも中々にそそるじゃないか、アヤメ」

 

「はぐらかせなかったのが癪だけど、たまには妖怪としての本分を見せないとね」

 

~少女準備中~

 

 旧都から少し離れた平地で対峙する。

 一方は力を抜き自然体で佇むが、その身に宿る力を隠そうともしない鬼の中の鬼。

 もう一方は少し腰を落とし斜に構える、尻尾を揺らしながら冷たい目を細める狸。

 

「さあ、どこからでも構わん。好きに打ってこい。鬼退治の習わしだ、先手は退治する方からじゃないとな」

「その余裕を崩せるように頑張るわ、勝って飲む酒のが旨いもの」

 

 ハハハッ違いない!と勇儀が笑った瞬間に仕掛ける。

 地面を抜くほど強く蹴り、一瞬で間合いを詰める。その勢いを殺さずに体を捻り、回転からの遠心力を載せた尻尾を勇儀の顔面に向けて振り抜く。視界に捉えられない程の早さで振り回した尻尾が衝撃音と共に鬼の右の頬を打ち抜き、食らった勇儀が回転しながら左へと飛んで行った。

 遠くで着地し地面を削り土煙を上がる。殴られた勢いが死に、やっと勇儀が止まる。

 

「手応えはあったけど、避けもされないのは面白くないわ」

 

 気に入らない、弾幕ごっこの範疇とはいえ妖怪、それも鬼相手だ。

 甘い攻撃をしたつもりはない、それを避けもせず防ぎもせずもらってくれた。

 随分と舐められたもんだ。

 

「いやすまないね、打ってこいといった手前がある。避けるわけにはいかないんだ」

 

 すこしふらつきながらゆっくりと体を起こし、着物の埃を払う勇儀。

 

「遠慮のない一撃だったなぁ、大分効いたぞ? 枷がなければ意識が飛んでたろうな、久しぶりに味わう心地よさだ」

 

 カラカラと笑い血を吐き出す。

 言う通りそれなりには効いたのかもしれないが、効いただけだ‥‥舐めたのはあたしの方だったか。

 

「これ以上はないんだけど、それでもその程度ならもうお手上げね」

「そう言うな、楽しい喧嘩だぞ? 長く楽しもうじゃないか」

 

「‥‥手短に済めば願ったりだったわ」

 

 あたしの攻め手ではこれ以上はない一発だった。種族的にも元々殴り合いに強いわけではない。どちらかと言えば、身に纏った妖力を打撃に載せ流し込み相手の内から壊すような、表面的な破壊力よりも内部破壊を用いての不意打ちが持ち味である。

 だから今回のようなのは駄目だ、あたしの得意分野での戦い方はこの弾幕ごっこには向いていない。当たれば致命傷って手しかないからだ。それに相手を思って加減もした事がない、加減するくらいならさっさと仕留めるか逃げるかしかしてこなかったんだから、手の抜き方がわからない。故に命は奪わず勝敗を決めなきゃならない今回のような長丁場をあたしは苦手としている。

 さっきの一撃もあれで意識を刈り取るつもりだった。が、鬼の体を甘く見たようだ。あれで決められないなら本当に打つ手がない。 

 

「つれないこというんじゃぁ‥‥ないよ!」

 

 地が弾けるような踏み込みをし一瞬で肉薄する、構えなどないままその拳が放たれる。

 鬼の力は暴力だ、何をしても致命傷。構えなんぞとる必要がない。

 そんな暴力の顕現ともいえるものがあたしの顔面を狙い振り抜かれる‥‥が、拳は右の頬を掠める程度に逸れて流れた。抜けた拳は頬を裂き空気を打ち轟音を轟かせる、音と振動で傷ついたのか右耳から頭の辺りまで微温くなるが、髪が染まるくらいなら問題ない。

 気に留める事もなく、拳を突き出し動きを止めた勇儀の腹をお返しを打つ。鈍い音ともに勇儀が少し屈むが、屈んだ場所には既にあたしはいない。打った際の反動を活かして後方に飛んだのだ。

 

「うん? おかしいな 顔面ぶちぬくつもりがなんで逸れるんだ?」

 

 腹を打たれた事をまったく気にせずに自身の拳を眺める。

 相変わらず頑丈だ、本当に困る。

 

「さあ、目測を誤ったんじゃないかしら?」

 

 普段のあたしからはまず発せられないだろう酷く冷たい声で返答する。

 

「まあいいさ、タネがあるならタネ毎ぶち抜けばいい話だ」

 

 言い終わりとドンッという音が重なり鬼の姿がブレた、空気の震える音と衝撃を纏い勇儀が弾丸となり突っ込んでくる。 

 間もなく近づかれ、突き出された左拳があたしの脇腹を掠めて深く裂いた。掠めた拳の先に血が奔る。後はこのまま突き抜ける、そんな勢いのまま走るつもりだった姐さんだが、あたしと交差する瞬間に体をくの字に曲げた。あたしが力を蓄えた尻尾で脇腹を打ち据えたのだ。

 お゛ぅっと、自分にしか聞こえないような小さな声が鬼の口から聞こえる‥‥が瞬時に体制を戻し、全身をバネにして首を狩る上段蹴りが返される。当たれば首から先が吹き飛ぶだろう渾身の蹴りだが、それもあたしの右肩を掠めて逸れていき、肩を裂くだけで浅い傷しか残せずに終わった。

 先は逸らせなかったが本気でやればこれくらいは出来るか、狙い通りに当たらない鬼の暴力を見て少し調子付き、更なるお返しをしてみせる。狙いは足、右肩を掠め伸びきった足を、腰を低くし浅く構え、掌底で打ち上げらる。豊満な鬼の全身が地から離れた。

 打たれた勢いで宙を周り背中から地に落とす事に成功したし、すぐにその場から離れておく。体制などお構い無しに暴威が飛んでくる事を知ってるからな、当然そうする。するとあたしのいた当たりを鬼が睨み咆哮を轟かせるが、残念。そこにはすであたしはいない。

 

「ちょろちょろ逃げるなよ、もっと打って来いってんだ。しかしなんだなぁ、三度打って三度外したか。お前は特に避けていないってのにな‥‥これがお前の能力だったかい?」

 

 いいのをぶち込んでやったつもりだったが口が減らない鬼。

 それでも多少は効いてくれたらしい、少し背を丸め片手は腹をおさえている。自身の力と勢いをのせたものにカウンター合わせてまともに入れてやったのだ、あれが効いてくれないと流石にあたしも傷つくってもんだ。

 

「そういうことよ、頑張って狙わないと逸れて変なとこいくだけさ」

「なるほど‥‥それなら逸れないようにしっかり殴らなきゃならんなぁ!」

 

 自身で放てる以上の、相手の力も活かしたカウンターを入れ、一瞬の隙をついた一撃を決めた‥‥決めたはずなんだが、それでもベラベラ話す余裕があるってか。おさえていた腹も軽く擦って終わりになったようだし、本格的に参るな、これは。

 が、諦めを悟られるわけにもいかんし、どうしたもんか。いいか、得意なの使おう。

 

「痛いのはイヤなの、あたしは一方的な方が好みなの」

「つれない事言うなよ、買ったなら買い手らしく付き合いなぁ!」

 

 再度弾丸のように猛進してくる勇儀、動きは先ほどの突進と全く同じだ。けれど、先ほどとは纏う空気が変わっているように感じる。確信はないが今度はまずい、そう思った頃には眼前に迫る鬼の拳。 

 感じた通り、先と同じような左拳が唸りを上げ飛んでくる、が今度は狙いが外れない。逸れないなら仕方ない、どうにか体を捻り拳を避けるが、捻ったせいで一瞬視界から勇儀を外してしまう。次は何処から来るか、相手の姿を確認する前に彼女の拳が相手の右腕を捉えていた。

 空気を裂く音と共に振りぬかれる拳、そんなものを身に受けて耐え切れるわけがなく、ぶん殴られた方向に向かいふっ飛ばされていく身体。殴られた勢いでも逸らせれば怪我も少なく出来るのだろうが、殴られぶん回された視界と頭ではそれらしいイメージなど出来ず、飛ばされた先の地面を身体で抉り取るハメになった。 モウモウと立つ土埃、その中で舌打ちしていると聞こえる、鬼の嗤い声。

 

「おうおう、やっと当たったな。これでこそ喧嘩だ、やっぱり殴り合わんとな」

 

 晴れ始めた埃の中、片足立ちで座ったままのあたしを見て、確信を得たように笑う。

 気に入らないと睨んでみるも、あちらは殴った拳とあたしを見比べている。そんなに嬉しいか、こっちは一撃でボロボロだってのに。 

 

「‥‥こんなの何発も貰ってたら何べん死ねばいいのかわからないわ」

 

 悪態つきながら立ち上がる。

 失くした腕を横目にしながら。鬼の一発をもらった右腕は二の腕から少し上を残して吹き飛ばされており、ボタボタと血を滴らせている。拳が当たる瞬間とっさに右腕で受ける事が出来たけれど、防御出来てこれか。振りぬかれた拳にそのまま腕を持っていかれたってか。さっきのはただのゲンコツだったはずだよな、酷いもんだ。

 

「能力頼りで鍛える方を疎かにしてるからだ、少しはあたしを見習ったらどうだ」

 

 鍛える事もなく、その必要もない体をしているくせに。

 軽口を吐くなら仕留め切ってからに、ってそれはマズイな。 

 

「姐さん見習ったら今よりもっと軟な体の出来上がりよ」

 

 一転して劣勢になるも揚げ足とりは忘れない。

 腕力で勝てないのだから胆力くらいは譲ってやらない。そうやって言い切って、よく言うもんだってな顔の鬼に向かい、更なる煽りを増やしていく。残る片腕で帯に挿した煙管を取り出す。咥えて一吸い煙を吐くと、開幕と同じように斜に構えて佇む。

 

「喧嘩の最中に煙管をふかすたぁ舐められたね、その余裕高く付くよ」

 

 癇に障ったのか先ほどまでとは少し変わった腹に響く声。

 

「中毒者なの、姐さんの身内と一緒で切れると困るのよ」

 

 それでも軽口は止めない。

 数えることも出来ないほどの戦を乗り越えて勝利してきた姐さんだ、これがただの強がりや余裕でないとはわかっている、わかってはいるが鬼なのだ。構うことなく真っ直ぐに突っ込む事しかしないだろう。それがありがたい。

 

 罠でもなんでもかけてみろ、突き進み振るわれる豪腕はそう語ってくれる。

 狙いは腕が飛び防御の薄くなった右側か。と、思った通りにぶっ飛んでくる左の拳。迫るそれをそのまま右腹にもらい、綺麗にぶち抜いてもらう。

 パァンという弾ける音があたしから鳴り響く。軽快な音と共に右半身が爆ぜる。血飛沫が舞い、殴りつけた鬼を染め上げた‥‥ここが狙い時だ、血煙に乗り化かす。ちょいと痛かったが鬼を化かすのに手段を選ぶ余裕はない、何かに気がついているのか、目に入れてやった血でも気にしてるのか、姐さんも動かないしな。

 いや、それは気にされないか。まぁそうだな。血には慣れすぎているのだろうし目に入ろうが気にはならんか。なら手応えのなさに違和感を覚え一瞬硬直した、って感じかね。

 であればその硬直、解してやろう。

 

 思うが早いか尾を滾らせる。次なる狙いは鬼の弱い所。関節、膝だ。いくら頑丈だっていっても骨の継ぎ目なら多少弱いだろう、そう邪推し動く。

 一瞬だけ姿を見せ、厭味に細めた銀眼と鬼の目を合わせる。当然それを狙われるが、そちらは先に吐き出した煙のあたしだ。遠慮無く拳振り抜き伸びきった身体、その際にどうしても出来る隙。そこを見逃さず鬼の右膝小僧に全力で衝撃を奔らせる。耳障りな音を尾を経由して聞くと、曲がらない方向へと足を曲げた姐さんが拳を地につけた。

 

「くぁ! やるじゃないかぁ、化かされた!」

 

 攻撃を受ける事で何が起きたのか悟ったか、でも遅かったな、姐さん。

 殴り合いを正面から受けるから頭から消え失せていたか?。

 あたしは狸なのだ、騙し化かす妖かしだ、素直に見過ぎのは甘かったな。

 

 そんな考えを顔に出すと、自身を叱責するように吠える鬼。

 周囲がビリビリ揺れる程の声を吐き、膝に刺さった尻尾を握られて、そのまま地面に叩きつけられた。

 だが、さっきとは違って少しは手応えを感じられるだろう。地面に打ち付けられたあたしは本物だ。

 さっきは偽物で騙し一矢報いた、なら次も同じ手を使う。そう読んでくれる事だろう。痛いのはイヤだと伝えてあるし、ほくそ笑む顔も見せておいた、そこから読むなら二手目もそうして笑うだろう、あたしの性格を知る姐さんならきっとそんな風に思ってくれるはずだ‥‥そう読んでその裏を掻き、次のチャンスを足元で待つ。

 

「ほら、次はなにしてくれるんだい!」

 

 叩きつけられ地に埋まるあたしに語る怪力乱神。

 だったが、言うだけ言って回りに目を流し始めた。視線が遠くを向いた辺りでどうにか上手く騙せたかと、声を出さずにほくそ笑む。

 あたしは足元に残ったままだが、今の姐さんにはそう見えてはいないだろう、血煙であたしの姿が弾けて消えたように見せたのだから。今頃二匹目のあたしは軽快な音と共に埋まり掻き消えたように見えているだろうな、危ない橋の化かしだったが、それくらいせんと騙せんだろうし、それくらい出来んで何が矜持在る化け狸かって話だしな。

 

 数秒静かな景色が流れるが、すぐに空気は変わり始めた。

 弾けたあたしを探すのに飽いたのか、現れない本体を燻り出す事にしたのか、周囲を見渡しながら普段構えを取らない姐さんにしては珍しく攻撃するための姿勢を取った。抜かれた膝の痛みなどないように感じられる自然さで腰を下げ、深く構える鬼。

 漏れ出す闘気が足元を割り始める。

 

「待って出てこないならこっちから行くかね! 狸らしさの分かるいいものをもらったお礼だ、あたしもあたしらしいとっておきを見せてやるよ!」

 

『壱ぃ』そう吠えると、恐ろしいほどの力が込められているであろう左足で地を踏抜き、姐さんを中心としたクレーターが出来上がる。周囲の地面が浮き上がって、当然埋まるあたしも浮かび上がる。

『弐ぃ』二度目の咆哮と共に右足が前に突き出される、同時に木っ端妖怪が浴びれば感覚が麻痺するほどの妖気が迸る。思わず逆立つ尻尾の毛、こいつはいい、気持ちいいほどにおっかない。

 そうやって気配を探るように自身の妖気を垂れ流す勇儀姐さん、身の毛がよだつソレが周囲にばら撒かれると、こちらを見上げくる鬼。

 

「見つけたぁ! そこにいたかい!」

 

 あたしの妖気を捉えた姐さんが、口角を上げ、雄叫びを上げる。

『参っっ!!』咆哮と同時に放たれた三歩目、その掛け声。こうなればもう逃げようもない、悪あがきのつもりでまた偽物をこしらえる。今迄に創り出したあたしよりも血の匂いが濃い偽物を象って、鬼の左右から攻め立てる。

 そうして二人の尾に渾身の力を蓄え、振り抜く。が、姐さんがその程度で臆することはなく、この弾幕ごっこで見せた力の中での最大の暴力を以て迎えてくれた。どちらが本体か見極める時間などはなかったはず、部の悪い賭けに過ぎるが今更引けんし、全身の力を滾らせる鬼に向かい二本の縞尻尾をぶん回した。

 

 

――パァン――

 

 今日三度目で、今日一番の弾ける音がする。

 同時に非常に堅い物を砕くような音が重なり合った。

 

「あちゃぁ‥‥てっきりこっちが本命かと思ったが、外しちまったかい」

 

 打ち抜かれ、ひしゃげた右膝を叩きながらそう話す姐さんの左膝には、あたしの尻尾が深々突き刺さっている。

 

「最近は賭けに勝つことも多いのよ、あたし」

 

 両膝抜かれたというに、何処か楽しげな姐さんに減らない軽口を返す。

 顔面撃ち抜かれた偽物は消えて、あたしの方も一人に戻っていたが、戻った姿は随分と無残なもので、左肩には鬼のゲンコツが埋まっていた。その拳から下に本来あるはずの腕は少し後ろで肉片となっているようだ。それから二人共その場を動くことはなく、一言ずつ交わした後は無言で佇む。

 

 暫くすると静寂を破るように笑い出す姐さん、その声が喧嘩の終いを告げてくれた。

 

「はっはっは、いい喧嘩だった。とっておきも外しちまったし、足もこうなっちまったらしばらく立つ事もままならん! 今回はあたしの負けだ」

「今回じゃないわ、もう二度とやらないわよ。決着ついでに聞きたいんだけどいいかしら?」

 

 先ほどまでの死闘が嘘のように高らかに笑う怪力乱神。

 豪快に笑ってくれて、殺し合いとも呼べる遊びを終えたばかりとは思えないが、いつもの事か。

 あたしも穏やかな声で返す。 

 

「なんだい? 今ならなんでも答えるぞ」

「まず一つ、途中で空気が変わったように感じたけど、あれが姐さんの能力だったかしら?」

 

「そうだ、怪力乱神を持つ程度の能力さ」

 

 怪力乱神、なんだかわからないけどものすごい力 だったか。

 それの影響であたしの能力が利かなくなったのか。よくわからないけど強い力とか反則じゃない、ただでさえタフだってのにホント冗談じゃないわ。

 

「なるほど、では二つ目。さとりの提案。あれは方便だったとわかってると思うけど、それにノッたのは一体どういうことなの?」

 

 これは本当に驚いた、あの勇儀姐さんが方便。ようは嘘ごまかしにのっかるとは思えなかったからだ。提案したさとりも同じように思っていたはずだ、生きた心地がしない話し合いだっただろうよ。

 

「ああ、そんな事か。大したことじゃあないよ、あの話はその場とその後をうまく進めるための最善の話だった。アレで傷つくようなのはいないんだ。そんな方便ならまあいいと思ったのさ」

 

 ふむと納得半分、方便なら構わないのかと悪巧み半分。

 そんな事を思い笑おうとするが失くした両腕の痛みが強くなってくる。さすがに冷ややかな顔をしていられず痛みに顔を歪める。それを見てまた笑う鬼。痛みの原因に笑われしかめっ面になると、なにやらぎゃあぎゃあともめ出すハメになった。 

 二度目がないのは困る、徳利が手にはいらないだの。負けたなら諦めろだの。先ほどまで血飛沫舞う殴り合いをしていた二人とは思えない、幼稚な言い争いを始めていたが、立会人の声にかき消された。

 

「喧嘩も終わったようでなによりですね、私は地霊殿に戻るので落ち着いたら二人で来てください。言いたいことも山程ありますので」

 

 最初から終わりまで見届けたさとりが冷たく言い放ちその場を後にする。

 その顔は少し青く暗いように見えたが、確認する前に騒がしい鬼をどうにかせんとならんか。背中の方からは、まだ足りないなぁ、なんて声が聞こえているような気がするが気のせいだろう。

 そう思うことにしてさとりは地霊殿への帰路についた。



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第九話 主従と約束時々昔話 ~終~

とりあえず、四部作おしまいです。



 地底の鬼の頭目と地上の狸が町から出て行ってすぐ、後を追うように旧都の外れに出掛けた、ここ地底世界の代表はげんなりした顔で一人戻ってきていた。

 地上からの使いがいると耳にして、様子を見に行った古明地さとり、出る際にもなにやらブツブツと言っていたが、戻っていく最中にも文句を言いながら住まいへ帰ったようだ。この覚妖怪だが、たまに町中で見かける時も一人で何かに文句を言いながら歩いている事が多い。それ故、あれはいつもの事なのだと、三つ目を見つめる住人達は誰一人として気にしていない。

 

 そんな、後ろ指を指される事になれたさとりであったが、今日はいつもとは少しばかり違って、声が煩いとぼやく事よりも溜息が多いように感じられた。小柄な身体から目一杯の息を漏らして去る地底の管理人、その背をを見送った住人達はさとりの事など見なかったかのようにガヤガヤと、ああでもないこうでもないなんて囃子立てている。

 

――星熊の姐さんが帰ってこないな、どうしたことか。

――妙に仲よさげに歩きやがってあの狸、何者だ。

――話を盗み聞く限りあの二人旧知の仲じゃないか、姐さんあんなのが趣味だったのか。

――いやいや、狙いは狸の徳利だろう。結構な良品らしいぞ。

――あの狸どっかで見たような覚えがあるぞ。

――大昔の宴会であんななりの狸を見たような気がする。

 

 耳につくのはこんな声。誰も彼もが好き好きに話し込み、自分の考えが正しいと言い合っているようだ。このまま言い合いが続けばちょっとした騒ぎになるのがわかる空気が流れる。

 けれど実際に暴れ始める者はおらず、口を開く住人のほとんどは、話題の中心である星熊勇儀という鬼の事を気にして話だけであった。

 

 ここ最近彼女が直接動く事はなかった。

 大好きな喧嘩事も、少し眺めて興味がわかなければいつのまにかいなくなってしまうくらい。消極的というか、飽いているというか、少し冷めたような空気を纏っていた。そんな勇儀が自ら相手を捕まえて笑いながら喧嘩を売ったのが今日の先ほどだ、住人の注目を浴びないわけがなかった。

 

 暫く話し合うだけの皆であったが、いつまでも戻らない鬼について話すのも次第に堂々巡りとなってくる。そうなると聞こえてくる言葉に罵倒が増えてきて、まもなく殴り合いが始まるかという空気も強まる。そんな荒い空気が好きな連中が、これは一騒ぎ始まるか、そんな風に思い始めた頃、鬼と狸が消えていった町外れから都に向かってくる影が見えてきた。

 都に向かって来る影は一つ、のらりくらり歩んでくる。

 

――姐さんの歩き方にしちゃおかしいな、まさかあの狸やりやがったか。

――あの星熊勇儀がその辺のたぬ公なんぞにやられるわけがないだろう。

――大方取り上げた徳利を煽って酔っ払っているんだろう、そうにちがいない。

――あの姐さんが気に入る酒だ、俺もご相伴にあずかりたいもんだ。

 

 住人達がああだこうだと予想を話していると、影が人として確認できる距離まで近づいたようだ。しかしその姿は住人の誰もが予想出来なかった姿だったようで、あれだけ騒いでいた連中が眺めるだけで何も言わない。

 

「ほら、きりきり歩いておくれよ。いい気分のうちに飲み直すんだ」

「地霊殿に呼ばれただろう、飲むのはその後にしておくれよ」

 

「あぁ、そういやうだったな。仕方ない、我慢するかね。筋を通して飲んだほうがすっきりしていいもんだ」

「そうだね、だから我慢しておくれよ姐さん」

 

 こんな会話をしながら歩いてくる一つの影だった二人。住人達の視線を浴びながら地底世界の中心に向かって進んでいく。狸の頭を豪快に撫でくりまわし笑っては揺らされる星熊勇儀は、右足を本来曲がる方向とは逆に曲げ、左膝には拳よりも大きな穴がポッカリと口を開けさて、乾いた血が固まっていた。

 そんな勇儀を尻尾に乗せる狸は、両腕を失い咥え煙管で歩いている。撫でくりまわされる度に血に染めた頭を振り、真っ赤に染め上げられた頭と勇儀の乗る尻尾をゆらゆら揺らす。

 

「わかったわかった、お前も付き合いなよ。良い喧嘩相手の次は良い飲み仲間だ、ついでにその徳利のも飲ませてみな」

「腕がないのにどう飲むのさ、口移しでもしてくれるの?」

 

「おう、望むならやってやろう! なんならそのまま布団でも構わんが?」

「それは周りのその辺のをとっ捕まえてよ、体力持たないわ」

 

 周囲からの視線を気にする素振りもなく、仲の良い友人のような会話しながら旧都に向かう二人。両膝小僧と両腕という、変な所がない二人組が歩いて行く。

 

「姐さん、葉が燃え尽きた。もういいわ、持ってて」

「あいよ、腕失くして自分で使えないのにそれでもこんなもん吸いたいのかい?」

 

 アヤメから預かった煙管を器用に、クルクル回しながら話す勇儀。

 

「中毒者だって言ったじゃない、姐さんだって腕がなくとも酒飲むでしょ?」

「ああそうだな、我慢できるもんじゃないな」

 

 それこそさっきの口移しでもなんでも、その気になればどうにかしてでも飲むのだろう。気持ちのいい即答ぶりだ。

 

「そういうことさ。尻尾のお代だ、それくらいお世話してよ」

「座り心地も触り心地も上々だ、甲斐甲斐しくしてやるさ」

 

 先程の豪快な撫で回しとはちがい、尻尾を繊細に撫でる。豪快な性格だが大事な物に触れているという気遣いは出来るようだ。そのまま目的地に着くまで互いの軽口が止むことはなく、二人組は地霊殿へと続く旧都の繁華街を抜けていった。

 

~少女達移動中~

 

「姐さん、これがその地霊殿? なんだか旧都に似つかわしくない小奇麗さなんだが」

 

 正面に現れた洋館を見上げながら後ろの勇儀に問いかける。地上の世界よりも広いと言われる地底世界、その中心部に建っている、入り口上部のステンドグラスが目立つ巨大な建物、地霊殿。

 

「ああそうだ、さっきの古明地姉妹の住まいでここの中心さね」

 

「姉妹って事は何人か古明地はいるのか、会話のなさそうな姉妹で館の中は静まりかえってそうね」

 

 数人のジト目が集まり、声もなく会話をしては表情だけが変わっていく。そんな状況を想像し、アヤメの表情が面白いものになった。

 

「そうでもないようだ、妹の方は心を読めないらしいし、あの姉の方はその妹の心が読めんって話だ。覚妖怪らしくない姉妹だわな」

「読めず読まずか、種族としての挟持はないのかね」

 

 覚のくせに読めない読まないとは変わった姉妹だ。幻想郷の妖怪は種族としてのあり方をどっかに置いてきているのが少なからずいるな、なんて考えていると、

 

「人様の事を言えるような妖怪じゃないくせに何を言ってるんだかねぇ」

 

 そう言うとあたしの頭を軽く小突く。

 身内にやるように小突くもんだから頭が少し揺れて気持ち悪い。最近は人間を化かし驚かすなどしておらず、他人をどうこう言えるほど狸らしくしていないのがなぜわかるのか、この鬼はやはり厄介な相手だ。

 

「一応怪我人なんだし、加減はしてもらえると非常にありがたいんだけど」

「はっはっはすまないすまない、機嫌がいいとどうにもね。さ、いつまでも突っ立ってないで呼ばれてるんだ、中に入ろう」

 

 促され入り口に向かう。

 厚い玄関扉を飾るような造りの庭にはやたらと動物が多いように見られる。あそこはさとりの飼うペットで溢れててね、ちょっとした動物園みたいなもんだ。と道中会話にあったがなるほど、確かに動物園だ。あのやたら目つきの悪くてデカイ鳥とかなんて言うんだろうか?

 その辺は後で聞くとして入り口を姐さんに開いてもらう、腕がないと色々と不便だ。どれくらいで生やせるだろうか、どこかで集中して妖気を練らないとならんかね。姐さんの方は寝てりゃ治るなんて言ってるが、あたしを鬼と同じように思ってもらっちゃ困る。姐さんほど頑丈に出来てはいないんだ、生えはするが時間がかかる。そう文句を言ってみたら済まなかったと笑われた。人様の腕ふっ飛ばしておいて楽しそうに笑うんだ、鬼が嫌われる理由がよくわかる。

 

「さて、呼ばれたはいいが‥‥何処にいったらいいのやら」

 

 玄関フロアで立ち止まり建物内を一瞥する、正面には二階へと続く階段、手すりが灯りを反射してキラリと輝く。常に掃除され磨かれているようだ。

 左右には奥へ続くのだろう廊下が延びており、先で曲がっていて突き当りはわからない。品の良さが感じられる程度の少しの壺や絵画等も飾られ景色の一部として馴染んでいる。あの紅いばっかりのお屋敷の主が見たらなんというのだろうか?

 そんな風にを眺めていると、どこから出てきたのか一匹の猫が寄ってくる。尻尾が付け根から割れて、その二本ともを揺らしながらこちらに歩き寄ってきた。人慣れして懐っこいのか、警戒心が薄いのか、見知らぬあたしに敵意を見せずに近寄る四足。

 

「猫又かい? あんたの主はどこかね? 案内してくれると助かるんだが」

 

 言ったことを理解しているのかいないのか、顔をスネにこすりそのままあたしの足元を八の字周るだけ。一周すると満足げなニャアを聞かせてくれて、こちらを見上げ座り出す。

 

「猫被ってないで正体見せな、取って食うよ」

 

 猫に猫被るなんて姐さんにしては洒落た物言いだ、と思っていたら、言われた猫が一瞬毛を逆立て後ずさるが、逃げ出しはせずに恐る恐る姐さんを見上げ、少しの妖気煙と共に猫が人型をとり勇儀に泣きついた。

 

「食うなんて恐ろしい事言わないでおくれよ勇儀さん、ちょっと甘えてみただけじゃないか」

 

 焦りを隠さず涙目で姐さんに懇願する猫又。

 尾っぽの毛を逆立ててすぐにしょぼくれる姿が中々可愛らしくて何も言わずに見ていたが、これでは話が進まない。焦る猫又を落ち着かせるようにゆっくりと宥めるように話しかける。

 

「なんだい、話せるんじゃないか。それなら早い所お前の主人に取り次いでくれよ、さっさと済ませて腕に集中したいんだ」

 

 今はない腕の辺りに目配せをし要件を伝えてみるが、目を輝かせて口を開いた猫又からは期待していた答えとちがった言葉が返ってくる。

 

「あたいは猫又じゃあないよ狸のお姉さん、あたいは火車さ。それよりお姉さん腕を失くしたのかい?そいつは大変だ、一体どの辺で落っことしたのさ、あたいがすぐに拾ってきてあげるよ!」

「腕だったものなら外のどこかで飛び散ってるよ、この後ろの人のせいで腕の形はしてないと思うけど」

 

 チラッと肩上のを見てみるが、気にすることはなく微笑んでいる。言われた嫌味に対し少しは嫌な顔でも見せたらいいのに。

 

「狸のお姉さん、勇儀さんとやりあったのかい!? それで無事なんだ‥‥お姉さんもおっかない妖怪だったのかい!?」

 

 今度はこちらを見ながら少し怯えた表情をする猫又。

 あちこち見て忙しいな、猫だから気まぐれなのかもしれないね。鬼を見ていた瞳のままで、まるで同じモノを見るような悲しみたっぷりの顔であたしを見つめてくれる。が、一緒にされるのは心外だ。少し弄って違いを教えてあげよう。

 にやにやと何を言ってあげようか考えていると、奥の扉が開く。

 

「あまりペットをいじめないでもらえますか、動物は愛でるものですよ」

 

 ようやくここの主が出てきた、呼びつけておいて出迎えもなし。それどころか居合わせたペットをからかった事に対し文句を言ってくるとは、中々肝が座っている。

 

「身内の危機を助けただけです、貴方のように鬼と喧嘩するような肝っ玉はありません。お燐、お茶を客間に。急がなくてもいいからね」

 

 ペットにそう申し付け先に歩き出した。

 

「ついて来てください、客間に案内します。話はそちらでしましょう」

 

~少女移動中~

 

 黒と赤の床が続く廊下を歩き、さとりの後をついて行く。

 少し進んだ先の扉でさとりが止まりこちらへと促す。住まいの主が先に部屋へ入り扉を開くと、中へと招き入れてくれた。ああそうか、今あたしは扉を開けられなかったか。会話を楽しむような社交性は見えないが、意外と気遣いは出来るんだな。これでもう少し可愛げがあれば、友人の一人も出来そうなものなのに。

 

「さすがにそれくらいの心得はありますよ。客人に対しては、ですが。頭の中を好きに覗かれて尚好意を向けてくるような奇特な友人を欲しいとはあまり思いませんね。勇儀さんも、甲斐甲斐しいのは私より貴女です、からかわないでください」

 

 なるほど、姐さんも同じような事を考えていたわけか、そう思い斜め上を見上げると目が合い、お互いに小さく笑った。

 

「覚の前で奇遇だなと笑い合わないでください、もう少し畏怖して欲しいですね。貴女方の考えていること全て、私に読まれてしまっているのですから」

 

 触手から伸びている三つめの目を両手で囲む、何か見透かすような仕草をしつつこちらに何か言ってくる少女。畏怖はともかく、騙しネタを試される前からネタバレされるのは面白くはないだろうな。これから何をされるのかワクワクすることすら出来ない、なんでもわかって便利そうだが少し勿体ないね、なんて思ったところでちょっと試してみたくなった。

 あたしの心が読めるというさとりの当たり前の意識を逸したらどうなるのだろうか?

 

「覚をどうやって騙すか考えるだけの者はいましたが、そういった考え方をする人はいませんでしたね。後、逸らすとかやめてもらえませんか?なんかあったら困りますし‥‥ってはぁ……もうやめてください、どうなるかわかりましたから」

 

 惜しい、読めないってわけではないか。ならどうやってペテンにかけるかね?思ったとおりに口に出しそれでどうにかちょろまかす?

 いやいやそんなに器用に出来そうにはない。

 

「それでどんな風に読めるの? 後学の為に聞いておきたいわ」

「どうにかして騙そうというところは変えないんですね‥‥で、能力ですが結果だけ言うとアヤメさんの心が読みにくくなりました」

 

 読みにくく?

 普段がわからんから読みにくいと言われても思いつかないな。

 

「何というか、同じ内容が周囲の色んな所から輪唱して聞こえる。そんな感じです」

 

 ああなるほど、つまり。

 

「ええ、五月蝿くなりました。一人の思考で騒がしくなるのは初体験ですね、ちょっと気持ち悪いです」

 

 それを聞いた鬼が腹を抱えて笑い出した。今まで神妙にしていたくせにそういうところだけ大騒ぎとは、鬼が嫌われるのがよぉくわかる。何かこう、鬼にしろ覚にしろ地底の妖怪はこういう失礼な輩しかいないんだろうか。いや、土蜘蛛は気安かったか、橋姫はつれない素振りだったけれど。

 

「一緒にされるのはイヤですね、私はデリカシーを持ち合わせていますよ」

「なんだい、それじゃあたしはデリカシーのない雑なやつみたいじゃないか」

 

 あたしとさとり、二人が無言で見つめると直近の話で大笑いしていた鬼の大将が何か一人で呟き出した。もう面倒だし、放っておこう。

 煩い御大将は置物くらいに見ておいて、そろそろ本題に入るとしようか。色々あって目的をうっすら忘れていたが、これを済まさないと地上に帰ってから何を言われるかわからない。

 

「地霊殿の主古明地さとり、貴方に妖怪の賢者八雲紫からの言伝がある」

「改まって言われずとも‥‥形式って大事ですもんね、はい。伺います、言伝とはどういったものでしょうか?」

 

「楽しめているかしら?」

「そうですね、それなりには」

 

 この娘もそれなりには楽しんでいるのか、意外と万人受けするルールなのかもしれないね。まあやるより眺めて酒でも飲んでいる方が楽しいと思うが。

 

「お酒はともかく眺める方には同意出来ますね。さて、お燐が盗み聞きを始めて結構な時間が経たちます。お茶が冷めきってしまう前に振る舞わせてください」

 

 扉の向こうのお燐に呼びかけると、尻尾を踏まれた猫のような鳴き声と茶器が割れるような音がしてさとりは眉間を抑える仕草をした。

 

~少女帰想中~

 

「はぁ、アヤメさん大変だったんですねぇ」

 

 話を聞き終えたミスティアの第一声はそれだった。

 それなりに楽しかった出会いや怖かった出来事、厄介な輩の事を話したつもりだったが理解されなかったのだろうか、ミスティアの感想は少し拍子抜けした感想で終わってしまった。

 

「アヤメさんそれからどうしてたんです?」

「どうって血達磨になりかけたからね、地霊殿で温泉入ってさ、その後は姐さんに拉致られて次の日まで飲み通しよ。そういえば、寝れば治るなんて言ってた癖にさ、宴会場ではもう伝い歩きしてるのよあの人、どんな体してるのか‥‥ついていけないわ」

 

「星熊さんも気になるんですが、別の所の方が気になるんですよ、腕生えるまでどうしてたんですか」

「ああ‥‥それは‥‥」

 

 話題に出たのでついつい横目で見てしまった。

 すると、あの頃を懐かしむように、どこぞの誰かに似た薄笑いを浮かべていた九尾と目が合ってしまう。

 

「アヤメ、あ~んだ、あ~ん」

 

 あたしの腕に自分の腕を絡ませ科を作り妖艶に笑う。そのまま顔を近づけて料理を薦めてくる藍‥‥この狐狙っていたな、絶対に狙っていたな。

 普段は見せない艶っぽい笑顔なんか浮かべてこんなコトするとは‥‥変な所だけスキマに似ているのは一体どっちの方なのか。

 

「やっぱり挙式が決まったら教えて下さいね」

 

 可愛い笑顔を見せてくれるのは嬉しいのだが‥‥藍と二人で本気で化かしてやろうか。

 

〆〆〆 

 

 約束通り、帰宅後は自宅で過ごしていた。

 暫くして八雲の狐が使いに現れた。

 そこで報告しておしまいだったはずなのだが、あのスキマ、全部覗いていたのだろう。腕が生えるまで貸してあげるわ、という命を受けた藍が甲斐甲斐しく世話をしてくれた。それからは普段以上に集中し十日くらいの見通しだったが三日で腕を生やしてみせた。

 その後、藍の迎えにわざわざ姿を見せて嫌な笑みを浮かべていたあの顔を、新しく生やした腕で思い切り殴ってやりたかった。



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~日常~
第十話 巫女と巫女のち宴会


 今朝は騒がしい声と共に起こされて少々機嫌が悪い。

 仏頂面で煙管を咥え、モヤモヤ漏らしつつ、鼻にかかった眼鏡を中指で直す。

 穏やかとは言えない仏顔なあたしの対面には、しおらしく座っている永遠亭の小間使いがいる。

 いつものイタズラに掛かって朝っぱらから土埃だらけになってしまったため、これから風呂を貸して欲しいと駆け込んできた鈴仙・優曇華院・イナバ。

 つい先ほど横になっていたあたしを揺すっては、あのう‥‥だの、布団をひっぺがして、すいません‥‥だの言っていた月のウサギだ。

 

「あっちのうさぎのがまだ優しく起こしてくれるわよ、鈴仙」

「は、はい。でもちょっと急ぎで時間がないんです」

 

 話しながら風呂用の薪束を持ち出す為に立ち上がり、あたしの前から逃げようとする。

 

「風呂は貸しても構わないけど、なにか言うことないかしら?」

「えっ、ああ‥‥先にお風呂頂きます」

 

「そういう礼儀も大事だと思うよ、でもさ、叩き起こされてなにもないのかしら? 相手が不機嫌でその原因が鈴仙にあるわけなんだけど?」

 

 いつもより大きい音がなるように、卓の角を狙って煙管を強めに叩く。

 その音に驚いたのかピクッと背を正すこの非常識うさぎ。まだ日の出も迎えていないくらい、薄暗い朝から叩き起こされて、謝りもされないままで黙っているほど穏やかな性格ではない。

 

「ああ! すいませんでした! でも本当に急いでいまして、その」

 

 この娘を知らない人が見ればわざとらしい程の鈍さだと思うが、この娘はこんなもんだ。悪意があったり狙ってやったりしているわけではない。人より少し察するという事に疎いだけなのだ。悪気があった方がマシな気もするが、ここはもういいとしよう。

 ごめんも聞けたしもういい、構わない。と、平手を振ってお風呂へ追い立てる。

 

「もういいからお風呂入ってらっしゃいな、理由は後で時間のある時に、ね?」

「はい、ありがとうございます! 行ってきます!」

 

 八雲紫のしかけた月面戦争等で兵士として先陣を務めた玉兎、その玉兎の一員だったと聞いたけど、言っちゃ悪いが天然で、どこか抜けている節がある。軍属だったと聞いてもにわかには信用出来ない気がしていたのだが、人の侵攻が怖くて逃げ出した脱走兵だとわかってからは納得できた。

 兵士しているよりはこっちで助手という名の小間使いしている方が似合っているだろう、激しい戦闘をする姿も浮かばないわけだし。

 

 そんなことを思いつつ鈴仙のブレザーの埃を払う。体はともかく服はどうするつもりだったのか聞きたいところだ。一瞬ほうけて『あ』と言い、長い耳を揺らす姿がぱっと思いつくが。

 

~少女入浴中~ 

 

「あの、お風呂ありがとうございました、服まで‥‥色々すいません」

 

 風呂から上がった鈴仙が、埃を払った服を衣紋掛けに通すあたしに声を掛けた。

 

「迷惑ついで、構わないから急いでいるならもういいよ」

「本当にすいませんでした‥‥後でよりますので。それじゃ」

 

 着替えを済まし駆け出していく鈴仙を見送り、あんだけ焦ってちゃ罠も見えないんだろうな、また落ちなきゃいいけれど。と、なれない心配をしながら自宅に戻り、再度寝た。

 中途半端な二度寝から目覚めると卓に普段置かれないものがある、見える文字列から広げずともなにかはわかった。購読はしていないが、目を通して欲しいものがあると勝手にこうして置いていかれる天狗の新聞『文文。新聞』だ。またなにか面白いものでも見つけたのか、目を通していくと、博麗神社での宴会のお知らせという広報欄の横にでかでか『たまには来なさい!』なんて書き足してあった。あんな性格の割には少し癖のある丸みを帯びた字、年頃の女の子が書くような可愛い字で書いてある。この可愛さが少しは性格に反映されれば購読者も増えるだろうに。

 しかし、ミスティアの屋台への呼び出しなら過去何度もあったが、博麗神社への勧誘は始めての事だ、なにかあるのか?

 わざわざ文が知らせてくれた話だ、たまにはのっかってみるのもいいかもしれない。

 

 広報欄の要項にはこう書かれている。

・参加者は食材か酒持参の事

・持ち込みなき場合は博霊の巫女のありがたい説法あり〼

 

 ありがたい説法(物理)となるのは言うまでもないのだろうな。

 食材か酒、か。とりあえずなにか獲物を探してみるか。初参加で説法を聞くのも悪くないだろうが、後々まで響くような説法になること請け合いなので素直に何か持っていくとしよう。

 

~少女移動中~ 

 

 何時来ても不便な場所にある神社だ。

 幻想郷の一番外れ、人里からは距離があり参拝には厳しい立地だろう。距離以外にも整えられていない参道等人間には厳しいものと思える。

 そんな失礼な事を考えながら、手水で手と口を清める。神聖な神社で妖怪がそんな事して大丈夫なのかと思いたくなるが、そもそもここの巫女が祀っている神がなんなのかわかっていないようなところだ。穢れを払う事が出来るかどうか怪しい。

 お清めを済ませ、賽銭箱に賽銭を投げ入れ鈴を鳴らす。

 次いで二礼、続いて二回拍手、再び一礼。慣れた動作で参拝を済ませると、背中越しに声を掛けられた。

 

「妖怪なのに真っ当に参拝するなんておかしいやつよね」

「賽銭は葉っぱよ」

 

 開口一番から嫌味に聞こえるが、この声の主は素でこうだ。もう慣れた。その慣れた相手に軽口を返すと、言うが早いか背後にいた少女が正面に立ち、札を鼻先に突きつけてくる。

 

「退治される前の最後の参拝だからきっちりやったのね、わかったわ」

「冗談、あたしはこの手の事は綺麗にやるさ」

 

 そう伝えるとピリピリとした空気が和らいでいく。

 物騒な事しか言わないこの巫女こそ、幻想郷を支える今代の博麗の巫女。

 博麗霊夢である。

 まだ十代前半くらいの若輩かと思えば、巫女としての素質は歴代でも突出しており、主な仕事である妖怪退治と結界の維持という大仕事を見事こなしている。年齢の割に冷めたような態度をしてみせるのだが特に妖怪だけにこう、というわけでなく 誰に対してもこんな態度だそうだ。もう少し少女らしくてもいいのに、と愚痴っていたのは何処のスキマだったか。

 

「つまらない冗談で退治される事もあるから気をつけたほうがいいわよ。しかし珍しい事が多いわね、今日はなんかあるのかしら」

「ん、そうなの?神社で宴会なんていつもしていることでしょ?」

 

「そうよ、宴会はいつものこと。でも丁寧な参拝をする普段宴会に来ない妖怪が来たり、酒が苦手な奴が酒を用意してくる事はないわ。次は何かしらね」

 

 妖怪の方は自分として、この幻想郷で酒が苦手とは暮らしにくいのもいるものだ。誰がそいつなのかと境内を見渡してみると、もう一人の巫女と朝方大慌てで出かけたウサギが目に止まった。

 

「また妖怪が来ました、ここは本当に妖怪神社ですね。霊夢さん」

 

 また? と思ったがきっと文あたりの事だろう、今はいないが多分そうだ。

 一瞬目と目があったのに何も言わないあたしは放って、別の事を考えているのを知ってか知らずかこちらに寄り、あたしと霊夢を交互に見て嬉しそうな顔をするもう一人の巫女。突然神社ごと妖怪の山に引っ越してきた守矢神社の風祝 東風谷早苗がドヤ顔でこっちを見ている。

 

「妖怪の総本山に建てた神社とどっちが妖怪神社として上かしらね」

「むっ!うちはたまたまあそこに出てしまっただけです」

 

「拝んでくれるのも天狗や河童でしょう? 力の元も土地も妖怪じゃない」

「人里からの信仰も得てるんですよ、ここは何処からの信仰もないじゃないですか!」

 

「ついさっきそこの妖怪から得たわよ」

 

 妖怪の住まう地に建つ神社と、妖怪ばかりが集まる神社、どちらがより妖怪神社か。そもそも妖怪神社ってのはどういうもんかね。妖怪のための神社なのか、それとも神社の妖怪なのか、後者なら面白いそうでぜひとも見てみたいもんだ。

 なんてどうでもいい事を考えていると、赤と緑で言い争っていればいいのにこちらに話を振ってくる。巫女さん同士二人でよろしくやってくれていていいのに、あたしを巻き込まないでくれ。

 

「ちょっとの賽銭と形だけの参拝よ、そもそも拝む神様いないじゃない」

「そうですよ霊夢さん! 守谷には立派な二柱が祀られています! それだけでも神社としての格がちがいますね!」

「外で廃れた神様がそんなに立派なわけないじゃない」

 

 元を正せば力のある二柱、なのだが、確かに外で廃れた神様だな、そうなっていなければこの地に来てはいないわけだし。そんな風に納得していたら緑の方に睨まれた、こいつもこいつで勘がいいのかね?

 いや、顔に出てただけだろうな、口角がひくついてるのが自分でわかる。

 

「わかりませんが今何か失礼な事を考えましたね? そこになおりなさい! この守矢の風祝、東風谷早苗が退治してあげます」

 

 本当に元気な人間が多い。もっと詳しく言うならば、やりたい事があれば誰彼関係なく勝負をふっかける快活な人間少女が多すぎる。だからこそ楽しくて、だからこそからかい甲斐があるって話でもあるけれど。

 

「物騒ね、人妖問わず信仰されている二柱は大した神様だと関心してただけなのに」

「……貴女意外とわかってますね? いいでしょう。今は見逃してあげます」

 

 テキトウに返事をしてみるが反応は上々だ、ちょろいもんである。ニヤニヤつきながらそう思い、目を輝かせる緑を見つめていると、隣のおめでたいのが緑には聞こえない声でボソリと呟いた。 

 

「これだけ単純なら人生楽しそうで羨ましいわね」

「素直な子じゃない」

 

 素直だと皮肉を言ったらおめでたい巫女に呆れた目をされてしまった、この空気感はマズイ気がする。また火の粉が振りかかる前に退散しよう。

 境内で敷物を敷き終えた鈴仙と目が合いそちらに逃げる。

 

「ドタバタと出た割に悠長に宴会とは。風呂貸さずにいたほうがよかったかね」

「あ、アヤメさん。違うんですよ! この宴会のせいで朝から忙しかったんです」

 

 なんでも昨晩に宴会の話を聞き、朝一番から準備をするよう言われたそうだ。

 あたしが境内の掃除を始めるより来るのが遅かったらわかってるでしょうね。と、脅迫紛いの時間指定までされて、大慌てで動いた所が今朝の結果らしい。日がな一日お茶を啜っていて、境内の掃除をしているところなどほとんど見られる事はないが。

 

「しかしなんでまたここの宴会の準備なんて。退治されるようなことでもしたの?」

「いえ、そういうわけでは。少し前に人里で流行病があったの知ってますか?」

 

 ここ二三日の話である。原因は分からないが寺子屋に通う子供らが、一人ずつ順番に体調を崩しては熱を出し寝込んでいくという原因不明の病が流行った。慧音からの依頼で鈴仙が診察し処方箋を出したのだが、それでも快方に向かうことはなかったらしい。最終的には病ではなく、寺の子供がイタズラで壊した小さな祠が原因で、祠に書かれた落書きの大きさ順に憑き物に憑かれていったのだという。

 そこで鈴仙と慧音が霊夢にお祓いを依頼、憑き物が剥がれるとなったわけで、霊夢からお祓いの報酬として慧音と鈴仙に宴会するから全部準備しろ、なんて話があって今朝の忙しなさに繋がるという事だった。

 

「なるほどね、でも里の人ではなく二人に報酬を求めるあたりが実にらしいな」

「関心しないでくださいよ。お陰でこっちは師匠から窘められるし、霊夢にはこき使われるし散々なんですから」

 

「霊夢ともかく師匠は自業自得だろうに、誤診して要らぬ薬まで出したのは一体何処の誰?」

「師匠と同じ事言わないでください、師匠のいないところで同じお説教喰らいたくないです」

 

 いや、誰でも思うところだろう、まったくこのうさぎは本当に。

 

「その目はさすがにわかりますよ、呆れる暇があるなら手伝ってくださいよ!」

 

 言いながら持っている座布団を突きつけられる。

 それくらい手伝ってあげるのもやぶさかではないが今日は文に招待された客、という体でいる。朝のお返しもあるしもう少し一人で頑張ってもらおう。

 

「持ち込みの食材をしまうのに忙しいの、頑張って」

 

 両手に持った袋を見せて、何事か言われる前に背を向ける。

 そんな~と後ろで声がしたが掛け声かなにかだろう、気に留めず赤い方の巫女の前で荷物を少し広げてみせる。

 

「何持ってきたのって胡瓜と唐柿(トマト)か、それなら井戸で冷やしておいて。裏手に行けば見えるわ、多分西瓜もあるから一緒にしておいて」

 

 言うだけ言って縁側に戻り茶を啜るおめでたい巫女。

 話に聞く通り妖怪使いの粗い事だと一人考えると睨まれた。

 また何か言いがかりを言われる前に鈴仙の手伝いでもして機嫌を取ろう。

 日が落ちて始まる妖怪神社の宴会に、少し期待し夜を待った。



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第十一話 門番と宴

弾幕ごっこを書くのは難しいですね。
三次元に飛び回る感覚がなんともつかめません。


 あれやこれやと準備を進め、後は料理が出揃えばはい終わり。という頃にはすでに太陽は見えなくなっており、篝火を灯した境内だけが明るさを放っている。暖かな灯火に照らされると、待ってましたの乾杯もあり、楽しい宴も始まった。準備していた頃には姿の見えなかった者、話を聞いて飛び入りで参加した者等がおもいおもいに過ごしている。

 

 あちらには椅子やテーブルごと館から運び出し、およそ神社には似合わない西洋風の椅子に腰掛け、不安と顔に書いた姉がいる。先程からあちこちが気になるが行動には起こせない妹を見つめ、そんな妹の動きに合わせて表情がコロコロと変わり忙しそうな姉。

 その姉妹のそばを離れず佇む門番は、仕事中だと言って酒こそ飲んではいないが、表情は柔らかくそれなりに楽しんでいるのが伺える。眺めていると門番と視線が重なり、目だけでお互い挨拶した。もう一人、あれらの側にいるはずの使用人の姿が近くにないのを不思議に思ったが、なるほど人間の集まりにいるらしい。

 あのお嬢ちゃんも気を利かせるという事を覚えたようだ。

 

 その横では妹紅と慧音が疲れ果てた鈴仙を労っている。

 準備に追われる鈴仙をフォローするよう買い出し等外回りをしていたようで、慧音があたしに気づいたのは宴の始まる少し前だった。顔を合わせた時にはまた小言かなと思ったが、さすがに空気を読んだらしく何も言われる事はなかった。

 妹紅がこちらを見てお前もこっちに来いと手招く仕草をしたが、頭に角を生やす仕草をしたら伝わったらしく笑っていた。

 

 メイン会場である境内でおもいおもいに楽しんでいる皆々をぐるりと眺めつつ、準備中にはいなかったもう一人。あたしをこの場に呼んだ張本人射命丸文と、縁側に並び静かに盃を傾けていた。

 

「呼んだはいいけど本当に来るとは思わなかったわ」

「来て欲しかったのか来ないで欲しかったのか、わからない言い様ね」

 

「なんとなく誘っても来ないと思い込んでたからね、少し意外だっただけ」

「友人からのたまの誘い、顔を出してもいいと思ったのよ」

 

「すんなり来るならもっと早くから誘ってみるんだったわ」

 

 そう言うと隣の女、射命丸文は黙り、俯いてしまう。

 

「あのね、お願いがあるのよ」

 

 何事かと思ったが、滅多に見られない真剣な表情を見せてくれる、揺れる篝火に染まる真顔は真摯な姿勢に何故か思えて、見つめている間に文に両の手を取られていた。

 珍しい表情と態度、これは大事でも言われるかと考え、真面目に話を聞く素振りを見せた。

 

「アヤメに担ってもらいたい役割があるの……」

 

 少し屈み、下から見上げるような姿勢を取ると瞳を潤ませて、握られた手に力が込められる。不意に見せた憂いのある表情、女らしさが強く見える姿に驚き硬直した瞬間、文に羽交い締めにされる。

 

「お相手、任せたわよ……萃香さん捕まえました、もう出て来られてもいいですよ」

 

 文の言葉を切っ掛けに、あたし達の眼前に霧が萃まりだんだんと人の形を成していく。纏まった霧が実体を得て、腕組みしながら現れたのは頭に二本の角を生やした幼女。

 かつての妖怪の山の頂点であり、今でも鬼の四天王と恐れられている伊吹萃香だ。完全に実体を表すと、腕から下がった鎖を鳴らしあたしの顎を捕まえた。

 少し目を細めながらこちらに顔を近づけてくるちびっ子を眺め、初めての出会いもこんな風に睨まれたなと思い出し、軽く笑った。

 

「顔見るなり笑うなんて性悪は変わらないか。射命丸ご苦労さん、後は私がもらうからもういいよ」

「煮るなり焼くなり好きにしてくださいね、萃香さん」

 

 あたし達から離れてそう言うと、小さく笑った文は境内の輪の中に消えていった。普段見せない姿で動揺を誘ったのはこのためだったか。

 

「久しぶりね、萃香さん。相変わらず小さくてなによりだわ」

「そういう所もそのままだね、もう一度潰されないとわからないかい?」

 

 文に離された手、撫でようとした右手を取られ強めに締め付けられる。話しながら込められる力が一層強くなっていき、このままでは本気で潰されかねない勢いだ。

 

「可愛いものは愛でるものですわ、と偉い人に教わったのよ」

 

 胡散臭く笑ってみせると呆れたのか、右手が開放された。

 

「真似はいいよ、変に似ていて気が滅入る。そんなことより今日こそは私の酒に付き合ってもらおうじゃないか! 勇儀から聞いてるんだ、やり合って飲み明かしたって! なんだい、楽しそうなことはいつもあいつとやりやがって!」

 

 聞き逃せない発言があり反論しようと思ったがここは我慢、プンスカと怒りを露わにする幼女をなだめるように頭を撫でる。

 

「やり合ったっても弾幕ごっこよ、少し暴れて酒飲んだだけ」

 

 腕やらがなくなる殴り合いだったけど、あれは立会人が弾幕ごっこだと認めたものだ。ちょっとばかり互いの距離が近いもので、弾幕よりも肉体で語るような内容だったがあれは正しく弾幕ごっこ。

 

「ごまかさなくてもいいさ、そこもきちんと聞いてるよ。なに、私ともやり合えって話じゃないさ。ここでやったら霊夢が怖い」

 

 ちらりとめでたい巫女を見る。

 黒白・青白・緑白とカラフルな集まりがある中に混ざる紅白。四人で好きに話して笑っているが、どれも暴れ出すと手に負えない原色達だ。笑いながら語り合う姿を見る限りは、ただの少女とそう変わらないように思えるのだが。

 

「幻想郷の人間は怖い人達が多いからねぇ、萃香さんでもかたなしか」

 

 そう言って笑うと釣られて萃香さんも笑った。

 

「退治される鬼だ、退治する人間はそりゃ恐ろしいさ。そんなことよりさっきの続きだ、酒の方くらい付き合ってもいいんじゃないか?」

 

 そう言うとまた睨んでくるが、先ほどとは変わって、子供がイタズラにかかった相手を見るようなあどけなさの見える睨み方だ。

 

「それは喜んで、というよりも今日はそのつもりだったわ」

 

 二人で企んだのか、この鬼が天狗に上からお願いしたのかは知らないけれど、今日は元々そのつもりだった。こいつがいるって話は聞いていたわけだし。

 

「なんだ、それじゃ天狗を使って余計な事する必要なんてなかったじゃないか」

「お陰で珍しいものが見れて気分がいいわ、あんな乙女な文はまず見られない」

 

 企みが無駄だったとわかり少しだけ肩を落とす子鬼だけれど、良い物が見られたと言って文の顔を思い出しクックッと笑ってやる。すると、それなら私も見たかったなんて笑う。話ながら何処かから刺すような視線を感じたが今は気にしないでおこう。

 萃香さんの盃にあたしの酒を、あたしの盃に萃香さんの酒を注いで静かに乾杯をし、会わなかった時間を埋めるよう、互いにああだこうだと語り始めた。

 

~少女達乾杯~

 

 宴会に萃まった皆々が持ち寄った話題が尽きたのだろう、先程より少し静かになった。

 これくらい静かに飲む方がいいな、そう思い始めた頃合いに、宴会場所の提供者が、そろそろ何か見たいわね、と、立ち上がり周囲を見渡す。グルリ眺める中であたしと目が合うと指差し、面倒事を言ってきた。

 

「初参加なんだからあんた、面白いことやりなさい。狸なら宴会芸くらいあるでしょ」

 

 腹太鼓でも打てというのか、芸事はもっぱら見る方で覚えがない。唯一身に付いている鼓も今は手元にないし、腹は叩いて音が出るほど丸くない。どうしたもんかと考えていると黒白が立ち上がり、話し始めた。

 

「アヤメのスペルはまだ見た事ないんだ、ちょっと披露してくれよ! さすがにもう考えてあるだろ? ないとか言い出すなら今度は丸焼きにするぜ?」

 

 返事を待たずに軽く構え、八卦炉をこちらに向けて煽りを入れてくる。

 用意がないって返事を待っているのだろう、準備万端といった表情だ。

 

「あやや、いいネタになりそうですね。記事にするなら『竹林の昼行灯、弾幕勝負の実力はいかほどか?』こんなところでしょうか。普段やる気の見えない方です、注目された時くらいは何かやってもらいましょう」

 

 次いで、ここぞとばかりに割り入ってくるのは新聞記者。この煽りはさっきの仕返しだろうか。文の煽りにのっかるのは少し癪だが‥‥場をしらけさせるのも気分が悪いか。

 

「そうね、いつも眺めてばっかりも悪い。弾幕ごっこの先輩方に評点つけてもらいましょうか」

「厳しい採点つけてやろう、さぁ相手は誰だ? 立候補者がいないなら私がリベンジ戦してやってもいいんだぜ?」

 

 ほんの少しだけやる気を見せると黒白は驚いた表情をしたが、すぐに破顔しリベンジを挑めと煽ってくる、単に自分がやりたいだけなのが見え見えだ。

 

「あたしが決めるわ、そうね‥‥そこの門番が相手して」

 

 おめでたい巫女の口から想定外の名前が出てきた。言われた方は我関せずで過ごしていたのだが、いきなりの指名に皆からの注目が集まる。視線浴びる事に慣れていないのか苦笑いをする美鈴。

 

「あー‥‥私ですか、もっと強い人がいますよ?」

 

 少し困った顔をしてとぼける美鈴だが‥‥

 

「魔理沙から聞いたけど、あいつ初心者よ? なら慣れるにはあんたが適任だわ。それにあんたの弾幕綺麗だし、余興には持ってこいよ」

「口がうまいですね……そう褒められては見せないわけにはいきませんし、正直得意じゃないですが、アヤメさんさえ良ければやりましょう」

 

 言い方こそ柔らかいが気分はすでに切り替わっているのだろう、いつもの穏やかな雰囲気よりも少しだけ熱いものが見える。

 

「こちらこそお願いするわ、魔理沙と違って優しく手ほどきしてくれそうだし」

「必要であれば。ですが出来れば全力でやりたいですね」

 

 加減というものがわからない相手よりよっぽど安心できる相手で助かったと思ったが、にぃっと笑うと先ほどより強い眼差しを見せる美鈴。

 その笑顔が加減はしますよ、という笑顔であればいいな、そう思った。   

 

~少女起動中~

 

 互いの声が聞き取れるくらいの距離で両者浮かんでいる。

 足元からは、

――早く始めろー!

――美鈴頑張ってー!

――負けたらしばらく飯抜きよ!

 と、片方ばかりにヤジ混じりの声援が飛んできていた。

 

「信頼されてるのね、妬ましいわ」

「あはは、なんですかそれ」

 

 キッと美鈴を睨んで妬んでみるがさらりと笑い流される、まだまだ眼力が足りないようだ。

 

「萃香さんとの話で思い出した友人の口癖、面白いでしょ?」

「貴女と話すと調子が狂う、余計なおしゃべりはしません。何枚にしましょうか?」

 

 軽口をちょいと言ってみたが求めた返答はなく、変わりにまっすぐに見つめ返された。

 一言挨拶し構えを取る美鈴、隙の見えない構えに長く鍛えた努力が見える。

 

「あたしは使えるのが二枚くらいしかないんだけど?」

 

 着物の袖口から二枚ほどカードを取り出す。

 魔理沙に負けた後に考えたあたしのスペルカードだ。あれから結構経っているが未だに二枚しかない紙ッペら。他にも数枚作ってみたがどれもしっくりこない仕上がりになったため、最終的にこれでいいかと残ったのがこのカードである。

 

「なら互いに二枚としましょうか、では参ります」

 

 言葉と同時に体を回転させ美鈴を中心とした螺旋状の弾幕を放ってきた。

 赤く輝く妖気弾がうねりながら迫る。

 

「言葉で語らず弾幕で語るのね。格好いいわ、ホント妬ましい」

 

 言葉を返し弾幕の動きに逆らわない円軌道で回避していく。

 途中逆回転を織り交ぜるなど変則的な弾幕が飛んでくるがどうにか対応し凌ぎ切った。

 

「初心者という割に、避け慣れてますね」

「見るのには慣れてるからね、応用すればどうにかなるわ。じゃあ次はこっちの番」

 

 回転を止めた美鈴に褒められた、真っ向から褒められて少し機嫌が良くなった気がする。

 ノセてくる為の煽てとも取れるが今はお戯れだし、それっぽい返答を済ませ、妖気の塊を自身の周囲にばら撒く。ふよふよと漂い青く灯るそれから青いレーザーを放ち、美鈴目掛けて走らせていく。

 数発放つと撒いた順に塊が霧散していった。

 

『レーザー数発分の移動機雷ってところでしょうか』

 

 分析しながら体捌きのみでかわしていく美鈴、弾幕ごっこでは美鈴の経験値の方が上だ。

 

「もっと動いてほしいんだけど」

 

 数を増やし美鈴を捉えようとするが、体捌きと少しの動きで難なく回避された。

 

「まっすぐな軌道なのであまり怖くないですね」

「じゃあこっちの評価もお願いするわ」

 

 余裕を持って回避され言い返す言葉もないが次のモノの評価もお願いしてみる。

 会話をしつつ取り出した煙管を燻らせ、一枚目のスペルカードを掲げ宣言した。

 

――隠符『屋島狸の隠し事』

 

 宣言し、漂わせる煙を集めて大きめの編笠を現す。

 緩い回転をしながら姿を見せた編笠を一瞥し、煙管で美鈴を指す。

ゆらゆら軌道を揺らしながら美鈴へと飛ばした。

 見構える美鈴にある程度近寄ると急回転し、彼女が先に見せたものに近い螺旋状の弾幕が放たれた。

 

『追従型? 少々厄介ですね』

 

 編笠の弾幕を自身の弾幕で相殺し、いなしていく美鈴。

 流石にやるもんだと、華麗に避ける中華小娘を見て薄く笑い、追加で告げる。

 

「それだけじゃ終わらないわ」

 

 あたしの側にさらに二枚の編笠を創り、それらもふらふらと美鈴を追いかけさせる。

 増やした編笠も突撃させ、そのタイミングに合わせて青い妖気の塊を作り出し、レーザーでの援護射撃を開始した。

 援護射撃と数の増えた弾幕。今までは楽々避けたり捌いたりしていた門番だったが、手数の増えた弾幕により相殺するだけでは苦しくなってきたようだ。回避行動がだんだんと大きなものになっていく。

 通常弾とは真逆の面倒なスペルを考えるなぁ、そんな愚痴が聞こえそうな気がした。 

 

『避け続けるのもそのうち限界が来るし、ならば!』

 

 美鈴がカードと共に宣言する。

 

――虹符『彩虹の風鈴』

 

 先ほどとは比較にならない回転から鮮やかな光の弾幕が放たれた。

 動きこそ同じ螺旋状だが、その質も量も通常弾とは比較にならない。

 色とりどりの力を持った螺旋が編笠の螺旋を飲み込んでいく。

 放った編笠が光に飲まれ、小さな爆発と共に消え失せた。

 

「あら、耐久力を見直さないとだめね」

 

 一枚目のスペルブレイク、それでも気にすることではない。余興で勝ち負けに拘るなど野暮だ、楽しく撃ちあい出来ればそれでいいと思っている‥‥それにだ、そもそも得意な事でもない。

 編笠を飲み込んだ光の螺旋が迫ると周囲の妖気塊を壁代わりにし、冷静に回避行動を取っていった。

 それでも逃げるばかりではジリ貧になるのが目に見えている。カリカリと鳴る妖気の干渉音は気にせず、螺旋の動きに合わせ体を捻らせながら美鈴の周囲に妖気塊を展開していく。

 現れた塊から青いレーザーを照射しあたしに届く光の螺旋を消し飛ばしていく。

 展開された塊が丁度なくなる頃美鈴の回転が止まり、あちらもスペルブレイクとなった。

 

「凌がれてしまいましたか、お上手ですね」

「先に破られてしまったわけだし、自信は持てそうにないわ」

 

 爽やかな笑みを浮かべるも構えをとかない美鈴に参りましたと言うように、軽く両手を広げ小首を傾げて見せる。

 

「いやいや、経験の少ない相手とは感じられません。変わった種類のスペルカードだったので意表をつかれました」

 

 そう言いながら二枚目のスペルを取り出す。

 

「私の変わり種もお見せしますよ」

 

――華符『彩光蓮華掌』

 

 宣言と同時に美鈴が突撃かましてくる。

 このまま突っ込んでくるのか、そう身構えるが、間合いの外で急停止された。

 不意の停止。

 これがどんな手なのか考えていると、緩急の緩と共に美鈴から放射状に弾幕が放たれる。予想していなかった攻撃に戸惑うも、さきほどの螺旋に比べれば弾幕は薄い。身体を捻じり、その身を翻らせながら美鈴との距離をとって回避していく。

 しかし、そんな気合とカンで避け続けるのにも限界があろうな。ならばこちらももう一枚、落とされる前に見せておこう。美鈴の猛追から逃げ回りながらあたしもカードを手にとった。

 

――猛火「かちかち囃子歌」

 

 宣言すると掲げるスペルカードが輝き美鈴の視界を奪った。スペル発動中の為動きが止まることはないが、目が慣れるまでの一瞬動きが鈍る。

 

「止まると背中が危ないわ、火傷したら辛子味噌を塗られるわよ?」

 

 晦ました視界の外、美鈴の目線から外れた上空に逃げ、声をかける。

 言った背中を注意するように、それも突撃の速度は殺すことないまま後方に目を向けると、美鈴の背後、少し離れた位置に燃え盛る薪の山が現れていた。

 背負う炎の弾幕が燃える髪色の女に向かい飛んで、迫る。

 

『また追従型!?』

 

 あたしを追う事を一旦諦め、薪の山を置き去りにするよう速度を上げるけれど、あたしの放ったソレは美鈴から離れることはなく一定の距離を保ったまま追いかけていった。

 

「離れてみると蓮の花に見えるのか、なるほど綺麗だわ。ああいうのも考えてみるか……あ、時間過ぎてくれたわね」

 

 上空に移動し一人呟いていると、美鈴の速度が下がりだした。

 立場逆転か、そう見るやいなや足元に現した泥船に乗り、スペルの効果時間が切れた美鈴を追う。

 空中を水面に見立てて滑る泥の船、その船体で波を立てながら美鈴に迫る。

 炎に追われ船に追われ、反撃する余裕が無い美鈴を追い越す。

 船が立てる波型の弾幕を使い回避ルートを少しずつ潰していき、追い越す。

 抜いてすぐに急旋回し、美鈴を追い込んだ。

 

 前後からの弾幕に逃げきれなくなった美鈴はついにその波に飲まれることになった。

 

~遊戯終了中~

 

 

 お疲れ様、と風呂から上がった美鈴に声をかける。

 波に飲まれ濡れネズミとなった美鈴が神社の温泉から戻ってきたところだ。

 

「いやあ参りました、追いかけていたはずが追い立てられるとは思いませんでしたよ」 

「こちらこそ、いい勉強になったわ。改善点も見えたしなにより楽しかった」

 

 濡れた髪をかきあげながら爽やかに笑う美鈴、負けたというのに後腐れなく出来るのが弾幕ごっこのいいところである。

 あたしも実戦運用して耐久力という課題と次のスペルの案が思い浮かび、悪くない収穫があったので笑顔で答える。

 

「お役に立てたなら何よりです、対峙して感じたところなんですがあのレーザー、いくら通常弾でもあれだけだと少し頼りないと思いますよ」

 

 負けた相手に助言をくれるとは優しい対戦相手だ。きっと他の相手との弾幕ごっこを想定しての助言なのだろう、ありがたいことだ。今後も率先してやる事などない、ないと思いたいが。

 

「他の色もあるのよ、美鈴が加減してくれたから出し惜しみしてたわ。意外と余裕があったみたいね、あたし」

 

 そう言い、赤と黄の妖気塊を出してみせ少しだけ弾幕を撃つ。少し進んで弾ける赤い妖気弾。黄色のレーザーは途中から曲線を描き曲がってどこかへ飛び散っていく。

 

「こんな感じのを考えてみたのよ、搦め手で撃つなら面白そうでしょ?」

「確かに面白そうですね、これなら加減するんじゃなかったかも……次はきっちり全力でやりましょう!」

 

「申し出はありがたいけど美鈴のスペルは受けるより見るほうがいいわ、聞いた通りに綺麗だもの。蓮の花は気に入ったわ」 

「ありがとうございます、アヤメさんのスペルは変則的ですね。追従されるの厄介ですし。特に炎の弾幕の方、どれだけ速度を上げても引き剥がせなくて困った」

 

 苦笑いを浮かべながらもあたしのスペルを褒めてくれた礼として、他の人には内緒よ、と少しだけネタバラシをしてみる。

 

「あれは速くはないのよ、相手に合わせて動いてるだけで。美鈴が止まればあれも止まったの、そういう風に作ったの」

「それはまた変わり種ですね、なんでまたそんな風に?」

 

「あれは背負った薪なのよ、常に背中で燃えているの。背中が肉体から離れるなんてないでしょ? だから離れないの。かちかち山って昔話、知らないかしら?」

「昔話? 日本のやつは私はあまり。でもそういった逸話になぞったんですね。そう言えば他のみんなからの評価はどうでした? 温泉ご一緒した妹紅さんたちには割りと好評でしたが」

 

「魔理沙や霊夢からはレーザーはともかく泥船は綺麗じゃないと言われれるし、妖夢からは薪背負うのは貴女の方ですよね、なんて言われたわ」

 

 ついでに言うなら鈴仙は疲労と酒で寝てた。

 

「なるほど、お嬢様方はきっと私と同じで元のお話は知らないでしょうね。それでもつまらないなんてのは誰からも言われていないし、いいんじゃないですか」  

 

 そうね、と二人で笑った。

 

 こんな風に言われるだろうなと、予想していたものと概ね一致した評価を受け、あたしとしては満足だったのだが、予想外な事に萃香さんと文からは面白いと素直に褒められた。予想外だったので柄にもなく照れてしまったのだが、そこを写真に取られてしまった。それも狙いか、天狗記者。

 新聞に使ったらあの時の顔に化けて妖怪の山飛び回るぞ、そう脅してたみたが、なら私は写真を里にばら撒くわと互いに引かない状態となってしまった。

 横で幼女が一人笑っていたが、笑い事ではないというのに。




美鈴の弾幕綺麗ですよね
紅魔郷は難易度高くてクリア出来た事ないんですが、
美鈴には会えてます。

アヤメの弾幕・スペルの元ネタなんかを一言ずつ
弾幕は信号機の色から
青はまっすぐ進めレーザー
黄は注意してねのへにょりレーザー
赤は止まるらないと弾けるよ、という少しのブラックジョークも混ぜて

どこぞのアメコミのビーム脳みたいですが、俺ちゃんのほうが好きです。
黄色の注意は本来の意味とは少し違いますがそのへんは雰囲気で。

スペルカード
隠符『屋島狸の隠し事』
日本三大化け狸、屋島の禿狸より
編笠被ってハゲ隠し ということで

猛火「かちかち囃子歌」
有名な昔話カチカチ山から
最後に狸は溺れ死ぬと記憶してましたが、最近はそうでもない話もあるみたいですね。



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第十二話 縁側、昔語り

縁側で日に当たりながら昔の話を聞かせる
完全にお年寄りですね


 敷いてあるのかわからないと思っていたが、我が家の薄い布団でも多少の違いはあるようで、今この状態よりは幾分マシだなと思えた。左の頬に社務所の畳模様を映し両手を投げ出すという、少女としては醜態を晒し恥ずかしさを感じてもいい状況で目覚める。

 開け放たれた障子からは結構な日差しが感じられ、着物が日光を吸収し心地よいよりも少し暑いくらいになっている。半覚醒のまま体をひねり起き出すつもりが下半身、それも大事な大事な尻尾にいつも以上の重みを感じる。

 

 ああそうだ‥‥昨晩のスペルお披露目を終えてから始まった、博麗の巫女主催弾幕ごっこトーナメントを眺めながら萃香さんと飲み明かし、そのまま眠りについたのだった。昔話に花が咲き、珍しく何時もより酔った萃香さんがあたしの尻尾を抱きまくらにし始めてから、縁側から動くことができなくなり、いつの間にか寝こけたのだったか。

 とりあえず現状なぜこうなっているのかはわかったが、尻尾の重りをどうにかしないと身動きがとれないな。

 

「そこないらっしゃるのは博霊の巫女様ではございませんか、ぜひとも助けてくださいな。怖い怖い鬼があたしの自由を奪うのです」

 

 少し時代がかった小芝居をしながら、すがるような目で近くの巫女に声をかける。目を合わせてくれない霊夢に、尻尾の鬼をどうにかしてと乞い、寝起きの三文芝居で伝えてみた。

 

「やっと起きたの? で、怖い怖い鬼をどうしたらいいのよ」

 

 芝居までしているこちらを見ようともしない。

 縁側に腰掛け茶を啜る巫女。

 

「あたしの大事な物を抱え、あたしの自由を奪っているのです」

 

 気にせず芝居がかった口調で続けるが、やはり興味は持たれない。

 

「そうね、見ればわかるわ」

 

 ようやくこっちを見た巫女。

 

「ぜひともこの鬼を征伐していただきたいのです、きっと他にも被害を受けている者がございます。寝こけている間に征伐していただきたいのです」

 

 ここだと言わんばかりに感情を込めて嘆願する。

 

「わかったわ、それじゃ面倒だしそのままいくから。逃げられたら手間が増えそうだし、悪いけど尻尾は諦めて」

 

 そう言い陰陽玉と破邪の札を構える巫女さん。

 まずい、妖怪としての直感が祓う姿勢を感じるやいなや、無言ですっと起きあがる。そうして正面に見える境内に向かい強く尻尾を振った。その勢いに重りは剥がれ境内を転がっていく。

 

「おはよう霊夢」

 

 霊夢に並び縁側に立つ。

 昼前くらいになったお日様を浴び、なにもなかったつもりで目覚めの朝のご挨拶。

 

「おはようには少し遅い時間だわ。で、頭にもらいたい? それとも尻尾にもらいたい?」

 

 両手に構える破邪の武具をしまうことなく、表情や態度もそのままに佇み言い切る巫女さん。

 もういい、どうにかなったからそれはしまってくれていい。

 

「悪い鬼はお天道様が追い払ってくれたから大丈夫、手間かけさせる事はなくなったわ」

 

 そう言うと先程から向けられている細い目をさらに細め、呆れの溜息を付かれた。

 

「なんでもいいけど、神社で暴れるなら退治するわよ? 二人共」

 

 言いながら視線を境内に移す巫女、なにかが少し気にかかるようだ。巫女の視線を追っていくと頭に生やした角を振りながら起き上がる幼女が見える。目と目めが合うと調子でも悪そうに時間をかけて立ち上がり、にじり寄りつつ睨んできた。

 この顔は‥‥ご機嫌斜めだな、うん。

 

「久々に楽しめた酒宴だったってのに寝起きがこれじゃあ余韻もないね、もう少し起こし方に気を使っても良かったんだよ?」

 

 頬をふくらませずんずんと詰め寄ってくる、短めのお手々があたしに届く範囲まで来ると、襟首を掴まれ絞り上げられた。

 

「抱きしめて枕にしたいほど気に入ってくれているのは知っているし、そうしても構わないと言ってあるけど‥‥丁寧に扱ってって約束したわよね?」

 

 お怒り鬼の視界に入るよう大きく尾を左右に揺らす。

 我が身よりも太ましい大事な縞尻尾には綺麗な幼女サイズの凹み後が付いていた。

 

「約束破ったらお仕置きでもなんでも構わないと大見得を切ったのはどこの幼女だったかね?」

 

 返答がないため畳み掛ける。

 機嫌の悪い鬼に悪手と思えるが、あたしもあちらも本気で怒っていたり機嫌を損ねていたりしないはずだ。掴み上げられた襟首に手をかけると緩む鬼の手、そのまま流れで襟を但し、不機嫌のお返しと言わんばかりにぶすくれ縁側に座る‥‥これでいつものになるのだけれど……

 

「それはほら、ちょっと嬉しくなっちゃってさ。久しぶりで加減がわからなかったんだ」

 

 えへへと笑い、上目遣いでこちらを見つめてくる子鬼。やらかした時は毎回この調子だ、可愛さアピールなのだろうが使いすぎて効果が得られなくなっている。

 

「久しぶりに会うと毎度こうなんだからさ、あたしは萃香さんの母じゃあないんだ。少しは学習しろって叱るのにも飽きたよ」

 

 毛並みが凹む尻尾でやらかしてくれた奴の頭をポンポン叩く、軽く二回叩いてから尾を揺らして見せると、二人ともいつもの調子を取り戻した。ここまでの流れがひさしぶりに会うと必ずやらかす萃香さんとあたしのやりとりだ、いつからこうなのかもう思い出せないが、なんでか毎回こうなる。

 

「綺麗に萃香の跡が付くのね、魚拓ならぬ萃香拓って感じ?」

「毛並みの乱れた尻尾をそうも見つめられると少し恥ずかしいんだけど?」

 

 いつもの流れを済ませていると、巫女にまじまじ見つめられた。言った通り少し恥ずかしいので、揺らしていた尻尾を背中に戻し、視線から遮ってみる。

 

「恥ずかしいってそういうもんなの? 尻尾って」

 

 何事にも淡白な巫女さんが何かを気にかける姿も新鮮だ、何かしら言えば同意を得られそうだし、合いそうな言葉を探してみる。

 

「騒いだ夜の次の日、朝目覚めて着替え人里まで行ってからさらしを巻くのを忘れてた事に気が付くと、そんな感じに近いかね」

 

 巫女さんの胸元を見ながらそう呟いてみる。

 

「それは‥‥確かに恥ずかしいかも。今日は出かける予定もないから、別に忘れてるんじゃないわよ。洗い替えがないからそのままなだけ」

「年頃の女の子の割にその淡白さはなんとも。まぁ、締め付けない方が育ちがいいかもしれないし、本人がいいなら言うこともないか」

 

 後数年も経てば考えも変わるだろうか、その頃には妙齢となり色々気になり出すお年頃になってくるはずだ‥‥それでもこの巫女さんはずっとこのままな気がするが。

 

「とくにほしいとは思わないけど、あって困るものじゃないわよね」

「そのうち育つさ、そっちの幼女と違うんだ。手遅れになるにはまだまだ早い」

 

 あたしと自分を見比べて小さな息を吐く紅白、その横で話を聞いていた幼女がまたプンスカとわめき出すが、二人共気にすることなく縁側で茶を啜った。

 

~少女一服中~

 

 寝起きから軽い冗談を言い合っていると小腹が空いてきたので、昨晩の残リものを三人で片付けて一息つく。食器の後片付けは悪さをした群体鬼がしてくれるらしいので、縁側に腰掛け茶を啜り煙管を燻らせていると、巫女さんから質問を受ける。

 

「宴会でも弾幕ごっこの時も煙管咥えてたけど、それってそんなにいいものなの?」

「いいか悪いかと言ったら体には悪いんじゃない? 人には百害あって一利なしなんて言うだろう?」

 

 言いながらぷかっと吐き出す、ゆらゆらと風にのり煙が消えていく。

 

「妖怪には良い物のような話しぶりね」

 

 漂い消える煙を目で追って、あからさまにテキトーな素振りを見せる。

 きっと目についたから聞いてきたくらいで、大して興味ないような事だろう。こちらも特に考えず、湯のみを口から話さずに物を言う相手に言い返した。

 

「そうは言ってないさ、あたしにとっては欠かせないものの一つではあるが」

 

 一吸いし、頬をトントン。

 軽く小突くと輪っかの煙が大小四つ。

 少し進んで掻き消えた。

 

「あっちみたいに常に吸っていないとダメな中毒者?」

 

 あっち、お片付けを済ませて社務所の畳で横になる誰かさんを指しつつ問うてくる。

 一緒にしないでほしい、あっちは食器を片付けただけで洗わずにを横になり、瓢箪を煽って朝からほろ酔いになっている年中酔っぱらいだ。あたしはこれでも吸えない場所では我慢する事があるのだから。

 

「半分当たりってところか、中毒者だがそれだけじゃない」

 

 葉が燃え尽きたので、縁側でカツンと一叩きし燃えカスを捨てる。

 弾いた音に一瞬巫女の眉が動くが何かいうことはない。

 

「あたしの妖怪としての成り立ちに少し関わりがあるのさ、ちょっとだけ昔話に付き合う?」

「暇だしちょっとだけなら聞いてあげるわ」

 

 空になった湯のみを差し出すと湯のみに半分ほど茶が注がれる。

 これくらいの時間はおとなしく聞いてくれるようだ。

 

~少女回想中~

 

 生を受けた年なんぞ覚えていない。

 元々が野山を駆ける狸だ。

 人の決めた暦など興味がなかったし、理解するような頭もなかった。

 覚えている古い記憶は、今よりも規模の小さい村しかないが服を着て火を起こし、田畑を整えて稲を育てていた人間がいたって事くらいか。米を盗み食いしようと村に入り狩られて食われる寸前までいったのは、あたしにとって苦い記憶として残っているからだ。運良く逃げることが出来なきゃあれで終わっていただろうね。

 

 親も兄妹もいたはずだったが、気がついたらいつの間にか一匹で暮らしていた。普通の狸なら番で暮らし子を設けるそうだが、知り合う同胞は皆あたしよりも先に死んでいくばかりで置いて行かれる事が常となった。どうせ一匹になるのなら最初から一匹でいい、そう思うようになり群れや同胞たちから離れて暮らすようになった。

 

 妖怪として力に目覚めたのは丁度この頃だったと思う。

 人が少し増え、大きくなった町でいつものように盗み食いして逃げる時に、あいつらの姿になれたら逃げるのも楽なのにと思ったら、小娘の姿をとれたからだ。

 最初は飲み食いだけに使っていたんだが、長く生きるとそれなりに知恵もつき、同時に時間も持て余し暇になった。ならこの力を使って暇つぶしでもしてみよう、そう考えた。人で遊ぶならどうすりゃいいか。考えた結果が人の姿で盗み食いしてわざと捕まり、人前で別の姿になって逃げてみようっていう思いつき。

 

 結果としては叫び散らして逃げ回る人を見られてさ、それはそれは滑稽で楽しかった。ぶっつけ本番の一回目から成功してさ、調子にのって暫くは続けていた‥‥ら、そのうち恐れず立ち向かってくる輩にあった。

 普段は逃げられてばかりだったから面食らってね、山の住処まで逃げたが捕まり退治されるところだった。食われる寸前に覚えた、死ぬって感覚を久々に味わったよ。その時も運が良くてさ、お天気に恵まれたのさ。深い霧が立ち込めている夜でね、あたしという獲物を持った人間が足を踏み外して山を転げ崖から消えてった。

 助かったと同時にこういう騙し方もあるのかと新たな遊びを教えてもらったようだった。それからは町での盗みと同じくらい、山で霧に乗じて人を騙すようになった。

 続けるうちに霧の濃い日しか遊べない事に不満をおぼえたわけさ、好きな時に遊べないってね。そこであたしは閃いた、人間の使う火には霧のような煙が常にあるってな。

 思うが早いか早速試してみたよ、結果煙に紛れて化かすのにも成功しあたしは火があれば何処でも好きに暇を潰せるようになった。

 

~少女帰想中~

 

「それからは色々とあってね。町が都になった頃には、『霧の夜には山に行くな、古い狸に化かされて崖から突き落とされるだろう。』『火遊びするな、煙にのってやってくる悪い狸にイタズラされる。』 なんて言われるようになり、あたしの妖怪としての形が固まっていったわけ」

 

 気付けばまた煙がプカリ、だが煙は消えず霊夢の足元で狸の形を成しコロコロと転げている。

 

「へえ、煙草中毒の化け狸ってわけでもないのね」

「霧の怪異、惑わす煙。土地によっては明神様なんて呼んで祀ってくれた所もあったらしい、祠を見に行った事はないから眉唾だが。まぁ何言われてもあたしゃ狸なんだがね」

 

 飲み干された湯のみを縁側に置き足元の狸を目で追っている巫女、あたしが煙管を縁側で弾くとその音とともに霧散した。  

 

「そうそう、霧の怪異なんて呼ばれてちょっと名前が売れてたんだ。私を差し置いて霧の怪異だなんて生意気だってんで、探してちょっと喧嘩を売ったのが懐かしいね」

 「ちょっと喧嘩なんて可愛いもんじゃなかったろうに、三度目の死線だったがあの時はさすがにダメだと思ったわ」

 

 いつから聞いていたのか、萃香が横から口を挟む。それを遮るようにパンパンと手を叩く。

 

「茶も飲み切った、今日はここまで。何か感想でもあるかね?」

「口先三寸で煙に巻かれる、なんて萃香が言ってた理由がわかったわ。まあ暇が出来たら続きを聞いてあげてもいいわね」

 

 湯のみを逆さにして巫女に差し出すと、それを逆手で受け取り感想を述べてくる。

 意外と素直な反応に軽く笑い、気が向いたらそのうち話すと伝えると、何もない境内から空に向かって視線を泳がせた。



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第十三話 館と魔女とオトモダチ

 カチャリと陶器同士がぶつかり小さく音が鳴る。

 白地で、縁と取手に血のような赤の差し色を入れた小さめのティーカップ。同じ色使いのソーサーと揃いのそれがカチャリと鳴り合うと、手元に配膳される。揺れる液面を見ればオレンジ色よりも赤みを帯びた紅茶が注がれていて、暖かな湯気を立てていた。

 

 カップを手に取り紅茶を少し口にふくむ。

 お茶といえば日本茶くらいしか普段は飲まない。そのため紅茶の良し悪しなどよくわからなかったが、これも風味や香りを愉しめばいいのか、と飲んでみて思った。

 

「飲む機会がないから馴染みがないけど、これは香りがいいね」

 

 出迎えからもてなしまでしてくれた、テーブルから少し離れて佇む使用人に感想を伝えてみたのだが、顔を少し下げ穏やかな表情のまま何も言うことはなかった。

 それなら代わりの相手、正面に座る魔女に目をくれてみるが、こちらからの反応もない。いるのに相手をしてくれないとは、今のこれはおもてなしではなくちょっとした罰ゲームなのか、そんな気がしなくもない。

 

 あたしの独り言と茶器が鳴る音。

 本のページをめくる音。

 それしか聞こえない空間でテーブルに置かれた魔導書を流し読みしていく。

 薄暗い魔力光の灯るライトに照らされた文字列を目で追い、それから少し目線を上げれば、どこまでも並んでいるように見える本棚が目に付く。ここの住人や司書も全てを把握出来ていないという蔵書の谷。山程あるってのが正しい表現だろうが、立ち並ぶ背の高い棚のせいで、谷の方が似合うように感じられた。

 これだけあればあたしでも出不精になるわ、と思える蔵書量だ。外から見える屋敷よりも明らかに広いと思えるこの大図書館、魔法かなにかでこうなってるのだろうが、魔法とはなんとも便利ものだ。

 

「もてなしはありがたいけど、使用人は主の許しがないと会話もできない?」

 

 もう一度、奥で佇む使用人に声を掛けてみる。

 

「そのような事はございません、ただ、お客様と話すという事にあまり慣れておりませんので。今までに当館を訪れた方は、会話よりも争い事が先のような方ばかりで」

「それはまた、野蛮な連中ばかり訪れるもんだ、お屋敷の色と一緒で血の気が多い連中ばっかりだったわけね」

 

 そう言い軽く笑うと、使用人も声を出さずに小さく微笑んだ。

 

「今しばらくお待ちくださればお嬢様もお目覚めになります。それまではこちらで紅茶を楽しんでいただければと思います」

 

 そう告げると使用人は音も立てず一瞬で姿を消した。

 

 以前の宴会で羽の綺麗なお嬢ちゃんがなにやらあたしを気にしていた。

 そんな事を美鈴から聞かされたのだが、思い当たるような事もないので直接伺ってみた。わけだが、吸血鬼の起きる時間よりも少し早めに着いてしまい、時間つぶしと親睦も兼ねてと、この大図書館に通され今に至っている。

 親睦とうたってはいるが、入館して席に着くまで従者から名前の紹介があっただけで、正面に座り書を読み続ける魔女は一言も言葉を発してはいないのだが。

 

 

「日本の昔話なんかもこの図書館にはあったりするの?」

「全てとはいかないけれど探せば大体あるかもしれない。興味もないし探したことがないからあるという確証は得られないのだけれど」

 

 魔女の方を見ることなく質問をしてみる。

 聞かれた内容に対する答えと追加でするつもりだった質問の答え。

 両方を一息で答えてくれる魔女が淡々と話してくれる。

 

「話せない、というわけではなかったのね」

「紅茶は私は専門外、本は私の範疇」

 

 軽口ではない独り言だ、返事が返って来るとは思っていなかったが思いがけず返事があった。

 

「なるほど、なら続きをいいかしら?」

「探すなら小悪魔を使うといいわ、司書のようなものよ」

 

「本当は魔女ではなく覚妖怪だったりする?」

「さっきまでの流れと続きという言葉から察したまでよ、心は読めない」

 

 会話もしない堅物、というわけではなさそうだ。質問も聞かずに答えてみせた。

 なんとも切れ者だ、話が早くてとても助かる。

 

「一つお願いしたい。かちかち山という昔話、有名な話だから一冊くらいはあるはずよ」

「貴女のスペルの元の話ね、今更読んでどうするの? 貴女なら本以上に話を知っていてもおかしくないと思うけれど」

 

 絵本だと尚ありがたいがそこまで期待しても仕方ないか、そんな事を思っていると初めて魔女から質問が来る。範疇内の話題を出したからだろうか、少しは興味が惹けたようだ。

 

「あたしじゃないさ、ここのお嬢ちゃんに一つ、と思ってね。あぁ妹の方だよ? 姉の方は興味がないと一蹴して終わりだろう?」

「そうね、聞くまでもなくそうするわね。では妹様なら興味を持つだろう根拠は何?」

 

「世間知らずの引きこもりはなんでもいいから知らない事を知りたがるもんだ」

 

 魔女の方からページを進める音が消える、あたしも書を閉じそっちを見つめた。

 

「誤解があるから訂正するわ。世間知らずは正しい。誰も教えてこなかったから。でも引きこもりというのはノーよ、外に出せなかったというのが正しいわ」

「出せなかったは正しくないな、出せると思っていなかった。そうだろう?」

 

 初めてこちらの顔を見る魔女に軽い笑みを浮かべそう告げると、魔女の目が微かに揺れた。

 

「‥‥そうね、それが正しいわ。妹様を外の世界に出しても大丈夫。そう考えることはできなかったし……しなかったわね」

「勘違いしないでくれよ。別に攻め立てに来たわけじゃない、そういう趣味も持っていないよ。ただこの前の神社の宴会。あそこでお嬢ちゃんを見た限り、聞いた話とは違うと感じてね」

 

 悪魔の館の吸血鬼、その妹は気が触れていて495年間ずっと幽閉されている。というのが一番多く耳にする噂で一番信憑性のある話だった。

 それがこの前の宴会には姉と一緒に参加して楽しんでいるようだったし、見知らぬ輩が周りにいても暴れだすような素振りも、感情が高ぶっているような気配も感じられなかった。

 感じられたのは、知らないものが溢れている知らない世界への強い好奇心と、知らないものをどう扱ったらいいかわからないという不安だけだった。

 

「ひと目見ただけでそう感付くなんて、貴女こそ覚なのかしら?」

「あたしは狸だ、あんなジト目と思ってもらっちゃ傷つくわ」

 

「そこはいいわ」

「なら話そう。まず一緒にいた姉の態度、監視というより見守るというものだ。噂通りなら当然あるはずの妹や周囲への警戒が見られなかった。そしてこれは単純な話だが、気が触れているなら連れ出したりしない」

 

「続けて」

「美鈴、あの子がお嬢ちゃんを見る目は愛しい者を見る目だ。監視対象へ向ける眼差しじゃない。異変で体験したんだ、その辺は覚えてる。これで足りないなら使用人の方も説明するが?」

 

「‥‥いいえ、大丈夫。そうね貴女が言った事は正しい。ここに住む者として、レミィの友人としてもそう思えるわ」

「そう、考察が間違っていなかったのなら重畳ね」

 

「それで話は終わり? 真相を聞いていない気がするけれど」

「ん、引きこもりの子供と結論付けた理由が聞きたかったんでしょう? ならお前が納得する所までは話したわ」

 

 考察を披露し終え、視線を書に戻し、紅茶を啜る。

 何か言いたげな魔女がじっと睨んでいるが目つきが悪いな、本の読み過ぎだ。

 

「パチュリーよ、パチュリー・ノーレッジ。お前ではないわ」

「聞いているよ」

 

 自己紹介まで随分と遠かったな。

 この魔女も姉妹もそうだが、もう少し社交性を持つべきだ。

 

「それでパチュリー、まだ納得してないといった顔だけど」

「言わなくてもわかるでしょ」

 

「言葉にしてもらわないと間違う、さっきも否定したがあたしは覚じゃあないよ?」

 

 癖なのか、愛想のない話し方をするこの魔女に意地悪く笑って見せる。

 

「本当に意地が悪いわね、直接的な分あの隙間より意地が悪い」

「何の事だかわからないわ、正面切って悪口が言いたかっただけ?」

 

 胡散臭く笑ってみせる、最近板についてきた気がして酷く嫌だ。 

 ピリピリした張り詰めた空気が流れ始める中、気配もなく消えた使用人が、同じように気配もなく現れた。

 

「大変お待たせ致しました、お嬢様方がお目覚めになられましたのでお迎えに上がりました。ご案内させて頂きます」

「丁寧にありがとう、一つ提案があるんだがお嬢ちゃん達にここに来てもらうってのはダメなのかい?」

 

 綺麗に礼をし、返答を待つ姿勢で佇んでいる使用人に一つ提案を言ってみた。

 

「お嬢様に確認を取りませんとお答えできかねます」

「お二人共、こちらまでお越しくださいます。そのままでお待ちくださいませ」

 

「念か何かで会話できるのかい? 最近の人間は便利になったのね」 

「はい、最近の人間は囃子方様が知るよりも少しだけ便利になりましたわ」

 

 特に動く気配も見せてないがあの姉妹に許可を取ったらしい。

 能力を使ったんだろうが今は興味がなかったのでテキトウな事を言ってみるも奥面もなくそう答えられた、つれない使用人だ。

 

~少女待機中~

 

――宴会ぶりだな、狸

 

 あたしの座る椅子の真後ろ、図書館入口の方から声と共に三つの影が近づいてきた。どれに言われたかなど、少しでもこの館の姉妹を知っていればわかるだろう。

 コツコツと歩くメイドを従え、ゆっくりともったいぶったように歩いてくる。全身が見える距離になると大きく翼を開き、夜に輝く赤い瞳であたしを強く睨んでいる。

 紅魔館の主にして吸血鬼 レミリア・スカーレットだ。

 

「宴会ぶりね、お嬢ちゃん」

 

 振り返り声を掛けると、姉に隠れるよう少し後ろに立つ妹の姿も見える。姉と使用人の陰に隠れてはいるがこちらから見える位置に立ち、不安な表情を浮かべたまま俯く少女。

フランドール・スカーレット。

 

「羽の綺麗なお嬢ちゃんも宴会ぶり」

 

 声をかけてみると一瞬目があったのだがすぐにまた俯かれてしまった。

 

「何やら友人の機嫌が悪いように見えるが、何かあったのかな。狸」

「いいや何も、さっきまで言葉遊びをしていただけよ」

「そう、少し劣勢だっただけ」

 

 正面の魔女になぁと促すと、先ほどの張り詰めたものをしまい冷静さを取り戻した声で呟く。

 

「遊びか、ならいい。パチェが劣勢とはまた珍しい事があるものだな」

「苦手な分野で畳み掛けられたのよ」

「そういう事さ、お嬢ちゃん。誰にでも苦手はあるものよ」

 

 口では納得出来たようなことを言うが、態度が納得していないとまるわかりなので、二人でそう答えた。

 

「そうね 私も日光が苦手だし、狸にはなにかあるか?」

「そうね、あたしは酒が怖い」

 

「酒? あれだけ飲んで、今も肩から掛けているのに?」

「酔っぱらって記憶がなくなりゃ怖い。悪酔いして気持ち悪くなったら大変ね、中毒症状が出るようになって、酒なしじゃまともに暮らせないような体になるのも怖いわ。だからあたしは酒が怖いの」

 

 怪訝な表情を見せる姉のほうと何か察した魔女に、身振り手振りを加えながら笑ってそう答えた。

 

「酒をやめる発想はないのね」

「酒は血みたいなもんでやめられない。ま、そこは重要なとこじゃないな」

 

 そう言い自慢の徳利を持ち上げて軽く左右に振ってみると、呆れる表情を見せてくれたお嬢ちゃん。

 

「ん、ではどういう意味だ?」

 

 頭の上に? が飛んでいそうな抜けた表情を見せるが、それを見て笑ったあたしを睨む。素直というか、表情豊かで本当にからかい甲斐のあるお嬢ちゃんだ。

 

「結論から言うなら、こんなくだらない、実もなく終わりもない、取り留めもない世間話は楽しいって事よ。お嬢ちゃん」

「は? え? 何が言いたいのかわからないんだけど」

 

 胡散臭い笑みを浮かばせながらそう告げると正面に座る魔女から小さく溜息が漏れた。

 お嬢ちゃんの方は理解出来てないのか、変な顔で止まっている。そういう顔が見たくてやってるフシもある。

 

「ただの言葉遊びよ、終わりそうにない話題を振ってみて互いに言葉を交わすだけ。勝敗を決めるとするなら話が進まずイライラしたり結論を急いだ方が負けね。なに、大概の事には確実に正しい答えなんかあるわけがないんだ。気の長い方が有利な楽しいお遊び」

「そういうことみたいよ、レミィ。私の機嫌が悪かったのはこいつの話の着地点をどうにか作ってやろうと思ったのだけれど、思いつかなくてイライラしていたから。その時点で負けらしいわ」

 

 胡散臭い笑みを顔に貼り付けたまま説明すると、声に苛つきと呆れが同じ量入っている魔女が補足をしてくれた。

 

「ま、ちょっと長く生きてる者の暇つぶしさ。話の取っ掛かりに使ったものがひどかったのは謝るわ、すまなかったわね。それでもノッてくるあたりパチュリーは嫌いじゃなさそうね? そっちの使用人にはフラれてしまったけど、少し残念だわ」

 

 少し趣味の悪い遊びに興じているとこの図書館の司書だろうか、コウモリの羽を四枚生やした赤髪の娘が寄ってくる。青白の使用人ほどではないがそれでも凛として業務に携わる羽根付き娘から、本を手渡された。

 

「時間がかかってしまい申し訳ありませんでした、お探しの本です。二冊ほどあったので両方お持ちしました」

「あぁ、ありがとう。待ってなんかいないわ、というよりも探していてくれたことにびっくりするわね。礼は貴女? それともパチュリーに?」

 

「小悪魔でいいわ、私は命じただけ」

「あぁそう、ありがとう司書さん」

 

 ニヤっと笑って魔女を見るがすっかり呆れられたのか、諦めたような表情で本の世界へ帰る魔女。

 司書殿に礼を述べた時だけ顔を動かし、そういう時だけ素直なのね。とも言いたげな表情を本に隠す魔女の顔を見て薄く笑った。

 

「さて、待ち人も来たしそろそろ本題。羽の綺麗なお嬢ちゃんに呼ばれて来たんだけど、一体なんの用事?」

「フランが? 接点なんてあったかしら?」

 

 未だ一言も離さない妹を見つめ質問してみる。

 それでも変わらずダンマリか、代わりに姉の方から質問をされたが受け付けず、妹を優しく見つめてみた‥‥しばしの無言の後ようやく妹が話し始める。

 

「あのね、前の異変で美鈴と殺しあったのになんでどっちも仲良しなの?」

「簡単な事だ、羽の綺麗なお嬢ちゃん。どっちも生きてる。で先日あったのは楽しいお酒の席だった。笑って話すにゃ十分だ」

 

「じゃあなんで殺しあったの?」

「それは殺りあわないといけないような場所で出会ったからかな」

 

 聞きにくい事を聞いている、そう理解はしているのだろう。表情の不安は隠せていない。素直に答えを聞かせてみるが理解されるか怪しいものだ。

 

「じゃ……」

「ストップね、羽の綺麗なお嬢ちゃん。初めて会ったら挨拶して自己紹介をするものよ。誰かに教わらなかったかしら?」

 

 言いかけたのを止める、少し怯えられたようだが気にしない。姉とはちがう意味で素直な子だろう、ゆっくり緩めていってみよう。

 

「誰も教えてくれなかったよ?」

「それじゃあ仕方ない、まずはご挨拶。こんばんは、話すのは初めましてだ。あーいやおはようございますなのか? まあどっちでもいいか、おはよう。あたしは囃子方アヤメ。ちょっと長生きの狸のお姉さん」

 

 妹の放つその言葉を聞き姉と魔女、二人が表情を少しだけ変える。思うところでもあるのだろうが、それはそれとして今はいい。あたしはなぜお姉さんと言った時に睨まれたのかそっちのが気になるくらいだ。出来ればそちらを突きたいが、妹さんがあたしを待っているようなので平手を向け促そう。

 

「おはよう、初めまして。私はフランドール・スカーレット、吸血鬼でお姉様の妹よ」

「よく出来ました。じゃあフランドール、言いかけたのは何かしら?」

 

「じゃあ……殺しあったのになんでどっちも生きているの?」

 

 先ほどとは似たような、でも少し変えた質問だ。

 

「そうね、トドメまでやる時間がなかったというのもあるし、美鈴がタフだったってのが一番の理由ね、殺すのが面倒事だと思えるくらいタフでイヤになったわ。それと、ついでに言っておくけど、あたしが戦闘向きじゃないってのもあるわね」

 

 どの口が言うのか、とレミリアの目が言ってくるが事実ではある。身体的にも頑丈ではないし能力も殺傷力があるわけでもない。少しばかり妖力の扱いに長けているのと小狡いのは認めるが。

 

「それじゃあ、すぐに死んじゃうの?」

 

 そう言うとゆっくり右手をあたしに向けて、顔の高さまで上げ握りこむ。

 バチュン、風船が破裂するような音が鳴りフランドールの膝に返り血が飛ぶ。

 床や本棚にも血飛沫が程々飛んでいたが、姉や魔女、時間を止める使用人も止めようと動くことはなかった。動く理由がないのだ、当然だろう。あたしに対し以前の異変での禍根はあれど助ける義理など彼女らにはないはずなのだし。

 しかし体が動く事はないが表情には動きがあったな。皆一様に驚いたような信じられないといったような顔で、同じような表情で一箇所を見つめてくれている。フランによって目を壊され血飛沫となり弾けるはずのあたしが、変わらず座って涼しい顔をしているから、かな?

 

「何かするなら一言くらいあってもいいんじゃないか、フランドール?」

 

 特に避ける素振りもせず座ったまま話しかけるが、その姿は少し足りなくなっていて組んで座った足の一本がはじけ飛び、右スネから下がなくなっている。おかしいのは血が流れていないということか。

 あれ? っと握った右手を開きあたしと交互に見ては不思議そうな顔をしている。何かが起こったのか、いや起こせていないのか、わかっていないようだ。

 

「フランドールのおっかない能力は知っているよ、前の異変でチラッと聞いたしその後の話し合いでも改めて聞いているわ。なんであたしが弾けてないのか、答えがほしけりゃ答えるけれど?」

「なんで? 壊れないの、あれ? なんで? なんで? なんで壊れないの? え?」

 

 答えが欲しいか、優しい笑みを浮かべ問うているが、あたしの雰囲気は随分と変わっているようだ。顔を伏せていた使用人のこちらを見る目が厳しい‥‥なんとも心地良い視線で、騙し甲斐のある連中だと思える。

 話した相手も質問なのか自問なのか、よくわからない事を呟いているが、今のは自分から振ったものだし、答えてあげるがいいだろう。

 

「あたしの能力はなんでも逸らせるんだ、フランドール。例えば後ろのメイドが時間を止めて隙間なくナイフで檻を作っても逸れてどっかに飛んで行くだろうし、後ろの姉の運命を操るってのはよくわからんが、多分姉の見るものと違う所に話が進むんじゃないか? それでだ、肝心のお前の能力だが‥‥」

 

 あたしが話を続けていると妹がさっきよりも早く手のひらを構え拳を握る。が今度はなにも壊れない。

 

「フランドール、その手で拳を握ってもあたしの目は潰せない。潰されるのは嫌だと言って逸れてどこかに逃げてしまうもの。フランドール聞いているかい? じゃあ今度はあたしから質問してもいいかな?」

 

 どこかに行くとは方便だ、フランの体のどこかに目が移動しているだけだろう。干渉は出来ても無効化は出来ない、そこまで便利なもんじゃない。

 テーブルに頬杖を突き、浅く座って体を倒しながら告げる。目があったが返事は出来そうにないため話を進めることにした。

 

「能力使って壊せないものを見つけた気分はどう?フランドール・スカーレット」

 

 不遜な笑みを浮かべて問いかけてみた。後々思い返して格好つけすぎたと一人悶々とするのはもう少し後の話だ。

「ん、よくわからない……初めての事だし‥‥わからないの」

 

 思った以上に冷静な妹を見つめ少し誘導してみようと思いつく。話の流れでどうなるものか、気になってきたところだ。

 

「なら好きなだけ考えなさいな、時間はたっぷりある。わからなければ聞いてもいいわ」

「最初の方の質問美鈴にもしたのよ、同じような事を言っていたわ。でもちがう事も言っていたの」

 

「ちがう事とはどれだろう?」

「なんで仲良しなの? って聞いたら美鈴はお友達だからって答えたわ。全力で戦ってお互い生きていて、その後に会って笑えたからあの人は大事なお友達。そう言っていたの」

 

 わからなければ聞けばいい、簡単なことだ。

 そんな簡単な事を教えてあげるとこちらを見つめ小さく呟く。話される事はまたも門番。昨日拳を交わらせ、翌日会えば分かり合った友だと、そんな封に言ってくれたか。そこまで武術家の真似事をするとは筋金入りだな美鈴、嬉しい話ではあるが。

 

「なるほど、友達か。確かに美鈴とは良い友人かもしれないな。でフランドールはそれの何が気になったの」

「壊そうとしても壊れなかったわ、じゃあお姉さんが私を壊せなかったらお友達になれる?」

 

 ふむ、なるほど。

 

「そうだな、それでもなれるかもしれない。でもあたしはフランドールを壊そうとはしないよ?」

「壊さないの? なら私にお友達はできないの?」

 

 ここまで話さなくても何が言いたいのか誰だってわかるだろう。向かいでこちらを睨む魔女も、妹の後ろに立つ姉と使用人も恐ろしい目で睨んでくれている。

 それでもあたしから言い出したりはしない、身内可愛さで甘やかし歩み寄ってあげたくなるのは仕方ないかもしれないが、生憎あたしは他人だ。それなら保護者目線では教えられない事を教えてあげるのもいいだろう。

 

「美鈴の時に話したろう、壊れないから面倒だったってさ。あたしは面倒事は好かないんだ、だから少し飛ばして話を進めてもいいんじゃないかと思ってる。フランドール、そろそろ質問は終わりだ。次は質問ではなくお願いをしてみないか? 何かお願いごとがあるなら話を聞いてあげるわよ?」

 

 体を起こしフランドールと視線を合わせ手を差し出してみる。

 

「お友達を教えてほしい……」

 

 出された手にそっと自分の右手を添え、消え入りそうな声でそう呟く。

 

「いいわ、お姉さんが教えてあげましょう。まずはなにから知りたいかしら?フランドール」

 

 手を握り返し引き寄せると、思った以上に軽かったため勢い余りあたしの体により掛かる姿勢になった。

 

 

~少女歓談中~

 

 

 それから数時間、まだ太陽が登る時間には早いが日付は変わっており、時計の針が天辺を過ぎて結構な時間が立つ、がいまだに大図書館にいる。

 お友達って何を聞くの? って漠然とした質問から始まり、あたしの事やあたしの友人達の事等色々と質問をされて答えていたらこうなった。

 寝ている間に勝手に住まいに入り勝手にお茶を飲みあたしを起こすこともしないまま帰る、そんな事をする妖怪うさぎの話をした時は外野の姉がそれは友達じゃないわ! と強くてゐ正する姿があったが、そういう友情もあるのよとフランドールには伝えておいた。

 ある程度の質問が終わり宴会の時の話になって、あたしのスペルカードの話題が出てきた。

 ちょうど司書から預かった本があるので、これがスペルの元の話と読み聞かせてみたが、狸は酷いのね、アヤメちゃんも酷いの? と素直な質問をされたが、あたしは酷くないだろう? と笑顔で聞き返すと、今のところ酷くないねと笑顔で返された。この子はカンがするどいかもしれない。

 それ以外にも他愛無い話を色々として、話題が出尽くす頃にはあたしの腹に顔を埋めるフランドールの姿があった。

 

「しかし、アヤメ『ちゃん』は中々にいいな。似合っているぞアヤメちゃん」

「そうね中々心地いいわ、フランちゃんも可愛いし」

 

 アヤメちゃんと親しげに、笑いながら言う姉の方は見ずに返答を済ませる。フランの髪を撫でるとくすぐったいのか体を小さくよじる。

 アヤメちゃんなんて呼ばれているのはどうやら美鈴が『幻想郷の子どもたちはお友達通しお互いに「ちゃん」付けして呼び合っているみたいですよ』というありがたい入れ知恵をしていたからだ。

 フランは美鈴ちゃんと呼んでみたようだが、私は友達ではなく妹様にお仕えするものです。いつかお友達が出来たら呼んでいいか聞いてみてください、とやんわりお断りを言われてしまったそうだ。

 そんな話を聞かされてから無碍にするのも忍びなかったのでアヤメちゃんが出来上がったわけである。私もちゃん付けがいいとお願いされたので、気にすることなくフランちゃんと呼ぶようになったのだが、始めて呼んだ瞬間の姉の顔は中々楽しい物だった。

 

「さて、フランちゃんも寝てしまったしもう用事もないわけだが‥‥大事な大事な箱入り娘でも挨拶や紹介くらいは教えるもんじゃないのかい? そんな事も知らないのなら美鈴が教えたお友達がわからないのも納得出来るわ」

 

 普段は見せない少しだけ真剣な声色で魔女と姉を交互に眺めながら静かに告げる。驚かれたが、姉の方が口を開いた。

 

「挨拶や紹介をするような相手が出来ると思わなかったのよ」

「これからは『思わなかった』と否定からはいるのではなく『いるかもしれない』くらいに考えてあげるといいんじゃないかしら」

 

 ふむ、魔女と同じような物言いだ、自覚があるのだろう表情は少し暗い。

 それだけ伝え紅茶を口に含む、オレンジのような柑橘系の香りが口内から鼻に抜ける。最初に淹れてもらったものとは別の茶葉なのだろうか、後で少し譲ってもらえないか使用人に聞いてみよう。

 

「それでもし‥‥また壊れるような相手だったとしたらあの子が傷つくわ」 

 

 妹が傷つく事が耐えられないのか、傷つく妹を見ているのが耐えられないのかまではわからないが、なんともお優しい保護者様だ。

 

「その時は慰めるのが身内だろう? 身内だけで泣き止まないならその時はお友達が手伝ってやるさ。子守なんて何時ぶりか覚えてないから上手い事あやせる自信はないが」

 

 そう言って笑って見せると、二人も初めて優しい顔をあたしに向けた。

 日の出の時間が近づき本格的にフランが寝始めたので使用人に彼女を任せ、姉と魔女にまた、と告げた。

 歓迎はするわ、と返答を受け図書館を後にした。

 館を出て茶葉の件をお願いしていないと思いだしたが、戻ってまた相手をするのも面倒なので諦めた。

 お天道さまの光を浴びて久々に素面のままの夜明かしだ。と一人愚痴を呟くと聞かれたのか、花壇の手入れをする美鈴に笑われ呼び止められた。

 図書館であったことをざっくりと話したが、失った足とあたしの表情をみた美鈴から丁寧な礼の言葉を頂いた。

 面倒な友人が増えたと笑ってみせると美鈴はいい笑顔で返してくれた。

 去り際にまたね美鈴『ちゃん』と呼ぶと、苦笑いをして一瞬悩んだ後にアヤメ『ちゃん』と呼ばれ見送ってもらった。お互いに地雷だった気がするが痛み分けということでいいだろう。

 失った足を見て、鬼に関わるとどっか吹き飛ぶ運命にあるのか呟いきつい尻尾を触ってしまった。これは足掻いてでも死守してみせよう。

 

 ここからは余談になるのだが、

 足が飛ばされ下手をすれば死んでいたアヤメ、悪趣味な言葉遊びに付き合わされたパチュリー、妹の事で不安と心配に押しつぶされそうだったレミリア、自身の話が元でそう呼ぶように言われた美鈴ちゃん、それなりに傷ついた人が多い夜だった。

 が、主から大慌てで図書館にあるのかもわからない昔話を探し出せと命令され、

 吸血鬼姉妹の発する強い殺気に当てられて、

 泡を吹いて倒れた小悪魔が一番の被害者だったのかもしれない。



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第十四話 正体不明と寺で小話

〆〆から〆〆までは飛ばしても大丈夫です
勢いで書いて自分でもよくわかっていないので
もし暇なら読んでみてください。


「もういいわ、巣にお帰り。これ以上離れると縄張り荒らしだと思われて羽むしられるわよ」

 

 並んで飛ぶ烏にそう告げるとカァと一声鳴き、言われたとおりに帰路に着いた。

 育ての親に似ず素直な子だ、あまり素直すぎるといい烏天狗になれないぞ。帰る姿を見送りながらそんなことを思った。

 

 文が雛から育てている烏。

 巣から落ちたのか、なにかの理由で親に捨てられたのか、地面に落ちて一羽でぴぃぴぃしている所を文が保護したそうだ。

 忙しく飛び回る文が子育てなんて出来るのか?

 と、聞いた所、引きこもりの友人に留守の間は任せて、帰山したら迎えに行く生活だと話された。

 働く母親は大変ねと関心したが、誰が母親か! たまたま見つけた同胞だから独り立ち出来るまで面倒見ているだけよ! と、すごい剣幕で捲し立てられたのが懐かしい。

 口煩く言いながらもあの子を見つめる眼差しは優しく、少しずつ餌を食わせる姿は母せ……姉性にあふれるものだった。

 姉と引きこもりが世話した甲斐もあり、立派に巣立ったのだが、文の家から離れることはないようだ。姉の友人が家に近づくと鳴いて知らせ、帰りを見送るなんとも出来た妹ができたわね。そうからかうと頬を赤らめてうるさいとだけ言って逃げられてしまった。否定しないで逃げるのだ、つまりはそういうことなのだろう。

 ただの烏だったはずが文達の妖気を浴び続けたせいか、烏の寿命をゆうに過ぎ化け烏となっているあの子。いずれ天狗になるのだろうが、なった時にどんな姿をとるのか、先で待っている楽しみの一つだ。

 

 珍しく飛んでいる理由の一つが先ほどの妹烏だが、もう一つは隣にいる旧友、封獣ぬえのせいである。何の事はない、歩くのは面倒だからだそうだ。

 妹烏とわかれて少ししてから、空で声をかけられて一悶着あり今に至る。自分の浅知恵が原因でからかわれたのに機嫌が戻る事なく命蓮寺が見えて来てしまった。

 仕方がないのでご住職に話し、少しお灸を据えてもらおう。

 

 

「お~い! アヤメ」

 

 不意に空で呼び止められる。

 狸が空で呼び止められるというのも変な話だが、狸が飛んでいる時点で十分変だ。それなら呼び止められるのも変わったことでもないのか。呼び止めてきた声の主を少し忘れて物思いにふけっていたが……

 

「返事くらいしなって!」

 

 今度は強い声で呼ばれる、思考を邪魔されていささか気分を害したが放っておくと更にうるさくなる手合だ、そろそろ相手をしてやろう。

 

「おや、誰かと思えば白蓮さん。こんな空で会うなんて珍しいこともあるもんだ」

 

 声をかけて来たのは命蓮寺の魔住職 聖白蓮だった。腕組みし少し反るような胸を張っているような姿勢でこちらを睨んでいる。

 

「えっ聖!?」

 

 ご住職がご住職に驚きながらご住職を探す姿は中々に滑稽だ、本人では見る事が出来ないだろう慌てる姿が実に可笑しい。

 

「お前はいつまでも素直だなぁ、少しは能力以外で驚かす事も覚えたらどう? ぬえちゃん」

 

 そう言うとご住職の姿がモヤモヤと変化し、活発そうな黒のショートカットに少し丈の短い露出度の高めな黒のワンピースを着た少女に変わっていった。

 封獣ぬえ、背中によくわからないなにかを生やした、よくわからない妖怪である。決してバカにした紹介ではない、よくわからないという妖怪がぬえなのだ。

 

「何よ、見えるにしてももう少しなにかあるでしょ!」

 

 プリプリと怒りながらあたしに詰め寄ってくる、そう言われてもそう見えてしまったのだから仕方がないだろう。

 

「いきなり声をかけられて驚いたから能力使ってあんたを見たの、そうしたら住職に見えたのよ、仕方ないじゃない」

 

 あたしの『逸らす程度の能力』がぬえの『正体を判らなくする程度の能力』に干渉した結果だろう、多分。素直にかからずぬえの今見たくないものがあたしに見えた、そんなところじゃなかろうか。

 

「えぇ~‥‥じゃあなんて声かければよかったのよ。というかなに? ぬえちゃんって? 可愛く言っても似合わないわよ?」

 

 辛辣だ、だがまあいいだろう。互いに幻想郷に来る前からの友人だ。多少のことを言われてもどうとも思わない。

 

「最近出来たお友達に教わったの、幻想郷では友人はちゃん付けして呼び合うんだとさ」

 

 嘘は言っていないし使い方も間違ってはいない、けれどぬえのあたしを見る目が少しだけ冷めているように感じる。

 

「ああそうなの? でも新しい友達とか、アヤメちゃん意外と積極的に動く事もあるのね」

 

 特に疑う事なく素直にあたしの言った事を聞くぬえは本当に素直だ、そういうところが可愛くて長く友情を育んでいる理由かもしれない。

 

「で、どうしたの? またなんかやって逃げてきたとこ?」

 

 ぬえが命蓮寺の連中と一緒じゃない場合は大概なにかやらかして逃げてきた時だ、今日もきっとそうだろう。

 

「ちがうわよ! 聞いてよ村紗のやつひどいのよ! 一緒に始めたのに自分だけ先に逃げちゃってさ!」

 

 ほうら、予想通りだった。

 

 

〆〆

 

 

「座禅というのはいいものだね、心を落ち着かせ自然や空間と触れ合い一体となれる気がするわ。自分はひとつの存在だが同時に世界とも共存している、未だ輪廻の内にいることを教えてくれる素晴らしい修行だと思うよ、修行といえばここのお寺は毘沙門天様をお祀りしているそうだね、あのお方は素晴らしい神様だ、確か七福神の一樽にも数えられる財宝の神様でもあったはずだ、俗世を捨て輪廻の輪から解脱し自由を得ようとお教えするお寺で、祀り奉る神様にどこか俗っぽさを感じる財宝神を選ぶ当たり、皮肉に聞こえなくもないがきっと思うところがあるのだろうね。そうか、あえて俗世に近い神様を崇め奉ることで自らを律しようというのか、なるほどそれは徳の高いことだ。徳が高いという事で思い出したんだがこの寺の参道を掃除しているあの子、なんと言ったか山彦のあの子さ。あの子なんて非常に徳の高い行いをする子だね、本人は寺から命ぜられた修行の一環、御役目として掃除しているのかもしれないが、そんな事を知らない他人から見れば毎日毎朝笑顔で挨拶を返し参道を掃き清め、通る人が気持ちよく怪我などしないように掃除しているように思える。この子は思いやりに長けた子だと見えること請け合いさ、実際中々出来る事じゃない。大したもんだと思うけど、どうやら叱られることもあるようだね。掃除しながら般若心経を唱えるのはいいが意味を理解し唱えなさいと、立派なお経だ意味を理解しろと説くのはわかるんだが、般若心経ってのはあれだろう。この世は虚しいもんばかりでたまらない、だけど生きなきゃならない、なら細かい事を気にして生きるのはやめてみよう、先のことなんてどうせわからないんだ明るく生きて実感を得ようってお経だったか。それならば楽しそうに般若心経唱えてる彼女は意味を知らずして悟っているわけだ素晴らしいとは思わないかい、褒められこそすれ叱られるようなことではないと思うんだが、その辺の解釈は毘沙門天様はどうお考えになるんだろうな。いや、そうだね。元を正せば神様なんて存在するか曖昧な者を、人間がそうあって欲しいそんな存在がいればいいと思い描いて出来たものだって話もあったね、ならあたし達妖怪と変わらないものなのか。なんだ意外と身近な存在だな神様、まあそうだよな、収穫のために直接お願い申し上げることができる豊穣の神様が、その辺の空で漂ってるのを見かけるくらいだ。とても近くて届かない隣人程度のものなのかもしれないね。秋神様といえば豊穣の妹さんは直接的に里の実りに力を授けるからさ、毎年祭りで崇められているけれど、お姉さんの方はあまりそういった祭りごとで姿を見ないよね。なぜなんだろうね、紅葉を過ぎ葉が落ちて大地に力を落とすから実りのための力が大地に蓄えられるっていうのに、目の前にある恵みはよくよく見るくせに、その恵みがどこから来ているのかまで見るような人間はとても少ないね、悲しいことだと思うがきっとそれが人間なんだろうさ、人間といえば幻想郷の人の少女はたくましいのが多くて困る、ああ勘違いしないでね、全員じゃないよ、飛ぶ奴ら限定の話さ、なんであの子らは顔を合わせれば勝負をふっかけてくるのか、ちょっとお転婆が過ぎると思うんだが聖はどう考えるよ、ああ聖も人間ではあったね、それなら彼女たちの気持ちもわかるのかな、気持ちと……」

 

 

「わかりましたから、もう今日の座禅はこれまでと致しましょう」

 

 穏やかな表情でこちらを見つめるこの妖怪寺の魔住職 聖白蓮に促され命蓮寺の本堂を後にする、慣れない座禅なんぞさせられ足は痺れるわ、冷たい床にずっと横たえていた尻尾には少し癖が付いて角ができているわと、いいことがない。

 本来であればあたしではなくぬえが座禅を組むべきなのに、どうしてこうなったのか。

 

〆〆 

 

 ぬえの話が長くなりそうなので、里の甘味処でおやつでも食べながら愚痴を聞くことにしたのだが、食うもん食って言いたいこと言ったら逃げて行きやがった。

 こうなると捕まえるまでに時間がかかるので先に外堀をうめておこう。そう思って命蓮寺に向かっていると遠くからぎゃーてーぎゃーてー聞こえてきた。

 

 お、いつものが頑張っているなと近寄り、山鉾と一緒になってぎゃーてーぎゃーてーと唱えていたら、ここの和尚に捕まってしまい少しのお説教を受けてから坐禅修行に移った次第である。

 

 和尚の後をついて行く時も入道付きの尼公に笑われるわ、入道の方にもなんか睨まれるわ、今日は何も悪いことをしていないと思っているのに、本当についてない日だ。

 唯一の救いと言えば本尊とセットでいるはずの探しものが得意な聡いネズミがいなかったことくらいか。

 

「火の始末を忘れないで下さいね」

 

 優しい声色で茶を振る舞ってくれる和尚。

 気遣いできるなら尻尾に癖がつく前に見せて欲しかったわ、などとは思わず。

 

「それくらいはわかっているよ、覚えたてのガキじゃあるまいし」

「ガキだなんて、もう少し仰りようもありますのに」

 

 母親のような物言いをされたので口悪く返事をすると、おっとりとした口調で少しのお叱りを受けた、母親というよりも祖母に近い言い様だ。

 

「口調一つでガラッと変わるようなことなんざ世の中そうはないだろう?淑やかな言葉で話せば皆が皆手を取り合えます、なんてことはないはずだ」

 

 この和尚からそう言われても違和感はないなと少し思ってしまうが。

 

「そうですね、仰るとおり。難しいものですね」

 

 何を言っても穏やかな表情を崩さない、それがこの御仁のいいところの一つだろう。

 

「‥‥何だか言いたそうな空気だけど、あたしは思う所がないわよ?」

 

 少し前にべらべらとテキトウ連ねて話しておいて、どの口が言っているのか。

 

「いえ、先程の。本堂での話ですが」

 

 やはりそれか、真面目な人だ本当に。

 

「あれは方便さ、そんなに真面目に取られると知らずに化かせたようでなにやら嬉しいね」

 

 ぷかぷかと煙を漂わせてそう述べる。

 

「方便ですか? ですが」

「寺の子と一緒に立派なお経で遊んだようなもんだ、それなりの罰はうけてもいいかと思ったわ。でもねさすがに長すぎ、足は痺れるわ、尻尾に変な癖付くわ、煙草吸いたいわ、こんな所マミゾウ姐さんに見られたら何を言われるか、と思ってね。テキトウ言って折れさせて、後は素知らぬ顔で暇つぶしするための方便さ」

 

 そう言うとフフッと笑い口元を隠す和尚。

 愚直さが目立つ彼女だが冗談が通じる柔らかさもある。

 

「それでも」

「くどいよご住職、方便だと言ったはずさ。それでも少しは言い過ぎたかなと思っているんだ。笑い飛ばして少し叱って。それで終わらせてくれるとありがたいんだけれども」

 

「そうですね、ならさきほどの座禅修行で終い。そう致しましょう」

 

 そう言い柔らかく微笑むと、後ろで聞いていたのであろう寺の修行僧を呼ぶ。

 

「一輪、雲山。今日の修行は切り上げて後は休みと致しましょう」

 

 聖の声に反応し二人分の気配が近づいてくる。

 姿を見せたかと思うと聖に詰め寄り尼公が口を開く。

 

「姐さん、いいの? 本堂の話もここでの話も聞いていたけどこいつ反省なんかしていないわよ」

 

 雲居一輪といったかこの娘。

 聖の柔らかい面を補佐できる固い面が見えて良い同居人だ。

 連れた相棒は硬さとは無縁だが。

 そんな事を考え頭上に浮かぶピンクの雲を眺めると、雲には本来ない顔がこちらを向き目が合う。

 雲居一輪の相棒、見越し入道の雲山だ。

 目があったのでウインクしてみせたのだが反応がない、少しくらい反応してくれてもいいのに。そう思っていたら襟首摘んで持ち上げられた。その摘み方はどうかと思う、あたしは猫より犬に近いんだが。

 

「ね、姐さん。尼寺で人の相棒に色目使うようなやつよ、素直に帰しちゃっていいの?」

 

 納得出来ないのかしないのか、なかなか粘るなこの娘。

 

「良いのですよ、この方になにか言ったところで何も変わりませんもの」

 

 口調はとても穏やかだが、内容はあたしにとって穏やかじゃない。

 

「許可が出たなら降ろしてくれる?」

 

 再度ウインクをし入道を見る、表情は変わらないのに残念な物を見る目だというのはわかった。

 ぱっと離され地に降りる。

 

「そういえばやけに少ないけど、葬儀でもあって出払ってるの?」

 

 妖怪寺と言ってもありがたい本尊の祀られる寺だ、そういったこともしているかもしれないので聞いてみる。

 

「いえ。星とナズーリンは少し失せ物探しを、ぬえはきっとマミゾウさんの所ね」

 

 本尊様はいつもの日課か、それでも一人足りないな。

 船幽霊だけでやるような事があっただろうか?

 

「水蜜は少し反省中」

 

 表情から察してくれたのか一輪から補足が入った。

 しかし反省ね、ぬえが愚痴っていた妖怪らしくって話かな。

 

「正しく船幽霊しただけよ、柄杓は割れて穴あきだから人死にはないけどね」

 

 少し呆れたように話す一輪、どうやらいつもの事のようだ。

 

「妖怪が正しく妖怪としてあって反省させられるとは、なんとも生きにくいが本来妖怪を払う寺住まいの妖怪だ、生きにくいのはわかってるのか」

 

 カラカラと笑うと一輪が乗り出してくるが聖に止められる。

 

「人の意識に頼られる事なく自己を保てる高みを目指す事が出来れば、生きにくい事などなくなるのですけれども。今は致し方ありませんね」

 

 変わらず微笑んではいるがほんの少しだけ影が差したように見えた。

 

「まあそのうちなんか見つかるかもしれない、気長にやればいいのさ」

 

 そう言って軽く笑うと、一輪に噛み付かれる。

 

「あんたねぇ、姐さんは妖怪も人の事も思って日々努力しているのに‥‥」

 

 そこまで言わせて途中遮る。

 

「努力したけりゃお好きにどうぞってな、褒められたくてやってるなら続かず飽きるさ」

 

 同じようにカラカラと笑う、一輪は納得はしていないようだが反論はなかった。変わりに聖が答えた。

 

「そうですね、時間はおかげ様で作れるようになりましたから」

 

 妖怪から少し力を分けてもらって、人であることをやめた僧侶。

 中々難しい立ち位置だと思う。 

 本人曰く、虐げられる妖怪を匿っては少しの力を分けてもらっている。

 守る等と言う私のほうが妖怪を頼っているのかもしれません、なんて言っていたが何をするにも需要と供給があるからなりたっているわけで、足りていなかった需要を埋めて少しの報酬を得ているだけだ。

 何も恥じるようなことでもないだろう、生きていくなら必要な事だ。

 

「もう既にそうなったんだ、後は好きに楽しんだらいいじゃないか。それくらい軽く考えてたほうが助けてもらう妖怪も気が楽ってもんだろう」

 

 少し深めに吸い込んで小さめの雲山を形取る、本人の前に浮かべてウインクさせた。反応はない。

 

「そうですね、好きに致します。当分は今まで通り好きにしてゆきますよ」

 

 そう言うと今までどおりの笑顔を見せる聖。好きでやってるなら長続きしていいもんになるのかもしれないね。

 

「じゃああたしは帰るね、本当ならぬえから聞いた愚痴内容をバラす気でいたんだけど気が変わったわ」

 

 そう告げ一輪と聖に見送ってもらい立ち去ろうとした時に、また雲山と目があった。

 今度こそと思い、さよならのウインクをするとウインクを返された、最後にとっておくとはやるじゃないか頑固親父。

 寺を出て煙管をふかし、そのうち帰ってきたぬえが愚痴があるようですねと聖に詰め寄られる所を想像してほくそ笑みながら家路に着いた。



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第十五話 楽と杓

一番好きかもしれないキャラの話です


 あらあらうふふと少女たちの笑い声がする。

 少女とは言ってもどこか落ち着いたような、心から笑っているとは言えない声だ。

 声は二つ、一つは聞き慣れたアヤメの声。もうひとつは無邪気さと妖艶さを感じさせる声。声とは別の音もする、コポコポと水を流すような音。

 

 茶壺(急須)に沸騰させたお湯を注ぎ器を温める。

 次にそのお湯を茶杯(湯のみ)に移し茶杯を温める。

 移しきれずに余った湯は捨ててしまって構わない。温まった茶壺に茶葉が入る。

 グラグラと、一度沸騰させてからほんの少しだけさました熱湯を茶壺に注ぎしばし蒸らす。

 蒸らした茶葉が水分を含み、摘まれた頃に芳せていた香りが立ち込めると丁度飲み頃。

 用意した茶海(ピッチャー)に、淹れた茶を全て注ぐ。茶壺から注いだ際に生じる味ムラのないよう一度茶海に移すのだそうだ。

 

 茶杯を受け取り香る、普段飲み慣れている日本茶よりも爽やかさを感じる。口に含む、爽やかな香りとほのかに甘い味わいが口内に広がる。そのまま時間をかけながら、茶杯が空になるまでゆっくりと味わい飲み切って、無言で余韻を楽しんだ。 

 

「素晴らしいね娘々。龍井(ロンジン)って言ったっけ、このお茶。普段のお茶よりも随分と時間のかかる淹れ方だけど中々どうして、待った甲斐があったわ」

 

 そう言い既に空になった茶杯をもう一度嗅ぐ。味わうのもよかったが残り香だけでも十分に楽しめるものだった。

 

「龍井は私の生まれのお茶ですの、日本茶に近い緑茶だから馴染みやすいでしょう? 幻想郷で手に入るか判らなかったのだけれど、こうして手元にあり楽しんでくれる方がいるんですもの、久々に淹れた甲斐がありましたわ。お気に召したのならおかわりもいいのよ、中国茶は同じ茶葉で数回楽しめるものだから」

 

 娘々と呼ばれた女性が微笑みながら、アヤメから茶杯を受け取ると軽くゆすいで水気を切る。

 

「今新しい湯を沸かしているからまた少し待てるかしら。待つ楽しみもわかるでしょう?」

 

 沸かした湯を再度茶杯に注ぎ温める娘々。

 慣れた動きながら優雅さも感じる手つきだ。

 

「待つのは慣れているから大丈夫よ。でも待った結果に起こる事を楽しむのは多いけど、こうして待つ事を楽しむ機会はなかなかないわね」

「あら、何事でも楽しめなくては長い人生損をしてしまいますわ」

 

 先ほどと同じように少しだけさました湯を注ぎ、微笑みながら二杯目の緑茶を注ぐ。

 湯気を薄く浴びる手がとても艶かしくそれだけで科を作ったような色気がある。

 

「さあどうぞ、二杯目も待ってもらった甲斐があると嬉しいわ」

 

 

 命蓮寺で持て余す暇を浪費した後、ふと寺の墓場で目に止まったものがあった。普段は何かを考えるといった行動とは無縁で、操者の命じたままにしか動いていないキョンシーが、寺の墓場で一人静かに佇み何か深い思考に囚われているような素振りを見せているのだ。

 さしずめ考える死体といったところか。

 しばらく眺めて見ていても特になにかするでもなかったため、本格的に死んだのかな?

 なんて思った時だ。

 持ち主が現れてペタペタとキョンシーに触れると、悩むこともなく札を張り替えた。

 すると、すぐにいつも通りの考えない死体に戻ったようで、持ち主の周りをウロウロし始めた。

 なんだ、いつもの光景に戻ってしまったと気を落とし、家路に着こうとした所、纏う衣をふわりと舞わせ近寄って来た持ち主に声をかけられた。

 

「あらあら、どなたに見られていたのかと思えば。珍しい所にいるのね、アヤメちゃん」

「ちょっとお寺で修行してきたのよ、少しは徳が高くなったでしょ? 娘々」

 

 着物の袖を指先で摘み、少しだけ科を作っておどけてみせると、あらあらと微笑まれた。

 会話の相手は霍青娥、邪仙である。

 先に述べたキョンシー操術など様々な妖術・仙術を操り、様々なモノを惑わしては日々楽しく生きている仙人だ。

 その身に纏う羽衣のようにふわふわとした笑みを浮かべ、長く享楽に走り続ける邪な仙人様。

 千年を超え世を楽しんできた人で、本来ならば天人や神霊といった高い位の者となっていてもおかしくないのだが、その楽しむという性質からか天人にはなれていない。

 その辺も気にせず逆に楽しんで見せるのだから大した人だ。

 

 あたしも日々楽しく暮らしているが、同じ言葉でも少し意味がちがう、あたしの場合は自身と共に周りも少しでも楽しめれば、と思う所も少々あるが彼女はちがう。

 心の底から自分だけが楽しめればいいという類の人だ、言ってしまえば吹っ切れている人だろう。そこまで行けるなら日々楽しく生きる事など造作も無いし、楽しさも一入(ひとしお)だろうと羨ましく思う事もあるが、真似は出来ない、する気もない。

 彼女ほど行動的ではない自分には出来ない生き方だとわかっているからだ、思えば出会った時から今のように全てを楽しんでいるようだった。

 

~少女帰想中~

 

 人の世の年号で伝えるならば時は飛鳥時代、倭国と呼ばれていたこの国が日本と呼ばれるのに慣れてきた頃、いつものように人に化け、今日は何を食わせてもらえるのかと都で吟味していた時だ。

 不意に耳に入った人間の噂話。

 この都の偉い人間が大きな寺を建てるらしい。

 今の時代よくある事なのだが少しだけ変わっていることがあり、なんでもその偉い人間が陣頭指揮をとり建立って話だ。宮中に篭もり、ふんぞり返って待っているだけの人間が多いのに、自ら矢面に立つとは珍しい人間、変わり者で偉いそいつに少しだけ興味がわいた。

 盗み食いして街人を化かすのも少々飽いたし、どれ、その偉い人間様を化かしてみよう、そう考え行動に移した。

 大きな寺を建てるという話だ、材料は多くて困ることはないだろう、山でヒノキを見繕って持っていけば建立地に紛れ込むくらい雑作もないはずだ。そんな思いつきから、さっそく山でヒノキを集めて繰り出すことにした‥‥のだが、最初の交渉から疑われるとは思わなかった。

 少し考えれば納得だ、あたしが人の形を取るとどうしても毛色の髪になるし、格好も庶民のそれとは遠い着物だ。ぱっと見なら、病気か何かで髪色の変わったかわいそうな貴族の娘辺りで通せるだろうが、そんな貴族の娘が材木なんぞ自分で運ぶわけがない。

 仕方なく一度逃げ戻り、日を改めて男を雇い材木を売りに行った。その際にも少し疑われたが、床に伏せる父に代わり頑張る健気な娘で押し通した。そうしてようやく目的地に入ったのだが、どれが探し人なのかわからない、楽しむことだけ考えて練りの浅い計画だったと今は思える。

 どうしたもんかと悩んでいたが、運が良かったのか悪かったのか、探し人の方からあたしに近づいてきてくれた。

 

「こんな所で昼間から、名の知れた霧妖怪とは珍しいですね」

 

 言われた瞬間冷や汗が流れた、何かしでかす前に看過されることなどなかったからだ。焦って逃げることも考えたが、下手に動いて捕まり狩られる訳にはいかない、と策を練っているといつの間にか近くに来ていた探し人に耳打ちされた。

 

「焦らなくても大丈夫、ゆっくり話してみたいから後でまた来なさい」

 

 焦りからか知らぬ間に接近を許し、さらに警戒したあたしがおかしいと思えるくらいに穏やかにそう告げ、建立地の喧騒の中に消えていった。

 その場をすぐに離れ冷静さを取り戻してから、告げられた言葉の意味を考える。

 話があるとはどういう事か?

 討伐するための罠かと考えたが、あの人間からは敵意や悪意は感じられなかったし、やる気があったのならあの場で騒ぎ立てていただろう。ならば言葉そのままに話があるというのか、あたしの正体をわかっていてそう言う人間。

 今までで出会った事のない種類の人間に強く興味を持った。

 

〆〆

 

「話があるとは何の事? 人間があたしに話す事なんてなにかある?」

 

 後で、と言われたが、早速その晩に声をかけられた場所へ向かうと、昼間と同じ姿のままの人間がいた。

 

「素直に来てくれて嬉しいわ。噂通りの妖怪だったら私もなにかされると思っていたけど、貴女から悪巧みが聞こえないから安心ね」

 

 聞こえない?

 何のことだろうか?

 

「私は十人の話を同時に聞く事が出来るの、まぁこの場合は話というよりも『欲』だけど。貴女から悪巧みしようという欲が聞こえてこなかったから、少しカマをかけてみただけよ」

 

 なるほど、この人間も特異な能力を持っているのか、そしてそれを教えてくれるくらいだ、昼間感じた通り悪意はないのだろう、なら話がしたいってのは罠ではなく本心か。

 

「呼びつけた要件は昼間に話した通りよ。妖怪の噂を聞いて気になっていたんだけど、実際に会えたから話してみたくなったの。このまま立ち話もなんだし私の住まいで話しましょう」

 

 そう言い背を見せて歩き出した人間。

 ここまで無警戒だと襲う気も起きない、話というのも気になるし、ここはついて行ってみることにしょう。

 

~少女移動中~

 

 変わり者の人間の後を歩み宮中の邸宅に招かれた。そうして奥の小さな座敷に通され少し待たされる、なにか罠でもあるか、と考える事も出来たが、ここまで特に悪意を感じなかったので素直に待つことにした。

 

「招いたのに待たせて悪かったわね、人払いをしていて少し時間がかかったの」

 

 昼間見た穏やかな笑顔で説明をしてくれる、人払いと言ったが隣の女は扱いがちがうのだろうか。それとも『人』とは少し変わっているから払う範疇外だというのだろうか。

 

「私は霍青娥、気軽に青娥娘々とでも呼んでくださって結構ですわ。そんなに睨まなくても皮算用はしていないから安心なさってくださいな」

 

 目が合うと話される自己紹介、なにも聞かずにあたしの正体を見破れるこの女、何者だろう?

 雰囲気は隣の人間と変わらない穏やかなものだが。

 

「そう警戒しないでくださいな、私は清の仙人。こちらの豊聡耳様の手助けをするためここにいるの」

 

「失礼。紹介が遅れました、私は豊聡耳神子、この国の政治家です。青娥については彼女の言うとおり、私の願いを叶える為に協力してもらっているの、私達の紹介はしたわ。名前くらい教えてくれてもいいんじゃないかしら、霧の怪異さん?」

 

「どうやらそちらの仙人には正体もバレているようだし、今は素直にするわ。あたしは囃子方アヤメ。霧だ煙だ言われちゃいるが化け狸よ」

 

 自己紹介も済ませて少しの世間話から人間について、妖怪について、仙人について、と各々の得意分野を話す、軽い冗談を交えた情報交換をして行く中で数点気になる事があった。

 

 一つはあたしの事。

 なるほど、やはり噂話はアテにならないのね。

 なんて事から始まったのだが、聞けばあたしは霧や煙の妖怪だと思われていたようだ。確かに化かすのに多用していたが本来は狸だと訂正しておいた、必要な訂正だったかわからないが。

 話ついでに、なぜあたしに声かけたのかも聞いてみた。太子が言うにはそれなりに力を持った者でないと冷静な会話をするのは難しいと思った、騙し化かせども人を食い荒らすという話は聞かなかった事。後は娘々が会ってみたいと話した事、これがあたしを選んだ理由だそうだ。

 あたしについてはほぼほぼ正しい見解で否定することもなかったが、娘々の方はただ名の広まった妖怪とはどんなものなのか、という単純な興味だったそうだ。

 好奇心旺盛過ぎていつか痛い目を見そうな仙人様だと感じた。

 

 二つ目は青娥娘々の事。

 太子と娘々の話を合わせて聞くと少し違和感が出てきた。協力関係という話だったが娘々が与えるばかりで、どこに旨味があるのかわからなかったからだ。

 遠回しに聞いてみたが、色々と楽しんでいるからいいのよ、と、楽しみの糧本人の前で臆す事なく直球で教えてくれた。それを聞いた太子も気にするような事はなく頷いていた、本人が良いならそれでいいのだろう。

 

そして三つ目、太子の願いの事。

 

「この世に同じく生を受けたのに、死んでいく側の者と続いていく側の者に分かれているのが太子は面白くない。だから自分も続いていく側になりたい、こういうことでいいのかしら」

「悪意のある物言いだけどそうね、間違っていないわね。その為に青娥に協力してもらってるの、続いていく側になるためなら私は政治でも宗教でも、なんでも利用するわ」

 

 妖怪に善意を求められても無理な話だと思うが、その発想は中々愉快だ、もし善意から生まれる妖怪を知る事があったら太子に伝えよう、反応が楽しみだ。

 

「政治だ宗教だは興味がないからどうでもいいわ、あたしとしては人間を導く立場の人間が私欲のためだけに頑張る姿が見られてとても面白い」

「アヤメちゃんもそう思うのね、豊聡耳様も後の楽しみの為に頑張っていらっしゃいますし、良ければたまにこうして色々話せると楽しいわ」

 

「娘々は楽しめればなんでもいい感じね、関心するけどそこまでにはなれないわ‥‥でも楽しみは必要だし、手出しはしないから太子が願いを叶えられるか、近くで見ててあげるわよ」

 

 願い通り死を乗り越えても面白い、願い叶わず絶望する人間を見るのも面白い。長い生の少しの間の楽しみが出来た。  

 その後しばらくは太子や娘々と、今日と同じように情報交換という名目のお茶会を重ねて行くのだが……

 丁度太子が体を壊したという噂が流れ始める頃、あたしも鬼に追いかけられて都を離れることになり、この幻想郷で再び顔を合わせるまで会うことがなかった。

 

〆〆〆

 

「遠くを見てどうしましたの? 呆けてしまうほどのお茶を淹れられた、というのなら満足なのですが」

 

 そう言い楽しそうに笑う娘々。

 他の面々は幽霊のままで復活しきれてなかったり、生前の狡猾さが嘘のような足りない子だったりするのだが、娘々は変わらないな。

 

「そうね、呆けて昔を思い出してしまうくらいのお茶だったわ。何か入ってるのかしら?」

 

「まぁひどい事を仰いますのね、まだお茶以外は入っていないわよ?」

「後から入るモノが堂とか想いとかならうれしいわ、娘々」  

 

 娘々に負けない色気をひねり出し笑ってみせると、同じように色気の感じられる笑みを浮かべながら三杯目の茶の準備をしてくれた。

 



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幕間 文々。新聞

~~~読者の皆様は覚えているだろうか、筆者が以前に命掛けの取材を敢行し記事にした恐ろしい妖怪のことを。人の争いを心から楽しみ、傷ついた人の血肉を喰らい狡猾に笑う恐ろしい妖怪がこの幻想郷にいると記したことを。あの妖怪に筆者は再度遭遇する事に成功したのである、この悪逆非道の妖怪が気でも狂ったのか博麗神社で不定期開催されている宴会に参加するというのだ。きっと幻想郷を揺るがすような大きな思惑があっての参加なのだろう、私はこの幻想郷に住まう一人の者として、正義に生き真実を追い求める新聞記者としてこの妖怪の悪事を許すわけには断じていかない。もし私に危険が迫り、命を落とすようなことがあったとしても私は幻想郷の皆様に真実を伝える事をやめ……~~~

 

「さすがに脚色しすぎよね、というかあいつ、人里に普通にいるし」

 

 途中まで書いた記事を丸めて投げる、カサッと乾いた音がした。今月はずっとこんな調子だ、記事を書こうと筆をとりある程度までは書くのだが途中で詰まり捨てることになる。

 いっその事休刊にでもすれば気が楽になる、それは自分でもわかっているのだがスランプで休刊にした事をあいつ(はたて)に知られると何を言われるかわからないし、私のプライドもそれは許さない。

 ギリギリまで悩み、それでもダメなら今月は天狗の話題で埋め尽くそう。

 

「それこそダメね、はたてにもアヤメにも笑われるわ」

 

 不意にアヤメの名前が出てきた。定期購読もしてくれないあいつに笑われるとなぜ思ったのだろう。そうか見られているからだ、今座っている机の隅にアヤメの写真を立てたんだった。

 前回の宴会で不意に見せた照れ笑いする顔。あまりに珍しい表情だったからたまに眺めて笑っていた。 これに見られているから名前が出たんだわ、そう思って引き出しにしまおうと思ったが魔が差した、私はあの時これを里でばら撒くと言ったのだった……清く正しい新聞記者として嘘をつくのはよくないわよね?

 そう聞いた写真のアヤメは笑顔だ。

 良し、頑張るわ。

 

~~~読者の皆様は覚えているだろうか、筆者が以前に命掛けの取材を敢行し記事にした恐ろしい妖怪のことを。人の争いを心から楽しみ、傷ついた人の血肉を喰らい狡猾に笑う恐ろしい妖怪がこの幻想郷にいると記したことを。あの妖怪に筆者は再度遭遇する事に成功したのである、この悪逆非道の妖怪が気でも狂ったのか博麗神社で不定期開催されている宴会に参加するというのだ。きっと幻想郷を揺るがすような大きな思惑があっての参加なのだろう、私はこの幻想郷に住まう一人の者として、正義に生き真実を追い求める新聞記者としてこの妖怪の悪事を許すわけには断じていかない。もしもの時は私の命を省みる事なくこの妖怪を止めてみせよう、そう心に誓い宴会に望んだのだが私は全く別の光景を目にすることになったのだ。

 

 あの、他人の苦しみと悲しみを啜りながら生きていた妖怪が、巫女の提案を受け弾幕ごっこを始めたのである、これは全く予想していなかった。命のやりとりを楽しむあの妖怪が少女達の遊びに興じ始めたのだ。

 しかもあの紅い霧の首謀者レミリア・スカーレット氏の忠実な下僕、紅魔館の門番を守り続ける紅美鈴氏と五角以上の勝負を繰り広げたのである、紅美鈴氏の放つ弾幕やスペルカードを華麗に避けきり、あろうことか自身のスペルカードを使って見事勝利したのだ。

 スペルカードも面白い物で人里の者でもわかる昔話を模した物だ、子供と一緒に眺め元のお話を当てっこしても楽しいかもしれない、機会が訪れたら一度見せてくれるよう頼んでみるといいだろう。

 人里の甘味処で季節の甘味を頬張り茶を啜っているという目撃情報を私は聞いている、ある筋から聞いた正しい情報なので間違いなくあの妖怪に出会えるだろう。

 しかしあの妖怪が極悪な思考をしている事には変わりない、最低限の礼儀と言葉使いには十分に気をつけて、何か甘いものの一つでも奢ってみれば気を良くしてスペルカードを見せてもらえるかもしれない。

 もしスペルカードを見せてもらう事に成功したら私、清く正しい射命丸にその時のお話を詳しく聞かせていただきたい、貴方の情報はきっとあの妖怪から身を守る術へと繋がる事になるからだ。

 そして、この記事をまだ知らないという人がいれば是非教えて上げて欲しい、少しでもあの妖怪『囃子方アヤメ』の犠牲者が減っていくことを望んでいる私、射命丸文からの切実な願いである。~~~

 

「こんなもんかな、さて写真をと‥‥」

 

 再度アヤメの写真を手に取るが動きが止まる。

 数秒悩んでその写真はまた引き出しに仕舞われた。

 変わりに手に取られたのは弾幕ごっこの時の物。

 美鈴が最後波に飲まれる寸前、船に乗り少しだけ楽しそうな表情を見せるアヤメの写真だった。

 それを一纏めにし封筒にしまうと、封をしたタイミングと同時に烏の鳴く声がした。

 

「はいはい今出ますよ、記事も纏まりいいタイミングだわ。誰だか知らないけど丁度いいわ。発行前の希少な物を先に読ませてみましょう」



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第十六話 何見て跳ねる

少し頭を使った物が書きたい、そんな話です。


 普段あまり活気のある里ではないのだが、年を通して騒がしくなる時期が数度ある。

 少し前の田植えもその一つだ。

 大人も子供も年寄りも総出でかかり、今年も無事に田植えを終えた。

 後は定期的な水の管理と、ある妖怪への小さなお願い事と収穫の季節を迎える前に収穫祈願を行って人里の稲作は収穫を待つだけとなる。

 水の管理は言わずもがな。収穫祈願はまだまだ先でこちらも言わなくても、どういった物なのか分かるだろうしどこでもあることだろう、この場では割愛させてもらう。

 

 最後に残った願い事、それはここ幻想郷でしか見られないものだろう、そもそも幻想郷以外では妖怪を見る事がまずないのだ、願う相手がいないのに行うことなどないだろう。

 さて、この小さなお願い事というものだが、とある虫の妖怪に少し控えてくれないかと、ちょっとしたお願いをするものだ。

 無理のない範囲でいいから稲に害虫がつかないようにしてもらえませんか?

 と、蛍の妖怪リグル・ナイトバグにお願い事をするものだ。

 蛍なら元々稲には無害だろうと思えるが、彼女には『蟲を操る程度の能力』がある。

 彼女が蟲を操れば稲に害虫が付くことがないのだ。

 

 そんな事をせずとも今は永遠亭に防虫の薬を頼めば作ってくれるだろうし、妖怪頼りにするよりもよほど人間として健全だ、だがそれでも彼女に願うのは、永遠亭は最近になって人里と交流を始めた新参である事と、薬が有料である事が理由だろう。

 永遠亭は新参でも良き付き合い方をしているし薬の値段が高いという事もないが、幻想郷の人里では金はあまり重要視されていない為流通が少なく、病気など万一の場合に永遠亭を頼るための物として、使わずに貯めておくことが多いのだ。

 

 そんな事情もあるがそれは別として、永遠亭よりもリグル・ナイトバグとの関わりのほうが長い、というのもある。とは言っても彼女は妖怪で人の敵だ、素直に従うこともないだろうと思えるのだが、本人としてはそうでもないようで、構える事なく話をし、願い通りに少しだけ蟲を操る。

 

 一度彼女に聞いてみたことがある、人を気遣い身内の食い扶持減らすのはどうなんだ? と。

 するとこんな答えが返ってきた。

 同胞が困るほど操ったりはしないし望まれてもいない。

 蚕など人間の暮らしで役立っている蟲はとても大事にされている。普段嫌われることしかない虫が好かれるのは気分がいいから、その気持ち少しだけ返すつもりと。

 それに好かれる類の妖怪でもない私が頼られるのは、ほんの少しだけ気持ちいい、とも言っていた。あたしの場合人を助けることなどそうないが、なるほど。気持ちがいいなら人の手助けでもいいのかと納得できた。

 

 甘味処で草餅を頬張りながら。

 まだ緑よりも茶が目立つ田を眺め、店主の爺さんと談笑して思い出した話だった。 

 あたしはこの時期になるとよくここにいる、少し薄めの生地にこし餡を包んだ草餅があたしのお気に入りの一つ。この時期になり顔を出すと何も言わずに草餅二つとお茶が出てくる、それくらいよくここに来ている。

 狸の姉ちゃんの分は毎年生地を薄くしてこし餡を包むんだ、笑いながらそう話す爺さん、本来はもっと生地が厚く粒あんを包むのだという。

 あたしの好みを把握され、毎年季節が巡ってくると今年もそろそろ来るだろうと仕込みをしてくれる、この爺さんは珍しく普通の人間の中で出来たお気に入りだ。

 名前も知っているくせに、自分の方が若いのだと知っているくせに。

 一貫して狸の姉ちゃんを通す爺さんをあたしは気に入っている。

 

 普段は二つ平らげて終わりなのだが今日は別に四つほど包んでもらった、これから向かう先への土産物だと言ったらこし餡五つ包んでくれた。

 土産なら好みのものを持っていけ、一個は贔屓のおまけだ後で食えと。

 小さい気遣いがとてもありがたかった。

 爺さんにまたねと告げ、土産包をぶら下げてあたしは迷いの竹林の奥へと歩いて行った。

 

~少女移動中~

 

「最近毛の艶が悪くて、体も以前より動かないし。あたし悪い病気なのかしら先生」

「そうね、手遅れね」

 

「それ以外にも酒も煙草も美味しく感じないの、味覚までダメになってきたのかしら」

「そうね、ダメね」

 

「後はそう、夜も長く起きていられないし。朝も目覚めてもすぐには動けないの」

「そう、残念ね」

 

「あ、これは最近の出来事なんだけど。その道の玄人に相談してもまともにとりあってくれなくて困っているのよ」

「そう、きっと無駄な相談なのね」

 

「先生、さっきから冷たくないかしら?」

「冷静でないと正しい判断は出来ないわ」

 

「それで、あたしの病名はなにかしら? 薬で治せればいいのだけど」

「病名は詐病。薬はそうね、あるけど意味がないと思うわ」

 

「薬があっても意味がないなら不治の病なの? あたしこのまま消えるのね」

 

 少し待つが返答がなくなった、どうやら相手にしてくれなくなったらしい。仕方がないのであたしもいつもの調子に戻そう、変に芝居して本当の病気になったら目も当てられない。

 妖怪が病に伏せるのかはしらないけれど。

 

「で、どんな薬出してくれるの? 永琳」

「馬鹿につける薬よ、姫様がまだ戻られないからって私で暇つぶししないで頂戴」

 

 呆れて物も言えないわ、と言った表情だが馬鹿につける薬とは。

 死んでも治らないんじゃなかったのだろうか。

 

「馬鹿を治せる薬を作るなんてすごいのね、伊達に長生きしてないわ」

 

 先人の知恵には有用な物が往々にしてあるが、永琳は先人の先駆けと言える人だろう。なんせ神代の頃から八意永琳しているのだ、その辺の長寿自慢が霞む程の相手だろう。

 永く生きているだけではなく、その頭脳も異常とも言える天才ぶりだ。月の頭脳の異名を持ち、自身の持つ『あらゆる薬を作る程度の能力』を十二分に活かした医療行為が一人で可能だからだ。

 万能すぎてこの世がつまらなくないのか、なんて考えた事もあったがたまにズレた答えを言ってみたり考えてみたりもする。

 捉えにくいが面白い人物である。

 

「あら、私は治せるなんて言ってないわ、つける薬と言ったのよ」

 

 ふむ確かに。

 

「馬鹿につける薬は作れたのに馬鹿は治せないの? なにそれとんち? 八意女史ともあろう人が変なこと言うのね」

「正確に言うわね、治せない事はないわ。治療という意味では治るの、でも治せないわね」

 

「うんむ? 益々面倒な事になってきたんだけど、このままじゃあたし馬鹿になりそう」

 

 これだけ馬鹿馬鹿言っているとどこかで妖精がくしゃみでもしていそうだ。馬鹿は風引かないというがあの妖精も風邪引いたりするのかね、いや氷精だし引かないか、それとも馬鹿だから風邪引いてもわからないか。

 

 ん? なるほどそういう事か。

 

「馬鹿につける薬はある、そして馬鹿は治る。けれど元が馬鹿だから治った事に気が付かず馬鹿に変化は見られない。だから治るけど治せない。これが答えでいいかしら?」

「正解よ。ね、貴方につけても効果はないけど悪くない薬でしょう?」

 

 言いながら何かを書き止め資料を閉じる、誰でもやる様な仕草だが永琳ほど似合う人もいないだろう。

 

「またとんち? さすがに理由がわからなくなってきたわ」

「ええそうね、今のはただの悪口よ。意味がないって所でかけて言ってみたけど気に入った? 少しは頭の体操になったでしょ? 丁度頭も柔らかくなった事だし次は姫様のお相手ね」

 

 この幻想郷であたしが口喧嘩で勝てない少ない相手の一人だ、さすが亀の甲より年の功を体現する人はちがう。

 

「私の頭脳は年齢関係ないわよ、そう生まれただけだもの」

 

 言葉にしてない嫌味まで返さないで欲しいわ、まったく。

 

 

 少し前に妹紅との殺し合いに勝ち機嫌のいい、ここ永遠亭の永遠のお姫様が風呂から上がりこちらに向かう気配がしてきた。

 お供に連れた妖怪ウサギがパタパタと歩く音がする。

 

「今日は快勝だったわね輝夜、機嫌が良さそうだわ」

「ありがとうアヤメ、そうね今日は機嫌がいいわ」

 

 迷いの竹林に隠れ住んでいた竹取の姫様 蓬莱山輝夜。

 少しでもおとぎ話を知っている人なら知らないはずがないだろう、竹取物語のかぐや姫その人だ。

 実際には竹から生まれたわけではなく、月生まれ月育ちのお姫様なのだが、過去に禁忌とされていた蓬莱の薬を飲んで不老不死となり罪人となった、と聞いている。

 その罰として地に落とされ竹取物語の話となるんだそうだ。

 後々聞いたことだが、月での暮らしに飽いて地に興味を持った時、蓬莱の薬を飲み罪人となれば地に行けると知って永琳に作らせ飲み、見事望み通りに落とされたらしい。

 どこぞの太子といいこの姫といい、幻想郷にいる高貴な生まれの方はやることが大胆な人が多いわ、と聞かされた時に感じた。

 

 お供に髪の水分を取らせながら輝夜が目の前で佇んでいる。

 風呂上がりで綺麗な髪がしっとりと濡れて輝きを増している、十分に温まってきたのか、頬もほのかに紅潮し化粧なしでも異性を虜にするだろう。

 そんな輝夜を潤ませた瞳で見つめ呟く。

 

「綺麗ね」

「そうよ」

 

「輝夜」

「何よ?」

 

「結婚して」

「イヤよ」

 

「いいじゃない減るもんじゃなし」

「減るわ」

 

「何が?」

「私の威厳と難しいお題」

 

 私の暇を潰しなさい、と自分の要求を突きつけて来ることは多いのに、こちらの要求は聞いてくれない。まったく我儘な姫様だ、やんごとない高貴なお方なのだから仕方ないとも言えるが。

 たまには下々の者の意見も聞いて答えてくれてもバチは当たらないとおもうのだが。

 訪れた際に渡した土産を膳に移した永琳が戻り、しばし三人で談笑する。 

 

「前のお題もこなしていないのに再度の求婚とは、アヤメの顔の皮膚は随分と厚いのね」

「あれは輝夜がいなくなってしまったのも悪い、それに輝夜も冗談だと言っていたじゃない。あたし今は本気なの。ねぇ結婚が嫌ならお題だけでもいいからさ」

「最初から暇潰しに何か頂戴と願えば姫様もお題をくれたかもしれないのに、やっぱり馬鹿なのかしら」

 

 輝夜が都で話題の中心だった頃、一度求婚したことがある。

 絶世の美女と都中で話題になり五人の公卿が結婚を申し込んだが、条件に出された難題がとても厳しいもので難航していると聞いて、これは面白い。自分も求婚し難題を聞いてみようと思い輝夜の元を訪れたのだ。

 その時のお題をこなす前に輝夜は月に帰る事になり、あたしは難題を取り上げられてしまったのだが。ここ幻想郷で再会するとは思わなかった。

 

「やろうと思えば昔のお題も出来るでしょう、なら先にそっちを済ませてから来なさいよ」

「だって難題じゃなくなっちゃったじゃない、持ち主が失くした頃にネズミより先に探し出せばいいんだし」

 

 なんの因果だろうか、以前出されたお題も幻想郷に来ている。それもうっかり失くす持ち主と共に。この出来事もあたしはそれなりに楽しめたのだが、今は目先の求婚を成功させたいので後回しにしよう。

 

 

「じゃあこうしましょう、私からのお題は出さない。でも変わりに永琳から難題を出してもらいましょう」

「こんなの嫁にもらってもうるさいだけだからいらないわよ、姫様が世話するならいいけれど」

 

「世話も躾もいらないわよ、ほら素敵な可愛い狸さんよ?」

 

 足を内股にし腰を曲げ小首を傾げ尻尾を振る、目が合った輝夜と互いにウインクをすると永琳からは小さい溜息が漏れた。

 

「はぁ‥‥わかったわ、じゃあお題を出します『灰雲の垂れ耳飾り』これを探して持ってきたらうちで飼ってあげるわ」

 

 長く生きて世を見てきたつもりだが聞きなれない物だ、正しく難題という物だろう。

 難題を聞いたあたしは二人の視線を気にせずに一人集中し思考する。

 まず言葉として聞き慣れた『耳飾り』字面からしてイヤリング、ピアス、カフスといった装飾品の類だろう。『垂れ』の部分も耳につけて垂らす装飾品と取れなくもない。こちらはこれで正しい推理だとおもう。『垂れ耳飾り』はこうと仮定し次に進もう。

 では『灰雲』とは? まずそのまま灰の雲。永琳が課す難題だ、普通の灰ではなく何か神事で使うような物を炊き上げた際の灰が空の雲と混ざる?いや『灰の雲』ではなく『灰雲』だ、分けずに言葉そのまま考えるべきだろう。

 

「真剣ね」と草餅を淑やかに口にする輝夜。

「そうね」と茶を啜る永琳。

 

 二人共あたしを眺めてにこやかにしている。難題を出した永琳はともかく輝夜も答えをしっているような表情だ。

 その場ですぐに思いつき言葉にしたような雰囲気が永琳からは見受けられたが、あたしは気が付かず輝夜はすぐに思いつくような物。なんだというのだろう。

 思考を戻す『灰雲』分けずに考えるなら灰色の雲、もしくは雲の灰といったところか。それでも耳飾りにできるようなものだ、手に取り加工が可能な物だろう。

 それとも比喩か、雲‥‥蜘蛛‥‥いつか人の世で覇権を持とうとしていた人間が蜘蛛が這いつくばった形に見える釜を平蜘蛛などといい欲していたな。こういう形から名づけているものだろうか?

 なるほど、こっちの線が怪しいかもしれない。『灰雲』にかけられるようなもの、なにかあっただろうか‥‥

 

「あらイナバ、お帰りなさい」

「うどんげ、頂物の草餅があるわ、固くなる前に戴いてしまいなさい」

 

 どうやら出かけていた鈴仙が帰ってきたようだ、声をかけられた鈴仙の足音がこちらに向かってくる。

 

「わあ草餅。あ、アヤメさんいらっしゃいませ。お土産はアヤメさんからですか?ありがとうございます、戴きますね」 

 

 笑顔でそう言うとあたしに向かい礼をする。

 頭の耳がピコピコと大きく揺れた。

 

「気にしないでいいわよ、あたしの分もあるし」

 

 鈴仙の『耳』確か取り外しが可能と言っていたな、ならこれも『耳飾り』と言えるのか、途中から前に向かって『垂れ』ているし、お題の『垂れ耳飾り』を分けずに形にするとこうなるのか?

 うん?

 毎日見慣れたこれが『垂れ耳飾り』だから輝夜はすぐに気がついた?

 そう考えればあたしより先に輝夜が気が付いた理由として筋が通る。

 なら今は鈴仙の耳を『垂れ耳飾り』として考えておこう。

 

 だがここまで考えて『灰雲』が思いつけないのはどういうことだ?

『垂れ耳飾り』が見慣れた鈴仙のものだとすれば『灰雲』も多分見慣れたものだろう、永琳ならそういうモノの言い方をしてもおかしくはない。

 ということは永遠亭にあるものだろうか?

 持ってこいと言うのだ、手に取り持ち運べるものだろうが……

 

「鈴仙ちょっと聞いてもいい? その耳って取れるって言ってたわよね? 替えもあるのかしら?」

「これですか? たしかに取れますし替えもありますよ」

「その替えには灰色の物ってあったりする?」

 

「灰色? 色はこの白と緑だけですね」

「そう、わかったわ。ありがとう」

 

 

 灰色はないか、でも近づいてはいるようだ、輝夜が笑った。

 しかし灰色は持っていないのか、なら鈴仙の耳じゃないのか?

 てゐの方?

 いや、てゐの耳が取れると聞いたことはない。

 鈴仙は玉兎だがてゐは妖怪ウサギだ、種族がちがう、耳も取れないだろう。

 なら他の妖怪ウサギ‥‥は違うな。

 あの子たちは人型を取れないものは見たままにウサギだ、耳がとれてほしくない。

 ふむ、ではなんだ?

 なにを見落としている?

 灰色の物‥‥いや灰色にする物?

 もしくはまだ灰色ではなく今後灰色になる物か?

 

「そろそろかしら?」

「さあ、わからないわ」

「主従で仲良さそうに、妬ましい。お題を解いてその鼻を明かしてあげるわ」

 

「姫様、アヤメさんは何かしてるんですか?」

「永琳からの難題を考えてるのよ『灰雲の垂れ耳飾り』ですって。イナバも知らない物よね」

 

「知らないですね‥‥あっ! だから私の耳を聞いてきたのか。でも私は灰色なんて持ってないし。私の‥‥」

「うどんげ、アヤメの思考の邪魔しちゃダメよ」

 

 

 分かってるのにわたしは知らない物ね、なんて白々しいこと言うわね輝夜。

 でも今少し変だった、なぜ永琳は口を挟んだ?

 鈴仙は何を言いかけた?

 私の?

 あたしの事を見ながら私のというのだ、比べたのはあたしだろう、そして会話の流れは鈴仙の耳にあった。ならあたしの耳がどうにかと言いかけて永琳に止められたのか。

 あたしの耳?

 垂れてもいないし鈴仙のように付け替えはできない、これでは垂れ耳飾りとはいえないだろう。

 だが止めたのだ、何かあるだろう。

 ダメだ思考が逸れた。

 先ほどの流れになる前は何を考えていた?

 そうだ、灰色にする物、もしくはまだ灰色ではなく今後灰色になる物という仮説を立てた所だ、これとあたしの耳?

 確かにあたしの耳は髪と同じ灰褐色だ、すでに灰色の物と見てもいいだろう。しかしそれなら『灰色の耳飾り』止まりだ、『雲』と『垂れ』を何処からみつければいいだろう‥‥

 

「ちょっと疲れたから一服するわ」

 

~少女一服中~

 

 永遠亭の庭で煙管咥えて考えながら空を見上げる、今日は雲ひとつない済んだ空だ。漂っているのはあたしの煙だけ‥‥煙?

 そうか、やっぱり比喩か。

同じように漂うようもの、これが『雲』か。

 

 出揃ってきたので少しまとめてみよう。

『灰』あたしの耳?

『雲』煙?

『垂れ』と『耳飾り』は前の仮説通りつなげて鈴仙の耳とした方が辻褄が合うだろう。

 

 ふむ、ならこれを材料に『灰』と『雲』を繋げよう、あたしの耳と煙‥‥浮かぶ?

 いや耳は何処行った?

煙で耳を形取る?

形取ったからなんだというのか。

 

 煙、あたしとは切り離せないもの、妖怪としての成り立ちに関わるもの。即ちあたし、か?

『灰』であたしの耳とするのではなく『灰雲』であたしとするのか?

 では、あたしの垂れ耳飾りとは?

持ってないぞ、そんなもん。

 

「考えは纏まったかしら?」

 

 永遠亭の庭にある小さな池の橋の上、そこで煙管をふかすあたしに声をかけてきたのは難題を課した永琳。

 

「一つの結論は出た、けれどそれは存在しないのよね」

「ならその結論を聞きましょう」

 

「あたしの垂れ耳飾り。でもあたしは持っていない。耳は垂れていないし取れて飾りになることもない。だから存在しないのよ、ないもの持って来いとは難題になってないんじゃないかしら?」

「あら、ないならあるようにすればいいのよ?」

 

 そう言うと背に回した手に持つ物を差し出してくる、それは見慣れたうさぎの垂れ耳飾り。

 

「あげるわ、着けて見せてから難題の品だと渡して頂戴」

「あー……なかったことにはならないの?」

「求められたから課した、それを貴女は解いた。さぁ、私の鼻をあかしてみせて」

 

 

 その後輝夜に見られて大笑いされた。貴女の物だとするのには臭い付けが必要よと、日が落ちるまで着けておく事を強要された。

 鈴仙はお揃いですねと何が嬉しいのか気を良くしているし。

 永琳からは短時間で見つけるとは大したものだわ、意外と似合っているわよ。とからかわれた。

 やはりこの人には叶わない。

 あたしのいる間に永遠亭に戻らなかったてゐに見られなかった事だけが唯一の救いだ。後ほど顔を合わせた時にひやかされるのはわかりきっているのだが。 



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第十七話 出会い、昔話

ちょっとした出会いの話


 いつものようにだまくらかして、叫び逃げる人間の背を見ながら笑い煙管を楽しむ。

 そんないつもの夜のいつもの事をしている頃だった。

 ほどよく笑いほどよく遊んで、今日はもういいかと獣道を少し広げ、街道とは呼べない道を離れて帰路に着こうとした時だ。

 いつもの夜では感じられないものが迫っていた。

 

 隠すこともない強い妖気、まるでこちらに到来を告げるように放たれるそれ。

 こうしてたまに他の妖怪が来ることはある。

 その度に追い返すか、殺すかするのもいつもの事だった。

 

 参ったな。

 妖気を感じて最初に思った事はそれだった。

 いつものように小手先で相手できる者じゃないと、放たれる妖気が物語っていた。

 逃げられなくはない。

 けれど逃げ切れる自信はないな、これは。

 どうしたもんかと悩んでいると、いつのまにやら妖気を放つ九尾の狐が眼前に立ち、こちらを睨んでいた。

 

 紺の道士服から突き出された鋭い突きに平手を添えて、勢いそのまま外に捌く。

 突きの勢い利用し体を捻った後ろ回し蹴りが迫るが、これも平手を添えて逸らしていく。

 二手の攻防が終わると互いに一瞬硬直し、同時に後方へと下がった。

 片方は妖気を練り始め、その背で揺れる九尾に込める。

 それに対する縞尻尾は軽く斜に構えるだけで、力を込めるような素振りは見られない。

 練られた妖気が肉眼で確認できるほどの力を見せると、縞尻尾の妖怪へと九本の牙と化した尾が空気を裂きながら迫った。一点を狙った鋭い牙を少しの動きで左へと躱し、一番近くを掠めた牙に軽く掌底を当て、妖気を瞬時に流す。

 掌底を受けた尾はその中程から爆ぜ血を撒いた。

 それでもやられた事を気に掛ける事もなく、八尾が一瞬揺らめいて再度狸に迫った。鞭のような靭やかな動きを見せる八尾を避け、空中へと逃げる狸。

 それを見やると八尾も飛び追撃をかける。

 空中で縦横無尽に奔る尾を難なく避けるように動く狸、交差した二尾を自慢の縞尻尾で弾き飛ばす。弾かれた二尾の先が割れる、九尾の狐の増えた尾は一本一本でも十二分に強靭なものだが、一本に収束された九本縞の力を受け切れず裂けてしまった。

 残りの尾が六尾となると、少し様子を見るように動きを止めるが警戒は解かれない。

 尾の主の表情はとても無機質で冷たい。

 相対する狸も狐もここまで無言で争い続けたが、ついに狸の方から口を開いた。

 

「まず、なぜ襲われたのかわからないんだけど。九尾様?」

「お前を捕らえよとの命を受けた」

 

「妖獣の頂点が誰かに仕えるなんて‥‥難儀な事ね」

 

 そこまで言うと始めて狸が動きを見せる、取り出したのは少し長めの煙管。慣れた手つきで葉を手の平で転がし術で燃やすと煙管の先へポンと弾き煙をただよわせた。

 

「舐めているのか」

 

 感情の見えない狐から情のない言葉が狸に吐かれる。化のない無機質な表情と声色。は酷く冷えている

 

「舐めていないわ、吸っているの」

 

 相対する狸はひょうひょうとした姿勢を崩さず煙を纏う。

 狸の言葉が最後まで言われたか、という瞬間に六尾が奔った。

 それでも狸は煙を漂わせるだけで動きを見せない。

 

 六尾の内の五尾で叩き狸の姿が消し飛んだが、狐は警戒を緩めずに自身の背後へと回していた一尾を引く。

 引いた尾の毛は燃やされてボロボロだ。

 正面にいて、五尾で消し飛ばされたはずの狸が何故か背後に佇んでおり、携えた煙管を燃やして尾を巻きとっていたのだ。

 

「やはり舐めているんだな」

 

 表情こそ変わらないが、自慢の尾の半分近くを傷つけられて少し怒りが見えるような声になった。

 何をどうしたのかは仕掛けた狸にしかわからないが、どうやら狸はうまいこと五尾を騙したようだ。

 化かすものが化かされて狐は気に入らないのだろう。

 それから生じる小さな怒りだった。

 

「吸っていると言ったわ、聡いのだから二度も言わせないで」

 

 ここまで言って空気が変わった。

 狐の怒りからではない、なにか別の物。

 近くにも遠くにもあるような所から視線のような物を感じた。

 

「相性が悪いみたいだし、私がお話するわ。藍は引きなさい」

「畏まりました紫様、油断等される事なく」

 

 そう言って藍と呼ばれた五尾の狐は紫様と呼ばれた者に深々と礼をしながら、足元に開いた気持ち悪く、オドロオドロしい空間の隙間に消えていった。

 

「初めまして狸さん、私は八雲紫。可愛い妖怪さんよ」

「初めまして可愛い妖怪さん、あたしは囃子方アヤメ。素敵な妖怪さんよ」

 

 互いに紹介を済ます。

 どちらも穏やかな口調と雰囲気を持っているが明確な敵意は隠そうとしない。

 遠くで烏の群れが飛び逃げた。

 

「素敵な妖怪さんにお願いがあるの」

「奇遇ね、あたしもかわいい妖怪さんにお願いが出来たわ」

 

 口元を扇子で隠し話す紫と、煙管をふかし斜にたったアヤメ、互いに似たような事を話し出す。

 

「お先にどうぞ、私の式がお痛したお詫びよ。聞いてあげるわ」

「ありがとう。さっそくお願いなんだけど、何も言わずに消えて忘れてくれない? 叶えばとても嬉しいんだけど」

 

「ごめんなさい、それは出来ないわ。私のお願いをまだ聞いてもらっていないもの」

「そうね、聞くだけ聞くわ。片方ばかりじゃずるいものね」

 

 そう呟いたアヤメ、表情には出さなかったが少し驚くことがあった。

 対峙するようにしていたのに紫がアヤメの横におり、右手を優しく握っていたからだ。

 上半身だけを気持ちの悪い空間の隙間から出す格好で、怪しく微笑みアヤメの手を握っていた。

 

「私のお願いはね、貴女を式に欲しいのよ。叶えてくれるかしら?」

 

 右手は優しく握ったまま、左手をアヤメの頬に添えてそう言い放つ。

 言葉こそお願いだったがその態度はノーとは言わせない物だった。

 絶対という名のお願いを告げられるが怯えや動揺を見せる事はなく、頬に添えられた左手にアヤメは自身の左手を添え返して答える。

 

「聞くしかないお願いは命令と言うのよ、ご主人様?」

 

〆〆

 

 まさか素直に承諾するとは思わなかった、と紫は少しだけ驚いたが、全てを信じたわけではなかった。

 元々の自力でも妖獣の頂点にあり、自身の式術で強化を施し、紫自身でも苦戦するような余程の大物以外には引けを取ることがなかった自慢の藍。

 その藍が相手に手傷を負わせる事も出来ず、逆に力の象徴である九尾の内の四尾を傷つけられたのである。にわかには信じられる事ではなかった。

 この狸がこれほど手こずる妖怪だとは思っておらず、力を見誤った紫は自分を少し恥じた。

 

 この界隈で人を騙しては笑い遊び呆けている、力を持った妖怪がいる。

 友人の鬼からそう聞いて、使える者なら式にしましょう、そう思って探してみれば噂通り、先の町へと抜けるには通るしかないこの山の道で、聞いた通りに笑っている姿があった。

 しばらくは静かに観察していたのだが、数日見張っても同じように騙しては笑って酒を飲み、煙管を燻らせているだけだった狸。

 

 萃香からは、友人として付き合うなら飽きずに長く酒を飲み楽しめる中々に面白い奴だ、と聞いていた。

 では、敵としては?

 と聞き返した所、長く相手にしていると酒が不味くなる胸糞悪いやつだ、という真逆の評価だった。

 紫はそれも面白いと感じたのだが、式に欲しいもう一つ理由が別にあった。

 その妖怪は人を襲いはしても食うことはしない、酒を飲み煙管を咥えては笑うだけの生活をもう数百年は過ごしているそうだ。

 

 紫には一つの計画があった。そしてこいつは私の計画に使える、丁度良い物だと思った。

 人間の理解出来ない不可解な事態。

 例えば神かくしだとか、地震だとか。

 そう言った、人間には到底不可能だと思われる行為。

 そのほとんどが神や妖かしなどの人を超えた力を持つ者達のせいだと信じられていた。

 わからない事はわからない者達が起こしている、簡単な理屈である。

 そして、その理屈を当たり前としていた人間達の力によって神や妖かしが生まれては、消えていった。

 しかし、時が進み少しずつだがその理屈に歪みが生じ始めた。今まで人間には理解し得なかった事象を、人間は人間の道理の内で片付け始めたのである。

 こうなっていくと人間に疎まれ恐れられて力をつけた者も、力の供給源を絶たれ消えていくしかなかった。

 

 だが、このまま消えていくのを良しとしない者がいた。

 

 八雲紫である。

 

 消えていく妖怪をどうにか留める事は出来ないか?

 それだけを数百年考え続け、一つの答えを出した。

 人の道理が広まりすぎてしまったこの世界とは別の、妖怪が恐れられ畏怖される世界を作ろう。

 そうしてそこを妖怪の楽園にしよう。

 そう考えたのだ。

 

 しかし、思いつくことは出来ても実行するのに紫だけでは限界がある。

 そう確信出来るほど難しい考えであったのだ。

 ならばどうするか?

 単純な話だ、人出を増やそう。

 自慢の藍のように私の手となり足となり動き、私を支えてくれる者を探そう。

 そういった結論に至った。

 けれど簡単に人出を増やせばいいとは言えなかった。

 紫の描く妖怪の理想郷には人間が必須だったのだ。

 彼らの畏怖や恐れといったものがなければ妖怪は存在出来ない。

 水しかない水槽に金魚を放っても餌がなければいずれ死ぬのだ。

 

 どうやって人も集めるか?

 紫の能力で神かくしを起こしてもよかったが少し問題があった。それが紫、妖怪のせいであると判らせないと意味がなかったからだ。少し悩んで思いついた、人を集めるには人に近しい妖怪にやらせれば良いのだと。

 そんな事を思いついた時にこの妖怪狸の話を聞いた。思いついた時に都合良く現れたこの妖怪をどうあっても手元に欲しい、そう思った。

 

〆〆〆

 

「聞いていた話と違って素直なのね、少し驚いたけどまあいいわ」

「誰から何を聞いたかしらないけれど、話には尾ひれ背ひれが付くものよ?」

 

 地面に降り、紫は藍に施した物と同じ術式を構築しアヤメに向けて行使する。自慢の藍を引かせねばならないほどの力を持った妖怪なのだから、もっと拘束力の高いものを用意してもいたのだが、話してみて問題無いと判断した。お願いとは言葉だけで、実質絶対の命令だったそれを何も言い返す事なく聞き入れたアヤメに、強い拘束力は必要ないように思えたからだ。

 事実拘束力は必要なかった。

 

「さあ、術式は施しました。なにか異常は感じない?」

「ないわね、特に」

 

「あら、おかしいわ。何か間違ったのかしら?」

「間違った術式施すなんて、何処に目をつけているの? かわいい妖怪さん」

 

 二言ずつの会話を済ませ、それから一瞬の無言の時間が過ぎると紫が言葉を口にした。

 

「なぜ私の術式が貴女にはかかっていないのか、答えてもらえる?」

 

 アヤメに向かい間違いなく術を行使したのだ。術式内容にも間違いはないし、紫がそれを間違うような事は決してない‥‥なのにこの狸は式として主を崇めようともしないし、軽口まで叩いてみせる。

 今までに経験したことがないこの状況がわからず、少し動揺していた。

 

「さあ? あたしは何かしたように見えた?」

 

 焦りも見せない。

 してやったりという高慢なものも見せない。

 ただ薄く笑ってそう答えるアヤメ。

 紫にはそれがよくわからない何かに見えた。

 

「貴女が何かしたからこうなっているのではなくて? アヤメ」

 

 始めて紫がアヤメの名前を口にした。

 大妖怪の中で、この狸を気にもかけないただの手足という者から名前を呼び個を認めた者だと思わせた瞬間だった。

 

「そうね、少しだけヒントをあげるわ。確かにあたしは何かした、でもあたしから何かをしたわけじゃないのよ? 紫さん」

 

 今まで見せなかった朗らかな笑みを浮かべてアヤメも始めて紫の名を呼んだ。

 はるか頭上から見下ろしていた大妖怪を手の届く位置にまで引きずり下ろした、笑わずにはいられない瞬間だったからだ。 

 

「そう、よくわからないから力ずくでお願いを叶えたら聞かせてもらうわ。アヤメ」

 

 言葉とともに隙間が開く、だが開いたのはアヤメとは遠く離れた視界の先。

 足元に開かれるはずだった隙間は開く位置を逸れ、紫の狙いとは別の場所で開かれた。

 一瞬困惑したような紫だが気にせず同じように隙間が開く、今度はアヤメの裏手側。

 そこから轟音を立てる何か大きなモノが出てくる、灯りを灯し高速で向かってくる鉄の固まり。それはアヤメに向かうことなく、アヤメの頭上に現れた隙間に大きく捻じれ逸れていった。

 更に隙間が開かれる、今度は数個に囲まれる。

 アヤメは特に動くこともなく何が来るのか待つ姿勢で、大きな動きは見られない。隙間は開くだけ開いて何もせずに閉じて消えた。

 逃げようとしたアヤメを捕まえる足止めのようなものだったのかと、アヤメは一人納得し佇んだ。

 閉じた隙間が再度開かれた、先ほど鉄の固まりを飲み込んだ辺りの空に隙間が開く。

 今度はなんだと眺めるアヤメ、空気が震える程の妖気の波が背後の地面を穢し削りとった。

 眺めていると視界が揺れた、上下がブレて定まらない。

 これはたまらずアヤメが身構えるが、しばらくすると視線の先の木々が捻れて倒れていった。

 

「なんとなく理解出来るのだけど、どういう事なのかしら?」

 

 半分本音、半分は嘘だった。

 紫の隙間は思惑通りに開きその機能を発揮している。ただ開く場所や出そうとしたもの、起こそうとした物が紫の思惑から逸れた場所や現われ方をしているだけだ。

 故に半分は理解出来て半分は納得出来ないものだった。

 

「あたしに向かった何かがあたしを逸れて現れた。それだけよ」

 

 説明する気は無かったが言わねばいつまでも聞かれるだろう、仕方がないのでアヤメは少しだけ答えた。

 

「そう、ありがとう。逸れるのね、ずるいわ」

 

 答えを聞いて再度隙間に沈んで消えた。

 今の紫の発言は先ほどと違い、本音を吐き出していた。紫は能力自体も反則ともいえる力を持つがそれだけではない、能力と共に持ち合わせた頭脳も武器だった。

 

 何手も先を読み切り追い詰めていく戦い方を得意としている紫。

 今も手を変え先を読み動いていたようだが、先程のアヤメの返答から相性の悪さを理解してしまった。アヤメは逸れると言ったのだ、これは紫にとって面倒なものだった。

 自身の能力はなんの問題もなく発動できるが、それが思った通りに発動するかがわからないのだ。アヤメに放った式の術式もきっと逸れてしまったのだろう、やはり術式を間違えたわけではなかった。

 まだ能力を制限されたり無効化される方がやりやすいだろう、詰将棋のように自身の能力を行使する紫にはこの狸はやりにくい相手だった。

 

「そうだ、紫さんに聞きたいことがあるんだけど。今も聞いているかしら?」

 

 隙間に消えて姿を見せず、新しい隙間での攻撃もないためアヤメが誰もいない空間に向けて話しかける。

 声は真に迫ったり脅すようなものだったりはせず、落ち着いた声色。

 恐らく純粋に疑問があっての言葉だろう。

 

「何かしら」

 

 少し殺気混じりの声、きっと攻め手を練っていたのだろう。敵意が失せた気配はない。

 

「このままだとお互いジリ貧よ? けれど長引けばあたしが負けて死ぬと思うの? そこで残った疑問を晴らしておきたくなったの」

 

 事実だろう、アヤメの能力を使い続ければ拮抗は長引かせることが出来る。

 が決め手がないのだ。

 いつか紫の能力が逸れてもアヤメに致命傷を与える手が出てくるはずだ。

 そうなるくらい今の紫の幻想郷への思いは強いものだった。

 

「なに、単純に何のためのお願いだったのかと思ってね」

「私の手駒を増やすため」

 

「手駒を増やして何がしたいのって話よ、紫さん。あたしも死にたいわけじゃない。さっきの狐みたいになるのは勘弁だけど、内容次第じゃわからないわ」

 

 

〆〆

 

 

 嫌な夢だった、目覚めが悪いのはいつものことだが寝覚めまで悪いのは久々だ。

 こういう日は大概悪いことが待っている。

 今までの経験上大体そうなってきた。

 そしてそんな日は何もせずとも悪い事が向こうから寄ってくるのが常だった。

 今隣であたしの右手を握り、薄笑いをしている妖怪もそんな悪い事の一つなんだろう。

 本当に眠りの中から今までツイていない。

        

 

「おはよう。うなされていたから心配で手をとってみたのだけど、嫌な夢でも見ていたのかしら?」

「おはよう紫さん。覗いていたのよね、なら知っているでしょ。薄笑いを浮かべながら白白しいことをのたまうのはやめてもらいたいわ。デリカシーのない覗き魔は嫌いなの」

 

 右手は優しく握ったまま、左手をアヤメの頬に添えてそう聞いてくる紫。

 体はいつもの気持ち悪い隙間に半分埋まったままだ。

 

「好き嫌いは誰にでもあるものね、私もデリカシーのない輩は嫌いだわ」

 

 気が合うのね、なんて軽口は言わない。

 軽口叩く気分じゃないし通じないとわかっている相手に言うほどあたしの口は安くない。

 

「そう、なら視界から失せてくれるととても嬉しいわ。今一人になりたい気分なの」

「あらそう、気が利かなくてごめんなさい、でも私は今貴女を眺めていたい気分なの」

 

 紫の頬に左手を添えてそう告げると、紫はあたしの左手に自身の手を添えてそう答えた。

 表情はいつもよりもほんの少しだけ胡散臭さの薄い笑みだ。

 

 



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~地霊組小話その弐~
第十八話 釣り桶と橋見物 ~壱降~


 そういえばこの妖怪の山は大昔は荒ぶる火山だったと聞いた。

なんでも、外の世界でブサイクと罵られ耐え切れなくなった女神様が移り住んでからは少し落ち着き、煙が燻ぶる程度の山になったとか。

 里の人達は河童が工場建てて何か怪しい物を造って出している煙で、体に悪いんじゃないかと言っていた。気持ちはわからなくもないが、そんな大きな物建ててドンドコ生産していたら山の土地も川も汚れるだろうし、自身の住処を汚すほど河童も馬鹿ではないだろう。

 発明馬鹿ではあるけれど。

 

 そんな事を考えていると目的地で足を踏み外しそうになった。最近考え事をしながら歩くのが癖になってきたな、少し改めるべきだろうか。

 まあ今はそれは置いておいて目当ての底へと向かうとしよう。

 どこまでも落ちていきそうな穴を降る、相変わらず土の壁が続く景色だ、毎日毎日これを眺めて過ごすのはあたしにはきっと無理だろう。

 大概の物を楽しむ余裕は出てきたが、さすがに土味酒とは洒落込めない。

 娘々辺りなら土の楽しさを知っているのかね。

 天から注ぐお天道さまの優しい光が少しだけ届かなくなって来た頃、一瞬だけ光を反射させて揺れ動く物が目についた。

 キラリと光る鎌を手に、何処から釣られているのか根本が気になる木桶がこちらに突っ込んでくる。

 

「そぉぉのぉぉお首もらったああぁぁぁ。。、、」

 

 叫びと共に現われて叫びと共に過ぎていった木桶、ここを通る度に毎回これだ、場所も行動もまったく変わらない。

 随分前の面倒なお使いの時にヤマメやパルスィと共にいた木桶の妖怪少女、キスメだ。

 本人の前で木桶の妖怪なんて言ってから毎回毎回首を狙われるようになった、見た目そのままだから間違ってはいないはずだが彼女曰く釣瓶落としなんだそうだ。

 木桶に収まり首を狙う辺り正しく釣瓶落としをしている今の姿、知り合った地底の妖怪の中で噂通りに恐ろしい地底の妖怪を体現しているのは唯一彼女だけかもしれない。

 

 

「ぁぁぁああ待あああてええぇぇぇぇ。。、、」

 

 振り子の軌道であたしを狙ってくるのはいいんだが、何度やっても逸らされている実感はないんだろうか。交差する瞬間しか狙い目がないのに今まで一度も近くをすれ違う事がないんだ、そろそろ気がついてもいいだろうに。

 何時だか上から眺めていたヤマメは笑っていただろう?

 なんで笑っていたのか考えず、一途に頑張る姿を見ると一回くらいはと思ってしまうから困る。

 さて、いつも通りならそろそろ振れが収まり静かになる頃だが‥‥

 案の定止まったか、今日も拾って行くことにしましょう。

 

「いつもありがとう、ヤマメがいればヤマメにお願いするんだけど」

「別にいいわ、ついでよ、ついで」

 

 止まると急に大人しくなる、桶と感情の振れ幅が比例しているのかねこの子。この辺のギャップがヤマメが可愛いがる要素なのだろうか、だとすればわからなくもない。

 自分で歩くことも出来るらしいがどうやら桶の中がお気に入りらしい、落ち着くのだと。それこそ出て歩くよりも中に居たいほどには。ヤマメやあたしがいない時はどうしてるのかと聞いたことがある、転がるのだそうだ。

 徹底してるわ。

 

 木桶抱えてゆるゆる降ると途中で気がつく、ヤマメが出ない。

 いつもならキスメと同時に来るんだが、話を聞けば旧都で用事だそうだ、いつも暇しているくせに来た時に用事だとは、来た時くらい遊んで欲しい。

 キスメに遊びに来てると伝言を頼み、そろそろと先へ降りていく。

 こうやってキスメを抱え旧地獄の繁華街に行くのももう慣れたわけだし、これ以上余計な事考えていると時間ばっかりかかってしまう。木桶を町に置いてきて今日の本題、目当ての相手のところへ向かう。いつもの所にいないのが珍しいが、ゆっくり腰掛け待つとしよう。

 

~少女待ちぼうけ~

 

 葉を踏み消して三回目、人待ちしながら煙管を灯す。

 化かす相手を待つのにゃ慣れたが、なにも仕掛けず待つのは稀だ。

 それでも別段つらくはない、ただ待つだけでも楽しいと、少し前に教わった。

 それに会話がないわけでもない、少しだけだが知り合いも出来た。

 いつかの過激な弾幕ごっこ、あれのおかげで街を歩けば、狸の姐さんなんて呼び止める連中が少しだけだが出来た。名が知れた原因の相手となったあの鬼は、こっちでも顔が売れてよかったじゃないか、これで暇も少しは潰せるだろう。

 なんて言っては笑っていたけど、声をかけて来るのは血の気の多い勝ち気な女と、鼻の下が伸びてしまっている男くらいで暇を埋める相手にはなり得ない事が多い。女の方は威勢はいいが強めに睨むと押し黙る、黙るくらいなら喧嘩を売るな、それでも男共よりは幾分マシだが。

 男の方は二人ほど、ニヤニヤと声をかけてきた。

 今のあたしは人待ちだ、客待ちじゃない。

 声かけられて悪い気はしないがそこまで緩くはないつもり。 

 いらぬ相手はすぐに来るが想い人は中々来ない、少し焦れったいような気分になるが、彼女はこれよりも強く重い気持ちで待ち続けたのかと思うと、気の長い人だったのかねと一人で頷き川を眺めた。

 そうして望まない持て囃され方をされているとやっと登場、待ち人来る。歩く動きに金髪揺らして、緑の眼はもっと揺らして。

 

「風呂敷敷いて私を待つなんて、憑り殺されたいの?」

「衣敷いて待ってたわけじゃないんだ、妬む程度で勘弁してよ」

 

 今日の本題、水橋パルスィ。嫉妬の権化橋姫さんだ。

 嫉妬にかられとらわれて、生きながらにして鬼神になった。妬んだ相手とその縁者、ついでに橋姫を嫌った相手全てを憑り殺した恐ろしい妖怪。元は公卿の娘さんだかどこぞの高貴な娘さんらしいけれど、思い一つで人の身を捨て妖怪になるんだ大したものだ。

 これだから人間の感情は恐ろしい。

 それでも一番の想いを向けた相手だけは憑り殺せなかったというあたり、人間だった名残が見える。

 

 相手を想って殺さなかったのか相手から想われたくて殺せなかったのか、真意は本人しかわからないだろうが。

 

「わざわざ妬まれに来るほど余裕があるのね、妬ましいわ」

「むしろ余って困るほどさ、それに今日は遊びついでにお礼に来たのよ?」

 

 少し前、妖怪神社の宴会で思い出してから度々使っている言葉。

 パルスィがいなけりゃ面白い使い方が判らなかった妬ましい。

 中々応用が聞いて面白い言葉を教えてくれた、お礼でも一つ。

 そう考えての今日の橋姫参り。

 

「礼を言われる事なんてなにもしてないわ、勝手に感謝しないで」

「言いたくなったから言いに来ただけよ、勝手にするわ」

 

「貴女のそういうへこたれないところが妬ましいのよ」

 

 さすが本家だすぐに出てくる、ここまでになるにはまだまだなあたし、もっと使い慣れていかないとダメだね。まあパルスィの場合は性分だ、慣れどうこうではないと思うが。

 

「あら、パルスィの方こそすぐに言葉が見つかって妬ましいわよ?」

「どういう意味かわからないけど、褒められてはいない気がするわ」

 

「感がいいのね、妬ましい」

 

 クスクスと笑いながら返答していくとなにか察したようで、パルスィの顔に面倒臭いと出ている。そんなに怖い目で睨まないで欲しい、唯でさえ恐ろしげな、もとい神秘的な眼をしているのだから。

 

「あからさまに面倒な者を見る顔されると悲しいわ、涙で袖を濡らしてしまいそう」

「そのままで袖が朽ちるほど泣き通すといいわ」

 

 自前の小袖で涙を拭って見せるけれど歯牙にもかけられない。

 けれど言葉遊びにはのってくるあたりさほど面倒とも思われてはいないらしい。

 本当に面倒ならこうして相手はしてくれないか。

 

「ノリが悪いわね、妬ましい」

「使うなら正しく使ってほしいわね、何にでも使わないで」

 

 今日はいつもの相方がいないのにつっこみも冴えているじゃないか。

 

「厳しいのね、目敏いわ妬ましい」

「まあ、それくらいならいいわ」

 

「いいの?」

「言ったところでやめないんでしょう?なら止めるよりも使い方を間違わせない方を選んだだけよ。嬉しそうな顔しないで」

 

 なるほど、建設的な物の考え方だ。

 長いこと建造物の守り神をやっていたのは伊達じゃないな。

 今は鬼神としての在り方が目立つが、一度は守り神となったのだから、それが消える事などもそうはないのか。

 

「思いがけず公認してもらえたわ。今日はいい日ねパルスィ、こんな日は酒よ、酒」

「勇儀みたいに言わないで、鬱陶しいわ‥‥おごりよ」

 

「それくらいなら喜んで、姐さんにおごるほど余裕はないが一人くらいならなんとかなるさ」

「喜ばないで妬ましい、私も一応鬼神で鬼よ。アヤメの懐、少しは軽くしてあげるわ」

 

 嫉妬に狂った女神様と調子を狂わせる化け狸。

 二人で向かうは旧都の酒場、多分話を聞きつけてうるさい鬼もやって来る。

 そうなったならキスメも呼んで、ヤマメも探して宴会だ。

 知らぬ間に一人増えるだろうが、そこは気にせず楽しもう。

 知らぬ間に増えるのは瞳を閉じた妹妖怪、毎度毎回たかりに現れてくれてあの娘はまったく、どうせ来るなら姉やペットも連れてくればいいのにね。

 顔を合わせて飲むのなら、人数増やして、笑顔増やして。

 そうした方が、きっと楽しい。



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第十九話 卓談義 ~弐沈~

ガールズトーク ではないですね。
ガールズのトークではありますが。


 昔々、まだ人間が神様を神様として心の底から信じていた頃。

 神々を崇め奉る事が生活の中に当たり前にあった頃の話だ。

 その頃はなんでもかんでも神を想って行われることは大概が神事とされた。

 それこそ田植えでも商売でも、なんでもだ。

 神社仏閣への参拝・奉納は当然として、道祖神や地蔵様に手を合わせ感謝をしたり、子が七歳まで生き元気に育てば神への感謝をしたりと。

 この辺りは今でも当間の神事として残り執り行われているが、昔はもう少しちがうものも神事ととして執り行われていた。

 

 そんな少しちがう神事の一つに人が神を想い造っていた酒がある。

 神に近い清純な者、もしくはそれに近しい立場の者、例えば神に仕える純潔な巫女。

 その巫女が自らの口で原料を噛み吐き溜めた物を口噛みの酒として神に奉納していた。

 人の唾液で原料のデンプンを糖へと変える。

 それをある程度吐き溜め、その辺りに漂っている自然界の酵母に任せて醸させた。

 なんともおおざっぱな造りのお酒だ。

 

 

「という酒を人間は造ってた事があるのさ」

「口噛み酒ってやつかい、姐さん」 

{そんなお酒があるのね。味は?おいしいの?}

 

「あたしは飲んだことがない、だからわからん」

「酒と名のつくものなら何でも飲んでいるような勇儀が味を知らないなんて、本当にあるのか疑わしいわね」

 

 前述通りにパルスィとゆっくり二人飲み、というわけにはいかず。

 予想通り勇儀姐さんが何処からか騒がしくやってきて、今は姦しく三人+一人で卓を囲んでいる。

 三人+一人なんて変な言い方をした理由はあたしの隣にいる、はずの少女。

 最初からいたのか、途中から参加したのかわからないがいつの間にか隣に座り、いつの間にか飲み食い始めていた目を瞑った覚り妖怪。

 楽しんでいるのか、酔っているのかすらわからないこの娘。

 毎度の事ながらよくわからない。

 姉の方はまだ口車にノッてくるし会話も楽しめるが、こっちの妹、古明地こいしは本当によくわからない。

 姉が言うには、他者の心を読みそこから嫌われるのが怖いから自ら心を読む第三の目を閉じた、なんて話で、その結果本人の意識とは関係ない無意識での行動をするようになったそうだ。

 見た限り本人に明確な意識があるのかも分からないが、なにかしらはあるのだろう。動く無意識といった存在であるため、誰かに認識される事もなくフラフラ流れて、どこかしらで何かしらしているそうだ。

 そうだ。ようだ。と曖昧な言い方ばかりだが、あたしにだってよくわらないんだ。

 聞いて体験した以上の事は言えない。

 少しだけわかるとすれば、隣に座ってくれて一緒に卓を囲んでもいい、それくらいの仲だと思ってもらえているのかもしれないって事くらいか。  

 

「あたしは嘘は言わないよ、酒はあった。でも飲めなかった」

{飲めなかったの?}

 

「ああそうさ、食い意地の張った同胞がそれを飲んで目の前で溶けて散ったんだ。そういうもんだと思って飲めなかったのさ」

 

 飲めなかった酒の代わりに目の前の盃を煽る鬼。そりゃあそうだ、神に使える者が神を想って自ら造った酒なんだ、穢れを払うありがたい物になっていてもおかしくはない。それでも話で味の検討はついたな、ひとつ知らない酒の味を教えてあげるとしましょうか。

 

「神事で祀られたお神酒を飲んで死ぬとはそりゃまた豪胆な鬼さんだ、飲んだ酒もさぞかし美味かったんだろうよ」

{天にも昇るおいしいお酒って事?}

 

「先にオチを言ったのは誰かしら? 姐さん?」

「あたしじゃないさ」

「つまらないオチね」

 

 二人じゃないなら妹か。

 無意識からのボケ殺しされては言い返す言葉もない‥‥どうして仕返ししてやろう。

 この妹にイタズラするのがとても難しくて面白い。

 あたしが気が付けない相手をどうやってはめてやろうか?

 そうだね、少し思いついた。

 先に頼んだ肴もなくなったし追加で頼んで仕掛けよう。

 うまくはまればめっけ物、外した時は笑ってネタバラシだ。

 

「あ、お兄さん、追加の注文いい? 焼き物四本ずつ適当に、それと出汁巻きと焼き味噌お願いね」

「おい、あたしの酒も出してくれていいよ。まだ置き酒があるだろう?」

「四本ってまだあの妹はいるの? 気がつけるなんて妬ましいわね」

 

 いるかどうかは正確にはわからないが、隣の肴が減っていくんだ、きっとまだいるだろう。

 ならいる体で頼んでおけば割り当てに困ることもない。

 頼んだ肴が届くまで三人+一人での愉快な話。

 パルスィからは、勇儀は少しくらいは後先考えて飲め! という、鬼にはどう考えても無理な要求を言われていたが、姐さんは気にせず笑っていた。無茶な要求を言われても笑い飛ばして済ませる辺り、姐さんがパルスィを気に入っているのがわかる。

 毎日毎日他人の良いところ見つけては妬んでいる妖怪だ、人の良いところをズバズバと、おくびもなく言い放つ様は見ていて清々しい。あたしはこの辺が気に入っているのだが、姐さんはどう思っているんだろうね?

 そんなパルスィは今も横で、ヤマメは何処で油売ってるの? だの、知らないところで楽しんでるなんて妬ましいだの言っているし。

 もしかしてもう酔っているのだろうか。

 

 パルスィを笑いながらあたしも少し場の波に乗る。

 普通にしたら整った顔立ちで可愛らしいのに、さとりはジト目ばかりで勿体ないね。

 と、姉の話題を振ってみる。

 すると、お姉ちゃんにも結構可愛いところあるよ?

 お空が火加減間違えて間欠泉地下センターが吹っ飛びかけてオロオロしてたのは可笑しかったわだの。

 お燐とお空が風呂に入った後の毛や羽毛の掃除を一人で楽しそうな顔してやっているだの。

 色々と身内の可愛いアピールが出てきた。

 無意識でこれだけ色々出てくるんだ、よほど姉が好きなのだろう。

 話の内容は、可愛さよりもからかうネタにしかならないようなものばかりだけど。 

 そんな取り留めもない話を膨らませては笑っていると頼んだ肴も大方揃う。

 

「そうだ姐さん、盃貸してよ。賭けの報酬もらわなくっちゃ」

「おう、使え。そして楽しんだら二回戦だ、その白徳利寄越せ」

{あれ、焼き鳥が逃げてくよ?}

「またやるの?血の気が多くて結構な事ね」

 

 以前の弾幕ごっこ(物理)で勝った報酬、鬼の四天王の持つお宝。

 星熊盃を借り受け、借りた盃に自分の酒を注ぐ。

 一升入る盃に並々注がれ揺らめく水面をひと睨み。

 それをそのままするっと飲み干す。

 盃をぐいっと空けてしばし無言、余韻を味わう。

 尻尾が無意識に揺れる。

 

「うん‥‥うまい。酒器が変われば味も変わるって聞くけどこの盃はさすが別格、ゆっくり味わえないのが残念だわ」

「そうだろうそうだろう、自慢の品さ」

{おかしい、全然掴めないわ}

「本当に美味しいのね、いい顔するわ妬ましい。そういえば、さっきから勝手に焼き鳥が動きまわっているけど何かの催し?」

 

 飲み慣れた自分の酒でもまるで格が変わったようにウマイ。

 この星熊盃の効果だろう、注がれた酒のランクを上げるという酒好きにはたまらない名品だ。

 もう何度か話した姐さんとの弾幕ごっこ(物理)で勝った報酬で、酒宴の時には貸してくれという条件をつけてこうしてたまに借りている物だ。

 あたしの大事な白徳利を狙われたんだ、借りるくらいはいいだろう。

 勝ったら寄越せでもよかっただろうが、取り返しに来た! と喧嘩売られるのが目に見えるので、この借りるという案は中々良い案だったと自負している。

 さて、酒も楽しんだしそろそろいいかと能力を解く。

 オチを言われた仕返しに焼き鳥にちょっとしたイタズラをしたのだ、串に向かって伸ばされる手から逸れるようにと。

 気が付けない妹に直接能力行使は難しいが、こっちなら楽なもんだ。

 

{やっと捕まえた!}「あたしもこいしを捕まえた」

 

 念願の焼き鳥を掴んで立ち上がり、喜ぶこいしの腹をぐるっと尻尾で一巻き。

 こんな風にはしゃいで存在アピールでもしてくれなきゃ、こうして見つけて捕まえるなんて事出来やしない。

 

「いきのいい焼き鳥だったわね、こいし」

「お、妹。モフモフで羨ましいな」

「あはは、捕まった」 

「あら、まだいたのね」

 

 楽しそうに焼き鳥を頬張るのはいいんだが、串を触った手でそのまま尻尾を撫でるのはやめてくれないか妹さん。

 濡れるのはまあいいがべたつくのはちょっと嫌だわ。

 始まってからしばらく過ぎたが、やっと三人+一人から四人の宴会へとかわった。

 

 何度かこうしてとっ捕まえて分かったことだが、『こいしが捕まっている』と認識できれば姐さんもパルスィもこいしに気が付き会話もできる。

 尻尾に包まれた誰かがそこにいると分かる事が大事なようだ。

 後はこのまま四人で騒いで、ほどほどに場が盛り上がった頃にはヤマメとキスメも来るだろう。

 いつも途中でいなくなりお代も払わず消えていく。

 タチの悪い妹妖怪を酔い潰す勢いで飲ませながら地底の酒宴は続いていく。



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第二十話 素直な地底それと太陽 ~参終~

地霊殿三部物おしまい。



 これでどこまでも続く夜空か、ちらちらと舞う雪でも振っていればとても風流だわ。

 ついでに鹿威しでもカポンと鳴れば雰囲気増すかしら?

 なんて思いながら少し浅めに座り湯船に背を預ける。

 湯船に浮かべたお盆の上でお銚子と少しだけ飲みくちの歪んだお猪口が、あたしの動きに合わせて揺れる。

 

 いや‥‥さっきの言葉は訂正しよう、景色は今でも十分だ。

 前方に浮かぶ、大小合わせた山三つ。

 左右の二つは重力に負け少し横に広がり、真ん中の赤い山は左右の山より少し低いが定期的に淡く輝く。

 鼓動のように光るそれを見ながらちびちびとお猪口を空けるのも十分に粋だろう。

 その横で揺れている二本の尻尾もいいだろう。

 塗れすぼみ細くなっている尾は湯から出されて小さく揺れており、立ち上る湯気のようだ。

 尾の持ち主も目を細め良い気分だと顔に出している。

 無言で湯船に浸かるだけでもこれだけ楽しめるのだ、頻繁に遊びに来てもいいかもしれない。

 ほら、今なんて山が沈んでいく。

 赤く輝く小山の方は山間に沈んでいくお天道様という感じかね。

 日が沈んでから対の黒く大きな翼がぷかり、おぉ今度は夜になった。

 左足のくるくる回る球、これはそう。お星様といったところか。

 あたしはこの子の評価を改めないといけないね、これほど粋だと思わなかったわ。

 

~少女茹で上がり~

 

「烏の癖に長風呂するから湯当たりするのよ、自分で沸かした湯だろうに‥‥まったく、熱くなったなら出なさいね」

 

 全身をピンク色にし湯気をたて、あたしの膝を枕にして脱衣場で横になる小粋な地獄烏をうちわで扇ぎながら優しく叱る。

 幼子をあやすような仕草と捉えてもらえればわかりやすいかもしれない。

 あたしはこの子には少し甘い、自分でもそうわかるくらいには甘いだろう。

 飼い主に『愛でるものですよ』と言われたからというわけではない。

 この子は少し純粋過ぎるのだ。

 あたしが何をやっても目を輝かせて喜ぶし、ほんの少し騙しても大げさに騒ぎ立てる。

 怒って騒ぎ立てるのではなく、自分の知らなかった不思議を見つけて大興奮といったところだ。

 何をしてもこの調子なのでそのうち騙したりする機会も減り、柄にもなく素直に接することが出来るようになった。

 ここの主にこの子に対する態度を見られ驚かれるくらいの素直さだ。

 てゐにでも見られたら泡吹かれるかもしれないね。

 

「すまないねぇ狸のお姉さん。お空、大丈夫かい?」

 

 冷水とタオルを取りに戻ったお燐が戻り、あたしとお空に気を使ってくれるがこの子も素直な子だと思う。

 お空とは少しちがう、自分に対しての素直さという意味だが。

 お燐の持ってきてくれた、底に蛙の描かれた黄色い手桶でタオルを絞りお空の首に当てる。

 気持ちが良いのか表情が多少穏やかなものになる。

 数回絞って拭ってを繰り返すと水も温くなり量も減ってきた。

 お燐に冷水のおかわりを頼むと笑顔で受け取り走っていた。

 

 この二匹は仲が良い。

 同じペットという立場もあるのだろうが、それを差し引いても親友のような雰囲気で互いを想い合っているようだ。

 そんな二匹を眺めているのは心地よかった。

 

「うにゅ、あっつぃ……」

「今お燐が冷水汲みに行ってるからそのまま、寝てなさい」

 

 体を起こそうとするお空を手で制し、はだけてしまった浴衣を直す。

 胸元を直す際にどうしても目に入る赤い瞳のような球体。

 お空の内に宿った八咫烏の目だ、その目は先ほど湯船で見た時と変わらず明暗を繰り返しながら灯る。変わらず灯るそれがお空の鼓動のように感じられて少し安心した。

 さきほど星と称した左足、装飾品ではなくお空の能力に関したもの。

 この世に目には見えないサイズで漂っている何かを模しているらしい。

 おぼろげな意識の本人とはちがい一定した周期で回っている。

 

 普段ならこれに、能力を制御するため右腕に着ける『足』と鉄のブーツ、内側に夜空柄をあしらったきれいなマント、長い髪を纏める緑の大きなリボンでお空の姿になるのだがそれはまた、元気を取り戻した頃に話そう。

 

「‥‥目つきも手つきも考えていることも、そうしていると母親のようですね」

「あたしの子にしては足が一本足りないわ、翼も余計で尻尾もないわね」

 

 黒く大きな翼を撫でながら、声の本人を見ることなく答える。

 黒い翼と言えばあの烏天狗を思いつくが、同じ黒翼持ちでもなぜこうまで素直な子と捻くれた者と違いが出るのだろう?環境もあるだろうがまぁ年齢だろうな。

 

「うにゅぅ‥‥さとり様?」

「この子はまったく、もうしばらくそうしていなさい」

「そう言えばこいしはどうしたの?」

 

 そこにいるのにいない妹妖怪。

 小一時間くらい前まで続いていた女子会で勇儀姐さんに飲まされて、潰れるように寝たこいし。

 本格的に寝潰れて仕方がないから地霊殿までおぶってきた。 

 潰れる妹を心配そうに見た後にいつもよりも冷たいジト目で睨んできたが、すぐにいつものジト目に戻ると妹を受け取り中へ招き入れてくれた。

 いつもの客間で少し待つと、妹を寝かせた姉が戻り風呂を薦めてくれたわけだ。

 妹の事を気にしてか風呂だけ薦めてすぐに去ったが、第三の目は少し毛並みの乱れた縞尻尾を去り際まで見つめていた。

 

「動くのもイヤなのか、素直に寝たようです。重ね重ねありがとうございます」

「お空はともかくこいしの方は止めなかったあたしが悪い、礼はいいわ」

 

 あの場でこいしが標的にならなければきっとあたしが狙われていただろう。

 パルスィは遅れて来たヤマメの方に逃げていたしキスメに任すのは無理だった。

 先に寝こけていたしね。

 まあ、いつもタダ酒タダ飯食わせていたツケだ。

 たまにはいいだろう、成りは幼いが妖怪だ。

 深酒でどうにかなる事もない。

 

「ここからは私が見るので着替えたらどうですか、さすがに気になります」

「あたしは別に気にしないけど、以前別の友人にも似たような事言われたし、浴衣くらい羽織ってくるわ」

 

 タオル一枚でいる自分の体を一瞥。

 いつだかてゐからありがたい助言をもらったことを思い出し、小さな思い出し笑いをしながら客人用の浴衣に袖を通した。

 着替えて戻るとお燐が先に戻っていた。

 さっきの黄色い桶よりも大きな木桶に冷水を汲んで戻って来たようだ。

 言われた以上の事ができるペット。

 少し感心した。

 

「後は任せて大丈夫そうね、なら落ち着いたら帰るわね」

「狸のお姉さん帰るのかい?それは困った、着物がないよ」

 

 背中側の肩口に少しだけど饐えたような臭いがしてさ、お姉さんがお風呂に入った時に軽く押し洗いをして干してあるところなんだ。

 そういえばこいしが少しやらかしたか、と道中を思い出し軽く笑う。

 あのウワバミに付き合って、許容量を溢れて周りが濡れるほど酒を飲まされたんだ、仕方ない。

 

「ならどうしたもんかね、浴衣もらっていいならこのまま帰るけど」

「部屋も余っていますし泊まっていってもいいですよ、妹の粗相が原因ですしね」

 

 さとりから泊まっていけというのは珍しかった。

 普段はあたしが泊めてくれ帰りたくない外にでると鬼が怖いと強く思い込んで、しょうがないですねまったく。

 という流れで毎回泊まっている。

 妹の粗相を本当に悪かったと感じているのか、他に何かあるのかさとりの心は分からないが今は誘いをありがたく受けよう。

 

「じゃあもうひとっ風呂浴びて飲み直すわ、お燐付き合う?」

「嬉しいけどお空を見てるよ、また後でね。お姉さん」

 

 お燐に振られて一人で浸かり、水の起こすチャポンという音しか聞こえない広々とした露天風呂で周囲に望む旧都の灯りを肴に、ゆっくりと一人酒を楽しんだ。

 

 

 風呂から上がると皆の姿はなく、さっきまであたしの着ていた浴衣とは別の浴衣が置かれていた。

 そこまで気にすることもないだろうにと思ったが、珍しくお客様扱いされているのかと感じ、薄く微笑み袖を通した。

 

 脱衣場を出ると見慣れない鳥が一羽あたしを睨む。

 並んだらあたしと同じかそれよりも大きく見えるやたら目つきの悪い鳥。

 目が合うと振り返り歩き出した、随分愛想のない案内係だ。

 

 泊まる部屋へと案内されるかと思えばさとりの書斎へ案内された。

 扉に手をかけたのを見るとまた睨まれ、すぐに目を伏せ何処かへ行った。

 ごゆっくりとでも言ってくれたのだろうか。

 

「眼力のある案内係ね」

「とても気が効いて良い子なんですよ、あれでも」 

 

 お客様(仮)の案内係を任されるくらいだ、言うとおり気も利いて頭も良いのだろう。

 鳥のくせに飛ぶことなくあたしに合わせて歩くくらいなのだから。

 お客様(仮)に粗相を見せない出来た鳥だ。ん?鳥だからお客様(雁)のがいいかね。

 

「貴女は狸でしょう? それにあの子は雁ではなくハシビロコウです」

「そうね、狸だったわ」

 

 やはり口に出さずに会話をするのは慣れない。

 いつもの軽口が言葉として出る前に相手に伝わるというのに違和感があるのかね。

 タネと仕掛けを説明しながらやる手品みたいなもんか。

 手品師や詐欺師もさとり相手は分が悪そうだ。

 てゐや永琳なら言い負かす事も出来そうだが。

 

「どちらも会いたくないですね。心を読まれているのに論戦で勝つかもしれない、と貴女が言う相手なんて」

「おや、あたしはかわれているんだな、少し意外だ」

 

 態度も表情もいつ会っても変わらないさとり。

 対比で言われるほどかわれているとは意外だった。

 かってくれるなら何年ぶりか覚えていないが久しぶりに狸の姿に戻って甘えてみようか。

 

「そうやって、すぐに言葉を逸らして考えるのは貴女の悪い癖ですね」

「能力もあるが性分だ、勘弁してほしいわ」

 

 お空やお燐に見せるような素直さを見せてみろって嫌味かね。

 中々、この娘も口が減らない。

 千年以上も続いてる悪癖だ、染み付いてしまっている。

 すぐには素直になれそうにない。

 

「そうですね‥‥ですが、素直になれそうにない、と素直に考えられるくらいの素直さはあるようですね」

「やっぱりあたしじゃ口喧嘩で勝てそうにないわね」

 

 素直に負けを認めてみれば嫌味を畳み掛けられた、これは本当に勝てそうにないわ。

 負け惜しみに能力使って騒がしくしてやろうかしら。

 

「またそうやって、私も少しだけ素直な事を言ってみただけですよ」

 

 ふむ、では嫌味ではなかったと。

 ならなんだい?ああ、素直に褒めてくれたのか。

 意外と可愛いところがあるじゃないか。

 常にそんな感じでいてくれれば、あたしももう少し素直に接することが出来るかもしれないのに。

 

「割にあわないと思うので今まで通り変わりませんね」

「それは、残念ね」

 

 話の途中からあたしを一切見ることがなくなってしまった第三の目。

 どうにか目を合わせてやろうとくねくねと体をくねらせるあたしは、知らない人から見れば幼女を視姦する変態に見えた事だろう。

 

〆〆

 

 宿泊用のベッドで目覚め見慣れない天井に目をやると、地霊殿の庭に面する窓から光が差していた。

 ここは地下、お天道さまの光ではない。

 いつもの調子に戻ったお空が元気に燃やしている光だろう。

 ベッドの上から周囲を見渡すと、ベッドに備え付けられたチェスト横のソファーには見慣れない、白地に赤の薔薇刺繍をあしらった着物が畳まれ置かれている。

 どうやらあたしの着物はまだ陰干しされているようだ。

 折角用意してくれたのだしと、起きだし着替え部屋を出る。

 扉の脇には昨晩の気が利く案内係が待っていた。

 

「おはよう」

 

 挨拶を聞くとまた先に歩き出した案内係、今度は何処へ案内してくれるのだろう。

 廊下を曲がりお空の灯りを窓越しに見ながらついていくと少し奥まった場所に作られた扉の前で泊まる。

 中へと入ると大きめのテーブルが部屋中央に収まり燭台が飾ってある。

 周りには八脚の椅子。

 食堂かねと案内係に聞いてみたが返事はない。

 案内は済んだと言うように睨み、案内係はまた何処かへと歩いて行った。

 あいつは飛べないのかね。

 

「飛べますよ、得意なようです。おはようございます」

「てっきり飛べない種類なのかと思ったわ、おはよう」

 

 食堂奥の通路から出てきたのはさとり、その手にはトレーにのったティーセット。

 朝からお茶を淹れてくれる人がてゐ意外でいるとは思わなかった。

 

「まだお客様ですからね、着られるようでなによりです」

「ありがとう、後で洗って干してから返すわ」

 

 とても綺麗に仕立てられた上等な着物だ、刺繍もきれいな仕上がりで肌触りも良く上品。

 さとりやこいしが和服を来ている姿は見たことがないが、きっと館の誰かの物だろう。

 二人が着るには少し丈が長い。

 

「良ければ差し上げます、私達は和服は着ませんし」

「いいのかしら、良い物だと思うけど」

「構いません、着られない所で寝かせているよりも着てくれる人がいるほうが着物も喜ぶでしょう」

 

 どうしたんだろうか、昨晩といい妙にさとりが優しく思える。

 なにかあたしはしでかしたかね、最近は大きな迷惑をかけたりしてはいないはずだが。

 思い当たるフシがなくて困るのは久しぶりだ。

 

「素直にありがとうと言ってくれてもいいんですよ」

「そうね、ありがとう。大切にするわ」

 

 折角だ、少し科でもつくって見せればさとりも褒めたりするのかね?

 昨晩の素直さが残っているなら正直な意見が聞けそうで面白いだろうな。

 

「ええそうですね、良く似合っていますよ」

 

 きっと素直に褒めてくれているんだろうが、今までを思うと素直に喜べないのはなぜだろう。

 また何か言われるかと思ったがそれ以降何かを言われることはなく、静かに朝のティータイムは過ぎていった。

 通した袖を眺めてみたり、刺繍を指で追っていると第三の目があたしを見ていた。

 いつもよりは優しそうな瞳に思えたが、誰かが元気よく玄関を開け放った音が聞こえるといつものジト目に戻っていた。

 

 

「さとり様おはようございます!」 

「おはようお空、お客様がいるのだから静かにね」

 

「お客様? おぉアヤメ! おはようございます!」

「おはよう、今朝も元気ね」

 

 昨晩の弱り具合が嘘のように元気なお空、立ち直りが早いのもこの子の良いところだろう。

 昨晩は着けていなかった『足』やマントを振り挨拶とともに寄ってくる。

 

「アヤメ可愛いね! どうしたのその格好!」

「ありがとう、さとりがくれたの。似合うでしょ」

 

「うん可愛い! さとり様! あたしも欲しいです!」

「お空、仕事の途中でしょう。続きは仕事が済んでから」

「はい、さとり様! 行ってきます! アヤメもまたね!」

 

 キラキラした目であたしを褒めて、そのままさとりにお願いをする。

 頭のリボンを揺らしながら主人に願い事をする姿がとても可愛くて笑ってしまった。

 笑ったあたしを第三の目が見ているがなぜか気にならず素直に笑うことが出来た。

 今のあたしはどんな風に笑っているのだろうか、昨晩さとりに言われたことを少し思い出した。

 

「お母さん」

「わかってるから言わないで、恥ずかしいから」

 

〆〆

 

 気怠い朝を過ごし、そろそろお暇するかと考えて、地霊殿の外に出て煙管を咥え空を眺む。

 地下なので正確には空ではないのだが、地面から見上げて遠くまで空間が広がっているように見えるなら空と言ってもいいだろう。

 見上げたままで煙管をふかし背後の相手に声をかけた。

 

「見送りまでするなんて、本当にどうしたの?」

「なんとなく、ですよ。意味はありません」

 

 たまに泊まってもさとりが見送りなんてした事はなかった。

 してくれるのはお空とお燐ばかりだったし。

 

「お空が気になりますか、もう少し待てばまた来ますよ」

「気にならなくもないが、本当にどうしたんだい? 何が言いたい?」

 

 さとりにしては歯切れが悪い、普段はもっとズケズケと言ってくるのに。

 あたしの思考を読んでいるんだ、どうするべきか分かるだろう?

 あたしにはどうしたらいいのかわからないのだから、言葉にされないとわからん。

 

「そう、そうですね、素直に言いましょう。少しだけ羨ましいと思ったんですよ」

 

 羨ましい、か。

 何が羨ましいんだろうか?

 昨晩あった事と言えば寝こけるこいしをおぶってきたのと、お空がのぼせてピンク烏になっていた事くらいしかない。

 面倒事しか起きてないなそういえば。

 後は何があったか。

 ああそうか、お空を快方している時あたしはタオル一枚でそれを注意されたっけか。

 大丈夫、さとりもまだ見た目だけは子供だこれから成ち……

 

「それ以上はいいです、そこではないですし。吐くほどに酔いつぶれるこいしを私は今まで見たことがありませんでした。それにお空を見る貴女、ペットに優しいのは嬉しいのですが、あんな風にペットを見ることも私はなかったので‥‥羨ましい、そう思ったんですよ」

 

 なんだい、そんな事か。

 なら言うが、こいしに対して心が読めないからと少し距離を取り過ぎだ。

 こいしは酒の席で楽しそうに姉やペットの話をしてた。

 きっとさとりが考えているよりもあの子はお前を見ているよ。

 お空もそうだ、のぼせてぼんやりした頭でも最初に呼んだ名前はさとりだった。

 お前がペットをどう見ていようがあの子達はお前を慕っているよ。

 こいしとは違って心が読めるんだからそんな事はわかるだろうに。

 

「そうですね、貴女の言うとおりだと思います。ああもう、わざわざ能力使ってくれなくても一度読めばわかりますから‥‥ありがとうございます」

 

 こいしはともかく、お空の方では少しだけさとりに嫉妬したんだ。

 恥ずかしいから言わせないでほしいのに。

 そんなだから覚りは嫌われるのよ。

 そういえばこの着物も何か理由があってついでに話してくれるかと思ったが、そんなことはなかったね。

 

「それは、お空の介抱をしてくれたお礼と少し悪かったなという‥‥いえ、母のような目で見つめられるお空が少しだけ妬ましかったのかもしれませんね。身内を妬んだ。それに対する一人よがりの謝罪の品、といったところです」

 

 お母さんが膝枕してあげようか?

 なんだよ、そんな目で見るなよ、妬ましい。

 






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~星蓮組小話~
第二十一話 賢将と難題 ~ひとつ~


地以外でも続き物を、と。


 お日様が高くまで登るようになってきた。

 少しだけ暑さを感じるようになり、幻想郷の空に初夏ですよ~と告げる妖精が新しく生まれてもおかしくないなと思える日差し。

 ソレを遮るように、人里の大道具屋で昨年買った大きめの番傘を広げ、遠くまで続く道を歩いて行く。番傘自体は雨天用の物で、紫外線を遮断できるようなものではないが、日焼けに関しては、全く気にしていない。

 気にしているのは暑さだけ。

 番傘一本でも直接日差しを浴びるよりは幾分か涼しく感じられる。

 病は気からって言葉じゃないが、傘のお陰で多少は涼しいかも、と思い込めばきっと涼しく感じられるだろう。

 そこは心頭滅却すれば火もまた涼しじゃないのか?

 と、言われてしまいそうだがあれはダメだ。

 無念無想の境地にあれば苦痛も苦痛と感じない。

 なんて言葉だが、この言葉の言い出しっぺは焼け死んでる。

 苦痛と感じずその場にいれば体が燃え尽き死に至る、当たり前の話だろう。

 ま、つらつらと呟いて何が言いたいかっていうと、暑くなるのは嫌だなぁって事だ。

 

 飛んで進めば少しは涼しい、確かにそうだ速度が違う。

 自身の起こす風と吹いている風が合わさってとても快適な移動になるだろう。

 それでもあたしは歩いて移動する事のほうが多い。

 元々が地面に四足つけて野山を走り回っていた狸さんだ、その頃の名残なんだろう。

 千年以上も前の名残を今でも覚えているんだから、生まれてすぐの記憶とは強いものだ。

 ああ、もう一つあった。

 住み慣れた迷いの竹林で飛ぶとえらい目にあう、と体が覚えているのもあるか。

 えらい目といっても飛ばれたら落とし穴の意味がない!と騒ぐウサギがあたしの頭を小突く程度のものだけど。

 思えばあのウサギも飛んでいるより走っていることのほうが多いように見える。

 人生の大先輩もそうなんだ、まだまだ若輩のあたしがこうなのも頷けるというものだ。

 しかし目的地はまだまだ先、そろそろ歩くのにも飽いてきた。

 飛んで向かうとしますかね、さっきまで言っていた事と違うって?

 いいんだ、あたしは惑わす煙なんて呼ばれていた煙の妖怪。

 煙なら浮かぶもんだ。

 

~少女移動中~

 

 魔法の森の更に奥、季節になれば彼岸花が一面を多いもはや道とは呼べないようになる、幻想郷へと続く一つの迷い道。

 迷い道とは言ったが正確には生きる希望を失ってしまったり、忘れ去られる寸前で幻想になりかけた人間がもう一度思考を巡らせ思い直す道。

 幻想郷で再思の道と呼ばれる地、その道を更に奥へと進んでいく。

 すると、鬱蒼と茂る木々に囲まれた、誰も参ることなんぞないのだろう朽ちた墓と、墓標に見立てられた少しだけ大きめの石があちこちに転がる場所に出る。

 幻想郷でも奥の方に位置する、無縁塚と呼ばれる場所である。

 程々に広くそこそこに狭い幻想郷だ、無縁になることなど人も妖怪もそうないのだが、ここが無縁と呼ばれるのは理由がある。

 ここの墓はそのほとんどが外から迷い込んできた外来人の墓である。

 外で絶望したり周囲から忘れかけられたりして迷い込み、死んでいった人間。

 再思の道で思い返さずそのまま進んで哀れに死んだ、外とは無縁になった者達の墓場。

 だから無縁の塚、無縁塚。

 至極簡単な理由だ。

 

 特に目立つ物があるわけでもないこんな湿気た所にあたしが来たのは、ちょっとした尋ね人がここの近くに居を構えているからだ。

 なんでも無縁塚には外の物が流れ着いたり埋まっていたりすることがあるそうで。

 中には滅多に見られないようなお宝もあるそうだ。そんな外の世界の宝物を狙って宝探しが好きな尋ね人は、いつかは見つけ出してやるという夢と共に近くに居ついてるのだ。

 宝探しなんて言うとちょっとした浪漫を感じられるが、なんてことはない。

 やっている事は墓荒しや乞食の物拾いと大差ない。

 魔法の森の入り口の、ここで拾った物に値段をつけて並べている、流行らない道具屋の主人に言ったらとても残念な目で見られそうな言葉だが、独り言だ構わないだろう。

 

「鬱陶しいから帰ってくれないかな? 君が自分から会いに来る時はなにか企んでいる時だけなのだから」

「まあそう言わないで、邪魔はしないわ。後ろからついていって一緒に浪漫を感じたいと思っているだけ」

 

 あたしを見ることなく偉大なお宝を探すネズミ殿。

 あたしも彼女の態度を気にすることなく後ろをついてまわっている。開口一番帰れと言われたがわざわざこんな所に来て、はいそうですかと帰るつもりはない。

 今までも何度か同じように、ついて回ってはやんわりと拒絶の言葉を戴いている。

 感動を分かち合う相手としてただ側で見守っているだけなのに、なぜこうまで邪険にされなければならないのか。

 

「私は共感者を求めたことはないし、願ったこともないのだが」

「あたしもお願いされたことはないわね。なんだ、可愛らしく帰ってくれとお願いでもされたら今日は素直に帰るかもしれない。一度試しちゃどうだい? ナズーリン」

 

「たった一日だけの為に君に願うことなどしないよ、帰らないなら黙っててくれないか」

 

 伊達に天部の使いではない、誘いにのることはないし下手なあしらい方もしない。

 あの、いつもにこやかなご本尊には似つかわしくない、本当に聡いネズミ殿だ。

 それもそのはずこのネズミ殿、今は幻想郷での毘沙門天代理に仕えてはいるが、本来は天界におわす本物の毘沙門天。その直属の部下だ。

 幻想郷で毘沙門天代理として信仰集めを頑張っている代理主人の監視役といった役回り。あの妖怪寺と繋がってはいるが御役目として繋がっているだけで住職を慕っていたりするわけではないとこのネズミ殿は言っていた。

 あっちの住職は『うちの宝探しの得意な鼠なんですよ』なんて言っているんだから少しは歩み寄ってやればいいのに、住職にそう言われてまんざらでもないと自身でもわかっているのだから。

 

「それで、君は何しに来たんだい?用もなくこんなところにこないだろう?」

「いやそれが、特にないのよナズーリン。強いて言うなら、今日の目的を探してもらいに来たって感じかね」

 

「目的を探して欲しいって言うのかい?それはとても難しいね、無いものは探せない」

 

 失せ物があるからお願いしてみたのに、失せ物探しを断るのではなく無いものは探せないと別の理由で断られてしまった。

 まあそうだ、はなっから目的がないと言っているのだ。失くす前から無いのだから探しようもない。

 

「君に明確な何かを求めた私が愚かだったよ」

 

 辛辣にこうは言うけれど、特に意味もなくネズミ殿の後ろを歩くのも毎度の事だ。

 言ったナズーリンも深い意味を込めたわけでもないし嫌味でもない、素直な感想といったところだろう。

 態度こそ厄介な者という素振りだがいつも会話はしてくれる優しいネズミ殿だ。

 

「勝手に何かを期待して、勝手に落ち込まれても傷つくわ」

「傷ついたなら帰って癒してはどうだい? 外の風に当たり乾いてしまったら跡が残ってしまうよ」

 

 傷口は乾燥させないほうが良い。正しい知識だ、さすがは小さな賢将殿。

 今までの幻想郷では大した薬も手に入らず、少しの傷でも化膿しないように乾燥させる事が多かったのだが、永遠亭が里人に置き薬とともに少しの医療知識を教え始めてから少し変化があった。

 化膿の元と考えられていた血や体液は傷口を直す為に体が頑張ったもので乾かさないほうが傷の治りが早いことを人に教えたのだ。

 これを永遠亭の女医殿はうるおい療法と呼んでいた。

 乾かさずジュクジュクとさせたままだからうるおいなのだと言うが、潤いというよりは放置とかそう言った言葉のが近いと思う。

 少し逸れた、話を戻そう。 

 

「あたしの体を気にかけてくれるなんて、嬉しい事言うのねナズーリン。感謝の姿勢を示す為に今日は一緒にいてあげるわ」 

「出来れば言葉通り受け取ってくれると嬉しかったのだが、君には期待しない事にしたんだ。しかたがないね」

 

 言い回しを変えてみてもついて歩くのをやめないとわかっているのだろう、あたしの言葉を聞いても落胆の色はみえない。

 そんな態度だからあたしはついて回ることをやめないというのに。

 昔からの知人がツンケンとした態度で変わらずあって、少し安心できる。

 このネズミ殿と初めて出会ったのは、あるやんごとない方の小さな戯れにノッてあるものを狙い訪れた小さなお寺だった。

 

〆〆

 

 今日も今日とて人の暮らしの中にあたしの姿はある。

 けれど今まで見せてきた姿とは少し違うだろう。

 今までは騙しや盗みといった姿しか見せていなかったが今日は普通の町娘として溶け込んでいるのだ。

 最後に話して別れてからもう何年経つかわからないが、過去に自身の終わりを嘆き不死を得ようとした人間がおり、その人間と深く関わるようになってからは少しだけあたしの心境に変化があった。

 その生きたがりの人間と出会うまでは、人は化かして騙すおもちゃ程度にしか考えていなかったのだが、生きるおもちゃでも面白いことを考える者がいると太子の姿を見て学習したのだ。

 そんな面白い人間を他にはいないかと探す為に人に化け、人の世に紛れるようになってきていた。

 今日もなにか面白そうな話はないかと楽しみを見つける為に京に入り、たまたま見かけた蕎麦屋でそばをたぐっては聞き耳を立てていた。

 

――なあ聞いたか、あの話――

――ああ、あの絶世の美女がいるって話か?――

――そうそれだ、今京にいるらしいぞ――

――お公卿様が結婚申し込んだそうだ――

――なんだ、それじゃあお手つきか――

――いやそれが求婚を受ける条件があってな、それがやたら難しいんだと――

――へぇ、お公卿様に条件突き付けるたぁ変わった娘だな――

 

 確かに、今の時世では珍しい。公卿と呼ばれるふんぞり返り暮らす者に、モノを言い返すような人間は見たことも聞いたこともなかった。

 それに条件というのも気になった、結婚するのに条件付け位は珍しくもないが難しいってのはなんだろう、と。

 公卿が用意するのが難しい物、それがなんなのか興味が湧いた。

 

「そこなおじさん達、その人が何処にいるか知ってるかい?」

「おぉ、この平安京の一角に讃岐の造って爺さんの屋敷があってな、そこの一人娘さんがそうだ」

 

「讃岐の造のお屋敷ね‥‥ありがとうね、おじさん達。そのそばはあたしが奢るよ」

「お嬢ちゃんいいのかい? 気前がいいな、気立てはいいしよく見りゃ見目もいいねぇ、うちの息子の嫁にどうだい?」

 

「ありがたいけどその気はないよ、家にいるより外がいいんだ」

 

~少女移動中~

 

 話を聞いたその足で言われた屋敷に向かっていると一台の牛車が目に留まる、どうやら車輪が転がらず立ち往生しているようだ。

 出衣(いだしぎぬ)は見えないし、乗っているのは男だろう。

 

「そこの(ながえ)轅じゃあないのかい? 留め具が緩んで動きが悪いみたい」

「おぉ、本当だお嬢ちゃん。よく分かるなぁ、ありがとう」

 

 牛車引きに動かぬ原因を指摘して先を行こうと牛車の横を抜ける時、中の男と目が合った。

 やはり男かと思ったが、その背には長い黒髪が揺れたように見えた。

 子でも一緒なんだろう、気に留めることもなく先を急いだ。

 しばらく歩いて目的地、竹取の爺のお屋敷だ。

 外から見上げればそれなりの造りのお屋敷で裕福な方なのだろうというのがわかる。

 門を固める衛兵にさっそく声をかけてみた。

 

「衛兵のお兄さん、噂のお屋敷はここかしら?」

「ん? なんだいお嬢ちゃん。噂を聞いて来たのかい? 姫様なら屋敷におわすが誰にでも会う方ではないぞ」

 

「会いに来たんじゃないの、結婚を申し込みに来たのよ」

「冗談言うなよお嬢ちゃん、変な事言ってないで帰るんだ」

 

 やいのやいのと言い合っていると中に一人、男の姿が見えてきた。

 なにやら門戸で賑やかな事になっているのが気になったのだろう、一人の爺が近づいてきた。

 

「途中から話を聞いていたよ、お嬢ちゃん。こんな可愛いのが求婚に来るなんて笑い話に丁度いい、少し中で話そうか」

「あたしは真剣よお爺ちゃん、笑うなんて失礼だわ」

 

 そんな言葉を互いに交わすと屋敷の中に招かれた。

 先ほどまでは口が悪い爺さんだと思ったが、どうやら芝居だったようで家内に入ると口調が変わった。

 

「済まなかったねお嬢ちゃん、また輝夜の噂を聞いたどこぞの公卿の差金かと思ってね。少しばかりひどい事を言った」

「公卿の求婚なんて名誉なことじゃないかしら、まるで悪い事だと言っているようだわ」

 

 家の娘が公卿に嫁げばその家は安泰だろう、悪い話ではないはずだ。

 わざわざ遠ざけるのには何か理由があるのだろう。

 爺の顔にはそんな苦労のような疲れのようなものが浮いていた。

 

「そうなんだがねお嬢ちゃん、儂は家よりもあの子の幸せのが大事なんだ。望まない結婚をさせたくはないと思っているのさ」

 

 時世の娘なら望まぬ結婚など当たり前で断ったり条件を出したりなどしないだろうに。

 わがままな娘を持った爺を少し哀れに思ったが、爺の口調は優しいものだ。娘を思って言った言葉は爺の本心なのだろう。

 通された部屋で少し会話し、次第に口数が減ってきた頃。

 爺から少しの願いをされた。

 

「お嬢ちゃんが良ければうちの子の話し相手になってくれ、なにあの子には同い年くらいの友人がいなくてね。そこも心配しているんだ」

「あたしはいいけど姫様がどう思うかはしらないわよ? 求婚しに来たのだし」

 

 そういえばそうだったなとカラカラと笑う爺。

 まともに取り合ってはくれていないとはわかっていたが、何を言っても変わらない子供扱いがどうにもむず痒い。

 仕方がないからこの後の姫で晴らそう、そう決めた。

 

~少女待機中~

 

「お目にかかれまして大変嬉しゅう存じます、なよたけのかぐや姫君」

「貴女がお爺様の仰った私のお友達? なんだか変な表情だわ」

 

 歯に衣着せぬこの娘、なよたけのかぐや姫なんて呼ばれては持て囃されているお姫様。

 名は輝夜、讃岐の造が竹林で光る竹を割ったら中にいたという女の子。

 人以外から人が出てくる珍しい例の娘さんだ、そんな人間聞いたことがないしいるはずもない。

 もしいるならそれは人間以外の何かだと思った。

 

「求婚しに来た婚約者候補に変な顔とは、第一印象悪いわよ。お姫様?」

「どうせ冷やかしか暇潰しでしょう? 上手く化けたと思うけど、貴女からは人の気配がしないわ」

 

 久方ぶりに現れたあたしの姿を見抜くもの。

 一見するだけでそれが分かるのだ、やはりこの娘も真っ当な人ではないのだろう。

 しかしなんだろう、いつかの仙人のように強い力を感じないし妖気の類も感じない。

 人であって人でない歪ななにかだという事しかわからなかった。

 

「それで何しに来たのかしら、楽しく話してハイ終わり。というわけではないんでしょう?」

「最初から求婚しに来たと言っているでしょ? 求婚するから条件を聞かせてよ」

 

 ああなるほどねと、何か通じるものがあったのか一人頷き薄く笑う。

 これほどの美貌を持ちえて淑やかに笑うものなら求婚されても仕方がない、そんな事を納得させられる薄い笑みだった。

 

 まあそれはそれ、これはこれだ。早いところ条件を言ってくれないだろうか。

 輝夜にも興味はあるが今は課される難題が待ち遠しい。

 

「貴女の他にも後五人、私の課した5つの難題を聞いて今頃は楽しく過ごしている頃でしょう。貴女も楽しく過ごしたいのね」

「そうなのよお姫様、楽しめるならなんでもいいわ。早くあたしも探しに行きたいの」

 

 五人に課した5つの難題、そのどれもが人間には到底ムリな物だろう。

 龍退治等はまず無理で釈迦の鉢はあるのかわからん、燕が貝を産んだ話は聞いたことがないし燃えない鼠も見たことがない。

 あるのかないのかわからん物を持って来いとは難題だわ。

 一人だけ少し望みはあるのだろうが、やはりこれも普通の人間には無理な話だ。

 

「そうね‥‥じゃあ『毘沙門天の宝塔』を持ってきてはくれないかしら」

「その辺の像の‥‥というわけじゃないわね。まあいいわ、難題有りがたく頂戴しましょ」

 

 本物があるとするなら天界だ、それも大事そうに常に左手に携えて。

 盗み出すことなどムリだろう、まごうことなき無理難題だ。はてさて一体どうしたもんか。

 と、少し頭を捻っていると静かにあたしを眺めていた輝夜が微笑みながらこう話す。

 

「他の五人よりも貴女は長く生きるのでしょう?なら永く私を楽しませてね、友人なら友人の頼みは聞くものよ。妖怪さん」

「囃子方アヤメよ、輝夜。友人なら名で呼び合わないとね」   

 

 名を教え少し笑うと輝夜はいつの間に用意したのか、右手には七色に美しく輝く実をつけた枝を口元に当て怪しく微笑んだ。 




女性の乗る牛車には出衣(いだしぎぬ)という布を飾っていたようです。
轅(ながえ)というのは車輪の軸のような物。
調べながらの書物なので間違いならばごめんなさい。



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第二十二話 虎柄と毘沙門天 ~ふたつ~

途中のくだりで破綻した事を言っていそうですが、星くんが可愛いので仕方ないですね。


 右手を見れば甘味屋。

 お米粒を手のひらですっぽりと覆えるくらいの大きさにして蜜で固めた物が並ぶ。

 歯ごたえが良さそうで中々食欲をそそる。

 固めのおはぎのようなものかと思ったが中心は餅で周りは米を煎ったものなのか。

 種類も結構あるようで、榛子(はしばみ)を米と一緒にまぶしたものなんかうまそうだ。

 ただ食うためでなく色々と趣向を凝らしていて見てて飽きない。

 隣に並ぶ甘栗みたいに昔から変わらないものもあるけど、食べてうまいならなんでもいい。

 帰りに少し寄ってみるか。

 甘味屋の隣は結構な数を揃えたお茶葉の目立つ茶屋。

 なるほど、隣で買ってうちで茶をしろと。

 中々商売上手な事考える、甘味屋にしろ茶屋にしろどちらが先でも双方損をすることはない。

 店並び一つとっても工夫してるようだ。

 

 少し前までは一つのところでは一つの物しか味わえないような暮らしをしていた人間が、知恵を捻って工夫してうまく互いの事が進むようにしてる。

 こんな風に柔軟に考えるところはあたしも見習わなければならない。

 野山を跳ねてた頃は体の成長もあったが、狸の範疇からはみ出した今じゃすっかり体は育たないんだ、頭くらいは育てないとその先どうなるかわからない。

 遠くまでわざわざ出向いたこの寺で知能上昇でもお願いしてみるか。

 お参りしてきた人間がここの煙を良くしたいところに当てて祈願すると言っていたんだ、ついでに煙を頭に浴びて賢くなるよう祈ってみよう。

 なぁに、悪さしに来たんじゃあないんだ。

 こちらにおわす帝釈天様もお咎めなんぞくれないだろう、俗世で生きる一匹の狸。

 そいつの小さな願い事、一つ叶えちゃくれませんかねってな。

 

 お咎めもなく参拝も済んだ、煙を浴びる行列に惑わす煙が並ぶなんて我ながら滑稽だわ。

『毘沙門天の宝塔』の手がかりなんて全くなかったが、つまらない土産話が出来たしまぁ良しとしよう。

 しかし大きな寺だった、社寺もデカけりゃ門もでかい。

 けれどなんだか物足りない、そうは思いませんかね仁王様方。

 貴方様方も毎日顔合わせてたら飽きるでしょう。

 間に何か隠れるものでもあればいいと思うのは、矮小な狸の思いつきかね。

 まあそんな事はどうでもいいさ、まずはさっきの甘味屋で知らぬ甘味に舌鼓だ。

 

~少女移動中~

 

 寺の話で思い出し、やって来ました法隆寺。

 あっちの寺に行くまでに思いつかないなんてあたしとした事が考えが甘い。

 いやちがう、きっと浴びた煙のおかげで思いつけたんだろう。御利益あったわ万々歳。

 そういやここの主殿、太子は今頃どうしてるかね。

 病が治せずいつかの復活を願って身内と共に眠りについたと聞いたけど。

 まだ姿を見ていないんだ。いつかはまだ先の事なんだろう。

 一緒にいたはずの娘々はついぞ話を聞かない。

 けれどあの娘々の事だ、他に何か見つけた楽しい事にでも興じているんだろう。

 いつか再会することがあったら楽しい話が聞けそうだ。

 しかし本当にどうしたもんやら。

 あれから色々回ってみたが『毘沙門天の宝塔』なんて仏像以外の話が出ないね。

 輝夜にお手上げだと言うのも癪だし、何かそれらしい物でも見つかればいいんだが。

 

~少女行動中~

 

 それから少し時間が過ぎて、変わった話を耳にした。

 なんでも魔を払い妖かしを遠ざける、本来は妖怪と真逆にあるはずの山寺で妖怪囲って修行する連中がいるって話だ。

 これは非常に興味深い、どんな変わった連中がいるのか楽しみだ。

 

 道中仕入れ、山寺の概要が少しわかった。

 和尚は人間のようだが年を召していく気配がない。

 ご本尊は獣のようで仕える者も同じく獣。

 修行僧は女性ばかりで雲を連れた尼公に、穴あき柄杓を持った幽霊。

 あとはなりのわからぬ半端者、そんな奴らが毎日禅を組みお経を唱え悟りを開く修行をしてる。

 これは見事に変なのばかり、今まで知らなかったのが嘘のような話だ。

 一丁行って話を聞いてあたしの眼で見てみよう、輝夜に降参するのなら土産は多いほうが良い。

 

~少女参拝中~

 

「お前も聖を頼ってここへ?人の形を成せるくらいだもの。力のある妖怪にしか見えないけど」

 

 寺の正面でそう声をかけられた、声の主は穴あき柄杓を携えた幽霊。

 見れば、動きやすいように作られた上下に別れた服に赤い細めの襟巻きを通し、大きな柄の帽子を被った少女。

 

「頼ってというわけじゃないね、ここの噂を耳にして少し話をと思ったの、あたしが分かると言うことは貴女も妖怪なのかしら?」

「私は幽霊さ、船幽霊」

 

 船幽霊、水辺の幽霊がなんでまたこんな山寺にいるんだろうか。

 まあ本人が言うなら間違いないんだろう、被った帽子の柄もあれは錨に見えなくもない。

 船頭多くして船山登った結果死んだ幽霊さんかね。

 まあいいか、深く聞いても話が進みそうにない。

 

「船幽霊か、なら噂に聞いてた通りのお寺さん? それならぜひともご本尊を拝顔したいね」

「強い敵意も感じないし‥‥いいよ、同じ妖かしのよしみだ、案内するよ」

 

 船幽霊に連れられて寺を上がって本堂へ、途中色々な妖怪の姿を見かけたがいかにも頼って来ましたという力のなさそうな妖怪達ばかりだ。

 うまく会話が出来るのかもわからない、それでも修行をしているというのだからある程度の知恵はあるんだろう。

 誰かを頼らないと生きていけないと思えるくらいの知恵は。

 

「そう言えば自己紹介がまだだったね、あたしは囃子方アヤメ。霧で煙の狸さんだ」

「私は村紗水蜜よ。霧なのか煙なのか、狸なのかはっきりしないのね」

 

「仕方ないさ、そうあってくれというのが混ざった結果が今のあたしだもの」

 

 大元を正せば狸だが、化かすやり方や方法のせいで、霧や煙の名前の方が広まっているようだ。

 正しく広まっていない事への悲しさ半分、はっきりとした正体を掴まれる事がない嬉しさ半分といったものが今のあたしの心境かね。

 ご本尊がこちらに来るまで少し時間があるようで、村紗と互いの話や他の場所での出来事など冗談も交えながら適当に話した。

 元は水難事故で死んだ人間だそうで。

 未練から生まれた地縛霊だったそうだのだが、ある時ここの住職、村紗が聖と呼んだ相手がそうだろう。

 その聖が村紗の討伐を依頼されたそうだが、討伐されることなどなく諭されたんだそうだ。

 倒しにきて諭すとは中々出来る事じゃないね、どうやらここのご住職はあたしが考えていたよりもよっぽど出来た方のようだ。

 楽しみが増えるってのはいいもんだね。

 お返しにとあたしの話を少しした頃。

 ご本尊がいらしたようで、村紗が動いてご開帳となった。

 

「遠くからわざわざお越しいただいてありがとうございます、私は寅丸星。この寺で毘沙門天代理を務める者です」

「言葉を交わせる本尊様を拝めるなんて中々ないね、あたしは囃子方アヤメ。狸の霧で煙よ、奥の丸耳さんは紹介はしてくれないのかしら?」

 

 頭に天部の者の台座に似た物を載せ虎柄の腰巻きを巻くご本尊様か、なるほどこれは妖獣だわ。

 彼女の纏うモノは天部の者の神気じゃあないあたしと変わらない妖気だ、案内役は船幽霊、ご本尊も話通り。

 アテになる噂もたまにはあるもんだ。

 まあ彼女の事はいい。

 紹介も済ませたんだ、後でゆっくり語らおう。

 星の後ろで睨んでるやつの警戒を解いてからゆっくりとね。

 

「名前くらいは教えてくれてもいいと思うわ。そこの本尊様からバチ当てられても知らないわよ?」 

「私はナズーリン。こちらのご主人、毘沙門天代理に仕える者さ」

 

「ご丁寧にどうも、囃子方アヤメさっき言った通りの者よ」

 

 あの耳と尻尾は鼠かね、従者も獣という話だナリからしてそうだろう。

 それより面白いことを言うな、あのネズミ殿。毘沙門天と言ったか?代理とついてはいるがそこは大事じゃないな。

 

「毘沙門天代理と仰いましたか、こちらで祀られているのは毘沙門天様なのですね」

「堅苦しい調子ではなくても結構ですよ、私は代理として崇められた妖怪ですから」

 

 穏やかに微笑む姿は確かに本尊様だ、代理とは言っても伊達や酔狂のようなものではない。

 中々尊いお方のようだ。

 一つの仕草もしっかりと代理として務めているんだ、なら持っていないはずがない。

 さてどうやって切り出そう。

 

「ではいつも通りに。呼び方も星でいいかしら?獣上がりの同族はなんとなく親しみが湧くのよ」

「構いませんよ、アヤメさん。私も気安い方が好みですから」

 

 もっと堅物かと思ったが、いやいや話しの分かる方で助かる。

 あたしの言葉を素直に聞いてくれる、ならいっそ素直に問うてもいいかもしれない。

 

「気安いついでに聞いてもいいかしら? 毘沙門天様の代理だというのに宝棒や宝塔は携えてはいないのね」

「今はここの本尊としてではなく、寅丸星としてアヤメさんと話していますから。仏具は奥の金堂に納めてあります」

 

 これは僥倖だ、天界にでも行かないと見ることすら叶わないと思っていた『毘沙門天の宝塔』がこんなに近くにあるなんて。

 これで輝夜にドヤ顔出来るとというものだ。

 

「君は何しに来たんだい? 今の表情は盗人かその類にしか見えないんだが」

「ああ、済まない。友人に見せようとした顔になっていたわね。何しに来たか問われればとナズーリンの言う通りよ」

 

「素直に白状するとは、諦めがいいのか馬鹿なのかどちらだい?」

「諦めは早いのよ、それに盗み出す必要もなくなったわ」

 

 持って来いとは言われたが本当に持ってくるとは輝夜は考えていないだろう。

 持って来ることは出来ないと確信できるからこその難題だ。

 ならばそこを逆手に取ってもいけるはずだ『毘沙門天の宝塔』は実在し、とある山寺の毘沙門天代理が持っていました。

 

 こう伝えるだけでも輝夜の難題に対する意趣返しとして使える。

 証拠も何も関係ない、あたしが持ち主からそう聞いたんだ。

 物の全否定は出来ても証言の全否定は出来ないだろう、気になるなら輝夜が自ら動けばいいんだ。

 あの娘が自ら動くなんて思えないけれど、だからこその証言だけだ。

 

「諦めたという割にさっきよりも悪い顔になるね、君は本当に何がしたいんだ?」

「重ね重ね済まないと思うわ、とても楽しい気分になったのよ」

 

「良くわかりませんが改めたのなら良いですよ、仏門の教えにもそうあります」   

「破門されたとしても戒律を破っての破門でないなら再入門出来ますよ、という話かしら」

 

 こんな事をあの太子が言っていた気がするね。

 あの時は特に気にも留めない事だったが、いやいや何処で活きるかわからんものだ。

 少なくとも星の興味を引くくらいにはここで活かせたわけだし。

 人の話は良く聞いておいて損がない。

 

「ただの盗人狸かと思えば、それなりに知識も持っている。君はそう、胡散臭いね」

「随分な言い様だねナズーリン、尊い教えは変な妖怪にも広まっている。天部の使いを名乗るならそう考えてくれてもいいと思うけど」

 

「そうですよナズ、今私は軽い感動を覚えています。私達のように修行をこなしているわけではない方、それも妖怪が仏の教えを語るのです。素晴らしいことなのですよ」

 

 教えを語った事に違いはないが、正しい使い方ではない辺り少し心苦しいね。

 まあここいらが潮時だろう、語って落ちてしまうならそうなる前に自ら舞台を降りるに限る。

 

「あたしのはただの聞いた話さ、星。貴方達のように学んだ物じゃない、天部の代理の方にこれ以上変に語って間違うのは恥ずかしいからその話はここまでね」

「そうですか、ですが私はアヤメに感銘を覚えました。良ければ一晩泊まっていってください、今は留守にしていますがきっと聖も私と同じように思うはずです」

 

「ご主人がそう言うなら私は何も言うことはないよ。最初はどうかと思ったが村紗の言う通り害意はないだろう」

 

 そういえば村紗は?

 と思ったが何時からいなかったのか本堂に姿はなかった。

 元地縛霊の癖にふわふわとしたもんだ、それとも縛から開放された反動なのか。

 囚われた経験のないあたしにはわからないところだ。  

  




榛子(はしばみ)とはヘーゼルナッツの亜種、この時代にもあったようです。
そして柴又の帝釈天のお寺ですが平安の頃はまだ雷門はなかったみたいですね。

そういえばこの話の執筆中に評価の星が付いている事に気が付きました。
このような稚拙な文章を評価していただけるとは、とても嬉しく思います。
お気に入りに入れてくれた方も気がつけばたくさんになっていて。
本当にありがとうございます、励みになります。



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第二十三話 アブソリュートジャスティス ~おわり~

命蓮寺話一完結。

一人はイヤっていいますものね。


 昨晩は星の言葉に甘え命蓮寺で夜を明かした。

 昼間いつのまにかいなくなっていた村紗は聖の帰りを待っていたらしい。

 2人揃って境内に顔を出したのはとっぷりと夜を迎えてからだ。

 聖は近くの村での説法を日課にしていて、日課を済ませ帰る前に少し村人と話し込んでしまい遅くなったと話していた。

 妖怪からも人からも慕われるとは、思った通り出来た御仁だ。

 

 帰った聖も加わって夜は円になり色々と話した。

 あたしとしては難題への意趣返しを思いつき、それ以上の事は得られないような話だったが星も聖もナズーリンでさえも、あたしの話で思うところがあったようだ。

 人を食わずに騙して笑う、その辺の話は入れ食いと言ってもいい食らいつきで少し驚いた。

 妖怪の癖にと怪訝な顔をされることが常だったのだが、名の知れた高僧のありがたい説法でも聞いたような表情を見せてくれた。

 貴女のような妖怪もいるんですねと和尚は言っていたがあたしとしては変わり者だという自覚はない。

 同じように人は食えるが食わずとも、元気に過ごしている妖怪は星以外には見た事がないのだけど。

 

 そういえば話ではないが、愛用の白徳利の方も良い喰らいつき方だった。

 坊さんの癖に酒を飲むのかとあたしは笑ったが、私達がいただくのは般若湯で酒ではありませんと言っていた。 

 尼寺の坊さんから方便を聞けるとは、と少しだけ笑い、断られた聖以外に振る舞った。

 あたしの般若湯の力もあってかその後は少しだけ饒舌になり、聞いてもいないことを教えてくれた。

 

 なんでもこの寺は飛ぶのだそうだ、そして形が変わるという。

 正確には寺が変わるではなく寺に変わる! であり本来の姿は空を泳ぐ船なのだ! そして船長は私! 村紗水蜜なのだ! と。

 それを声高に話し、鼻も声に負けないほど高くする村紗だったが雲付きの尼公、一輪に村紗がいなくても動くことは動くし、困らないと言われて半べそをかいていた。

 ついでに言えば寺の前に船で、船の前に倉なんだそうだ。

 移り変わりが頻繁でなんとも忙しい建物だと思う。

 

 この寺の正体にも十分驚く物があったが、あたしが一番驚いたのは一輪の相棒。

 見越し入道だと言っていたか、雲山というピンク色の入道雲も般若湯が飲めるという事だ。

 何処にどう収まるのか、後で染み出したりしないのかそれとも降りだすのか、気になり雲山を見上げていたら目が合うなりウインクされた。

 話こそしないが中々茶目っ気のある親父殿だ。

 お返しにと煙管をふかし少し小さい灰色の雲山浮かばせると、可愛いわねと、雲山ではなく相棒の方に好評だった。

 そんなどうでもいい笑い話を遅くまで続け、聖を除いた面々と本堂で雑魚寝となった。

 円に座り飲んでいて眠りにつくのも円のまま。

 こうなったのも何かの縁かと寝付いたみんなを起こさぬように静かに微笑んだ。

 

 翌朝起きて座禅からの一日が始まった、なんでかあたしもその環に入る。

 あたしはいいよと遠慮はしたがこれも縁だと押し切られた。

 なんとも輪っかというのは中々抜けられないようだ。

 厳しい修行を経ても辿りつけない者が多い理由が少しだけだが体感できた。

 少し長めの座禅を済ませ食事もと誘いを受けたが断った、遠慮や配慮もあるには合ったが精進料理は口にあわない。

 気分が乗ればまたそのうちに、と寺のみんなに挨拶し昨日は登った山道を降った。

 

 輝夜になんて切り出そう、帰りはそればかりを考えていた。

 意趣返しとしては少々弱いがそれでも輝夜のドヤ顔を潰すには十分だ。

 無理難題をあたしの方からもらっておいて意趣返しというのも本末転倒だとは思うが、友人なのだそれくらいのイタズラは許されるだろう。

 二日ほど歩くと平安の都に戻り着いたのだが、少し空気が妙だった。

 町行く誰かをとっ捕まえて何があったか聞いてみると、なんでも輝夜が帰ったらしい。

 屋敷から出ることなどないだろうと思っていたが何処へ帰るというのだろう。

 詳しい話を聞いていくと、輝夜は月のお姫様でそのお迎えが来たんだそうだ。

 5つの難題を課せられた者は道中で力尽きたとか、偽物をつくって騙そうとした者が出て、都中の話題になり自害する羽目になったとか。

 ついでの話も聞くには聞いたがどうでもいいと思えた。

 意気揚々と帰ってきたら、友人はいなくなっていた。

 まるで狐に摘まれたようだと一人で笑い一人で冷めた。

 

 後から聞いた話だが迎えの牛車を見た者がいて、それが帰る事はなかったという。

 迎えでなく他のなにか、例えば月からの迎えではなく使者だったのか。

 話を聞いてそう思った。

 

 しばらくは楽しみのアテがなくなりどうしようかと途方に暮れたが、そういえばあの妖怪寺があったなと思いだした。

 けれど途方に暮れていたのがまずかった。

 風の噂で聞いたことだが聖が捕まり封印された。

 寺の者も歯向かう者は容赦はされず、殺しきれない者達は地底深くに封印されたと。

 そうなった理由も聞いたはずだがそっちは別に気にならなかった。

 気になったのは話に上がらなかった星とナズーリンの事だけ。

 会いに行っても良かったのだが輝夜のようにいなくなられていたら。

 そう考えてしまい会いに行く事はできなかった。

 

 こうしてあたしはまたひとりになった。

 

 

「なぁ聞いているのかい? その耳は飾りなのかい?」

「飾りの耳は献上したわ、これはあたしの愛らしい耳よ」

 

 なんだ聞こえているんじゃないかと、何も言わずに目で語られる。

 いつもの呆けた表情だが、いつもの表情が見られるのはいいものだな、と一人頷いた。

 普段軽口しか言わないあたしが素直にこんな事考えられるのもこの着物のおかげかね?

 やはり良い品を貰ったようだ。

 

「一人で頷いてなんだい? 飾りの耳は何かうまい事でも言えたつもりかい? 私にはそうは思えないが」

「いや、いいのよナズーリン。そのままの君でいい」

 

 今までに見たことがない顔をされた、そんなに可笑しい事を言っただろうか?

 今おかしい顔をしているのはナズーリンだというのに。

 まあそれでもこうして会話が出来るのは良いものだ。

 昔のことを思い出せる相手がいるのはとても良いものだ。

 とまた頷いた。

 

「さすがにどうした? なにかあったかい?」

「あったといえばあった、が今じゃないわ。随分前ね」

 

 またよくわからないことを言うね。

 と減らず口を言うネズミ殿の事は置いておいてそろそろ来るだろうご主人を待つ。

 最近は本当にマメなことで毎日とは言わないが週に何回なくしているやら。

 そんなに慌てて失くしているといつぞやのように本当に失くしてしまうぞ? 星。

 

「ナズ‥‥アヤメではないですか、久しぶりですね。どうしてここに?」

「久しぶりね星。つい最近寺に行ったけどいなかったから、ついに自分を失くしでもしたかと思ったわ」

 

 そう言って笑うと、さすがにそれはと苦笑された。

 さすが大きな縞猫の妖怪だ、猫を被るのがうまいうまい。

 

「ご主人か。その調子だとまたなのかい?」

「ええ、その‥‥まぁ」

 

 またか、といった表情をするかと思ったが、特に変化は見られない。

 耳が大きく揺れていて少し気になるくらいだろうか。

 

「なぁご主人、もう少しだけでいいから注意力というものを持ってくれないか?ああそれも失くしてしまうのかな?」

「ナズそれは……ちょっと言い過ぎですよ?」

 

 仮にも自分の主人に随分な事を言う、これはたまらず笑ってしまった。

 主人の芝居も中々滑稽だが従者も従者だ、揃って面白い。

 

「そんなに笑わなくてもいいではないですか、少し傷つきます」

「傷ついてしまったなら帰って癒やすといいわよ、ここの風にあたると乾いてしまって跡が残るんだとさ」

 

「そうなのですか、ナズ? 確かに瘴気は感じますがそれほどとは思えませんが」

 

 ネズミ殿が何か難しい顔をしているがなるほど‥‥こういう交わし方もあったのか。

 勉強になった、後に活かそう。

 

「いいかいご主人、私が言いたいのはそういう事ではなくてだね。イヤやめよう、今言っても私が惨めになるだけだ」

「惨めになるとはなんですか? そんなに耐えられないなら、今日は一緒に帰りましょう」

 

 お、少し牙を出したね代理殿。

 それともまだ猫パンチくらいなのかね、ならばしばらく見守り続けよう。

 困る賢将殿などあまり見られるものではない。

 

「それよりご主人失せ物は? 宝塔探しはいいのかい?また聖の小言が始まってしまうよ」

「ああ、そうでした。ナズお願いします、一緒に探してください」

 

 一緒に、ね。隠してお願いするだけではダメと気がついたのか。

 ネズミ殿ほどではないがやはりこちらも聡い本尊様だ。

 

「さあ、ナズ早く行きましょう」

「話はわかったよご主人、探しに行くから今日は戻ってくれていい。寺の本尊が毎日出歩くものではないよ」

 

 ここまでかね、星も頑張ったがネズミ殿のが一枚上手だ。

 仕方ない、困るネズミ殿をもう少し見せてもらうために横槍を投げてみようか。

 

「それがいいわ、寺の宝探しの得意なネズミ殿に任せてあたし達は帰るとしましょ」

「ですがそれでは」

 

 そうだな、それでは星の芝居の意味がない。

 慣れない舞台で踊っているんだ、お囃子叩いて盛り上げようじゃないか。

 

「大丈夫、あたしは目星をつけてるわ」

「それは本当かい? なら教えてくれないか? 君の目星が正しいのか、気になるからね」

 

 

 食いついたねネズミ殿。

 鼠の癖に食欲少なめで普段は食いつきが悪くてからかえないが、今日はお腹が減っているのか?

 今の顔も珍しいものだよ?

 気づいているかいネズミ殿?

 長く見ていたいが今はダメだ、主役は星だ。

 あたしはお囃子、騒いでなんぼだ。

 

「そうね、ヒントは灯台かしら」

「幻想郷に海はないはず、それがヒントになるのかい? 得意のテキトウなら困るのだが」

 

 困っているのは君だろう、小さな小さなネズミ殿。

 普段の君ならかかりもしないが今日は別だわ、星がいる。

 それほどまでに気にしているなら星の気持ちも汲んでやれ。 

 

「聡いナズなら気が付きそうだが、わからないなら仕方がないね。教えてあげる、次のヒントは猫かぶり」

「言葉あそびのつもりかい? それなら今日は諦めてくれ。私はそれほど暇じゃない」

 

 さっきまで見つからない宝探しをしておいて、主が来たらころっと変わる。

 わかりやすいぞネズミ殿、普段の顔をどこに失くしてきたんだい?

 普段は呼ぶなと訂正するのにナズは訂正しないのかい?

 その大きな耳は飾りかい?

 

「後はそう、これ以上言うと答えになってしまうから探しものとしてお願いするわ。ナズ」

「探しもの? 意味がよくわからないんだが」

 

「星の本音を落としてしまって、ぜひとも探してもらえない?」

 

 さぁて舞台は整えた、後は演者が魅せる番。

 普段の芝居もいいけれど仏像以外の芝居も出来る。

 そう思ったからお囃子叩いた。

 舞台を潰すな寅丸星。

 

「探してもらえますかナズ。近いところにあるはずですが‥‥私一人じゃ見つからないの‥‥一緒じゃないとダメなのよ‥‥」

 

 

 猫なで声とは少し違うか、これは鳴き声、泣き声だ。

 主役としては上々だ。

 後は助演が頑張って、舞台を〆て大団円だ。

 

「ご主人、一度私は裏切ったんだ。一緒にいられるはずもない」

 

 そこで振っては舞台はおじゃん。

 交わす台詞はそれじゃない。

 もう一勝負、打ってみましょう打ちましょう。

 

「主人が泣いて困っているわね、仕える者の姿勢じゃあない。この場を上手く収める為交わす言葉があるでしょう?」

「うるさい黙れ。なにが分かる! 何もわからん外野が言うな!」

 

 おやおや熱いねネズミ殿、図星つかれて慌てるなんて。

 そこはやめてと言うのと変わらん。

 

「泣いてる主人に変わって言うが、とっくに気づいているんだろう? 失せ物は既に見つかっている、ハナから失くしていないのだと」

 

 最初はここ無縁塚、次に再思の道。

 少し戻って魔理沙の自宅、そこから動いてアリスの家で次あったのは香霖堂。

 香霖堂あたりで気が付いていいものだ。

 香霖堂は星が本当のうっかりで失くした場所で、それを忘れるはずがない。

 今は命蓮寺の金堂で収まっているだろう。

 以前の聖の言っていた『少し失せ物探しに出てる』というのは宝塔探しじゃなかったわけだ。

 寺から消えて戻ってこない小さな賢将を失くして探していた、そういう事だったと。

 毘沙門天代理に選ばれた山一番のまともな妖怪、今も賢将をどうにかして寺に呼び戻そうと慣れない芝居をうって、それも失敗して泣きだした。

 ネズミ殿の可愛いご主人様、本当にこのままでいいのかい?

 

「私の芝居がバレてしまいました。そうですね、少し簡単過ぎた芝居でした。ここから順番に、命蓮寺までの経路で失くすような器用さは私にはありませんね」

「そうだねご主人はうっかり者だ、そんなわかりやすい順番でやったらバレバレじゃないか」

 

「バレバレなんだったら少し素直になればいいのに、互いに素直じゃないから面倒な事になるのよ」

 

 素直とどの口が言うのか。

 と赤く腫らした目で二人に睨まれているが最近のあたしは素直だった。

 おかげでこの白い着物も着られている。

 アヤメのくせに薔薇なのね、と言うあの厄介な隙間は一度黙らせたいと思っているが。

 

〆〆

 

 しばらくしてから命蓮寺で、聖と並んでぬえを叱るナズーリンを見かけるようになった。

 住まいは相変わらず無縁塚近くなのだがナズーリンの従える同胞の食事量を考えると已む無しというところだろう。

 星は相変わらず色々と失せ物をするうっかり具合だが、宝塔を失くしたと探しまわるナズーリンは見かけないそうだ。

 

 甘味処でネズミ殿と顔を合わせた事がある。

 食べ終えていたあたしを見て、食事が済んだら早く帰ったらどうだいなんて言ってきたが後から店に来た星にそういう事を言うものじゃないとお叱りを受けていた。

 甘いものはもう食べたからもうお腹いっぱい、ご馳走様して帰るわよと伝えたら、二人共顔を赤くしてなにか言っていたが何を騒いでいたのやら。

 

  




ナズの一度裏切ったというセリフですが、星がうっかり宝塔を失くしたと伝えたのは信頼するナズーリンだけだった。
それをナズーリンは原作の魔理沙ルートであっさりバラした と。
代理とはいえ仕える者がすることではなく結構ひどいな、と思ったのでそこから少しこじつけてみました。
原作をプレイされていない方もいると思うので、少しだけ説明という名の言い訳として書いておきます。

前話と今回で出した『金堂』ですが本来は本堂=金堂で同じ意味です。
宝塔を納戸にしまうと書くのもあれだったので、
表現の使い分けとして金堂としています。



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~日常~
第二十四話 冥界のバルバドレ


 少し来るのが遅かった、いや早かったのかと一人愚痴る。

 まあ仕方ないか、暑さをこらえきれなくなったのが今朝だったのだ。

 今の季節は生命の息吹が感じられる緑の葉桜を楽しむことにしよう。

 生命や息吹とは一番遠いこの場所で、それを楽しもうと思い当たるとは皮肉が効いていてなんとも心地よい。

 昼が長くなり夜の短いこの季節、湖でよく漂っている闇の妖怪がなつなのかーとテンションを下げる夏になるとあたしは度々ここに来る。夏が嫌いなわけではないが、ふかふかの縞尻尾とは切っても切れないあたしは暑さが嫌いなのだ。夏の日差しは逸らせるが、暑さは逸らしても暑いまま。

 逸れて涼しくなるなんて事はなく周囲の湿気が少しましになる程度だ、焼け石に水で意味が無い。

 

 そんなわけで夏の涼を求めて年がら年中涼しめの冥界に通うのが暑い時期の恒例だ。

 ちなみに冬は来ない。

 気温が一定のここも快適だが、尻尾に抱きつかれ鬱陶しいし地底のほうがが暖かだ。

 冬場のお空はとても重宝する。

 

 それはともかく今は夏、いつものように手土産持参で白玉楼に来たわけだ。

 思った通り葉桜の緑がきれいにそよいでいる。 

 花より団子と世間は言うが、葉と団子ならどちらがいいのだろうか。

 隣の彼女は悩むことなどないと思うが、あたしは今しがた葉桜の良さにも気づいたところ。

 まぁ、比べる事なくどちらも楽しめれば一層良いというものではあるが。

 ここは静かなのも心地よい。あるのは階段沿いに立ち並ぶ葉桜の葉が鳴らす音くらいで、視界に広がる整えられた枯山水とふよふよと浮かぶ死者の魂は静かなもので、雅なものだ。

 

「さっきから手うちわで扇ぐばかりで、何もお話しないなんて何しに来たのかしら」

「見たとおり涼みに来たのよ。土産を食べた後は土産話も食べるつもり?」

 

「お土産も美味しいけど狸汁も美味しいかもしれないわ」

 

 柔らかい帯をリボンのように腰に結いゆったり目の着物を着こなし、かぶる帽子に付いた天冠を風に揺らしながら会話を楽しむ隣りの少女。

 ここ白玉楼で終わりのない亡霊生活を楽しむ西行寺家の亡霊姫、西行寺幽々子。

 今は視線の先で静かに佇む可愛い従者を眺めながらあたしと二人縁側に座っている。

 隣で微笑みながら物騒な事を言うけれどこのお嬢様にとってはそう物騒でもない。

 自身が既に生命を終えた亡霊だというのもあるがそれよりも常に彼女の隣にある死が原因だろう。

 彼女は死そのものを操れる。

 人や妖怪に突然の死を与えることが出来る。

 そのまま『死を操る程度の能力』だと自称しているそうだが、なんとも単純明快で恐ろしい能力だ。

 まだ使っているところを見たことはないが、見るような事がないように祈ろう。

 触らぬ神になんとやら、怖いもの見たさで死んではたまったものではない。

 

「狸にそれを言うと逆に煮込まれて幽々汁にされちゃうわよ」

「亡霊でもお出汁って出るのかしら」

 

「きっと澄まし汁みたいに透明なやつね」

「お澄ましね、さっぱりとしていいわ」

 

 先程の物騒な話でも今の二言でもわかるが彼女はすこし執着心が強い。

 今は食への執着心が全面に押し出されているが、以前に起こした異変も彼女があのバケモノ桜の下に埋まる物が見たい、という己の欲望に強く執着して起こしたものだった。

 異変自体はあのおめでたい色の巫女やおめでたくない色の魔法使い、それとつれない青白の使用人が動き解決へと至ったのだが、今も気にはなっているようだ。

 何か埋まっているらしいが何が埋まっているかわからない。

 そんなものが自宅の庭先にあるのならあたしでも掘り起こしてみたくもなるだろう。

 そんな話を紫にしたら、ひどく悲しい顔のまま殺気を垂れ流されたため、もう口にはしないようにした。

 これも触らぬ神になんとやらだ。

 

「それに狸のような獣はすぐ食べても旨くないわ幽々子。捌いて寝かせて少ししないと美味しくないって話よ」

「そうなの?残念ね、なら一緒にお昼寝しましょうアヤメ」

 

 狸汁を諦めていないような言い方だが、ただのいつもの会話。

 いつもの性悪うさぎの様に口撃しあうわけでもないし、あのアレのようによくわからないことをいって胡散臭く笑うわけでもないが、幽々子とも会話を楽しめている。

 気品はあるがどこか気安い亡霊のお姫様、良い友人だとあたしは思っている。

 向こうからはおしゃべり出来る食材くらいに思われているかもしれないが。

 

「焦ってもダメよ、まだあたしは捌かれてないじゃない。血も抜けていないわ」

「そうね、早く妖夢に頑張ってもらわないと。それにしてもあの子動かないわ、寝ちゃったのかしら」

 

 仕留めた獲物を捌いて血抜きをしないと臭くなってしまい旨くない、人里でそう言っていたなと想い出す。

 鮮度のいい肉で滴る血がいいのにと思うのはあたしが元獣で妖怪だからだろう。

 人間とは嗜好が違っていても当然だわ、と思える。

 人間は獲物を仕留め血抜きをし捌く、そして寝かせて美味しく頂く。

 熟成といったか、寝かせた方がウマイ理由。

 鴨なんて目玉が腐って落ちるまで待って食べるのだそうだ。

 熟成とは腐敗と同じような物なのか?

 食せるか食せないかでわざわざ言葉を使い分けるなんて、人間とは面倒な考え方をするものだ。

 美味しく戴く為に一緒にお昼寝しましょうと誘ってくる幽々子にも、少しは人間だった頃の記憶がのこっているのだろうか?

 幽々子のような終われない亡霊になると生前の記憶はないらしいが、聞いたこともないしわざわざ聞くほど興味もない。

 それにまた紫に怖い顔をさせたくはない。

 

 ぼんやりとそんな事を考えながら見つめる先で、妖夢と言われた少女が構えて動かないまま結構な時間がたっていた。

 白玉楼の半分人間半分幽霊の庭師。

 主人である幽々子の剣術指南役兼と彼女は言っていたが、指南しているところを見たことがないし幽々子が剣を振るう姿も想像できない。

 まあ仲の良さそうな主従だし、役職はこの際なんでもいいだろう。

 あたし達に見られながら微動だにしない彼女、背負った二刀の内の長い方を正眼で構え静かに佇んでいる。

 光を透かすきれいな白髪と黒いリボン、縁にフリルのあしらわれた緑のスカート。

 それと普段はしていない目隠しの細帯、これらが風に靡いて揺れる姿は凛としていて中々のものだ。

 普段の彼女はもう少し動くし、もう少し話す。

 長い時間構えたまま深く集中しているのはあたしと賭けをしているからだろう、それほど難しいことでもないというのに。

 

 

 お祖父様は言っていた。

 真実は眼では見えない、耳では聞こえない、真実は斬って知るものだと。

 だから、全ては斬らなければ始まらない。剣が真実に導いてくれるはずなのだと。

 きっと今のこの状況も切ってみればわかるのだろう。

 毎年、今くらいの時期になるとふらっとやってきては同じ賭け事をするあの狸殿。

 お祖父様がいた頃からずっと同じ内容のこの勝負。

 お祖父様が何処かへと行ってしまった今でも私相手に挑んでくる。

 

 幽々子様や紫様、藍さんの古い友人らしいが‥‥

 お祖父様はあれは気をつけろと仰っていたが、今は少しわかる。

 きっと魂魄流の剣術を持ってしても抗うことが難しい相手なのだろう。

 気をつけろとおっしゃっていたお祖父様の表情はとても険しいものだった。

 なんという事はない勝負だとはわかるが‥‥

 きっとお祖父様とあの狸殿の間には並々ならぬものがありそれをこの勝負で決していたのだ。

 ダメだ、もっと集中しろ。余計な事は考えるな。切ることだけに集中しろ。

 幽々子様も勝負相手の狸殿も未熟な私に声をかけてくれている、その思いに答えなくては。

 幼い頃見た、お祖父様が切り伏せた姿を思い出せ。

 私がこの勝負に勝ち、少しでもお祖父様に少しでも近づくために。

 

  ――いざ!――

 

 

「そろそろ眺めるのにも飽きたんだけど。幽々子応援でもしてあげなさいよ」

「そうねぇ、早く切ってもらわないと食べられないし。妖夢、頑張ってね」

 

 幽々子の声に少しだけ反応し、刀を構える肩がほんの少し揺れる。

 あれならまだまだ負ける事はない。

 あの爺さんはさくっと切って見せたのだから同じ剣技を扱う孫娘もさくっと切れるはずなんだが、何をそんなに気負いしているんだろう。

 そんなに相手が怖いかね、動くこともないのに。

 あっても転がるくらいか、ただの西瓜だもの。

 

「妖夢早く~スイカ割りっあそれスイカ割り」

「幽々子楽しそうねそれ、あたしもやるわ。スイカ割りっあそれスイカ割り」

 

 手拍子叩いて拍子をつけて縁側から見守る二人の声援を受け、気が乱れた妖夢の剣が……

 スイカの横に滑るように振り下ろされた。

 

「参りました。今年も斬れませんでした」

「爺さんは一太刀で六分割したけど、同じように切れとは言わないけど両断くらい出来ないとね」

 

 この半人前の娘の祖父。

 半分幽霊の爺さんが斬れぬものなどないなんて言うから、あたしの能力で逸らしたスイカを切れるのかと賭けたのがそもそもの始まり。

 最初の数回は切ることが出来ずあたしの勝ちで、悔しがる爺さんと笑う幽々子の前でドヤ顔したもんだったが、いつか爺さんにバッサリと両断された事があった。

 素直に負けを認めて褒め称えたら、良い物が切れたと笑っていた覚えがある。

 翌年の夏からは、あたしの持ってきたスイカを曲芸の様に縦割りしてみせる芸事をするのが、毎年の事と言えるようになるまで続いた。

 いなくなる前に最後に見せた一刀六分割がもう一度見たくて、こうして今でも孫娘相手に勝負を挑んでいる。

 斬れぬものなど、あんまり無い!

 なんて、爺さんと似たような事をいつかの異変で言ったというから少し期待してかなり疑って話すと、それではやってみせますと勢いづいた。

 までは良かったんだがなぁ‥‥

 

「夏場しか食べられないなんて残念よね、春にはスイカはないのかしら」

「探せばあるんじゃないかしら、幻想郷なのだし。常識にとらわれてはいけないわ」

 

 腹の減る亡霊に半分幽霊の人間、口の悪い狸と常識外の者達が普通に暮らしているのだ、季節外れのスイカくらいはあってもおかしな事ではない。

 おかしなことではないが、あの季節の花にうるさいのが許さなかったりするのかね。

 態度だけはお淑やかで可憐に見えるあの女を思い出しながら、妖夢が普通に切ったスイカを頬張る夏の午後、白玉楼の一角。



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幕間 雨宿り

 いやいや参った通り雨。

 手持ちの傘がないもんであのままだったらずぶ濡れだったところだ。隣の可憐なお嬢さんが傘に入れてくれなかったら、こうして軒先に逃げこむ前に濡れネズミだったろう。

 濡れネズミといっても別にどこかの使いになるわけじゃあない、そんなのはあのキザな賢将殿だけで十分だろう。あの可愛い主人とネズミ殿の間に割入って針のむしろになるのは簡便だ、あたしは狸だハリネズミにはなりたくない。

 

 止まない雨を見上げながらそんなどうでもいい事を思いついたのは、きっと隣で濡れた肩にハンカチを当てている彼女のせいだろう。話しかけても反応がなく、そのうちあたしも話すのをやめた。雨が降り止むまでの少しの時間同じ屋根の下過ごすだけの間柄、面識がないわけじゃないが特に仲がいいわけでもない。無言の空間に気まずさを覚えるほど知らないわけでもないけれど、雨について深く語らうような仲ではないのだ。

 

 

 季節はすっかり夏真っ盛りだ、通り雨くらいあるだろう。

 知ってて傘を持ち歩いていないんだ、こんな日が来てもおかしくはないだろう。

 どうせ季節の通り雨、勢いはあるがその勢い通りにすぐに過ぎ去っていくもの。

 気にすることはない、今は雨を楽しもう。

 これも待つ楽しみになるのかね、楽しむ事の師匠はきっと楽しみそうだ。

 

 隣の可憐なお嬢さんはもうしばらくの雨宿りを決めたようで、傘を畳んで水気を切った。

 あたしも着物を濡らしたくない、煙管を取り出し静かにふかす。

 煙は雨に打たれてすぐに消えていった。

 花を愛する女性の横で煙ふかすなんて無粋、と思われそうだがそうでもない。

 草花が芽吹く力を蓄えるのに灰なんかも使えるようで、焼き畑なんてのがそれに当たるか。

 まあ、そんな焼き畑でも当然煙出る。それで草花が燃えてしまっても彼女が怒ることはない。

 結果更に力強い草花が生えてくるのを知っているからだろう。

 あたしの煙管の灰や煙にそんな力はないけれど、少し思うところでもあるのか強く言われた事もない、それ故あたしは気を使うことはせず、煙を漂わせる。

 少しだけ見上げて、雨と空両方を眺めるような角度で。

 

 二回目の灰をふみ消しても雨は一向に弱まらない、思ったよりも雲の流れが遅いようだ。

 それでも気にすることはない、急いでいくような所なんてないしそんなに生き急いでもいない。

 隣の彼女も同じようで、傘を畳んだままたまに空を見上げる程度だ。

 夏らしくない静かなシトシトとした雨で、そんな中物言わず佇むあたしや隣のお嬢さん。

 少し絵になる景色に思えて不意に彼女に視線を移すと、絵の中のお嬢さんと目が合った。

 それでも何も言う事はなく、また雨の空に視線を戻した。

 

 雨の勢いはまだまだ変わらない、先ほど寺子屋終わりの子供が駆けていった。

 傘がない子は当然として傘のある子も駆けていった。

 子供は風の子というし季節は夏だ、あの程度で体調を崩す事もないだろう。

 後を追うように歩く寺子屋の先生が歩いてきたが、あたし達を一瞥するだけで通り過ぎた。

 世話焼きの先生の事だ、一緒に帰るかなんて言われるかと思ったが声をかける雰囲気ではないと感じたのだろう。

 何も言わずに去っていった。

 

 灰を踏み消し三回目、それでも雨は上がらない。

 自宅の前で何も言わずに雨宿りしている妖怪二人を不憫に思ったのか、哀れに思ったのか。

 家主が小さめの椅子を二つ出してくれた、せっかくの行為を無碍にするのもと思い腰掛けた。

 隣のお嬢さんも静かに腰掛けて、無言の空間に椅子が小さく軋むキィという音が増えた。

 

 先ほど走り抜けていった子供が歩いて過ぎていく、今度はきちんと傘を差し濡れないように軽く前かがみ。子供には大きい大人用の番傘だがヤンチャな年頃にはいい重石代わりだろう。

 ゆっくりと歩き、先の角を曲がって消えていった。

 何も言わない軒下の同居人もあたしと同じように子供を見送り、視線を少し斜め上に戻していた。

 

 それからも雨はやまずシトシトと振っている。

 空から垂れる糸のように、幾重も線を描きながら水たまりに波紋を広げて消えていった。

 雨というのは思いの外儚いものなのかもしれないと、新しい発見があった。

 一向に終わる気配のないあたしや隣の可憐なお嬢さんとは違い、この里の人はこんな風に雲から生まれ弾けて消えるのか、そう感じた。

 こういうのをなんと言うんだったか、ああそうだ。

 

 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず

【ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず】

 毎年同じように花は咲くが人の命は儚く、毎年同じではないよ、という意味だったか。

 花の名前を持つあたしと花が大好きなお嬢さんがいる景色に使うには、十分な言葉だと思えた。

 

 雨は未だにやまないがお天気は少し変わりつつあった。

 東の空が少しだけ明るくなってきたのだ。

 雨が止むまでもう時間の問題だろう。

 子供のはしゃぐ声と水たまりを踏み抜く音。

 追う教師の傘に当たり溢れる雨。

 止まない雨音と椅子の音。

 煙草の匂いと花の香り。

 色々と楽しめる物があったと、止まない雨に少し感謝した。

 

 空が次第に明るさを取り戻しいよいよ雨が上がった。

 雲は未だに掛かっているがお天道さまの光が雲間から落ちてきて、景色の部分部分に光の濃淡をつけている。いつも見上げるお天道さまもこうしてみれば表情を変えるように見えるんだな、木漏れ日ではなくなんというのだったか。言葉を思いだせずに雲間から差し込む光の筋を眺めていると、隣の可憐なお嬢さんが一言だけ発した。

 

「光芒、綺麗ね」

 

「そうね」

 

 それだけ言うとゆっくりと立ち上がり、傘をバサッと一開きする。

 音と共に雨粒が飛び、光芒が雨粒で反射して一瞬だがとても美しいものが見られた。慣れた手つきで傘を回すとまだ座ったままのあたしに向かい、手だけで小さく挨拶しその場を離れていった。

 同じように手だけで挨拶し四度目の煙管に火種を移す。

 そうか光芒と言うんだったか。

 モヤモヤと胸につかえたものが取れた心で雨上がりの空を眺めた。



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第二十五話 二ッ岩

叱ってくれる人がいるというのはありがたいですよね。


 床にひざまずき、自身の尻をかかとの上に乗せて跪座となる。

 次に足首を伸ばしてかかとを尻の下にくるようにする。

 本来なら両手は軽く膝に置くか太ももに軽く添える程度だろう。

 今はきっちりと揃えて内ももの上にある。

 普段座りなら少し足を開いて座るのだが、今はピッタリと足を閉じ座っている。

 足がしびれないように親指を重ねてもいいらしいが今はそれは許されていない。

 これでビシッと背を伸ばせばきれいな姿勢に見えるだろうが‥‥

 今は背を丸め肩は窄み尻尾は細くなっている。

 

 所謂正座、それも反省中というやつだ。 

 

 あたしが正座なんてするのは格上の神様や恐れ敬うような相手に対してだけだ、眼前に守矢神社の二柱がいるわけでもないし、妖怪のお山に住まう野良神々がいるわけでもない。

 今この場所こそ命蓮寺だが、毘沙門天代理としての星が軍神としての力を見せつけているわけでもなかった。今あたしの正面には、片膝を立てる姿が堂に入り、崩して組んだ腕わずかに傾いでいる妖怪の姿がある。

 一応反省するような姿でいるあたしに、何を言うでもなくずっと黙ったまま静かな表情、時たまあたしがあの‥‥なんて呟く度に、あたしよりも少し尖った耳をピクリとさせるだけで黙らせる迫力を持つ方だ。

 

 あたしと同じ化け狸。

 でも年齢はあたしより上で、宿す力も上のはず。

 顔を合わせても今日のように正座させられ叱られる事ばっかりで、本気で戦う姿を見たことがないため上のはずとしか言えない。

 今までの経験から、雰囲気だけであたしは萎縮するし、喧嘩を仕掛けようなんて考えた事がないし、勝てる姿もまず浮かばない。

 外の世界でも廃れることなき強い力を保持し続けている御方。

 あたしの知る限り一番強大な妖怪だろう。

 

 あのスキマや鬼、花の妖怪なんかも強力な大妖怪だが、もしやりあう事になってもいいところまで行くか逃げ切れると思う、事実逃げ切れたから毎日こうして楽しく暮らせている。

 だが、この方から逃げ切れる気がしない。正確には逃がしてくれないだろう。

 同族にしかわからない、そういう凄みを感じる。

 当然だ。

 外では未だに過去に助けた人間の子孫から信仰を得ており、人間達からはあたしたちムジナの神として崇められ立派なお社もある。

 ご本人が幻想郷に来た今でも未だ供物があるというし、この方を模して置かれた二つの岩も大事にされているらしい、二ッ岩大明神として祀られて、妖怪というよりも神霊なんじゃないかと思うほどだ。

 妖怪としての格もデカイ、日本という国の狸の1/3を従える狸の総大将。

 佐渡の二ッ岩。僅有絶無の外来妖怪。

 二ッ岩マミゾウ。

 あたしから見れば恐れ多い方だ。

 そんな格上の御方から今お叱りをうけている。

 

「儂の言おうとしてることはわかったかの? ええ、アヤメよ?」

「いや‥‥まだ‥‥何も言ってくれないから」

 

 ずっとこんな形で、答えをもらえぬまま正座をさせられ考えさせられている。

 あたしは一体何をやらかしたんだろう?

 覚えがありすぎてどれの事かわからない。

 少しずつでも思い出しどうにかこの場を切り抜けたいが、どこから考えていけばいいやら。

 本当に思いつかない。

 命蓮寺の本堂の外、繋がっている廊下からは、たまにぬえが覗きこんであたしを笑っている。

 ちくしょういつか仕返ししてやる。

 うん?

 仕返し?

 そうか、いつかのぬえの行いを告げ口したからか?

 ぬえが笑う理由とすればそれかもしれない。

 

「あの、マミ姐さん」

「なんじゃ、わかったか?」

「聖にぬえの愚痴を告げ‥‥」

「ちがう」

 

 ちがうのか。

 ということはぬえはこの姿を見て笑ってただけか、余計に腹立たしいな。

 では他に何だというのか?

 後思いつくこと。

 それもマミ姐さんが叱るようなこと。

 わからん、頭がまわらない。

 今わかるのは、昔からこんな風に叱っては窘めてくれる人情味のある方だったって事くらい。

 昔は何で叱られた?

 いかん、褒められた事は覚えているが叱られた内容を思い出せない。

 

「はぁ、本当に思い出せんのじゃな。儂ゃ悲しい」

「はい‥…ごめんなさい‥‥すみません」

 

 本当にお手上げだ、というより迫力に押され思考回路が動かない。

 こんな風になると知っているのにそれでも言ってくるんだ、ほんとに怖い。

 更に背を丸め肩をすぼめ、耳も倒し尻尾も丸めてこれ以上小さくなれないという姿になった頃。

 一つヒントをくれた。

 

「ぬえの愚痴などどうでもいいわい、儂は約束を忘れられた事が悲しい」

「約‥‥そく?」

 

 マミ姐さんを悲しませるほどの事をやらかしたっけか?

 約束ってなんだった?

 何を約束したっけか?

 最近約束をした覚えはないし、それを忘れたつもりもない。

 ならこっちじゃなくて外での話か?

 それこそ思い出すのなんぞ無理だぞ?

 

「頭に疑問符浮かばせる余裕すらないのか、アヤメよぉ」

「はい‥‥ないです‥‥ごめんなさい」

 

 正座するために隣に置かれたあたしの白徳利と、余計なイタズラをしないように取り上げられた愛用の煙管、それに木の葉が舞乗りポンと音が鳴る。

 マミ姐さんのいつもの妖術だ、言われた疑問符に化かされた愛用煙管が頭上に来てさらに変化する。クエスチョンマークが大きめの手のひらになり、握りこまれてげんこつとなるとコツンとされた。

 

「あのなぁアヤメよ、一度拾ってやったならほどほどに大事にしろと約束したはずじゃろ?」

「ひろう? だいじに??」

 

 またげんこつが寄って来てコツンとされると縮こまり身構えるが、コツンはこない。

 かわりに指で顎を持ち上げられる。

 もう本当に泣きそうだ。

 目頭が少しだけ熱い。

 これで睨まれたりでもしたらきっと静かに泣けるだろう。

 

「お前には苦い記憶で覚えていなくても、拾われた方からはお前は神様仏様なんじゃ。その辺わかってるかのう?」

「あのね姐さん……もう泣きそうで頭が回らないのよ?」

 

 顎を持ち上げていた手のひらが頭に置かれる。

 落として持ち上げる慣れ親しんだ叱り方、あたしはこれにとても弱い。

 他の誰かにやられても鬱陶しいだけにしか思えないが、マミ姐さんのこれには本当に弱い。

 

「外での話。江戸。お山の噴火。これでわからんか?」

「そと?‥‥えど‥‥ふんか?……ぁ」

 

 先ほどまでの小さな怒り混じりの声ではなく、諭すように優しくヒントを教えてくれた。

 ちょっと怖い思いさせて優しくする、よくある手口だとわかる。

 それでも堪えるもんは堪える、後で見ていろ。

 泣いてやる。

 

「おやまのふんか‥‥拾うって村人達?」

「やっと思い出したか、そうじゃ。ゆっくり思い出してみろぃ」

 

〆 

 

 人間達が集まる都が前よりも東の方に移ってから結構な時間が過ぎた。

 京の都を中心に人間同士が小競り合いを始めて随分と国が荒れた。

 あっちでドンパチこっちでドンパチと、耳にうるさい時期が随分と続いた。

 恨みの余り人の身を捨て怨霊に成り果てた人間のお偉いさんなんてのもいた。

 人のくせに自らを第六天魔王だと語る面白い者もいたね。

 そいつは京の都で部下に焼かれて死んだと聞いた。

 そんな面白いのが生まれては争って死んでの繰り返し。

 そうして争い事が収まる運びとなって今は泰平の世だ。

 

 日の本の国の真ん中辺り。

 江戸と呼ばれている大きな人間の都、今まで見てきた中で一番栄えているかもしれない、大地が調度良く抉れて、そこが湾となっている辺りに都を築いて栄え出した頃合いの事だ。

 もう随分と人の近くで暮らしてきたあたしは大きな都を見飽きていて、江戸より少し離れた田舎で暮らしていた。江戸と呼ばれた大都会、楽しく暮らすには十分な都に思えたがあの頃のあたしにはあの喧騒は五月蝿すぎた。

 もちろんその騒がしさを気に入った者もいた、大概は力のない妖怪ばかりだったけれど。

 人のスネこすって歩みを遅くしたり、家の軋む音を立てて驚かしてみたりと言い出せばキリがないくらいに妖怪がいた。妖怪が妖怪としていられて人も同時に栄えていた最後の時代だろう、まあそれはいいか。

 

 そんな江戸の町を離れて、あたしはしばらく北上した内陸の地に移ったんだ。

 江戸の中央、江戸日本橋から数えて二十番目の宿場町。

 そこから少し北に行った山の穴蔵に住まいを構えた。

 場所は何処でも良かったけれど、この辺りは江戸までほどほどの距離だし、大きな街道が数本走っていた為ここらに居着く事を決めた。

 街道は人の往来が常にあり、田舎といえども化かしや騙しの相手に苦労することはなかった。

 それに遊びでも便利だったが何より気に入ったのは三つの滝と温泉、街道を行き交う人間達が三名滝なんて呼ぶくらいに有名で、見応えのあるもの。これが良い酒の肴だった、騙して笑い、日替わりで滝見て酒盛り、選びたい放題の温泉、それなりに充実した生活が出来る場所だった。

 そんな生活をしばらく続けていると退治屋や払い屋なんてのも現れて、ちょっとした刺激も感じられた、中々に良い暮らしだった。

 

 マミ姐さんのお社をきちんと参ったのはそこに住みだして少ししてから、親交自体はそれよりも随分前からあったけれど、お社に行くと少し問題があった為行く機会は多くはなかった。

 マミ姐さんの下にいた四天王の一人に新穂村潟上の才喜坊という狸親父がいた、こいつがひどいエロ狸で、行く度に人の尻を追いかけ回すようなやつで散々だった。

 マミ姐さんの部下、それも四天王なんてお偉いさんを邪険にも出来ず、体良くやり過ごすのに苦労させられた、その辺の事は姐さんも知っていたから、会うのは大体住まいの島の辺鄙な辺り。

 生まれた地も知らない長生きしただけのあたしに、姐さんはとても良くしてくれた。

 同族で頼れるような相手もいなかったし、年も上だったマミ姐さんを本当の姉の様に慕っていたんだ‥‥今もそこは変わらないが。

 そんな風にあたしの面倒をみてくれた相手に、落ち着く先を見つけたと知らせる為にお社に参ったんだ。

 それなりの化け狸なんだから何処か一処に落ち着け、という助言をもらって、その通りになったから報告に参ったんだ。

 マミ姐さんは自分の事の様に喜んでくれてそりゃあ嬉しかった、知らせに来た甲斐があったと思えた、同胞を集めて酒宴まで開いてくれて、本当にありがたかった。

 姐さんから約束して欲しい事があると言われたのもこの時の酒宴の場だ。

 住まいを見つけたのなら周りに人もいるんだろう、その人らがいるおかげで力もつくし蓄えも出来るんだ、程々に化かし程々に楽しんだなら、周りの者くらいは程々に助けてやれ。

 そんな話だった。

 言っている意味もわかるし納得も出来た。

 それにマミ姐さんがそうしているからあたしもそうしたいと考えていた。

 わかったと一つ返事で答えて、マミ姐さんとの大事な約束を交わした。

 

 そんな約束をしてから十数年、約束通りに何事も程々にやっていた。

 マミ姐さんの真似事じゃないが金貸しなんてのもやった。

 やった以上に感謝され拝まれて、こんな暮らしも悪くないなと思った頃。

 いつも通り住まいで寝こけていた夜だ。

 耳を劈く激しい音で叩き起こされた。

 最初は大きな地震でもあったのかと思ったがそうじゃあなかった。

 空が真っ赤に赤いのだ、この世の終わりでも起きたのかと思った。

 よくよく見れば自分の住まうお山の向かい、連山のうちのひとつが爆発していた。

 真っ黒な噴煙を吹き出しながら燃え盛る溶岩を垂れ流し爆ぜていた。

 噴火自体は知っていた。

 この国は火山が多い。

 長く生きれば見かける機会くらいはあった。

 こんなに近くで見たことはなかったが。

 危険さもわかっていた。

 

 あの煙に巻かれるのはあたしでもまずいし溶岩に焼かれりゃ良くて瀕死、普通でサヨナラだ。

 こうしちゃいられないと逃げ支度を急いだが、荷物をまとめ終える前に一つ気が付いた。

 マミ姐さんとの約束だ。

 程々に助けてやれなんて約束だったが、身の危険に晒されてまで助けるべきなのか。

 答えは出ずに悩んでいたが体は近くの谷間の集落へと向かっていた。

 

 集落に着いたはいいが阿鼻叫喚だった、飛び火して焼けては崩れかかる家。

 血を流し呻く人。

 煙を吸って肺が焼けたんだろうナリのきれいな死体。

 それにすがりついて動けない女子供。

 中々の地獄絵図で一瞬動けなかったが、すぐに行動することが出来た。

 あたしが妖怪で良かったと思った。

 まずは男、互いに姿を知らないが金借りに来ていた者が何人かいたはずだ。

 名を呼べばその生き残りぐらいいるだろう。

 何人か男が来てあたしの素性を聞かれたが、お山の金貸しの狸だと言って尻尾を見せたら驚きながらも納得していた。動ける者を男どもに任せ、あたしは動けない爺や女子供を連れ出しては逃がすを繰り返していた。

 生き延びただろう人間のほとんどを連れだした頃には、谷間にあった集落はもう形を成してはいなかった。まだ集落よりは安全だと思えた住処の穴蔵へと連れだしたはいいが、この後どうするかなど考えていなかった。

 

 それからが大変だった。

 病人けが人年寄りに、親の死んだ子どもや赤子連れの女などなどがいる村の者達、これらをどうしたものかと頭を捻る事になったからだ。それでも、人に近い生活をしていた事もあるし紛れていた経験もあったからか、年寄りや子供、赤子連れの女辺りはどうにかなった。

 ただ病人やけが人は薬などあるはずもなく、薬になる葉などを拾ってきたりはしてやったが‥‥そいつらはその日のうちに死んでいき、あたし一人で墓を掘っては埋める事になった。

 他の宿場に連れ出せばなんてのも考えたが、噴煙舞う中連れ出すのは殺すようなもんだったし、行ったところで他の宿場もてんやわんやだっただろう。

 

 数日して少し落ち着いたのか、雲間から日が差すようになり、人が外を出歩けるようになると今更物の怪だと騒がれた。噴煙や岩石があたしから逸れるのを見ておいて何を今更言うのかと笑ったが、先に正体を知っていた数人からの話があったのか、変に敬われ崇められるようになった。

 それからしばらくは元あたしの住まいだった所を中心に森を切り開いたり、人が住めるような形を作った。家や田畑が形になるまでそう時間は掛からなかった、人外のあたしがいたんだ、そりゃあ早い。立派な集落とは言えないが住める形になった辺りで『ここはやるよ』

 それだけを告げて集落のなりそこないを去った。

 

 程々という約束よりも随分深く関わってしまった事。

 約束を破ったと当時は思ったのだろう。

 あたしも単純だった。

 

 住み慣れた土地を離れてまた転々とする日々に戻った。

 マミ姐さんに約束を破った報告を‥‥とも思ったが、あれだけ喜んでくれた姿を思い出し、今は合わす顔がないなと行くに行けなかった。

 いつだったかあのお山とは遠く離れた地で、あの土地の話を聞くことになった。

 噴火に巻き込まれ集落ごと死ぬと思っていた者達が、その土地の化け狸に助けられ生き延び町を興したと、狸の住んでいた穴蔵に祠を立てて、いつ戻ってくれてもいいようになっていると。

 あの集落のなりそこないをでかくしたのかという感心と、待たないでくれという思いとが混ざってなんとも複雑だった。

 

 まだ約束を破った事を気に病んでいたあたし。

 戻ることも出来ず、やめてくれとも言えず‥‥ただ忘れられる事を願った。

 

 それからまたしばらくしてから。

 日の本の国を大きな地震が襲った。

 あの町も当然被害を受けて、噴火で土地が緩んでいたのかあっけなく壊滅。

 あたしの祠も土の中という結末を迎えた。

 忘れられる願いが叶った嬉しさよりも切なさというか侘びしさというか。

 よくわからない感情だけが残った。

 そのまま人の世に関わる事を減らし次第に完全に関わらなくなった。

 

 ひとりになった。

 

 あたしもそろそろかという頃、幻想郷の話を聞いた。 

 

 

「思い出せた、思い出したくなかったけれど」

「そうかそうか。なら儂に言う事はないか」

 

 マミ姐さんの声がとても優しいものだ、先程まで叱ってくれていたはずなのに。

 どこまで心配や迷惑をかければ気が済むのか。

 言う事、言わなければならない事、色々あった。

 約束を破ってしまった。心配を掛けた。頼りたかった。

 外の世界で消えかける前に会いに行けばよかった。会いたかった。

 何から言えばいいか、すぐにはわからなかった。

 

「まずは、そう‥‥約束を破ってしまいました」

「言葉がちがうのう、忘れてしまって、じゃな」

 

 破った事を怒られる。ずっと長いことそう思っていた。

 だから会いに行けなかったし頼れなかった。

 それなのに破ったことはいいというのだろうか。

 確かに忘れていたし忘れられたいと願ったものではあったのだが。

 

「破った事を忘れていた。いや思い出したくなかったのね、あたしが」

「そういう事じゃ‥‥破った事を叱ったりせん。破りたくて破ったもんでもない」

 

 不測の事態だったのは本当の事だが、あたし一人で逃げようと思えばいくらでも逃げることが出来て、どこかで好きに暮らせた。

 あの場に行けば、ほどほどくらいでは済まないとも分かっていた。

 確かに破りたくて破ってはいないが‥‥

 

「次は? もうないのかのう?」

「心配をかけました。頼りたかったのに頼れませんでした」

 

 何も言わずに頷いてくれるマミ姐さん。

 なんだろうか声が震える。

 頬を伝うものはなんだろうか。

 随分と昔、そう思い出話の中の町。

 あの町がなくなったと聞いた時に同じものを流したはずだ。

 

「後は? まだあるじゃろう?」

「会いたかったのに会いに行かなかった。消えかけてこっちに来る寸前まで後悔してた」

 

 頭に置かれた手のひらがぐしぐしと頭を撫でてくれる。

 一通り叱った後はいつもこうだ。

 こうされた後のあたしは笑うか、泣くかだ。

 もうすでに泣いているのか。

 

「まぁ、もういいじゃろう」

 

 その後は何も言わずに泣いた、声を上げるものではなく静かに泣いた。

 頭の手のひらはずっと撫でてくれている。

 あの時は一人で泣いて全部忘れた。忘れようとしていた。

 今は一人ではなくマミ姐さんがいてくれて、遠くで心配そうに見ているぬえもいる。

 あたしはひとりじゃなかった。もう忘れたくはなかった。

 

 一通り泣きはらして落ち着いてから、マミ姐さんからお説教やお叱りではない話があった。

 落ち着く所を作ってみろと言って、見つけたと笑顔で報告にきた。嬉しかったと。

 風の噂でお前の住んだ辺りの妖怪話を聞いて、元気にやっているようで安心したと。

 あの噴火は島からも見えた、あれで死ぬような娘ではないと思っていたと。

 噴火の跡地に町が出来た、狸の祠も建ったようだが祀られる者がおらんと。

 あんな約束をしたせいで、姿を見せないのか会いにこれないのか。申し訳なかったと。

 とんと話を聞かなくなってさすがにと思ったが、居場所もわからず探せんかったと。

 ぬえに呼ばれてこっちに来たら、元気そうな姿があって安心したと。

 何度あっても約束の話が出ないから、こりゃおかしいと今日呼んだと。

 苦い思い出掘り起こしてすまなんだ。

 あのまま放っておくのはできなかった。

 すまなんだと。

 

 全部聞いて声も出せなくて、静かに頷いて。

 少ししてから、あたしはまた泣いて笑った。

 頭に乗せられたマミ姐さんの手は暖かった。  




鈴奈庵のマミゾウさんが格好良くて生きるのがつらい。



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第二十六話 友人模様

前話から読んで頂けると話が繋がるかと思います。


 あの後帰ることなく命蓮寺の皆に世話になった。

 話を聞いていたのか何かを察したのかは知らないが皆変に優しくて少しだけ恥ずかしいような、嬉しいような。ともかく普段のあたしには見られないような表情をしていたと思う。

 マミ姐さんや星は相変わらず笑っていてくれて、聖は穏やかに微笑んでいてくれて、一輪や村紗、あのナズーリンですらいつもよりも優しいような幼い者を見るようなそんな雰囲気だった。

 さすがにいたたまれなくなってきたのだが、ぬえだけはいつもの調子で接してくれた、いつもは厄介な者を見る目でしか見られないけれど、身内を見るような眼差しを受けるのも悪くはない。

 そう思える様になった。

 

 目の前のネズミ殿や地底の主に素直になれだの、なにやら偉そうな事を言ったけれど、一番ひねくれていたのは誰だったのか?

 ちょっとだけ恥ずかしく思い、見てくる皆の顔を真っ直ぐに見られなかった、ぬえがその辺をからかってくるが本当にいつも通りで、逆に嬉しかった。

 

 皆が午後の座禅修行に戻る頃、廊下に面した縁側に腰掛けゆっくりと煙管を楽しんだ。

 雲を見上げながらぷかぷかと煙を漂わせるだけでなにか考えることもなかったが、座禅に参加しなかったぬえがあたしの方をチラチラ見ながら周りをウロウロしている。

 皆の前ではいつも通りだったが二人きりになって急にこうだ、心配でもしてくれているのか。

 

「最初は笑って見てたけど、泣き顔なんて初めて見て驚いたわ。アヤメちゃんも泣くのね」

「多分たまっていたんだと思うわ、スッキリしたもの」

 

 ウロウロと歩いていたぬえがあたしの背中側から抱きついてくる。

 肩に乗っけられた頭が少し重く感じられたが不快感はない。

 視線は同じように空を流れる雲を追っている。

 一言だけ耳元でそう呟いてそれから次の口葉はない。

 あたしも何か言うでもなくそのままにしていた。

 窘めてくれる人はいるが、こうして同じような視線から物を見る相手はほとんどいない。

 旧友とはいいものだ。

 

「ぬえちゃん、もう大丈夫よ」

「修行サボれて都合が良いから私はまだダメよ、アヤメちゃん」

 

 肩に乗った頭に手を添えて言ってみたがまだダメなんだそうだ、そんなに心配させただろうか?

 泣き顔一つでここまで気にかけてくれるのだ、今までのあたしはどんな顔をしていただろう?

 ほんのすこし前までの顔が思い出せなかった。

 

「いつもの悪い顔じゃないからまだダメ」

「悪い顔ってひどいこと言うね、また泣きそう」

 

 ぬえが乗っかっているが構うことなく体を縮こまらせ前傾する、少し慌てたようなぬえがあたしの顔を覗いてきたのでイヤらしく笑ってやった。

 そうだこんな顔だった。

 

「もう少しだけしおらしくしてくれてれば、面白いのに」

「戻らないほうが良かったみたいな言い草ね、やっぱり泣こうかしら」

 

 顔を背け俯くが今度は肩を叩かれるだけで慌てる素振りは見られない。

 空元気だとバレバレだろうが、少し気を張って調子を取り戻す事にした。

 たかだか数時間で随分涙もろくなったと感じるが、今までも泣かなかったわけじゃない。

 ただ少し感情の振れ幅が大きくなっていて不安定なだけだ、そう思い込む事にした。

 

「本調子には戻ってないけれど、誰かで調子を戻すとするわ」

「無理ないようにね!泣くならぬえちゃんが胸を貸してやろう」

 

「マミ姐さんのが柔らかそうだからそっちにお願いするわ」

「私で調子を取り戻さなくていいのよ?」

 

 軽く笑ってぬえと別れた。

 

 ~少女移動中~

 

 ぬえに向かってあぁは言ったけれど、どうして戻そうかと帰り道悩んでしまっていた。

 が、ぬえとの会話で思い出したものもあった。

 同じようにあたしをアヤメちゃんと呼ぶのが他にもいたなと。

 あのお屋敷の、小さい方のアヤメちゃんと呼ぶ友人は友というよりこう、お隣さんの子供を見るような目線になりそうだがあの子も素直だ、丁度いい。あれから顔を出してはいないし季節も変わった事だし、様子見ついでに遊びに行こう。

 そう決めて里の甘味処で土産を買って向かうことにした。

 

 向かう途中湖が騒がしい事に気が付いた。

 どうやら近くに住んでる妖精が湖を凍らせて遊んでいるらしい。

 氷を撃ちだして馬鹿笑いする⑨と名を叫びながら逃げ回る妖精、遊びというよりもっと一方的な物に見えるが妖精の考える事はよくわからない。

 関わらず遠巻きに眺めて過ぎていった。

 

 まだ日は高いが気にしない、きちんと約束したわけではないし友人ならいきなり遊びに来ることもあるだろう。起きてこないならまた本でも読んで時間を潰すか、門番と世間話でもして過ごせばいいかと考えていた。

 しかしどうしたことだろう?

 いつもの所に姿が見えない、昼間は門柱に背を預け、腕組しながらどこかを眺めていたり立ちながら瞑想しているはずで、持ち場を離れて遠くに行くような事はないと聞いている。

 毎日暇してるから暇を出されたのか?

 そんな事を考えてお屋敷の庭に降り立つと、庭の角先、綺麗に整えられた花壇に向かい土いじりをする彼女の姿があった。

 何も言わずに近づいていくとこちらを見ずに話しかけられる。

 

「屋敷に降りてから気配を断っても意味がないと思いますよ」

「お友達の背をトントンと突っつく前に気が付かれちゃ面白くないわね」

 

 手元は何かの苗を植え付けながら、こちらを見ることなく背で会話をする美鈴、お屋敷に入る前から気がついているくせによく言うものだ。

 単純な嗅覚や聴覚なら同じ妖怪でもあたしのほうが長けているだろう、種族の違いもある。

 美鈴がなんの妖怪かしらないがあたしは狸の妖怪である、鼻は利く。 

 それでも屋敷の周りを察知できるのは美鈴の能力故だろう。

 『気を使う程度の能力』を自称しておりその能力で周囲の気を読み察知する。

 自身の気を目に見えるようにして発したりするのが本命なんですけどね、なんて言っていたが色々と応用が聞いて便利そうだ。

 気なんて妖怪なら誰でも出来るだろう、なんて思うがそうでもない。

 あたしは煙管や煙を媒体とするし、あの花妖怪も、妖気の奔流とも呼べる光線を垂れ流す際には愛用の傘を媒体にしている。ぬえも槍っぽいなにかを弓っぽいなにかにして矢を放つ。

 媒体なしで目に見える形にし、発せられる者はあまりいないだろう‥‥ 本気の殺し合いにでもなれば話は変わってくるのだろうが。

 

「なにか雰囲気が変わりましたね、いい事でもありましたか?」

「乙女の秘密を探るなんて、その気もあるの? 美鈴ちゃん」

 

 両手を腰の裏側で組み少し前屈みになりながら近づいて美鈴の背中を指先で突っつく。

 本当にやるとは思っていなかったのか美鈴の赤い髪がほんの少しだけ揺れた。

 植え付けが済んだのか手を払いこちらを向きながら立ち上がる。

 あたしより頭一つ半くらい高い身長、あたしの視界には夏らしくスイカが二つ。

 こっちも突っついてやろうか。

 

「口では可愛い事を言うけど、こんな可愛らしいイタズラしませんでしたよ。やっぱり良い事あったんですね」

「そう? あたしはいつでも可愛い狸さんよ?」

 

 いつか誰かにやったように袖を指先で摘み腰を曲げ小首を傾げる。

 それを見て朗らかに笑う美鈴。

 自分で感じるよりも変化があったのだろうか、気遣いに長けた美鈴だからわかるのか?

 少し真面目に考えていると、笑ったままの美鈴が答えを教えてくれた。

 

「指摘すると戻る辺りに本調子じゃないのが見えます、変わったというよりも慣れないといった感じですか。着物可愛いですね」

「着物もあたしも可愛いのよ、調子が戻らないのは正解よ‥‥来る所を間違えたわね。」

 

 中々に鋭い、こうも煙に巻く事が出来ないと調子を取り戻すどころじゃないかもしれない。

 あたしの妖怪としての本質は何処へ言ってしまったのだろうか。

 いや、煙だ霧だが後ろに引っ込んで本来の狸が前に来てるのか。

 後で考察すべきだろう。 

 

「まあなんでもいいわ、花壇の手入れ? 何を植えたの?」

「菖蒲ですよ、妹様のリクエストです」

 

 なんでもあたしの名前の花がありますよと美鈴から話があったらしく、見てみたいと。あの知りたがりのお嬢ちゃんらしいと思ったと同時に、忘れず興味を持ってくれたままなのが少し嬉しかった。

 

「夏に植え付けする花じゃなかったと思うけれど」

「その辺はほら、得意な方がいるじゃないですか」 

 

 ふむあの花の妖怪が、と少し疑ったがこの前の時のように人里で買い物する姿が見られたり、傘に入れてくれる事があったりするのを考えれば不思議でもないのか。

 それにこのお屋敷の者は面識もあったな、苦い思い出だろうけれど。

 

「その季節に数度来て花壇を見ていくんです。見物客が来ると気合が入りますよね」

「なるほどねぇ、ああそういえば」

 

 土産包、二つ携えた内の一つを差し出して受け取らせる。

 お嬢様に差し上げてなどと言っているが、お嬢様はお友達ではないわお友達の姉で主人。

 と言ったら笑って受け取ってくれた。

 会えば話すし少しの談笑もあるが以前の事もあるからか一線を超えた付き合い方をしていない。

 ……してはいなかったが歓迎するわと言ってくれたのを思い出した、次回はなにか持ってくるとしよう。

 

「休憩があるならその時に、ないならそのうちにでも食べて」

「ありがとうございます、手入れを終えたら戴きます」

 

 毎日毎日門の前で立たされて休憩時間も充てがわれてないのか可愛そうね、なんて考えたのだが今はこうやって花壇の手入れをしているし、終わったら食うと言う辺り勤務時間というより自由時間の延長で門番しているのかね。

 それとも好きで立ってるのか?

 

「そういえばお友達に会いに来たんだけど、玄関開けて遊びましょ~でいいのかしら」

「それをされたお嬢様のお顔を見てみたいですがさすがに。まだ日も高いですし咲夜さんを」

「いやそれならいいわ。起きるまでこっちのお友達で遊ぶから」

 

 ニコニコと詰め寄ったら苦笑いをされてしまった、少しは調子が戻ってきたようだ。

 見慣れた美鈴の顔を見られて少しだけ自信を取り戻し、あたしの笑顔はもっとにこやかなものになっていった。

 

 ~少女遊戯中~

 

 とっぷりと日が暮れてもうすぐ夜、妖怪の時間が巡ってきた。

 美鈴で楽しく遊んで良い時間を過ごしていたら様子を見に来たのか、何かを嗅ぎつけてきたのか、青白の使用人に見つかってしまい、そのままお屋敷へと案内される事になった。

 仕事に集中出来るようにあたしへと向かう注意を逸していたのだが、気が付かれるということは注意や警戒の色なく、ただ美鈴の様子を見に来たのだろう。

 一瞬だけなんでここにいるの? という表情を見せたが、すぐに冷静な顔を取り戻し招き入れてくれた、切り替えの早い出来たメイドさんだ。

 使用人が呼びに来たということは姉の方は起きたのだろう、美鈴の仕事はお嬢ちゃんが寝ている日中だけで起きたら仕事終了のはずだ。

 そうして予想通り、三人で屋敷内へと向かい歩き出した。

 

 真っ赤な部屋に目立つ、白く大きなダイニングテーブルに、同じく白の椅子が並ぶ客間に招かれ椅子を引かれるが遠慮し、横の猫足ソファーに腰掛ける。

 訝しげな顔をされたが尻尾を振ったら理解してくれたようだ、西洋の背もたれの高い椅子にあたしの尻尾は邪魔なのだ。

 ソファーに座りいつのまにか用意されたティーセットを眺めながら、そういえばとお願いがあったのを思い出した。

 

「使用人さん、一つお願いがあったんだけどね。聞いてもらえる?」

「私でお答えできるものならなんなりと」

 

 出来た従者だ、あのお嬢ちゃんには勿体ないくらいの人間だ。

 この場では。

 異変の時に出会うとこうではないらしい、いつかの終らない夜の異変では、目を真っ赤に血走らせながら追い掛け回されるし後ろと前からナイフ飛んでくるし私の瞳は効かないしと、散々な夜だった事を同じく目の赤いウサギが話していた。

 幻想郷で空を飛ぶ種類の人間の少女だ、それくらい血気盛んな面も当然あるんだろう。

 今の姿とその姿、どっちが本性なのかはわからないが。

 

「フランちゃんとお友達になった時の茶葉、柑橘系の香りのするあれ、良ければ譲ってくれない?」

「そのようなことであればいくらでも。お帰りの際に包んだものをお渡しします。それと私からも一つお願いがございます」

 

 あの紅茶は中々良いものだった。

 いつか味わった中国茶ほどではないが心が安らぐようなホッと一息つくのに良いものだ、譲ってもらえるならありがたい。

 そして後半珍しい事を言ったな、普段あたしから言われたことへの返答しかしないくせに自ら何かを言ってくるとは、少し面白い。

 出来ればもっと面白く膨らませられるものであればよいが。

 

「ありがと、楽しみが増えた。それでお願いってなぁに? あたしで答えられるならなんなりと」

「使用人はお辞めいただいて、メイド長もしくは咲夜、とお呼びいただきたいのです。屋敷に使用人は多くおりますので」

 

 そんな事か、お安いご用だ。

 ここのお嬢ちゃんがいつも、私の咲夜。と随分もったいぶった話し方をするからここの主やこのメイド長の友人くらいにしか許していないのかと思っていた。

 

「確かに使用人はいっぱいいるものね。失礼していたわ、咲夜。ついでに囃子方様はやめてアヤメだと嬉しいんだけど。かたっ苦しいのは嫌なの」

「かしこまりました、アヤメ様。それではお嬢様にお声かけしてまいりますので、このままお待ちくださいませ」

 

 言い切り消えた瀟洒な従者。

 いつも思うが急にいなくなる。

 あの子の能力を使っているんだろう『時間を操る程度の能力』だったか、時間を戻せはしないが好きに止め動かせるんだったか。

 人の身で人外を超える能力だと思う。

 幻想郷の野良神様よりよっぽど神々の御力だ。

 ついでに言えば時間と空間は同義の物だからそっちも操れて、その辺を利用してお屋敷の中を広げているとか。

 随分とまぁずるい能力だ。

 しかし能力ってことはあたしが干渉したらどうなるんだろうか?

 いや、やめておこう。

 うっかり時間や空間のスキマに落ちて、いらっしゃい。

 なんてなったら困る。

 取り敢えず考えるのはやめよう、垂れ流したままの魔力とコツコツとした足音が連れ添ってこちらに来るし、この考察はまた今度だ。

 

「随分と待たせたようだ、すまないなアヤメちゃん」

「美鈴で楽しく遊んだから気にしないで、レミィ」

 

 開口一番でそう厳しい面をするな、友人からの呼ばれ方であたしを呼んだんだ。

 あたしも友人からの呼び名で読んであげるのが礼儀だろう?

 

「フランはまだ目覚めないわ、それまで私に付き合いなさい」

「時間はあるし構わないわ、楽しいお話でもしてくれるのかしら」

 

 呼び名はいいのか、ならそう呼ぼう。

 あたしはあまりありがたくないが。

 そう思っていると先程よりも瀟洒な態度を見せるメイド長が、いつのまにか二杯目の紅茶を注いでくれていたようだ。

 口に含む、これはさっきの話の柑橘類の香る紅茶だ、気を利かせてくれたのか。

 益々このお嬢ちゃんには勿体ないな。

 

 斜め前のお嬢様を眺めるとあたしと同じようにカップに口をつけて‥‥吹き出した。

 ブフゥという音と共に部屋に紅茶の霧が舞う、なんだまた霧の異変か。

 

「咲夜!? これはなに!? 苦くて飲めたもんじゃないわよ!」

「苦丁茶にございます。お眠りになる前に漫画を読まれていましたので眼精疲労に良い物を、と。それに少しの苦味は目覚めによろしいかと考えました」

 

 舌を出してぴよぴよと喚きながら瀟洒な従者を問い詰めるこのお屋敷の主殿。

 こうしているとあたしに見せる威厳ある態度が嘘のようで見た目通りの幼女にしか見えない。

 あのメイド長、完全服従かと思ったが面白いところがあるじゃないか。

 きゃあきゃあ喚く主人を優しく窘めている。

 

「仲が良いのね、妬ましいわ」

「はぇ? 妬まれるほど咲夜と仲良かったかしら」

 

 威厳を取り戻しきれてないところを少しつついて上げれば本当に子供のような姿を見せる。隣の従者の方が年長者のように見えるぞお嬢ちゃん。

 だからこそからかい甲斐があってとても楽しいのだが。

 

「冗談よ。中々どうして、レミィにも可愛い所があるじゃない」

「なんなの!? あ、また言葉遊び? やるならやるって言いなさいよ」

 

 クックと笑って見てみれば疑惑の表情から呆れたような表情へと変えてあたしを見据えてくる。

 やはり姉の方は楽しくおしゃべりするよりも、おしゃべりをした後を見ていたほうが楽しい。

 こんな反応をあのメイド長も楽しんでいるんだろう、先程から小さく微笑んでいる。

 あたしに気が付かれないようにと目を合わせてはくれないが。

 

「やっぱり姉妹ね、似てるところがあるわ」

「そうかしら、羽も髪もちがうけど」

 

「可愛いところがよく似てるわ」

 

 羽を開いたり、髪に手櫛を通す様は威厳のあるお嬢様だったが、可愛いと言われてお嬢ちゃんに戻っている屋敷の主。

 これは飽きないかもしれないな。

 と、ニヤニヤしていると、メイド長がお小言でもくれるのか口を開く。

 

「妹様が目覚められたようです、アヤメ様がいらしているとお伝えしてまいります」

「いや、少し驚かせたいわ。良ければ部屋まで案内してくれる?」

 

 部屋まで、と言った辺りで少し姉の顔が曇ったが言われなくても大体想像がつく。

 あの子自体は噂とはちがう子だったが噂に広まるくらいだ。

 それなりの事くらいはあるのだろう。

 足吹っ飛ばされた事は忘れてはいない。

 そのお返しに少しのドッキリを、と思っただけだ。

 そこを見てまた余計な事を言うつもりはない。

 というより部屋の掃除くらい自分でするように言えばいいのだ。

 そういうものなんだと説明すればあの子ならやりそうなもんだが。

 血生臭い物を人間のメイド長に掃除させるのは酷な気がするもの。

 いや、主の食事を用意しているんだ慣れているのか?まあ、いいか。

 

「お友達のお部屋にお友達が遊びに行く、よくあることよ?」

「そうね、咲夜。案内してあげて」

「畏まりました、ご案内いたします」

 

 ~少女移動中~

 

 大図書館とは少し違う方向へ向かって歩いているのだろう。

 メイド長の後をついて歩いているが空間を広げている影響なのか、それほど頻繁に曲がっていたりはしないのに方向感覚がよくわからない、わからないから気にするのをやめた。

 向かう途中数組の使用人達を見かけた、妖精をメイドとして使っていると言っていたがあの羽は本当に妖精のものだ、妖精に仕事なんて出来るのだろうか?

 確認するほど興味もないしこれも気にするのをやめた。

 どう歩いてきたか覚えてないが階段を下って多分地下、今まで見てきた扉よりも少し屈強で武骨な扉前の到着、女の子の部屋の扉にしては重々しいものだが、あの子の馬鹿力にはこれくらいでいいのかもしれない。

 着いたわけだし、目覚める前に早速と扉に手をかける寸前で、メイド長から声掛けられた。

 

「少し散らかっていると思いますが‥‥私が手を出すと妹様の機嫌が悪くなります、気分を害さぬよう」

「多分慣れてるから大丈夫よ、案内ありがとう」

 

 それだけ告げて部屋に入った。

 

 入った瞬間に昔良く嗅いだ匂いに包まれる。

 血の匂い。時間のたった肉の匂い。

 嗅ぎ慣れたむせ返る臭い。

 所謂死臭というやつだ。

 部屋の壁紙は真っ赤っ赤。

 少し斑に染まっているが、綺麗に全面真っ赤っ赤で床まで塗料が流れ落ちている箇所も見える、新しいモノも古いモノも雑な仕事だ。

 軽く部屋を一瞥すると部屋の隅に豪華な天蓋付きのベッド。

 そのベッド中央が小さく膨らみ上下している。

 目覚めたと聞いているが二度寝中か、まあ気持ちはわかる、こんな地下のひんやりとした部屋だ、静かで快適な睡眠を約束してくれるだろう。

 それでも今日は起きてもらおう、お友達が遊びに来たんだ、可愛くお迎えしてもらわないと遊びに来た甲斐がない。

 

「おはようフランちゃん、遊びに来たわ」

「お姉様?……まだ眠いのよ」

 

 あの姉と間違えてくれるとは、傷ついてしまいそうだ。

 それともそれくらい慕ってくれているのか?

 いやあの姉は慕われているのか?

 少なくとも寝ぼけた頭で最初に名前を呼ぶくらいには慕っているようだが。

 まぁそれはともかく、起こそう。

 驚いてもらわないと甲斐がない。

 

「残念、お嬢ちゃんじゃあないわ、お友達が遊びに来たの」

「オトモダチ?‥‥お友達!?」

 

 ガバっと起きるとあたしと対面、軽く微笑んで顔先で手を振ると、大きな赤い目をぱちぱちとさせて焦点を合わせた眠り姫。

 それでもまだ目覚めきれていないのか、ぼんやりとした眼。

 仕方がない、刺激を与えて目覚めさせよう。

 女の子座りする形のフランの胴に尻尾を回し、優しく巻き取ると、対面になるようあたしの膝へと座らせる、そのままの姿勢で両手をフランの頬に軽く添えて、顔を近づけ再度目覚めの挨拶だ。

 

「おはようフランちゃん、起きたかしら」

「目覚めたんだけどまだ夢の中だわ、アヤメちゃんが部屋にいるもの」

 

 ドッキリは成功したようだ、呆けた顔をしてあたしを見てる、姉とは違って反応は静かだったがその目は困惑の色を浮かべてくれた。

 なら夢じゃないとわかってもらおう、添えた両手を軽く押し口が角になるように抑える。

 

「まずはご挨拶って教えたんだけど忘れてしまった?」

「おあにょう、アアメにょん。にょんでここにょいるにょ?」

 

 振り払う事なくそのままの口で挨拶し質問をぶつけてくる妹。

 ゴニョゴニョと舌っ足らずで話す可愛らしさを堪能出来たので、抑えを解き質問に答えてあげる。

 

「お友達の抜き打ちお部屋訪問、楽しめた?」

「うん、驚いた。散らかってるけどごめんね?」

 

「自覚があるのに掃除しないの? ここの臭いはあたしの鼻には少し強いわ」

 

 嗅ぎ慣れているが好むものではない、ただでさえ鼻が利くのだ、ここにずっといたら煙管も酒も数時間楽しめなくなるだろう。

 それはとても困る。

 

「血は落ち着くけど他は面倒なの、壊れなければよかったんだけどみんな壊れちゃったわ」

「フランちゃんのお友達候補だったのね、壊れちゃったなら掃除くらいしないと。友達が出来たらこまるわよ?」

 

 握りつぶされたのか叩きつけられたのか知らないが返り血に染まる壁や、少し抵抗したのか下手な壊され方して床に飛び散っている腐った臓腑。

 ソレが飛び散るお部屋は中々にスプラッターな部屋で、臭いも見た目も少女が楽しく語らう部屋ではない‥‥もしかしたらこういうのを好むお友達が出来るかもしれないが、そういった趣味を持ったお友達は稀だろう。

 なら少しは招きやすいようにしたほうがいい。

 

「アヤメちゃんは来てくれて、いてくれるよ?」

「あたしは慣れているからいいのよ、次に出来るかもしれないお友達の事。これに慣れてる人ばかりじゃないもの」

 

 小首を傾げて聞いてくるって事はあれか、友人は増やせるものだと教えてあげないとだめか、知らない事やわからないは聞けばいいと言ったんだ、少しお勉強会をするか。

 

「フランちゃんあたし以外のお友達は欲しくないの?」

「欲しいけど、皆壊れちゃうよ?」

 

「そうね、あたしは壊れないけど壊れちゃうほうが多いわね。ならこうしましょう、壊さなきゃいいのよ」

 

 頭の上に『?』マークが見える。

 なるほど、お叱りを受けるあたしでは出せなかったものはこれか。

 こういった無垢な質問でも思い浮かばないと見えないものか。

 これをあたしに求めるのは厳しすぎるわ、マミ姐さん‥‥

 

「あたしがお友達になった時の事覚えているかしら? あたしはフランちゃんを壊さず話を飛ばしたわ。同じようにやればいいの」

「でも美鈴が教えてくれたお友達の作り方じゃないわ」

 

「じゃああたしのお友達の話を思い出して。家に来てお茶だけ飲んで帰るやつの話をしたでしょ?」

「お姉様がなんか喚いてた話しね、覚えてるわ」

 

 さすが力のある妖怪だ、一度の会話でもきっちり覚えている。

 姉が喚きながら訂正してたところまで正解だ、覚えが良くてお姉さん楽しいわ。

 

「そうそれだ、あいつも友達だしフランちゃんもあたしのお友達。形は違うがお友達で間違いない」

「お友達の形が違うから、美鈴の教えてくれたお友達の作り方と違う形でもいいって事?」

 

 以前に感が鋭いかもなんて思ったがちがうな、この子は賢い。

 ただ中身が詰まっていないだけで考え方や思考能力は素晴らしい、きちんと教える者がいればもっと早くから友達もいて‥‥いや過去はいいか、後は姉や魔女が授けていけばいい、まだまだ時間はある。

 

「その通り、賢いわフランちゃん」

「でも美鈴の方法しかわからないわ」

 

「大丈夫、そのためのお友達、そのためのアヤメちゃんよ?」

 

 ~少女仕込中~

 

 まずは美鈴の元を訪れて予行練習。

 以前にお友達にはなれませんって言われたのになぜ、美鈴の所に行くのかわからないフランだったが、お友達の作り方を教えてくれた美鈴にあたしが教えた方法で出来るか見てもらいましょうと促した。

 納得したのか頑張ると気合の入ったフランに教えた通りの挨拶をさせてみる、結果としては問題ない、でも後で話があると言われてしまった。

 何か不満でもあるのだろうか?

 フランを見て母親のような顔をして喜んだというのに。

 

 続いては大図書館。

 パチュリーにも過去に断られたと言っていたが、姉のお友達だからフランもきっとお友達になれるとたらし込み、また気合いを入れた、あたしの言葉を素直に聞いて行動してくれるフランを見て、一瞬愛らしい地獄烏を思い出してしまい、あたしも少し揺れたがフランのお友達のためだと心を鬼にした。

 まずは魔女だけに見せればいいかと思ったが、都合がいいことに姉もメイド長も一緒にいたので合わせてお披露目することにした、さぁあたしの仕込み通り、頑張ってみせてくれ、悪魔の妹さん。

 

 まずは足を揃える。

 きっちりとではなく膝を揃える程度でいい。

 上半身はリラックスさせるが背は綺麗に伸ばしたまま。

 次いで相手の正面辺りに立ち、小さくお辞儀をしながらスカートの両端を親指と人差し指だけで摘み軽くたくし上げる。

 お辞儀で頭を下げる動きに合わせて右膝を曲げながら少しだけ上げる、その際に足首を伸ばして、つま先は床に軽く触れさせる程度でトンと。

 動きは早くなくていい、焦らず優雅に瀟洒に、いや、むしろ慣れていませんという方がいい。

 羽は広げず相手に見えるように下げて畳め、そこまでできたらその時に自己紹介をしよう、ここではご挨拶と名前だけでいい。

 お願いはこの後だ。

 

 この所作を相手のすぐそば、相手の服や手が取れるくらいの場所で行い、一連の流れが終わって相手の自己紹介が済んだら次だ。

 相手の服の腰あたり、服が難しければ相手の指でいい。

 人指し指と親指だけで指定した所を軽く掴もう。

 そうしたら瞳を潤ませて相手の顔を下から覗きこもう、その時まっすぐ見ちゃダメだ。

 顔はほんの少しだけ相手の方を向いて上目遣いで相手を見よう。

 ここまで出来たらあとは簡単だ。

 相手にお友達になってくださいと優しくお願いすればいい。

 

 これを魔女相手にさせて姉やメイド長、司書殿に見てもらった。

 魔女殿は慌てることなくフランのお願いを聞き入れてくれたようだ。

 お願いするフランへ送る視線は優しいものだった、妹の後ろでニヤニヤしていたあたしには、やたら目を細めて鋭さすら感じる眼差しをくれたが。

 これから先、物事を覚えるなら魔女殿なら適任だろう、常識も教養も十分だ、これでフランが魔法でも覚えてくれれば先の楽しみが増えるというものだ。

 姉は口を『あ』の状態にして固まっていた、動きがなくてつまらないものだった。

 司書殿はお友達にはなれません申し訳ございませんと、膝立ちでフランを抱きしめていた。

 悪魔なのに朗らかで良い笑顔だった。

 一番反応がないと思っていたメイド長が一番楽しかった。

 立ち振舞こそ瀟洒なままだったが、目が合ったあたしに親指立てて、こちらもとても良い笑顔を見せてくれた。主へのお茶といい親指といい面白い人間だ、帰りにくれた茶葉も一缶まるまる寄越してくれて、気前の良さも気落ちがいい。

 気前の良い咲夜をあたしは気に入った。



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第二十七話 心模様

貴女は貴女が思うより‥‥貴女は貴女が思うほど貴女の事を‥‥そんな話。


 アヤメなのに薔薇なのね、綺麗だわ。

 友人からもらった着物を褒められて悪い気はしない。

同じ言葉でも言う人が変わればこうまで印象がちがうものか。

 日傘をくるくると回す様は似通っているが一緒にするつもりはない。あちらは気持ち悪いスキマに浮かび胡散臭く笑うが、こちらは日の光を全身に受けて淑やかに笑う可憐さがある。

 天で微笑むお天道さまを見上げる、地から芽吹いたお天道さま、それが視界いっぱいに広がる花畑。その中心で日傘を差し、花と同じようにお天道さまを見上げる彼女、いつかも思ったが絵になる姿だ。

 

「見に来てよかったわ。住まいからも近いし、もっと早く来ればよかった」

「今が見頃よ。早かったらこの子達の咲き誇る姿が見られなかったし、今で良かったのよ」

 

 あたしの視界を黄色で埋め尽くす太陽の花畑、それを眺める為にあるような少し高くなった丘。

 そこに座り、愛でるように眺めていたらいつの間にか隣に日傘を差す彼女がいた。

 いつの間にかというのは正確ではないか。眺める花畑からゆっくりと歩いて来たのだから。

 歩いてこちらへと向かう姿も様になっていてあたしは彼女も景色の一部と捉えていた。

 隣に立ち無言のまま、あたしが満足し感想を言うまで何も言わずに佇んでいた。

 花の大妖怪 風見幽香。

 

「去年もその前も同じように咲いていたけれど見になんて来なかったわね。今年になって見たくなったのかしら」

「それもあるわ、でも他にもう一つ。貴女にお礼を言おうかなと思ってね、幽香」

 

 二人とも花畑を眺めたまま景色の邪魔にならないよう少し抑えた声で話す。お礼? と少しだけ首を傾げたが身に覚えがないのだろう、それはそうだ、あたしが何かしてもらったわけではない。

 以前の雨宿り、あの時に傘に入れてもらった事はその場でありがとうと伝えていたし、あの時くらいしか同じ場所で時間を過ごした事がないからしてもらうことなどない。

 先日赤いお屋敷で、あたしの名の花を植える門番からこの妖怪にお世話になったと聞いて、なんとなくお礼が言いたくなりこうして訪れたわけだ。

 

「幽香が季節外の花を咲かせるなんて珍しいなと思ってね。あたしの名前の花だしお礼が言いたくなったのよ」

「紅魔館の菖蒲ね、お礼なんていいわ。大した事じゃない少し咲いてくれるようお願いしただけ。それに季節外でもないわ」

 

 こう言われるとは思っていた『花を操る程度の能力』を持ってはいるがそれを乱用した話を聞いたことはないし、見たことがない。花は季節物、春夏秋冬それぞれにそれぞれの花が咲き誇る、この妖怪はそれをよしとしていて自然に抗うような事はしない。

 けれど季節外ではないとはどういう意味だろうか?

 あの花壇に植えていた花はハナショウブ。

 今の時期より一月位は前に咲くべき花だ。

 

「植え付けをする季節ではないと思うけど、もう花が咲いてしおれている時期でしょう?」 

「普通のハナショウブならそうでしょうね。でもあの子達には適した時期だったのよ」

 

 幽香が言うならハナショウブで間違いはないだろう。ならあたしが言うことも間違いじゃないはずだ、菖蒲と書いてアヤメ、花菖蒲と書いてハナショウブなのだ。

 花を愛でる心はあるが特に詳しいわけじゃあない、それでも自身の名と同じ花くらいは知っているつもりだ。ではなんだろう、言葉遊びのつもりだろうか。

 口数が多いほうじゃあないのは知っている、言葉遊びくらいはするかもしれないが先程の空気はそういったものではなかった。

 季節ではなく時期と言った事に答えがありそうだ。

 

「花の場合、時期と季節はちがうのかしら。詳しくないから教えてほしいけど」

「似ているけど少し違うわ。そうね‥‥今のような夏でも、咲かない向日葵があるかもしれないわ」

 

 イマイチつかみにくい事を言う。

 夏でも咲かない向日葵とはどういったものか?

 幽香が言うのだ、当然花だろう、季節に逆らう向日葵?

 時期に逆らう向日葵?

 もう少しヒントが欲しいところだ、それとも素直に答えを聞くか。

 

「悩んでいるようだけど、単純な事よ。あの子達が咲きたがっていた。だから少しだけ力をあげたの」

「咲きたがって‥‥あぁ花の言葉がわかるのだったかしら」

 

 なるほど単純にあの花達が咲きたがっていたから力を貸した、本人達が咲きたがるから季節を外れたわけではなく咲く時期だったと、夏に咲きたがらない向日葵もいるかもしれない、こういうことか。

 なかなか素敵な発想だが、あの花達がなぜ咲きたいと思うのか?

 そこが気になるところだ。自力では難しい時期になぜ?

 

「なぜ咲きたいと言っているのか、までわかるの?」

「あの子達の考えは全て。咲いて欲しいと強く願われていたから咲きたがった。これも単純ね」

 

 願いね、願うとすれば美鈴かフランか、どちらかだろう、姉の方にそんな思いはないだろうし、外にでない魔女は論外だ。

 司書殿や咲夜なら愛でる事もあるかもしれないが、季節外れな願いをしてまで花を見たいかと言われればそんなことはないだろう。

 

「貴女、話で聞くほど賢くないのかしら。それとも鈍感なのかしらね」

「馬鹿はするけど馬鹿ではないつもりよ、鈍感かどうかはわからないわね」

 

「わからないから鈍感なのよ」

 

 淑やかな笑顔のまま辛辣な事を言われてしまった。そんなに鈍感か?

 騙しや化かしで心の機微を察するのには長けている方だと思っていたが。

 ほとんど会話をしたことがない幽香に言い切られてしまう理由があるのだろうか?

 いや、今はそれはいいか。花の方を考えてみよう。

 

「花の方を考えようって思っているのだろうけど、花の方はさっき話したじゃない」

「そうね、訂正するわ。あたしが思っているより馬鹿なのかもしれないわ」

 

「お馬鹿な貴方にヒントをあげるわ。なぜ咲いて欲しいのか」

 

 なぜ咲いて欲しいか?

 簡単なことだろう、見たいからだ。花なんだ、それ以外にないだろう。

 食べるや使うという可能性もなくはないが、美鈴やフランがそう願うとは思えないし思いたくはない。

 

「まだわからないという顔ね。悩んでいる顔とてもいいわ」

「そこを褒められたのは初めてだわ、あたしも幽香の楽しそうなお顔を見られて嬉しい」

 

 つい先日上から物をいわれたばかりだというのに今日も上から物を言われている。

 けれど不快に感じてはいない。

 少し前の自分ならなにくそ! と引きずり下ろす事に躍起になったが今は心静かだ、なるほど。

 あたしはかわったのかもしれない。

 不快どころか気になる事が前に来てそれ以外はどうでもいいとも感じられる。

 なんとも不思議な感覚だ。

 

「誰がなぜ願うのか、綺麗に咲いて喜ぶのは誰なのか。なぜ喜ぶのか、本当鈍感だわ」

 

 誰がなぜ。さきほど結論に至った通り。

 綺麗に咲いて喜ぶ。これも結論は出た、あの二人だ。

 なぜ喜ぶ。見たい物が見られるから。

 なぜ見たいのか。あたしの名の付く花が見たいという願いからあの花を植えた。

 願いはフランから。

 そうね、あたしは鈍感だわ。

 

「答えが出た? 花が咲いたような笑顔だけど」

「ええ、芽吹いた気分だわ」

 

 フランが願った、あたしの名がついた花がみたいと。そう願ってくれた。

 その願いを聞いて花が咲きたいと考えた、花が咲きたい時がその花の時期で咲くべき季節。

 なんともあたしに都合のいい答えに行き着いてしまった。

 答えというよりあたしの願望かもしれない。

 そうあって欲しいと。そうあってくれたらいいと。

 しかしまぁ悪くない答えだ。

 良い、答えだ。

 

「咲いたら見に行ってあげて、きっとあたしと同じように綺麗だわ」

「そうね、前の貴女は見れたもんじゃなかったけど今の貴女は綺麗だわ」

 

 

 人里で買い物を済ませ帰るかという頃通り雨が降り出した。

 これくらいなら日傘でもと思い、傘を開いて歩いた。

 少し歩いて、あの狸を見かけた。

 どうやら傘がなくて走りだすかという所、仕方がないので先の軒先まで入れてあげた。

 一人用の日傘じゃさすがに入りきれないわね、少し肩を濡らしてしまった。

 ハンカチを常備しているから問題はないけれど。隣の狸は持ち歩かないのかしら。

 きれいな着物を着ているのに、濡らして痛めてしまってはその白い着物が可愛そうよ。

 

 夏の通り雨、もう少し待てば止むでしょう。

 雨が上がったら日傘の水気を切らないと。

 それまでは少し雨宿り。

 いつの間にか狸が煙草を吸い出した、何がいいのかしら。

 花の香りのが楽しめるというのに。

 

 通り雨かと思っていたけど中々止まないわね。

 これだけ降れば土が柔らかくなってあの子達にもいいわね。

 隣の狸も気長に止むのを待っているけど、静かに何を考えているのかしら。

 

 今も昔も子供は元気ね、雨何て関係ないみたい。

 こんな元気なのを毎日見ているこの半獣も大変ね。

 それにしてもしつこい雨ね、梅雨に戻ったみたい。

 もうどれくらい季節が巡ったかなんて覚えていないけど。

 

 少し明るくなって来たわね、もうすぐ止むかしら。

 あの子達ももうすぐあの綺麗な光芒に向かって咲き始める頃ね。

 隣の狸も静かに眺めて綺麗なんて思うのかしら、

 景色を眺めて考える姿が妙に様になっているけれど。

 

「光芒、綺麗ね」

 

 

 しばらく前からずっと眺めているけど誰かしら。

 眺めているだけでいいなら満足するまで見ていくといいわ。

 あら、あの時の白い着物綺麗な刺繍がされていたのね。

 着ている本人はアヤメなのに薔薇なんて‥‥綺麗なものね。

 

 静かに眺めて満足したの?

 眺めるなら今が一番あの子達の綺麗な時よ、いい時に来たわね。

 花のお礼なんてなにかしてあげたかしら?

 紅魔館の菖蒲、門番が丁寧に植え替えたあの子達ね。

 

 咲きたいと強く願うから。咲き誇る姿を見せたいというから。少し力を貸してあげた。

 花達があんなに願ったのに同じ名前の貴女は気がつかない。鈍感なのね。

 

 本当に鈍感なのね、自分の事なのに気がつかないなんて。

 自分がわからずに悩む今の顔、とても可愛いわよ。

 

 笑顔の花を咲かせるなんて、貴女変わったのね。

 以前の貴女は気に入らなかったけど今はそうね、綺麗だわ。

 あの花が咲いてそれを見た時、貴女はどんな顔を見せるのかしら。



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第二十九話 月見て笑う

ガールズのトークその2



 いつもはそれなりに見えるよう小奇麗にしている少女。ただの灰色に見えるが部分的に白も混ざり濃淡を見せる灰褐色の髪と耳。今はその半分を赤く染めている。

 召し物もマメに手入れされ、その髪よりも少しだけ明るい無地で髪と同系色のもの。今はその半身を髪と同じく赤々と染め上げてしまっている。

 掛けている銀縁眼鏡にも血痕が残り、視力を補うという眼鏡としての機能をなしてはいないが、そう気にしている素振りは見られない。なぜなら今は食事中。気にしていては進まない。

 

 普段の食事は質素なものでもっと少なく食べ散らかす事などないが、今日ばっかりは事情が違う。この少女にしては珍しく血を浴びる事などお構いなしに食事をしている。

 夜空にはお月様、いつもよりも少しだけ赤く輝いて見える綺麗な満月。妖かしなら眺めるだけで気が昂ぶり抑えが効かなくなるような夜だ。

 この少女も少しだけその影響を受けているように見える。

 

 先程まで襲いかかってきていた相手を喰らい、その臓腑を口に咥えたまま月を見上げる姿。

 猟奇的な光景だが、恍惚とした表情を浮かべ月を見上げる少女は美しく怪しかった。

 もしこの姿を見る者がいれば足を止め、少女から目を離せなくなっているかもしれない。

 夜に輝く銀の瞳と目が合い虜になるかもしれない。

 そんな、夜の少女。 

 

 木っ端ばかり次々と。もう何人目になるのか。これで喰らったのは二人、散らしたので五人だからこいつで合わせて七人かね。もう相手するのも面倒だから先に死んでから来てくれないかね。

 これはきっとあれだ、紫の怠慢だ。あのスキマ、人には散々手伝えだのお使いしてこいだの面倒で厄介な話しか振ってこないくせに、こっちが面倒に巻き込まれても助けになんて来やしない。

 それにしても良い夜だ。普段は喰おうとも考えない相手を喰らい、それが美味だと感じられる。夜空に輝くお月様が素晴らしくて少しだけ気持ちがよい。

 けれどそろそろ喰い飽きた。

 最初に現れたあの者達、綺麗に仕立てられた洋装に背に生やした皮膜の翼。

 高慢で、さも高みに私はいますよとでも言い出しそうな表情。

 それが歪みあたしの体にすがりながら命を乞う姿は滑稽で楽しめた。

 ああいう者相手なら面倒事でも今夜は許せる。

 それがどうした事か、最初に現れたやつ以外はろくに会話も出来ず人の形も成せないような半端でどうでもいい妖かしばかり。

 少し散らされた辺りで逃げ惑えばまだ楽しめたものを、互いに仲間とも思っていない奴らが数を頼りにしたところでどうにかなると思われたのだろうか。まぁ仕方ないか。

 相手の力量がわかるような頭があるなら姿を見せずに逃げ帰っただろう。それくらいに今夜のあたしはノッているし、我慢する気もない。

 願わくば来世では穏やかに楽しく暮らせますように。生き物だったかも怪しい眼前に広がる血や肉片に向かい微笑みながら、咥えたままのモツを喰らった。

 

「随分と楽しんだのね、アヤメ。口の周りくらい拭ったら?」

「不思議と気にならないのよね、お月様にこんな姿見られているのに気持ちが良いわ」

 

 食事を楽しんでから、少しだけ積まれ高くなった赤く染まる肉の椅子へと腰掛け食後の一服をしていると、隣に上半身だけの紫が現れてあたしにお小言を言ってくれる。

 腕だけが眼前に生えてきてあたしの口を拭ってくれる。拭いきれず唇に残った血をペロリと舐めて楽しいおもちゃを見るような笑顔で紫を見た。

 

「貴女がこうまで乱れるなんて、私が考えているより影響力があるのかしら」

「お月様が楽しもうと誘ってくれるいい夜よ?あたしはそれにノッただけ。別にアテられてはいないわ」

 

 その言葉とともにいつもの落ち着いてやる気のない表情へと戻る。本当に雰囲気にノッて楽しんでいただけのようで、いつの間にかその姿も見慣れた小奇麗な物になっている。

 別にアヤメの能力や紫の能力で掃除を行ったわけではない、彼女が人間からそうあって欲しいと願われた、いつもの姿を思い出しそれを成しただけだ。

 

「それで、これは普段の怠慢が招いた物なの?トラブル処理頑張ってね。紫さん」 

「貴女に怠慢と言われるほどサボってはいません、少しだけ面倒な相手が引っ越ししてきたのよ」

 

 口元を扇で隠し妖艶に笑いながら事の起こりを説明してくれるが、その姿は見慣れた者とは変わっている。いつもとは笑みが違うのだ、なんだ紫も楽しんでいるんじゃないかと言葉には出さず悪態をつく。

 

「そう、それじゃあ管理人さんはこれから相手の所へご挨拶かしら。それとも管理人さんが引っ越し業者で既に仲良しなのかしらね」

「残念ながら仲良しではないわ。管理人さんとしては不法滞在されてしまってどうしようかと考えているところよ」

 

 考えているなんてまたわかりやすい嘘を言う、既に考えは纏まって後は動くだけにしている癖に。しかしこの流れはマズイ、確実に狙われている。何か逃げ切れるものはないだろうか。

 出来ればもう少し楽しく笑っていたいのだ。

 

「ここで時間を潰していてもあたしの食事くらいしか見るものがないわ、そろそろご挨拶へ伺ってもいいんじゃないの?」

「そろそろ、と思っているのだけどか弱い管理人さんは一人じゃ不安なの。それにあまり食べるとお腹が出てしまうわよ?運動が必要じゃないかしら」

 

 視線を合わせないあたしのお腹を擦りながら言ってくるが、これでも食事には気を使い節制して酒と煙管だけを楽しんでいる。紫に気にされるほど崩れていないむしろ細いほうだ。

 それでも紫が不安を覚える相手、妖怪の賢者相手に不法滞在どころか居直って騒がしくしている望まれない隣人だ。食事よりは楽しいかもしれない、待っているだけにも飽き気味だしたまには出向くか。

 

「誰かさんみたいに寝すぎて動けない、お腹ポッコリなんて嫌だものね。それにたまには紫さんと遊ぶのもいいわ」

「誰の事を言っているかわからないけど遊びには賛成だわ、どうせなら他の者にも声を掛けて皆で楽しく遊びましょう」

 

 そう告げながらスキマに消えていく紫を見送り、さきほどまであたしを襲おうと血気盛んに動いては泣いて喚いていった者を見る。もう少し紫が早いか貴方達が遅いかしていればまだ生きられたのかもしれないのに、残念ね。

 

~少女待機中~

 

 少し待つと視線の先にスキマが開く、見る分には慣れたものだがここに入るのは慣れはしない。どれだけあるのかわからない空間いっぱいに蠢く瞳が、中に入る度にあたしを見つめるからだ。品定めされているようで気に入らなかった。

 

 片足をスキマに踏み入れもう一歩踏み出すと景色が変わる。一体何処に連れだされたのかと周囲を見回してみると、博霊と彫られた鳥居と階段が見える。

 博麗神社の鳥居前、また面白いところに呼んでくれたもんだと顎に手をやり立ち止まっていた。

 

「そう悠長に眺める時間はないのだが、アヤメ」

「聞くだけで見たら最後なんて言われてるからつい、それより貴女の主はいないのかしら。藍」

 

 あたしのすぐ後ろ、同じように博霊と彫られた鳥居を眺め両手を袖にしまいそのまま組む様な姿勢で立っている。背負った尻尾を少しだけ揺らしながら立つ姿は偉大で主よりも冷徹なものに映るが、あたしとは気安い間柄だ。

 

「紫も珍しいのを連れてくる」

「貴女との会話の方がよほど珍しいわ、博霊の巫女」

 

 視界に映る鳥居の先、博霊神社の境内で静かに佇む今代の博霊の巫女。語らず臆さず諦めず、無言無心で妖怪を退治するその姿はあたし達妖怪の間では広く知れ渡っている。無論あたしも顔を知っているし、それなりに話した事もある。

 

 人里で姿を見かけた時には挨拶を交わす程度で互いに親しいなどとは思っていないが、この巫女のあり方を気に入ってはいた。

 短い短い人の一生。そのほとんど全てを修行に費やし、退魔師として破格の力を持ちえながらも襲わぬ者は歯牙にもかけず。襲うものには容赦なく博霊の秘宝陰陽玉を奔らせる。

 人にしては割りきった思考を持つ彼女が面白かった。

 

「確かに珍しいわね、酔っていないわ」

「人を何処かの幼女みたいに言わないでほしいわ」

 

 巫女の後ろ、今宵の月にも負けない花の香りを漂わせいつもの傘を後手に話す風見幽香。

 なんだ、随分と大げさに集めたものだ。これならあたしは用なしじゃないか、楽が出来るな、ありがたい。

 

「ダメよ、アヤメにはやってもらう事があるのだから」

「あたしじゃないとダメなのかしら」

 

 境界をいじられ思考でも読まれたのか、見事に言い当てられ素直に拒否の姿勢を見せてもあたしの隣に現れていた紫は笑顔を崩さず、いつもの胡散臭い雰囲気を纏い話しだした。

 

「このままお月様を眺めながら酔うのもいいのだけれど、それはご挨拶を済ませてからゆっくりと。先住の皆様にも協力してもらい楽しい挨拶と致しましょう。今宵の相手は吸血鬼、満月の夜に会うのにぴったりのお相手ね。あちらの主とは私が話すわ、貴方達にはそれぞれデートを楽しんで貰う相手がいるのでそちらのお相手をお願いします」

 

 館の主、純粋な吸血鬼でこの世に生まれて三百年だか四百年くらいの若輩者。主というくらいだ一番面倒くさい相手だろう。それを紫自ら相手にするとは・・・正確には藍が相手をするのだろうが。

 

 次いで主の妹、同じく吸血鬼。いるかいないかわからないという曖昧な説明は置いておいて、博霊の巫女がお相手するのだそうだ。いなかったらあたしと変わってくれないかしら。

 

 続いては吸血鬼ではないのだが、主の友人の魔女が館に住み着いているらしい。幽香を指名していたが魔法や魔術相手になにをするのだろう。

 

 最後はあたし、周囲の気配を察知して駒を動かす門番がいるらしいのだが。あたしにはその気配を逸らしながら門番の相手をしろと仰せだ、紫のご挨拶が終わるまでテキトウに時間潰せばいいらしくて珍しく当たりくじを引けたかもしれない。

 

「手を考え駒を動かす相手だから会話でも楽しんでみたらいいんじゃないかしら」

「つれない相手じゃないといいんだけど。楽しくおしゃべりしたいし」

 

 これから物騒なご挨拶へと向かうのに悠長な世間話をしながら、幻想郷の管理人一行は月を赤く染める者の元へと歩み出した。

 

~少女達移動中~

 

 スキマを抜ければ、そこは霧かかる湖。

 神社の鳥居に開かれたスキマを抜けて瞬時に赤いお屋敷の建つ湖近くへと出る。アヤメを含め他の者も一緒に正面から堂々と、お屋敷へと向かい歩き出す。

 先ほどまでの穏やかに語らう姿が嘘の様に静まり、草を踏み地を歩く音だけが夜の湖へと吸い込まれていった。

 

 屋敷の正面、門柱に寄りかかり目を伏せ動かない少女が一人。

 一定のリズムで静かに肩が上下するのみでアヤメ達に気がついていないかの様な佇まい。

 寝てるのかねと一歩近寄ると閉じていた瞳を静かに開きあたしを捉えた。

 

「おはよう。良い夢でも見ていたのかしら。良ければ夢の話が聞きたいわね」

「残念ながら眠ってはいませんでしたので、夢が見たいのならお一人でどうぞ」

 

 そう言ってアヤメの隣、博霊の巫女目掛けて目に見えるほどの力が込められた拳を放つと巫女が血煙となり散っていった。

 

「手荒な上に手が早い、貴女それじゃモテないでしょ?」

「感知した気配は変わらない・・・いつから?」

 

「さぁ、感知出来るものだけを頼ってはダメよ?」

「そうですね、既にお屋敷に侵入されたようですし。私が甘かった」

 

 突然霧の湖に現れた手に負えない大きな気配が五つ、ゆっくりと屋敷へと向かってくる。

 住まいを荒らす相手に正面から来るはずがない、屋敷を囲うように別れて来るか数を揃えてくるかと読んでいた。

 

 だが相手は五つ。それも美鈴の格上だと気配だけでわかる相手達。その気配がわかれる事なく真っ直ぐに屋敷へと向かってくる。

 分散した相手なら手配した駒で囲み各個撃破、数で来られても時間稼ぎにはなる。

 その予定で駒を並べていたが五つ別れることはなく、ああも固まって動かれては駒である雑魚共では足止めにもならず、美鈴自身でも抗う所か傷さえ与えられないだろう。

 

 参ったな、一手目から完敗だ、と少し諦めを覚えたがすぐに思い直す。

 気を引き締め斥候を果たすが相手は悠長に話しだした。その話を聞くことなく先手を決めた、そう思っていたが一人を潰した瞬間に屋敷に侵入者の気配を察知した。

 

 なにかをやられた、この正面で薄く笑い尻尾を揺らす相手に嵌められたのだと悟る。

 悟ると同時にその正面の相手を見据え思いを込める、刺し違えればまだ、と。

 その瞬間、その尻尾を揺らす相手以外が煙となり掻き消えた。

 

「あら、絶望から目を逸らすなんてあたしは今舐められているのかしら?」

「化かされたんですね、ムジナですか?」

 

「そうね、楽しんでもらえたかしら?」

「ええまぁ、肝を冷やしました」

 

 神社のスキマを通る前からアヤメの能力は行使されていた。五人へ向かう殺気を逸し注意を逸らしてスキマを抜ける。

 そうしてそのままアヤメを含む五人はスキマを通り湖へと出た。

 そう、この次点では本物の五人だった。

 

 そしてその場で別れ行動する。注意力は逸れ気が付かれず、放たれている殺気も逸れて敵と認識されない四人は悠々と屋敷への侵入を果たす。

 一人になったアヤメはゆっくりと歩みを進めて行く。

 いつの間にかアヤメの周囲に別れた四人が姿を現した。

 

 素直に妖術で化かしたわけではない。ただ少し、相手の意識を逆手に取って能力に引っ掛けてから騙しやすくしただけだ。

 五人纏まってそのまま来るとは思わないだろう?まとめて相手取ればどうなるかわかるだろう?自身の勝利のために描いていた道筋を逸れ絶望に落ちていくのは怖いだろう?と、そう思いそう感じている相手の意識を逸らし、妖気を滑り込ませた。

 

 美鈴がそう考える確証はないし死を賭して挑んでくる可能性もあったが、少しでもそう考えれば落ちるだろうと。そうなったら面白いと。そう考えてアヤメはほとんど無手で美鈴の一手目を潰し二つ目の攻撃を無効化させた。

 頭脳戦では勝負にならなかった。

 

「肝なんて冷やしたら体調崩すわ、女の子なのだし冷やしちゃダメよ」

「お気遣いは無用です」

 

 態度を変えず笑みも絶やさず。

 口数は多い、だが話す内容は今この戰場で語る事とはほど遠い。

 手の内があると見せつけてどこまであるのかはわからせない。

 

 タチの悪い相手だ、美鈴は動けずにそう感じ取ることしか出来なかった。

 祖国でもムジナ相手に闘い化かされた事はあったが、あのムジナは化かしてやろうという意識の元で動きそれを破れば傷つき喚いた。

 

 だが今の相手はどうだろう、ただ気味悪く笑うだけで美鈴を化かしてやろうという素振りも見せず、妖気の流れも変わらない。

 それに攻撃し相手が霧散するまで偽物だと気がつけなかった理由が、美鈴にはわからなかった。

 

「このまま楽しくおしゃべりしましょ、きっと楽しいわ」

「誘いはありがたいのですが、侵入者がいますのでそう時間を取るわけには」

 

 返答し構える美鈴、武芸の素人でもわかるだろう隙のない構え。その場だけ空気が違うような凛とした構え。

 それでも対峙するアヤメは態度を変えることなくクスクスとわらい腕組みをしたままだ、並の武芸者なら激昂する態度。

 

 美鈴は一瞬考える、構えて見せてもこの余裕・・・こいつは本物なのか?

 だが頭に浮かんだ疑問を一瞬で消し飛ばし、構えた拳を正面の狸へと空気を裂いて放つ。パァンという音をたて血煙が舞った。

 

「気を逸らしてはダメよ、また化かされてしまう」

「なんとも、やりにくい」

 

 また化かされたが今は最初のように油断はなかった、けれどこのムジナは薄笑をし腕組をしたまま煙管をふかしている。

 なぜこんな芸当が・・・一瞬息を止めそれを吐く。それだけで美鈴の頭は冷えた。

 相手の正体が何でも構わない、ただ拳を打ち相手を倒すのみ。集中。

 

「少し馬鹿にし過ぎたわ、もう逸らせないのね」

 

 美鈴からの返事はなくただアヤメを見据えている、その目を見つめ返し初めてアヤメが構えと呼べるような斜に立つ形をとり対峙した。

 数秒見つめ合い美鈴が動く、一瞬でアヤメの視界から姿を消し迫る。

 

 足元、低く構えて気を練り肩から肘までをアヤメの腹に打ち据え気を流す。流したが美鈴の気がアヤメの体を突き抜ける事なく地へ奔る。

 当て身を打ち気も流せた、本来なら背が弾けて上半身と下半身が別れるような衝撃を放つそれがまるで触れただけの様な感触。

 

 おかしさに気がつくも一瞬遅く、アヤメの手にした煙管が美鈴の肩へと線の様に突き刺さる。

 一撃を貰いアヤメの腹を壁代わりに蹴り抜き後ろへと飛び退く。煙管で穿たれた肩はアヤメの妖気煙が上がり薄黒く変色している。

 

「確かに当てたはずですが」

「痛かったわよ、女の子のお腹に気を流すなんて。大事があったらどうするの?」

 

 手応えはあった。相手も右足から血を流し着物を赤く染めている、効いてはいるはずだが効き方がおかしい。なんだ?

 美鈴が短い思考を巡らせているとアヤメが地を蹴り一瞬で間合いを詰める、両手を後ろに下げ頭から突っ込んでくる形だ。

 そのまま突進されるだろう勢いで美鈴の間合いの内に入る瞬間、アヤメの姿がブレる。

 

 頭上、間合いに入る瞬間尻尾で地を打ち一瞬で美鈴の頭上に現れる。

 一瞬消えたアヤメを捉え直す為に足を止めた時には、血を流す足を気にせずそのまま蹴り抜こうとするアヤメが迫る。

 

 大きく避ける余裕などあるはずもない美鈴が気を蓄え体を捻じり、先ほど傷を受けた狙いの肩を外す事に成功するが、アヤメは気にせず降下し地に降りる。

 トンと拍子抜けした着地音のすぐ後、アヤメの足を中心に亀裂が伸び円形状に地が割れる。

 足元の揺れを察知した美鈴が後方に下がり再び対峙する形となった。

 

「上手に避けるのね、すこし楽しいわ」

「まさか同じような攻め手の相手とは。益々やりにくい」

 

「その肩、爆ぜないって事はやっぱり妖気をどうにかされたのね」

「貴女の足と同じですよ」

 

 お互い似たような攻め手、相手に自身の気を送り内から破壊する。気を使った内部破壊。

 美鈴は自身の気と相殺させアヤメの流した妖気を打ち消したが、アヤメは腹から背に抜ける気を逸し右足から地へと受け流していた。

 

 互いに攻め手がないように思えるが長く続けば美鈴が負けるだろう、アヤメは流れを逸す事など造作も無いが、気を練り相殺させる美鈴は続ければいつか枯渇する。 

 美鈴には鍛えられた武術と豪拳もあるが、気が逸れて受け流されるのだ、衝撃も逸らされて効果は薄いだろう。

 

「拳で語るより口での会話の方が好みなんだけど」

「そうして時間稼ぎ、ですか」

 

「そう。後は中が済むまで貴女の気を引いていればいいわけよ」

 

 

 守る者の元に向かいたいが決め手が出せない美鈴とは対照的に、時間稼ぎ宣言をし宣言通りに倒さず引き伸ばしにかかるアヤメ。

 その後何度も互いに受け流し合いが続くが、そのまま勝負が傾くことはなく時間だけが過ぎていった。

 

 

〆〆

 

 

「それから少しして、明るくなる前に紫さんが来ておしまいよ」

「なんだか美鈴が可愛そうね」

 

 赤いお屋敷の庭の一角で手入れの行き届いた花壇の前、椅子に腰掛け自身のお腹辺りに視線を落とし話すアヤメ。

 視線の先にはアヤメの膝を椅子に胸を背もたれ代わりに座るフラン。

 隣には苦笑いをしながら立っている美鈴がいる。

 

 アヤメの花が咲いたと聞いて、せっかくだからと夜に訪れフランと一緒に語らいながら眺めていたのだが、フランの一言から昔話をする事になった。

 美鈴は教えてくれないけどどんな出会いだったの、と。

 

「その言い方じゃあたしが虐めたような風ね」

「だって美鈴頑張ってるのにアヤメちゃん笑ってばっかり」

 

「あたしは倒せって言われてないもの、時間稼ぎも面白ければそれに越した事はないわ」

「本気で時間稼ぎだけに回られるとは思いませんでしたね」

 

 髪を掻きながら笑う美鈴だが少し苦労の見える笑い。

 疲れているのだろうか?毎日働いて休憩時間の夜にまであたしやフランに付き合わされて。

 大変ね。

 

「他の人の話は知らないの?」

「紫と藍は結局見てただけで博霊の巫女がレミィを懲らしめた。かわいそうなのはパチュリーかしらね」

 

 首謀者の妹があたしに聞くのもおかしな話だと思うが、巫女とフランが出会うことはなかったらしいから知らないのだろうか。

 

 聞いて見れば、上がうるさいけどまたあいつとパチュリーの喧嘩かパチュリーの実験失敗だろうと気にしてなかったそうだ。中々図太い神経をしていていいわ。

 

 妹にあいつと言われた姉は人間だと舐めてかかった巫女相手に地に落とされ戦闘不能になるまでやり合ったそうだが、詳しくはきいていない。聞くべき巫女ももういない。

 

 かわいそうと話したパチュリーは仕掛けたトラップや陣など全く気にされずただ力で蹂躙されたと。

 解決後の酒宴で見た幽香の笑顔はとても可憐で輝いていた。

 

 紅魔館と紫の話し合いが終わった頃、紫に真相を聞いてみた。

 なぜに殺すつもりがなかったのに人数集めて行ったのかを。

 普段通りに笑いながらこう言った。

 

 幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。

 それでもある程度のルールは覚えていただかないと。

 そのため幻想郷の管理人挨拶として、あまりお痛をすると怖いのが来て朝眠れなくなるわと示しておきたかったのよ。

 大きな異変もなく少しガス抜きが必要だったのもあったし、遊びはみんなで楽しくというものでしょう。 




髪色ですが長毛種の猫、メインクーンのように白混じりと思っていただければ。


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第三十話 異説文花帖

誰が誰だかわかればいいな そんな試み。


 -某所にて-

 

 自堕落な妖怪の筆頭とまでは言わないけど、だらけた暮らしはしてるね。

 でも、だらけている割に人の事を良く見ているし話も聞いてるわ、聞くわけないと思ってたけど、忠告通り寝間着を用意したり変に素直だったりするのよね。

 寝間着と言えば新しい着物着てるけど、あっちがいいね。

 髪と同じ灰色の着物なんて女か着るにゃ地味だ。

 今?

 知らないよ、どこかで誰かで遊んでるんだろうさ、家にはいなかったよ。

 

 

 みんな面倒だとか厄介だとか言うけどあれで結構優しいんですよ。

 前なんか早朝に起こしちゃったのに、あんまり怒らないでお風呂を貸してくれました。

 そうですね、私とお揃いの耳つけた事があったんですけど結構似合ってたんですよ、耳四つになるのに。私は紫のストレートな髪ですけど、少し内に曲がる癖のある髪もいいなって思いました。

 今日は竹林や人里では見てないですよ。

 

 

 まだ学級新聞書いてるの?

 よく飽きないわね。

 何か用事?

 ああそんなこと。

 別に語るような事もないけど、姫様の決闘見ながら酔って笑う人っていうのは珍しいわね。

 どちらか死んでも気にしている素振りはないし、まぁ気になるような事でもないけどね。

 負けが分かってて挑んでくるのも珍しいと言えるかもしれないわね、負けて悔しがってるようには見えないわ。

 私はここから出かけることなんてほとんどないから、居場所なんてしらないわよ。

 

 

 私の事が大好きみたいよ、困っちゃうわ。

 そうよ、だって何度も求婚しては難題寄越せってうるさいんだもの。

 私の難題を暇つぶしにしないでほしいわね。前なんて難題の物はあった、でも持ってきてない。

 見たかったら自分で見に行けなんて言うのよ。自分で難題受けておいてひどいと思わない?

 永琳が見てないなら私もわからないわ、来たら顔を見せろといってはいるけど。

 

 ――某所にて――

 

 え、あぁ口悪いわよねあいつ。あんたも知ってるでしょ、たまに来てるの知ってるわよ。

 そうね、ここで再会する前の事をあいつは覚えてなかったのよ。

 そりゃあ声もかけてないし、話してもいない。背中から覗いてただけなんだけど。

 でも目は合ったのよ。なによ、私が悪いっていうの? まあそうなんだけどね。

 ん、見かけてないわ。人里にでもいるんじゃない? ほら、甘味処とか。

 

 

 いいお客さんですよ。マメに来てくれるし、話も面白いし、髪いじっても怒らないし。

 たまにお客さん連れて来てくれたりもしますしね、あの八雲の式を連れてきた時は驚いたけど。

 ええ、年に一回うちで宴会なの、この前のは色気のある話で楽しかったわ。

 え、内緒です。

 そういえば屋台の準備を手伝ってくれた事もありますね。お礼を出したら気を使うなって言われましたけど。

 今日?

 わからないけど来るんじゃないですか、最近毎日来てくれてありがたいです。

 

 

 -某所にて-

 

 

 お、お前か。なんだ夕刊でも始めたのか?

 ああ、あの人か。まったくいつまでも子供みたいに言い逃れて、少しは自覚を持ってだな。

 そういえば原因はお前じゃないか!

 うん、まあそうだな、記事だけ読んで判断した私も浅はかだったと思う。

 しかしだな、そもそもはあんな風に、あ!

 待て何処へ行くんだ!

 まだ話は終わってないぞ!

 

 

  いつかのインタビュー以来ですか。いかがされました?

 あぁあの狸、何度も何度も旧地獄に行っては遊んで帰る不埒者の事ですね。

 私の立て札は何の為に立っていると‥‥いつか捕まえて話をしないと、とは思っていますが。

 貴女も妖怪の山の天狗ならあんな者との付き合い方は考えねばなりませんよ。

 さぁ、見かけても捕まえる前に逃げられてしまうので行き先などは。

 

 

 -某所にて-

 

 

 あら。こちらにいらっしゃるなんて珍しいですね、本日は何かご用事でしょうか。

 ええ、よく存じ上げておりますよ。

 たまにですが座禅を組んでいかれる事がありますし。

 はい、初めて外でお会いした頃からあの方は変わられる様子はございませんね。

 いえ、先日何かあったようですが詳しくは。

 気分屋な方ですから、いらっしゃるかはわかりません。

 

 

 珍しいね、何か用事でもあるのかい、ああ、あいつか。

 最近来て少し話したよ、普段は見られない顔を見せてくれてね、少し驚かされたよ。

 ああそうだね、それなりに前から知っているがあんな姿は見たことがなかったんだ。

 気になるなら探して聞いたらいいさ、私は手伝わないがね。

 今日は見かけてないし今少し忙しいんだ、すまないね

 

 

 なんだブン屋か、私を書くの?

 え、ちがうの?

 じゃあなに?あぁ~あの時のか。

 そうよ、少し前にいきなり呼び出されて、珍しい物見られて結構面白かったわ。

 話はそうね、私からは教えてあげない。

 だって私から話すような事じゃないし、記事にしたいなら自分で聞けば?

 居場所なんてわからないわよ、暇なら来るよう言っておいて。

 

 

 ん、おお新聞屋か。なんか用かの。

 あぁ、そんな事もあったのう、少し悪いことをした。

 それは内緒じゃ。

 知りたいなら自分で聞けばいいじゃろ?

 たまに一緒にいるのを見かけるくらいなんだ。

 仲良くしてくれているんじゃろ、なに照れんでもいい。

 ま、そのうち来るしいつでも会える。今日会えるかはわからんな。

 

 

 ――某所にて――

 

 

 三千世界は眼前に尽き。十二因縁は心裏に空し。

 

 

 

 あらあら天狗さん、いかがなされたのかしら。

 そうですわね、良い友人ですわ。一緒にお茶して語らうくらいには仲良しですのよ。

 この前もふらっと来てお茶して。

 そういえばうちの子見ませんでした?

 少し調子が悪くてまたメンテナンスをしないと。

 さぁ、会えるも会えないも一興ですわ。

 

 

 ――某所にて――

 

 

 え、あぁ宴会の後は来てないわよ。

 宴会の後?

 怖い怖い鬼を倒してくれって懇願されたわ。

 結局自分でどうにかしてたけど。そこはいいの?

 何よ、はっきりしない烏ね、あの後は少しだけ昔話に付き合った、それだけよ。

 内容は霧で煙で狸だったわね。

 え、はっきりなんて覚えてないわよ。

 だから宴会以来ここには来てないって言ってるでしょ、あんたもなんか言ってやってよ。

 

 

 お、そうだな。

 言ってることは正しいよ、あれから見てない、私が言うんだ間違いない。

 ああそうだぜ、私が弾幕ごっこの初陣だったはずで初黒星をあげたのも私だ。

 初陣といってもスペルも弾幕も考えてなかったけどな、なんだよそんな顔するなよ、傷つくぜ。

 さすがに私も猶予はあげたんだ、作らなかったあいつが悪いんだぜ。

 でも宴会のは中々楽しめたな、リベンジ受けてもいいって言っといてくれよ。

 しつこいな、ここには来てないし、私がわかるわけないだろ。

 

 

 おい、私には話は聞かないのか?

 あいつの昔話は当事者だからよく知ってるよ?

 それにその日の朝なんて私はぶん投げられて起こされたんだから、まあ私が悪かったんだが。

 あ、こら、どこ行くんだ、まだ話は終わってないぞ!

 待てこらバカ烏!

 

 

 

 ――某所にて――

 

 

 新聞は間に合ってるよ。

 

 

 ――上空にて――

 

 

 これだけ探していないなんて、何処にいるんだあいつ、たまには仕事なしでと行ってみたらいないし。

 いそうな所を回ってみてもいないし、たまにはなんて思ってみるんじゃなかったわ。

 人のことをいつもいないなんて言うけど、あいつもいないじゃない。

 全く、いないしもういいわ、あいつのせいであちこち飛び回って何か言われてもイヤだものね。

 でも、暇になっちゃったわ。

 どうしよう?

 そうだ、椛の所へ行こう、あの子をからかって鬱憤晴らせばそれでいいわ。

 

 

 

 

 先程からパチパチと気持ちのいい音がしている。

 聞こえるのはその気持ちのいい音と離れた位置に見える滝の音。

 直接飛沫がかかるような距離ではないが、大量の流水で空気が冷やされそこから吹く風がひんやりとして過ごしやすい、こんな快適な場所で毎日暮らしているなんて、この劣勢の河童が妬ましい。口には出していないが正しく使えているだろう、これで間違っていたらもう一度教わりにいかないと。

 しかし行くと大概厄介なのもついてくる、山の天辺降りて隠居したんだからもっと静かにしたらいいのに。この白狼天狗も苦労してたのかね、まあこの娘は今でも苦労しているけど。力で押さえつけられるのと、馬鹿にされながらも羽を伸ばす時間があるのと比べるなら今のがいいのか。

 こんな風に暇を見つけて好敵手と睨み合っているんだ、今の方が良さそうに見える、後数手くらいかい? 河童ちゃん‥‥そんな目で睨んでも今日はあたしは逸しちゃいないよ、それがお前の実力さ。

 

「参りました‥‥んもぅまた負けた」

「ありがとうございました、でも強くなったよ、にとり」

 

 負けて悔しいのか小さな癇癪を起こし、盤上を挟んだ相手に負け惜しみを吐く河童ちゃん、それを見ながら煙管をふかすあたしが気に入らないのか、さっきよりも悔しそうに睨んでくる。

 それでも睨むだけで何も言ってはこないのだ、実力で負けたものだと理解しているのだろう、悔しさを感じられるならもっと強くなれるだろう、そしてこの白狼天狗に勝ってあたしに勝ちを届けておくれ。

 

「囃子方様にしては今日は静かに眺めているだけでしたね」

「あたしがいつもうるさいような言い方するのね、椛」

 

 囃子方様なんてかたっ苦しい言い方よしてくれと言っても聞き分けがないのか、聞いた上でそう呼んでいるのかわからない、毎日真面目に仕事をこなす白狼天狗の犬走椛。

 今将棋をしながらサボっているだろうと思われるが真面目に仕事中だ、自身の千里眼で将棋盤を見ながらでもお山の周囲を見張るなんて簡単なことなんだと。今見てる景色と混ざったりしないのか気になるところだ。

 

「いつもは、ふむ。とか、お。とか呟いてるもんね」

「独り言を気にするようだからにとりは勝てないのよ」

 

 煙管咥えて嫌味ったらしく言うだけでこの河童ちゃんは騒がしくなってくれる、機械いじり以外の事であればこいつはちょろい。

 お空の作るエネルギーをなんやかんやしてウマイことする施設を作った時には感心するほどだったのに、結果はダメだったらしいがね。

 そういう新しい発想が出来るのは素晴らしい、山崩してダム作るとか思いつけない、その発想をそれ以外にも活かせれば爪が甘いなんて事もないのにな、河城にとりちゃんよ。

 そういえば文のカメラのメンテナンスもこの子がやっていたっけか。 

 

「うるさい、今日は調子が悪かったの」

「にとり、八つ当たりはダメだよ。そういえば囃子方様は今日は何用で?」

 

 はて何しに来たのだったか?

 将棋が中々面白くて忘れてしまった……ああそうだ、秋の姉妹神を探しに来たんだ、来月辺りにでも豊穣祈願をしたいから姿を見せてくれと、団子に釣られて伝言を任されたんだ。

 まぁ椛もいるし問題ない、すぐに見つかるだろうから、今はもう少しこの場を楽しんでいよう。

 

「用事はあるのよ、そして椛もいるわ。これで何も問題ないわね」

「それはつまりそういう事なんですね‥‥私は何を探せばよいのでしょうか」

 

 そんなに辛い顔をされても困る、どうせなら笑顔で引き受けてくれると嬉しい。悪いようにはしないよ、お前の上司とは違ってさ。

 それに今も続けている仕事の一環だ、それほど苦労はしないだろう、侵入者ではなく住人探しに変わるだけだ。

 

「勝ったのに負けた私より切ない顔してるよ、椛」

「試合に勝ってショウブに負けたのよ」

 

 ウマイこと言って見たのに笑い声が聞こえない、なぜ二人とも静かなんだろうか。聞こえなかったのか?なら反応してくれるまで何度でも言おう、そして笑おう。

 

「試合に勝ってしょ」

「笑えない冗談を二回も言わなくていいよ!」

 

 歯に衣着せぬ物言いを面と向かってくるこの河童、見た目こそ愛らしい少女なのだが中々に狡猾な性格をしていて非常に良い。

 人里の縁日で屋台を出していた事があったのだがその言い草も素晴らしいものだった。

『縁日の屋台なんて騙される方が悪いんじゃん』

『ちゃんとショバ代払ってるんだから文句言うなよ』

 こんな事を誰かに言い放ったらしい河童ちゃん、この言い草で人間を盟友と呼ぶのだ、その性格の良さが伺える言葉だと思えないだろうか?

 

「中々ウマイことを言ったつもりなんだけど、ダメかしら」

「私は負けたというより諦めたという心境なので、なんとも」

 

 あたしに向けての言葉を発しながらその顔は暗く東の空を眺めている、この娘がこんな顔をする時はあの態度が悪く出来が良い上司が近づいている時だ。

 厄介事が増えたと顔に書いてある椛を見ながら、うるさい友人が向かってくるだろう方向を見つめ煙管をふかした。




こういう口調だろうか、こういう話調子だろうか。
原作セリフやキャラの元ネタから考えてみるの面白いですね。


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第三十一話 季節の終わり

 夏は夜がいい、綺麗な満月の夜ならなおさらだ。見通せない闇のような夜でも蛍が多く飛び交う景色はとてもよいものだろう。多くなくても一匹二匹だけが光っているのも素敵だし、雨が降っても趣がありいいわね。

 

 昔こんな事を書に著した人間がいたが、今の光景を見ていると良い体験談として随筆したくなる気持ちもわかる。珍しく霧が晴れその全貌を覗かせる霧の湖、お月様は満月とは言えないが、何かに囓られたような綺麗に欠けた下弦の月で見応えがある。雲もひとつとして見当たらず星がよく見える良い夜空だが、あたしの周囲を漂う煙が時たま視界で混ざり、一瞬だけ朧月のようにも見える。春の季語らしいが幻想郷はもうすぐ涼しくなっていく頃。気候だけなら春に近い爽やかさのある夜だ、この景色になら似合うだろう。

 波紋の立たない綺麗な夜の湖面には数十匹の蛍、もうすぐ彼らの季節も終わる頃合いだというのに結構な数の蛍が淡く光りながら漂い湖面に反射している‥‥淡い灯りを点滅させる彼らのおかげで静かな、良い夜だ。

 息をのむ景色を何も話さず見ていると、隣で両膝を抱え座る蛍の少女も黙ったまま、同じくこの景色に目を奪われているのだろうか?

 

「今年最後の夜のから騒ぎって感じかしら、リグルは混ざらないの?」

「私は混ざらずに同胞の最後を看取る事にしてるので。今年は最期の集まりかもしれませんが、また来年も変わらずありますから」

 

 彼女にお願いすれば何時でも見られる景色なのかもしれないがそれでは余り意味がない。

 今日のようにたまたま見つけて景色がとても綺麗だったと感じた方が、願って作られた物よりも綺麗に見えたりするものだ。それに無理に頼んで変に気を使わせるのも悪い、ただでさえ臆病というか気の弱い子なのだから。

 それでも今年はこれが最後のものか、なおさら今日見られてよかった、これならばこの湖まで案内してくれたあの闇の妖怪に感謝してもいいところなんだが、少し前から姿が見られない。きっと食事でもしているのだろう、野太い悲鳴が湖周りの森から聞こえてきていた。夜中のこんな時間にこんな場所にいるのだ、食べてもいい種類の者だろう。

 助けてぇぇなんて喚いていたが危険が迫ってから助けてと叫ぶならそうならないようにすればいいだろうに、知恵があるのにその辺疎い者達で見てて飽きない。

 感謝したいと先ほど述べたが特に釣れられてここまで来たわけではない、ただふよふよと漂う闇の後をついて来ただけだ。太陽の光を嫌う宵闇の妖怪らしく昼間も真っ黒い玉となって湖周辺を漂っているが、日光のない夜でもそのままなのはなぜなのだろう。理由を聞いたところで答えが聞けるとは思わないが。

 

「紅魔館に用事ですか?」

「いんや、闇の妖怪に案内されて夜のお散歩よ」

 

「案内って割にはルーミアいないですよ?」

「案内を頼んだわけじゃあないからね」

 

 よくわからないといった顔であたしを見つめ質問を投げかけてくるが、なにかを話す度に頭に生やした触角がピコピコ揺れる。

 失礼だとは思うがどうしてもその動きが気になり、顔を見ずに触角の方を見て話してしまう。

 視線に気が付いたのだろうか、上目遣いで自身の触角とあたしを見比べて恥ずかしそうにするリグル、その仕草も中々に愛らしい。

 

「どうしても気になるのよね、四足の名残かしら?」

「猫でもないのに気になりますか?」

 

 確かにあたしが猫だったらじゃれついていたかもしれない、それくらい気を取られるものだ。あまり目の良くない狸でもこう気になってしまってるのにあの藍の式やお燐が見たら我慢出来ないんじゃないだろうか。

 そんな事を考えながら愛用の銀縁眼鏡に指を添えて少し位置を直す。眼鏡がなくても目は見える、掛けなくても過ごせるくらいで特に視力補正のためのものじゃない。

 気がついたらいつの間にかあった。憶測だが、狸は目が悪いから狸の妖怪も目が悪くて眼鏡を掛けている。とでも人間達が考えられるようになったのだろう。

 あたしとしてはマミ姐さんの真似ができているようで少し嬉しい。

 

 リグルと少しの会話をしながら景色を楽しんでいると、眺める景色に黒が交じる。食事を終えた闇の妖怪だろう、彼女の過ぎる辺りだけがお月様や蛍の光を写さず不自然な景色となる。

 

「宵闇の妖怪なのに、夜の景色に紛れずわかりやすいってのもどうなのかしらね」

「本人気にしてないからいいんじゃないですか」

 

 そうだな、と。気にしてないなら外野が騒ぐものでもないか。

 いつかの霧の異変で出くわしてしまったおめでたい巫女に、今日のように人間を襲うのが妖怪の仕事!なんて言って襲ったらしいが逆にボコボコにされ、最近人間が襲われてくれない!という捨て台詞を言って逃げていったようだ。

 代案としてあげられた待ち伏せという提案を面倒くさーいと却下してしまうくらいだ、その姿に似合わず何事も気にしないおおらかさがあるのだろう。

 

「でも周りが見えなくなる事くらいは気にしてもいいと思うんですけどね」

「ヤツメウナギでも食えば見えるのかしらね」

 

 共通の友人が営む屋台名物を思い出し、このまま二人で向かうことにした。

 

~少女移動中~

 

 見慣れた八つ目と灯る提灯に慣れ親しんだ屋台、タレの焦げる香りがこちらに届き始めなんともたまらないものがある、先ほどまでは目の保養をしてこれからは食欲を満たす、肉体精神共に満たされる日なんてそうそうなく今日は大当たりといえそうだ。

 屋台の様子が見られるくらいまで近寄り、リグルと二人降り立つと、見慣れぬ人影と見慣れぬエモノが視界に入る。持ち主が立てればあたしの身長と同じくらいはありそうな大きな鎌が屋台の端に立てかけられて、その持ち主と思われる女性は一人屋台で飲んでいるらしい。

 声が聞こえる距離まで寄ると、癖のある赤い髪を揺らして楽しそうに女将と話す声が聞こえてきた、あの鎌にあの髪色、気風の良い話調子から顔を見なくとも誰かはわかる。

 連れたリグルに向かい、口元に人差し指を立て静かにするよう伝えると、触角が縦に揺れ理解したと示してくれる、理解も得られたし久々に会う飲み仲間もいる、一つ驚かしてみよう。

 

「全く貴女はいつもいつも、またですか小町!」

「声色は少し似せられてるが言葉が逆だ、四季様はまたですか!から入るよ、アヤメ」

 

 自分が叱られた事は気にかけず、笑いながら言葉の凡例を指摘してくるあたしが小町と呼んだこの女性、地獄の閻魔様の部下で、死者の魂を彼岸へ運ぶ三途の川の船頭死神さん。お話し大好きおしゃべり大好きな川霧の水先案内人、小野塚小町である。

 こちらも見ずにコップを眺め薄く笑って返答をくれるが全く堪える気配がない、言われ慣れている言葉だから驚かなかったのか、バレバレだったからなのかわからないが普通の反応しか見られず拍子抜けである。

 そこはともかく、挨拶もなしにサボりと言ったが小町にとっては挨拶のようなものだろう。それくらいにサボっている姿を見かける、人里にもいるし今日みたいに迷いの竹林にも現れる。サボり場所で小町を見られる場所では同時に閻魔様が見られて、小町が怒られている姿も見られるらしいがそんなに頻繁に抜け出して来られるほど閻魔様は暇なのだろうか。

 今日は休み前で閻魔様に怒られる事もなさそうだが、それは怒られる姿が見られないのと同義で少し残念だ。

 

「久しぶりね。今日もいつものサボり? それとも女将のお迎え?」

「まだ行きたくないから夜目が効かないようにしないと、いらっしゃいお二人さん」

「残念、今日は終いで明日は休み。今は休み前の有意義な時間を過ごしてるのさ」 

 

 いつもの仕草で微笑んでくれる女将に対して随分ひどい事を言ってみたが全く気にされてはいないようだ、まぁいつものあたしを知っている相手だそんなものだろう。

 こっちの死神も、死神らしく現世の終わりを迎える者の所へお迎えに来たのかと思ったがちがうようだ。そもそも彼女はお迎えの死神ではなく三途の川の船頭を担当している。管轄外か。

 三途の川の船頭に休みがあるのか疑問だが、彼女以外の死神もいるらしいし交代でもするのだろう。出なけりゃ休みは嘘でいつものサボりになり、ありがたい閻魔様のお説教も拝めるのだが。

 

「あたし達はいつものね。小町が休みなら明日は死人が出ないのね」

「あたいが運ぶ魂はいないが他の誰かが運ぶかもしれんからそこまではわからんよ。暇な方がありがたいけどね」

「小町さんが忙しい時は虫も騒がしいから私もそのほうがいいなぁ、花がうるさいと虫もうるさいので」

 

 花の異変の話か、季節関係なく花が咲き乱れ幻想郷が名の通り幻想郷と呼べる美しさを見せた異変。

 あれは素晴らしかったけど常にぐうたらな紅白が珍しく張り切ってしまって長くは続かなかった。

 次の周期はどれくらい先か、確か60年くらいの周期で訪れるんだったか。まだかまだかと期待を膨らませて待つ楽しみの一つ。

 

「あれは簡便だ。あんなに霊魂溢れてくれちゃあ、あたいの船じゃあ沈んじまうよ」

「距離をいじって向こう岸までってのはダメなのよね、てっとり早いのに」

 

「それをやっちゃあ船頭なんていらなくなる。商売上がったりは困るのさ」

 

『距離を操る程度の能力』なんて便利な物を持っているのに使わない、変なところは真面目な死神小町。小町の操る能力で船に乗せた死者の魂がこれまで現世で積んできた善行に応じて、三途の河の彼岸までの距離を変えることに使っているらしいがそれしか出来ないわけではなく、普通の道でも距離を操れる。

 サボって逃げるにゃとても相性がいい能力だが、小町は逃げずに必ず説教されている。まるで閻魔様のお説教が楽しみだとでも言うくらい必ずだ。物好きなのか何か思うところがあるのか。

 

「変な所で真面目よね」

「そりゃあそうさ、他人の魂なんて重いもん運ぶんだ。仕事については私は真面目」

 

 仕事態度はサボマイスターと言われるくらい不真面目なのに、それでも口調が変わるくらいに仕事内容については真摯に取り組む姿勢を見せる。普段はあたいと気風のいい話し方をするが、真面目な時は私というこの死神。

 オンとオフのメリハリをきっちりつけられるんだからそれを仕事に向けても、とそこまで思ってなんだか藪蛇になりそうだと気付き黙る。

 

「真面目だけど不真面目なんて面倒なだけだと思うわ」

「真面目に不真面目しているお前さんに言われたくないねぇ、アヤメよ」

 

 別の藪から蛇が出てきたとクスクス笑い酒を飲む。

 タイミングよくいつもの肴、ヤツメウナギの白焼きもきたことだし真面目な死神と軽く乾杯して今日を楽しむとしよう、正しい出会い方はまだまだご遠慮したいが、それ以外で会えば楽しい飲み仲間との再会に乾杯。



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第三十二話 秋思い

昔は町内会などで小さなお祭りがあったな、そんな話


 里の入り口を抜け中央を走る川沿いに色々と商店が並んでいる。

 まずは里の中心部の辺りに大手道具店の霧雨店。

 その店構えの正面通り、右手側には福の神が訪れて大繁盛する蕎麦屋があり対面には団子屋が開かれている。山の仙人様も買いに来たりするあそこ、以前にてゐに土産として買っていった団子屋だ。そのまま進んで行くと豆腐屋や飲み屋等の食料品を扱う店。たまに藍が油揚げを買う姿を見られるところだ、あたしの贔屓の甘味処もこの並びにある。

 

 里の中央を流れる川にかけた橋を渡って右手側に行けば寺子屋、慧音の家もその近く。あのおよそ人間らしくない職漁師の爺さんもこの辺りに住んでいるんだったか。

 その寺子屋からさして歩かずにあるのは馬鹿でかい稗田のお屋敷、大きなお屋敷とは対照的な小さな体の弱い娘が住んでるあの家だ。ああそう、確か近くに貸本屋があってそこの娘と稗田の当主が良く一緒にいるとマミ姐さんとけーねが言ってた。

 他にも妖精贔屓で妖怪の通う花屋や里人の住居等が並んでいるがそこは割愛して、今は里の少し外れ、小さな林に囲まれた神様のいない社を訪れている。

 翌月くらいには収穫出来るだろう米の豊作祈願が行われている様子を眺めている。

 

 収穫が近くなってからの豊作祈願なんて遅すぎやしないかと思われそうだが、幻想郷ならではの理由がある。普通なら鎮守社に祀られる鎮守神や氏神、産土神様へ祭りを奉納するものなんだが、この幻想郷には野良の豊穣神様がおわしその方を里の社にお呼びして祭りを奉納する。

 この秋を司る豊穣の神、秋穣子様は秋の作物にしか作用しないのと秋本番になると少し、そう少しだけ、テンションが上って面倒なのだ、逆に秋から遠すぎるとやる気がない。日本におわす八百万の神様らしい俗っぽい性格をしておられる御方である。

 

 そんなわけで夏が終わりかけ、野山が秋になる準備をし始める前の、なんとも中途半端なこの時期に豊穣祈願は行われている。豊穣祈願と言ってもお祓いや祝詞を上げるような仰々しいものではなく、里の人たちが作ったお神輿に穣子様を乗せて里内を練り歩くといった、田舎の祭りくらいの規模の物なので派手さにはかけるものなのだが穣子様が楽しそうなのでいいだろう。

 これほどまで人間への恵みに関わる神様なのだし、神様のいないお社もあるのだから祀ってはと思うが、幻想郷には他にも豊穣の神様はおわせられるし、何より穣子様本人がこれくらいの方が仕事が少なくていいと仰っているのでこの形でいいのだそうだ。 

 

「今年の秋も頑張って育てるわぁ~!お姉ちゃんに負けないのよ~!」

 

 豊穣祈願する時期が少し遅かったのか、甘い匂いを周囲に振りまきながら面倒くさい事になりかけている穣子様には一人の姉がおわせられる。

 穣子様と同じ秋神様であらせられる秋静葉様、このお姉様はこの豊穣祈願にそのお姿を見せる事はそうはない、直接的に秋の恵みに関わる方ではないのでこういった神事で呼ばれる事はないのだそうだ。紅葉と落葉を司る神様であたし個人としてはお姉様の方が好みだ、口に入れ味わえる秋の恵みもよいが、目で見て楽しみ散り際の美しさや寂しさを味わい思いふける事を楽しめる紅葉は風情があり、なんともいえないものがある。

 

 幻想郷の紅葉は静葉様が一枚一枚丁寧に葉を塗って紅葉させる為、枯れ方に差や染まり具合に斑が出来るのだが、その斑具合がよい景観になるのだ。職人の彩る手塗りの味と言って差し障りがないだろう。そして圧巻なのは落葉のほうで同じように一枚一枚葉を散らしていくのかと思いきや、木を蹴っ飛ばして豪快に散らして回っていく。この時の静葉様が輝いているように見えてあたしは好きだ。

 

 今この場では御姿の見られないお姉様を思い考えていたら、少し前に練り歩きに出た神輿が一周し戻ってきたようで、楽しそうな声が聞こえてくる。外の世界では妖怪の山に済む河童達のように科学の力を使い農耕や畜産をするというが、こうして神々へと願いその恩恵を得る姿の方が良いと思えるのは、あたしが獣上がりで自然に近いからなのだろうか。

 

 妖怪の山と述べたが、このお山には秋の姉妹神のような野良神様はほかにもおわしになられて、その方も人間の暮らしによいものを与えてくださる方だ。

 正確に述べるなら与えるよりも取除くなのだが、その方は人間たちの厄をその身に引受け自身の力とされる方で、厄を溜め込んだ姿は非常に怪しく見えるのだが、目に見える黒い瘴気のようなものを纏いくるくると回る姿は美しくも見える。

 このように、人間にとってとてもありがたい厄神様の鍵山雛様だが、実際は妖怪かもしれないとも言われている。普通の神であるなら求める信仰を彼女は欲さずただ厄のみを求める。

 信仰を必要としないから妖怪だと極論を言うのなら、相手を思い間接的に救いを授けている姿も神様だと呼べるものだとあたしは思うのだが。けれどその辺りの事はご本人は気にされてないし別にいいか。ご本人がおおらかな性格の為気にされないのをいい事に、あの清くも正しくもないパパラッチは雛様をえんがちょマスターなどと呼んでいた、厄にやられて羽毛が禿げればいいのに。

 そうなったら面白いのに。

 

 ついでに少しだけ述べておくが、お山には野良ではない神様もいる。片方は祟り神もう片方は軍神と人の暮らしとは余り関わりがないようなので、今は家持ちの神様もいるとだけ述べておこう。

 ぐだぐだと色々述べたがそろそろ祭りも終わる。穣子様もお帰りになられるようだし土産でも持ってついて行き静葉様へご挨拶でもしてこよう。

 穣子様ご自身が調理される焼き芋ほど甘くなく、甘味が苦手な人にも好評なみたらし団子でも持って。

 

~少女移動中~

 

 景色はまだ緑の強い夏といったところだが、空気には少し秋らしさのある冷たさを持ち空には赤とんぼが飛ぶようになってきた、後は山の木々達や人里の稲穂がお色直しして、水に触れる事を億劫だと思うようになれば秋本番というところだろう。

 この季節は花も美しい種類が多いが、やはり斑に染まる葉が主役だろう。地から見上げ視界いっぱいに広がる赤や黄も素晴らしいし、空から眺み景色の一角が全て赤や黄になる様相も素晴らしい。

 このお山に住む白狼天狗の千里眼で眺めれば、いつもの見え方と変わり紅葉の美しさも変わって見えるようになるのだろうかと、少しだけ気になった。

 白狼天狗も木の葉天狗と呼ばれる事があるのだから、この季節くらいは普段の真面目な面とは違う姿を見せてくれてもいいのだけれど、あの娘はつれない娘だ。

 見せてくれたとしてもあたしやあのうるさい新聞記者に対する青い顔くらいで、なにか頬を染めるような色のある話の一つくらいはと思うのだが浮いた話もない。

 真面目なのだからそういった方面も真面目に恋するなどすればいいのに、秋は繁殖期でもあるのだから。

 

「当然のように侵入されては困るのですが、囃子方様」

「あたしには問題なんておきないから大丈夫よ、心配しないで椛」

 

 噂をすればなんとやら、毎回ご苦労様だと思える勤務態度だ。山住まいの癖にほぼ山にいない誰かに椛の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいだ、そうすれば少しは山で行動する姿も見られるかもしれない。

 

 効き過ぎて引きこもるようなあっちの新聞記者のようになる‥‥事はないな。

 山生まれで山にいない者と山どころか家からも出ない者、どちらのほうがマシなのだろう。

 両者とも新聞を発行するのを生業、いや趣味なのか?まあいい。

 それを生業にしていて記事内容や発行部数で競うらしいが方やあたしの件を知っての通り脚色強く面白おかしく騒ぎ立てるもので、いつだか女医殿に学級新聞と評価された物。

 方や引きこもりの能力頼りが念写した写真を元にそれっぽい記事に仕立て上げる物、実際に見ている分あっちのパパラッチの方が信憑性があると思えるがたまにぶっこ抜いた写真で面白いものもあるようだ。

 

 いつか博麗神社でご神体として崇められて河童の手、あれを念写して記事として仕立て上げ発行したら見事に山の仙人様が釣られてた。そんな風に本当にたまに面白いものがあったりする。

 実際のところはどんぐりの背比べに思えるが、どうなのだろう。

 あたしとしては‥‥

 

「あの、侵入される事が問題で‥‥聞いてませんよね、もういいです」

「ん? 今日はやけに素直ね、なに? 悩みでもあるの? 恋わずらい?」

 

 椛そっちのけで別のことを考えるあたしにそんな事はありませんと落ち着いた顔で話すのはいいが、そんなだからいつまでも初心なままだと上司に馬鹿にされるのだ。

 科を作って実はなんて少しの方便でも言える柔軟さがあれば、少しはあれに振り回される事が減るのだろうに。

 真面目過ぎて少し惜しいわ。

 まあそれでも手間が省ける、今日の探し人静葉様を探してもらうこととしよう。

 

「何故私を残念なものを見るような目で見るのか、わかりませんが」

「素直な椛だと関心してるのよ、そういえば秋神様のお姉さんの方は何処かしら」

 

「静葉様なら紅葉の下準備の為篭もられているようで見かけてませんよ」

「そうなの? 少し遅かったか、ならいいわ」

 

 持参した土産を椛に手渡しして、近くの切り株に腰掛け煙管をふかす。

 渡した土産、みたらし団子を受け取るとその場で開けて食べてくれるこの娘。少しはしたないと思われるかもしれないが住まいの宿舎に持ち帰ると周りがうるさいのだそうだ。

 また侵入を許したのかと騒ぐ者もいれば、椛だけ毎回ずるいと妬む者もいるらしい。妬むなんて少しは話のわかるのもいるんだと思ったが、天狗も一枚岩ではないのだそうだ。

 

「そういえば、最近また二柱が騒がれておられて‥‥なんでも、宴会で早苗とは会ったのに私らの方に来ないとはなんだ。と」

「あぁ‥‥また面倒くさいのが‥‥諏訪子様だけならいいけれど……行かなきゃもっと煩いだろうし行くしかないのね」

 

 緩く尻尾を振りながら土産に舌鼓を打つ椛を愛でて気を良くしていたが、その一言で興が削がれた。宣言なしに神社ごと引っ越して来て騒がしくするわ、麓の巫女に神社からの立ち退き要求して騒がしくするわと何かと話題の絶えないこのお山に建つ神社。

 その神社を遠くに眺め、また面倒なのに呼びつけられたと気を落としながら、とぼとぼと一人歩き出した。



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第三十三話 技術革命

技術の進歩に犠牲は必要という話。


 人の手が一切入っていない生まれたまま育っただろう木々や、苔むして自然に生きるもの達と共に時間が流れた大きな石の転がる川。

 そんな美しい自然を眺めながら景色とは少し溶け込みきれていない参道を歩く。山道といっても整えられたものではなく、ただ誰かが歩き踏み固められて草が生えにくくなっている道だ。

 かつて天狗が修験者だった頃に歩いたものなのか、このお山が外の世界にあった頃に歩まれていた道の名残なのかわからないが今もこうして道としてある。

 

 ただこのお山の神社はこのままにしておくのをよしとせず参道を整えたいと天狗側に申し立てたことがある、参拝者を増やして信仰が欲しいという実に単純な理由からだ。

 申し立ての結果は言わずもがな。

 山を荒らす為に道を作るわけではないし山への信仰が増えて天狗も力をつけられる、一石二鳥なものだと神社の神様は言ったが元々ない所に新しく何かを作れば間違いなく荒れる。

 

 目に映らないくらい小さな荒れか手に負えないような大きな荒れ方かはわからないが、確実に何か変化はあるだろう。

 この山の天狗は変化を嫌って山に引きこもっているのに、おまえらも信仰で力がつくよ!なんて安い餌で動くわけがない。

 お山の監視を任されている白狼天狗の勢いに負けて、この参道整備案は下げられたのだがこの神様は懲りない。

 

 先ほど述べた参道はまだ可愛い案件と言えるもので、外の世界と比べると随分と遅れているお山の技術を見た神様は『山の産業革命計画』を企て、河童に『間欠泉地下センター』をどこかの地面の下に建設するよう指示して実際に造らせた。

 完成した施設で河童たちに動力源となる核融合について研究させていたが、センターと核融合炉のエネルギー源が離れすぎていて、まるで使い物にならない物だとわかるまであれやこれやと実験したようだ。

 エネルギー源と言ったがこれはあの地底のお空の事で、本来のお空はただの可愛い地獄烏で大した力もなかったのだが、この神様が上手い事利用しようとして八咫烏の力を与えたのだ。

 あんなにも素直なお空を騙し、核融合のエネルギー資源にしようとしていたのだ。

 

 まぁ最終的な結果としてはエネルギー源としての利用など出来ずお空が暴走して地底から大量の怨霊が吹き出す異変となってしまい、あのおめでたい巫女やおめでたくない魔法使いが赴き解決された。

 あの可愛いお空になんてことを、と思ったがお空本人は力を得られて満足しているし山の神様に力をくれてありがとうと感謝しているらしい。

 利用されたのに恨むどころか感謝など、どれほど素直なのか。

 そこが良いのだが。

 

 少し話が逸れかかったが、今まで述べたようにあの神様は新しい物を取り入れることを好む。

 同じ神社に祀られるもう一柱から技術革命が好きなんて言われるくらいだ。

 以前に引っ越してきたと話したが、この神様は外の世界出身の神様で外の技術や科学知識を有しているからかお山の河童と仲良く何かを作っては実験し、人々に披露していたり知識を自慢していたりする。

 披露したところで文化レベルが外とはちがう幻想郷の者達が理解できるとは思わないが。

 

 そんな新しもの好きのあの神様を、あたしは苦手としている。

 嫌いというわけではないが、真新しい物好きというところがとても面倒で厄介で苦手なのだ。

 もう片方の祟りの神様はまだ親しみやすさがあるのだが。

 

~少女登坂中~

 

「そこなおわすはこちらの守谷神社にて崇め奉りたる洩矢神でござりませふか」

「形だけの言葉は嫌いだよ、狸? それとも蛇に睨まれて緊張してるのか?」

 

 参道を登りきり鳥居を潜ってすぐの境内にある手水舎、その上には見慣れた麦色の市女笠。

 そこに目をやるとその市女笠に付いた目と少女の目の四つと目が合う。

 その場で膝を着き背を伸ばし凛とした正座から一礼。

 少し前のような縮こまるものではなく背を伸ばしたきれいな礼。

 普段のだらけっぷりが嘘のような今のあたしの凛とした姿、この場に普段のあたしを見知った人がいたらなんというだろうか。

 だがそれも一瞬だ、面を上げる頃にはいつものやる気ない表情に戻るだろう。

 

「どちらかというとあたしは蛇を食べてた方よ、久しぶりね諏訪子様」

「うむ、うちの引っ越し以来か」

 

 何処でも誰にでもこんな態度で挨拶しているように取られるかもしれないが、その見解は正しいものだ。誰に対してもあたしは大体こうだ。

 そして挨拶を受ける側の態度もこんなもん、もう一人の神様以外は。

 それにしてもうちの引っ越し‥‥豪快にお邪魔しますと現れて、この山はウチラのもんだと叫び、麓の神社もついでに寄越せと騒いだあの異変。あたしもなんでか巻き込まれたあれだ。

 

 あの時もいつもの様に山に来て、いつものように椛に見つかり、いつものように椛に暗い顔をされていた頃に突然お山の空が光輝き出した。

 いつもではありえない事に文が山にいたから原因は文だろうなんてあたしと椛で笑っていたら、轟音と共に空が割れたあの日。空から神社が降ってきたあの日だ。

 河童は騒ぐし白狼天狗はおおわらわだし文は隣で煩いし。

 最終的にはお山の騒動に巻き込まれあの紅白の巫女にしばかれた。

 しばかれた後の宴会に呼ばれて行ってみれば、神社で祀られる神様は外で見たことのある神様だったし、散々な目にあった日だったがそれなりに印象に残った面白い日でもあった。

 

「うちの早苗に会ったんだ、その後いくらでも時間はあったろうに何故顔を出さなかった?」

「そうね、諏訪子様だけならいつ来てもいいのよ?でも神奈子様はどうにもねぇ」

 

「あははっ相変わらず苦手なのか」

「ご自身は変化のない神霊なのに、新しい物を求めるところは面白いけど」

 

 声を上げて笑う諏訪子様は里の子供達より少し育ったくらいの無邪気な少女に見えるが、実際はおっかない祟り神様。

 最初の挨拶で見せた物が本質だろう、いつものおふざけとわかっちゃいるが本質そのものは隠し切れないものがある。

 まぁその辺を詳しく思い出して、今目の前にいる諏訪子様を蔑ろにすると本格的に怖い思いをするので後回しにしておこう。

 触らぬ神に祟りなしの権化みたいな方だ。

 

「今は考えていないみたいだから気にすることないよ、それより早苗はどうだった?」

「ならいいけど‥‥早苗ってあの巫女よね。真っ直ぐな感じで素直な子ってのが第一印象よ?」

 

「そうなんだよ、まだ頭が硬くて思慮が浅い」

「気長に待ってあげたら? そのうちどうにかなるんじゃないの」

 

 確かに行動や言動からは思慮が浅いと取れる面がある、だが真っ直ぐに自らの信じるものへと向かう姿勢は評価出来るものだろう。

 思う通り真っ直ぐ言った結果を読めてないのは残念だと思うけど、それは経験を踏まえて少しずつ覚えるものだ。最初から期待するものじゃない。

 ここの神社の保護者はどこかのお屋敷の保護者とは違って期待する物が少々大きい気がするが、他人様の家庭の事情に首を突っ込むのも野暮というもの、何か関わる事でもなければ自ら行かないほうが良い。

 ただでさえ保護者の片割れは面倒なのだし。

 

「そういえば一人なの? 常に三人一緒にいるもんだと思ったわ」

「早苗は里で勧誘活動に忙しい、神奈子は河童のところで悪巧み」

 

「そうなの、なら三人揃っている時にでもまた来ようかしらね」

「思ってもいない事を口にしてもダメだね。神奈子が帰ってくるまでには帰してあげるからさ、もう少し付き合いなよ」 

 

 いないとはありがたい、そしてなるべくなら出会わずに帰りたい。あたしがそう思っている事くらい諏訪子様もわかっているだろう、だからこそ会話を切り上げようとしてくれない。

 本当に、なぜ八百万の神様というのはこうも俗っぽく人間臭い事を楽しむのか。

 一緒に酒を楽しんだり冗談で笑いあったりといい面もあるのだけれど、どうしたって神様だ、道理よりも己の心に正直に行動することが多くて困る。

 あの緑も現人神と言っていたし、死んで神霊になった後こんな感じの厄介な神様になるのだろうか。

 なるんだろうな、身内なのだし。

 

「はぁ‥‥次は何をするつもりかしら?」

「架空索道って知ってる? 里からここまで直通のを走らせるんだってさ。今日はその計画会議」

 

 参道がダメなら直接ここまでの道を敷くのか、参道整備は諦めたが別の路線で攻めてきた。さすが両腕を失っても抗った神様だ、本当に懲りない。

 しかしどうやって動かすのだろう、神奈子様の風で発電でもするのだろうか?

 エレキテルくらいしか知らないが神奈子様ならそれよりも進んだ知識を有しているのだろうし、何か原動力となる新しいなにかがあるのだろう。

 

「お空のエネルギーはダメなのに、他に何を使うのかしら?」

「さぁ? 私は興味ないけど、もしかしたらまたアヤメに話が来るかもしれないよ?」

 

「もう帰ってもいいかしら、諏訪子様」

 

 あたしが神奈子様を苦手とする原因である。

 お空のようになにか与えてもらったりはしていないがあたしも新しいエネルギーの原動力にされかけた。

 

 なんでも外の世界では蒸気を圧縮して噴射し圧力や温度の変化で回す動力源があり、それを霧やら煙やらでどうにか代用出来ないかと考えたわけだ。

 思いついてからの行動が早くて、逃げる間もなくとっ捕まりえらい目にあった。

 

 河童が作ったのか知らないがやたらデカイ桶?筒?に打ち込まれて体から汁が分離するかもってくらい回され、霧だって完全に霧散するわってくらい炙り熱せられ、気体から液体通り越して個体になるくらい冷やされるわと、実験中に何度かこのまま消えるんじゃないかと思った。

 

 あたしの本質は間違いなく狸で自分でも化け狸と思っているが、妖怪としての力の本質や成り立ちは霧や煙だ。多少の事なら体が霧散しようが問題ないし苦痛や疲労といえる物も薄い。

 だからといって好きにされていい気分であるはずもなく耐え切れるものでもない。開放されてからもしばらく酒も飲まずにおとなしく過ごす羽目になった。

 まぁそれはまだいい、肉体的なものだけだ。

 

 そのあたしでの動力実験なんておもしろ恥ずかしい物をあの清くも正しくもない三流記者が見逃すはずはなく……泣きついて写真を回収するハメになった。

 散々いじり倒されたのに最終的な実験結果としては

 『動力源として使うには力不足で不安定』

 という烙印を押され、散々弄ばれ汚されたあたしは一人で枕を濡らす事になったのだ。

 

「もうね、あたし汚れちゃったの諏訪子様。あれは嫌なの‥‥」

「まぁ次は止めるよ、多分」

 

 少し思い出して泣きそうだった、ただでさえ最近涙腺が緩いんだ、勘弁してほしい。 

 本気で凹んだあたしを見るのがよほど可笑しいのか、諏訪子様は楽しそうに笑っている。

 耐え切れずほんのちょっとだけ泣いた。 



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幕間 続、雨宿り

事件現場に行くことより事件現場にいることのが多いな。
そんな思いつきから出てきた話。


 少し低めの丸椅子に腰掛けオレンジと赤が混ざったような灯りを見つめながら、冷えてしまった両手の平を近づけかざす。手の平を少し丸めてさすりながら優しい灯りをたたえるそれに手のひらをかざすと、あたしの手のひらにもほのかにその色が移る。

 時たま小さくパキンという金属音をたてながらゆらゆらと漂う灯り、それから視線を窓に移すと雨粒がランダムに当たり桟を伝って流れていく。

 

 落葉を司る神様が今年も元気に蹴り回ってくれたおかげで、色鮮やかに侘しい季節は過ぎて、今はもう静けさと無音の似合う季節に入る頃だ。本降りではない今日のような小雨でも少し濡れれば十分に冷える、吐く息もほんの少しだけ白くなってきていた。

 吐いた息は手元の暖かな灯りが起こす上昇気流に煽られて一瞬で消えていく。

 消えいくそれを見送り、もうすぐ寒くなるなと窓越しに雨模様の空を見上げた。

 

 そのまま窓から店内へ、店内からカウンターへと視線を流していくと、いつもの椅子に腰掛け本を読み耽る見慣れた男がいる。

 まるでその場から動けないのだというくらいにいつもと同じ場所、同じ姿、同じ本。

 あたしの方もいつも通りに男に話しかけるようなことはせずそのまま無言で眺めていると、動けないと思った男が不意に立ち上がり奥の暗がりに消えていった。

 あたしはそれを気にすることなく暖かな灯りに身を委ねた。

 

 優しい灯りのおかげで少しだけ濡らしてしまった着物もほとんど乾き、同時に濡れて冷やしてしまった体も動くくらいには暖まってきた。温もりを取り戻すのと同時に心の余裕も取り戻すと、さきほど消えた男がカウンターに開いたまま残していった本が急に気になってきた。

 いつ来ても同じ本に目を通しているが、あの男は表情も変えずに何を読んでいるのだろうと。

 何度も読み返すような面白い本なのだろうか、それともよほど気に入った話なのか?

 ゆっくりと手を伸ばす。

 自分の事をあまり話さない男が気に入っている書物。

 それにもう手が届くかというところで視線を感じる。

 暗がりに消えた男がいつの間にか戻り、何も言わずにあたしを見ていた。

 伸ばした手をゆっくり戻すと男は何も言わず書物を手に取り、先ほどと同じように椅子に腰掛け続きを読み始めた。

 

「そんなに面白いの? いつも読んでるわね」

「内容が気になってね」

 

 会話とはいえない、互いに一言ずつだけ言葉にしてそのまま無言になる。

 男はまた書物を読み始めたようで、その目はあたしを向いておらず手元の書物に集中している。

 何度読んでも同じものだろうに、その続きが気になるとはどういうことだろう。

 何度も読み返さねばならないほどこの男が忘れっぽい者だとは思わない。

 カウンターから身を乗り出せば本の中身を覗けるだろうがそうはせず、男を見つめ聞いてみる。

 

「気に入ってるの?」

「何度も目を通すくらいにはね」

 

 やはりいつも読んでいる本と同じ物のようだ、読み進めるスピードもじっくりと読んでいるようには見えず、気持ち早めにページが流れていく。

 なおさらわからなくなってきた、いつも同じ本を読みながら続きを気にするなど。

 変わり者だとは思っていたがよくわからないことを言う者ではないと思っていたのに、この男がよくわからなくなってきた。

 

「上下巻の上巻?」

「いや、これ一冊だよ」

 

 複数に分けられた物かと思い確認してみたがこれも違うらしい。

 一冊だという話だが読む度に内容を変える類の本だろうか?

 この男ならそういった本を所持していてもなんらおかしい事はないが、そういった本ならあの貸本屋が知らないわけはないし、どうにかして譲ってもらっているだろう。

 だとすればあれは普通の本、続きと言ったがどういう意味なのだろうか?

 

「暖まったならもう帰ってくれないかい」

「まだ雨は降ってるもの、今出たらまた濡れるわ」

 

 やれやれといった表情であたしに言葉を発したが、すぐに本に目を戻す。

 この男の態度はいつものことだからこの言い草には慣れているが、今日は気になるもの、気になってしまったものがあるのだ。

 このままモヤモヤとしたものを抱えたまま帰るのは気持ち悪い、どうにかしてこのモヤモヤを解消してから帰ろう。

 

「そんなに難しい?」

「いや、よくある推理小説だよ」

 

 推理小説と聞いてますますわからなくなる、何度も読み返すような類の本じゃあない。

 どのような推理小説なのかはわからないが一度読み切れば犯人はわかるし、謎解きだってわかるはずだ。推理小説相手に推理するのは初めての経験だが、中々答えにたどり着けずにいる今がとてもおもしろい。

 

「読み取り方で犯人が変わるの?」

「犯人はわかっているよ、主人公の妹さ。凶器は帯紐」

 

 あたしの推理は見事に外れたが同時にひどいネタバレもされてしまった。

 この謎の答えに辿り着いたらこの本を借りて読んでみよう、そう思っていたのに。

 それともこう言えばあたしに強奪されずに済むと考えたのだろうか、商売気はないくせにそういうところだけは聡い男だ。

 

「普段は気にもしないのに、僕の本がそんなに気になるのかい」

「内容への興味はついさっきなくなってしまったけどそうね、気にはなるわ」

 

 普段ここまで食って掛かることはなく、静かに過ごして帰るあたしが今日は口数が多い、それが珍しく男のほうから口を開いた。

 視線も本からあたしに移し、その眼差しも普段は見せる事がない疑惑を忍ばせている。

 随分前から考え込み難しい顔をしているあたしに、そんな疑惑の眼差しを向けられても困る。

 

「何が気になるんだい?」

「犯人も凶器も覚えるほどに読み込んだ推理小説なのに、それでも内容が気になり読み続けるって一体どういう事だろう? そう考えているの」

 

 ここまで色々と考えて疑問をぶつけてみたが、まだ答えに辿り着いていない。

 こんな迷探偵のあたしが解けない謎を素直にぶつけてみると、自白でもするのか本を閉じてあたしを見つめてきた。

 低めのカウンターで遮られ視線だけを重ねる男女。

 この手のシチュエーションが好きなおばさん方が見れば色の見える雰囲気に映るかもしれないが、残念な事にその辺りはお互い枯れている。

 

「この本は落丁本でね」

「落丁本‥‥どこか抜けているのね」

 

「犯人も凶器もわかるんだが、犯行動機の部分が抜け落ちいているのさ」

 

 推理小説としては致命的だろう、話が面白くなる部分が抜け落ちいている。

 それでもこの男を捉えて離さないくらいの面白さがこの本にはあるのだろうか、犯人も凶器もよくある物に思えるが。

 

「結末もよくあるものさ、それでも読み終えてから気になってしまった。仲の良い姉妹がこうなってしまった理由。何度も読み返せばそれぞれの心情が理解出来るかも、そう考えてこうして読んでいるが、まだわからないのさ」

「結末のわかる推理小説を推理している、なんだか哲学的で格好いいわね」

 

 

 なんだろう、何か思う事でもあったのだろうか。

 男の表情は穏やかなままでなにも変わらないが、さっきまで饒舌に語っていた口を急に閉ざし、また本の世界に戻ってしまった。

 

 珍しく褒めたのになにか気に障る部分でもあったのか?

 男の今の気持ちはよくわからないが、この男が一度こうなると何を言っても無言を通して話さなくなるのはわかっている。

 男を気に掛けるのをやめて丸椅子に戻ると、窓越しに空を眺める作業に戻った。

 

 暖かく灯るストーブのパキンという音だけが響く空間になる。

 居心地の良い静かな空間。

 パキンという音に気を惹かれストーブを眺めるがまた窓へと視線を戻す。

 

 すでに雨はほとんど降っておらず、どんよりとした空が雨粒の残る窓越しに見えた。

 雨も上がったしまた来るわ、本の世界へと旅だった男を見ずに岐帰路に着いた。

 小さくパキンと鳴る音だけがあたしを見送った。 



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~異変小話~
第三十四話 縞尻尾の長い夜 ~一杯目~


最近酒を飲ませてなかったな、そんな思いから。


 サクサクと竹葉の黄色い絨毯を歩いて行く、吐く息が真っ白で煙管に火を入れてもいないのに煙草を吸っているようだと、一人でクスクスと笑いながら歩いて行く。

 足元を見れば枯れ落ちた竹葉が視界一面を覆ってしまい、地面がどこかわからない状態になってしまっているが、視線を少し上に戻せば変わらぬままに青々とした竹林が、同じく視界いっぱいに広がっている。素人が一見しただけでは竹林の変化は感じ取れないのだが、寒さの厳しくなる冬場はここの竹でも休眠期に入るらしく、ほんの少しだけだが成長が遅くなる。

 成長が遅くなるとはいっても、一時間に二尺以上もにょきにょき伸びていたのが二尺弱くらいになるだけだ、毎日をぐうたらに過ごして、長く伸びていく竹を日々眺めているような者にしか違いはわからないだろう。

 そんなほんの僅かな違いに気が付いて、確かな季節の移り変わりを横目にしながら、サクサクと軽快な音をたてて黄色い絨毯を歩き竹林を抜けて行く。

 

 迷いの竹林にはほんの少しの変化が見られたがあたしには変化が全く見られない、今日も今日とて通い慣れたあの夜雀の屋台へと足取り軽く歩いて行く。

 移り変わる景色もよいものだが、決して変わらずにあるものも同じくよいものだろう、そんな風に自分を遠回しに褒め称え、今日の屋台も変わらずに美味しいもので溢れているはずだと向う。

 美味しいものを食べられる事に違いはないのだが、屋台に並ぶ食材が季節と共に移り変わっていて、今の季節にヤツメウナギが焼かれることはなくなった。

 屋台名物はまた来年、ヤツメウナギの旬が来てからだ。

 そんな夏場の名物の代わりには冬場の名物が並ぶ。

 コトコトと長時間トロ火で煮こまれて、出汁の旨味を十二分に含ませた熱々のおでんが屋台の看板メニューとなる。どのおでんダネを頼んでもハズレなどはなく、どれもお箸がサクサク進むおでん、今晩は何を頼んでみようかなと期待に胸を踊らせてサクサクと歩いてゆく。

 

 この辺りまで歩いてくるともう迷いの竹林とは呼べないのかもしれない、相変わらず伸びる竹は生えているのだが夜雀の屋台はもう少し先だ、迷いの竹林の入り口と人里へと続く道が繋がって、ほんの少しだけ視界が開ける広場辺りにいつも屋台を開いている。

 竹林住まいのあたしからすれば竹林からギリギリ出てない辺りの場所で、里の人から見ればギリギリで竹林に入らない場所、静かな竹林を肴にも出来るし、ポツポツ灯る人里の灯りも肴に出来る、中々うまい場所に屋台を出す女将は商売上手と言えるだろう。

 同じ商売人なのに自身の名前の通りに森の近くに構えて、絶賛開店休業中になっているあの店の男にも少しはミスティアの商売気を見習ってもらいたいところだ。

 この前だって黒白は勝手に台所に入り込んでなにか怪しい料理をしているし、紅白はあの脇の見える装束が破れたと店主の着物に一瞬で着替えて縫われるのを待っているし、あの店は本当は何屋なんだろうか。

 散々文句を言うくせにしぶしぶと裁縫したり味見をするから居着かれているんだと思うが。それでも彼女達が来なければ本当に誰も来ないのだからまだいいのか?

 あの店で見た客なんて黒白と紅白以外メイド長と半分庭師、後はなんだかよくわからない売り物の本に腰掛けて、売り物の本を読む朱鷺くらいしか見たことない。

 最近朱鷺が増えてきて朱鷺鍋が美味しいなんてあの紅白は言っていたが、そんなに朱鷺は美味いものかね。味は悪くないがあたしには少し生臭く感じる、鴨辺りのが好みだ。

 

 ん、なんだ、結構客を見かけているな。

 思っているより繁盛しているのか?

 いやいや、思いついた人のほとんどが客ではなかったか。

 やっぱりあの店は寂れているな。

 はて、流行らない店のせいで思考が逸れてしまったが何を考えていたんだったか。

 ああそうだ、あの遠くにぼんやりと浮かぶ提灯の屋台の事だった。

 

 いつのまにかサクサクという足音は消えていて、夜雀の屋台の屋根に付けられたおでんと書かれた提灯がうっすらと見えてきた。

 提灯の字がはっきりと見えると、もうすぐ楽しい楽しい晩酌の時間だとあたし自身に教えるようにあたしの腹太鼓が騒がしくなってきていた。

 

~少女来店中~

 

「こんばんは、今日も一番客ね。景品はなにかしらね?」

「いらっしゃいアヤメさん、景品に一節なんていかが?」

 

 もうそろそろただいまと声をかけてもいいかもしれないなと少し考えながら、いつもの挨拶と共にのれんを潜って、カウンター前に置かれた長椅子のあたしの指定席に腰掛ける。

 女将を正面に見て右手の方、二つ並んだ長椅子の右端があたしの指定席。理由は簡単で気兼ねなく右手でお箸を動かせるから。右利きだからではなくあえて右手でと言ったのはあたしは左手でもお箸は使えるからだ。

 でもお箸は右と決まっている、あたしの左手は常に煙管で予約が入っているため、お箸やお猪口を持つのは右手の方ばっかりで慣れているのだ。

 同席する人の事を考えれば左端に座るのがいいのだろうけど、煙が嫌ならあたしより早く屋台にくればいいのだ、一人でそう納得し煙管を取り出しながら注文しようとした、ところを一節唄い終えた女将の声で遮られる。

 

「ご注文は、いつも通り?」

「そうね、でもお酒は温燗で」

「温燗だなんて珍しい、アヤメさんなにかあったの?」

 

「寒いからゆっくり温まるの、たまにはいいでしょ」

「はいはい、後ろの人はなんにします?」

 

「儂ゃお燗でええぞ、肴は女将さん任せでよいわぃ」

 

 慣れ親しんで聞き馴染み良いが、この場では聞き慣れないこの声と喋り方は‥‥つい最近ボロボロと泣かされたばっかりだ、間違うはずがない。しかし、なんでここに来るんだろうか?

 いつもだったら、幻想郷の木っ端妖怪やら化け狸やらをテキトウに集めてどんちゃん騒ぎしているはずなんだけど?‥‥

 呆けた顔で眺めていると、ドカッと肩を組まれあたしの座る長椅子が揺れる、肩に回された腕から顔に視線を移すと見慣れた笑顔が目に入る。

 

「こっちに来てからお主とはゆっくり晩酌してないからの、たまにはよいじゃろ?」

「マミ姐さんが呼んでくれるならどこでも行くのに、出来ればここがいいけれど」

「フフッ毎日毎晩とは言わないけど、半分ここが住まいと言えるくらいには来てますからね」

 

 狸が二人、似たような縞尻尾二本を揺らして笑い合っていると、二人で頼んだ燗酒はおでん鍋の横で湯船に浸かっているのにお銚子が二本並ぶ。

 揺れる二本の縞尻尾を微笑みながら見つめる女将がお通しと、頼んでいない冷を出してきた、少し不思議な顔をして女将を見るとこれは新しいお客さんを連れてきれたサービスだそうだ。

 最初から燗酒で暖を取ってしまい早めに酔うよりも、冷でも飲んで頭を覚ましてゆっくりしたらという女将の粋な計らいだと思えた。

 

 

「女将さん悪いのぅ、気を使わせたか?」

「いいえ、悪いと思うならまた来てくれれば」

「今日だけと言わずいつでも連れてくるわよ、いつでもね」

 

 もういつでも会えるし頼れるのだ、晩酌の相手くらいちょいと頼めば仕方がないのぅなんて言って笑顔で引き受けてくれるだろう、本当にありがたいことだ。

 思った事をそう言ってお猪口を渡し酒を注ぐ、あたしのお猪口にも注がれて飲み始めようとしたところでマミ姐さんがミスティアにも酒を進めた。今日は借り切るから女将さんも飲めと、金子なら貸すほどあるから気にするなという言葉に乗っかり三人での酒宴が始まった。

 

「マミ姐さんとゆっくり酒盛りなんて何時ぶりかしら?」

「ぬえに呼ばれてこっちに来た時以来じゃな。ほれ、巫女にお灸を据えられた後の宴会」 

「どっちの巫女かわからないけど、どっちでも変わらない姿が見えるのよね」

 

 紅白と青緑、たしかにどっちでも変わらないわと三人で笑って、お猪口をゆっくりと空けながら巫女に焦がされた時の事を思い出していた。あたしの初めての弾幕ごっこは黒白が対戦相手で、初黒星もその時の黒白、そしてあたしが初めて弾幕とスペルカードを使って遊んだのは、あのおめでたい巫女が対戦相手だった。

 少し近くから眺めて花火酒と思ったのに、あの喧嘩っ早さと手癖の悪さはなんなんだろうか?

 本当に、この辺りの飛ぶ種類の少女は怖いのばっかりだ。

 

「なんじゃ、そんな遠くを見るような顔で、呆けたか? お?」

「呆けるほどまだ飲んでないわ。初めて弾幕打ってあの巫女に丸焦げにされた事を思い出したの」

「そういえば異変でのアヤメさんの話って聞かないわ、面白そうな話なのにおかしいわ」

 

 あたしが自ら首を突っ込んだ異変はまだない。

 あたしは異変や催し物は眺めて楽しむ物だと思っている、確かに参加して弾幕ごっこもいいものだろう、実際に何度かやっているんだ、その楽しさはわかっている。

 それでもあたしは参加するより眺めている方を選ぶ、忙しく遊ぶよりゆるりと酒と煙管を楽しんでいる方が性に合っているからだ。

 血の気の多い幻想郷の少女達にはあまり理解されない考え方だが。

 

「眺めながらやいのやいのと囃し立てる方がいいのよ」

「やる気がないのは変わらんのぅ、たまにゃ騒がしくせんと老けこむぞ」

「豊聡耳さんよりもおばあちゃんですからね、アヤメさんって」

 

 やるな女将、その言い草はマミ姐さんにとっては尻尾を踏む行為と同じかそれ以上だ、あたしに代わって綺麗に踏んでくれてありがとう。

 神霊、というにはちょいとちゃちで木っ端な霊が溢れたあの異変、解決後の宴会で太子に狸の媼と言われてから、マミ姐さんはちょっとだけ気にしているんだ。

 あの時は珍しく可愛い顔が見れて面白い宴会だったんだぞ、女将。

 

「そうよ、あたしはちょっと長生きのおばあちゃん狸」

「おぅアヤメ、喧嘩なら酒の席が終わってからでいいかの? 久々に揉んでやるわぃ」

 

「おおぅ尻尾を踏んでいたのはあたしだったか、また化かされて後ろからぶん殴られたくないです! 女将もはやくあやまって!!」

「お酒飲んだアヤメさんが素直に謝るなんて珍しいわ。親分さんも面白い狸さんなのね」

 

 マミ姐さんのちょっと可愛いところを女将にも見てもらおうと思って藪を突付いたら、えらいおっかない狸が出てきた。このままだとあたしの寿命がマミ姐さんの圧力で保たない。まだ遊び足りていないからここでひっそりと幕を閉じる事になるのは勘弁したい。

 女将も後で覚えてなさいよ?

 軽口はあたしにとっては天からの贈物だが女将にとっては地獄の宴だからね、いつか夜雀に豆鉄砲食らわせたような顔にしてやる。

 

「まぁええわい。それで、その巫女に焦がされた話をしてみぃ」

「なんてことはないわよ? 眺めていたら目をつけられただけ、そのまま退治されたって話よ?」

「酒の肴じゃ。笑えればなんでもいいわぃ」

 

 カラカラと笑うマミ姐さんとニコニコと微笑むミスティア二人の前で、あたしは自分が丸焦げにされた時のことを思い出しながら話した。

 

~少女回想中~ 



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第三十五話 縞尻尾の長い夜 ~二杯目~

前回からの続き物です。




~少女回想中~

 

 昨晩も深酒して帰宅、着ている物を脱ぎ散らかしいつものように生まれたままの姿で布団へと潜り込んだのだが‥‥普段では当然目覚めない時間に目が覚めた。

 今朝のあたしは華奢な膝も立派な縞尻尾も両手で抱えて、まるで冬眠中のリスかのように丸くなっている。今縦方向の回転を加えられ転がされたならばそれはそれは素晴らしい勢いで遠くまで転がって行くことだろう、それくらいに丸い。

 こう丸くなっているのも毎年寒い時期のあたしの姿で、すっかり慣れてはいるのだがそれでも寒いものは寒い、雪山の登山中に遭難してしまうとあまりの寒さから眠くなっていくというが、それは嘘だとあたしは思う。

 あまりの寒さでたった今眠りから叩き起こされたのだ、現在進行形で自宅で遭難しているような寒気を味わっている。

 

 あの霧の湖のガキ大将である氷精が、何かを原因として強い力を身につけ妖怪化してしまい暴走でもしてるのだろうか?

 いや、あの氷精がもし暴走しても霧の湖をまるごと凍りづけにして高笑いするくらいだろう。それに、そうなったとしても原色二色刷りの格好をしているどちらかの人間がすぐに退治してくれて、氷精は一回休みを食らう事になるだろう。

 ダメだな、目が覚めただけでまだまだ頭の回転が鈍い、発想力が低下しているな、でも仕方がない、それくらいに寒くて寝ていられないし考えられない。

 いつもの薄い掛け布団の他に毛布をもう一枚追加しているがそれでも耐えられないほどの寒さ、暑さが苦手なあたしは致し方と毛布を使ってみたけれど、これは諸手を挙げての大成功とは言えなかった、確かに毛布は暖かいが敷布団側が冷たくてたまらない。底冷えする寒さとは今まさに感じているこの状態を言うのだろう。

 

 ちょっと前の年の暮れにそばをたぐり、少し前には新年を祝ったばかり、暦の上ではすでに春だというのに暖かくなる素振りが見えず本当に困ったものだ。本来であれば冬は過ぎ去って今はもう春真っ盛りとなり、皆で騒がしく桜を眺めて花見酒に舌鼓を打つ頃合いのはずだが、季節と気候が逆にでも流れているのだろうか?

 今頃これだけ冷え込んでたら、これから来るだろう夏はどうなってしまうというのか?

 真夏に雪でも見られるのかね?

 そんな身も凍るような風景を妄想すると、布団の中で吐いた息がいつもよりも白い物に見えた。

 

 こう寒い日はあれだ、あの流行らない店にあるストーブだったか。

 あれが恋しくなる、あれと同じような物がうちにも欲しいな、紫に頼めばくれたりするだろうか?

 いや、タダでくれるわけがないな。

 確実にもらわないほうが良かったと思える厄介事がストーブのおまけでついてくるだろう。

 変な期待をするのはやめておかないと後が大変だ。

 しっかし、この寒さがまだまだ続くようなら頼みようもないな、こう寒くては紫が起きてくる事などまずない。今頃はぶ厚くてふかふかの布団でも頭から被って惰眠を貪っているはずだ、獣上がりでもないくせに冬眠するなんてどんな体をしているんだろか?

 初冬の寒さが厳しくなり始めた頃から寝始め、暖かい春を迎えるまでは管理人のお仕事を従者に任せっきりにしているのだ。

 普段から大変そうだが、留守を任される藍も毎年毎年大変だと思う。

 あちらこちらと忙しなく動き、結界の管理だ維持だと幻想郷を飛び回っている藍を見ていると、あの時に式の術式を逸らしておいて良かったと心から思える。

 一人で見るのは大変だとは思うが、愚痴ぐらいならいくらでも聞いてあげるから、どうかこっちに仕事が回ってくることがないようにしてくれと願う。

 しかし完全に頭が冴えてしまった。いや冷えてしまったんだろうな、妙にスッキリとしてきた。

 まだまだ眠るつもりで布団で丸くなっていたのに一向に二度目の睡魔は訪れず、逆に色々と考えてしまい覚醒してしまった。

 こうなれば致し方ない、寒くて眠っていられないのなら‥‥

 起きよう。

 

~少女支度中~

 

 愛用の着物に袖を通し、目覚めの一服をしながら外を眺めてみれば住まいの外が真っ白だ、見慣れた竹林の景色が一面きれいな白一色になっている。昨晩までは残雪と呼ぶくらいの量しか積もっていなかったはずだが、今朝になってまた真っ白だ。

 こうなった原因はなんとなくわかっている、多分毎年寒くなると元気にやってくるあいつだ、寒さを強化するとかいうはた迷惑な能力を、わざわざ寒い時期に振り回すはた迷惑なあの冬の妖怪だ。

 毎年毎年寒くしてくれて、飽きないのかね、あの人も。

 普段のあたしならあのおめでたい紅白とおめでたくない黒白の原色コンビがどうにかするまで眺めているが、今日は珍しく、直接出向いてあの顔を見ながら文句を言おう。

 そして、ちょっとだけでもいいから寒気を和らげてもらおう、寒気が厳しくなる方へと向かって行けばそのうちに逢えるはずだ。

 といっても、いつ出会えるかわからない、すぐに見つけられれば御の字だけどそう上手くはいかないだろう。

 あの黒幕に辿り着くまでにどれくらいの時間がかかるかわからないから冷え対策はしないとまずい、雪に晒して濡らしたくはないけれど長羽織も引っ張りだして少し着込んで出かけよう。

 夏場は暑くて羽織ることもないが、一面真っ白なこの景色に紫の長羽織なら色合いも悪くない。

 ひらひらと、少し動きにくくはなるがこの際だ仕方がない、全て寒いのが悪いのだ。

 

 雪に埋もれた我が家を後にして目的地も判らずに少し飛び上がる。ある程度の高度まで来たところで北の方で暴れる妖気と寒気を感じられる。

 行く宛もないのでとりあえず目立つモノへと向かい飛翔、どうやら当たりだったようだ。しかし寒いから北の方とか少し安直じゃあないだろうか、レティさん。

 安直なんてひどいわと、少し間延びした調子でおっとり言ってくる顔が浮かぶ、冬の妖怪なのに笑顔は春のように朗らかで、なんだかちぐはぐだがそれがいいところだろう。

 

 局所的な大寒波 冬の妖怪レティ・ホワイトロック。

 毎年冬が始まると何処からともなくやって来る冬の権化。

 好き放題に冬を暴れさせるだけでは止まらず、ただでさえ寒い冬の寒気を強化してあっちこっちに振りまく冬の妖怪さん。

 冬以外は何処で何をしているのと聞くと、春は涼しいところで寝こけて夏もすずしいところで寝潰れて、秋になってようやく寝ぼけながら起きだして冬になるといきなり全力全開になるらしい。

 低血圧で起きられないなんて言うが、低血圧じゃないあんたは低気圧だ。

 そんな嫌味混じりの軽口を聞いてもアヤメはウマイ事言うのね、なんて微笑む可愛らしい迷惑おちゃめさんだ。

 

 北に向かい飛ぶと段々吹雪が強くなってきた、強くなってきたというか強すぎて前も後ろもわからなくなってきた、これは少しまずいんじゃなかろうか?

 この季節のこの寒さで遭難なんてしたら洒落にならん‥‥

 が、見えないのだ、どうしようもない。

 このままだと氷精が凍らせていた湖のカエルを笑えなくなる。

 本格的にどうにかしないとまずいのだが……ああそうか雪を逸らせば良かったのか、あたしは何をやっていたんだろう。頭が冷えてバッチリだなんて思ったがすっかり失念していた、感じる寒さを逸らしたところで雀の涙だろうからそっちは仕方ないが、雪だけでも逸らせば体に積もることもなくなり、幾分かはマシになるだろう。

 

~少女遭難中~

 

 雪が逸れて少しだけ快適になったが、全方位が真っ白で視界はどうにもならない、具体的な解決策も思いつかず困り果てる寸前だったが、急に視界が晴れてきた。

 これはもしや、レティさんがどうにかなったのか?

 雪は降っているが勢いは随分と落ち着いてきた。

 多分彼女の能力が切れて寒さが弱まったのだろう。

 ということは、あのおめでたいコンビがすでに動いていて解決されたのだろうか?

 それならば都合がいい、吹雪の弱まっている今のうちにレティさんを探そう。

 

 さすがに体の感覚がなくなってきた、ちょっと気を抜けば穏やかに眠れそうだ。

 ああなるほど、これが本当の遭難だったのか。

 あたしが自宅で丸くなっていた時はまだマシだったんだな。

 なんだか幻覚も見えてきた。

 真っ白な吹雪の中ぽつんと赤いひらひらしたのが浮かんでいる。

 ん?

 赤いの?

 おお、おめでたい巫女か。

 あの巫女がここにいるという事はやっぱりレティさんは退治されたのか?

 ならあの巫女に聞けば何処にいるかわかるだろう。

 ちょいと訪ねてみるとしようか。

 

「白銀の景色に赤が映えていいね、博霊の巫女さん」

「冬妖怪の次は狸?冬なんだから冬眠しなさいよ」

 

「古い知り合いは冬眠するがあたしはしないよ、雪見酒が楽しみでさ」

「それはいいわ、あんたを倒してその徳利で温まりましょ」

 

「出会い早々から喧嘩腰とは随分やんちゃな巫女さんだ、あたしは少し訪ねたいだけ。この寒さの黒幕がどこにいるのか」

「そう、でもあたしは寒いの。いいからその酒置いてって」

 

~少女起動中~

 

 少しの会話を済ませると霊夢が懐に片手をしまう。

 あの格好じゃあ寒いだろうなとアヤメが少し哀れんでいると、霊夢の懐から御札が生き物のように舞い飛び出してきた、霊夢の周囲で少しの間漂うと標的を決めたとでも言うように十数枚の破魔札がアヤメに向かい一斉に奔り出す。

 いきなりの攻撃に面食らうアヤメだが、破魔の御札は全て同じ軌道を描きながらアヤメに向かって真っ直ぐに飛んでくる。アヤメは後方へと下がりつつ体を捻りながら上昇する事で一点に集中して放たれた攻撃を難なく避けてみせた。

 

 なるほど本気で徳利を狙っているのか。どの時代のどんな相手にもお前は人気者だな、と右肩に下げた白徳利を小さく撫でた。

 やすやすと愛用品を手放すつもりはない。いきなり弾幕ぶっ放して派手な挨拶をしてくれたんだ、これは返事をしないと野暮じゃないかと。

 

 アヤメも自身の周囲に青い妖気塊を4個展開する。ふよふよとランダムに漂いながら霊夢へ照準を合わせると、発射時間に少し緩急をつけてレーザーを奔らせた。

 青く灯る妖気塊から順次照射された青いレーザーが4本。アヤメと対峙する霊夢の体の中心目掛けて奔っていく。

 このレーザーの軌道は素直に真っ直ぐ伸びるもので、速度と勢いだけで相手へ向かう自機狙いのレーザー。

 緩急をつけられた4本のレーザーが少しの時間差で迫るが霊夢に焦る様子はなく、ちょいちょいと軸をズラしていくだけで余裕を持って躱した。

 

「いきなりとはご挨拶じゃない?」

「弾幕あるじゃない、あいつに嘘つかれたわ」

 

 あいつとは誰か一瞬考えたがあの黒白だろう、アヤメが弾幕ごっこをした相手はまだすくなく両手で余るほど。そのうちの一人があの黒白だ。

 異変解決に動く原色コンビだ、仲良く会話するような間柄なのかもしれない。

 

 言葉を交わし終えたアヤメは先程の青い妖気塊を同じように3個、そしてさっきは見せなかった赤い妖気塊も2個展開する。

 赤青交互に並びアヤメを中心に漂うと円を描いて霊夢を補足する。青からは先ほどと同じ発射時間に誤差のある青レーザーが照射され、赤からは中心を白く輝かせたレーザーよりも遅い赤い妖気弾がばら撒かれた。

 

 アヤメよりも下方を飛ぶ霊夢に向かい同じように奔る青レーザー、これを先ほどと同じちょい避けで霊夢は避けていくが、2本目を避ける時に速度の遅い赤弾が追いつき眼前で爆ぜた。

 爆発自体は小さなモノだが爆ぜて小さな弾幕になり飛び散る、アヤメにしては音と見た目が少し派手な事にほんの少しだけ関心する霊夢。

 レーザーを躱しきり、飛び散った赤弾幕も気にならないという様子で悠々とこれを避けた。

 

 お返しと言わんばかりにさっきの倍の破魔札が霊夢から展開されるが、これは先程と見た目は同じだが性質がちがうようでアヤメに向かい空中を翔けることはなかった。

 アヤメが破魔札の性能を考察し見極めようと少しだけ速度を緩めると、霊夢は破魔札を周囲に展開したままアヤメに向かい飛翔する。

 速度を緩めていたアヤメに追いついた霊夢が、指だけで小さな指示を出すと破魔札が一斉にアヤメに襲いかかる。

 奔る破魔札を確認しすぐに体を翻すが。一瞬早く霊夢が右手に携えた封魔針を投げ放ちアヤメに追撃を仕掛けた。

 

 アヤメの足を死角にして霊夢が迫るが、アヤメの妖気塊はまだその力を失ってはいない。後方へ飛翔しながら回避行動に専念するアヤメの周囲を回りながら、展開された青赤からレーザーと赤弾が発射された。 

 追撃を仕掛けた霊夢はこれに合わせるように上下へ高度を変化させ、近くで飛び散る赤弾幕を錐揉みしながら上昇し回避した。

 カリッという霊気の干渉音を鳴らしながら躱した霊夢が自身の放った破魔札を追うようにアヤメへと迫った。

 

 自身の弾幕が全て回避されるのを後方へと回避しながら見たアヤメに破魔札と封魔針が迫る。破魔札は同じ体の中心狙いの軌道、直撃する寸前に宙返りしどうにか回避に成功する。

 だが破魔札を避ける際に出来る隙を狙って放たれた封魔針の数本が肩口を薄く削る。だが命中したのは最初の数本だけで直撃はどうにか躱しほとんどを掠らせ回避する。

 アヤメの妖気から大きな干渉音と光が走り周囲にはカリカリという音が響いた。

 

「黒白より容赦がなくていっそ清々しいわ」

「退治するのに容赦もないわよ」

 

 違いない。

 一人愚痴るアヤメが再度妖気塊を展開する動きを見せると、それを制するように霊夢が仕掛けた。

 左手に掲げたスペルカード、宣言と共に提示される。

 

夢符『封魔陣』

 

 宣言すると霊夢を中心として全方向に赤い破魔札が現れアヤメの視界を埋めるように連続的に放射される。

 アヤメに迫りながらその軌道を変えて途中交差する破魔札、回避する隙間をどんどんと潰してゆく破魔の波。カリカリとけたたましく鳴る干渉音を振り払うよう気合で避けながら攻略法を探るため思考を巡らせる。

 回避を重ねていくと少しずつ霊夢の放つ破魔札の動きが捉えられるようになってきた。破魔札が一度軌道を変え交差してからは、再度交差する事も軌道を変化させる事もないように見えた。

 

(そうね。距離をとればどうにか)

 

 と、アヤメは新しく妖気塊を周囲に展開し後方ヘと翔ける。

 下がるアヤメを追うように霊夢から破魔札とともに全方位へ弾幕が張られるが、展開された妖気塊と相殺していくばかりで弾幕はアヤメの回避速度に追いつけずスペルの効果時間の最後を迎えた。

 

「さっさと退治されてよ、寒いわ」

「なら少し暖を取るといいわ」

 

 返答し煙管を取り出すと一枚スペルカードを掲げる。

 

煤符『緩煙侮難』(ばいふ・かんえんあなどりがたし)

 

 掲げられたスペルカード宣言が済むと、アヤメが携えた煙管に少し力を込め鋭く振るった。煙管の過ぎた軌道上には黒い煙がもうもうと沸き立ち霊夢の視界を埋めていった。

 けれど、でかでかと大きく育っていく黒煙からは少しの黒い弾幕が放たれるだけで、霊夢はそれを余裕で回避していく。

 大きく育ちきって霊夢の周囲へと広がった黒煙からも変わらず少しの黒い弾幕が飛んでくるだけで大きな変化は見られなかった。

 

――目眩ましだけ?

 

 さらに広がりを見せる黒煙は密度こそ薄くなっているが、いつの間にか霊夢の周囲にまでその広がりを見せている。

 大した攻撃もなく緩く静かに広がったため危険度が薄く感じられたからか、霊夢は取り囲まれるまで全周囲に煙が広がっていると気が付かなかった。

 煙をかき消すように霊夢が弾幕を放つが渦を撒くような動きをするだけで煙は晴れず視界は悪い、これでは霊夢からアヤメの姿が確認出来ない。

 ここからの次の手は・・・煙の動きを警戒し集中する霊夢に何処からか声が聞こえてくる。

 

「さぁ侮って巻かれた罰よ」

 

 

 それはアヤメの声。

 声の方向へ霊夢が視線を向けると、先端に炎を灯した煙管を咥えたアヤメが霊夢へとその炎を放つ瞬間だった。

 導火線を伝うように空中を奔る炎が黒煙に触れると、そこから小さな爆発が始まり連鎖式に多く大きく爆発を繰り返してはランダムに弾幕を垂れ流してくる。爆発音といまだ残る煙が霊夢の視界と耳を奪い弾幕が迫る。

 

――これくらい!

 

 爆ぜるそばから煙は薄くなり掻き消えていくが、まだアヤメの瞳にも爆発と煙が吹き飛ぶ映像しか写らず霊夢の姿を捉えてはいない。

 ただ、爆発と弾幕の合間にカリカリという干渉音が鳴るのは聞こえてくる。

 最後の爆発が起きて煙が綺麗に晴れると、少し煤けた霊夢がアヤメと睨み合うように浮かぶ姿があった。

 

「一泡くらいは吹いたかしら?」

「ほんの少しだけ驚いた、お礼にほんの少しだけ本気出すわ」

 

 アヤメのスペルに関心でもしたのか、少しだけ霊夢の瞳に熱い物が宿る。

 

夢符「二重結界」

 

 スペルの宣言と共に霊夢の側に博霊の秘宝・陰陽玉が現れ出る、8個ほどが周囲に展開されるとそのまま霊夢を中心として陣を敷きそれぞれが急速に回転していく。

 回転と共に白く光輝き力が集まるのを感じる、それを見たアヤメが身構えるが光は更に輝きを増して白と赤の混ざるピンクへと変わった。

 

――あれはやばい

 

 輝きが変色した瞬間にそう確信したアヤメだったが動くにはすでに遅く、アヤメの浮かぶ中域を包み込むように霊夢を中心点にした結界が張られた。

 

――周囲に結界‥‥逃げ道が潰された

 

 突如閉じ込められた事にアヤメは一瞬気を取られたが、すぐに冷静さを取り戻し結界の要となっている霊夢へ迫るが、それを遮るようにアヤメと霊夢の間にも結界が展開されていく。

 

――前も!? 

 

 前後の結界に阻まれて完全に動きを止めてしまったアヤメ、その硬直した瞬間に霊夢から紅白の渦巻く弾幕の滝が垂れ流される。

 

――あれに触れても結界に触れてもダメか!?――

 

 アヤメと霊夢の間にわずかにある結界の隙間で、渦巻き迫る濁流を渦の方向に逆らわずに翔けながら強引に回避していく。

 だが、前方だけに集中していたアヤメに後方から逆に渦を巻く弾幕の濁流が迫る。

 アヤメが一度は回避した弾幕が周囲の結界で反射して再度後方から迫り来る。 

 想定外の位置からも垂れ流される弾幕に慌てるも諦めずに回避を続けるアヤメだが、激流のような弾幕に押され次第に避ける事が出来なくなっていく。

 ついには避けきれず破魔札の波が体を掠めプスプスと煙を上げていくアヤメ。逃げ道も突破策もなくこれは負けると確信し霊夢を見た、丁度前方からの渦と後方からの渦が重なり逃げ場を失った瞬間だった。

 

――これは無理ね

 

 前後から迫る濁流と追加の弾幕の光の中、アヤメの姿は霞んで見えなくなっていった。

 

~少女帰想中~

 

 小さな身振り手振りを織り交ぜながら全身真っ黒に丸焦げにされたあの時の事をポツポツ話すと、ミスティアとマミ姐さんの二人に見つめられる。

 その視線が何故かあたしの顔ではなく、今は綺麗で愛らしい縞尻尾に向けられている気がして二人から隠すように背に回した。

 大丈夫、あの時のように真っ黒でボロボロではないと触れて確認する。

 

「自分のスペルカードでこんがり焼くつもりが逆に焼かれて真っ黒焦げなんて、アヤメさんらしくなくて可笑しいわ」

「霊夢相手じゃ仕方ないわぃ、儂も散々な姿にされたもんじゃ。よく無事じゃったな」

 

 女将のほうは事実そうなってしまっているから言い返す言葉もない、強いて言うならあたしは喧嘩の押し売りを受けただけのかわいそうな狸だったってとこを強調するだけだ。

 それよりもマミ姐さんの視線の先、あたしの肩からぶら下がる愛用の白徳利。

 無事か。

 確かにあの時紅白はこれを狙って喧嘩を売ってきたのだが、撃墜されて気を失い目覚めた時にも奪われたり乱暴されたような形跡はなく変わらずにあたしの側にあった。

 最後の弾幕を受けて激しく吹っ飛んだんだ、遠くに転がっていてもおかしくはないしまず紅白に奪われてなくなっていたはずだろう。

 それでも気絶したあたしの懐に収まっていた白徳利、何故奪っていかなかったのだろうか?

 

「わからないのよね、異変の後に顔を合わせても何も言ってこないし。追求すると取られそうだから何も言わないけど」

「まぁ、気にするな。結果無事ならそれでいいじゃろうて」

「結構美味しいお酒だから、味覚えたら狙われそうですよね」

 

 女将にそう言われて少しだけ鼻が高くなり徳利を小さく揺らす、チャプンと音を立てる徳利がいつもよりも誇らしげに見えた。

 同時にあの神社に行く時は必ず住まいに忘れて行こうと心に誓った。

 そういえば、あたしより先に撃墜されただろう冬妖怪は意外と近くにいたらしくて、お互い真っ黒になった姿を見比べて笑った。

 笑いついでにこんなに寒くちゃ寝ていられないわと文句を言ったら、私ももう眠りたいんだけど春が来ないから力が弱まらなくて、目が冴えて辛いわ。

 と困っているのかわからない微笑みを浮かべながら言っていた。

 

 レティさんと少し話すと、この終らない冬の原因は冬妖怪ではなく幻想郷に春が来ないから、ということだったらしい。

 それでもあのふわふわとした巫女が喧嘩を売って回っているんだ。放っておけばそのうちにこの異変も解決するだろうと思い、レティさんに周囲の寒さを少しだけ和らげてもらい真っ黒な二人で真っ白な景色を肴に雪見酒と洒落こんだ。

 

「それにしても‥‥異変に関わるのも珍しいんだろうけど、アヤメさんが格好悪く負けるのも珍しいわ」

「そうじゃな、こやつは負ける前に逃げるからのぅ」

 

「起こしたりしていないけど、巻き込まれてはいるのよね‥‥それに弾幕ごっこの時はいいのよ、遊びだしあたしの能力も使わないし。でも本気だと少しは格好いいのよ?」

 

 腕を肩から切り落とすような仕草をしておでこにお箸を立てると女将には伝わったのか、あれからどうなったの?挙式の話を聞かないけどと五月蝿くなってしまった。

 それを聞いていたマミ姐さんに鬼とちょっと激しい弾幕ごっこ(物理)をしたと伝えたら盛大に笑われた。

 

「なんじゃぃ、どうでもいい時は上手く逃げるくせに本気の時は逃げんのか」

「あんなのとやり合いたくなかったわ。でも、まだ取り決めの内だったからマシな喧嘩だったのよ」

 

「親分さんその時の話って聞いてますか?両腕がない時にどうやって飲み食‥‥」

 

 女将の口を摘んで塞ぐ、マミ姐さんに聞かれると更に笑われるだろう。

 狐と狸の色気のある話なんて。

 外の世界にいる頃も今もマミ姐さんは狐をあまりよくは思っていない、けれどその考えをあたしに押し付ける事はなかったしこれからもないだろう。

 当人が気安いなら生まれが何でも構わんじゃろうて、儂はまだ気に入る狐と会うてないだけじゃ。とはマミ姐さんの弁だ。

 

「しっかし懲りんのぅ、あのちっこい鬼で懲りると思うたが」

「あたしはコリゴリ相手はノリノリ、参ったわ」

「ちっこい鬼ってあの年中べろべろの鬼? あんなのとも喧嘩したの?」

 

 したかどうかと聞かれると、した。

 それも外の世界にいた頃の随分と前の話だが本気で狙われた。

 逃げても逃げても追いかけてきて逃げるのを諦めさせられたのはあの幼女が初めてだった。

 何度かこのままだと死ぬと感じた事はあるが、あの時は死んだと思った。

 

「そっちの話でも腕なくなっちゃったのかしら?」

「腕ってか身体半分くらい? ぁ消えるってこういう事なのねってわかったわ」

「喧嘩からしばらくしてもこやつが相手に売りつけた妖力が戻りきらんでな。人に化けられんで泣きついて来てのぅ、狸の姿だとこやつらしくないめんこい狸なんじゃよ」

 

 そういう事を言うとまた騒がしくなる女将の口を塞がなきゃならなくなるのだが、それをわかってて言ってるだろう。

 昔からそういうお人だ。

 それでもあたしの愛らしさをわかってくれる希少な身内だ、ここは素直にありがたい言葉として受け止めておこう。

 

「ねぇ女将、わかったでしょ? あたしが常々言うとおりに愛らしい狸さんだったでしょ?」

「なぁ女将、わかったじゃろ? こうだから『狸の姿だと』とわざわざ飾り言葉をつけたんじゃ」

「同じような事を同じような姿勢で言われても、どっちも説得力がないなぁ」

 

 二人並んで両手で顔を支えてカウンターに寄りかかっている。

 ちらりと見ると目が合って同時にゆらりと尻尾を揺らす。

 また目が合って、そして笑ってお猪口を空けた。

 化かす二人が馬鹿な話をだらだらと続けながらこうして夜は更けていく。




アヤメのスペルの説明を少し。
煤符『緩煙侮難』(ばいふ・かんえんあなどりがたし)
煤とはあの黒い煤(すす)ですね、煙はいつもの煙管からの発想。
爆発は粉塵爆発、黒いのは黒色火薬の色からのイメージです。
以前の話でボツになったスペルカードの一枚。
ボツ理由は綺麗じゃないから。



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第三十六話 縞尻尾の長い夜 ~三杯目~

さらに続いてしまいました、そしてまだ続くようです。


 竹林と人里の間で始まった妖怪の営む屋台で飲み語らう妖怪の宴会。

 その宴会は話題をコロコロと変えながらまだまだ続いている。

 時には昔の馬鹿話をしてその場の者達全員で笑ったり、時にはほんの少しだけ真面目な話をして一人の縞尻尾が細くなってみたり、取り留めもない話から昨今の妖怪事情、幻想郷事情など、彼女たちには酒の肴になれば何でも良かったのだろう、ジャンルを問わずに話しては盛り上がっていた。

 

 そんな少女達の風景に少しの変化があった。

 時間も随分と進んで時計の針が天辺から二回くらいは動いた頃に起きた小さな変化。

 夜の歩みと共に気温も下がってきて、少し前から冷酒から燗酒へと変わっていたようだ、屋台のおでん鍋とカウンターに並ぶお猪口からは薄っすらと湯気が立つようになっていた。

 暖かなお猪口を空けていく少女達。肴も随分前に出揃っていて、今は女将も屋台の長椅子へと移っており、小さな屋台の席は全て埋まることとなっていた。

 だらだらと飲み始めてから数時間、それでも雰囲気は相変わらず姦しいままで人妖どもの飲み会は続いていたがその風景にはまた変化が訪れていた。

 狸が二人に夜雀一人。

 しばらくはこの絵が変わらないままで騒いでいたのだが、いつの間にか頭数を一人増やしていて四人での酒盛りとなっていた。年の瀬も迫り寒さも厳しくなってきたこの時期に急激に需要が増える炭、八藤丸印の炭を里へと卸していた人間が里で過ごしたその帰りに顔を出してそのまま合流、という形だ。

 

 丁度話があたしの方に流れ始めた頃に合流してくれて助かった、少し前に昔話をしたものだから他にもなにかあるじゃろ? と姐さんに言い寄られて逃げ場を探していたところだった。

 これはいいところに来てくれたと、都合よく姿を表した友人に新しい話題を提供してもらう事にした‥‥のだが、どうやら現れたのはあたしを救う正義の使者ではなく、あたしをさらに追い詰める悪の幹部であったようで、意地悪な笑みを浮かべながら言い寄ってくる相手が増えただけになってしまった。

 ここへ来る前に里で一杯引っ掛けてきたのか、いつもよりも饒舌なその友人。あまり飲み過ぎて調子に乗ると頭が痛くなるわと言っても理解されず伝わることはなかった、後で告げ口してやろう。

 さすがに三対一では分が悪すぎる。

 そろそろあたしも聞く側に回りたいと思い皆の気を逸らし話を流そうとしてみたのだが、女将と妹紅はウマイこと気が逸れてくれたのに、隣に座る姐さんだけは雰囲気が変わらない。

 あたしの頭が上がらない相手だとしても、能力が効かないというのはそうはない、マミ姐さんでも無効化は出来ないはずだ、だというのに何故効かないのか、不思議なので様子を見てから聞いてみることにした。

 ついでに言っておくと、あたしの能力が効かなくなるのは今のところあの鬼の方の姐さんくらいだ。

 もっとも、あの鬼の姐さんの場合は効かなくなるというよりも姐さんの能力であたしの能力をぶち抜いてぶん殴るといった、無効化に近い力技だが。

 

 うまくあたしから気が逸れた女将と妹紅が二人で何か盛り上がっている時に、二人には気付かれないよう小声でマミ姐さんに少し聞いてみた。

 儂はアヤメを煽っているだけで話を聞けるか聞けないかはどうでもよい、だから気が逸れないんじゃろうなんて笑って言われてしまった。

 話が聞けるかなど本当はどうでもよくてあたしを気にはしていなかったのだ、逸れるものなくては逸らせない。

 簡単な話だった。

 スッキリと謎も解けて、二人で盛り上がっている妹紅達の話に聞き耳を立ててみると、どうやら妹紅炭の話で盛り上がっているらしく、ウナギ焼くのにもいいんですよなんて女将が言っていた。

 妹紅が焼いた炭だから妹紅炭。

 からかってもこたんと可愛く言ってみたことがあるが、本気で嫌なものを見る目で両腕には炎を宿したので、素直に謝り難を逃れたことがあった。

 あたしも以前に売り物にならない小さなもこたんを譲ってもらったことがある、高温で焼かれただろう固く、火のつきにくい竹炭だが一度火が付けばゆっくりと燃えて長時間保つ良い炭だった。

 まぁ、あたしの場合は燃やさずに和箪笥に着物とともに入れ込んで臭い取りと防虫に使っているが、その方面でも良い効果を得られているようで、もこたんが人気になるのもわかる気がした。

 結構な上品のもこたんだが、人里でも女将と同じように調理や風呂などの生活など広く使っているらしく、特に寒さ厳しいこの季節に長時間保つもこたんは風呂焚きで大活躍しているそうだ。

 そんなもこたん話で姦しくしていると、外の世界では炭も火もなく勝手に湯が出てきたりと便利になっとるよ、と姐さんからポロッと外の世界の話が出てきた。

 あたしも幻想郷に来る前は人間の生活を見ていたが、あたしが知っているのは幻想郷とほぼ変わらない生活模様、炭も火も同じように使われていた。

 姐さんの言うものは知らないし、それがどういった物なのかと少し興味を持った。

 

「撚るだけで湯の出る蛇口に、撚るだけで火起こし出来る調理台ねぇ。まるで魔法か妖術ね」

「人間は科学と言っとった。ほれ山の河童のあれに近い、河童連中のよりも特化しててな。それにしか使えない物も多いが便利な物ばっかりじゃった」

 

「普通の人間がそんな事出来るなら、あたしはただの長生き人間になっちゃうわね」

「さすがに道具なしで火は出せないと思うけど。それとその話題はもう話したわよ、妹紅さん」

 

 そうなの?

 という視線をあたしに向けるが、あたしはそれを話題にする事は出来なかった、また要らぬ喧嘩を売られては身がもたない、その話題は華麗に避けて別の物へと目を向けた。

 話をさっきの外の世界に戻し聞くと、外の人間たちは以前に山の神様が仰っていた新しいエネルギー源を使い、普段の生活を格段に便利にしているとの事だった、あたしが外にいた頃は電気が新しいエネルギーと言われていた、エレキテルを見つけてそれをどうにか制御し使えないか悩んでいる者を笑っていた時代だった外、たかだか数百年でそうも変わるものなのかと不思議に思った。

 

「そうじゃな、電気も作り方が色々あってな、燃やして作ったり水で作ったり。自分達で作ったのに制御出来ずに事故を起こして石の棺で閉じ込めて放置しての、時間任せで後始末出来てない。そんな変なのもあるのぅ」

「最後のはともかく、火や水から電気ねぇ。あたしが消されかけた蒸気機関ってのもそんなやつなのかしらね」

「アヤメさんが消されかけたって‥‥あああの大きな樽の実験?」

「蒸気なんて茶釜でお湯でも沸かしたの?」

 

 それはちがう狸さんだと一言で流しておいて、もう片方は放置した、思い出したくもないからだ。

 それよりも外の技術は色々あるんだなと、ひと通り関心していると姐さんが懐から何かを取り出した、くすんだ金属で出来た小さな鍵のように見える物、のこぎりのようにギザギザとした面とつるりとした面がある物だ。きっと外の世界の物だろうが、なんの鍵なのか判らずくすんだ銀色の鍵を見ていた。

 

「これも人間達が科学で作った物の一つでな。『軽トラック』という乗り物を動かすための鍵じゃ、人が二人乗れて後ろに荷台の付いた鉄の箱。それをエンジンという小型の動力機械で走らせる。便利な物の鍵なんじゃよ」

「けいとらっくねぇ。それにえんじん?動力ってことは馬や牛の変わりかしら?でも鉄の箱なんて錆びるし重いし不便そうね」

 

「それがの、特殊な塗料のおかげで風雨にさらされても錆びにくくエンジンの力だけで軽々動く。歩きや馬より早く遠くへ行くこともできる便利な物じゃった。欠点を上げるとするなら操作に慣れがいる事かのぅ、儂も動かした事があるが難しくて海に沈めてしまったわぃ」

「器用なマミ姐さんでそうなのにそれを人間が操るのね、ホント脆弱な癖に変なとこだけ賢いわ」

 

「脆弱だから賢いんじゃよ」

 

 狸二人で話していると女将と妹紅は静かに何か考えていたらしい、女将のほうはそんな便利なのがあれば屋台の移動も楽出来ると笑っていたが妹紅の方は昔を思い出していたそうだ。

 妹紅の思い出す乗り物なんて牛車か姫様くらいだろうに、後者は乗り物というより乗ってから上で暴れる物だが。

 

「乗り物といえば初めてアヤメを見たのは父上の牛車の中からなのよね」

「そんな事言ってたわね、あたしは見たのに覚えてないとかひどいって。妹紅だと知らなかったし気にもしてなかったもの、覚えてなくても仕方ないわよ?」

 

「いやそれはいいんだけどさ、その親分さんの沈めたって海のほうよ。海なんて聞いて懐かしいなと思ってさ」

 

 そういえばそうだった、幻想郷には海はない。

 あたし達は外出身で疑問に思わずに聞いていたが、女将にはわからない事かもしれない、そう思って女将を見たが特に疑問を持っているような顔ではない。

 きっとそこは女将にとってどうでもいいところだったのだろう、興味を持ったものに対しては強い関心を示しそれ以外はどうでもいい、その辺りは人に関わりながら暮らしていても変わることのない、女将の妖怪らしい面だろう。

 海なんていつ以来見てないのだろうか?

 海のような三途の川はいつでも見にいけるが、本物の海はこっちでは見られないだろうなと思うと少し残念に感じられた。

 海の幸は食べられなくもないのだが、あのスキマ妖怪にお願いでもすれば。

 あたしが幻想郷で鯛やヒラメを食べたのはいつだったか……不意に目が合った妹紅の顔を見て思い出した、あの終わらない夜の異変後、解決した後に馬鹿騒ぎする宴会での食事で食ったのだった。

 

「なに?そんなに見つめて?」

「いや、海の話から思い出したのよ。いたずら好きのうさぎさんの口車にノッてしまったせいで巻き込まれた異変の事」

「思い出しついでに話してみぃ、次に焦がされたのは巫女か? 魔法使いか?」

「魔法使いではあるけど、モノクロじゃなくて青金? の魔法使いだったわ」

 

 永遠亭が人里と交流を持つようになり幻想郷との関わりを始めた時のお話、天才医師が己の仕える姫様の為に起こした月がおかしくなった異変を思い出し始めた。

 

~少女回想中~




軽トラ便利です。


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第三十七話 縞尻尾の長い夜 ~四杯目~

あいも変わらず続きものです。
珍しく戦闘描写があります。


 綺麗に整えられた庭園から眺めるお月さんも趣があって良い。

 縁側に腰掛け見やると一枚絵のような静の風景の中に少しだけ見える動の景色。

 風に揺らされて小さく葉を鳴らす竹林。

 水面に月を落としもう一つの月を描く池も、ときたま吹く風に揺らされてその月見窓を不意に歪ませている。

 そんな月の水辺に佇む月の頭脳とお姫様。

 いやいやこれは良い風景を収められた、たまには他人の悪巧みに乗ってみるのもいいものだ。

 

 素晴らしい風景を眺めながらであれば、どんな安酒でも質の悪い煙草でもうまくなろうものだ、これだけでも呼ばれて来た甲斐があった。

 しかし本番はこれから、今夜は特別な月夜になるはずだ、きっとこの風景よりも素晴らしいものを拝めるに違いない。誘ってくれた事に感謝しないと、まさか朝の目覚めと寝起きの茶以外であの性悪ウサギに感謝する日が来ようとは思っても見なかった。

 

 ~毎日毎日何もせずに過ごして暇じゃないか?

  たまには一緒にイタズラ仕掛けてみないかい?

  それも今回はとびっきりのイタズラさ

  なんといっても主犯はあたしじゃない。

  あの月の頭脳が仕掛けるとびっきりのイタズラさ。

  近くで見たいと思わないか?

  おぉ顔つきが変わったね。

  いつもの眠い顔じゃない心躍るおもちゃを見つけた子供みたいだ。

  そうそうそれでいい。

  何をするのかは細かくは聞いてないよ。

  聞いたのはうちの姫様と鈴仙の為にちょっとしたイタズラをするって事だけ。

  少しの見物料は払ってもらうけど、一等席にちゃんと道案内するウサ~

 

 数日くらい前に唐突に聞かされたイタズラ大好きな兎詐欺からの誘い。

 普段ならこんな事を言ってくることなどはない。

 あたしがイタズラを仕掛けることなどないとわかっているから。

 てゐのイタズラにかかった獲物を眺めて笑う事はあっても、一緒になって何かをすることは今までなかった。

 

 ところが今回は話がちがう。

 あの八意永琳が自ら手がける大仕掛けだ、今回これを見逃しては後々後悔するとあたしの小さな好奇心が反応してくれた。

 何をしでかすのか?

 どんなものなのか?

 事の成り行きはどうなるのか?

 そんな事はどうでもよかった、なぜならあの八意永琳がイタズラするのだ。

 身内以外はどうとも思っていないあの女医が何を思って仕掛けるのか、それがとてもとても楽しみでたまらなかった。

 

 期待に胸踊らせて話題の女医を眺むと、その顔は空から主へと向き直っていた、何やら空を見上げながら怪しい術式を施していたが終わったのだろう、この身に浴びる月光が心地よいものに変化している。

 眺め見上げるしか出来ないものを変質でもさせたのか、やはりあの従者はただの医者ではなかった。

 姫様が永遠のお供とするのもわかる。

 二人も屋敷に戻ったようだしあたしも屋敷へと戻るとするか、お月様のおかげで周りも少しだけ騒がしくなってきた、舞台は整ったらしいし、後はこれから起きるだろう素晴らしい事に期待してゆっくり眺めることにしよう。

 

~少女移動中~

 

「どうだった? 師匠の手がけたイタズラ。悪くないだろう?」

「そうね、素直に来てよかったと思うわ。輝夜もてゐも楽しそうだし」

 

 煙管を携え一服中。

 会話の相手は今夜あたしをエスコートしてくれた幸運の素兎、因幡てゐ。

 今は今夜のデート相手であるこの兎と優雅に屋敷で休憩中だ、デートと言ってもお月見とはいかず屋敷の廊下に座って語らうデートだが。

 それでも今夜は場所など関係ない、今ならてゐにこの身を委ねてもいいとさえ思える。

 

 ぐうたらなあたしにわける幸運なんてないと言うが、今夜はまさしく幸運だ、いままでくれなかった分をまとめて寄越してくれたと思えるくらいにいい夜だ。何をしたのかは知らないし興味もないが、月が気持ちよくなり、あの永琳が真剣な眼差しを見せた、紛うことなき良い夜だ。

 

「それで、来るかわからないお客様はいつ御持て成しすればいいのかしら?」 

「慌てるなんてらしくないね、そのうち来るし来てから考えればいいのよ」

 

 今回の見物料。

 永琳のイタズラに釣られて訪れるだろうお客様を屋敷で一緒にもてなしてほしい。

 一言でいうならこんなところだ。

 実際にあの月を見るまではどんなお客様が来るか想像も出来なかったのだが、あれを見た今は少し予想出来ている。

 

 紫が来る。

 それも本気で。

 

 あの月自体はとてもいいものだ、見て美しく浴びて心地よい。

 まるでいつかの赤い月のよう、あれよりも随分と影響力を感じないのは永琳がそうしなかっただけだろう、まぁ今はそれはいい。

 贅沢を言うならば満ちすぎているくらいか、満月もよいがあたしとしては欠けたお月様の方が好みだ。風情がある。なんて見た目の話も今はいいか、問題はあの月の放つモノなのだし。

 魔力。

 今お月様より降り注ぐのはソレだ。

 あたし達妖怪の妖気や神様連中の神気、稀な人間の放つ霊気とは少しちがうが、少しだけでも十分に効果のある魔物や魔女の力。

 ちょっとぐらい浴びるだけなら気持ちが昂ぶり心地良くなる程度のものだろうが‥‥それがいつまで続くのかが問題だ。月が入れ替わり魔力を流すようになってすぐ、夜空に輝くお星様たちが動きを止めた。星が流れないということは空が流れないという事だ、つまりは夜が流れない、心地よい魔力の波動がいつまでも終わりなく降り注ぐ夜。 

 

 そんな終わりのない高揚感をこの幻想郷の妖怪達が耐えられるだろうか?

 力のある者なら問題ないだろう。毎日心地よく過ごして終わりだ。

 だが、魔力にアテられ魅せられてしまうような木っ端妖怪では到底耐えられるものではない、気が触れて暴れるようになるだろう。そうしてそのまま耐えられない妖怪達は幻想郷のルールなど忘れ去ってその気分のまま人を襲い、肉を食らう。

 人が減れば思いも減る。

 そうしてそれが長引けばこの幻想郷の危ういバランスが崩れ……

 幻想郷が幻想になる。

 あたしでも思いつく簡単な結論だ、あの紫が思いつかないわけがない。

 ならどうするか?

 その身の全力で原因を探り全霊で解決に当たるだろう、多少の死などお構いなしに。

 当然博麗の巫女やあの黒白の魔法使いも異変解決へと動くだろうが今回は規模がちがう、他にもお客様が増えるかもしれない、紫に関わりある者やこの月が目障りに映るような者達が招待状なしで訪れてくるはずだ。

 

 思いつくお客様を思い浮かべてみれば、どれもこれも厄介なお客様しか浮かばないが、今夜はそんなお客様を御持て成しせねばならない。高い見物料に思えるがまあいいだろう、風景を楽しめたし輝夜からも珍しくお願いねと言われてしまった。古い友人の頼みだ、断る理由はない。

 友人から頼られる事などまずないんだ、たまには役に立ってやるのも一興。

 

「てゐ、何かないの? 暇よ」

「まぁ見てなって。そろそろ面白くなるウサ」

 

 不満をぶつけるとこちらも見ずに何かを指さすてゐ。

 何があるのかとちっちゃなお手々の先に目を向けると、廊下の壁が奥へ奥へと下がっていき終いには見えなくなった、どこまでも床と襖が伸び続け奥には暗い闇しか見えない、これも永琳のイタズラの一つなんだろうか?

 答えを聞くようにてゐへ視線を戻すと、静かに答えを教えてくれた。

 

「これは姫様のイタズラ、なに、少し屋敷を広げただけさ」

「大工いらずで便利なものね」 

 

 輝夜の能力というと『永遠と須臾をあやつる程度の能力』ってやつか。

 新しい物が始まらず終わりを迎える事もない永遠と、誰にも認識される事がない須臾の時間を操る、輝夜らしい大袈裟で小難しい能力、それを使って屋敷を広げたというがあたしにはこれは認識出来ているしてゐも認識している。

 ならこれは終わりのない、永遠に部屋へとたどり着けない永い廊下ってところか、さっきまではいつも通りの廊下だったが、いきなりこうなったということは‥‥そうせざるを得なくなったという事だ。

 

「来客かしら?」

「そうみたいね、あたしはお客様のお迎えに行かないと」

 

「てゐ、年上が減るとあたしが年寄り側になるわ。それはイヤよ?」

「長生きには自信があるから大丈夫、いざとなったらとんずらするウサ」

 

 両手を頭の後ろで組んで足を投げ出しながら歩く妖怪兎の背中に声をかけると、いつも通りの調子で言葉が帰ってきて少し安心出来た。

 そのまま闇に吸い込まれながら小さくなる背中を見送り、煙管に葉をこめて煙をふかした。

 

~少女起動中~

 

 闇に消えたてゐを見送り静かな廊下で一人煙管をふかしていると、てゐの消えた方向とは別の闇からこちらへ向かい歩いてくる音が聞こえる。

 御持て成し相手は誰かしらと、音の方へと視線を向けると少しずつ姿がはっきりとしてきた。

 

「誰かと思えば、人里の人形遣いさんか」 

「魔法の森の人形遣いよ、何故ここにいるの?」

 

「お客様の御持て成しを頼まれてね」

「そう、なら案内してくれる? 魔理沙とはぐれて困っているの」

 

「あっちの心配は大丈夫よ、運が良くなってると思うから」

「なら私は不運ね、あなたじゃ道も尋ねられない」

 

「そうね、かわりにお喋りを楽しめるわよ?」

「あなたと話すと調子が狂う。魔理沙と合流させてもらうわ」

 

 互いの言葉を言い終えると人形遣いが構えを取る、しかし思っていたものとは少しちがう。

 スペルカードの枚数指定もないし、あたしにそれを聞くような素振りも見せない。

 周囲に浮かぶ三体の人形と同じような無機質な表情で構えて動かない。

 

「楽しく華麗に弾幕ごっこ、という雰囲気に見えないわ」

「あなたもわたしも人じゃない、ならこっちの方が手っ取り早い」

 

「そうね、でもいいの? 怖いスキマに怒られるわよ?」

「私と知られなければ怒られる事はないわ、それにここなら見つからない」

 

 ふむ、どれも正論だ。

『妖怪同士の決闘は小さな幻想郷の崩壊の恐れがある。』

『だが、決闘の無い生活は妖怪の力を失ってしまう』

 なんて紫は言っていたが、バレなきゃそんなものわからないか。

 今のこれを察知出来ているなら今ココにスキマがないわけがない。

 

 一つ、妖怪が異変を起こし易くする。

 一つ、人間が異変を解決し易くする。

 一つ、完全な実力主義を否定する。

 一つ、美しさと思念に勝る物は無し。

 

 とも言っていたがあたしが起こした異変じゃないしあたし達は人じゃない。

 ならどれにも当て嵌まらないか、中々言うじゃないか。

 そこまでして先を急いであの黒白にたどり着きたいのかね、あまり入れ込むと後で泣きを見るのは置いて逝かれる側だというのに‥‥

 

「可愛くて仕方がないのか、タダの世話焼きなのか」

「何が言いたいかわからないわ」

 

「わかるわ、自分の事って理解しにくいわよね」

「もういいわ。もてなしてくれるならお願いがあるの。死んでくれる?」

 

 言葉と共に人形達に命が宿る。

 アリスの左右に浮かんでいた二体が両の手に槍を携えて不自然な軌道を描きながらアヤメの眼前へと迫る。

 迫るそれを薄く笑ったまま迎えるアヤメだが構えて見せる事はない。

 体に触れる事なく逸れていくことがわかっているからだ。

 鋭い輝きを見せる槍がアヤメの両側から迫るが狙いの体を槍が貫く事はなく、人形達の体ごと左右に弧を描いて逸れていった。

 

――狙いが外れた? いや狙い通りに動いてズラされた? そういう能力?

 

 操者であるアリスがそう命じない限り人形が狙いを変えることはない。

 ならばアヤメの能力によって動きを変化させられた、アリスの考えは正しかった。

 だがアリスに次の考察をする時間が与えられることはなかった。

 アヤメから逸れて、何もない宙へと向かう人形にアリスが一瞬視線を動かした隙に、アヤメが床を這うような低い姿勢で迫っていた。

 警戒を取り戻したアリスが視線をアヤメに合わせると見上げるアヤメと目が合う。

 目が合っても表情は先程の笑みを浮かべたまま。

 薄い笑みがブレると視界にアヤメの背とブレた縞柄が映る。

 それを認識した時、アヤメの尾がアリスに向けて振り抜かれる瞬間だった。

 

――受けるのはマズイ

 

 アヤメを認識した瞬間に残していた人形をアヤメと交差する宙へとねじ込む。

 それに構わず尻尾が振りぬかれると人形が無数の部品と布切れとなり飛び散った。

 破砕された人形の破片を避けるよう片目をつぶり顔と首を腕で庇う。

 その瞬間にまたアヤメを見失う。

 

――消えた、何処に?

 

 消えてなどいなかった。

 回転し尾を振り抜いた勢いを殺すため、煙管を床に刺し強引に勢いを殺し屈んでいた。

 その場に残るアヤメにアリスが気がつけた瞬間、アリスの視界がブレた。

 煙管を軸に周り、再度勢いをのせた尻尾がアリスの右腕を撃ちぬいたのである。

 吹き飛び奥の襖へ衝突する事で止まるアリス。

 勝負は一瞬かと思われたが衝突し抜いた襖から抜け出すようにアリスは立ち上がった。

 アヤメの狙いは首を庇う腕。

 隙だらけの腹や足ではなく防御の姿勢にあった腕だった。

 

「ツゥ‥‥何のつもり?」

「加減される気持ちを知ってもらおうと思って」

 

 折れたのか、右腕をダランと力なく垂らしてアヤメに殺意を向けるアリス。

 対するアヤメは振りぬいた尻尾を軽く振り煙管を口に宛がっている。

 表情は変わらぬままだ。

 

「気に入らないわ、舐めないで」

「そうは言うけどもうボロボロよ?」

 

「舐めないで、と言ったの」

 

 言葉と同時にアリスの瞳がオレンジから深い緑へと変色する。

 変色しきると暗い光を灯らせる、瞬間周囲の空間がかすかに揺らぐ。

 揺らぎが大きくなると共に周囲に人形達が召喚され展開されていく。

 数え切れないほどの武装に人形がアリスを守るように広がりその空間を埋めていった。

 

「もう一度言った方がいいかしら?」

「言われてもやめないわ、死にたくないし殺しはしない。後で怖いから」

 

 誰に似せているのかアヤメの物ではない胡散臭い笑みをアリスは冷たく睨む。

 睨んだ瞬間に武装人形の武具が一斉にアヤメに向き人形達が突撃した。

 アヤメの数倍に及ぶだろう人形の軍勢がそれぞれの獲物に殺意を込めて迫る。

 だがアヤメは先ほどと同じように余裕を見せたままで、動こうとはしない。

 

――あの能力、まずはそれを見極める

 

 槍を構えた人形達をアヤメの心臓一点に向け走らせる。

 けれど人形達が互いに当たらぬよう花開いたように周囲へ逸れていった。

 花開く人形達に合わせるように両手に剣を構えた人形達がアヤメを囲う。

 まるで人形で作ったドームのよう、そのまま中央のアヤメへと突撃するがドームのままに突き進むそれも、さきほどと同じく開花するように外へと逸れてしまった。

 

――同じ動き、あいつから弧を描き逸れていく

 

 一つの答えを導き出したがそこからが本番。

 まだ仮説を立てただけで正しいかはわからない。

 そうだった場合の攻略法を思いつかなければならない。

 出来る事考えつく事を試していくしかアリスには出来なかった。

 思考を整え冷静さを取り戻す。

 まずは発動を見極める、逸らすで正しいのか。何を逸らすのか。

 意識せず常に逸れるのか。狙った物だけを逸らすのか。全てを逸らすのか。

 

 散れ、と人形達に命を下すと表情のない人形がアヤメの全周囲へと奔り浮かぶ。

 まずは数体、先ほど避けられた槍の人形三体を奔らせた。

 真っ直ぐにアヤメに向かうと一体は今まで通りに逸れる。

 一体はアヤメの足元へと突撃し、残りの一体はアヤメの肩の上を真っ直ぐ抜け尾で破砕された。

 地に突撃し体のほとんどを埋めた人形をアヤメは見ることもなくパキャンと踏みつぶした。

 

――やはりそうなのね

 

 さっきまでの一方的な攻防にみえる行動だったがアリスはここから答えを探していた。

 まず『逸れる』は概ね正しいという事。

 心臓狙いは逸れて最初から狙いを外していた二体はそのまま、『外す』や『ズラす』であれば三体とも狙いを外すかズラされているはずだろう。

 次に肩を越え破壊された人形、これも狙いを外さずに『真っ直ぐ』進んだ。

 曲げられたり弾かれた様子はなかった。

 最後に埋まる人形、これも狙い通りアヤメの足元へ突撃した。

 これらの点を踏まえて考察すると、この場で起こされる現象は『逸れる』という言葉が当てはまるだろう、アリスはそう結論づけた。

 眼前で余裕を見せつけるつもりなのだろう煙管をふかし煙を漂わせるアヤメへと、答えを得たという思いを込めアリスは睨む。

 

「謎解きは済んだ? 人形遣いさん?」

「ええ、加減してくれているおかげで」

 

「そう、じゃあ答え合わせをしないとダメね」

 

 言葉と共にアヤメの姿がブレて、周囲の人形が五体をバラされた。

 愛らしい人形から壊れた部品の姿へと変えられていく。

 尻尾を振るいその勢いのまま煙管も振るうとアヤメの周囲で警戒していた人形が砕け爆ぜた。

 破壊された人形で動ける物を盾にしアリスは陣形を整える。 

 アリスの周囲に配置し外敵から身を守るよう、アヤメを見失わないように隙間を空けた陣形に組み変え展開させる。

 

「あたしは殺されるんじゃなかったの? 守っているように見えるけど」

「すぐに殺す、今ではないだけ」

 

 アリスの精一杯の強がりから出た方便。

 能力や作用はある程度目星をつけたが突破する方法が思い浮かばない。

 そもそも考察通りなら人形での攻撃や物理的なダメージのある魔法は逸れていく。

 攻め手のないアリスの思いついた精一杯の精神攻撃だったが・・・強がりからの方便などアヤメに効果があるわけがなかった。

 

「じゃあいつまで待てばいいの? 異変の終わり?」

「それでは‥‥意味が無いわ」

 

 アリスは現実に引き戻され焦りを感じた。

 今は異変中、それも異変の中心部でパートナーとはぐれた状況だと。

 睨み合いを続けていられるほど時間の余裕などもない。

 それに思考の隅の追いやっていたが不意に意識を呼び起こされたからか、共に異変解決に出たパートナーの無事が気になり始めてしまい心の余裕もなかった。

 

「普段見せない表情ね、あっちは運がいいから大丈夫と言った気がするけど」

「あの子は悪運ばかり強くて安心は出来ないわ」

 

「フフッなんだ、面白い事も言えるんじゃない」

 

 クスクスと笑い煙管の火種を落とすアヤメ、その瞬間煙が立ち上りアヤメが増える。

 四体に増えたアヤメがアリスの人形壁へとおもいおもいに奔りだした。

 突如複数に増えた狡い難敵に一瞬戸惑いを見せるも警戒は解いていない、人形へ送る魔力を滾らせると反撃に移る。

 二体のアヤメは人形を気に掛ける様子なく真っ直ぐにアリスへと向かい、もう二体は空間を利用し壁や天井で反射しながらアリスへと迫る。

 アリスの人形達の間合いに近い二体のアヤメには攻撃の意志を込めた人形を配し、盾を構えた残り僅かな人形を周囲に展開し反射し迫るアヤメへと構える。

 

――どう来る?

 

 まずは間合い近くまで迫る二体、人形など見えていないように突貫してくるアヤメを迎え撃つように剣と槍を突き立て抗う。

 しかし、剣も槍も無視しそのまま突撃するアヤメ。

 多数の人形達の獲物をその全身に受けハリネズミになると人形もろとも大きく爆ぜた。

 

――自爆!?    

 

 予想できないことではなかった、アリスも人形を自爆させ攻撃する事があるからだ。

 だが予想は出来ていなかった、分身といえど自分と同じ姿の者をなんの感情もなく爆破させるとは思わなかったのだ、悪趣味だとアリスはアヤメを嫌悪した。

 しかし手駒のほとんどが潰され残る手勢は防御用の盾人形のみ、ただでさえ少ない攻め手をさらに減らされたがアリスはここで攻め手を打つ。

 

 まずは、移動。

 目的地は地に埋まったままで肩だけが踏み潰された、まだ使える人形の場所。

 アリスの描く攻め手とはアヤメにやられた攻め手、自爆狙いだった。

 とはいってもアリス自信が分身のアヤメのように自爆するわけではなく、埋まり動けないように見える人形を自爆させる手だ。

 アリス自信も傷つくが位置取りで最小限に出来るし覚悟も防御も出来る、不意打ちになるアヤメよりもダメージは少ないはず。

 インドア派で肉体的に強い方ではないアリスにしては随分と物騒な攻め手だった。

 

――まずは釣り出す

 

 移動を開始するとともに防御人形を一体のアヤメに向け展開する。

 アヤメの性格を逆手に取る動きだった、あの性格の悪い狸ならこの人形も破壊し更にアリスに力の差を見せるだろう、と。

 盾を構え突進行軍する人形達、一体のアヤメに触れるとアヤメと人形達が合わせて爆ぜてアヤメだけでの爆発よりも大きな炎となった。

 アリスはこれを予想し動くが、アヤメは盾を捨てた敵対者に一瞬惑ったために速度を落とす。

 移動のための一手を成功させ無事目的地へと到達した。

 

――もう一度釣り出す

 

「まるで私が予想外の事でもしたような顔よ? 一杯食わせることができたのかしら?」

「予想外だけど想定外ではないわ、少し関心しただけ」

 

「関心?」

「意趣返しなんて面白い事をするな、と」 

 

「ならもう一つ見せてあげる」

「じゃあ期待するわ」

 

 余裕のある言葉を吐き終えるとアヤメがふわりと舞い空中からアリスへと突貫する。

 

――釣れた

 

 ここまではアリスの狙い通り、最後の詰めを誤らなければ勝てる。

 小さな確信を得ると爆破への覚悟を済ませアヤメに対して身構えてみせる。

 アリスの構えを気に留めず速度を増してアヤメがアリスの眼前へと迫り煙管を振りぬく瞬間。

 

 床に埋まったままの人形が輝きとともに爆破された。

 

~少女爆破中~

 

「仕留めきれた?」

 

 立ち上る爆破の煙の中一つの声だけが響く。

 爆破の瞬間に自信の防御へと魔力を回して爆心地にいながら直撃を避けてみせたアリスだ。

 だが直撃を避けたとはいっても防ぎきれず、垂れ下がった片腕は全てが血濡れで、その身に纏う青い洋服も血を滲ませている。

 しかしその身を犠牲にした攻撃は成功したらしくアヤメの姿は綺麗に消え去っていた、血を飛び散らすこともなく。

 なにかおかしい、アリスが違和感に気が付いた瞬間。

 

「もう少し自愛の心を持つべきよ」

 

 アリスの腰に方手を回し首すじにも片手を添えて、まるで無傷のアヤメが現れた。

 

――無傷? そんなはずは? 何故?

 

 覚悟を決め魔力を防御に回したアリスですら血を流さねば耐えられないほど至近距離での爆破。

 それなのに爆破の瞬間まで防御する素振りなく完璧な不意打ちとなったアヤメが無傷で今アリスの首に手を掛けている。

 傷つき消耗したアリスの思考ではうまく考察しきれなかった。

 

「答え合わせ、ハズレね」

 

 アリスの細首を掴む手に少しだけ力を込めると、アリスは一瞬の抵抗を見せるがすぐに気を失い力なく崩れかかる。

 糸の切れた人形のようなそれを抱きとめると、優しく床に寝かせて静かに離れアヤメは永く続く廊下の闇へと紛れていった。

 

~少女帰想中~

 



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第三十八話 縞尻尾の長い夜 ~〆の答え合わせ~

~少女帰想中~

 

「という感じで人形遣いを手厚くもてなして、また待機位置に戻ったらいつの間にか異変は終わってたのよ」 

「アヤメ話を盛ってない? あの宴会で見たあんたは無傷どころかボロボロだったじゃない」

 

 人が折角格好いい感じで話を〆たのに余計な事を追加する蓬莱人、それでもあたしは話を盛ったわけではない。異変の最中は話した通りなのだがその後、異変が解決されて屋敷が元に戻った瞬間に発見された人形遣いの姿を見て相棒が激昂しそのまま弾幕ごっこに突入したのだ。初の弾幕ごっこの時のように加減されたものではなく、鬼気迫るものが見え隠れした黒白の本気で攻められて為す術なくボロボロにされた。

 

 いつもの黒白なら弾幕ごっこの後は快活に笑い、勝ちを自慢するように話しかけてくるのだが、今回はそんな事はなく永琳に預けた人形遣いのところへすぐに戻っていった。てっきり人形遣いの方の一方的なものと思っていたが、黒白の方も思うところがあるのだろう、パートナーとして異変解決に当たるくらいだ。気の置けない仲なのだろう。

 

 確かに人形遣いがああなったのはあたしのせいなのだが、互いに納得してのものだ。

 それなりの説明をすればあの黒白も理解はしてくれたのだろう、でもあたしは特に言い返すこともなく怒りに任せた弾幕ごっこを受けた。頭で理解は出来ても心で納得は出来ない。言葉だけで納得できるほどあの黒白は大人ではないだろう、異変という大事を解決してみせる実力はあるが良くも悪くもまだ幼さの残る少女だ。つまらない鬱憤なんぞ持っていても辛くなるだけ、今なら貯めこまずにすぐに晴らせるのだからそれに付き合うのも年長者の役割というものだろう。

 

 黒白に撃墜された瞬間。

 もしかしたらこれも見物料に含まれていたのかもしれないな、と少し考えた。

 

「出来ればドンチャン騒ぎの前に着替えたかったんだけど、スキマがダメって言うのよね」

「笑いどころが一つ増えただけじゃ、気にもしてない癖にしおらしく語るもんではないぞ」

 

 あの時のあたしの姿を思い出して笑う妹紅と女将とはちがって、マミ姐さんは穏やかな笑みを浮かべながらそう話してくれる。話しの全てを語らなくてもなんとなく通じるものがある相手に恵まれて、あたしは意外と幸せ者なのかと思った。

 あのイタズラうさぎのおかげなのだろうか、それとも別の何かがこうしてくれているのか。

 酒の回った頭で考えても答えは出ずにモヤモヤするだけだったため、今はいいやと酒を煽った。

 

「そういえば正解はなんだったの?」

「うん?‥‥あぁ人形遣いに言った事?」

 

「アリスさんは能力に気が付いたような話だけど」

「能力については正解ね。知を求める魔法使いだけあってすぐに気づいたのには素直に感心するわ、でも能力だけ見て他が疎かになった。結果、読みをハズして血塗れになったってとこね」

 

 あたしの見せた能力を攻防しながら考察し正しい答えへとたどり着いた、それだけでもあの人形遣いが戦闘中にどれほど冷静にいたかがわかるというものだ。惜しいのはあたしが化け狸だという事には気を回せず、化かされるかもしれないという意識を逸らしたままに戦ったこと。攻め手を見せるならそれ以外に見せない手も持っていないといつ何に足を掬われるかかわらない、年季や実戦経験の差が出たものかもしれない。

 

「じゃあアヤメさんの言う正解はなんなの?」

「そんなの簡単よ? あたしを倒せたなら正解、わかりやすいでしょ?」

 

「趣味が悪いのぅ、シバき倒して口の聞けない相手に答えは聞けん。なら正しい答えはなんだったのか? 考察は正しかったのか? と悶々とする事になるじゃろ、そんなんだから面倒だとか厄介者だとか言われとると自覚しとる……から厄介者なんじゃな」

 

 語らなくてもう今どんな視線を向けられているかはわかる。それがおかしくてクスクスと笑うと更に視線がひどいものへと変わった気がしないでもないが、まぁいい、どうしても気になるのならあの人形遣いはあたしに直接聞きに来るはずだ。

 アレも知を求める種族だ、一時の恥など気にもしないだろう。

 

「そういえば、見物料は払ったのに異変の一番盛り上がるところを見てないけど良かったの?」

「最初と最後にいいものが見られた、十分な見どころがあったのよ。それで満足」

 

 異変の前まだ変化のない月を見上げ冷たい眼差しを見せた永琳、あれはいつも通りの眼差し。

 だが、何かの術式を施して輝夜へと向けた眼差しはいつも以上に冷えた、なにか張り詰めたような瞳に思えた。それまでにも何度も永遠亭にお邪魔して輝夜や永琳とは顔を合わせて話したが、あの永琳の瞳から感情が伺えるような事はなかった。死も終わりもない変化のない人間の見せた小さな変化、それを見られただけでも見物料を払う価値は十分だったのだが、月が戻ってしまった時とその月を戻した犯人を知った時の表情もまた秀逸だった。

 

 月が戻り魔力を放つことがなくなると永琳は不安と決意の混ざったような表情を見せた、あの表情は鬼気迫るものでそれこそ身内以外、異変解決に来るお客様も含む全ての外敵に対して向けられた八意永琳の決意に思えた。固く何かを誓う表情も美しく良かったのだが、それよりも異変解決後の宴会の場で紫から聞かされた、あの月を戻したのは守るべき主だということがわかった時の表情が秀逸だった。

 私の決意は何だったのかという呆れと何かの安堵感、輝夜に穏やかに微笑む永琳をその時初めて見ることが出来た。

 

 宴会からしばらくたってから永琳が話していたことだが、あの異変は来てほしくないお客様から身内を守るために起こした異変だったらしい。永琳が守る範囲にはいない身内でもないあたしを釣って動かしたのは、異変解決に来るお客様相手もそうだがもしもの場合の手駒としても考えての事だったそうだ。あたしが断る事は考えなかったのかと問い詰めると、その時は輝夜からお願いさせれば来るだろうし、それ以外にも手はあったのよなんて笑いながら話してくれた。もし輝夜のお願いを断っていたら何をされたのだろうか?

 少し気になったが壁に並ぶ色鮮やかな薬品を見ながら話す永琳に、それ以上を詳しく聞く勇気はあたしにはなかった。

 

 そういえばここまで話をしていない永遠亭の小間使いだが、てゐとはちがうお客様のもてなしをしていたようでナイフ怖い赤い目怖いと異変の後の宴会の場でも怯えていた。

 怯える鈴仙の視線の先には赤いお屋敷の主従が座り巫女達と何か話す姿があったが、鈴仙を気にする様子はなく宴会を楽しむ姿しか見えなかった。

 

「全部聞くと巻き込まれたってより、自分から巻かれに行ったみたい」

「普段の面倒くさがりなアヤメらしくないね」

「こやつは楽しめればなんでもいいんじゃ、少しの面倒でそれよりも楽しめるとわかればいいんじゃろうて」

 

「まるであたしが病んでいるような言い草ね、否定しきれないのが悲しいところだけど」

 

 人の思い出話に散々な事を言う友人達だが、その表情は皆笑っているのでこれもまあいいかとまた飲み始めた。お猪口を空けて景色を見ると少しだけ東の空が明るくなってきていた。

 

 今日もいつものように朝帰りだ。

 これで住まいに戻った頃に『今日もまた朝帰りか』といつものイタズラ兎が来れば少し面白い、そう思い、煙管から煙を漂わせた。  




幽冥の住人組なんてなかった。
ごめんなさい幽々子様、でも妖夢のショットが扱いにくいのです。


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~日常~
第三十九話 不思議の国の


たまに昔を思い出すことってある、そんな話。


 綺麗に整えられた寝床で朝を迎える、住み慣れた穴蔵へと差し込む柔らかな朝の光。

 その光を求める様にゆっくりと外へと向かい歩みを進める。

 穴蔵の出口に建てられた小さな祠。

 鳥居もなく小さな切妻屋根だけが備えられた質素なモノ。

 そこにはこの祠に住まう者を崇める人間が供えたのだろう二本の団子。

 それを手に取り頬張りながら住まいの入り口で背を伸ばす。

 目を閉じ両手を空に投げ、つま先立ちになり体を完全に伸びきらせると少しだけ震えが来た。

 伸び切った体に入った力を緩めたタイミングで腰の辺りにポフンと小さな衝撃が走る。

 視線を落とすと黒髪を揺らし腹に顔を埋める童子。

 

 とても懐いているのだろう、笑顔で体に抱きつかれ離れる様子のない童子の手を取ると、この穴蔵から広がるように作られた麓に見える町まで歩いて行く。

 こちらの顔を見上げながら、いつもそうしているかのように自然に笑い声を上げてはしゃぎ幸せそうな顔をする童子。それを当たり前の者のように見つめている。

 町の入口を過ぎ通りを歩くと、皆が皆こちらを見ながら声をかけてくる。

 誰も彼もが穏やかな表情で心地よく感じられる。

 少しひらけた場所に出るとつないだ手を離し童子が駆けてゆく。

 先へ進むと早く来てとでも言うように手を振ってくる童子。

 手を振る童子に向かい小走りで走りだすとそこで視界がぼやけ、少しずつ白に包まれていく。

 手を伸ばすが童子に届くことはなく、そこから何も見えなくなった。

 

 

 少しずつ視界が戻る。

 何もない黒から少しずつ白んでいき段々と輪郭をはっきりと捉えられる景色が見えてきた。

 見慣れたような見慣れないような、あやふやな気分で曇り空を見上げて目覚める。

 朝から蝉が鳴いて随分とうるさい、頭をかいて周囲の木を睨みながら視線を流す。

 ボリボリと音が出るほど強めにかいていると不意に手を取られ止められる。

 大きなゴツゴツした手、不意に止められても不快感のない暖かな手。

 手から腕、腕から顔の方へと視線を見上げていくと優しく笑う男の顔が見えた。

 蝉がうるさくて寝られないと文句を言うと、笑いながらもう起きろと抱き起こされる。

 抱かれてそのまま体を預けるが、男の体は揺らぐことなく優しく受け止めてくれた。

 そのまま軽いくちづけを交わし、すぐに出かける男を見送った。

 遠ざかっていく小さい背を見送りながらまた視界がぼやけ白く包まれてゆく。

 童子の時とは違い追いかける事は出来ず、俯き立ち尽くすことしか出来なかった。

 そのまま、また何も見えなくなっていく。

 

~少女覚醒中~

 

 紅茶の香りで目を覚ます。

 嗅ぎ慣れたものではなく知らない香りだが、どこか気分が落ち着くような妙な懐かしさの感じられるいい香り。

 匂いに釣られ体を起こすが、起こす際に掛けられていたタオルケットをソファーから落としてしまう、言葉を発さない二体の人形が動きそれを拾い上げてくれた。

 白いポットを持ち慣れた手つきでカップに注ぐ別の人形、ソーサーをあたしの手元に運び終えると次も一連の作業だというようにカップを持ったまた別の人形が寄ってくる。

 

 表情も変わらず言葉も交わすことはないが、次はこれと動きや仕草で示してくれる給仕隊の面々。小さく可愛い物がせわしなく動きまわるこの空間を楽しみ、注がれた紅茶を口にふくんだ。二口ほど飲み周囲に目を配る、表情を変えない人形たちが踊るように動き様々な家事をする姿。

 何も言わずにそれを見つめていると奥の部屋から声が聞こえてきた。

 

「お目覚めね、良い夢は見られたの?」

「おかげ様で。もう二度と手に入らない物を見られたわ」

 

 拾い上げられたタオルケットを人形から受け取り椅子にかけると、あたしが体を預けるソファー横の椅子に腰掛ける。慣れた手つきで人形から受け取った紅茶のカップに口をつけると、カップをまた人形に預けて手元に持つ見慣れない薬瓶を小さく振った。

 服用しそのまま眠りにつけば良い夢が見られるという八意永琳特性の秘薬、胡蝶夢丸。

 その薬を魔法の森の人形遣いが持っていると聞きつけて譲って欲しいとお願いしてみると『ここで使うなら構わないわ、それといつかの答え合わせもしてくれるなら』

 という条件で譲ってもらうことが出来た。

 答え合わせをする間のアリスの顔も中々楽しいモノだったが、ここでは割愛しておこう。

 あとで黒白にでも話した方が面白い。

 

 それで夢の新薬胡蝶夢丸だが、わざわざここへ来て譲ってくれとお願いしなくても永琳に言えば作ってくれるとは思う。

 だが、永琳にお願いした場合ここでの条件よりもいささか面倒な事になるだろう。あの女医の事だ意地の悪い事を言ってくるに決まっている。ならこっちのほうが楽、そう考えこちらに来てみたわけだ。

 

「良ければ内容を聞きたいけど」

「そうね‥‥もしかしたらそうなれた、けれどそうはならなかった。そんな内容」

 

 あたしの感想に納得したのかしていないのか表情も変えず話を聞く少女。

 冷たく光る青い瞳でこちらを見つめたまま動きを止める。

 その瞳からは感情や心の機微といったものを捉えにくいが、彼女は先ほどまでの人形ではない。

 話せば話すし面白い事があれば笑う、ただほんの少しだけ感情を表現する力に乏しいだけだ。

 アリス・マーガトロイド。

 魔法の森に一人で住み手製の人形に囲まれて暮らす、魔法使いの人形遣い。

 

「仮定の夢ね。それはいいものなの?」

「わからないけど‥‥そういうものになっていても良かった。そう考える自分は確かにいるわ」

 

 素直に述べた。

 きっとあの夢の中のあたしはあの暮らしを良いものと感じて過ごしていたのだろう。

 あの童子や町の人々、あの男。

 彼らを見つめるあたしの表情や感情はとても大事な者を慈しむようなものだった。

 けれどあの夢の通りにはならなかった。そうはならなかった。

 でもそれでも良かったと考える自分がいる。

 今は友人と呼べる者もいるし、友人と呼んでくれる者もいる。

 それが心地よいと思えるし、こうなって良かったと感じている。

 あの時のように失うのはイヤ。今を失うのが怖いと思うあたしがいる。

 

「ではなぜ泣いているの?」

「そうね、昔よりも今のほうが幸せだという事に気が付けたから」

 

 もう手にはいらないものを思うものではなく失いたくない今の為に流すもの。

 頬を伝うこれを存外悪くないと感じているし、今流すモノをこの人形遣いに見られても特に恥ずかしいとは思わなかった。

 聞いていた通りにいい夢が見られたと伝え、紅茶を口に含み正面の人形遣いを見ると目が合う。いつもなら目が合ってもすぐに視線を逸らすこの口数の少ない人形遣い、今日は視線を動かさず真っ直ぐに見つめてくる。何か言いたいことがあるが、それを何から言葉にすればいいのかわからない。

 そんな目に思えた。

 

「アリスが見る夢は、いい夢ではないのかしら?」

「わからないわ」

 

 

 あたしは少し考えてそう自分に言い聞かせた夢の結論だったが、この人形遣いはすっぱりと言い切れるのか。同じ薬だ、きっといい夢は見られているのだとは思う。それでも曖昧にわからないと答える彼女があたしにはわからなかった。

 

「いい夢を見せる薬を飲んで見る夢がいいものかわからない? なら薬なんてやめたら? それとも拘る理由がほかに何か?」

「わからない夢をわかりたいから薬に頼っているわけじゃないの。薬を飲んで見た夢の後に今の暮らしを考えて、夢よりも今がいいものだと思いたいのかも」

 

 今に不満がある、というわけではなく今の満足や安心を再確認したいということか。

 何をそんなに不安に思うことがあるのだろう?

 聞く限りだが友人もいるようだし、人里での人形劇も流行っている。

 劇の途中にも終わった後の拍手にも笑顔で答える彼女を見た事もある。

 薬を使ってまで確認したいものがなにかあるのか?

 

「何か確信を得たいのかしら?」

「確信ほど強いものじゃなくていいの。ただ、私が今幸せだと少しでも実感出来ればそれでいいの」

 

「今幸せではないの?」

「それなりに幸せよ、でも‥‥こうしてここで人形を造り日々暮らすアリスと、別の世界で楽しそうに微笑んでいるアリス。どちらが幸せなのかわからないの」

 

 別の世界というのはなんだろう、外の世界?

 話しぶりからするともう一人アリスがいる。

 もしくは別の世界で今ここにいるアリスが違うアリスになっている、くらいか?

 

「別の世界がよくわからないけどアリスは複数いたかしら?」

「いいえ‥‥あっちのアリスも今のアリスも私なのよ、この世界では魔法使いの人形遣い。あっちでは創りだしてくれた母と楽しく遊んでいるの。あっちでの感情も嘘だとは感じられないし、今こうして話す私が感じる気持ちも偽物だとは思えない」

 

 一つの精神で二人のアリス、ちぐはぐな肉体と精神が揺れているって感じだろうか。

 なんというか難儀な体、いや精神?

 まあどちらでもいいか。

 薬でこっちの世界を見たいということはこちらでの暮らしを大事にしたいということだろう。

 それを悩み事のように言うがなんとも贅沢で羨ましくて……妬ましい悩みだ。

 

「どちらも幸せなアリスがいる、そしてどちらも選べない?」

「選べないわけじゃない、私は今に満足しているの。それでも夢のアリスは母と共に幸せそうに笑い過ごしている、どちらが幸せをより実感できているか・・それが気になるだけ」

 

 今に満足していると言うのだ、すでに結論は出ている。

 なら少し愚痴をこぼしたいだけか。

 薬のお礼もあるから少しくらいは付きあうが愚痴というより自慢話に思える。

 現実の自分が夢の自分に嫉妬する、パルスィが聞いたら嫌な顔をしそうだ。

 それともこれも妬むのだろうか。

 一人のくせに二人分の幸せに甘えられて妬ましいわ、なんて。

 

「夢のアリスは幸せに笑う、でも今のアリスはそれに悩む‥‥夢のアリスが私を見てどう感じるのか‥‥それがわからない」

 

 別のアリスから見てどう感じるのか知りたい。

 けれど知る方法がないため薬を使い幸せそうな夢のアリスの姿を見て悩み考える。

 いくら考えたところでわかりようもないことだと思うが、そこまで思い悩むことだろうか。

 夢なんて過去を思い出しているかそうありたいと願って見るか、それくらいのものだろうに。 

 なんにせよ、夢も現もどちらも幸せを感じられるならそれでいいとは考えないのか?

 学び蓄える種族は知識に対して貪欲過ぎる、自分でもよくわからない事を理解し得たいとは‥‥やはり贅沢な悩みだった。

 

「悩むことでもないでしょうに、どっちも幸せなら二重に美味しい‥‥それだけよ。夢のアリスが今のアリスを見てどう感じているのかなんて夢のアリスにしかわからない」

「そうだけど‥‥それでも知りたいと考えるのはおかしい事?」

 

「おかしい事じゃあないけど知ったところでどうなるの? 夢のアリスが羨んだら自慢するの? それとも蔑まれてたら泣くの? どっちにしろアリスの自慢話ね、妬ましいわ」

「辛辣ね‥‥でもそうね、どちらも幸せなら両方を大事にすればいいのよね」

 

 地上には来ることがない友人の言葉を使い笑ってみせると、どうやらうまく思考を逸らせる事ができたようだ、万能な言葉よね妬ましいわ。長い考察をする事自体は嫌いじゃあないが、他人の幸せそうな自慢話を長々考えてやるほど人がいいわけではない。

 自慢にもそろそろ飽いていたし方便でもなんでもいい、他の考え方を伝えてみて一人で何かに納得でもしてもらったらいい。そう思い少しだけ煽ってみると、何か思い当たる節があるのか一つの結論を出したらしく気にする素振りはなくなり弱く微笑んでくれた。

 わからないものに頭を使うならわかる範囲の事に頭を使って今を楽しんだほうがいい。

 あたしはそう思う。

 

 さぁ、あたしの手元のカップが空になって久しいんだ。

 あたしはアリスの自慢よりもいい香りの紅茶を味わいたい。

 空になったカップを見せて促すと、少しスッキリした笑顔を見せてくれるアリス。

 次はこの笑顔でも見ながら新しい紅茶を楽しもう。








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第四十話 暇つぶし

小さい子の考えってよくわからない、そんなお話。


 煙がゆらゆらと揺れている。

 空気静かな冷たい朝、川の流れが少し弱まりそこが溜まりとなっている小さな沢。

 その沢に転がっている大きな岩に腰掛けて、遠くに流れる雲を見上げている一匹の化け狸から漂っているものだ。

 

 古い時代、人間が火を覚え暮らし初めてからは切っても切れないものだろう煙。狩猟をし獲物を焼いてのぼる事も、虫を煩わしく思い炊く事もある。

 遠く声も姿も届かない相手に何かを知らせるための通信手段として用いる事もあるだろう。

 しかしこの化け狸から漂うものはもっぱらその嗜好を満たすだけのもの。

 生きるために必要な物ではない。だがそれ故にこの化け狸はその煙を漂わせる時間をとても大切にし、少しでも長く楽しむ事にしている。

 

 もういくつかこの化け狸が楽しみにしている物はある。

 今座っている岩から垂れる、一本の糸も最近見つけた楽しみだ。

 身を裂くような冷たい空気が周囲の静けさを強めているように感じられる風景、その静かな風景の中に人影が二つ。

 川辺の岩に跨って煙を漂わせる縞尻尾とその隣で糸の動きを目で追う二本尻尾。

 川の流れに逆らうことなく水面をゆらゆらと流れる糸、不意に小さく波紋を立てて浮いたり沈んだりしている。獲物を狙って糸を垂れているならその動きに集中するのだろうがこの狸に集中している様子はなく、左手に持った愛用の煙管をぷかぷかとさせながら右手の竿を気だるげに握っている。

 

 ぼんやりと糸と景色を眺める狸。その腰から伸びる大きな縞尻尾が気まぐれに揺らされると、その隣では輪っか付きの耳をピクッとさせている。

 まったく集中しない狸の変わりに糸の先を見つめるその背は小さい。

 

 糸が沈む度に何か言いたそうな視線を隣の狸に向けるが、相手にされず耳をたたむ小さな隣人。この視線に気づいているだろう化け狸は気にする様子なく、煙を漂わせながら細く小さな竿を握って呆けている。糸に大きな動きが見えても竿を握る手に力が入る気配はなく、大物が掛かったら竿を持っていかれるんじゃないかと目の動きだけで竿と狸を交互に見やる小さい背中。

 

「あの‥‥釣らないんですか??」

「釣れないわね」

 

 寒さからお互いの吐息が白く漏れるが、片方は吐息のみでもう片方は煙混じりの薄い灰色。

 声を掛けた方の吐息はすぐに消えていったが灰色の方はゆらゆらと昇っていく。発した言葉も会話にはならずその灰色を眺めて、この場はどうしたらいいのだろうかと悩み二本の尾を揺らした。

 この方はずぅっと何をしているんだろう?

 釣りじゃないのかなぁ?

 二本の尻尾を揺らしながら色々と考えているがこの狸が何しているのかわからなかった。

 

~少女回想中~

 

 妖怪の山の奥深く、いや入ってすぐなのかもしれない。

 そこは見慣れた妖怪の山とはすこし違う景色、古い造りだが掃除の行き届いた小さな屋敷。

 十分に手入れされて綺麗に整えられた庭先には数匹の猫がおり、随分と大きな猫もまだ小さい猫もそれぞれ気ままに過ごしている。

 道に迷った者がたまにここまで訪れてしまうことがあり、その際にこの家の物を無事に持ち帰ることが出来れば裕福な暮らしが出来るという言い伝えがある。

 随分と平和な景色に見えるこの屋敷ならそう難しくもないだろう、そう思えるが実際のところはそう平和な場所でもない、この屋敷に関わる者の中にこの幻想郷で頂点にいるかもしれない、最も関わりたくない妖怪の内の一人が密接に関わっているからだ。

 庭先で温まり気持ちよさそうに丸くなる大きな猫もその屋敷に関わる者の一人で、最も関わりたくない者の式の式。

 

 そんな大小の猫達を優しく見つめる者が一人、縁側に腰掛けてその背中では九本の尾をふわふわゆらゆらと動かし尾の持ち主の気分を表している。

 最近は日が登っている時間が短くなってきて一晩ごとに冷え込んでゆく。それでも今日は天気に恵まれ日差しが暖かい、猫達も己の九尾もお天道さまの光を吸収し程よく温まってきた。眺める猫達はそれが気持ちいいのか微睡んでいる者も多く、自身の式である大きな猫も類にもれず微睡んでいる。

 

「橙、今年も言伝を」

「‥‥! ふぅぁい! 分かりました!」

 

 ぽかぽかとした陽気を浴びて背を伸ばしていた大きな猫。

 不意に自分の主から橙と名を呼ばれ、驚きからか毛を逆立てながら向き直ると流れるように正座し主の前に座り寄る。先ほど主が言った言伝、主の主が大事な儀式としている冬眠に入って少し過ぎたこの時期になると、毎年橙に申し付けられる単純で面倒な命令だ。

 

「時期は今週末、場所はいつも通り。伝える手段も例年通り、わかった?」

「はい!藍様!今年こそ約束を違えずこなしてみせます!」

 

 主の勅命を受け意気揚々と飛び出していく橙、その背中を優しく見つめる九尾の表情は穏やかなものだったが心情は少し違っていた。

 今年も多分‥‥いやきっとダメだろう。

 あの者を相手にするにはまだまだ荷が勝ちすぎている、それでも良い勉強にはなるのか?

 そう考えるが頭を振り思い直す。

 あんな怠惰でやる気のない者から学び、その姿を見習ってしまったらどうしようと少しだけ不安になる九尾だった。

 

~少女帰想中~

 

 川のせせらぎと木々が揺れて軋む小さな音、それと不定期的に岩で煙草を弾き落とす煙管を叩く音とだけがこの空間にある。随分とこうして二人で過ごしているが、これが何を意味しているのか橙にはわからなかった。答えを聞けるような雰囲気をこの狸を纏っていない、むしろ隣で騒いで邪魔だとでも言ってきそうな静かな瞳をしているように見えた。

 だがこのままでは御役目を完遂することが出来ない。このままでは去年と同じで褒められることはないと少しだけやる気を見せる橙であった。

 

「あの、もうずぅっとなにしてるんですか?」

「見てわからないの?」

 

 釣りだ! それ以外ない。

 それでも釣り糸を垂れるだけで獲物を釣り上げようとはしていないなぁ。

 でもこの狸様は『見てわからないの?』としか答えてはくれなかった。

 どうしよう、なにを聞けばいいのかわからない。

 

「なぜつらそうな顔してるの?」

「いえ‥‥そんな‥‥」

 

 そんなにつらそうな顔してたかな?

 確かに御役目をこなせないのはつらいけど‥‥

 でも今年こそはまだまだ橙は頑張れます!

 見ていてください藍様!

 

「なにかする気なの?」

「!!!! めめめっ滅相もないです!!?」

 

 この日初めてこの方が橙の顔を見ました!

 でも目を細くして橙を見定めるような恐ろしい視線です!

 これに貫かれただけで橙の尻尾は毛羽立ち、とても立派になってしまいました!

 藍様‥‥この方はやっぱり恐ろしい方でした‥‥

 

「何に怯えているの?」

 

 さっきの氷のような瞳とはちがう。

 なんだかとても寂しく切ない表情になってしまいました。

 怯えてる?ああ尻尾?ちがうんです!これはこうなっちゃうんです!

 でもやっぱり少し怖い‥‥でも‥‥藍様、橙はなんだかわからなくなってしまいました。

 

「難しい顔してるわよ」

「はい、とても難しいです」

 

「わからない時は橙の主はどうしろって言ってたの?」

 

 初めて顔を見て橙って呼ばれてしまいました藍様!

 今までこんなにお話されたことなんてなかったのに!

 でもそうだ、わからない時のお話だ……

 どうしても橙だけでは出来ない事があったらその時は藍様を呼んでいい。そう仰っていたけど……

 

「それも忘れてしまったかしら?」

 

 そんな、呆れないでください。忘れてなんていません!

 藍様とのお約束忘れるわけがありません!

 でも今日の藍様は久しぶりにゆっくりしてるみたいだったし、呼んで困らせるような事は‥‥

 

「そんな顔されるとあたしも困るわ」

 

 そうだった!

 このままではこの狸様も困ってしまう、橙のせいだ!

 このまま藍様のご友人を困らせるわけには‥‥でも藍様‥‥でもでも……

 

「泣かれるともっと困るのだけど」

 

「ふぇぇ‥‥藍様あああぁぁぁぁぁぁ」

 

 さすがにこの空気に耐え切れず、涙を流しながら主の名を空に向かって叫ぶ橙。

 数秒もせずに狸の横に見慣れた気持ちの悪い空間が現れる。

 その空間からは、己の式に名を呼ばれた金毛九尾の狐がほんの少しの苦笑いを浮かべて現れた。その姿を確認した橙は我慢できずに抱きついて、九尾の道士服をその涙で濡らし始めた。

 

「アヤメ‥‥いじめても良いとは言った事がないが」

「あ、釣れたわ」

 

「??????」

 

 藍様もうしわけありませんでした‥‥でも狸様はお優しく橙を撫でてくれます……

 これはなんでしょうか?‥‥藍様も苦笑しています……

 

~少女混乱中~

 

 空気が冷たくなったなと、ずっと遠くまで抜ける青空。

 夏場とはちがう冷たく澄んだ空を見て思う、こんなに冷えては釣り糸を垂れても掛かりは悪いだろうなと。

 まぁ獲物を求めて釣り糸を垂らしているわけでもないし、今はこの景色と煙管。

 それと隣で神妙な顔をしている橙を眺めて楽しもう。

 

 やはり釣果は上がりそうにないな、隣の猫に土産でもと思ったけれど今日はダメね。

 ん、金属音?

 あぁ橙のリングピアスか。

 式にこんな物つけるって事は藍もあの帽子の中はこんな風なのか?

 

「あの‥‥釣らないんですか??」

「釣れないわね」

 

 そうね釣れないわね、魚も藍も両方釣れないわ。

 橙を式にするまで自分で酒宴の誘いに来てきた癖にいつからか任せきりにして。

 今年も言伝です! なんて毎年緊張してくるこの子の身にもなればいいのに。

 

 そういえば何故この子が来るようになったんだったか。

 あぁそうだ。

 橙という子を式にした、良ければ色々教えてやってくれと言っていたんだった。

 暇だし藍の子ならいいわと引き受けたんだけど、少し真面目過ぎてねぇ。

 まずは頭の体操からと思いちょっとした約束をしたんだった。

 約束は簡単、あたしのその日の行動を当てるという事。当てられたなら橙にいろいろ教えてあげるという約束。

 

「あの、もうずぅっとなにしてるんですか?」

「見てわからないの?」

 

 釣りですか?

 そう聞けばもう答えなのにこの子は遠回りというかなんというか。

 釣らないんですか?

 まで来たのに惜しい。

 言葉通りに捉えてくれればいいんだけど、何を考えてるのかしら?

 なにか切なそうな、つらそうな顔だけど。

 

「なぜつらそうな顔してるの?」

「いえ‥‥そんな……」   

 

 なにか間違えた?

 そんなに悶々とするような顔をするなんて。

 お、急にキリッとした表情になったけどなにかあった?

 それとも面白い事でもしてくれるの?なにか期待してもいいの?

 

「なにかする気なの?」

「!!!! めめめっ滅相もないです!!?」

 

 やるなら早くして欲しい、川べりはちと冷える。

 なにか上掛けでも持ってくれば良かった。

 この子でも抱っこすれば少しは暖かいだろうか?

 でも抱っこするにはちと大きいような、抱きかかえる感じか?

 やたら尻尾が太いけどどうしたのだろう。

 なんかイヤな事でもあった?

 舐めるように見たのがまずかった?

 

「何に怯えているの?」

 

 なんだろうか表情をコロコロ変えて、忙しい子だ。

 怯えたように見えればいまは何かこらえるような。

 うむ、よくわからない、この子は今何を考えている?

 

「難しい顔してるわよ」

「はい、とても難しいです」

 

「わからない時は橙の主はどうしろって言ってたの?」

 

 何もしてないのにこうも悩ませるとは、本当にどうしたんだろう?

 悩みなら聞くし藍にでも相談したらいいのに、困った子をあやすのは得意じゃないんだけど。

 どうせ見ているのだから、藍のヤツも早く来てあげたらいいのに。

 

「それも忘れてしまったかしら?」

 

 あまり悩まずに冷静になったほうがいいわ、少し落ち着きなさい。

 悩みすぎて涙目になってるし、藍早く来てこの子とあたしを助けて。

 

「泣かれるともっと困るのだけど」

 

「ふぇぇ‥‥藍様あああぁぁぁぁぁぁ」

 

 耐え切れなくなったか、それでも泣いてから来るなんて遅いわ。

 まぁいいか、魚のかわりに獲物かかった。

 

「アヤメ‥‥いじめても良いとは言った事がないが」

「あ、釣れたわ」




日光浴びてぬくぬくの猫っていい匂いしますよね。


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~地霊組小話その参~
幕間 年かさね、話をかさね、肌かさね


今更感にあふれておりますが、新年明けましておめでとうございます。
まったり話を続けていければいいなと思っております。


 冷たい縁側に腰掛けてお茶を啜りながら空を眺める、遠く高く澄んだ夜空。両手で持った湯のみから立つ湯気が少しだけ頬に触れると、一瞬の暖かさをくれた。

 新しい年の幕開けにふさわしい雲のない綺麗な夜空だ。はぁと小さく息を吐くと煙のように広がり消えた、特に言葉はなくそのまま星を眺める。

 夏の夜空はなんとなくだが騒がしさや鮮やかさが感じられるが、冬の夜空は精悍さや雄大さを感じられて、長く見ているなら冬の夜空のほうがあたしの好みではある。

 

 しばらくの間無言で夜空を眺めていると頭にポフッと手が置かれる。そのまま手の持ち主はあたしの隣に寄り添うように立ち同じ夜空を見上げていた。あたしよりも少し華奢な手、普段は騒がしく振り回したり荒っぽい動きや誰かにイタズラするくらいにしか使われていないが、今は少し優しく暖かい手に感じられた。

 

「鐘撞きに来たんじゃないの?」

「煩悩を払うなんて勿体無いと思わない?」

 

 頭に置かれた手に向けて話しかける、会話の裏では定期的にゴォーンと大きな鐘の響く音、ここのご住職かご本尊辺りが撞いているのだろう、静かな寺にその音だけが響いた。

 もうすぐで日付が変わる頃、そうすればあちこちで新年の始まりを祝い騒がしくなるだろう。普段は夜中になると住居の灯りしか見えない人里も賑わっていた。

 

 川沿いにはにとり達河童連中の屋台が並び変な物を商品として並べていたり、あの夜雀の屋台も今日は里に店を開いていた。もう直に満員御礼となるだろう。あのいつも混み合っている蕎麦屋は並ぶのも面倒な混み具合を見せているし、向かいの団子屋や贔屓の甘味処も餅の準備に忙しそうだった。

 

 一番忙しなくしていたのは霧雨の大道具屋。松飾りを始め羽子板や破魔弓など、里の人よりも多いんじゃないかというくらいに準備して店先に並べていた。季節物の売り物なんぞ売れ残ったらゴミにしかならないだろうにと眺めていたが、里の人たち以外に妖怪連中も買っていく姿が見られた。

 

 

 日中に里の準備に追われる先生は妖怪が姿を見せる度に毎回警戒していたが、文が現れてしつこくされ最後には警戒を解き呆れていた、文の取材方法には粘り勝ちという手法もどうやらあるらしい。あんまりしつこく騒ぎ過ぎて出くわした紅白と黒白、それと一緒に来ていた元上司の萃香さんに見つかりしょぼくれていたところを捕まっていた。いい気味だ。

 紅白は忙しくなったりはしないのだろうか?

 いくら寂れていても神社なんだから新年の参拝客くらい来そうなものだが、山の巫女は忙しそうに初詣はうちへとビラを配るくらいなのに。

 

 永遠亭の小間使いが飾りを買っていく姿も見かけた。確かに永遠亭なら正月飾りも似合うしあそこのお姫様も祝い事を楽しむようなお人だ、なんら不思議な事はない。てゐ主導のうさぎ達のお餅つきでも眺めながら迎える新年はどういったものだろうか、変化をなくした人間でも新しい年は嬉しいものなのか?

 喜ぶ永琳など想像出来ないが。

 機会があれば遊びに行って一度あそこで新年を迎えてみてもいいかもしれない、新年早々難題のお年玉をせびるのも面白そうだ。

 

 ついでというわけではないが新年飾りとは縁遠いあの赤いお屋敷のメイド長も買い物に来ていて、破魔弓や羽子板を買い揃えていたがあの屋敷に飾るのかね?

 羽子板を突いて墨を塗られる姉の方とそれを見て笑うフランや美鈴、離れて見守る魔女やメイド長に司書殿。中々楽しそうでそんな風景にでもなるなら見てみたいものだ。年の瀬には吸血鬼の怨敵の誕生日にケーキを焼いて酒宴を開いていたが、あの主は結構ミーハーなのかもしれない。

 

「山の神社はうるさいし、麓の神社は騒がしい。ここなら静かに過ごせるしぬえちゃんもいるわ」

「とってつけたように言われても嬉しくないよ? アヤメちゃん」

 

 素直に旧友と新年を迎えたいと言ってみても旧友の言葉はつれないものだ。

 言葉は少し冷たく感じるが、その代わりに背中がほんのり暖かくなる。

 頭に置かれた手はそのまま肩まで下がり腕が首に回される、視界の端に夜風に揺れる黒髪と、同じく優しく揺れるよくわからない赤いなにかが映る。あたしがぬえちゃんとその名を呼ぶと必ずあたしの名前も呼んでくれる、確認するわけではないがそれが嬉しくて名を呼んでしまう。

 

「ぬえちゃんはあたしと一緒じゃ嫌なのね、また泣いたら優しくなる?」

「アヤメちゃんの本気の嘘泣きで優しくなるほどわかりやすい妖怪じゃないよ? 私」

 

「今でも十分優しいからいいわ、やっぱり」

 

 いつかあたしはぬえに素直で可愛らしいなんて思った気がするが、今のあたしも十分に素直で可愛らしくなってしまったと、自己分析してみた。旧友といえどこんな風にぬえと過ごす事などなかったし、過ごそうと思うこともなかった。

 夏に訪れた向日葵畑であたしは変わったのかもしれないと感じたが少し訂正しよう‥‥あたしは変わった、大きな変化ではない小さなものだが。

 

「ぬえちゃん、あたし変わったかしら?」

「そうねぇ‥‥取っ付き易くなったしよく笑うようになった?」

 

「前者はともかく後者は変わらないと思うけど?」

「そういう所も変わったよ、前なら嫌な笑い方しながら嫌味が飛んできたけど素直に人に聞くようになったもの」

 

 言われてみればそうかもしれない、嫌な笑い方の方はともかくとして素直に色々聞くしそれを嫌だとも思っていない。

 この寺で泣いたからか?

 大事な約束を自然に忘れるくらいの自分でも気づかない蟠り、それがなくなったからなのだろうか。なら改めてマミ姐さんにも感謝すべきか、そうだなこんな風に誰かのおかげで等と考えられるようになったのだから一言くらいいいかもしれない。

 なんとなく、今なら飾らずに言えてそのまま伝わる気がした。

 

「ぬえちゃん、ありがと」

「どういたしましてよ! アヤメちゃんどうしたの? なんか可愛いよ?」

 

「今頃気が付いた? ぬえちゃんの友達は可愛いのよ」

 

 照れ隠し。

 

 何故だろうか、言わせようとして言われるとなんとも思わないのだが不意打ちはこうなんだ‥‥照れてしまう。相手がぬえだから照れるのか、誰に言われてもこうなってしまうのかはまだわからないけれど‥‥少しか弱くなったように思える。この手も色々遊ぶのに使えるかもしれない、でも最初に使うのは鈴仙か妖夢にしよう。あの子達相手なら照れてもなんとかなる。

 

「嘘も下手になったアヤメちゃん、可愛い」

「バレバレだから嘘じゃないの、本心であたしは可愛いと言ったのよ、ぬえちゃん」

 

 嘘もばれるか困ったな、これでは馬鹿にする相手を選ばないとならなくなる。

 ここのご本尊やご住職相手ならバレても構わないがネズミ殿や一輪、村紗辺りにバレてしまうのは困る。そうか、頑固親父殿みたいに黙して語らなければいいのか‥‥無理だなそれこそ怪しまれる。

 

「可愛い姿もいいけど、見ててなんだかむず痒いよ?」

「ノミでも貰ってきたの? 毛づくろいしてあげようか?」

 

 ぬえの髪を指で梳くと柔らかな指ざわりが心地よくて自然と髪を撫でてしまうが、動いたり離れたりされることはなくそのままにいてくれる。いつかミスティアがあたしの髪を妹紅のリボンで結って遊んでいたが、遊ぶ側もそれなりに心地よいものなんだと気が付いた。

 誰かに気安く触れられるというのは存外心地よい。

 昼間に墓場で娘々にいじくり回されていたキョンシーも心地よいと感じるのだろうか‥‥さすがにそれはないか、いじる側の娘々は楽しそうだったが。

 

「そういえば、寺以外の友達。アヤメちゃんと地上で新年迎えるのは初めてかも」

「地上って‥‥あぁぬえちゃん埋まってたっけか」 

 

「正しく封印と言ってほしいわ、埋まってたのはここの船の方よ」

 

 二人で寺を見上げると少しだけ寂しい表情をしたぬえの顔が見えた。

 地底に封印されていた頃でも思い出していたのだろうか。

 あっちの友人も恐れられてはいるが一度気に入ればとことんまでという人が多い。

 中々極端な考えのばかりが揃っているが。

 他の人より目が多いけどよく周りを見ない姉や多い目を閉じて見る世界を変えた妹、それを慕う愛らしい素直なペット達。新年を祝い明るく騒ぐヤマメやキスメ、それを眺めておめでたいわね妬ましいなんて目を光らせるパルスィの姿が目に浮かぶ。 

 勇儀姐さんはそんなパルスィを見ては笑って、酒を煽っていそうだが。

 

「顔出したら? 喜ぶかもよ?」

「なら一緒に行こうよ、多いほうが楽しいわ」

 

「そうね、温泉入りに寒いうちに行きましょ」

 

 遊びはみんなで楽しくか、いつか紫も言っていたな。

 神社の鳥居を見上げていたら藍からお叱りを受けた時だったか。

 確かにあの晩は楽しかった、赤く輝く月が綺麗で珍しく食い散らかしてあたしも紅く染まってしまった。あの時は紫に口を拭われたな、幼い頃の藍や赤子だった博麗の巫女にも同じようにしていたのだろうか、母親でもないというのに。

 この時期は寝ていて姿を見せないが来ないとわかっていると少し寂しく感じられるのは何故だろう、面倒事しか持ってこないというのに。あの厄介な管理人の従者達は面倒事に巻き込まれてもなんとも思わないのだろうか、困り顔の橙をあやす藍の姿が見えた気がした。

 

「機嫌いいのね、尻尾揺れてる」

「大好きな友達に抱きつかれてるからね、気分いいわ」

 

 少しだけ回された腕に力が入るのを感じた、背中にかかる重みが増え心地よい。

 あたしとぬえとまとめて尻尾で巻くと真冬でも暖かく感じられ、こういうのもいいなと思った。

 これだけ長く体をくっつけているのも何時ぶりだろうか。

 外の世界で出会って一緒にいた頃以来か、思えばあの頃からぬえはこうだった。

 昔の事か‥‥いつかアリスの所で見た夢のあたしも今の気持ちを感じていたのだろうか。

 

「いつの間にか新年みたいよ、鐘が聞こえなくなった」

「本当だ、明けましておめでとう。またよろしくねアヤメちゃん」

 

「明けましておめでとう‥‥ぬえちゃん、今年もよろしく」

 

 鐘の撞かれる音がなくなると、かわりに人里のほうが騒がしくなってきていた。

 もう少しだけここで過ごしたら次は里の騒ぎに混じりに繰り出してみようか、きっと今年も楽しいはずだ。 



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第四十壱話 ぶらり温泉巡り ~壱~

時間はないけど調子に乗って続き物、そんな話。


 生まれた国は何処だったか、ただ日ノ本ノ国のどこか外れ、皇室が国を動かしていた時代という事だけ覚えている。私達と変わらない普通の人間が、私達とはちがう者として扱われるのか、わからないままに生きていた時代だったはずだ。

 そいつらが一言悪だ善だと決めつければモノの価値が決まる時代、静かに慎ましく毎日を過ごしいてた私達はその内の悪とされ‥‥あいつらは私達を笑い嘲り蔑み嬲り‥‥ついには殺し始めた。

 私達の体には尾があるとか、体から光を放ち惑わせるとか人外の力によって水を汚すとか……普通の人間と何も変わらない姿で惑わせることなど出来なかった私達は反論したが、水質汚染だけは反論できなかった。

 

 私の里の主な収益源は鉱山。

 鉱山で採掘した銅を加工したみづかね細工を朝廷に献上したりするのが私の里での主な仕事。私達の作るみづかね細工は丁寧な仕事が見えると評判で、都の貴族や宮中でも重宝されて欲する人も多いと聞いた。評判を聞き私達も躍起になり更に多くの銅を掘っては献上した、そこまでは良かったけど、いつからだろうか、宮中で原因不明の疫病が流行りだした。

 それも決まって病に伏せるのは私達の里で作られたみづかね細工を身につけるようになった宮中の者達ばかりだ。私達はその原因を理解していたしついにあっちでも出たかとも思った、里の者もわずかだが同じような疫病にかかり死んでいく者がいるからだ。

 だが、それを宮中へと伝えることはなく、秘匿とした。 

 

 みづかねとは水銀。

 私達の鉱山で採掘される銅は良質で、普通の銅では見られないような鈍く流れるような光沢があるのが特徴だったが、その色合いは水銀が混じっているからこその色合いだった。だが水銀の怖さなどわからず見た目ばかりに目がいってしまい、これほど美しいモノならと装飾品として加工をし始め、飛ぶように売れ出したのだが事態はすぐに起きた。

 一番最初に彫金師から死んでいき、次第にその家族掘り出した鉱夫とその家族と病は広がっていった。

 

 何が原因なのか。

 私達は里の外へ話が漏れる前に解決策を探し始め、彫金の際に水を使うのが原因だろうと考えた。ある程度貯めた水瓶の中で銅をみづかね細工へと加工することで光沢が増すとわかり、そうするようになってから彫金師が死に始めたからだ。

 ならその加工を形を変えて行えば発症は抑えられるだろうとなり、対策として流水。

 川の流れで常に清めながら加工を献上品を作り続けた。

 結果彫金師は発症する者がなくなりはしなかったが激減した。

 だが中には危ないからもうやめようと言う者もいたがそうはならなかった。

 これ一つで里を盛り上げ里の者を生き長らえさせてきた仕事。

 宮中からの注文も増えるばかりでやめられるわけなどがなかった。

 これを危険視する物は里を追われ野へと出された、私もその一人。

 

 しばらくしてある変化が起きた。

 鉱山から流れる川に面した村々の者達が全員病を患い死んでいくと噂が立った。

 その病は宮中で流行ったものと酷似した死に様で、川の上流のにあるあのみづかねの里でも同じく死んでいるという噂。

 絶対に里の外へと漏れないよう秘匿としてきたものがついに漏れてしまった。

 ただこの時も里の者は少し勘違いをしていた。

 川で清め綺麗にすれば毒性は出ないと思い込んでいたのだ。

 実際、彫金師達が発症することが少なくなっていたから毒は消えた、そう思い込んでいた。それがみづかねの里よりも下流にある村々が病で全滅したと聞いて、里の者全員が凍りついた。

 噂が流れてから時を待たずして、私の故郷は焼かれ全てが燃え落ちて里に残った人達は無残に殺された、病を放ち朝廷に仇なす者達だと烙印を押され蹂躙された。

 私達の装飾品をあれだけ褒め称え重宝した朝廷が手のひらを返して、私達を逆賊だと討滅した。

 

 奇しくも里を追われた者達だけが生き延びることになったが、それも難しくなって来ていた。

 里を追われた生き残りがいる、そんな噂も立ち私達は国を散り散りになり逃げた。

 散り散りに逃げた者も少しずつ追い詰められ、私も何度も追われ命を危険に晒さらしたがどうにか生き延びていた、そうして逃げた先で少しの話を聞いた。

 今はもうない懐かしい故郷の噂話の内容、それは、あの里は人の里ではなく病を操りじわじわと人を殺す妖かし共の里だったという話‥‥暗闇に潜み8つの目を輝かせて殺した者の肉を喰らい、疫病を振りまいて操り病に伏せる者を嘲笑う、恐ろしい者達だと、病に伏せる者の側で這いずり舌なめずりする姿はまるで蜘蛛のようだと。

 

 他の里と何も変わらない私の故郷だったが、何処へ行ってもそうした話ばかり。

 最初は否定しちがうと声を荒らげたがそれが原因で追われる事も増え、次第に否定をすることはなくなり私はそうなのだと心を病むようになった。

 病は気から、心を病み隠れ場所の廃坑で動かなくなり数日。

 急に体も心も軽くなり動けるようになった、何があったのかすぐには判らなかったが少しずつ理解していった。

 

 髪は色素が抜け黄金のような色、瞳は闇の中輝きを放つようになった。

 着ていた者も逃げ続けてボロボロになった布切れではなく、茶で統一され腹から胸に6つに黄色のボタンがついたもの。

 下半身に目をやると丸く膨らんだ形状で、まるで蜘蛛の目と腹のような格好に見えた。

 姿だけではなく力にも変化が見られた。

 今まではただのか弱い村娘だったのが、岩を砕き木を裂いても余りあるほどになっていた。

 新しく宿した力にも慣れたある時、隠れ場所の廃坑を人が訪れた。

 宮中から遣わされた者達だろう身なりと着物が整った者達ばかり。

 あいつらのせいで‥‥

 そう思考した瞬間には辺りは血と肉が散らばり私はその者たちを喰らい笑っていた。

 腹が満ちて我に返り気が付いた、あいつらが願った姿になった……成り果てたと。

 

~少女帰想中~

 

「そろそろいつものが来るんだけど」

「いつもの?」

 

 いつか縁側で約束した地獄温泉巡り、あまり時間をおいてしまうと億劫になるからすぐに行こうとぬえに手を引かれて大穴を降る途中。

 あたしが来ると必ずと言っていい頻度で首を狙う者が、そろそろのはずだとぬえに伝えて待っていた。

 

「そぉぉのぉぉお首もらったああぁぁぁ。。、、」

 

 きたきた、と声の方向を二人で見つめると鎌を頭上に振りかぶりテンション高く突っ込んでくる木桶が見える。いつもなら勢いが静まるまで逸し眺めて楽しむのだが、今日はぬえもいるし早いとこ旧都へと向かってひとっ風呂浴びたい。

 あたしとぬえが小さく構え木桶と交差する瞬間に強引にとっ捕まえる手でいくことにした。

 

「捕まえたわ」

「何やってんのキスメ?」

 

「アヤメにぬえ? 久しぶり、明けましておめでとう。今年こそ首頂戴ね?」

 

 新年でも変わらず物騒な挨拶を済ませていつものように木桶を抱えて更に降って、そろそろ次に定番が出るかなと眺めているとキスメが何か言いかける。

 

「なんだかヤマメ、機嫌が悪い」

 

「へ? ヤマメこんなとこに住んでんの?」

「そろそろ来ると思うけど、機嫌悪いの? 珍しいわね」

 

 ぬえの質問は無視してなんとなく表情の暗いキスメに問いかけると、今日は朝から機嫌が悪くて巣穴に行っても出てこなかったそうだ。あの明るい地底のアイドルが珍しいなと、それでもたまにはそんな日もあるだろうと気にせず降っていくと少し降った先で罠にかかる。普段なら糸など貼られてない暗がりで油断した、気がついて逃げようと暴れまわるキスメもどうにか道連れにして三人仲良く糸に絡まる。

 

「ベトベトして剥がれないんだけど、ちょっと! 変なとこ触らないで」

「変なって‥‥元々よくわからない青い変なのじゃない、なに、これが弱いの?」

「ほんとにやめ!‥‥んんっ‥‥」

 

「新年から女二人で乳繰り合ってないで‥‥ヤマメの糸だから私の鎌じゃ切れない、罠にかかればさすがに来ると思うけど」

 

 背から伸びる青い何かを摘んだり引っ張ったり撫でたりする度ぬえがピクっと震えて身を捩る、面白くて糸そっちのけで遊んでいたら余計に絡まった。

 キスメから軽いお叱りを受けるまで続けていたが、さすがにやりすぎて腕も動かせなくなるほどに絡まるとそれを笑う声が聞こえてきた。

 

「あんたら揃ってなにやってんのさ、キスメまで混ざって‥‥おぉぬえじゃないか、随分と久しぶりだねぇ」

「ヤマメ、挨拶は後にしてどうにかして欲しいんだけど」

「ぬえちゃんだけこのままでもいいわよ? 楽しいし」

 

 ぬえに睨まれるが、動く指だけをわきわきとさせると友人に見せる顔ではないひどい表情を見せてくれた、少し遊びすぎたか、覚えていれば後で謝ろう。

 そんなあたし達を見て笑いながら糸を解いてくれるヤマメ。

 機嫌が悪いようには見えないが、キスメの勘違いだろうか?

 

「食えない獲物の為に糸を張ってるわけじゃないんだけどねぇ」

「食べるならアヤメちゃんのが美味しいわ、私から出るよくわからない出汁とか木桶の出汁とかマズイわよ?」

「あたし食べられちゃの? 優しくしてね、ヤマメ?」

 

 体に残る糸くずパパっと払い着物を少し崩して肩を晒す、ヤマメもぬえも笑ってくれたがキスメだけどこかの第三の目みたいなジト目なのはどうしてだろう。

 

「なに、ヤマメ機嫌悪いの? お腹でも痛い?」

「こういう時真っ直ぐだと話が早いわね」

「あぁ~‥‥寝覚めが悪かったのさ、お前らのコント見てたら気が晴れた」

 

 悪気のない真っ直ぐない質問。

 あたしには少し難しい物の聞き方だ、柄でもないし性に合わないが少しだけ羨ま‥‥おっと、妬ましくなる。

 

「それより二人連れなんて珍しい、どうしたのさ?」

「年始の挨拶ついでの地獄温泉めぐりよ」

「ついでに埋まってた頃のぬえちゃんの話を肴に一杯」

 

 あれは封印だったと騒がしいぬえは置いておいてヤマメとも新年のご挨拶。

 本当であれば行き来が禁止されているとかなんとかで、地上と地底の者が顔を合わせることはないと思うがヤマメに聞けば地上に抜ける穴が他にもいくつかあって、ヤマメもたまに地上に出るようになったそうだ。

 確かに素直に決まり事守るような連中じゃないし、あたし達は悪魔じゃなくて妖怪だ。約束を破っても気にしないだろう、それが破ってもいいと思える約束事なら。

 

「温泉巡りて事は地霊殿もか、たまには私もさとりの顔でも見るか」

「そうよ! 遊びは楽しく大勢で!」

「旅は道連れ世はなんとやら、どうせならキスメも一緒に温泉ね」

「桶に貯めてね?」

 

 徹底してるわ。

 

 

 人を喰らい病を撒いてあるべきように日々を過ごし結構な月日がすぎた頃。

 私の巣穴を人間たちが襲ってきた。

 四人の屈強な男たち。

 またいつもの人間が私の罠の掛かりに来たかと高笑いしながら見下していた。

 それが私の間違いだった、たかが人間と侮ったのが運の尽き。

 清め払われたのか退魔の刀を身に受け、足を失い危うく命も失いかけた。

 どうにか残りの足を犠牲に逃げ延びることが出来たが人間の中でこれほどの者が出てくるとは思っていなかった。

 とりあえず力を取り戻すため身を隠そう、そう考え山へと篭もり隠れた。

 

 ある程度力を取り戻し人も襲えるようになった頃、いつかの男達の噂を聞いた。

 なんでもあの大江山の鬼どもを退治してみせたと、だがそれが元で病に伏せて虫の息だと。

 これはあの時の借りを返すいい機会だ、そう考えすぐに動いた。

 怪しまれぬようにいつか私を退治しに来た法師の皮を被り人に化け都へと紛れた。

 噂通りに床に伏せる男を見つけたがただ殺し食らうのは面白くない、捕らえて巣穴で恐怖の色に染めて喰らおう。

 そう思いつき忍びこんだのだが糸で絡め取る前に切りつけられた、どうやら釣るためのブラフだったようだ。

 この短刀も退魔の宝具だったのだろう、傷口が塞がることはなく撤退を余儀なくされた。

 身を滅ぼしていく傷口を取り去るため已む無しと、私は体を小さくわけその場を逃れた。

 しかし、それも愚策だった。

 別れた私の体達は普段ではやられることもないような半端な退治屋に次々と討たれていく。

 さすがに運の尽きかと思い始めた時、とある妖怪の話を聞いた。

 なんでも妖怪たちの楽園を創るそうだ、これは逃げ場所にちょうどいいと思えた。

 

 また追われる生活をしながら妖怪の楽園を目指し逃げ続けた。

 

 

 新年早々に寝覚めの悪いものを見てしまった。

 顔を出しに来たキスメに悪いことをしたね、後で一言謝っておこう。

 どうせ他にやることもなく大穴に吊り下がっているんだ、いつでも構わないか。

 そう思ったが朝から私の糸に掛かった奴らがいるらしい、一気に三人もだなんて珍しいね。

 

 なんだい、人間じゃない上に見慣れた顔が三つあるわ。

 一人はやたら騒ぐ懐かしい顔だし、もう一人は随分楽しそうだ。

 私の糸が絡まっていくのを気にせずに遊び呆けるなんて、さっき見た奴らとは真逆の顔して楽しそうにしてるじゃないか。

 まったく釣られたままでも降ろしてもやかましい奴らだ、恐れられ疎まれた私達に悠長に年始回りだなんて変わり者ばかりだし。

 

 しかもそのまま温泉なんて、ここをなんだと思ってんだ‥‥

 まぁそれでもたまにはいいか、馬鹿に付き合うのも悪くないね。

 ついでに私も年始回りといこう。

 普段はしないような事して見せた時のあのジト目の顔で笑い始めといこう。

 いや‥‥もうすでに笑ってたわ、なら笑い始めじゃあなくて笑わせ始めといこうか。 




というわけでまた地です。



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第四十弐話 ぶらり温泉巡り ~弐~

一人称視点って難しい、そんなお話。


 今日は静かで珍しい。

 こんな静かな時間すぐに終わってしまうのはわかっている。

 けれどたまには川のせせらぎだけを聞くのもいいわ。

 誰もいない私一人橋の上、静かに流れる川のせせらぎ。

 

 誰かを待つ時はいつも一人だ、静寂には慣れている。

 それに橋の上が騒がしい時は妬ましい誰かがいる時だけ。

 この旧都はいつも騒がしいけれどこの橋だけは静かなもの。

 

 好き好んでくる奴なんてヤマメとキスメ、後は勇儀くらいかしら。

 いや、あの喧騒よりも騒がしく喋り懐っこくいやらしい笑顔を浮かべるやつもいたか。

 

 それでもあいつは地上の妖怪だし、いつもいつも来るわけじゃないわね。

 それに来ても大概は大勢で集まり酒だなんだと騒ぐことばかりで、ほんとにうるさいやつ‥‥なんて考えるんじゃなかったわ、思った通りの姿で来たわね。

 

 女ばかりで集まって新年早々から姦しい事この上ないわ‥‥

 まったくあの狸も地底と地上両方の妖怪侍らせるなんて妬ましいわね。

 ヤマメもキスメも楽しそうに笑っているし‥‥

 あら、ぬえじゃない?

 また封印されたの?

 懲りないわね。

 なに?

 違うの?

 年始回りついでに地獄観光と温泉めぐりって、あんた達旧都をなんだと‥‥まぁいいわ、早く行きなさいよ。

 

 え?

 私はいいわよ‥‥なんで連行される形になるの?

 旅は道連れ?……断っても連れて行かれるんでしょう?

 なら自分で歩くから早く離しなさいよ。

 貴女と腕なんて組んで歩いてる所を見られたら私が勇儀に妬まれるわ。

 そうよ、他人の嫉妬も私の力。

 だから離さないと後が怖いわよ?

 痛いのもたまにはいいって‥‥貴女そっちの趣味があったの?

 さっきはヤマメに穢された?

 お盛んね、妬ましい。

 

 いいからそろそろ離したら?

 だから私にはそういう趣味は……もういいわ、諦めた。

 

 貴女の白い着物といいその背格好や髪の長さといい……

 あの女を思い出すのに……

 

 そんなに親しそうな顔をしないで。

 

~少女想起中~

 

 いつからだろう、あの人が私の元に戻らなくなったのは……

 

 いつからだろう、私の衣を敷いてあの人を待つようになったのは……

 

 いつからだろう、あの人を待つのが辛くないと思うようになったのは……

 

 いつからだろう、この橋を渡る仲睦まじい男女を妬み憑り殺すようになったのは……

 

 いつからだろう……

 唯一人の女を妬み殺したいと思っただけなのに、全てを殺すようになったのは……

 

 今頃は牛車に揺られて橋を渡る頃でしょうか、私の住まう屋敷までもうすぐですね。

 今日もきっと参られるのでしょう、迷わぬように盛り塩をして私の所へ訪れていただけるのをお待ちしております。

 

 あの御方と今日はどんな話を致しましょう、あの御方は何を話してくださるのでしょう。

 牛車の止まる音がして屋敷の門が開くのが楽しみでならない。

 

 昨晩はどうされたのでしょう、お姿を見せてくださらなかった。

 お体でも悪いのでしょうか?

 原因のわからない流行り病の話を聞くけどあの御方は大丈夫でしょうか?

 もしご病気なら私の元へ来るよりもまずはお体を治していただきましょう。

 私はいつまででもここで貴方様をお待ちしておりますので。

 

 最後にお姿をお見せになられたのはもう何時頃だったのでしょう?

 屋敷の者もあの御方の話を私に届けてくれなくなりました。

 心配で心配でたまりません、例え許されなくてもお姿を見て安心したい。

 そう考えてしまう私を貴方様ははしたないと罵るのでしょうか?それでも不安なのです……

 

 ご病気ではなかったのですね、元気なお姿を見られて安心致しました‥‥

 ですがその隣の女はどなたなのですか?

 私には仲の良い男女に見えてしまって‥‥

 

 お元気なのに私の所に来てくださらないのは何故なのでしょう‥‥

 あの女ですか?

 あの白い着物の似合う女のせいで私の元へと来てくださらないのですか?

 なら私は……

 

 屋敷の者から聞きました、あの女と身を固めたと‥‥

 祝福すべきと思っておりますが私の頬を伝うものは止まってはくれません‥‥

 

 久方ぶりに貴方様のお姿を見かけることが出来ました……

 貴方様と女との間にいたのは御息女様でしょうか‥‥

 どこかあの女に似た瞳‥‥

 近くをすれ違ったのですが気が付かれましたか?

 私は瞳に映りましたか?

 

 屋敷を飛び出してしまいました、でも貴方様の元へは参りませぬ‥‥

 私を写さない貴方様の瞳を‥‥今の私は見たくはないのです‥‥

 

 貴方様は貴船明神様を存じ上げているでしょうか?

 私の足は今そこへ……

 報われたくば思いを示せとの言葉を頂き私は今身を沈めております……

 叶わぬモノならばいっそ私が‥‥

 いつか再び貴方様にお目通り叶う時が楽しみでなりません。

 

 なんと単純な事だったのでしょう、妬み嫉みに身を焦がし苦しんだのが嘘のようです。

 妬みや嫉みとはこんなにも心地の良いものであったなんて。

 これを知らずにいる者はつまらない生き方をされておりますね。

 

 貴方様にもわかっていただけたのですね、久方ぶりに貴方様の瞳に私が写っております。

 白い着物を赤に染めて動かなくなった女など、川に流してそのまま身を委ねてよいのですよ。

 

 何故なのです?

 私ではなにが足りなかったのです?

 それほどまでに死んだ女が良かったと?

 私を瞳に宿しておきながら死んだ女の元へ行くなど‥‥

 

――死を越えてその先まで一緒にいようだなんて……

――妬ましい――

 

 この男もあの御方のように女の後を追うのだろうか?

 さぁその愛情試してあげる。

 女を殺して涙するならすぐに逢えるようにしてあげるわ。

 さぁその首に宛てがうだけよ。

 

 あの男なら来ないわよ?

 今頃別の女といるわ。

 私の仕業と言いたいの?

 それは違うわ、貴方の思いが届かなかっただけ‥‥そう届かなかっただけなのよ。

 

 私の身を案じてくれるの?

 優しい殿方なのね、ならそうね……

 贔屓の場所があるのよ、少し離れた愛と名の付く綺麗な山なの‥‥

 か弱い女の腕を断ち切るなんてつれないお方だわ、妬ましい。

 これでは優しく抱擁も出来ないわ、本当につれないお方‥‥

 

 落とされた腕が疼くわね‥‥力も戻らないし私の橋へと戻ろうかしら‥‥

 私の橋は何処かしら‥‥変わらずあるのは朱色の橋だけ‥‥

 

 そう、壊されてしまったのね。

 私を思ってそこまでしてくれるなんて‥‥

 思って欲しかったあの御方は、私に思いを届けてくれる事はなかった‥‥

 あの女と共に生き共に逝ってしまわれた‥‥それがとても……妬ましい。

 

 あの女もあの御方が私の元へ来ている時には同じ思いを味わったのかしら‥‥

 あの御方と共に過ごし笑う私は確かにいた……それすらも妬ましい。

 

 いつからだろう、あの御方を想う私自信が妬ましいと思えるようになったのは‥‥

 

 

 気が付いた時にはこの橋に立っていて、通りを行く鬼や妖怪を妬む暮らしになっていた。

 誰も彼もが私を遠巻きにした、近づく者などいなかった。

 妬まれて快くなる者などいない、これで当然だ。 

 

 妬み始めて少しした頃、鬼の女が笑いながら私に近づいてきた。

 目障りとでも言われるかと身構えていたけれど、相手の美徳をすぐ見つけるなんて聞いた話よりいいやつだなと。豪快に笑い豪快に連れられ酒を飲まされ、文句を言っても笑い飛ばされ最終的には諦めた。その宴会の席にいた土蜘蛛やつるべ落としにも何故か懐かれてしまい、頻繁に私の元へと訪れるようになった‥‥行動的ね妬ましい。

 

 来ない待ち人を思うのには慣れていたし、待つことを苦しいとは思わないが彼女達が来て私は少しだけ笑う機会が増えた。たまに面倒であったり妬ましく思えることもあるが、少し話して笑えるならそれもいいかと思えるようになってきた。

 

 いつものように橋でヤマメと過ごしていると、見慣れない者が現れた。

 私と話していたヤマメと楽しそうに話す、見慣れない、妬ましい地上の妖怪。

 ヤマメに向かって相方だなんて、何処をどう見ればそう映るのよ、ヤマメも私のことを勝手に紹介しないでほしいわ。

 

 誰かが誰かを強く思う丑の刻参りを邪魔するなんてこの狸なんなの?

 それを楽しいと笑うこいつは誰かを思ったりすることはないの?

 楽観的だわ妬ましい。

 褒めてなんかいないのにそんなに嬉しそうに……親しそうに笑うなんて妬ましいのよ。

 またそのうちに私に妬まれに来るなんて言うけど‥‥そんな奴がいた試しはないわ、つまらないことを言わないで‥‥

 

 私の橋で優雅に煙管なんてふかしてなんなの?

 何個も煙草の焦げ跡を橋に作ってくれて風呂敷敷いて……どれだけ待っていたというの?

 それでも以前に言った通りにもう一度来るとは思っていなかったわ、それに妬まれついでのお礼とか何を考えているの?

 感謝されることなどしていないというのに‥‥

 

 私が妬ましいとはどういうこと?

 それも笑いながら言うなんて‥‥

 妬みは誰かに対して抱く思い、笑いながら言うことではないのに。

 下手な芝居はいいわ、袖を濡らすような思いなんてとうの昔に忘れてしまったもの。

 それともまた誰かを思って袖を濡らす事になる‥‥のだろうか?

 

 使うなら正しく使ってほしいわね‥‥ただただ妬むだけでは伝わらない。

 相手を理解しその上で発してこそ意味があるのよ。

 お礼の変わりにお酒だなんて‥‥言ってることは全く違うのに勇儀みたいに微笑まないで。

 その背格好で微笑まれると少し……ざわつく。

 

 

「ヤマメに続いてパルスィなんてアヤメちゃん手が早いね」

「いい女を放って置くのが悪いのよ、ぬえちゃん嫉妬? そこは妬ましいって言うのよ?」

 

 またアヤメは調子に乗って、それでもこれも正しく使えているから怒るに怒れないのよね‥‥調子がいいのね妬ましい。

 それにぬえもヤマメも笑ってないで、なにか言い返せばいいのに。

 せめてキスメのように睨むくらいの事はされて当然とアヤメは考えているわよ。

 

「でもぬえちゃんは地上でも抱けるから、続きは戻ってから。今はあたしはパルスィのモノなの」

 

「いらないわよ、ぬえにあげるわ」

 

 その姿で私にそう笑いかけないで。

 そんな風に顔を見上げて微笑まれると、あの女があの御方を見上げるように見えるのよ。

 私はそれを見つけても何も言えなかったのに‥‥

 こんな風に見られて何を言えばいいのかわからないというのに‥‥

 あの御方の声は私には届くことはなかったのに‥‥

 あの女を写した瞳と優しい笑みしか見えなかったというのに‥‥

 

「パルスィもいい女が腕にいるのよ?もう少し笑ってもいいのよ?」

「自分でいい女って言ったよ」

 

「笑う?……そうね、アヤメもたまにはいい事言うわ」

 

 何故全員が歩みを止めるの?

 そんなにおかしな事でもあったかしら?

 みんなで私を囲んで顔を覗きこんでなんだっていうの?

 そんなに可笑しい?

 引き攣っているかしら?

 

 ニヤニヤと楽しそうに……妬ましいわ。

 

 




道中BGMで一番好きかもしれません。
ボスBGMも当然好きです、どちらも何故か儚い気がして。


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第四十三話 ぶらり温泉巡り ~参~

既視感を覚えてそれが何だったかわかるとスッキリする、そんな話。


 初日の出など見られないというのに浮かれ気分で騒ぐ町並み。

 あっちを見れば鬼たちが大笑い、こっちを見れば女連れで角を消えていく者。

 そんな男を引っ掛けようと派手な着物を開けさせる女達。

 どこもかしこも浮かれて笑い大いにはしゃぐ妖怪ばかりがいて、ここは本当にあの地獄の三丁目だった場所なのかと疑わしいくらい。

 赤提灯が立ち並び、男も女も老いも若きもどんちゃん騒ぎ。

 もはや騒げればなんでもいいといった雰囲気だ。

 それでも横に広がりながらたらたら歩くあたし達の集団が近づくと、皆が皆目を丸くして足を止めては途端に静かになっていく。

 

 木桶を抱えて笑う土蜘蛛、それと並んで笑う鵺。

 迷惑そうな顔した橋姫に体重を預けてくっつく化け狸。

 狸の尻尾にゃ小さい二本角がくっついて、その隣にも豪快に笑う一本角がいる。

 こんなちぐはぐな集団が狭い狭い地獄街道のど真ん中を歩いてるんだ、誰だってなんだって足を止めて眺めるだろう。何かの拍子にちょっとぶつかって誰かの機嫌でも損ねた日にゃあ、どこまで死ねば許されるのかわからないような集団。

 自殺願望があってもお断りするような集団だ。

 

「いい加減重いわ、離れなさいよ」

「あたしも尻尾が重いのよ、だからこれはお裾分け」

 

 誰に冷やかされても気にせずに、あれからずっとパルスィの腕を捕らえて離さずに歩いているが、あたしの思いに比例してか体も少し重くなった。

 それもそのはずだ、今のあたしは二人分‥‥いや一人分と言うには少しばかり小さく軽めの体か、それを尻尾にくっつけている。初詣で多少は潤っただろうあの妖怪神社で巫女と一緒に呑んだくれていると思っていたが、まさかこっちにいるとは思わなかった。

 あたしの尻尾に張り付く小鬼、分銅三つを引きずりながらあたしの歩みを妨げる者。

 勇儀姐さんも見ながら笑ってるだけで済まさないで助けてくれればいいのに、萃香さんを力尽くで引き剥がせるこの場で唯一の人なのに。

 豪快に笑う度に下がっては直している着物の肩口、ギリギリなその着物の肩口を思い切り良く下げてやりたい気分だ。

 

「年始の祝に勇儀の所へ会いに戻ってみれば、アヤメがいるとは思わなかった。もふもふへの埋まり始めにゃいい日だ」

「萃香が飽きたらあたしも座るかね、いつもの服より歩きにくいんだ」

 

「所有権はあたしにあるんだけど‥‥でも、ダメね。今のあたしは人のモノなの、順番ならこっちに聞いてからにして」

「ヤマメ、助けて」

 

 煙管咥えて見上げてみれば、いつもの瞳とは違った意味で瞳を濁らせた橋姫がいる。

 ヤマメに助けを求めているがあっちはぬえと楽しそうだ、助けて欲しい相手に抱えられる木桶からは哀れな者を見る目線を感じるが、そんな事は気にはしない。

 しかし大所帯になったものだ、最初はぬえと二人でしっぽりと温泉めぐりをするつもりが気がつけば盛り合わせなのだ。アクの強い者達が寄り集まってしまったこの集団で地霊殿へと赴いて、あのジト目の主と会うのがとても楽しみだ、どんな目を見せてくれるのか……

 想像するだけで楽しくて堪らない。

 

「鬼の四天王が二人並んで歩くなんて、何年ぶりに見る景色なんだか」

 

「こっちに来てから二人で出歩くなんてなかったからねぇ」

「勇儀の家で飲む以外なかったからね、ここにあいつらがいれば鬼の四天王揃い踏みだ。懐かしいねぇアヤメ」

 

 あたしは三天王しか知らないが、あの人もこの鬼達のように笑うんだろうか。

 たまに顔を合わせればなんだかんだと説教三昧でやかましいから困るのだが、あたしに対してありがたいものを説かれても妖怪がそれを聞くわけないというのに。

 萃香さんがこっちにいて神社にいない今を狙って今頃神社にでもいるのかもしれない。

 しばらく姿を見てないが、新年早々ガミガミ言っておめでたい巫女の呆れる顔がすぐに思いつく辺り中々印象深い人。

 

「あんた達以外は見たことないけど、二人で四天王じゃないのね」

「まだ外で人間達と真剣勝負をしてた頃は四人だったのさ、気がつけば一人ずついなくなって今じゃ二人だ」

 

「アヤメを追いかけまわしてた頃は三人だったね、萃香との喧嘩は良い肴だった」

 

 

 強いと聞けば追いかけて喧嘩を売っては呆れる毎日。

 どこかに面白いのはいないのかと暇を持て余す日々が続く。

 あたし達の噂を聞きつけて我こそはと声高に叫ぶやつほどつまらない。

 己の力量も弁えられない、相手をするのも面倒な輩達。

 たまに楽しいものと言えば心を磨き上げ瞳に炎を宿す人間くらい。

 妖怪連中も見習ってくれないかと酒を煽って愚痴をこぼす。

 

 そんな変わり映えしないつまらない毎日を過ごしていた時に、萃香が面白いのを見つけたと騒いで五月蝿くなった。今度は何を見つけたのかと聞けば、萃香を差し置いて霧の怪異だと人間の里で騒がれる妖怪がいるとの事だ。

 またつまらない半端者なんじゃないかと、気にも留めずに酒を煽った。

 

 萃香があんまりに騒いでうるさいからあたしとあいつの二人も混ざり、霧を探してあっちこっちへとぶらついた。行く先々で話を聞けば、人を化かして笑っては酒と煙管を楽しんでいる人間好きの人食わず。

 随分とちぐはぐな奴もいるもんだ。

 ちぐはぐな奴を少しだけ気にしながら酒を煽った。

 

 あちこち探してついに萃香が見つけたらしいが、あたしは違う妖怪違いだと言われしょぼくれて帰ってきやがった。噂を便りに見つけた相手は霧の怪異なんて大それたもんじゃなくただの化け狸だったらしくて、口ばかり達者で弱そうな半端者だったそうだ。

 喧嘩を売る気にもならなかった、そうぼやく萃香を横目にしながら酒を煽った。

 

 萃香がまたまた騒いでいる、今度は惑わす煙がいるんだそうだ。ゆらゆらと漂って人を惑わしてはおどけて笑い煙管をふかす、人間好きの人食わず。

 前にどっかで聞いた話だなと、少しだけ引っかかるモノを酒で流し込んだ。

 

 またまた萃香がしょぼくれている、どうやら噂は本当にただの噂だったようだ。 聞いた話を素直に信じて都の近くへと顔を出してみれば、楽しそうに鵺と語らう狸しか見かけなかったと。

 いつかの噂も狸だったな、そんな事を気にしながら酒を煽った。

 

 今度はあたしが噂を聞いた、霧に紛れ煙を纏い高らかに笑う化け狸の話。

 これだけ噂が繋がれば疎いあたしでもさすがに気付く。

 萃香は体よく化かされて笑われていたんだと。

 鬼を相手に化け勝負、面白いのを見つけたと萃香とあいつに教えてやった。

 

 噂の元へと辿って行くと、やっと見つけた化け狸。

 萃香が散々探してようやく追い詰めた相手、喧嘩を売っても暖簾に腕押しな態度のつれない女。鬼を相手にやる気のやの字も見せないこいつがなんとも可笑しくて、可笑しくて。あいつとあたし二人で笑い、萃香と化け狸に嫌な顔をされてしまった。

 

 萃香と喧嘩おっぱじめて随分たったがようやく決着。

 結果だけなら萃香の勝ちだが負けた狸は気にしていない。

 負けて笑うとはどういうことだい?

 真っ直ぐ見つめ本心を聞けば、生き残ったからあたしの勝ちと高笑いしやがった。

 なるほどそういう勝負もあるか……

 高笑いするこの狸、あたしはこいつを気に入った。

 

 鬼しかいない毎夜の酒盛り、田楽踊りを披露する鬼を眺めて笑う一匹の化け狸。

 萃香が瓢箪を薦めてもつれない返事ばかりのようだ、その酒は強すぎてゆっくり楽しめない、酔いつぶれるから自前でいいわ、そう言い捨てて右肩からぶら下げている白徳利を煽り笑うこの狸。

 その酒の味は如何なものか。

 

 あたしの首と白徳利を賭けての一勝負‥‥挑んでみたが売れ残る。

 酒は旨いがあたしの命は飲めないし、飲んでも旨くなさそうと言いやがった、これを聞いてたあいつと、言った狸が笑い始めて喧嘩をする気もなくなった。それでもあたしは諦めず、いつかはあの白徳利を拳一つで奪ってやろう。

 そう誓い酒を煽った。

 

 人攫いをしては毎日笑って過ごしていく中で、人間が少し変わり始めた。

 正面切っていざ勝負!

 そんな喧嘩がなくなっていき、人に騙され死んでいく身内が増えてきた。

 少しずつ小さくなる宴会の輪、それを見つめ酒を煽った。

 

 あいつも人を見限って山を離れて姿を消した、残るは少しと萃香とあたし。

 あたしも萃香も冷め始め酒宴の機会も減っていった。

 

 久々に人間たちが現れた、たった四人の人間に身内は討たれ山は燃えた。

 あたし達に毒酒を盛り正面から切りかかってくる。

 今と昔両方を混ぜ込んだ人間達の戦い方。

 昔はよく見られた正面から喧嘩を売ってくる人間達を思い出したが、毒が回り動かない体ではまともにやり合う気にならない。萃香もあたしと同じ気持らしくて、わざと切られて体を散らし消えていった。

 あたしも大袈裟に切られて見せて、大袈裟に逃げてその場を去った。

 

 行くアテもなく喧嘩を続け流れに流れて行き着いた少し明るい地面の底で、死にぞこないの同胞と毎日酒盛りをする日々。

 よくある日のよくある宴会の最中、あたしの薦めた酒が飲めないと、珍しく反発してみせた気概の見える若い鬼。よく言ったと笑って軽めに吹っ飛ばすと、鬼が転げて店が揺れた。 

 揺らした店が傾いて、開けてもないのに戸が開く。

 ふと眺めるといつかのあいつ。

 まるで走馬灯でも見たように昔の景色が頭のなかで回り出す。

 妖怪違いとは思えなくて、昔良く見た長羽織を叫び止める。

 つれないのも相変わらずか、変わりないままにいた化け狸。

 嬉しくなり、嬉しさついでに肩を掴んだ。

 

 いつもつれない狸が初めてあたしの喧嘩を買ってくれて、見事にあたしに勝利した、いつかの賭けの景品だと笑って首を差し出すと、どうせなら酒が旨くなる盃を貸せと言われてしまった。そういやあたしの命は飲んでも旨くないなんて言われたなと思い出して、その場で笑い転げた。

 

 

 いつもの酒場がやけにうるさい、誰ぞ面白いのでも来たのかと期待を胸に戸を叩く。

 そこにいたのは化け狸、あの橋姫に絡み酒とはやっぱりこいつは面白い。

 混ざって飲んで笑っていると、気がつけば一人二人と増えてきた。

 この狸の周りには何かと面白いヤツが集まりやすい気がする。

 類は友を呼ぶのかね‥‥あたしもその類なのかね、そう思い酒を煽った。

 

 新年だからと萃香が来て、久々のふたり酒。

 久しぶりにこういうのもいいねと、笑う度に崩して着ている着物が下がる。

 私に対するあてつけかい?

 そう言う萃香を笑い倒して吹っ飛ばす。

 いつかのように店が揺れ、いつかのように戸が開く。

 いつかのように目をやると、橋姫に絡むアヤメが見えた。

 萃香を起こして教えてやると、言うが早いかアヤメの尻尾に飛びついた。

 右肩からぶら下げた白徳利を揺らし萃香を叱るアヤメを笑い店を出た。

 

 類ばかりのその集団。

 今はそこに混ざり、たらたらと歩いている。




あいつって誰なんですかね。


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第四十四話 ぶらり温泉巡り ~四~

隣の芝生は青く見えるか、そんな話。


 〆年末も大概騒がしかった都だけれど、新しい年を迎えてもその騒がしさは変わらないままだ。

 ここに住む者達は血の気が多い者ばかりだが、楽しんで騒ぐことに長けた者も同じく多い。

 年の暮れには年忘れだと馬鹿騒ぎ、新年を迎えれば騒ぎ始めだとどんちゃん騒ぎ。

 喧嘩が始まれば殴り初めだと我先に混ざり、最終的には大乱闘。

 あの勇儀さんが現れるまでそれは続いて、たまに勇儀さんが混ざり昔の旧都の姿を取り戻すこともある。そんな喧騒に少しだけ惹かれる事もあるけれど、私がその場に混じる事はなく、混ざれもしない。私がそういう者だからだろう。

 知らずに恐れられ、知らずに疎まれて、最後には山を追われる事になった過去を思えば足を踏み入れる気にはなれない。一方的に相手の心を読み取れて、それをネタににズケズケと踏み入れられたくない心の領域に踏み込んでいく。そんな種族が受け入れられるわけがなく、忌み嫌われても仕方がないことだと悟って山を離れた。

 読まなければいいだろうなんて言ってくれる者達もいたが、私達はそうあるべき存在でそれをしない訳にはいかない。少しだけ歩み寄り理解を示してくれたそんな者達の心も読み、それを元に傷つく前に私から離れていった。

 

 中途半端に近づいて互いに傷つくなら、近寄ることなどやめよう。

 私は理解者はいらない必要ないと考えて強がっていたが、同じ力を持つ妹はそう考えてはいなかった。

 心を読むせいで周りから嫌われる。

 それを嫌がりあの子は瞳を閉ざし今は私とは違って酒宴で笑い楽しんでくる。

 そんなあの子を私は‥‥〆 

 

 途中まで書き記して赤いハードカバーの本を見つめ溜息と同時にパタンと閉じる。

 落ち着いて手記も書いていられない。

 めでたい年の始だというのにペット達が騒ぎ始めてしまって収拾がつかなくなっており、旧都の喧騒も真っ青なほどに地霊殿が騒がしい。お燐達年長のペットが騒ぎ立てている若いペット達を宥めて沈めようと頑張っているが、あの勢いではしばらく収まらないだろう。

 お空がいつも以上に目を輝かせ楽しそうにはしゃぐという事は‥‥扉を開けなくてもこの騒ぎの原因がなんなのか、うっすらとわかってしまう。

 この扉を開ければきっといつものようにやる気のない表情でいるのだろう。

 私のペット達に母のような思いを向けるあの変人がいつものようにいるのだろう。

 騒ぎや面倒事を引き連れて唐突に訪れるのはいつもの事だ。

 今日もいつもの通り唐突にふらりと来て泊めろ鬼が怖いなどとわざと思い込むのだろう。

 たまには素直になって今夜泊めてと言葉にして言ってみてもいいのに。

 そう考えてほんの少し口角を上げたところをお空に見られてしまった。

 

 私の表情から何かを察したのかお空からの引きが強くなる。

 そんなに慌てなくてもあの変人なら逃げない‥‥逃げずにいやらしく笑うだけ。

 性格の悪さを表情に表して、私との会話を楽しむ様子を見せるあの変人。

 出迎えてもいいとほんの少しだけ思える少ない私の会話相手の一人‥‥なのだが、今日はなぜだか私の歩みが早まることはなく、いつもの様に迎えられず扉を開けるのに躊躇してしまう。

 そんな自分に少しだけ戸惑うが、可愛いペット達の心が気になってしまう。

 

――あの扉を開けると終わりです――

――開けちゃだめですさとり様――

 

 お燐が宥められる、外から戻ったペット達から聞こえてくる声。

 これがとても強く発せられるモノで、それが私の足取りを重くする。

 早く早くと先へと手を引くお空、周りを沈めながら私に気を使い引き留めるお燐。

 引かれて止められ阻まれて、先に進むも後へ戻るも出来ない私。

 どちらにも行けないこの状況が、異変が終わっても旧都や地上との関わり方を変えられずにいる今の私のように思えた。

 誰かとの関わり方などおいそれと変えられる物ではない。

 相手の考えることがわかるから余計に変えられないし変わろうともしない。

 他の妖怪と関わり生きていた頃から変わらずにこうだったのだ。

 今更こいしのように心を閉ざす気も起こせず変われない私。

 

 私は以前に、あの子は読心から繋がる嫌悪を嫌って目を閉じた、などとあの人に話したが‥‥今にして思えば変わりたくとも変われない自分がイヤで瞳を閉ざしたのかもしれない。

 瞳を閉ざし無意識下での行動をするようになってからこいしは変わった。

 変なところばかり目立つ事が多いけれど、それ以外の部分が私には強く感じられた。

 何かを気にすることなく誰かのところへ行くようになり、それが当たり前だというように誰かと交わるようになり、色々なところで誰かと笑うようになった。

 この間などは誰かの酒宴に混ざり酔いつぶれて背負われてきた。

 相手に粗相をしてしまうほど酔い楽しむ妹をその時初めて見た。

 その時に私は初めて思ってしまった。

 心を閉ざして好きなところで生き好きな所に行く妹が羨ましいと。

 臆病なのはこいしだったのではなく私なのかもしれないと。

 

 少しの思考に囚われている間に私の綱引きの決着はついていたようで、後は扉に手をかけるだけという状況になっていた。

 気がついたら移動していて我に返ったら扉を開く寸前。

 まるで無意識で動いたかのようでこいしは毎日こんな風に過ごしているのかなと、少しだけこいしの心に触れられた気がした。

 目を輝かせるお空がもう限界寸前だ。

 私達姉妹とは違う第三の瞳がランランと輝きその興奮具合を表している。

 招き入れる者などほとんどない引き扉を引いてこの騒ぎの原因を迎え入れようと、扉を開いた瞬間だった。

 

~瞳混乱中~

 

「その目が見開くところを初めて見たわ、ジト目以外も出来たのね」

「予想していたよりもその‥‥多くてさすがに驚いてしまったのですよ」

 

 ゲラゲラと笑いながら新年の挨拶をするこの変人を中心としたよくわからないこの集り、変人の態度の悪さはいつもの通りだが今日はそれが気にならなくなるくらいに騒がしい。

 土蜘蛛や釣瓶落としに橋姫それと勇儀さんはまだ理解できるが、何故そこに萃香さんがいて以前に封印されていた鵺まで伴って、私の屋敷に来ているのかわからなかった。

 

 冗談半分で言ったのが真となり、鵺と二人で地獄温泉巡りついでの年始回りらしいが、この変人ならそれくらいはあると予想できるが……まさか年始の挨拶相手をそのまま引き連れてくるとは思わなかった。

 動機を聞いてみればたった二言だけ読み取れた。

 

-反応が見たくてやった、愉快で堪らない-

 

 簡潔に答えられ、溜息すらつけなかった‥‥それでも招き入れてしまったものは仕方がない。

 あれだけ騒いでいたペット達を、軽いひと睨みで黙らせた勇儀さんには少しの感謝と多大な注意をしてお茶の準備に勤しんだ。

 

 誰かへと淹れるもてなしのお茶。

 最近は二人多くても五人分しか淹れないポットでは一度の湯量では人数分に足りず、何度かに分けて淹れたため時間を取られてしまった。手が足りないので手伝いにと呼んだお燐も来れくれず配膳に困ってしまったが、変わりに手伝いに来てくれた案内係に手伝わせてなんとか移動を始めた。

 普通なら応接室での対応となるのだろうが入りきれずに食堂へ来客を通し、お茶を用意しそこへ戻ると静かな食堂が随分と様変わりしていた。

 まるで我が家のように寛ぎ酒を煽りだす鬼にそれを見て笑う土蜘蛛と鵺、橋姫に絡むが逆に両肩を抑えられ拒否されても笑うあの変人。

 そんなあの変人を楽しい見世物でも見ているような目で眺める燐とお空。

 

 一人静かにこの風景に混ざらない釣瓶落としと目が合い同情されてしまった。

 皆の心が飛び交い見た目も中身も騒がしい景色。

 ここは本当に私の屋敷なのか、愛しい妹と可愛いペット達と毎日を静かに過ごしている地霊殿なのかわからなくなりそうだった。

 部屋の者達が私に気がつくと今度は私一人に向かう心だけで騒がしくなる。

 私の第三の目までも閉じてしまいたい、そう思えるくらい騒がしくてあっけにとられた。

 

      ――へぇ、さとりのくせに面白い顔をするじゃないか―― 

――旧都でもこんな顔してれば声かけてやるのに――

    ――視線を浴びて人気者ね―― 

         ――さとり様変な顔! さとり様お腹すいた!―― 

  ――さとり様‥‥これはもうどうしたら――  

   ――あの顔……今なら覚りの考えがわかる、私釣瓶覚りになるの?――

      ――さとりはよ~温泉はよ~酒はよ~!――

 

 それぞれがそれぞれに、私に対して声を聞かせてくる。

 遠い昔、お山にいた頃以来の騒がしいこの空間の中で、一人だけ故意的で確実に言葉として考えている思いをぶつけてくる人がいる。読みたくなくても聞こえてくるここの誰かの声の中で一つ、聞き慣れたいやらしい笑い声と共に私の事を考える変人がいる。

 

――これだけいたら能力使っても煩くて読めないでしょ?――

――普段騒がしいだの言われてるから、お年玉の意趣返し、気に入った?――

 

 抵抗強い橋姫をしぶしぶ諦めて今度はお空に抱きついていて、私の位置からではその表情はわからないがどんな表情なのか容易く想像出来る声の主。

 全く本当にこの変人は……きっといつものようにいやらしく笑っているのだろう。

 読み取れる心がいつもの笑い声と変わらない雰囲気で、それを少しも隠そうともしないで‥‥それがなんだか可笑しくて、私はつい笑ってしまった。 

 

               ――なんだ、笑えたんじゃないか――

           ――いい顔するじゃないさ――

     ――可愛らしく微笑んで妬ましい――

            ――さとり様笑った! うにゅ? なんで!?―― 

 ――さとり様が楽しそうに‥‥―

               「お姉ちゃん笑ってるほうがいいよ」

     ――赤い方の目、いつもより赤い――

 ――なんだいなんだい、笑えば姉妹そっくりじゃないか――

 

 私に向かって今までに感じたことのない心が飛んでくる。

 こんな場合どうしたらいいのか体験したことがなくてわからなかった。

 考えるうちに少しずつ笑っている顔も目もいつものモノに戻っていくのがわかったが、それ以外知らない私はどうしたらいいのだろうか?

 慣れた表情に戻りきる前に、意地の悪い声が聞こえてくる。

 

――お年玉が気に入ったならそれなりの表情をして欲しいわ――

――さっきまでそれなりの表情を見せていたくせに――

――すぐに戻るなんて冷静ね、お母さんは妬ましく思うわよ――

 

 戻りきる前にやられた最後の不意打ち、耐え切れず再度笑ってしまった。

 それを皆に見られてしまって、今度は心のほうだけではなく声として笑いが聞こえてきて、私も混ざって皆で笑った。

 瞳を閉ざしてこんな雰囲気の中に毎日身を置く妹がさらに羨ましく思えた‥‥が、思い直して。

 閉ざさなくとも同じ雰囲気の中にいる私をあの子は私と同じように羨んでくれるだろうか?

 いつの間にか帰ってきていて、輪に混ざり笑う妹を見つけてそう思った。



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第四十五話 ぶらり温泉巡り ~五~

やる時はやるし、そんな話


 普段の地霊殿では考えられないような品数の料理を一緒に作り、みんなで美味しく頂いた。

 いつもは三人前、たまに多く作っても四人前か五人前になるくらいで十人前以上を作る事なんてなくて手こずった。それでも一緒に調理場に立っていたお姉さんはテキパキと料理を作り、小さい萃香さんを使って運ばせていた。

 鬼をそんな風に使うなんてあたい達には考えられず、最初は怒られて食べられると思ったんだけど萃香さんは当然のように千鳥足で運んでいく。大昔のどこかの宴会で少し振る舞ったら割りと好評で、作る代わりに並べるくらいしろと叱ってから手伝わせるんだって言ってた。

 あの勇儀さんも同じように扱うこのお姉さんだけど、そんなに長生きのお姉さんには見えなくて素直には信じられなかった。 

 

 みんなでいただきますとごちそうさまをして、今はカチャカチャと音を立てながら尻尾を三本並べての洗い物。お夕餉の洗い物はあたいの仕事の一つなんだけど、このお姉さんが遊びに来た日にはこうやって二人で洗い物を済ませる。あたいもお姉さんも互いに慣れたもので洗う側とすすいで流す側、何も言わずにサクサクと済ませていく。

 

 さとり様やこいし様にはあんなに意地悪に笑って楽しそうにしているのに、あたいやお空に見せる顔はとても柔らかい。さとり様達にもそんな顔見せたほうが喜ばれるよって言っても、それじゃ面白くないわといって柔らかく笑うお姉さん。一番最初にこの狸のお姉さんとあったのは結構前で、まだあたいくらいしか变化できるペットがいなかった頃だったはず。

 

 

 髪は血塗れで両の腕を失くし体は血だらけ、これはもうすぐ死ぬんじゃないかと期待に胸膨らませて近寄ったのが初めましてだった。何か話しかけられたけど、そんな事は気にせずにこれが死んだらあたいの物だときっちりとマーキングをしていた。臭い付けも済ませてもう後はいつ死んでもいいよ、早く死んでよと鳴いて知らせ見上げたら、このお姉さんの肩におっかない顔が生えてた。

 

 いつもの冷静なあたいだったらすぐに気付いていたんだけど、そん時は新鮮な死体が手に入ると舞い上がってしまっていた。猫のあたいに猫かぶってないで正体見せな、出でないと取って食っちまうと恐ろしい事を言う鬼のお姉さん。

 被っているもの剥がしたらあたいは猫じゃなくなっちまう、それは困ると変化して鬼のお姉さんに泣きついたんだ。

 

 ビリビリと刺すような視線の鬼のお姉さんを尻尾に乗っけた狸のお姉さん。

 何も言わずにあたいを見ていて鬼のお姉さんに言い訳するあたいを眺めていたんだ。

 見知らぬ狸のお姉さんにちょっと甘えてみただけさって、鬼のお姉さんに言い訳したんだ。

 でも言ってから気がついたんだ。

 この鬼のお姉さんは嘘が大っ嫌いだったって事に。

 それに気がついたもんだからもう焦って鬼のお姉さんに泣きついたんだ。

 それでもこの狸のお姉さんはあたいを見て微笑んでいるだけで何も言ってこなかった。

 もうダメかさとり様ごめんなさいって思った辺りで、やっと狸のお姉さんがあたいに何かを聞いてきたんだ。

 

 さとり様に呼ばれて来たらいなくて困ってる。

 早いとこ腕を治したいからさとり様を呼んでこいって話だったと思う。

 鬼のお姉さんが怖くて怖くてこの辺りはあんまり覚えていないんだ。

 それでもあたいの本能が覚えていたモノもあるけど。

 

 狸のお姉さんが普通なら腕が生えてる所を見ながら言った、腕落っことして困ってるって話。

 これを聞いて二の鉄は踏まないよう十分に注意しながらあたいの自己紹介をしたんだ、火車だから腕探してきてやるって。勿論返す気なんてサラサラなくて、中々死にそうにない狸のお姉さんは諦めて腕だけでも拾ってこようと思ったんだ。

 ついでに鬼のお姉さんからも逃げられてこれはいい作戦だ。

 そう思って矢継ぎ早に狸のお姉さんに言ったんだ、そうしたらもっとおっかない事になっちまったのさ。このお姉さんが落とした腕なんてもうない、形になってない、あたしの腕はこの背中の鬼がどっかに飛び散らしたって言うんだ。

 あたいはびっくりしちまった。

 だってあの鬼のお姉さんとやり合って無事でいるお人だったんだ。

 さっきまで早く死ねと思っていたのに、そんなにすごい妖怪だとは見えないのにそれを聞いておっかなくなっちまってさ。もうどっちのお姉さんも恐ろしくて恐ろしくてガタガタ震えてたらさ、狸のお姉さんがニヤニヤしだしてさ、さとり様さようならって考えたんだ。

 

 でもそのタイミングでさとり様が来てくれた、あたいを助けてくれたんだ!

 さとり様、あたいは生きた心地がしなかったです。

 それからお茶を淹れてこいと逃してくれて、なんとかそこから離れることが出来たんだった。

 きちんとお茶を用意してさ、頼まれた部屋へと行ってさあ入ろうとしたんだけどなにか話し声が聞こえたんだ。さとり様が二人に向かっていっぱい話す声が聞こえてきたんだ、楽しそうな笑い声まで聞こえてきて、あんなに誰かと話すさとり様をあたいは知らなかったんだ。

 どんな話をしてるのか気になって、お茶なんてそっちのけで後で叱られるなんて気にせずに聞き耳を立てたんだ。

 

 しばらく聞いていたんだけど、どうやら狸のお姉さんはさとり様に心を読まれてるってのに騙すことを考えてたみたい。やっぱり悪くておっかない妖怪だったんだと思ったんだけど、何かを話して鬼のお姉さんの大笑いが聞こえてきた。

 何を話せばそうなるのかなんて知らないけど、小さく八雲がどうとか形式がどうとか聞こえて八雲って言えばあの胡散臭い紫色のやつと九尾の狐くらいしか思いつかなくて、それを知ってる狸のお姉さんはやっぱり悪いやつだと思ったんだけど‥‥

 

 もやもやしてたらさとり様があたい達に言うような優しい声で、それなりには、とか聞こえてきてさらにわからなくなっちまった。

 判断出来なくて扉の前で悩んでいたら、さとり様に呼ばれた。

 聞き耳立てているのを怒られると思ったんだけど何もなくて、お姉さん達が帰るまでその日は叱られなかったんだ。

 

 

「お燐おいで、洗い物済ませたご褒美あげるわ」

「お、なんだいお姉さん? 今日は何をくれるんだい?」

 

 小さな小鉢に入っていたのは削り節まぶした少しの猫まんま。

 あたいはこれが好きなんだけどさとり様はよく思ってなくてはしたないなんて言うんだ。

 でもこの狸のお姉さんはたまにこうして色々とあたいにくれたりする。

 最初の印象なんて吹っ飛ぶくらいいつも優しいんだ。

 あたいだけじゃなくて、あの目つき悪くて話せないし飛びもしないデッカイ鳥の案内係にも同じように優しいしお空にはもっと優しい。

 

 確か、このお姉さんが酔いつぶれたこいし様を背負ってうちまで送り届けてくれた時だ、こいし様が耐え切れなかったのかお姉さんの着物に粗相をしても、お姉さんは酔っぱらいなら仕方ないとやさしく笑いながら言うだけだった。

 さすがに悪いと思ってさ、いつも綺麗にしてる着物だったし。

 さとり様がお姉さんを風呂へ誘っている間にあたいは着物を掃除してさ、どうにか綺麗になったから後から一緒に風呂に入ったんだ。そうしたらさとり様はもういなくて変わりにお空が大はしゃぎしてて、お姉さんはそれ見て酒のんで笑ってた。

 お空が風呂で泳ぐ度に何本もお銚子の乗ったお盆が揺れてさ、溢れそうになっても叱らないで静かに笑ってた。実際何本か溢れても叱られることなんてなくて、これじゃあたし達はお鍋の具みたいね、なんて言って笑うんだ。

 それからあたいは笑うお姉さんと一緒にちょっとだけお酒飲んでたんだ。

 そうしたらお空が静かになった。

 沈んじまったんだ。

 酒風呂で泳いですっかり湯当たりしたみたいでさ、さとり様を呼ぼうと思ったんだけど、その前に冷水って言われて急ぎで取りに行った。

 持っていった桶が小さいから何度か汲みに行ってる間にさとり様に出会ってお空の事を伝えてさ、大きな桶で持って行きなさいって言われてさ、探して持っていたんだ。

 

 そしたらお空の看病するのがさとり様に変わってて、お姉さんはいなかったんだけど少ししてバスタオル一枚から浴衣になって戻ってきた。寒い季節じゃなかったけど濡れたままでずっといたからすっかり冷め切っててさ、それでもそのまま帰るって言うんだ。

 お空を見てて貰ったしさすがに悪いと思ってさ、着物は洗ってまだ乾かないから帰りに来ていく着物がないって嘘ついたんだ。それでも浴衣で帰るって言うお姉さんなんだけど、さとり様があたいの心を読んだんだろう、泊まっていってと仰ってくれたんだ。

 いつもは狸のお姉さんが泊めてと来る事ばかりで、さとり様から泊まっていってと言う事は今までなかったからあたいは少し驚いた。

 それを聞いたお姉さんもそれなら泊まっていくと言ってくれてさ、冷えた体をもう一回温めに風呂場に歩き出してさ、あたいに酒盛り付き合えって言うんだ。

 あたいもお姉さんと同じで濡れたまま走り回ったから冷えてたんだけど、お姉さんはそれに気がついててあたいを誘ってくれたんだけど‥‥お空が心配だったしさとり様だけに任せるわけには行かなくてさ、悪いと思いつつ断った。

 それでお姉さんが浴場に消えてからさとり様があたいを撫でてくれたんだ、行ってもいいって言われたけどさとり様が優しかったから、一緒にお空の看病をしたんだ。

 

 

「食べたなら渡して、洗うから」

「ご馳走様お姉さん。でもあたいがやるからいいよ」

 

 出された手には小鉢を渡さず、あたいが洗い物をしようとしたんだけどその時にちょっとお姉さんとぶつかって小鉢に張り付いた鰹節がお姉さんの着物にくっついちまった。

 さとり様の差し上げた真っ白な着物なのに小さな醤油染みができてしまった。

 これはさすがに叱られると思った。

 とても大事にしてくれているみたいだったから。

 あっちの部屋の人達にわからないよう声を殺して泣きながら謝ったんだ。

 

「ごめんよお姉さん、綺麗な着物なのにほんとにごめんよ」

「お燐、よく見てて」

 

「えぇ!?なんで染みが消えるんだい!?あたい化かされたのかい!?」

 

 泣くあたいを撫でながら狸のお姉さんが染みの所を同じように撫でたんだ。

 そしたら染みが消えちまった。

 化かされて泣かされたのかと悲しくなったんだけど、お姉さんが言うにはそうじゃないみたい。

 この着物貰ってからはずぅっとこっちしか着なかったら、あたしの着物はこれなんだと皆に刷り込まれたんだって。でもそれだけじゃ染みが消えるのがわからなくってさ、納得出来ない顔してた。

 そしたらちょっとわかりやすく教えてくれた。

 

 お姉さんは元は狸なんだけど、誰かが霧やら煙やらだ! きっとそうなんだ! と思ってそれが形になった混ざりモノの妖怪だから、誰かが綺麗な着物のままの姿で思い出してくれるなら、綺麗な格好に戻せるらしい。着物や煙管なんかはいつでも戻るけど、腕や足は時間がかかるんだってのも言ってた。

 ずっと狸のお姉さんだと思ってたって素直に言ったらさ、あたしは霧で煙な可愛い狸さんなのよって笑ってくれた。全部は長くて言いにくいから全部言わなくてもいいかいって聞いたら、撫でながらなんでもいいわって言ってくれた。

 自分の事なのになんでもいいとか、お姉さん案外テキトウだねって言ったら笑ってデコピンされちまった。偶におっかなくていやらしく笑って、さとり様の目が怖くなる事ばっかりするお姉さんだけど、なんでかあたい達には優しい不思議なお姉さん。

 テキトウっていうか、見る人によって色々変わる人なのかなってあたいはその時思った。

 



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第四十六話 ぶらり温泉巡り ~六~

二回目の温泉回、以上。


 久々に手料理なんぞしてみたけれど思いの外好評で鼻が高い、いつも手伝ってくれるお燐はもちろん他の地霊殿の住人には何度も振舞っていて、すでに悪くない評価を頂いていた。

 鬼連中も大昔の宴会が懐かしいと喜んでくれたし、以前は酒の肴ばかり作っていたが最近はあの女将に教わったりもしていて料理の幅を広げておいてよかった。

 覚えた料理を喜んでくれたのも当然嬉しいのだが、なによりもその他の連中の顔が中々にいいもので一人ほくそ笑む事ができた。キスメは素直に美味しいと褒めてくれた、ぬえとヤマメは騒いでいたのがもっと五月蝿くなったし、パルスィも静かに驚いてくれたようだ。

 あたしが作ると言った時にはものすごくひどい顔をされたが、実際に食わせてみて予想外だという反応を見るのも楽しいもの。

 種も仕掛けもない物で簡単に驚かせられるんだ、狸としては複雑だが女としては上々だろう。

 後で他の場所でもやってみるか、どんな顔されるのか少し楽しみだ。 

 

 大いに飲んで楽しく笑い、腹も満たせば目的地。

 あたしが地霊殿に泊まる楽しみの一つ、地底世界名物旧地獄温泉。

 その大元に一番近い地霊殿の大露天風呂。

 頻繁に泊まってはお空やお燐と並んで入っているが、今日みたいな大人数で入ることはまずないけれど、それでも今日の人数くらいは余裕な広さの風呂だろう。

 外の一番景色のいい場所にある大露天風呂をメインとして、他に露天風呂が一つと内風呂一つ、古明地さん家ってのは結構な風呂好きなのかね?

 それともお空の発熱に対する冷却機関として多めに備えているのだろうか、どちらにせよ楽しみが多くてありがたい。

 

 いやそれにしても絶景かな絶景かな。

 雪が食事中に降りだして積もるほどの勢いだったが、今は勢いを弱めて眺めるには最高な小雪のちらつく地獄の大露天風呂。

 そこの湯船に集って盃を交わし語らうは揃いも揃った妖怪少女。どれから眺めて肴にしようか選り好みしてもそれでも余り、見ながら選んで揉める余裕があるくらいだ。

 大露天風呂の端から華のさかづき大江山が二つ、ついで小粋な地獄烏の大二つに赤い小山。

 そこから横であたしとパルスィ、ここはほとんど標高の差がない、以前に化けた機会にしっかりと確かめた事もあるから間違いない。大露天風呂から少し離れた小さい露天風呂の方に見えるのはぬえとお燐とヤマメの六連山、活発でスレンダーな割に意外とあるなという感じか。

 三つ目の姉妹は大差がないように見えるが姉が遅いのか妹が早いのかわからないね。

 後に残るは大江山と並んで湯に浸かる小江山、いや山じゃないな平原か絶壁か。

 そして驚いたのはあの専用木桶風呂にいるあの子。

 意気揚々と小江山が自ら風呂場に運んでいった木桶、運ばれる方は全く気にしていなかったが小江山は唯一勝てると思っていたのだろう。

 あたしもさすがにと思っていたが、あの木桶‥‥意外と。

 そんなキスメのおかげで大江山の横で煩く絡んで飲んでは騒いでいる鬼っ子、あたしはこっちに飛び火しないようお空の方へパルスィと一緒に逃げ込んでる形だ。

 しかしお空はこの屋敷で人の形を成せる妖怪で一番若いのに一番成長してるってのは、これでいいのか屋敷の主殿?

 そこからでも読めるんだろう?

 大人数に慣れてないから妹とお燐の影に隠れてるくせにそんなに睨むな、面白いじゃないか。

 

「しかし、綺麗よねその‥‥目でいいの?」

「綺麗でしょ! 八咫烏様の目なの!」

「そっちも綺麗だけどこっちも綺麗だと思うわよ」

 

 たわわに実った瓜二つ、その片方を揉んでみる。

 あたしと風呂に入るお空にすればよくある事で互いに気にしていないが、小さい露天の目が多いヤツから視線を感じてこそばゆい。

 さとり様が女同士は不潔って言ってた! なんてお空が言うから不潔なら体洗って綺麗にすればいいのと教えたら、確かに! 洗えばいいか! なんて感心された。

 

「確かに妬ましいサイズね」

「パルスィも綺麗だと思うけど? また合わせ鏡してあげようか?」

 

「一度見たからもう驚かないわ、いきなり混ざるとか紛らわしいのよ」

 

 あいてるもう片方の瓜をパルスィが収穫し始める。

 お空は不思議そうな楽しそうな顔をしてあたし達を見比べているが、一人より二人、二人より三人の方が楽しいわの一言で納得してくれた。

 ちなみにパルスィのスペル云々の話だが、こっちに遊びに来てる時にあの山の神さまがやらかしてくれて見事に異変に巻き込まれた時の事だ。

 ヤマメと二人でパルスィの所でくっちゃべっていたらあの人間の少女たちと出くわしてって話。

 とりあえずそのときの話は今はいいか、今はこっちの瓜の収穫が面白い。

 

「そういえばアヤメは飲まないのね、珍しい」

「いつか酒風呂でお空が溺れたからね、一緒の時は当分やめたの」

「あー! あの気持よかった時の事?」

 

 酒風呂って単語だけでパルスィに何か誤解されていそうだが、酒風呂にしたのはあたしじゃなくてお空の自爆と言えるものだ。

 訂正してもいいけれど放っておいても構わないか、タダの笑い話の一つだ。

 

「まさに酒に溺れてさぞ気持よかったでしょ?」

「ちがうよ? 熱くてなって起きたら膝枕されててそれが気持ちよかったの!」

「私の心が何かを感知したんだけど、お空詳しく話して」

 

 これは逃げられる雰囲気ではないな、というよりもあたしの事を散々邪魔だ重いと言っておきながら今腕を搦めてきているのは一体誰だろう。

 こんなにくっついてくるなんて皆が見てて恥ずかしいなんて色っぽく言ってみても解いてくれないし、これは困った。

 

「起きたらアヤメの膝枕だったの!冷たくて気持ちよかった!」

「そう、冷たかったの。お空が気がつくまで体が冷えても気にせず膝枕だったのね?」

「そう! アヤメ冷たかった! 浴衣直してくれた手も冷たくて気持ちよかった!」

 

 あれから恥ずかしがってずっと笑いかけてくれなかったのに、今日一番の笑顔を何故今あたしに向けるのかわからないわ橋姫さん。

 確かに風呂場で水場だけど、なにもそんな水を得た魚のような表情をしなくても・・あたしは今まな板の上の鯉なわけなんだが。

 

「そう、ずっとそうしてくれてたのね。良かったわねお空」

「うん!バスタオルのままで太ももが冷たくて気持ちよかった!」

「あ、でもね一回じゃないよ! 前にもあったはずなの!」

 

 過去のモノでもちゃんと覚えているのか、力のないただの地獄烏と言って馬鹿にされていたのが随分前の事のように思える。

 この子が馬鹿にされ帰ってくる度に黒煙を上げて延焼する家が増えたのはいつ頃だったか、さとりが複雑な表情であたしを睨んだが何も悪いことはしていなかった頃だ。

 

「お空、実はね‥‥私も膝枕してるところ一度だけ見たことがあるのよ」

「えっ!!?」

「見た? なんの事かしら?」

 

「私の弾幕に混ざって二人共負けた後、アヤメは帰らなかったでしょう?気になったのよ」

 

 ……あの後か、いつものようにヤマメ達と一緒にパルスィの橋へ遊びに来ていた時に突然始まって否応なしに巻き込まれた異変。

 あのあたしの苦手な方の山の神さまがエネルギー革命だって叫び、お空に八咫烏の御力を授け、暴走したお空が地上を灼熱地獄に変えようとしたあの異変。

 

~少女帰想中~

 

 いつものように地底を訪れてキスメで笑いヤマメと話した後、橋で佇むパルスィを見つけて貴女はいつでも暇なのねなんて言われていた時。

 不意に地が揺れ火柱が上がり、そこかしこから怨霊がわき出した。

 何が起きたかわかっていないあたし達が何事かと周囲を見ていると、見慣れた脇の開いた装束を着たおめでたい巫女が飛んで来た。

 

 地底から吹き出す怨霊退治にやって来た異変解決にまじめに動く博霊の巫女に、ヤマメとキスメが問答無用で撃墜されて旧都の空を飛んで行くのをパルスィと二人見送った。

 次は誰が喧嘩売られるんだろうと話していたら、パルスィが妬ましい何かが来るといって騒ぎ出し黒白の魔法使いがやって来た。次はパルスィか頑張れと煙管ふかして眺めていたが、いつもと違う黒白の動きが気になってまじまじと見ていた。

 いつかどこかであたしを貫こうとした人形達が黒白の周りでサポートするように動いていて、パルスィに聞かずともあたし一人で妬ましい原因に気がつくことが出来たと笑った。

 

 しばらくパルスィの瞳の色に似た弾幕やスペルを眺めて楽しんでいたんだが、随分と追い込まれて劣勢になった頃パルスィがスペルカードをあたしの近くに落としたんだ。

 舌切雀『大きな葛籠と小さな葛籠』というスペルカード。

 たしかこれは‥‥と思いつき、パルスィに届けるために途中乱入する形で横槍を入れた。

 

 1VS1を邪魔するな。

 二人の魔法使いから言われてお前らには言われたくないと思ったんだが、パルスィの邪魔をする気は毛頭なかったので煙管咥えて煙を纏いパルスィにウインクして合図を送ってみた。一瞬怪訝な顔をされたがうまく伝わってくれたようで、仕方ないという表情のパルスィがスペルを宣言。

 黒白の魔法使い達はパルスィ三人を相手取ることになった。

 小玉弾が本物パルスィで大玉弾がスペルで出した分身パルスィ。

 追加の三人目は緑色の妖気塊から緑のレーザーを放つどこか胡散臭いパルスィ。

 本物と胡散臭いので分身に隠れながらスペル効果時間ギリギリまで使い粘ったが撃墜することは出来ず、魔法使い達の切り替えながらの連携弾幕で三人仲良く落とされた。

 分身を派手に爆発させて目をくらまし、あたしもパルスィも手傷を負うことなく撃墜という形になったんだがその後が大変だった。

 見送った博霊の巫女が勇儀姐さんとさとりを破り、異変の原因であるお空へとたどり着いたらしく、地霊殿の庭にあるお空の仕事場やその近くから火柱が立ちっぱなしになってしまった。

 

 あの子はどれだけの力をつけてどれほど暴走してるのかと。

 このまま放っておけばお燐や他のペット達も危険な目に会うかもしれないと考えて、撃墜されたヤマメとキスメをパルスィに任せ飛び立った。

 火柱を避けつつ地霊殿に接近すると黒白にやられたお燐を見つけたが、まだ動けるくらいの傷に見えたため酒で消毒だけ済ませると、ペットやさとりをここから連れて離れるように指示した。

 お空お空と泣き喚いたが何とかする大丈夫とだけ伝え、お空の元へとあたしは駆けた。

 お空がいるだろう地霊殿の最深部、灼熱地獄跡へと向かう途中こいしを見つけて不思議に思ったが、お空の居場所を誰かに教えるために敢えて姿を見せていたそうだ。

 

 こいしに聞いた通りに向かうと、博霊の巫女が優勢でもうすぐ決着するかという雰囲気だったが、最後の暴走を始めたお空に呼応するように灼熱地獄跡の炉内温度が高まっていった。

 弾幕ごっこの決着事態はついたのだろう、博霊の巫女が飛び去り炉内から脱出する姿が見えたのだが、少し様子を見ていてもお空が脱出する姿は確認出来ず、あたしは炉心近くへと降りていった。

 

 もう本当に炉心の近く、ただの化け狸だったならとっくに焼け死んでいたかもしれないような場所でお空が横たわる姿を見つけた。

 着物も体も熱に耐え切れなくなってきており、少しずつあたしも燃え始めていたが、立ち登った煙が集まればまたあたしとして復活出来るかもと、安直な思い込みをして高温の炎を纏うお空を担ぎ炉心を離れた。炉の半分くらいまでどうにか戻れて少し安心した頃に、さっきまでいた炉心方面が明るくなるのが見えた。

 この核融合炉の核であるお空がいなくなり、暴走という形で歪な安定をしていた炉心が崩壊でもしたのだろう。さすがにあれに焼かれればあたしでもダメだろうな、それでもこの子ならどうにか焼けずに生き残れるかも‥‥それなら来た甲斐があったもんだと覚悟を決めて、灼熱地獄跡からの脱出を急いだ。

 

 出口が近づきもうすぐ出られるという時に崩壊の余波があたし達を襲った。

 成るように成れと思いお空を力の限りぶん投げて出口から放り出して、あたしにしてはやるだけやったわと満足しながら炎に飲まれた。

 少しして痛いのか熱いのかわからないモノが全身に奔り気が付いた。

 あたしの半身以上が焼けただれて黒煙を上げている。

 その見た目は生きているというより動く死体のような姿だったが、動く度に全身を奔るモノを理性で押さえつけ無視する形でどうにか動くことが出来た。

 

 全力でぶん投げたお空はどうなったのか?

 それだけが気がかりで、焼けた足と皮膚が剥がれ血塗れとなった足を交互に動かし歩き探し回ると、少し探してやっと見つける事が出来た。炎に飲まれず済んだのか炎事態が効かないのかわからなかったが見た目だけは無事に見えたお空が倒れていた。

 痛みを我慢する事に耐えかねた足がもう動きたくないと言い出す前に、横たわり動かないお空の真横までどうにか引きずり歩いてそこから動けず座りんだ。

 

 息はあるが触れれば熱く、どうやら放熱しきれていないらしい。

 熱さにうなされ顔を歪ませるお空。

 なんかないかと周りを見たが徳利はお燐に預けてしまっていたし、冷やせる水分のようなものは見当たらなかったのだが自分の血で濡れて真っ赤な半身を見て思いついた。

 今のお空よりはひんやりとしているかもしれないと。

 

 この体で保つかという不安も確かにあったがこれだけ焼かれているんだ何を今更と納得というか諦めというか、そんな境地にいたりお空の頭をまず冷やす為膝枕することにした。

 予想通り、いや予想以上にあたしはひんやりしていたらしく、お空の頭を載せた腿から少しの焦げる匂いと血の蒸発する匂いが混ざる煙を上げながら冷却することが出来た。

 少しの間そのままお空を冷却し、熱さからか血を失い過ぎたからか朦朧とする視界の中ほんの少し動いたお空を確認するため声をかけた。

 

「お空‥‥大丈夫?」

「うにゅ……あっつい……」

 

「今お燐が助けに来るからそのまま‥・寝てなさい」

 

 火照る額と頬を撫でながら声をかけたら反応が返ってきてくれた、これならとりあえずは大丈夫だろうと力を抜いて、お空の頭を上から覗き込む姿勢のまま意識が途切れた。

 

 

「パルスィの見間違いじゃないの? あたしは知らないわ」

「そう‥‥ならそれでいいわ」 

 

「そ。それでいいのよ」

「うにゅ? 二人だけでわかってずるい! パルスィさっきの教えて!」

「私の見間違いらしいわ」

 

 先程の笑顔を消していつも見ている呆れたような表情はせず、少しだけ真剣で珍しく真っ直ぐなパルスィの瞳を真っ直ぐ見つめ返し答える。

 一瞬だけ真剣味の増した表情を見せたがすぐに見慣れた表情に戻ってくれた。

 

「見間違い? でも私は覚えてるよ!?」

「熱さで頭やられちゃったんじゃないの、お空」

 

「そんな事ない!覚えてるもん!」

 

 アヤメひどい事言う! なんてプンスカと騒ぎ出しさとりやお燐の方へと行くお空を見送ると、パルスィがあたしに冷酒を薦めてきた。

 

「火照った体は冷やしなさい、のぼせるわ」

「お空も戻ってこないだろうし、もう飲んでもいいわ」

 

 パルスィのお酌を受けて盃を煽る、話を盗み聞きしていたのか勇儀姐さんや萃香さんもこちらに加わって鬼神三人相手の酒盛り。

 

「アヤメはあの後自分がどうなったか知らないだろう?」

「目が覚めた時には勇儀姐さんの家で動けないようにされていたけど?」

 

「あたしの家に来た時にはすっかり冷めた体だったのさ、綺麗な流水の近くを縄張りにしている奴がどうやらアヤメを冷やしたらしい」

 

 旧都で綺麗な流水なんてあったかなと少し考えていると、体の支えにしていた右腕を引っ張られて滑り底までガボっと沈み込む、こんな子どもじみたかわいいイタズラ誰がするんだ?

 と考えたが鬼連中は正面にいて、あたしの腕を引っ張れる位置にいたのは一人しかいないわけで‥‥

 

「早くのぼせてすべて忘れたらいいわ」

「そうなったらまた誰かが冷ましてくれるかしら?」

 

 湯船に横になり体のほとんどを沈めて、空気が吸える程度にだけ顔を出してそう伝えたらまた沈められた、これじゃあのぼせる前に溺れるわ。

 もしそうなってもまた誰かが助けてくれるのかなと、誰かの体の動きに合わせて波紋の揺れる水面を湯船の底からぼんやり見ていた。







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第四十七話 ぶらり温泉巡り ~七~

妖怪リモコン隠しの正体、そんな話


 主の命だと言いながらどこか楽しげに、炊事洗濯住まいの掃除にとくるくる動き回る九尾の尻尾を眺めながら煙を漂わせる。

『貴女の好きな物見遊山よ、楽しんできて頂戴』

 なんて言われて行ったはいいが、大昔の喧嘩の続きだとノリノリの一本角に絡まれて両腕を失い散々だった。

 

 地上に戻り言われたとおりに自宅で待っていたら現れた八雲の使い。

 言われた通りに見てきたもの感じたものを伝えると、ご苦労だったと一言だけ言って動かなくなった八雲の式。仕事も終わったし主の所に戻らないの? と問いかけると、式の隣にあの見慣れた気持ち悪い隙間が開き胡散臭いのが顔を出す。不便そうで可愛そうだから少しの間貸してあげるとだけ言って、すぐに隙間は閉じた。

 

 隙間の後ろでゆかり~? なにしてるの~? どこのぞいてるの~?

 と聞き覚えのある声が聞こえたが、多分あの友人にでも会いに行っていたのだろう。

 閉じる隙間から揺れる九尾の方へと目をやると、ほんの少しだけ苦労が伺える瞳になった。

『そういうことだ、しばらくは面倒見てやる』と藍に言われて呆けた顔で見つめたら、

『そんな顔をしないでくれ、いつもの気まぐれなんだ』と目を伏せて話していた。

 ‥‥藍は出来た従者だわ本当に。

 

 藍の甲斐甲斐しい世話のおかげで、あたしが思っていたよりも随分と早く腕を生やせて左腕は完全に元に戻った。片腕一本あればなんとでもなると藍に伝えて追い出しにかかったが、両腕が戻るまでという命を受けたから帰れんと居直られた。

 毎食の時の事さえなければ藍との生活はそれなりに楽しいものだし、息抜きにでもなっているのか笑顔も見るしまあいいかと追いだすのを止めた。

 すべての家事をこなしてくれて非常に助かるのだが、一つだけ不便が出来た。

 

 風呂上がりに使うタオルが二人分では足りなくなったのだ。

 九本も生やした尻尾の水気を取るだけでも毎回大変そうに見えた。

 ふわふわの九尾も水分含むとこうなるのかと笑ったら怒られた。

 

 そんな共同生活も両腕が戻るとすぐに終わり、藍に感謝を伝えまた一人暮らしに戻ったのだが少しおかしい事が続いた。あたし一人のはずなのに茶葉の減りは早いし、勝手に竈の火が起きていたり風呂が湧いていたり食事のおかずが減ったりする事が続く。

 地霊殿から戻り藍と暮らしていた頃も度々あった事だが、互いにどちらかの仕業だろうと何も言わずにいたけれど、よくよく考えれば藍はつまみ食いはしないだろう。

 タオルもいくらあの九尾が水分たっぷりだとしても日に十枚近くも使うことにはならない。

 なにかおかしいと思い始めた。

 

 多分今も家にいるだろうに姿を見せず、あたしや藍に感付かれることもない‥‥

 座敷童でもいるのかと思い炙りだしてみようと考えた。

 まず罠の準備から始めた、仕掛けは簡単で食事のおかずを並べてあたしが隠れるだけ。

 そして周囲にあたしの妖気を薄くのせた煙草の煙を漂わせる、これでなにかいればわかるだろうと思い罠を仕掛けた。

 

 結果は成功したのだが想定外の見つかり方だった。

 煙の妖気に反応はなかったがおかずが浮いて何処かへ消えていく時だけ、あたしの煙の中に見えないなにかのシルエットが浮かんだのだ。

 なんだあれ?

 少女くらいのシルエットがその日のおかずの焼き鳥の串を掴んでそのまま串以外を消していくのだ。座敷童子は見かける事が出来ないのではなく姿が見えないものだったのか、一人でそう納得して罠の次の段階へ移った。

 2段階目は焼き鳥の串に能力を使い、摘む指から逃げるようにしてシルエットがあたしの近くへ来るまで待つ作戦。

 

 しばらく踊る焼き鳥を眺めていたが、あたしの方へ串が向きシルエットが近づいてきた。

 今だとそのシルエットの腰回りに尻尾を巻いて、座敷童を捕まえる事に成功した。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、さてこの枯れ尾花の正体はなんだろうか‥‥

 捕らえたと認識した瞬間にシルエットが色づいた。

 

「あはは、ついに見つかった」

「どこの子かしら?というよりいつから居たの?」

 

 捕まった事を気にせずあたしの尻尾にじゃれつく少女。

 大きなリボンの付いた黒い帽子に袖にフリルの付いた長めの黄色いブラウス。

 綺麗だがどこか捉えにくい緑眼に、瞳と同じ色合いのスカートを履き体から管を伸ばした姿。

 

「お姉ちゃんすごいね、なんでわかったの?瞳を閉じてからバレたことないのに」

「正確にはわかってないわ、捕まえてからはわかったけれど。それより瞳?」

 

 問いかけると笑顔で管に繋がる球体を指さす座敷童。

 言われて気が付いたがその球体には睫毛のようなモノがある。

 それを認識して思い出した、地霊殿に向かう道すがら勇儀姐さんから聞いたあの地底のジト目の妹の話・・覚りの癖に心読めなくなった瞳を閉じた妹の事。

 

「さとりの妹? 座敷童じゃなかったのね」

「覚りだけど覚りじゃないようなものなのよ、心は読めなくなったし読まれなくなったもの」

 

 姉の方はジト目が三つだったが、妹の方は一つ閉ざしていて可愛い目が二つだ。

 なるほど、この瞳を閉ざした結果そうなったのかと一人納得してると楽しそうに質問された。

 

「狸のお姉ちゃんも私に似てるわ、そこにいて動いているのに誰も気がついてない感じがするの。私と同じように何か閉じたの?」

「貴女とちがって閉じるようなモノがないわ。それにあたしの場合は気がつかれないのではなくて、気にされなくなるって感じね」

 

 多分能力の事を言っているんだろう。

 地底について勇儀姐さんに会いたくない一心であたしに向かう意識を逸らした。

 勇儀姐さんにはあのよくわからん能力で突破されたが、そうなるまでは地底の住人があたしを気にすることはなかった。

 

 確かに似ているところがあるかもしれないが少し違う、あたしは受動だがこの子は能動?

 いや無反応か?難しいな。

 それよりもだ、この子はあたしの能力に反応せずあたしを見つける事が出来るのか・・

 幼いなりしてやるじゃないか。

 

「あたしは見られても気にされなくなるだけ、貴女は見つけるのも大変だからちょっと違うわ。妹妖怪さん」

「う~ん、変わらない気がするけど‥‥それより妹妖怪って誰のこと?私は覚りの古明地こいしよ?」

 

 座敷童が座敷童じゃなかったことに驚き、そのまま会話に入ってしまったため紹介を忘れてた。

 紹介前にこの子が誰かは検討が付いたが、きちんと名前を聞けたんだしあたしも紹介しないと失礼というものだ。

 

「あたしは囃子方アヤメよ、霧で煙で狸さん」

「霧? 煙? 面倒くさいからアヤメちゃんね、それでお姉ちゃんと何話してたの?」

 

 アヤメちゃんと呼ばれるほど若くないつもりでくすぐったいがここはいいか、かたっ苦しいのよりはいい、それよりもさとりとの会話が気になるなら直接聞けばいいのに、何故あたしに聞くのだろうか?

 姉妹仲でも悪いのか?

 

「さとりから何か聞いたりしてないの?」

「アヤメちゃんと同じタイミングで出てきちゃったから、お姉ちゃんとは話してないのよ」

 

 ということは地底からここに帰るまでずっといたのか。

 なるほど、つまみ食いやタオルはこの子の仕業というわけだ。

 

「少し話して騙せないか考えたり、一緒に鬼を馬鹿にしたりかしら」

「覚りの前で覚りを騙す事考えるとかなにそれ面白い、あのお姉ちゃんと一緒になって鬼を馬鹿にするのも面白いねアヤメちゃん」

 

 心は読めなくなり覚りとしての本能は捨てたが、何かを楽しんだりする心までは捨ててはいないのか。

 あの姉とは対照的にコロコロと表情を変えて、なにか浮つきっぱなしといった感じで笑う子だ。

 

「あのなんて、姉に向かって結構言うのね」

「だって心読めるから家の人以外近寄らないし、お姉ちゃんも自分から誰かに近寄ることがないもの」

 

 心が読めるのに敢えて他人から離れるとは勿体無い、色々と楽しいし遊べることも多いと思うが。同じように他者の声を聞きそれを私欲に利用した人間とは間逆だ、妖怪と人間の立場としてはそれこそ真逆な気がするが。

 

「友達少なさそうだものね。さとり目付き悪いし」

「ものまね? 似てるね、一個少ないけど。お姉ちゃん友達いないのに部屋から笑い声が聞こえたからびっくりしちゃった」

 

 あたしのジト目も結構いけるようだ、あの姉に似てると言われてあまり嬉しくないのが残念なとこではあるが。

 それより会話での笑い声が珍しいなど、思っていたよりつまらない暮らしをしているようだ。

 

 お屋敷で飼われている大量のペット達は友人の変わりかね?

 言葉が交わせなくても心が読めればそれでもいいか、話せるお燐のようなのもいるし。

 

「家で笑い声なんて聞かないからね、アヤメちゃんやっぱり面白いのよ」

「褒められたのか微妙だけど、ありがとうでいいのかしら?」

 

「褒めたよ? それよりもまたお姉ちゃんと遊んでもらえる?せっかく笑える友達出来そうなのに多分お姉ちゃんは何もしないから」

「心を読んでいる癖に付け入る隙があって面白いからたまにならいいわ、ペット達も可愛いし・・でも一つ約束してほしいわ」

 

「約束? お姉ちゃんじゃなくて私に?」

「さとりはイヤですって言うもの、それにここにいないわ。約束の内容はあたしが遊びに行く時はこいしも家にいる事。あたしにお願いするならあたしのお願いも聞くべきよ?一緒にお姉ちゃんからかって笑うのも楽しいわよ?」

 

 それは楽しそうねと笑う妹妖怪、なんだきちんと覚りしてるじゃないか。

 心を揺さぶってそれを楽しみ笑う、十分に覚りだ‥‥影は薄いが。

 

「でもずっとアヤメちゃん見てるほど暇じゃないし、意識も出来ないよ?私はふわふわしてるから」

「ずっと覗かれてるのはあたしもイヤだわ、じゃあこいしが家に居たら泊まっていく。いなかったらさとりで遊んで帰るわ‥‥それでいい?」

 

 さとりで遊ぶと言ってみても気にされずそれでいいわと身内の承諾を得られた、これでいくらでも遊べるというものだ。それともわかった上で承諾したのだろうか、そうまでして他者と触れ合わせたい姉思いの妹ともとれる気がしないでもない。

 

「じゃあなるべく地底かアヤメちゃんの周りにいればいいのね?」

「さっきそれほど暇じゃないって言ってなかった?こいしも友達のところでも行けばいいじゃない」

 

「私も友達いないよ?気が付かれないからできないわ。だから毎日ふらふらしてるの」

「変なとこだけ姉妹なのね」

 

 あんなに目つき悪くないわとぶすくれてはいるがまんざらではないようだ、表情は明るいまま。

 身内同士なら仲が良くて当たり前とまでは言わないが、親しい者で争ってもつまらん事しかないし仲が悪いよりはいいだろう。

 

「アヤメちゃん、次はいつ来るの?」

「うん?暇な時ね」

 

「いつ暇なの?」

「そのうち」

 

「いつ?」

「‥‥じゃあ今から」

 

 普段気が付かれないから見つかると反動でもあるのだろうかこの子、しつこい上にやかましい。

 

 

 鬼神三人相手の酒盛りはぬえを生贄にして抜け出して、お空の逃げた先であるこの宿の主人と妹女将のいる小露天風呂に潜り込む。

 さすがにこっちは狭いのでこいしはあたしの腹の上に座り、肩を寄せあって湯に浸かっている。

 以前の約束通りにこいしとあたしが一緒にいる時は姉で遊ぶことが多い。

 妹の心は読めないがあたしの心を読んで何をされるのかはわかるが、あたしと楽しそうに笑う妹を思うと止められないらしい。 

 ただ、こいしの方はペット達やあたしで遊ぶことも多くて、今も好き放題に揉まれている、アヤメちゃんはお空にしてるから私にされてもいいのよね?

 そう聞かれてダメとも言えずにされたい放題だが、お空よりも張りがあるよと嬉しい事を言ってくれるいい子だ

 

 地霊殿に通い始めてこの住人と付き合うようになってから、こいしには触り癖や弄り癖があると知った。今は案内係のあの鳥も、以前はこいしの遊び専用ペットだったらしく、あのデカイ羽やトサカの羽毛を乱れさせていた事があった。姉の方に似て表情を変えないあの案内係だったが、そうなっている時は何がいいたいかあたしでも心が読めた。

 

 好きに揉まれてそのまま気にせず隣のヤマメやお燐と話していると、さとりに不意に聞かれた。貴女達そんなに仲いいんでしたっけ? と聞かれたので、あの後あたしが地上に戻ってこんなことがあったのよと妹と二人で話した。

 

「そういう理由なのよ、さとり」

「そういう事なのよ、お姉ちゃん」

「アヤメさんが押し掛ける理由と、妹を家や地底で良く見かける理由はわかりました。質問に対する答えではなかったですが・・」

 

 ジト目に睨まれながらこいしと声を合わせて事後報告を済ませる。

 諦めた表情をしてはいるが第三の目は妹を見つめたままだ、妹やペットを見つめる瞳はいつも穏やかな物で、誰にでもそんな目が出来るなら友人の一人くらいすぐに出来そうなものだが中々難しいらしい。他人の心読んでうまく誘導するだけだと思うが、それをやって追われた苦い思い出があるからやりたくないんだと。

 読みたくないならなら読まなきゃいいし、読まれても気にしない相手でも見つけろと言ったら素直にそうですねなんて頷かれた。

 前に同じ事考えたらそんな奇特な友人はいらないなんて言ってたくせに‥‥

 こんなあたしの思考を遮るようにお湯かけられてしまった。

 なんだ照れてるのか?

 こいし見てみろ、あのお姉ちゃんが照れているぞ‥‥

 なんだいいつもの顔にもどるなよ、つれない。

 

 妹の方はあれからも稀にあたしの家に来ているようだ。

 知らないうちに茶葉が減っていたりすることがある。

 てっきり勝手に我が家を休憩場にしている性悪うさぎのせいで減りが早いのかと思っていたが、私もいるよ? なんてあっけらかんと言われた。

 それでもここで飲んで食って遊んでいる分を考えれば安いものだと思えたので、どうせならあたしの分のお茶も淹れろとだけ言っておいた。

 素直にわかったと聞いてくれたしそのうち我が家で急須と湯のみだけが浮く風景、もしくは楽しそうにお茶を用意してくれるこいしが見られるか?

 我が家での小さな楽しみが出来そうだった。

 



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第四十八話 ぶらり温泉巡り ~帰~

帰るまでが遠足 そんな話


 小雪と湯煙の中普段は集まることすらないメンツで楽しく語らった露天風呂の時間も終わり、今は各々が湯冷ましに何処かへ行ったり寝たり飲み直したり。

 鬼二人は当然飲み直していて食堂が笑い声で騒がしい、ヤマメキスメにパルスィは地霊殿が珍しいのかお燐の案内で屋敷の探検に出かけた。

 お空は降り出した雪のせいで灼熱地獄跡の温度が下がってしまったらしく一人だけ仕事だそうで新年早々大変だ、屋敷に戻ったらうんと甘やかしてあげよう。

 

 さとりは長時間続いた慣れない集団行動に疲れたのかもう寝たらしくこいしはそれに付き添っているようだ、こいしからありがとうなんて言われたがあたしは楽しんだだけだ何もしていない。

 この企画の発案者であるあたしとぬえは鬼に捕まって食堂の騒ぎの中に混ざっている、メンツを見れば外の世界で当時騒いでた連中ばかりになってしまった。 

 

「あの頃と比べれば一人足りないが、私がアヤメを追いかけていた頃のメンツで懐かしいね」

「またそれ? あたしはぬえちゃんとだらだらしてたのに追いかけられて苦い思い出だわ」

 

「アヤメちゃん、一度逃げると中々戻ってこなかったもんねぇ」

「萃香はしつこいからな、目を付けられたのが悪いんだ」

 

 人の知らないところで勝手に目を付けておいて喧嘩を売り歩くような連中の道理など理解できそうにないししたくもない。

 鬼連中の道理に比べればまだ隣のぬえの正体のが理解できるだろう、正体と言っても伝説のような猿? 虎? 雷獣? ではなくこの見たままの可愛い娘が正体なのだが。

 ぬえの能力は正体を知られている者には効きにくいらしい、ただ曖昧にしか知らない者には十分効果があるようでぬえとしてはそれでも遊べるからいいんだそうだ。

 自力も年期も格も十分にあるし、能力が多少効きにくかろうと大概の遊びなら確かに問題ないだろう。

 

「なに? 人の顔よぉく見て?‥‥あぁやっと私の素晴らしさに気が付いた?」

「ぬえちゃんの良さも可愛さも十分わかってるわよ?」

 

 地底に二人揃っているせいか少しだけ外での頃を思い出してぬえの顔を眺めていたら気付かれたが、何も問題はない。

 ちょろっとこんなふうに、可愛いとか素敵とか言うだけでも背中の赤いのと青いのが揺れるわかりやすい可愛い旧友。

 正体不明を売りにしているくせにこんなにもわかりやすいんだもの。

 人間に封印されても仕方がない気がする。 

 

「あの都を騒がせた鵺がこんなのだとは思わなかったねぇ」

「ああん? こんなのとはどういうことよ、勇儀」

 

 ぬえがあたしと同じように勇儀姐さんや萃香さん達鬼連中に気後れしないのは、同じ時代を外で過ごし人間の脅威となっていた同胞だからだろう。

 鬼が喧嘩をしたって話は聞かないがやり合えるくらいの大妖怪ではあるのだが、如何せんその見た目に取られて威厳がない。

 鬼連中もあたしと同じように見えるのか、何かにつけて面白がってよくからかう。

 

「アヤメちゃん今酷い事考えたでしょ?」

「怖い怖い鬼に楯突くぬえちゃんはかっこいいって思っただけよ」

 

 さとりのように心を読むわけでもなくただあたしの表情から思考を当ててくる。

 それくらい他人の事をよく見ている。

 そうした方が能力の効きがよくて惑わしやすく楽だからと本人は言うが、そっち方面以外でも細かいことに気がつける聡いやつだ。

 

「アヤメがあんまり逃げるから変わりにぬえに喧嘩売りに行ったりしたんだぞ?」

「そうなの? どっちも元気に生きてるけど、引き分け?」

 

「萃香が会いに行く前にぬえが封印されたのさ」

「してやられたのよねぇ、なんでか正体バレて怖がられなくてさぁ封印されちゃった」

 

 可愛く舌を出しながら封印されちゃったなんていうが‥‥萃香さんを撒いてから探し回っても見つからず、こっちは気になって仕方がなかったというのに。

 あたしがぬえとつるんでいた頃は丁度萃香さんに追いかけられて逃げまわっている最中で、あっちこっちへ逃げつつ動いてたせいでぬえの封印理由は知らなかった。

 妖怪としては大物の類に入るぬえを封印したと聞いて、どれほど身と心を磨きあげた人間なのかと見に行ったら、これといった特異なモノのない鍛えあげられたお侍で拍子抜けした。

 こんなのにぬえはと思ったが、いつの時代も普通の人間のせいで妖怪は消えていったのだったと気付き、一人で呆れた後に一人で見なおした覚えがある。

 

 ぬえが封印されていた頃もあたしは地底に遊びに来ていたけれど、あまり顔を会わせなかった。

 後々聞けば地底に封印されてたなんてあたしに知られたら笑われるからだそうだ。

 確かに当時の私はぬえのヤツやらかしたなと予想通りに笑ったのだが、幻想郷で封印が解け元気にしているぬえの姿を初めて見た時には柄にもなく喜んで抱きついてしまった。 

 

 その時の事を今でもぬえに笑われるが、あたしと二人でいる時に笑い話に出すだけで他の誰かがいるときには言わない辺りぬえも再会を喜んでくれていたのかもしれない。

 

「勇儀知ってるかい?アヤメが幻想郷でぬえ見つけて泣きそうな顔で抱きついた事」

「萃香さん、なんで知っ……ぬえ?」

「私だって恥ずかしいんだから言うか!」

 

「私をなんだと思ってるのさ?霧の怪異よぉ?」

 

 そうか幻想郷中に散らばっているんだったかこの幼女‥‥

 どこかから見られていたのか、あたしとした事が迂闊だった。

 それでもあまり恥ずかしいとは思えないのはぬえとの話だからだろうか。

 他の誰か、例えばマミ姐さんなんかでもきっと恥ずかしく感じると思うがぬえならまぁいいかと考える今の気分がよくわからない。

 わからないなら実践して試してみようと思い、ぬえに小さな目配せをするとノッてきてくれた。

 さすがだ相棒。

 

「ぬえちゃんバレちゃったね‥‥あたし達の事」

「そうねアヤメちゃん‥‥あまり広めちゃダメだよ萃香?」 

「ええぇぇ‥‥お前らそんな関係なの‥‥」

 

 あたしとぬえの手を重ね合わせてそのまま体を寄せて頬も合わせた。

 もう唇が触れるかという距離まで顔を寄せて瞳を潤ませる。

 そのままの姿勢で目線だけ萃香に向けて色香をのせたまま二人で見つめてみると、あたしの予想以上にドン引きしてくれた。

 これは期待以上のものだった、萃香に向けた視線をぬえに戻して次の行動に移る。

 

「なわけないでしょ? この幼女馬鹿なのかしら?」

「馬鹿なんだよ、仕方ないよ幼女だもん」

 

 その体勢のまま二人で萃香に畳み掛けると飲んだ酒が戻ってくるんじゃないかといくらい口を開いていた萃香さんがプルプルと震えだした。

 あたしもぬえも伊達に何百年も人を嘲りながら高笑いし続けているわけではない。

 これくらいなら打ち合わせなどなしでも余裕で合わせられる。

 喧嘩よりもこっちを本職としている二人なのだ、喧嘩と酒しか頭にない鬼っ子程度を騙すなど何ということはない。

 しっかしさっきの萃香さんの顔は良かった、これは滅多に見られないものだろう。

 勇儀姐さんは耐え切れずに腹を抱えてプルプルしたまま声も出ずに笑っている、人をからかうのだから正面から仕返しされても文句はないだろう?

 

「お前ら表出ろ、二人共ぶっ殺してやる」

「たとえ死が訪れても二人は一緒よね? アヤメちゃん」

「そうよぬえちゃん、死程度ではあたし達を分かつことは出来ないわ」

 

 調子に乗って続けてみたら萃香さんよりも先に勇儀姐さんが声もなく笑い潰れた、こいつは予想外だった愉快で愉快で堪らない。萃香さんも笑い潰れた勇儀姐さんを見てこの勝負の負けを確信したらしく、立てた片膝を戻してドカッと座り直した。

 勝ち誇りぬえと二人で笑いながら酒を煽ってついでに萃香さんも煽った。

 

「からかったり脅かす事で私達に張り合おうなんて、五百年は早いのよ」

「鬼の四天王の内二人を同時に打ち取れるとは、今年はいい年になるわね」

 

「でもアヤメちゃんなら本当にそうなってもいいよ」

「ぬえちゃん、あたしもそう思っているの」

 

 耐え切れなくなった萃香さんがお前らいい加減にしろ!

 と、伊吹瓢をあたし達二人に直撃させて静かにするまでこれが続いた。

 勇儀姐さんはこの間に復活する兆しを見せたのだが、不意打ちで標的を変えたあたし達の連携の前に再び沈んでいった。

 

 

 あの後はあたし達の笑い声と萃香さんの怒鳴り声に釣られた皆がぞろぞろと集まってきて、遅くまで騒ぎはしゃいだ。久々に笑い疲れるほど笑い、汗もかいたので皆で風呂に入り直しまた騒ぎはしゃいだ。幻想郷に来て一晩だけでこれだけ笑ったのは初めてかもしれない、いい旅行になったと連れだしてくれたぬえに感謝した。

 特に決めたりはしていなかったのだが朝餉も勝手に集まってきて、またお燐と調理場に立った。出来た料理を昨晩のように小さい萃香さんに渡していくつもりで皿を出すと古明地姉妹が受け取りに来た。

 こいしはともかくさとりが自ら誰かに配膳するとは思わなかったが、何か感じるところでも出来たのかもしれない。さとりが受け取ろうとした大皿を取り上げて全員分のお箸と取り皿を渡すと、ジト目を一瞬だけ丸くしながらそれを受け取った。渡さなかった大皿をこいしに渡してペット達に見せるものと同じ雰囲気で笑うといい笑顔が返って来た、昨晩のありがとうの意趣返し、うまく伝わったようだ。

 食事を済ませて地霊殿を出ると来た時と変わらない旧都の喧騒があって、それぞれその場で挨拶し喧騒の中に帰っていった。まただの次回だの余計な事は誰も言わずにいたが、その気になればまたいつでも集まれるのだからあたしも気にせずぬえと二人帰路に着いた。

 

 帰り道の旧地獄街道、ぬえもあたしも同じように誰かしらから声を掛けられるがあたしは軽く流す程度でぬえはちがった。少し前まで地底に封印されていたものだからこっちの妖怪連中の間でも顔が効くようで、久しぶりだのまた埋まりに来たのかだのと歩くだけでも声を掛けられていた。

 この見た目にこの性格だ好かれこそすれ嫌われることなど殆どなくて、誰からも気安く話しかけられ笑って挨拶している。単純な力だけでなく人柄なんだろう、周りに笑いかけながら歩くぬえを見てそう思った。

 ちんたら歩いて帰ったからか先にいつもの橋へと戻っていたパルスィに会って手を振ってみた。まさか振り返されると思わなくて一瞬固まったが、目が揺れだしたのですぐに離れた。 

 ヤマメとキスメがいつも通りセットでいたから二三会話しその場を去った、ちなみに帰り道だとキスメは襲って来ない。

 

 地上に戻り妖怪の山、たった一泊だったが随分と久々に感じる山の冬景色を眺め太陽の光を身に浴びて命蓮寺へと飛び立った。

 何故あたしまで命蓮寺へ行くのかって?あそこのご本尊は財宝の神代理。

 だから今年の金運と賭け事を祈りご利益を得ようと考えているからだ。

 祈ってから気が付いた、この本尊様に祈ったら失くすばっかりじゃないのかと。




大江山と鵺関連は正確な時代背景としては結構ずれるんですよね。
詳しくは書かないので、気になられた方は調べてみると結構面白いですよ。



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幕間 戯れ

子供の頃は雪ではしゃげたな、そんな話


 深々と降り積もる大粒の雪をぼんやりと眺めながら、大きな番傘の立てかけられた長腰掛けに座り煙管を燻らせる。暖かい季節なら店先から出されている腰掛けだが、今のような寒い時期は店の入口に並べられ軒下から里の景色を眺めるような位置取り。

 妖怪の山を飛び立って真っ直ぐに命蓮寺へと向かっていたのだが急に吹雪いてきてしまい、これはマズイと速度を上げて帰路に着いたのだが、速度を上げたのが更にマズイことへと繋がってしまって、体に当たる程度の雪だったのが黒いぬえを真っ白の固まりにしてしまった。

 あたしは雪を逸らして寒さに耐えるだけですんでいたのだが、ぬえが耐え切れなくなりぎゃあぎゃあ喚きだした。可愛くお願いでもしてくれればぬえのほうも逸らすことが出来るのだが、今のぬえは寒さと雪に負けて冷静に考えられないのだろう。

 見た目の通り体も真っ白頭の中も真っ白な状態では思いつけないのだろう。

 少し冷静さを取り戻しあたしとぬえの今の姿を見比べればわかるはずなのに。

 

 喚いていたのが静かになり何か吹っ切れたのか今度は笑い出した。

 失くすには惜しい友人を亡くしたと悲観の表情で見つめていたら急に静かになり地面へと降りていくぬえ、次は何をするんだろうとあたしもついて降りていくと、飛ぶと雪だらけになるから歩きで帰るんだそうだ。あたしはなんでも構わないが、帰宅の時間に遅れると聖とナズーリンがうるさいんだと騒ぎ飛んで帰ると提案したのは誰だったのか。

 このまま帰ってもずぶ濡れだとお小言言われるんだから、どうしたってお小言言われるならもういいやと諦め道草食って帰る事になった。

 

 人里に戻るまでは元気だったが命蓮寺が近づくと少し口数が減ってきた、今更気にしても後の祭りだろうに、元気付けるというものでもないが道草ついでだと思い、この雪でも馴染みの甘味処が開いてるのを見かけたので二人で一服することにした。

 暖簾をくぐり雪にまみれたぬえを見て、いつもは真っ黒なのが真っ白になって閻魔様にでも仕分けされたのかなんて笑う店主の爺さん。 

 いつもここで昼寝している赤いのと一緒にしないでと笑い火鉢に近い長腰掛けに座った。

 

 あたし達が注文する前にタオルと温かい玄米茶を出してくれて湯のみを手に取り暖を取る。

 なんてことはないただの湯のみだが、何も言わずに笑って出してくれた事が嬉しく余計に暖かなものと感じられた。注文したおしるこが席に届くまで先に出された玄米茶を啜り待つ少しの時間、なんでもない時間だが待つだけなので景色や気分を楽しむ。

 もうすぐ正午というところか、寺子屋が終わって子供らが雪景色の中傘も差さずに走り回り雪球を投げて遊んでいる。

 

 あれも弾幕ごっこの一つかね、後数年もすればあの巫女や黒白みたいに飛び回り弾幕ごっこを始めるのだろうか、雪球をぶつけられても笑顔で反撃し互いに笑う子供ら、元気が有り余っているのか先生にまで雪球を投げ始めている。

 ぶつけられても叱りもせずに笑いながらその環に加わり雪の弾幕ごっこに混ざる先生、ああいう所が里で慕われる理由かもしれない。

 

――早く来ないかしら

 

 誰に向けるでもなく景色を眺めたまま呟いた言葉。

 いわゆる独り言なのだが、ぬえには聞こえているだろう。

 それでも歯をガチガチと言わせ震えるぬえに会話をする余裕などなく、正しく独り言として消えていった。

 少し待つと奥から出てきた爺さんが一人分のお椀をぬえへと手渡した、中身を覗いてみれば、暖かそうに湯気を立てて優しい甘さだと見た目で知らせてくれているおしるこ。

 一人分? と言葉にはせず爺さんに目をやると、今はつぶ餡しか用意がないから狸の姉ちゃんはもう少し待ってろとの事だった。

 文句も言わず煙管を燻らせて待つ、あたしがここの店主を急かすことなどはない。

 急かさなくても一番いい時を見計らって出してくれる事を知っているから、今はあたしより震えるぬえ優先だというのもわかる。

 

 視界の先で戯れる子供らの動きが更に激しくなってきた。

 雪の弾幕ごっこも佳境に入ってきたのだろう。

 着ている服にも髪にも所々白い雪飾りを付けてきゃあきゃあと笑い遊ぶ雪ん子共。

 あれに付き合うんだから教師とは過酷な職業だ。

 

――待つだけってのもいいわね

 

 さっきから定期的に発している独り言。

 だが先程の独り言とは少し変わって、何かに語りかけるような穏やかな口調、なにか同意を求めるような声色。それでもさっきと同じようにぬえとあたしの視線の先にあるもう一人からの返答はなく、言葉は消えてしまった。

 

――寒くないの?

 

 ぬえではなく視線の先、あたし達の座る長腰掛けに立てかけられてその身の半分を雪に埋めてしまっている紫色の番傘に問いかける。言葉はないがブルブルと震えるとバサッという音を立てて傘を開きいつもの見慣れた姿を見せた。

 問いかけに対して返答はなかったが蒼い瞳をさらに蒼く、赤い瞳を寒さに耐えていたからか充血させてさらに赤くしながらこっちを睨む少女。

 丁度見つめ合う形になったところで爺さんがお椀を二つ持ってくる。

 二つともあたしに手渡され、二つ? と視線を送ると笑いながらこう言った。

 もうずいぶんと前からそこから動かなくて邪魔なんだ、どうせ知り合いだろう? これ食わせて帰らせてくれと。

 

――邪魔だって

 

 お椀を手渡しながらそう言うと何も言わずに受け取って、静かに座り食べ始めた。

 邪魔だという意識はなかったのかさっさと食べて立ち去ろうという雰囲気、だがおしるこを食べきり温かさと余裕を取り戻したぬえがあたしを挟んで絡み始めた。

 

「なにしてたの?」

「驚かそうと待ってたの」

 

「こんな雪の日に通行人なんていないじゃない」

「墓場よりはマシだと思って、ぐすん」

 

「腹減ったなら何か食べればよかったのに」

「私には唐傘としてのプライドが」

 

「それがそのざまなのね」

 

 話す二人に視線は向けずにお椀を見つめてボソッと呟いた。

 すると食べる手を止めてしまい俯いてプルプルと震えだす小傘。

 それを見て指を差し笑い始めるぬえ、さすがに泣き出すとは思わずすこし困りどうしたもんかとあたしも手を止める。

 昨日までこの程度の事は気にしない連中と話していたせいなのか?

 あたしの感覚はズレてしまったのだろうか?

 笑うか怒るかするぐらいだろうと思ったがまさか泣き出すとは思わなかった、あやすつもりで小傘の肩に手をかける瞬間、ガバっと勢い良く体を起こしあたしに対してあっかんべーとする小傘、不意打ちに一瞬呆けたがすぐにやられたとわかり軽く睨んだ。

 

「やった、わちきやってやった!お腹が満ちた!」

「鬼でもからかえなかったのに、やったじゃない!」

 

「してやられたわ、やるわね小傘」

 

 素直に褒められると思わなかったのか笑顔のままで固まる小傘、小傘に向けていた指先をあたしに向け直して笑うぬえ。

 ぬえの笑い声に惹かれて見ていたのだろう、普段化かす側の狸の姉ちゃんは化かされ慣れてねぇななんて爺さんも店内で笑っていた。

 

「小傘、その調子であっちにいる風祝も驚かせてみせてよ」

 

 視線を小傘の背の先へと移しそう言ってみると風祝!?と焦り振り向くように小傘の意識を逸らして背を向けさせる。そのまま気が付かれないように静かに動き雪球の用意をする、ソロソロと近づいて雪球を小傘の内ももへと突っ込んだ。

 

「ひゃあああぁぁぁぁ」

 

 黄色い悲鳴と共に体を反らせ飛び上がる小傘。

 

「こんな天気で生足晒してるのが悪いのよ」

「そう、足を出してるのが悪い」

 

 小傘を指さしながら腹を抱えて笑うぬえ、こっちも上手く気が逸れてくれているようだ。

 同じように背後から音なく近づいて、小傘にやったようにぬえの内ももにも雪球を突っ込む。

 

 ひょおぉぉぉぉぉと騒ぎ出し小傘と同じく飛び上がるぬえ、二人を眺めてゲラゲラと笑っていると二人が顔を見合わせ頷いた。

 捕まる前に逃げよう、そう考えた時にはすでに遅くあたしはぬえに捕まってしまう。

 両手に雪球を携えてニヤニヤと笑い近寄る小傘、助けてくれる者などおらずあたしの着物の襟口に雪球が突っ込まれた。

 

 静かな雪景色の中の甘味処、そこから黄色い声が上がり少しだけ周囲を騒がしくした。




雪責めなんてさでずむ? な話



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~神霊組小話~
第四十九話 考える死体


何も考えていなさそうな人ほど話の芯を突いてくる そんな話


 最近訪れる頻度が多いなと考えながら砂利の敷き詰められた庭先で煙管燻らせる。

 あの時は思いついただけで行動には移せなかった金運と賭け事の願掛けをしようともう一度この寺に訪れている。願掛け前にきちんと挨拶と思い、星を正面に見据え綺麗に三指ついて恭しく年始の挨拶をしてみたら何故か驚かれてしまった。普段の態度や言い草からまともな挨拶なんて出来ないと思われていたらしい。

 確かにそう思われても仕方ない暮らしぶりだが挨拶や躾には少しだけうるさかったりする。

 見えないつまみ食い犯人捕まえたり、初対面なら挨拶からと叱ったり。

 教えるべき者がいるのに何故変わりに教えなければならないのか、理解に苦しむ事もあるにはあるけれど、結果面白おかしい事に繋がっているため強く言えないでいるが。

 少し話が逸れてしまった、今に戻そう。

 

 今はもう二月の終わり。

 正月気分はとうに過ぎ、少し前にはイワシの頭を玄関に飾り付け炒った豆をあのウワバミ連中にぶつけて笑う行事があったばかり。ちょうど人里の団子屋で見かけた古い知り合いがいたので、団子屋で炒り豆を買いそのままぶつけてやろうと思ったのだがいつの間にか豆を奪われてしまった。

 あの右手、本人は何か気にしていて、包帯で隠し人目に晒さないようにしていたが、気づかれないうちにイタズラするには羨ましい腕だと思う。

 奪われた炒り豆をポリポリと食べながらあたしに説教する姿を見てそんなことを考えていたんだが、説教に集中しろとさらにうるさくなってしまった。現役の頃は自分だってこっち側だったくせに、不良上がりがいいコトするとよく見えるもので、今はすっかり仙人様が板につきガミガミうるさい説教の似合うお人になっていた。

 あたしは思うだけで口には出さないが当時の同僚たちがこの姿を見ればきっと腹を抱えて笑うだろう、それが嫌で顔を合わせないようにしているのかね。

 一本角のほうはともかく幼女の方はその辺に薄れて居てもおかしくない、隠れようがないからバレバレだと思うのだが‥‥

 

 その辺りもわかっていて直接顔を合わせないようにしているだけなのかもしれない、当時を見ていれば小さなを事気にする間柄だとは到底思えなかった。

 本気で正体を隠すつもりがあるのならあたしに接触することもないだろうし多分そうなのだろうと一人で納得した。納得したあたしの姿から何か勘違いしてくれたのか、満足気な顔をして今日のところは説教をやめてくれた。

 団子屋の店先で長々説教する自分に酔っていたと気がついたのか、少しだけ気恥ずかしそうな顔をしてその場を去って行ってくれた仙人様、あの人の説教はねちっこくてあたしは苦手だ、これならまだあの時命蓮寺で一緒に住職から説教されたほうがマシだったと思えた。

 

 雪降り積もる中妖怪少女三人で少しの雪遊びをしつつ命蓮寺へと戻ったあの時、案の定ぬえは捕まり聖やネズミ殿にガミガミと言われていた。しばらくの間はそのありがたい説教を眺めて笑っていたのだが、話の矛先があたしへと向かいそうだったので小傘の方へ意識を逸し逃げ出した。

 うまく逃げ切れて命蓮寺の庭先で煙管咥えて雪を眺むと、あたしと同じように雪を眺めて思いに耽る頑固親父殿を見かけた。

 深い思考の海に潜っている風に見えたので声も掛けずに眺めていたんだが、同じく雪に降られているのにあたしとは違って親父殿に雪が積もることはなかった。

 やっぱり積もらないんだなと思うと同時に、これなら飲んだ酒は本当にどうなっているのだろうかと、首を傾げて悩んでいたら気が付かれウインクされた。

 その見た目に似合わない茶目っ気たっぷりな親父殿は相変わらずだ。

 

 門を出て山彦からあけましておめでと~ございます!と元気よく不意打ちされ一瞬ビクッとしたが、何事もなかったように挨拶を返した。

 温泉巡りに出た日、元旦の朝はここに居らず挨拶しなかった山彦ちゃん。

 大晦日に人里で行われていた音楽祭の疲れがあったらしく夕方まで寝こけていたそうだ、あの女将も一緒になって騒ぎ結構な見世物だった、ぎゃーてーぎゃーてーぜーむーとーどーしゅーと騒いでいただけに思えたが、観客は盛り上がっていたし細かいことはいいのだろう。

 観客の姿の中には寺の住職も見えた。

 いつものように微笑みながら山彦と女将を眺める姿はどこか母のようにも見え、その姿は優しく褒めも叱りもするいかにも包み込む者らしいなと思えた。

 

 山彦に見送られ人里を離れるかという時にふと目に留まるモノがあった、真っ白い雪景色の中一箇所だけ壁に空いた穴、なんだこれ?

 と、覗きこんで見やれば寺の墓場で見慣れた者達が、ふわふわゆらゆらと漂いながら堅牢な石畳の中を舞うように動く姿が見える。顔には薄い笑みを浮かばせて軽やかなステップを踏みながら、どこまでも続くような堅い石畳の通路を華麗に飛び回る仙女、その横にはふわふわと宙を舞う仙女の周囲を同じように、ふわふわと揺れながら舞う半透明な衣と眼差しをゆらゆらさせたキョンシー。

 

 動きこそどこまでも広がる花畑にでもいるような雰囲気なのだが、ここは花畑と呼ぶには随分と暗く陰気なところ、生命活動を終えた人間が死後安らかに眠りにつく為の最後の寝床、命蓮寺の墓場下にどこまでも広がる大空間、夢殿大祀廟。

 なるほど。

 これが娘々から話だけは聞いていたあの人間の新しい住まいなのか、随分と暗い場所に新居を立てたもんだ、あの明るい太子にしてはジメジメした場所に住んでいるなと眺めていると首だけをこちらに回すキョンシーに見つかった。

 

「ちーかよーるなー! これから先はお前が入って良い場所ではない!」

「新年一発目からなってないわ、まずは明けましておめでとうじゃないのかしら?」

 

「おぉ!? おめでとう! そしてちーかよーるなー!」

 

 大昔のこの国でも新年を祝う事はしていた、その当時には生きていたのだから挨拶くらいは覚えていてもよさそうだが腐った頭にそれを期待しても無駄だったか。

 やはりこのキョンシーはモノを考えていない、娘々早く助けてくれ‥‥あたしたちを眺めてあらあらうふふなんて笑っていないで。

 あたしとしては会話が成立しにくいこのキョンシーは非常に厄介なのだが。

 

「我々は崇高な霊廟を守るために生み出された屍尢(キョンシー)である」

「我々って貴女以外は何処にいるのよ」

 

「ん?一は全、全は一なのだ、故に我々でも良いのだ」

 

 何をいきなりわからないことを。

 全一と言いたいのか?完全に一つにまとまっている?なにが?このキョンシーの事か?

 何かで壊れては変わり部品を寄せ集めて、その度にちがうものを取り込みながら修復される体。

 一というこのキョンシーの為に全から部品を寄せ集め、全から集めて一へと組み込んでいく、

 だから一は全で全は一?

 

 だめだ‥‥全く意図がわからない。

 娘々‥‥にはこの言葉の答えは期待できないな、表情を変えずに微笑んだままだ。

 

「お前は何しに来たんだ?」

「特に何も、あえて言うなら変なのに絡まれて困りに来たわけではないわね」

 

「おー! 困っているのか、私も関節が曲がらず困るぞ!」

 

 まぁ死体だから曲がらないだろう。

 いやそれとも死んで随分立つだろうから死後硬直なんて解けているか?

 娘々は柔軟体操で多少は柔らかくなっているのよと言っていたが、活動してない体組織を刺激して変化があるのだろうか?

 そもそも痛みといった反応もないはずだ、頭のタガが外れているんだから力技で曲げることは可能だろうに、それでも曲がらないのか?

 強引になら結構曲がるはずなんだが、娘々の防腐の呪で止めているから新鮮なままの死体で硬直したままなのだろうか?

 自分で言っておいてなんだが、新鮮な死体とはなんだ?

 死んでいるのに新鮮?

 まるで魚だな、新鮮な魚の死体とかお燐が喜びそうだ。

 

「困っているって言うくせになんか楽しそうだぞ-」

「いや、知人に死体好きがいるのよ。貴女なら良さそうだし死になおしてみない?」

 

「死ぬのはいかん。あれだけはいかんのじゃ」

 

 すでに死を迎えているくせに死を恐れるのか?

 こいつの語る死とは肉体的な意味での死ではない?

 肉体ではないなら内面的なものか、心の死?

 心を閉ざした子なら知り合いにいるが死んでいるとは思えないな。

 むしろ今のほうが活き活きとしていて生活に張りがありそうだ。

 なら魂の死?

 キョンシーってのは魂だか魄だかどちらかを失くして成り果てるモノ。

 以前の異変の時に墓場でこいつの修繕をしながら娘々が言っていた。

 魂は心や精神を支える気を司るもので、魄は肉体、その人の形や骨組みなんかを司るものだ。

 こいつに合わせて考えるなら既に魂は滅している。

 魂というものは人間の成長を司る部分そして心を統制する働きをするものだというが‥‥

 よくわからないな。

 

「静かになってどうした-?」

「貴女の事を考察していたの、結果よくわからなくなったわ」

 

「芳香は芳香だぞー、わからなくなんてないぞー」

 

 ふむ、腐った脳みそで自己を理解しそれを他人に発するか。

 これはあたしの思い違いだった、こいつはしっかりと考え思考しているっぽい。

 ただ断片的な思考過ぎてよくわからず伝わらない、伝えられないのだろう。

 

 それでもキョンシーが操者の命令以外で動けるのか?

 それとも娘々の術を用いれば自我を芽生えさせることもできるのだろうか?

 死から繋がる腐敗を止めて自我も芽生えさせる。

 道教の目指す不老不死に近い気がしなくもないが娘々はこれを目指してるのか?

 なら娘々はすでに道教を極めているのか?

 太子が不死化を願っていた頃もよくわからない怪しい何かを練っていたりしたからなぁ、さすがの太子も自分で飲む前にあの残念な子で試したりしていた、生前は中々狡猾であたし好みだったのに復活したら残念な雰囲気になったのはあの薬の影響なのか?

 だとしたら勧められても口にしないでよかった、さすがにああはなりたくない。

 まだもう一人の幽霊のまま中途半端に復活した方のがマシというものだ。

 

「アヤメちゃんダメよ? あんまり頭使うと芳香ちゃんみたいになってしまいますわ」

「腐るのは困るわね、腐った鯛より鮮度のいい鯛でいたいもの」

 

「そうですわ、鮮度のいい鯛のほうが色々と手を加えられてよろしくてよ」

「娘々に手を加えられるのは御免だけどね、元々混ざりモノのあたしなのにさらに混ぜられたらよくわからなくなるわ」

 

 あらあらうふふと笑う娘々と軽い会話をしながら少しだけ考えた。

 なんだあたしも芳香も大差ないじゃないかと。

 あたしはどっかの誰かが考えた霧やら煙やらといったモノが混ざった結果の者。

 芳香は娘々が思い描いて部品を混ぜ込んだ者だ。

 全の思いから生まれたあたしも、一の思いから生み出された芳香も大差ない。

 一は全、全は一ってこういうことかね。

 腐った鯛になりたくないあたしが脳みそ腐った者から何かを教わるとは思わなかった。

 



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第五十話 新居探訪

 ひらひらとした羽衣とその周りをふわふわと漂う死体に陰気な道を案内されて、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら石畳を歩んでいく。

 淑やかに笑む娘々の周囲を回りながら漂うキョンシー。

 輪廻の外に居るくせにその動きは輪なのだなと少し皮肉めいた思いを胸にしながら後を歩く。

 外の世界で持て囃されているあの寺を作った太子にしては地味で陰気臭いところに居を構えたのねと聞いてみると、ここは住まいではないわとの事。

 この場所は霊廟、豊聡耳様がいつかの復活を願い眠りについた静かなゆりかごで、仕える者達と過ごす場所は別ですわ、と答えてくれた。

 静かで暗くて涼しくて、長く眠るには最適な環境でしょう?

 なんて同意を求められたが、こんな場所に長くいたらヒョロヒョロのもやしになるわと答えると、新しい芽として出るための場所だからそれは正しい感覚ね、と笑顔で返答された。

 太子達の場合は完全に死を迎えたわけではなくいつ起きられるかわからない永い永い一時の眠り。寝て起きるだけで新しいなにかに変わるわけではないと、最初は新芽のイメージが思いつかなかったが少し考え、種芋なんかは寒い冬に田畑の中で眠り新芽を出すしこの場合はそんなものだろうかと理解できた。

 

 アヤメちゃんの考えているものは近いけれど、まったくの一緒とは言えませんわ。

 クスクスと笑いそう話す娘々。

 特に言葉として発したものではなく静かに考察していただけだったのだが、表情にでも出ていたのだろうか。

 そっと頬に触れるとわずかに口角が上がっていた。

 人を小馬鹿にする笑みとは今のあたしの表情の事を言うのだろう。

 

 しばらく進むと急に視界が開けて明るい空間に出る。

 綺麗に整えられた園庭に同じく園庭に似合うよう手入れの行き届いた庭木や池。

 池には緩く弧を描いた橋が掛かり、ゆらりと散歩するには良さそうな風景だ。

 風景自体はとても素晴らしいのだが、この景色に足を踏み入れた瞬間に何処かで味わった嫌な感覚に近いものを覚えた。この感覚の方向性こそ真逆にあるのだが間違いない、あの蠢く瞳だらけの空間に足を踏み入れた時に感じるモノ。

 それに近い感覚を覚えて一瞬だけ険しい表情をしてしまいそれを娘々に見られてしまった。

 

「雅な園庭を眺めるのに眉間に皺を寄せるのね、昔から眼鏡を掛けているし目が悪かったのね」

「視力は悪くないわ、悪いのはこの場に漂う慣れ親しんだ嫌な感じね」

 

「あら? 豊聡耳様のお造りになられた空間はお気に召しませんでした?」

「風景も空気もいいけれど、異界の空間にはいい思い出がないのよ」

 

 あたしのよく知る異界の空間。

 あの胡散臭い瞳だらけの空間を通される時は確実に厄介事や面倒事しかなかったのだ。

 ここの居心地が良くともあたしの感覚があれを思い出してしまいどうにもむず痒い。

 あっちの空間とは間逆なのに感じるものだけは近い。

 だからこそ感じるむず痒さだろう。

 

「女の子がポリポリと頭を掻くものではありませんわ、はしたなく見えてしまいます」

「元々上品でもないし痒いのを我慢するよりいいわ」

 

 ポリポリと頭と耳を掻いていたら窘められてしまった。

 何事も楽しむものだとこの邪な仙人様は仰るが痒みは楽しめるものではない。

 不快の原因はすぐに解消したほうがその後をより楽しめるはずだ。

 

「随分と静かだけど、あの皿を割るのに忙しいのはいないの?」

「布都も屠自古も外出してはいないはずなのだけれど、言われてみれば静かですわ」

 

 名前の上がった二人とも静かに思いに耽るような者たちではなかったはずだ、こうまで静寂が続くのはちとおかしい、出かけてもいないというのならなんだろうか?

 また死んだか?

 様子を伺うようにするすると庭を抜けて先に見える建屋の軒先へと歩んでいく娘々、その後をついていき、屋根から下がる提灯の札を払いながら軒先を覗く。

 ばれないように自然に覗きこみ中を確認すると、出した腹を小さく上下させて眠りにつく者と、その横で卓に突っ伏し眠る者の姿があった。

 

「やっぱり死んだのね、あの二人が並んでいるのに静かだなんて」

「折角蘇りましたのにそれでは面白くないですわ、久々に顔を合わせる者もおりますのに。今起こしてまいりますわ」

 

 そう言って歩み出す娘々の手を握り止めて、唇に人差し指を添えて促す。

 あたしの仕草に笑顔で答えてくれる娘々。

 無から聞いて十を知る者の住まいで、何も語らず仕草で思いが通じるのはなんとも面白い。

 静かに煙管を取り出して音なく煙を燻らせると、あたしの姿が愛らしく残念な姿になる、それを見てさらに笑みを強める娘々と声なく笑い、残念な者を揺り起こした。

 

「これ、起きよ‥‥腹を出して寝るとは何事じゃ」

「……んむ? 我の眠りを妨げる者は‥‥我?」

 

 返事と共に意識の覚醒を確認し、胸を張り左手を突き出し右手を下げ高らかに笑ってみせる。

 寝起きでも何が起きているかは理解できたようだが、なぜこうなっているのかまでは理解できていないのだろう、銀色の瞳が激しく揺れ動いて、我は今動揺しておると語ってくれている。

 ならばもう少し同様してもらおう。

 

「我は道教を広める為に昼夜問わず働いておるのに、我は腹を出し寝ておる、我は悲しいぞ?」

「泣くな泣くな! 我よ泣き止むのじゃ! 我とて常日頃から眠りこけているわけではない! 今日はたまたまじゃ! だから我よ、静まれ!」

 

 の? の? と布都の泣き顔を伺いながら、右へ左へとウロウロしては表情をコロコロと変えていく布都。

 なんだ意外と可愛いのか?

 その仕草に一瞬だけ心を奪われ泣き止んでしまった。

 布都の鳴き声と布都の騒がしいあやし声に気がついたのか、卓に突っ伏すもう一人の方も目覚めてしまう。

 

「あん? 布都が二人?」

 

「おお屠自古! 我が我を起こしたのじゃ!」

「おお屠自古! 我は我に泣かされたのじゃ!」

 

 同じ様な仕草、話し調子、表情で屠自古を見つめる布都二人。

 寝起きで機嫌でも悪いのか、しかめっ面であたしたちを見比べると眉間に皺を寄せて更にしかめっ面に磨きをかけた。

 

「ただでさえうるさいのにどっちが本物かわからんし‥‥」

「「我こそが布都だぞ!屠自古!」」

 

「判断出来ないからどっちも布都でいいわ、そこへ直れ! やってやんよ!」

 

 決め言葉と共に屠自古の周囲にバチバチと稲光が奔る、随分と電撃的なお目覚めだ。

 本物の方は両手で拒否の姿勢を示し少しずつずり下がっていくが、あたしは屠自古の目覚めてすぐのくせに早い判断力に感心してしまい動けなかった。

 

「あん? そっちが本物でこっちは誰?」

 

「バレちゃったわ娘々」

「そうですわね‥‥それでも面白かったし中々良い見世物でしたわ、アヤメちゃん」

 

 あたし達の会話が耳に届かず、半泣きのまま下がっていく布都は放置して、変化を解き屠自古に向かって軽く手を上げる。一瞬誰だかわからなかったようだが、眉間の渓谷が少しずつ薄く浅くなっていきそれとともに周囲の雷も消えていった。

 

「誰かと思えばなんでいるの?」

「覗き魔してたらバレちゃったわけ、だからつきまといに切り替えてみたのよ」

「新年早々つきまとわれてしまいまして、私もまだまだいけますわ」

 

 娘々と二人淑やかにあらあらうふふと笑ってみせると、表情も変えず溜息もつかないが屠自古の瞳は呆れを見せてくれた。

 二人目の布都が消えて視界にあたしの縞尻尾を映した布都もどうにか落ち着いたのか、あたしに詰め寄り大げさな動きを見せる。

 

「お主は‥‥あの寺の狸じゃな!」

「狸違いよ、一緒にされるにはあたしはまだ若いわ」

「ババアに違いはないだろ。この古狸」

 

 そうなのか? と呆ける布都は置いておいて、この古狸とは中々言ってくれる。

 生前は何をするにしても太子の側をくっついて離れず、甘いものを食してもいないのに口内を甘くさせてくれていたくせに、布都といい屠自古といい、薬を飲んだ程度で180度性格を変えてしまうのはどうかと思う、もっと自己を強く持ってもらいたい。

 

「あたしはアヤメ様‥‥と潤んだ瞳を覗かせる、愛らしい屠自古の方が好みだったわ」

「そうねぇ、あの頃の屠自古は可愛らしいお嬢さんで・・」

「うっせぇ、昔の事ばかり言ってるから古狸なんだよ」

 

 本当にあの愛らしさは何処へ行ってしまったのか?

 もう一度薬を飲ませれば同じように180度まわるだろうか?

 ついでに足も生えれば万々歳だと思うが、どうのようにやってやんかね。

 

「アヤメちゃん? 悪巧みしてるとバレバレのお顔ですわ」

「いいのよ隠してないから、それより娘々お願いがあるんだけど‥‥」

「おいコラアヤメ、布都はいいがあたしにはなにもすんな」

「屠自古? 我は良いとはどういうことだ?」

 

 娘々の腕を取りいつもよりも可愛らしくお願いしてみたのだが、あらあら困りましたわと淑やかに笑うだけで話が進まない。布都と屠自古もそっちはそっちで騒ぎ始めてしまい、訪れた時の静寂さが嘘のような騒がしい景色になってしまった。

 そんな中この騒ぎを落ち着かせるように、静かに部屋に現れた者がいた。

 

「『飲ませたい』『試したい』『笑いたい』と、三つの欲しか聞こえない者がいると思えば……懐かしい顔ですね」

「『嬉しい』ってのもあると思うわ、久しぶりね太子」

 

 髪のような耳、もとい耳のような髪を揺らしながらあたしに微笑みかける懐かしい顔。

 幻想郷で復活したという話を聞いていただけで、何処にいるのか知らなかったし直接会うこともなかった古い友人、雰囲気も当時のまま穏やかなもので、とても永い眠りについていたとは思えず、足元から髪の先まで舐めるように見てしまった。

 

「明けましておめでとう太子、今年からまたよろしくね」

「明けましておめでとうございます、物言いも変わらず態度も変わらず昔のままなのね」

 

「太子の身内が変わりすぎただけだと思うわ」

「表面上はだいぶ変わったけれど本質は変わらないのよ?布都も屠自古も昔のままに私に良く仕えてくれるもの」

 

 忠臣というよりは家族といった雰囲気だけれどその雰囲気は言うとおり昔のままだ。

 いつかも感じたが変わらずあるモノを確認できると妙な安心感がある。

 それが友人知人ならなおのことだ。

 

「豊聡耳様? 一人足りないように聞こえましたが気のせいでしょうか?」

「青娥は私達よりも早くにアヤメと会っているでしょ、敢えて言う事でもないわ」

「旧友二人から太子が復活したとは聞いたけれど、会うまで結構時間がかかったわ」

 

 旧友二人、一人は隣で微笑む娘々、もう一人はあのよくわからないあいつだ。

 妖怪の敵が復活しちゃったから外の助っ人呼んでくるなんて言っていたが‥‥全員知り合いどころか友人と呼ぶような者しかおらず、世間は狭いと実感した。

 

「時間ね、外にいた頃と違って今は死に追いかけられることもない・・これからはいくらでも時間があるわよ?」

「あたしも太子も、外ではお互い別のモノに追いかけられて散々だったし・・こっちではゆっくり話せそうで嬉しいわ」

 

 そうねと優しく微笑む太子と、いつかの大使を眺めていた時のように怪しく笑うあたし。

 病という生命の終わりに追いかけられていた太子。

 喧嘩っ早い鬼っ子という生命の終わりに追いかけられていたあたし。

 互いに追い詰められ、余裕のなかった頃では話せなかった、どうでもいい世間話でも布都や屠自古の痴話喧嘩話でもなんでも。

 いつかの中国茶をゆっくりと楽しみながら語れればいいと思えた、明るい地の底での再会だった。

 



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第五十一話 新居で昔語り

友人宅の庭先で世間話 そんな年よ(ry


 見上げてみても見回してみても、ここが地底から続くような場所だと思えない。

 まるで娘々から聞いた桃源郷のようだと感心する。

 人間の身を捨てて聖人へと成り上がった太子の力で作られたこの大空間。神霊廟。

 空間に入る際の、慣れ親しんだ嫌な感覚さえ我慢できればここはまさしく桃源郷だろう、どれほど見渡し眺めてみても桃の木は見当たらないが。

 いや、幻想郷で桃の木は妖怪の山の上にある場所だったか‥‥今はそことは真逆の位置にいるんだ、桃の木がなくても不思議ではないか。

 

 こんなどうでもいい事をボケっと考えられる静かで穏やかな雰囲気。

 それはこの風景のせいでもあるがその風景に映る友人のせいでもあるだろう。

 チョロチョロと小さな小川が流れこむ池、それに掛かる橋の上で二人並んで佇んでいる。

 片方は綺麗な姿勢で立ち腕を腰に回して笏を両手に持ってニコニコと。

 もう片方は橋の欄干に背を預け煙管を燻らせニヤニヤと。

 ポロっとどちらかが話題を振りお互いに笑い静かに佇む、こんな状態で暫く過ごしている。

 

 特に意識を逸したりはしていないのだが、気を使ってくれたのか太子と二人きりにしてくれているようで先ほどまで騒いでいた皆の姿は見られない。色々な雰囲気を楽しむ娘々はともかく、あの方向性はちがうがどちらも騒がしい二人が気を利かせてくれるとは思わなかった。

 けれどおかげでこうして二人でまったりと話し込めるのだ、今はこの優雅な時間と皆に少しの感謝をして過ごせばいいだろう。

 あたしは騒がしい雰囲気も好みだし自らそういう空気を作ることも多々あるが、皆が折角作ってくれた良い機会だ、今はこの緩い空気に身を任せる。明るいが、どちらかといえば騒がしいよりも静かな雰囲気を好む、この楽しい会話の相手。今のようにゆっくりと時間をかけて話すことなどそうなかったのだ、取り戻すというわけではないが今あるのだからそれを楽しもう。

 

「しかし、太子の復活に気づいて阻もうとしたつもりが逆に刺激して起こす事になるなんて、あの住職も意外と抜けてるわ」

「抜けてるなんて言ってはダメよ? 強引に起こされるよりはいいもの、心地良い刺激だったわ」

 

「あら、伝えておいてくれれば優しく起こしてあげたわよ?多分」

「貴方の気分で起こされるのは少し困るわ、きっと面白半分なんだろうし」 

 

 さすがに人の欲を聴き続けてきただけある、あたしの欲もよくわかっていらっしゃる。

 付き合い初めて日は長いが、付き合い自体は互いに時間が出来た時にたまに会い軽い食事とともに世間話をする程度だった。けれど、言葉を多く交わさなくてもあたしの考えが伝わったため、多くの言葉を必要とはしてこなかった。 

 太子が言うには十の欲を同時に聞けば聞いた相手の本質を見極められるし、場合によっては過去や未来まで見通すことができるそうだ。

 例えば『食べたい』『飲みたい』『騒ぎたい』『笑いたい』と聞けばこの者は宴会で笑い騒ぎたくて仕方ないという風に。

 なんとも便利で万能そうな能力だが実際はそこまででもなく、同時に十の欲を聞けないと本当の姿を見通すことが出来ないそうだ。先程もあたしに対して3つの欲しか聞こえない者がいる、なんて言っていたがさっきのあたしは屠自古にどうやって薬を盛るか?

 その一点しか考えていなかったため『飲ませたい』『試したい』『笑いたい』しか太子には聞こえなかったのだろう。正確に捉えて深く聞けばもっと細かく分類出来ると言っているが、あたしの姿を確認する前に不意に聞こえたものらしくて集中していなかったわと言っていた。

 

 常日頃からそんなに色々と聞こえていたら騒がしいし寝苦しくて大変じゃないのかと思えて、耳のような髪を利用して常に何かが聞こていたら生きにくいわねと問いかけたら、本物の耳にはヘッドホンをしているから大丈夫と言っていた。

 髪については正しい答えがもらえなかったので背を向けた時に握ってやろうと考えたんだが、伸ばす手を取られダメと窘められてしまった。

 耳もいいが目もいいのかと思っていると、『握りたい』『触れたい』『伸ばしたい』と聞こえてばれたみたいだ。

 

「また髪について考えてるわね、そんなに触りたい?」

「どうにも頭の上で揺れる物に弱いのかもしれないわ」

 

 太子の問いかけに答えながらいつかの蛍の少女を思い出す、あの子の触角もあたしの好奇心をくすぐるものだ。初めての出会いこそ光るのかどうかが気になっていたが、会話をするのに顔を合わせる度にこうピコピコと揺れる。

 そういえばあの触角にもまだ触れてないな、光るほうの確認は諦めるといえばふれさせてくれるだろうか?

 

「そうやって途中から思考の芯が逸れていくのも変わらないわ」

「性分で能力だもの、太子の耳と一緒だわ」

 

「なら真っ直ぐな型に嵌め込んでみれば逸れなくなるかしら」

 

 型にはめるとか勘弁してほしいわ。

 型に収められ物事を一つの方向しか見られないとか勿体ないしつまらない。

 それに型にはめるって言われるとあの山の神様の責め苦を思い出してしまって‥‥そもそも霧や雲、煙といった形ないモノを型に押し込んで動力にしようというのが間違いなのだ。

 形に囚われず流れているから見て楽しいのに。

 

「言った側から逸れるのね、よくそれで会話できるわ」

「変な感心の仕方しないで欲しいわね、それに相手の会話や動きを良く視たほうが騙すのは簡単なのよ?」 

 

 経験上会話や動きにその人となりが出る場合が多く、それを見極められれば後はあたしの好きな方へ誘導するだけ。誰かを騙したり化かしたりなどそれさえ出来れば八割は成功と言ってもいいだろう。

 だがそれ故に今隣にいる太子やあのジト目妖怪に対して、どうしたら騙せるかわからず攻めあぐねている節もある。

 

「ジト目? ああ覚りなのね、そっちともかく私は騙せると思うわよ?」

「あたしの考えとは逆の事を言うのね?自信家なのに過小評価するの?」

 

「どうやって騙すか考えるということはすでに覚りには試すか何かしたんでしょ? それに能力の相性もあるわ」

 

 特に何か引っ掛けたような事があっただろうか?

 ちょっと友人達を引き連れて住まいにお邪魔してみたり、妹を使ってからかってみたりしたくらいか。能力を使い逸らしても五月蝿くなるだけで聞こえてはいるみたいだし・・読まれた上で返せるちょっとした意趣返しをしたくらいか。

 

「何をしたか知らないけど、読まれているのに意趣返しって趣味が悪いわね」

「内容は可愛らしいものよ?それで相性ってなに?最近モテるから悪くないかもよ?」

 

「動物を愛でる心はあるけど言葉の意味がちがうわね・・相性というのは私の場合、貴方の欲を『聞いて』それを踏まえるいわば予知に近い推理。もしこの欲が私に届かなければ?」

 

 なるほど、直接的に心を読むわけではなく『欲』という聞こえてくる部品を組み立てて形にするのが太子の予知なわけか。それをあたしの能力で逸して太子に届かないようにしてみれば‥‥中々面白い試みだ、うまくハマれば髪触り放題もできる、試さない手はない。

 

「今なら逸れていると思うけど、どうかしら?」

「残念ね、ヘッドホンを外せば遠くに聞こえるわ」

 

「そう、残念だわ」

 

 これは良いことを聞いた、今の物言いが真実ならばあたしの能力は十分に使える。

 太子がヘッドホンを外す時、それはほぼない。

 今までの話しぶりから考えればヘッドホンなしではうるさくていられないだろう。

 それであればヘッドホンが外される機会は少なく、あたしの能力は常に効果を得られると言い換えても問題ないはずだ。

 

「悪い顔してるわよ」

「悪いこと考えてるもの、いつその耳を確認するか舌なめずりしているの」

 

「これは髪よ」

「太子‥‥あんまりじゃないかしら」

 

 どうやって触ってやろうかと思考を巡らせ始めた時に答えを叩きつけられてしまっては‥‥

 あたしのこのやり場のない好奇心はどこにむけたらいいのだろうか。

 久々に会って楽しみを見つけたというのに。

 一言で潰してくれるなんて相変わらず聡いわね妬ましい。

 

「妬むなんてしばらく合わない間に変わった?」

「こっちで出来た友人の口癖、万能すぎて使っていたら自然に出るようになったのよ」

 

「自然に出るってそういう言葉じゃないでしょうに、楽しければなんでもいいのも変わらない」

 

 悪い言葉に思えるが裏を返せば相手の美徳を褒めているだけだ。

 あたしは遠回りの褒め言葉くらいにしか思っていないしそのようにしか使っていない。

 多分本家は色々な思いをのせて言い放っているんだろう。

 それはそうあるべき妖怪として素晴らしいモノだと思える。

 ノリで使うあたしが歪なだけだろう。

 

「それよりも、探究心が燃え残って燻っているんだけどどうしてくれるの?」

「惑わす煙ならちょうどいいんじゃないの?」

 

「あたしは狸と言ったわよね? 寝すぎてまだ寝ぼけてる?」

「そうなのよ、長く寝過ぎたかしら」

 

 1400年くらいは眠ったままだったのだ、ある程度は仕方ないだろう。

 規則正しく不規則な生活を送るあたしだって寝起きからすぐには行動できないのだ、比べるには長すぎる眠りだもの。

 しかし1400年か、そのつもりはなかったが年月を改めて考えてみると屠自古に言われた言葉も案外間違いじゃないように思える。

 

「見た目は変わらず可愛らしい女性だから気にすることないわよ?」

「そうよ、あたしは素敵で可愛い霧で煙な狸さんだもの」

 

「そう言う瞬間は本当にそう思っているのね、ある意味たくましいわ」

 

 うるさいわ余計なお世話よ。

 それよりも太子との会話を楽しんですっかり忘れていたのにまた思い出してしまった。

 娘々から薬を譲ってもらい屠自古に盛るのはほぼ無理だと思うし、どうしてくれようかしら?

 ‥‥そうだ、どうせならこの燻っている探究心を屠自古で発散させてもらおう。

 太子の耳ほどではないがあの足も気にはなる。

 ウマイこと気を逸らしてあの触り心地や肌触りを堪能することにしよう…‥ 

 年を重ねた古狸の執念を舐めるなよ屠自古。

 

「答えを聞いても耳と言い張るのね、髪だと言ったのに」

「耳だと思っていたほうが面白いもの、それに『よく』聞こえそうでいい耳だわ」

 

「そう言われるだろうから髪だと教えたんだけど、無駄だったわね」

 

 少しだけ肩を落とし腰に回して笏を両手にもった苦笑する者。

 変わらずに橋の欄干に背を預け煙管を燻らせニヤニヤとする者。

 少しだけ姿勢を変えた片方と変わらない片方、二人の楽しいお喋りはこの後もまだまだ続いた。




あれはやっぱり髪なんですよね、神主もヘッドホンで隠れた耳のかわりに付けたと言ってますし。


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~日常~
第五十ニ話 楽しみ作り


焼きまし? ああ写真のことですね? そんな話


 パチパチと音を立て炭の弾ける音と不意に屋根の雪が滑り落ちて聞こえるザザッという音。

 今の季節だからこそ聞こえる音。

 その音を聞きながら台所に立ち釣り上げた岩魚の口に糸を通していく。

 寒い時期にたまにしている作業の一つ。

 我が家に囲炉裏はないのだが安く譲りうけた火鉢はあるので、腹を大きく開いて円になるように刺し並べる。本当ならハラワタやエラの処理もするのだが、あたしの場合は釣り上げた場所でそれは処理してくるため、我が家で行う作業は簡単なものだ。

 これだけならタダの焼き魚なのだが焼くのは今日食べる分だけで、残りは口に糸を通し連ねて火鉢の煙に当たるように吊るす。

 本来なら火鉢程度の煙量では燻すには少々足りないのだがそこはあたしだ。

 煙はあたしそのモノと言えるので流れも集まり方も思いの通り。

 

 今回は竹林に住まう蓬莱炭焼き師から譲ってもらったもこ炭と、白玉楼で枯れた桜の木を細かく砕いたモノを同時に焼いて、煙に香りを移してみている。

 うまく思惑通りのものが出来上がれば桜と竹炭の香りがふわりと漂う、上等な燻製が出来上がるだろう。毎年とは言わないが気まぐれで作る事があり、多く作った時には友人たちにおすそ分けをして味を見てもらう事もある。

 昨年の冬場にも同じように作りその時にはあの妖怪の山の白狼天狗におすそ分けをしてみた、評判は上々だったが本当にあたしが作ったのか疑われたのは予想通りで面白かった。

 今年もあたし一人で食べきるには少し飽きるくらい釣れたので、誰かにおすそ分けしてみようと考えているが誰にするかを決めていない。地霊殿や命蓮寺には何度か持って行って好評を博したし、次は太子の所にでも持って行ってみようか。

 

 因みに我が家から一番近い永遠亭にはおすそ分けしたことはない。

 おすそ分けというよりも一緒に作ることが多いので意味がないのだ。

 ほとんどの下処理を済ませて吊るし焼き物の方にも手を付け始めた頃に、我が家の玄関に少しだけ雪が入り誰かの訪れを告げる。

 

「あんたが来ると空気が流れて寒いし煙も散ってしまうからもっとゆっくりと来てよね」

「ゆっくり来いだなんて、私のイメージとは合わないわ」

 

 黒い翼を静かにたたんであたしの隣に立つと住まいの外でカァーと鳴く声が聞こえた。

 珍しく連れてきているらしい。

 普段は一緒に行動することなんてないのに、珍しいと思い問いかけようとすると先に言葉をかけられてあたしの口は閉ざされる。

 

「今日は取材する気にならないしたまには一緒に来てみたのよ」

「なら入ってきたらいいのに、外で待たすなんて妹虐めの趣味でも出来た?」

 

 鳴いたのは以前あたしの帰りを見送ってくれた化烏。

 随分と前に文が山で拾って文と友人の引きこもりが育てた妹烏だ。

 会話が出来るほどの力はまだ持てないが、普通の烏だったが文達烏天狗の側で長く生きて妖気を浴び妖怪化した可愛い妹。文は巣立って何処かへ行けばいいのになどと口では言うが、以前遅くまで帰らない妹をあたしの所にまで探しに来た事もある。

 心配でたまらないくせに、隠すのが下手で中々に可愛い姉だ。

 

「もう帰ったわ、アヤメに挨拶だけして帰るって言ってたし」

「姉に似ないで謙虚ね、それよりどうしたの?取材しないならともかくする気にならないなんて」

 

「スランプなのよね、ネタはそれなりにあるんだけど纏まらないの」

 

 スランプねぇ‥‥尾ヒレ背ヒレをつける言葉が見つからないのか、ネタはあるのにそれを膨らませる事が出来ないなんてあの新聞を書いている者とは思えない。

 しかし文も機械ではない一応妖怪だ、調子のいい時も悪い時もあるだろう……なら今日は暇つぶしか愚痴を言いに来たのか、よくあることの一つだ。

 

「ネタがあるならまだいいじゃない、あたしは笑うネタが切れて困ってるわ」

「なら私のスランプ脱出を手伝いなさいよ、なんかないの?」

 

 唐突に現れてスランプ脱出させてくれとは中々に無理難題だ、輝夜でもないのに難題を寄越されるとは思わなかった。

 しかし今回はあたしが輝夜の側にいる、ならきちんとお姫様らしくちょっとした難題を出してあげるのもいいかね。

 

「なら少し頭の体操でもする?」

「スッキリ出来るならなんでもいいわ、何をしたらいいの?」

 

「そうね、あたしが謎かけを出してあげるわ、それを解いてみせて」

 

 とはいっても何を出したらいいのやら、出してあげるといった手前なにかしら問題を出さないとならないのだがあたしは普段もらう側だ。

 出す側は慣れておらず、いざ出そうとすると思いつかなくて結構難しいものだ。輝夜や永琳はすぐに思いついてパッとあたしに出してくるが、こういったモノにも慣れがあるんだろうか。

 輝夜は本格的に無理難題を言ってくるが永琳は引っ掛けの強いモノを出してくる、あの時だって本来ないモノを‥‥ん、これで行くか。

 

「よし、じゃあお題を出すわ『瞬黒の大包布』を探し出して持ってきてくれるかしら?」

「なにそれ?聞いたことないけど、それに持って来いってどういうことよ」

 

「普段あたしが別の人にもらう難題の答え方がこれなのよ、持ってきたらご褒美あげるわ」

 

 そう言って右手と左手で火鉢に刺さる岩魚と吊るされた岩魚両方を示してみる。

 文には何度か料理を振舞っていてあたしの腕は知られている。

 それなりの良い評価も頂いているからきっと釣られてくれるはずだ、ついでに燻製の評価もしてもらえて一石二鳥というものだ。

 いやこの場合一石二烏になるのか、難題を説くには二烏分では足りないかもしれないが。

 

「報酬は前払いでもらってもいいの?いい匂いするし丁度昼餉だし」

「構わないわよ、ただ燻製はいぶし始めたばかりだから出来上がったら持って行くわ」

 

 そう伝えるとじゃあ早速と焼き上がった岩魚の串を手に取り頬張ってくれる、表情から味には満足してもらえたのだろう。燻す煙を浴びて、燻製ほどではないがこちらにも香りは移っているはずだし、想定通りならそう悪い物にはならないはずだ。

 

「相変わらず似合わないけど料理上手よね、これも美味しいわ」

「変な枕詞が気になるけど素直に褒めてもらったことにしましょ、気に入ったなら家に持ち帰ってくれもいいわ」

 

 それじゃあ頂戴と言ってくれるので焼きあがった数本の串を用意していた敷き紙で包んで文に手渡す、快く受け取って貰えると作った甲斐があるというものだ。

 さすがに一人で食べるには多いだろうし、あの引きこもりや椛、妹烏にでも分けて貰えればあとで話を聞きに行く楽しみにもなる。

 

「前報酬も受け取ったわけだし、難題説くのを頑張ってもらわないとね」

「そうね、でも『瞬黒の大包布』なんて聞いたことないけどどんなモノなの?」

 

「考察前からヒントが欲しいなんて贅沢ね、じゃああたしの難題の解き方だけ教えるわ」

 

 そう言ってあたしなりの考え方展開の仕方、言葉選びの仕方を伝えてみる。

 自分とはちがう発想の仕方を知るというのはそれだけで固くなった頭を解せて良いものだ。

 ついでに記事を執筆する方にも使えれば尚良いだろう。

 

「まずは字面から入るのね『瞬黒』と『大包布』あたりで最初は分けるといいの?」

「正解を聞くような物だからはいいいえは言わないけど、その考え方は悪くないわ」

 

 伊達に毎日言葉に悩み文字として起こしてない、あたしの簡単な説明で理解し実践出来ている。

 齢千年を越えて生き続ける大妖怪の一人というのは伊達ではない、その辺の者なんかとは力もそうだが頭脳も培ったモノがちがう。

 後はあたしの出した取っ掛かりに気がつければ正解なんてすぐだろう。

 そして正解してからの反応がとても楽しみだ。

 

「言葉を更に分けてもいいの?例えば『瞬』と『黒』に分けてみたり」

「それもさっきと同じで詳しくは答えられない、でもあたしは以前にそう仮定して答えから離れた事があるわ」

 

 これくらい伝えればもうヒントを言ったも同然だろう。

 あたしと同じ思考ができるんだから気が付かないはずがない。

 しかし、普段はうるさくてたまらないがこう静かに思いに耽る文を見るのも悪くない。

 あまり見せない姿だが、冷静に考え一瞬で行動し黒い羽だけをその場に残す去っていく文は凛としていて中々格好良いと思う。

 

「アヤメ一つ聞いていい?」

「なにかしら?」

 

「比喩や例えなんかもしてたりする?」

「さっきから答えが欲しいの?あたしは『言葉選び』と言ったわ、文なら例えや比喩的表現が『言葉を選ぶ』範疇にあるかないかくらいわかるでしょう?」

 

 自分が出した難題を説かれていく様子を見るってもの中々に楽しいものだ。

 誰かの真剣な姿というのは何事でもそそるものがある。

 それが自分の課した物に対して悩み思考している姿ならさらに面白い。

 愉悦、輝夜が難題を課すのを楽しみにするのもわかる。

 

「アヤメ、これって既にモノとしてあるの?」

「さぁ、あるなら持ってくればいいしないならこれから用意すればいいわ」

 

「用意って『瞬黒の大包布』を作ってもいいって事よね?」

「そうね‥‥あたしは答えを持ってきてとしか言っていない、仮に文が作ったものがあたしの考える『瞬黒の大包布』に見合うものならそれは間違いなく『瞬黒の大包布』だと言えるわ」

 

 考察自体はほぼほぼ終わっているのだろう、だがあたしも同じくそこで躓いた。

 そして躓いた結果に擦りむいてあの永遠亭の者達に怪我を笑われる羽目になった。

 あの姿を見ていないてゐですらあたしを笑ったくらいの大怪我だ。

 

「なんとなく答えは思い浮かんだけど、それがどうにも」

「なに? 文にしては歯切れが悪い物言いね、結論が出たなら教えてくれないと判定出来ないわ」

 

「『瞬黒の大包布』の『瞬黒』は私の事だと思うの、そして『大包布』は私を包む大きな布。ここまではわかったんだけど持ってこいって事は私本人ではないって事よね?」

 

 ふむ、ほとんど正解というところか。

 後は文本人ではない何かに気がつければ答えに辿り着くだろう。

 気がついてどんな反応を見せるだろうか?楽しみでならない。

 

「私ではないけど私と呼べる物、私と象徴するものよね。それなら『瞬黒』は私の翼、色も合うし『瞬』は私の早さと掛けている」

「続けて?」

 

「『大包布』は字面そのままで私の翼を包む大きな布、つまり私の羽で作……」

「報酬は既に渡したわ、それも文が自分から求めた形で‥‥さすがにすぐに寄越せとは言わないから、期待してるわ頑張ってね」

 

 正解に辿り着いた瞬間の輝いた瞳も美しかったが正解の意味に気が付いた瞬間の表情も素晴らしいモノだった、あたしが記者なら写真に収めて記事にしただろう。

 あの時のあたしもきっと同じような表情をしていたのだろう。

 永琳が楽しそうに笑った理由がわかった。

 

「なかったことには……」

「清く正しいと自称する記者さんが何を言うの? はたてや椛に全部話して山で広めてもらう?」

 

 少し悩んだようだが決心したらしく、次の秋までにはどうにか頑張ると言ってくれた。

 文の美しい翼を禿させるのは忍びないので今年中、冬場までに間に合うよう作ってくれればいいわと譲歩してみせると、そこまで甘えないわと天狗としてのプライドを見せてくれた。

 誇り高い天狗の気概を無碍にするのは忍びないので文の言うとおり秋まで待つこととした。

 今年の冬はぬくぬくの『瞬黒の大包布』で心地良い眠りにつける事が約束され、次の寒い時期が待ち遠しくなった。



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第五十三話 春神様の願い事

早く春にならないかなぁ そんな話


 空気こそまだまだ冷たいものだけれど、景色は少しだけ暖かなものを見せつつあった。

 毎日の朝を迎える度に、地面を覆っていた霜柱が背を低くし始めて小さくなっていく。

 雪が降ったとしても積もる量よりも、溶けて流れる速度のほうが若干早く感じられるようになってきていた。一面を真っ白に染めていた雪景色からもところどころ緑や茶が見えてきており、残る雪景色からはふきのとうが顔を出してきていた。

 冬の寒さと春の陽気が入り交じる曖昧な今。

 こんな季節の境目にはあたしの隣で微笑む冬の妖怪と、何処かから訪れる春告精が同時に見られることもある。片方はもうすぐに去っていく側の者で、もう片方はこれから訪れて本番を迎えていく側の者、どちらもその季節に左右される者達で互いに自分の季節を愛している。

 

 愛する季節の最後を告げる別の季節の者達だ、もし出会っても罵り合うような関係かとあたしは思っていたのだが‥‥

 互いに口悪くなる事などなく『お疲れ様、またね』『頑張ってね、また会いましょう』

 と、和やかに挨拶する間柄のようだ。

 

 何度か見かけている光景だが、少し拍子抜けしたわと冬の方に言ってみると、季節は違うけれど同じく季節を愛する者同士気が合うのだそうだ。

 同じ季節でも姉妹の方は対抗心むき出しでいるのに変わっているわ、そう呟くとあそこは二人が近すぎて似ているからねと返された、あそこは似すぎていて互いに口うるさくなるらしい。

 そう言われてあたしの知っている姉妹たちを思い出し、どこの姉妹も似るものなのねと二人で笑った。

 

 今は一緒に笑っているがあと数晩も夜を超えれば、また年末に会いましょうと寂しく笑う冬妖怪に別れを告げる事になるだろう。

 それでもまだほんの少しは時を同じくしていられるので、毎年別れの前に見られる人里の風物詩を今年も一緒に眺め語らっている。

 積もった雪が少しずつ溶け出して里の中心を流れる川の水位を上げる頃、水位が上がり川の流れに手が触れやすくなる今の時期に、毎年行われている静かなお祭りを見下ろすように眺めている。

 あたしだけならもっと近くで眺めてもなんの問題もないのだが、寒さを振りまく冬の妖怪を身近に置くのは人間たちではちと厳しい、妖怪が人間に気を使うというのも変な話だが、邪魔する気もないし致し方ない。

 それでも寒いだけならまだ我慢できるだろう。

 春ももうすぐそこで、強める寒さももうわずかなものだし。

 

 問題はあたしの隣、レティさんとは逆側におわす方だ。

 そっちの方こそ人に近づくわけにはいかない本命の人。

 人に寄り添うにはだいぶマズイ本命馬ともうすぐ去っていく下がり馬。

 この二人を両脇にしながらまったりと過ごしている。 

 

 煙管を燻らせ煙を纏うこの姿は相変わらず可愛いものだが、今のあたしは贔屓にしている甘味処や団子屋にいるわけではない。今座っているのは里人の誰か知らない者の住居上、誰かの住居の屋根に少女三人で並び腰掛けて、眼下で執り行われている静かな川のお祭を優雅に眺めている。

 この者達の視線の先には、里人が集まり思い思いに形代を船に乗せて流す姿、親が子に渡して子が流す姿を見つめながら緩い会話と風景を楽しんでいる。

 

「綺麗だと毎年眺めているけれど、これを見るともう私の季節は終わりなのねと悲しくなるわ」

「暖かくなるのは嬉しいけど、レティさんに会えなくなるのは寂しいわね」

「別れを惜しむ心はあの形代に一緒に乗せて流せばいいのよ、私が全部貰うから」

 

 淑やかに微笑みながら少し寂しそうな表情を見せる、動く寒冷地前線レティ・ホワイトロック。

 その冬の妖怪との少しの別れを惜しむように薄く笑い、煙を漂わせる縞尻尾の化け狸。

 最後の声は化け狸を真ん中ににして並ぶように座っている、大きなリボンを風に揺らして穏やかに笑う赤いドレスの似合う少女から。

 美しい赤のドレスには一箇所だけ濃い緑の模様をあしらっていて、リボンでまとめた長い髪と同じような色合いで何処か厄と描いてあるように見える。

 冬の終わりを告げる風に大きなリボンと赤いドレスを靡かせながら穏やかな表情を見せる。

 厄神様、秘神流し雛の鍵山雛。

 

 惜しむ心は相手を想う暖かで尊いものだが、惜しいと思うこと自体は負の意識から生まれるもので、私の範疇なのよ、穏やかに笑って語る隣の雛様。

 負の意識、全部ひっくるめて厄なんて雛様は仰るがそれを力にするなんて‥‥

 どうしてもあの友人を思い出す。

 髪の色と瞳の色が似た色合いだが、こちらの神様は明るくあちらの橋の元神様はもの静かだ。

 緑はバランスを司る色なんて言うが、同じ緑でもその性格は両極端だなと思える。

 極端に離れているからこそバランスが取れているのかもしれないが‥‥

 どっちつかずな灰色のあたしが考えた所でなにかの結論が出るわけでもない。

 頭を軽く振り気持ちを入れ替えて、今のお喋りを楽しむことにした。

 

「流すなんて勿体ないわ妬ましい、惜しみ寂しく飲むお酒も乙なものよ? 雛様?」

「妬みとはちがうと思うけど、それよりアヤメは酒の肴になればなんでもいいの?」

「なんでもいいのよ、私と吹雪の中雪見酒するくらいだもの」

 

 なんでもいいのと尋ねられれば、なんでもいいと答えられる。

 楽しく飲めるなら肴はなんでもいいはずだ。

 終らない冬の異変に動く巫女に喝上げされそうになり、反撃するも撃墜されて真っ黒焦げにされた後に同じく真っ黒なレティさんと雪見酒と洒落込むくらいだもの。

 なんでもないことだと笑うあたしを、少しだけ困ったように眉を下がらせて眺める厄神様。

 雛様が人里を訪れることは滅多にない。

 だがこの雛様が里人を思い広めたお祭りだけは、毎年今のように喧騒から離れて眺めている。

 あまり近寄ると人の流した厄がまた戻ってしまうから離れて眺める程度にしているらしく、好きなのに近寄れない悲しいジレンマを持つ厄神様。

 

 それでも好きなのには変わりなく、この祭りも里に溜まり始めて危険になってきた厄を危惧してご自身が発案し広めたものだ。自身の提案した流し雛が人里できちん執り行われているか気にして見に来ているのもあるが、雛様は単純に人間が笑っているのを見るのが好きだというのもあるし、厄を手っ取り早く集めたいという下心もあるだろう。

 誰も損をしない祭りだし、皆楽しんでるようで悪くない提案だとあたしは思う。

 これだけ人を愛しているのだから空いた社に引っ込めばと言っても、私が近くにいるのはマズイのよと笑うだけだった。

 どうにも幻想郷の野良神様は一処に落ち着くのが嫌いな方が多いらしい。

 

「なんでもいいなんてお気楽ねぇ、少しは身を振り返えり見直そうとはしないのかしら」

 

 言いながら立ち上がり優雅にくるくると回り出す。

 リボンとドレスが遠心力でふわっと舞い美しい御姿だと思えるが‥‥

 すぐにその御姿は見えにくくなっていく。

 里人達が身の穢れを払うようにと思いを込めて流した形代流し雛、その形代に込められた穢れ、穢れた瘴気に見えるそれが雛様の回転に吸い寄せられるように集まり黒い厄となって漂い始める。

 

「いつ見てもクルクルと、これでよく目を回さないわねぇ」

 

 そう言いながら立ち上がり、くるりとゆったりした速度で一周する冬の妖怪さん。彼女の動きに合わせて起きた小さな風が、寒さを周囲に振りまく。

 右手側では華麗にクルクルと回り厄を集め纏っていく厄神様、左手側でも薄れかけてきた冬の寒さを取り戻すように寒気を振りまくレティさん。

 その間で二人のように立ち上がることなく川を眺めて煙管を燻らせるあたし、右は厄いし左は寒いし、煙は流されてしまうしとこれではいい所がない。

 

「レティさん寒いわ、雛様も厄いわ。二人とも一人の時に回ってくれる?」

 

 二人の方を見ることなく焦点の合っていない目で川を望みボソッと呟く。

 小さな声だったが二人の耳には届いたのだろう。

 言葉を言い切ると同時に寒さは薄れていき、雛様の周囲を漂う厄は回転を緩いものにしながら雛様へと吸収されて消えていった。

 回転を止めた二人が最初のように屋根に腰掛け、また三人で川を眺める姿勢に戻る。 

 すると、厄神様が不意に呟く。

 

「厄いからやめてってのも変な言い草よね、厄が移るからやめてならわかるけど」

「あたしには移らないもの、近くにいるけど逸れていくでしょ?きっとあたしの分もレティさんに移ってるわ」

「あらあら、それじゃあ次の冬は暖冬になるのかしら、困るわぁ」

 

 厄を纏い集める厄神様。

 その周囲には常に厄が漂っており、見た目も厄いが近寄って厄に触れてしまうだけでも運気が悪くなりマズイはずなんだそうだ。

 ただ、あたしの場合は自身の能力であたしに移る厄を逸しているため不運になる事はない。

 おかげで気にせず厄神様とまったり過ごせているが。

 

 けれどレティさんには当然厄が移り、運気が下がっているはずだが‥‥

 私はこの後寝るだけだからと全く気にしていないようだ。

 厄のせいで毎年寝起きが悪いのかもね、なんて軽口を言ってみても私は低血圧だから起きられないだけと微笑むだけで漂う厄を気にも留めない。

 あたしの分も同時にもらっているはずなのに気にする素振りのないレティさん。

 もしかして厄も凍らせて停止させたりできるのだろうか?

 もしそうなら寒さを操り凍らせるってのも中々便利だと思えた。

 

「暖冬ねぇ、春乞いを兼ねた祭りを眺める冬妖怪には丁度いいわね」

「あら、冬妖怪だからこそ春を待つのよ? 季節は移り変わるからこそ美しい。アヤメはそれ楽しんでるくせにそういう物言いはダメよ?」

「厄を流して春を乞い春を待つ‥‥これが当たり前になったら私は春の妖怪になるかしら?」

 

 あたしとレティさんの会話を聞きながら一人物思いに耽る雛様、あの春を告げる妖精のように春ですよーとクルクル回りながら笑顔で春を振りまく姿。

 そんな雛様も似合うだろうし中々悪くないなと思えるが、隣のレティさんが微笑みながらその呟きに返答をする。

 

「雛はいまでも十分に春神様よ? 人間たちの冷たい心の蟠りを集めて心へ暖かさを届けているわ」

「レティさん詩人ね、でも春妖怪になったら厄を集める厄神様がいなくなっちゃうわ」

 

「そんな事言われたら今のままで頑張るしかないわねぇ、気合を入れて集めないと」

 

 言い切ると再度立ち上がり、先程よりも遅く緩い速度で優雅に回る。ゆっくりと回りながら可愛らしく厄ですよ~なんて仰るものだから笑ってしまい、それに釣られたレティさんも笑っていた。

 それでもやめない雛様を見つめて、これじゃあ集めるより振りまいてるみたいだわと呟くとそれを聞いた二人も笑ってくれた。



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第五十四話 幻想を願う者、幻想へと向かう者

 お天道さまがポカポカとして随分と暖かくなってきたと感じると同時に、風だけはまだ冷たいなぁ冬の忘れ物はいらないわ、等と愚痴を吐く。

 吐息もすっかり見えないものになり冬の終わりを教えてくれる、春告精が精を出し緑や木々に春の彩りをせよと遂げて回ってくれている季節。

 空を見上げれば雲ひとつない澄んだ空。

 こんな良い日には酒か煙管か甘いものでも楽しんでまったりしよう。 

 そう考えて、伸びる速度を取り戻してにょきにょきと育つ竹林を抜け出し、春の訪れと同じく賑やかになってきた人里へと赴いている。

 

 少し早いが桜餅でもと思い馴染みの甘味処へと歩みを進めると、風に乗りあたしの足元に一枚の冊子が漂い飛んできた。

 手に取ることなく地にあるビラを流し読みしてみると、お花見は是非守矢神社へ! 綺麗な山の桜並木がお待ちしています! なんて書いてある。 

 桜並木なんてあのお山にあっただろうかと悩んでみると一箇所だけ思いついた。

 あの生真面目白狼天狗と発明馬鹿河童の集会場。

 遠くに滝を眺められる飛び出た崖の周り、あそこなら大きな桜の木があった。

 けれど思いつくのはあそこだけで、他の参道や河童達の住まい、烏天狗の集落や白狼天狗の宿舎辺りは紅葉樹ばかりだったはずだ。

 ならこのビラはブラフか‥‥そこまでしてビラ配りをして信仰がほしいのかね?

 そんなに食いしん坊な二柱だったかなと一瞬悩むが、どうでもいいことなのですぐに思考を切り替えた。 

 

 守谷の風祝が勧誘のビラ撒きに精を出している姿をきっかけに一つ気が付いた。

 そういえばまだ初詣を済ませていないと思い出し、他に行く所もないし今日行くかと早速歩み出した、歩きで向かうには遅めの、暮れ始めた時間だったので少し冷たい風を逸し飛んで行く。

 少し飛んで見慣れた鳥居と長い階段が見えてきた、人間が歩くには少し急で長い石段を、里で買いだした食材をぶら下げてゆっくりと登る。

 

 いつか思いついた小さな遊び。

 遊びといってもただ手料理を振る舞ってみるだけなのだが、それを今日のお参りついでにしてみようと思っただけ。里で適当に見繕ってもらった野菜と少しの肉で何か簡単に作って巫女に食わせてみよう、そして反応を見てみようと思っただけの遊び。

 どんな表情を見せてくれるのか想像しながら、ゆっくりと鳥居に向かい階段を登っていった。

 

 綺麗に塗られた朱色の鳥居。

 溶け残る少しの雪と合わさって、ここのおめでたい巫女と同じような色合いになっていることに気がついて薄く笑った。

 この寂れた神社にしては立派な鳥居、大きな鳥居に見合う大きさの一枚板に掘られた博霊の文字も立派に思える。

 そういえばあたしが知るかぎりではこの博霊の板は三枚目だったか、一枚は故意に起こされた地震で倒壊した際に新しい彫り物に付け替えられた。

 あの地震は少々驚いた、局地的に神社だけ倒壊するなんて思わなかった。

 けれど地震よりもここに住んでいる巫女の反応にも驚いた、が、それよりも増して紫の反応に驚かされた。住まいを壊されたというのに被害者の紅白は態度も変えず普段通りで、瞳の奥に薄く憤りのようなものが混ざるくらいだったが紫の方は別だった。

 微笑んではいたがあの目は恐ろしい物だった。

 目を見て橙が半べそかいていたのを覚えている。

 

 普段の口調から考えられない形相で地震を起こしたあのわがまま天人に、美しく残酷に往ね!なんて言い放つくらいだ、余程の怒りだったのだろう。

 怒り狂って暴れすぎ、折角立て直した神社を再度倒壊させるくらいに周りが見えない紫など、後にも先にもあの時にしか見ていない。

 その後の落ち込みっぷりもひどいものだった。

 自分でぶっ壊しておいて直しもせず、建て替えは萃香さん任せで紫は遠くを眺め呆けていた。

 紫のこんな顔を見たのは数代前の博麗の巫女が死んだ時以来のもので、この神社には紫に悲しい顔をさせる何かでもあるのかと感じた。

 まぁその辺の事は今はいいか。

 そろそろ初詣を済ませ賽銭を入れて台所で腕を振るいたい。

 

 お参りは神事、なら畜生食いの元は一旦手放すべきか。

 そう考えて鳥居の外に食材を籠ごと置いて鳥居の前で立ち止まる。

 祀る神様がなんなのかわからないなんてここの巫女は言っていたが、わからないだけで誰かしらはいるのかもしれない。

 万が一祭ってる神様が面倒な相手だと困ると思い、軽い礼をして端により鳥居を潜る。

 

 ここの手水舎で清めるのはあの宴会以来だったか、小山の天辺にあるのに水が流れててどうなってるのかわからない手水舎。流れているおかげで雪の中でも凍らず清められるのだから、原理がわからず不思議に思えてもここは感謝すべきか。

 清めを済ませ普段からほとんど掃き清められていない境内を進み、賽銭箱の前で立ち止まる、雑煮の釣りがどっかにあったと体を弄り銭を出す。

 ご縁があるように五円と思ったが残念ながら手持ちがない。

 ならば二重の縁がありますようにと二十円を投げ入れた。

 

 今年も面白おかしく暮らせますように。

 賽銭箱から聞こえるカコンコロコロという音を聞き終えて、礼をしていた体を起こしてパンパンと二拍、願いをかけて再拝。願掛けというより今年はこうしたいという目標宣言に近いものだが、この神社ではご利益があるかわからないし、まあいいだろう。

 参拝を済ませ社務所に行くと、いつものように炬燵で茶を啜るおめでたい巫女。

 あの幼女は何処かと探してみると姿が見えなかった。

 まだ地底で鬼連中と飲んでいるのか‥‥あっちのが温かいしそうかもしれない。

 

「明けましておめでとう、もうすぐ春になるってのにいつも通りなのね。これじゃあ花見客を呼べないわよ?」

「頑張ったからって参拝客は増えないもの、それに来る時期がおかしい。明けましておめでとうと言うにはもう遅いし桜はまだよ」

 

 新年初参りなのだから遅くても初詣。

 今年になってからこのおめでたい巫女と顔を合わせるのも初なのだ。

 何も間違えていないだろうに。

 それはともかくとして、確かに頑張っても参拝客は増えないだろうな、幻想郷の東の外れという気軽に来るには厳しい立地だし、階段と鳥居も里とは真逆の東向きだ。里の者達のように、飛べない者はわざわざ神社のある小山をぐるっと半周しないとこの神社まで来ることが出来ないわけだし。

 いつかてゐが言っていた鳥居の位置を変えればいいなんて話もわからなくもないが、それでも鳥居を移動は出来ないのだろう。

 鳥居は迎える入り口でもあり見送る出口だ、外で消えかけたモノを迎え入れる玄関でもあるし、幻想郷に迷い込んでしまい運良く博麗神社まで来られた外来人を外に送り返すための玄関でもある。当然本命の結界の維持の為という理由もあるが、色々と合算した結果が幻想郷の端に向けて鳥居を立てている理由なのだろう。

 神社を立て直した時にも向きを変えずにそのままなのだ。

 あの位置と向きに意味があるのだろう。

 

「あっちの巫女が里で勧誘してたのを見て初詣を思い出したんだけど、今来るべきじゃなかったかしら?」

「時期はどうでもいいわよ、それより早苗を見てうちに来るなんてどうかしてるわ」

 

「あっちの神社は行くと面倒なのよ、こっちなら分社もあるし一石二鳥だわ」

「その割には分社は参らないのね」

 

 参らない、仮に紅白に参拝するように促されてもお参りはしない。

 もしお参りしてあっちの神様が出てきたりでもしたら面倒臭いことこの上ない。

 それでもこっちに顔を出していることぐらいは感じ取っているだろう。

 神様なのだ、それくらい朝飯前どころか米を炊きながらでもわかるはず。

 しかしこのまま行かず会わずにいてもいつかはこの間のように呼ばれて捕まるだけだ、どこかで折衷案を考えないとならないな。

 

「正月早々悪巧み? あたしの前で企むとかいい度胸ね」

「悪い顔してた? 真剣な悩みだったんだけど? それにそんなに悪い企み事じゃないわ、宴会の霊夢の企みより可愛いものよ」

 

「何の事? 初参加ならそれらしくしろってだけよ」

「弾幕ごっこの相手に選んだ美鈴の話、あれはあの屋敷の妹のためでしょ?」

 

 あたしが神社の宴会に初参加した時、このおめでたい巫女が何かやれと言ってきた。

 といってもあの場で言えば弾幕ごっこになるのは目に見える事だ。

 そうなれば黒白辺りが名乗りを上げるのは誰が考えてもわかる、予想通り立候補してきたが、主催者権限で強引に美鈴を指名してあの妹の保護者を減らしたんだろう。

 保護者が減れば周囲と関わりやすくなる。

 あれだけキョロキョロと周りを気にしていた妹、あたしから見てもわかるあれに勘の鋭いこの巫女が気が付かないはずがない。

 

「酒の席なのに挙動不審な妹、それを気にする咲夜。主催者としちゃあ楽しめないのがいるのはつまらないものね」

「それじゃあ咲夜の為と聞こえるけど? 妹関係ないじゃない」

 

 直接妹には関係ないが芋づる式に友人の咲夜が喜ぶならそれくらいの事はするだろう。

 この巫女ならそれくらいの事には気がつけるはずだ。

 もはやカンと呼ぶには万能すぎるほどの、予知に近いカンをもっているのだから。

 

 それに主催者としてつまらない顔をされている者がいれば盛り上げてやるかと考えるもの。

 ちょいと盛り上げ囃し立てて笑うには、あたし辺りが手頃だったのだろう。

 

「そこで弾幕初心者のあたしに美鈴を宛てがった、美鈴が勝てば妹は喜ぶし主が楽しんでいれば咲夜も気が楽だわ」

「でも全て予想だけで確証とは言えないわ」 

 

「そう予想、こうだったら面白いと思っただけよ。実際の所なんてどうでもいいわ」

 

 確信も確証もない。

 この紅白の言うとおりあたしの予想でこうだったら面白い、こうであればいいという妄想だ。

 ただそれでも、こんな風にするだろうと思える理由が少しだけあるように思えた。

 このおめでたい巫女は誰でも何でも拒絶せずに、すんなりと受け入れる。

 あたしや萃香さんのような人を襲い喰らっていたような妖怪も受け入れる。

 あの黒白やメイド長のような同じ年代の少女も変わらず接してくる。

 反りが合う合わない程度の差はあるが誰に対しても変わらない姿。

 いつかの時代によく眺めていた、紫が気に入り大事にしていたあの巫女との関係。

 それを彷彿とさせるものが今代の巫女にもあった。

 

「そんな話をしに来たの? まだあんたの昔話の方が楽しめたわよ」

「覚えてくれてるとは光栄だわ、なに続きが気になる?」

 

「別に、今の話よりは楽しめたってだけ」

「じゃあ、少しだけ続きを話してあげるわ」

 

 そう言ってあたしが持っていた湯のみを手渡した。

 以前よりも多めの茶が注がれ、それなりに話に期待されているのかと少し嬉しく感じた。

 なら前よりは少し真剣味のあるもの、住んでいる土地の話でもしてみようかと思う。

 

~少女回想中~

 

 外の世界で色々と一悶着があって、人の近くで暮らしていたあたしが人との関わりを捨てた頃。

 世界から存在を忘れられ消えかかるギリギリの時、いつか手伝った紫の楽園の話を思い出した。

 

 私は消えていく妖怪たちの楽園を創りたい。

 笑いながらそう言ってあたしに人さらいを手伝えと持ちかけてきた話。

 

 元を正せば獣だが今のあたしは妖怪、人の思いから生まれたモノ。

 人に思われ生まれたのだから消えていく時も人思ってくれなくなった時。

 忘れられたなら仕方がないだろうと思っていた。

 だが紫は異なる考えを持っていたらしく、初めて真剣な表情を見せてこう言ってきた。

 

 知らずに生み出され知らずに否定され知らずに消えていく。

 それは私は面白くない。

 けれどこの世界ではそういう流れになってしまいもう止められない。

 

 なら私は私の思う通りの楽園を創りたい。

 生み出された者が生み出されたように生き、それを当たり前だと思える世界。

 幻想が死に、現が全てと成り果てているこの世界とはちがう新しい世界を創りたい。

 その楽園を見守り一緒に育てて楽しめる相手が欲しい、と。

 

 正直な話、紫の思いはこの時のあたしにはどうでも良かった。

 気になったのは、面白い世界を造りそれを育てて楽しめる者が近くに欲しいという言葉。

 この言葉には中々惹かれるモノがあった。

 

 この何を考えているのかわからない妖怪の賢者が思い描く世界。

 それがどういった形になりどう育っていくのか。

 それを眺めていくのは楽しめるだろう、話を聞いた時にはそう思った。

 真剣な表情のまま話し終えた紫にあたしはこう返答した。

 

 藍のような忠実な式にはならないしなる気もないけれど、なにかの手伝いが欲しければいつでも手伝うしあたしで出来ることならなんなりと。

 真剣な表情の紫に薄笑いを浮かべてそう伝えると、紫も同じような笑みを浮かべてそれでいいと話はついた。

 なら早速と依頼の詳しい内容を聞いてあたしのお手伝いが始まった。

 

 お手伝いといってもあたしがやるのは幻想郷に招待する人間の選定と拉致だけ。

 土地を造り形にするのはあたしには無理な事だったしそっちは紫がやると聞いていた。

 それに藍のように全てを賭けて尽くす気もなかったから気楽にやれる丁度いい仕事だった。

 

 ほとんどを任されてはいたが紫からは人をさらう際の条件を出されていた。

 条件といっても一つだけの簡単なモノ。

 さらっても外の世界で支障を出さない者。

 例えば自ら死を願い命を絶とうとしている者。

 人の世に生きる事をやめて誰とも関わりを持たない者など。

 

 なぜそんな者達を選ぶのか紫に問うた。

 普通なら世界にとって役に立つ知恵や力のある者にするんじゃないのかと。

 紫は答えた、知恵や力のある者が増えればいずれ外の世界と同じになるだろう。

 知恵をつけ人間だけで納得する理屈を述べるような者達はいらない。

 私が求めるのは私達妖怪を恐れ疎み畏怖するような者達。

 絶望を知っている者が私の世界には必要なのだと。

 

 酷く一方的で完全に妖怪目線で語るその姿。

 まさに妖怪全としていた姿を見て、紫が妖怪の賢者と呼ばれる理由が少しだけ理解できた。

 

 ただここで少しの疑問を覚えた。

 そこまで一方的な世界で果たして人間が人間としていられるのか。

 人から妖かしに成り果てる者も多いのだ。

 搾取される側で在り続けるならいっそ‥‥

 絶望を知る者達ならそう考えておかしくないはずだ。

 

 そう問いかけてみたが胡散臭い笑みを浮かべて即答された。

 その辺りは適任者がいるから大丈夫と。

 適任者?

 いつ身の危険に晒されてもおかしくない幻想の世界。

 バランスと呼べるモノがない世界で任せられる者がいるのか疑った。

 詳しく聞けば人間に一人申し分ない者がいるらしい。

 

 人の身でありながら霊を払い妖かしを滅し鬼を征伐できる者。

 身に余る力のせいで生きながら幻想だと思われている人間。

 

 そんな者がいるなら同じ世界に住まうあたしの耳にも届いているはずだが、これほど面白そうな人間の話を聞いた試しがない。

 どういうことかと悩んでいると、そんな話にも上がらないくらいに忘れ去られ消えかけている者なんだそうだ。

 

 そんな幻想になりかけた人間がどう役に立つのか。

 紫に問うたが説明はなく、ただ使える者で招待中としか言わなかった。

 それでもおおよその検討はついた。

 

 絶望を知る者は救いを求めるものだ。

 ならばこの力ある人間はうってつけの者になるだろう。

 例え人外の力に見えても姿は変わらない同じ人間。

 その力は絶望から救ってくれる希望に見えるだろうから。

 

 それにあたしに任せず招待中と言うのだ、話もすでに済んでいるはず。

 オイシイところは自分でやるのかと思いつつ適任者の考察を終えた。

 依頼の話は今日はここまでとしてその日は別れ、あたしは人さらいに精を出す事にした。

 

 最初は面倒な仕事に思えたがこれが思いの外簡単な事で拍子抜けしてしまった。

 特に不便もなく暮らす人間が何かに勝手に絶望し身を投げる。

 これがやたらと多くみられた。

 お陰様で手を加えて心を折り絶望をくれてやる必要がない手間いらずで、あたしは指定されたスキマへと惑わし案内するだけで済んだ。

 妖怪としての姿を見せて少し揺らして、恐怖に染まる者を追い立てる。

 楽な仕事ですぐに指定の数は集まりあたしへの依頼は無事にこなせた。

 

 少しして紫から話があった、あたしへの次の依頼の話だ。

 話を聞かずとも内容は察することが出来ていた。

 以前に聞かされた紫の思い、楽園を見守り一緒に育てて楽しめる相手。

 あたしに依頼を持ってきた時にはすでに世界の形は出来上がっていたらしい。

 後はその世界を面白おかしく過ごせる世界へと育てていく工程。

 一緒に育ててみないかしら?そう持ちかけられ少し悩んだ。

 

 確かに非常に面白い話だし、最初は一緒にそうするのもいいと思って依頼を受けた。

 けれど何故かその時はノりきれなかった、どうしても引っかかるモノがあったからだ。

 理由は酷く単純なもの、あるお方と交わした約束がありそれを破ってしまった事がある。

 

 丁度この頃は約束を守れず謝罪へ行くか、行けるのか?

 と悩みに悩んで動けなくなっていた頃だ。

 約束を守れず頭を下げにも行かなかった不心得者がそれを忘れて紫と新しい世界を楽しむ。

 全て忘れそうしてもいいはずだったのだが、この時はそんな気には到底なれなかった。

 

 出会いの時のように力づくでこられるかもしれないと思いながら丁重に断った。

 しかしあたしの予想とは真逆で悲しい表情で一言分かったわと言うのみ。

 何故申し出を断るのか、そういった深い追求は一切されなかった。

 あの時はせっかくの誘いに乗れず本当に悪いと思い真剣に答えたのだが、そこから何か感じ取ってくれたのかもしれない。

 断りを何も言わず受け入れてくれた紫に感謝して、紫に別の話を持ちかけた。

 

 申し出を断った代わりと言ってはなんだが、最初に願った報酬は捨てて別のお願いをした。

 もしあたしが外の世界で幻想へと成り果てることがあり消えかけたら・・・

 その時には強引でもいいからその世界へと誘って欲しいと。

 紫の愛する世界ならきっとあたしも楽しく暮らせるはずだからと。

 

 半分は正直なお願い、半分は乞うような媚びるようなものだった。

 人との関わりをほとんど捨てて、蓄えだけでなんとか生きながらえていた状態。

 いつ幻想と成り果て消えてもおかしくはないだろうと理解していた。

 そんな中の生きながらえる手段、ある種の保険として紫に頼んでみたんだ。

 

 その場でははっきりと願いを聞き入れるという返事はもらえなかった。

 けれど、一緒になって私の目標に向かい進んでくれた人だから無碍にはしないわ。 

 いつもの胡散臭い笑みではなく、初めて見る友人へ向けるような穏やかな笑みを浮かべこう答えてくれた。

 期待はしないでねと、本気か冗談かわからない言葉を最後に紫はスキマへと消えていった。

 

~少女帰想中~

 

「で、そこからなんやかんやあった感じであたしは幻想となり、この世界へと招待されたのよ」

「なんだか大事な所をはぐらかされてる気がするわ」

 

「はぐらかしてはいないわ、嘘は言っていないもの」

 

 事実。

 あたしにしては珍しく嘘偽りを一切混ぜていない話だ。

 けれどこの巫女が気が付いた通り大事な部分は話していない。

 この巫女は幻想郷を支え守る人間なのだ。

 全て話してもよかったのだがあたしにも少しは恩義を感じる心がある。

 あの幻想郷の管理人が博麗の巫女に何を何処まで話しているのか知らない。

 それにあたしが話していい内容ではないと思える部分もあった。

 

「嘘じゃないけど全部じゃないのね」

「勘の鋭い子は好きよ、でもダメ。怖い大家さんに見られているから」

 

 あたしの言葉とほとんど同時にあたしと巫女の間にあの胡散臭い空間が開き、中からもっと胡散臭いのが現れた。

 何も変わらずいつものようにスキマから上半身だけを出して、あたしと巫女に微笑みかける。

 

「優しい大家さんはいるけれど怖い大家さんは知らないわ」

「そうね、気配り上手で常に住人を気にかけてくれる優しい大家さんね」

 

「あんたら同じように笑わないでよ、気持ち悪いわ」

 

 巫女の顔に嫌悪が貼り付けられあたしと紫を見比べて肩を落として大きな溜息をついた。

 なるほど、おめでたい巫女の言うとおりにどっちも胡散臭い笑みにしか見えないだろう。

 それでもあたしはいつもとは少しだけちがうモノを浮かべていたつもりだった。

 あの時には確か、こんな顔であたしを迎えに来てくれたはずだったな、と。

 いつかの巫女に似た今代の巫女に昔話を少し話して思い出した。

 あっちの世界で最後に見た紫の穏やかで優しい笑み。

 

「一緒にされるのは心外だわ、あたしはこんなに胡散臭くないわよ?」

「そうねアヤメは面倒くさいものね、胡散臭くはないわ」

「あんたら五十歩百歩って知ってる?」

 

 表情を変えずにいる胡散臭いのと面倒臭い妖怪二人。

 その二人に向い言辛辣な言葉を放ってくる巫女。

 その言葉を受けてあたしと紫がまた似たような笑みを浮かべて巫女を見つめた。

 

「とりあえずその顔やめないと退治するわ」

「せっかく拾った命は大事にしたいからあたしは遠慮するわ、紫さんに譲るわよ」

「あら、お家賃代わりに霊夢と弾幕ごっこしてみせてくれてもいいのよ?」

 

「そうやってはぐらかされるなら今日はもういいわ」

 

 あたしと紫の態度を見てこいつらをどれだけ問い詰めたとしても欲しい答えは得られない。

 そう判断したのだろう。

 それ以上おめでたい巫女からの追求はなく、縁側で静かに三人茶を啜った。

 茶を啜り一つ思い出した、里で買ってきた食材を鳥居の側に置き忘れたことを。 

 会話する二人の視線を気にせずに取りに戻り、おめでたい巫女に食材を見せながら台所を貸してくれるよう聞いてみた。 

 

「台所くらい構わないけど、あんたが料理? 食べられるの?」

「そういう顔が見たくて持ってきたのよ、味は食べてのお楽しみ」

 

 あからさまに怪訝な表情を浮かべてあたしを睨む紅白。

 思っていた通りの顔が見えて思わず顔が緩んだあたし。

 その横から胡散臭い笑みのままにいる胡散臭い奴がちょっかいを出してきた。

 

「私の分もあるのかしら? アヤメの手料理なんて何年ぶりか覚えてないわ」

「霊夢の分しかないわ、食べたければ買い足してきて」

 

 あたしの返答を聞いてしぶしぶとスキマに消えていく紫。

 その姿を見て巫女の方は表情を一変させた。

 こんなに表情を変える紅白は珍しく、いいものが見られたと少し気合が入った。 

 

「紫が素直に聞き入れるくらいには期待できるのね」

「さぁ? お楽しみと言ったはずよ? 人に頼むばかりではなく、たまには紫さんにもお使いに行ってもらわないとね」

 

 おめでたい巫女の珍しい表情といつも無茶なお使いをしてくる相手に小さな意趣返し。

 予定とはちがった一石二鳥を得られ、あたしはほくほくとした顔で台所へと歩みだした。

 

  

 紫と最後に会って数年、最後に紫の話を聞いたのは幻想郷という里を創ったというもの。

 その頃のあたしは人との関わりも世界との関わりを完全に捨て去っていた頃で、深い思考もできなくなっており漠然とよかったわねと思っただけだった。

 蓄えも使いきり精神も弱りきり心に引っかかるものだけが少しずつ育ち、小さなしこりだったものが大きなモノへと成り代わり心のほとんどを占めていた。

 生きるための欲もなく何かに対する目的もなく。

 自分は何故生まれたのだろう、どうして生きているのだろうと自棄になっていた。

 そうして何も出来ないでいるうちに何かを考える事もなくなっていき‥‥

 視界だけははっきりしたまま、自分の体が薄れていく感覚を味わった。

 終わりかなと全てを諦めた最後、あたしの瞳に写ったのは‥‥

 



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第五十五話 花より団子?

女子力 そんな話


 余計な遊びなどするんじゃなかった。

 妖怪神社の台所で仕込んだ煮込みの味を見ながらそう思っている。

 初詣に訪れた際に霊夢に振る舞った食事が気に入られてしまったようで、今日は昼間から忙しく料理番をさせられている。

 紫が買い足して、いや何処かから集めてきた食材を使い簡単な炒めものを一品。

 持ち込んだ季節の野菜、山うど筍ふきのとう辺りの天ぷらをちょろっと揚げて食わせただけだったのだが、一口食ってから少し止まり、その後何も文句を言わずに綺麗に平らげてくれたのは嬉しかったが、何を気に入ったのか教えてくれると尚嬉しく思える。

 紅白は自分で揚げると衣がサクッと揚がらないなんて言っていたが、衣にわずかに酢を入れたりだとか玉子は白身だけ使えとか少し教えてみたら後日に上手く出来たと返事をくれた。

 少しのアドバイスを聞いただけでそれを実践し、うまく成功させるのだから、あのぐうたらでおめでたい巫女にも料理の才能があるのかもしれない。普通なら一度上手くいくと続けてやるようになったりするものだが、あの巫女は一回出来ればいつでも出来るからもういいわなんて言ってまた怠けている。上手なのに勿体ないと窘めてみたら、あんたにだけは言われたくない言葉だわと嫌味を返されてしまった。

 ご尤もで言い返せない。

 

「そろそろ一服したいんだけど?」

「煙草中毒なのに腕がいいってなんだか皮肉ですね」

 

「腕より舌のが自信はあるわよ? 試してみる?」

 

 科を作って妖艶に微笑み、下唇を少しだけ舐める。

 頬を赤らめて後ろに飛び退かれたが、あたしがクスクスと笑い出すと小馬鹿にされたのを理解して怒りだしてしまった。蛇とカエルの飾りをつけた長い緑色の髪を揺らしながらあたしに詰め寄りちょっとした脅迫をしてくる山の巫女。

 

「そうやって人を馬鹿にしてると、分社からお呼びしますからね!」

「それはされたくないわ、貴女の分だけ唐辛子を大量投入しておいて喉を潰そうかしら?」

 

 念じるだけで呼び出せるならお手上げだがさすがに身内といえど神様、祝詞くらいはあげるものだと思いあたしも脅迫してみた。

 それで引いてくれたのか真面目に返答をしてくれるお山の神社の風祝。

 

「それは困りますね、美味しいと評判の物は美味しく頂きたいです」

「褒めてくれた事にして勘弁してあげるわ、それより霊夢から聞いたの?」

 

「いえ諏訪子様から伺っていました、実際にこの目で見るまで信用出来なかったんですけど‥‥確かに手際はいいしその煮込みも美味しそうです」

「全部が全部素直に話すのもいいけど、隠してもいいところは言うべきではないわ」

 

 言葉の頭とケツだけだったなら褒め言葉として受け止めてもいいのに、間に余計な言葉を挟むからダメなのだ。真っ直ぐさが売りな子だと思っていたが、なるほど以前にこの子の先祖が言っていた通りまだまだ頭の硬い少女だ。

 いずれはあの土着神のようになるのだろうが、あそこまで神様らしくはなりそうにないな、現人神といえどこの子は人らしさが強い。だからこそ力づくでこないで褒めて折れる柔軟さを持てるのだろうが、そういう良い面は失くさずにいてもらいたい。

 

「まあいいわ、それより一服したいんだけど?」

「仕方がないですね、少しだけ時間を許します。すぐ戻ってくださいね」

 

「感謝しますわ、東風谷料理長」

「いえいえいいんです、心を広く持つのも宗教家として大事だと、八坂様も仰っていましたし」

 

 あの神奈子様が言う心の広さというのはどういうものだろうか、出来れば新しい物に飛びつく好奇心は狭いままでいてもらいたいが、もう遅いか?

 目を輝かせて『常識にとらわれてはいけないんですね!』なんて声高に叫ぶくらいだ、きっと手遅れになっているだろう。

 料理の方も下ごしらえのいるものは大方済ませたし、後は参加者が集まってから調理したほうがいいだろう。熱いものは熱く冷たいものは冷たく頂いたほうが料理を楽しめるというものだ、ついでに言うならどうせ来るだろう咲夜辺りに投げればあたしが楽できる。

 早苗が持ち込んであたしが借り受けた割烹着を脱ぎ衣紋掛けに通して、縁側で足を投げ出して煙管を咥える、手のひらでコロコロと葉を纏め妖術で火を付けてポンと投げ煙管で拾い受けた、それを見ていた別の緑色に声をかけられる。

 

「いつも思うんですが、熱くないんですか?」

「慣れればどうってことないわ、貴女だって慣れてるから涼しくないでしょ?それ」

 

 声をかけてきた緑色の肩より少し上に浮かぶ片割れを煙管で指す、指されたことに驚きでもしたのかくるりと逆の肩へと逃げられてしまった。

 この子の祖父のは撫でたことがあるが、プニモチッとしていながらひんやりと冷たい、中々に面白い感触だったのは覚えている。

 あたしの持ち込んだ賭け事に負けてくれていた頃は自由に触れたのだが、いつからかあたしが負け続けるようになってしまい触れられなくなってしまった半霊が懐かしい。

 

「そういうものではないと思うんですが?」

「あたしにとっては妖夢の半霊みたいなものなのよ」

 

 話しながら煙を燻らせ灰色の半霊を形取る、妖夢から見て鏡になるようにあたしの肩辺りに浮かばせるとなんとなく察したのか納得したような表情を見せた。

 そういえばこの子の半霊はまだ触れたことがない、この子の祖父がいなくなり賭け事の相手がこの孫娘に変わってから勝ち続けているが報酬を払ってもらったことがなかった。

 当たり前のようにあたしの勝ちが続いているので気にしたことがなかった、今年の夏にでも貯まった報酬の一括返済という事で一日好きに触触らせてもらうか。

 

「爺さんはプニモチッとしてたけど妖夢も同じなのかしら?」

「ぷにもち? ああ私の場合はツルッとしてますよ、お陰で幽々子様に捕まり困ることがあります」

 

 視線と言葉から理解してくれたのだろう、欲しかった答えを語ってくれた。

 幽々子が気に入って捕まえるということは悪い感触ではないのだろう、これは少し期待してもいいかもしれない。

 しかしツルッとしているのか、やはりまだまだ若いから張りがあるのだろうか?いつか妹妖怪に言われたことを思い出し軽く笑みを浮かべてしまった。

 

「なんだか雰囲気が柔らかくなりました?」

「柔らかいけど張りがあると評判よ?試したい?」

 

 つい先程の台所で見せたような妖艶な表情を浮かべ胸を強調しながら迫ってみる、すると反応も風祝と同じような物が返ってきて思わず笑ってしまった。本当に、異変で出くわすと面倒で厄介な者達だというのに普段の生活では見た目そのままの少女達で可愛いものだ。

 初心な少女ばかりでからかう相手に困らない楽しい環境である。

 

「幽々子様に同じことすると本当に頂かれちゃいますからね!」

「幽々子なら夏場がいいわ、きっとひんやりしていて気持ちよさそうだし」

 

「なんだか会話が成立していない気がしますが、何がおかしいのかわからないのが悔しいですね」

「あと数十年くらいすれば妖夢も覚えているかもしれないわ、はまってるかもしれないけど」

 

 何のことですか?

 と、こちらの従者も素直な反応を見せてくれる、緑色ってのはなにか弄りやすい人が好む色なんだろうか。思い浮かぶ緑色は大体弄り回して楽しい人達ばっかりだ、弄り過ぎて怒らせると後が恐ろしいところまでそっくりとは面白い。

 

「そういえばお台所はもういいんですか?」

「飽きたからいいのよ、それにどれだけ頑張っても今日は幽々子がいるんでしょ?」

 

 何も言い返されず苦笑するだけ、幽々子も食の方へと執着心が向いてなければ人並みの量で十分なのだがこの反応を見る限り今日は期待はできそうもない。

 それなら諦めも肝心というもの、あたしは諦めの早さにも定評があるんだ。

 せめて最初だけはそれなりに料理を出してみて後はテキトウにどうにかすればいいか、面倒なら鍋ごと預ければいいわけだし。

 

「戻ってくるのが遅いです! 長々サボっていると神奈子様をお呼びしますよ!」

「あんまり親の威を借りる事ばっかりしてると呆れられるわよ?」

 

 台所で待つのに痺れを切らしたのか、ドスドスと足音を立てながら再度の脅迫をしてくれる現人神。それでもあたしの一言でぐぬぬと言葉に詰まり反撃の言葉が見つからなくなる辺り、さすがにまだまだ若い。早苗のご両親だったら絶えず休まず口撃が飛んできてあたしが面倒になり折れることが多いのだが、そうなるのはいつの日になるのだろうか?

 神霊となり信仰を集めて力を蓄えられたとしても、この子の場合はこのまま変わりそうにない気がする。

 

「そもそも竈一つであたし一人ってのが問題だと思うのよね、需要と供給が崩れてると思わない?」

「そうですねぇ言われてみれば苦しい気がします」

 

 気持ちを伝えるなら正面を見据えてモノを吐いた方が伝わりやすい、相手が素直なこの子たちならなおさらだ。緑の巫女と緑の従者に挟まれたので緑の瞳をした友人、無意識で話す子を真似て意識せず正直に願望を述べてみた。

 

「そう思うなら自宅で何か作って持ってきて、あたしは楽したい」

「正面から顔を見据えてそういう事いう人ってあまりいないですよね」

 

「あたしは正直者の狸さんなの、嘘ついて舌抜かれたら商売上がったりだもの」

「現在進行形で嘘ついている気がします」

 

「自分に正直だから嘘なんてまだついてないわよ?それにどうせつくならばれないように嘘をつくわ」

「最終的に嘘をつくことに変わりはないんですね、閻魔様とか宴会に来ないかなぁ」

 

 それは困る。

 嘘やら舌を引っこ抜かれるやらはどうでもいいが白黒はっきり付けられたら灰色のあたしは消えてしまうかもしれない。曖昧にぼかしてふらふらしているのが取り柄だと思っているのに、きっちり仕分けされたらあたしの自我同一性が崩壊してしまいそうだ。

 皆あの説教が嫌だと言うがあたしは特に気にしていない、聞き流せるようあの赤い髪の部下の方にでも逸らせばいいのだから。

 

「やっぱり閻魔様は怖いんですね」

「だって説教長いじゃない」

 

「舌とかはいいんですか?」

「抜かれたら生やせばいいのよ、調子にのって二枚くらいにしてもいいわね」

 

 べーと舌を出してはにかんでみせると従者二人に呆れられてしまった、反応を見る分にはそれなりに面白いが会話のやりとりをするのはまだ早いか。

 どちらも保護者は楽しい会話相手なのだが、早くそうなってくれれば嬉しいと思う反面見習わないでほしい反面、少し複雑だ。

 

「さて、休憩も十分しましたし残りを片付けましょう!」

「残りといっても後は炒めたり盛り付けたり運ぶだけでしょ? 二人でやってよ、お年寄りは疲れたわ」

「こういう時だけ年配ぶるのはずるいので却下です、さぁ行きましょう」

 

 右腕と左腕両方を抱えられ踵を引きずられながら縁側から台所へと引きずられていく、なんだか捕まり連行される姿に思えた。

 きっとこのまま茹で上げられ出汁を取られ狸汁にでもされてしまい幽々子の腹におさまるのだろう‥‥って、それはあたしではなくてもっと有名な狸さんの役目だったか。

 

 

 あれから散々駄々をこねて、妖夢と早苗の心を折り、あたしが現場監督になり二人に作業を引き継いでもらった、読み違えたのか咲夜は来ないままで人間組勢揃いとはならないようだ。

 人数も後から幽々子が来たくらいで巫女二人に霊二人狸一人と小さな宴会となった。

 そういえば炒めものに使っていた、あたしの持ち込んだ小ぶりで深めに作られた中華鍋を気に入ったのか、何処で買ったのか聞かれたので、紅魔館の門番から譲ってもらったと教えておいた。

 毎日毎日突っ立っているだけで暇していそうな友人に、あたしから暇を潰せる少しの刺激を届けてあげる粋な計らいをしておいた。

 多分気も合うだろう、真面目だし従者だし緑だし緑だし。

 どうなったのか後で話を聞いてみよう。

 

「自分で作った時はべシャッとするんですけどなんで野菜がシャキッとしたまま火が通るんです、これ?」

「炒める前に油通したでしょ?そのおかげ」

 

 少しのアドバイスを伝えその通りに早苗の作ったタダの野菜炒め、それを見ていた妖夢に食べながらおさらいをする。

 あたしの作るものはほとんどが我流だったがこっちに来てミスティアや美鈴に教わった物が増えた、さっきの油通しも美鈴に教わったものだ。

 高温の油に通すことで熱を通しても野菜の歯ごたえを残したまま火を通せる、他にも使える便利な調理方法だ。

 

「豚さんのモツなんてあまり食べないけど美味しいのね、アヤメ毎日うちに来ない?」

「幽々子の食事を毎食作るのは簡便だわ、あたしの胃が痛くなりそうだもの」

 

「狸の胃って美味しいのかしら?」

「牛の胃なら炭火で焼くと美味しいわ、辛味噌ダレで下味つけてから焼くの」

 

 元々の狸の習性からくるのだろうか、嫌いな食べ物なんてない雑食だし血の滴る肉も臓物も美味しく頂ける。

 そういえば幻想郷では内蔵を食べる習慣はあまりないらしい、あたしも妖怪として味わっていなければ食べなかったかもしれないが今は味を覚えてしまいたまに食べたくなる。

 どの種族のとは敢えて言わないが。

 

「モツの煮込みに生姜って入れるんでしたっけ?」

「作る人によるでしょ、あたしは好きだから多めに入れるだけ」

 

「ひとかけを摩り下ろして臭み取りにするくらいはわかりますが、結構入ってますよね?」

「丸々一個、細かい千切りに刻んで入ってるわ。たまに噛んだ時の爽やかさと歯ざわりが好みなのよ、それに冷え性や肌とか美容にもいいのよ生姜って」

 

 美容という言葉に食いついたのか、売れ行きが早くなっていく。

 そんな心配をする必要がない若々しい少女や年を取らない亡霊少女しかいないのだが、それでも気になるものなのか。大鍋で作ってよかった、余れば持ち帰るかと思って作ったがこの雰囲気なら持ち帰ることなどなさそうだ。

 

「健康的とは真逆にいるアヤメさんの暮らしぶりを聞いてますが、この辺が若さの秘密なんですか?」

「失礼な物言いをするわね早苗、あたしはいつでもいつまでも霧で煙な可愛い狸さんなのよ?」

 

「昔は今よりももっと可愛かったのよ? 尻尾揺らして微笑んだりして‥‥どんどん紫に似てきて可愛くなくなっていくのよねぇ」

「幽々子の食事を取り上げるわ、もう終わり。我慢なさい」

 

 胡散臭い笑みを浮かべて幽々子のお箸が食事の盛られたお皿から逸れるよう能力を行使する。

 二三回お箸を動かして逸れると気が付くとすぐに泣きついてきた、みんなの前で可愛らしくごめんなさいしてと告げると満面の笑みでごめんなさいしてくれた。

 従者がいようが誰が見ていようが考えることなく動けるその気持の良さは見習いたいものがある、真似はしないししたくないが。

 

「変な事言うからよ? あたしはあんなに胡散臭いないわ」

「でも同じくらい厄介よね」

 

 今まで会話に混ざることなく静かに食べていたおめでたい巫女に言葉を被せる早さで突っ込まれる、同じように逸らしてやろうかと思ったが後が怖いのでやめておいた。

 巫女の職権乱用な気がしなくもないが、気に入って作ってくれとお願いしてくる可愛さに免じて言い返すのはやめた。

 

「それで今日はなんの宴会だったのかしら?」

「厄介な人の美味しい料理を食べながら酒を飲む、それだけ」

 

「夜桜見るから来いと言われた気がするんだけど、珍しく素直に美味しいと言ってくれたからよしとするわ」

 

 普段のあたしなら団子より花を選んで酒を飲むのだが、自分で腕を振るった物を褒められて心地よい気分だ。たまには今日のように、提供した団子を喜んでもらいついでに花を愛でるのもいいものかもしれないと思えた。

 



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第五十六話 思いがけず

思いがけない事で喜ぶ そんな話


 ついこの間までは山の景色が鮮やかに紅く染まっていたり,この身から吐かれる吐息が白く見えていたのに、今ではもう山桜が七部咲きといった雰囲気で緑にピンクと白が映える景色となっている。歳を重ねていく度に季節の移り変わりが早くなるように感じられるのは何故だろうか、何度か考えた事がある難題だが未だ正しい答えは出せていない。

  もう何度目でいつ以来に思いついた事なのか、それを思い出す事も億劫なほどになってきている小さな難題。毎回真剣に悩んでいるわけではなく、こんな風に感じるから移り変わりを早いものとして捉えるようになったのかねと、それっぽい理由を当てはめるだけに留めている。

 

 ちなみに今のあたしの中で推されている答えは人化出来るようになってから変わっていないもので、背が伸びたからというのが一番しっくりくる答えだと思っている。

 四足ついて走り回っていた頃よりも視点が高くなり遠くまで見渡せて多くのモノが見られるようになった、という酷く単純な理由が今のところ納得出来ている答えだ。

 視点が高くなり同時に視野も広がって、一度に得られる情報量が増えたと同時に多くの変化も見られるようになった、獣の頃の低い視点では見えなかった物、例えば草花の葉先。

 四足だった頃は食べ物を探しに根を掘り返したり実を探したりするばかりで、少しずつ緑から黄へと変わる色やピンと張っていたものが萎びていく様子などを気にしてはいなかった。

 愛でて眺め手に取るようになってから気がつけた小さな変化の一つ。

 こういった小さな変化に気がつけるようになると、これは何にでもあるものなのだなと理解するまでそう時間は掛からなかった。

 

 植物の葉以外にも水の温度や空の色など色々と身近なモノから感じ取れるが今は割愛しておこう、語るよりも自分で気が付いた方が面白いことのように思えるから。

 余計なお節介を語るくらいなら、あたしを見下ろす様に枝に腰掛けながら色々と話しては、難しい顔で尻尾の様な茶髪を揺らしている少女でもからかったほうが楽しいはずだ。

 

「今日はどうしたの? あいつの代わりにあたしで暇つぶしとか御免こうむるんだけど?」

「あたしは貴女と違って盗み撮り出来ないから直接来ないと様子見できないもの、それに代わりだなんて思ってないわよ?」

 

 普段は他人と触れ合う機会が少ないというこのお山の友人、あたしの一言ですぐ焦ってくれたり神妙な顔をしてくれたりと天狗の割には素直な少女。

 さっきの一言もコレといった思惑を含めて言った言葉ではないのだが、言葉の何処かが気に入ったのか少し嬉しそうな鼻が高いといった表情を見せてくれている。

 

「ならいいけど、何しに来たのかは答えないのね」

「特にないんだけど、強いて言うなら会いに来たってとこね」

 

 特に誰かに会いにというわけではない、ただ暇を持て余していたので誰でもいいからあたしの暇つぶし相手を探していただけの事。このお山に入ってすぐにあたしの前に出てきてくれる、いつもの真面目な白狼天狗は今日も生真面目に仕事をこなしていてつれない様子だったし、河童連中はなんだかよくわからない機械に没頭していて構ってくれなかった。

 もう一人の天狗記者は自宅に行った所で今日もいないとわかりきっているし、神社に行くのは嫌だった。仕方がないから別のところへと思った時に、屋外では見かけることが少ない方の天狗記者を見かけて少し声を掛けただけなのだが。

 何か嬉しい事でもあったのだろうか、頬に手を添えて恥ずかしそうな見た目の通りの可愛い笑顔を見せてくれている。

 

「取り敢えず降りてこない? このままだと首痛くなるし、さっきから見えっぱなしよ?」

「え?」

 

 言うが早いか即飛び降りてあたしに食って掛かってくる、言うのが遅いだとかいつから見えてたのだとか他の誰にも見られてないよねだとか、キョロキョロと周囲を探りながら矢継ぎ早に言われてやかましい。

 幻想郷の新聞記者は何かを話し続けていないと死ぬんだろうかという勢い、それでもこっちはまだ可愛いか、二つに結んだ長い茶髪とネクタイを揺らして顔を真赤にしながらチェック柄のスカートを抑える姿、あっちの記者では見られないだろう同じ天狗記者の可愛らしい少女の姿。

 

「最初から見えてたわ、てっきり見せているのかと」

「んなわけないでしょ! たまに外へ出たっていうのに最悪よ!」

 

「たまにしか出ないからその辺疎いんでしょうに、覗き見される気分はどう?」

「もっと早く言ってよ! それに嫌味まで言ってくれて! あたしのは覗き見じゃないわ念写よ念写、覗きは椛よ」

 

 言われてみれば確かにそうか、こっちは盗撮であっちが覗き見だ。

 覗き見と盗撮だとどちらが趣味が悪いだろうか?

 片方は現在進行形のモノを感知されることなく、好きな時に一方的に覗き見る事ができる。

 もう一方は念じてある程度の指向性を指定しそれに見合った景色を画像として出力する。

 いつか言われた五十歩百歩が脳裏に浮かぶが強いてあたしの好みを言うなら覗き見のほうか、どこか遠くにあり通常では拝むこと叶わないモノを好きに見られるんだ。

 暇がなくて素晴らしい、こんなに素晴らしい能力なのにあの子は自宅付近しか覗き見しないだなんて勿体ないとは思わないのか?

 それともある程度の範囲しか覗いて見えないのだろうか、自己申告で『程度の能力』と言うくらいなのだしそうなのかもしれない。

 

 ならこちらの念写記者はどうなのだろう?

 こちらも同じように範囲制限があったりするのだろうか?

 念じて写す程度と言うくらいだ、捉えたい景色を思い浮かべることが大事なのかもしれない。

 とすれば、一度でも見たものならその景色を念じ思い起こすことが出来ればいつでも過去の思い出を見放題できる、これもこれで便利な能力だわ。

 ただこの能力の持ち主にも問題があるな、せっかくの便利で楽しい能力を殺すように山に留まり外を見ない。やりようによってはあっちの、清くも正しくもない新聞記者の記事よりも面白いものが書けると思うのだが。

 

「どうしたの? 黙るなんて珍しいわよ?」 

「素晴らしいモノを持っているのにそれを活かさない友人達を哀れんでいたのよ」

 

「実力を活かさず隠して笑ってる誰かに言われたくないわ‥‥実力といえば、お魚ご馳走様。あれって桜の香り?燻すといい匂いになるのね」

「隠すのは天狗でしょ?あたしは惜しむのよ、口にあったなら良かったわ‥‥予想していた通りに感想も聞けたし、会えて良かったわ」

 

 以前に予想したとおり文はおすそ分けをしてくれたらしい、文からではなく食べた本人から直接感想を聞けて作り手としては本望だ。あたしの会えて良かったという言葉を聞いて、嬉しそうな顔であの時の魚の写真を見せつけてくれる今どきの念写記者。

 自画自賛するわけではないのだが、何故かはたての撮る料理や食材の写真はどれも旨そうに見える。今見せてくれている写真も光の差し込み方からそう見えるのか、燻された皮目の茶が綺麗に濃淡するように写り今にも香ばしい匂いが香ってきそうだ。

 

「念写より実物撮ったほうが上手ね、はたて」

「余計な事言わないで、綺麗な写真ねの一言でいいんだけど‥‥写真を褒められたのに変わりはないから今日は許すわ気分いいし」

 

「名の通り海のように寛大で嬉しいわ、そういや外の世界の念写も出来るの?」

「あたしの見ていた外の世界ならね、今の外は見たことないから最近の風景は念じても写らないわよ?」

 

 それでもいいとお願いして一枚念写してくれるように頼んでみたら、一枚姿を撮らせてくれればと言われたので仕方なくポーズを撮った。

 恥ずかしさなど感じる事もなく愛らしいポーズを取ってやったのにその場で撮影される事はなく、後で念写した写真を渡すから楽しみにしていろとの事だった。

 一体何を取られるのか、少しの期待と疑い混ぜて楽しみにしておくと伝えた。

 

「で、何を念写したらいいの?」

「海よ、口に出したら見たいと思ったのよ。幻想郷では見られないし何時の時代のものでもいいわ」

 

「あ~海ないもんね、言われるまで気にしてなかったわ。どれ、期待されてるようだし頑張りましょう」

 

 今まで騒いでいたのが嘘のように静かに集中して携えたカメラに念を込める、ここまで集中しなくても気軽に撮れると見知っているがどうやら期待に応えようとしてくれているらしい。

 数秒の静寂の後カシャっとカメラの音がなり、はたての念じた風景が映し出された。

 

「訂正するわ、念写も上手ね」

「たまには集中してみるもんだわ、念じた以上にいい絵が撮れた」

 

 はたてと二人顔を並べてカメラを覗く、そこには一枚の原風景が映しだされていた。

 高く高くそびえる山々、頂には雲が掛かり山の緑に濃淡を描くように霞み広がる。

 その山々の山頂から流れるように広大に広が続く濃い緑の原生林、人工的なモノなど一切見えない美しい自然。

 その自然を味わうように視線を舐め上げて行くと遠くに広がる青の円、水平線というやつだったか濃淡のある青が丸く広がりどこまでも続くように見えた。

 

「海って言われたのにこれは別よね? 自然?」

「いやいや期待以上だわ、後で焼きましして頂戴。今日は来てよかったわ、はたてに会えていいモノが見られた」

 

 あたしの記憶からも失われていた遠い昔の一枚絵。

 日の本の国の原風景をもう一度拝めるとは思わず、素直にはたてに感謝した。

 撮影者も鼻が高いといった風でいつもより胸を張り、してやったりという表情だ。

 褒めっぱなしは柄ではないので少し落としどころを作ろうと思った。

 

 滅多に拝めるものじゃない、とてもいいモノよね。

 と、誰かがさっきしていたように恥ずかしそうにスカートを抑えて上目遣いで睨んでみると、伸ばした鼻が元に戻りまた喚きだした。

 髪を揺らして騒ぐ姿を見て、写真を撮り自画自賛する姿はあっちが似合うけど、こっちの記者はいつも通りの騒がしく可愛らしい姿のが似合うわ、と一人頷き笑った。

 



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第五十七話 食わず嫌い

苦手と思っていても食べてみたら以外といける そんな話


 コツコツ、永い時間踏み固められた硬い地面と履いたブーツが立てる足音。

 それを聞きながらダラダラとお山を散策しては立ち止まり風景を眺む。

 紅葉樹の緑にほんの少し混ざる山桜のピンクから散った小さな花弁が、あたしのブーツの紐にとまり蝶のように見えた。

 花の名前を持つあたしに小さな花びらが蝶々のようにとまるなんてなんとも風流じゃないか。歩き出して蝶が離れるのが惜しくなりしばらくそのまま佇んで、煙管を取り出したが葉は燃やさずに咥えるだけにした。

 今のあたしは花だったねと。

 煙草の匂いはあたしの匂い、だけど今くらいは花らしくしてみようと火を遠ざけて蝶を見る、暖かで少し強めの春の風に乗りあたしにとまった蝶が飛び立つ。

 それを見送りしばらくしてから煙管を燻らせた。

 

 あたしの吐いた煙も春の風に乗って木漏れ日の中に掻き消える。

 さっきの蝶々といい今の煙といいどこか儚いものだと感じた。

 暖かで明るい季節だというのにどこか儚い春の情景を感じ、葉を踏み消して立ち止まっていた足を視界の端に入れた神社へと向け動かし始めた。

 

 春の穏やかな日差しで暖められた立派な大鳥居の前で立ち止まる。

 あっちの妖怪神社とは違ってこっちの神社には顔見知りの神様がおわすのだ、きちんと端により軽く礼をして鳥居を潜り手水舎へと向かう。

 よくわからない原理で水が流れるあっちの手水舎とは違い、ここの手水舎は坤の御力で水を吸い上げているのだろう。丁寧にお清めしたし、あたしの隣にいつの間にか姿を顕現されていた怖い怖い神様へのご挨拶をするとしよう。

 

「本年も倍旧のお引き立ての程宜しくお願い申し上げます、諏訪子様。今年は去年よりは少し多めに遊びに来られるようにするわ、多分」

「おぉ先手を打つようになったか‥‥まあいいさ、そう気を使うな。暇ならおいで私は暇だ、おめでとうアヤメ」 

 

 先に色々言われる前に出鼻をくじくことには成功したようだ、それに気を使うなとも仰られたし気楽にいきますか。肩肘張って畏まらないといけないような間柄ではないと思っているし、司る立有《たたり》は怖いが諏訪子様そのものは怖いよりも可愛い神様だ。

 

「あたしケロちゃんのそういうところが好きよ?」

「普通なら言葉通りに捉えないところを強調するのが好きだなお前は、それもいいさ。信仰心は変わらず感じるんだ」

 

 言うとおりあたしは諏訪子様を信仰しているのだろう、自分の事なのに言い切れないのは自覚がないからだと思う、これも習性や名残からくるものなのだろう。

 地を駆けて獲物を探し、地から様々な恵みを得て、あたしを置いて先に地へと還る同胞をこれまで幾度も見送ってきた。この心は信仰というよりも感謝といったほうが正確なモノだとは思うが、受け取る諏訪子様が信仰心だというのだからあたしが判断しなくともいいだろう。

 

「この間来た時には傷は癒えてなさそうに見えたが、また来るとは何か考えを改めたのかい?」

「改心するなら成仏するわ。今日は暇つぶしでお山に来たんだけど、思いがけず喜べる事があったからこっちでも何かあるかなと思っただけよ」

 

「言う割には改悛(かいしゅん)してるじゃないか、何か入れ替えるような事でもあったかね?」

「入れ替えるってよりも取り戻すって感覚ね、忘れてた蟠りが消えてスッキリしたのよ。きっと」

 

 傷を受けたのは神奈子様からで諏訪子様からではないし、二柱を一緒くたにして考えるほどあたしは馬鹿ではないつもりだ。それに次は止めるよと仰ってくれたわけだし、いつまでも怖がっていては諏訪子様とこうして話せない。

 それははつまらない。

 

 

 会えば今のように心を見透かされるがされたところで相手は天上、いや地上の神様なのだ何も気にすることはない、それに言われたことは実感こそあまり感じられないが事実だろうし、言われて悪い気分にもならない。

 以前なら見透かされた事に驚き身構えただろうが、今はさして大事だと思えなくなったわけだし‥‥なんというか悟りを開いた気分?

 どっかに新しい目でも出来たかね?できればあの覚り妖怪のようなジト目ではなくもっと可愛らしい瞳だとありがたいが。

 

「悩んだ顔して自分の体を弄って本当にどうしたい? 発情でもしたかい?」

「さとりを開けた気がしたから目が増えてないか確認してるのよ、発情したって相手がいないもの。悶々とするだけで楽しくないわ」

 

「はははっ枯れた生活してるねぇ、子孫を残すってのも存外悪くないもんだよ?」

 

 余計なお世話だ、子孫を残そうと考えるほど繁栄したいと思っていないし自分に似たようなのが大勢いたら厄介事が増えそうで困るから勘弁願いたい。

 しかし、外で出会った時に神社で暮らしていたあの風祝が死んだ時、散々泣きはらしていたくせにそれでも子孫を残すのも悪くないと仰るのか‥‥置いていかれるのはいつまでも親の諏訪子様だというのに。

 

「涙脆くなったからわざわざ別れを作る気にはならないわ、そういえば旦那様と娘は?」

「旦那なら本殿で待ってるさ、意固地になって参拝済ますまでは出ないんだと。娘はあっちの巫女の方」

 

 商売敵の割に仲のよろしい少女達だこと、この前の花見にもいたし同年代で会話も弾んであたしが考えるよりももっと気安いお友達ってところなのかね。

 それよりも意固地になるって近寄りにくい原因を自分からあたしにやらかしておいて何を仰っているのやら、そんな事聞いたら参拝遅らせるしかないじゃない。

 

「諏訪子様久しぶりにデートしない? 人里に贔屓の甘味処があるのよ」

「悪くない誘いだが、一応身内を立てねばならん。気持ちはわかるがたまにゃ素直なところを見せてやりなよ」

 

 フラレてしまったし、致し方ない。

 いつものように参拝を済ませ太くデカイ注連縄の後ろに下がる呼び鈴をガランガランと鳴らす。本殿の中央に何か気圧されるような威圧されるような気が集まると、片膝立てて不遜に笑いあたしを見据えるお方が顕現される。

 

「我を呼ぶのは誰ぞ?」

「あたしは呼んではいないわよ? でも形式って大事だし呼び鈴は鳴らしてみたわ」

 

「ほう、ただの古狸風情が我の社でイタズラか‥‥剥いで敷かれたいのか?」

「いつまでもその調子なら顔も出したし戻るわ、諏訪子様に再度申し込みたいし」

 

 言い切り振り向く、そのまま背中においだのコラだの聞こえてくるがそれは無視して笑顔であたしを見つめてくれる諏訪子様へと歩み寄ると、諦めたのか、大きな溜息があたしの耳に届いたあたりで振り返り本殿へと歩み戻る。

 

「久々なんだ、もう少し私と話すことはないのかい? アヤメ」

「不遜な神様状態の神奈子様は嫌いだもの、最初からそうしてくれればいいのに」

 

 腕を組み苦笑を浮かべる守矢神社の表の祭神、八坂神奈子様。

 何か思いついたり神様らしく神事を執り行う場合は我などと口調を変えて尊厳さや偉大さを表し魅せる器用な軍神様。ただ普段使いは今のように私となり、偉大さや尊厳さは影を潜ませ一緒に酒を飲んで笑い合える気さくな天の神様になる。常にこっちの顔でいてくれればあたしも毛嫌いしないのに、そうもいかないとはあたしもわかってはいるが。

 

「あたし以外に奥さんしかいないんだから形式も何もないと思うんだけど? ああそうだ、本年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます、神奈子様」

「初詣にしちゃ随分ゆっくりだねぇ、私にも都合があるのよ。参拝客にはそれなりの姿を見せないと客に失礼だわ」

 

 そのそれなりの姿のせいで一人の洩矢信者の足が遠のいているわけだがそこはいいのか。

 神奈子様への信仰心が増えるわけじゃないだろうが、身内の力が強まるなら改めてもいいと思うのに、その辺はあれか天津神と国津神で考え方の相違があるのか?

 幻想郷の野良神様連柱といいここの二柱といい変わった方々だ。

 まあいいか、神様事情なんて妖獣には関係ない。

 

「花見は守矢神社へ! なんてビラを見たから初詣を思い出したのよ、それよりあのビラ誰が考えたの?桜なんて境内にないじゃない」

「あぁあれか、あれは私さ。山桜が綺麗だったからそれでいいやと思っただけ、本格的に花見する気なら山桜をこっちに移動するよ?」

 

「それはそれは、移動されないことを祈るわ。また守谷か! なんて騒がれても知らないわよ?」

「そうなったらまた神遊びするだけさ、木っ端しかいない引越し先かと思ったが・・思った以上に骨のある連中が多い。」

 

 骨のある連中ね、確かに一つの小さな世界にしては荒事大好き揉め事大好きな連中が多いかもしれない、格の高い連中も多いな、妖怪のくせに神代の時代から健康に気を使う長生きさんや、二ッ岩大明神の姐さんもいるか。

 というよりも神奈子様のところのお偉いさんに当たる人がいるが知らないのかね?

 顔を合わせることがないのか?

 かたや竹林から出てこないしこっちの神様も神社で暇しているばっかりだ、土地と強く根付いた土着神であらせられる諏訪子様とは違って、神奈子様なら何処へなりとも遊びまわってもおかしくないんだが‥‥あぁ河童のところに行ってるか、あの企み顔で。

 

「私と顔を合さない間に表情を変えるようになったなアヤメ、心を入れ替えたか?」

「その話はさっき諏訪子様としたわ、それに神奈子様のせいであたしは悲しい顔をするようになったのよ?」

 

「私? あぁ、あれか。技術の進歩に犠牲は付き物! 今もこうして健在なんだから細かいことは気にするな!」

「人のこと散々いじり倒して汚したくせに、奥さんと娘に白い目で見られたらいいのよ‥‥技術バカの神奈子様なんて嫌い」

 

 諏訪子様に抱きついて表情を隠す、確実にバレバレだがそんなことはどうでもいい。

 たまにはなにかやり返してやらないと気がすまないのだ、ここは楽しそうに笑う諏訪子様の慎ましい胸を借りて泣いてみせよう。

 

「諏訪子の胸で泣いてスッキリしたらまた手伝うか?大丈夫次は前よりマシだ、次は核融合の冷却に霧が使えないかと‥‥」

「それはダメ、どうしてもというなら力づくでどうにかするわ」

 

「珍しく言い切ったな、なんだ、あの地獄烏が気に入ったか?」 

「神奈子様と諏訪子様が風祝を想うのと近いくらいには気に入ってるわ、それに核融合は霧じゃ冷却しきれないのは実践済みよ? やる必要はないわ」

 

 少し前に地底の異変を思い出したからだろうか、普段なら煙に巻いてごまかすのだがこう真っ向から喧嘩を売るようなのはあたしらしくない、表情もあたしらしくないな、常に薄笑いで小馬鹿にしていたのが何処か冷めている……いつかの地底での喧嘩を思い出す。

 それでも訂正する気もないし、なったらなったで致し方ない、あたしの全力を持って嫌がらせをしながら逃げ回ろう。逃げ一徹すれば当分の間は安全だろうし、途中で紫でもとっ捕まえて外の世界にでも出してもらえればこの二柱では追ってこれないだろう。

 あたしも多分長くはいられないが、気持よくやられるよりは仕留め切れなかったと舌打ちさせるくらいにはなるだろう。

 

「久々に来て普段は見せない真剣な顔まで見せた、これは私が悪いね。謝ろうアヤメ、すまなかった」

「真剣な顔させるような事言うのが悪いのよ神奈子様、あたしも早苗をダシにしたしもういいわ」

 

 格上の方から先に頭を下げて頂いたのだ、これ以上突っかかる理由はない。

 それに出来れば荒事にはしたくない、神奈子様も会話を楽しめる大事な友人であることには変わりないのだから。気心知れた相手と血なまぐさいことをするなんて、どっかのウワバミ連中じゃあないんだ、引く時には引くのがあたしらしさだ。

 張り詰めていたものを霧散させていつものやる気ない表情に戻ると諏訪子様があたしの手を引き何かを仰る。

 

「二人のおかげで久々に楽しめた、あたしも気にしてないさ。それより早苗になんか吹き込んだだろう? 野菜炒めばっかりで困ってるんだ、アヤメがどうにかしてみせろ」 

「両親なら娘の花嫁修業くらい付き合ってあげなさいよ、味わえるうちに忘れないほど味わったほうがいいわ」

 

 片方の眉だけ上げてあたしを優しく睨む諏訪子様。

 以前の風祝が地に還った時も泣きはらして喚いたが、しばらくしてからあの子の作ったみそ汁の味を思い出せなくなったとまた泣きだしたんだ、なら今度は忘れないように娘の手料理の味を身に刻んだらいい。味が悪いというのなら多少の手ほどきくらいはやぶさかではないし、後々で娘を思い出した時にでもあの味は変な狸が教えたんだったかと薄くでも思いだしてくれればそれでいい。

 

 いなくなっても思い出してもらえればまた復活できるかもしれない。

 そんな小さな下心もなくはないが、古い友人からのちょっとした思いやり。

 泣く諏訪子様よりも祟り振り撒いて笑う諏訪子様のほうがあたしは好みなのだから。

 しばらくは家庭の事情を聞いていたが、神奈子様が新しく作った物があるという話になって社務所に上がり色々見た。氷の保冷庫や、紐を引くだけで灯る灯りなど、それなりに面白いものが多くなかなかに楽しめた神社探訪。

 押すだけでお湯が出るポットを見つけ、その形がいつか突っ込まれた蒸気機関のあれに思えてしまい苦い顔していたら二柱に笑われてしまった。

 

 また泣くべきか?

 いや泣いたところで指さして笑われるだけだろう。

 下々の者とは精神構造のちがう神様なのだし。 




少しだけヒールのついたくるぶし丈の編みブーツ。
着物にブーツ、ハイカラさんです。
アヤメはフーテンですけどね。



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第五十八話 風物詩

ああいつものかと眺められる そんな話


 こちらに視線を向けながら歩き去っていく里の人間達。

 珍しく注目を浴びていても気にすることなく茶を啜り息を吐く。

 場所はいつもの甘味処だが今日の目的はいつもの甘い物ではなく、先程から無言で啜り目を細めているお茶の方。少し啜り口に含む度に、芽吹いたばかりの新緑のような若々しい香りが口内に広がり鼻から抜けていく。香りとともに舌先に広がる爽やかな味わい、これはもう舌で味わえる大森林と言ってもいいのではないだろうか。

 

 普段なら甘い物の口直しとしか捉えていない茶だがさすがに旬だ、今ばかりはこちらが主体になっているだろう、旬の物を旬に味わい思いに耽る。

 なんと贅沢なことだろうか、そんな事を考えながら少し啜っては目を細めている。

 これでもう少し静かな状況であれば尚嬉しく思えるのだが、あたしの隣で視線を集める赤い髪を揺らしてお叱りを受ける誰かのせいで先程から随分とうるさい。

 少し前まで一人静かに茶を啜り旬を楽しんでいたのに、いつものように仕事をサボりあたしの隣へと腰掛けて団子を食べて一人話し出したどこかの死神。

 少しの時間世間話をして、毎回毎回サボっているとまた上司に叱られるわよと伝えた瞬間きゃんと鳴いた三途の川の水先案内人、隣で正座し小さくなるこいつのせいで何処からともなく現れた怖い上司が、またですか! と口を開いてからやたらにうるさいのだ。

 内容を盗み聞きすれば確かにありがたいお話をされているのだが、今のあたしは功徳を積むより摘んだばかりの茶を味わいたい。そんな不徳な心を口には出さず、隣で頭を小突かれてきゃんと鳴いて涙目になる幻想郷のサボマイスターに目をやった。

 

「貴女も懲りない人ですね小町、何回諭せば心を入れ替えて真面目に仕事に励むようになるのですか。そもそも貴女は三途の川渡しなのですよ? 亡くなった者達の生前の業を踏まえて行動しなければならない者なのです。言うなれば業を見極める者、それなのに貴女は毎回毎回仕事を抜けだしては昼寝をしたり間食をしたりと業を増やして‥‥またそうやって顔を逸らして、私の話を聞いているのですか! 本来であれば貴女は私のように他の者の話を聞き判断する立場の者なのです! それなのに仕事中も死者の声に耳を傾けるよりも自分から話しかけてばかり、本来とは真逆の行いばかりをしていて本当に三途の川渡しとしての自覚があるのですか? 先日だって翌日が休みだからといって日が登るまで酒を飲み千鳥足で帰ってきましたね、休みの前に息抜きをするなとは言いませんが何事にも限度というのがあります。あんな姿を死者に見られては地獄の沽券に関わるのですよ! だというのに貴女という人は無自覚に酔っ払って、聞いていますか? そのような貴女の‥‥」

 

「人の静寂を奪うのは不徳な行いだと思わない? 映姫様?」

 

 定期的に悔悟の棒が赤い頭に落とされて音と鳴き声で拍子を取っていたのだが、さすがに少し飽いてきた。下手に首を突っ込んであたしに矛先が向いてもあたしの大嫌いな面倒事にしかならないのだが、折角の楽しみを奪われたままにしておくのも面白くない。

 もしこっちに悔悟の棒の笏先がむいても、隣の赤いのへと向かうように逸らせばなんとかなるだろうし、ありがたいお小言も耳から逸らせば煩くはないだろう。

 お説教を逸らせるなら最初からやればいいのにと思われそうだが、どうにも閻魔様があたし以外の誰かにお説教を始めると聞きたくなってしまう。

 ほんの少しくどくて長くてしつこいだけで、話される内容自体は他者を想うありがたいお言葉だ、後学のためにとあたしの小さな好奇心が反応してしまい、逸らすのを躊躇してしまうのだ。

 

「静寂を求めるという事は普段の喧騒を離れ心を落ち着かせたいという現れです、それなら私の言葉を聞き入れ改悛すればいつでも心に静寂を感じられるようになりますよ? アヤメ」

「普段が五月蝿いからたまの静寂を大事にしているの、常に静かじゃあたしの耳も口も飾りになってしまうわ」

 

「騒がしく声を発し笑い声を聞くだけが役割なのではないのですよ?他者の発する言葉から何を聞いてどう感じるか、感じたものに対して何を発するかが重要なのです。貴女の場合その殆どを己の為に聞き己の為に発している。そう、貴女は少し我が強すぎる」

「あら? 長いモノには巻かれるわよ? 今もこうして映姫様のありがたい言葉を真摯に受けとめて噛み締めているもの」

 

「世間一般で言われる噛み締ると貴女の言った噛み締めているには違いがあると言っているのです。言葉を噛み締めそれを核としより良くなろうとするのは功徳を積むありがたい行為と言えます。ですが、貴女の場合は私の言葉を噛み締めそれに対してどう返せば己が満足し楽しめるかしか考えていない。これは他者の事などはどうでもいいと考える不徳な思い。貴女も相手によっては思いやりや優しさを見せる事があるのです。ならば選り好みなどせずに触れ合う全ての者達へ優しさや思いやりを見せれば良いのです、それは尊い行いで貴女の為にもなるというのに」

 

 相変わらず一言が長い上に回りくどい、が内容自体は仰る通りで、閻魔様の言葉通りに暮らしていけば善き者へと成れるのだろう。

 ただそう出来ない理由もある、なんといっても妖怪だ。

 恐れ疎まれ畏怖されるのが当たり前の在り方のモノ、そんなモノが善きモノへと変じられるワケがないとあたしは考えているしそうなろうという気もない、それでもそんな考えを正直に話しても閻魔様に通じるわけがない、むしろ白黒はっきりつけられて綺麗に仕分けされるのがオチだろう。

 すっかりあたしに話の方向が向いてしまったし、この状況を楽しむにはどうしたもんか。

 

「聞いているのですか? 確かに結果としては貴女の大事な一時を奪う形になってしまったのかもしれません、ですが貴女にはこの場を立ち去るという選択肢もあったのですよ? その選択肢を選ばずに私の説教に聞き耳を立てることを選んだのは貴女なのです。私とて他者の楽しみを奪ってまで説教をするのは心苦しく思います。ですから小町の隣で静かにしているアヤメには何も言わなかったというのに、それを貴女は自ら口を挟み横槍を入れてきた。今この状況を作ったのは貴女なのですよ?」

「対価を払ったんだもの、それに見合うモノは享受してからでないと損をするわ」

 

 長話に付き合わされてすっかり冷め切ってしまった湯のみを見せる、中身は半分ほど残ったままで冷たくなっていた。旬のモノで冷めたとしても十分に楽しめるが、少しずつ下がっていく温度と共に味わいにも変化があるのだ。

 その小さな変化も楽しみの一つだというのに静寂に続いて奪われてしまった、二つも楽しみを奪われてこのまま泣き寝入りでは立つ瀬がない‥‥が、閻魔様に方便吐いたり嘘をつくなど愚の骨頂だ、本当にどうやれば楽しい状況へと変えられるだろう?

 

「選択肢という話なら映姫様にも言えるんじゃないかしら? 小町を連れ去り何処か別の場所でお説教という選択肢もあったと思うけど?」

「そうですね、貴女の言う通り小町だけに説教するならそうすればよかった。ですが出会いとは縁なのです、小町は仕事を抜け出してこの場に来た。そしてこの場にはアヤメがいた、という事は私とアヤメにはこうなる縁があったのですよ。縁は円、輪廻の内にある者達が出会いと別れを巡らせるもの。ならばその縁をより善い大事な物としてあげるのも円の内にいる者達を裁く私の務めでしょう、ですから今こうして貴女に言葉を向けているのです」

 

 言い返せる材料が何もなくて困る、言葉の一部を掬って屁理屈こねてみてもいいが最終的には論破されて終わりだろう、そもそも嘘や方便で相手を騙くらかすあたしが、決して迷うことなどない閻魔様に口で勝とうなんていうのがおこがましいことなのだ。

 なら口以外でどうにかしなければならないが‥‥地獄の閻魔様相手に実力行使なんて出来るわけがない、そんな事をしたら軽く撫でられ消し飛ばされて終わりだろう。

 得意の嘘がダメならいっそ素直になってみよう、嘘がバレるなら本心で言えばいいのだ。

 先程のお言葉にはつつけそうな綻びがある、ならその辺りをあたしの本心にどうにかこじつけてみるか、このまま続けても言い返しても最後には論破されるのだから、なるようになれだ。

 自分らしさをテキトウに出して、すこしでもはぐらかせれば御の字だ、能力使って逸らす最後の保険を使う前にやれることはやってみよう、どこまで通じるのか試してみるのも面白い。

 

「ありがたいお話を聞いて感銘を受けたわ、確かに映姫様の仰る通りにすればより善いモノへと変われるかもしれない」

「素直に聞き入れるなんてどうしたのですか? このくらいで心を入れ替えるなら貴女は既に善きモノへと変じていていいはずです、そうなっていない以上素直さを見せても何かやましい企みがあるとしか思えません。次は何を考えているのですか」

 

「嘘ついたってバレるもの、素直な意見よ? ありがたい説法をくれたのが休暇中の映姫様からではなく、仕事中の閻魔様からだったなら本当に心を入れ替えたかもしれないわ」

「仕事中でも休暇中でも私は私ですよ、話す言葉に違いはありません。素直さを見せて逃げようとしていますがその道理は通りません」

 

 仰る通り道理は通らないだろう、ただの詭弁だもの。

 それでも素直に本心を話す事であたしを説き伏せる本筋から考えを看破する方向へと思考を逸らす事には成功した、後はウマイことマシな着地点へともっていければいい。

 

「そうね、映姫様からすれば変わらないわね。でも私からすれば今の映姫様はたまの休みに部下に絡む上司にしか見えないの」

「確かに今の私は休暇中に見つけた部下を叱る上司でしょう、それと先程の話と何か繋がりがありますか? はぐらかそうとしても私の力の前では無意味だと知っているでしょう?」

 

 いくらはぐらかそうとしても白黒きっちり分けられてしまえば意味がない、けれどこの場では言葉に意味を持たせる必要がない。

 中身のないものなど仕分けられようがどうでもいい、結果の本筋さえ逸らせればいいのだ、中身なんて黒でも白でも空っぽでも構わない。

 上手くあたしの逃げへと逸れてくれたようだし後は素直に思いを伝えよう。

 

「それならわかるでしょう映姫様? 仰る通り休暇中のどこかのお偉いさんとしかあたしは見ない、閻魔様として見ないという事は今の映姫様の言葉はあたしの心には届かない。部下を叱っていたら横槍が飛んできて、それに苛立ち絡んできたくらいにしか捉えないわ」

「詭弁です、が、本心で話すのですね。いいでしょう、今は休暇中で四季映姫としてこの場に立っていますしここは私が引いてあげます。このまま話し続けてものらりくらりと本心のまま引き伸ばすのでしょう? それならば私の教えと貴女の考えが交わる事はありません、この場では平行線のままです。仮に白黒はっきりつけて平行線を交わらせたとしても、混ざり続けていずれ灰へと戻ってしまうのであれば意味がない」

 

 なんとかなったか?

 いや、閻魔様の言うとおり引いてくれただけだろう。

 この程度の詭弁、閻魔様ならなんとでも切り返せるし白黒つける事なんて造作も無いだろう、平行線とは言うが閻魔様の手心次第で如何様にもなるだろう。

 実際は詭弁とも呼べないあたしの本心を押し通しただけだ、強いて言うなら嘘偽りなく述べた事で閻魔様の手をわずらわせる事なく灰色のままでいると宣言しただけ。

 引いてくれるとは思っておらず白黒付けられるかもしれないと思ったが、そうされなかったのは楽しみを奪ったという小さな罪悪感からだろうか。

 いやいや、休暇中とはいえ閻魔様だ、罪と捉えるのは失礼に当たる。

 ならご自身が仰ったように四季映姫として引いてくれたのか?

 楽しみを奪い申し訳ないという心遣い、そう考えていた方が互いに座りがよい気がする、閻魔様の寛大な御心の上で胡座をかいて気分よくなるなど恐れ多いが、今は映姫様で休暇中の少女だ。

 お言葉に甘えさせてもらうとしよう、取り敢えず本筋はあたしから逸れたんだ、それなら逸らしたモノを戻さないといけない、このまま終わらせるには惜しいしあたし達のやり取りをタダ見で楽しまれるのは面白くない。

 

「それよりも映姫様? 部下の方はもういいのかしら? ありがたいお話を遮ってしまったから最初からやり直した方がいいと思うんだけど」

「そうですね、言う通り仕切りなおしましょうか。私とアヤメのやり取りを楽しそうに眺めていました、今の表情からは叱られた内容も忘れて楽しんだと書いてある様に見えます。まるで他人事という様な態度にも思う所が出来ましたし、その分を追加して最初からのお説教としましょう」

 

 貴女も懲りない人ですねと本当に最初からやり直しを始める閻魔様、ありがたいお言葉を頂きながらあたしを睨む三途の川渡し。

 それを横目に二杯目のお茶を啜る。

 静寂は楽しめないが、きゃんという鳴き声とペシンという音を聞きながら新茶を啜るのも楽しいと感じ始め、茶を啜り目を細め小さな息を吐きながら旬の味を楽しんだ。



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閑話 表題のない演奏会

てててて そんな話


 今まで色々なモノに置いて逝かれたなと、立ち止まり見上げながら思いに耽る。

 地を駆けまわり本能のままに生きる動物に、深く根を張り長い時間をかけて天へと向かい伸びていく植物。這いつくばりながら生まれて、明日へと向かって歩き出し、昨日を思い出しながら伏して死んでいく人間。知らない所で生み出され、知らないところで忘れ去られて、その存在を消していく妖怪。

 どれもこれも先に消えてしまい後に残されていく、よい別れも嫌な別れもあったなと思い見上げている廃洋館へと歩き出した。

 

 随分前から霧の湖の畔に建っているらしいこの洋館、住む者がいなくなった寂れた場所。長く風雨に晒されていたのだろう、少しずつ朽ちてゆっくりと土に還りはじめている門柱には蔦が這っており、建造物というよりも自然の一部となりかけている。かつてはここに立派な門扉があった、という名残だけを見せる錆びた門を抜け庭へと踏み入る。

 

 庭の通路にはレンガが敷き詰められているが通路の中央が酷く傷んでいる、かつての住人たちが歩いた跡なのだろう。住人たちの足跡を追うように傷んだ道の上を歩く、数歩進むと区画の整えられた跡が見られる庭に出た。並びが整えられた庭木は伸び放題で花壇だった場所からは野草が好き放題に生えている、以前は手入れされた庭だったのだろう小さな陶器の人形などが割れ残っている。 

 

 庭を歩いて洋館の正面玄関前で再度見上げる。

 この館にもそのうち置いて逝かれるのかねと、初めて訪れる場所なのに少しだけ侘しいような気にさせられた。普段は誰も訪れる事などないのだろう、開くことを拒否した玄関扉を少し強めに引いて開き館の中へと足を踏み入れた。

 

 周囲を見渡すと円形状の玄関ホールのようで、朽ちて落ちた右手側の階段とまだ上がれそうな左手側の階段が目についた。割れた窓から差し込む光を受けながら上がれそうな階段へと足をかけるが六段目で踏み板を踏み抜く、どうやら見た目だけで既にこちらも朽ちていたらしい。音と埃を立てて崩れた足元を見ると、小さな人形が階段下の飾り棚に並べて置いてある事に気が付いた。数は四体、それぞれ右から黒い人形、桃色の人形、赤い人形と三体仲良く並んでおりその三体と対面する形で緑の人形が横たわっている。

 

 何故一体だけ仲間外れなのだろう?

 疑問に思ったが当然答えてくれる相手などおらず、意識せずに緑の人形を黒と桃色の人形の間に座らせた。人形から手を離し体を起こすと奥の扉が視線に映る、なんとなく視界に入った扉が気になりそのまま奥へと歩き出した。埃を舞わせながら開いた扉の奥へと進むとまたしても円形のホール、けれど玄関とは造りが異なり奥には小さな舞台の様な一段高い場所がある。

 

 割れた窓ガラスを踏みながら舞台へ近寄るとここでも同じく人形が四体、それぞれが小さな椅子に座りまた緑だけが対面する形となっている。

 館で虐められていた者の所有物なのか?

 先程の物は横たわっていたし一体だけなにかあるのだろうか?

 以前は虐められていたとしても残された人形まで虐められる事はないと、今度は桃色と赤の間に並べ直した。

 

 

 人形を並べ終え振り返ると気が付くものがあった、やはりここは舞台らしい。

 暗幕の奥に散らばった色あせて掠れた符のない楽譜が、ここは何かを奏でるような演奏用の小さな舞台だと教えてくれた。舞台に上がり振り返る、すると今のあたしと同じように舞台から見て並べられたような椅子が目に留まる。 

 この舞台を囲う様に誰かが並べただろう四つの椅子、しかしこの椅子も三脚は舞台に背を向けて残りの一脚だけが対面する並び。もうここまで来ればついでだろう、四脚の椅子をそれぞれが対面する形に並べ直した。それぞれの椅子に座ると全員の膝が当たるくらい近く、楽しく会話をしながら手が触れられるくらいに近づけ並べた。

 

 何故そんな形にしたのか深い理由などないが、人形と同じ四という数が気になり仲間はずれのないようにと並べてみただけだった。まだ似たような『四』がどこかにあるのかとホールの中を探してみたが四は見つからず、四の代わりに二回の寝室で別の物を見つけた。

 かつては豪華な様相だったろう天蓋付きの少し小さなベッド、枕は羽を飛び出させ色褪せて汚れた上掛けはずり落ちていた。

 お転婆な主だったのかね?

 そんな事を考えながら上掛けを直そうと手を掛ける、上掛けを整え軽く撫でると手が何かに触れた。

 何かいたのか?

 上掛けを半分ほど捲り手に触れた物を探すと、今までに見てきた人形よりも一回りは大きい物が三体ほど横たわっている。

 

 黒い人形は金髪のショートボブに同じ色味のボタンの瞳、巻きスカートの出で立ち。口は小さく仕立ててありどこか物静かそうな印象、背中には三日月が刺繍されている 

 

 桃色の人形は薄い青のウェーブヘアに青色ボタンの大きな瞳、ふわりと広がりを見せるスカート姿。口は大きめで口角が上がっており、楽しそうな表情だ、この子の背には太陽のような刺繍。

 

 最後の赤い人形は亜麻色のショートカットに薄茶色のボタンの瞳、キュロット姿で活発な印象。口は片方の口角が上がっているように見えてイタズラでもしそうな雰囲気に思えた、やはり背に刺繍が施してあり星の刺繍が見て取れる。

 

 緑の人形はいないのか?

 と、見回したが三体の人形が寝ている姿を見て気づく、黒と桃色の間が空いていた。

 人形達の間にもう一人収まっていたような雰囲気、なるほど緑だけはお人形さんではなくこの館にいた住人で、人形達はそのお友達だったのかと気づく。それにここの住人にとってこの三体は大事なお友達だったのだろう、三体のお友達それぞれの腰の部分が少し潰れている様に見える。毎晩抱きしめながら眠りについたのだろう、潰れた腰が三体全てを離さないように力強く抱きしめた跡に思えた。

 

 だがここで小さな違和感を覚えた、他の四体の人形達は全て住人だけが仲間はずれで対面する形で残されていた。抱きしめながら眠りにつくくらいなら、他の場所の人形達も寄り添って置かれていてもいいはずだろうと。

 仲間外れにする理由、仲間はずれにしなければならない理由でもあったのだろうか。

 理由が気になり少し周囲を探してみるとすぐに求めていた答えが見つかった、長い時間誰も触らなかったのだろう、埃を被りガラスの割れた写真立て。

 飾られた写真も年月ですっかり色褪せていてほとんどがわからないようなものだったが、映る者達の輪郭と表情はどうにか見られた。

 物静かそうな少女と楽しそうに笑う少女が優しく微笑む一番小さな少女を挟み、その前には快活そうに笑う少女。

 この子たちはお友達ではなく姉妹だったのか。

 それぞれ雰囲気も表情も違って見えたが、褪せた写真の中では全員が同じくセピア色で統一感がありなんとなく四姉妹なのだと感じ取れた。

 写真に残る少女達の面影を見て先程覚えた違和感が大きな物になる。

 姉妹なら余計におかしい、何故緑の人形だけが仲間はずれになっていたのか。

 写真に残る彼女たちは仲睦まじく寄り添い笑顔を浮かべていた、なら仲間はずれにする事などないだろうに。

 

 他にも部屋はあったのだが扉が開かなかったり床が抜けたりしていて、なんとなく入るなと言われているように思えて踏み入る事はしなかった。

 こういう時の動物のカンは鋭い、やめておけと伝えてくれた自身のカンを頼りにして再度舞台のあるホールへと戻った。ホールへと戻り壁側にあったテーブルに片手をついて舞台を眺める、しばし眺めてふと思いついた。

 この部屋の椅子と人形の並び、あれは緑の人形が他の三体を眺めていた姿なのかもしれないと。

 

 他に思いついたこともなかったので舞台の人形と椅子の並びを元に戻して、もう一脚の椅子を緑の住人がかつて座った椅子の隣に並べ腰掛けてみた。ここの住人はあの舞台に何を見ていたのか、同じ目線で見つめてみれば気がつけることがあるかもしれないと思い静かに座り舞台を見つめた。

 

 しばらく見つめてふと音が鳴り出した、始めは小さな音だったが少しずつ大きくなり何かの弦楽器のような調べが聞こえる。物静かでどこか侘しい悲しさの乗る弦の調べ、目を閉じ聞き入っていると音が増えていく事に気づく。

 弦の調べとは異なり騒がしく、楽しく今にも踊りだしそうなラッパの音がホールに響く。

 不協和音とは言わないが対照的な音が響いて少し落ち着かなくなるが、もう一つ調べが増えると雰囲気がガラリと変わった。快活に指が踊り鍵盤を叩くような追加の調べ、3つ目の音が先の二つと合わさると穴を埋めるような纏まりを魅せた。

 ここの住人はこれを聞くために舞台を眺めていたのかと理解すると、三つの調べが同時に曲調を変えた。先ほどまでの明るく楽しいお祭の様な調べとは打って変わって、静かで優しい穏やかな調べ。

 

 和楽器での曲なら多少はわかるし、鼓くらいは狸らしくある程度演奏できるが、さすがに今鳴り響く調べはわからない。それでもわからないなりに感じたものがあった、どことなく幼子をあやすような慰めるような子守唄に聞こえた。

 最初の楽しげな調べも良かったが静かに聞き入るには今流れる子守唄の方が耳障りがよく心地よかった。目を閉じたまましばらく聞き入っていると弦楽器が最後を〆て、奏者のいない音楽会の幕が下りた。

 

 音が消えてもしばらくは目を閉じたまま余韻に浸る、なんとなくそうしていたかった。

 満足し瞼を開いてみたが景色に変化は見られず、廃洋館の一室で一人静かに椅子に腰掛けていた。何のために弾いたものだったのかはわからないが、この洋館の話は聞いていたから誰が弾いたものだったのかは理解出来た。不定期だが白玉楼で演奏会をしている姉妹の演奏だったはず、後で会えたら誰を想っての演奏だったのか聞いてみよう。

 演奏のお礼は会えた時に、そう考えて拍手もせず静かに立ち上がりホールを出ると前に並べた人形四体が目に入る。

 

 ここの人形も眺める形に直そうか?

 そう思ったが思い直した。

 演奏を聞くホールの外なのだから、こっちでは眺めていなくてもいいはずだ。

 一箇所くらい四体仲良さそうに並んでいてもいいだろう、気に入らないなら後で並べなおしてくれと、独り言を呟いて館を離れた。

  




虹川四姉妹。


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第五十九話 験比べ

価値観の違いってやつですかね そんな話


 トントンと包丁の刻む音がする度に左右二つに結い纏めた長い茶髪が揺れている。

 揺れて鎖骨に沿って前に来る度に片手で戻していかにも邪魔そうだ、作業するのに邪魔そうだから調理中くらいは結い上げるなりすればと言ってみても、これは私のトレードマークだと言い張ってそのままにしているお隣の烏天狗。

 いつかの写真の焼き増しが出来たと言って昼餉の時間を見計らって来た、妖怪の山の今どきの念写記者 姫海棠はたて。

 珍しくお山を出てきたので今日は雨でも振るのかと言ってみたら、渡す手段がなかったから仕方ないでしょと言い返されてしまった。たまに我が家に来る方の天狗の新聞記者に渡すよう頼んだら早いのにと、そう考えたが話を聞く限りどうやらこの写真は見せていないようだ。

 失われた過去の景色を写すとてもいい写真なのに自慢しないなんて珍しいなと思っていると、この写真は記事の為に撮った写真じゃないから新聞にもしないし自慢もしないとの事。

 良い物ならなんでもかんでも使うのかと思っていたがある程度の線引はするらしい、記者としての挟持を見せるはたてが少しだけ格好良く見えた。

 

 わざわざ届けてくれるくらいだし素直に手渡してくれるかと思っていたがそうはならず、鼻を高くして写真をひけらかしながら笑うはたて。そういや報酬の写真一枚をまだ撮影していなかったなと思い出して、以前のようにポーズでもと科を作ると微笑みながら止められた。

 不意打ちでそのうちに念写するから気にせずにいてくれればいいそうだ、あたしとしては不意打ちよりも決め顔一枚のほうが楽だしありがたいのだがそれは却下されてしまった。

 こう言われてしまっては仕方がないので諦め、写真を受け取り箪笥にしまいこんだ。

 何故飾らずにしまうのかと怒られたが、写真立てもないし裸で飾ってもすぐに痛むか汚してしまう、そう伝えると不満顔で納得し次は写真立ても持ってくるそうだ。

 

 お山から出ることなんて殆ど無いくせに次なんてあるの?

 クスクスと笑いながら煽ってみると、写真に関しては本気だから後のフォローもきっちりやるのよと胸を張りながら答えられた。返答に素直に感心しそれならと、一つ約束というか小さなお願いをしてみた、ほとんど自宅におらずどこかをふらふらしている事の方が多いから、我が家に来るなら朝方にしてくれと頼んだ。

 それくらいならお安い御用と言ってくれたが、はたてが朝から行動する姿が想像できず小さく笑うと、山や家から出ないだけであんたと違って規則正しい生活してるわと反論された。

 規則正しく不規則な暮らしぶりで自宅にいない事が多いあたしと、規則正しく生活し住まいから出ることがないはたて、間逆な暮らしぶりだと笑うとそうねと笑ってくれた。

 

 話は変わって珍しく顔を見せたのだからたまにはどう?と台所を煙管で指すと、丁度いい時間だしご馳走になると言ってくれた。

 誘ってみて素直に返事を貰えるというのも悪くない、気分よく台所に立つとはたてが隣に立ち野菜を洗ったり食器を出したりと言わずに手伝ってくれ始めた。

 横目で眺めるだけで何も言わずにいると、家から出ないから色々勘違いしていそうだし、来たついでにここで挽回していくわと楽しそうに話してくれた。

 今まで何度かはたての自宅に押し入り掃除の行き届いた部屋や、整頓された記事の資料を見ていたため家事はそれなりに出来ると思っていたが、手を出す彼女が楽しそうに見えるため余計なことを言うのはやめた。二人でやれば進みも早い、ちゃっちゃとおかずも数品作り後は米が炊きあがれば楽しい昼餉だという頃にはたてから一つ質問を受けた。

 

「一人住まいなのに湯のみ多いのね、なんで5つもあるの?」

「勝手に茶を淹れて休んでいくのが多いのよ、一つははたての同僚よ」

 

 はたての視線の先にある並んだ湯のみはそれぞれ大きさも形もバラバラで統一感なんてない物ばかり、その内の一つであの天狗の記者の湯のみを手に取り渡してみる。

 訝しげな表情でそれを受け取るとなにか思いついたのだろうか、いたずらな笑顔を浮かべて湯のみの底を覗きながら何か話しかけてきた。

 

「後一個くらい増えても問題ないわね」

「持ってくるのはいいけど使ったら洗って水を切っておいてよ、カビが生えるわ」

 

 湯のみの並ぶ棚にはまだまだ余地があり湯のみの一つや二つくらいなら増やした所で問題ない、今更招待状のない客が増えたところでなんとも思わなくなっていたため決め事だけを伝えておいた。最初は一つだけだった湯のみがいつの間にか二つに増えたのはあの妖怪兎が我が家に来始めてから、あたしの湯のみでお茶を啜り茶筒で小突いて起こしてきたため、あたしの分の茶を寄越せと寝起きで口悪く言ったのが始まり。

 その次の日から、妖怪兎が自前の湯のみを持ち込んで茶を啜りながらあたしを小突いて起こし、あたしの湯のみにもお茶が注がれるという今の朝の形ができた。

 

 二つ並んだ湯のみの隣、追加でもう二つ並び始めたのはもう少ししてから、一つはあるお使いから帰って来てしばらくあたしの介護をしてくれたあの式の物。

 棚に二つ並んだ湯のみを見てあの胡散臭い式の主が、うちの分も置いておきなさい、偶にはお茶しに来てあげるわと、微笑みながらスキマから湯のみを取り出してきた。

 言ってみればこの湯のみはあの主と式二人共同の物という感じで、冬眠に入った主の代わりに忙しなく走り回る式と気まぐれで来る主とで使いまわしている。

 

 同時期に追加されたもう一つだがこれは正確にはいつからあったのかわからない、性悪ウサギよりも後だというのはわかるが知らぬ間に追加されていた。

 あまりに自然に増えていた為洗い物として流しに置いてあっても気が付かずに一緒に洗ってしまっていた、持ち主が誰なのかわかったのは八雲の式との介護生活が終わった頃。

 あの心を読めない妹妖怪の物だったようでそれがわかってからは洗うように叱っておいた、ちなみに棚をカビさせたのもこの湯のみではたてに伝えた決め事が出来たのもこの時。

 

 最後にはたてが手に持っている湯のみだがこれは前述の通り、あの口数の多い天狗の新聞記者の物。取材と称して度々我が家に来ては暇をつぶしていく中で、記者に出す湯のみが毎回変わっている事を不思議に思われ質問されてからこの記者も湯のみを持ち込んできた。他人の湯のみを使いまわすのはなんだか気が引けるとデリカシーのある言葉を言っていたが、普段の行いからデリカシーなんて感じられないのにと笑うと怒られてしまった。

 

「今日はそれ使っていいわ、同じ天狗だしいいでしょ?」

「少し癪だけどいいわ、次は私の分も持ってくるから今日は我慢してあげる」

 

 癪だという割には表情は明るいままで気にしているようには見えない、この二人も記者としては争う間柄だが天狗としては良き友人だ気にすることもないだろう。

 話している間に米も炊けたようだしおかずの盛られた皿を並べて二人で卓に着くと、世間話をしながらお箸と口を動かし始めた。

 食事しながら話すとは躾がなっていないと思われそうだが、少しの会話は調味料だと考えているし立て箸やたたき箸、口に物を含んだまま話したりとよほど酷い物でなければ気にしない。

 口うるさく言うよりは食事も会話も楽しんだほうが両方を美味しく頂けるというものだ。

 

「ねぇ、文っていつから顔を出すようになったの?」

「ん? 確かあたしが幻想郷に来て少ししてから、お山に入って椛に見つかり文と会ってからすぐくらいよ」

 

 はっきりとは思い出せないが大体そのくらいだろう。

 紫に拾われて博麗神社に吐き出され幻想郷の話を聞かされて竹林に居を構えた後、紫のお使いから帰って生やした腕の調子を見るのに妖怪の山へ遊びに行った時だと思う。

 勇儀姐さんから少しだけ話を聞いていた天狗達の暮らしぶり、閉鎖的な暮らしを続けて部外者を拒絶し生きる幻想郷の天狗衆。

 外を拒絶し変化を嫌う者達と聞いて偏屈な集団だと思ったのだが、リハビリ代わりとするのにお山の天狗と験比べもいいかもしれないと顔を出しに行ったのが出会い。

 

「あー‥‥椛が侵入者を見つけて警告したけど相手にされず困ったっていうの、アヤメだったの」

「此処から先は通せないなんていうからあぁなったのよ?」

 

~少女帰想中~

 

 たらたら歩いてお山の麓から山頂を望む。

 高く高くそびえ立ち頂きには雲がかかって霞んで見えるほどの高さのお山。

 参道とはとても言えない踏み固められた獣道をゆっくりと歩き進むと少し入ってすぐくらいだったか、何処かから警戒色の強い声でとまれと声をかけられた。周囲を見渡しても声の主の姿は見えず、空耳だったのかと思い気にせずに歩を進めようと二歩目の足を出した時、つま先に剣を投げつけられた。

 

「聞こえなかったのならこれが最後だ、止まれ」

「空耳だと思ったのよ」

 

 本心を述べたつもりだったが挑発にでも聞こえたのだろうか、突き立てられた剣を手に取り切っ先をあたしへと向けながら殺意の宿る瞳で真っ直ぐに見据えられた。

 聞いた通りにお固い天狗様だと感じたが、斥候に出されるくらいなら力もあるだろうし口調から知恵もある者だと思い、少し会話をしてみようと思った。 

 

「聞こえているのなら立ち止まるくらい‥‥すぐに立ち去れ。ここから先は天狗の地、許可無き者は通さない」

「なら先へ進まなければいいのね」

 

 一瞬だけ素の表情が見えた、どうやら生真面目な者らしい。

 殺意は変わらず向けられているが、その場から動かず煙管を燻らせているあたしへの対応に困っているらしい、偏屈な集団だと思い込んでいたが、それなりに遊べそうな可愛いのもいるんじゃないかと少しだけ楽しくなってきていた。

 

「ここから去れ、警告で済む内なら見逃す」

「優しいのね、でもイヤだと言ったらどうなるのかしら?」

 

「わからないほど愚かな者には見えないが、伝わらないなら仕方がない」

 

 言い切ると構えていた剣に殺意がノッて一直線に薙ぎ払われる、があたしに剣が届くことはなく剣筋が逸れ空を切った。迷いなく首を狙う剣閃に感心はしたが言葉を放ってから行動したのでは意味がない、本気でやろうと思うなら警告などせずに無言で斬りかかればいいだろうに。

 それともはなっから本気で殺そうとは考えていないのか、変化を嫌うのだから見知らぬ狸の死体が山で転がるのも嫌なのかもしれない。

 

「覚りじゃないもの、言われないとわからないわ」

「今のは?‥‥何を‥‥?」

 

「何かしたように見えた?」

 

 初めてあたしの『逸らす程度の能力』を感じたものはほとんど同じような表情をする、怪訝というか不可解というかわからないといった難しい顔。これを見るのが小気味よくて多少の荒事は受けから始まってしまう、けれどそうなってもいいくらいには面白いのでやめられそうにない。

 おかげでたまに痛い目に合うが余程の場合だけだ、大概の場合はこの天狗様のように理解しようと思い悩んでくれて、なんとも堪らない。

 逸らされて笑ったのは鬼二人にスキマ、それとその式が表情を変えなかったくらいか。

 

「あたしはここよ? よく見なさい?」

 

 あたしの煽りに遠吠えで返し、牙むき出して威嚇する天狗殿、ぱっと見では犬かと思ったがこの娘は狼のようだ、野生の宿る瞳が燃えている。けれど咆哮からはなんというか、怒りではなく冷静さが聞き取れた。

 咆哮もあたしに向かってではなく天に向かって吠えたようだし‥‥客人に対して盛大なおもてなしをしろという声ならとても嬉しいけれど、そうはいかないのだろうな。

 なら声を聞いてここに向かってくる者相手にも少し会話をしてみよう、頭に血が上っているこの狼ちゃんよりはいくらか話が通じるだろう。

 

 狼ちゃんの鋭い剣戟を煙管で受けては流していく、数手の攻防の後に冷静さを取り戻した狼殿から馬鹿にするなと罵られてしまった。捌かなくても当たらないものをわざと受けるとはどういうことか、そう言いたいのだろうが今も変わらず能力で逸し続けてはいる。

 逸れる方向を指定しそれに沿って煙管を宛てがっているだけで捌いているように見せただけ、それをこの狼殿は能力を使われずに遊ばれていると勘違いしてくれた、やること成す事全てになにか反応を見せてくれてこの娘は面白い、剣を向ける相手にこうなのだ普段はもっと生真面目なんだろう。なんだ、偏屈なんて事はなかった、噂や人聞きの話などやはりあてにならないとニヤニヤ笑っていると、妖気の混ざった風が吹き誰かの訪れを教えてくれた。

 

「椛の遠吠えに呼ばれてみれば新参の狸さんじゃないですか、本日はどのような?」

「知られる様な事はしてないんだけど、耳が早いのね天狗さん」

 

「この幻想郷で知らぬことなどないのですよ、我々天狗程幻想郷を見ている者は居ない。我々天狗程幻想郷に詳しい者は居ないのです」

「なら引っ越しのご挨拶を教えてほしいわ、手土産でもあればよかったかしら?」

 

 余裕たっぷりといった表情で天狗自慢をしてくれた天狗様に教えを請うてみる、そうですねと返答しながら風が巻き起こりあたしの周囲を切り巻いた。頬に触れた木の葉で一筋の傷が出来るが気にすることなく佇み天狗様へと微笑みかける、同じような微笑みを浮かべ天狗様の口が開かれた。

 

「おかしいですね、風が散ってしまいました。それも綺麗に貴女から逸れるように」

「風なんてそんなモノでしょう?気まぐれに吹くものじゃない」

 

「私以外の者からすればそうですね」

 

 言葉とともに再度風が巻き起こる、目には見えないが山の木々を裂いて進む風の刃と呼べる旋風、地にある木の葉の軌跡から真っ直ぐにあたしに向かってきていると見えるが、見えない刃が届く頃には、あたしの髪と着物の袖を揺らすだけで、刃はこの身に届かず周囲を切り刻むのみで消えていった。

 

 しかしこれは手厳しい相手、口ぶりからすれば風を起こすか操るか出来るのだろう。

 風向きを逸らすことは出来るがそうしたところで解決とはいえない、対応は出来るが対策にはならないといったところか。久々に出会う相性の悪い相手だとクスクス笑ったが相手もそう思ってくれたのだろう、同じように小さく笑ってみせた。

 

「これは困りました、私の風が届かない」

「そんなことないわ、心地良い風よ?」

 

「貴女一人を相手にしているほど私は暇ではないのですが、困りましたね」

「ならあたしに構わず帰っていいわよ? 満足したら帰るから」

 

 互いの軽口は減らず互いの挑発にも乗らない拮抗した状態、手がなく動けない狼殿は放っておいても構わないがこの天狗様は放置しておくと火傷じゃ済まない。

 どうしたもんかと考えていると一つの提案が出された、それでは験比べでもして満足して頂きましょうと。

 

 内容は簡単、どちらが早くお山の滝へとたどり着けるか?

 他の者には手出しさせませんと高みから言葉を頂いて言われた目的地へと目をやった、遠くに小さく見える大きな滝‥‥あそこがこの験比べのゴールなのだろう、少し考えて了承し、天狗様との験比べと相成った。

 

~少女帰想中~

 

「それでどうなったの?文は話したがらないけど」

「文が飛び立ったのを見て帰ったわよ?」

 

 生真面目で今後も何かと楽しめそうな白狼天狗に、宿す力の底が知れない黒い翼の烏天狗。

 ただのリハビリ、暇つぶしのつもりで訪れた割にはいい出会いがあり、これからの生活の楽しみができたと満足してその場を離れた。飛び立った文を見送り椛に帰ると伝えると飛び立った方向とあたしを見比べて、きょとんとした顔だったのが可愛らしくて微笑んでしまった。

 

「あんた達の出会いの話をしたがらないのはそういう事だったのね」

「いい出会いだったと思うんだけど、なにが恥ずかしいのかしらね」

 

「本心で言ってるなら性格悪いわ、あんた」

 

 クスクスと笑いながらいい出会いだったと素直に述べてみたのだが、何が悪いのか性格についてのダメ出しをされてしまった。

 性格が良いとは未だかつて言われたことがないが、いい性格だと言われることは度々ある、自身でもそれほど趣味が悪いとは考えていないし、面白おかしくなるのなら多少のことはどうでもいいと思っているけれど‥‥それの何がいけないのか?

 自分に正直に生きるあたしにはよくわからない。

 

「それから文がうちにくるようになったのよ、最初は逃げるな! なんて騒がしかったけど満足したから帰ったと話したら静かになったわ」

「天狗が験比べを棒に振られるなんてないわよ? 少しだけ文に同情するわ」

 

 不意に考えついた一方に有利な験比べに乗っかる者などいないだろうに、フラれたくらいで怒るなんて天狗は気が短いのかね、天狗なら天狗らしく鼻と同じくらい気を長くしていればいいのに。

 そう考えたが思い直した、隣に座るこの天狗にしろあっちの二人にしろ伝承とはちがって可愛らしい少女だ、少女なら少女らしく気まぐれでもいいか、食後のお茶を啜りながら一つ納得して湯のみを置いた。

 



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~心綺楼小話~
第六十話 喧騒に思う


 つい最近数が増えたからか意識して視界に入れるようになってしまった食器棚。

 さすがに千客万来誰でもどうぞとは言わないが、こんな何にもないあばら屋で良ければ暇つぶしにでも来るといい、もてなしはほとんどしないが、荒らさないのならば拒否もしないし否定もしない。

 六つに増えた湯のみから自分の物ともう一つを取り出してお茶を淹れながら考える。

 しかし珍しい事もあるものだ、普段なら無意識のうちにお茶を振舞っているばっかりでこう淹れようと意識したことは今までなかった、意識できない無意識の住人相手だというのに、意識してもてなそうと考えられるとはなんだかちぐはぐでこそばゆい。

 

 あたしか妹のほうかわからないが意識せざるを得ない何か。

 細かいところはよくわからないが何か変化でもあったのだろうか?

 お茶を啜りながら少し考えてみたが自身の中にはコレといった変化は感じられない。

 ならば妹の方に変化があったのか?

 両手を羽のようにパタパタとさせて最近の事を勝手に喋り出し楽しそうに笑う、そんな妹妖怪も悪くないのかもしれない。

 

「それでね、なんだか皆私の事がわかるみたいなの。楽しそうなことをしてたからちょっと混ざっただけなのに、なんで急に気が付かれるようになったんだろう?」

「自分から姿を見せていたわけじゃないのね、なら何かしら?」

 

 心を読む第三の眼を閉ざし自らの心も閉ざした、心を読めない覚り妖怪 古明地こいし。

 本人ですら何かを意識して動けず無意識のままに自由に生きるしかない妹妖怪なのに、それが何事もなく気が付かれるようになるなど本来ならあり得ないだろう。

 何の影響でこうなったのだろうか、楽しそうなことと言うが何に関わった?

 

「楽しそうな事ってなにしたの? お姉ちゃんの瞳でも塞いだ?」

「あのジト目は塞いでも開くから意味が無いわ、なんだか地上の町が最近楽しそうじゃない? ええじゃないかええかじゃないかって」

 

 そういえばそんな騒ぎになっていたなと、人里の住人達が揃いも揃ってええじゃないかと練り歩き騒ぎ立てている。

 なにか新しい祭りでもあったのかと思い贔屓先で話を聞けば、祭りというには暗い感情から始まった馬鹿騒ぎとの事だった。どこかの誰かが気まぐれで起こし続ける異変、局地的な天変地異と言えるそれに耐え切れなくなった一部の里の者。

 そいつらが発した一言『ええじゃないか!』

 最初に発したのかが誰なのかもわからない至って普通の言葉の一つ、それでも気がつけば里で広まり浸透していった言葉。字面だけなら何事も受け入れるような寛大な言葉だが、その実は全てを諦めたいが諦めきれない人間たちが苦し紛れにごまかしているだけ。

 

 日中顔を合わせては楽しそうにええじゃないかと騒いでいるが、丑三つ時にもなるとまるで正反対で感情を殺し無気力になる里の者達、こんな姿が見られれば深く考えなくともわかる、受け入れての馬鹿騒ぎではなく最後の悪あがきからくるええじゃないかなのだと。

 元を正せば外で諦め絶望した者達を攫って住まわせた者の子孫、いつかこうなるかもとは思っていたが少しばかり動きが早過ぎる気がする、異変を起こす側である様々なる妖怪連中が里で買い物したり店を開いたりしても何も気にせず過ごして来た者達だ、今頃になって騒ぐくらいならあの吸血鬼の引っ越しの頃から騒いでもおかしくはないのに。

 それが何故今になって?

 

「一緒になってええじゃないかと騒いだら気が付かれるようになったの?」

「ちがうわ、いつもの様にふわふわしてたら里に居たの。ぶらぶらしてたら近くの寺で騒ぎがあってね、人がいっぱい居てお寺の人が争ってたのよ」

 

「命蓮寺?あそこで争い事なんて考えられないけど?」

「仏教がどうこう道教がどうこう言っていたわ、しばらく眺めてお寺のフワフワしたのが勝ってまた大騒ぎ」

 

 道教ということは太子のところの誰か、そして相手は頑固親父殿と一輪。

 争い事を好まないあの一輪が争うような勝負相手‥‥屠自古か布都辺りだろうか?

 キョンシーはともかく太子なら会話から入るだろうし、娘々は小競り合いも楽しみそうだが自ら動くとは思えない。

 

「負けた方はお皿割りすぎてまた叱られるって泣いてたわ」

「誰だかわかったわ、それでその騒ぎがこいしの変化になにか繋がるの? 聞く限りじゃ繋がるように思えないけど」

 

 唯の気まぐれから始まった喧嘩事なのか宗教対立から起きた真剣なものなのか、その辺りは分からないし興味もないが今はそこは問題じゃない。

 問題なのはこいしの方でこのままだと少し危ないかもしれないなと思った、こいしという存在の在り方が変わればこいしではなくなる恐れがあるかもしれない。

 

 本来は妖怪なんて変化も成長もしないモノだ、それなのに種族としての力を殺し別のモノへと成り果てているこいし、ただでさえ妖怪として不安定なところにいるのに更に存在を揺らがせるような事があれば‥‥このまま放っておくのは少々マズイかもしれない。

 もし万が一の事がありこいしが消える、なにかちがうモノへと成ったならあの地底の屋敷でどうなるか‥‥深く考えずともわかるだろう。

 とりあえずなにもわからないよりはマシだ、こいしに何があり何をしたのか聞いてみるか。

 

「それで見てただけ? 何かしたりはしなかったの?」

「争いを見ている人たちが楽しそうに眺めていたから私も混ざってみたのよ、そうしたら皆が私に気が付くようになったの」

 

 ちょっとした小競り合いに混ざっただけでこうなった?

 そいつはおかしい、人外同士の争い事なんてよくあること過ぎて里の者達が強い関心を示すはずがない、あの赤い霧や終わらない冬、花の異変でも特に慌てる気配はなくまた何か始まったわどうしようと先を案じるだけだった。

 それなのに喧嘩をしただけでこいしの存在に唯の人間が気が付くなんて‥‥これはなにかある、わからないが何かがどこかで動いているはず。

 

「どんな風に気が付かれたの?」

「喧嘩に勝ってはしゃいじゃったのよ、そうしたら皆が私を見て可愛いとか素敵とかええじゃないかといろいろ褒めてくれたわ。ちょっと気持ちよかった」

 

 先程のように腕をパタパタとしてみせはしゃぐこいし。

 確かに可愛らしい仕草だが褒めるというのはなんだろうか?

 勝者に対しての賛辞というのならわかる、それでも何かが引っかかる。

『ええじゃないか』に引っかかるのか?

 全てを諦めた者の言葉を褒める相手に使うだろうか、本当に達観しているなら言わないだろうし夜の姿のこともある、里の者もまだ全てを諦めてはいないはず、それならいい慣れた言葉を声援として発しただけか。

 これはもう少し話を聞かないと考察のしようもないな、何を聞ければ取っ掛かりを見つけられるだろう?

 

「後は? 何か変わりはない?」

「ん~‥‥あぁ、気持ちいいってのが変かな? 勝って楽しいとは思うけど、声援を受けて気持ちいいなんて今まで感じたことなかったわ」

 

 やりたいようにやってその結果勝つ、それは確かに楽しいだろうし気持ちのよいモノだ、他者の心や思いから生まれた妖怪なのだから、そういった高揚感には何事よりも敏感で感覚が鋭いというのもわかる‥‥しかしこいしの場合は少々変わる、心を閉ざし意識がないのだから気持ちいいという感覚を味わう事など余程の事でもなければないだろう。

 それならこの争い事は余程の事だというのか?

 唯の人里の騒ぎだと思っていたが首を突っ込んでみるのも面白そうだ、探った結果でこいしをどうにか出来るなら尚良い。

 

「こいしが喧嘩したのは誰? 気持ちよくなれるならあたしもなりたいもの」

「アヤメちゃん顔がなんかエロいよ? 私の喧嘩相手はその寺の人、私みたいにフワフワしたおじさんが可愛かったわ」

 

 あたしの表情とこいしの言い草はこの際置いておいて、重要な方に目を向けよう。

 布都と勝負をし勝利を収めた一輪、その一輪にこいしが勝った‥‥更なる勝者となり声援を受けて気持ちがよくなったこいし、こいつのように声援を受ける者とは?

 崇め敬われたりする者、崇拝される者といったところか?

 可愛いとか素敵なんて声援が飛んでくるくらいだ、どれかに当てはめるなら崇拝か?

 諦めた者達が救いを求め理想の像を思い描いた、それにこいしがうまく当てはまったさながら偶像崇拝といったところだろう、なら言葉は声援で応援だ、視線を浴びて笑顔を振りまき声を受けて戯けるこいし‥‥ちょっとした人気者気分だろう。

 人気?注目を浴びるくらいの人気者になったから気が付かれるようになった?

 だとするならそうなる原因はなんだというのか?

 こいしの原因の目星はついたのだから原因となったもう一人の方からも話を聞こう‥‥寺ならマミ姐さんもいるはずだ、何か気がついているかもしれない。

 

「聞いてるの? エロい顔のまま黙られるとなんか怖いよ?」

「酷いこと言うのねこいし、食ってやろうかしら?」

 

 エロいと言われた表情のままいつもよりもはっきりとした姿でいるこいしをとっ捕まえて揉みしだき、肩で息をし静かになるまで弄んだ、普段はあたしがやられる方なのだ、くっきりしていてわかりやすい時くらい仕返ししてもいいはずだ。

 ひと通りこいしを弄び我が家の寝床でぐったりとさせた後、ほくほく顔で出かける身支度をする。

 

 このよくわからない人気者合戦の真相を見るべく、あの妖怪寺へと向かおうと準備をしていると、復活したこいしに小さなお返しをされた。寝間着からの着替えを邪魔され着物の細帯を引っ張られた、独楽のように回されて少し目を回したあたし。

 頭を抑え文句をと思ったが様子がおかしい、楽しそうに笑うだろうと思っていたが予想とは違い細帯を振りぬいた形のまま静かに布団で横たわるこいし、勢い良く回された瞬間あたしの尻尾に当たったモノがあったが、それがなんなのかこいしの姿を見て理解できた。

 連れて行っても五月蝿いし気がつかれても五月蝿いだろう、ならこのまま静かなうちにと思い気が付かれないように我が家を後にし人里へと歩み出した。

 

~少女移動中~

 

 こいしから話を聞いた通り人里が騒がしい。

 ええじゃないかと騒ぐ者もいればそれを眺めて騒ぐ者もいるようだ、常日頃から何かと騒がしい人里だ、喧騒自体は見慣れたものだが雰囲気だけはどこか歪で無理が見えるというかやらされてるというか。

 騒ぎ自体は好ましい、楽しそうな声の飛び交う町並みは活気に満ちていて見た目だけは良いものだと見受けられる、けれど歪に感じられるなにかが胡散臭く気持ちが悪い、笑いたくて笑うのはいいが笑わされて笑うのはあたしはよしとは思わない。

 

 贔屓の店を除けばそれ以外はどうでもいいが、集団が壊れれば個も壊れる。

 あたしのお気に入りがよくわからないものに壊されるのは気に入らない、面白ければいいやと思い来てみたが実情を見て少し深刻なモノなのかもと感じた‥…違和感を少し考え結論が出た、これはちょとした異変なのだろうと。

 これが異変なら解決まではする気もないしあたしには出来ないだろう、この里の喧騒は多分知らない人外の起こした異変からくる副産物だ、それならば解決するのはあたしではない、この幻想郷の規律を守るおめでたい色をした喧嘩腰の風紀委員辺りの仕事だろう。

 あの巫女も一応は人間だ、里が危ういと感じられればそのうちに動くだろう‥‥いや勘がいいのだから既に動いているだろうな、ついでに言えばあっちの黒白も人間で生家があるんだ動くだろう、飛び出したといえど帰れる場所を失うのはよしとしないはず。

 

 まあいいさ、異変の解決は成すべきものがすればいい。

 あたしは異変を楽しむ側だ、それならこの異変を面白おかしく楽しみながら気に入らない所を潰していこう、潰しついでで友人の手助けが出来ればそれで良い。あの妹妖怪から聞いた話と合わせて取っ掛かりを作れるよう、騒がしい町並みを抜け妖怪寺の門戸を叩いた。



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第六十一話 喧騒を歩く

困ったときに頼れるのはいいものだ そんな話


 寺に踏み入り尋ね人を探してみたが姿は見えず、目当ての入道雲達とは会えなかったがその代わりにとっ捕まえた船幽霊から少し話を聞くことが出来た、なんでもこの騒ぎを利用して幻想郷で仏教を広めようと珍しく力業で布教活動をし始めたこの寺の住職。

 説法(物理)で法を説き仏陀の教えを伏せる、そんな聖の姿は神々しく美しい物に見えたらしくあの入道雲達もそんな姿を目指そうとのっかりはしゃいだのが寺での騒ぎだそうだ。

 

 仏教よりも道教を。

 そう考えているあの残念な皿割り尸解仙が話題に上がってきた住職の話を聞きつけて、小さな宗教戦争を仕掛けに来たらしい。そして丁度よくその場に居合わせたあの妹妖怪が混ざり、話が面倒な絡まり方をして宗教対立の様相ではなくなったというのがこの寺で起こった事だそうだ。

 なんだか本当に聞きたい大事な所が抜け落ちていてよくわからない話になってしまったが、それでもこいしから聞いた話よりは得られる物があり多少の進展はあった。

 仏教側も道教側も元を正せば思いは同じ治世のための布教活動、方法がほんの少しだけ手荒に見えるが人外のやることだから和やかにとはいかないだろう。方法はともかくこの喧騒を歪だと捉え収めようと動く者がいた事に少しだけ安心し、少しだけ感心した。

 危ない橋の上で危ないバランスを保ち何かのきっかけがあればすぐに壊れるこの幻想郷で過ごしているくせに、自身の目標のために動きその結果どうにかできればいいという考え方、これがいつかの紫が話していた妖怪の理想郷としての在り方に見えて、こんな者達がいるのなら万一深刻な事態に陥っても幻想郷はまだまだ大丈夫だろうと安心出来た。

 

 本心は兎も角として、端から見れば誰も彼もがこの騒ぎをどうにか利用し美味しい汁にありつこうと考えているようにしか思えず、なんともらしい動きぶりだと声を出して笑ってしまった。

 人気の引いた静寂しかない寺の庭、そんな所で高笑いする者がいてもいいと何も気にせず笑っているとそんな声に呼び寄せられたのか、あたしが会いに来たもう一人のお人が現れて少し話をすることとなった。

 

「やれやれ、ここの和尚やあの聖人は異変をどうにかしようとしとるのにお主は何もせんのか?」

「異変解決は人間がやればいいのよ、あたし達は解決する側じゃないでしょ? 姐さん」

 

 そりゃそうだと笑いながらあたしと並び、寺の庭に面した廊下に腰掛ける狸の御大将 二ッ岩マミゾウ大親分。

 誰も彼もが勝ち馬に乗ろうと浮ついているこの騒ぎの中で、唯一溶けこまずに静かで落ち着いた雰囲気を纏いあたしにお小言を言ってくる辺りやはり何か目星を付けているのだろう、なら少し話して幾許かでもそれを掬えればいいのだが。

 

「おぬしも騒ぎにのっかりにきたのか?それとも別の何かかの?」

「あたしは唯の賑やかしよ? 表舞台は性に合わないもの、裏方なら内情に通じないと務まらないでしょ?」

 

 異変解決という表舞台は分不相応、そんな華形はあのおめでたいのやおめでたくないのに任せていれば勝手に解決してくれる、あたしは舞台裏でほくそ笑み、頑張る役者を眺めて笑えればそれでいいと考えている。

 けれど今までの異変ではあたしの目論見通り裏で笑えるような事にはならず、何かと巻き込まれ舞台に上げられてばかりだった、裏方が舞台に上がっても何も出来ずに恥をかくだけだいうのに、異変を彩るあの舞台役者達は皆一様に舞台を引っ掻き回す事ばかり。

 裏方仕事を考えない役者が多くてあたしとしては少々困りものだ。

 

「なるほど、それでここに来おったか。あの変わった覚りとも付き合いがあったとはおぬしも存外顔が広いな」

「こいしはついでよ? それでも親しい者の嫌な顔は見たくないしどうにか出来ればと思わなくはないけれど」

 

 少し泣いてしおらしくなってきたかと思えば、もう本調子を取り戻したのかと大声で笑われる。

 あたしを泣かした張本人だというのになんとも酷い言い草だ。それよりも今の言い草家から察すると姐さんもこいしと布都の小競り合いを見ていたようだ、それならその時の事を詳しく教えてもらおう。

 あたしの心情はすでにバレているのだし、遠回しに聞くよりも真っ直ぐ聞いたほうが良い返答が聞けそうだ。

 

「その変わった覚り、こいしについて聞きたいんだけどいい?」

「儂は眺めておっただけだから教えられることはないぞ? それでいいなら教えてやろう」

 

 自分の考えた仮説を述べる、人心から集められた人気のせいでこいしが歪な変化をしかけていて危ない状態になりかけている、のかもしれないということ。

 それをどうにか収めるにはいまだわからない原因を断たなければいならない、けれどその原因の取っ掛かりすらつかめていないということ。

 どうにも纏まらず人に話すには心苦しい考えだったが姐さんなら気にせず話せる、良くも悪くもあたしでは気がつけない事を教えてくれるからだ。悩んだら人に聞く‥‥他者によく言う言葉だが自身に宛てがってもいい言葉だ。

 

「ふむ、おぬし面霊気を知っておるか?」

「面霊気? お面の妖怪、正確には九十九神だったかしら?」

 

 人に長く使われた器物に魂が宿り妖怪へと成り上がった者達だったか、九十九年を越えて百年目まで使われると器物に力が宿り妖かしと成す。百年目を迎える前にまだ使えるような物でも捨てて新しい物へと浮気する、新しもの好きな人間たちが作り上げた妖怪。

 よくある、思われて生まれた妖怪の一種だったはず。

 

「付喪神とも言うがそれじゃ。そいつが幻想郷にいるらしくての、なんでも面を失くして絶望の中を探しまわっとるらしい」

「付喪神が本体を失くすなんてまたマヌケな‥‥それが何かあたしの仮説と繋がるの?」

 

 本体を失くす付喪神なんて聞いた試しがない、文字通りに己を見失い絶望の中探しまわっている状況だと言えよう‥‥しかし姐さんは何が言いたいのか、イマイチ遠回りな言い方ではぐらかされているような気がしないでもない。

 あまり時間はかけたくないのだが。

 

「急いては事を仕損じるぞ? それに見落としとることがあるのぅ、そもそも損じる事などないと言うに」

「見落とし?」

 

「友人想って動くようになったのは良いが空回りするとは珍しいのぅ? アヤメよ」

 

 見落とし、空回りとは?

 いや、それよりも損じる事などないというほうが重要か、この流れでの損といえばあの妹妖怪の事しかない。こいしについての見落としとは何か?

 それなりに親しい間柄だ、そこそこの事は知っているはずで見落とすとは考えにくいが話だけではっきりと見落としだと言い切られる事、姐さんがこいしと親睦をもっているとは聞かないが、それでも言い切れる事とは?

 単純な見落としか?

 

「別に馬鹿にしたわけじゃあない、そう悩まんでもすぐわかるぞ? あの童子はなんじゃ妖怪じゃろう? なら妖怪とはなんじゃ?」

「妖怪とはそう思われて姿を成した現に在らざるモノ、成した姿以外には成れず変わりたくとも変われない凝り固まったナニカの塊」

 

「もっと単純じゃな。妖怪の、あの童子の何を心配してそう焦る?」

「それは」

 

 なるほど単純な話だった‥‥あの子はすでに妖怪なのだ、すでにそう成り果てたモノなのだから新しく別な何かに変わるはずもない。

 瞳を閉ざし心を閉ざし、意識の無い存在と化してもあの子は姉や家族を思う優しい覚りのままにある、覚り妖怪として力の変化はあるけれど妹妖怪としての本質は変じていない。

 ならあたしの考えたことは杞憂か、元が心を覗く妖怪なのだから他者の声から感じ取れるモノも強く、その結果以前の感情を取り戻しかけているだけ。どれだけ強く感情を取り戻そうとしてもそれは無理な事だ、あの子は自ら望んで心を閉ざしたのだから、取り戻したいと思う一時の心もいずれまた閉ざされる。

 

「すっきりしたか? おぬしは頭は回るくせにすぐに芯から逸れる癖がある、性分じゃから悪いとは言わんが‥‥から回るなら一度止まるのも手じゃぞ?」

「ぐうの音も出ないわ、でもおかげですっきりしたし憂いも晴れた。ありがとう姐さん」

 

 こういう時に肩を掴んで引き止めてくれたり、場合によっては背を押してくれたりといつまでたっても敵わないが、それもまぁ仕方のない事か、そもそも勝てる相手だとかそういうところにこのお人を置いてはいない。

 どうにもならず困った時には駆け込める所、欲しいところで少しの手助けをしてくれるあたしの唯一の拠り所だ、あたし程度が敵ってしまってはもしもの時に困ってしまう。

 

「儂に感謝するくらいに物事にも真っ直ぐに当たればもっと早く本筋に目がいくじゃろうに、話ついでにそのまま性根を正してもよいかもしれんぞ?」

「あら? あたしにとってはこれで真っ直ぐなのよ? ものさしのほうが曲がってるんだわ」

 

 言ってくる人次第で年寄りの冷や水にしか聞こえない言葉だが今は心地よい、素直に捉えてしまったら恥ずかしさで赤面してしまいそうだから少しの軽口で返す。

 負け惜しみにしかならないというのもわかっている、なにかを言い返した所でそれも全てお見通しなんだろうし。

 

「相変わらず口の減らん妹分じゃのう、ついでに教えとくともう直騒ぎは収まるじゃろうて。後は箱の底にあるモノを見つけて終わりじゃ」

「マミ姐さんが言うならそうなるんでしょうね、それならもうしばらくはこの騒ぎを楽しむことにするわ」

 

 言うだけ言って足早に立ち去る、不意に言われたある言葉に顔がにやけてしまいどうしようもないからだ。多分振り返っても意地悪な笑いを浮かべたままあたしを見ているんだろう、ほんとうに意地の悪い姉で妹としては非常に困る。

 こいしの事で相談に来たつもりだったが、余計なモノまで手渡されて恥ずかしいったらありゃしない、しばらくは町の騒ぎにのっかり頭を冷やすとしよう。

 

 ニタニタと笑いながら騒がしい町並みを歩くと、随分と盛り上がるところがある。

 俺は私はと何かに囃し立てられて声を飛び交わす騒ぎが聞こえてきた。

 騒ぎ声の聞こえる方へと目をやると、なにやら妖怪の山の河童が数人集まっておりおかっぱ頭の河童が立て看板を高く掲げている。

 どうやら何か催し事を取り仕切っているようでしばし盗み聞いてすぐにわかった、河童連中が今回の人気取り合戦に便乗して誰が勝つか賭け事をしているようだ。

 

 賭けの対象は、あの異変解決大好きコンビを筆頭にして妖怪寺の魔住職と修行僧の入道雲達、それと太子に布都という者達……多分儲けの調整なのだろう、あのお山の発明馬鹿河童も名を連ねていた。

 当然人気は異変解決大好きコンビの二人で今回の賭け事も一番二番人気だ、ついで太子と白蓮和尚という堅実な勝ち馬。一輪と布都はすでに力比べを済ませていたため賭けたとして先がないと思われたのだろう、河童についで不人気馬となっていた。

 発明大好き河城にとりは実力をまだ見せていないが何故か一番の不人気、そりゃあそうだ調整の為の当て馬なんだもの、人気が出ては河童が困る。

 中々狡いことを考える、と自分たちの儲けの為にウマイこと話を振って賭けさせないそばかす河童を眺めて思いついた、うまい話の裏側からあの河童を引っ張りだしてやろうと、小賢しい悪巧みなら乗らない訳にはいかないと悪ノリしてみることにした。

 あたしは当然にとりに賭けた。

 期待していると伝言を頼むと眉間に皺を寄せてわかりましたと言ってくれたお河童、聞いたにとりがあたしの言葉をどの様に取ってくれるのか楽しみだ。

 あの河童がやる気を出して勝ち進もうが無様に負けようがそれはどうでもいい、あの河童が何を思うか‥‥それだけが楽しみで仕方がなかった。

 

 

 ここからは余談だが、あたしが去った後の妖怪寺でもう一度人気取り合戦があったらしい。

 復讐じゃ! と声を荒らげやる気に満ち満ちたあの尸解仙が再度の人気取りに現れたのだ。

 けれど復讐相手の一輪は寺にはおらず空回り、そんな姿を笑って煽った姐さんが一輪に代わり一勝負と相成った。

 皿が投げられ叩き割れ狸が走り馬鹿にしては笑う、そんな攻防を数度繰り返した後、ここ一番というところで姐さんがスペルの宣言をした。

 

『八百八狸囃子』

 マミ姐さんが分身して相手をタコ殴りにする中々に派手なスペルカード、実際は幻想郷の同胞たちが姐さんに化けてタコ殴りという物だが今回だけは特別仕様だった。

 呼び出された狸連中の中に一匹だけ色合いの変わった灰褐色の狸がいて、二ッ岩の大親分達に混じりやたら張り切り煙管で叩いていた狸がいたらしい。

 その時の事を間近で見ていたある店の爺さんが後の天狗インタビューで話していた一言。

 

「やる気のないのが取り柄なんて言うくせに珍しい事もあるもんだ」

 あの霧で煙な可愛い狸さんもたまにやる気を出すらしい。




黄昏作品だから戦う、そんなことはありゃあせんのです。


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第六十二話 喧騒を描く

 人妖混じえた馬鹿騒ぎ、今はもうその喧騒も懐かしく思えるくらいになっている。

 とはいってもそれほど日数がたっているわけではない、あの馬鹿騒ぎの中心だったある妖怪の絶望行脚、そこから始まったあの異変。笑いも不安も起こったが事がわかれば他愛ないもので、ちょっとした失せ物探しについてきた大き過ぎるおまけのせいで始まった馬鹿騒ぎだった。

 

 あのお人が語ってくれたように今回の楽しい異変もすぐに収束し、今は幻想郷の外れにあり参拝する者のいない神社で人集りが出来るという新たな異変に直面している。

 妖怪や魔法使いなど歓迎できない参拝客しか来ない妖怪神社で唯の人間の人集りなど、先日までの馬鹿騒ぎが可愛いと思える大異変だ。そんなあり得ない博霊大異変を起こしたのも、前回の乱痴気騒ぎを起こした妖怪を中心にしているものだというのだから、なんとも言えないものがある。

 

 人々が集まり視線が一点に向けられる光景、その光景は異変の時のモノとさして変わらないもので、諦め半分にええじゃないかと騒いでいた者達が一点を見つめええじゃないかと声援を送るけれど、言葉に込められた心は異変の時のように諦めといったものではなく、本当にいいものを見て賛辞する心になっているように見えた。

 視線の先は小さな舞台、妖怪神社の境内で神事の際に飾られれる紙垂の下で表情を変えず仕草を変えて華麗に舞い踊る物へと集まっている。

 いや、元物といったところか、その身はすでに妖かしと成り果てている。

 

 小さな鼓の拍子に合わせ靭やかに舞う姿は艶やかで、見つめる観客たちの表情をコロコロと変えていく、見つめる者達の顔をあれこれと変化させる者は表情を変えられないという所が少々滑稽だが、だからこそ誰かの表情を変える術に長けているのかもしれない。

 何も見せない無表情というより何にでもなるための無表情、声に応え期待に答え踊る姿からはそのように感じ取れた。 それでも感じ取れただけで確かなモノは今は見えない、今のあたしの位置からではその無表情は見えないのだから気にすることなく集中しよう。

 舞に合わせて鼓を叩くその名の通りの囃子方、舞台の袖に隠れて座り肩に構えた鼓を叩く。

 この能舞台の囃子の一つ、今のあたしは裏方だ。

 

 

 心が消える人々の刻、丑三つ時の人の里、そこで舞うのは付喪神。

 あの騒がしい舞台の最終演目は舞台の始まりを告げた場所で行われた。

 最後の演者はあっちこっちで喧嘩を売って人気と共にまた名を上げたあの博麗の巫女と、狐の面を被り表情を変えずに佇む面の付喪神。

 最後の舞台に上がるのは思った通りにこの巫女か‥‥

 異変なのだ、この巫女が解決しないで誰が解決するのか。

 誰がどれほど頑張っても最終的にはこうなる事が多い、そして結末もほとんど同じ。

 この舞台もいつも通りに同じ結末となるのかね、あの面霊気がどれほど頑張り場をひっくり返せるか、最後まで楽しく舞台を見つめよう。

 

 騒ぎの首謀者と対峙する巫女を遠巻きに眺め、そんな事を考えていると近くで同じように眺める者達が数人、一人は巫女の相棒みたいな少女、人間代表の魔法使い 霧雨魔理沙。

 巫女と同じく異変解決を狙う人間が、この異変を起こした者とこれから解決する者を悔しそうな表情で見つめている。あそこにいるのは私だったのに、私であればよかったのに、そんな事でも考えているのか仲の良い友人を見守るというより好敵手を見つめる様子だ。

 気持ちはわからなくもないが今回が出番がなくなってしまっただけだ、その内に今のような視線を向けてもらえるように今後も精進したらいい、成長し上を目指せるというのは人間だけの特権なのだから。

 

 そんな普通の人間とは違った表情を見せる元人間が二人。

 霊長類を越えた阿闍梨 聖白蓮と、宇宙を司る全能道士 豊聡耳神子。

 穏やかに見つめる二人の姿はなにか見守るといった様相だが心中まで同じとは思えない、方や仏陀の教えを守り伝える者でもう片方はその教えを利用した者。

 異変の元凶と相対した時には、

 

「怖気づいたか? 巫女もお前らも構わず掛かって来いよ! 法なんて捨てて掛かって来い!」

 

 と煽られた二人だったが、さすがに多対一で叩きのめしては後に響くし、他者の介入を基本的には禁じる弾幕ごっこという破れない決まり事もある、どこぞの三姉妹とかあのへんは頭三つで一括りとすれば多分抵触しないだろう。

 ともかく幻想郷で生きる以上は破れないルール、しかも弾幕ごっこと合わさって提唱されたスペルカードルールの発案者である巫女がいるのだ、大それたことはしないだろう。

 実際の心は読めないが、態々禍根を残し巫女と対立する気はないのだろう。 

 二人の元人間がやんわりと断り今の巫女と付喪神の一対一となったわけだ、その場の雰囲気に流されず一時の感情で動かない辺り、さすがは導く者達と言えるだろう。

 

 異変の終わりを静かに見守るこの三者は気にしなくとも問題ない、問題なのはあたしの側で戦いを眺めて微笑むこの妹妖怪の方だ。

 人に散々心配させておいて変な面を被り楽しげに笑っている、元々はあたしの空回った思考が原因の一人よがりな心配事だったから強くは言わないが、それでもその面については言及してもいいだろう。一体なんだその面は‥‥どこか地獄の閻魔様を思わせるような、もっと幼い子どものような顔をした白い面。

 こいし曰く拾い物で、持っているとなんとなく気持ちいいらしいが‥‥そんなアヤシイ物があるなら何故あの時に言わなかったのか叱りつけると、あった事は聞かれたけれど持っている物は聞かれなかったとほざいた。

 あっけらかんとそう話すこのはた迷惑な覚り、何も言えずに開いた口が地に落ちて転がるほど呆れてしまった。

 

「それで、その面はあれが探している物じゃないの?」

「拾ったのは私よ? だからもう私の物よ、それにこれが揃わないほうがアヤメちゃん好みになるよ?きっと」

 

 失せ物探しに方々向かう忙しい面霊気、しかも落としたのは自身の本体であるお面。

 見た目はともかくこいしの感情に影響を与える力ある妖器だ、それなりに重要なものではなかろうか。まあいいか、本当に必要ならこいしを手にかけてでも取り戻しに来るだろう、現状そうならず数度の小競り合いのみだ、それなら万一の時が来るまで何もせずに見守ろう。

 そんな思考をかき消すように、見上げる空では破邪の札と面が激突し音を立て小さな火花が上がっている、さながら小さな花火大会といったものだ。

 騒がしく美しい風景の中で、珍しくこいしから言われた言葉を再度考察する。

 

 あたし好みとはなんだろうか?

 そもそも何があたし好みになるんだろうか?

 無意識にテキトウ言ってコレ以上の言及から逃げただけかもしれないが、今のこいしはくっきりとしていて無意識化の存在とは呼びにくい。

 ならそう意識してあたしに放った言葉だろう、それなら掘り下げてみる価値はありそうだ。

 

「どういう意味かしら?」

「このお面はなにかワクワクする物なの、きっとあの子にとって重要な所だと思うわ。同じ感情を見せない物同士だからなんとなくわかるの。そしてソレが取り戻せず不安定なまま足りない付喪神、アヤメちゃんの好みでしょ?」

 

 同じというが視界に捉えられないだけでこいしは表情も感情も豊かだが、あっちは感情はあるが表情は変わらない者。変化はあるが見られない者と見られるが変わらない者、真逆にいるように思えるが本人が言うのだから似ているんだろう。

 それよりもこいしの言った言葉だ、あの面霊気は今でも十分に好みではある。失くした面を探して歩く中で最初に出会ったあの入道付きの尼公のある一言のおかげで。

 それが今よりもあたし好みになるとは?

 

 一輪が放ったある言葉を真に受けて、絶望の淵にいた者が最強を目指し誰かれ構わず喧嘩を売り歩くようになったのだ、変わらないはずなのに表情には喜を浮かべ動き回る付喪神。

 憑き物のくせに憑き物のとれた雰囲気を纏うとは面白い妖怪だ、一輪に勝ちそのまま寺でマミ姐さんともやり合ったようだが結構いい勝負をしたそうで、珍しく姐さんが気に入っていた。

 

 わざわざ余計な何かをしなくても十分に楽しみを与えてくれて、あたしにとって良き者だとは思うが、こいしの言う事も気になる。こいしの言うワクワクするというのがなんなのか、感情豊かなあたしにはわかりようがないけれど、それが足りずに安定を保てないあの付喪神が今後どうなり、何を考えていくのか。

 それを見ていくのもまたお楽しみと言える、ここはこいしに乗っかるとしよう。

 

「あたしの好みを把握するなんて目敏くなったのね、妬ましい」

「私にそれを言うのは酷い皮肉よ? でもまあいいや、続けるともっと酷いこと言われるもの」

 

 閉ざされた瞳を強調しながら嫌味を返され少しだけ笑ってしまった、笑顔を見られ何か言い返されるかと思ったが追求はなかった‥‥続けるともっと酷いと自身で言った通りに理解されている、つれない妹妖怪はやっぱり変なところだけ姉に似ている。

 

 それよりもそろそろ空が佳境のようだ、巫女のスペルで封魔の陣が展開され、そこに付喪神が蒼い霊気を纏い突っ込むという、双方の力での押収が終わり最後の見せ場となる頃合い。

 先に仕掛けたのは面霊気、周囲に浮かぶ面で巫女を翻弄し上手く取り付いた。

 先ほど見せた巫女の陣のように付喪神の面が周囲に広がり立ちのぼる、面での霊気奔流を使った結界と言える場を作り上げ巫女に容赦なく攻撃を放った。

 手数を増やしながら攻撃を叩く度に被る面を変える様はさながら華麗な舞のようで、神事で使われてきた、ありがたい面から生まれた者の面目躍如といったところだ。

 

 最後の締めに薙刀を振るい巫女を一閃、面《おもて》を切り最後のキメといった立ち姿だが、一閃で全て演じ切ったと思い込み最後の詰めを誤ったらしい。

 最初の手から最後の決めまで、きっちりもらったように見えた巫女が何事もなく佇み静かに睨む、現状を把握出来ていないのか、表情を変えずに困惑する付喪神に巫女の手荒い拍手が返された。

 

 困惑し動けない面霊気にふわりと寄ると音なく捕らえる、瞬間巫女の姿が光と共に薄れていくと透けた形《なり》でお祓い棒を一払いする。

 それが合図だったのか捕らわれた面霊気に破魔札が襲いかかる、枚数を数えるのが馬鹿だと思えるほどの大量の札、それを力尽きるまで身に浴びて手荒い拍手から少しの時間もかからず墜落していく面霊気。 

 見得とはこう切るものだと見せつけるようにまたお祓い棒を一払いすると、薄れた巫女の雰囲気が戻り普段のおめでたい姿となる。

 この幻想郷に生きる大妖怪連中の誰もが敵わないのはコレがあるからだろう、ありとあらゆるものから宙に浮き干渉出来ずされず浮いたモノとなる能力と、代を重ねて精錬され高められた博霊の力。

 

『空を飛ぶ程度の能力』と自称したかこの力、巫女自身はちょっと浮くだけの空を飛ぶ程度よ、などと可愛く言うが反則も反則だ、全てから浮いて干渉も出来ない。

 無効とか反射といった物理的なものではない、概念から捻じ曲げるえげつない能力。一体どこの誰がこれに抗えるというのか。

 そこにいるのに手を出せない、不透明な透明人間状態なんて黒白の魔法使いはぼやいていたが言い得て妙だ。

 

 同じようにそこにいるのにいないこいしとは似て非なるもの。こいしはまだ干渉出来る余地が十分にある、このえげつない巫女と比べたら可愛いそうだというものだ。

 ちっぽけな人間の少女だというのに全くもって人外だと感じるが、普段の巫女はまんま少女で人間だ。

 食べるし飲むし笑うし怒る、やる気はあまり感じられないがやる時はやる博麗の巫女。

 少しだけ共感できるところもある人間、か弱く手強い唯の人間少女。

 八百万の代弁者 博麗霊夢。

 物事にあまり執着しないあたしが随分と気に入っている人間の一人。

 

 最後の舞台の幕が引かれいつも通り黒白と軽口を交わす巫女。

 それを気にかけず、墜落していく面霊気を追うのはこの舞台の最後を眺めていた宗教家達。

 あの妖怪に対してか今の争いに対してかは知らないが何か思う所があるようで、墜ちた彼女を大事な物だと言うように優しく抱き上げていた。

 考えを対立させる二人の癖に、仲良くあの娘を支える姿はどこか絵になり身内のような風に見えた、互いに良い身内がいる者達だし面倒見も良い。

 それに寺にはあの姐さんもいる、このまま任せても問題など起きようはずがない。

 そう考えこいしを連れて帰路に着こうとしたが、舞台の演者から声をかけられた。

 

「いつものように宴会するから、後で顔出しなさい」

「また料理人代わり? 嬉しいけれどそう度々振る舞うつもりはないわよ?」

 

「違うわ、それともう一匹にも声をかけておいて」

 

 言いたいことだけ言って飛び上がり振り向きもせずに去るおめでたい巫女、何についてどこまで感づいているのか、あたしや紫の事を胡散臭いだの厄介者だのと散々に罵るが自身も十分に胡散臭いじゃないか。

 育ての親にでも似たのかと巫女の背を見送りながら笑い、言われた通りもう一匹にも話を伝えようと、面霊気を抱え飛ぶ寺の住職の後に続いた。

 

 

 ポンと小さく最後の拍子を打つ。

 それに合わさり大見得を切るこの舞台の主役、表情豊かなポーカフェイス 秦 こころ

 自分の舞台を華麗に〆て喝采を浴びる付喪神、小さな舞台といえど客衆の前まで寄っての決め姿だ、裏方からその姿はまず見えない。

 それでも拍手と歓声だけでこの舞台の成功を感じ取れた、異変の後の宴会で巫女から請け負ったこの依頼、どうにか上手くやり切れたらしい。

 

 依頼された当初は乗り気ではなかったが、同じく裏方として動いた姐さんの口車にのって良かったと今は思える。

 しかしあの巫女は興味なさそうにしていたがやはり宗教家だった、騒ぎの本人を利用して見事自分の利益に繋げてみせたのだから。

 神社は潤ったわけだし利用された付喪神も声援を受けてまんざらではなさそうだ、誰も損をしないうまい話に纏まって悪くない依頼だった。

 

 異変の後の宴会で色々と聞いた話、まずはこの異変の真相から語るべきか。

 発端は何度も話した失せ物探し、六十六の面から成ったあのこころという無表情な少女、そもそもは異変を起こす気はなかったらしい。

 失くしてしまった一枚の面の力が暴走してしまい、思いがけず異変となってしまったのが今回の起こり。

 彼女自身もこの状況は耐え難い物として捉えていて、最初は失くした面を取り戻し異変を終わらせようと探しまわったそうだが、色々な人妖と出会う中で己の欲望や理想のままに異変を楽しむ者と出会い、考え方を少しずつ変えてしまったそうだ。

 失くした面の副産物で面白き事を面白く楽しむ幻想郷の妖怪らしくなった反面、最初に出会った相手のせいで明るくなったが知性が落ちた気がすると、あの残念な尸解仙にまで言われるようになってしまう辺りが面の足りない不安定な面霊気らしさだろう。

 

 そんな変化を面白いとは思ったが危うさも感じた、いつかのこいしに感じた危うさ。

 それと似たようなモノを感じたが今回は空回りする前に別の者が話を切り出した。

 あの異変の最終幕でその辺りを感じ取ったのか、放っておくとまた異変となり面倒になると思ったのか、宴会の場であの紅白が能面の妖怪なら能面らしく少し舞うなりして自分を取り戻せと言い出した。

 能が見たいと言葉が逸れて伝わったのか言われた面霊気の方は気を良くし、それならこの神社でやりたいと紅白に願った、神社で能の奉納となれば見物客も見込めると巫女も了承しお披露目となったのだが‥‥

 人里に済む人間達にはこころの演じる能楽自体が難しすぎて、逆に不安を煽ってしまいさらに神社への参拝客が減ることとなった。

 

 ここであたしともう一人の狸の大将に話が振られてきた、化かしてでもいいから舞台を成功させろとの依頼、依頼といってもお願いというような可愛い物ではなくほとんど命令だったが二人ともこの依頼を受けた。

 姐さんの方は舞台が上手く回らず気を落とす面霊気が気になり‥‥といった親切心から受けた話らしいが、あたしの場合はいつかの冬の異変で奪われずに済んだ徳利の借りを返す、という名目で依頼を受けようと考えた。

 それでも蒸し返しては怖い、徳利の事は考えただけで口に出さず最初は聞き入れない姿勢を見せて渋ったのだが、周囲を囃し立てるのと調子に乗るのは得意でしょ?ならあんたが適任だと思った、と巫女から正しい評価をされてしまい断る気が逸れてしまった。

 巫女からの評価に満足してというのは当然秘密のままに、この辺で折れておかないとあとが怖いと依頼を受ける形とした。

 

 出鼻こそ頼まれたものだったがやってしまえば面白いもので、中々に良い舞台だったと舞台袖から眺めていると、歓声を受けても表情は変わらず頬をわずかに赤らめて声援に応えた能面少女が、仕事を終えたあたし達の方へと歩み寄ってきていた。

 

「舞台への協力ありがとう、初見で合わせるとは二人とも演奏上手なのね」

「太鼓ならウマイぞ? 儂らの太鼓をお囃子に踊るお前さんも見事な物じゃった」

 

 のぅ? と促されそうねと頷く、狐の面を斜めに被り話しかけてきたのが狸二人からの褒め言葉を聞いて福の神の面へと変わる、どうやら顔つきは変えられないが面で感情を表せるらしい。

 福の神は嬉しく思う時の面。素直にありがとうと言わんか、と姐さんに煽られると無表情なまま頬を膨らませて猿と般若の面へとコロコロ入れ替えてみせた。

 それがどの感情を司るのかわからないが悪い顔ではないらしい、なるほど姐さんが気にいるわけだと笑うと姐さんも笑った。

 入れ替わっていた面が笑い声を受けて猿面だけに固定された、これは楽しい。

 

「それにしても能ってあんなだったかしら? 友人達の話にしては笑える話になっていたし」

「あれは儂とこころで考えた新しい形の演目じゃ。少し入れ知恵をしての、わかりやすく笑える物に仕立て直した」

 

 そうなのと問いかけると火男面を被り大きく頷く、この面ならあたしでも何を司っているのかわかる、田楽などで道化者が被る面だおどけたりはしゃいだりと陽気な感情を司るのだろう。

 よくよく見れば本当に表情豊かな無表情だ、思いついた言葉の矛盾に一人クスクスと笑うと、狐面をかぶり直したこころに歩み寄られ強い眼差しを向けられた。

 

「私の演じた能を友人の話って言った? 誰? 何?」

「鬼もそうだし土蜘蛛に橋姫もそうね、天狗や鵺も良い友人だけど地底ではなくあの妖怪寺やお山にいるわ」

「言われりゃぬえもそうじゃったか、儂らもそうじゃしこの地には演目の元ネタが多いのぅ」

 

 あの殺生石で有名な狐も能の演目になっているしあたしたち狸も狂言劇としてはそこそこ有名どころだろう、天狗面はすでにこころの周囲でその存在を放っているし河童も能や狂言として話にある、この演者にとっては話の元となる者達ばかりがいる幻想郷は中々楽しい世界かもしれない。

 そんな話を聞いて興奮でもしたのか、様々な面を周囲に浮かべ被るものも様々に変化している、これは見飽きないなとまた笑うと詰め寄り両肩を抑えられ、ちょっとしたお願いをされる。

 

「会いたいから連れてって、まずは土蜘蛛」

「構わないけど今からは無理ね」

 

「何故?」

「出待ちされてるんだから期待に応えるべきよ? 人気者さん?」

 

 狸二人の手で促すと歩みを進め再度舞台へと顔を覗かせるこころ、固まったまま少し眺めた後足早に戻ってきた。

 こういう気分の時はどんな面を被るのかと眺めていると、まったく予想していなかった面を被りあたしの前へと歩んできた。

 

「あまり見ないで、被りたいとは思っていないから」

「そう‥‥なんというか、視線を集めるのにはいい面だと思うわ」

 

 あたしの友人達の中にこの面に近い耳を持つ人がいるが、このなんとも言えない抜けた表情をする事はない・・・聖人違いのはず。

 いや、聞けばあの聖人がこころの本体となっている面の作者だと言うのだから、やはり本人でそれを模した面なのか?

 なら本人もこんな顔をするのだろうかと静かに悩み面を見続けていると、こころと姐さん二人に揺り動かされ思考の海から引き上げられれる。

 

「人心を一身に集める希望の象徴、こころが失くしてしまった希望の面。それを新しく作ったんじゃと」

「舞台のお陰で落ち着けるようになったんだけど、作りだしてもらった手前捨てるのも忍びないし……面だから感情とともたまにこう、表に‥‥」

 

 声援を聞いて再度顔を出した主演役者、それに気が付いた人間たちがまだかまだかと騒ぎ出す中、もじもじとしながら面を手で隠す様が可愛らしくて可笑しくて、思わず笑ってしまった。

 笑い声で気が付かれたのか、様子を見に来た舞台の地主に笑ってないで早くやれとお祓い棒で頭を数発小突かれてしまい、無理矢理に気を引き締められた。

 それを見て他の二人もニヤニヤと無表情に笑った。

 紅白の地主から、やる気のない演者は舞台を降りろと叱られたので少しだけ気合を入れて、演目のおかわりを振る舞い始めた。

 

 これから演じる追加演目は、少し前に騒がれた宗教家達の人気取り合戦をヒントにしたもの。

 こころが考え生み出した新しい演目『心綺楼』



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~日常~
第六十三話 優しい兎、狸を噛む


振り返ってどう変わったか、変わってないのか 




 山沿いから暖かな光とともにお天道さまが顔を出し、新しい日の訪れを告げる頃、寝心地がいいとは思えないせんべい布団を畳んで納戸へとしまい、小さなあくびをする妖怪が一匹。

 最近は白み始める朝まで飲み明かすような事も減り寝間着で寝付くようになった狸、以前は素っ裸で寝付くばかりで着物も脱ぎ捨てられていたが、今は衣紋掛けに通されていつでも綺麗にあるように大事にされている着物、真っ白で薔薇の刺繍が映える着物が朝の風に揺らされて少しだけ袖を揺らしている。

 

 それでもあの屋台には顔を出しているようで、少し前からただいまと暖簾をくぐるようになった、笑顔でお帰りなさいと迎えてくれる女将に感謝してもよいだろう。

 本当なら眠りから目覚めたのだから着替えて身支度を整えるべきなのだが、さすがにそこまでの改善は見られず、寝間着のまま竈に火を入れ湯を沸かし始める。

 一人分としては少し多く感じられる湯量、なんとなくだが今日は朝から誰か来るような気がしたらしく、あの小賢しい目覚ましの分もと多めに湯を沸かしたようだ。

 カタカタと音を立てながら小さな湯気を漂わせ始めた鉄瓶を眺めながら寝起きの煙管を燻らせる、多少の生活改善は出来ているが煙管だけは欠かせないものらしい。

 竈のそばで煙を漂わせながら朝の日差しを浴びて少しずつ体を起こしていく、お日様の光とは不思議なものでどれほど眠くとも浴びれば心地よく、気持ちを揺り起こしてくれるもの。

 この化け狸にもその効果があるようで、段々と眠たそうな表情から、よく見るやる気の感じられない表情へと変わっていった。

 

「忠告通りの姿を見るとは、天気が悪くなるからやめてくれよ、アヤメ」

 

 口の悪い目覚ましウサギに朝の挨拶よりも早く悪態をつかれたのはこの住まいの主、囃子方アヤメ 霧で煙な狸の妖怪である。たまにはと朝日と共に目覚めて、今日あたりに来るような気がしていた口の悪い目覚ましウサギ、因幡てゐの分も湯を沸かし茶の支度をしていたのというのに・・・辛辣な言われようである。

 

 珍しいことをするんじゃなかったわとてゐを睨むが、睨まれた方は全く気にしていない様子で自身の湯のみを手に取り卓についている。

 六つ並んだうちの二つが持ちだされ、先に座るてゐの前に置かれると、沸いた鉄瓶と茶葉の詰まった缶を手にして卓についた。

 

「開口一番で気分が悪いけど支度はしてしまったし、たまには朝から振る舞ってあげるわ」

「自堕落の権化が朝から茶を振る舞ってくれるなんて、長生きはしてみるものだわ」

 

 少し寝ぐせのついた頭をポリポリと掻きながら二つの湯のみに茶が注がれる、純和風な湯のみには似つかわしくない薄い橙色の茶が湯気を立て香りを広げた。

 注いだお茶を手渡すと香りで普段との違いに気が付いていたてゐが、不思議そうな顔で少し問いかけた。

 

「紅茶なんてどうしたのさ、缶は前から見ていたが中身は煙草だろうと思ってたわ」

「戴き物の紅茶よ、たまには日本茶以外を味わうのもいいでしょう?」

 

 新しく出来た友人達の住まうあの赤いお屋敷で、少量をお願いしたつもりが一缶まるごと譲ってもらえた柑橘類の香りがする紅茶、気まぐれで淹れては香りと味を楽しんでいるものだ。

 残りも僅かになってきていたが今日はその『きまぐれ』に当たる日だったらしく、二つの湯のみからは爽やかな香りが漂っていた。

 

「日本茶派だけどコレも悪くないね、眠たい朝の目覚めにはいい」

「でしょ? 残りも少ないからゆっくり味わってほしいわ、次はいつ手に入るかわからないし」

 

 注いだお茶の味と香りを楽しみながら、少し微笑み感想を述べる不定期に訪れる朝の茶飲み友達、残りは確かんわずかだが、あのお屋敷に伺って咲夜にお願いすればいくらでも譲ってくれそうな気がするが、そうするのは少し気が引けた。

 前回は友達料としてもらったようなものだし、何より自身があの咲夜を気に入ってしまった、気に入った相手に物乞いのようなことはしたくない、名前で呼んでとお願いされ代わりに自身も名で呼ぶようにと願ったのだ、気安い相手に物乞いなんて恥ずかしくて格好が付かない。

 

「それならゆっくり頂きましょ、なんだか大事な物らしいし。そんなに大事ならあたしに出さず一人で飲めばいいのに」

「たまにはいいと思っただけよ? お優しいうさぎさんからのあたしへの面倒見に対する感謝の印」

 

 そんな事を気にするような間柄ではないのだが、たまには素直に感謝を述べてみてもいいだろう、普段は互いに軽口ばかりで実のある話なんてないのだから。

 あたしの口から感謝なんて言葉が出るとは思っていなかったのか、紅茶の注がれた湯のみを口から離さずにこちらを薄く睨むてゐ、睨まれたとしてもこれもいつもの光景でなんら気にすることはない、睨むてゐに向かい穏やかに微笑んだ。

 

「大して時間が経っていないのに随分な変わり様だ、憑き物でも剥がれたかね?」

「憑き物なら寺で一緒に流したわ、月見て跳ねてもいいくらいに今のあたしは素直な狸さんよ?」

 

 両手を頭の上に伸ばして耳の横へとあてがいイタズラに笑う、この性悪ウサギにこんな姿を見せることなど少し前では考えられなかったが、なんとなく今は自然と仕草に出た。

 今ならあの灰雲の垂れ耳飾りがもっと似合うようになっているかもしれない。笑いものにされる姿以外が思い浮かばないため、自分から着けようとはさすがに思えないが。

 

「本当に、気持ち悪いくらいの変化だけど悪くはないね。そういう面を見せるアヤメもそれなりに面白いウサ」

「もっと素直に褒めてくれてもいいのよ?」

 

 今までに見せてくれたモノとはちがった呆れる表情を浮かばせるてゐ、なるほどこうすれば新しい表情を眺められるのかと何かを掴むあたし。口喧嘩では勝てないと考えていたが中々どうして、やりようによっては勝てない相手でもひっくり返せるもんだと楽しくなり声に出して笑った。

 

「訂正するわ、表面上は変化が見られるようになったけど根っこは変わらない。むしろ面倒臭さに磨きがかかったわ」

「磨かれたならそのうちに輝き出すかしら?てゐの大好きな神様みたいに顔が光って見えなくなるかもよ?惚れちゃう?」

 

 ハンと鼻で笑われたが、てゐがあの神様を敬い心から慕っているのは知っている、だからこそこの反応も読めていたし、あたしなんかでは比べるにも値しないとわかった上で言ってみた。

 話の流れで思い出した、随分昔に訪れた外の神様との世間話、その話の中にあったほとんど冗談と言えるお願いを叶えてみたくなったのかもしれない。

 外の世界であたしが居を構えたあのお山、そこから少し歩いた先、山間の町にある大きな神社。そこではてゐの大好きなあの神様が祀られており、挨拶や催し事の際に何度か足を運んだことがある。近くの連山に居を構え暫くの間お側で暮らす事に致しました、いつまでかわかりませんがお世話になります、挨拶回りに行ってから訪れる度に世間話をしていた美形の神様。

 その世間話の一節にとある兎の昔話があり、神様が兎との思い出話としてあたしに話をしてくれた事があった。

 

 四方を海に囲まれた島に生まれてしまい、外の世界を感じることが出来ない哀れな兎。どうしても島を出て島の外を見てみたいからとワニを騙して背を渡り対岸へと向かったが、途中でワニを利用する為についた嘘がばれ皮を剥がされた自滅の話。 

 あのウサギは口ばかり達者で島を出ても友を作らず、他者との繋がりを広げよう友人を作ってみようとは考えていない、寂しくて死なれては救った意味がないからもしもどこかで会ったなら妖獣同士仲良くしてやってくれと直々に話して下すった事があった。

 その時はたかだか小さな妖怪兎だ、今後出会うことなどないだろうしあった所で気がつかないと気楽に考えて、こちらこそそんな大先輩なら喜んで親睦を深めたいと言ってみたが・・まさか本人と出会い我が家で茶を啜る間柄になるとは。

 昔話の中では可愛らしく微笑んでいた兎を見ながら紅茶を啜り、世間とは案外兎のいた島よりも狭いのかもしれないと感じられて、一人で笑って訝しげな顔をされた事があった。

 

「アヤメはあの御方にはなれないよ、なれても兄神様の方だろう。どれ確認してあげるからそこに這いつくばりなさいよ」

「あたしの背を渡るとそれこそ火傷するわよ? 狸の背中はうさぎのせいでかちかちと燃えているんだから」

 

 うさぎが自身の嘘のせいで痛い目に遭う有名なお話と、狸が自身の行いのせいで酷い目に遭うお話。どちらも痛ましいお話で互いに嘘から始まる物語。

 だが結末は真逆の物で、うさぎの話の方は最後には救われて感謝する相手が出来たが、狸の方は笑われて蔑まれ死んでいくだけで救いのない話。うさぎと狸の両方共嘘から始まる似た話だが、その嘘には決定的な違いがある。なんのために嘘をついたのか、そこに違いが現れて最後の締めが変わったのだろう。

 兎は島を出たいという兎自身の思いから出たもので、狸の方は騙して笑いたいという身勝手なものだ、誰かを騙したことに変わりはないが、方や可愛い自滅で方や因果応報だ。結末に差が出ても仕方のない事だろう。

 

「その狸は別の狸だろう、ならアヤメの背中は燃えていない。誰かを背負っても焼く心配はないよ」

「海水浴びて泣いた兎から冷水浴びせられるとは思わなかったわ」

 

「あたしゃ年寄りだからね、冷水は十八番ウサ。それにあの話の最後に兎は予言するんだ、予言通りにあの御方は姫と結ばれる事になった」

「背負うより手でも繋いだほうが軽くていいわ、重荷は背負うと碌な事がないもの」 

 

 人生の大先輩からとてもありがたい冷水を浴びせられて背中の炎は消されてしまった、あとに残るは燻るものとほんの少しの火傷の痛みくらい。

 自信の発した言葉で思い出した昔背負った重たい荷物、一度捨ててから二度と背負えず、今は背負いたいとも思えない荷物だがお陰様で荷物の中身は確認出来るようになった。

 

「手を引くよりも背負ったほうが大事な物なら安心できるもんよ?」

「重みに耐え兼ねて潰されるよりも、手を離して打ち捨てる方が後腐れなくていいわ」

 

 背負いきれない物ならはなっから背負わず、それでも手放しきれないから手を掴み引いて歩く。我ながら女々しい物言いだわと呆れるところだが、言わずとも感づくだろう。それくらいすぐに理解する経験値がこの兎にはある。

 予想通り、そんなつもりもないくせにと同じように鼻で笑われいつもの口調で窘められる。

 

「皮を剥がされ海水を浴びる、そんな事になりたくないなら最初から関わらなければいいのさ、中途半端が一番悪いってわかってるかい? 自分にも相手にも半端は悪いってものさ、結構な年寄りなんだ、それが理解出来るくらいの事はあっただろう?」

「朝からお説教とは参ったわね。それにあったからこそよ、あたしは臆病で矮小な寂しい狸さんなの」

 

 嫌味にもならない負け惜しみ、それでも口さえ動かし続けていればその内に根負けしてくれてどうにか逃げ切れるだろうとおもったが、今朝の先輩兎は予想以上に手厳しい。

 幻想郷で知り合った中では一番付き合いの長い年長者、そんな相手が今までで一番真剣な表情を見せ静かな物腰のまま、凄みのある声色でさらにご高説を垂れ流してくれた。

 

「優しく言ってもきかないのはわかっているから少しばかり酷く言うが、あの御方を引き合いに出されてはあたしも引かないよ」

 

 完全に藪蛇だったと俯いて小さく愚痴る、そんな言葉を聞いてか聞かずかてゐの口撃に拍車が掛かり止まりそうもない状態へとなってしまった。

 どうにかしてこの場を収めたいとほんの少し考えるが、身から出た錆なのだから甘んじてお叱りをいただこうと何もせず次の言葉を待った。

 

「これはアヤメが望んだお説教、物語の狸じゃないくせに因果応報だなんて思っているから要らぬ説教するハメになる。いつまでも昔を引きずって、今もこんな体たらくでいるつまらない古狸。そのうちに今までよりも酷いしっぺ返しがくると自分でもわかってるくせに、見直そうともしない馬鹿な友人は手がかかってしょうがない」

「言い返す言葉もないけど早々楽には切り替えられないものよ?」

 

「切り替えられないのならそのままでもいいさ、後で痛い目見て泣くのはお前さんだ。その時に泣きつく相手がいるなら泣きつきゃあいい、だがあたしのところへ来たなら更に火傷するだけだし、アヤメの頼る相手も同じことを言うはずさ」

 

 全くもってその通りで本当に参る、いつも叱って窘めてくれるあの人もさすがにそこまで甘くはない。それに何度も何度も頼りたくはない、あっちにもこの兎にも。

 今回のこれはいい分岐点なのかもしれない、新しい表情を眺められるのかなんてさっきは思えたが、今まで見られなかった表情ってのは見せたくなかった表情だ。

 見せる前にどうにかなれば、そんな風に考えて軽い提案を続けてくれていたのかもしれない。本当にお優しいうさぎさんだ、優しすぎて耳が痛いがありがたい事だ。

 

「潰れそうな重荷なら分けて運ぶなりすりゃあいいんだよ。それが出来るくらいの器用さはあると思ってるし、持ち運ぶ荷物を選んで厳選したって構わないわ。それに近道探しは得意なはずだ、頭使って考えろ」

「お陰様で今も近道させてもらったし、少しは生活改善するよう善処するわ。ありがたい説法の代金代わりになるくらいには」

 

「言ったね? あたしゃがめついからきっちり取り立てるよ?」

「月の異変でもきっちり取り立てられたし、逃げ切れないなら逃げないわ。絶対にバレないような葉っぱのお金くらいは考えるけれど」

 

 それは楽しみだとイタズラに笑う因幡の白兎、自分で自分の首を締めたと悪態をつきたい心が少し、背を押してくれる友人に感謝する心が大半。

 耳と一緒に胸も痛いお説教をありがたいと考えられるようにしてくれた、朝の茶飲み友達に感謝し冷めてしまった紅茶を口に含んだ。




新しい異変も終わり、作中の季節も一巡したので気分一新お説教から。


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第六十四話 里に紛れ草を食む

覚えのない人から名を呼ばれ挨拶されることってある そんな話


 すっかりといつもの雰囲気に戻ってしまって、あの騒がしいええじゃないかは幻想へと消え去った人里、少しの買い出しを済ませて一服ついでに橋に背を預けていると、なにやら面白そうな噂を耳にした。程々の力を持ってはいるが特に暴れたりはせず、己の住処で静かに暮らしている穏やかな妖怪たちの集いがあるという噂。

 これは興味深い噂話だと思えた、あたしも程々の力を持っているけれど自ら暴れたりすることはないし、己の住処では静かに穏やかに煙管を燻らせている妖怪だ、それならその集いに混じって交流したとしてもなんら不思議なことではない、ついでにその妖怪連中を眺め少し笑い合えればいい。

 

 思いついたら善は急げだと噂の出元を辿り、今は人里の端にある小さな長屋の戸を叩いている。なんでもここの住人は人里に暮らす者の癖に他者との関わりが薄い変わり者。

 いつからここで暮らしているのか誰も知らない、あの先生や妖怪寺の連中も知らないくらいの薄い関わり方で日々を過ごしているらしい、この幻想郷で変わり者なんて言ってもほとんどの者が変わり者に当てはまるから対して不思議なことではないが、気になるのはその在り方。

 人里で暮らしながら人と関わらない者なんて人間であるわけがない、朱に交われば嫌でも赤くなるのが人間なのにそうなっていないのだ、それならこの変わり者の正体は言わなくてもわかるはず。

 その正体が妖怪か幽霊か、そんな事は気にならない、些細な事だしどうでもいい。ここを訪れた理由、あの噂の妖怪たちの集いについて少しでも聞いてみたいと思ったからだ。

 ここの者がその集いに関わる者という確証はないが、確信はある。

 妖怪が暴れることを禁じられた人里なのだ、静かに隠れ住むならうってつけだ。

 そんな確信を動力にして戸を叩いているのだが、一向に返事はない。

 

「いないの? それともいるけど出ないの? どっちにしろ出るまで待つわよ?」

 

 二時間ほど戸を叩き続けてはたまにこうして声を掛けている、あたしの事を五月蝿がってたまらず出てきた隣の住人から今日は住まいに居ると聞いている、それならいつまででも待てる。

 気は長いほうだから多少待つのは苦ではない、飽きたらこの場で他の楽しみを見つけそれで時間を潰すだけだ、小さな風景でも楽しさを探せる目敏さがあって良かったと今は思っている。

 

「赤さ~ん? やっぱりいないの? いてよ? じゃないとあたしが馬鹿だと見られるわ」

 

 更に一時間が過ぎた頃、ようやく長屋で動きが見えた。小さくカタカタンと何かが開いて閉じるような音、これは多分戸を引いて締めた音。

 裏口でも動かして気を引いたかなと、裏に回ったふりをしてすぐに正面に戻る。すると案の定一旦外に出た尋ね人の背を見つけることが出来た、この手合は縄張りからは中々離れない。

 慣れ親しんだ自分の縄張りの方が動きを察知しやすいと理解しているからだ、噂通り程々以上の力と知性は持ち合わせているらしい。

 

「やっと見つけた‥‥ってどこに行くのよ? 顔も見せずに走り去るとか」

 

 声をかけた瞬間に走り出され、小さくなっていく背中を見送る。

 何をそんなに逃げるのか、余程の恥ずかしがり屋さんなのか?それならいいな、変わり者は可愛い者だったと新たな噂を広める良い取っ掛かりが出来る。

 逃げた先もどうせ人里の何処かだろう。少し縄張りの概念を広げて行動しているだけ、それなら焦って探さなくともそのうちに見つかるだろう。

 それに普段は関わらない者が焦りを見せて里を走る姿など目立って仕方がないはずだ、目撃者を見つけながら足跡を辿ればすぐに見つかる。

 道行く人に声をかけながら楽しいかくれんぼに興じる、赤と黒の二色を着込んだ何かを気にする少女を見なかったかと問いかけるだけで、あっちで見たそっちを抜けたと教えてくれる、親切な者が多く楽な追跡だ。

 聞いた話を統合し一番怪しいところへとちんたら歩いて鬼役が歩く、思った通り人里に掛かる橋の側、橋のすぐ脇に生えている柳の木の下で周囲を警戒する背中が見えた。

 

「探し人は誰かしら? 良ければ手伝ってあげるけど?」

「親切なのね、気遣ってくれるなら消えてくれると嬉しい」

 

 こちらに振り返ることはなく、背を向けたままで返答をくれる赤髪の少女。

 この態度といい言い草と言い、なんとなくどこかで見たような既視感を覚えるが思い出せずにモヤモヤする。

 けれど既視感なんてそんなものだし深く考えずに今は要件を伝えよう、どうにか目的の話を聞ければ後は特に用事もない。

 

「お願いを聞いてくれればすぐに消えるわ、顔くらい見せてもいいんじゃない?」

「私は貴女に用事はないよ、囃子方アヤメさん」

 

 これには少し驚いた、あたしが一方的に名と存在を知っていることは多いが、逆にあたしが知られていて相手の事を知らないなんて事は今までほとんどなかった。

 この少女のように隠しながら生きているわけじゃないけれど、それでもだいそれた事はしていない、何からあたしを知ったんだろうか・・当然噂の集いだろうな、意外と実のある集いなのかもしれない。

 

「あたしの事を知っているのに貴女の事は教えてくれないの?」

「家で名を呼んだでしょ? なら既に知っているはず」

 

「あれはお隣さんに聞いたものだし、苗字しかわからないわよ?」

 

 戸を叩いた時に言われた言葉、赤さんいると思うけど変ねぇ。

 姓なのか名前なのか微妙なラインの言葉だったがお隣さんが言うくらいだ、その名で長屋に住まう者があたしの訪ね人だろうとカマかけて言っていただけだ。

 案の定彼女の事を指していたものだったらしく、隣人には名を教えるくらいの付き合いをするんだなと、関わり方の線引をどうしてるのか疑問に思った。

 

「知っているというなら当たりだったのね? 赤ちゃん?」

「そこで切られるとなんだか気持ち悪い……いや私が切れて気持ち悪いというのも変な話ね。赤蛮奇よ」

 

「改めて囃子方アヤメ、可愛い妖怪さんよ」

 

 赤なにがしさんではなくて赤蛮奇で一つの名前か、それでも更にこの上か下に続くかもしれない微妙なラインに思えたがまあいいか。自己紹介は出来たわけだし。

 出来れば楽しくお喋りをしてそのまま噂話の方も教えてくれると嬉しいけれど、態度を見る限り何故か距離を取られているようだ。

 何かこの少女にしただろうか?人里での騒ぎなど起こしていないしよくわからない。

 

「それで私には用事はないと伝えたけど?」

 

「そうね、じゃあ何か用事を作ってくれてもいいわよ? 何がいい? お喋り? じゃれあい? それとも‥‥」

「聞いた通り胡散臭くて厄介な狸ね、よく言われない?」

 

 初対面で随分な言われようだと感じると共にさっきの既視感の理由がわかってしまった、このやり取りにこの態度、あたしが普段紫にしている対応そのまんまだ。

 気がついた瞬間に先程よりも大きな驚きがあたしを襲った、まさか紫と同じような扱いを初対面の妖怪からされるなんて。

 知り合い程度の妖怪からは当たり前の様にこの対応をされるが、それは気にしていない。自ら紫を真似て笑うこともあったし厄介者扱いなんて慣れている。

 しかしそう見えるのだろうか?

 神社の夜桜宴会の席で友人から話された『どんどん紫に似てきて可愛くなくなっていくのよねぇ』という言葉が頭のなかで反響して随分とやかましい。あたしの能力で逸らされた心を読んで、五月蝿くなったと話したあの地底の主の気持ちが少しだけ理解できた。

 

「難しい顔をして何を企んでいるの? 私は貴女と関わりたくないんだけど」

「あたしはそんなに胡散臭い? そんなつもりは毛頭ないんだけど?」

 

「笑顔でそんな事を言う奴は胡散臭くて信用ならないか、媚びへつらう半端者だけよ」

 

 この者が言い放った衝撃的な言葉はこの際忘れよう、気にしても仕方がない。いつか藍からも付き合い方を考えねば等と言われたのも思い出し気が滅入る一方だ。

 それにしても本当に似た言い草で困る、こんな相手を見たら笑わずにいられないじゃないか。どうやってやり込めようかウズウズしてしまう。

 

「なら真顔でお願いすればいいのね?」

「そうやって相手を謀る、本当に面倒な相手。逃げられそうにないしもういいわ、何の用なの?」

 

 どうやら諦めてくれたようで譲歩する姿勢を示した、こんなところまで似ていると少し気持ち悪く感じるが自分自身を気味悪がっているように思えるのでこの捉え方はやめておこう。

 背中を向けたままに首だけを回した少女、まずはその辺りから聴き始め上手く話題を逸していこう。

 

「裕福な暮らしぶりとは見えなかったけど、随分綺麗に回るのね」

「え? あぁ私はろくろ首だから、察しの通り生活自体は質素な暮らしよ」

 

 ろくろ首とは回るんではなくて伸びるんじゃなかったかと一人悩む、悩み顔から察してくれたのか飛頭蛮やデュラハンとも呼ばれる種族だそうで日の本の国で一番有名なのがろくろ首なんだと。

 首に関わる種族なら一緒くたでも構わないのか、随分おおらかな種族としての価値観だと思いながら説明を受けた。

 

「それで?」

「そうそう、忘れかけてた。ほら妖怪の集いなんて噂話、あれの詳細を知りたいのよ」

 

「集い?‥‥草の根ネットワークの事か、貴女には意味がないわよ?」

 

 名称を聞けたはいいものの即答で拒否されてしまった、それでもこの言い方からすると関われればそれなりに楽しめるかもしれない。

 意味がないと言い切られたのだ、関わってほしくない何か、関わらせたくない何かがあると見える。

 

「意味がないか、変わった言い草ね。断るなら関係ないとか言うものじゃない?」

「関わっても意味がないのよ‥‥閻魔、死神、鬼に花、竹林の連中に吸血鬼、おまけにこの間の異変でも一緒にいた聖人達。あんなのと一緒にいる貴女には私達弱者の集まりに混ざっても意味がない」

 

 確かに言われた連中全てと何かしら関わっている、あの連中よりも厄介な地下の友人達なんていうのもいるが、それについてはこの場では気にしなくていい事だと思うが。

 一緒にいるがあたしはどちらかと言えば弱者の目線にいる者だ、厄介事に関わりたくないし面倒は勘弁願いたい。ただちょっと絡まれたりする悪運が強いだけなのだから。

 それでも気がかりなことがある、知らぬ相手に交友関係がバレているのは気味が悪く腹立たしいものだ。

 

「ならいいわ、噂の方はもういい。最後にもう一つだけ教えてくれないかしら?」

「教えてという顔してないわよ、断れそうにないし言う通り一つだけなら」

 

「何処にいるのかしら?」

 

 閻魔様やあのサボり魔、そして鬼や花。この間の乱痴気騒ぎで一緒になった友人達、この辺りはともかくとして何故抜けるのか。

 人里を縄張りにしてその縄張りから出ないろくろ首が、竹林とあの屋敷の友人達の事を知っていて何故妖怪の山の事だけが知られていないのか?そこが気になった。

 変に詳しいくせに変に疎い、アンバランスな知識量が気になり一言カマをかけた。

 

「湖と竹林にもいるわ」

「なるほど、ありがとう。今日はもういいわ、楽しいお喋りをありがとう」

 

 読み通りではあったが予想外ではあった、世間は狭いと思っていたが知らないところや知らない物はまだまだあったようだ。

 湖はともかく竹林の方は少し気にかけてみるとしよう、いると言ったくらいだ。目敏く探さなくとも今日のかくれんぼのようにそのうち見つかるだろう。

 力を入れて探し出し、もし彼女たちの関係をにヒビが入るような事があればてゐへの借金が嵩む一方になってしまう。竹林住まいの友人としてあの兎は怒らせたくない。

 

「もういいなら消えてくれると嬉しいけど」

「そうね、名残惜しいけど今日は帰るわ。縁があればまたそのうちに」

 

 いくら似ていると言われてもスキマが現れる事などはなく、背に視線を感じながら人里を後にした。それから何度か里で彼女と出くわしたが話しかけてもつれない素振りをされてしまう、そんなに斜に構えてばかりではいつか痛い目に会う。経験者としてそれを教えても良かったが、思っただけで何もしなかった、あたしに似ているなら痛い目に合わないとわからないタイプの者だと思えたからだ。

 後々にその痛い目にあうが、それはまた別の話。




蛮奇のボスBGMかっこいいですよね、輝針城も良曲ばかりな気がします。


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第六十五話 優雅に詠え、墨染の桜歌

早く春になってほしい、花見はいいものです そんな話


 なんとか今年は間に合ったようだ、どこまでも続くような長い長い階段に同じく長く並び続く桜並木、白混ざりの薄ピンク色した花びらが風に乗って見惚れるほどの花吹雪となっている。

 顕界の季節はすでに終春。桜の花は散り何処を見ても葉桜だが、この白玉楼は今が見頃。気候や気温が顕界よりも涼しいからか毎年決まって見頃がずれる。

 おかげで毎年二度の花見を楽しめる機会があるわけなのだが、どうにもこっちは忘れがちで冥界の桜見は毎年恒例の行事とは言い切れない。

 今年は神社での夜桜見物に幽々子がいたこともあって忘れずに来ることが出来た、忘れたままなら諦めるが今年は思い出せたのだ。まだまだ見頃なはずだし折角ならとこうして訪れてみている。

 

 昨年ここの葉桜から感じた力強い新緑も良いものだったがやはり花も良い、生命の息吹を感じられる新緑とは真逆で散り際に輝く美しさ、これにも眼を見張るものがる。

 散り際どころか散った後の者達しかいない白玉楼でこう考えつくのも面白い、ちぐはぐで咬み合わないものでも案外楽しめるものなのだと気付かせてもらえた。

 普段なら登るのも億劫な長い階段も視界に広がる桜の海のおかげで随分と楽しく感じられる。そのうち足運びが面倒になり飛ぶ事にはなると思うが、そうなるまでは一段一段ゆるりと登ろう。

 

 階段の終わり、白玉楼の入り口である門の辺りには身構えてこちらを睨むあの従者が見える事だし、今ゆっくりと向かっていますよと態度でわかるようダラダラと歩こう。

 たまにしか訪れないこの死者の地でたまにしか見られないあの従者の通せんぼ、こっちがいるならあっちもいると思うが気にせずに花見をしよう。

 ちなみに通せんぼされたからといって完全拒否の姿勢をされているわけでなはい。あの従者が通せんぼしている時は決まってワケがある時で、そのワケさえ消えれば歓迎してくれる。

 そのワケも大概決まっていて仕える主とその友人に関わることくらいしか思い当たらない。前回は起こした異変のすぐ後で、はしゃぎすぎてテンションが下がらないから今行くと食われるぞと、お優しい拒否をされた。

 今回も似たような心配事からくるお節介な通せんぼだろう、今日は一体何があるだろうか。面倒事にならなければよいが。

 

 最近は食への執着心が強いように感じられるここのお嬢様。今日もきっとその食への執着心からの心配なのだろう、それならば態度で示されなくてもわかっているがそれなら足止めなどしない。

 それなら別の理由で通せんぼか。冥界の端から白玉楼に向かって桜の散り具合が進んでいる事にでも関係するのかね。

 能力のままに死を操って桜の見所、旬を殺したりでもしたんだろうか。桜並木のところどころで幽々子の側で舞う蝶々が見られた。

 まあいいか、実際に会ってみればわかる事。取り敢えずはあの式をたらしこんで屋敷の中へと入るとしよう。

 

「今日は身の回りの介護はいいの? 冬でもないし起きているからやることもないの?」

「そんな所だ、今は入らない方がいい」

 

 普段のこいつならあたしの言葉に何かしらの反応を見せてくれるのだが今日は反応が薄い、冗談を言い合う余裕もないくらい真剣な表情で門を守る八雲の式。

 異変でもないのに何をそんなに身構えるのか、風が吹き舞い飛ぶ花びらの吹雪の中あたしの足止めをする 八雲藍。

 

「理由は教えてくれないのかしら?」

「先日から幽々子様の機嫌が悪くてな、紫様が窘めたものだから余計にむくれてしまわれた」

 

 いつでもいつまでも飄々としているあの幽々子が機嫌を損ねているとはまた珍しい、それに入り口で通せんぼしているのがあの半人半霊の庭師でないのも珍しい。

 季節外れに葉を見せる桜といい珍しい事が続いているが、屋敷の中に入れればもっと珍しい物が見られそうだ。

 しかし中に入るにはこの忠実な式をやり込めないとならない、はてさてどうしてみせようか。

 

「それじゃ紫さんを窘めてあげるわよ、藍も一緒に行きましょう」

「さすがにそうもいかない、紫様からお叱りが終わるまでは誰も入れるなとの命を受けている」

 

 一緒に中へ連れていければ通せんぼ、足止めし続けていますという体でどうにかなると思ったがさすがに甘くない。

 真剣だが穏やかで、だけれど少しだけ困っている表情。苦笑しながらあたしの提案をやんわり拒否する藍。これくらいでどうにかなる者なら紫の式なんて務まらないだろう。

 それでも表情や笑みからなんとなく予想させてくれる辺り、主の方よりもいくらか融通が聞くし気も利かせてくれる。

 

「今度は何にご執心?あの亡霊のお姫様は」

「歌だ、それも西行法師の読んだ歌をお求めでな」

 

 高名な歌人の歌をご所望とはさすがにお嬢様、雅なものに御執心なさる。

 桜の花を見ながらの歌会なんて紫も喜びそうなものだが何故に窘めるような事になるのか、詳しくは聞いていないが求める歌人は幽々子と同じ姓の者、そこからなにか繋がるものでもあるのかね。

 

「優雅で良い所に目を付けたと思うけど、なにがいけないのかしら?」

「そうか、アヤメは知らなかったか。西行法師は幽々子様のお父上なのだよ」

 

 お父上、身内か。ならば余計にいいじゃないか、亡き父の遺した素晴らしい歌を亡き者となって久しい娘が求める。中々絵になるモノだと思う。

 けれど紫が窘めなければならないモノ、ここの関連付けがイマイチ出来ないが‥‥これを語る藍も窘められても仕方がないという雰囲気だ、もう少し掘り下げてみよう。

 

「父上って勿論生前の父上よね? 生前の事を覚えてない幽々子がそれを求めたのがなにかマズイ、そんなところ?」

「私から詳細は述べられない、だが紫様が幽々子様に苦言を呈しているのは間違いない」

 

 こういう時に聡い者相手だと話が早くて助かる、あたしの言葉に否定するものはないと遠回しに教えてくれる。

 それに強調するようにわざわざもう一度紫が叱ったと付け足してくれたのだ、紫の心配具合を教えてくれている。

 本当に出来た式、こんな同僚と一緒ならあの主でも楽しく仕える事も出来たかもしれないなんて一瞬考えたが、誰かさんの扇子越しの表情を思い出しその考えは瞬時に捨てた。

 

「そう、それじゃあ心配症な紫さんにイタズラして煽るのはやめるわ。代わりにあたしも幽々子にお説教をしてみる、それなら入っても?」

「私が何を言っても入るのだろう? やはり足止めされてはくれないか、仕方がない‥‥紫様の命に背く訳にはいかない。私も同行しよう」

 

 話の矛先を幽々子に向けて紫の行動には関わらないと示してみるつまらない方便だ、それでも譲歩はしてくれた。

 なら藍の気遣いを無駄にしないように動こうか、大事な友人に関わるとあのスキマは怖い・・怒らせることはしたくない。

 

 一度だけ見たあの悲しい表情。化け物桜の下に埋まる者の話をした時のあの顔で今も幽々子を叱っているのだろうし、あんな悲しそうな紫は見たくはない。

 割入ったところで何かできるなんて思っちゃいないが、頭ごなしに叱る以外にもなにかやりようがあるように思えるし、上手くいったら紫の鼻をあかせる。

 悪くない化け勝負、少しだけ本気で挑んでみよう。

 

 十本の尻尾を揺らしながら白玉楼の庭先を歩み縁側に腰掛ける少女二人を望む、なるほどご機嫌斜めだ。いつもの嫋やかな姿とはちがいプリプリと文句を言う亡霊姫。

 見た目だけは可愛らしい仕草だが纏う空気が普段とは随分と変わっている、死の気配を含んだ蝶々を漂わせながら緩い怒りを見せている。

 近くでは初めて見るがあれが能力の片鱗か、幽々子の『死を操る程度の能力』から生み出された反魂の蝶々。

 おっかいないし出来れば知りたくないと思い、なるべく操る姿を見ないようにしていたが実際見れば静かなものだ、静寂しかない死を操るんだから静かで当然といえば当然だが。

 もっとこう物理的に縊り殺したりする物かと思っていたが、死なんて常にいる隣人だし存外穏やかなモノかもしれないな。漂う蝶々は静かで美しいナニカだと感じられる。

 それはともかく隣の紫が怖い、こちらを見る目もそうだがそこから語られるモノが怖い。

 隣に立っている藍に何故通したの? と語っているものだとわかる、これは藍に悪いことをした。後で毛づくろいするから今は勘弁してくれ。

 

「少女が少女を叱るなんて可愛らしい戯れね、叱られて怒る幽々子を可愛いと思えるなんてそろそろあたし死ぬかしら?」

「反魂の蝶がとまれずに周りに逸れていくもの、美味しい狸汁はまだまだ食べられそうにないのね」

 

 怖い顔したお隣さんは無視して叱られている幽々子にだけ話しかける、幽々子からゆるりと放たれた薄紫の蝶々があたしの周囲で舞い飛ぶが、体に触れる事はなく、鱗粉を撒いて漂うのみ。

 これに触れたら穏やかに死ねるのだろうか、ほんの少しだけ手を伸ばしかけて止める‥‥これは危ない、死に魅せられるところだった。

 死ぬにはまだまだ早過ぎる、あたしは憎まれて疎まれるモノだ。今後もまだまだ世にはばかりたい。

 

「歌なんて雅な趣味に興味を持つのはいいと思うけど、叱られちゃったのね」

「そうなのよ、ここは桜の名所。なら花の歌を多く読んだ歌人に興味を持ってもいいと思えるでしょう? それなのに紫がガミガミ五月蝿いの」

 

 両の目を閉じ少し顔を上げて何か両手で棒を持つ仕草。いいですか紫、今の貴女は説教臭いのですよ?なんて言い出して話が長くなりそうな仕草。

 どこかの説教好きな偉いさんの物真似をしながら、同じく説教臭いお隣さんに見せつけるようにする幽々子。同じモノを管理する立場だからかとても上手な物真似だ。

 あまりに似すぎていて隣のスキマ妖怪がきゃんと鳴くようにならないか横目で見たが、呆れるばかりでそうはならないようだ。

 

「物真似なんて出来たのね、でも似過ぎて嫌だわ。話のクドイ幽々子は嫌よ?」

「今クドいのは私じゃないわ、隣の境界の閻魔様よ」

 

 そう言って境界の閻魔様を睨む、白黒つける事とは縁遠く感じるが万物に白黒つけている境界を好きなように操れるのだ。なるほど境界の閻魔様とは中々にウマイことを言う。

 しかし幽々子の言葉を受けても態度を変えない辺り本気で心配しているのだろう、幽々子の冗談を笑うあたしを見る目が恐ろしい。

 そろそろ何かしでかしてみるか。失敗したらサヨウナラが待っている、後がない分の悪い化かし合いだが・・拾ってもらった人に返すと思えばあたしの命を種銭にしてもいい。

 

「幽々子の求める歌人の歌、あたしも少し知っているわよ?」

「あらそうなの? 私が知らない歌かもしれないし、教えてほしいわ」

 

「春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の さわぐなりけり」

 

 下手に詠えばスキマ行き、嘘でも付けば蝶々に集られて地獄行き。なんとも居心地の悪い場で歌を詠んでみたがどうやらいい方向へと向かったようだ。

 知らない歌ね、どういう意味なのかしら?と興味を示してくれた幽々子と、何か安堵したような表情を浮かべる紫。

 一手目は取り敢えず成功、次はどう繋いでみせようか。

 

「春風が桜の花を散らす美しさは息を飲むものだ、まるで夢の中の景色のよう。夢から覚めても乱れて散る花の情景は忘れられず胸をざわめつかせる。こんな歌だったかしらね」

「散り際を偲ぶものではなくて散り際の美しさだけを読んだ歌に思えるわ、綺麗な歌ね」

 

「散り際は確かに物悲しいけれど、だからこそ美しい。それはもう戻らない過去を憂う心から得られる美しさ。だけれどあたしはこう感じるわ、偲ぶなんて悲しい心は忘れ、今見える美しさを堪能しよう‥‥あたしはそう感じるわね」

 

 あたしの感想を述べてみる、感想というより歌を利用した遠回しなお説教か。説教と言うより気遣いと言った方が伝わりやすいだろうか・・思い出せない亡き父を思うよりも、今の事を隣で心配してくれる友人に目を向けてあげなさいという気遣い。

 隣のお説教妖怪には伝わってくれたようだが執着心の強い亡霊姫はどう感じ取ってくれるか、はてさて‥‥

 

「過去に執着するのも楽しいけれど今に執着されるのもいいものね、今はアヤメの読んだ歌で満足するわ」

「そうよ、昔より今を楽しまないと。昔のご飯より今のご飯のが美味しいものが多いわ」

 

「それもそうね‥‥今日は料理上手が二人もいる事だし、今は美味しいご飯を食べて過去を気にしないようにするのがいいわね」

 

 どうにか別の物へ執着心を向かわせたがちょいと例えがまずかったな、わざわざ自分の首を締める結果になってしまった。

 幽々子の返答を聞いてすっかり穏やかな雰囲気になった紫も笑っているし、遠巻きにしていた白玉楼の庭師も話を聞いていたようで顔を青ざめさせている。

 多分大丈夫、妖夢は買い出しに行くだけで重さ以外は苦ではない。

 幽々子の言う二人は多分縞尻尾と九尾を揺らしている二人だ、ちらりと九尾の方を見ると門で見た苦笑をまた浮かべている。

 自らが言い放ってしまった言葉を撤回するのは格好がつかないし仕方がない、幽幻の住人相手に有言実行するとしよう。

 少し涼しい白玉楼、桜を眺めてつつくなら何がいいか?

 と、尻尾十本で悩みながら台所へと向かい歩いた。

 



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第六十六話 ご近所付き合い

距離感って大事 そんな話


 今日も今日とて静かな迷いの竹林、耳に届くのは風に揺れる葉の音と焼けた炭に垂れ落ちたタレの香ばしい音、フンフンと可愛らしい声色くらい。

 即興で鼻歌を歌う夜雀女将の声、それに合わせてゆらゆらと尻尾を揺らす、今夜の夜雀屋台のお客は二人ほどでどちらも妖怪のようだ。

 片方は見慣れた太くて長い縞尻尾をいつもそうしていますとでも言うように揺らし、煙管を燻らせ女将の歌に酔いしれている、もう一人の方は黒くふわっとした毛足が特徴の尻尾、女将の歌に合わせて同じように揺れてはいるがその動きは小さい。

 

 炭火で香ばしく焼かれているヤツメウナギの蒲焼き、そのタレが炭に落ちてジュッと音を立てるたびに二人の耳もピクリと動く、縞尻尾の方はその髪色と同じ灰褐色で少し丸みのある小さめの耳、黒尻尾の妖怪も髪と同じ色合いの黒く尖った大きな耳を頭の上に生やしている。

 長椅子に座る二人の耳がピクリと動く度に、夜雀女将の表情に穏やかなものが浮かびその愛らしさをより強いものにする、微笑みながら蒲焼きを焼きフンフンと鼻歌を歌う姿、同姓といえど中々にそそるものがあるように思える。

 狸ですらそう考えるくらいだ、隣に座る者はもっと荒々しい事を考えているかもしれない。なんたってニホンオオカミなのだから。

 

 種族こそ違えど、その体を構成する部品は同じようなところに同じような物が付いている二人、種族くらいしか違いがないように思えるがその立場には大きな違いがあった。

 方や妖怪の賢者相手に嫌味を言い放ち鬼を顎で使う常識知らずな化け狸、方や竹林に隠れ他者に姿を見られぬようにひっそりと暮らすニホンオオカミ。

 

 身体に共通点は多くあるがこの立場の違いは明確であろう。 

 そんな立場の違う者同士が今夜は珍しく席同じくして酒を飲んでいるようだ、違う者同士で何を話しているのか女将の歌を聞くついでに聞き耳を立ててみよう。

 

 

「しかし今泉くんがあたしを誘うなんて珍しい事もあるわね。しかもおごってくれると言うし、何? 相談事? 恋わずらい?」

「相談じゃないわ、それと今泉くん言わないで‥‥少し前に草の根ネットワークの仲間から話があったのよ、その時のお詫びという名の尻拭い」

 

 あたしの隣で今泉くんと呼ぶなと食って掛かってきた狼の妖怪、今泉影狼の所属する草の根ネットワーク。弱い妖怪の情報交換を目的とした組織。

 少し前に人里で教わった暴れずひっそりと暮らす妖怪達の組織名、組織と言ってもなにかこう企みのあるものではなくて、友人同士で作った倶楽部活動みたいなものらしい。

 

 その草の根ネットワーク‥‥長いから草の根でいいか、その草の根仲間からあたしに粗相を働いてしまったと聞いたらしく、今日は草の根竹林担当の今泉くんのおごりで飲んでいる。

 粗相なんてされた覚えが全くないわけだが‥‥何をしたと思っているのだろうかあのろくろ首は。特に何事も無く、というより何事か起きる前に会話を切って立ち去ったはずだが。

 

「詫び入れされる覚えがないんだけど? 今泉くんの友達はあたしに何かしたかしら?」

「だから今泉くんはやめて‥‥脅したりなんてされなかったのに態度悪くして怖い顔させちゃったから謝っといて、そう蛮奇から頼まれたけど覚えないの?」

 

 言うなと言われたが、今泉くんが言いやすくて彼女を下の名で呼ぶことはない。下の名で呼ぶよりも今泉くんと呼んだ方が反応が面白いというのも当然あるが、それを差し引いても名で呼ぶことはない。

 単純に気に入らないからだ。名を知っているくせに、そう呼ぶなと言ってもしつこく堅苦しい言い方しかしてこないこの狼女が気に入らないから、あたしもわざと名で呼ばない。

 同じ竹林仲間のくせに。ご近所さんくらいの認識でいるくせに、変なところだけ遠くに置いたままなのが面白くなくて頑なに名で呼ばない。子供のような発想だがこういったものの距離感は案外大事なものだと考えている、だからこそ呼ばれるまで呼ばない。

 それはともかくとしてあの時のあたしは怖い顔なんてしただろうか、確かに見知らぬものに内情を知られている事を面白くないとは感じ少しだけ睨むような事はした。

 あれくらいなら怖い顔とは言えないと思うが、普段誰とも関わらない者からすれば怖い顔に見えるのかね。

 

「怖い顔?‥‥あぁ、知らない奴に友人関係バレてたのが気に入らなくてちょっと睨んだ時の事ね」

「囃子方さんの友人関係を聞いてから睨まれれば、ご機嫌伺いくらいされても仕方ないと思うけど?」

 

 あれはあの時の例えで出された連中がちょっと悪かっただけだ、あたしにも可愛らしい友人は大勢いる。

 よくわからないあいつや寺住まいの皆に狸の親分、地底のアイドル土蜘蛛に妬みの権化橋姫。月の頭脳や永遠の姫様だって友人と呼べるし今泉くんと似たような風貌の白狼天狗やその上司、いい性格した河童もそうだろう。

 なんだか名を上げてみたら言われる通りアレな友人達ばかりになってしまったが、呼び名が悪いだけで実態は皆可愛いさを見せる人たちばかりだ。そう怖がる相手ではない‥‥はず。

 可愛らしい友人という括りで地底のペット達の名前が真っ先に出なかったのは、あの子達は友人というより違う目線で見ていますという心情の現れか、自覚はあまりないけれど。

 それでも皆恐れるような者達ではないと思うのだが、相手を知らず一方的に恐れ近寄らないなんてなんというか勿体ない生き方をしているな、なんの話を元にして恐れているのか知らないが、尾ヒレ背ヒレの付いていない彼女たちはとても可愛らしい人達ばっかりだ。この際だ少し訂正しておいてあげよう。

 

「確かに一緒にいる事が多いけど、アレらもそんなに恐れる相手じゃないわよ? それに、そんな言い方をするなら今泉くんだってあたしを誘うような間柄になるんじゃないの? それなのに別枠扱いされないのはおかしいわよ?」 

「私は囃子方さんと仲がいいってわけじゃないでしょう? ただのご近所さんよ、ご近所さん」

 

 確かに特別に仲がいいとはいえないけれど敵対しているわけじゃない、同じような距離間の友人ならあの花の大妖怪がいるが、あのお嬢さんはここまで余所余所しい感じはしない。言うなれば対等な目線で語れる相手という感じか。

 そうか、最初から感じていた違和感の原因はこれか、同じ目線で酒を飲んでいるはずなのに見ているものがズレているような違和感、普段下から見上げられる事なんてないものだから気がつくまで時間がかかった。

 なら折角気がつけたわけだしこの違和感は取り去ってしまおう、楽しい席で違和感なんぞあってもまずくなるだけだ。

  

「草の根ネットワークってそんなに卑屈なの? 赤蛮奇もお詫びなら自分ですればいいのに」

「そういうわけじゃないけど、静かに暮らすなら踏み入れずに済ます事が多くなるだけよ。蛮奇は人里に隠れているから余計に構え過ぎている気もするけど」

 

 人間から浮いた存在が人間の近くに隠れ住み溶け込むために努力する、その結果が距離を置いて眺めるだけの暮らし。言っちゃ悪いが全くもって溶け込めていない気がする、寧ろ浮いているように見えてしまってむず痒い。

 それでも彼女たちはウマイこと隠れて暮らせていると思っているわけだし、なにから切り出せばいいかね。どうしたもんかと軽く悩みコップの酒を煽ってみると、ここまで静観していた女将が口を挟んできた。

 

「どうせならその蛮奇さんも連れてくればいいのに。私はお客さん増えてバンザイ、アヤメさんは飲み仲間が増えてバンザイ、影狼さん達は繋がりが作れてバンザイよ?」

「そうね、その方がモヤモヤしないで済むわ」

「簡単に言ってくれるけどね、隠れ住むのなら繋がりなんて少ない方がいいのよ、それが大物に繋がるなら尚更」

 

 なるほど女将の言う通り、客が増えればあたしの会話相手も増える。ついでに草の根の話も聞ければ尚楽しい、悪くない提案だ。

 上手く事を運んであたしの誤解されたイメージを払拭し、新しい飲み仲間を増やせるのならそれに越したことはない、まずはこの隠れんぼ大好きな草の根連中を表舞台に引っ張り出さなければならないわけだが、どこから突付いていけばいいかね。

 というより、この幻想郷で隠れて住まうなんて選択肢がそもそも難しいと思うのだが……それはいいか、他人の暮らしぶりにまで口を挟むのは野暮というもの‥‥野暮という割にはあの因幡の迷惑白兎のように、他人の暮らしぶりに好き放題言う奴もいるがあたしはそこまで突っ込む気になれない。

 けれどあのイタズラ兎に大して少しは生活改善をすると言い切ってしまったんだったか、なら少しは態度を改めて他人へのお節介に興じてみるのも生活改善と言えるかもしれない。

 結果どうなるかはわからないが、思いついてしまったわけだし少し口出ししてみようか。

 

「大物ねぇ、なんでもいいけどもう遅いわよ? 興味を持ってしまったもの。赤蛮奇と今泉くん、それと湖にいる奴くらいは知っておきたいわね」

「こうなったアヤメさんって面倒臭いのよね。ご愁傷様ね、影狼さん」

 

 こんなに素敵で可愛らしい狸さんを捕まえて面倒くさいとは何事だ、と女将に詰め寄ってみるが気にかけられる事などなく小さく笑われてしまった。

 可愛らしく笑ってくれてこの女将は、と丁度耳の位置に生やした小さな羽を指先でつんつんと弾いてじゃれあう、そんなあたし達のやり取りを見ていた今泉くんが、不思議そうな表情で口を開く。

 

「確かに周りの人達は怖いけど囃子方さんは怖いって感じじゃないわよね、ミスティアの言うとおり面倒臭いけど」

「あら? そういう事言うと怖い狸さんになるわよ?」

「そうやって笑うから誤解されるのに」

 

 どこかの誰かを真似た笑顔、あいつを知っている友人達からは似ていると評判の顔だ。あたしとしてはあいつと同一視されるくらいの胡散臭さはないと考えているのだが、交流のない女将にすら言われてしまうほど今の笑顔は胡散臭いのだろうか。

 いつかこの笑顔を見て、変に似ていて気が滅入ると言われたことを思い出し小さな自己嫌悪を覚えてしまう。

 

「言われて気にするなら最初から真似なんてしなければいいのに、爪が甘いわ、アヤメさん」

「なんでか出ちゃう顔なのよね、思っている以上にアイツの事好きなのかしら?」

「誰の事を言っているか知らないけどミスティアのが一枚上手だって事はわかったわ。なんだ、囃子方さんも言われるほどじゃないのね」

 

 何処で何を言われているのか非常に気になるが折角和んだ空気、下手に問い詰めてこれを潰すのは気が引けるし言及しないでおこう。

 おかげで今泉くんも笑うようになった、なら今は楽しい空気の中美味しいお酒と手料理を味わったほうがいい。丁度ヤツメウナギも焼きあがった事だしこれを肴に飲み直しだ。

 とりあえず今あるものを楽しんでそれ以外は後で考えよう、小難しい事を考えながら飲む酒なんてウマイわけがないのだから。

 

 




正確には蛮奇っきは草の根にいないらしいですが、そこは二次創作ってことで。
影狼ちゃん可愛いですね、何故か今泉くんと呼びたくなる。


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~紅魔組小話~
第六十七話 見上げて笑う


プロジェクトスミヨシ そんな触り


 長く放置されて苔むした河原の岩のような緑に、なにかを焼いた灰色を混ぜた風な肌の色をしている。首には黒いスカーフを巻いてちょこまかと動き、その動きに合わせてピンと尖った耳を揺らしている。髪や体毛は生えておらず、その頭には小さな二つの角を生やしている。

忙しなくあちらこちらで動きまわり、お屋敷の中にも外にもいる何かをしているナニカ。

 小さな箒に跨ってどこぞの黒白よろしく飛び周りながら、時計塔の針の先から文字盤の隅まで一つ一つ丁寧に磨き上げている。

 その仕事ぶりだけを見れば真面目で勤勉な者達と言えよう、合間合間に雑巾の投げ合いをして笑っている姿はあたしには見えないものとして。

 

 それで、結局のところアレは何者なんだろうか?あたしの周りで角を生やしている奴なんてあの大酒飲みの妖怪連中くらいしかいないが、ならあれもその一種なのだろうか?

 人間よりも小さな体躯でぱっと見た限りでも結構な数がいるようだ。子鬼で大量にいるという特徴、これらから考えるとあの神社にいるへべれけ小鬼の亜種なのかもしれない。

 それならこの連中も霧のように消え広がったり出来るのだろうか、あの酒臭い幼女ならともかくこっちの子鬼からはそれほどの力は感じられないが。

 しかし同じだとしたら困るな、あんなアルコール中毒の子鬼が大量にいては困る。あっちはまだ可愛らしい幼女だがこっちの子鬼はあまり可愛いとは言えない外見だ。一緒にしたとバレたら後で怖いかもしれない、とりあえずあのへべれけ幼女の亜種という仮説は捨て置こう。

 

 ふむ、それならばなんだというのだろう? 他に角を生やした者なんて‥‥あぁ人里にもいたか、一日限定で頭に角を生やして興奮する者がいた。色合いも人里の方は薄緑だしこっちの子鬼も緑色っぽい様な色合いをしている、とすれば幼女の方ではなくてあっちの先生の方の亜種か?

 いやいや流石にそれはないだろう、人里の世話やき教師の緑部分は叡智の神獣白澤だったはずだ。

 時計塔を磨き上げるための雑巾をそこらにぶん投げて汚れを広げるような子鬼、そんな軽率で非合理定期な行動からは叡智といったものは感じられない。それにコレとあの堅物教師を一緒にしたのがバレたら、あの授業内容よりも堅い頭から一撃もらうハメになる、それは避けたいからこの説もなかったことにしよう。

 とすれば、本当にあれはなんなのだろう?それなりに長生きをしてきて色々見ているつもりだが思い当たるものがない、仕方がない‥‥考えてダメなら聞いてみよう。この屋敷に住まう小さな友人にあたしが送った言葉だが、送って使えなくなったわけではないのだ、素直に答えを聞いてみよう。 

 

「あれなんなの?」

「ホフゴブリンですか、見た目はあれですけど働き者で助かってます。妖精メイドなんかよりよっぽど頼れますね」

 

 ホフゴブリンというのかあの子鬼。

 しかし、ついこの前に訪れた時には居なかったはずだがいつから屋敷で働いているのだろう。この門番が気を許すくらいなのだ、悪い子鬼ではないとは思うが。

 

「あの八雲紫が呼び寄せたんですよ。外の世界へ出稼ぎに行った座敷童子の変わりと言って、聞いていませんか?」

「座敷童?……あぁコレだのこんなのだのと言われて、人里を追い出されたのはここの子鬼なのね」

 

「そうですそうです。退治されて数を減らしていたみたいで困っていた所をお嬢様が拾いまして、それからうちで働くことになりました」

 

 何時だったか人里でちょっとした騒ぎとなったことがある、人里の住居に住まう座敷童達が次々と立ち去りいなくなっていく事件。

 里から妖怪がいなくなるなんて有難いことだと思えるが座敷童の場合は居てくれた方が都合が良い、愛くるしい彼女たちは住まう屋敷へ富を授けるからだ。

 

 家に居るだけで金が貯まるなんてなんて羨ましいことだろうか、我が家にもぜひ住んでもらいたい。

 富や名声というものにそれほど頓着してはいないがもらえるものはもらっておきたい、あって困るものではないし昔のようにそれを種に金貸しをしてみてもいい。そういえば外の世界であの時に貸していた金は結局返って来なかったか。まぁいいか、返す相手のあたしがいなくなったわけだし借りた奴らも死んでいる。

 それに幻想郷では金はあまり重要視されていないし、借りてまでなにかをするような輩もいない。商売にならないのではやるだけ損だな。

 すこし話が逸れてしまった、本筋に戻す。

 

 それで座敷童、彼女たちが抜けてしまった分の穴埋めとして紫が呼び込んだのがこの子鬼達。

 紫が海外から呼び寄せたホフゴブリン達、姿こそあれだが働き者で人の生活に富を与える。人間にとっては有益な妖怪だったのだが……その見た目がまずかった。

 

 あたしから見ても決して可愛らしいとはいえない姿で、その感覚は里の者達も同じだったようだ。

 何もせずともその姿だけで子供は泣きだしてしまうし、大人も気味悪がって近寄ることはなかった。あのおめでたい巫女に退治してくれと依頼する者まで出る始末。悪さなどせず、寧ろ善いものを呼び寄せるホフゴブリンを退治などと思ったが、巫女の方は乗り気であの説教臭い仙人と一緒になって里から追い出す事となった。

 

 座敷童の代わりとしてバランス取りに呼んだのに追い出して大丈夫なのか、そう考えたがそれは杞憂に終わった、いなくなった座敷童達がすぐに帰ってきたからだ。後々巫女に聞いてみれば彼女たちは外の世界で流行りとなっている町興しに呼ばれただけで、一時的に外の世界に行っていただけらしい。

 神社にいた仙人様は帰ってきたばかりの座敷童を見かけたらしく、素朴な可愛らしさだった彼女たちがなにかキラキラと、一皮向けて大人びた姿となって帰ってきたように見えたそうだ。

 

 そんなわけで座敷童も戻り里は今までどおりとなったのだが、代わりにすっかり忘れ去られたホフゴブリン。幻想郷で幻想となり消えたかとおもっていたがまさかここで働いているとは。

 同じ海外産の妖怪として見捨てることが出来なかったのかね?いやここのお嬢様は趣味が良い……あの名付けの趣味から考えればホフゴブリンを可愛いと思っても可笑しくはない。

 恩情からと考えるよりも、この子鬼達を気に入り屋敷に置いたと見るほうが後々からかうネタになるし、今はそう考えておけばいいか。

 

「あのアヤメさん、今日はどうされたんです?妹様ならまだ寝ている時間ですが」

「起きるまで美鈴で遊ぶ、というのは半分冗談として今日は咲夜に用事よ」

 

 要件を伝えながら綺麗に飲みきり空になった紅茶の缶を見せてみる、以前に譲ってもらってから気まぐれで淹れては楽しんでいた柑橘類の香る紅茶。

 今日はこの茶葉の入手先を聞きに訪れてみた、頼めばまた譲ってくれるのだろうが以前に述べた通りそれはしたくないし、自分で入手できるならそうしたいと考えたからだ。

 

「咲夜さんだけではなく妹様にも会ってくださいね。新年になってからアヤメちゃんが来ない、と少しご機嫌斜めですので」

「あたしのせいでご機嫌斜めなんて可愛いらしくて嬉しいわ。またお痛されては困るし、少し顔を出すわよ」

 

 可愛いなんて言ってみたが思いの外嬉しく感じられるのは何故だろうか、真っ直ぐに会いたいという思いを向けられているからか。

 大した事はしていない、ただ友達の作り方を教えたり互いのことを話してみたりと他愛のない話しかしていないというのに。少しの事でも機嫌を損ねるくらいには思ってくれている、なんとも可愛いお友達だ。

 そういえばあの子は友達の作り方を誰かに実践してみたかね、実践する相手といってもあたし以外にこのお屋敷を訪れる者がいるか知らないが。

 

「あたし以外のお友達でも出来れば、少しは機嫌も直るかしら?」

「あれから二人ほど妹様にご友人が出来ましたよ、アヤメさんの教えたお願いの仕方で見事ご友人が出来ました」

 

 おおこれは予想外だ、あの引きこもりな妹に新しい友人が出来るとは。出来ればいいとは思っていたが実際に出来るとは思っておらず、やるじゃないかと感心させられた。

 それであの可愛らしいお友達が新たに作った友人とは誰だろうか、出来るならあの子の成長に役立つ友人達ならよいけれど。

 

「二人も出来るなんて仕込んだ甲斐があったわね。それでどこの誰がお友達になってくれたの?」

「あざといやり口を仕込まれて心配しましたが、成功したので私からは何も言いません。仕草自体は可愛らしいものですしね‥‥気になりますか?アヤメさんも妹様の事を気にかけておいでですし、気になりますよね」

 

 あたしの仕込みに不満はあるけれど、ね・・読み通り可愛さを全面に出したあの挨拶は成功したようで、特にお叱りはないようだ。

 それよりも気になるのは後半の物言い、珍しくイタズラな笑みを浮かべてあたしの顔色を伺う素振りを見せる居眠り門番。友人の事を気にして何が悪いというのか。

 自分がお友達になってとお願いされた時には、私は従者でお友達にはなれませんと断ったくせに。少し悲しげな妹を見て自身も心を痛めたくせに。

 

 思い出したら少し蒸し返してやりたくなってきた、が、抑えておこう、この場合はからかわれているというより感謝されている気がする。この門番の軽口など珍しいものだし、今はそれを聞けた事に満足しておこう。

 

「大事なお友達の事よ?心配にもなるでしょう?」

「照れ隠しが下手ですね、ですがそれくらいの方が妹様と過ごされるにはいい。新しいお友達、魔理沙さんとアリスさんの方はまだまだ素直とは言えませんし」

 

 ああそうか、照れていたのかあたしは。こういった事で照れるなんて殆ど無くてどうにもくすぐったい、以前にこうなったのも美鈴と弾幕ごっこをした後だったか。

 あの五月蝿い新聞記者と飲んだくれ幼女に褒められて照れた事があった、おかげで照れ顔なんて写真に取られるし・・この門番は出会いの時からあたしに対して面倒しか寄越さないな。

 まるでどこかの胡散臭い妖怪のようだ、雰囲気だけなら胡散臭いやつの式の方に近いんだが。とりあえずその辺はいいか、後半の方が気になる。

 

 魔理沙とアリスか、大方魔法使い繋がりからあの図書館で知り合ったのだろう。ここの魔女殿がわざわざ紹介するなんてないだろうし‥‥たまたま出くわして声を掛けた、そんなところか。

 この二人ならいいかもしれないな。

 

 常に上を目指して研鑽し、あたし達妖怪と弾幕ごっこでは対等以上に渡り合う普通の人間の魔法使い、その向上心は見習うべき物があるし何より彼女は明るく真っ直ぐだ。

 屋敷に引きこもって色々と餓えたあの妹には良い刺激となるだろうし、そのうちに外へと連れだしてくれる様になるだろう。楽しそうに笑う妹の姿を神社辺りで見られる日が来そうで悪くない。

 

 もう一人の魔法使いもいい影響を与えてくれそうだ。前述した黒白とは違って、どちらかと言えば図書館の魔女殿に近い落ち着きや冷静さ、それを身内以外から感じるのもいいだろう。

 それに彼女の場合は人形劇という形で人里との交流もある、見た目だけなら同い年くらいの子供がいる里にでも連れだしてくれれば、今まで見られなかった物も見られるというものだ。

 万一何かあっても彼女なら大事になる前に止めるだろうし、普段見せない本気を見られるかもしれないし、それはそれで楽しめるかもしれない。

 

「あたし以外は魔法使いばっかりね、ここの魔女みたいにもやしっ子にならないといいけど」

「辛辣な物言いですね、ですが二人に妹様を紹介したのはパチュリー様なんですよ、そう聞けば少しは評価が変わりませんか?」

 

 それはそれは珍しい事もあるものだ、あの引きこもりの魔女殿が自分のこと以外でなにか行動を起こすなど思っても見なかった。

 本や知識にしか興味ないと思っていたが、友人に気を使う事もできるらしい‥‥いや、姉の方とは長く友人関係を続けているらしいしそれくらいの気配りは出来て当然か?

 もしくは気配りからではなく別の目的からか、自身の研究に充てる時間を確保するため他の誰かを宛てがった、とか。

 後者の考え方のほうがそれらしい気はするがここは前者で捉えておこう、その方が心地よく感じられる。

 

「あの魔女殿がそんな事するなんて、友人として付き合うとそれくらい温かい人だったりするのかしら?」

「どんなイメージを持たれているかなんとなくわかりますが、あれでもお優しい所もあるんですよ?今もお嬢様のお願いを聞いてモノ造りに励んでおられますし」

 

「モノ造り?次回の霧を撒くための装置でも作ってるの?」

「さすがに霧ばかりではないですね‥‥今回は乗り物。ロケットだとか、完成したら月に行くんですって」

 

 苦笑しながら否定され答えを教えてくれるのはいいけれど、月ってあの月か。まだ日が高く薄くしか見えない月を見上げてみると、隣の門番も同じように見上げる。

 あそこに行くんだそうですと目的地も教えてくれるがやっぱりあの月で正しいらしい、いつか紫が散々な目に会い逃げ帰ってきた所と聞くがそんなところに何しに行くのか。

 

 

「少し前に八雲の式が顔を出しまし、月に向かった時の話になったそうで。次は霊夢さんなしで行くんだとか。まぁいつもの、お嬢様の暇潰しですよ」

「それで行くための乗り物を魔女に作らせている、と」

 

「資材も資料も足りなくてまだまだ本域とは言えませんが、それでも少しずつ形になってきていますね」

「まぁいいんじゃない、好きにしたらいいわ」

 

 暇潰しついでに紫の鼻をあかすって感じか、無理な事だろうな、資材や資料が足りない段階で頓挫しかけている計画なのだ、その程度の計画であの紫が驚くはずはない。

 紫の事だ、このお屋敷でしていることなんてお見通しで今は泳がせているだけだろう。そうしたほうが後々何かを有利に出来る、そんな事でも考えているのだろう。

 本当にあの賢者様は人も悪いがタチも悪い、がそういう所が面白い。

 

 ここのお嬢様は紫本人ではなく、藍から話をされたのが気に入らなかったなんて言っていたし。遊び半分見返し半分で閃いたんだろう。話す美鈴も本気で行くとは考えていない口ぶりだし、何かと思いつきで動く主に振り回されて何処の従者も大変だ。

 

 

「やはり乗り気にはならないんですね」

「そりゃあそうでしょ、思いつきに乗っかる程若くないし暇もないわ」 

 

「老獪さなんて普段見せないくせにこういう時だけ、ずるいですね」

「老獪だなんて人聞きの悪い、あたしはちょっと長生きしてるだけの可愛い少女よ?」

 

 そうですねと笑顔のままに答えてくれる門番殿、あたしも笑顔でそうよと言い返し、その少女っぷりを惜しげも無くアピールし振りまく。

 緩くクルリと回転し着物の袖を舞わせると、話し込んで忘れていた茶葉の缶が手元を離れて飛んでしまった。拾いに行こうと足を出すと一匹のホフゴブリンが缶を拾い上げ手渡してくれた。

 やはり勤勉で真面目な働き者のようだ。受け取りながらありがとうとウインクしてみたが反応は薄く、小さな会釈だけされて足早に去られてしまった。

 

 

 去る背中を見送るように視線をあげると、屋敷の入り口にメイド長の姿が見えた。

 今日の来訪理由も思い出したわけだしこのまま屋敷に入るとしよう、門番仕事の邪魔をし続けるのも悪い。 

 邪魔といえば以前に中華鍋の件で話を振ってみたがそれについては何も言われなかったな、まだ来てないのか邪魔にはならなかったのか。

 

 

 帰りにでもまた聞いてみよう、門番に中に入ると形だけの許可を貰いゆっくりと屋敷へ向かう。

 中華鍋の件やあの草の根湖担当の話、その辺りも後で聞いてみよう。後の楽しみに期待して屋敷の玄関を目指し歩みだした。



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第六十八話 時々で変わるモノ

旬とは違うが そんな話


 コポコポと小さな音をたててカップと揃いのティーポットから注がれる黄金色の紅茶、注がれるとともにこの空間、通されたこの客間中を華やかな香りで包んでいくそれ。

 慣れた手つきでそれを注ぎ当たり前のように配膳してくれる、初めてこのお屋敷を訪れた時にはいなかった瀟洒な従者。いつからいるのかなんて知らないし気にかけた事もないが、今はこうして居場所を得て我が物顔で屋敷の管理を任されている人間の少女。

 そんな人間の少女、十六夜咲夜の歓待する仕草を眺めながらソファーに腰掛け煙管を燻らせる。

 香りも楽しむ紅茶を前にして煙を漂わせるとは無粋な事だとは思うが、カップの前に配膳された灰皿が吸っても構わないと言ってくれているように思えて、気にしないことにした。

 

 普段は気にせずその辺で火種を踏み消しているが、さすがに絨毯敷きの客間でそうはしない。灰皿まで用意してくれているのだし変に考えずそちらを使わせてもらう。

 カツンと一回音を立て燃え尽きかけた火種を落とす、小さな銀の灰皿だが目測を誤ったりする事はなく綺麗に灰皿内へと火種を落とした。

 そう出来る場所でそうする、それが今はこの灰皿に捨てるという事なだけ。それも出来ないようなら吸うべきではないし吸ってもいいものでもないだろう。

 一服つけて一呼吸置いた後、火種の収まる灰皿を下げると共に注いでくれた紅茶が手元に配膳された。綺麗な黄金色の紅茶、今まで出された物はもっと赤みがかっていたり香りが独特な物だったりしたが、これは澄んだ黄金色を浮かべ香りをたたえている。

 

 何か爽やかな果実を思わせる香り、鼻先でそれを一嗅ぎして口に含む。嗅いだだけのそれよりも口内で広がる香りは一段と強いものに感じられる、爽やかな香りなのに舌先に広がるのは少ししぶみの強い味わい。けれどその渋みが香りを引き立てているように感じられた。

 

「美味しい、味わいも好みだし香りもいい。同じ紅茶よりも幅があるものなのね」

「お口に合いましたならばようございました、今回はダージリンという茶葉の夏摘みの物を淹れてみました」

 

 ダージリンの夏詰み茶葉ね、日本茶も色々と種類はあるし新茶の時期ともなればその風味も味わいも違ったものが味わえるが、それよりも細かく分かれていそうな口ぶりだ。

 けれど夏詰みと言うくらいなのだ、色々な季節で摘み取った茶葉で味や風味が変わるのかもしれない。日本茶も奥深い物だと思っているが、西洋の茶も同じく奥が深いものだ。

 何も言わずにもう一口含み、静かに味わっていると瀟洒な態度を崩さない完璧な従者が補足の説明をしてくれた。

 

「夏詰み、専門用語でセカンドフラッシュと申しまして果実のマスカット、白葡萄のような華やかな香りを持ち強めの渋みが特徴の茶葉です」

「セカンドということは他にもあるみたいね」

 

「はい、ファーストやモンスーン、オータムルなど同じ茶葉でも取れる時期等で呼び名も風味も変わります」

 

 面白いものだ、初物や旬といった物とは違い様々な季節で味わいを変え楽しめる物。譲ってもらった茶を気に入るまではさほど気にもしていなかったが、たかが茶葉とは言えない楽しさがある。

 あの柑橘類が香る茶葉も時期や季節で変わる物なのだろうか、だとしたら入手するのは難しい物の様に思えるが。そんな物を気前良くくれたのだとしたら、きちんと感謝しないといけないな。

 

「色々あるのね、前に譲ってもらったこれもそんな類の物だったの?」

「それは私が個人的な好みで着香したもの、それほどの物ではなかったのですが気に入って頂けて嬉しく思いました」

 

 持参した茶葉の缶をコツンと軽く叩いてみる、軽い金属音を響かせて中身がないと知らせてくれる缶、飲み切ったと伝えてみると僅かに口元を綻ばせてくれる咲夜。

 それにしても咲夜が自ら着香とは、味も香りも良い茶葉だったし中々に趣味が良い物を作るものだ、以前に振る舞った事がある妖怪兎からの評価も良かったし、本当にあの姉の元に置いておくには惜しい従者。

 

 あっちのもふもふした従者にも感じた思いだが、この幻想郷では主がアレだと従者が立派になるような仕組みでもあるのだろうか?

 竹林にいる賢い従者も立派な御仁だし、あの龍神様の使いも空気を読み何事にも柔軟な態度を見せる方だ。最後の人に限っては仕える主も立派な御方なのだとは思うが、如何せん会ったことがなくてわからない、そもそも本当にいるのかも知らないが。

 得意の逸れた思考の海を泳いでいると、瀟洒な従者からありがたい申し出がありこちらの世界へ釣り上げられる。

 

「宜しければ追加をお持ちになりますか?」

「いいの? 物乞いのようで気が引けるから出来れば入手先をと思って来たんだけど‥‥作り手が咲夜だとは考えなかったのよね」

 

「その作り手がいかがですか? と、申し上げているのです、作り手としては作ったものを気に入って頂けるのは嬉しい事。アヤメ様なら覚えがあるのでは?」

 

 咲夜の言う通りあたしにも多少の覚えはある、あたしの場合は味よりもそれを口にした者の顔を眺めてほくそ笑む方に思考が向かって行ってしまうが、それでも褒められて悪い気はしない。

 咲夜に振る舞った事はないが美鈴辺りにでも聞いたのだろう、あたしの料理の先生の一人だしそれくらいは話すだろう。なんだろう最近も同じように知らない所で知られて気を悪くした覚えがある、けれど今は特に不快感を感じない、見知った者相手だからだろうか?

 よくよく考えれば矮小で滑稽なモノの考え方をしたもんだ。知らない所で知られる等良くある事で気にする事でもないというのに、それを気にしてあのろくろ首や狼女に当たってしまった。

 随分とらしくない悪いことをしてしまった、詫び入れなんて覚えがないと言ったがこう思い直せばそれなりに感じるものがある。後でもう一度顔を出して一言言っておくこととしよう、言った所でと思えるが言わずにいるのも座りが悪い。

 相手の事は置いておいてあたしの座りが悪いままなのは非常に困るというものだ、人里に行けばいつでもいるのだろうしそのうちにでも再度のご挨拶をするとしよう。

 

「アヤメ様はなにかこう、一つの物事で他の物事を考える癖でもおありで?」

「思考が逸れている、よくそれで誰かと会話出来るな。なんて言われることもあるわね。何か気に触ったかしら?」

 

「いえそのような‥‥逸れる、ですか。ですが返答や仰りようから考えるとそれほど逸れているようには思えないのですが」

「逸れるのは性分で能力だからね、慣れているしそういうもんだと諦めてもいるわ」

 

 あの聖人や覚り妖怪に読まれて言われるのはわかるが、心を読むことの出来ない人間にまで言われるとは思わなかった。それほどわかりやすいだろうか、だとしたら少し厄介だ。

 相手に捉えどころを見せず掴ませない生き方をしているというのに、最近読まれる事が多くて立つ瀬がなくなってきているように感じられる。このまま放っておくのはマズイかもしれない。

 なにかやらかすかね、異変とは行かなくともあたしの在り方を再認識させるのに十分な事。後で少し考えてみよう。

 

「今も何かお考えになられているようですが、なるほど、逸れる性分というのも難儀な事のようですね」

「咲夜みたいに止められれば気が付かれる事もないんだけどね、それでも気に入っているからいいのよ」

 

「以前の妹様の粗相。あの時に時を止めた事、お気づきではないのですね?」

「粗相って足ふっ飛ばされた時?あの時に時間を操っていたの? 気が付かなかったわ」

 

 時間の流れを止められているのだ、気がつくはずがないだろう‥‥

 だが急に振られた話題、咲夜は何が言いたいのか?

 あたしの能力はすでに知っているはずで、今更聞き返す意味はないはず。

 足をふっ飛ばされた時にも言ったが時間が止められてもナイフや攻撃といった物は問題なく逸れる、それ以外に何か思い当たることでもあるのだろうか?

 

「あたしの能力と咲夜の能力、何か思うところでもあったのかしら?」

「そうですね簡潔に申し上げれば、アヤメ様の時間は止まるのですが能力は止まらないのです。そこが少し腑に落ちません」

 

 なるほど、言いたいことはわかる。あたし本体の時間は止められているはずなのに、あたしから発せられる能力は止められず咲夜の影響下に置けない、それが腑に落ちないと。

 さすがになにがどう作用してそうなるのかなどと詳しくはわからないしわかった所で教えてあげないが、意外と単純な理由でそうなっているのだと言い切れる。

 

 例えば紫の境界で考えてみるが、あれも概念的な物で大概反則な能力でどうしようもないが、あたしの能力だと問題なく逸らすことが出来る。

 それは何故か?

 言った通り単純であたしが逸れると思っているからだ。

 あたしの能力も概念的なモノ、逸れると思っているから逸らせる。

 思い込みとまではいかないがあたしに届くことはないと確信できていればそれは届かない、あたしが思いつける干渉のされ方なら大概は逸らす事が可能だろう、仮に思いつけない手を使われたとしても、一度逸らせているから確信を得ているしその考えが揺らぐことはない。

 逆にあたしの能力が利かなくなった相手、勇儀姐さんの場合だがあれは姐さんの能力ゆえにだろう。怪力乱神なんてよくわからないズルい力をどう逸らせろというのか、イメージさえ出来れば逸らす事も可能だろうが小手先の事をしても笑いながら殴り飛ばされるイメージしか沸かない。

 力業で押し切られるとあたし自身理解させられているというのが余計にイメージ出来ない理由だろう、それくらいあの鬼はズルい。

 

 では咲夜の場合はどうか?

 これもやはり単純で、時間を逸らすなんて思いつかずそのイメージが出来ない。

 だからこそあたしの時は止まる。

 けれどその後に飛んでくるナイフや攻撃はあたしに届かないと確信出来ている、だからこそ中途半端にしか能力が作用せず腑に落ちない結果となるのだろう、これを説明したとしても腑に落ちないままだとは思う。それでもこれがあたしなりの持論であり結論だ、求める答えとは違うものかも知れないが伝えて何かスッキリ出来ればいいのだが。

 

「あたしなりの考えだけど、多分あたしがそう認識出来るから逸らすことが出来る。そんな単純な事だと思うわ」

「つまりアヤメ様の受け取り方次第ではなんでも逸らせると?私自身の能力にも思うことですがそれはまた卑怯な能力ですね」

 

 自身の小狡い能力と並べて卑怯とは随分な物言いだ、咲夜の能力のように有無を言わさず行使出来るものではないというのに、それでも言われる通り卑怯な部類には入るかもしれないな、考え方や受け止め方次第では多分時も逸らせるはず。

 けれどそうなるまでにどれほど考察する時間がいるだろうか、時間の概念を完全に理解するなんてそれこそ死んでも無理な話だと思える、いや、死んで輪廻の輪から抜け出せれば感じ取ることが出来るだろうか?

 永遠の姫様辺りなら答えを知っていそうだが聞くのはよそう、パンクしそうだ。

 とりあえず今は話の道筋を逸らしてもう少し気楽な方へと誘導しよう、先の短い人間相手なのだから一分一秒をムダにするのは惜しい。

 

「卑怯なくらいで丁度いいのよ、平凡では幻想郷を楽しめないもの。非凡な者しかいないのだから、そこで暮らすなら少しくらい卑怯でないと。完全で瀟洒な人間にはわからないかしら?」

「以前よりお伝えしようと考えておりましたが、アヤメ様は誤解なさっておいでです。完全で瀟洒な者などこの世にはおりませぬ」

 

「そうね、完全な者がいたとするならそれはもう人や妖怪ではないわ。神様連中ですら曖昧なのに小さな人間が完全だとは言えないわね」

「わかっていながらそう仰られるのは皮肉かなにかでしょうか?そうであれば少し気に入りませんわ」

 

 半分は咲夜の言う通り皮肉だ、そうあろうそうありたいと日夜頑張る可愛い従者に向ける可愛らしい皮肉、そして残りのもう半分は、今のように不機嫌といった表情を露わにしてあたしを睨むような、瀟洒な姿を崩してみたいという思いつきから来る小さな悪戯心。

 半分なんて少し綺麗に言い過ぎたか、どっちにしろあたしの悪戯心から来る物に変わりはない、訂正ついでに言うならば、折角名前で呼んでくれるようになったのだからその態度も少しは緩めてほしいのに、というらしくない可愛らしい思いも少しは混ざっているかもしれない。

 それよりこのまま放置すると怖いな、異変に向かう姿は怖いと聞くしそれは見たくないし体感したくもない。怒らせたのは間違いなくあたしだ、ここはどうにかごまかすか。

 

「瀟洒な姿も凛として綺麗だけど、そうやって怒りを見せる姿もいいわね。そっちの姿なら別の方のお相手もいいかもしれない」

「なるほど、美鈴が苦笑いをするわけです。相手の心情も楽しむ姿勢、それが怒りでも変わらないのですね」

 

「感心してくれたの? なら嬉しいわ」

「関心半分呆れ半分といったところです、何故お嬢様が毎回キレイに化かされるのか体感してわかりました。厄介な方ですね」

 

 怒りの表情の次には呆れた表情を浮かべ苦笑する瀟洒な従者、出来れば感心して凄いものを見るような顔を見たかったがそこまで求めるのは贅沢というものか。

 それでもよしとしようか、普段見せてくれる全てをわかりきったような生意気な顔以外も拝むことが出来たのだ、仕える相手は人外でも自身は人間の少女なのだから、たまにはそれらしい表情をしないとそれが顔に張り付いてしまう。

 どこかの無表情な付喪神じゃないんだ、変えられるなら変えるべきだろう‥‥注いでくれた茶葉のように、その時その時で色々な顔を見せてくれたほうが眺める方は楽しめる。冷めてしまった紅茶を一気に飲み干し、二杯目の給仕を受けながらニヤニヤと笑みを浮かべるとそれを見られて訝しげな顔も見せた。

 そう、それでいい。

  



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第六十九話 過程を尊ぶ

結果も大事、でも間も大事 そんな話


「ハァ‥‥なんなの? 読書をしに来たのか読書の邪魔をしに来たのか、後者なら帰ってくれる?」

「両方の場合はどうしたらいいの? 貸出はしてないんでしょ?」

 

 書の世界に閉じ籠もるばかりでこちらの事など視界の端にも捉えてなかった相手から、邪魔をするなら帰ってくれと冷たい事を言われてしまう。それでも珍しく相手の方から話しかけてきてくれて少し嬉しくなり、そう思ってもいないテキトウな事を折り混ぜて返答してみる。

 返答を受けても同じように溜息を返されるばかりで、それ以降の会話とはならず、想い人に振られてしまったような淋しさを覚えながら書に目を通す。

 

 随分前からこの大図書館の主殿の正面に座り、時折イタズラな視線をここの主殿に浴びせつつ書を読み耽っている。手にとっている本は紅茶の歴史という本、ここに来る前に咲夜から多少の知識を授けてもらったためかなんとなく読みたくなった本。

 この大図書館の司書殿にお願いし二冊ほど見つけてもらった本の内の一冊、一冊は既に読み終えて魔女殿に返却している。そちらの本は紅茶の種類というもっと初心者向けの内容で、すんなりと読み切ることが出来た。残念ながら内容はそれほど頭に入っていないが。

 興味のある今ならと思いお願いして探してきてもらったのだが、やはり種類だとか収穫地だとか細かく分類されるようなものは面倒で興味を持ちきれなかった。

 細かい物が苦手というわけではないが物による、口にしてウマイと感じたり眺めて美しいと感じるような物ならどれほど細かくとも調べあげうんちくを語れるくらいにはなるのだが‥‥紅茶の事なら咲夜か、人里の大屋敷のあれにでも聞いたほうが早いと結論づけてしまい、どうにも頭に入らなかった。

 

 こんな些細な事でも覚えているのは大変だと思えるのに、あの人里の物忘れずは全部覚えているというのだから大した者だ。もうだいぶ前、先代だった頃に数度食事をしたり他愛無い会話をした程度だというのにあたしの事を覚えていたし、あの一族には記憶力という箪笥に仕舞いこんでもすぐ出せるコツのようなものでもあるのかね?

 いや、単純に能力故か。それならコツを教わってもあたしでは真似出来ないな、それならこっちの魔女に聞いてみるか、方向性や内容は違えども同じく蓄える者なのだ、何かコツのような物でもあればそれを盗んで後に活かせるかもしれない。

 

「先生一つ聞いてもいいかしら?」

 

 こちらを見る素振りもせず返答してくれる様子もない、それほど書に集中しているのだろうか?いやそんな事はないだろう、あたしがブーツで軽く蹴りコツンと鳴った机には目を向けた。

 なら言葉を間違えただけか、珍しく素直に教えを請おうと考えて先生等と言ったのがまずかったか?先生の顔色を伺い眺めていると焦れたのか口を開いてくれた。

 

「謙虚な姿勢が気持ち悪い、それに私は弟子を取った覚えはないわ」

「じゃあなんて言ったらいいの? もっと気安くパチェとでも?」

 

 何かこう聞きなれない言葉を聞いた気がするが気のせいだろう、あたしの耳には届かなかった。

 パチェと呼んですぐに本からあたしへと視線を移す動かない大図書館殿。

 なんだ、気にでも触ったのか?

 それなら何か言い返してくれた方が会話の取っ掛かりになるというものだ、そのまま流れに丸め込んで上手く会話を誘導出来ればと考えるが、それほど甘い相手ではなかったりする。

 

「否定されないし、それでいいのかしら? それなら気にせずそのまま呼ぶけれど」

「なんでもいいわよ、それより本当に邪魔をしに来たなら帰ってくれないかしら?」

 

「邪魔をする気はないけど、結果として邪魔にはなるかもしれないわね」

「なら帰って。私は過程も大事にするけど、それに伴う結果も大事にしているの」

 

 呼び名はともかくとして、魔女らしいようならしくないような曖昧な物言いをしてくれる、魔女なら結果よりも過程に重きを置くものだと思っていたが、この七曜の魔女はどちらも大事ときたもんだ。どちらも良いならそれに越したことはないがそれでも言い切るあたり、この魔女殿は一般的な種族魔法使いとは違う考えがあるらしい。

 

「過程も結果もなんて贅沢ね、欲張りな魔女様だわ」

「そう? 合理的で当たり前の事だと思うけど」

 

「結果はともかくとして、研鑽し続ける過程に重きを置いているイメージがあったんだけど?」

「普通ならそうでしょうね、研究した結果は研究した通りにしか起こらないもの。それを踏まえれば過程は大事ね」

 

 やはり考えは間違いではなかった、魔女代表とも言える相手に肯定してもらえたのだから正しい見解だと言い切っていいはずだ‥‥ならもう一つの方、結果についても考えてみるか。この魔女は研究と言い換えたがそれは過程の事だ、予測した過程通りに出た結果が何故重要なのか。

 合理性を求めるなら先のわかっている結果等さしたる意味はないと思えるが、それも重要視している理由、少しだけ気になる。

 

「結果は既に読めているんじゃないの? そして大概読み通りになる、なのに結果も求めるなんてどういう事?」

「今日は饒舌なのね、珍しい。まぁいいわ簡潔に一言だけ、たまに予想外の結果が出るからそれを見るのもいいと感じるようなった。それだけよ」

 

 読みきれている結果しか出ない物に対して予想外と言い切るのはなにか理由があるのだろう、なんとなくだがわかる、普段と変わらないあたしに対して饒舌で珍しいなんて言うのだ、その五月蝿い口を閉ざせと遠巻きに言ってくるくらいの理由があるはず。

 この魔女殿が言いたがらない理由とは?

 物事に対して冷静に当たり判断下すこいつが煮え切らない逃げ方をする理由、段々面白くなってきた。

 

「予想外の結果が出るなんて、魔女として失敗じゃないの?研究過程で間違いでもした?」

「間違いくらいは誰でもするわ、私でも間違う。間違っていたから気が付けないこともあったということよ」

 

「あった、という事は今はそう思っていないんじゃないの?」

「言葉の端々を拾って誘導しないで、貴女のそういう直接的な意地の悪さ‥‥私は苦手なのよ」

 

 案の定誘導には掛かってくれないか、なんとも聡い相手で同時にやりがいのある相手だ、それでも少しずつヒントを残してしまうのは確信というか図星というか、答えに近づいているからだろうか?

 間違いは誰でも起こす、当然だ、メイド長との話じゃないが完璧な者などいない。誰でも間違いは起こすだろう、大きいか小さいか程度の差こそあるだろうがそれは間違いない。なら間違っていたから気がつけなかったというモノ、これは一体なんだろうか?

 あったというくらいだ、過去に起きたもの自身で体験したもの辺りか。

 美鈴の話と言い淀む姿勢からなんとなく着地点は見えてきているが、これはあたしから言うより魔女殿の口から言わせたい、その方がきっと面白くなるはずだ。

 

「直接的で意地が悪い、いつかも言われた気がするわ」

「貴女の足が消えた時ね、あの時はスッキリしたわ」

 

「随分な言われようで傷つくわ、泣きそうだから大好きなお友達に慰めてもらおうかしら?」

「心にもないことを‥‥妹様ならまだ目覚めないから美鈴にでも泣きついて」

 

「フランちゃん、とは呼んであげないの?」

 

 あたしが見ていた着地点はほぼほぼ正解だったようだ。少し苛立ちのような気恥ずかしさのようなモノを顔に浮かべる魔女殿を見られるなんて思ってはいなかったが、存外悪くない表情だ。

 先ほどのメイド長といい今日は吉日だな、普段は見せてくれない顔ばかりが見られてあたしの顔もほくほく顔になりそうだ。

 それでも少し言い過ぎたか、あのメイド長は呆れですんだがこのままだと焼かれるか凍らされるかしてしまいそうで怖い。なにか和めるモノを探さないとならない。

 

「妹様に対してはそう呼んでいるわ、いない時は気にしていない。貴女もそうでしょう?」

「そうね、否定はしないわ。でも顔を合わせている間はかかさず呼んでいるわよ、パチェ?」

 

「何故わざわざ今呼ばれたのか、意味がわからないのだけれど?」

「なんとなくよ?呼んでいいと言われた後に友人の呼び名の話になった、だからなんとなくパチェとそう呼んだ。それだけよ」

 

 他意はない、ただの思いつきで呼んでみただけの事。そうなのだが魔女殿には何か引っかかることでもあったのか、食って掛かるとは珍しい。

 いつか、あたしの足が吹き飛ばされた時も同じく食って掛かって来たか。環境も立場もあの時とは少し変わったが、お互いの立ち位置だけが変わらず面白い。

 いや、立ち位置も変わっていたか。あの時はパチェなどと気安く呼べる間柄ではなかったしそう呼ぶつもりもなかった、大して時間も経っていないのに存外変わるものだ。

 魔女殿の言う予想外とは違うものだが、これはこれで面白い。ついつい意地悪く笑ってしまう。

 

「ハァ‥‥意地の悪い物言いにその笑い方、妹様には変化を与えたくせに貴女は変わらないのね。アヤメ」

「そうでもないわ、今し方変化を垣間見たところよ?あたしもパチェの変化も見られてすこぶる楽しい気分だわ」 

 

「私の?」

「初めて会ってから何年経つかしら? 覚えてないけど初めて名を呼ばれたわ、言葉を借りるなら予想外の結果が出て面白いわね」

 

 なんということはない小さな変化、それでも嬉しい変化と言い切れるもので結構喜ばしいものだ。名を呼ばれた事自体もそうだがそれを指摘されて気がついた時の魔女の顔。

 初めてあった時の吸血鬼お引っ越し異変で見せてくれた眼差しそっくりだ。あの時のように殺気こそ込められていないが、目に力を込めて睨む姿はあの時見せたままの眼差しだ。意味合いは違えどもこれも予想外の結果と言っていいだろう。

 いつから聞き耳を立てていたのか知らないが、ここの司書殿もあたし達を遠巻きに眺めて微笑んでいる。魔女殿からは見えない位置取りでわざわざ姿を見せるとは、この司書殿も一癖ありそうだ。そういえばこの司書殿には何かと世話になっているが、名も聞いていないしちゃんとした挨拶もしていないな。後で暇が出来たらきちんと話してみよう、こっちもそれなりに楽しめそうだ。 

 

 それにしてもこの魔女の顔、今日一番の収穫かもしれないな。フランが起きてきたら自慢しよう。あたしにもお友達が出来たわと愛称で呼び紹介してみよう、これは酷く楽しみだ。

 

「私達に手荒な歓迎をしてくれた先代の巫女がいた頃よ。それほど昔ではないわ」

「いや、そこはどうでもいいのよ。重要なのはそっちじゃないわよ? なに、パチェが言ってくれた事なのに恥ずかしがっているのかしら?」

 

 早く起きてこないだろうか、これほど誰かの登場を待ち侘びることなんて滅多にない。

 普段冷製で落ち着いている者ほど、それが崩れてから戻るまで時間が掛かるものだが、相手が相手だ、すぐにいつもの顔になってしまうかもしれない。

 出来れば今すぐにでもたたき起こしに行きたい所だが、さすがにそれをしてしまうと全員の機嫌を損ねる結果になりそうだ。

 

 魔女殿の言葉ではないが結果も大事にしないとこの過程を楽しめない、今はこの状態を少しでも長く続くようにあれやこれやとからかって楽しもう。

 仮にフランが起きてくる前に冷静さを取り戻しても、あたしの前で妹をちゃん付けで呼ばせるという手も残してあるし、焦ることはないだろう。



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第七十話 主たる者

女児三日会わざれば刮目してみよ そんな話


 待ち望んでいた吸血鬼の登場、とはならず待っていなかった方の吸血鬼が先に起きだしてきた。

 それでもこっちも友人には変わりない、邪険にする理由などないわけだし、呼び出しに来てくれたメイド長の後をついて歩く。向かう場所はお屋敷の天辺、時計塔の下に造られた小さな広間といったスペース。広間といっても仕切りや壁はなく、時計塔の四本の柱を軸に空間を開けた庭を見下ろす休憩所といった雰囲気だ。

 高みから見下ろせる場所にお呼び出しとはいかにも尊大な吸血鬼らしく思えて、あのお嬢ちゃんらしい場所に呼び出したなと薄く笑ってしまう。あたしの小さな笑い声に気がついたのか、前を歩く完全に瀟洒でありたい従者の歩みが一瞬遅くなる。

 別に主を笑ったわけではないよと要らない訂正をしてみるが、わかっておりますと要らない訂正を訂正された。普通の人間なら本当にわかっているのかと疑いたくなるものだが、この少女なら本当にわかった上での訂正だと感じ取れたので何も言わずに後を歩いた。

 

 それなりの距離を歩いたように感じられるがそれほど時間は経っていないようだ、妹の部屋に案内された時にも感じたがこの屋敷はやはり歪だ。メイド長の能力で無理矢理に空間を作り拡張し続けているらしいが、その影響下にあるから歪だと感じられるのだろうか。

 特に能力で干渉はしていないがそれでも感じる歪さ、性分で能力なんて普段から言っているせいで無意識下でも何か感じているのかもしれない。無意識なんてあっちの妹じゃあるまいし、と閉じた瞳を強調させてこちらに見せつけてくる妹妖怪を思い出しまた小さく笑ってしまう。

 二度目はさすがに面倒で何も言わずにいたがそれでも何も言われなかった、こういう時は口数の少ない従者でありがたい。

 指定された時計塔に着き、用意された椅子に腰掛ける。

 背もたれのない丸い座面だけの椅子、いつか尻尾が邪魔だと言った事を覚えていてくれたらしい、本当に優秀なメイドだ。

 

 少し待つ間に煙管を咥えて何も思わず煙を漂わせる、客間と同じく灰皿があるのだ。その計らいを大事にしたく思い、待ち時間を利用して少し煙を漂わせた。二度ほど吸って吐いてを繰り返した頃、あたしの吐いた煙以外の赤い物が周囲を漂う。赤い霧の姿で登場とは中々に派手でらしい現れ方だと、霧を眺めて薄く笑う。

 その笑みを消すように尊大さを乗せた声色で、ここの主様があたしにお声を掛けて下すった。

 

「今更アポイント等求めないが、せめて時間くらいは気にかけてほしいね。アヤメちゃん」

「今日の用事は咲夜宛てだったからはなっから気にしてないわ、レミィ。それよりもその手に持った籠が気になるんだけど?」

 

 眼中にないとは言わないが、今日は本当に咲夜目当ての来訪だったため起床時間など気にしていなかった。美鈴に言われなければ明るい内に帰ったかもしれない。

 そんなあたしの言い分を気にもとめず不遜な態度を変えない紅い吸血鬼、レミリア・スカーレット卿。身内がいない場では尊大で不遜な吸血鬼としていられるのに、身内の前ではすぐに綻ぶ可愛らしい幼く紅いお月様。

 

「咲夜と美鈴から聞いている、そんな事はどうでもいいさ。私は私に合わせろと言っているんだが? 竹林の昼行灯殿?」

「何その呼び名、何処で呼ばれているのかしら? 聞きなれなくて誰のことやら」

 

 言葉を交わしながら対面の席に着き携えた籠を隣の席へ置く、気になると言ってみたが中身は教えてくれないらしい。まあいいさ、持ってきたくらいだ、その内に披露してくれるだろう。

 それよりも会話の続き、内容は神社で強引にやらされた弾幕ごっこの時の事、ここの住人も眺めていたあの時の門番とのじゃれ合い、それを煽るようにあの耳と足だけは早い新聞記者が言い放ったあたしをもじった二つ名。

 的を射た悪くない二つ名だとは思うけれど、自身で名乗った覚えもないしそう呼ばれていると思う節もない。言われた所で気にするところはないけれど、どうせなら正しい知識を持ってもらいたい、少し訂正しておくか。

 

「どうせ呼ぶなら正しいもので言ってほしいわ、自らブレるのは好きだけど他人にズラされのは好まないの」

「年配者の割には細かい所を気にするな? 二つ名程度でブレるほど若くはないと思えるが」

 

「あたしはいつまでも愛らしい狸の少女よ? 年寄り呼ばわりしていいのはあたしより年上の連中だけ、お嬢ちゃんではまだ早い」

 

 普通なら逆だろう、そう思えるがその辺りはあたしのひねくれ具合から察して欲しい。尻の青いお子様にババア扱いされるほどの年寄りではないつもりだし、幻想郷の年配者から見ればまだまだ若い半端なお年頃のあたし。

 それでも年長者から言われるならそっち側に立ってもいいと感じられて反論なんてしないけれど、このお嬢ちゃん相手だとまだまだ若い気でいさせてくれる。自身の若さを確認できるのは若手と絡む楽しみの一つだと考えているからこそ、若手と絡む時は若く見られたいという我儘な考えだ。

 

「そうね、昔の名残と今の二つ名。合わせて考えるなら夜霧の昼行灯って感じかしら?」

「夜霧とはまたロマンチックな呼び名を付けるな、愛らしい少女の部分がそうさせるのか?」

 

「過去の行いを踏まえてよ、あたしを恐れる時間と状況がそのまま夜霧だっただけの事」

 

 外の世界での話まで遡る事なのでこの場では割愛しておこう、この紅い霧のお嬢ちゃんも特に聞きたいといった様子ではない。

 少しだけ霧の部分に引っかかっているようには見えるが、それは吸血鬼の性質からくるものだろう。自身の姿を霧に変えられる種族としての特性、あたしからすれば羨ましい特性だ。好きに霧になれればいつでも馬鹿し放題なわけだし、今も羨ましいと思うが‥‥本当にほしい特性かと聞かれるといらないがね。大好きな煙を燻らせる機会が減ってしまう。

 

「それで夜霧の昼行灯殿、問いかけに対する返答は?」

「レミィに合わせろって問いかけ?当然ノーよ、聞くまでもないでしょ?」

 

「そうだろうな、私の能力で視てもそう言われる姿が視えた。ここまでは変わらない事実で運命通り」

 

『運命を操る程度の能力』ね、実際どんなものか見たことはないが文の取材と妹から少し伺うことは出来た、妹は将来の出来事がわかるように話すあいつの口癖なんて笑っていた。言う通りそう振る舞っているだけの可能性も否定しないがそれだけと言う事はないだろう。

 文の取材の方では、このお嬢ちゃんの周りにいるだけで運命の巡りが変わってしまうらしい。例えばお嬢ちゃんと一言会話を交わしただけでもそこを境に運命が変わり生活や立場が大きく変化することもあるなんて話だ。珍しいものに出会う確率も高くなるらしいが、もし本当ならあやかりたいね。聞いた二つから考えれば他者の運命に介入できてその将来を定められるらしいが、本当の所はどんなものやら‥‥ぜひとも詳しく聞きたいものだ、それこそ痛い目を見せてでも。

 

「あたしの先が見えるなら教えてほしいわ、白馬の王子様はいつ来るかしら。女化し込んで待っていないと」

「残念ながら教えられないな」

 

「意外と意地悪ね、悪魔だから意地悪で当然なのかしら?」

「悪魔は正直よ? 人間やアヤメなんかとは比較にならないほどの正直者、だから教えられないと正直に教えたのさ」

 

 人間と並べられて語られるとは心外だが、言われても違和感ないくらいには嘘をついて騙しもしてきたわけだしまあいいか。悪魔が正直というのも本当のことだ、悪魔の契約は破れないなんて人間は言うがそれは悪魔からしても同じで破れない。約束を違えることなく人を堕とすのが悪魔、あたし達のように騙して墜とすものとは違うものだ。

 そんな正直者の悪魔が教えられないというのだ、本当に教えられないのだろう。それでも自身の事だ、気にはなるわけで‥‥一言で潰してしまうのは惜しいが話を進めるには仕方がないか。

 

「教えられない事については教えてもらえるの?」

「言葉遊びのつもりで仕掛けてみたけれど全く通じないのね」

 

「あたしを引っ掛けるには八百年は早いわお嬢ちゃん、それで返答は?」

「年配者からのアドバイス、ここは素直に受け取るとして返答だが‥‥教えられる。単純に視えなくなった、それだけよ」

 

 攻めてみる姿勢は好ましい、けれどまだまだ青く甘い、正直者が災いして引っ掛けにもなっていない、あんな言い方をされればすぐに気がつける、そんな事は自身でもわかっているだろうに。

 それでも思いついた手を使ってみるなんて可愛い挑戦者だ、これは見直すべきだな、ケツの青い悪ガキから手解きしてもいい少女くらいには見直せる手だった。普段もこれくらいであれば会話を楽しむ相手として面白いのだが、期待するから頑張ってみせてくれレミリア。

 しかし矛盾しているな、視えなくなったというのは少しおかしいように思える、あの問いかけまでは視えていたのに確信に迫ろうとすると見えなくなる、これはどういう事だ?

 そこに至る前と後で何か違いがあっただろうか?

 考えつくのはあたしの二つ名くらいだが、そんな物で影響下から逃れられるとは考えにくい、他の原因としてはあたしの能力が干渉した、それくらいのものだが特に意識してはいない、それなのに何故?

 

「今はまた視えるわ、何故視えなくなったのか苦悩する姿」

「それは今現在じゃないのかしら? 先読みではなく現在では意味がないと思うわ」

 

「勘違いをしているな、運命とは先だけではないわ。現在、過去、未来、全て巡って運命よ? なら現在が視えても私の能力はなんらブレたりしていない」

「なるほど、正しい解釈に思えるわ、でもあたしの先が読めない明確な理由にはならないわね」

 

 運命の解釈についてはお嬢ちゃんに一任しよう、その道の玄人が語る物の方が正しいだろうしあたしもこの意見には同意できる。

 それでも先が視えない理由には全く関わってこない、何か見落としがあるか?なんだ?視えないと言った理由、『先が視えない』ではなく『視えない』とだけ言った事に何か繋がりがあるか?

 

「視えないのは先だけなの? 現在は視えたようだし、過去も視えない?」

「今は先も視えるな、ニヤニヤと笑みを浮かべる顔が視えている。良かったな、謎解きは成功するようだ」

 

 今は、か。

 つまり、今ならば現在過去未来を見通せる状態になっているという事だ、なら先程だけが視えない状態になっていた? 

 一時的な未来視の出来ない時間、時間に関わる?

 それならあの従者も視えなくなると思うが、あの従者からそんな話は聞かないし、この主からも聞いたことはない。伝えてこないという可能性も十二分にあるが、今はその線はないだろう、その程度の事を言わないのならあたしに大して今は視えないなど無警戒な姿を見せないはずだ。

 ならば時間ではないのか?

 ふむ、やはりあたしの能力くらいしか思い当たらない、このまま考えても埒が明かないし一度試してみるか。

 

「今も先は視える?」

「また視えなくなった。正しい描写を言葉で表すなら、巡り続ける同じモノを見続けさせされている感じね」

 

「そう、原因はわかったわ。後は何故そうなったのかだけね」

「結論が出たなら教えてくれよ? 私も能力で視えない理由が知りたい」

 

 想定通りあたしの能力が干渉しての未来視の防止だった、後は何故行使していない状態であたしの能力が干渉したかだけれど、それについてはよくわからないというのが正直な所。

 視えなくなったと言われた時は丁度言葉遊びを仕掛けられた時、それを面白いと感じる同時に潰すには惜しいとも考えた。ここにあたしの能力がブレる要素は‥‥ないな、自分でもよくやる遊びで何を警戒するのか。

 警戒からではないのか?

 もう少し前に戻るか、言葉遊びを振られる直前、レミリアが自身の正直性について述べた時、あたしの運命が視えなくなる直前。この時のあたしは‥‥なるほどこの時か?

 

「結論が出たようね」

「あくまで推測だけれど、あたしの能力が干渉したのは間違いない。そしてあたしの意識化にないままに発動したから自覚がなかった」

 

「無自覚で発動? そもそもお前の力がよくわからないからなんとも言えんが」

「本来ならそう意識して認識しないと駄目なのよ、それも発動したのは多分レミリアの能力、他者の運命の巡りを変える作用を受けてその時だけ勝手に出た、本来の能力とは違った形、逸れて発動した、そんな感じだと思うわ」

 

「それはそれは、意地の悪い能力だな」

「あら、意地が悪いのはお互い様でしょ? 正直に教えられないと答えてくれたけど、全てを話したわけじゃない‥‥これも意地が悪いわ」 

 

 言葉遊びはもう一つ隠されていた、こっちは良い引っ掛けだった、正直に教えられないと答えてくれたがそこには疑問が残るのだ、あの場に至るまではあたしの運命は見えていた、それならあの場から視えなくなる運命も視えていたはずで、それを教えてくれる事はなかった。

 これはウマイ隠し方だ、あたしが興味を惹かれるだろう自身の話へと誘導し上手く隠した、遡り考察しなければ気が付かなかったかもしれない、手解きしてもいいなんて言ったが訂正しよう。

 ここの主レミリア・スカーレットは十分に楽しめる相手になってくれた、たかだか数度あたしに引っ掛けられたくらいで自分でも手を考えられる知性のある者。素晴らしい屋敷の主様だろう。

 

「隠し通せたと思ったが、時間を与えすぎたのか?」

「時間もそうだけど能力の相性のおかげかしらね、それでも楽しめた素直に見直したし褒めるべきね」

 

「アヤメの口数は残念ながら減らせていないが、一杯食わすくらいは出来たようで満足だ。呼び名も変わり今日は気分がいい」

「可愛くレミィではなく尊大にレミリア、畏敬の念を込めてそう呼んであげるわ。主殿」

 

 フンと鼻を鳴らしながら立ち上がり優雅に羽を広げる、今までは背伸びした姿にしか見えなかったのだが今は様になっているように思える。あたしがそう認識したからだろう、たかだか数十分の会話でこうも見方を変えさせてくれる。

 見た目は未だ幼い紅い月のお嬢様だが伊達に500年も吸血鬼をやっていなかったか、あたしを見下すようにテラスの手すりに立ち上がり反り返る姿、妖艶で綺麗な姿だ、血を差し上げようとはまだ思えないがな。

 もう少し成長してくれないと身長差があってあたしの首筋には届かないと思うし、登場と共に持ち込んできていた鳥かごに向かいガッツポーズをする辺りがまだ早いと思わせる理由だ。

 ツパイというらしい新しいペットだというが、あれはマミ姐さんの言っていたチュパカブラなんじゃなかろうか。可愛いでしょうと自慢してくれる主の姿は可愛いが、ペットの方はお世辞にも可愛いとは呼べない姿。

 これを可愛いと呼ぶのだ、ホブゴブリンの方も可愛さから気に入って雇用しているって考えもあながち間違いではないのかも、自慢気に話しながら羽を広げる主様を眺めてそう考えた。



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第七十一話 されど誰も去らず

ちょっと無理があるかも そんな話


 あの後しばらく屋敷の主と歓談し楽しい時間を過ごしたが、最初に待っていた妹吸血鬼の方は朝方まで目覚めず、帰路に着くギリギリでの再会となった。

 なんでも最近出来た人間の方の友人に合わせて起床時間をずらし始めているらしく、屋敷の者にも内緒なのだと小さく耳打ちしてくれた、最近朝帰りなんてしていなかったものだから、少しだけボヤケた頭と耳にはその甘いささやき声が心地よく、豪華な天蓋を見上げる形で横になっていたが気が付くと落ちていた。

 

 嗅き慣れない甘い匂いに刺激され目覚めてみれば、あたしの体躯には少し小さいベッドの中央で丸くなっていた、上掛けも掛けられ枕も近くに置いてある。寝落ちしたあたしを気遣いこうしてくれたのだろう、教えた覚えのない気遣いを見られて嬉しくなった。ただ一つ腑に落ちないことがある、何故に素っ裸なのかと言う事。さすがに寝ながら着物を脱ぐほど器用な寝方は出来ない、慣れない他人のベッドだからといってそこまで寝乱れる事もないはずだ。

 なら脱がされたか、これも教えた覚えはないが誰の仕込みだろうか?友人関係を思い巡らせてみるが、こんな事を仕込むのはあたしくらいしか思い当たらない。仕込んだことを忘れたか?

 いやいやこんなに笑えそうな仕込みを忘れるほどボケてはいないはず。

 

 上掛けを剥がし生まれたままの姿で周囲を望むと、ベッド横の小さなソファーで膝を畳んで眠る小さなお友達、その横には短い衣紋掛けに掛かるあたしの着物、これはあたしの仕込みじゃないな。あたしの教えなら共に裸でベッドで眠れと教えるはずだ、なら誰か他の友人からの教えを実践した結果脱がされたという事か。

 取り敢えず目覚めたし着物を着込んで起こすとしよう、色々な意味でお礼も言いたい。

 

「フラン? おはようフランちゃん」

「ん‥‥おはようアヤメちゃん、良く眠れた?」

 

「寝覚めに少し驚いたけど、甘い匂いでよく眠れたわ」

 

 愛用の白い着物に袖を通す前、肌着代わりの緋襦袢に袖を通し羽織った辺りで声をかけると、まだ日も高い時間だというのにすんなりと目覚めてくれた。

 早起きの練習が役だっているようだ、この行動が習慣になれば日中に行動する吸血鬼なんて面白い物が見られるかもしれない。姉の方は日焼け止めクリームを塗れば日中も出歩けるというくらいだ。甘く感じた匂いはフランの匂いというよりもこの日焼け止めの物かもしれない。人間のお友達と遊ぶなら日中だろうし、日中なら屋内でも塗っておけと過保護な保護者達に言われでもしているのだろう。幼子の見せる甘さとはちがった、何か薬品のような人工的な甘さ。日の当たらない場所にいながら日光対策をしてやるなんて……動かないくせによく動いてフットワークが軽くて妬ましい友人になったものだわ、魔女殿。

 

「甘い匂いなんてする? よくわからないよ?」

「自分の匂いは自分じゃわからないものよ、あたしも自分はよくわからない」

 

「アヤメちゃんは煙草臭いよ、でも嫌な感じじゃなくて燻した感じ?」

 

 獣臭い、ではなかっただけいいか。

 煙草臭いのは自覚しているしそれが自身の匂いだというのも自覚している、燻されているのも周囲に煙を漂わせてばかりだからか、生きながらに燻製だなんて笑えないが。

 それでも燻すか、そういや拵えた燻製をここに持ってきたことはなかったな、門番やメイド長なら問題なく口にしてくれそうだが魔女やこの姉妹はどうだろうか?

 妹は素直に食べてくれそうだが、残り二人はいい顔を見せてくれそうだ、機会があれば持ってきてみよう、作って誰に渡すか考える事はあるが、誰にあげるかを考えてから作るというのは初めての事かもしれない。

 なんて事はないがそう悪くないな。

 

「燻すか、後でお土産作って持ってくるわ。食べてもらえるかしら?」

「お土産? なにをくれるの? 美味しい?」

 

 美味しいか、自画自賛するのもどうかとは思うが差し入れて悪い評価をもらったことはない、結構な人に試食してもらったが全員からそこそこの評価を頂いている、そこを踏まえれば美味しいと言ってもいいがなんとも言い切りにくい。

 味覚なんて十人十色なもので千差万別あるものだ、十人がウマイと感じても一人がマズイならマズイ物にもなる。マズイと言われても構わないが、期待させて下手な物は出したくない。自らハードルを上げてしまったか、まぁいいかやるだけやろう。

 

「燻すで思い出したのよ、手製の燻製。いつもはお魚だけどフランちゃんならお肉のがいい?」

「血以外は甘いものくらいしか食べないけど、アヤメちゃんのなら食べてみたいわ。それに燻製ならなおさら食べてみたい」

 

 中々嬉しい事を言ってくれるようになった、一瞬誰かの仕込みかと勘ぐってしまったが全部が全部そう考えてしまってはこの子に対して失礼というものだ。ならばあたしに向けられている言葉の心地良い物はフラン自身で考えた言葉と捉えておこう。

 幼子に願われる、太陽の丘でも感じたがこういう想いを向けられるのも存外悪くないな、小さな藻のから向けられる真っ直ぐさは邪気のない無邪気さが感じられて心地よい、実際は幼子よりも数倍なんて日じゃない時を生きているはずだがこの子がそうは感じさせない。容姿見たままの雰囲気でいるこの愛しい吸血鬼、それに求められるなら気合も入るというものだ。

 しかし燻製なんてそう珍しいものじゃないが、わざわざ強調して言う事か?ただのリクエストを強調しただけなのかもしれないが。

 

「燻製食べたことない? 血の味はしないからないかもしれないわね」

「見たことはあるけど食べたことはないわ、魔理沙も話してたし食べてみたい」

 

「魔理沙なら保存食とか詳しそうだものね、茸とか」

「うん、にしんの燻製なんて言ってた。海のない幻想郷でにしんなんて物知りだと思ったわ」

 

 海のお魚の話ね、確かに物知りな事だ、外の世界を知らないであろうあの普通の魔法使い、大方流行らない道具屋辺りで入手でもしたんだろうがその自慢でもしたのかね。

 外の世界から来たこの屋敷の者に外の話を自慢してもそれほど意味はないと思えるが、それでもフランの見聞を広められるならなんでもいいか、知らないことなら何を知ってもいいだろう、よくも悪くもタメになる。

 

「にしんねぇ、こっちに来てから海魚なんて見ないわね。当たり前だけど」

「にしんの燻製って『人の気をそらすもの』って意味があるの。アヤメちゃん知ってた?」

 

「初耳ね、それも魔理沙から聞いたの?」

「これは前から知ってたお話の物、島から出られなくなった10人が一人ずつ殺されて最後には誰もいなくなるの」

 

 ちょっとした推理小説、もしくは怪奇談といったお話だろうか。よくありそうな話だが殺されていくのに最後には誰もいなくなる、か。最後のやつが犯人で自殺でもして迷宮入り、そんな感じかね。謎を謎のままにして終わらす曖昧なミステリー、中途半端な結末に思えるがあたしとしては嫌いじゃない話に聞こえる。人の気をそらすものなんてお誂え向きな物まであるし、少し聞いてみようか。

 

「ちょっと面白そうね、どんなお話?」

「正義感の強い人間が気持よくなるために法で許された殺人犯を殺していくお話よ」

 

「ふむ、犯人もその殺人犯に含まれるから最後には誰もいなくなるのね?」

「そうなの、アヤメちゃん賢いね。魔理沙も異変の後で答えてきたけどあっちは別のお話だったわ」

 

 正義なんて曖昧なものに動かされる快楽主義者、自分のものさしでしか物を測れず濁った眼鏡で世を見る歪んだ快楽に溺れる者。それが己の欲望を満たすためにものさしの正義で測れない者達を裁く、たまにいる変わり者の話か。

 

 正義なんて我の強い者が浮かべる我儘を強めた物だろうに、それに他者から認められてこそ正義だ、行いを正義だと言い張りたいなら、その正義を示すものを残し語らせないと意味がない。

 内容を読まなくともなんとなく動機や犯行が見えてしまった、正義などない唯の殺しのお話とそれほど差がないお話だろう、興が削がれたがついでにもう一つの方も聞こう、聞いておいて聞かぬなど失礼だろう。

 

「同じような内容で魔理沙は違う話をしたのね」

「魔理沙の話は民謡だったわ、10人の子供が事故とかで少しずつ死んでいくの。最後の一人は自殺しちゃうのよ」

 

「似てるけどこっちは悲しいお話ね」

「このままだと同じで最後には誰もいなくなるまで同じ、でも魔理沙はこの民謡の本当の意味も教えてくれたの」

 

「本当の意味?」

「最後の一人は自殺しない、最後の女の子は結婚してその後は何事も無く暮らしたって」

 

 洒落ている事を言うな、あの魔法使い。言う通り、それが本来の意味なのかは知らないが最後に残る一人に救いを見せるか、本人からすれば小粋な冗談を返しただけなのかもしれないが、長く孤独にいたこの子が聞けばそのまま救いに聞こえる言葉。

 引きこもり、内へと閉ざしていた目を外へと向けさせる切っ掛けにはいい言葉だろう、なんだ、壊れないお友達はあたしが初めてではなかったじゃないか。その気なく導いて去るなんて格好いいわね妬ましい。

 魔女殿が仲介して繋げたのはそういったモノもあったからか、この子を引っ張りだした張本人に面倒を見させるなんて実にらしい合理的な考え方。

 小狡い面も見えて面白い考え方だ。

 

「ならフランちゃんは誰かと結婚しないとダメね、式には行くからちゃんと呼んでよ?」

「相手がいないわ、神社の巫女を薦められたけど‥‥あの巫女じゃあ何事もない暮らしなんて出来ないもの」

 

 幻想郷の騒ぎの中心には必ずいるあのおめでたい巫女、確かにあれと結婚しても何事もない暮らしとは無縁だろうな、民謡の通りといくわけがない、そもそもこの幻想郷で暮らす時点で何事もないなんて無理なことだ。

 この屋敷の中ですら、ホブゴブリンにチュパカブラ、月へ向かうためのロケット制作と突拍子もないものばかりが揃っている。住んでいる者が突拍子もない連中しかいないのだから当然か。

 それでも穏やかに暮らしている者はいる、あの寺の皆は比較的穏やかに暮らしている部類だし草の根連中も関わらず隠れて静かに暮らしている、あんな暮らしならと思わなくもないが好奇心の強いこの子には無理な話か。

 ソファーに対面に座り何事もない暮らしをするにはどうするべきか、お友達を無視して深い思考を巡らせていると肩と腹に衝撃を受け現実世界に引き戻された。

 

「考え事は後でして、今は楽しく遊びましょ?」

「押し倒して遊びましょ? なんて誰に教わったの? お姉さん、そういうのも嫌いじゃないけどまだ早いわ」

 

「これも魔理沙に教わったのよ、やれば喜ぶって言ってたわ」

「喜ばしいけどその気はないのよね、モヤモヤさせられるばかりで困りモノだわ」

 

 羽織っただけの襦袢もはだけ、寝起きの姿に戻されるがそこから先は何あるわけもなく。

 教えるならその先もと、一瞬考えたのだがあの黒白は少女だったか。それなら背伸びのつもりかねと、ニヤニヤと笑うとフランに頬を摘まれた。

 この笑顔は嫌いらしい、これは誰の考えだ?

 魔女殿か?

 人形遣いの差金か?

 いや、イタズラに笑い人の頬を摘んで上げ下げしている姿はこの子の素直さからくるものだ。

 面と向かって嫌いと言われるのは初めてだ、自己を表に出せるようになったのか。

 方法はともかくとして、この子の成長が見られて嬉しく思い優しく笑えた。 




今までの紅魔館書籍の流れで元ネタ書籍の方を。
調べて知ったのですが魔理沙のセリフの元ネタの民謡、結構な皮肉混じりですね、でもまぁ昔話なんて残酷な物ばかりだし、そんなもんなんですかね。



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~面霊気行脚~
第七十二話 聞く耳よりも見る目が大事


ウマイラーメン屋と聞いて食べたけど、それほど美味しくないって事ありますよね
そんな話


 雨雨ふれふれなんとやら。シトシトと振り続け大地を潤わせる雨の中、里の外れの寺へと向かい歩幅小さくちょこちょこ歩く、派手な舞台の舞台裏、そこで面霊気と交わした地底参りの約束を叶えてやるかと、蛇の目を差して楽しくお迎えに上がる最中。

 しばらく前から降り続いている雨のせいで水たまりがところどころに見える道、歩き慣れた里の濡れ道を泥を跳ねないよう歩幅を小さく踵からついてちょこちょこ歩く、仕草だけ見れば愛らしいお嬢さんといった様相だが、見知った者達からすれば何を可愛こぶってと鼻で笑われる姿だろう。

 そんなあたしの事を良く知る相手がいつもとは違った出で立ちで先を歩いている、粋を感じる和装で揃え耳も尻尾も隠した姿、見慣れた姿の生足出して肩で風を切って歩く姿ではなく、シャンと背筋を伸ばして見えて何か別の者にも見えそうになる。

 

 寺では素の姿でいるのにわざわざ変化して歩くなんて何かあったのだろうか、番傘指して歩く背中からではどんな表情でいるのかわからない。

 季節からの贈り物と思い雨も傘も鬱陶しいとは感じなかったが、気になるものの邪魔になると少し煩わしくも感じる、けれど文句を言ったところで雨はやまないとわかっている‥‥見失わなければまあいいかと追いつくのは諦めて、通りの先を歩く御方を気が付かれぬよう遠巻きに追いかけた。

 

 知る人が見ればバレバレで意味などない気がするのだけれど、何故あの御方は化けているのか。化かす手合でも見つけて遊んでるのかと眺めていると、視線には気がついているのだろうが気にかけられず、ある店へと入っていった。

 あの店は確か貸本屋、あの御方が贔屓にしている店だったか。この人里でわざわざ化ける理由がわからないがあの店に行くときはなんでか化けているな、まあいいか。出てきた所を捕まえて少し調子を聞いてみよう。

 

 指して待ち詫びる雨の中、蛇の目に当たる音を聞き里の角で一人立ちんぼ。地底の町でこうしていれば声をかけてくる男もいるが、さすがに地上それも人間の町。尻尾と耳付きに声をかけてくる男なんていない。男はいないが女はいた、小さな体躯で頭でっかちな人間の小娘。この貸本屋の娘と見た目だけ同年代で中身は随分と年寄り臭い少女。

 稗田の大屋敷の現当主、物忘れずの稗田阿求

 

 雨の中立ち尽くしてなにしてるんですか、と問いかけられたので雨の中立ち尽くす事をしている、と意地悪に言うと寄らない眉間を無理矢理に寄せて皺っぽい何かを作り睨まれた。

 少女が皺なんて作るものじゃないと、空いている片手で片方の眉を押し返す、雨の中で体を冷やしても大丈夫といえるほど丈夫な体でもないくせに、構ってないでさっさと帰れと眉を押す。

 けれど雨模様の空気で冷やし固くなってしまったその眉は動かそうとしても中々動かず、少し困って笑ってしまう。何を笑う事がありますかと詰め寄りながら、小さなくしゃみをして止まる九代目のサヴァン。くしゃみするなら早く帰れと傘の外へと追いやって渋々帰るまで睨まれ続けてしまい、周囲から変な目で見られてしまった。

 モテる女は困るね、全く。

 

「そんなに邪険にしなくとも、旧知の者じゃあなかったかのぅ」

「しつこいナンパじゃなければね、お茶くらいならいつでもご一緒するんだけど」

 

 丁度のタイミングで現れた化けた姿のある御方、今日以外の今までのナンパ話も全部見聞きした上で聞いてくるんだ、邪険にする理由なんて知っているだろうに。情熱的な物言いで迫る阿礼乙女、言ってくる誘い文句はいつも決まっていて『貴女を書かせて下さい』そう言われる度にテキトウにいなして断ってきていたのだが、最近その文句が変わってきていた。

 まあその辺りは後々で、語る話の本人は既に自宅へ帰ったわけだし。

 

「お高くとまりおって、つれない女じゃのう」

「素敵なお相手ならきちんとお相手するわ、今みたいに。それで姐さんはどうしたの?」

 

 気に入りの貸本屋、行くなら本以外にはないとわかっているが聞いてみる。わざわざ化けて行く辺り、妖怪の姿では聞きにくい事でも聞いて回っているのかもしれない。

 探っている内容次第ではそれなりに首を突っ込んでも良さそうだ、飽きたら途中で道を逸れて行けばいいだけだ。それくらいで叱られるのも叱るのもどちらも慣れているから問題ないはず。

 

「何か稀覯本でも、と偶に顔を出すんじゃが中々当たりは引けんでのう」

「毎回当たっちゃ外れてるのと変わらないわ、偶に当たるから面白いのに」

 

「その通りじゃな、今日はその偶にじゃ、小当りがあったからの。一先ず満足して帰ろうかと思とったところじゃ」

「楽しそうね、一口噛ませてもらえない?」

 

 眉を吊り上げあたしを見つめる、これは失敗したかもしれない。こうイタズラな顔をする時はあたしに何か振りかかる時だ、もう少し掘り下げてから食いつくべきだっただろうか。

 美味しそうな餌が見え隠れしていて思わず食いついたが、なにやらきな臭い気がしてきた。少しの火傷で済めばいいが、多分にげきれはしないだろうな。

 

「構わんよ、小当りといってもあのこころの舞う能についてじゃ。そう難しい事もないわぃ」

「こころってあの面霊気か、能なんてこの間も盛況に終わったじゃない」

 

 お囃子叩いた能舞台、面白おかしい内容で観衆からもよい評判だったあれだ。鼓叩いて裏から見ていたがあの歓声と雰囲気は何も問題になるような事はないと思える。

 

「そうじゃの、じゃが新しい舞台を見ていない者もおる。そいつらからすれば未だに気味の悪いものなんじゃ」

「百聞は一見にしかずなんて言うのはどんな生き物だったかしらね」

 

「そう言うな。真っ直ぐに物を見れん者もおる、ここの店主のように変に知識があると余計に感じる物もあろう。いいからちょいと面を貸せ」

 

 振り向く隙もなく肩を組まれる、悪い予感大当たりとならなければいいがこうなってはこの場は逃げられない。仕方ない、聞くだけ聞いてから逃げるべきか判断するか。

 

~少女入店中~

 

 背中を抱えられて押される様に店内へと押し入れられると、本屋独特の匂いが鼻につく。紙の匂いとインクの匂い、貸本屋と屋号を上げてはいるが製本もやっているんだろうか。

 普段読みながら嗅ぐよりも強く香る書の匂い、周囲を見渡せば多数置かれている本棚。その上にまで高く積まれて、今にも崩れてしまいそうな本と巻物の類。

 さすがにあの大図書館ほどの蔵書量ではないだろうが、それでも一軒の店に置かれるべき量ではないと感じられる。ぐるりと周囲を見渡して本の海に飲まれそうになっているとあたしを挟んで会話が始まってしまった。

 

「調度良いのを捕まえてきた、後ろでお囃子叩いた狸じゃ」

「張本人に会えるなら話は早いわ、あの暗黒能楽について全部話して貰います」

 

「暗黒能楽? 腹黒狸が一枚噛んだ、面白可笑しい腹黒能楽なら確かに参加したけれど」

 

 言い逃れしても無駄ですよ。

 と、立派そうに見える桐箱から一本の巻物を取り出し広げ語りだす。貸本屋の主 本居小鈴

 机の端から端でも足りない長さの絵巻物らしく、奥の部屋へと通されてこれをしっかり見るようにと促される。興味なさげに覗いているとちゃんと見てと叱られた、本やら巻物については五月蝿いらしい。

 

「よくある妖怪絵巻じゃないの? 見知った相手が多いから翌々見ても驚きはないわよ?」

「そこじゃないんです、この絵巻の流れと神社で奉納された能演目の流れ。一緒だと思いませんか?」

 

「言われてみればそう見えるけど、それがなんなの?」

 

 大きな溜息と共に始まったご高説、いかに危険で大変な事なのかを声高に教えてくれた。この妖怪絵巻物、山怪散楽図というものらしく名の通り色々な妖怪が散り散りに動き踊り回る絵図なのだが、問題はその図ではないようだ。

 妖怪の絵姿の周りに書かれた悪戯書き、妖怪の文字で地獄絵図やら色々と書き足してある物。その一節に感情を奪う妖怪の能楽、『仮面喪心舞 暗黒能楽』と記してあった。

 この絵巻物と書き足された文字から、このままでは何か悪いことが起ころうとしているんじゃないかと姐さんに相談したそうだ、随分と信頼されて妬ましいわね姐さん。

 しっかし、あの能もそうだがこの絵巻物も大して悪いものではないはずだ、ただの悪戯書きがされた絵巻物にしか見えないがその辺は説明していないのだな‥‥さては着地点だけ舞台の当人であるあたしに投げる気か、自分だけ笑うなんて輪をかけて妬ましいな。

 

 けれどここで下手を打てばまた窘められるんだろうな、何を考えてあたしをとっ捕まえたのかなんとなく理解した、何も言わずに後ろで様子見する姿勢、任せるからどうにかしてみろと試されでもしているらしい。

 とすれば少しは真面目に当たろうか、姐さんに任されるなら期待に答えたくなるというものだ。それに下手をうち失敗して笑われその上で窘められてはさすがのあたしも立つ瀬がない。

 気合も入れたしやりますか、狸相手の化かし合い。期待は裏切るためにあると考えているが素直に応えるのもいいか、相手次第で話は変わる、たまにはまともにやりましょう。

 まずは問題整理から、今の彼女にとってはこの問題は異変に近いのだろう。ならまずは頼る所があると思うがそっちはどうなっているのか、確認しておいて損はない。

 

「霊夢には相談してないの?」

「舞台の主催者だから、もしかしたらグルなんじゃないかと思って」

 

「あの神社は妖怪神社じゃからのう、致し方なかろう」

 

 白々しい相槌を打ってくれて名演技だわ。しかしどうしたもんか、思った以上に真剣な悩みのようだ。あの能楽師も巫女も、あたし達狸も全員グルだと全部話しても構わないが‥‥それは面白くないな、わざわざ化けての芝居を打つ姐さんをもう少し弄りたいし、あの面霊気の能を誤解されたままなのは惜しい、ふむ、疑惑を解くのにどっからほぐしていけばいいかね、まずはテキトウにコリをほぐすか。

 

「店主殿、能って何か聞いている?」

「庶民の文化を元に偉人たちが伝統芸能へと高めた物、昔の偉人のおかげで今でも残ってる物。そう聞いてます」

 

「ならそうなる前は?」

「猿楽という庶民の親しんだ楽しい物?」

 

「そう、じゃあ神社の舞台はどう見えた?」

「動きはコミカルで面白いものでした、ですが‥‥」

 

 ここで言葉に詰まるってことは、わかっているけれど得てしまった知識が邪魔をしている、そんなところか。推測だが先に絵巻物の知識を得てから舞台を見てしまったのだろう。

 先んじて得た知識、それから生じる先入観であの舞台は絵巻物を模していてる、ならあの能楽師は絵巻物の通り感情を奪う危険な妖怪だ。そう考えついてしまったかな、ならその危険に思う所も突付いておくか。

 面白いと感じられる物を斜に構えて見る必要はない、面白き物は面白く。これに似た様な事を言った偉人もいたっけか。

 

「面白く楽しめた、けれど不安がよぎる。と」

「はい、わかりやすくて楽しい物でしたが……」

 

「ならもう一回見てみたら? 次は違う演目でも。同じのを見ても気が晴れないだろうし、それなら違う演目、新しく考えられた物でも見てあの子が危険か確かめたらいいわ」

「新しい演目ですか?」

 

 新しい演目、姐さんの入れ知恵から思いついたあの面霊気が考え出した新生能楽心綺楼、内容はついこの間までやらかしていた人妖混じえた馬鹿騒ぎ。それをコミカルで滑稽にわかりやすくした笑いの起こる新演目。

 あれを見ればあの面霊気が危険な妖怪だとは思わなくなるだろう。確かに無表情で感情を奪う様に見えるかもしれないが、あの子が奪うのは視線と心だ。こころが心を奪うって所も一つの笑いどころだとは思うがその辺はいい。

 

「新生能楽『心綺楼』見る気があるなら口利きするわ、今も迎えついでに捕まったわけだし。百聞は一見にしかずって言うわよ?」

「そうですね、お願い出来るなら是非お願いしたいです。それよりお迎えですか?」

 

「演目の元になっとるこやつの友人、そやつらを見たいと話題の面霊気にせっつかれたんじゃと。寺に迎えに行く途中をとっ捕まえたんじゃ」

 

 自分だって演目の内だろう、尻尾かくして葉っぱ隠さず化けているくせに。これだけわかりやすいのにばれないのはなんでだろうか本当に、こちとら全身化けてもバレる時はバレるってのに。

 少し忘れていたところで口を挟んで存在アピール、出処を弁えてて妬ましいわ姐さん。どうにか弄ってやろうと思ったがもういいや、おかげで地底に行くのに口を暖める事が出来た。

 いいところで噛んで笑われるくらいなら、今の安心した店主を見て笑う姐さんの方がいい。

 

~少女退店中~

 

 阿求が言うほど酷い妖怪じゃなかった、最後にそう言われて本の匂いに包まれた店を後にした。

 バラしたくないところはウマイこと逸らすようになったじゃないかと、姐さんにも褒められて気分は上々だ。出足こそとっ捕まり押し付けられたと感じたが、新たな人との繋がりも出来たし試された物にも答えられた。

 

 ついでにこころにも土産話も作れて収まりのいい結果となったわけだ、後は地底の道中にいる元ネタに上手く紹介できれば御の字か。

 土蜘蛛辺りは快く相手してくれそうだが、口について出た妬ましいあっちはどうだろうか。また変なのを連れてと色々言われそうで怖いが、なるようになるか‥‥成ってから考えよう。

 雨雨ふれふれなんとやら、蛇の目に似ている緑の瞳が怖くありませんように。

 鼻歌紡いでちょこちょこ歩き、長いこと箱に収まっていたお面を迎えに動いた。

 

 

 




書籍物はゲームと違い詳しく書くとネタバレに思えてしまって難しいですね。
原作が面白いものなので書くのを少しためらってしまいます。
気にしなければならないほどの影響力なんてないから、気にしなくともいいんでしょうが、原作好きとしては難しいところ。



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第七十三話 エスコート役の縞尻尾

親しき仲にも そんな話


 雨に打たれて瞳を濡らし涙を零す蛇の目をバサッと一払い。二度三度と閉じては開いてを繰り返し、号泣から涙目程度の濡れ具合になるまで水気を払う。

 迎えに上がった妖怪寺、命蓮寺の境内前で水気と裾を軽く払い、玄関の軒先で迎えに来たと少し待つ。出迎えてくれたのは船幽霊、なんだか久しぶりに姿を見る感じだが、きちんと思い起こせばこの間見たか。

 迎えに参った面霊気が起こしてしまったあの異変、その馬鹿騒ぎの一場面、本来の姿を取り戻した命蓮寺の船体で錨片手にふんぞり返っていたか。

 もう随分と前に鼻を高くして言っていた、私がこの船の船長だ! その言葉の通りの姿で空を走らせ泳ぐ船にいた船長。話だけを聞いた時には半信半疑だった、沈めていた者が舵取りを任されるなんてと笑ってしまったが立ち姿は様になっていた。

 今も同じようにあたしの前でふんぞり返ってくれているが、錨は携えておらず船も地に降りて寺としてある。船の姿の頃なら素直に船長と呼べる格好いい姿なのだが、こうして陸揚げされていると素直に船長とは呼べず、皮肉を込めてあえてキャプテンと呼ぶようになった。

 言ったところで皮肉だと気が付かれず、逆に船なしでもキャプテンと呼ばれて嬉しいようで顔を合わせれば気分よく話しかけてくれるキャプテン・ムラサ。

 

 ここの住職やあのネズミ殿にはあたしの心情がバレているらしいが、それでも何も言われる事はない。悪意はあるが騙しているわけではないし、ひとりでに気がつけるようになるのも修行の一環だと言っていた。

 なんでもかんでも修行と言って結びつけるのはいいけれど、悪意に気がついているならそれとなく教えてやってもと思わなくもないが‥‥悪意を発している者が言うことではないが修行者とはよくわからないものだ。

 

「助かったわキャプテン、濡らしたままだと痛むもの」

「それくらいいいさ、それよりわざわざ迎えに来るなんて変に優しいね」

 

 手持ちの蛇の目では庇いきれなかった着物の裾。雨を含み、少しだけ色を濃くしている部分に渡された手ぬぐいを宛てがい水分を取る、多少の事なら元通りに出来るがキャプテンの心遣いを無駄にはしたくないので、この場の用法通りに使う。

 キャプテンの方もあたしには特に必要ないと知っているはずだが、濡れて寺に戻ってきた者に対する習慣にでもなっているのだろう。考えるような素振りも見せずに手渡してくれた、身内とは言えない外法者なあたしだが、こう迎えてもらえるのはありがたい事だ。

 程々に水分を含み少しだけ重くなった手ぬぐいを軽く絞る、無言で差し出された手にそれを渡すと、入れ違いでもう一枚手ぬぐいが渡された。顔でも拭けって事かね、少しだけ湿った髪と顔を拭い肩にかけ待ち人はまだかと奥を覗く。

 お堂を覗いても姿は見えず、見えるのは静かに禅を組むここの御本尊様くらい。まあいいか、焦って行かなければならない場所でも相手でもない、逃げるどころか本来なら近寄られにくい相手達だ。常に暇を持て余している連中なのだし、ゆっくりと暇つぶしを届けよう。

 もうしばらく待つかとブーツを脱いで、玄関口に腰掛けながら上がり(かまち)に足を投げ出す。

 

「友人には結構優しいのよ? キャプテンにも優しくするからどう?」

「はいはい、どうせなら上がっていけばいいのに。今は星と私しかいないし」

 

『はいはい、誰にでも言うことを私に言わないで』と同じ言葉を言った相手に睨まれたのを思い出す、あっちもあっちでつれなくて妬ましいがこっちもこっちでつれない相手。

 ノってくるのはぬえぐらいか、実際そうなったりはしないが予定調和で返してくれるのはあいつくらいだ、そんなあいつも今日はいない、いるならもっと騒がしいもの。

 

「つれないわね。聖達はともかくとして、主人がいるのにナズーリンがいないなんて珍しいわ」

 

 居候の姐さんとわかりやすい正体不明は数に入れないとして、あの小さな賢将殿が主に付いていないとは珍しい。いつでもどこでも自身の尾に絡ませた籠のように付いているのに、いくらかは寺の者との蟠りもとけたかね。

 元々社交性のある御仁だ、多少の蟠りが残っていようともそのくらいは問題ないのかね?昔から口もウマイが世渡りもウマイ聡い御仁だ、小さな蟠りくらい自身で齧ってとっぱらってしまうか。

 

「一輪と二人で聖について檀家回りよ、雨降りだから荷物持ち」

「一輪もってことは雲山もいないのね、キャプテンは置いてけぼりか」

 

「せめて留守番と聞こえよく言ってよ、それに私は修行僧じゃないよ?だから檀家回りはついていかないわ」

「修行僧じゃなかったの? てっきりそうだと思ってた。聖大好きだし」

 

 てっきり帰依した修行僧だと思っていたがそうじゃなかったらしい、きっぱりと言い切られてから思い返してみると、確かに修行僧とは言えない行いばかりが目立つ。

 霧の湖で大物狙いの釣り人相手に穴あき柄杓で水難事故まがいのことをやらかしてみたり、八坂の湖や三途の川でちょっかい出しては叱られているし、玄武の沢で河童と一悶着起こした事もあったな。

 河童といえばあの賭け事、負けは聞いたしわかっていたがその後あの子の顔を見ていない。これからお山の大穴に身投げしに行くんだしついでに行ってみるか、河童も何かの演目の元ネタだったはずだ。こころも会ってみたいだろう。

 

「確かに好きだし感謝もしてる、でもそれは聖に対してで、仏様に対してじゃないよ」

「思想云々より個人宛てね、それはそれでいいんじゃないの?」

 

「いいんだけど、ちょっとやらかす度に反省しなさいと聖から言われるのがねぇ」

「わかっててやってるくせに何言ってるんだか、嫌なら家出したら?出家先から家出なんていい笑い話だわ」

 

 わかっちゃいるけどやめられない、それはそうだ。そう在るべきな者だもの、本来なら思うままにやらかしているところ、それを我慢して抑えているだけ大したものだ。

 修行僧ではないが、同じく禅を組んで瞑想を積んだからこそ自戒の念を持てているのだろうね、真似るべき尊い姿勢だと感心するが真似できないししたくもないな。

 我慢など体に悪い。

 

「気楽に言ってくれちゃって、元は地縛霊だし‥‥開放されてはいるけどさ、一度定めた場所からは中々抜け出せない物なのよ」

「そうね、好きで縛されているんだから‥‥つついちゃ野暮よね?」

 

「アンタも一回捕まりなさいよ。皮算用されてみればわかるよ、きっと」

「冷水浴びせてくれようにも、穴あき柄杓じゃ掬えないわね。救われたから掬えないのかしら?」

 

「‥‥穴あきで良かったね、そうでなけりゃ手ぬぐいじゃ拭い切れないようにしてた」

「溺れるなら酒や快楽にしたいわ、言い過ぎたわね。悪かったわキャプテン」

 

 ちょいと言い過ぎた、馬鹿にする気はなかったが調子に乗りすぎたようだ。呆れた笑みが影を潜めさせて正しい船幽霊の顔に変えさせてしまった、誰から構わずに言う癖のせい・・にはせずに素直に謝る。

 久々に見る怖い顔、旧地獄で封印されていた頃はよく見ていた顔だ。血の池地獄で荒れて過ごし、穴の空いていない柄杓で水ではなく血を掬っていた頃。

 愛しい地獄烏のかち上げた間欠泉、あれで押し出されてからそれほど経っていないが、敬愛する者が近くにいるだけで随分と落ち着いた。想い人の側にいられるってのはそれほど安らげるものなのかね。

 

「悪気なく悪く言うのを知ってるからいい、気に入らないけどいいわ」

「その気は‥‥いや、ありがとキャプテン」

 

「だからいいよ、気にしてやるけど今はもういい。こころも来たし」

 

 お喋りは終わりとそっぽを向いた方向を追いかけるように目をやると、目に騒がしい面の集合体が廊下の奥から歩いてくる。あの異変が解決し、能舞台を成功させたくらいからこの寺にいるようだ。

 生みの親の方に行くかと考えていたが、聞く限りではこの寺に居ることが多いらしい。たまに修行にも混ざっているようで感情を落ち着け育むのにいいらしい、無を目指す物で育むなんて、住職からすれば複雑な気もするがそれも救いと考えているのかね。

 

「すまないアヤメ、待たせた。村紗何かあった?怒ってる?」

「怒ってるけど今日はもういい、待たせたんだから早く出かけなさい」

「だそうよ、こころ。これ以上怒らせる前にあたしは逃げ出したいんだけど?」

 

「怒らせた割に笑ってる、アヤメ酷い?」

「そうよ、こいつは酷いの。だから早く連れてって」

 

「ね? 怖いからもう行きましょ。またねキャプテン、帰りに寄るわ」

「バイバイ村紗」

 

 こころの手を引き外へ出る、雨は未だに降っていたが来た時よりも随分弱い。ほとんど止んだ状態でもうすぐ止むかもしれないな、それなら蛇の目は邪魔なだけだ。

 目的地でも降るかもしれないが濡れたら風呂にでも入ればいい、そう考えて蛇の目を寺に置いていく、立てかけておけば誰かしまってくれるだろう。

 誰にも気にされず忘れられてあの茄子みたいな奴になっても面白いが、ここの住人達の性格を鑑みれば多分しまってくれるはず。干してくれれば尚ありがたいね。

 何も言わずに立てかけて寺の参道を歩いていると、表情変えずに疑問を浮かべる引いた手の持ち主に問いかけられた。 

 

「いいの? まだ怒ってるはず」 

「もう謝ったし今日はいいの、帰ってきても怒っていたらまた謝るわ」

 

「今のうちの方が簡単だと思うけど?」

「勉強出来てるけどまだまだね、キャプテンは『今日は』って言ったでしょ?だから今日は謝っても許してもらえないのよ」

 

「難しいな」

「難しいわね、だからこそ楽しいのよ?」

 

 覚えたて‥‥とは厳密には言えないが安定し始めた感情で色々と考えているのか、謝るなら早いほうがいいなんて心の機微にも気がついている。これから何に興味を持っていくのかわからないが、色々覚えればいいさ。

 良くも悪くも酸いも甘いも知ってみないとわからない、ここに来る前にも思ったが百聞は一見にしかず。種族柄魅せるばっかりなんだ、機会があれば知らない物でも見て魅せる方に役立てりゃいいんだ。

 

 繋がるところがなくて考えなかったが、どことなく屋敷の妹に近いのか?こっちは引きこもりではないが、好奇心は似たようなもんだし不安定さも似ているか。

 それならその内会わせてみるか、もしかしたら吸血鬼題材の新演目なんてのが生まれるかもしれない。和洋折衷な伝統芸能なんて小洒落てていいじゃないか。

 

 小さく口角を上げてこころの方を見ずに笑む。顔色を伺ってるわけではないのだろうが、変わる表情が気にはなるのだろう。目敏く見つけた猿面妖怪にそこを突っ込まれた。

 

「また笑ってる、なにもないのに笑うのはおかしい」

「今は何もないけど、ないからこそ先に出来るかもしれない後の楽しみに期待するのよ」

 

「後の楽しみ‥‥なら取っておいたほうが楽しいはず」

「それはそれ、今楽しいしこれも楽しむ。分けても減らないなら多いほうがいいわ」

 

「そうやってまた難しい言い方をする、アヤメは面倒くさい」

「言い切ったわね? ならそれらしくするわ」

 

 貯めこんで笑ってもその都度笑っても数はおんなじ一回だ、それなら回数多く機会多く楽しみ笑ったほうが得。感情の損得を勘定する、悪くないな最近調子が良くて怖い。

 和が広がり見聞でも広められたのかね、百聞して百見出来ればもっと色々と気がつけそうだ。いい流れにでも乗れたと考えてこのまましばらく委ねるとしよう。

 猿面と狐面を入れ替えながら、手を引かれてついて来る無表情な付喪神。そういえば伝言もあったなと思いだしたが、何か悩んでいるようだし後でいいか、何処かへ逃げるわけじゃなし。

 いつまでも手を引いて後につかれるのもなんだなと思い歩を緩めると、般若面を正面に被り顔を見せない面霊気が隣に来た。

 

「ごめんなさい、面倒臭いのは嫌」

「コロコロ変わって、こころも大概面倒臭いわ」

 

「今の私は面倒臭い?」

「可愛らしい面倒だけどね、あたしと一緒ね。嬉しい?」

 

「嬉しくない」

「そこで嬉しいと言えれば褒めたんだけど‥‥まあいいわ、素直なこころも可愛いから」

 

 般若から始まり大飛出、次いで猿から福の神。これだけコロコロ変えられれば表情なくても十分だけれど、からかうにはちょいとわかりやすすぎて物足りない。

 可愛いと言われつなぐ手の力が強くなる、ほんとうに可愛いなこいつ。

 

 さっきはあの妹に似てると感じたが‥‥いや比べるのは失礼か、この子はこの子だ。

 なら可愛い者が増えたと素直に喜ぼう、愛でるモノは多い方がいい。

 少女らしくそれだけにしておこう。

 お手々を繋いで雨上がり、向かうは地下の旧地獄。

 間で道草するけれど、全部楽しく過ごしましょう。

 可愛いデート相手が楽しめるようエスコート役をそれなりに頑張る。

 帰りに楽しかったと言ってもらえるよう、またと言ってもらえるよう珍しくやる気を出した。



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第七十四話 災いは口で止める

 雨上がりの幻想郷、時期が時期だから仕方がないが湿気が多く少し蒸す。それでもお天道さまが照りだしていないだけマシか、これで日照りになっていたらあたしの着物じゃちと暑い。

 今ですら額に薄っすらと汗を浮かべている。着物の肩口をかなり緩く、鎖骨が見えるくらいまで開いているがそれでも暑く感じられる。これ以上開けなくもないが、そうするとあの一本角の鬼の真似のようで‥‥躊躇してしまっている。

 嫌いだからというわけではなく、笑ったり腕を動かすだけで下がるほどに開いた肩口。引っかかる大江山二つがありながらあそこまで下がるんだから、あそこまでの山ではないあたしがあそこまで開いて山歩きなんてしたら歩く間に素っ裸だ。

 我が家での寝起きや夜伽の事後ならともかくとして、さすがにお山のど真ん中で素っ裸になれるほど立派な形はしていない、そんな姿を晒すのは隣を歩くこころにも悪いし今はどうにか我慢しよう。

 

 飛べば早いが飛ぶと五月蝿い。

 生真面目天狗の椛もそれなりに五月蝿いが、話は通じるし文句を言いながらも通してくれるので問題ない、問題なのは他の天狗、こっちに見つかるともっと五月蝿く面倒臭い。能力使って注意力でも逸らせば気付かれることなんてないが、出来れば今日は使いたくない。色々見たい面霊気を物見遊山に連れ回しているんだから、出来る限り自然な形で色々な物や相手と会い見てほしいと思ったからだ。

 会わせてほしいとお願いされて会わせてあげると答えたのだ、色々と出会う機会を作ってあげたいと思っての行動。らしくない人の為の行いだが、この子ならいいかと思えた。真っ直ぐぶつかってくる相手にはあたしは弱い、最近そう気づいた。おかげで汗をかくハメになるとは考えてなかったが、先行投資だと思えば安いものだろう。見知ったモノから感じ取り、それを何かの形で見せてもらえるならば悪くない投資だと思える。

 

 お山に入ってすぐはそこそこの会話もあったのだが、今は互いに静かなもので、表情こそいつも通り冷ややかな無表情だが、頭の面は姥を見せ額には光るものを見せるこころ。

 あたし以上に疲れているはず、こっちはまだ山歩きに慣れているがこころは箱に収められていた娘だ、飛ぶくらい雑作もないが歩き登るとなると、力のある年経た付喪神といえど足にくるのだろう。そろそろ一服つけるかね。旅路の道草目的地である玄武の沢はもう少し先のはずだが、近くに川があったはずだ。川遊びとするには少し早いが足先浸けて涼を取るには丁度いい。

 

~少女冷却中~

 

「これで冷えた胡瓜でも流れてくればいいんだけど」

「胡瓜って流れてくる物なの?」

 

「河童ごと流れる事があるのよ、そのまま湖まで流れる者もいるわね」

「河童の川流れ、ことわざが絵で見られるのか」

 

「天狗の仕業も鬼が笑うのも見られるわ」

「なんだか有り難みがないなぁ」

 

 二人で並んで岩に腰掛けて足先を流れに浸す。休憩ついでに煙管を咥えてこころの座る逆側に煙を吐き出す、香りを気にする花のや目に痛いと文句を言うジト目とは違ってお面相手だから、そう気にすることもないと思うが見た目は素敵な少女。

 女の子相手に煙を吹きかけるのもどうかと思い少しの気遣い。こころの周囲にもあたしの煙のように漂う物があるというのも気が引ける理由の一つか、被った際に煙草臭いと言われるのは少し心苦しい。

 

「少し涼んだしそろそろ行こうか?長居すると怖いのが来るわ」

「アヤメが怖がるモノ? そんなに怖い?」

 

「怖いわよ、ガミガミ五月蝿い説教妖怪がこのお山にいるの」

「説教妖怪‥‥口だけお化け?」

 

 誰が説教妖怪の口だけお化けですか、と背後から声をかけられる。姿を見せる前に言葉を投げかけてくるんだから対して間違っていないと思うのだが、このお人は気に入らないらしい。

 少しだけ眉を寄せて目を細めながらあたしの横に立つお人、足元から舐めるように見上げる。

 可愛らしい中華風の靴に生足を通してスラりと立つ姿、浅い緑のミニ・スカートは今の角度からだと覗けば見えそうだ。視線に気がついたのかこちらに対して正面を向く相手、その際に臙脂色で茨の刺繍が入った前掛けと左手首の鎖が揺れた。

 

 何処を見てるかと腰を折り顔を寄せてくる口だけ説教妖怪、寄ると共に胸元の花飾りが目につく、ふくよかな胸をさらに強調させる花飾り、誘っているのかと思い手を伸ばしてみると左手で止められた。右手を出して左手で止めるなんて抱き寄せられるようで、体を預けようとおもむろに立ち上がり左手も伸ばすが、こちらは右手で抑えられた、先から付け根まで包帯で巻いた目立つ右手。

 毎回触れられることを嫌がるくせに止める場合は使うのか、お高くとまって妬ましい。

 そんな風に紹介もせずじゃれていると、どうしていいかわからなくなったのか、好奇心に負けたのか、こころに背中をつつかれて話を進めてと促された。

 

「この人がさっき話した説教妖怪、茨木‥‥」

「茨華仙と言います、この山に住まう仙人です」

 

「茨木カセン? 茨カセン?」

 

「茨華仙です、この狸は嘘つきだと知っているでしょう? ならどちらが正しいかわかるはず」

「アヤメは嘘つく時は真実を混ぜると言ってた、ならどれが嘘でどれが真実?」

 

 真実を求める無表情に追い込まれているが、真相を答える前にあたしを睨む説教妖怪。途中で口を挟むから首を絞めるのだと薄笑いを浮かべて煙管を燻らせるつもりが、気が付かぬ間に煙管は右腕に奪われてしまっていた。

 睨んだまま視線で何かを促す説教の権化、こころの方へ視線を動かして何が言いたいのか?理解に苦しむ表情をしてみると、煙管を握る右手の方で小さくピシッと音がした。

 人質なんて仙人としては非道な行為だと思ったが、元を正せば非道なお人だったなと思い直して促された通り誤解を解く事にした。

 

「この人は茨華仙さん、お山に住む仙人様で妖怪に説教するのが大好きなお人よ」

「本当に?」

 

「多分本当よ、ねぇ? 仙人様?」

「あえて言うなら、お説教は妖怪だけではないわ。正すべきなら人妖関係ない」

 

 これくらいでいかがでしょうか仙人様?

 そう思いを込めて笑みを浮かべて睨み返す、納得してくれたようで追加の方便を自身で述べて煙管を放り返してくれた、大事な人質なのだから最後まで大事に扱ってほしい。

 

 

「そこが嘘なのね、わかった。華仙よろしくね」

「よろしく、秦こころさん。こんなのと一緒にいちゃダメよ、人を騙してばかりでいいところなんかないわ」

 

「あたしに似て素直で可愛いでしょう?華扇さん?」

「騙しに飽きて自分を誤魔化すようになったの?アヤメ?」

 

「華仙、アヤメは可愛い時もあるよ?マミゾウやぬえと一緒だと可愛い」

「へぇ‥‥こころさん、後学のためにどんな風に可愛いのか聞かせてくれる?」

 

「他の人の前だと嫌味な笑いしかしないけど、あの二人の前だと可愛く笑うの。とても楽しそうで可愛いから出来ればわt」

「こころの前でも可愛いはずなんだけど?おかしいわね?どの目で見てるのかしら?」

 

 顔の方は右手で米噛みを鷲掴む。面の方は左手で目を狙って鷲掴む。一人相手に両手でのアイアンクローをキリキリと決めていく、あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛と何か聞こえるが聞こえない体で聞き流す。態度でバレバレだろうが気にしない、見られるは今の恥聞かれるは後々の恥だ。この仙人様がこれを聞いて誰になんというかわからないが少しでも情報を減らす。

 両手で剥がそうと必死になってくれているがあたしも少し必死だ、逃しはしない。

 

 こころ、どうか安らかに。

 

 もう少し力を込めれば‥‥それくらいになった時、薄笑いで見ていた仙人様に右手の方を剥がされた。一本角の姐さんに比べれば非力だが、あの元気になる枡で常に酒を飲んでいるせいなのか、やたらと力強く感じられた。

 そのまま手首を返され体も反らされてしまい、口の軽いお面妖怪を開放してしまった。もう少しで静かに出来たというのに力業なんて‥‥この鬼め。

 

「大丈夫こころさん? 言った通り一緒にいると良くないでしょ?」

「キリキリ痛い、でも大丈夫」

 

 掴んでいた大飛出面から蝉丸面へとかぶり直してあたしを剥がした鬼と話すこころ、次何か話してごらんと右手と左手の指を伸び縮みしてさせてみせる。動きに気がついて一瞬目を泳がせたこころだが、狐の面をかぶりなおして真剣な顔で何かを語りだした。

 止めようと動きかけたが、浮いている包帯巻きの右手に止められて話し始めてしまった。

 

「それで可愛いから‥‥出来れば私といる時もそう笑って欲しい」

「そう。ありがとうこころさん、為になったわ。私もアヤメも、ね?」

 

「予想外だけれど確かに為になったわ。こころ‥‥ごめんね? ありがとう」

 

 謝罪と感謝を伝えながらこころに歩み寄りそっと左手を近づけていく、顔の辺りに近寄った時に一瞬だけ身構えられるが動きは止めずにそのまま頭へ。

 優しく撫でて抱き寄せてもう一度感謝を伝えてみた、狐面から猿面へと変わり最後に福の神で止まる変化。何度か会ってどの面がなんの感情を司るのかは理解出来てきた。

 福の神のまま変化しないということは‥‥真っ直ぐに伝えられたモノに真っ直ぐ返すというのも心地良い、そう感じられて嬉しくなり微笑んだ。

 

 こういう時は誰かに見られていても気にならないものだ、こちらを眺めて笑みを浮かべる底意地の悪い仙人様。何を考えて笑みを浮かべるのか、普段なら気にするが今はこころが可愛いので放置してみる‥‥と、無視は気に入らないのか口ぶり綺麗に嫌味を吐いてきた。

 

「アヤメも角が取れて丸くなったわね、甘い物の食べ過ぎかしらね?この後里で甘いものでも、そう考えていたけど間に合ったわ。ご馳走様。」

「本当に足りるの?買い出し分は即平らげそれだけでは足りなくて、かわいいペットにまで買いに向かわせる華扇さんが」

 

「な、なんで知ってるの?」

「団子屋も行くけど甘味処の方は贔屓なの、竿打(かんだ)とは贔屓仲間よ? 聞いてないかしら?」

 

「あの子は何も‥‥餌付けしてるわね」

「買い出しだけでお駄賃もないなんて可愛そうだと思って、会う度におすそ分けしているだけよ? あんなに買って一人で食べて、本当に丸いのは誰かしら?」

 

 こころを抱いたまま腹の辺りでこう丸く、片手で半円を描いて仕草を作る。耳まで赤くして口を開いてくれた仙人様、仙人様が口うるさくなる前からこちとら口一本なのだ。

 地底の宴会で仙人様の身内、あの呑んだくれ幼女にも言ったが、説教はともかく謀ることで勝とうなどと500年早い。胸に埋まるこころには見えないしいいかと、いつも以上に意地悪く笑ってやった。

 

「まあいいわ、アヤメの話も聞けたし引き分けにしてあげる」

「引き分け? あたしは言いふらしてくれてもいいのよ? 可愛さ振りまいてくれるなんてありがたいわ、華扇さん」

 

「こころさんは力業で止めたくせに‥‥」

「こころの言葉で改悛したの、この子には素直になるわ。その方がこの子もあたしも可愛いもの」

 

「霊夢や魔理沙にばれても‥‥」

【説教以外もクドくなったの? 華扇さん、そんなにクドいと昔の事を思い出してしまいそうよ?】

 

 完勝、気持ちが良い。最後の一言は小狡いと自分でも思うが言っただけで実践するつもりは毛頭ない、この狭い幻想郷でわざわざ隠していることだ。隠さなくても力業で口止め出来るお人が閉ざすだけにしている事。

 理由はわからないがそこまでしているのだからあたしがバラしていいことではない、それにこのひと自体は嫌いじゃない寧ろ好きだ。

 口うるさいのは玉に瑕だが、他者を気に掛ける優しさは昔から変わらずあって安心出来る。

 

【最後の言葉はこの子には届いていないから大丈夫】 

 

 最後だけは能力を使いあたしの言葉を逸らした。

 こころの耳には届かないように、余計な思いを抱かないように。折角知り合った優しい友人だ、偏見から入ってほしくはない。

 今後触れ合っていく中で知れる機会があればその時でも知ればいい、入れ知恵するようなことではないと考えてあえて逸らした。

 

「今日は見逃してあげるわ、大穴の看板も気にしないでいい」

「直々に許可を貰えるなんてこころも喜ぶわ、今日はこの子は主役だし」

 

「よくわからないけど華仙、ありがとう?」

「お礼はいいのよこころさん、元々禁じたのは私ではないし」

 

「では何故華仙が許可を? アヤメみたいに嘘?」

「そうね、聞きたいわね。仙人様ならきっと難しい事もおしえてくれるわ」

 

 こころの問いかけでたじろいでしまうようではまだまだ、その程度であたしに口喧嘩を売って来たのかとニヤニヤと笑ってやった。

 何か言いたそうだが、無表情な顔に疑問を貼り付けた面霊気に押され下がっていく仙人様。

 もうしばらく見ていたいが、あまりからかって怒らせるのは怖い。

 こころの意識を今日の目的へと逸し、仙人様にまたねと告げた。




もぐもぐしている華扇ちゃん可愛い




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第七十五話 演目巡り

とりあえずひとりめ そんな話


 非常に嬉しい事だが少し困っている、互いに一言ずつ交わしただけのはずが随分と懐かれた、おかげで手を取るどころか腕を取られていささか歩きにくい。急ぐ旅路でもないから歩行速度が下がることは問題視してはいないが、片腕を取られたままでは雨上がりで泥濘んだ足元が少し怖い。

 転ばないよう引っ掛けないようゆっくりと歩いているが、歩き方も真似された、いつもより歩幅を小さく踵から歩く姿が変に見えたらしく、何故そう歩くのかと聞かれて、着物に泥が跳ねるのが嫌だからと素直に答えた。

 するとこころも同じように歩き出した、離れて歩けば気にしなくてもいいよと伝えてみたが、近くを歩くから真似して飛ばないようにするんだそうだ。

 この面霊気、可愛い。

 

 当初の目的地は玄武の沢だったのだが、ここまで歩いて小さな違和感を覚えてしまって目的地を変更していた。向かう先はお山の滝を望む崖、季節であれば桜も望める白狼天狗と発明河童の集会場。妖怪二人で侵入したのに姿を見せないあの子が気になり探してみることにしたのだ。

 こころに少し寄り道してもいいかと尋ねると二つ返事でいいと返してくれた、伺った事に対して二つ返事が返ってくると気持ちが良い。

 腕に絡んで火男面を被るこころ、その姿が愛しくて腕を解いて肩を抱くと福の神の面に変化した。本当に色々見せてくれて可愛らしい相手だ。

 体をくっつけたからか、二人の周囲を回るようになった様々なこころの面、内側から見ると能面の裏面しか見られないが、この子の視点を感じられて少し嬉しくなった。

 

 寄せ合い歩いて見えてきた。将棋盤と赤い番傘だけが常に置いてある天狗と河童の憩いの場、遠巻きに眺めてみると見慣れたどでかいリュックが見える。

 探し人の内一人はあそこにいるようだ。それでも少しおかしいな、生真面目天狗がいるならわかるが河童だけで何をするのか。

 あっちの子の能力ならここでサボりながらでも好きなだけ覗き見出来るが、発明馬鹿は何をしているのか?気になったので注意力を逸しそろりと近づくことにした。

 

「何してるの?」

「ひゅい!?!?」

 

 こころに物音を立てないよう仕草で知らせて行動に移った。

 崖から玄武の沢を望むようにしている河童 河城にとり 

 その背中から近づきリュックごと持ち上げて声を掛けた、案の定驚いてくれてあたしの事を確認しようと顔を左右に振っている。

 けれどどでかいリュックが邪魔をして上手く確認出来ないようだ。仕方がないと持ち上げたまま顔をこころのいる方へと向けられるようにした。

 

「あ! 付喪神!」

「アヤメ、この緑色は何?」

 

「アヤメ!? 後ろにいるのはアヤメか! 下ろせこの野郎!」

「野郎じゃないから断るわ。こころ、これが狂言演目『冥加さらえ』の元ネタ。河童太郎」

 

「河童。皿は? 冥加さらえならこいつもきれい好き?」

「帽子の下じゃない? あたしも見たことないわ。水を汚す土蜘蛛に喧嘩売るくらいだし、きれい好きだと思うけど」

 

 本体の方は放置して話のほうに集中する、皿は見たことないし帽子の下も見た事がない。それでも河童なのだからあるんじゃないかと考えている、気にすると暴れるから帽子を奪おうとしたことはないが。いつかの蛍の少女の尻みたいに、気になっても別の物で満足出来ればそれはいいやと思える。盟友に口悪く態度悪く接する面白い河童、小さな興味よりもそっちが気に入ってしまい皿はどうでもよくなっている。

 ヤマメを嫌うところはなんとも言えないが、好みや嗜好は誰にでもある。それは仕方がない、それでもヤマメと繋がりがあるあたしの方は構ってくれる、他人は他人と冷静に線引出来る河童ちゃん、そんな冷静さが気に入る理由の一つでもある。

 

 いい加減にしろ! という掛け声と共にどでかいリュックからこれまたどでかい機械仕掛の手が伸びる、ギュンと二本生えた鉄の腕、片手であたしを取り押さえて力いっぱいに引き剥がされる、もう片方はそれを見つめてぼんやりと立っているこころへ伸ばされていく。

 お互いに自己紹介も済ませてないのに、手が早いわね妬ましい。

 こころに向かっている手を逸してあらぬ方向へ向かわせると、あたしを捉えていると意識している心も逸らしてすんなりと脱出することが出来た。出会いからいきなりとはこんなに喧嘩っ早くはない子なのだが、何か理由でも出来たか?

 白狼天狗がいない事と繋がる何かがるのかね。

 

「二人一片に手を出すなんて随分なヤリ手ね、にとり」

「うるさい! いきなり手を出してきたのはアヤメだろ!」

 

「太郎じゃないの? ああそこが嘘なのね、よろしくにとり」

「何一人で納得してるのさ‥‥もう何なの? 賭けの仕返しに異変の元凶連れてきたの?」

 

「いんや、こころがにとりに会ってみたいというから連れてきたのよ」

「へ? 私に? 何々なんなの?」

 

 あたしの能力で逸れてしまい掴むことが出来ないとわかると、少しだけ冷静さを取り戻して会話をする素振りを見せてくれた発明馬鹿。

 最初から熱くならずに話してくれればこちらもからかったりしないのに、ん?手を出したのはあたしからか?そうだったな、それならすまないな。よくある事だ、気にしないで話をしてほしい。

 細かいことを気にすると先々大物になれないぞ、態度やリュックと同じくらいどでかくなりたいならつまらない事は気にしないことだ。

 

「能狂言の演目、それの元ネタ巡りをしてるのよ」

「ふぅ~ん、神社で能を披露したって記事は読んだけどあんたの事だったのか」

 

「秦こころ、あんたじゃないよ。にとり」

「おお忘れてた、河城にとりよ」

「囃子方アヤメさんよ」

 

 知ってると声を揃えなくてもいいだろうに、ノリが悪いな。それより一人で何をしているのだろうか、聞けば教えてくれそうな雰囲気だ。

 演目の元ネタ巡り、これが有名人に会いに来たとでも聞こえたのか、普段もすぐに口を割るがいつもより機嫌良さそうに見える今なら容易に聞き出せるだろう。

 何か面白そうなことならいいが、発明関連の事だと下手に触りたくない、よくわからない話が長くて、あたしが言うのもなんだが面倒臭いから。

 

「自己紹介も終わったし。ここに一人なんて、いつもの対戦相手に振られたの?」

「椛は仕事中、ちょっと沢で探しもの」

 

「玄武の沢? あんたらの住まいで何を探させてるのよ」

「ちょっと大きめの魚がいるとわかってね、河童のソナーと椛の目をレーダー代わりに探してるのさ」

 

 ちょっと大きめねぇ。霧の湖にいるっていう噂話だけはよく聞くあの怪物魚とどちらがデカイかね、あっちは2尋から5尋くらいの大きさだと言われてて、目撃証言にばらつきがあるが見ている人は多い。

 実際に釣り上げてみせようと夜中の湖に来る人間もいるらしい、命知らずは何時の時代にもいるものだ。おかげであの闇の妖怪もお腹を空かす時間が減っているらしいが。

 餌を放って釣り糸垂らしている間に、自分があの宵闇の妖怪の餌に変わっていると気がつくまで後何人くらい必要かね。

 

 こう考えてみるとあの噂の出元は胡散臭いあいつ辺りだったりするかもしれない、腹を減らした闇妖怪。住居歴だけなら長いあれを不憫に思って上手く餌場を作った噂、なくもないが今はこれ以上はいいか、取り敢えずあっちは夢見る釣り人の証言としておいて、こっちの事を進めよう。

 

「大きなお魚、美味しい?」

「捕まえてもいないのにわかるわけないだろ、食べたいなら協力して」

 

「こころ、大きい物は大概大味で美味しくないわよ」

「余計なこと言って協力者を減らさないで!」

 

「美味しくないなら別にいいかな」

「美味しいかもしれないよ! アヤメのせいだぞ、どうにかしろ!」

 

 どうにかしろと言われても、あたしがどうにかする前に自分でどうにかすればいいのに。今だって一人でこんなところにいたんだ、理由を取ってつけたサボり中にあたし達に見つかった、そんなところだろうに。 

 それに手伝うといってもあたしとこころでは何もすることがない、あたしは逸らす物がないしこころも感情を操る相手がまだいない、捕まえるなら動きの方、泳ぎは河童目は椛、後必要なのは‥‥捕まえた後の調理か?

 そっちなら手伝えなくはないが、物は試しか。

 

「釣った後に捌いて振る舞うくらいなら」

「お、やる気になってどうしたのさ?」

「こころに食わせてみようかなって」

 

「大味で美味しくないんじゃないの?」

 

「マズイ物を知ったほうが美味しいものをより美味しく感じられるものよ?」

「わかった、アヤメがそう言うなら」

 

 それほど信頼されるようなことをしたかね、少し悩んで答えたようだが最後はあたしの名を使って答えを出した。ここまで信頼されると期待に答えたくなるが、まず捕まえられるのかが問題だ。

 見つけるくらいは苦にならないだろうが、捕まえるとなると相手は怪魚。河童連中の力業で肉が傷んだりしなければいいが、発明以外は雑だからなこいつら。

 とりあえず情報を仕入れるか。どんな物を作れるか、姿や形から何か思いつければいいけれど。

 

「見た人いないの?大きさとか見た目とか」

「仲間が見たよ、ほらアヤメに脅されたあいつ」

 

「にとり以外を脅すなんてしないし、まだしてないはずだけど?」

「私はいいのかよ‥‥ほらあの!人里で騒いでた!」

 

「あぁ、あの時仕切ってたあの白髪か」

「あの時? 白髪?」

 

 こころの起こしてしまった異変、本人が気にしてどうにか止めようと孤独の中を歩いてた頃に、この河童連中は笑いながら賭け事なんて取り仕切って騒いでいた。

 こころが知ったらどう感じるか?

 大方の予想は出来るし興味ないといえば嘘になるがやめておこう、多分こころはあたしが見たくない顔をするはずだ、表情は変えないとわかっているが雰囲気や仕草でわかる事もある、無表情だからこそ余計に伝わるその辺り‥‥

 折角可愛らしく懐いてくれたのだ、どうせならこのままにしておきたいし、にとりといがみ合う姿も見たくはない、この河童もいい友人だ、出来れば穏便に済ませたい‥‥

 

 ……なんて、随分と甘くなったものだな。

 

「能の舞台の時に出店を出してた河童よ、霊夢に怒鳴られていたあの子」

「ああ、あの河童」

 

「そうだけど? あれ?」

「何か変? 間違っていないと思うけど?」

 

「いや? あれ? まあいいか、それでなんだっけ?」

「目撃者」

 

 ちょっと強引に逸らしたがばれないならばどうでもいい、賭けを仕切っていたのは多分おかっぱ頭の河童だろう。でも白髪の子もいたし、それほど無理のあるやり口ではないが・・後で胡瓜でも渡せば忘れるだろう。

 こころの方は納得したようだしとりあえず安心か、他人の荒事を避ける為に能力まで使って誤魔化すとは・・少し甘すぎるか?まあいいか、成るように成れ。

 それより続きを聞かないと、話が全く進まない。

 

「大きさは七尺くらい、全身に毛が生えていてカワウソみたいな感じみたい」

 

「それ、お魚なの?」

「ん~?‥‥最近会った人から聞いたことがあるような‥‥」

 

「華仙から?」

 

 いつの話だったか、毛だらけの魚の話。

 

――正確には魚じゃないのよ――

 

 なんて言っていたようないなかったような‥‥

 

――鼓打つなら雅楽はわかるでしょ? 同じ名前で可愛い姿なのよ――

 

 なんだっけかな、思い出せずに気持ちが悪い。

 鳥っぽい動きでこころの能のように舞うあれ‥‥ああ、思い出した。

 

「たぶん万歳楽ってやつ、縁起の良い珍魚なんて言ってたが可愛い姿で魚じゃないとか」

「可愛いの? それも食べるの?‥‥私はいいや」

 

「こころがいらないならあたしもいいわ、捕まえたら見せてくれればいい」

「私もそれでいい」

 

「何二人で納得してくれてんのさ、折角の機会だって‥‥」

「にとり」

 

 あの異変で儲けたと元凶に伝えてもいいか?

 元凶は異変解決しようと絶望の中で頑張っていたが、銭勘定をして笑っていたと教えてやってもいいか?

 耳打ちして問いかけてみる、言葉はなく首を横に振るだけで答えてくれた可愛らしく小賢しい河童。そのままの姿勢でニヤニヤと笑い、見つけたら教えてと告げると同じく縦振りだけで教えてくれた。

 何かを察しかけているこころの方にも少しのフォローをしておくとしよう。

 

「何の話?」

「見つけたらあたしだけに教えろって話」

 

「ズルい」

「こころを驚かそうと思って、お面をコロコロ変える姿。面白くてたまらないもの」

 

「嘘? さっきの笑い方は嘘をついてる笑い方」

「よく見てるわね、正解は愛しくてたまらないのよ」

 

 狐面から般若面に変わり途中までは正解に近づいてきていたのだが、最後の言葉で福の神と火男を行ったり来たりするようになった。鋭いがまだまだ未熟でちょろい、そこが愛しい。

 

 捜索自体はすぐに済むだろうし、捕物の方もどうにかなるだろう。最悪住処を荒らされて異変だと騒げば、異変の解決にあの子達が来るはず。そうなってくれれば後はにとりの報告を待つだけ。

 言ったとおりにあたしの方に先に話してくれるだろうし、それからこころを連れて再度の物見遊山に来ればいい。

 

 

 その頃にはあたしの方便が効かなくなっているかもしれないが、それはそれで面白そうだ。

 全部バレて裏切られたと嫌われるか、他の皆のように呆れを見せてくれるか。

 その辺りはなってみないとわからないが、出来ればこのまま愛おしい者であって欲しい。

 

 ……甘くなるのもいいかもしれないな。




心綺楼にとりが下衆でいいですね。


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第七十六話 演目巡り 二番手

天狗の仕業じゃ そんな話


 休憩ついでにしばし河童と戯れて体の調子を整える、調子といっても疲れの貯まってきていたこころの足を少し休める少しの時間。先程は小川の流れという良い冷却材があったのだが、この崖からは川は遠い。

 それでも水は確保出来て流水に当てて冷やすことは出来た、ウマイこと褒めて気を良くさせた河童ちゃん。彼女の『水を操る程度の能力』のおかげで十分な休憩が取れた。

 小さな穴を掘ってそこに水を流してもらい簡易の冷たい足湯代わりを作り、そこでこころの足に浮かぶ火照りを取り払った。最初は気前よくジャブジャブと操ってくれた河童だったが途中から穏やかな流れに変えてくれた。

『気持ち良い、ありがとうにとり』と無表情なままで感謝を述べる面霊気の素直さにでも心打たれたのかもしれない。そんな二人の横で煙管を燻らせて、素直な手合に弱いのは自分だけではなかったと、少し安心しながら煙を漂わせた。

 あたしの周囲を漂う煙と遠巻きに見える滝の水飛沫。その二つを見比べて何か思いついたのか、新しい蒸気機関の構想があるんだけどと好奇心の塊となってあたしに迫ってきた発明馬鹿。

 

 あの時の恨みは忘れていないのよ? 穏やかに微笑んでそう言ってあげると、ひゅい!と一声上げて大きく肩を落とした。技術の向上の為に頑張る姿は輝いて見えて眺めるにはいいのだが、その技術の犠牲になる気は毛頭ない。

 過去に一度痛い目を見ているから尚更だ。それでも突き放してばかりでは可愛そうだと思って、痛みのない技術改革を思いついたら協力してやると伝えておいた。

 やれるものならやってみろという遠回りな煽りだったのだが、期待されていると勘違いでもしてくれたのか、頑張るわと気合を入れて何かよくわからない図面を引き始めた。

 こうなるともう周りは蚊帳の外になってしまうので、休憩を切り上げて本来の目的地である地底へと続く大穴へと向かった。

 

 わざわざ侵入者扱いされるお山に来るよりも、あの妖怪神社の裏手から降りられるようになったと聞いているが、あっちは魔界やら別の地獄やらにも通じている噂がある。さすがに知らぬ土地のエスコートは出来ないと思い普段のルートで行くことにした。

 こっちのルートでないとヤマメやパルスィを見つけるのが面倒だというのがデカイが。

 カリカリと何かを書いては消す音が五月蝿くなった崖を離れもうすぐ大穴という時に、面倒な相手に見つかってしまった。

 烏天狗、見慣れた新聞記者二人ではない見知らぬ生意気そうな天狗様。腕組みしたまま頭上で浮かびこちらを見下すその表情、様にはなっているが・・さて、これからどうなるか。

 

「侵入者、それも妖怪二人など。哨戒天狗は何をしているのか」

「見知った哨戒天狗なら任務を忠実にこなしているみたいだけど」

 

「貴様の知る者、あの犬走りの娘か。あやつは毎回素通りさせおって、天狗の風上にもおけぬ」

「手土産持参だから素通りではないけれど、それに貴方の風上ってどこなの?天魔?」

 

「知れたこと、我々の長であらせられる天魔様に他ならぬ」

「そう、つまらない烏ね」

 

「アヤメ、誰?」

「ただの烏、時間の無駄だから行きましょ」

 

 会話の最中も態度を変えず降りてくることもない矮小な烏、新聞記者の二人以外と話す機会など滅多にないので少し‥‥と思ったが案の定無駄だった、良く聞くつまらない天狗様の一人だった。

 興味も消え失せてこころの手を引き歩みを出そうとすると、見えない何かで視線の先がえぐり取られる。

 

「この山に無断で立ち入り何事もなく出られると思うな、狸風情が」

「そういえば椛に会っていないから知らせていなかったわね、入るわよ。いや、入った‥‥かしら?」

 

「貴様の事は聞いている、言葉巧みに飄々と‥‥通すわけには行かぬ」

「これでも口下手であがり症なのよ? 熱烈な歓迎をされたら照れるわ」

 

「黙れ」

 

 言葉と共に見えない塊が音を巻いて迫る、先ほど地面を抉ったモノ。

 天狗の操るモノを踏まえて当たりをつけるなら風の拳といったところか、先程は爪で引っ掻いたようなモノで今度は握った拳のようなモノ、見えない拳があたし達に迫ってくるが殴り抜ける方向が逸れる、あたし達の頭上を過ぎて周囲の立ち並ぶ背の高い木々を揺らし葉を散らすだけで拳は消えた。

 

「面妖な、狙いを外す類の術か」

「そうね、外れているわね」

 

「アヤメ?」

「そよ風でも届けてくれれば涼しくなるのに、それもないわね。こころ」

「馬鹿にするなよ」

 

 あたし達を挟むように左右で空気が渦を巻く、散った木の葉を巻き込んで大きさを見せる風の渦。一つでもあたし達を飲み込む余裕を見せるそれ、ソレが天狗の目の動きに合わせて左右から迫ってくるが合わさる頃には掻き消えた。

 舞い飛んだ木の葉だけが後から降ってくる、ハラハラと周囲に降りてくる木の葉。二枚ほど掴むと鳥に化けさせて空へと放った、姐さんと違って葉での変化は上手くない。出来が悪く綺麗な烏とはいかなかったがそれでもバカすには良かったらしい。

 

「舐め腐りおって、化け狸に舐められては天狗の名が廃る!」

「顔が真っ赤で伝承通りね、鼻は伸びないのかしら?」

 

「なめるなぁ!」

 

 クスクスと笑っていると、伸ばして欲しい鼻が折れてしまったかのような天狗様。激高し直接向かってくる。さすがに空の覇者、動きは早いが早いだけでよく見える。あの耳も足も早い友人に比べれば随分と‥‥止まる早さ。

 風の拳を両手に纏い振りぬいてくるが、拳があたしに近づくにつれて風の勢いが死んでいく。勢いだけになった拳を避けもせず、交差する瞬間に軽く手を添えて払いのけた。

 優しく払いのけられて、マヌケな姿勢で脇を抜ける天狗様。何をされたのか理解できていないようで難しい顔をされている。

 何の事はない、風が散るようにあちこちへと方向を逸らしただけだが、賢い天狗様はどう捉えてくれたのか。後学のために聞いてみたい。

 

「女の子に殴りかかるなんて無粋ね、もっとマシな誘い方はないのかしら?顔はいいのに顔だけでは釣れないわよ?」

「黙れと言った‥‥何をした? 狙いを外されているのはわかる」

 

「狙って外れている結果だけしか見えないなら先はないわ、つまらない殿方は嫌い」

「アヤメ、結構凄い?」

 

「凄い事なんてないわ、か弱い少女よ?そう見えない?」

「か弱い人はそんな顔で笑わないよ」

 

 最早自分で意識などせずに出るようになった笑み、見せた相手の殆どにやめろと言われる微笑み方。なるほどあいつも言われ続けるのが面倒だから扇子でかくしているのか、そう思い元の持ち主を真似て着物の袖で口元を隠した。

 やってみて思ったがこれも案外様になるんじゃあなかろうか、少なくとも対峙するつまらない男にはそれなりの効果があるようだ。血が滴って見えてしまいそうなほど拳を握る力が強い。

 

 けれどどうしたもんか。つまらない男とじゃれあうほど飢えてもいないし、見せてくれた力から考える限りそれなりの大物にも思える。消してもいいが‥‥お山と事を構えると遊びに来る度にこうなってしまい面倒事しか残らない。

 それにお山の面倒事よりも厄介な幻想郷の管理人が出てきそうだ、そちらの方が困る、楽しく暮らしているのに紫と事を構えたくない、なってしまったなら首の一つくらい熨斗つけて返してもいいが‥‥そうか、バレなければいいのか、残さなければバレようがない。どう足掻いてもバレる相手にはバレるが山の奴らにバレなければどうとでもなる……それでいいか。

 

「黙りこみ、何を企む」

「企み事をしている相手、そんな隙だらけの狸に手をこまねいている方をどう消せばバレないか‥‥悩んでいるの」

 

「貴様!?」

「全部散らすか全部喰うか、どちらも手間で‥‥そうね、死んだ後でいいからさっきの。風の渦のようなもの起こせないのかしら? 放り込めば楽だわ」

 

「アヤメ、怖い顔になった」

「妖艶、とか他にも言葉はあるわよ? こころ」

 

 軽く下唇を舐めたくらいで怖い顔とは言い切れないと思うのだが、見せる側と見る側では感じ取り方も変わるのだから致し方無いか。

 それよりも問いかけの返答がなくて困る。死んだ後の尻拭いを自分でしろなんて言われることはないはずで、返答に困るのはわかるけれど‥‥何か言い返してくれないと張り合いがなくやる気が出ない。

 最初の物言いからつまらない事を言ってくれたのだ、風上は天魔などと、風上とは我々天狗とでも言って挟持を見せてくれれば見なおしたものを‥‥上司の名前をすんなりと出してくれて、自身の考えからの行動ではない御役目で動いたと言い切ってくれた。

 つまらない男だ。

 出来れば最後くらいは格好いい所を見せてほしい。

 そうすれば人相通りの伊達男として綺麗に屠れるのだが。

 

 手を考えているのか、距離を取ったまま何もしてこない伊達男予定。無言で見つめ合うのも飽いてきたしこころを待たせるのも悪い、そろそろ仕掛けるかという頃に一つの小さな音が鳴る。

 カシャッという機械音、常に口うるさい友人がその音が鳴る時だけ静かに鳴る音、相手は違うが初めての出会いもこんな風にいきなり現れたな、そう懐かしみ音の方に目をやった。

 

「あややや、これはこれは大天狗様。こんな所でこんな手合と睨み合うなんて何か事でも?」

「射命丸か、仕事をしない哨戒天狗ばかりでな。偶には我が出向いたのよ」

 

「それはそれは熱心な事です、ですが貴方様では届きませんよ?あの狸には私の風も届きません」

「体感している、それでも二人がかりならあっちの面くらいはどうにかなろう」

 

「あちらも先日の異変を起こした大妖です、敵に回すにはいささか面倒」

「ぬぅ、下手に手を出せばお山に被害が出るか。ならばどうする?お主の風も届かんのだぞ?」

 

「簡単なこと、哨戒天狗のように見逃せば良いのです。下手に手出しできず見逃し続けておりますが、それでもあの狸が問題を起こした事はない、大天狗様のお耳にも届いているでしょう?」

「しかしだな……」

 

「それに二人がかりなどと、天魔様に続く貴方様らしくない‥‥それを記事にしなければならないなんて」

 

 姿を見せてくれたはいいが、こちらを見ることも言葉をかけることもなく大天狗と呼ぶ男に媚びへつらう新聞記者。大天狗二人ならともかく文がいては手が出せない、相性が互いに悪いのだ。

 風をどうにかする大天狗は好きな様にあしらえるが、どうにかする風そのものを操る文に使える手が思いつかない。

 けれど話の流れからすれば身内の応援というよりもこちらの手助けといった空気。面白がって記事にせず見逃してくれるとは、なにか一物あるかね。

 

「大天狗様が見逃すと仰ってくれるのでしたら、私がどうにか致しましょう。知らぬ者ではありませぬ、穏便に何事もなかったとしてみせましょう」

「信用してもいいのだな? その写真、処分させてもらうぞ」

 

 如何様にも、頭を垂らしフィルムを抜き出して放り投げる新聞記者。フィルムをぞんざいに扱う姿なんて初めて見るが、そのおかげで面倒事から開放された。

 フィルムを風で切り裂いて、こちらには何も言わずにひと睨みだけして飛び去る大天狗。完全に気配が消えた辺りで表情を変えた新聞記者があたし達の前に降り立った。

 

「助かったわ、しつこいナンパで困ったの」

「ナンパが嫌ならされないように出来るでしょうに、今日は隣にもう一人いるんだから」

 

「この子の為にと思ったけれど、こうなるとは気にかけてなかったわ」

「自分の考えに正直なのはいいけど、連れ歩くならそっちを考えなさいよ」

「か弱い娘を育てた母の言葉、重いものねぇ」

 

「天狗の記者、久しぶり。舞台の新聞ありがとう」

 

 誰が母かと強い剣幕でこちらを睨む。こころの方には、

『大したことではありませんよ、こちらこそ面白いネタの提供ありがとうございました』と正反対の表情で感謝を伝える射命丸 文

 

 耳も足も早ければ切り替えも早いな、そう関心していると不思議な事に気がついた。珍しく山にいる事もそうだがどこから聞きつけてきたのか?

 風の噂を聞くなんて言葉もあるがあれは比喩だ、蛍の子のようにただしく虫の知らせが聞き取れるようなものではない。助けてもらっておいてなんだがちょっと気になり問いかけた。

 

「千里眼でも身につけた? 仕事が減って椛が泣くわよ?」

「何の事? はたての念写に写ったから盗られる前に先に来たのよ」

 

「はたて? なんでまたライバル記者の念写なんて」

「能舞台の記事が当たったからね、自慢しに行ってそのままお茶してたの。そうしたらアヤメの不意打ち念写の話が出て、今何してるかって話になったのよ」

「ライバル記者なんているの? やっぱり五月蝿いの?」

 

 よく知らない相手から五月蝿いと言われて固まる清く正しいパパラッチ。仕込みいらずでとても賢く、とても可愛らしい。

 しかしはたても災難だったな、一緒にいなければ面白い記事に出来たかもしれないのに。行動力は文のがあるし物理的な早さも文の方が早い、はたてが文より先んじて知る方法の念写を利用されては追いつくことなど出来ないだろう。

 

「それで、どんなポーズしたらいい? お礼に取られてあげるわ、こころも一緒のほうがいいかしら?」

「可愛こぶってるところを撮っておいて後で使いたいけど、さっき見てたでしょ」

 

「あらそうね、残念だったわ。この子と一緒に可愛らしく撮ってもらいたいのに」

「いけしゃあしゃあと‥‥まぁいいわ。共同で記事にする話はついてるし、今のも綺麗に撮れているでしょ」

 

「フィルムがないのにどうやって……」

「念写も便利みたいね……はたてに自慢した事謝ってくるわ、それじゃ楽しみにしててねアヤメ。こころさんも、発行でき次第届けます。では」

 

「アヤメ変な顔、どんな気持ち?」

「複雑だけど、面を被るなら火男かしらね‥‥文字通り天狗の仕業ってやつにやられたわ」

 

 やらかした、フィルムがないとわかったからこそからかってやったのに、話だけで姿を見せないはたての方で油断した。念写で来たんだ念写は続けているはずだったのに、まあしかたがないか。あたしの詰めの甘さが原因だ‥‥甘いついでだ、もういいや。

 開き直ろう。

 

 火男面と聞いてそれを被り近寄るこころを抱きかかえる。猿面に変化してしまったが火男面に戻るよう頬ずりして髪を撫でた。

 素直に面を戻してくれて嬉しく思い、抱きしめる力をほんの少しだけ強めた。

 どうせならこっちを使ってくれれば、多分今のあたしは可愛らしく微笑んでいるから。



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第七十七話 演目巡り 三番手

ぶりっ子は気持ち悪い そんな話


 迎えに上がってここを降り、その道中で出会って小話。

帰りも同じで逆回り、それでおしまいの簡単なエスコート。

 そうなると踏んでいたが、思った以上に楽しい二人旅となっている、いや、今は三人旅なのか。こころの抱える見慣れた木桶、そこから覗かせる緑の頭、今日もいつも通りの奇襲を受けて、通例通りに逸らして捕らえた。

 あれは何? とこころに問いかけられて、何に見えるか聞き返してみると、案の定木桶と答えてくれた。その返答は木桶本人にも聞こえていたようで、狙う獲物が増えたと喜んで見せてくれた。

 抱えて降りていく間で互いに自己紹介を済ませたようで、木桶の正体がつるべ落としだとわかると、演目にはないけどよろしくねなんて可愛い挨拶が聞こえていた。

 

 地底の方でもそれなりに広まっているようで、新聞は読んだと、キスメもこころの事を少しだけ知っていた。あの清く正しい伝統ブン屋はどこまで届けているんだろうか、元上司に脅されて配っているのかもしれない。いなくなっても尚影響力を見せるあの連中、他の者に嫌われるわけだと小さく笑った。

 舞台の話に花が咲いて初舞台は散々だったとこころがぼやくと、初舞台なのに私を呼ばないからそうなる、なんてつるべ落としが言い出した。

 キスメに舞台の演出能力があるなんて知らなかったが、これから出会える地底のアイドルといつも一緒にいるくらいだ、その手の事に案外長けているのかもしれない。

 

 少しだけ関心して、次は呼ぶから協力してねと伝えてみると、初舞台以外じゃあ意味がないと含み笑いで言われてしまった。

 笑みが気になり少し考える。真面目に受け取り考えてみるが思いつかずに首をひねると、今なら首もすぐ取れそうだとつるべ落としのらしさが見えた。

 初舞台だけに意味があるつるべ落とし‥‥ああ、なるほど。こけら落としと掛けたのか、そうと閃いて答えを述べると、気がつくまで時間がかかりすぎだと鬼の首を取ったような顔をされた。

 取られてしまって少し座りの悪い首を撫でる。

 アヤメが引っ掛けられた、面白いと火男面の妖怪に言われて更に座りが悪くなる、立つ瀬が段々小さくなる感覚を感じながら大穴をゆるゆる降っていく、いつもならそろそろ出会う場所。

 少し周囲を伺うと、日光を浴びて輝く網の上で寝転ぶ金髪が見えた。

 

「いたいた、ヤマメ。ちょっといい?」

「お、アヤメじゃないか。また違う女を連れてどうした?」

 

「違う女連れが妬ましい? ヤマメもあっちみたいになるのかしら?」

「パルスィだけでお腹いっぱい、丸いのはスカートだけであたしの腰は括れてるさ、で?」

 

「この子は秦こころ、能楽師の面霊気。能の元ネタに会ってみたいとお願いされて連れてきてみたのよ、この茶色いのは黒谷ヤマメ。土蜘蛛さんよ」

「ヤマメ、宜しく。土蜘蛛ってあの土蜘蛛?」

 

「地上で暴れてた能楽師か、記事はあたしも見た。演じてくれたなんて光栄だね、わざわざ顔見せに来てくれるなんて尚の事光栄だ。歓迎するよ、ゆっくりしていきな」

「ゆっくりしようにも地に足がついてないから浮ついてしまうわ、降りない?」

 

「浮ついて漂ってる輩が何を言うんだい? まあいいか。能なら先にも行くんだろうし、暇つぶしには都合がいい」

 

 漂っちゃあいるが浮ついては‥‥いるか、頼られて懐かれて普段の自分よりもだいぶ浮ついてる。お陰で隙をつかれて写真を取られた、少しの会話でバレるくらいに浮ついてるみたいだし、少しは気を引き締めるか。

 ヤマメはともかく次の相手は油断したままだと恐ろしい、ましてや妬まれる要素を連れてきているんだ。天狗の忠告を素直に受け止めて、この子に何事もないように気を引き締めていきましょう。

 ヤマメの張った滑落死防止兼餌狙いの罠を避けながら、見えない底を目指して降る。降る途中の話題は同じ能の舞台の軽い小話、表情を変えず火男面を被り元ネタと話す面霊気。

 そんな相手と笑顔で話す演目の元ネタ 黒谷ヤマメ。

 

 話すのに邪魔になると木桶を受け取り降っていくと、邪険にされたキスメから妬ましいのね、わからなくもないと変な情けをかけられた。含み笑いでこちら望むキスメ、何を言うかと思ったが‥‥言われてみれば自覚出来なくもないと感じた。

 言われるまで気が付かなかったが確かに少し妬ましい、ここに来るまであたしにしか見せなかった面。それをあたし以外の誰かに見せる姿、それが少しだけ妬ましいと感じられた。

 ただこれはヤマメに対して感じるものではなかった、ヤマメが誰に対してもこうなのは知っている、アイドルと呼ばれる通り誰にでも笑顔を与える明るさ、それはあたしも感じるし心地よいと知っている。そんな心地よさにいるのだ、こころが陽気になるのは理解できた、それでも思うこの気持ち、何に対して向けられた嫉妬なのか‥‥モヤモヤは晴れず底に着いた。

 

「アヤメ、ヤマメは面白い」

「世間話で褒めてくれるなんて中々ないね、いい友人じゃないのさアヤメ」

「可愛いでしょ? お気に入りよ」

 

「お気に入りとは、パルスィが聞いたらどんな顔するかね。これも中々なくて楽しそうだ」

「パルスィって?」

「これから向かう次の元ネタ、おっかない橋姫さんね」

 

 橋姫と聞いて般若面に似た面を被るこころ、般若とは少し違った様相で歯を食いしばっているように見えるが牙はなく、髪は乱れ、目は血走っている。世間一般では橋姫はこういう認識なのかと面白くなり思わず笑ってしまった。

 笑う顔を見て橋姫に似た般若面に変化するこころ、本人とはかけ離れたイメージで思わず笑ってしまった、そう素直に述べて謝るととりあえず納得はしてくれた。ただもう一人、ヤマメの方からも何かあるらしくて珍しく食ってかかられた。ヤマメに手を引かれ二人と少し距離を置く。

 

「良くないねぇアヤメ、気に入らないなぁ」

「悪かったわ、素直に謝ったじゃない。それでもダメかしら?」

 

「ダメだね、こころは許したがあたしが気に入らないし、もう一人も多分気に入らないと言うね」

「もう一人? キスメ?」

 

「面の方よ、人の顔見て笑うなんてちょいとばかり失礼だ。親しき仲にもっていうだろう?」

「面ってパルスィ? 本人を笑ったつもりはないけれど」

 

「そのつもりはない、それで痛い目に会う事も多いんじゃないか?」

「そうね、出掛けにもやらかしたわ。そっちも綺麗に済ませてはいないわね」

 

 出掛けに怒らせた船幽霊を思い出す、まるであの時を見ていたかのように問い詰めてくるヤマメ。

 これほど言われなければならないほど怒る事だろうか、怒らせたあたしが言うのもなんだがそれほどの事には思えないが。

 

「そうだろうさ、悪い癖だ。浮ついてるから余計に悪く見える、友人として忠告しとくが、そのまま会えば嫉妬にヤラレるね」

「能力は逸らせるから問題ないけれど、それでも言い切るのね」

 

「言い切るね、普段なら鼻につかないが‥‥今日は別だ、ただ笑っているだけじゃあないからね」

「何かそう感じるものでもあった? よくわからないわね」

 

「本来なら言う事じゃあないがついでだ‥‥らしくないのが鼻につく、まぁ好みの問題さ」

「らしくないってのは自覚してるわ、そのせいで鼻につく、か。難しいところね」

 

 いつもに比べれば随分と素直で甘くしおらしい、自己判断するならそんなところか。だがそれくらいならいつもの事で特に変わったとは言えないが、なんだろうか。

 歯切れ悪くはっきり言わないなんてそれこそ気に入らないけれど・・こういった思考は段々と苛ついてくるな、少しくらい当たり散らすか。蒔いた種だ、刈り取ってもらおう。

 

「あたしも気に入らないわね、言いたいことがあるなら言えばいいのよ。ヤマメもらしくない」

「そうさね、なんだ自分でもわかってるじゃないか。言いたい事は言うのがらしさだろうに」

 

「どういう……そういう事?」

「そういう事さ。何を気にして猫を被っているのか知らないが、今のあんたは気持ち悪い。面倒臭いのは変わらないが、そこに気持ち悪さも混ざってる、これは気に入らないなぁ」

 

 そもそも怒っていたわけではなかったか、あたしに気が付かせる為に一芝居打ったわけか。嫌われたくないと気にして言葉を選び、らしくないなぁなぁな空気で来てしまった。

 橋姫の面は唯の切っ掛け。深い意味はなく取っ掛かりに使っただけか、嫌われたくないと考えていた対象が被ったわけだし丁度いい取っ掛かりになったと。

 それにしても気持ち悪いね、もう少しマシな言い方もあるだろうに。煽ってくれてありがたい、なんて言い返すかね。

 

「気持ち悪いとは酷い言われよう、さすがのあたしも傷つくわよ?」

「おう、傷つけ傷つけ。痛みで泣き出すくらいのがちょうどいいさ、気持ちの悪いもんなんて流しちまいなよ」

 

「ならヤマメの胸でも借りようかしら? あたしよりは小ぶりだけど、こころやキスメよりマシよね」

「文句を言う奴にゃあ貸せないね、その気もないのに言うもんじゃない」

 

「その気があればいい、そう聞こえたわね。ちょっと本気で狙おうかしら?」

「この間はパルスィにくっついて離れなかったのに、今度はあたしか。浮ついてるねぇ」

 

「どうせ浮つくなら最後まで、ついでにあっちの二人もパルスィも頂いてもいいわね」

「発情期にでも入ったか?欲張るのはいいが保つのかい?」

 

「男でもなし、保つ保たないじゃあないわね」

「いやそうだが、さすがに見られながらはちょっと‥‥キスメ!こころ!助け‥‥」

 

 鎖骨が見えるまで下がったままの肩口、それをもう少しだけ落とし科を作ってヤマメに迫る。騒ぐ口を右手でそっと塞いで左手で腰を抱く、警戒心はあれど意識を逸らされていては抵抗できまい。ヤマメの声を聞きつけてキスメとこころが近寄ってくるが、それで止まっては仕掛けた意味がない。腰を抱き塞いだままに壁により掛かる、自由な両手であたしに向かい糸を放つがそれも逸らす。巣篭もりの為の繭でも作るように両手から伸びていく糸の線、あたし達を中心に円形に逸れて、ウマイ事こころ達の視界を塞いでくれただろう、この辺りでいいだろうか。

 

「ヤマメはやっぱり可愛いわ、焦るなんて乙女みたいね」

「暗がりで襲うのは慣れてるが人前で襲われるのには慣れてないよ。でも、いつも通りに戻って何より」

 

「いつも通りならこの辺で終わるんだけど、折角だしどう?」

「あんたとは違って、妬み話を増やしてからパルスィに会おうなんて考えないよ、それにやり過ぎるとあの面も五月蝿くなりそうよ?」

 

 言われて背後を振り向くと、逸れたままに揺れる糸を潜ってきた面霊気がすぐ側にいた。ちょっとだけ本気で迫ったからか全く気が付かなかった、どんな面を被っているのか頭の方に目をやると狐の面で顔を隠している。

 てっきり大飛出の面でも被っているかと思ったが、何を真剣に見ているのか。少し恥ずかしくなり問いかけてみると、元ネタも見たし次はそれらが見せる色も見たいと言い出した。

 予想外の物言いにヤマメと二人で笑ってしまった、何事も勉強か‥‥

 熱心なのはいいけれど、見るだけではわからないわと、ヤマメと二人で捕まえてどうしようかと怪しく笑う。猿面被って顔を隠して‥‥何かされると身構えられるが何もせず、ヤマメと視線を合わせて開放する、良いところでお預け食らう気分はどうか?

 問いかけてみたが答えはない。

 顔も隠して言葉もない。

 ズルい逃げ方ね、と薄く笑い伝えると般若面に変わり周囲に浮かぶ面に追い掛け回された、いつも通りでも嫌われる事なく相手をしてくれる、ヤマメのおかげで確認できた。

 地底に潜む明るい土蜘蛛のありがたいお節介、ヤマメと二人お面の群れに追われる最中、小さく感謝を述べるといつもの様に笑ってくれた。



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第七十八話 演目巡り 四番手

考え過ぎはよろしくない そんな話


 普段のこの辺りなら、コツンコツンという、ブーツと地面が反響しては消えていく音を聞きながら進んでいくのだが、今日はその音は聞こえない。

 聞こえるのはワイワイとした少女の笑い声と、四人分の騒がしい反響音。いつもならどこかで水が落ちて波紋を広げている音も聞こえるが、そんな静寂の音なんて聞こえるわけもなく‥‥洞窟はいいなと思いに耽る事も出来ない。

 

 それでも偶にはいいか。楽しそうな声を反響させてワイワイと進んでいく少女四人、キスメを抱えたヤマメと並び、何かを話しかけながら歩みを進める面霊気。

 二歩分くらい後ろに下がり歩む三人を眺める、ヤマメのおかげで思い出せた立ち位置、横並びとはいかずに側で眺められるくらいのあたしの正位置。そういえば何事にもこれくらいの立ち位置できていたなと、今更ながらに考える。

 話題の中心や喧騒のど真ん中にはおらず、一足分離れて物を考えながら歩けるこの位置。性に合い心地よい位置取り、声も動きも聞こえるし触れようと思えば触れ合えるとても都合のいい距離間。

 この位置で満足して長く生きてきたはずなのに、いつから前を歩く喧騒に混ざって生きるようになったのか。それが当たり前と思うようになったのか、思い出そうとしても思い出せず思考が空回りするだけだった。

 

 煙管を燻らせてちんたらとついていくと、先を歩むこころが歩みを遅めてあたしの隣で合流する。隣に並びあたしの顔を見上げて歩くこころ、何も言ってこないが見上げる顔が愛らしく、少し強めに頭を撫ぜる。火男の面を浮かべてくれる可愛い面霊気。そういえば誰かを迎えに行くなんて、この子が初めてだったなと思い返す、誰かに会いに行く事も誰かと出かける事も多くあるが、誰かを誘い迎えに上がって出かける事なんて今までなかった。

 浮ついて舞い上がっていたのはこれが原因かね、頼られてもテキトウなところで見切りをつけて、程々のところで何事も済ましていたくせに。少し頼られたくらいで調子にノってしまって自分の調子もわからなくなる幼稚な思考、気心知れた相手に窘められるまで自分で気がつくことも出来なかった阿呆。

 

 この間、妖怪兎に言われたありがたい助言を思い出す。

 

『そのうちに今までよりも酷いしっぺ返しがくると自分でもわかってる癖に』

 

 しっぺ返し。

 

 なんとなくそれを思い出してしまって、隣に並んでいる頭を撫でる手を止めてしまう。一瞬あたしの方を見ようとこころの顔が動きかけるが、気にされることなくまた前を向いて歩き始めた。

 求められればそれに程々に答えて、求められなければ動くことなくそのままにしてきた。それくらいの距離感で満足してきたし満足だと思えていたのに、今はなんとも。

 モヤモヤした物が頭の中でついて回り、振りほどけないでいるけれど、切り替えられる時間はもうなく、次の目的地が見えてきてしまった。旧都の入り口、次の尋ね人である橋姫の守る橋。

 今の心境のままで顔を合わせて何を言われるか、心に関した事ならあたしよりも数段上手なあの友人。

 顔を合わせてボロが出て笑われるか、それともこのモヤモヤも妬んでもらえるのか、どうにも思考が纏まらないままに、想い人へと歩み寄っていった。

 手すりの欄干に背を預け何処か遠く、ないはずの空を見上げて佇む橋の女神だった者。誰ともなく待っている姿が絵になって足を止めて眺めてしまうが、ヤマメが声をかけてこちらに気づかせ視線が向けられた。

 さすがに目線を逸したりは出来ず、薄笑いを浮かべて少し遅れて歩み寄ると丁度自己紹介の始まる頃だった。

 

「秦こころ、面霊気です。橋姫さんに会いに来ました」

 

 会って早々見知らぬ相手を警戒するような、疑惑を見る目で睨まれる中、礼儀正しい挨拶をする。あたしからこころにこうしろと言ったわけではなく、この橋に来るまでの間に、ヤマメが話した橋姫の事を自分で噛み砕いて勝手にこうなってくれただけ。

 何を思ってくれたのかは知れないが、今まで引き会わせてきた者達とは随分と態度が違う、それを後ろで眺めているヤマメとキスメも笑っているし、しばらくはこころに合わせて動いてみよう。纏まらない頭で考えるよりは、雰囲気にノッてしまったほうがいい気がした。

 頭を垂れて表情がわからないこころを、薄く口を開いたままに睨んでそのまま止まっている橋姫。そんな思考の止まった橋姫にこころが次の言葉をかけた。

 

「耳尖ってるね。橋姫は尖っているの?面に耳はないからわからない」

「確かに面に耳はないし、本人に聞けるのだから聞いてみるのが一番ね。それに名前くらい教えてあげても」

「‥‥水橋パルスィよ、これは何? どうしたらいいの?」

 

「この子が舞台で演じた本人、それに会いたいと言われたから連れてきたのよ」

「で、どうしたらいいの?」

 

「さぁ? 会わせる事しか考えてきてないし、何かお喋りでもしたらいいんじゃないかしら?」

「案内役の割に何も考えてないのね、役に立たないエスコート役ご苦労様」

「色々してくれたから役には立ってる、悪く言わないでほしい」

 

「‥‥何か仕込んだの?」

「何も、最初の挨拶から仕込みなし。逸材でしょ?」

 

 あたしに見せるよりも随分と穏やかな瞳でこころの方を薄く睨み、小さな溜息を一つ吐く、緑の瞳を揺らして佇む嫉妬の権化さん。そいつに見られながら溜息をつかれてしまい、何をどうしたらいいのかわからなくなったのだろう、猿面を被りあたしを見上げるこころ。

 雰囲気から助け舟が欲しいらしい、何か少し言ってみるか。

 

「何か話してあげるくらいいいじゃない、減るもんじゃなし。それとも待ち時間が長すぎて色々忘れてしまった?」

「忘れた事もあれば覚えている事もあるわ、覚えているのは強い記憶。私の記憶‥‥わかるでしょう?」

 

「そう言われればそうね、話す様なことじゃあないか。嫉妬の話を聞いて楽しいのは人間くらいで、それも中年の女辺りだものね」

「橋姫は難しい、妬み嫉みを演じるのは私にはまだ難しい」

 

「そう、橋姫は難しいものよ。相手を知ってそれを妬む。相手の事を知った後は突き放すだけでその後はなくなる事ばかり。相手を変えての寄せては引いて。その繰り返しが続くばかりで、報われる事はない」

 

 妬みとは相手を知って自分よりも優れているところに感じる劣等感。裏返して考えれば、相手のいいところに目をつけられて嫌味を述べる言わば遠回しの褒め言葉、あたしが使う場合は後者の意味で使っている‥‥けれど、今はパルスィの言う方でしか捉えられず上手く使えない気がしている、寄せては引いての繰り返しか。そのつもりなく在り方を言われたようで耳が痛い。

 

「でも、パルスィの周りにはヤマメとかキスメがいるわ?」

「こいつらが変わっているだけよ、呼んでもいないのに来てくれて。行動的で妬ましい」

 

「アヤメも呼んでないのに迎えに来てくれた、妬ましい?」

「妬ましいわね、素直な思いを向けられて妬ましいわ」

 

「可愛いでしょ、もっと妬んでくれてもいいわ」

「口だけの相手は妬まない、妬むモノがないもの。どうしたの?らしくないわね」

 

「ヤマメにも言われたわ、気持ち悪いなんて言われて泣きそうだったのよ?」

「気持ち悪いはともかく泣きそうに見えるのには同意するわ、何を思いつめているの?」

 

 空元気にもならない空元気はバレバレで‥‥心の機微に関しては見透かされても仕方がないか、隠しても気が付かれていただろうし今は隠す術も思い浮かばない、ならいっそと思ったがさすがに人が多すぎる。テキトウにごまかしてこの場を乗り切れればいいか、気持ちの面では負けてしまうが口数でどうにかすれば、離れるくらいは出来るだろう。

 

「思いつめるなんて事はないわ、今はこの子の事で胸いっぱいよ?」

「人をなんだと思ってるの?口だけの相手は妬むモノがないと言ったのよ、それともその程度ということかしら」

 

「それはない、けれど」

「言い切るのか言い切らないのか‥‥歯切れが悪いわね、やっぱり気持ち悪いわ」

 

「それはどうも、ならあたしは放っておいてこころを構ってあげて」

「そうね、会いに来てくれたわけだし、橋姫らしく妬んであげるわ」

 

 こころを置いて輪を離れる。

 猿面被ってこちらを見てくるが戻るに戻れず橋の逆側、手すりに腰掛け煙管を燻らせる、こちらを見ていたこころにパルスィが何か話しかけてあたしを見る目はなくなった、おかげで少し落ち着いた。

 さっきも思ったこの風景、声は届くし姿も見える、触れたくなったら行ける距離感。だけれど今は行く気にならず行こうと思えず‥‥いつもなら言いたいことをズケズケと言ってあの輪に混ざっていくが、今まではなんと言ってあの輪に戻っていたのか、それが思い出せなくてかける言葉がない、なんだろうねこれは。

 楽しそうに笑う友人達を眺めながらモヤモヤの理由を考える、けれども逃げる事で精一杯だった頭では当然纏まらず、モヤモヤは募るばかり。本格的にドツボにはまりかけた頃、輪から離れた鉄輪持ちがあたしに声をかけてきた。

 

「静かなアヤメなんて、天気が悪くなるからやめてほしいわ」

「なら何を話したらいいかしら? なんでもいいはずなんだけど、何も浮かばないのよね」

 

「ヤマメに言われた事を気にして一人悩むなんて、寂しい姿が絵になるわね妬ましい」

「妬むモノなんてないんじゃなかったかしら?」

 

「演者の前だもの、橋姫らしい事を言っただけ。実際は妬む要素なんて色々あるのよ。それを見て何か羨ましいと感じられれば、それは妬ましいモノ」

「随分と雑ね、わかりやすくて妬ましいわね」

 

「使うなら正しく使えと言ったはずよ」

「そうね、言われたわね。忘れてないなんて覚えがいいのね妬ましい」

 

「まだ雑ね、まぁいいわ許してあげる」

「手厳しいわね、それでも許してくれるなんて寛大で妬ましいわ」

 

 こんな風に話していたっけか、少しだけ思い出した。つい最近の事だというのにこうまで思い出せないとは、成ってから考えようなんて出発したてに思ったが、いざ成ってからでは考えられず困ったものだ。

 それでもおかげで少しはわかった、確かに要素は色々だ。妬み嫉みに限らずとも他の物でも色々あってそれでいい、それなら自分はこうと考えずに色々な面があってもいいかもしれない。らしさなんてそれくらいでいい気がしてきた。

 

「そもそもヤマメのお節介で吹っ切れた癖に、何を思い返すことがあるの?」

「聞いてきたの? お節介のついでのつもりか‥‥話ついでに言ってしまえば友人のお節介のせいで悩ましいのよ」

 

「お節介で悩むなんて、繊細なのね妬ましい」

「珍しく相談を持ちかけて見たけれど、いつも通りで変わらない。安定していて妬ましいわ」

 

「アヤメもいつも通りに返してくるじゃない、何がおかしいのかしら?」

「言われてみれば何も変わらないわね」

 

「強いて言ってあげるわ、無理に考えて安定させようと情緒が不安定になっただけね」

「それはつまり」

 

「必要のない無駄な足掻き、偶に見られるけどそれも性分なの?」

「‥‥性分ではなかったけれど、最近板についてきてるわ。困りどころね」

 

「あら、しおらしい姿が見られて周りは面白いかもしれない。それも持ち味にしてしまいなさいよ」

 

 ゲンナリとして自分に呆れていると、何処か楽しそうにほのかに微笑んであたしを見つめるパルスィ。腕組みして顔をわずかに傾けて上目遣いで舐める様に見られている、面白いか。

 あたしとしてはまたか、という残念な気持ちでいるのだが・・しかも今度は自身の事で空回り。前回のように読めない誰かの事でから回るならまだしも、自身の事でこうなるなんて。情けないったらありゃしない。

 

「顔色も少し悪いわね、鉄輪を巻いて川に浸かったわけでもないのにね」

「形相も変えたほうがいいかしら?」

 

「でもダメね、アヤメが川に浸かっても流れを畳に変化させるだけだし」

鰥夫(やもめ)を狙うほど飢えてないないわ、ヤマメは狙ったけれど」

 

「お盛んね、妬ましいわ」

「パルスィも‥‥って、何度もやる手じゃないわね。何度もやったら飽きられるもの、いつでも驚きを提供したい化け狸として、マンネリはダメよね」

 

 そのしおらしい姿も驚きの一つ。だから皆に披露しなさい、と先に輪に戻るパルスィに手招きされる。なるほど、狙った物ではなくても驚きは提供できるのか。少しだけ腑に落ちないモノを落とすように、小さくケンケンと片足飛びをしてよくわからないモヤモヤを腑に落とす。何が落ちたかわからないが、それだけでスッキリ出来たのですんなりと少女の立てる喧騒の輪に戻れた。

 橋姫と橋姫面の間に割り込んで両手に橋姫携えて、妬み嫉みも混じえたどうでもいい世間話の輪に混ざる。話す内容が些細な事なのだ、難しく考える事なんてなかった、しっぺ返しなんて身構えたが、案外些細な事かもしれないと楽観的に考えておくことにしよう。

 橋の女神に橋から見える美人狸に例えてもらったわけだし、今は気を良くしながら姦しくしていればそれでいい。

 

 

 余談だが耳は尖っているものだそうだ。

 とがらせるのにはどうしたらいいか、そう聞かれて困る橋姫は少しかわいく見えた。

 




鉄輪とは橋姫伝説にあるもので、火鉢の中に置く台座のようなもの。
理科の実験でアルコールランプを使い何かを温める時に台、みたいなやつです。

畳に変化や橋から見える狸ですが、下井手川の狸という昔話です。
落ちに補足なんてアレですが、自分も調べるまで知らない話だったので。



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第七十九話 演目巡り 目録外

慕われて頼られて そんな話


 感情の見えない瞳で何を見るのか、旧地獄街道の町並みをまるで珍しいモノでも見るように眺めて隣を歩く、感情豊かな無表情。被る面はしばらく前から火男のまま変わらないから、楽しんでいる事は感じ取れた。

 因みに先日の様な大所帯とはならず、今はまた二人に戻って街道を歩いている。大穴の入り口からさっきまで一緒だったヤマメキスメは、先程のまでの尋ね人だったパルスィの橋で別れる事となった。元々が面白半分の暇つぶしでついてきたのだろうし、特に言うこともなかったので気にせず、また帰りにとだけ告げると、三人揃って片手を振ってくれた。

 放った言葉に対して言葉以外で返してくれるのも面白い、仕草だけで伝わるモノもある。何かを返すのに難しい言葉は使わずとも、意外と簡単な事で意思の疎通が図れる。

 隣の面も教えてくれた事、中々に面白い。

 

 土蜘蛛橋姫と続いて次は華の三日月大江山、そう考えていたのだが勇儀姐さんは見当たらず、通りを歩く雄の妖怪を捕まえて聞いてみると今はどこかへ出ているそうだ。

 どこへ行ったか知らないが帰ってくるまで待つのも暇だ。どうしたもんかと考えて思いついたのは地霊殿、演目巡りの内にはいないと思ったが来たついでに顔を出そうと考えた。

 思い立つ日が吉日とも言う、用事はないが行ってみよう。こころと二人歩みだそうとしたけれどあたしの前で動かない雄。暑さに負けて開いたままの着物の肩口、その中央を鼻下伸ばして眺める雄、正直な視線は嬉しいが今はこころもいるしその気もない。

 お兄さん、ありがとう、そう言って頬を撫でながら冷たく笑う。殺気など込めていない唯の謝辞のつもりだったが表情から勘違いされたのか、一目散に逃げられた。

 

 肩口を直し少し考える、センスのいい着物をくれた相手に夏服の相談をしてみよう。

 主体で着るのはこの着物だが、他の少女達のように身軽な物を持っていてもいいかもしれない、そう考えての思いつき。見立てついでにまた貰えれば考える手間もない、悪くない考えだとニヤニヤ笑いこころの手を引いた。あたしの笑みを見て怖いなどと付喪神に言われたが、女は怖いものだと教えると難しいがそれが色なのかと何かを納得してくれた。

 

 狐の面など被ってくれて、そう真面目に捉えては覚えるのはまだまだ先だと、薄く笑って面を眺めた。コロコロ変わるこころの面、色々見てきて最近わかってきた。

 例えば今の火男面、楽しい時や面白い時など喜ばしい感情の時に見せる面。連れ歩く中でよく見せてくれる面で、案内役としてはありがたく感じられる陽気な面だ。

 次に多く見るのは猿の面か、何かに悩んでしまったりどうしたらいいかわからなくなった時に被る面。個人的にはこの面が一番気に入っている、疑問疑惑を解きたい時に被って近寄って来る姿。中々に悪くない。他にも真剣な時に被る狐面や悲しさを表す姥の面、福の神や般若なんてのも見せてくれるが常日頃は女の面だ。貴族の女が微笑んでいるような面、何事もなく落ち着いている時はこの面で過ごしている。

 もうすぐ地獄街道の町並みも見慣れてこの女面に戻るだろうが、これから会わせる相手にはどんな表情を見せるだろうか。こころの心を読む相手、感情の見えない瞳VSジト目になるが両者の表情がどうなるか、少し楽しみだ。

 

 右を見ればアレは何?

 左を見ればソレは何?

 と、質問の雨あられが飛んでくるが、テキトウに返答をして目的地へと歩んでいくとほどなく着いた地底の町の中心部、町並みは古き良き日の本の国らしい長屋や造りばかりが立ち並ぶ地底世界。そんな中一箇所だけ西洋様式で建てられた洋館、地霊殿。

 地底の者達は、ここに住んでいる妖怪を忌み嫌い恐れて近寄らないって話だったが、この異彩を放つ造りの建物も近寄らせない雰囲気作りに一役買っている気がする。門戸を開き潜って踏み入ると、香箱組んで静かにしていた大型の黒い猫が瞳を開き立ち上がる。あたしと並べば腰よりも上に背中が来そうな大きな姿、後ろ足で立てばあたしよりも大きいだろう。

 

 自然界にいれば弱肉強食のてっぺん辺りにいる黒猫、それがあたしの太腿に頭を擦り付け甘えてくる。野生など失われた愛らしい姿、黒豹なんてジト目は言っていたがこの姿は猫だろう。

 猫にしては鳴き声も野太いし体も爪も大きめだが、甘える仕草やしなやかさはここの火車が猫の姿でいる時となんら変わらないものと思える。口をついて出たその火の車だが、屋敷にいる時は出迎えに出てくる事もあるが今日は来ない、趣味の拾い物にでも出ているのかもしれない。

 

 あたしに纏わりつく黒猫、少しでかくて威圧感があるからかこころが手を伸ばすことはない。さすがに妖怪で恐れるような相手ではないが、面としては爪を立てられたりしては困るのか、興味はあれど触れらないといった雰囲気。そんな面霊気の手を不意に取り黒猫の頭へと乗せた、嫌がることも暴れることもなく乗せられた手の動きを待つ猫。あたしの方を伺うこころ、そんな無表情を薄く笑って眺めているとこちらを見たまま手を動かした。

 ぎこちなく動く手が少し可笑しいがソレに対して笑うことなく薄笑いを崩さない、猫の方は少し困り顔だが首を撫でるとそのままでいてくれた。話さないペットたちも賢くて愛らしい者達が多い。動物は愛でるものですよ、ここの主から言われたこの屋敷のマナーの一つ。言葉で言わず仕草で伝える、これもその内の一つといえるかもしれない。

 ポンポンと軽く首を叩くとあたしたちより先に屋敷の中へと戻っていく黒猫、来訪を教えてやってくれとお願いしてみたがウマイこと伝わってくれたようだ。玄関から左右に伸びる通路、その右手側の通路に建て付けられた窓越しに動く大きな灰色が見えた。今日の出迎えはジト目の主ではなくあの案内係らしい、玄関扉を開くと案の定目つきの悪い鳥がいた。

 

「アヤメ、目が怖いこの鳥は何?」

「案内係のハシビロコウさん、目つきは飼い主に似て悪いけど、賢いのよね」

 

 あたしよりも高い位置にある嘴に手を伸ばす、体は動かさず目だけを動かしてこっちを見るハシビロコウさん。何度会っても威圧的で会話もないからか何故かさんとつけてしまう、それでも違和感がないから不思議だ。

 さすがに威圧感に負けたのかこっちには近寄らない面霊気、黒猫を撫でる時は狐面だったのに今は猿面だ。怖いという割には困っている時の面なのがなんとなく可笑しくて少し和んだ。

 

「主はどこかしら?」

 

 言葉を聞いてやっと動き出すハシビロコウさん、向かう先は書斎の方。客間ではなくそちらへ通してくれるくらいにはこの鳥にも信用されたようだ、言われず態度だけでもなんとなくわかった。

 こころの手を引き廊下を歩む、偶に強めに手を引いて歩む。少しだけある絵やツボなんかの調度品、それでもこころの心を掴むには十分なものらしく、立ち止まりかけてはあたしに引かれるこころ。同じ品物同士気になる何かがあるのかね。

 

「さとり、来ちゃった。入ったわよ」

「ノックもせずに扉を開けて‥‥言う事は入った、ですか。行動も言葉も間違ってないのが腹立たしいですね」

「さとり?」

 

「こんにちは、秦こころさん。ようこそ地霊殿へ、招いてはいませんが挨拶くらいはしますね。古明地さとりです」

 

 この場にふさわしい言葉で話しかけてみるが、腹立たしいなんて開口一番からつれないジト目だ。それはともかくとして、気になったのはこころの面。こころを読まれて何を被るのか気になっていた、狐か大飛出辺りと考えていたが、予想通りの狐面。

 

「狐の面なのね、やっぱり」

「アヤメ、何かしたの?」

「何もされていませんよ、何もせず驚くこころさんを見て笑っているだけです。信頼し過ぎても後で痛い目を見ますよ、こころさん」

 

「痛い目にはもうあった」

「アイアンクローなんてわざとらしい照れ隠し、まぁ体感しているならわかるでしょう。今も狙われていますし、離れたほうがいいかもしれませんね」

 

 使いに出した黒猫を側に置いて、三つのジト目であたしを見つめる地霊殿の主。古明地さとり

 この間は目を見開いたり手伝いをしたりと見せない姿を見せてくれたが、今日は開幕から平常運転絶好調だ。こころの心を読み取ってそこからあたしに軽口を言ってくる。

 見知ったあたしからすれば当たり前の会話の流れだが、こころはどう感じるのか。表情を作ることは出来ず面で感情を表す少女、名前を言い当てられてからずっと狐面だが、何を考えているのやら。

 

「何故名前がわかったか、それを真面目に考えていますね。私は覚り、心を読む妖怪です。納得してくれたなら良かった、アヤメさんは面白くないようですが」

 

「すぐにネタバレしては面白くないでしょ?」

「アヤメ、やっぱり酷い」

「他人の心をなんと考えているんですかね、読まなくてもわかるから返答はいいですよ。今日は‥‥能演目の本人ですか、ではなぜわた……ついでなんですね」

 

 問いかけには即答してそっちじゃない方を考えてみる、返答から溜息を吐くジト目はとりあえず放置でいいだろう。

 他人の心とは欺いて笑い惑わして笑う為のもの、昔からそう考えている。ただ気まぐれで相手を思うこともある、そうした方が結果自分も笑えることが多いと知れたからだ。

 そう考えさせてくれた内の一人はここの地獄烏達なのだが、恥ずかしいから自分からは言わない。こう考えているだけでさとりにはバレているが、多分さとりも言わないだろう。言えばきっと面倒になるとわかっているはずだから。

 

「そうですね。今でも十分お母さんですから、私から言う事はありません。自分から言うのを止めることもしませんよ?」

「母親? アヤメが産んだのがいるの?」

「いないわよ、あたしの子にしてはあの子は真っ直ぐ過ぎるもの」

 

「アヤメが照れてる、マミゾウやぬえ以外にもそんな顔する人がいたの」

「そのお二人に向けるものとは違った思いですね、どちらかと言えば貴方を思う気持ちに近いですよ。こころさん」

 

 狐面を被りあたしを見るこころ、そんなに真剣に見つめられると真剣に考えないとマズイ気がしてくる。確かにここのペット達には親のような思いがある、それは心地よい思いで否定などする気はない‥‥けれどそれをこころに対しても感じるかというと、まるっきり同じとは思えない。

 何が違うのだろうか?

 同じく真っ直ぐに向かってきてくれる相手、そこに違いはないがなにか感じ方は違う。

 では感じ方の違和感を探してみるか。

 まずお燐、あの子も素直だ、ソレは一緒、けれどあの子の素直さは自分に対しての素直さだ、あたしに向けることはないが火車らしい畏怖なんてのも持っている。初めて会った時も、腕を拾ってくるからと理由をつけて逃げようとする狡猾さも見せた、自分の心に真っ直ぐな素直で可愛い火の車。狡猾さはともかくとして畏怖という妖怪らしさはこころも持っている、異変の元凶として暴れ感情を奪うかもと不安を煽る姿。本人の意図したものではないが、結果そうなる、そう出来る力がこの子にもある。その辺りが似て見えて、同じような思いを抱くのだろうか?

 少し違う気がする、こころの真っ直ぐさはお燐の真っ直ぐさとは違うように感じられる。

 

「アヤメさんが悩む姿、何度も見てますが何かこう視点が面白い。自分の事なのにまるで自分は蚊帳の外にいるような感覚ですよね」

「主観で考えるよりもこっちのが纏まるの、癖よ癖」

 

「悩み事、さとりならすぐわかりそう」

「わかりますよ。アヤメさんもわかっているはずですが、この人は厄介な思考をしてまして‥‥結論はわかっているのに何故そうなのかと深く考える、私からすればそれは滑稽で面白いんですよ」

 

 あたしが真剣に悩む姿をジト目のまま薄く笑い眺めるさとり、そんなあたし達を女面を被り見比べるこころ。お前の事なのに落ち着き払ってくれて、冷静ね妬ましい。

 さとりも人が大真面目に考えているというのに滑稽とは辛辣だ‥‥だがまぁいい。あたしも他人の心を面白がっているんだ、逆に面白いものとされる事もあるだろう、気持ちがわかるから反論はしない、寧ろ共感者として一緒に笑いたいくらいだ。

 お燐との差異は考えた、なら次はお空か。こっちは比べる必要がない気がする、こころは聡い。あたしの心の機微に気がつくくらいに聡い、対してお空は全力で自分の事をぶつけてくるだけだ。まるでお空がアホの子だと聞こえるが実際アホの子だ、アホの子で馬鹿正直すぎてそれがたまらなく愛おしい。さすがにこころはそうとは思えず‥‥けれど同じような愛しさは感じる、腑に落としたはずのモヤモヤが登ってくる感じがした。

 

「フフ‥‥お母さんが困っていますね、こころさんから何か言ってあげては?」

「アヤメは母と呼べるほど包容力がない、でも頼れるよ」

「褒めてもらったのか貶されたのか、お母さんよくわからないわ」

 

「こころさんは素直に褒めていますよ、母は認めるのにこっちは認めないなんて確かに包容力がない。振り回されてお互い大変ですね」

「わかった上でのその口ぶり、またこいしと一緒に遊ばれたいのかしら?」

 

「本当に……誰かに鈍感と言われたことはありませんか? ここまで気がつかないなんて、アヤメさんって案外お空に近いんですね」

「それはお空と同じくらい可愛いって意味かしら、やっぱり飼ってみる?」

 

「お断りします、愛でても可愛さの見えないペットはいりません」

 

 つれない飼い主様だ、狸の姿はそれなりに可愛いとマミ姐さんの太鼓判を押されているが、断られてしまっては見せる必要もないか。それよりもだ、二人して包容力がないなんて。

 確かに雄狸と違って包む風呂敷は広げられないが、それなりに面倒見は良い方だと思っている。今日もこうして連れ回しているし、あっちは妹に振り回されてこっちはこころを連れ回して、言われる通り結構大変かもしれない。

 本当にお互い‥‥ね。

 

「気がついたらついたで一瞬でやる気のない顔をして、だらしないですよ? 妹さんが見ています」

「しっかり者の妹だから姉がぐうたらでも大丈夫、放っておいても強く生きてくれるわ」

 

「何の話?」

「ここの放蕩娘の話よ、さとりの妹でこころの面を拾ったあの子」

 

 あの覚りか、と狐と蝉丸をコロコロと見せる付喪神。

 何度かやり合っても全て負けてしまい、面を取り返えせなかった相手だったはず、今回の来訪では姿を見てないがこっちにいるのかどっかに出ているのかもしれないね、何回かに一回はこの屋敷で会うけれど、今日は会わない日になりそうだ、あの案内係の羽毛が乱れていなかった、いるならあの鳥はボサボサになっているはず。

 顔をあわせないで済みそうよ、そう伝えると女面に戻り安堵する妹分。ジト目の方はそれを見て少し難しい顔をしているが、どっちの肩を持つ気にもならず何も言わずに黒猫を見る。

 目が合いこちらに寄ってくる猫、お前は何も気にせず愛でられるだけでいいわね。言葉にはしないがそんな気持ちで頭を撫でる、気持ちよさそうに目を細める猫。

 会話が出来ない相手にはそんな顔をするのに、とジト目に横槍を入れられるが気にせず撫でてこの場を濁した。  



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第八十話 演目巡りの中休み

旅の買い物も醍醐味の一つ そんな話


 赤と黒のタイルが交互に並ぶ廊下を歩く、コツコツとリズムよくなる靴音を聞きながら洋館の扉を押し開いて外に出た。今朝から誰かと一緒のせいでなんだか久しぶりに一人の時間に思えて、随分と気が楽だ。

 一緒に来ている妹面はここの屋敷の主に一時預けて、これから一人で少しのお買い物、私も一緒に行くと言ってきたがさとりに読ませて協力させた。買い物ついでのサプライズ、夏服を見るついでに愛しい妹面に何か買おうか。そう考えるとさとりもすぐにノッてきてくれて、上手く誘ってこころの心を引き剥がしてくれた。妹思いの優しい姉妖怪はこういう時には扱いやすい、簡単に礼を言って一人で旧都の喧騒の中に向かって歩き出した。 

 さとりに興味を持ったこころの話が落ち着いた辺りで、何かこれからの季節を涼しく過ごせる夏服は思いつかないかと聞いてみたが、さとりも思いつかないらしく、どうせなら仕立て屋さんに聞いてみてはと代案を出してくれた。

 

 聞けばなんでも、勇儀姐さんやパルスィも御贔屓にしている店らしくてそれなりに腕もいいらしい、色々な洋服を手に取り、あれやこれやと話す姦しい鬼神二人を想像して思わず笑ってしまった。そんなあたしの妄想を映像として読み取ってさとりも笑ったため同罪だ、もしもこれが裁かれるなら二人仲良く裁かれようと笑ったままで伝えると、三つのジト目で頑なに拒否された。本当につれないジト目様だ。

 さとりに教わった通りに旧地獄の街道をちんたらと歩いていく、外と関わらないくせに仕立て屋さんなんてよく知っているなと思ったが、最近は買い物なんかでよく出歩くらしい。あのさとりが、と思ったが元を正せばどうにもあたしのせいらしく、他人事だと笑わないで下さいとお叱りを受けてしまった。他人事には違いないはずだが笑ってはならない理由があったかね、引きこもりの考えはよくわからない。

 

 店へと向う途中で数人から声をかけられる、エロい顔した男と下卑た笑いを浮かべる女。

 鬼との喧嘩をしてからというもの、やたらとこの手の輩から声を掛けられることが多い、男の方は一蹴して終いだが、女の方は面倒臭い。大概が勧誘話で、うちで一緒に客を取らないかという儲け話。見た目と気風が気に入られて誘ってくる事自体は嬉しく思うが、客を取るなら自分一人でやったほうが儲かるし、その気は起きないから誘いに乗ることなんてなかった。

 他にも声かけてくる者がいる、その内の狸の姐さんなんて言ってくる奴らは可愛い手合が多い。向かう途中でそんな相手、姐さんと声をかけてくる二人とも会った。

 

 若い鬼の男と紫の羽織が目立つ青年くらいの蛇の男。二人とも名前は知らないが面識はあるし酒の席も共にした事がある相手。勇儀姐さんとの弾幕ごっこ(物理)の後に始まった宴会でご一緒した二人だ、片方は弾幕ごっこ(物理)の前に殴られ店から飛び出した鬼で、もう片方は声をかけられていると勘違いした紫の羽織。

 地底の町で声をかけてくる男は大概が買い目当ての鼻下の長い輩ばかりだが、この二人からはそれを感じられず、気安い会話が出来る相手と考えていた。相手の方も同じようで、偶には色のある事でも言って誘ってくれてもいいのにと、科を作り少しからかった事があったが、星熊の大将のお気に入りに手を出す勇気はないとフラレてしまった。

 別に勇儀姐さんの女ではないのだが、そう言われては言い返す言葉もなく、毎回なんでもない世間話をしたり、一人酒の場合は飲み相手として付き合ってもらっている。今日は誰目当てかと聞かれたので蛇目当てだと微笑んでみると、狸に狙われたら本当に喰われるから勘弁してくれと笑われた、冗談も通じる面白い男たちだ。

 会ったついでに二人にも聞いてみた、夏服代わりにあたしが着るなら何がいいか。鬼の方はどこかの誰かさんみたいな肩口から下げて着崩した浴衣、裾も広げているとなお良しって笑いやがった。後で見ていろ実際それで迫ってやる。

 蛇の方は普段はかっちりとした着物なんだから、夏服くらい足出したり肌を見せたりしてもいいんじゃないかと言ってくれた、こっちも下心が見えなくもないが、理由は筋の通った物に聞こえたのでそっちを採用することにした。

 

 仕立て屋さんの場所もついでに再確認して二人と別れた、別れ際に大将の相手に飽きたら宜しくなんて言い逃げていったが、その気もないくせに言うなんて誰かに似て口が軽くてなんだか笑えた。煙管を燻らせながら煙のようにふらふらと歩く、どこかの飲んだくれ幼女のように千鳥足ではないが肩を揺らしてふらふらと。なんとなく歩く姿を想像し、これも同じ中毒者かと、想像で描いた自分の背中を見てニヤけた。

 少し歩いて目的の店に着く、外から眺める感じでは吊るしの一揃えが多く並ぶ呉服屋といった感じだが、さとりの話では頼めば仕立てもしてくれるらしい。

 

 そこまで本格的な物はいらないと考えていたので、何か吊るしで良い物があれば、それくらいの軽い気持ちで店内へと入る。店に入っても迎える言葉はなく静かな店内にカチャカチャと何かを選ぶ音だけが聞こえた、先客でもいるのかと音の方へと目をやると、会いたいときにはいなかった赤い一本角の黄色星が目に入った。用事とはここだったのかとバレないように気配を殺し、あたしに対して向かってくる注意や警戒の意識を逸らして背後から声を掛けた。

 

「それだと姐さんの体には苦しそうね」

「うぉ! アヤメか、なんだい来たのか。これじゃ小さいかねぇ」

 

 手にとっているのは襟が大きめで白地の開襟シャツ、丈が短めで腰の部分が絞られたピタッとした縫製の物。姐さんが着れば確実に似合うだろう造り、普段着のそれとは違って着物の時のような趣味の良さが見える服だけれど‥‥姐さんの性格と体格を鑑みると少し苦しいような気がした、非常に我儘な、同姓から見ても羨ましいと思える体つき。そんな体の癖に大して気にかけず豪快に動くもんだから、耐え切れなくて弾け飛ぶボタンは数知れず。

 おかげで普段着は動きやすいあの運動着っぽいやつだけだ、何度か苦言を呈したが笑ってすまないというだけでまるで気にする素振りがない、困った我儘ボディの持ち主だ。

 

「またボタン飛ばして終わりよ?」

「そう言われると自分で着る気が起きないな、ならこれはアヤメに買ってやろう。気に入ったから後で着てみせろ」

 

「あらいいの? 確かにサイズはあたしのサイズだけど、白だと透けるのよね」

「透けるくらいがなんだってんだい、下着が見えて恥ずかしがる乙女でもないだろう?」

 

「コレしか着ないから下着の習慣がないのよ、冬場は寒いから下は履いたりするけど」

「おうおう随分健康的だ、なら中に着るのも選んだらいい。ついでに買ってやる」

 

 コレといって着物の合わせを直す仕草、緋襦袢は着るがその下は大概何も着けていない、なんだか窮屈で苦手としていて着け慣れない、なくて垂れてしまうほど大きくないしまだまだ張りもあるから問題ないと考えている。

 しかしありがたい申し出を受けた、あたしが見ても趣味の良いシャツでそれを買ってもらえるなら素直に甘えよう、お陰様で予算が浮いた。

 

「鬼の大将らしく気前がいいのね、惚れてしまいそうだわ」

「着ている所を見た後で脱がしてやってもいいぞ?」

 

「残念ね、今日は一人じゃないからゆっくり出来ないのよ」

「なんだ、またぬえか? それとも新しいのでも引っ掛けたか?」

 

「最近出来た可愛い妹よ、姐さんが人里で酒飲みながら見ていたと思う相手よ」

「ってぇ事はあの付喪神か、なんだい手が早いじゃないか。後で紹介しなよ、あいつも面白そうだ」

 

 忘れ去られた鬼だってのに、あの飲兵衛子鬼と二人して人里の飲み屋の二階を貸しきって、酒を煽って騒いでたという勇儀姐さん、多分こころの喧嘩も見ていたはずと思いカマかけてみたが正解だったか。姐さんの話を聞いたのは人里が騒ぎ出してからすぐで、見た目エロい妖怪がどんちゃん騒ぎしていると聞いてピンときた時だ、それからこころの喧嘩までしばらく日が空いていたと思うが、何日あそこで騒いでいたのか。

 顔を出さなくてよかった、付き合っていたらキリがないところだった。

 

「勿論そのつもり、というよりその気で来たのにいないんだもの」

「そいつは悪かった、今日は朝からここにいてな? 中々決まらなくて困ったもんだ」

 

「朝ってもうすぐ昼餉だけど、何時間悩んでるのよ」

「来たら開いてなくてな、無理言って開けさせた」

 

「姐さんに優しく抱き起こされるなら羨ましいけど、どうせ叩き起こしたんでしょう?可哀想に」

「なんだい、やけに誘ってくるな? あんまりしつこいと攫っちまうよ?」

 

「今日はダメって言ったでしょ? それより服はもういいの?」

「気に入った一枚はアヤメに買ってやる事になったし、あたしのはもういいさ」

 

「あたしのってのはどういう事かしら?」

「自分のが決まらないからな、他人のなら決まるかもしれない。買ってやるから選ばせろ」

 

 つまりは着せ替え人形をさせろってことか、この口ぶりは断れないパターンだし逃げるのも無理か‥‥なら少し自分の好みを混ぜられるように譲歩してもらおうか、夏物買いに来て冬物買われても困る。

 

「ちなみに、何も言わずに選んでもらったらどうなるのかしら?」

「あたし好みになるだけさ、どれ試験代わりに選んでみるか」

 

 少し時間を寄越せと店の中で動き回る姐さんを眺める、それなりに時間が掛かりそうだったので一旦外に出て煙管を燻らせる。しばらく待っていると決まったらしい、店の中から手で招かれた、煙草を踏み消し中へと戻る。

 こんなもんだと店内で店開き、鬼の選んだ物を順に手に取っていく、最初に手に取ってみたのは着丈が短めの浴衣、濃い目の藍色で背中には似たような色の糸で施された鯉の刺繍。髭や目の周りと一部の鱗だけに金色の糸が使われていて、浴衣の色合いを豪華な物にしている。

 二枚目に手にとったのは洋装らしい、裾の周りにフリルの着いたミニ・スカート型のワンピース、色は黄でフリルは黒という作り。何処かで見た気がするが思いつかず、気にせずに手にとって肩に当てた時に見せた姐さんの笑顔、口角を釣り上げたらしくない卑屈な笑い。狙ったな、さては。

 後数点持ってきた洋服があるが、どれもこれも敢えて狙って持ってきただろうふりふりで可愛らしい物ばかり、着る人が着れば似合うだろうが‥‥さすがに着こなせる気がしない。

 

「却下、というか試験代わりって自分で言ってこれなの?」

「スマンスマン、こっちは唯の遊びだ。袖は通さないが、全てを肩に当てるのを見てるだけでも面白かった」

 

「持ってきてもらった手前、宛てがいもしないのは、ねぇ?」

「そういう変な律儀さはお前のいいところだ、こっちが本命さね」

 

 そう言いながら差し出してきたのはまたしても洋装、またかと思って広げてみると思った以上に悪くない物。一番大きな服から見ていくと、少し股上は浅いが丈はマキシ丈のロングスカート、色は黒で膝より少し上くらいからスリットの入った動きやすそうな物。

 もう一枚は黒のシャツ?かと思ったがそうではないらしい、どこぞの腋巫女の様に袖のない形でピタッとしたインナーが一枚。なんとなくあの橋姫を思わせる黒のインナー。

 

「上も下も真っ黒なのね」

「買ってやる予定のもう一枚があるだろう?」

 

「なるほど‥‥これなら悪くない気がするわ。試着してみようかしら」

「その銀縁のおメガネに叶ったかい?徳利は預かるから着替えてきなね」

 

 スルスルと帯を解いて試着室にかけていく、帯といっても細帯で止めているだけだからそれほどの手間ではない。着物も脱いで備え付けられた眺めの衣紋掛けに通しておく、浴衣があるくらいだ、着物用の(ゆき)の長い衣紋掛けも問題なくあった。

 緋襦袢を肌蹴させてふと気がつく、洋装で下着がないのはちょいと困る。カーテン越しに待っている姐さんに下着も何か寄越せと言ってみると、黒で臀部側が紐のような下だけが渡された、紐ではなく下着がほしいと文句を言うが尻尾が邪魔だろうと正論が返ってきた、なら上はと聞くとインナーで十分らしい。パルスィのお墨付きだそうだ、それなら安心。

 

 襦袢も脱ぎ下着を履いてスカートに足を通す、普段よりも随分と涼しい。スリットが思ったよりも高い位置、太腿辺りから入っているが涼しいから丁度いいだろう、インナーを着るとパルスィの言う意味がわかった、丁度胸の辺りでラインが付いていて厚手になっている。これなら問題ないだろう。

 最後に白の開襟シャツの袖に腕を通す、長袖だが生地は厚いものでもないし、暑ければ袖を折るなり返すなりすればいだろう。インナーもシャツも丈が短めでスカートの股上も浅いからか、ちらりと腹が出るが問題ない。寧ろ涼しくていい。

 備え付けられた立ち見鏡で整えて、とりあえずの着替えを済ませた。

 

「着替えてみたけど、どうかしら?」

「悪くないね、さすがあたしの見立てだ」

 

「そうね、姐さんやっぱり趣味がいいわ」

「おだてたな? ノッてやろう、これも付けとけ」

 

 手渡してくるかと思ったが渡されず、受け取ろうと伸ばした手を避けるようにして、あたしの頭の上へと伸びる姐さんの腕。

 左耳を摘んで何かをはめられるような感覚、少し強めに指で抑えられきっちりと固定されたそれ。何が着いたかと見てみると眼鏡の銀に合わせた銀のカフス、凝った意匠はないが、中央から短い鎖の垂れている物。お揃いのつもりかね。

 

「なんだか管理名札でも付けられたみたい」

「はっはぁ、値札なら買うんだがなぁ」

 

「そういえば片方だけ?」

「あたしが四つで萃香が三つ、この間顔を見せたあいつは本来二つだ。なら一つでいいだろう?」

 

「枷に嵌められるほど悪いことしてないわ」

「逆だ逆、繋がってない鎖なんだ、枷から外れた外法者さね」

 

「なるほど、それならいいか。折角の贈り物だし有りがたく頂戴しましょ。本当にいいの?」

「鬼に二言はないよ、決まりならそのまま帰れ。履いた下着を脱ぐ気はないんだろ?」

 

「残念だけど今日はダメね、またそのうちに来るから‥‥その気があればその時に」

「言ったな? 嘘は嫌いと知ってて言うんだ、服はその代金代わりにしてやるさ」

 

 言うだけ言ってお預けばかりが続いていたからか、気楽に返してしまって取り返しがつかなくなってしまった。

 まあいいか、それはそれとして楽しめりゃあいい、お空の起こした異変の時に散々裸は見られているし、包帯の換えなんかもしてくれた姐さんだ、今更恥ずかしがる事もない。

 その気があればと保険もかけた、その気がないと断るのなら嘘にはならないだろうし、そもそも本気なのかも定かじゃあない。

 

 服のお礼を丁寧に述べて、こころへの土産を探していると耳で揺れる鎖をちょいちょいと指で弄ばれる。何を探しているのか聞かれて妹への土産と答えると、これなんかいいんじゃないかと銀のカフスボタンを手渡された。

 あたしも気に入ったのでこれと似た黒のカフスボタンに決めると、自分の趣味はいいと自画自賛を始めた勇儀姐さん。本気で選べば趣味がいいのに、着られるサイズがなくて大変ねと少しの軽口を言ってみると、文句を言うなら脱いで行けと、笑いながらひん剥かれそうになった。

 笑って冗談だと言うが、自身の力加減を考えてやって欲しい。本気でひん剥かれるかと思った、人前だとちょっとと言っていたヤマメの気持ちがわからなくもない。

 替えの下着を数枚とインナーも数枚、ついでに浴衣も自費で購入し、着ていた着物を畳んで貰った紙袋に一緒に収める。帰宅したらしっかりと虫干しをして大事にしまおう、次の季節で楽しむために。

 笑っている姐さんに洋服のお礼と別れの挨拶を述べて仕立屋さんを後にした。

 

 店を出て少ししてから気がつく、勢いで買い物を済ませてすっかり忘れていたが、尻尾をどうしたもんか。

 手を振って出てきてしまった手前、格好悪く戻るのも気が引ける、とりあえず地霊殿までは飛んで戻ればいいとして、尻尾穴は‥‥さとりかお燐にでも頼んでみよう。お燐の服も多分尻尾用の穴が空いているはずだ、なんとかしてくれると祈ろう。

 問題は後回しにしておいてとりあえずだ、この格好で何を言われるか。見立てが鬼と知って何と言うか、そんな楽しみを胸に地霊殿への帰りを急いだ。 



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第八十一話 演目巡りの旅の宿

変えると慣れるまで大変 そんな話


 各々の第一声。

――アヤメ可愛い! スカートだ! どうしたの!?――

――シャツ姿、見慣れないけどそれもいいね―― 

――おめかししてデートかい? 相手は誰だいお姉さん。部屋はどうしたらいいんだい?――

 

 こんな感じで、自分で考えていた以上に褒められて気分がいい、自然な笑みを浮かべながらクルリと周りスカートを翻らせる。調子にのって二回転なんてしたから結構な高さまで翻ったが、同姓しかいないし気にはならない。

 お尻見えた! と元気な声で言われたが、ちゃんと履いているから大丈夫と伝えると、履いてるなら大丈夫か! とこれまた元気よく返答された、相変わらずで可愛らしい。

 ここまでの評判は上々だったが一人だけ何も言ってこない奴がいた、第三のジト目で見つめてくれて何か言ってくるかと思ったが、何も言わずに読んでいた書物に視線を戻したここの主。

 皆の様に褒めることはなくても何かしらの反応は見せて欲しい、書斎の机に備えられた大きめの椅子に座るさとり。その椅子に狙いをつけて足早に近寄り背後を取る、第三の目に見られているが気にせずさとりの肩から顔を生やす。

 そのままの姿勢で何かを書き留めている羽根ペンを目で追っていく。書物の内容には興味が無いので、ペンの動きにだけ意識を向けながら耳打ちするような小さな声を掛けた。

 

「着物は気に入っているし大事にしているわ、でも暑さに負けたの」

「‥‥覚りの心を読まないで下さい。綺麗ですよ、似合っています」

 

「ありがと、見立ててくれた人もきっと喜ぶわ」

「誰かにお願いしたんですか?あの店なら水橋さん‥‥ではないんですね、勇儀さんってそういうのに疎いイメージでしたが」

 

 やっと褒めてくれた、それに気を良くし肩越しに笑みを浮かべる。けれど聞き逃せない単語が数点聞こえてきてあたしの耳がピクリと動くと、その動きに合わせて小さくチャラと聞こえる。まだ聞き慣れない少し耳につく音だが文字通りだ、気に入ったし気にしない事にした。

 勇儀姐さんの趣味、あたしも最初は疑ったが、実際に選んでもらうと意外と気に入ってしまい素直に買ってもらえた。後で払うかもしれない代償は高いモノかもしれないがそれはそれとしておこう、聞き逃してはいないがこのままだと言い逃がしてしまいそうだ。 

 

「パルスィの見立てならお揃いを選ばないわよ、その言葉も伝えるべき?」

「出来れば忘れてくれると嬉しいですね」

 

「温泉にでも浸かってまったり出来れば、綺麗に忘れられそうね」

「今日も泊まると考えているなら素直に言えば――わかりましたよ、今晩の部屋は用意しますしスカートの方も見ておきましょう、夜に着替えたら渡して下さい」

 

 あの嫉妬の元神様とお揃いのインナーを強調出来るように、開襟シャツのボタンは下から二つだけしか止めていない。ルーズに着崩していているせいか偶に下がって肩と鎖骨が見えてしまうが、そういうものだと気にしていない。

 ジト目妖怪の角度からは見えないが今も下がっていて、脇を晒し二の腕辺りでだぶついているシャツ。どこかの巫女のように脇も肩を晒している今の姿、そんな自分の姿を見て、やる気のなさ以外でも共通点が出来たと少し面白く思えた。

 そういえばあの巫女のところでお燐の姿を見かけた事もあった、捕まえて巫女の亡骸でも狙いに来たのかと聞いたがただの日向ぼっこだそうだ。地底でも地上でも太陽ならなんでもいいのかと、少し笑えた事だった。

 

「いつも話が早くて助かるわ、ありがとう。さとり様」

「正確には話していませんが‥‥伝われば会話だろうって‥‥覚りでもないくせに、以前に飼う気はないと言いました。様なんて心にもない事を言っても無駄です」

 

 本当に話が早くて助かる、そして最近気がついたこともある。今晩の部屋は用意しますなんて言っているが何時来ても用意されていると気がついた、それもあたしの癖に合わせて。

 今までは枕一つでそれを抱いて丸くなって寝ていたが、少し前からは枕が二つ用意されている。添い寝用ではなくて抱きしめる用と頭用の二つ、初めて気がついた時は口を抑えて笑いを殺した。

 落ち着くまで口を抑えて、気が落ち着いたらすぐにさとりの部屋に向かい素直に感謝した。口ぶりではまたですかと言いながら用意はしてくれているなんて‥‥嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

 ただ、おかげで可愛らしい問題も出来た、たまに、屋敷にあたしがいて妹妖怪も帰ってきている時の夜。あたしのベッドに潜り込んでくることがある。自分の部屋か姉のところへ行けと言っても、枕が二つあるから二人でいいのよと揚げ足を取って尻尾が抱きまくらにされる事がある。

 あっちの幼女の様に、妹拓が取れるほど強く抱きしめることはないからそのままにしているが、次の日の朝にそれを知った姉妖怪のジト目が少し怖くなって困る。

 そんな時は、妹思いで愛が強いのね妬ましい、などと言えば呆れていつもの目に戻るが、あたしの分だけ朝の紅茶が温くなったりすることがあってそれも少しだけ困りもの。

 

 それでも抗議したりはしない、そもそもお願いして泊めてもらっている立場であるし、その日の内に軽く謝ってくる事がわかっているから。毎回ではないが貯まった頃にやらかしてしまう気持ち、それは理解出来るものだったから。恋人同士でもない身内同士でも嫉妬するなんて面白いわ、それくらいの軽口は言うが罪悪感からかそれに対して言い返されたりもしない。言い返してくれたほうが楽しいのだが、それはバレているんだろう。いいところでいつもつれない主様。

 

「じゃあお礼に今日は一緒に寝てあげる?」

「狸の姿ならいいですよ? 見せるつもりがあるのなら、ですが」

 

「勘違いをしてるわね、別に恥ずかしくはないのよ?久しく獣の姿を取っていないから、可愛らしく戻れるかわからないけど」

「本気でそう返して来るんですよね、力のある妖怪は大概嫌がる事なんですが」

 

「あたしは自分を過大評価はしないもの、力があるとは思ってないわ。いつも素敵で可愛い矮小な一匹の狸さんよ?」

「唯の狸は鬼と殴り合いはしません、そして勝つこともありません」

 

「口が減らないわね、瞳の代わりに閉ざしたら?」

「癪ですが‥‥アヤメさんが考えた通りに言ってあげます、おまえが言うな」

 

 つれない主が珍しくノッてくれて嬉しくなり、肩越しにクスクスと笑ってしまう。少しの間はそのまま聞いていたさとりだが何かに耐え切れなくなったのか、あたしの口を手で閉ざす。

 瞳の代わりに閉ざされてしまったあたしの唇、しばらくは閉ざされた通りに静かにしていたがすぐに飽いてしまい、封印を解こうと閉ざしている封印を舌先で舐めた。

 ガタッと音を立てて震えるあたしの頭が生えた肩、それでも封印が解かれることはなく、仕方がないから解かれるまでは静かにしているようにした。

 

 静かになった口の代わりに自由が与えられている目を動かす、仕事を終えてまったりしているお燐とお空がこころに絡む姿が見える。

 絡むと言っても可愛い物で、こころの周囲を漂う様々な面を猫の姿のお燐が追いかけている、それを目で追うお空とこころ、言葉はなくとも騒がしいなと声を出せずに笑った。

 こう考えている思考もバレているようで、第三の目だけで睨まれる。目は口ほどに物を言うらしいが‥‥今の睨みからはうるさいから黙れと言われた様に思えた。喋っていないのに黙れとは‥‥難しい視線を浴びせられて変な感覚を覚えてくすぐったい。

 黙れというよりも黙らされている今現在、相変わらず唇の封印は施されたままだ。紫の術式よりも逸しにくい術式で、術者が解いてくれるのを待つしかないと思い、そのままさとりの座る机に開かれた赤い書物へ視線を戻した。

 

 中身は何かと少し読んでみると、右の隅から○月☓日・第12……と縦書で書かれているのが見える。書き出しの雰囲気から日記帳か手記のように見えてそれ以上覗くのはやめた、見せるための書物なら一緒になって読んでいくが、他人の綴っている日記を読むほど無粋ではない。

 読んでいいと言われても進んで読むことはないだろう、誰が何を考えているか……それを考えるのが楽しいわけで。私は今こう感じている、私にはこう見えたというのを本人から聞いてしまっては面白くなくなると考えているからだ。肩越しにそれが覗き見える今の立ち位置、口は閉ざされているが目は閉ざされていない。見てもいいというさとりからの言葉ない言葉なのだろうが、あたしはそれをヨシとしないので自ら両の瞳も閉ざした。

 こうなると残りは聴覚しかないわけで、意識しなくても耳だけが敏感になり色々と聞こえてくる、さとりが何かを書き留めてシュッとページを捲る音。漂う面を追いかけるトットトッという身軽な四足の跳ねる音。ファサッと柔らかな何かが羽ばたいて送る風の音、後はあたしの尻尾にじゃれついて楽しそうに笑う声。どうやら帰ってきたらしい、こころの天敵であたしの尻尾の怨敵、妹妖怪。

 

 帰ってきて良かったわねと、閉ざした両の眼を開き肩越しに見えるさとりに目を見やる。近い距離で目が合いその瞬間にウインクすると小さくため息をついて、書き綴っていた書物を閉じた。

 パタンという音と共にあたしの口の封印が解かれる、あたしの吐息ですっかり蒸れたその手をハンカチで拭うさとり。匂いは嗅ぐなよ、きっと煙草臭いと思うから。そんな事を考えたら拭った手で耳から垂れる鎖を引っ張られた、何かのスイッチではないのだが。

 変なところだけ妹に似ていると念じてみると、言われたジト目が睨んできた、睨み返すとすぐに手放したが、次は妹の引っ張る番になるようで。指で弄んだり引っ張ってみたりと存在をアピールしてくれる帰宅したての妹妖怪、今日はいつもよりも認識しやすい。耳のカフスがいい餌になってくれた。

 

「妹妖怪捕まえた。こころ、今なら復讐出来るわよ?」

「今はもういい、代わりの面があるから‥‥被りたくないけど」

 

「こころちゃんを連れてきたのはアヤメちゃんか、言った通り好みになったでしょ?」

「そうよ、演目のご本人巡りのついでに今晩はお泊り。お姉ちゃんにはフラれたから、こいし、一緒に寝ましょうか?」

 

「何々泊まってくの! こころも一緒!? あ、こいし様おかえりなさい!」

 

「閉ざした口を開くと一気に騒がしいですね、開放しないほうが良かったでしょうか」

「もう一度封をする? 次は手じゃあなくて唇がいいわね。目も閉ざしてあげるから、後はさとりに委ねるわ」

 

「狸のお姉さん‥‥本当に待ってますが、さとり様……?」

「放っておきなさい、お燐。待つフリをして内心で私を笑っているだけです」

 

 内心はさとりの言う通りニヤニヤと笑っているが、見た目だけなら目も閉ざし待ち続けているかわいい少女、のはずだったのだが両の頬を手で潰されたは、瞳を開くと妹妖怪達に左右から押されている。さとりの体に近い右側からは黒いフリルの付いた手で押されていて、逆の左側からは袖口に黒のカフスボタンを付けた手で押されている。このままだと愛らしい唇に皺が寄ってしまう、精神面ではお前らほど若々しくないんだ、皺は簡便して欲しい。

 それにしてもこの二人、いつの間にそんなに仲良くなったのか。何度も喧嘩していたのに、喧嘩をすればするほど仲を深めているなんて、お姉さんは妬ましいわ。

 

 頬を潰すのに飽いたのか、今度は人のスカートを捲って遊びだす始末、今まで静かだったお空も我慢の限界を迎えたのか混ざってしまい、一緒になってふわりと捲られる。

 二、三回捲られた辺りでお空が何か騒ぎ出した、アヤメ! 足が三本ある! あたしと一緒だ! なんて嬉しそうだ。あたしは女でついてはいないから本当なら二本、真ん中の一本は毛深い縞柄の足で本当なら尻の間の辺りから見える物。

 今は出すべき場所がないから仕方なく下に垂らしているが‥‥おかげでさとりにお母さんらしくなったじゃないですかなんて言われてしまった、姉だったり母だったり随分と忙しい身だ。

 

 時間は昼餉を過ぎて少しした頃、それなら母でも姉でもどちらでもいい、年長者のそれらしく昼餉の準備でもしましょうか。この場から一旦抜けだすのにも使えるいい手だ。

 お燐を借りると念じてみるといつも一緒でしょうにと返された、少し不機嫌そうな声色。偶には一緒に並んでみる? そう念じると少し悩んで、それなら一緒に並ぶ前にお燐と一緒に練習しますと返ってきた。

 練習ね、付き合うなら当然お燐か、お燐なら手際もいいし良い先生役になってくれるだろう、主人には甘いから、強く言えなくて窘められそうにないのが残念なところか。

 それでもまぁいいさ、練習すると言ったんだ、満足するまで練習したらその時は並んで立つとしましょうか。お燐にしっかりと監督するように言っておこう、窘められなくてもほめて伸ばす方法もある。

 

「お燐、練習のお手伝いよろしくね」

「何言ってるんだいお姉さん? さとり様は料理出来るよ? 他の家事もお上手なんだ」

 

「台所に立つ姿なんて見たことないわよ?」

「あたいが覚えてからはあたいの仕事さ、最初にあたいに教えたのは誰だと思ってるんだい?」

 

 それもそうねとジト目に目をやる、珍しく視線を逸らされてしまった。出来るくせに練習なんて言い出して、本当はやる気がないのかね。人の事をやる気のない顔だと言うくせに、自分だってやる気がないじゃあないか。

 他人の思考を読み取ってズケズケと言い放つくせに、自分の事は殆ど話さないこの覚り妖怪。まあいいか、後の楽しみとして今は流すことにしよう。

 

 すっかり五月蝿くなってしまった地霊殿の一室、少し一服と言って一人で部屋を出る。扉を開いて歩き出す前、右手側から強い視線を感じた。視線の主は羽を乱れさせた案内係のでかい鳥、帰って来た挨拶でもされたのだろう、みすぼらしくてかわいそうな姿。 

 お前も大変だねと軽く撫でながら飛び出ている羽を数本摘む、さとりの使っていた羽根ペンとは違うがなんとなく筆を持つように握ってみる、そのまま筆を走らせてみたが何かが描けるなんてことはなく虚しさを覚えただけだった。

 握っている羽を指先で摘むように持ち替えながら待合用の客間へと向かう、皆して狭い書斎に押しかけたからか、やたら広く感じられる空間。自分一人しかいない狭く広い部屋のソファーに横たわる、倒れこんだ勢いのせいでスカートのスリットが開き足が露出する。

 脱いでいないのに見える足に違和感を覚えるが、赤い屋敷の門番辺りはいつもこんな感じで露出させたまま昼寝しているし、慣れれば気にならないのだろうか。それならあたしもそのうち慣れるだろうと気楽に考えて天井を眺める。

 

 そういえば一服しにきたんだと、煙管を取り出すつもりで右手の袖下の辺りに手を伸ばす。伸ばした手が空を切る、慣れきって見なくとも掴める物がそこにはなくて思わず目をやった。視界に映るのは白いシャツの袖口、腕から下がっている白い袖が無い分いつもよりも軽快に動く腕。そうだった今は着物じゃなかったと思い直させてくれた。

 着物の袖に入れたままで今は手元にない相棒、取りに行くのも面倒で仕方ないかと煙管の代わりに羽を咥えて歯で動かす。ピコピコと動く羽の先を見つめて考える、煙管がないのは困るなと。次は煙管入れとかます、それを通せるベルトでも買おうか、良い物が見つかるとありがたい。

 思考ついでにこれからのことも考える、昼餉のおかずは何がいいか?

 昼というには遅く3時のおやつには早い頃合い、何がいいかね?

 こころ以外の各々の好みは把握しているが、人数が人数だ。量を作らなければならず面倒臭い、人数もいるしささっと出来る簡単な物にするか‥‥妹や子に食わすなら簡単な物でもいいはずだ。

 

 



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第八十二話 演目巡りの酒の席

あの子がほしい、この子と変えて そんな話


 遅い昼餉を軽めのもので済ませて部屋で一息入れている今現在、やることもなく煙を吸っては吐き出している。皆で食事を済ませた後に、いつもの様に洗い物も済ませるかと思ったがそれはお燐に止められた。新品の洋服なんだから汚れが飛んでシミになったら大変だ、見慣れるまではあたいがやるから。そう言われて言葉に甘えた、着慣れた着物なら汚れくらいすぐに消せるが今の姿は自分でも見慣れず、はい元通りとは戻せないはずだ。

 

 言葉の通り洗い物はお燐に任せて、今晩の宿泊用に充てがわれたいつもの部屋へと向かい、荷物を解いて着物を行の長い衣紋掛けに通す、ついでに開襟シャツも衣紋掛けにかけて気楽な姿になり、着物から取り出した煙管を咥えて微睡んでいる。

 今夜の宿の予約も取れて特にやることもなくなった今。こころはお空とこいしに連れられて地霊殿の中をウロウロと歩き調度品を眺めたり、ステンドグラスを見上げては立ち止まっていたりしていた。珍しい物を見つめるようなこころ、あたしから見ればそう珍しい物だと思えないが、それは見慣れてしまったからだろうか。

 

 壁にかかる自分の着衣を眺めて思い出す、着物を譲ってくれた相手には会わせたが今の格好を見立ててくれた人にも、面白そうだから後で会わせろと言われたなと。帰りに会わせてもいいがそうなるともう一泊が確定するだろう、あの人の場合は会うと言ったら酒場で酒宴ってのか決まり事だ。こころがどれくらい酒が飲めるのか知らないが、あのウワバミ姐さんに勝つことは確実にないと言っていいだろう。あの人に付き合う事は出来るが勝つまで飲むなどあたしでも無理だ、こころの心が折れて潰れるまで飲まされる姿が想像できた。それは後が面倒だと思い、今のうちに会いに行った方がいいと結論づけた。

 

 あたしとしてはもう一泊でも何泊でも頼んでもいいし、さとりも許してくれるだろうが、こころの帰るところがうるさそうだ。同じく居候している正体不明も遅くなるとうるさいと言っていたし、実際に遅れて帰ったらありがたいお説教をされるぬえの姿も見た。

 叱られるのがぬえなら構わないが今回はあたしが誘った立場、遅れて説教食らうのはこころではなくあたしになるだろう。聖人住職のお叱りはありがたく受け止めるが、一緒になって説教してくるあのネズミ殿からの言葉は回りくどくて面倒臭い。

 

『門限は破るもの、君ならそう言うんだろうね』

『守るつもりがないのなら、最初から門限を守ると言わないほうがいいよ』

 ネズミ殿のそんな物言いから始まるお説教が想像できてしまう、片側の口角だけを上げてあたしにそう吐き捨てるネズミ殿、稚拙な妄想だが似合って見えて少し可笑しい。

 それはともかくとしてそろそろ勇儀姐さんのところに会いに行くか、当初の目的である演目の元ネタに近い相手でもある。会えるなら機会多く交わすなら言葉数多く、そうした方が妹面も喜ぶだろう。壁に掛けたシャツを肩にかけて部屋を出る、まずはこの屋敷の中にいる失せ物面を探すところから始めないと。

 

 失せ物はすぐに見つかった、というよりも自分から見つかりに来てくれた。部屋を出て少し歩くと姦しい集団が寄ってきたからだ、こいしとお空に手を引かれてあっちこっちを眺める面の集合体。火男面を被る辺り結構楽しめているようだ。演目の相手に会いに行くかと声をかけてみると、福の神の面に変わりこいしとお空の手を握ったまま駆け寄ってきた。

 側の二人も話を聞いていて遊びに行くならついて行くと騒ぎ出した。また飲まされて吐いてもいいなら連れて行く、そう言うと次は吐かないもったいないと強気な言葉を言い放つ妹妖怪。

 本人がそう言うのならと姉妖怪に一言断り、三人を連れて地霊殿を後にした。

 姉に連れて行くと伝えた時に、以前妹妖怪に粗相をされた肩の辺りを睨まれてしまい一瞬目を逸らした。あたしが気にすることじゃないはずだが、悪い気がして目を逸らした。

 四人でジト目に伝えた後、酒場へ向かう道中に妹妖怪からごめんなさいと耳打ちされた。ベロベロだったが記憶はあったらしい、気にしていないと微笑むと謝り損だったと笑われた。態度はともかく気持ちは良いので何も言い返さなかった。

 

 四人で歩いていつもの酒場、どこもかしこも騒がしい店内だが一角、一際騒がしい場所がある。顔を動かさずに目だけで見ると案の定目当ての人が笑っていた、片手を上げて軽く振ると気づいたようで手招きされる。気安く混ざれる酒の席があるのはありがたい事だ。

 珍しく周りに男を侍らせて豪快に笑う一本角のウワバミ妖怪、知らぬ顔もいるにはいたがほとんどは見知った男ばかりで、姐さんのお気に入りの相手が来た、とあたしを指さしてからかう以前に殴り飛ばされた若い鬼もいた。

 お気に入りだから手を出すなと若鬼を脅す姐さん、あたしから誘うならいいのかと若鬼の手を取り聞いてみるとどうやらそれもだめなようだ。話す姐さんの視線は耳の鎖に向いていて、枷に掛けた冗談らしい。

 繋がってないのだから問題ないと若鬼に向かって色を見せたが、狸の姐さんに乗るのはいいが調子に乗ると後が怖いと笑い、重ねた手を離された。

 

 ここまでの流れを何も言わずに一部始終を見ていたお供三人は何も言ってこない、こころは色を学ぶという理由があるから静かでも理解出来るが地霊殿の二人が静かなのはおかしい。思い出したようにちらりと見ると、すでに酒宴に混ざり楽しく笑っていた。

 地元の酒場の宴会だ、何も言わずに混ざることなんてなんてことはないのだろう。あの二人はあっちの飲兵衛連中に任せて、あたし達もシラフから混ざるツカミはこれくらいでいいかと笑い、残るこころを席につかせて鬼主催の酒宴に混ざった。

 

「地霊殿の妹に地獄烏、それと能面妖怪か‥‥毎回違う女を侍らせて浮気者になったもんだな。まぁいいさ、面妖怪の話は聞いてる。失せ物の次は演目の相手探しか、ご苦労な事だ」

 

「姐さんだって男侍らせて、攫うなんて言ったその日に浮気してるじゃない」

「探してはいない、アヤメに連れてきてもらって会わせてもらってる」

 

「そう言うな、本命あってこその遊びだろうよ‥‥しっかし『もらってる』ねぇ、そうかいそうかい。随分と懐かれて羨ましい限りだなアヤメよぅ」

「皆可愛いからつい連れ回して見せびらかしたくなるのよ、抱かれるのもいいけど、元気に抱きつかれるのもいいものよ?」

 

「昔なら懐かれて困るなんて言っていた奴が、変われば変わるもんだな、えぇ?」

「何事も楽しむべしと、世を楽しむ邪な仙人様に教わったのよ。それよりも本題に入ってもいいかしら?」

 

 言いながらあたしと勇儀姐さんの間に座る狐面の背中を押す、押されて勇儀姐さんの方によろけるが笑って受け止めてもらう狐面。体制を直すことなく上半身を預けたまま自己紹介を済ます面霊気。体ごとぶつかる自己紹介、勢いがあって気持ちが良いねと笑う一本角。

 昔から真正面の力業で世をはばかり、誰も彼もが恐れていた鬼の御大将、こころ程度の体躯がぶつかった程度では揺らぐことはない。このくらいでは手荒な自己紹介とは言えない、可愛い者が緊張からやらかした些細な事だ。

 笑って済ます侠気が気持ちいい、侠気なんて思っているのがバレたらぶん殴られるだろうか。豪快なくせに変なところは女性らしい姐さん、服の見立てなんかもその女性らしさの一つだろう。

 

「演目、大江山の鬼酒呑本人?」

「そいつは鬼違いだ、人里でお前を肴に飲んでたちっこいのがいただろう?あっちが本人、それでも似たようなもんには違いないな」

「演目のご本人とはいかないけれど、多分こっちの鬼のが鬼らしいわ。あっちは豪快というより狡猾だもの」

 

「っはん、間違っちゃいないが辛辣だなおい。一応身内だ、あんまり言うとその首取っちまうぞアヤメ?」

「純真で素直な子鬼とでも言うべきだった? 姐さんの前で萃香さんの嘘をつくほうが怖いわね」

「アヤメはよく嘘をつく、なにかダメなの?」

 

「この鬼のお姉さんは嘘が嫌いなの、嘘ついたら拳千発飲まされるわね」

 

 曲がったことが大嫌い、つまらない嘘やまやかしも嫌う怪力乱神の体現者、歩き笑う天変地異と言い換えてもいい。ただ、その割には嘘つきで詐欺師に限りなく近いあたしは然程嫌われていない、大昔の宴会であの口うるさい鬼と笑ったりからかったりしているが、本気で睨まれたこともない。

 わざわざ自分で突付いて藪から大鬼出すこともないと聞いたことはなかったが、なんで嫌われないのか?拳千発どころか万発もらってもいいくらいには口八丁で過ごしているのだが・・顔色から察する事が出来たのか、盃を飲み干した鬼があたし達に向かい酒臭い言葉を吐く。

 

「こころよぅ、アヤメがつくのはほとんどが方便だ。勿論騙す為の方便だが、それで痛い目見るのはほとんどいないのさ。それに痛い目見せてもそれ以上に返しているのも知っている。誰かを貶めるだけの嘘は、こいつはあんまりつかないんだよ」

「あら? いつでも誰かを小馬鹿にしてるわよ?」

 

「ほとんどはその場で終わって後腐れのないものだろう? なら構わないさ、気に入らないところは前に殴った二発でチャラだ。ついでに徳利貰えりゃあ良かったんだがなぁ」

「まだ言ってるのね、あげてもいいわよ?」

 

「あれほど二回戦を嫌がったのに、どういう風の吹き回しだい?」

「物々交換、代わりになにか頂戴。鬼の秘宝に煙管入れとか、かますとかないの?代用出来る物でもいいけど」

 

 酒虫入りの愛用白徳利、煙管と同じく千年以上も一緒に過ごし自身の一部と言ってもいいくらいのもの。湧き出す酒もあたし好みで本当なら譲るには惜しい物だったが、最近は酒に浸る時間が減り煙管の方が重要な物になっていると感じられた。

 そんな思いから物々交換を持ちかけてみた、会う度に飲ませろだの寄越せだの言われる物だ、何かしらの秘宝と交換するには十分な物になるはずだ。ついでに言えば見立ての礼代わりと言う感覚で言っている面もある。

 あたしの言葉を聞いて悩む様子を見せる一本角。条件が見合わないのか、代用できる物が思いつかないのか。どっちにしろ返答を待とう、ダメならダメで今度は仕立て屋さんで仕立ててもらうだけだ。

 

「さすがにかますなんてのはないな、ただ代わりになる物はある。『減ラズの空穂』ってのがある、簡単にいえば中身の減らない袋みたいなもんだ。煙草を入れるにゃいいんじゃないか?革作りだし縫っちまえばちゃんとした袋になるさ」

空穂(うつぼ)ってあれよね、腰に付ける矢筒。ちょっと今の格好には合わないんじゃないかしら?」 

 

「あのままじゃあ合わないな、あの仕立て屋に注文つけといてやろう。今日は泊まりだろう?なら明日の帰りにでも寄って持っていけ」

「本当にいいの? なんだかあたしに甘くないかしら? 一晩くらいの代金じゃ足りない気がして後が怖いわ」

 

 あまりにも都合のいい申し出、言った側だけれど驚くほどに都合がいい。けれど都合が良すぎて怖い、この鬼相手に裏があるとは考えないがそれでも都合が良すぎる申し出だ。

 それほど徳利が欲しかったのかね、二回戦なんて言ってたのもあながち冗談ではなかったのかもしれない。まあいいか交換してくれると言うんだ、あたしが言い出した交換だもの、ノっからない手はない。

 明日の帰りにでも受け取れってことはそれまでに絶対に仕立てるようにと無理を言うのだろう、あの仕立て屋も災難なことだ。猫妖怪の主人だったが猫の手で足りなかったら何を借りるのか、聞いてみたいところだ。

 

「一晩? アヤメと勇儀で泊りなのか?」

「そのうちね、その気があればお泊りしないとならないのよ」

「嫌そうな言い方をするなよ、つれないじゃないか」

 

「体力どうこうより壊されそうで、そういうのも嫌いじゃないけどそれ以上に心配ね」

「……おお、そういう泊まりか。それも連れていってもらえるの?」

 

 無表情なくせに期待大といった顔をする面霊気、被る姿は狐面。本格的にそういう勉強でもしたいのか、連れていっても構わないけど物理的に面が割れても構わない?そう述べてみると蝉丸面を見せてごめんなさいと言い出した。

 謝るこころを眺めながら大笑いする勇儀姐さん、壊すほど無茶はしないがお前にゃまだ早いと笑いながらこころを撫でくり回す。勇儀姐さんの手の動きに合わせてこころの長い髪が舞う、酒も入っているしそれ以上はと止めておいた。

 以前の妹妖怪のように帰りに粗相をされてはたまったもんではない、姐さんの手を取り握ってまた浮気?と呟くと笑いながら強引に引っ張られた。あぐらを組む足の片方に座らせられ胸を枕に背を預ける、すわり心地も当たり心地もいい椅子だ。

 そういえばそんな事を前に言われたなと思い出す。勇儀姐さんとの喧嘩の後に、歩けなくなった姐さんを尻尾に座らせて歩いた時だ、女性らしい繊細な手つきで尻尾を撫でられた事を思い出し、勇儀姐さんの顔を見上げながら盃を持つ手にあたしの手を優しく添えた。

 

「まるでいつかの逆ね」

「ならこの足で地霊殿かい? それはまだ早いな。座ったばかりなんだ、もうしばらく座ってろ」

 

「あの時だとしたら、あたしは腕がなかったのよね」

「口移し、ってわけにはいかないな。こころに見せるにゃまだ早い、零すなよ?」

 

 鬼の秘宝、星熊盃があたしの口へと寄せられる。一升注げる大きな盃だが今注がれている量は1/3ほど、飲んでいる途中で引き寄せられたから中途半端に残る酒。姐さんなら一息で煽る量だろうがあたしには少し多い。

 注いでから時間が立てば立つほど味が落ちる盃だが、なんとなくゆっくりと呑みたくて少しずつ飲み干していく。飲む速度に合わせて傾けられる盃、剛力自慢の姐さんらしくない繊細さ。怪力乱神なんてよくわからない力を持っているんだ、繊細な力使いも出来るのかもしれない。

 ゆっくりと喉を潤していく鬼の酒はキツイが、旨かった。




仕立て屋さん、元ネタはピータラビットの一節「グロースターの仕立て屋」から。


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第八十三話 旅の宿 眠りの頃と目覚めの朝

全裸回


 宴会の場にいた男どもに随分と飲まれて、すっかりうるさくなった酔っぱらい連中を引き連れ、旧地獄街道のど真ん中をふらふらと歩いて帰る、地霊殿住まいの二人はずっと飲まされてもうすぐヤバイというところ。あたしとこころも鬼に飲まされ結構回っていてだいぶマズイ、あれからずっと膝の上、降りることは許されず盃に注がれては飲まされて、気分は良かったが付き合いきれなくなる寸前まで追い詰められ参った。

 断らないと知っている、断れない空気だとわかっていながら気にせず笑顔で注いでくる若鬼。随分と良い笑顔で調子に乗ってくれて、飲み干しては注いでを繰り返してきた。わんこそばじゃないんだ、少しは考えて欲しい。

 コレ以上は帰りが怪しいと言い出すまで注ぎ続けられた鬼の酒、普段飲むものよりもキツく強いものだったが、スルスル飲めたのは盃の効果からなのか、それとも心地良い膝の上だったからなのか。普段がこれじゃああたしの徳利は物足りないと伝えてみると、交換としての話にはノッたが徳利はいらんと言われてしまった。喧嘩で負けて手に入れられなかった物を喧嘩以外で手にしたくないそうだがそれではあたしが困る。

 さすがに貰い過ぎて今後姐さんに会いにくくなると言い返すと、それなら酒の席では好きに飲ませろと代わりの条件を出してくれた。それくらいはお安い御用だ。昔の賭けを断って以前の喧嘩に勝ってしまい姐さんがあたしの徳利を口にする機会は今までなかった、酒にはうるさい酔っぱらい妖怪の評価はどんなものか、飲んでもらう時が楽しみだ。

 

 途中看板に当たっては笑いゴミ箱を蹴り飛ばしては笑う集団、全員が千鳥足に近い状態で今晩の宿に戻る。酒の匂いが強すぎてペットたちが全て遠ざかっていく、地霊殿の入り口まで様々なペットが並んで遠のいていく姿。さながら海を割ったような風で、あのお山に住まう常識をかなぐり捨てた巫女のスペルのように思えた。今は酒にやられて常軌を逸した動きで歩く集団だ、喩えとしてはあながち間違っていないかもしれない。

 全員で入り口により掛かり倒れこむように館内へと入る、外では気を張り歩けていたが気が抜けて全員で雪崩れ込む形になった。迎えてくれた案内係と主、二本尻尾の視線がひどく痛いが動けないのだ、何も言い返せずただいまとだけ言ってそのまま目を閉じた。

 

 目覚めてみると静かな空間、シャツとスカートは脱がされて、パンツとインナー姿でベッドの中央で枕をだいて丸くなっていた。上掛けはベッドから落ちていた、どうやら蹴り落としたらしい。

 酒はまだ抜けきっておらず高揚しふわふわと浮いたような感覚を覚える頭、そんな頭を引き締めるように愛用の徳利を引っ掛ける。迎え酒なんて何時ぶりだろうか、鬼のものではない自前の酒の味は心を落ち着けるのに十分だった。

 少し落ち着き周りを見やるとテーブルの上、畳まれて置かれたスカートが目に留まる。手に取り広げてみると尻と腰の間、丁度尻尾の当たる辺りに綺麗に縫製された穴が見えた。脱がしてそのまま縫ってくれたようだ、後で必ずお礼を言おう。綺麗に圧してくれたようで宴会の場で付いた皺もなく、綺麗に畳まれたスカート。これだけ家事が出来るのだから料理も練習などしなくても十分に出来るのだろう、お燐の作る食事しか出されたことはなかったが、一度食してみたいものだ。

 

 綺麗にしてくれた物を風呂にも入らず着たくはなかったので、寝起そのままの姿で部屋を出る。廊下の角には案内係、遠くからでもこちらを睨んでいるのがわかるが焦点は合ってなさそう。雄だったのかね、それなら今のあたしは魅力的だろう?

 そう思った瞬間にプイと顔を背けて廊下の先へと消えていった、はしたないとでも思われたのかね、それならハシビロコウさんはメスだったか。それなりに色香はあると思っているし声も掛けられる、それで引っ掛からないのだ、きっとノーマルな同姓だろう。

 振られてしまってやり場のない肢体、自分でもわかるほどに酒臭い体。とりあえずコレを流すかと素足でペタペタと赤×黒のタイルを歩く、なんとなく黒のタイルだけを踏んで歩きたくなり小さく飛んで進んでいく。何枚か飛んで廊下の角を曲がりそのまま続けて進んでいく、露天風呂の方を眺めるとまたさっきの案内係。ピョンピョンと飛ぶ姿をああして見ていたのかと少しだけ恥ずかしくなり飛ぶのをやめる。ピョンピョンからペタペタへと足音を戻すとまた何処かへ歩いて行った、こういう時は言葉を話さない者相手だと少し困る。あたしの姿を見て何を思ったのか、結構気になる事なので後でさとりにお願いしてみようかと考えた。

 

 平仮名で『ゆ』と書かれた暖簾を潜る、客を取っている旅館ではないが何故か下げている暖簾。もう随分前に妹の方と結託して取り付けた暖簾だ、キャイキャイと二人で取り付けている間、ずっと姉の視線を浴び続けていたのは意外と心地よいモノだった。

 脱衣場へと踏み入り備えられたカゴへと着衣を脱いでいく、とはいっても二枚しか着ていないし時間など掛からず。他の籠には衣類は見えず今の客はあたし一人、酔を覚ますには静かな方がいい、カランと戸を開け浴場へと進んだ。底にカエルの描かれた手桶に湯を組み頭からざばっと浴びる、真上や正面から勢いよく浴びせると耳に入り困るので、下を向き後頭部から湯を流す。人によって洗い始める場所は違うだろうがあたしは頭から洗い始めそのまま下へと下がる洗い方。

 頭が洗い終えると次は決まって左腕、左利きではないのだが何故か決まって左腕。洗い方に関わらず何故か左に関する物や事が多い、煙管を持つのも左だし失った腕も先に生やしたのも左だった。買ってもらった物なのにスカートのスリットも左でカフスも左耳だ、そういえば外すのを忘れていたが引っ張られても取れないんだ、姐さんが絞めた物だし安々とは取れないだろう。銀で錆びないしまぁいいか。

 考えながら左腕、肩、右腕と順に下がって洗っていく。そのまま胸、腹、背中と洗い下半身も左足から洗っていく。全身くまなく洗い終えて泡だらけのまま最後は尻尾。もふもふと評判なのは嬉しいが手入れが結構大変な尻尾、濡れてもそれほど細くはならず、濡れても立派だろうとあの九尾に自慢したことがあった。

 

 そうだなと強めに毛を引っ張られ言葉なく窘められた事があった、濡れてふわふわがショボショボになるくせに、態度は変わらない金毛九尾の妖獣様。あまりいない年経た妖獣仲間として気安い相手で会えば楽しいが、主のせいで気安く会えないのが残念なところだ。

 尻尾の手入れも済ませて泡を綺麗に流しきるとようやく湯に浸かる時間、しばらく浸かって酒も抜けると昼間の会話を思い出す。狸の姿なら一緒に寝てもいいですよ、久しく戻っていない姿。外の世界であの鬼酒呑と殺り合い、ギリギリのところで生き延びた後にマミ姐さんの所へ泣きついた時以来戻っていない。

 何千年前何百年前になるのかわからないくらい昔で本当に姿を取れるか怪しいが、思いついてしまったし幸い誰もいない、ダメ元でやってみるかと湯から上がって鏡の前に立った。昔野山を走っていた頃を思い浮かべ目を閉じる、そのまま形を戻すように小さく印を結ぶとポフンと音と煙を立てて懐かしい形が鏡に写った。

 けれど思い描いた姿とは少し違っていて、全身灰色で白混じりのもふもふとした毛並みに角の取れた三角耳。目の周りには眼鏡をかけているような柄で少し濃い灰色、眉間も同じく少し濃い灰色、黒いのは鼻先と爪くらい。大事な縞尻尾も昔は白と黒はっきりしていたはずだが、今は薄い灰と濃い灰の縞柄。

 ただの狸ではなくなったからか、普通の狸とは色合いが少し違う、まるで焼いた灰でも被ったような色合いの狸が鏡に映し出されていた。それでもかわいい丸顔はそのままで、西洋では灰かぶり姫なんてのもいるくらいだしと姿の変化に気を良くしていた。

 ポーズまでは取らないが後ろ足で立ってみたり、後ろを向いて尻尾を揺らしてみたりしていると、気が付かなければよかったモノに気がつく。いつの間にか開けられていた浴場の戸、そこにいるのはジト目三つで睨むここの主と酒宴には来なかった二本尻尾のペット。さすがに固まった。

 

 

「可愛いじゃないですか、ずっとそのままなら飼ってあげますよ」

「霧だ煙だって言うからもっと怖いのかと思ったら、やっぱり狸のお姉さんでいいんじゃないか」

「自分でも以外なほどの愛らしさなのよ、これは中々‥‥そう思わない?」

 

「その格好でその口調は違和感しかありません、可愛いのに可愛くない」

「いつもの姿に戻らなくても話せる辺り、まっとうな狸じゃないってことかね?お姉さん」

「まっとうな狸なら今頃逃げてるわ、火の車なんて怖い妖怪さんだもの」

 

 そう言いながらまっとうなあたしは脱衣場へと向かい歩みだした‥‥が腹を両手で掴まれて捕らえられる、そのまま黄色い桶に尻を突っ込まれ綺麗にハマる。後ろ足をピンと投げ出して動きたくとも動けないマヌケな姿、それでも抜けないものは抜けないから足掻くのをやめて静かにする。

 不意に抱きかかえられ、背から液体を浴びせられる。そのままワシワシと泡立てられてもふもふがもこもこへと変わっていく、首から上は自由な為手の先へと目をやると笑顔で洗うお燐の顔が見えた、ペットに丸洗いされるなんて立場が逆だと思ったが今はあたしも四足だ、楽しそうだし身を任せよう。

 

「お姉さんは他の奴らよりちっこくて洗いやすいね、シャンプー出し過ぎちまったよ」

「だからこんなにもこもこなのね、他のがどれかわからないけど耳に泡を入れなければなんでもいいわ」

 

「喋っちゃダメだよお姉さん、今はあたいのかわいいペットなんだ。変なことを話すくらいなら、黙って可愛くしとくれよ」

「はいはい、もうなんでもいいわ」

 

 ワシワシと動く指に任せ力を抜いて体を預ける、多分比べているのはあのデカイ黒猫辺りだと思うがさすがにあれと比べられては体躯の差が酷いというものだ。それでも手慣れた手つきは心地よく酒は抜けたが気分は良いままだったので目を瞑っていると段々と眠くなってくる。

 首の下辺りをこしょこしょと洗われて限界を迎えたらしく、そのまま心地よさへと微睡んでいった。

 

 二度目の目覚めはやはり布団の中で、体が固定されて動けない状態。暗闇に目が慣れて段々と視界が開けるが布団の中だ、見える物など……間近に見える目と目が合った。いつものジト目ではなくどことなく優しさを感じられる瞳、いつもここのペットに向ける視線。

 なるほど、有限実行しているのか。有耶無耶なままで出かけて酩酊状態で帰って来たからか記憶が曖昧で困る。それでも今は何も考えることはないか、自分以外の体温を感じるのも心地よい。

 

「起きたんですか、まだ朝には早い時間です。変な時間から眠るから中途半端に目覚めてしまうんですよ」

「三度寝? 四度目かしら? なんでもいいわ、まだ寝るからおやすみなさい」

 

「目覚めて逃げるかと思えば素直なんて、可愛いじゃないですか」

 

 返答はしない、風呂場でペットは喋らないものだとペットの先輩に教えてもらった。薄めを開けて第三の目を見ると未だ見ているようで一瞬目があったが、ペットなら気にすることもないだろう。偶には飼い主に甘えて同じベッドで眠ることもあるはずだ。

 そのまま瞳を静かに瞑り、主の体温と小さく上下する腹と胸の中で数度目の眠りについた。   

 

 何度目かの目覚めは同じく主の腕の中、寝ながら姿が戻るなんてことはなく愛らしい狸のまま目覚めた。愛玩動物らしく愛嬌を振りまこうと主の頬をぺろりと舐めて朝の訪れを告げる、小さな反応は見せたが起きる気配はない。

 あの後も起きていたのかね、人の寝姿を無料見するなんて厚かましい主様だ。厚かましいなんてどの口が言うのかと一瞬考えたがすぐに思い直した、ペットならただ可愛がってもらい愛されればいいだろう。ならもう少しこのまま、主に付き合って暖かなベッドで横になろう。誰かの腕の中で小さくなるなど、とうに忘れていた感覚で慣れないが、それでもとても心地よく少しだけ切なく感じられた。

 




冬場に猫とかを抱いて寝ると暖かくて心地よい。
子猫だとまだ爪が薄くて、寝ぼけて掻かれると痛かったりしますけど。



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第八十四話 力も方便

内弁慶、少し違うな そんな話


 一度戻れば慣れたモノで、特に意識したり強く思わなくとも人と狸と好きに変われるようになった、お燐のように好きな風に形をとれるようになったと思ってもらえればいいだろう。

 数度目の眠りに落ちたあの後は地霊殿の主が先に起き出して、眠ったままのあたしを用意してくれた部屋へと戻してくれたようだ。冷えたベッドに寝かされて体温を少し奪われた辺りで目覚めた。

 

 昨晩脱衣場で脱いだまま回収せずにいた着衣も洗われて畳まれていた、上はともかく下はさすがに恥ずかしかったが全身丸っと洗われた後だ、今更恥ずかしがったところで大して意味はないものだと思い直した。

 お空の熱でも利用しているのか、すっかりと乾いているそれに着替えようとしたが、そこで自分の姿の違和感に気が付いた。床に降りると視点が低く視界には黒い鼻先が見える、そこから視線を足元に移すと可愛い前足が見えた。

 いつまでも四足でいても仕方がないと思い、見慣れた人の姿を成してから大きく寝起の伸びをした。特に疲労感などはなかったが慣れない四足の姿勢でいたからか、なんとなく肩が凝ったような気がして軽く首と腕を回し調子を伺った。

 コキコキという音が体の内で聞こえてコリが取れたような感覚を覚える、そのまま少し体を動かして体の確認を済ませた。確認などするまでもなかったが、見回しても変になっている様な箇所もなく問題なく元に戻れた。

 いや、こっちが後の姿だから元の狸の姿から成ったが正しいのか?しかし今の人型の姿のほうが過ごしてきた年月は長い。まぁいい、どっちにしろ愛らしい自分の姿には変わりないんだ。

 

 洗ってくれた下着を身につけてスカートを履いていく、綺麗に縫われていて引っかかることなどなく、尻尾もすんなりと表に出せて昨日よりも抜群に履き心地がいい。昨晩は色々あって礼を言えなかったが、今日の出発前にはきちんと礼を述べておこう。

 シャツを羽織ってボタンをとめていく。全部キッチリととめたりはせず、丁度胸の位置にある第一ボタンは締めずに胸元は開いたまま。よくよく見れば普通のシャツよりもボタン数が少ない縫製のようで、ズボラな自分にはその数の少なさが丁度良く感じられた。

 着物など、持ち込んできた荷物を用意してくれたらしい風呂敷に包み持ち運びやすくする。この辺りの気遣いまで出来るのに他人を嫌い遠ざけるここの主、本当に宿をやれば儲かりそうだなと思ったが、混浴で騒がしくなったここの風呂を想像しこの考えはダメだとさとった。

 帰り支度を済ませて玄関ホールへと向かう。あたしとこころ、どちらが早いかわからないが帰り支度が済めば部屋から出て向かうだろうホール。着いてみればあたしの方が遅かったようで、ここの姉妹とこころにやっと来たなどと言われてしまった。

 あたしを待つ間もなにかお喋りをしていたのだろう、向かう途中楽しそうな会話が聞こえていた。たった一晩で随分と仲良くなったものだ‥‥いや、一晩もあれば十分か。館の主以外は好奇心旺盛で懐こい者しかいないのだ、気さえ合えばすぐに打ち解け、笑い合うなんて雑作もないのだろう。

 ジト目で睨む姉の方に優しく抱きついて小さく、ありがとうさとり様とスカ-トの感謝を言葉にせず伝える。口に出して言って下さいと言い返されたが、今朝までは物言わぬペットだったからその名残で話せないなんて伝えると、話さないくせに口の減らないペットなんてありがたい評価を頂いた。

 心の端に少しだけ残した照れくささ、暖かで安心できた抱かれ心地についても感謝してみたつもりだったが、そっちも上手く伝わってくれただろうか?伝わってくれたなら嬉しく思う。

 

 またすぐ来ると伝えるといつ? と即答したのはこいし。面を手にしたせいか見つけやすくなり、少しだけわかりやすくなった妹妖怪に気が向いた頃と伝えると、それならこっち向いたまま帰ればいいのになんて笑って言われた。

 帰りを惜しむのと再度の来訪、両方を思われているようで嬉しくなり本当にまたすぐ来ると言い直した。こころの方も再度来たいようだがそれは寺次第であたしから何も言えないが、いいというなら何度でも連れてこようと思う。折角の縁だ、切らしてしまうにはちと惜しい。

 背中に五つの視線を受けながら地霊殿を後にして、帰りに受け取れと言われた鬼の秘宝を頂戴しに行く。店に入ると少しだけ疲れた表情を見せる猫の店主、無理を言って済まなかったと笑顔で伝えると、贔屓にしてくれている姐さんの頼みは断れないと笑ってくれた。

 山では恐れられ疎まれた鬼の大将。こっちでは丸くなったのかねと少し考えたが‥‥同じく地上を追われた妖怪が多い地底なのだ、なにか追われた者同士で通じる思いのようなモノでもあるのかもしれない。少しの世間話を交わしてこれが頼まれた品だと笑って秘宝を渡される。

 

 しっかりとした皮で誂えられた小さな革のバッグと細長い筒。厚手の革でしっかりと縫われたバッグは入れた物が減らない逸品だそうで、打たれた銀のコンチョを革紐で括って封をする形。ベルトループまで縫われていて、この辺りの細かい注文が実に姉さんらしいと感じられた。

 細長い筒は煙管の長さに合わせられた物。元は矢筒の支えだったと思うが、少し長めの煙管には調度良いモノだった。ついでだったので、通すベルトも見繕って貰い買っていくことにする、出されたのはバッグと同じ色合いの濃い茶色の革ベルト。

 飾り気のないシンプルなモノで、色味だけがバッグと足元のブーツに合わされたそれ。ブーツはここで買ったものではないがそこも見てくる辺り、さすが地底で名の通った仕立て屋さんだと感じられた。

 少し多めの代金を渡すと遠慮されたが、見立ての代金と無理を聞いてもらった分だと言って強引に受け取らせる。姉さんからも多めに貰ったらしく、気前がいい客ばかりでありがたいと笑ってくれた。それが気持ちの良い笑い方で、これからはあたしも贔屓にしそうな店主だと思えた。

 連れたこころの方にも一言二言の言葉を投げ掛ける主、こころの袖に付けている黒のカフスボタン。そっちを付けている辺り大将より狸の姉さん寄りだなと笑う店主、気にしていなかったが、言われれば二つとも同時に渡してこっちを先に手に取ったなと少し嬉しくなった。

 名前を伝えてまた来てもいいか尋ねると、客としてなら当然、世間話の相手としても喜んでと言ってくれた。快く言ってくれる店主に嬉しくなり、必ずまた遊びに来ると伝え店を後にした‥‥

 店主に背を向けふと思う、知っている地上の店主とは真逆の態度、この商売気の1/10でもアレにあればもう少し繁盛するだろうにと。いや、1/10では変わらないか‥‥あの男が十人いても全員座ったまま動かなさそうだ。

 

 また帰りに、なんて手を降って別れた地底の入り口三人娘。その誰にも会うことはなく、特に見るものもないまま大穴から抜け出て地上に戻った、行きは雨降りで曇り空だったが出てきた今は綺麗な青空。浴びる日差しが少し強くなってきた季節で、今まで通りの着物なら暑く感じていたくらいの陽気。今は新しい格好のおかげで随分と過ごしやすい、これなら真夏でも楽にいられるだろう。善いものを頂いた、体で払う以外のお礼もしっかりと考えておこう。

 行きは色々見せたいと素の状態で歩いていたが、帰り道に面倒事があっては困る。能力であたし達に向かう意識を逸らし飛び上がって帰路に着く。

 帰る途中で河童と狼の集会場が視線に入る、向い合って将棋を指す二人の姿が見えた。ああしていつも通りの勝負をしているって事は万歳楽はどうにかなったのだろう。口うるさい方の仙人様から聞いたあの姿を見た椛は何を思ったのか、後でまた訪れた時にでも聞いてみようと思った。

 

 何事も無く人里まで戻り、昨日は迎えに来た妖怪寺まで送り届ける。参道の前で降り立つといつもの様におはよーございます!と山彦の挨拶が聞こえる、元気の良い挨拶はされて気持ちがいい、笑顔で挨拶を返し寺の中へと歩んでいった。

 寺の門戸を潜ると庭を掃除する船幽霊の姿が見えた、出てきた時には怒らせてしまった相手。目は合ったが何も言ってこない明るいはずの船長、こころに先に戻るように伝えて、錨から箒へと持ち替えている船長に声を掛けた。

 

「ただいま水蜜、今帰ったわ」

「お帰り、もっと遅くなると思ったけど遅れると煩いのもいるからね。門限内で帰ってくるのはいい判断」

 

「船長に判断を褒められるなんて、悪くないわね」

「船旅じゃないけどこころの旅の舵取りしたんだもの、それなら褒めてもいいかと思ったの」

 

「なら素直に受け取るわ‥‥素直ついでにごめんなさい。昨日は言い過ぎたわ」

「格好と一緒に気分も一新したの? 姿といい姿勢といい、可愛いらしくなったね」

 

 昨日の事はもういいと言うように笑顔を見せてくれた水蜜。近寄りジロジロとあたしの姿を見る中で、回ってみたり背を見せてみたり、耳で光るカフスの事を話してみたりとあれやこれやと話していく。話を聞いてくれる表情は笑顔のままでそれに気を良くし色々と話した。

 見立ては鬼でシャツの中は橋姫とお揃いだと伝えると、あの力自慢にしてはいい趣味だと感心するような顔を見せた。地底に封印されていた頃に知り合う機会でもあったのか、あの橋姫とペアなんて妬ましいなどと珍しい冗談も聞かせてくれた。

 

「尻尾の穴は地底の主が縫ってくれて、体はペットに洗ってもらったわ」

「よくわからない顔の広さよね、知らない相手なんていないんじゃないの?」

 

「そうでもないわよ? 人里で暮らす妖怪とか、最近まで知らなかったわけだし」

「あの赤いろくろ首か、人の事言えないけどあれも生きにくい暮らしをしてるよね」

 

「五十歩百歩とかどんぐりの背比べって知っているかしら?」

「知ってるからそう言ってるの。私も私で生きにくいが、あれはあれで生きにくいだろうにねぇ」

 

 死んでからもう随分と経っていると思うがここは生きにくいなどと自分で言い出して、人里で隠れて暮らすろくろ首と己を比べる船幽霊。神妙な顔でこんな事を言うのが妙におかしくてこらえきれず、口に手の甲を当てて笑ってしまう。

 着物の頃なら袖で表情を隠して笑えたが今は隠せる部分が少ない、手くらいでは隠しきれないあたしの笑う口元。それを見て、一度死んで今を生き直している船幽霊から少しの言葉を頂いた。

 

「隠さなくていいのに、隠す必要なんてないでしょ?」

「なんでもないただの癖よ? 特に思う事はないけど何か気になった?」

 

「第一声でただいまと言ったのよ、おはようよりも先にただいま。身内みたいにね、それなら隠し事はない方がいいわ」

「そんなつもりでただいまと言ったわけじゃないけど」

 

「別にアヤメがどんなつもりでもいいさ、ただいまと帰ってきて気にせずお帰りと言えたもの。それなら身内と変わらないわ」

「‥‥お帰りなんて言われる事がないからどうにも、落ち着かないわね」

 

 よくわからないむず痒さを感じて頭をポリポリと掻いてしまう、指の動きに合わせてチャラと聞こえる。耳に付けられた新たな枷、繋がっていない枷ではあるが繋いでもいい先があるのはいい気分だ。さすがに出家して一緒に修行とはなれそうもないが、姉さんやぬえ、水蜜のように居候も悪くないかもしれない。なんとなくらしくない事を思い浮かべて返答に困っていると、背後に誰かの気配を感じた。敵意などとはまるで正反対の穏やかな気配、蓮の花のような香りを感じさせる優しい気配を纏う者。水蜜の慕う想い人 聖白蓮

 

「お帰りなさい。この度はこころの我儘に付き合って頂いて、ありがとうございました」

「ただいま、我儘なんて言うほどじゃないわ。我儘らしい事も言われなかったし」

 

「そうですか、それでもありがとうと言わせて下さい。能というあの子が生きる為のやり甲斐、それには今回の訪問が良い経験となるでしょう」

「経験なんて言われる事でもないと思うけど‥‥まぁいいわ。折角だしもっと褒めてもいいのよ?」

 

「そうですね、条約が結ばれ封印された地底。そこに好きに行けるアヤメさん。他の者では中々行けませんし、こころは運が良かった」

「今はあってないようなものでしょうに、土蜘蛛やペット達はたまに出てきてるわよ?」

 

 地上と地底相互の不可侵条約、互いに関わらず行き来しないなんて取決めだが、地上の神様が地底でやらかしてからは随分と緩くなった。地上の者達のほとんどが覚えていない、薄く残る噂話程度でしか聞いていなかった地底の妖怪連中。

 そんな地底の連中があの異変で地上に再度の興味を示してたまに来ては遊び歩いているらしい、なんでも受け入れる幻想郷なのだからわざわざ線引なんてしなくとも……そう考えて好きに行き来しているが、緩くなった今も言い出す人外がいるとは思わなかった。

 それも妖怪と人の間を取り持とうとしている相手から言われるとは‥‥意外だ。

 

「それは地底に住まう者達ですし、封印された無法の地にいる者と地上の者を比べるのは」

「見もしないで物を言うなんてらしくないわ、それに友人を馬鹿にされたようで気に入らないわね」

 

「友人……そうでしたね、言い過ぎました。私を慕ってくれている皆が封印された地底、少し偏った視点になっていましたね」

「この間の異変ではっちゃけ過ぎたんじゃないの?力も方便なんて言って暴れてたけど」

 

「あれは‥‥そうですね、少し調子にノッてしまいました。柄にもなくお恥ずかしい」

「柄にもないなんてことはないんじゃない? ぬえや水蜜にするお説教、その時の姿そっくりだったわ」

 

 瞳を瞑り両手の平を縦合わせる、そのまま穏やかにいざ南無三と優しく呟く。それを見てあたしの正面で困り顔をするガンガンいく僧侶、この仕草がガンガン行く前と後に必ず見られる仕草。

 仏の教えでは右手と左手にはそれぞれ意味するものがあるらしい、なんでも右手は仏様の象徴で清廉なモノや知識を司るって話。変わって左手は衆生を意味する手で自分自身のあり方を表すんだそうだ、左ばっかり使うあたしは俗世にまみれているのかね。

 まあ仕方ないさ(まみ)だもの、仏様の仰る輪っかの中で多を謀り俗世に溺れ不浄にまみれて生きる妖怪狸。寺住まいの者から身内なんて言われたが、身内と言われるほど清い者ではない。

 

「私も世に生きる者、偶にはハメを外すこともありますよ」

「ハメを外すね、ハメを外して怒られたのもいるのに‥‥他人には言うけど自戒することはないのね」

「アヤメ、私は別に‥‥」

 

「身内なんでしょ? なら隠し事なしにするわ、友人を悪く言われて黙っているほど穏やかじゃないのよ?」

「いいのです村紗、仰る通り他人には厳しく物を申して自分の事は棚上げにする。言われるまではそう捉えられませんでしたし」

 

「僧侶に説法なんて柄じゃないけど、百聞は一見にしかずでしょ? こころから百回聞くか一回見て来なさいよ」

「フフ、そう言えるほどあの子に良くして下さったのですね。やはり預けて正解でした、親分さんの見立て通りです」

 

 心からの嫌味として言ったのだが理解されてないのだろうか、あたしとしては謝るなりしてもらいたいところなのだが微笑んで佇むだけ。いつもの住職なら真っ先に自身の不徳を認識し謝ってるが・・

 少し苛立ち聖を睨むあたしの肩に、船幽霊の手が掛けられる。聖に代わり何か言ってくるのかね、今は水蜜よりも聖自身からの言葉が欲しいところなのだけれど。

 

「悪く思わないでくれる? 身内に対してはいつもこうなのよ。意外と我儘で結構鈍いの」

「外から見ればおおらかで、内から見れば鈍いか。なんとなくわかったわ、なんだか怒るのが馬鹿らしい」

 

「聖人なんて言われてるけど、聖も普通に生きてるだけだ。間違いくらいあるわ」

「そうね、お祖母ちゃんに友達を悪く言われた。それくらいに思っておくわ」

 

 穏やかに微笑んだまま、誰がお祖母ちゃんなのかと問い詰められる、単純な年齢で言えば多分あたしの方が上のはず。年寄りに年寄り扱いされるのが気に入らないのか、穏やかに怒気に近いモノを見せる妖怪寺の魔住職。

 普段ならこれくらいでは怒られないが、これも身内に見せる姿なのだろうか。綺麗に手を合わせ目を瞑る聖、その(たなごころ)は右手と左手どちらのものなのか判別する間もなく、いざ南無三の声と共にあたしの頭に衝撃が奔った。<input type="hidden" name="nid" value="40910"><input type="hidden" name="volume" value="89"><input type="hidden" name="mode" value="correct_end">




道中BGMの法界の火が格好いいです。
これからボスだとわかる曲、お気に入りの内の一つですね。



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~日常~
第八十五話 狸を襲わば穴三つ


恨みは強く、誤解は解きにくく そんな話


 庫裏(こり)に上がってお茶でもと誘いを受けたが丁重に断り妖怪寺を後にした、預かった大事な面は無事に送り届けたし、これから旅の土産話を聞きながらのお茶になるはず。それに混ざるのも悪くないと思ったが、座りの悪さを感じていたため遠慮をする形となった。水蜜から身内と呼ばれて素直に嬉しいしそのつもりで聖に文句を言ったが、あたしとしては未だ身内の輪の中に入ったとは思えなくて、帰ってきたというよりもお邪魔している感覚のほうが強い。

 外の世界で一度は混ざって般若湯を飲んだこの寺の輪。その輪に入ることは容易だろうが輪に溶け込む事はあたしには出来ないと考えて、連れ歩いた妹面の土産話を聞いて上げてと言って寺を後にした。アヤメも一緒に、なんてこころにまで引き止められたが、褒められすぎて調子に乗りまた南無三されてはたまらないと笑って言うと、あらあらなんて住職に笑われた。見送りの最後、いつでも戻ってきていいと言ってくれる聖、楽しかったからまた連れていってほしいと言ってくるこころ、それぞれにまたねと返答し自宅へと戻った。

 

 自宅に戻り荷解きや整理をして軽く寝た、疲れてはいないが一人静かな時間というのはやはり心地よく、騒がしかった案内道中を思い出しながら静かな部屋で眠りについた。

 目覚めるとすっかり日は落ちていて、少しの昼寝のつもりが結構な時間が経ってしまったようだ。ちょっとのつもりががっつりと、誰しも感じたことがあるはず、こんなつもりじゃなかったのにと。

 案内の出立の時にもその気なく水蜜を怒らせて、戻ってきた時もそんなつもりではなかったと水蜜に言ったなと考える。思えばヤマメにも言われたしパルスィにも似たような事を言われた‥‥持ち味ね、本当にこれも持ち味にしてしまおうか?

 いや、やめておこう。こんなのを持ってしまったら自分自身が面倒に感じて嫌になる。他者に面倒を押し付けるのは楽しいがあたしに振りかかるようなのは勘弁願いたい‥‥友人達から言われた事を気にするようになり深く考えてしまう事が増えた、パルスィに窘めてもらった部分だがこれは性分の延長だ、中々正せる物ではない。

 

 けれど友人達のおかげで今そうなっていると客観的に見られるようにはなった、これもあたしの変化であの兎の言うしっぺ返しの一つかね。厄介な言葉を残してくれた兎を小さく恨み、静かな部屋で煙管を燻らせた。

 普段から静かで葉が揺れる音くらいしかしない真夜中の迷いの竹林。勿論あたしや今泉くん等、ここに住まう者達の生活音などはするがそれは音がして当たり前、生活音を気にしながら生きる者などいないためそこは言及出来ないだろう。今の時刻は針が天辺から三回から四回くらい回った頃だろうか、我が家に時計はないが見上げる夜空に輝くお星様の位置からざっくりとした時間ならわかる。

 

 最近は夜遊びする事も減ってしまってこの位の時間には帰宅し床についている事が多いが、今日は寝起でまたすぐに横になる気にはならず、何も考えていない頭を小さく掻きながら呼ばれている住まいの外へと歩み出たところ。

 帰宅途中に立ち寄った夜雀屋台で腹も満たしてきているし、これといってやることもないから構わないのだが・・お呼びでない急な来客、誰が来たのかと聞き耳を立てると、毎日聞いている風に揺れて葉が鳴る音が消えてしまう。

 あたしの生きる音しかしない本当に静かな夜が訪れた。

 

 ここしばらくはなかった懐かしい来客のおかげで心地よい竹の調べが消えてしまう、誰かは知らないが忘れかけた頃に来るなんて、それに来るなら自然に紛れないとバレてしまうだろうに。

 念入りに準備をし過ぎて不自然さを纏う者達、久しく相手をしていないがやり口は変わらないのだなと、昔来ていた者達を思い出して笑ってしまった。

 

 灯りも音も消された我が家周辺。結界術か捕縛術か詳しいところは知らないが、この術のおかげで住まいの周囲は清められた空気に満たされ浄化された地と変じてしまい、あたし好みの淀んだ雰囲気は影を潜めてしまった。

 こうなると相手をしてあげるか追い返すか‥‥動かなくなるようにしてあげるかしないと元の暮らしは戻ってこない。今までの輩は勝手に諦めて帰ってくれたりはしなかったなと、よく来ていた頃を懐かしんだ。

 あたしとしては寝起の運動にもならないと感じていて、ささっと済ませてなにか他の事でもと考えているのだが、襲ってくるような動きはなかった。受け慣れた今まで通りの手口ならしばらくはこのままで動きはないだろう。

 苛立ちや焦りを覚えさせようと空気だけを変えて待つやり口、あたし達人外とは違ってそれほど長く生きられないくせに、待つというやり口で向かってくる闇夜に生きる人の者達。悪くない皮肉だと思うがこれが長引くとさすがに面倒だ。かといってわざわざ出向いて行って術中にハマるのもどうかと思えるし‥‥こういう場合はあれだ、持って生まれた能力をフル活用してどうにかするのが手っ取り早く間違いがない。

 つまらない小細工で我が家の周辺に施した術式、その術の効果を我が家以外の方向へと逸して今晩は追いかけっこや隠れんぼに興じる事にしよう。

 

 襲ってくるのだから襲われても仕方がない、それくらいの覚悟は持っている輩。暇つぶし代わりになると思い少しだけ楽しくなった、このまま退治されたり封印されたりしないのかって?大丈夫。

 術自体は何の問題もなく逸らせる、あたしを封印したいのなら紫の式術以上を持ってきてもらわないと封じられてあげられない。それにこういった手合は臆病な雇われ者で、力業で来る者達ではない事も今までの経験からわかっている。

 対妖怪の御用改とでも言えばわかりやすいか、俗にいう退治屋さんや払い屋さんと呼ばれる者達の中で戦闘よりも封や清めに特化した奴ら。攻め手より受け手に長けた者達でなんとなく自分に似た手を使う者達。

 彼らを差し向けた相手が誰なのか、特に敵対しているような個人は思い浮かばないが想像はつく。あたしを快く思っていない人里の者の誰かだろう、攫われた事に恨みを持ちそれを代替わりしても持ったままの者達だ。

 いくら危害を加えない妖怪だと言っても人間達からすれば捕食者で、攫われ知らない所で生活せざるを得なくなった原因のあたし。怨敵には違いない、恨まれて当然だと思う・・だからといってその者達に対して憎さや疎ましさを持つことはないが。

 妖怪だもの、憎まれ疎まれてなんぼだ。むしろこうして襲ったりしてくれたほうが冥利に尽きるというものだ。それにしても臆病な退治屋さん達だ、身構えて住まいに篭っているわけでもなく、只々煙管を燻らせているだけだというのに誰一人として襲ってこない。

 

 

 まあ致し方無いか、今までも散々襲われては丁重に追い返してきているんだ、慎重に動かざるを得なくなってしまったのだろう。今晩我が家を訪れているお客さんには攻撃的な退治屋さんが混ざっている気配はない。

 仕留められないなら封じよう、そんなところだろうきっと。それなりの術式を行使し本気で封じてくるのならそれなりに抵抗してみせるが‥‥今晩のこれでは拍子抜けしてしまう。

 大型犬を閉じ込めるのに固定具のない簡易の檻で囲ったようなモノ、少し動けば檻毎動けるような粗末な封印の術式だ。あの規格外の麓の巫女や胡散臭い境界の妖怪と比べるなどおこがましいが、せめてもう少しマシな術式の組める者を寄越してくれればちょっとは楽しめたというのに。

 興味もなくなったしもういいか、隠れ鬼の鬼役として隠れる者を見つけに出向くとしよう。考えてみればすでに術中の中なのだ、いまさらハマる術もない。出来れば楽しい夜にしたい、それなりの抵抗に期待してゆるゆると追いかけ始めた。

 この竹林に似つかわしくない清らかな気を纏う者、数は十人くらい? 清められた空気の中では鼻が聞かず匂いを辿りきれない、それでも虱潰しで当たればさほど時間も掛からずに終わるだろう、そう考えている内には終わってしまっていた。

 

 寝起の姿で家から出てきてから寝間着のままだが、それで良かったと終わった後の姿を見て思う、返り血を浴びて真っ赤な体。折角買ってもらった新しい服を汚さずに済んで良かったと、静かな空間の中で歪んだ笑みを浮かべた。

 唇に飛んだ血を舐めてそのまま紅く染まる腕も舐め取る、不意に目についた飛び散ったナカミをほんの少し拾い上げ頬張りながら考える、旨くもないコレらをどうしようかなと。なるべく纏まるように追いかけたからか二人三人で出来た山は三つほど、少し悩んで思いつく。イタズラ兎のイタズラ跡地に埋めればいいと、掘った穴の再利用をしてどうにか片付けることが出来た。

 

 後はこの術式を切れば終わり、術者が動かないモノになっても効果を残す封印の式。思っていたよりも強い術式だったのかと感心したが、それでも大した影響はなく、祈りを捧げ力を捧げなければ解けないような小難しいモノだと感じられない。

 定められた結界の範囲を超えるだけで強引に解く事が出来るだろう、焦ることはない。ゆっくりと朝餉でも食しながら今日は何処へ出かけるか考えて、その歩みついでに切ればいい。

 

~少女移動中~

 

 結局あたしが出向いた先は先日と同じ人の里、かの者達を差し向けてきた里の誰かに元気な姿を見せてあげようと思ったからだ。誰かは知らないがいつも通りにいる姿を見せれば釣れるかと考えての来訪、けれど何も釣れずボウズとなった。

 寺では断ったのに別のところでボウズになるなんて、マミ姐さんやぬえ辺りに知られたら気持ちよく笑ってもらえそうだとおもった。

 そういえば、封印の術式は読み通りあっさりと破れた、踏み出せば切れると思っていたが反発されてしまって少し驚いたが。仕方がないと術の流れを逸らして術を掻き消した、ただ封じるという単純な形だった分強く掛けられたのかもしれない。

 

 つまらない小細工なんて昨晩は感じたが、能力を使わされるくらいに研鑽されたモノになっていた術式。しばらく訪れない間にまた力を付けたのかと感心させられた、本格的に襲われたら手荒い歓迎をしなければならない日が来るかも。

 それは面倒で出来ればそうならないといいな、なんてぼんやりと考えながら贔屓先でお茶を啜っていると、見知った顔が近寄ってきて例の如くいつもの世話焼きが始まりそうな雰囲気になっている。

 ありがたい事だが始まると長い、ここはあたしから先に話を振ってみてどうにか興味を失ってもらおう。

 

「先生が昼間、それも午前中からどうしたの? 寺子屋はいいのかしら?」

「いいんだ、たまには私も休みたい。それより何事もないんだな」

 

「何かないといけない? 相変わらずよ?」

 

 それならばいい、それだけ言って口を噤んでしまった人里の守護者殿。里の警備も任されていて誰からも信頼されている人だ、里の事なら大体わかるのだろう。

 今回差し向けてきた者達の雇用主だとは思わないが、何かを言いたいから寺子屋を休みにしたなんて嘘をつき、あたしの姿を探していたんだろう。

 あの程度ならどうということはないとわかっているはずだし、あたしの性格からすればその日の内に里へ来ると踏んでこの店近くを張っていた・・そんなところか。

 

「言われなくともわかるだろうに、本当に貴女は‥‥」

「よく言われるけどあたしは覚りじゃないって言い返してるわ、言葉にしてもらわないと何の事やら」

 

「……昨晩の者達、どのような?」 

「愛らしい狸を捕りに来た狩人見習いさんね、でも罠もなく檻も固定されてない。さすがに掛かってあげられないわね」

 

 心配でもしてくれていたのか最初はこちらの様子を伺う表情だったのだが、あたしの返答を聞いていつもの仏頂面へと戻っていく。これは話を持っていく方向を間違えてしまったか、心配してくれた優しい友人から世話焼き先生へとその顔を変えていってしまった。

 

「住処を荒らされるなんて自業自得だな、いつまでも誤解させたままだからそうなるんだ。わかっているだろう?」

「特に困っていないと言った気がするんだけど? 今もこうして健在よ? 元気なすが‥‥」

 

 両手のひらを先生に見せながらいつかのようにおどけて見せる、いつものお小言ならここで溜息を吐き捨てて立ち去ってくれるのだが、今日は腕組みしたままズズイとにじり寄り・・

 腰掛けるあたしの頭に勢いを付けた堅い物が上方向から落ちる。頭の天辺から足先まで衝撃が奔った、衝撃で体が沈み動けなくなる。会話の最中にもらったからか口内を少しだけ噛み血の味がする、昨晩味わったモノよりもマズイ味。

 

 鉄っぽい味が昨晩のことを思い出させてくれる。頭には痛み、視界にはお星様が広がっていて石頭の顔はよく見えないが、昨晩久方ぶりに味わって思わず出た歪んだ笑みをこの先生に見られていたらどうなっていたのだろう・・

 想像するに容易い景色、見たくない景色が浮かんでしまって・・痛みとソレを払うように頭を振って紛らわせた。

 

「‥‥お星様が見えるわ……」

「そうか、だがまだ昼だ。それにお前は私の教え子じゃない、先生と呼ばせるワケにはいかない」

 

 衝撃から俯くような形になったため、そのままの姿勢で本気で愚痴る。ど真ん中、丁度頭の天辺へと叩きつけられた守護者の頭。所謂頭突き。

 先日南無三された位置とほとんど同じ場所に頭突きをもらい、痛みに耐え兼ねて腰掛けたまま両足で地団駄を踏む。耳を畳み頭を擦るあたしを腕組みしたまま見下ろす人里の守護者殿。これはきっとこのままお説教の流れだろう、同じように寺子屋の子供が叱られている風景をもう何度も見てきた。

 寺子屋の子供と同列に見られるにはあたしは少々育ちすぎだと思えるが、この場では子供並に体を小さくして痛む頭をさすっていた。縮めた体そのままで下から見上げて怖い教師に問いかける。

 

「するならすると言ってくれても‥‥今まで何も言ってこなかったのに、いきなりどうしたの?」

「今までは襲われても何事もないし、すぐ逃げるから放っておいたが‥‥そろそろいいんじゃないか? アヤメ」

 

「久しぶりね、いつ以来? 名前で呼ぶなんて」

「要らぬ誤解が広がる前、人の血を浴び肉を食らうなんて記事を真に受ける前だ」 

 

「それもあながち間違いではなくなってしまったのよね」

「匂いでわかる……里の外、それに今回も襲われた側だ、だから今は何も言わない」

 

「白沢って目以外に鼻も多かったかしら?」

「体は洗ったようだが腹から臭うモノもある、明日の晩は満月だ。今の私は人よりもアヤメ達に近くなっているんだ、その手の匂いには敏感になる」

 

 ほんの少しかけらを口にしただけ、腹は満ちていたし食欲からというより興味からほんの少しだけ口にしたモノ。それでも匂いでわかるのか、叡智を司る神獣様とは凄いものだ。

 口では何も言わないと言ってくれるが顔は怖い、それもそうか人喰いが目の前にいるのだから。人の守護者としては見知った相手でも警戒せざるを得ないのだろう。

 敵意とまではいかないが嫌悪感を見せる相手に何を言ったらいいか、悩んでいると先に言葉を吐かれた。

 

「臭うと言っても微かなものだ、好んで喰ったというものではないとわかる……わかるが」

「言わなくてもいいわよ、軽率だったわ。里に慧音がいるのは当然でバレればそんな顔をされるとわかっていたけれど‥‥すっかり持ち味になったみたいね」

 

「何の話だ?」

「こっちの話、気にしないでいいわ。それよりどうする? 追い出す? それとも退治?」

 

「退治は済ませた……それにさっきも言ったが里の外での事なら私が言う事ではないし奴らは自業自得だ、自ら命を捨てる者達の面倒までは見きれないよ。ただそうだな、前のように慧音と呼んでくれるなら‥‥それらしくしてくれると嬉しいな」

 

 自身の頭を指さしながら真剣な表情であたしに言葉を伝える慧音、頭突き一発で済ませていい事でもないと思うが人の側に立っている慧音が言うのだ、それならあたしが言い返すことではない。

 退治された余韻の残る頭をさすり、言われた言葉に対してどうするべきか悩む。そうしてくれるなら・・あらぬ誤解を解いてくれれば、か。

 恐れ疎まれ箔が付くなんて言って放っておいたが正直どうでもいい事でもある、ここまで引っ張った事自体がおかしい些細な誤解。けれどそれなりに時が経ってしまっていて撤回するにしても面倒だ、何をしたら旨く弁解出来るやら。

 誤解を生んで広めてくれたあの煩い天狗に訂正記事を頼んでみるか、ネタの提供をしておけば今後何かで使えるかもしれない。

 

「じゃあ訂正記事を書いてもらう? 血に怯える可愛い狸さんだったとでも書いてもらうわ。それでいい?」

「いや、妖怪の噂を妖怪が広めても疑いを晴らすには苦しい‥‥そうだな、阿求に書いてもらえ。聞けば断り続けているみたいじゃないか、人も時も丁度いいな」

 

「阿求ってことはあの妖怪図鑑? アレに書かれても読む人なんていないじゃない」

「書かれたという事が大事なところなんだ、力のない阿求と言葉を交わし書に残す。そんな形を見せるだけでも十分」

 

「誤解を解くのに繋がるとは思えないんだけど?」

「コレ自体には誤解を解く力はない。ただアヤメの人となりを知れる物があって、そこから相手取るとどうなるかわかれば‥‥結果人死にも減るはずだ」

 

 言わんとしていることはわかるが随分とあたし達寄りの物言いだ、普段であればもっと人に近い言い草でそれが堅苦しさに見えるのだが、今日は話のわかる気安さが感じられる。

 全て話さずともわかる聡い相手、なんとなくあの尻尾の多い狐様に近い物言い。合理的で無駄がない人外の考え方、満月が近く白沢らしさが強いと言っていたがこの辺りもそうなのだろうか。

 叡智を司るとはいっても所詮獣か、あたし達となんら変わらないように見える……いや、無理をしてあたしに合わせてくれているだけかね、半人半獣だが元々は人間だった。

 なら今の考え方は人には厳しい考え方で人の理に背く思考だ、これほど譲歩されたのに棒に振っては角が立つ。角を立ててから再度頭突きされてはたまったものではないし、ここは素直に話に乗ろう。

 

「それで慧音が満足するならそれでいいわ、話を通しておいて貰えるかしら?」

「ああ、それには及ばない。既に伝えてある、というよりも以前ならそこも見越して断られたりしたものだが、鈍くなったか?」 

 

「考え過ぎは良くないと思い知ったのよ、けれどさして変わらないわよ? 誰かさんのように月一で変わってちゃ忙しいし」

「口ぶりは変わらずか、なんなら歴史の改ざんを手伝わせてもいいぞ?」

 

「それならこの話も無かった事にするわよ?慧音?」

「減らない口をなきモノにしてもいいんだが?アヤメ?」

 

 それは勘弁と言い逃げするように立ち上がる、店主の爺さんに勘定を払うつもりで財布を探すがスカートのポケットには入っていない。

 そうだった、まだ着慣れていない格好だったな。荷解きして着物の袖に突っ込んでそのままだと思い出した、仕方がないから今日はツケでいいかと頼むと珍しくダメだと断られる。

 久々に二人で茶でもしていけと座っていた席に戻されて、慧音の隣に座らせられる。逃げるのではなかったのかと問いかけられ、正直に財布を忘れたから奢ってと両手を合わせてお願いしてみた。他の誰かにお願いする場合は科を作るなり色香を振り向くなりするが、慧音にはそうはしなかった。炭焼き上手なあの人間にヤキモチを焼かれるのは勘弁願いたいからだ。

 

 焼き物上手のヤキモチなんてどれほど熱いかわからない、そんな事を考えていると慧音にその笑みをやめてくれと失礼な事を言われてしまった、教師らしく包むような笑顔でいるのに口ぶりは辛辣である。

 手で隠すことなく慧音に見せた笑い顔、胡散臭いものではないはずだがどんな笑みに見えたのか、気にはなるが詳しく聞くのはやめておいた、まだまだ日の高い時間でお星様を眺めるには早い。どうせ眺めるなら久々に席を同じくして笑う、世話焼きな友人の笑顔のほうがいい。

 



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第八十六話 別れて迎えて繰り返し~幻想郷縁起~

いい意味で変わらずにある そんな話


 近くを通り過ぎたり外からでもよく見える大きな松、庭に生えた黒松を眺めては立派なものだと感じてみたりしていてなんだかんだ視界の内にはいれていたが、こうして邸内に入り眺めるのはいつ以来なのか思い出せない。

 デカデカとした立派な門を潜ると玉砂利の敷かれたこれまた立派な庭がある、白玉楼のような手入れされた枯山水も素晴らしいがこの庭も素晴らしいものだ。玉砂利の海が広がる庭、その中央には少し高く盛られた土から生える黒松。外から見えていた松はあの松だろう、近くで見ると余計に幹の太さと枝ぶりが見事に見えて力強い何かを感じさせる。

 そんな松の木に迎えられて庭を進み本邸へと案内される、門も庭も立派なら邸内も立派な造りで所々に装飾が施された家具や棚が目に留まる。ただ立派と言っても豪華な物ではなく、様相は古風な物で長く使われてきた形跡も見える。

 ここの主達が生前に買った物をその後も主達が大事に使ってきたのだろう、どれを見ても造りや飾り彫りの雰囲気が似通っていて、一人の人間が全て選んだとモノ言わずに語ってくれている。

 長く使われ続けているここの家具達、こいつらもその内に付喪神となって物を語るようになるのかね、そうなった時には何を語ってくれるのか‥‥どの主も生意気で困った、なんて言い出してくれたら声に出して笑ってしまいそうだ。

 

 磨かれて光る廊下を歩く妙齢の従者に連れられて奥の部屋へと通された、綺麗な柄の襖で仕切られた大きな部屋。部屋の主は中におらず、掛けてお待ちくださいと従者に言われて素直に座った。

 部屋の中をぐるりと見やる、部屋の中央には低めで横に長い和机。その上にはインク瓶と数冊の書物、ここの主がしたためている書物なのか読んでいる途中のものか、判断はつかないがこれも時経た物のようで裏表紙が日に焼けていた。

 一度読んだものなら二度と忘れる事はないのに何故古い書物を手元に残すのか、少しだけ気になり手を伸ばす。書物を手に取り題を見る、求聞史紀認書 著稗田の○☓と書かれた書物。

 ○☓の部分は掠れてしまって読めないがこの字には覚えがあった、これはまた懐かしい癖字……懐かしさに負けて中身を読もうと開き掛けた辺りで、部屋の主の足音が近づいてきた。

 待つようにと通された部屋に置いてある書なのだから、それを読んで待っていても何も言われることはないと思うが‥‥なんとなく書を元あった位置に戻して足音の到着を待つ、部屋の前で丁度止まり襖が開けられ待ち人の登場となった。

 

「すみません、お待たせしました‥‥それにしても自分から来てくれるなんて、どうしたんですか?」

「友人からの小さなお願いを叶えに来たのよ、嫌だと言うなら帰るけど?」

 

「お願い……私からお願いしても聞いてくれないくせに、そのご友人はさぞかし大事な方なんでしょうね」

「大事ではあるけれど、それ以上に怖いってのが本音かしら?」

 

 両手の人差し指を立てて頭の上に生やす、丁度あたしの耳がある辺りに生やした二本角。そのまま隣に立っている主の太腿にコツンと柔らかな頭突きをかます、それだけでは伝わらなかったので仏頂面になり眉間に皺を寄せてみる。

 まるで悪さした子供を叱る教師のような顔。ここまでやれば伝わったようで、慧音さんから聞いていた件ですねと合点がいった顔を見せたここの主、稗田家九代目当主 稗田阿求

 合点はいったが納得はしていないという表情で机に向かい座る、襟を正し姿勢も正すとあたしと机を挟んで対面する形となり目が合う、目が合った瞬間に見慣れた仏頂面を見せてボソッと小さく何かを呟いた。

 

「もう、今まで私が口煩く言ってもダメだったのに」

「当たり前よ、あたしは阿求の事はよく知らないもの」

 

「前は料理してくれたりしたじゃないですか」

「あれは阿弥よ? 阿求に振る舞った事は‥‥多分ないはず?」

 

「今はありませんが‥‥阿弥も阿求も私に変わりはないですよ」

 

 言う事はご尤も、初代御阿礼の子である稗田阿一から始まった幻想郷縁起の編纂。それを本人が転生を繰り返す形で代々受け継いできている、阿礼乙女と呼ばれる稗田の当主。

 今の阿求で九代目であり、あたしが親しくしていたのは先代である八代目。転生した本人なのだから言う通り変わりないはずなのだが、同一視することは出来ず違う相手として接してしまう。

 先代も女性で年齢こそ違うが姿形はとても良くにており、笑い方も怒り方も困る仕草までほとんどが同じなのだが‥‥少しだけ違っているところがあって、それが同一視出来ない理由なんだろうとあたしは考えている。

 

「変わっているところもあるわ、気がついてないだけ」

「そうですか? 自分で言うのもなんですが、鏡で見てもそう違和感はないんですけど」

 

「見た目じゃないわ、そっちよそっち」

「そっち?」

 

 言いながら指を指してあたしが感じている違いの元を教えてあげる、指の先にはインク瓶。先代と阿求の違いは字の癖に出ていると感じていた。

 例えばあたしの名前囃子方アヤメ、これの『囃』の口偏がわかりやすいだろう。綺麗に書くなら縦に長く書くと格好良く見える、阿求が書くと縦に長い形の整った『囃』になるのだが先代は癖のある書き方をしていた。もう少しわかりやすく言うと左が上がる書き方をしていた、いくら言っても笑っても直そうとはしなかった書き方。字体の右側、筆を奔らせる先が細く下がっていく書き方で、私の生き方みたいで先が細くなるのがいいなんて言っていた。

 

「そんな事で別人扱いは酷いんじゃないですか?」

「あら? 言葉変われば国が変わると言うし、字が変われば人が変わってもおかしくないわ」

 

「また屁理屈を言って、そうやって能力使ってはぐらかしてばっかりだから私も口煩くなるんですよ」

「あぁ、阿弥に言ったあたしの能力ね……嘘よ、それ」

 

「嘘って‥‥阿弥だった頃に書いた求聞史紀には、あたしの能力は『はぐらかす程度の能力』だって‥‥」

「本当は『逸らす程度の能力』なの、ウマイこと真実から逸れてたでしょ?」

 

「……それもはぐらかしてるんじゃないでしょうね?」

「今回は本当、友人に誓って」

 

 先代の頃にも求聞史紀に書かれたことがある、その頃は遊び半分話半分で書いてもらい随分とテキトウな事を言っていた。能力もそうだが生まれて三百年くらいの若輩だとか、胡散臭い妖怪の式にさせられて酷い扱いで逃げてきたとか他にも色々と。

 今思えばそれを素直に信じて書いていたアヤに悪いことをしたなと思う、だからこそ今回は友人に誓って正しい事を話した。慧音もそうだが今は亡き友人で今あたしの正面に座る者に誓って。

 自分で考えても矛盾していると思うが、こう話していると紛れも無くアヤも阿求も同じ相手だとわかる、だが、だからこそ別人として扱いたかった、アヤの死ぬ間際言った言葉。

『妖怪の知り合いが増えたから、次の転生でも知り合いが残っていて嬉しい』

 特別な遺言ってモノではないが、阿弥として最後に会った時に言われた言葉だ。

 そうして欲しいと言われたわけではないが、そんな事を言い残してくれるくらいの間柄にはなれたわけだし‥‥それなら知り合いらしく、あたしらしく接してやるのがいいだろうと、あの頃通りの軽口吐いて屁理屈こねて接している。

 

「その煙に巻く感じ、昔っから嫌いです」

「そう、でも昔からこうだから変えられないわね。阿弥の頃にも嫌いだと言われたわ」

 

「はい、言いました。昔から口八丁で逃げまわってくれて、どうにか書いたらそれも嘘だったなんて‥‥酷い」

「それはそれとしておきなさいよ、本当の事は阿求に話したんだから」

 

「もう嘘はないですか? この際はっきりしておきたいです」

「あるかもしれないけどダメよ? 次の答えはまた次の時に、楽しみは後にとっておくものよ」

 

「いいえ、後二十年くらいは阿求として生きますので。その間に見つけます」

 

 転生を繰り返しているからか阿礼乙女は寿命が短い、阿弥と会った時には彼女はすでに二十の半ばくらいだった。阿弥として付き合ったのは五年くらいだったのか、短い付き合いだった割には口煩かった印象を強く残してくれたものだ。

 今代の阿礼乙女はまだ十年とちょっとくらいしか生きていない幼さが残る少女、先代よりも長く一緒の時間を過ごせる予定。それなら阿求の言う通り後一つや二つの嘘くらいバレてしまうかもしれないな、先代の頃には見られなかった顔がまだまだ見られそうだ。

 嘘だと気が付いた時の顔をまだ拝めるかもしれないと思うと、あたしにも後の楽しみが出来たと楽しくなった。他の者よりも付き合える時間が短い分その顔を見て覚えておいてやろう、次の転生をして戻ってきた時に笑い話にできるから。

 

「頑張って見つけてね、何個あるか覚えてないけど」

「そんなに……もしかして前に言ったの全部だったりします?」

 

「さぁ、本当は嘘なんてないかもしれないわよ?」

「そうやってまたはぐらかす……本当に『はぐらかす程度の能力』じゃないんですね?」

 

「気になるなら紫さんにでも誰にでも聞いてみたら? あの胡散臭い覗き魔妖怪の事だから阿求も覗かれているんでしょ?」

「あ、嘘見つけた! 式だったなんて嘘でしょ! いくら袂を分かったとはいえ、元の主を胡散臭い覗き魔なんて言わないはずです」

 

「あらもうバレた、でもまだまだあるわよ? 今代で何個見つけるかしら?」

「何個でも、というより今日は書かれに来たんですよね? なら全部本当の事を話して貰います」

 

 あぁそういえばそうだった、からかいに来たんじゃなくて妖怪図鑑に書いてもらいに来たのだった。しかし全部本当の事を話しては転生した後の楽しみが減ってしまう、どうにかごまかせないものか。いや、ごまかさなくてもいいか。あたし自身でも正しい自分なんてよくわからないのだ、狸が本質で霧やら煙がノッたモノなのか、狸を媒介にして霧やら煙から成ったのか、最近良くわからなくなってきていた。

 勿論化け狸としての挟持はある、あるが、浮ついてるだの漂ってるだの言われる事ばっかりで、はたから見られると実際どうなのか怪しいと感じてきた。どう見られようと変わらないとは思うが、見た目だけは年頃の少女‥‥それなりに視線が気になる事もある。

 

「種族の項目ってなんて言ったかしら?」

「妖獣と聞いてますよ、えぇぇ‥‥そこからなんですか‥‥?」

 

「いや妖獣のはずなんだけど、自信がないというかなんというか……ね?」

「ね? じゃないです、ウインクしたってごまかせません! で、実際なんなんです!?」

 

「霧で煙な可愛い狸さん?」

「曖昧な事を言ってもダメです! 書かれに来たのならそれらしく、自信を持ってはっきりと言って下さい!」

 

「霧で煙な素敵で可愛い狸さんよ!」

「そこをはっきり言い切れとは‥‥それで載せますけど、本当にいいんですね?」

 

 すっきりはっきりとそれでいいと伝えた、はっきりと言わせてもらえたおかげでスッキリした。もうどれでもいいやと強く認識できた、紫のように一人一種族なんてのもいるのだしあたしもそれでいいやと開き直った。

 どう見られるかなんて十人十色で答えが変わるのだ、考えたところでまた空回りするのが目に見えた。マミ姐さんと種族が変わるのが心苦しいが多分姐さんもそれでいいと言ってくれるはずだ、自身で決めた事を否定されたことは今までないから。

 種族程度で切られるくらいの付き合い方をしていないし、切られたらまた最初から始めるだけだ。うむ、たった一言はっきりと言っただけだが随分と気が晴れた。いやいや晴れちゃいかん‥‥掻き消えてしまう、なんというかこれはこれで難しい立ち位置になったか?

 煙らしくモヤモヤと悩んでいると、眉間に指を充てがわれて気がつかないうちに寄ってしまった皺を伸ばされる。いつか阿求にやったことでいつかアヤにやられた事、アヤを放って思いに耽た時にやられた仕草。

 阿弥の頃よりも幼い今は身長が低いから、机越しに背伸びして届けてくれた指がなんだか可愛らしくて眉間の皺を消すように笑ってしまった。笑顔を見られて阿求に笑われてしまうが、それも少女らしい笑みでアヤとは違っていた。

 

「人の顔見て笑うなんて、阿弥だった頃はなかったわ」

「あの頃は大人でしたからね、今は子供です。子供ならいたずらに笑うものです」

 

「中身はあたしと変わらないくらいじゃない、誰が子供なんだか」

「昔から化狸していたアヤメさんと同じにしないで、って言いたいですがアヤメさんだって子供でしょう? 慧音先生の頭突きもらってますし」

 

「そうね、阿求と違って叱られる子供と変わらないわ。無邪気で可愛らしいでしょ?」

「訂正します、無邪気な子供はそうやって利用しません。腹黒の狸でした」

 

「腹黒の霧で煙な狸、よ」

「長い、面倒くさい」

 

 結局そこに行き着くのか、もう種族面倒くさいでいいんじゃないかと思う。けれどまぁいいか、面倒くさいという割には少女らしい笑顔を見せてくれる今代の阿礼乙女‥‥大人びた者だと言う者が多いが、こうして少女らしい面を見せる事もあるのだ。

 なら中身はともかく見た目通りに笑えるように接しよう、あの時はこうだったと笑うのも後の楽しみになるはずだ‥‥こうやって少しずつでも笑い話を増やしていくのもいいものだ、おかげで本来の目的が全く進まないが、話していけばなんとかなるだろう。

 テキトウ並べて漂って、それらしく書いてもらおう、当然全ては明かさないが、書いてもらうならそれなりになるように嘘偽りを混ぜて述べた。

 

~阿求執筆中~

 

 種族:霧で煙な可愛い狸

 名前:囃子方 アヤメ

 二つ名:竹林の昼行灯

 能力:逸らす程度の能力

 

 危険度: 中

 人間友好度: 中

 主な活動場所: 如何なる場所でも

 

 見た目は化け狸だが飄々としていてよくわからない。

 本人は種族の通りだと言うがそれも本当かわからない妖獣。

 この妖獣? は一度仲良く慣れば人妖関わらず気安く話せるが、話す内容はテキトウで胡散臭く厄介な相手だと言い切っていいだろう。会話も出来るし、何もしなければ襲うなど手荒な事はしないと思うが気分屋であるため、無駄に喧嘩を売るのはよした方がいい。

 自分から襲ったりはしないが、敵意を向けられれば人を喰う事もあるらしいから。(*1)

 

 見た目:

 少し内に入る癖毛で肩甲骨くらいまで伸ばした灰褐色の髪、部分的に上白沢先生のように白のメッシュが入っている様に見える。

 いつも眠そうに細めている銀の瞳に銀縁眼鏡をかけている、尻尾はごん太が一本。

 紫色に菖蒲の刺繍を施した長羽織、灰褐色の小袖という格好が長かったが、最近は白地に薔薇の刺繍が入った着物を好んで着ている、夏場は胸元の開いたシャツにロングスカートという格好もよく見る。着物を綺麗に着こなし煙管を咥えている姿は似合っているが、洋装で煙管を燻らせる姿も様になっている。(*2)

 足元は踝丈の編上げブーツ、履くのが面倒臭さそうだ。

 肩に掛け常備しているのは酒虫の入った愛用の白徳利、常に煙管を持ち歩いている。

 

 

 能力:

 消したり返したりは出来ないが逸らせる物はなんでも逸らせる能力。

 言葉の通り逸らすとは、向かうべき方向を変えたり逃したり、他へ転じさせたりといった、わざと違った方向にもっていく事が出来るようだ。

 本人が逸らせると思えば大概の事象は逸らせるらしく、物でも意識でも認識出来ればあちらこちらに逸らす事が可能らしい。(*3)

 物理的な攻撃から精神的な口撃、向けられる注意力や警戒、認識力というのものに中途半端に干渉して逸らし他へ向けることが出来る。

 他にも言葉巧みに相手を惑わし煙に巻くといった手口も見せる。(*4)

 

 日常:

 前述通り気分屋だがいつも気怠げにしていて、本当にやる気が感じられない。

 眠そうな目をして甘味処にいることが多い。

 話しかければ会話してくれるが飽きっぽく、興味がなくなるとすぐに別の話題になってしまい、まともな会話にならないことも多い。 

 住まいは迷いの竹林にあるらしく、たどり着くのは難しいだろう。

 たまに他の妖怪もいるらしい、近寄らないのが懸命だ。

 顔が広くほとんどの妖怪と繋がっているようだ。

 あの八雲紫(前述)やその式、鬼の伊吹萃香(後述)に嫌味を言っても許される間柄。

 妖怪だけに留まらず命蓮寺や道教の者達と笑っている姿も見られて、どれくらいの交友関係なのか把握できない。(*5)

 

 幻想郷との関係:

 外の世界で幻想となりかけて八雲紫に招待されたと言うが、一部の人里の者達からは忌み嫌われている、過去に何かあったのかもしれないが、それを語ってくれる事はなかった。

 前述した妖怪の賢者との繋がりに、深い何かがあるかもしれない。

 

 この妖怪に纏わる逸話:

 吸血鬼異変で八雲紫が戦力として直々に迎えに行った事がある、自身は時間稼ぎしかしていないというが門番は参ったと話していた事がある、何が本当なのか確認できない。

 伊吹萃香や星熊勇儀と真剣勝負をして生き残っている、星熊勇儀とは対決して勝った事もあるらしい、が、これも確認は出来ていない。

 幻想郷に来る前に八雲の主従と争って無傷で生き残っているというが、これも確認は出来ていない。(*6)

 霧の異変や間欠泉の異変では争う姿を見せていないが、他の異変では姿が見られている。終わらない冬の異変や新たな神社の引っ越し騒ぎ、神霊の溢れた異変等では博麗霊夢に、永い夜の異変では霧雨魔理沙に、天人の起こした異変では魂魄妖夢らとそれぞれ争い退治されている姿が確認されている(*7)

 

 目撃報告例:

 ・紫と同じような顔で笑うのよね、気色悪いから見たくない(博麗霊夢)

  これには同意する、胡散臭くてたまらない。

 ・たまに香霖の店で暇してるな、香霖がいつも嫌そうな顔をしてる(霧雨魔理沙)

  うちでも暇を潰していく、不意に来るから困る。

 ・暇を潰す物は売っていないのに気軽に来ないでほしいね(香霖堂店主)

  気持ちはわかる、妖怪のくせに気軽に来過ぎだ。

 ・甘味処にいつもいる、デカイ鷲に餌付けしたりして笑ってた(彦左衛門)

 ・太陽の畑で花の妖怪と並んで花を見ていた、二人とも笑顔で怖かった(匿名多数)

  里で九尾と並んで買い物してるのも見た、油揚げ取り上げて厚揚げ押し付けてた。

 ・霧の湖でも見たぞ、あの真っ赤な洋館に入っていくのを見た(釣り人)

 ・夜雀の屋台に毎晩いるな、絡まれそうになった(ウワバミ六介)

  どこにでもいる、どうせ暇なんだろう、昔からそうだ。

  

 対策:

 関わらない、コレに尽きる。

 関わって興味でも持たれると面倒で厄介な事になるだろう、万一興味を持たれてしまったら飽きるまで付き合うか、そっぽを向いて逃げよう、運が良ければ追ってこない。

 ただ手荒な事になる事はないから、もしも興味があるのなら甘いものや可愛い小物で釣ろう、機嫌よく相手してくれるはずだ。

 

(*1)人を喰ったような事しか言わない。

(*2)洋装も似合ってはいるが、そう書けと横で煩い。

(*3)ペン先を逸らされて能力の確認をした。

(*4)能力よりもこっちの方が厄介に思える。

(*5)地底でも人気者だと言うが、きっと見栄だ。

(*6)逸話は眉唾。

(*7)こっちの姿が正しい気がする。




実家で求聞史紀のサルベージを試みましたが失敗。
確かこんな感じの書き方だった気がします。



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第八十七話 思慕するあまり患う

ガールズのトーク? そんな話


 縁側に腰掛けモヤモヤと煙を漂わせながらペラリとページを捲り目を通していく、誰がどんな風に書かれているのか気になり、あたしの事を書いてもらった後に今代の阿礼乙女が纏めた求聞史紀を読ませてもらっている。

 書かれている内容は正確に捉えていて関心出来るものから、まるで見当違いな物まで様々に書かれているが中々に楽しめている。特に阿求の憶測が面白い、あの竹林の蓬莱人が忍者の末裔だったとはさすがに思いつかなかった。

 言われてみればもんぺに両手を突っ込んで高速で空を飛ぶし、炎を放つ事も纏う事もできる上に死んでも蘇る忍法火の鳥が使えるのだ、あれを忍者と言わずになんと言おう。伝説の忍者集団との関系を訊ねてみると、何それ、としらばくれるとか素性を隠そうとしているのがバレバレだ。

 全く、忍者のくせにこうして書物に記録を残されるなんて、こんな風に書かれていると妹紅は知っているのだろうか?慧音と中の良い阿求が書いた物だ、それなら同じく慧音と仲がいい妹紅もきっと知っているだろう。

 後で顔を合わせたら少しからかってみよう、藤原さんは貴族だと思ってたけど本当は義賊だったのねなんて言ってみよう。焼かれて釜茹でにされない程度にからかって遊びたくなった、今年になってまだ顔を合わせてないから楽しみだ。

 妹紅も面白かったがもう一つ面白い憶測で書かれた人がいる、英雄伝なんて項に載っていたがあの男のどこを見れば英雄要素があると思えるのだろうか、自身の営む店ですら営業要素のえすらないというのに英雄なんてちゃんちゃらおかしい。

 

 訂正してやろうかと思ったが止めた、こっちもこっちでからかうネタに使えそうだ。

 区分といえばあたしの区分は妖怪の欄に収まる事になった、妖獣だと書かれたが実態が曖昧でその他扱いらしい。

 あたし程度でその他扱いになるとすればその他が一番多くなってしまう気がするが、実際にいる連中を思い返すとその他の割合が多くなっていそうで、歪な者達の楽園である幻想郷らしいな、と書かれている者の名前を眺めて薄く微笑んだ。

 

 氷の妖精から始まって炎の蓬莱人で終わる妖怪図鑑。危険のある妖怪について学習して身を守りましょうって本だと思っていたが、実際に中を読んでみると対策本というよりも、阿求の憶測や推測が混じった紹介本といった感じになっていた。

 誰かについて客観的な視点で語られていて対策らしい物も載っているが、そこよりもこの幻想郷のどこに行けば会えてどうすれば知り合えるのかを紹介しているように思えた‥‥素敵な幻想郷ライフを、正しく言葉通りの本になっているように読み取れる。

 読みながらニヤついてみたり鼻で笑ったりしていると、そんなあたしの姿を見て何かに満足したように微笑んでこちらを見る阿求。何を笑っているのか聞くと、書いた物が読まれてすぐに反応が見られるのは良いものですねと微笑みながら呟いた。

 

 この気持ちはよくわかった、本ではないがあたしも作る側になる事がある。あたしの場合は料理だったり意地の悪い意趣返しだったりするがそこそこ喜ばれ感謝される事もある。

 何かしらを与えた者から何かしらの反応があればやはり嬉しいものだ。面白い読み物のお礼にと思い、従者を呼んでもらい少し台所を借りられないか聞いてもらった。

 従者に一瞬身構えられてしまったが、主の言葉に折れてくれたようで一緒に立つなら構わないという事になった。広く使いやすい台所に立ち、少し早めの昼餉を人妖ならんで調理していく。

 

 妙齢の女性にしては手際よく勧めていくこの従者、調理中に求聞史紀に書かれるような妖怪と台所に並び立つなんてと少しの恐れを見せながら言われた。危険を知らせる意味合いもある本に載るあたしだ、警戒されて当然だと思うから気にはしない。

 けれど、先代の頃はよく来てこうして台所に立っていたと伝えてみると、だから調理器具の場所がわかるんですねと微笑まれた。気にしていなかったが何がどこにあるかわかるくらいには通って料理し本を読んでいたはずだ‥‥これもその気なくのうちに入るのかね?

 だとしたならあたしの持ち味にも良い面があったなと小さく笑った。

 

 蜂蜜で少しだけ甘みをつけて出汁を利かせた卵焼きとほうれん草のおひたしに、油揚げと豆腐の味噌汁という昼餉よりも朝餉に思える食事を主と二人で取った。卵焼きを食べて懐かしい味だと笑う阿求、これくらいで喜ぶならもう少し早く作ってあげても良かったかもしれない。

 気が向いたら以前のように訪れてテキトウに食事をしてもいいかもしれない、他の者よりも短い時を生きる相手。見た物を忘れることはないが味わった物を覚えているかわからないので、どうせならもっと強く覚えていて欲しいと思った。

 

 目的も済ませて食事も済ませた昼下がり。食後の一服も済ませてそろそろお暇するかと、今日はそろそろ帰るわと阿求に告げる。また来てくださいと昔のままに言ってもらえて素直にはいはいと答えると、はいは一度でいいと窘められた。

 窘められたことに対してはいはいわかったと理解を見せず答え直すと、天邪鬼でしょうがない人だと笑われた。人じゃないから今日来たし、天邪鬼だから嫌だと言われてもまた来ると最後に告げると、はいはいと返事をされその言葉を聞きながら屋敷を後にした。

 時間はまだ早いがやることもなくなってしまい、今日はなにをしようかと稗田と表札のかけられた門の下で立ち止まり考える。するとどこかから呼ばれているような感覚を覚えた、声で呼ばれているわけではないが確かに呼ばれている声。

 耳に届く声ではないが、心の内で呼ばれていると感じられる呼び声のようなモノ。暇も時間もある今を埋めるには丁度いいかもしれないと思い、聞こえてくる呼び声に誘われるまま足を動かした。

 

 呼び声は稗田の屋敷のすぐ近くから聞こえてきていて、ある人里の一角から呼ばれていたらしい。けれどなんでまたここから聞こえるのだろう、ここは慧音の寺子屋で午後は放課となり誰もいなくなるはずだ。

 誰もいないはずの寺子屋で一体誰が呼んでいる?

 そんな事を考えて寺子屋の屋根を眺めていると、あたしの背中にこんにちは~! と元気な挨拶をぶつけてくる者がいた、勢いと声量から誰が声の主なのかすぐにわかった。

 毎日毎朝妖怪寺の参道を掃き清めながら、通りを歩く相手に声をかける妖怪寺の読経するヤマビコ、幽谷響子ちゃん。声に振り向きこんにちはと返答をすると、耳と尻尾を揺らして笑顔を見せてくれた、挨拶一つでこうも笑顔を見せてくれる響子ちゃん。

 毎朝こんな笑顔で挨拶されれば人も警戒心なんて持たなくなるはずだ、あの寺の顔になるには丁度いい山彦ちゃんだろう‥‥それでも少し不思議に思った、この子が寺を離れるなんて買い物かミスティアとのライブくらいのものだが、なんでまたここに来たのだろうか?

 

「あれ? 一輪やぬえは呼ばれなかったのに、アヤメさんも呼ばれたんです?」

「もってことは響子ちゃんも呼ばれたクチなのね、何かしらね。耳と尻尾のせいかしら?」

 

「でも親分さんは聞こえていない感じでした、化けてて耳も尻尾もなかったからかな?」

「見た目にはなくても実際は生えているから聞こえないわけはないわね。人のいないハズの寺子屋であたし達を呼ぶなんて、どこの誰で何かしらね」

 

「わたしとアヤメさんだと、一緒に読経して怒られたくらいしかないですよ?」

「そうね、一緒に仲良く南無三されたわね。そういえばあの時はあたしだけ座禅修行をさせられたけれど、響子ちゃんウマく逃げたわね」

 

「逃げてませんよ! 日課の掃除が済んでいなかったから、先にそれを済ますように言われただけです」

「ふぅん‥‥ま、いいわ。取り敢えず今日のコレには関係ないし」

 

 あたしと山彦、それほど共通点がない二人をを呼び出す相手とは誰だろうか、てっきり里近くの妖怪全てに聞こえているものだと思ったが、響子ちゃんの話では一輪やぬえには聞こえていないらしい。耳や尻尾を持つ一部の妖怪だけに聞こえる声なのか?

 それだとしたら姐さんに聞こえないわけがない、言った通り消していても生えていることには変わりないのだ。聞こえても聞こえてないふりをしただけか?あの姐さんが呼びかけに応じないなら大した事ではないのかもしれないが、思惑がわからない以上下手に突っつく事はできない。

 あたし一人ならひょいひょい乗り込んで真正面から問いかけるが、響子ちゃんが一緒ではそれはやりにくかった。愛想を振りまく寺の顔、そんな者に万一手荒な事でもあり血なまぐさい事にでもなればあの寺がまた封じられる。

 戻ってもいいと言ってくれた者が住まう場所、それを失うのは心苦しく思えて安易な行動が出来ず、二人で寺子屋の前に佇み話す事しかできなかった。

 

 けれど人里のど真ん中とは言わないが、人妖の争いや血なまぐさい事を御法度としている人里で声なく妖怪を呼び出すこの行為、呼び出しただけで手を出してこないやり口には覚えがあった・・一瞬脳裏に浮かんだのは昨晩襲ってきた者達だがすぐにそれはないなと思い直した、あいつらがここで襲ってくることなんて億が一にもないだろう。

 確かに人里はあいつらの領域で術を行使するなら竹林よりも容易だろうが、その領域を荒らしてまであたし達を狙う事はないはずだ。生きる場所を守るために動いて荒立てて、その結果生きる場所から追われたのでは意味がない、しかしそれなら一体誰が?

 二本の尻尾を揺らして悩んでいるともう一人、同じく呼ばれたらしい耳と九本尻尾付きの者がやって来た。

 

 右手には食料品の入った買い物かごを下げて、左手には竹串に刺さった厚手の油揚げを持ち、フワフワの九尾を揺らしてこちらに向かい歩いてくる妖獣の頂点、八雲藍。

 

「買い食い、しかも歩いてなんて行儀が悪いわね」

「アヤメか、マズイところを見られたな‥‥あの子には内緒にしておいてくれよ?」

 

「藍の態度次第ね、買い物? 息抜き? どうでもいいけど来たついでに付き合いなさいよ」

「この声にか? なんだ、アヤメも呼ばれたか。まぁそうか、狸だからな」

「わたしはなんで呼ばれたんですかね、狸や狐じゃないんですが?」

 

「命蓮寺の山彦か、お前の場合は見た目で呼ばれただけだろうな。見た目はそれらしく見える」

 

 特に警戒する様子もなく、内緒にしておいてくれと言いながらも油揚げを立ち食いする金毛九尾。買い物ついでの偶の息抜きだろうし告げ口なんてする気はないが、口ぶりからすると藍にはこの声がなんなのかわかっているような素振り。

 狐が真っ先に理解出来て一応は狸であるあたしも呼ぶこの声、ついでに山彦も呼ばれたようだが響子ちゃんは山彦としてよりも見た目から呼ばれただけらしい。犬っぽい耳に尻尾、見た目の共通点は確かにあるが‥‥狐に犬、それと狸か。

 藍の落ち着き払った態度と少しの言葉がこれがなんなのか示してくれていた、里で妖怪を呼び出しているのに管理側の藍がのんきに買い食いしたままでいるのだ、このメンツとその態度から大方の予想はついた。

 だが、呼ばれているはずの狸の御大将が動かないのがわからない。あれか、人に化けている今は狸としては動きませんよってことか。形はともかく儀式として呼ばれているのに来ないなんて、あたしがいるからいいやって事かね。

 どうでもいいか、こんな呼び出しなんて久しぶりだ。姐さんに代わり狸として話を聞いてあげよう、妖怪らしく儀式召喚には応じてやらないと相手も困るだろうし。

 

「で、これってあれなの? 確証があるなら教えて欲しいわ、九尾様」

「私は狐でお前は狸、その子は見た目が狗に近い、それでわかるだろう? 確認するほどの事でもないだろうに」

「わたしは犬じゃあないんですけど」

 

「まぁいいじゃない、耳も尻尾も可愛いわよ。それより狐狗狸なんて久しぶりだわ、誰がやっているのかしら?」

「決まっているさ。呼ぶのは昔から変わらず、大概その手の事に悩む若者だ」

 

「その手の事ねぇ、直接聞けば早いのにそう出来ない初心さが可愛いところかしら」

「コクリ? あのぅ‥‥置いてけぼりは困るんです」

 

 藍の言葉で確信を得てそのまま可愛い悩みについて二人で話していると、まだ理解しきれていない山彦に答えが欲しいと言い寄られる、見た目狗っぽいが当人は狗ではないし、これで呼ばれる事なんてないだろうから判らなくても当然といえば当然か。

 しかし皮肉な相手を呼び出したものだ、患う気持ちを伝えられずあたしや藍のような口で騙す妖怪を呼び出して答えを聞こうとしたのに、真正面から大声で相手に話しかける妖怪も呼び寄せてしまうとは、本当は声を大にして伝えたいという心の現れかね?

 取り敢えず神託が欲しい相手のことは置いておくか、このまま放っておいて耳を垂らす姿を見ているのも可愛いが、この子は元気に過ごしている方が似合うと思うし。

 軽く説明を、そう考えた辺りで狐狗狸の一番始めに名を連ねる者が代わりに説明をしてくれた。

 

「人が言うにはこっくりさん、当て字で狐狗狸さんという。本来はもっと低級な動物霊を呼ぶものなのだが」

「大方知ってる狐と狸、ついでに狗っぽい形を思い浮かべて行った。結果あたし達が呼ばれたってところね」

「それで呼ばれたら何をしたらいいんです?」

 

「稀に紛失物の捜索、取引の当否なんて相談もあるが九割九分違う相談事だ。丁度山彦もいるし大声で伝えてもらうか?」

「他人には言いにくい悩み事だからあたし達を呼んだんだろうし、九尾様の息抜きにいいんじゃない?ついでに色も覚えなさいよ」

 

「覚えたところで魅せる相手がいないな、無駄な事をする暇はない」

「あら、あたしに魅せてくれてもいいのよ? 甲斐甲斐しい姿以外、艶やかな姿も是非見てみたいものだわ」

 

〘だから置いてけぼりは困るんですってば!〙

 

 藍に詰め寄り頬に手を添えようとした瞬間に真横で怒鳴られて耳がキーンと鳴る。さすがに近距離、それも不意打ちで物理的にでかい声を浴びせられてはたまらない。頭の中で『ですってば!』がくわんくわんと反響して困惑していると、同じくやられたのか藍も帽子を取り頭を抱えて耳を見せていた。介護生活中の風呂上がりですら見せなかった耳、なんということはない至って普通な狐耳だった、隠すくらいだからてっきり誰かと揃いの金のリングピアスでも付けているのかと思ったが、そんな事はなかった。

 耳に向かうあたしの視線に気がついたのか、耳に飾りを付けて地底で去勢でもされたかと耳についての軽口を言われてしまう。そんな軽口に対して笑いながら、去勢の真逆で多く求められていて困っていると軽口を返していると、また置いてきぼりを食らっていた山彦が何か大声を発したようだ。あたしは声を逸らして被害を被ることなくいたが、金毛九尾には二度目の口撃も効いたようで、縦に開く瞳孔を厳しくした金色の瞳で山彦を睨んでいる。これから可愛い相談事を聞くのだからそう怖い顔をするなと窘めると、あたしに窘められたのがお気に召さないようで耳の鎖を引っ張られた。

 

「引っ張るための鎖じゃないんだけど?」 

「耳元でチャラチャラと、五月蝿くないのか?」

 

「鎖の枷なんてそんなもんでしょ、慣れればどうってことないわ。それに枷があるくらいのが成就した時燃え上がるものよ?」

「そういうものか、色香を放ち惑わせば早いと思うが」

 

「魅せる色はあるくせに色のない物言いをするわね、過去に傾けられた者達が可哀想」

「今傾いてるのはお前の頭だがな、もう少し強く引っ張れば傾けるどころか外れるか?」

 

「これから他者の恋わずらいを聞くんでしょうに、外れるとか傾くとか幸先悪いことばかり言わない方がいいわ、本当に疎くて困る」

「そういったモノは紫様の範疇だと」

 

〘だぁかぁらぁ!!〙

 

 本日何度目かの山彦の物理的な口撃、あたしは能力を行使し続けているから囁くくらいの声量くらいしか聞き取れないが、となりの狐耳には結構なダメージのようだ。また窘められると警戒しているのか何も言ってこないが、態度は何かを言いたそうにしている八雲の式。

 さっきからあたしにノッてきては山彦にしてやられている妖獣の頂点、注意力を逸らされていれば藍も引っ掛かるのかと笑っていると話を聞いた後で覚えていろと脅されてしまった。縦に開く瞳孔が少し怖いがあたしはナニをされてしまうのか、出来れば相談内容と似た色のある行為なら嬉しいのだが。

 少し期待して瞳を潤ませると掴まれたままの鎖を強く引っ張られて涙目にされた、地底でジト目にも思ったがスイッチじゃないんだ、気安く引っ張らないで欲しい。

 

 さすがに響子ちゃんに悪くなってきたので話を進めて寺子屋へと入った、中にいたのは二次性徴を迎えるかなってくらいの人間の女の子。想いを向ける男の子とどうしたら仲良くなれるか悩み、親から聞いたこっくりさんを試してみたらしい。聞いたものとは随分と違った現れ方をした狐狗狸を見て目を丸くしていたが、九尾を覗けばそういった話が嫌いではない少女姿のこっくりさん達。ひと通り少女の話を聞いてそれぞれの答えを述べてみた。

 正面から男の子に思いをぶつけるべきだという犬役の山彦、科の作り方を教えるからそれで落とせと真顔で言う狐。そのどちらも出来ないから今こうして悩んでいるというのに‥‥

 二人に言われて強く悩んでいる顔のままでいる少女、この子は小さな胸を痛めているというのに機微のわからない者達で困りモノだ。

 

 そんな困り顔の少女に優しく呟いた、好きな相手に想いを伝えるなら飾らずに悩みも全て言ってみなさい。二人とは違った助言をしてあげると少し悩んで微笑んでくれた少女。

 明確な答えではないし、コレを踏まえて想いを伝えたからといって必ず報われるものではないが、この手の事に悩んでいる者は結論は出ているが誰かに背を押されたいというだけの者が多い。

 自分で結論を出せる力はあるのだから変な入れ知恵をせず行動したほうが良いと思っての助言、それにもし報われなかった時に余計な入れ知恵のせいにしてしまったら、後々のこの子のタメにならないだろう。短い生なのだから色々考えて謳歌したほうが良い、そう思っての助言だったが、それでスッキリしたのか感謝を述べて、お帰り下さいこっくりさん達と、儀式の終わりを告げる咒を言い放つ少女。

 

 少女に頑張ってとだけ告げて三人で立ち去り、外で反省会という名の世間話をしていると何故か二人に感心された。あたしとしては言葉の通りに呼び出しに応じて願い通りの助言をしてみただけなのだが、それが不思議だったらしい。

 今までのあたしならテキトウに笑って変な助言をして終わりだったのに、最後に頑張ってと応援までしたのがあたしには似合わないらしい。随分な言われようだが思い返さずともその通りだったと思えて、言い返す言葉を探してしまう。

 いいものが何も思いつかずとりあえず、格好と一緒に気分も一新したのよ、と船幽霊に言われた言葉を借りて二人に言ってみると更に関心されてしまい少し恥ずかしくなった。

 謀るつもりが謀られる事が最近多くて立つ瀬がなくなってきていると感じてはいたが、まさか褒められて瀬が狭まってくるとは考えておらず妙に居心地が悪い。

 

 船幽霊の言葉を借りたから水攻めでもされたのかと考えたが、あいつのは穴あき柄杓だったな‥‥それなら自分から瀬の深みに進んだだけか。

 いつか足元を救われて流されそうだが、こういった事であれば流れてみるのもいいかもしれないと、狐狗狸の輪の中で思った。




小学校くらいの頃に流行ったような覚えがあります、こっくりさん。


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第八十八話 似て緋なる者

 おいでましませこっくりさんと呼び出されお帰り下さいと願われた、願い通りに帰って来て今は我が家で一服中。煙ふかして微睡んでいると煙管の詰まりが気になった、そう言えば昨年の暮れにした大掃除以来手入れをしていなかったと気づく。

 今日は天気もいいしやることも相変わらずない、誰かと会う予定も誰かが来る予定もないが何かをやろうとした時に限って誰かと会ったりすることが多い。邪魔が入る前に手早く済まそうと竈で火を起こして湯を沸かし始めた。

 

 妖術で火は起こせるが湯は出せない、霧なら霧らしく温かな湯気でも出せれば早いと考える事もあるが、温かな湯気と聞くと蒸気が連鎖的に思い浮かんでいつかの動力実験を思い出してしまう。

 筒に詰められ回されて、この幻想郷で幻想になるんじゃないかと思えるくらいに色々された神様の実験。実験中に見えたのは河童とともに笑う神様、実際は笑っていたのではなく実験を眺め何かを語っていただけだと思うが、回されブレる視界からは笑っているようにしか見えなかった。

 

 あの時あたしを眺めながら何を話していたのか気にはなるが、本当に笑っていただけだったとしたらあの神様を嫌ってしまいそうで中々に聞きにくい。普段の姿で会えば構ってくれるよい御方だし嫁神様は慕う御方だ、出来ることなら嫌いたくはないし嫌われたくもない。

 なんとも自分勝手で女々しい思いだと我ながら感じるが仕方がない。何事にも合う様に都合よく形を変えられるのが霧やら煙なのだから、そこから成ったはずの自分が都合が良くても仕方がないと少しだけ開き直った。

 

 一人でいると余計なことを考えてしまう事が増えたなと感じる、少し前までは一人の時間にも小さな変化を見つけてはそれを楽しんだりしたものだが、最近は答えの出ない思考に耽る事が多いように思える。

 必要のない無駄な足掻き、それも性分にしてしまいなさいと言ってきたのは橋姫だったか、言われてからコレもそうなのかと考える事が増えてしまい変な気分になる事があるが、そういう時は頭を振って気分を切り替える事にしていた。

 

 振ると聞こえる鎖の音、人に呆れ地上を去った者につけられたあたしの枷。つながってない枷だとあの鬼は言っていたが、動くたびに聞こえる音が霧散し掻き消えてしまわないよう繋ぎ止めてくれる枷になっている気がして、付けられてから然程時間は経っていないが何故か安心出来て落ち着くには良い物になっていた。

 偶に浮かぶモヤモヤを払った頃に鉄瓶がカタカタとなっているのに気づく、掃除用にぬるま湯程度にするつもりが完全に沸いてしまった。沸いてしまったものは仕方がないと一人分のお茶を淹れて残った湯に水を足し、そのまま煙管の置かれた洗い桶に注いだ。

 

 しばらく浸してすっかりふやけたヤニを掃除し、綺麗になった煙管を咥える。細い管部分にはまだ湿気が残っているような気がしたが、二、三度強めに振ってから咥えて火種を筒先へと落とした。

 愛用の煙管を燻らせているこの時間、何も考えずまったりぼんやりするには良い時間で、これがなければ今頃退屈に殺されていたかもしれない。退屈は人を殺すらしいが妖怪も殺す、寧ろ妖怪のほうが退屈に弱い。心から生まれた妖怪なのだ、心が弱れば身も弱る。

 

 外の世界で一度体験したことだ、百聞は一見に如かずというが百見も一度の体験には及ばないだろう。酒が怖いなんて言ったことがあるが、あたしが本当に恐れ怖がっているのは退屈かもしれない。 

 一服済ませて恐れている退屈が近寄ってきたのがわかる頃、その退屈を散らしてくれる様に普段は来ることがない人が羽衣をフワフワさせて家に入ってきた。

 住まいに入る挨拶もなく微笑んだままに踏み入ってきた相手、顔を合わせる度に思うがもう少しどうにかならないのかね。空気を読んで煙管の掃除が終わってから来たのだろうが、どうせなら挨拶くらいはして欲しい。唐突な来訪に少し驚いていると挨拶は飛ばしていきなり本題を話す少女。

 

そろそろ何か起こりますよ、ご注意を。静かな我が家でまったりとしている時に唐突に現れた相手から唐突な物言いをされる、穏やかな笑みを浮かべて注意喚起をしてくれてはいるが、喚起するだけでソレ以上はお好きにどうぞと顔に書いたままでこう話す不法侵入者。

 今更我が家に不法侵入者が増えた所で驚くことではない、常日頃から誰かしら勝手に入っては勝手に寛ぎ勝手に帰っているからその辺りは気にならないが、このお人はその勝手なやつらの内におらずわざわざ来ることはない。来る時は大概何かを持ってくる、中々に厄介な人。

 

 踏み入ってきた来訪者を座ったままに出迎える、一言二言会話してとりあえず掛けたらと促すと卓の対面に座る彼女。両足を横に出して座る女性らしい座り方、スカートなのに片膝立てて座るあたしとは正反対な振る舞い。

 恥ずかしさはあまりないが淑やかに座る相手に合わせて立てた足を戻し同じように横に揃えた、そんな仕草を見て小さな笑い声を聞かせてくれる天界住まいの天女様。自分の方がエロい格好だろうに笑うことはないだろう。 

 

 エロいと言ったその格好、永遠亭の小間使いもぱっつんぱっつんの衣装でエロいんですなんて言っていたが確かに色気を感じる。細身でありながら出るところは出ていて括れるべきところは括れているし、それを強調するようなぱっつんぱっつんのブラウスとロングスカート。

 穏やかな態度に淑やかな姿、落ち着き払った雰囲気だが表情は優しいものでそれがぱっつんぱっつんの衣装をより強調させているように見える。大人の女性といった佇まいなのに衣装はフリルが多く使われていて可愛らしい様相だ。

 

 可愛らしさと大人の色気両方を持ちあわせていながらそれを鼻にもかけずにいる態度、常に落ち着いていてさも私はわかっておりますという知性的な姿、才色兼備で妬ましい。天は二物を与えないらしいがこのお人は二物どころかいっぱい持っていてズルいと思える。

 天に住まう龍神様の御使いで、どちらかと言えば与える側だからいっぱい持っていても仕方ないのかもしれないが、それもズルいな妬ましいと感じられた。ジロジロと念入りに舐める様に見ていると、胸元を羽衣で隠す仕草をする美しき緋の衣。

 見られたくないならそんな体のラインが出る格好をしなければいいのに、思っただけのつもりが口に出ていたらしく淑やかな笑みを崩さぬまま口が開き、丁寧なお叱りを受けた。

 

「あまりジロジロと見ないでほしいですね、貴女も大差ない格好でしょうに」

「隣の芝生は青いわ衣玖さん、それになんだか誘われている気がして・・こう、今しかないと電流が奔る感じ?」

 

「静電気なら取ってあげますが・・貴女の場合は取らずに放っておいたほうが良さそうですね」

「なにそれ、天界ジョーク?普段高いところにいるせいかしら、発想も斜め上でよくわからないわ」

 

 持ちうる能力故に、その場の雰囲気や流れをすぐに理解出来る衣玖さんがよくわからない冗談を言うのは珍しい、あたしの言った電流にかけて静電気とといた、謎かけ問答といった物だろうがこの心はなんだろうか。

 それともあれか、謎かけ問答や冗談ではなくてスリット入りのロングスカートに、絞られて体にフィットした長袖シャツという、見た目に大差ない格好のあたしも静電気のせいで衣玖さんのようにぱっつんぱっつんになればいいという、遠回しな嫌味だろうか。

 

 それはそれで皮肉の利いた冗談で好みだが衣玖さんらしくはないな、空気を読んであたしの雰囲気に合わせたと言えなくもないがこの線はないだろう、あたしと違って人を小馬鹿にする冗談は言わないお人だ。

 無駄な推測をしなくてもいいか、ほんの少し答えが欲しいという雰囲気を見せれば空気を読んで解説するなりヒントをくれるなりするだろう。 

 

「静電気でも火は起きますし、火が起きれば?」

「煙が立つと・・なるほど素直なジョークね。結構好きよ」

 

 思った通りヒントをくれた、本当に便利な能力だな『空気を読む程度の能力』ってのは、その気になれば自分の存在を消したり全ての攻撃も受け流したり出来るらしいが、それが本当ならまるであたしの上位互換だ。

 格好以外でも能力も似ているが人となりはあたしと真逆、天上人らしい清廉潔白な感じがしてちぐはぐで面白い。今も気に入ってもらえたなら何よりと帽子についた長い触覚を優雅に揺らして笑う竜宮の使い、永江衣玖。

 

 

 しかし今日はなんだろうか、まったりしているところにいきなり来てそろそろ何かありますよ、ご注意を、なんて言われても何が来てどう注意したいいのやら。主語がない注意喚起なんて意味がないように思えるのだが、あたしなら主語がなくても問題なく通じるだろうという判断から端折っただけなのだろうか。

 確かに言葉は通じるが意味がわからない、何が来てどう注意したらいいのか?正直それだけ言いに来たのなら言われないのと変わらない気がする・・本当にこれだけなのか、何か裏があったら面白いのだが。世間話でもしていればもう少しなにか聞けるかね。

 

「それで、楽しくお喋りでもしに来たの?それなら歓迎するけれど」

「最初に言った通り。注意するようにと伝えに来ただけでしたが、歓迎してもらえるならお喋りもいいですね」

 

「ならきちんと歓迎するわ、まずはよく見ないとね。偶にしか見ない人、どう歓待したらいいかわからないもの」

「そう言って胸元やお尻ばかり見て・・セクハラって言うらしいですよ、それ」

 

 

「嫌よ嫌よも好きのうちって言うし、問題ないわ」

「その言葉、この場合では私が言って意味があるんですが・・何を言っても意味がなさそうですね」

 

「そんな事ないわよ、頂いたご忠告はありがたいし目の保養も出来ている。いい事付く目で困ってしまうわ」

「とりあえずソコから離れませんか?」

 

 やれやれといった雰囲気で小さく微笑んでくれているがどうやらそれほど困ってはいないようだ、性的嫌がらせなんて辛辣な事を言ってくれたが言うほど気にしていないのはわかる。

 そもそも目の保養というのもそう悪い言葉ではないと思うのだが、どこか下心の見える淫靡な言葉ではあると思うがそう思わせる格好なのが悪いのだ、あたしは悪くない・・きっと異性なら理解してくれるはずだ。

 

 足を横に揃えて座り顔には穏やかな笑みを浮かばせて話題を切り替えたい天女様、そんな彼女をニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて見つめるあたし。卓を挟んでいなければ少しそのぱっつんぱっつんを突付いてみたいものだが・・そんな空気になれば突かせてくれるかね。

 ピンク色の空気を纏い少しずつ体を寄せようとしたが、あたしの動きに合わせて動いた空気を読んだのか、笑みを崩さぬままで苦言を呈されてしまった。

 

「楽しくお喋り、とは言えない空気なんですが?」

「ほら、小説なんかでよくあるじゃない。体は正直だなってセリフ」

 

「体に聞くと?・・・これほどしつこいとは、貴女を読み違えていましたかね?」

「冗談よ冗談。控えめに微笑んでる顔しか見せてくれないし、どうにかと思ったけどダメだったわ」

 

「言ってくれれば表情くらい、でもそれじゃダメなんですね?」

「ダメね、言って作られた顔を見ても面白くない。どうしたら崩せるかしら?」

 

 さっきまでと同じように舐めるように見つめるが今は心情が違う、どうしたらこの態度を崩せるか真剣に考えている。表情を変えたつもりはないが察する事ができるのだろう、変なことに躍起にならないで下さいと、やはり微笑んだままに言われてしまった。

 色のある話でもダメで真剣に考えてもダメなら次はどうしたもんかね、この美しき竜宮の使いを崩す綻び。なにかしらはありそうだが剥がす為のささくれが見つからず、卓に立てた片手の親指で顎を支え人指し指を噛みながら考えているとまたも苦言を呈される。

 

「真剣に下らない事を考えて、せっかくの頭が勿体無いですよ?」

「下らないなんて事はないわよ?崩せない物をいかにして崩すか、難しければ難しいほど面白いものだと思わない?」

 

「言わんとすることはわかりますが、何分私の事となるとなんと言ったらいいか」

「それよそれ、その何を言われても受け流す感じ。それを崩したいのよ、どうしたらいいの?」

 

「本人に聞かないで下さい、それに意外と簡単に崩れますよ?」

「そうなの?ってそうか、あの天人崩れを連れてくればいいのね。今どこにいるの?」

 

「さぁ?常にお側にいるわけではないですし、最近はおとなしくなりましたので天界にいらっしゃると思いますが」

 

 本来は我儘天人のお目付け役でもないのに、すっかり尻拭いやら挨拶回りやらが板に付いてしまった龍神様の御使い。話の引き合いに出せば多少はと思ったが、それでも変わらない辺りはさすがである。

 けれど変わらない物の中にちょっとした変化が見えた、受け流す為に嘘をついてくれた気がする。常にお側にいるわけではないってのは本当だろう、一緒にいることは多いだろうが竜宮の使いとしての御役目があればそちらを優先するはずだ。

 実際今日は御役目をこなすために一人で来ているわけだし、忠告しに来てくれた相手に酷いことをするようでほんの少しだけ気が引けるが、ここは空気を読んで付け入るべきだとあたしの何かが流れを読んでくれた。

 

「あの跳ねっ返りが大人しくなるなんて事ないでしょうに、嘘つくなんて珍しいわ」

「あながち嘘とも言い切れませんよ?あの異変で妖怪の賢者にやられて以来おとなしくて、ありがたいですね」

 

「美しく残酷に往ね!だったかしら、紫さんを怒らせるんだから大したもんよね」

「この大地から往ね!です。変な感心の仕方をしないでもらいたいですね、聞かれでもしたらまた調子に乗りますし」

 

「調子に乗ると衣玖さんの手間が増えるものね、振り回されて大変ね」

「振り回されるなんて事は・・・ないとは言い切れませんね、もう少し天人らしくなって下されば私の苦労も減るのですが」

 

「本当に苦労してるのね、でもそのおかげでやっと崩せたから後でお礼を言わないと」

 

 ずっと通して微笑んでいたけれど最後で苦笑してくれた、変化といっていいほど笑みは変わってはいないが、零した小さな溜息がそれが苦笑だと教えてくれる。迷惑しか寄越さない天人のお陰で見られた顔、あれに感謝することなどないと思っていたが少し考えを改めないとならないな。

 小さな物だがその変化に満足し屈託の無い笑顔を浮かべていると、苦笑したまま何か言いたそうに見つめてくる空気を読む妖怪。お陰様で気分がいい、今ならなんでも聞き流せるからいくらでもどうぞ。

 

「何もしていないのにお礼なんて言われたら、総領娘様は益々調子に乗りますね」

「衣玖さんには災難だけど、あたしとしてはまた何かやらかしてくれそうでそっちのほうがいいわね」

 

「そうなったらお裾分けしますので、一緒に近くで見てもらいましょうか」

「それもいいわね、暴れる天子に謝る衣玖さん。あたしは何をしたらいいのかしら?」

 

「尻拭いを。そして出来れば総領娘様と一緒に退治されてくれると、私の手間が少なくて助かります」

「どちらかと言えば衣玖さんと一緒の方がいいわ、あれの硬い体より衣玖さんの方が触り心地が良さそうだもの」

 

「紛らわせようと話を戻してもダメですよ、それよりそろそろ本題に入っても?」

「本題?ご忠告はもらったし、まだ何かあるのかしら?」

 

「その忠告ですが、この幻想郷で新しい何かが起こると龍神様が仰っております。何時や何がとは伺っておりませんので、聞かれても言えませんが」

「そこは空気を読んで聞かれるまで待って欲しかったけど、まぁいいわ。気にはしておく」

 

 新しいことね、何が起きると言うのか?龍神様のお告げとして託される事なら結構な大事か?この幻想郷で大事となると異変くらいしか思い当たらないが、また誰かが異変でも起こすのかね・・それも結構な規模の異変でも。

 普段なら異変に関知しない龍神様が使いを出して知らせる、余程の大事だろう。けれどそれなら何故あたしのところに?注意喚起ならあたしよりも、あのおめでたい巫女にでも話した方が解決も早く済むと思うのだが。

 その辺りの事は聞けば答えてもらえるのだろうか、先んじて言ってこないということは聞いてもいいか、聞かれてもわからないってところだと思うが、聞かぬよりはマシだろう。

 

「それで、なんでそれをあたしに?異変を起こす気はないわよ?」

「そこはなんとなく、総領娘様の時も否応なく巻き込まれておりましたし」

 

「神社で埋まる事になるとは思わなかったわ・・また厄介事に巻き込まれると?」

「わかりませんが、別にそれを止めに来たわけではないので」

 

「なら本当に何しに来たの?」

「似た者同士、少しのお節介をと思いまして。どうせ巻き込まれるなら知っていたほうが後の面倒が少ないかなと」

 

「他人事だと思って・・・色々と言いたい事はあるけれど、まぁいいわ。言っても意味がないし」

「そうですよ、何事もなるようにしかなりませんし・・気にしても仕方がないなら気にしないのが一番です」

 

 笑みを崩さず笑えない話を言ってくれるエロいぱっつんぱっつん、他人事だと思って気楽に言ってくれるが結構酷い言われようなんじゃなかろうか、これは。

 異変が起きます、貴女は巻き込まれます、私は助けませんがそれじゃ頑張ってと知らないほうが良かった事を言われてぶん投げられた感覚。良かれと思って来てくれたのだろうが、正直知らずにいたほうが良かった気がしてならない。

 

 

 それでも聞いてしまったわけだし今更忘れようとしても無理な話なわけで・・他人の迷惑顧みず唐突に問題を吹っ掛けてくるとか、困った相手だと思うと同時に気がついてしまった。

 他人から見た以前のあたしはこうだったんじゃないかと、誰が何をしていようと気にせずに自分のやりたい事だけやって笑って帰る、その結果嫌な顔をされようがどう思われようが気にしない・・うん、まんまあたしでこれは笑えない。

 

 気がついていてしまうと余計に感じる妙な感じ。いや、衣玖さんからは悪意が感じられない分まだマシなのだがあたしの場合悪意たっぷりの時もあった。コレに輪をかけてか・・面倒臭いだとか厄介者だとか言われても仕方がなかったな。

 人のふり見て我がふり直せ、そんな言葉が思い浮かぶがそうする気にはならなかった。あたしから見てこう感じるという事は逆に考えれば、他人から見ればあたしはこう見えるわけだ。

 

 なら悪くないじゃないか、常に落ち着いていて薄く笑みを浮かべる淑やかな姿。さすがにぱっつんぱっつんの衣装まで同じとはいかないが、その辺はスリットから見える足などの露出でどうにかカバーしよう。

 どうせなららしさも真似しようと、脳裏に焼き付けるために全身を隅々まで見つめる、すると視線が胸元辺りに移った頃にまた羽衣を使い隠す仕草をする美しき緋の衣。 

 微笑んだまま懲りないですねと言い、言葉と共に胸元を隠す羽衣を螺旋状に変えていく・・全部が全部似てるわけじゃないないらしい、これくらいならあたしは怒らない。

 回転し帯電する羽衣で脅してくる自分に似た竜宮の使い、その違う所に気づいたと同時に電撃が放たれた。

 




ぱっつんぱっつんの衣玖さん、緋想天とDSくらいにしか出てませんがなんだか好きです。
VSチルノ戦後のセリフとか好きですね、大人の女性っぽくて格好いい。



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幕間 流れる星に願うのは

 あいも変わらず静かな店内、何時来ても客などおらず聞こえるのはあたしの足音と店主が何かをいじるカチャカチャという小さな機械音。極稀に売り物の上に座り本を読む見知らぬ妖怪もいるが今日はいないようだ、いればもう少し騒がしい。

 やることもなく久々にと思って来てみたが暇つぶしに選ぶ先ではなかったと今更ながらに考えている、退屈を埋めたいと考えていたのに退屈しかない店に来ても埋める物がない。あるのはよくわからないガラクタと非売品くらいか。中には結構な代物もあるんだとこの男は言うが、名前と用途しかわからないのにどんな判断基準で結構な代物だと判断しているのか気になるところだ。

 

 特に何かを見るでもなく、コツコツと厚手の木の板で貼られた床を足音を立ててウロウロしていると、煩いから帰ってくれと姿勢を変えない男の置物に言われてしまった。このまま放っておいてくれたなら飽きて帰ったかもしれないが、帰れと言われると帰りたくなくなるのは何故だろう、天邪鬼でもないくせに。

 言葉を無視してガラクタ商品の置かれた棚に目をやる、最初に目についたのは黄ばんだ軽い素材で囲われて一片にガラス板が貼られた箱のような物。持ち上げてみると意外と奥行きがありそれなりの重さのあるコレ、ガラスと言っても中が透けて見えるわけでもなく水槽やその類ではないとわかった。白い部分を軽く指で叩いてみると乾いたコンコンという音が返ってきた、音からして中身は空洞らしい、一片はガラスが貼ってあるし空洞になっているようだし何かの観賞用の入れ物なのかと考えたが、途中で考えるのをやめた、聞けば早い。

 カチャカチャと手元しか見ていない店主にコレはなにかと問うてみると、いつも見せる無愛想な顔のまま簡単な説明をしてくれた。

 

「森近さん、これはなぁに?」

「ん、それは『CRTディスプレイ』と言って電気信号を映し出す為の画面だね」

 

「電気信号? 電気そのモノではないの?」

「電気を変換してそれを信号にするんだ、そしてその信号で画面に絵として映し出すのさ。残念ながらその『CRTディスプレイ』だけでは絵は写らないんだけどね」

 

「他に必要な物があるって事ね」

「ああ『コンピューター』という機械と繋がないと何も写らないんだ、電気信号はその『コンピューター』から送られるものだからね」

 

「コレだけじゃただの汚い置物ってわけ、相変わらず不便な物ね。外の機械って」

「揃えば便利な物のようだよ、式神が込められていて難しい計算や調べ物に重宝するらしい。使ったことはないからどれくらい便利なのかわからないけどね」

 

 式神ね、そう言ってまたコンコンと指で叩く。中が空洞なのは込められた式神の住居スペースにでもなっているのかもしれない、この小さな箱の中で忙しなく動き計算や調べ物に勤しむ式神を想像する。思い浮かぶのはあの尻尾の多い式、コレに入るサイズの小さな九尾が箱の中を縦横無尽に走り回り主の命をこなしている姿を妄想する、大きくても小さくてもやることは変わらないなと可笑しくてフフと小さく笑ってしまう。

 

「そう叩かないでくれないかな、非売品だが壊れては困る」

「ごめんなさい、でもこれだけで動かないんじゃ壊れているのと変わらないんじゃないの?」

 

「それに繋げられる物が見つかるかもしれない、そうなった時に壊れていたら恨むよ」

「男の恨みも怖いのかしら、味わってみるのも一興だけど森近さんじゃ淡白そうね」

 

「君を恨んでも晴れそうにない、無駄な事などしたくないからもう触らないでくれよ?」

 

 はいはいと軽く手を振りディスプレイから手を離す、離すと同時に話す事がなくなりまた静かな店内に戻ってしまう。ノリが悪いこの男が饒舌になるのは商品説明をする時くらいのものだが、饒舌になるための商品がこの店は少ない。

 特別話したい事もないから気にしていないが、こうも相手にされないのは女として廃る気がして何かないかと次を探す。周囲を軽く見回すと店主の座るカウンターの棚の中に置かれている物に目がいく。近寄り手に取ろうとしたが、視線だけで触れるなと窘められた為触れずに近くで見るだけにした。少し踵を浮かせて膝を折り両手で抱えるような姿勢になり、棚に置かれたソレをマジマジと眺める、中心に小さな球が配置されそれを輪が取り囲む形のソレ。

 あたしの知る物とは少し形が違ったが造り自体は一緒のようで聞かなくてもコレが何かはわかった、渾天儀という夜空に浮かぶお星様の位置測定に用いられる器械。

 それぞれの輪っかが古代中国の万有を示す六合やお日様・お月様・お星様を示す三辰を表していて、この輪っかを回して夜空の天体の位置を測定したり動きを観たりするんだったか。使ったことはないが陰陽師の偉いさんが使っているとの話を聞いたことがあった。

 

「森近さんに夜空を見上げる趣味があるとは思わなかったわ、以外と浪漫とかもわかるのね」

「渾天儀を知っているとは、君こそ以外と乙女だったんだな」

 

「千年単位で少女しているもの、ロマンチックな星空も好きよ」

「言葉に矛盾を感じるが妖怪の君に言っても仕方のない事か、良ければ今晩観測した結果を見ていくといい」

 

「嬉しいお誘いだけど、夜のお誘いなんてどうしたの? どこか悪くした?」

「残念ながらそういった誘いじゃないよ、今晩辺りが丁度流星雨の時期と重なってね、魔理沙や霊夢と毎年眺めているんだ」

 

「夜の誘いで他の娘の名前も出るなんて、淡白というのは訂正すべき?」

「人の話は聞くようにと誰かに教わらなかったかい?」

 

 残念ながら教わったことはない、生きる上で覚えはしたが四足の獣、それも妖怪化け狸に物を教えてくれる相手なんてほとんどいなかった。同族で年上の姐さんくらいか、色々と教え導いてくれたのは。それでも基本的には一人でどうにかしてきたしどうにかせざるを得なかった、外の世界では今のように毎日毎日誰かしらと楽しく話すなんてなかったように思える、最初は来たくて入った世界ではなかったが‥‥今は幻想郷に来られてよかったと素直に紫に感謝している。

 

「聞いてるわよ、それで何か準備したりするのかしら? 手ぶらで参加するのも、ね?」

「特に何もないがそうだね、そう思うなら任せるから何か用意してもらえるかい? 偶にはまともな物を食べている姿を見せないと魔理沙が煩い」

 

「他の女を出汁にして手料理を求めるなんて、伊達男にもなれるんじゃない。少し見直したしいいわ、あたしは胃袋を掴みましょ」

「食材なんてないから買い物から頼むよ、その辺りに魔理沙の置いていった籠があるはずだ」

 

 その辺りと目配せされた先には店にもこの男にもそぐわらない可愛らしい買い物籠、いつもは茸しか入ることのない星の描かれた布の蓋が付いたバスケット。言う事も魔理沙なら使わせる物も魔理沙の物か、まぁ仕方ないか。

 手元に落とす優しい視線が見つめているのも魔理沙の愛用している八卦炉だ、修理か手直し辺りで預かっているのだろうがあたしがいる間にその作業が止まることはなかった。どんな気持ちで作業しているのか知らないが、今晩来るあの黒白に渡したくて作業を急ぐのだろう。

 黒白の方は真っ直ぐな好意を見せる事があるが、不器用なこの男はこうやって気持ちを表しているのかね。乙女心がわからない鈍い伊達男相手ではあの子も苦労しそうだが、何かを言っては野暮だろうし気にしない体で言われた通り買い物へと出るとしますか。

 空の籠を見ながら考える、機微に疎い朴念仁に食わせるなら何がいいか?

 ウドでもあればいい皮肉になるが季節ではないから出回っていないだろう‥‥ウドがないなら人参辺りでいいか、馬にでも蹴られれば少しは気がついたりするかもしれない。




CRTディスプレイや5インチフロッピーディスクなんて見たことない世代もいるんだろうなぁ。




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第八十九話 信ずる者は何でも謀る

聞き手次第で言葉は変わる そんな話


 登ったばかりのお天道様の温かな日を浴びながら、張り替えられて間もない様相の畳の上で四肢を投げ出し横になる。強く香るい草の匂いが心地よく目を閉じて鼻をスンスンと鳴らすと、屋内ながらも強い生命力が感じられて、まるで森林の中で寝転んでいるような錯覚すら覚えられる。

 寝転んで天井の木目を眺めると一箇所人の顔の様に見える部分があると気づく、実際は人の顔なんて浮かんではおらず、節の跡や木目の形に年輪の流れが目口や輪郭の様に見えているだけである。

 

 それでもこの神社なら本当に顔が見つかるかもしれないなと隣で寝転ぶ少女を見やる、大昔、恐怖によって人間を従えて信仰心を得ていた、偉大なる祟り神であらせられる隣の土着神が祀られている神社なのだから。大元を正せば塞の神《サイノカミ》日ノ本の国に住まう人々が疫病や災害などをもたらす悪神様、悪霊が集落に侵入するのを防ごうとお祀りした神様なんだそうだ。

 道を守る道祖神様に近い境界を司る神様でもあったというが今は偉大なる祟り神、ミシャグジ様の化身としてその御姿を見せている。人の暮らしを守る神様がなんでまた真逆な祟り神になったかといえば、その土地で暮らしていく中で元々土地に根付いていた祟りの気質と混ぜて信仰された結果こうなったそうだ。

 不変な者であるはずの神様が混ざるなんてと鼻で笑ったが、そうあれかしと願われて信仰を浴び続ければそれに応えようと成るのが神様なんだそうだ。随分と都合がいい気もするが、八百万の神様なんてテキトウな御方ばかりだしそんなもんなのかもしれない。

 この幻想郷があるはずの、日の本の国の天辺にいる神様ですら引きこもったりするくらいテキトウなのだ、ソレに連なる他の神様がテキトウでもなんら問題はないだろう。それにそれくらい俗っぽいほうが話して笑うにゃ気安くて丁度いい。

 

 あたしと一緒になって畳に寝転ぶここの愛らしい神様、土着神の頂点 洩矢諏訪子様 

 今年は去年よりは多く遊びに来る、という神様に立てた誓いを守ろうと妖怪の山に建てられた守矢神社に来てみたが、遊びに来た以外にも思う所があり、そのもう一つの理由を伺ってみようと横になりもう一柱が顕現されるのを待っている。

 

「折角朝から遊びに来たのに、日供祭(にっくさい)はまだなの? 諏訪子様?」

「朝餉に与りたいなら早苗を手伝ってきたらいいだろう? その方が早くてウマイ」

 

「風祝が用意するから神饌(しんせん)としてありがたいんじゃないかしら?」

「素直に面倒だと言え、敬う神と卓を囲む事を恐れ多いと感じてもいないくせに。仰々しく言うもんじゃあないね」

 

「巫女修行と花嫁修業、どっちも邪魔しちゃ悪いもの。それにあたしからのお供え物はもう収めたわ」

「早苗は嫌な顔をしていたけどね、脳和えなんて覚えている輩そうはいないというに」

 

「それくらい深く長くお諏訪様を敬い愛しているって事よ」

「言い分と選んだ供物は兎も角として、その気持ちはありがたく受け取ろう。それで朝っぱらから来るなんてどうしたい?」

 

 朝早くからここを訪れたもう一つの理由。それは敬愛する諏訪子様ではなく、もう片方の祭神様であらせられる八坂様に聞きたいことがあって来てみたのだが‥‥未だ御姿をお見せになられない。釣れない恥ずかしがり屋ではなかったはずだが、顔をお見せにならないのは何かあったのかね。日が昇ってからだと河童の所や他の所、何処かへ行かれてしまい探すのが面倒だと思って朝一番に来てみたのだが。

 

「ちょっと神奈子様に聞きたいことがあって‥‥御姿を見せて下さらないけれど朝から何処かへ出られているの?」

「お前が神奈子に用事なんて珍しい、それで朝から参拝しに来たのか」

 

「困った時の神頼み、本当は諏訪子様にお願いしたいけど今回は多分神奈子様だと思うのよね。それで、いないの?」

「神奈子には言うなよ、あれで結構気にしてるんだ。いるよ、ただ準備に時間がかかってるだけさね」

 

「準備なんて何かするの? また守矢かって言われるの、何度目になるのかしらね」

「何度でも言われてやるさ、神様なら名が売れてこそだ」

 

 そう言って少しの恐怖を混ぜた笑みを見せる祟り神様、やり口や結果は兎も角に、結果として名が売れればそれでいいって発想が実に祟り神様らしい発想だ。他者の事など気にせずにしたいようになさる姿勢が恐ろしく面白い、あたしが敬愛する理由でもある。

 それにしても準備なんてなにをしているんだろう、本当にまた何かやらかすつもりなのだろうか?寝転んだまま考えていると、あたしの腹に跨がり少し仕草をしてみせる諏訪子様。

 両耳の横を手で下から持ち上げて顔を振る仕草、良くわからずに眉間に皺を寄せているとあたしの髪を仕草通りに持ち上げてきた。準備ってそんなことか、朝なのだし気にする事もないと思うが。

 

「それってあたしが来たからかしら?」

「そのようだ、普段は朝から気にする事なんてないからね。慣れない寝起で準備しているから時間がかかっているのさ」

 

「神奈子様も意外と可愛いのね」

「可愛い軍神だろう、信仰してくれてもいいんだよ? アヤメ」

 

「そんな御姿を常に見せてくれるなら、信仰心を持ってもいいわ」

「それは無理な話だね、見せたくないから今も頑張ってるんだ。それにアヤメのソレは信心じゃないな」

 

「神様を想う心に変わりはないと思うんだけど?」

「鰯の頭も信心からってか、人に説くならそれでいいが‥‥神相手に言うにはただのごまかしにしか聞こえないね」

 

 他の人から見ると些細な事かもしれないが、あたしからすれば突然の来訪に合わせて準備に勤しむ神奈子様の姿は嬉しいし、気にかけてくれているようでありがたいと感じる。この気持ちは正しく信心だと思うのだが受け手からすれば違うらしい。

 どちらかと言えばことわざの別の意味、相手をからかって言う時の方でとられたらしい。両手をあたしの腹に宛てがい跨る祟り神様の表情が少しだけ怖い、この程度でお怒りになるほど狭量だとは思わないが・・・身内をバカにされたと感じれば寛容さも影を潜めるのかもしれない、腹に添えられた両手から感じる悪意と殺気が随分と痛い。

 

「怖いケロちゃんも好きだけど、出来れば可愛いケロちゃんでいてほしいわ」

「ごまかしついでに軽口か、怒りを買って喧嘩を売るなんていつから商売上手になった?」

 

「金貸しくらいしかした事がないんだけど、そっちの才能もあるかしら?」

「儲けられるよう縁起のいい白蛇で腹を満たしてやろうか?跨っているし祟り産みには丁度いい」

 

「腹は黒い方が儲けられるから遠慮したいわね、白蛇を身籠る気もないし許してもらえると嬉しいんだけど?」

「そう遠慮するな。子孫を残してみるのもいいと以前に言ったしついでに経験させてやるよ、それに一度痛い目に遭ったほうが気持ちを入れ替えて仕事に励めるさ。そう思わないか?」

 

「……ごめんなさい、納得出来ないけど、言い過ぎたのかもしれないわ」

「減らない口は災いも増やすんだ、覚えておくといいよ」

 

 一方的な物言いに納得なんて出来ないが言葉なんてそんなもんだろう、全員が全員納得できる言葉なんてあたしは知らない。良かれと思って言ったつもりでも受け取り方で180度意味が変わったりするものだ。さっきの言葉がいい例で、褒めたつもりがバカにされたと取られることもある。

 ついでに言えば相手も悪かった、あたし達輪廻の内にいるものとは価値観も考え方も違う御方が相手だったのだ、真逆に取られても仕方なかったのかもしれない。しかし痛い程度で済んで良かった、本気で力を行使されていれば今頃のたうち回った後動かなくなっていたかもしれない、未だ痛みを感じる腹がまだ生きていると教えてくれて小さく安堵できた。

 

 痛む腹を擦りたいが両手は変わらず乗せられたままで擦る事ができない。姿勢を変えずに笑みだけを楽しそうな物に変えている敬愛する祟り神、そこから動かず痛みを和らげさせてくれないのはちょっとした神罰のつもりかね。

 直接触れられていなければ能力で逸らして痛める事なんてなかったはずだが、直に触れられ流されては体内を巡らないように表面で逸らして流すくらいしか出来ない。あたしの能力を知った上で直接触れてきたのだろう、逃しはしないが殺しもしない、責め苦には丁度いい痛みってか、本当に性格が悪くてあたし好みだ。

 

 言葉なく腹に跨り怪しく笑う神様を見つめていると、待ち望んでいたもう一柱が奥の廊下から歩いて顕現された。いや、顕現とは言わないか、随分前から顕現されてあたしのために身支度されていたのだから。

 

「朝からアヤメに跨って何の神遊びだい? 早苗に見られるとうるさいよ、諏訪子?」

「ちょっとした戯れさ、神奈子の考えるモノじゃないよ」

 

「ちょっとの割には随分と痛むのよね、神奈子様の奥さんは朝から激しくて身が持たないわ」

「まだ足りなかったか? 言った通り、次は下っ腹の大事な所にしとくかね」

 

「そっちだと本格的に目覚めてしまうから、それは日が落ちてからお願いしたいわね」

「本当に減らないし懲りないな、加減なんてするんじゃなかったな」

 

「減らしては勿体無いもの、それに災いなら転じて福となす事もあるわ」

「よくわからないが曲げない覚悟を持っている相手は手強いぞ、諏訪子。そろそろ離してやったらどうだ?」

 

 旦那様に窘められてようやく腹から退いてくれたお嫁様、退く時に両手で強く押されて痛みに響いたが擦ることなく我慢しよう。ああは言ったが神罰を受けたのだ、戒めとして甘んじて受けようと思う。

 すっかりと髪型のセットも終わり見慣れた御姿でお見えになられた、今日の尋ね人であらせられるはた迷惑な謎の神様 八坂神奈子様 身なりを整えて神様モードで来るかと思ったが今朝は気安い御姿のようだ。別に寝乱れた頭でも構わないしそれを笑ったりはしないのだが、気を使ってくれているのだ。ここは気持ちのよい笑顔で迎えるのが目上の御方を迎える礼儀というものだろう。

 

「お早うございます、神奈子様。今朝もお変わりないようで」

「あ、あぁおはよう。私を見てなぜ笑うのかわからないが、さっきもよくわからなかったしまぁいいか。朝から来るなんてどうした?」

 

「神奈子様からご神託を得たく、なんて考えて朝からお参りしてみたのよ」

「ほう、諏訪子ではなく私にか。お前に頼られるのも悪くない、何が知りたい?」

 

「神奈子様、また何かやらかした?」

「いや、まだ何もしていないが何かあったか?」

 

「大事ではないんだけど、今朝目覚めたら布団の上掛けが上下逆だったのよ」

「ん? それだけか? 寝相の悪さなんて今更だろう、気にすることか?」

 

 何度か足を運び偶には泊まっていくこともある守矢神社、川の字で寝るなんてことはないがあたしの寝姿なんて何度も晒していて、その度に丸くなって寝るなんて可愛いところもあるなと昔から小馬鹿にされている。

 これは四足の頃からの癖で直す気もないし、今回の違和感とは直接関係ないから割愛する。

 それで布団の上掛けの方だが、なぜ上掛けだけが上下逆になっているのか気になっていた、千年単位で丸くなっているが、どれほど酔っ払って寝ても今まで上下逆になるような事はなかったからだ。あたしが原因なら今までにもあったはずだ、今朝までなかったということは多分あたし以外、外的要因でこうなったのだろうと考えてここを訪れてみたわけだ。小さなイタズラ程度のモノだから、ここの神様が何かしたなんてはなっから思ってはいないが、遊びと相談ついでと思って訪れてみた。

 

「それだけじゃなくて洗い桶も逆さまだし、並んだ湯のみも全部逆さまだったのよ」

「ただのイタズラだろう、天狗から聞いたが何人か勝手に入って帰るそうじゃないか。イタズラ好きな輩もいるんだろう?」

 

「イタズラ好きしか来ないからおかしいのよ、あいつらの手口にしてはつまらないイタズラすぎて」

「判断基準がおかしいがまぁいい、それでそのイタズラを私のせいだと断定した理由は?」

 

「特にないわ。ただそうね、強いて言うなら『また守矢か』って言葉を思いついただけ」

「いくらなんでも酷くないかい、それは‥‥」

 

 呆気に取られる表の祭神様と、ゲラゲラと腹を抱えて笑い転げる裏の祭神様、同じ神社で祀られている二柱だというのにまるっきり正反対の態度で非常に可笑しい、けれどその呆気に取られている態度からここの神様は何も知らないのだと理解できた。

 何かしているなら自慢気に話してくれる御方だ、もうわかったと言っても止まらない口撃が続く御方なのだから、今回は本当に守矢神社は関わっていないのだろう。つまらないやり口でここの神様じゃないという確信はあったがきちんと確認出来てよかった、お陰様で朝から面白い顔が見られた。存外楽しめたしフォローもしっかりとしておこう、さっきの諏訪子様のようになられては身が持たない。 

 

「万物全てにいるのが八百万の神様だし、もしかしたらと思っただけなのよ?神奈子様だけを疑ったわけじゃないって事は信じてほしいわね」

「今までの事もある、また守矢かと言われる事もあるが……さすがにイタズラまで私のせいにされるとは」

 

「それくらい近しい神様だと感じてるの。嘘はつくし騙しもするけれど、今神奈子様に向ける想いは偽りないと感じるでしょう?」

「む、そうだな。信仰心とは呼べないまでも敬われているとは感じる。しかしだなぁ‥‥」

 

「偶に真っ直ぐ想っても伝わらないのなら意味がないわね、やっぱり諏訪子様一筋でいるべきかしら?」

「そう拗ねるな、気持ちはわかった。捻くれてはいるが頼って来たのにも違いはないし、ここは神らしく寛大さを見せてやろう」

 

「ありがとう神奈子様、八坂の湖よりも広い御心でそういうところは好きよ」

「よいよい、アヤメから信仰心に近いモノを得られるとは思わなかったが存外心地よいものだな、これは。なぁ諏訪子?」

 

 気持ちよさそうに笑う山坂と湖の権化、チョロいものだとそれを眺めて同じように気持ちよさそうに微笑むあたし。それでも想いが通じるというのは気持ちが良いものだ、それが例え歪んでいようが捻れていようが感謝には変わりない。受ける神様も信仰心に近いと仰ってくれたし神奈子様の方は何も問題はないだろう。

 別の問題があるとすれば、さっきよりも楽しそうで恐ろしい笑みを見せる奥様の方をどうするかってことか、神奈子様に気付かれないよう自然に動いてあたしの手を取り、今晩本当に覚悟しておけよ、と恐ろしくて好ましいことを耳打ちされてしまった。

 少しだけ声色に込められたナニかのせいで小さく身震いしてしまうが、ナニに対して覚悟しておけばいいのだろう‥‥神様の考える事はあたしにはわからない。

 

 とりあえず考えるのはやめるか、結構な時間が経っているが未だ並び始めない朝餉が気になる、あたしたちの会話の奥で物音を立てずに朝餉の準備をする風祝、逃げるついでに様子を見てこよう。いざとなったら本気で逃げるのにも使えそうだし丁度いい、神様相手の神遊び。逃げ場を創るなら神様予定のあの子辺りが丁度いいはずだ。

 

 そう考え台所に向かったが少し様子がおかしい、鍋を火にかけて腕組みしたまま動かない守矢神社の風祝。何を固まっているのかと近寄ろうと一歩踏み出すと、固まる理由が鼻を刺激してきた。

 あたしの供えた脳和えを少し癖のある味噌だと思って鍋にといたらしい、社務所では気が付かなったのは回っている換気扇という機械の効果か‥‥獣臭い匂いが漂い人間が固まるには十分な臭さとなっていた。

 これは逃げ場にならないと思い踵を返して戻ろうとしたが行動するには遅かったようだ、腕を捕まれどうしてくれるんですかと怒りを露わにする現人神。笑顔なのに何処か恐ろしさを感じる、祟り神様の子孫として受け継いでいる笑顔で迫ってくる早苗。

 参ったな、逃げ場が修羅場に変わってしまい、場所と相手を変えての神遊びが始まりそうでどうしたもんかと頭を掻いた。

 




少しだけ補足

日供祭とは神様と共にとる朝食の祭事です。

神饌も、神様に献上する食事の事。御饌(みけ)とも言うみたいですね。
こちらはお祭りなんかで使われる言葉だそうな。

脳和えですが、諏訪信仰にて洩矢神に供えた鹿の肉と脳みそを混ぜた物だそうです。
恐怖信仰らしい供え物ですね。



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~輝針城小話~
第九十話 下克上棟


棟を上げる そんな話


 布団の上掛けに始まって、流しで水に浸けられた食器事毎逆さまになっている洗い桶、食器棚に並んでいる大小バラバラな湯のみと、少しずつだが逆さまにひっくり返っていく我が家。

 初めてひっくり返されてから数日が経っていて、ひっくり返された物も随分と増えた。四番目に返されたのは火鉢、冬場でもないから大量の灰こそ溜まっていなかったが、料理に使っていたために少々の灰は残っていた。

 それが朝からひっくり返されており目覚めて一番から掃除させられる羽目になった、寝ている布団や畳の目には入らず土間で返されていたのがまだ救いか。

 火鉢についで返されたのはあたしが履いているロングスカート。風もないのに完全にめくれ上がり、抑えてもひっくり返って天へと向かう裾に困った。逆さにした黒いてるてる坊主の様な姿にされて一瞬苛つきを覚えたが、あたしに向かうこのひっくり返る能力を逸らして事なきを得た。

 

 六番目にひっくり返されたのは箪笥にしまっている着物、これは正確にはひっくり返してもらったものだ。仕舞いっぱなしにしていた灰色の着物を陰干ししようと取り出した時に、綺麗に手元で裏返されてしまって思いついた事。

 他の物も手に取れば同じようにひっくり返してくれるかと期待して、同じように他の着物も取り出すと期待通りに裏返してくれた。姿を見せずに能力だけを行使する相手に見えるよう、難しいままの顔でいると全ての着物を返してもらえた。お陰様で短時間で着物が掛けられたが、感謝することはなくそのまま放っておいた。礼を言うなら顔を見て、どこの誰が家事の手伝いをしてくれたのか知らないが感謝を述べるならその方がいいと考えて何も言わずに過ごした。

 

 さて、話は変わって犯人探し。

 思いついた原因の一つは外れてしまったし、次は誰を黒幕呼ばわりしようかと一人でニヤニヤとしながら考えている。ちなみにお山の神様よりも先に疑った容疑者候補が二人ほどいてそのどちらも外れだった。

 一人目は言わずと知れた竹林のイタズラ兎、この竹林をおいてイタズラと言ったらまず浮かぶのは因幡てゐだろう。けれど聞く前から犯人ではないとわかっていた。

 てゐが犯人ならばイタズラにかかった相手を正面切ってあざ笑うはずで、今のように何かを仕掛けて姿を見せないなんて事は絶対にないと思えたからだ。聞くまでもなかったが確認したところ、アヤメにイタズラするなら行動よりも口動だとふんぞり返って言ってくれた。今までを鑑みればそうなるだろうなと笑うと、してやられているのに笑うなんて生活改善できていて何よりだと関心してくれた。

 

 続いて二人目、こっちは実際やりそうな雰囲気がありてゐよりも疑わしかったが、こいつの式が言うには主の仕掛けたものではないらしい。本人が言ってきていたら疑ってかかったのだが式が違うと言うのなら間違いはないだろう、念のため少しの追求をすると、主がイタズラするならもっと間接的にやるだろうし、湯のみは下げるだろうと言い返された、言われて深く納得できた。

 これでまた一から探し直しかと面倒臭いと態度に出すとその式、八雲藍から犯人探しのヒントをもらうことが出来た。藍が言うには『何でもひっくり返す程度の能力』を持つ小物の妖怪が幻想郷にはいるらしい。そいつは天邪鬼らしい天邪鬼だから、あたしのように見たい会いたいと強く考えていると何時まで経っても会うことは出来ないらしい、会いたいのに会えないなんて・・まるで遠く離れて暮らしている恋人のような相手だと感じられて、益々会いたい思いは募るばかりだった。

 

 藍の冷ややかな視線を浴びてから数日経った今日、いつの間にかひっくり返されるのが当たり前となったあたしの暮らし。茶の入った湯のみをひっくり返されたりしても、またかと何も考えずになった今。一時期は恋しいほどに会いたいと願ったが、今はすっかり飽いていて気にもかけなくなっていた。生まれ持った能力のおかげか思考は逸れてすぐに別の事を考えてしまうし、興味を持った物もその時に手に入らないとどうでもいいと気が逸れる。

 今回の相手もソレに習い興味を失いどうでも良くなっていた、何も考えず零れたお茶を拭き取り台拭きをすすいでいると、我が家の玄関戸が外れるくらいの強い勢いで、戸を開け放つ者がいた。

 

「おい!バカ狸! 気に入らないならもっと騒げ!」

「入るときにはお邪魔します、よ‥‥着物ありがとね、助かったわ」

 

「おま‥‥お前ぇ!」

「何?」

 

「コレほど邪魔してやっているのに何なんだよ!」

「来るのが遅いのよ、焦らしすぎだわ。貴女モテないでしょ?」

 

「な、何なんだよ! 本当に……」

「あたしが聞きたいわね、今頃何なの?」

 

 本当に来るのが遅すぎる、何事にも旬というのがあるというのにこいつは熟成させすぎてしまった。熟成させるなら腐る一歩手前の一番イイ時に来てくれないと、その頃に来てくれれば両手を上げて歓迎してあげたのだが。

 一度興味を失ったモノにもう一度気を回すのは面倒臭い、そもそも知らない相手の住まいに入るのに挨拶すらしない者だ。相手取る時間も惜しい、溢れてしまったお茶を淹れ直して再度卓につき煙管を咥えようとした。

 

 ただこの時に違和感を覚えた、左手に携えた煙管が筒先を逆にしようとカタカタと反発し始めたのだ。何も言わずに舌を出してあたしを睨む天邪鬼、前髪と合わせて見ると二枚舌に見えるその舌を見ながら、反発する煙管に能力を行使し反発力を逸らして、何事も無く煙を吸った。

 

「何でひっくり返らないんだよ!」

「さぁ、裏返るのを逸したから何も起こらないってだけじゃないかしら?」

 

「逸らすって、なんだよその出鱈目な能力! 何でもありじゃないか!」

「語弊があるわね、何でもない事になるのよ。あぁ、天邪鬼だからその言い方で正しいのかしら?」

 

「煩い! 勝手に理解しようとするな!」

「理解者が欲しいの? なら少し構ってあげるから座ったら?」

 

 卓の対面に座るように言っても聞かず腕組みして立ち尽くしたままこちらを睨む天邪鬼、聞いた通り天邪鬼らしい天邪鬼で思わずニヤニヤと笑ってしまうと何が可笑しいと五月蝿くなった。構って欲しいのか欲しくないのか天邪鬼だと知らなければわからない態度。

 仕方ないからあたしが折れて邪魔だから帰れと言ってあげると、意地の悪い可愛らしい笑みを浮かべてあたしの対面にドカッと座る。そんなに勢い良く座るとひっくり返って見えるわよと、同じスカート仲間として助言してやると少しだけ俯く天邪鬼‥‥こいつは結構面白い手合かもしれないな。

 

「で、何?」

「知りたいか?そうだろうな、散々邪魔してやったからな」

 

「言わないならいいわ。あ、座ったのだしお茶くらい出すわよ、少し待ってて」

「いらない」

 

「そう、なら淹れない。折角の二枚舌、乾いてしまっては可愛そうだと思ったんだけど」

「憐れむなよ!! 邪魔しに来たのに何でもてなすんだ!?」

 

 問いかけに返答はせずに無言で立ち上がり天邪鬼に近寄り‥‥そのまま脇を抜けて竈に向かい湯を沸かし始める、なんだか騒がしく言っている天邪鬼を完全に無視して、煙管を咥えたまま沸いた湯で茶を注ぐ。

 手にとったのは胡散臭いあいつの湯のみ、面倒な感じがなんとなく似ている気がして悩むことなく手に取れた。バレたら知らぬ相手に勝手に使ってと嫌味な笑みを浮かべたまま言われそうだが、バレなくとも胡散臭いのだから大差ないと思えた。

 注いだお茶はいつか追加で譲ってもらった柑橘類の香る紅茶、興奮し鼻息荒い天邪鬼を落ち着けるには丁度いいと考えてなんとなくそれを淹れてみた。何も言わずに卓に戻り無言のままに差し出す、すると下卑た笑いで湯のみに手を伸ばす小悪党、その笑いで次に何をするのかわかる、また掃除するのも面倒だし少しだけ注意事項を伝えておくことにした。

 

「割れば殺す、割らずに何かしても殺す。理解したなら頷いて」

 

 少しだけ本気の声で伝えると、湯のみを掴む寸前で手が止まり小さく縦に頷く天邪鬼。少しは面白いと感じさせてくれた相手だ、出来れば手荒な真似はしたくはないが大事な恩人が置いていっている物を壊すなら話は別だ。

 壊されるのが嫌ならあたしの湯のみを貸せばと思われるが、さっき注いだお茶がまだ残っているし、湯のみを洗って冷やしてしまっては移した紅茶が冷めてしまい香りが薄れてしまう・・そんな気配りから少しだけ脅した。

 

「理解したならいいわ。粗茶ですが、どうぞ?」

「‥‥マズイ茶だ、不味くて飲めたもんじゃないね」

 

「それは良かった、淹れた甲斐があったわね。それで落ち着いた所で貴女は誰かしら?」

「誰がお前なんかに教えるか、お前は黙って私に協力すればいいん‥‥」

「誰?」

「うるさい! いいから‥‥」

「名は?」

 

「……正邪よ、鬼人正邪」

 

 真正面から聞きたいことをしつこく聞いていると顔を背けてやっと教えてくれた鬼人正邪という天邪鬼、名前なんて知りたくないと言えば大見得切って教えてくれそうだったが、なんとなく真正面から聞きたくなった。

 先ほど少しだけ脅した効果が残っていたのだろうか、思ったよりも早く素直に名乗ってくれて可愛さを見せてくれる正邪。顔を背けるのは抗いたいが抗えない反抗心の現れかね、唯のイタズラ好きかと思えば力の差を弁えられる知恵はあるようだ、益々面白い。

 

「鬼人正邪ね、覚えたわ。あたしは」

「知っているからいい、囃子方アヤメ。妖怪の賢者に楯突いておきながら尚生き延び続ける化け狸」

 

「紫さんに楯突いた覚えはないし、正確には霧で煙な可愛い狸さんよ」

「自分でそう言うのかよ‥‥まぁいいあの八雲とやりあって生きているのは間違いないんだ」

 

「やりあったというよりも一方的にやられても生きてる、そう言った方が正しいわね」

「大差ないだろ、一々細かくて面倒くさいやつだな」

 

「間違った知識を持ってもらいたくないだけよ? 面倒だから面倒くさいってほうは否定しないであげるわ」

「その言い草がすでにだな、あぁ調子が狂うわ」

 

 親切にと思っていつもよりも丁寧に接してあげているつもりなのだがそれでも面倒くさいと言われてしまう、もう何をどうしたらいいのかわからないな、これは。本当に阿求に種族面倒くさいに変えてもらった方がいいだろうか?

 いやいや、そんな事を言い出したらまた嘘ついたと五月蝿くなるに決まっている。唯でさえ小煩い小娘なのに更に煩くなられてはたまったもんではない‥‥いや、意外と素直に書き換えてくれるかもしれない、そもそもその他扱いなんだから案外テキトウに思ってくれているかもしれない‥‥うん、きっとそうだろう、それならまた後で書き換えてもらうか。今代の内にもっと嘘を見つけると張り切っていたし、あれも嘘だったことにしてしまえばいい。

 いつのまにか顔に出ていた嫌味な笑い、それを見た正面に座る天邪鬼、そいつの呼び声でこっちの世界に引き戻された。

 

「おい、何を黙って企んでるんだ?」

「企み事なんてないわよ?」

 

「じゃあ今の笑みはなんだよ」

「強いて言うなら思い出し笑い?」

 

「何を思い出していた?」

「正邪と同じように口煩い可愛い小娘」

 

「な!? 馬鹿にす‥‥」

「割ったら殺す、理解したんじゃなかったの?」

 

 握りしめて卓に叩きつけられそうな湯のみを見つめ再度の注意、視線と声に負けてくれたのか静かに湯のみを戻してくれる可愛らしい天邪鬼。さっきから同じ事の繰り返しで可愛いがこのままでは話が進まない。

 あたしとしてはこのままでも構わないが、正邪としては話を進めたいだろう。イライラさせて本当に湯のみを割られ本気で殺らなけれならばなくなる前に話を進めようか。

 

「それで、正邪は何をしに来たのかしら?」

「聞きたいか、そうかそうかやっと話が聞きたくなったか」

 

「勿体ぶって、そんなに面白そうな事?期待してもいい?」

「そう焦るなよ、まだ事を大きくしたくないんだからさ」

 

「随分風呂敷を広げるわね、企画倒れにならなければいいけれど」

「フンッ……そこまで言うなら聞かせてあげるわ! 私は幻想郷をひっくり返したいのさ! 強者がのさばり弱者が嘆く今の幻想郷が気に入らないんだ! もっと弱者が生きやすい弱者の支配する幻想郷に変えたいんだ! 弱者が見捨てられない楽園を築きたいんだよ!」

 

「ひっくり返す、ね」

「そうさ、この世界をひっくり返すんだ! これは下克上! 高い所で笑っている連中、そいつら全てを引きずり下ろして世界を変える下克上だ!」

 

 ただの捻くれた小物かと思えば随分とでかい野望がある、立ち上がり拳を掲げ下克上を宣言する反逆者。個人的には正邪の気持ちもわからなくはない、初めて紫と会った時に感じた思い。

 はるか頭上からあたしを見下ろしていた大妖怪の紫を、あたしの手の届く位置にまで引きずり下ろした時に感じた思い、あれはなんとも言えない気持ちのいいモノだったが‥‥

 それでも完全に同じ思いとは言えないか、正邪は弱者の代表として立ち上がろうとしているがあたしの場合は完全に個人的な考えだ、仮に正邪も成功したとして背負うものの重さがあたしなんかとはだいぶ違うだろう。

 小さな形と小さな力で大きなモノを狙う反逆の天邪鬼、非常に面白い事を考えるが成功させる目処は立っているのかね、言うだけでは何も変えられない、それに見合う物がなければ下克上など成せないと思うが。

 

「言う事はご立派ね、そう言い切れる何かもすでに手元にあるのかしら?」

「今はまだない、が算段はついている。後は最後の詰めの段階なのさ」

 

「最後の詰めね、まぁいいわ。あたしにそれを話した理由も教えてもらえるのかしら?」

「もう言った」

 

「物事には順序があるのよ? 言うべき時に言わないと意味がないわ」

「わかってて言ってるだろ? いいさ、何度でも言ってやろう。お前は黙って私に協力すればいい、お前の周囲には力ある者が多いがお前は私達弱者の側にいようとする者だ、それなら私の気持ちもわかるだろう? どうだ、悪い誘いではないだろう?」

 

「わかる‥‥正確にはわかったかしらね」

「何を曖昧にする事があるのさ、気持ちもわかるし立場もわかるんだろう? なら迷う事なんてないはずだ」

 

 迷う?

 いいや違うな、迷ってなんかいない。

 確かに正邪の言う通りどちらかと言えば強者よりも弱者の側に立っていたいし、強者に対する反抗する心も以前は持ち合わせていた、少し前までのあたしなら迷わず正邪の誘いにノッただろう、下克上なんて面白そうな事ノらないわけがなかった‥‥が‥‥

 思い浮かぶのは恩人の顔、消えいく妖怪全てを思いこの世界を作り上げたいと、普段は見せない真剣な表情であたしに想いを語ったあの妖怪の賢者。

 

『幻想が死に、現が全てと成り果てているこの世界とはちがう新しい世界を創りたい、その楽園を見守り一緒に育てて楽しめる相手が欲しい』

 

 あの時は深く考えず、ただ面白そうという身勝手な思いで手伝ってしまった紫の真剣な願い、そして願われたのにあたしの身勝手から出た理由で断った切実な申し出。

 断った時も悲しい表情で一言分かったわと言うのみであたしの身勝手に付き合ってくれた、消えかけたら拾ってくれという無理な願いも聞き入れてくれて優しい笑みで迎えに来てくれた紫。

 そんな紫に少しでも恩を返そうと、言ってくる面倒事は文句を言いながらも全て聞き入れこなしてきた‥‥その程度で返せる恩ではないと感じているし、今後も今のままに何を言われても願いは叶えてやりたい‥‥例えこの身がどうなろうとも。

 

「楽しそうなお誘いでありがたいわ」

「そうだろう、なら同士だ。ひっくり返す者(レジスタンス)の同胞として歓迎しよう」

 

「歓迎も嬉しいけれど、ダメね‥‥申し訳ないけど断るわ」

「なぜだ? 断る理由がどこにある? お前は弱者でありたいんだろう、それなら」

「前提から間違っているのよ、弱者でありたいけれど弱者ではないのよね‥‥それに気に入らないところもあるわ」

 

「気に入らないだと?」

「紫がどんな思いでここを作ったのか知りもしないで、今の立場が気に入らないと我儘言うだけの小娘。自身の力のみではどうにも出来ないと理解出来る頭がありながら、利用することしか考えていない」

 

「何をわかったような‥‥」

「そうね、わからないわ。はなっから気に入らないと決めつけて他者を理解しようとしない天邪鬼、理解者が欲しいのなら己も他者を理解しようとするべきよ?」

 

「もういい! 黙れ! 少しは期待した私が愚かだった、お前の言い分はそれを成せるだけの力を持った者の言い分だ! やはりもお前もそっち側か! それなら弱者であろうとするな! 力ある者が弱者の振りして愛想振りまいて! お前こそ弱者の気持ちなんて何もわかってないだろう!」

 

 弱者の気持ちか、大昔はわかったろうが今になってしまえば最早思い出せない気持ちだな。

 正邪の言う通り力なき者達から見れば鼻につくのだろう、力はあるくせにそれを表に出さずさも矮小な者ですよと言い回る姿。ひどければ馬鹿にされていると取られて怒りを買うかもしれないな、つい最近も神様に言われたし案外正邪の言う方が正しいのかもしれない。

 

 けれどそんな事はどうでもいい、あたしがあたしのしたいようにして何が悪いのか。文句があるならそれこそ言ってくればいいのだ。物言いに対して力を振りかざすほど愚かでも若くもない、年経た狡猾な狸なのだ。力よりも口や頭で勝負してきたしこれからもそうしていくつもり、気に入らないなら言い負かして欲しい‥‥正邪にそれが出来るかはわからないが、今のままの考え方ではムリだろうな。勝ち目がなければ逃げるだけだ、まるで昔の自分を見ているようで‥‥少しイラつく。

 

「正邪、そもそも強弱がどうだいうのがあたしにはどうでもいいのよ? 最後に一つ言っておくと一番気に入らないのは同胞と呼びながら黙って協力しろという部分。あたしにお喋りするななんて、死ねと言われるのと同義だわ」

「最後ね、八雲に私を差し出すか。反逆を企む小物の天邪鬼だとでも言って差し出して、その尻尾を振って見せろよ。首が飛んだら揺れる尻尾に噛み付いてやるから」

 

 交渉決裂してから一気に天邪鬼に戻るなこいつ、他人を煽る術も心得ていて質が悪い。はたして何人がこいつの口車に乗せられ利用されるのか、まぁどうでもいいか‥‥自分で判断して乗っかるのだろうしどうなろうが自業自得だ。

 それで、どうしたもんかね。気持ちのよい煽り方をしてくれたこの天邪鬼の処遇、あたしを強者扱いしてくれるくらいだ、感じる通り力はそれほどないのだろう。言う通りに差し出せば多少の恩を返せるが‥‥やめておこう。

 ここの大家が自分で言ったんだ。

 

『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。』なんて。

 

 それならこいつも受け入れられるべき妖怪だろう、あとは受け入れてもらう側の考え次第。

 痛い目に会えば気がつくかもしれない、それは一度消えかけたあたしのように結構な痛みかもしれないが、ひねくれ者はそれくらいの思いをしないと理解しない。それに正邪が何をしても幻想郷は揺るがない、あの巫女がいる限り‥‥正邪が何をしでかすか聞き出すことは出来なかったが妖怪の起こす事、すなわち異変だ。異変なら人間が解決するのが幻想郷の常であり必然だ、それならこの場であたしが手を出さずとも勝手に解決されるだろう。

 それに一度興味を失ったはずなのに再度興味を惹いてくれた者だ、ただ殺したり差し出しては面白くない。出来れば面白可笑しい物を見せてほしい、狸相手に風呂敷広げて期待させてくれたのだから最後まで裏切らないでほしいものだ。

 

「帰っていいわよ、湯のみを割ることもなかったし。正邪は約束を守ったのだからあたしも守るわ」

「見逃すだと!? 何様のつもりだ? 散々人の事馬鹿にしやがった癖に、ちょっと突かれたくらいで甘い顔見せやがって、さぞかし満足だろうな!」

 

「何様かと問われたし敢えて言ったげるわ。霧の怪異、惑わす煙と呼ばれて人の世を乱れさせ真正面から鬼に勝った化け狸、正邪の言う通り強者の側にいながら弱者の振りする狡猾な狸よ」

「今度は開き直りやがったか、結局そんなもんなんだ!力振りかざして言いたい事言ってくれてよぉ! 理解する振りして……誰も彼も皆そうだ! 私の味方などいない!」

 

「そうとしか見ないならそう接してあげるわ矮小な天邪鬼、死ぬ気がないなら消えなさい。あたしは悪魔じゃない、妖怪だから約束はすぐに破るわよ?」

「そうやってせいぜい高い所から見下してればいい! 後々後悔しても遅いと思い知らせてやる! 八雲にも言っておけ、私は正邪! 鬼人正邪だ! 逆襲のあまのじゃくを舐めるな!」

 

 入ってきた時以上に力強く戸を開けてくれて勢い良く外していく天邪鬼、倒れる戸を構うことなく夜の竹林へと消えていった。一瞬で消えた背中を少し見送り戸を直すと、何事もなかったように静寂に包まれたいつもの我が家。

 飲みきられて空になった湯のみ二つを手に取り流しで洗い再度湯を沸かす、一人分にしては多めの湯量。何時から見ていたのか何を聞いていたのかわからないが多分いるだろう恩人の分の湯も沸かす。居なきゃ居ないで構わないが居たら居たで私の分と言ってくるのが目に見えているから、そのつもりで湯を沸かしお茶を淹れて卓に座る。煙管に詰めた火種を一度紅くさせると案の定現れた。

 

「逃しちゃった、ごめんなさいね紫さん」

「何を謝るのかしら? 捕まえる気もなかったくせに」

 

「共犯であたしもアウト? それならいつでもあげるわ、出来れば紫さん自身の手だと嬉しいわね」

「何の事? まだ何も起きてないわよ、普段静かなアヤメのお家が少し煩いから顔を出してみただけ」

 

「そう、じゃあ忘れて頂戴。出来れば考えていた事も一緒に忘れてくれるかしら?」

「それこそ何の事かわからないわね」

 

「お優しい大家さんでありがたいわ‥‥紫さん、今なら式になってもいいわよ?」

「藍で間に合っています、それに自身がどうなってもいいなんて考える浅はかな狸はいらないわ」

 

 浅はかな狸なんて言われてフラれてしまっては何も言い返せない、何のことかわからないなんて言ったくせにしっかりと覗いていて、心情をわかった上で断られてしまった。

 それでも気にしない、あれはあたしの思いで誓いだ、曲げない覚悟があるのは手強いと神様にも太鼓判を押されたし、返しきれたと満足するまではこの誓いは曲げない、もしも曲がる時は終わる時。それくらいの気持ちでいればまだまだこの世に憚れるだろう、濃い目に入れたはずのお茶が何故か甘く感じるがそれは気にせず湯のみを空けた。




正邪可愛いですよね、ゲスロリなんて言われてますが。



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第九十一話 始まりは突然に

それじゃ始めますね なんて事はない


 曇天模様の空の下それほど広くない湖を湖畔にそって歩いている、遠くに見える赤いお屋敷、歩いて近づくにつれて見慣れた門番の姿も大きくなるが今日の目的はここじゃない。

 お屋敷の正面を歩き去ろうとした辺りで、この時間なら深い瞑想に入っているはずの門番が珍しく起きていて、あたしに向かい手を振っているのが見えた、大きく振られるその手に合わせて小さく手を振り返す。手を振るだけで近寄らないあたしの姿を見て次第に振りが小さくなる門番の腕、今日は来ないと察したらしい。ここに入れば楽しく過ごせるが一日潰れてしまうのが難点で、今日の尋ね人に会えなくなると考えて惜しむように手を振り屋敷の前を歩き去った。

 

 次に大きく見えてきたのは朽ちかけて崩れそうな洋館、そう言えばここの姉妹に演奏のお礼を言えていないなと朽ちている門戸を見て思い出す。出来れば三人揃っている時にと考えていたが、姉妹の内の誰かにでも会うことがあればその時に伝えておこう。ついでにまた演奏が聞ければありがたい。

 

 ちんたら歩いて次に目に留まるのは小さなかまくら、かまくらと言っても雪の振るような季節ではないしこれも雪造りといったものじゃあない。氷で作られたかまくらで随分と涼しそうな造り、住んでいる妖精も涼しそうな輩だし真夏の昼に訪れて涼をとるのに良さそうだ。

 残念ながら住まいの主はおらず何処かへ遊びにでも行っているらしい、会ったところで楽しくお喋りが出来る相手とは言い切れないし、無駄な弾幕ごっこをふっかけられるのが目に見えるので、遠巻きに眺めるだけにして足早に立ち去った。

 

 聞いた話ではそろそろだと思うのだが、そう考えているうちに目的地へと着いたらしい。湖の水面から少しだけ突き出た小さな岩場、湖底から山のようになっている岩場の上が今日の尋ね人の定位置らしい。

 思い出したように唐突に訪れたが不意に思い出してそういえばとここに来てみた、少し前まで毎日色々とひっくり返されていたが天邪鬼本人と会ってからはひっくり返されることがなくなって、その後に自分でひっくり返して割った自分の湯のみ、代わりの物を買ってこようと人里に出た時に見かけた赤と黒。赤いマントを小さく揺らして歩いている、首の座りの悪そうな赤い頭を乗っけた人里に隠れ住むろくろ首を見て思い出した、そういえばまだ霧の湖担当のところへは会いに行っていなかったなと。

 思いたったが吉日とすぐに帰って荷物を置いて、竹林の何処かでぶらついているはずのご近所狼を探してみた。すぐに見つけた狼女、手を振り声をかけて残る一人の草の根仲間について少し話を聞いてみた。狼女から聞くことが出来たのは彼女は人魚だという事と見た目美味しそうだという事、自分の仲間をつかまえて美味しそうだというのはなんだと問いかけてみると、間違えて食べそうになった事があるんだそうだ。物理的に食べそうになったのか比喩として食べそうになったのか、日の高い時間に捕まえた狼女に聞くのも野暮かと思い深く追求しなかったが、どちらにしろ美味しそうなのを探せばいいとわかり、簡単な謝辞を述べて湖へと向かい動いた。 

 

 言われた通りの場所に着いたが美味しそうな者はおらず、運でも悪かったかねと羽織っている開襟シャツを脱いで大きく伸びをした。まだ真夏とはいえない梅雨の晴れ間くらいの頃合いだが、歩みを止めて風が切れると急に暑さを感じるくらいの気温ではある。

 脱いだシャツを片手で抱えてどこぞの巫女達のように脇の空いたインナー一枚になると随分と過ごしやすい、お日様の見えない曇天模様なのも上下黒な自分には有りがたく余計に過ごしやすいと感じられた。尋ね人がいないからやることもなく、すぐ近くの木陰で休んで尋ね人の帰りを待とうと、天気次第では日陰になるだろう辺りに入って横になり、腰にぶら下げたバッグから葉と愛用の煙管を取り出す。

 

 一度買って葉を入れてから一切減らない便利なバッグ、良い物を貰えたと確認するように一無でして革紐の封を解いていく。中を見もせず指で摘んで葉を取り出し、手の平で纏めて転がしながら火をつけた。手の平で熱くないんですかと聞いてきたのは誰だったか、些細な会話で相手を思い出せないが友人の中には全身燃えても熱そうな素振りを見せない人間もいるし、そいつに比べたらこのくらいの火種は熱い内に入らないものだろう。

 小さな煙を上げ始めてくすぶり始めた火種を、慣れた手つきでポンと浮かせて少し長めの煙管で受ける、深く一息吸い込んで肺の空気と入れ替えていく。ただでさえ体に悪い物、完全に空気と入れ替えると余計に体に悪いと考えて程々の所で吐き出して、自身の周囲に煙を漂わせる。

 こんな風に煙を纏っている者に向けた言葉をいつだか風祝が教えてくれた、外の世界ではあたしのようなタバコ中毒者をチェーンスモーカーというらしい、つけては消してを繰り返し常に煙に巻かれている様な者を指す言葉。外の世界の言葉って事は人間に対して言う言葉だと思うが、妖怪のあたしなら兎も角唯の人間が空気代わりに常に吸っていたら本格的に体に悪そうだ。気持ちはわかるが程々に、顔も知らず世界も違う同じ愛煙仲間に向けてよくわからない助言を言ってみた。

 誰に向けたものでもない言葉のはずだったのだが思いがけないものが返ってきた、なんの注意?

 澄んだ声色で返ってきた問掛け、この声の主が尋ね人かなと、体を起こし周囲を見ると岩場の上に見知らぬ少女が腰掛けていた。

 

「なんについて程々にしたらいいんでしょう?」

「唯の独り言だったんだけどそうね、盗み聞き、そう答えておくわ」

 

「戻ってきて休んでいたら聞こえただけですよ? 盗み聞きしたわけではないんです」

「咎める気はないから安心して頂戴、独り言のつもりだったと言ったでしょう? 今泉くんのお友達でいいのかしら?」

 

「今泉くん、本当にそう呼ばれてるんですね。影狼が文句を言っていますよ?」

「近所なんだから直接言えばいいのにね‥‥お名前くらい聞きたいのだけれど? あたしの事は知っているみたいだし」

 

「これは失礼しました、わかさぎ姫と申します、よろしくお願いしますね? 囃子方アヤメさん」

「すでに知られているけど一応ね、囃子方アヤメ。聞かされている通りの可愛い狸さんよ」

 

 スカートの腿辺りを摘んで広げるように持ち上げる、そのまま頭を垂れて瀟洒に挨拶してみせると手の甲で抑えて小さく微笑む人魚のお姫様、姫と言う割にはお付の物もお供も連れておらず一人で不用心な事だ。しっとりとした濡れ髪が張り付いて色香を感じるが表情は色香よりも可愛らしさを見せる半分少女。

 上半身はフリルの付いた浅葱の着物を着ていて少女らしいが下半身はそのまま魚、聞いた通り人魚の姿で出歩くには不便そうな姿だ。同じ妖怪仲間だが姿形が随分と違っていて、その違う辺りをよくよく見つめていると足ひれを動かし小さな水飛沫が飛ばされた。

 

「女性の足をそう見るものではありません」

「失礼お姫様、やんごとない御方の生足なんて‥‥たまには見るわね」

 

「え?」

「大昔からお姫様してる友人がいるのよ、風呂上がりやらに偶に見るの」

 

「ええと、それで?」

「あぁ気にしないで、考えがあっちこっちにいくのが性分なのよ。少し変わってるくらいで視てもらえると嬉しいわ」

 

「フフッ影狼から聞いてますし、取り繕ってもらわなくても大丈夫ですよ」

 

 無邪気な笑みと小さな笑い声を見聞きさせてくれる湖の姫、取り繕ったわけではないがそう感じるとは‥‥今泉くんから何をどう聞いているんだろうか。碌でもない事を言っているのなら後で一言くらい言わねばならん。

 二度目の火種を煙管に落として姫の座る岩場に向かい、ブーツを脱いで膝から下を湖に浸した。水遊びするには少し早い季節でまだまだ水は冷たいがそれが歩いて少し蒸れた足には心地よく、先ほどやられたお返しにと湖面を蹴り小さな水飛沫を飛ばしながら、狼女から何をどう聞いたのか姫に問いかけてみた。

 

「可愛らしい狸さん以外に何を聞いてるのかしら?」

「気になりますか? そう悪い事は聞いていませんよ? 夜雀に言い負かされる化け狸なんだとか、そんな夜雀の耳を弄って楽しそうに笑っているとか、それくらいです」

 

「今泉くんにしては正しく伝えているようで、なによりね」

「あら、影狼は素直な正直者ですよ。囃子方さんのように捻くれてはおりませんわ」

 

「初対面で辛辣ね、本当は怖い狸さんかもしれないのに」

「正直お話するまではそう考えておりました、でも影狼から聞いた通りで安心してしまいまして、ついつい‥‥気に障ったなら謝ります」

 

 両手を揃えて頭を下げてくれるわかさぎ姫、ちょっとくらいの軽口で怒るほど狭量ではないから気にしないが、悪いと思ってすぐに頭を下げた相手に言い繕っても仕方がない。

 あたしは気にしないから姫様も気にしないでと面を上げてくれるようにお願いすると、ゆっくりと姿勢を戻していく。もう少し気安いとやりやすいと思って何か追加で言おうとしたのだが‥‥正邪に言われた事を思い出し、こうなっても仕方がないのかと言おうとした言葉を飲み込んだ。

 したいことをしたいようにするのを変えたり曲げたりする気はないが、まだ良く知らない相手にそうしてみて、嫌われたりすればその後がなくなる。狸らしく自分を騙すのも覚えないとな、そんな事を考えながら改めて人付き合いの難しさを思い知る。

 

「付き合いって難しいわね」

「急にどうされたんですか?」

 

「面白い相手なら近寄りたいけど、いきなり近寄るとこうなるじゃない?距離感って難しいなと」

「面白い事なんて私言いましたっけ?」

 

「初対面で辛辣な言葉を吐く人魚姫、結構面白いわ」

「それは‥‥影狼が楽しそうに話すので、勝手にそう接してもいいと思い込んでいたみたいです。おかしいですね‥‥普段ならこんな風に言ったりしないのですが‥‥なんだろう?」

 

「また謝ったらそれこそ怒るかもしれないわよ? 頭の天辺見て話すより可愛い顔見て話した方がいいわ」

 

 頭の上に? を浮かべて斜め上を見ている人魚、では謝りませんと言ってくれるのはありがたい、これくらいに気安いほうがあたしの好みで気楽に感じる。それでも相手に無理強いしているようで若干心苦しくて、またも天邪鬼の顔がちらつく。

 正邪に対して開き直ったからか、その気なくとも上から目線と言えるような事をすると少しだけ気にしてしまう。これくらいなら言っても大丈夫かと考えてしまって歯切れが悪く、モヤモヤとしていると岩場に座っていたはずの姫の姿がないのに気づく。

 水に入ったのか?

 それなら何かしらの音くらいしそうだが?

 周囲を見回してみても姫らしい姿はない。話している最中で何も言わずに消えるなんて‥‥小さくチャポンという音がした、音に気づき浸している足の方へと視線を映す、水面下に見えた顔と目が合った瞬間、そのまま湖へと引きこまれた、両足をとられ湖の底へと引っ張られていく。唐突すぎてさすがに驚いたがこのままではちとマズイ、泳げないわけではないがあたしは水の中だけは苦手なのだ。

 狸としては当然息が出来ず霧としては水に飲まれて混ざってしまうし、火が起きるわけがないから煙なんて立つことはない水中はちょいとばかり相性が悪いのだ。しかしこのまま底まで引かれては本格的にマズイ。会話出来て笑みを見せる相手だし友人の友人だからと油断していた。

 どうにか逃げようと足掻くも相手は水中に生きる者、力の発揮できないあたしではまともに抗う事も出来ず、最後に残った肺の空気をゴボっと吐き出して意識を湖の底へと沈めていった。







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第九十ニ話 座る場所は変えない

 誰かに呼ばれている気がする、頬を何かで叩かれたり肩を掴まれて揺さぶられてみたり、体が重く動かされても動けない。どうしてこうなっているんだったか‥‥意識も視界もぼやけていて思考回路が働かない。考えるのも面倒なほどの気怠さで再度目を閉じようとしたが、ぼやけている目に映る何か、大部分が緑で一部赤い何かに頬を張られて意識を戻される、随分と手荒で煩い誰か。

 視界で動くものが誰かだと認識出来た辺りで大きく水を吐き出せた、一度大きく吐き出してむせ返りながら残りも吐き出せた。泥酔しても二日酔いでも吐くような事がないために、吐くという行為に慣れておらず随分と苦しい。咽るあたしの背を支えて叩いてくれる力強く優しい腕、呼吸の調子を整えるようにトントンとリズムよく叩かれて少しずつ落ち着いていく。

 

 相変わらず体は気怠いがお陰様で少しは考えられる冷静さを取り戻せた。取り戻せたとはいっても頭だけが働いて体は言う事を聞かず、動悸は早いままでどうにか肩で息をしているような状態ではあるが。

 息を整えて少しずつ落ち着くと同時にどうしてこうなったのか、その原因も思い出せたため眉間に皺を寄せて起き上がろうとした。けれど力強い腕に取り押さえられて起こす体を抑えられてしまう、止める腕を払おうとするが込められた力に抗えず強引に横に戻された。力業で抑えられてしまいそれが煩わしくて、珍しく邪魔だと口悪く言ってしまう、仕方ないですねと呟かれた誰かの声。それが聞こえたと同時に後頭部に何かが奔り、再度視界が暗くなった。

 

 目覚めてみれば木目の天井、見知らぬ部屋で寝かされていて周りを見ても誰もいない。上体を起こすと掛けられていた毛布が落ちる、体を見れば何も着ていない素っ裸の状態だ。

 誰もいない知らないところでなんでまた脱がされているのか?

 目覚めたての頭では何も思いつかず、取り敢えず敷かれていたシーツをめくり上げ、体に巻きつけて部屋を出た、やられた以上にやり返す、寝起で思いついたそれだけを実行しようと取り敢えず歩き出してみたが‥‥隣の部屋で薬箱を開ける見慣れた耳飾りを揺らす相手が目に留まり、熱くなった頭をほんの少しだけ冷やしてくれた。

 

「あ、目覚めました? 気分どうです? 気持ち悪かったりしませんか?」

「気分は最悪だけど大丈夫、はっきりとはしているわ」

 

「なら良かったです、後で美鈴さんにもお礼を言ってくださいね?」

「ここは? 鈴仙がいるなら永遠亭‥‥にしては見慣れないわね」

 

「人里ですよ、薬屋の看板くらいは見たことあるんじゃないですか?」

「花屋の近くの…景色が新鮮はなずだわ」

 

「ここに来るくらいならウチに来ますもんね、取り敢えず気がついて良かったです」

「溺れただけよ? そんなに大袈裟に言わなくても」

 

 そう言って部屋を出ようとしたところで鈴仙に腕を掴まれる、左腕を取られて軽く引かれると巻いただけのシーツが解けてしまい右腕で前だけ隠すように抑えた。裸のせいで冷えた体とは対照的に少しは冷えたがまだ熱い頭、口で馬鹿にされるくらいならここまで熱くなる事なんてないが生死が関わるなら話は別だ、やられっぱなしは気に入らず性に合わない。

 止められても気にせず歩もうとすると再度強く引かれて体が流れ、永遠亭の小間使いと顔を合わせる形となった。

 

「まだ出歩いちゃダメです、もうちょっと休んでて下さい」

「頭も体も十分よ? 少し熱っぽいから外で冷ましてくるわ」

 

「その格好のまま外にでるんですか? ダメですよ! さすがに!」

「ならあたしの服は? 脱がして捨てるって事はないでしょ?」

 

「まだ乾いてませんよ? だからもう少し‥‥」

「ならいいわ、鈴仙の服で我慢するから少し貸してもらえるかしら?」

 

「アヤメさん!」

「何?」

 

 見慣れた真っ赤な兎の瞳、いつも見るのはもっと潤んで涙を浮かべた真っ赤な瞳だが今の瞳は怪しく輝いている。この苦労性な兎の瞳が輝いているところを見るのは何時以来だったか・・・この子の師匠が起こした月の異変の時以来か。

 輝夜の能力に乗っかって屋敷の位相をずらしてくれて、あたしに唯の廊下を永い廊下へと認識させた『物の波長を操る能力』臆病なこの子らしくない随分とぶっ飛んだ能力だが、これがあったから月の兎のエースになれたのかもしれないな。

 それともついでに操れる狂気の方が役だったのかね、戦場で狂気振りまいて走り回る月の兎。敵対者に狂気を見せて自分は何見て地上まで跳ねてきたのか、聞き出す気はないがそのうち話してくれるかね。紅く輝く瞳に見られなんだか随分と落ち着いた。

 

「落ち着きました こ んなに波長の短いアヤメさんは初めて見ましたよ?」

「短気は損気というのにね、お陰様で損する前に我に返れたわ。ごめんね鈴仙、我慢するなんて言っちゃって」

 

「いえ、そこは別にいいんですけど?」

「借りても胸の辺りが苦しそうで我慢なんて言ってしまったの、許してもらえる?」

 

「それを言わないでくれたほうが許せましたね」

「ならお詫びに手伝うわ、右から?左から?それとも両方?左のが握力あるからサイズが変わりそうだし交互のがいいわよね?」

 

「とりあえずその手をやめて下さい、おかしいな? 弄りすぎて狂わせちゃった?」

「冗談よ、おかげですっかり冷め切った」

 

 ワキワキと動かしていた手を止めて冷ましてもらった頭を掻く、油断していたとはいえ溺れた程度で頭に血を上らせるとは我ながら情けなくて恥ずかしいがまぁいいさ、してやられた事に気を取られ腹をたてていたが、冷ましてもらったおかげで随分と余裕が出来た。

 余裕と共に空きが出来た頭を使って少し考える、なぜ姫がああなったのか?

 あんな風になる寸前に何かあったか?

 両足を引かれる前、何かおかしいと思えるところは?

 わかさぎ姫が何かを言っていた気がするが抜け落ちているのは溺れたショックのせいだろうか、何かの会話をしていたのは覚えている、多分姫を褒めたはず。けれどその辺りが曖昧で思い出せない、なんだったかなあやふやだ。曖昧であやふやなのはあたしの持ち味だが、こういう時くらいは鳴りを潜めてもらいたい。

 

「とりあえず服着ませんか? 考え事もいいですけど」

「乾いてないんじゃなかったの?」

 

「ああ言えば止まるかなって、結局止められず能力頼りになっちゃいましたけど」

「結果止めてもらえたわ、あたしを騙すなんてやるじゃない。ちょっとだけ見直した」

 

「アヤメさんに褒めてもらえるとは、弄った甲斐がありました」

「ん? そっちも弄ったりしてるの? あんまり弄ばれると我慢しきれなくてその気になるわよ?」

 

「そ、そんな事はないですよ? 少しだけ素直になってくれたらいいなと思いましたけど」

「そう、それじゃそれらしくしましょうか。素直に言っておくわ、ありがと鈴仙」

 

 素直に感謝を述べてみる、それくらいで大げさに喜んでくれて相変わらずチョロいウサギだ。それでもあたしなんかの一言で笑顔を見せてくれる相手、本当は来たくないはずの慣れない人里で看病してくれただろう月の兎。

 本当はあたしの感情を弄ったりはしていないのだろう、あたしの言葉で喜んだのが良い証拠だ。わざとらしく隠そうとしてくれて可愛らしいウサギさんだ、ちょうど裸だしお礼代わりに本当に狙ってやろうか?ウサギなら万年発情期だろうしそれほど問題ないだろう。

 軽く下唇を舐めて一歩踏み出すとパンツとインナーを投げつけられた、誘う前から動かれては萎える。投げつけられた物を身につけて体の調子を見るようにグイグイと体を動かす、腕やら足やら軽く回して両足を真横に開いてそのまま座る。

 そのままペタンと前に倒れ胸と腹を床に付けた辺りで外が少し騒がしくなった、里の人間だろうか黄色い声。体を動かすことなく耳だけをピクリと動かすとあたしの枷が小さく鳴った。

 

「黄色い声、声援って感じではなかったわね」

「なんですかね? この人里であんな悲鳴」

 

「そう気にしなくても大丈夫よ、多分だけどもうすぐ誰か来るわ」

「なんでそんなに落ち着いてるんですか! 気にならないんですか!?」

 

「その耳は‥‥飾りだったわね、声は遠かった、なら人里の中ではなく外でしょ? ならルール内の事よ?」

「そうですけど‥‥でもそれでいいんですか?」

 

「いいのよ、妖怪だもの。それに人が襲われたならそれに見合う人が動くでしょ?」

「見合う人って……あぁそういう事ですか、なら少ししたら見に行きましょうよ、終わった後ならこっちに飛び火しないはずですし」

 

 臆病者のくせに何がどうなったのか結果は知りたいという強欲な月のウサギ、一度は戦場を恐れて脱走したくせに争い事が気になるらしい。下手に首を突っ込むと自分の首を締める事にしかならないとわかっていながら首を突っ込む。今は尻拭いしてやれるがその内にやらかして好奇心は兎を殺す、なんて事にならなければいいが。

 

 美鈴があたしと一緒に運んでくれたらしい脱いだブーツの紐を結び、開襟シャツに袖を通す。着替えも済んで一心地と考え煙管に手をかけたが火はつけず咥えるように宛てがっただけ、診療所内で吸うのは無粋だろう、そう思い火はいれなかった。

 煙の立たない煙管を咥えてしばらく外の音を聞く、あたし達の耳に悲鳴が届いてからすぐ聞こえ出した何者かが争うような音、弾幕がばら撒かれて弾ける音とそれをかき消す魔力の轟音。しばらく聞こえていたそれらが聞こえなくなって少しした頃、静かに終わりを待っていた鈴仙がそろそろ行こうとせっついてきた。

 気にならないと言えば嘘になるがあまりノリ気ではないあたし、いつかの冬の異変で終わった後の巫女に声をかけて襲われた経験があるからだろう、争い事が終わっていても解決側が残っていると再燃する場合もあると知っていたから。

 いつも通りのやる気のない顔で渋っていると、腕を取られて強引に連れられた。本人は苦手としているが人里でそれなりに人気のある見目良い月兎、そんな彼女と腕を組んで歩くのは気分がいいが向かう先を考えると手放しでは喜べない。捕まってしまって放せないのだから喜べないのも当然か。

 

~少女移動中~

 

 鈴仙に連れられて少し歩いて見えてきた、争い事の中心地だった場所は人里と外の境界線ギリギリ辺り。こんな瀬戸際で暴れる者がいるのかと少しだけ争っただろうまだ見ぬ妖怪に感心した。

 人里で妖怪が暴れれば退治される、幻想郷で暮らす人妖なら知らないはずはないルールなのだが、それに反逆するように境界線で暴れた者、気概があって面白い。この妖怪が一体どんな気骨者なのか、周囲を見やると予想外の妖怪が傷つき地に附している姿が視界に収まった。

 騒ぎの解決に‥‥いや、妖怪と対峙する人間の魔法使いが動いたということは騒ぎではなく異変か。里の入り口を守るように立つ、この場の異変を解決した普通の人間の魔法使い、霧雨魔理沙 

 異変の最中でも巫女達(あっち)に比べればまだ会話の出来る相手だ、事の顛末を伺ってみるか。

 

「犯人倒して異変は終わり、とは言えない顔ね。魔理沙」

「アヤメか、格好が違うから一瞬わからなかったじゃないか」

 

「イメチェンよ、それよりなんでこうなってるの?」

「ん? 私にもよくわからん、ミニ八卦炉はおかしいしあちこちで妖怪が暴れるしよくわからん事ばっかりだ。それでも最初くらいは知ってるぜ、最初に暴れだしたのは霧の湖の人魚でさ、誰かを襲って溺死させたって聞いてる」

 

「残念ながらまだ足はあるわよ?」

「なんだよ、襲われたのってお前だったのか。残念だけど仕返しは出来そうにないぜ、霊夢が向かったらしいから今頃人魚の干物が出来てるさ」

 

「あの霊夢が干物なんて手間のかかる事しないでしょうに」

「それもそうか、じゃあどうするんだ?八つ当たりに暴れるか?相手してやってもいいぜ?」

 

 病み上がりだからお断り、それにまだ終わってなさそうよ。そう言いながら地に附している妖怪を見る、あの魔砲を食らったのだろう焦げて赤よりも黒を増やした体を震わせながら立ち上がり吠えるろくろ首。見たことがない形相で少々面食らったが魔理沙にやられて尚立ち上がるとは、弱者だと自負する割にはやるじゃないか。

 立ち上がりあたし達三人を睨むがどこか違和感がある瞳、しっかりと視界に収まり睨まれてはいるがあにか違うものを見ているような、傷つき目覚めてすぐだから朦朧としているだけか?とりあえず決着しているようだし、コレ以上は意味がないと言葉をかけるがその返答も少しおかしかった。

 

「お疲れ様、退治された気分はどう?」

「まだよ、まだ終わってない」

 

「その割にはボロボロだけど‥‥それにこんなところで争うなんて、隠れんぼはやめたのかしら?」

「上から言ってくれて、人間と一緒になって私を退治しに来たというの?」

 

「?‥‥すでに退治された後でしょう?」

「大人しく暮らしていただけなのに、私が人間に何をしたと言うの?」

 

「退治した人間ならそっちよ? あたしではないわ、何を言ってるの?」

「私を見ても怖がらない、いつから人間はそんなに増長したのよ」

 

「さっきから誰に向かって話してるの? 赤蛮奇」

「煩い、力なく隠れる事しか出来ない者の気持ちなどお前にはわからない、常に笑って見下して‥‥そんな傲慢が私達の反逆を生むと知れ!」

 

 言いたい放題言い切ってあたしに殴りかかってくる飛頭蛮、凶暴になっているとはいえそれほど強力な妖怪ではないし傷も負っている。難なく捌けるが病み上がりで無茶したくはないと思い能力を行使し拳を逸らす、あたしに逸らされて空を殴り抜けるとそのまま人里へと消えていった。 

 去る背を見送り考える、いくら目覚めてすぐだといっても支離滅裂だった会話、あたしと魔理沙を混同していたのか?魔理沙と間違われるほど発育悪くはないのだが‥‥しかしどうしたもんか、会話はできたが会話にならない。いつもならもっと話のわかる手合なのだが、180度変わってしまっていて取り付く島もなさそうだ。

 

 けれどすでに退治されたのだし、外れる頭が冷えた頃にでも色々と聞けばいいか、そう思っていると里の何処かから黄色い声が聞こえる。まさかと思い振り向くと複数の赤い頭が飛び交い里の人を追い掛けていた、何をやっているんだあのバカは、異変ならそれらしく退治されて終わりだろうに、八つ当たりするにしても相手も場所も悪い。飛び交う首を見つめて止まったままの鈴仙に先に行ってどうにかするよう声をかけて、あたしは動き出そうとする魔法使いを引き止めた。

 

「なんで止めるんだ!? 人里で暴れてるんだ、あれは…」

「そこから先は言ってはダメ、聞いたらそうしないとならなくなるもの」

 

「もう手遅れだろ!実際襲わ…」

「まだ人死には出ていないみたいだし脅かされているだけ、手遅れというには早いわね。いいから実家にでも行って守りなさいな、あっちはどうにかしてあげるわ」

 

「妖怪退治は私の…」

「ルール内ならそうだけど、これはルール外。外法には外法者が当たらないと‥‥それに人に付き合わない妖怪は怖いのよ?」

 

「口じゃ勝てなさそうだからもういい!そのかわり手遅れになったらお前も退治するぜ?覚えとけよ」

 

 善処するわ、というあたしの返答を待たずに人里の大手道具屋に向かい飛び立つ黒白。実家をダシに使えば折れると踏んだが予想通りで助かった、帰らない実家へと奔るその背を追うようにあたしも走りだした、聞こえてないだろうが魔理沙に言った手前もあるし出来れば犠牲が出る前にあたしか鈴仙でどうにかしたい。

 妖怪がこの里で人を襲うのは御法度だが、妖怪同士で暴れる分にはどうにか言い逃れも出来るだろう。詭弁も詭弁だがそれをどうにかするのが化かす者だ、ならそれらしく言い逃れできるように道筋掘るくらいはしておこう。

 

 里の中央、魔理沙の守る道具屋前で鈴仙と合流し何がどうなっているのか簡潔に聞いた。怯えているかと思ったが意に反して冷静さを見せる月兎、逃げたといっても鉄火場に慣れた元軍人、それは伊達じゃあなかったらしい。

 首の数は九つ、そのうち分身らしい六つはすでに落としたそうだ、さすがは元月のエースだ、仕事が早くて妬ましい。残りの首は何処か、二つは動きまわり一つは動かず何処かで隠れていると鈴仙レーダーに引っかかった。仕留めたモノと同じ波長を持ち動き回るのが二つ、それよりも強く発せられる似た波長が一つでそっちは動かないそうだ。索敵レーダーいらずで便利な能力妬ましいわ、軽口混じりに褒めながら残る三つのうち二つを任せて本体らしい最後の一つを探すことにした。

 

 探すと言ってもアタリはついていた、この狭い人里に隠れて住まう妖怪がさらに身を隠せる場所などそうないし、縄張りから動かない相手だということも知っていた。

 鈴仙に任せた方もどうやら終わったようだ、騒がしかった背中の方が静かになっていくのが聞き取れた。本当に出来る軍人で、敵に回さなくてよかったとあの子の評価を改める。あれでもう少し威厳でもあればそれなりに見るのだが、それがないのがいいところか。

 何事もなかったとはいえないがとりあえず静かになった人里を歩き、いつか訪れた長屋へと向かう。玄関よりも先に裏口へと回り動かないよう潰しておいた、また逃げられては面倒だし今見られれば退治されそうな気がして逃げないように潰しておいた。そうして初めて来た時のように戸を叩く、返事がないので引いてみるが鍵がかけられているようで開くことはなく、ほんの少し力を込めて強引に開け放った。開けた勢いで割れた戸のガラスで手を切るが気にせず土足で中へと踏み入った。

 

「なんとかの一つ覚えって知ってるかしら?」

「力業で来るなんて天邪鬼の言った通りだな、そのくせ親しそうに話してくれて」

 

「天邪鬼ね、なるほど。これが算段か最後の詰めなのね」

「何をよくわからない事を、退治しに来たならしなさいよ‥‥抗ったって無駄だとわかったから」

 

「妖かし退治は人のお仕事、あたしは人間ではないわ」

「じゃあなに? 退治もせず見逃しもしない。それが出来る立場にありながら何しに来たのよ」

 

「そうね…貴女の嫌いな強者らしく言うならば、利用されに来てあげたって感じかしら? ついでに首の座りが良くなれば上々、お互いにね」

「正面からそんな態度されちゃ逆らう気にもならないわ」

 

 強者らしく殺気垂れ流して上から話してあげるだけで張り詰めたものを割るには十分だったようで、警戒し身構えていた姿から諦めた姿になってくれたろくろ首。

 不遜な態度に慣れておらずすぐにほころんでしまいそうだが、怯えるような目で見られるのもそれなりに心地よいものだ。これを感じられている間はその態度も保つだろうし、保っている内に話を進めよう。進めると言っても言い切るだけだが、大物らしくね。

 

「それで、この後どうするつもり?」

「生きながらえる事が出来るなら誰もいないところに逃げる、ここにはもういられないし」

 

「そう、逃げた先でやらかしたらまた逃げるの? 最後には逃げ場がなくなりそうね」

「そうならないように身を潜めてきたけど、自爆してこれじゃあ言う通りで逃げ場がなくなりそうだわ」

 

「なら最初から逃げなければいいのよ、そうするために利用されてあげる。そう言ったの」

「一方的に押し付けて何が狙い? 私にしか利点がないわ、そんな話は信用出来ない」

 

 以前に見せてくれた冷静さを取り戻した柳下のデュラハン、天邪鬼と聞いて逸らしてみれば予想通りにひっくり返されていたようだ、静かに隠れ暮らす者が返されて暴れ騒がす者へと成っていた。読みが当たり嬉しいが解せないこともある、あたしの住まいを荒らしていた時はこれほど影響力のある能力ではなかったはずだが、他者の感情をひっくり返すなど。能力としては出来るだろうがそれを成せる力は感じなかった天邪鬼、これも正邪の企み事から得た力だろうか。

 まぁいいか、その辺はおいおいわかるさ。今はこの場、冷静さを取り戻しうまい話に乗らなくなった赤蛮奇を力尽くでどうにかしよう。

 

「断れないわよ? これは強者の戯れ、弱者は享受するだけよ。イエスもノーもないわ」

「完全に上からなのね、悔しいけどそれでいいわ。そこまで開き直られたらいい返す言葉もない」

 

「さっきまでとは随分変わって、素直なのね」

「飛ばした頭がやられて正気に戻ったのよ、何かにアテられて溜まっていたモノが弾けたの。騒がせて済まなかったわ」

 

「面白い事を言うわね、やられて正気に戻るなんて。元が狂っていたみたい」

「私は人里で隠れて暮らす妖怪、浮いて歪な存在よ、言う通りに元々狂っていたのかもしれないわ。それにあんたに言ったのも本音だし、自分でもよくわからないのよ」

 

「ちょっと前にあたしも感じたわね、自分がよくわからないってやつ……あたしもまだ結論を出してないわ。良ければ一緒に考える? 同じ悩みを持つ者同士」

「高い所にいるかと思えば気軽に隣に降りてくる、どう接したらいいかわからなくて…あんた面倒くさいよ」  

 

 もはや一々指摘はしない、もうそれでいい。それはそれとして着地点を考えなければならない、あたしを何処かの胡散臭い妖怪と同一視してくれるろくろ首の処遇。見てくれる通り妖怪の賢者だったならすぐにどうするか判断できるのだろうが‥‥

 あたしはただの化狸でそんな権限持ってない、出来るのは騙して逸らして誤魔化すくらい。強者らしく飽きたとでも言って逃げてもいいが、そのせいで手遅れになり黒白に退治されるのも困る。

 頭一つで考えるよりお前も一緒に考えろと、ろくろ首に言ってみたら嫌な顔をされた、そんな顔をするくらいなら頭を増やして考えてもいいのに。

 考えなしに言いたいこと言ったのかと聞かれて、そうだと返答すると嫌な顔に呆れが混ざった、頭増やさなくとも違う感情を同時に見せるろくろ首、それが頭の妖怪らしいものに見えて面白く意地悪く笑い、内心で悩んだ。



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第九十三話 竹林で香る花

 肩を並べて二人で考え、答えが出ずに頭を増やす。増えたのはヨレヨレのうさ耳付けた元軍人と今夜辺りに角を生やす女教師。あたしの我儘通すにはどうしたらいいか、教鞭をとる先生に聞いてみたが答えは出ない。硬い頭で考えてもダメだったかと呟くと、頭の代わりにげんこつがあたしの脳天に降ってきた。夜を前にざわついていて頭は少し敏感だから代わりにげんこつで我慢しろということらしい、硬い頭に比べればなんという事はない拳。

 それでも痛い振りをしてうっすら目に涙を浮かべてみせると、泣くとは思わなかったのか少し慌てて大げさな仕草であたしをあやす人里の守護者。波長からわかるのかジト目で見てくる兎の視線に思わず笑うと、動きを止めて震えだした人里の世話焼き教師。

 もう一発来るかと身構えていると、あたし達三人を眺めていたろくろ首が吹き出した、なんだ、他の奴らと同じように笑えるんじゃないかとその笑顔を見ながら笑みを浮かべると、時間をおいて二発目のげんこつが降ってきた。

 

 寸分違わず同じ所にもらえばさすがのあたしでも痛くて本格的に涙目になった、両手で痛みの震源地を撫ぜるとそれを見ていた三人にまた笑われた。こっちは笑えない痛みだというのに人でなし共め。

 明るい顔と声が増えて雰囲気は良くなったが、それはなんの解決にもならず答えの出ない問題に向かい悩んでいると、隣に座る兎が頭の耳飾りを揺らしながら素晴らしい案を出してくれた。

 

――何もしなくてもいいんじゃないですか?

 

 ぼそっと小さく言われた言葉、それを言われてあたしを含めた他の三人全員が思考も体も止めてしまうが続けて言われた言葉で納得できた。

 

――うちも結構な事をやらかしたけど、何もしてませんよ?

 

 偽りの月を浮かべて紫が夜を止めたあの異変、確かに結構な大事で幻想郷を揺るがす事だったが、異変を起こした側に対してなにか罰則なんて課せられることはなかった。異変の側にいたあたしや鈴仙もそうだし起こした張本人である八意女史にも何もない、あるとするなら人里と関わるようになり医療の知識を授けるようになったくらいで自分達の得意分野、その裾野を広げたくらいだった。

 そこから考えればこのろくろ首も異変の側だが利用されただけの言わば被害者だ、あたしよりもよっぽどマシな部類で罰せられる事はないなと鈴仙の言葉に納得させられかけた時、もう一人の月の異変関係者が反論を述べた。

 

――だが、人里で暴れた件は別だ

 

 言いたいことはわかるが暴れたくて暴れたわけじゃないし被害はなかったじゃないかと反論する、追いかけられて子供が泣いたくらいの事に目くじら立てるほど狭量で頭が硬かったのか、そう言い返すと言い淀んでくれた。

 理由は兎も角、人里をなかったコトにするのもそれなりの事なんじゃないかと間髪入れずに述べてみると、あれは守ろうとしただけという返答、なら次からは赤蛮奇にも手伝わせたらいいと強引に引っ掛けた。

 

「自警団の人出が足りないんでしょ? なら頭数増やすには丁度いいわよ?」

「言葉を交わして悪い者ではないとわかったし、今までも隠れて埋もれていたくらいだ。里を荒らす気がないのもわかるが…」

 

「煮え切らないわね‥‥ならさっきの騒ぎも歴史として食ってしまえばいいのよ、それなら誰も気にしない」

「それでもだな、本人の意志というものも…」

 

「ないわ、あたしのやりたいようにする。我儘な少女のお願い、教師なら叶えてくれてもいいんじゃない?慧音先生?」

 

 頭の硬いこの人里の守護者相手に論では話が進まないと考えてひたすらにゴリ押す、いくら突っぱねられても引かない姿勢を見せ続ければそのうちに折れてくれるのを知っているし、こうなったあたしは面倒臭いのも自覚している。

 ズズいと寄り添い手をとって乞う、下から顔を見上げ瞳を潤ませながらお願いと小さく呟く。これでも折れてくれないようならもっと面倒臭い事になるが、そうなる前に折れるようだ。肺に貯まった空気全てを吐き出す溜息をついてくれた。

 

「わかった、私は構わない。が八雲や霊夢の方は知らんぞ」

「里の守護者がいいと言ったのよ?ならあの二人もきっと何も言わないわ、それに言ってくるならあたしだろうし…そうなったらごめんなさいするから大丈夫」

 

「それでいいなら後は本人次第だが?」

 

 当人は放っておいて勝手に二人で結論を出したが何も言ってこない赤蛮奇、思う所があれば言ってくれて構わないのだが脅すだけ脅した後に好きに言えといっても無理な話か。

 それでも気にしないで貰えるとありがたい。

 そもそも気にされる程ではないはずなのだが、さっきはげんこつ貰って涙目になるあたしを見て笑っていたくせに。変なところで斜に構えてはさっきよりも痛い目に遭う事になるのに、先人として少しだけ言っておきたくなった。 

 

「蛮奇はこれでいいのかしら? 何も言わないけど」

「私は言える立場にないから、それに利用だけしてそれに乗っかれと言われても」

 

「あたしに利がないと?」

「返せるものがないわ、あんたにもそっちの教師にも」

 

「慧音はともかくあたしにはあるわ、人間嫌いの妖怪が人に混ざって自警団にいるなんて滑稽で面白いもの」

「それは‥‥いやいい、わかった、言う通りにするわ。どっちにしろここで折れないと面倒になるんでしょ?」

 

「あたしとしては面倒な方でもいいわよ、頭が外れてその上増える。色々されそうで楽しそう」

「下世話な話に振るのも癖なの? 誰もがノっかると思わないほうがいいわ」

 

 人が落とそうと言った言葉をダシに落としてくれた頭の座りが悪い妖怪、うまいこと返されて兎と教師に笑われ言われたこっちは首の座りが悪くなってしまう。二人の笑い声に合わせて微笑むろくろ首、中々やってくれるじゃないか。

 少し感心して話は終わりとらしく言い切る、声に合わせて席を立つと連れた二人も一緒に立ち上がり狭い長屋を後にした。見送りなんてものはなく最後に出た教師と別れてそれぞれの住まいに向かい帰路に着いた。

 

~少女帰宅中~

 

 帰る途中少し探したが人里の喧騒の中に黒白姿はなかった、大方次の容疑者候補のところにでも喧嘩を売りに行ったのだろう。おかげで首が繋がった、今いないということは手遅れにはならずあたしは上手い事やれたようだ。

 あの黒白の性格を鑑みれば気に入らないならその場で突っかかってくるはずだ、そうされないのだから今回は目を瞑ってくれたのだろう。幼い少女の割には合理的な考え方、魔法使いらしいのかと帰路の途中で少し思った。

 

 蛮奇の長屋には思ったよりも長い時間いたらしい、すっかりと日が落ちてもうすぐ夜を迎える頃。時間と時期がこれくらいだからあの教師も折れたのだろう、変身後は気にしないが変身する姿はあまり見られたくないなんて以前に言っていた。

 角と尻尾が生えて色が変わるくらいで何も変わらないと思うが、そう思うのは常に化けて形を変えることに慣れたあたし達化け狸だからだろうか。月に一度しか変われない者の気持ちはよくわからない。

 月に一度といえばこの竹林にもいたか、慧音よりも変身に対して気を使う者が。慧音が変身するくらいだからあっちも今頃変身しているだろう、毎月の満月の夜に狼の姿に成るご近所さん。

 普段も人間と然程変わらないが変身後も然程変わらず少し毛深くなるだけ、本人はそれが嫌で変身後の姿を見せないがこれを聞いて少し違和感を覚えていた。伝承で聞く狼男と比べれば変身しても変わらない姿の竹林のルーガルー。

 大した変化がなく狼らしさもないのだから狼女というよりも女狼のほうがしっくり来るのではないかと、響きも女豹のようでなんとなく淫靡に聞こえ悪くないと思うが、生真面目な彼女には少し合わないか。

 そんなあたしの軽口に返答するように何処か遠くからアオォーンと遠吠えが聞こえる、毎月の事で珍しくもないその遠吠えに反応することなく竹林に足を踏み入れた。自分の縄張りに戻って安心したのか、隣に並んで歩いている永遠亭の元軍人から幾つか、先ほど長屋で起きた事に対しての質問を受けた。

 

「アヤメさんってよくわからないですね、なんでわざとげんこつなんて」

「時間稼ぎ、満月だし手早く切り上げて帰りたい。そう考えてる慧音の時間を無駄遣いしてみたのよ」

 

「じゃあ泣いたのも?」

「そうよ、あれくらいで泣いてたら涙が安くなるもの。鳴くなら誰かの胸の中のがいいわ」

 

「強引だったのは切り上げ所を作ったんですか?」

「よく見てるわね、今日は鈴仙を見直してばかりだわ。報告してくれる鈴仙も冷たくて良かったし、歩いて火照る体を冷ましてくれてもいいのよ?」

 

「それは師匠にでもお願いして下さい‥‥途中までは格好良かったのにどうしてもそうやってオチをつけるんですね」

「永琳じゃ物理的に冷たくされるもの、それじゃ心地良くないわ。それに明るい雰囲気のほうが話も明るく纏まるものよ? 何事も楽しくなんて、ありがたい邪仙様の言葉もあるし」

 

 別の意味で邪ですと良い反論をもらいながらいつもの軽口を交わして止めていた歩みを戻す、少し歩いていくと土地の造りからか少しだけ竹林が薄い場所へと着いた。ふと見上げるとまん丸できれいなお月様、竹林の緑に空の黒、ところどころ黒い点があるが綺麗な真円のお月様、その淡い黄色が美しくて足を止めて見上げていた。

 今頃忙しく歴史の編纂をしているだろう半獣を思い出し薄く笑うと、遠くからまた咆哮が響いてきた。妖怪のお山にいる生真面目天狗の号令に近いがこちらは号令というより野生の雄叫び、それも狩られる寸前という悲痛な叫び。

 

 最初に聞こえたのはこのお月様に釣られて鳴いているようなモノだったが、今聞こえたのは悲鳴に近い。里の騒ぎの様な事がここでも?鈴仙と顔を合わせて小さく頷くと叫びの聞こえてきた方へと駆けた。

 最後の叫び以来聞こえなくなった狼女の遠吠え、荒事程度で済んでくれていればいいが。余程の手合でも相手取らなければ死ぬことはないと思うが、幻想郷にいる余程の手合は何をするかよくわからない。

 慣れない心配をしながら走ると、遠くで優雅に佇む瀟洒な従者と腹ばいで倒れる狼女の姿が見えた‥‥余程の手合なんて言うんじゃなかった、相手取りたくない部類の人間がいる。

 

「半分狼の血はマズイと思うわ? 毛皮のコートもまだ早いと思うけど?」

「存じております、アヤメ様。ですが、いつの間にか手元にあったコレに動かされてしまいまして」

 

「短剣? ナイフ以外も持つなんて切れ者らしいわね」

「褒めて頂けるのはありがたいのですが、いつからあるのかわからないコレは『妖器』のようで、少々扱いに困っております」

 

 昨夜の携える短剣、言う通り妖物なのだろうがなんだろうかこの感覚、物よりもあたし達の近い妖気。似た感覚をしっているはず‥‥あぁ付喪神になりかけているのか、忘れ傘や面霊気から感じるソレに近い。

 しかしそんな代物が勝手にあったとは、あの屋敷で元々封じられてでもいたのだろうか。今まで訪れた時には感じなかった妖気、人間が長く扱うには危険な物だと思うが‥‥咲夜ならば問題なさそうだ、扱いに困る程度と言うし、取り込まれたりはしないだろう。仮に取り込まれてもあの屋敷なら魔を従え知識を貪る魔女も居る。

 心配事はないしとりあえずはこの状況が知りたい、聞くついでに今泉くんを拾っていくか。

 

「完全で瀟洒な怪しい従者、そうなってしまうのかしら?」

「そうなる前に止めますし、なるわけにはまいりません。お嬢様とのちょっとしたお約束もございますので」

 

「そう、レミリアとの約束じゃ破るわけにはいかないわね」

「ええ、アクマで主ですから。それよりもご無事で何よりです、美鈴も心配しておりました」

 

「心配かけた、ありがとうと美鈴達に伝えておいて、後で枕持参で行くから」

「畏まりました、それでは失礼させていただきます」

 

 言うが早いか消える従者、音もなく消える姿はまさに瀟洒だが人間離れし過ぎているといつも感じる。蒼の瞳を紅くさせて闇夜に消えた瀟洒な従者、『も』と言われたから『達』と言ったが彼女にも感謝は伝わっただろうか、伝わったなら嬉しいが。

 それにしても随分な怯えようだ、あたしに隠れる軍人兎。

 過去の異変で手ひどくやられて怯えるのはわからなくもないが、肘とスカートを握りしめるのはそろそろやめてくれないだろうか、震える姿は可愛いものだがいい加減離してもらわないと皺になり困る。

 妖物のせいで少し怪しい感じがしたが荒事にならずに済んで良かった。退治された狼女も生きてはいるようだし、しかし真面目な彼女があの人間離れとやりあうなんて何があったのだろう?

 起こして少し聞いてみるか、怪我もあるようだし鈴仙にみてもらおう。

 

「大丈夫? 今泉くん」

 

 返事はない、死んだか?

 いや、肩は揺れている。

 

「今泉くん? まだ起きられないの?」

 

 突いても揺らしても動かない、が耳も揺れた、なら釣るか。

 

「起きて? お月様の光を浴びすぎていつもより毛深いわよ?」

 

 言葉を聞いて両腕をつきガバっとエビ反りすると、どこ? どこ? と顔を振り乱して自分の体を弄る狼女、言われた部位を教えて欲しいのか切ない表情を見せてあたしを見つける今泉くん。

 答えを教えてあげようと意地の悪い笑みを浮かべると、最初は理解出来てなかったようだが切ない表情から少し険しい表情へと変えていった。そんな顔色を気にせずに右手を差し出し体を支えて少し語りかける。

 

「あれに喧嘩を売るなんて、命知らずにもほどが有るわよ?」

「ただでさえ興奮してるのに、からかってくるものだから」

 

「からかわれたって、酷いことでも言われた?」

「だって『あっしは満月を見ると変身するでガンス』って馬鹿にしたのよ! 私の気持ちも知らないくせに!」

 

「なにそれ? そんなに怒ることかしら?」

「囃子方さんまで!……ってこんな怪我をしてまで怒ることじゃないわよねぇ」

 

「怪我してから気がつくの? 満月だと中身まで狼になるのかしら?」

「そうやってま…」

 

 何かを言い掛けてそのまま気を失う竹林のガルル、半分だけ起こしていた体が地に落ちる前に抱きとめる。抱いた瞬間に香る花石鹸の香り、髪や体毛から発せられるそれがいかに普段から気にしているかを語ってくれる。

 なんでもない事だと思ったが体を抱き寄せそれを嗅ぐとあたしの考えを変えさせてくれた、赤の他人が気にしていない些細な物でも、それを言われる当人からすれば結構な大事のはずだ、あたしのように開き直って自ら面倒くさい態度を取れるのならいい。けれどそう出来ないから今日のように溜め込んだものが爆発してしまうのだろう、赤蛮奇も言っていたな、溜まったものが弾けてああなったと‥‥今泉くんも同じように何かを溜め込みすぎたのかね?

 意識なく腕の中で重くなる良い香りを纏うもふもふ女、見た目にはそれほどひどい怪我ではないが声をかけて揺すっても目覚めないご近所さん。万一等ないとは思うが永遠亭で診てもらおうか、幸いあそこの助手もいるんだ、一緒に行けば話も早い。

 

~少女来院中~

 

 背負って歩いて竹藪の中、途中連れ合いの軍人兎が落とし穴に落ちかけたりと小さなトラブルはあったがそれ以外は何事も無く、何度か背負い直しながら歩いて永遠亭が見えてきた。

 鈴仙に先に行ってもらい簡単な話を通しておいてもらい、あたしよりもほんの少しだけ大きな背丈の狼女を背負い歩く。あたしのほうが大きければ背筋を伸ばしてお姫様抱っこと洒落込むのだが、自分より大きな相手にそうしてもなんとなく格好悪い。

 腕力だけなら出来ないことはないし、彼女の格好もふわりと広がるロングスカートでお姫様抱っこが似合いそうだが、何らかで意識を失った相手で遊ぶわけにも行かず素直に背負って戸を潜った。

 

 女医に預けて一心地、診察室を抜けて奥へと入りブーツを脱いで縁側に腰掛け足を投げる。夜空に浮かんだお月様を見やり、あたしの周囲だけ朧月にしようと煙管を取り出し燻らせた。

 何の気なく手にした煙草の葉だったがあたしの体毎水没したはずなのに湿気ていることはなく、減らずのバッグは減らないのだから同時に変わらずでもあるのかと、素晴らしい物を頂けたと軽く撫でた。

 そんな変わらずのバッグを撫でて月に雲を陰らせていると、変わらずの姫様と同じく変わらずの従者二人から少し話を聞くことが出来た。

 

「任せてそれほど経ってないけど、ダメだったの?」

「誰に向かって何を言うのよ、それに怪我自体は大したことないわ。うどんげの治療だけで十分なくらいよ」

 

「それで?」

「原因は単純にパンクしかけただけよ、何かから押し込まれた器よりも大きなモノのせいでパンクしかけて気を失った。妖気に合わせて気も大きくなり荒くなったりするだろうけど、発散できてるから今はもう大人しいものね、溜め込んだままだと危なかったかもしれないわね」

 

「何か、ね。心当たりがあったりしないの?」

「ここから滅多に出ない私達よりアヤメの方が心当たりがありそうよ」

 

「それがなんにも、出歩いててもわからないから引き篭もりに聞いてみたんだけど、輝夜は何か知らない?」

「引き篭もってるからわからないわ、そんな都合のいい物の事なんて知らないわよ」

 

「そう、ありがとうお姫様。永琳も治療感謝しておくわ、ツケでいい?」

「貸しでいいわよ、払う気のないツケは利かないの」

 

 亀の甲より年の功とは良く言ったものだ、伊達に昔から姫様していないな輝夜姫。それにしても物か、どういった物かは語ってくれなかったが少しでも指針が出来たのはありがたい、物探しなら得意な身内がいる。早速今日にでも行ってお願いしてみるか、あのネズミ殿も人里にある寺に関わりある者なのだから騒ぎの原因探しと言えば不満を言いながらも手伝ってくれるはずだ。こういう時に顔が広いと動きが早くて色々と捗る。

 なんでもかんでも他人任せだと言われればいい返す言葉もないが、その分野に長けた者が近くにいるのならそれを頼っていいはずだ。それに頼られて気を悪くする者なんてあの天邪鬼くらいしか思いつかない。とりあえずヒントも貰ったし早速動くとするか、永琳に貸しを作るなんて後で色々とありそうで少し不安だがご近所さんの命に比べれば安いものだろう。また耳飾りでも付けて飛び跳ねれば納得するだろうし後の事は後で考えよう。

 縁側で煙管を叩き火種を落として出立しようとしたが、隣に腰掛けてきた輝夜に声をかけられて動きを止める。引き篭もりの永年暇人が次は何を言ってくるのか。 

 

「次は何処へ行くの? 話次第ではもう少しだけ教えてあげるわよ」

「出し惜しみするならいいわ、難題じゃないけど探す楽しみもあるもの」

 

「忘れ去られた小人族、それを探してみたらいいと思うわよ」

「断ったのに教えてくれるなんてお優しい事ね、見返りは土産話でいいのね?」

 

「話が早くて助かるわ、出来れば楽しく過ごしてきてよ? 笑えない話だったら追加するから」

「普段貰ってばかりだし寄越せと言われるのも偶にはいいわね、追加で夜伽くらいなら付き合うわよ?」

 

「寝室を毛だらけにされちゃ掃除するイナバが可哀想だもの、それはなしね」

「輝夜までつれないのね、最近断られてばっかりで女として廃りそうだわ」

 

 それなら私が代わりに付き合ってあげると言ってきたのは永遠の従者八意永琳、だがこれはあたしから断った。別の意味で体を弄ばれるのが目に見える、丁重にお断りするとアヤメもつれないじゃないと微笑まれた。なんだ、そっちの誘いだったのかと一瞬だけ考えたがそんな事はないとすぐに思い直した。治療に使うような雰囲気に見えない紫色の液体が入ったフラスコ、それのお陰で踏みとどまれた。

 それにしても小人族か、聞いたことがない種族だが本当にいるのかね?

 いや、聞いたことがないからこそいるのか、ここは幻想になった者達の楽園なのだから。




獣臭いとか濡れた犬の匂いがするとか言う輩は、膝に矢を受けたらいいと思います。



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第九十三・五話 本棚からぼた餅

 果報は寝て待てと先人の言葉を頼りにしていたが全くもって先に進まず、仕方がないからこちらから果報を迎えに行ってみようと再度人里を訪れている。正しく先人である永遠のお姫様が教えてくれた小人族、字面から種族だろうとは思うがそれ以上のことは輝夜から聞き出せず、聞き出せたとしても高い代金吹っ掛けられそうで追求するのはやめていおいた。

 

 それで何故に人里かというと、ただなんとなく思いついただけ。最初に暴れた赤蛮奇もいるしここならなにか取っ掛かりがあるかと考えて、それっぽい何かがないかとぶらついている。

 ふらふらと歩いていて本当に異変の元へ行く気があるのか怪しく思われそうだが、正直行く気はあんまりない。行けば確実に巻き込まれるとわかっているし、見知った者達が無事であるなら異変が終わろうが終わらなかろうがどうでも良かった。

 やることがないのなら仕返しに行かないのか、こっちも知っている者からすれば言われそうな言葉だがこっちも正直どうでもいい。霊夢が行ってそれなりの報いは受けたはずだし、あの時の雰囲気やその後の流れからわかさぎ姫も被害者だとわかった。

 被害者だから許します、なんていうほど聖人君子ではないから後々でなにかしら美味しい思いをさせてもらうつもりだが、今行っても謝られ怯えられるだけだと考えて敢えて近寄らないようにしている。

 

 後、気になることといえばあたしを誘ってきたあの反逆者くらいのものだが、あれからさっぱり話を聞かない。何をどうやってひっくり返すのか、興味はあったがわざわざ探しに行こうとまでは考えなかった。

 興味がない事はないが会いに行けば会えないような気がして、それなら会えればいいなくらいに考えて頭の隅っこにおいておくくらいにしていた。

 けれどこのままでは助言をくれた姫様に話せるものがない、ここで貰いっぱなしのままでは今後の難題受注に響く。出来ればなにか珍しい事、小さく笑える程度でもいいから何か探さねばマズイだろう。

 人里の橋の上で立ち止まり腕組みしながら煙管を燻らせていると、良く知る人間の少女二人が煙を抜けて駆け寄って来て両の腕を取ってくる。右手はいいが左手はやめてくれ、火傷されて泣かれでもしたら面倒くさい。

 

「いいところで見つけました、ちょっと付き合って下さい」

「小鈴に阿求? 何に付き合ったらいいの? どっちもまだまだ青いから両手に蕾じゃ楽しめないわね」

 

「開口一番でそれですか、小鈴やっぱりやめない?」

「やめないわ、今逃すとまた捕まえるの大変なんだから。それにあの人に繋がる狸さんだし、逃してなるもんですか」

 

「あの人って、あぁ」

「あの時はお世話になりました、新生能楽とても楽しかったです」

 

「楽しんでもらえたならなによりよ、太鼓叩いた甲斐があったわ」

「知らぬ間に随分と懐かれて、手が早いですねアヤメさん」

 

 そういう時は手が早くて妬ましいと言うのだと阿求に教えてみたが、なんですかそれと真っ直ぐに聞き返された。なんでもないから忘れてと言い返すとわかってて無茶を言うなと叱られた、相変わらず口五月蝿くて血気盛んで妬ましい。

 それよりも早くとスカートを引っ張り先を歩き出そうとする判読眼のビブロフィリア 本居小鈴 そう引っ張られてはスリットが開いてしまって丸出しになってしまうと窘めると、そう言えば着物じゃないんですね、そっちも可愛いですとタイミングなんて関係なしに褒められた。

 褒められたからというわけではないが、引っ張らなくとも今は逃げないと伝えると掴む先を手に変えて引っ張るようになった。今はと言ったから離さないほうがいいなんていらない助言をしたのは、九代目のサヴァン 稗田阿求

 二人に両手を引っ張られ煙をたたえる煙管を咥えて体を反らしながら、インクの匂いが充満している居心地の良い店に拉致られた。店に入ると随分と煩い、カタカタカタカタとそこらの棚やら奥やら、店中から聞こえてあたしの耳には少し痛い。片目を瞑り頭を小さく振るとチャラリと落ち着く音がした。

 

「ちょっと来ない間に騒がしい店になったのね、イメチェン?」

「イメチェンなんかじゃないです、少し前から動き出して困ってるんですよ」

 

「それであたしを引っ張ってきて何がしたいの?」

「煩いし落ちるし困るので止めて下さい、アヤメさんなら出来るってあの人も言ってました」

 

「あの人は言うだけだったのね、全く…またあたしにやらせるつもりか」

「なんか言いました? できたら早いと嬉しいんですけど」

 

「出来なくもないけどまたこうなるわよ、多分」

「とりあえずでもなんでもいいので、少しでも静かになるならお願いします」

 

 その場限りとまでは言わないが持って数日だろう、それでいいならやってあげよう、こいつらは多分付喪神もどき。それも最近になって急になりかけたもどき連中のはず、黒白やメイド長の持っていた突然成したり現れたりした妖器と、永年の暇人が言っていた物という助言から思いついたあたしのカンがそう告げる。

 その辺の詳しい説明や補足は長くなるから後回しにするとして、とりあえず言われた通りに静かにしよう。両手を合わせ左右の指をそれぞれ外向きに出るように組み合わせ、右手の親指が外側になるように組む。そのまま片目を瞑り声にはせず心のなかで『皆』(かい)と唱える。

 九字護身法という民間呪術、由来を語れば結構な長さになるがそれはこの際割愛しよう、だらだら考えて時間をかけるのも面倒だ。今はその九字の印のうちの外縛印(げばくいん)を用いて少し脅す。

 この印が司るものは日ノ本全国で水神として祀られる稲荷大明神、狸が狐の力を操るってのも皮肉だがそういうものだからしょうがない。細かい事は気にせずに小さく念じる、濡らされて書として機能しないようになりたくなければ少し黙れと。小さな脅しに負けたのか、まだまだ力のないもどきには十分ですぐに静かになってくれた。

 

「おぉ、静かになった…アヤメさん助かりました、ありがとうございます」

「偶にまともに仕事するから困る、いつもこうなら助かるのになぁ」

 

「いつもこうだと有り難みがないわ、お礼代わりに少し聞いてもいいかしら?」

「何でしょう? わかることならお答えしますけど」

「また何かやらかすんですね?」

 

「人聞きの悪い事言う阿求はいいわ。小鈴、小人族って聞いて何か浮かばないかしら?」

「小人族? はて、聞いた事ないですね」

「‥‥一寸法師とか、西洋なら親指姫なんて話がありますね。小人族っぽいお伽話」

 

「一寸法師に親指姫ね、お伽話のあれか」

「絵本ならどっちもありますよ、少し待ってて下さい」

 

 すっかり静かになった店内をまた騒がしくするように埃を立てながら動きまわる貸本屋の店主、窓から指す光が埃を強調してくれる。そんな埃を吸って体に触りがないように、阿求の周囲を漂う埃が口や鼻に届かぬように能力使って逸らしておく。

 ただでさえ体の弱い短命者なのだから、喘息なんて面倒なものを患ったら後の転生に響いてしまいそうであたしの楽しみが減ってしまう、気が付かれる事なんてないしコレに対して何か言ってほしいとも思わない、虚弱な友人に対する小さな気遣い。

 そんな者の近くで煙を漂わせて吐いたり吸ったりすることもあり、我ながら矛盾している気もするがそれはそれこれはこれだ。動きをもせずに一人で納得していると目当ての物を見つけたのか、数冊ほど書を抱えた小鈴がこちらへ戻ってきた。

 

「コレですコレです」

「一寸法師は知っているけど、親指姫はどんな話?」

 

「簡単に言えば誘拐されて助けられて結婚を強要されるんですが、助けた燕に恩返ししてもらって花の王子様と幸せになる話ですね」

「よくありそうな起承転結ものか、まだ一寸法師の方がこじつけられそうね」

 

「こじつけ?」

「こっちの話よ、気にしないで」

 

「一寸法師も起承転結もので代わりなさそうだけど、何か違いがありましたっけ?」

「話の筋ではなく出てくる物の方でちょっとね、阿求が知らないなんてことはないでしょ?」

 

 あたしの言葉を聞いて簡単に説明を始める阿求、小さな(なり)の輩が女性を助けるために鬼に飲まれて戦う話だが、絵本とお伽草子では話の流れや立場が色々と変わっている。

 確か生まれからして違ったはずだ、絵本では子供のいない老夫婦が住吉の神に祈り授かって愛されて育ったが、草子では何時まで経っても大きくならないのを気味悪がられていたはず。ついでに言えば絵本では出かける娘を鬼から助けて結ばれているが、草子では娘を騙し出立せざるを得ないよう仕向けて一緒に旅立っている。結果鬼から助けて結ばれてと顛末は変わらないが、元ネタのほうが陰湿さを感じられて好みだが今はどうでもいい事か。

 大事な所は後半の方、退治された鬼が置いていった秘宝である打ち出の小槌。一寸法師の体を大きくしたコレがなんとなく引っ掛かる、輝夜の言った『物』と『小人族』という助言に永琳が今泉くんを診断して言った『妖気に合わせて気も大きくなり』という言葉。

 

 物知りな永遠の二人が言う事を繋げてみると、小人族の物のせいで妖気が大きく膨れたと考えられないだろうか?打ち出の小槌のような、他を大きくする力のある妖物を誰かが使い、力ない妖かしに無理やり力を押し付けた。こう考えると赤蛮奇や今泉くん、わかさぎ姫が気を大きくして暴れてしまった原因だと考えられる気がするのだが。付喪神の方には繋がらなくて無理があるが多分力ない物ならなんでもいいくらいの雑な力の掛かり方なんじゃないかね、自我のない物や自我の薄い隠れる者にだけ聞くような都合のいい呪。

 そんなもんじゃないかなとざっくり考えている、幻想郷に住む者全てならあたしに恩恵があってもいいのになかったから思いついた事だが、その辺はよくわからないし今の異変の解決ついでに、こっちも解決されるんじゃないかと思っている。困ったときには人任せ、文字通り人間任せにしておけば大抵の異変は綺麗に修まってきたのだから今回もそうなるだろう。あたしは中途半端に引っ掛かる天邪鬼と付喪神辺りを調べて輝夜への土産話にすればそれでいいと考えていた。

 人間少女二人そっちのけで、どうにかこじつけて笑える話にしようと静かに悩んでいると、放置に飽いたのか視界に二つの顔が入る。思慮の見える薄紫の瞳と活発さの伺える橙系の瞳、下から覗かれるその両方にやる気のない見慣れた顔が映っていて思わずフフッと笑ってしまう。 

 

「それで、その小人族がなんなんですか?」

「なんでもないわよ? 聞いた話を面白くする為にちょっとこじつけようと思っただけ」

 

「触りだけ話して取り上げるなんて酷いです」

「綺麗に化かされて騙された方が良かった? 少しだけ正直に話してあげたのに、しつこいのは阿求だけで十分よ」

 

「中途半端でモヤモヤします」

「そういう気分をなんていうのか教えてあげるわ、狐に摘まれたっていうのよ」

 

「「狸のくせに」」

 

 声を揃えて言ってくれる仲良しコンビの本の虫達。二人揃って機嫌が斜めに傾いたようで、光の指している窓の方へとプイっと顔を背けてくれる、こっちを向いてくれないと鼻を摘んであげられないのだが。仲がいいとこんな仕草まで似るのだろうか…似るのかもしれないな、いつかの屋台に狸二人で並んだ時も同じ姿勢で似た物言いをしたのを思い出した。

 あの時は二匹共両手で頬杖ついて尻尾揺らしながら夜雀女将を見ていたが、今は二人にそっぽを向かれている。拗ねる横顔も可愛いものだが出来ればさっきのように瞳に写してもらった方が嬉しいね、そう考えた瞬間に変な顔してこっちを向いてくれた。そんな顔であたしを見るなよ、まだ摘んでいないのだから。

 

「アヤメさん、なんか飛んでます!」

「飛んでるというより、浮いてる? お城っぽいけど逆さまになってる」

「まだ何もしてないけど、何かに化かされた?」

 

 言いながら視線を窓の外、空へと向けると確かに見える。天守閣が一番下にあって支える土地が天辺にある逆さまの城、綺麗にひっくり返ったお城。魔力か妖気かわからないが城中心に巻く嵐の中城っぽい何かが浮かんでいた。

 なんだあれ、と思ったが考えずともすぐに理解できた、あの逆さま大好き天邪鬼があそこにいると。綺麗にひっくり返った城なんてわかりやす過ぎて呆気に取られたが、見上げて傾いた頭の上でチャラと鳴って我に返った。あれは何だという問いかけを無視し店を出て再度見上げる、よくよく見れば城の近くに何かいる。力の嵐が薄い部分、そこに数人の姿が見えた。

 じっくり見なくともわかる配色の三人組と見慣れない楽器を携えた少女二人、少女二人に連れられるように後をついていく紅白黒白蒼白の少女達‥‥

 ふむ、あれについて行けばいい土産話が出来そうだ。

 目を細めて軽く下唇を舐めているあたしを追うように店から出てきた、飛ばない部類の元気な人間少女二人。この店に拉致られた時のようにあたしの両側に立ち、二人で腕を取ってこようと揃って手を伸ばしてくるが、向かってくる手を逸らして捕まることなく飛んでその場を離れた。

 逃げるなだの、下着見えてるだの、色々と足元で騒いで引き戻そうとされるが、細かいことは気にせずに、嵐に消えていく少女達の後を追い浮かぶ城へと飛び立った。




気がつけば百本目、ちょっと嬉しいですが話は殆ど動かない回。
それもらしさかと、気にせずまったり続きます。



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第九十四話 鳴りを響かせ始原と九十九

 素直に真っ直ぐついて行けばカンの良い巫女に気が付かれて確実に巻き込まれると考えて、彼女達とは違う出入口はないかと、嵐の流れに逆らわないようフワフワと流されながらお城を見やる。

 渦の外からでは見えにくかったがこうして近寄って見てみると、本当にひっくり返っているお城で見れば見るほど面白い。床とかどうなっているのかね、畳とか打ち付けられているんだろうか?

敷いているだけでは天井に落ちてしまうだろうに、重力毎逆さまならその辺は大丈夫だったりするんだろうか?

 矛盾している、天に落ちるという表現が素直に当てはまるこのお城。ひっくり返して反逆するあの二枚舌が隠れるにはお誂え向きでそれらしいなと、クスクスと笑って流されていく。

 

 一周ぐるりと流されて、少女達が入っていった入り口以外に窓やら戸やらを確認できたが、あたしが入るには少し小さい、もう少し大きな造りであればするりと入れそうだが、あの大きさの窓や戸では胸や尻がつかえてしまいそうで諦めた。一番邪魔になりそうな尻尾を敢えて言わなかったのはあたしの小さな見栄だ、深く追求しないで欲しい。

 ゆるゆると流されながら二周くらいした頃だろうか、魔力の嵐に変化があった、変化と言っても嵐自体が変わる物ではなく嵐の中になにやら動くあたし以外の人影が現れたのだ、お城に住む誰かさんが迎えにでも来てくれたのかと見つめる。

 

 稲光のような魔力の雷光の影にうっすらと見えるのは小さな太鼓?

 丸く輪っかのように連なって大小並ぶ雷様のような鬼太鼓っぽい何か、影が座るモノは大きな太鼓の様に見えるがあたしの知ってる和太鼓とは随分と様相が違う。

 流れに任せてゆるゆると近寄り、ある程度会話の出来るくらいまで距離を詰めた辺りで能力を強めて、流れる体が止まるようにあたしに向かう嵐を逸らした。

 結構な嵐の中静かに煙管を燻らせて、対峙している太鼓っぽい少女と対となるようあたしの周囲に煙を纏う、知らぬ顔で敵なのか味方なのかわからない謎の手合、余裕そうな表情で近寄ってくるあたしを見ていた相手。その余裕からそれなりに力を宿しているとわかり、普段はしない警戒をするように煙を周囲に漂わせた。

 けれど、少しの警戒を見せるあたしに対して振る舞いを変えることなく真顔で見つめるだけの少女、その姿を少しの間無言で見つめて纏う煙を掻き消した。同時に警戒心も解いていつもの怠惰を好むスタイルになると、むこうから話しかけてきてくれた。

 

「身内を丁寧に扱ってくれる貴女と敵対する気はないわ、警戒を解いてくれてありがとう」

「雷様に近い知り合いはいないはずなんだけど‥‥竜宮の使いと口の悪い怨霊くらいかしら? 雷様っぽい知り合いは」

 

「それっぽい音は鳴らすけど残念、私は付喪神。身内というのはコレの事よ」

 

 そう言いながら肩に何かを乗せてそれを平で打つ仕草を見せる雷様っぽい少女、仕草からして鼓だろうか。それを身内という付喪神、見た目は知らない形だがやはりこれも太鼓の一種だったかと、自身の読みに満足し薄く笑って紹介をする。

 

「鼓の付喪神って事ね、取り敢えず自己紹介しておくわ、あたしは霧やら煙やら狸やらの妖怪さん。囃子方アヤメ」

「名前もソレも聞いているけど、こうして顔を合わせられたんだからきちんと紹介しておくわね、堀川雷鼓。元和太鼓の付喪神よ」 

 

「元?」

「元、今はこのドラムが私。外の世界の新しい太鼓よ」

 

「外の世界ね、やり方はどうでもいいとして依代を乗り換えたの? また随分と分の悪い事をするものね」

「そうでもしないと自我を乗っ取られる所だったし消えていくだけだったのよ、命を張った大博打だったけど勝てて良かったわ、おかげでここの魔力に頼らなくてすむもの」

 

「消えるはともかく乗っ取られる? 元は物なのだから、乗っ取られ使われる事に喜びを感じるのが物ではないの?」

「以前はね。でもこの魔力のおかげで自我が芽生えてからは、叩かれ踏まれるだけの生活には戻りたくない、そう思うようになったのよ」

 

 叩かれ打たれて音を鳴らしていた者がその生活は嫌だと言うとは面白い。今回の異変で付きまとってくる溜まるってお言葉に宛てがえばずぅっとそればかりをされて溜まっていた鬱憤が弾けたってところか。

 貰ったモノだけを頼りにしてそれにふんぞり反るだけではなく、更に上を目指して命をかけた大博打に挑み勝った付喪神。太鼓らしく打てば響くってのを体現していて素晴らしい、それが嫌になったって皮肉を持っているのも実に好みだ。

 小出しに教えてくれるこの異変の話もそれなりに興味を惹く言い回しだし、この付喪神は面白いな、是非とも輪を繋げておきたい、珍しく出逢いから惹かれる相手に会えて嬉しくなり、ニヤニヤと微笑んだ。

 

「それで堀川さんはあたしに何用? 何もないのに出てくる程、暇している感じではなさそうだけど」

「雷鼓でいいわアヤメさん。お陰様で力はそれなりに強くなったけどまだまだ新顔でね、出来ればそれなり以上の人と繋がっておきたいのよ‥‥後のためにも」

 

「そういう事なら喜んで、面白ければ手助けもやぶさかじゃないわ。それで後っていうのは解決後って事でいいのかしら? 雷鼓」

「嬉しいお返事助かるわ、解決ってこの騒ぎよね? それならもう時期嵐もおさまるはずよ、この逆さの城『輝針城』も元の世界に帰るかもしれないわ」

 

「輝針城、輝く針ね。あたしのこじつけもまんざらでもなかったみたいね」

「どんな話か聞いてみたいわ、後学のためにもね」

 

 雷鼓の言葉から確信を得られた自説を簡潔に述べる、古い友人が言った『物』と『小人族』と、その従者が言った『大きくなる』から繋げたそれっぽい考察。

 この力が作用するのは力ない者や自我のない物だけだという事。輝く針のお城の主が一寸法師である事、そして一寸法師の持つ打ち出の小槌がこの異変を成したと確信できた事。

 輝く針を携えて鬼を退治した小人族、それなら一寸法師で間違いないしそれが持っている秘宝なのだから『打ち出の小槌』で間違いないだろうと。

 こういった場合全てを語るのは後々不利になる事もあるが異変に関しては正直に述べる、近寄りたいと思った相手が近寄って来てくれたのだ、このまま興味と関心を持ってもらう為偽りないままポロポロ話す。それでも全ては話さない。溺れた事や人里で殴られ涙目になった事、竹林で力に飲まれ暴れてしまった友人の事やらその他色々、話しても何も変わらないだろうが最初くらいはいい格好したいし、友人の恥ずかしい姿を話しても今は誰の得にもならないと考えてそこは語らなかった。

 

「概ね正解よ、訂正するなら小槌の魔力で大きくなるのは力と凶暴性だったという事くらい。それ以外はほぼ当たり、後は異変の元凶と対面して終わりってくらいの正解率……良い相手と知り会えたわ、出来れば仲良くお願いしたいわね」

「元凶のせいで現れた相手に褒められるのも面白いわ、悪い気はしないし、こちらこそ今後もよろしく、雷鼓」

 

「随分大らかね、やりやすいわ‥‥それで、これから元凶訪ねるの? さっきの少女達のように解決しようと動くのかしら」

「テキトウなだけよ? 解決はしないわ、それは人間のお仕事、あたしは笑い話が拾えればそれでいいのよ。雷鼓だけでも十分だけど、ついでだし期間限定の観光名所も見ていくわ」

 

「異変の中心地で物見遊山するの? 肝が据わっているのか馬鹿なのか、よくわからない狸さんね」

「馬鹿なのよ、化かすんだもの。観光案内はしてもらえるの?」

 

「リズム良く足並み揃えて案内したいところだけど後の為の準備があるし、また後でゆっくり話しましょう」

「何を成すのか知らないけれど、先住として忠告しとくわ。あまり派手にやると怖いのが来て膜を破られてしまうわ、折角綺麗に成り果てたのだから…そうならないよう気をつけて」

 

 ペースを乱さない程度に頑張ると、らしい事を言って魔力の嵐に消えていく元和太鼓、生まれたてという割に妖怪らしく腹に一物抱えた手合。後の為と言っていたが何をやらかすつもりだろう、この城の何処かにいる反逆者のように大事を成すつもりかね。

 内容によっては言った手前もあるし少しくらいの手助けも辞さないが、正邪のようにひっくり返して在りようを破壊しようとするのなら‥‥その時は囃子方らしく最後に打って楽器として終わってもらおう。気に入った相手だから、そうならない様動くつもりではあるが。

 去る背を見送りしばし悩む、また一人になったところでどうしたもんかと。雷鼓はもう時期収まると言っていたしそれを待ってもいいのだが‥‥こっちも言った手前だし馬鹿面浮かべて物見遊山としますか、まだ城の主に会っていないしひっくり返そうとした主犯の最後も見てみたい。

 最後とはいっても死んじゃいないだろうし丸焦げにされている姿を笑ってやろう、他人の力を宛にして動いてシバかれどんな気分か問うてみよう‥‥あの二枚舌で何を言い返してくるのか楽しみだ。

 すっかり燃え尽きていた煙管の火種を落とそうと周囲を見るが何もない、そりゃあそうだ空中なのだ。仕方がないと右腕を叩き火種を落として新たな火種を込めながら、本来なら天辺になるはずの天守閣から飛び入った。

 

 中に入ると随分と薄暗い、ところどころに灯りは灯っているがそれでも暗くて、美しい内装が見えず少し勿体無いなと感じる。美しいものを誇るでもなく敢えて見にくいようにしているのも逆さにかけているのかね、それならば凝っていて洒落ている。

 途中畳に触れてみたり灯る灯りに触れてみたりしたが重力は逆さまではないようだ、落ちない畳の原理はわからないが灯る灯りは触れると逆さまの炎が台座を燃やしてしまった。

 触らなければ燃やさない炎、これも原理がわからない。

 

 中々に面白い観光地だがこう全部が全部逆さまでは少しばかり目に悪い、酔いはしないが感覚がブレてしまいそうだ。景色に沿って逆さになって飛べばいいのかと思いついたが実行する前にやめた、重力はそのままだから丸出しになると想像できた。

 それでも景色にズラされるのは気に入らず折衷案として景色と平行に飛ぶことにした、地上から見れば背中が下に見える飛び方で寝ながら飛んでいるように見えそうだが、今の景色からすれば傾いたくらいにしか捉えられず折衷案としてそれなりになった。

 少し進んだあたりで三度目の喫煙、酒に酔う機会が減ってから頻度が増えたなと感じるが健康面での事は気にせず煙を纏う。モヤモヤと漂う物を一瞥してから遠くに見える二人組に声をかけた、人間少女の案内を終えた見知らぬ妖怪少女二人。

 切ないような侘しい様な表情をしているそんな二人に声をかけた。

 

「顔つきも似ているけど、焦げっぷりがそっくりなお二人さん。空飛ぶ人間は何処かしら?」

「妖怪? 煙纏って煙管持って‥‥その見た目でここにいるってことはアンタは煙管の付喪神?」

 

 二割くらいは正解だと伝えて煙管を握り半分に折る、綺麗に折れた煙管を投げ捨てて付喪神ではないとアピールする。背中から見えるだろうデカデカとした縞尻尾が視界に入らないのかね。

 本体だと思っていた煙管を手放すと少し身構える姿勢になった似た二人、髪型や格好は違うが感じる妖気の波動は同じ種族、付喪神だと教えてくれる。折ったはずの煙管を纏う煙の中から再度取り出して、復活した本体を見つめる二人にまた話しかけた。

 

「煙管も本体に近いけどこれよりも煙の方が本体に近いわね、あたしは狸のつもりだけど」

「折って捨てたのに…わーお、綺麗に騙された」

 

「化け狸だもの、騙すでしょ? 正体聞かれたからそれらしく返したけれど、お気に召さなかった?」

「‥‥それで、狸が何もかもが逆さまなこの下克上の世界に何用?」

「そーよ、おとなしき者が力を得るここに狸が何しに来たの?」

 

「観光よ、ついでに天邪鬼を笑って城の主を眺めに」

「あぁそう、じゃあ早く行って。もうすぐ戻る私達に用事がないならさっさと行って」

「力を得たのに手ひどくやられて後は戻るのを待つのみ、狸の相手をするほど時間がないの」

 

「戻る? 戻るくらいどうってことないと思うけど、泣きそうな顔するくらい深刻かしら?」

「あんたらみたいに便利な体じゃないのよ、ここの魔力が尽きれば戻る。元々力なんてない唯の楽器だもの」

 

「雷鼓が言ってた消えるってやつね、遺言代わりに話してみなさいよ。あたしは囃子方アヤメ、見せた通りの妖怪さんよ」

 

 紫髪を後ろで二つ結びにした琵琶の方が姉の九十九弁々で、茶髪のショートカットが妹の九十九八ツ橋、妹の方は琴の付喪神らしい。付喪神の九十九姉妹だというが楽器が違うのに姉妹と呼べるのかね?あたしやマミ姐さんみたいなもんかね、ならいいかそこはどうでもいいさ。

 それで切ない表情の二人から少しだけ聞き出せた事、ここの力。打ち出の小槌で成り果てた付喪神はここの魔力が尽きて供給が止まれば元の姿に戻ってしまうそうだ、自ら成ったのではなく魔力の力頼りで成った為体も自我も維持できないらしい。

 期限付きの自由を不意に与えられて意思とは関係なく取り上げられる、形は違うがこの子らも異変の犠牲者って事かね。それなのに加害者扱いされ退治されるなんて可哀想に、あたしが境界の妖怪だったなら、その辺弄って成ったままでいられるようにしてあげてもいいがそれも出来ないし、どうしたもんかね?

 あぁ、雷鼓を真似ればいいのか。

 

「どうせ消えるなら最後に賭けてみたら? その呪縛から解き放たれた付喪神がその辺にいるはずよ、聞いてみたらいいんじゃない?」

「また騙してるんじゃないでしょうね?」

 

「また騙すために延命してみろと言ってるのよ、どうせ砕けるなら自分から当たって砕けた方が後腐れないわ。上手くいったら丸儲け、損はないと思うけど」

「‥‥何もせずにいるよりはマシね、感謝は成功したら言うわ」

「ちょっとー、姉さーん。もう、次会ったら騙されないから!」

 

 それぞれ捨て台詞っぽい遺言を残して入ってきた天守閣へと降りていく姉妹、二人の言う通り次があればいいがどうなるやら。

 上手くいったならまた騙してやろう、その時は煙管ではなく徳利でも割るかね?

 最近持ち歩いてないから戻せる保証が薄いか?

 まだ一本角の姉さんに飲ませてないしやめておくか。

 ドラムの付喪神が言った通り、随分と薄くなった魔力の嵐の中を降りていった、もう見えなくなった紫と茶の頭から視線を城の下部へと上げる。上げた際に揺れて小さく鳴った耳の鎖を指で更に鳴らして、もうすぐいたらいい天邪鬼の元へと向かうように飛んだ。




未だ渦中にありますが戦闘は人間任せだと断言します、ビアジョッキを投げ合う位なら書けそうですが。



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第九十五話 下国者、祭りの後

 輝く針のお城の地の底、いや条件としては天辺なのか?

 逆さまだから言い回しが妙なことになってしまい、なんとも言えない気分にされる。

 まぁそれはいいか、大した事ではない、変な事を考える暇があるのなら底で天辺な辺りにいるあの子でも辛かったほうが面白いだろう。輝く針らしさのない薄暗いその底でやたらと目立つ紅白の衣装、通年通して脇を晒して時期によっては見た目で冷える少女。普段は持たないお祓い棒を携えている今代の博麗の巫女、それの正面にはこれまた小さなお椀被り。

 事は終わった後らしく異変で見せる気迫は鳴りを潜めていて、いつもの気怠げな姿で佇む空飛ぶ不思議な巫女 博麗霊夢

 

 ここにいるのは巫女さんだけで一緒に来たはずの他の少女達はいなかった、終わった後は興味が薄れ何か別のことでもしようと動き出したのかね、片方は泥棒にもう片方はその撃退に忙しい彼女達だし、そうかもしれない。そういえば彼女達の持っていた妖物はどうなったかね?

 黒白の魔法使いは愛用の魔道具がおかしいと言っていたし、蒼白のメイド長はその気なく動かされて扱いに困ると言っていた妖物。どちらもそれなりに困っていたようで、持ち歩いてはいたが異変で使う事はなかったようだ。妖物から発射された魔力光だったならろくろ首は動けなくなっていただろうし、あの短剣で切られていたら狼女は丸刈りだろう‥‥狼女に限ってはそっちのほうが良かったかもしれない、毛の処理が楽になりそうで本人喜びそうだ。代わりにいい香りが薄れてしまうがそこは色香なりで代用できるだろう、狼らしく偶には取って食うなりしてそっちを漂わせればいい。

 

「異変の中心で顔見せて何も言わないなんて、ついでに退治されたい?」

「こんにちは霊夢ちゃん、今日も可愛いわね。御機嫌如何?」

 

「だからってわざとらしくするなら本当に退治するわよ?」

「お疲れ様、そのちっこいのが元凶かしら? 小人族とは聞いていたけど予想以上にちっこいのね」

 

「さっきまではもう少し大きかったけど、それより小人族って事誰から聞いたの?」

「友人の誰か、ヒントは暇している奴ね」

 

「ほとんどじゃない、まぁいいわ。何しに来たのよ?」

「観光ついでに元凶の顔見物と反逆者を嘲笑いに、もう一つ追加で解決した巫女さんを褒めに来たのよ」

 

 褒めて頭でも撫でくり回そうと手を伸ばすが、破魔の御札を割り入れられてそれは拒否されてしまう、やられたところで減るもんなんて髪の油くらいだろうに。健康的でつやつやと輝く黒髪、少しくらい減っても問題ないだろうに、つれない巫女さんだ。

 言葉だけで褒め称えて壁により掛かる異変の元凶を見やる、俯いているからか被っているお椀のせいで顔も見えなければ体もほとんど見えない姿。やられたてなら反撃もできまいと襟首摘んで手に乗せる、魔法の森の人形遣いが見たら気に入りそうなサイズだ。

 

「こんにちは元凶さん、無事退治されて気分はどう?」

「‥‥だーれ? 巫女に気が付かれ退治されて、更に屈辱を上塗りしてくる貴女は誰?」

 

「囃子方アヤメ、霧で煙な可愛い狸さん。出来ればお名前くらい教えてほしいわ、鉢かづき姫様?」

「違う人を出さないで、私は一寸法師の末裔よ」 

 

「立てた仮説を本人に肯定してもらえて光栄ね、ありがと鉢かづき姫様」

「だから‥‥少名針妙丸‥‥人違いだからやめて」

 

「スクナ‥‥ちっこいし神様だったりしたりもする?」

「そっちも人違い、なんなの貴女? 人の話を聞けない妖怪?」

 

 名前を教えたのに中々教えてくれなかったイケズな小人、異変の元凶らしく一端の誇りや挟持はあるようで間違いをきちんと訂正してくれる、形はちいさいが気概や器は大きそうな小さなお姫様だが‥‥しかしまぁ随分と弱々しいな、ぱっと見ではそれほど焦げてもいないし会話もそつなくこなしてくれるが、態度は弱々しく消え入りそうだ。

 霊夢にやられて凹むのはわかる、この巫女さんは色々と狡いもの。むしろやられてもこれくらいの傷で済んでいるのだから、異変を起こせるだけの力ある大物として小さな胸を張ってもいいはずだ、何に弱っているのかね?

 まぁいいか小人は一旦置いておこう、おかしいと感じる物を払う方が先だ。

 あたしの皮算用ではあの反逆者を嘲笑ってからこの元凶に会う予定だったのだが、すでに最後の締めまで終わっているというのに、嘲笑うための材料がここにはいないし道中にもいなかった。

 逃げたか、逃がしたか?

 前者はともかくとして、逃すなんてこの巫女らしくないが‥‥何か興味を持ったかね?

 いや、ないか、あたしでもなし。

 取り敢えず土産話を増やすか、些細な事でもあの暇人には新鮮だろう。

 

「霊夢、もう一人くらい異変の首謀者がいると思うんだけど逃したの?」

「逃げられたのよ、魔理沙と咲夜が追いかけて出て行ったけど…多分追いつけないわね」

 

「泣く妖怪がもっと泣く巫女さんらしくないわね、解決させる為の気概でもひっくり返された?」

「ひっくり返されたのは空間よ、さすがに慣れてないもの。小物の癖に結構やるわよ、あの天邪鬼」

 

「一泡吹かされてご立腹なんて可愛いわね」

「あんたで腹ごなししてもいいんだけど」

 

「あたしじゃ(もた)れるからやめたほうがいいわ、今はやる気もないし簡便してよ」

「今も、でしょうに。解決してスッキリしたのにモヤモヤするわ」

 

 そう言いながらも相手をしてくれる愛らしい楽園の巫女、あまり可愛がって怒らせては本当に退治されるしこのくらいにしておこう。あたしの掌で傷つき動かないこっちも気になるし。

 この姿は随分と愛くるしいが、後ろに転がる小槌を振るには少々頼りないサイズに思える、お伽話のように誰かに振らせるのかね。それなら振るのは共犯者である正邪だろうか?

 アレが秘宝を投げ捨てて逃げ出すわけがないだろうし、これはどういう状況なのかね?

 

「針妙丸、そう呼んでも? お姫様」

「なんでもいいわ、もうなんでもいい」

 

「体で名を表すなんてやられたてにしてはいいわね、粋だわ」

「何の事?」

 

「掌から逃げるでもなく神妙な面持ち、なんてね」

「なんとでも言ってくれて構わない、馬鹿にされるのは慣れてるし騙されるのもさっき慣れたから」

 

「あの二枚舌にやられたの? それはそれは、辛辣で気持よく抉ってくるものね」

「アヤメもやられたの?‥‥なのに気にしてないの?」

 

 まるっきり気にしていないわけではない、けれどあの程度では凹まないし騙しや化かしは常の事、仕掛けることが圧倒的に多いが仕掛けられることもある、前回は仕掛けてきたのがたまたまあの天邪鬼だっただけ。一々気にしていたら尻尾が禿げ上がっても足りないくらいに騙し騙されているから今更だ、とあたしは思えるがこの姫様は随分と堪えたようで、軽口言ってもノッてこず小馬鹿にしても反応が薄い。これはあまりいい状態とはいえない、ただでさえ忘れ去られていた小人族なのだ、このまま心を病んでしまっては消えてしまってもおかしくない、関わりない相手だし放っておいてもいいが‥‥なんかするかね?

 名で呼んでくれたお礼代わりに。

 

「体に似合うよう気も小さいのかしら?」

「代償を払っているの、知らなかった代償だけど」

 

「派手にやらかしたもの、対価もそれなりにあるわけね」

「正邪の口車に乗らなければこうは‥‥なったわね、私も正邪も知らなかった代償だもん」

 

「互いに知らず使ってしまい、貴女は縮み正邪は逃げた。随分な差があるわね」

「‥‥そうね、でも逃げ出す前に悪いと言ったのよ? あの正邪が一言謝ったの」

 

「あれが口で言っても真逆でしょ? ならバカにされたんじゃないの?」

「そうかもしれない‥‥けど」

 

「歯切れが悪いわね、そう思いたいなら思ってればいいじゃない。考え方なんてそれぞれよ?」

「そんな事言われても……」

 

 軽くつつく程度では態度を改めてくれないか、ご先祖様は相手を突っついて退治したぐらいだしそういった耐性でもあるのかね。しかしどうしたものやら、大して知りもしない彼女に何をどこまで言えば程々になるのか。

 言いすぎても終わりを早めるだけだろうし、放っておいても終わるだけ、手も出せなけりゃ口も出せない微妙な感覚、機微に目敏いつもりだったがいざとなるとあたしも大した事がないな。

 掌で弱る小さなお姫様、目線の高さまで上げて愛らしい姿を眺めていると黙っていた巫女に取り上げられた。

 

「見世物じゃないんだから、そろそろ降ろしてあげなさいよ」

「愛でていただけよ? それに降ろしても動かないから消えるだけだわ」

 

「動けるのに動かないのが悪い、なにもしないで消えるのなら消えればいいのよ」

「退治しておいてまた随分と手厳しい」

 

「退治されるような事するのが悪い、気に入らないならまた何かしたらいいのよ」

「その時も当然退治するのよね?」

 

 それが何かと顔に書く八百万の代弁者、いつでもどこでも変わらない。相手が何であろうと変わらない物言いが可笑しくてクスクスと笑っているととお祓い棒で小突かれる、異変で使わなかったくせにあたしには使うのか。

 軽くコツンでも巫女の物、触れたところが熱くて痛い。涙目になりながら禿げたりしてないよなと両手で弄るが取り敢えずツルリとした感触はなくてホッとした、それでも気になり二人を放って弄っていると耳に手が当たり鎖が鳴る、それを切っ掛けにするように笑い出した者がいた。

 

「フフッ面白くない、こいつの言い草も面白くないけどこんな姿にしてくれた正邪も面白くない!」

「気に入らないならどうすんのよ、座ったままじゃ何も変わらないわ」

 

「言われなくても動くわよ、まずは傷を治してそれから体も戻さないと」

「そのサイズでいいじゃない、可愛いわよ? 手乗り姫様」

「チャチャいれない、アンタは黙ってなさい‥‥なら戻るまで家にいるといいわ、小さいの」

 

 ちょろっと口を挟んだらピシャリと窘められてしまった、真面目な空気に耐え切れずつまらないチャチャを入れたのがまずかったか。余計なことをするなという冷ややかな巫女の視線が刺々しくてちと痛い。懲りずに追加で何か言ってもいいがこの視線で目覚めてしまうのも困るし、今日のところはこれくらいにしておこう。しばらくは神社に行けばどちらもからかえるのだから、後は神社で楽しもう。

 巫女の手に乗り出口を見やる一寸法師、こっちも自分で動いちゃいないがあれなら大丈夫だろう、下ではなく前を見ている、後は進めば事もなしだ。僅かに頷いていると少し浮いてこちらを振り返る巫女、あたしはこのまま見送るつもりだが、まだ何かあるかね?

 

「一緒に行かないの? こんなところ、まだ何かある?」

「廃墟巡りも楽しいものよ? 飽きたら神社に顔出すわ、どうせ宴会するんでしょ?」

 

「さっさと来なさいよ、咲夜一人じゃツマミが足らなくなるわ」

「善処するわ、気をつけてね」

 

 何に? という顔をしてくれる巫女に色々と、とだけ告げて振り返る。少しだけ訝しげな顔をしていたから気がつかれたかと思ったが、能力使って気を逸らしておいて正解だった、それでも小さく気がつくなんて勘にしちゃあひどすぎる勘だ。

 そうは思わないか天邪鬼?

 あたし一人になったのだし出てきてくれるといいのだが‥‥探してもいいが少し手荒になりそうでそうはしたくない、少しばかり気に入らない事があってちょっとお説教したい気分なのだ、早く出てこい天邪鬼。外を探していないのだから、逃げたフリして居るんだろう?

 周囲を探す素振りもせず煙管咥えて腕組みするだけ、しばらくそうしていると背後でガラっと音がした。

 

「何故バレた?」

「あたしならそうしないから、それを返してカマかけたのよ」

 

「狸の癖に素直に逃げるのか、狐七化け狸八化けなんて言葉だけか。化かさずに逃げるなんて、矜持はないのか古狸?」

「煽りのつもり? 馬鹿じゃないの? 尻尾生やしてるのよ? ヤバけりゃ巻いて逃げるのが一番。つまらない矜持で狩られちゃソレこそ廃るわね、今の正邪みたいに」

 

「ハン、尻尾を巻いて逃げ出して誰かに慰めてもらうのか、相手は誰だ? 八雲か? 式か? 誰でもいいが無様だな! 強者の癖に無様で笑える!」

「甘えられる相手がいないなんて可愛そうね、いつも一人常に一人、理解者なんて誰もいない。常に孤独な天邪鬼、孤独にも反逆して輪に混ざれば楽なのに。宿す力と同じ、小さな矜持が邪魔をしてそれも出来ない矮小な小者」

 

「あぁそうさ、味方なんて誰もいない。理解者なんて何処にもいない、逆襲の天邪鬼。それが私だ、鬼人正邪だ! つまらないものの為に矜持を捨てるつもりはない!」

「言う事は格好いいわね天邪鬼、それなら何故詫びたの? 利用するだけ利用して切り捨てるつもりだったんでしょう?それなら好都合じゃない、何を謝る事があるの? 何に対して謝ったの?」

 

 言うだけ言ってから大きく煙管を吸って火種が赤々と灯る、薄暗い輝針城内では随分と目立つ灯り。正邪はあたしの背後から動かず背中越しで会話をしている、あっちはあたしの背を見ているのだろうがあたしは正邪を見つめない。ひっくり返して考えればこの姿勢が対面していると言えるだろう、向こうから視界に入ってくるなら気にしないが、今のあたしは正邪に対してこうして話すと決めたのだ、あたしからは曲げない。

 しかしそんなに手酷くやられたのかね、矜持は捨てないと大見得切ってくれたのはいいがその前が本当に格好悪い。味方が欲しい、理解者が欲しいと随分と女々しい物言いだ。勢いだけで話すなんてらしくないぞ天邪鬼。

 

「私が姫に謝るだと? 天邪鬼らしく悪いと言ったんだぞ? どういう意味かわかるだろ? それもわからんバカだったか? あぁそうだな、口を滑らせて巫女に一撃もらうくらいだもんなぁ」

「正邪が言葉にのせた意味、そんなものはどうでもいいのよ。受け手が感じた事が全て、皮肉だろうが嫌味だろうが伝わらなければ意味がない、ソレもわからないバカは誰?」

 

「詭弁を言ってなんだってんだ、例え姫がそう感じても言った私はそれで全てだ。騙しや化かしじゃ勝てないと思っていたが、この程度か古狸? 誘わなくて正解だった、お前は使えない唯の狸だ!」

「貴女程度で扱えるほど軟でも簡単でもないわ、勝ち負け程度に拘って見る目がないわね天邪鬼。勝敗がそれほど大事なコトかしら? 勝とうが負けようが面白ければなんでもいいのよ」

 

「それが強者の考え方だって言ってるんだ、私達は負ければ終わり。後は無様に這いつくばるか滑稽に死んでサヨナラだ、負けてもそうはならないお前に私の気持ちはわからない!」

「負けた割には元気に話しているのは誰? 無様に負けて這いつくばって逃げられもせず隠れてバレて、鬱憤晴らしに人を使って‥‥貯まってしまった鬱憤程度も己一人で発散出来ない、そんな小者が誰もいらない必要ないなんて言うのは、滑稽ね」

 

「……黙れ! 這いつくばる者の何がわかる! 常に笑って傍観して負けた奴を無様だと笑ってくれて! そんなお前に何がわかる! 知りもしないのに嘲笑うな!」

「本心吐くまで長いわね、散々人の事罵ってくれて饒舌で妬ましい‥‥けどまぁいいわ、少し訂正してあげる。これでも結構負けてるし無様に焦げたり死にかけたり色々してるのよ?」

 

 へべれけ子鬼に追いかけられて死にかけ異変に巻き込まれて焼死しかけて、恐ろしい実験に使われ死にかけ外の世界で消えかけて。よく生きてるなと自分でも思う、思い出しただけでも結構辛い。

 特に実験、他は自滅や殺し合いだから気にすることはそうないが、理不尽な実験だけは未だ許せず根に持っている。ちょっと思い出しただけであの神様に見せた信仰心に近いものが消えていくと自分でもはっきり感じる、がいいか祟り神様一筋に戻るだけだ、問題ない。

 それよりこのクソ生意気な天邪鬼、知りもしないのに嘲笑うなと言い切ってくれたがそれを知るあたしなら嘲笑ってもいいって事だな、ひっくり返して言っているんだ。笑い飛ばして欲しいんだろう?ならば期待に応えよう。

 

「言うだけ言って静かになってなんだ? 次は何で笑ってくれる? ほらさっきみたいに笑えよ、滑稽なんだろう? 矮小な小者が這いつくばる姿が惨めで笑えるんだろう? 笑えよ!」

「惨めね、笑えないわ。滑稽で矮小な小者、やりたい事も一人では成せず他者の力を利用しても成せず。それも失敗して今は唯の狸相手に八つ当たり、本当に惨めで笑えない…つまらない」

 

「笑うだけ笑って一人で呆れて強者様は勝手が出来ていいな! こっちは生き延びようと使えない小者をたらし込んで‥‥姫も謀り毎日必死だったってのに! 一人で耐えて生き抜いてやっと掴みかけたのに! あの巫女のせいで全部おジャンだ!」

「負けたのも誰かのせい、失敗したのも誰かのせい。全部が全部他人任せ、貴女は何をしていたの?小者の癖に高笑い?似合いもしないのに?そう出来る器もない癖に、呆れも無様もないじゃない。只々哀れなだけ、小悪党にもなれやしない」

 

「煩い! 煩いんだよ! 言われなくたってわかってる! 一人で出来る力がないから利用して上手く使ってやったのに! なんでこうなった!? どうしてこうなった!?」

「言ったでしょう? 見る目がないって。暴れ慣れない輩や目覚めたての付喪神くらいでどうにかなるほど軟じゃなかった、それだけの事でしょうに。何をそんなに傷つくの? 貴女は笑っていただけでしょう? 誰かのように、高い所から」

 

「お前とは違う! 最初からそう在って常に笑っているお前なんかと一緒にするな!」

「そうね、一緒ではないわ。あたしなら謝らないもの、利用して捨てたらそれまでよ‥‥悪は悪らしく、中途半端に謝って成りきれないなら、最初から他者を利用すべきではないのよ」

 

 何を言っても折れる事はないだろう、そういう妖怪なのだから。それなら捻ればそれでいい、好きにひっくり返してくれても構わない。やれるならやって見せてほしい、捻れを返しても逆にねじれるだけと気がつくだけだ。

 捻れて締めて気がつけばそれでいいが気がつかなければ締めきって終わり、自らを反逆者だと言うのだからこれにも反逆してくれるのだろうか?

 出来れば返してほしい、ここまで悪態を吐き合える者もそういない。

 

 ガラガラと周囲で音が鳴る、魔力が尽きて落ちているのか?

 それならそろそろ潮時か、出来ればもう少し遊んでいたいのだが。そんな思いをかき消すように小さく揺れて音を立てる輝針城。揺れが小さくなったり大きくなったりと少しずつ不安定になっていく、揺れに合わせて崩れていく壁や床。逆さまでも崩壊する順番は変わらず地面の部分から崩れていく、天井である地面が抜け落ちて少し光が差した。

 光が指すと人影が伸びる、こうなってもまだ居るらしい。あたしの他に伸びる影がもう一つ、頭に小さな角を生やした鬼に成りきれないかわいそうな天邪鬼。逃げずに居るならもう少し付き合うか。

 

 

「返答はないの鬼人正邪、悪いと謝ったわけではないんでしょう? それならその意味を教えてくれるとうれしいのだけれど」

「言わなくともわかるだろう! いい気味だと、無様だと嘲笑っただけだ。私を信じて力を使い、私に代わって代償を払った姫を‥‥笑っただけだよ」

 

「誰かのように?」

「そう、高みから笑い余裕を見せて動かない。何があっても揺らがず曲がらない、唯笑うだけのお前のように姫を笑っただけ」

 

「一緒にしないで、人を落とし所に使わないでほしいわ」

「なんなんだよ、嘲笑いに来たくせに笑わず説教してくれて。何がしたいんだよ…」

 

「そうね、訂正するわ。元を正せば観光に来たのよね、失敗して全部崩れて後がない珍しい小者を見物しに来たのよ」

「余計に質が悪い、調子も狂うし疲れるし。お前‥‥面倒くさいよ」

 

 程々に遊んで程々に見たしもういいか、お決まりのセリフも頂けてとりあえず満足。面倒くさいと言われて満足するなんて自虐的なモノにでも目覚めたかね、もしそうなら少し面倒で困るな。

 まあいいか考えこむのも面倒くさいし、落としきれず中途半端なのが癪だがこのまま続けても落ちないだろう。魔力の嵐も感じなくなったし、本格的に潮時だろう。引き際良くしておかないと逃げられる物も逃げられなくなる。 

 

「よく言われるわ、とりあえず逃げたら? ここもなくなるんでしょう?それに長居すると家賃請求しに大家が来るわ」

「また見逃すのか、今度こそ八雲に愛想つかされるぞ? それでいいのか?」

 

「もうフラれたしどうでもいいわ、それにその気ならもう捕まえてるわよ?その気にならないうちに逃げなさい」

「フラれたならそれこそ突き出せばいいだろ?」

 

「見に来ただけだと言ったでしょう? 捕まえに来てはいない、自分から捕まる天邪鬼なんてらしくなくて、笑えないわね」

「もういいよ、好きにしてろ。付き合いきれんからもう行く」

 

 ガラっと瓦礫の動く音がして背後の誰かが飛び去ったと教えてくれる。

 あたし以外誰もいなくなった異変の本拠地輝針城。

 いつかのようにまた見られているかとも思ったが、声をかけることはなかった。

 正邪にも言われたがフラれたんだったなと、二度も逃してはさすがに呆れてくれたかね?

 それなら面倒事も減るし胡散臭い笑みを見ることもなくなるが、それはそれでつまらないような切ないような。柄にもなく恩返しなんて考えたのがマズかったのか?

 いやそうじゃあないな、恩返しなんて言いながら幻想郷をひっくり返そうとした反逆者を逃しているんだ、フラれもするし呆られもするか、胡散臭くて嫌いだと散々言ったが、見なきゃ見ないで寂しいものだあのスキマ‥‥けれどもう遅いか、すでに逃した後なワケだし、ここで考え続けても始まらないし終わるだけだ。

 再度ガラッと音を立てて崩れていく逆さ城、空いた天井へとゆるく飛び観光名所を後にする。さっきまでいた場所も崩落し見えなくなった、崩れて小さくなっていく輝く針の城。築くのは大変だが崩れるのは一瞬か、よくわからない何かと比べるように崩壊していく城を見ていた。




裸足で手乗りサイズの針妙丸可愛い、リリパットなんて二つ名も付いてましたがそのうちコロポックル扱いもされそうですね。



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第九十六話 祭りの後の打ち上げ準備

 先に逃げ出した天邪鬼はすでにおらず、何処かへと逃げ去った後らしい、もしかしたら捕まえにくるかもと踏んだここの大家も、結局姿を見せることはなかった。始まる前の我が家には来て終わった後の今は来ない、完全にフラれたなと少しだけモヤモヤしたが、早く来いと巫女に脅されたのを思い出して足遅に神社へと向かい動き出した。 

 

 何かが崩れる音を背に聞きながらだらだらと妖怪神社へ向かい飛んでいく、雷様っぽいあいつが言った『後の為に』があったから巫女に気をつけてなんて言ってみたが、終わってすぐでは準備しきれずまだ早いらしい。

 準備を終えて雷鼓がやらかしているなら轟くだろう重低音、そんな小気味よい音は聞こえず慣れ親しんだ静かな幻想郷の空。

 そういえばあの姉妹はどうなったのだろうか?

 雷鼓のように賭けに勝ち、どうにかなったら礼を言うなんて遺言を残していったが、言いに来ないって事は失敗したのかもしれない。

 それはそれは残念だ、どうぞ心安らかに。

 

 ふらふらと吹く風に流されない程度の速度で飛んでいくと、遠くに見えてきた寂れた神社。

 この距離ではさすがに誰がいるのか確認できないが、少なくともあの少女三人組とちびっ娘はいるのだろうし、場合によっては狼女やろくろ首辺りもいるかもしれない。異変の関係者なら呼ばれることが多いが彼女達のような被害者も呼ばれるのかね、呼ばれても付き合いの悪い赤頭と、怖いわー人間怖いわーと常日頃から言っている狼女じゃ参加したりはしないだろう。

 人が少ないならそれはそれでいい、すでに居るだろう出来るメイドに全て任せてあたしは上げ膳据え膳と洒落込める。同じく居るだろう子鬼に絡んで顎で使われる前に酔ってしまえば何も言ってこないはずだ。それでも無理を押し通してくるのがあの紅白だが、そうなったら買い出しだとでも言って抜け出せばいい、そのまま戻らず竹林の姫様の所へ行ってもいいし、人里で小娘二人をからかってもいいと考えていた。

 

 邪な考えをお天道様に読まれたのか、少しずつ天気が悪くなる。今は梅雨が終わったばかりで夏ですよ~と知らせてくれる者のいない季節、お天気の安定しない季節の割に晴れ間が続いていたのは、この空模様もアレにひっくり返されていたのかもしれない、それなら結構やるじゃないかと変なところで見直した。余計な事を考えていると少しずつ灰色の雲が広がり、まもなくポツポツと降りだした。

 飛ぶ速度を上げてはみたが当然間に合うはずもなく、神社を遠くに眺めたまま全身ずぶ濡れの濡れ姿。ここまで濡れたならもういいやと飛ぶ速度を緩めて、頬に当たる雨粒の衝撃を和らげた。

 能力使って雨粒逸らせば濡れることなんてなかったが、季節や天気は授かり物だ。出来る限りそれらしく享受したいし、埃っぽいあの城から出てきたのだから纏わりついたソレを流すには丁度いいと思い能力使わず素直に濡れた。

 いつもの着物なら神社の社務所に入る前に濡れる前の姿に戻せるが、今の洋装ではどうかね?

 そこそこの人数にこの姿を見せたし、それなりに褒められもした。その辺りからこっちの格好もあたしだと定着してくれていれば、濡れネズミになる前に戻せるはずだが。社務所に上がる前に試してみるか、上手くいったら儲けモノ。ダメならダメで脱ぐだけだ、寂れた神社でもタオルくらいはあるだろうし、無頓着な巫女でもそれくらい貸してくれるだろう。

 水も滴るどころか絞れるくらいの、非常にいい女になって妖怪神社に降り立つと、ちゃぶ台で座りお茶を啜る巫女と黒白の魔法使いに指を刺されてお小言を言われた。

 

「引き際を間違えるからそうなるのさ」

「上る前に拭くなり脱ぐなりしてよね」

 

「引き際は誤るものよ、違えるのは道ね、魔理沙。脱いでもいいけどその後がないのに脱ぐのもねぇ」

 

「口の減らないエロ狸はそのまま頭冷やしている方がいいな」

「なんでもいいけど上る前にどうにかして、畳が傷むわ」

 

 指先や髪先から水を垂らしたまま縁側に上がり小さな軒先の下で運試し、びしょ濡れの右腕同じくシャツの張り付く左腕を撫でてみると程々に乾いた。思った以上に浸透していたようだ、この格好。そのまま全身を程々に乾かして、服のように乾かせない頭を振って水気を飛ばす。飛沫が飛んだのか嫌な顔をしながらこっちにタオルを放ってくれる巫女、予想した通りコレくらいは貸してくれるようだ。

 

「洗濯いらずで便利なもんね、着物も一着しか見ない理由がわかったわ」

「陰干しくらいはしてるのよ? 戻せるけれど着るのに気持ち悪いし、それに濡れるのは苦手なのよ」

「溺れて運ばれるくらいだもんな、狸がカナヅチだったとは知らなかったぜ」

 

「狸は泳ぎも木登り得意な方よ、狸よりも別の方で苦手なのよね」

「どうでもいいわよ、乾いたならあっち手伝ってきたら?」

 

「妖怪使いの荒い巫女さんは怖いわね、そういえばちっこいのは?」

 

 濡れた頭を毛羽立つタオルで拭いていると時折耳のカフスに引っ掛かる、その度にタオルと頭を引き剥がしながら水気を取っていく。あらかた吹いてそのまま首にタオルをかけて、促された指の先へと視線を移した。そっちといって指される人指し指の先にあるのは、打ち出の小槌が紐でくくられた籠。側面に小さな取っ手の付いた網籠が見える。寂れた神社のくせにお誂え向きな物があるもんだと不思議がっていると、黒白が自慢気に話してくれた。

 溜め込んだガラクタ、もとい集めに集めた収集品の中にあった虫籠に人形遊び用の家具を突っ込んだものらしい。ヘヘッと鼻と鳴らす人間の魔法使い、お人形さんなんて可愛らしい趣味だと笑うと、実家を守ったついでに蔵から持ち出した昔の物だそうだ。人形なんていうからあっちの魔法使い関係かと思ったが、思うほど仲がいいわけではなくて地底の異変の時は利害が一致して協力していただけらしい。妬ましいのが来るなんて言っていたが利害関係でも妬ましいなんて、あの橋姫はやはり強欲で妬ましい。

 小槌を突付いてみようと手を延ばすと寝てるから放っておけと少女二人に窘められた、使って尽きた魔力を回収している小槌。それと同じように眠って体力を回収しているそうだ、それならそのうち起きている時にまた遊ぼう。寝起から謀られるのは気分も悪かろう。

 

 さっさとあっちに行けと追いやるように手であたしを払う二人。どこの少女も仲がいいと仕草が似るものだと、おめでたいのとおめでたくない色の二人を鼻で笑って台所に向かう。小バカにされたと理解した黒白が片足立ちになるが巫女に構うなと止められた。

 構ってくれたほうが台所仕事をせずに済む為是非ともそうして欲しかったが、止められて立てた足を戻してしまう普通の人間の魔法使い。こちらを見もせずに意図を潰してくる楽園の巫女、中々手厳しくてたまらない少女。

 戸のない社務所と台所を区切るように掛けられた小さなレースの暖簾を潜り、慣れた手つきで何かを裁く瀟洒な従者の横に立つと、手を止めて鍋にかかったお玉を手に取り小さな皿に汁を移した。薄く湯気立つ小さな皿が手渡されて何も気にせず口にする、鳥の出汁が利いた少し薄めの味付け。熟れた葡萄の風味がよく、鼻を抜けて舌で広がるモノを味わい、小さく頷くと皿を取り上げられて手際よく洗ってくれた。相方がこれなら随分と楽できそうだ。

 

「追いやられて来てみたけれど、やる事ないわね」

「来るのが遅いのですわ、濡れネズミになる前に来れば色々して頂いたのですが」

 

「ならいいタイミングだったのね、楽できてありがたい」

「まだ楽とは言い切れません、食器くらい出して下さい。何人来るかわかりませんがあるだけ出せば足りるでしょう」

 

 促されて背後の食器棚を見る、土産物屋でよくありそうな青い焼き物の和皿や大きな盛皿に始まり、この神社にそぐわない綺麗な塗りのソーサー等の洋食器まで並ぶという、纏まりというものが感じられない食器棚。味見した感じから洋食器のほうが似合いそうだがそれっぽい物が見当たらず、テキトウに食器を出して洗い場に置いて軽く流す、棚に仕舞われているから汚れる事はないのだろうが、自炊をほとんどしない巫女の持つ食器なのだ、これらがいつからあのままなのかわからず気になり洗い直した。

 水で濯いで拭き取って一枚ずつ重ねていくと、重ねるそばから取られていく食器達。

 つまらないことだが需要に対して供給量を上げるように手早く洗っていくと、小さく笑いながら需要側の少女が口を開いた。

 

「小さなところでムキになりますね、あるから使っているだけで急かしてはおりませんが?」

「何事も楽しむ、需要に勝る楽しみに食器を選ぶ楽しみ。別になんでもいいんだけどね」

 

「楽しい異変には関わらないくせに、ちまちまとした事がお好みのようで」

「楽しいと面倒くさい、天秤に掛けたら面倒が勝つ。わかりやすいでしょ?」

 

「手間を楽しむ事はなさらないんですね、そうした方が面白い事も多いように思いますが」

「目先の事で十分なのよ、あたしは小者だもの」

 

「それこそなんでもいいですね、おかげで私は楽できるわけですし」

「そうよ、細かいこと気にすると老けこむわ。老い先短いのだから好きにしたらいいのよ」

 

 長いアヤメ様に言われても説得力がありませんわと鼻で笑われる、なんでもない仕草だがそれが社務所で寛ぐだけの二人に比べて随分と大人びているように見えるのは、仕える先が化け物だからだろうか。

 見た目は兎も角として年齢だけは少し重ねているこの子の主や妹達、毎日それらの面倒を見ていれば同年代の少女よりもいくらか先を歩くようになるのかもしれない。だからこそソレらに見合うように瀟洒であろうとするのかね、破れない約束を守って人間で居続ける悪魔の館のメイド長。

 この子もこの子で面白い生き方だと感心しながら手を動かす、取り出した食器を洗い終えて手を拭いている時に再度小皿を手渡される、先ほどと同じ様な鳥の香りと別のモノが混じる匂い。口にせずともわかるが含み味わう、小さく首を傾げるとやっぱりと微笑まれた。

 

「咲夜の主じゃないんだから、混ぜなくても大丈夫よ?」

「人喰いだと最近知りましたので、こちらのほうが好みかと思ったのですが要らぬお世話でしたね。人を喰うと言ってもアヤメ様は表現で言う方のが似合いますし」

 

「無駄にするのも悪いしそれでいいわよ、あっちの二人には出せないし。嫌いというわけでもないし」

「それではこのままに、聞いてから混ぜれば良かったですね。私とした事が‥‥慣れは怖いと知りました」

 

 そういう咲夜の手元を見ると小指の先がほんの少し赤い、けれど傷があるように見えるだけで血は止まっている小さな傷。時間でも止めて傷つけたのか、そこまで気にしなくていいのだが。

 いらぬ気遣いとはいえ元々はあたしが話したあの妖怪図鑑が原因か、それならそれらしく有りがたくありつこう。雨降りで来れないだろう主に代わり美味しく戴くのも悪くないと思えた。

 最近増えてきたという朱鷺を赤ワインで煮た料理。血が混ざっても色ではわからないし彼女は気に入った少ない人間の一人で、あれほど異変で暴れる少女。そんな相手の血にありつく機会もないしそれも悪くはないと気にせずに、血の混じっている器だけを別にして他の器を持ち社務所に運ぶ。

 遅いやら文句を言ってくる二人は無視して何度か往復をし、味見した以外のすでに出来上がっていた料理も合わせて運んだ。あの飲兵衛がいれば運ばせるのだが今日もいない、何処をほっつき歩いているのやら。まぁいいかおかげで尻尾の安全が確保されたわけだし。

 少し気合でも入れたのか結構な品数を作ったようでいつものちゃぶ台では並べきれず、襖を取り外して隣の寝室も開け放ち、長机をちゃぶ台にくっつけて色々と並べた。

 見た目も美しく匂いも食欲のそそる料理達、和食中華の次はコレを習ってもいいかもしれない。

 

 後は呼びつけた輩や勝手に来る輩が揃えばいつもの宴会だが、今日は誰が来るのやら。

 雨が降っていても気にせずに、開け放たれている社務所から縁側の先を見つめていると、階段を登ってきた最近増えて減らされた赤い頭と、すっかりいつも通りになった毛皮を纏う犬耳が傘を指している姿が一瞬見えた。

 異変で見かけた人数にしては数人足りないが、わざわざそこまで迎えに行く気はないし、半分魚で陸地は微妙だと思える輩もいる、来ない者は知らんと濡れるのも気にせずに、雨の中階段で立ち止まっている誰かを迎えに、傘も差さずに庭先に出た。

 

 



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第九十七話 始原のビート・イット

 それなりの大事だった幻想郷をひっくり返そうとした異変、それからしばらく経った今ではすっかり話題に上ることもなくなった。異変に慣れていて飽きっぽく忘れやすい幻想郷の住人らしいなとちょっとだけ面白い。そう言う自分もほとんど忘れていたようで、今のように草っぱらに四肢を投げ出して大の字になり、お空に浮かぶ逆さのお城を見るまで気にしていなかった。

 

 雷鼓の話を軸にして考えるなら、全て崩れてなくなるのかなとあのお城の崩壊中には考えていたが、ある程度時が過ぎた今も変わらず逆さで漂うお城。崩れたのは天辺側の地面部分だけで、建屋自体は綺麗に残っているように見えた。

 寝そべりながら見上げる視点、そんな逆さまな視点で見るとまともな姿に見えるお城、騒ぎが過ぎた今では特に興味を惹く物件ではなくなったため、今のように偶に見上げて視界に入れる程度になっている。今になってみれば旬の内に観光できてよかったと思える。

 

 話ついでにあの異変でやらかしてしまった者達だが、出会った順に話そうか。

 最初はあたしを溺れさせてくれた人魚のお姫様であるわかさぎ姫、赤いお屋敷にお礼を言おうと向かった際についでに顔を出してみれば、案の定謝られて怯えられてしまった。

 死んでないから大丈夫と伝えると、それでも申し訳なかったと言ってくる彼女。引く姿勢も見えなかったのでしょうがないから代案として霧の湖の噂について教えて貰った、やはり巨大魚はいないらしい。あの噂は釣り人を釣り出す為のでっち上げだと住んでる者のお墨付きを頂けた。

 

 二番手は隠れて暮らしている場所ではっちゃけた柳の下のろくろ首、赤蛮奇。

 人里で暴れたせいでもういられないと言っていたが我儘通してどうにかなった、我儘通したあたしはともかくとして、満月ではない今日はもう大人しいあの人里の守護者に感謝はしているらしい。来るとは思わなかった宴会にも顔を出して、紅白の方にも里にいてもいいのか聞いたみたいだが、どうでもいいわと一蹴されていた。始まったばかりで酒もほとんど入っていない状態の巫女に聞けばそうあしらわれるとわかっていたが、シラフでどうでもいいと言われたのだから、言葉通り居ようが居まいがどうでもいいのだろう。

 気まぐれでも紅白の言ったいいとの言葉に肩を撫で下ろしていたが、素直に安心しないほうがいいと少しだけ助言しておいた。気まぐれで言われたのだから気まぐれで退治されるかもしれないとからかってみると、嫌な顔をされた。

 あたしとしてはちゃんとした助言のつもりだったのだが。

 

 次は今泉くん、竹林で瀟洒な従者にシバかれて永遠亭に置いてきた竹林のルーガルー今泉影狼。異変の時はほとんど話せなかったから、あの場で何があったのか聞きたかったが詳しく話してくれることはなかった、聞き出している時に咲夜の言った一言の『ガンス』で余計に口を閉ざしてしまった。そんなに物真似されるのが嫌だったのだろうか。同じく『ガンス』と突付いても良かったが、咲夜の隣からあたしの隣に座り直して良い香りが嗅げたから良しとした。

 永遠亭を出た後の事は知らなかったので、あの後に治療を受けたのか聞いたら打撲用のシップを貰っただけだそうだ。

 貼っているらしい足の方を嗅いでみれば、確かにそっちはシップ臭かった。

 

 こんなところだろうか、異変で知り合った他の者の話もあるがそっちは割愛しようと思う。

 ちっこい姫は寝ていたし付喪神連中は姿を見ていない、当然逃げ出した天邪鬼についてもわからないままだから話すことがない。

 それにそろそろ動かないと、いつまでも寝転んで休憩しているとこのまま寝てしまいそうだ。暦の上ではまだまだ夏だが空気自体は乾いてきて随分と過ごしやすくなった、調子にノッて寝こけてしまい風邪でも引いて鼻を垂らすのも格好悪い。

 夏とも秋とも言えない今の季節、そんな過ごしやすさのある空気の中で風にそよぐ野草の音を聞いて一人静かにだらけていると、視界に映る逆さの城から出てくる小さな点が見受けられた。

 しばらくぼんやり眺めていると点が棒になり人型になってこちら向かって降りてきた、青いお空の中で目立つ茶の短髪。黒のスカートから赤い糸を数本揺らしながらこちらへ向かってくる少女、どうやら一人は賭けに勝ったらしい。

 

「どっちがどっちか忘れたけど一人はうまくやったのね、良かったじゃない」

「姉さんも上手くいったわよ、その節はありがとう。助かったわ」

 

「それは何より、約束通り来るなんて妹は律儀なのね」

「姉さん達は準備の詰めで忙しいのよ、私は迎えに出されただけ~」

 

「達って事は雷鼓も一緒なのね、何? 演奏会でも開いてくれるの?」

「演奏するけど貴女はこっち側よ? ついでに聞くけどさ‥‥貴女、私の事覚えてないでしょ?」

 

「失礼ね、姉妹の妹の方でしょ? それよりこっち側ってどういう意味かしら?」

「そうじゃなくて名前! 八橋よ、九十九八橋!」

 

 ついさっき思い出したばかりだしさすがにそうそう忘れない、裸足で茶髪の方が妹でもう一人、姉の方は紫のショートカットだった気がする。姉の方は靴を履いていたような気がするがその辺は曖昧だ、一言二言会話したし覚えるには十分だったがすぐにいなくなった相手。正確な背格好までは中々思い出せなかった。あの時は今にも泣き出しそうな切ない表情だったから不憫に思い案を出したが、その後の沙汰はなく、あたしも気にしていなかった。

 それでもまぁいいか、こうして元気な姿を見せてくれたし姉も元気だというならなによりだ。取り敢えず話を進めてみようか、お礼を言うだけに来たわけではないだろうし。

 

「あたしは付喪神じゃないって言わなかった?」

「へ? 狸でしょ? なんなの急に~?」

 

「それくらいしか話してないし、こっち側ってどっち側かなって」

「あ~‥‥いいから来てよ、雷鼓が待ってる」

 

 そう言って先に城へと飛び立つ八橋、聞いたことに対して何も答えてくれないなんて別の意味でつれない付喪神だ。それにしてもこっち側って何の話だろうか、人妖って括りなら確かに一緒だが、煙管の付喪神ではないと教えたからまるっきり同じではないと知っているはずだ。

 迎えに来たと言っていたが何のための迎えなのか。礼代わりの演奏会というわけでもないらしいし、雷鼓に呼ばれる理由?後の為の準備がほぼほぼ終わったから、その後の手助けってやつに期待されたかね…とりあえず考察はいいか、行けば分かりそうだ。

 

~少女飛翔中~

 

 迎えに来てくれたお琴の後をついて逆さの城に入ってみたが、見た目には特に変わった気配がない、変わった事と言えばなくなったはずの魔力の嵐を再度感じるくらいか。打ち出の小槌はすでに魔力の回収期に入ったはずだしこれの原因はなんだろか。

 その辺のことも聞けば教えてもらえるのかね、興味が無いから別にいいか。再度感じる魔力の嵐に気を取られて足を止めていると先を飛んでいたはずの八橋の姿を見失う、迎えに来ただけで案内は別って事か?

 なんというかテキトウだな、おい。

 

 それでもいないものは仕方がないと真っ直ぐ中を飛び進む、逆さの床や襖を見つめて考えることはあの天邪鬼。今頃どこで何をしているのやら、あれだけの憎まれっ子だ、まだまだこの世にはばかるだろうし生きていればまた会うだろう。

 視界に映る逆さまを眺め逆さま大好きな奴の事を考えてちんたらと飛んで行くと、遠くに外の世界の太鼓妖怪を見つけた。魔力の嵐はあれから出てるらしい、重低音を響かせながら周囲に魔力を響かせるドラム。頼る側でなく振りまく側になるとは短い間でやるものだ。

 

「いい音ね、腹に響いて心地いいわ」

「来たわねアヤメさん、やっと準備が整ったのよ。後はやることをやるだけね」

 

「八橋は何も教えてくれなかったんだけど、何を手伝えばいいのかしら?」

「私達の演奏を聞きに来る客のお出迎え、客が誰かはわからないけど」

 

「察するに大事のようだけど、荒事なら勘弁してほしいわね」

「あら、手伝ってくれるんでしょう? 言葉を覆すなんて女が廃るわよ?」

 

「そっちで言ってくるなんて狡いわね、仕方がないし言った通りに少しだけ手伝うことにするわ。でもバレたくないしちょいと化けるわよ」

 

 言うだけ言って煙管を取り出す、火種を落として煙を纏う。纏う煙を変化させて自身の姿に重ね合わせる、全身キレイに煙に隠れて少しの時間が経った頃。ポフンと音を立てて綺麗に煙が掻き消えた、出てきた姿は見慣れない姿。

 黒のハットを目深に被り、ピタっとした細身の黒のジャケットに同じくぴっちりとした白のシャツ、下半身はタックの入った黒のパンツスタイル。靴だけは愛用のブーツそのままで少しだけ元の姿が残っているが、それはあたしが敢えて残した小さな遊び心。

 完全に化けて気がつかれないのは面白くない、どうせならなんでここにいるの? という三人娘の誰かの顔が見たい、そう思って残した部分だった。変えた姿に合わせて煙管もパイプへと化けさせてそれを咥えて一服すると、始終を見ていた白のタイトスカート妖怪が何か言ってきた。

 

「初めて見るけどそうやって化かすのね、髪色とか変わってないけどいいの?」

「どうせバレるだろうし、それならと思って雷鼓に合わせてそれらしくしただけよ?」

 

「バレたくないんじゃなかったの? 言ってることがおかしいわよ?」

「素でいると本気で退治されそうで、これくらいなら何やってんだと呆れられるくらいで終わるわ」

 

「誰かわからないって言ったつもりだけど、誰が来るかわかっている言い草ね」

「妖怪の起こす事だもの、それをとっちめに来るのは決まってるのよ。それで手助けだけど、やられない程度に足止めしたら逃げるからそのつもりでいて。気分が乗ればもう少しちょっかい出すわ」

 

「リズムには乗せるから良いところでノッてくれればなんでもいいわ、弾幕勝負って基本一対一なんじゃなかったの?」

「基本、よ? 九十九姉妹だって二人だし、三人一緒に出てくる別の音楽家もいるわよ」

 

 よくわからないけど任せるわと笑って言ってくれるドラム奏者、リズムはこっちで取るなんて言っているが何のことやら。しかし弾幕ごっこなんて地底以来か、前回はパルスィに化けてレーザー弾幕張ったけど今回はどうしよう?

 手伝いついでに雷鼓の弾幕に混ざってもいいが見たことないしスペルも見たことがないから、どんな風に混ざればいいか正直分からないのが本音。

 ちょっとした練習、はしなくともいいか…ぶっつけ本番で混ざるのも面白いだろう。

 

「それで、結局何をするの? 場合によっては今からでも断るつもりだけど」

「折角力と意思を持ったんだもの、道具だって自分の意思で楽しみたいじゃない」

 

「その意思を持って何を成すか、それが聞きたいのよ」

「楽園を築く、でもそれほど手広くなくていい。まずはこの城から道具の楽園にするのよ」

 

「なるほど、それならノッたわ…楽しい演奏会になるといいわね」

「なるんじゃないわ、するのよ…誰が来ても私のリズムに乗せてみせる。そういう力も授かったしね」

 

 自信満々といった表情でこちらを見やる堀川雷鼓、リズムに乗せるってのはそういう意味か。

 言うなれば『リズムに乗せる程度の能力』って感じだろうかね、戦闘向けって感じはしないがそういう能力を授かったのだし仕方がない。

 同じように戦闘向けでない能力だが酷い暴れん坊もこの幻想郷にはいるし…思い浮かぶのはあの可憐な笑顔。淑やかに微笑み日傘を回す幻想郷の力の一角、雷鼓がアレ程の力を宿しているのかは知らないがそんなのもいるし、能力だけが全てではないはずだ。

 まぁなんでもいいさ、他愛無い会話をしているうちに雷鼓の座るをバスドラムを中心に巻いている魔力の嵐も随分と濃くなった。これほど濃いなら城外にも漏れでているだろうしそれに気がつかない人間達ではない、なら盛大とは言わないが程々に出迎えよう。

 

~少女達歓待準備~

 

 雷鼓の響かせる重低音が遠くに聞こえる位置取りでとある少女と対峙する、変えた姿に消した尻尾と目深に被ったハットのおかげで初見バレはしなかったようだ。見慣れぬ相手を警戒する少女が見られて少し面白い。

 このまま睨み合いを続けていても足止めとしては十分だがそれはこの場にそぐわない、折角退治しに来てくれたのだからそれらしく退治されるのが異変における妖怪の立ち位置だろうし、真面目にやったところで弾幕ごっこでは勝てっこない、どうせ散るなら派手に散るように見せよう。

 煙管を化かしてパイプと成したそれを携えて、城内の空中で対峙する人間少女と少しの会話。紅白や黒白相手だったなら今頃始まっていそうだが、今目の前にいるのは敵対者として殺気を込めて睨んでくれるお屋敷の従者。逃げ出すことを考えるなら出来れば黒白が良かったが、おめでたい巫女に比べればマシか?そうでもないか、時間止められちゃあ逃げるも何もない。運の悪さは相変わらずと一人納得して出迎えるとしよう。

 

「ようやく来たわね、人間のメイドよ。打ち出の小槌の件はあたし達の耳にも届いているわ」

「あら、そうでしたか。この異常な魔力嵐の中では貴女も苦しいでしょう? ただの道具に戻して差し上げます」

 

「残念ね、読み違いよ? あたしは道具上がりじゃないわ」

「読み違い?」

 

「あたしにはここの魔力は必要ないわ、随分前からこうだもの」

「必要ない…付喪神ではないのですね」

 

「今はパイプの付喪神、誰かに使われる気は毛頭ないけど付喪神さんよ。頼まれてるし、出迎えてあげるわ」

 

~少女起動中~

 

 言葉言い切り妖気の塊を複数展開する、赤青黄と三色の妖気の塊を三つずつあたしを中心に円になるよう展開した、ぱっと見なら雷鼓のドラムっぽく見える塊からそれぞれの色と同じ色の弾幕を放つ。青の直進レーザーと赤の爆発機雷で追い込んで黄のへにょりレーザーで撃ちぬくのがあたしの狙い、だが真っ直ぐに進むレーザーも、目眩まし兼封鎖用の機雷も難なく見切られて躱される。

 最後に迫るへにょりレーザーも、対面している体を斜にするだけでなんなく避けてみせる紅い悪魔のメイド 十六夜咲夜。

 

 随分と余裕の見える回避だが言葉通りに余裕だろう、弾幕ごっこの場数が違う。

 解決に当たれば弾幕の中を飛び交い動いてきた者と、それを眺めて笑っていただけのあたし、練度が違って当然だろう。初段で放たれたあたしの弾幕全てを避けきり、お返しとばかりに赤と青のナイフの雨を繰り出すメイド、それをあたしは避けながらも受けていた。

 能力で逸らせば当たること等ないのだが弾幕ごっこは遊びの範疇、遊びで確実に当たらないなんて興が削がれる、そう考えるあたしは弾幕勝負では能力は使わない。能力の代わりに纏う煙をピンク色の盾にしてナイフを避けながら反撃を試みる、だが放つ弾幕は全て避けられて軽くあしらわれてしまう。

 

――実力差が酷い

 

 そう心中で愚痴るが頼まれた手前もある、まだまだ諦める気はなさそうだ。

 放たれ続ける緑色のナイフの滝の中で強引に体を翻して軸をずらす、煙の盾に当たる感触がなくなると羽織るジャケットの内ポケットから一枚のカードを取り出した。パイプを持っていない、空いた右手で掲げられたスペルカード、あたしの宣言と共に輝き意思を表した。

 

煙々羅『スモーキングモンスター』

 

 発動と共に咲夜の視界の先に薄い煙の集まりを複数現し具現化させる、その煙が蛇の体のようにうねうねと連なり、咲夜に向ってヌルリと迫る。コレが緑色の煙だったなら何処かの誰かが見せたスペルカードに近いと思えるが、このメイドはあの異変には関わっておらずネタバレはしていない、実態を探ろうと回避に徹しくれてあたしに少しの余裕ができる。

 出来た時間で軽く腕を組みパイプを吹かす、スペル発動直後から弾幕を放つ事をやめて咲夜から距離を取るだけにしている、元ネタがそういうスペルカードなのだから、模倣もそうするべきだと弾幕は撃たなかった。

 

 それが余裕に見えたのか、瞳を紅くして猛追する従者。

 煙の蛇に追われながらもあたしに対するナイフ弾幕は緩まず、纏う煙の盾がほとんど機能しなくなった頃、一枚カードを取り出した。

 

時符『デュアルバニッシュ』

 

 あたしの放ったスペルカードに向けて放たれる咲夜スペルカード、宣言と共に空間が一瞬モノクロになる。

 

――時を止められた?

 

 そう認識した瞬間に、メイドを追い掛けていた煙の蛇はその全ての煙弾幕を緑色の粒へと変えられてしまう。頭から尾まで緑色にされて一瞬だけ元ネタのスペルらしくなるが、そう見えたのは一瞬だけで緑の粒はすぐにメイドへと吸収された。

 あたしのスペルが破られると、同時にメイドの弾幕を受け続けていた盾も限界を迎えて、この弾幕勝負の終わりとなった。

 

~少女停戦中~

 

「カスリもしなかったけどスペル一枚使わせたし、中堅としては上々ね」

「貴方様と弾幕勝負になるなんて思いませんでしたが、アヤメ様は何故ここに?」

 

「あら、バレバレだったの?」

「出迎え、そう仰った時の口元。見慣れた意地の悪いものだったのでその時に」

 

「そこは帽子じゃ隠せないものね、まぁいいわ。咲夜の呆けた顔は一度見ているし」

「それよりも何故異変側に?」

 

「面倒と楽しいで楽しいが勝った、わかりやすいでしょ? それで、先に進むならもう少し足止めするんだけど」

「都合の良い天秤をお持ちで、仕事の合間に出てきましたので手持ちのカードも切れましたし…先は霊夢に譲りますわ」

 

 お屋敷の仕事もありますので、そう言って頭を垂れて姿を消す赤い屋敷の瀟洒なメイド。

 足止め出来れば上々と考えていたが追い返す事が出来るとは思わず、頼まれた仕事ができたと嬉しくなった。

 あの紅白が先に行っていると言う事は姉妹は黒白の方と出くわしたか、弾幕はパワーだと言い放つあの魔法使い。言う通り真っ直ぐゴリ押ししてくるあの子は雷鼓にたどり着くかね、そうなっていたら二対ニでちょうどいいか。メイドとやりあい一枚減ったが元々得意じゃない弾幕ごっこ、一枚くらいあろうがなかろうがどっちにしろ負けるだろうし細かいことは気にせずに、少し薄くなってきていた魔力嵐の大本へと向かい飛び立った。

 

 聞こえてくる重低音がやたら力強い、この追加の異変が始まった頃も力強く感じられたが今は本気で叩いているのか内に響くモノが感じられる力強さ。

 リズムに乗せるとは伊達じゃないな、あたしの胸の鼓動を高鳴らせる重低音。

 本気を出す程ではないが程々に高揚させてくれる雷鼓の轟かせるドラムの音、本人も楽しんでいるようで何よりだ。和太鼓のような大きな弾幕やらハートのような弾幕やらが色々と過ぎ去っていったし、それらが雷鼓が元気にはっちゃけてると教えてくれた。

 少しだけ早くなった鼓動に合わせるように飛んでいくと、随分とボロボロにされたドラムの付喪神と、少しだけ袖を破れさせているおめでたい巫女が対峙し弾幕を撃ち合う姿が見えた。

 これ以上近づくと巻き込まれてマズイ、そう思い二人を視界に入れられる辺りで止まりパイプを燻らせる。

 

 弾幕を浴びて痺れを切らしたのか、雷鼓が一枚スペルを宣言したようだ、ゆるく曲がる雷のような弾幕に切り替わった。それでもあの巫女には届いておらずスルスルと避けながら破魔の札の弾幕をミニ・スカートに浴びせている。

 終わりは近そうだがもう一盛り上がりありそうだ…雷鼓の顔はまだ諦めていない、それなら少し手伝うか。

 乗せられて少し疼くものもある、次のスペルにノっかるかね。 

 雷のスペルを破られて通常弾幕にきりかえたドラムの付喪神、あたしの通常弾に比べたら苛烈で美しい弾幕だがそれも全てかわされている‥‥本当にあの巫女は規格外でたまらない、撃っても撃っても当たらないと萎えてしまいそうだが、それでも抗う夢幻のパーカッショニスト。

 さすがに限界が近いのかふらつき出したな、この辺が横槍の投げ入れ時かね?

 あたしに向かってくる弾幕を逸らして雷鼓の横につく。

 

「鼓増やしにただいま参上ってね、楽しそうだし少し混ざるわ」

「口だけで来ないと思ったけど、読めないわね、アヤメさん」

「アヤメ? わざわざ退治されに来るなんて、どういう風の吹き回しよ」

 

「重低音で疼くのよ、発散させてもらうわ。霊夢」

「勝手にしたら、纏めて退治するだけよ」

 

「勝手にするわ。混ざるといってもよくわからないから、雷鼓に乗っかるだけだけどね」

 

 そう言って雷鼓の座る大きなバスドラムを叩いて煙を纏い姿を消す、大昔にいた礼儀正しい人間達。ニンジャと言われた奴らのように煙と共に姿を消して様子を見る、乱入して場がしらけるかと思ったがそうはならず再度争う流れになった。それでこそ異変の最後だ、華々しく終わらないとらしくない。

 消えたあたしなど無視するように互いに弾幕を撃ち合う両者、勢いを取り戻した弾幕勝負が盛り上がりを見せた頃、雷鼓が再度カードを宣言する。

 

『ブルーレディショー』

 

 宣言とともに雷鼓の姿が薄れて消えた、視界に映るのは警戒を緩めない博麗の巫女のみ。

 周囲を一瞥するようにぐるりと巫女が回ると、巫女を囲むように音符の弾幕が姿を現した、一つニつ三つ四つと巫女を四方から囲み放たれる音符の大量弾幕。

 混ざるならこれかね、煙に巻いた姿を解いて再度大きくパイプを吸って大きな煙を身に纏う。

 化ける姿は音符の弾幕、巫女を囲う四方に混ざるように二つに分かれて雷鼓の音符に混ざって音を放つ。合わせようともせずにノリに任せて放つだけで、雷鼓の操るリズムにノるあたしの音符弾。

 

 四重奏から六重奏に増えた音の津波の中を、カリカリという不協和音を立てて避けていく博麗の巫女。そのまま三十秒くらいの攻防が続いたが、四辺の音符を無視して間に入ったあたしの音符がお祓い棒で破壊された。

 先に壊されたのは煙と片腕を媒介に放った方、あのお祓い棒で小突かれただけでも痛いのに本気で払われれば保つことなどなく綺麗に掻き消えた右腕…邪魔で余分なヤツから潰す、上策だが同じように本体をやられる訳にはいかないと、スペルの途中で変化を解いてパイプに力を込めて投げつけ距離を取った。

 雷鼓の放つ音符とパイプが重なった辺りで再度お祓い棒で払われて、弾幕もろとも消されるパイプ、紛い物でもあたしの一部。パイプと片腕使ってスペル二枚消費できれば十分働いただろう、未だ姿を見せない雷鼓に小さく頑張れと伝えて逆さの城の影に隠れた。

 

 身を潜めて少しした頃、聞こえていた重低音が最後の響きを轟かせてから少しした今。

 隠れた瓦礫から周囲を伺ってみると、先ほどまで争っていた空中には両者の姿はなく、逆さの部屋の天井で片膝付いている付喪神とそれを見下ろす巫女の姿が見えた。

 魔力嵐も収まったし決着はついたか、後は最後にどうなるか…どうせなら最後まで付き合うか、抗う気はないが逃げる気もない。

 珍しく最後までノリ気で心地よくしてくれた両者に、少しの礼でも言っておきたい。

 

「予想通りの流れだけど、予想以上に面白かったわ」

「あぁ、まだアンタが残ってた。続けるのなら退治するけど」

 

「やる気はないわ腕もないし、欲しいなら腕でも首でもあげるけど?」

「神妙で気持ち悪い、終わったし帰るわ」

 

「そう、またそのうちに顔出すわ。ちっこいのも愛でたいし」

「嫌われてるから、来るならそのつもりで来なさいよ」

 

 言い切り飛び去る解決者、ここで見送るのは二度目か。ふらっと現れてふらっと解決して帰っていくこの幻想郷の巫女、派手に暴れるくせに終わった途端にいつも通りとは切り替えが早くて妬ましいが、それでも捨て台詞で嫌われてるからその気で来いと言ってくれる辺り、邪魔した事は気にしてないようだし、小さな助言もありがたい。

 言った通りにそのうち行くかね?

 隣で片膝ついてるのと、どっかで魔法使いにやられているだろう姉妹も連れて。

 

「お疲れ様、派手な演奏楽しかったわ。勘定も払ったしそろそろお暇するけど、何かあれば聞いてあげるわ」

「腕飛ばされたのに随分元気ね、こっちは足腰立たないのに」

 

「慣れているもの、痛いは痛いけど楽しかったし…そのうち生えるし細かいことはいいのよ」

「初対面でも思ったけど、大らかすぎて捉えにくいわね。あの巫女もリズムにノってくれないしアヤメさんもそのクチだった?」

 

「テキトウなのよ、それに楽しかったと言ったでしょ?ノセられて面白かった、またお願いしたいわね」

「また退治されろって?冗談、自分でやってよ。私は懲りたから別の方法で楽園を創るわ」

 

「どっちが懲りないのやら、それじゃまたね。縁あればそのうちに」

「足腰立たないって言ったのに、置いてくの?」

 

 歩けないなら飛べばいいだろうに、そこまでスッカラカンでもないだろう、軽口返してくるくらいなのだから。帰るつもりで姿を戻したあたしのスカートに手を伸ばしてくる名奏者。

 巫女にやられて先ほどまでの力強さは鳴りを潜めてしまったようだ、言う通り足腰立たずに一人で起き上がれない付喪神、払えば振りほどけるだろうが太鼓に頼られるのも悪くない、いつも鼓を打つ側なのだし、それらしく後片付けもしておくとするか。

 伸ばされた手を取り、すがってきた元鼓に肩を貸して城を出た。

  




雷鼓さんドラム格好いいですね、へにょりレーザーやめて下さいピチュってしまいます。
これにて輝針城はおしまい。


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~日常~
第九十八話 手間と匂い


匂いって大事 そんな話

先に十四話→十六話→五十ニ話と読んで頂けると、それっぽく話が繋がる…はずです。
繋がるといいなぁ。
口調やらも変わってますがその辺りは気にせずに、気になる方は二十五話辺りが転記です。と前書きで宣伝しておきます。


 少し冷たい風を受けてなびく髪を掻き上げながら木々の間の空を見る、視界の中で少しだけ飛ぶ赤とんぼが本格的に季節が変わり始めたんだなと気がつかせてくれる、後一月か二月でも経てばまた着物で過ごしやすい季節になるだろう。

 今の格好も気に入っているが、見立てて譲ってくれた相手に対して仕舞いっぱなしは随分と失礼だ、どうせならどちらの格好もあたしだと認識してもらいたいし、こっちの上に羽織るコートでも探して日替わりくらいで着るのもいい。

 どうせならコートも見立ててもらおうか、見立ててくれた鬼の趣味の良さは折り紙つきだし、白徳利の評価を聞くついでにおだてればまた買ってもらえるかもしれない。

 

 再度吹いた風を受けて、まだ生えきれておらず中途半端に二の腕から先のない腕を通したシャツの袖とスカートがはためく。

 以前に腕を失った時は恥ずかしくなるほど甲斐甲斐しい介護者がいて、そいつを主の元に早く帰してやるために気合を入れて生やしたが、今回は急ぐ事もなく自然に任せて腕を戻している。

 普通の動物なら腕やら足やら生やせないがその辺は妖怪だ、命と力さえあれば四肢くらいならいくらでも戻せる、場合によっては戻せない者もいるのかもしれないが、霧やら煙やらのガス状混ざりのあたしには問題ない事だと言い切れた。

 

 懲りずに吹き抜ける風を受けて足を止める、止まった場所はお山に入ってすぐの銀杏が数本立ち並ぶ場所。少し早めに黄色く色づいた銀杏の奥はまだまだ緑が強い景色だが、それでも少しは色づいていて、緑の色にほんの少し赤や黄が混ざり紅葉とは違った斑な表情を見せる妖怪のお山、紅葉見物にはまだまだ早い時期だが少し拾いたい物があり腕も生やさず訪れている。

 片腕で物拾いなんて不便だと思われそうだが今はそう不便に感じない、あたしはただボロの籠を持って黄色く色づいた木の下立っているだけで、目当ての物が少しずつ籠に溜まっていくからだ、せっせと集めてくれる白髪獣耳とだらだら集める赤い髪、二人のお陰で随分楽だ。

 

「まだ足りないの? 買ったら早いんじゃないの、これって」

「言うだけ無駄です、どうせ銀杏拾いは秋の醍醐味とかそれを楽しめだとか言い出すだけですよ」 

「雷鼓に比べてあたしの事をよくわかってるじゃない椛、お礼に毛繕いしてあげるわ」

 

「結構です、そこそこ拾ったらさっさと帰って下さい」

「言う割に話す時は手を止めてくれて嬉しいわ、別れが惜しいならもっとゆっくり拾ってくれてもいいのよ?」

「天狗の言う通り言っても無駄ね…それで、後どれくらい拾えばいいのよ?」

 

「食べるだけならこれだけあれば十分、二人が楽しそうだったから止めるのも気が引けてつい、ね?」

 

 バチコンと目尻から大きな星が見えそうな勢いでウインクするも何も言われることはなく、中腰の姿勢で止まったままの紅白頭の二人。白い方は呆れた表情で見てくるだけでいつも通りだが、赤い方は声を上げて笑ってくれた。それほど笑わせる事を言ったつもりはないのだが何がそんなにおかしいのか、物上がりは笑いの沸点が低いのかね?

 元々の物を考えれば熱には弱そうだが、その辺りが笑いの沸点の低さに繋がるのだろうか?

 獣上がりにはよくわからない。

 

「図々しさも極まってて面白いわ」

「このくらいで今更笑ってくれてありがたいわ、椛は何も言ってくれなくなったし」

「もう慣れました、この流れだと他にも何か言われると読んでますが…後はなんでしょうか?」

 

「卵と食べ頃の鴨辺り、贅沢を言えば岩魚か山女魚でもあるとありがたいわね」

「‥‥適当に見繕って上司に届けさせますので、今日はもう帰って頂けますか?」

 

「待っていれば届くみたいだしいいわ、帰るわよ雷鼓」

「腑に落ちないけど天狗がそれでいいならいいか、籠持つわよ」

 

 生真面目天狗にまたねと告げて踵を返して二人で下山する、先日の異変以来なんでか我が家に転がり込んでいる夢幻のパーカッショニスト 堀川雷鼓

 肩を貸してそのまま我が家に連れ帰って以来当然のように住み着いている、帰らないのか尋ねたら偶に帰っているらしい、朝から姿を見ない日があるのはそのせいか、それならいいかと気にせずに、思いがけない半同棲生活を楽しんで今に至っている。

 帰らない雷鼓を見て、腕がない不憫なあたしを哀れんでまた介護かといぶかしんだが、調理中に手が足りなければ手を貸してくれたり、湯上がりに体を吹いている間に寝巻きを出してくれるくらいで、九尾のような甲斐甲斐しさはなく少しだけ生活を手助けしてくれる。

 異変で少しだけ手助けしたその意趣返しのつもりなのかね、礼を言っても素っ気無い返事しか返ってこないしその割に楽しそうに笑ってくれるし、表情のない付喪神もアレだったが表情を見せる付喪神もアレでなんとなく難しい。

 付喪神はみんなこうなのかと少し考えたが、驚かすことに一生懸命でそれ以外には頓着しない付喪神もいたなと思いだし、余計に付喪神がわからなくなってそれから気にするのをやめた。

 細かいことは気にしない、いつまでも若々しくいる秘訣の一つ。

 

 冷たくなり始めた風に背を押されて、灰赤並んでそそくさと下山していると、降る途中赤い頭が歩く先に駆け出て振り返り後ろ歩きで何かを言ってきた。

 

「食べるって言ってたけどこれを食べるって本気?」

「今季成り立てじゃそう思って当然か、美味しいのよ?」

 

「本当に?」

「本当に、種の中身を食べるんだけど埋めてしばらくしないと実が剥がれないの」

 

「埋めるの、これを?」

「埋めるの、これを。埋めれば臭くなくなるの、今の雷鼓の手の匂いがしなくなるのよ」

 

 手? と言って両手で顔を覆って嗅いでみせる、ンガッと吠える声を出してとても嫌な顔であたしを見る雷鼓。その顔が可笑しくて可笑しくて我慢できずに声上げて笑ってしまう、釣られて臭いのも笑い出してそのまま二人で下山した。

 途中で左手を嗅いでみろと言われて少しだけ鼻を鳴らす、手の甲から嗅ぎ慣れた銀杏の匂いが微かに漂ってきた。眉間に皺を寄せて触れていないのに何故かと悩むと紅くて臭いのが籠を視界に入れてきた、手渡した時に少し触れたらしい、してやられたとそれも笑った。

 我が家に帰って手を洗う前に臭いの元をどうにかしたい、どうにかと言っても埋めるだけで新しい穴は掘らずに、我が家の一番近くで口を開けている、誰かのかかった落とし穴跡にテキトウに撒いて少し土を蹴り落としておいた。テキトウに埋めて大丈夫かとパーカッショニストに聞かれたが、ここなら忘れないし忘れても穴に落ちた兎か掘った兎詐欺辺りが届けてくれると返答すると、竹林のウサギは親切なのかと一人納得していた。

 

 未だ臭う付喪神がこの穴は何だと訪ねてきたので、兎用の落とし穴だと説明してあげると竹林の兎はでかいのかとこれも一人で納得してくれた。

 どっちもそれほどでかくはないし片方は狡猾でもう片方は臆病だと補足すると、獣の性格も様々かとまた何かに納得していた、この付喪神は思慮深いが変なところが意外と素直で、その辺りが可愛らしい。

 

 程よく埋めたし後は待つだけと伝えるとどれくらい待つのか問われた、行ったお山が赤くなる頃と伝えると、それなら今日は一旦帰ると言ってふわりと浮いた。

 帰るなら匂いぐらい落としてから、手でも洗ってお茶でもしていけばと誘ってみたが、匂いをあいつらにも嗅がせるといたずらに笑い空へと消えた、あいつらというのが誰なのかなんとなくわかる、茶色の短髪と紫の結った髪が匂いに驚き飛び退く姿が見えた気がした。

 

 消えていった空を見つめて少し考える、付喪神の癖に本体なくても問題ないのかと‥‥お面も茄子、じゃなかった傘も、常に本体と一緒だったがドラムは離れても大丈夫なんだろうか?

 成り立ちが特殊だからその辺も特殊なのかと勝手に納得して、住まいの庭先で埋めずに残した銀杏を剥く。直接触れるとカブれるなんて人里の頭でっかちは言っていたが、そんな事は気にせず素手でサクサクと残り全てを剥いて脱がしていく、片手でやるには時間がかかり種は後からでいいかと桶にわけていると、桶に向かって座るあたしの背後から喧しいのが声を掛けてきた。

 

「異変の元凶がいらっしゃると聞いて飛んできました! 清く正しい幻想ブン屋、射命丸文です!」

「文にしては遅いわね、もう帰ったわよ?また来るらしいけど」

 

「あやややや、それでは次は何時頃いらっしゃるんですかね? 独占インタビューといきたいのですが」

「銀杏を掘り出す頃よ」

 

「何よ、それじゃあ遅すぎるわ。旬を過ぎたネタに興味ないわ」

「残念ね、代わりに少しご馳走するから機嫌を直しなさいよ。ついでに手伝って」

 

「埋めてほっときゃいいのに、わざわざ素手で剥くなんて」

「友人が土産を届けてくれると言っていたからその準備、それでも片腕じゃ手間取ってね、来訪には間に合わなかったけど…来たのなら手伝ってくれてもいいんじゃない?」

 

 しょうがないわねとまだ実の残る方に手を伸ばした烏天狗、それを制して種に促すと理解したのか住まいに入り、水瓶を外に持ち出してきてよく洗ってくれた。洗った種を土間の端に撒いてパキンと音を立てる一本下駄、中身は潰さずに殻だけを潰す絶妙な踏み加減。

 器用ねと見もせずに褒めると昔はよくやったという言葉が返ってきた、大昔じゃないの?とそれにも返してみると、あ、という声が聞こえてきた。やっぱり大昔に取った杵柄だったらしい、自爆で食い扶持減らすなんて雑食の烏らしくなくて少し面白かった。

 

 全て剥き終えて自分の手を見る、あまり顔に近づけたくない我が手。ここまでやってやっと気が付いた、片腕でこれをどう洗おうか。思考を止めて固まっているとこっちに来いと手招きされる、素直にてくてく歩いて行くとあたしの手を取り洗ってくれた。

 匂いがあれだから種を任せたのだがこれでは意味がないなと苦笑すると、これくらいで恥ずかしがるなんてと笑われた。笑みの意味は違ったがそう取られたのならそれでいいかと、言われた通りに少し恥ずかしさを見せて微笑んだ。

 ついでにシャツも脱がせてもらい珍しく甘えると、手がかかるわと笑われた、放っておけば死にゆく身内、それを雛から育てるくらいには優しいと知っているからイタズラついでに頼んでみたが、文句も言われず微笑まれるだけだなんて少し予想外で、余計に恥ずかしくなりほんの少し顔が熱くなってしまった。

 

 そんな火照りを隠すように火鉢に炭をテキトウに入れて妖術で火を起こす、組んで風の流れを作らないとよく燃えないが、今は文がいるのだと何も気にせずテキトウに並べた。火だけ起こして火鉢を離れるとあたしと変わるように火鉢に向かう新聞記者、これもよくある事で頼むまでもない事だ。

 

 文の持ってきた土産包を開けると岩魚が七匹、こいつが持ってくると言っていた時点で卵や鴨はないとわかっていたので、中身については言及せずに不器用に捌いて強引に串に刺し火鉢に向かう文に手渡す。何も言わずに火鉢に刺してそのままそよ風を起こす天狗、おかげさまで随分と楽な調理だ。調子に乗って水切り用の浅い網籠に、洗った銀杏と竹串を乗せて文の視界に置いてみると、これにはさすがに小言を言われた。

 

「何がご馳走するよ‥‥ほとんど私がしてるじゃない」

「おかげで助かるわ、岩魚は兎も角こっちは片手じゃ刺せないもの」

 

「なら早く生やしなさいよ、見てて痛々しいから」

「あら、心配なんて珍しい。明日は雨降りかしらね、最近冷えてきたから困りものだわ」

 

「埋めた方を掘り返すまでには用意するから、もう少し待ってなさいよ」

「はいはい、出来れば洗わずにいてくれるとありがたいけど‥‥それはそれで不潔かしらね」

 

「アンタそっちの趣味もあったの? それこそ不潔だわ…意地張るのやめようかなぁ?」

「あたしはどっちもイケるクチ、それに文の匂いは結構好きなのよ、お山の匂いに少しだけ混ざるインクの匂い、なんでか落ち着くのよ」

 

 そう言うと火鉢に向かいながら自身の腕に向かい鼻を鳴らす天狗の記者、元々鼻が効かない種族なのだから嗅いでもわからないだろうに。

 口に出したつもりはないが表情と視線から察したらしい、それなら代わりに確認しろと普段は見せない黒羽を羽ばたかせる。片羽を撫でて一枚抜くと一瞬ピクリと動いたがそれには気にせず鼻を鳴らす、言った通り山の自然にインクの混ざった少しちぐはぐでとても落ち着く匂い。

 

 言った通りの匂いだと微笑んで伝えると、納品前には洗うけど程々にしておくと少し照れながら言ってくれる清く正しい新聞記者。

 それは楽しみだと返答し火に当たる串を返していく、パチっと弾けた炭が不意打ちで手に当たり思わず引っ込めて当たった所を小さく舐めた。

 舐める瞬間香った匂い、撫でて移った落ち着く匂い。

 冬場になればこれに包まれて眠れる、少しだけそれを想像して穏やかに微笑んだ。

 



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第九十九話 小さな油断と色選び

インスピレーションで選ぶ事ってある そんな話


 少し早い紅葉見物から数日しか経っていないというのに、空気はずいぶん涼しくなった。止まったり少し動いたり、ランダムに飛ぶ赤卒(あかえんば)の数も増えて、季節はすっかり秋だと教えてくれる。そんな秋空を見上げそろそろ袖を通してもいいかと、行の長い衣紋掛けに掛かる、真っ白で上等な着物を撫でる。左の肩口からそのまま左の足先まで、綺麗に施された紫の薔薇刺繍、その茨の流れに右手の薬指を添わせながら、まだもう少しと誰に対してでもないが勿体ぶってみる仕草。

 誰が見ているというわけでもないのに。

 

 朝から居たり居なかったりと、気まぐれに帰ったりしている半同棲中の付喪神は今日はおらず、先ほど目覚めてから一人静かな我が家で一服中。

 ポヤポヤ吐きつつ、今日は何をしたもんかねと、元通りに生えた右腕で頭を掻いて思いに耽る。

 

 幻想郷の名所らしい名所はほとんど顔を出しているから今更観光といえる場所もなく、最近出来た逆さの名所も行ったばかり暴れたばかりで、再度興味を惹くには不十分な名所になった。

 最近顔を出していない所とすれば三途の川と天界くらいだが、前者はあのサボマイスターがサボっていないと一人で石積みするしかやる事がないし、いつも通りサボって寝ていても怖い上司の説教がある、それに巻き込まれては面倒くさい。天界も天界で考え方は柔らかいが体と意思の硬い我儘天人と、胸も尻もないへべれけ鬼っ子くらいしかおらず、どちらも力が強く我も強くて、テキトウにからかって遊ぶには少しばかり面倒くさい。妖怪神社に行ってもいいが、どうせ行くならは同棲相手の付喪神を連れて行った方が面白くなるだろうし、どうしたもんかねと煙管を一吸いして、煙を輪っかにし天井に向かい吐く。

 

 以前に思いついた地底での冬物買いでいいか、地底に行くならもう少し寒くなり譲ってくれた着物を着て行きたいところだが、地霊殿に寄らなければジト目に睨まれる事もない。それに地霊殿に行くなら温泉も楽しみたい、年中楽しめる温泉だがもう少し空気が冷たくなった方が心地よく楽しめるというものだ。寒さを味わうには少し早いし今日は日帰りでいいだろう。

 思い立ったが吉日と開襟シャツの肩から白徳利を引っ掛ける、どんな冬物にしようかと悩みながら、洋装に似合わない徳利下げて我が家を出た。

 

~少女移動中~

 

 あたしに向かってくる視線や、探そうとする意識を逸らして何事もなくお山の大穴へと着いた、顔を会わせても良かったのだが少し前に手伝ってくれた銀杏拾いの件がある。拾ってくれたその御礼に燻製でもと考えていたが、届けてもらい調理した岩魚はあの時全て記者に喰われた、美味いもの食って気合を入れて秋本番には間に合わせる、そう言われては止められなかった。

 何か代わりの土産物でも、そんな物が地底で見つかればそれを御礼にでもしよう、あの旧地獄にある店なら何かしら見つかるだろうし、あの生真面目天狗に似合うのはなんだろうかと悩みながら大穴を降っている。

 

 ゆるゆる下っていつもの辺り、遠くに見えるのは鎌持ち木桶。

 何時来ても変わらない歓迎の仕方でありがたい、地底に来るといつも最初に出迎えてくれる辛辣な物言いの木桶入り娘。

 そういえば出迎えてくれることに対して感謝したことがなかったなと、お天道様の日を反射させる鎌を見て思う。首を狙われて感謝というのもおかしな話だが、そうあろうという気概は大事だしそれをいつも見せてくれるこの娘には表には出さず感心している。

 いつもなら能力使って木桶を逸らし、揺れが収まるまで眺めているのだが偶には真正面からとっ捕まえて反応を見てみよう、どんな風になるのだろうか。

 

「そぉぉのぉぉ首もら」

「まだあげない、まだまだ遊び足りないもの」

 

 首元目掛けて振り被り払われる鎌を右手で逸らして、木桶の取っ手を左手でとっ捕まえる。勢いを殺す事なく力業で捕まえたものだから、あたしの体に勢いが伝わりそれを殺すようにくるくると回って勢いを殺していく。

 どこからかぶら下がっている木桶、それを振り回すようにくるくると回り勢いを殺すと木桶が何やら文句を言ってくる、首を狙われ文句も言われ次は何を吹っ掛けてくるだろう。

 

「酔う、アヤメ、酔うよ‥‥止めて、出る」

「出るではなく出す、じゃないかしら?」

 

「アヤメのせいだから出るでいいの…景色が回って気持ち悪い、これならまだ笑われたほうがいい」

「変わった事はするもんじゃないわね、ごめんねキスメ」

 

「謝るなら止まって、前後の揺れは慣れてるけど回されるのは慣れてない」

「はいはい、済まなかったわ」

 

 身に纏う死に装束に少し似た白い着流し、それに合わさるかのように透き通るキスメの白い肌が少しだけ青くなったように見えた辺りで、謝りながら動きを止める。

 動きが止まると頭を振って回る視界を誤魔化す恐るべき井戸の怪、こうして木桶を持ってみると本当に小さな少女なのだが、そんな少女が一番伝承通りにしているというのがちぐはぐで面白い、あたしに見えていないだけでヤマメやパルスィもそれなりに怖い事をしているとは思うが。

 左腕にぶら下げた木桶の中で白装束を身に纏うキスメ、人に忘れ去られて久しい地底の妖怪、そんな連中の中でいの一番で首を狙ってくる可愛らしいつるべ落とし。そんな妖怪が人が死ぬ時に身に纏う色を身につけていて、これもちぐはぐで面白い。

 

 真っ白で汚れのない色、純真無垢なんて人間達は言うが何色にでもすぐ染まり、一度染まればどれだけ抜いても抜ききれず染みとして残ってしまう白。あの御方に白黒はっきりつけてもらえば綺麗に別れるだろうが、一度染まったという過去は消えずに残る。

 いくら仕分けしても取り返しがつかない、何事でもそうだろう。曖昧な灰を好む自分がこんな風に白に興味を惹かれるとは思っていなかった、白を纏う緑の頭、それを無意識の中で軽く撫でている自分の右手を見てそう思った。

 撫でると揺れる二つ縛りにした髪留め、遠く少しだけ指している陽の光をランダムに反射して輝く丸い飾りのそれ。目についたし銀杏拾いの御礼にするならこれくらいのものでいいかと、髪のついでに髪留めも撫でた。

 そんなあたしの手を掴み何かを言いたそうなキスメ、一体何かな、お嬢ちゃん。

 

「意地悪に笑ってるより微笑んでる事のが多いね、最近」

「そう? 変わらない気がするけど?」

 

「意地悪に回すしあんまり変わってはいない、それでも笑みが変わった」

「褒めてるのか貶してるのか、どっちなの?それ」

 

「少し訂正、やっぱり変わった」

「コロコロ変わるわね、何故そう思うのか聞きたいところだわ」

 

「前なら褒めてくれてありがとうと言い切った、聞き返してくるなんて変わった」

 

 言いたいことはなんとなくわかる、確かに嫌味を混ぜて皮肉を混ぜて言われても相手が言葉に込めた意味など気にせずに、言われた通りに褒められたと捉えていたが今は聞き返している。

 確かに変わったと言われればそうなのかもしれないが、これは変化というものか?以前は気がついても無視していただけで、今はソレをふくらませた方が面白いと捉えるようになっただけだが。

 本質は何も変わらない、遊び方が変わっただけだと思うのだが他人から見れば変化なのだろうか。第三の目でもあれば読んでわかるのだろうが、残念ながらあたしが生やしているのは尻尾くらいだ、心は読めない。

 言われた事を反芻し穴を降りながら考えていると、再度何かを言ってくる秋の日の人食い。

 

「首狙い放題、隙だらけ」

「止まってる時は狙ってこない癖に」

 

「狙ってないだけ。狙えない、じゃない。思い込みはダメ」

 

 そう言って鎌の切っ先を喉元に薄く差し入れてくる釣瓶落とし、男性であれば喉仏のあるくらいの位置、その辺りへほんの少し刃先を入れるとそのまま横に小さく裂かれる。

 皮膚を裂いてポタタとキスメの白装束に飛ぶ返り血、裂かれた傷を一無でして血を拭いながら裂いてきた手元の桶に目をやると、今までに見たことがない楽しそうな恍惚とした表情で鎌の刃先を舐めるキスメ。

 人間の血ではないし腹を満たす程の量では当然ないが、それでもこの行為自体が堪らないのだろう、完全に断ち切られてはいないが、切った事実には変わりない。

 長い間狙い続けてついに果たした今の気持ち、少し聞いてみたくなった。

 

「首、取られちゃったわね」

「油断大敵、毎日日和っているから寝首を掻かれる」

 

「言葉もないわ」

「ここはそういう所、寝首を掻く狸の首を掻けてとても楽しい」

 

「首飛ばされても生きてるかしら?そこまで都合良くはないか」

「試す? いくらでも手伝う」

 

 再度鎌を振りかざすキスメに対して能力を使い刃先を逸らす、首に届かず数本髪を切るだけに終わる釣瓶落としの鎌。調子に乗るなと木桶を縦に回して反撃するとごめんなさいと降参してきた。

 両手で抑えて動きを止めると、拭っただけで止めてはいない傷口から再度白装束に飛ぶ紅、振り回されて本格的に酔ったのか、静かになった木桶妖怪に付いた血を軽く撫でるが消えはしない。

 あたしの着物でもないし当然か、それでも謝らなくてもいいか、元々切られて飛んだ血だし返り血浴びても自業自得だろう。

 赤のおかげで余計に映える白を見て思う、着物も白だし羽織る冬物も白でいいかなと。 

 

 珍しくヤマメに出会うことなく底につき、旧都の入り口である橋の守り神にも出会わない。地上より広い地底世界、会わない事もあるだろうと深く考えずに木桶を橋に置いて一人歩く。

 旧地獄街道を行く、目指すは贔屓にしたい店。そう掛からずに店に着き想像する真っ白な外套でもあればいいなと少し期待し扉を開く。

 猫の店主に久しぶりと声をかけ、それらしいのを見繕ってもらう。出されたのはコートとジャケット。どちらも白で丈の短い細身のジャケットはフードのみ、コートはスカートと同じくマキシ丈でやはり細身、こちらはファー付きフードの付いたもの。

 それぞれ袖を通してみてコートを選びそれを買った。店主は動きやすいジャケットを薦めてくれたが、以前の着物に合わせて長い間着ていた長羽織のように、ひらひらと足元で邪魔なコートが妙に落ち着いてこちらを選んだ。

 フードを被った時には白いファーがカフスに絡まったり、ファーが視界に入ってちらついたりと、更に邪魔になるのも気に入った部分、邪魔なのがいいなんて捻くれてると店主に褒められたが、どこに言っても面倒だと邪魔者扱いされるあたしには丁度いいと思えた。

 

 ついでに髪留めをテキトウに選ぶ、白と赤いボンボンの付いた髪留めを二つ選び両方買った。白髪に赤は映えると知ったし烏帽子の色も赤だったはず、嫌いな色ではないだろうと渡した時の顔を思い描きながら代金を払う。

 白い方は赤い頭で銀杏拾いをしていた方の分、色は逆だが真逆ならそれも映えるだろうと深く考えずに手に取った物。

 こっちもどういう顔をするのか、少し楽しみだ。

 買ったコートを身に纏い、ひらひらと靡かせて向かうは旧都の繁華街。

 肩に掛けた白徳利、これの中身を評価してもらおうと一本角の赤を探して町を歩いた。 




唯一スポットを当てていなかった地霊組キスメ回。
求聞口授で素敵な性格だとあったと思いこんな感じに。
赤卒《あかえんば》ですが赤とんぼです。



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第百話 久方ぶりの意趣返し

そう言われると返したくなる そんな話


 ここ旧都のメイン街道、ここに住んでいる少ない鬼達の気概のように、真っ直ぐに伸びていき中央にある地霊殿へと続いていく旧地獄街道、赤提灯やら客引きやらが通りの端に並んでいる暗く温かな地底の街道。力自慢の鬼達はまっすぐだが街道の端でうちに寄って行けと声をかけてくる者や、ウチで一緒に客を取らないと声をかけてくる女郎達は道に比べてまっすぐとは言いにくいか?いや、少しばかり捻れちゃいるが妖怪らしく生きるために真っ直ぐではあるか。

 

 地上を追われて忘れ去られて、それでも面白おかしく毎日を生きている地底の妖怪達。下賎な者が大半だけれど中には面白いのもいる、さっきの木桶に鬼の大将、明るい土蜘蛛、笑う橋姫。

 ついでじゃないが嫌われ者の覚り姉妹も面白い者達だ、可愛いペットに囲まれて毎日ジト目で暮らす姉とそれとは間逆な浮ついた妹の二人、どちらもひねくれた覚り妖怪でからかっていると面白い‥‥姉は素直にならず若干捻くれているが。

 そんな素直でない者がここを纏めている、天辺が随分な捻くれ者なのだから、形だけはその下で暮らす者達も捻くれていても仕方ないのかもしれない。

 

 そういった捻くれた輩からかけられる声をテキトウにあしらって、今日のお目当ての一本角を探して歩く。

 探すと言っても宛はある、贔屓にしている仕立屋かいつも飲んでるあの酒場、そこにも居なけりゃ自宅だろう。パルスィの橋や仕立屋にはいなかったわけだし、自宅か酒場のどちらかで盃煽って笑っているはずだ。探す必要のない探し人を探してふらふらと、まだ一滴も飲んでいないのにふらふらと酒場に向かい歩いている。

 

 歩いて着いた酒場は旧都の少し高い場所にある、入り口である橋を渡りすぐにある坂を登ってすぐ。橋姫の橋も地霊殿も窓を開ければ見える旧都に入ってすぐくらいの店。目当ての鬼が誰かを殴り飛ばす度に破壊されて、その度に頑丈に直される少し重たい引き戸を開けて、迎えの声を聞きながら一本角を探すように店内を見やる。

 カウンターから小上がりまで店内を一周ぐるっと見渡してみると、見える範囲には豪快な一本角は見えず、今日は来ていないのかと訪ねてみると奥の座敷に一人でいるそうだ。大概は数人で小上がりに陣取り馬鹿騒ぎをしているのだが、奥の座敷でしかも一人酒とは珍しい。機嫌でも悪くて一人で奥に引っ込んでいるのか問うてみたが、そういう雰囲気ではないらしく、機嫌はいつも通りで偶々一人なだけらしい。

 一言二言会話して機嫌が悪いわけではないとわかり、それならそれでいいと奥に入ると一言伝えてみると、注文取りでも来るなと言われているから何かついでに聞いてきてくれと頼まれた。

 地底に来たらいつも顔を出している酒場だしそれくらいなら構わないと返答し、促された奥座敷へとコート翻して歩いていく。それほど広い店でもないから奥といっても店内の喧騒が聞こえる座敷、閉じられている襖を手の甲で叩き開けると、横引きの窓を全開にしてその窓台に腰掛ける、肩口開いた艶やかな着物姿の鬼がいた。

 

「一人酒なんて珍しいわね」

「お、来たのか。偶にはこういうのもいいのさ、見慣れた景色眺めて一人飲むのも悪くない」

 

「毎日見てても見飽きたとは言わないのね」

「景観自体は見飽きたが、景色は毎日ちがうもんさ」

 

「そこにいるモノあるモノが変われば違う景色ってことかしら?」

「その通り、今も見慣れたアヤメが見えるがその格好は見慣れないな…今度は誰の見立てだい?」

 

「中身はお察し、外身は仕立屋。選んだのはあたしだけどね」

「涼しくなっても着てくれるくらいには気に入ったか、買ってやった甲斐があるねぇ…それも悪くない、良い物選ぶな」

 

 気に入ってるわと見せるようにクルリと回り翻す、くるぶし丈のスカートと前を留めずに羽織っただけの同じ着丈のコートがふわりと広がりを見せた。綺麗なもんだと褒められて当然でしょうと言い返す、返答を受けて優しく笑い近くで見せろと手招きされた。言われた通りにブーツを脱いで座敷に上がり、そのまま置かれた長机に腰掛けようとするとそっちじゃないと再度の手招き。

 招かれた通りに近寄って、遊戯姐さんを背もたれ代わりにして窓台に腰掛ける。自分は既に飲んでいるからいいだろうがシラフで座るには少し気恥ずかしい、とりあえず自分も駆け付けで、そう考えて白徳利の栓を抜いた。キュポンとなって封が開いた愛用の白徳利、そのまま煽るつもりで右手で掲げていくと口に辿り着く前に取り上げられた。取り上げられて鬼の盃へと注がれるあたしの酒、そのまま盃は鬼に一息で煽られた。

 

「うむ、軽い」

「誰かの瓢箪と一緒にしないでほしいわね」

 

「が、薄くはないし悪くないな。がぶ飲みするには丁度いい酒だ」

「お気に召したのなら重畳ね、味見を頼む前から煽られたのは少し癪だけど」

 

「好きな時に飲ませろと言ったんだ、文句を言われる筋合いはないなぁ」

「そうね、ご尤もだわ。それであたしはいつまでシラフでいればいいの?目の前で飲まれてお預けなんて悲しいわ」

 

「人にはお預けさせといて何言ってんだか、代金払いに来たのなら飲ませてやるがどうするよ?」

「日帰りのつもりだったけど、それはそれでいいわね」

 

 帰らなくても構わない、そう言うとあたしの視界にわざと入れてきた鬼の秘宝に白徳利の酒が並々と注がれていく、表面張力でどうにか溢れないくらいまで注がれた酒。店の灯りを受けた水面がキラキラと反射しいつもよりも綺麗に澄んでいるように見えるソレ、下から見上げて遊戯姐さんの顔を見ると、ニヤニヤと笑っていてあたしの動きを探る笑みを見せている。

 笑みから察する今夜の流れ、目の前のこれを飲んだらこのままお持ち帰りかと一瞬考えたが、どうせ帰ったところでやることもなし。自分で蒔いた種でもあるしそう悪い気もしない、笑う鬼に笑い返して盃に口を付け少しずつ飲み干していく。

 以前のように飲む勢いに合わせて傾けられる鬼の盃、空いている両手でそれを支えようとしたが片手に徳利を載せられてもう片方は徳利を手放して空いた右腕で抑えられる。このまま飲ませてくれるらしいからその態度に甘えよう、綺麗に飲み干し小さく息を吐くと、あたしの腕を抑えていた右腕で頭をガシガシ撫で回された。

 

「喧嘩でも酒でもお前は受け身ばかりだな、あっちもそうならそれらしく相手してやるが」

「気分次第よ、今日はどうしようかしらね」

 

「飲んでるうちに思いつくさね、まだまだ酔うには早かろう?」

「酔いつぶれたら楽しめないから、程々にしてほしいんだけど」

 

「どっちを楽しもうかねぇ、それも飲んでる間に決めればいいな」

「そうなる前から足腰立たなくなるのはつまらないわよ?」

 

「そうなったら持ち帰るのが楽でいいな、元気に歩かれちゃあ最後に逃げられそうだ」

 

 カラカラと笑いながら再度盃に継がれて差し出される盃、完全に酔い潰す気マンマンか。まぁそれもいいか、狸のくせにマグロなんて面白くはなさそうだが最近まな板の上の鯉になる事が多い。

 手料理振る舞うことも増えたし偶には調理される側も悪くない、力自慢の姐さんだけど見立てで見せてくれた女性らしい気立ての良さもあるし、そっち方面に期待してこのまま盃を煽ろうか。目の前にある鬼の盃それに口付け再度飲み干す、最初よりも勢い良く飲み干し大きく息を吐くと、飲まされる前と同じくカラカラと笑いこちらを覗く怪力乱神。受け身だと言われたがこの鬼相手じゃ受け身以外取りようがないし、雰囲気と勢いに任せて酒を煽った。

 

「いい飲みっぷりだが、自棄飲みに見えて気に入らん」

「自棄も過ぎれば楽しいものよ、偶には後先考えないのもいいんじゃないかしら?」

 

「らしくないなアヤメよぉ、受け身の手待ちじゃ飽きられる事もあるって知ってるか」

「知ってるけれど言われればらしくないか、いつも驚きを提供したい化け狸らしくないわね」

 

「そういう事だ、コート姿も小さな驚きだが他にも肴になにか欲しいね」

「肴と言えば注文取りを頼まれたのよ、酒は兎も角肴は頼んで欲しいみたいよ」

 

「場所だけ借りて銭落とさんのは粋じゃあないか、なんでもいいから好きに頼みな」

「受け身なあたしもなんでもいいけど、驚きを提供できる肴があるかしらね」

 

 煙管を取り出し燻らせ煙を吐き出し形を成す、象ったのは可愛い小狸。

 そいつに長机にある品書きを咥えせてあたしの手元に持ってこさせる、両面眺めてテキトウに支持を出しお品書きを咥え直させてカウンターへと走らせた。便利なもんだと褒められたがあたしとしては当たり前になり過ぎていて、どこでもよくやる事だったからあまり褒められた気がしない。けれど先ほどキスメに言われた言葉が脳裏に浮かび、ここは素直に受け取ろうと思い直した。

 

「もっと褒めてくれてもいいわ」

「そうやって大してでかくもない胸張るのは後にしな、この後確認してやるからさ」

 

「失礼ね、姐さんと比べればないけど‥‥パルスィと同じくらいにはあるわよ?」

「基準がずれてたってか、こいつは失礼した。どうしても身近なモノと比べちまうな」

 

「基準がこれじゃあ他が可哀想よ」

 

 そう言って後頭部に当たる華の三日月大江山をつつく、張りも弾力もありどこか力強さを感じる山二つ。母性の象徴に対して力強さを感じるなんてと思ったが、母は強いのだったなと突付きながら一人頷く。

 着物が下がるし木桶が見てると窘められて手で促される、鬼の促す手の先にはあたしがさっき置いてきた木桶入り娘がどこか遠くを眺める姿。外野がいては興が醒めるらしい、つつく手を収めて勇儀の煽る盃に途中から割入った。

 

「注いでやるから横から来るな、買ったばかりで濡れても知らないぞ?」

「濡れるだなんてはしたない、それは後のお話でしょうに」

 

「お、言ったな? 言う通りにしてやるさ」

「期待してるわ、姐さん。肴も来たし飲み直しね」

 

「何を頼んだかと思えば、それほど驚くモノじゃあないなぁ」

 

 串物数品とお漬物、それとついでに頼んだあるお酒。あたしの徳利に比べれば随分とマズイ安い酒、最初は銘柄だけ使って遊ぼうかと思ったが木桶のお陰で別の遊びを思いついた。誰かに見せるものじゃないがもしかしたらあの木桶に見られるかも知れない、そんな小さな驚きを提供しようと頼んだ『鬼ころし』という安酒を取りに一度鬼の元を離れて手に取った。

 手に取り戻ると空の盃が差し出されるがそれには注がずに、意地悪く笑みながら口に含み勇儀に腕を回して抱きついた。受け身と言われた意趣返し、それを受けてくれるかね?

 笑みは絶やさず上目遣いで見つめながら、顔を近づけて触れるギリギリ辺りで目を閉じる。

 

 口に含んだ安酒がどうなったのか、もしかしたら木桶が見ていたかもしれない。



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第百一話 土産

お持ち帰りの土産 そんな話


 夕焼け小焼けのなんとやら追われてみたのはつい昨晩。

 地底の温かな地獄街道の一角にある酒場で仕掛けてやった意趣返し、ちょっとした意趣返しのつもりだったあの酒はいい酒だったと笑顔で言ってくれた。鬼の言葉に随分と満足しその空気に釣られて随分飲まされて、足腰立たないほどべろべろにされて機嫌よくお姫様抱っこされたまでは記憶にある。その後に目覚めて気がつけば、いつか火傷で動けない時にお世話になった鬼の住まい。

 やり返したまでは覚えているがその後が全く思い出せない、自分の酒でここまで酔うとはあの盃は恐ろしい。

 

 深酒した割にはすっきりしゃっきり朝を迎えて元気がいい、軽く伸びをし立ち上がる。

 伸びをして気がつく、障子が開いてて丸見えだと、朝だし他人の家だしと、いつまでも裸でいるのはどうかと思い、枕元に畳まれた服に袖を通す、替えの下着も持ってくればよかったかと少し後悔したが、泊まるつもりではなかったからその辺りは致し方ない。

 寝かされていた布団の乱れ具合からそれなりに楽しんだのだなとわかるが、それを全く覚えていないとは‥‥我ながら情けなく思うところだ。

 とりあえず着替えようと袖を通して立ち見鏡で整える、インナーと開襟シャツの襟元の丁度間の見えるか見えないか、微妙な位置の首筋辺りがほんの少しだけ赤くて、覚えてないがマーキングされたかとそれを撫でて薄く笑った。

 身支度整えて外に出る、汗ばんだはずが風呂に入らずともツヤツヤサラサラとした肌に地底の温かな風が心地よく、シャツとコートの前を開けて靡かせながら帰路に着いた。服だけ畳んで置かれていて寝床を共にしただろう相手はいない状態、腕枕の中でお目覚めとはいかなかったがこれくらいのさっぱりした目覚めも久しくなかったから、目覚めから気分よく動いて旧地獄を後にした。

 

 帰りに見つかった白狼天狗、いつかの御礼にと赤いボンボンの付いた髪留めを手渡す。意外と気に入ってくれたのか冷静な口調で感謝を言われて尻尾を揺らしてくれた、小さなお土産一つで喜んでくれて渡したあたしも嬉しく思う。

 このまま何処かへ出かけても良かったくらいのご機嫌だが、なんとなく汗臭いだろう髪が気になり一度住まいへ帰る事にした。住まいへと朝帰りをすると一人でお湯を沸かしてお茶を淹れている夢幻のパーカッショニストが今朝はいた、今日はこっちにいるらしい。そういえばこいつにも土産を買ったなと白いボンボンの付いた髪留めを渡すと、小さく笑んでバスドラムの金具部分に括りつけてくれた。

 髪留めなのだから髪にと思ったが、相手は付喪神だった。ということは本体の方で身につけてくれたのかとこれも嬉しく思えた、機嫌よく破顔してお茶を啜っているとあたしの機嫌の良さを訝しんだ付喪神が疑問を投げ掛けてきた。

 

「朝帰りでご機嫌なんてよっぽどいい事あったみたいね」

「イイコトしてきたはずなんだけど、覚えてないのが残念なのよね」

 

「覚えてないのに機嫌がいいって、なにそれ?」

「肌ツヤの良くなるような事だった、それくらいは覚えてるのよ」

 

「よくわからないけど羨ましいわね」

「羨ましいなら後で雷鼓も試してみる?」

 

「お、いいの? 楽しみにしておくわ」

「こちらこそ、誘いがあって嬉しいわ…乾く間もなくなんて堪らないわね」

 

 卓を挟んで会話をしているが前のめりになりこちらに顔を寄せる雷鼓、好奇心は猫を殺すという言葉を文字通りに体に叩き込もう。叩かれる物から成った付喪神なのだしきっとそういう方が好みのはずだ、色々と出来そうでそうなるのが楽しみで堪らない。

 妖艶に微笑みながら後の獲物の頬を撫でた後、帰宅と共に沸かし始めた風呂が良い頃合いになったので手早く入って汗を流した、こざっぱりと汗を流して一心地し下着を履き替え気を入れなおす。いつでも手を出せる雷鼓は後の楽しみとして今日はどこへと行こうか悩んでいると、行きたいところがあると思いがけない言葉を聞いた。

 

「出来れば人里の案内を頼めない? ちょっと行きたい店があるのよ」

「構わないけど何処へ行くの?場所によっては少し手間よ?」

 

「貸本屋で楽譜が見たいの、あそこなら色々ありそうだしそこまで案内頼めない?」

「鈴奈庵か‥‥いいわ、連れてってあげる」

 

「ありがと、コート似合うわよ」

「取ってつけたように言われると萎えるわね、やっぱりやめようかしら」

 

「その辺のリズムはよくわからないのよね、後でそれらも教えてほしいわ」

「それはリズムと言わず間と言うのよ、まぁいいわ‥‥機嫌もいいし今は許してあげる」

 

 後では知らないけどね。

 とりあえず今日の暇つぶしも出来たことだし新調した冬物でも見せびらかしに行きますか、鈴奈庵なら阿求もいるかもしれないし、あの子に見せればコートもあたしだと確実に覚えて認識されるだろう。そうなれば多少汚れようが穴が空こうが気分次第でいつでも戻せるようになる、居なきゃ居ないで雷鼓を本屋に捨て置いて屋敷に乗り込めばいいわけだし、どっちにしろ人里へは向かいますか。行けば逃げたと煩くなるだろうが、今までは話題にならぬよう意識を逸らしてテキトウに逃げていた‥‥が、今日は逸らさず雷鼓に任せる。

 話を聞きたいなんてああだこうだと駄々こね始めて、面倒な事になりかけたら雷鼓をさし出せば話は早い、風呂上がりの一服を済ませてバスドラムに乗り浮いている雷鼓の横に腰掛け人里へと漂い飛んだ。

 

~少女移動中~

 

 真っ直ぐ貸本屋に向かっても良かったがそうはせず人里の入り口で地に降りてそこからは歩きで進んでいく、行き交う人々に姿を見せるのとついでに贔屓の甘味処に寄り貸本屋への土産も手に入れたかった。楽譜が見たいと真っ直ぐに言ってくるくらいだ、もし良さそうな物があれば食い入るように見るのだろうし場合によっては買い取りもある。それなら少し袖の下を渡しておいたほうが交渉が楽だと考えて手土産を用意した。

 狸の姉ちゃんは着物でも洋服でも真っ白だなと言ってくれた甘味処の爺さんに、変わらず腹は黒いから大丈夫と言い返して、二つほど包んでもらった芋羊羹の包を受け取り店を後にした。唯の人間相手に親しそうねと名ドラマーに聞かれたが、単純に付き合いが長いだけだと答えておいた。

 包み携えたらたら歩き、里の真ん中を流れる川を渡れば目的地である鈴奈庵、ここの橋には姫はおらず妬んでくれる相手がいない。今の気分を覗かれたなら心から妬んでも貰えそうだが残念ながら橋違い、それも後の楽しみとしてとりあえず貸本屋の暖簾を潜ろう。

 後ろのドラムがキョロキョロと店内を探り始めて少し恥ずかしい。

 

「小鈴、いる?」

「アヤメさん? いらっしゃいませ、また格好が変わってますね。真っ白で似合ってますよ」

 

「ありがと、雷鼓? これが間ってやつよ」

「理解したわ、店主さん? ここって楽譜もあったりしない?」

「あるにはありますが、アヤメさんこちらの方は?」

 

「元和太鼓の付喪神でこの間の、ほら逆さまのお城の異変‥あれの関係者よ?」

「そう言えばあの時逃げられて!……その辺の事聞かせて貰えたりします?」

 

「雷鼓を置いていくからお茶でも淹れてゆっくり話したら? 茶請けもあるしごゆっくり」

「置いていかれるの!? 私は楽譜が見たいだけで」

 

「雷鼓が話してあげれば楽譜の一つくらい譲ってもらえるかもしれないわよ、後で迎えに来るから交渉頑張ってね」

 

 ちょっと、という言葉を背に受けてインクの匂いが立ち込める店を後にする。店を出た後もしばらく重低音が聞こえていたが耳に届く音を逸らして静かにしてから、もう一つの目的地である稗田のお屋敷へと向かった。数分歩いてすぐに着き門を預かるオジさん門番に遊びに来たと微笑んで告げる、少し悩んだ表情を見せてくれたが本邸の隅からこちらの様子を見に来た従者に手を振ると、怪しむのをやめてくれたようだ。

 チョロい。

 

 従者のお姉さんに阿求に取り次いでほしいとお願いすると、少々お待ちをと待たされた、素直に聞かずに後をついていっても良かったが阿求は偶に体調を崩している日もあると聞いているし、今日がそれならやめておくかと従者の帰りを静かに待った。待つ間暇なのでオジさんの横の門により掛かり煙管を燻らせる、困ったような顔を見せるオジさんにイタズラに微笑んでみせると更に困った顔をされた、まだ何もしていないのに何を困ることがあるのか?

 人間のオスはよくわからない。

 オジさんをからかい待つと従者の戻ってくる気配、間を保たせてくれていたオジさんに暇つぶしのお付き合いありがとうと伝えて火種を踏み消し屋敷の中へと歩んでいく。

 軽い方ではあるはずのあたしの体重がかかってギッと音が鳴る廊下を進んでいくと、この間通された主の部屋にすぐに着き、中でお待ちしておりますと一言だけ言って従者は下がった。

 台所仕事を並んで行ってからなんとなく気安くなってくれた従者の背を見送り、閉じられた襖を開けた。

 

「こんにちは、生きてるかしら?」

「初っ端から‥‥いらっしゃいませ、今日はどうしたんです?」

 

「何もないわ、なんとなくお茶しに来たのよ」

「土産包? とりあえず入って閉めて貰えませんか?少し冷えるので」

 

「おっと、気が利かなくてごめんなさいね。代わりに暖めてあげようかしら?」

「間に合ってます…そう見せつけるようにコートを広げなくとも」

 

 バサッとコートを翻して迎えるように両手を広げてみたが逆効果だったようだ、完全に引かれている‥そろそろいいかね?テンション高くいるのにも少々飽いたし、いつまでも引きずっていては逆に女々しいだろう。艶っぽく笑んでいた顔をいつものやる気のない顔に戻して言われた通りに腰掛ける、ジト目で睨まれ小さくため息をつきながらも従者にお茶を用意させる今代の阿礼乙女、阿求が従者を呼びに席を立った一瞬の隙を突いて書き留めていた書に目を通した。

 少しだけ読めた書の中身、新しく(したた)めた妖怪図鑑かなにかかと思ったがなにやら打ち合わせのような内容で、それもこれから開く会談のような物に思える、列席者は‥‥

 

「何を勝手に読んでいるんですかね?」

「魔理沙と組んでトップ会談でもやるの? 太子の名は見えたんだけど」

 

「そうですよ、魔理沙さんにお願いして集まってもらいます」

「やけにすんなり教えるわね」

 

「言ってしまったほうがを引っ掻き回されないと思って」

「よくわかってるわね、でも興味ないから大丈夫よ? それでも信用されないだろうから、後で纏めたやつでも読ませてくれればそれでいいと言っておくわ」

 

「思った以上に綺麗な引き際が気になりますが、それくらいなら構いませんよ」

「じゃあそれで、そういえばどう? 悪くないと思うんだけど?」

 

 フードを被り小首を傾げて新しい冬物はどうかとアピールしてみると、大して見もせずに棒読みで可愛いですよと褒められた。どうせ褒めるなら小鈴くらい自然に褒めてくれると嬉しいのだが、この子に言わせただけで上々だろう。

 お世辞でも可愛いと言った姿、それを覚えさせたのだから今日の来訪は意味のあるモノとなった。態度はともかく目的は達成出来て満足したし、用事もなくなったからもう帰るかね、いや一服くらいしていくか。お茶もまだだし茶請けも渡せていない。

 そんな事を考えながら阿求の認める書を盗み見る素振りをしているとまた溜息をつかれた。溜息なんてあまりつくものではない、昔から幸せが逃げるなんて言うのだからただでさえ短い生が更に幸薄い物になってしまう。どうせなら溜息よりも感嘆の息をついた方が多かったと思って逝くべきだ。

 

「そうだ、お茶請け、ついでの土産だけどね」

「どうも、それで、ついでとは?」

 

「本命は鈴奈庵にいるのよ、楽譜が見たいと騒いだ付喪神をあっちに置いてきたの」

「付喪神が楽譜‥‥小傘さんやこころさんではないんですか?」

 

「この間の逆さまのお城、あれの関係筋の付喪神よ」

「なんでそれを先に言わないんですか! 行きますよ、早く!」

 

「いきなり騒いでくれて、焦らなくても帰りに迎えに行くって言ってあるわよ?」

「じゃあもう帰りましょう、見送ってあげますから! さ、帰りましょう!」

 

 お茶を届けてくれた従者と綺麗に入れ違いになりながら稗田のお屋敷を抜けだして、あたしの背を押しながら鈴奈庵へと向かい歩く九代目。随分と鼻息が荒いが小鈴といい阿求といいそんなに異変が気になるかね、先の異変の関係者とは言っても被害者でもある首謀者雷鼓‥立場は兎も角人気者で妬ましいわね。

 押される背に掛かる弱い力を感じながらそう考えたが、鼻息荒く捲し立ててこちらの好奇心も殺されるような事にならなければいいが‥‥それは要らぬ心配か、自分から来たいと言った人里でやらかすほど馬鹿じゃない、もう一人異変で暴れた赤髪はやらかしてしまったが赤ちがいだな。

 まぁ細かいことはどうでもいいか。どんな形であれ繋がりを広げていくのは悪くないんじゃないかなと思えるし‥折角得た意思と自由なのだから常日頃近くにいてくれるのは嬉しいし構わないが、このくらいの事人に頼まずとも一人で色々出歩いて好きに遊んだらいいのだ。なんでも受け入れるここで生まれたのだから、どこで何をしようが大概は受け入れられるのだろうし。

 か弱い力で押されて着いた人里の貸本屋、近寄っても重低音は聞こえない。逃げたのかとも一瞬考えたが少女らしい笑い声と落ち着いた声が聞こえてきてその線はないと教えてくれた、会話のリズムでも掴んだのかね?

 誰かが楽しく話している店内、その店の暖簾を背を押されて潜った。



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第百ニ話 漂うモノの正体見たり

顔も知らないのに何故かこちらを良く知っている親戚 いますよね


 洗い桶に浸かった三つ湯のみと食器を洗いながら、今年も水仕事が厳しい季節になって来たなと肌で感じる今朝の水温、ボロ屋と呼んでもそう間違いではない我が家の中で、唯一の文明の利器である水道の蛇口を捻り秋の終わりを感じる。

 設置されるまでの以前は毎日水瓶を持って妖怪のお山へと汲みに行ったが、そのお山に大地を創造できる見知った神様が引っ越してきてくれて、敬虔なる信仰心と愛と共に我が家にも蛇口くれと強く願ってみたら付けてくれたこれ。どんな原理で水が出るのかわからないが、神の御業に原理など考えるだけ無意味だろう。細かいことは気にしない、おかげで風呂も料理も洗濯も随分と楽になったし文明の御力万々歳だ。

 

 先日人里を訪れた時に追加で買った新しい湯のみ、今洗ったこれで七個目になるのかね、さすがに一人住まいの小さな食器棚では苦しくなってきた、一棚全てを湯のみで埋めそうになっている食器棚に目をやり、少し整理するかと悩む。

 けれど悩んだだけで実行はしなかった、季節は秋の終わりでもうすぐ冬だ。それなら年末の大掃除にでも一緒にやればいいかと思い直して、湯のみを水切り用の網籠に逆さに並べた、火を入れて周囲だけを暖かくしてくれている、いつも通り少しの煙を上げている火鉢に冷えた手を当てながら出しっぱなしの新しい布団を見る。

 起きたならしまえばいいのにと、朝餉を済ませて卓で頬杖付いている同居人を無言で小突いた、布団を見ながら小突かれて察したのだろう、食器棚に同じく手狭な押入れの下段に新しい布団をしまう赤い頭の名ドラマー。

 この布団も人里で買い足したもの、いたりいなかったりする同居人だから布団まで気にしていなかったが寝床では丸くなるあたしの癖が邪魔をして、一緒に寝ていると外に放り出されて寒いらしく付喪神が自分で買い足していた。文句は言わず別の方法を考えて実践する行動力は見習うべきだが、それなら寒い時期ぐらい帰ればいいのに。

 

 あたしに促されなければ万年床になるかもしれない布団、以前の自分と同じように万年床になってしまいそうな同居人の布団が渋々しまわれていく様を見て思う。

 九十九神の隣に座り楊枝咥えて腹ごなし中の意地悪な、けれど少しだけ関心する素振りを見せる妖怪兎詐欺に意識させられた生活改善が、今の自分ならそれなりには出来ているんじゃないかと小さく自覚できてほんの少し心地よかった。

 この年配兎と付喪神、今日が初顔合わせかと思ったらそうでもないらしい。 

 先日朝帰りしてきた時に我が家で顔を合わせたそうだ、家の主がいない中で二人顔を合わせてお茶を啜ったらしいが何を話していたのやら。

 二人に聞いてみたが教えてくれる事はなかったけれど、こっちが臆病な方の兎なのねと綺麗に騙されている雷鼓を見て色々と察することは出来た。

 兎詐欺にやられる名ドラマー、敏い割には案外チョロいのかもしれない。

 

 そういえばあたしにも新しい布団が届いた、サイズはそれほど大きくないが包まればぬくぬくで、嗅げば妖怪のお山らしい自然の香りと少しのインクの混ざるとても心落ち着く匂いの布団。

 約束通りに間に合わせてやったわと、ふんぞり反る誰かのシャツと似た柄の白地に茶や赤の紅葉柄が差し色になっている『瞬黒の包布』

『大』が抜け落ちているが、さすがに一人分では無理だったと正直に話してくれた為そこは折れた、同僚や他の烏天狗のモノを混ぜてでかく作るよりも混ざりっけなし100%だと言い切ってくれている気持ちの方が嬉しく、素直に受け取り折れる事が出来た。

 とりあえず住まいの変化はこの位として、今日も今日とて人里へでも顔を出そう。

 以前に訪れて気に入った楽譜があったらしくてその写しが今日あたり刷り上がるらしい、一人で受け取りに行けばいいと言ってみたがあそこの店主は五月蝿くて苦手らしい‥おまえのドラムのほうが煩いと思うのはあたしだけかね。

 まぁいいか、家にいても暇だし久々に着物羽織って出かけましょう。

 

 緋襦袢羽織って真っ白な着物に袖を通し、細帯で締めて少し肩口を広げる、懐かしいと言うほど時間は経っていないのだが、何故か手間取り着付けるのに一度帯紐を解けさせてしまった。

 慣れない物を着るからだと笑われたがこっちの方が着慣れていると言い返すと、雅な姿もいいなと褒めてくれた。間ってのを覚えたらしい。理解したという言葉は嘘じゃなかったのかと笑むとドヤ顔で見返された、聡明なのかお調子者なのか、物上がりの気持ちはよくわからない。 

 着替えも済んだしそろそろ出るか、出来れば明るい内に里を歩きたい。

 出かけついでに今晩のおかずになるような物も仕入れたかったから。

 

~少女移動中~

 

 雷鼓が来てから移動は飛行、それでも自分で飛ぶことはなく雷鼓のバスドラムに腰掛けて優雅に煙を引いてまったり飛んでいることばかり。自分で飛べるのだからそうしてくれと最初のうちは文句を言われたが、千年以上も鼓に肩を貸してきたのだから、長く身内を載せてきた代わりにこっちには乗せろと言い切ると納得していない顔で納得して見せてくれた。

 太鼓らしく奏者には弱くて助かる。

 

 今日は真っ直ぐ鈴奈庵、注文したものを取りに来ただけだし代金は既に支払い済みだ、要らぬ袖の下など必要ない。店の前に降り立ち暖簾を潜ると先客と話す店主が見える、あの人もあの人で今日も暇しているようだ、雁首2つ並べて何かの本を見つめている一人と一匹。

 眺めているのは空白のページに見えるが、ああするとなにかおもしろい読み物にでも見えるのかね、少し訪ねてみるとしよう。

 

「なんて書いてあるの? ウマイ騙しや儲け話?」

「また違う女連れか、そのうち誰かに刺されても儂は知らんぞ?」

 

「モテ期真っ最中なのよ、体が足りなくて困りもの」

「なんとでも言うとええわぃ、桃色頭に赤頭ときて次は何色じゃ?茶か?黒かのぅ?」

 

「いらっしゃいませ、楽譜の写しですよね? 今用意しますね」

「よろしく店主さん、赤頭って私の事か…アヤメさん、この『人間』は?」

 

「この『人間』はあたしの鼓の先生よ、後で正しく紹介するわ」

「中々気の利く太鼓じゃな、詳しくは後でな‥‥とりあえずこっちの本をどうにかせんとならん」

 

 元和太鼓のカンなのか力ある妖怪としてのカンなのか、何かから気がついているようだが尻尾も耳もない状態の姐さんを見て『人間』と問いかけてきた雷鼓、こういう面では聡くて話が早い、おかげで変にかばわずに済んで助かる。姐さんもドラムセットは一式外で浮いていて見えないというのにすぐわかるものなのかね、あたしより長くお囃子叩いているからわかるのかもしれない、がその辺りは今はどうでもいい。

 とりあえず姐さんの言った本の方が面白そうだ、そっちを膨らましてみたい。

 後でという言葉を素直に聞き入れて楽譜を受け取ると先に帰ると言い出した付喪神、楽譜を姉妹にも渡すのだそうだ、そのうちに聞かせてくれと頼むと喜んでという返答を返してくれて、片手を上げて店を出て行った。後の演奏会は別の楽しみとして今はこっちに首を突っ込んでみるとしよう。

 

「丁度ええし、煙らしくなんか思いつかんか?」

「唐突過ぎて何が何やら、これって妖魔本の類?『今昔百鬼拾遺稗田写本』なんて聞かないわね」

「阿求の先祖が記した妖怪を封じてある妖魔本なんですが、字喰い虫退治に呼び出したら逃げられてしまって」

 

「字喰い虫? それに退治するのに何を、ってのが抜けててまだわからないんだけど?」

「字喰い虫を追い出すのに妖怪の煙で燻り出す必要があってな?」

 

「煙ね、大昔のあたしか煙々羅でも載ってた?」

「正解です、煙々羅を呼び出して字喰い虫を追い出したんですが‥‥再封印の方法がわからなくて逃げられちゃったんですよね……詳しいんですか? 煙々羅?」

 

「1/3くらいは身内かしら? 義理の身内くらいの微妙なところだけど」

 

 雷鼓の異変でスペルとしてなぞらえた煙の妖怪煙々羅、場合によっては煙に宿る精霊なんて伝わり方もしているが細かい説明は面倒なので煙妖怪ってことでいいだろう。

 それでも煙々羅くらいで慌てる必要などないと思うが‥あれを見られるのは心が空にあるような、ぼんやりと無心に煙でも眺めるような、そんな心に余裕を持つ人間でなければ見られないって話だったはずだが。

 この幻想郷でそんな手合は‥‥妖精連中なら難なく見られそうだし白狼天狗も覗き見が得意だったか、紫なんかも境界弄って余裕で見つけそうだ、人里の人間達も異変に動じない心の余裕はあるし、なんだすぐ見つかりそうだな‥‥放っておいてもいいくらいだ。

 

「ここは妖怪の楽園だし、放っておいてもいいんじゃないの?」

「そうもいかんのじゃよ、ここの空気にアテられての、張り切りおって博麗神社や魔理沙殿の家でやらかしおってのぅ」

 

「一番やっちゃいけない場所で暴れるなんて、大したもんだわ」

「やらかした身内を褒めるでないわ、それでの、儂は煙々羅にしてはちぃとやり過ぎな気がしてのぅ‥何か知らんか?」

 

「そうね‥‥閻羅閻羅(えんらえんら)、そう呼ばれる事もあったはずだしこっちだと地味に面倒よ? 地獄の業火になぞらえて言われてね、火事を起こす話もあるわ」

「神社と魔法の森で上がった黒煙、火事の手前のボヤにもならんかったがそっちで決まりかのぅ」

「封印方法や退治方法もわかったりします?」

 

「身内の討ち方を教えろって? 随分と怖い事を聞くのね小鈴‥‥まぁいいわ、煙々羅よりも怖いのが家襲われて顔真っ赤だろうし……知らん振りをして煙の上がる家に入ったら、御札でも貼って浄化すればそれでおしまいよ」

 

 聞かれた事には素直に答えたし後は話さずにいてもいいだろう、閻羅閻羅に成っているというなら人を依代にしてあっちこっちへと動きまわり捕まえるのは手間だろうが、顔真っ赤にした異変解決大好きコンビならそのうちに捕まえるだろうし。妖怪なら妖怪らしく退治されるべきだとは思うが、その為に同胞潰しのヒントを全部話すなんて面白くない。そのあたりは隣に立っている同胞もわかっているのだろう、これ以上の追求はなさそうだ。

 後は退治されて小鈴が叱られれば終わりってところかね、身から出た錆だしそれくらい甘んじて受けなさい。

 

「アヤメさん、もう一つ知恵を借りてもいいですかね?」

「何? あんまりあたしを頼ると高くつくわよ?」

 

「いえ、このままだと私のせいで家が火事になりかけた…そうなりますよね?」

「自業自得、いや因果応報ってやつかしら。なんでもいいけど頑張ってね小鈴」

 

「それから逃げるには‥‥アヤメさんならどうします?」

「小娘のくせにいい顔で笑うわね、あたしなら退治方法と同じ手で逃げるわ」

 

「同じ?」

「知らん振り、退治方法だけ伝えて全部終わったら巫女さんありがとう! と何も知らないふりして逃げ切るかなって」

 

 まだまだ幼さを見せる少女の割に黒い笑みを見せる小鈴、そういう相談事なら是非とも聞いてあげよう。あたしなら知らん振りをゴリ押す、怪しまれようが疑われようが気にせずにゴリ押して呆れさせて逃げ延びる方法を取るが、小鈴の場合はそうはならないだろう。

 あのおめでたい巫女もおめでたくない魔法使いも小鈴ちゃんと呼んで可愛がっているようだし、自宅をやられて心に余裕もないはずだ、ついでにいえば小鈴に頼られてそう悪くない感情の中にいる。

 煙に巻くには楽な状態、それならそこを突かない手はない。

 

 もし後々でバレたならあたしのせいにでもすればいい、身内の尻拭いくらいならなんとも思わないしあのコンビをからかうのもそれなりに面白い。結果小鈴に恩を売ればこの店でも無理が通るようになるし、隣でほくそ笑む姐さんからの評価も上がるだろう、いい事尽くめで悪くない。

 なんとも打算的な物の考え方だが、人間相手に騙してるんだからそうなって当たり前だろう、妖怪だもの。とりあえず小鈴はその手でいってみると似合わない意地悪な笑みを浮かべたし、どうなるか見届けようかね、人間同士の化かし合い、あまり見ないが楽しそうだ。

 

 話は纏まったようだしこの辺で、そう言って踵を返して外に向かう、一人と一匹の視線を背に受けながら店を後にしその帰りに八百屋に寄った、今晩のおかずが決まったからだ。

 店先で手に取ったのは蕪、旬を過ぎてもうすぐ出回らなくなる白い蕪。

 鈴奈庵帰りに喰うなら鈴菜でいいかと安直な理由で今晩のおかずを決めた。

 これと厚揚げの煮物辺りでいいかね、豆腐屋に生える九尾を見て献立を考えた。




腹黒小鈴ちゃん可愛い。



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第百三話 天人三日会わざれば刮目してみよ 

これまでで一番時間が進まない回かもしれません。




 不意に目覚めを告げる揺れ、心落ち着く匂いと優しい暖かさの中で心地よく夢も見ずに丸まっていたというのに、ひんやりとした空気の中で突然起こされた。

 温かな布団の中で丸まっていた体を少しだけ動かし器用に頭だけ出して周囲を見る、少し揺れただけで何も景色の変わらない見慣れた我が家。それでも何かあるだろうと思い、隣で寝ている者がいる布団を睨む、最初に疑ったのは隣で静かに寝ているはずの重低音娘。こいつのバスドラムを地につけて響かせれば感じたような振動を響かせるだろうと、出した頭から白い吐息を立ち上らせて寝起きで睨む。けれど睨んだ先にあるのは布団が静かに上下する姿のみ、思いついた当たり先が真っ先に潰れてしまいやり場のない憤りを覚えるが、そのせいで余計に頭が回ってしまい完全に覚醒してしまった。

 寝間着で動くには随分と冷える真夜中、妖怪の時間。

 目覚めてしまったし仕方がないと、寝間着の上にコートを羽織り起こしてきたのが誰なのか確認するために玄関の戸を小さく開けた。

 

 開けた隙間から外を望むと、目についたのはあたしの視線よりも少し低い位置に浮いている桃、真っ暗な竹林の中に浮いている桃に気がついて翌々目を凝らして覗いてみる。

 寝起のぼやけた瞳の焦点が少しずつ合わさると、あれは帽子にくっついている桃だと理解できた。なんだ、空中に浮かぶ桃なら面白いのに唯の飾りだったかと、途端に興味を失い戸を閉める。

 が、閉まる瞬間に桃の持ち主の指を挟まれてしまい完全に締め切ることが出来ない。冬場の真夜中の空気は冷たく、指程度の薄い隙間からでも部屋の中を冷やしていくには十分な寒さだ。

 閉じられないなら仕方がないと手をかけ直して逆に開け放つ、逆方向に変わった力の流れに対応できなかったのか、指をかけていた誰かは戸の勢いと同じ速度であたしの視界から流れていった。

 これ幸いと再度戸を締め番を立てる、開けようとしてガタガタと揺れる戸を背にしながらコートを脱いで再度布団に入った。

 

 一度起こされて捲ってしまった羽毛布団は随分と冷えてしまってすぐに眠りに落ちるのは難しく、その冷たさと揺れる玄関の戸の音が重なりあたしの睡眠導入を邪魔してくれた。

 来るのは構わないのだがなんでこんな時間なんだ、いくらやんごとない立場のお嬢様でも少しは常識を身につけてもらいたい。そう考えていると寒気と揺れに合わさり騒ぐ音の中でも起きずに静かに眠る付喪神が視界に入る。こっちは起こされて不機嫌だというのに、クゥクゥと可愛らしい寝息を立てて穏やかに眠る赤い髪。

 可愛らしい寝顔だったが少しだけ苛立ったのでカンテラ油に火を入れて布団に足を引っ掛けた体で捲りあげると、身震いしながら一瞬だけ目を覚ました。ごめん寝ぼけたと心にもない謝罪をすると、勘弁してくれと布団をかぶり直した夢幻のパーカッショニスト 堀川雷鼓 

 それでも寝直すなんて豪胆ね妬ましい。

 灯りが着いたことに気がついたのか、外にいる阿呆が煩くなる。

『開けなさいよ! 寒いんだから! 早く!』

 なんて騒ぐ何処かの天上に住まう阿呆。

 こう五月蝿くては眠ることも出来ず致し方なしと戸を開けた。

 

「来てやったのに! なんなの!」

「帰ってくれていいわ」

 

「ちょ! なんでまた締め出すのよ!」

「煩い眠い煩い帰れ煩い面倒臭い付き合いきれない」

 

「煩いが多いのよ! 素直に入れれば騒がないのに!」

「時間を考えろって事よ、挨拶もない非常識を迎える事なんてないの」

 

「こんばんは! 早く入れて! そろそろ寒い」

「寒いのはあたしも一緒‥‥とりあえず入れてあげるわ」

 

 寝付く前まで着けていた燃え残りの炭に火をつけて火鉢を動かすと、灯りに群がる何かのようにそれに飛びつき小さくなる非想非非想処である天界住まいのお偉いさん 我儘娘 比那名居天子

 さっきまで自身で揺らしていた玄関の戸でもないくせにガタガタと震える不良天人、そんな非礼非常識な我儘天人を視界に捉えながら竈に火を入れ鉄瓶を火にかける。

 沸いた鉄瓶でお茶を淹れて天人に手渡さずに一人流しにより掛かり啜っていると、赤い瞳で睨んでくる、涙目にでもなっていれば可愛さに負けて注いであげるが、元から赤いこいつじゃ判断が出来ず渡せなかった。そんな天人様を横目にしながら二口目を啜ると、あたしの態度に耐え切れなくなったのか更に煩くなった。

 

「私のは!? 寒いって言ってるでしょ!」

「火鉢を独占させてあげてるのに、贅沢ね」

 

「いいから寄越しなさいよ!」

「お願いしますが聞こえないわね」

 

「お茶くらいで‥‥」

「お願いします」

 

「‥‥下さい、お願いします」

「これじゃあの人も大変なわけね」

 

 飲んでいた湯のみを手渡すと両手で受け取り暖を取る、日が出てから来てくれたなら迎えてやるし素直にお茶ぐらいだしてやるのに。謝る素直さがあるのだからもう少し回りを見てほしいものだ。本当に、と穏やかに微笑み帽子の触角を揺らす姿が脳裏に浮かぶ、あの時に頂いた忠告通りに余計な御礼を言うのはやめておこう。

 これ以上調子付かれては面倒くさいを通り越して呆れることしかできなくなる、そうなったらぶん投げてでも放り出したくなるがそれをやったらさらに手間だ。あぁもう、力ばっかり強くて他人の事を考えないこいつがいかに面倒くさいか‥‥同族嫌悪だとは思いたくない、さすがにここまで厚顔無恥ではない。

 はず。

 

「それで、こんな夜中に総領娘様は何しに来やがって下さったのかしら?」

「敬うのか馬鹿にしてんのかどっちよ!」

 

「両方よ、一言で済ますならこうなるでしょ?」

「…夜中に来たのは謝るから、起こしたのも謝るから普段通りにしない?」

 

「何を仰りやがるんですかね? 普段通りに小馬鹿にして差し上げてやってますが?」

「あぁもう! ごめんなさい! これでいいんでしょ!」

 

「謝るなら最初からこんな時間に来なければいいのよ、天子?」

「前はこの時間なら飲んでたでしょ!夜雀の屋台を覗いてもいなかったからこっちに来たのに」

 

 溜息ついて私は悪くないとでもいいたそうな表情を見せる非想非非想天の天人崩れ、悪いなんて思ってもないくせに謝るなんて天人にしては随分と頭が柔らかい。

 それでも言われて納得する事はできた、確かにに天子の言う通りで以前のあたしならこの時間は夜雀の屋台で管を巻いていた時間帯。なるほど、以前に話した事があるあたしの生活時間帯に合わせて遊びにきたのか、それなのにあたしにテキトウにあしらわれて五月蝿くなったと。

 それは申し訳なかった、素直に謝ってもいいところだ‥‥が眠りを邪魔されたのは別問題だしどうしたもんか、とりあえず何しに来たのかくらい再度聞いてみるかね。

 暇つぶしとはいっても何かしらの目的ぐらいはあるだろう、何もなく誰かの所へ邪魔しに行く狸じゃああるまいし。

 

「生活改善を始めたのよ。おかげでお肌の調子もいいし、やってよかったわ」

「そんなに利くの? 私もやってみようかなぁ」

 

「天子がやっても変わらないわよ? 毎日毎日桃しか喰ってないのに桃のような柔肌とは真逆じゃない」

「頑丈なだけで柔らかいわよ! 毎回毎回そうやって、桃ねじり込んでやりたいわ!」

 

「桃は難易度高い気がするわ、痒くなりそうで困るわね」

「何言ってんの?」

 

「うん、そういうところが天子の可愛さよね。それで何しに来たの?」

「褒められた? そんな事ないわね、いや、何か異変の元凶がいて一緒に暮らしてるっていうじゃない。行けば暇つぶしになりそうだなって」

 

 お目付け役の緋の衣なら引っ掛かって返してくる言葉でもこの娘は気がつかない、まだまだ初心だなんて言える年齢でもないくせに箱入り娘はこれだから困る。

 外界とは関わらない天界住まいだから仕方がないのだと思えるが、俗っぽい事が気になる崩れ天人様ならもう少し知っていても良さそうなものだが、空気を読んで敢えて教えないのかねあのお人は。それならいいか、あたしから知るよりあの人の口から聞いたほうが色々と恥ずかしい事になりそうで笑えそうだ。 

 

 それよりも今日の目的暇つぶし、元凶に会いに来たと言われて思うのはこの間のひっくり返る異変、その追加で起きた未だ目覚めない異変の元凶を見やる。灯りもつけて横で会話もしているというのに一向に起きる素振りを見せない雷鼓、本当に気がついてないのだろうか?

 狸寝入りしているだけではないのだろうか?

 狸の住まいに居候しながら狸寝入りなんて格好通りに洒落てるじゃないか、折角会いに来てくれたやつがいるというのに布団の上下する感覚を変えない付喪神。

 こちとら起こされて相手をしているというのにリズムを乱さない寝息を立ててくれて、細かい音はその耳には入らないのかね?

 都合が良くて妬ましいわ。

 しかし、起こしても起きないしどうしようか?

 代わりに紹介ぐらいしとくか、折角顔を見に来たのだし。

 

「そこで寝てるの、起きてこない赤いのがその元凶よ」

「起こすつもりで揺らしたんだけど、起きないのね?」

 

「演奏すると重低音響かせて回りを揺らしてるから、慣れてるのかもね」

「そんなもんなの?付喪神って聞いたけど皆そうだったりするの?」

 

「さぁ、あたしは狸だからわからないわね。起きれば聞けるけど起こすのもねぇ」

「私はもう起こさないわよ、これ以上やると今度はアヤメにボコられるもの」

 

「手荒な事は‥‥するかもしれないわ。で、それでさっきは揺り起こす程度の地震だったのね、聞いてる通り随分とおとなしくなったわね、天子ちゃん」

「ちゃんなんて気持ち悪いからやめてよ、これでも少しは気を使うようになったのよ? それなのに閉め出されるし寒いし」

 

 己の能力のままに神社を倒壊させた時には暇つぶしで人の事を埋めてくれやがってと気に入らない天人様だったが、今になってこうして話してみれば会話の出来る普通の少女だったか。

 以前に話した生活時間を覚えていてそれに合わせて行動し、テキトウにあしらわれても少しばかり煩くなる程度で、力業でどうこうしようという感じは見られない。気質を集める剣は今は持っていないらしいがそれなりに空気が読めるようになったのかね、付き人扱いされているあのお人の影響でも受けたか?

 それなら良い変化だ、出来ればそのままお淑やかになってくれると見た目通りのお嬢様になるのだが‥‥そうじゃないから天人崩れなんだったな、ならどうでもいいか。

 

 感心しながらお空の模様が映る綺麗なスカートに目をやるとどこ見てんのよと叱られた、履いているスカートのように気まぐれに怒り気まぐれに笑う有頂天娘。

 このへんが我儘天人と言われてしまう所以かね?

 態度もデカけりゃ力もでかい比那名居天子。

 そのデカさがもう少し胸元にいけばもっと魅力的になるのに、そう考えながら胸元見つめてニヤついてるとグーで殴られた、硬いんだから加減してくれ。




やっと出せた総領娘様、黄昏作品繋がりで新作に出たりしないかなと一人期待してます。



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第百四話 混ぜた結果の着地点

 昨晩突然訪れた招待状のないお客様、あの後はちょっとした話を肴にあたしの徳利を煽りながら朝まで話を続けてしまった。

 天子のやらかした神社を倒壊させた異変、誰かに構ってもらいたくて起こした異変、あれに偶々巻き込まれて神社で埋まって散々だったと言ってみると、あの時あそこに居たのが悪いと理不尽な事を言い切られた。それなら地震なんて起こさずに素直に構ってくれと頼めば良かったのに、そう返答してみると天人であり比那名居の娘である私が頭を下げて構ってくれなんて言えるわけがないだろ! と、我が家に来た時並に騒がれた。

 その声のせいで寝こけている付喪神が小さく唸って寝返りをする。起きるところまではいかなかったが、これ以上騒ぐと起きてしまいそうで口に人差し指を添えて軽く睨むと、言葉なく両手を合わせて軽く会釈する非想非非想天の娘。

 謝る頭はすぐに下げるくせに頼む頭は下げられないのか、意地悪に笑い問いかけてみると謝罪するときは心から謝罪するようにしたのだとほほ笑みながら返された。気まぐれで神社を潰しておきながら言う事は御立派だと笑ってやると、あの時ボコボコにしてくれた紫もヤバイ時には土下座した事があると、何処かから聞いたらしくてそれを少しだけ真似ているらしい。

 紫が土下座なんて、する時はするだろうが頭を下げてもいいくらいの対価を得られている時くらいだろうに。それをこの天人は何か勘違いをして心からの謝罪と捉えているらしい、それはそれでいいか、素直に謝ることが出来るのは功徳だ。

 仙人や聖人に近いが俗な心を捨てられない天人様、それが功徳を積むのは面白い。死を運んでくる死神を毎度毎回追っ払っていて輪廻の輪に戻ろうとしないのもある意味では功徳なのかもしれないな…悟りや涅槃とは程遠い輪からの離れ方だが。

 しかしこの不良天人が功徳ね‥‥そんな不徳な心を読まれたのか、一言ありがたい言葉を戴く。

 

『お前は在り方が偏っている、曖昧で漂い流されるのが当たり前になり過ぎている。煙なら上るもので霧ならいつか晴れるもの、それならそういう面も持つべきだ』

 

 地震の異変を起こした時に争った相手に言ったように、あたしに対してもそれらしい事を言ってくれる天子、小生意気だが少しだけ感銘を受け感心していると無い胸を張られた。

 張ってもペッタンコは変わらないと鼻で笑ってやると、ならペッタンコじゃないのを触らせろとセクハラされて押し倒される、テンションは高かったか酒も随分入っており、外もお天道様が朝の訪れを教えてくれる頃になっていた為、そのまま二人で倒れるように寝た。

 やんごとないお嬢様らしく寝ながら弄ってくるような面白いことにはならず、素直に隣で寝付くだけで何もしてこなかったが、強いて言うなら寝返りをうつ度に髪から香る桃の香りが甘くて、そのせいであたしの寝付きが悪かったくらいか。

 寝付きが悪かったせいか眠りも浅く、先に起きだした名ドラマーがあたしの布団を見ながら言った、なんで頭が二つあるの?

 その言葉と揺さぶりのせいで短い眠りから起こされてしまった。

 

「おはようアヤメさん、もう一人は誰?」

「おはよう、出来ればもう少し寝ていたかったんだけど‥‥これは桃の妖怪よ」

 

「桃の妖怪なんているのね、植物からなんて長生きなのかしら?」

「死神に早く死ねと命狙われるくらいには長生きね」

 

「なにそれ、長生きすると狙われるの? じゃあてゐも狙われてるのね」

「あれは運がいいから狙われてないわね、それに知り合いの死神は仕事しないから身構えることもないわよ、あいつは寝てばかりだし、あたしも眠いわ」

 

「今日は出かけるって言ってたから起こしてみたけど、起きないなら再度起こすわよ?」

 

 言うが早いかドラムセットに跨がりバチ、いやドラムスティックというのだったか。

 それを両手に構えて見せて、朝一番から気持よくビートを刻むといった顔で笑う付喪神。

 目覚まし代わりに使ったのは悪いとは思うがそれを目覚ましにされては随分とけたたましい事になってしまう、あっちが起きると煩いからそれは勘弁してくれと苦笑しながらお願いすると、起きたのなら勘弁するかと朝一番の名演奏は取りやめてくれた。

 目覚めたついでにあたしの布団をひっぺがして代わりに太鼓の布団をかける、なんで入れ替えるのか問われたが桃の匂いが移れば心地よく眠れると返答すると、桃妖怪は匂いも桃なのかと鳴らない鼻を鳴らしていた。

 

 睡眠時間は兎も角とりあえず目覚めたし着替える事にして、寝間着を脱ぎ捨て下着とスカートを履いていると途中で雷鼓に問いかけられた、寝間着の下には履かないのかと、はっきり履かないと言い切ると何も言われずそれで終わった。

 少し前まで素っ裸で寝ていたからかあまり下着が好きではない、今の下着は布面積が少ないからそれほど違和感無くいられるが、横になる時はなるべく身につけたくないため誰かがいようと履いて寝る事は滅多にない。見られるような状況には悲しいかな同姓しか居ないし気にすることでもないと考えていた。

 とりあえず下な話題はこのへんでいいか、変なところで声を掛けられたからか朝だというのに上半身が丸出しだ、同姓しかいないが露出趣味はないしさっさと着替えて出かけるとしよう。

 

 出立前に雷鼓から今日はどこに行くのかと聞かれたので素直に妖怪のお山だと答えると、銀杏拾いの時の自分の匂いでも思い出したのか、嫌な顔をしながら今日はパスすると言い出した。

 今日は拾い物ではないと追加で伝えてみたがそれでも態度を変えずバスドラムに腰掛けて、軽く手を振りながらお山とは逆の方向へと飛び立っていった。方角的には人里や妖怪神社のある東の方向、場合によっては太陽の畑辺りかね、好きに遊びに行ってくれるようになりなによりだ。

 雷鼓は見送ったし桃は起きてこないし、あたしもそろそろ出るとしよう。

 

~少女移動中~

 

 冷たく澄んだ空気を少しだけ体に受けながら気持ちのよい青空の中を飛んでいく、今日は呼ばれているわけだし視線や意識といったものは逸らさずに、この身に感じる寒気だけを少しだけ逸らし飛行している。

 向かう先は妖怪のお山の麓の川縁、何が原因で起こったのかわからないが突然地滑りが起きてしまって川がせき止められてしまった所を目安に飛んでいく。

 随分前に河童がやらかした山を削ってのダム作りに何処か似ている気がするが、今回は自然が勝手に地滑りしてせき止めているだけで河童は直接的には関わっていないらしい。

 なんでまたそんな何もない所へ呼ばれていて素直に向かうのかと問われれば、察しのいい人なら気がつくだろう、敬愛する土着神に呼ばれているからだ…言っている間に見えてきた御姿、カエルのように両手をついてしゃがみ込む名存実亡の神様の御姿。

 せき止められた川を見つめてしゃがみ込む祟り神様の背後に降り立つと、振り向きもせずに何かお話になられた。

 

「もう少し早く来れば慌てる仙人の姿を見られたのに、惜しかったね」

「あの人が慌てるのは偶に見るもの、そう惜しい物でもないわよ?」

 

「なんだ、それならからかう事なんてなかったな。ダム計画の真の目的がわかったなんて言うからさ、少し問い正してやっただけなのに‥‥随分慌てて面白かったんだよ」

「真の目的って信仰を得る以外に何かあるのかしら? 慈善事業? そんなワケないわよね」

 

「入りが違うからか話が早いなアヤメ、その通り。私達が信仰を得る以外で動く事などそうないね」

「そうよね、仙人様はなんて言ってきたの?諏訪子様?」

 

「あっちは神奈子の言ったエネルギー革命を怪しんでさ、それから考えたようだがそれなりには確信に近い物があった。さすが…」

「さすが仙人、ね?」

 

 横顔しかお見せになってくださらないがそれから見える片目だけでも表情は十分にわかる、言いかけた言葉を遮るように仙人と被せた瞬間、一瞬だけ蛇のような鋭い目になる洩矢神。

 一瞬見せた冷たい視線にゾクッと背を舐められる感覚を覚えるが、すぐに穏やかな瞳に戻られてダムを見つめ直される諏訪子様。

 カエルなんだか蛇なんだかよくわからない祟り神様、こっちは狸で喰ってきた側だというのにまかり間違えば取って喰われてしまいそうでなんとも恐ろしく面白愛おしい神様。

 

「今日は一人なの? 信仰稼ぎの為に作ってるダムなら神奈子様もいるかと思ったんだけど」

「東奔西走しているよ、人里での会議も控えてるし神奈子は結構忙しいようだ」

 

「それでケロちゃんは暇だからあたしを呼んだ、と」

「それだけでもないけどそれでいい、暇だから話相手になりなよ」

 

「ダム見物なんて素敵なデートのお誘いありがたいわ、開発予定地案内でもしてくれるのかしら?」

「残念ながら開発自体が中止なのさ、今回は場所選びが悪かった」

 

「下流にある人里の事?」

「そう、万一結壊でもしたら信仰心を得る為の人間が減ってしまう、神奈子に乗っかり勢いでやってみたけどもう少し考えるべきだったね」

 

 反省しているような事を口では言うが内心全く反省していなさそうだ、そりゃあそうだろうさ、ダム決壊という恐怖心を植え付けてそこから信仰心を得る。

 そういうやり方もあるし、この神様は大昔そうやって信仰心を得ていた。下手に共存なんて考えないで一方的に上から押し付けるやり方、古い諏訪信仰の正しい布教方法。

 この祟り神様からすればこっちの方が手っ取り早いだろう、それでも中止にするのは今は表の祭神様じゃないからかね?下手を打てば表の祭神様がやり玉に挙げられて信仰が消えて外の二の舞いになる。本来なら奉納される側におられるくせに二の舞い舞って消えるなんて神様としちゃあ滑稽だ、その辺気にしてやりたいようにやらない古代の祟り神。

 種族に関わらずどこでも身内には甘いらしい。

 

「我慢しちゃって辛そうね諏訪子様、ここはあたしが慰めてあげればいいのかしら?」

「本当は私がお前を慰めるつもりだったんだが、中止になったし慰めてもらおうかな」

 

「本当は? どういうこと?」

「いやなに、ここが機能すれば水力発電もって話だったんだ」

 

「発電、てことはエネルギー革命の一部だったって事よね」

「そうさ、ここが発電施設として機能すれば他が必要なくなる‥て事は?」

 

「あたしが狙われることがなくなる、か。確かにいい慰み話だったわ」

「な?『だった』だろう? 中止になって御慰み、お前も変わらず狙われて御慰み。いい笑い話だ」

 

 ケロケロと心から底意地の悪い声が聞こえて思わず視線を神様の背中から逸らすと、せき止められたダムの奥の方で何かを建設している河童連中の姿が目に入った。冬場に入ってすぐだといってもそれなりには寒い季節、そんな中でも水に濡れて作業するおかっぱ河童と白髪の河童。

 良く知る発明馬鹿なんて上着まで脱いで気合をいれているし、情熱注いで入れ込んでるから寒くないって事かね。なんにしろ精が出ていて元気なことだ。

 そんなに気合を入れて何を造っているのかと見れば、素材も河童らしい見慣れない金属製の物を使いそれを台座として組んで何か催し物でもやれそうな広めの舞台のような造り。その舞台の上部には、何か書き込めるような看板らしい物も取り付けられているし本格的に催し物用の舞台らしくなっているようだ。

 それでもこんな所でなにを見せるのか、一部削って滑り台でも備え付けて河童の川流しでも執り行ってくれるのかね?

 小さく聞こえる工事の音に耳をピクリとさせて枷を鳴らしていると、疑問を問いかける前に敬愛する神様がこれの正体を話してくれた。

 

「手前は元に戻すけど、奥は残してお堀にするのさ」

「お堀?釣り堀でもやる?」

 

「いやいや、見世物用の小さなものだ。河童の住処で見つかった怪魚がいてね」

「万歳楽か、あれを人寄せパンダに使うのね」

 

「パンダにしては瑞々しいがそういう事だ、中止にはなったが全部捨てなくてもいいと思ってね。奥は潰さずに置いておいた」

「そう‥‥なら名前は置いてけ堀って感じかしらね。ここは」

 

 上手い事言うじゃないかと褒められて上機嫌、確か実際に外の世界であったはずの七不思議かなにかのお堀、それが置いてけ堀だったはず。釣った魚を持ち帰ろうとするとどこからか『置いてけ』と聞こえるお堀、声の正体は河童だという説もあるし置いて行かれた魚は万歳楽の餌にちょうどいいし、ここはまさしく置いてけ堀だろう。

 我ながら上手く言えたと鼻を高くしていると、代わりの発電どうしようかと忘れていた事を思い出させてくれるありがたい洩矢神。実験されるくらいならあの舞台で万歳楽と一緒にショーでもやった方がマシ、そう思えたお山の初冬、祟神様と過ごすと良くあるほくそ笑む事のできる一時だった。 




タイトルが落ちでした。


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第百五話 合間の小さな喧騒

 霜月ももうすぐ終わり、後十日も過ぎれば師走に入る冬の幻想郷。

 今年も春のように微笑む大寒波がどこからか訪れて寒気を強化し始めたが、まだまだ雪を降らせるほどには至っておらず寒さが厳しくなってきた程度の幻想郷。

 冷えてきた風が靡くそんな中、羽織っていただけのコートの前を締めてフードを目深に被り、すっかりいつものと言える乗り物になったバスドラムに腰掛け、お空の上で座っている。隣で肩寄せ合って腰掛かけているドラムの付喪神、その赤い髪が冬場の冷たい風を左手側から浴びてあたしの狭い視界に度々混ざると、白いファーと赤い髪が紅白を彩ってくれる。

 そんな視界に入る紅白がこれから向かう先にいる誰かの格好を思い起こさせてくれた、想起ついでに、あの少女が今頃くしゃみでもしていればいいなと想像してみると意外と面白く、隣に気がつかれないくらいの小さな声で一人クスリと笑ってしまった。

 北風のおかげか、その声は届かなかったようで、風に負けずにふよふよ漂い飛んで辿り着いたのは妖怪神社、真っ直ぐ境内には向かわずに長い階段の途中に降り立つ。巫女にはこれといった用事はなかったが、雷鼓を連れて人里へ買い出しに行った時に耳にしたある噂が気になり時を見て訪れてみた。どこが出処かは知らないが確実にないと言い切れる噂、博麗神社が繁盛しているらしい‥‥んなわけあるかと大笑いしたが、その時一緒に聞いていた雷鼓からもその噂の話を聞く事が出来た。なんでも、今年は(とり)の日が三日巡る年回りらしくて、それにのっかり(とり)の市を開いたらしい、初日ニ日と上々で、噂通りの大繁盛となっているそうだ。

 あたしが知らないのに一緒にいる雷鼓が何故知っているのか?

 どこか遊びに行った先で天狗の新聞でも読んで知ったのか、そんな事を問うてみると、酉の市に九十九姉妹が遊びにいって随分楽しんできたらしい。あっちの姉妹は雷鼓に比べて随分とアクティブだと思う、が、細かいことはなんでもいいか、あっちもあっちでテキトウに遊んでいるようでなによりだ。

 

 白のミニ・スカートと同色のロングコートを靡かせながら、だらだらと階段を上っていくと、視界に映っている大きな朱色の鳥居が更に大きくなっていく。

 結構長い階段だと隣で文句を言うドラマーに、このまま歩いて近寄れば処々塗装が禿げて下地の木が見えている鳥居が迎えてくれるだろうと伝えると、さすがに神社の顔は綺麗にしてるんじゃないのかと聞き返されたが、それはないと言い切った。

 偶には塗りなおしたりは‥‥しないのだろうな。

 確実にやらないだろう、そんな事をする暇があるならお茶を啜ってるのがここの巫女だ、万一やったとしても、でかくなった飲兵衛小鬼がでかい刷毛で一塗りするくらいで終わりだろう。

 そんな失礼な事を考えながら階段を上っていくと予想外に綺麗な朱の鳥居が迎えてくれた、つい最近塗り直されたような艶のある朱色で噂も変ならこれも変だと、立ち止まり鳥居を見ていると予想は外れねと微笑まれた。

 

 微笑む雷鼓は置いておいて敢えて酉の市の開催日を外してきたのは何故か、後数日過ぎれば楽しい酉の市最終日なのにと、そう聞かれる前に語っておこう。

 理由は簡単で、ただ少しゆっくりしたかっただけだった。

 異変でやられた雷鼓もあれから会っていないらしく顔合わせぐらいしたいだろうし、巫女がお持ち帰りした針妙丸もまだいると思い少し会話がしたかった。

 市の当日では騒がしくゆっくりなんて出来ないだろうし、下手をすれば客引きをさせられる、祭も客引きも嫌いじゃないが見知らぬ相手に尻尾振る気はなかったのでそれなら騒ぎの前に、それくらいの理由だ。思いつきで来たからか会話の中身なんて考えていないが、そんな事を常日頃から考えて話す者なんてほとんどいない、行き当たりばったりにテキトウにからかって笑えればそれでいいと思っていた。

 

 考え事をしながら階段を上がるともう天辺の鳥居前、鳥居のど真ん中を潜ろうとする雷鼓の手を取り一瞬引き止めようとしたが、付喪神も名の通り神様なのかなと思い直して引き止めようと伸ばした手を離した。小さな疑問を浮かべながら見つめ返してきた雷鼓になんでもないとだけ言って、二人並んで手水舎で清める。これで穢れを払うんだと簡単に説明すると妖怪なのに払っていいのかと、正論で反論された。

 今まで払われたことがないし、指先ぐらいならすぐ生えるから問題ないとテキトウに答えて、ついでに雷鼓は外の魔力で生きているから問題無いはずと言ってみると、おっかなびっくり柄杓に触れていた。

 変な所で可愛らしい。

 

 それほど広くない庭先を埋めるようにして配置され、地面に折りたたまれているテキ屋の屋台を横目にしながら二人並んで五円玉を投げ入れる、聞き慣れたカコンではなく金属同士のぶつかる小さな音がした、銭同士で縁をぶつけ合わせて鳴り合うなんて、生意気ね妬ましい。 

 二拝二拍手一拝は教えなくても知っていた、柏手を打つ等少しでもリズム良いものはそれなりに知っているらしい、本当は拍手(はくしゅ)というのだと教えてみると詳しいのねと感心されたので関心ついでに話してみた‥‥指先をずらして合わせたり音を立てない打ち方があったり、地域や宗教によって変わるとご高説垂れてみたが、こっちは興味がないらしく、よく知ってると形だけは感心する姿勢を見せた。

 一度どこかで祀られたらしいからねと、詳しい理由をテキトウに答えると、神様だったのかと驚かれたが、その気はないし神気もない名亡実亡の唯の狸だと言い返しそれ以降は答えなかった。

 あたし達のそんな声を聞いてきたのか、本来なら神社を掃き清める為の物に跨る少女が社務所から現れて声を掛けてきた。

 

「どうせ来るなら市の日にしろよ、そして私の店で金落としていってくれ」

「神社だとあたしが払ってもらう側なんだけど、それに魔理沙と違ってガラクタ集めの趣味はないわよ」

 

「おいおい、霊言あらたかなマジックアイテムだぜ? 買っておいて損はないさ」

「元、でしょうに。小槌に釣られても成りきれなかった哀れなガラクタ、ちがう?」

 

「商品見もせずなんでバレるんだよ、少しくらい化かされてくれてもバチ当たらないぜ?」

「狸を化かそうとするなんて将来が楽しみね‥泥棒が売るなんて盗品かガラクタよ、魔理沙の盗む類の物なら売らないだろうしそれならガラクタしか残らない。バチなら雷鼓で間に合ってるわ」

 

「雷鼓って‥‥おぉ、異変で騒いでた太鼓か。アヤメにくっついて毎日叩かれてるのか?」

「毎回乗られているけど叩かれてはいないわよ、人間?」

 

 確かにまだ叩いてないし乗ってるだけかと会話に納得していると、少しずつ頬を紅潮させていく黒白の魔法使い。赤いのはお前さんではない方の異変解決少女だと思うのだが、自分で言い出した事で赤くなるなんて可愛いな、雷鼓の言った『乗っている』は別の意味だがそっちで捉えるとは興味ありかね?

 そういった物に手を出すには少し発育が足りない気がするが、青い蕾が好きな手合もいると聞く、咲く前に散らせるなど無粋で、あの花妖怪辺りからお叱りを受けそうだが‥‥ソレが好きなのもいるし、そういった情事はいつになっても難しいものだ。

 黒白で赤い顔の人間と赤い頭でよくわかってない白黒妖怪は放っておいて、縁側で寛いでいる久しぶりに見た二本角にも挨拶を済ましておくか、見慣れていないだろう白コートにフードも被っている今の状態、近寄ってもぱっと見ではわからなかったのだろう、睨む目つきがちと怖い。

 背に隠していた尻尾を振ると、すぐに目つきが穏やかなものになった。

 

「髪なんて括ってイメチェン? 可愛いわね、萃香さん。似合ってるわよ」

「お前こそ着物はどうした? 綺麗な白だが全身それじゃあちと目に痛いな」

 

「あたしはイメチェン、見立ては勇儀姐さんとあたし…そう睨まないでほしいわね、そんなに眩しい?」

「おうさ、ツヤッツヤで眩しいね! あいつも着せたり脱がしたり‥‥いつもいつも勇儀とばっかり楽しんでくれて」

 

「覗きなんて趣味が悪いわ、出てくれば混ざれたんじゃない?」

「曖昧な言い草だなぁアヤメ? まぁ仕方ないか、半分お前は寝てたしな」

 

「それじゃ萃香さん相手にして思い出そうかしら、同じ鬼だし似たようなもんでしょ」

「胸元見ながらそう言うんだ、覚悟は出来てるんだろうな? アヤメさんよぉ」

 

 また覗いていたかもと少しカマをかけてみたが案の定覗いていたようだ、どうせなら顔を出してくれたほうが色々と楽しめたと思うのだが、鬼二人相手じゃ壊されて終わりかね。まぁいいか、機会はそのうちまたあるだろう、ソレはその時に考えよう。

 あたしの軽口に対して頬を膨らませて答えてくれる、長い髪を一つに結って上げている不羈奔放の鬼、伊吹萃香 

 着ている黒系の着流しを腰の帯で引っ掛けているだけの艷姿、隠す必要もないくらいの絶壁に晒しを巻いただけの上半身は、そういったモノを好む輩がみれば堪らない姿なのかもしれない、あいにくあたしの趣味ではないが。

 そんな大草原をニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべて見つめていると笑ったままで拳が振られる、能力使って拳を逸らして笑みを崩さず顔を寄せると、ぷんすかと更に頬を膨らませる幼女の後ろに誰かが立つ。

 つるぺったんな幼女の絶壁から視線を上げていくと、後ろに立つ誰かの顔を拝む前に鬼っ子の頭に乗せられたちびっ娘が目に留まった、腕組みし小さな体でふんぞり反る鉢かづき姫‥‥いや自称一寸法師だったか、また間違えるとうるさそうだし少しばかり注意しよう。

 視線を姫の上に戻すと、幼女の背にいたはずのおめでたい誰かは何も言わずに下がっていて、姫を頭に乗せ終えたらちゃぶ台に戻りまたお茶を啜っている。嫌われているという助言はくれたのに嫌う相手を押し付けてくるとは、相変わらず何を考えているのかわからない巫女さんだ。

 まぁいい、今日の尋ね人だしとりあえず少し構うか。

 

「久しぶりね。少し育った?」

「お陰様で変わりないわよ、わかってて言うの?」

 

「わからないから聞いたの、わかれば聞かないわよ?」

「なにその態度、また馬鹿にしてるでしょ?」 

 

「あら、素直な態度のつもりよ? あたしは針妙丸の事がわからないのに、貴女はあたしの事がわかるなんて素直に驚いてるの」

「のらりくらりと…また馬鹿にしに来たのなら‥」

 

「ちがうわよ? 正直忘れていたくらいだもの、こんなにちっこくて可愛いのに忘れるなんてごめんなさいね」

「忘れ‥‥それにまたちっこいと‥‥あったまにきた! そこになおれ! 成敗するわ!」

 

 はいはいと返答しながら、笑う鬼っ子の隣に腰掛けて頭の上に右手を差し出す。

 腰に差した輝く針を抜き放ちあたしの手の平に思い切りよく突き立てようとするが、あたしの能力で逸らされてあちこちへ向かう針先に振り回される針妙丸。

 手の平の上でくるくると振り回されて袖を翻させる小人族のお姫様、優雅とは言えないが小さな舞台で真剣に舞い踊るようにも見える手乗り姫‥‥遠くの空で始まっていた弾幕ごっこの振動に足を取られて、真剣な舞の途中でこけてしまったがそんな仕草も……なんとも、可愛らしくて堪らない。うっとりと見つめていると隣に腰掛ける鬼酒呑に笑われてしまい、微笑んだまま視線を笑い声の方に移した。

 

「可愛い顔をして私の前で忘れたなんて嘘をつくな、気に入ったのなら素直に言やぁいいんだ」

「半分は本当、こんなに可愛いって事を忘れてたんだもの」

「私を無視すんな! あ、煙草吸うな! 余裕か!」

 

「余裕ね、多分飲んでも刺さらないわよ? 飲むより目に入れたいくらいだけど」

「ッハン 入れてもらえよ針妙丸、私の前なんだし有言実行してもらおう」

 

「今年は兎も角、来年からは嘘つくのをやめるわよ」

「お、なんだいきなり? ま、なんでもいいさ。私に向かって宣言するんだ‥意味はわかってるんだろうな?」

 

「萃香さんこそ何を言うのよ、もう笑ったでしょ? だから言ってあげたのに」

「さっきから何の話!? いいからこっち向け! アヤメ!」

 

 あたしの返答に少し悩む素振りを見せる小さな百鬼夜行、なんて事はない冗談だがその一言を噛み砕いている姿を眺めるのはいい。永遠のお姫様から頂戴する難題と比べれば本当に小さな事だが、それでも今はあたしの言葉だけを真剣に考える姿‥形は少し違うが独占欲とでも言うのかね?

 直接的ではないが目の前で思ってくれている、この景色は中々に悪くない‥‥いつかも思ったが愉悦って感覚に近い、手の平の姫にしろ、こっちの子鬼にしろ、小さく可愛い者に思われてあたしは幸福者だ。

 携えた煙管の火種が燃え尽きて縁側で一叩きした頃、何か思い当たったのか、広角を上げて再度笑みを見せる鬼っ娘が返答をしてくる、右手で暴れる小さきお姫様を鬼の頭に摘み返して、辿った答えを聞いてみた。

 

「私が鼻で笑ったから来年の話ってか」

「そういう事よ、今も微笑んでくれているし、来年も気持ちよく嘘つけるわね」

 

「全くもって口が減らん、勇儀はこんな輩の何がいいのかね」

「あらあら嫉妬してくれるの? そういう時は妬ま‥‥」

 

 ケラケラと鬼を笑っていると、煩いと一言言われて売れ残りの熊手で頭を小突かれた、能力使って逸らしているあたしを誰が殴れるのか、誰かなんて言うまでもない。

 さっきまで静かにこちら見ていた紅白の巫女さん、いつの間にこっちに来たのか。何からでも浮く能力使って近寄り殴られたんだろうが、体感すると本当に酷いなこれは。

 気がつかないし手が出せない、出せたとしても相手は巫女さん、厄介なんてもんじゃない。

 幸せを招く縁起物で五番目に縁起がいいあたしを小突くとは、初夢に出てやろうか?

 それに煩いなんて随分だ、あたし以上に煩いのが空で遊んでいるだろうに。

 あっちには何も言わないのかね?

 

 いつの間にか始まっていた金髪黒白と赤髪白黒の弾幕ごっこ、こちらに向かう音を逸らして小粋な会話を楽しんでいたというに、不意の一撃をもらってしまい能力解かれて全部パァだ。

 ドンドンゴロゴロと耳と体に心地よい振動を響かせてくれるドラム、それに対して無数の星を空に流す魔法使い。耳も体も視界もすっかりそれに奪われてしまって、もういいやと会話を切り上げ皆で眺めた。

 準備も終わり静かなはずの酉の市最終日その前々日、今日あたりなら静かに過ごせるだろう、そう思って来てみたが賑やかな少女が集まるこの神社では静かに過ごすのは無理らしい。

 祭の中日の小さなお祭、それを見上げて小突かれた頭を撫でた。




掘り返した単行本を読み返したせいで書籍ネタが続いてしまった。
そろそろ何か違う物を、なんて考えています。

胡散臭い丸サングラス萃香が可愛い。
登場キャラの多い回でしたね、誰がどこにいるのか完全には見つけきれておりません。



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第百六話 とあるお寺の囃子方

ぽんぽこ ぽんの ぽん


 昔々鈴森と呼ばれていた地があった、その鈴森という土地は迷いの竹林のように鬱蒼とした竹林が広がっていて、真っ昼間でもお天道様の日が届かなかった。

 薄暗くて陰気臭い、妖怪でも出るんじゃないかという気味悪さを持った土地。

 実際に妖怪が見られるという噂もあり、人によっては一つ目小僧やろくろ首、あずき洗いや垢舐めなんて妖怪を見たと騒ぐ者達が出るくらいだった。

 茂る竹林の影響もありほとんど人間が訪れない、動物や植物たちがでかい面して生きる人の住まない土地だったのだが、その竹林には一件の寺が建っていた。以前は寺に住み修行し本尊を祀る僧達もいたのだが、寺の周囲で毎晩聞かれる妖怪話のせいからか、訪れる参拝者も少しずつ減っていき最後には僧侶もいなくなった。

 このまま寂れて廃れていくだけかと思われた竹林の寺だったが、不意に訪れた一人の僧侶のおかげで少しずつ流れが変わっていった。何処か高名な地で修行でもしてきたのか、高い力を宿す僧侶、そんな僧侶が現れてから少しずつ妖怪話は減っていき寺を訪れる参拝者も戻り始めていた。

 

 これを良く思わなかったのが竹林で面白おかしく暮らしている妖怪達、偶に訪れる人間を驚かして楽しく暮らしていたのに邪魔をされては面白くないと、どうにかして寺から僧侶を追い出そうと考え始めた。

 ここで少し矛盾が発生する、妖怪のくせに偶にしか訪れない人間数人を驚かすだけで腹が満ちるのかと。はっきり言えば問題なかった、妖怪達は本当のところは妖怪ではなかったからだ。妖怪の正体見たり化け狸、ろくろ首や一つ目小僧は竹林に住まう少しだけ長く生きた狸達だった。化け狸とはいっても彼らは普通の狸に近くて狸らしい獲物が食えれば問題なく生き抜くことが出来た。

 妖怪変化はただの楽しみ、毎夜化けては訪れる奇特な人間を驚かすだけで十分だった…はずがいつの間にかこの竹林は我らの者だと思うようになってしまい、狸たちからみれば寺を盛り返していく僧侶は住処を荒らす新参者にしか思えなかった。

 最初は様子見していた狸達だが少しした頃、増えた参拝者を驚かして笑っていた頃に一つ手を思いついた、あの僧侶も驚かしてやって、逃げ出さざるを得ないように仕向ければいいと。

 

 思い立ったその晩から早速動き出した狸達、化け慣れた妖怪変化に姿を変えてあれやこれやと僧侶を驚かすが、そんな妖怪変化を見ても僧侶は驚くことなく小さく微笑むだけだった。

 しばらくは毎晩化けて僧侶の寝室で暴れてみたり、座禅修行中の本堂内を走り回ってみたりしたがそれも気にせずにいる僧侶、今までの人間のように驚かすだけでは逃げ出さない僧侶、初めて出会う驚き逃げない者をどうしたらいいか?

 狸たちが輪になり悩む中、竹林で一番の力を持っていた大狸が一つの策を思いついた、驚かすことが出来ないなら騒ぎ立てて寺に住んでいられなくしてやろうと考えたのだ、狸といえば腹太鼓。

 まん丸い腹を鼓に見立てて次の満月の晩から僧侶に対して囃し立ててやることとなった。

 

 すぐにやって来た満月の夜。

 腹太鼓の打てる者は陽気に叩いて音頭をとり、太鼓を打つには少し細い雌狸たちは音頭に合わせて唄を歌って、満月の夜をステージライトに見立ててた狸のライブが始まった。

 真夜中の月明かりの中で面白おかしく陽気に騒いで歌い踊っていると、寺の障子が少しだけ開き寝ていただろう僧侶が顔を出した。やっと釣れたと楽しくなってしまい、最初の目的であった追い出すことは二の次となってしまった狸たち、釣れた釣れたボウズが釣れたと陽気に騒いで楽しく歌っていると、僧侶が寺から何を携えて出てきた。

 縁側に腰掛けて携えたもので何をするのか?

 演奏し歌いながらもボウズに注目する狸たち。そんな少しだけ同様してズレてしまった音頭を立て直すように、肩に担いだ鼓を打ち始めた僧侶、その音を聞いた大狸、狸相手にお囃子勝負を仕掛けてくる僧侶を面白がってしまい、腹太鼓と鼓の打ち合い、音頭の取り合いとなってしまった。

 しばらく続けても決着がつかずに体力が限界に達すると、今晩はこれまでというように一斉に引きを見せる竹林の狸達、僧侶の方も感づいたらしく、最後の一匹が寺から逃げるのを見送り誰もいなくなった庭で一つ、ポンと打って本堂へと戻っていった。

 それからさらに三夜続いて、その度に狸たちと僧侶の音頭の取り合いは続いた、どちらも面白がってしまい追い出すことも退治することも考えていない者達、そのうちに互いに微笑んで太鼓を打つようになっていた。

 

 しかし4日目の晩に変化が起きる、そろそろ来るだろうと鼓を携えて待っている僧侶だが狸たちは一向に現れない。不思議に思いこっそりと寺から抜け出すと腹を射られ血を流す瀕死の大狸を見つける。場所は毎晩演奏をしていた庭の塀を越えた辺り、今晩も演奏をするつもりで来たところに運悪く軍場通いの参拝者でもいたのだろう…矢を受けて血を流し弱る大狸、そんな姿の狸を不憫に思い僧侶が寺へと連れ帰った。

 意識なく最早手遅れと思えた大狸だったが翌朝には何故かピンピンとして庭先で横になっていた、大狸自身も何故生きているのか不思議に思ったが毛皮に残る燻されたような匂いから、寺内で清められ法力か何かで助けられたのだと悟った。

 

 それからしばらくして更に力を蓄えた大狸、すっかり一端の化け狸となり人の姿も取れるようになった頃、あの時に生きていた僧侶は既に亡くなっているだろうがそれに関わりある者がいれば、その者に恩を返そうと再度寺を訪れた。物売りに化けて寺を訪れるとやはり僧侶は死んでいたようで、後を預かっている僧侶によく似た尼公にある物を格安で売りつけた。売りつけた物は唯の茶釜、そこいらの町に行けばいくらでもある唯の茶釜を狸はこう言って売りつけた。

 いくら汲んでも尽きない茶釜、小さな力だが参拝者に振る舞うには最適な茶釜だと言って尼公に売りつけた。言葉巧みに売りつけられた茶釜だったが尼公は綺麗に騙されたようで、小さな事でも参拝者にはありがたいものだ、福を分けるような茶釜だと言ってこれを分福茶釜だと銘をつけて、今後寺で大事に使わせてもらうと穏やかに笑み狸に礼を言った。

 物売り狸も返事に喜んだが少しだけ約束させた、使う時は夜に茶を沸かす事と直火にかけてもいいが必ず蓋は閉じるようにという約束。それくらいならいつまででも守れると笑む尼公を信じて物売り狸は寺を出た‥‥ように見せかけた。その晩物売り狸は寺に忍び込み売りつけた茶釜に宿った、売りつけたものとそっくりだが横に一筋縞の入る茶釜。

 狸の恩返しとは尽きない茶釜を売ることではなく、茶釜に化けて力の続く限り寺を守り続けるという物だった、一度は失いかけた命、それを拾ってくれた縁者に返し守るのなら誇りある化狸としてやり甲斐があると考えての事だった。

 しばらくの間は狸の約束も守られていたのだが、寺の尼公が集まりに呼ばれしばらく留守をしている時に一つの約束が破られてしまった。

 直火でも構わないが必ず蓋を閉じるという約束、修行に来ていて茶釜を任されていた小僧がこれを忘れて蓋をせずに火にかけてしまったのだ。いくら力のある化狸だといっても、自身の定めた用法以外で使われてしまうと妖力で庇いきれない部分がある、この大狸は蓋を閉じてもらうことによって自身の力を内に閉じ込めそれをお茶に変えていた。

 それが蓋をされずに火にかけられては力が流れてしまい、妖気は流れ、水は沸騰し続けて枯れていき、最後には茶釜本体を焦がすことになってしまった。たまらず変化を解いてその場は逃げた大狸、火傷が癒えてどうにか戻れる頃に再度寺を訪れてみると、狸の力などない先に売りつけた茶釜を使う尼公の姿があった。

 恩を返すつもりが騙すだけになってしまったと落胆し、全てを正直に話そうと再度物売りの姿を成し尼公に向かって懺悔した大狸、全てを聞いた尼公は騙されたと激高すること等なく、十分に恩は返してもらったから後は好きに生きてくださいと謝る狸を許した。

 仇で返してしまった物を再度恩で返されては立つ瀬がないと、今後も寺を守り続けると尼公に向かい誓った大狸。

 それならばと尼公が言った事、自分はもうすぐ都へと出立してれに戻ることは叶わない、私の代わりに寺を守ってくれるならそれ以上の恩返しはない。

 そういって狸に向かい頭を垂れる尼公、そんな姿に心打たれた狸は何があっても守り通すと誓いを新たに尼公を起こした、しばらくして尼公が旅立った後、大狸はあの時の誓いを守りその後も寺を守ることになった。

 

 

「…なんて話だったらどうする、小鈴?」

「とりあえず聖さんに鼓を渡しますね」

 

「冷静ね、面白くないわ」

「いえ、読み聞かせていた話と随分違うので信憑性が」

 

「あら、事実は小説よりも奇なりっていうじゃない」

「それでもですね‥事実って‥‥え?」

 

「おっと、滑らせたわね」

「どれなんです? アヤメさん? ねぇ?」

 

 二人で並んで見守る舞台、舞台の内容は分福茶釜。

 小鈴が里の子供に読み聞かせていたものを舞台にしてやってみようという思いつきから始まった物、狸の話と聞いて小鈴と並んで遠巻きに眺めている。

 話の主役、祐天上人に扮したのは妖怪寺の魔住職 聖白蓮和尚。

 この話の和尚役をやるにはうってつけだろう、人間達の間では法力の高い修験僧だと言い伝えられていて、その通りに書物や絵本になっているが、実際は僧侶喰いという妖怪に身体を乗っ取られてしまっていて、外見は人間のままだが中身はほとんど妖怪だった‥‥という体にしていたはず。

 まぁいいか、細かいとこは気にしない。

 聖の方に話を戻すとして祐天上人も言うなれば妖怪僧侶、成り立ちは違うが今の聖とは近しい存在だろう、伝わる話が怨霊退治やら幽霊退治ばかりしかない事を怪しく感じたあの九代目が、住まいの書物を調べ直してみた結果わかった事だ‥‥テキトウにはぐらかして伝えておいてよかったと今実感している。

 それにしても悪くないキャスティングだ、自分で言うのも何だが真似されてもそう悪くない相手だと思える、いつも冷静で笑みを絶やさない辺りなんかそっくりだ。敢えて違いを述べるなら、あのライブで披露したのは分福ロックではなかったって事くらいかね。

 それでもその辺りが聖らしさか、響子ちゃんの鳥獣伎楽も表には出さず応援しているようだし、自分もあんな風にやってみたかったのかもしれない、さすがに三味線掻き鳴らして念仏唱えるまではしないが、三味線ロックもそれなりに楽しそうだ。ああやって楽しんでくれるなら、あたしの黒歴史もそう悪くないと思えた。

 寺を大狸に任せた後にマミ姐さんの所でうっかり口を滑らせてしまい、身内を謀るとは何事かと大層叱られて大泣きさせられたのはあたしの黒歴史だ、あの時は素直に泣いて謝ってどうにか許してもらえたが、再度口を滑らせてしまい隣で煩くなってしまったこの子はどうするかね?

 

 ふむ、真似されたんだしあたしも真似するか。

 三味線は鳴らせないが、口三味線は十八番だ。



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第百七話 恒例行事は変わりなく

鐘を撞いて払われる前に そんな話数


 薄く積もった初雪のせいで夜中だというのになんとなく明るく感じられる迷いの竹林、林を見上げれば緑の竹にすこし積もる白が映えて見た目に美しい姿となっている。雪自体は降り止んでいるが葉に積もった少しの雪が偶に吹く風に飛ばされて、量も場所もランダムに降ってきている。

 我が家を出る頃には既に降り止んでいてコートを羽織って前を締めるだけで出たのだが、その不意に降ってくる雪が首筋から入って背筋を伝わり肩を竦める事になったので、今はフードも被り視界悪く歩いている。フードに付いた白いファーのせいでいくらか視界が悪くとも、ここはあたしが幻想郷に来てからすぐに住み着いた歩き慣れている土地、名の通りに迷ってしまったりする事なく、通い慣れた獣道を人里方面に向けて歩んでいる。

 

 毎年恒例となっている八雲の式とのサシの愚痴吐き飲み会、夏頃に主にフラれてからそれ以降は主も式の方も顔を合わせることもなくて、今年は無い物だと思っていたが、数日前に式の式が例年よりも早めに言伝を届けてくれた。届けてくれた橙に礼を言って予定日まで何事もなく過ごしていたが、いざ当日となると少しだけ足取りが重い。

 主にはフラれたが式には直接フラレていない、例年通りなら今夜も式しか来ないのだし気にする必要もないとは思うのだが‥‥それでも結構気になっていて、誘いだけで本人がいなかったり式にもフラレたりしないか、不安なままに屋台に向かっていた。

 あの時に余計な事を考えなければ、秘めたモノは秘めたままにしておければこんな風に悩むこと等なかったのかもしれない、いつもいつも曖昧な物言いしかしないくせに、慣れない誓いなど立てるんじゃなかったと、珍しく悔やんでいる。

 足を動かす度に立つカサカサという足音、これみたいに乾いた感情で常にいたつもりだったが、いつの間にか変わっていたようで‥‥あたしの感情も竹葉の上に降り積もった雪のせいで湿気ってしまったらしい。煙のくせに、心に宿るモヤモヤとしたモノを鬱陶しく感じてしまい、どうにか晴らしたいなどと考えている‥‥晴れれば少しは楽になる、そんな保証もないというのに。

 

 心を曇らせる霧が晴れぬまま歩いていくと見慣れた赤提灯が見えてきた、けれどいつも先にあるはずの九尾の姿はなく、屋台の長腰掛けには誰も座っていなかった。始まりも気まぐれで交わした口約束だったし、終わるときも気まぐれで終わるものなのかね?

 結局式にもフラれたかと、何故か分からないが席にいない事に素直に納得し、屋台の暖簾を潜った。

 

「ただい‥‥ま?……なんでそっち側にいるの?」

「おかえり。女将がお揚げを切らしてしまってな、買い出しに出るというので炭を見ていた」

 

「買い出しなら貴女が行けばいいじゃない! いつもなら気を利か‥‥」

「なんとなくだ、どうした? そんなに慌てて」

 

「慌ててなんて‥‥」

「いないと思って慌てたか? そんなに気にしてくれているとは思っていなかったな」

 

「‥‥そうね、いないと思って諦めて自棄酒でも‥‥そう思ってたのにいるんだもの」

「本当にどうした? 何も言わずに交わした約束を破るほど紫様も私も狭量ではないぞ?」

 

 いないと思って気を落とし姿を見て動搖を隠せないあたしを見ることなく、パチっと音を発てている炭を眺めながら正論を吐いてくる 金毛九尾の狐 八雲藍

 暖簾を潜る姿勢そのままで固まってしまっているあたしに座らないのかと、まるでこの屋台の店主かのように促してくる。促された言葉には返答出来ず、指定席である長腰掛けの一番右端にどうにか腰掛けて、かぶっていたフードを捲り上げてから軽く頭を振ると、耳元で鎖が鳴る。

 最近は当たり前に聞いている音だから意識していなかったが、藍に心を乱されていつもとは違った心境になっていたからか、久々に聞こえた枷の音を意識する事が出来て少しだけ落ち着くことが出来たが‥‥それでも冷静さを取り戻せるほどではなく、取り繕うこと等出来ずに本音を漏らしていた。

 

「口約束だったし、紫さんにはフラれたし‥‥もうないと思ったのよ」

「フラれた? 紫様相手に色仕掛けでもしたのか?」

 

「聞いてないのね‥‥ならいいわ、忘れて」

「私は忘れても構わないが、後ろの者は興味津々といった顔をしているぞ?」

 

「後ろって……おかえりなさい」

 

「ただいまアヤメさん、藍さんも助かりました」

「いや、私の方こそすまないな、炙ったお揚げが食べたいなど無理を言ってしまって」

 

「ん? 女将が切らしたって‥‥」

 

 動搖を隠せない瞳で藍を見つめてそう言うと、片側の口角を上げて瞳を輝かせる妖獣の頂点…どうやら綺麗に化かされたらしい、珍しく傾国の美女らしい妖艶さを見せてくれた。

 藍にしてやられる事なんて長い付き合いの中で一度もなくて、少しだけ長く呆けてしまった、目を泳がせて口を開き呆けるあたしはマヌケな顔でもしているのだろう、怪しく笑う九尾の女将とその横で楽しそうに笑う夜雀の女将。

 静かな竹林の中に広がる夜雀の綺麗な笑い声がどこまでも響いてしまっていそうで、それがあたしの失態からの笑いだと気づいて‥‥人間であれば耳まで真っ赤になるほど紅潮してしまった、酷く動搖してしまい俯くことすら出来ず、二人の視線と笑い声に耐えられなくなりそうなところまできて急に落ち着けた、恥ずかしさに負けて自衛のスイッチでも入ったのか、開き直った気になったらしい。

 自身のことなのにらしいなんて曖昧だが、自分でもここまで恥ずかしさを覚えることなんてなかったためらしいとしか言えなかった、それでもいつまでもこのままでいてはそのうち逃げるように立ち去る自分しか見えない、とりあえず開き直ったのならそれらしくと考えたが頭が回るはずもなく‥‥気がつけば気分に任せて思いを曝け出していた。

 

「‥・しかったの」

「声が小さくて聞こえないな、なにか言ったか?」

 

「嬉しかったのよ! フラレて見なくなったのに言伝は変わらず届いて、来たら藍は座ってなくて…すっぽかされたと思ったらいるし、藍は聞いてないって言うし」

「おぉ、アヤメさんが変だ‥‥いや、いつも変な事しか言わないんだけど」

「言い得て妙だな女将‥‥文法も何もあったものではないぞ、少し落ち着け」

 

「いいの、もうスッキリするまで言いたい事を言ってやりたいようにすると決めたの‥‥面倒くさいとか知らない、藍のせいだし最後まで面倒見なさいよ」

「最後まで? また介護してほしいのか? 今はあの付喪神がいるだろうに」

 

 開き直ったつもりが再度藍の言葉で揺れる、しかしこの搖れは別の揺れだ。

 あたしは阿呆か‥‥何で知っているのかなんて聞かなくてもわかる。

 藍の主は覗き魔妖怪だった、姿や気配を感じなくても何処かから見ていたのだろう。

 知り合って何年経ったのかわからないくらいなのに、時には一緒に覗き見したり仕事をしたり、世界作りなんてのもしていたのに……何故今の今まで気にしていなかったのか?

 式になってもいいと言ってみたがフラレてしまったし、愛しい幻想郷をひっくり返そうとしたアレを二度も逃しているから呆れられたと‥‥顔を合わせる必要もなくなったと、勝手にそう考えていたがそうではなかったのか?

 いかん、顔が綻んでしまって止まらない‥まだ席についただけで一滴も飲んでいないのに顔も熱くて耐えられない。

 酔った振り‥‥徳利は……置いてきた、ダメだ逃げ場がない。

 このままだと先ほど思った通りになりそうだ、藍の顔を見られない。

 笑う二人の声を逸らし、向けられる意識も逸らしているのに全くもって効きやしない‥‥使えない能力だ。

 手がない‥‥限界か、逃げるか?

 ‥‥いや、開き直ったはずだった。

 既に自分で逃げ場を潰していた、もう‥‥どうしよう?

 

 いいや、やっぱり逃げよう。

 

 どうすることも出来ずいたたまれず、素早く席から立ち上がり掛けた時にいつもは端に座る九尾が隣りに来て、肩を抑えられてしまい再度着席させられた、抑えられて座り直したあたしの隣に座ってきた藍、腰から生えている尻尾をあたしの尻尾に絡ませてくる‥‥これは‥‥本格的に逃げられなくなってしまった。

 

「最後までと言ったのはアヤメだったはずだが、何処へ行こうというのだ」

「耐え切れないから逃げる、つもりだったんだけど‥」

「そうですよ、年一回だけなんだからちゃんと落としていって下さいな」

 

 そうだった、年に一度の事だった。

 今日を逃せば奢りの酒は来年の今頃まで飲めない。

 それに主から何も聞かされずに来ている藍からすれば愚痴を吐く相手が理由もわからずにいなくなってしまう事になる。少し取り乱しすぎたと自分でも理解している、けれど逃げ出したい程嬉しくて‥あれほど胡散臭いだの、顔を見れば帰れだの言っていたのに、いざ見捨てられていないとわかるとこうも嬉しいものか。

 だめだ、今はこっち方向の事は忘れよう。

 浮ついてるのには慣れきったつもりだったが案外そうでもないものだ。

 とりあえず…飲むか、タダ酒たらふく飲んで忘れよう。

 

「女将、雀酒‥一升枡で」

「最初から飛ばしますね、それに普段は頼まない雀酒なんて‥後で知りませんよ?」

 

「今日は高い物から空ける事にしたの、効果の方もどうでもいいわ。最後まで面倒見させるし、藍も付き合って飲みなさい」

「確か踊らずにはいられなくなるんだったか? 霊夢や霧雨のが酷いことになっていた覚えがある、構わんがいいのか?」

「いい、付き合いなさい」

 

 普段は屋台の飾りにしかなっていない一升枡、それを手に取り女将に差し出す。

 苦笑して受け取り一度水で流してから並々と注がれる夜雀女将特製の雀酒、女将が数百羽もの雀達を手懐けて復刻させた、伝承にある最古のお酒だ。女将が言うには天帝様から直々に許された由緒あるお酒らしいが今は割愛する、語れば頭が冷えてしまいそうだしそうなったら本気で逃げ出してしまいそうだ。

 そうなる前に酔っ払ってしまいたい、枡いっぱいに注がれ水面を煌めかせる雀酒を少しずつ吸い、持てるくらいまで減らして一気に煽り飲み干した。

 味はよくわからない、とても美味しいお酒のはずなのだが今はよくわからなかった、何も言わずに三度枡を突き出してその度に注がれ飲み干す、自棄酒にするには勿体無い上物だが、この際仕方がない。

 藍にも付き合わせて同じように飲ませていると、五杯目で女将がノセてきた。

 

「いい飲みっぷりねお二人さん、おかわりは?」

「フゥ‥‥おかわりよ! もういいの、今日は面倒くさいを極めると決めたの‥それにあれよ? 普段囃子立てる事しかしないあたしが舞うなんてレアよ? 滅多にないわよ?」

「五杯続けて一気とは豪快だな。しかし前者は兎も角として後者は見てみたいものだ、人に色を覚えろと言うのだ、それらしいのを見せてくれるのだろうな?」

 

「あら、そっちが知りたいなら床で踊る事になるけど‥珍しく付き合ってくれるの?」  

「紫様からは戻らなくともいいと言われているし私は構わんが、付喪神に嫉妬されても私は責任とらんぞ?」

 

「そうなったら雷鼓も混ぜるわ、多分嫌いじゃないはずよ? 興味あるみたいだし」

「そうなのか? それはそれは‥‥昔を思い出してしまいそうだな」

「私は遠慮しますね、狸と狐に喰われるなんて冗談にもならない」

 

 勢い良く飲んで酒に飲まれたからなのか、互いに早くから酔ってしまったらしい、普段はノッてくることなんてない藍が縦の瞳孔を開き輝かせる、怪しく輝く九尾の瞳とそれと同じく光らせるあたしの瞳。

 片方はいつも冷静沈着で乱れることとは無縁の従者、もう片方は常にやる気のない眠たい瞳をしているあたし、六杯目があたしの枡に継がれるとそれも一気に煽り微笑んで見せる、それに釣られて藍も枡を煽り、更に注がれたおかわりも同時に煽って飲み干した。本来ならこれくらいで酔うはずもない二人だが、あたしは酔うと決めて飲んでいるためいつも以上に回りが早いようだし、藍も愚痴を吐く相手が潰れる前に一緒に潰れる算段のようだ。

 付き合わせている女将には申し訳なく思うが、偶にすら見せない溺れる姿を晒しているのだ、その代金としては十分だろう、謝罪代わりの心づけじゃあないが後で蓬莱ニンジャやいい香りのする狼女にでも話して笑い話にでもするといい、今夜は阿呆でいくと決めたから後でどうなろうが知ったことではない。

 

 六杯目の雀酒を飲み干して七杯目からはちびちびと飲む、肴に出されたおでんタネを少しつまみながら、共通する誰かに対しての愚痴も忘れずにこぼしながら。

 グチグチネチネチとあたしがこぼすとその全てに対して訂正する藍、九本の尻尾を揺らしてそれはこうだあれはこうだと返してくれる、何を言っても返してくれてきちんと話を聞いてくれる八雲の式様、まかり間違えば同僚になっていた相手。

 二人で話して女将が笑う空間の中、ほんの少しだけ残っていた冷静さで考えた、あたしはフラれたのではなく、愛しい式がこうやって愚痴をこぼす為の外の手飼として残したのではないのかなと、それならいいなと。

 

 女将の用意していた雀酒を飲み干して他の酒に切り替え、それも飲み干して四銘柄がなくなった頃、時間で言えばもうすぐで夜明けという頃合い、最初に飲んだ雀酒の影響が出始めてもおかしくない時間帯まで二人で飲み明かし、そのまま主の元に帰さずに持ち帰った。

 正確には二人で肩を組み千鳥足だったのだが細かいことはいいだろう、帰宅すると案の定穏やかな寝息を立てていたドラマーを叩き起こして、三人で一つの布団に潜り込んだ。寝起でよくわかってない雷鼓を二人で取り押さえ好き放題に始めた辺りで、酒に当てられた意識が曖昧になった。

 翌日目覚めて覚えていたのは、叩かれるより噛まれる方がイイらしい‥‥という事くらい。

 

 余談だが、屋台から帰る最中に、

『今晩借りる』と隣に聞こえないように呟くと、

『一晩だけよ』と何処かから返答が聞こえた。

 例年より早い八雲からの誘い、もしやと思って呟いてみたがまだ起きていたようだ。

 返答した相手が誰か、わからない振りをして帰宅した。  

 








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~正月色話~
第百八話 二度目のお正月


 昨年末から新年を迎えた今も雪が降り続いている、昨年は綺麗な夜空の中での年越しだったが今年は寒い中での新しい年のお迎えとなった。年始を迎えたのは昨年と同じく妖怪寺の縁側、静かに振る雪の中で三人で新年を迎えていた、その時のことを語ってもいいが今は割愛しておく、少し気恥ずかしい思いもしたし両手の荷物を早く下ろしたい。

 

 少しだけ雪が舞う竹藪の中を風呂敷携えてちょこちょこと歩いている、白と緑が綺麗に半々くらいに見える迷いの竹林、未だ雪は降っているが蛇の目を差さずに歩みを進める。

 雪降る中で傘も差さないなんて阿呆かと思われそうだが、ここ迷いの竹林では傘がなくともそれほど苦にならない、鬱蒼とした竹の壁と無数に重なる竹葉屋根のお陰で蛇の目を差さずにいても然程問題がなかった。それでもさすがに持ち歩かずにいられるほど遮ってはもらえないので、隣を並んで歩いている重低音娘に傘を二本持ってもらいあたしは小さめの風呂敷で包んだ少しの正月料理と、あたしの着替えを入れた風呂敷をそれぞれ両手に持って歩いている。

 歩いていると偶に落ちてくる雪塊、重なりあった竹葉屋根に積もった雪が葉では支えられなくなり、そこそこの量に纏まって時々ドサッと落ちてくる、が、能力を行使してこちらには当たらぬように逸らしてちんたら歩を進めている。これまで雷鼓にあたしの正確な能力を見せた事も話した事もなかった為、始めは真上から降ってくる雪があたし達を逸れて落ちる様子を見て驚いてくれたが、数回も見るとすっかり慣れたようで驚く顔は見られなくなった。

 行使する範囲をあたしだけにして雷鼓には雪を被ってもらう、そうしてやれば再度驚く顔が見られるかと思ったが、これから人様のお宅に上がるのだし正月早々濡れ姿では少し失礼かと思い考えただけでやらなかった。確実にいるだろう軍人兎の服を借りられれば濡らしてもいいのだが、雷鼓に着せればあたし以上に胸回りがキツイだろうし、それを見て人様の家で悶々とするのもなんだかなと思い行動に移せなかった。

 

 年始のご挨拶らしく着物を着込んで来てみたがコレは失敗したかね?

 天気のせいで足元が泥濘んでいて積もった葉と雪が合わさり滑りやすく少しだけ厄介だ。

 足元の雪と土が混ざった泥が白の着物に跳ねないように踵からついて小股で歩く。

 そういえば昨年も‥‥季節も場所も相手も違うが隣に付喪神を連れてこうして歩いたなと思い出し、声にならない声で一人微笑む。他愛無い世間話の最中に不自然なタイミングで笑ったからか、何? と尋ねられた。

 笑んだままなんでもないと返答したがそれでも気になるようで、素直に付喪神の事を考えていたと話してみたが納得せず、どれ? と更に追求された。元々が長く一人の奏者に使われることが多い楽器らしく独占欲も強いのかね、独占しようとしてくれるのが嬉しくなり無言で笑みを強めると、よくわからない難しい顔をされてしまった。

 興味を持つ範囲や好奇心はそれなりに強いと自負しているが、独占欲といったモノには疎いあたし、それでも雷鼓の今の表情がどんな感情から来ているのかは聞かなくともわかる。そういう時は妬ましいのだと教えてみると、あたしがよく言っている妬ましいとは少し違う気がすると言い出した。ソレはソレでコレはコレだとケラケラと笑っていると、難しい顔のまま悩む元和太鼓‥‥思ってくれて難しい顔で真剣に悩む姿、あたし自身がちょっとした難題にでもなったようで可笑しかった。

 

 足元眺めてつらつら歩いて着いた先は永遠亭、両手の塞がるあたしに代わって隣の太鼓に戸を叩いてもらい小間使いを呼んでみる、戸を開けて迎えてくれたのは想定していた方とは別の兎詐欺、元旦早々と睨まれるが隣にいる雷鼓に気がついて一瞬でしおらしくなり、快く迎え入れてくれた。

 臆病で親切な兎詐欺の化けの皮は剥がれていないらしい。

 

「囃子方さんに堀川さん、元旦から来てくれるなんて‥‥新年おめでとう、嬉しいウサ」

「昨年もてゐちゃんにはひとかたならぬご厚情をいただたわね、深く感謝してあげるわ‥本年も懲りずによろしく」

「明けましておめでとう、遊びに行くって言うからついてきてみたわ」

 

 新年初顔合わせを玄関口で済ませて三者とも挨拶した後で、隣の雷鼓に気がつかれぬように意地悪く笑いてゐを睨んでみる。笑みに気がついて一瞬だけ口角を上げたがすぐに可愛い兎詐欺の笑顔に戻り、雷鼓にだけ愛嬌を振りまいて手招きしながら屋敷の奥へと子走りで駆けていった‥‥あれの中身を知らなければ本当に可愛いだけの姿だ。

 あれの後について先に行っててと、てゐを見つめて微笑む雷鼓に言うと素直に後をついて行く‥‥いつバレるのか少し楽しみだ。言った通りに屋敷の奥へと歩いていく雷鼓の背を見送り、兎詐欺の消えた方とは別の診察室の方へと顔を出しに行くと向かう途中、もう一人の兎に見つかり声を掛けられた。

 

「あ、いらしてたんですね、明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとう、鈴仙。昨年はお世話様、今年もよろしくね」

 

「なにかありましたっけ?」

「覚えてないならいいのよ、また評価を改めるだけね」

 

 昨年の異変で溺れた後お世話になったからその感謝を述べてみたが、忘れでもしたのかね?

 人里でのろくろ首を抑え切る動きやその後の竹林の会話からこの子の評価を改めて随分と買っていたのだが、忘れるなんて見誤ったか?

 見慣れない薄笑いを浮かべてなにかありましたか?なんて、随分と忘れっぽい兎さんだ‥そんな笑みはあっちの兎詐欺の顔だろうに、少し呆れて見ているとすぐに笑みを変える鈴仙、薄笑いからいつも見ている明るい笑顔に変えて、さっき浮かべた薄笑いの意味を話してくれた。

 

「冗談ですよ、少し真似てみただけです」

「真似? てゐを真似ても性格悪くなるだけよ、真似るなら師匠の方にしときなさいよ」

 

「てゐを真似るなら語尾にウサってつけますよ、さっきのはアヤメさんです」

 

 微笑んで指を差してくる鈴仙、指で差されて呆れていたことを忘れてしまい思薄く笑ってしまった、コレを真似するとさっきのような意地の悪い笑みになるのか、鏡に向かって笑ったことはないから自分の笑みなどわからないが、てゐと勘違いできてまだ良かったと少し安心する。

 以前のあたしならあっちの胡散臭いのを思い浮かべていたかもしれない、あれの胡散臭い笑みに比べればてゐの笑顔はまだ可愛い、しばらく顔を見ていないから薄れて離れてくれたのかね、それならありがたいが‥‥安心はできなか、そもそも鈴仙はそれほど関わりのない相手、完全に安心するには不安が残る。

 なら初詣ついでに巫女で試すか、胡散臭い笑みなど自然に出せないが巫女をからかっていればそのうちに浮かぶだろう、指を差している鈴仙を無視するように目の前で考え事をしていると、差し出されている指でおでこを押されて我に返った。

 また油断していると溺れますよ、なんて中々言ってくれるじゃないか。

 嗜好の海で溺れる前に釣り上げてくれた鈴仙に感心していると、屋敷の奥からイナバと呼んでいる声が聞こえてきた、声に呼ばれて奥へと歩み出す鈴仙に師匠の居場所を訪ねてみると、案の定診察室にいると教えてくれた。

 また後でねと別れて今日は終わりの見えている廊下を進む、永遠亭の入口から左に入った診察室、そこから漏れる灯りを見て元旦からまた何かしているのか、なんて思ったがさすがに元旦から仕事はしていなかった。

 何かを書き留めている永遠亭の名医、覗いている頭を見つけると手を止め軽く指先を上げる、同じように軽く手の平を上げて、診察室に入りながらこちらにも年始の挨拶をした。

 

「先生にはご機嫌よく新年をお迎えのことと存じます、土産話を持って来たわよ」

「それは姫様への土産でしょう? 私には返す物くらいしかないはずだけど」

 

「正月くらい忘れてよ、それに遅くなったから悪いと思って土産物も一緒に持ってきたのよ? 今頃てゐに連れられて姫様に届けられてるわ」

「はいはい、姫様に差し出すなんて返ってこなくても知らないわよ? 気に入ったらしつこいんだから、あの子」

 

「確かにしつこそうよね、そうなったらどうしようかしら? 近所だし預けていってもいいけれど」

「嘘はダメよアヤメ、視線を逸らさずに言ってもバレるものはバレるの‥‥万一の時には返すように言ってあげるから安心なさい」

 

「いつも思うんだけど何でバレるの? 心を読める薬でも作った?」

「少しカマをかけただけよ? 大概の嘘つきは右上に視線を逸らす事が多いの、けれどそれを知っている大嘘つきなら真っ直ぐ見つめながら嘘をつくんじゃないか‥そう思って少しカマをかけたんだけど、当たりみたいでよかったわ」

 

 なんて事はないわと冷静に話してくれる月の頭脳 八意永琳。

 随分前にこの女医から聞いた話、人間が嘘をつく時は見た事も聞いた事もない話をテキトウにでっち上げて話すために、頭の中で言葉を作って嘘話を組み立てるのだそうだ。人がついた嘘の話が不自然といえるほど自然な作りになるのはこのためで、己の中で納得し理解しやすく纏める言葉だから自然過ぎてバレるのだという。

 それで視線だが、人間が記憶に頼らずに何かを考えたり言葉を組んだりするのは左側の脳で、左脳は身体の右半身を動かしているらしい。そうすると無意識化で左側、左脳の司る右半身側に視線を向ける事が多いのだという‥‥もっと細かく話してくれた気がするが細部までは覚えていない。

 全く、それを踏まえて裏をかき真っ直ぐ見つめてあげたのにこの天才にはまるで通じない、口だけで千年以上も過ごしてきたのにそれをカマかけ一つで崩さないで頂きたい。

 まぁいいか、何を言っても論破されるのは目に見えるから言い返す必要もない、この話は兎も角として大事な鼓を返してもらいやすくしておきますか、いつまでもぶら下げていても重いし物々交換の先渡しをしておこう。

 

「訂正するのも面倒だからそっちはいいわ、とりあえずお年始を受け取ってもらえるとありがたいのだけど」

「あぁそういえば、おめでとう。お年始なんて珍しいわね、どうしたの?」

 

「蓬莱山のお宅に元旦から遊びに行く、それに持参するのは手製の蓬莱飾り、正月らしくて洒落てると思わない?」

「くわいのお煮しめはいいとして、金柑の甘露煮といい搗ち栗といい‥大事な鼓と交換する財宝代わりって事かしら?」 

 

「ご明察、あの鼓は譲る気ないもの。手塩に掛けた財宝で足りないならどうにかしてでも持ち帰るわよ?」

「姫様の気に入りそうな財宝だし大丈夫だと思うわ、ちょろぎでも入っているかと思ったけどそういう皮肉はやめたのね」

 

「酸っぱいものは好きじゃないの、酸いも甘いも噛み分けるより甘い汁だけ噛みしめたいわ」

「甘いだけだと麻痺しそうだけど、煙草で麻痺してるし今更かしらね」

 

 昨年誰かに似たような事を言われた気がする、あの時は舌の方が自信があるなんて返したが、永琳にそう返したら切り取られて調べられてしまいそうだ。切られたところで腕や足のように生やせばいいのだろうが、生えるまで話せなくのは困るし血の味以外しなくなりそうで酒も煙草も楽しめないだろうな。

 そもそもきちんと生えるのかね?

 腕や足は常に見られているからあたしの姿として定着していて戻せるが、舌なんてよく見てるのは雷鼓くらいしかいないはずだ、だとしたら記憶に定着していないかもしれないし、場合によっては形が変わってしまいそうだ‥‥雷鼓にも散々嘘付いているし、まかり間違えば二枚舌で生えそうでそれは噛みそうで嫌だ。

 二枚舌なんてどこかの小憎らしい天邪鬼じゃあないんだ、前髪の一部だけ赤く染まっても困る、真剣に悩んでいるともう一つの風呂敷包みも取り上げられて開かれる、そっちはあたし達の着替えくらいしか入ってないが、そう笑うのは何かね?

 

「あら、泊まり? 近所なんだから帰ればいいのに」

「帰ってもいいんだけど、折角だし偶にはね。ダメ?」

 

「患者もいないし台所仕事は楽になるだろうし、それでよければ構わないわよ」

「鈴仙任せの上げ膳据え膳とはならないのが癪だけど、兎のついた餅を調理するのも面白そうね」

 

「明日の朝には雪も止むし、お雑煮はそれからね」

「心の次は天気も読めるのね、その次は何を読むのかしら?」

 

「天気は私が変えるのよ? 年末から降る雪のせいで輝夜がご機嫌斜めなの、寒いって煩いのよね‥それで、うちの上にある雪雲を散らす薬を作ってみたの。 一応飲めるように作ったけど飲んでみる? 灰雲さん」

「‥遠慮しとくわ、本気で散らされそうだもの」

 

 言いながら一つのフラスコを手に取り軽く振る永琳、真っ青で綺麗な薬に見えるが揺らされるとほんの少しだけ煙を立てた、少しだけモヤモヤと漂う青い煙、雲を散らして青空にするからその色なのだろうか?

 気になるが追求はしない。

 余計な事を言って飲まされたりでもしたら、それこそ顔が青くなりそうだ。




少し補足。

蓬莱飾り
関西の方ではおせち料理をそう言う事もあるらしいです。
ウィキペディアさんが教えてくれました。

くわい
百合根みたいな食感の植物です。
最初に大きな芽が一本出ることから「めでたい」にかけたものらしいです

金柑
皮ごと食べる小さいみかんといった感じの物。
財宝としての「金冠」とかけているそうです。

搗ち栗
搗ち栗は「勝ち」に通じることに由来、栗きんとんです。
きんとんは「金団」と書きまして金色の団子という意味で、金銀財宝を意味しており金運を願ったものと記されていました。

ちょろぎ
しそ科の植物、その根ですね。
酢の物で出すらしいですが、漬物が苦手なので食わず嫌いしています。
「長老木」「千代呂木」あるいは「長老喜」なんて漢字をあてて長寿を願うそうです。

それぞれよくあるお節の食材です。
おせち料理はゲン担ぎで色々意味があって面白いです。



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第百九話 再会と出会い

 天に向かって真っ直ぐに向かい伸びる竹林の竹に囲まれた、上から見れば正方形に見えなくもないこのお屋敷、ここに住んでいるらしいお姫様が外の世界で住んでいた造りに似せて作ったお屋敷、外の言葉に宛てがって言うならば北対(きたのたい)といったところになるのか。

 従者の私室となっているのは正面の建物、長いから先ほど同じく寝殿(しんでん)と宛てがいそう呼ぶが、その寝殿から続く長い廊下を歩いて奥の突き当りがここのお姫様の自室らしい。

 

 紫さんにギリギリのところで拾ってもらってこの幻想郷に放り出された先、とある神社で聞いた竹林の話、住む物など誰も居ないと聞いていたこの迷いの竹林に住み始めて数ヶ月した今現在。いつの間にか我が家に居座りお茶を啜るようになった因幡てゐという妖怪兎、こいつと知り合ってから紫さんが話してくれなかったここの事を色々と知ることが出来た。

 竹林と神社以外殆ど知らないあたしに色々と話してくれたてゐ、表情からほとんど嘘だと察する事が出来たが、余所の地名らしいものがわかったのは良いことだった、そんな嘘混じりの助言から、あたしにとっててゐとの出会いは中々に悪くない出会いだったと思えていた、この隠れ屋敷にお呼ばれするまでは。

 紫さんの隙間からポイっと吐出された先、そこに建っていた神社を除けばこの幻想郷に住んでいる誰かの住まいに入るのは初めてになるのか。紹介してくれた自称因幡の白兎はここはやんごとない御方のお屋敷だから、何か失礼があれば従者に皮を剥がされるなんて脅してきたが、それほどの者が隠れ住んでいるとは思えない空気だ。

 時間が止まったような静寂としか言いようのない空間、ここにあるのに閉ざされているような違和感、これの原因がなんなのか気になるところだが、その辺の細かいところは会えばわかるか。

 あたしも元の世界ではそれなりに名が売れていたが、ここでは新参者の無名な狸だ、妖怪兎が言うように力のある者がここにいるとするなら上手く取り入りたいところだ、成功すればこっちで楽しく暮らす足が掛かりにもなるだろうし。

 とりあえず入ってみるか。

 

 因幡てゐに案内されて、素直に後をついて屋敷の中を歩いていく。

 歩いてみてもただの廊下にしか見えないが、なんだろうか? 外と同じく歪に感じられるこの屋敷の空気。内装もおかしなところなどなく至って普通に見える、歩く廊下からも何も感じない‥‥それなのに感じる違和感、違和感だけ覚えさえて尻尾を掴ませてくれないこの屋敷に少しだけ興味が出てきた。

 ちょっと歩いて通された部屋、四方を品の良い柄であしらわれた襖で囲われた部屋、その部屋の中に通されて、待ってろとだけ言うと静かに何処かへ消えた妖怪兎。

 待てというなら待ちますかね、どんな相手が来てくれるのか楽しみだ。

 

 紹介してくれたてゐが真顔で脅してきたからあたしもそれなりに身構えて待っていると、正面の襖が開けられた。

 開けられた襖の中央に立つ、なよたけのかぐや姫様‥‥輝夜? 何故ここにいる?

 それよりも何故生きている?

 本人ではないのか?

 そっくりさん‥‥にしては似すぎている。

 少し試すか、覚えているなら返してくれるだろう‥‥あの頃の性格そのままだったなら。

 

「お目にかかれまして大変嬉しゅう存じます、なよたけのかぐや姫君」

「貴女がてゐの言った私のお友達かしら、なんだか変な表情だわ」

 

 あいも変わらず歯に衣着せぬ姫様だ、こっちは面食らって真顔だというのに変だなどと、しかしどうやら本人のようだ、聞いた噂通りに月へ帰ったと思っていたがまさか幻想郷にいるとは。

 後から聞いた帰らなかったという迎えの牛車、あれも真実だったようだしその辺りの事‥聞いてみたいところだがすぐには無理か、昔話に花を咲かせたいが奥に控える従者の視線が怖い、あれをどうにかしてからだな。

 

「久しぶりって言えばいいのかしら? それとも卑怯者と呼べばいいのかしら?」

「両方でいいわよ、どちらも正しいもの」

 

「そう、じゃあ卑怯者でいいわね。でもいいの? 隣にいるお姉さんの目が怖いし、襖の奥の殺気も怖いわよ?」

「私がいいと言ったからいいのよ、実際逃げたわけだしね」

 

「そうね、課された難題の答えを見つけて戻ったらいないんだもの」

「それについては謝るわ、後で理由も話してあげる。ちなみにあの時の答えは見つかったの?」

 

「見合うものなら見つけたわよ、でも教えてあげない」

「誘い受けをして教えないとか酷いわね、しばらく会わないうちに性格が悪くなったんじゃない? アヤメ」

 

 ダメだ、限界だ。

 不遜な態度でそれらしくしているならまだ耐え切れたが、名前を呼ばれて緊張の糸が切れた。

 堪え切れない、怖い従者をどうにかするまでと思って真顔で耐えていたがもう無理だ。

 なんで白塗りなの? なんで麻呂眉なの?

 紅を差すのも唇の中央にほんの少しだけだし、出会った頃だったなら皆が皆そうだったから違和感ないけれど、その紅は今の流行りではないぞ?

 あ、本格的にダメだ‥‥抑えきれない。

 

「あのね、なんで‥‥いや、変に捉えないでよ? なんでその化粧で‥‥」

 

 言葉にならない程の大笑い、腹を抱えて輝夜を指指しながら一人でヒーヒー言っている。

 笑い泣きなんて何年ぶりだろうか、難題の恨みなんて吹き飛ぶほどに可笑しくて可笑しくて‥‥

 あたしに指差されても不遜な態度を崩さない姫様だったが、あまりにもしつこく笑ったから堪忍袋の緒が切れたらしい、丸く短い片眉を持ち上げると、側に控えていた従者と襖の奥に隠れていたもう一人から十字砲火を浴びせられた。

 けれど正面から風を切って飛んでくる矢も、襖を穴だらけにして放ってくる銃弾もあたしから逸れて屋敷の内装を傷つけるだけ‥‥当然だ、気持ちの良い殺気を浴びせてくれたのだから、ソレに対してなにもしないわけがないだろう?

 逸れる矢の雨を見て訝しげな顔をする銀髪の従者、考えのうちになかった景色が広がっていて怪訝といったところか、いい顔だ、輝夜の笑いから冷めさせてくれる小気味よい嫌悪の表情‥‥堪らないな。

 

 無意味だと理解したのか矢を放つのをやめてくれた従者、襖の方はまだやる気のようだが銃声が少し煩い、音を逸らしてもいいが、少しだけ実力行使して見せておくかね。

 止まない銃弾の嵐の中で優雅に煙管を燻らせて煙を纏う、本来禁煙だったのかも知れないが先に手を出してきたのだから気にしない。

 纏った煙を部屋全体に広げて相手の視界を奪う、そのまま煙の触れたモノを感知して動く、狙いは正面にいるはずの二人以外、頭に耳を生やしている二人のうちの大きい方。

 煙に紛れ近づくと赤い瞳で睨まれる、そう睨むなと強制的に視線を逸らして右手で両目を塞ぐように締め上げ持ち上げた、腹やら胸やら蹴られるが、受ける衝撃を足元へと逸らして流していく。

 落ちるまでもう一握りという辺りで煙の奥で誰かが動き、捕まえていたはずのモノが手元から消えた‥‥何だこれは?

 煙をかき消して呼び出してきた者達を見ると、捕まえていたはずの兎を抱えた従者と姫が立っていた。

 

「やられたからやり返してるのに、取り上げるなんて酷いんじゃない?」

「見誤ったわね、たかが狸と過小評価していたわ」

 

「そう、それほど間違ってないわよ。矮小な狸だもの、間違っていないわ」

「矢も銃弾も当たらない、綺麗に円を描いて逸れる‥‥厄介ね」

 

「褒められて嬉しいわ、お姉さんこそ迷いのない矢で堪らなかったわよ?」

「殺すつもりだったのだけど今は無理ね‥‥私は八意☓☓、言いにくければ八意永琳と呼んでくれていいわ、お姉さんと呼ばれるほど若くないから」

 

「じゃあ永琳、その子を渡す気は? ないわよね」

「聞くまでもないわね、姫様の力まで使う事になるとは少し予想外だったわ」

 

 輝夜の力ね‥‥唯の長生きってわけではなかったか、さすがに。

 煙の中にいるあたしに関知されず獲物を奪える能力とは?

 認識阻害?

 意識的な物への干渉もしくは肉体への干渉、または両方?

 他にも色々と浮かぶがキリがないな、そして対処の仕様がない、従者二人は兎も角として一番厄介なのは輝夜か、再会した友人と事を構えたくはないがどうしたもんか。

 少しだけ斜に構え身構えると、その気はないと小さく両手を広げてみせる旧友、両手に合わせて構えを解くと少しだけ謎の答えを教えてくれた。

 

「口だけかと思ったら意外とやるのね、見直しちゃった」

「見直しついでに教えてくれる? どうやってソレを奪ったか」

 

「他者に認識されない時間があるのよ、その時間を使ってゆっくりと受け取っただけ」

「時間か、さすがに逸らせる気がしないわ」

 

「矢も銃弾も逸れたのはそういう事、イナバの瞳もそれで?」

「真っ赤な瞳で睨むんだもの、明後日の方向を見つめてもらったわ」

 

「大概ね、迎えの者達にいなくてよかったわ」

「自分を棚に上げてよく言うわ、そういえば迎えに来たのに帰らなかったのね」

 

「というのが再開した時の流れ、あたし格好いいでしょ? 惚れ直した?」

「うーん? 姫様には手も足も出ないって事はわかったわ」

 

 先に輝夜と話していた雷鼓にいかに昔のあたしが格好良かったか話したつもりだったが、上手く伝わらなかったようだ‥‥実際に輝夜には手も足も出せないのだが、輝夜もあたしに干渉できないらしくどっちもどっちという曖昧なモノになっている。

 同じく時を止める人間もいるがあっちは安全に止める為、止めた時間の中のモノには干渉できない自発的な不干渉だが、輝夜の場合は認識できないだけで流れている時を集めたもの、時は流れると認識しているあたしの能力はその須臾の中でも変わらず働いており、何をやっても逸れるらしい。

 イタズラでもしようとしたのか聞いたところ、化粧を笑われたのが本当に気に入らなかったらしくて同じ顔にするつもりだったそうだ、持ってて良かった逸れる力。

 そういえばあと一歩で仕留められた鈴仙だがその後しばらく顔を合わせてくれなかった、あの後何度も訪れてその度に生きていたんだから良かったじゃないかと言ってみても、波長が長いから少し油断しただけと突っぱねられてしまったが、長いのならそれに巻かれればいいと、輝夜や永琳に呆れられるほど通ってからかい続けた結果、今のような気安い関係で落ち着いている。

 そうして思い出しついでだが、あの時いつの間にかいなくなっていた兎詐欺は何をしていたかというと、穴掘りをしていたそうだ、何を埋めるつもりだったのか問うとお前の予定だったと話してくれた、随分と用意周到な兎詐欺さんだ。

 それでも仕返しはしなかったし考えもしなかった、あの時運良く鈴仙の殺気に気がつけなければ今頃その穴の中だったわけだし。

 



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第百十話 見つめる先

 永遠に変わらない者達とその従者の住まうお屋敷。

 それを外界の目から遮るように囲い空へと伸びる緑色の無数の筋、その葉に積もった雪が風に煽られて舞い飛ぶ姿、それはまるで花びらのようで見とれるほどだ。

 何十年かの周期に一度だけ、枯れる間際に一度だけ咲かせる竹の花。

 本来なら薄いピンクと紫の間くらいの艶やかな色味の花だが、今あたしの視界をうめつくすのは穢れのない白の花弁雪、穢れを嫌う元月人のお屋敷で見とれるにはこれ以上ないくらいに似合いの物だ、それに気づいてうっとりと眺めている者が、穢れより生まれ穢れを纏うあたしだってのがまた皮肉で堪らない。

 

 屋敷の周囲を囲う壁添に帷子雪を積もらせる庭。

 その中に造られた小さな池、池に架かる赤い曲橋、その欄干に大きな番傘を括りつけてその下で片足立ちで凛と立つ銀のおさげを揺らせる従者、雪舞う冷たい庭先だというのに片足で背筋を伸ばし目を瞑り、両手で軽く支え口に宛てがった横笛を奏でている今の姿。

 同姓でも惹かれ見惚れても仕方がないと言い切れるだろう、それ程に美しくこの景色の主役となっている。惜しむらくはその姿を一枚絵として見られないことか、今は主役の引き立て役として隣に立つ永琳の横で手すりに背を預けて小さな鼓で合いの手を入れている。

 

――遊びに来たなら戯れなさい

 

 あたしの赤い鼓と並んで縁側に腰掛ける、やんごとないお姫様から放たれた不意の一言。

 寄越せといっても寄越さぬくせに自分の思い付き次第で無理難題を吹っ掛けてくるお姫様、どうしたもんかと少し悩み従者に助けを求めてみた結果が今のお戯れ、似たような髪色二人が並び、笛と鼓を奏でる橋の上の舞台。

 客は上司とその家来、もう一人の付喪神は本来奏でる側なのだが偶には見るのもいいものよと、姫に止められ静かにこちらを見つめている、全く知らない笛の旋律を片目を瞑り聞きながら、律に合わせて軽く打つ、打ち合わせ等なく唐突に流れた笛の旋律だったが何故か自然に合わせられた。

 それが雷鼓の手助けから出来たことなのか、今まで培ってきた囃子方としての自力でなのかはわからない‥‥けれど、最初の合いの手で目を合わせてからそれ以降視線を交わらせてくれない相方、目が見えず心中はわからないが悪くないとでも思ってくれたのかね、それならば重畳だ。

 笛に合わせ音色に任せ小さく打って主役を囃し立て、最後の〆だと感じられる笛の調べに合わせて〆を打つ、数拍おいて静寂の後、小さい拍手が耳に届いた。

 数は少ないが心地よい拍手、それを受けて視線を上げれば微笑む相方。

 それに向かい無邪気に笑えた。

 

 屋敷に戻り飲み直し、雰囲気は小さな打ち上げといったところか。

 演奏の主役だった永琳を中心にして笑う声が聞こえて、良い団欒だと横で酒を煽る。

 正月らしく枡で飲むお酒、中身は自分のお酒だが空気が変われば味も変わる、今日はいつもよりも甘みを感じる気がするのは何故だろうな、理由は気にしないがウマイ酒に舌鼓を打っている。

 煽り飲み切り手酌で注ごうとあたしの徳利に手を伸ばすと、珍しい相手が酌をしてくれた。

 

「白兎が白徳利持ってるわ、飲んだらあたしも白くなる?」

「あたしもお前も中は真っ黒だよ、ちょっとくらい入っても灰色にもならんね」

 

 そりゃあそうだと無邪気に笑い、注がれた酒を啜っているとイタズラ兎が悪戯に笑む。

 酒にイタズラでもしたかね?

 珍しくてゐが酌をしてくれたのが少し嬉しく、こちらは上機嫌で飲んでいるだけなのだが。

 

「話を聞かないなんて思ってたけど訂正してあげる、助言はしてみるもんだね」

「お陰様で、改善されて肌ツヤもいいわ」

 

 そっちじゃないと更に笑う意地悪兎、言葉に含まれていたのは生活改善ではないらしい。

 コレではないというならしっぺ返しの方かね、そっちに関しても礼を言っておくべきか‥‥

 ほとんどが自爆だが痛い目に会って気がつけたこともある。

 

「しっぺ返しも受けたわ、泣くほどとは言えないけどね」

「泣いてないならまだ返ってきてないだけよ、さっきのはそれでもないし」

 

 笑みを薄れさせ少しだけ真剣な、それでも意地の悪さを残している表情で見つめてくるてゐ。

 てゐに対し素直にわからないと頭の上に? を浮かべて見つめ返していると、表情を変えずに視線を移す白兎。

 それに釣られて目で追うと視線の先には輝夜と話す赤い髪、雷鼓が何だというのかね?

 

「手を引くより背負ったほうが安心出来るって言っただろう? 背負ってもあいつは火傷してない、予言通りであたしゃ満足ウサ」

「‥‥そうね、大事に背負って手放さない。手元に置いておきたいと思えるようにもなったわね」

 

 自身の事には疎く気がついていなかっただけだったが、言われて気が付いた少しの独占欲、姫と笑いあっている赤い髪があたしの視界で揺れる度に何故か落ち着く、これは悪くない感覚だ。

 それを肴に酒を飲む、飲み干し小さく息を吐くと隣に座っている者が知らぬうちに変わっていた、一瞬見ていただけのつもりがそんなに長い時間みつめていただろうか、まるであたしだけ時間がズレているようだ。

 そんな事を思っていると、隣の時間を止めた従者が酒を注ぎながら何か言っている。

 

「気に入られちゃったわよ、私から姫様に言ってあげましょうか」

「大きなお世話よ、きちんと持って帰るから大丈夫」

 

「真っ直ぐ見つめてるのに今度は嘘じゃあないのね、読み間違えたのかしら」

 

 視線を移さないままで注いでもらったお酒をちびちびと飲んでいると、微笑みながら昼間の読みを考察し始める永琳、間違うことなどあんまりない月の頭脳が思いに耽る姿、顎に人差し指を宛てがい首を傾げる格好が似合わなくて悪戯に笑ってしまう。

 あたしの笑みを見て微笑みを強める先ほどの相方、そう笑われると少し気恥ずかしい。

 

「さっきといい今といい可愛く笑っちゃって、読めないわね」

「お天気は気まぐれだから読めないのよ?」

 

「灰雲さんだから? それなら明日の朝には掻き消えてしまいそうね」

「そうなったら集まる薬でも作ってもらって撒いてもらおうかしら? それくらいすぐ作れるでしょ?」

 

 どうかしらねと笑んだまま返され、持っているグラスを差し出してくる女医殿

 言葉には何も言い返さず酒を注ぐ、枡とグラスを小さく合わせ無言で飲んでまったり過ごす、特に会話もないままに。

 似たような髪色が見つめる先は似たような所、視界の中央にいる者は違うが見ている景色はほとんど同じ、愛しい主と愛しい相手、立場は違うが想いは近い。

 これも似てると言えるかね?

 問いかけはせずに隣を見る、少しだけ首を傾げ薄く微笑むだけ。

 その笑みに薄笑いで返した。

 

 二人で飲んで笑っていると見つめる先で話していた話題が変わったようだ、手招きされて二人共呼ばれる。

 呼ばれて立ち上がり雷鼓と姫の間に座る、姫を右に雷鼓を左に、狭い隙間に割入るように少し強引に腰掛けて話している内容に混ざった。

 話の内容はどうやらあたし、昔からいかにテキトウだったかを入れ知恵しているようだ、言っている事の九割は正解だから何も言い返さずに否定せず聞いていたが、一部聞き逃したくない話題になった、少しだけ訂正しておこう。

 

「雷鼓も気をつけなさい、こいつは飽きっぽいからすぐ目移りしてふらふらするわ」

「飽きっぽいのは否定しないけどふらふら漂うのは仕方ないわよ」

 

「性分だっていうんでしょ? ね、こうやってすぐ逃げ道作って曖昧にするの。首輪付けとくといいわよ」

「狸に首輪なんて似合わないわよ? 多分こっちにつけたほうが似合うわ、ね?」

 

 そう言って隣に座る雷鼓の首に尻尾を緩く巻きつける、随分と太くて顔の半分以上が隠れる毛皮のマフラー。

 ちょっとなんて少しだけ声が漏れる、吐息が少しむず痒くて尾を引くとそのまま引いて体を倒してしまい、あたしの腿に赤い頭が乗る、形は丁度膝枕、尾の緩い縛りを解くと起き上がろうとするのでそれを手で抑えて髪を撫でる。

 少しだけ気恥ずかしそうにしてくれたが、構わず髪と頬を撫でていると諦めたのかされるがままになってくれた、太鼓の膜らしくもう少し反発してくれてもいいのだが、可愛いからいいか。

 

「私と話している間はもっと賢い感じで、永琳みたいだったのにおとなしくなっちゃって」

「可愛いでしょ? お気に入りなの、あげないわよ?」

「最初は土産物なんて言っていたくせに」

 

「あぁそうだ! 先に行っててなんて人に押し付けて何してたの!? 」

「笛吹き名人とホラ吹き話しをしてたのよ、おかげで土産話を話さずに済んで楽だったわ」

 

「それが狙いで連れてきたのね、なら献上品らしくこっちにいようかな‥‥姫様のが大事にしてくれそうだし」

「あら? アヤメ、フラれたわね? 私はいいわよ、雷鼓をからかうのも面白いし」

 

 ね、なんて言いあって笑う二人。

 そのうちのあたしの膝に乗る赤い頭の方、その両頬に手を添えて真上を向くよう軽く押さえる。

 吐息のかかる距離まで顔を近づけて一言。

 

-少しうるさい、渡さないわ

 

 と言いながら騒がしい口に唇を合わせた、口づけした瞬間は話している時よりも煩かったが、舌を絡ませて黙らせると途端に静かになってくれた、少し長く唇を重ねて、雷鼓の吐息が漏れそうになった辺りで唇を離し、伸びる糸を舐めとる。

 すっかりしおらしくなった頭の前髪をかきあげるように撫であげた、本当に可愛らしい。

 髪色と似た色になっている頬を撫でていると、部屋の入口辺りで何かの割れる音。

 振り返ると足元に落として割れたグラスを片付けている軍人兎の姿、丁度真後ろで見えないだろうに、何を想像したのかね、なんでもいいかどうでもいい。

 

「大胆ね、焼けちゃうわ」

「どっちに?」

 

「アヤメに」

「モテて羨ましいわね雷鼓、それでも渡さないわよ?」

 

 あたしの腹側を向いておとなしくなった雷鼓の頬を再度軽く抑える、恥ずかしそうにする割に抵抗はしないようだ、これなら再度見せつけても‥‥と考えなくもないがそうはせずにおいた。

 喜ばれるのは嬉しいが見世物にする気はないし、抑えただけで手を止めると強めに尻尾を握られた、皆に見えないところへの小さな反発‥‥期待に応えてくれる愛しい太鼓だ、本当に。 

 

「あら、続きが見られるかと思ったのに」

「狸の腹鼓なんて見せたら化かさないとならないもの、面倒くさいわ」

 

「偶には化かされてあげてもいいって言ってるのに」

「そんなに暇じゃあないくせに、そんなに浮ついてると今夜は上手に焼かれるわね」

 

 言いながら視線を流す、見ている先は先ほど演奏をしていた庭の方向だが、見ているのは壁で隔たれたその先の者。てっきり人里でしっぽりしていると思ったが、元旦から殺し初めという流れのようだ、お年玉にしては殺伐としているが、どちらも気兼ねなく殺せる相手だしタマを落としなれているから気にもならないのだろう。

 壁を飛び越えて来るかと思ったが玄関口で話す声がしている、正月くらいは礼儀正しく来るらしい、迎えに出た鈴仙に連れられて部屋に入ってきた歪な人間、灰色頭がまた増えた。

 

「新年おめでとう、蓬莱ニンジャさん、殺し合いの前はやっぱり礼儀正しいのね‥奇襲は最初の一回だけって掟があるとかないとか聞いたわ」

「おめ、え? 忍者って何それ、ってかなんでいるのよ?」

 

「妹紅って忍者だったの、長い付き合いだけど知らなかったわ」

「いやだから何の事?」

 

 気合を入れて鼻息荒く意気揚々と輝夜のタマを落としに来た竹林の蓬莱人 藤原妹紅。

 第一声を本来いないはずのあたしに潰されてテンションだけが空回りしている、疑問という顔のままあたし達を一瞥しそれは? と指差し尋ねられた。

 指している先は赤い髪、差された雷鼓に代わり返答しようと口を開きかけた時に永琳の手で口を塞がれた、そのまま代わりに返答したのはてゐ、アヤメのモノだと代わりに言ってくれる‥‥外堀を埋めてくれてありがたい兎さんだ。

 一瞬だけ悩みすぐに理解したらしい、別の意味で鼻息を荒らげて輝夜とあたしの間に座る健康マニア、見た目は若いが死なずの人間で中身はいい年のくせに、こういう話にはすぐに飛びついてくるが‥‥仕方がないか、妹紅に限らず幻想郷の少女は皆こうだ、それならそれらしく少し自慢しよう、愛しい鼓を自慢気に話し、少しだけ恥ずかしいが気にしない。

 今一番恥ずかしいのは多分あたしではないから。



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第百十一話 降り時は心得て

111話 ゾロ目ですね


 酔い覚まし代わりに色のある話と行為をしてみれば、舞台の時とは違って注目を浴びてしまった、恥ずかしくはないがのろけているようで座りが悪い。自慢も出来てそれなりに心地よかったがさすがにと思い、逆上せてしまった頭を冷やそうと今は縁側に腰掛けて浮かぶ二人を眺めている。

 煙管咥えて見つめる先は炎を纏い降り続く雪を溶かしていく蓬莱人と、その炎の動をかき消すように静かに周囲に秘宝を浮かばせる蓬莱人、すっかり見慣れた殺し合い、正確な勝敗数なんてあたしは覚えていないが右隣に腰掛けている従者が言うには6:4で輝夜が勝ち越しているらしい。

 蓬莱人としての年季の違いから差が出るのかね、姫様よりも更に年季を感じられる女医さんに聞いても良かったが‥‥後が怖いので言葉を飲んだ。

 

 大きなバスドラムから重低音が轟くとそれが開始の合図となり、浮かぶ二人がおっ始めた。

 少し前にあたしと永琳の二人が上がっていた橋舞台、今そこには楽しそうに本体を叩く付喪神がいる。夜空で踊る蓬莱人二人の戯れに合わせて響く重低音、腹に心地よく耳に小気味いい振動、喧嘩のリズムを乱すどころかドラムのリズムに喧嘩が乗っかるような形に見える今の景色、ちょっとしたミュージカルのようで面白いものだ。

 輝夜と妹紅が外に出る際に雷鼓が叩いていいかと問うてきた、疼いて我慢出来ないのだそうだ、言葉を聞いていた輝夜から了承を得て今の状態となっている。

 ちなみに妹紅には聞いていない、屋敷の主の許可を得たから他はどうでもいいと思って聞かずにいたが、結構気に入ったようだ、いつもよりも瞳が燃えているように見える。

 

 心地よい振動を感じながら空を眺める。

 妹紅の放つ炎弾を綺麗な枝で一払いする輝夜、払った枝の軌跡が綺麗で少しだけ瞳に残った、一手目は輝夜といったところか、今日はどっちが死ぬだろうかね?

 回りの皆に聞いてみようか。

 

「永琳はどっちに賭ける? あたしは輝夜にするわ」

「私も姫様、って言っておかないと後で煩いわ」

 

「そうなの? 意外と器が小さいのね」

「甘えん坊なのよ、貴女達とは違って誰かがいると出さないけど」

 

 そんなものかと楽しそうに殺しあう賭けの対象を見つめる、不遜な態度と淑やかに笑う姿、後は要らぬ難題を押し付けてくる姿くらいしか見た事がないが、永琳にだけ見せる姿があるらしい。

 それくらいは当然か、互いに月人で互いに終わりの無くなった者同士なのだ、二人にしか感じられない物もあるだろうし、互いにしか見せない姿もあるのだろう、突く事でもない、つっつくのは無粋だろう。

 とりあえず話題を戻して残りの者にも話を振ろうか、兎達がどっちに賭けるかは予想出来るから、もう一人の半分人間にもノッてもらわないと賭け事にならない。

 

「てゐと鈴仙はどっちに張るの?」

「私も姫様で、多分聞いていらっしゃるし師匠と同じく後が怖くなりそうなので」

「それじゃあたしは妹紅にしようかな、不人気じゃ可愛そうだ」

 

「選ぶ理由がそれでも可愛そうだと思うけど、慧音は賭ける?」

「私は別に、妹紅が満足すればそれでいいんだが」

 

 元旦くらい頭のネジを緩めてくれてもいいと思うが、妹紅も多分気にしないだろうし‥‥言う通りにしてもいいが一人だけ仲間はずれのままにしておくのは興が削がれる、どうにかノセられないものかね?

 何かないかと耳をピクリとさせる、あたしの頭を台替わりに両手を載せて空を眺めるイタズラの先輩に助けを求めた、すると左耳の鎖を引いてあたしの問いかけに対し返答してくれる先輩兎、カフスから垂れるスイッチを引いてくれたし口撃を始めてみよう。

 

「慧音一人だけノリが悪いわよ、興が冷めるわ」

「いやだから私は‥‥」

「慧音が期待してくれれば妹紅は更に大満足、あたしゃそう思うけど?」

 

「いい事を言うわね、ついでに勝てば機嫌の良い妹紅をお持ち帰り出来そうね」

「むぅ」

「今日くらいはいいじゃないか、普段はいないのが頑張って拍子を取ってるんだよ? 偶には縦乗りしなよ、先生?」

 

 イタズラ兎とイタズラ狸が互いに鳴らす口三味線、雷鼓の叩くドラムにノセてリズム良く矢継ぎ早にまくし立てると‥‥少し悩んで慧音も妹紅に賭けてくれた、普段ならもう少し手間なのだが先輩とリズムのお陰で酷くチョロい石頭だ。

 硬い意志頭を上手くノセられたと機嫌を良くし尾を揺らすと、先輩兎にしたたかに踏まれた、尾を踏みながら左耳のスイッチを再度引かれる、調子に乗る前にスイッチを切られてしまってはこれ以上やり込めない、OFFにされたし静かに成り行きを見るか。

 ぼんやりと見つめていると隣に座る銀髪と頭の上の兎が二人で話を進め始めた、能力使って意識を逸らしておいたのに、スイッチ切られて能力も切ったりしたからかね?

 

「それで何を賭けたらいいかね」

「お金は必要ないし、何か一つ言う事を聞くってどうかしら?」

「親を差し置いて話を進めないでほしいんだけど」

 

「サマがバレたんだから降りなよ、見苦しいウサ」

「サマって、アヤメさんが何かしてたんですか?」

 

「賭けなんて言ったのにタネについては話さずあたし達をノセた、大方その辺に気がつかないように逸らしたんだろう?」

 

 これだから手の内がバレているとやりにくいのだ、楽しく賭けて一喜一憂するだけのつもりが種をばらされ真っ当な賭け事になってしまった。

 こうなったなら仕方がないか、運に任せて勝てる事を祈ろう、さすがに輝夜に向かう攻撃を逸らしたりはしないし、それをやったら全員からボコられそうだ。

 あたし以外で警戒するのはてゐの能力くらいだが、さすがに賭け事でどちらかに肩入れはしないだろう、あたしを親から降ろした言い出しっぺだ、それをやればあたしにしばかれると理解しているはずだ。

 

 争う二人と重低音を轟かせる付喪神をアテにして湯気を立てるお酒を含む、燗酒よりも冷が好みだが、雪を溶かして周囲に湯気を漂わせる妹紅を見るにはこちらの方が趣がある。

 湯気と共に立ち上る米の香りを楽しんで、小さなお猪口をぐいっと煽る、数度煽ってお猪口を頭の上に上げると、見た目だけは可愛らしい小さめの手が受け取った。

 受け取りそのまま差し出されて、お銚子から数度注いでは差し出されを繰り返した頃、空の方で動きがあった、長いこと血々繰り合っていた二人だが輝夜の腹が燃えている、妹紅の片腕を犠牲にした攻撃が上手い事決まったようだ。

 貫いて炎へと変じる妹紅の片腕、雪と湯気のせいで確認しにくいが片腕を囮にした両腕の使っての特攻、それが綺麗に刺さり炎上しそのまま爆ぜたお姫様、今夜は妹紅の勝ちらしい。

 賭けには負けたがそこそこに楽しめた雪舞台演目の二枚目だった。

 喧嘩の終わりと共に轟いた爆音にかき消されて重低音が止まる、空を見つめて不安そうな表情の雷鼓‥‥そういえば言ってなかった、がいいや、後で纏めて話しておこう。

 取り敢えず場を締めてもらいましょうかね、あたしは先に降ろされたから代わりの親に仕切ってもらう、耳を動かして促すと代理親が仕切ってくれた。

 

「勝った勝った、これは明日の朝餉が旨くなるね」

「負けちゃったわね、永琳」

「そうね、取り敢えずおしまいしましょうか」

 

 言いながら弓を引いて勝者の頭を一撃で射抜く、雪を引いて進む矢が頭を射抜いて突き刺したまま竹林の闇へと消えていった。頭を失いグラリと崩れ落ちながら炎上する喧嘩の勝者、慧音以外が勝者の終わりも見届けて小さな賭博場もお開きとなった。

 

~少女移動中~

 

 視界の先は随分と熱かったが燗酒だけでは温まり切れず、各々順番を決めて永遠亭の風呂に入った、最初に入ったのは演奏で汗を掻いた重低音娘、最初は一人で入っていたのだが先に復活した姫様が後から乱入して、二人ではしゃぐ声が聞こえていた。

 次に入ったのは年配組、賭けに勝ったてゐが永琳に背中を流してとお願いしたらしい、随分とらしくない可愛いお願いだが、これくらいにしておけば後腐れなくまたやり込めると笑っていた‥どうやら何かをしていたらしい、やはり侮れん‥‥後で聞けば、戦う二人には何もしていないが観戦側では唯一の人間である慧音に運を授けたらしい、なるほど一枚上手だった。

 三番手は慧音と復活した妹紅、二人で仲良く入るのはいいがまだ後がいるから湯を濁すなと意地悪く言うと予想以上に早く出てきた。温まるには短い時間で少し悪いと思ったが、勝って火照っているから十分らしい、それなら今夜の慧音も暖かいだろうし何も問題ない。

 最後に残ったあたしと鈴仙、気にせず脱衣場で着物を脱いでいる途中に鈴仙にジロジロ見られて少し困った。

 

「着物って小さく見えるんですね、やっぱり」

「着物だと下着付けないし、洋服より厚手だからどうしてもね」

 

「洋服の時は付けるんですか?」

「下はね、上はインナーで十分なの。何? 気にしてるの?」

 

 小さなタオルを頭に載せているだけのあたしに対してバスタオルで体を隠す鈴仙、同姓で気にする必要なんてないと思うがサイズを気にしてるのかね?

 注意力を逸らして隙を作り巻いているバスタオルを奪うと、小ぶりだが整った小山が目に留まる、戦場で受けた傷でもあって気にしているのかと思ったが、綺麗な肌で羨ましいくらいだ。

 

「何するんですか!?」

「湯船にタオルは無粋よ鈴仙、取って喰わないから安心なさい」

 

「本当ですか? 手が早いって聞いてますよ?」

「聞いてるって‥‥てゐ辺りかしら? 否定しないけど今はそうでもないわよ」

 

「嘘つきは信用出来ないです」

「じゃあ鈴仙に全部任せるから、自分を洗い終えたらあたしも洗ってもらえる?」

 

 え? という返答を聞きながら少しの煙を立てて獣の姿に戻る。

 地底の主に可愛いと褒められた姿になって裸の鈴仙に飛びついた、体重も軽い今の姿では押し倒せず両手で軽々と受け止められる。初めて見るあたしのこっちの姿を気に入ったのか、赤い瞳が少し輝いて抱かれる力が少し強くなるがそれは気にせずに尻尾で洗い場を指すと、両手で抱かれたまま風呂場へ向かいそのまま丸洗いされた。綺麗に全身洗われて鈴仙に抱かれたまま湯船に浸かる、獣の姿では足が届かず鈴仙の腿の上が丁度いい高さでありがたい。

 

「濡れてもそれほどしょんぼりしないんですね、尻尾」

「毛量が多いのよね、尻尾だけ」

 

 バシャンと音を立てて腿から追い立てられる。

 底に届かぬ足で掻いて檜風呂縁につかまり振り返ると、謝りながら再度腿で迎えてくれた、この姿でも話せるとは思っていなかったらしい、さっきのは独り言のつもりだったそうだ‥‥地底の二人に比べて可愛い反応で声に出して笑ってしまった。

 今の姿に似合わぬ意地の悪い笑いだと自覚しているが直すつもりはない、一笑いして表情に出るかわからないがニヤニヤとしているとボソッと何かを呟かれた。

 

「見た目と同じで中身も可愛くなればいいのに」

「何か言った? 元に戻ってもいいんだけど?」

 

 水面で尾を一振りして水飛沫を飛ばす、上手い事掛からずあさっての方向で小さな波紋を広げるだけとなってしまう、思惑通りにいかず、小さな口で小さく舌打ちをするとそれを聞かれて小さく笑われた。その笑みに何か言い返そうとしたが口は兎も角仕草は可愛いというお褒めの言葉を貰えたので、気にしないこととした。

 最後の番手だったからか少し微温くなった湯船。

 鈴仙ももう少し温まっていくようだし、もうしばらく腿を借りよう。

 親は降りたがここを降りるにはまだ早いし、一人で上がるには湯船の縁が少し高い。



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第百十ニ話 素直な出涸らし

 尻尾をふりふりトテトテ歩く。

 すっかり微温くなった風呂に長々と浸かり兎と狸の合わせ出汁を程よく出した風呂上がり、ほのかに上気した顔を見せる兎出汁の素に両手で抱えられ、タオルで全身拭かれた後、寝間着に着替えて出ようと考えたのだが、脱衣場には脱いだ着物と緋襦袢しかないと気付いた。

 丸っと洗われて綺麗になった体で羽織るのは少し心苦しく、診察室に置き忘れたままの着替えを包んだ風呂敷を取りに、冷たい廊下をつま先立ちで進んでいる。チャラチャラと爪の音を立てて歩くのは廊下に悪い気がするが、ぷにぷにの肉球をつけて歩くと結構冷たい。

 冬場の冷えきったお風呂場に入り、冷たい床に足の裏を付ける感覚が嫌でつま先立ちをしている、そう思ってもらえれば今のあたしの気持ちが伝わるかもしれない。

 

 冬場らしく冷えた廊下を少し歩いて足を止める、冷たいなら飛べばいいんじゃないかと思いつくが、どうやらこの姿では飛べないらしい。それならば仕方がないと諦めて止めた足を動かそうと右前足を出したところで、この姿では飛べないはずなのに浮遊感に襲われた。

 腹に感じる誰かの体温、誰に捕まったのかと振り返ると青のメッシュがはいった長い銀髪と、幾重にも重なったレースが綺麗な青のスカートが視界に入る。一曲も二曲もある永遠亭の住人ではない分マシだが、この半分白沢にもあたしのこの姿を見せたことはなく、どんな反応をされるのか少し気になり話さずにいた。

 両手で抱えられたままちょいと歩いて着いた部屋、天上まで届くくらいの本棚に様々な学術書の並ぶ実験室のような雰囲気の部屋、きちんとした私室はあるが、こっちが永琳の私室だと言い切ってもいいくらいには女医の匂いが残る永遠亭の診察室、なんでまたここに連れて来られたのか?

 気になり顔を見上げると苦笑してそのまま離された、あたしの忘れた風呂敷のある診察台の上に離され表情を変えずに口を開く世話焼き教師。

 

「着替えなら早く済ませろ、いつまでも裸では体に障る」

「天然毛皮のお陰で凍える事はないけれど、半乾きだし着替えるべきよね」

 

 ポフンと音を立てて人の姿に戻ると髪と尻尾が少し湿っている状態で戻る、言われた通りに寝間着に着替えて軽く頭を振った、飛沫が飛ぶほど濡れてはいないがそれでも乾ききってはいない。

 とりあえず慧音に礼を言いながら再度脱衣場に戻り、脱いで放置した着物を回収しにいくか。

 慧音に軽く礼を言って立ち去ろうとすると、部屋から出て廊下を歩き出そうとしたあたしの背に向かい少しの言葉が投げられる。 

 

「全身灰色の狸などそうはいないな」

「毛色が違うって事? 今更よ、同胞にも同じような毛色の者はいないし、あたしが少し特殊なんじゃない?」

 

 言うだけ言ってすぐに歩き出す、脱衣場に戻ると脱いだはずの着物が見当たらず回りの脱衣籠を見てもどこにもない、鈴仙辺りに回収されたかね、それなら見つけて聞けば早いか。そう考えるよりも早く動き出していたらしく、皆が集まる部屋へとすぐに戻ると部屋の隅で吊るされている着物と緋襦袢を見つけた。

 回収してくれた上に皺にならぬよう掛けてくれたらしい、自分はブレザー姿だがここの姫様も和装だしその辺は手馴れているのだろう、ありがたい気遣いだ‥‥けれどあったのは着物だけで、ああしてくれただろう鈴仙の姿はない。

 台所仕事でもしているのかね、それなら礼代わりに少し手伝うか。

 皆に使われて使用済みとなった食器やらグラスやらを、そこらに置き忘れられていたお盆にテキトウに積んで水仕事場へ向かうがここにも姿はなく、少し貯まったこれから洗われる予定の食器達があるのみ。放置しても良かったが来たついでだしと、持ち込んだ物と一緒に洗い、手を拭っている辺りでまた背中に言葉を投げられた、さっきとは違う声色ですっかり聞き慣れた幼女の声だ。

 

「新しい小間使いは耳をつけないらしいね、師匠に言って出してもらおうか」

「耳は可愛いのが生えているから間に合っているけど、付けて跳ねてあげてもいいわよ?」

 

「なんだ、可愛さアピールか?」

「こう言うだけでも多少はしおらしく見えるでしょ? それに、てゐからのお願いは早めに消化しておきたいもの」

 

 寝巻き代わりの作務衣じゃあ様にならないが小首を傾げてウインクしてみせる、すると同じ仕草をしてウインクも返してくる見た目幼女な性悪兎詐欺。あたしに比べれば随分と様になる仕草だ、見慣れたピンクのワンピースも可愛いが黒の生地に赤い刺繍の入った今の物も可愛らしい。

 腹の黒さを全身で表していてとても良く似合う格好、意地悪な笑みとその色味からとても幸運を運ぶとは思えなくて口角を上げて笑んでしまう。 

 

「その顔でやる仕草じゃあないね、お願いは後で使うためにとっておくよ」

「後の化け物は出ないわよ」

 

「いつでも化け物だから問題ないね」

「ご尤もね‥‥そう言えば鈴仙を見てない? 着物の礼を言っておきたいんだけど?」

 

 あたしの口から出た礼という言葉を聞いて更に底意地の悪い顔になる大先輩。

 あたしが誰かに感謝するのがそんなにおかしな事だろうか?

 これでも礼儀と挨拶くらいには煩いほうだと思っているのだが‥‥そうとも言えないか、当たり前になり過ぎていて朝の目覚めやその際のお茶について礼を言った事がなかった、それならそんな顔で見られても仕方がないか、こう改まると少し恥ずかしいが偶には素直に言っておこう、親しき仲にもなんて昨年誰かにも言われたし。

 

「いいたい事でもありそうな顔だねぇ、アヤメちゃん?」

「あるにはあるけど今更過ぎて、柄にもなく少し恥ずかしいのよね」

 

「着物ならあたしだよ、これで言いやすくなったかね?」

「そうなの? 皺にならずにすんだわ、ありがとてゐちゃん」

 

 意地の悪さは影を潜めて只々いたずらなだけの笑みを見せてくれるてゐ、こうまですんなり言えるようになるとはあたしも御しやすくなったものだ。

 素直さってやつなのかね、特に気にしてなかったが意外と素直になったのか?

 素直な物言いなんて騙しや化かしの邪魔にしかならないと思っていたが、実際こうなってみるとそうでもないな。

 むしろ素直に騙せるようになり幅が広がった気がしなくもない、これはいい。

 自身の新たな一面に気がついて堪らず微笑むと嫌な顔をされる。

 なんだい、気づかせてくれた人がそんな顔をするなよ。

 

「てゐのおかげで一皮むけた気分なのに、そんな顔をするなんて悲しいわね」

「どっかのスキマみたいに笑うからだよ」

 

「あそこま‥‥胡散臭く見える?」

「五十歩百歩‥‥いや同じ穴のムジナだね」

 

 言い逃げするように軽く手を振り歩き去られた、上手い事言われて言い返す言葉を探している一瞬のスキマでの動き、この間鈴仙に見せた時にはてゐに似ていると感じたが、本人からすればあっちの覗き見妖怪に似ているらしい、どうにもよくわからん。

 まぁ‥‥いいか、似ていると言われても何故だか悪い気分にならないし、てゐの言葉を借りればあっちがあたしに似てるって事になる、狐の主はムジナでした、なんて中々滑稽で面白い。

 あれが狸の姿になったら毛色は紫一色になるかね、それもまた特殊で可笑しいな、暗躍する女狐の狸姿を想像し、台所で一人ほくそ笑んだ。

 

 クックと笑いそのまま台所で一服していると、先ほど助けてくれた世話焼きが食器を纏めて持ってきた、一服するあたしを気にせずにそのままあたしの隣に立って食器を流しに浸していく慧音、なんとなく気が向いて腕をまくり浸される側から洗っていく。

 さすがに煙管咥えたままでは顎が疲れて堪らないので、慧音の浸す食器に当たらぬ位置で軽く小突いて葉を水にさらした。火種の消える音を聞き食器を洗い始めると、浸し終えた石頭が先に洗い終えた食器を磨き始めた。

 

「水切りに置いておけば誰かが片すでしょ」

「いるついでだ、アヤメもそうだろう?」

 

「‥‥そうね、ついでよ、ついで」

「‥‥毛色が違う、さっきはそう言ったが少し違かったな、気色が変わったんだな」

 

 毛色からケシキ? 景色? あぁ気色(けしき)か、景色の語源になった方。

 ここのお姫様が都にいたくらいに使われていた言葉だったか?

 宛がう漢字が変わっただけで意味合いは変わらないからどちらでもいいんだろうが、人に向かって宛てるなら景色よりは気色か。教師らしくえらく懐かしい言葉を使うじゃないか、寺子屋で教えているのは読み書き計算くらいかと思っていたが、得意分野の歴史も教えているらしいし古典も始めたのかもしれない。

 源氏物語という書物だったか、女性の妄想たっぷりのあの小説辺りで使われたはずだ、その辺から知り得たのかね?

 いや、半分は叡智の神獣だしそっちからか?

 なんでもいいか、考えてもキリがないな。

 最後の食器を洗い終えて軽く水を切り手渡すと、感心するような顔でまた何か話してくれる。

 

「手馴れているな、阿求の言っていた通りだ」

「洗い物までやって料理だもの、そりゃあ自然な振る舞いになるでしょうよ‥気色なんて古い言葉を使って、古典も教えてるの?」

 

「いや、古典は私が話すより本人を見たほうが早い場合もあるからな」

「こころじゃあるまいし、里の子供を連れて地獄やらに遠足ってわけにはいかないわよ?」

 

「皆が皆アヤメのように気安い訳でもないしな‥そうだ、私のお願いはそれにしよう」

「悪い予感がするからもう戻ってもいいかしら」

 

 踵を返し歩き出す前に肩を捕まれ逃げ出せず‥賭けのお願いとして一日教師を頼まれる、がさすがに一日は無理だと断ると半日でも構わないと譲歩をする姿勢を見せた。

 頭の硬い慧音が妥協案等珍しい事だしあたしから持ち掛けた賭け事の景品だ、これ以上断っては女が廃る、半日だけならと渋々了承すると、また珍しくイタズラな表情を浮かべる慧音。

 その笑みで気がつく、寺子屋なんて元々午前中の半日だけじゃないかと、疑わず素直に返事した結果、慧音にまでしてやられた‥‥やっぱり素直になんてなるもんじゃないな。

 

 頼むと言って台所を出て行く世話焼き守護者、それと入れ替わりで入ってきたのは最初に探していた元軍人。最後まで使われて今頃になってから洗い物となった食器を持ちこれから洗い始めかとゲンナリとしていたが、他が既に洗われているとわかると可愛らしく破顔した。

 素直にありがとうございますと頭を下げてくれる鈴仙、最初から素直にこの子が見つかっていればあんな流れにならなかったのに、そう考えて少しだけイラッとしたが、破顔したままの鈴仙に毒気を抜かれなんだかどうでもよくなった‥‥素直さとは難しいものだ。

 残りの洗い物を一緒にしながら少しだけ首を傾げた。



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第百十三話 はんごろし

 ついさっきまでは賑やかだったこのお屋敷も宴が終われば静かなものだった、喧嘩をしに来た焼き鳥屋は宴の終わりと共に帰っていったし、一緒に来た美人教師も連れ添って帰っていった。

 姫も焼いてゴキゲンだろうし、この後は世話焼きも熱くさせるのかと健康マニアに下世話な軽口を言ってやると、狸の丸焼きは旨いのかなどと物騒な事を言い始めてしまい、燃え始めた腕と熱くなりかけた頭を冷まして追い帰すのに少し手間取った‥‥狸を焼く暇があるなら早く帰って牛を焼けばいいのに、変な道草を食うな。

 そう思いながら焼き鳥屋の隣に立って苦笑している半人半獣の豊満女教師をジト目で見た、少しくらい熱くして減量させてあげた方が人里で胸へと向けられる視線が減っていいだろう、ライバルも減り好都合だと思うのだが、それともそんなのが好みだったのかね?

 自分はもう成長しないだろうし、隣の芝生が青く見えるから食んでいるのだろうか?

 偶蹄目の芝生を食む健康マニア、肉も草もバランスよく同時に食していて、自称する通り結構な健康マニアだ。

 

 開幕から下な話題なんてどうかと思うが、不完全燃焼なのだから仕方がない。

 しっとりと唇を重ねたあたしのお相手は不死人同士の喧嘩を見ながらの名演奏で燃え尽きてしまい、随分前から静かに寝ているし他所様で叩き起こしてまで襲う気にはならない。

 少しばかり悶々とするが自業自得だから致し方無いとして、このままでは眠れそうにないし‥‥どうしたもんかね、他人様のお宅で一人慰めるのもなんだかなと思うし‥‥

 ちょっと前までは枯れ切っていたはずだが一度火が入るとこうなるものかね?

 完全に枯れていたが元は狸でついでに煙だし、火を入れられればこうなるか?

 元はといえばあの一本角のせいなのだが、枯れ木に花を咲かせるのは人の爺の役割であって鬼はコブを取るものだろうに‥‥なんてよくわからない八つ当たりをしてみたけれど、これも自分で撒いた種だった、悪いのは全部あたしだ、それならば仕方がないな。

 悶々としているがこうなったのも廻り合わせだろう、どうにかして寝よう。

 

 寝ようと思えば眠れるもので、あの後は意外とすんなり眠りに落ちた、初夢も見られない深い眠り、霧の部分で頭を冷やせたのかもしれない、都合の良い体の在り方で助かる。

 それでも初夢くらいは見ても良かったか?

 ここには収集癖のある主が溜め込んだ財宝もあるし、それに肖った宝の夢でも見られるかと少し期待したがそんな事はなく、良くある静かな晩に終わった。味気ない目覚めだと思ったが、あたしが目覚めても起きない隣の者を見て考えを変えた、夢なんて見られなかったのがかえって良かったのかもしれない。初夢なんて見たら見たでそれを気にしてしまいそうだし、元旦早々悪い夢も見たくない、それなら夢なんて見ないほうがいい、期待が大きければ叶わなかった時のダメージもでかいだろうし、何かを負うくらいならない方がマシだ。

 現実でほしいモノ、手放したくないモノが既にあるのだからこれ以上を望むのは野暮だろう、これ以上何かを望んで手に入れたところで矮小なあたしの器じゃ受け切れないだろうし、器が割れてしまっては元も子もない‥‥そうならぬよう程々でいい、それだけで十分だ。

 何事も程々に、破った約束もそうだったし湖で誰にでもなく言い放った苦言もそうだったな、目の前に積まれていく白い山を見て、程々とはなにか少し思い出していた。

 

 朝一番から目の前で搗かれては増えていく餅の山、赤目の兎が昨晩張り切ってたらふく用意したもち米、それを盛大に蒸かしてくれた悪戯兎詐欺のせいで手下の兎が大変だ。

 人型を取れる若い妖怪兎が二人組で頑張っているが、ニ組目になってもまだまだ残るもち米。

 元軍人はニ升を頼んだつもりだったが何故かニ俵用意されてしまったもち米、その内の一俵の半分を蒸かしやがった腹黒兎詐欺、間違いなら断ってもいいと霧雨の旦那は言ってくれたらしいが、量が量だしさすがに悪いと太っ腹な姫様が全て引き取ったようだ。

 余っても兎の餌に出来るだろうし、姫様の能力下にあるここなら悪くなる事もない、本来なら永遠亭の住人が暫く我慢すればいいだけだったのに、目覚めが少し遅かったせいで逃げ出せず、調理だ処理だとなんだかんだで巻き込まれて随分と災難だった。

 

 笑う姫様から餅搗き休憩をしている者達全てでどうにか調理して、白い餅の山に黄色の黄粉餅や、昨年の春に摘まれた母子草を混ぜて搗いた緑の草餅とが混ざっていく。よもぎの方が良かったがこっちしかなかったのだから仕方がない、正月早々母と子を臼と杵で搗くなんて縁起が悪いが、誰も産んだ覚えがないから特に気にしないことにした。

 餅搗き組が三組目に変わった辺りで残りのもち米も少なくなったため、残りははんごろしにしてもらい粒餡で包んで牡丹餅を拵えた、わかりやすく牡丹餅と言ってみたが季節に合わせて言うならば北窓になるのか。 春の牡丹餅、秋の御萩と同じ和菓子でも季節で名を変える面白い菓子、ついでに言っておくと夏は夜船という。

 それぞれ由来もあったはずだが細かい事は覚えていない、後々で気になったら人里の頭でっかちにでも聞いてみようと思う。

 

 蒸かしたもち米を消化しきって一息ついた後、加工せずに残しておいたお餅を焼いて、昨晩に仕込んでおいた鴨出汁と合わせて振る舞ってみたが、評判は上々でそれなりに喜ばれた。

 鴨肉を炙り香ばしさを足した物を煮切り酒と醤油で煮ただけの簡単な出汁だったが、同じく焼いた葱と入れ子にして椀に盛るとそれなりに匂いも見た目も良くなった、セリもあるから臭み取りに、なんて輝夜は言ってきたが出来れば季節の物で調理したい。

 輝夜の能力下にあるおかげでこの屋敷では食材の傷みが遅い、それがあるから昨年の春の七草なんて摘んで取っておけるのだろう、焼きネギだけでも臭みは消えるし、鴨らしい匂いは嫌いじゃないので輝夜の言い分は無視したが、結果美味しく出来たので問題はないはずだ。

 朝餉も済ませてそろそろお暇しようとした頃、お年玉は強請らないのかと尋ねられたが興味がなかった為遠慮しておいた‥‥寄越してくれるなら難題の方が面白い。

 

 皆で作って皆で喰ったがそれでも余る色とりどりの餅群、土産代わりにそれぞれ持たされたが雷鼓と二人で食べ切れる量ではない、我が家に戻り有り余るコレをどこの誰に押し付けようか考えて、雷鼓の分は同じ付喪神に押し付ける事にした。

 雷鼓と同じく初めての新年を楽しんでいるはずの姉妹に押し付けて来いと言い、四種類に包み直した風呂敷を差し出すと、素直に手を伸ばして受け取ろうとする名ドラマー。

 素直に渡さず手を引き抱きとめて、唇の横に少し強引にキスをした、夜には帰って来てくれないと姫始めにならないわと、ちょっとだけ期待させると、テキトウに帰ってくると微笑んで荷物を受け取り飛んでいった。焦らしたつもりだったがサラリと流されて、これはあたしが焦らされたのかもしれない、可愛い割に意外とやり手でそれが堪らなく、少し疼いた。

 風呂敷抱えた背中を見送り考える、残りの半分はどうしたもんか…

 

~少女移動中~

 

「それで、なんでウチに来た?」

「白いお餅を見てて思いついたのが貴女の足だったのよ、小豆粥代わりの北窓もあるし‥いらなかった?」

 

「いや、食うけどさ‥‥餅の色だけて‥‥安直過ぎないか?」

 

 包み直した四色のお餅を手渡して今は縁側に座り込みお屠蘇代わりに徳利を煽っている、ここの者達も元は日ノ本の国生まれだがその教えから元旦を祝うことはしないようだ。

 小さな灯籠とランタンがそこそこ並べてあるくらいで、日の本らしいお節や縁起物といった物は見当たらない‥小豆粥も喰った形跡がないがこれからか?

 口は悪いが腕はいい蘇我の娘さんだから旦那様に合わせて作るのかもしれないな、一片死んでから蘇った今も添い遂げ続けるなんて妬ましいわ。

 しかし少しは祝ってもいいのに、祝い事なら何でもいい日本人らしくないがここの者が学ぶ道教に照らし合わせればまだ小正月にも早いから祝ったりはしないのか、あっちだと本番は翌月だったっけかな‥‥ならその頃に再度来てみるか、娘々の淹れてくれたお茶もまた味わいたい。

 娘々の生まれた土地のお茶と言っていたがなんという銘柄だったか、思い出せないが言えばまた淹れてくれるか?

 それならありがたいな、漂う羽衣をどこかで見かけたらお願いしてみよう、お裾分けという名の押し付けに思いついただけだったが来てみるものだ、先の楽しみが出来た。

 取り敢えずその辺りの事はこのくらいにしておいて、続きは翌月にでも考えよう、あまりほうっておくとこいつはすぐに煩くなるし。

 

「娘々と芳香は兎も角として太子と布都もいないのね、置いてけぼりなの?」

「あ゛? うるせぇ、あたしは留守番だよ‥‥太子様と布都は形だけの新年回り、青娥はその辺ほっつき歩いてるよ」

 

 白魚のような綺麗な足先をふよふよとさせて、悪態をつきながら質問に答えてくれる神の末裔の亡霊、そういえば昨年訪れた時に思いついた悪戯だが無事に実行することが出来た、あたしに向かって奔る稲光を逸らしながら追い回して、苦なく足を撫で回すことが出来た。

 温度は亡霊らしくひんやりとしていたが頬ずりするのに丁度いい冷たさで、太子がこいつの膝枕を好むのもわかった、肌触りの方は予想以上にスベスベで驚かされた、あっちの半霊はプニモチっとしていたが全霊のこいつはスベスベで心地良い物だった。

 気に入り暫く撫で回していると不意に見せた昔の顔、あたしを見つめ瞳を潤ませる姿が可愛くて縛を緩めてしまい、捕まえる前よりも酷い雷光が降り注いできて、苦笑しか出来なかったのを覚えている。

 

「そうだ屠自古、おろし金って余ってない?」

「おろし金? あんなもん余るもんじゃねぇだろ」

 

「そうよね‥‥うちのやつが錆びちゃったのよ、帰りに買っていかないと」

「あん? 来たばっかりで帰るのか?」

 

 怪訝な顔でこちらを睨む蘇我氏の亡霊、あたしなら帰れと言われても太子の帰りを待つ、そう考えての返答だろうが今日はすんなり帰るつもりだ。ここで楽しく過ごしてもいいが今日は帰らないと別の相手から雷を落とされる、それはそれで気持ちいいかもしれないが今日は焦らされているし、受けよりも噛みつきたい気分だ。どちら側でも美味しく戴けるが昨年受け身だと言われたし、姫初めくらいは攻めておこう‥そっちの方がきっとオイシイはずだ。

 とりあえず目の前にいる方の雷娘の帰ると伝えておくか、買い物もしなければならないし。

 

「帰るわよ? 想い人の帰りを待たないと」

「フンッなんだ、古狸のくせに、春にゃあ早いぞ」

 

「獣だからいつでもいいの、お裾分けも出来たしおろし金と大根買って帰るわ」

「‥‥てめぇ、人の足見て思いついたってそれか」

 

「本当は褒め言葉よ? 生きてた頃はそういう意味だったでしょ?」

 

 いつものセリフ『上等だぁ皮剥いで三枚に下ろしてやる! やってやんよ!』

 十八番の言葉を吐きながら立ち上がるとあたしに向かい稲妻が奔るが、何かに吸われるように明後日の方へ逸れていった。パリパリと電気を身に纏い、眉間に皺を寄せる恐ろしい怨霊がそれを眺めイラつく姿を楽しむ、結構面白いもんだとクスクス笑いながら電流を逸らして、軽やかに庭先へと飛び出す。

 光と音もド派手な物で結構なお怒りだ、文字通りあたしに雷が落ちる前にさっさと逃げることにしよう、光量から当たれば半殺しでは済まないとわかるし、追いかけてくる表情も鬼の形相だ。

 半殺しに鬼か‥‥ふむ、買っていくのは鬼おろしでいいか、水分少なめのシャキシャキ大根をお餅に乗っけて舌鼓といこうか。

 次は金物ではなく竹製がいいな、錆びないし竹林で搗いた餅ならそっちのほうが合うだろう。

 



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~ちょい甘話~
幕間 大戦争の少し前


 年始回りに訪れた赤いお屋敷の帰り道、ついでと思ってあたしを溺れさせてくれたお姫様を訪ねて二人で白い息を吐いている。お屋敷に入る前はそれほどでもなかったのに、出てきた今は随分と冷え込んでいてただいるだけでもだいぶ辛い。

 季節は冬場のど真ん中、おまけに水辺でついでに雪が積もっているがそうはいってもそれだけでは説明しきれない厳しい寒さ、天気は綺麗に晴れていて、お天道様が周囲の雪や水面に反射しキラキラと輝いている。

 映る景色は綺麗だが、輝いているのはそれだけではないらしい。

 水中の方が暖かいのか顔だけを出して空を見上げているわかさぎ姫、それと同じくフードを被り狭い視界で空を見つめるあたし、二人して見つめる先は雪景色や水面よりもキラキラと輝いていた。光の原因は二つくらいらしくて、どちらも自然界の物だろう。

 片方は冷たさを思わせる青い髪に青リボン、来ている洋服も白の半袖シャツの上から空色のワンピースを着ていて見た目に涼しい。足元も青と水色の混ざったようなストラップシューズを履いていて、頭の先から足先まで綺麗に青い、胸元のリボンが唯一赤いくらいか、氷の羽を背に生やし馬鹿笑いながら冷気をまき散らして飛び回る⑨ 霧の湖のガキ大将 氷精チルノ

 

 その⑨が氷の弾幕と纏う冷気をそこら中にばら撒いたせいで空気を冷たいものに変えていて、あいつが飛び回っていく先からキラキラと空気が凍っていく。

 細氷。ダイヤモンドダストという寒い時期に極稀に見られる自然現象の一つ。今日のようによく晴れた日の朝方に見られるらしいが、今はもう昼前だ、本来なら見られるような時間帯ではないのだが、あの馬鹿がはっちゃけているせいで少し前からこうだとわかさぎ姫が苦笑していた。

 紅魔館を出て遠巻きに眺めていた時は一人で何かを喚いていると思ったが、少し近寄り声を聞くと、どうやら何かを追いかけているらしい、氷精が発生させた輝くダイヤモンドダストの中を、光をねじ曲げている感じで違和感丸出しにして逃げ惑う何かがいる‥‥ように見える。

 ボケっとつったって眺めているだけでは寒すぎて耐えられず、テキトウに枯れ枝を集めて小さな焚き火にあたりながら見ていると、水生生物っぽい少女が陸に上がり寄ってきた。

 

「昼餉に焼き魚、なんてどう?」

「湖には魚はいないとお教えしたじゃないですか」

 

「いや、ほら目の前に」

「えぇぇぇ………出来ればやめていただきたいです」

 

「美味しそうって姫の友達も言ってたわよ?」

「影狼のせいでしたか、後でよく言っておかないと」

 

 焚き火にあたり、困り眉で微笑むわかさぎ姫を見つめていやらしく笑うと八の字眉の眉尻が更に下がる、蹲踞の姿勢で火を囲み、笑みを変えずに魚肉より獣肉の方が好みだと伝えてみると、それなら影狼の方がと友達を逆に差し出してきた。狸が狼を喰うなんて摂理に反すると反論すると、人喰い狸が何を言うんですかと口元を手で隠しながら笑われた、半分魚なのに口は一人前らしい。

 パチパチと鳴る枯れ木の残りが心許なくなったので再度拾い集めて戻ると、火にあたっている部分が乾いてしまったらしい、一度湖に戻る姫、難儀な体だと笑ってやると、難儀な性格に比べればマシなんて、誰の事かわからないが悪口を言って沈んだ‥‥その鱗剥がしてやろうか。

 

 枯れ木を足して火を安定させながら空を見上げる、相変わらず弱まらない細氷。

 むしろ広がっているように見えてどうにかならないかと少し悩む。

 細氷と認識する前に氷霧だと認識していればあたしでもちょっかい出せたと思うが今更だ、火を絶やさず眺めるしか出来なかった。太めの枯れ木で薪を突付いて焚き火の形を整えていると、湖から顔を出して見上げている姫が何かに気がついたようだ。

 ⑨以外の何かが見えたし、⑨の獲物はなんだろうね。

 

「追いかけられているのも妖精みたいですね」

「虫っぽい羽と赤いスカートが見えたわね」

 

 ⑨の放った弾幕がカスリでもしたのか、一瞬だけ見えたもう一人。

 光を透かす四枚羽に赤っぽいロングスカートが見えた後、またすぐに消えた。

 話してみたり何か関わったりした事はないが、以前に何処かで見かけた妖精のシルエット。

 妖精など何処にでもいるし一々気にかけるような事がないので、どこで見かけたのか全く思い出せない、揺らめく焚き火を見ながら煙管を咥えて、少し悩んだ。

 

「囃子方さん、なんだか様子が」

「細氷の原因がこっちに向かってくるわね」

 

 レティさんの様に眼前全てを覆い尽くすほどの規模ではないがそれでも十分に寒い空気、それの中心にいる氷精がこちらに向かい突っ込んでくる。焚き火が勢いで消されぬようにあたしを中心にして能力を行使して、向かってくる風と氷の結晶を逸らしているとそれが鼻についたのか、向かってくる⑨に興味を持たれてしまったようだ、真っ直ぐに向かってくる。

 面倒だし押し付けようかと姫を見ると、目が合った瞬間に水中へと逃げたわかさぎ姫、‥‥ズルい、ジト目でいなくなった姫を見ていると冷たい好奇心が耳元で騒ぎ出した。

 

「あんた誰! どうして私の氷があたらないの!?」

「貴女のファンよ、近くで見たかったから当たらないようにして見てたの」 

 

「私のファン!? あんた妖怪のくせになかなかわかってるわね」

「でしょ? 近くだと眩しくて見られないから、出来れば遠くで格好いい姿を見せてほしいわ」

 

 言葉を受けて気持ちよさそうにふんぞり返ってくれるバカ。

 そのまま後ろにクルッと回り、見てなさいよと飛び立ってくれた。

 さっきまで暴れていた辺りに戻るとまた氷弾をまき散らし、元気よく格好いい姿を晒してくれている、あまりにも御しやすくて張り合いがない。

 冷気が空中へ遠ざかったのを感知したのか、再度顔出した姫をジト目で睨むと苦笑しながら潜られてしまい、そのまま湖の何処かへと消えていった、もう一度こっちに来てくれたら今度こそ鱗ひん剥いてやったのに。

 氷精の方はもう暫くあのままでも大丈夫そうだし、隣で火にあたるもう一人をどうするか、少し話して考えてみようかね、あたしを中心とした能力下の中で、体の半分だけボヤケさせて見えるそれに手を伸ばして足を捕まえ引き寄せた。

 

「ぅお! 何で見えるの!? 雨でもないのに!」

「雨?」

 

「見えてなかったのに捕まえたの!?」

「いや、あたしの能力が何かを逸らしてボヤケて見えてはいたのよ?」

 

 風と氷の結晶を逸らしたつもりだったが他になにか引っかけた?

 いやいや、何年使ってるんだ、間違えるはずがない。

 それならなんだろうか、この妖精に聞いても教えてくれないだろうしこれくらい自力でどうにかしたいが…寒くて頭が回らない、空中で見つけた時はくっきり見えて光が反射したように感じた、それからこいつがネタバレしてくれたのは雨‥‥?

 うん、ダメだ、諦めよう。

 

「アレを呼び戻されるのと答えを教えるの、どっちがいい?」

「どっちも嫌!」

 

「そうやって煩くなるとアレに聞かれるかもしれないし、あたしも驚いて握り潰してしまいそうよ?‥‥どっちがいい?」

「教える方でオネガイシマス」

 

「そう、妖精なのに賢いのね」

 

 光の屈折を利用して姿を消したのだと教えてくれたので、さっそく光を逸らしてみる。

 全部を逸らすと宵闇の人喰いみたいになってしまう気がして少しだけ、曲げる程度。

 そうしてみるとボヤケて見える輪郭がくっきりはっきりとしてきた、少しだけ怯えを見せる青の瞳であたしを睨んでくる妖精、オレンジがかる明るい髪を頭の両側で纏めているリボンといい、着ているスカートや腰巻きといい、あっちの氷精とは対照的な赤い姿。

 頭の白いヘッドドレスが小洒落ててつい撫でてしまうと、瞳の怯えが少し薄らいだ。

 このまま少しだけたらし込むか、頭に手を置き優しく諭すように話す。

 

「突き出さないし食いもしないから、あたしが飽きたら消えて逃げなさい」

「あれ? 霊夢さんから聞いてた話と違う」

 

「霊夢? あの子が何か言ってたの?」

「スキマみたいな奴だから信用するな、捕まったら喰われるって」

 

「妖精なんて喰ってところで腹の足しにもならないわ、いい事を聞けたから逃してあげるつもりだし‥能力もなんとなく似てるからサービスしてあげる」

「そういえばなんで見えるようになったのよ?」

 

 妖精に光が届く前にあたしの方で逸らしていると教えてあげると、少しだけ瞳が輝いた、自分と似たようなあたしの能力が気になったのかね、少しは賢いかと思ったがすぐに好奇心に負けるか、その辺は単純な妖精らしい。

 ならもう少しだけ興味を惹いておくか、能力についてもう少し聞きたい、光を屈折させれば姿を消せるそうだが、どうにか逸らすで代用出来ればあたしにも出来るかもしれない、これは自分では思いつかなかった面白い使い方だ、後で試してみようかね‥‥上手く出来れば面白い物に出来そうだ。

 とりあえず今はいいか、そろそろ逃げ出したいだろうしあたしも寒さに飽いてきた。

 良いことをを教えてくれたし御礼代わりじゃないが、名乗って終いとしておこう。

 

「霊夢から聞いてるかもしれないけど名乗っておくわ、囃子方アヤメ。霧で煙な可愛い狸さんよ」

「おぉ、それは霊夢さんが言ってた通りだ」

 

「あらそうなの、あの子も意外と話を聞いてるのね」

「何の事?」 

 

「こっちの話よ、とりあえず今日はありがと‥後でまた色々聞けると助かるわ」

「えぇと?‥‥まぁいいや、用があるなら神社の奥に来て。逃してくれるみたいだし暇だったら相手してあげる!」

 

 捕まえていた足を離すとすぐに飛び立ち視界から消えた、器用に一瞬で消えてみせる。

 光の屈折率を操作して景色に溶けこむ自然の迷彩といったところか。

 かくれんぼしたり悪戯をして遊ぶにはうってつけの能力に思えるな、暗殺や奇襲にも向いているが無邪気な妖精には思いつかないだろう。

 仮に思いついて実行したとしても人の大人に負けるくらいだ、脅威のきにもなりゃあしないな。

 ぼんやりしてたら薪も切れたし、このままいても冷やすだけ。

 ⑨の意識を逸ら‥‥さなくてもいいな、気にせず放ったままで帰ろう。

 

 帰宅して少し温まり、雷鼓を相手にさっそく能力を使ってみる。

 日光の中でとりあえず全力からと光を逸らして見た結果、どうやら姿は見えなくなったらしい。

 が見えなくなっただけで、遊びにも荒事にも使い道はないだろう。

 湖で考えた通りで姿は消えたが丸くて黒いモヤモヤははっくりくっきり見えるそうだ、確認したいところだが、あたしの瞳にも光が届かなくて真っ暗で何も見えない。

 失敗ね、と何処かで笑う声がして、それらしくそーなのかーと返事した。



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第百十四話 何か始める化け狸

 降り続く粉雪が積もり積もってざざっと流れる垂り雪(しずりゆき)を軒下から眺めながら、手の平の中で湯気を立てているお茶を啜る、先ほど流れた雪に似た音を立てて口に含まれる温かさ。

 真冬真っ盛りの人里で季節物を静かに見つめてまったりとする昼下がり。

 毎日毎日行列の絶えない蕎麦屋で早めの昼餉を済ませてみたが、それほどウマイと感じられなかった。噂にも尾ヒレ背ヒレがついて回るが評判の方にも尾ヒレ背ヒレがつくらしい、十人が旨いと太鼓判を押しても実際に口にするとそうでもない、こう感じるこれは多分種族の違いからだろう。

 人間ならば評判も雰囲気も、並んだ時間でさえも調味料に出来るだろうが、前の二つは兎も角として最後の時間は調味料にはなり難い、有り余る長い時間、死なず変わらずのお姫様達や既に死んでるお姫様からすれば多分終わりのある生命、あいつらに比べればそれほど長くはないのかもしれないが、比べる相手が間違っているだけであたしも十分長生きだろう。

 

 長い妖怪人生の中で金貸しや寺で修行する尼公など、色々と経験してきたつもりだがさすがに教師はした事がない、賭けに負けたのだから潔く顔を出すつもりではいるが何を話せばいいのやら、古典代わりに友人の話をしろと言われてはいるが、どこまで話していいものか線引が難しくて柄にもなく困っている。

 全て丸っと話してもいいが子供らを怯えさせるだけだろう、なんせ大概が人喰いか忘れられているような者達だ、人に近しい友人の事を話してもそれは既に知っているだろうし、聞かせなくとも直接話せる相手ばかり、河童に天狗ついでに化け狐、蛍の少女も知っているだろうし夜雀はあれで意外と人を襲う、今でこそ商売の為に里に近寄り過ごしているが始まれば多分止まらないだろう。

 陽気に歌い可愛く踊り、煌めく爪で肉を裂く。

 そのまま喰らって微笑む姿はあたしからすれば可愛い少女にしか見えないが、喰われる側からすれば身の毛もよだつモノだろう、人と妖怪が近いからその辺りの境界線が曖昧だが、創りだしたアレが曖昧な境界線上にいるようなものだし、そう感じられても致し方ないのかもしれない。

 

 ダラダラと考えながら啜りきったお茶、そのおかわりを頼んで素直に持ってくる店主の爺さん、人喰いだったと言ってみたがそれでも態度を変えない人間。

 舐められているとも取れなくもないが、喰わないとわかりきっているからそうなのだろう、油断してはダメだと少しだけ忠告すると珍しく真顔で頷いてくれた、それでいい。

 暫くまったり過ごしてから再度流れた垂り雪(しずりゆき)に合わせておかわりを飲み干し、代金置いて席を立つと怖い顔して現れたのがいる。珍しく眉間に皺を寄せて腕組みしている人里の守護者、注意力は逸らしていたつもりだったが何処から気がついてきたのか、取り敢えず謝っておくか。

 

「忘れたわけではないのよ? ただちょっと‥‥」

「言い訳はいいからいつ来てくれるんだ? 既に話して子供達も待っているんだが」

 

「あたしってそんなに人気者だったの? それは予想外だったわ」

「ここの孫娘もいるしな、それに山彦と仲のいい子もいるし恋愛相談をしてもらった娘もいる‥私も少し驚いた」

 

 座り直せと促され肩を押されて言われた通りに座ってみせると、正面に立ち両腕は肩を抑えたままで睨んでくれる先生、これはまた脳天に一撃もらうパターンかと少しだけ耐える姿勢で待っていると、コツンと頭に頭を載せられる‥‥いつものキレがないな、体調でも悪いのか?

 頭を載せられ肩を抑えられて、どうにも動けずそのままにいると何かを話し始める教師、骨を響いて聞こえてきて、少しだけダブっているような、こもっているような声で話し始めた。

 

「女が廃るぞ、それでいいのか?」

「てゐから?」

 

「お前の相方だ、正月の時に聞いた。こう言うと頼みを聞いてくれると言っていたな」

「なるほど、一つ聞いてもいいかしら?」

 

「なんだ? 断る以外ならなんでもいいぞ」

「あたしが直接教えなくてもいいのよね? もちろん同席するけれど」

 

 頭を離してこちらを見つめてくる、いいたい事が上手く伝わっていないような顔だ。

 言葉を反芻して噛み砕いている顔で見ている半分白沢、なんでも知っているという半分叡智の神獣が悩む顔は中々にそそるものだ。

 それほど難しい事を言ったわけではないのだが、何を悩んでいるのかね?

 薄く微笑み次の言葉を待ってみた。

 

「それはつまり他の誰かにやらせるって事でいいんだな?」

「そう、悩むほど難しかったかしら?」

 

「いや、そんな事は‥‥危険はないか?」

「多分ないわね、というかあれよ? 本人を連れてくる必要はないって事よ」

 

「ん?」

「古典もやる、ついでに音楽と家庭科でもやりましょうか」

 

 声には出さずに女が廃ると口だけを動かして、煙管をくるくると片手の平の中で回し宙を叩く、これで音楽は伝わるだろう。後の二人もだいぶわかりやすいと思うが思いつかないものかね、古典はちょいと舞ってもらうだけだし、家庭科は商売人であたしよりも旨いはずだ、餅は餅屋、どれも中途半端に齧っているだけのあたしよりも適任だろう。

 

「何をするかは分かった、音楽もわかるが後の二人は?」

「一人は寺にいるだろうし、もう一人は毎晩会っているから頼んでみるわよ」

 

「寺? 毎晩会っているって‥‥ミスティアか、しかし彼女は」

「あたしも喰った、それなのにその差は何かしら? 大丈夫多分そうはならないし、女将もそれほど力のある妖かしじゃないもの」

 

「力はともかく夜盲症がだな」

「誰に向かって話しているの? 寺子屋毎里から逸らしてもいいのよ? どうなるかはわからないけど」

 

 胡散臭い笑みを見せて小さく舌を出して見せると、おでこを片手で支えながら頭を揺らす人里の守護者殿。人間に対して過保護になるところは変わらないが、少しは頭が柔らかくなったのかね、妖怪相手にやり込められて、素直にはいと言うなんて昔じゃ考えられなかった。出会った頃はもっと中身も外身も石頭だったはずだが‥‥まぁいいか今は関係ない事だ。

 とりあえず教師の了承は得たし、早速頼みに行ってみるかね。

 

~少女移動中~

 

 舞い散る粉雪を全て逸らして、ロングコートをはためかせ歩いていく、ポケットに両手を突っ込んだまま泥濘んで飛ぶ泥雪も逸らす、サクサク歩くのに邪魔な物を逸らして進んですぐに付いた妖怪寺、さすがにこの天気では掃き清めても無駄だろうしいつも元気な山彦はいなかった。

 いないなら代わりにやるかと戸を開いて元気よく声をかける、おはよーございます! って時間じゃあないがそれでいいや、誰かに聞こえればそれでいい‥‥声を聞きつけて出てきたのは尼公、澄んだ青で綺麗な、少しウェーブのかかったセミロングの髪を靡かせて不機嫌な顔で詰め寄ってきた‥相棒はいないらしい、少し残念。

 

「煩いのよ、そんな大声出さなくても、普通に入ってきなさいよ」

「響子ちゃんがいなかったから代わりと思って、頭巾がない方が綺麗よ?」

 

「何? 急に褒めても下心が丸見えよ?」

「隠してないし下はいらないわ、こころが欲しいの。いるかしら?」

 

 ぶすくれた顔で睨んでくれるがこころを呼び出してくれる妖怪寺の入道使い、いるだろう奥の方を向いて何度か呼んでいるがそれでも出てこない。

 

「いるはずだけど見てくるわ」

「どうせ上がるし一緒に行くわよ」

 

 見てくると言ってくれたが、最終的に上がりこむわけだし、それなら一緒に行くとブーツを脱いで寺に上がった。粉雪吹いても開け放たれている廊下を過ぎて付いた先は聖の私室、こころの部屋へと向かうのかと思ったが今日はこっちにいるのかね、なんでもいいか、待っていても寒いだけだしさっさと入ろう。

 一輪が声をかける前にガラッと障子を開け放つと、中にいたのは写経をしているご住職、聖白蓮和尚のみ‥‥あれ、目当てのお面は何処行った?

 開け放った障子に手を掛けて止まっていると、ちょいと押されて中に押し込まれる、数歩よろけて振り向くと、軽くて手を振り去っていく一輪、尼さん二人にこうされる覚えは‥‥多分ない、何か叱られることでもしたっけか?

 南無三されることなどないはずだが。

 

「おかえりなさい、冷えますし閉めませんか?」

「二人きりなんてなにされるの‥‥っていいわね、こころにお願いがあって来たんだけど?」

 

「あの子に? そうですか、今度は何をされるんです?」

「寺子屋で舞ってもらいたいの、客は子供ばかりだけど悪い舞台じゃないと思うわ」

 

「寺子屋で能とは、何か思うところが?」

「特には、楽がしたいと思ってたら不意に思いついただけよ‥里に馴染むにはいいんじゃないか、そんな事は考えてないわ」

 

 一瞬呆けた聖だったがすぐにいつもの穏やかな表情に戻る、あたしは正反対の意地の悪い笑みを浮かべて互いに小さく笑い合う。本音を言えば楽がしたくて誰か使えないかと考えた結果たどり着いた思い付き、それに少しだけ甘い汁を混ぜてみただけだ。

 うまい話で怪しまれるかと思ったが、何処にも損のない話だと気がついてくれたらしいし、寺のトップに素直に言ってみて良かった。思っていた通り悪い提案ではなかったようで、穏やかに微笑んだまま、こちらこそ他にも何かあれば協力させてくださいと言ってくれた。

 こころ本人の許可を得ていないが取り敢えず外堀は埋めたし、今は製作者の方に面を出しているというから後ほどまた顔を出そう、いい返事が聞けるといいが、たとえ嫌だと言われてもこころの心を逸らすなりしてどうにかやり込もう。

 ‥‥‥次はそうだな、雷鼓に頼んでみるか。

 

~少女帰宅中~

 

 静かなはずの我が家に帰ればドンチャン騒いでずいぶんと賑やかだ、中に入ってフードを外すとドラムの他にも楽器が来ていた、帰ってきたせいで演奏を止めてしまったようで、動きを止めた楽器たちの視線を一身に浴びてしまう。

 こう見られては何かしないとと思い、左手でコートを開きスリットから足を投げ出してブーツを踵からついた、そのまま小首を傾げて尻尾を振りこれでもかと可愛い顔してウインクしてみせる、結果ドン引きされた‥雷鼓にも引かれてしまって結構なダメージだ。

 ちょっとだけ泣きそうだがここで泣いたら負けだ、何事もなかったことにしよう。

 

「ただいま、姉妹と一緒にライブの練習? 精が出るわね」

 

「雷鼓、これの何処がいいの?」

「今のはちょっとないな~」

「あ~お帰り、雪だし寒いし帰ってこないし‥うちでいいかと思って」

 

 さすがにドラムはよくわかっている、仕込んだ甲斐があってさらりと流してくれた。

 代わりに琴と琵琶が辛辣だがまあいいさ、あたしは何もしていない。

 けれどライブの練習ね、少しノセれば雷鼓以外の楽器も用意できるかね?

 お琴の妹の方はチョロそうだが姉の琵琶が少し面倒くさいかもしれないな、どうするか?

 落ち着けるはずの我が家で頭をつかうのも面倒くさいし力技でいいか、数の力でゴリ押ししよう。

 

「雷鼓、演奏してくれない? 舞台は人里、お客さんは将来楽器に興味を持つかもしれない有望な子供達」

「構わないけど人里でやるの? あの守護者が煩いんじゃない?」

 

「それは既に了承済み、ついでに言えば踊り子も用意するつもりだし派手な舞台に出来るかもしれないわよ? 姉妹も来る?」

「ふむ、面白そうね‥私は話に乗ったけど二人はどうする?」

 

「私はいいよ~」

 

 読み通り雷鼓と八橋を引っ張り込めたし弁々も悪くなさそうな表情だ、恩人と妹が一緒なら来ると思うがもう一押しいるかね、なら追加で何か言ってみようか、ドラムとサイドギターは引っ張りこんだしメインギターとして楽しめそうな物、ヴォーカルを宛てがってみるか?

 寺の協力も得られているし、あの山彦も話せばノッてくるだろう、意思の疎通が出来る楽器達と一緒に聖公認で歌いませんか、そう言えば多分ノッてくるはずだ。

 

「里で知名度のあるヴォーカルも用意するし、やりようによってはメインギターとしてヴォーカルを食えるかもよ?」

「うまい話すぎて素直に聞き入れられないのが」

 

「ならいいわ、別の相手を見繕うだけよ‥騒霊三姉妹辺りにでも声を掛けてみるわ」

「プリズムリバー三姉妹? あれも呼ぶの?」

 

「まだ何も言ってないから来るか来ないかわからないけど、アテがなくはないわね」

「うーん‥‥仕切りがアヤメっってのが癪だけどいいわ、私も乗ってあげるわ」

 

 乗ってきた、代わりに少しばかり話が大きくなってしまったがその辺はいいや、白玉楼か最悪紫さんにお願いしてみようって今は冬眠真っ最中か、なら代わりの式でいいな。

 むしろ藍の方が話が早そうだ、変に引っ掻き回されないで済みそうだし都合がいい‥‥しかしどうやって呼び寄せるかね、この時期の藍は結界の維持に忙しく動いてて里で油揚げ撒いても連れないだろうし‥‥結界か、少し頼んでみるかね。

 儲け話をチラつかせればもしかするとすぐに呼び寄せられるかもしれない、言ってみるのはタダだし話をするだけしてみるか。

 

「取り敢えず纏まったし、次に行ってくるわ」

「アヤメさん、私達以外にも話して回ってるの?」

 

「これから回る感じね、ちなみに次は神社で夜になったら夜雀の屋台に顔を出す予定」

「ついていってもいい? 練習といっても最後の打ち合わせだったし暇なのよ」

 

「構わないけど寒いわよ、乗っけてくれれば雪くらいは逸らしてあげるけど」

「いつもの事じゃない、二人はどうする?」

 

「寒いから待ってるわ」

「同じく姉さんと待ってるわ~」

 

 打ち合わせをしていたからかそれなりに温まっていたのだろう、動きを止めて寒くなってきたようだ、そりゃあそうだ、火鉢に火も入れず竈も動いていない、軽く指を鳴らして火鉢に残る薪を燃やして、竈の方にも火を入れた。

 薪の在庫の位置だけ教えて帰ってくるまで見ててくれと頼むとあっさり了承してくれた、思っていた以上に素直な姉妹になっている。異変の後からあちこち遊びまわって色々見てきたのかもしれない、これだけ気安いなら頼むこっちも安心できるし、後は任せてとりあえず行くか。

 大きなバスドラムに腰掛けて肩寄せ合って飛んで行く、次なる先は博麗神社。

 話が早いとありがたいが、相方もいるしどうにかなるか。

 リズムにノセた口三味線、聞き入ってもらいましょう。




この後の話ですが上書き保存の操作を間違えてしまい、綺麗に消してしまいました
やる気が戻るか復旧でき次第投稿したいと思っています


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第百十五話 始めた狸、あちこちへ

 住まいを離れて幻想の空、腰掛け漂うバスドラムの金具が冬場の空気で冷えていて少しばかり尻が痛いが、乗せて運んでもらっている手前だ、文句は言わずに静かな飛行。

 正面から向かってくる粉雪を逸らして身に受ける冷風も逸らして、隣の肩を抱き寄せて触れ合う所だけで暖を取りつつ、幻想郷の東の端へと向かっていった。

 神社に向かう雪道中、どこまでも真っ白な景色の中に遠くで浮かぶ白以外が視界に混ざる、片方は青と薄い紫の見た目からして寒い様相、もう片方は赤や黄色の暖かな色合いで可愛らしいピンクの日傘を差した可憐な姿。後者は兎も角として前者に会えたのは運が良かった、少しだけお願いしてみて、出来れば吹雪を和らげてもらおう。

 肩に回した腕を少し動かし前に追いついてほしいと伝えてみると流れる景色が早くなりあっという間に追いついた、声が聴こえるくらいまで近寄るとこちらに振り返り足を止めてくれた二人。

 振り返ってくれた二人に向かって手を振ると小さく片手を振ってくれた、そのまますぐに追いついて横に並んで声をかける。

 

「雪花の中の冬に花。随分と粋で妬ましいわね、二人共」

「妬まれるのはそっちじゃないの? アヤメこそ、太鼓打ちから太鼓乗りになったの?」

 

「乗りもするし乗られもするわ、さすがに叩かれないけどね」

「アヤメさん二人は?」

 

「寒い方がレティ、暖かそうな方が幽香‥‥話くらいは聞いた事ない?」 

 

 冬の妖怪に花の大妖かと二人に聞こえない声で呟くお隣さん、思った通りどこかで話は聞いているようで二人を見つめる視線が変わった、初めてあった時に見せた顔、落ち着き払って余裕を見せる表情で互いに紹介を済ませる友人達。

 少し話して二人が先を飛んでいた理由も聞けた、レティさんが太陽の畑に顔を出したついでに幽香を引っ張りだして初詣だそうだ、行く先が同じなら話は早い、このまま付いて行ってついでに巻き込もう。

 

「それで、肩なんて抱いちゃって‥‥なになにそうなの? 話しなさいよ」

「自慢してあげたいけど寒くて口が回らないのよね」

 

 言った瞬間に吹雪が弱まる、例年ならお願いしても微笑むだけで吹雪や寒気を弱めてくれる事なんてないのに、興味があればこうも変わるのか、まぁいいか、お陰様で視界が開けた。

 あれやこれやと細かく聞かれてテキトウに返していく、話している間に組が入れ替わり冬と狸、花と鼓に別れて移動。先を飛んで行く二人を眺めながらレティさんをあしらっているうちに目的地である神社が見えた、大きな紅い鳥居が雪に埋まり巫女のような色合いに見える。

 それに気づいてクスリと笑うと、隣の冬妖怪が春のように微笑んだ、何か笑える事があるなら是非とも教えてほしいものだが、ソレを聞く間もないままに神社に降り立ち社務所に入る。

 中を覗けば炬燵に入るツートンカラーが二人と、頭から角を生やしたのが一人‥‥もう一人小さいのがいるはずだが姿が見えない、まだまだ戻り切るには魔力が足りないと思っていたが意外と早く集まったのかね?

 なんて思っていると山のように盛られたみかん籠の後ろから顔出した小さな姫様、小さすぎて見えなかっただけか、相変わらずちんちくりんで可愛いお姫様を薄く笑んで見つめていると、ツートンカラーが騒ぎ出す。

 

「初詣に賽銭も入れないなんて、あんたらわかってるでしょうね」

「お、荒事か? 退治初めなら私も混ぜろよ、霊夢」

「初詣はついでよ? 今日はお願い事をしにきたの、結界緩めて貰えない?」

 

「魔理沙、早速あの狸から退治していいわよ」

 

 炬燵から這い出してくる黒白ツートンをへべれけ幼女が鎮めてくれて、そのまま足を引っ張り炬燵へと引きずり戻されていった。お陰様で助かったと小さく手を上げ感謝を伝える、両眉を上げて返答してくれた鬼っ娘と眉間に少しの皺を寄せる巫女を横目にして社務所を抜けて台所に立った。

 来て早々に水仕事、開口一番で機嫌がわるくなったのでとりあえず追加分のお茶でも、そう思って何も言わずに台所に立つと背に誰かの声を受けた、花の香りを纏うお嬢さん、こうして二人で話すのは久しぶりか。

 

「頼まれもしないのにお茶の準備なんて淑やかになったわね、名前らしくなったじゃない」

「幽香に褒めてもられるなんて、何か悪い事でもありそうだわ」

 

「悪い事ね、例えば大事なモノが壊れる‥‥とか」

「モノにもよるけど‥‥怒るわよ?」

 

「あら怖い、それなら壊されないように気をつけなさい」

「言われなくとも、そんな事を言いに来たの?」

 

「わかってるならいいのよ、怒らせたお詫びにお手伝いしてあげる」

 

 沸かした湯で人数分のお茶を注いでお盆に載せて持たせると文句も言わずに運んでいった、正月早々挑発なんてどういった腹積もりかね?

 いや、挑発ではなかったか‥‥言葉はともかく殺気も何もない態度で接してきただけだった、あたしが過敏になり過ぎただけか。それでもなんでか気に掛かるのは何故だろうか、虫の知らせってやつだったりするのか?

 いやいや、花の妖怪が知らせてくれたのだから虫と言っては失礼だろう、鼻につくかぐわしい香りを届けてくれたって事にしておこうか。

 

 そろそろ思考を切り替えて次の手を考える。

 紅白には断られてしまったわけだし次はなにで狐を狩ろうか?

 結界を緩める以外に藍を釣り出す方法とは?

 油揚げ炙っても釣れないだろうしあの黒猫も今日はいない。

 台所に腰掛けたままで煙管から煙を立ち上らせて何もない空間を眺めていると、悩む必要なんてないなんでもない事だったと気がつく、紫の眠るこの季節なら藍一人でも開けたり閉じたり出来たはずだ、それならどこでも覗けるだろうし、結界に関わる場所なら常に見ているはずだ。

 結界に関わる事なら今のこの場所は都合がいい‥‥ついでに言えば花やら鬼やら太鼓やらと、随分と危なっかしい妖怪達が揃っている、要の場所に集まる大妖を放っておく事はないはずで、今頃は覗き見に躍起になっているはずだ、試しに呼んでみるかね?

 

「藍、見てる?」

 

 吐いた煙が漂うだけの何もない空間に、いつも見慣れた胡散臭い瞳の空間が開かれる、中から出てきたのは当然八雲の式。冬場によく見せる疲労感のある瞳でこちらを見てくる藍に軽く尻尾を振って挨拶、ほんの一瞬だけ尻尾に目をやると小さくため息をつかれた。まだ何も言っていないがさすがに長い付き合いだけの事はある、これだけでもおねだりしていると伝わったらしい。

 

「暇つぶしなら他を当たれ」

「八雲の式様にお願いがあるんだけど」

 

「お願い?」

「白玉楼にいるだろう騒霊の姉妹、ついでに幽々子にも話していいわ」

 

里の守護者(はくたく)の件か、騒霊は兎も角幽々子様まで巻き込むのか?」

「巻き込むなんて聞こえが悪いわ。美味しい物が食べられるかもしれないし、いてくれれば抑止力になるわ」

 

「どこに対しての抑止力なのか、聞いておきたいな」

「テンションの上がった妖怪連中と人里の一部の人間、ついでに言えばあたしに対しても」

 

 ある程度の数が集まれば騒ぎになるのがこの幻想郷だ、暴れればどうなるかなんてわかっているからそうはならないが、保険が多ければ楽になる、その為に幽々子を巻き込んでおきたい。

 彼女のようなどちらにも属さない立場の者がいてくれれば両方に対して抑止力となるし、最悪の場合は能力で静かにできる頼れる生命保険だ、最悪の時に使ったなら元凶であるあたしも一緒にサヨウナラだと思うが‥‥そうならない為の枷として敢えて近くにいてもらって、あたしが踏ん張りどころで逃げ出さないよう尻尾を掴んでおいてもらいたかった。

 

「ふむ、珍しく追い込むのだな。言伝を届けるくらいの余裕はある、騒霊にはなんと?」

「楽器の付喪神とセッション、ヴォーカル招いてライブでもどう? くらいかしら」

 

「心得た、日取り等が決まったなら再度呼ぶがいい」

「我が家で呼べばいいの?」

 

「自宅で構わん、私が紫様より預かる前からお前の家は覗きっぱなしだ」

「預かる前って‥‥それ、ちょっとした自爆よね?」

 

 何も言うなと言い逃げしスキマの中へと消えていく金毛九尾。

 いつから覗きっぱなしなのか知らないが忘年会の夜には起きていたし、つまりはそういう事なのだろう、しかし聞きたくなかったな、藍の言葉通りだとすればあれ以降は藍に丸見えだったという事になる。見られても構わないと考えた情事なら兎も角として、全部‥‥全部か、後で雷鼓に謝っておこう。

 

 完全にスキマが消えたのを確認して火種を流しに落とす、ジュッと鳴るのを確認してから社務所に戻ると何の話かと素敵な巫女さんに絡まれてしまった、どうせならこの子にも抑止力になってもらうか、人里の寺子屋主催で社会科見学をすると話し始め、それから儲け話へと少しずつ話を逸らしていった。

 全部は話さずテキトウに囃し立てると最初に乗って来たのは黒白、酉の市で売れ残ったガラクタを捌くのに屋台を出すと言い出した、それを受けて巫女の方も悩み出すが、勘を売ればいいと煽ててみると一寸の姫と一緒になって運勢占いをやる事に。

 この流れだと鬼っ娘もノッてくるかと思ったが今回はパスするらしい、飲み屋を開くのもいいが酒は自分で飲んだ方がいいそうだ。あたしの徳利で良ければ奢ると餌を撒いて少しだけおねだりしてみると暇を潰す程度に手伝ってくれる事となった、この人なら丁度いいし気が変わる前に押し付けようと言葉に甘えて天界への宣伝を頼む、この間遊びに来た我儘天人への少しのお詫びと、まだ誘っておらず了承を得られていない面の踊り子の保険代わりに龍宮の使いへ伝言をお願いした。

 おねだりついでにレティさんにもお願い事をしてみる、当日の天気をどうにかしたい、あざとさを捻り出し可愛い顔して尻尾を振って、試しにお願いしてみたらすんなりと引き受けてくれた、これで天気の心配はなくなる。

 最後に幽香だが誘う前に気が向いたら遊びに行くと先手を打たれてしまった‥‥まぁいい、それなら壁の花にでもなってもらおう、静かに微笑んでいるだけなら可憐なお嬢さんだし、景色を彩るにはうってつけだ。

 

 そのままの流れでちょっとした会議となって、妖怪神社で色々と話し色々と決めた。

 まず決まったのは開催日。

 旧暦で言うお正月、どうせやるなら他の祝い事も抱き合わせにしようと主催者権限で押し通した日程だ、各々準備もあるからもう少し準備時間がほしいと言い出しきたが、出店くらいは用意するとごり押して数日後の十八日が予定日となった。道教の宣伝には丁度いいだろうし、娘々辺りを誘うことが出来れば多分他のもノッてくるだろう、ついでに太子を誘致出来ればちゃんとした古典も教えられそうだ。 

 十二分に集まりそうだしこんなもんでいいかと思ったが、あっちの神社を除け者にすると後で煩そうだと言ってくれた巫女の勘を信じて、お山の神社も誘ってみる事にした、早速行くかと片足立になった時に巫女に尻尾を握られる、何も言わずに開いている手の親指で分社を指してくれる素敵な巫女。そういえばあったなと、小さな分社に向かって呼びかけてみたがうんともすんともいわない分社。

 訝しげな顔で首を傾げていると紅白ツートンカラーに笑われる、一杯食わされて眉間に皺を寄せてみるともう一人のツートンカラーと手乗り姫にも笑われた、足元を掬われて地に立てないので、何も言わずにドラムに腰掛けそのまま静かに飛び出した。

 

~少女移動中~

 

 細々とした決め事は儲けたい連中に任せて助言通りにお山に到着、普段とは違う空からの入山ルートだったが最初に会うのは見慣れた天狗。空から振っている白粉を肩に塗りいつも以上に真っ白な狼天狗、頭には頭襟の赤とそれ以外の赤を差し色にしていてちょっと小粋な風に見える。

 新年の挨拶を済ませて面を上げた時に髪に見えた赤く小さな髪留めボンボン、使ってくれているようで何よりだ、今日は珍しく椛に用事だと伝えると、隣にいる雷鼓とあたしを見比べて小さく溜息をつく。

 溜息をつき呆れる椛に、銀杏拾いよりも面白くしたい物があるから出来れば目玉を貸してくれと頭を下げてお願いすると、初めて頭を下げたのが功を奏したのかすんなりと引き受けてくれた。

 

 椛に探してもらうのは天狗記者のどちらか、出来ればアウトドアな方と会えると嬉しい、生命保険を使わずに済ませる為の介護保険としてあいつらの新聞を利用したいのだ。

 昼間ならいないだろうがもうすぐ日も落ちるし、鳥目なあいつらは住まいに帰って来てもいい時間帯だ、 次の新聞用の尾ヒレ背ヒレ作りに悩み、機嫌が悪くなる前に少しおねだりしておきたかった、が先に見つけたのは別の者。

 文を見つけた椛と移動を初めてすぐに発明バカとおかっぱを見かけた、こいつらも話が分かる相手だしついでに抱き込んでおくか、出店作りを押し付ければそっちに割かれる手間も減る、下手な言い訳をせずにビジネスパートナーとして誘ってみよう。

 

「研究費用を稼ぐ儲け話があるんだけど、にとりも一口乗らない?」

「お前が持ってくる話に裏がないわけがない、なにやんのさ」

 

「ざっくり言えば人里をライブ会場にして、テキ屋も出してついでに授業ってところ」

「授業?」

 

「里の子供の社会科見学って感じになればいいと思ってるわ」

「上手くいくの? 儲かる算段がないんじゃちょっとねぇ」

 

 イマイチ食いつきが悪い河童二人、確かに旨いだけの話なんて怪しいし普通ならノッてこないだろう、ましてや仕切りがあたしなのだから、こいつらに信用されなくても仕方がない。

 しかし、このままだと河童にフラれてしまうし何か説得力のあるものはないか?確実とまではいかなくてもいいが、儲かるだろうと思わせるだけの何かを話して釣らないと。

 子鬼のパワハラを使わずにやり込めるモノ、ねぇ…あたしを寒空に追い出してくれた巫女を使うか。

 

「霊夢が話にノッて占いをする、儲かる理由にならないかしら?」

「博麗の巫女の勘かぁ‥‥ちなみに‥‥」

 

 当然こうなるだろうと思った流れ。

 それに関しては止めるつもりはない、上手くやってくれればそれで良い。

 

「主役はあくまでも里の子供って事を忘れないでね、アレにバレたらあたしまで頭突きされるわ‥‥バレないように上手くやりなさい」 

「話がわかるね、上手くやるよ。それで、私達は何を作ったらいいのさ?」

 

「テキ屋の屋台を幾つか、賭けるなら笑えるモノにしなさいよ」

 

 普段は信用ならないがそういう話では信用できると、変な信用のされ方をしているが正しい評価で言い返せない。

 とりあえず神社で決めた事を話して出店の仕切りと現状の参加者を伝えておいた、萃香さんの名前が無い事に安心したのか、片方の口角だけを上げて笑むにとり。

 食いつきは悪かったが釣ってしまえばトントン拍子で話が早い‥‥いや、ドンドン拍子にしておこう、あたしのリズムに相手をノセてくれる相方がいてこその話の早さだ、ついていっていいかと尋ねられて何の気なしに連れてきたがお陰様で大助かりだ。

 帰ったらうんと可愛がってあげないとならないな、姉妹をちゃっちゃと追い払って夜のライブと洒落込もう。

 

 藪から出てきた河童のお陰で人足も増えてこれで出店の方は問題ない、調子よく話が進んで口を出し惜しんでいられたしそろそろ会いたい所なのだが‥‥そう悩んでいる間にあっちから来てくれた、真っ白な雪の中で目立つ真っ黒で綺麗な翼と黒い髪。

 嫌味な営業スマイルを貼り付けて喧しく絡んでくる清く正しい介護保険、いつもなら口煩いと邪険にするが今回はそれがありがたい。

 

「あややや、これはこれは竹林の昼行灯さん‥‥と一緒にいるのは、おぉ!この間の異変の‥‥」

「ライブ会場は人里、人妖関わらず参加で出店もあるわ、日にちは今月の旧正月」

 

「え? ちょ、もう一回」

「お年玉のつもりだったんだけどいらなかった?」

 

 新年初顔合わせだし折角なら記事のネタをあげようと思ったのだが、聞いていなかったらしい、出会い頭で捲し立ててでっち上げる為の何かを聞き出す算段だったみたいだが、まさかあたしからネタを振られるなんて考えていなかったのだろう。

 格好良く出ようとするから聞き逃すのだろうに、仕方がないから条件つけてもう一度だけ話してみるか、少しくらい勿体ぶって見せた方がこいつに話すのには効果的だろうし。

 

「いや、だからもう一回話してよ」

「いいけどはたてにも伝えてくれる? 出来れば同時に発行だとありがたいわ」

 

「同時? う~ん‥‥そうなると特ダネ‥…」

「にはならないわよ、結構広まってるはずだし」

 

 なんだ、と一瞬で興味を失う清く正しい射命丸、そう気落ちしないでほしい、こちらとしては嘘八百のヒレを付けてその辺りにばら撒いてほしいのだから。

 けれどこのままだと逃げられてしまいそうだな、先程までのようにドンドン拍子とはいかない交渉をどう進めるか少し悩む。最終手段の鬼っ娘ハラスメントを使う手もあるが、これはまだ使いたくないし……リズムに乗せる事を突然やめた相方に視線を移すと、悩むようなよくわからない表情をしている。

 瞳の色も髪型も似ている紅い頭と黒い頭が悩んで見えるこの景色。

 これを変えるにはどうしたもんか?

 思いつかないからいいか、腹を割ろう。

 

「じゃあ言い方を変えるわ、利用されて頂戴」

「利用って既に広まってるんでしょ? 意味ないじゃない」

 

「文らしく煽ってくれればいいのよ、紙面はそうね『眼と耳は付喪神の能と演奏に、舌は夜雀に酔いしれる』みたいな? 首謀者はあたしでいいわよ」

「昼行灯が面倒事を引き受けるなんて、どういう風の吹き回し?」

 

「主役はいるしあたしは裏方だもの、灯した後は見向きもされない行灯らしくていいでしょ?」

「行灯を灯しただけの客寄せパンダにしては愛らしさが足りないわね」

 

「こう見えても人里で人気あるのよ、嬉しいけれど少し困るのよね……恐れてもらわないと消えるかもしれないわ」

「意図が読みきれないけど、何かしらの理由はあるのよね?」

 

 一瞬バレたかなと思ったがどうやら引っかかったくらいのようだ、磨きをかけるのは翼だけにしておいてくれ。勘まで鋭くされてしまったらからかう時に邪魔になる、記者モードのこいつはただでさえ口煩くて面倒なのに、これ以上突っ込まれると厄介払いにバラしてしまいそうな自分が少し嫌だ。

 面倒嫌いのあたしが自ら面倒事に首を突っ込むその理由、これはあたしのセッティングした舞台なのだ、人里で事を成すと知られれば邪魔を入れてくる輩がいるはず‥‥人の住まう里で主犯として騒げば確実に横槍が飛んでくるだろう、槍で突いてくるのはろくろ首のように里で静かに暮らしつつ、偶にこっちを狙ってくる者達。人攫いであるあたしを恨み続けている者達がまだいるはず、阿求と慧音のお陰もあってあれから襲われてはいないが、襲うに襲えなくて鬱憤も恨みと同じく溜まっているはずだ。

 人間側と妖怪側それぞれに抑止力を用意はしたが、それはあくまで人里内での事、一歩でも外に出れば何かしら仕掛けてくるだろう、里の中はそれらの抑止力にぶん投げれば面倒事なんぞ起きないだろうし問題ないが、それでも舞台を白けさせる野次はいらない、野次を飛ばして囃し立てるのはあたしだけで間に合っている。

 あいつらが狙ってくるとすれば一番盛り上がっている時か、始まる寸前の期待高まる頃合いを見計らって来るはずだ、あたしが潰すならそのタイミングで仕掛ける、始まれば奴らでは止められないだろうし、有る事無い事を二人に書いてもらって横槍を投げ入れる先を増やして貰いたかった。

 記者の二人には本当に申し訳ないが、デマゴーグを広めるためにあたしに利用されて欲しい、あたしは捻くれたアジテーターとして撹乱し出来ればそいつらを静かにしておきたいのだ、一人なら気にしないが花のに着けられた鼻に付く匂いが消せなくて気になる。

 目に付く雑草は生えてないが、この騒ぎにのっかり根っこから絶やしておきたい。 

 

「撹乱よ、ただそれだけ」

「撹乱って何を乱すのよ」

 

「これでもモテて困ってるのよ? 偶に遊びに来る退治屋さんに生活リズムを乱されたりね」

「‥‥なるほど、それで同時に発行なのね?」

 

「そう。時間も場所も全部バラバラにして、主犯はあたしってとこだけ一緒にしてくれればいいわ」

「構わないけど、報酬は?」

 

「お祭りの期間中誰でも好きにインタビュー、勿論文とはたてだけ」

「報酬にならないけど‥‥いいわ、アヤメが自分から動くってのがネタになりそうだし利用されてあげる」

 

 素直にありがとうと微笑むと、後でアヤメの記事を書くわよと背中で語りながら飛び立つ幻想郷最速の介護天狗、見る見る間にいなくなり風を置き去りにして去っていった。

 報酬にならないから嫌だと言われるかと、新聞記者をバカにするなと怒られる覚悟で話してみたがどうにか甘えることが出来た。

 インタビューなんて何時もしている事だし報酬になんてなりゃしない、好きになんて言ったみたがインタビュー相手に答えさせる保証は報酬内容に含めていない、先ほどの場の雰囲気で聞けば勝手に勘違いしてインタビュー相手に答えてもらえる報酬だと思い込む、と引っ掛けるつもりだったがさすがに甘くはなかったか。

 しかし今までよりも随分と手こずった、口八丁でやってきたのにあたしに都合の良いリズムに甘えた結果がこれか、最後は付き合いから出た気遣いに甘えただけだったし、立つ瀬どころか溺れて当然の散々な騙し合い。

 姐さんに聞かれたらまた叱られそうで怖いが、寺は既に回った後だ、姐さんは更に後回しに今は神社を目指すとするかね、このお山で用があるのは神様連中だけになったわけだし。

 厄神様や秋の二柱も同じく後回しにして守矢の二柱に話を通しておこう、あの二柱も出来ればリズムに乗せてもらいたい相手だったが、ノリが悪くなってしまいすっかり静かな相方に期待は出来ない。文との交渉くらいからすっかり静かなあたしの鼓、悩む理由はなにかしら?

 

「河童の時から静かだけど、拍子を取るのはやめたのかしら」

「最初はノリ気で手伝ったけど聞いてるうちにちょっとね、聞いてもいい?」

 

「なんでもお好きに」

「楽しそうな催しだけど、準備だけしてそれでいいの?」

 

「それってどれかしら?」

「あちこち回って頭を下げたりツテを頼ってみたり、なのに主役は人間の子供だとか人気者は困るとか言ったし‥‥」

 

 何を聞いてくるかと思えばそんな事か、まぁ気がつかなくても仕方がない、あたしにとっては当たり前になり過ぎている感覚で、特に話してはいなかったのが悪い。

 催しの中心にいるのも面白いがあたしの立ち位置はそこじゃない、催し物を端まで見通せる数歩引いた辺り、そこがあたしの心地良い立ち位置だ。ドラム叩いて注目を浴びる雷鼓には理解されないかもしれないが、この立ち位置があたしにとっては心地いいし、こういった行事は始まる前が一番面白いのだ。どう言えば理解してもらえるかなんてわからないが、とりあえず伝えておくか‥‥隠さなくてもいい者にはきっちり話しておいた方がいい。

 

「雷鼓、あたしは何かしら?」

「霧で煙な可愛い狸さん?」

 

「正解、では狸がするのは?」

「騙し合いに化かし合い?」

 

「それも正解だけど追加するわ、企み事も大好きなのよ」

「企み事って今回の件よね? なら首謀者らしく真ん中で騒がないの?」

 

「騒がないわよ? 企み事を企んでいる今が一番面白いから‥‥企みが成ったなら後は企てた通りになるよう動くだけよ」

「よくわからないけど、取り敢えず今が一番面白いって事でいいのよね」

 

 その通り。手駒集めて好きに配置して、後はそれらが思った通りに動くように頭を使って考える、こうしている今が一番楽しい、使えるものはなんでも使って周到に準備し、何があってもどうにか出来るように筋道を掘る今が楽しい。

 引き篭もり魔女の言葉じゃないが、研究した結果は研究した通りにしか起こらないものだ、それなら全力で笑うために全力で準備に走り回る。頭なんぞどれだけ下げても減らないし、元が無料(ただ)なのだからそれで済めば安いものだ、土下座しろと言われれば土下座するし、売れと言われれば‥‥それは怒られるからやめとくか。

 とりあえず思いつく限り集めておけば後は勝手に盛り上がってくれるだろう、掘った筋道以上に面白い道の駅になるかもしれないが‥‥ありがたい事に参加者が増えて、何処に転がるかわからなくなった企み事、楽しみで不安で誰にも邪魔されたくない小さな企み事。

 規模こそ違うがここを作った時のあいつ(ゆかり)の気持ちがなんとなく分かる気がする。

 

「そうね、そうして全て終わった後で横にいてくれれば至福って感じかしら」

「真っ直ぐに恥ずかしいこと言うわね」

 

「何? 照れてるの? 偶にしか本心言わないからよく聞いておいたほうがいいわよ?」

「はいはい、じゃあ終わるまでお預けね」

 

「それは困るわ、まだ三日もあるし‥‥浮気するわよ?」

「我儘ね、仕方がない」

 

 焦らしてあげると肩を抱かれて押し倒された、バスドラムの上で押し倒されて唇が触れ合う瞬間、後ろから咳払いが聞こえてくる、そういや目のいい天狗がまだいたなと思い出し、少しだけ顔を横に向けると釣られてそっちを向く赤い髪‥‥見られたくらいで気を取られ離れてしまうようでは、まだまだ。

 

~少女移動中~

 

 サクサク登ってお山の神社、鳥居を潜り雪のない庭先を進み入ると家族揃って社務所で団欒中だったようだ、三人で卓を囲んでまったりしているところに上がり込む‥‥前にこっちでは先に参拝を済ましておく。

 乾と坤を司る二柱がおられるからか、本来なら積もっているはずの雪は飛ばされて空気も少しだけ暖かく参拝する余裕もある、それなら先に済ませておいた方がいい、形だけはきっちりしておかないと神様らしく煩くなるかもしれないから。

 二拝二拍手一拝と流れるように参拝を済ませて最後に頭を上げると、視界に映ったのは正面に立つ神様二柱、そのまま年始のご挨拶も済ませて少しだけ宣伝もしていくが、それほどノリ気ではないようだ、早苗は何かするらしいが。

 てっきり信仰集めに利用するかと思っていたが、予想が外れるとは思わなかった、初対面の早苗と雷鼓が何か話している間にその辺りを少し聞いてみれば、子供が主役のお祭りを利用するほど廃れてはいないと怒られてしまった。

 外で廃れたくせに何を言うのかと思ったが、外の神社で執り行われていた縁日なんかは楽しそうに眺めていた事もあった、見た目子供な祟神様と普段は気さくな軍神様、どちらも無邪気な面を見せる御方ではあるし早苗のことも愛しているし、これで案外子供好きなのかもしれない。

 

 ここも問題なく纏まったし次は何処を抱き込むか、残る所は赤い屋敷と霊廟くらいか?

 いや、地底と三途の川も残っていたか、けれど地底は便宜上不可侵となっているし三途は年中無休の仕事場だ、さすがにそれをほっぽり出せとは言えないな。

 ならば今回はやめておこうか、万一の時の逃げ場所として残しておくのも悪くない。

 後は天界くらいだが、あそこも鬼っ娘に頼むことが出来たしそっちは任せておくとしよう。

 さて、次はどちらへと行こうかね? 



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第百十六話 久々に騙す化け狸

ほんの少し血生臭い描写があります、苦手な方はお気をつけ下さい。


 霧に霞んだお屋敷が雪に埋もれて新年らしいおめでたい姿になっている。

 住んでいる連中はおめでたいとは言いがたいがその辺りはどうでもいい。

 もうすぐ日も沈みきるしさっさとお屋敷の中へと入ろう。

 屋外続きで結構冷えたしこの時間なら文句もないだろう。

 雪が積もっても静かに佇み、動かない門番を見てあれは置物かと雷鼓に問われた。

 置物だけど柔らかいから突付いてみろと言ってみると、指先が西瓜に触れる寸前で止められていた、腕を置物に掴まれて騒ぐ雷鼓は放っておいて、それを捕らえている門番の意識を逸らし静かに近づく。

 あのつるぺったんと同じスイカなのにずいぶんと違うたわわに実った揺れるソレ、堂々と静かに近づく縞尻尾が門番の視界に入っているが、注意力は明後日の方向へと逸れていて不用心な立ち姿、真正面からスイカを突付くと無言のままであたしも捕まえる門番。

 顔は笑っているけれどおでこの辺りに血管が見えそうだ、小さくウインクしてみせるとニコリと叱られてそのまま手を引かれ屋敷の中へと拉致された。

 見慣れた玄関ホールに入ると少しの間も置かずに現れるメイド長、給仕服の裾を摘み瀟洒に頭を垂れる少女に同じく、コートを開いて瀟洒に頭を垂れた、そのまま視線を左に移すとあたし達に釣られてミニ・スカートを摘む相方、お前がやったらスリットから丸見えだろうに。

 つまみ上げる前に気がついたようで仕草を変えて、まるで執事かのように片腕を胸の前にして頭を垂れた、機転が利いてなかなか良い。挨拶も済ませたし本題に入るとするか、咲夜の顔を見るまで大事なことを忘れていたが、折角来たんだし言うだけ言っていこう。

 

「勢いで来てみたけれど、意味がなかった気がするわ」

「開口一番から仰る意味がわかりませんが?」

 

「人里での社会科見学、その宣伝に来たんだけど生憎昼間のお祭りだったのよね‥あたしとした事がやらかしたわ」

「それはまた意地が悪いですね、御嬢様方に聞かれる前にお帰りになられた方が懸命かと」

 

 遅いみたいと指で奥を指す、現れたの二人の幼女。

 妹の方はこの時間から起きていると聞いていたが姉も一緒だったとは仲が宜しくて妬ましい、皮膜の翼と宝石の翼を並べて歩く吸血鬼姉妹。

 似たような紅い瞳でこちらを見ているが姉妹で合わせている焦点が違うようだ。

 姉はあたしで妹は隣。

 そういや紹介していなかったな、異変の時のメイド長はあたしが追い返してしまったし、その後来たのもあたしだけだった、来たついでに面通ししておくか、放っておいて壊されでもしたら大変だ。

 

「姉妹揃って仲良しね、おはよう」

「最近は私もフランも日中から起きているわ‥それで、意地の悪い話というのは?」

「お姉様も早起きしてるのよ、赤い髪のお姉さんもこんばんは」

 

 ふわりと飛んで雷鼓の横へと降り立つ金髪の吸血鬼。

 仕込んだ通りの挨拶を済ませてほんの少しだけ微笑んだ。

 ちょっと見ない間に随分懐っこくなったものだ、と感心する間もないままに笑んで見せた妹、初対面から楽しげに話す二人。

 いくらあたしの連れだといっても、初めて会った見知らぬ妖怪相手に自分からそうできるようになったとは、最初の顔合わせのような物騒な気配の一切ない空気だ。知らぬ所で遊んでいるあたし以外のお友達はいい影響を与えているらしい、挨拶を済ませて赤い髪に飛びついている妹蝙蝠。

 そんな二人に見られないようにニヤニヤと笑んでいると、姉とメイドに睨まれた。

 赤い瞳でそう睨むなよ、可愛いのだからいいだろう?

 それとも別の理由で睨んでいるのかね?

 そっちの理由については謝るからその目をやめてくれないか、主様。

 

「アヤメさん、この子可愛い」

「アヤメちゃん、このお姉さん綺麗」

「互いに気に入ったのならなによりだわ、フランちゃんと咲夜に連れられてお屋敷見物でもしてきたら?」

「周囲の物は打楽器か? ピアノならあるが他はないな‥それでもいいなら好きに回ってくれて構わない。咲夜、案内を」

 

 瀟洒な従者に連れられて、お手々繋いで歩いていく紅い瞳の妖怪二人、言ってみてから気がついたがこのお屋敷は赤い瞳や髪が多い。赤くないのは魔女殿くらいだがあれの魔法は七色だし、回りに浮かんでいる石に赤がいたな、召し物もピンク色っぽい‥‥ならいいや、魔女も赤扱いだ。

 屋敷も赤なら住人も赤くて主の好みも真っ赤な血、これだけ揃っているなら異変が赤だったのも頷けるというものだ、廊下の奥へと消えていった手持ちの赤をあたしのくすんだ銀の瞳で見送ると、白い皮膜の翼を大げさに広げ不遜な主が笑いかけてきた。

 人払いに乗ってくれた姉蝙蝠様、斜めに上がったその口角から何を吐いてくるのだろうか。

 

「友人からのプレゼントなら丁重に受け取るが?」

「お友達に自慢しに来ただけよ」

 

「ふむ、意地悪を言って物で釣ったのかと思ったが違うのか」

「大事な友人に飴と鞭なんてしないわ、するならどちらか一方だけよ」

 

 胡散臭く笑って右手で口元を隠すが、それでも不遜な態度を崩さない紅いお屋敷の主様。

 隠していた右手を少しだけ下げると一瞬で視界から消えた姉、左右を見ても姿はなく上下を探すと下にいた、少しだけ下げた右手のその更に下、赤いリボンが目立つ白いナイトキャップが見える。ドアノブカバーのように見えるソレに右手を伸ばすと、幼女の小さな手が絡んできた、人間で換算すれば見た目10歳になるかならないかくらいの幼女の手。

 こちらもお手々繋いでデートかなと気にせずにいると袖を力強く掴まれて、爪が腕に食い込み刺さる‥変に払えば裂かれてしまいそうで抵抗せずに腕を預けた。

 白のコートとシャツの袖先を赤く染めていく紅い血、次第に手の平に回り小指の先から数滴垂れ落ちると、刺されたままで指を引かれて流れる勢いが少し増した。中指まで濡らす勢いになっても笑んだまま動かない姉、おやつにでもされるのかと思ったがそうしてくれる気はないらしい。

 

「飲まないのなら無駄にしないで欲しいわね」

「人間でも生娘でもない相手だ、飲んだところで旨くもない」

 

 すっかり真っ赤に染まった袖を少し強引に引いて払う、予想通り深めに裂かれてしまい手を引いた広がった傷と勢いのせいで派手に血が飛んだ、裂いてくれた御嬢様に上手くかかるよう、わざと大げさに振り抜いたせいで姉と床に紅い弧が描かれる、ピンクのドレスと頬に血が飛び名前の通りの紅い吸血鬼となった姉。

 頬に飛んだ血を舐めてマズそうな顔を見せてくれた、味の方は冗談ではなかったのか。

 

「流し損の汚し損ね、クリーニング代位もらえるの?」

「ないな、今のは意地悪に対する仕返しだ、友人ならかわいい癇癪くらい大目に見てくれ」

 

「癇癪ね、ならあやす代わりに招待するわ」

「招待? 昼間に出てこいと? 日光でも逸らしてくれるのか?」

 

「それもいいけど何も見えなくなるのよね。もっと単純にするわ、夜の部への招待状を用意しましょ」

「人里のお祭りなんだろう? そんなに好き放題していいのか?」

 

「いいのよ、すでに好き放題しているし、どうせなら膨らませるだけ膨らませたほうが楽しいわ」

「膨らませすぎて腹を裂く、そうならないといいな。アヤメ」

 

 夜なら顔を出してやると言い残し屋敷の廊下へと消えていったレミリア。

 去った主を気にせずに止まりはしたがまだ血が垂れる右腕を振る、するとピッと綺麗な縦線が床に描かれた。

 自身の血ですっかり染まってしまったコートとシャツの袖先、傷は放っておけば乾いて固まるだろうし、袖は帰ってから戻せばいいかとそのままにして、屋敷の探検に出た者達の帰りを待った。

 禁煙区域の玄関ホールで少し待っていると血の匂いを嗅ぎつけた妹が飛んできて、乾き始めた右手を舐める‥味の方はお察しの通りで二回ほど舐められそれで終わった、惨状と吸血鬼の対応からあたしの血だと理解したのか少し機嫌の悪くなった雷鼓に、姉の方におやつ代わりにされただけと伝えると、目は怖いままだが納得してくれた。

 汚して悪かったと咲夜に伝え、引き止めてきた妹も何とか抑えて一度帰路に着いた。

 

~少女帰宅中~

 

 自分のことのように騒いでくれる相方をなだめて真っ直ぐ帰宅し、卓に腰掛けて上着二枚を脱いでみれば綺麗に腕に走る筋傷、肘より少し先から数カ所パクリと口を開けていて、少し乾き始めた肉とかさぶたになり始めた血に染まったままの腕。

 尖い爪を食い込ませたまま躊躇なく引いたからか意外と綺麗な傷で済んでいる、これなら治すのも楽だろう、ちょっと確認するように押したり傷を開いたりしていると、言いつけ通りに留守番をしていた姉妹に嫌な顔で見られてしまう‥‥その顔が少し可笑しくてクスクスと笑うと、真面目な顔をしている雷鼓にキツく窘められた。

 

「ざっくり裂かれて笑うってさすがにおかしいわ、いくらなんでも理解できない」

「痛みに鈍いのと慣れのせいかしらね、でもこれくらいならどうって事ないわ」

 

 煙管咥えて煙を吐いて右手の傷に纏わせる、十数秒ほどそのままにして軽く払い煙を掻き消した、煙の消えた視線の先、そこにはすっかり綺麗になったように見える右腕。

 煙の妖怪混じりらしくこれだけでも傷を塞ぐくらいは出来るが、いくらなんでも瞬時に再生とはいかない、幻術も混ぜてそれらしく化かしただけだ。

 そのまま軽くグーパーとしてみせると姉妹はすっかり騙せたようだ、異変の時も楽に誤魔化せたが今も変わらず誤魔化せている、チョロい。

 問題なのはもう一人か、随分と怖い顔だ、些細な事でそう怖い顔をしないでほしい、顔を寄せながら睨んでくる紅い頭に向けて左腕を伸ばすが、その腕は強引に払われ勢いで奥へ寝転ぶ、そのまま隠したてでツヤツヤの右手を踏まれて強めに拗じられた。

 ビーター付きのブーツの踵で拗じられて表面に施した幻術がバレる、うへぇと横の二人から聞こえたが気にせずに足の主を見ると、酷く冷たい顔で怖い。

 

「折角誤魔化したのにバラすなんて、気に入らなかった?」

「気に入らないわね、自愛するって事を知らないの?」

 

「知っているけどこれくらい他愛も無い事よ、異変後の腕に比べれば傷のうちにも入らないでしょうに」

「アレは自分で使い捨てにしただけでしょ? あの時は傷口って感じじゃなかったし」

 

 更に強く踏まれる右腕、ギリッと捻られて畳を少しずつ赤く染めていく。

 痛み自体は我慢出来ない範囲ではないがこのままだと血痕が染みになり困る、服や体じゃないんだし畳までは戻せない。

 

「あの時もさっきと同じでそう見せていただけよ? あの時は何も言ってこなかったのに今回は突っかかるのね‥‥まぁいいわ、霊廟と屋台にも顔を出したいから足を退けてくれないかしら?」

「懲りずにまだ回るのね、それじゃ霊廟ってとこには行ってきてあげるからソレをどうにかしてよ‥‥さすがに気になるのよ、屋台に行くのはそれからにして」

 

「心配はありがたいけど本当に‥‥」

「黙って言う事聞いて、少しぐらい気にしてよ‥‥気に入った打ち手ばっかり先に……さないと言い切ったんだから、少し丈夫だからって見てる方の事も考えてよ」

 

 右腕を踏み込む力を少しずつ強めながら切羽詰まった微妙な表情で見下ろしてくる雷鼓、笑う顔やらよがる顔は常々見せてくれているがこうした真剣な顔は初めて見る。

 先に、か。

 周りに置いて逝かれる事に慣れてしまい、いつからかソレが当たり前になっていたから気が付かなかった‥ってのは唯の言い訳か、散々あたしのモノだと言いふらしていたのに、相手からどう見られているかなど考えていなかった。元は物だが今は者だ、意思もあれば感情も見せてくれてそれでも近くにいてくれる相手……お気に入りを失ってどう感じるのか、寺で思い出させてもらい散々泣いたはずなのに‥‥鈍いあたしでそうなのだ、あたし以外が同じ思いをすればソレ以上だとわかるのに。文との交渉の最後は文の気遣いかと思ったが途中からまた能力を行使してくれたのかね、恐れられらないと消えるなんてあたしが言ったものだから。

 

 あたしの返答を待つ愛しい赤い髪、そんなに瞳を潤ませてくれるなよ‥‥また笑って怒らせてしまいそうなんだから、この場では睨む側だろう?

 そうすると決めたのなら通してほしい、ブレたりすると誰かのように痛い目を見る事になる‥‥あんな思いはさせたくないし、それならばそうならないようここは煽るか。

 

「場所も相手も知らないのに、どうやって行くのか教えてもらいたいわね」

「知らないからこのまま聞くわ」

 

 向けられた気持ちを逸らして話の筋だけ返答すると再度見せてくれた怒りの表情、それでいい、そのまま睨む側としてあってくれたほうが痛みが少なく済むはずだ。

 しかし勝手に住まいを教えるのも太子に悪いしどうしたもんか?

 もう少し手酷くしてくれれば自然に吐く流れに出来るのだが‥‥なんて考えていると手首辺りに鋭い痛みが走る、ミシッと鳴って途切れない鈍い痛み、ヒビでもはいったか折れたのか?

 どちらにしろ都合がいい、自然に脂汗も浮くし騙すのに利用できる。

 さすがにこれ以上潰されては治癒に手間が掛かるし、痛みに鈍いとは言っても限界がある、心配そうに見てくれている姉妹の顔も青いし、雷鼓に本格的に目覚められては色んな意味で体が保たないし……折られたのだし折れておこう。

 

「命蓮寺の墓場で動く死体を探すか、壁に開いた穴に入れば多分着くわ」

「曖昧ね、嘘言ってない?」

 

「そろそろ離してほしいから自愛の心を表したつもりだけど、怒ってる割には色々してくれるのね」

「将来いい打ち手になるかもしれない有望な子供、それを泣かせるなって神様に言われたもの、言われたのはアヤメさんだけじゃないわ。傷口抉られても皮肉を言うバカと一緒に叱られるのはゴメンだし、私は私のために動くのよ」

 

「なるほど、墓場まで行けば多分わかるわ、ふわふわした邪仙様に会えれば話が早いはずよ。ついでにいるはずの能演者も誘っておいて」

「邪仙に能ってあの付喪神か、どちらも面識ないし‥‥荒事になっても困るから、証拠代わりに持ってくわよ」

 

 冷静に話しながらも表情は冷たいままで、これは本格的に怒らせたかなと少しだけ眉を潜めた。

 持っていくと言いながら腰の筒に手が伸ばされる、さすがにそれはと開いている左手を少し動かすが、ドラムスティックで畳に貼り付けられた。〆はスティックで打たれたし、これ以上抗っても後は互いに嫌になるだけだ、抵抗をやめて取り出された煙管を回す雷鼓を睨むが言葉はない。

 慣れた手つきでクルクルと回し最後に強めに足を捻って、何も言わずにバスドラムに乗って出て行った、踏まれた腕を動かすと、最後の捻りで傷が裂け広がりグーパーとするだけで少し血が滲み流れる‥‥愛撫にしては随分とキツ目だ。

 拗じられたせいで傷口も変に開くし、割れた白いのは見えるしと困ったものだ、土足のまま踏み躙られて泥の混ざった傷口を舐めてみたが鉄と土の味しかしない、愛おしくて堪らない者からの愛撫代わりだったわけだし、もう少しくらい甘くてもいいのだが‥‥感じるのは苦味ばかりで、これでは不味いと言われても仕方がないなと小さく嗤う。

 姉妹の視線が腕以上に痛いがそれは無視して、頭を振って跳ね起きてそのまま流しで傷を流した、痛みを我慢出来ている今のうちに、奥まで入り込んでしまった泥を爪でほじり流していく。

 正直に言ってしまえば切り落として生やした方が早いが、折角付けられたマーキングだしこれ以上九十九姉妹に青い顔されても困る、嫌悪感を見せる顔のまま畳をボロで拭いてくれる弁々と、ボロを洗い桶でゆすいでくれる八橋がいる前で手首から先を飛ばすのはさすがに悪い。

 傷を流しながら後で裏返すから血だけ拭いてくれればいいと言ってみると、帰ってきた時以上にドン引きされてしまった。

 

「あのさぁ‥‥せめて包帯とかさらしを巻くとか、隠すくらいの事はしないの?」

「我が家にそういった物は用意がないわ、近所にプロがいるから」

 

 その腕で笑うなと妹にも煩く言われるが、あたしとしては痛みよりもどうにか演じきったという達成感の方が強い、感覚のズレくらい誰にでもある。

 腕に痛み入る苦言をそれくらいに軽く捉えて、どうにか洗い終え随分と血の気の引いている右手を少しずつ握り込む、完全には拳を握れなくて一定以上指を曲げられない、やせ我慢せずにもう少し早く降参すればよかったか?

 いや、それでは騙しきれないしこれで済むなら安い物だ、完全に血の気が引いたわけではなく傷から血が少し滲むのは見える、これなら飛ばさなくてもそのうち治るなと薄く微笑むと、妹に壊れてるのかと失礼な事を言われた。

 至って冷静だし壊れてないから生きているのに‥‥この感覚が壊れているのか?

 そうだとしたらあたしはなんだ?

 傷も痛みも気にせずに嗤う者、痛めた部位は交換した方が早いなんて発想はあの動く死体に近いかね?

 文字通りに動く死体な芳香と話して大差ないと感じる部分もあったはずだし、案外そうなのかもしれない。

 それならそれらしくしてみよう、言われた事を腐った脳みそで考えていても仕方がない、言われただけの事をしようと、帰ってきた時に脱ぎ捨てたシャツを羽織ってコートにも手を伸ばした所で姉妹に止められた。

 

「あんたを見てればわかるけどさ、もう少し考えてやったら?」

「善処するわ、腕も出先でどうにかするから大丈夫。まだいるなら火は消さないけど」

「どっちかが帰ってきたら帰るわ~」

 

「ならそれで、悪いけど任せたわ」

 

 いってらっしゃいという声を背に受けて今日は少し駆け足で行く、膝は真っ直ぐなままに走りいつもの屋台へと着いた。ただいまと言って暖簾を潜りおかえりと笑顔で返ってくる屋台、毎晩のように通っているミスティアの営む小さな屋台だ。

 何も言わずに冷酒とおでんダネ三種が差し出されて何も言わずに受け取り食す、のがいつもの流れなのだが今日はそういうわけにはいかない、笑顔で差し出された冷酒と一緒に女将の両手も受け取って、瞳を潤ませてお願いしてみた。

 小首を傾げて笑んだままでいるあたしの料理の先生、手を握ったまま事のあらましを説明してみると条件付きで引き受けてくれた、その条件もオイシイもので付喪神のバックバンドを従えてライブがしたいとの事だ。快く了承して互いに納得した後に、実はライブのヴォーカルも頼むつもりだったと話してみると、それじゃあ条件を変えようかなと言い出されてしまった。叶えられる条件であればなんでもいいと返答すると、変わらず通ってくれればいいと可愛らしく笑ってみせた。

 それも報酬にはならないわと女将に似た笑みを見せて返すと、それなら明後日にやる響子ちゃんとのライブを見に来てと二本指立ててお願いされた、人間の里と妖怪神社の間辺りで不定期に開かれるゲリラライブ、あの天狗はノイズと騒音が凄いと言っていたが雷鼓辺りは気に入りそうだ

 楽しそうにライブの話をする女将の姿、その後ろに同じく重低音を響かせる誰かの姿を想像しちびちびと飲み進めた。

 

 程よく飲み食いして屋台を離れ、帰りがけに腕を医者に見せた、切れば早いわとあたしと同じ事を言ってきたが出来れば傷は残したいと言うと、きちんとした処理をしてくれる八意永琳。

 すぐに治るだろうけどそれが定着すると今後は傷毎生やす事になるわと、要らぬ苦言を呈してくれる女医さん、それは願ったりだと口角を釣り上げると病んでるわねと診断された、さっきから壊れているだの病んでいるだのと不健康優良体に向かって何を言うのか。

 とりあえず御礼を伝えてまたツケでとお願いしてみたが、あたしに対しては貸しでしか受け付けないらしい、死ぬ前には返済するわとテキトウに言葉を放つと、常に憎まれているから長生きしそうで安心ねと笑って返された。

 不死から打たれた太鼓判、あたしの太鼓に伝えたら喜んでくれるだろうか、伝えるのが少し楽しみだ。

 

 永遠亭に長居してそれから帰宅してみたが、はじめてのおつかいに出た者はまだ戻っておらず、あたしが帰って来るまで待っていてくれた姉妹も寝落ちしていた。

 起こさぬように灯りを消して、二人を布団に寝かし直して一心地。

 一服つけるかと腰に手を伸ばしたがあるはずの物がなくて体を少し弄る、そういや取られて戻ってないのか、仕方がないと半紙を千切り縁を舐めて簡易の巻きタバコで我慢する、いつものものとは勝手が違い咥える唇に少し葉が残ってしまう。

 早く帰ってこないかね、手元にないモノを想って暗い部屋で赤を灯した。

 



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第百十七話 溺れる狸、藁をも掴む

 もう何本目になるのかわからない巻きタバコを咥え、お天道様にお早うございますと一人呟く。

 葉を巻く作業も唇に葉がつかなくなる程に慣れてしまい、煙管が戻ってこなくてもなんとかなるか、なんて思ってもいない事を徹夜明けで口にすると、声に気づいて起き出してきた姉妹。

 その二人に朝の挨拶と朝餉を食わせた後、昨晩に出て戻らない者を迎えに出ようか待っていようか尻尾揺らして悩んでいると、こっちを見ている妹の方に愛想突かされたねと笑われた。

 視線も合わせずにかもねと返して手早くタバコを巻いていると、姉のほうからもあれじゃ仕方がないと追撃されて、意識せずに巻いたタバコを握りつぶした。それでも気にしてないと言い返してみたが、尻尾の揺れが止まり下がっててわかりやすいと肩を叩かれ嘘がバレる。

 演技だと言いながら空元気を見せても騙しきれず、何も言われず肩を叩かれるとその勢いで少しだけ栓が緩んだ、ちょっとだけ漏れたのが見られたのか、最初は笑っていた妹にも慰められてしまい随分とやばかった。

 

 それから暫くよしよしとされて日が落ちかけた頃に帰っていった姉妹。

 二人が帰る間際にそういえばヴォーカルを一人捕まえたといつもの調子で話してみたが、今は鼻声で聞き取りにくいから雷鼓に伝えておいてくれと更に慰められた。

 赤い鼻先を少し下げるとまた来ると笑い帰っていった姉妹を見送りそのまま空を見る、少しだけ赤くなり、少しだけ腫れている目で山間に消えるお天道様を見やる。結構な時間慰められていたようで、もうすぐ完全に日が落ちる頃合いになっていた、それほど時間もないというのに、なんの準備も手伝わずに終わってしまった今日。

 

 準備段階で投げるのは不味いなと気を引き締めていると、玄関の戸に挟まれていただろう土間に滑り入った2つのビラが視線に入る、片方は直接頼んだ捏造広告。

 言った通りの宣伝文句を押し出してくれて、煽動するために時間が少しズレていた。

 もう片方は念写したらしいあたしの写真入りの広告、我ながら嫌顔で笑っているものだなと三脚が置かれた辺りの宙を見つめ似た笑みを浮かべた。

 内容自体はこちらも同じ文句で、時間だけがズラされている記事で大差のないもの。

 これでは頼んだ意味がないように思えたが2つの新聞に目を通して気がつく、里で準備を始めているのだから場所を濁す意味はなかったなと、勢い任せでお願いしたあたしより話だけを聞いた天狗の方が冷静だとは、尻拭いまでしてもらって出来る介護職員達だ。

 

 新聞のお陰で頭も冷え、少しだけ落ち着いた頃に女将の話を思い出していた、今晩のライブにお呼ばれしていたしこのまま一人で思いに耽る事になるのは嫌だ。

 楽しいライブで暗い気分を飛ばしてもらおうと、女将が出していた指の数よりも少ない頭数でライブ会場に向かってみたが、いつもなら始まっている時間なのに客もおらず演者もいない。近くを探しても見当たらず、山彦の方があの御仁にバレて南無三され突然中止にでもなったのかと、深く考えずに踵を返し岐路に着こうと右を向いた。

 慣れたつもりの一人歩きだったが、いつの間にか癖になった右から振り返りひと声かけて一緒に帰る仕草‥怪我のある腕よりも胸の内の方が痛む仕草、それに気がついてしまい暫くそこで立ち尽くしそのまま動けず少し悩み、とりあえず忘れて煙草でも吸うかと腰に手をやる‥‥が、こっちもまだ帰ってこないんだったと思い出してしまい、また思考がそっちに戻った。

 俯いて不意に視界に入った右の袖。

 まだ赤いままの袖を撫でると問題なく白に戻った。

 誰のお陰で綺麗に戻せるようになったのか‥‥袖を見たまま一人悩んだ。

 

 うだうだとした頭で数日過ごして何時の間にやら開催日の朝。

 話を広げただけで何もしてない主犯格のあたし、餅は餅屋と言ったわけだし餅搗きのための最低限のお膳立ては多分済んでいるはずだ、あれに任せた霊廟と誘っていない面霊気が気がかりだが、すでに当日を迎えてしまった。このまま向かえば呼ぶだけで手伝いなしかと色んな相手から罵られるだろうかもしれないが、今回は逃げ道を潰していたはずだ、致し方なしと風呂で念入りに首を洗い、珍しく覚悟して里へ向かった。

 

~少女移動中~

 

 里の入り口まで向かうとこちらへと走り寄って来る者がいる、今日の騒ぎのきっかけを作ってくれた人里の守護者と発明バカの二人だ。慧音からは来るのが遅いだとか話を膨らませ過ぎだとか少しだけ怒られたが、始まってしまったものを止める気はないらしい。

 外からでも騒がしいのが分かるくらいに随分と賑やかな、昼間のうちから大人数がいるのがわかるくらいに騒がしくなった人里、準備期間中の様子見すらもしなかったがどうにか丸く収まったらしく、中心を流れる川に櫓を組み、対岸沿いにテキ屋が並ぶ結構なお祭りとなっていた。

 喧騒を聞き安堵していると、アヤメの事だから話だけ振って後を投げる事も織り込み済みだと胸を張るにとり、お陰様で助かった、仕切りを任せて正解だったと真っ直ぐに褒めると少し驚くような顔を見せた。

 何を驚くことがあるのか、ビジネスパートナーに対しては感謝や御礼はきっちりとするものだと話すと、なら私はパートナーに乗ろうとよくわからないことを言って喧騒の中へ消えていった。

 にとりの言葉の意味を考えたかったが時間も然程ないし、とりあえず寺子屋へと向かう。移動中横目で眺め歩いていくと、占いに並ぶ列や閑古鳥の鳴くガラクタ屋が見えた‥‥そっちの本番は夜だと伝えたのに昼間からとは、商魂逞しい少女達だ。

 

 よそ見するなと手を引かれてしまい、寄り道も出来ずにまっすぐ学舎へと向かう、庭に入る前から雅楽の調べと幼い笑い声が聞こえてきて、あっちも上手くやってくれたのだなと少しだけ安心できた。

 寺子屋の庭の小さな舞台上で、琵琶とお琴を左右に配しひらりひらりと華麗に踊る、何処からか聞こえてくる太鼓の音に合わせて着替えもせずに姿を変えていく能の踊り手、毎回背中側から眺めているだけだったが面と向かって眺めるとなんとも面白いものだった。

 土蜘蛛面で弧を描く糸を放ち客を魅せる直接誘えなかった面霊気、橋姫面では変わらないはずの表情に嫉妬を浮かべて魅せるこころ、何時の間にやら覚えたのか、それなりに似合う負の感‥‥誰を妬んで表したのか、そこまではわからないがあたしの心も惹きつけられた。直接誘うことは出来なかったがこうして舞って魅せてくれたのだ、落ち着いたら忘れずに謝礼を述べよう。

 それにしても、ちょっと見ない間に表現の幅が増えていて素晴らしい演者になっていて、あたしが思っていた以上に素晴らしい舞台にしてくれた。随分と抑えた重低音と雅楽器の調べにノッて舞う付喪神、物は違えども同じ種族らしく相性は良かったらしい。舞台役者達には拍手を送り、音だけ響かせて姿を見せない太鼓にも内心で感謝した。

 

 歓声はあったがこれは古典の授業としてどうだったのか?

 隣に並んで見ていた正規の教師に聞いてみたが、舞う姿をしっかりと見て理解し笑う声が答えだと言ってくれた、簡素な作りの小さな舞台を囲んで笑う童子共、寺子屋の黒板を睨むいつもの授業ではまず見られない光景だと、複雑そうな顔で笑う慧音がなんだか可笑しかった。

 そうしてその複雑そうな顔のままで、雷鼓と何かあったのかと世話を焼いてくれる先生、痴話喧嘩に混ざるのは野暮だと笑って返して、そういう優しさは子供らに向けろと舞台の余韻で笑ったままの子供の円へとむりくりに押し入れた。

 絡んでくる世話焼きをあしらってから手が空いた所で、舞台の感想と感謝を伝えようと思い面霊気を探してみたが姿がない、寺子屋の庭先でキョロキョロとしていると、これから家庭科でお世話になる突発の中華料理人が猿面のままでどこかに行ったと教えてくれた。

 家庭科の始まるギリギリまで待ったがそれでも来ない女将に代わり誰かいないかと探した所、夜の部で主が寛ぐスペース作りに昼間のうちから来ていた門番を見つけた。

 ちょっと料理の腕を見せてくれと頼むと自分でやれと窘められたが、言われた通りに右腕を袖から出すと仕方がないと引き受けてくれた。大層なテーブルやらを運んでいて忙しいだろうに、自分の仕事を放り出して引き受けてくれた事とお面の行方について感謝した。

 

 華麗な業で作られた中華料理が並び、子供らが我先にと群がる学舎の机。

 調理台にするには少し低いが筆記用具以外が乗るのもいいかもしれないなと、新しい授業でも思いついたのか微笑む世話焼き、子供らの高さなら丁度いいはずと返答をしてみると、こういう時だけ相手の立場に立つなと右肘を抑えられて叱られてしまった。

 言ってないのに何故分かるのか、姿を見せないのと料理を他人にお願いした事、取り分ける菜箸を左で使っていた事でバレたらしい、変に目敏くて困りモノだ。これも痴話喧嘩の結果だと笑うと、自愛しろよと誰かと同じ事を言われてしまった、あたしの歴史でも編纂したのかね、叡智の神獣とは恐ろしい。

 

 授業を全て終えた後にしばらく探しまわっても面も太鼓も見当たらず、それでもウロウロとしていると小腹が空いた。下ごしらえは手伝ったが、とりわけてよそっている間に料理はなくなってしまい食べ損ねた為、今朝からなにも口にしていない。

 いつもの寺子屋ならそろそろ授業が終る頃合い、昼餉を取るには少し早いが朝を抜いているし丁度腹の空く時間帯で、テキ屋でも巡り腹を満たすかとぶらぶらと歩いた。

 

 おかっぱ河童の屋台に顔を出して胡瓜を奪いボリボリしていると、笑みを浮かべたビジネスパートナーが奥から顔を出してきた、ちょいちょいと手招きされて誰に賭けるかと問われた、今回の場はトトカルチョらしい。

 人妖関わらず粒揃いが集まるのだし、これならバレても頭突きはないと狡猾に笑うにとり。

 ずらりと並ぶ名簿を眺めて我ながら呼びすぎたなと少し反省したが、『は行』の上の方で字を追う指を止めた、今回は裏方だからノミネートされても困ると言ってみたが、んなもん知るかと一蹴された。

 まぁなんでもいいか。斜め読みしただけでも綺麗どころは十二分にいるし、幼いのが好みな変態相手も対応できるくらいにそっち方面の名前もある。間違っても上位はないなと笑っていると、私はお前に賭けたからなんかやれと脅された‥‥それこそ知るか、好きに負馬に乗れ。

 それ以降の言葉は聞き流して、程々に仕切って楽しめと言うと誰かに賭けないのかと問われる、裏方で親だからあたしが賭ければ不正が怪しまれる、ソレを伝えると理解してくれたようだ‥‥同じ『は行』の下の方で張るか迷ったのがいたが、運の悪いあたしが賭ければ負けると思いやめておいた。

 

 動きの悪い右手をポッケに突っ込んで再度ブラつくと、住まいの神社とは正反対な盛況さの占い屋さんが目に留まる、やる気なさそな顔のままで小さな鉢かづき姫を使って札を捲り話している巫女、足元を彷徨いてるのは二本尻尾の火車。

 老若男女でごった返し大儲けの占い屋に火の車がいるとは滑稽だ、忙しくて首が回らないから猫の手でも借りているのか?

 ならついでにろくろ首にも手伝わせたらいいのに、あいつがいれば回らない首もスルスルと回るはずだ、里の空を巡回する赤い首だけを捕まえて列の制限をするよう伝える。なんで私がと訝しげな顔をされたが、手が足りない巫女に恩を売っとくチャンスだと伝えると渋々動き始めた。

 態度の悪い店主に軽く睨まれたが、引かない客足を捌くのに手一杯であたしに対して睨むしか出来ない紅白、残念ながら手の多い友人はいないからそこは自分でどうにかしてくれ。

 暫くの間は遠巻きに眺めていたが小さな姫に針を突き付けられた、威嚇せんでも近寄らないよ、占いには興味ないから。

 

 巫女の行列を背に振り返れば里の中央、霧雨の大道具屋。

 里一番の大店も空気を読んで大売り出し中だ、日用品から用途のよくわからないものまで揃っていて見ていて飽きないバーゲンセール。

 巫女の次に客足が多いのはここだろうか、あの動かない男性店主も手伝いにかりだされていて見るからに忙しそう、普段は客の相手などしないくせにテキパキと切り盛りしていく半妖眼鏡、店は違えど暇なのも忙しいのも捌くとは汎用に動けて器用な男だ。

 大店のバーゲンワゴンから丁度見えない位置に開いているガラクタ屋を覗くと、客足などなく店主すら逃げ出していて閑古鳥が群れていた、少し覗いたが、売れ残りが売れ残っているだけの面白くもないガラクタばかりだった、唯一使えそうな物は錆びていない糸切りハサミくらいか。

 色合いもおめでたくない葬式のような色味のテキ屋、売る気はないのだろうが話に乗っかってくれた礼もある、礼金代わりにハサミを買い銭を放置した、盗まれても知らないがあたしは払った、文句は言わせない。

 

 ハサミを握りチョキチョキと動かしていると、視線の先に試し切りに良さそうなビラが数枚落ちているのが目に留まる、糸切りで紙を切ると繊維が切れなくなるらしいが、あたしは裁縫はしないし気まぐれで買っただけだ、ちょうどいいとビラに目を通しながら刃を当てがった。

 刃先を入れるか入れないかの辺りで目に留まったビラの謳い文句『縁結びは守谷神社で』写真入りのビラで、使われているのは風祝を中央にして三柱並ぶ家族写真。

 遠足の思い出作りじゃないんだからと緩く笑んだが、二柱からすれば大事な娘との思い出作りなのかもしれない、なら縁を切るのは忍びないなとハサミを入れずにコートの内ポケットにしまい込んだ。懐にしまう姿をお山の風祝に見られて親指を立てられたので指先を少し上げて返答してみる、台座に乗って何かを話していたがこちらに歩み寄りもう一枚寄越してきた。

 同じ物二枚もいらないと断ったが先日神社に連れて来た相方にも渡してくれとの事だ、縁結びのビラなら験担ぎになるかもと、こちらも受け取り懐にしまった。

 ええじゃないかと騒いでいた時にもこうやってビラを撒いていたが、騒ぎの中でも随分と通る声の守谷の巫女さん、遠くからでも何処にいるのかわかるわね、そう小馬鹿にすると外では合唱部にいたので声には自信有りとの事だった。確かに祝詞を上げている時の声色は透明で美しいものだった、カエルみたいな神様の子孫らしく唄にも自身がありそうだ。

 

 そのまま他の屋台も見て回ったが、残りは騒ぎにノッてきた人里の非公認テキ屋くらいしかないようだ、文句など言わないがそっちにあたしが顔を出すと気まずくなってしまうと思い、人目を避けて墓場へと歩んだ。

 珍しく静かな寺の参道を歩く違和感、今日も山彦はいないらしい、それどころか寺の皆も姿が見えなくて、何かあったのかと気にしたが、こころは来てくれたし、よくわからない。

 考えた所で仕方がない、誰かを見かけたら聞いてみようと頭の隅に追いやってテキ屋以外の通常店舗に顔を出した。通い慣れた甘味処で店番していた孫娘から小腹を満たせる物を買い、ちんたら歩いて墓の上。里の誰かの終の棲家に腰掛けて、無意識で巻紙を舐めていると遠くで漂う死体が見える、あたしのご同類に声でもと思った辺りで、墓穴に空いた大きな穴から楽の師匠が現れた。

 

「あらあら、楽しそうな事をすると聞いて期待しておりましたのに、主犯が楽しそうには見えないのはどういった事なのでしょう?」

「つまらなそうなあたしをからかって娘々は楽しい?」

 

「ええ、楽しいわ。あら、巻煙草なんてまだ戻ってないのね‥焦らされて疼くでしょう?」

「‥‥娘々の仕業だったの? あんまり酷いと‥‥」

 

「酷い? 私は少し助言しただけですのに、押してダメなら引いてみろと、少しだけ入れ知恵しただけですわ」

「あたしの場合、あんまり引かれるとすぐ諦めるってのは教えてくれなかったのね」

 

「諦めきれないくせに嘘はいけませんわ」

 

 穏やかに笑いそう言われる、いつもの事だがこれも楽しまれてしまうか、この体たらくでは少しだけ出した怒気を払われて何も言い返せない。

 巻いたタバコを咥えて無言で睨んでみたが、嫌悪の視線を浴びてもあらあらうふふと微笑む邪な仙人様、何でも楽しむのだと教えてくれた通りに、今はあたしで楽しく遊んでいるらしい。

 娘々を探せなんて言うんじゃなかったかとほんの少しだけ後悔したが、済んだ事を気にしていても仕方がないと思い直し、言われた事を噛み砕いた。言葉を信じるなら今は押してダメだったから引かれている最中って事だ、それなら愛想をつかされたわけではないらしい。

 なんだなんだ、未だ変わらずにモテモテじゃないか、心配して損したと娘々に見られていてもお構いなしに惚気けて微笑んだ、大きな安堵感に包まれ心地よいがその顔は長く続かなかった。

 

「すぐに安心してはダメよ、アヤメちゃん」

「これ以上あたしの何処を笑うの? 素直に教えてくれたからおしまいかと思ったのに」

 

「おしまいだなんて、女はこれからが怖いのよ‥‥あの付喪神の怒りは結構な物でしたわ、泣きそうな顔で芳香ちゃんをボロボロにするくらいの憤怒、激しいのもいいものね」

「悪いとは思うけど謝らないわよ? そうなる前に止めない娘々が悪いんだもの」

 

「謝ることなんてありませんわ、芳香ちゃんを直すのも楽しいもの」

「楽しそうな所で悪いけど、話が見えないわ」

 

 とりあえず雷鼓が未だお冠だというのはわかった、けれどそこからなんの話に繋がるのかフワフワとしていて捉えきれない、この邪仙は何が言いたいのか?

 こうやってあたしをイラつかせて遊んでいるだけならそれでいいのだが。

 

「好いているけど伝わらないって不憫ですわ、ですからこっちの方にも少しだけ助言して差し上げましたの、意思を得たのだから自分から離れる事も出来るはず、と」

「そう‥‥身から出た錆だから何もないわ」

 

「身から出た錆ね、昔なら錆びつく程浸らなかったでしょうに‥でもわかりますわ、自分を中心に見てくれて離れずにいてくれる相手がいるって素晴らしいもの」

 

 大した理由もなく自分の意思も軽薄なまま墓場の端を漂っている者、宮古芳香を愛おしい者を見る目で眺む娘々、はたから見ればあたしもあんな顔をしているのだろうか、見つめる相手は随分と違うがそう見えるなら少し嬉しい。

 

「それで、次は何に気をつけたらいいかしら?」

「聞かなくともわかるでしょう? 離れてほしくないなら繋ぎ止めればいいのですわ、一度壊して好きに作り直すのが一番ですがそれは嫌なのでしょう?」

 

「作り直すのは面倒くさいわ、それなら逃がさないように抱き寄せて、離れられないようにすればいいだけ」

「アヤメちゃんは面倒くさがりね」

 

 変わらないでしょ? と促すと変わりませんわねと嬉しい返事。

 戻らない理由もわかったし朝とは打って変わって気分は上々だ、まだ取り戻せる辺りにいるというしそれならたぐり寄せるだけ、一度交わった線なのだから手繰ることなどわけないだろう、夜になればそれに長けた友人も姿を見せてくれる。

 自分一人で取り戻せないなら猫の手でも蝙蝠の羽でも借りよう、癇癪は招待でチャラなのだから対等な友人らしくしないとならない、クリーニング代を請求しないと、貸しっぱなしの金貸しはやめたのだから‥‥夜になるのが待ち遠しいなんて何年ぶりかわからない。

 

~少女食事中~

 

 お日様とお月様の交代勤務をきっちりと見届けて、これからが本番だと川に蓋をするように組まれた櫓の上から叫ぶ。昼間のまったりとしたテキ屋の雰囲気とは様変わりして、どこもかしこも騒がしくなりだした、行灯並べて提灯を灯して、どこのテキ屋も元気のいい声が飛び交い始めた。

 一部悲鳴のように聞こえ始めたのはあの亡霊姫のいる辺りか、次から次へと運ばれて並べられては消えていく皿、決して早いとは言えない優雅な食事風景なのだが、何をどう食べ進めればああいった食事風景になるのだろうか。

 隣に腰掛ける半分庭師と何かを話して食事する幽々子、嫋やかに食事しながらあたしに気がついて、お箸の持ち手で手を降ってくるが‥‥それは少し行儀が悪いとお箸を動かす仕草を左手で取ると、片目を瞑り舌を出した‥‥あれで一番の保険なのだから困りモノだ。

 

 幽々子を見ながら隣の黄色い声援に耳を傾け、そのまま視線もそちらに移した、視界に広がるのは可愛い人形が彩る舞台。

 誰かから聞いたのだろう、飛び入りで参加した魔法の森の人形遣いが薄く微笑み人形達を繰っていた、櫓で始まった人形劇舞台の前に子供の姿も結構見えるがあたしは怒る立場じゃない、夜間がダメなら慧音が仕切るだろうと気にせずに暫く眺めた。

 小さな人形が櫓の上から飛び出して宙で始めた剣戟の先、いつか相談事をしてきた少女と端正な顔立ちの男の子が手を繋いでいる姿が見える、あれから呼び出しはなかったが上手く収まる事が出来たようだ、ほんの少しだけあの子の縁結びに関わったのだし今後を考えると験担ぎにいい二人。

 あたしもあれにあやかりしっぽりしたい、こちらを見つけた少女に向かって尻尾揺らして挨拶すると、繋いでいる手を上げてきた‥‥見せつけてくれて妬ましいな、もっと妬ましくなるといい。

 

 子供を妬んで力を蓄え、次の舞台の場所へと移動。

 河童に無理を行って作らせた1段高い櫓に飛び移る、上で騒ぐは騒霊姉妹に付喪神、霧の湖近くにある洋館で演奏は聞いたし人形達の姿は見たが、本人たちとは久しく会っていなかった。

 けれどどうやら覚えてくれていたようで、黒い長女に会釈をされて次女と三女に手を振られた、軽く手を振り答えるとそのまま後ろの付喪神へと視線を走らせる、両脇に琵琶とお琴を並べ中央を陣取る大きなドラム。

 九十九姉妹は手を振り返してくれたが、真ん中だけはこちらを見ない。

 何を拗ねているのかね?

 少し悩んで思いついたのは、用意すると約束したのに未だに来ないヴォーカルがいない事くらいだろうか、個人的な感情もあるだろうが今は奏者としてここにいるのだろうし、昼間の授業では姿こそ見せなかったが約束通りに演じてくれた‥‥私は約束を守ったのだからお前も守れって感じだろうか、それなら本気で探そうか、既に始まったお祭りの舞台、それほど時間もないし見つけ出せる運命をあたしの糸に結んでもらおう。

 

 寺子屋近くの赤絨毯にいた探し人、里に似つかわしくない白のダイニングテーブルに腰掛け、テキ屋の屋台メシを頬張る吸血鬼姉妹。テーブル上にはテキ屋のB級料理が並び、貧相な物で豪勢に埋め尽くされている、近寄りながら手を振ってみると頭にあの希望のお面をつけた姉妹が揃って返してくれた。

 絨毯に降り立つと頭を垂れてくれるメイドと門番、こっちも頭に希望を見せている、毎日のように割っていた皿の代金が痛いとは言っていたが‥‥太子、これでいいのか?

 一瞬浮かんだ太子の事はすぐに忘れて二人にも軽く挨拶を済ませ、さっそく弄んで貰う事にした。

 

「楽しんでいるようでなによりね、もし暇なら運命を弄んで欲しいんだけど」

「自分から弄られに来る輩などお前くらいだな、弄らなくとも交わったままに見えるが?」

 

 重低音を轟かせている櫓の方を眺めながら鋭利な八重歯を見せる運命の操り手、嬉しい一言ではあるが交わる程度では微温い、絡んで解けないようにするために足掻いているし、これ以上手っ取り早い方法もない。

 急いて事を仕損じたとしても善は急げだ、祭りの最中なのだし後の祭りになりたくはない。

 

「色々と動き疲れたのよ、あっちから近寄らせる為に弄んで欲しいの。誰かさんに汚された服のクリーニング代代わりと思って、こうちょちょいと」

「あれは招待する事で‥‥いや、言い争う時間も惜しいのだろう? クリーニングなんて詭弁はいい、中々楽しめているし少しだけ見てあげるわ」

 

 仰々しく右手を掲げ手の平の上に何かあるような仕草を見せる御嬢様、はたから見れば欲しいものに手を伸ばしているような雰囲気。本来なら変えられない運命を操るのに、何かを欲する仕草をするとは中々の役者だ‥‥手など伸ばさなくとも操れるだろうに、格好をつけてくれる赤い月。

 

「ふむ、探し人だが二人とも近くにいるな」

「二人? 一人はわかるんだけどもう一人って誰の事?」

 

「わからない」

「わからないって、今は逸らしてないけれど‥‥それでも見えないって事かしら?」

 

「正確に話そう……真っ暗で何かに囲われた部屋の中、その中央に二人いる。背と耳に羽を生やした一人は横たわり、もう一人はそれを何かから遮るように折り重なっている誰かとしか見えない、後はそうだな『アビラウンケン』なんとかと聞こえた、心当たりは?」

「あるけれど何故それなのかはわからないわ。それにしても曖昧ね、本当に見えたの?」

 

「これはアヤメが原因なんだがな、いいか? 今見たのはお前のすぐ先の未来だ、ということはお前が見るだろう事象を先に盗み見ているわけだ。つま‥‥」

「もう一人が誰なのかを今のあたしが認識していない、だから先のあたしの視点からも見えない」

 

 ご明察、と言う声を背に聞き走る。

 感謝は後で取り敢えず探し出さないと不味い事になった、探して欲しいと考えていた女将が伏せる姿など聞きたくはなかったが、愚痴を言っている暇もない。

 アビラウンケンなんて真言以外に聞き覚えがない、それも地水火風空を表す大層なお言葉だ、何かに囲われたその中央で横たわるって事は、動きを封じられて真言浴びせられているって事だろう。

 それなりに力を宿した妖かしでその手の事に長けた者なら呪詛返しも出来るだろうし、あたしなら言葉を逸らすか相手の舌を逸らすなりして黙殺出来るだろうが、あの子はそれほどの力はない。

 今でこそ人を襲い喰らう事もあるにはあるが、ミスティアの成り立ちからすれば視界を奪うか歩けなくさせる程度の可愛らしい悪戯妖怪だ、誰かに遮られてはいるらしいが同じく捕まる程度の妖怪‥‥こっちは誰だ? 山彦か?

 先日の妙蓮寺にもいなかったしライブ会場にもいなかった、先日のは偶然かもしれないが今日墓場に行った時にもいなかった、レティさんのお陰で雪は止んでいて、いいお天気にも関わらずだ、それなのに読経も挨拶する声も聞こえないのは少し可笑しい。

 寺の皆がいなかったのは響子ちゃんを探しに出ていたのか?

 こころだけはあたしからの依頼を済ませた後に合流した‥‥だから舞台終わりですぐにいなくなったって感じかね?

 とりあえずもう一人の目星は付けたが何処を探せば‥‥

 近くとは行っていたが曖昧で動くに動けない。

 せめて距離や方角くらいわかれば‥‥小町‥‥

 は誘っていないし、操ってもらうにも場所も方角もわからない。

 今から三途の川まで行っていてはお祭り自体が終わるだろうし、後頼れるのは衣玖さんか?

 空気を読んで探してもらう?

 いやいや意味がわからないな、それにこれから踊ってもらう予定も入っている。

 柄にもなく焦っているのが自分でも分かる、大事な物が壊されないように気をつけなさいと言われていたのにこのザマか、大事な物が一つだという思い込み、手の届く範囲の大事な者は誰にも渡さないつもりだったがなんとも不様だ。 

 

「声も出さずに一人で煩いわよ、アヤメの開く宴だと聞いたから遊びに来たのに主催者からは『後悔』と『どこ?』しか聞こえないし、耳が痛いわ」

 

 悶々と悩みながら声の聞こえた方を睨む、忙しいのだから軽口に付き合う‥‥

 いいところに頼りになるのがいた。

 頭によく似た希望の面をつけて顔にも希望を湛えた聖人、笏を持った右手と剣を携えた左手でヘッドホンを抑えているが、抑えるならそっちじゃないだろうに、その頭に生やした髪っぽい耳を抑えたほうが静になるんじゃないか?

 

「だからこれは耳では‥‥それより『どこ』はもういいの?」

「よくないわね、太子、この辺りで真言が聞こえたりしないかしら?」

 

「真言? 正直に言うと人通りが多すぎて煩すぎるのよ、何かを聞けるような‥‥」

「面倒だから一旦太子の耳に届く音全てを逸らすわ、里を中心に逸らすから範囲は曖昧だけど、少しずつ範囲を狭めていくから聞こえ始めたら教えて」

 

「そんな○○○□□□‥‥」

 

 口をパクパクとさせてあたしに向かって何かを言ってくるが、太子に向かう音がこっちに響いてあたしが聞き取れない。太子とあたしに限定してもいいがそれではお祭りの流れが掴み難い、そう考えたがこれでは大差なかったが、まぁいい、このままでも仕事はしてもらえるはずだ。

 しかし消さずに逸らすだけなのだから致し方ないが、二人分の音を拾うだけで頭の中が喧しい事この上ないな、毎日これでは大変だ。

 周りには動いているものもいるし、櫓には喧騒を囃子立てる楽しそうな調べが聞こえるはずの人里だけれど、今は正確に聞きとれず違和感しかない轟音の里、我ながら気持ちの悪い空間にいると思うが探す為だし一瞬の我慢だ。音の流れがおかしいと認識出来たのか、竜宮の使いが舞う舞台にいる楽器連中や騒霊は一瞬こちらを見てきたが、今はいい‥‥もしもがあっては困る。

 あたしの顔に叱っ目面が張り付いて眉間の渓谷が深くなり始めた頃、笏を指し方向を示す太子様。

 どうやら見つけてくれたようで、会話が出来るくらいに音を逸らした。

 

「真言、聞こえたわ、大シラガ小シラガというのも聞こえたけど」

「後半は後でいいわ、方角くらいはわかる?」

 

「方角も何も、里の外れにある社の地下だとはっきりわかるわ」

「地下って事までわかるの?」

 

「何年地下にいたと思ってるの? 反響音で部屋の広さまでわかるわよ? 社の下に四間ほどの空間、三間くらい下がった辺りね」

「三間って事は地下一階くらいか、ありがと太子、能力を解くからそのよく聞こえそうな耳を抑えたほうがいいわ」

 

 能力を解除した瞬間に太子の髪っぽい耳がビクンと揺れる、ヘッドフォン越しでも余程煩く聞こえるようだ。強めにヘッドフォンを抑えて片目を瞑っているが、開いている方の目は少しだけ涙目だ‥気持ちはわかる少しだけ体感出来たし。

 静寂に慣れてから一気に喧騒の中に戻されたのだから仕方がないだろう、両手を合わせてごめんと頭を下げると軽く手を振り構わないと返答してくれた。

 能力を解き音を戻したことで気が付く、先ほどまでは雅楽の二人と騒霊姉妹も鳴り響いてたのだが今は雷鼓の重低音しかしない、どうやら衣玖さんの人里ナイト・フィーバーが終わってしまったようだ、次に奏でる段取りになっていたのはミスティアと響子ちゃんのライブだったが、未だ当人達を探せていない。

 雷鼓が止まれば終わりだが汗だくのままで一定のビートを刻み続けてくれる雷鼓、まだ終わらせないということか。なら代役を宛てがうからもう少し間を保たせて欲しい、あたしを睨む元気があるのだから誰かをリズムにノセるくらい造作も無いのだろう?

 一度飛び上がりぐるりと見やる、探しているのは緑の頭、壁に寄りかかり可憐な壁の花となっている奴ではない緑を探す、稼ぎ終えた紅白と物が一つだけ売れたと喜ぶ黒白二人のすぐ隣、彼女達と一緒になって楽しそうに笑っている緑の二葉頭をとっつかまえた。

 いきなりなんですか!? と騒ぐから、それに負けない声で合唱部の凄さを見せて欲しいと少しこちらで煽てておく‥‥少し考えてソレならばと瞳にしいたけのような光を宿す風祝。

 櫓に投げて雷鼓を見やる、小さくウインクするだけでそいつを使えと伝わったようだ、ドラムスティックの拍子に合わせて再度始まる一夜のライブ、ドラムだけの音律に少しだけ飽き始めていた者達も再度リズムに乗り始めた。

 これでもう少しだけ時間が稼げる、その間に掘り返す。

 

 櫓からそのまま社まで飛び、着地と同時に妖気で穿つ。

 力がお社に向かわぬよう流した妖気の衝撃方向を逸らして、アルファベットの『Ç』のようにお社だけを避けるように抉れて弾ける地面。

 結構な音がしたが発生した土砂の音を里の外へと逸らした瞬間に、間奏代わりの激しいドラムソロが聞こえた、こっちの尻拭いまで考えてくれているとは、何から何まで頼れる太鼓だ。

 

 再度蹴り上げ地を飛ばす、後で頭突きを貰いそうだがそれはその時考えればいい。

 未だ見えない地下の空間。

 なれない穴掘りの為随分と加減していて拉致が開かない、三度目を蹴ろうと足を振り上げるとパラパラと揺れて地に落ちる地面、誰の揺れかと周囲を見やると不遜に嗤う我儘天人様、そう言えば誘っていたか、何も言わずにお手伝いとは本当に変わったものだ。

 天井代わりの地面が落ちた辺りに着地を考えずに突っ込んだ、地に着いたと同時に両足と両腕で受ける衝撃を周囲へと逸らして、本来あたしに来るはずだった衝撃力を地に放つ、結構な振動が周囲に伝わる。

 横たわっているミスティアと彼女を覆うように庇っている響子ちゃんにはさほど被害がないが、立ち並ぶ結界用の燭台には効果があったようだ、破魔の札を連ねて織った糸を繋いでいる燭台は全て揺れ倒れて、二人を閉じ込めていた封は途切れた。

 封印が解けた瞬間から聞こえ始めたのは、喉を痛めたのかすっかりしゃがれた響子ちゃんの大きな歌声、結界で閉ざされた中で叫び続けて、少しでも真言を紛らわせようとしていたのかもしれない。声が響くようになった事に気がついて周りを見る響子ちゃんと目が合った、放たれる真言を逸らして歩み寄り頭を撫でるとスイッチの切れる山彦マイク。

 二人を寝かせて振り返り、意味のない戯言をほざいている輩に嗤いかけた。

 

 直接あたしを狙うかと思っていたが、記事に名前を載せた力ないミスティアを狙って邪魔してきたのか、ライブの夜にでも仕掛けて響子ちゃんも巻き込んだのだろう、手札は多くなるしあたしの鼻を折るには一石二鳥だろうな。中々狡猾で好ましい手だが…手段自体は好ましいがそれをやられて好ましいと言えるかどうかは話が別だ。

 部屋にいる五人の全てから向けられる殺気と憎悪、破魔の紙くずも戯言も逸れて届かず睨むことしか出来なくなった憎らしい人間。邪魔をしてくれたのはいい、想定内だから何も思わない‥‥けれど、手段を選ばずに来たのはマズかったな、因果応報という言葉がある。

 襲われないはずの里の中に篭もり、鳥獣伎楽の二人が力尽きた頃にのうのうと出てくるつもりだったのだろう?

 その頃にはメインで予定していた物が潰れてしまい、失敗に終わったあたしを嘲笑うつもりだったのだろう?

 残念だが見つけてしまった、嗤うのはあたしのようだ、仕掛けたお祭りは皆のお陰でどうにか上手く回っている、始まってしまえばあたしは必要ない流れにするためにあちこちへと回ったのだ、はなっから見当違いでご苦労様な事だな人間。

 もう少し嘲笑ってもいいが睨まれ罵声を浴びせられるのにも飽いたしどうするか?

 襲われないと思っているのだからそこを返すか?

 殺さずとも一人二人手足をもげば静になるだろうし脅しにもなろう、考えるのも面倒だし二人を早く医者に見せたい。

 一番遠くにいて一番怯えの見えない者、生を諦めてしまい瞳の虚ろなアイツでいい、少し痛くすればまだ生きていると思い出すだろうし、諦める事もダメだと教えておこう、ゆっくりと歩み寄り右手を首へと伸ばす、敢えて傷を見せてこれからこうなるかもしれないと言わずに伝わり都合がいい。

 

 周りの者が帯刀していた刀を振るってくるがこの身には届かない、無様な姿を晒す同士を見つめる瞳、その瞳を見つめながら静かに嗤い右手を細い首へとかけた。

 あたしよりも小さな体躯、女か…まぁどうでもいいな、少しずつ頭を持ち上げてつま先立ちのまま地から足が離れ掛けた頃、女の瞳に誰かが映った。周囲に様々なお面を浮かばせてジト目で見てくる面霊気と、その周りには見慣れた寺の者達、肩で息する皆が映った瞳に少しだけ生気が戻った気がした、残念ながらお前の助けにはならないと思うぞ?

 何も言わずに響子ちゃんとミスティアを抱えて飛んでいく入道使い達、一緒に飛んでいったのは星とナズーリンか、ネズミ殿なら顔が広いし永遠亭の連中と見知っていても不思議はないな。

 着地の際に無茶したからか傷が開いて再度血を流す腕、持ち上げる為掲げたからか肘辺りから血を滴らせている。血の滑りと傷のせいで握りは甘いが人間一人持ち上げ続けるくらいは余裕だろう、背に視線を受けながら女の足に左手を伸ばすと、こころに左手を捕らえられた。

 そのまま体もぬえに抑えられて自由が効かなくなる、それなら尻尾でいいかと少し揺らすとあたしと女の間に錨が投げ入れられる、皆で邪魔をしないでほしい。

 

「響子ちゃんを探しに来たんじゃないの?」

「そうですが、方方(ほうぼう)探しても見つからず、一度集まった所で土煙を見まして」

「なにその真っ赤な袖、まだやらかしてないのよね!? 真っ赤だけどこいつらは怪我してな‥‥アヤメちゃんの怪我なの!?」

 

「お陰様でまだよ、ぬえちゃん‥‥見つかって良かったし残りは後始末だけだから離してくれない?」

「骨見えてる、痛くないの?」

 

「痛いから早く済ませたいの、すぐに済むからこころも離してくれる?」

「離したらどうにかするんでしょ? ここが何処だかわかってる?」

 

「人里、それが? 殺しはしないわ、死にたいと思うくらいにはするけれど」

「そっちのが質悪いわ、化かして騙して終わりじゃないの? とりあえず二人は無事だったし里の守護者にでも任せれば‥」

 

「化かされたからこそ意趣返しよ? 水蜜だって偶には本気で沈めたくなるでしょ?」

 

 話を続けていても拉致が開かないし万一逃げられると困る、殺さないのだから構わないと思う‥‥極論だがルール内だ、もしもアウトなら地底に引っ込むか紫に差し出せ‥‥置いていくなと泣かれそうになったな、それじゃあこれ以上はダメか。

 しかしこのまま引くのは気に入らない、落とし所がわからずに回らない頭で悩んでいると血で滑り女を開放しかけてしまった、足のつく高さまで下ろしてしまったがまだ逃すわけにはいかず、動きの悪い右腕に少しだけ力を込めた。

 虚ろだった女の瞳が大きく見開かれると、抑えられる全身の力が強まり完全に動けなくなった、細首を掴む右手だけが動く中、あたしの右手親指に破魔の札が張り付いた。

 打ち止めかと思ったが誰が?

 なんて決まっているか、ここは人里だった。

 

「そこまでにしないと見逃せなくなるんだけど」

「すでに見逃してもらえないくらいだと思うんだけど、霊夢?」

 

「退治依頼も受けてないし、まだ人間を捕まえてる妖怪を見つけただけよ」

「周りが助けてくれと煩いけど?」

 

 救世主のように現れた博麗の巫女を縋るように見上げて、助けてくれだの早くどうにかしてくれだのと喧しい、面倒で能力なんて使っちゃあいない。これだけ騒いでいるのだから聞こえないワケがないはずだが、これは引き際を作ってくれているのか、誰にも肩入れしないと思っていたが何のつもりだろうか。

 

「さぁ? 助けて、と、どうにかしてくれってのは聞こえるけど」

「聞こえているけどいいのね? それで」

 

「あたしの仕事は妖怪退治、人助けじゃないわ」

「……わかったわ、今は諦めるから札と周りをどうにかしてくれる?」

 

「周りは自分でどうにかして、それなりに儲かったから今夜だけよ」

 

 親指に貼られた札を元気良く剥がされて綺麗に爪と皮膚を持っていかれる、少しだけ血煙を上げた親指では余計に力が入らない、頼りない握り方では女を支えきれず血が潤滑油となり落としてしまった、崩れ落ちて咳き込む女を見下ろしていると体と腕の縛も解かれた。

 解かれた瞬間能力を発動して触れられないように、向けられる縛を全て逸らす、咳き込む女の髪を握り顔をあたしに向けさせて、小さく呟いた。

 

――次は一人で待っているわ、楽しみにしているから早く来て――

 

 銀の瞳に怯える女を映して静かに言ったこの願い、出来れば叶えてほしいものだ。

 穴を這い出して櫓を見つめる、合間を頼んだ現人神の姿はなく静かに鼓の打たれる音だけが響く人里、雷鼓にしては落ち着く音だと様子が見えるように飛ぶと、ぐったりとする奏者の間にあたしと似たような尾が揺れていた。

 最後の手を打ち一瞬静かになると櫓を見ていた者達から歓声が上がり、その歓声が終わりを告げた、敢えて話さず眺めてもらうだけにするつもりだったのに‥結局最後に頼ってしまった。

 出来の悪い妹で申し訳ないと頭を下げたが、笑って手を振るだけだったマミ姐さん。

 手を振る姐さんの動きに気がついてこちらを見てきた者が一人、真冬だというのに額に大粒の汗を浮かばせている赤い髪。

 一瞬目があったがすぐに逸らされてしまう、約束は守れなかったし仕方がないか。

 今日は潔く諦めよう、けれど次の機会は必ず作るしその時は捉える‥そして離さない。

 手を振った最後の舞台役者からあたしに皆の視線が移ったのを確認し、天狗記者二人のフラッシュを浴びながら今夜の〆を大声で告げた。



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第百十八話 逃げから逃げる化け狸

 眩しくたかれるフラッシュを少しだけ受けて写真として残ったのを確認した後、向けられている視線も意識も逸らして奔った。故か逸らせなかったこころやぬえ、櫓の姐さんと雷鼓に睨まれていはいたが気にすることなく竹林へと翔ける。

 誘った皆のお陰で表面上は上手くいった催し物、メインのところでしくじってあたしの企み事としては大失敗だ。後回しになどしなければ良かった、名前など出さなければ良かったと永遠亭で横たわるミスティアと響子ちゃんを見て後悔している。思い付きから始めたとはいえ詰めが甘すぎて、下手をすれば大事な者を失う所だった、後悔してもしきれない。清潔さの見えるベッドに横たわる二人が見られず、綺麗な床面を見つめているとその床に青と赤のツートンカラーが反射する。

 同じく清潔な白衣を纏い知的な笑みを浮かべる女医さん、同じ白い服だけど右側が真っ赤自分とは大違いな姿、何も言わずに床に映る名医を見つめていると、静かに患者の経過報告が始まった。

 

「どちらも問題なしよ」

「そう」

 

「夜雀の方は払われかけて危なかったけど、山彦は喉を切っただけ。もう少し遅かったら夜雀は危なかったかもしれないし、運が良かったわね」

「労いはいいわ、払うって? あの真言にそんな意味合いがあったかしら」

 

「夜雀を追い払うのに言葉、呪のような物があるのよ『大シラガ、小シラガ、峠を通れども神の子でなけりゃあ通らんぞよ、あとへ榊を立てておくぞよ、アビラ云々』という唱えみたいね」

「……なるほど、対夜雀の特効薬があったのね」

 

 唯の真言ですら危ういだろうにそういった物もあったのか、尚更危なかったわけだ。本当にどうにか間に合って良かった、が、元を辿れば自身の甘さが招いたものだ。

 目を覚ましてから何を言えばいい?

 素直に謝るだけでいいか?

 そもそも目覚めるか?

 存在を払われかけた原因と会話をしてくれるだろうか?

 あたしなら恨むだろうな、巻き込まれて死にかけたのだから当然そう考えるだろう。響子ちゃんも同じか、誘ったミスティアの近くにいなければこうはならずに済んだはずだ。それとももう少し早くライブ会場に顔を出していれば防げたのか?

 そうだとしても後の祭りか、どちらにせよ合わす顔がないな。

 

「‥‥永琳、後は任せても構わない?」

「医者として預かったからそこは安心していいわ」

 

「そう、安心ね」

「何を思いつめているのか知らないけど、貸しは返してもらうからそのつもりでいなさいよ」

 

「増えるばかりで返せる宛がないのが困るわ、それじゃあよろしくね」

 

 診察室を音もなく出てそのまま出口へと向かう途中鈴仙に呼び止められた、無事でよかったですねと微笑んでくれるのがありがたいけれど、ろくな返答も出来ず二三会話をして強引にその場から逃げ出した、背に向かい何かを言われているが聞き取れず悪いと思いながら竹林の中に消えた。

 終わりを告げて去ってみたが未だ騒いでいるらしい人里、開始から手を離れているのだから後は好きに騒いでくれていい‥‥そうしてくれた方が忘れて貰えてありがたい。

 雪深い竹林の中を何も考えずに帰路に着いた、雪積もる屋根が見えた頃住まいに灯りが灯っているのが見える、同棲相手が戻っているはずはないし何処の誰が中にいるのか。

 少しだけ警戒しながら玄関の戸を開けると一つの湯のみが浮いていた、久々に見る光景に少しだけ顔が綻ぶと、あたしの湯のみも宙に浮きお茶が注がれ湯気をたたえた。

 

「こいしも来てたのね」

「おかえりアヤメちゃん、なんだか顔が怖いよ?」

 

「本当は恐ろしい妖怪さんだもの、怖い顔くらいするわ」

「さっきは楽しそうだったのに、コロコロ変わって忙しいね」

 

「忙しくて少し疲れたのよ、寝るから一服したら帰ってくれる?」

「今日は一人で寝るの? 赤い髪のお姉さんは?」

 

 覗き見妖怪は一人ではなかったか、謝ることが増えてしまった。希望のお面を拾ってからくっきりしている事が多かった為油断していたが、そもそも無意識下にいるのだったな。それならば無意識で手放し元に戻っても当然だった、何から何までツメが甘いな。

 動きの悪い右手の甘い爪を眺め、湯気を立てる渋いお茶を啜っていると視線の先に気がつかれた。

 

「前足怪我したの? 近所に病院あるのに行かないって事は見た目ほど酷くないって事?」

「その病院から帰ってきた所よ、放っておけばそのうち治るわ」

 

「その割には痛そうな顔してるけど」

「腕より別の方が痛いって感じね、どうやって直せばいいかよくわからないから困ってるわ」

 

「ならうちの温泉がオススメよ? ほら、一緒に来たよくわからない妖怪のたんこぶも治ったもの」

「ぬえ? たんこぶなんて‥あぁ萃香さんの瓢箪もらって出来たあれか」

 

 ぬえと二人で鬼二人をからかって笑ったあの晩の事。

 散々煽って笑ってやって酒以外で顔を真赤にした萃香さん。いいかげんにしろとあたしに向かい振り回された伊吹瓢を逸らして、そのままの勢いでぬえに当たった時のたんこぶ、瓢箪もらって頭を抱え転げまわるぬえを三人で笑ったのを思い出した。

 その笑い声で探検に出た皆や一度眠ったはずの古明地姉妹も起きだして、朝方まで再度の宴となったんだったか、飲み直して皆で笑い汗をかいたからと風呂も皆で入り直したんだったな、髪を洗うぬえがたんこぶができてると騒ぎ出してそれもまた可笑しかった。

 傷を治すなら温泉だと勇儀姐さんにとっ捕まって沈められた後、たんこぶを撫でて治ったと笑うあいつの体もよくわからなかった。

 

「よし、じゃあ帰ろう」

「今から?朝になってからでも‥‥」

 

「ダメよ、赤い髪のお姉さんが帰ってきたらまた始まるんでしょ?」

「多分帰ってこないから大丈夫だ‥‥」

 

「えっ! アヤメちゃん振られたの!? それなら尚更急がないとダメね」

「パルスィにでも言って笑いの種にする?」

 

「傷心ついでに治すのよ、傷心旅行って言うんでしょ?」

「さとりの本の読みすぎね、甘い話ばっかり置いてあるんだから、あの書斎」

 

 それが何かと睨んでくるジト目が見えた気がした、そう言えば今年はまだ顔を出していなかったな、温泉は兎も角として新年の挨拶回りついでに行ってもいいか、地上にいるよりは居心地もいいだろうしあっちにいれば顔を合わせなくて済む。

 お茶を飲み干し湯のみを洗ってくれたこいしにせっつかれて出かける準備を整え始めた、年始の挨拶なら着物かなと思い、取り敢えず着物も荷物に突っ込み後は何も持たずに出る。無意識化にいるこいしに手を引かれて、それに合うよう他者から向けられている意識を逸らして静かに通い慣れた大穴を降りていった。

 

~少女達移動中~

 

 誰にも気がつかれないままにステンドグラスに迎えられる、扉を開いてもらい能力を解除すると慌てて出てきたのはでかい鳥、新年の挨拶を済ませて軽く嘴を撫でようとしたが動かせる左手は繋いだままで、右手はあまり動かしたくない。微妙な顔で目付きの悪いハシビロコウさんを見つめていると、珍しく頬ずりなどしてくれた、本当に気遣いの出来る案内係で参る。

 左肩から下げていたかばんを咥えられてそのまま先を歩いていく、飛行のが得意だという大型鳥類、いつか飛んでいる所を見てみたいが、この子が話してくれるのとどちらが先か怪しいものだ。

 案内などいらないくらいに慣れてはいたが形式とは大事なものだ、後を付いて書斎をノックした、ガチャリと開けられ迎えられると手を繋いだままで軽く手を振ってみせた、相変わらずにジト目で睨まれるがすぐに中へと促された。

 

「連日通って来る事もあれば、とんと来なくなってみたり、そう気まぐれだと困るのですが」

「それなら暫く置いてくれない? ゆっくり治したいのよね」

 

 こいしの手を離して右の袖を捲り上げる、少し動かしてからマジマジと見ていなかったが随分な酷さだ、完全に血の気の引いた肉が見える部分、にピースの欠けたジグソーパズルみたいな白部分、気にしていなかったせいか感じていなかったがこうしてみると随分痛む。

 さすがに動かなくなるなんてことはないだろうが、そうなったら永遠亭に通えばいいだけだ、その頃には鳥獣伎楽の二人もいなくなっているだろうし、どうせなら借りられるだけ借りておこう‥‥貸付出来なくなるまで借りたら少しずつ返せばいい、何かしら目的がないと消え入ってしまいそうな気分なのだから。

 

「ソレについては何も言いませんよ‥滞在はいつもの事ですし構いませんが、代わりに条件があります」

「飲めるものならなんでも、家事やら力仕事は治ってからだとありがたいわ」

 

「何かあるなら口に出してください」

「読めるのにわざわざ言うの?」

 

「はい、アヤメさんは覚りではないですからね‥口にしないとわからないでしょう?」

 

 あたしの為に口に出せと?

 何のために?

 わざわざ言葉にして蒸し返したくない事ばかりで、出来れば勝手に読んで勝手に理解して欲しいのだが、こういう心理的なモノを転がして糧を得るのが覚りだったと思っていたが、口にさせる理由はなんだろうか?

 今も読んでいるだろうに何も言ってこない地底の主、既に始まっているって事かね。

 

「意図が見えないわ」

「私の会話の練習に付き合え、そういう事ですよ」

 

「お燐やお空でいいじゃない、なんでわざわざ馬鹿にされる相手を選ぶのかわからないわ」

「あの子達は気を使ってくれるので練習にはなりませんね」

 

 心を読む妖怪が心にもない事を言うのか、いつの間に冗談がうまくなったのか。最近は外に出て他者と関わる事が増えてきたらしいがそのおかげかね、目つきは変わらないが口ぶりは随分と丸くなった気がする。

 まぁいいか、そうしないと置いてもらえないわけだし、あたしとしても口が錆びつかずに済む。リズムに乗らない相手を乗せる練習、その相手が読心妖怪というのならリハビリ相手に丁度いいはずだ。

 

「それで気を回さないあたしが相手って事ね‥いいわ、今は納得してあげる」

「それと、後もう一つ忘れてました」

 

「後出しなんて狡いわね、読んでから答えるからいつも後だしなんでしょうけど」

「そうやって皮肉を言う時は以前のように笑う事、今の怖い顔よりは意地の悪い笑みのが似合いますよ」

 

 今意地悪く笑っているのはどちらの方なのか鏡で写してやりたいところだ‥‥写してやればいいのか。

 片側の口角だけを上げてほんの少しだけ瞼を下げる、さとりよりもひとつ目が足りないがそこは気にせず同じ表情で笑む、これを見たジト目が一瞬だけ優しい雰囲気になったのは気のせい、ではない気がした。

 それから少しの会話を済ませてほとんど私室に近い部屋を宛てがってもらう、慣れた手つきで着物を広げるつもりが不器用な右側が掛けられず少し困った、なければないでそう過ごすのだが、あるのに使えないとは不便なものだ、それでも自分で決めた事だしとどうにか広げて壁にかけた。

 荷解きを済ませて一心地、窓を開けて葉を巻いていると部屋の扉の開く音、バサッと鳴った夜空柄のマントを翻し金属音の足音を立てる者など一人しかいない、振り向かずに誰かに話しかけた。

 

「一服済ませたら早速湯治といきたいんだけど」

「お風呂、仕事も終わったし一緒に入ろう」

 

「そうね、ゆっくり温まりましょうか」

「うん、アヤメどうしたの? 元気ないよ」

 

「ちょっと疲れたの、暫くいるから毎日一緒にお風呂に入ろうか?」

「おぉ、暫くっていつまでいるの?」

 

「ほとぼりが覚めるまで、かしらね」

「それは変、後の祭りも楽しむっていつものアヤメなら言うのに」

 

 ふむ、確かに、この(うつほ)の言う通りか。

 始める前に考えたはずだ、失敗したなら盛大に笑われて視線を浴びて苦笑いをすればいいだけだと。

 それがどうだろうか、自分の企み事のせいで大事な友人を失いかけたと気にして逃げかけた、こいしに連れ出されなければ外の世界の二の舞いだったかもしれない、拾ってくれる紫は夢の中だし今度こそおしまいだったかもしれない。

 何度思い知れば気が済むのか、得意の空回りをしては地底で思い直す、すっかりあたしのテンプレートになっているな、誘ってもいい友人達を逃げ場に使い残しておいた狡猾な馬鹿。

 また誰かに慰めてもらいに来たのか?

 誰かに肯定してもらいそれらしくなれば満足か?

 言われた通りの姿を取ってそれらしくなっているのがあたしだっただろうか?

 そんな事はないはずだ。

 受け身の手待ちじゃ飽きられると言われたし、言われた事を考えすぎて空回りしてるのはらしくないとも言われたはずだ、ならそれに対して意趣返しと洒落込もう、まずははっきりと言ってもらって景気をつけるか。

 

(うつほ)、ちょっと聞いてもいい?」

「なんでも聞いて、教えてあげるよ」

 

「あたしの事嫌い?」

「うん、いまのアヤメは嫌い! ウジウジしているからなんか嫌だ!」

 

「そうね、自分でも嫌になったから少し見直すわ‥そろそろお風呂に行くから準備して行くわよ、着替えとか取ってらっしゃいな」

 

 うん! と答えてその場で消える愛らしい地獄烏、こんなに手のこんだ事をしてくれなくても昔よりは素直になったのに、言われた通りに言葉にして話すつもりだったのだが、随分と大きなおせっかいだ。

 まぁいいか、それなりに吐き出す事もできたわけだし背でも流して感謝を伝えてみよう、わざわざ想起してくれたフル装備の霊烏路(うつほ)、窓の外には先ほど仕事を終えて装着していた制御棒を外しているお(くう)

 バレバレの姿まで使って元気づけようとしてくれたのだから、元気にならんといけないな、内も外も綺麗に治し早いとこ女将に叱られよう、そうしてあたしの誘いにノッたのだから仕方がなかったと諦めてもらおう、生き延びたから私の勝ちね、そう言ってくれるように再度化かして騙してみよう。

 都合がいいがそんなものだ、あたしは騙す側なのだから。

 



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第百十九話 真っ向勝負の化狸

 本気を出して二日で完治、とそこまで都合良くはいかないが、取り敢えず握り込めるようになったあたしの可愛らしいお手々。本気で殴ったりしなければ問題ないくらいに回復してくれたが、質より早さを選んだせいかいつもの様に綺麗に治らずざっくり残った傷の跡。

 自分で残るように願ったのだからこれでいいのだが、実際にこうして残ると感じるモノもある。

 けれど残ったお陰で視界に入る度に脳裏に浮かぶ者も出来たし、耳の鎖と合わせていい具合に枷となってくれるだろう、残してくれた傷をまざまざ見せつけてアイツを抱く、どんな顔と音色になるのか今から楽しみで堪らない。

 右腕掲げて返してみたり握ってみたり、目を細めながら動きの確認をしていると湯治宿の女主人があたしの部屋へとやってきた、帰り支度をすっかり済ませて窓辺に寄りかかり一服していると、さきほどまとめたあたしの荷物を見つめる三つ目。

 少し切なげな三つ目に片手で逆立ちできるくらいには治ったと笑って見せてみると、余計なおせっかいをするんじゃなかったと聞き取れないくらいで呟いた。

 

「すぐに帰っちゃって寂しい、そう言ってくれないとわからないわよ?」

「そんな事はありませんよ、無事に治って何よりです」

 

「本当に帰るけど、泣いて引き止めるなら今よ?」

「またすぐに来るのでしょうし、毎日泣き顔見せるつもりはありませんよ」

 

 三つ目を見慣れたジト目へと変えて淡々と返してくる地底の読心者、言った通りまた来るだろうしそっちはもういいか、しかし毎度思うのだが、何を言われるかわかっていてそれに対して答えるだけなのだから、読み合いも何もなくてつまらなくはないのだろうか?

 それとも手の平の上で相手を転がすほうが趣味だったのか?

 そうだとしたら考えを改めないとならない、いつか一緒に眠ったがあの時も何をされたのかわからないし、これで意外と手が早いって事も有り得る。気持ちの良いところもバレバレで伝わるだろうし、そういったものを探る楽しみもないのかこの姉妖怪は、それはそれは可哀想な事だ。

 

「勝手に落胆されるのはいつもの事なので構いませんが」

「何か?」

 

「誰かと違って手が早い事などないですし、そもそもそういった趣味は‥」

「ないならこれからなるのもいいわよ? ペットがもっと愛らしく感じるかもしれないわ」

 

「いえ、愛でるというのも意味が‥もういいです、またいらして下さい」

「いってくるわさとり様、帰ってきたらまた背を流してあげる」

 

 エンリョシマスという謎の呪文を背に受けて地霊殿を後にする、背に浴びる視線も心地よく景気をつけるのには悪くないものだった、門で帰りを見送ってくれる大きな黒猫に頬ずりして、大きな猫の小さな額に軽く口吻をし頭を撫でで微笑んだ。

 口吻した瞬間にピクンと鼻先をひくつかせる猫ちゃん、見せてくれたピクンという動きで一つわかった事がある、どうやらこの子は雄だったようだ、初心な坊やで可愛らしい、後で一緒に風呂に入ろう。そうして後々で人型を取った時どうだったか詳しい所を聞いてみよう、この反応なら色々と面白そうだ。

 

 地獄の提灯街道を帰る途中で鬼神二人が並んで歩く姿を見かけた。

 朝から見せつけてくれて妬ましいとからかうと、橋姫よりも鬼の方が面白い顔をしていた。

 そんな顔をしなくとも今は本命がいるから冗談だと伝えると、惚気けてくれて妬ましいと本家の妬みが反ってきた。後で連れてきて自慢するからその時はもっと妬んでほしいと頼むと、拒否する言葉を腹の底から吐き出してくれた橋姫、エネルギーの補充をしに来てやるというのに何が不満なのかわからない、思慮が深すぎて読みにくいわね妬ましい。

 

 二人と別れて素直に帰る、いつもの辺りでは木桶と土蜘蛛には会えずそのまま帰るつもりだったが、出口の間際で二人と会えた。

 里の騒ぎの中にいたらしくて中々いい催し物だったと褒めてもらえた、次にやるならもっと上手くやると薄く笑って返答するとその時は誘えとも言ってもらえた、ヤマメは兎も角キスメは何をするのだろうか、次は夏場にでも仕掛けてろくろ首と組んで万国びっくりショーでもやってもらい、空気を冷やしてもらうのもいいかもしれない。

 

 さくさく帰ってきれいな我が家、中に入ると数日開けた割には新鮮な空気で満ちている。

 荷物を置いて解いていると卓に腰掛けている悪戯兎詐欺が面白い顔をした、抜けた顔など普段は見られないからきっちり脳裏に焼き付けておいた、そのまま何も言わずに荷を片付けて卓の対面に着くと、お茶も同じく無言で差し出される。二口ほど啜った辺りで悪戯兎詐欺が舌打ちをした、感心するほどの綺麗な舌打ちで思わず兎詐欺の顔を見た。

 

「師匠の読みが外れるなんて思わなかったわ」

「帰ってこないと思ってた? 半分正解ってところだわ」

 

「半分?」

「もう半分はこれから探しに行かないと、それよりも鳥獣伎楽の二人はまだいるの?」

 

「山彦は看病通いで来てるし夜雀ももうすぐ退院、謝りにでも行くのかい?」

「謝ってリハビリの場を提供しようと思ってるのよ、丁度いいでしょ?」

 

「探しに、それとリハビリねぇ」

 

 悪戯に嗤いかけると少しだけ関心したような顔を見せる竹林の支配者。

 感心されるような事を言ったつもりはないが何か琴線に引っかかったのか、あたし以上に悪戯な笑みを浮かべるてゐ、引っ掛けた線はわからないままだが悪戯の先輩がこう笑ってくれるのだ、これから始めるあたしの悪戯もてゐ好みの可愛らしい悪戯だと認めてもらったようなもの。

 おかげで何も気にせずに悪戯準備を進められる、さっさと行ってとっとと頼もう、我が家の管理は兎詐欺に任せて、引き続き掃除をお願いするとあたしゃ家政婦じゃないと断られたが、団子八本でどうかと言うとあっさりと手を打ってくれた。

 いつかのお留守番交渉で提示された数、さすがに自分で提示してきたのだから断らないとは思ったが、予想以上にすんなりと決まった、数日開けただけだが掃除をしてくれていた御礼代わりだ、戻る時には忘れないようにしよう。

 

 すくすく伸びる竹を習ってまっすぐ進み、すぐに着いたは永遠亭。

 診察室の戸を勢い良く開けてお邪魔しますと中に入る、入った先には触診を受けている女将とそれを見る医者、少しだけ驚いている永琳と頬を赤くし今にも声を上げそうな女将に詰めより、声を出される前に可愛らしい嘴をそっと右手で摘んだ。

 雀のくせに豆鉄砲を喰らったような顔をしている女将に対して、空いた左手の指をワキワキとさせると嘴を摘まれたままで首を横に振ってくれた、そのまま左手の人差し指だけを立てて唇の前につけると静かに頷く歌姫夜雀。

 返答を受けてニコリと嗤って、こちらを見ている主治医に彼女の経過はどうなのかと詳しく尋ねた。

 

「もう歌えるのかしら?」

「歌えるはずよ、歌ってくれるかは知らないけれど」

 

「それならいいわ、ミスティアと響子ちゃんにお願いがあるのよ」

 

 問いかけてみても返事はない、摘んだままだから当然か。

 薄い桃色の嘴から指を離すとまたうるさくなりそうな気配がしたので、つまんでいた親指と人差指を舐めてから見つめなおす、何を言っても逃げられないとわかってくれたのか、八の字眉の苦笑を見せて指に対して苦言を呈された。

 

「浮気すると雷鼓さんが怒っちゃうわ」

「残念ながら今はフリーに近いのよ、ミスティアに慰めてほしいわ」

 

「あらま、寝てる間に面白そうな事になってたのね、それでそれで? フラれたの? フる‥わけはないわね」

「フラれかけてるってところね、首の皮一枚残りって感じかしら? そういえば、巻き込んじゃってごめんなさいね」

 

「お客さんだと思って油断した私達が悪いから気にしないで、それでアヤメさん何したの?」

「死にかけた割に軽いノリなのね、最近の妖怪は皆こうなの?」

 

 キャッキャと病床でガールズトークに花を咲かせていると、すっかり枯れ切った蓬莱の医者に横からメスを投げ入れられた、これが猟銃だったなら二人とも撃ち落とされていたかもしれないが、メスでは雀も狸も捕らえるまでにはいかない。

 捕まって解剖実験される前だったならまだしも、捕らえる段階では使うものではない、ノリがわからない古い不死人は放置して女将の方を口説き落とす、せっかく話を聞いてくれそうな雰囲気になったのだしこのままうまく丸め込もう。

 

「逆に何も考えてやらなかったから離れていってしまいそうなのよ、まだまだ未練タラタラだし、ミスティアに助けてほしいの」

「往生際が悪いわねアヤメさん、あんまりしつこいともっと嫌われちゃうわ」

 

「そうなったら更に押して諦めてもらうわ、あたしのモノなら持ち主に似て諦めは早いはずだもの」

「フフッ雷鼓さんも変な信頼を得てるのね」

「とりあえず診察は終わったから服を着たら? 女の子が冷やすものじゃないわよ」

 

 折角不用心で可愛らしい小山を愛でていたのに、主治医が余計な事を言ってくれたものだから完全に隠されてしまった。隠す仕草をニヤニヤと笑って眺めていると言いつけてやると言い返された、見ていただけで手を付けてないのに。

 言いつけるなら手を出すわと脅迫材料を作り女将にぶん投げると、いつもの屋台で見るような微笑みを見せてくれた通い先の名物女将、いつもの笑みを確認してからベッドに座り直して、額をシーツにこすりつけ再度ごめんなさいと伝えると、無事で済んだし間に合ってくれたからいいわと髪を撫でながら話してくれた。

 軽めに流してくれたけれど死ぬ思いを味わった事には変わりない、なんと返せばいいのか悩み顔を上げずに次の言葉を探していると、耳の鎖を持ち上げられて無理やり頭を上げられた。

 久しぶりに引っ張られて思い出した存在感、スイッチを切り替えてくれた女将に感謝しながら再度お願い事を話し始めた。

 

「退院して喉の調子を見てからでいいわ、バッチリだったら歌ってほしい」

「私は大丈夫だけど響子の方が‥」

 

「響子ちゃん? ミスティアより軽傷だったはずよね?」

「喉を切ったから少し怖いみたい、今も隣で聞いてるはずだけど何も言ってこないでしょ?」

「治療は済んでるのよ、心因性のものね」

 

 なるほどご尤もだ、軽傷だったが響子ちゃんにとっては命と呼んでもいいものが傷ついたのだ、自身をそうあらんとしている喉が傷ついたのだから、多少病んでしまってもおかしくない。

 よくよく話を聞いてみれば普通の会話は出来るらしいが、山彦らしい張りのある声を出すのが不安で怖いらしい、それならばあたしの出番だ、病の原因として一肌でも二肌でもいくらでも脱いでスッポンポンになろう。

 今も隣にいるらしいしまだまだ外は冷える季節だ、ならこのままここで始めればいいか。

 

 カーテン一枚で隔てられた隣に向かい、聞こえるか聞こえないかわからない声でやっほ~と呟く、声を聞いて垂れ耳がピクリと動いたのを確認して、先程よりも少しだけ大きくやっほ~と呟く。

 あたしの声と同じくらいの声で帰ってくる山彦、そのまま少しずつ声量を上げていって山彦を釣り上げていく、何度か繰り返して大きめの山彦が帰って来たあたりで、両手で耳を塞ぐ仕草を見せて女将と女医さん二人に耳を塞いでもらう。

 何をするのか察した八意女史が三人分の耳栓を出してきたが、あたしは受け取らずそのままにあらん限りの声で叫んだ。

 

『やっほ~!!!!!!!』

 

〘やっほ~!!!!!!!!!!!〙

 

 カーテン一枚では遮っていないも同然で、耳どころか全身にビリビリと来る響子ちゃんのチャージドヤッホー。

 能力で逸らすこともせず、頭の中がキーンと鳴ったままでカーテンの影を見つめていた、するとザッとカーテンが開けられて、両目尻に涙を溜めた響子ちゃんが飛び付いてきた。

 口を開いて何かを言っているのはわかるが耳が麻痺してて言葉は聞き取れない、だが泣きながら笑んで飛び付いてくれたのだから怒ってはいないのだろう、胸に抱きつかれ頭を撫でてあやしていると、こちらを見ていた永琳がゆっくりと口を動かしているのが目に留まる。

 口の形を読み取る限りこんな事を言っているはず『やるじゃない』

 

 貯まり始めた仮受金を少し返すことが出来たらしい、少しずつ聴力が戻って会話が聞こえ始めた頃確認してみたが、読み取った通りだそうだ、煽てるのなら返済に充ててくれと言ってみると、教えていないショック療法を用いてみせたし返済一つに充てると言ってくれた。 

 永琳が言うショック療法だがそれが実際はどんなものなのかは知らない、けれどこんなに簡単な事なのに月の頭脳が試さないとは思えない、推測だがあたしがやらなければ永琳が代わりに試みるなり、別の方法で引っ張りだすなりと色々治療法はあったのだろう。

 予想外の早さで帰ってきて何かをやりそうだからとあたしは泳がされただけ、結果患者を治療したから貸しを一つ返してもらった体にしてあげる、こんなところだろうな、きっと。

 

 まぁその辺りのことはいいさ、ミスティアも無事で響子ちゃんも声を取り戻せた、あたしは二人にライブを頼めて永琳は患者が完治する場に出くわした、方法はともかくとして収まるところに収まったのだから、後はあたしの隣と腰に収めるモノを収めに行くだけだ。

 何処にいるのか検討はついている、永遠亭の月見窓から望めるあの場所、少し前までは最新の観光スポットだった逆さまのお城、多分あそこにいるだろう。

 確信はないがあたしは古狸だ、一度マーキングした自分のモノの匂いくらいなんとなく分かる気がする‥‥けれどまだ動き出すには早い、この間は準備を怠り不覚を取ったのだから今回はもう少し考える。

 釣り出す手段は得たし糸を垂らす場所もわかる、なら次は逃げられないようにしっかりと外堀を埋めよう、外堀を埋めるのに何をするかね?

 

「アヤメさんが久々にイキイキとしてるわ、悪い事考えて楽しそう」

「これってイキイキしてるの? 性格の悪さしか見えないけど」

 

「難題解いてる時の顔と同じね、もらわなくてもあるんじゃないの。姫様に出してあげる事ないって伝えておくわね」

 

 三者三様で好き放題に言ってくれるがどうでもいい、身から出た難題をどうやって解くか悩んでいる最中だから他に割く頭はない。秤量攻めも思いついたが、雷鼓の場合は外の使役者から魔力を得ているしソレを断つのは難しい、というか断ってしまい万一があればそれこそあたしが立ち直れない。ならば他の手は?

 首の皮一枚だけ繋げたままにいてくれる相手を釣り出すのに最善の手は?

 あの時は約束を守れず帰って来なかったのだったな、ならば今度こそ約束を守るか、一度は違えたけれど取り消したわけではない、詭弁にもならない唯の屁理屈だが、失せ物を拾いに行くだけなのだからそれほどの理由はいらないはずだ。

 なんやかんや文句を言われたらその時は黙らせればいいし、とりあえず釣り出し広告を打つかね。

 

「出かけてくるわ、続きはまた後でね」

 

「はいはい、いってらっしゃい」

「誘った通りに次は二人でライブに来てもらわないと」

「え!なんで二人はわかってるの!? また私だけ置いてきぼり!?」

 

 こっくりさんの時と同じ流れだとしたらこの後はまた響子ちゃんが煩くなるな、そうなる前にさっさと出よう、何も言わずにすぐに部屋を出て聞こえる音を少し逸らす、それでも結構な声で『説明して』と聞こえてきた。

 いくら耳栓をしていても不意打ちなら効くだろう、女将は慣れているかもしれないが永琳があれを受けてどんな顔をしたのだろうか、気になるがそれは後で聞こう、屋台で飲む時にでも聞ければいい肴になるはずだ、とりあえず移動するか。

 

~少女移動中~

 

 右肩に小さな体を止まらせて上機嫌、甘えた声でカァ~と鳴かれて嘴を撫でて更にご機嫌だ、来てみたけれど案の定いない天狗の記者に代わり妹の方と戯れて待つ、振られそうで困ってると話してみるとカァと短く鳴いてくれるが何と言ってくれたのか。

 慰めてくれたのか励ましてくれたのか、言葉が通じずわからないが、甘えるばかりではなく気遣いも出来るようになったと鳴き声で教えてくれた。姉がいないと甘えてくるのに近くいる時にはしっかりしている振りをする可愛らしい化け烏、飛ぶのもままならない頃から見ているからか、すっかり懐かれ可愛いものだ。

 あたしに止まる時は必ず右肩で一服の邪魔をしない賢さも見せる聡明な子、何処かに出かけて道に迷い偶に帰ってこれなくなるのが玉に瑕だが、それも手のかかる事だと思えば尚愛らしい。

 あちこちへと飛び回り迎えに奔る姉烏、あいつの事をこの子が人型を取れるようになった時になんと呼ぶのか、今から随分気になっている‥‥姉か母か、それとも名前か、色々と想像できてそこもまた面白い。

 

 暫く時間を潰して日が落ち始め、烏が鳴くから帰ると里の子供が言い出す頃合い、三本目のタバコを指で弾いて踏み消した頃に帰ってきた嘴煩い姉烏に、開口一番で怒られた。

 先の夜に写真は取らせたが何も言わずに消えた事でネタ拾いが出来ず、記事に起こせていないのが文の鶏冠にきたらしい、烏の鶏冠とはどんなものか、見てみたいが今はどうにも眺められない、三指ついて頭を下げて文の巣の樹床を見つめているからだ。

 帰宅とともに始まった烏一羽の合唱会、さすがに煩くて堪らず面倒だからと土下座をしている。

 それでも静かになってくれなくて母親のように叱ってくれる友人、ちょいちょい鳴いてる妹にも八つ当りして本当に煩い、形だけは誠心誠意謝っているのに何が気に入らないのかね、肩に止まった妹に聞いてみたが鳴くだけで言葉がわからない。

 あんたは黙ってなさいと言って妹を追い払う辺り、許してやれと援護射撃をしてくれたのかもしれない‥‥本当に、早く話せるようになってほしい子だ。

 何を言われても頭を上げずにいたら少しの無言の後でため息が聞こえた、吐いた吐息の白が消えた頃に頭を上げて再度の交渉に入った。

 

「そう謝られてもネタの旬は帰ってこないのですが」

「それなら再度旬を味わえるようにすればいいのよ、その為に来たわけだし」

 

「再度とは? また人里でバカ騒ぎをされるんですかね? 何のためにするのか教えてもらえるんでしょうか?」

「煙管がないと不便だし、出ていったモノを呼び戻したいのよ」

 

「ふむ‥モノってあの付喪神? なに、あんたあれに熱入れてるの?」

「そういう事よ、大事な者に大事な物を持っていかれてどちらも戻らなくて困ってるの」

 

「それで土下座までして頼んできたと、でも私に話していいの? 今の話だけでも記事にできるけど」

「頭くらい安い物でしょ? それに記事にするなら写真が必要よね、どうせならツーショットの方が絵になると思うのよ」

 

 ネタ帳と記者の顔をしまって悩む清く正しい瓦版屋、営業用の不機嫌な表情から、友人として見せてくれる機嫌斜めの顔になり悩んでくれる射命丸文。

 乗りかかった船だしこいつも煩いから今回だけね、とどうにか折れてくれた、全く効果のない土下座はともかく妹烏の援護射撃は結構利いたようで、愛でて慣らした甲斐があった。

 追われた空から肩に戻った妹烏の頭をコショコショとかくと耳元で小さく鳴いてくれる、烏のくせに猫なで声など器用な声帯をお持ちで、口煩い姉よりあたしのがいいか?

 訪ねてみたら文の肩に飛んでいった、その素直さを少しは姉に分けてあげてほしいものだ。

 さて、こっちは引っ張り込めたしもう一人も引っ掛けるか。

 下手をすれば今も覗き見しているかもしれないから、あっちのほうが少々厄介だ。

 

 依頼内容を烏の姉妹に話して了承を得た後、そのまま二人に見送られて妖怪のお山を後にした‥‥(てい)で向けられる視線と意識を逸らして再度烏天狗の集落へと降りる。

 烏の中に狸など違和感しかないはずだが警戒も注意も明後日の方を向いていて、あたしから話しかけなければ不自然に紛れていても自然と溶け込める、我ながら狡い能力だと思うが中々どうして性に合っている。

 文の家とは真逆の方向、集落の中心地から少しだけ離れた一軒家がお目当てである引き篭もり烏の巣、数回ノックをしてから返事を待たずに中に入ると、机に両足を掛けて椅子の背もたれに体重をかけた姿勢で斜めになっている記者がいた。

 椅子の隣で立ち止まり裾を払って綺麗に膝を畳む、こちらの記者もあちらと同じく怒っていたが、三指ついて頭を下げる前にこちらを向いてくれた、形だけならいらないしさっき見たから必要ないと椅子を鳴らしてこちらを向くはたて、見られていたなら話が早い。

 

「何? 文の次に来たのに話す事なんてないわよ?」

 

「やっぱり見てたのね、なら話が早いわ…手を貸して欲しいのよ」

「文だけで十分でしょ? わざわざ私に頼む理由がないじゃない」

 

「外堀を埋めるには土砂は多いほうがいいのよ」

「真剣なのねぇ、もっとテキトウかと思ってたわ」

 

「真剣も真剣よ、傷物にされてポイなんて許さないわ」

「惚気はいいわ、ご馳走様。上手くいったら目線貰うから笑えるように練習しといて」

 

 右袖を捲り証拠をアピールするとリストカットみたいだと笑われた、そっちは病んでいないが別の方は患っていると素直に述べるとパシャッと一枚取られた、相談される側の狐狗狸が誰かに相談なんて冗談にもならないと、取った写真を見つめて笑むはたて。

 どんな顔で取られたのか気になり覗くとカメラを隠されてしまった、写真映りのチェックくらいさせてくれてもいいのに、カメラの画面を眺めながら仕方がないと折れてくれるツインテールの天狗記者、格好に似合うキャピキャピとした仕草で何をしたらいいのか聞いてきた。

 

 里で予定していた鳥獣伎楽のライブを再度執り行なうから、料金分だけでいいから欄外にでも書いて欲しいと伝えてみた。メインヴォーカルは言わずもがな、バックバンドはあの時の付喪神で開催場所はまだ組まれたままの里の櫓、そっくりそのまま日にちだけをズラして再現して執り行う予定で、その為に付喪神達の了承を得ずに勝手に企画し刷って届けてもらう。

 日取りを決めてビラが出来上がり次第刷ってもらって、二人に購読契約していない逆さ城にも届けてもらう算段だ、ノッてこない可能性もなくはないが、約束を無効にされていなければ多分ノッてきてくれるだろう。賭け事に対しての運は全くないあたしだが今回は賭けにでてみた、あっちに少しでも気持ちがあればノッてくれる、ノッてきてほしいという願いも込めた分の悪い賭け。

 

 文に話したのと同じく、次回発行分の新聞に失せ物求むとして広告を出してくれればいいと伝えると、大々的にやらないのかと問われた、本来なら逆さ城に投函される事がない新聞の端に載せてもらって、少しだけの存在感アピールがしたい。

 外の情報を得る新聞に載せてみてどれくらい気にしてくれているのかを調べたいと話すと、素直じゃないとまた笑われる。笑うとは失礼な事だ、恥も外聞もなく素直に求めているからこそ、こうして外堀を埋めて逃げられないようにしているというのに。

 まぁいいか、賭けに勝てれば重畳で失敗したなら赤っ恥、どちらにしろ馬鹿笑いの出来る手で中々に楽しいはずだ、日取りが決まったらまた来ると伝えると、文と二人で住まいに顔を出すから言葉を考えて待っていろとの事だった。

 煙管と太鼓の失せ物求む、これだけでいいと言ったのだが押し切られてしまいとりあえず了承し、里に顔を出して土産を買ってそれからこの日は我が家に戻った。 

 

~少女達準備中~

 

 天狗に頼んで数日たった今、鳥獣伎楽の二人もすっかり癒えて天狗の二人の新聞を届けた本日、里の櫓で待ちぼうけしている。

 櫓にいるだけで何もしないあたしを見て笑う外野が煩いが、音は逸らさず声に手を振る。姉ちゃん頑張れやら来るといいなという煽りの声援に尻尾を揺らして答えていると、授業を終えた子供らにまで応援された。子供と一緒に様子を見に来た慧音の話では、毎日日替わりで三人のうちの誰かが遠巻きに様子を見に来ているそうだ。

 ならばそろそろ頃合いだろう、あまり焦らしても飽きられては困るし、これ以上はあたしのほうがはち切れそうだ、もしかしたら煩くなるかもしれないと慧音に伝えると一瞬睨まれてしまったが、すぐに柔らかな表情になり煩くなるといいなと言って去っていった。

 守護者の許可も得られたし、後はテキトウに騒ぐだけ、ちなみに今回はあれ以上の協力者を募らなかった、あれから静かで何もされていないがさすがに懲りた、両手で数えられるくらいの方が一人で守りきるにはいい。

 ばら撒かれた新聞を読みながら来るのを待つ、失せ物広告に書かれた文句を読み返し少し気恥ずかしくなるが、あたしもあっちも追い込むには丁度いい文句だ。

 

『愛しい雷鼓と大事な煙管が戻ってきません、消え入りそうで耐えられないので見つけた方はあたしまで。

 里の中心でお待ちしています。 囃子方アヤメ』

 

 欄外一行分の依頼料にしては随分と書いてくれたものだ、欄外全てに書かれていて誰が見てもわかりやすい、おかげで里人からもニヤニヤと見られてしまい、掻いても掻いても頭がむず痒い。

 強めに掻いて鎖を鳴らし恥をかく覚悟を済ませて、大事な物を持ち逃げした者が訪れるのを咥え煙草で待ちわびた、待っている途中色々と茶化してくる者達が多くて困った、寺の皆やら人間少女やらと皆笑いながら声をかけてくる。

 腕組みして笑み、縞尻尾を揺らしている姐さんと目があった辺りで恥ずかしさに負けて、誤魔化すように煙草を咥えた。

 

 お天道様がさようならして里が静かになり始めた頃、黒い衣装に身を包んだヴォーカル二人が準備を終えた、響子ちゃんの大音量の声色で突然始まった人里での爆音ライブ。

 始まったかと住まいから出てきた里の者達に大げさに囃し立て、以前の祭りの再現を知らせた、そのまま少しずつ人が集まり何処からか妖怪連中も集まり始めた、遠巻きに睨んでくれる慧音には後で土下座でもするとして、そろそろ来てくれないと困る。

 先ほど一瞬だけ見えた薄紫の二本縛り、どうにか釣り出して来てくれると嬉しいのだが。

 

 二曲ほどアカペラで歌ってもらって歓声を浴びる二人だが、まだまだ盛り上がりが足りないなと感じる‥‥仕方がないと保険で持ち込んできた鼓を取り出し構えた頃、最初の一手を打つ前に何処からか恋い焦がれた重低音が響いてくる。

 雷光纏って照明いらずで登場したバスドラムと、それに合わせた琵琶とお琴、鳥獣伎楽の後ろに降り立ちドラム・スティックの拍子から始まった打ち合わせのないぶっつけライブ。

 それでも一つのリズムに纏まる素晴らしい騒音の波、腹に響く重低音と胸を打つ熱い二人の熱唱。

 

 無意識のうちに櫓を離れ、向かいの民家の屋根から望む。

 舞台の演者全員が見える位置に陣取り、微笑みながら煙草を吸った‥‥なんとも言えない至福の時間、曲目が変わると演者が増えた、飛び入り参加の面霊気が曲に合わせて華麗に舞う。

 動き自体は能のそれだが不思議と合っているように見えて、曲の終わりと共に拍手を送った、次の曲でも変わらず舞って華麗に踊る面霊気、それを引き立てながらも存在感を見せる声色と演奏。

 曲の流れを確認し終わりに近づくいい頃合い、あたしに向けられている瞳を見つめ返したままにゆっくりと櫓に降り立った、こころに手を取られ少しだけ舞ってみたが、慣れない動きが滑稽で見ている者達から失笑を買う、これで視線は集められた。

 そのまま視線を背に背負い、曲の終わりを雷鼓の背で待つ、最後の歌詞を歌い上げ、後は伴奏が流れば終わりのはずだが、いつまで待っても終わらないドラムソロ。

 

 こちらを見ずに叩き続ける手の邪魔にならぬよう、頭だけを抑えてこちらに向けた。

 少し拗ねたような顔、目が合うとすぐに逸らす瞳。

 どうすれば止まるかわからなくもないが拗ねるこいつも可愛らしい。

 背から腕を回して耳元で小さく呟いた。

『帰ってこないとあたしが困る』

 言葉を聞いて少ししてから演奏をやめてこちら見てきた、これじゃあ足らないと言いたげな目だ、あっちから寄ってきてもらうつもりだったが路線を変えよう、これ以上は面倒くさい。

 抑えたままの姿勢で止まっているし丁度いいか、強引に引っ張り顔を寄せてそのまま口吻をした、回りと下が煩くなったが気にせず、離れようと抵抗する雷鼓も気にせずにしばらくそのまま唇を重ねた。

 フラッシュ焚かれてチカチカと眩しく表情がよくわからないが、抵抗はしても逃げはしないのだからそれでいいだろう‥‥カメラの光が落ち着いた頃、口を離して微かに呟く。

 

「これでまた逃げられたら、本気で置いて逝かざるを得ないわ」

「言い方が狡い」

 

「誰に向かって言ってるの?」

「霧で煙な小狡い狸さん」

 

「わかってるじゃない、なら返事は?」

「あ~あのね? 本当はあの後すぐに帰っても良かったんだけど‥‥」

 

「え」

 

 煙管を失くした、だから帰らなかったらしい。

 失くさぬように大事に持っていてくれたらしいのだが霊廟を出た辺りで、失くした事に気がついたのだそうだ、些細な事過ぎて思わず声を上げて笑ってしまった、それならそうと言ってくれればこんなに手の込んだ事をしなかったのに。

 わざわざ恥ずかしい思いをしてまでやらかしたのはなんだったのかと、あたしを見つめる雷鼓に伝えながら煙草を咥えて煙を吐く、煙の中から取り出したの見慣れた物、少し長めのあたしの煙管。

 目を見開いて驚く雷鼓にこれくらいならいつでも形取る事が出来ると伝えると、髪の毛以上に頬を赤くしていた、本当は以前の物とは違う、新品で同じ形の別の煙管なのだがそれは伝えず、恥をかかせてくれた雷鼓に対する意趣返しとして少し騙して成してみせた。

 長く使って愛着もあったがまぁいいさ、拾った誰かが代わりに使ってくれるかもしれないし、ごめんなさいと謝るこいつが可愛らしいしどちらも戻ってきたのだから。

 ついでに観衆に見せつけられてきっちり外堀も埋められたし、大方狙い通りで上々というところか。

 

 後はこの場を〆ればいいのだが、どうやって〆ようか? 目的は達成してしまいもうやる事がない、赤い頭を抱き寄せたまま悩んでいると、女将が笑って人差し指を立てているのが見える。

 アンコールのつもりかね、どうするかと赤い瞳を見やると瞳が閉ざされ少し上を向いた、誘ってくるとは堪らない、誘いにノッて再度重ねた。

 再度視線と歓声を浴びて随分と心地よい、唇離して微笑むと同じような顔で笑んだ。

 目線! と言われて二人で振り向き二つのフラッシュを浴びた。

 光で瞳が麻痺してしまい隣の顔がまた見えないが、どんな顔をしているのか今は分かる。



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~常日~
第百二十話 名は体を現すのか


 連れ回しても冷やかされ一人でいても冷やかされて随分と恥ずかしかったがもう慣れた、どうせならぐるっと回って自慢しようと方方回って季節も回った。

 とはいっても桜見物には早い初春といった頃合いの今、ぐるっと回って忙しかったので少しまったりしたいと思い、桜の代わりの花でも見物しようと赤い鳥居を潜ったところだ。

 すっかり雪もなくなった石造りの階段から続く参道をコツコツと歩いていく、賽銭箱はこの下にありますという看板の下に袖から出した小銭を投げた、カコーンという心地良く響く音を聞いてから、きっちりと二拝二拍手一拝済ませて社務所の方に顔を出す。

 

 未だに出されているこたつ布団に足を突っ込みのんきな顔してお茶を啜るここの巫女、珍しくいい茶葉で淹れているようで近寄るだけで少し香った。

 少し手を上げて袖を揺らすと炬燵に乗せたままの手の指先だけが小さく上がる、手を上げることも億劫なのか、面倒くさがり極まるなとほんの少しだけ笑んで返した。

 挨拶も済ませ、縁側に腰掛けて、もう少しで春告精が飛びそうな空を眺める、すっかり暖かくなったなと煙管を咥えて見上げていると、隣に腰掛けてきた巫女がこれまた珍しく湯のみを差し出してきた。のんきな顔のまま差し出してきた湯のみを受け取り少し啜ると、上等なお茶の香りが口内に広がり鼻から抜けていった。

 縁側に湯のみを置くと置いた方の手先にチクリと何かが刺さる、輝く針を構えて睨むちいさな姫様と目が合った、こちらにも軽く手を振ると少しだけ目に力を込めて再度指先をチクリとされた、随分と嫌われたものだ。

 

「霊夢、神社で争いはご法度だったのよね?」

「そうでもないわよ、始まったらきっちり退治するだけで」

 

「それなら姫を退治してくれない? チクリと襲われて困ってるの」

「寒の内は仕事をしない事に決めたの」

 

「それって節分までじゃなかったかしら?」

「寒い内って言い換えておくわ」

 

 手元でうるさい姫を無視して、足を掬ってあげても転ばない空飛ぶ巫女さん、揚げ足取りなんて聞こえてないような態度の、お茶を啜るだけの紅白に本業をお願いしても動いてくれないし口も減らないし、いつ来ても変わらない困った少女だ。

 あたしもゆっくりお茶に浸るかと湯のみに向かい右手を伸ばすと再度チクリと襲ってくるお姫様、痛くはないから構わなけれど指先を穴だらけにされては困る、輝く針先が触れぬよう少し逸らして湯のみを手に取り、火種を処理して左手で姫を捕まえた。

 天邪鬼に騙されて凹んでいたから元気づけようとしただけなのに、あれからずっと嫌われたままだ、そろそろ許してくれても良いと思うのだがまだダメらしい、腰を摘んで持ち上げると離せ降ろせと小さく騒ぐ、昨年よりは少しだけ育って片手サイズから両手乗りくらいになった針妙丸。

 軽く謝りながら言われた通りにあたしの腿の上に下ろすと、針に光を反射させて腿に突き立てようとプスプスと頑張っている、残念だが今日は着物で生地が厚い、小さな鉢かづき姫の力では足まで届かず諦めて、攻撃をやめて口撃してきた。

 

「何しに来たのよ」

「ちっこくて可愛い針妙丸と花を愛でに来たの」

 

「ちっこい言うな! 小槌に力が戻れば‥‥」

「でっかくなるの? どれくらい?」

 

「お前の膝丈くらいには‥‥」

「中途半端に小さいわね」

 

「うっさい! それで花見? 桜はまだだし梅には遅いわ」

「自分から言い出したのに怒るなんて変な姫ね、花も咲き誇ってないからこそいい所もあるのよ? 満開も見応えがあるけど、散る間際も儚くていいものだわ」

 

 言いながら注連縄が締められた立派な梅の木を見やる、あたしに釣られて腿の上のお姫様も梅の木を見始めた。嫌ってくれる割には会話もするしあたしの言葉も聞いてくれる、輝く針の持ち手らしく態度の方はツンツンしてるがまぁいいな、無関心ではどうにもならんが嫌悪されるなら見てくれているって事だ、それなら謝っていれば態度もそのうちに丸くなるだろう。

 焦ることもないし本題を楽しむかね、姫をからかうのも面白いがそっちは一旦後回しにして枝ぶりの素晴らしい梅見物をしばし楽しもう。左手に携えた煙管の柄で針を捌いてちゃんばらごっこに興じながら花よりも葉が目立つ梅を見ていると、巫女から少し説明された。

 

「あの臥竜梅には御神体として来年もしっかり咲いてもらって、しっかり客寄せしてくれないと困るんだけど」

「臥竜梅? 今度は梅を御神体にしたのね、だから注連縄なんて締めてるのか」

 

「紫が名づけたのよ、立派な梅だと褒められたからそれならと天神様を祀ってみたの」

「ふぅん、妹紅が見物に来たら白玉楼の桜みたいになりそうで見てみたいわ」

 

「学問の神様だし、あの蓬莱人って慧音と仲いいんでしょ? ならそっち方面で気が合いそうに思えるけど」

「ご利益は兎も角として藤原さんとは相性が悪いのよ、天神様は藤原さんが恨めしくて堪らないはずだから」

 

 天神様といえば学問の神様である菅原道真公だろう、日の本の国の平安貴族で藤原さん達に追いやられた先で死んだ人間、追いやられた事を恨み人の身ながら朝廷の者達を祟り殺す大怨霊へと成り果てた、あんまり恐ろしいものだから学問の神様として祀り上げてどうにか鎮めた素晴らしい神様だ。

 先代も祀っていたことがあった気がするが幻想郷で学問成就など意味がなく、信仰されずに忘れ去られたはずだが何か残っていたのかね。

 

「相性って何の事?」

「元は藤原さんを恨んで成った大怨霊だもの、祀っているのに知らなかったの?」

 

「へぇ、うちには学問の神様としか残ってなかったわ、無知な仙人もいれば物知りな妖怪もいて変な感じ」

「国は違うけれど怨霊とか好きそうだし、邪仙なら知ってそうだけど」

 

「そっちじゃない」

「あぁ、ならあっちね」

 

 仙人と言われてパッと思いつくのは邪な方が先だ、もう一人の方はどうにも仙人として見きれない、升酒煽って笑っている現役ヤンキー時代の印象が根強いからかね?

 人の徳利取り上げて勝手に飲みだすような人だったのに、今ではすっかり諭す側で180°路線が変わってしまっているがあれか、太子のところの二人のように丹でも飲んでみたのかもしれない。

 いや、それはないか、あの人の場合はほとんど振りだ、口悪いのが口煩いに変わっている振りをしているし、丹でも飲んだ振りくらいかね‥‥なんでもいいか、それよりもあの人が天神様を知らないなんてないと思うが。

 神様本人がご存命の頃に同じ世界にいたのだから知らないはずは‥‥祀られたのは姿を消して随分経ってからだったか、それなら知らなくても無理はない、のか?

 いやいや仮にも仙人を名乗っているのだからメジャーな神様くらいは知っていて欲しい、ましてや現役の頃に名を売っていた人間が成った神様なのだし。

 巫女も姫も放り出してこの場にいない説教の鬼を思い出していると、空いた湯のみにおかわりを注いでいる巫女に物理世界へ引き戻された。

 

「あんた、本当に顔が広いのね」

「霊夢に言われたくないわね、それに狸にしてはシュッとした小顔で可愛いつもりよ?」

 

「減らず口ばっかり、胡散臭い雌狐狸で嫌になるわ」

「言うならどっちかにして欲しいわ、狐まで足されたら益々面倒くさくなりそう」

 

 どこぞの狐の主のように嗤うと眉を寄せて見つめられた、偶にこうして皺を寄せて見せるがいくら若くても頻繁では本当に皺が残りそうだ。

 姫と戦う左手と違って暇をしている右手の人差し指と親指で眉間を伸ばすと手で払われた、そのせいで更に深くなる眉間の谷間。谷間がほしいのはそこではないだろうにとクスクスと笑むと、戦いを制して左手を抑えた姫が問いかけてきた。

 

「やっと討ち取ったわ、さぁ神妙にしなさい」

「退治されちゃったし素直になるしかないわよね。参りました、ごめんなさい」

 

「やけに素直ね、輝針城で摘まれた時は悪態吐いてきたのに」

「それも悪かったわと思ってるわ」

 

「ついでにちっこいって言わないで」

「はいはい、もう言わないわ」

 

「鬼でもないのに一寸の姫に退治されて大変ね」

 

 そう思うならあたしの退治依頼を聞いて姫を止めてくれると嬉しかったのだけれど、退治された後に言っても遅いか、三度の謝罪を受けてちっこいと呼ばないと取り付けたからか、少しだけ上機嫌になる針妙丸。

 大した謝罪ではなかったけれど臥竜の前で三度謝ったから上手い事いったのかね、名が付けばそれらしくなるのが(うつつ)の理だ、名は体を現すってか?

 自分で言っててよくわからんがまぁいいや。

 

「巫女が助けてくれないからチクチク刺されて大変よ、指先ばっかり狙ってくれて」

「治るし消せるしちょっとくらいはいいんじゃないの、血の気が引いて倒れても甲斐甲斐しいのが家にいるでしょ」

 

「怪我やらするとうるさいのよね、手酷くやってくれた割には」

 

 チクリチクリと数箇所刺されて指先数カ所から少しの血を滲ませる左手と、数滴垂らして赤く汚した自分の着物の腿を見る、血痕と呼べるほどの染みではないが、見られ煩く前に消しておくかと右手で撫でて赤い染みを消すと、それを見ていた姫が見上げてくる。

 あたしの顔と消えた染み、差した指先を順に眺めて小さな声で何を発した。

 

「ちょっとやり過ぎた、待ってて」

 

 腿から飛び立ち社務所の隅へと飛んでいく小さなお姫様、待ってろと言うが何が出てくるのか。

 大した物のない博麗神社の社務所の中をアチラコチラと飛んで歩いている、暫く飛び回り何かの箱を開いて潜り込んだ、ガサゴソと小さく揺れる赤十字マークの描かれた箱、竹林の医者が人間相手に用意した置き薬用の薬箱。

 元気よくあったと聞こえると同時にパタンと閉じる上の蓋、一度閉まると外のぼっちに返しがかかりそれを押さねば開かない作りになっている。そんな箱の中、罠にかかった雀のように中でぴーちく騒ぐ姫様が可笑しくて、箱ごと縁側に運び少し眺めてから出してあげた。

 数枚の絆創膏を抱えて気まずそうにする姫に左手を出してみた、ペリっと包を破るのはいいが中身を出すのに苦労する針妙丸、空いた右手で包みの逆を摘んで抑えついでにゴミも預かった、自分でやったほうが早いなとクスクス嗤うと怒られた。怪我人は黙ってろとうるさい、怪我をくれた本人に言われて理不尽だと感じるが、不器用に指を撒いてくれるスクナビコナが可愛いので言われた通りに静かに待った。

 数枚巻かれて治療は終了、笑んでありがとうと伝えると少し俯き口を動かした針妙丸。

 何か言ったみたいだが、隣の巫女の啜り音で言葉は上手く聞き取れなかった。

 




スクナビコナは薬だか医療だかの神様でもあるそうで


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第百二十一話 遊び始めはいつも唐突

 朝早くから呼び出されて何をさせられるのかと思えば何もない、あるのは台所仕事をしている少女たちを見つめるだけの簡単なお仕事。

 いつも背に背負っている切れぬものがあんまりない二刀から、切れ味の悪い神社の包丁へと持ち替えて材料の下ごしらえをする白玉楼の半人半霊庭師、その隣では持ち込んだ割烹着を着て頭の天辺に二葉を芽吹かせた鍋の味を見る風祝。そうして出来上がった料理は、皿を持って消えては現れる赤いお屋敷の従者が運んでいて、本当にやることがなくあたしは煙管咥えて見ているだけの狸の置物となっている。

 さすがに調理している横で煙草を吸う気にはならないが、見ていろと言われた手前があり抜けだして一服する気にもならず、暫く前から暇を持て余している。見ていなくとも手際は良いし三人いれば手数も十分だと思う、むしろ狭い台所に密集しすぎていてあたしは邪魔以外の何物でもないと思うのだが、あの賢者は何をさせたいのだろうか。

 

~博麗神社の桜も咲いたし花見をするから来て頂戴~

~皆集まるし出来れば台所仕事をお願いね?~

~見ててくれればそれでいいから~

 

 そう言われ来てみたけれど本当に見ているだけになるとは思わなくて、暇で暇で困っている。

 妖夢に手伝おうかと聞いてみても大丈夫ですと断られて、早苗に味見するかと聞いてみても出来上がってからでと断られる。それなら料理を運ぼうかと手を出してみたら、伸ばす先から時を止めて運びだされた、本当に何なんだろうか‥‥嫌がらせにしては中途半端で良くわからない。

 

 三人の手際が良くて何もせずとも揃っていく料理、これなら本当にやることがない。

 朝からぼんやり突立って何もしないままにそろそろ宵の口、いくら気が長いあたしでも何もしないをし続けるのには限界がある。

 気の長いあたしといえどさすがに暇に負けて耐えられず、台所から逃げ出そうとしてみると、仁王立ちする八雲の式に見つかってしまい捕まった。昼間から何度もこうして捕まっていて、その度に九本の尾を揺らしていつのも腕組み姿勢で悪戯に睨んでくれる藍、さすがに暇だから時間つぶしに付き合えと言ってみると仕方がないと相手をしてくれた。

 

「あんたの主に呼ばれたのはいいんだけど、する事ないし暇で死にそうだわ」

「そうか、紫様の悪戯にまんまとかかって暇を持て余しているのだな」

 

「悪戯って何の事? 見てろというから見てるんだけど」

「出来ればと仰っていなかったか、出来ないなら見ている事もないんだぞ」

 

 睨む瞳を穏やかなものに変えて、してやったりといった表情になる雌狐。

 やられたのなら仕方がない、あれの言葉を真に受けるんじゃなかったと少し反省し、文句ぐらい言ってやろうと主の居場所を問いただした。

 

「あぁそう‥‥紫さん来てるのよね? 外にいるのかしら?」

「幽々子様と並んでおられるのは見かけたが、その後は見ていないな」

 

 藍の言葉を聞いて早速抜け出しスキマを探す、着物の裾と暖簾を払って居間へと入るとその場の者らにチラリと見られた。丸いちゃぶ台に腰掛けているツートンカラーと台の上にいた一寸姫の三人に少し聞いてみたが、社務所の中にはいないようだ。

 それなら外かとブーツを脱いだ縁側へと向かうと、揃えて脱いだはずのブーツが見当たらずキョロキョロと回りを見渡しても見つからない、仕方がないなと靴も履かずに宙へ浮くと、口煩い天狗の二人に絡まれた。

 

「もうすぐ始まるけど何処行くのよ」

「別に引き止めたりしないけど、戻った頃に酒がなくても知らないわよ?」

 

「外に出るだけよ、あんたらあたしのブーツ見たりしてない?」

 

「あんたの靴なんて見てないわ」

「どれぇ、念写してみましょうか」

 

 パシャッと一枚取ったカメラを三人で顔を合わせて画面を見てみると、いつもなら妖怪寺の墓場にいる死体が腕を伸ばして一足ずつ持っている姿が写った。皆集まるとは聞いていたが芳香まで来ているのか、という事は娘々も近くにいるはずでブーツを取って来いと芳香に命を出しているはずだけれど‥‥しかし、なんでまたブーツなど?

 なんでも楽しくなんて言っていたがあたしのブーツでなにをするのだろうか、さすがに嗅いで笑っていたら付き合い方を考えねばなるまい。

 

 天狗二人と話しているとその二人の丁度間に霧が萃まり始める、これは不味いと言いながら翼を出して風になった烏天狗達、翼を出すほど本気で逃げるとは、今でも上司は怖いらしい。取られたブーツは後で取り返せばいいとしてとりあえずこいつにも聞いてみよう、数少ない紫さんのお友達なわけだし神社のどこで何をしているのか知っているかもしれないから。

 地に戻り縁側から足を投げ出して煙管を取り出し燻らせる、白狼天狗と河童が敷物を広げていて狼女とろくろ首がテーブルやらを並べている光景が見える庭先、変な集まりだと嗤っていると同じく嗤う鬼っ娘が顕現した。

 

「暇そうな割には楽しそうに嗤うじゃないか」

「なんでかしら? 今更嗤う相手でもないんだけどね」

 

「楽しく笑えりゃなんでもいいんじゃないか、気にする事じゃあないね」

「そうね、なんでもいいわね。そういえば紫さん見なかった?」

 

「紫? 外にいたはずだけど」

「ありがと萃香さん、後で撫で回してあげるわ」

 

 言いながら頭を撫でくり回す、今じゃないかと怒られるが隙があるのが悪いと嗤うと、私に正面から嘘をつくのはお前くらいだと笑い返された。後でまた撫でくり回すから嘘でもないと言い返すと、なんでもいいからさっさといけと外へと突き飛ばされた。

 強めに押されて体を反らせながら空中へと飛び出してしまい、勢いを殺すようにくるりと縦に一回転すると体制を戻す頃にはいなくなっていたへべれけ幼女。言い返す相手がいなくては軽口も返せない、仕方がないから後回しにして言われた通りにそのまま外を探してみた。

 探すなら見渡せる高い所からと思い、ちょっと高度を上げるだけですぐに見える妖怪神社の屋根の上、そこにいたのは胡散臭いのではなくて不遜な態度の神様二柱。分社もあるしここにいてもおかしい事などないが、二人揃ってこっちの神社にいるとは思わず少し驚いていると、小さい方の神様に笑われた。

 

「何を驚いているのやら、そんなに珍しいかね」

「早苗もいるし分社もある、驚く事でもないと思うが」

 

「守矢神社以外で見るのが新鮮なのよ、紫さんなんて見かけてない?」

 

「八雲の? いや、見てないが」

「少なくともここには私達だけだな、なにかあったか?」

 

 大した事じゃないわと返答して屋根の上から庭を見る、卓の準備は終わったようでその卓に食器が並び始めていた、蓬莱ニンジャと世話焼きが皿を並べていく中でアホの子がコケて皿を割っていく光景が目に入った。持ち込んだ自前の皿を割ったようで見ていた太子が難しい顔をしている、その横にはブーツを持った芳香と娘々。

 あそこにいたのかと指を差して動き出すと、彼女達を隠すように集まり掃除を始める妖怪寺の皆、あらあらと割れた皿を集める妙蓮寺の連中に九十九姉妹とあたしの太鼓、いないと思ったら姉妹達と一緒だったか。

 忙しそうなそっちに視線を取られて娘々を視界から外した一瞬の間に足元に何かが転がる、コトンと音を立てて誰かから届けられたあたしのブーツ。ブーツの両脇に一瞬だけ見えたピンク色のリボンが誰からの返却か教えてくれる、あの人は本当に何がしたいのだろうか?

 屋根に腰掛けてブーツを履き、モヤモヤと晴れない思考の霧の中を歩いていると隣に飛んできた誰かに霧を晴らされる、今日の昼間の天気のような澄んだ空色のスカート履いた非想非非想天の娘様だ。紫さん主催のお花見にこいつが顔を出すなんて思わなかった。

 

「あら珍しい、紫さんがいるのに顔を出すなんて」

「今日は呼ばれたのよ、夜桜見ながら宴会するから暇なら来いってさ」

 

「ふぅん、まぁどうでもいいわね。それにしても皆来るとは聞いてたけど天子まで呼ぶなんて、本当に大勢ね」

「ちょっと、までってのはどういうことよ?」

 

「言葉の綾よ、思うところはないわ」

「あぁそう、なら気にしないであげる。しっかし本当に色々いるのね、知らない奴の方が多いわ」

 

 言いながら回りを見る総領娘様、あんまり出てこないし関わらない者も多くいるのだろう。

 会場の端に腰掛ける霧の湖の姫やそれをからかうマミ姐さん辺りは知らないだろうな、逆にその近くの氷精や別の卓に陣取っている赤い屋敷の者達は異変でも顔合わせしているし、我儘御嬢様同士で気が合うかもしれない。

 しっかし本当にメンツが多いな、唯の花見でこれだけ集めるだろうか?

 何かやらかすつもりかね、幻想郷の大家さん主催でやるような事ってなんだろうか?

 各勢力の天辺まで呼び出してやるような事とは? うん、わからないしなんでもいいや。

 裏などなく唯のお花見かも知れないし、何かあるなら言うだろうし、そうなってから考えよう。

 あの人がやることなら何事でも楽しく笑えそうだ、面白く笑えるものであれば何事でも構わないしとりあえず紫さんを待つか。

 

 メンツも揃って酒も料理も出揃って巫女の乾杯が済んだ頃、博麗神社の鳥居の上に唐突にピンクのリボンが現れた。二つのリボンが少女二人分くらいの感覚を開けて宙に浮き、その間の何もない空間がパクリと開く、割れるように開いた中は気色の悪い瞳がギョロギョロとしている空間で、その瞳に見られて現れたのは白玉楼の亡霊姫と妖怪の賢者。腹ペコ姫はニコニコと覗き魔大家さんは口元を隠すいつもの姿勢で現れて、やっと主催者が出てきたかと皆の注目を一身に浴びながらの登場となった。

 口元を隠していた扇子をパチンと閉じるとその音で注目と静寂を得てそのまま静かに語り始めた、なにやら仰々しいが何を言うのかね。

 

「この幻想郷で名を轟かせる人妖から、静かに隠れ住み異変に利用されてしまった可哀想な妖怪まで、皆様今宵は集まって頂いてありがたく思います。まずは‥」

「ねぇ紫、話が長くなるのなら先にお食事をしたいわ」

 

 相変わらず緊張感のないお姫様だ、折角格好をつけて話し始めた紫さんなのに出鼻を挫かれて小気味よいな。

 

「長くはならないから待ってくれない?」

「少しだけよ」

 

「‥‥では、簡潔に。皆でかくれんぼをしましょう」

 

 さすがに簡潔すぎてわけがわからない、かくれんぼと聞いて一瞬全員で惚けてから同じタイミングであ? と声を出す者が多数、楽しそうに反応したのは氷精くらいか。

 氷精が誰が鬼でもあたいは捕まらないと飛び回るが、蓬莱ニンジャのうるさいからちょっと落ち着こうという声と炎に負けて席に戻った。⑨が戻ったのを確認すると再度口を開く幻想の管理人さん、わかりやすく離せと紅白に睨まれてやっとこ詳しく話し始めた。

 

「先の異変で幻想郷をひっくり返そうと企てた反逆者、あの天邪鬼を相手に皆でかくれんぼを致しましょう。鬼は皆様で逃げるのは天邪鬼一人、最初に捕まえた方にはご褒美がありますわ、どんな手段を用いても構いませんので見事捕らえて下さいな」

 

 妖怪の賢者の放った言葉を受けて一瞬静まり返ってからすぐにがやがやと騒ぎ出す様々な人妖達、最初にやる気を見せたのはあたいに全部任せなさいと声高に叫ぶ⑨。そのバカの雄叫びを聞いて褒美は私のもんだと言い返したのは発明馬鹿、一人二人と騒ぎ始めてついには皆が乗り気になり神社の庭が喧しくなってしまった。

 右隣に座る雷鼓にノセたのか問うと何もしていないという返事、うむ、聞くまでもなかったか、雷鼓の異変を最後にそれ以降大した異変は起きていない、人間少女達は解決に動いて楽しんだようだがそれ以外は久々に遊びを見つけたようなものだ。幻想郷の大家さんから提供された唐突な遊戯は皆のテンションを上げるには十分だったわけだ、甘い汁から先に話して皆をノセるとは上手なやり方だな紫さん。

 

「皆やる気になって下さって嬉しいわ、けれど捕まえるに中り問題が一つあります」

「口以上に手癖が悪かったのよねぇ」

 

 皆が騒ぎ始めて乗り気になった頃後出しで何かを口にし始める賢者様、大昔からある常套手段だが効果もあるし今なら絶好の頃合いか、何を追加で言い出すのやら、この場のほとんどの者に促す注意とは何か、多少の事は気にならないメンツのほうが多いように見えるが‥‥再度扇子を開いて口元に添える仕草、目だけが笑っているように見えて口はどうなっているのか見せない姿、こういう時に言い出す事はほぼ確実に厄介な事だ。

 

「あれ自体は力ない者です、ですが‥心当たりのある者も中にはいると思いますが、天邪鬼は皆の愛用品を盗み出しそれらを上手く使ってひたすらに逃げていますわ。恥ずかしながら私の折りたたみ傘も盗まれてしまいました」 

「私も提灯盗まれちゃったの、困るわぁ」

 

 ふむ、幽々子と紫さんの二人から愛用品を盗み出すとは随分とやるじゃないか、ぜひとも手段を聞いてみたいものだ。二人の恥ずかしい失敗談を聞いてから私も盗まれたかもしれないと言い出したのは文、昔使っていたトイカメラがいつの間にかなくなっていたらしい。

 あたしの左に座るマミ姐さんに皆やられて不様なものねと微笑んで話しかけると、儂もやられたと微笑んで返された。笑顔のままで固まってそのまま顔を右側に向けると後頭部に徳利をぶつけられた、馬鹿にしてごめんなさい次は小馬鹿にする程度にします。

 しかし本当にあの正邪がここまでやるとは、自分の力では何も出来ない小者だと罵ったが一人でも十分出来るじゃないか。二度逃してその度に興味もなくなっていたが毎回好奇心を再燃させてくれるな、面白い捕物になりそうで色々見られて楽しみだ。

 クスクスと後ろのマミ姐さんに聞こえない声で笑んでいると、正面の雷鼓に楽しそうだと笑顔で言われた。

 

「人の不幸が面白い? まぁ面白いのよね」

「違う笑みだけどそうね、面白いわ。文や幽々子は兎も角として姐さんと紫さんまでやられるなんて、小者なんて評価を改めないと」

 

「それで、褒美ってなにが貰えると思う?」

「ん? あぁ何かしらね、そっちは‥‥」

 

「興味ないって言うんでしょ? 私は欲しい物があるし勝手に探すけど」

「好きにしたらいいわ、あたしは眺めて肴にするだけよ。あれに盗まれず戻ってくればなんでもいいわよ」

 

 欲しい物とはなんだろうか?

 手に入る物なら少しは手伝うが、あたしを誘ってこないということはあれか、以前に話していた道具達の楽園ってヤツの事かね?

 今も漂う逆さのお城を拠点にして紫さんへ褒美として願う、幻想郷を覆すような物であれば断るだろうが思惑も場所も抑えている今何もしてこないのだから、これは紫さんの許容出来ることなのだろうな。

 まぁなんでもいいさ、やりたいようにやったらいい、手元から離すつもりはないがいなくなるわけではないし束縛するつもりもない、持ちつ持たれつやれればそれで良い。

 

 程々に頑張れと伝えると期待に応えると元気に笑う付喪神、頬を撫でそのまま髪も撫でていると、演説を終えたらしい胡散臭いのがいつもの空間から上半身だけ生やしてくる。

 料理の並ぶ卓の上に開いた気持ち悪い空間から乗り出すように生えてきて、取り分けた料理の残るあたしの取り皿へと箸を延ばす妖怪の賢者。スキマの狙う箸先を料理から逸らして代わりにあ~んと箸を差し出すと、素直に口を開くあたしの介護者の主。

 こちらを見ながら怪しく笑うスキマ妖怪に、同じような笑みを返すとチラチラと見比べてくる隣の赤い頭。雷鼓は一旦放っておいて正邪にしてやられたわねと軽口吐いてもいいが、左隣の姐さんに聞かれるとまた怖いし今はやめておこう。取り敢えず冬眠明けの今年初顔合わせだ、挨拶してから嫌がらせの意味を問うか。

 

「おはよう紫さん、聞いてたわよ、演説お疲れ様」

「おはよう。それでアヤメも一緒に遊んでくれるのかしら、今回はお願いじゃなくてお誘いよ?」

「今は遊びのお話よりも昼間の嫌がらせの方が気になってるんだけど」

 

「嫌がらせなんてしてないわよ、可愛い悪戯じゃなかったかしら」

「意味がわからないと嫌味を言う気にもならないのよ、なにがしたかったの?」

 

「特にないわ、強いていうなら人が寝ている時に楽しそうな事をしたアヤメに意趣返しをしたのよ。ちょっとだけ悔しいから、少しだけ蚊帳の外にしてあげたんだけど気に入らなかった?」

「あぁそういう事、紫さんを誘えなかったのは残念だったけど文句ならあたしじゃなくこっちに言ってよ、帰ってこないのが悪いんだから」

 

 例年通りに冬眠明けの挨拶を済ませて、スキマの持っていた盃にあたしの徳利の酒を注ぎながら話すと、表情を変えずにクイッと一口で煽ってくれた。自然に注げて自然に飲み干されたのが何故か嬉しくて、誰かに似た笑みから少し明るい笑みに表情を張り替えると、それを見比べるようにあたしの言葉をスルーして視線を左右させる雷鼓。

 先程から何かを確認するような視線だが、なにか思うところがあるのなら言ってみたらいいのに。

 

「ここの巫女が言う通りなのね」

 

「アヤメに似た可愛い妖怪さんって事でいいのかしら?」

「紫さんに似て素敵な妖怪さんって事だと思うわよ?」

 

「胡散臭い笑みってこれかと再確認しただけよ」

 

「アヤメ? どういう教育をしているのか教えてもらえる?」

「白白しいから教えてあげない、デリカシーのない覗き魔は嫌いだと言ったでしょ?」

 

「意地悪ねぇ、それなら付喪神の方に聞くからいいわ。私の紹介は必要かしら?」

 

「必要ないわ、知っているし聞いているから」

 

 あたしの顔を見ながら聞いていると言うがなにか話したっけか、特に言ったこともないし聞かれた事もないはず。少し悩むが言った事を思い出せず、小首を傾げているとそのまま放って置かれて二人で話し始めた。

 

「何を聞いているのか、良ければ教えてほしいわね」

「あまり派手にやると怖いのが来る、私の時には来なかったけれど確かにそう言われているわよ。八雲紫さん」

 

「あらあら随分と昔の事を覚えていてくれるのね、嬉しいわ」

 

 初めて雷鼓に会った時に忠告代わりに言ったものか、確か大本は吸血鬼異変で呼ばれた時に紫さんから言われたものだ。特に意識して覚えていたものではない、唯言い様の意地の悪さと小気味良さを気に入り覚えていただけの紫さんの言葉。

 板についている胡散臭い笑みから、誰かのような少し明るい笑みに変えてあたしと雷鼓を見比べる紫さん。さっきから二人でジロジロと見てくれてバツが悪い、紛らわせるように煙管を取り出し咥えると少し瞳が変化する覗き魔妖怪。

 違うものだと気がつかれたのか?

 今バラされると少々厄介な事になり気がするし、ここはあれだ、胡散臭い笑みに戻る紫さんにまだ内緒にしてくれるよう、直球ぶつけて場を濁すとしよう。

 

「煙管が何か、紫さん?」

「なんでもないわ、巻紙を舐める可愛い舌が見られないのは残念だと思っただけよ」

 

「舐めるならこっちのほうがオイシイわ」

 

 惚気なら散々見ているからもういいわと、小さく指先を振りながらスキマの中へと消えていく隙間女、消えると同時に何処かでやっときたという声がする。食べ物が足りないだとかお酒が足りないだとか穏やかに話す幽霊の声を聞きながら、舐めるつもりだった相手の頬を見る。

 この手の事もすっかり慣れたようで何? といつもの態度であしらわれてしまい、それを受けてやる気が削がれなんでもないと言い返すとそういえばと更に返される。

 紫さんの散々見てるとは何か、何かがナニかだとわかっているのだろう怒り顔で問い詰めてくる雷鼓に問われ、そのままだと答えを述べるといつからなのかと追求された。多分最初からだと思う、言った瞬間に強く尻尾を握られて変な声が出てしまう。

 声を聞いて手を放してくれたのはいいのだが、代わりに逆隣から家でやれと再度小突かれた、まだ悪いこともしていないのに散々だ。

 幽々子の隣で従者に酒の追加を命じているコレの元凶を睨むと悪戯に笑われる、可愛い悪戯だとは言うがちっとも可愛く感じられなかった。

 



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第百二十二話 投げられた投網を見やる

 桜東風に吹かれて春宵を流麗に彩る花びらの中、誰が手柄を立てるのかと皆で予想し騒いだ神社での宴会。いの一番に名乗りを上げて私が見つけると息巻いたのは言わずもがな、お前が騒ぐと寒いし桜が散ると巫女に一括されていた。

 そんな巫女の声に乗り早さなら負けないと息巻いたのは黒白少女、言葉を聞いてなんとなくショートボブの方の烏天狗を見たが相手にせず鬼っ娘と酒を飲んでいた。相手にせずというより相手にできないといった方が正しかっただろうか、ツインテールは先に酔い潰されていたし、辞めた上司のパワハラに付き合うなんて組織に属していると大変だ。

 それから数人名乗りを上げていく中で、発明大好き河童ちゃんが誰が一番最初に捕まえるか賭けようと皆を煽って仕切り始めた。昔の上司も賢者もいる宴会場、果ては天人もいる場であいつもよくやるなと関心していると、隣の赤い髪が悪戯に笑っていた。お前がノセたのかよくやった、帰ったらこの場に負けない楽しい事をしよう。

 

 いつも通り唐突に始まった掛け事というお戯れ、その一番人気は安定の巫女、妖怪退治ではないが全力全開生死問わずというなんでもありのかくれんぼでもあれの人気は変わらずで妬ましい。

 次いで人気は先ほど息巻いた黒白とそれをあやすメイド長、最新の異変解決の実績があるからだろうか、半分庭師と風祝にほんの少しだけ差をつけての二位三位だった。

 さすが異変解決組は人気者ばかりだなと笑んでいると、あたいが一番で最強だと寒いのがまた騒ぎ出して何処かへと飛び出していった、今日は呼ばれていないどこぞのサボり魔じゃないんだから、私なのかあたいなのか、そこだけはっきりしてからいなくなってほしかった。

 

 それで他の人気だが、人間少女から下はどんぐりの背比べで、身内の多かった寺の住職がやや高いところにいたがあらあらと笑うだけでやる気があるのかわからなかった。

 それから集計を始めて、最後の辺りにあたしは誰に賭けるのかと発明お馬鹿に問われて悩む、悩む中で視界に入った相手から一つ思いついてそいつに賭けた。張った相手は紫さん、言うだけ言って自分では何もしない事ばかりなのだから偶には動けと軽口を言うと、仕方がないわねと少しだけやる気を見せた。

 褒美がなくなると回りに煩く言われたが、ならそれより前に見つけてどうにかしろと嗤って話すと士気を上げて息巻く者が増えた。どうせなら楽しいお戯れが見たい、あたしが賭けてもどうせ負けるのだし、それなら紫さんに賭けておいて誰かの勝ち姿が見たい。ついでに発破を掛けられて重畳だ。アレを捕まえるのが誰になろうが構わないが、賭けの勝者が誰であろうと楽しいお遊戯を見せてほしいものだ、煩くなった夜桜見の中で盃を置いて徳利毎酒を煽り呑んだ。

 

 そんな宴会から少したった今日、あちらへ行けば天邪鬼はいないか、こちらへ行けばアマノジャクを見ていないかと探して歩く者達が増えて人も妖怪も春らしく浮かれている。あの晩に妖怪の賢者から直接聞いた者達も当然探しまわっているし、どこから聞きつけてきたのか知らないがお呼びでない木っ端者達まで褒美に釣られてその辺を闊歩している。おかげで何処に行っても騒がしく、まったり出来るのは我が家とこの店くらいになってしまっている。

 他者が顔を合わせる所、集まるものが人でも妖かしでも構わないが誰かが顔を合わせればあいつは何処だとうるさい幻想郷だというのに、まるで切り離されたように変わらない静寂を保つ店。

 いつものように不意に訪れてぼんやりとしているが、何も買わずにあたしがこうしているのに慣れたのか、最近はいらっしゃいも帰れとも言わなくなった店主 森近霖之助。ブーツと床が立てる音と、店主の捲るページくらいしか音がしない居心地の良い空間の中で静寂を楽しんでいると、売り物の静寂を無料で楽しむなと店主の方から話しかけてきた。

 

「君は探しに出ないのかい? ご褒美ありの楽しい遊びなんだろう?」

「叶うかは兎も角おねだりはいつでも出来るし、ご褒美なんてどうでもいいのよ。むしろ長く逃げ続けてくれた方が楽しみが続いていいわ」

 

 何度読み返しているのかわからない推理小説を読み進めながら、あたしを見ずにあたしの事を話し始める優男、そんなつれない店主さんにカウンターに寄りかかり、手元の推理小説を覗き見ながら返答する。

 いつかの雨宿り以降こうして覗き読みしているが、本当に大事な所だけ抜けていてる書物で盛り上がり所がないものだ。物語の主人公である姉に対して、犯人である妹の憎悪が芽生えそうな前フリが書いてあるページ、ここから数ページ先が抜け落ちている落丁本、丁度間に何があって妹が殺害行動に至るのかが抜けていて、毎度覗きこんで思うがなんともむず痒い推理小説だ。

 むず痒いなんて考えたのが伝わったのか、眼鏡を指先で直しそのまま高めの鼻先を軽く掻きながら何か問いかけてきてくれた。

 

「日和見していると捕まえる瞬間を見逃してしまうんじゃないのかい?」

「あれはまだ捕まらないわ、それに捕まえる瞬間よりももっと面白いモノがないか、探してみるのも楽しいものよ」

 

 返答に対してふむ、と1枚ページを捲って栞も挟まずに書が閉じられる。

 パタンと聞き慣れた音を立てて読み進めていた物語からこちらの世界に帰ってきた男。

 珍しく視線を合わせてきた店主、あたしに興味を持つなんて珍しい事もあるものだと薄く微笑った。小さく漏れた笑い声を消すように目を見つめながら何かを問うてくる店主殿。

 

「わからないな。捕まらないと言い切るのも、捕物で捕縛以外に楽しめる場所があるというのも」

「そうねぇ、結末よりも過程を見ている方が今は面白い。そう言えば伝わるかしら?」

 

 閉じられた小説に視線を移してそう答えると瞳を閉じて何かを考えだした森近さん、わかりやすく答えてみたつもりだったが伝わらなかったか?

 顎に手を添えて考える姿は中々に様になっており、草食系男子にしておくにはもったいない姿だ。あの黒白が熱を入れるのもわかるなと、思いに耽る美丈夫に焦点を合わせていると眼鏡に店の灯りを反射させながら見つめ返された。

 見つめてくれているのに瞳は見せてくれない角度にいる色男、つれない。

 

「本とは違って一回こっきりで捕まったら二度目はないと思うよ、それなのに追いかけないのかい?」

「天邪鬼に会いたいなんて考えてたら会えないのよ、体感したからわかってるわ」

 

 普段は店に並ばない商品である疑問なんてものを顔に貼り付ける店主さんを見られて少し楽しく、淑やかに笑むと難しい顔をされた。正確には疑問というよりも疑惑といった表情だが、天邪鬼については実際その通りだったのだし、気にすればするほど会えないのだからしても仕方がない。

 疑惑の糸が解けるかはわからないが少しだけお話しよう、静寂と表情の代金代わりに獲物を探さずまったりしている理由でも払っておこう。

 

「褒美を求めて全力で追いかける人妖の皆々様、それから逃げるなら逃げ続ける方もきっと全力よね?」

「そうだろうね、見たという話は新聞で読んだけど、どれも逃げられているようだし」

 

 カウンターの奥にある畳部屋に打ち捨てられた紙ゴミを見て呟く森近さん、丸められて中は読めないが元は天狗の新聞だろう。霧の湖でお琴と⑨と姫が見かけて追いかけたが無事逃げ切られたという記事が発行されていたはずだ、読んではいないがそれ自体は知っていた。遊びの開始を告げられてから躍起になった皆のおかげで着々と狭まる包囲網、仕掛けたその網の中で最初に掛かった場所は記事の通り霧の湖だったはず。

 捕まえる事は出来なかったが最初の目撃者となったお琴の付喪神から、その時の事を色々と聞く事が出来ていた。八橋から聞くことが出来たのは、殺すつもりで全力で放ったはずの逃げ場のない弾幕を、天狗記者のスカートみたいな柄をした布を使い避けられたという事。

 捕物なのにライバル候補に頭だけ入れているあたしに話していいのか、八橋が話し始めてすぐはそんな事を考えて素直に聞いてみたが、どうにもライバル視をしてはいないらしい。油断していると足元を掬うと忠告してみたが、雷鼓の邪魔はしないでしょ? と笑顔で言われて何も言い返せなかった。雷鼓が何を願うのか聞いていないが確かに邪魔はしないなと納得していると、姉妹は雷鼓の手伝いなんだと話し始めた。全員道具の楽園創りという目標もあるし、多分それかと再度納得して話を流した。 

 

 話を戻して、そんな逃げられた事を悔しそうに話す八橋には悪いと思いながらも、これを聞いてあたしは完全に見方を変えた。色々と盗み出した愛用品を使って全力で逃げるかと思ったが、知らないアイテムも持っていた鬼人正邪。使えるものは何でも使って逃げ延び生き延び続ける小者だと思ったが、知らない物も使うとは底がわからずに面白い。

 八橋の話を聞いているだけでもあたしの心を擽ってしまい、今はもっとやれもっと見せろと密かに応援している。何故密かになのかは赤い髪が怖いからだと一言だけ言っておくとして、取り敢えずいい男の方を相手取ろう。

 手を取ってはくれないが珍しく伊達男が構ってくれているのだから、中途半端にしては女が廃る。

 

「逃げはじめたばかりで元気な天邪鬼、追いかけても盗品があるし多分捕まえられないわ」

「それでまだ捕まらないと、なるほど…大勢盗まれたらしいね、それも名のある大妖ばかりが狙われたと聞いているね」

 

「やっぱりそこが気になるわよね」

「落丁本に例えたのはそこかい? それなら捕まえて聞いたほうが‥」

 

「それは勿体無いわね、折角のお戯れよ? もっと盛り上がるようにどこまでも逃げてもらわないと面白くないわ」

 

 言い切りフフンと少しだけ胸を張ると、少しだけ顔を傾けて貶みを込めて見つめられた。

 色男にこんなに見つめられては気恥ずかしい、紛らわすようにカウンターで頬杖ついまま唇だけで投げキスしてみるとため息をつかれた。避けられなかっただけマシだと考えて悪戯に笑むと、再度ため息をつかれて視線を逸らされた、あたしを釣っておいて本人はつれない態度とは、イケズなお方だ。 

 

 視線も逸らされたしこの辺で自己整理、正邪を応援する理由はここにもある、というかこっちが本命でどうやったのかと楽しく悩んで手口を考えている。直接被害者に聞いてもいいがその前にある程度仮説を立てて遊んでいるのが楽しい、折角降ってきた拾い物の難題なのだから色々と考え妄想に浸りたいのだ。

 例えば文や幽々子から盗み出す事、この二人ならなんとなくだが千歩以上譲って考えればなくはないのかもしれない、前者はほとんど巣にいないのだから、出払ったその時に巣から持ち出せばいいだけだ。妹烏や白狼天狗が煩いかもしれないが、鳴き声をひっくり返すなり千里眼をひっくり返なりして何も見えないなんて事に出来れば盗めない事もないだろう。

 後者は何かにご執着の隙を狙えれば盗み出せない事もないかもしれない、例えば今の幽々子の流行りである食事に向かう意識、それ以外をひっくり返して食事だけに集中させるとか、そうすれば庭師の方も食事にご執心している主のせいでせわしなくなるだろう。

 万一見つかった場合が恐ろしい事にしかならないからあたしだったらやらないが、それでも頑張って生死でもひっくり返せば大丈夫かもしれない、実際出来るかどうかはわからないテキトウな暴論だが、自己申告の『程度の能力』なのだから完全にないとは言い切れないし、億が一にもあったならそれは堪らなく面白い。

 

 こんな風に有る事無い事をテキトウに考えられる今が楽しくて堪らない、要らぬ事を全力で考えるなど空回りにしかならず、少々イタイかもしれないが細かいことはなんでもいい。

 偶に空回りして痛い思いをするのだから、この際先に回せるだけ回してしまおうという思惑もある、この思惑自体が空回りだと言われればどうしようもないが、思い込みってのが大事な物だとあたしは考えている。はなっから空転していれば途中で回されても変わらずにいられるはずだと、ちょっとした思い込みのために滑稽に滑車を回して楽しんでいた。

 

 思考が逸れて帰れなくなりかけてニヤニヤと笑んでいると、物言い待ちの優男が揺れ椅子を鳴らして引き戻してくれた。取り敢えず仮説が立てられる二人の事はいいとして、残りの被害者連中の方が気になる部分だが‥これも後にしよう。

 また放り出してしまうところだった、口角を上げて笑むあたしを見る目が痛いしそちらに気を回そう。

 

「君の相棒が頑張っているのに手伝ってやらないのかい?」

「おねだりしてきたらいつでも手伝うけれど、今は自分達だけで頑張っているからその時ではないんじゃないかしら?」

 

 自身のほしい物の為に頑張る姿というのは輝いて見える、思い悩み無駄に動くこともあるかもしれないが、そうして汗を流す姿は雷鼓に限らず美しいものだ。全力で逃げまわり汗だくになる正邪もきっと美しいのだろう、追いかけて追い詰めながらそれを見るのも悪くない。が、今はまだ早い気がする。記事で読む限りだが、紫やマミ姐さんから盗み出したアイテムを使ったという話が出ていない。

 少しの手の内を見せておきながら残してある余裕のある状態が今だ、アレも考える頭はあるしそっち方面では非常に賢い気もする。そのような相手を今追いかけても軽くあしらわれて終いだろう、それなら使いきった頃合いをみて追いかけ始めたほうが効率が良い。

 場合によっては途中で手数を増やすかもしれないがそれはそれで面白いものだし、謎解きが増えてあたしとしても楽しめる。楽しい妄想に少し浸りクックと声が漏れた辺りで、眼鏡男子のから吐き慣れた幸せばいばいの吐息が聞こえた。

 そう言えば会話の途中だったな、こいつは何を考えてるのかと悩む顔を見せてくれた半妖男子、そういう顔は大好物で堪らない。

 

「森近さんがそうも悩んでくれるなんて、女冥利に尽きるわね」

「これは‥‥いや、なんでもないよ。それで、相棒は放っておくのかい? 新聞ではあんなにべったりだったのに冷たいものだね」

 

「悩む顔を見つめるのも乙なのよ、今の森近さんも素敵だわ」

 

 悩む美男子の頬に手を伸ばすが相手にされずまた書の世界へと帰ってしまった色男。

 本当につれないお人だ。

 閉じた本を再度開いて読み進める流行らない店の主。

 開いたページは閉じたページよりも少し前辺りだろうか、主人公に対して盛り上がり始めたばかりの殺人犯の心情が少しずつだが語られ始める頃合いの文字の羅列。

 ただ拗ねてむしゃくしゃしたからやった、なんて犯行動機だったら面白いかもしれないと、カウンター越しという姿勢は変えずに森近さんの読むスピードに合わせて目で追い考えていた。

 ちなみにあたしから手助けしない理由だが、ご褒美目当てにお尋ね者を探し回っている雷鼓に放って置かれて拗ねているわけではないと、誰に向けてかわからないが少しだけ釘を差しておく。

 むしろ放って置かれて焦らされたほうが疼くというものだ、悩みに悩み抜いている顔を見ているのも心地よいし、その後にあるかもしれない手助けをしてどんな顔をするのか。

 その辺りを考えるのも面白い、成功して笑んでくれるか失敗して呆れられるかわからないが、どちらにしろ見て欲しい相手に見てもらえるなら面白く気持ちが良いものだ。

 何でも楽しむという教えに一歩近づけているような気がするし、赤い屋敷の魔女が言った過程を大事にするというのも理解できている錯覚を覚える今、楽の師匠のようにふわふわ漂うところまではいけないが、一箇所に留まり思いに耽るのも偶にならいいと気がついた。



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第百二十三話 甘くて苦い

 お琴の付喪神をゲストに迎えた霧の湖からの捕物同心組が二枚舌に舐められた後は、人里の喧しいのと静かに隠れる凸凹組が二枚舌に舐められたらしい。寺の参道で見かけたらしいが人里なんて視線の多い場所に何をしに来たのか、わざわざ姿を現して追跡者達を煽りに来たのだろうか。

 それともやられた赤蛮奇よろしく木の葉を隠すなら森の中だと、人里に隠れ場所を求めて現れたのかもしれない。

 

 どっちにしろ大胆な行動で、こちらを楽しませてくれるエンターティナーだと賞賛せざるを得ない、逃げる事に反逆して人混みに顔を出すとは天邪鬼らしい逃げ方だ。

 残念ながら話だけで姿こそ見せてくれないが、そのうち拝む事があれば舌を出して中指立てて褒め称えよう、言葉は素直に態度はらしく反逆してみせれば困惑してくれそうで楽しみだ。

 赤蛮奇が撃ち落とされた記事が一面を飾っている天狗の新聞を読みながら、普段よりも赤みが強い頬を歪めていると、頬の色という小さな変化を見られたのか、調子が悪そうだと心配された。

 最近の楽しみである妄想に熱を入過ぎたからか、あたしにしては珍しく知恵熱なんぞを出してしまい、普段の不摂生で培わえれた血色の悪い頬が相棒の髪色みたいになってしまっていた。

 多少気怠いくらいでそれ以外は問題なくあたしは気にしておらず、記事を読みながら寝起きの一服を済ませて着替えていると、立ち上がりスカートに足を通した辺りで少しふらついた。

 

 ふらついた所を大げさに支えられて、それからすっかり病人扱いで、母親かのように口煩くなってしまい出かける事もままならない。一面記事を飾った相手を小馬鹿にしに行くつもりで着替えたのだが、調子が悪いなら家にいるか医者にかかってからにしろと子供のように叱られた。

 随分と心配されてしまい嬉しいやら恥ずかしいやら照れていると、照れのせいで更に赤みの増した頬を見られて永遠亭に連れて行くと言い出したあたしの保護者。この程度では大事ないし医者にかかるほどでもないと言い返してみたが聞き入れられず、あれよという間に着替えさせられて近所で営業している年中無休の病院へと拉致された。

 

~少女搬送中~

 

 偶に患者を連れてくる事はあるけれど患者としてくるなんて、そんな事を微笑みながら言ってくれるのは構わないが出来れば手早く済ませて欲しい、そう伝えるとこの際きっちり見てもらえと保護者に叱られきっちり見られることになったらしい。

 ただの知恵熱でちょろっと薬をもらうなり注射されるなりで終わりと考えていたが、あたしは蚊帳の外らしい。こちらの言葉は全て無視されて保護者から言われた通り診察するから、前を開いて横になってと三台並ぶベッドの一つに促されて、素直に従うと瞬く間に枷をはめられた。

 患者として来たわけでまだ悪さはしていないし、なんでこうなるのかと鈍い回りの頭で悩んでいると、いつもは見ないような楽しそうな顔で診察を始めた八意女史。

 後は任せてくれて大丈夫と雷鼓を追い払ってから、舌を引っ張られてみたり喉を見られてみたりとそれっぽい診察が始まった、この辺りは熱もあるし診るのもわかるが、聴診器を当てながら色々と弄られたり瞳に光を当てられるのは何か意味があるのだろうか?

 聞いてみたが答えは得られず、ぼそぼそと何かを呟いた後診察室の奥へと消えていった。さして時間は掛からずにすぐ戻ってきたのだが、楽しそうな顔のままで戻ってきた医者の右手にはフラスコが見える。ドクターの表情と手持ちの品を見比べてこれからそれをどうするのか、熱っぽい頭でもすぐにわかった。飲まされるのか注入されるのか、どっちにしろ摂取させられる流れにはなるのだろう。解熱剤だとは思うがこの表情が気になる、楽しい実験を前にしたような躍る瞳が怖い。何を言えば見逃してもらえるだろうか‥取り敢えず聞くか。

 

「永琳、それは?」

「漢方よ」

 

「飲むの? 打つの?」

「どちらでも、でも飲んでもらったほうが早いわね」

 

 こちらに見せつけるように首を握っているフラスコを軽く振る永琳、初めて見る楽しそうな表情と同じく初めて見る揺れる瞳。黒に近いような濃い藍色の瞳を揺らして、同じような色合いの漢方薬を振る月の頭脳。

 どこかの傾国を思わせる怪しくも色気のある瞳のままベッドの横の丸椅子に腰掛けた。このまま静かにしていては危ない、どうにか逃げ出したいが四肢は伸ばされて枷にはめられているし、尻尾もあたしの体で上手く抑えられてどうにも逃げ場がない。

 腕を引っ張りギシギシとベッドを揺らすとその音に合わせておさげを揺らし、再度フラスコも揺らして話しかけてきた。

 

「大丈夫よ、頑丈に誂えてあるし多少暴れても問題ないわ」

「それはつまりそういう事なの?」

 

 顔の横、首を振っても当たらないくらいの距離までフラスコを寄せられる。ベッドに近づいたタイミングで全身を使ってベッドを大きく軋ませると、フラスコの底にマットレスが当たりコポンと気泡を作りフラスコの中で弾けた。

 水よりも粘度が高いのか、ポコポコと気泡を溜めて小さくコポンと音を立てる黒に近い液体、やるんじゃなかったとあたしの内でもコポンという後悔の音が聞こえた。

 

「アヤメの為に作ったのに、溢したらどうするつもりだったのよ」

「出来れば全部溢したかったわ」 

 

「あら、信用してないの? 狼女やら夜雀やら連れてきては私に任せていくのに」

「信頼はしているけれど‥‥どうしても飲まないとダメ?」 

 

 全身全霊で瞳を潤ませて心から嘘偽りのみの涙を流した、ポロポロと涙を流して鼻筋を伝わりシーツに滲みた涙を見せると仕方がないわねと眉をハの字にしてくれた永琳。

 立ち上がりゴソゴソと白衣のポケットを弄ると取り出したのは太い注射器、これは悪化しただけではなかろうか。

 

「聞いてもいい?」

「何? 打つ前に聞いてしまいたい事?」

 

「痛い?」

「ちょっとチクリとするだけよ、飲んでも打っても薬が回れば眠くなるだけで心配ないわ」

 

 飲めるらしい薬品をつつっと吸い上げごん太の注射針に注入していくマッドドクター、手慣れた手つきで針先を持ち上げてクッとケツを押すと、先からタラリと垂れた液体。

 飲むにしても打つにしても普通はもっとこうピッと飛ぶ物ではないだろうか、静脈注射と言っていたが粘度の高い物を入れられてあたしは問題ないのだろうか?

 悩んでいる間に右手を取られて肘の内側をペシペシと二本の指で叩かれる、右腕を回して少し抵抗すると確実に何か言いたい顔で睨まれた。

 

「動かすと危ないし、間違っても危ないわよ」

「腹をくくる時間が欲しいんだけど」

 

「病人のくせに処方薬を嫌がるなんて何しに来たの?」

 

 ご尤もである、納得しきれないがもういいや、諦めよう。

 飲めるというのだし飲もう、打たれるよりはマシだろう。

 

「飲むからソレは勘弁して、お願い」

 

 子供でもあるまいし、怖いの? 里の子供でも診ているような顔でニコリと微笑んで尋ねられ、素直に首を縦に振った。医療の事なら全て任せて大丈夫、間違いなどあるはずがないのだが普段出さない熱のせいで不安を覚え永琳の言動と態度からその不安を煽られて心細い。こういう時は思った通りに素直にした方がいい、錆びついた野生の勘が教えてくれて首を振れた。

 仕方がないわねとベッド横のスイッチを作動させてベッドの上半身側を少しずつ起こされる、月の科学らしいが随分と便利なものだ。丁度座椅子に腰掛けるくらいまで起こされて見上げていた永琳と同じくらいまで目線が上がる。

 上半身が起こされていく最中に飲む覚悟は済ませたが、両手を縛られたままでは自力で飲めない‥片方くらい外してくれないだろうか、逃げないから、逃げた方が後が怖いと知っているから。

 

「素直に飲むからどっちか、片手くらい解いてくれない?」

「ダメよ、逃げるし反動を抑えるのに必要なのよ」

 

「反動って、な‥‥」

 

『な』で開いた口にカポッとフラスコの口が充てがわれて、そのまま左手で顎を上に持ち上げられた、少しずつ傾けられて口内に迫る黒っぽい何か。覚悟はしたが味わいたくはないしこれを舌から逸らすか、そんな事を考えている間に顎とフラスコの角度が上がり一気に流れ込んできた。

 苦い、やたらと苦い。余程悔しい思いでもしなければ味わえないだろう苦虫の親分を噛んだような味、強引に流し込まれて全て口に含んだが飲み込めない。

 けれど覚悟をした手前もあり吐き出せず、涙目でマッド・サイエンティストを見ると楽しい実験に向かう顔で鼻を摘まれた。すぐに限界を迎えて喉を鳴らして飲み込むと、苦味が喉を過ぎるのが確認できてすぐに黒い何かへと意識を落としていった。

 

~少女昏倒中~

 

 音のない真っ黒な中で目覚める、背に感じるのは診察室のベッドの柔らかさだが、迷いの竹林の夜にしてはなんとなく違和感があった。

 違和感の元は匂い、薬の効果で熱は下がったようで利きの戻った鼻を鳴らすと、薬品類の匂いの中で微かに香る爽やかな花の香り。

 曼珠沙華?

 彼岸花の香りが漂うここは‥再思の道か?

 だとしたら死んだか?

 けれど少しおかしい。

 死んだのなら三途の河を渡るはずだが、ここは暗いし花と薬それと焦げた肉の匂いだけで川の匂いや音がしない。

 薬の匂いも鼻につくがこれは自分の腹の匂いかね? あの薬が何だったのか問い正したいが死んだのならそれも無理か? 死人に口無しなのだし、輪廻が巡り来世で出会えてそれでも覚えていたならその時は聞いてみよう。本来ならあるはずの説教裁判も気がつかぬ間に終わっているようで、これは真っ直ぐに地獄に落とされたかなと黒の中を寝起きで見つめる。

 しかし、小町も映姫様も最後くらい声を掛けてくれてもいいのに。小町はサボりでいなかったのかもしれないが、映姫様はお忙しい御方だから仕方がないのかもしれないが、せめて手続き中くらいは起こしてくれてもいいのに。

 まぁいいか、終わってしまった事を蒸し返しても仕方がない。落ちたならここはどこかね? 真っ暗だから黒縄地獄か? 暗くて黒いし縛られていたし、字面の雰囲気から考えてその辺りか。いや、過去の所業を考えれば何処も当てはまるな‥なら一番下の阿鼻地獄か、ここは?

 置いて逝かざるを得ないなんてズルい口説き文句を言ったばかりなのに有限実行してしまうとは、今朝のようにまた怒られそうだ‥が、もう会う事もないのか?

 今朝のように叱ってはもらえなくなるのか。

 死んだと知ったら右腕を踏んでいた時のようにまた泣きそうな顔をしてくれるのだろうか?

 今後は慰める事も出来ずそんな顔も見られないようになるのか、それは嫌だな。

 なんて考えていると、少しずつ目が慣れて見慣れた天井が視界に広がってきた。

 

 寝ていた場所は変わっていないが、周囲にはいつもの薄いカーテン代わりに厚い暗幕が垂れ下げられておりこれが光を遮っていたらしい、音まで遮るような厚い暗幕を払いガバっと起きて手足を動かすと枷が外されている事に気がついた。自由になって体を伸ばし頭を振ると感じる耳の違和感、奥のほうまですっぽりと耳栓を突っ込まれているようで、聞こえない原因はこれかと少し安堵した。指を突っ込み取り出しながらアイツらしい手の込んだ悪戯だと声に出して笑うと、声を聞いたのか誰かの声が開放された鼓膜に届く。

 

 普段なら堅苦しい言葉を吐く口が、痛みに耐えるような苦しそうなうめき声を吐いている。管が繋がれている包帯だらけの体に少し焦げた衣服、焦げた匂いに少しだけ混ざる曼珠沙華の匂い。なんでまたこうなっているのか、里での捕物は先日の事でその時には無事だったはずだと苦しげな慧音を見下ろして一人悩んだ。寝起きで得られた情報が多すぎて、あまりに唐突な景色過ぎて悩んでも何も思いつかずにいると、兎の飛び跳ねる足音が廊下の奥へと消えていった。 

 

 耳栓をスカートのポケットに突っ込みベッドを降りて、丸椅子に畳んで置かれたインナーを着こむ、様子見にでも来て置いていったのかと悩まずに着替えて診察室を出た。

 廊下に出るとすぐに誰かの声が聞こえてきた、正月に寝泊まりした部屋の方から聞こえるようで少し進むと声の主と灯りが目に入った。苦笑いをしている悪戯兎詐欺、それに向かって座るジャケットを脱いだ黒いシャツ姿の赤い髪、その横には眉間に皺を寄せる健康マニアの姿があった。暗がりから覗いたつもりだったが、雷鼓の前で難しい表情でいる性悪兎詐欺に見つかってしまい、こっちへ来いと可愛らしい手で招かれた。

 仏頂面で部屋へと入ると神妙な顔をしている雷鼓が両手を合わせて仕草だけで謝ってきた、謝る頭に手を置いて強めに撫でてソレで終わり。

 取り敢えずこいつはいい、体調崩して連れてきてくれただけだし感謝はすれども文句を言うつもりはない。文句はあっちの永遠亭の年増にあるが、そんな難しそうな顔をされていては嫌味も言えず毒気が抜ける。毒を用いずに言い返すには何から言うかと頭を掻いていると、兎詐欺の方から体調を聞いてきた。

 

「おはよう、よく眠れたかい?」

「お陰様で、暗幕と耳栓のおかげでぐっすりだったわ」

 

「そりゃ良かった、隣に患者が増えちゃってね。起こしちゃ悪いと思って色々した甲斐があった」

 

 薬? のおかげで体の火照りはすっかり冷めて赤みの引いた頬を見ながら言ってくる、足先から頭の先まで舐めるように見て小さく嗤う妖怪兎詐欺。この雰囲気ではやり込めないし何が何だかわからない、このまま話を続けてもいいが目だけ合わせてすぐに逸らした挨拶もしてこない妹紅が気になる。てゐと雷鼓に聞いてもいいがご機嫌斜めな方を弄るか、何にお怒りなのかはわかるが何故ああなっているのか聞いてみたい。

 抉るつもりは毛頭ないが聞かずにいて二の舞いとなり、眉間に皺を寄せる側にも寄せられる側にもなりたくはない。

 

「何があったのか、聞いてもいいかしら?」

「お尋ね者にしてやられたのよ」

 

「やられてって、あれにそんな力はないと思うんだけど?」

「三人で追いかけて一度は追い詰めたんだけど‥」

 

 三人と聞いて首を傾げると縁側の方を指さす妹紅、そこに腰掛けていたのは花の香りを下げた尾から漂わせる、身綺麗な狼女が座っていた。こちらで会話をするたびにピクリと動く下げた黒耳、宴会にもいたし竹林住まいのご近所さんで初対面ではないはずだ。

 気にする事なくこちらに混ざればいいと思うが離れる理由が何かあるのか?

 てゐの態度と焦げた慧音からなんとなくわからなくもない空気だが、さすがに読みきれない。

 黒髪と白髪を見比べているとてゐが白髪を誘って診察室の方へと歩いていった、この間に残した方から聞き出して整理しろという事か。気を利かせてくれたのだしここは乗っからせてもらおう、少しだけ手を伸ばし引き止めようとする雷鼓の手を払い縁側へと腰掛けた。

 

「石鹸変えたの? 曼珠沙華はやめたほうがいいわ、縁起でもない」

「うん、そうする」

 

「元気ないわね、慧音と一緒に落とされて意気消沈してる‥にしては綺麗な格好ね」

「本当は私がああなってたはずなんだけど‥」 

 

 ぽつりぽつりと話し始めた竹林のルーガルー。

 今日の昼間、丁度あたしが泣かされて眠りに落ちた頃に先日やられた赤蛮奇の見舞いにと人里を訪れたらしい。その時に慧音と会って形だけのお目付け役として一緒に行動し、そのまま二人で竹林へと戻ったそうだ。今泉くんは帰るだけ、慧音はお目付け役兼妹紅の所へ顔を出すために一緒に戻ったらしい。ここまでは口の滑りも良かったのだが、此処から先は話さない今泉くん。

 脅せばすぐに話してくれるだろうが、さすがに凹むご近所さんを虐める気にはならない、隣で待っていればそのうち話すかと思い煙管を取り出して咥えると驚き顔で睨まれた。

 

「それって……あれ‥‥?」

「何? 煙管が何か?」

 

 火種の灯る筒先とあたしの顔を見比べて深く悩む顔をする狼女、この間の紫といいなんだというのか?

 

「それって何本も持ってるの?」

「愛用しているのは一本だけよ、普段から手入れしてるし新品みたいに綺麗でしょ?」

 

 多分雷鼓も聞いているし、預けて失くしたから別物を成したとは聞かせたくない。

 煙草を楽しむ時間から争い事まで幅広く使えってきた物で、それなりに大事にしていたし愛着もあるにはあったが、煙草が吸えれば失くしたあの煙管でなくとも構わないし、実際自分で折って見せたりもしている。妖怪に成り果ててから一番長く共にある相棒で、霧や煙さえあれば出すのも消すのも増やすのも自由自在なあたしの一部、それの何が引っかかるのだろうか?

 

「一本だけなのね、なら見間違いなのかな」

「見間違いはないと思うわ、トレードマークのつもりで長めにしてるし」

 

 腰の筒に納めれば腿の半分弱くらいの長さになる煙管、既成品ではまず見ない長さでマミ姐さんの物よりも長い物だ。知る人が見ればわかる一品物で見間違うことはないだろう。

 葉が燃え尽きた辺りで縁側でカツンと一叩き、火種を捨てて左手でくるくると回して手渡した。受け取ってしばし眺めてから立ち上がると、今泉くんが妖気をほんの少し放って弾幕を形成する。何をするのかと見ていると浮かばせた弾幕に煙管を突っ込んだ、あたしの大事な物に何をしてくれるのか。

 

「あれ? 逸れない?」

「雑に扱ってくれて、何がしたいのかしら?」

 

「天邪鬼が似た煙管で妹紅さんの炎を逸らしたのよ」

「あいつが逸らした? 煙管を使って?」

 

 二人で竹林へと戻り別れる前に天邪鬼を追いかける妹紅を見つけて合流した、までは良かったのだが囲んで追い立てていると、何かこう宙に向かって似た煙管を振るったら天邪鬼を中心にして円を描いて弾幕が逸れたらしい。

 三人でアイツを取り囲み、逃げ場のない弾幕を撃って追い詰めている最中にいきなりやられて避けきれず、本気でやばいと身構えた所を慧音に庇われたのだそうだ。

 なるほど、失くした煙管はアイツが持っていたのか。紫さんやマミ姐さんに気が付かれず盗みを働けたのは煙管で意識を逸らしたからか?あたし本人ならやれなくもないが、長く使った一部だとは言ってもそれほどの物だっただろうか?

 雑に突っ込まれて少し焦げた煙管を取り上げて、再度燻らせて煙を纏わせ元に戻す。綺麗に戻った煙管を眺めていると、背中から冷たい声を掛けられた。

 

「本当に? 騙したりしてない?」

「騙すなら正面切って騙すわ、知らぬ所でやられても笑えないじゃない」

 

「本当に肩入れしてないのよね? そうやってはぐらかすから‥」

「くどいわね、信用出来ないって事? ならどうするの? 慧音のように焼いてみる?」

 

 肩を掴まれて強引に体を回される。

 振り向き対面すると、燃やす事が得意なくせに随分と冷たい目で見つめてくれる炎の蓬莱人。

 敵意まで感じられる冷えた眼差しを薄笑いで見つめているとそのまま胸ぐらを掴まれるが、今泉くんに止められて無理やりに引き離された。

 怒りを向ける相手が違うだろうに、その気なく慧音を傷つけて原因かもしれないあたしに煽られて、やり場のないモノでも燃え上がってしまい発散先が見つからないのか?

 なら少しだけお付き合いしよう、炎と煙で相性も悪くない。

 

「殺すつもりで追いかけて、逆に身内が死にかけたら怒るのね。わからなくもないけれど」

「なに? はっきり言いなさいよ」

 

()りに行ったら()り返された、そんな事は退治屋時代にもあったはずでしょ? 今回は偶々返ってきたのが慧音だった、それだけの事でしょうに」 

 

「なんでそこで煽るのよ、妹紅さんも‥‥」

「その通りだけどさ、それでも逸らされて火傷なんて‥‥」

「逸らされて? 言う割には誰かの煙管が悪いようにしか聞こえないわ、自分に返ってくるのはいいがそれが身内に向くとは考えなかったの? 年寄りの割に浅はかね」

 

 口角を上げて笑むと両手に炎を纏わせて殴りかかってくるが拳は逸らされて炎は庭へと飛んでいくばかり、一発くらい殴らせれば頭も冷えるかも知れないが輝夜が爆ぜた妹紅の拳だ、さすがにマトモに貰いたくはない。

 庭先に躍り出て妹紅と対峙するように斜に立ち煙管咥えて煙を纏う、全身に不死鳥の炎を纏って捨て身で突っ込んでくるが、あたしに逸らされて背後の壁を灰燼と化すだけに留まる焼き物上手。

 殺す気で対面すると随分と恐ろしい相手だ、これで殺しても終わらないのだからタチが悪い、文字通り捨て身で突っ込んで一撃毎にボロボロになっていく妹紅だが炎の勢いは弱まらずに強まるだけ、どうにも面倒だし煽って早めに燃え尽きてもらおう。

 

「これだけ燃えているのに、愛しい相手を傷つけて燻っているなんてちぐはぐで滑稽ね」

 

「いいから黙れよ! 私のせいで‥‥」

「そうね、妹紅のせいで傷ついた。そう思っているなら他人のせいにしない方がいいわ」

 

 十数回ほど突進を逸らしていなしていると妹紅が肩で息をし始めた、さすがに死なないとはいってもスタミナは死ぬらしい、そろそろかと再度煙管を燻らせて濃い煙を周囲に漂わせる。

 あたしを睨みながら煙に対して真っ直ぐに突っ込んでくる妹紅、最後に残った炎の右拳に対して煙を集めて真正面から受けた。

 

「さっきから誰を殴りたいのよ? あたし? それとも自分?」

「うるさいよ! いいから黙って殴られてよ!」

 

「妹紅のせいで怪我をした、けれどそうなったのは誰のせい? 少なくともあたしじゃないわ、逆恨みなら似合うのがいるじゃない」

 

 煙の中で少しずつ消えていく妹紅の怒り、消化しきったのを確認して煙を薄めて縛を解いた。

 抑えて殺した勢いでは殴るとは言えず、左頬にコツンと充てがわれた右の拳。逸らさずに受けたことで殴ったと認識したのか、少しずつ拳を下げて瞳も見慣れた物へと戻していく妹紅に再度煽りをいれた。

 

「八つ当たりしてスッキリできた?」

「全ッ然すっきりしないけど……殴る相手が違うって事はわかったわ」

 

「なら重畳ね、殴る相手から外れた事だしこのまま少し聞いても?」

「何を? あぁそれと悪かったわ、ありがとう」

 

 謝辞への返答は相槌だけで済ませて煙管以外の事を聞いた、はたて柄の布とあたしの失くした煙管、ソレ以外で何か使って逃げなかったのかと。

 聞くことが出来たのは三人で追い詰めたはずなのに、折り畳み傘を開いてその中に姿を隠した瞬間に三人の背後に現れ弾幕を放って来たと言う事。これは多分紫の傘か、スキマ妖怪でもないただの天邪鬼がスキマを開くなど愛用品を使ってもムリだろう、なら何かしらのタネがあるはずだ。持ち主の能力を物を媒介にして発現させる、か。

 思い付くものができて次に向かう場所にもアタリを付け微笑んでいると、先ほどまで燃えていた蓬莱人に何か問いかけられたがこれも聞き流した。

 縁側からこちらを見つめて並んでいる二つの頭、その内の赤い方を瞳の中央に捉えて問いかけてくるのだ、何が言いたいかくらいわかるけれど口にはしなかった。

 静かな夜の竹林の庭先を明るくする炎、それが燻り煙を立てる中で微笑んだまま佇んでいると消火作業に忙しくなり始めた。このままここにいては邪魔になるし下手を打てばまた犯人扱いが待っているだろう。

 そうなる前に向けられる視線と意識を逸らして先ほど抜け出してきた診察室へと戻ってみると、慧音の様子を診る永琳の姿があった。

 慧音が床に伏せる横の小さなテーブルにはあたしが飲まされた漢方入のフラスコ、粘度こそ液体のそれだが怪我人にまで飲ますのかと慧音を憐れんでいると、それを飲みながらあたしを見やる八意先生。

 表情も変えずにすんなりと口にされて何も言えずに黙ってみていると、中身について教えてもらえた。

 

「苦丁茶ってあの苦いお茶よね?」

「そう、お茶。解熱作用があるのよ、苦いけど」

 

「本当にただのお茶なの?」

「しつこいわね、雷鼓が苦言を呈しても聞いてくれないと嘆いていたの。それなら苦汁を味わってもらおうかなって、肝も冷えてスッキリしたでしょ?」

 

「触診と暗幕、耳栓は‥‥」

「診察は雰囲気作り、アヤメが泣き顔見せるなんて芝居した甲斐があったわ。他はてゐの演出よ、聞かないなら聞けないようにしてやれなんて言ってたわね」 

 

 あたしが思っていた以上に真っ直ぐに想われているらしい、慣れてない真っ直ぐな気持ちのお陰でまた赤くなりそうだ。無意識に頬を抑えていると飲んでいたお茶を差し出された、何も言わずに受け取ってぐいっと煽り飲み干し眉間に皺が寄る味を噛みしめる。

 そのままカップ代わりのビーカーを突き返すと味について聞かれたが、苦くてたまらないと返答するとそれ以降は何も言われず患者の様子を診る名医へと姿を戻していた。

 あたしの治療は終了でこれ以上言う事はないから後の苦言は雷鼓から聞けって事かね、あたしから話はしないが聞くくらいならいいか。以前言葉にしたせいで悩む羽目になったのは記憶に新しいし、口は禍の門だと祟り神から忠告もされた。 

 なら誰にも言わず内緒のままで程々に守り通す、置いて逝かない渡さないという約束。

 過去に交わした約束はどれも守れず破り続けて来たけれど、あたしの腹鼓もあっちの太鼓も誰にも破らせはしない。



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第百二十三・五話 思いに耽る朝

4日目の朝


 頭も体も肝まで冷やしてもらってスッキリとした気持ちで我が家に帰り、元気になったところで保護者面から可愛らしい顔に戻してやったその晩に、静かに眠る雷鼓を置いて一人訪れた妖怪神社。遅い時間に訪れたからこっちも寝ているかと思ったが寝ておらず、本来の住人である鬼っ娘に代わり、おめでたくないカラーリングの魔法使いがいてあれやこれやと話していた。

 ガールズ・トークの内容は聞かずとも分かるもので流行りの遊びについての事だったが、今夜の議題は少しばかり方向性が違う内容だった。

 紫さんや幽々子、文とマミ姐さんの後はめでたいのとめでたくない少女達もあの天邪鬼にしてやられたという、なんとも面白い話で聞いた瞬間に指を指して嘲笑ってしまった。

 神社の縁側に腰掛けて社務所の二人を嗤っていたら、頭上に開いた気色悪い空間から扇子が出てきて脳天に一撃されてしまい、今度はあたしが指を指されて笑われた。

 お通夜のような雰囲気から、一気にいつもの神社の空気に戻ってそれを見てから煙管の先を灯らせた。二度ほど煙を吐いた頃、扇子の持ち主からひとつの提案をされた。

 

「追えないのかしら、それとも追わないの?」

「聞いてくると言う事は‥紫さんもダメなのね」

 

 何をとは言わずとも互いに考えていることはわかる、長く使って染み付いているはずの自分たちの妖気や匂い。人間は兎も角妖怪の持ち主達なら当然感じ取れるはずの物だと思うのだがそれが感じ取れないのだ。広くて狭い箱庭である幻想郷だ、外の世界にでも行かなかれば誰かしらのアンテナに掛かってもおかしくはないはず、それなのにあたしも幽々子も紫さんすらも気が付けないとはどういう事なのか。

 そもそも紫さんの能力に引っかからないというのが可笑しい、一箇所にいながらどこでも覗き見出来る便利なスキマに映らない天邪鬼。ひっくり返すにしても境界なんて中庸の物をひっくり返せるはずもない。それなのにスキマの生中継に映らず人里やら霧の湖やら、はてはあたしのお膝元である迷いの竹林で暴れて無事に逃げおおせている。どんなからくりがあるのか、ぼんやりと考えてみた。考えたそれに対して一つの仮説を立て確認するために博麗神社に来てみたのだが、紫さんがいるという事はあながち間違っていないのかもしれない。取り敢えず話してみて纏めてみるか。

 

「すでにあたしの物じゃなくなった、とすれば追えなくても筋が通るんだけど」

「そうねぇ、でもそうすると逸したりスキマを開いたり出来る理由が消えるわね」

 

 そこである、元の持ち主、つまりあたし達の持ち物として存在するから持ち主の能力を扱えるのだと思う、あたしの言うように正邪の物になっているならひっくり返すくらいにしか使えない気がするのだ。ここで盗まれたと騒いでいる黒白のマジックボムやマミ姐さんの身代わりになるお地蔵様、文の弾幕を消せるカメラならそもそもの用途として含まれているからわかるのだが、持ち主の能力依存の物を持ちながら持ち主に感知されない理由がわからない。普通ならそこで終わりなのだが前回の異変、あの天邪鬼が首謀者となり起こした異変で考えていた物を思い出し、どうにかこじつけられないかとここのお姫様を訪ねてみたのだが、どうやら既にお休みらしい。

 

「取り敢えず日を改めるわ、尋ね人は寝ているし」

「一寸の姫‥‥面白そうね、少し教えて下さいな」

 

「白々しいのは嫌いって言ったじゃない、むしろあたしが教えてほしいわ」

「あら、何のことかしら? まだ起きたばかりで寝ぼけているからわからないわね」

 

 最近は胡散臭いと思うより白々しいと感じることばっかりの紫さん、そう考えて笑みを見ると胡散臭いよりも全てわかられているような、それでも知らん振りを貫く白々しさを表に出した笑みに見える。手の平で転がされているとまでは言わないが、尻尾を見せてくれずに掴ませてくれないつれない雰囲気で焦らされている感覚を覚える。これなら以前のがマシに思えるが今は雷鼓で発散出来るしお陰で燃えるから良しとしている。

 ちなみに代わりにしているとかそういう気持ちは全くないので問題ない、はず。それについて叱られたらそれはそれで燃えるだろうし太鼓に打たれるというのも中々に乙なものだ、話が逸れたので元に戻す。

 

「可愛い妖怪さん、ヒントが欲しいわ」

「ヒントって言ってもねぇ」

 

「お願い紫さん」

 

 尻尾を振り振りしながらこれ以上ないくらいに可愛らしさを瞳に込めておねだりをしてみる、きかないのはわかっているが形は大事だ。おねだりならそれらしくしないと相手にもされない、昔は口だけでお願いして邪険にされてきたが、いつからかこうすれば話は聞いてくれるようになった。人差し指を顎先に添えて悩む振りを演じる妖怪の賢者、くれてもくれなくてもおねだりに対してはいつもこうだ。可愛いお姉さんにしか見えない仕草だが中身は古狸も毛皮を脱ぐような相手、読めないから読むのをやめた仕草の一つだ。

 

「物々交‥‥」

「いいわ、やっぱり」

 

「即答ね、冗談よ。私も掴みきれていないけれどヒントなんて必要ない、そう思うわよ」

「そう、必要ないのね。後で何か振る舞うわ」

 

 期待しているわと言ってあたしの咥えている煙管を見ながら白々しい笑みを貼り付けてスキマに消えていく暗躍する賢者様、去り際にバチコンとウインクされて同じくウインクして返すと、やっと帰ったと背中側で話し始めた。口を挟んでくれてもいいのだが、紅白にしろ黒白にしろ構ってくれなくてつれない少女達だ。けれど話の内容が気になるようで、胡散臭いのが一人消えて手薄になった所を攻めてきた。

 

「何の事かしら、何が聞きたいのかよくわからないわね」

「紫と何を話してたの? 教えてくれたら今日は退治しないであげる」

「そうだな、話してくれたら笑ってくれたのは忘れてあげてもいいな」

 

 飛べる部類の少女達らしく随分と高いところからの物言いで聞き取りにくい、問い詰められても特に教えられる事がないしどうしたもんか。仮説と紫さんの言葉から思うところがなくもないが話した所で纏めていないしなんと言って誤魔化すかね、理解も納得も得られずに場を濁すだけにしたいのだが。瑞々しい少女二人に見つめられて心地よいが出来ればもっと可愛らしい姿の方が‥それでいいか。

 

「あたしが紫さんにしたおねだり、見てたのよね?」

「尻尾振ってたのは見たわ」

「見てたけどアヤメってプライドはないのか? あれじゃ藍に飛びつく橙と変わらないぜ?」

 

「ほくそ笑むためなら些細な事よ、それに折れなければいいの。ただでさえ逸れるんだし、緩めたり曲げるくらいなんちゃないわ」

「御託はいいから話を進めて」

 

 やはり何からでも浮く巫女さんは逸れてくれない、黒白は自分から話を逸らしてくれたのに紅白は逸れてくれない、手札がバレていて尚効かないとはやりにくくて困る。

 ならいいか、逸らさず素直に真っ直ぐ逃げよう。都合よく真っ直ぐ睨んでくれているのだから‥紫さんに見せた瞳で巫女を見つめる、あざとさを瞳に描いて見つめると眉間にお堀を掘って視線を逸らされた。博麗の巫女とはいっても中身は少女か、初々しくてそそるものがある。視線を逸らした巫女と黒白の視線を逸らす、一度逸れたのだから今は逸らせると自信を持って言える。

 能力にかかりあらぬ方向を見ているはずの瞳、斜視のようにはなっていないが真っ直ぐ見ているつもりでも別の視界が脳裏に映るのは気持ちが悪いらしい、何処を見ているのか知らないが二人とも眉間だけ彫りが深い。今のうちに逃げ出させてもらおう、煙管をふかして煙で己を成す。形だけで動くことのないもう一人の自分を縁側に腰掛けさせて俯かせた、神社から飛び立ち少し離れてから能力を解くと俯くあたしに罵声を浴びせる黒白。紅白の方は今のあたしと目が合っているが追ってくることはないようだ、二枚舌に続いて縞尻尾にまでしてやられたのに追ってこないとは。見逃してもらえたと考えるべきか、おねだり顔でのおねだりが通じたと考えるべきか。後者にしておくか、その方が巫女の事をもっと好きになれそうだ。

 取り敢えず帰るかね、雷鼓をたたき起こして曲がった矜持を直してもらおう。少し強めに叩いてもらえればすぐに元に戻りそうだ。

 

~少女帰宅中~

 

 叩き起こしたせいで少しばかり機嫌が悪かったのか、少し修正してくれるくらいでよかったのだが随分と激しかった。胸やら鎖骨やらに歯型まで残してくれて、マーキングなどされなくとも他を相手にすることなどないのだが‥まぁいいか。

 朝になったが目覚めない昨晩のあたしの奏者はそのまま寝かせておいて、寝ぐせ頭で下着とインナー姿のまま寝起きの一服を済ませてもらったヒントをこじつける。

 必要ないとはどういう事か、考えても答えが出ないなんていうことはないだろう。あの人が掴んでいるのか掴んでないのかなんて胡散臭くてわからないからそこは考えなくてもいい。

 では改めて必要ないとはなんだろか、おねだりしてソレをくれたのだから何かしらの意味があるはずなんだが欲するものに対して必要ないと答える場合とは?

 ヒントが必要ないと言ってくれた、ならば答えを知っている事になると思うがどれがその答えだろうか。あの時考えていたのは打ち出の小槌の事で、小槌の力で物に力を宿せれば持ち主を変えても能力はそのままに出来るんじゃないだろうかという仮説だ。

 けれどこれは穴だらけで説にならないはず、小槌を使えるのはあの小さなお姫様だけのはずで小槌の魔力も未だに回収期の中だ。姫も大きくなっていたから魔力も戻っているのかもしれないが、小槌の燃費がわからない以上どれくらいの代償でどれくらい益を得られるのかもわからない。

 さすがにざっくり過ぎるぞ紫さん、今も見ているならもう少しヒントが欲しいところだ。

 

「覗き見しているなら代金分くらい教えてほしいわね」

 

 言ってみたが現れない、さすがにおねだりしてすぐでは出てきてくれないか。なら別の物で釣り出すか? 餌にするなら何がいいか、式とは違って油揚げでは釣れないしお揚げさんの代わりになる物‥精進料理なんかだと代用品として油揚げを使うこともあるらしいが、代用品の代用品なんて思いつかない。似て非なる物を考えるのもまた難しいものだ、同じ大豆なら雁に似せて豆腐で作るがんもどきなんてのもあるけれど、あれはあれで違う食材だし油揚げよりも個人的には好みだ、おでんや煮物に重宝する。

 そういえば季節も変わってしまって屋台でおでんが食えなくなったな、出汁から教わり試してみたがどうにも同じ味にならない。聞いた通りの物を使い教わった通りに作るけれどなんでか足りないもう一味。あれか、女将の出汁とかいれてるんだろうか。雀酒なんて復刻させるくらいだし雀出汁なんてものもあるのかもしれない‥いや、ないな、さすがにそれを売るほどあの子は汚れてはいない気がする。

 さて、何を考えていたっけか。いいか、取り敢えず一服して落ち着こう。手の平で葉を纏めて煙管の先で受け取る仕草、目を閉じていても受けられるくらいに慣れた物で煙管が変わっても問題なく出来る仕草だ。そういえば前のは掃除をサボっていたから詰まり気味だった、失くしてくれて新しく成したからかこっちはもう少しサボったままでもいけるなと、二本目の煙管を眺めてふと気がついた。スキマに消える間際に何故煙管を見たのか、これがヒントか?

 しかしそれでもざっくりだ、ヒントであってヒントでない。むしろ紛らわしくて厄介だ、聞くんじゃなかったかね。後で何か振る舞うなんて面倒が増えただけで何の益にもならないが、約束してしまったし破ると更に厄介な事になるだろうし‥煙と一緒にため息を吐くとそれを目覚ましにでもしたのか、赤い頭が起きてきた。

 

「おはよう」

「おはよ、早いのね」

 

「痛くて起きたのよ」

「そうしろって言うから‥‥まぁいいわ、お腹空いた」

 

 寝起きで言うことがそれかと睨むと子供のような無邪気な笑みでねだってくれる、ちょっと前は保護者面だったはずが可愛らしく戻しすぎたか? まぁいいやと気にせずにテキトウに食材を漁った。最近は二人で屋台に通うことが多く碌な食材がない我が家、すぐに食べられそうな物は残っていた干ししいたけに昨日永遠亭からくすねてきたおにぎりとアクを抜いただけの筍、ついでにくすねた干した川海老二尾くらい。

 竹林で川海老なんてと思ったが、人里を流れる川の上流でも採れるし妖怪のお山で結構採れる。海にいる海老とは違って体が細くて手が長いが味は大差ないし、気にせずこれでいいか。海老としいたけをそれぞれぬるま湯で戻している間に筍を薄く切りそのまま細くテキトウに切る、戻したしいたけも同じくらいの大きさにしてまたサイズを揃えた二つをテキトウに炒める。海老も海老でテキトウなサイズに刻み後から入れた少し炒めて、戻した汁を少し足して具材と絡めて少し煮詰めた。軽く塩を摘んで味を整えた後片栗を挽いた粉でとろみをつけて、焼いて少し焦がしたおにぎりにかけて終わり。

 料理名なんてないテキトウな物だが、食えればなんでもいいだろう。くすねてきたおにぎりも五つほどあるし、昨晩使ったエネルギー補給に炭水化物はいいかもしれない。

 椀によそって手渡そうとすると、雷鼓が受け取る前に小さなスキマから腕だけが生えてきて椀を奪われすぐに消えた。後でと言ったが昨日の今日か、どうせならもう少しまともな物を作った時にしたらいいのに。別の椀によそって渡すとスキマの消えた辺りを見ながら手を伸ばしてくる、気持ちはわかるが気にしたら負けだ。 

 

「八雲紫? また覗いてたの?」

「またじゃないわ、常に、と考えていたほうが気が楽よ」

 

 そんなに暇じゃあないけれど‥もう少し濃い目の味付けのほうが好みね、なんて文句と嫌味でも言いながら奪った朝餉を食う姿が見える気がする。紫さん用に作ったものではないし朝餉だ、改善されて昼型にはなってきているが朝から濃い目の味付けで食えるほど元気ではない。薄めの味をかっこんでいると住まいの外で風の鳴る音がした、新しい記事が出来たのか、それともネタ探しに来たのか。どっちにしろ朝から喧しくなりそうだ。

 

「おはようございます、今朝も新鮮な情報をお届けする清く正しい射命丸です、さっそくお聞きしたい事が‥朝餉中でしたか、済んでからにしましょうかね」

「おはよう文、朝餉は済ませた?」

「朝から元気ね、文さん。おはよう」

 

 天邪鬼のせいで朝も昼も食べる暇がないという清く正しい射命丸、湯のみとは違ってさすがにお椀まで多く置いてない。ちゃっちゃっとかきこみ咀嚼しながら使っていた椀を洗って残りをよそい差し出した。鳥は使ってないと伝えながら手渡すと両手を合わせて食べ始めた、流しに腰掛けて食後の一服を済ませているといつの間にか流しに返ってきている奪われたお椀。いただきますもご馳走様もないがいつもの事だ、煙管咥えて洗うと赤い方も食べ終えたらしい。

 ついでに洗うからと手を差し出すが、目覚めた位置から動かずに下半身は布団で隠したまま腕だけを伸ばしてくる。さては昨晩のまま寝こけたな、ニヤニヤしながら記者を見るとしかめっ面で雷鼓に睨まれた。まだ言わないから安心して欲しい。

 無言で箸を進めてすぐに食べ切った文と合わせて二つ、煙管咥えて洗っていると似たような髪型二人で天邪鬼の話を始めた。他の進捗状況はどうなのか少し盗み聞きしよう。

 

「湖、寺、竹林と来て次は何処でしょうねぇ」

「妖怪の山とか、同じ所で見てないし」

 

「ふむ、確かに怪しいですね。雷鼓さんは今日はどちらへ?」

「最初にやられた身内の様子見、今日明日辺りには動けるようになるって永琳さんから聞いてるし」

 

 三箇所逃げまわり次は何処で見つかるか、順当に考えれば雷鼓の言う通り新しい場所に行くだろうがそうやって素直に逃げるだろうか?

 逆さま大好きな捻くれ者だ、それなら同じ場所にでも顔を出すかもしれない。だとすればまた人里かね、湖組は今日明日で動けるようになるらしいし、昨日の今日で竹林は注目されている。それなら寺のある人里か、あたしならそう動く‥がこの考えをひっくり返して新しい場所に逃げるかもしれないし、うむ、考えるだけ無駄だ。

 無駄な事を考えるならそれ以外を考えよう、朝方一人で考えていたのはなんだったか、口から煙を漏らしていると左手に視線を受けながらブン屋のインタビューが始まった。

 

「あやや、煙管を変えたんですか? 新しい物のようですね」

「失くなっちゃったから二本目よ、失くした方は天邪鬼が持ってるみたいね」

「え?」

 

「その話、信用しても? 何故知っているのか、聞いてもよろしいですか?」

「話の出処は永遠亭に行けばいるわ、雷鼓も気にしなくていいわよ。おかげで楽しい逃走劇を見られているから、むしろ褒めたいくらいだわ」

 

 かわいい丸文字で書かれたよくわからない羅列が続く記者の手帳、卓に戻り可愛い字を盗み見してクスリと声を漏らすと背後に隠す天狗記者。ネタの提供をしたのだから笑いのネタくらい提供してくれてもいいのだが、文をジト目で見ているとあたしは赤い方からジト目で見られた。褒めたのにジト目で返してくるなんてなんだろか。

 

「昨日も不思議に思ったんだけど、それって失くした煙管を戻したんじゃなかったの?」

「本数で言えば、二本目になるかしら」

 

「‥私も騙されてたの? 昨日の人間も騙したの?」

「嘘は言っていないわよ? 雷鼓には『いつでも形取る事が出来る』と言っただけで、永遠亭では『愛用しているのは一本』と話しただけ。特に肩入れもしていないし、どう捉えたのかは知らないけど結果騙せたみたいね」

 

「朝から椛も食べない喧嘩など、やめていただけませんかね」

 

 睨む雷鼓と目を細めるあたしの間に割って入ってくるお山のわんこの飼い主、やる気を削がれたのかツンとそっぽを向く嫁さんは放っておく。文がいる限り布団から逃げられないだろうし、逃げれば激写が待っている。回避できない覗きは兎も角写真に残されるのはさすがに嫌なのだろう、お陰様ですんなりとバラせてありがたい。

 騙したと怒られてまた逃げられては堪らない、本当にいいタイミングでネタばらしが出来た。

 安堵の一服をしようと煙管を咥えると、それを見ながらまた二人でなんやかんやと話し出した。

 

「綺麗に騙されましたね雷鼓さん、お怒りはご尤もですがこのバカと付き合うなら深く考えない事ですね、付き合いの長い者からのアドバイスです」

「その方がいいみたいね」

 

「このバカは楽しければなんでもいいのです、それが例え貴女相手でも変わる事はないでしょう‥‥ですが、直接言葉にはしないかもしれませんが大事にはされているようですよ? 私達に土下座して記事を書かせるくらいには想われているようで、おぉ熱い熱い」

 

 少し考えて言葉の意味を理解したらしい雷鼓に呆れ混じりの色のある視線で見られるが気にはしない、代わりに伝えてもらえたしわざわざ言う事でもない。

 それよりも良い発想を得られた、同じ物でも他者から見ればそれぞれ別の違う物に見えるということだ。失くした煙管もそれを象っている手元のこれも同じものだが、元の物が真作だとすればこれは贋作だ。

 あいつが盗んだ物達が、手元のこれと同じように贋作として作り直されていたらどうだろうか? 持ち主はあいつに代わりあたし達の手元を離れれば追えない理由になるかもしれない。

 何らかの方法で作り上げて同じ力を発現出来るよう作り直すことができたら?

 まともに考えれば無理な話だがひっくり返して考えれば、そう無理な事ほど楽になる。今までで使ったと聞いた物は布と傘とあたしの煙管だ、他の物も未だに持っているのだろうが使われたという相手に会っていない。

 なら他は置いておいて使用済みの物に一旦絞ろう。布も出先がわからないし一旦除外する、残った紫さんの傘とあたしの煙管、これらを作り直すならどうするか?

 河童連中なら作れそうだが、なんてそんな事を考えているとパシャっと一枚フラッシュが焚かれた。嗜好の霧の中に身を投じる前に晴らしてくれたフラッシュ、こちらに構わずもう少し雷鼓を構ってくれていればいいのに。

 笑わずに悩む真剣な表情、それが珍しいのか卓を囲んだままの近距離でフラッシュが焚かれて目に痛い。

 光で惑う目を細めてフラッシュの原因を睨むとまた煩く始まった。

 

「古狸の悪巧み、天邪鬼の写真が取れなかったらこれで行きましょう。今日はもうすぐ戻らないとなりませんし」

「天邪鬼の姿を収めたいのね、そうよね、文字だけで姿を写した記事がないものね」

 

 昨日譲ってもらった新聞を手に取り卓に放る。赤蛮奇がしてやられたという記事で、一面を飾っているろくろ首は見慣れた赤い洋服部分よりも肌色の部分が多く写っている。

 何処からか聞きつけて取材に向かったらしいが時既に遅くボロボロになったデュラハンと、同じく焦がされた響子ちゃんしか見つけられず、仕方なしに目を引く色っぽい方を一面の写真にした記事だ。

 

「まるで次に出る場所が分かる言い草ですねぇ、本当に肩入れされてはいないんでしょうか?」

「雷鼓の邪魔はしないわ、他はどうでもいいけど」

 

「ふむ、歯型も隠さず惚気も見せて私にネタを押し付けてきますねぇ‥無料より高い物はありませんし、私から何を聞きたいんでしょうか?」

「河童連中以外で手先の器用な者っていたかしら? 針仕事や鍛冶仕事が上手な誰かなんて知らない?」

 

 モノ作りで思い付くのは発明バカくらいだがあの河童のにとりも追う側だ、にとり以外で誰か協力者がいるという線も否定は出来ないが、紫さんのご褒美の方がオイシイと理解しているだろうし、わざわざ危ない橋を渡る程愚かな連中じゃない。

 ならば彼女達以外で傘や煙管を作れそうな者、例えるなら縫製や彫金に鋳造に長けた者辺りだろうか。河童以外で針仕事や鍛冶仕事に明るい者がいないか知りたい。

 

「鍛冶仕事なら小傘さん、針仕事なら‥形は違いますが道教の仙人様なんてどうでしょうか?」

「……布ではないけど芳香も縫い物の一つか。小傘の方は初耳ね、あの子にそんな特技あったの?」

 

「伝聞したところですが霊夢さんの針を打ち直したとか、金銭を得られるくらいの出来だそうですよ」

 

 伝聞記者の言う事だから眉唾な部分もあるだろうが信用してもいいかもしれない、娘々の方は見知っているし小傘の方も話しの中に巫女がいる。

 妖怪と繋がりがあるというマイナスイメージがある噂だ、あの巫女が知れば火消しをするだろうが口の早いこいつが知っているという事は消す理由がない、真実だから消せないという事かもしれない。

 なら聞きに行ってもみるのもアリか、娘々も鬼役だが墓場に居る事が多いし忘れ傘のついでに何か聞けるかもしれない、少し顔を出してみるか。

 

「そういえば戻るなんて言ってたけど、お山で大人しくするつもりなの?」

「癪ですが上司からの命令ですからね、雷鼓さんの仰る通り次はお山に来るかもしれない。その為の警戒を皆でしなければならないのですよ」

 

「普段は気にせず飛び回っているのに、素直に聞くなんて珍しいわね」

「誰かさんのように荒らさず居るだけなら目を瞑る事も出来るのですが、荒らされるとわかっていては警戒せざるを得ないのです」

 

「それでも抜け出して来るのね、うちに来た所でなにもないでしょ?」

「遊びの始まった当日、発起人と何かを話していたのは見逃していませんよ? 賭けの件からグルかと思い少し泳いでもらったのですがどうやら違ったようですし、今は時間もなくなりました‥後でまた遊びに来るわ」

 

 最後だけ普段の顔を見せて立ち上がる新聞記者に、子守り頑張れと伝えると煩いバカとだけ言い返されて笑顔で帰っていった。

 お山が荒らされて可愛い可愛い妹にもしもの事があれば、なんて素直に言えば可愛気もあるのに。人の事を直接言葉にしないバカなんてどの口が言うのだろうか、お互い様だろうに馬鹿烏。

 烏が泣く事がないようにさっさと帰った文のお陰で少しだけ仮説が立証できそうなネタも貰えた、早速行ってみたい所だが悪戯顔でこちらを眺めている赤いのはどうしようか。

 文が帰ったのに着替えずにそのままでいるパーカッショニスト、騙してごめんなさいと言葉にすれば許してくれるらしいしさっさと謝っておこう。三指ついて綺麗に土下座しそのまま素直にごめんなさい、ヨシと言われて頭をあげようとするが後頭部を撫でられて寝癖を直され動くに動けない。

 出かけるつもりだったがもう少しこうしているのも悪くない、昨晩の激しい修正も良いが曲がった髪を優しく直されるのも心地よい。



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第百二十四話 舌を打たされ笑みを得る

 暖かな春の日差しを浴びながら、赤い布の敷かれた長腰掛けでまったりとする卯月の頃。

 正面には川沿いに植えられた緑の柳並木が見えて間に数本染井吉野(ソメイヨシノ)も見える。視界に入る緑とピンクのコントラストが美しくいつまでも眺めていたい物だが、満開に咲いた染井吉野(ソメイヨシノ)はもうすぐ散り始めて柳の緑だけになるだろう。風に吹かれて花を散らし枝から川の水面へと染める場所を変えていく桜の花びら、潔い散り際も散った後でも美しいとは、有終の美を上回るなんて美にストイックで妬ましい。

 そんな妬ましいコントラストの姿だが、あたしの正面以外でも散り際が見られる、同じ長腰掛けに腰掛けて緑の葉に包まれたピンクの道明寺を口内へと散らしていくオッドアイが横に見える。

 追加で頼んでは散っていく緑とピンクの和菓子を見ながら自分も長命寺を頬張る、道明寺も長命寺もどちらも同じ桜餅だが形ともち米のつぶし具合が違うだけだ、粒餡の苦手な自分は生地がはんごろしになっている道明寺が苦手で食べるなら長命寺と決めている。

 またあたしの我儘で長命寺を作らせたなんて思われそうだが、今回はあたしの我儘ではない。道明寺は永遠亭が人里と繋がりを持ち始めてから作り始めた、平安の都で食べたあの和菓子が食べたいと我儘を言った何処かのお姫様のせいでラインナップに増えたものだ。

 長生きすると普通は丸くなるもんだが人外はちがうのかい?

 ここの爺さんに聞かれたが苦笑いするだけで何も言い返せなかった。

 小傘が最後に頼んだ五皿目を待っている今、すでに八個ほど食べて少しは満足したのか追加するのをやめた茄子妖怪、墓場に会いにいくつもりがいつかの正月の時と同じく甘味処の端に隠れていた。雪もなく身を隠す物もないから見える地雷となっていて驚かす事は無理だろうと眺めていたら、こちらに気がついて挨拶する前からこれでもかとどやされた。いつになったら迎えに来るのかと罵られて何のことかわからずにいたら、妙蓮寺に置き忘れている蛇の目の事でお怒りらしい。

 言われても思い出せず暫く悩んだが、そういえば面霊気を迎えに行った時に使った物があったなと思い出して、あれは寺に帰った時に使うと方便を説いてみた。寺住まいでもないくせに帰るとか言うなと輪を掛けて怒り始めたが、住職からはいつでも戻ってきていいと言われている旨を話すと、それでも置きっぱなしはやめてくれと泣きそうな顔をされてしまい、お詫びのつもりでそのまま甘味処で奢る事になってしまった。

 

「よく食べるわね、食欲に驚いたわ」

「お、本当に驚いたね? 今ので腹八分目くらいかぁ、もうちょっと食べたいなぁ」

 

 お茶を啜って腹を撫でツヤツヤの顔で笑う小傘、今の見た目だけなら人里のアイドルと言い切ってもいいくらいの笑顔だ。普段は何処で誰を驚かしても誰にも驚いて貰えず、腹を空かせてばかりいる唐傘お化け。最近は里の子供に対してベビーシッターなんて事もやっているらしいが今はいい、その辺の話は追々掘り返して笑ってやるとして今日は目的があるし、機嫌が良くなった今のうちに聞いてみよう。

 腹を擦ってげふぅと漏らす少し下品なアイドルと同じく、吸った煙をふぅと吐いてモヤモヤさせながら、あたしの内のモヤモヤを晴らしてもらう事にした。

 

「小傘、最近仕事した?」

「何? 毎日してるけど上手くいかない事ばっかりよ!」

 

「そっちじゃないわ、副業。特技の方よ」

「特技って‥‥何々儲け話? 巫女の話は散々だったからあれならなんでも作るわよ!」

 

 狙った食いつき方ではないが食いついてくれたのならそれでいい、小傘自身の口から巫女の名前も聞けた事で益々聞いてみる価値が出てきた。後は天邪鬼に対して仕事をしたのかどうか聞くだけなのだが、そう焦ることもないか。

 注文はまだ揃いきらないし件の天邪鬼も未だ姿を見せない、読みが正しければ次に来るのはまた人里だと思うのだが‥そっちも焦ることでもないか、まだまだ元気そうだし盗品も使いきっていない。何かしらの力で一時的に使えるようにしているのだろうから、それが切れて焦れた頃にユルユルと顔を出して褒め称えられればそれでいい。とりあえずまずは小傘だ、すんなり引き出すなら儲けの話が一番かね。

 

「儲け話か、残念ながらこれといってないのよね」

「なんだ、また里で騒ぐのかと思ったのに」

 

「そういえばあの時は見なかったわね、何してたの?」

「事八日の後始末よ、巫女のせいでやりきれなかったお仕事を納期遅れで頑張ってたの」

 

 事八日、人間の言う行事名に合わせれば針供養・八日吹き・薬師払いなどと言い伝えられている日にちの事。嘘払いなんていい方もされていて吐いた嘘を帳消しにする意味合いもある日だ、あたしにとってもありがたい日。放っておいてもついた嘘をなかった事にしてくれるなんて素晴らしい日だ、四月朔日(エイプリルフール)もそれなりに楽しめるが午前中だけ許されて午後はお預けなど焦れったくて堪らない。と、また話がそれ始めた、本筋に戻す。

 それで小傘の言う事八日だが、小傘達の種族らしく言えば一つ目の妖かし共が力を増して年で一番力を高められる日にちと聞いている。小傘は可愛らしいお目々が二つあるが片目は髪色と同じ色合いで、目と認識しなければ赤い方の一つ目唐傘お化けと見えなくもない‥大分苦しい気がするが、当人がそのつもりなのだからそれでいいのだろう。

 そんな力の増す日には人間相手に営業のドサ回りをして仕事をもらい、その年の暮らしを賄うだけの儲けにありつこうと躍起になるらしい。普段は気弱で追い返されてばかりだが、この日はそれなりに強くなり我を通して仕事を受けられるのだそうだ。しかし我を通す相手が悪かった、今年はあの紅白から仕事をもらえたらしいが針だけ取られてその針で散々な目にあった、というのが文から聞いた噂の真相。

 随分と不憫なお話だ、あたしでなくとも哀れに思い和菓子の一つや二つ奢ってやりたくなるというものだ。自力でなった付喪神なのに何故か力の強くないアイドル妖怪 多々良小傘。

 力はないが特技はある、ついでに言えば煽てに乗りやすくあれに利用されるには絶好の妖怪だと言えよう。縄張りが少し特殊で視線が多く力ある聖人住職のお膝元というのがネックだが、あたしの起こした騒ぎの間なら視線もないし人気もない。

 昼間に訪れた時には動く死体とその作り手くらいしか墓場にはいなかったが、本番である夜の内、集まり騒ぐ皆に反逆し静かに小傘に近づいて言葉巧みに依頼した‥

 そんな読みで来てみたわけだがどうやら外れか?

 納期遅れというくらいなのに、突発で入った見知らぬ妖怪の話に乗るだろうか?

 儲け話だとしても年に一度の稼ぎ時、やらかせば翌年からは貰えない仕事の中で追加で受けるだろうか?

 いくら煽てに乗りやすい小傘でもないと思う、取れるだけ取るような狡猾さはこいつにはないしあったとしても実行する相手が違う。実行するならもっとわかりやすい相手、見知った相手から始めるはずだ。太子のお目覚めのせいで集まってしまった木っ端の心霊共の退治を他者にお願いするくらい腕に自信のない唐傘お化けなのだから、いくら儲け話といえども知らぬ相手から切羽詰まった時に依頼を受ける余裕なんてないだろう。

 ならこの説も見当違いか、致し方ないが今日はいいとするか。こいつも最近相性のいい付喪神だ、恩を売って仲良くしておけばそのうち良いことがあるかもしれない。

 あの時はギリギリで危なかったと笑顔で語る驚天動地の唐傘お化け、人を謀り驚きを糧にする妖怪として、人間からの依頼で満足感を覚えるのはどうかと思うが仕事に対しての矜持は見えるし素直にそこを労うべきか

 

「大変だったのね、一本足で蹈鞴(たたら)を踏むのも疲れるでしょ?」

「そうなのよねぇ、この間の異変みたいに小槌の力で勝手に動いてくれると楽なんだけど」

 

「付喪神の使う物が付喪神化してたの? 中々面白い状態だったのね、見てみたかったわ」

「打ち出の小槌でも持ってればまた動くんだけど‥私は作れないのよねぇ、あれ」

 

 棚から忘れ傘が開いて降りてきてくれた、打ち出の小槌が他にもあるのか。しかも小傘でも扱えるらしい代物だというが本物ならあのお姫様にしか使えないはずだし、あの代償はどうするんだろうか。用途も効果も同じ物ならその代償も同じはずだ、気楽に言えるようなものではないとあのお姫様の様子が語ってくれたのだが‥聞けばわかるか。

 

「打ち出の小槌って言っても、あれは一寸のお姫様くらいしか使えないんじゃないの?」

「そこはあれよ、贋作だもん。偽物なら使い手が偽物でも使えるわ」

 

「へぇ、贋作なら代償もなかったりするの? 本物の持ち主は代償払ってちっこくなってたけど」

「なんか、食い付くね‥‥もしかして疑われてる? このままさでずむな流れだったりする!?」

 

 破顔した顔から一点赤と青の瞳に怯えを描く臆病な忘れ傘、空きっ腹の時には人のことを叱りつけてきたくせに腹が満ちると頭も働くのか一応おっかない妖怪だと認識してくれているようでなによりだ。仰る通りこのままさでずむな方向へ行くのは簡単だけれど同じ驚きを提供して愉悦を味わう者だ、出来ればそっち方向でさでずむな流れにしたい。このまま泣くにしてもどうせなら笑い泣きの方が見たい、そんな手も降ってこないかね?

 燻り始めたさでずむ心を抑えようと、煙管咥えて煙と共に高まるさでずむを宙に吐いていると頼んだ最後のお皿が届く。涙目で少し怯えている小傘へと伸ばされる皿を受け取り薄笑い、皿と笑みを見比べる視線を確認してから瑞瑞しさを見せる桜餅を摘み一つ頬張る。ゆっくり咀嚼してまた薄笑いを浮かべると、本来小傘の腹に収まるはずだった桜餅を思ってか瞳にじんわりと涙を浮かべ始めた。

 泣くほどの事ではないと思うが可愛い顔が泣き出す瞬間は誰であっても堪らない、早く零せと煽るように口角を上げると口角以上に耳の鎖を持ち上げられた。

 

 持ち上げてきたのは皿を運んできたここの孫娘、イジメは良くないと寺子屋で教わったばかりのようで、溢れんばかりの義侠心を握る鎖に込めて持ち上げられて耳が取れそうだ。ここの爺さんといい孫娘といいあたしを何だと思っているのか、オッドアイに負けないくらいの涙目で睨むが幼い少女らしくない真っ直ぐな瞳に負けて、両手を開いて見せるとどうにか開放してくれた。二度ほど手を叩きながら払い、あたしが受け取った皿をぶんどると小傘へと突き出す孫娘。形はまだまだ幼いが立ち振舞はどこぞの世話焼き教師まんまで涙目ながら小さく笑うと、次は不意打ちでげんこつをもらう。拳の持ち主は言わずもがな、殴られた所を撫でながら拳の持ち主を睨むとこちらも腕組みした姿勢が誰かさんにそっくりだ。石頭の教育は昔から続いていてしっかりと行き届いているようでなによりだが、こういう形で確認したくはなかった。頭突きでなかったのがまだ救いか、慧音とは違ってクッション代わりの毛がない爺さんだ、慧音以上に響くかもしれない。

 世代の違う人間に睨まれて涙目になるあたしに驚いたのか、すっかり涙を引っ込めて腹を擦る唐傘お化け。自身の驚きでも腹が満ちるのか、どこぞの嫉妬お化けも自身の嫉妬糧に出来るようだし案外オイシイのかもしれない。

 

「‥‥お望み通りさでずむな流れになったわね、満足した?」

「へっへっへー、涙目で嫌味言ってもなんちゃないわ! 大満足ね、わちきパンパン!」

 

「……後で覚えてなさいよ」

 

 負け惜しみを言ってみてもカラカラと笑うだけの唐傘お化け、菓子を平らげたあと以上にツヤッツヤの、搗きたてのモチ肌で快活に嗤う姿に対して大きく舌打ちをくれてやると、右目を瞑り可愛い舌を出してあっかんべーと嘲る少女‥これ以上言っても後は恥を上塗りするだけだ、ここは可愛いさに負けた事にしてさっさと逃げよう。

 負け惜しみは吐いたわけだし、後は尻尾を巻いて逃げるだけだ。

 

~少女移動中~

 

 ヒーローにやられて捨て台詞を吐いた三下らしく、悪の幹部の元へと帰るつもりで向かった先は寺の墓場。邪な親分を探してみたけれど見当たらず、視界に映るのは同じ戦闘員の動く死体が漂っている姿のみ。今日も今日とて教団の縄張りを守るように彷徨うキョンシーに軽く手を振ると、ピンとまっすぐに伸ばしたきりの腕でブンブンと返してきた。覚えたのか札に身内とでも書いてあるのかよくわからないが、そこは気にせずにおこう。

 暫く待ったが幹部は戻ってこないので、お日様も傾き始めた事だしそろそろ帰るかと腰掛けていた死んだ誰かの別荘から降りて立ち上がると、隣にふわりと誰かが現れた。

 姿を見せたのはひらひらとしたお召し物とあらあらと笑む姿は似ているが、本来ならばお墓とは無縁なはずの亡霊のお姫様、冥界の住まいから出てくる事など…結構あるが人里で見る事など‥この間もいて飲食店に暴食という死を届けていたか、まぁなんだ、なんでまたここに来た?

 

「お墓に入るくらいなら私のお腹の方が居心地良いわよ、アヤメ」

「三下は死なないってのが相場なのよ、残念ね」

 

「三枚おろしになっても死なないの? それじゃあ一枚くらいいいじゃない」

「噛み合わないからもういいわ」

 

 ケチ、と言い放ち歯を噛みあわせてイーッと吠えるお姫様、いいとこの御嬢様がする表情ではないと思うが胡散臭いあれの親友なのだし、変わっていても仕方がないか。少し冗談交じりに話して教えてくれたのは紫さんからのお願いで顔を出しただけだという事。

 宴会の人気投票でも一票従者がいれただけで本人もやる気はないらしい、発起人の隣で微笑んでいたのだからそれも当然か。やる気はないが今日は親友のお願いでふらふらと人里を歩いているようで、買い食いまで禁止されて少しだけ不機嫌だったらしい、会話の始まりといいやっぱり会話できる食料だと思われているんだろうか。 

 数匹の蝶々をあたしに向かって悪戯に放っては微笑む亡霊姫、逸らして体に触れる事はないけれど気軽に死をお届けしないでほしいものだ。言いつけを守り食べていないのか獲物を見る目で見られても困る、紫さんには盗み食いされたが年が明けてから幽々子には振る舞っていないしここは帰って何か作るか。今から帰って作り始めれば幽々子の散策帰りに間に合うだろう。

 

「帰りに寄るなら何か作るけど、リクエストはあるかしら?」

「た‥‥」

「今のは忘れて、またね。幽々子」

 

「もう、気が早いわよ? 筍がいいわ、紫が美味しそうに食べていたもの、私の分はないのに一人だけよ? ズルいと思わない?」

 

 はいはいとテキトウに会話を切ってさっさと帰る、また後でと踵を返して尻尾揺らして朗らかな顔で里の商店で食材を仕入れた。買い足したのは多めの野菜と厚揚げに数人分の朱鷺の正肉、前者は盗み食いしたやつの式から、後者は今朝食べていった記者から思いついた食材で、なんとなく目について買った物。

 誘った手前だ、出費は気にせず手持ちで買えるだけ買って大荷物抱えて沈みかけたお天道様に向かい飛び、ふらふらとしながら家路に着いた。帰りに考えた献立は筍というリクスエストから永遠亭でくすねた残りの数本分を使った筍ごはんと含め煮くらい。筍が掘り出してすぐなら刺し身もいいがいつ掘ったのはわからないし、三枚おろしと聞いた後で刺し身を出すのは縁起が悪い。

 獲物としてみるのは諦めてくれと言い含めてコトコト煮ようと考えた、幽々子が来るならまたあっちも来そうだし、少しばかり本気を出してきちんと旨いと言わせてみようか、小傘のお陰で仕入れられた小槌の件もあるしそっちを考えるのも楽しみだ。

 家に戻ると灯りが見える、玄関の戸を開けずとも聞こえてくる雅楽器の音で誰が来ているのかはわかった。両手が塞がり戸が開けられないのでブーツで蹴って帰りを知らせて、姉楽器に開いてもらった。そのまま荷物の片方も渡してついでに仕込みも手伝わせる、なんで私がと文句を垂れたが妹の快気祝いなら手料理くらい振る舞えと強引にこじつけると、少し悩んで渋々手伝い始めた。

 いつもよりも時間は掛かったがそれなりに出来上がり後は来訪を待つだけとなったが、日が落ちて怪異の時間が訪れても一向に姿を見せない亡霊の姫。釣ってかかった筈だったが針の返しが甘かったかね?

 作っただけでお預けもなんだしと楽器組には先に食べ始めてもらい、再度墓場へと迎えに戻った。

 

 戻って見れば墓場の入り口から確実に一悶着あったなというのがありありとわかる状態だ、墓場を囲う壁は穴だらけで壁という役割を放棄している。十数カ所ほどランダムに開いた仙人の抜け穴が少しずつ埋まって戻っていく中飛んでいるのは桜の花びら、風もないのに桜吹雪などと思ったがよくよく見れば弾幕の花びらでどデカい扇を背負い誰かを追い詰めていく幽々子が見える。青と赤の螺旋の弾幕と花びらの弾で夜中なのに明るく見せる弾幕の量が、今日がかくれんぼの終わりかなと思わせてくれた。

 

 幽々子が追う者などアイツ以外におらず出会った鬼役が悪かったなと、死後を管理してくれるお姫様が自らお迎えに来てくれたのだから素直に逝け、そのうち冥界へと褒めに行ってやる。美しい死の扇を眺めながらニヤついていると弾の灯りに照らされて一角の赤が目についた。身に届けられる死の弾を逸らして寄ればバラバラ殺人の事件現場となっていて、何かに殴殺されたように四肢を弾けさせた芳香のパーツをせっせと縫っていく邪な悪の幹部が見える。

 

 近寄り話を聞こうと思ったタイミングで幽々子の弾幕と扇を掻き消す光が瞬いた、黄色い球体が爆ぜるまで視認したはいいが、マトモに光を見たせいで目が眩み視界が奪われてしまい動けず、さすがにマズイと能力を行使して向かってくる矮小な妖気を全力で逸らす。何かが風切り音を上げて立っていた墓場の砂利へと振りぬかれると地を砕く音がした、飛び散る砂利が体や頬を逸れて飛んでいくのがわかる。少しずつ戻る視力で捉えたのは、下卑た笑みから出される赤い舌と地を叩いた衝撃で揺れる赤い一房の前髪。

 生意気な二枚舌を見せて再度丸い球体を放ると、放物線を描いて落ちる球体の白いリボンが地に触れた。それが起爆のスイッチとなり再度光と音を周囲に響かせ光の中へと消えていた天邪鬼。 

 爆風と轟音は逸らせるが光を逸らせば視界が死ぬ、そう思い光は逸らさずにいたが悪手だった。既に半分死んでいる視界を守った所で意味は無い、結論付けたタイミングで足元の球体が爆ぜ輝いた。二度の閃光で完全に視界を奪われて追うに追えず逃げるに逃げられず、どうにか生きている耳を頼りに奴を探すが脳に響く高笑いが一瞬聞こえてすぐに静かになった。

 

 死後の静寂を取り戻した墓場の何処かで周囲を警戒しながら立つ、鼻と耳に集中しながら爆破の熱で温められた頭を冷やすように少しだけ思考する。白い視界の中でさっきの嗤いはなんだったのかと、動けず見えないあたしを仕留めずに逃げるとはどういう事かと。

 

――あらあら、見逃されましわね

 

 聞き慣れた邪仙の声が耳に届いた、淑やかで楽しそうな落ち着きのある声のお陰で今の自分がどうなったのか理解できた。

 大きく舌打ちしながら声に出さず吠える、あたしも二枚舌に舐められたのか、隙だらけの中で撃墜もされず嘲笑われて見逃されたのかと‥

 あたしを化かして嗤ってくれるとは想像以上で堪らない、高嗤う声が消えていった方向を見えぬ目で睨むと態度が違うと注意を受けた。

 

――見逃された悪役ならば嗤って次回の復讐を叫ぶものよ?

 

 そういえば三下だったなと、悪役ならば悪役らしくしよう。

 仕留めなかった事を後悔させよう、消えた相手に向かい道化のように声高に嗤った。



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第百二十五話 裏付け調査

4日目夜→5日目朝


 真冬の銀世界の中で冬妖怪と遊んでいるわけでもないのに何処を見ても暫く真っ白で参った。

 閃光をまともに受けてから小一時間ほどたったが未だに視力が戻らず、今は座り慣れた誰かの墓石に腰掛けてまったりと回復を待っている。

 随分と騒がしくなったはずなのに寺の皆はまだ姿を表さない、聖と一緒に天邪鬼探しに出ている者もいるだろうが本尊様くらいは残っているはずだ、うっかり気が付きませんでしたというには派手な騒ぎになり過ぎていると思うのだが、あいつが煙管で逸らしでもしたのか?

 いやいや、さすがに物一つでそこまでは出来ないだろう。

 本人であるあたしなら兎も角、愛用品を使った所で能力の応用までは出来ないはずだ。

 あの煙管では意識や視線は逸らせないはず、初めてお山に入った時のように攻撃を煙管で受けて逸らすという使い方しかしていないわけだし、元の持ち主が使っていた以上の使い方は出来ないと思う、出来ても弾幕を受けて逸らすくらいにしか使えないはずだ。

 まぁいいや、考えていても答えは出ないだろうし思い悩んで立ち止まるよりは先にわかりそうなことから考えよう。

 

 まずはあの場にいた者の安否確認か、撃墜されたらしい亡霊姫は何時の間にやらスキマに回収されたらしい、あたしの近くにも回収用のスキマが開いていたようだが視力が戻るまでは能力を解くつもりがなく、そのおかげでスキマも逸れて回収はされなかった。

 折角のお迎えだったがまだここでやる事もあるし、回収されなかったのは都合が良かった。確実にあるとは言い切れないが、あたしをやり込めてくれた唐傘お化けから得られたネタ、それの再確認がしたいと思っていたし今帰れば多分消える。

 消えてしまう前に直に見て確認したいモノがあった。

 

 曇る視野でも気にならない慣れた動作で煙管を咥えて、早く晴れろと視界の靄を口から吐き出していく。病は気からというくらいで吐けば晴れるかと思い込んでみているが、実際のところは煙を纏い慣れた景色に包まれて回復を早めてみただけだ。

 怪我の回復やら外傷を癒やす事に宛がう場合は多々あったが、怪我ではなく麻痺に対しても効果があるとは気が付かなかった。自分に対して言う言葉ではないが気は心というくらいだ、気の持ちようでどうにかなる事も多いらしい。

 生命の神秘ってやつかね、狸としての生の理からはみ出して幾久しいがそうなってから生命の神秘ってやつを感じるなど、いくつになっても驚きや発見があり楽しい暮らしぶりだと感じられる。

 自分でも意識できるくらいに思考が逸れて随分と落ち着いた頃、視力の方も完全とは言わないが回復し、月のない暗い夜でも銀の瞳には十分に景色が映るようになった。

 

 ぱっちりお目目に戻った事だし早速確認しておこうか、探しものは何ですか?

 それほど見つけにくいものではない、あの時逸らした何かの衝撃。

 地を叩き砂利を爆ぜる程の大きな叩く力の跡地。

 墓石に腰掛ける前まで立ち尽くしていた辺りを見やる。

 数歩ほど歩いてすぐに見つけたのは結構な範囲に広がるクレーター。

 あたしの拳よりも随分と大きい何かで掘り起こしたクレータの中心地にアレがないかと探してみた、回復を待つ間に流れてしまうかと危ぶんだがどうにか見つけた魔力の残り香、逆さのお城が異変会場真っ只中にあった頃に逆巻いていた魔力の嵐。

 あれと同質の残り香が微かだが地に残っていてくれた、幽々子や娘々が気が付かなったのはあの異変のには関わっておらずただの魔力の残り香としか感じ取れないからだろうか。

 いや、幽々子は兎も角娘々は気がついているのかもしれない、が気が付いた所でだからなんだという話か。これが繋がる先を知らなければ大して気にするようなものでもないだろう。

  また少し逸れ始めた思考回路を正した頃、残っていた魔力が掻き消えた。

 

 小傘といい正邪といい、大妖怪と言うにはちっこい相手の二人にしてやられたがそのおかげで仮説に自信が持てた。あの天邪鬼は多分贋作打ち出の小槌を持っている、それも代償なしで気軽に振るえるくらいに扱えているはずだ。

 理由としてはさっきの残り香、本物と全く同じだと感じられた魔力の波動は、本来本物に戻るはずの魔力を横から掠め取って使っているから残せるのだろう。

 本物に戻るはずの魔力を奪っているだけで真作のように溜め込んで使っているわけではない。

 横からかすめ取るだけの正しくない魔力の供給経路、その違いが使い手の代償に関わってくるのかもしれない。小傘が贋作なら私でも扱えるというくらいなのだから、この考え方はそれほど間違っていないと思う。

 

 これが正しいのならあたしや紫さんの愛用品が追えないのにも説明がつく、打ち出の小槌に持ち主だけ変えろと願うか、全く同じ贋作を新たに創り出すかすれば、能力を保持したまま元の持ち主に気が付かれないなんて都合の良い物に出来るはずだ。

 あたしの説も都合の良いものだが、都合よく使う盗品を考えるための説なのだからこれくらい都合の良い発想で構わないはずだ…この考えがあっていようが間違っていようがそれはどうでもいい、正誤をつけるというよりも自分を納得させるための論だからだ。

 何処から見ても都合の良すぎる考えだが、これくらいに考えて納得しておいた方が後々で動きやすい、いざ対峙して惑うよりは不正解でも答えを持っていた方が迷いが少ないはずだ。

 いつか正邪が言っていたな。

 

 『詭弁を言ってなんだってんだ、例え姫がそう感じても言った私はそれで全てだ』

 

 それに習えばこれが今のあたしの答えで全てだ、答え合わせをするつもりもないしこう結論付けたのだからこれでいい。

 我儘さで勝てると思うなよ天邪鬼、こちとらお前よりも長く憎まれっ子を楽しんでいるんだ。曲げたりはするが折れることはない、古狸の矜持にかけて次は嗤う側になってやろう。

 

 さて、とりあえず帰るかね、自己完結してスッキリしたしお腹も空いた。

 迎えに出てから暫く経ってしまったが、幽々子に喰わせるつもりで作ったあの量なのだからさすがに完食されてはいないだろう、もしもないなら別の物を喰うだけだ。

 ドラムを主菜に琴それと琵琶の副菜がいるはず、よりどりみどりで堪らない。

 

~少女帰宅中~

 

 舌舐めずりして帰宅してみればそこにいたのは結構な数のお客様。

 留守番を任せたおかずの三人はわかっていたが追加でおかずが増えている、胃が凭れそうな八雲の賢者と亡霊姫が大きな卓毎持ち込んで五人並んで食事中。

 声を合わせておかえりなさいと言ってくれるのはいいがあたしの分は一体何処だろうか、お櫃は既に空になっていて含め煮が入っていたはずの鍋も綺麗に洗われて逆さで水切りされている。

 流しの前にはいつもの腕組み姿勢で立つ九本尻尾、気まずそうに苦笑しながら見てくるという事はまた主の悪戯でもはじまったのかね、隣であたしと主を見比べている二本尻尾の目が揺れていて悪戯の答えを教えてくれたが‥いいか、ここは少しだけ付き合おう。

 亡霊の姫と並んで座りあたしの茶碗を使い優雅に食事を済ませた形跡だけを残す妖怪の賢者、小さなハンカチを口元に宛てがい、言葉では言わず態度でご馳走様と言ってくるタダ食い妖怪。藍の隣に立ちジト目で睨むと更に煽ってきてくれた。 

 

「一緒に戻れば良かったのに、遅かったから幽々子が待ちきれなかったのよ」

「人のせいにするなんて酷いわ、先に戴きましょうって言い出したのは紫なのに。アヤメ、おかわりはないのかしら?」

「おかわりが欲しいの? それならあたしにもなにか欲しいわね」

 

 おかわりを求められるという事は気に入ってくれたのだろう、幽々子に振る舞うつもりで拵えたのだからそこは満足するところだが、迎えの牛車に乗らなかったくらいで夕餉のお預けをくらうとは思わなんだ。

 言葉に出さず尻尾を下げて今の心境を表すと二本尻尾の獣仲間が立ち上がり小さな包を出してきた、包を開けば小さなおむすびが二つ。

 

「あの、私の分なのでちょっとだけなんですが‥」

「橙はいい子ね、気持ちだけ受け取るわ」

 

「でもそれだとアヤメ様が」

「そうね、でも橙のお陰でわかってるから大丈夫よ」

 

 橙に包を戻して隣で苦笑する式の九本尻尾に手を突っ込む、一瞬ピクリと九尾が揺れたのは間違って尻に触れたからだろうか。主の命とはいえどつまらない悪戯に付き合った罰だ。

 少し揉むくらいの役得くらい寄越せ。

 少し弄り見つけた包、橙のそれよりも大きいのが二つくらい包まれているっぽい包物。幽々子に食い切られる前にお櫃を洗いながら取り置いてくれたものだろう、包を掴む前に再度尻を揉んでから包を取り出した。

 おにぎりを見て、あ、という亡霊の姫に包み毎手渡すとすぐに食べきった。気にせず笑顔で頬張ってくれてありがたいがあたしは何がもらえるだろうか、おかわり代わりに幽々子か紫さんから何か欲しい所だが。

 あたしと同じく頬張る幽々子を見ていた赤い頭の嫁に視線を移すと、スキマから見えない位置で両手を合わせていた。そこのスキマに丸め込まれたのだろうがそれはいい、ソイツをマトモに取り合うよりは丸め込まれて流されたほうが後が楽だ。

 腹の足りない分は後で満たしてもらうからそれはそれでいいとしよう。

 食事しながら考察開始と考えていたがないなら仕方がない、とりあえず一服でもしながら仮説の纏めといきたい所だがどうしたもんか、このまま黙れば不自然さ満開になるし姉妹相手なら考え事をしながらの会話でもなんとかなるが…雷鼓に八雲の二人と亡霊相手には無理な話だ、すぐにバレる。

 開き直ってずらずらと話し始めてもいいが、やられた幽々子とあまり動く気のない紫さんは兎も角、付喪神三人組にはまだ話したくないというのが正直なところだ。

 意地悪というわけではない、なにか考えはないかと問われればあたし程度の立てた仮説で良ければいくらでもお答えする。

 だがまだ問われていないし頼られてもいない、ご褒美に対して自力でどうにかしようとしているのだから、要らぬお節介をして押し付けがましい煙たい女だと思われたくない。妖怪としては煙たいがその辺りは言葉の綾だ、気にしないで欲しい。

 それに他者が頑張る姿を見られるのは面白いものだ、何かを求めて追いかける姿は美しく思える、それが愛しい者であれば尚更というもの。

 出来ればこのまま自力で手に入れて欲しいが、ダメならその時は頼って欲しい‥その時の為に色々と動いているという面もなくはないのだし。

 未だ頼ってこないあたしのモノを見ながら少し考える、ネタをばらさず煙に巻きつつスキマと姫からおかわりもらうにはどうしたもんか、悩みつつ吐いた煙を指で巻いているとスキマ組の四人が動き出した、楽器組との会話を聞く限りこの辺りで帰るようだ。

 食うもん食って悪戯して帰るだけとはやりたい放題で何様…

 大家様だったな、ならば仕方がないか。

 

「帰るならご馳走様くらい聞きたいわ、おかわり分は貸しでいいのね?」

「今は持ち合わせがないのよねぇ、御礼代わりといってはなんだけど忘れ物の場所まで送ってあげるわ。それでいいかしら?」

「忘れ物……そう言えば傘を持ち帰れと怒られたわね、届けてくれてもいいんだけど送ってもらえるならそれでもいいわ」

 

 帰りは知らないわ、そう言いながら先にスキマに消えていく八雲一家と腹の満ち足りないお姫様。雷鼓と姉妹にまた出てくると伝えると夜は戻るのかと問われたが、忘れ物を取りに行くだけでそう遅くなるつもりはないが、場合によっては遅くなるかもしれないから、泊まっていくなら好きにしろと話し軽く手を振りスキマへと歩みを進めた。

 

 三歩進んで出る先は寺の玄関もしくは墓場、ではなくて綺麗な枯山水が広がる顕界の外である白玉楼。わざとらしく誘ってくるのだからこうなるとは思っていた、付け足して遅くなると言っておいてよかった。

 綺麗に整えられた玉砂利を踏み荒らして亡霊屋敷の縁側へと腰掛ける、賢者と姫の並ぶ横に座り庭師がいないのを確認してからこうじゃあないかと論を述べてみた、大きな反応こそないが否定はされないのだから見当違いというものでもないのかもしれない。

 

「……というのがあたしの仮説。やられた幽々子に話ついでに聞きたいんだけど、あれって魔理沙の爆弾だけで落ちたの?」

「爆弾で弾幕を消された所を殴られたのよ、たんこぶなんて出来てたら困るわぁ」

 

 天冠付きの帽子を脱いで淡いピンクの頭を下げる、優しく撫でて探してみるとそれらしいのがほんのり膨らんでいる。

 亡霊なのに触れられてたんこぶまで出来るなんておかしな話だが、半分幽霊の従者も触れられるし大根足の全霊も撫でることが出来るのだった。

 常識に囚われてはいけない幻想郷だったな、気にならなかったことにしよう。

 

「殴られたって言うけど何で殴られたの? ちょっとくらい見てないの?」

「アヤメも見てたでしょ? 真っ白でなぁんにも見えなかったわ」

「そうなのよね、あたし達には見えなかったのよね」

 

 誰かの扇子で隠すべき笑みを盗み何も隠さず幽々子の奥に見せつけてみると、間に挟んだピンクの髪から益々似てきて可愛くないわという謎の呪言を吐かれるが、言葉の意味が理解できないのであたしに言われているわけではないとした。

 気にせず笑んで眺めていると眉をハの字にして困るわねぇ、とわざとらしく見せてくる割と困ったちゃん。ハの字に負けず笑んでいると小さく手の平を広げて見せて、蕾をつける庭桜を眺めて余計な事をのたまい始めた。

 

「もう少ししないとお花見できないわね」

「博麗神社が今満開なんだもの もう少し待たないとうちでは咲き始めないわ」

「梅でも植えましょうか‥‥いえ、梅は神社にあるし竹もアヤメの家にいけばいいわね。松にしましょうか」

 

「竹はともかく松じゃお花見できないわぁ、松ぼっくりも食べられないし」

「松の実なら食べられるわよ、手間が掛かるからあたしはパスするけど」

 

 それならいいかもと破顔するお姫様は捨て置くとして、紫さんから少しのおかわりはもらえたし用事は済んだ。

 一服してから帰るかと煙管と取り出すと、いつかのように紫さんに煙管を見つめられた。視線を気にせず葉を手の平から投げるとスキマで奪われ丸め損になってしまう、一服の邪魔してくれてまだ何か教えてくれるのかね?

 

「天邪鬼が持っているなんて、身内だけに答えを教えたりしたら公平な遊びにならないわ」

「あら、不公平な事なんてないわよ? 文に聞かれて答えたの、記事にでもしてくれれば皆も知るわ」

 

「記事にしてくれれば、ね。そうね、確かにそうなれば公平ね」

 

 いつもの扇子越しの笑みに向かい薄笑いを浮かべて返答する、言った通り記事にしてばら撒いてくれれば公平で何の問題もないはずだ。

 天狗衆が警戒態勢に入ってしまいお山から出られない状態だとか、記事に起こしても配りに回る事が出来ないだとかそんな事あたしには関係ない。

 狼女に問われた事を記者にも聞かれて素直に答えただけ、偶々近くに雷鼓がいて偶々問い詰められたからヒントとしてではなく信頼回復の為に答えただけだ。直接聞かれたわけでもないし直接話したわけでもない、故意的な不正ではないしこれで捕まえても褒美なしとは言い切れないだろう。

 そもそも組んではいけないという縛りもないはず、それぞれが動いてバラバラに足掻いているのを見るほうが面白い、その程度の腹積もりのくせに難癖を付けないでもらいたい。

 自分だって幽々子を回収したりして少しの贔屓をしているのだから、あたしがほんの少し贔屓するくらい見逃してもいいだろうに、あたし自身は幽々子と同じでご褒美には興味がないのだし。

 曖昧大好きな境界の妖怪に曖昧な物言いを返すとニンマリと嗤ってくれる、これに似ているなら確かに可愛さはないなと納得し、先ほど呪言を吐いてくれたここの主に見舞いの言葉を吐いて言い逃げする事にした。

 

「あらぬ言い掛かりを受けて傷心だからそろそろ帰るわ、既に事切れてるけどお大事にね、幽々子」

 

 ピンクの髪に手櫛を通して立ち上がり尻尾を腰に巻いてみせるとあたしの前にスキマが開く、帰りは知らないなんて言ったくせにお優しい事だ。疑惑も持たずにスキマへと足を伸ばすと予想していた竹林ではなく、お香の匂いが立ち込める何処かの玄関先へと吐出された。

 

 宙に開いた瞳の空間からぺっと吐き出されて砂利の敷かれた庭先に捨てられた、もう少し静かにポイ捨てしてくれれば音を立てずに回収出来たものを。唐突になった砂利の音と庭先に現れたあたしの妖気を探し当てたのか、大きな丸耳のネズミ殿に見つかってしまった。

 笑んで手を振り近寄るとロッドを携えた右手を軽く上げて寺の中へと戻っていった、あっちもあっちで何かを探している最中のようだが探しているのはお尋ね者かね、それとも主の失くしたナニカだろうか。

 あれに宝塔でも盗まれたか? いや、ないな、盗んで贋作にしようともあれは扱えないだろう。持ち主こそ代理だが宝具自体は天部衆の物だ、あたし達の愛用品なら正邪の妖気でなんとかなるかもしれないが神気によって悪を裁く宝塔が小悪党に扱えるわけがない。

 それならまたなんでもない探しものの最中かね、探しものはなんですか?

 見つけにくいものだったとしてもあのダウザーならすぐ見つけるだろう。

 ん? 太鼓も煙管も失くした時にネズミ殿に聞けばよかったのかね?

 今更気が付いたところで後の祭りか、文字通り騒いだ後だし気にすることでもないな。

 

 そういえばなんでこの寺に吐出されたんだったか、何かを忘れて取りに来たはずだが一度忘れた物を記憶に捉えておくのは難しいらしい、すっかりと抜け落ちてしまった。

 まぁいいさ、そのうち何を忘れたのかすら忘れるだろうしそうなったらまた小傘に怒られればいいだけだ。

 怒られても万年腹ペコ傘に何か奢れば済む話だし、それはその時考えよう。

 三下は懲りない、これも相場で決まっている。

 

~少女再帰宅~

 

 帰ってみれば誰もおらず静かな我が家で少し寂しい。

 泊まっていっても構わないと言っておいたはずだが今日は帰ったようだ。動けるようになったのだし明日辺りからまたかくれんぼの続き再会ってところか、それなら姉妹の住処である逆さのお城にいるのだろうし迎えに行くこともない。

 一人静かになったわけだし折角だから話を纏めるか、教えてもらったおかわり分。

 松と言っていたか、おかげで仮説が正しいものだと裏付けできてありがたい。

 仮説として立てた打ち出の小槌、多分とは言ったがほぼ確実に持っているとわかり安心だ。

 今は虫籠に括りつけられている真作の側面には松が描かれているはずだ、あれに似せた贋作なら同じく松が描かれているはず。絵柄一つで確信を得るなんて無理な話だが先で述べた通り、思い込みを強くするための理由付けだ、あたしが納得出来てほくそ笑むことが出来れば正誤はどうでもいい。

 しかしまだ弱いな、さすがに強引すぎて納得出来ない面がある。なんでもかんでも小槌のせいにしてみたが本当にそれでいいのか怪しい、贋作を使った事がありそうな誰かから裏でも取れればいいのだが小傘も作れないというし、そう都合良くはいかないか。

 素直に今の持ち主に聞ければ早いが巫女を化かした手前あの神社には近寄りにくい、何食わぬ顔で行ってもいいが怒りの鬼巫女になっていては困る。鬼といえばあの幼女は何処をほっつき歩いているんだろうか、天界かはたまた地底か。

 天界なら我儘天人が探しまわっているだろうし探しに行くなら地底かね、千鳥足で旧都をふらついては難癖つけて探しまわる姿が目に浮かぶ、もう一人の鬼に豪快に止められて一騒ぎ始まるまでがお決まりだろうな。

 ふむ鬼か、鬼も小槌の持ち主だったか。

 腰にぶら下げたあたしのバッグも元を正せば鬼の秘宝か、秘宝を貯めこんでいる姉さんならまかり間違えば持っているか知っているくらいでもおかしくはないか?

 他に宛もないし行ってみるか、あっちの人らは不可侵で今回も関わっていない。話した所でお叱りを受けることもないだろう、地霊殿の主の背を流す約束もしたしそっちにも顔を出してみるか。




考察回は楽しいけど表現が難しい


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第百二十六話 5日目のアヤメ、灯火する拳を思う

 朝一番から来てみたけれど、いつもと違って騒がしい。

 あっちを見れば烏天狗が飛び回り、こっちを見れば白狼天狗が地を駆ける厳戒態勢の妖怪のお山、水辺の警護は河童連中が任されているらしいが森の景色に擬態した河童も中にはいて、目にも耳にも煩い変な景色が視界に入る。

 本当であれば逸らすなどして姿を見せずに動いたほうがいいのだろうが、普段静かな天狗衆が騒ぐ妖怪のお山というのも面白くて、いつも通りに逸らさずにいたらあれよあれよと囲まれてしまった。生真面目白狼のグループではなかったようで、剣と葉団扇を突きつけてくる面識のない天狗が多くて些か困ってしまったが、後から現れた天狗記者のお陰でどうにか容疑者扱いから逸れてさっさと帰れと開放された。

 

――文から聞いているくせにわざわざ怪しまれに来るなんて、何考えてんのよ!

 

 頭から生やした茶色の二本尻尾を揺らして叱ってくれる救世主様。

 危機を救われ助かった、丁度いいところに来てくれたと心にもないお世辞を述べると偶々見つけただけだとカメラを握り教えてくれた。文に撮らせた写真でも見たのかね、古狸の悪巧みについてこっちの記者も興味があるらしい。 まだ何も企んではいないが期待してくれるのなら煙らしく斜め上に浮かんで期待に応えたい、もう一人の喧しい記者とは違って真正面から叱ってくれるお優しい天狗様に、これから遊びに行かないかとデートの誘いをしてみると随分と悩んでくれた。

 文のネタを横取り出来るが上司からの命令もある、そんな所で悩んでいるのかね。体を揺らして黒い袴をひらりひらりとしながら悩む今時の念写記者、視線が気になるならいくらでも逸らす、そう言って釣餌を増やすとすぐに食いついてきた。

 誘ったあたしが言うのもなんだが上司の命令はいいのかと問うと、普段から外に出ないから御役目なんて振られない、頭数にすら入ってないと天狗らしくないお言葉を頂いた。

 それでいいのかと訝しんだが、本人がそれでいいなら特に言うこともない、行き先を教えない楽しいデートと洒落込もうと少し飛んで目当ての大穴。

 後ろをついてくる天狗記者の事は気にせずさっさと行こうとすると、ちょっと待ったと手を取られて結構な力で引き止められた。

 

「あんたの行き先って地底? さすがにちょっと」

「何か問題が?」

 

「お山の中くらいならって思ったんだけどさ」

「ならいいわよ? 初々しいスポイラー記者さんは篭ってネタが降ってくるのを待ってればいいわ」

 

 引き止める手を払い一人でだらだらと降っていくと暫くしてから追いついてきた、ちらりと顔を覗くと何やら顔色が悪い。いなくなったはずの上司がいる幻想郷の地底世界だ、顔色が悪くなっても仕方がないのかもしれない。

 

「ねぇ、その逸らすってのはどこまで効くの?」

「あたしが逸らせると考えるものならなんでも、お山でも視線を感じなくなったでしょ?」

 

「それってつまり見られなくなるって事よね?」

「ちょっと違うわ、見られても気にされなくなるって事かしら。あの木桶みたいに目が合っても気にされなくなる感じよ、あたしから触れたらバレるんだけどね」

 

 降っていく最中先ほどすれ違ったキスメを見上げて指を指す、いつもなら襲撃という名の歓迎をされるのだが今回は目的の姐さんに会えるまでは能力は解かずにサクサク降りていくつもりだ。

 木桶をスルーし土蜘蛛の罠も避けながら、ちゃっちゃと辿り着いた地の底でフラッシュを焚いて景色を取っていく新聞記者、いつか譲ってもらった原風景の写真ではないが文よりもはたての方が景色や物を撮るのが上手いと思える。

 数枚撮っていく中で少し覗き見してみたが映っているのは苔が緑や青に淡く光る洞窟内の幻想的な風景写真ばかり、景色を切り取ったというよりも構図や角度を考えていて瞳に映るよりも良く写しているように見られた。

 何度かはたてに顔を寄せて液晶部分を見ていると不意に画像が切り替えられた。

 カメラを操作し何を写すのか見ていると、人里の騒がしい夜の中で楽しげに笑う灰色髪と赤い髪が画面に表示される。

 こっちの記者もあっちの記者も記事の写真には使っていないが保存はされているようだ、後で焼き増ししてくれとお願いするとダメだと断られてしまった。

 昨日の亡霊姫のようにイーッと歯を噛みあわせてケチと呟くとそれもパシャリと念写される、眉間に浅い谷間を作り隣の顔を少し睨むとそれも撮られて笑われた。

 

「こういう顔もするんじゃない、頼んでも薄笑いしか撮らせてくれないんだから」

「言ってくれれば泣き顔でもなんでも見せるわよ?」

 

「作った顔じゃダメなのよ、こう、自然な被写体を撮るのがいいの」

 

 普段とは違う伝統的な烏天狗の装束に身を包み胸を張って写真を語ってくれる、一芸に秀でたものがそれについて語る姿は様になり見ていて面白いものだ。

 朗らかに笑んで構図がどうこう光の指し方がどうこうと色々と話してくれて、これが自然な表情かとじっくり見ていると鼻を鳴らしてくれた。暗い洞窟内でふんぞり返る引きこもり。

 これはこれで絵になるなと思い、もう一人の記者がよくやる両手の親指と人差し指を長方形にする印を組み片目を瞑って覗いてみた。

 顔を入れようとすると下半身が映らず手を捻って印を立てても景色が入らず難しい、距離を取れば綺麗に収まるかと後ろ飛びして少し離れると背中にトンと当たるモノがあった。

 洞窟の鍾乳洞にしては柔らかい、あたしの腰より少し上くらいまでしかない柔らかな何か、振り向いても何もおらず気のせいかと再度振り返ろうとすると印を組む手に小さな手が掛けられた。

 

「天狗を撮るなんてどんな遊びだい? 私も混ぜてくれよ」

 

 掛けられた手に引っ張られてファインダーを下げると被写体として収まったのはこちらを見上げるへべれけ幼女、いるかもと思っていたが案の定こっちにいたらしい。

 見上げて笑う幼女を覗いている方の瞳を瞑ってシャッターを切ってから、印を解いて全景を見ると洞窟の苔も真っ青な顔になった今時の新聞記者が見えた。

 

「写真について先生からご高説を拝聴していたの、結構面白そうね、写真って」

「先生ねぇ‥‥私にも教えてもらえるかい、姫海棠?」

 

 身体に似合わぬでかい瓢箪を煽って酒気たっぷりの息を吐く幼女、素面でいる所を見たことがないからこれがいつもの姿だが今日はいつも以上に楽しそうだ。

 昔可愛がっていた部下を見つけて面白がっているのかもしれない、絶対的な何かを感じ取れる狡猾な笑みではたてを小さくしていく鬼っ娘。何もしていないのに恐怖を煽って何がしたいのか、何が楽しいのかを少し聞いてみた。

 

「瓢箪煽るより天狗を煽る方が楽しいの?」

「煽っちゃいないさ、こいつらが勝手に畏怖してるだけだ」

 

「何がそんなに怖いのかしら? まぁいいか、あたしにはわからない事だろうし。萃香さん、勇儀姐さん見なかった?」

「勇儀? いつもの所で騒いでたが‥‥なんだい、また勇儀か! たまにゃ私を構ったらどうなんだ?」

 

 いつものところで騒いでたって事は既に宴会でたらふく飲んできたって事か、酔っ払って絡んでくるんだ、随分と回って気持ちがいいらしい。

 さらりと構ってくれと甘えてみたり普段よりは確実に酔っ払っている酒呑童子、甘えるなんて見た目通りに可愛いなと、にこりと笑むと米噛みに小さな筋を立てて右手であたしのシャツとインナーを引っ張り始めた。

 引っ張ったまま手を捻られてプチっとボタンが二つ程飛び幼女の顔に当たる、不意に当たったボタンを避けようと片目を瞑った時に腕を摘んで少し睨むと口角を上げて下衆に笑う顔になり始めた。

 悪酔いしてるらしい、勘弁してくれ。

 

「お、構ってくれるのか。珍しいねぇ、何時ぶりだ?」

「身が保たないから勘弁してよ、それより用事があるんだけど‥‥」

 

 そう言うなよと左拳が振り上げられてそのまま顔面に向かい飛んでくる、逸らしたところで掴まれていては逃げ切れない。仕方がないと煙管を取り出し受けて流しそのまま煙管を右手にねじ込んだ。煙管を折る勢いで梃子で回してシャツとインナーを破り縛を解くとやるじゃないかと高笑いする悪酔い小娘、ロリババァの癖に酒に飲まれて暴れるなど年甲斐がなくて困りモノだ。

 一度こうなるとひと暴れするまで止まらないだろうしさっさと逃げて押し付けよう、幸い居場所は聞いているし酒の肴を持ってきたと煽ればどうにかしてくれる‥かもしれない。

 

「はたて、本気で逃げるわ」

 

 青い顔で固まったままの天狗の記者に声をかけるとそういやいたなと標的を変える伊吹童子、はたてのお陰で目標が逸れて逃げるのが少し楽になった、ありがたいそしてすまない。

 表情を青くしたままのはたてに向かい伊吹瓢がぶん投げられるが、少し逸らして装束を削る程度で済んだ。ちぎれた右腕の袖を見て気が戻ったらしく青い顔に赤い瞳であたしを睨み旧都に向かい先に飛んだ。

 逃げるなら逆だと思うがお山に逃げても捕まるだけだと踏んだのか、写真を撮る事に夢中になっていて気が付かなかったが意外と旧都の近くまで来ていたらしい。

 バック飛行で逃げながら入り口の橋へと下がっていくと、追いかけて来ていたはずの幼女の姿を見失う。撒けた?

 なんてことはないなと少し曲がった煙管を咥えて煙を漂わせて周囲を警戒すると、背を預ける欄干の上辺りにあたしの煙ではない霧が萃まるのを感知できた。

 右の肩から頭だけを実体化して体制など関係なしに振るわれる鬼の豪腕を、能力で逸らすと橋毎振り抜かれて足元が爆ぜた。

 早さと勢いのせいで殴られた場所だけが削り取られたような跡を見せる橋、こんなのもらってたまるかと空へと逃げて再度煙を漂わせた。

 あたしを包むように煙を撒いて簡易の結界を敷く、感知結界の中で次は何処から来るのかと警戒を強めると、橋の朱色以上の赤で真下が真っ赤に染まっていく。

 可愛い地獄烏ほど高温にはならないがこんなのもあったなと、下方に煙を集めて壁を作り耐えると開いた上から降ってくる鬼の暴力。

 指二本くらいであたし一人隠れられそうなサイズの拳が降ってくるが、あたしの身体に触れることなく吐いた炎と煙の中に突っ込んで地面に当たらず霧散していった。

 

「防戦一方だなぁ、殴り返してくれたほうが楽しめるんだが」

「手待ちの受け身が持ち味だもの、ブレなくていいでしょう?」

 

 普段よりも密度の薄い透けて奥が見える鬼の四天王、口内に生やした牙を見せて煽ってくれるがやる気はない。酔客相手の女郎でもなし、まともに構っていられないがどうしたもんか。

 捌くくらいならいくらでもやっていられるが霧を晴らせるほど拳に自身はない、酔いが覚めるまで付き合うにも今も嗤って煽っているし…

 薄い萃香を睨み斜に構えて見せる、殺りあう時の基本姿勢を取ると口角を上げて色を濃くしていくお山の御大将、上げられた口角に合わせて煙管を差し出し強く握って二つに折った。

 

「萎えるねぇ、それとも余裕かぁ? あまり小馬鹿にするなよ」

「勘弁してって言ってるでしょ? やる気はないのよ、酔っぱらいの相手なん‥‥」

「それが小馬鹿にしてるって言ってんだぁ!」

 

 色濃いままに大きく育っていく大江山酒呑童子、なんでこんなに怒っているのか? 本当に構ってほしいだけならここまで悪酔いしないと思うが、なんて考えている余裕はなさそうだ。

 育ちきってふんぞり返り右手をゆっくり回し始める巨大幼女、この雰囲気は確かあれだ、三歩なんたらとかいう四天王奥義ってやつだ。

 勇儀姐さんの場合は三歩進んでぶん殴る、こいつの場合は三発殴るだったか? 大昔に三発目で死にかけてそれ以降は知らないから三度殺すまで殴り続けるだったらどうしようかと少し悩む、悩んでいる間に拳が迫るがあたしに触れずに空を殴り拳の甲を紅く染めた。

 あたしの血でも鬼っ娘の血でもない、でっかい拳が空気の抵抗に勝って摩擦熱で炎を散らしただけだ。空気を燃やして拳が一瞬松明のように燃えて見える勢いとは、本当に規格外で厄介だ、全く何度も見たいもんじゃあないなんだが‥大昔はこれに気を取られて三発目で殴り散らされたが一度見てればなんちゃない、こうして逸らしていなせる分姐さんの拳よりは怖くないし今も逸らして確かな確信を得た。

 この拳はあたしには届かない。

 

「一方的な嬲り合いなんてらしくないわ、持ち合わせがないから買わないって言ってるのに」

「酔っぱらいだからわからないね! 酔った勢いで間違う事くらいあるだろうよ、いいから付き合え」

 

「見た目幼女の我儘に付き合うほど暇じゃ……」

 

『―――――――!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 旧都を彩る町並みの屋根を吹き飛ばすほどの大爆音、見上げても見えない地底の屋根を声だけで揺らしてパラパラと土を落とさせる鬼の雄叫びが地底に轟く、大気を震わせる身内の声を聞いて二発目の拳を振り上げていた鬼酒呑の拳が止まった。

 全身にビリビリと奔る咆哮をまともに聞いて随分と耳が痛いが、それを無視して多分声のしてきた酒場の方を見やる。目が合いニコリと笑う一本角、止めに入るのが遅いと睨んでいると酒場の奥から両耳抑えた天狗が出てきた。

 青い顔して怪力乱神の後ろから見上げているはたてに手を振ると、パシャリと一枚撮って睨まれた。

 

「そこまでにしときな萃香、八つ当たりならあたしが受けよう。ちょいと騒ぎすぎだ」

「勇儀まで私が悪いってのか! こいつもあいつも勇儀ばっかり!」

「こいつはあたしとして、あいつって誰の事よ? それより八つ当たりって聞こえたんだけど」

 

 うるせぇと叫び瓢箪を煽るつもりで口先へと持ち上げていくと、本来なら飛ばない物であるはずの欄干が飛んできて綺麗に瓢箪に当たり幼女毎飛んでいった。

 光の届かない暗い何処かでダポォンと音を立てたのを確認してから、見上げる皆の元へと降り立ち悪酔いの理由を聞いてみた。

 

「なぁに、それじゃ本当に悪酔いして八つ当たりしてただけなの?」

「ちょっと前にあいつが来てな、久々に顔見せて酒のランクを上げてくれなんて頼んできたのさ。その時の話をしたらあのザマだ」

 

「勇儀姐さんばっかりってのはそういう事なのね」

「お前も萃香と遊ばずにこっちに来てあたしと遊んでばかりだからなぁ、構って欲しい本人に八つ当たりなんて可愛いとこもあるだろ?」

 

 勘弁して欲しいわ、ぼそっと呟くと背中をバンバンと叩かれて豪快に笑い飛ばされた、こちとら死んでたかもしれないというのに笑い飛ばすとは、これだからお山の全員から疎まれて目の上のたんこぶ扱いされるというのに。

 まぁいいか、生きていたから今回もあたしの勝ちだ。はたても顔色は悪いが無事のようだし鬼っ娘相手の喧嘩後にしては上々か、とりあえず酒場に入って何か食おう。子鬼と大鬼から漂う酒気が昨晩から何も食ってない腹に響く。

 姐さんの奢りでたらふく食って高楊枝、食後の一服でもと腰に手を伸ばしたところでさっき折ったなと思い出す。

 一本角の隣で煙管咥える若い鬼に色目を使って近寄らせ煙管を奪って突き飛ばした、誘ってくれたのにそりゃないぜ姐さんと戯ける鬼を笑いながら煙を吐いて中から愛用の煙管を取り出した。

 おぉ~っと関心の声を聞きながら上機嫌で煙管を咥えて再度煙を漂わせて、吐いた煙と吐息に乗せて若鬼へと煙管を返すと関節キスだとまた戯け始めた。

 

「喜ぶのはいいが今は本命がいるらしいぞ、手を出すのが遅かったなぁ。お前じゃ勝てない別嬪さんだ、諦めるんだな」

「まだ連れて来てないけど、何処で見たのかしら?」

 

「そこの天狗、姫海棠って言ったか。そいつのカメラに収まってるやつだろう? 可愛い顔して笑ってくれて、妬けるねぇ」

「あの写真‥‥見せたの? はたて」

「鬼の宴会なんて止めらんないもの、注目してもらうのに使わせてもらったわ」

 

 紹介なしとは冷たいねぇ、そう言ってあたしの頭を力いっぱい撫でくり回す怪力乱神の鬼。バサバサと髪を振られて身体まで揺れると、姐さんの横で胡座をかく若鬼からまたおぉ~と関心の声が上がった。

 視線を追って身体を見れば悪酔い小鬼に破られたままのシャツとインナーからポロンと零れた瓜一つ、胸元を注視する若鬼と視線を重ねてニコリと笑んで服を撫で元に戻すとあからさまにがっかりされた。

 揉めないなら見るくらい‥そこから先を吐く前に一本角に殴られて胡座をかいたまま窓から飛んでいった若鬼、煙管の御礼で見るくらいならと考えていたが姐さんの気遣いもあったし少し思い直そう。

 

「そう気楽に晒すもんじゃないなぁアヤメよぉ、その写真の赤いのがパルスィみたいになったら困るだろう?」

「それはそれで‥‥いや、今でも十分激しいからいいわ」

 

 お箸を置いて右の袖を折り返して見せると翌々見られて傷物にされたかと豪快に笑われた、人によっては病んでるだの壊れてるだの言われたが笑い飛ばしてくれて清々しくてありがたい。

 隣に座るはたてを横目に見たがこれは写さないらしい、写真に撮るほど綺麗でもないし、あたしとしても残してほしいものでもない。まぁいいか、そろそろ本題に入ろう。

 

「そう言えば姐さん、ちょっと聞いてもいいかしら?」

「うん? なんだ、知ってる事しか話せないよ」

 

「打ち出の小槌、なんて持ってない?」

「鬼ヶ島、じゃなくって一寸法師のあれか? さすがにないな、鬼違いだねぇ」

 

「そうよね、そこまで都合よくないわよね」

「おっと早まっちゃダメだなアヤメ、鬼違いだが知ってる奴なら知ってるな」

 

 鬼の秘宝の盃を煽り空になった所であたしに突き出してきた、手元にあった一升瓶を取り注ごうとしたがそれじゃないと笑んで拒否される。銚子をとっても違うと言われるが他にはないしどれだろうか? 少し悩んで出た思い付き、銚子を煽って口に含みこれかと指差すと腿を叩いて笑われた。これでもないなら一体なんだというのだろうか?

 

「早まるなと言ったろうに、素直にお願いって言やぁいいんだ。そっちの酒はあたし用じゃないだろう?」

 

 萃香さんなら兎も角として勇儀姐さんに謀られるとは思わず、口にお酒を含んだまま目を細めて軽く呆けるとパシャリとフラッシュが焚かれた。

 ゴクリと喉を鳴らして飲み込みはたてを睨むと鬼と同じように笑ってくれた、青い顔をしていたくせに何時の間にやら明るい笑顔。してやられたがまぁいいか、酒宴で飲んでもいないのに青い顔なんて笑えない。

 

「じゃあ改めて、知ってたら教えてくれない? お願い」

「さっき派手に飛んでった奴が知ってるはずさね、ほれ、いい女になって帰ってきたあれだ」

 

 盃で店の入口を指すとそこには水も滴る冷えた萃香さん、最後に聞こえたあれは橋の下を流れる川に落ちたのか。全身濡れて酔いも覚めたらしくいつもよりも落ち着いた表情で歩み寄ってきた。

 隣に立って雫を垂らす幼女を見て笑むとフンと鼻を鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまった、確かに姐さんの言うように可愛いところもあるらしい。

 濡れたままの手を取ってあたしの胡座に幼女の尻を収める、シャツやスカートに水が染み移ってくるが気にせずに使っていた升を手渡すと不機嫌顔で受け取ってくれた。

 そのまま酒を注いでいくと不機嫌顔でため息一つ、胸元辺りのある頭に手を載せてポンポンと優しく叩くと一気に煽ってポツリポツリと愚痴を零す。

 

「なんだい、同情されてるみたいで惨めじゃないか」

「構ってほしいなら遊びに来ればいいのに、毎日暇なんでしょう?」

 

「ハンッ イチャついてるのを見るほど暇してないやい」

「あたしもあれも恥ずかしがり屋だから、誰かの前でなんて‥‥あんまりないわよ」

 

 横目で天狗を睨んで黙っとけと伝えてみると小さく頷いてくれる、黙って合わせてくれた方が楽だということが伝わったようだ、小鬼の濡れ髪を撫でながら再度酒を注ぐと煽ってげふぅと一息吐いた。一緒に悪いものも吐いたようでいつもの態度に戻り始めた、空いた枡を持ち上げられてお酌を要求してくるが素直に注がずに焦らすように少し問いかけた。

 

「おかわりは質問に答えてくれたら、ね?」

「お? なんだなんだ、私でいいのか? 勇儀ならそっちだぞ?」

 

「萃香さんがいいのよ、打ち出の小槌なんて聞いた事ない?」

「神社にあるだろ、お前がいつもからかってるちびっ子ハウスの屋根についてるじゃないか」

 

「それの他にない? 偽物なんて知らないかしら?」

 

 ピクリと揺れる二本角、首を捻ってこちらを見てくるがその顔はよく見るな狡猾な笑みだ。

 知っているけど教えてくれない、そんな表情に見えるが何が言いたい?

 

「偽物なんて探して何に使うんだ? 場合によっては‥」

「何もしないわ、姫の成長を妨げてるみたいだし‥場合によっては壊すくらいかしら」

 

「ハッハァ、やっぱり気に入ってるんじゃないか。あれも太鼓もなんて強欲は身を滅ぼすぞ?」

「太鼓一人抱くだけで十分、姫は思い付きのついでよ」

 

「言い切ったな、騙すなよ? 偽物の小槌はあるな、昔の身内が数本作ってたはずだ。何本あるかは知らんが少なくともそのうちの一本は幻想郷に流れてきてる、持ってるのは‥‥」

「逃亡中の反逆者、だったら面白いんだけど」

 

 両眉上げて睨んでくれる狡猾の鬼の御大将、どうして知ってるのかなんて顔をしてくれるがそれはこっちのセリフだ。幻想郷中に広がってほとんどを網羅しているのは知っているが、気がついていて何故動かないのか。

 素直に問いかけてみると、どこまでやれるか見たいというのと紫さんからのお願い待ちという事だった。そういやこの人も紫さん側の人か、どこまでやれるか見たいってのはあたしと同じで面白がっているだけかね?

 それも聞いてみたがこっちの理由は別らしい、頭に小さな角を生やして見た目は近いが成りきれない半端な天邪『鬼』。こいつが一人でどこまで出来るのか、同じ鬼を冠する者として気になるのだそうだ。

 なるほどわからなくもない、成りきれないのか混ざっているのかよくわからないが確かに名も種族も『鬼』だったな。力はないが頭はある、気に入られても仕方がないのかもしれない。

 空いた枡に酒を注ぐとなんの話で盛り上がっていたのかと問われる、また冷やかされるのかと言いつぐんでいるとはたてが動いて写真を見せ始めた。

 内緒で連れてきた仕返しか? 勝手に自慢されているようで悪くないがあまり見せびらかされては照れる、そろそろやめてと伝えてみると最後に今何してるのか念写しろとパワハラが始まった。

 さすがに止められず、言われたままに念写するはたてを眺めていると、画面を見たはたてが焦り始めた。

 

「ボロボロだけど、何か聞いてる?」

 

 カメラを奪って鬼二人と一緒に覗きこむ、そこには暗いお城の中でボロボロになり佇む、赤い髪を更に紅く染めた雷鼓と九十九姉妹が映し出されていた。

 一瞬思考が止まったがすぐに原因も思い当たった、今日は元の居城でひと暴れしたのか、ついでにその場にいた付喪神をとっちめて高笑いをしたのか。

 やるじゃないか天邪鬼とクスリと笑うと腿に収まる鬼と盃を煽る鬼二人も口角を歪めて酷い笑みを見せてくれた、その笑みはどんな笑みかね?

 

「こりゃまた不様に負けたねぇ」

「アヤメに習って言うならぐうの音も出ないってところかねぇ、楽器に言うには打ってつけ、なんてなぁ」

「惜しいわね萃香さん、血塗れだけれど生きてるわ、あたしに習って言うなら生きていれば雷鼓の勝ち、よ‥さすがに心配だからもう帰るけど」

 

 殺しにいっているのだから殺されることもある、けれど今回は壊されてはいない。

 あたしに頼らずに追いかけて反逆にあいボロボロだが生きている、生き延びて不様な姿を晒しているが生きているなら雷鼓の勝ちだ。

 紫さんの始めた遊びの範疇に宛がうなら一回戦で負けただけ、あれが捕まらない限りどちらかが死なない限り本当の負けはない。

 傷ついたのなら癒やす楽しみがあるし泣くのならあやす楽しみがある、初戦で壊されていたならそれまでだったが一度見たなら次は大丈夫だろう。

 可愛らしく鳴く姿しか見せてくれないが、腕の時のような激しさも知らない相手をノセる敏い面もある愛しの鼓だ、二の鉄は踏まないだろう。

 

 とりあえず迎えに行くか、妹紅に言った手前強がってみたが内心不安でたまらない。

 銭も出さずに立ち上がり出て行く瞬間背に声が掛けられる、顔だけで振り向けばあたしの胡座から鬼の胡座へと乗り換えた鬼が笑んでいた。

 

「言う割に大焦りか、随分と歪んだ好意だねぇ。壊されてからじゃあ遅いんじゃないのかい?」

「壊されそうならどうにかするわ、壊されては天邪鬼を壊さないとならなくなる、それは面倒で勿体無いもの」

 

「面倒臭がるのはいいが手遅れになっても知らないよ、十日の菊って知ってるかい?」

「言わせたいから後半だけなの? 追いかけ始めてまだ五日目、六日の菖蒲と言うにはまだ早いわ‥‥それに置いて逝くなとあたしに言って手酷く傷物にしてくれたのよ? ならそれらしく残ってもらわないと困るわ、愛し甲斐がないじゃない」

 

 勢いに任せて言い切り店を出る、何か恥ずかしい事を言った気がするが気のせいだ。

 今は考える時間が惜しいしさっさと向かってさっさと拾おう。

 一言くらい言ってくれればこれほど焦ることもないのに‥

 頬が熱いのは地底のせいだな、お空が頑張りすぎて地底の気温が高くなっているのだろう。

 ジト目の屋敷にも顔を出して背を流すなんて思っていたがそれはやめよう、ペットの管理も出来ない主を労っても仕方がない。

 いつも通り困った時には人のせい…にするには勿体無い気もするが恥ずかしいしそれでいい。

 




六日の菖蒲十日の菊という故事成語があったりなかったり


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第百二十七話 しっぺ返す

 身に触れる風も逸らして真っ直ぐ逸れずにかっ飛んでいく。

 今ならあの記者に追いつけるかもしれない、そんな錯覚も逸らして無心で飛んで拾った楽器。

 着いた時には皆倒れていたが呻いていたから問題ない。

 痛いというなら生きていて生きているなら丸儲けだ。

 お琴と琵琶の姉妹を両脇に抱えて一番でかいドラムは尻尾で巻いて抱きとめて、一人で担ぐには少し重いが選んで背負う者達ではないし少し踏ん張れば問題ない。

 ついでに言えば後は降って病院へと一直線に向かうだけだ、天守閣の屋根を踏み抜いて妖気を流して穴を開けそのままするりと飛び降りた。

 あたしに向かって伸びてくる迷いの竹を迷いなく逸らしてすぐに到着した緊急病院、腕も尻尾も塞がっているため戸にブーツを刺して強引に横に蹴飛ばした。

 靴も脱がずに上がろうかと片足上げて一瞬止まる。

 それはさすがに失礼だ、モゾモゾと両足を擦りブーツを下げていくがきっちり縛って編み上げた物は解けず、どうしたものかと悩むように顔を上げるとそこにいたのは永遠の主従。

 呼べば早かった‥‥

 

「何故そうなっているのか、話は後で聞くからそのままでいいわ」

 

 あたしの主治医の言葉を受けてそのまま上がり込み何も言われずベッドへと向かう。

 永遠亭にはマメに顔を出しているが、ほとんど来なかった永琳の診察室。つい最近強制入院させられるまで、中がどうなっているのかすらわからなかったが入院経験があってよかったなと実感した。

 何事も経験か、こうして力業で運ぶのも焦って声をかけるのを忘れるのも後々で恥ずかしい笑い話に出来ればいいなと強く思う。

 三人それぞれベッドに降ろして後は主治医に全て任せた、話は後でと言われたけれど実際の所は話せる事がない。天狗の記者の盗み撮りに映って焦って拾いに行って来ました、これくらいしか話せないがそれを話して何となるのか?

 よくわからずに小首を傾げていると、いつもの縁側辺りで優雅に座るここの主に声を掛けられた。

 

「私が死んでも嗤うだけなのに、身内が傷つくと慌てるのね」

 

 自ら望んで殺し合いを楽しんでいる元人間が何を言うのか、そっくりそのまま言い返すと偶に死なないと生きている実感が持てず、自身が何か別のモノに成り果てているんじゃないかと考える事もあるそうだ。

 悩みなどなさそうな永遠のお姫様らしくない弱気な物言いに目を丸くしていると、疎まれ恐れられ続ける限り生きて、忘れられたら終わりがある、終わりのある終わらない存在と言えるあたし達妖怪連中が少し羨ましいとも言っていた。

 他人から見れば輪廻を離れて不死という喉から手が出る身体だが、当人からすれば毎日が幸せというものでもないのかもしれない、楽しむものもなくなって暇を持て余す事しか出来なくなっても終われない、それも一つの地獄なのかね。

 いつか言っていた大罪人という言葉、終わらない刑罰が暇だというのならあたしでは耐えられないなと淑やかに笑む姫を見て少し真面目に考えていた。

 

 雅に微笑む姫を見ながら粋に煙を楽しんでいると仕事を終えた名医が戻る、連れ込んでからそれほど時間が経っていないが永琳が終わったというのなら無事に終わったのだろう。

 ありがとうと素直に述べると容態は聞かないのかと問われた、余程のことなら永琳から話してくれるだろうしそうなってはいないのだから大した傷ではないはず、だから聞かないと言ってみると血で汚れた白衣を脱ぎ捨てながら執刀医自ら経過を話してくれた。

 外傷自体は其程でもないが叩かれ方が厄介らしい、外から流れる雷鼓達の魔力。

 それを一時的に吸われて動けないようだ、原因として上げられるのは大本を作った物で物理的に叩かれたからという事らしい。

 ソレが何か知りたくないか、薄く笑んで問いかけられたが心当たりがあるから問題ないと突っ返すと、この間鳥獣伎楽の二人が入院していた時に見せた感心するような顔を見られた。

 永琳の顔を見て小さく笑う輝夜姫、初めて会った時の約束を守ってくれていて嬉しいわと、よくわからない事をのたまった。

 また要らぬ難題でも吹っ掛けられたかと真剣に悩みぼんやりと思い出した。

『永く私を楽しませてね、友人なら友人の頼みは聞くものよ』

 互いに名前で呼び始めた時にこんな事を言っていたなと、他者に対して感心する月の頭脳など珍しく滅多に見られない楽しめる面白いものかもしれない、それに気づいて姫と笑い合うと何の話と首を突っ込まれた。

 貴女が迎えに来る前にアヤメに課した難題の事、表情変えずに話す輝夜が大昔の口約束を得意の難題へとすり替えてきた。

 終わりの見えない難題など本当に無理難題だ、やり甲斐ばかりで堪らないなと輝夜と顔を合わせてウインクし返していると、小さく悩む天才の姿も見られるようになってこれも中々可笑しかった。

 不死の主従二人に笑われる事は多々あるが、姫と二人で天才を笑いものにする事などそうない、この時ばかりと笑っていると話題を変えるように月の頭脳が再度容態を語り始めた。

 

「魔力の供給源次第だろうけど、それほどかからずに動けるようになるわ」

「横から掻っ攫われて骨抜きか、正邪も案外お上手なのかしら?」

 

「後半は知らないけど、はっきり言い切るなんて珍しいわね」

「謎解きの最中だったから思い付くのも早いのよ、ついでに言えば次のお祭り会場もなんとなくわかるわ」

 

 霧の湖から始まり妙蓮寺の参道と続いて、迷いの竹林で騒いだ後また妙蓮寺の墓場に戻った天邪鬼、昨日現れたのは雷鼓達のいた輝針城。

 なんとなく法則がある気がしていた、人っ気のない湖から人っ気のある寺へと移り人気のない竹林から再度人里の寺へと戻って逃げまわる逃走経路、動と静をひっくり返しながら逃げ回っているのなら静かなお城の次は騒がしい所に逃げるはず。

 今騒がしいのは二度の襲撃を受けて警戒厳しい人間の里か、住んでいる連中総動員で警戒網を敷く妖怪のお山のどちらかだろう。二つに絞れてはいるがどちらに出るかは読みきれないってのが玉に瑕だ。

 あたしなら三度目の正直や二度ある事は三度あると考えて里に行くがそれをひっくり返せば妖怪のお山になる、警戒を強めた里を出し抜いて高笑いするのは気持ちいいだろう。

 けれどこれをひっくり返して考えれば? 警戒地域を増やしてやろうと妖怪のお山に顔を出すかもしれない、騒がしい場所が増えれば探さないとならない場所も増える、逃げるのならこっちのほうが都合がいい。

 どちらがより天邪鬼らしい考えなのか、難題について考えていると一つ思いついた。

 自分一人で考えて悩むなら他人に答えを任せてみよう、上手くいったら儲けモノでダメだったなら他人のせいだ、責任もなく気楽に楽しめる。

 

「二人に難題を出してあげるわ」

「なに? 急に」

「いいじゃない、偶にはもらってあげるわよ」

 

「人と妖怪、馬鹿にして笑うならどちらが簡単かしら?」

「単純に馬鹿にするだけなら人ね、馬鹿にし続けるなら妖怪相手の方が簡単だけど」

「同じく人よ、難題なんて言う割には難しくないわね」

 

「そうよね、やっぱり。ありがと、難題解けたわ」

 

 二人から当たり前の回答を貰えてスッキリしたところで出掛けてくると縁側から飛び立つ、飛ぶ背に向かいまた土産話を寄越せとぶつけられた。

 振り返りもせずに左手を振って答えそのまま答えの場所へと飛んだ、難題に慣れたお姫様と月の頭脳が言うのだからあたし程度の考えよりも正しい答えであるはずだ。

 

~少女移動中~

 

 そこかしこでカァカァワンワンと煩くなっていそうな集落、向かった先は地底に置いてきて完全に忘れていた天狗記者の巣。

 二人が人と言ってくれたお陰で悩まずにひっくり返せた目的地である妖怪のお山、来たついでにもし帰って来れているのなら謝っておこうと戸を叩くと機嫌よく迎えてくれた。

 花の咲くような笑顔で迎えられて鬼二人に壊されたのか、申し訳ないことをしたと謝ってみたのだがどうにも逆に気に入られた事が嬉しいらしい。

 鬼に気に入られて喜ぶ天狗がいるなんて、やっぱり壊れたのかと訝しんでいるとカメラに残した写真をいたく気に入られて上機嫌なんだそうだ。

 また知らぬ所でと文句を言うと、気に入られたのはいつか念写した日ノ本の原風景であんたじゃない、自意識過剰もいい加減にしろと窘められてしまった。

 返す言葉もなく気恥ずかしいが今以上に恥ずかしい事を言った気がするので気にせずに、謝罪ついでに念写を一枚お願いしてみた。

 

「なんでまた椛の居場所なんて、能力解けばすぐに来るんでしょ?」

「普段ならね、あんたと違って御役目中は相手をしてくれないのよ」

 

「椛に構って欲しいの? 萃香様じゃあるまいし」

「あの娘の側が一番手っ取り早いでしょ? はたての念写じゃ進行形で動く相手を追い切れないわ」

 

 謝罪し頭を下げた時に下がった眼鏡を戻しながらあの子の目を利用したい旨を話してみる、気楽にパシャッと一枚取って映った景色は河童と天狗の決戦場だった。

 天狗大将棋の対戦相手であるにとりはいないが崖の先端に剣を突き刺し両手で柄を握る椛が映る、凛々しい瞳で遠くを眺める白狼天狗。

 背筋を伸ばし山を望んでいる姿は堂に入っていて一枚絵の少女のように見えた、写真に少し目を奪われていると怪訝な顔でネタ帳を開いている記者から質問を受けた。

 

「追うって天邪鬼が来るって事? なんでわかるの?」

「捻くれ者同士分かるのよ」

 

「答えになってない、もう少し記事に出来そうな言い方してよ」

「そうね……天才の読みをひっくり返したから、そんな感じ?」

 

 大差ないわとパタンと音を立てて落書き帳を閉じるスポイラー、記事にしてくれても構わないがそれを鵜呑みにされて動かれてはあたしが動きにくくなる、それは面倒くさい。

 淹れてくれたお茶を啜りつつあの後地底であった事を少し聞いてインクの匂い漂う部屋を眺む、あの原風景の写真が写真立てに収まっているはたての仕事場も嫌いじゃないなと部屋を見回すと、昔撮られた色々な写真が飾られていた。

 が、今は時間もなくゆっくりしているといいところで逃げられそうだ、写真に集中するのは落ち着いてからにしよう。警戒するならあっちの記者の巣近辺を、そう伝えると言われなくともと返事が返ってきた。育ての親が二人もいれば妹烏が危ないなんて事はないだろう、保護者は大変だと言い逃げして生真面目天狗の元へと飛んだ。

 

 数分飛んですぐに着く見慣れた崖の決戦場。

 変わらずにある将棋盤と大きな赤い番傘の下に腰掛けて、崖から山を睨み白い尾が揺れる様を見やる、お山に吹く春風に揺れて揺蕩う綺麗な尻尾。

 集落に寄る前から能力使って逸らしたままで今もまだ気が付かれていない、千里を見つめる瞳には映っているはずだが注意すべきと意識されないあたしはやっぱりズルいのかね?

 自問自答しながら一服を済ませて将棋盤の角で煙管を叩く、カツンと乾いた音を聞いてピクリと耳が小さく跳ねた。

 今ので気がついたはずだが振り向きもせず声も掛けてきてはくれない、つれないだけなのか関わるとまた面倒だとでも思われているのか、わからないからあたしから絡んだ。

 

「今日もお仕事大変ね、探しモノはなにかしら?」

「昨日はたて様に苦言を呈されていたのに、懲りない方ですね」

 

「帰れと言われたり来るなと言われたりすると、来たくなったりするものよ」

「お尋ね者とかけた物言いをされても、私は何も申し上げませんよ」

 

 絡んでいっても構って貰えず真面目に御役目をこなす山のテレグノシス、他の天狗が走り回る中一人佇んで集中しているって事は観測レーダー代わりか。

 空を飛ぶ見慣れない烏天狗達と小さな仕草で連絡を取り合っている、下っ端と言われてはいるがこの子の能力は一級だ、その辺りは上司である烏共もわかっているようで入れ替わりに見知らぬ天狗が視界に入った。あっちこっちに飛び回り警戒するのは大変だろうに、あたしと同じようにこの子に目は任せてまったりする者はいないのかね?

 

 一羽思い付く者がいるがあれは住まいから出てこないか、生真面目で苦手だと言う割にこの子のピンチには現れるオカン天狗。今は椛以上に心配なのがいるしこっちには姿を見せないだろうな、なら代わりにこっちは見ておくか、目を借りる御礼代わりだ腕でも足でも頭でも貸して押し付けよう。真剣な表情を崩さない椛に向かって煙を吐く、背に辺り広がって尾で散らされて更に周囲に撒かれる煙、構ってくれない天狗様に煙を吹いて嫌がらせしながら再度絡み始めた。

 

「椛レーダーに反応がないとつまらないわね」

「何もない事が重畳なのですが……これは?」

 

「厄を振りまく春神様でも見えた?」

「現れました、私も‥‥」

 

 飛び立とうと地を蹴る瞬間に煙で巻いて緩く捕縛すると牙を向いて睨まれた、邪魔をするなと吠える狼殿。捕食者に睨まれて随分と恐ろしいが縛を強めて口角を上げると、お願いしますと耳を垂らして頭も垂れた。らしくない御役目放棄をしかけたから止めたというのに、お願いではなくありがとうではないのかと椛に言うと難しい顔をされてしまった。

 

「観測点が動いちゃダメよ、偶には上司をこき使ってあげなさい」

「しかしそれでは」

 

「ただの烏なら替えが利くわ、万一の事があれば天魔も神様連中も動くでしょうし、真面目に御役目は守りなさい。ついでに少しあたしに付き合いなさいよ」

「そうなってからでは遅いのですが‥‥」

 

 縛を解けずに諦めの千里眼で睨んでくれる白狼、笑みを変えずに睨まれていると視線があたしから空の方へと向けられた。椛の視線を追って見上げれば腕組みしている伊達男が遠くに見える、この子の配置はあの時の大天狗の考えか、悪くない手腕を振るうじゃないか。煙で囚われ動けない白髪と、それを捕らえるあたしの灰色の髪を見比べ何か片手で仕草をしてすぐに飛び立ちいなくなった。

 

「離していただけませんか? 待機と言い渡されたのでもう動けませんし」

 

 言葉を受けて煙を掻き消す、軽く両袖を払い座を組んでその場にしゃがみ込む椛。

 

「そういえば何が見えたの?」

「天邪鬼と交戦する狸殿、囃子方様のご同胞の方が侵入し去っていったようです」

 

「マミ姐さん? お山の狸達の様子見にでも来て出くわしたってところね、きっと」

「そのようです、天邪鬼を捕らえに来たわけではないようですが……化け狸とは皆そうなのですか?」

 

 全員が全員そうではないと思うが少なくともあたしと姐さんは捕まえる気があまりない、あたしは逃げまわっているのも見ているのが面白いし、地蔵を盗まれた姐さんも宴会では儂もしてやられたと笑っていた。 

 狸の御大将を化かして愛用品を盗み出す天邪鬼なんて姐さんが気に入りそうだと手に取るように分かる、さっきのも出くわしてやられたから応戦した程度でそれっぽい形を見せただけだろう。

 その辺はなんでもいいさ、後で聞けば良い話だ、返答待ちだしテキトウに答えて次を探してもらおう。

 

「全てとは言わないけど姐さんとあたしは椛の考えた通りだと思うわ、それより天邪鬼の動きは?」

「狸殿を撒いてからは‥射命丸とはたて様二人を相手に逃げているようです」

 

「あの二人を同時に相手取るなんて、やるじゃない」

「正確には追い詰めない二人を馬鹿にして……大天狗様が合流したようですね」

 

 追い詰めないというより追い払っているだけなのだろう、攻めずに守るなどあの二人らしくないが守る相手がいるのならそうもなるか、本当にお母さんは大変だ。

 それよりさっきの色男が合流したか、これで流れが変わるか? 出来れば出会う前に盗品を消耗させてくれるとやりやすいのだが、こころを連れて出会った時に見せてくれた風の拳なら多少は、多分。

 烏天狗に支持を出して忙しそうな椛の実況を聞きながらまったり煙草を味わっていると、大盤振る舞いしている天邪鬼の姿が目に浮かぶ、多勢に追われて閃光弾をばら撒き紫の傘で位置を変えていく天邪鬼。

 幽々子の提灯や姐さんの地蔵は既に種切れのようだ、文達にやられたかそれよりも前に使い切ったか。小槌で変えた元のアイテムまで使い切らせたのは誰なのか、少しだけ気になった。

 

「もう直に肉眼で見えるように‥‥来ます!」

 

 数十羽の烏に追われ玄武の沢からの援護射撃を受けている天邪鬼が見えた、右手に持った紫さんの傘を使い空間転移し烏団の背後に回り河童との同士討ちを計ってみたり、左手に携えた誰かの煙管で弾幕の雨を逸らして烏へと向かわせる大泥棒。

 上手く使うなとクスリと笑うと目の前で同胞が落ちて我慢しきれなくなった椛が吠えて空へと駆けた、咆哮に気がついて椛を見つめる鬼人正邪。

 椛の背中越しに見えた二枚舌と下卑た笑い。

 先日墓場であたしに見せた可愛さ余って憎さたっぷりな表情だ、楽しそうに笑ってくれて何よりだ。大天狗と椛で挟み下からにとり達に打たれるこの状況、あたしが混ざれば四面楚歌ってところか? ならまだだな、逃げ場がないとひっくり返されたらあたし達の逃げ場が死ぬだろう、三者のどれかが落ちてからいくべきか。

 

 番傘の下で派手な花火を見上げる、爆風とお山の風でスカートがはためき乱れるが気にせず見上げて薄笑い。

 風の拳を振りぬいては天狗のカメラでそよ風以下に抑えられていく、人間の言う円月殺法のように空を切り『の』の字に見える弾幕をばら撒いて上司のフォローをする白狼天狗。

 二人の隙を縫うように岩を穿つほどの水圧に高められた水をばら撒く河童団、それらに追われてだんだんと逃げる先を誤っていく天邪鬼。これなら出番はないかもしれないな、葉が燃え尽きて盤で叩き新しい葉を煙管の先で受けた頃、天邪鬼が姿を消した。

 

 陰陽の印を今の今まで居た宙に残して消えた天邪鬼に気を取られた椛、その背後にこれまた唐突に浮かぶ陰陽の印。二つの印を見比べて止まる椛に背後の印から大きな小槌が振り抜かれる、綺麗な白髪が散らされそうになるその瞬間に小槌を受けたのは風を腕に纏わせた大天狗様。両腕で受けた一瞬は天狗と正邪で拮抗し静止したが、小槌の質量と勢いに負けて河童連中の元へと撃ちぬかれて墜落していった。

 一度で二枚を落としてほくそ笑む天邪鬼が椛に振り返り二枚舌を見せると、舌を裂く勢いで見えない刃が二人の間を駆け抜けた。愛する妹はもう一人の育ての姉に任せてこっちに来たらしい、格好良く主役が来たところだ、そろそろ脇役も舌を出しに行こう。

 

「あやや、先ほどの瞬間移動は素晴らしいですねぇ、早いとは感じませんでしたがこの私の目でも捉えきれないものでした。是非ともタネを教えて欲しいですねぇ」

「三流記者に話す舌は‥」

 

「霊夢の盗品、かしら?」

「あんた、私の忠告は‥‥いや、今言う事じゃないわね、盗品といい姿を見せた事といい後で色々聞かせてもらうわ」

 

 椛を下がらせて小悪党と対峙する黒い主役に並んで二枚舌に代わり答える。

 眉を潜めてあたし達を睨む天邪鬼を見ながら、文へと向かう意識を逸らしてあたしだけに意識が向かうように話し始めた。

 

「三下は何処にでも現れるのよ、ねぇ正邪? 細い体の何処にしまってるの? 胸の膨らみは陰陽玉? それとも爆弾? 硬いとお相手にがっかりされるわよ」

「私にやられて色呆けしたのか? 情けないなぁ古狸! 昨日の付喪神連中の方がまだ口が達者だったぞ」

 

「そっちの御礼も言わないとね、あたしの鼓を下手に叩いてくれてありがとう。御礼は何がいいかしら?」 

「お前の? あの煩い太鼓か、躍起になって煙管を狙って来たなぁ‥失せ物を取り返してこいとでも命令したか? 強者さんよぉ」

 

「すでにあたしの煙管じゃないし、上手に使ってくれているからそのままあげるわ」

「あぁん? ならあの太鼓は犬死にか、ザマァないなぁ。私の小槌に吸われて栄養だけくれたってわけだ、美味かったと伝えておいてくれよ」

 

「知らない所で食べられてあの娘も浮気症で困りものね、元気になったら叱らないと‥その為に小槌の魔力、返してもらうわ」

 

 右手に小槌左手に煙管を携えて心から煽ってくれるがそれどころではない、煙管狙いとは初耳だ。取って来いとも言っていないし失くした事を責めてもいない、なんでまた取り戻そうなどと?

 正邪を放置し左手に持ったままの煙管を眺めていると、舐めるなと小槌を振りかざしてあたしに迫る矮小なる反逆者、逸らしもせず薄笑いのまま眼前に迫る小槌を見ていると、あたしに触れる前に何かに阻まれた。

 轟々と風切り音を立ててあたしの髪や頬を切る風の盾、天邪鬼の細腕ででは抜け切れず大きく弾かれ小槌に体を持っていかれてそのまま手放した。

 二枚の舌で大きく舌打ちし小槌を追いかけ手を伸ばすが、あたしに逸らされて小槌は揺れて手元から逸れていく。そのまま瓦礫の目立つ玄武の沢へと着水し大きな水柱を立てて沈んでいく小槌を三人で眺め、あたしへと視線を戻した所で知恵熱出していた中で考えた褒める仕草を取って見せる。

 お疲れ様だ天邪鬼、下卑た笑いを見せてくれるのはいいが本当に舐めていたのは誰だったのかね、仕草で教えてやるように右手の中指を立て頬を伝う血を舐めて、三下の道化らしく意地悪く笑んだ。

 再度舌打ちが聞こえた後陰陽の印が浮かびそのまま消えていく鬼人正邪、顔を逸らされていた為表情はわからなかったが、驚きを提供したわけだし出来れば笑んでいてほしい。

 お尋ね者が逃げるのを一緒に見ていたあたしの友、黒い翼を二度羽ばたかせて隣に佇む頼もしい友人がこれでいいのかと問いかけてきた、文こそ捕まえなくていいのだろうか?

 

「返してもらうって聞こえたからそうしたけど、捕まえなくていいのね?」

「文こそいいの? ご褒美でるわよ?」

 

「あれがいればネタに事欠かないもの、あれがご褒美みたいなもんよ」

「そう、あたしも似たようなものよ。面白い物は長く楽しみたいじゃない、気に入らないところは潰すけどね」

 

 小槌が水没した辺りを見下ろすと水面に浮かんで沢の苔石に引っかかり浮いている小槌と、それに手を伸ばしては逸らされて沈んだり回ったりしている河童と大天狗が見える。

 あれに撃ち抜かれてもすぐに動ける色男と、爆心地にいたはずのにとりやおかっぱ河童達、あれくらいで死にはしないだろうがそれでも元気なものだと笑んでいると、集まり始めた烏天狗に囲まれてしまった。

 気がつけば文はおらず輪の中にはあたしに対して剣先を向ける生真面目天狗、ウインクすると顔を背けられてしまい相変わらずつれない態度を見せてくれた。

 今は御役目通りに動いて捕物に混ざっているのだろう、それなら偉そうに言った手前もあるし椛にお縄を掛けてもらおう。

 

 葉を込めただけで火を入れていない煙管に火を入れて咥える、空いた両手を椛に差し出すと訝しげな顔で両手を括り始めた。下の方で妖術をやめろと煩い大天狗がいるが、その声は無視して椛毎下降し縛られた手で小槌を拾い上げた。

 両手に風を纏い逆巻せて寄越せと脅してくるが風向きを逸らして散らし、科を作ってイヤと戯けてやる。どうにかしろと縄の先を掴んでいる天狗に命令するが、椛がどうにか出来るならどうにかして見せてほしいものだ。

 魔力の感じられないスッカラカンな小槌を尻尾の代わりに振って、ぼんやりと考えていた。



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第百二十八話 気分高揚

六日目昼間?→六日目深夜


 二枚舌をあしらった後は春めいて華々しいお山を望み気持よく一服、とはいかず暗い穴蔵に押し込まれて両手は縛られすっかり囚人姿。これで猿轡(さるぐつわ)と目隠しでもされて自由がなければ、そういった趣味の者に売られる妄想に興じられるのだが、両手だけ中途半端に縛されて狭い牢屋に押し込まれていた。

 真面目な白狼天狗に縄を引かれて押し込まれたのはいいのだが、お天道さまも見えない牢屋では時間もわからずやることもなく、暇潰しに足だけ禅を組んでいる。組んだ所で空になどなれず偶に足で牢を蹴ったりもするが誰も来ないし、握ったままの打ち出の小槌で壁を打っても誰も来ない。最初のうちは音に惹かれて若い狼が覗きに来てくれたけれど、狼らしく襲うこともせずチラリと見てはすぐに帰っていった。

 

 よくあるような封印術式の縄で縛られているわけでもなく、ただの荷造り用の紐で括られているだけで縛とはいってもいつでも解けるものだ。飽きたら解いて穴でも掘って出て行けばいいだけだが、一度捕まりお山のお白州に連れて行かれるのも面白いかと少し期待して待っている、けれど同心のお迎えは来ず放置プレイで焦らされている。

 そろそろ一服したいなと思っても両手が塞がっている(てい)なのだとその度に思い出し、仕方がないなと煙管の代わりに親指吸って我慢している。煙管の代わりに吸うのなら柔肌の方が良い、そんな事を考えていると暫く振りに誰かの気配がして、親指しゃぶったまま牢の入り口を見つめると嗄れた声で話す誰かが牢の正面に腰掛けた。

 

 他の雄天狗よりも幾分小さいが召し物のせいで大きく見える体躯に長い白髪、肩から腰まで白いボンボンをくっつけた偉そうな格好をして、いかにも儂がお偉いさんだと見た目と雰囲気で教えてくれる手合。昔はお山の大将に食って掛かって殴り飛ばされていたのに、何時の間にやらヨレヨレの爺になって年老いた姿に見える誰か、その誰かの見た目のせいであたしの年令も自覚させられた気がして少しだけ腹が立った。

 不機嫌を瞳に込めて指を咥えてじっと見ると、呆れを込めた瞳で見返されてしまうが相手の思慮には気がつかない事として、あたしの希望を押し付けた。

 

「飽きたわ」

「ならば出て行けば良かろう? お主自身を引き止める理由などないわ」

 

「偉そうな天狗奉行のお裁きは? これより侵入者について吟味を致す、なんてのはないの?」

「人に毒され過ぎておるのぅ、馬鹿にしおって」

 

 ドスの利いた嗄れ声で返答をくれる爺天狗、美しく逞しかった翼にも白い羽が混じって見えて体の衰えを教えてくれる。お山に引き篭もって人間を驚かさず食わずにいればこうもなるのか、当時は火遊びしてもいいかと思っていた腕はやせ細り頬も痩けて無残な姿に見える。

 見る人が変われば老獪で威厳ある姿に見えるのだろうが、あたしからすれば体型維持をサボった爺にしか見えず、昔の切れのある肢体や冬場の澄んだ空のような瞳はもう見られないのかと、深く掘られた目尻の皺を見て思った。

 

「飽きたわ」

「既に伝えた、止めはせぬ‥‥が、ソレは置いていけ」

 

「ソレじゃわからないわね、気でも置いていく? そんなに好いてくれていたかしら? 仲良しだった覚えがないんだけど」

「それは忘れずに持ち帰れ、古狸……代わりに小槌は置いていけ、儂らで上手く使ってやろう」

 

 イヤと言って小槌の柄を牢の隙間から差し出してみる、ゆるりと手を伸ばして来るがほんの少しだけ逸れてしまい柄は握れず牢を握るクソジジイ。

 度々お山に入ってはその度に何かしら逸らしているのだ、それを知らないわけではないだろうし昔の喧嘩も見ているはずだ、素直に手を伸ばしたのはちょっとした遊び心か。見た目は好ましくなくなったが、心持ちは昔のままで茶目っ気のある烏なのが小指の先ほどだけだが嬉しかった。

 差し出した小槌を戻し一枚だけ充てがわれた毛布の上へと放り投げ、これを使って何がしたいのか、少しだけ聞いてみた。 

 

「上手く使う、ね。天狗の繁栄を願って振るのかしら?」

「安寧を願うだけよ、これ以上の繁栄など求めておらんわ、お山が無事ならそれで良い。その為に儂らで譲り受ける‥不服そうな顔をするが何が気に入らん?」

 

「口調もそうだけど見た目以上に中身も年寄りになったな、と。昔は幼さを残す可愛い少年姿だったのに、誘ってくれればお姉さんが跨ってあげてもいいくらいの」

「抜かせ、お主の貧相な体よりも星熊様や仙人様のような御方が好みじゃと知っておろうに」

 

「姐さんは兎も角もう一人とは大差ないわ、むしろあの人よりくびれてるわよ? 姐さんに宴会でひん剥かれて泣いていたのをあやしてあげたのは誰だったのか、忘れてしまったのね」

「女は細さよりも触り心地じゃろうて、変わらず食えない(おうな)じゃのう……素直に手放してはくれんか? 古狸相手にただで寄越せとは言えん。山で好きに‥‥」

 

「見た目だけ爺な奴に年寄り呼ばわりされたくないわ。それと…好きに、なんて軽々しく言うものではないわね。壁にも格子にも隙間があるわ」

 

 自意識過剰と言われたばかりで見られているとは思わないが、記者とわんこに見られるよりもあっちの胡散臭い覗き魔の方が心配だ、小槌を渡して変に巻き込まれて厄介事や面倒事に首を突っ込みたくはない。余所のお家騒動に巻き込まれるなどたまったもんではないし、そういうのは身持ちの堅い天狗と大家だけでやって欲しい、ただでさえ何かと騒動に巻き込まれているのだから本当に勘弁願いたい。

 小槌を使って安寧を、なんてのたまうのはいいが、幻想郷のパワーバランスをになう一角が便利アイテムを持つなどと、歪な天秤がさらに偏ってしまって大家さんとしては面白くないはずだ。

 本当に安寧を求めて使うのかもしれないがこの地で安寧などと‥安寧から乱れた結果生まれた妖怪のくせに何を言うのか、昔なら‥やめておこう、回顧するなど柄でもない。

 しかしどうやり込めるか、老獪ぶったクソジジイを諦めさせるなど無理な話だ。折るには硬いしそれこそ面倒くさい…いいや、折ろう、もとよりそのつもりだったわけだし。

 

 毛布の上でコロンと転がる打ち出の小槌と、手に入れたいのに手に入らない爺を見比べて瞳が合った瞬間に、咥えていた親指と人差指を擦り合わせて一気呵成に術で燃やした。ゴウっと音を立てて毛布と共に燃え広がる元打ち出の小槌を爺の方に蹴りやると、炎が渦を撒いて一瞬で掻き消えた。

 欲しがった物に対する弔い……とは思えない呆気無い消し方だ、さてはこうするつもりだったな。

 体型は兎も角媼やら安寧やらと口走り煽ってくれて眼前で壊すように仕向けられたか、なんとも食えない爺さんになったものだ。

 

「年を取ると口が上手くなるのね」

「口だけではない。あっちも現役よ、暫くぶりにお前様を見たが相変わらず食指の動かん体じゃ」

 

「黙って聞いていれば貧相だの食指が動かんだの言ってくれて、姐さんにしろお前にしろ基準がおかしいのよ。帰りにエロ爺だと言い触らす事にするわ」

「周知の事実よ、最近の天狗は肉付き悪い者が多くてのう、あるのかないのかわからず偶に触れるがその度に睨まれておる。お陰様で未だ疎まれてこの世にはばかっておるわ」

 

 白羽混じりの翼に威厳を隠して悪戯に笑む、ほんの少しだけ大昔の悪戯小僧の片鱗を見せる天狗の頭目、愛らしかったあの頃のままの姿で今の言葉を吐いたなら雷鼓に内緒でつまみ食いしてもいいくらいだったのだが…時の流れとは残酷なものだ。

 風の渦で悪戯して回りあたしの着物の裾を払ってみたり一本角のスカートを捲ってみたり、一番酷かったのは現役ヤンキーだったあの人のスカート捲って完全に丸出しにさせた時か、あれは面白かった。何処かで落っことしてきた今はない右腕でとっ捕まえて叱っていた時に後ろ側だけ捲ってみたりと、見習うべき悪戯心を発揮して可愛い顔して謝る姿、あれを今の形でもやっているならそりゃ疎まれるな。

 周知の事実と自称して開き直っているのに一度も新聞のネタに上がらない、という事はあの二人も犠牲者だろうな。後でほじくり返してやろう、誰から聞いたか問われたら本人からだと言っておけば黙らせるのも容易いはずだ。

 あの大天狗にも謝らないといけないな、風上はこのエロ爺だとあたしとこころに向かって吐いたのだ。外に漏らさず隠し通しているから本性はバレないと思っていたのだろうが、これを風上に置いて動くというのならあの伊達男もこういう思考なのだろう。

 聞けば否定するかもしれないがそんな事は耳に届かない。

 風の拳を振るう能力『手腕を振るう程度の能力』というものらしいが、どういう意味でその手腕を振るうのかにっこり笑って聞いてやろう…どれほど嫌悪してくれるのか、随分と楽しみだ。

 

 下品な妄想に囚われていると両手の縄を風で切られて封が解かれた、小槌が壊れたのを確認できたからもう用済みって事だろう。遠回しに煽らずともはなから壊せと言えば手間がないのに、そうも言えないのはお偉いさんになったからなのか。

 意図が組めずに目尻の皺を少し睨むと、お偉いさんの顔に戻って建前と本音どちらなのかわからないことを嘴から漏らし始めた。

 

「大天狗を落とせる程の妖器『打ち出の小槌』そんな物があると広まれば我らの威厳は地に落ちるが、手元に残して隙間と揉めるのを儂は望まん。かと言って目の届かん所にも置いておけん、故に在るべき忘却の中へと還してもらった」

「それなら白日の下に壊し晒すべきだったと思うけど、協力者である河童は兎も角として他の木っ端妖怪も見ているはずよ」

 

「その気はないと隙間に知られれば其れで良い、半端な者共に儂らに逆らう気概などなかろうて‥小槌を持っているかも知れない物騒な天狗衆に手を出す痴れ者などそうはおらん」

「ふむ、天狗と河童以外…お山の妖怪全てを化かす、それは面白そうね」

 

「だが問題があってのう、万一バレそうになった場合に儂は動けん、立場というものがあってのう。そこで代わりに火消しをしてくれる者がおらんかと探しておる、儂らよりもその手の事に長けた者がおればいいが」

「素直にお願い、とは言えないのよね。面倒な立場になったものね、昔のよしみでノッてあげてもいいけれど、条件くらい出させてもらうわ」

 

「お山の警護手伝いと小槌の礼におもちゃをくれてやるというのに、まだ何かあったかのう」

「他の天狗衆には内緒、河童にも話してはダメよ。おもちゃは多いほうが面白いし、障害は多いほうが燃えるわ」

 

 そうしたいのならそれで構わんとカラカラ嗤う大昔のエロジジイ、これに負けないくらいにニタニタと頬を歪めるとそういう顔をするから好かんのじゃとのたまった。

 勇儀姐さんのような我儘な体躯が好みと公言し続けているが、本当のところはこいつは体よりも表情が目当てなのかもしれない。

 あたしと体型差のないあっちの人にも手を出して叱られて喜んでいたし、こいつはあれだ、多分物理的にいじめられる方が好みなのだと思う。

 それならあたしは悪くない、悪いのはこいつの性癖だ。

 

 下品な爺は捨て置いて天辺公認の脱走を図ると外はすっかり薄暗い、お縄にかかる前はまだお天道さまが見えたと思うが何時の間にやら暗い天狗の集落。

 お勤め明けに伸びをして出所待ちでもいないかと周囲を見やると待っていたのは白狼天狗、捕まえた責任でも感じていたのか仕事終わりから待っていたらしい。

 御役目通りにしただけで気にする事など何もないのだが、待つような理由があるだろうか?…少しカマをかけてみようと思い、得意の千里眼に何が映っていたのか問うと真っ直ぐに見つめ返されて何も見ていないと言い返された。

 それならいいと柔らかな態度で接してみると少しだけホッとしたような安堵を浮かべる忠犬椛、あれの趣味は知っていたから心配などされなくとも何も起こらないが、気にかけてくれているのはありがたい。

 手を振り感謝と今日の別れを告げると本当に何もなかったのかと再度問われた、散らしてないから大丈夫と伝えると不思議な顔をされてしまった。

 この子は爺の正体を知らないらしい、木の葉天狗にはバレてないのか‥記者二人よりも膨らみのある胸を盗み見て、この子が強く出ればあの爺さんを尻に敷けるのかもしれないと、出所後の一服をしながら小さく頷いた。

 空を目指して禅を組んでいたあたしに邪な遊びを持ちかけてきた天狗の頭目、名の通り悟りを開こうとする手合を堕とすとは中々に面白い爺さんになったものだ。

 

 爺を長く見ていたせいかまぶたを閉じると目尻に皺が寄ってしまう気がする、若々しい狼さんで目の保養が少し出来たがもう少し取り戻しておきたい。直接的に若さを取り戻せる相手は床に臥せっているし代わりに見るなら何がいいか、少し悩んで移動した。

 

~少女移動中~

 

 土臭い穴蔵の匂いを記憶の彼方へ消し去るために芳しい香りで満たしたい、日が落ちたためか門の守護者はおらず誰にも声を掛けずに屋敷内へと踏み入ると、いつもの様に突然従者が現れた。

 本日はどのような? 瀟洒な態度で来訪理由を問われて良い香りの紅茶が飲みたいと真っ正直に話してみると、それならば御嬢様方とご一緒に、そう促されて応接間へと通された。

 血の色のような床と壁に囲まれた落ち着かない応接間で少し待つと、白い皮膜を広げて歩く赤いお屋敷の小さな主が姿を見せる。あたしの腰掛けるソファーの横に同じように腰掛けて、従者の淹れてくれる素晴らしいお茶を二人で待った。

 姿から待つといっては見たが時を止めてすぐに用意される華やかなティーセット。

 銀のカトラリーと揃いになったケーキスタンドから良い香りのする焼き菓子を摘み待っていると、ソファーの高さに合わせられた小さなテーブルに二つカップが配膳されて、小さく湯気をたたえ始めた。いつも出される琥珀や橙色のお茶ではなく、白く白濁したミルク入りの紅茶が注がれて目の前に配膳される。香りを楽しむなら何も入れずにと言っていたような気がするが、リクエストしてこれが出たのだ、何か意図があるのだろう。

 ソーサーとカップの立てるカチャリという音を聞きながら鼻と口内で楽しむと、リクエスト通りに濃い目に淹れられた芳しい茶葉とミルクがちょうど良く、喉を過ぎた後でほのかに香る鉄の匂いで満たされて、無言で二口ほど楽しんでから小さく笑むと味はどうかと問いかけられた。

 

「時間も遅い為ナイトキャップにミルクティーをご用意致しましたが、お口に合いましたでしょうか?」

「今日は悪戯はないんだな、いつもこうなら完璧なのだが」

 

「完璧なんてつまらないわよ? 確かに要求通り芳しいモノだわ、初物?」

「お客様にお出しする物に悪戯は致しませんわお嬢様、秋物ですがお気に召しませんでしたか?」

 

 味は上々、その反応でわかるから大丈夫と意地悪く笑むと隣のお嬢様も同じような顔で微笑んだ。返答と笑みに対して小さく会釈しそのまま消えた初々しいメイド長を見送り、隣の主と紅茶を楽しんでいるとあまりからかうなと窘められる。

 主は楽しく笑んでもいいのか、問いかけてみると私の物だから構わないといつもの我儘を言ってみせた、見た目通り幼女らしい我儘さを見られてやはり来てよかったと頷いていると、最近の流行りについて話の筋が操られていった。

 

「新聞は読んだ、山で嗤ったそうじゃないか、捕まえないのは何か理由が?」

「書くのも読むのも早いわね。特に理由はないわ、遊びは長く出来れば皆で。まだ遊んでいない者もいるでしょ?」

 

 半分ほど残った紅茶を煽り一息で飲み干して、唇に残る雫も舌で舐めとる。

 普段であれば何も言わずにおかわりを注ぎに現れるのだが、今日は主に止められているのか姿を見せない瀟洒な従者。

 いないのならば都合もいい、もう少し我儘な御嬢様を相手にして若さを吸わせてもらおう。

 

「そうやって最後まで日和見か、らしいと言えばいいのか底意地が悪いと言えばいいのか」

「両方でいいわ、新聞が出回ったのなら隠す意味もなくなったし、紅茶の御礼に少しヒントをあげましょうか?」

 

「ヒント? 楽しみが早まるが構わないのか?」

「まだ手札があるみたいだし、そろそろ疲れた顔が見たいのよ。ヒントというか助言かしらね、もし遊びに出すなら遅刻させたほうがいいわ」

 

「そろそろ腰の重い奴らも動くだろうに、遅刻していけという裏が聞きたいな」

 

 同じく飲み干してこちらに体ごと向く幼い主、両足をあたしの腿に乗せて両指を組み怪しく嗤う幼女様。鋭い八重歯を見せてくれて愛くるしいとは真逆の状態だが、傲慢な吸血鬼らしい素振りは中々に素敵で様になる。

 怪しく嗤う表情を鏡で写したように真似て、遠回りしながら聞きたいという裏を教えてあげた。

 

「まだまだ元気な素振りだったし手札があると言ったわね、それが減って疲弊した頃に遊んだほうが怪我がないわ。お互いにね」

「なるほど、体を気遣うなど随分と気に入ってくれたな」

 

「可愛いんだもの、背伸びして主の期待に答えようとする初物少女が」

「はっきりと口にするな、聞かれて捌かれても責任とらないわよ」

 

「なら言い換えるわ、普段から貧血気味なんだから気をつけなさい。血を流されたら味わえなくなる」

 

 カップを顔の上に持ち上げて底に残る一滴を垂らすように傾ける、一滴零れたそれを舌で迎えて味わっているとはしたないと従者に窘められた。

 何も言われず三枚に降ろされて冬場の襟巻きにでもされるかと思ったが、淑やかな態度のまま二杯目を注いですぐに下がる吸血鬼の愛くるしい従者殿。

 あたしのカップにだけ二杯目が注がれて私の分はと追加要求をする主殿。

 もうすぐお休みの時間、粗相をされては困りますと頭を垂れて下がっていく紅魔館のメイド長。

 するのかと瞳を開いて嗤ってやるとするわけないだろと癇癪を起こすお嬢ちゃん、腿の上で足をバタつかせて否定する様が面白く、暫くからかうと『うー』と鳴いた。

 姉蝙蝠の泣き声を初めて聞いた、楽しい夜だった。




天狗の長には別名があります、そっちからそれらしく
メガテンプレイヤーならわかりやすいかもしれません
ナイトキャップ、寝付く前に飲むお酒やカフェイン薄めの茶をこう言います


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第百二十九話 花を拝み、蕾を憂う

 発起人である幻想の大家さんの宣言で始まった第一回幻想郷追いかけっこ。

 我も我もと騒ぎ始めてから今朝で丁度一週間になる、霧の湖に始まって昨日の妖怪のお山で大捕り物となった逃げ役が天邪鬼だけのかくれんぼ。

 今日も今日とて何処だと騒ぐ人妖があっちこっちで煩くて堪らないが、小槌も壊してやった事だし後は逃げ役が消耗しきって疲れ果て誰かにとっ捕まる瞬間を眺み、あいつの嫌う高笑いをしてやればいいだけとなった。

 早く誰か追い詰めてくれないかと里の甘味処で買った見舞いのお菓子と白徳利をぶら下げて、白い着物の裾を払いながら長く続く神社の階段を朱色の鳥居に向かい登っている。

 朝っぱらからの見舞いなら他に行く先があるだろう。そんな事を言われるためにわざわざ来たというのもあるが、昨晩過ごした紅いお屋敷の従者が今日辺り巫女達や黒白を誘って遊びに出ると聞いて、出発前の陣中見舞いでも思いと尻尾揺らして石段を登る。

 異変となれば動くのが今集まっているだろう少女たちで、彼女達が動くならそろそろ終わりも近いのかなと半分くらい考えている。空飛ぶ部類の少女達が数人もいれば解決なんて一瞬だろうと思う反面、今回は異変というより討伐に近いもので下手すれば小町の船に揺られる事になり兼ねない。さすがにしぶとい少女達しかいないから心配などはしていないが、散らす前に散らないように老婆心ながら様子見に来てみた。

 ちなみにわかりやすく言葉の綾で言っただけで、あたしとしては未だ現役真っ只中だと考えているからその辺りは聞き流して欲しい。

 

 鳥居の端をたらたらくぐると少し剥がれた石畳の参道でキャイキャイと騒ぐ少女達。

 黒白青白緑白と白を貴重にそれぞれ差し色が入るうら若き乙女達、赤が足りないなと社務所を見ると『巫女、空に知ろしめす。すべて世は事も無し』

 なんて祝詞を上げてもいいくらいに、ぼけっと空を見上げいつも通りにお茶を啜る姿があった。

 おめでたいのが動かないなら今日は捕まらないだろうなと安心し、あたしもいつも通りに縁側に腰掛けてまったり煙を楽しみ始めた。

 

 キャッキャと騒ぐ四人を余所に小さな姫と二人でお茶を啜る楽園の素敵な巫女さんに、土産の包を手渡すと入れ違いで湯のみが差し出された。また少し育って、十寸くらいになった姫様から湯のみを受け取りありがとうと微笑むと、小さな手を小さく振って紅白から差し出された豆大福を頭に被るはずのお椀で受けて、小さくちぎって頬張り始めた。

 まるまる一個抱えて食うのはいいが全部食うのに何日くらい掛かるのだろうか、日が経てば経つほど皮も硬くなり食べにくくなりそうだ。そうなったら湯で溶いてぜんざいなんてのもいいな、そんな事を咥え煙管で考えていると自分の分はちぎり終えた姫から残りを差し出された。

 土産に持ってきたものを貰うのも気が引けて他の誰かに渡せと言ったが、貰ったのなら私の物でお裾分けくらい受け取れと、あたしの腿の上で喧しくなり始めた。言われてみればそれもそうかと素直に受け取り頬張ると、隣の縁側でなんで粒餡じゃないんだと騒ぐのは黒白。土産に文句を言うなんてと一瞬考えたが、食べ始めたならあれは黒白のモノであたしが口を出す事でもないなと、細かいことは気にせずに頬張った。

 指についた団子粉を舐めているとその黒白から話しかけられる。

 

「おい、贔屓妖怪! 咲夜だけに教えるなんて狡いぜ」

「そうですよ、新聞読みました! わざと逃してなにしてるんですか!」

「幽々子様も紫様ばっかりアヤメのご飯食べて狡い! 贔屓して狡い! と仰っていました、そのせいで食欲に傾く一方で困ります」

 

「三者三様に責められても困るわ、咲夜のせいなんだから助けて」

「私は御嬢様から追いかけるヒントを聞いただけで‥‥アヤメ様が直接話してくださり、私に内緒だと言ってくだされば秘密にしたのですが、自業自得ですわ」 

 

 青白の助け舟は乗船前に離岸してしまった、それならあっちの紅白に助けてもらおうとチラリと見ると目を逸らされる。能力使って逸していないのに向こうから逸らされるとは、また御嬢様に運命でも弄ばれて勝手に逸れるようになったのだろうか。

 意識せずに勝手に発動するようになったら困る、無意識の妹じゃないが焼き鳥の串が手元から逸れるなんてあったらあれの髪にも触れられなくなる、そうなってしまったのならいっそ何かを閉じて無意識下で動けるようになってみるか?

 いやいや、それはやめておこう。そもそも閉じるモノがあたしにはないのだ、それに無意識で事後でした、なんて事になったらたまったものではない。

 四人を放って要らぬ心配をしていると、それぞれヒントを寄越せと騒ぎ始めたメイド長以外の三人。そのつもりで来たし全員一緒でいいのならと条件を付けると、咲夜だけ二つで狡いと喧しくなった。あたしの能力云々は兎も角として、元はといえばこれはレミリアのせいか。

 ならいいや、押し付けよう。

 

「あたしはレミリアに言ったの、レミリアが咲夜にだけ教えたのが悪いのよ。幽々子も同じで悪いのは紫さん」

 

「それもそうか、咲夜は直接お前から聞いてないもんな」

「なるほど、言われてみればそうですね」

「いつも食べている紫様が幽々子様の分を用意しないのが悪い、そういう事ですか」

 

 あたしへの注意力を少し逸らして矛先を吸血鬼に向けると、綺麗に話の筋を逸れていってくれる三人。メイド長は直接聞いた事実を再確認しただけで元々逸れるものがないが、主に向けられる難癖を聞いて面白いのか、手の甲で口元を隠して笑んでいる。素直に聞けばこれはおかしいと気がつくが、メイド長も注意力が逸れているからおかしい事に気がつかない。

 とりあえず押し付けて煙に巻けたし細かいところはどうでもいいか、少女達で遊ぶのはこのくらいにしておいてそろそろ本題に入ろう、これから四人でお出かけらしいし景気付けと注意喚起をしておこう。

 

「結果論だけど確かに咲夜だけ狡いわね、贔屓したら後が怖いし‥じゃあこうしましょう、ヒント代わりにちょっとしたお遊びをしましょうか」

「遊び? 何をするんだ?」

 

 魔女っ子帽子の上にクエスチョンマークが見えそうな普通の人間の魔法使い。

 魔理沙が肩から下げたかばんの中に入っているだろう魔道具を構える仕草を見せると、お? と興味を持ってくれた。

 

「魔理沙の得意な魔砲、それの全力であたしを撃墜するだけよ。簡単でしょ?」

「なんだ、景気付けに弾幕ごっこか。吹っ掛けてくるなんて珍しいな」

 

「あたしは攻撃しないから、落とすつもりで撃ってきていいわ」

 

 腿にいる姫を右手で掴み言うだけ言って先に浮上する。

 神社に影響が出ないくらいの高さまで浮き上がり、下から見上げている魔理沙に左手で持った煙管で差して、いくらでも撃ってこいと煽るように先をクイッと二回持ち上げた。

 あたしの右手が巻き込むなと騒がしいが何ともないから大丈夫と、先ほどの笑みを見せると魔理沙とあたしを見比べて口だけじゃないと見せてみろと小さな胸を張ってみせた、期待に答えられるかはわからないが驚いてくれると嬉しい。

 話している間に魔理沙のチャージが終わったらしく、あたしに対して向けている右手の先が眩しく輝いき放たれた。轟音と共に吐出された魔力の光線が向かってきて姫が煩いが、煙管に葉を込めながら上方へと逸らすと魔光とあたしを見比べて驚いたような顔をしていた。

 魔砲を打ち切り、下から見上げている魔理沙もサイズは違うが同じような顔をしていて、何が起きたのか分かっていないようだったから遊びに対してのネタばらしをする事にした。

 

「全力でと言ったつもりだったけど聞こえなかった?」

「アリスから聞いてたけど反則だぜ! あれじゃ当たらないじゃないか!」

 

「弾幕ごっこじゃないもの、気にせず好きにさせてもらうわ」

「あ? 全力で撃ってこいって言ったじゃないか!」

 

「言い換える? 殺すつもりで撃ってきてもいいわよ?」

 

 右手の先で本気で離せと煩い姫を離して肩に座らせて離れないほうが安全だと伝えてから、再度魔法使いを煽る。殺すなんてと渋る魔理沙に、当たればアリスを超えられると同じ魔法使いをダシに煽ると、八卦炉を数秒見つめてから両手で構えてチャージを始めた。

 キィンと耳につく高音を放ちながら八卦炉の中心に集まっていく眩い光。集まる光を見つめていると右の肩から本当に大丈夫なのかと心配そうな声が聞こえるが、目を瞑っていても大丈夫とウインクをして返答した。

 全力全開には見えないがさっきよりは数段火力があるように思える魔力の収束を感じて、姫から魔理沙に視線を移すと、両手で構えて片足を背後に伸ばして踏ん張りを見せる魔理沙がいた。

 煙管に火を入れ一息吐いて先ほどのように咥え煙管で左手で煽ってやる、何かを叫ぶ口の動きが見えた後弾幕ごっこでは見られない勢いで高出力の魔砲が空を焼いた。太く激しく収束した魔力の本流が眼前に迫る頃右肩でひぃっと聞こえるが、クスリと笑いこれを逸らす。いつかの人形遣いにやったようにあたしから弧を描き逸れるように、魔力の本流を中心から花開かすように逸らし散らして流し切り、何事もなく姫に声を掛けた。

 

「驚いた?」

「驚くわよ、そりゃあ。何これ?」

 

 間近で驚きを提供できて大満足だと笑むと、さっきの黒白のように頭の上に記号を浮かべてくれるお姫様。その顔が見たくてやったのだと伝えると眉をハの字にして更に不思議そうな顔をしてくれた、相手が誰であろうとも初見ではほとんどこんな顔をする。

 なんとも堪らない。

 

「遊びって言ったじゃない」

「いや、そこじゃなくてさ、何をしたの?」

 

「何かしたように見えた?」

 

 首を傾げて悩み始めるお姫様が愛くるしくてクスクスと笑み右の袖で隠す。

 笑みも声も届かないくらいに悩んでから、針が刺さらないのと一緒かと考えた先の答えを述べてくれたので正解だと伝えてそのまま地上に降りた。

 地上に降りるとさっきのはなんだと騒ぐ三人。

 メイド長には妹蝙蝠とお友達になった時に話していたからネタバレしているが、実際に見えるものを逸らすところは初めて見せたはずで、左手を上げて指先だけを振ると何か納得する表情になった。何がどうなったと煩い黒白緑白二人、黒白以外は知ってそうだが触りだけ教えてあげた。

 

「化け狸の化かし合い、楽しめたかしら?」

「アリスの言った通りだったぜ、何もされずに嗤われるのがこんなにイライラするとは思わなかった! 弾幕ごっこじゃ手抜きしてたのかよ!」

 

「当たらない弾幕ごっことか遊びにならないじゃない、楽しくない事はしないわ。それにあたしで苛つけてよかったのよ? 正邪相手に苛ついてたら痛いじゃ済まないかもしれない‥あれもここまでじゃないとは思うけど似たような事をするから、気をつけなさい」

 

 言うだけ言って煙管を右手で軽く叩き、燃え尽きた葉を落として踏み消した、そのまま四人の視界に入るようにくるくると回してから帯に挿す。魔理沙に睨まれているが気にはしない。

 あたしの煙管を眺める表情を見るに全員新聞で読んではいるようで、失くした煙管はアイツが持っていると知っているようだ、それならば話が早いだろう。

 

「あの」

「はい妖夢、何かしら?」

 

 小さく挙手する妖夢に平手で促し質問を聞いた、夏場のあれと一緒ですか?

 そう問われて、正解だと答えると背中にしまった二刀のような鋭い表情でわかりましたと答えてくれる。正邪に剣術が通じないかもしれない、言わずとも伝わったようで楽ができた。

 他には何かあるかね。

 

「それって煙管の力ですか? アヤメさんの能力ですか?」

「正邪も出来るんだろ? なら煙管でどうにかしてるんじゃないか?」

 

「そうですねぇ、煙管を持っている時に外れましたし」

「て事はあいつが持ってたら弾幕が当たらないって事だな、確かにヒントだ! ありがとうな、アヤメ」

 

 早苗の質問に対して持論を述べる魔法使い、研究家の素養を見せる者らしくたどり着ける答えを述べてくれた、あたしに対して宛がうにはまだまだ甘い答えだが、天邪鬼に対しては正解だしヒントとしてはこれくらいで十分だろう。

 唯一知っているメイド長だけは小さく微笑んでいるが、理解してくれたのだろうか?

 まぁいいか、時間に対しての対策は多分ないだろうし、この子なら退き時を心得ているはずだ、先の異変で妖器に動かされた先、竹林で襲ってきた狼女を返り討ちにしてその後引いて見せてくれた実績がある。

 ふむ、心配事もそれほどないようだし、とりあえず物思いは後にしよう、眩しい笑みを見せて感謝してくれたわけだし、最後に〆て送り出そう。

 

「どういたしまして、ついでに長生きのコツも教えておくわ。追いかける時は程々に、危なくなったら全力で逃げるってのがコツよ」

 

 あたしを見ている少女四人に年配者からのアドバイスを伝えて座っていた縁側に戻る。

 すっかり冷めた湯のみに手を伸ばして一息で飲み干し、少女四人にいってらっしゃいと改めて手を振った。会釈やら深い礼やらそれぞれ返してくれて飛び立っていく四人を眺めて、姫を腿に戻して湯のみを両手で携えていると横に腰掛けた巫女が急須を差し出してきた。おかわりがもらえるくらいには楽しんでくれたようだ、素直に湯のみを差し出しておかわりを啜ると巫女から遊びの感想を貰うことが出来た。

 

「萃香の言っていた意味がわかったわ」

「可愛いって? それとも綺麗って言ってた?」

 

「紫は殴り甲斐がない、アヤメは殴るまでが面倒臭い」

「あの反則妖怪と一緒くたにしないでくれる?」

 

 口についた反則妖怪の様に着物の袖で口元を隠して瞳だけで笑みを伝えるが、気色悪いからやめなさいと一言ピシャリと言われしまいいつものやる気ない顔に戻した。

 腿から見上げている姫からも胡散臭い等と言われてしまい、せめて面倒臭いにしておいてくれとお願いすると、その訂正が面倒臭いなどと言われてしまった。

 格好良いところを見せてもっとちやほやされる予定だったのだが、予定は未定とはよく言ったもので思い通りにはならないなとクスリと笑った。

 目を細めて笑んでいると、小さな笑い声を聞いた巫女から更に遊びの感想を貰えた。

 

「なんでまたアドバイスなんてしたの?」

「聞いた千遍より見た一遍、千遍ではなく百文だったかしら? なんでもいいか、一度見れば慌てないでしょ? 本気で逃げる妖怪相手、何をしてくるかわからないし一発貰えばお終いよ? まだ終わるには早いし勿体無いわ」

 

「あ~、だから魔理沙を煽ったのね」

「人里でも思ったけどあの子は危ういわ。全力で物事に当たるのは長所だけれど、軽く煽られた程度で張り切っては危ない。今日はここで無駄撃ちしていったし、無茶はしないでしょ」

 

「見てる『だけ』しかしないからよく見てるのね、それより人間の里?」

「姫の起こした異変で赤蛮奇がやらかしはぐった事、聞いてない?」

 

 そんな事もあったようなと顔を傾けて悩む素振りを見せる幻想郷の守護者。

 それでいいのかとジト目で見るとなによとジト目で返される、怖い巫女さんになんでもないと返答すると鼻を鳴らして茶を啜り始めた。

 本当に格好いい所を見せた後だろうか? 少し悩んでいると腿の上の姫から声を掛けられた。

 

「聞いた通り世話焼きさんなのね」

「うん? 姫に何かしたかしら?」

 

「小槌の話よ、鬼から聞いたわ…ありがとう」

「あぁ、ついでだし本命の方はまだ寝てるから結果姫だけ甘い汁を吸ったのよね、丁度いいから何か頂戴」

 

 お椀を両手で抱えて小さな頭を下げている姫、下げた頭を優しく摘んでゆっくり持ち上げてお椀を取り上げると、それは渡せんと騒ぐので徳利の酒を注いで腿に置いた。

 お椀の三割ほど注いでチャポンと徳利を揺らして、笑む姫に酔った顔を見せろと告げると両手で抱えて止まるので徳利の口を優しく当てた。コツンと当たりふらつく姫の背に右手を置いて徳利を軽く傾ける、いけと煽るとゆっくりと飲み干していった。

 綺麗に空いたお椀にもう一度同じ量注ぐと横に湯のみが突き出されて、湯のみの主を見ずに並々と注いだ。動かす時に少し溢れて着物に少し染みてしまうが、軽く撫でて染みを消すと湯のみを口につけて傾ける巫女から、爺さんみたいだととんでもない事を言われてしまった。

 

「せめて‥‥いや、そもそも性別が」

「あぁ、仕草の事よ、撫でて元通りにするやつ。運昇翁もそうやって怪我を治してたわ」

 

「ついに仙人にでもなったの、あの爺さん」

「河童の薬だって、新米の仙人から聞いたのよ」

 

 新米ってことはあっちの仙人か、爺趣味があったとは知らなかった。爺好きなら今の天魔が打ってつけで、住まいも近いしくっついたらいいんじゃないかね。両方の需要を満たせるし互いに好みの相手のはずだ、エロ爺に言いに行くのは面倒臭いからどっかで新米仙人を見かけたら提案してみよう。考えながらも腿のお椀が空いた隙を見逃さず、お姫様に三度目のお酌をしてそろそろあたしもと徳利を傾けたが、空になった湯のみが視界に入りそっちに注いでいると巫女の湯のみが再度出てくる。

 巫女にも二度目のお酌をして、徳利をあたしと巫女の間に置いてからの湯のみを差し出してみた。何も言われず素直に注がれて湯のみを合わせてまったりと飲む。少し頬が桜色になってきた姫から視線を上げて散り始めた桜を眺む。今のような散り際も美しいし葉桜になっても力強くて良いものだ、飛んでいった蕾達も強い葉桜になってくれればな。

 散りゆく桜を惜しみつつ、開花を待つ蕾が消えていった空を眺めた。 



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第百三十話 謀る相手は選ばない

 朝もはよから花見酒。

 自前の酒で酔う事などないが、腿の上で楽しそうに酔っていた十寸くらいのお姫様と、珍しくお酌してくれた紅白に酔わされて気分良く花見を楽しめた。

 陣中見舞いが済んだ後に本命の見舞いをと考えていたが、酒臭い息では赤髪の眠り姫に口吻も出来ないだろうなと、酔い覚ましをするつもりで神社の社務所で少し寝た。

 深夜帰りの次の日に朝早くから出かけたからか、思っていた以上に寝不足だったらしく、目覚めてみればすっかり夜で腹に姫を乗せて社務所で大の字になっている。

 天邪鬼が逃げ始めてから生活リズムがひっくり返り、夜の墓場で思いに耽って見たり深夜まで他人様の屋敷で紅茶を味わったりと、これでは悪戯兎詐欺に忠告される前の生活に戻っているんじゃないかという気がしてきた。

 

 生活改善をするべきだ。

 悪戯兎詐欺の忠告を真に受けて昼型生活を心掛けてみたが、よくよく考えれば夜に活動するのが妖怪だった、それならこのままでいいのかもしれない。

 やりたい時にやりたいようにやって、やりたくないことや面倒臭い事は他人に押し付け他力本願、できる物は出来る者にお願いしてそれらしく楽しんでもらい、あたしはついでのおこぼれでも楽しんで笑えればなんでも良かったはずだ。

 あたしの呼吸に合わせて上下する小さな眠り姫を見て思う、ついでなどと口悪く言ってみたがそれでも感謝してもらえる、それならついでも悪くはないのかなと。

 

 腹で寝こける姫を起こさぬように顔だけでキョロキョロ周囲を眺めると、卓袱台の上に片腕立てて小さくあくびをする巫女さんが見えた。

 顔を回した拍子に揺れたあたしの耳の鎖の音でこちらに気が付き片手を上げる紅白、同じように片手を上げて起きたと告げるとお茶を淹れ始めた。

 おめでたい巫女が台所に立つ姿なんていつ以来に見るのだろうか、思い出せないって事はそれくらい前の事かね? なんでもいいか、後で聞こう。

 

 お湯を沸かしてお茶を淹れ一人で啜り外を見る巫女。

 あたしの分はと問いかけると起きても寝ている物臭の分はないと、暖かそうな湯のみを口に当てたまま冷たくあしらわれてしまう。

 それならこのままでもいいかと天井の木目を眺めて姫を上下させていると、退治してくれと頼んでこないのか、そう問われた。

 

「また依頼されるかなって待ってるんだけど」

「依頼? 寝てるだけだしそのうち起きるでしょ、ならこのままで構わないわ」

 

 着物の帯に沿って寝こけていて、上からあたしと姫を見れば漢字の『十』に見えなくもない寝姿、横棒が随分と短いが長いと重いし姫くらいのサイズなら重さも感じず可愛いものだ。

 四肢を真っ直ぐに伸ばしている小さな行き倒れを見ながら返答をしてみると、本当にあの狸なのかと何時の事かわからない頃と比べられて言い放たれた。

 巫女から聞けた言葉だけではいつのあたしと比べているのかわからなくて、悩むのも面倒だと素直に聞いてみる事にした。

 

「あのってどの事?」

「宴会終わりの朝もそうだったし、この間の梅見物の時にも言ってきたわ」

 

 梅見物の時ってのはこの間だから思い当たるが、宴会終わりに退治依頼なんてしただろうか、あぁしたな。門番と弾幕ごっこをやらされた神社の宴会後、社務所で萃香さんと飲み潰れて尻尾に抱きつく萃香さんを投げた朝、湯のみ分の昔話を話した時か。

 あれと比べられても困る、一緒に飲んで一緒に寝ると毎回必ず尻尾に抱きついて萃香拓を残されるのだ。あっちは毎度の事だからあたしも鬼っ娘も慣れたもので、放り投げた後に叱ってそれに対して可愛さアピールを返されるまでがお決まりの流れになっている。

 何度叱っても懲りずにあたしの愛らしい尻尾に幼女跡を残すのが悪い、それがわかっているからあの人も素直に叱られてくれる。ちょっとした挨拶や遊びも兼ねていて誰かに気にされる事でもないのだが、気になる事でもあるのか、お茶を啜りこちらを伺う博麗の巫女様。

 言われて思い出したのだし、シチュエーションも似たようなものだ。

 少し遊んでみようかね?

 

「そこないらっしゃるのは博霊の巫女様ではございませんか、ぜひとも見てやってくださいな。可愛い可愛い姫様があたしの自由を奪っているのです」

「そうね、見ればわかるわ」

 

「ぜひともこの姫をどかしていただきたいのです、きっと他にも……」

 

 芝居の途中で動かれてしまいセリフを噛んで止まっていると、猫でも抱くように両手で姫を持ち上げてそのまま隣の部屋に運んでいった。

 襖を開いて先にあるのは大中小のサイズの布団、柄はそれぞれバラバラだが枕は全部南向きで三人並んで川の字かとクスリと笑うと睨まれた。

 一番端の小さな布団にネコける姫を寝かしつけ足音静かに戻ってくる巫女、この子も意外と優しいところがあるんじゃないかと笑んで眺むと卓袱台に湯のみを増やされた。

 さっさと起きて相手をしろとの仰せらしい、どこの家でも主様は我儘で困る。

 卓袱台に戻った巫女と目を合わせながら体を起こして、湯のみの置かれた対面へと座る。

 ジト目で見てくる巫女さんに、とりあえず起きたことを伝えてみた。

 

「おはよう霊夢」

「あんた、次は何処いくのよ」

 

「言って信じてもらえるなら教えてあげるわ」

「あたしの勘と同じ場所なら信じてあげるわ」

 

 正直全く浮かばない、そもそも今日の四人が何処に行ったのかすらわからないくらいだ。

 テキトウにカマかけてあたしのカンではここなんだけど、なんて流れになるかと思えば更に追い詰められただけ、正邪に意趣返しは済ませたし小槌の破壊も済ませてスッキリしてしまい何も考えていないのが現状だ。

 あっちの主(レミリア)はそろそろ重い腰の連中が動き出すなんて言ってたが、小槌を手放しても取り返そうとはせず素直に逃げた正邪を間近で見られたお陰で、まだ知らない手札があるんじゃないかとあたしは踏んでいる。

 この巫女さんもまだ動かないし逃げるのに疲れ果てるまでもう少し時間がかかるんじゃないのか、なんて考えで敢えて動かず他者に勝手に追い込んでもらおうと踏んでいるんだが…

 勘を頼りに動く巫女さんが動かず、あたしに対して居場所は何処かと聞いてくるような予想外の流れになっている。

 まぁいいか、これはこれで面白い化かし合いだ。

 何と言ったらこの巫女が納得するか、それに頭をつかうのは非常に面白いものだ、惜しむらくは既に返答待ちでそれほど時間は掛けられないって事か…ネタがないが、どうしようかね。

 湯のみ越しに対面する巫女に見つめられて何も返さず頬杖をついていると、湯のみに口をつけたはしたない姿で思いがけない事を教えてくれた。

 

「輝針城って気がするわ」

「なんでまた? って聞くだけ無駄よね」

 

「勘だもの、なんとなくよ」

「そうよね、それなら輝針城だと納得出来るように考えてみるわ、ちょっと時間をもらうわよ」

 

 好きにしたらと言いながらお茶のおかわりを淹れ始める巫女さんに、それじゃあ早速と伝えて縁側まで出ていつもの姿でまったりと煙管を燻らせ始めた。

 この巫女さんの勘が輝針城だと言うのなら十中八九間違いないだろうが、このままでは結果だけで面白い過程がないままだ。紅い屋敷の魔女じゃあないが過程というのは大事な物だ、ここでとちればこの間のあたしのように大事な物を失うなんて事になり兼ねない。

 そうならぬようにはどうするか、納得できる過程を作るか?

 あたしが納得できて巫女が頷くような都合の良い過程を考えてみるか。

 しかしなんでまたあの城なのか?

 湖から人里へ、ついで竹林から人里へと戻った、その次が輝針城で昨日はお山か。

 以前のあたしの読み通りなら今日は静かな所へ行っているはずだが、今日は何処かで見かけたという話も一切聞いていない。そもそも遊びに出かけた少女達の行き先も聞いていないし、向かった先で正邪と出会えたのかすらわからない。なんかこじつけるネタはないもんか、今日の天邪鬼なんて特集記事ではなくてもいいから。

 記事といえばそういや新聞の発行が再会したのだったか、天邪鬼速報として毎日書いては飛び回って撒いているらしいが、この神社にも届けているはずだ。

 新聞を読むのか薪を燃やす火種代わりにして終わりなのかは知らないが、とりあえずあるのかくらい聞いてみよう。

 

「霊夢、煩い方でも喧しい方でもどっちでもいいから今日の新聞なんて残ってない?」

「それで沸かしたお茶を啜ってるの、どっちもよく燃えて重宝するのよね」

 

「重宝するって伝えてあげれば喜ぶわよ? 燃やす前に読んだりしてない?」

「言っといて。あんまり覚えてないけど冥界で今日の連中が遭遇したって書いてあったような、人形がどうこうなんて魔理沙のインタビューもあったと思うわ」

 

 話して乾いてしまった舌を湿らせるように天狗茶を啜る博麗の巫女さん。

 覚えていないというがあたしにとって大事なところはしっかりと覚えていれくれた、それどころか聞き慣れない人形なんて単語も飛び出した。

 正確なところは家に帰れば新聞が突っ込まれているはずだ、購読していないのに毎日届けてくれてありがたいが、文々。も案山子もお試し期間中かなにかなんだろうか?

 人の事を記事に書くと言う割には書かないし、それともあれか、お試し用と購読用で中身が違う物があったりするんだろうか。

 いいや、その辺は後で直接聞こう、とりあえずネタをこじつけてみよう。 

 

 冥界で遭遇したって事はあたしの読み通り静かな所へと向かってくれたわけだ、読みやすいな天邪鬼、もう少しひっくり返してくれてもいいぞ。このまま読み通りなら明日は騒がしい所へと向かえばすんなりと会えるはずだが、今騒がしいのは警戒厳しい里とお山か。

 ここまでの実績からアリそうな気がするって事はこれはないな、二度あることは三度あるや三度目の正直なんて以前考えたあたしの読みは外れて、永遠の主従の答えをひっくり返したお山に現れたはずだ。裏を読んで失敗してるしこの線はないとして逆さ城は何からこじつければいいかね、これは結構な無理難題だ。

 随分前に燃え尽きていた煙草を叩いて落とし、二度目の煙草を込めていると、隣に腰掛けてきて思いついたかと問われた。

 

「前のは数日考えたし、さすがに短時間じゃ思いつかないわ」

「なんだ、紫みたいに答えを知ってるわけじゃないのね」

 

「答えを知ってたら時間をくれなんて言わないわ、多分」

「そうよね、同じじゃなかったわ。紫ならそれらしい事を曖昧に言って投げていくもの」

 

 言われてみればわからなくもない、むしろその通りだと肯定できる物言いだ。

 後付後出し大好きでうんと言ってから本題を話してくることが多い、胡散臭い妖怪の賢者。

 八雲の使いとして地底の流行りを見てこいという時もそうだったし、外の世界での人攫いも後から条件やら博麗の巫女やらを話してくれた気がする。

 それに比べればあたしはマシなはずだ、曖昧にぼやかして話すのはそう変わらないが、あたしの場合は思い込みという曖昧だが迷わないで済む理由を得てから動いて話している。

 思い込みで動くというのもこう考えると随分酷いが、この巫女さんの様にカンを頼りに動けるほど若くもないし行動力もない。そういう勢い任せの行動は出来る人にお願いして、あたしはあたしらしく斜め上や斜め下辺りからこっそり拝めればそれでいい。

 思考通りに煙管を斜め上に堂々と咥え煙を吸って少し溜めてから吐いた頃、隣の巫女が鳥居の先を見つめながら話し始めた。

 

「昼間のお節介も考えてこうだと思ったから言ったのよね? わざわざ魔理沙を吹っ掛けて無駄撃ちさせてとか言ってたし」

「お節介になればいいんだけどね、お節介を活かすかどうかは当人次第だもの。昼間の話なんてどうしたの? さっきの紫さんから繋がらなくて何が言いたいのか、よくわからないんだけど」

 

「紫とは違うけど頭は回るなと思ったのよ」

「褒められた気がするけど、まだ要点がわからないわね」

 

「あんたは嘘ばかりで信用ならないけど、昼間みたいな物言いだけは信用してあげるって言ってるのよ。胡散臭いのと同じくらい、ちょっとだけ信用してあげるわ」

「胡散臭いって飾り言葉のせいで素直に喜べないけど、霊夢に気に入られるなら重畳ね。でもそれくらいでいいわ、毎度信用されたら面白くないし」

 

 人間にも妖怪にも優しくもなく冷たくもない平等な巫女さんに信用してやると言ってもらえる、これはこれは予想外でなんとも堪らないものだ。

 紫さんをどれほど信用しているのか知らないし興味もないが、少なくとも話を聞く価値があるとは思ってもらえたらしい。

 期待は裏切る物だという考えはやめないが物事には例外があるし、平等な巫女さんにちょっとした例外扱いされたわけだし、本腰入れてこじつけるか。

 いや、ココは一つあたしらしくこじつけて返すかね。

 信用するという言葉に対しての意趣返し、それならあたしもまるっと信じてみる事にしよう。

 いつもは胡散臭いやら厄介者やらとしか言わないからか、言いにくい事を言って少し気恥ずかしそうな霊夢に可愛らしい思い付きを述べてみた。

 

「思いついたって程でもないけど、聞いてみる?」

「聞くだけ聞いてあげるわ、何処だと思う?」

 

「輝針城、根拠は霊夢の勘よ」

「なにそれ? 馬鹿じゃないの」 

 

 言葉に対してかぶせ気味で馬鹿と罵ってくれる、しかめっ面の博麗霊夢。

 あたしが思っていた以上に期待してくれていたようで、霊夢の勘に真っ向から乗っかってみたら予想以上に引かれてしまい辛辣な言葉まで頂いてしまった。

 折角評価を改めて貰ったというのにこのままではまたつれない霊夢に戻ってしまう、上手くやれば笑顔くらい見られそうな空気だったが退治されてもいい空気になってしまった。

 こういう時に雷鼓がいてくれればテキトウにノセてもらって上手い事丸め込めるのだが、あいつの重低音は鳴りを潜めてしまい今頃すやすや寝ているはずだ。

 あたしのモノなのに欲しい時にいてくれないとは、早いとこ元気に叩いてくれないだろうか。

 異変の時の様に力いっぱいドラム叩いてもらって、霊夢に煩いと言わせたい。

 その流れでも結局退治されそうだが…ふむ、煩いか。

 これでいいか、放っておいても下がるだけ下手を打っても下がるだけなのだし、あたしは馬鹿なのだから馬鹿でも思い付くようなテキトウな理由でいいか。

 後は口でどうにかしよう、霊夢が勘に頼る人間ならあたしは口を頼る妖怪だ。

 しかめっ面の中央にある浅い谷間に人差し指を宛てがい、寄り目になる霊夢に早速口撃を開始した。

 

「ついでにもう一つ根拠を言ってあげるわ、静かな冥界の次は異変で騒がしかった輝針城へ行く、これで納得して」

「納得してって何よ? それに騒がしかったなんて過去形じゃダメなんじゃないの?」

 

「そこはひっくり返して考えればいいのよ、騒がしくなったをひっくり返すなら?」

「これから騒がしくなるって事?」

 

「そういう事よ。質問に質問で返すのはなんだけど、そもそも騒がしくなるって霊夢の勘が囁いてるんでしょ? なら間違いないんじゃない」

「それはそうだけど、納得するには無理がない?」

 

「あたしからすれば納得出来ない勘なんてのにこじつけてるのよ? それなら納得出来ない根拠くらいしか思いつかないわ」

「納得出来ない勘を納得させる為に、納得させたい根拠を建てたって事よね……化かされてる気がするけど真面目に考えると馬鹿みたいだからいいわ、これで」

 

 あたしの弄した詭弁に対して一瞬だけ勘を働かせるが面倒臭さに負けたようだ、それならこのまま納得してもらおう。

 人差し指を挟む勢いで眉間の渓谷を深くする楽園の素敵な霊夢に、胡散臭いのと面倒臭いのどっちがマシか、霊夢に習い少し前に話を戻して問いかけてみた。

 大差ないと一周されて結果としては同列になってしまうが、誰かに似せた気色悪いと罵られる笑みで眉間の渓谷を広げると、指は払われずに再度大きなため息をついて、谷間を平原に戻しながら期待するんじゃなかったわと呆れ顔を見せた。

 

 本腰入れてこじつけたつもりだったがそれでも期待を裏切るとは、これならはなっから気合を入れてこじつけようとするんじゃなかったかね。自分で弄した詭弁に対して少し真面目に考えようと、あいている片手を口元に宛がうと着物の袖で口元が隠れたように見えたのか、真似はやめろと叱られた。

 はいはいと人差し指で眉間をついて謝ると一瞬惚けてから鼻で笑い、懐からチラリと針を見せる妖怪退治の専門家。愛くるしい笑顔を拝むとまではいかないが鼻で笑う程度には笑ってくれたわけだし、これ以上からかうのはやめておこう。あたしをとっちめたヒーローが作った針なんてもらったら堪らない、指を弾いて三度目の煙草に火をつけ大きく吸って深く吐いて、霊夢の足元に二匹の仔狸とお椀の姫を成し足元で謝らせた。ペコペコと謝りコロコロと転げまわる煙達を見て、ほんの少しだけ表情を緩くしたように見える霊夢。笑ったのかと確認したかったが、誤魔化したのが無駄になると思いそれは聞かずに静かに煙管を燻らせた。

 お人形さんのような煙姫を見ながらぷかりと漏らして首を傾げて思いに耽る。

 なにか他にも考えるような事があったな、完全に忘れているなと。




詭弁を考えるのって楽しいですよね


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第百三十一話 化かす相手も選ばない

 文々。新聞 本日の天邪鬼その捌という大きな見出し。

 何処よりも早く何よりも新鮮な情報をお届けする事をモットーに幻想郷中を飛び回る筆者がご購読し……

 

「この辺はいいわね」

 

 ポツリと呟いて文章を指で追い、それっぽい特集まで読み飛ばした。

 

 今日の特集も連日幻想郷を騒がしている反逆の天邪鬼について、筆者が独自のルートから仕入れたホットな情報をご愛読して頂いている皆様だけにお話し致します。博麗神社のお花見会場で突如宣言された第一回幻想郷追いかけっこ、あの妖怪の賢者八雲紫氏自らが提案し自身も参加している反逆者の大捕り物ですが、霧の湖で発見された初日から数えると今日で丁度八日目になり……

 

「聞いた通りね」

 

 またポツリと呟いて座るソファーにペシッと置いた。

 ザツニアツカワナイデ、という呪文が聞こえたが気にせず紅茶を口に含んだ。

 

 荒く漉かれた半紙サイズの号外記事。

 二枚とも透明な『らみねーと』という保護魔法を掛けた後に左側に丸い鉛筆サイズの穴を開けて、穴に魔力で紡いだ糸を通してそれぞれバインダーに閉じて保存しているらしい。

 うちでは食材を保存する包み紙代わりで霊夢のところではよく燃える着火剤代わりにされる新聞だが、ここでの扱いは随分と良いもので配る側も喜んでいるんじゃないかと感じ取れた。

 縦書の物を左手に横書きの物を右手に持って寝起きの一服をしながら眺めつつ、片方読んではもう片方にも目を通してと照らしあわせて読み取っていく。片方は面白おかしく捕物を騒ぎ立てていて、もう片方は生真面目で硬すぎるような文章だと読める天狗新聞。

 

『文々。新聞』

 普段の記事なら幻想郷の食糧事情や永遠亭の新製品なんかを書いていたり、何処かの妖怪に直接インタビューした独占記事なんかが載っているもの。

 少し前には人里にあるカフェーを特集してそれなりに人気を博し、購読数をほんの少しだけ増やしたりしていた。足で稼いでネタを拾い場合によっては自分から吹っ掛けてネタにする、なんて小狡い事をして最近の事件や流行りの取材対象を面白可笑しい者として書いている事が多い気がする。比喩や捏造もそれなりに多くて読み物としてどうなのかと思うが、その辺りは兎も角として人死になんかの血生臭い記事がないってところは評価できるかもしれない。

 

『花果子念報』 

 広義における新聞をいうならこっちの方が新聞と言えるかもしれない、普段から硬い文字使いで書かれており政なんかを書くと似合う文章だと感じられる。

 扱っている内容も前者が幻想郷の面白い面に重きを置いているというなら、こちらは記者が考えた文章を纏めて最後には教訓として使えたり、誰かに対して警鐘したり出来るような文字展開をしているか。前者との違いは立ち位置にもある、あっちは妖怪目線、天狗を主体に捉えていて人間を軽んじたりする事もあるが、こちらの新聞は人が読んでもいいかもしれない記事が偶にあったりする。どんな記事? と言われてもこれってお勧めできないくらいに影が薄いのが残念な所だが、載せる写真は良い物が多い、料理関係が特にいい気がする。

 

 そんな二つの新聞の号外記事、流行りの天邪鬼についての両者の文章を読み比べてみたが、昨日霊夢が教えてくれた事以上は拾えなかった。

 読めて知れたのは新しく出てきた『人形』についてくらいか。

 

『鬼人正邪だと思ってぶっ放したら空飛ぶお人形さんだった、何を言ってるかわからないと思うが、私はありのまま起こった事を話しただけだぜ』

 

 どちらの号外も一問一句変わる事なく書いてある、普通の人間の魔法使いから聞き出したというスクープ扱いのインタビュー。

 インタビューを読む限り空飛ぶお人形さんを使って正邪が逃げおおせたというのはわかるが、この人形がどういったものでどんな状況で使われたのかは書いておらず、痒いところに手が届かないモヤモヤとした記事になっていた。

 

 痒い頭の中を掻く代わりに髪と耳を掻いてピクリと跳ねさせると、あたしの腰掛けるソファー横の椅子に座った、らみねーと記事の持ち主に行儀が悪いと窘められた。

 金髪を光に透かして、細い小指を立て紅茶のカップを手に取りながらあたしに向かって苦言を呈する人形遣い、天狗新聞に人形という単語が載ってからあたしのように訪れるものが多くて、昨日から煩いとご機嫌斜めのようだ。

 地底でもらった二本角の八つ当たりはあたしにも非があるらしいが、この人形遣いのストレスはあたしには全く関係がなくて正しく八つ当たりと言える物だが…

 以前の里でのお祭りに飛び入り参加して盛り上げてくれた恩も感じているし、折角厄介事として扱ってくれているのだ、あたしの元ともいえるそれを流して捨てるのは勿体無いと、注いでくれた紅茶と共に厄介も含み腹に収めた。

 機嫌が悪くとも冷静さは変わらないが、苛ついていて普段よりも饒舌なアリス・マーガトロイド

 冷ややかな態度のまま放たれる愚痴と紅茶を味わい少しした頃、他にも用事があるし今日はもうお暇すると伝えてみると、文句だけ言われに来たのかと目を細める魔法の森の人形遣い。

 ストレスはお肌に悪いしつれない態度で釣り上げられたし、もう少しだけ付き合うか。お暇しようと立ったソファーに座り直して静かに耳を傾けていると、言い返さないのが気になると更なる愚痴にノセて難癖もつけてきた。

 

「口の妖怪が言い返さないのね、それとも返す難癖を考えてるのかしら?」

「たくさんの厄介と愚痴を口に含んでまだ咀嚼中だから言い返せないのよ、それにアリスは関わりないんでしょう?」

 

「容疑者候補である私の言葉を素直に信用するなんて、難癖ではなく悪巧みを考えてるの?」

「何もないわ、珍しく苛ついてるから発散させてあげてるだけ。それに疑ってはいないわよ? もし共犯なら今頃スキマにポイでしょ? そうなってないのだから何かを考える必要がないわ」

 

 細めていた瞳を戻し小さく息を吐いているアリス、八つ当たりしても暖簾に腕押しだと感じてくれたのだろうか。右手の中指と親指を鳴らしてあたしのカップにおかわりを注いでくれる、謝罪のつもりか、咀嚼を助けるつもりかね。

 そらならさっさと飲み込んで話を切り替えよう。

 わざと喉を鳴らして紅茶を飲み、咀嚼を終えて飲み込んだとアピールしてみせると、また目を細めて見てくれる人形のような少女。

 

「愚痴や厄介なんてペってしなさいよ、何でも口にしてお腹を下しても知らないわよ…厄介ついでに聞いてもいい?」

「食べ慣れているから大丈夫、聞きついでだし分かることなら答えてあげるわ」

 

 目を細めて丸い舌をちらりと見せてぺっと何かを吐く仕草、そのまま細まった目をお腹に向けられて要らぬ心配までされる。あまり見ないからわからなかったがこれがアリスのジト目代わりか、もう少しわかりやすく表現してほしいものだ。

 ジト目とはこうだと教える様にジト目妖怪の妹公認モノマネでジットリ見返すと、細くなった目を開いてくれた。そのまま見つめていると一瞬憐れむ瞳を挟んでからいつもの態度に戻り、ついでとやらを問いかけてきた。

 

「反逆者の見せた物が人形だと聞けば私の所に矛先が向くのはわかるわ、納得は出来ないけれど…他の容疑者のところにも行ったりしているの? 何か聞いてない?」

「だから疑っては……まぁいいわ、他のって言うと‥お山の雛様は捕まえられないと悔しがる皆から厄が集まって来て大変、なんて言ってたわね」

 

「厄神? 雛人形って事ね、それなら鈴蘭のあれは?」

「コンパロ人形はノータッチよ、さすがに毒はぺって吐くわ。それに花のお嬢さんと薬剤師さんが日替わりで張ってておっかないもの、近寄りたくないわ」

 

 アリスの仕草を真似て毒を吐いてみせると、一瞬戸惑い小さく破顔した。八つ当たりと会話で多少のストレス軽減が出来たなら何よりだ、おかげでやりやすい。

 

 雛様は回っていた、いつも通り笑顔でいつも以上に回っていた、それだけだ。

 可憐なお嬢さんの方はあれで意外と優しいところもあって新参の花仲間を気にしているのと、人形に群がってくる血気盛んな連中で楽しい事をしているらしい。

 幽香だけが一方的に楽しんで、真っ白な鈴蘭畑を赤くしたりしているそうだが、そんな話を聞いて行く者なんて死んでも死なない奴らくらいだろう。

 その死んでも死なないお医者様はメディスン目当てというよりも、借りている鈴蘭畑に被害がないか様子見してそのついでにメディスンも見ている、って感じだろう。

 八意永琳自らが動く事などそうないが、自身の研究材料が危ないと聞けば動くこともあるのかもしれない…というのが少しの事実からこじつけたあたしの思い込みだ。

 

 実際のところはほとんど知らない、雛様は先日見たが他はまるっと嘘だ。幽香の方はいるらしいが鈴蘭を木っ端者の血で汚すような事はしないだろうし、永琳はあたしの連れ込んだ患者を診てくれていて今朝も顔を合わせたばかり。

 人形と聞いて思いついたメディスンの事を診察中に聞いてみたが、あれが何かで死んでも鈴蘭畑はあるしそれほど問題はないと言っていた。怪我をしての治療ならするが怪我をしないように見るのは私の仕事ではない、そう言い切る八意先生が頼もしくて少し怖くて、目覚めるまでよろしくお願いしますと再度頭を下げてみたが、何度もしつこいと窘められた。

 任されたのだから診てあげる、でないと貸し付けられないわと笑う永琳に口にはせず感謝し、今日はこの家経由で遊び回る予定になっていた。

 

「風見幽香と永琳がいるのね、それならあの子も心配ないか」

 

 この後の事を考えると是非とも外出して貰いたいのだが、二人の名前を使ったのは悪手だったかもしれない。あの二人が近くにいるなら余程のことがあっても何もない、そう確信した表情で紅茶を口に含む七色の人形遣い。

 次のデート相手に森の人払いをしてから来いと言われているし、どうしようか。

 いいや、月の頭脳と毒人形を繋げたあいつをダシに使おう。

 

「兎詐欺もいるらしいから綺麗な鈴蘭畑が落とし穴だらけにならなければいいけど‥あの子なんて気にするぐらいなんだから人に聞かないで自分で見に行けばいいのに、あたしはお暇するからこれから行ってあげたら?」

 

 残った紅茶を一息で飲み干して、背中にチョットという魔法の言葉を受けながらお暇した。

 魔法の森の奥へとゆっくり歩み始めた頃、森の上空を飛んで行く青金の本体と人形2体の影が見られた。

 あの性悪兎詐欺が幽香がいると分かっていて花畑を掘り返すわけがないのだが、観察眼を逸らせれば引っかからずに素直に聞いてもらえて楽だ。

 あの人形に向ける気持ちがまっすぐだから逸らすのも楽だったのかね、それくらい真っ直ぐに共通のお友達(フランドール)の方も見てやってほしいものだ。

 

 言われた通り人払いも出来たしさっさと向かおう。

 これからのデート相手達はあまり待たせるわけにはいかない、怖いから。

 何もなければもう少しゆっくりしても良かったが、残念ながら今日は先約が二つある。

 一つは昨日の帰りがけに霊夢から言われた、暇なら輝針城に来いというつれない巫女からの嬉しいお誘い。飽きるまでは輝針城にいる、そう言っていたからまだ暫くは余裕があるはずとこちらはとりあえず後回しにしている。

 

 もう一つはちょいと顔を出せという、あたしよりも太く見える縞尻尾を揺らす御方からのお誘いで、魔法の森の奥地にある内緒の集会場で待っているというものだ。

 どちらも嬉しいお誘いで不意にしたくはないし、万一不意にしたならどちらも後が怖い。物理的・精神的にという違いはあるが泣かされるのが目に見える二人からのお誘いなど、矮小なあたしが断れるものではなかった。

 とりあえずその辺りの事は割愛しよう、人払いも出来て魔法の森にも来たわけだし、尻尾繋いでデートと洒落込もう。

 

 慕う相手からの嬉しい誘いで晴れやかな気分、なのだが歩く地面も漂う瘴気も相変わらずジメジメとしていて湿気った場所を進んでいく、まだまだ元気なお天道様がお空の上で笑っているのに少し踏み入っただけで随分暗い。

 漂う空気は淀んでいてあたし好みだとは思うが、薄暗い雰囲気の方は好みではないしジメジメとして気分を下げるような景色も好まない。背の高い原生林が鬱蒼と立ち並び、お天道さまの恩恵が当たらない地面のそこらを見れば茸だらけ。

 

 地を歩く振動でポフンと弾けて胞子を飛ばす茸もあり、それがさらに空気を淀ませていっている。好き好んで踏み入るような森ではないがここを気に入り住んでいる者達もいる、先ほどもてなしてくれた幻想郷の種族魔法使いや普通の人間の魔法使い辺りがそう。

 毒気なのか瘴気なのかよくわからない淀んだ空気。そんな、体に悪いモノしかないこの魔法の森を気に入って住処にするなんて、魔法使いは陰気臭いところが好きなのだろうか。

 

 同じく陰気臭いがまだあっちの動かない魔法使いがいる図書館のほうがマシだと思える、掃除なんて二の次な喘息持ちの管理人のせいで少しばかり埃臭いが、ここの瘴気よりは積もった埃のほうがまだ体にいいだろう。

 文句を言うなら帰ればいいし普段ならすぐに帰るが、今日はそういうわけにはいかない。直接言われたお呼び出し、以前のこっくりさんのような曖昧なものではなく逆らえない相手からの来いという命令に近いものだ。

 

 呼ぶなら寺でもいいんじゃないかと思わない事もないが、わざわざ人気のないところを選ぶのだ、なにか理由があるのだろう。まぁ理由なんてなんでもいいさ、慕う姉に来いと呼ばれたのだから妹としては逆らわず素直に顔を出すとしよう。

 常に腹にナニかを抱えたあたし達化狸の御大将、二ツ岩マミゾウ親分に呼ばれて好ましくない空気の中、溜まる落ち葉を踏みながら魔法の森の奥深くへと向かい一人で歩いた。

 

 もう少しで指定の場所という辺りで数匹の同胞の姿が見えた、まだ人の形は成せないが妖気は感じる化け狸達。わざわざ迎えに来てくれたのか、来るのが遅いと文句を言いに来たのか、言葉を話せぬ同胞達だが種族は一緒だ、意志は通じる。

 顔を見せてくれた数匹の同胞達、三匹は歓迎してくれたが一匹は遅いと文句を言ってくれた。文句を言ってきたのは一番若そうで生意気さを感じさせてくれる若狸、抱き上げごめんねと謝ると腕の中で丸くなる若い雌…生意気で血気盛んだ、これから先が期待出来そうで少しだけ気に入った。

 

 あたしの歩く数歩先を案内するようにちょこちょこと歩く二匹に連れられていくと、魔法の森では珍しい少しだけ空が見える場所に着く。ほんの少しだけ明るいところ、そこに見えるは大きな縞尻尾。日を浴びる切り株に腰掛けて、こちらを見ながら薄く笑みを浮かべている呼び出してくれた張本人、抱いていた同胞を離し軽く手を振り近寄ると同じく手を振り返して、よう来たと迎えてくれたあたしの大事な姐さん。

 

「呼び出してすまんかったのぅ、ちょいと待ったが来てくれてありがたいわぃ」

「人払いついでに厄介払いなんてしたからついつい、姐さんに呼んでもらえるなら何処へでも行くわ、出来ればもう少し明るいところのほうが好みだけどね」

 

「遅れてきたからと世辞を言わんでええ、場所については身内以外に聞かれたくない事もあるんじゃ、偶にはええじゃろ? まぁ座れ」

 

 言いながら動き切り株にもう一人分の枠を空けてくれる、言われるがままに腰掛けようとすると、座面に当たる辺りに数枚の葉が敷かれた。黒のスカートを気遣って座布団まで用意してくれて、それほど気にすることなんてないのに。

 何も言わずに好意に甘え隣に並んで腰掛けると、前なら大袈裟に何か言ったが村紗の言う通り姿と共に気持ちも変わったかと笑われた。姐さんに対しては昔から変わらないはずだが、自身では気がつかない小さな事でも変化として見てくれる、目にかけてくれていると感じられ少しだけ恥ずかしくなった。

 

「恥じらいも思い出したか? あやつに尻を追いかけられていた頃みたいで懐かしいのぅ」

「あやつって才喜坊の親父さんか、また随分昔のことを言うのね」

 

「帯解かれて追いかけられて、何度涙目になって儂に泣きついてきたか」

 

 あたしの残してしまった外の世界での黒歴史、佐渡ヶ島に陣取る二ッ岩の大親分の手足となって動く四天王狸の内の一匹『潟上湖鏡庵の才喜坊』

 姐さんに呼ばれてはこのエロオヤジに見つかって、ひん剥かれそうになり子を産めと追いかけられて何度泣きついたか覚えてない。

 これが身内以外に聞かせたくない話だというのならさすがに怒るが…いくらなんでもそれはないだろうし本題はなんだろうか?

 

「周りの皆に聞かせる話じゃないわ姐さん、小馬鹿にするのに呼んだのかしら?」

 

「いやいや本題は別にある、懐かしいと感じただけじゃて。昔話を語れるもんはこっちじゃお主とぬえくらいしかおらんでな」

「それでもあたしの恥ずかしい話には変わりないわ。ここには身内しかいないけど、少女としては困るわね」

 

「本気で恥ずかしいと思っとる輩は自分で言わんな、少女が言うにしては老獪な物言いじゃのぅ」

「老獪でも狡猾でもなんでもいいわ、霧で煙な可愛い狸さんには変わりないもの」

 

 自分の口で姐さんに対して初めて言ったこの言葉、求聞史紀にも書かれたしぬえや他の寺住まい辺りからいくらでも聞いているだろうが、やはり面と向かって言うと緊張するものだ。化け狸として接してくれていつも面倒を見てくれた愛する姐さん。

 霧だ煙だなどとごまかして、と叱られるくらいならいいが拒絶されれば随分堪える。泣けないくらいには堪えるだろう、それでも自分から言いたかったあたしなりの意思表示。嘘はつかないと旧知の阿求に言った手前、それよりも古い知己である姐さんに言わないわけにはいかないと考えていた。

 言って数秒静かな時間、あたしからすれば数秒どころか数時間にも感じられる緊張した時間だったが、止まったモノを動かすように姐さんの手が頭に乗せられた。

 

「緊張している姿も懐かしいのぅ、何をそんなに固くなる?」

「わかってて言うのは狡いわ、言わずに伝わっているのだからそれでいいじゃない」

 

「他人には言われんとわからんなんてのたまう割に、己に対してそれは当て嵌めんのか?」

「当然除外するわ。どこのぬえから聞いたのか知らないけれど、姉に似てあたしも狡いのよ?」

 

 自前の煙管を咥えて悪戯に睨む姐さん。

 咥えられている煙管よりも長いあたしの煙管をコツンと当てて、同じように一服しながらそっぽを向いて返答するとカラカラと笑い出した。

 

「それでええ、それでこそじゃな。化け狸らしい物言いで笑っとるほうがお主らしいわ」

「狸でいいのかしら? 最近曖昧でもいいかもなんて考えてるのよね」

 

「それならそれでええんじゃよ、霧でも煙でも最後に付くのは狸なんじゃ。毛色の違う狸なんていくらでもおるわぃ」

 

 周りに集まる茶色の同胞達とは一匹だけ毛色の違うあたしの髪、それをワシワシと撫でてくれる姐さんの手。いくらでもいると言ってくれるが外でもここでも異質な毛色、撫でられて視界に映る度に姐さんとの違いが気になるがそんな気は別のモノで散らされた。

 いろんな人が同じように引っ張るあたしのスイッチ。左耳にハメた銀のカフスから伸びた鎖、誰も彼もが同じように何かのスイッチのように引っ張ってくれるこれ。

 優しく引かれる度に頭が左に揺れて最後に強めに引っ張られる、勢いに負け体が傾き姐さんの肩に頭が乗ってしまう。

 肩に乗ったあたしの頭をそのまま鎖を引いて腿の上へと移動させる姐さん、膝枕なんて初めてで随分と恥ずかしいが逆らう気にもならず、そのまま身を委ねると後頭部で触れる腹が動いて何かを言ってくれた。

 

「今日はちょっとした相談事でもと呼びつけたんじゃが、それは少し後で。でいいかの」

「相談事? あたしでどうにかなるならいくらでも乗るけれど、後でと言うならその時でいいわ」

 

「うむ、気まぐれに身内を愛でるのもええもんじゃ」

「甘やかしてくれるのは嬉しいんだけど、後の話ってのが気になって素直に甘えられそうにないわね」

 

「遅れはしたがホイホイと来る割に態度はつれんのぅ、気まぐれに乗っかってもええじゃろうに。付喪神や巫女達は甘やかすくせに甘える方は慣れてないんか?」

「甘えられる相手より甘やかす相手の方が多いもの、慣れようにも機会が少ないわ」

 

「なら練習代わりに丁度ええな。一度は知らぬ間にいなくなったんじゃ、偶には姉の我儘に付き合うんも妹の努めじゃろうて」

 

 痛いところを突いてくる、外の世界での事は狡い。姐さんと交わした約束を破ったと思い込み姿を消して逃げた事、破った事を謝りにも行かず心配を掛けたのに詫びも入れず、身勝手に逃げ続けてそのまま力を失って消えかけた事。

 会って謝り頼りたいと思っていたのに、いらない意地を張って自滅しかけた時の事。紫に拾われたはいいが都合よくその事を忘れのんきに再会した時の事、寺で叱られ思い出し柄にもなく泣いた事…それを引き合いに出されては何も言い返せない。

 思い出すと同時にまた泣きそうな自分に気がつく、あの時にも全部曝け出して泣き腫らした。今回の涙の理由はなんだろうか?あたしを泣かす相手は誰だ?

 考えずともわかる事だが甘やかされて泣くなど格好がつかない、少し瞳が赤くなったがそれは茸の胞子が目に入ったのだと思い込み、先ほど言われた相談事へと話を逸らすように促した。 

 

「それで相談事って何かしら? 面白い話なら嬉しいんだけど」

「また泣かしてやろうと思っとったのに、話を逸らすでないわ」

 

「泣くと頭が回らないからイヤよ、姉なら妹の我儘も聞くべきね」

「口の減らんとこは似んでええんじゃが…仕方がないわな。あの天邪鬼じゃが、なんで追いかけられてるのか気にならんか? それとも知ってて放置しとるんか?」

 

 カンラカンラと嗤ってくれて表情はわからないが確実に笑んでいるとわかる、あたしを真っ向から煽ってくる大親分。

 確かに言われるまで気にしていなかった、遊びを始めまーすという先生の声にはーいと返事しただけで何故遊ぶのか気にかけていなかった。

 境界でも弄られて気が付かれないようにされていた?

 ちがうな、あの宴会で宣言した後にすぐにこっちに来た。

 深く考えさせないように軽口を言って意識を逸らされたってところか、お願いではなくお誘いなんて言ったのも余計な事を考えさせるためかね?

 そこはいいか、重要じゃない。

 大事なのは紫さんに化かされたってところだ、神社にいた全員を化かして遊びにノセた、あたしもノセられて紫さんに賭けて煽る片棒を担がされたって事になる。

 ちょいちょいヒントを寄越してきたのは謎解きしているのを見て楽しんでいたのかね、難題を解く姿を見るのは堪らない、体感したからこれもわかる。

 これは参ったな、式に続いて主にまでしてやられるとは笑える、が気に入らない。

 

 言われた言葉を煽られた通り素直に咀嚼すればこうなるが、だからといって紫さんに仕掛けるつもりは毛頭ない。恩を仇で返す、なんてやらかしたら紫さんどころか煽ってきた姐さんにまで愛想つかされるだろう、それは心の底から困る。ならどうするか、煽ってくるのだから何かあるのだろうしソレを聞いてみるか。 

 最後に燃やした煙草を深く吸い込んでゆっくりと吐き切った後、煙管を切り株に叩きカツンと言わせて返答をした。

 

「そう言われれば気になるし、知らされてもいないわね」

「ふむ、何かと使われておるくせに大事な部分は教えてもらえんのじゃな。それで面白いんかのぅ」

 

「綺麗に化かされて面白いけど、やられっぱなしは気に入らないわ」

「そうじゃな、化かす儂らが化かされて手の平の上で遊ばれとる。アヤメの言う通り綺麗にやられて面白いが遊ばれっぱなしは気に入らん…が八雲と事を構えるんは悪手じゃのぅ、こんな時アヤメならどうするかのぅ?」

 

 聞くつもりが難題になって帰ってきてしまった、楽がしたいという下心はバレバレだったか。

 まぁいい、難題は解いてこそだ、頼れる相手から課されたお題なんてこれ以上ないくらいに面白い。それに言葉の端々に答えが載っていてわかりやすい、難題の(てい)で話してノセるなんて完全に誘導されている気がするが面白くなるのなら何でも構わないし、姐さんに化かされるのは常の事だ。今更気にすることでもない。

 仕掛けた遊びの手の平で楽しそうに転げ回るあたし達を眺めて嗤う、そんな手合に対する意趣返しなど簡単な事だ。

 

「そうね……眺めているよりも手の平の上の方が楽しいと見せつける、こんな感じでどうかしら?」

 

 心地よい温かさを提供してくれた腿に別れを告げて起き上がり、手の平にお招きしたい相手の笑みを借りて嗤う。借り主と同じように声は出さずに口元は開襟シャツの大きな襟で隠して。

 少し瞳を大きく縦の瞳孔を収縮させて睨まれた後、同じように見つめ返すとタイミングを同じくしてクスリと嗤いそのまま声を上げた。

 一笑いした後丸メガネを光に反射させながら頭を撫でてくる姐さん、撫でながら難題の答えを話し始めた。

 

「良い顔になったのぅ、誰かを甘やかそうが変わらず意地悪く笑うんがお主じゃ。よう似合っとる…儂もそう思っての、色々と盗品を持っとる癖に片手を遊ばせるなと天邪鬼にお節介をしてみたが、そろそろ捕まりそうで勿体無いと思っとるんよ」

「お山で姿を見たのはそういう事ね、ならあたしもそうしようかしら。鬼役にだけお節介して逃げ役には何もなしなんて不公平よね」

 

「見ておったんか、目敏いのぅ。まぁそこはええな。ただな、お節介をしようにも天邪鬼に会えんと始まらんし、八雲にバレては面白くない。なんか策やらアタリやらはあるかの?」

「紫さんは大丈夫真っ向からひっかき回せば出てこないわ、捻くれ者だから。天邪鬼もアタリどころか十中八九会える場所があるわ、巫女の勘って太鼓判が押された所が浮いてるわね」

 

「妹がそう言うならそっちは任す、天邪鬼も霊夢殿が言うなら間違いないかの、待たせると怖い巫女さんじゃ。早速……」

「飽きるまでいるらしいし、遅いと叱られれば大丈夫よ。だからもうちょっと我儘に付き合ってよ、姉さん」

 

 天辺に登るお天道さまに向かって人差し指を立てながら、再度心地よい腿へと帰還する。腹に顔を埋めて心から甘えられる匂いを嗅いでいると甘えるのは慣れてない、そう言わんかったかと笑われるが、これから行く所に宛てがってらしくひっくり返しただけだと述べると、頬を撫でながら顔を上に向けられてニンマリと笑みを見せてくれた。

 笑みに対して褒められた笑みを見せると胡散臭いからやめろと窘められる、ついさっき褒めたくせにと両眉がくっつく勢いで寄せ睨むと先程以上の気持ちのいい笑みが返ってきた。

 やはり化かしじゃ勝てそうにない。

 



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第百三十二話 煽る

 天守閣にでかでかと空いた、誰かが焦って踏み抜いた天井穴からお邪魔します。

 臙脂色のミニスカートと黒のロングスカートを翻し丸メガネと銀縁眼鏡を光らせて、ちんたら二匹で空を進んで入った先は逆さのお城。

 随分派手に壊れとるのぅ、姉さんが入ってきた穴を見ながらそう呟いたので、黒白のあれのせいと言ってみると魔理沙殿もやるもんじゃ、なんて黒白の事を感心していた。あたしは流行りの名所だった頃に来ていたし最近は気にしていなかったが、下から眺めているだけだった姉さんは入るのは初めてらしく、落ちない畳を触ってみたり原理はわからないが灯っている灯りに触れてみたりして、逆さまの炎で台座を燃やしていたりしていた。

 色の違う縞尻尾を揺らしていてもやる事も気になる事も同じようなものなのか、変わらないなと鼻で笑っていると、逆さのお城の最上部である地下の辺りで激しく争う音が聞こえ始めた。

 

 霊夢の勘は当たったようだ、聞こえる音に対して耳をピクリと動かしていると、姉さんから一旦別れて逃げられないように時期を見てハメようという策が出された。暴れ回る誰かさん達に追い詰めてもらい上と下から挟み掻っ攫う、霊夢がいるというのに大胆な策だが細かい事は気にせずにそれでいいやとテキトウに乗った。

 言い出しっ屁が先に行くかの、と上に向かって飛ぼうとした姉さんを引き止めて、上には注意を逸らして回るから下から追い詰めてくれればいいと追加の案を述べてみると、含み笑いであいわかったと頷きそのまま景色に化け消えた。

 追いかけるのは姉さんにまかせて上で待ってればそのうち来る、なんて楽しようとしたのはバレバレだったらしい。取り逃したら叱られる流れになったなと一人苦笑し、上部であっちこっちへと放たれている意識や視線をあたしから逸らして、暗い逆さのお城の中を地下を目指して上昇していく。同じような造りの逆さ部屋を眺めながら上っていくと、遠くのほうで紅い粒のような弾幕が見える。札や針という物が多い霊夢の弾幕だとは思えず他にも誰かがいるのかと警戒するように強く能力を行使して、どこぞの妹妖怪のように認識されにくい状態で静かに渦中へと近づいていった。

 

 対戦相手が見えるくらいまで少し登って滞空し、腕組みしながら先を見やる。

 お山で見た時よりも少し汚れて煤けていて、着ているワンピースがちょいちょい千切れている鬼人正邪は見つけられたが対戦相手がまだ見えない。見えない相手といえば河童か妹妖怪か、なんて考えていると左手に真作打ち出の小槌を携えて、正邪に向かい何かを言いながら戦う小さな姫が見えた。小さくて視認出来なかっただけらしい。

 霊夢にくっついてきて正邪を見つけて参戦し復讐でもしているのかと思ったが、よくよく見れば会話中のようだ。以前の仕打ちを罵っているのかと思い声が聞き取れるギリギリの距離まで近寄ると、二枚舌に向かって怒りと哀れみの混ざった複雑な表情で色々とぶつけていた。

 

――正邪、もう下克上は無理だよ、我々は闘いに敗れたんだ

 

 仕留めるというよりも少し痛くして足止めさせるような紅い粒の弾幕、それを盛大に放ちながら、言葉の方も大きな声だが何処か弱々しく聞こえる雰囲気で放っているお姫様。予想していた罵倒は聞こえず正邪を諭すような言葉が聞こえて、思わず言葉のぶつけられた先を見た。

 本気ではない弾幕を避けながら、ほんの少しだけ憂いのある下卑た笑みで姫に近寄り何かを言った二枚舌。

 

――いつだって支配下に

 

 という部分だけ聞き取れてこっちはまだ諦めていないのかと、しぶとさに少し感心した。

 煽るように近寄った正邪に対して弾幕を放つのをやめた針妙丸、攻撃がやんで戸惑っている正邪の胸元を姫が両手で捕まえて何かを小さく呟いたようだ。聞こえる雑音を逸らして口の動きに集中すると、声は小さく聞き取りにくかったが口の動きで補完できた。

 

――いいんだ、もう。一緒に降伏しよう、幻想郷の妖怪達は敵対したりしない

 

 反逆を諦めずに足掻き続ける異変の首謀者の顔を見上げて、泣き出しそうな顔で自首を進めるもう一人の異変の首謀者。騙された相手に何故そんな顔をするのか理解できず、素直に見れば慈しむような美しい景色のはずがとても難しい何かに見えて、そのまま眺めてしまっていた。

 二人とも暫く見つめ合っていて雰囲気からこのまま流れて終わりか、そう思った時に、上下逆さの胸のリボンを握りしめる姫を取り払うように腕を振るい引き剥がした後に姫に向かい二枚の舌を見せる小悪党。粋な悪党なら靡く場面でも靡かず三下の小悪党らしく説得してきた相手を嗤う反逆者。これで終わりと思ってからひっくり返されるのは何度目だろうか、隠密行動中でないのなら拍手を送るほどの格好の良さだ。

 正邪の嗤いと引き剥がされた事にショックの色を隠せない姫に向かい、正邪が右手で中指を立て舌を見せながらそれほど妖気を感じられない弾幕を集中して浴びせると、真正面からまともにくらって落ちていくお姫様。

 先ほど姫に見せていた顔から鑑みれば空元気にしか見えない煽りだったが、悪党なら悪党らしくを貫いて真っ向から裏切ってみせる正邪に再度感心し矮小な小者ではなく対等に扱ってもいいくらいだと、正邪の評価を改めた。

 

 落下する姫と正邪を見比べて悩んだが、お城のどこかにいるだろう勘のいい少女と姉さんに正邪は任せて落ちていく姫を拾い上げた。左手で抱えて適当な部屋の襖の間をするりと忍び、落ち着いたところで姫の様子を確認するとほとんど怪我のない姿。見た目以上に加減したらしく傷は殆どなかったが撃たれたショックで落ちたようだ。

 部屋に寝かせて、一息入れるのに邪魔な打ち出の小槌も離そうとしてみたが、気を失っても強く握り小槌を手放さない姫を見て引き剥がすのを諦めた…こっちもこっちで格好いい。

 小さくとも粋な姫様にクスリと笑わされた頃、正邪の飛んでいった上方面で爆発やらの反響音が轟いてきた、どうやら本命と小競り合いを始めたらしい。

 部屋から顔だけ出してみると、追い付いてきたらしい姉さんになんでまだこんなところに、なんて顔をされるが、親指で背後を指すと一度あたし達を見比べてそのまま何も言わず、再度景色に化けて溶けていった。

 種族と能力合わさって本気で化けるとこれほど自然なのかとマジマジ見ていると、拳だけ出てきてはよ行けと叱られた、殴られた脳天を擦り再度妹妖怪を真似るよう意識を逸らそうとした頃、意識を取り戻した姫が寝たまま小さな腕で袖を引っ張ってきた。

 

「おはよう、寝る時も小槌を手放さないのね」

「……正邪は? 私は……」

 

 開口一番で撃墜してくれた相手の心配とは器の大きいお姫様だ、伊達に毎日被ってない。

 心配している相手は今だ健在だと、引っ張られている右の袖を少し持ち上げ上を指さす、あたしから視線を戦闘音のする上へと向ける姫、ついでに袖を離してもらうつもりで持ち上げたのだが引き剥がせず…寝起きから切ない顔をして袖を引っ張ってくれて、あからさまに何かあると思わせてなんだろうか、間違いなく正邪の事だろうが説得に失敗して散々にやられたのに何があるのか。

 掴まれた袖を二、三度動かすが小さい腕の割にしっかりと掴んでいるようで剥がせない、さっきは剥がされて泣きそうだったし、また引き剥がして今度こそ泣かれても面倒だ。

 致し方なし、離してくれるまで付き合うか、これでは叱ってくる相手が増えそうだ。

 

「拾ってくれたのよね……ありがと、やっぱり世話焼きなんじゃない」

「どういたしましてよ、後で霊夢に拾わせるからそのまま寝てなさい」

 

 素直に言ってくれたありがとうに素直に返して一応怪我人なんだから寝ていろと促してみるが袖は離されず、むしろ力強くなっていき袖の皺を深くし始めた。

 これは本腰入れて話を聞いておくべきか、ソレくらいの空気は読める。腕だけ引かれて背を見せていた体を向きなおして、両足をペタンと床につけて座り姫の頭を腿に乗せると袖が離されて見つめられた。

 

「心配しないでいい、私は返り討ちにあっただけだからいい、大丈夫。心配してくれるなら代わりに‥‥正邪をどうにかしてもらえない?」

「泣きそうな顔で引き剥がされて撃たれまでしたのに、正邪の何をどうしてほしいのよ」

 

 あたしを見つめる瞳が強くなる、先程までとは違う何か強い意思が込められている瞳だ、真っ直ぐに見つめられて少しだけ照れるがそれを出せば折角読んだ空気が壊れる。

 強い瞳を優しく見つめ返し髪を撫でて次の言葉を促すと、瞳に光を宿らせて話し始めた。

 

「これも鬼から聞いたの、生きていれば勝ちなんでしょ? ならそれを教えてあげて、命あっての物種だって」

「言われなくてもあれはわかってそうだけど、わざわざ言うことかしら」

 

 撫でる右手の指を力強く両手で抱えて話す姫。

 花見の時にも言っていたし姿は見せないが神社に来ているのだろう、あの鬼っ子の言葉を素直に聞いてそれを例えにお願いをしてきた。萃香さんとの喧嘩で生き残り勇儀姐さんに言った言葉で、血塗れの雷鼓を笑ってくれた鬼共に言ってやったあたしの言葉だ。

 忘れもしないし違えもしない言葉。

 それをアイツに教えてこいとは随分と入れ込んでいるようだ、謀られ利用され今はこうしてしてやられたというのに何をそんなに気にかけるのか、ソレ次第では願いを叶えてやりたい、そう思わせるくらいに指がきつく締まり始めた。

 

「誰かに言われないとわからない事ってあるもの、それに正邪に感謝してる事もあるのよ……」

 

 話しながら指に回されている腕と腿に載せた頭が小さく震えだして、そのまま顔を横に向けられた。それから言葉に詰まってしまうが、上空から聞こえる爆発音で一際大きな音が聞こえた時、振り向き直して潤んだ瞳で真っ直ぐに見られた。

 

「異変の前の私は封じられた輝針城で一人だったのよ、外に出るきっかけをくれたのは正邪なの、騙されたし異変でも散々だったけど……今は霊夢もいるし一人じゃなくなったの」

 

 目尻のモノが零れそうだが気丈に振る舞い話を続ける輝針城の本来の主。

 魔力の嵐が収まれば元の世界に帰るかもしれない、そう言っていたのは雷鼓だったか、別の世界で一人城に取り残されてそこから拾い上げてくれた正邪。立場や状況こそ違うが、姫にとっての正邪はあたしにとっての紫さんのようなものか。

 今は幸せというものもわかる、今朝過ごしていた人形遣いの家であたしも実感した事だ、あたしの場合昔もそれなりに幸せで今は昔以上にいいものだと思えているが、姫の場合は今のみ。正邪に引っ張られたココが幸せだと感じる場所なのか。

 だからこそ入れ込んでいる、だからこそのお願いか……言われた言葉を噛み締めて姫の思いに耽っていると、指先をきつく抱きしめられた痛みと濡らす何かで引き戻された。

 目尻のモノは盛大に溢れて肩まで揺らしてもあたしを見据える事をやめない少名針妙丸、溢れるものを左手で拭うが止まらずに、涙と共に言葉も止まらなかった。 

 

「これって遊びなんでしょ? それなのに正邪だけ一人で、誰もいなくて、一人ってイヤよ? アヤメにわかる? 孤独ってイヤなの、正邪のおかげで一人じゃなくなったのよ? それなのに……」

 

 溢れて止まらない言葉も途中から言葉にならず、耐え切れなくなったのか無言で静かに泣き始め、顔を背けることなくポロポロと流し続ける涙で腿を少しずつ濡らし始める。

 一人はイヤだ、孤独は嫌だ、あたしにも痛いほどに分かる思いだ。あたしは逃げた結果一人になり泣く羽目になったが、姫は逃げないために泣いて一人にしたくないと口にした。思いは近いが形は別だ、あたしは終わった後の諦めから、姫は前に進むために……同じ思いを味わったあたしは、逃げたせいで受けた報いを罵倒に変えて使ったというのに‥‥いつも一人常に一人などと、理解者なんて誰もいない常に孤独な天邪鬼などと散々に言い放ったのに、真逆の事をあたしに願うのか。

 あたしとはまるで逆な針妙丸の思い、救ってくれた正邪を真っ直ぐに見て助けてやりたいと一人でいる事から救ってやりたいと願うか‥‥

 自分一人では成せず他の誰か、その手の事に長けた誰かを頼り強く願う‥‥なんだ、普段のあたしじゃないか。ならこの涙はあたしの涙か、泣かないように逃げてばかりのあたしに代わり姫が流してくれただけ、まだ間に合う所で気がついて踏ん張った結果の涙か。それならそれらしく姫の願いはあたしの願いとしよう、あたしならあたしらしくきっちり笑えるように返そう。

 声を上げる事せず静かに泣く針妙丸に向かい、姉さんから太鼓判を押された笑みを浮かべて言葉をかけた。

 

「針妙丸の望むものとはいかないかもしれないけれど、それなりになるようにしてあげるわ。願いを聞く代わりにあたしの願いも叶えてもらう事になるけど」

「……本当に? 信用していいの? 願い?」

 

「心から信用されると困るわ、あたしは狸で嘘をつく者だというのを忘れてはダメ…それでも、少なくとも今みたいに泣くような結果にはしないと約束してあげる。お願いは後で、そろそろ行かないと後の祭りになりそうよ」

「ありが‥‥」

「それはどうにかなってからよ、まだ早いわ。もう行くから後は一人で泣いてなさい、泣くだけ泣いて飽いたら、後は好きにしたらいいわ」

 

 表情とは便利なものだ、そう見せるだけでどんな感情をしているのか押し付ける事が出来る、今のあたしは意地が悪く映っているのだろう。

 声なき声を漏らしながら泣き続ける針妙丸の涙を止めるくらいには底意地悪く映ったはずだ、言った言葉を咀嚼して冷静に返せるように戻るくらいには嫌な顔だったのだろう。

 心情は別として顔色一つでスムーズに話が進むようになったし、あたし自身も考えることなく言葉が出た。意識した事はないが、この顔ならこう言うだろうという思い込みでもしているのだろうか、まぁいいか後回しだ。

 腿から見上げる濡れ顔を起こして静かに寝かせた時に転がったお椀を雑に被せた、重ねていた視線が逸れるとまた小さく振るえるお姫様、小さくしゃくりあげる声がするが聞こえない体で踵を返し、静かになり始めた上からの意識を逸らし移動した。

 

 少し上昇するとすぐに見え始めた大捕り物の中心地、隙間を探すのも大変に思える量の弾幕を正邪に向かい放ち続ける巫女の姿が見える。

 うわぁ、としか言えない破魔札の結界を放ち少しずつ正邪を包囲していくが、いつもと違って動きが悪い。いつも以上にやる気がないように感じるのは気のせいか?

 触れれば弾ける破魔の札や刺されば穿たれる針の威力や勢いはいつも通りだが…

 霊夢も姫の話でも聞いたか?

 いや、聞いたところで自分でやれと一蹴して終わりか。

 眺めているうちに包囲が狭まり完全に逃げ場を失った鬼人正邪、右手を背に回し対峙する巫女の色と同じ球体を握りこむと、ひび割れた陰陽の印を背負って包囲内からすぐに消えた。

 

「邪魔をするな、博麗の巫女! お前だって人間だろ! 支配される側だろうに!」

「知らない、そういう文句は紫に言って」

 

 霊夢の背後に現れた陰陽の印から再度姿を現して怒鳴るように大きく叫ぶが、全く相手にされていない。そりゃあそうだ相手が悪い。

 今までの相手とは違って幻想郷の人間の中で最も敵対してはいけない者が相手だ、正邪の言葉を借りるなら確実に支配する側になるんだろうがそれも正しいとはいえない。

 あの子は中庸だ、支配もせず支配もされずひっくり返そうが変わらない、変わらずお茶を啜り変わらず異変解決するだけ。

 陰と陽のうち陰に傾き切ったあたしや正邪でどうにか出来る子ではない…のだが今日は解決する素振りが見えない、形だけ追いかけて見せて何がしたいのか。

 

 一度は脱出して見せた正邪だが再度包囲されていく、霊夢を中心にして破魔札が360°全てに飛び交い何処に逃げても逃げられないようなこの状況、レジスタンスを自称する反逆者がどうやってひっくり返すのか、逸れて薄めた気配を纏い横槍を投げ入れるタイミングを見ていた。

 ギリギリで体を捻りねじ込み翻して、360°全てに汗を飛び散らして逃げまわる鬼人正邪、霊夢の破魔札を折れ曲がった誰かの煙管でギリギリ逸らして全身全霊で逃げて追い詰められて、そろそろかと磨いている槍を構えた時、上空へと逃げながら見慣れない紫色の妖気を纏うボロ人形と、ヒビの入った陰陽玉を取り出してそのまま札の波に消えていった。

 

「来るのが遅い、逃げられたじゃない」

 

 いい引き際だと賞賛していると、仕留めに来た(てい)で仕留めるつもりのない巫女からお叱りを受けた。破魔の爆風に飲まれた正邪からあたしへと視線を移しお叱りを放ってくる巫女。

 いつから気づいていたのか知らないがいつも通り隠れる意味が無いで相変わらずの規格外だ、けれど後の為に能力は解かずそのまま言い逃れをすることにした。

 

「姫に泣かれてあやしてたのよ、文句ならあっちに言って」 

「針妙丸? ってあの話ね、自分でやれないからってアヤメにも頼んだの?」

 

 冷ややかな目であたしを見下ろして遅刻の理由を問いかけてくる異変の解決者、退治は済んだというのに正邪を見るよりも冷えた視線だ。

 機嫌を損なう事などしただろうか、特に理由が思いつかずこういう時は一服だと煙管を取り出すと、煙管の先に針を刺された。

 本当にご機嫌斜めのようだ、とりあえず謝っておこう。

 

「悪かったわ、来る前にも色々あったのよ、霊夢と同じくらい怖い人に呼ばれてたの」 

「あっちの化け狸? 二匹でつるんで何考えてんのよ?」

 

 眼差しは変えずに上方の風景を睨む勘の鋭い女の子。

 人里では?化した姉さんに気が付かなかったらしいが、能力使って空を飛び世界から浮いているから気がつけるのかね。

 その割には飛んでない時でもあたしを見つけたりするが、よくわからんし今はいいか。

 霊夢に並んで煙管を差し出すが針は抜いてもらえない、けれど吸うには困らないし気にせず、刺された針のおかげでいつも以上に長い煙管を気怠く咥えて火を入れた。

 

「ただのデートよ。それより手遅れみたいだけど、これはあたしのせいじゃあないわよね?」

「知らない、頼まれたんならさっさと来ればよかったのよ。また嫌われたらいいわ」

 

「言う割にやる気なさそうに時間をかけて正邪を追いかけて、なに? ストレスでも溜まってた? 若くてもお肌に悪いわよ」

「あんた、河童の賭けの配当知ってる?」

 

「最初に捕まえたらってやつよね、興味が無いわ」

 

 張るには張ったが誰が儲けて誰が負けようが興味はない、上の空だと伝えるように煙を天へと向かって吐くと冷ややかな目からいつものやる気ない瞳に戻してくれた。

 怠く咥えている煙管の針をテキトウに引きぬき懐にしまう巫女さん、嫌われたらいいと釘を刺してくれたから針は必要ないとでも思ってくれたか。異変時の姫の事といい今といい、果たしてどっちが世話焼きなのか…五十歩百歩か、飛んでいるのに歩いているなんておかしなもんだ。

 パッと思いついたくだらない冗談で一人クスクスと笑んでいると、小さくため息を吐いていいからこっちを見ろと知らせてきた。

 

「あんたに賭けてた奴がいるのよ。折角捕まえやすくしてやったのに、それなのに見てるだけで捕まえないんだもん、依頼もないのに退治しそうになっちゃったわ」

「誰の事かわからないけどあたしになんて賭けるのが悪いのよ、荒事に混ざるわけないじゃない」

 

「荒事じゃないわ、これって遊びでしょ? 遊びならあんたも乗るだろうしまた儲かるかなって思ったのに、勘が外れたわ」

「残念ね、代わりに後でイイ事してあげるからそれで許して?」

 

 両手を開いてやれやれと示す霊夢にバチコンと目尻から星を飛ばすと払われた、手を取って喜んでと言われても困るがつれないのも面白くない。

 期待を裏切った代わりは後で仕掛けるとして、そろそろ引いて貰えるとありがたいのだが…勘が奔ったのかあたしの思いが届いたようで、未だ浮いているボロ人形を見ながら別れのセリフをポロポロと捨て始めてくれた。 

 

「あの太鼓とやってなさい……これなら紫のご褒美貰ったほうが良かったわ、くたびれ損したからもう帰るけど、あんたは?」

「デートと言ったでしょ? 廃墟探索していくつもり、帰るなら姫を拾って頂戴」

 

 暗く乾いた逆さのお城で一番湿っぽい部屋を煙管で指すと、ジト目で睨んでから下降し立ち昇る埃の中へと姿を消していった紅白の衣装。消えていく背を見送っていると誰かの泣く声が小さく響いてその声が遠くなった。

 勘が外れたなどと言って様子を伺ってくれたが、それに引っかからず聞き流したのが良かったのか素直に引いてくれた巫女。その素直さが何処にかかってくるのか気になるが人払いは出来たしこれでいい、後は厄介者同士で仲良くやるさ。

 

 戦闘で舞った埃が少しずつ晴れていく中、誰かが化けた瓦礫を見やる。争い事が終わっても漂っているボロ人形の背景が揺れて、見慣れた縞尻尾が景色から浮き上がってくる。

 ボロの人形を腕組みして見つめている化かしの師匠、こちらは見ずに奥の瓦礫に向かって手招きをしているがやっぱりいたか…それもそうか、残り少ない使える盗品を回収せずに逃げはしないだろう。重なる瓦礫に向かって数枚の木の葉を飛ばし貼り付けると指を鳴らして瓦礫を破壊する姉さん、はたて柄の布に包まり落ちる瓦礫の中から現れた正邪に再度手招きをして煽り、興味を惹いて話し始めた。

 

「霊夢殿も帰ったし、もう取りに来てもええぞ」

「何故狸にはバレるんだよ」

 

「なんじゃ、アヤツにもバレとったんか。存外隠れるのが下手じゃのぅ」

「何処を見て…あっちの狸もいるのか? 二匹で捕まえに来たのか!?」 

 

 アヤツと言いつつこちらを見やる不遜な姉、見えてはいるが気にならない様になっているはずなのだがなんでか毎度バレている。逸らせないはずはないのだが…あれか、あたしが見てほしいと、気にかけてほしいと認識しているから逸らせないのか?

 まぁいいか、後で考えよう。何処だとキョロキョロしてあたしを意識し始めた正邪を放っておくと煩いし、今のままであたしが顔を出せば話を始める前に逃げられてしまいそうだ。

 任せてみろと表情で語る姉に暫く任せよう、小さく手を振り委ねると伝えてみるとアピールが届いたようで、天邪鬼が頭から垂らす赤い舌を舐めるように見て、御大将の口三味線が始まった。 

 

「言うた通り盗品を上手く使うようになったのぅ、やるもんじゃ」

「また邪魔しに来たのか、次はなんだ? お前らと違って私には振る尻尾はないぞ」

 

「褒めてやったと言うんにそう煽るでないわ。なに、そろそろ腰の重い連中も動き始めるぞぃ、なんて忠告をしに来ただけじゃ」

「忠告だと? 前といい今といい何がしたいんだよ」

 

 一度のお節介のお陰か少しは聞く耳があるらしい、あたしの時とは違って随分と冷静でまともな会話だ。心落ち着くいい音色の口三味線で妬ましいわ姉さん。

 忠告と聞いていつでも逃げるという構えを解き少しだけ警戒を緩めた天邪鬼、騙す前に持ち上げるよくある手であたしが叱られる時の逆の手口だ、大した事は言わないのに丸め込まれる狡い手段。さっき爆ぜた木の葉が欠片となり漂っているから余計に化かしやすいのだろうか、化かしや騙しなど葉っぱ一枚あればイイと言われているようで、年季や格の違いを感じる。

 達者なバチの手腕に感心ししていると更にかき鳴らされる口三味線、後学のために見逃さぬよう集中して音色を聞いた。

 

「忠告しに来たと言うたじゃろ? それ以外にはない、がこのままでは明日明後日には捕まってしまいそうでのぅ。それはつまらんとこうして姿を見せたんじゃ」

「あ゛? 私はまだ諦めない、最後まで足掻いて反逆し続けてみせる! 八雲に遊ばれてあの狸にも見逃されたまま……このままあいつらに! あいつらに舐められたままで終わらせてたまるか!」

 

「ふむ、あれらは底意地悪いからのぅ。気に入らんのか?」

「気に入るわけがないだろ! こっちは必死で逃げてんだ! それを遊びだと言いやがって! 私には一人で何も出来ないなんてのたまいやがったくせに、あいつらだって自分で何もしないじゃないか! 異変だって巫女に任せて! 山の時だって天狗に任せて嗤いやがって!」

 

 余計なのと混同視されてあたしとしては複雑だが、とりあえず気持ちが良いくらいに嫌ってくれていてなによりだ、稀代の憎まれっ子に憎まれるなんて、お陰様でまだまだこの世で意地悪く嗤っていられそうで堪らない。

 混同されているのもそうだが別に予想外のものもある、異変後に話してやったお説教を覚えていてそれを原動力に逃げてくれているとは思わなかった、意外と気に入られているのか?

 異変の前に誘いに来るくらいだし、あれか、風祝が言っていた『つんでれ』ってのはこういう事を言うのだろうか?

 なんだ、意外と可愛い所があるじゃないか、後で早苗に詳しく聞いておこう。

 あたしの見ている前で別の縞尻尾に飴を渡されて、あたしの鞭に対して牙を見せる天邪鬼に拍子を変え始めた口三味線が鳴る。

 

「ならばどうするんじゃ? アヤツらに意趣返しするんにしてもこのままじゃとジリ貧じゃな、霊夢殿からくすねた陰陽玉も割れて壊れかけの人形も拾いに戻るくらいじゃ、後がないギリギリなんじゃろ?」

「まだ手札はある、あの売女のせいで小槌での修理は出来なくなったがまだ……」

 

「強がらんでもええ、この場で捕らえる気はないと言うたじゃろ? しかし、売女とはまた辛辣じゃな、あれはひねくれてるだけじゃ。身内を馬鹿にせんで貰いたいのぅ」

「何が悪いんだよ、お前にも八雲にも誰にでも尻尾振って靡く売女だろうが」

 

 ほんのり耳が痛いが気にはしない、あたしの心情はともかくとしてそれはそう見えて当然だ、だから今はいいとしよう。後で直接訂正してやればいい。辛辣だと少しだけ注意してくれたしそれでいい、あたしをダシにして正邪の引き出しを抉じ開けているだけで、気にするなと尾を揺らしてくれている。

 確実にごまかされているが後で甘えて癒やしてもらえばいい、今はまだまだ続く口三味線を聞き逃すほうが勿体無い。

 

「まぁええ、本題に入ろうかの。正邪よ、何故逃げる?」

 

「あぁん? 話しただ‥‥」

「そうではない鬼人正邪よ、何故八雲から逃げる羽目になった? 異変を起こしたくらいで命を狙われるなど、そうはあるまいて」

 

 一度話した逃げる理由、気に入らない相手に歯向かう気概。その気概に被せて別のモノを聞き出す手口、雰囲気に任せてするっと切り替えるだけでなんちゃないが表情と一緒で雰囲気ってのは重要だ。

 吊り橋で恋に落ちやすくなるあれと同じで雰囲気だけで揺らしてみせた、一度話していると錯覚しているからさらっと話してくれたりする、ちょっと話してちょっとつついて相手を化かすだけ、手際が良くて妬ましい。

『化けさせる程度の能力』なんて謙遜して言っているが、外で信仰されて片足神霊に突っ込んでるんだから程度と言わず司るの域でもいいと思うが…

 慕う姉の匠な化かし合いを盗み見ていると、少し悩んで見せていた口三味線の観客が思いがけないことを口走り始めた。

 

「わからん、ひ……一寸法師を見捨てて逃げてからこうなっただけだ、小物が下克上なんて企んだ腹いせだろ」

 

 幻想郷をひっくり返す下克上を企んだ、作り上げた愛する世界を壊されかけてお怒りだ、だから遊びなどとノセて褒美で釣り上げて皆を動かした。

 ってのが紫さんの考えだとは思うが、あの隙間にしては器が小さい考えだ。

『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ』

 なんて包容力満点に言う割に、自分の愛する世界をひっくり返そうとしただけでそこまで腹を立てるだろうか?

 厳密に言えば壊そうとしたわけではない、立場を返そうとしただけだ。むしろ紅霧異変や終わらない夜の異変の方が人と妖怪のバランスを壊しかねないもので、あっちのほうが危なかった気がする。

 それでも他の異変首謀者は受け入れられて暮らしている、皆と正邪の違いとは…わからんから後で聞こう、考えるより聞けば早い。 

 

「わからんのなら今はええわぃ、最後にもう一つ話をしようかの」

 

「もう一つだと? まだ何か‥‥」

「そっちは儂からよりも適任がおるでな、そろそろ来ているはずじゃ」

 

 自分の気になる部分は聞いた、後はお前のやりたいようにしてみろと尻尾を上下させて背景に溶け込んでいく姉さん。

 口三味線で暖められた舞台に上がって来いとのご命令だ、出来ればこのまま裏方で通して勝ち馬に仕立てあげられた二枚舌に乗りたかったが…先ほどの姫との約束もある、そっちは姉さんに任せられないし任せたくないものだ、それならば続きのお囃子は引き受けてそれらしく舞台を〆よう。

 尾を揺らして消えた姉を見て警戒する正邪に対し、煙管咥えて煙を撒いていつかのように簡易の陣を敷く、動きを感知する陣を敷いて逃げ道を潰してから隣に並んで声を掛けた。

 

「お山ぶりね、鬼人正邪。元気そうで何よりだわ」

 

「お前いつから!? 最初っからか!? 身内と組んで復讐にでも来たのか!?」

「呼ばれる前の事は知らないし雷鼓も生きているから問題ないわ。強いて言うなら正邪のせいで抱けなくて、疼いて困るってくらいかしらね。なに? 代わりにお相手してくれるの? 二枚舌なんて楽しみね」

 

「いけしゃあしゃあと……で、何なんだよ? さっきの狸の助言に免じてお前の話も聞くだけは聞いてやる」

 

 思ってくれている通りの態度で応じてあげると舌打ちしながら唾を吐き盛大に嫌悪を見せてくれる、普段とは違い警戒が緩くて御しやすい。

 先ほどまでの口三味線演奏で頭が緩んでいるせいか、雰囲気だけ整えた煙舞台から逃げられないと踏んでくれたらしい。捕まえるつもりなどなく、ただ動きだけを感知する薄いものだが、そう感じてくれるならありがたい。

 ハッタリがバレて逃げられる前にさっさと話して上手くノセよう、小槌の事やら煙管の事やら聞きたいことはあるが、とりあえずそれはノセてから、本題はそれからだ。

 

「まずはそうね、遊ばれているってのは理解してるのよね? 今この場ではなくて逃亡劇の方よ?」

「八雲の話か、褒美がどうだ賭けがどうだってのは知っている。なんだ? 捕まえて八雲に尻尾を振ってご褒美もらうのか? ならさっさとしろよ」

 

「その気はない、と言っても伝わらないのでしょうし‥‥態度で見せれば伝わるかしら?」

 

 指を弾いて煙の陣を掻き消す、捕縛する気はないと形として見せると周囲を見回してから再度こちらを睨んでくる捻くれ者。

 態度こそ変わらずつれないが雰囲気自体は落ち着いていて、睨む瞳も幾分安堵が見える。安心するような相手ではないだろうに、油断してくれてありがたい。

 まぁいい、まだまだ持ち上げ始めた最中だ。逆さま大好きな者らしく少しずつ逆上せてもらい、後で冷めて頂こう。

 

「縛は解いたわ、これで少しは話を聞いてくれるのかしら?」

「お前は信用しない、あっちの狸も信用はしない…信じられる者などいない」

 

「信じなくてもいいわ、少し話を聞いてくれればいい。耳を借りる代金代わりにこれをあげる、気に入らないなら捨てなさいな」

 

 口元近くで携えていた煙管を正邪に向かって放る、睨みながら受け取り一度持ち上げて固まったがそのままの形で下げて、憎さを込めるように強く握ってくれる。折って笑うかと思ったが今この場では捨てる気がないようだ、出来ればそのまま持って逃げてほしい。

 数本目となったあたしの煙管を持ちこちらを睨んでくる正邪に両手の平を見せつけて、今仕掛けている手はない、手の内などないと示してみた。そのまま開いた平に視線を逸らして注意を向けてから両手で弱々しい弾幕を放つ。

 左手で握る煙管に向けて放ったそれを煙管で逸らしていなす正邪、問題なく使える物だと認識したのか、素直に腰の逆さまリボンに挿してくれる。

 

「何のつもりだ? 私にまで尻尾を振って、何があるっていうんだ?」

「白玉楼で四人に追われたんでしょう? あの子達には少し助言をしたのよ、鬼役にだけ助言して逃げ役に何もしないのは不公平だと思わない?」

 

「やっぱり売女だったな。八雲にも人間にも尻尾振りやがって次は私か、見境ないなぁ、古狸」

「今は一途だからそうでもないわ、少しだけ訂正するならあたしはいつでも自分の為に尻尾を振っているだけ、紫さんの為に尻尾を振った事はないわ」

 

 正邪に向かって盛大に尻尾を振ってみせると、言っている意味が伝わらないといった怪訝という文字が頬に張り付いた。眉間にしわ寄せて睨むか下卑た嗤いしか見せなかった正邪が、初めて見せる表情に変えてくれて堪らなく面白い。

 けれど表情は変えずあくまでも煽らず不遜な姿勢は崩さずに話す、表情を変えないあたしを訝しんでいるのか狐疑する姿勢で見てくる正邪。狸に向かい狐疑するなど滑稽で堪え切れずクックと薄く笑ってしまうが、そのおかげで空気が変わり再度睨み直してくれた。また上から笑いやがって! という視線で見てくれるなら見られているように話そう、変えた空気に合うようにそれらしい答えとなるように追加を述べた。

 

「面白くなればなんでもいいのよ、鬼人正邪。謎解きの為に紫さんに尻尾を振っても、こうして正邪に尾を揺らして見せても‥‥どんな手を使っても笑えればそれでいいの」

 

 恩着せがましく見えないように話題通りに尾を揺らす、ここで煙管を捨てられては元も子もない、捨てずに逃げ始めてくれないとあたしが煙管を感知できず正邪の居場所がわからなくなる。

 小槌のなくなった今正邪だけでは直せないはずの妖器、それなりに使える物のはずでそれは実感してくれているはずだ。今も大事に腰にあるしそのまま長く大事に扱ってくれれば、それだけあたしも逃亡劇を楽しめるというものだ。

 

 あたしの言葉を咀嚼し理解してくれたのか、笑んだ表情を変えずにいるあたしに対して真っ赤な舌を見せる正邪、大嫌いな上からの物言いで表情も戻ってきたし雰囲気も反逆者らしくなってきた、この雰囲気なら今日のお話はここまでかもしれないがこのまま逃がすつもりはない。助言代わりのプレゼントは済んだが、まだ少しのお節介をしただけで姫の願いを伝えていない。

 正邪の勢いを殺さず姫の願いも同時に叶える、ついでにあたしが楽しく笑えて遊びの範疇に収めるか…これはまた無理難題だ、色々絡んで面倒臭いがこれが解ければ堪らない。

 お節介などしたせいで変に落ち着きあたしに靡いたひっくり返らない天邪鬼に、こいつが嫌がる笑みを見せて表情だけで少し煽ると、促した通りに態度を戻し憂いのある顔で睨んでくれた。

 それでいい、姫に見せたその顔にあたしは言葉を吐いてやりたかった。

 

「逃げ役への助言は此れ位にして、もう一つ…誰かさん泣いてたわよ、救ってくれた正‥‥」

「煩い‥黙れよ! お前も姫も…今更理解者など求めていない! 私は一人だ! 一人でお前らに反逆し続けるひっくり返す者(レジスタンス)なんだよ…騙してやったんだ、姫も怨めばいいんだよ」

 

 笑んだままで頼まれた思いを放つ、途中で叫ばれて遮られるが何が言いたいのか伝わったようだ。

 最初こそ耳に痛い声だったが後半は違うところが痛いと教えてくれる声色になり、顔も背けられてしまう。誰かから真っ直ぐに見られた捻くれ者は対外こうだよく分かる、これからどうなるかはこいつ次第だがここで落ちてもらっては困る。まだ(あいつ)を引っ張り出せていない、あたしの仕掛ける意趣返しの為にもう少しあたしの手の平で踊ってもらいたい。

 また煽って喝をいれるか、その為の言葉を考えていると背けた顔をこちらに戻し少し笑んで問いかけてきた。 

 

「……どんな手を使ってもと言ったな、これもその手の一つか? 姫をダシに使って私を見て‥‥それを見てまた嗤うのか!?」

「そうよ、楽しく嗤ってあげる。必死に逃げる正邪も悩む正邪も、全部眺めて嘲嗤ってあげるわ」

 

――嗤いついでに遊びだなどと誘ってきたあいつ――

――全部わかっていそうな誰かさんに楽しい姿を見せつける――

――遊びで誰かを泣かしたあいつに見せつけられたら堪らない――

 

 そう繋げて言い切ってやりたかったが思うだけで言葉は呑んだ、伝えたならもっと憎んでくれそうだがそうなってしまっては意味合いが変わってしまう。正邪の反逆は彼女だけのものだ、あたしの意趣返しに利用はするが彼女の気概まで利用するつもりはない、行動だけ利用させてもらい最後にはこいつにも嗤ってもらいたい。

 姫を泣かせたつれない女、そんな(せいじゃ)に返すなら姫と一緒に笑わせる。これが姫の願いにのせたあたしの意趣返しだ、その為に今は憎まれよう。姫でも何でも使ってやって逃げる原動力らしくなってあげよう、全部終わったその後にこいつがあたしをどう見るか?

 今のように憤怒を見せるか?

 笑みを消さずに思考に浸っていると、静かな憤怒を言葉にのせて二枚の舌が動き出す。

 

「…そうやって私も使って笑うのか、私にも八雲にも尻尾を振って一人で笑って‥‥今更擦り寄ってきやがって!…‥気に入らない! 本当に気に入らない!!」

「気に入らないならどうするの? また逃げる? あたしの気が変わらないうちに逃げるのかしら? それしか出来ないのならそうしなさいな、どこまでも逃げて一人で生きて、卑屈なままで死になさい」

 

 揺らすを尾を止め胸を張る、顔を上げて不遜に笑んで尊大に赤い前髪を見下ろすように、こちらは高みにいますよと言葉でなく態度で見せる、後は勝手に勘違いしてくれるのを待つ。

 こんな態度が嫌いなのだろう?

 自分と同じように他者を使って事を成すあたしが大嫌いなのだろう?

 利用するだけで相手を見ず同じように他者を頼れず、代わりに人の物を奪ってそれを頼りに逃げまわって、比較して悔しく思うそれを原動力にして逃げているのだろう?

 

 それならさっさと返してみせろ、これからお前を利用すると言い切ってやったのだ…促してやったのだからさっさとひっくり返して利用して見せろ。そう出来るように心にもない煽りをくれてやったのだ、姫の願いは互いに手を取って歩く事だろうがこいつに言っても聞きはしない、ひっくり返して離れて終わりだ、それならあたしは突き放す。逃げる事しかしなかった、昔のあたしとの違いを見せてみろ。

 

 言葉を聞いて少しだけ俯いていた正邪だが、見下ろすあたしを引きずり下ろすように足元から二枚舌で舐めて睨んでくる。憤怒から憎悪の表情へと張り替えた表情で、小さな声色から少しずつ勢いを増して話し始めた。

 

「黙れ、言いたいことはそれだけか? ならいいさ、もういい‥利用したいなら利用されてやるさ、もう吹っ切れた! 逃げも隠れもしないぞ、全てを敵に回してやる!! 押し付けられたこれだってなんだって使って生き延びてやるよ! どんな手を使っても、生き残ったもんが勝ちなんだよ!」

 

 冷静に話していた空気から、いつも纏っている気を逆立てる下卑た空気に変わると、はたて柄の布を身に纏い景色の中へと薄れていく鬼人正邪、天に向かって真っ直ぐに中指を立ててこれでもかと舌を伸ばす稀代の反逆者。薄れていなくなる瞬間に意地の悪い笑みを見せると、舌を出したまま強く眉を潜めてくれた、応援をひっくり返した小さな煽り、気に入ってくれたようでありがたい。

 

 預けた煙管が遠のいて完全に離れたのを確認出来た頃に姉が消えた背景を望むと、捻くれ者めと小さく叱られたが同時に否定せんですまんかったと謝ってくれた。

 気にしていないと大きく尾を揺らして見せると、安堵するのはまだ早いと窘められる。巫女はやる気がなかったが厄介なのがまだおるから安心するなと声だけが響く。

 腰が重いのが動いておらん、そう聞いて確かにと笑むと、寺は時間稼ぎだけするから後は好きにやれと手だけが伸び頭を撫でてまた景色に消えていった。

 

 寺はって事は他の所でチョッカイ出して回れって事だろうしどうするか?

 逃げも隠れもしないと宣言したのだから、あいつはその通りにするのだろうか?

 それともひっくり返して…

 いや、吹っ切れたのだから言葉通りに行動しそうだ、それなら次は何処へ行く?

 大勢と遊んで敵に回した後だ、それならまだ遊んでいない者の所へ行くか?

 

 まだ天邪鬼で遊んでいない者とは…墓場近くの宗教家達は寺に含むとして、遅刻しろと言っておいた姉蝙蝠も気になるし、まだ動かず揺れを見せない天人と鬼の我儘コンビも気にはなる。

 後は…まだお山にも残っていたか、腰は重いが片膝立てていつでも立ち上がれる姿勢の旦那とその嫁さん。思いついた『つんでれ』も確認したいが…今行けば神頼みしてしまいそうで格好がつかない。

 ならいいか、気楽に会える人にしよう。構って欲しいと言ってくれた相手を構って時間稼ぎだ。

 思考だけなら反逆者側、すっかり天邪鬼側にいる気がするが直接敵対してはいない。

 文句を言いにも現れないって事はまだまだ手の平の上にいるという事だ、そう思い込み何もない誰もいないあたしだけの空間で誰かに向かい舌を出し意地悪く笑んだ。



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第百三十三話 甘える

 周囲で漂う埃の中でも変わらずに舌を出す、期待している反逆者を見送り一息ついて外に出る。

 入った頃は明るかったが、光を照らすお天道様もあくびをし始めたようで、後数刻も経てばお月様が顔を出しそうな時間帯になっていた。

 最後に別れた狸のお姉さんから時間稼ぎをしろと命令を受けているが、あの逆さの現場にいたもう一人、怖くて可愛い少女の戦闘のせいであたしの体も随分と埃臭い。

 思いついた構って欲しいお相手達は、神社に行くにしろ天界に行くにしろ、どちらに行っても清浄な空気溢れる場所にいるし、このまま埃で汚れた体で行くのは少しばかり座りが悪いと考えて、一旦戻って身を清めるかと自宅に戻り風呂に入った。

 

 体と髪を雑に流して湯船に浸かり少し和む、立ち昇る湯気を見ながら和んだ頭で今の状況を見つめなおすと少しの疑問が浮かんできた、なんの為の時間稼ぎなのか?

 正邪を逃がすための時間稼ぎと考えていたが、よくよく考えれば開き直って喧嘩を売りに回る流れになっているのだ、稼がなくてもいいんじゃないか?

 それに逃げ役である正邪の場所も、煙管のお陰で程々にわかるし、最悪横槍を入れて逃げられる流れを作ってやればいいだけだ。

 いや、それでは隙間と事を構える事になるか?

 あれか、考えが纏まらないのは朝っぱらから真面目に化かして、サボり好きの頭をフル回転させたからこんな風に頭が硬いのだろうか。

 朝一番、魔法の森の人形遣いから始まり、流行りのお尋ね者まで騙した緊張感のある一日。

 随分と頭を回した一日で、湯船で振り返り一息つく事も出来た。

 ここらで一度頭を緩めておくのもいいかもしれない。

 そんな事をほんの少しだけ思ってしまい、それに火がつき止まらなくなってきていた。

 けれどこのまま緊張感を失くすのはマズイとも感じている。

『私を煽って気合を入れたくせに、お前はまたそうやって!』

 と二枚舌が元気に動く姿が目に浮かび、どうやって緊張感を取り戻したもんかと、少し悩んでまた思いついた。浮かんだのは神様二柱、威厳のある旦那様と畏怖を覚えるお嫁様。目上の御方と会ったりすればどうにか緊張出来るかも、ついでにこれから喧嘩を売りに行くだろう天邪鬼について、少しの神頼みをしておこうかなと思いついた。

 

 行けば神頼みしそうで格好が悪い。

 日中はそう思ったがなんでも使って笑うと宣言したし、格好悪いをひっくり返して格好良く神頼みしようと思いついた。思いついたが吉日だ、それならばこれから目上の御方にお目通りするわけだし、汚いままでは失礼だと考え、洗い終えていたが再度身を清めた。

 尻尾まで手を抜かず二度洗いして身を清め、久方ぶりに昔の着物、無地で灰色一色の物を引っ張りだして、白い方の着物と一緒に貰っただけで一度も着た事がない、白の襦袢と一緒に肩口広げて身に纏う。神様に願うならそれらしく柄のない質素な姿の方がいい、そんな事も思いついて昔の物を引っ張りだしたが、このまま悪戯心に身を任せると緊張するよりも更に緩んでいきそうだ、そんな悪乗りしていく自分には気が付かない振りをしてやりたいようにやり始めた。

 久々に袖を通した着物を見て、これならそれなりに歩き巫女らしく見えるか、中身の方は純粋な穢れしかないが身形(みなり)だけは身綺麗な旅女郎のように見えるかな、なんて考えながら大昔の神の使いを真似てみた。

 神様達に気が付かれなかったらどうしようもないが、ただの気分でやった事、怒られたなら緊張できるだろうし、気づいて笑ってくれてもそれでいい。悪乗りするなら最後までしようと一人笑って支度を済ませた。

 

 身支度の方はこのくらいとして続いて用意するのは奉納品。

 こっちは特に気取らずに十六本ほど煙草を巻いた。

 一本一本丁寧に心を込めてきっちりと巻いて、一本ずつでも立つ程の硬さに仕上げたそれをイ草で編んだ網袋に詰めていく。これに大した意味合いはないが相手を敬う心を込めればモノはなんでも構わないはずだ、本当ならば脳和えでも用意したいところだが、今から鹿狩りなんて面倒臭い、昔の神事を真似るのだから細かいことも気にしない事にした。

 大昔の風習に合わせれば何をやっても神事になるし、奉納する物品にケチをつけるほど器の小さな方々でもないはず、気楽に扱って大したものじゃないと見せれば、また何かしに来たかと興味を引くには十分だろう。

 下準備は此れ位にしてさっさと行くか、遅い時間に行っても問題なく起きているし本来眠るような事はない。娘の生活時間に合わせて保護者らしく過ごしているだけで、時間など然程関係ない世界の人達なのだから。

 

 春宵の闇に紛れて視線を逸らし漂う雲のように気にされない存在となり、昼間との温度差からうっすらと靄のかかる妖怪のお山を歩く。

 神社の鳥居に向かい歩いて、昔の巫女が呟いた言葉を吐く。

 『巫女の口ききなさらんか』と、小さくぼやきつつ参道を登る。

 さっさと飛んでいけばいいのだが身形(みなり)に習いそれらしくしようかと、なんとなく歩いている。

 本来ならば時間のかかる登坂も、夜霧というあたしの為の天候と巫女気分のお陰で楽々登れて、腹時計の針が天辺を指す前に大きな注連縄の目立つ鳥居へとたどり着けた。鳥居を潜る前に一服済ませて煙を纏う、漂う煙を耳と尻尾に集めて見えないように誤魔化した。これでよりそれらしい気がする。一秒くらいの短時間だが頭を垂れて鳥居の端を歩き、手水舎できっちりと手と口をお清めする、麓の神社でも思うが何故これで払われないのか。あっちは兎も角こっちはちゃんとした神様がいるのだが…数秒考えてここで水を吸い上げている御方も祟り神で雰囲気だけは穢れっぽい、だから平気なのかと納得した。

 正式な参拝まで済ませて遅い時間だが呼び鈴も鳴らす、ガランガランと大きく鳴らして遊びに来たと伝えてから、頭を垂れて瞳を瞑り姿に習い言葉を吐いた。

 

()けまくも(かしこ)き 守矢神社 八坂神奈子 神社(かむやしろ)大前(おほまへ)(をろが)(たてまつ)りて (かしこ)(かしこ)(まを)さく…」

 

 穢れに塗れた巫女もどきの姿で、大昔に聞いただけの祝詞を上げる。拍手と一拝の後に上げるとか間に上げるとか細かい作法が会った気がするが、元より今はもどきで気にならない。

 ぶつぶつと呟いている中で、形だけの言葉は嫌いだと以前に祟り神様に言われた事を想い出し、これはやらかしたかもと口が止まる。中途半端に覚えていた部分まで奏上した祝詞を受けて暫くすると集まる神気、遅い時間にごめんなさいと思いつつ、顕現された神様を拝んだ。

 

「そこな歩き巫女、我の社に何用ぞ?」

「…この続き、何だったかしら?」

 

「お前それは…巫女に化けて来るから神様らしく出てやったというのに、アヤメの方からそれでは格好がつかんぞ?」

「懐かしいでしょ? 見てただけにしてはそれっぽく出来たと思わない? 神奈子様?」

 

 祝詞の奏上など聞いていた事があるだけで、それほど興味があるものではなかったし、これから先は覚えていなかった。随分と中途半端でどうしようもない状況だが、それでもあたしの仕掛けた神遊びに乗っかりそれらしく出てきてくれたのだ、親しみやすくてありがたい。

 輪廻の輪のような注連縄を背負い胸元の真澄の鏡に月を映す、立膝ついて心からがっかりしてくれた守矢の祭神八坂神奈子様。

 大きくため息をついてから、まぁ上がれと仰ってくれて社務所の卓に対面するように腰掛けた。神様自らポットのお茶を淹れてくれてありがたく啜り一息入れた後、今日はなんだと笑って促してくれた。

 

「訳あって参れない相手に代わり、困った時の神頼みをしに来てみたのよ」

「うん? 代理参拝なんてお遍路じゃあるまいし。妖怪が功徳を積んで何をするんだ?」

 

「特に何もないわよ? 徳なんて積んでもあたしは得しないし、細かいところは気にしないでほしいわ、本当に神頼みしに来ただけよ」

「信者には聞かせられない言葉だがアヤメらしい物言いだ、話を聞いても何がしたいのかよくわからんだろうし、今は良しとしよう。それで、頼みとは?」

 

「そう難しい事じゃないの、いつも通りの片膝立てている座り姿、その御姿でい続けてくれればいいのよ」

 

 お前は何を言っているのか、言葉にされなくても潜められる眉だけで通じるものがある。

 今の神奈子様の気持はよく分かる、あたし自身よくわからなくて困っているからだ。さすがに真っ正直に鬼人正邪を見逃してほしいとは言えず、遠回しに頼む言葉も見つからず、何も思いつかないからよくわからない事をして煙に巻ければ、なんて考えたが大失敗だ。

 これから何をどうするか決めていない、無計画な自分を鑑みて神奈子様のように眉を潜めていると、とりあえずその袋はなんだと話題を振ってもらえた。

 

「奉納品よ、前回は諏訪子様宛だったから今日は神奈子様へのプレゼント」

 

 網袋毎卓においてそのまま滑らせ手元に届ける、奉納というには雑な扱い方だが名前と形を借りただけで実際はただのプレゼント、袖の下という方が正しいのかもしれない。

 外の世界で構ってくれていた時は煙管を楽しんでいる姿も見られたが、こっちに来てからはとんと見ていないから禁煙でもしたのか、なんて思ったが早苗の体に障るからただ吸わないでいるだけらしい。誰かに物を送るのならば自分が貰って嬉しいものを、そう思って煙草にしたが娘の事を考えて吸わない親に渡すなど、完全に悪手だったかもしれないが…渡してしまったしもう遅い。

 

「煙草? 十六本とは、御柱にでも掛けたつもりか?」

 

「そうよ、丹精込めて巻いたのだから是非味わってほしいわね」

「禁煙している私に煙の素を送るなど、小正月にでもやられたら天に帰れって皮肉にもなるが…その気はないな、表情でわかる。アヤメ、お前さん何も考えてないだろう?」

 

 ニコニコと渡してみたが結構危ない橋だったらしい、小正月にしめ飾りを燃やしてその煙で神様を天に還す、そんなのもあったなと神様ご本人から言われて思い出す。

 ん?

 神様だからご本柱なのか?

 これだと五人になってしまうか?

 よくわからんしまぁいいか、忘れよう。

 とりあえず何事もなく受け取って貰えたし、頼みはあるがどう頼むかを考えていないとバレたのだ、考えなしに話を続けてこじつけ先を探してみよう。

 口は禍の門なんて嫁神様からご神託を頂戴したが、旦那神様の方からは曲げない覚悟を持っているのは手強いと褒められたのだ、実際はよく曲がるのだが今日は曲げずに言ってみるかね。

 

「それで、本当に何をしに来たんだ? 歩き巫女なんぞ真似て正面から参拝するくらいだ、用事があるのは諏訪子ではなく私なんだろう?」

「正確には二柱両方に、だけれど…神奈子様、二柱は今回の紫さんのお遊びって楽しい?」

 

「天邪鬼を捕らえたらってあれか、遊びに乗る気も外へ出向くつもりもないよ。私も諏訪子も」

 

 卓に転がる煙草を立ててトントンと葉を詰めながら、その気はないと仰る独立不撓の山の神様、パンパンに詰めたから叩いて詰まることはないと思うが、喫煙者ならそれでもしたくなる仕草だ。

 しかし折角のご褒美なのにいらんとはなんだろうか、手っ取り早く信仰を稼ぐにはこれ以上ないと思うのだが、少し気になるし伺ってみようか。

 

「あら、てっきり信仰を得るとか、信者が欲しいとか言うと思ったわ」

「信仰ってのはそういうモノじゃないのさ、誰かから授けられる物では形として歪だ。持ちつ持たれつでないと意味がない」

 

「歪? 需要と供給って形は崩れないように思うんだけど?」

「その形では成り立たないのさ、人が私達に何かを願いそれを叶える。叶えた私達に対して感謝する心というのが信仰心だ、押し付けられる形で得るものではない」

 

 こちらを見ずに煙草を立てては詰めてを繰り返し、あたしの問に返してくれる信仰される山の神。

 誰かが欲した物を誰かが用意してそれを与える。

 その関係性にも感謝する心はあると思うのだが、何が違うというのか?

 完全に話が逸れたが撒いた種だし気にもなる、素直に聞けば教えてくれそうな流れだからこのまま少し聞いてみよう。 

 

「何が違うのか、わかりにくいわね。もっと簡単に話せないの? 神様なんだからこうパパっと叡智を授けてよ」

 

 神の御業を以ってこうさらっと叡智を授けてほしいと素直に願う、すると煙草を立てる作業をやめてあたしを見つめてくれる神奈子様。

 何か間違っただろうか、神奈子様から仰り始めた信仰心の意味が知りたいだけなのだが、ちゃっちゃと授けて貰えるなら互いに楽が出来るはずだが。

 見つめてくれているご尊顔に向けてバチコンとウインクを押し付けるが全く気にされず、神眼を細めてゆっくりと言葉を発し始める八坂様。

 

「パパっとて…アヤメ、お前は私を何だと思っているんだ?」

「八坂と湖の権化、あたしのお慕いしてやまない敬愛する一柱であらせられる御方、元は天津神で日の本の国では建御名方神様、場所によっては八坂刀売神様と崇められていたはずね。水の神様だとか風を鎮める神様だとか言われてて、軍神としても崇められていたかしら。あたしとしては豊饒の神様ってのが一番似合うと思うけど、豊満だし。後は確か‥」

 

「いや、そこまでで結構。わかっているならいい…十分だ」

 

 天上の御方からの命を受けその通りに言葉を返す、まだまだ触りで語り足りない気もするが十分だと仰られるならこの辺りでやめておこう。

 苦手としている割には詳しいなんて思われそうだが、苦手だからこそ詳しいし、苦手なだけで好きな御方に違いはない。思いつきの巫女の真似にノッてくれる愛嬌もあるし、予定外の皮肉になりかけた奉納品にも文句を仰られる事はない。技術がどうこうと始まらなければ諏訪子様と同じように心からお慕いできるのだが…なんて考えているとその心について語って下さった。

 

「違うとすれば心に込めるモノ、感謝という心がどこを向いているか、と言えばいいのかね。アヤメの言う道理では物さえ満たせれば済む場合もあるだろう?」

「そうねぇ、例えば書物をしていてインクが切れたら買い足す。店主に対してありがとうとは言うけれど買わせてくれてありがとう神様、とはならないわね」

 

「例えば、米を実らせる為に人が豊穣を願う、それを私達が叶えて実りを授けるとそこに私達に対する感謝が生まれるわけだ。その生まれた感謝が心であり信仰心と呼べるものだな」

「ふむ、何かを成してそこから得られる感謝が大事って事ね…それで、ご褒美としてそうあるように願わないのは何故なのかしら?」

 

 仰りたい事はここまででわかったが、本題であるご褒美がいらない理由がわからない。

 いや、完全にわからないという事もない。感謝という心が欲しいのでそれを得るには己で授けないと真の感謝にはならない、信仰という物だけをもらっても意味がないって事だとは思うが、なんというか言葉にできるほど理解出来ていない。

 それにこれはあたしの考えであってはっきりとした答えではないし、ここまで聞いたのだからついでに神奈子様の口から聞いておきたい。

 

「わかってて聞くのは良くないが語りついでだ、褒美で押し付けられるのを私達がそれを良しとしない。それだけの事だ。私達が自ら授けたという形とそれに感謝するという形が重要なのさ、他者から押し付けられた感謝は仮初に過ぎず、その時だけ濁して終わってしまう」

「差し入れはあくまで差し入れで、主食にならずおやつにしかならないから必要ない、か」

 

 問掛けに対してわかりやすく仰ってくれたので、それを咀嚼してあたしらしく例えてみると、困ったような表情を見せてくれる神奈子様。

 ご褒美に対して宛てがうならこんなもんだろうし、米に例えてくれたのだからあたしの例えもわかりやすいと思うのだが、何か間違っただろうか?

 呆れて物も言えない顔でいる神様に、間違いがあるなら訂正してくれと小さく首を傾げて見せると、言葉でなく心の部分で訂正された。

 

「その例えはちょっと、俗に染まり過ぎてはいないかい?」

「技術なんて俗っぽい事大好きな神奈子様に言うなら丁度いいと思うけど? それは兎も角として、タメにはなったわ。ご神託、確かに頂戴致しました」

 

 卓を離れて腿に手を揃えて頭を垂れる、悪い悪戯を思いつき仕掛けた事に対する謝罪ではなく、悪戯心を許し知恵まで授けてくれた事に感謝の心を込めて深々と頭を下げた。

 時間にすれば数秒だが深く思えば時間など関係ない、素直にありがとございますと思いを込めたしそのままそれを念じてみると、解説頂いていた時よりもお優しい声色で話しかけてきてくれた。

 

「言いようはあれだが…うむ、その感謝は紛うことなき信仰心。お前も社があれば私達の気持ちもわかるのだろうが…昔の事だな、なんでもない」

 

 授けて頂いた知恵に対して感謝してみれば信仰心として届く、言われた通りにしてみればそれなりに届いたようだ。八坂の名の通りに傾いていた困り眉がよく見る神様らしい上がり眉に戻っている、不遜な態度だけれど何処か気安い山の神様。

 気安く感じるのは乾なんて身近なお空を司る方だからなのか、仰る通りほんの一時だけ信仰されて片足の小指程度身近となった事があるせいなのか、その辺りはよくわからないが今に満足しているし、戻らない過去を話されてもどうしようもない。

 気軽に思い出したくないし、蒸し返されると辛い。

 それからは話を逸らしておこう。

 

「いらないわ、面倒臭い。持ちつ持たれつよりも一方的に貰う側の方がいいもの」

「神相手に神格などいらぬと言い切るか、不心得もここに極まれりだな」

 

「それじゃあ不心得者らしく神頼みするわ、天邪鬼が参拝に来たら死なない程度、程々に作法を教えるくらいにしてほしいのよ、そうしてくれたら心から感謝してあげるわ」

 

 神様とは真逆にいると言葉で伝え、不遜で偉大な目上の御方に無礼千万な笑みを見せる。

 笑んだままで願ったのは、素直になれない誰かさんに万一がないようにという願い。

 煙管の軌跡を追って考えれば明日か明後日にはお山に来るだろう、途中でちょいちょい追えなくなったりしているが動きが点として感じられる。あのはたて柄の布に包まれていると追えないのかね、輝針城でもあれを纏って薄れていったし‥自前の物にも便利なのがあるようだ、手札が豊富で妬ましい。

 話を逸らすつもりがいつの間にか思考が逸れて神様放って悩みかけ、頭を振って切り替えて、参拝作法を知らないだろう天邪鬼の面倒見を遠回しに再度お願いしてみると、参った時の不遜な態度に戻り返答を述べてくれた。

 

「信仰心を楯にして神を脅すか、まさしく不心得者だ…怒りに触れてもいい覚悟で言ったのだろうが、御柱の奉納も受けたし巫女としての祝詞も受けた。それに免じて願いに込めた心次第では考えてやらない事もない、我に申してみよ。正直にな」

 

 さて、込めた心とはなんだったか、色々と絡まりすぎてよくわからない。表面だけを見れば正邪の心配なんてモノになるが、利用する駒を気にかける気は毛頭ない。利用しようとしている相手に温情なんぞかけていたらこっちの身が持たない…

 のだが、これはあたしだけの願いとして考えた物ではないはずだ。

 正邪に泣かされた小さなお姫様。

 あの子の願いを利用したあたしの願い、それが心だとは思うが、正直にとは仰るが言ってしまっては正邪に心にもない煽りをしたのが無駄になる。あいつがここに来た時にバラされては全部おジャンで、憎まれ役にも成りきれず遊びの発起人へのしっぺ返しも大失敗になる、それは困る。

 けれど嘘をついた所でいずれバレるか嫌だと言われる、昼間から難題ばっかり降ってきて面倒な日で本当に困る…

 が、おかげで楽しみが増えた、賢者を騙すつもりなのだしついでに神も騙しておこう、まずは手始めに神様の言う通り正直に述べてみようか。

 

「泣いた誰かから受けたちょっとしたお願いを叶えてあげる為の神頼みよ、元は他者に願われたモノだけど、今は自身の願いでもあるわ」

「正直に申せと伝えたが…自分の願いを誤魔化してモドキにしなくてもいいんじゃないかい?」

 

 不遜な神様モードを解いてよく知る愛しい神奈子様の顔になり、正直に話せと再度のご忠告。

 言葉は偽りばかりだが願った思いは真っ直ぐなものだ、隠したところで伝わるのだろう、本当に狡い神様ってのは。だが口にするつもりはない、内情がバレども直接話していなければバレた内には入らないという屁理屈を通す。

 訪れた時の歩き巫女よろしくはなっから謀っているのだ、あれを笑って許してくれるのだから、神頼みも偽ったまま許して聞いてくれてもいいはずだ、まだまだ自分の我を通す。

 

「モドキでもなんでもいいの、あたしはあたしの我儘を通したいのよ」

 

 甘い顔を見せてくれたのだから全力でそれに甘える、細かいことは気にしない。後々でお嫁神様に叱られそうだがそれはその時に考えよう、うんと言わせればそれは守ってもらえるだろうし、神奈子様へ信仰を届けたと知れば栄養源代わりに生き延びられるかもしれない。

 我の強い不心得者らしく自分でも反吐が出るような笑みで神を見つめる、冷めた視線で見つめ返されあたしの我儘三昧に裁定が下される。

 

「私相手に我を通すか、筋を通すお前らしくはないが、今日は不心得な歩き巫女モドキだったな。曲げない覚悟も見られたしそれならばそれでいい、元より乗り気でもないし守矢の祭神として巫女の神頼み聞き入れよう。ひねくれ者から得られる真っ直ぐな信仰心も心地良い、諏訪子にも言い聞かせておくよ」

 

 蛇が出るか蛙が出るか、どっちにしろ出たらお終いか、身も清めてきたし捧げられるには丁度いい、なんて少しだけ覚悟してみたが杞憂に終わって助かった。

 甘える事には慣れていない、だからどこまで他人に甘えていいのかわからない。あたしの中では無理なお願いだったのだが、相手からすればそれほどの事でもないのかもしれない。

 相手があたしをどう見ているのか、その辺もよくわからないが、その辺りはとりあえず良しとするか、甘えられる相手が増えたって事がわかったのだ、これはこれで嬉しいものだ。

 

 気が付くと頬も緩んでいたようで、見つめてくる神奈子様の目がとてもお優しい物になっている。早苗を見るような瞳で見られて少しばかり恥ずかしい。

 さすがにこのまま帰るわけにはいかないし、少し気分を変えておこう。神様相手に我を通す無茶をした我儘娘らしく、次の返答も我儘に返そう。

 

「我が強すぎるのは仕方がないの、閻魔様のお墨付きだもの、誰が相手でも通し続けるわよ…ありがとう神奈子様。そう言えば諏訪子様がお見えにならないけど今日はいないの?」

 

「要件が済んだらすぐに諏訪子か、私に信仰を届けながら他の神を求めるとは器用というのかなんというのか…だが、あいつも祭神には変わりないし…偶には私だけを敬う事もだなぁ」

「あら、巫女として二柱とも変わらずお慕い申し上げているだけですわ、今後も()(ため)(いそ)しみ(はげ)(さま)()ぐし…」

 

 話の〆だけ巫女面するな、うちの巫女が真似ると面倒だ。

 軽く笑って言い放ちながら、あたしの頭に神の裁きをごツンと落とす愛すべき山の神、裁きを受けた拍子に化かした耳の術が説かれる。

 ポフンと煙を立てて現れた耳、ピクリと跳ねさせるとニヤリと笑われた。

 化かして仕掛けた神騙しの種も割れてしまったし、残った尻尾の変化も解いて大きく揺らすと、顕現されたお嫁様に強く握りしめられ無言で窘められた。

 口は禍の門ってご神託を体現されているのだろうか、形だけの言葉は嫌いだというしここは素直に謝ろう。悪乗りして謀った事を心を込めてすみませんと述べると、謝罪しながら感謝するなと笑ってくれて尻尾の縛も解かれた。

 尻尾に感じた祟りから少しばかりヒヤリとしたが、緊張感を得るには十分だったし、神頼みもどうにか出来たし、時間稼ぎには十分だろう。

 何の為の時間稼ぎか、そんな事を考えたが正邪を逃がすための時間稼ぎではなく、正邪に泣かされた姫が立ち直るまでの時間稼ぎだと考えれば、気合を入れて稼いでやる理由にはなる。

 来てよかった、お陰で緊張感と動く理由ついでの保険も得られた、後は正邪が参拝しその後上手く逃げてくれれば…考える内に、何だかんだとあれを気にしている自分に気が付く。

 手酷く振って知らぬ所でいらぬ心配など。

 これも『つんでれ』ってやつだろうか、やはりよくわからない。




信仰やら大和言葉やら調べれば調べるほどドツボにハマった気がします。
諏訪信仰を歩いて広める歩き巫女さんてのがいたらしいですね。
旅芸人や遊女を兼ねていて、旅女郎のような格好をしていたそうな。


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第百三十四話 翻る

 姉に代わって神に甘えて気分良いまま我が家で熟睡。

 珍しく朝から夜まで動き回っていたから疲れたのか、途中で目覚める事もないまま深夜に寝て夜に目覚めた。なんだか一日を無駄にした気がするが、春らしく春眠として暁を覚えなかっただけだと納得し、寝起きの一服を楽しんでいると、我が家の外が小さく揺れた。

 この揺れ方だとまたあの天人か。

 時間帯こそ早くなったがいつかの時もこうして来たな、生活改善したから昼間に来いと伝えたはずなのにまた夜に来るとは。人の話は聞くものだと窘めるつもりで玄関の戸を開くと、そこにいたのは同じくらい我儘だが頭に桃ではなく二本の角を生やした誰か、年中呑んでるへべれけ幼女が佇んでいた。

 

 寝起きのままの寝ぼけ眼で、珍しく我が家に来るなんて何用か、と尋ねてみると、地底で八つ当たりされた時以上に小憎らしい顔で突っ込んできて、そのまま奥の壁際まで押し込まれた。

 押し当てられた勢いで壁が揺れて梁から少しの埃が落ちる、そういや梁の上までは掃除していないなと見上げると、上げた顔を下げるように胸元掴まれ睨まれた。

 寝間着代わりの作務衣が掴まれ捻られて少し破れてしまったのと、何も言われずに追い立てられた事に少し苛つき強めに睨むと、掴まれた胸元をねじ上げられて持ち上げられた。

 下げられたり上げられたり忙しくて困る。

 

 小さな幼女の何処にあたしを持ち上げる力があるのか、こいつの事を知らない人が見ればそう感じるのだろうが、頭から二本角生やしたこの幼女は鬼だ、か弱い古狸一匹吊るし上げることなど造作も無いだろう。このまま皮でも剥がされて、今の見た通り釣り皮にでもされるのかね、建築は得意だと見知っているが皮なめしまで得意だとは知らなかった。

 そんなどうでもいい事を考えていると、あたしを持ち上げている右手とは逆側、左手で強く握りしめている物を眼前に突き付けられた。

 小さいが力強い拳に握りこまれていたのは、鬼の力でネジ曲がっているがあたしが正邪に押し付けたはずの煙管、なんでそれをこの幼女が持っているのか、押し付けた物がここにあるって事はそういう事かと理解するまで少し時間がかかった。

 

 腰の重い連中が動き出す。

 そういう読みを聞いていたし、この鬼っ娘も腰の重い連中の一人だ。今まで様子見していて動いていなかっただけで、隙間からのお願い待ちと正邪が鬼としてどうなのか、見定めている最中だと言っていたはずだ。鬼の瞳で見定めてそのお眼鏡に叶ったのか、古い友からの願いを聞いたのか、どちらかの理由で動いてあたしが寝ている間にサクッと打ち取りこれを持ってきたのかなと、眼前の煙管を見て結論づけた。

 釣り上げられる中で一人理解し納得していると、表情を変えられずにいるあたしが気に入らないのか、不意に地に降ろされてそのまま身体を引き下げられた。

 中腰くらいの姿勢に抑えられて鬼と同じくらいの目線になった時、ようやく鬼が口を開いた。

 

「聞かないか、聞かずとも意味がわかるってか。城でベラベラくっちゃべって気に入ってたようだしなぁ」

「城で聞いてたの? 霧だけじゃなくて埃にもなれるとは知らなかった、まぁいいわ、終わった事だし…そうね、萃香さんのせいで楽しみが減ったわ」

 

 色々と企んでいた楽しみ事。

 小さな姫の小さな願いと、それを利用する形で込めた自身の願い。

 あの隙間を引っ掛ける事。

 正邪に対しての意趣返し。

 あれが死んでしまったのなら全部オジャンで大失敗だ、あいつももう少しねばってくれればいいのに。あたしに対して見せた気概はこの程度だったのかと、突き付けられる煙管を見ながら正邪への興味がなくなる感覚を覚えた。

 それでも終わってしまったのなら仕方がないとして、次はどのように姫に謝るか?

 一緒に組んで動いていた姉になんと言うか?

 変えない顔の裏側でそんなことばかりを考えていると、寝間着を引かれて息が顔にかかる距離まで寄せられた。考え中に酒精の漂う息は嗅ぎたくない、さっさと離せと少し睨むと、小憎らしいまま言葉を吐いた。

 

「私に対して恨み事の一つでもあるかと思ったが、言い訳を考えるのに必死か? それ以外思うことはないのか?」

 

「遊んだ結果でしょ? それなら文句はないわ、それ以外って何かあった? 正邪は終わってしまったし、それなら…」

「嘘をつくなと言ったはずだ、私はお前の事をよく知ってるよ。面倒くさがりの割に変な所だけ律儀で我儘な古狸、見えない所で悪戯していつも影から覗いて笑ってたな。誰かを笑い飛ばして突き放したかと思えば仲良さげに擦り寄って、中途半端に他者と関わってばかりだ」

 

 まだこの鬼に嘘はついてはいないし中途半端というよりも程々と言ってもらいたいが…それはいい、言い返さず真摯に噛みしめよう。

 力の頂点である鬼らしく横柄で我儘な物言いがなんとも気に入らないが、よく知ってると言うだけある。口振りはあれだが、言っていることは言われた通りで否定できず何も言い返せない。

 必死に逃げ続ける正邪に中途半端に肩入れして泳がして、そいつをどうにかしてくれという姫の願いを中途半端に引き受けて、返してやろうと考えた物も中途半端なままに終わった。

 地底で名を例えに使われた言葉、六日の菖蒲十日の菊じゃあないが今更になって中途半端だと説教されても、時期が遅すぎてなんの役にも立ちゃしない。

 だからこそ、そこは考えず次の事を考え始めたというのに、この鬼は蒸し返してくれて何だというのか、見せつける用事が終わったのならさっさと消えてしまって欲しい。

 

「理解者がいてくれて嬉しいわ、ありがたいお説教だけど忙しいから帰ってくれない?」

「嫌だね、あいつを見定めてる途中だってのに中途半端に手心加えやがって‥神社の神から聞いた、神頼みってのは何のつもりだ? 天邪鬼の逃亡の手助けのつもりか?」

 

 鮫のような鋭い歯を剥いている鬼族の頂点、帰れと言っても聞き入れられず逆に煽りをいれてきた。思惑は別として、結果としてはこの鬼の言う通りで言葉も無い。

 だがそれが何だというのか、この鬼が歯を剥いて怒るような事か?

 あたしのお遊びのためにちょっと利用しただけだ、それが悪い事…鬼からすれば悪いのか?

 やたらと一対一の喧嘩に拘る種族だ、神様に喧嘩を売る天邪鬼は気に入ったが、神様に手心加えてくれと裏で動いたあたしが気に入らないってところか?

 もしそうならあたしも言い返したい事がある、鬼の矜持を笠に着て言ってくれるのはいいが、まだ途中ってのはなんだ?

 言う割に自分も中途半端じゃないのか?

 煙管見せつけてミスリードを誘ってくるのはいい手だが、嘘を嫌う鬼らしく言葉としては誤魔化せないってか?

 中途半端な姿勢で口喧嘩吹っ掛けてきたこの幼女が気に入らない、気に入らないからちょいと利用しよう、手始めにどうしようか?

 とりあえず言い分を聞くか、何を考えてるか知らないが聞くだけなら無料だ、言われた通り嘘はつかずに突付いてやればいいことがあるかもしれない。 

 

「思惑は別として結果そうなるわ、けどそれが何? 必死なアイツが面白くて気に入ったから逃してやりたい、この考えの何が悪いの?」

「お前の思惑なんぞ知らん、ただあいつの喧嘩に横槍を入れたのが気に入らん。コレだってそうだ、いらんもん押し付けやがって」

 

 少し口で返すと口と行動で返答をくれる不羈奔放の鬼。

 眼前に掲げ上げられていた煙管を完全に握り潰し、パラパラと落ちた破片を踏み潰す幼女の足。ガボンという音を立てそのまま床板も抜いてくれて、綺麗に幼女の足型で抜けた我が家の床。

 無表情なあたしに合わせて冷静に話してくれているが、あたしの分身とも言える煙管を潰して踏み抜いて、これくらい怒ってるんだぞと態度に滲ませて教えてくれた。

 遠回しに教えてくれなくても、捕まっている今なら存分に殴れるはずなのだが、気に入らない相手は力で殴り飛ばしてきた鬼のくせに、直接あたしに拳を向けないのは何故なのか?

 拳での喧嘩が大好きなくせに、あたしと口喧嘩なんてして何を考えているのか?

 こういう喧嘩も好きだったとは知らなかったが、こっちの勝負で負けてやるつもりはない。

 まだまだお付き合い頂こう。

 

「いらない物と言うけど正邪は大事に腰に挿してくれたわ。利用するあたしも利用する、どんな手を使っても生き残った者が勝ち。あいつはそう言い切った」

「そう言うように仕向けたのもお前だろうに。地底でも外でもお前が私に言った言葉だ、誰に言わされたのかなんてすぐ分かるさ、煙管くらいは許せたが…気概まで押し付けるな! 余計な茶々入れなんてしやがって! 成りきれん鬼を笑い者にしてくれるな!」

 

 身内をバカにされたように怒る鬼の御大将。

 こっちの鬼も正邪を気に入っていたようだ、気に入ったからこそ同族のように扱って、一対一で争って、煙管奪ってうちに来た‥そんなところかね。

 自分の言いたい事だけ言い切ってくれて、あたしの言い分なんてまるで気にしない。

 己の言い分だけ通せなど幻想郷の少女らしい我儘な物言いだ、立場も思いも違うが神様相手に我を通した昨日の自分と同じようで全く以て笑えない。

 …いや、同じではないか、あたしは己の利の為だけに言った我儘だ、この鬼は種族としての矜持を貫くための我儘、あれにも貫いてほしかったと考えての我儘で他者を思う我儘だ。

 だとしたら同じに扱うのは失礼か、あいつの行動だけを利用するつもりだったが、萃香さんから見れば気概も利用し笑ったとしか見えないのだろう。

 そうにしか見えないように騙したのだからそこは何よりだが…

 

「黙るなよ、得意の口喧嘩だろう? なら早く騙してみせろ、あの天邪鬼の様に私も騙して笑ってみせろ!」

 

 鬼の叫びと共にぶん投げられて、玄関の戸を破り外へと転がされる。

 床板といい玄関といい人の住まいを何だと思っているのか、腕や足と違って生やせないというのに、気軽に壊されてしまって余計に気に入らない。

 荒くれ者の鬼も気に入らないが、こうなる事まで予見せず安易に動いた自分も気に入らない。

 地底で萃香さんから話は聞いていたくせに、天邪鬼にだけ気を取られてすっかり忘れて鬼の怒りを買っている。お説教通り中途半端なやり口で、今になって反吐が出そうだ。

 

 転がったまま頭の中で後の祭りを囃し立てると、ない胸張って傲慢な笑みで歩み寄る畏怖の象徴が目に留まる。笑えという割にはおっそろしい態度で寄ってきて、いつまでも寝てないでさっさと騙してみろと再度の脅しをしてくる萃香。

 嘘が嫌いな鬼を騙せってのも結構な難題だ、天邪鬼に関わってから難題ばかりで楽しめていたが、他の難題はその天邪鬼の終わりと同時に解けずに終わってしまった…という流れ。

 茶番も茶番だがまぁいいか、折角鬼っ子がくれた難題だ、これを解いて気を紛らわそう、真正面から騙してやって狡猾に笑えれば何故か変えられないあたしの表情も変わるだろうし、鬼の難題も解けて万々歳だ。

 少しだけやる気も戻った、まずは何から仕掛けるか?

 嘘だとバレずに騙すなんてのは無理だが、ここでこいつに嘘をつけばそれこそ現世とサヨウナラしそうだ。それなら騙す相手を変えるか、自分を騙して驚きを提供するか…その為にまずは煽って、いつも通り相手をノセてからだ。

 

「お説教も飽いたし、自分で仕留めた身内の尻拭いをする鬼の相手にも飽いたわ」

「さっきまでの話を聞いてないのか? 騙してみろって言ってやったんだが、人の話も聞かないくらい我儘に成り果てたか?」

 

 転がされてうつ伏せのまま、顔だけ上げて鬼を見上げる。

 飽きたと聞いて眉を潜ませたが、騙して欲しいと言ってくる割にノリが悪くて扱いに困る。

 慣れない口喧嘩に飽いて少しイライラし始めたのはいいが、もう少し突付いてやらなないと手心加えられそうでマズイ。どうせなら蟠りはないようにしておきたいのだが…このままでは利用している天邪鬼のように成りきれなくてお互い格好がつかない。

 

 ゆっくりと起き上がり埃を払って顔色変えずに子鬼を見やる。

 感情を乗せない瞳で見下ろしてやると、少し固めに握られた右拳が見えた。

 握った中指辺りから少しだけ赤い液体が垂れていて、そんなにあたしが気に入らないのかと思ったがどうやら違うようだ。

 下ろした視線の端で握られていた寝巻き代わりの作務衣を見ると、点々と残る赤い血の跡。

 煽りをくれてやる前からの傷らしい、この鬼っ子が怪我をするなどよっぽどの大事だ。

 誰がやったのか知らないがソイツも面白そうな輩に違いない、騙しきって生きていたら是非とも会ってみたいものだ。

 相変わらず思考が逸れるが気にせずに思いに耽ると、再度捕まり囚われる。

 先ほどといい今といい雑に握られて息苦しいが、下手すりゃこのまま息の根っこが抜かれるだろうし、それなら今のうちに現世の空気を味わっておくかと、大きく吸って大きく吐いた。

 吐いた息の音を聞いて小さく舌打ちをする萃香、呆れのため息ではないがそう聞こえたなら利用しよう。しかめっ面の鬼に向かって表情変えず煽りを追加した。

 

「気に入った相手を殴り殺して終わらせた事を蒸し返す、矮小な天邪鬼でもないのに同じように小さな事を気にする鬼。まるで成りきれないあれみたい、器が小さくてそっくりね。その形に合うようになったじゃない、萃香さん」

「もう一回言うか? 騙せと言ったんだ、開き直って煽れなんて言っちゃいない」

 

「そうやって小さな事に拘る矮小さが似てるって言ってるのよ? 見定めるなんて言ってたけど、定める必要ないくらいに似ててお似合いだわ。口喧嘩なんて吹っ掛けてきてやりたい事もよくわからないし‥気に入らないならよくやる様に殴ればいいのよ」

 

 売ってきた口喧嘩を突っ返すように殴れば早いと得意な方面で煽る、似合わない周りくどい事なんてしないで…と考えた辺りで腹に感じる強い衝撃、ズブリと嫌な音を立てて、じわじわと熱くなっていく脇腹からは小さな幼女の肘から先が生えている。

 怒り顔の割に眉を潜めていてよくわからない表情の鬼が、黒く染めきれなかった脇腹に拳を撃ってそのまま背まで抜いたらしい、腹の奥からこみ上げる血を吐いてから、思い切り良くやってくれたなと理解した。グポンとこれまた聞きたくない音を立てて引き抜かれ、それとともに再度喉から逆流する血。紅茶に混ぜられた従者の血と比べると酷くマズイ味が口に広がるが、軽く吐いて紛らわせて残りは気に掛けないことにした。

 内を回る痛みを逸らして痛くないと自分を騙す。そのまま痛いと感じる意識も逸らして気にしないようにし、再び口内に貯まった血を鬼の顔面にかかるように吐いた。

 少し黒ずんだ不健康でマズイ血を浴びせて、残りを口の端から垂らしながら意地悪く笑む。してやったと見下ろしてやると、血塗れの眉間に小さな大江山の谷が浮かび上がった。

 黒く成りきれなかった気に入らない腹を殴り抜かれて、言葉通り騙してやって、やることやってあたしはスッキリとしたが…鬼っ子の方は晴れない顔のままだ、スッキリすると思ったが怪訝さを見せてなんだい、その顔は?

 

「言われた通りに騙し笑ってやったのに、ついでに殴らせてやったのに浮かない顔ね」

「なんでわざと殴らせた? 手段を誤ったと謝るだけで済む話だったろう?」

 

「強欲は身を滅ぼすって言われたし、嘘つかせるのも悪いと思って」

 

 先ほどとは違う意味で眉間を狭める萃香さん、少し前の地底での話だと思い出せるように促すと、あれかと呆れてまた舌打ちをした。舌打ちを聞いて小さく笑むと、有言実行させられた事が気に入らないとまた我儘を言ってくる幼女。

 それならば本心を話そう、腹も割られたし隠し事は出来そうにない。

 

「さっきのはついでの冗談よ。口喧嘩で勝負吹っ掛けて来る萃香さんも、そうさせた自分も気に入らなかったの。一度ぶち抜いてもらって、黒く成りきれない腹を割って貰いたかったのよ」

「頭ぶち抜かれるってのは考えなかったのか?」

 

「多分ないと思ったのよね。見定めている『途中』と言ったし…中途半端な、気に入らない関り方をしているあたしの頭飛ばして終わらせるつもりはないんじゃないか? そんな読みに賭けてみたってとこね」

「気付いていたのになんで…ってさっきの嘘ってやつかい? 変なとこだけ律儀で相変わらず馬鹿なやつだ」

 

「殴るのが面倒臭いあたしを殴れてスッキリしたでしょ? こっちもストレス発散出来たしもういいわ。ちょいと刺激が強すぎるけど血も滴るいい女ってのも需要あるかもしれなし、悪くないわ」

 

 血塗れの拳を見ている鬼にもういいと伝えてみると、スッキリした顔を見せた。有言実行させられて気に入らなかったらしいが、その辺は後で考えてくれ、こっちは一応怪我人だ。

 殴るまでが面倒くさいなんて、霊夢から聞いたあたしの評価を口に出すと、またしても舌打ちされるが反論はなかった。

 鬼が巫女に言った言葉を嘘にされて黙る幼女に、あたしに口で勝とうなんて500年早いと血反吐吐きつつ言葉も吐いて、ちょっと歩くとふらついた。

 倒れる前に支えられ転ぶ事はなかったが、ふらつく原因に支えられるのもおかしな話だと笑うと何も言い返されずに背負われた、そのまま小さな背におぶさり住まいへ戻って一息入れる。

 卓を囲んで少し気が緩んだのか、抜かれた腹がちょいと痛いが、もらう覚悟をしていたおかげで不意打ちでもらうよりは幾分マシな心境だ。

 痛いって事は生きてるって事だと強引に納得させて、差し出された瓢箪を煽って紛らわせた。

 酒で流して手打ちは済んだし、聞きたい事も結構ある、その辺りを少し聞いてみよう。

 

「手打ちは済んだみたいだし、聞いてもいいかしら?」

「構わないが、腹は?」

 

「幼女の拳サイズくらい問題ないわ、それよりもわざわざ煽りに来たのは何?」

「すぐに軽口吐きやがって、腹より口を割らせた方が良かったか? 言ったろう、中途半端が気に入らないんだよ。お前も半端にやられてわかっただろう?」

 

「…程々も悪く言えば半端か、理解したわ」

 

 少しずつ湧いてくる血を瓢箪煽って酒で腹に戻す、喉を鳴らして飲み込んでから口を割られたら垂れ流すだけだと返答すると、変わりないから意味が無いと言ってくれる口の減らない幼女。

 人の事を悪く言えるような手合でもないくせに何を言うのか、小生意気で気に入らないと笑うと同じように声を上げて笑い出した。そのまま少し笑って企み事について聞かれて、何も気にせず全て吐いた。

 姉と始めた隙間に対する意趣返し、その途中で姫の願いを引き受けてそれを利用し動いた事、結果正邪も利用する為に憎まれ役を買った事。

 つらつらと話すと前提から勘違いしていると、思ってもみない事が幼女の口から飛び出した。

 

「手の平に引きずり出すというが、はなっから紫も舞台上にいるだろうに。盤上に引っ張り出した奴が何言ってんだ?」

 

「うん? どういう事かしら?」

「お前が賭けて引っ張り出しただろうに、紫は見てるだけのつもりだったらしいが、賭けられたなら仕方がないと遊びにノッてきただろう?」

 

 なるほどと感心半分、そう言われてみればと自分に対して憤り半分ってのが正直な感想だ。

 前提から間違ってたって事ならこれまでの全部が空回りって事か、遊ばれていたわけではなく最初っから一緒に遊んでいただけだったわけだ。

 直接隙間で正邪を狙わないのは、遊びで反則はしない、もしくは逃げ回るあれを見て楽しんでるってところか?

 直接動かずに幽々子や萃香さんを動かして遊びを盛り上げて眺める、遊びにノった手前もあるし最後くらいは自分で持っていきそうだ、自分で〆れば褒美もないから手間がない。

 回らない頭でちょっと考えただけでも胸糞悪くて堪らないが、これをあたしに話してしまっていいのだろうか?

 友人の隠し事なんて素直に話すような鬼ではないが…鬼だから隠せないのか、矜持に拘りが強いのも難儀なことだ。

 

「そういえば見定めてる途中じゃなかったの? あたしの相手してないで追っかけたらいいのに」

「もう済んだ、鬼と認めるほどじゃないが…それなりに気に入ったから私はもういいのさ」

 

 瓢箪煽ってゲップしながら右手の甲を突きつけてくる、小さなお手々の中指の先が綺麗に一枚剥がれている。嬉しそうな顔をして剥がされた指先を見つめる鬼っ子にしてやられたなと悪戯に言うと、してやられたと豪快に笑い始めた。

 

「押し付けられた気概の割に頑張ってる哀れな鬼人正邪。利用されて可哀想だし軽く殴って終わりにするかと思ったが…生爪ひっくり返されてこのザマだ、素でも意外とやるじゃあないか、あいつ」

 

 剥がされた指先見つめて瓢箪を煽る少女を見ていると、だから逃がした、と最後に付け加えられた。軽くひねるつもりが正邪の力だけでひっくり返されてそこに矜持を見た、だからこそ気に入って、だからこそあたしが気に入らなかった。

 なんとも面倒臭い鬼の矜持だがわからなくもない、思っていた以上の力を示し鬼の御大将に認めさせた、成りきれない天邪『鬼』

 矜持を気にする鬼が矜持を見せられたのだ、気に入って当然だ。

 

「霊夢からも逃げているし、あたしも一度はやられているし、やる時はやるのよね」

「素直に褒めるなんて珍しいな、太鼓といい一寸法師といい、あれもこれもと増やしすぎると本当に身を滅ぼすぞ?」

 

「滅びないわ、まだまだ甘やかし足りないもの。萃香さんとは違って、気に入った相手は甘やかして愛でていたいの。萃香さんも可愛いわよ?」

 

 いつもの様にグリグリと頭を撫でくり回すといつもにように払われる、素直に好みだと伝えてみたがつれない素振りで可愛くない。

 ちょっと放置すると構って欲しいと暴れるくせに、こっちが構って欲しい時には相手にしてくれない、なんとも我儘な鬼様で困る友人だ。

 ワガママっぷりを楽しんでニヤついていると、真剣な顔で真っ直ぐに見られる、らしくない真面目な事でも言ってくれるのかね。

 

「それでこの後どうするのさ? 宙ぶらりんでお終いってのは許さないよ?」

 

「ちょっと考えたんだけど、本腰入れてあたしらしくする事にしたわ、どんな手を使っても笑えればそれでいいと正邪に言い切ったし、そうするだけね」

「アヤメらしくってのがどうなるのかわからんが…気に入ったあいつに正面切って言ったのなら、さっきまでのお前みたいにがっかりした顔させないようにしてやれよ?」

 

 勝手に期待してくれた鬼に言い返そうとしたが、軽く咳き込こんでしまいむせていると、さっさと医者へ行けと言いながら霧散して消えていく痛みの元凶。

 毎回毎回格好をつけようとすると様にならないのは何なのか、偶には格好いい事を言い切って胸を張って見たいのだが、そうならないのもあたしらしさかと一人納得し煙管咥えて火を入れた。

 一人になって思いに耽る、あたしはがっかりしていたのか。あれを利用するだけのつもりがいつの間にか期待していた?

 何に期待…何でも利用して反逆し続ける正邪に寄せる期待とは?

 

 しばらく悩んで思い付いた。

 自分では出来なかった事を成そうとする正邪に、あたしは期待しているのか。

『逃げる事しかしなかった、昔のあたしとの違いを見せてみろ』

 あいつを煽った最後に考えた事。

 昔も今も面倒事から逃げ続ける自分には出来なかった、抗って勝ちを得るという事。

 これに期待してそれが果たされなかったと知ったから落胆したのか、小者一匹に自分を重ねるなんて滑稽だが元々あたしも小物の三下だった、それなら同列か。

 逃げ続けて消えかけたあたしには紫さんがいたが、今の正邪には針妙丸が言う通り誰もいない…一人は寂しいと体感してわかっているし、正邪が理解者を欲しているのも知っている。

 気に入った相手は甘やかすと鬼に言い切ってしまったし、それならやる事は一つか、とりあえず立場を明確にする為に形にしておこう。

 見ているのか見ていないのかなんて知らないが、形は大事だ、やっておこう。

 

 何もない天上見上げて煽りたい相手の笑みを真似る。

 そのまま血塗れの舌を出し右手掲げて中指立てた。

 舌先から血と唾液がぽたりと垂れた時、小さく隙間が開いて見慣れた右手だけが生える、優雅に指を動かしてあたしに対して払ってみせる。

 やめておけ、なのか、小物が粋がるな、なのかわからんが真正面から煽られたし気合も入った。



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第百三十五話 空回る

 中指立てて反旗を翻してはみたものの、何をどうしたらいいのか全く浮かばず、仕方がないから考えるのをやめた。考えて思いつかないならそれ以上は思考しない、腹も抜かれて気も入れ替えたし鬼を相手に嘘をつくのは少ない方がいい、とりあえず明日以降は天邪鬼を甘やかしに行くって事だけを考えてその晩は床に入った。

 気付けに飲んだ鬼の酒が効いたのか、それとも悪巧みもなく素直に寝たのがよかったのか、珍しく夢なんてものを見た。夢というより過去の自分を別の視点から見せられた、といったほうが伝わりやすいのかもしれない。

 

 大昔の、まだ唯の狸だった頃から追うように始まって、いつしか妖怪として成り果てていく自分を見せられるが、これと言って目新しい事もなく特に思うところはなかった。

 強いて感想を述べるなら狸として終わらずに良かったと安心できたくらいか、あそこで終わらずに済んだから今があるのだろうし。

 何故こんな夢を見たのか、夢の中でも冷静に考えられるくらい余裕があって訝しんだが、外の世界で殴られた同じ拳を再度見身に受けたせいかな、だから外の世界で過ごしていた頃の夢なんて見ているのか、と夢の中で頷いた。頷いてから視線を上げると場面が一気に動いていく、次は山の穴蔵で暮らし金貸しをしている頃に場面が映る。

 居着いてしばらくしている頃合い、もう直山の噴火に飲まれる集落が山間の谷間に見えるが…ここはもう納得したし何度も見たい景色ではない。やめてくれと誰ともなく願うと場面がすぐに変わっていった…散々泣いたしもうこれはいい、死んでいく里人の墓穴を掘る自分など何度も見たい姿ではない。

 

 次に視界が定まったのは幻想郷に来てちょっとやんちゃした夜の景色、お引越しのご挨拶に来てくれた吸血蝙蝠と楽しく遊んで食事を済ませた晩の景色が見えた。

 赤い月の下で子供のように笑んでいる自分、その隣には上半身だけを隙間から生やした幻想郷の大家さん。食事で汚れた口元を紫さんに拭われてご機嫌な顔をしている自分を見て、甘やかされるのに慣れていないなんてどの口が言うのかと、少しだけ恥ずかしくなった。

 この後は二人で少し話して不法滞在者であるレミリアに挨拶に行くんだったか、いきなり現れて面倒なお願いを頼んできてくれて、最初は乗り気じゃなかったが…

『どうせなら他の者にも声を掛けて皆で楽しく遊びましょう』なんて言葉を聞いて、素直に手伝う気になったのを覚えている。この時は言う通り楽しい遊びで悪くなかった、楽しみすぎて調子に乗って門番の気を引いたまではいいが遊びすぎて怪我をしたんだったか、同じような手口で戦う門番もいい手合だった。が、同時に面倒な時間稼ぎだったなとまた思い出す。

 

 また場面が変わって、次に見えた自分は両腕のない姿、この時は大家さんのお願いを聞き入れて地底に行ってちょっとした荒事をするハメになったのだった。

 怪力乱神に目をつけられて喧嘩を売られて、死んでもおかしくない弾幕ごっこに付き合わされたのが懐かしい。土蜘蛛や橋姫、覚なんかと知り合ったのもこの頃だったか。

 面倒なお願い事だったけれどお陰様で今でも付き合いのある友人を得られたのがありがたかった、喧嘩の後に腕がなくて不便そうだからと式を押し付けられた事もあった。思い返せば主にも式にも甘えっぱなしだ、少しどころか随分と恥ずかしい。

 頼んでもいないのに介護してくれてありがたい、なんてこの頃は考えていたがそれでも追い返さず好意に甘えたのはなぜだろうか、素直に信頼していたからだろうなと違う事にも気がついた。

 

 さっきから自分の夢であるはずなのに特定の人に関わる夢ばかりが続いている、これはちょいとおかしいと夢を見ながら違和感を覚える。

 以前に昔の夢を見た後は確か…

 

「おはよう。うなされていたから心配で手をとってみたのだけど、嫌な夢でも見ていたのかしら?」

 

 部屋の壁側である左手で布団を捲って目覚めてみれば、あたしの手を取り笑みを浮かべる、今は敵対しているはずの幻想郷の大家さんが横に座っていた。

 夢の様な夢ではないような懐かしい物を見せてくれて、過去の自分や昔の事をわざわざ思い出させてくれたのはやっぱりこいつだったかと睨む。

 けれど、睨んだところで取る手は離されず、少しだけ穏やかな笑みを浮かべる妖怪の賢者様。寝起きから手を取られて笑みも見られて、なんとなく毒気を抜かれてしまった。

 

「おはよう、昔の事なんて見せてくれてなんのつもり? また甘やかしに来てくれたの?」 

 

 夢のせいか反逆した事を完全に忘れて普通に返答してしまう、それでも気にせず手を取ったまま笑っている覗き魔妖怪。

 寝ながら能力が使えれば触れられる事も夢を弄られる事もなかったはずだが、そこまで器用に使えないし今更言っても六日の菖蒲ってやつか。ここで態度を代えても無意味だろうし、このまま空気の代えどころがくるまで過ごそう。

 

「甘やかされるのに慣れていないわ、なんて言葉を魔法の森で誰かに言っていたからちょっと意地悪をしたのよ」

「博麗神社の宴会でも意地悪だったし、ホントはあたしの事嫌いでしょ?」

 

 殴っても布団を殴っているようで殴り甲斐がない、そう言ったのはあたしの腹を穿った鬼っ娘だったか。

 殴り甲斐はないかもしれないがお布団はあたしの大好物だ、お陰で取られている手も心地よい…心地良いとマズイのだが実際気分が良いのだからどうしようもない。

 嫌いでしょ? なんて寝ぼけた頭で悪態をついたつもりだったがこれじゃ唯拗ねてるだけか、企む腹に穴なんか開いているせいでどうにも本音が漏れるらしい。

 

「そうね。思いついた楽しい遊びを皆の前で発表したのに、つれないアヤメは嫌いだわ」

「それなんだけど、一人は楽しんでないしもう一人は泣いてたのよね。そんな姿を見せられてあたしとしては楽しくない、気に入らないわ」

 

 意図せず漏れるなら素直に吐いてしまおう、そう思った。

 楽しんでいるのは鬼役だけで逃げ役のアイツは一人で必死だ、そんな必死な天邪鬼を思って泣いた針妙丸の気持ちはよく分かる、だからこそ針妙丸の願いを叶えてあげたいと思ったのだが‥‥遊びの発起人に言ってしまったのは悪手だっただろうか。

 気づいたところでもう遅いか、あたしの言葉を聞いて胡散臭い笑みに戻ってしまったし。

 

「そうだとして、それならどうするの? 見逃してあげてとでもねだる? また尻尾振っておねだりしてくるかしら?」

「逃げ役があたしだったならそうしてるわね、でも今回はあたしは…」

 

 言いかけた辺りで頬に手を添えてきて言葉を中断させられる、夢と現の境界の次は言語の境界でも弄ばれたのか、口をパクパクとさせるだけで声にならない。

 それ以上言うなって事だろうか、遊びには乗らない。皆で楽しく遊びましょうと誘ってくるのにそのせいで誰かが泣いた、だから気に入らないし今回は願いではなくお誘いだからあたしも断れるものだ。

 だから今回はあたしはのらない、寧ろ反逆者として逃げ役に肩入れして終わらないようにし続けてやろう、そう考えていたのだがそれは言わせてくれないらしい…敵対もさせてもらえない、本当に甘やかしてくれて、気に入らないほど過保護で困る。

 

「皆一度は遊んだだろうし、あまり長く逃げられても調子に乗られそうで困るのよ」

 

 皆遊んだ、か。

 萃香さんまで出張ったし残っていても数人ってところだとは思う、宴会の場にいながらまだ動きを見せていないのは聖人二人と天人、予め遅刻していけと伝えておいた吸血鬼くらいか。

 太子はよくわからないが、天子は暇潰しに使いそうだし聖は改心させて改宗せよなんて言い出しそうだ、レミリアはできればもっと遅刻してくれると嬉しいがそうもいかないのだろうな。

 

「私は今晩辺りに遊びに出かけます、アヤメはどうするの? 神社で誘ってからまだ返事を聞いてないのだけれど?」

 

 取られている手を払って口をパクパクとさせながら、親指で口を指して返答するからどうにかしろと示す。笑んだまま目を細める紫さんの顔にさぁどうぞと書かれてから、誘いの返事を述べた。

 

「紫さんからの誘いなら断らない、けれど参加するに中って聞いておきたい事があるのよね」

「話は聞いた、宴会ではそう言ってたと思うのだけれどなにかしら?」

 

 断れる誘いだったが断りの言葉は閉ざされた、それなら返事はこうなるだろう。

 曖昧なままでも答えは出ているが、はっきりと自分から遊びに関わると意思表示を示しておいた方がいい。

 それでもただ誘いに乗るわけではない、遊びの終わりはどうするつもりなのか?

 正邪を捕らえて処罰するまで終わりがないのか確認をしておきたかった。

 

「遊びの〆はどうなるの? 正邪を捕らえて殺してお終い? 遊びにしては物騒ね」

「それでも終わりだけれど、それで終わればもう一人というのがまた泣きそうだし…そうなったらアヤメが怖いからそれ以外もあるって伝えておくわ」

 

 怖いなどとこの口が言うのかと睨む、が扇子で隠された。

 此処から先はいつも通り胡散臭い物言いになりそうだ、それならばと体を起こして煙管を咥えこちらもいつもの態度で望む。

 扇子に向かって煙を吐くと数度仰がれてかき消されるが、おかげで口元がチラリと見えた。笑んでいるのかと思ったが少しだけ考えるような表情の紫さん。

 そんなに真面目な事を言うのかと内心だけ身構えると真面目とは真逆のことを言われてしまった。天邪鬼が謝ればそれで終わりでもいいなんてのたまう遊びの発起人、一瞬惚けて咥えた煙管を口から離すと小さく笑われた。

 

「逃げずに謝るか、宴会に出て酒で流すかしてくれれば良いのだけれど、傷だらけになってまで嫌がるなんてよくわからないわ」

 

 らしくない少女のような困った顔をする隙間妖怪、紫さんの友人がよく見せるプリプリと怒る可愛気のある表情でよくわからないと言い切られる。

 その表情があまりにも似合わなくて、あっけにとられていると真面目な顔から穏やかな笑みへと戻っていった。 

 

「…生死問わずで追いかけ始めたのに、そんな事で怒ってるの?」

「当然です、大事なルールだもの。もしかして忘れているの? 宴会で付喪神からは聞いていると聞けたのに…昔の事を覚えていてくれて嬉しかったのだけれど、全部は覚えていないのね?」

 

「何の…さっきの夢はそれを思い出させたかったの?」

 

 問掛けても返答はなく扇子の奥で目を細めるだけ、これ以上聞いても教えてくれないだろうし、さっさと思い出そう。

 宴会で話していた内容、あたしとの会話では覚えるとか忘れるとかそういった内容はなかったはずだ、デリカシーのない覗き魔は嫌いだってのは関係ないだろう。

 それならば別の事、宴会での追いかけっこ宣言の後何を話していたか?

 あたしでないとすれば別の者との会話、雷鼓との会話か。

 雷鼓と騒ぎに酔っている時にふらっと現れた紫さんが嬉しかったなんて言ってたか、なんだったか…あぁ、あれか、あまり派手にやると怖いのが来るって方の話か。

 吸血鬼異変の後にした立ち話の一節、よくある世間話の一つだったがそれでもただの世間話と言えなかった話し、幻想郷を思って発した言葉だったから強く脳裏に焼き付いた言葉だ。

 

~幻想郷は全てを受け入れるのよ、それはそれは残酷な話だとかなんとか

 それでもある程度のルールは覚えてもらわないとならない

 守らずにお痛をすると怖いのが来て朝眠れないなんて事になる

 遊びはみんなで楽しく~

 

 一言一句正しく覚えているか、そう問われると自信はないが八割くらいは合っているはず。 

 これに照らし合わせるなら…

 そういう事か、それで今のような逃げ役一人の鬼ごっこが始まったのか。

 

「全てを受け入れるけど、ルールに従わないと怖いのが来て追いかけられる、そうして朝も眠れず逃げ回る羽目になっている…って事なのね、今の正邪は」

「あらあら、やっぱり覚えてくれているのね。遊びはみんなで楽しく、こっちも昔に言った通りでしょう?」

 

「一人楽しそうじゃないのがいると言ったつもりだけど、それは見ないふりするのかしら?」

「ルールを守らない住人は排除するわ、外法には外法を…人里で誰かも言っていたわね、赤蛮奇さんだったかしら? あの子はギリギリセーフとするけれど天邪鬼は許してあげられないの、まだね」

 

 扇子越しに淡々と話す大妖怪。

 管理人としての立場を考えればわかる、わかるが気に入らない返答でもある。

 全てを受け入れるって方は無視しているように思えて、都合のいい面だけを強調する話し方で気に入らない。その辺りの返答も用意しているからわざわざ引っかかるように言ってくるのだろう、それも含めて気に入らない。気に入らないから素直に言おう、甘やかしてくれているのだしそれならそれを利用しない手はない。

 

「あたしには甘いのに、ちょっと反抗されたからって好き嫌いはダメだと思うわ。幻想郷はなんでも受け入れるんじゃなかったの?」

 

 言い切ったところで扇子の奥の顔は変わらない、案の定この問いかけに対しても答えがあるのだろう、それならばその辺りをきっちりと聞いておきたい。

 真っ直ぐに細められた瞳を見返す、すると少しだけ扇子を上げて視線を遮るようにされた。それも気に入らないので扇子の開いている方向を逸らす、真横から縦方向へと開こうとして扇子の芯が軋みだすと、諦めて扇子を閉じる妖怪の賢者。

 ほんの一瞬だけムッとしてくれて、少しだけ意地悪が返せたようで心地いい。

 

「なんでも受け入れてあげますわ、今の幻想郷を愛してくれるのであれば、ね…ひっくり返して壊そうとする者も、ひっくり返された幻想郷も私は受け入れないわ」

 

 久しぶりに見る悲しい顔、幽々子が桜に下に埋まっているものが気になった時に見せた顔。

 あの時とは違って殺気こそないが、今回はあの時よりも内にくるものがある、人攫いくらいしかしていないがこれでも幻想郷の成り立ちに関わった者だ。

 今の顔と言葉にどんな思いが込められているのか、言われずとも痛いほどに理解できる…というより成り立ちに少しでも関わった者としては理解せざるを得ない部分だ。

 どんな思いで言葉にしたか理解できるからこそ、異変の前にあたしを誘いに来た正邪は一蹴し、一度断ったのだが…

 

「アヤメに甘い、と言うけれど…外での人攫いや八雲の使いとして地底へ出向いてくれた事…汚れ役や憎まれ役を押し付けても文句も言わな…」

「それを言うのは狡いわ、あたしが好きに動けなくなる。我を通せなくなったら妖怪として終わるからやめて」

 

 手のかかる子供と古い友人を同時に見るような、慈しむ瞳で見つめてくる幻想郷の大家さん。

 隠す扇子をどかされたから表情で隠しているのか、本心からそんな顔をしているのか、長い付き合いでなんとなくわかるが…今わかってしまうとマズイ、反逆する理由が奪われてしまいそうで途中で言葉を挟んで誤魔化す。

 いつもの胡散臭い笑みではなく、消える前に見せてくれた顔。あたしの反骨心を降りには最適な友、人へ向けるような穏やかな笑みを浮かべている紫さん。

 

 気持ちはありがたいけれど…今はただの住人として、中指立てて姿勢を示した反逆者として話を聞いている体…なのだが、さっきのような事を言われては敵対も出来ず、素直に天邪鬼を追うことも出来ず。

 中途半端が気に入らないと言われたが、こんな心境の時はどうしたらいいのだろうか?

 あちらを立てればこちらが立たずで悩ましい状態を打破するには?

 どちらも立てずに傍観する、のは無理だし、自身がそれを許さないな‥気に入ったものは甘やかす事にしたと鬼と約束してしまったから嘘には出来ないし、針妙丸のお願いも叶えてあげる、あの時のようになく事にはならないと約束してしまった。

 なら逆にどちらも立つように両方につくか、誰にでも尻尾を振る自分にはそれが打ってつけかもしれないし、どちらについても嫌な思いをするのなら、両方についてから失敗して嫌な思いをしよう。

 正邪を仕留める以外の手がないわけでもないのだし。

 

「お山や寺の墓場でしてやられているし、あたしも遊びに混ざるけど少し聞いてもいいかしら?」

「宴会で流れは話しました、それ以外は内容次第ね」

 

「ご褒美って何が貰えるの?」

「天邪鬼に関わるもの、それ以外で答えられて幻想郷のルール内なら何でも、と言っておくわ」

 

 真正面から釘を差されたが悪くないお返事が返ってきてまずは上々、曖昧にぼかしてくれて正邪をどうにかするというお願いは聞いてくれないらしいが、とりあえずそれはどうでもいい。後々でどうにかしよう。 

 

「理解したわ、まだいいなら…紫さん、今晩どの辺りに遊びに行くの?」

「続く言葉次第で返答が変わるのだけれど、先に聞いてもいいかしら?」

 

「あたしらしく嘲笑いに行くだけよ、それ以上は乙女の秘密…って言いたいけどあたしも正邪と遊びたい、紫さんの後ならあいつも疲れているだろうし最後がいいわね」

「私で終わらせるなって事かしら?」

 

 ニコニコと笑みながらニヤニヤと笑む相手と問答を続けていく、どっちも腹黒さに定評のある者だが本気でやれば多分勝てないだろう。

 そんな事はわかっているから本気でなんか当たらない、紫さんの前でも後でもそんな事もどうでもいい、紫さんの前でやらかすことが出来れば後はその場でどうにかしよう。その為には同じ時同じ場所で正邪と三人で出くわしたい。三人で出くわすために後で会いたいという餌を撒く、釣れようが釣れなかろうがどうでもいい。その気があるよという姿勢だけ伝わればそれでいい、とりあえず後で会いたいってのを押していくか。

 

「発起人がトリだなんて出来レースだと思われるわ、境界弄って逃しているかも? そんな疑いを晴らしてあげるって言ってるの」

「疑うなんてそんな酷い事を言うのは誰かしら、アヤメの言い掛かりという線を消してくれる者はいて?」

 

「証拠になるかは五分だけど紫さんを怪しんでいるのはいたわ、早い方の記者がそう。お山が襲われる前に紫さんが誰かとグルになって、なんて裏を取りに来たわ」

「素直に話してくれたのは嬉しいけれど、アヤメの話だから確実ではないのよね」

 

 紫さんに反逆して裏切るつもりが普段の自分の言動に裏切られてしまい、全く信用されない。

 ただこれも振りでどうでもいい、文には悪い気がしなくもないが完全な言い掛かりではないし、新聞記者として名が売り込まれたと思ってもらうようにしよう。

 後々で藍辺りに追い掛け回されるのだろうが、足の早さなら負けないだろうし逃げ足の早さは信じている、頼りになる友人がいてくれてありがたい。

 

「狼少年だって最後には真実を話すのよ?」

「最後というのが気になるわね、お腹、そんなに酷いのかしら? 萃香に貫かれただけで死ぬような事もないでしょう?」

 

 普段通りの物言いから普段通りに甘やかす心を引き出す、ただの軽口で心配などされていないのかもしれないがそこは紫さんを信じてみよう。

 ちょっと腕がないくらいで藍を寄越すくらいの過保護さだ、血の足らない白い顔で最後なんて匂わせれば、少し甘えたお願いを聞いてくれるかもしれない。

 って手口を考えたが実際血が足らず頭が回りきりそうにない、考えるのもちょっと面倒になってきたし、そろそろ真正面から伝えてみよう、甘やかしてくれるなら全力で甘える。

 神様には通じたし、こっちも多分通じる気がする。

 

「甘やかすなら騙されて、こう言えば騙されてポロッと教えてくれるかしら?」

「相変わらず空回りが好きね、最初から甘えてくればいいのに、無駄に頭を使うのは使うべき時にしなさいな…とりあえず高い所へ行く予定、あいつ(天子)もアヤメと一緒で遊びに乗らない我儘娘だから叱りに行くわ」

 

 自分が納得する為に必要なプロセスだったのだから仕方がない、拗ねた態度でそう言うと軽く笑って隙間を開くあたしの保護者様。

 一対のリボンの間に開いた気味の悪い空間からポロポロと包帯やら降ってくる、夜出かけるならどうにかしておけという事らしい、顔色が悪いくらいでこっちの心配は必要ないのだが甘やかされるのに慣れるには丁度いい。

 素直に受け取り帯を解くと隙間に沈まず帰らない覗き魔妖怪、甘やかすという用事は済んだのだろうしさっさと帰れと文句を言うと紫さんは消えてくれたが、代わりに尻尾の多い方が降ってきた。割烹着を着てお玉片手の八雲藍、命は受けていないが急に吐出されたのと帯を解いて腹の穴を見せつけながら包帯を手渡すと、一瞬睨んでから渋々包帯を巻いてくれた、押し付けてくれたから使ってやったのに態度の悪い式で困る。 

 ちゃっちゃっと巻いて終わりかと思ったが、帰りの隙間は開かない。

 お玉見つめて切なそうな顔をする藍に朝餉の献立を聞いてみると、お揚げとネギの味噌汁だったのにと弱々しく答えてくれた。

 九本の尾を下げて問に答える妖獣の頂点。

 少しだけ可愛そうだと思ったが、何も言わずに頭を撫でた。



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第百三十六話 裏切る

 青白い顔をして、いつもは飛ばない結構な高度まで舞い上がり、流れる雲を足元に見る。

 雲間から覗く闇夜の大地を少し眺めて、広いのか狭いのかよくわからない世界だと再確認出来た。海こそないが失われた日の本の原風景に近い世界、理屈なしで良い土地だと足元に広がる幻想の大地を見て感じる。これをひっくり返すのは勿体無い、紫さんが怒るのも無理ないかもしれない、そんな事を包帯巻かれた腹を撫でつつ考えていた。

 

 朝餉に用意したお揚げさんを食べられず、切ない顔をしていたお狐さまに巻いてもらったきれいな包帯、それを強めに撫でても押してみても血の滲まなくなった腹。押しても痛くもないし触れても感覚もなくて結構困っているのだが、我を通したい放題をして我儘で強欲な自分が滅ぶにはいい機会なのかと開き直っていた。痛みがなくなったと感じた時は治ったのかと思ったがどうやらそうでもないらしい、痛いって事は生きていると思い込んでいるのに痛くないって事は…多分そういうことなのだろう。

 細かいところはわからないし考えていてもキリがないから、とりあえず動ける今をどうにか乗り切って、雷鼓の見舞いついでに永琳に任せればいいやと気楽に考えていると今晩の目的地が遠くに見えてくる。

 

 注連縄こそ巻かれていないが、我儘な名居の神の子孫が腰掛けているあれにそっくりな大地。

 とっぷりと日暮れた幻想郷の夜の中でも輝いているように見える清浄な土地、雲りも高い空に浮く幻想郷の武陵桃源『天界』が見えてきた。

 もう紫さんはついているだろうか?

 多分先に到着していて天子にお説教垂れているのだろう、以前の異変での事があって犬猿の仲のように見える二人だが既に和解は済んでいて、思っていた以上に仲はいいらしい。以前の異変で地震起こして、あの時に紫さんにボコボコにされて言葉通りに動いて許してもらえたんだったか。

 

 投我以桃、報之以李『我ニ投ズルニ桃ヲ以ッテスレバ、コレニ報ユルニ李ヲ以ッテス』

 

 それっぽいものを持ってそれらしくしてくれればそれらしく対応してあげる、そんな意味合いの言葉だった気がするが細かいところはまぁいいな。ボコボコにされた後に我儘放題にやらかしてごめんなさいと謝った天子、言葉の通り天界名物の桃を持っていって仕方がないと折れてもらったんだったか。紫さんが土下座したという事を何処かから聞きつけて、それを真似るように素直に謝り許された天子。きちんと謝れば許す寛容さを見せる妖怪の賢者、昼間も天邪鬼に対して同じように言っていたし、本当に謝れば許してくれそうだが…そうであれば楽なのだが。

 

 どうやって謝らせようかと悩んでる間に、幻想郷でも一番高い所へとたどり着いた。

 見上げても頂きの見えない妖怪のお山の更に上、雲はないのに霞んで見える幻想郷の有頂天。

 伝承で聞く霞を食べる仙人の里らしい雰囲気だけれど、外の伝承とは違って幻想郷の仙人はここにおらず下界にいて、ここに居るのは別の天上人だけのはず。いるのは死神を追っ払う我儘天人連中、連中とはいってもあたしは一人しか知らないが、その他に興味はないし聞くつもりもないからどうでもいいか、割愛しよう。

 非想非非想天の娘が住む場所らしく何処よりも高いその土地に、能力使って視線を逸らして、並び立つ桃畑の中へと消えていった。

 

 桃の木が立ち並ぶ畑を抜けると日本家屋に道教のような雰囲気が感じられる建物が増えてくる。清の国なのか、日ノ本なのか、よくわからないオリエンタルな造りを眺みながらちんたら歩いて端の方、注連縄巻かれた要石の刺さる崖の辺りで空を望む天人様が一人。

 要石に腰掛けて足組みしている似合う姿で空を見上げているようだ、こうやって静かにしていれば絵になる天上の総領娘様。そんなやんごとない我儘天人に気が付かれぬよう、視線と一緒に意識も逸らして背後から声を掛けた。

 

「絵になる姿の御嬢様、夜伽相手でも待っているの?」

「んぁ!? 誰!? ってアヤメ?」

 

 崖下の空を見ているような少し丸めた背に向かい声をかけると、大袈裟に跳ねる総領娘様。

 言葉を受けて立ち上がりかけるのを抑えるように肩に両手を乗せて、そのまま背から抱きついて暇人天人の肩から顔を生やす。

 そのまま視線の先を辿ってみると雲間の間に見える幻想の地図。人里や妖怪のお山辺りが明るく灯るのが見えて、こうやって景色を見るのもいいものだと感嘆の息を吐いていると、頭を置いた肩が動いた。

 

「こっちに来るなんて珍しい事もあんのね、何しに来たの? ていうかいつからいたのよ?」

「今さっきよ、天子に言われた通り煙らしく高い所に上ってみただけ。そう言えば紫さんなんて来てない?」

 

 姿勢は変えずに煙管咥えて言った通りに煙を立ち上らせた、桃の飾りの付いた帽子が斜め上に傾いてそういやそんな事言ったかもと、視線を上げたままに呟く天子。

 言われたこっちからすれば珍しくいい事を言ってくれたと、少しだけ感銘を受けて感心もしたのに覚えていないのか、少し苛つき肩にのせた顎を強めに揺らすがこの程度の嫌がらせでは感じないらしい。頑丈だけど柔らかい、確かに天子の言う通りの体だと少し沈んだ顎先で感じていると、沈む顎を気にもとめない頑丈娘が紫ならもう来て帰ったと教えてくれた。

  

「昼間のうちに来たわ、私に説教なんてしてくれてあの覗き魔」

「昼間? 夜に遊びまわるって聞いて来たんだけど、謀られたのかしら?」

 

「また来るんじゃないの? 天邪鬼も近くにいるみたいだし」

「近くにいるのが分かってるのに構いに行かないのね、紫さんにお説教されたんじゃないの?」

 

 もう行ってやられた後よ、と言いながら帽子を脱いで腿に置き、飾りについた桃を眺める天子。

 退屈大嫌いな御嬢様だからこの遊びにも乗り気かと思っていたが、そういうわけでもないらしい。

 

「やられたという割に怪我も汚れてもいないのね」

「ちょろっと構って帰ってきただけだしね。そもそも乗り気じゃないのよ、これって紫の気紛れが始まりでしょ? 気紛れに振り回されてやるほど私は安くないの、寧ろ暇潰しが長く続いた方がいいわ」

 

 なるほど、腰が重い連中は腰が重いままだって事もある、そんなところか、それならば都合がいい。

 我儘さだけが目立つ放蕩娘に思えるが、荒事のない退屈な天界生活に不満タラタラで、暇潰しに神社を倒壊させて巫女を釣り出すくらいの聡明さも持ち合わせている天人様。

 

「ご褒美出るのにそれはいいの?」

「言ったでしょ、退屈しのぎが続けばいいって『褒美として天邪鬼を逃がせ』なんてのは駄目みたいだし。捕まえるより見てた方が暇潰しにはいいわ」

 

「そう、他の連中に捕まったら終わりになりそうだけど…天子が動かないならそれはそれで都合がいいし、いいか」

「他のも多分捕まえる気なんてないんじゃない? ご褒美欲しければ初日から追いかけ回してるでしょ」

 

 それもそうかとクスリと笑むと、あんたもやる気ないじゃないなんて言って淑やかに笑う比那名居の娘。

 こう見えてもご褒美狙いなのだがそれは内緒のままでいいだろう、変に話して勘ぐられると面倒臭いし、捕まえて暇潰しを終わらせる腹積もりがあると教えるとあたしが天子に捕まりそうだ。

 

「暇ならちょっと目覚ましになってくれない? 紫さんが来るようなら起こして」

「わざわざ来たのに寝るの? ていうか顔、青白いけど調子悪いの?」

 

「ちょっと貧血ってだけよ、気圧も低いから余計に具合が悪いだけ」

「貧血なら家で寝てたらいいのに」

 

「人肌恋しいから嫌、目覚ましついでに添い寝してくれてもいいのよ?」

 

 青々とした芝のような草原が広がる地面に横になり、涅槃に入るような姿勢でこっちへ来いと地を叩く。抱きまくらになれと仕草で促すが、惚気と嫌味を同時に言ってないで早く寝ろと、要石に腰掛けたままでつれない返事を放ってくる目覚まし天人。

 添い寝は断られたが起こして欲しいって方は断られていないし、とりあえず寝るかね、紫さんの捕物中に全力で横槍投げ入れられるよう体力を残しておきたい。

 

~少女仮眠中~

 

 結構強めに肩を押し動かされて目覚める。

 目覚めてみると視界いっぱいに広がる金色のもふもふが広がっている、いつの間にか尻尾を九本も生やしたらしい…んなわけあるかと寝起きの自分にツッコミを入れて空を眺めると、視界の先には酷い景色が広がっていた。

 青い花と赤い花に見立てた弾幕が、周囲一帯をそっくり囲んでまるで逃げ場のない結界として広がっている、空として見える部分よりも胡散臭い妖気を帯びた弾のほうが面積あるんじゃないかという地獄絵図。

 

「起こせと言うから起こしたのに、礼もなしか? 甘えん坊」

 

 ぽかんと口を開けて空を見上げていると、枕代わりのもふもふが生えている根本の方から聞き慣れた誰かさんの声がした。願わなくとも甘やかしてくる側から甘えん坊と言われても困るが、実際甘えっぱなしで立つ瀬がないし、そこは聞き流して嫌味を交えて礼を述べる。

 

「はいはい、藍お姉ちゃんありがと。それで、早速だけどあいつはまだ生きてる?」

 

 少しだけ甘えたような高めに作った声で礼を述べてみたが反応はない、甘えろというから甘えたのに何だというのか。述べた礼は無視してくれて、あっちこっちで花弁を開いては散らしていく弾幕結界を静かに眺め始めた藍。

 こちらの問いかけに対して態度で答えてくれて、頭の回転が早いお守役で助かる。主大好きなこいつが空を眺め続けているって事はまだ正邪は顕在なのだろうし、このままもう少し見上げているか。

 

「余計な事をするな」

「何の話?」

 

 幻想郷の夜空を埋めていく、誰かさんの突破不可能に見える弾幕結界を見上げなら、二人とも互いの顔を見ずに世間話。余計な事とは何に対してだろうか、主が見ていて知っているならこいつも殆どを知っているのだろうが、どれをするなと言うのだろうか?

 紫さんの邪魔をするな?

 正邪に肩入れするな?

それとも何もするな? 

 

「何かするようなら足止めせよとの仰せだ、紫様が捕らえるか…万一天邪鬼が逃げるかするまで何もするな」

「足止めね。外の時でも白玉楼でも、藍に本気で止められた覚えがないわ」

 

 見上げる先の結界の形が変わっていく、二色の花を思わせる弾幕結界から紫さんを中心にして開花する一輪の、大輪の花のように広がりどこもかしこも埋め尽くしていく弾幕の結界。

 スキマ大好きな可愛い妖怪さんのくせに放つ弾幕には隙間が全くない、ボロッボロになった自前の布を纏ってどうにか掻い潜っていく正邪だが、紫さんが軽く指を動かすと布が端からほつれて糸へと戻って消えていく。

 縫製の堺目?

 物としての境目? 

 そんな辺りを弄ったようで天邪鬼の体からハラハラと散って落ちていく糸、はたて柄の大きな布からヤマメの紡ぐ糸のような物に成り果てていくのを見上げていると、スキマ妖怪の折り畳み傘を取り出して力尽くで逃げ出す正邪。

 ボロボロな身形で対峙する相手の愛用品を使うなど悪手だが、その傘も骨が折れていて二度ほど開いて逃げた後にいきなり錆びて鉄くずと化していった。

 自前の物も失って頼れる盗品も破壊された天邪鬼、表情こそ小生意気なままだが焦りは隠せないようだ、あの顔から察すると手札はもうないのだろう。

 それならそろそろ横槍の入れ時か?

 手遅れになっても嫌だし、まだ元気に逃げ回っている内に顔を出しに…そう考えながら少し浮くと、スルッと左足と左腕に二本ずつ尾が巻かれる。

 二の腕と膝辺りで強く締まる金色の尾に引かれて強引に引き戻された、浮いて何かをする動きを見せたあたしを物理的に足止めする事にしたらしい、本気で止められたことがないなんて軽口吐くんじゃなかったかね?

 

「ちょっと飛んだだけで捕まえる事はないでしょ、離してくれない?」

「主の邪魔をしに行く、そう顔に書いてある者を逃すと思うか? 顔色に出るくらい血が足らんのだろう? それなら大人しくしておけ」

 

「幼女の拳くらいで終わるほど…」

「塞がらない傷と流れない血、天邪鬼と遊ぶなどと言ったらしいが動けるようには見えんな。紫様は止めてもきかないだろうと仰っていたが…こうして近くで見ている事は許されたのだ、甘えん坊らしく紫様の気遣いに甘えておけ」

 

「甘えっぱなしではつまらない、笑えないから断るわ」

 

 指摘された腹を撫でて、着替えた白の着物を綺麗な状態に戻す。

 自分でも何故かわからないが治りの悪い拳の跡、大昔にこの拳で死にかけたと体が記憶しているから少しも良くならないのだろうか?

 定命の者であれば多少の傷は放っておけば治るらしいが、精神面に強く引っ張られる歪な妖怪さんになってから、思い込みってやつに強く依存している自分。

 大概は迷わない為に思い込んだり、嘲笑う為に思い込んだりしているが、死ぬってのは強い記憶で二度と味わいたくないと頭の中に強く刷り込まれている‥だから治らないのかもしれない。萃香さんじゃなくて勇儀姐さんにしておけばよかったのか?

 どっちでも大差ないか、あっちもあっちでよくわからない怪力乱神だった。どちらもあたしの思惑以上の事をしてくれて、これだからお山で嫌われて厄介者扱いされるのだ。

 藍の指摘通り遊べるほど元気ではないが、鬼に対して自分を騙した、なら元気に動いて見せないと嘘を付く事になるしだますなら騙し切るのが化け狸としての矜持だ。

 死んでも曲げない矜持を示し続ける偉大な反逆者に顔を合わせるのだから、何を使っても笑い続けるというあたしの矜持も曲げる訳にはいかない。

 針妙丸との約束もあるが今はそっちがついでだ、自分の願いをモドキにして誤魔化すのはやめろというご神託も頂戴した、このまま引けば甘い顔してくれた神様に合わせる顔もない…

 のだけれど、足も腕はもふもふに巻かれて止められているし、どうするか?

 一緒に行けば、なんて詭弁が通じる空気でもなし…

 いいか、足はそのまま止めておいてもらおう。

 これから空を飛ぶのだし、あろうがなかろうが大差ない。

 

 煙管咥えていつもの様に煙を纏う、何のつもりかと問われたが唯の一服だと言い切って吐いた煙を腹に溜める。ポカリと空いた拳サイズの穴に貯めこんで、昨晩の、殴り抜かれる前を思い出すように穴を埋め腹を括って自分を誤魔化す。

 ついでに白い着物に飛ばないように左の腿の付け根辺りまで煙を広げて準備は完了、金色の尾に巻かれたまま少し浮いて強く捕らえられていることを確認して、腿に手を当て妖気を流す。

 宛てがった手の平にほんの少し力を込めて腿を破裂させ、そのまま自身の飛ぶ力と尾の引いてくる力を利用し引きちぎった。

 破裂させて断ち切れなかった部分も残っていたがブチブチと音がするだけでさして血も流れない、引きちぎった割にはスルッと剥がれてくれて気持ち悪いが今はいい、少しの痛みと同時にそこを気にする意識も逸らして無視をする。

 思っていた以上に血が飛ばず、これでは煙を纏わせた意味がない、なんて思ったが腹から出血しすぎたから既に残りはないのかと納得した。

 冷静に考えれば藍が言うように危ない状態なのだとは思うが、霧やら煙に血はないし問題はないだろう…なくなっても動けるのはこっちのお陰かね?

 まぁいいか、もうすぐ終わるだろうしどうでもいい。

 

「遊んでくるから、大事に抱えて足止めしておいてよ」

 

 藍の顔も見ずに言い切って左腕も肩から煙管で切り飛ばす、引かれていた尾から解かれて勢い付いてそのまますぐにその場を離れようと飛ぶが、体に巻かれていなかった残りの尾で移動先が塞がれる、無意味だとわかっていながらこうして邪魔してくれるのはありがたいが…気が付かないふりをして尾を逸らす。

 勢い良く向かっては豪快にあちこちへと逸れて奔っていく金色の尾を横目に見ながら、足と九尾に手を振り別れを告げ、身を入れる隙間のない弾幕結界を逸らして歪めて結界の中へと体を滑らせた。

 

 全周囲を埋め尽くす弾幕の結界の中を真っ直ぐに進む途中、慣れない右手で煙管支えて多めの煙を吐き出して、本気で妖気を込めて煙を左腕に化かす。

 ばれない程度に動くか確認してから弾幕を逸らし結界を歪ませ進む道を広げていくと、結界の中心地に二人の姿を見つけられた。

 360度何処を見ても殺気しかない結界の中、で対峙する二人。逃げ場こそないが諦めは見せずに抗い続けるという気迫を顔に表した天邪鬼と、いつもの様に扇子で顔を隠して表情を悟らせない妖怪の賢者。

 自身の展開する結界が歪んでいる事に気がついたのか、こちらを見てあたしと視線を重ねながら正邪に向かい右手を伸ばす紫さん。正邪の胸元で結ってある逆さまリボンに右手が届くくらいになってから方向が逸れて空を握った。

 目の前で空を握った紫さんの右手を見て扇子を睨む正邪だが、正面にいる大妖怪の瞳が自分を見ていない事に気がついて、紫さんと同じようにこちらを見上げてきた。

 散々罵ってやったあたしを見るには力のない瞳に思える、音は逸らしていないのにいつもの罵ってくれる声も聞こえない。

 何かしらはあるのだろうが逃げ場はないし放っておいてもいいだろう、静かな正邪はとりあえず放っておいてまずはご挨拶から始めよう。

 

「派手な結界敷いちゃって楽しそうね、紫さん。下で見ていろって言うけれど、可愛いお姿が見えないから来ちゃったわ」

「藍ったらまた取り逃がして、足止めをお願いしていたのだけれど」

 

「叱っては駄目よ? 今も足止めしてくれてるわ、いつも忠実で妬ましいわ」

 

 着物の裾を摘んでチラリと見せる、本来生えているはずのものはありません、下で待つ従者に預けてきたと扇子の奥の顔に知らせた。

 それでも扇子は下げられないので昼間のように開く方向を強く逸らして、縦に開かせ強引に割ってやった。ほんの一瞬だけ目の光が揺れたのが確認できた、結構な無理をしたからまた窘められるかと思ったが何も言われない。

  

「貴女…また無茶をして」

「あたしも遊ぶと言ったでしょ? それなのに眼前でお預けしようとするから駄々をこねたのよ、紫さんが悪いんだわ。これから正邪と遊ぶから邪魔しないで」

 

 名を呼ぶと赤い前髪揺らして俯く天邪鬼、頭から生やした一枚舌だけではなくもう一枚はどうしたのか?

 近寄る度に張られる弾幕結界やら隙間やらを全て逸らして横に並ぶと、歯を噛み締めて強く睨みつけてくる。態度だけで言葉はどうしたのか、訪ねても答えがない。

 いつもなら‥と思った頃にスキマの小さな笑い声が聞こえた、悪戯をした時に聞ける声で、聞き慣れている好ましいその声、お陰で何がどうなっているのか理解することが出来た。

 強く噛んでいる正邪の顎をとっ捕まえて、強引に両手でこじ開けると根本辺りでスキマに断たれている短いもう一枚が見えた。

 これはまたやり口が素敵だ、あたしの好みで堪らないが気に入らない。

 謝ってくれれば終わり、ではなかったのか?

 

「これではごめんなさいって言えないわね、狡いわ、紫さん」

「あってもなくても言わないのならいらないでしょう? それで何をお願いするの、以前の条件の内ならなんでもよくってよ」

 

「願う?」

 

 捕まえたのでしょう? そう言いながらあたしの両手に向かい指をさす狡い妖怪さん。

 なるほど確かに捕まえていた…遊んでいるうちに煙に巻いてどうにか逃すつもりが自分で捕まえるハメになるとは、考えなしに動くもんじゃないなと愚痴る。

 どうしたものかと少し悩む、両手の指突っ込まれたまま抵抗なく口を開いた正邪と目が合うと視線を逸らされた、こうしている間に逃げればいいのに何故逃げないのか…逃げられる状況ではないか、それならばソレを願おう。

 

「確認だけど、正邪をどうにかするってのはナシなのよね?」

 

「ええ、それはダメね。それ以外なら‥」

「ならこれまで通り甘やかしてもらって好きにするわ、このお願いは叶えてもらえる?」

 

 胡散臭いスキマ妖怪と同じ笑み、心から意地悪く笑んでご褒美をねだると手間がなくて助かるなんて言ってくれてありがたい。

 それなら早速一つ甘やかしてもらおうか。

 

 

「じゃあまずはこいつの舌、戻させてもらうわ。ちょっとお話したい事もあるし」

 

 何かを言いながら逸らした口内のスキマを閉じていく妖怪の賢者、口をパクパクとさせながら目を細めてお小言を言っているらしいが、向けられる音は逸らしていて何も聞こえない。昼間弄ってくれた意地悪な意趣返し、気に入ってくれたならありがたい。

 紫さんに対して舌を出しているあたしの姿を見て何かを言いかけて咳き込む天邪鬼。

 自分の口に指を突っ込んで確認しては大袈裟にむせたが、むせて声が出た事で二枚舌が復活したと確認できたらしい。

 気分はどうかと問掛けてみても返答がなくてつまらないが、それどころではないようだ、どうやらあたしが紫さんに反逆したのが信じられないらしい。

 

「ありがとう、くらい聞きたいわね。それとも礼儀を反逆させているから今のような態度なの?」

 

 嫌味を言っても反応なし、誰の為に土壇場で抗ってやったのか教えてやりたくて言ってやったのに、反応してくれないのでは言い損で困る。

 スキマ逸らして戻してやったのに礼どころか何の言葉も発さない口達者なはずの小者。何か言う事はないのか?

 正邪の襟首掴んで持ち上げ問いかけるが、それでも顔を背け続けて反逆してくる正邪。

 得意の舌を封じられてもスキマ相手に抗っていた先ほどの気概は何処にいったのだろうか?

 あたしに対しては反逆する姿勢を見せない稀代の反逆者、抗うのか諦めるのか、あたしみたいで中途半端で気に入らない。

 

「今になって抗うなど何を考…今度は何が狙いだ、目の前で八雲に逆らってどうな…」

「心配してくれるなんてどうしたの? あぁ、これが『つんでれ』ってやつなのかしら? その舌先みたいにツンツンしてるけど態度悪く気遣いを見せてくれて、やっぱり可愛いわ」

 

 掴んだ体を思い切り寄せて頬を舐める、ブルっと震えて袖で拭くと唾液に混ざって薄くなった血に気がつかれた。眉間を潜められたがこんな状態だとわかるように下瞼を指で下げて真っ白な瞼の裏を見せると更に眉間の彫りが深くなった。

 少々強引だがとりあえずこれでいい、あたしを見てくる時のいつもの表情に戻してやる事には成功したのだから。

 

「なんだよ、お前も死にかけじゃないか。そんな状態で八雲に抗って私と一緒でここで終わりだな!」

「残念ながら正邪とは憎まれ続ける年季が違うの、約束もあるし終われないのよね」

 

「あ゛? 反逆して後がないのは一緒だろう?」

「馬鹿ね、これは遊びだと聞いているでしょう? 遊びで一回負けたくらいで何を大袈裟に言うのよ、その為に…」 

 

 途中で言葉に詰まると本当に何なんだと問掛けられる、中々どうして憎まれ役が素直になるというのも難しい。

 けれど時間もない、逸らし続けているはずのスキマの囲い込みが狭まってきている気がする。腹に溜めた煙のお陰でもうしばらくは持つだろうが、煙が抜ければ萎んで落ちそうだ。

 風船ならまた膨らませればいいのだろうが、そこまで都合良くはないだろうし…余裕もないし頭が回っている今のうちに正邪に策を授けるとしよう、全てわかりきって偉そうにふんぞり反る幻想郷の天辺をコケにする屁理屈を一緒にこねないかと誘う。

 

「一人にしないであげてという針妙丸の願い、それを叶えるついでにこの遊びに勝ってみない? 更についでで紫さんを小馬鹿にさせてあげるわ」

「姫は…いや、それより勝ちだ? 謝れば終わりってやつか? 頭を下げて負けを認めろってのか!」

 

「正邪はなんなの? 天邪鬼なのでしょう? いつも通りに言い切ればそれで済むでしょうに、やっぱり馬鹿なのね」

 

「そんな詭弁が通じるわけが‥」

「通してあげるわ、あたしが通して甘やかしてあげる、最後に貴女以上の我の強さを見せてあげるわ」

 

 言い切ってから意地悪く口角を上げてやると、あたし以上に口角を歪める正邪。

 それでこそ反逆者だ、良い気概を見せてくれたしあたしも最後に格好良い所を見せておこう、忘れられないくらいの物を見せておけば多分消えずに済むだろう…分の悪い賭けだがいつもの事だ、気にしない。

 嗤うあたし達から何かを察したのか、あたしと正邪に向かって盛大に口を開け始める気色悪いスキマ。あちこちでパクリと空が裂けて、止まれやら一時停止と書かれた槍? のような何か、よくわからない何かが生えてくるが全て逸らしてそのまま笑む。

 金属製の槍に似た何かを逸らしている中で、正邪の大嫌いな笑みを浮かべて襟首掴んで持ち上げたまま頬を張る、逸れる何かに目を奪われる位ならこっちを見ておけと笑んだまま伝えると反抗的な瞳で見つめられて心地よい。

 強者として見てくれたのだからそれらしく態度で示す、声を上げて笑っていると一段と大きなスキマが眼前で開いた。

 プァーンという鳴き声のような何かを響かせながら、デカイスキマから這い出てくる十数匹の巨大な鉄の蛇。

 軋む音と空を奔る轟音を立てながら迫ってくるそれらに対して、正邪と並んで正面を切る、全力全開で鉄の蛇が奔る金属製のレールを逸らし歪めてボロボロと落とした。

 蛇が消えて静かになった後に横の正邪をちら見すると片眉上げて見上げてきた、紫さんには悪いがこの程度なんちゃない。

 

「お前、口だけじゃなかったのか」

「やっぱり見る目がないのね、口で済むなら口だけで済ますのがあたしよ? やる時にだけやればいいのよ」

 

「出し惜しみしやがって。最初からそうだ、嫌がらせしてやっても意に介さず…誘いには乗らないくせにいらん時に来やがって! 甘やかすなどと押し付けてきやがって! 本当に目障りだ!」

「目障りってのはありがたいわ…お陰でなんとかなりそうね」

 

「あぁ゛ん? 何を言って…」

「こっちの話よ、とりあえずそれは忘れなさいな。甘えるのが嫌なら利用しなさい、あたしに言った言葉を忘れたとは言わせないわ」

 

「どんな手を使っても、生き残ったもんが勝ち…いいさ、使ってやるよ。うまく使われてみせろ、囃子方アヤメ」

「それでいい、うまく利用しなさい鬼人正邪。うまく使ってくれたならご褒美もあげるわ」

 

 よく見る下卑た笑みで見つめて名を呼んでくる反逆者、名で呼ばれるくらいに記憶してくれたのなら都合がいい。

 こっちはこっちでその思いを利用しよう、後はこの場を乗り切れば…と考えた辺りで一瞬意識が薄れて能力を解いてしまう、全力全開で格好つけたのがまずかったか?

 まぁいい、今更残して意味もないし手遅れだろう。

 

 ほんの一瞬だけ隙だらけになったところを狙われて正邪と纏めて囚われ、足首から下を隙間に挟まれて空中で足を取られた。

 が、これもこれで問題はない、いいたい事は言ったつもりだ、後は口でやり込む。

 掴みあげていた正邪の襟首から手を離してさっさと始めろと手で払い促す、離してやると紫さんに向かって今まで見てきた中で一番の笑みを見せた正邪。

 片方の口角だけを上げ切って舌を出したのを見てから、あたしも心からの嫌がらせを開始した。

 

「おい、スキマババァ。可愛がっている狸に裏切られた気分はどうだ!? お前より私を取ったこいつをどうするんだ? 私と一緒にココで首でも撥ねて終わらせるか? 散々甘やかしてやったのにそれが出来るか!? 出来るならやってみせろよ!」 

 

「なんのつもりかしら? アヤメ?」

「何って『好きにした』だけよ? 気に入った正邪を甘やかすだけ、可愛い妖怪さんがあたしにしてくれているようにね」

 

 隣に習い舌を出す。

 甘やかしてもらっておいて恩を仇で返すようだが、これが遊びならあたしのこれもただの反逆ごっこだ。それがわかっているから、さっさと首を撥ねずに会話に興じているんだろう。

 逃げ役について歯向かったというのにそれでも甘やかしてくれて、ありがたすぎて迷惑だ。敵役になったのだからそれらしく接して欲しい、穏やかに笑んでくれて、そんな顔は後ろに控えた愛しい式にだけ向けていればいい…今は。

 とりあえず話を先に進めてくれないと何も出来ないので煙管咥えて一服する、穴開きの腹と切り飛ばした足に煙を補充しつつ待っていると、胡散臭い笑みの方が口を動かし始めた。

 

「アヤメは後で話があります、それでお話し合いでどうなったのかしら? ごめんなさいをする気になった? 鬼人正邪」

「お前に下げる頭なんかないな! 我が名は正邪! 生まれ持ってのアマノジャクだ! お前なんかに謝る舌は持たない!」

 

 表情も変えずに紫さんに向かって言い切った天邪鬼、よくぞ言ったと拍手で賞賛するとチラリとこっちを見てくる反逆の瞳。

 後は任せろと伝えるように、ウインクすると片眉だけ上げて困惑してくれる、いいから何も言わずに見ていればいい。

 煙草を吸い切って煙管を正邪のリボンに挿す、うまくやったご褒美を渡して正邪の足を捉えている隙間を逸らし歪ませた、足が出るくらい歪んだところでさっさと逃げろと尻をはたく。

 押された方向にゆっくり飛んで振り返るが手で払って消えろと促した、小さく舌打ちしてから親指を下に向けて首を掻っ切ってから全力で飛んでいく正邪の背を見送る。

 飛び去る途中正邪の周囲に浮かぶ全てのスキマからの干渉を逸らして続けてやると、今日の追撃は諦めたらしくほんの少しだけ肩を落とした紫さん。妖怪の賢者がガッカリする仕草などそう見れない、良い物が見られたと心から笑えた。

 さて、今だけは逃がしてやれたが今後はどうだろうか、その辺りの事をこじつけつつ話しておくか。話せる内に話しておかないと酷く後悔しそうだ、後のために遺しておきたい心ではあるが、正邪を逃せないのではちと困る。

 

「正邪は謝ったのに手を出すなんてどういう事かしら? 捻くれ者の紫さんならあれで謝っているとわかるでしょう?」

「天邪鬼らしい謝罪だと言いたいの?」

 

 下げる頭はないと言い切り、謝る舌は持っていないとも言い切った逆さま大好き天邪鬼、ひっくり返して言葉を聞けば頭を下げて謝った、とは聞こえないだろうか?

 聞こえないな、ちょっと苦しすぎる。屁理屈にもならないが後はどうにかしてやると見栄を切ってしまったし、どうにかしよう。

 策もないし素直にお願いしよう、何かを考えられるほど頭の方も回らない。

 

「その通り、話が早くて助かるわ、お陰で無駄口叩かなくて済むもの」

「それで納得しろというのは無理があるわね」

 

「そうよね、あたしもそう思うわ。でもあたしはそうしたいのよ、それでも駄目で追いかけるというのなら明日以降にして頂戴、一日くらい格好つけたいわ」 

 

 足と腹に纏わせた煙を掻き消す、後は運に任すだけ。

 死にはするだろうが多分消えはしないはず、正邪の脳裏にあたしの姿を焼きつかせる事が出来たし他にも心残りを残している。針妙丸との約束は果たせたが雷鼓や輝夜との約束もあるし、さとりの背中を流すという約束も勇儀姐さんに雷鼓を自慢するという約束もある。

 文の妹烏が人型になった姿も見たいし永琳に借りっぱなしで踏み倒すのも癪だ、阿求が忘れるはずがないだろうし、姐さんに甘やかしてもらいたい…他にもぬえちゃんやらフランやら、霊夢にも気に入られたしこのまま消えるには惜しい事ばかりだ。

 思い返せばキリがないというくらいに未練しかなくて安心出来る、未練一つでどうにかなるとは思っていないが…多分大丈夫だろう、死んでも腹ペコな先人がいるし肉体なくともどうにかなるだろう。

 それに、今更騒いだところで六日の菖蒲十日の菊ってやつだ。

 

「お願いついでにもう一つ、藍に預けた足は霧深い日にでも燃やして頂戴。多分これが最後のお願いよ?」

「多分最後というのは…アヤメ? 貴女薄れて?」

 

 思いに耽っている間に少しずつ薄まり末端から霧散していく手やら服やら、外で消えかけた時と同じように少しずつ散っていく体を眺めていると、取り囲むように隙間が開く。

 初めて見る焦ったような顔が面白くて、もう少し見ていたいと思い開かれた隙間を逸らす。

 何か言っているが耳は既に掻き消えて聞こえないからわからない、この感じならもうすぐ瞳も消えるだろう‥最後に拝むのが焦り顔だというのが少し癪だが姫を泣かした罰だ、大いに焦ってくれ…その方が嬉しい。

 頭の半分が消えた頃一つ思い付く、あたしの代名詞である口が消える前に得意の軽口でも言っておこうという思いつき。

 頭なくしてから思い付くというのも結構な皮肉だが、自分らしくていいなと何も考えずに言葉を吐いた。

 

「多分よ多分。また会いましょ、紫」




次回で一旦の最終回となります。


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最終話 帰る

 朝から強い日差しが照りつけている迷いの竹林、青々とした竹の葉を夏の風に晒してサラサラシャリシャリと音を発てている。

 傾斜した地面からランダムに生えた竹が風に揺らされて葉を鳴らす中、それ以外の音が小さく竹林の中で鳴り響いている。

 

 音の発信源は一件のあばら屋。

 いつもであれば、ここからは薪を割る音や竈で火を起こしている音などが少しだけ聞こえてくるだけなのだが、今日は他の音や動きも見られる。

 赤い髪を揺らして柄杓と水を汲むための桶などを携えて、大きなバスドラムにバランス悪く腰掛けた。以前は隣にもう一人腰掛けて飛んでいたのだが、今は隣に誰かを乗せることもなく、一人だというのに二人並んで座るような感覚で腰掛けているドラムの付喪神 堀川雷鼓。

 向かう先は霧の湖方面のようで、隣に座っていた誰かを真似るようにゆっくりと幻想郷の空を飛んでいった。

 

 少し飛んで着いた先は何処を見ても紅いお屋敷。

 ゆっっくりと庭に降りるバスドラム、周囲の森から聞こえてくるクマゼミの鳴き声を聞きながら花壇の手入れをしている誰かに声をかけた。

 お屋敷の門番と少しの会話をし始めた雷鼓。

 関わりなどないような二人だが、以前に訪れた際にこの屋敷の主である吸血鬼の妹と気が合ったようで、その流れから門番とも仲が良いようだ。少しの会話を済ませていると門番から何かを手渡される雷鼓、笑顔で受け取ったそれは季節外れの花菖蒲。

 真夏、もう葉月の半ばだというのに何故か咲いている花菖蒲。

 受け取った花を大事そう抱え、そのまま屋敷の中へと歩んでいった。

 

 屋敷に入るとすぐに出てくるのはこの屋敷を取り仕切るメイド長、摘まれたばかりの花を受け取り一瞬だけ消えると花束に誂えて雷鼓に手渡した。

 花束を受け取り礼を述べると瀟洒な態度で頭を垂れる人間の少女、夜になったらお嬢様を連れて墓前に参りますと小さく話していた。

 迎えに行くから墓にはいない、来るなら住まいの方にしてと、墓の主に似た文言を返す雷鼓。

 あまり会話することのなかった付喪神と人間少女だったが、その言い草が似ていて可笑しいと互いに笑っていた。

 花束を受け取り飛び立つ付喪神、離れる前にここの主である吸血鬼から変な事を言われていた。

 待チ人来ル、だから頬でも張ってやれという言葉。

 待ち人は数ヶ月前に消えたはずで、誰の頬を張ったらいいのかわからない雷鼓だった。

 

 空に上ったお天道様の動きと逆行するように東のほうへと移動するバスドラム。

 住まいを出た時よりもほんの少し早く飛び、魔法の森を飛び越えて人里へと向かって行くと途中の空でツートンカラーの一団と出くわした。

 黒白と青金の魔法使いに緑白の風祝。

 顔を合わせればやれ退治だ弾幕ごっこだと始まる黒白と緑白だったが、携えた柄杓と桶を見て何かを感じたのか、今日は荒事にはならなかった。

 荒事にはならなかったがかわりに青金から何かを手渡された、渡されたのはお人形。

 白いコートを羽織って黒いスカートを履いている、大きな灰色縞柄の尻尾を生やしている誰かに似せた人形。特別仲が良いとは聞いていなかったが、追いかけっこの途中で疑われたストレスの発散と、別の人形(メディスン)に対してしてくれたお節介の礼代わりなのだそうだ。

 知らない所で知らない事をしてばかりで困ると笑う雷鼓だったが、今更言ってもと他の三人に笑われてそれもそうかとまた四人で笑っていた。

 三人に暇なら一緒に行くかと訪ねていた名ドラマーだが、誘いは丁寧に断られた、なんでも今晩に博麗神社で宴会があってこれからそれの準備に走るそうだ。墓参りが終わった後に誰かと騒ぎたいのなら来い、一人で泣きたいのなら来なくていい、と余計な心配をされていた。

 気が向けばと色のない返事をして三人と別れた雷鼓、そのまま真っ直ぐに人里へと飛び進んだ。

 

 里に降り立ち向かう先は妙蓮寺。

 参道を掃き清める山彦と挨拶を交わして寺の中へと歩を進めると、既に準備をしていたぬえとマミゾウと出会う。携えた花束を二人に見られて夏場に花菖蒲など何処で手に入れたのか問われていたが、内緒だと笑って誤魔化していた。

 少し会話し桶に水を組んで三人並んで奥へと歩む、寺の正面からは見えない裏手に回ると視界に映るのは世を去った者達終の棲家。

 墓石が立ち並ぶ端の方に小さく誂えられた誰かの墓があった。

 角のない丸い墓石で、誰に対してもいい顔をしていたあやつには丁度いいと丸石を選んだのは二ッ岩マミゾウ。若いのばかり先に逝ってと少し切なそうな表情で線香を上げていた、マミゾウと並んで手を合わせていたぬえが墓石の後ろに備えられていたモノに気が付く。気が付き手に取った物は墓の主が生前愛用していた長めの煙管で、誰がこれを供えていったのか、マミゾウ以外の二人にはわからなかった。

 それがあるなら迎え火代わりにしてみるかと、供えられていた煙管を咥えて燻らせるマミゾウ。

 二度三度と大きく吸って大きく吐いて煙を漂わせて、雷鼓の持ってきた花束へと薄く烟らせる。

 花菖蒲の葉を使いそれを使って元の持ち主のような何かを形取っていくマミゾウ、煙管の元の持ち主に化けさせた葉を燃やし、迎え火として空へと飛ばして行った。

 色こそ違うが縞柄の尻尾といいメガネ姿といいどこか仕草の似たマミゾウ、その仕草に変な懐かしさを覚える雷鼓が風に流れる煙を眺めていくと、視界の先で煙が萃まり始めた。

 

 ゆるりと萃まっていく煙草の煙。

 大きな縞尻尾から形として成っていき、続いて灰色の煙が白い着物へと変じていく。

 着物に刺繍されたバラ柄がはっきりと見え始めるとそこから手足が生え始め、最後には部分的に白混じりの灰色の髪と耳が生える。

 煙から成ったとは思えないコトンという音がブーツと墓場の石畳から聞こえると、最後に少し残った煙から愛用の少し眺めの煙管を取り出して、見慣れたやる気のない顔で気怠げに咥えた。

 銀縁の眼鏡に夏の日差しを反射させて眠たげな銀の瞳を隠し一服する姿、少し肌が白くなっているが墓参りしている三人がいつも見ていた誰かの姿がそこに現れた。

 

~少女一服中~

 

 現世に戻りまずは一服、娑婆で吸う煙草はやはり良いものだ。

 あっけにとられた顔でこちらを見ている三人の顔を肴に一服している今現在、分の悪い賭けに張ってどうにか勝てたなと安堵の一服を済ましている。

 一度霧散しその後現世で顕現するにはどうしたもんかと悩んでいたが、力の源と名の付いた花、ついでに同じ種族の姉の力を利用して上手い事顕現出来たようだ。都合のいい事ばかり重なったが賭け以外での引きはいいし、こうなるように運命でも操られたのかもしれない…

 その辺りは後々考えて礼でも言いに行こう、とりあえず今はこっちが優先だろう。

 まったりと煙を味わい吸いきって、自分の墓石で煙管を叩いて燃え尽きた葉を捨ててみたのだが、未だ状況が飲み込めない三人。

 驚きを提供できてあたしとしては大満足なのだが、これはどうしたもんかね?

 二人は兎も角姉さんまで騙せたとなると本気で死んだと思われていたはずだ、その辺りから少し話すか。

 

「うらめしや」

 

 お化けだと思われているのならそれらしく、そう思って述べてみたが何の反応もない。

 ちょっとした冗談を言ってみても反応したのは小さく笑みを見せた姉さんだけで、残りの二人は口を開けたまま見つめて止まっている。

 

「今まで何処におったんじゃ?」

「冥界よ、幽々子の所で紫と映姫様に叱られて散々だったわ」

 

 唯一会話出来そうな姉さんと少し話す、今まで何をしていたのかと問われてあの世に逝っていたと素直に述べた。もう少し正確に話すと、紫の前で霧散してからすぐに白玉楼に出て、そこでまったり過ごしていたというのが正しいか。

 映姫様曰く、本来の経路なら三途の河へと飛ばされ是非曲直庁にて裁きを受けて地獄行きとなるのだろうが、それは人間が死んだ時のお話で…定命の者というには歪な妖怪さんであるあたしには、当てはまらないのだそうだ。

 心残り満載したままで逝きたくないと全身全霊で地獄行きを拒否し、あるべき道から逸れるように願っていたから過程をすっ飛ばせたのかもしれない、そのあたりの事をこっ酷く映姫様に叱られた。叱られるだけ叱られてその後地獄へ拉致されるか、なんて思ったが、裁判という面倒な過程を飛ばして輪廻の内から逸れていて、すでに映姫様の管轄外にいる事になるらしく地獄に落とす必要もないそうだ…

 ついでに言えば映姫様の仰っていた尊い行いってのをしていたらしく、それなりの徳を積んだから情状酌量の措置アリだというお話だ。

 特に何をしたとは思わないのだが、元は己の為に動いた事でもその行為が他者の為になれば功徳であたしはそれがちょっと多くなったらしい、言われても実感がなくて困る。

 

「冥界って…死んだって事?」

「死んでいるって方が正しいけど、死んだでも間違ってないしどうでもいいわね」 

 

 マミ姉さんに話した事を深く思い出していると別の者から問掛けられた、赤と青の何かを背から生やしてあたしの右手を取るぬえ。

 死んだと言われても間違ってはいないのだがそれは数ヶ月前の話で、今言うならば既に死んでいるが正しい、そう訂正すると確認するように手を取ってきた。

 おぉひんやりだ! と騒ぐぬえが手をおでこや頬に宛がうと結構気持ちが良いようだ、こちらとしても久々に触れる暖かな人肌が心地よい。 

 逝っていたと先に述べた通り、今のあたしは死に体で正しく死人として成っていて言うなれば亡霊に近い、肌も透き通るような白さになっているし体温も前よりは幾分低めなはず、お陰で真夏が余計に辛い。

 

「触れられるし話せるのね、本当に死んでるの?」

 

 ぬえが動きを見せたからか、もう片方の手を取りマジマジと見ては問いかけてくる雷鼓。

 少し驚いてもらおうかなと思い雷鼓に取られている左手を薄くさせる、元ヤンキー仙人の右手じゃないが雷鼓に握られてクシャッとガス状に散ったあたしの左手。

 それを見て、おぉ! と騒いだのは雷鼓ではなくぬえの方、驚きを提供したかった方はほとんど反応がなく手のあった辺りをニギニギとさせては何かを確認していた。

 不機嫌さと悲しさを混ぜたような複雑な顔をしてくれているが、なんだろうか?

 

「暑さにでもアテられてご機嫌斜め? それなら丁度いいわね、今のあたしは涼し…」

 

 言いながら左手を戻すと強く握り返されて、ちょっと強いと文句を言いかけたが…途中まで言いかけた辺りで言葉に詰まってしまった、静かに俯いてポツポツと石畳に染みを作り始めた雷鼓。

 あたしとしては無事、でもないが生還、もしてないな、とりあえず以前の通り変わらずにいられて、寧ろ確実に雷鼓を置いて逝けなくなって、これ以上ないくらい重畳なのだが…

 泣かれるとは思わなかった。

 助けてくれと右手を掴んでいるぬえと笑んでいる姉さんに目で乞うが、泣かすな馬鹿と罵られてぬえのよくわからない能力を使われて寺の奥へと消えて行かれてしまった、泣く子をあやすのは苦手なのだが‥身から出た錆か、どうにかしよう。

 

「泣かなくともいいのに、雷鼓との約束は守るわよ?」

「死んでから帰ってくるとは思わなくって…また騙されたと思ったのに」

 

「騙す時は正面切って騙すって言ったじゃない。逝ってはいるけど、置いては逝っていないしご覧の通り未だ顕在よ?」

 

 俯く頭を撫でつつあやしてみるが一向に泣き止まないあたしの付喪神、真夏の炎天下でこう泣いては乾いてしまいそうで心配だ。

 普段であれば横に並ぶとあたしが見上げる側になる背の高い雷鼓。

 今は肩を落とし俯いていて赤い頭を見下ろしている形だ、こうして見下ろす視線も悪くないなと気がついた時にちょっとした悪戯を思いついた。

 一辺死んでいるわけだし、生前とは少し趣向を変えた悪戯をしてみようと思いついた。

 両手で頭を撫でつつそのまま頬に両手を添えて顔を持ち上げる、唯でさえ赤い瞳を更に赤くしている顔。久々に見る愛らしい顔で、これでもう少しロマンの感じられる場所と時間だったならこのままオイシく頂くのだが、さすがに蝉しぐれの響く墓場ではロマンも何もない。手を出してもいいが、顕現したばかりで慣れておらず雷鼓を突き抜けてしまいそうでちょっと怖い。

 それでも触れたい気持ちは抑えられず前髪を撫でてかき上げた奥、汗のの匂いとうっすら雷鼓の匂いのするおでこに小さく口吻だけして、どうにか自分を誤魔化した。

 

「汗臭くて萎えるし続きは今の体に慣れてから弄ぶわ、ひんやりしているから夏場のうちの方が抱き心地がいいだろうし、急いで慣れるからもうちょっと我慢して」

「自分だって線香臭いくせに…全く、入盆にうらめしやと帰ってきて言う事がそれ? もうちょっとこうないの? 死んだと思ったら急に帰ってきて…心配したのに」

 

「死んでもこうして帰ってきたというのに随分な言い草ね、誰の為に帰ってきたのかわかってるのかしら?」

「自分の為でしょ? もういいわ、泣かされた私が馬鹿みたい」

 

 生前であればここでご明察だと答えてお終いなのだが、それで終わらせては面白くない。

 泣く寸前の顔は見ていたが、可愛らしい泣き顔を見せてくれたのは初めてだったし、そのお礼代わりにあたしの見せていない面も見せておこう。

 馬鹿みたいだと言って少し拗ねて顔を逸らした雷鼓の顔を再度正面に戻す、不機嫌そうにふくれている太鼓にニコリと笑んでゆっくりと述べた。

 

「これでも大事に想っているし真面目に愛してるのよ? ちょっと伝わりにくいだけで」

 

 心配したと語ってくれる赤い瞳に向かい真正面から不意打ちで、追いかけっこ中に姉に褒められた底意地悪い皮肉な笑みを浮かべて、普段では口にしないだろう言葉を言ってみた。

 また疑われるのか、訝しい顔でもするのかと歯を合わせ犬歯を見せて笑っていると、一瞬ほうけた後に上目遣いで甘えたような表情を見せてくれた、コロコロ変わって面白い。

 伝えた本心に対して何が返ってくるのか、次の言葉を待つように手櫛で髪を梳いていると表情を変えず甘え顔のままぼそっと呟いた。

 

「言い方が狡い、本当に狡い」

 

 言うだけ言ってまた顔を背け静かになった堀川雷鼓。

 一言本音を伝えてみれば、恥ずかしがってくれて酔ってもいないのに頬を染めてくれた。

 誰かに言われないとわからない事もある、なんて事を輝針城で聞いていたのを想い出し真正面から言ってみたが、こんなに効果があるのなら偶には言ってみてもいいかもしれない。

 言うだけは無料なのだし、今後も常套句にならないくらい程々に言ってみよう。

 その度にどんな顔をしてくれるのか、随分と楽しみだ。

 そのまま大人しく恥ずかしがっておけと言うように、見せていた犬歯を噛合させてカツンと音を鳴らしてみるとピクッと揺れる髪と瞳。

 

 いつもよりも反応が大きくて、それが可笑しくて鼻で笑うと、狡いと再度大声で言われ俯いていた体も真っ直ぐに起こされた。普段の見慣れた見上げる形になってしまったがまぁいいか、色々と表情を見られて気分が良い。

 頬に添えたままの両手に雷鼓の手を重ねられて心地よい体温が伝わってくる、夏場でこうなのだから冬場になればもっと心地よく感じられそうだ…

 寒いと文句を言われそうで少し怖いが。

 

「冷えてていいわ、演奏後にも良さそうね」

「妖夢の半霊よりは温かいみたいだけど、冬場に困るわね。布団から蹴り出されたら今度はあたしが泣きそう」

 

 雷鼓の体温を奪い、程よく温くなった手を頬から離して煙管を咥える。

 自身の言葉で甘くなった口内を洗うように煙草を楽しんでいると、吐いた煙を目で追う雷鼓。

 ふよふよと漂う煙草の煙を眺めてから何か思いついたように笑んでいるが、なんぞ面白い事でも思いついたか?

 

「煙草の煙で戻ってきたんだし、煙草よりも温かいのって取り込めないの? 火鉢の煙とか竈の煙とか、湯気とか暖かそうなやつでも取り込んでみたら?」

「いくらなんでもそれは…帰ったら試すわ」

 

 霧散しても誰かが覚えていてくれればまた集まれるかも、というあたしの発想も大概だったが、それに続いて雷鼓の方も大胆な発想をするものだ、いい目の付け所で面白い。

 後で風呂を沸かした時にでも早速試してみよう、暖も取れて涼も取れるなら年がら年中抱きついていても文句も言われないだろうし、雷鼓の方からくっついてきてくれるかもしれない。

 毎回こちらから手を出してばかりなのだから偶には求められるのも…なんて考えているとぬえと姉さんが消えた先、寺の方が騒がしくなり始めた。

 百ヶ日の法要がどうだとかあれに年忌法要なんてしても極楽浄土にいくわけがないなどと、小さな賢将殿とここのご本尊様が話している声がする。

 いないと思って好きに言ってくれるネズミ殿とそれを窘める毘沙門天様、後ろで浮かぶピンク色の時代親父殿はあたしに気がついているようだが言葉を介さない人で良かった。

 しかし好き放題言ってくれるナズーリンをどうしてくれようか?

 折角帰って来たのだからどうにかして驚かしたいのだが…寺に席を置きながら寺に住まない不心得者に仕掛けるならなんだろか?

 白い着物の袖で鼻先まで隠して意地悪く笑み、何をやろうか企んでいると口元に宛てがっていた袖を引かれて下げられた。

 

「悪い顔してる、またなんか企んでるでしょ?」

「これから企むんだけど、ネタが思いつかないのよね? なんかない?」

 

「また人を頼って、やっぱり狡いわ」

 

「誰に向かって言ってるの?」

「霧で煙な小狡い狸さん」

 

 そう言われて少し悩む、果たしてそのままでいいのだろうか?

 肉体も変わって気分も変わった、亡霊という新しい面も増えてしまったし、それならもっと適した言回しがあるのではなかろうか?

 散々待たせて入り盆を狙って亡霊として出てきたのだし、それを宛てがって新しく考えてみるか。

 

「霧で煙な可愛い亡霊狸さん、とかちょっと長くて面倒よね?」

「長いわ、亡霊って言っても触れるし死人ぽくはないわよ?」

 

「そうよね…なら化け狸でいいわ」

「化けて出たからって事? 遠回りして結局そうなるの?」

 

「帰ってきたしそっちも原点回帰する、また訂正して回らないと」 

「どうでもいい事に拘るのね、面倒臭いって言われてもしらないから」

 

 それでこそあたしだと言い切ると、そうねと返答を受けた。

 面倒臭いという言葉も聞けて上々だ、雷鼓と二人墓場で楽しく笑っているといつの間にか法衣姿の寺の皆に見つかってしまった。

 なんでいるのかという驚きに満ちた目でこちらを見てくる面々、何もせずとも驚きを提供できてこれはこれで面白い。 

 隣で同じように笑い声を上げている雷鼓の声を掻き消すように大声でゲラゲラと嗤うと、両手を合わせて念仏を唱え始める魔住職。

 成仏しろという事だろうか?

 それならばと少しずつ体を霧散させ煙と化して消えて見せた、心配そうに眺めてくれる雷鼓に大丈夫だと伝えるようにウインクしてから完全に姿を消す。

 聞こえていた念仏を唱え切り最後に静かに南無三と呟く聖、それに合わせて顕現し同じ姿勢で南無三と述べると訝しげな表情が見られた。

 小さな事ではあるがやはり誰かを騙したり小馬鹿にしたりするのも楽しい、肉体が変わった今も楽しいと感じるものは変わらないようだ。

 次は誰を小馬鹿にしに行くかね、まだまだこの世で楽しめそうだ。  




これにて一旦本編終幕。
短い間でしたが、お付き合いくださいましてありがとうございました。

ちょろっと活動報告に本作についてやらアヤメの設定やらを乗せてみました、お暇な方は見てみてくださいまし。
それでは。


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~EX日常~
幕間 お買い物


 死んだはいいがやることは変わらず、あいも変わらず暇を楽しむ為の何かを探す毎日。

 現世に帰ってきてから久しぶりに一人の時間を得て、何処でまったりと暇を楽しむか悩みに悩みながらぼんやりと夏空を舞って暇潰し先を訪れていた。

 入盆なんて狙いすぎた日に帰ってきたものだから、一昨日の送り盆が過ぎるまで寝ても覚めても雷鼓が離れてくれずに参った。

 完全に寝付いたなと思い布団を抜けだそうとしても尻尾抱かれて動けず、何も言わずに姿を消すことはないと言ってもくっつかれて動けず、心地は良かったがどうにもやりにくかった。

 送り盆が過ぎてもあの世に帰らない姿を見せるまで安心されなかったが、どうにか今朝になって一人での外出が許される様になった…

 あたしは子供か?

 我儘さと我の強さは幼子よりも酷い気がするが、ある程度は弁えるというのに、曖昧な体になってからの方が感じる愛が重くて困りものだ。

 

 そんなほとんど惚気話に近い話をしてみても、なんの反応も見せない男。今日もいつもの推理小説を読んでいるのかと思って訪れてみたが、今日は別のいつものを弄って静かにしているようだ。

 少女の片手に収まるサイズの八角形のアイテムをカチャカチャと弄る寡黙な男。機械のような魔法具のような、どっちつかずな何かを、別に用意した金属の八角形に移していく森近霖之助。

 カウンターに広がる部品を黙々と組み込んでいく姿、男にしては白い指先を器用に動かす様は中々にクールで、そそるものが感じられた。

 

「ソレも死ぬまで借りられているのかしら?」

 

 取り外した小さな部品を磨いている眼鏡男子に不意に問掛けてみた。

 けれどいつも通り返事はなく、本を読んでいようが誰かさんの愛用品のメンテナンスをしていようが、この男は変わりないなと、小首傾げてジト目で男の顔を眺めている。

 

「口も開店休業しているの?」

 

 一瞬だけピクリと眉が動いたがそれでも言葉を売り場に出さない店主。

 金属製の八角形から取り外して磨き終えた魔道具の部品を、表面が揺らめいて見える別に用意された綺羅びやかな金属の中に取り付けては、また違う部品を磨き始める眼鏡男子。

 構ってくれないのはいつもの事だったが、今日はいつも以上に反応が薄くて面白くない、何か取っ掛かりはないかと美男子の指先を見ていると、八角形の金属が少し持ち上げられて光があたしの目に飛び込んできた。

 唯でさえ眩しく輝いて見える金属なのに、太陽光まで反射されると余計に眩しい。

 大きく仰け反り嫌悪の表情で店主のかけた眼鏡の奥を睨むと、やっと言葉を店に並べてくれた。

 

「おっと、すまないな、今の君は幽霊だったね。眩しいのは苦手になったのかい?」

「今も昔も眩しいのは苦手よ、腹の奥が見透かされてしまいそうで嫌いだわ」

 

「光を透かすほど白い腹だったとは思えないが」

「黒い腹は熱に弱いのよ、光を集めすぎて熱くなりそう」

 

 そう言えば暑さに弱かったね、と意外とあたしの事を覚えていた森近さん。

 毎年涼むための日陰を求めて静かな店に訪れていたし、少しくらいは頭の何処かで覚えていてくれたらしい、時には伊達男になる寡黙な男の記憶に残っているのも悪くはない。

 照らされて傾いた機嫌だったが、素直に済まないと言ってくれたおかげで少しだけ戻った。確実にその気がないと言い切れるが、悪くないと機嫌を戻したわけだしこれ以上はいいだろう。

 無色透明な眼鏡をかける色男にコロッと騙された錯覚を覚えて、覚りの妹公認のジト目からいつもよりは眠気の見えない瞳になった頃、また言葉が売りに出された。

 

「死ぬ、というのはどういう感覚なのかな?」

「死ねばわかる、なんて言っても冗談にもならないわね…特にこれといってないのよね、気がついたら白玉楼だったし」

 

「閻魔様のお裁きは受けなかったのかい?」

「映姫様が仰るには裁く必要がないらしいわ、お白州やお裁きというものとは縁がないみたい。変な事を聞いてきてどうしたの森近さん? 己の死期でも悟ったの?」

 

 随分前から動かない古道具屋として見ているが、実際の年齢など知らないしこの店主は妖怪ではなく半妖だったなと会話をしながら思い出した。

 親の種族が何なのか、それが分かれば多少の指針を得れるかもしれないが他人の死期等デリケートな事に突っ込めばデリカシーのない何処かののぞき魔に同じになってしまうだろう。

 紫とは違うと霊夢に言われているし自分自身違うとも感じている、それならば深くは突っ込めないなと目の前の餌を指を咥えてみていると餌の方から口に突っ込んできた。

 

「これは僕が使っていたものを与えたのさ、貸したわけじゃないよ」

「ふぅん、魔理沙にしろ霊夢にしろ甘やかす相手が多いと大変ね。あの子達に振り回される為に店を暇にしているの?」

 

「天狗の新聞で読んだんだけど、君は天邪鬼を甘やかす為に死んだらしいね。それで良かったのかい?」

 

 話題になり思い出したが、逃してやった天邪鬼だが今も元気にどこかにいるらしい。

 死んでも顕在だと後で追跡して笑ってやれるように、煙管をご褒美代わりに押し付けたのだが、墓前に供えてくれるとは考えていなかった。

 あたしが死んだ後も続くかもしれなかった逃亡生活を乗り切るのに使ってくれる、そう踏んでいたのだがどうやら逃亡生活は終わったようだ。天邪鬼w捕まえたあたしの願いを、あの遊びの発起人は叶え続けてくれているらしい。

 白玉楼で紫と顔を合わせた時にも互いにその事には触れなかった、言う事はない、というのが紫からのある種の返答のように感じられていた。

 

「正邪とはまだ会えていないからわからないけれど、良い悪いって事でもないと思うわよ? 敢えて分けるならそうね…涼しくて快適になったというのが良い部分で、偶に壁や物をすり抜けてしまうようになったというのが悪い部分ね」

 

 良い部分を話すなら今時期は涼しくて非常にありがたい、抱きまくらにされる事もありそれもまた非常に心地よい…のだが抱きつく側は涼しいだろうがあたしは微温くなっていく一方で、互いに心地よくはならないというのが玉に瑕だ。

 逆に悪い部分だが、これが結構困りもので未だに慣れていなかったりする。寝起きの寝ぼけた頭で動いたりすると湯のみを持てなかったり、逆に突き抜けるつもりで玄関の戸口に鼻をぶつけてみたりしている。

 目覚めてしばらくすれば違和感なくどちらにもなれるようになったのだが、寝起きだけは未だに駄目だったりする。

 

「それは善悪というよりも利便性じゃないかな、僕が聞きたいのは後悔とかそういった内面的な事だったんだが」

「それならないわ、どうでもいい事だもの」

 

「死んだ当人はどうでもいいと言い切れるんだね、君が死んだ後は騒がしかったのに、その辺りの事は聞いたりはしていないようだね」

「それこそどうでも良くなったのよ、いないところで何を言われても気にならない…いえ、気にならなくなったというのが正しいかしら」

 

「以前は気にしていたような口ぶりだね」

「死ぬ前は以外と気にしいだったのよ? 言われた事を真に受けてみたり、言われたのならそれらしくあろうとしたりね」

 

 生前のあたしなら、誰かにあたしはこうだったと言われる度にそれらしくあろうとしていたはずで、それを面白いと感じたり気に入らないと感じたりしていた。

 けれど一度死んで輪廻の輪から離れた今は少しだけ心境に変化があった、そうしたほうが面白いと感じられた時には当然それらしく振る舞うが、気に入らないと感じればそれに対して抗ってもいいかも、なんて事を考えるようになっていた。

 死ぬ間際に抗い続ける誰かさんの背を見送ったからだろうか、理由なんてなんでもいいのだろうが一度気になるとそれに対して思い悩むのがあたしだったなと、それならあたしらしく考えてみるかとカウンターについていた両腕を戻し、体を起こしてウロウロし始めた。

 

「君は霊としてはなんなんだい?」

「さぁ? 亡霊に近いらしいけれどあたしはあたしで化けて出た狸さん、それだけとしか思ってないわ」

 

 言われてみて少し疑問に思う。

 関心を示さないこの店主が気になるくらいの事なのだ、それなら自分も気にしてみるのもいいのかもしれない。

 今のあたしはなんなのだろう?

 幻想郷のあちこちに残しに残した心残りを元に成ったのなら亡霊と呼べるはずで、自分でも気がついていない恨みから成ったのなら怨霊と呼べるはず。

 恨みなどあっただろうか?

 あるとするならば鼓膜が破れるんじゃないかと言うほどしつこく説教かましてくれた映姫様と、それに乗っかりお説教垂れてくれた紫に対しては少しだけあるが…映姫様は兎も角として紫に対してはいつでも言い返せるしそれほど気にしていないはずで。

 恨みではないのならなんだ?

 幻想郷という土地に住む者に心残りがあるのだから地縛霊なのか?

 その割には捕らえている感覚もないし、この店に向かってくる時も少しばかり空を飛んだ。

 いや、これは地に縛されるという意味合いが違うのか。

 だとすれば…

 

 バァンという音で深い思考の海から水揚げされた。

 亡霊らしく静かな空間で静かな男とまったりしていたのだが、黒白ツートンカラーのお転婆さんの登場で一気に騒がしくなる香霖堂。

 店舗の正面扉を細い足で蹴り開けて入ってきた普通の人間の魔法使い霧雨魔理沙。

 もう少し静かに入ってきなさいと店主に窘められて、少しだけ土で汚れている鼻先を軽く手の甲で擦りながら快活に笑い近寄ってきた。

 

「なんだ、まだ終わってないのかよ。さてはそっちの幽霊が邪魔してたんだな」

「手を止めたのは森近さんの意思よ、あたしは口を挟んだだけ。ついでに言うと幽霊じゃないわ」

 

「お? だってお前は死んだって聞いたぜ? ならお化けじゃないか」

「お化けと一括りにされると何も言い返せないけど…訂正するのも面倒だしいいわ、なんでも」

 

 なんでもいいなら幽霊でいいな、そう言ってあたしの解禁シャツの襟やらカウンターについている両手やらを取っては触れられる確認をし始めた魔理沙。

 服やら手やら触っては頷いて、死んだあたしに本当に触れられる事に驚いているみたいだが、今更に過ぎる反応で少しだけ面白い。

 この少女は長い事亡霊の姫様している幽々子や、船幽霊である水蜜の事をなんだと思っていたのだろうか?

 少し気になるし聞いてみるか。

 

「驚いてくれるのは嬉しいけど、幽々子や水蜜と同じような感じになっただけよ?」

「頭じゃわかってるんだ。でもさ、実際死んで帰ってきたって知り合いは初めてなんだよ」 

 

 そう言いながら履いているロングスカートのスリットを掴み、チラリと持ち上げてくる黒白のセクハラ使い。

 唯一の異性はカウンター越しにいるから覗かれる事はないのだが、見せるつもりのない相手に生足さらけ出されるのは気分が良いとは言い切れない。

 足に視線を感じることがないというのもいい気がしないし…反応しない草食系男子といい、他人の恥じらいを気にも留めない黒白といい、本当になんだろうか、この二人は。

 

「足もあるんだな、本当にお化けなのか?」

 

「枕元にでも化けて出れば、お化けだとわかってくれるのかしら?」

「私の部屋にアヤメが立てるほどのスペースはないな」

 

「そう自慢気に言う事じゃないよ魔理沙、掃除するなり返すなりしたらどうだい?」

 

 魔理沙が訪れた事で再度ミニ八卦炉を弄り始めた森近さん。

 カチャカチャと音をたてて手早く部品を外しては『ヒヒイロカネ』で出来た新しい外側の中へと部品を移していく、元々は自分の物だったというし慣れた手つきだと感心していると、その手の動きをあたし以上に感心して見ている黒白。

 メンテナンスくらい自分で出来るようにしておいたほうが楽だと思うが、これを来店理由の一つにしている事は態度や仕草から理解できるし、わかっていてそれを突くのも野暮というものだ。

 組まれていくミニ八卦炉とそれを組んでいく店主を嬉しそうに見つめる人間少女、チェック柄のリボンなんて帽子に巻いておめかししているが、逢瀬の誘いにでも来たのかね?

 それならあたしは邪魔者だろうし、今日のところはこのくらいで帰るとするか…二人と違って時間に追われる事はなくなったのだし、後は生きる者同士仲良くしたらいい。

 

「帰るわ」

「お、もう帰るのか? なんか用事か? どうせ暇だろ、茶くらい出すぜ」

 

 カウンターから姿勢を戻し二人に帰ると言ってみると、お茶を淹れるからもう少し居ろよと、気を使った相手の方から引き止めてくる。

 ちょっと待ってろと言いながら店主の奥へと回りこんでいく黒白、森近さんに止められるのも気にせずに、奥の茶の間へと上がり込んでそのまま更に奥へと消えていった霧雨の一人娘。

 女化しこんで来たように見えたからてっきりそういう気分で来たのかと思ったが、態度はいつも通りのようだ。

 ズケズケという足音を立てて、この建屋の一番奥へと消えた小さな少女の事を考えていると、ズケズケと上がりこまれた方の男が小さな声で話しかけてきた。

 

「ここを何だと思っているんだろうね、あの子は」

「少しくらいいいじゃない、偶にいる客にお茶を振る舞おうとしているだけよ? 可愛い通い妻なんて羨ましいわ」

 

「そういう目で見る事はないと言わなかったかい?」

「聞いているけれど、それも含めていいんじゃないかって事よ。そうなれとは言わないし、そうしようともしないわ」

 

 あたしの返答を聞いて、忙しなく流れていた手つきを少しだけゆっくりにしてみせる店主殿。

 戯言だと聞き流し姿勢から、また少しだけ話を聞いてやってもいいというような、手つき以外にも気にかけてもいいよと態度で示してくれる優男。

 生前のあたしであれば面白おかしく囃し立てて、無理くりにくっつけようと画策したのかもしれないが、今の心情からそうする気にはならなかった。

 死んで終わりを迎えたと思い込まれ、サメザメと泣かれてしまった経験からくるのか、死んで気を入れ替えたから心変わりでもしたのか、判断するにはまだ慣れない我が身だが…

 どっちであっても構わないかと考えていると、話の続きが気になるらしい店主殿が続きの文言を売りに出すようにと、ミニ八卦炉の部品が並ぶカウンターに言葉も並べて売りはじめた。

 話を振った手前もあるし懐にも心にも余裕がある、お茶もまだ出てこないしもう少し売る商品の少ない店で売り買いしていくか。

 

「よくわからない事を言うね。君の事だから魔理沙に何かを言って、厄介事を増やしてくれるのかと思ったが」

「他人の恋慕に横槍入れる程野暮じゃないわ、成就しようがしまいが好きにしたらいいのよ」

 

「横槍を入れないという割に口は挟むんだね」

「魔理沙には言わないから安心していいわ」

 

「僕にだけ? それもわからないね」

「置いて逝かれる側の方が辛いのよ、経験者は語るってやつね…どっちも経験してみたけれど、逝く側の方が気楽だったわ」

 

「急になんだい?」

「死ぬって感覚、聞いてきたのは森近さんでしょう? 不意に思い出したから言ってみたのよ」

 

 得意の笑みで言うだけ言って店主の顔を覗き見る。

 ヒヒイロカネの光が店主の眼鏡に反射していて、どんな瞳でミニ八卦炉を見ているのかわからないがまた静かになってしまう店主殿。

 いらぬ知恵を押し付けて機嫌でも損ねたのかもしれない、そう感じてやっぱり帰ると伝え背を向けてみると、ご忠告どうもと、あたしの背に向かい珍しい商品の嫌味を放ってきてくれた。

 好ましい商品を投げ掛けられてそれに対して買い言葉を返しても良かったが、そうしている間に魔理沙が帰ってきて、ついつい口を滑らしてしまったら、今度は顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまいそうだ。

 どうせ買うなら喝采や心意気の方が良い。

 これらを買うにはどうしたもんかと、首を傾げて店を出た。 



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EX その1  笑譜

 ミンミンとけたたましく鳴いていた蝉の声が、カナカナと鳴き始める者たちへと変わり始めた頃合い。お天道様が傾いて暮れ始め、入相の鐘代わりの蝉の声を聞きながら、人気のない神社の縁側で煙管を咥え微睡んでいる。

 スゥと吸ってはフゥと吐いて、眠たい眼の先を燻らせていく煙を見て、どうせならこんな風に宙の広がり遊び回れる便利な体で復活出来れば面白かったのにと、便利な体に成れる誰かに尻尾を取られつつ悩んでいる。

 

 きっちりと死んで一度サヨウナラした割には、くっきりはっきりとしているあたしの体。

 壁や扉をすり抜けることは出来るが、ここでよく見る鬼っ娘のように薄く広がりあちこちに散らばるなんて事は出来ないらしい。

 あの鬼っ娘は能力でそう出来るがあたしは唯の亡霊だ、いくら煙っぽい体だとしてもそこまで便利には成れなかったらしい…中途半端な成り方で口惜しいが生前を鑑みれば中途半端な方があたしらしいかもしれない。

 そんな鬼っ娘は涼を取ろうと少し前からくっついて離れてくれないでいる。

 あたしが死ぬ原因を作った伊吹の鬼っ娘のせいで霊としての平均体温よりも幾分微温くなってしまったが、これはこれで人肌の温度に近しくなっただけで、生前はこれくらい暖かかったかな?

 なんて数カ月前の事を思い出しては、卓袱台に群がるドクロ顔をした怨霊を眺めていた。 

 

 いつも静かだが、今日はいつも以上に静かな博麗神社。

 あたしと尻尾からの息遣いしか聞こえない、静かな神社の縁側で、カナカナと鳴く蝉の声を聞いて、もうすぐ涼しくなり始めるかな、なんて事を考えながら幻想郷の夏の終わりを耳で感じている。

 午前中は雲ひとつない青空で朝から暑いなと感じていたが、午後になってから急に雲が出始めて、山の端を照らしながら沈んでいくお天道様が隠れたり浮かび上がっていたりしている。 

 お天道様を隠すのはモクモクと背の高い入道雲。

 夕日に照らされてオレンジ色に見える入道雲を眺めて、終わりは近いがまだ夏なのだな、なんて耳と目で違う事を感じていると、ポツポツと神社の参道に雨の染みが出来始めた。

 

 少しずつ降り出した雨。

 ポツポツと縁側の辺りも濡らし始めたので、奥の卓袱台へと移動して、卓袱台上の何かに群がる怨霊を軽く払ってから肘をついて外を眺む。

 このまま雨に降られると帰りが面倒になりそうだ、が、多少濡れたところで好きに戻せるし、風邪を引いたり体調を崩すような事はなくなった。

 死んだお陰で夏の気温よりも随分と涼しい体温になったし、気温よりも冷たくなった。

 そんなあたしに触れていれば涼しいからか、少し前から尻尾が重い。

 重さの原因は残暑の通り雨で蒸し始める前から涼を取ろうとくっついて離れてくれない、あたしが死ぬ原因を作った伊吹の鬼っ娘。

 生前も今もくっついてくれて、あたしで涼を取っている萃香さんのせいで、霊としての平均体温よりも幾分微温くなった感じがしている今現在。

 少しばかり気持ち悪いが、それはそれで人肌に近しくなっただけだと、鬼以外は誰もいない神社の縁側で、重たい尻尾を揺らしつつ何もせずにいる。

 ちょっと前に妖怪寺の墓場で甦り、復活したというあいさつ回りを兼ねて寂れた神社に来てみたわけだが、生憎神社の主は今はおらずあたしの死因しかいなかった。

 

「死んだ後のほうが抱き心地がいいとか、相変わらずよくわからんやつだ」

「更に気に入ってもらえてなによりだけど、殺された相手に褒められるというのも中々複雑だわ」

 

 毛並みの整った愛らしい自慢の縞尻尾、それに抱きついて離れない、あたしの死亡原因に向かい素直に感想を述べてみる。

 丁度真後ろ側から尻尾を羽交い締めするように抱きついていて、嫌味混じりの返答を述べてみてもどういった表情なのか見ることは出来ないが、抱きつく四肢の締め具合は変わらず頬かどこかで擦るような感触だけが伝わってくる。

 

「自ら望んでそうなったんだ、私のせいにするなよ」

「人を自殺したみたいに言わないでよ、ついでに尻尾に顔埋めて話さないでくれる? 酒臭いよだれでもつけられたら困るわ」

 

 言った途端にピタリと止まる頬ずり、一瞬動きも止まり何か思うところでも?

 なんて考えたのだが、ただ単にあたしの言いっぷりに腹が立って動きが止まっただけらしい、一瞬の静止が過ぎてから随分と強く抱きしめられ始めるあたしの尻尾。

 愛玩するというよりもだいぶ強い締め具合で、ギリギリと痛いという程ではないが確実に萃香拓が残るであろう力加減で締め付けてくる。

 以前であれば強引に尻尾を振るい、力業で引っぺがすことしか出来なかったが今はそれ以外の方法もある。化け狸の象徴である尻尾の密度を薄めて煙のような、物理的に触れられないくらいまでやるとドスンと畳に落ちる音がする。

 振り返ると、両腕で自分の体を抱きしめている自己愛性が強く見える酔いどれ幼女が視界に入った。

 

「なんだい! 減るもんじゃなし! もうちょっといいじゃないか!」

「減るわよ? 心残りがなくなれば消えてなくなるわ」

 

「お? そういうところだけはきっちり亡霊なのか」

「こう見えてもきっちり死んでるわ。後々まで尻尾抱いていたいなら何か心残りを作らせて貰わないと、互いに困るわね」

 

 薄れさせた尻尾を再度顕現させると、先程までよりは少しだけ丁寧に尾の先やら毛並みやらを撫でる幼女の手。

 実際消えるのかなんて試すつもりもないしわからないが、亡霊としてあるのなら現世に残した心残りを消化すればいざ南無三となる…と考えていたのが、霊の先輩である水蜜や屠自古に聞く限りそうでもないようで。

 あくまでも幻想郷住まいの妖怪に限ってのようだが、単純に種族が妖獣から幽霊やら怨霊・亡霊という括りになるだけで、その状態が安定し他者にそうなのだと思われるようになった成仏する事もないらしい。

 あたしよりも長く幻想郷にいる萃香さんがそうなのだと知らないわけはないと思うが、知っていようがいまいがそんな事はどうでもいい。鬼っ娘から楽しい何かを得られそうないい機会なのだ、存分に利用させてもらおう。

 

「心残りなんてなくたってどうとでもなるだろうに」

「どうにでも出来るように、保険は色々用意しときたいのよ」

 

「死人が保険ねぇ」

 

 両の眉根を近づけつつも、ほんのり笑って頬を緩めて見せる酩酊幼女。

 死んだ後で保険を探し始めるなど滑稽すぎて笑い話にもならないと思ったが、少しの笑いは取れたようだしこれはこれでいいだろう。

 互いに軽口を言い合いながら、煙管と瓢箪という別の物を互いに口に運び吸ったり飲んだりしていると、何か考えといてやるよと言って体を霧散し始める幼女。

 霧へと変じて雨空の中へと消えていく幼女を見送り、あれでよく混ざらないなと消えていった空を見ていると、今日も霧深い川で仕事しているはずのサボリ魔が入れ替わりで視界に入ってきた。

 今時期は季節の変わり目で川渡しとして忙しくなりそうなものだが、ふらふら出歩いていていいのだろうか? 

 

「ありゃ、怨霊を潰しちまう困った仙人の様子でもと来てみれば、でっかい怨霊がいるわ」

「お迎えなら間に合ってるわ、またサボり?」

 

 でっかい怨霊などと失礼な事を言ってくる、今のあたしとは縁遠くなった楽しい友人。

 あたしの発したサボりという返答を受け、開口一番から手厳しいねと破顔して、大きな鎌をクルクルと器用に回して雨粒を切る濡れ女。

 赤い髪と青い着物、その着物の立派な胸元先から雫を垂らして片手を上げて挨拶してくる幻想郷のサボマイスター、小野塚小町。

 回していた死神の大鎌を両肩に掛けながらちんたらと歩き、博麗神社の縁側に腰掛けて少しずつ水を移し始めた。

 

「巫女もいなけりゃ仙人もいない、いたのは亡霊だけだった。こんな報告したら四季様に叱られそうだ」

「サボりもお叱りもいつもの事じゃない、何を言うのやら」

 

「そう言われちゃあ言葉もないねぇ、一人でなにやってんのさ?」

「見ればわかるでしょ? 雨やら孤独やらと現世を楽しんでるのよ」

 

 死人が現世を楽しむなんて死神に向って言うもんじゃない、と快活に笑いながら話す小町。

 怨霊だの死人だのと散々な言われようだが全部事実で、あたしの方こそ言葉もない。

 互いに輪廻の外にいて、どちらも言葉もないなんて、顔を合わせて会話しているというのに思うことはちぐはぐで少しばかり可笑しかった。

 クスクスと小さな笑い声を立てながら社務所に上がり勝手に、戸棚という名のタンスからタオルを引っ張り出す。

 今日来る時に持ち込んできたお茶請け代わりの大福の隣、テキトウに畳まれたタオルを一枚取り出してテキトウに小町に放って投げ渡した。

 

「お、気が利くねぇ。というかよく知ってるね」

「宴会で飯やら作ったりしていれば嫌でも場所を覚えるのよ、使わないなら返して」

 

「なにさ、霊夢の真似かい?」

「真似?」

 

「今の言い方、使わないなら返してってやつさ」

 

 頭やら体やらを雑に拭きつつ、雫を垂らして社務所に上がり込んでくる、川遊び出来ない川の船頭さん。

 いきなり真似なんて言われたから少し考えたが、思い返してみれば、確かにつれない言い草は霊夢っぽかったのかなと、小町の言葉に納得し大きく頷いてみせた。

 頷くあたしを見ながらタオルを首に掛けて笑みを見せる小町、タオル一枚で拭いきれるような濡れ具合ではないが、濡れて畳が痛むと文句を言われるのはあたしではないし、細かい事は気にせずに二人で卓袱台に向って座る。

 卓袱台の上で彷徨いている邪魔な怨霊をシッシと払って湯のみを置くと、ふむ、となにやら思う所がありそうな顔になる死神様。

 

「取り込んだりするかと思ったが、そうはしないか、さすがに」

「何処の誰かもわからない相手に体を許すほど安くないわ、邪魔だから払っただけよ」

 

「神社に(たむろ)する怨霊を払うのが亡霊巫女じゃあ、笑い話にもならないね」

 

 そう言いながらも笑ってくれて十分に笑い話になっていると思えるのだが、本当に何をしに来たのやら…とりあえず亡霊の巫女だと言われたのでそれらしくと、開襟シャツを脱いで脇を露わにしてみる事にした。

 それで袖があれば完璧だ、なんて再度笑みを見せる小町。

 鎖骨まで見えるホルターネックの黒インナーはここの巫女ではなく地底の橋姫譲りだと伝えると、あっちの奴らの真似もするのかと笑うことをやめずに言い放ってきた。

 何を言っても笑んでくれて、雨に濡れた体のせいで笑いの沸点も低くなっているのだろうか、このサボり魔は。

 少しばかりやり辛いので沸点を上げてもらおうと、神社の(くりや)に立ち、湯を沸かしてお茶を淹れる事にした。

 

「何から何まで悪いね、あんたん家でもないってのに」

「勝手知ったるなんとやらよ、戸棚に隠してある茶菓子でも出しておいて」

 

 あいさ、という明るい返事を背中に聞いて一人で竈の前に立つ。

 ついでに一服でもするかと、左手を煙管に手を伸ばそうとした時に、首元に小町の大鎌があてがわれる。

 何のつもりか知らないけれど、殺気やら悪意やらが全くない切っ先を向けられても、ついでに言えば物理的な脅しをされても今更効くことはないし、首が取れても多分問題ないはずだ。

 お好きにどうぞと言わんばかりに鎌を無視して煙管を燻らせると、ちょっとくらい怖がって見せておくれよと苦笑しながら言われてしまった…死人に死を恐れてくれなんて、無理を言わないで欲しい。

 

「こわいわー、死神こわいわー」

「そうやって誰かの口真似で済まされちゃ困っちまうね、それっぽく演じてくれたってバチは当たらないよ? これから四季様に報告しなきゃあならないあたいを助けると思ってさ」

 

「話が見えない上にお迎え役じゃない死神を怖がれと言われても、ねぇ?」

「ご尤もだが、それでもあたい…いや、私の事を少しは気にしてくれないと困るんだよねぇ。四季様にお前さんも見とけって言われててさ」

 

 ほんの少しだけ真面目な顔になるサボマイスター。

 映姫様からはお説教だけで済んだと思っていたが、無罪放免とはいかないわけか。それもそうか…過程をすっ飛ばして死んだくせにこうして現世でのらりくらりとしているのだから、少しくらい目を付けられたとしても致し方ないのだろう。

 監視役として小町を選んだのは、見知った相手なら油断して素を見せるかも?

 という感じだろうか、亡霊として未練タラタラなあたしだ、まかり間違えば幻想郷の今を生きる者達に対して何か悪い事をしでかす、なんて思われているのかもしれない。

 ついさっきも屯する怨霊を取り込まないのかと聞かれたし、生前の悪戯具合を知られているのだから、そう見られても仕方がないのかもしれない。

 けれど小町を怖がれというのも無理な話だ、あっちのなんといったか、なんとか言う鬼神長みたいなしつこいお人なら兎も角…仕事をサボっては一緒に飲み明かしたり甘い物に舌鼓を打ってみたりしている相手なのだ。

 もっと言わせてもらえば死神としての仕事姿なんぞ見た事がないし、映姫様のお説教から知る限り、とてもじゃないが怖がれるような相手ではない。

 しかし、多少は怖がったり気にしてあげないと映姫様に叱られるのだろうし…今更叱られたところで気にもならないのだろうが、わざわざ『私』と言い直して仕事なんだと教えてくれる親切な死神さんだ、無碍にするのもなんだかなと思うし…しかし、こわい、ねぇ。

 

「仕事熱心な小町の手助けか、今なら条件付きで怖がってあげてもいいわよ?」

「お? 何か思いついたかい?」

 

「小町と一緒に食べる大福が少し怖い、饅頭じゃないから少しだけ怖いって事にしてあげるわ」

 

 首にかけられた大鎌をすり抜けて、気にせずにお茶を淹れて卓袱台へと戻る。背中に視線を感じるが、何も言い返さずに卓袱台に置かれた紙包みを開いて、一人で大福に食らいついた。

 縁側を正面に見ながら卓袱台に腰掛けて、モチモチと咀嚼してまったりとお茶を啜る、回りで何があったとしても気にしない巫女さんのようにズズズっと啜っていると、諦めの表情で対面に座る脅してきた三途の渡し。

 

「真面目な話をしてるってのに…偶には真面目にとりあっておくれよ、怖がってもアヤメにゃ減るもんなんてないだろうに」

 

 暇を持て余すあたしが、暇を持て余す者達が登場する古典落語に乗っかって物を申してみたが、それでも諦めの悪い物言いをするこまったちゃん。

 それでも何も言わずに二つ目の大福に手を伸ばすと、それはあたいのだろうと、ペシンと手を叩かれた。

 叩かれた手をヒラヒラとしながら、無言のまま遠くを見るように目を細めて睨んであげると、怖いというより気に入らないって目つきだな、なんて大福を頬張りながら言われてしまった。

 それでも無言を押し通す、こちとりゃ死人で口がないのだ、ウマそうに大福を頬張る誰かさんに、あたしの視線の先に何がいるのか教えてあげる訳にはいかない。

 縁側を背に座る小町の背中側、茶請けの大福が危ないという勘でも働いたのか、濡れネズミとなった赤白の祝女(はふりめ)が怖い顔をして小町を見つめている事など、死人のあたしの口からは発することが出来なかった。



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EX その2 神遊ぶ

 夏にしては少し冷えたような凪いだ風を頬に受け、今年もそろそろ実りの時期かと感じている人里での一幕。今年も今年で神輿を担ぎ、楽しそうに笑っては神輿の上の実りの神を敬い崇める里の人々を眺めている。

 豊穣を願い豊穣の神を呼び、今年の実りもよろしくお願いしますと、本来ならてんにまします神様を近くで拝みながら騒ぐ、人里の恒例行事。

 例年の事でこれといって真新しく感じる事もなく、同じく里に住んでいる者でも興味を示さない者達も少しだけいる。

 子供らがそれの筆頭だろう、農作業など童子共からすれば面倒臭い家事手伝い以外の何者でもない、親に捕まりつまらなささそうな顔でお祭りに参加する子供達。

 中にはうまく逃げた奴らもいて、そいつらは放課後の寺子屋で花札並べて遊んでいた、里の行事に目もくれず幼い頃から賭け事に興じる等将来有望で楽しみだ。

 少し話が逸れてきたので、本筋へと戻ろう。

 

 さて、毎年変わらず行われている豊穣祈願だが、今年はなんとなく新しい物を見ているように感じられるのは何故だろうか?

 死んだから?

 違うな、戻ってから一月ちょっと過ぎて随分と今のあり方にも慣れてきている。

 あたし自身に感じられないのなら他の事、例えば見ている景色に例年とは違う部分があるから新しい物として捉えられているのだろう。

 例年なら妹の秋穣子様だけが里にお呼ばれされて崇められている、秋の豊穣を願う小さなお祭り。今年はあたしの隣に穣子様のお姉様であらせられる秋静葉様がいらっしゃるから、なんとなく違うものとして見られるのだろう。

 

 妹の穣子様と同じく姉の静葉様も秋の神様なのだが、直接力を行使して秋の恵みをもたらされる方ではないから毎年呼ばれず、姿を見る事などはなかった。

 けれど、今年はお姿を見せて下さって一緒に祭りを眺めてくれている。

 去年に比べると今年は少しだけ夏が長く感じられて、風は涼やかだが日差しは強めで未だ残暑厳しい。本来であれば景色が少しずつ秋めいてくる頃合いなのだが、暦通りに季節が移ろわず、紅葉を彩らせるにはまだ少し早いのだと暇そうにお山を散策されていた静葉様。

 他にする事もなく暇を潰す事もないのなら、偶にはご一緒にいかがかと誘ってみたわけだ。

 一昨年くらいの豊穣祈願で言ったような気がするが、あたし個人は静葉様のあり方のほうが好ましく、静葉様の方も紅葉や秋の景色を愛でて楽しむあたしの事を気に入ってくださっているようで、顔を合わせると静葉様から話しかけてくださりそのまま立ち話をすることも間々あったりする。

 

「今年はいつ頃から染め始めるの?」

「そうねぇ、もう少し涼しくなったらかなぁ」

 

 人里の端にあるお社から出発した妹神様の乗ったお神輿を見送って、少しだけ寂しそうな顔をされる静葉様。

 ほとんどが赤で裾の辺りだけが黄色い、自身の司る紅葉のような色合いの、上下揃いのお召し物を凪ぐ風に弱くはためかせて、騒ぎとともに里の中へと消えていった妹を見る視線。

 なんとなくだが羨ましいというような、妬ましいと思っておられるような、仲の良い姉妹にしては少しだけ複雑に感じられる表情をされている。

 直接秋の実りを授ける妹様は重宝されて季節によっては崇められ、ご自身は木々の葉が終わりを迎えこれから寒くなっていく事を視覚で知らせてくれる神様。

 目で味わうという事も大事だとあたしは考えられるけれど、毎日の短い生を精一杯生きる里人には伝わりにくいのかな、なんて考えていると、遠くを見つめる秋神様がポツリと呟いた。

 

「誘ってくれたから来てみたけど、やっぱり来るんじゃなかったかなぁ」

「楽しそうな妹を見てるのが辛い? 神様としてはやっぱりちやほやされたかったりするの?」

 

「そういうわけじゃ…どうなんだろう?」

 

 頭の上で並ぶ三つの楓飾りを傾けて、少しだけ笑んで見せて下さる静葉様。

 穏やかな笑みを見せてくださってはいるが、楽しいといった笑い顔ではなく、二つ名の通り寂しさや切なさといった物が見える笑顔。

 ご本人に伝えたことはないが、儚さを感じられるこの顔があたしの琴線をかき鳴らすくらいに好ましく、偶に見たくて今のように意地の悪い言い方をすることがある、言う度に狙い通りの儚い笑みを見せてくださるのだが…今日はなんとなく嫌な気分になるのは何故だろうか?

 普段見ている妖怪のお山以外でお姿を見ているからだろうか?

 それとも人里という、本来であれば敬い崇めてくる者達がいる場にいながら、回りにあたし以外の誰もいない、本当に寂しい景色の中で見ているからだろうか?

 よくわからないがなんとなく気に入らない、誘って連れ出した手前もある、ここは一つ違う顔も見させて頂きたい。

 とりあえず、何をどうするかね?

 

「静葉様もお神輿乗りたい? 柄になさそうだけど」

「う~ん、楽しそうだけど見てる方がいいかなぁ」

 

「そうよね、似合わないもの」

「似合わないかぁ、明るく騒ぐのは穣子の方が似合うのよね。おかげで振り回されて大変よ」

 

 大変という割には楽しげに話してくれて、先程までとは違う顔で笑ってくれてたおやかな笑みがお似合いで妬ましい。

 それでもまぁいいか、ほんの少しだけ明るい笑みを見せてくださったわけだし、後はこの辺りを広げてみたりほじくってみたりしてどうにか笑いに繋げてみせよう。

 神様相手に一亡霊が何かしでかすなど大それた事以外の何でもないが、生前から失礼千万働き続けているのだし、怒られたらごめんなさいと言って冥界にでも逃げればいいだけだ。

 寂しさと終焉の象徴相手になにかしても、終わりの先に来てしまったあたしならさして困ることもないだろう。

 

「なぁに? ニヤニヤして、楽しい事でも思いついた?」

「思いつこうとしているからニヤついてるの、静葉様もちょっとは考えてよ」

 

「楽しい事ねぇ…葉を塗るの楽しいわよ? 綺麗に塗って染め上げるの」

「どちらかと言うとその後の方が楽しそうよね、いい顔で紅葉を蹴り散らす御姿、あたしは好きよ?」

 

 もうやめてよ、とあたしの肩をトンと押してくる秋のお姉さん。

 軽く小突かれただけでなんちゃないが、穏やかに会話している時よりもいい笑顔を見せてくれる、これは口で言って強引に表情を変えるよりも体で見せて顔色を変えた方が楽かもしれない。

 恥じらいながらも褒められて悪くないといった表情になり、儚さに押し倒され気味だった機嫌も幾分良くなったようだ…まずは上々か、後はこのまま明るい笑みでも見せてくだされば御の字なのだが、何をすれば朗らかに笑んで下さるだろうか?

 

「アヤメさんと、紅葉の神様? 珍しい取り合わせですね」

 

 秋の終焉を告げる神様に肩を揺らされて、耳の飾りから垂れる鎖を揺らしていると、頭の触覚を揺らしながら話す少女に声を掛けられた。

 ピコピコと揺らしてくれて相変わらずあたしの視線を捉えて離さない触覚、その下からは上目遣いでこちらを見てくる瞳、会う度に毎回こうで互いに慣れたものだが今日は…この子も同日に呼ばれるとは、今年は珍しい豊穣祈願になりそうだ。

 

「リグルも珍しいんじゃない? 普段は穂が実ってからお願いされてるのに」

「季節がズレてる感じがするんで、私へのお願いもズラしたらしいです」

 

「お願いって…あぁ、虫食いを減らしてってお話ね。穣子は蟲のくせにって言うけど、リグルちゃん達虫だって生きてるのにねぇ」

 

 静葉様のお言葉を受けて困ったような笑みを見せるリグル。

 葉と虫なんて犬猿の仲かと思われそうだが真逆で、この二人は随分と仲が良い、食うものと食われるものを司り操る二人なのだから嫌いあっていそうなものなのだが…

 方や葉を食し成長していく、冬場では枯れ葉のお布団に守ってもらって越冬し最後には木々の栄養になっていく者達。

 もう一方は葉を食われ幹に穴を開けられて枯れさせられる事もあるにはあるが、それ以上に花粉や種子を運んでもらいテリトリーを広げるのに一役買ってもらっていたりする。

 正確には葉ではなく紅葉の神様だけれど、リグル達のそういった在り方を痛く気に入り愛でている静葉様、あたしを気に入ってくれているのも、四足だった大昔にオナモミ体にくっつけて撒き散らしていたからなのかね?

 理由なんてどうでもいいか、詳しい所を掘り起こして根を晒しては枯れてしまう、それに二人を見て少しだけ思いついた。

 

「しかし、穣子様以外は暇よね。リグルも一言お願いって言われるだけでしょ?」

「形としては儀式というか契約というかあるんですけど、そう言われると身も蓋もないですね」

 

「なら暇よね? それなら少し付き合いなさいな、静葉様も一緒に来て」

 

 えっ、という同じ反応をする二人の手を取りそのまま腕を組んで、ちんたらと歩み始める。

 人里の端にある小さなお社から腕を組んだまま別の端っこの方、逃げた童子共が集まる寺子屋の方へと足を運んでいく。

 豊穣祈願がどうたらこうたら、穣子ちゃんがどうたらこうたらと左右から小言が飛んできて両耳に痛いが気にせずに、二人に体重を預けながらダラダラと進んで童子共の賭場へと混ざる。

 以前やらかした社会科見学のお陰で寺子屋のガキ共とは面識があり、狸のお姉ちゃんやら手抜きのお姉ちゃんやらと、好き放題に言ってくるガキ共の輪に三人で突っ込んでいく…手抜きのお姉ちゃんとは上手い事言うものだ、慧音の仕込みか口癖だろうか?

 いや、多分阿求辺りだな、あの小娘ならそんな事をいいそうだ。

 

「あんた達、種銭は? ちょっと混ぜなさいよ」

 

「アヤメちゃん、子供相手に賭け事なんてさすがに」

「そうですよ、いくらなんでも」

 

「あたしはそうね、負けたらおやつ作りでも手ほどきしましょう。こっちのお姉ちゃん達は楓の樹液と大っきなカブトムシを賭けるって…さぁ、どうする?」

 

 またしても吐かれた、えぇっ! という声を完全に無視して勝手に話を進めて始まる小さな賭場。

 あたしと静葉様の文字通りの餌に食いついてきたのは女の子達、メープルシロップというらしい楓の樹液はとても風味が良く甘い、あれを使って里のカフェ-にあるような何かを作る、それなりに楽しい事になると感じたのだろう。

 シロップ自体は静葉様よりも穣子様の管轄な気もするが二人で秋姉妹だし、その辺はテキトウでいいだろう。

 男の子達はでかいカブトムシというよくある餌に食いついてきた、リグルからすれば身内を子供らに献上するような事で快くない感じがしそうだが、嫌悪感はそれほどでもないらしい。

 大人たちからは田畑を荒らすとして嫌われてばかりの虫達、けれど子供らにとっては大きなカブトムシなんてのは自慢するための物で、鼻高々に自慢される身内を見るのも悪くないという事なのだそうだ…同胞が褒められるのはいい、気持ちはわかる。

 

「乗り気になったようだし話は決まりね、親はあた…」

「アヤメちゃんが親はダメよ、確実に悪さするわ」

 

「遊びでサマをする程野暮じゃないけど、当然信用はされないわね。ならいいわ、お誂え向きなのが中にいるだろうし、誰か呼んできて」

 

 人の事を手抜きのお姉ちゃんと言ってきた生意気そうな男の子に、寺子屋の中にいる不正や不純が嫌いだという真っ直ぐな石頭を連れてくるように指令を出す。

 自分で行けよ、なんてガキ大将らしくあたしに命令してくるが、手抜きのお姉ちゃんだから自ら何かを成すことはしないと格好良く、偉そうに言い切ると舌打ちしながら走っていった。

 子供相手に、なんて視線を秋神様と虫妖怪から感じるが、ダメなものを見る視線など浴び慣れていて今更どうと思う事もない。

 煙管咥えて煙を吐いて、吐いた煙で猪鹿蝶を形取り、子供らや無理やり参加させた二人の回りを動き回らせていると、ガキ大将に連れられた人里の守護者が現れる。

 もうすぐ満月を迎える頃合いで、歴史編纂をするための何か難しい書物を用意する途中だったようで、少し疲れたような不機嫌そうな顔であたしを睨んでくる慧音。

 

「話は聞いた、子供相手に賭け事など吹っ掛けて…この子たちに悪い影響でもあったらどうするつもりだ?」

「何言ってるのよ、妖怪が人間にいい影響を与えるわけがないじゃない」

 

「それはそうだが、そう言われると私の立場がだな」

「あたし達との間の子(半人半妖)なんだから審判しなさいな、あたしが何かやらないか見てるといいわ。一人で机に向かってため息つくより、こっちで息抜きしなさいよ」

 

 むぅ、と一言で不承不承だと教えてくれる忙しいはずの寺子屋教師。

 それでも連れだされてしまったし、子供らの餌に釣られたやる気ある表情をみて致し方ないと諦めたようだ、私が見るのだから裏表なく真っ直ぐに審判すると仕事を忘れて混ざる決意を吐く慧音。

 それでこそだと薄笑いし、子供ら相手の賭け事に興じる。

 賭け事での運が全くないあたしだ、今回も当然のように負けるのだろうがそれはそれでどうでもいい、勝ち負けよりも静葉様の楽しそうな顔が見られればそれでいい。

 猪のような真っ直ぐさで審判を務める慧音に見守られ、紅葉の神様を鹿として虫を操る蛍の少女を蝶に見立てた、菖蒲に八つ橋という札の名を冠するあたしから仕掛けた花札勝負。

 勝った所で子供ら以外はメリットなどないが、遊びなんて子供が主役だ、それでいい。




(農)<タイトルから守矢の二柱だと思った? 残念、可愛い可愛い秋姉妹でした。
花札なんてもう何年遊んでないのか、わかりません。
ちなみに静葉様に宛てがった10月の鹿ですが、無視する(シカトする)の語源だったりします。
そっぽを向いているように札に描かれた10月の鹿、鹿十(しかと)だそうな。
ムシだからリグルと絡ませた、というわけでもないですが、ムダ知識として一つ。


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EX その3 心残り

 長月に入ってすぐだというのに、傾き沈む夕日のせいで紅く色づき始めて見える木々やら、余計に紅く見える赤卒(あかえんば)やらを横目にしつつ、茶の色味が強い大穴をするすると降って行く。

 穴を降り始める前は、夕日を浴びて見えにくく誰そ彼(たそがれ)は、という手合だった隣の赤髪の顔も、穴を降り始めた今はしっかりと視界に捉えられて、久々に二人並んでドラムに腰掛け緩々と降っている。

 今朝一番で出掛けると誘ってみてから、どこに行くのかとソワソワし始めた隣の赤髪 堀川雷鼓。

 妖怪のお山に向かい翔べと伝えた時には一人でも行き慣れているらしく、あまり乗り気ではなかったようだが、今日の目的地はお山ではないと伝えてみると、どこに行くのかと浮つき始めて子供のように気にし始めた。

 昨年の夏にこの世に生まれ、お山の方も行き慣れる程行っていないとは思っていたのだが、ちょっと死んでいる間に結構な頻度で行っているらしい。

 聞いてみれば演奏用の音響設備を河童連中にお願いしてみたり、ライブの宣伝ポスターの写真を天狗二人にお願いしに行ってみたりと、自分の楽しみの為には意外と外出していたようだ。

 しょっちゅう我が家に来ていた文や銀杏拾いで一緒になった椛、里でのちょっとした遊びで知り合ったにとりとの面識はあると知っていたがもう一人の天狗記者、姫海棠はたての方とも繋がりを持っていたとは少し驚いたのだが…言葉を受けて少し考えすぐに思いついた。

 今でも我が家に置いてあるあたしの遺影、あれに使われた写真は、地底ではたてが鬼連中を釣り出すのに使ったアレだ。

 雷鼓と二人で笑っていたあの時の写真を少し加工して使ったらしく、写真の手配やらの時にでも知り合ったのかな、なんて考えていた。

 

 少し考えている間に、いつもの首狩り区域へと差し掛かる。

 案の定、勢いつけてあたしの首目掛けてくる釣瓶落とし、地底で目立つ緑髪を振り子の軌道に乗せて靡かせながら向かってくる、木桶妖怪キスメ。

 

「キスメさん、なんだか元気に見えるわね」

「いつもの事よ、まぁ見てなさいな」 

 

 連れてきたことはなかったはずだが、なんだか元気だと、普段の木桶の様子を知っている素振りの雷鼓。

 いつもであれば逸らすだけ、気分を変えてもとっ捕まえるだけだったのだが、今となってはそうする必要もなく、あたしの首目掛けて振りぬかれる、夕日を照らすオレンジの鎌を避けもせずに首に受けた。嬉々とした表情であたしの首目掛けて振り下ろされるが、スルッと抜けていくだけの首狩りの鎌。二度ほど往復しながらその度に首目掛けて振り下ろされたのだが、何度首を狩られてもあたしの形を象っている煙が揺れるだけで、頭が落ちたりすることはない。三度目の斥候時にあたしを見て苦笑する雷鼓と、雷鼓を見て笑むあたし達二人に捕まり止められて、今まで見てきた中では一番の表情、肩を刈り落とされたくらいにがっかりとした顔色を見せてくれたキスメ。

 出会った際の、定例のお楽しみを奪ってしまって申し訳ない気もするが、こちらとしては何もせずに化かせた事が非常に面白く、ニヤニヤと笑んでいると素直に首を刈られろと罵られてしまった…残念だったな、既に事切れ首落ちだ。

 

「これの何がいいの? 雷鼓?」 

「…なんだろう?」

 

 ヤマメの糸のような妖気を感じる縄を切り、バスドラムに括りつけて下げた木桶。

 あたし達の尻の下から聞こえる、機嫌の悪いキスメの声に悩み、あたしの顔を見ながら返答をしている。首を落とせず気を落としている木桶に、何がいいのかと問われ、どこがいいのかとあたしの顔を見ながら首を傾げるうちの嫁。

 結構真剣な悩みのようで首とともに椅子代わりのドラムも傾いて、下の方で傾けるな、揺れて酔うなどと文句が飛んできた…普段から吊り下がって揺れているくせに、自分から揺れる分には慣れているらしいが、他者に揺らされたり回されたりすると酔うらしい。

 小さい形して文句は多いが、普段は我儘も言わず静かにしている事ばかりなのだから偶には煩いキスメもいいかと、雷鼓の手を取り落ちないようにして、バランスを崩すようわざとドラムの端に座って余計に傾け文句を増やし、ギャアギャア言われながら次の地底妖怪の所へと降っていった。

 

~少女降下中~

 

 振り子時計のように下方に木桶を垂らして進む、旧地獄へと続く鍾乳洞。

 焦って向かうようなところではないし、急いで移動などしていないが通い慣れた道は短く感じられて、遠くの方に渡る者の途絶えた橋が見えてきた。

 誰も渡らなくなったという割にはあたしやらヤマメやらが屯していて、人気が多いように思える地底世界の玄関口。今日もいつもの様に欄干に背を預けて佇む橋の主と、その隣で同じような姿勢でいる土蜘蛛が視界に収まる。見慣れないだろうバスドラムが二人の近くまで来ると、あたしよりも先にドラムの話せる部分と土蜘蛛橋姫が何か話し始めた。

 

「お、お二人さん。揃ってなんて始めてじゃないかい? 今日はどうした?」

「その節はどうも、ヤマメさん。私に聞かれてもわからないわよ? 思い付きについてきただけだし」

「そっちの死人の付き添いね、付き合いよくて妬ましいわ」

 

「心残りを解消しに来てみたのよ、ヤマメは兎も角パルスィの反応は意外だわ、もうちょっと強く妬まれるかと期待していたんだけど」

 

 ハンカチを噛む程、とは言わないが緑色の瞳を揺らしてもう少し強めに妬んでくれるかと思っていたのだが、予想していたよりも落ち着いていて、拍子抜けというかなんというか面白くない冷静さだ。生前に残した勇儀姐さんとさとりとの約束を守り、スッキリと生まれ変わった気持ちで亡霊生活を洒落込もう、なんて考えて、ついでにパルスィに妬んでもらおうと雷鼓の手を握ったまま来てみたというのに、これではいつも通りだ。

 

「パルスィ、貴女橋姫としての矜持はないの?」

「喜ばれると分かっていて、恨み辛みを述べる橋姫がいるかしら?」

 

「ふむ、嫉妬の権化としてはどうかと思うけど…確かに気持ちよく妬めないか、難解な思考で読みきれないわね妬ましい」

「妬まれに来たのか、妬みに来たのか、どちらにしろ良く顔を出せたものね」 

 

 妬んでくれない橋姫に代わり妬んでみたのだが、どうにもお気に召さないらしい。 

 さとりの背中を流すという約束を守りに、勇儀姐さんに嫁の自慢をしに来たと胸を張って言葉を述べると、前者はともかく後者は覚悟してから行きなさいとパルスィから変なアドバイスを受けてしまった。

 覚悟とはなんの覚悟だろうか?

 本当に自慢しに来やがったと豪快に笑われて、殴り飛ばされでもするのか?

 いやいや、姐さんの性格から考えれば笑うだけ笑って酒のんで終わりのはずだ、鬼の怒りに触れるような事をしていただろうか?

 生前の事を思い出し、何を話し遺していたかと考えていると、自慢する予定のあたしの嫁が少しだけオロオロとし始めて、宙に浮かぶバスドラムの上で指先をワタワタとし始めていた。

 なんだ、この空気はお前のせいか? 

 

「雷鼓が何か言いたそうなんだけど、ヤマメもキスメも、パルスィも何か知ってたりする?」

「さぁ? あたしらは機嫌の悪い勇儀しか見てないねぇ」

 

「ご機嫌斜めの姐さん? 珍しいわね」

「アヤメの墓参りをして帰ってきてから機嫌悪かったわ、いつものあの鬼やら八つ当たりされて、結構荒れてたのよ」

 

 地上では忘れられたくせにあたしの墓参りをしてくれたのか、わざわざあたしの為に地上に出てくるなんてありがたい事この上ないが、そこで何かあって機嫌を傾けたと考えるのが正しいか?

 なんだろうか、そんなに気に入られていただろうか?

 一晩共にするくらいの仲ではあったが、互いに命のやりとりをしてみたり、今は仙人稼業に身をやつしているあの人と一緒になって嗤った事もある。

 豪快で荒っぽい事ばかりが目立つ勇儀姐さんだが、今日着ているコート以外を全身コーディネートしてくれたりと、意外と乙女らしい一面も見せるお人だ、墓参りで何かありそれが荒れた原因となったのだろうか?

 

「悩んでるけど、雷鼓に聞いたら早いんじゃないの?」

「パルスィの言う通りだけれど、すぐに答えを聞いては面白くないし、雷鼓にドヤ顔出来ないじゃない」

 

「ドヤ顔ねぇ、どれ、暇だしドヤ顔出来るのか見に行ってあげるよ。ついでにさとりのところで湯浴みしながら酒盛りといこう」

 

 キスメ入りの木桶を再度雷鼓のドラムに糸を伸ばして、強めに括りつけて一人歩み始めるヤマメ。

 向かう先は旧地獄の繁華街にある、地底に来る度に騒いでいるいつもの酒場の方向で、ちょっと進んでから早く来いと、あたし達全員に向かって手招きしてくる。

 あたしとしてはもう少し熟考して、あれやこれやと妄想に浸りたいところなのだが緩々と進むバスドラムと、珍しくあたしの手を取ってさっさと歩き出した、普段はつれない橋姫さん、水橋パルスィに連れられて否応なしに動かされた。

 あたしが死んでいる間、これから会う姐さんがロリっ子鬼にぶん投げた欄干の修復工事中に、ちょっとだけ吊られたからつれない事もなくなったのだろうか?

 それならば面白い、ってあまり引っ張らないで欲しい…物理的に腕が抜けそうな体になったのだから。

 

~少女達移動中~

 

 訪れる度に重さが増していく酒場の引き戸を荒々しく開け放った、鬼のいない夜行の列、その先頭は黒谷ヤマメ。

 明るい声で勇儀いるかい? と店の中へと消えていくのを列の最後尾から眺めて、ヤマメに続いて酒場の暖簾を潜っていく雷鼓とキスメの赤緑コンビも見送った。

 後は手を引いてくれている橋姫さんが店内へと入ってくれれば、あたしはまた一人で妄想の世界に帰れるのだが、ズルズルとあたしを引きずりながら店の暖簾を潜ってくれた…種族橋姫の癖に力強いがこいつも一応鬼神の内ではあったか、あれやこれやと見せる面が豊富で妬ましいな。

 

「お、なんだいヤマメ…ってようやく来たか、人泣かせのアヤメよぅ」

 

 嫉妬の鬼神に引きずられて、軽々ポイっと投げられた先の小上がりでいつもの様に酔っ払う、鬼の大将星熊勇儀。

 顔よりも大きな真っ赤な杯を煽っては、その度に酒を次いで飲み干していくウワバミの姐さんの横へと投げ捨てられて、そのまま肩を組まれると酒臭い息をかけられた。

 あたし達が訪れる随分と前から呑んでいるようで、席に着いた矢先からほんの少し出来上がりかけている一本角の鬼に、ただいまと述べてみると、豪快に笑い、よく帰ったと言いながら顔の半分を殴り散らされた。

 

「いきなりご挨拶ね、殴りたいなら先に言うなりしてくれないと困るわ」

「おぅおぅ、萃香の言う通り殴り甲斐のない体に成っちまって、表情の次は体もスキマに似たなぁ、アヤメ」

 

「あっちは感触が悪いんでしょう? あたしは殴れなくなっただけよ、ちょっと違うわ」

「拳を向ける気が失せるってのは一緒さね、力込めて殴ればぶん殴れるのかねぇ」

 

「試すなら付き合うわ、万一がありそうだから、出来ればさとりと会ってからにしてくれる? あっちもあっちで約束があるのよね」

 

 約束ねぇ、なんて呟きながらまた盃を煽る姐さん。

 口ぶりはいつも通りだが話してくれる内容はいつもよりも随分と物騒で、喧嘩腰とも言い切れるような物言いだ。何がそんなに気に入らないのか、考えたところでわからないから気にはしないが、出会い一番で拳を振られるってのは少し気に入らない。

 買い言葉のつもりでまたお預けを述べてみたが、その言葉にまた少し苛つくような仕草、旨くなるはずの星熊盃を煽りながらマズイ何かを呑んでいるような顔を見せてくれる。とてもじゃないが自慢できるような空気ではないなと、隣の小上がりに腰掛けた各々から感じる視線でわかる。

 楽しく飲み食いすべきな宴会の場で座りの悪い思いを感じていると、掴まれている肩がボフンと握りつぶされる…飛ばされた顔といい肩といい、随分と雑な扱いだ。

 

「万一なんて後回しにしてくれて、さとりとの約束がそんなに大事な事かい?」

「内容はそれほどでも、けど守ってもいい約束だとは思ってるわね」

 

「ほぅ、自慢する為に連れてきた奴との約束は破ったくせに、そっちは守るのか」

 

 欠けた顔と肩を埋めるのに、煙管加えて煙を湛えて元の形に戻していくと力強さの宿る瞳で、これでもかと睨まれる。

 睨む鬼は少し放置して言われた事を少し考えるが、深く考えずとも言われている意味は理解できる。置いて逝くなという約束を破り一度は置いて逝ってしまった、今は戻れて結果破らずに済んだ形に収まっているというだけで、実際は一度破っている。

 約束した本人からは追求されないから、然程気にしていなかったけれど…こっちは勝手に消えて勝手に帰ってきたけれど、雷鼓にはそれらしく残ってくれないと困るなどと、正邪の追いかけっこの途中で地底で姐さんに言い切った事もあったな、そういえば。

 

「雷鼓との約束を破ったあたしが気に入らない、って事でいいのかしら?」

「他人との約束を破ったのが気に入らないわけじゃあないさ、破って嘘とした事で、サメザメと泣いた誰かがいるのが気に入らないのさ」

 

 なんでもあたしが霧散して一週間くらいした頃に墓参りをしてくれたらしい。

 そうして地上を訪れた際に、墓前で声を殺して泣いている誰かさんがいたのだそうな、その日は何もせずに戻ったらしいけれど別の日、二月目の月命日に再度訪れた時にも同じ様に膝を追って泣いている誰かさんがいて、見逃すには気に入らないって事になったのだと。

 

「偉そうに約束だといった割にはつまらん嘘にして死にやがってと思ってな、萃香から冥界にいると聞いて殴りこみに言っても良かったが…いるならそのうち来るだろうと思って待ってたのさ」 

「戻ってくると確証なしで思ってもらえたのは何故かしらね、あたし自身分の悪い賭けだと思っていたのに」

 

 さっきからこちらを見ずに、隣の小上がりであたし達の話に聞き耳を立てている、墓前で泣いてたはずの誰かさんばかりを見る勇儀姐さん。

 自慢する前から気にかけるほど気に入ってくれてそれは何よりだが、無条件で戻ってくると思える何かなどあっただろうか?

 勇儀姐さんの見ている先、金髪二人と緑髪に灰がかった緑髪、それと赤髪が飲みながら盗み聞きしている小上がりを見ながら悩んでいると、鬼らしい理由から戻ってくるという考えに至ったと教えてくれた。

 

「成りきれない鬼がいるのは知ってるだろう? あれを四十九日の夜に墓前で見たのさ、終われないと言ったくせに終わりやがって、押し付けたまま死んで気に入らないと吠えてたな」

「正邪か、覚えておいてもらおうと思ったのとは違うけど、お陰で忘れられずにすんで良かったわ」

 

「冥界で顕在だと教えてやったらすぐにいなくなったな、なんだ? 会ってないのか?」

「まだ顔を合わせてはいないわ、それよりもさっきはなんで殴られたのよ?」

 

 殴られる事はなかったが殴ってくる拳で散らされて、とりあえず殴ったとでも考えてくれたのか、いつの間にか見慣れた豪快なだけの姐さんの顔に戻っていた。

 それならばあたしもいつも通りの姿勢で話す、気になる事やらわからない事は知っている相手に素直に聞く、頼って甘えて教えてもらう。

 これも気に入らないと言われればそれまでだが、煙管と煙草を収めている腰のバッグやら、今着込んでいる服やら耳の枷やらと、生前から甘やかしてくれた姐さんだ、多少甘えたところでなんちゃないだろう…多分。

 開襟シャツの襟やら腰のバッグに手を伸ばし、小さく撫でつつ甘え方を考えていると、丁度それの時に言ったはずだと、盃を煽りながら追加の答えを教えてくれる。

 

「面霊気を連れてきた時に言ったろう? その場で終わる方便なら構わないと…戻れたからいいものの、戻れなかったらアレは泣いたままだったろうに。笑える方便なら目を瞑るが痛い目見せっぱなしの嘘は気に食わん、だから殴ってやったのさ」

「こころ?…後腐れのない方便なら、なんて言われてたわね、そういえば」

 

「そうさね、墓参りにと何度か訪れてみれば、その度に声も出さずに泣いててよ、思わず攫っちまった」

 

 キスメが元気だとか、ヤマメパルスィの二人も知っているようだった雷鼓の態度、地底の連中と面識があるのはそういった理由からか、鬼に攫われたのでは否応なしに連れ去られる他はないだろうし、そこはまぁよしとしよう。

 問題は攫われたというところから繋がる方だ、人の物に手を出していたりしたらいくら勇儀姐さんといえど…うん、これがあれか、パルスィがあたしの手を取って来た理由か。

 あたしも雷鼓もお世話にしかなっていないはずなのに、余計な方面で心配し勇儀姐さんに対して少しだけ憎らしいような気持ちを感じる、これが嫉妬心ってやつだろうか?

 余り気持ちのいい感情ではないが、さてはこうなるとわかっていたな?

 妬まれに来たのか妬みに来たのか、なんて事を言っていた気がするがなんだ、きっちりと妬み成分回収するつもりだったんじゃないか橋姫さん…今もこちらを覗き見ながら瞳だけで笑んでくれているし、してやられたわ、頭の回る策士で妬ましいな。 

 住まいを出る前に浮ついてた雷鼓の仕草もコレを懸念してだろうか?

 あたしが嫉妬する、という事はいない間に浮気でもしてくれたか?

 しかも相手はこの鬼だろうか、だとしたら気に入らないが諦めざるを得ないな、雷鼓が喧嘩して勝てる相手ではないだろうし、いなくなったあたしがそもそも悪いのだろうし…

 なんて慣れない嫉妬心に身も心も委ねていると、組まれている肩を揺らされて嫉妬の海から豪快に釣り上げられる。

 

「パルスィみたいな顔してくれるのはちょっとした驚きだが、お前さんの忘れ形見に手を出しちゃいないさ、向こうから泣きついては来たがね」

 

 勇儀姐さんに言われてから自分の顔つきに気がつく、目を細め睨むような恨むような者でも見る表情で勇儀姐さんとパルスィを見比べていたようだ。

 自分の事をこう言うのもなんだが、いくらなんでも鈍すぎやしないだろうか?

 自身の事はよくわからないと人里に隠れる、雷鼓に似た髪色の妖怪に言った事もあるにはあるが、ここまで気づかず鈍いとは思わなんだ。

 他者の心を揺さぶって騙して化かす事を生業としてきたというのに、自分の事となるとこのザマでは、その、なんだ、立つ瀬がない。

 

「…胸を借りたって事にしといてあげるわ、揃って甘えっぱなしね、立つ瀬がないわ」

 

「どっちに似たのか知らんがそれはいいさ、瀬がないなら酒に溺れて忘れちまえよ。それでも、珍しく嫉妬なんてしてくれたんだ…泣いてくれる者くらいは大事にしてやれよ」

「そのつも…そうするわ、大事にする第一歩として、まずは約束から消化しましょう。あんた達も、いつまでも聞いてないで混ざってきなさいよ」

 

 そうすると言い直したことで、勇儀姐さんの瞳が随分と優しい物になる。

 そのまま組まれ、掴まれていた肩から感じる圧力もなくなったので、隣から勇儀姐さんの胡座の上へと移動して、隣の小上がりとの仕切りとなっている一枚板の衝立を逸らして動かす。

 横を向いていた衝立がゴツンと音を立てて縦になり、聞き耳を立てていた連中の顔が望めるようになると、勇儀姐さんと二人でこっちへ来いと手招きをした。

 呼ばれてゾロゾロと来る五人の中で二人ほど動きの悪いのがいたが、髪も目も赤いのはあたしの隣へと座らせた…元々赤い目を潤ませているのはなにか、聞けばちょっと思い出していたのだそうだ。

 メソメソとし始めたあたしのお嫁様を見て、また泣かしたと言ってきたのは妹妖怪。

 いつからいたのか知らないが、余計な事を言ってくれて、更に思い出し泣きの勢いが強くなり、このままでは面倒見切れない。

 とりあえず泣き止めと、頭を撫でて目尻を拭い赤い頭を抱き寄せた…そのままの姿勢で、ジャケットの胸元に腕を突っ込み、そのまま泣き止まないのならこの場で別の意味で鳴かすと揉んで伝えるとどうにか泣き止んでくれた。

 言って聞かないのなら体に言い聞かせる、回りからの視線は痛いが嫁を愛撫して何が悪いのか、文句があるなら言ってきて欲しい…同じく体に言い聞かす準備はある。

 両手の指をワキワキとさせ、空気を揉みながら、ある程度騒いだらこのまま皆で姉妖怪を小馬鹿にしに行くと、妹妖怪に伝えると、捉えきれない緑の瞳を楽しそうな物へと変えて同じ緑の瞳に絡んでいた。

 あたしと同じく弄り癖があり手癖の悪いこいしちゃんだ、どんな方法で小馬鹿にするのか、なんとなく察してくれだろう。

 

 ついでにもう一人の緑の瞳、動きの悪かったもう一人のパルスィだがこっちもこっちで涙目だ、あんたが泣くような事なんてあっただろうか?

 衝立を逸らした時にゴツンといい音がしたが、聞き耳を立てるのに近寄りすぎていたのが悪いのだ。

 人の思いを無料(タダ)で味わい腹を膨らまそうとするからそうなる、あたしは兎も角泣いている雷鼓を見て嬉しそうに笑んでくれた罰だ、死者を思う心すら嫉妬と捉えて糧にしたのだから、これくらいいいだろう。     

 たんこぶが出来たと尖り耳の上を抑えて騒いでくれるが、地霊殿の風呂に浸かれば問題ないはずだ。

 治った前例(ぬえ)がいる、だから気にするなよ。




おまけ枠なのに続くかもしれません。
なんということだ。


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EX その4 心のコリ

 酒処に入った時にはいなかった鬼も加わり正しく鬼夜行の列となった一団の一番裏手で、長い煙管を加えつつ、ダラダラと足を動かしている。

 列の先頭は金髪の土蜘蛛、繊細だがコシのある、糸のような金の髪を揺らして妖怪行列の先頭として酒場の入り口から出て行った。

 先陣を切ったヤマメの両手には、もはや一緒にいて当たり前と言っていい相方が抱えられていて、互いに体の一部といっても過言ではない状態で、そこに収まるのが当然のようにキスメ入り木桶を抱えて先頭を歩んでいた。

 他人に揺らされるのは好きじゃないと言っていたキスメだったが、ヤマメが抱えて歩く際の揺れには文句を言った事がないように思える、単純に慣れているのかね?

 まぁなんでもいいか、それがどうであってもあたしが文句を言われることには変わりない。

 

 少し回り始めた酒の力か、ほんの少し左右に揺れて、止まる寸前の振り子のように歩くヤマキスコンビに続くのは、金赤金の二色の頭をしたトリオ。

 左側から妖艶な金の髪を揺らす嫉妬の鬼、右側に立つのは力強く輝く金の長髪を広い歩幅と同じ感覚で揺らす飾り言葉のいらない鬼で、真ん中の偶に手酷くしてくれる赤髪の鬼嫁を挟む形で歩いている。

 並ぶ左側から順に背が高くなっていき、頭半分ずつ頭頂部がズレていく三人。

 なんだか階段みたいだなと思ったが、嫉妬して気持ちを高め、激しく叩いて傷めつけ、それでもダメなら殴り飛ばすという、違う意味での階段にもなっているように思えて、クスリと小さく笑うと隣の灰色仲間から何? と問掛けられた。

 

「何笑ってるの? 思い出し笑い?」

「正しく言うなら思いつき笑いって感じね、身長差が面白いなと思って」

 

 土蜘蛛が先陣を切っている小さな百鬼夜行の列、その殿はあたしと読めない覚という、糸で手枷をはめられて鬼二人に連れられる灰色頭の囚人コンビ。

 酒場を出てすぐはあたし達二人がトリオの位置にいて、前と後ろから挟まれていた。

 すぐに興味の先が逸れるあたしと無意識で動く妹妖怪があっちへ行ったりこっちへ行ったりしないようにと、パルスィと勇儀姐さんにそれぞれ睨まれていたのだが、いつの間にか最後尾へと追いやられ連行される形となっていた。

 無意識や意識を逸らしてこの位置に来たのではなく、あたし達の視線の先で揺れるヤマメのポニーテールにじゃれついていたら、二人してうざったいと怒られたため、先頭から離れざるを得なかっただけである。

 じゃれついてくれと言わんばかりに揺らすのが悪いとあたしが言うと、そうだそうだとこいしも乗ってきて、更に煩くなったヤマメに二人揃って癖の悪い手を糸で巻かれ、頑丈な糸の先を鬼神二人に預けられてしまっていた。

 

「勇儀さんもでかいけど雷鼓ちゃんも大きいね」

「そう? あれで丁度いいのよ、あたしがつま先立ちになる丁度いい高さなのよね」

 

「お、アヤメちゃんが乙女チック! 気持ち悪い!」

「気持ち悪いとは心外ね、これでも雷鼓には素直な乙女よ? それは兎も角、端から見るとアレくらいの身長差なのね。客観的に見ると意外と面白いわ」

 

 あたしを縛る糸を持つ手の先、嫉妬の鬼とその隣の鬼嫁を見比べて、他者から見るとあれくらいの身長差なのかと気が付いた。

 体躯の凹凸もほぼ一緒なら身長もほぼ一緒くらいの橋姫さん、耳の分だけあたしが高いけれど仮にあの尖り耳が頭の先にあったならパルスィの方が背が高くなる、それくらいの差しかないだろう。あっちは他者を妬み他者の心を燃やす妖怪さんだが、こっちは他者を嘲笑い他者の頭を熱くさせる妖怪さんだ、その辺も似ていそうな気がしなくもないが、言うと一緒にするなと怒られる事必至なので言ったことはない。

 

「それでアヤメちゃん、お姉ちゃんに何するの?」

「背中を流してあげるって約束したのよ、あたしは背を流すからこいしは前を洗ってあげたら?」

 

 酒場で見せたように指先をワキワキとさせて、姉妖怪に仕掛けるイタズラを二人で話していると、またそうやって手癖が悪いと、糸の先から声が飛んできた。

 言葉を飛ばしながら、握っている糸をクイっと引っ張り指の動きを阻害してくる嫉妬の鬼姫様。

 あたしを連行する側のパルスィは先程からこれくらいで、口煩いだけで済んでいるが、こいしの繋がる先の鬼はもうちょっと豪快で、今もこいしが勇儀姐さんの背中へと強引に引っ張られて体ごと張り付いている。

 懲りずに数度張り付いては、その度にキャッキャと騒ぐ妹妖怪とカラカラと笑う姐さんが見られて、あっちもあっちで楽しそうだと笑んでいると、楽しげに連行されるあたし達が気になるのか、ちょいちょい振り向いては笑っている雷鼓と目が合うことも多かった。

 声を出して笑ってはいないが、なんとなく和やかな雰囲気を楽しんでいるような顔でこっちを見てくれて、特に意識せずにあたしも笑んで返していた。

 二人でいるのも良いが悪友に囲まれて笑う今のような状態も、これはこれで悪くはないなと思う心半分、出来れば何が面白いのか言ってくれればいいのにと考える心半分のまま、今日のイタズラの本命がいる屋敷へとたどり着いた。

 

~少女入館中~

 

 大きなステンドグラスと庭先のペット達が目印代わりの地霊殿。

 一行を迎える為に内開きの扉が開かれる、なんて事はなく、迎えられる前に勝手に扉を開け放ち、ゾロゾロと赤と黒の色をした床の上へと踏み入っていく妖怪連中。

 屋敷に入る前にあたしとこいしの手枷は解かれて、二人して解かれた瞬間にヤマメのポニーテールを引っ張ってみたり、そのポニーの尻尾で本体の後頭部をペシンとしてみたり、窘められても懲りずにヤマメで遊んでいると屋敷の主が奥から出てきた。

 三つのジト目にあたし達の集団が映ると一瞬だけ全ての瞳が大きくなったが、こいしとあたしの二人を捉えてからは眉根を寄せて瞳を揺らし始めてくれた…悪戯されるのが嫌なら拒否してくれても構わないが、その拒否を聞き入れるかどうかはまた別の話だ、今日はすっぱりと諦めてくれ。

 

「また大所帯で、せめて一言くらい…いえ、いいです。各々別の事を考えないで下さい、玄関先で騒がしくされては困ります」

 

 内も外も煩く感じるのはお前だけだ、少しは喧騒に慣れたかと思ったがそうでもないのか?

 なんだよ、あたしだけを睨むなよ。 

 

 軽く手先を上げて挨拶している土蜘蛛と木桶に橋姫、声に出して邪魔するよと言っている勇儀姐さん辺りはそのまま挨拶をしているだけだろうが、いつの間にやら隣に来ていた雷鼓は訝しい顔で他人行儀な挨拶をしていた。

 地底の連中とは面識があると思っていたのだが、この雰囲気からするとさとりと会うのは初めてなのかね?

 勇儀姐さんに拉致られたのだから、旧地獄の要所は連れ回された後かと考えていたがそうでもないのか、あれか、攫うだけ攫って後はいつもの様に酒でも飲んで慰めてくれていたのだろうか?

 

「その考えであっているようですよ、こいしから聞いてはいましたが顔合わせは初めてですね、古明地さとりです。貴女もアヤメさんに振り回されて大変ですね、堀川雷鼓さん」

「本当に大変よ、今日も連れ回されてるし。こいしちゃんから聞いてたけど、本当に心が読めるのね。よろしくさとりさん」

 

 あたしには見せない穏やかな表情で雷鼓と挨拶を交わすさとり、雷鼓の方も訝しい顔から柔らかい表情になっている。

 初対面だという割には変に仲が良さそうな雰囲気が見えるこの二人、互いに聞き取れなかった誰かに振り回されて大変だとか言っているが、何を分かり合っているのだろうか?

 あれか、普段から揉まれている者とこれから好き放題に揉まれる者同士だから気が合うのか?

 

「何か違う単語が聞こえますが、背を流しに来たのでは?」

「そうだったわ、あたしは背を流しに来たんだった」

 

「わざわざ『あたしは』なんて言わないで下さい、他の皆さんも…歓迎はしませんがお風呂であればお好きにどうぞ、私はまだ仕事が残っていますので」

 

 もてなしはないけれど追い出しはしない、後は好きに過ごせと言いながら踵を返し足早に書斎へと歩み去る姉妖怪。

 久々、という程でもないが数カ月ぶりに来たというのにつれない態度で面白くない、他の皆は折角来たしとりあえず風呂だ、とりあえず酒だと各々好きに言いながら露天風呂のほうへと歩み始めた。

 大勢の足音が離れていくのを確認すると、なんでか皆とは一緒に行かない雷鼓。

 あたしが一緒じゃないと嫌か?

 それはそれで愛らしいが、今は雷鼓よりもさとりだ、申し訳ないが先に行っていてくれ。

 

「皆と一緒に行かないの? ここのお湯は格別よ? ぬえのたんこぶも治ったし、ペットが泳いで溺れるくらいに広々として気持ちいいわよ?」

「アヤメさんは? 遊びなら皆で楽しく、なんじゃなかったの?」

 

「子供じゃあるまいし、さとりでは遊ぶけど風呂で遊ぶなんて事はしないわ。アレを連れ出したら合流するから先に行って飲み始めていていいわ」

 

 雷鼓の両肩を捕まえて少し強引にくるりと回す、ちょっと、と文句を言ってくるがそれは気にせず尻を軽く叩いてさっさと行けと促した。

 叩かれた尻を撫でながら渋々と歩み始める雷鼓、この場での会話の〆を打たれた太鼓らしく、振り向くこともなく皆が消えていった廊下の角を曲がっていった。

 静かになったしとりあえず姉を誘いにいきますか、さとりがいないのでは心残りが解消できない。

 

 赤と黒が交互に並ぶ床を、右足は黒、左足で踏むのは赤などと決めてつらつら歩く。

 さとりのいるだろう書斎の奥の方、皆が消えた廊下とは真逆の廊下の角には案内係のハシビロコウさん。

 彼女と顔を合わせるのも数ヶ月ぶりだなと、書斎に踏み入る前に少しからかってからいく事にした…のだが近寄るとわかる羽の乱れ具合、これはあたしよりも先にこいしにやられたなと、乱れた羽を整えるように撫でると、嘴で頬ずりしてくれた。

 ここの主はともかくとして、話す部類のペットも話さない部類のペットも皆素直で可愛いなと愛でていると、通り過ぎた書斎の扉が薄く開いた。

 

「乱れていた心が落ち着いたかと思えば…湯浴みではなかったのですか?」

「分かってて言うのは良くないわ、湯に浮かぶ大小の山々を望みながら湯浴みと洒落込みたいから早く行くわよ」

 

 勇儀姐さんを筆頭にして雷鼓にパルスィヤマメと続いて、〆はさとりかこいし、もしくはキスメとなるだろうが下手をすると覚姉妹よりもキスメのほうがあるかもしれないな。

 そのうちには仕事を終えたお空やお燐も姿を見せてくれそうだし、今夜の山脈も目の保養とするにはうってつけではある…今日の本題としていて、一番近くで眺めるつもりの小山が一番小さいかもというのが残念ではあるが、こいつもないわけではないし小さいほうが感度がいいという話も…

 

「私もあの子たちもまだ仕事が残っていると…その卑猥な考えと目をやめてください」

「辛辣ね、女としてそういった目で見てもらえるのよ? ここは喜ぶべきではないかしら?」

 

「今の考えの何処を捉えれば喜ぶべきだと思えるのか、良かったら教えてもらえせんか?」

「感度、とか? あたしはあるからわからないけれど、ない方がイイって聞くわよ?」

 

 書斎の扉を半分ほど開いて、さとりが書斎から半身だけを廊下に出しての会話。

 言う通り仕事が残っているから書斎からは出ずに、中途半端な体制で話し始めたのだろう、扉に挟まってしまえば体が萎んでしまいそうなほどのため息をつくさとり。

 あたしとしては褒めた、つもり、ではなく本心で褒めたのだがため息なんかついてくれて、少々下品な褒め方だとは思うが悪いやら、ペッタンコやら言われるよりはいいと思うのだがそうでもないのか?

 まぁいいか、今のように誰かを褒めてやってもため息をつかれたり、残念な目で見返される事にもここ数年で慣れてしまって、これくらいの事では全く動じなくなった。

 

「アヤメさんが動じなくとも言われる方はまた別です、心の機微を知るのは得意なのではなかったのですか?」

「得意なつもりだっただけで、実質はそうではなかっただけよ。相手の事を気にせずに一方的に騙し化かす、思い返せば最初からそうだった気がしなくもないわ」

 

 姿勢も態度も、立ち位置も変えずに話が進んでいく。

 今動いていないのはさとりの方だと思えるが、話の方は内面的な事で、あたしが思ったのは物理的に動いていないって意味合いだったか。

 まぁいいか、どうでもいい事だ、思考が逸れる前に会話の方に集中しよう。

 あたしが初めて化かしたのは人間が相手で、食うだけ喰って逃げる最中に姿を変えて驚きを提供したのが始まりだったはずだ。

 大昔の事で情景は思い出せないが、腹を抱えて笑えるほどに上手く騙せて、それに痛く感動し、それからはそうやって驚きを提供することで生きてきた、あの頃も今も意表をつければ何でもよくて、相手の心情などわかったつもりになっていただけで実際はよくわからない。

 さとりのように読めるなら便利だとは思うが、全て読めては面白くないし、あちらを立てればこちらが立たずというやつかね、この感覚も。

 

「人の事を言い切るのは構わないですが、さっきから私を構っていていいんですか? 待たせているんでしょう?」

「待たせているから早く行こうと言ってるの、背を流す約束もあるのだし仕事なんて後にしなさいよ。いつもなら途中で折れるくせに今日は強情ね、何かあった?」

 

 普段のさとりなら、どれだけ抗っても無駄だと悟りさっさと仕事をぶん投げてこっちに付き合ってくれるのだが、今日に限って珍しく強情だ。

 口ぶり強く態度はつれないってのがいつものさとりだが、態度まで強く出てくるのは珍しい…なんだろうか、強く出られるような事でもしただろうか?

 昔も今も変わらずに接しているつもりだが、なにか変化があるだろうか?

 

「そうやって考えるのも良いですが、何か忘れていませんか?」

「何か? 何かって何よ? 都合よく忘れるのは常の事でしょ?」

 

「本当に都合がいい、そんな事だから…いえ、いいです、なんでもありません」

「なに誘い受けなんてしてるのよ、言いたい事があるなら…うん?…もしかしてそれ? だったらごめんなさいね、そっちは完全に忘れてたわ」

 

 じっとりねっとりとした瞳の群れが更にジットリとした物になり、緩く弧を描く眉も平坦なものへとなり始めた。

 あたしは覚ではないが、今のさとりの心なら読める。

 やっと思い出したのかこの馬鹿は、確実にこういった事を考えているはずだ。

 目は口ほどに物を言う、その目が唯でさえ多いのだから言ってくる事も多く煩くなるのだろう、そのお陰で言葉など投げられていないのに何故か耳が痛い。

 

 鎖飾りの突いた左耳と頭を掻きながら、理由のわからない痛みを逸らすように、さとりと交わした別の約束も思い出す。

 ミスティアと響子ちゃんの二人から逃げるように地上から地底に来た日。

 雷鼓に手酷く愛撫され動きの悪くなった右手を治そうと、湯治に訪れ暫く滞在させてくれと言った時の事だったか。

 滞在する条件として、何かあるなら口に出して言う事、さとりの会話の練習に付き合う事なんてのを約束させられた気がする。

 あたしが約束したと思い込んでいた、背を流すというやつは地霊殿を出る寸前にさとりに向けて言い逃げした事で、これはエンリョシマスなんて言われていたような気もする。

 てことはなんだ、その時の約束を守らせようとして頑なに仕事だと言ってあたしを捕まえていたって事か?

 

「死んで記憶でも飛んだのかと思ってましたが、単純に忘れてたんですね」

 

 半分しか開いていなかった扉を押して、全開させるさとり。

 開ききった扉の奥、視界の端に入る仕事用の机の上は理路整然と片付いていて、さとりのきっちりとした性格がわかるほどの整理整頓具合だ…ってちがうな、見るべきところはそこじゃあない。

 完全に片付けられた机、これが語るのは仕事なんてないって事だ。

 こいつ、本気で構って欲しかっただけか、珍しく可愛らしい一面を見せてくれて、なんだい?

 そんなに寂しかったのかい?

 

「亡くなったという知らせを聞いて、悲しんだのは雷鼓さんだけではないんですよ?」

「死人に口なし、と逃げてもいいけどそれはさすがに失礼よね。ただいま、どうにか帰ってきたわ」

 

「おかえりなさい」

 

 廊下に全身を出して書斎の扉を締める書斎の主。

 帰ってきた挨拶を済ませたからか、とりあえず会話の練習はここまでにしよう、そんな事を態度で示すようにゆっくりと露天風呂のある方面へと歩み始めた。

 少し歩いては立ち止まり、こちらに振り向いて行かないのかという顔で覗いてくるさとり。

 

「しかし、あの方(八雲紫)から死んだと教えられた時には悪い冗談だとしか思いませんでしたが、本当に亡くなっていたとは」

「あの方って紫? あいつが何か言ってたの? またろくでもない事吹き込まれたんじゃないでしょうね」

 

「話してはいないんですよ、天狗の書いた訃報を届けてくれました。雷鼓さんの事も少し書いてありまして、戻ってきて驚かせてくれるかもと、住まいを離れず手入れしていると…本当に雷鼓さんには同情を禁じえませんね」

「その新聞残してないの? どんな書かれ方をしていたのか少し気になるわね、そういえば雷鼓とは初対面じゃなかったの?」

 

 先の廊下を歩くさとりに追いついて、隣に並びつつ新聞を残していないのかと問掛けてみたが、記事を信じないお空が綺麗に焼きましたと苦笑しながら言われてしまった。

 天狗の新聞なんて大概は嘘かマッチポンプな物、もしくは身内ネタくらいしかないから普段から信頼性など皆無だが、それでもお空の気持ちは嬉しいものだ…顔を合わせたら存分に愛でてあげよう、真っ直ぐに飛びついてきてくれると嬉しいが、どんな反応をするだろうか。

 烏の書いた記事を核反応、ではなかったか、核融合の力で焼き払った地獄烏の姿を妄想しつつ歩いていると、話ついでに口から出た雷鼓の方も教えてくれた。

 

「初対面ですよ、間違いなく。妹やお燐、他の方からも少しは聞いていましたが会うのは今日が初めてです。それが何か?」

 

 風呂へと向けて動かす足を、さらにゆっくりとした動きにして歩く姉妖怪。

 さとり本人がそう言うのだから正しく初対面、雷鼓の方もあの態度から、話としては知っていても話した事はないといった感じを受けたのだが、初対面の挨拶時にはなんとなく互いに心安く接していたように思えた。

 愛しい者と親しい者が仲よさげなのは何よりなのだが、なんだろうか、この感覚。

 以前にもこんな…既視感というやつか、これは?

 前にも似たような感覚を覚えたような…誰かを連れてきて初顔合わせを済ませてから、こんな風に真面目に考えていた事があったような、なかったような…

 

「相変わらずで安心しました」

 

 あたしの何かに対して不変で安心だと、顔を見上げながら話してくれる地霊殿の主様。

 安心を与えられたのならそれはそれで良いが、何について安心を覚えたのか?

 さとりらしくない主語のない物言いで、変な感覚に囚われた今のあたしの理解力では答えが導き出せなくて困る。

 それでも聞いたところで教えてはくれないだろう、こうやって思い悩む姿が滑稽で面白いなんて事も言われた事があるはずだ、だとすれば答えを教えてくれることなどなく、悩む姿をジト目で眺めて楽しまれるだけだろう。

 他人が思い悩む姿を見ているのは楽しい、それがよくわかるからこそ、さとりの今の顔が面白くない。

 

「フフッそんなに意地悪な顔をしていますか? 誰かさんを真似ただけですよ?」 

 

 意地悪な誰かさんの表情でも想起したのか、小憎らしい笑みを見せるさとり。

 似合うには似合うが今その表情は必要ない、必要なのはこの既視感がなんなのか、スッキリハッキリとさせるための取っ掛かりが必要なのだが、記憶の引き出しの何処を開ければ収まっているのかわからない。

 さとりが以前にくれた言葉から鑑みればあたしは既に答えをしっているはずだ、連れてきて顔合わせという所に引っかかったのだから地霊殿に来た時の事で間違いないとは思うのだが…初めて会った時は勇儀姐さんを肩から生やしていて、今のような面通しという状況ではなかった、それ以外で誰かと…来たな、こころを連れて遊びに来た時があった。

 既視感の理由はそれか?

 人は違えど同じ種族の付喪神を連れてきた、こころの事を妹のようだと言われてこうやって考えていたはずだ、あの時は確か…

 

「変わらず鈍いです、その鈍さでよく嫌われずに一緒にいてもらえますね」

 

 そうだった、こうやって鈍いと言われたのだった。

 鈍いとわかっていながらそれを言わず敢えて教えてくれなかったのも、会話の練習ってやつに含まれるのだろうか?

 というよりも会話の練習とはなんだ?

 言葉を介さない生まれたての赤ん坊でもないのだから、練習などと言い出さずに好き放題に言い合えばいいのだ。こっちの考えは全て読めるのだろうし、それを先んじて噛み砕けば会話なんて楽なもんだろうに。

 

「理解した瞬間から私への文句で溢れる、本当に都合がいい思考回路ですね」

 

 考えているうちにいつの間にかあたしの足は止まっていたようで、さとりと少し距離が開いていた。

 それでも一人で先に進まずに、あたしが追いつくのを待つジト目妖怪。

 会話をするのに都合がいい距離で立ち止まり、何かを待つように佇みまってくれている、今度は言いたい事があるのならって方かね?

 なら言うだけ言って差し上げよう。

 

「余計なお世話よ、鈍い鈍いと言ってくれるけどこれで傷付く事もあるのよ? 振られたと勘違いした時は女々しく泣いたし、振り向かせる事に失敗した時はここに来たじゃない」

 

「ここはアヤメさんの逃げ落ちる先ではないのですが」

「知ってるわ、誰かさんがお空を想起してくれた時にそう理解したもの。それでも、いざという時に頼れる先と相手がいるというのはありがたいものよ」

 

 立ち止まるさとりを追い抜いて、表情は見せずに言いたいことを言い切りそのまま『ゆ』と書かれた暖簾を潜った。

 底意地の悪い笑みが似合うとさとりも言ってくれた気がするが、伝えたいことを口に出した今は、なんとなく気恥ずかしくていつものように笑えず、その顔を見せたくなくて足早に追い抜いてやった。

 ついでに心も読まれにくいように全力で逸らすと、追いついたさとりが、脱いで全裸になったあたしの尻尾を掴み雑に振りながら、煩いだの聞こえないだのと色々とのたまってくれた。

 聞きたいのなら心でなく言葉として話せと言えばいいのに、面と向かっては言ってやらないが、斜に構えた辺りからであれば何度でも言ってあげよう。

 いつ来ても迎えてくれて、詳しく話さずとも理解してくれて側に居てくれる。

 そんなさとりを頼りにしているし、感謝もしているのだから。

 その辺りはまぁいいか、追々考えて必要なら述べるだけだ、とりあえず目的である風呂を楽しもう、忘れていた約束を思い出し心残りを増やしてくれたのだ。

 ならばあたしは胸にしこりでもないか、こいしと一緒に入念にチェックしよう。

 既視感というあたしの心のコリはほぐれたし、次はさとりの体の方だ。

 



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EX その5 心積り

 耳に届くのはカッコンと響く竹の音。

『ゆ』と書かれた暖簾に続いてあたしと妹妖怪で拵えた、姉妖怪向けの悪戯第二弾が、湯を溜めては吐いてカコンと鳴り風情を醸し出している。

 設置した当初は例のジト目で睨まれたが、今となっては慣れ親しんでいて、地霊殿の大露天風呂を彩る一部となっていた。

 

 鳴る鹿威しから視界を手前にずらすと目に留まるのは片手でも余る大きな山から、手の平ですっぽり収められる小山まで、選り取り見取りな妖怪連山。

 大きな地霊殿の湯船をぐるりと並んで浸かる妖怪少女達のたわわだったり、あらあらだったりする山々が見える。

 時偶に視界に入る湯気のようなモノが少し邪魔だが、円となり広がる連山のどこに焦点を合わせても面白いと、一人で舌舐りするように見ながらお猪口を煽り底を舐める。

 小さなぐい呑を煽ると直ぐに注がれる美味しいお酒、注いでくれるのは頬まで髪と同じ様に染めている愛する嫁さん。

 最初は大人数で風呂に入る事に抵抗があったようだが、全員が全員隠すことなく脱いで思い思いに洗ったり浸かったりし始めると、その場のリズムに合わせるように自分も気にせず場の雰囲気にノッた雷鼓。

 どうせなら他の皆と楽しく湯浴みでもすればと思う心半分、世話になった地底の連中の前でも気にせず寄り添ってくれて嬉しさ半分といった気分で、酒を煽り揉まれている。

 揉んでくれているのはいつもの妹。

 相変わらずの手癖の悪さで、全員の腹の上に跨がり揉み比べてから、最後にはいつものあたしの所に落ち着いた。落ち着いたとはいうが、気に入ってくれているというわけではなく、慣れているから何故か落ち着くというだけらしい…褒められた気がしないが、気を落ち着けるために訪れる屋敷住まいの者が落ち着くのなら、別にいいかと気にしないでいる。

 偶に摘まれる時はさすがに気になるが。

 

「やはりコレが落ち着くわ、お姉ちゃんのは揉むところがなかったし」

 

 悪戯な目で姉妖怪を見て、両手を動かす妹妖怪。

 あたしの胸を揉みながらコレなどと言いおって、落ち着くというのは悪くないし言葉自体は心地良いがその言い草はどうかと思う。

 気に入らないとまではいかないが、褒められたのか雑に扱われているのか判断できずにむず痒い。

 

「コレって言い方はさすがに面白くないわ、悪い言い方をするなら取り上げるわよ?」

 

 好き放題にされている胸元を見ながら、手癖の悪い痴漢妖怪を窘めると、ケチだの地霊殿(うち)にいる間くらい好きにさせてだのと開き直られた。

 あたしに対して開き直る者などこいつくらいで、中々に面白いが窘めたのだから少しは気にしてほしい。触れられていなければこいしの両手に能力使って逸らしてやる事も出来るのだが、直接触れられていては逸れる事などなく、下手をすれば力加減や揉む場所が変わってしまいそうで滅多な事が出来ない。煙と化してしまえばいいのだろうが、湯船の中でそれをやると湯に溶け込んでしまいそうで、それも出来ないでいた。

 手癖の悪い者に手が出せず少し歯痒いがまぁいいか、取り上げると言ってから少し丁寧に扱うようになったし。

 シコリとかないか?

 あった所で既に意味がないが、そのせいで手触りが悪いのでは具合が悪い。

 

「こいしちゃんには好き放題されるのね、私は好きにさせてもらえないのに」

「言って聞く相手にはお預けして焦らす、言って聞かない相手は諦める、それだけよ」

 

「雷鼓ちゃんお預け長かったね? 半年くらい?」

「四ヶ月くらいかな? こいしちゃん毎日来たわね、お陰で考えなくて済む時間が多くてありがたかったわ」

 

 フフン、と鼻を鳴らして、してやったりという顔を見せるこいし。

 あたしの腹の上からちょっと体を動かして右手で雷鼓、左手であたしと、良い顔のままで比べている。なにも言われずに揉みしだかれても気にする素振りを見せない太鼓、ちょっといなかった間に随分と仲良くなったものだ、それを好きにしていいのはあたしだけのはずだったのが、意識の外の相手に妬んでも無意味か。

 ならば良い、聞かない相手は諦めるといった手前もあるし、好きにさせておこう。

 

「雷鼓ちゃんはお空と同じくらいだね」

(うつほ)ちゃん? あんなにあるかな?」

 

 ある。

 と、どちらも楽しんでいるあたしは確信出来るのだが、首を傾げて思い悩む濡れ姿の雷鼓も良いので敢えて教えない。

 しかしまぁ、生まれて一年位だというのに発育がいいお嫁様だ。

 世に生まれて数百年は経っているはずの、三つ目の姉妹は共に残念なサイズだというのに‥

 サイズが違うのだから比べても、と思いながらほぼ同じサイズの橋姫さんを眺めてみると、お空のデカイ瓜をヤマメと一緒になって収穫していた…以前の風呂で触れて気に入ったのか?

 金髪二人に挟まれておもちゃにされているお空、おもちゃにされていると理解していないのか、無邪気にくすぐったいだの騒ぎ出して、挟む二人に比べると邪気といったものが見えない。

 楽しそうに笑い笑顔で喜んでいて素直で可愛らしい。

 うん、パルスィが気に入るその気持ちはわかる。

 

「アヤメちゃんはパルスィと同じくらい、というかほぼ同じ」

「なんだ、自称じゃなかったのね。パルスィさんの方が綺麗な気がするけど」

 

 揉まれるお空を見ながら、あっちの二人とあたしを交互に見る雷鼓。

 こいしに続いて雷鼓にまで気に入らない事を言われてしまい、散々だ。

 それでも特に気にはしない、出戻っても以前の通り接してくれるのだから、この程度で文句を言ってはココでも自宅でも居心地が悪くなる。

 けれどこのまま引き下がるのは癪だ、この場で何もせず夜に散々泣かしてもよいのだが、ここで何も言い返さないのでは癪に障ったままで強めにイジメてしまいそうだ。

 

「また悪巧み、いや、かわいいイタズラでも思いついたか?」

 

 嫁いびりなんて考えていたからか、悪い顔にでもなっていたのだろうか?

 また悪巧みか、なんて言って真っ赤な盃を傾けて、口から胃へと酒を流す勇儀姐さん。

 企み事もあるにはあるが、それは別として正しく訂正しておこう、後々で違うじゃないかと嘘にされ殴り消されても困る。 

 

「常に抱えてる企み事は別として、何か悪戯はしたい、わね」

 

「ほぅ、腹抜かれたくせに懲りん奴だ」

「穴空きだから常に企んでないと漏れてなくなるのよ」

 

 あぁ言えばこう言う、と言い返してくれる勇儀姐さんだがどの口が言うのか。

 風呂に入った時から飲んでは煽っていて、盃が邪魔で見えないが酒臭くなっている口で言ってきているのだろう。

 酒精を多量に含んだ吐息を漏らし始めた一本角の鬼。

 見ているだけで飲みたくなる飲みっぷりだが、お空が一緒の時には飲まないと決めたし、この後を思うと酔うわけにもいかない…という割にはお猪口を煽っているが、中身は般若湯だ、酒じゃないから大丈夫。既に酒場で少し引っ掛けてきているし、酒場の過ごし方として正しい過ごし方をした後だ、既に酔っているのなら取り決めの範疇外だろう。

 とりあえずだ、酒を飲めないのなら別の物を飲んでおこう。 

 

「姐さん、後ろの桶から煙管取ってくれない?」

「お、なんだ、持ち込んでたのか。葉っぱが湿気っちまうぞ?」

 

「それが、バッグの中だと湿気ないのよ、くれたのは勇儀姐さんなのに知らなかったの?」

「知らなかったな、矢なんて湿気ても気にならんし、そもそも撃つなら走って殴った方が早いと思わないかい?」

 

 全く以て思わない。

 そう言うと、そうかと笑って黄色いプラスチック製の桶から煙管を取り出し、咥える側を向けて手渡してくれた。ご丁寧に向きを考えて葉まで込めて手渡してくれる、この辺りに繊細さが伺えて唯の豪快なだけの鬼ではないとわかる…気の利く女で妬ましいわ。

 そんな風に鬼を妬み、嫉妬エネルギーを補給した所で思いついたかわいい悪戯を仕掛ける。腹の上で煙管を見ているこいしを優しく押して湯船に沈めた後、開放された体を湯船から出し煙管咥えて煙を纏う。

 

 湯船に沈んだこいしと動きを見せたあたしに、また何かするのかという視線を浴びせてくる姉妖怪がいるが、お前は後だ、まずは別の者に悪戯を行う。

 さとりも含め、皆からの注目を浴びる中、全身を煙で隠して綺麗に化けてから煙を払う。

 あたしの白混じりの灰髪は怪しく輝く金髪へと変わり、やる気の感じられない銀の瞳は嫉妬の炎を宿らせる緑の瞳へと変えた。

 顔つきも、普段よりも目に力を込めて揺らすように、肌の色や耳、大きな尻尾など本人と差異のある部分は本気で隠して全身を橋姫さんに変えてみせた。

 

「貴女…またなの?」

 

 おぉ、と皆が驚く中で一人だけ呆れ声で話しかけてくるパルスィ。

 お空のしでかした間欠泉の異変以来化けていなかったが、一度变化しているし、体型はほとんど同じだからそっちは敢えて真似ていない。

 少し科を作るように体をくねらせると、やめて、と静かに怒られるが、皆が笑ってくれたお陰で本気で怒られずに済んだ。

 変化していない素のあたしがやっても呆れられるか、またかとしか思われないのにちょっと色気を放つだけで驚かれて妬ましい…今の妬みはどっちに向けてだ?

 化けたあたしか?

 それとも真似ているパルスィ本人に向けてか?

 

「ぱっと見じゃわからないけど匂いでバレるよ、お姉さん」

 

 鼻を鳴らす二本尻尾に匂いでバレると即答されるが、温泉に浸かりながらでも鼻が利いて妬ましいな、だが、それは想定の範囲内だ。

 指摘してきたお燐が住む地霊殿のお湯は、天然温泉ではあるが無色透明で硫黄臭い感じはしない、ガスが吹き出すほどに硫黄臭い温泉は地上の寂れた神社の方だ。

 どちらのお湯も地底の核融合炉の影響で湧いているはずだが、より近い地霊殿の方が臭くないというのは何故だろうか?

 地上と地底の間にある地層が何かしら悪さしているのかね、まぁいいか、そんな事は今はどうでもいい事だ。

 

「鼻が利いて妬ましいわね、お燐。それなら匂いは逸らすから当ててみなさい」

 

 普段のようにだらだら歩かず、女性らしい科のある歩き方で本物パルスィの横まで歩き、そのまま隣に腰を下ろす。贋作パルスィであるあたしを見る緑の瞳が揺れているが、同じく揺らして見つめ返すと、スッと湯船から上がりかけた。

 ここで逃しては面白くないと、本物の太腿に両手を回し引き止める。

 あたしの動きに呼応したヤマメがもう片方の太腿に抱きついて、二人で本物を見上げる形になった。 

 

「ちょっと、巻き込まないで、ヤマメもやめて、離しなさいよ」

「いいじゃないか、減るもんでもない。今逃げたら妬まれるよ? 逃げ足の早いつれない女、お高くとまって妬ましいってな」

 

「あたしのセリフを取るなんて、読みが鋭くて妬ましい…こっちもこっちで綺麗な肌、艶かしくて妬ましいわね」

 

 化けた橋姫さんらしく協力者のヤマメを妬み、ついでに本来妬む側のパルスィも妬む。

 透き通るとか、澄んだとか、そういった爽やかさが感じられるモノではないがなんというか、しっとりとした憂いのある肌というのだろうか?

 温泉まっただ中で濡れ肌だからというのもあるのだろうが、それを差し引いても綺麗な肌に感じられて、思わず抱きついている腿を舐めた。美女連中の出汁が利いた温泉味のする腿を舐めると声を上げずに身震いするパルスィ、普段とは別の意味で瞳を揺らしてくれて面白いが、こっちを見つめてくる嫁の目が、普段のパルスィのように揺れていて怖い。

 

「少し調子に乗りすぎたわ、約束も守ったし先に上がって熱冷まししてるわ」

 

 パルスィが絶対に見せない、意地の悪い笑みを浮かべ言うだけ言ってヒタヒタと出入口へと歩む。怖い雷鼓と睨む橋姫、ついでに呆れ顔のさとり、それぞれの視線が背に刺さりだいぶ痛いが今のあたしは橋姫さんだ。それぞれから感じるモノを、雷鼓のモノは素直な嫉妬、好き放題したパルスィからの視線は傲慢で妬ましい、さとりの方も奔放で妬ましいと、都合よく捉えて栄養源とする事にしよう。

 やりたい放題して追いかけてこないようにしつつ、訪れた本題をこなす事にしよう。

 

 変化を解いてさっさと水分を取る。

 湯上がりからすぐ動くせいでさすがに熱く、着ていた開襟シャツは一度部屋へと戻り置いていく。スカートとインナーだけの黒尽くめな見た目で能力使って、向けられる意識やら視線やらの全てを逸らす。堂々と歩いてもバレることなど無いのだが、見た目からすれば盗人のそれららしい色合いだし、やらなければならない事もそれっぽい事なのだから、抜き足差し足の猫足で歩く。狸が猫を真似て動くなど、お燐に見られたらまた指摘されそうだが、あの子は正確には火車だ。

 コレを指摘してくるならヤマメか?

 蜘蛛も音なく動けるはずだ、が、蜘蛛は盗まず狩りしかしないか。

 なんて事を考えていると、今回の来訪の裏の本題、ソレがあるさとりの書斎へとたどり着いた。

 

「さて、お宝を少し拝借」

 

 それらしい独り言を呟きつつさとりの机。

 その引き出しを静かに開けると、キチンとしまわれた赤い本が目に入る。

 開かずとも中身はわかるが、今回ばかりは致し方なし。

 間に挟まるスクラップ記事のせいで一瞬指が止まったが、とりあえずやることやらにゃあと、ペラペラと流し読みし、らしい記述がない事を確認し日記を戻した。

 他者の考えを文章として読む、それが読みものであるならば面白いと思えるが、懇意にしている友人の、頼れると感じているさとりの日記を盗み見るハメになるとは…これではさとりを裏切っているようでなんだか申し訳ない。 

 が、地上を怨霊で埋め尽くすとか、硫黄ガスにわざと混ぜて地底の怨霊を解き放つとか、そういった企み事といった記述は見られなかった。

 日記にそんな事を書く奴がいるとは思えないのだが、あたしの監視役である小町、その上司から見て来て欲しいと直々に頼まれたのだから仕方がない。

 神社の近くで不意に湧き出す怨霊。

 それを握り潰し輪廻の輪から無理くり解き放つ悪鬼、じゃなかったな、今は仙人か。

 あの人の行動を監視して、ついでに見ている小町が映姫様に何か進言したようだ。

 

 まぁその辺はいいさ、上司と部下で仕事なのだから。

 気に入らないのはその進言から映姫様が考えられた事だ。

 映姫様自身が困り顔でないとは思いますが、なんて言っていて、あり得ないとわかっているようだったが、管理すべき怨霊が漏れている事実と部下からの物言いがあったせいで閻魔として、地底の動きを調べざるを得なかったのだろう。

 それもそれでいいさ、仕事だもの。

 

 問題はそれをしてこいとあたしに頼んできた事だ、最初は当然断った。

 けれど、映姫様の困り顔と声色が珍しくて可笑しくて、面白かったのでその御礼という形で今回は引き受けた。輪廻の内から逸れた、なんて言ってくれてあるべき裁判から逃げたあたしの在り方を、目を瞑り黙認してくれている御方からの頼みなら聞かないわけにはいかない。映姫様が閻魔様としては目を瞑ってくれたのだから、あたしもあたしとしては目を瞑り、逃げて成り果てた亡霊として閻魔様のお役に立とうと、今回慣れない盗みなど働いてみたが…

 慣れない盗み読みなんてする羽目になった理由を思い出していると、書斎へと向かってくる誰かの足音が聞こえる。

 パタパタとスリッパで廊下を歩む聞き慣れた足音がする。

 聞こえる音から視えるのは、見慣れたキビキビと歩く姿だ。

 並んで歩く足音は誰だ?

 四足っぽい足音だがお燐にしてはデカイ、あぁ、あの大きな黒猫か。

 なんて悠長に考えていると、風呂上がりで寝間着に着替えたここの主が、誰も居ないはずの書斎の扉を開き、真っ直ぐに机に向かい日記を開いた。

 

「酷い目に遭いました」

 

 黒猫に向かって笑いかけ話しているさとりだが、酷い目とは随分な物言いだ。

 こいしと二人で前と後ろからこれでもかと弄んでやったというのに。頬を染めて吐息を漏らして、さとりもそれなりに楽しんでいたように感じられたが、もしやあれか?

 雷鼓みたいに噛まれたりした方が燃えるのか?

 それはそれで悪くないが、酷い目という割には楽しげに笑んでいるしよくわからんな。

 

「いつもの事って、そうね、いつもの事よね。次は貴方も混ざったら? 若い男と混浴なんてあの人喜ぶ…けど雷鼓さんが怖そうね」

 

 黒猫が何を話したのかわからないが、そういえばあの猫と風呂に入る約束も考えていたな。忘れているだけで心残りが多くて困る、これでは解消しきれない。

 思い出した事だし明日はあの子も風呂に連れ込むか、ペットを見つめ優しく微笑むさとりの顔を見てそんな事を考えたのと同時に、別の事も考えていた。

 

 もしも次回も、なんて映姫様から頼まれても二度とやらない。

 日記に挟まれていたスクラップ記事を見ていなければまた目を瞑っても良かったのだが…切り抜かれスクラップされた天狗の新聞記事のせいで、もうないと一人誓った。

 刷られた文字が少し滲む訃報、端に少しだけ握られたような跡の見える記事。

 悲しんだのは雷鼓だけではない、そう素直に言ってくれたさとりがこれを読んでどうなったのか、なんとなく理解できたから次はない。

 ジト目さとりは見慣れていて、そう見られてもなんて事はないが…

 三つ目を涙で濡らす姿など見たくはないし、覚が泣いて目を伏せては妹のようになってしまいそうで、もしそうなったら面白くない。

 目を瞑るのは映姫様や紫など、お偉いさん達だけでいい。

 本当はさとりも管理者側ではあるのだが、そこは目を瞑り気が付かなかった事にしよう。



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EX その6 心悲しい

 ぽかぽかと茹で上げられた卵生の娘。

 湯上がりタマゴ肌となり、つるつるスベスベの頬やら、キレイに洗われ手入れされた黒髪を撫でてニンマリと笑んでは、ジト目妖怪の三つ目に見られてたのが懐かしい。

 頼まれたやりたくない仕事を終えた後、黒猫と楽しげな会話をし他者には見せないような明るい笑みと、砕けた口調のさとりをしばらく見つめ愛でていたのだが、さとりが上がったのなら他の皆も出る頃合いかと考え、一度寝泊まりする部屋へと戻った。

 浴場やさとりの書斎からであれば目を瞑ったままでも戻れる部屋、自室と呼べるくらいにはあたしの匂いと煙草のヤニが染み付いた一回の角部屋に戻ってみれば、ベッドの上に投げ広げただけの開襟シャツは衣紋掛けに通され、白いジャケットと共に壁にかけられていた。

 ついでに言えば閉ざされていた出窓は開けられていたし、入浴前に使い汚したはずの灰皿はキレイに掃除されていた。

 いない間に誰か来たのか?

 なんて事を考えたが、シャツを掛けてくれて換気も掃除もしてくれる親切者などこの屋敷にはそういない。

 ここの主が書斎に訪れる前に入ったのか、その主に見てこいという命令を出された二本尻尾か、もしくはジャケットの持ち主、三人のうちの誰かだろうと特に気にせず部屋を出た…らば、浴場の方から笑い声が聞こえて、戻って見ればお空が逆上せて茹で上げられていた。

 

「やっぱり呑むべきじゃなかったのかしらね」

「あっつぅい、アヤメ冷たぁい…でも、あっつぅい」

 

「今日は余裕あるわね…」

 

 スカートのスリットを捲り上げ、生足さらけ出し正座するあたしの膝の上でピンク色の顔をしているお空。

 今日は完全にノックダウンせず会話する余裕があるらしい、さっきから暑いだの冷たいだの、うにゅぅだの似たような単語ばかり膝の上で呟いてくれている。

 全く、今更茹で上げられたところで、もはや茹で卵にはならないだろうに、なんでこの子はすぐに逆上せるのだろうか?

 身に宿す八咫烏の力で核融合なんて出来るようになったから、少しでも限界値を突破するとメルトダウンするようにでもなったのか?

 というかメルトダウンとはなんだ?

 どっかで誰か、はやらない店で会った黒白っぽい少女が同じく流行らない神社で、風祝や仙人相手に言っていた、核がどうこうなんて話にあったような…なんて事を考えていると数枚のタオルと水を張った桶を持った、互いの相方が脱衣場へと入ってきた。

 

「大丈夫? 調子に乗せ過ぎちゃったわね」

「太鼓のお姉さんは悪くないよ、気にしなさいでおくれよ」

 

 バツの悪そうな顔でタオルを持つバチの打ち手。

 その横には気にしないでと猫なで声で話す猫っぽい火の車。

 同じような髪の色をしながら何処かよそよそしいような、互いに借りてきた猫のように普段よりも静かな雰囲気に見えるが、こっちもこっちで初対面だと言っていたしこうなるのもわからなくもない。初顔合わせは兎も角として、猫の爪に引っかかれれば太鼓の膜なんて直ぐに裂かれてしまうだろうし、太鼓の響かせる重低音は、音に敏感な猫からすれば雷鳴でも轟いているように聞こえるのかもしれない。

 事実雷鼓の重低音は雷鳴のように地を響かせるし、雷様っぽい見た目で雷っぽい弾幕もあった気がする…戦う姿よりも別の姿ばかりを見ているから、そのあたりの記憶は曖昧だったりするが、多分そうだったはずだ。

 

「雷鼓がノセたの? だから風呂場で遊ぶなと言ったのに」

 

「う、ごめんなさい」

「お姉さんも叱らないでやっておくれ、悪いのはあたいなんだからさ」

 

 ゴトリと、結構な水量があるように見える桶をあたしの隣に置いて、両足をペタンと床につけて座るお燐。

 四つあるうちの頭に生やした方の耳二つを下げて、見た目から気落ちしているとわかる姿でお空を見つめている…あたしが先に上がり書斎でチョロチョロとしている間に何かあったのかね?

 大概の者にはおおらかな雷鼓の余所余所しい態度も気になるし、少し掘り下げてみるか。

 

「風呂場で何がどうしたらこうなるのよ、叱らないから言ってみなさいな」

 

「その、太鼓のお姉さんにノセられてね? ついつい調子に乗って話し込んじまったんだ、おかげで普段よりも長風呂になっちゃってね、烏なお空にはちょっと長すぎたのさ」

「パルスィさんが機嫌悪くなっちゃったからね、どうにかと思ったんだけど…失敗しちゃったわ」

 

 シュンとするお燐も、それを慰めようと手を伸ばしかけて止まる雷鼓も、どちらも普段見られず面白いが、お燐の言葉じゃないが二人とも気にしないでいいんじゃないか?

 少し聞いただけだがこれの原因はやっぱりあたしじゃないか、場を騒がしくして立ち去りやすいような空気を作るのにパルスィを利用させてもらったが、その後の風呂場の雰囲気までは考えていなかった。

 全く考えていなかったわけではないが、アレくらいで本気で怒るほど器量の狭い橋姫さんじゃないと知っているから、一番楽な手法として使わせてもらったのだけれど…よくよく考えればパルスィにも謝る事があった気がする。

 今はヤマメと鬼二人が再建したが、正邪の鬼ごっこの際に橋ぶっ壊れる原因を作ったのもあたしだったはず。実際に破壊したのは鬼二人であたしは被害者のはずだが、あの鬼っ娘が悪酔いする原因もそういえばあたしだったはずだし…

 

「お空、そんなに悪いのかい? さとり様も呼んでくるかい?」

 

 全く以て悪い事などはなく、以前の酒風呂で逆上せた時や、異変の時の熱暴走時よりもマシというか、比べるのが馬鹿らしいくらいにただ逆上せただけのお空。

 心配顔でメルトダウンした相方を見るのはあたしの顔が深刻だからか、真剣に考えていたのはお空の事じゃあないが、そんなに酷く見えるか?

 話したり、人の太腿に顔埋めてみたりと酷いようには見えないが…普段と違って中途半端に元気だから逆に心配なのかね?

 

「なら私が言いに行くから、燐ちゃんはついててあげて。アヤメさん一人にすると別の意味で心配だし」

 

 なんて事を言い出すのか、うちの嫁は。

 確かに手が早かったし、そういった面での信用のなさにかけては右に出る者が…いたな、胡散臭いスキマと同じくらいには信用されてなかった。

 まぁそれはいい、それはいいが雷鼓からそう言い切られるとさすがにくるものがある、真っ裸のパルスィを舐めたりさとりの吐息を荒くさせたりしたもんだからそういった勘ぐりでもされてるのだろうか。

 お空やお燐、覚姉妹辺りをそういう目で見たことはないはずなのだが、見る人が見ればそうも見えるのかね?

 それともあれか、温泉に浸かっている間の嫉妬心を未だに残してるのか?

 愛してるやら好きやらを言葉にして言ってはくれないが、独占欲だけは以前から強かったような気がする…なんて事を考えつつ熱冷まし中のお空の髪に手櫛を通したりしていると、あたしが熱を入れている相手はパタパタと歩き去り、脱衣場には眉尻下げて全身薄ピンク色のお空と、耳と尻尾を下げて凹むお燐だけとなってしまった…が、丁度いいしついでに聞くか。

 火の車が余所余所しく猫かぶる理由、それを伺いあたしも溜飲を下げよう。

 

「太鼓は嫌い?」

「急に何だい? 雷鼓さんは別に嫌いじゃないよ?」 

「雷鼓楽しい! 私は好き!」

 

 聞いてない方のペット、だんだんと熱を移しあたしの腿を温くしてくれた方から気持ちのよい返事があり心地よいが、聞きたい方のペットは目線を逸し、猫目だけ斜め上を向いてあからさまに恍けるような態度だ。

 本心を吐いてはいないとまるわかりに態度を見せるのはなんだろか?

 嘘ではなく癖だとでも言われたらそれまでだが、これは嘘をついているとはっきりわかる。

 長い事嘘をついて生きて肉体の死すら半分嘘にしたようなあたしだ、そのあたりの事は察する事が出来るし、以前に死なずの名医から教わった嘘判別法にも当てはまっている。

 素直なペットだと思っていたのだが、嘘までつかれるとは少しショックで…雷鼓の言い草といいお燐の態度といいなんとなく悲しいような気分にさせられる。

 凹みながら凹ませてくれるとはやるじゃないか、気に入らないからそこをつこう。

 

「お燐、嘘をつくならバレないようにすべきよ」

「お、お姉さんがそれを言うのかい!?」

 

「言うわね、騙すなら騙し通す。バレてもいい嘘ならネタバラシした後には笑えないとつまらない、今の嘘は気に入らないわ」

 

 機嫌の悪さも相まって、少しばかり悪い顔。

 自分でも嫌な顔になっているとわかるくらいに厳しい目つきとなっている、お燐の二本尻尾が太く天を衝くように真っ直ぐに伸びた事で、普段見せない顔になっているとわかる。

 が、例え相手がお燐でも気に入らない事があればそれは伝えるし、結果嫌われるならそれまでだ…こういう時、飼い主のように心を読めれば簡単なのだろうが、あたしが読めるのは空気くらいのもの。

 今流れる空気は張り詰めたもので、その空気の中、珍しくあたしに問い詰められ、叱られているような顔でこちらを見上げてくるお燐。

 反論があるのならいくらでも聞くが納得出来る反論を吐いてくれるだろうか?

 

「うにゅ? なんでお燐を虐めるの! 悪いのはアヤメなのに!」

 

「あたし? そりゃあ悪かったとは思っているけれど、パルスィもご機嫌斜めなくらいで怒ってはいないのでしょう?」 

「それじゃない! さとり様には言ったくせに! 私達にも雷鼓にも言ってないんだからお燐は怒ってもいいの!」 

 

 膝の上から見上げてつつ盛大に怒る地獄烏。

 そうやってカッカするとまた熱暴走してしまいそうだ、そんな事だから長風呂なんて自爆するのだというに…自爆だとわかっているからさとりも姿を見せず、窘めるつもりで少し放っているのだろうな、お空の普段操っている核融合に比べれば熱っぽいだけで危険もない…あえて言うなら、核融合は大丈夫で何故湯で逆上せるのか気になるくらいだ。

 まぁそれはそれでいいさ、ちょっと調子に乗ってしまい面白い話題に熱を上げただけで、以前よりも冷ややかな膝枕と濡れタオルで介抱していればその内に起き出すだろうし、気にする事でもない。

 

「こらお空、まだ内緒って言われたってのに!」

「あ! なんでもないよ! 忘れていいよ!」

 

「うん? 嘘ではなく隠し事って事かしら、お燐? それはそれで結構悲しいわね」

 

 わざとらしく耳も尻尾も垂れ下げて、瞳もほんの少し潤ませる。

 混ざりっけなし、純度100%の嘘泣きだが、耳と尻尾の方は結構本気で凹んでいる。

 いつだか蛍の少女にも感じたが、少女なら隠し事の一つや二つあって当然で、それが話したくない事だとしたらわざわざ聞き出すつもりもない。

 が、言われたってのが引っかかる、誰に何を口止めされているのやら…雷鼓か?

 二人してぎこちない、余所余所しい感じがしたのは揃って隠し事をしていたからだってか?

 俯くと視界に入るお空の顔。

 プンスカと熱っぽいモノを表しながら見上げてくるお空の顔に、冷却時の蒸気でも溜まったのかポツポツと何かが落ちるのが見える…あれ、潤ませる程度のつもりだったのだがこれは?

 

「なんでアヤメが泣くの! お燐を叱ってたのに!?」

「お姉さん泣いてるのかい!? 泣くほど悲しかったのかい!?」

 

「嘘から出た真ってやつね、真面目に凹んでるみたい」

 

 驚き顔の二人の顔でも見れば止まるかと思ったが、ポロポロと落ちるものは止まらず、お空の頬やら乾き始めた黒髪を濡らしていってしまう。

 もう少し早めに流れてくれればお空の冷却も早く済み、こうして泣かなくとも済んだ…ってそれでは冷却できないのか、やはり泣くとダメだ、頭が回らなくなる。

 なんとなく悲しい程度だったつもりがいつも素直な、愛らしいペット達と愛しい雷鼓が何やら隠し事をしていたってのを知っただけでこうも泣くか。

 ここまで女々しかった覚えはないが、体が変わってその辺も変わったか?

 まぁいいか、悩んだところで泣きやめる気がしないし、こちらに向って歩くパタパタ音も聞こえてきた。

 珍しい泣き顔でも見せれば隠し事をばらしてくれるかもしれない、パルスィの次は自身の涙も利用しよう、女の涙は武器なのだから。

 

「おかえり、一人?」

「さとりさんは残務処理だって言って…アヤメさん? 泣いてるの? 何がどうしてこうなってるの?」

 

「何がどうしてこうなってるのか、わからないから泣いてるのよ」

 

 おかえりと伝えると一瞬だけ動きを止める雷鼓。

 座るために止まったと考えればそれまでだが、なんて事ない仕草でもよく見ている者の動きに違和感があればそれはわかる、が今はいいさ、後回しだ。

 真っ赤な頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、俯くあたしの頭に手を添える嫁さん。

 クエスチョンマークを浮かべたいのはあたしの方なのだが、疑問の原因が代わりに浮かべてくれたしそれでよしとしよう、疑問を浮かべるよりも薄笑いを浮かべるほうが得意なあたしだ…早いとこ謎解きしてすっきりと笑おう。

 しかしあれだ、初めて見せる泣き顔に驚きつつも、あやすように撫で慰めてくれるのは非常に嬉しい…思わず笑んでしまいそうだが、今笑ってしまっては武器が使えなくなってしまう。

 利用すると気持ちを切り替えた時点ですっかり冷めているわけなのだが、出来ればこのまま、女々しくか弱い姿のままで色々と聞いておきたい。

 普段見せない姿なのだし、普段は使わない武器でも使ってどうにかネタを引っ張り出したいと、思考をめぐらし始めてみればネタの方から出張ってくれる。

 

「隠してたわけじゃないんだけど、ね? 燐ちゃん?」

「放っておけばそのうち言う事だと思ったんだけどねぇ、太鼓のお姉さん?」

「アヤメ! 挨拶は大事だよ!」

 

 隠していたわけじゃない、ほっとけばそのうちに言う、ついでに挨拶は大事だとそれぞれ繋がらないような事を言ってくる愛すべき三人。

 これらから考えられるのは、隠し事ではなくただ気が付かずにいただけの事を、雷鼓やお燐達が気づきそこに共感して共謀し黙っていたって感じだろうか?

 理知的な思考も覗かせる雷鼓や出会いから猫を被っていた猫っぽい妖怪のお燐が共感する部分がある、もしくは出来るってのはなんとなく理解できる、そういうずる賢さもあたしの好むところでもあるわけだし。

 だがお空まで共感するような事ってのが思いつかない。

 三人共それぞれ素直な相手、自分に素直なお燐に床では素直な雷鼓、お空は素直すぎてアホの子だ。

 アホの子と賢い者達の共通点…

 

「あれ、泣き止んだ?」

「もしかして嘘泣きだったのかい?」

 

 考える事に集中した為か完全に乾いたあたしのお目目。

 ちょっと本気で泣いたから少しばかり赤みがかった銀の瞳には、疑惑の目で見てくる二人とは違って楽しげに見上げてくるお空の顔が映っている。

 バレはしたがそれはそれだ、元々嘘泣きだったわけだし、バレたところで困る事もない、寧ろ開き直れて心情的には楽になれるかもしれないし、ここらでいいか平常運転に切り替えよう。

 

「両方よ、嘘から出た真だって言ったじゃない」

「泣き止んだならそれでいいよ! 泣くより笑ってるほうが可愛いよ!」

 

「あたしの味方はお空だけね、ついでに何を内緒にしてるのか教えて?」

「ヤダ!」 

 

 泣き顔から平常運転に戻してみたが、横から感じる視線が痛い。

 隣に座るお燐も雷鼓も、どっかの三つ目のような瞳であたしの事を見てきている、顔を見てはいないが向けられ慣れたこの視線は確実にそうだ…二人してあれに似るなよ、面倒くさくなる。

 それは兎も角として可愛いと嬉しい事を言ってくれるお空、褒めて味方になってくれたのかと思い教えてと可愛らしく聞いてみたらヤダって言い切られてしまった。

 こっちもこっちで素直じゃないつれない子になってしまって…また気落ちして、ほんの少し瞳が潤むとそれを一人だけ見ているお空が騒ぎ出す。

 

「また泣き出した! 今度は誰のせい!?」

「お空、教えてくれない意地悪をされてまた泣きそうよ?」

 

「うにゅ! だって内緒だって雷鼓が言ってた! 帰ってきたのに言ってくれないってブツブツ言ってた!」

 

 膝の上で焦り、自身を挟むように座った赤髪コンビの顔を見比べている愛らしい地獄烏。

 産んではいないがさすがはあたしの子だ、そのつもりなく本心を吐いてくれた。

 おかえりと言った時に止まったのはそういう事か、さとりには言ったのに、なんてお空が漏らしていたのは『ただいま』と雷鼓にもお空にも言っていないからか。

 すんなりと受け入れられて言うのを忘れていた、というより雷鼓に対しては言った気がしなくもないが…言ってないな、第一声はうらめしやだった。

 挨拶や躾に煩いなどと言っていたくせに、我ながら酷い挨拶だ。

 

「ただいま、お空」

「お! おかえりアヤメ!」

 

 教えてくれたお空にだけ伝えてみると、プルプルと振るえる雷鼓の右手が視界の端に入る。

 さすがに意地悪だったかなと、お燐と雷鼓それぞれに向ってただいまと言ってみたが、それでも止まらない雷鼓の振るえ。

 嬉しい振るえ、じゃあないな、怒り心頭という感じでもないし上手く言い表すのならなんだろう…思いつかないな、なんて振るえる雷鼓を置いてけぼりに悩んでいると良い音が脱衣場に響く。

 軽くスナップを利かせて、なんでよ! と軽快にスパァンといういい音を立てて鳴るあたしの頭、履いていたスリッパを脱いで振りぬかれたそれ。

 

「あぁ、スッキリした」

「…それは重畳ね、厠とか行ってないでしょうね?」

 

「あ」

 

 再度お空の顔に落ちる涙。

 元を正せばあたしが全部悪いのだから因果応報ではあるのだが、いくらなんでもこれはあんまりではなかろうか。

 ホロホロと泣きつつ無言で立ち上がると、お空の頭が床に落ちごツンと音を立てた。

 普段であれば謝るが、今日は泣かされた事もあるし謝らず口をツンとさせて見下ろしてやった。

 頭擦りながら嘴っぽい! なんて言って笑ってくれて何よりだが、楽しませるためではなく不機嫌だと現したつもり…ではあったがこの子にそこまで期待するのは無理か、怒るのがアホらしくなり脱力する。

 そんな力なく垂れ下げたあたしの手を取り再度風呂へと誘ってくる雷鼓、左手を取り謝りながら洗ってあげるからと苦笑し誘ってくる。洗ってくれて機嫌取りをしてくれるのならそれでいいや、ついでにもう一人の赤髪も再度風呂に入れて、も一つついでにあの黒猫も風呂に連れ込もう。

 物な雷鼓は兎も角、あたしやお燐という四足の雌が入ればあの子も楽しい反応を見せてくれるだろう。心悲しい気持ちにさせてくれた三人にあやしてもらい、落とした気持ちを裏返してもらうとしようか。

 




『心』続きのタイトルからちょろっと思いついたお話。
なんと読むのか、敢えてルビを振らずにおいておきます。


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EX その7 魔法使いと巫女とウソツキ

 二度目の風呂を楽しんで誰かじゃないが、湯上がりタマゴ肌となった後は食堂で騒ぐ皆に混じり雑多な話をしては大いに呑んで大いに笑った。

 先に風呂から上がって思い思いに酒やら飯やら妬みやらを飲み食いしていた皆に混ざり、以前と同じ様に誰かを馬鹿にしては笑み、誰かに馬鹿にされては笑われて随分と居心地が良い地底世界。

 本当に仕事が残っていたらしいさとりも、珍しく自分から輪に混ざり人をダシにして笑いを取っていた。

 こう言えば笑うだろう、そんな考えも全てわかる狡い噺家、いやカンニング妖怪だったが楽しむ場に自分から混ざるようになったのは誰の影響だろうか?

 いつの間にか輪に混ざり、金も払わずに飲み食いしては人の着物にゲロ吐いた妹妖怪の影響かね、そうであるならば姉妹揃って小賢しくて可愛らしい。

 そんな考えも読まれていたようで、一番小賢しいのは誰なのかという話にもなったが真っ先に手を上げてあたしだと答えてやった。

 笑いを取るついでにさとりに意趣返しと洒落こんだのだが、自慢できないような事を自慢気に話してくれて妬ましい、そう言ってきた橋姫にネタを取られて立つ瀬がなかった。

 

 楽しく騒いだ後はそれぞれ泊まり、かと思ったが地底住まいの連中はそれぞれの家に帰るらしい。

 持ち寄りあたし達について来ただけだったし、地底に来れば好きに会える連中ばかり、特に引き止めもせずまたそのうちにと送り出した。

 笑いを取ってくれた橋姫にだけは、橋と風呂の事を軽く謝ってみたがどちらも然程気にしていないと返してくれた…ありがたかったが寛大で妬ましい。

 皆を見送った後は地霊殿住まいの者と少し話してさっさと寝た。

 人の頭をスネアドラム代わりに叩いてくれた太鼓の付喪神は、風呂場で泣いたあたしとは別の意味で良く鳴かせちょいとばかり騒がしかったが、翌朝顔を合わせても皆から何も言われなかった為気にしない事とした。

 どうせならもうちょっと、なんて考えていると朝から何を考えているのかとジト目姉に窘められたが、遠慮無く勝手に読むのが悪いと思う。

 

 そんな楽しかった地底を去り、色々と内面に実りのあった秋も去った。

 今は寒さ厳しい師走の中頃。

 暦と季節からすれば積雪するにはまだ早い気がするが、気がするだけでどこを見ても真っ白な雪景色、お陰で一気に冷え込んで寒さが強くなり始めている。

 冬になれば傍迷惑なお茶目さんが好き放題にやらかすから、暦も季節も然程関係ないっちゃないが。

 ついでに言うと今のあたしにも然程問題はない、寒さなら気にならなくなった。

 以前雷鼓が試せと話した、湯気やら火鉢の煙でも取り込めたのか?

 そう聞かれそうだがそれは試しても出来なかった、自身の吐いた煙草の煙はいくらでも取り込めるのだが、湯気や火鉢の煙はどれだけ頑張っても取り込めず、体温を上げる事にはならなかった。

 だが、体温が上がらなくとも問題がなかった…寧ろ年中一定でいられるため、夏場は程々に涼しく冬場は程々に温いといった感じになっている。

 おかげで布団から蹴りだされることはなくてありがたい、家でまで泣かずに済んだ。

 

 話が逸れたがそれで今。

 今はその雪景色のような色合いの真っ白なコートの前を止めて、珍しく雪が綺麗に掻き分けられた参道を見ながら、縁側に腰掛けて一服している。

 どこの参道を見ているのかと聞かれれば、懐も寒い参道だと言っておく。

 こう伝えれば分かる人には分かるだろう。

 もう少しヒントを言うならヒュイ-ヒュイ-と煩い方だ。

 ちなみに来訪理由は特にない。

 なんだか呼ばれたような気がしたので来てみただけだ。

 

「寒い内は働かない、そう言ってなかったかしら?」

「寒くなり始めた頃合いだからまだいいの、上がらないなら早く閉めて」

 

「換気しないと体に悪いわよ?」

「体に悪い煙草の煙が入ってくるから、閉めるか帰れ」

 

 咥え煙管でからかっていると、つれない言葉を寄越してくれながら目の前でピシャリと障子を閉める巫女さん。

 閉めろと言っておきながら自分で閉めてくれて、確かに煙草は百害あって一利なしだ、この先の成長を考えればここの巫女さんにも、隣で笑っていた魔法使いにも吸わせるわけにはいかないだろう。

 が、いちいち気にはしていられない、こちとら人間を襲う妖怪さんで人を脅かす幽霊さんだ、そんな妖かしが人間のタメになる事なんてするわけがない。

 けれどここの巫女さんは別だ、下手を打てば払われて本格的にさようなら出来る相手なのだ、今も〆ると言わずに閉めろと言われただけなのだから、逆らわずまったりしよう。

 ぼんやりと晴れた冬空を眺め煙草を吸いきる。

 カツンと叩いて葉を捨てると、自動で開いた社務所の障子。

 それとともに流れてくる暖かな空気。

 流れてくる暖気の先には、部屋閉めきって火鉢を焚いてこたつに入るおめでたい少女とおめでたくない少女。いくら風通しの良い社務所だといっても閉めきって火鉢は体に悪いと思うが?

 それこそ煙草の煙の比じゃないくらいに。

 

「一服済んだら早く来いって、ついでにどうにかしてくれよ」

 

 ヒュイヒュイ煩い鳥に集られて、人間止まり木状態の黒白の魔法使い。

 珍しく困り顔なんて見せてくれて華奢な少女らしく可愛らしいが、これだけいたのではさすがに煩いだろうし、どうにか出来るのならどうにかしてやりたいが何をどうすればいいのか?

 なんてついさっきとは矛盾する事を考えていると、あたしの方も止まり木妖怪となり始めた、黒白よりも多い気がするがなんでだろうか?

 これでは噓つき妖怪ではなく鷽付き妖怪だ、そうなってしまってはヒュイヒュイ鳴くようになってしまいそうだ…鳴くなら色香のある声色のほうが好みなのだが。

 まぁいいか、くだらない冗談は言わずにおこう、茶化すのは終わってからにしよう。

 

「なんなのこれ? 増やして食うの?」

「可愛いから食わないわ、滅多な事言わないで」

 

「で、なんなの?」

「新しい神事だってさ、結果は見ての通り大失敗だぜ」

 

 ツンとしながら書物を読む霊夢だが、人の顔見て滅多な事言わないでとこちらもこちらで珍しく可愛い物言いだがなんだ、ぐーたら巫女さんが滅多な事をやらかしたからこうなってるのか。

 魔理沙が言うには新しい神事だというが、山鳥を使って行う神事なんてあっただろうか?

 山に関わる神事で困っているならあっちの神様でも呼びつけたらいいんじゃないだろうか、どうせ暇だろ、あの二柱も。

 二柱の事なんて考えたからか、魔理沙にいた山に住むはずの鳥があたしの方に飛び移ってくる、さてはこいつら全部雄か?

 魔理沙に比べれば随分発育のいいあたしの方がいいってか、今は女座りで科を作っているようにも見えなくもないし…そう見ると可愛らしく見えなくもない。

 

「おぉ、移っていった、試した甲斐があったぜ」

「呼んだのは魔理沙なの? この鳥への捧げ物にでもされたのかしら?」

 

「それはそれで別物よ、でも上手くいったわ。そのまま妖怪の山にでも連れてって」

「どれがどれで何が上手くいったのか、興味が持てたら手伝ってあげるからちょっと話しなさいよ」

 

 ちょっと悩んで書物を開く霊夢。

 それにつられて同じ様にゴソゴソと、何やら落書きっぽい物を取り出す魔理沙。

 先に広げられた魔理沙の方へと山鳥連れてズリズリと横移動すると、魔理沙の方からソレを持って近寄ってくる。

 ペラリと広げられたソレは『あ』から『ん』までずらりと書かれていて、他にもアルファベットやら数字やらYES・NOやらと、ごった煮のような書き方がされている一枚の紙っぺらだった。

『ゐ』やら『ゑ』やらがないのは現代っ子だからかね?

 現代っ子の魔女ってのも面白いな。

 

「これで呼び出してやったんだ、上手く釣れたしやってみるもんだな」

「魔理沙からコレで呼ばれるとは思わなかったわ、マミ姉さんや藍も来たんじゃないの?」

 

「二人共来たぜ、神社の惨状を見て誰が来たのか聞いた後にすぐ帰ったな、最後に来たのが今首突っ込んでるアヤメって事だ」

「あぁそう、あの二人…残された貧乏くじを引かされただけって気しかしないんだけど、場所が場所だから仕方ないのか」

 

 ナンカイッタ?

 という霊夢からの怖い呪は放っておいて、こっくりさんなんて少女少女しているものであの魔理沙から呼び出されるとは…考えられなくもないか、淡く想うアレもいるし、魔法も可愛い星が多くてこの子ってば意外と乙女だった。

 ちょっと前に考えたメルトダウンも、こじらせた乙女魔法使いの考えだと思えば可愛らしく思えるし、霊夢と違ってコロコロと衣服を変えてお洒落する素振りも見せたな。

 こころのやらかした異変の時には黒ではなくこう藍色の…あの女狐め、来たならちょっとくらいみてやればいいものを。

 誰かさんの昔の姿のように首傾けてこっくりさんを見ていると、霊夢の方もこれだといって書を開いてきた、日と埃にヤラれて古そうに見える書物だがこの字には覚えがある。

 迷い無く払ったり力強くハネたりするこれは先代の筆字だ。

 

「臥龍梅に祀った天神様って話覚えてる?」

「今年の春先に言ってたあれ? 妹紅がなんやかんやってやつよね?」

 

「それ、あの後ちょっと調べたら天神様関連の神事があったの、この子達ってこれで天神様の御使なんだって」

「ふむ、それがこの『鷽替神事』ってやつだったのね、普段やらない神事なんて滅多な事するからこうなるのよ」

 

「煩い、紫と似たような事言わないでって前に言ったじゃない」

「同じ様に見られてるって事よ、紫でもあたしでも顎で使ってばかりいるからそう言われるの」

 

 正邪の追いかけっこ以降、霊夢に対し偶にこうして窘めるようにつつく事があったりなかったりする。以前であれば札やらお祓い棒やら、ひどければ陰陽玉が出てきたのだが…最近は素直に聞くことが多くなった霊夢。

 平常時なら魔理沙に負けない、魔理沙以上に小生意気な幻想郷を支える巫女さんなのだが、こういうやらかしたと自覚している時は本当にかわいい少女にしか見えない。

 ちょっとだけぶすくれて、拗ねたような表情を見せる楽園の素敵な巫女さん、普段はこうなのに異変で会うと何故ああも鬼のようになるのか?

 この子が可愛く退治して回っても、それはそれで困りものだが。

 

「で、このまま止まり木状態で山に向かえばいいの?」

「わからないから取り敢えず帰して来てって言ってるのよ」

 

「それに書いてないの?…書いてないか、あの巫女さんも荒事以外はテキトーだったわ」

「あの巫女さんって…先代? 紫は話してくれないけどどんな人だったの?」

 

「紫が溺愛した、亡くなった時にはやたら落ち込んだ巫女さんよ。ざっくり言うならそうね…陰陽玉をブイブイ転がして引っ越してきたばかりの姉蝙蝠をガン泣きさせた、武闘派巫女さんだったって感じかしら」

「あのスキマが落ち込むって…あぁ、最近見たな。誰かさんが死んでつまらなそうな顔してたぜ?」

 

 困っていた本題の事を人間少女二人に聞いていたはずが、いつのまにやら話の筋がこっちの方へと寄って来ている。

 霊夢は霊夢で聞かされてなかった先代の話に食いついてくるし、魔理沙は魔理沙であたしが食いつきそうな話をしてくれて、狐でも狗でもない二人が狸と三竦みになるなんて勘弁してくれ。

 

「取り敢えずこの鳥をどうにかしたいんだけど、粗相をされても嫌だし」

「撫でれば消えるでしょ、ならいいじゃない」

 

「さすがに撫でるモノがアレよ」

「エンガチョ幽霊アヤメってか」

 

「正しく縁が切れてるからって茶化さないでくれる? 逸らして魔理沙に帰してもいいんだけど?」

 

 それは簡便だ、そうぼやきながらあたしから離れていく小生意気な黒白魔法使い。

 体に触れて止まっているから逸らす事はできないが、一度薄れて強引に離せる今ならそれも容易く行える、本当に便利な体になれて面白いし有り難い。霊夢の方も触りたくはないかと呟いていて、どうにか能力使わずに口だけで話の筋を逸らす事が出来た。

 けれど原因解決には至らず、結局のところこいつらをどうしたら良いのかわからなくて困る…が、いいか、こういう面倒事は誰かに押し付けるに限る。

 菅原さんの御使だというのなら押し付けるのに打って付けだと思える友人がいた、帰るついでに押し付けよう。上手くすれば美味い焼き鳥にもありつけて一石二鳥だ、いやサイズから考えれば一串三鳥くらいになるのか?

 止まり木となり体を貸したお礼代わりにあたしはこの子たちを腹に納めよう、パッと出た思いつきからニヤついていると、封魔針使いから釘を差された。

 

「おいこら、食うなって言ったでしょ?」

「口が悪いわ、霊夢。誰に似たのかしら?」

 

「またあいつみたいに…あれみたいに笑ってないだけまだマシか」

「マシな顔か、これ? 底意地悪い顔にしか見えないぜ?」

 

「こらだのこれだの酷い言われよう、なら言われた通りに意地悪しましょ」

 

 締め切られた部屋の中煙管取り出し咥えてみせると、煙たいのは嫌だ、外で吸ってこいとそれぞれ文句を言ってくる人間少女二人。

 聞こえないふりをして気にせず葉に火を入れる、そのまま吐いてモヤモヤと漂わせるが二人には流れぬように操り、自然な煙っぽい形になるように形取る。魔理沙の方は仰いだりして騙せているが、霊夢の方は何度か見ているからか騙せておらず、ジト目を細めてこっちを見てくる。

 まぁいいさ、魔理沙は騙せているようだしそれらしく換気をしよう…死人には関係ないが生者の二人には必要だろう、新鮮な空気ってやつが。

 

「寒いから閉めるか、出て一服するかしてくれよ」

「寒いなんてどの口が言うのよ? 今の物言いの方がよっぽど冷たいきがするんだけど…傷心したから帰るわ」

 

「食べないでよ」

「善処するわ」

 

 魔理沙の小気味よい言いっぷりに乗っかって話の筋が戻ってくる前に帰ろう。

 そう企むと再度刺される冷えた釘。

 喰えば霊夢に退治される、なんとなくそう分かる言葉を受けて諦めつつ善処すると述べると止まっていた鷽が少しずつ離れて、ガラッと開けた障子から飛び立っていった。

 嘘の塊と言えるあたしが本心はいたから離れていった、そんな感じか?

 まぁいいか、呼ばれた本題はどうにかなったし退治される事もなくなった。

 山鳥押し付ける予定だった竹林の焼き鳥屋さんの苦笑いは見られなくなったが、とりあえずこの場はささっとお暇しよう。

 茶化してもよいが、この場に残っているとまた鷽が帰ってきそうだ。




漫画三月精を発掘したのでその辺りから。
エンガチョ、語源は縁を(チョン)切る だそうな。


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EX その8 追儺を笑う

 冬場の朝は趣があってよい、舞い散る雪が鳴らすシンシンという音を聞きながらの目覚めは目にも耳にも優しく侘しいものだ。

 地面で伸びる霜達が背比べをしている姿も可愛らしい、それらが育たず幼子霜しか見られない朝もそう悪くはない気がする。

 霜がおりない程の寒さの朝に火を起こして竈やら火鉢やらに暖を灯す姿もわびさびが感じられて、それはそれで良い光景だ、お天道さまが高くなりほんの少し気温が上がると、火鉢に新しい炭が入らず赤より灰が勝ってくるが、絶やすと寒いからそうするな。

 

 いつだったかの夏の終わり。

 最後の灯火を光らせる蛍達の集いを霧かかる湖で眺め、結構昔の人間が情景を想い読んだエッセイ集を思い出したが、今朝もなんでか思い出していた。

 今は如月の月頭という寒い時期だが、冬場の寒さに体温を奪われる事がなくなった今になってそう思うのは、今いる場所が暖房設備を完備した過ごしやすいお屋敷だからだろうか?

 地底で怪盗化け狸となり読み漁ってきた内容を伝えようと、サボってばっかりの死神を追いかけてきてみたら怖い虎やら、ビリビリと光って弾ける雷獣やらに追い立てられて出られない今。

 朝からいない住まいの主が早く帰って来ないかなと、小さいのかおおきいのかよくわからない微妙なサイズの月見窓から、振っては止んでを繰り返している幻想の雪を眺めている。

 一階も二階もいくつか窓はあるけれど、なんでこの屋敷の窓は丸い月見窓ばっかりなのか?

 日によって覗く窓でも変えるのか?

 窓を変えると見え方でも変わるのだろうか?

 

 どっから見ようが大差無いように見えるが、悟りでも開いてみれば世の中の見方が変わって見えるのだろうか、仙人だって自称するのだから悟りくらいは開いているんだろうし。

 それともあれか、昔よりも角が取れて丸くなったというアピールのつもりなんだろうか、だとしたらそれは正しいだろう、昔よりも喰ってばっかりで随分と丸くなったように感じられる。

 丸い窓から丸くなった元ヤンキー仙人を思っているとその丸い窓に影が見えた、ドンドンと近づいてくる大鷲の背にはここの主が乗っている。

 手を降ってみたら嫌な顔をされたが、挨拶くらいちゃんとして欲しい。

 

「おかえり華扇さん、早速だけど帰りたい」

 

 帰ってきたピンク頭の主を迎えてみたけれど、なんでしかめっ面になるのか。

 ピンクに乗っけた白いシニョンを見せつけるように顔を近づけてくる仙人様、蒸れるから外して欲しいって事かと思い、そっと手を伸ばしてみると左手で弾かれた。

 

「…帰ればいいんじゃないの?」

 

 しかめっ面のまま顔寄せてご尤もな事を言って下さる仙人様。

 帰れなくはないのだが、どこかの盗人が強引に侵入したせいでこの家まで続く道がやたらと複雑になってしまい、一人で帰るには随分と面倒なルートを通らないと下山出来なくなってしまった。

 来る時に利用したサボり大好きな船頭の先導さんは報告したらさっさと帰ってしまったし、まぁいいか、帰れと言われたのだから帰ろう。なんの術を掛けて道を複雑にしたのかは知らないが、全部逸らせばまっすぐ帰れる。

 

「いや、ちょっと待って…そもそもどうやってウチに来たのよ?」

「休憩ばっかりする先導さんの後くっついてきたの、お陰でやたら時間かかったわ」

 

「あぁ、死神の後を…ってその死神はどうしたの?」

「あたしを置いて帰ったわよ? お陰で帰り道がわからないんだけど帰れと言われたしまっすぐ帰るわ、後で術式直しておいて」

 

「ちょっと待った、貴女どうやって帰るつもりよ!」

 

 全部逸らして、態度悪くそう伝えると盛大なため息がこっちに向って飛んでくる。

 叱っ目面から呆れ顔に表情を変えて、包帯撒いた右の腕で頬を撫でつつため息をつくこの住まいの主 片腕有角の仙人茨木華扇、いや、茨華仙と言っておくか一応。

 ため息をつかれたところでそれ以外に一人で帰る方法もないわけで、ここに何か用事があるわけでもなし、歓迎もされないのならさっさと帰ってまったりしたいのだが。

 

「ちょっと休憩したら送るから、余計な事はしないで」

「華扇さんが送ってくれなくても、竿打か久米でも貸してくれれば一人で帰るけど?」

 

「竿打は兎も角として、久米まで知ってるの…何故そう無駄に顔ばかり広くなるのよ、アヤメは」

「あたしよりも里の人の方が仲いいわよ? 頻繁に甘味処やら団子屋やらでなんか貰って帰って行くところを見るし、ちゃんと餌あげてるの?」

 

「大きなお世話よ、それよりも貴女、霊夢と仲いいわよね?」

 

 甘味処での茶飲み友達、ここのペットの大鷲二匹、そのどっちかを貸してくれれば一人で帰ってあげる。そう言っているのにペットは貸してくれずになにやら雲行きの悪い話を振ってくる。

 呆れ顔から悪い顔になってあたしの顔を覗きこんでくるが、そう見られても華扇さんのようにコロコロ変わらないぞ、いつも通り眠そうな顔をしているだけだ。

 なんて適当な事を考えていると、外の天気まで暗くなってきた。雲行きが悪いなんて考えたからだろうか?

 

「なに? 嫌われてはいない気がするけれど…仙人様が悪巧みなんて、人に道を説く宗教家が悪い顔なんてするべきじゃないわ」

 

 あたしを置いて帰ったサボマイスターから仕入れた話をちょいと振り、雲行きが怪しくなってきた話の筋を逸らしてみる。

 霊夢と仲がいいか、そんな事はわからないが嫌われてはいないと思うし煙たいような目線でも、偶に見られるがそれは一服中の時だけだ、普段は結構素直に見てくれるようになった。

 はず。

 

「なんでその話まで知って…あの死神か、宗教家になる気はないんだけどね」 

「そうなの? あっちの仙人様と名刺交換して道教一派に混ざったって聞いたけど、ほら、見た目もなんとなくそれっぽいし」

 

 いつだったかの水難騒ぎ、河童の住まいを打ち上げるように高々上がった水柱、あれに封印された体でちゃっかり抜けだしていた邪仙と名刺交換していた。

 その後の宗教戦争の時に黒白から道教の仙人が増えたんだぜ! なんて聞いたからてっきり華扇さんかと思ったが、どうやら違うらしい。

 混ざってもいいと思うが、着ている服もなんとなくチャイナ服っぽくて道教っぽいし、見た目からどことなく淫靡な匂いがするのも邪な仙人様と共通するし。

 と、ピラピラと道士服の前垂れのようなチャイナ服の前垂れのような、どっちつかずな華扇さんの前垂れにじゃれついて捲っていると包帯巻きの右手でペシンと窘められた。

 

「ちょっとやめてよ」

「いいじゃない減るもんじゃない…減ったほうがいいかもしれないけど」

 

「何か言いましたか?」

「何も」

 

 前垂れをピラピラとさせていたら右手をモヤモヤとされて、煙たい右手で小突いてくる片腕仙人。

 ピラピラの奥に隠されたプヨプヨには触れてないのだからいいと思うが、そんなあたしの心遣いはこの仙人には届かなかったようだ、言わずに隠した部分だから気が付かれなかったのだろうか?

 シニョンで隠しているからそういった隠れた気持ちには気が付かないのかね、いや、アレにそんなセンサー的なものはなかったか、センサーというかレーダーはシニョンじゃなくて耳飾りを着けた赤目の竹林住まいだった。

 とりあえずからかうのはこれくらいで、話の続きでも聞いてみるか、話も逸れないし話されるだろう内容も場所と時期から察しはつくが。

 

「それで霊夢がなんなのよ? ついに正体ばれて退治でもされた? というかなんで気が付かれないのかしらね、萃香さんもいるのに」

「余計な話は結構、ちょっと頭を貸しなさい。博麗神社で執り行われる節分の豆まき、これをやめさせるにはどうしたらいいか、一緒に考えなさい」

 

「帰るにしても雪が強いし、ちょっとだけなら付き合うけど。いつだか覚えてないけど自分でどうにかしてたじゃない、今年もそれでいいんじゃないの?」

「それが今年は豆まきと豆料理大会の両方をやるとか、萃香がごねたみたいなのよね」

 

「ごねた、ねぇ。最初にごねたのは誰だったかしら? 因果応報ってだけじゃない? 諦めて素直にぶつけられたらいいわ、あぁ、バレてないから撒く方なのか。払われる者が豆撒ききなんて滑稽ね」

 

 あたしの返答を受けて拗ね顔を見せる華扇さん、中身の無い右腕と実態のある鎖付きの左で腕組みしてこちらを見てくるが、昔みたいに睨まれてほんの少しだが面白い。

 中身はすっかり丸くなったが時折見せる悪い顔やら今のような目つきやら、隠してるだけで然程変わっていなくてなによりだ…で、なんだったか、博麗神社の豆まきだったか。

 去年だか一昨年だかその前だったか覚えてないが、参拝客の減少を憂いた霊夢が思いついた集客用のイベントだったはず。狙い通り人も集まり客目当ての出店も出て神社の賽銭箱もそこそこに重くなったとか言っていたな。

 あの時は舞台から一緒に豆まきしようと誘われた華扇がテキトーいって誤魔化して、どうにか豆料理大会だけになったはずだ、あの時飲んだ珈琲は苦味が程よく結構良かった。

 珈琲が豆料理なのかは疑問が残るけれど。

 

「何かない? 豆撒きが中止ならなんでもいいんだけど」

「いきなりだしすぐには、そもそも豆喰ってたじゃない。そんなに苦手でもないんじゃないの?」

 

 去年の節分くらいの頃か?

 もうちょっと後だったかもしれない、何時だったか正確には覚えてないが人里の団子屋でこの仙人と出くわして豆ぶつけてやろうと思ったら、小突いてくれた右手で奪ってポリポリ食ってた気がするが…言うほど苦手じゃないんじゃないか?

 そう邪推すると邪じゃない仙人が答えてくれた。

 

「豆ではなく魔目だと思えばまだ我慢できるってだけよ、思い込みで乗り切っただけ、それはいいから早く何か考えなさいよ」 

 

 人里だったから我慢して食った、ふんぞり返って言ってくれるのはいいがなんだろう、お願いされているはずなのに上からの物言いで気に入らない。

 これも昔の名残と思えばそれはそれで我慢できなくもないが、今は仙人としてこの地にいるのだろうしそれならそういう態度で、淑やかとかたおやかな態度でお願いしてくれば良いものを、我が強くてこれだからこの種族は嫌われるのだ。

 なんとなく気に入らないし、両方やった方が人は集まるだろうしその方が神社は儲かる。昔なじみの悪友を助けてもいいがどうせならあっちの人間少女を愛でていたほうが目の保養にもなる気がする。

 こいつの身内であるあの幼女は何にか考えといてやると言ったっきり何もしてこないし、中止にせず執り行えばあの酩酊幼女にも豆ぶつけられるか…ならいい、こっちの仙人には修行してもらおう。

 

「思いつかないから取り敢えず現地にいきましょう、そういうわけで送ってって」

 

~少女達移動中~

 

 結構強めに降りだした雪を逸らして南下する。

 神社へと向かう道中でちょいちょい止まっては不規則に動く仙人。

 どれほど難しいルートなのか、少し集中してついて行くと上に二回下に二回ほど上下飛行し、右に二回回ってから左にも二回程回る華扇さん。上上下下右左右左とか単純すぎるように見えるが、単純だからこそ難しく感じられたのだろうか?

 なんとなくだが紫は思いつかないだろうなと感じつつ、つい最近ウソをツけられた神社へとたどり着いた。

 鳥居の外に降りてみると、連れ合いの仙人は気にせず参道のど真ん中、賽銭箱の裏手辺りに肩肘突いて舞い降りていた…仙人になったというのだから神社でのマナーくらい覚えたらいいんではなかろうか?

 そんな事を考えつつ手水舎で手洗い済ませて社務所の障子をガラリと開けた。

 

「楽園の素敵な巫女さん、こんに…っていない?」

「奥にいるわ、霊夢上がるわよ」

 

 縁側に両膝突いて中に頭だけ突っ込んで見ると誰もいない、人里で占い屋の分社をほっ建てたと聞いているからそっちか、という考えを握る潰すように上がり込んで奥へ行く華扇さん。

 いないかもしれない人様の家にズケズケと上がり込めて豪胆で妬ましい、さっきまでのあたしはどうか?

 あれは小町がいたからいい、ついでに言えばペット達もいたわけだしお邪魔しますとあいつらに言ったから問題はないだろう。

 先に上がって(くりや)に消えた仙人の後を追うと、確かにいたおめでたい少女…三角巾に割烹着なんて着込んで、トレードマークの脇まで隠して風邪引いても知らないぞ。

 見た目もかっぽう着の白が多くて赤成分少なめであんまりおめでたくないが、これも中々悪くないか、寧ろ見慣れず可愛いしまぁいいな。

 

「仙人にアヤメ? なに、手伝いにでも来たの?」

「手伝いってわけじゃないわ、豆まき反対というのがいたから連れてきたのよ」

 

 寸胴鍋に向かう楽園の素敵な板前さんに手伝いに来たのかと問われたが、それに返答する前にあたしを見ながら豆撒き反対の者だと紹介されてしまった。

 なるほど、自分ではネタがないからあたしに話を振らせてそれに乗っかろうという魂胆だったか、すんなりと神社まで送ってくれたのはこれを期待しての事か?

 期待してくれるのはありがたいがあたしは期待を裏切って嘲笑う妖怪さんだ、仙人になったからそんな事も忘れたのだろうか、どっかの似合いの烏天狗じゃあないが年はとりたくないものだ。

 

「マメな人だ、なんていい意味合いで使う方でやったほうが人受けが良いとか、華扇さんはそんな事を言ったんだって?」

「そう、季節の変わり目の今頃に健康食の豆を食うのがいいんだって。魔目まきすると魔を屋内に撒くから縁起悪いって言ってたわ」

 

「ふむ、後はなんて言ってたの?」

「あ~…? 鬼は陰が元で隠されたとかどうこう、鬼は元人間ばっかりだとか言ってた気がする」

 

「その通り、結構話を覚えてるのね。関心関心」

 

 寸胴で茹で上げている結構な量の大豆をかき混ぜる神社の若女将、まともに台所に立つ霊夢なんて何時以来だろうか、正邪の追いかけっこの時はお湯沸かすだけだったし。

 まともに出来るのだから普段からまともにやればいいのに、ってそれはいいか。ドヤ顔で関心関心とほざく華扇ちゃんは取り敢えず放っておいて、霊夢が言われた不便を綺麗に意趣返しするとしようか。

 人の事を顎で使おうとしてからに、あたしを使っていいのはあたしか紫か雷鼓、後はここの巫女さんと難題くれる姫様にそこの死なない主治医と…結構いるな、なら一人くらい増えてもいいがそれはそれ、これはこれだ。

 

「健康食はともかく、魔を撒いて呼び込んで何が悪いのかしらね」

「ちょ! 何を言い出すのよ!」

 

「魔なんて人の内に常にあるもんでしょうに、それを完全に払ったら人じゃないわ。魔が差さない、つまりは間違えない。何言も間違いなく出来るならそれは人外よ、言うなれば化け物で妖怪だと思うわね」

 

 取り敢えず一発目の様子見。

 妖怪が間違わない、なんて事は言わないが少なくとも人間よりは躊躇わないだろう、その辺りはそれっぽい唯の噓なのであまり気にしないでもらいたいところだ。

 取り敢えずジャブ程度にテキトーのたまったつもりが、この程度でドヤ顔から焦り顔の華扇ちゃんになってくれて随分と面白い、上から言ってくれて手の平で転がす算段だったようだが、あたしよりも一本少ないその手にだれが乗るか。

 焦り顔の奥に見える鬼の形相が少しだけ怖いが、今更何をされたとしても最早死にはしないし問題ない、温泉の辺りにいる怨霊のように握りつぶされたら痛いかもしれんが、憎らしく握り潰してくれるだろうし、そうであれば再度はばかれるだろう。

 

「ほ~、アヤメのいう事もわからなくもないわね」

 

「ちょっと霊夢! こいつの話を真に受けるなんて…」

「アヤメに反対意見を言わせる為に連れて来たんでしょ? なら話は聞くわ」

 

 可愛らしい割烹着巫女が鍋をかき混ぜる手を止めて頷きあたしの援護射撃をしてくれる、あたしが思う以上に話を聞いてくれてありがたいが、なんだか裏がありそうで少しばかり可愛さの裏に怖いのが見える霊夢。

 そう見えて当然か、この子もちょっと退治に長けていてちょっと結界に詳しくて、ちょっと敵う相手がいない楽園の管理人で人間だ…仙人の言葉を借りればこの子の内にも鬼がいるのだろう、異変時なんかで偶に見るからわかる。

 まぁ良い、折角の援護射撃なのだし調子に乗ってもう少し二人をからかおう。

 

「だそうよ、あとは鬼だったかしら? 鬼は元人間ばかりという話だけど、あたしが知ってるのはほとんどが元々鬼よ? ここの幼女も地底の大将も、ついでにその周りの若い衆も最初っから鬼だって聞いてるわ」

「萃香は兎も角として他のは地底の奴らでしょ? あっちの奴らってよく知らないからなんか騙されそう、それにアヤメの言う事なら信憑性はないわ」

 

 この話題には触れて来ない現在仙人のイラツキ顔は兎も角、さすがに話を聞くと言っただけはある、あたしの物言いなら信憑性がないと正しい意見を言ってくる巫女さん。言いながら寸胴から豆を上げて冷める前に編んだ藁に突っ込んでいっている、何用かと思ったら納豆か、健康的でいいな。

 見ているだけもなんだし、あたしも手を洗い隣で詰め始めて見ると残った一人も同じく手に取り詰め始める。右手で豆を触ってくれるなよ、包帯なら毎日変えているのだろうがさすがにペットに触れた布で食い物に触れてほしくはない。

 三人並んで藁に詰めつつさっきの会話の続きをする、というか触っているけど大丈夫なのか?

 炒った大豆ではなく茹でた大豆だから大丈夫なのかね?

 

「それでアヤメはなんで反対なの? 仙人の言い分を茶化してないで自分の意見を言いなさいよ」

「そうねぇ、反対するなら何がいいかしら?」

 

 勘の鋭い巫女さんがあたしの遊びに気づいたらしい、仙人の方には上手い事効いて話の軸が逸れていると認識してくれていたのだが、霊夢の物言いを受けて何やら気がついたような顔でこっちを見るようになってしまった。

 反対するつもりで来てないから意見なんぞ何も考えていない。だが話の筋がそっちを向いてしまったし、これ以上ご機嫌を損ねて口煩くなられても面倒だ、ガミガミ煩い説教の鬼降臨させてもいい事なんてないだろうし、どうせなら笑ってもらおうか。

 この仙人を笑わせるならなんだ?

 来年の事でも話せば笑うか?

 

「よし、こうしましょう。床やら地面やらに食べ物撒くのは勿体無い、地の恵みを粗末にするものではないって言っておくわね」

「撒けと言ったり撒くなと言ったりなんなの? それに今考えたような…いや、いいわ。その心は?」

 

 ご明察だ博麗の巫女さん、今まさに考えた。

 ものの数秒で考えたただの思いつきだが、それでも問掛けてきてくれるのは考えた後の事だからだろうか?

 口について出た事は信用されないが何かしら考えた末の言葉は聞いてやってもいい、そんな事を言ってくれた気がするし、ならいつもの通りに話しておこう。撒く話題の中心から逃げるなら、いつもの通り煙に巻くに限る。

 

「今年は神社で撒く豆だけ炒り豆ではなく生の豆を撒けばいいんじゃない、生豆は喜魔目。魔が差す事もあるけれどそれと同じくらい喜ばしく目出度い事もある、それを呼びこむように家でも外にでも振りまけば世は事もなしと成りそうよ」

「生豆を撒くのは粗末じゃない、と?」

 

「生豆のまま食う人間がいる? 拾って茹でるなり煎るなりすれば衛生面での問題はない、ついでにぶつけられる鬼も痛くないわね」

 

 白が多い、あんまりおめでたくない色合いの巫女さん見つめて、ついでに視線が痛い仙人にも思いつきを伝えてみる。

 それぞれなにやら考えているが余り深く考えないで欲しい、中身の無いただの語呂合わせで大した事でもないのだし、生豆の話題なんて噛み締めていると腹を下すだけだ。

 生豆食むなら藁に詰めた方でも摘み食いしてくれ、と後は暖かなところに寝かせておけば出来上がる納豆予定の藁を見ていると、仙人様からの視線より痛みが引いて生ぬるい物になってきた。

 笑うまでもうちょっとかね、霊夢も考える素振りを見せているし、ついでだもう少し追加してこっちにも笑って貰えるようにしよう。

 

「ちなみに神社だけってのがミソよ、人里では変わらず炒り豆を撒いてもらった方がいいわ」

「どういう事?」

 

 大豆の話題にミソを出す、我ながらこれは上手く繋がったと思えなくもない。

 なんて手前味噌な事を考えていると、興味を惹けた霊夢ちゃんを釣り上げられた、納豆なんて作ってたからか引きが強くて有り難い。

 労せず釣り上げられた霊夢にも笑ってもらえるようここで少し餌を撒いておこう、豆撒き話題をどうにかするために餌を撒いて煙に巻く、怖い鬼巫女と説教の鬼相手に口八丁など失敗すれば後が怖いが、これはこれで非常に面白い。

 

「内に溜まる魔を外に出し厄としてもらわないと困るのもいるし、そうならないと厄除け祈願の仕事も減るし厄除けのお守りも売れない。水分飛ばした炒り豆撒いてもらわないと、懐が潤わない誰かさんがいるって事よ」

 

 ズラズラと思いつきを吐き出してみる、少し早いがあっちの厄神様も来月の流し雛に向けて忙しくなってくる頃合いだ。仙人と同じお山住まいのご近所さんだし、仙人の我儘を通す取っ掛かりには丁度良いだろう。

 そのままもう一人、祈願やお守りが売れれば潤う誰かさんを例えに出してみると、三角巾のてっぺんを斜めに傾けた後にちょっと微笑む巫女さんの顔が見られた。

 無愛想な顔ばっかり見せてくれるがこうして笑むとやはり可愛らしい、霊夢の笑みを見てから仙人に向けて意地悪に笑んでやる。するとこちらからは苦笑が返ってきた、来年の話をする前から笑ってくれてちょいと予想外だが笑みが見られたならそれで良い。

 そういえば最初の企みとは真逆の結果になっているような?

 神社に来てすぐには仙人を泣かそうと思っていたはずだが?

 なんで笑わせようとなったのだったか…?

 まぁいいか、ついついと魔が差しただけだ。




かっぽう着霊夢は可愛い。
タイトル、追儺(ついな)と読みます。
節分のルーツだそうな。


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番外編 色は違えど、そは似たり ~あの鴉天狗は白かった~

  今回の番外編ですが『その鴉天狗は白かった』を連載されているドスみかん様から、お話の主人公である白桃橋刑香さんの出演許可を頂きまして、話に登場してもらいました。
  白い翼を持つ鴉天狗の少女、白桃橋刑香さんがもし東方狸囃子の世界にいたら?
  という形で進むお話です。
 
 読まれるにあたり注意事項を。
 ※東方狸囃子内で生活する白桃橋刑香さんが出演するお話です。
 ※一度チェックはしていただきましたが、彼女の立ち位置や口調など『その鴉天狗は白かった』内の刑香さんと差異が見受けられるかもしれません。
  ですが、あくまでもパラレルワールドという前提でのお話です。
  違いや扱い等、気に障る部分もあるかもしれませんが、暖かい目で見て頂けると嬉しいです。  



 まったり腰掛け漂うバスドラム、浮かぶ景色は冬の朝空。

 夏場よりも高く、澄んでいるように感じられる冬空は空気も凛として清々しい、夏場の空の輝くような風合いもそれはそれで楽しめるものなのだが、単純に空景色を楽しむのならば冬場の空が良い気がする。春は春で芽吹きの感じられる穏やかな空が良い、秋は秋で青空に赤や黄が混ざりコントラストが堪らない。結局のところいつでも何かしら楽しめる幻想郷の空は良いって事か、梅雨時期の雨も悪くない、あたしも隣の相方をも、水も滴るいい女としてくれる雨は良いものだ。

 太鼓が濡れて大丈夫なのか?

 そんな疑問も浮かぶがそこは目を瞑る、でないと夜がつまらない。

 

 朝一番から出かける準備をしていた、隣に座る堀川雷鼓。

 包んだ風呂敷を小脇に抱えてちょっと出かけてくるわ、なんてあたしに伝えて出ていこうとしたところを目を潤ませて、置いてかないで……と返したら仕方なしとお出かけについていく事を許された。許可が出たなら大見得切ってお邪魔できると思い、雷鼓よりも先にバスドラムに腰掛けて早く来いと、ドラムセットの端をペシペシと叩いていたら雑に扱うなと怒られた。

 そういう時は、叩くなら私にして。

 そう言うべきだと反論したのだが、それを言うと文字通りに行動されて出かけるどころではなくなるから言わなかったそうだ、あたしの返答を先読みするとか察しがよくて妬ましい…

 が、理解されてて結構嬉しい。

 

 それはそれとて今日はどこに行くのか?

 出かけるとだけ聞いたから暇つぶしのつもりでついてきたのだが、今日の雷鼓がどこに行くのかは聞いておらず、行く先を知らない遠足となり目的地が随分と楽しみだ。

 漂い向かう先は北東だが、こっちには流行らない魔法の森近くの店。

 それと同じく流行らない妖怪神社。

 後は人里と妖怪のお山関連があるか。

 もうちょっと東だったら向日葵畑もあるが、冬場のあそこに用事なんてないだろう。

 まぁいいさ、どこに行くのかしらないが、行く先はどこでも良い。

 二人で出るだけでもそれなりに楽しく思う。

 

「いつもは椛さんにお願いして呼んでもらうんだけど、今日は許可が降りてるから真っ直ぐ行くわね」

 

 フワフワ漂う空の中で雷鼓がポツリと遠足先を教えてくれる。

 椛さんという聞き慣れた名前から遠足先が確定した。

 今日の遠足は妖怪のお山か、行き慣れた場所だが悪くない。今のような冬場のお山は真っ白に雪化粧していてそれはそれで味があり、秋の紅葉や夏場の緑に並ぶ見目麗しい観光スポットとなっていて、まったり物見遊山するにはいいだろう、そうするのかは知らないが。

 白い雪景色に佇む白狼を思いつつ、他の事も考える。

 他にも銀世界に溶け込むのがいた気がするが誰だったか?

 寒冷地迷彩を着込んだ山童の誰かだったか?

 思い出せないが良しとしよう、行けば多分わかる。

 

「許可なんていらないと思うけど? それより椛に呼んでもらうって事は…煩い方とやかましい方どっちに用事?」

「いらないと言うのはアヤメさんくらいだと思うけど、それってどっちがどっちなの?」

 

「どっちもどっちよ。どちらでもいいけど、どっちから行くのよ?」

「どっちにも行くけど、それじゃあ煩い方」

 

 悩みもせずにニヤリと笑んで返答する雷鼓。

 曖昧な言葉遊びにもすっかりと慣れてしまわれてあたしとしては少し寂しい、もうちょっとこう、訝しむ顔とか思い悩む顔とか見せてくれると面白いのだが、すんなりと返されてしまってちょっとだけ焦らされている感じがする。けれど、それはそれとして行き先もわかったし、煩い方と言われたのだから煩い方から向かうとするか。ここだけの話だが、仮にやかましい方と言われてもこれから向かう黒い方の巣に向かうつもりだった。

 理由は単純。

 茶色くて二本尻尾を生やす方のが御しやすく‥‥いや、心が広くて後回しにしても素直に謝ればどうにかなる事が多いからだ。黒い方のが腹を読みにくく、ご機嫌を損ねると面倒臭い相手だと思える為先に行くことにした。

 

 頭に浮かんだ生真面目白狼の千里眼に見られる中、視界に収まる天狗の集落。

 実際見られているかはわからないが今日は止められる事はない、本日は雷鼓が天狗へ依頼した仕事をしてもらうために訪れたようで、黒い方の巣と茶色い方の巣にだけは立ち入り許可が出ているらしい。あたしだけであれば天魔公認の公式侵入者として許可も取らずに踏み入るが、今日は雷鼓のおまけとして来ている(てい)だ、雷鼓の邪魔にならぬようしっかりと天狗にだけ迷惑をかけよう。

 企み事は企む最中が面白い。

 撮影の邪魔にならずどうやって巣でお邪魔しようか?

 そんな事を悶々と考えている間にドラムの飛行バスは目的地に到着したようで、見慣れたブン屋の住まいが見えた。外にいるはずのお迎え妹烏がいないが今日はおでかけかね?

 まぁいいか、さっさと入ってお茶でも飲もう。

 寒くはないが冬場の空気で乾燥して喉が渇いた。

 

「文? いる?‥‥わよね、入るわよ」

「文さん、お邪魔するわ」

 

 ギィっと玄関扉を開けると鼻をくすぐる好ましい匂い。

 妖怪のお山の大自然と原稿を書くためのインク、その二つの匂いが混ざり香るこの住まいはなんというか、やはり落ち着く。

 丸められたボツ原稿の山や普段は着ない天狗装束などがとっちらかっていて、視界に映る部屋の景色は随分と落ち着かないが、そこは目を瞑り鼻で落ち着きを感じよう。考えつつ瞳を瞑ると鼻に感じる匂いの他に耳に届く微かな声、聞きなれない幼子の声だがなんだ?

 若返りでもしたのか?

 あのマッチポンプ記者。

 

「アヤメおねえちゃん? と、ええと…雷鼓さん?」

 

 聞きなれない声の主が奥から出てきて話しかけてきた。

 ペタペタと素足で歩く音と共に寄ってきて、姿を見せると懐こい顔で迎えてくれた幼子の声で話す誰か。本気で若返ったのかと一瞬引いたが、ここの主ならこんなに愛らしくはないな。髪色も文は濡れたような黒い髪だが、この子は茶色みがかった黒でセミロングくらいの長さ、瞳も夏の空に似た綺麗な碧眼だ、髪も瞳も色合いが違っていて若返った煩い奴ではないとわかる。

 なら誰だろか?

 鴉天狗にしてはちょっと色白な肌、その上にダボダボの紅葉柄シャツをワンピースのように着て、男から借りた服でも着ている風合いで見上げ話しかけてきてくれるが……

 この子はドコの誰だったっけか?

 匂いはこの巣の主に似ているし産んだか?

 いや、似てはいるがこの雰囲気は別の誰かのような?

 幼女の知り合いも結構多いが天狗の幼女など知らないし…‥

 それでもあたしの事をおねえちゃん、雷鼓の事を名前で呼ぶ者だ。

 文の住まいにいるのだし、知っていそうな気もするが…

 

「ちょっと! スカートくらい履いて! 嫌ならせめて下着くらい履きなさ…」

 

 次いで現れたのは幼女の事を追いかけ回すカメラマン。

 シャツと揃いの紅葉柄のスカートを左手に、右手には取材用の本気カメラを持った姿で巣の奥から出てきた今日の尋ね人 射命丸文。あたし達、というかあたしと目が合うと、自分のお古のスカート持って、見られてはいけない姿と顔で動きを止めた清く正しい幻想ブン屋。

 

「あの、アヤメ? 何を考えてるのかわかるけど違うからね? 雷鼓さんもそうじゃないからね? この子は…」

 

 シャツ以外着ていなさそうな幼女、それを息を荒らげて追いかけながらこの手の犯人が言う常套句を述べる、清くも正しくもなくなったように見える鴉天狗。

 妖怪として見れば誘拐、もしくは拉致監禁して自分の趣味に没頭するなんて清く正しい行いに見えるが…こいつに幼女趣味があったとは、それなりに長い付き合いだと思っていたが知らなかった、その手の趣味があるからあの幼女な元上司と酒飲んだりするのだろうか?

 その手に納める写真機で今のようにあっちも追いかけ回してるのか?

 窓から差し込む光を反射してキラリと光る写真機のレンズ、それが目に入ってきたので文から視線を逸らして幼女を見ると、文のスカート引っ張って幼女らしい声色で話し始めた。

 

「おねえちゃん、なんの言い訳?」

 

 顔全面に疑問を浮かべ文をおねえちゃんと呼ぶ幼女。

 屈託なく悩むその顔を見て、言われた文の方はニヤついているが、この状況でその表情はあからさまにそう見える顔だがいいのか? そう見るぞ?

 でも人様の趣味にまでケチを付けるのはさすがにあれだし、可愛い物を愛でたくなる気持ちもわからくもない…仕方がない、ここは目を瞑ろう。

 つい最近も瞑ったし一回増えても大差ない。

 考え通り目を瞑り、耳を塞いであげなければいけない場面だと思い込んで、固く固く目を瞑り直して首を軽く振る、あたしは何も見ていない聞こえていないと話さずに知らせてあげた。

 

「あんた達‥‥こいつはあれよ、飛び回ってた私の…ほら、周りを飛んでた!」

 

 物書きのくせに言葉を濁して話す新聞記者。

 身振り手振りで自分の周りに何かが飛んでいるような動きをするが、それを見上げている幼女の瞳が見慣れた物でやっとわかった。

 なんだい、人型に成ったのか、妹ちゃん。

 

「そう焦らなくても‥‥妹よね? 可愛い姿になってよかったわね、いつ人型取れるようになったのよ?」

「妹さん? ……あぁ~あの烏の、誘拐して撮影じゃなかったのね」

 

 妹、という単語をわざとらしく濁す姉は放っておいて、そのうちに人型になるとは思っていたが予想以上に早くなったものだ。文の妹分でお山に落ちていた所を拾って育てた化け鴉、髪色やら翼の色やらが文ともう一人の姉を足して割ったような色合いで上手く混ざって可愛らしい。良い形で成ったなと素直に感じるし会話の主題として掘り下げたい部分だが、それよりも今は雷鼓さんだ。あたしが思っても口にしなかった事を堂々と、真正面から変質者(姉)に言い放ってしまって……あたしではなく雷鼓から言われたのがショックなのか、言い逃れをしながら妹を追いかけていた幻想郷の伝統変質者が完全に動きを止めてしまった。

 あたしとしては可愛い天狗に成り果てた妹が見られて喜ばしく、文の方は忘れてあげようと思っていたのだが…結構残酷だな、うちの嫁。

 まぁいいか、止まった文としまった顔の雷鼓は放置しよう。

 取り敢えずはあれだ、着せるかね、借りたダボダボのシャツ姿なんて色っぽいのはまだ早い。

 

~幼女着替え中~

 

 丈の余るシャツは文のベルトでどうにか抑えて、スカートも履かせてみたがどっからどう見ても身に余る衣装を着た感じになってしまった。

 そういえばシャツだけだった理由だが、嫌がったわけではなく慣れなくてくすぐったいのだそうだ、確かに全身羽毛からいきなりスッポンポンになり服を着ろと言われればくすぐったいのかもしれないが、あたしの場合はどうだったか?

 着物を着ていた気がするが、その辺はいいな、もう覚えていない。

 しかし余るなこのスカート、服の持ち主が履けば太腿丈の着映えするミニ・スカートになるのだが、今の妹にはひざ下のスカートになってしまっている。

 けれどそれもいいか、幼女ならそれっぽく背伸びする格好も可愛らしいし、服の持ち主であるこの子の保護者は風呂敷抱えたあたしの保護者を連れて奥へと消えてしまったわけだし。

 奥に消えた二人はあっちで撮影だそうだ、なんでも今日は雷鼓が後日に行うライブ、そのポスターに使う写真撮影ってのがお出かけの理由らしい。黒と茶色両方にその話が通っていてどちらから行っても機嫌を損ねるなんて事はなかったそうだ、それならそうと早く言ってくれれば良かったのだが、おかげ様でニヘラと笑む文が見られた為良しとしよう。 

 奥に消えた二人は忘れ、めでたく話せるようになった妹に色々と聞いてみるとしよう。

 今も隣に座ってくれて変わらず懐いてくれていてるし、仲良くガールズトークと洒落込もう。

 

「まずはおめでとう、次来るときは何かお祝い持ってきてあげるから今日は謝辞だけね。名前は貰ったの? というか前からあったのかしら?」

「今朝おねえちゃんにつけてもらいました、けいな、です」

 

 日に当たると茶色い黒髪を撫でつつまったり会話。

 さすがに肩に止めて嘴を撫でてあげるサイズではないため、代わりに明るい黒髪を撫でながら問掛けてみると、青々とした夏空色の瞳で見上げてくる可愛らしい幼女。

 ただの烏の頃もつぶらな瞳で愛らしかったが、こうして人型になったとしてもその瞳はパッチリとしていて変わらずに愛らしい。

 おかん丸から見た目に合う名前も貰ったようだが、あの煩いのが考えた割には随分可愛いな。

 優しく撫でくりつつ問いかけると、何も書かれていない原稿にサラサラと漢字を書きだした。

 ひらがな名だが漢字で書くとこうなの、だそうだ。

 

「漢字だと刑名(けいな)なのね。読みを変えて意味だけ宛てがったのか、文らしい名付けで可愛い名前だと思うわ」

 

 書かれた漢字を読んでみれば随分と物騒な意味合いの漢字が書かれたが、愛する妹につけるなら刑罰やらの意味ではなくもう一つの意味からつけたってところか。

 刑名(けいめい)読みで形名(けいめい)と同じ意味合い『形として現れたもの』とかそんな意味合いもあったはずだ、おねえちゃん烏二人がそうあってほしいと願って成った今の形、そんな子に付けるなら良い名前だろう。名は聞いたしついでに姓も聞いておく、身内らしく名を呼ばずおねえちゃんとだけ呼ぶくらいだし、聞かなくともそっちを名乗る気もしなくもないが。

 

「性は射命丸? それとも姫海棠を名乗るのかしら?」

「おねえちゃんは好きなのを名乗れって、おねえちゃん達のじゃなくてもいいって…アヤメおねえちゃんならどうする?」

 

 奥の方から聞こえてくる写真機の巻取り音と、文の『いいですね~』やら『角度、その角度いいですよ!』やらを聞きつつ、こっちはこっちで話を聞く。

 聞こえてくる姉の声を気にしつつ結構重要な事を相談してくるけいな、育てるだけ育てておいてほっぽり出すとは冷たいおかん丸だが、この子に任せたくなる気持ちもなんとなくわからなくもない。この子の見た目は天狗記者二人よりも別のに似ている気がしなくもない、この子はあれだ、随分と話していないが文が可愛がっていたもう一人の妹分、幼なじみだったか?

 そこはいいか、あれだ、人里で偶に見かけるあいつに似ている気がする…

 色合いは間逆だが澄んだ夏空の瞳がよく似ていて、なんとなくだがダブって見える。

 あっちはこんなに可愛い顔で見上げてくれないが。

 名は確か…白なんだったっけか?

 

「好きにしなさいな、射命丸でも姫海棠でも…雰囲気だけなら白なんとかってのに似てなくもないけど、見た目の色合いが真逆だから貴女には似合わないわね」

「ハクなんとか?」

 

「それは忘れていいわ、後でおねえちゃん二人から聞きなさい」

「はぁい、それでどうしたら良いと思う?」

 

「だから好きに…そうね、気分で変えたら? 今みたいに髪下ろしてる時は射命丸けいな、あっちみたいに二つ縛りにしたら姫海棠けいな。縛れる長さの髪なんだし、両方の妹なら両方名乗ったらいいのよ」

 

 ちょっとだけ意地悪な笑みを浮かべつつ、撫でてる頭の米噛みを軽くつついて返答を述べる。

 妹の顔に浮かんでいた疑問は引っ込んだが代わりに困惑が顔を出してきた、それもそうか、答えを求めて相談してきたのに選択肢を増やされてはこうもなろう。

 けれど相談する相手が悪かった、とは考えずにどうしようかと本気で悩み始めるけいな。

 そもそもあたしに確実な答えを求められても困る、家庭の事情に首を突っ込むつもりはないし、どうせなら本人が悩み抜いて選んだほうが姉二人も嬉しいはずだ。ついでに考える頭も養えて一石二烏、いや妹の悩みも晴れるから一石三烏か。

 何時かも思いついた気がするな、これ。

 幼い(なり)で真剣に悩む妹をニヤニヤ見ながら卓で頬杖をついていると、背中にノシっと何かが乗る。背中に乗ってきたのは自然とインクの匂いが香る誰かさん、撮影を終えたモデルよりも先に戻ってきた写真家。

 モデルより先ってどういう事か、聞いてみたら服を着直しているのだそうだ、ライブ用のポスターに使う写真の撮影だと聞いているが何をどう撮ったのやら。

 

「なんか悩んでるけど、今度は何言ったのよ?」

「選択肢を増やしてあげただけよ? どっちのおねえちゃんの姓を名乗るか悩んでるって言うから、どうせなら両方でいいと言ってあげたの」

 

「また意地悪な‥‥何と名乗ってもいいって言ったんだけどねぇ」

「まぁいいんじゃないの? 真剣に悩むくらい愛されてるのよ、おねえちゃん」

 

 悩む妹を見ながら背と肩の上で騒ぐ姉、それに向かっていい事をいってやる。

 けれど、いい事を言った後の割には背に感じる肘の重みが強くなっていく、あたしとしては結構いい事を言ったつもりなのだが、お前が言うなと言わんばかりに背中の一部だけ重くなる。

 なんだよ、間違ってはいないしいいだろうに、文おねえちゃん。

 

~少女移動中~

 

 着替えを終えた雷鼓が戻り、次に向かい着いた茶色の巣。

 黒い方の撮影は済んで後は妹を愛でる、のかと思ったがなんでか烏の姉妹も一緒にくっついてきた。今朝一番で人型になった妹をもう一人のおねえちゃんにもお披露目するらしい、訪れた際のあの変質者、もといお着替え騒ぎは出かける準備だったそうだ。

 息を荒らげてカメラ持ったままなんて紛らわしい姿で着替えさそうとするなよ、と思ったが雷鼓が来るとわかっていて、その準備中にいきなり妹がスッポンポンになればああもなるか。

 あれやこれやと忙しないが、働く保護者なのだから大変で当然か。

 

「はた」

 

 玄関をノックする前に扉がガバっと開けられた。

 そこから勢い良く飛び出てくる茶色。

 こんなにアクティブな姿のはたてもないなと勢いに押され一歩下がると、あたし達の後ろにいる文、ではなくその横のけいなに飛びついた。こっちもこっちで度々預り面倒見ていた育ての親だ、感慨深いモノもあるのだろう。

 ゴチっという音を鳴らして感動の抱擁とな…

 抱擁で鳴るのならギュッではないのだろうか?

 ゴチってのはなんだ?

 振り返り見ると、額を抑えるはたてと頭頂部を抑えるけいな。

 雷鼓が来ると知っているから念写で覗き見してたのかね?

 撮ってみたら可愛い妹が画面に映った。

 喜び勇んで飛び出して勇み足がもつれたと、そんな感じか?

 嬉しいからといって勢い付け過ぎだ、阿呆。

 

 門口で一笑いがあった後、涙目のけいなをあやす文を先頭にしてはたての巣へと入っていった。

 はしゃぐ妹を中心にちょろっと話して、取り敢えず依頼を終わらせようという流れになり、再度風呂敷抱えた雷鼓がはたてと共に奥の部屋へと消えていった。

 文の住まいでもそうだが飾り気のない部屋が一室だけあって、その部屋が確か撮影用の部屋兼過去の発行記事を抱え込んでおく為の部屋だそうな、どちらの住まいにも結構な量の在庫があるからインクが香るのかもしれない。

 在庫抱えてまでする仕事なのか疑問だが、それはそれとしてあれだ、暇になったし家探しでもしよう。鴉の姉妹は互いにじゃれついててあたしは完全に空気だ、こうなったら以前訪れた時には見られなかった写真でも眺めて暇を潰そうか。 

 

「ちょっとおねえちゃん、この写真に写ってるのって?」

  

 撮影資料なんかが収まる棚の空いた辺り。

 少し高めの棚板部分に飾ってあった写真立てを取り、文に向かって見せてみる。

 写真立てに映る姿は背中側から。

 白い髪を日に透かし、同じく真っ白な翼を広げて、今にも飛び立つ寸前の所を後ろから声をかけられたような、カメラに向かって振り向いている誰かさんの写真。

 出掛けを邪魔され少し不機嫌そうにツンとした、それでも気安い間柄の誰かに見せる表情をしている、柔らかい顔をした白い鴉天狗が写真に収まっている。

 

「おねえちゃん言うな……あぁ、刑香? 白いのなんて他にいないけど、忘れた?」

「名前をど忘れしただけよ、そうだった、刑香か、白桃橋刑香だったわね。人里で偶に見るけど話しかける前に逃げられるのよね、嫌われてるのかしら?」

 

「それは仕方ないわね、今のアヤメじゃ近寄れないでしょ」

「ふむ、死の先にいるんだけど死んでいる事には変わりないって事か、知らない能力はよくわからないわね。祟ったりはしないんだけど? 抱きついたりからかうくらいで、それくらいで遠ざけてくれなくてもいいのに、つれない鴉よね」

 

 それが嫌なんでしょ、と真っ向から否定してくれる文おねえちゃん。

 アレもアレで少しのインクの匂いと森の香りが混ざり、嗅げば落ち着く良い匂いの持ち主なのだが、抱きつくくらいはいいだろうに‥‥女同士だし、否定してくれた文おねえちゃんよりも色合いはあたしのほうが近いぞ?

 種族が違うと言われればそれまでだが。

 

 そんな否定的なおねえちゃんは四角い卓について両足揃えて座り、はしゃいで電池が切れた妹を膝に寝かせて頭撫でつつ、こっちの相手もしてくれるなんとも優しいおかん丸だ。

 普段から結構優しいところがあるが今日はいつも以上に優しく感じられる、なんというかこう自愛に満ちたというか、懐が深いように感じられるのは妹が人型になれて喜ばしいからだろうか?

 それとも話題の相手が白い鴉天狗だからか?

 どっちにしろ文の大事な相手には違いないし、どうであろうとどうでもいいか、お優しい文ちゃんだって事にも変わりない。

 

「こっちは文とはたてに刑香? 古い写真ぽいけど何年前よ、これ」

 

 棚の奥に置かれた別の写真立て、日に焼けてセピア色に褪せてしまった写真が飾ってある。

 そこに映っているのはキメ顔の黒鴉。

 それと同じくドヤっと破顔する茶色の鴉。

 その間には二人よりも少し背が低く、華奢な体でツンとした白鴉。

 三者三様の表情でカメラに向かって立っている。

 

「まぁた懐かしい写真が……はたても物持ちいいわね」

 

 妹を起こさぬよう、静かに膝から下ろしてこちらに寄ってくる文。

『も』って事は文も持っている写真って事か。

 三羽烏の記者共め、昔から仲良さげで何よりだな。

 本棚前で写真立てを持つあたしに寄り添い覗きこんでくるからそのまま手渡すと、素直に受け取って感慨深い面持ちで写真を眺めて優しく笑んだ。日向で笑む横顔がなんとなく良い景色に思えて、両手の親指と人差し指で四角い枠を作りそこから文を覗きこんでみる、その動きに気がついた文が写真に映る姿のようにキメ顔になり見つめ返してくれた。

 

「キメ顔もいいけど、あれね、はたてが言ってた意味がわかったわ」

「ん? 何か言ってたの?」

 

「作ったキメ顔もいいけど被写体の自然な姿を撮るのがいいって。さっきの顔に戻りなさいよ、脳裏に焼き付けといてあげるから」

 

 ファインダー越しにお願いしてみると、少し照れてから再度写真を眺め笑んでくれた。気恥ずかしさがある分さっきよりも作った表情だが、照れ混じりというのもそれはそれで自然だろう。

 まだかと言うようにファインダー越しにウインクしてくるが、それに合わせてウインクして返すと恥ずかしい事をさせるなと窘められた。ポーズを取ってくれたのはあたしの臨時写真機では形として残らない、そう理解しているからだろうが‥‥ここが誰の家だったのか忘れたのか?

 注意力が逸れた文では、奥の方で小さく鳴ったパシャリという音には気が付かなかったようだ‥‥後ではたてに焼き増ししてもらおう。

 後の楽しみに大いに期待していると、何事もなかった顔で戻ってきた茶色い写真家とちょっと着乱れた雷鼓が揃って帰ってきた。

 だから何故乱れるのか?

 聞けば着物を羽織っての撮影だそうだ。

 次のは普段のライブとは趣向を変えて、ゲストに面霊気を迎えた和ロックな能楽ライブだそうで。それに合わせての着物姿って事で、風呂敷の中身はあたしの着ていない浴衣だったのだそうだ。

 勇儀姐さんに買ってもらった今のシャツやらスカートやらと同時に自費で購入したが完全に忘れていた浴衣、雷鼓が着るには幾分小さいが気がしなくもないが、着丈だけなら普段のミニ・スカートと大差ないしあたしよりも似合うだろうね。

 

「とりあえず撮影終了、後は引き伸ばして張り出すだけね、どれにしようか?」

「う~ん‥‥これとか? でもこれはちょっと(はだ)け過ぎたかな?」

 

「普段の格好と変わらないわよ?」

「でも着物だとまた違う感じがしない?」

 

「そう言われると‥‥ちょっと! 文も来なさいよ! どれがいいと思うのよ!」

 

 今し方まで撮っていた写真。

 結構な枚数があるそれらを仕事用机に広げ始め、はたてと雷鼓の二人でどれにするか選び始めた。どれと思って寄ってみたが、出来上がるまで待ってて、こっちに来るな、と二人から言われてしまい、どんな写真をポスターにするのか見せてくれないらしい、白いのをつれないなんて言ったから茶色いのもつれなくなったのだろうか?

 話の流れから今まで構ってくれていた黒いのまでそっちに混ざってしまうし、これでは本当に除け者で面白くない。混ぜろと言っても相手にされず、見てくれる人もいなくなった、あたしを見てくれるのは語らない、写真の中で飛び立つ寸前の白い鴉だけになってしまった。

 動きも話もしない女しか構ってくれないとは、つまらない。

 

「これとかいいんじゃないの?」

「夏場なら良さそうだけど…‥」

「冬場にしては肌出しすぎね、やっぱり私が撮った写真の方がいいわ」

 

「どれどれ‥‥えぇ~、これじゃ雑誌の袋とじでしょ。ポスターっぽくはないわ」

「私は雷鼓さんの良さを引き出して撮ったのよ」

「ちなみに私の良さって何?」

 

「冬でも生足」

 

 なにそれ、と笑いつつキャッキャと楽しげに話す黒赤茶。

 文が撮影した写真も机に広げ、三人がそれぞれ撮った写真を見比べつつ、こっちがいいあっちがいいと楽しげなガールズトークに花を咲かせている。

 何度かちらっと横目で覗いてみると、その度にこっち見んなと叱られて完全に蚊帳の外だ。

 少しくらい構ってくれてもいいじゃないか、と見てくれる白鴉に愚痴るが当然返答はない。

 ツンとしているがどこか気安い顔で写る刑香。 

 こいつもこの場にいれば同じ様に除け者にしてくるのだろうか? 

 するのだろうな、確かこいつも写真を撮って新聞を発行する記者仲間だったはずだ、書いている新聞名も内容も忘れたが写真だけはぼんやり覚えている。

 確か幻想郷の風景写真が多かった、構図や光の差し方などに拘っていて色鮮やかで良いものだったはずだ、ここに向かってくる最中の空云々もその写真から思いついた部分もあった気がする。

 色鮮やかな写真を撮ってそれを発行している割に、自身は真逆の全身真っ白というのがちぐはぐで、ついでに言うなら筆者は色気のない、そっけない態度ばかりというのも皮肉に思えて面白い。

 その辺りをからかうと顔色変えて怒ってくれる面白い相手なのだが、文と話した通りで普段は全く構ってくれないツンの強いツンデレ娘だ。

 文やはたてには偶にデレるくせにあたしにはツンツンしてばかりで……

 そんな相手の写真しかこの場で相手してくれないとか……

 このままではあたしは空気だ、白いどころか透明になりそうでそれは困る。

 いいか、思いついたし、困らせてくれたのだから巻き込んでしまえ。

 

「いいわ、来て思い出したついでだし、もう一人にも撮ってもらう事にするわ」

「もう一人って刑香?」

 

「そうそう、その写真の真ん中のそいつよ、ついでだし首突っ込んでもらいましょう」

「首突っ込ませる、でしょ? 遠ざけられてるのにどうやって捕まえるのよ?」

 

 はたてと文、別々の写真家それぞれから質問を受けるがどうやって捕まえるのかはお前ら次第だと言いたい、あれも白いが足の早い烏天狗に変わりはなく、だらけたあたしが追いつけるような相手ではないが、それは特に問題ない。

 お前らは一体なんだったか?

 幻想郷最速とそれに次ぐ幻想郷高速の二羽だろう?

 あたしを除け者にしたのが悪いのだから責任取ってあたしに使われてくれ。

 そもそもが除け者でおまけ、寧ろ邪魔しに来ただけだから邪険にされるのも間違っちゃいないが、いるのに構ってくれないのが悪い。放置してくれた罰として鴉の追いかけっこに興じてもらい、それを眺めさせてもらう事としよう。

 

「ここには幻想郷最速とそれに続くのがいるじゃない。名をあやかって刑名、と名付けるくらい気に入ってるなら偶には愛でてやったら? 手伝ってくれたらお赤飯くらい炊いてもいいわ」

 

 文が持ったままのセピア色の写真に視線を移し案を出してみる。

 それぞれ覗きこんでから、それぞれ悪戯な顔になりそれもいいわと乗り気になった。

 雷鼓だけわからないような顔だが、わからないなりに何かしらあると踏んでくれたようだ。天狗二人の気を逸らしたところを上手い事ノセてくれた、阿吽の呼吸がデキル女でありがたい。

 二羽の鴉が乗り気になったのだから、ノセた責任を取ってあたしもテキトーに白いのを追いかける(てい)を見せるとしよう。

 どこかの森に巣があるらしいが、多分人里にでも顔を出せば見つかるだろう。遠ざけるというのならそれを逸らせば近寄れるだろうし、しつこく現世に残る怨霊らしく、ねちっこく探すか。

 どうにか見つけてからかって、顔色くらいは健康的に赤っぽくさせてやろう。

 

~少女達移動中~

 

 粘る必要もなくすぐに見つけた白いやつ。

 人里によくいる鴉天狗とかなんとかいう二つ名の通り、今日も人里にいるだろうと思い向かってみたら案の定、体調崩した年寄りのいる住まいからひょこっと出てきた。

 あたしと目が合い姿を見てからすぐに逃げたが、向かう意識を逸し隠した幻想郷最速の黒いのと、それに次ぐ幻想郷やや速の茶色に追い立てられて、少し前から里の空をグルグルと飛び回っている。捕まるギリギリで身を翻して文からもはたてからも上手く逃げるが、あぁも上手く逃げるのは空力学的に有利な体つきだからなのか?

 それとも捕まえる側も追われる側も本気じゃないからなのかね?

 

「なんであんた達が追っかけてくるのよ!」

 

 茶色い鴉が伸ばす手。

 それが触れそうになると宙返りして逃げる回るつれない白鴉。

 悪態をつきながら逃げる割には上手に逃げるものだ。

 時折吹く悪戯な風、黒烏の故意的な、悪戯心が多分に含まれた南風に煽られては白い翼をはためかせて飛び回ってくれて、普段はあまり目立たずに過ごす女だというのに、青い冬空に映える白姿がやけに絵になり妬ましい。

 だがその物言いはちとマズイぞ刑香さんや。

 気を逸らしてノセた天狗達が、なんで私達だけが追いかけていてあたしが下で笑っているだけなのか、そんな事を訝しむような顔色になったじゃないか。

 

「二人して、古狸にいいように使われてんじゃないわよっ!」

 

 逃げまわりながらチラチラと、あたしを見て天狗二人に悪態をつく刑香。

 途中で目つきが悪くなったが、こうなっているのはあたしのせいだとでも踏んだのだろうか?

 その通りだ、意外と敏いな妬ましい。

 それはそれとてよく言うものだ、自分だって千年生きる古烏のくせに、あたしの事を古狸などと白々しく言いおってからに、白いのはその見た目だけで十分だろうに。

 ちょっと華奢で儚げだから若く見えるってか?

 若々しくて妬ましいな。

 なんて古狸らしく妬んでいる場合ではないな。

 刑香の物言いから文達の意識が完全にあたしに向いてしまった。

 折角顎で使っていたというのに、これでは旗色が悪い。

 黒白茶色で仲良く羽を伸ばしていればいいものを、余計な事を言うから風向きがこっちに向いてしまった……が、それも良いか、一服しながら見上げ続けてそろそろ首も痛くなってきたし、元より構ってもらう予定で追いかけ始めたのだった。

 三羽鴉のお戯れを見上げているのも面白いが、偶には遊びに混ざるのもいいかもしれない。三色の翼を広げる三羽鴉相手に一匹、灰色羽なし尻尾付きが混ざってみるのも一興だ。

 

「鬼嫌いの鴉が鬼役なんてつまらない冗談ね、似合わないから素直に追われていなさいよ」

 

 折角見てくれているのだからと、ちょっとだけ煽ってみる。

 すると、あたしに向かってそれぞれ写真機を構える三羽鴉。

 黒いのはキメ顔で、茶色いのはドヤ顔で、白いのはツンとした顔でそれぞれ見下ろしながらカメラを構えてくれている。写真に取って欲しいのはあたしではないのだが、本来のモデル役は隣で笑っているだけで我関せずだ、お前の為に三人目をとっ捕まえたというのに、蚊帳の外から見ている場合ではないぞ、雷鼓さん。

 なんて横の赤髪をジト目で見ているとパシャッと 眩しい光を受けた。

 三人揃って撮ってくれて、古い写真の関係そのままの顔でこちらを見てくれて、仲も絆も深いって見せつけてくれて正しい意味で妬ましい。

 気に入らないから本気で勝負してやろう、普段は持ち得る能力故遠ざけてくれる鴉が珍しく遠のかずに、向こうから寄って来て構ってくれているのだ。

 ならば言われた通りの古狸らしく相手をしてあげよう、両手の指で作ったあたしのファインダー、それに写しきっちり脳裏に焼き付けて、煙で化かせるようにがっつりと記憶してやる。

 楽しげにはしゃぐ姿をあちこちで披露してやるから、後で真っ赤になったらいいさ。



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~竹林小話~
EX その9 断てず、捨てられず、離れられず


 こ汚いあばら屋で一服中。

 煙管咥えて煙草を吸って口の端からわざとらしく煙を漏らしながら、永く短い眠りに落ちている少女の顔に吹きかけているが、全くと言っていいほど反応がなくてつまらない。

 起きていればなによ、なんて言ってくる相手だったりするのだが、今のようにお休み中ではそれも聞けなくてつまらない。はよ起きろと念じつつ副流煙を浴びせているのだが、壁板にも屋根板にも空いている穴から吹いてくる隙間風が結構強くて、居眠り少女に吹きかけた煙は隙間風にかき消されてしまった。

 こんなところでも邪魔してくるとは、スキマとは厄介なモノだ。 

 

 話を戻して。

 少しは直せばいいのにと思うが場所が場所だし、床や天井に開いた穴は致し方ない気がしなくもない。綺麗に抜かれた床板の穴からは土地柄生える竹がこんにちはしていて、丈の穂先はそのまま天井の上まで伸びている。

 穿った見方をすれば家の柱代わりにでもなっていそうなほどに太く、立派な竹が数本室内をぶち抜いて生えていて、地震に強そうな地盤で良い土地だと思える。

 が、同じ土地に建っている我が家も根っこから逸らさねばこうなっているのだろうなと、変なところで感心させられた。休眠期である今時期に輪切りにしておけば、暖かい季節を迎えた辺りに水を吸い上げ過ぎて綺麗に枯れていくとは思うが、他人様の家だし思いついてもやらずに放置しておく‥‥嫌なら焼くだろう、本人が。

 燃え尽きた煙草を捨てるのに煙管を竹で軽く叩いてから、未だ目覚めてくれない少女の横に腰を下ろして二度目の一服を始める。

 いつから死んでいるのか知らないが、そろそろ起きてもいいと思う。

 季節も冬から変わるのだから。

 

 妖怪神社の梅が見頃となり寒くはなくなってきた頃合いだが、同じくそろそろ起きだすスキマが吹かせてくれる風が肌に冷たく、暦の上だけでしか春ではないなと実感させられた。

 ここまで強い隙間風が吹いても何も動かない、何もない部屋。

 なんというか、いつ来ても汚くて何もない住まいだと感じさせてくれた。

 我が家も人の事を言えるほどではないが、ここのように屋内にいながら四季の風を感じられるほど、粗野ではないし自然と密接な暮らしぶりもしていない。

 我家の場合は寝起きを共にする羽毛布団から自然とインクの匂いがするし、外気を常に取り込まなければならないような環境でもない、寧ろある程度煙がこもってくれないとあたしとしては地味に困る‥‥同棲相手が困るとかは別問題として。

 取り敢えずいたずら好きか殺しても死にそうにない奴等しか訪れないので、壁や天井に穴があかない程度に手入れするくらいで今のところなんとかなっていたりする。

 

 あたしの性格を鑑みれば綺麗に整えられた屋内は想像しにくいかもしれないが、多分想像される以上に片付いていると思う、簡単にいえば散らかるほど物がないだけだったりするのだが。

 食器棚や箪笥、火鉢など少しの家具と、貰った写真立てやドラムのフルセットが置いてあるくらいで後はめぼしい物はないはずだ。

 こんな風に必要な物だけを置いて、不要なものは処分するなり片付けるなりする事を何というのだったか、外国の修行方法だかをもじって付けた名前があった気がしたが…

 思い出せないので後にしよう、そろそろ起きるみたいだ。

 ピクッと肩が揺れて、掛かっていた長い白髪が肩口から零れた。

 

「う‥‥ぁ‥‥」

「おはよう、それとも生誕、ではなくて再誕かしら? おはようよりおめでとうと言った方がいい?」

 

「け‥‥」

 

 け、とはなんぞや、言わずともわかる気がするがあえて聞く。

 あたしとアレを見間違える事などないはずなのだが、あっちほど厳しい表情はしないしあやつほど頭が硬いわけでもない。体躯の方もあの我儘ボディの女教師に比べれば華奢なあたしだ、ああいうのが好みなら間違えるはずがないのだが……

 

「け? なに? はっきり言われないとわからないわ」

 

「煙たい」

「でしょうね」

 

 頭を左右に振って、副流煙を散らして文句を吐く蘇りたてホヤホヤさん。

 思いついた『け』とは違っていたものが違う答えとして聞こえてきた、ふむ、間違っていたのはあたしだったか、ならばもう気にしないようにしよう。起きた、正確に伝えるのならば生き返っただな、意識を取り戻してあっち側から帰ってきた人間インフェルノ 藤原妹紅。

 寝起きから煙たいなど邪魔者扱いか、ってこれも間違った意味だな、この場合は吹きかけた煙草のせいで物理的に煙たいって事だ。

 

「衰弱死なんていつ以来だろ?」

 

 生き返ったはずなのにドコか眠たげな、半目くらいの朦朧とした目つきでいる妹紅さん。

 いつもは輝夜と争って血みどろになっているか、派手に燃えてしめやかに爆発四散している姿くらいしか見ないけれど、今日のような衰弱死も経験済みらしい。ただの健康マニアだと自称しているが死ぬほど衰弱する健康マニアがどこにいるのか?

 ここにいたか、取り敢えずだ久々らしい衰弱死開けに、こちらも久々であろう寝起きの一服でもしないかと煙管に葉を詰めて差し出してみた。

 

「文字通り死に方を選べていいわね、久々ついでにどう?」

「お、貸してくれるなんて珍しい。いいの?」

「別に減るもんじゃなし、偶にはいいわ」

 

「なら遠慮無く‥‥何年ぶりに吸うのやら、もう覚えてないわ」

「煩く喧しい伝統変質者にボヤがどうこうなんて言われてから禁煙してるんだっけ? 我慢なんてする体でもないのにおかしなもんだわ」

 

「アレはしつこいから仕方ないの、って変質者? なんの事?」

「幼女趣味があるみたいなのよね、いつだったかシャツだけの幼女を追いかけまわしてたの」

 

 あたしの煙管を咥えて寝起きの一服を済ましている妹紅を見ながら、スカートとカメラを持ったお山の変態の噂を少しずつ広めていく。

 人の事を血を好み人間の肉を喰らうなんて書くくらいなのだから、自分も未成熟を好み青い果実を喰らう鴉だと言われても致し方ないことだろう。広まった後辺りに我が家に乗り込んで来そうだが、自分で新聞のネタを作るマッチポンプも得意なのだし、これくらいはいい笑い話だ。

 きっと。

 

「ふぅん、アレにそんな趣味がねぇ。天狗ってみんなそうなのかな?」

「他にも知っているって口ぶりだけど、他の幼子好きっていたかしら?」

 

「知らない? 鞍馬山の天狗の話」

「鞍馬山って‥‥あぁ、そっちは可愛い男の子の話よね?」

 

「そうそう、あんまり可愛いからつい技を仕込んだって天狗がいたじゃない」

「あれって与太話じゃないの? その後大陸に渡ったとか色々言われてる人間の話でしょ?」

 

「大陸はわからないけど天狗は本当、実際見てるし」

 

 サンキュ、と煙管の咥える側をあたしに向ける妹紅。

 はいはいと、素直に受け取りそのまま三度目の一服をしながら結構昔にいた人間の男の話をする。箔をつける為の法螺話だと思っていたのだが、妹紅が言うには天狗の方は本当らしい。

 どちらかと言えば大陸に渡った話のが信憑性がありそうなものだが、実際見たと言うくらいなのだからそっちは本当なのだろう。知った所でどうでもいい話だが眉唾な話の裏付けをするにはこれくらいの与太話がちょうどいい。

 

「でさ、幻想郷の天狗ってどうなのよ?」

「もう一羽その幼女が大好きなのを知ってるけれど、あっちは母親目線に近い感じね」

 

「もう一羽って?」

「今どきの引き篭もり記者」

 

「あっちの記者か、天狗ってより新聞記者の趣味がそうなのかな?」

「かもね、天狗の事が気になるなんて珍しいわね。死んで気でも入れ替えた?」

 

 生憎死んでも変わらないと苦笑する死なない人間。

 自身の生死に関して随分と雑な観念を持っている言い方だが、死んでも死なず生きてもいない人間の感覚なんてそんなもんなのかもしれない。

 終わらない夜の異変時には『生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し』なんて坊主の言葉を言っていたそうだし、言葉通り死がわからない体なのだから生死感もないのかもしれない。

  

「天狗ってよりは、山のほうに‥‥ちょっと、ね」

「妖怪のお山? 目覚めついでにそっちにも目覚めたの?」

 

「? 何の事?」

「カウガール且つ山ガールにでも目覚めたのかと」

 

「カウ?……慧音に言っとくわ」

「いいわよ、今のあたしに頭突き出来るのならお好きにって伝えておいて」

 

 小さく可愛い舌打ちをする牛の乗り手さん。

 上手い事言ったつもりが怪訝な顔になるのは乗られる側だったからなのかね、いや、単純にからかわれてお冠ってだけか。

 乗ろうが乗られようがどちらでもいい事は置いておいて、あっちの石頭だが正確には牛ではないらしいがパッと見は偶蹄目だし、ちょっと目が多くて叡智を司っていて、おまけに中国妖怪の長なんて言われるくらいで‥‥白鐸はきっと牛だろう、それくらいに慧音のはでかいもの。

 それはそれとて妖怪のお山に何があるというのか?

 話を切り出した時の顔は少し暗い、なにやら思いつめた表情だったように思えるがなんだろう、また面倒な事に巻き込まれそうな流れか、これは。

 だが致し方ないな、話の流れから聞かないわけにもいかないしからかうだけで知らんぷりすれば本格的に怒られそうだ、今も指先に炎を灯してゆらゆらさせてくれているし。

 

「で、お山がなんなのよ」

「あの山にいる神様の話でさ、背比べの話って知らない?」

 

「うん? 背比べって‥‥神様姉妹の話のあれ?」

 

 そうそうと頷いてくれるが、また随分前の話を知っているものだ。

 妹紅の話す神様姉妹の事だがこれはまだ妖怪の山が八ヶ岳として外の世界にあった頃の話、あたしも生まれていないくらいの大昔のお話で、いたのは近所の女医さんや今お山に住む神社の神様達くらいだろう。

 それでその姉妹、わかるだろうが秋じゃない、秋よりも片方は春っぽいか。

 なんでも大昔に富士山に住んでいた石長姫という姉と木花咲耶姫という妹の姉妹神が、住まいにしていた富士山と八ヶ岳とを比べてどちらが高いかなんて話をしたそうな。

 で、当時は八ヶ岳の方が標高が高くてそれが気に入らない妹の方が山を割り、八ヶ岳を今現在の外の世界にある姿にしたって事らしい。

 そんなわけで富士山よりも高かった八ヶ岳の存在は忘れ去られ、幻想郷での妖怪のお山の元となるって話なのだが‥‥よくよく考えれば変な話だ、神代の頃の話だというのに幻想郷の土地としてあるとか、成り立ちがよくわからん。

 が、いいな、対して重要でもないし。

 それで、これの何が気になるのか? 

 

「それそれその話、今でも山にいるのかなって」

「いるんじゃないの、見た事ないけれど」

 

 言いながら真上を向いて煙草を漏らす。

 ポワポワと漂い隙間風に吹かれて消えていくそれを見ていると、いるのか、と小さく呟くフジヤマヴォルケイノ。

 声色から真面目なお話らしいが、何がどう繋がっていくのかさっぱりわからず、まるで煙に巻かれているような感覚だ。

 

「アヤメってさ、そっちの神様とも面識ある?」

「あったとしたらいる、と、言い切ってるわね」

 

「知り合いってわけではないんだ?」

「知識として知っているだけね、お会いした事はないわ」

 

 聞かれた事に返答すると、そっか、とまた真面目な顔になるもこたん。

 暗く沈む顔からなんとなく後悔や懺悔といったモノが見て取れて、真面目な雰囲気に耐え切れなくなる前に内心だけでバランスをとっておく。

 ヤツメウナギやら焼き鳥やらをこんがりジューシーに焼き上げるもこたんと脳内で言っておけば、この暗い雰囲気に飲まれることも多分ないはず。

 

「あのさ、死んだ‥‥殺した相手に悪いと思った事ってある?」

 

 神妙な面持ちで何を言うかと思えば、また変な事を唐突に聞いてくるものだ。

 答えるならあたしはない。

 思うくらいなら殺さない、単純な理由だ。

 けれど、そう仮定して考えるならばどう感じるのだろうか?

 何故殺すはめになったのか、とかそういった事は取り敢えず捨て置いて、手にかけた者に対して詫びるとはどんな心理からくるのだろう。

 喰う為に殺めるのは当然として憎いから殺すという負の感情からくるモノもわかる、だが何かの理由があり殺めた者に対して後悔や懺悔と言った気持ちになった事は……多分ない、あっちゃいけないとも考えているし。

 一変死んで自身の終わりも体感した、その辺を少しだけ踏まえて考えてもよくわからん、から聞いてみるかね。

 

「あたしはないと言い切るけれど、何故悪いと思うの?」

「いや、ないならいいんだ。変な事聞いてごめん」

 

「構わないけど‥‥まぁ、いいわ」

 

 ちょっと俯く妹紅を余所にテキトーに話を切り上げる、普通の人なら追求するなり深く聞いたりすると思うが、本人がいいと言う事なのだし聞いてきた事を謝ってもきた。

 ならば聞かなかった事にするか忘れた事にしてあげるのが良い、決して首を突っ込むのが面倒臭いだとか、厄介な相談事を持ち込むなだとかは邪な心で切ったわけではない‥‥そんな心がないわけでもないが、今は薄い。

 それに、こういった物言いは大抵が込み入った事情ありきのものってのが相場だ、それを話してくれるのは嬉しく思うが聞いてあげたところでなにもしてあげられないというのもなんとなくわかる。

 

 あたしも妹紅も伊達に長く生きていない、自分の事は自分で出来るくらいの年寄りではあるわけ‥‥なのだが、このまま放っておくとまた衰弱して一回休みになりそうだしどうしたもんかね?

 今日訪れた理由は様子見なのだし、少しだけお節介をしてみようか。

 春から寺子屋に通い始める子供らの準備やら相手やらで、今時期忙しくて様子見にも来れない偶蹄目にお願いされての顔出しなのだから、偶にはあれを真似てお節介な世話焼き役にでもなってみるとしますか。

 

「なんでもいいけど似合わないわね」

「え?」

 

「燃え尽きないのが取り柄なのに、燃えカスみたいに燻ってるのが似合わないって言ってあげてるの」

 

「燃えカスって、私だって偶には‥‥」 

「死んでも変われないんでしょう? ならさっさと普段の姿に戻ってもらわないと、もう一回くらい殺してあげれば戻ったりする?」

 

 ニヤニヤと意地悪く、知らぬ人からすれば完全な煽りに聞こえる言葉を吐く。

 少しだけむっとする妹紅だったが、あたしが軽口だけで終わらせずに成長しなくなった細首に手を伸ばすと、少しだけ寄った眉根を更に寄せて瞳に強いモノが宿った。

 が、気にせずに首に触れた手から妖気を流し頭と鎖骨辺りまでを破裂させた。

 妹紅の返り血を浴びて顔も髪も、着ている着物すらも真っ赤にしながら残った胴体を眺めていると、ボウっと音を立てて燃え上がり火の鳥の羽を背に現しながら再び生き返るもこたん。

 

「いきなりなにすんのよ!」

「いきなりでないならいいのね、ならもういっか‥‥」

 

 パチパチと室内の竹を焦がしていく妹紅に向かいゆっくりと手を伸ばす、珍しく好戦的な自分が少し可笑しく意地の悪い笑みが強まった気がする。

 そんなあたしの顔を見てすっかりとやる気になった炎の蓬莱人。

 自宅の中だというのに何も気にせず、胸の前に両手を揃えそのまま炎を練り上げていった。結構な熱量があるようで赤や橙よりも白に近い色合いの炎が術者である妹紅ごと爆ぜた。

 一瞬で視界が白に染まる。

 熱量は逸すが勢いは逸らさずにこの身で受ける、でないと煽った意味がない。

 逸らさずとも焼かれなくなった、焼く肉がなくなったのだから当然だが曖昧な体に違和感を覚えつつ、勢い良く吹き飛ばされボロ屋の壁ごと弾かれて思った……いつだったかもこうやってガス抜きしたような気がするな、あの時も煽ってやったなと別のことを考えてぶっ飛んだ。

 派手に飛ばされ竹に打ち付けられると、いい感じに撓ってくれて少しだけ反動で戻る。空中で二度ほど前転してからシュタッと、何かの主人公の登場シーンらしく戻ってみると丁度自爆から戻った妹紅と目が合った。

 また燃やされるかな、と考えていたが炎は見えずちょっとだけ落ち着いたような、溜まったモノが体現通り弾けてスッキリとした感じでいる蓬莱人。ストレス発散に爆発四散はどうかと思うが、そうさせたあたしが言う事ではないな。

 

「派手にふっ飛ばしたわね」

「なんだよ、嫌味言うくらい元気じゃないか」

 

「あたしじゃないわよ? 家よ、あばら屋の事」

 

 取り敢えず景観の感想を述べてみると勘違いされたので訂正してみる。

 すると、復活した辺りで周囲を見回しはじめた。

 妹紅のいる辺りにはつい先程までボロ屋があったのだが、住まいの主のド派手な自爆に巻き込まれて燃えカスも残らずに灰燼に帰していた。

 言われてキョロキョロと、長い白髪を振り振りしながら見回す爆発娘だったが、すぐにやらかしたという顔になり、あたしの事を憎らしそうな瞳で見つめ始めてくれた、普段見せてくれるものはもうちょっと穏やかだがまぁいいだろう。

 死なないくせに死んだ魚のような、虚ろな半目など似合わないのだから。

 

「ねぇ、これどうしてくれんのよ?」

「さぁ? やったのはあたしじゃないわ、自爆したのが悪いと思うんだけど?」

 

「そうさせたのは誰よ!」

「それはあたし、でもスッキリして良かったじゃない。あってないような物なら失くした方がいっそ清々しいと思わない?」

 

「人事だと思って‥‥」

「他人事だもの、それでもほんの少しだけ悪い気もするからしばらくうちにいる?」

 

 全くもって悪いなどとは思っていないが、少しだけ来やすいように気を使ってやって来るかと誘ってみる。

 放っときゃまた死ぬかもしれないし、様子見するならうちにいてくれた方が楽で、ついでに後で来るかもしれない天狗記者を追っ払うのに役立てられそうだ。

 世話やき上手と仲の良い焼き物上手な焼き鳥屋が我が家にいれば、一応は鳥の範疇に入るあいつもしつこく粘ったりはしないだろうし、上手い事煽てれば石長姫様のお話も聞けるかもしれない。

 そう考えてのお誘いだったが、少し考えた後で再建するまでは人里に行くからいいと返されてしまった。

 

「再建ってまたボロ屋を建てるつもり?」

「ボロ屋って言わないでよ、あれで結構気に入ってたのに」

 

「何もなかったのに? 壁も屋根もないようなボロ‥‥」

「だからボロ屋はやめてって、断捨離したらああなっちゃったのよ。捨て始めたらあれもこれもいらないって思っちゃって」

 

 テヘっと照れるもこたんは可愛いがちょっとやり過ぎじゃなかろうか?

 掃除やら整理やらし始めると色々いらない物が見えてくる、そんな心境に共感出来る部分もあるにはあるけれど、それにしたってやり過ぎだ。

 せめて衣食住くらいは最低限置いておくべきだったろうに、普段死にまくっていて命も捨て慣れているから物もラクラク捨てられるって事なのかもしれないけれど‥‥見てくれる側の事を考えてあげればいいのに。

 誰がどの頭で考えるのか、と怒られそうな事を思いついていると家のお詫びに今から奢れと、肩を組まれて人里の方へと促される。

 面倒事を起こされてその相手に集っていく姿が、まるで普段の誰かのような感じに見えてしまって思わず声に出して笑うと、何がおかしいのかと変な笑顔で問掛けられた。

 喉に使えていた小骨がとれただけだと言うとよくわからない顔をされたが、実際よくわからんだろうね、妹紅が死んでいる間に思った事なのだから。

 取捨選択して捨てる事を断捨離と言うのだと思っていたが、住まいごと綺麗に失くした相手からそれを言われ、思い出させてもらえるとは思っていなかった。




新作のヤクザな姿勢で中性的な口調の妹紅よりも、永夜抄妹紅の方が好きです。


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EX その10 焼き物上手

なんでか続いてしまいました。


 肩組むもんぺは白髪揺らして、組まれたあたしは着物の袖と白徳利を揺らして、似たような髪色の二人で肩を組み歩く迷いの竹林。

 ここに住んで長い二人が迷いもせずに向かった先は、竹林と人里の間で営まれているいつものたまり場、夜雀屋台。『八ツ目鰻』と四文字書かれた紺色の暖簾の『鰻』の部分をいつもの様に潜りつつ、ただいまとあたしの席へと腰を下ろすと、おかえりなさいと迎えてくれる女将さん。

 一緒に来た若白髪は『ツ』の辺りに腰掛けて、少しスペースを開けて二人で座る。

 特に気にする距離感があるわけではなく、誰かさんは右の端に腰掛けるのに左手で煙管を持つことしかしない為、妹紅が気を使って離れて座ってくれているだけだ、彼女のように気遣いできる女は素晴らしいと思う。

 席につくとあたしも妹紅もいつものとしか頼まない。

 わざわざいつものと頼まなくても、いつも通りその日の小鉢料理と冷酒が出され、いつもの白焼きが八藤丸印の炭で焼かれ始めるのだが、それでも言うのは気分だろう。

 注文に対して、はいと笑顔で頷いてくれる女将が可愛らしくてわざと言っているフシもあたしにはある。

 

「うちで一緒になるのは多いけど、揃って来るのは珍しいですね。それにアヤメさんの奢りだなんて余計に珍しいわ」

 

 パタパタと団扇を仰ぎ火加減を見る屋台の女将。

 ミスティア・ローレライが客席を見ずに珍しいと言ってくれるが、確かに珍しい気がしないでもない。ご近所さんらしくここで合流してそのまま飲み、互いが満足した頃にお先と言ってバラバラに帰ることばかりで、一緒に来店する事は少なかったかもしれない。

 妹紅も似たような事を考えてたのか、屋台の屋根を見上げてから小さく頷いていた。

 

「今日はお詫びの奢りなのよ」

「お詫びなんて、今度は何やったんです?」

「今度も何もしてないわ、いつも何かしてるように言われるのは心外ね」

 

「何もしてないってどの口が言うのよ、人ん家失くしてくれたってのに。謝りもしないって酷いと思わない?」

「それはそれは、大変でしたね」

「ふっ飛ばしたのは自分でしょうに。それに代替案は出したわ、妹紅が乗ってこなかっただけよ」

 

「わざと煽ってきたくせによく言うわ」

「煽りとわかって乗るのが悪いわ」

 

 小鉢つついて酒を含みつつ互いに悪態をついていく。

 言葉尻だけ聞いているとどちらも口悪く話していて、また一騒動ありそうな雰囲気に聞こえるかもしれないが、あたしも妹紅も荒れているわけではない。妹紅の方もスッキリと爆発四散した後で後腐れもないし、あたしは腐る体がないのだから残るものもない。

 ただ先程の騒ぎをぼやいて女将に話しているだけだ、言われている女将もまた騒いでこの人達は、くらいにしか見てくれないので気安く話せて楽である。

 

「女将はどっちが悪いと思う?」

「ん~、アヤメさんかな?」

「女将まで‥‥そうやって何でもあたしのせいにすればいいのよ」

 

 グラスを傾けながら妹紅が話すと女将がそれに乗っていく。

 同士が出来た妹紅がイタズラに笑うと女将も同じ様に笑ってくれるが、何でもかんでも人のせいにしてくれてからに、それでもほんの少しだけ悪かったかなと感じているから素直に奢ってやる気になったのに。

 グラスに残った冷酒を煽りつつ、どうせあたしが悪いんですよと、しっぽを振ってそっぽを向くと女将からお酒と言葉のおかわりを注がれた。

 

「珍しくツンとして、ホント素直じゃない」

「そうよ、性悪で人に迷惑をかけるのがあたしなの」

 

「開き直るんだから確かに性悪よね」

「妹紅さんも茶化さないの、言う割に素直に奢るんだから‥‥だから悪いのはアヤメさんだって言ったのに」

「ん、どういう事かしらね?」

 

 注がれたお酒をチビチビ飲みつつ、グラスを口に付けたまま聞き返すと笑みを明るいものに変えて女将が答えてくれた。

 

「どこかで悪いと思っているから奢ってあげるんでしょ」

 

 ニコニコと笑みながらそんな事を言われてしまってグラスを傾ける手を止めてしまった。恥ずかしいからというわけではなく、あっさりと読まれてしまってそちらに驚いた為だ。

 久々に感じるこの雰囲気、曖昧に濁し煙に巻くのをモットーにしているのにすんなりと内面を読まれてしまって困りモノだが、以前ほど困ると感じないのは理解者がいるというのは悪くないと気がついたからだろうか?

 

「なによ、やっぱり悪いと思ってるんじゃない」

 

 イタズラに笑っていた妹紅がなにかが繋がったかのような、スッキリハッキリとした顔になりあたしの顔を覗きこんでくる。確かに悪いとは思っているがやっぱりとはどこにかかってくるのだろう、住まいを灰燼に帰してしまった事に対してか?

 それなら悪いと思っているが‥‥

 

「やっぱり?」

「ほら、質問したでしょ?」

 

「あぁ……家の方はほんの少し悪いと思っているけど、そっちは悪いと思ってないわよ? 殺したって死なないんだから悪びれる事もないでしょ?」

「また物騒な話になったわ、輝夜姫だけじゃなくてアヤメさんとも殺し合う事にしたの?」

「一方的に殺されただけ! そっちは悪くないってアヤメの価値観ってズレてない?」

 

「妹紅には言われたくないわ、断捨離もいいけど着替えくらいは多めに用意しなさいよ……ねぇ、女将?」

「う~ん、そうねぇ‥‥」

 

 鼻を鳴らして会話を進めていき、女将も巻き添えにしてみる。

 綺麗に死ねば元通りとなるため着替えも必要ないらしいが、死ななきゃ戻らない上に風呂もないようなあばら屋に住んでいるものだから、極稀に気になる時もある。

 それでも鼻を摘む程ではないから特に指摘したりはしないのだが、世話焼きついでにそのあたりもつついてみる。嫌味な笑い顔のあたしから吐かれた文言は全く効かなかったが、女将の可愛らしい嘴に突かれて多少気にはしたらしい。

 

「アヤメは兎も角女将にまで言われたし、今後は少し気を使うわ」

「口が減らないけどいいわ、その方が乗られる方も嬉しいと思うわよ」

「乗られる方って‥‥そうか、妹紅さんはやっぱりそっちなんだ」

 

 始まりとは逆に、あたしと女将が似たような笑い顔で妹紅を見つめる形になる。

 余計なところにまで飛び火したのが気恥ずかしいのか、さっきまでの誰かさんのようにそっぽを向いて酒を煽る妹紅だが、その態度で肯定してしまったと考えたりはしないのかね。

 まぁいいか、仲良き事は美しき哉というしこれ以上追求するのはやめておこう、女将はこういった話が好きだし、そろそろ話の筋を逸らさないと藪から蛇が出てきそうだ。

 

「アヤメさんはどっちなのかしら? 乗る方? 乗られる方?」

 

 どうにも蛇は既に出てきた後だったらしい、久しく食していないが偶にはと思い出てきた蛇も美味しく頂いておく事とした。キラキラとした顔で聞いてくる女将さんに、両方だと笑って答えると女将よりも妹紅から色々と聞かれ始めた。

 カウガールだの言ったからその仕返しのつもりだろうが、こちらからの藪蛇も気にせず貪っていく、聞かれた事全てにどちらとも取れるような物言いで返答をすることにしよう。

 下手に否定するよりはそうした方が丸め込める、騙しや誤魔化しはあたしの道だ、蛇程度でどうにかなる事もない。

 

~少女達酒宴中~

 

 そこそこ呑んでそこそこ話して、キリがいいところで妹紅と二人屋台を後にした。

 二人とは言ってもそれぞれ帰る先は真逆。

 あたしは自分の住まいへ帰り、あっちは里へと歩み始めた。

 別れ際にいつでもどうぞと話してみると、偶には顔を出すとだけ言ってもんぺに両手を突っ込んで歩き去っていった妹紅。ほろ酔いで笑っていた顔には蘇りたての時みたいな暗いものはなかったし、あの雰囲気で行くならそう悪くもないだろう。

 後であたしも顔を出して世話焼き教師をからかっておこう、乗ったのか乗られたのか、餌を探す狸らしく根掘り葉掘りと聞いてみてどんな顔をされるのか今から楽しみだ。

 そんな事を考えながら真っ直ぐに我が家に向かって歩いているが一向に帰り着かない、来る時は素直に来れたのに帰りは戻れないとかどういった状況だ、これは?

 住み着いて幾久しいし、迷いの竹林だから迷うなんて事はないと思うのだが、なんで帰れないのだろうか?

 

 暫くウロウロ歩いても一向に帰れない我が家。

 帰りたいのに帰れない、通りたい帰り道がわからない状態でも気にせずにブラブラと歩いて、なんとなくそれっぽい鼻歌を歌い歩く。

 フンフンと女将のように歌うのは何処かで聞いたわらべ唄。

 唄の通りに行きはよいよい帰りはこわいって感じになっているが、あたしの場合は行きはシラフで帰りが酔い酔いだ、細道というほど狭い竹林でもないし取り敢えず何か原因があって帰れないのだから、それを探って帰り着くかね。

 

 ダラダラ歩いて進んでいくと見慣れないちっさいのが三人と、見知った相手が大小二人いた。見慣れない方は全員背中に羽がついていて、見知った方は頭に耳が生えている。

 よくよく見れば大きい方はまるで無軽快な座り姿をしている。

 色のある話をした後で少しだけムラムラしている気がしなくもないし、アレでも拝んで目の保養でもしておきますか。

 能力を行使し本気で全てを逸らす。こういう時に無駄遣いしないでやる時にやれと思われそうだが、まさに今があたしのやり時だ、きっと。

 その場にいる誰にも気が付かれずに移動する。

 なにやら話す見慣れない三人の背中側へと動き、それと対面するように座り込んで石の上で丸出しになっている大きな方、鈴仙の正面に回ってから煙管咥えてそれを拝む。ミニ・スカートなのだからもう少し気を使えばいいのにと考えなくもないが、こういう抜けている所がこの子の良い所だと思い込み、もうしばらく楽しむ事にした。

 覗きこまなくとも見えるのは白と水色のストライプ、可愛いとは思うけれど、もうちょっと色気があるのを履いてもいいんじゃないだろうか?

 人里で人気もある兎さん、オドオドとした態度の中には派手で大人びたものが隠れている、なんてギャップでも作ってみればその手の趣味の者達にも人気が出そうなものだが。

 悶々とした事を考えていると四人の立ち位置が少し変わる。

 何かを話す四人だったが、岩の上で丸出しでいた鈴仙が降りると見覚えのある妖精が岩に乗り元気に話し始めた。

 

「で、そのてゐさんを見つければいいのね!」

「なら私の能力でいけるわ、生き物なら場所がわかるもの」

 

 岩の上で立つ妖精、なんといったかサニーなんたらいう妖精の横にいる青リボンを頭に乗っけた妖精が、ドヤっと胸を張る。

 なんだろう、この偉そうな姿といい、見た目といい見覚えがあるが‥‥あぁ、終わらないお姫様に似ているのか、輝夜に比べれば前髪が短くて眉毛丸出しだがそれは良しとしよう。

 小間使いが丸出しなのだから姫に似てる奴も丸出しにもなろう。

 

「妖精なのに凄いのね、大したもんだわ……出来るというならさっさとお願い、でないと私がお師匠様に怒られるんだから」

 

「赤青ツートンに怒られたくないからって偉そうね、ストライプ娘」

「!? アヤメさん!? いつから!? っていきな‥‥見ました?」

 

「見ました、もうちょっと色気のあるやつ履きなさいよ、そういうのはてゐの方が似合うと思うわ」

 

 静観に飽いて話に混ざるとビクッと飛び退いた狂気の月の兎。

 妖精相手だから少しだけ偉そうだったが、声をかけると短いスカートを大げさに抑えて、頬を染めてくれた。唐突に話しかけたからか、ついでに他の三人も驚いてくれて何よりだ、唯一動きを見せなかったのは奥で聞き耳を垂らしていた妖怪兎詐欺だけだが、あれはカウントせずともいいだろう。相手をすると余計なしっぺ返しをもらいそうなのであの年増は放っておく。

 とりあえず赤くなった大きい兎とその他三人をからかうか、一人は少しだけ話した事がある気がせんでもないし、多分会話出来るだろう。

 

「そもそも見せる為の物じゃ‥‥それよりいきなり現れないでください」

「いきなりでないと驚きを提供できないわ。それで、鈴仙はいて当然としてそっちは竹林で見ない妖精ね、一人は見たことあるけど二人は初めましてのはずよね?」

 

「サニー? 知ってる?」

「ほら、前に話した、霧の湖で氷精から逃してくれた狸の妖怪」

「あぁ、サニーの能力が通じない胡散臭いのってこの狸さんなのね」

 

「ふぅん。助けてやったというのに、言ってくれるわね」

 

 唯一名前を知っているサニーレタスだかミルクだかいう妖精に問いかけるミニ輝夜、どうやら素直に話してくれたようでもう一人の亜麻色髪の縦ロールから正直なお話も聞けた。

 返答すると、あ、とだけ言って口を開いたまま固まる妖精さん達。

 特に最後の一言を行ってくれた奴は栗みたいな形の口で固まってくれている、ちょっとどんくさく見えるその口に何か突っ込んでやろうかと手を伸ばすと、後ろに下がって半歩でコケた。

 コケた拍子にポロッと飛び出たメガネ。

 なんだ、珍しいメガネ仲間か、それなら今のは許してやろう。

 

「で、貴女達はなんで鈴仙に捕まってるのよ?」

「それが‥‥」

 

~妖精説明中~

 

「というわけなんです」

「そうなんです」

「そうだったりします」

 

 三人並んで話してくれる赤青白の三妖精、それぞれ順にサニーミルクにスターサファイア、ルナチャイルドというらしい。

 サニーは以前に会っていたからそれほど警戒もされていないが、他の二人は警戒心たっぷりといった感じで見てくれる、逸らせばなんちゃないがそうしては面白くないし放っておこう。

 今はこっちの三人よりも、あたしが迷った原因の方を攻め立てようか。

 

「てゐを見つけないと竹林から出さないねぇ、あたしが迷ったのは鈴仙のせいだったわけか」

「そうなんです、アヤメさんも手伝ってくださいよ」

 

 話を聞けば高草郡の光る竹が欲しいという話で、それを見つけるのにてゐに話を聞かなければならない、でないと目的の物が見つからずお師匠様に叱られるとの事。

 それで光る竹の在り処を知っている妖怪兎詐欺をとっ捕まえるまでは、竹林の中の波長をズラして逃げられないようにしているのだそうだ。

 上目遣いで探すの手伝って、と乞う姿は可愛いけれど今はほろ酔いで何かするのも面倒臭い、あるかないか探す物を探してあげるほど暇でもないしテキトーにあしらって逸らして帰ろう。

 こっちの三妖精もいつになったら帰れるのかという感じだし、叱られるなら一人で叱られてくれ、あたしらを巻き込むな。

 

「面倒だから今はイヤ」

「えぇ~いいじゃないですか、ちょっとくらい」

 

「でも頭だけなら貸してあげる、光る竹が欲しいなら輝夜でも竹に突っ込んだらいいのよ」

「そんな事したら輪をかけて怒られるじゃないですか!」

 

「怒られたらいいじゃない、どうせ叱られるなら楽しいイタズラしてから怒られたほうがいいわ」

「てゐじゃないんだから‥‥叱られて終わりだったらそうしてますよ、叱られて更に見つけてこいと言われるからこうして探してるのに」

 

 ただでさえ萎びた付け耳を更にしなしなとさせる鈴仙がブツブツとなにか話すが、呟きながら自分の世界へ引き篭もってしまったらしく、見かけた時と同じ様に座り込んでしまった。

 また見えるかと思い屈んでみるが、今回は両足揃えて座られてしまいお宝は見られない。

 出し惜しんで焦らす事でも覚えたのかと悩む鈴仙を見ていると、すっかり放置していた妖精達から何をしてるのかという目で見られた。

 

「あの、私達帰りたいんで、出来ればその兎をからかわないで貰えると助かるんですけど」

「迷惑被った分はからかってやったしそうね、飽きたし帰りましょうか」

 

「え? 今は出られないんじゃ?」

「あたしは出られるの、帰るなら出口まで送ってあげるわ」

 

「? どうやって帰るんです?」

「どうにかして帰るわよ、じゃあ鈴仙、頑張ってね」

 

 妖精三人それぞれと話しつつ助けを求める元軍人にサヨナラを告げてみると、こちらの世界に帰ってきてそんな~と弱々しい声を発してくれた。

 探す宛もないならついて来いと誘ってみると、列の最後部を渋々と歩き始める優曇華院。

 煙管咥えて煙巻きつつ、先頭を歩いていくとすぐに戻れた竹林の入り口。少し前まで管を巻いていた夜雀の屋台を見ながら、なんで? という顔で悩んでいる三妖精にさっさと帰れと伝えてみると、よくわからない顔のままひらひら飛んで帰っていった。

 鈴仙の能力をあたしが進む方面だけ逸らして、見える所だけ乱れた波長が届かない状態にすれば帰れると踏んだが上手くいったようだ。

 帰りたい三妖精はどうにか帰して飛んで行く背を見送る、見送りついでにその場で再度の一服をして、そのまま煙を竹林の竹やぶの中へと流していく。

 探すのはあの年増なイタズラ好き、探すといってもすぐ近くにいるのだろうが。

 

「それっぽいの見つけたわ」

 

 流した煙と撒いてきた煙に触れた幼女姿の年増を感知すると、それに向かって煙を集めてみる。

 そのまま手の平を軽く握るような仕草を見せて鈴仙に差し出した、二度三度とニギニギしてみると竹林の奥でもうちょっと優しくやらキツイやら、アンやら変な声が聞こえてきた。

 前のは兎も角最後のはわざとらしいぞ、年間通してイケる兎だからって幼女姿で喘がないでほしい。

 

「んあ? 今のは?」

 

 その変な喘ぎ声は隣の鈴仙にも聞こえたようで、こっちもこっちで変な声を出して、竹林の兎は皆こうだったのだろうか?

 それとも永遠亭住まいの兎だけがこうなのか?

 まぁいいか、どうでもいい。

 

「てゐよ、見つけたいんでしょ? 先でふん縛ってあるのがそうだから行ってきたら?」

「手伝ってくれたんですか! てっきりからかわれて終わりかと思ってました」

 

「似たようなサイズが多くいたんじゃ探すのに手間なのよ、それにあのままじゃ煩くて寝られそうにないし、いいからさっさと行ったら?」

 

 凹み顔から安堵した顔へと表情を張り替えて、元気よくありがとうございましたと言い逃げするのは構わないが、弄くった波長は戻してくれてもいいんじゃなかろうか。てゐをとっ捕まえれば解除されるのだろうけどダメだろうな、喘がれて気持ち悪いから緩めたら逃げられた感じがする。

 ニギニギしても声も聞こえないし、何かを握っている感覚もない……偶には世話焼きな一日を過ごしてみるかと思って最後までお節介してみたが、どうにも上手く締まらないモノだ。

 

「おかえりなさい」

「ただいま、まだ開いてるのね」

 

 格好つかないなと頭を掻いていると背中から声を掛けられた、あたし達のやり取りを見ていたのだろう、いつもの様に微笑みながら暖簾を持った女将さんにおかえりと迎えられた。

 笑んでいる女将に向かってまだやってるのかと聞いてみると、持っていた暖簾を背に隠して、仕方がないといった笑みに変わった。

 

「閉めようかと思ったんですけど、帰って来たならまだいいですよ」

「いや、閉めちゃっていいわ」

 

「あら、いいんですか? 残り物で良ければ何か‥‥」

「いいから、偶には付き合なさいよ」

 

 暖簾をかけようとしていた女将を捕まえて、片付け途中の長腰掛けへと促し隣に座らせる。

 そのまま白徳利を揺らして渡すと、ちょっと考えた後で、先ほどの仕方がないという顔で笑って受け取ってくれた。

 徳利に口つけてちょっとだけ傾けている女将を見ていると、なんとなく悪戯心に火が着いてしまい徳利の底を少しだけ上に押し上げたくなってしまった‥‥というか、思いついた時には既に持ち上げていた。

 二度ほど喉を鳴らしてからやめて、と上げていたあたしの手を叩くミスティア。

 

「もう、イタズラしないでほしいわ」

「なんか見てたらやりたくなっちゃって、なんでかしらね?」

 

「私に聞かれても困るわ」

「そうよね、それより一人で飲んでないで渡してもらえないかしら?」

 

 はいはいと、妹紅がいた時と同じ様にイタズラな笑みを浮かべて徳利を返してくれるが、そんな顔をされてはあからさま過ぎてバレバレだ。

 ミスティアのようにちょっとだけ徳利傾けて飲むと案の定底に手を伸ばされる、がその手は逸らして触れさせなかった、徳利の角度を下げてしてやったりと笑んでやると可愛らしい口を尖らせてくれる。その顔を見て晴れ晴れとした気持ちになるのは何故だろうか?

 あれか、慣れない親切で動き続けた一日だったから、日が変わって朝に近い今になってその反動がきたのかね?

 蓬莱人に世話焼いて、焼かれた白焼き喰って、更には兎と妖精に世話を焼いて。

 悪戯心に火が着いたのは一日通して焼き過ぎたからかもしれないな、と随分と都合がいい事を考えていると、夜雀女将から夜雀少女へと立場を変えたミスティアがフンフンと歌い始める。

 徳利煽りつつそれを聞いていると、朝日の上り始めた幻想郷の空が若干暗くなる感覚を覚えた。可愛いイタズラをしたからその仕返しのつもりなのだろうが、これはこれでまたいいだろう、お陰様で朝日が眩しくない。

 拙いイタズラをされて良いと感じるのはなんでだろうか?

 燻ってるのが似合わない等と妹紅に言っておきながら、自分も似合わないお節介などしていたから、今のような空気が良いモノに感じるのだろうか?

 まぁいいさ、鰻と炭の違いはあれどもミスティアも妹紅も焼き物上手には違いはないのだし、偶には焼き物に凝る一日というのも良い。




メガネルナチャイルドは可愛い。
そして深秘録でまたもメガネっ娘が出てしまった、執筆意欲をそそられます。

余談ですが漫画儚月抄と求聞史紀、文花帖のサルベージが成功してしまったのでその辺りも今後つらつらと。


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EX その11 商売上手

 春宵に酒と夜雀の囀りを味わい、ほろ酔い気分でフラフラ帰宅。

 帰宅途中は狂った波長に惑わされたが、酔いを覚ますにはちょうどいいとフラフラ迷って飽きるまで竹林を彷徨った。少し歩いてアォォンというご近所さんの遠吠えを聞いた辺りで飽き始め、能力使って弄ばれた波長を逸らしつつ真っ直ぐに家路に就いた。

 逸らして真っ直ぐとは我ながらひねくれていると感じられるが、あたし自身がひねくれ者なのだ、逸れたくらいが真っ直ぐなのかもしれないと、どうでもいい事を考え玄関扉をガラッと開けた。開け放つと視界に入るのは座卓に置かれた見慣れない賽銭箱。

 二つの神社で見るよりも随分と小さくて可愛いソレ、見慣れず気になるがまずは着替えやらが先だ、肩から下げていた白徳利を卓に置き、細帯解いて大事な着物を衣紋掛けにかける。見慣れたピンクのワンピースがなんでか先にかかっていたが、それを考えるのは後回しにするとして、身軽になったしまずはまったり一服しよう。

 

 肌着代わりの緋襦袢開けさせて、朝日を浴びつつダラケて微睡む。

 朝帰り自体は久々でもないが、朝から酔っ払ってこうしてダラケてみるのも結構久しぶりだ。以前ならこのまま寝ていたなと、偶にはそれもいいかもなと寝床に入っても良かったが、蓬莱人に向かって鼻を鳴らした後だったと思い出し、少し手間だが湯を沸かして風呂に入った。

 酔いに任せてあのまま眠り年配兎詐欺に見つかれば、生活ぶりを改めたんじゃなかったのかと口うるさく言われそうだったと、湯船で一息付いてから思い出した。

 長風呂はせずにさっさと上がり、パパっと水気を拭った後は面倒だからそのまま寝る。

 潜り込むのは当然自分の寝床。

 というよりも今日はあたしの寝床しかない。

 愛する鼓は相変わらずいたりいなかったりする為いない時は基本一人だ、戻るまでは維持管理してくれていたようだが、あたしが現世に帰ってきてからは以前の様な半同棲生活に戻った。

 

 いたらいたで二人で楽しむ、いなきゃいないで一人を楽しむ。

 束縛するつもりもないしされたくもない為、今くらいの暮らしがあたしには丁度いい、などと考えるのはそこそこにそろそろ寝るとしますか、いつまでもダラケていては布団の中で待っている誰かさんが焦れてしまう。

 少し盛り上がる最速天狗柄の布団を半分捲り、モゾモゾ潜って中で捕まえる。

 帰ってきたら寝るとわかっていて中で待っているのだからこうされても仕方がないと思ってくれているのだろう、攻撃も口撃もなく静かで暖かさも丁度良い抱き枕だ。

 サイズ的にも小さいし、丸くなって寝るあたしには丁度いいサイズの兎詐欺枕。

 結局鈴仙には捕まらずに我が家に来たようだ。

 

「あのさぁ、せめてなにか言いなよ」

「サイズがちょうどいいわ」

 

 白の下着とドロワーズという見た目だけは幼女らしい姿で潜んでいるのをとっ捕まえると、見本のような舌打ちを打つ抱き枕。

 余計な事は言わない、どうせイタズラ目的だろう。

 内緒で寝ていてあたしが気づかずに床に入り、上手い事雷鼓と鉢合わせすれば楽しい騒ぎ、そんな事を考えての行いだろうが残念ながらあっちは暫く戻ってこない。堂々と逃がさないように抱きしめる事からそれについても気が付いていそうだが、ソレについては何も言わずに敢えて放っておく事としよう、意外と抱き心地が良いから本格的に眠くて考えられん。

 丁度いいサイズと暖かさでうとうとし始めると、抱きまくら役から温い吐息が漏れた、温いのはあたしの体温だけで十分だから吹きかけないで欲しい。やめろと伝えるために揉んでみるが反応は薄い、揉む為のモノが薄いのだから反応も薄くて当然かも知れないが、寝間着ぐらい用意しろと叱ってくれた相手が我が家で、それも下着姿とは何の冗談だろうか?

 誘ってるのか?

 んなわけないな。

 よくわからないイタズラの理由を考えていると本格的に眠くなってきた、このまま寝るなと体を抱く手を強かに引掻かれたが、さして痛くもないしこれは放置して、ササッと惰眠を貪るとする。

 

~少女惰眠中~

 

 太陽が高くなった頃目覚めれば一人。

 それでも布団の中で一人というだけ。

 抱きまくらは先に目覚めて、我が物顔で卓につきお茶を啜っているようだ、わざとらしい啜り音が聞こえて煩い。起きたと知らせるように布団から尻尾だけ出して振ってみると、コトリと卓に湯のみが置かれる音と立ち上がる音が聞こえた。

 動きから聞こえるのはお茶の準備、相変わらずの目覚まし時計役もしてくれるようだ、お休みからおはようまで面倒を見てくれて随分とお優しい兎詐欺さんだが、こうまで優しいと後が怖い気がするがそれはそうなった時に考えよう。

 

「おはよう、てゐちゃん」

「もうこんにちはの時間よ」

 

「目覚めの挨拶だからおはようでいいのよ」

 

 減らず口を含んで挨拶してみるとフンと鼻を鳴らされて湯のみを差し出された。

 ササッと下着だけを身につけて対面するように座り、無言で手に取って口元へと近づける、口に含むと鼻を抜けていく柑橘系の香り。以前は日本茶派だと言っていた気がしなくもないが、こっちを淹れてくれるとは珍しい事もあるものだ、寝起きの頭をスッキリとさせてくれる風味を味わい煙管を咥えると、寝る前の話をほじくり返した穴掘り兎。

 

「雷鼓は帰ってこないし、アヤメは普通に寝るし、何のイタズラにもならなかったわ」

「あら、何かしてほしかったの?」

 

「してくれないと雷鼓に告げ口出来ないってだけウサ、師匠の言う通りで抱かれ損ね」

 

 ウサなどとわざとらしくつけてくれて、話すつもりはないとでも言いたげな兎詐欺さんだが、それは捨て置いて抱かれ損とは何の話だろうか?

 永琳と色のある話などした覚えはない‥‥事もなかったな。

 今の状況に当てるなら多分あの時の話だ。

 二枚舌と一寸の姫がやらかした輝針城での異変。

 あの時に輝夜を夜伽に誘ったが振られて、その後永琳からのお誘いをあたしから振った事があったようななかったような気がする、アヤメもつれないじゃないなんてあの女史に言われた覚えがある。

 

 丁度今のてゐのように微笑んでいた気がするが、あの時の永琳からのお誘いはそっちのお誘いだったのか。今になって感じるがあの時に断ったのは勿体なかったかもしれないな、あの月の頭脳に誘われるなんぞ二度とない事だったはずだ。今後あったとしてもあの時に邪推した実験やらの方で誘われるだけだろうし、あの時に頷いておけば良い冥土の土産が出来たかもしれない、今となっては何かしらの実験に誘われる事もないわけなのだし、医者要らずの体は便利だがそれはそれで悲しい気もする。

 それはともかく、なんでまた告げ口等とつまらん噓をついた?

 ついでにこの兎詐欺が微笑むってのはなんだ?

 情事の後で満足したならわかるが、手は出してないぞ?

 咥え煙管で固まって、何もない天井へと上る煙を見つめていると、淑女のような微笑みからいつもの悪い笑みへと顔色変えて話すイタズラ兎詐欺。

 

「まぁいいや、ちょっと付き合いなよ」

「なに? 布団に戻ったらいいの?」

 

「それはもういいからさ、儲け話にのっかりなって」

 

 先に飲み切った湯のみを置いて代わりに箱を手にすると、奉納と書かれた札がピラピラとあたしの視界で揺らされた。いつの話か覚えていないが、兎詐欺と呼ばれるようになった行いをこの箱使ってやらかしたんだったか。

 詐欺の片棒を担いでくれと誘ってきている兎詐欺さん。

 特にやることもないし、こいつから誘ってくる事などあまりないから悪くない。

 少しだけ乗り気になりニヤリと笑んでみせる、するとてゐの両手に収まっていた賽銭箱が差し出された、見慣れない物持たせてくれて幸せ兎詐欺のカバン持ちに、いや、箱屋にでもなれって事かね?

 

「あたしは箱廻しじゃないんだけど?」

「知ってるさ、幇間(ほうかん)だろ?」

 

「てゐをおだててもいい事ないし、持ち上げられるほど偉かったかしら?」

「それじゃないね」

 

「これじゃないの? なら今いないから鳴らせないわね、叩かれるより噛まれる方がイイらしいけど」

 

 言い終わるのとほとんど同時、被せ気味でお惚気はいらんと怒られるが別に惚気けたつもりはない、幇間なんて言われたからそれらしく返しただけだ。

 太鼓持ちやら太閤持ち達の事を言ったのだったか、幇間って奴等は。

 太鼓打ちの男芸者の事を言うとか言わないとかって言葉だったはずだから、それに習って今の愛用鼓を言ってみたがそれの何が悪いのか?

 いや、悪くはないのか。

 太鼓持ちで太鼓打ちだと思われているからそう言われたのだろうし、昨年の正月に永遠亭の庭先で太鼓なんて打ったからそれを覚えてくれているのか?

 今頃言ってくるくらいに記憶に残っているのなら案外気に入ってくれているのかもしれないな、腹黒兎詐欺の師匠からのお誘いじゃないが、こいつから良い意味で覚えられる事もそうない事だとは思うし、取り敢えず乗ってみるか。

 屋台で乗りも乗られもするとも言ったし、偶にはコイツに乗ってみよう。

 

「姉さんに習った事もあるけれど、ほとんど我流だから野幇間(のだいこ)よ。で、それ持たされて何させられるの?」

「野幇間でもなんでもいいさ、兎も角行くわよ、まずは人里ね」

 

 小さな賽銭箱を人に放ってさっと立ち上がる先輩兎。

 あたしの方はまだお茶も残っているし外に出られるような格好でもないのだが、さっさと着替えると目で語ってくれて随分と煩い、話していても黙っていても煩い兎さんで非常に困る。取り敢えず燃え尽きた煙草の葉を火鉢に落とし、ダラダラと着替えていると尻を引っ叩かれた、スナップ利かせてくれてスパァンと鳴らしてくれるのはいいが相手が違う。

 あたしは打つ側で打たれる側じゃない、打たれる側は今日はいないと言ったろう?

 

~詐欺師移動中~

 

 ダラダラ着替えて、ダラダラ歩いて。

 やる気なく口笛でも吹きながら兎を追って、着いたは里の出入口。

 入り口付近で浮いている憲兵役の赤い首だけに手を振ってみると、チラリと見られてからすぐに視線を逸らされた、本体ではなく首だけだからつれないのか?

 首なのだから話す舌はあるはずだ、首を括ったわけでもないのだからこんにちはくらいあってもいいと思うが‥‥いや、あの飛頭蛮は本体もあんな感じだったなと思いつつ、てゐと並んで里の内へと歩んでいく。

 あたしもてゐもどちらも飛べるが地面を歩くほうが多い二人、あっちは軽快に飛び跳ねている事も多いけれどそれでも飛ばずに地を行く事が多いのはなんでだろうね。

 なんとなく聞いてみたら地に足つけて生きる方があたしの好みだ、そんな事を言い返された。堅実やら手堅いやらとは程遠い詐欺師の癖に何を仰る兎さんと思ったが、騙すのにも手順がいるし突飛な噓は言わないからあながち間違っていないのか。

 なんて感心し頷いていると、てゐが少し話した里の人が寄ってきて、頷いて動いた視線の動きと同じタイミングでカコンと賽銭が入れられた。てゐが何を話したか知らないがこちらを見ながら手を合わせる里の人、あたしがこの里で拝まれる事などないと思うが、一体何を話したのやら。

 

「そういや雷鼓はドコ行ったのよ?」

 

 手腕に関心していると全く関係ない事を聞いてきた、両手を後頭部で組んで見上げお伺いを立ててくれるが、なんでまたいきなりその話をするんだか。

 突拍子もない会話の流れで何が言いたいのか分からないが、まぁいいか、野幇間として付いて来ているのだし拍子を取るつもりで太鼓の話題を返しておこう。

 

「打ち合わせって言ってたわ」

「ふぅん、それで帰ってこないのか。寂しい暮らしに戻ったねぇ、アヤメ」

 

 ニシシと笑うロリータ兎。

 楽しげに笑ってくれるが言われるほど寂しくはないと感じている、いればいたで面白いがいなきゃいないで別の楽しみがあったりする、今朝の兎詐欺枕なんかもその別の楽しみってやつになるだろう。ついでに言えば今もこうして構ってくれているし、本当に親切な優しい兎詐欺さんでありがたく思う。

 

「代わりにてゐが構ってくれるみたいだし然程寂しくもないわ、今朝は抱き心地の良い枕になってくれたし」

「人の失敗をいつまでも言わないでくれる?」

 

「失敗だなんて珍しいことを言うわね、てゐの事だからあれで終わりってわけではないんでしょ?」

 

 成功するか失敗するかわからないようなイタズラをこの兎詐欺がするわけがない。

 こいつがしでかすイタズラは十中八九成功する。

 今までの行いからそう確信を得つつ問掛けてみるが、アレはアレで終わりだと笑ったままで教えてくれるイタズラ兎詐欺。本当にないのか再度聞くが本当にないと返される、これでは拍子抜けだが出だしも突拍子もない流れだったし、どうでもいいか、気にしないでおこう。抜けた拍子を整えるつもりで、リズムよく尻尾揺らすと機嫌でもいいのかと言われたが、悪くはない。普段は冷水浴びせてくれる事しかしない白兎詐欺が珍しく構ってくれているのが存外面白く、気分が良い。

 

「てゐが遊んでくれるからゴキゲンね」

「そりゃ良かった、あたしは儲けてアヤメは楽しい、構ってやる甲斐があるわ」

 

「そうね、構ってくれて重畳よ‥‥暮らしぶりを見なおしたから分けて貰えるようになったのかしら?」

 

 何の話だったかと、垂れ耳をピクリとさせてからしらばっくれる幸せうさぎ。

 毎日自堕落に過ごすあたしには分ける幸運はないと言ってくれていたはずだが、毎日ではなく、今朝のように時々自堕落に暮らす程度になったから運を分けてくれるようになったのだと勘ぐってみる。邪推した通りに軽口吐くと、余計な事考えていないで、以前のお説教の代金回収に付き合えとイタズラに笑む因幡の白兎。

 見慣れた笑い顔にはいはいと返し、言われた通りに無言でついて行く。

 次に向かうは里の中央辺り。

 霧雨の大店がデーンと構えるちょっとした広場、というか交差点だから広くなっているだけか、牛車も馬車もないけれど道が交差している十字路なのだから交差点でいいだろう。

 そこを通り過ぎて橋を渡ろかという所で次の獲物を視界に捉えた、柳の下で佇んでこちらを見ずに背中を見せる赤頭、なんとなく浪漫を感じるような赤い外套を着た妖怪を見つけた。 

 

「あ、いたわ、本体」

「どれ、お、いたいた」

 

 詐欺師とペテン師の二人連れで入り口にいた生首の本体に近寄る、わざとらしく足音鳴らして近づいてみれば逃げるかもと思ったが、逃げも隠れもせずにじっと動かない里に隠れるデュラハン娘。二人でニヤニヤ近づいていくと綺麗に背中を向けてくれるが、それは気にせず頭とっ捕まえて持ち上げ回した‥‥というのに、目は合わされず視線を逸らす赤蛮奇。

 能力使っていないのに逸らさないでほしい。

 

「何しに来た?」

「さぁ? あたしはついて来ただけよ?」

「ついてってそっちの兎に? 詐欺師二人がつるんで何しようって言うのよ?」

 

「一緒にされたくないねぇ、あたしゃ真っ当な商売をしに来たってのに」

 

 商売?

 と持ち上げた頭と声を揃えて問うと、そうウサと話すてゐ。

 賽銭箱なんて持ちだして、以前のイタズラの再現でもするのかと思っていたが今日は真っ当な商売なのだそうだ、売り物なんて何も持ち出していないが口八丁で何を売るつもりだろうか?

 面倒な奴等に捕まったと表情を暗くする赤蛮奇とは対照的に、騙し甲斐のあるやつを見つけたと朗らかに嗤う因幡の腹黒白兎。暗い顔した柳の下のデュラハンと明るく嗤う白兎、春というにはまだ早いが二人合わせて柳暗花明(りゅうあんかめい)のようだと笑ってから気がつく、コイツは兎で花ではなかったなと‥‥それなら別の何かが当てはまるか?

 なんて事も考えたが面倒でやめて、そのままでいいやと思い直した、蛮奇からは詐欺師二人と一緒くたにされたし、あたしが菖蒲(あやめ)なのだからこの兎は杜若(かきつばた)でいいだろう。

 思いつきの割には然程悪くない例えだと一人頷いていると、真っ黒な腹から売りつける言葉を杜若がポツポツ並べ始める。

 

「いいから賽銭入れなって」

「なんで私が」

 

「いいものを売ってあげると言ってるのさ」

「何もいらない、必要ない、間に合ってる」

 

「何もいらないってか、幸運もいらないって? 巡りが変われば今みたいに絡まれる事もなくなるよ? きっとね」

「もう遅いからいらないけど……」

 

 頭と離れている赤い胴体に擦り寄っていくてゐが猫なで声で話す。

 幼子と然程変わらない体でクネクネと動くが、その体型で色気振りまこうとしても全く以て香らなくて、なんの意味もなさそうだ。それでも悪くない商品が並んだな、四十葉のクローバー分くらい運がいい兎詐欺さんからそれを売ってやると言われ少し悩み始めた買い手側。赤蛮奇にくっつくとチラリとこちらを見て頭も寄越せと指で仰いできたので、言われた通りに持ち上げていた頭を放る、ろくろ首も投げられた瞬間に頭だけでも逃げればいいのに逃げようとはしないようだ。

 逃げればもっと面倒臭いとでも考えたか?

 それは多分正解だ、やっぱりこいつは敏いなと隠れ住む妖怪を眺めて感じていると、付き纏って話すてゐを邪険に払ってから賽銭箱に少し入れた。

 悩んだ結果買うことにしたのだろうか?

 それにしてはよくわからない表情だが?

 モヤモヤとした顔色を浮かべている赤蛮奇を真っ直ぐ見て教えろと視線で語ってみる。

 それらしく押してみると結構素直に話してくれると知っているから、なんとなくそうしてみたがそれくらいではネタバレしないろくろ首。

 柳の下の妖怪なのだからさっさとネタバレしろ。 

 

「いらないんじゃなかったの?」

「運の代金じゃない、これは別の代金よ」

 

「別ってなにさ?」

「売りつけられた恩の代金、わかったならもういい? サボりと見られて白鐸から一発、なんてあったらたまったもんじゃないわ」

 

 文字通り言って逃げた妖怪の人里警備隊員。

 最後に聞き返したてゐにではなくあたしに言っていく辺り、恩があるのはこっちだろうがあいつに対して何かしたっけか?

 正邪の逃亡劇で取られた半裸写真を真似て化け人里の中を歩いてみたりして、ひっそりと影に隠れる本人に変わり存在アピールなどはしたが、あたしがした事などそれくらいしか思い当たらない。恩を着せたというよりもぬれぎぬを着せたくらいしかしていないわけなのだが、あいつあれでマゾ気質でもあったのだろうか?

 

「さっきの人間といいろくろ首といい、結構な改善ぶりだね、アヤメ」

「どちらも思い当たらないのがなんとも、ね」

 

「前者は娘が世話になったってさ、ろくろ首は鈴仙から聞いてるよ。我儘通したらしいじゃないか」

 

 イタズラ兎詐欺が悪戯に笑みポロポロとネタばらししてくれる、前者はどうやらコックリさんで呼び出してくれた娘の親らしい。恋のお悩みを聞いてあげてそれとなく背を押した結果、いい感じの良縁となったそうだ、身を固めるには数年早い気もするが両家とも悪い感じではなく互いに息子と娘のように可愛がっているそうな。

 後者の方は言わずもがな、異変の時に里内でやらかした事をなかったことにしたからだろうがあれはあたしの我儘を通しただけだ、礼を言われる事ではないし感謝などされてしまえばほくそ笑む事も出来ず、困る。

 

「どちらにも何もしてないわ、あたしが楽しんだだけよ」

「あんたの事なんてどうでもいいウサ。やられた側が何かされたと感じて、その結果が良ければ全て良しって言うだろ?」

 

「それでも腑に落ちないわね、前者は兎も角赤蛮奇にはもうちょっと困って貰いたかったんだけど」

「さっき困らせてやったんだからそれでいいって思いなよ、里にいるからあぁやってからかってやれるんだし」

 

 兎も角なんて言ったからか伸ばした指で腹を突いてくる兎さん。

 そこらに広がってる角生やした幼女じゃないんだ、腹をつついてくるのはやめてほしい。ツンツンと突かれる腹を見ながらどちらにも何もしていない、ちょっと背を押しただけだとしつこく返答してみると、妖怪が関わるならそれくらいのがいいだろ、なんて何処かの姉みたいに程々でいいじゃないかと肯定されてしまった。

 あざとさを消して老獪な顔になる先輩妖怪、見た目が幼いからあれだがコイツも幻想郷では珍しい獣上がりの年上妖怪だったなと思い出し、それに肯定されなんとなく嬉しくなった。意識せずとも自然と揺れる縞柄尻尾をチラリと見られ、今度は本当に機嫌良さそうだと言われてしまうが、全く以てその通りだ。

 素直に上機嫌だと返すと、一瞬止まってからニヤッと笑われた。

 偶に素直さを見せるとこんな顔しかされない、と鼻を鳴らして軽く睨むがその視線もさほど効かず、お説教の代金回収は出来たから後は一人でやると賽銭箱を奪われた。

 

 一人にされてしばし悩んだ後気がつく。

 上手い事あたしの功績を使われて小遣い稼ぎに利用されただけではないのか?

 そういった結論に至りあの兎詐欺め、と思ってしまったが追いかける事もなく金も取り返そうとは思わなかった。テイよく騙されてうまい汁を吸われたが今日のアレは杜若だったな、それならば似た者に騙され利用されただけだと素直に諦め一人笑って場を濁した。




少し補足を。

幇間(ほうかん)
宴会で盛り上げる事を職業とする人達や、太鼓持ち、男芸者という意味合いの言葉。
『幇』だけですと助けるという意味合い、幇助するなんて言いますね。
『間』と合わせて、人と人の間に入って間を助けるって意味だそうです。
幇間と書いて「たいこ」や「たいこもち」と詠む場合もあるそうな。

野幇間(のだいこ)
師匠に付かずに見よう見まねで上記を行う人の事を野幇間というそうです。
ちなみにのだいこで変換できました、驚きました。

柳暗花明(りゅうあんかめい)
柳の下は暗いけど花は明るく咲くよねという字面そのままの言葉。
春めいた景色に中てる、故事成語だか四字熟語だったはずです。

菖蒲・杜若ですがこれも、いずれ菖蒲か杜若ということわざです。
どっちも似ていて違いがわからん、甲乙つけがたいなって意味だったはず。
語源の花が似ている様から、だそうな。


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EX その12 口説き上手

口説かれて功徳を説く場所で毒を払われる、そんな話。


 立ち去ったお節介兎詐欺を笑い、やや冷えの南風を受けて揺れる柳の下で煙管咥えて煙を吐く。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんて言葉らしく正体を隠すように周囲に副流煙を撒くが、北の方へと漂い消える冬の終わり、春一番というには少し遅い時期の風を浴びて白いコートと煙を靡かせている。

 さっきまでは里住まいのデュラハンやら妖怪兎やらがいた辺り、今では亡霊に近いあたししかいない里のオカルトスポットだが、人間の住む里にしては妖かしやら霊やら多いなと改めて考えていると、生きにくい死人が視界に入る。自分も人の事は言えないくらいに変な在り方だが、あれもあれで浄土へと向かう教えを説く場所に住んでいる変な在り方だな、と変な共通点を見つけて笑んでいると胸元の赤リボンとミニ・スカートを靡かせて寄ってきた。

 正確に言うならばこいつは船幽霊で、あたしは化けて出た狸さんだから同じ種族とは言えないのかもしれないが、海のない幻想郷にいる船幽霊もはっきりくっきりしている亡霊も、どちらもなんかおかしい在り方なのだから仲間と言い切っていいだろう。

 その辺は考え出すとキリがないから放置するとして、風も出てきたというのに太もも丈のスカート姿なんて勇ましいな、キャプテン・ムラサ。上の半袖といい下の服装といい、死人の割りに健康的な肢体を見せつけてくれて妬ましい。

 

「そんな所で何してんの?」 

「暇してるの」

 

 見ればわかると目で語る水蜜、風に吹かれて帽子が飛ばないように抑えているが、飛んでしまわないように抑えるのはそっちだけでいいのだろうか?

 同じように風に吹かれてあたしの方も靡いているが、こっちはくるぶし丈のロングコートに同じ丈のロングスカートだ、さして心配する事もないし最悪逸らせばなんちゃない。

 逸らせない奴は大変だねと、チラッと視線を下に下げると右手は帽子、買い物籠を持った左手はスカートと抑える先を変えたみなみっちゃん、抑えるくらいならいつものキュロットスカートの方がいいと思うが、お陰でチラリズムを堪能出来たしよしとする。

 

「人の事ジロジロ見て笑ってるだけか、本当に暇そうね」

「言ったじゃない、暇してるって」

 

「ならちょっと付き合ってよ」

「構わないけど、今日は一人でどうしたの? 寺の外に一人だなんて珍しいわ」

 

 偶にやらかす船幽霊が一人で人里にいる、結構珍しい事だったりする。

 里の中で見かける事もあるにはあるが、大概一輪辺りが一緒にいて水蜜の妖怪らしさが出ないよう雲山の目を光らせている事が多いのだが‥‥と、空を見上げるとピンクの雲が浮いていた。

 お目付け役はやっぱりいるらしい、まぁそれでも致し方ない事か『水難事故を引き起こす程度の能力』なんてのがあるから、水場ならどこでも水難事故を起こせるらしいし。

 舟上だけなのかと思っていたが、川っぷちで釣りをしている時や滝修行をしている時なんかでも水難事故に遭うらしい、水場ならなんでもいいのかと思えるがなんでもいいそうだ。

 しっぽりと湯浴み中でも事故を起こせるし、ちょっと前には神社の手水舎で水難事故を起こしたそうだ、言っても昔みたいに溺死する程ではなく冷水被って風邪を引く位だったそうだが。

 

「お使いから戻るところなのよ、暇なら家でお茶しない?」

 

 ナンパ待ちの為に佇んでいたわけではないが、難破させる船幽霊から思いがけないナンパをされてしまった、冷水被せる事故を起こす割に暖かなお誘いで中々悪くない皮肉だなと思い、やること行くとこもないので二人並んで歩き始めた。歩く途中で何のお使いか聞いてみたが、近く行われる出開帳(でかいちょう)のための下準備としてお茶っ葉やらを買い出しに出ただけだそうだ。

 命蓮寺での居開帳(いがいちょう)で客寄せ出来たから次は出開帳ってか、意外と節操がないな、力も方便だの商売敵道教のアホの子と仲が良かったりだのする尼さんしかいない、拙僧のいない寺だから節操ないってか。

 

「あ、出開帳ってのは言葉の綾よ? 実際には星が遊びに行くだけ」

「なるほど、本尊が遊びに行くから出開帳って事ね、星に連れられてイクなんて成仏する気にでもなった?」

 

 つまらない冗談を思いついていると遊びに行くだけだと真相を話された、真相は神鎗持ちのお出かけでした、なんてこれもつまらんな。どうにもキレが悪いなと感じ、少し物騒で口悪い事を走らせてみると悪戯に吹いていた風が弱まる。

 風の終わりと共に抑えていた左手を揺らして見せてくれる水蜜、つまらない軽口など効かないと言いたげに籠をフリフリさせるが、その動きが振り子のようで結構な重さがありそうだと見て取れる。それでも担ぎ慣れているアンカーに比べれば軽いだろうし、そこはどうでもいいな、風向きの分からない話だったが、止んだからか少し方向が見えてきたので、このまま船長に舵の取り先を訪ねてみよう。

 

「で、ドコ行くのよ?」

「あんたんちの近くよ、お姫様が偶には遊びに来たらって誘ってきたの」

 

「ふぅん、輝夜からの誘いねぇ。命蓮寺と永遠亭って関わりなさそうだけど意外とそうでもないのね」

 

 トテトテとゆっくり寺に向かって歩いていたはずが、返答すると水蜜の足が更に遅くなった、重い足取りになるなんて帰りたくないのかと問いかけると、関わらせた奴が何を言うかと大きめの声で叱られた。足取りが重くなったわけではなくタメていただけらしい、参道掃除の山彦ちゃんじゃないんだからタメて言うなと言い返すが、それを話すと苦笑された。

 視界の端に見えてきた響子ちゃんとさっきの水蜜をかけて言ってみたが、そんなに面白い冗談に聞こえたのか?

 

「アヤメの辞書には都合って言葉載ってる?」

「載ってるわよ、失礼ね」

 

「なんて書いてあるのよ?」

「つけるモノ、良く考える、なんて書いてあるわ」

 

「悪いってのは書いてなさそうね」

「それも載ってるわ、一番端に小さくだけどね。さっきからなにが言いたいの?」

 

 あたし達の姿を見つけた響子ちゃんからお帰りなさーい! と声が聞こえる。

 相変わらずのチャージド挨拶だと感心し、手を降って挨拶を返しているとクスっと笑ってくれる惨憺たる大海原。

 あたしの事を関わらせた奴なんて言ってきたのはこれの事かと思いだした。

 

「いつも通りの元気な挨拶で何よりだわ」

「一時はどうなるかと思ったけどね」

 

 里でやらかしたあたしのお戯れが原因で一時大声が出なかったらしいが、今は以前の通りになったらしい、やらかした手前もあるし悪いとは思っている気がしなくもない。

 けれど同じ時に被害にあった夜雀と同様にあたしが悪いとは言わず、客だと思って油断したと話してくれた響子ちゃん、気を使ってそう言ってくれるならそうしておこうと何も言わないでいるが、そのうち何かお詫びすべきか?

 いや、トラウマを吹き飛ばす荒療治はしたしトントンだろう、寧ろ永琳に貸しを増やす結果となってあたしとしてはマイナスか‥‥元金貸しとして借りっぱなし都合が悪いし、あたしも星にくっついて行って押し付けて返してみるかね。

 

「お礼も兼ねているんでしょ? ならあたしも行こうかな」

「いいんじゃない? こころも行ったことないから行くって言ってるし、また面倒見てやってよ。お姉ちゃん」

 

 くすぐったい事を言いながら朗らかに笑う水難事故の念縛霊、地底行脚を済ませて帰ってきたこころからでも聞いたのだろう、お姉ちゃんなんて言われて非常にむず痒い。

 コートの内に手を突っ込んでポリポリと脇腹やら掻いていると、蚤でも貰ったのかとこれまた失礼な事を言ってくる幽霊船長。蚤に集られる肉体がないと掻きながら返すと知ってると更に笑われた。今の姿になった初日に会っているし知られていて当然だが、なんだか腑に落ちない‥‥が、落とす腑もとうになかったなと気持ちを切り替えて妖怪寺の山門を潜った。

 

~少女参拝中~

 

 ただいまと帰る水蜜の後について上がり(かまち)でブーツを脱ぐ。

 山門も玄関も同時に潜ったはずの水蜜はポイポイとショートブーツを脱いで、さっさと一人で廊下に上がっているが、こちらは編み上げブーツの為ノタノタと時間が掛かる。面倒な物履いてるなと言ってくれるが、履いてる本人が面倒なのだから仕方がないと返答すると、それもそうかと笑われた。笑ってくれるのはいいけれど、自分で言って悲しくならないのかとも言われてしまい、それも合わせての仕方がないだと追加を述べてみた。さらに笑ってくれる船長、何かを笑われるのは気に入らないが何かを言ったりして笑ってくれるのは好ましく、規律に厳しい寺だというのに住人は何故か気安く、改めて良い場所だなと再認識出来た。

 

 二人で笑っていると廊下の奥から聞こえる足音。

 迎えてくれたのは御本尊様、思いついた槍も持たず本来左手に持っていなければならない宝塔も、つきまとっているはずの使いの者もいない状態でお帰りなさいと話された。

頭だけで振り向くといつもなら背中で揺れている円の衣もない姿で現れて、普段の毘沙門天らしい姿以外を見せてくれた。誰の足音かわかった後、脱いだ左足を立て残りの右足を解いている背中に向かって星から声がかけられる。

 

「帰ってきたなら挨拶くらいあってもいいんじゃないですか? アヤメ?」

「我が家は竹林にあるんだけど?」

 

「聖から聞いてますし、村沙には言って私にはなしですか?」

「はいはい、ただいま」

 

「はい、は一回でいいんですよ」

「はいはい、善処するわ」

 

 口が減らないと窘めてくれる星だが、普段窘められる側のうっかりさんに窘められるのもなんだか面白い、思わずクスっと笑ってしまうと叱られたのに笑うなんてと捲し立てられた。

 磨かれて光って見える廊下のせいで口が滑ったと謝ると、仕方がないと微笑んでくれた虎柄の毘沙門天様。相手がこいつの使いの方だったら、謝るなんて変に素直で裏があるなど言われそうだが、さっきの笑い声に大した裏はない‥‥ただいまと言える場所と相手が多いのが少し嬉しかっただけだ。それでもどこかの妹妖怪のように在家信者になる気もないし、なりたくもないが。

 考え事をしつつブーツを脱ぎ終えて、姿を写す廊下を歩むと本堂から聞こえてくるのは読経する声、どうやら他の連中は修行中らしい。

 

「混ざりますか?」

「勘弁して頂戴、消えたくないわ」

 

 歩きながらピクリと耳をハネさせたせいで聞き耳を立てているのがバレたのだろう、ニコニコとした顔で修行に混ざってもいいよと言って下さる毘沙門天代理。

 払われるから勘弁してとわざとらしく右手を霧散させてみせると、明るい笑みから苦笑へと変わった。実際は払われる事などないが、誰が好き好んでお経をあげての修行になど混ざるというのか、浄土に行きたくないから今の姿だというのに。

 廊下を歩んで庫裏(こり)に上がると見慣れた質素な景色、断捨離をする必要もないくらいに無駄なものがない住居空間に踏み入る。

 星に促されて卓につくと先に戻っていた水蜜が湯のみを3つ出してくれた、船幽霊が淹れてくれるお茶なのだから溺れるほどに美味いのかと勘ぐられそうだが味は普通のお茶である。

 ズズッと吸って一息ついて、聞こえる読経の声を聞く、聞いている間に思いつく、居候の水蜜は兎も角として星は混ざらなくていいのだろうか?

 

「まったりお茶してるけど、二人はあっちにいかなくていいの? 本尊代理が修行をサボるなんてどうなの?」

「私の事はお構いなく、本尊様ですから、修行しなくとも叱られません」

「私も居候だからいいの、気が向いたら混ざるけどね」

 

「水蜜の方は読み通りとして、天部代理が語る説法というには狡い物言いね」

「本尊とはいえ妖怪ですから、少しは狡いところもあるのですよ」

 

 口ではそんな事を言いながら結跏趺坐(けっかふざ)で座る星、命蓮寺の六波羅蜜(ろっぱらみつ)の一つ『精進』を破りそうな物言いをしながらも、座り姿は修行姿というのがなんともちぐはぐだ。

 けれど本人が言う通り、本尊様で妖怪なのだからこれくらいちぐはぐでもなんてことはないのかもしれない、そんな事を見て感じつつ同じように結跏趺坐を真似てみる。

 左足を右ももの上に引張、足の甲が着くように乗っけて次いで右足を左ももに乗っける、両足の足裏が上を向くように組んでみると、鏡合わせで真似たから逆の足を組んでいる星から笑顔で見つめられた。

 

「組む足が逆ですが、すんなり組みましたね、痛くないですか?」

「ちょっと窮屈だけど体も柔らかいから問題ないわ、逆って足でも何かあるのかしら?」

 

「心まで柔らかいって言いたいの? 体もって言い草は」

「心は気分で変わるからなんとも言えないわね、だから物腰もって事にしとくわ」

 

「では足でも、とは?」

「手は(たなごころ)ってのがあるんでしょ? なら足はなに? 下心ならたっぷりあるんだけど?」

 

 体と足それぞれを二人から聞かれたので、それぞれにそれらしく返答してみる。

 水蜜の方は物腰は柔らかいよね、と納得してくれたが星は少し首を傾げてくれた。

 教えを請うているのだから早く話せと、組んだ足を見てくる星に左手で促して問いかける、衆生を表す左手を伸ばしてみると手足で逆だし下心でもありませんとへにょり雷を落とされた。

 そんな事を言われても知らないのだから間違えて当たり前、叱る前に教えを説けと天部代理に強めに言い放つ。天罰でも下されそうな態度だがそれもそれで狙いでもある、一度落としてもらい体感できれば今後は反らせるようになるし、これ以上死にはしないから問題ないはず。

 それに落とされても本気で天罰覿面とはいかないだろう、今は妖怪としての虎丸星としているのだから。

 

 ニヤニヤと笑んでいると、お茶を啜りつつチョイチョイ混ざってきていた水蜜にまで罰たりだと窘められるが、バチには当てられ慣れているとのろけて逃げた。

 色香漂う俗っぽい事を言ってのけると星からやれやれという息遣いが聞こえた、幸せが離れていってしまう息なんてついて、幸運を振りまく兎さんを連れてきてあげたくなりそうだ、連れてこなくとも後日会いそうなものだが。

 思考が完全に逸れてなんだったかと考えていると、お優しい虎妖怪が足の意味を教えてくれた。

 

吉祥坐(きちじょうざ)降魔坐(ごうまざ)とありまして、アヤメの組み方は悟りを開いた者の組み方で吉祥坐なのですよ、修行者は私のように左足が上に来るように降魔坐で組みます」

 

 なるほど、と言われた事を噛み砕く。

 表情にはせずにモグモグと咀嚼しつつ自身の足を見る。

 視界に収まるのは右足の足裏、狸の姿に化けていれば可愛いピンク色の肉球4つがこんにちはしているのだが、今の姿ではただの五本指がこんにちはしているだけだ‥‥ちなみに猫と違って爪は収納できない、と豆知識も語っておく。

 で、なんだったか、あぁ悟りを開いた者の座り方ってやつだ、俗世に塗れたあたしが組むには間違っていると星は言う。それが正解なのだろうが組み直すのが面倒臭い、というか半分痺れていて触れたくないからどうにかこれでいけるようにこじつけたい。

 体を動かすとビリビリとくる為、黙々と考えて動きを見せずにじっと足裏を見ていると、静かになったあたしを二人がじっと見つめてくれる。

 悟りとは何か、それを目指す寺に住まう者達に見られ一瞬だけ考えるがすぐに結論に至った、さとりとは性格の悪いジト目の事だと‥‥確実にこれじゃないと理解しているが、それでも拭い切れないジットリ三つ目少女の姿。他人の思考を読む妖怪の姿に思考を邪魔されて、思わず邪魔をするなと脳裏に浮かぶ姉妖怪をジト目で睨む。結構力が入ったようで内心だけのつもりが表情にも出てしまい、薄く半目を開くような顔になってしまった。

 

「なんか、真剣?」

「表情から思考が見えませんね」

 

 真剣で正解、大真面目にさとりの姿を消そうと考えている、そして思考が見えないのも正解だ、思いつくのはあのジト目の姿ばかりで他のことが思いつかないのだから。

 色々と考えてどうにかかき消そうと必死だが脳裏から消えずに困る、逸らせばどうにかなったりするのかもしれないが、意識して思考を逸らすなんて器用な事は出来そうにない、というかやったら思考力が逸れて無くなり馬鹿になりそうで怖い。

 こうやって悟りについて悩んでいる時点で悟れないとわかっちゃいるが、それでも悶々と悩んでしまうのはあたしの性分だ‥‥というかはなっから悟りを開くなんぞ無理と決めつけているから、開けないし開くモノがない気がする。

 こういう時はあれだ、諦めよう。

 まばたきもせずに考えた結果‥‥我諦めの境地に至り。

 

「ふぅ‥‥」

「帰ってきた?」

「お、お帰りなさい?」

 

「どこにも行ってないわ、いや、行くとか行かないとかではなく‥‥何だったのかしら? 今の時間は」

 

 何を考えてもジト目。

 それをかき消してもジト目。

 頭のなかのあちこちにいたジト目妖怪は吐いた息と共に消え失せた。

 全く、この場にいなくともジト目か、少しは妹を見習って笑ったらいいのに‥‥いや、アレが可愛らしく笑う姿など想像しがたいな、なんて考えなおすと不意に襲ってくる疲労感。

 下手な難題を考えている時よりもよっぽど頭を使ったような気がして、疲労する肉体もないのに結構な疲労感を感じている、頭が凝ったような感覚に陥りどうにか伸ばそうと取り敢えず体を伸ばした。敷かれた畳に寝転がり首も背もビィンと逸らして大きく伸びる、ついでに両手も投げ出して伸ばした先をちょいと見ると、白黒のゴシックなドレスと笑い顔のスカートの中身が見える。

 気がつけば読経も聞こえなくなっていたし、修行は終わってこちらに休憩にでも来たのだろう、ソレはソレとて悪くない眺めだ‥‥秘仏の御開帳を行った寺の秘物が御開帳されて見える。命蓮寺の秘仏は古めかしい仏像とお鉢、なんて事をどっかの行者は言っていたが今見える秘物達は古いなんて事はなく、しっかりと目の保養となってくれた。

 ジト目のせいで疲れた頭を癒すように中身を色ボケさせて見上げていると、二人にバッと隠されて御開帳の終いが告げられてしまう。

 

「たまにいらしたと思えば‥‥何か言い残す事は?」

 

 こころを後ろに下がらせて、自身はかばうように前に出てきたガンガン行く僧侶。

 辞世の句を残してもいいと言ってくれたので折角だからと言い返す、キリッと真面目な顔をして少し考える素振りを見せてから、黒のレー‥‥と言うのと同時に練り上げられた魔力を手刀に込めて、額のど真ん中に振り下ろされた。物理的な南無三なら効きにくくなったが魔力混じりではさすがに響く、脳天を揺らす衝撃を受けてゆらゆらと体を散らしていくと、隣の猿面被ったピンク色が少し慌て始めてくれて可愛らしい。

 一旦完全に霧散して、聖の南無三(決め台詞)を聞いてから再度体を顕現させる、現れついでにニヤニヤと笑んで聖とこころを見てやると、こころの方は大飛出くっつけて驚いてくれている、出会い頭の驚きを提供できてお姉さんは満足だが、隣の方はどうしたものか?

 穏やかな表情で見下ろしてくれているが、携えている物は穏やかには到底見えない‥‥雰囲気から二度目の逃亡は無理だなと悟り、ニコっと笑うとにこりと笑んでくれるノリの良いライダー僧侶、笑ったまま独鈷杵を強く握り締めて輝かせ、そのままあたしに振り抜いた。

 仏を目指す寺住まいのくせに三度までと言わず二連続で説法(物理)が説かれた、一瞬であたしの視界が光で満ちて、その後暫く眠りについた。  




あいも変わらず補足を。

居開帳・出開帳
ご開帳ってのは耳にされる事もあると思います、それの種類って感じでしょうか。
寺院で仏像を拝観出来るようにするのを居開帳(いがいちょう)
寺院以外の場所に持ちだして出張して行う開帳を出開帳(でかいちょう)と言います。
開帳を開扉(かいひ)とも言った気がしますが、こっちはうろ覚えです。

六波羅蜜(ろっぱらみつ・ろくはらみつ)
悟りを開き仏陀となる為に行う6つの修行、と思って頂ければわかりやすいかと。
ちなみに仏陀は個人名ではなかったりします、悟りを開いた人達の総称とでも言えばよいのでしょうか。
命蓮寺の精進以外の5つは確か求聞口授に載っていた気がするので、気になる方は読んでみてください。

結跏趺坐(けっかふざ)
吉祥坐は曼荼羅に描かれる仏様や仏像なんかの座り方、と考えてもらうと絵が浮かびやすいかもしれません、釈迦が悟りを開いた時の座り方がこれだそうです。
降魔坐の方は座禅修行で組まれる形と思って下さいませ。


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EX その13 聞き上手

 人里の喧騒とは少し離れたはずれにある妖怪寺、そこに居候している船幽霊にナンパされついて来てみれば、ありがたい御開帳が拝顔出来た。

 ありがたやと内心で手を合わせ、感想を述べようとした辺りで意識の海へと鎮められた‥‥船幽霊に難破させられたのならわからなくもないが、あたしを沈めてくれたのは船幽霊ではなく阿闍梨、衆生を救うはずの尼公に鎮められるとは良い皮肉で面白い。

 貸本屋を営む娘っ子から狸殺しの和尚などと呼ばれショックを受けていたようだが、その二つ名のとおりにあたしの意識を鎮めてくれて、力も方便を地でいかれ、してやられたのに存外心地よい気がしなくもない。

 魔を払う仏門の御力を受けて心地よいなど、その気でもあるのかと思われてしまいそうだが、聖の操る力は魔に魅入られた力であり、魔法を使いながらも実態のそれは妖気の感覚のそれに近い。仏教なんて東洋の物を極めた相手が魔法という西洋の術を操るなんて、住んでいる船幽霊もへんてこなら和尚も和尚でへんてこな在り方で、この寺は本当に面白いと思う。

 

 そんな面白い者達の事は一旦置いておいて、南無三されて暫く経った今はどうにか復活し、浄化の光に貫かれた額を撫でつつ外廊下で一服中。真っ直ぐに振られたビーム独鈷杵のせいで穴でも空いて、額から主流煙でも漏れ出したりはしないかと、軽めに擦って確認しながらの喫煙だ。

 寺でお茶したり御開帳を拝顔したり、その結果南無三されたりしていると辺りはすっかりオレンジ色、いつの間にやら火点し頃(ひともしごろ)となっていて、この一服が済んだら帰るかとまったりとしている。

 ポヤポヤと煙を吐いて夕間暮(ゆうまぐ)れに浮かばせると、隣に座る妖怪が漂っては流れ消えていく煙を見つめて呆けている顔が目に入る。何を考えているのか、何も考えていないのか、よくわからない変わらぬ顔で隣に座る面霊気。

 火男のお面を側頭部にくっつけてどんな感情でいるのかはわかるが、感情が見えるだけで思考は見えず、南無三される前にイヤになるほど浮かんだ姉妖怪にでもなれれば読めるのにと、都合のいい事を思いつつ無表情を見つめると視線に気が付かれ見上げられた。

 

「なに?」

「なにも、特にはないわよ?」

 

「噓でしょ? なに?」

 

 この子が何を考えているのか、それを考えていると問掛けられたのでなんでもないと答えてみたが、まるで信用されずに真っ直ぐ追求された。

 あたしが噓をつく時は真実を二割くらい含めて話す、そんな事を以前に言ったものだから今の部分の噓は何処かと訪ねてくる、表情豊かなポーカーフェイス 秦こころ。

 なにと問掛けられても考えたのは本当に些細な事で、聞き返されても納得される答えを話せる気がしない、かといってここではぐらかすとまた噓ついたと言われそうだし、言ってないのに噓とされるのはペテン師妖怪としては気が進まない。

 どうやって誤魔化そうかと思い悩んでいると、予想外の口撃をされてしまう。

 

「お姉ちゃん、また誤魔化そうとしてるでしょ?」

 

 福の神とお猿さん、両方の面にコロコロと変えて話すこころ。

 水蜜にも言われたが、そういや地底の姉妖怪の前でそんな話をしたことがあったなと、姉っぽく飯を食わせたりお土産買って渡してみたなと、こころのシャツの袖で光る黒のカフスボタンを見て思い出した。

 そう言われ悪くないとも感じるし、嬉しいが困っているなんてなにやら難しい感情を面で見せてくれるのは面白いのだが、今まで言われた事がないお姉ちゃんなどと言ってきたのは‥‥いや、言わされているのは誰かにそそのかされての事だろう。

 異変の時は一輪に感化されて喧嘩っ早くなっていたが、誰かに言われた事を鵜呑みにしてそのままになるとは、目敏く嘘だとつついてくる賢さがある割に素直に染まって可愛らしいが、誰かに言われたならそれらしくするとかなるとか、そんな事ばかりしていると誰かさんのように胡散臭いだの面倒臭いだの言われるようになりそうだ、そうなってほしくはないしなる前にどうにかしたい。

 それなりに面倒で、それなりに面白い難題が湧いてきたなと薄く笑って考えていると、見上げる瞳から返事は? と待たれている気がしてきた。

 取り敢えずテキトーに返して今は誤魔化しておこう。

 

「言い慣れない事言わないほうがいいわ、水蜜にでも言われたの?」

「私が言えば喜ぶって言ってた、嬉しい?」

 

「あんまり嬉しくないわね」

 

 見てくれるこころのように表情変えず、薄笑いのまま述べてから煙管を叩く。

 廊下の縁でカツンと鳴ると、その音でピクリと揺れた面霊気の長い髪。

 予想外だとでも言いたいのか?

 一瞬だけ猿面被りすぐに狐のお面に付け替えるこころ。

 そうするだけで感情が分かってもらえると理解しているから、面をかぶり直して見てくるだけでそれ以上は何も言ってこないお面妖怪。

 大真面目に何が気に入らないのか?

 表情筋をピクリともさせず薄笑いを崩さないあたしを見て、大方そんな事を考えてくれているのだろうが、それについてもこころを真似て、あたしからも話したりはしない。

 なんて事はない、言わされているのが気に入らないというだけだ。

 自身の考えから言ってくれたなら素直に喜んだはず、照れて悪態くらいは突くと思うが。

 

「なんだか不機嫌?」

「ちょっとだけ斜めに傾いたかもね」

 

「ちょっとだけ? もっと悪くなるの?」

「このままだと悪くなるかもしれないわ」

 

「何故?」

「気に入らないから、そういう事にしておいてあげる」

 

 むぅ、と話すだけでそれ以上は聞いてこないお面の娘っ子。

 何が気に入らないのかと聞いてくればすぐに答えてあげるのに、こころの製作者みたいに欲を聞けるわけではないのだからさっさと問掛けてくればいいものを、誰かのように痛い目を見る前に、わからなければ何でも聞くと気が付かないものかね。

 表情だか感情だかを求めて彷徨い喧嘩を売り歩いた事もあるのだし、あの頃を思い出してあたしにも素直に聞いてくれば教えてあげよう‥‥思いついた少しの意地悪を実践していると、視界に映る灯籠がモヤモヤと揺れてナニカに姿を変えていく。

 赤青緑に七色と、忙しそうに輝き始める灯籠だったナニカ。

 ぱっと見は守矢神社の社務所にぶら下がっている灯り『けいこうとうかばぁ』とかいう電気式灯りの形っぽいが、よくわからないナニカとしか言えないナニカ。

 なんとなくカクカク飛びそうな正体不明が視界に映り寄ってきた。

 

「なにか用? ぬえちゃん」

「ぬえ? これ、ぬえ?」

 

 名前を呼ぶとブルブル揺れる未確認飛行物体。

 揺れるソレとあたしを見比べてコレはぬえなのかと聞いてくるこころに、よくわからないモノは全部ぬえのせいにすれば悩まないで済むと仕込んでおく。

 

「それじゃあ気に入らないのもぬえのせい?」

「そうね、ぬえちゃんのせいでもいいわ」

 

「良くないっての!」

 

 あたしの物言いを素直に受けたこころが言い放ったせいで、未確認飛行物体から見知った正体不明へと姿を戻す旧友、何でもかんでも私のせいかと騒ぎ始めた。

 その通りだと返答するとズンズンと寄ってきて、こころとは逆に座る未確認飛行少女、肩に腕を回してああん? とのたまい絡んでくる虎だったり鳥だったりする奴、耳元で喧しいったらありゃしないが、これもこれで何故か落ち着く。

 あの騒がしい天狗共も匂いは落ち着くが、賑やかさで落ち着くことはない。

 騒がしさを感じるのは古い付き合いの者だからかね?

 外にいる頃からこれだから単純に慣れているのかもしれない、しかし外の世界か懐かしい、古い記憶だなと少しだけ自身の年を鑑みて同時にぬえも媼だなと気がつく。

 なら表現もそれっぽく、煩いや喧しいではなく(かまびす)しいとしておくか、言葉がちょいと古いだけで意味合いは一緒だがその辺はただの気分だ、どうでもいい。

 

「帰ってきたら来てるって聞いたからさ、顔を出して見たんだけど‥‥出会いから随分な言い様じゃない? アヤメちゃん」

 

「おかえり、ちょっとくらいはいいじゃない、箔が付いて正体不明っぽさに磨きがかかるわよ?」

「おかえりなさい、ぬえのせいじゃなかったの? アヤメ、また嘘ついてる?」

「ただいま‥‥すぐに剥がれるメッキなんかいらないわよ、何でもかんでも人のせいにしないでってば」

 

「ぬえちゃんだけが悪いとは言ってないわよ? ぬえちゃんが悪いのかもしれないし、こころが悪いのかもしれないわね」

 

 口を開いたまま首を傾げるこころ、よくわかってなさそうだがそれは当然だろう、よくわかってない面霊気と正体のわからない妖怪に挟まれたせいで、言ったあたしもよくわからなくなってきたのだから。

 けれど一度仕掛けた悪戯兼言葉遊びだ、しっくりくる着地点がわからないとはいえこうなった大元くらいは覚えている。それでも自分からネタバレしては何となく面白くない為、このままよくわからない話の着地点をよくわからない妖怪に押し付けておく。

 途中から話に混ざってプリプリと怒る御侠(おきゃん)妖怪が更に囂しくなっていくが、こいつが賑やかなのはいつもの事で気にしない事として、取り敢えずこころが誰に入れ知恵されたのか聞いておくか。

 

「こころ、さっきのは誰に入れ知恵されたの?」

「さっきの?」

 

「お姉ちゃんってやつよ」

「あぁ、ぬえから教わったの。喜ぶだろうから呼んであげなって」

 

 こころに名を呼ばれて、ん? とあたし越しにこころを見るぬえちゃん、わからない事を素直に聞いてみればしっくりこなかった着地点がくっきりはっきりとなってくれた。

 嘘から出た真じゃないが結局原因はコイツだったんじゃないかと、正体不明をジットリと睨んでみる、さっきまで脳裏一杯にいてくれたから今のあたしはジト目に磨きがかかっているはずだ。

 確信を得て見つめてやるとぬえちゃんの顔がなによ、という感じのちょっとだけわかりやすい物になる。

 

「何でもかんでもぬえちゃんのせいにして正解だったわ、入れ知恵なんてしてくれて」

「言われて悪い気してないくせに文句言わないでよ」

 

「言われるのは好ましいけど、言わされてるのが透けて見えると素直に尻尾振れないわ」

「面倒臭いお姉ちゃんだわ、それならアヤメちゃんに習って言わせてもらうけどさ、私も入れ知恵よ? 元を正せばその目つきの奴が言い出したんでしょ?」

 

 ちょっと風向きが悪いとわかると、同じように他人のせいにし始める謀り仲間。

 人間相手に化かしやら騙しやら、あたしと同じような事ばっかりしてきた妖怪が、あたしを習ってものを言ってくれる、面倒臭い逃げ方が綺麗に真似されて少しだけ可笑しい。

 耳元で喧喧囂囂(けんけんごうごう)だったり権謀術数(けんぼうじゅっすう)だったりと色々と顔を変えてくれて、昔から楽しい事やら届けてくれて、なんでか一緒にいてくれて付き合いの良い面白い女だとクスリと声が漏れてしまった。

 

「機嫌良くなった、それもぬえのせい?」

「そう、これは私のおかげ」

 

「調子が良いわね、でもそれでいいわ、訂正するのも面倒だし」

 

 笑みは変えていないが声色でそう感付かれたのか、目敏く機嫌が良くなった事に気がつくこころ、そうしてそれに乗っかって私のおかげだなと胸を張るぬえちゃん。

 お前のせいで気に入らないと少しだけご立腹だったのだが、機嫌が戻るとすぐに調子に乗るなんて、こころとは打って変わってころころと表情豊かで妬ましいが、実際機嫌は良くなったので追求はしないでおこう。

 そういや帰ってきたとか言ってたが、何処で何をしていたのだろう?

 

「ぬえ、用事は終わったの?」

「終わった終わった、後はあっちでばら撒くだけよ」

 

 暮れ落ちるお天道様を見つつ思いに耽っていると始まった、居候二人の会話。

 話しを振ったこころを見てからぬえちゃんに焦点を合わせると、右手を前に突き出して巻いている蛇を強調させていた、これが正体不明の種とか言って種明かしをしてくれた事が前にあったが、コレを使って何をするのか?

 聞いてみれば、星にくっついていって永遠亭で悪戯かますのだそうだ、一緒にどうかと誘われたが丁重にお断りしておいた‥‥あそこには悪戯の大先輩がいるし、あそこで種を使っても無意味だろう。正体を無くしたい『ソレ』に種をくっつけて認識を阻害し、結果だけを伝えるのだそうだが『ソレ』がハッキリとわかっている相手にはまるで効かないとも言っていた。実際間欠泉が吹き出した異変の際にも飛倉の欠片にくっつけて悪戯していたというが、飛倉の正体をよく知る和尚やネズミ殿には全く効いていなかったらしい。

 それに習えば、あの病院にいる連中が屋敷の中の物で知らない物などほとんどないはずだ、ぬえちゃんには悪いが効きやしないと言い切っていいだろう、寧ろ種を回収されて新しいクスリの材料にでもされて終わりそうだ‥‥それはそれで面白そうだし、これは内緒にしておいて後で楽しく笑わせてもらおう。

 また一つ楽しみが出来たと一人ほくそ笑むと、楽しそうだと話す妹面。

 楽しくなるといいねと話すと、またわからない顔をされたがその顔もまた可愛いのでこっちにもネタバレせず、ただ一人でニヤニヤ笑んだ。

 

~古狸嘲笑中~

 

 ぬえとこころに絡まれてすっかり帰るタイミングを失った為、昨晩はあのまま寺でお世話になった、急に泊まりとなったからテキトウに雑魚寝でもしようかと考えていたが布団まで貸してもらえて運が良かった。白地に薄い小豆色の上掛けなんてシックな色合いの物だったが、誰のものか聞いて納得できた、夜には住処のお山に帰る可愛い山彦ちゃんのお昼寝布団だそうだ。 

 身も心も高める修行先に寛ぐためのお昼寝布団とは随分と寛容な寺だなと考えたが、悟りを開いたという仏様も横に寝転がったというし、五体投地と考えれば案外修行なのかもしれないと思い直して素直に寝る事が出来た。こういう時には都合のいい思考回路で良かったと自画自賛出来る、既に入滅し涅槃の先にいるというのにね。

 閑話休題。

 今は寺の皆とは別れ二人で自宅に戻っている。

 連れているのはあたしを姉と呼ぶ付喪神。

 朝の水行の為に着替え始めた皆を見て、あたしも一旦帰って下着くらいは履き替えるかとフラフラ帰宅しようとしたら、なんでかついてきたのでテクテク歩いて連れてきた次第だ。隣に並んで歩く姿がいつかのように踵から地につくもので、歩幅小さくチョコチョコとついて来て、可愛さアピールをしてくれる愛らしい付喪神。

 並んで歩くのにこうして気にしてくれるようだが、今年は斬雪も少なくて泥も跳ねないから大丈夫と言ってみてもそのままの歩幅で歩むこころ、あたしの近くを歩く時はこうすると決めたんだと。この面霊気、やっぱり可愛い。

 

 そんな可愛い妖怪は、初めて入るあたしの住まいを見回すのに忙しいらしい。

 入ってすぐはウロウロと落ち着かない感じだったが、取り敢えずお茶でもとあたしの湯のみを手渡すと静かに啜って卓についた。

 ほんの少しだけ膝小僧を開き両足の甲を組んだ正座なんてするから、崩していいと促すと慣れているから大丈夫と少しだけフフンといった口調で返された。

 能舞台で長く正座する事もあるらしいし、確かに慣れていそうだなと言葉を咀嚼して眺めていると、寺で言ってきた事を再度聞いてくる付喪神。

 

「また見てる、なに?」

「なんでもないわ、強いて言うなら可愛いなって思っていただけよ?」

 

 コートやらインナーやらを脱いで着替える最中、愛らしい歩き姿を思い出していると寺にいた時と同じように問掛けられた。

 ゴソゴソと箪笥から着替えを引っ張り出しつつ、素直に聞かれたそれについて真っ直ぐ背中で語ってみる、卓につきあたしの湯のみを持っているこころには見せず箪笥の引き出しにウインクかまして話してみると、ズズッと啜ってお茶の水面を濁すポーカーフェイス。今濁したいのは雰囲気であってそれじゃあないだろうに、偶に会って褒められて照れるってか?

 本当に可愛いな、この子。

 チャチャッと着替え火男被って湯のみを見つめるこころの横に座りつつ、頭を撫でて更にからかってみることにした。

 

「今のは噓よ?」

「噓?」

 

「思っていたんじゃないの、思ってるのよ」

 

 頭を撫でる力を僅かに強め話す、グリグリと撫でくりまわしてニンマリと笑ってやると、髪が乱れるからやめてと文句を垂れてきた。

 乱れたなら梳かしてあげる、言いながら手櫛を通していくと火男から福の神へとお面を変える面妖怪、こちらについては文句は言わず、なすがままになってくれて静かに目まで瞑ってくれた。

 心地良いとでも思ってくれているのか、梳かれる髪の感触に集中するようにおとなしくなる妹お面、面も変えずに嬉しく感じてくれているようだし、もうちょっとだけ妹面で遊んでいよう。お姉ちゃんと呼んでくれたわけだし、姉なら姉として妹を玩具にしても当然だろう、兄弟姉妹の下の方は上の玩具だと大昔から相場が決まっている気がする。

 素直に聞いてきた、聞き上手になった妹を愛でつつ思う。

 あっちの狸の姉も自分の事をこんな風に見てくれているのだろうか?

 昨日は寺にいなかったし後で会ったら聞いてみるか。

 姉さんに真っ直ぐ甘えるなど未だ照れるが、こっちの妹は聞き上手なのだから、同じ妹分のあたしも少しは聞き上手になれそうな気がする。




HDDが死んで放心しつつ、気晴らしにと家探ししたら求聞口授・小説儚月抄・香霖堂を発見出来ました。
やはり香霖堂ゆかりんは可愛い。
完結してからの方が資料が豊富、なんだか皮肉に思えてすこし可笑しく感じます。


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EX その14 口上手

 お手々繋いで竹林を歩む、繋ぐ相手は可愛い面霊気。

 二人並んでサクサクと、枯れた竹の葉を鳴らして進む。

 住んでいるあたしからすれば通い慣れた獣道だが、隣のお面には新鮮なモノに映るようで、あっちやらこっちやら、何処を見ても変わらないような竹林をグルリと見回し歩む、秦こころ。

 影に入ると薄紫がかって見える桃色の髪をゆらゆらとさせて、何か珍しいものを見るような瞳をしている、気がする‥‥被っている面が火男だからそう思えるが実際は何を考えているのか、その瞳から読み取れない。

 表情がないのだから瞳に宿すモノもない、これが道理でこころもそれを体現している、なのだから読み取れない、が、そうだからこそ何を考えているのか考察するのが面白い。

 竹林のあっちゃこっちゃを見回して、方角がわからなくなっただとか、どっちから来たんだっけだとか、その場で思ったわからない事を素直に聞いてれる付喪神。

 方角はうっすら見えるお天道様を見ればいいし、来た方向も背中側から来たのだと教えてあげると、なるほどと頷いて何やら納得してくれた、欲しかった答えではなかったのだろうが納得出来る答えではあったのだろう。

 コクリと頷かれ、握る手の力を強められた。

 大した事もしていないのに良く懐かれたなと考えていると、視界に一瞬だけ映るピンク色のワンピース、ここにいるって事はお小遣い稼ぎは切り上げて、いつものお戯れでもしに帰ってきたってところか、ガサっとわざとらしい音を立てて一瞬で過ぎていった兎詐欺さん。

 

「妖怪?‥‥兎?」

「そう、有名な因幡の黒兎詐欺があれよ、演目にはないから知らない?」

 

 教えるように鳴らされた音と、緑の景色に目立つピンクはこころの目にも捉えられたようだ、チラッとしか見られていないがそれでも正しく兎詐欺だと認識した面霊気。

 こころの周囲に目玉の描かれた面がグルグルと浮かんでいるから目敏く見つけられるのかね?

 本体以外のお面にも視野があるなら一瞬で捉えられても当然かもしれない。

 

「神話は知ってるけど、白兎じゃないの?」

「あれは白くないわ、皮ひん剥いても黒いだろうし、どう転んでも黒いわね」

 

 竹林に消えていった脱兎の背中を追いかける付喪神。

 キョロキョロする桃色頭を見つめつつ、いらない事を入れ知恵していく。

 どうでも良い事を言ってやると、でもやら、う~ん? やらと小さく悩み始め、歩む速度を落とすこころ。女の面から狐面に切り替えて真面目に考えている姿を眺め、随分と真剣だなと一人微笑み先を歩くとパタパタとついてくる。

 面から伸びる赤い紐をゆらゆらと横に靡かせて、待ってと後をついてくる‥‥なんだかその姿が可愛らしくて、声が聞こえても速度を下げずに歩いてしまった。

 質の悪い年劫の兎のお陰で見られた可愛い姿、姿を見せて幸運を届けてくれたのかなと、あたしにとって都合のいい事を考えていると遠くから聞こえる黄色い悲鳴。

 

「悲鳴だ」

「いつもの事よ、兎の罠に兎がかかっただけ」

 

 お面に耳はないけれど、こちらも聞き逃さないらしい。

 悲鳴の聞こえていた方向に漂わせる面を集め、少しの警戒の色を見せるこころ。

 警戒する事ではない、いつもの事だとこころを鎮め、結構な声量が聞こえてきた方を二人で見つめ立ち止まる。

 それにしてもでかい声だったな、それもそうか、我が家にいながらでも聞こえる事がある悲鳴なのだ、近くで聞こえれば聞きたくなくとも耳に入ってくるだろう。

 

「兎の罠? 自滅するの?」

「さっきの兎詐欺の生きがいが悪戯なの、その罠にかかるのが生きがいって兎もいて、それぞれ別の生き物よ」

 

 のらりくらりと歩を進め、歩き姿と同じような物言いをしてみると僅かに瞳を細めてくれる、疑問符のお面でもあれば被ってくれそうな雰囲気で隣に追い付き見上げてきた。

 今の言葉だけでは伝わらないだろうし、可愛い悲鳴が聞こえてきた方向は目的地に向かう方向だ、ついでに拾いつつ声の本体でも見物しに行ってみるとしよう。

 カサカサと竹葉鳴らして進んでみればポカリと空いた丸い穴、ひょいと覗くと少し大きめの籐あみタイプの背負い箱が見える、本体がいないなとつづらを煙管で突いてみるとその下から声が聞こえた。

 

「もう!! てゐ!? ちょっと、突っつかないで!」

 

 半分埋まって篭もる声があたしを兎詐欺と間違える。

 下は土、上はつづらとこちらが見えないからテキトウに言ってくれているのだろうが、あいにくあたしは兎詐欺さんではなく狸のペテン師さんだ。

 そもそもあそこまで年食っているわけではないし、あんなに未成熟な体つきでもぺったんこでもない、見知った相手から間違われる事などそうはないが‥‥姿を見せずに行動だけ見られれば間違えられる事もあるって感じか。

 

「遊んでないで早く出してよ、てゐ!」

「人違いだから嫌ウサ」

 

 間違われたのでそれらしく、語尾にウサとくっつけて声色や拍子はいつものままにお断りする。

 そういえば鈴仙にてゐと間違われるのはこれで二度目か? いや、正月の時はあたしがてゐと勘違いしただけでこの子はあたしの真似をして笑ったのだったか、そう考えるとどちらの真似をしても詐欺師かペテン師で差がないようにも感じられるか?

 つづらを煙管で小突きつつ、ついさっきの考えを否定していると鈴仙がなにか変だと感づいた。

 

「あれ? てゐじゃないの? でもウサって?‥‥誰?」

 

「助けないの?」

「出してとは言われたけど、まだ助けてって言われてないウサ、だから助けないウサ」

「このわざとらしい口調は‥‥アヤメさん? と、もう一人は誰だろう? まぁいっか、誰でもいいから助けて下さいよ~」

 

 姿を見ずに物言いだけであたしと感づくとは、わざとらしくウサとつけてそれっぽく話してやったのにバレバレか、中々に鋭い兎さんだと一瞬だけ思ったが、そもそも隠していないし、気が付かれて当たり前だったな。

 けれど、悪戯された後でてゐに次いで出てきたのがあたしだと思うと‥‥なんでか素直に褒める気にはならない。なんだか釈然としなくもないが些細な事だから気にしないとしてまずはどうにかするかね、お面を漂わせる面霊気が穴の中身を気にしているようだし。

 すっぽりと落とし穴の蓋代わりに収まるつづらを少しずつズラす、頭と顔が見えるくらいのスキマが開くと、下から見てくる疲労感が浮かぶ赤い瞳と、隣の感情の伺えない瞳の目が合った。

 

「あ、付喪神」

「こんにちは、落ちたのは薬売りの兎だったのか」

 

「知り合い‥‥よね、どっちも里にいるんだし。それよりも取り敢えず出たら?」

 

 二人で見合っている間にちょいと逸らしてつづらを動かす、綺麗に収まっているソレを逸らせば穴の縁から逸れると考え、物は試しとやってみたが、上手い事逸れてくれた。

 華奢で平坦気味な鈴仙が落とし穴から出られるくらいにつづらが動くと、こちらに向かって手を伸ばしてくる竹林の穴うさぎ。

 飛べるのだから飛べばいいのにと思い、伸ばされた腕を握らずに見ているだけにしてみると、ん? と小首を傾げて見上げフリフリと手を振られた。

 

「なんの手? サヨナラ?」

「いえ、引っ張ってもらえないかなって」

 

「飛んだら早いんじゃないの?」

「あ」

 

 落ちた穴じゃないんだ、あ、なんてポカリと口を開けて言うんじゃない。

 いざ荒事となると冷静な軍人の姿を取り戻す鈴仙だけれど、普段の生活では冷静さや聡明さは殆ど見えなくなってしまうのは何故なのか?

 せめてもう少し、うさぎの毛で突いたくらいの慎重さや冷静さが日常生活でも見られれば穴に落ちる毎日になどならないだろうに、しかし飛べる事まで忘れるか?

 

「うっかりしてました、今の格好で飛んじゃダメって言われてて」

 

 ふわっと飛ぶと見慣れない格好の鈴仙が出てきた、髪の色よりも少し薄いくらいの紫の着物姿で出てくると、パンパンと土汚れを払う竹林の落ち担当。

 そういや以前のあたしが着ていた長羽織も紫だったな、菖蒲柄の刺繍がされていて鈴仙の着ているそれよりは派手な物だがあれを最後に羽織ったのはいつだったか?

 守屋神社で甘えた時には着なかったな、というかあの時にはなかったような気がしなくもない。

 その辺りは今はいいか、帰って箪笥ひっくり返せばあるだろうし、今はこっちの紫兎が気になる。迷いの竹林内で思考の迷路にハマる前に、白い脚絆を払う鈴仙へと視線を向ける。

 和服姿の玉兎を見て思う、和服にも和の色気があるけれど今の鈴仙からは色気が感じられないから普段のミニスカートの方がいいな、と。

 油断から見られる色気がきっとこの子の持ち味だ。

 

「なにかの罰ゲームなの?」

「え?」

 

「わざわざ変装なんてしてるから、またやらされてるのかなって」

「そういえば、人間の真似?」

 

 上から下まで舐めて見ると、頭の後ろには編笠まであって本格的に変装している雰囲気が見受けられる。罰ゲームでないのならなんの遊びだろうね、これは?

 

「あ~、これは‥‥聞きますか?」

 

 問われたが聞かない、そう言い切って先に歩き始める。

 二人から、えっ、と驚かれるが勿体振るって事はどうせ永遠に退屈しているお姫様か、永遠に姫の世話を焼いている女医さんからの言いつけなのだろう、と言う事は十中八九、いや、ほぼ十割で何かある。聞けば手伝ってくださいよという流れになりそうだし、そうなってしまうと永琳から借りている事もあって手を貸さないわけにはいかなくなる。

 それは非常に面倒臭いし、場合によってはこころにまで首を突っ込ませる事になりかねない。

 あたし一人ならどうとでもしよう、逃げ切る自信があるわけではないが逃げる事よりも見つけられなくなる事には自信がある、地底の妹妖怪ほどではないが認識されにくくなる事には定評がある。閻魔様からのお願いで日記の盗み見をしてみたり、天邪鬼と姉の小話を堂々と隠れて聞いてみたりと、いても気が付かれないくらいには空気になれる。

 烏天狗の巣で話されたガールズトークや、妖怪神社での宴会では除け者にされるくらいの空気っぷりだ、自分で言ってて少し切ないがこの遣る瀬無さは気が付かなかった事としよう。  

 

 ポツポツと考え事をしつつ、一人で永遠亭へ向け歩を進めると小走りで駆け寄ってきた二人だが、片方は狐のお面をくっつけてなんで? と見上げてくれている、こっちに対しては唇に人差し指を当てて何も言うなと促しておく。

 もう一人の勝手に話をのたまい始めた兎には、人間であれば耳がある辺りに両手を当ててあー、と発する。何も聞こえていませんよ、聞くつもりもありませんよと見せつけると真横に来て耳はそこじゃないなんて言ってくるが、そこまで聞いて聞こえなくなった。

 鈴仙の角っ口から吐出される声は逸らして、あたしの耳には届かないようにし、何を言われても聞き入れないまま三人で竹林の屋敷へと歩いていった。

  

 ダラダラ歩く事を好む両足に少し鞭打ちすぐに付いた竹林の病院。

 ガラッと引き戸を開け放ち、我が家でもないのにただいまと少し大きめの声で存在をアピールしてみせる。すぐ後ろにいるお面の妖怪からただいま? と聞き返されるが、いつだったか出された八意女史からの難題をクリア出来たお陰で、この永遠亭で飼ってもらえるからただいまでもいいのだと話す。

 

「寺でも言ってたね」

「そうね、言ってないのは霊廟と天界くらい? 住んでいる者達には言ってもいいけど、どっちも言いたくない場所ね」

 

「神子は嫌い?」

「太子は好きよ、でも場所が悪いわ」

 

 場所と聞いて猿面になった、困るほど悩むことかね。

 霊廟といえば墓場で、天界といえば天国だ、今のあたしがそこらに向かってただいまなんて言ったら笑い話にもなりゃあしない。

 ただの冗談だと話しても納得しない面霊気、いろんな事に興味をもつのは良いことだとは感じるけれど、そういった面倒臭いところに引っ掛かると誰かさんのように面倒だ厄介だと言われるからやめておけ。

 

「墓とあの世にただいまとは言いたくないわよね、おかえり」

 

 屋敷の奥から聞こえてきたあたしの難題の正解。

 言ってきたのはここの主治医、両手を腰に回して後ろ手に組みおかえりと言ってくれる八意永琳。自室代わりの診察室ではなく屋敷の奥から出てくるなんて珍しいなと見ていると、なにやら気持ち悪い笑みで見つめられた。

 こんな顔の時は大概してやられる時だ、出会いから何かされるのかと少し考え思いつく、飼ってもらえるなんて言ったからあれか、後ろ手に『灰雲の垂れ耳飾り』でも持っているのか?

 奥から出てきたのは態々探し出してきたからなのかもしれない、輝夜やてゐに笑われたのにその上こころにまで見られては恥ずかしい、鈴仙じゃないが穴があったら入りたい気分にさせられた事を思い出す。

 

「つけないわよ」

「何を?」

「そうね、何をつけないのか教えてもらえる?」

 

「あたしの耳は二つで十分よ、付け耳はいらないわ」

 

 ピコピコと生やす耳を揺らして宣言する。

 ついでに両手を突き出して見た目から断固拒否の姿勢を見せると、何の事かしらと両手を開いて恍ける月の頭脳。その手にあると思っていた付け耳は何処に見られず、一瞬呆気に取られてからしてやられた事に気がついた。

 滅多に突けないだろう天才の柔らかい脇腹を突いたつもりだったが、それはブラフであたしは完全に遊ばれていたらしい、本当にずる賢い、兎詐欺が師匠と呼ぶのは伊達ではなかった。

 

「付け耳って何?」

「なんでもな‥‥」

「これよ、以前に収めてくれた難題の品で『灰雲の垂れ耳飾り』というの、簡単に言えばアヤメの耳ね」

 

 なんでも聞きたい面霊気がこちらを見つつ聞いてくる、なんでもないと誤魔化すつもりが、あたしが全てを話す前に物を出されてしまった。

 ゴソゴソと長いおさげを弄って、ポロッと垂れ耳飾りを取り出すと、小さく首を振って銀のおさげを揺らす八意先生。おさげに付けて隠すとはやるじゃないか、そしてやっぱり持ってたんじゃないのかと強めに睨み舌打ちしてみるが、付けてきただけで持っているとは言っていないなんて上手い事逃げられてしまった。

 ご尤もでぐうの音も出ない。

 

「さっきの兎とお揃いだ」

「耳は一緒でも立場は少し違うわね、優曇華はいつもの事だけれど、アヤメは自爆したの。言うなれば墓穴を掘ったってところね」

「……掘っても入らないわよ?」

 

「うどんげ?」

「さっきの玉兎の事、鈴仙だったり優曇華院だったりイナバだったりするのよ、面倒臭い名前よね。一緒に帰ってきたんだけど何処に行ったのかしら?」 

 

 つい先程まで一緒にいた長ったらしい名前の兎に聞かれたら騒がれそうな物言いだが、地上在住の逃げてきた玉兎なんて面倒臭い立場なのだから意外と似合いの名前なのかもしれない。

 言うなれば鈴仙も脱兎か、てゐといい鈴仙といい脱兎ばかりがいる屋敷だ。

 

「優曇華というのは三千年に一度咲く花の名前なの、こっち(名前)までお揃いだっだわね。うどんげなら先に上がってるわ、荷物もあったし裏口からいれたのよ」

 

 他愛もない事を考え鈴仙の姿を探していると、耳以外にもお揃いがあったと教えてくれる薬剤師、おぉ、なんて感心しながら聞いているこころに余計な事を吹き込んでくれて困る。

 いらぬこじつけを聞かせてくれてからに、言う通り確かに花だし共通点とも言えなくないが上手く繋げてくれちゃって、本当に口でも勝てそうにない。それは兎も角として、裏口から入れるってのはなんだろうか?

 荷物といっても背負っていたのは薬箱だったはずで、アレの中身は置き薬の補充品か新しい置き薬だろうと思っていたが‥‥わざわざ裏口から隠して入れて、それを教えてくれる理由がわからない。

 

「取り敢えず上がったら? お茶ぐらい出すわよ?」

 

 アヤメが、と最後に呟いて振り返る永遠の従者。

 他人様の家でなんであたしがと感じたが、ただいまと言ってしまったし借りっぱなしのモノも多く残っている、これで一つ返せるなどと思っちゃいないが返す取っ掛かりには使えるかもしれない。奥へと進んでいく永琳とあたしをチラチラと見比べている妹お面に上がりましょと告げ、言いたい放題言ってくれた口上手の背を見やる。

 ちょっと、じゃないな、随分と賢いからって好き放題言われたまま済ますのはなんだか面白くない。何か言い返せる部分はないかと考えツートンカラーの背に続くが、これといって思いつく軽口も悪態も出てこない。

 普段から減らない口だとか、口が軽いだとかはよく言われるあたしが何も思いつかないとは。

 口が悪いだの底意地が悪いだの言われるが、この月の頭脳のように口巧者(くちごうしゃ)と言われる事のない自分、これでは勝てなくとも仕方がないかと、勝てない相手の後を渋々とついて歩いた。




○○上手なネタが思いつかなくなってきました。


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~外出小話~
EX その15 上手の手から水が漏る


 死なずの医者の後を歩いて通されたのは客間、なのか?

 昨年の正月に寝泊まりした部屋へと連れられて、改めていらっしゃいと迎えてくれる八意先生。

 連れたこころは素直にお邪魔しますと返し、促された通りに卓へとついたが、あたしは同席する事はせず、閉められていた引き戸を開け放った。

 暖かな春というにはまだ早いが、風がなければそれほど寒くもなくなった今、終わりもなく変わらない人間が済む屋敷に面霊気という新風を入れるたわけだし空気も入れ替える。

 そのまま縁側に腰掛けて、足を投げ出し一息入れる。

 同時に腰掛けた飼い主役の二色から、お茶は? と言葉にされずに首を傾げるだけで問掛けられてしまったが、見てくる視線と小言を逸しつつ、気には止めずにまずは一服。

 スカートのスリットが開くのも気にせずブラブラと足を投げ出し、外でなにやら歌う妖怪兎達を眺める、見つめていると声が小さくなってしまうが煙管咥えて両手を見せて、下から平手で持ち上げると再度歌い始めた兎達。

 

 一つ搗いてはダイコクさま。

 二つ搗いてはダイコクさま。

 百八十柱の御子のため。

 と、杵やら臼を磨きつつ歌って動くうさちゃん達。歌というよりもなんというか祝詞の奏上や何かの祈りのように聞こえてしまうが、そう聞こえても已む無い事か。

 楽しげにノッて歌う兎達の歌なのだ、宣聞かせる言葉と意に乗って届ける言葉に聞こえても当たり前だろう。いつだったかの輝夜達は罪の償いをするのに餅搗きを行っていると話していたが、実際に餅を搗いている兎達は償いとは真逆で楽しんでいる風合いだ。

 償いも楽しむなんて躾がなってない、そんな事を煙と共に含みつつ、餅搗き練習をする兎達を組んだ足に頬杖付いて眺めていると視界に大きめの兎が混ざる、大きいといっても一般的なサイズの妖怪よりは小さい部類の兎詐欺だが。

 

「暇なら本番で付き合うかい?」

「遠慮するわ、償うそばから作るあたしじゃ意味が無いもの」

 

「最近は悪さしてないって聞いてるが?」

 

 片眉を下げて見てくれる性悪の先輩だが、あたしの物言いに気が付かないとはらしくない。

 こういうことだとスカートのスリットを更に広げる、ついでに開襟シャツのボタンも上二つを外して体を少しくねらせた。瞳と吐息には艶やかさを混ぜて、色香漂う罪作りな女を装いねっとりと見つめてやると、あからさまに嫌な顔をしてくれる、これはまた小気味良い顔だ。

 悪くない悪い顔に向かってバチコンとウインク決めると大げさなため息をつくてゐ。

 

「いい女を見て堪らず漏れた溜め息、ってやつかしら?」

「あたしから見りゃあ眠そうな目ん玉にしか見えないって」

 

「海棠睡り未だ足らずなんて嬉しいお言葉ね、もっと褒めてくれてもいいわ」

「都合よく捉えすぎだけど‥‥和服だったならそう褒めてあげても良かったかな、でも今日は違うからダメだ、残念だったね」

 

 着物姿なら褒めたと言ってくれる、さとりが譲ってくれた着物なら確かに薔薇の刺繍入りだ、今の洋装よりも海棠らしさは強く見えるだろう。

 ちょっとした軽口のつもりで放ったら軽々と返されてしまって面白くない、屋敷の主従にしろこの居候にしろ口が達者な奴等ばっかりで‥‥全く、この屋敷は本当に面白くて堪らない。

 堪らないがやられっぱなしは癪なので負け惜しみを吐いておく。

 

「ちょっとくらい煽ててもいいじゃない、ケチ」

「ケチで結構、あたしゃ地に足ついた生活を心掛けてるのさ」

 

 べぇっと舌を出して吐き出してみたがこれも上手く躱された、けちな兎詐欺に惜しむ心なんて言っても無駄だったのだろうか。てゐに向かって珍しくおどけてみたのに褒め言葉の一つも言ってくれない、それどころか、けちん坊兎詐欺にケチをつけられてしまった。

 少し前の会話まで持ちだして言ってくれて、オチまで取ってくるなんて本当に強欲でけちん坊だなこの詐欺師。まぁいいさ、勝てない相手が近くにいるというのは小憎らしくて面白い、くらいに考えておいてこのお話はこの辺で斬ろう。

 やられ甲斐のある相手しかいないお屋敷の縁側で、話の〆代わりにチッと小さく舌を打ってやる、すると屋敷では珍しいあたしがやり込める相手が視界に入ってきた。

 お面のお供を引き連れて何か催しでもしてくれるのかね? 

 燃え尽きた葉を捨てて二度目の煙草に火を入れると、庭先に連れ出されたお供の面霊気が兎の歌にノッてクルクルと回り出す。愛用の薙刀まで出してそれを立てて上下させるこころ、動きからなんとなく杵と臼かなと感じ入るとそのまま餅でも搗いているように、何かがあると見えるように円の動きで回り始めた。

 二周した頃、薙刀をポイっと放って霧散させ、搗いた餅を手で捏ねるような仕草をしていくが‥‥ 

 

「上手い事魅せるのね、舞踊、いえ歌舞伎だったかな?」

「両方よ、アヤメが見るにはいい皮肉ね」

 

 眺めていると背中側、邸内から聞こえる二人の声。

 お姫様と名医がなにやら知っているような素振りで話し始める、皮肉だと言われたがなんの事だかわからない、わからないなら聞いてみるか。

 

「伝わらなければ皮肉にもならないわよ?」

「姫様が言う通りの演目なのよ、確か玉兎というやつね」

 

「タマウサギ? 兎で何故あたしなのかわからないわね」

「かちかち山も演じるのよ、そう見えない?」

 

 隣に佇む二人からそれぞれ言われ舞う演者を眺めていると、背中を気にして走り回るこころが見えた、背負わされた薪でも燃やされたのか、あちこちへと飛び跳ねまわる面霊気。

 なるほど、確かにこれはかちかち山だ。

 

「こころには悪いけど、このお話はパスするわ」

「痛い目見せられたから逃げるの?」

 

 いつだったか、かちかち山を取っ掛かりにして痛いお説教をしてくれた因幡てゐ。

 あの時の事を思い出すからパスすると立ち上がると、あの話を聞いていたのか輝夜からも突っ込まれた。逃げるのかと煽ってくるが仰る通り逃げる算段だ、その為の尻尾があるのだから。

 愛らしい縞柄ごん太を腰に巻くと見た目の通りに逃げるのだと伝わったらしい、逃げ口上を述べる必要もなく伝わってありがたいし、逃げるついでにお茶でも淹れるか。 

 

 屋敷に上がり込む前に言われたお茶の準備をしておくかと、廊下を進んで勝手の分からない台所内でウロウロする。自宅と妖怪神社、後は地底の洋館と冥界の日本屋敷くらいなら何処に何があるかわかるが、永遠亭の(くりや)までは範疇外で、勝手知ったる他人の家とはいかず、ガチャガチャと物をひっくり返しての探し物。

 湯のみや急須は見つけたがそれらを運ぶお盆が見当たらない、正月の宴会では使っていたのだからないはずはないのだが、それらしいところを探しても一向に見当たらない。湯のみに指を突っ込んで持っていっても構わないけれど、それを見られてヤクザ医師から、不潔、だなんてお小言が飛んできても面倒臭い。汚れる肉体などないと言い返しても、穢れそのものがなにを言うのかと返されるのがオチだ。

 こういう時だけ言ってくる事が読める相手はこれだから嫌だね、と悪態を思い付いていると、火にかけたやかんの口が小さくピィーっと鳴り始めた。一応やんごとない身分の者が住んでいるのだからもうちょっと趣向を凝らした物を使えば、そう感じるがこれがやんごとない主の趣味だ、鳴って楽しいなんて笑うお姫様。

 衆生に生きていないのに何処か俗っぽくて、こういう所が憎めない。

 なんて本人には言いたくない事を考えつつ探し物をしていると鳴る音が大きくなってきた、喧しいと睨んでいる間に湯も湧いてしまい、もういいかなと諦めを覚えた頃、後ろに誰かの気配を感じた。

 

「食器棚の奥にない?」

「あったわ、なんで奥にしまうのよ、というか来たなら手伝いなさいよ」

 

「しまったのはうどんげよ、文句ならあの子に言って頂戴。わからないと思って折角来てあげたのに」

 

 振り向かずに返答をする。

 聞き慣れた済んだ声に手伝えと押し付けてみるが猫の額ほども相手にされない、いや永遠亭らしく兎の毛ほどとしておくか、鈴仙相手にも思った気もしなくもないが兎屋敷だから致し方無い。

 思いつきはそれとして、人にお茶を淹れてこいだの言ってきた割に勿体振った言い草で姿を見せてなんだというのか、この天才様は。

 

「頼んでないわ、どういった意味で『あげた』なのか、わからないわね」

「遠回しにしなくてもいいわ、わからない事を詳しく聞きたいと顔に書いてあったから来てあげたのに。荷物の中身は反物よ」

 

 そんな文言を書いた覚えはない。

 むしろ関わらずにこれもパスしておく腹積もりだったが、あたしを謀る口上手から押し付けられては聞くしかないだろう。

 つい昨日諦めの境地に至ったわけだし、これも諦めて聞いておくか。

 

「反物? 着物でも縫うの? 天才は縫い物もお上手って事かしら?」

「縫わないわよ? 反物で完成形だもの」

 

 会話が途切れるとファサッと布の擦れる音が聞こえた。

 教えてくれた中身とやらを持ってきているのだろう、こっちを見ろと言うように大げさに音を立ててくれる。シュルシュルという音で満ち始める背中側、振り向けばあられもない姿の八意女史、とでもなっているのなら喜んで振り向くが‥‥

 そんな下賎な妄想に耽っているとふわりと肩に掛けられた。

 見れば白いような青いような、淡い色合いに見える長ったらしい反物の端が肩に掛けられ、残りが尻尾に巻かれている。

 

「で、なに? この布切れ」

 

 尻尾を振り振りしてみるとユラユラと揺らめく布切れ。

 反物というには薄手だし着物とするには幅が細すぎるこれ。

 大事な尻尾に巻きつけて楽しそうな微笑みを見せてくれるが、着ている服の色が混ざったような、その胡散臭い笑みの奥では一体何を企んでいるのか?

 さっきは読めたが今は読めない、なんとも奥が深い御仁だ。

 

「輝夜の迎えの牛車だった物よ、正しくはそのレプリカだけどね」

「牛車ねぇ、牛というよりも魚みたいだわ」

 

「魚?……あぁ、龍宮の使いの羽衣は天女のそれでしょう? 竜宮に場所は近い気もするけどこれは月の物、月の羽衣と呼べる物ね。あっちは半質量の布で織られている物よ、こっちはゼロ質量の‥‥」

「長ったらしい説明はいいわ、興味もないし。それでこれがなんなの?」

 

 なんでまた鈴仙に持たせたのか?

 という疑問も浮かぶが下手に突付くときっと厄介な事になる、でも聞かなきゃ聞かないで尻尾の通りに永く生きている者の思惑に巻かれるだけになってしまう気がする、それはそれで面倒だしどうせ巻かれるなら少し聞きたい。

 布の在り方について語り始めようとした口に、それ以上はいらないと挟む形で問掛けてみたが、顔色変えずに少し笑むだけの蓬莱人。

 聞いた事の返事はくれず、代わりにそれをあげると余計な物をくれる永琳。

 貰ったところで使い道もないのだけれど、ネタを話して押し付けてくる辺り、これを使ってなんかしろって事か?

 それなら仕方ない、と、ついさっきまでのあたしなら考えただろうが、そうやって邪推した結果玄関先で謀られる事になったのだと思い直す、余計な事を考え話してソレを利用される前にこっちから訪ねてみる事にしよう。

 

「いらないって言ってもダメなのよね?」

「本当にいらないなら返してもらうけど、気にならない?」

 

「気にならない‥‥と言えば嘘になるけど、でも聞くだけ、それ以降は話の内容次第ね」

「ちょっとしたお使いをしてもらいたいだけよ、送迎の車は用意したのだから、後はとって帰ってくるだけの簡単なお使い」

 

 簡単なお使いだと、人差し指を立て揺らしつつ話してくれる宇宙人。

 月の羽衣纏って行って来いと言うのだ、お使い先は当然お空に浮かぶあのお月様なのだろう。

 盗って帰って来るだけと言うが何を盗って来いと言うのか?

 というかそもそも行けるのか?

 以前に遊びに行った紫は、もーくやしーなんて見え見えの噓を吐くような結果になったと聞いているが?

 

「行くにしても、どうやって行けばいいのよ?」

「それを握って月に向かえばいいだけよ、簡単でしょ?」

 

「使い方は聞いてないわ、二度も侵入されて警戒してないわけないと思うんだけど?」

「でしょうね。あの子達ならその辺りも抜かりないはず、でもそれはこっちから行くという前提でのお話、幻想郷から行こうとするから警戒されるのよ」

 

 話しながら丸い窓を見上げる永琳。

 時間帯が夜だったなら、そこから月が望めそうだが生憎と今はお天道様の時間だ、そう見上げた所でお使い先は見えないぞ?

 と、思考が逸れる前兆が動き出すのを感じ、今はマズイと余計な事は頭から追い出して言わんとする事を少し考えてみる。

 幻想郷『から』なんて物言いはなんだ?

 ここ以外の何処から行くというのか、偶に言うよくわからない事の一つか?

 見えない話の着地点を考えていると、更なる押し付けが届けられた。

 

「幻想郷から向かったのでは警戒される、ならば外から向かえば? あちらからであれば無警戒だと考えるわ、ただの人間が旗を立てる事が出来るくらい無警戒のはず」

「外って、外の世界? あたしに消えてなくなれって言ってるの?」

 

 一度消えかけてこの地に迎えてもらった妖怪、それがあたしだ。

 よくわからない妖かしに姿の捉えられない化け物共が跋扈していた、出来ていた時代に消えかけたあたしが今更外に出るなどと自殺行為以外の何ものでもないはず‥‥だが、この天才が言うなら何かしらあるのだろう。

 諦めついでの聞きついで、これも聞いてみようかね、このまま無言で待っていれば向こうから勝手に押し付けてくるだろう。

 

「山の神に魔住職、それと仙人だったかしら? 宗教家が三者面談をした時の話は聞いてないのね?」

「三者面談って‥‥阿求が何か話してたような気がするわね、魔理沙に仲介をお願いしたとかなんとか」

 

「黒白の事はいいわ、その会合で話されていた事と、今のアヤメの種族から考えればそう難しくはないはずなのよ」

 

 思った通り押し付けてきた赤青の先生、ツートンカラー仲間のくせにモノクロはいらないってか、まぁいらないな。

 重要なのは人間の方ではなくその場にいた神霊やら仙人やらの方だろう、書き上げたら後で読ませてもらうなんて言っておいて、完全に忘れていた話をこんな所で蒸し返されて思い出した。

 まぁいいや、それはそれ、あっちはあっちで後で読ませてもらいに行くとして、とりあえずこっちの話に集中しようか。真面目に聞かないと理解できないような話をされているみたいだし。

 

「一つずつ話すわね、まずは元々外にいたという事、だから外にいてもおかしくないという屁理屈が一つ。次いで化け狸という種族だけど、元が狸なのだから常識の世界にいてもおかしくはない」

「化け部分で弾かれそうだけどまぁいいわ、まだあるんでしょ?」

 

「察しがいいわね、最後が大事なところよ、亡霊という姿が一番の理由ね。外の世界には肝試しを行う『ミステリースポット』があるらしいのだけど、幽霊なら気軽に遊びに行けるみたいね」

「ふむ‥‥それって誰の物言いかしら?」

 

「山の神よ、大きい方のね、引っかかる事でもある? 信憑性がないと言うのなら‥‥」

 

 追加が言われる前に手を払ってもういらないと告げる。

 言われずとも神奈子様の言葉であるなら信用してもいいと言い切れる、宗教対立している二人と会っている際に話した言葉、つまりは不遜な神様モードでの八坂様で話された言葉なのだろう。

 であれば噓はつかない、書物に残されるとわかっている会合で噓などついてそれが露見すれば信仰心に影響するはずだ、ただでさえ少ないと喚いている神様が自分から首を締める事などないだろう。 

 実際はどうだかわからないがあたしの中の八坂様象がきっとそうだと思い込ませてくれる。

 

「いや、神奈子様が仰ったのなら多分正しいわ‥‥外に出るという発想はなかったけれど、今の外を見てみるのも悪くないのかもしれないわ」

 

 悪くないと口しつつ顔を悪いモノへと変えていく、久々に踊り始めた悪戯心が疼いてしまって思わずニヤついてしまう。

 勝手に外に出るなどと紫に知られればまた叱られそうだが、そこは友人として目を瞑ってもらおう、聞く限り別の友人も気軽に外に遊びに行っているようだし。

 クックと声まで漏れてしまい機嫌の良さが外に漏れる、ほころぶ顔からポロポロと機嫌をこぼしていると、たおやかに笑む月の頭脳。

 

「聞くだけって言っていたのに、急に乗り気ね」

「寄越せと言ってもくれない難題をくれたのよ? ノリ気にもなるわ、それに貸しもあるし‥‥あたしは女だもの、すぐ変わるのよ?」

 

「秋の空は半年先よ?」

「それじゃないわ、灰色だけどあたしは雲なんでしょう? 名づけたくせに忘れるなんて年は取りたくないわね、永琳」

 

 降って湧いた難題にかけて以前の難題から言ってみたが、なんでか気がつかない月の天才、普段であればすぐに気がついて言ってくるがどうしたんだろうか?

 付く為の気が逸れているかのように秋の空などと言ってくれて、それをあたしに言い返されて少しムッとする頭脳明晰な死なずの人間。

 口だけで済む事ならば口だけで済ませる、それがあたしの常だが‥‥偶にはこういうのもいいだろう、雲なら雲らしく、見られる形を変えるように偶に能力を使うこともあるよと知らしめればいいのだから。

 普段は使わない能力で気を逸らすと、初めて見られた八意永琳の薄い谷間。

 この谷間が胸ではなく眉間だってのが残念な部分ではあるが、胸ならもっと深い渓谷がかいま見えるはずだしこれもこれで珍しいモノだ、この表情を出させた事で良しとしよう、謀る事で負けっぱなしとならずに済んだのだから。

 口上手を強引に、むりくり逸らして謀ったあたし。

 駆け引き上手なんて言葉からは程遠いが、 上手の手から水が漏る事もあると教えてあげられたようで気分がいい、声を抑えて一人嗤い、良い表情でいる地上のツキビトを眺めた。

 



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EX その16 外へのタヨリ

 地上生まれだと言う月の頭脳から押し付けられた布っ切れ。

 ソレを尻尾にクルクル巻かれてしまいひらひらとさせながら、お盆携え居間へと戻る。

 あのまま能力で逸らし続ければ逃げられる雰囲気ではあったが、逃げるために巻くモノに長い物を巻かれてしまっては上手く逃げられないだろうと一人で納得させられてしまい、逃げもせずに急須と湯のみを運んでいった。

 戻ってみれば兎の歌やお面の舞は既に終わった後のよう、唐突に始まったアドリブの一演目はパッとやってパッと仕舞いのようだ。永遠亭の庭先でひらひらしていた面霊気は一舞終えて、今ではすっかりくつろぎモード、顔を合わせたら何故見てくれないのかなんて怒られるかもと思っていたが、その辺りは親切兎詐欺が上手く誤魔化してくれたらしい。

 元を正せばてゐの物言いで皮肉となったお話だし、アフターケアまでしっかりとしてくれてあたしとしてはありがたい。

 取り敢えず何もなかった顔で卓に着き、コポコポとお茶を淹れての一心地。

 並べた湯のみに不慣れな手付きで茶を注ぐと慣れた手付きの月の兎が配膳を始めてくれた、どうせならお茶を淹れるところから変わってくれればいいのに。

 そんな事を思いつつ垂れ耳付けた小間使いをチラリと見やるとニコリと笑まれた、何に対しての笑みかわからなかったが、邪気のない笑顔を向けられてしまっては思った事を口に出来ない。

 

 口は開いていないのに歯痒い思いをさせられていると、その笑顔のままで湯気が揺蕩う湯のみを差し出す鈴仙。

 どうぞと言ってくれるのは嬉しいけれど、淹れたのはあたしだし、これではもてなされているのかもてなされているのかよくわからない、なんとも歯痒い気分が続く‥‥が、この屋敷はただいまと言える他人様の家だったなと思いついて、それなら多少わからないくらい、曖昧な気分でいてもいいかと差し出された湯のみを取った。

 ズズッと啜って落ち着いた頃、そういえばと思い出した。

 寺の連中はいつ来るのか?

 話の流れからてっきりすぐに来ると考えていたのだが、永遠亭の皆からは誰かをもてなすような動きは見られない。

 終われない姫はいつも通りなにもしていない、というと煩くなりそうだから盆栽を眺める仕事に忙しそうだし、その永遠の従者も患者がいない今は少し暇そうにしている。

 小間使いと居候の兎詐欺は例月祭の準備、という名の暇潰しくらいしかしていない、今も庭先で連れてきた面霊気と何やら楽しげにしているが、演目なら歌舞伎でもいいのかね、あの子は?

 いや、舞踊の方で興味がわいたのか?

 暗黒舞踏なんて書物と勘違いされるくらいだ、舞踊もいける口なのかもしれない。

 悪戯兎詐欺となにやら話し、口の両手の人差し指を突っ込んで横に引っ張っているが、あれはどういった流れで出来上がった表情なのだろう?

 笑い顔に見えなくもないが表情作りの練習か?

 ならもう少し可愛い顔をだな、と庭をぼんやり見ていると、対面に座る主従から今日は何しに来たのかと尋ねられた。 

 

「寺の出開帳を拝顔しようと思ったんだけど、先に着いちゃっただけよ」

「寺って‥‥あぁ、命蓮寺? 今日は来ないわよ? というか来るのも少し先の話よ」

 

「そうなの? 確かに日程は聞かなかったけど‥‥」

「早とちりなんて、抜けてるわ」

「頼む相手を間違えたかしらね、寺の船幽霊の方が頼りになったかもしれないわ」

 

 主従それぞれからバカにされてしまいいたたまれない、が逃げ場もないのでお茶を濁す。

 季節柄まだ冷えるからと少し熱めのお湯で淹れたお茶、湯のみから揺蕩う湯気を浴び、視界に映る二人の姿をボヤけさせて少々の考え事。

 相手を間違えたと話す永琳の物言いからすれば、相手が幽霊や亡霊だったなら誰でも良かったというような言い方に感じられる、実際お使いが出来るのなら誰でもいいのかもしれない。

 けれどそれを水蜜に頼んだところで多分ムリな話だろう、同じ霊体仲間だけれどあたしは未練で残った亡霊さんで、あちらは恨み辛みから世に残った悪霊さんだ。

 日和見な世界にいるから毒が抜けた感じだが、今の外がどうなっているのかわかったものではない、場合によっては今はもう大人しくなりかけた船幽霊が、再度悪霊さんとして正しい姿になってしまうかもしれない。

 それは困る。

 そうなられたのでは先日のようなミニ・スカート姿や、色香の見える濡れ姿で笑ってくれる事がなくなってしまいそうだ。目の保養まで取られて、その上面白げな難題まで奪われてしまっては堪らない。

 一度貰った難題を誰が返すかと、羽衣巻かれた尻尾を撫でつつお茶の啜り音を立て威嚇した。

 

「そう睨まないでよ、ただの冗談なんだから」

「そうよ、あげた物を返せなんて言わないから安心して出かけてきて頂戴」

「笑えない冗談は嫌いよ‥‥というか、どうやって外に出ればいいわけ? 紫にポイ捨てしてもらえって事?」

 

「それでもいいけど、それで帰って来られるの?」

「仲良しなんだからちょっとお願いしたら? その為の尻尾なんでしょう?」

「お願いしてみてもいい‥‥いや、多分ダメね、あんたら絡みのお願いは多分聞いてくれないわ」

 

 二度目の月へのご挨拶。

 あの時には輝夜達永遠亭の皆を月からのスパイ扱いをしていた、実際はスパイとは呼べるモノではなかったが最後の酒宴となるまで顔を合わせなかった紫達と輝夜達。

 あの流れからここと紫の関係性を鑑みれば月絡みのお願いは聞き入れられないだろう、天邪鬼の捕物でも誘われなかったくらいだし、それ以前に終わらない夜の異変では結構本気でヤリに来ていた。あたしから見ればどちらも良い、いや悪い友人達だが、友の友は友、なんて都合が良い関係にはならないのが生者の理ってやつだろう‥‥方や妖怪方や不死と、どちらも真っ当な生者ではないが、死人のあたしが話考えているのだから生者の理なんぞどうでもいいのか?

 いや、ダメだろうな‥‥

 ならばどうしたもんか、幻想郷の大家さんが頼れないのなら別の管理人、紅白の方に聴きこみをすればいいだけだとわかっちゃいるが‥‥そっちに聞いても結界云々やら言われて退治されてしまいそうだ。

 

「見慣れた顔になったわね、なにか思いついた?」

「今の顔ならさっきの、海棠って例えを使ってあげてもいいわね」

「難しい難題が降ってきたせいで睡眠不足になりそう、って事かしら?」

 

「海棠の雨に濡れたる風情、というのは知らない?」

「打ちひしがれてもいいのならそうなってあげるけど‥‥あたしは花違いだからそうはならずにおくわ」

 

 悶々と悩んでいると思いついたかと姫に言われ、ついでに言った言葉を使われてもう一人から煽りまでくれられた、それはいらん、寄越してくれるのは楽しく悩める難題だけでいい。

 しかし我儘な言い草だ、これが人様に物を頼む態度なのかと思えるが、ここの姫様と天才の頼み方は大体こうだ、月の異変でも素直に来なけりゃ別の誘い方があったと怪しげな薬が並ぶ部屋で言われたし、あの時に比べればまだ可愛い頼み方だ。

 それに煽りとは言えども海棠だと、美人だと八意先生から褒められてしまったわけだし‥‥このままでは借りっぱなしの貰いっぱなしで、立つ瀬がないどころか掘り返されていくばかり。

 全く、穴掘りが得意なのもそれに落ちるのもこの二人ではないというのに。

 

「なら早めにお願いね、次の展示に間に合わせたいから」

「展示ってなにか催し物でもするの?」

 

「月の物を色々と展示するのよ、命蓮寺に声をかけた理由もそれ、ついでの客寄せにもなるし、出かける手間も減るわ」

「あの寺にお月様と縁のある物なんてあったの?」

 

「ないわよ、あるのは難題の品物くらいじゃない? 本尊を招けば持ってくるでしょ?」

 

 なるほど狙いはそれだったか。

 外の世界にいた頃にあたしに課せられた難題『毘沙門天の宝塔』が出不精な姫様の狙いらしい、何度か持って来いと言われているがその度に自分で見に行けとほくそ笑んでやった事がある‥‥最後まで自分から出ずに向こうから来るように仕向けたってか。

 出不精ここに極まれりという感じだが、元々が高貴なるお生まれらしいからこれくらいの立ち振舞が姫様らしいっちゃらしいのか?

 変われない蓬莱人だから良いものの、これが普通の人間で代謝まで普通だったら違う意味で出不精になってしまいそうだ。

 などと皮に肉をたっぷり詰めて慣れぬ心配をしていると、そういうわけだからさっさと行けと、雅な振る舞いで手の甲をちょいちょいと振るってくれるお姫様。毎度毎回自分は動かず回りの誰かを動かしてばかりのお姫様で困るが‥‥人の事は言えないしこれもいつもの事だと諦めて、こころに少し出てくると伝え不変の屋敷を後にした。

 

~少女移動中~

 

 普段であればカサカサと竹の葉鳴らして歩むところだが、今回はさっさと行けと怒られたので否応なしに飛んでの移動。

 永遠亭の庭先から真っ直ぐに上昇し、飛ぶ方向も真っ直ぐに一直線で向かっていく。

 向かう先は妖怪のお山。

 結界を超えるならこっちの神社じゃないだろうと言われそうだが、あっちの神社は相手が悪い、それにこっちの神社でも事足りると思えるし別の所にも心当たりがなくもない、後者は眉唾な話だが結界コンビの二人に怒られず勝手に行くには虱潰しでいいだろうと考えられて、もうすぐ春本番を迎えるだろうお山の神社に向かい漂う。

 お山に降り立つ道すがら、僅かにピンクに染まる部分が見られた。

 未だ小さな桃色だが、どうやら今年はあの辺から春になっていくらしい。

 いつだったか赤いお屋敷のお嬢ちゃんが春一番は私のものだなんて言い出して、とっ捕まえようとしていた事があったなと、なんとなく思い出していた。

 あの時は結局捕まえられずお屋敷ではなく神社に春一番を持っていかれたらしいが、果たしてどっちの神社に取られたんだったかね?

 異変でも無ければ待っているだけでそのうちに来る春、それを追いかけるなんてあの吸血鬼も暇だなと考えていると着いた、春一番を取ったかもしれない神社。

 急ぎといえどここは焦らず、しっかりとお清めから入り柏手打って呼び鈴を鳴らす、でないとお嫁神様の方がおっかない‥‥こうして呼び出すのは旦那様の方なのだが、地面に足つけている以上何処で何を聞かれているかわからないので、しっかりと礼儀作法は通す。

 

「神奈子様、ちょっと聞きたい事がって‥‥出てこないわね、いないって事は河童のところにでもいってるのか?」

 

 普段であれば呼び鈴の余韻が消え入ると同時に顕現されてくれるのだが、今日はどういったわけかお姿を見せてくださらない。

 いないのかなと本殿を覗きこんでみるとその奥、社務所の方から声がした。

 

「アヤメか? こっちだこっち、ちょっと手が離せないから上がってくれて構わないよ」

 

 構わないと話して下さったのでちょいと上がって進んでみるが、いると思った社務所にはお姿はなく、更にその奥というか別棟の辺りから再度こっちだと聞こえてきた。

 いつもは行かない神社の奥で呼んでいる神奈子様、何をしているのかと呼ばれた通りに言ってみると、少しごつめの扉の奥からチョイチョイ聞こえてくる篭った声、覗きこんで見るとひょこっと顔を出した目当ての神様。

 

「よく来た、出られなくて済まなかったな、ちょっと立て込んでいたんだ」

 

 頭や体に埃やら小さな蜘蛛の巣やらをくっつけて朗らかに笑う神、確かにこのお姿では本殿に顕現するわけにはいかなかったのだろう、あたしは気にしないがそういった体面を気にする御方だったなとくっつく蜘蛛の巣を取りつつ想う。

 一つ二つ取った辺りで後はいいよと風を吹かせ、綺麗さっぱり払っていく元風雨の神様。

 

「便利な御力ね、夏場とか過ごしやすそうで羨ましいわ、探し物? なら後でもいいわよ?」

「ちょっとアルバムをな、何となく見たくなっただけで急ぎではないからいいよ。力なら元よりくっつかんお前の方が便利に思えるが、そういった事には使わないんだったか?」

 

「物や場合によりけりね、それより三柱に少し聞きたいことがあるのよ‥‥でもお忙しいみたいだし、出直したほうがいいかしら?」  

 

 何を探しての家探しか知らないが、それよりもあたしをかまえと無骨に餌をばら撒いてみる。

 ここに奥様がいらしたら気持ち悪いとでも言われそうな謙虚さを見せつつ、二柱ではなく三柱と言ってみると案の定その部分に食いついてきた神社の大黒柱。

 

「私や諏訪子だけでなく早苗にまで聞きたい事? 珍しいな、何が聞きたい?」

「どうやってお引越しを成したのか、それが知りたいの」

 

「ほう、外の世界にでも出るのか? 今更出たところで何がある?」

「ちょっとしたお使いと、多大な好奇心からのお出かけよ。教えてはもらえないのかしら?」

 

「教えてやっても構わないが‥‥多分この手は使えないよ?」

 

 どういう事か?

 問掛けてみれば単純な話だった、守矢神社の三柱がダイナミックにお邪魔しますと引っ越せたのは、紫の張った結界の力を利用したかららしい。聞く限り、その結界には外で消えかけた摩訶不思議を引っ張り込む性質があるらしく、その引力を利用し三柱の神気を早苗に集め、奇跡の御業を使って土地ごと転移してきたのだそうだ。

 確かにこの手は使えない、外の世界にあたしを引っ張ってくれる何かでもあればそれを辿って行けるかもしれないが、向こうで忘れ去られこちらの世界に迎えてもらったあたしが辿るモノなど何もない。

 

「お前の社でも残っていればあっちで神様として顕現出来るかもしれないが、私達がいた頃もその話は聞かなかったし、この手は諦めたほうがいいと思うよ」 

「ご同類になる気はないって言ったじゃない、それより宛が外れたわ、出来れば言われた方法以外で行ってやろうと思っていたのに」

 

「……誰に何を言われたのか、ちょっと話してみなよ、アヤメ」

 

 余計な事まで話してくれたがそれでもお優しく諦めなと言ってくださった八坂様、いらぬお世話の部分は訂正しつつちょろっと悪態を付いていると、あたしの背中に張り付いて現れた別の神様からお声を掛けられる。

 声だけでそのご尊顔は伺えないが、雰囲気から嫌な予感しかしない、そんな強張りを背中に感じたがネタバラシするつもりはないので堂々と開き直る。

 

「乙女の秘密よ、大した事じゃないから教えてあげないわ」

「そうか、なら私から話してあげる事もないな、こっちも大した事じゃないしね」

 

「神奈子様から聞けたもの、それで十分‥‥と言いたいけれど、別のお話?」

「さぁね、同じ話かもしれないし、別の話かもしれないね」

 

「竹林の医者からの頼まれ事よ、ちょっとしたお使いってだけ」

 

 勿体振って話して下さる愛する祟神様、このまま堂々巡りをしていては面倒臭いと踏んで少しばかりネタを話す。

 すると背中からケロケロと聞こえ始めてすぐに静かになった、話さないから話してくれない、そういう事だと思ったが笑われるだけで欲しいお話はくれない意地悪な神様。

 

「言い損する気はないんだけど、笑った代金分くらい払ってほしいわね」

「悪いね。話の方はきちんと話してやるさ、笑ったのは相変わらずだなと思っただけだ」

 

「どういう意味かわかりかねるわ」

 

 永遠亭でも感じた事をなんでここでも感じなきゃならんのか、人に物を話すのなら曖昧にせずきちんと伝わるように話すべきだと思う。

 他所様からすれば自分の事を棚に上げて何を言うのかと言われてしまいそうだが、相手は神棚に収まる御方だ、それならあたしも棚に上がらんと聞こえないだろう、そんな思いつきから小生意気な態度で背中に語る。

 

「昔から面倒だのなんだの言う割りに何かしら使われてばっかりだって事さ、面倒だってのも噓なら改悛(かいしゅん)しないってのも噓だったのかと思ってね、少し可笑しかっただけさ」 

「改悛もしないし噓でもないわ、言うなれば面倒と感じる心が逸れているってところよ、多分」

 

「ふぅん、そうやって減らず口を吐くか、本当に懲りないな‥‥」

「いいじゃないか諏訪子、ライバルは増えないに越した事はないよ? フットワークの軽い奴に対立されると面倒だから、その辺でやめておきな」

「だからその気も社もないと‥‥まぁいいわ引き伸ばしても面倒だし。それでケロちゃん、代金はまだ?」

 

 あたしの吐いた軽口は兎も角として、身内からの援護射撃はそれなりに聞いたらしい。

 背から降りて地に立つとあたしの尻尾をとっ捕まえる諏訪子様、じゃれるなら話の後にしてくれと少し揺らすとボフンと乗られた、そのまま尾の先を地面に擦り付けてくれる坤の神様。

 

「汚れるわ、洗ってくれるの?」

「穢れしかない奴が今更何を言うのさ、擦った先にあると教えてやったのに」

 

「地面‥‥やっぱりあるのね、眉唾じゃなかったのか」

「ふむ‥‥なるほど、そういう行き方もあるにはあるのか、間欠泉の異変で潰れてなければいいが」

 

「その時は『また守矢か』と恨むだけよ、残っていたら感謝してあげるわ」

 

 最後まで口悪く話してみたが何やら感じる節のある顔で微笑まれた、残っていたらと自分に言い聞かせるように話してみたが感謝の心はこの場で伝わってしまったらしい。

 まぁそれでもいいか、後で届けるか今届けるかという少しの違いだけで二柱に感謝している事には変わりない、半分作ったような皮肉交じりの恵比寿顔した二柱にまたねと告げ、教えてくれたところへと尻尾揺らして足を運ぶ。

 潰れてなければいいと心配までしてくれたお心が嬉しく、少し尾を揺らして神様に似た悪い笑顔で歩いて行く、目的の部分が潰れていようがそれは構わない。

 埋まったのなら掘り返すだけ、幸いそっちの宛もあるのだから。



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EX その17 偶の遠出

 ちんたら歩いていつもの大穴。

 どこまでも続いているんじゃないかと見える穴凹を、危険立入禁止という立て看板の向きを逸らしてからユルユルと降っていく。

 口うるさいお山の仙人が勝手に立てて勝手に禁止したい、その為の立て看板。

 別に気に入らないわけではない、寧ろ禁止してくれれば余計に行きたくなるのがあたしなのだから、もっと行きにくくしてくれても構わないのだが、なんとなく看板の文字が読めない角度まで逸らしてから穴を降りた。

 そうした方がこの穴住まいの友人達が美味しいご飯にありつけるんじゃないかな、というどうでも良い気遣いからしてみただけだ、どちらも雑食だが元は人喰いだと聞いているし偶には新鮮なご飯でも、と思って思いつきでそうしてみた。

 

 思いつきの考えついでに、そういや竹林住まいの穴掘り上手な兎詐欺に連れ出され始まったお使いだな、と土色が長く続く大穴を見て思い出す。

 あの兎詐欺がここまでの大穴を掘るには何年かかるのだろうか?

 掘るための理由があればどれほどの年月を掛けてでも掘りそうだな、でもこんな大きな落とし穴に落ちる相手なんて巨大化した鬼の幼女でも余る、いつだかこのお山の風祝が妄想した超巨大ロボットとかいうあれだったら丁度いいか?

 なんて先ほどの神様が探し出していたアルバムに映る、幼い姿の緑の巫女から考えついているといつもの殺害現場へと差し掛かる。

 そろそろ来るかな、首狩りのお嬢ちゃん‥‥身構えもせずに待っていたが、今日はどうやらいないらしい、狩り落とせなくなってしまったしもう遊んでもらえないのかね?

 定例となっていた事がないとなにやら違和感がある、こんな気分も首の座りが悪いなんて言うのだったかなと、落ちやすくなったが狩られなくなった自身の首を撫でつつ、穴の底へとするする向かった。

 

 もう一人の住人が貼り付けた安全ネット兼エサ取り網を避けながら、穴の底へと着いてみれば何やら動くそのもう一人。

 噂をすればなんとやらではないが、目当ての相手の金髪ポニーテールを見つけた。

 とりあえず何をしているのかと少し眺めているとなんでもない、食事の最中だっただけのようだ、中身を開いたご飯を前に、怪しく目を輝かせて口の周りと指先が僅かに赤い妖怪少女。

 食事の邪魔をするのは野暮だなと思い、見られないだろう距離で滞空し待つ。艶やかで綺麗な灯りとなっているその目やらを眺めていると、ヒョイと摘んで中身を持ち上げ、舌で迎えようとしていた土蜘と蛛目が合う。

 気が付くとフリフリとそれを振り、同時に赤く染まる手も振られた。

 

「なんだ、来たなら声かけりゃいいのに」

「食事時に失礼かなって、邪魔しちゃ悪いし待ってたのよ」

 

「普段邪魔しかしない奴が気にしなさんな、腹も満ちたしもういいかなって思ったところさね。今日は町かい? それとも温泉かい?」

 

 摘んでいた放るもんをポイっと放って、ぺろりと赤い手を舐める黒谷ヤマメ。

 遠くのほうでピシャっとなるとそのままニコリと問いかけてくるが、真っ赤な唇が久々に嗅ぐ新鮮な血の匂いと相まって、妙に艶かしく見えてしまう。

 笑顔自体はよく見る朗らかなものだが、その明るさと血生臭いチグハグさが良いギャップとなっているのだろうか、このままでは話よりその口元に集中してしまいそうだと、白いコートの袖でヤマメの口を拭った。

 

「おっと失礼失礼、甲斐甲斐しさが似合うようになったねぇ」

 

 拭われた袖を見てくる人喰い、ハンカチでも持っていればそれで拭うのだろうがそんな物を持つほど身だしなみに気をつけているわけでもないし、あたしの場合は服の汚れは然程関係ない。見られている右の袖をそっと撫でて、赤い筋汚れとなった部分を元の白へと戻していく、その途中で変な事を言われたが、面倒見の良さは昔からあるように自分では思う‥‥その良さを見せる相手が増えたなと言われたら否定はできないが。

 

「茶々入れなくていいわ、それよりこの後暇?」

「ご覧の通りのいつも通りさ、何か遊びのお誘いならついてくよ?」

 

「そう、ならちょっとお願いがあるんだけど」

 

 元に戻した右の袖を見せつけるように伸ばし、そのままヤマメの頬に手を添える。

 一瞬触れた後少しだけ浮かせて、触れるか触れないかくらいのところで僅かに動かすと、そういったお願いは相方にやれと睨まれた。

 が、今日はそれじゃないと返答してみる、じゃあなにさと微笑む土蜘蛛。

 

「道案内をお願いしたいのよ」

「案内? いらないでしょ? 旧都も地霊殿も‥‥もしかして血の池とかのあっちかい? 旧地獄跡地は入ったのがバレると面倒臭いから嫌だよ?」

 

 地霊殿の地下深くに広がる昔は正しく地獄だった場所、血の池やら針の山やら大昔の責め苦が取り壊されずに残っているらしいが見た事はない。それもそれで行ったことがない観光地だな、それなりに興味もあるなと感じるが‥‥今は寄り道できる余裕もないはずだったと思い直して、そっちは諦め本題を尋ねた。

 

「そこまで行かないわ、もう案内して欲しい場所にいるもの」

 

『欲しい』と述べたタイミングで触れそうだった右手を頬に添えて、その気でもありそうな風合いで話しかける、その気などありゃあしないが色を感じた相手には色を見せて話すのも面白い気がしたのでそうしてみた。

 

「ここかい? わざわざ案内するようなとこでもないだろ? 私とキスメの住まいくらいしか……本当に、雷鼓に怒られるよ?」

 

 付喪神に怒られると余計な心配をしてくれて、こいつはどんな話だと思っているのだろうか?

 そう取られるような素振りをしておいて何を言うのかと見られそうだが、その気はないのでどう思おうがあたしの勝手だ、それよりもそう毎回下世話なお誘いばっかりしていたっけか、していたな。別の付喪神、永遠亭に残してきた面霊気を連れてきた時は見られながらはちょっとなどと言って断られたのだったか、あの時は少し惜しい事をしたが今となっては狙うつもりもない。

 狙えば本当に怒られるだろうから、独占欲が強めの太鼓がちと怖いから。

 それはそれとして、だからそれじゃないと二度目の訂正をしてみるとそれじゃなにさと顔を覗きこんでくる、そうじゃないとわかってから愛らしい上目遣いなんて焦らすようでズルい見方だと感じるが、目の保養にはなるし良しとしよう。

 

「小耳に挟んだ眉唾話なんだけど、それが本当なのか知りたいのよ」

「いやいや、だから何の話をしてるのさ」

 

 焦らされたので焦らし返す、主語なく話すと狙い通り食いついてきた。

 注意力なんて逸らしちゃいない、つい先程まで美味しいごはんに食いついていた相手だ、機嫌も良いだろうし他愛もない会話だけで釣り上げるのは十分だった。

 

「ほら、ここの竪穴って横穴も多いでしょう? その中には別の出口に繋がる穴もあるって話があったじゃない」

「別の出口って‥‥あ~外の世界に繋がるとかって話の事? それならないよ、気になって探した事もあるけど見つからなかったわ」

 

「そう、その見つからなかった時って何もなかった? 変わり種でもなんでもいいわ」

「変わり種?‥‥あ~っと、確かどこまでも続く横穴があったかな、私が掘ったやつじゃなくて自然に出来た穴だったはず。キスメと二人で見つけてさ、何処まで続いてるのか気になって二人で進んだ事があったのよ」

 

「それの話でいいわ、なんかおかしな所ってなかった?」

「どこまで行っても景色が同じってのが変なとこだったかな? でもそこから先は本当に知らないよ? つまらないし飽きたから帰ったしね」

 

 あんときゃ無駄足だったと笑うヤマメ、ただの無駄骨を楽しげに語ってくれてあいも変わらず明るいアイドルが妬ましいが、聞きたい部分が聞けたので満足して一人頷いた。

 信憑性なんてなかった話の裏が取れ、一人でニヤニヤ笑っているとその笑みに向かって何があるのさと問いかけてくる明るい土蜘蛛、興味を惹けたついでにと思い残る質問もしておくこととする。

 

「帰る時ってすぐ帰れなかった?」

「すぐ帰れたね、振り返って一歩歩くと横穴の入り口だった‥‥けど、よく知ってるね、まるで見てたみたいな言い方だ」

 

 ちょろっと余計な事を聞いてみるとこれまた変な顔をされた、朗らかに笑っていた顔がちょいと嫌味の混ざる顔に見えるようになる。

 あたしからすればいつかの黒白が話していた事。

 幻想郷の端を目指して飛んでいたが景色が変わらず、戻る時は一瞬だったんだぜ! なんてお話から引っ掛けただけの思いつきだったのだが、この雰囲気はあたしが化かしたとでも捉えてくれたらしい。ヤマメの考えは誤解も誤解だ、見てないところで化かしてもほくそ笑む事が出来ないのだからやるわけがない‥‥のだが、折角湧き出してきた化かしの種だ、訂正するより上手い事育ててあたしの箔としておきたい。

 怒られずに糧とするにはどうしたもんか、腕組みしながらこまねいていると、アヤメのせいじゃなかったのかと不意に貼られたメッキを勝手に剥がされて、疑惑を解かれてしまった。

 

「あたしのせいかもしれないわよ?」

「アヤメのせいなら饒舌に語って今頃笑ってるだろ? そうせず悩んだ時点でお前さんのせいじゃないってわかるさ、疑って悪かったわ」

 

「疑ってくれたままでもいいんだけど、まぁいいわ、元々なかった話だし。とりあえずその横穴に連れてってもらえない?」

 

 悪かったと頭を掻く手を取りつつ、話の穴へと連れて行けと話してみる。

 キュッと握ってから指を絡ませるつなぎ方に直して、先ほど見上げてくれたように愛くるしい顔を見せて顔をのぞき込んだ、あたしがこんな顔をする時は面倒臭い、それがわかっている相手にわざとらしく連れて行かないと面倒だと見せるとはいはいと先を歩き出すヤマメ。

 ヤマメの上目遣いとは意味合いが違う見方だが、まるっと返した意趣返し、どうやら気に入ってくれたようでその足取りは軽い‥‥面倒だからさっさと連れて行こうという思惑も透けて見えるが、それは見えないふりをしてお手々繋いで少しのデートを楽しんだ。

 

 サクサク、ではないか、コツンコツンと鍾乳洞を歩いて連れてきてもらった小さめの横穴。

 ちょいと屈めば入れるくらい、尻尾が邪魔になりそうなサイズの穴凹前でここがそうだったはずと語ってくれる地底の案内役。

 心配していた崩落などはなくヤマメたちが探検した時の形そのままにあるらしい穴の前、そこまで来てから助かったと謝礼を述べて繋いでいた手を離すと、どこに行くのか知らないけれどちゃんと帰ってくるんだよと、いらない心配をして場を去っていく暗い洞窟の明るい糸。

 金のポニーテールが見えなくなるまで見送って、いなくなったのを確認してからユルユルと横穴を進んでいく。

 が、何処まで進んでもヤマメが話していた通りの、何の変哲もない代わり映えのない土景色が続いていくばかり、これは確かに飽きるなと感じつつも気が長いあたしなら問題ないとブラブラと歩んだ。

 

~少女行脚中~

 

 飽きた。

 どこまで歩いても変わらない景色、変わらない匂い。

 完全に飽いたと、気は長くとも飽きっぽいあたしの心がそう騒ぐ。

 けれどここまで来て帰るのも面倒臭い、というかどこまで来たのかわからない、わからないなら確認してみるかと軽く振り返って目を瞑り一歩踏み出してみた。

 これで目を開けて穴の入り口だったら独自ルートでの移動は諦めよう、そう決心して眼を開くと見えるのは変わらない土景色とその匂い‥‥戻ってくれれば諦めもついたのにという心半分、してやったなという心半分で小さく拳を握って壁を打った。

 打ってみるとパラパラと揺れる土壁。

 これはまずい予感がしなくもない、なんて物語ではよくある展開を思い浮かべていると周囲の土が崩落し始める‥‥ってことはなく、叩いた部分の壁が少しだけ崩れるだけに留まった。

 頭だけ突っ込んで覗きこんでみると、何やら綺麗に切り揃えられた石作りの広い所に出た。

 何処だろうかと周囲を見やると、鉄で作られた河童の設備のような機械の群れが見える、既に錆び付いていたりして動く気配は感じられないが昔は動いていたような跡が傷や錆跡から見て取れた。あっちを見てもこっちを見ても見慣れない機械群、何に使われていたものなのかわからないが、動いていないという事は今は必要ないものとなったのだろう、ボロボロだが読み取れる『軍需』という感じだけがやけに目についた。

 

 かすれた文字を眺めていると遠く聞こえる誰かの声。

 耳に届いてきた方向を拝むと随分と高い位置にぼんやりとしたオレンジの灯りが見える、取り敢えず様子を見るかと能力使って全てを逸し、声色と灯りの方へとユルユルと飛び上がった。

 しばし眺めて考える、どうやら上手い事着いたらしい。

 動かない機械の群れそうだったが、今目に留まるものが見慣れないものばかり見られるからだ、オレンジや赤、紫色の灯りからは魔力や霊力といったものは感じられず、なにやら数本の紐、山の神様たちが架空索道を通すのに用意していた『電気ケーブル』とかいうそれっぽい。

 それの下に作られた鉄製の策を伝うように歩いて行くと先に見える若い男女、ちょっと寒いねなんて話しながら手を繋いでいて見た目から妬ましいが何処かの橋姫じゃないんだからと、気を入れ替えて話していた者たちの後をついて同じように様子を見る。

 前を行く二人は景色を見ているがあたしが見るのはその二人、見た目こそ幻想郷の人間と変わらないが着ている服や髪の色が幻想郷の人間よりも派手だ。話す内容もあのエイガはここで撮影されたと話す女に、あの役者がここでこうしていたと何か刀でも抜くような姿勢の男、身振り手振りを交えて楽しげに話す妬ましい男女から、変わったらしい外の世界もこういった情事は変わらないなと感じ取れた。

 暫く後をついて行くと男の方がコソコソとし始めて、シュボッと紙巻たばこに火を着けた、その体の後ろには坑内禁煙と書いてあるというのに‥‥喫煙仲間は好ましいが守れないなら吸うなと、妖術使ってたばこを一気に燃やし尽くした。

 一瞬で燃えて無くなった煙草がおかしいのか、なにやら騒ぎ始めてその場を逃げ出していく二人、女が残したキツ目の、人工的な残り香を嗅げたのと、先ほどまでの話口調からここは幻想郷ではないなと確信めいたものが感じられた。

 煙が天井に上がっていくとジリジリと何かが鳴り始め耳に煩い、その音を聞いたのか青い格好をした中年二人が小走りで現れて辺りが煩くなり始めた。

 立ち振舞や雰囲気からこの場所の管理者、もしくは守り手といった風合いに見える男たち、その者達がなにやらゴソゴソと機械を弄ると音が鳴り止み、はたてのカメラに近い物に向かって話し始めていた。

 物の形などは似ているが、似ているだけで使い方がちょっと違う。

 なにやら面白い物もあるなと考えて、おじさんらの後をついて行くとどうにか外へと出る事が出来た。

 

 どうやらここは何かの展示がされている場所だったらしい、資料館という屋号も上がっているし、来客が寛ぐためのテーブル等も外に見られた、その辺りには興味が無いので無視するとして軽く見回してからふわりと飛んでみる。

 が、少し浮いて飛ぶのをやめた、ちょいとばかり空気が臭うのだ。

 幻想郷の空気に慣れすぎた所為か、人工物らしい鼻につく匂いが堪らないので、空を進みはせず鼻に届く匂いを逸らして砂利の広場を歩んで抜けた。

 進む先は少し北、飛んだ際にチラリと見えた石像が気になりそちらへと進む。

 グルリと回る石のような物で整えられた道もあるにはあったが、真っ直ぐ進んだ方が楽だ、ちょいちょいと小山を駆けて真っ直ぐに向かってみるとでかでかとした仏様がいらっしゃった。遠目から見ても大きめの十尺はありそうな観音様、穏やかなご尊顔をされていて何となく手を合わせ拝んだ。

 

 拝みついでに願い事も祈っておく。

 どうか笑われ、叱られませんように。

 勝手に結界抜けて来た事はついでの願い。

 本題の願いは来るには来たが何を盗ってくればいいのか、それを永遠亭で聞いてこなかった事を今更ながら思い出し、やっぱり使えない奴だったと笑われないようにというお願い。

 笑させるのは良いが笑われるのは気分が悪い、そうならぬように願掛けをして、ちょっとした遠足気分で近くの町へと姿を消した。

 



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EX その18 現代社会での際会

 月に行ってとってこい。

 そうお願いしてきた飼い主様からは何をと聞かずに来たものだから、外へと出てきたはいいが明確な目的もなくて少し困った。

 が、元々何かをしようと動くより行った先でする事を見つけることが多かった気がする、なんて出だしから開き直って、久々の外の世界を楽しむようにぶらついている。

 数百年ぶりに見ている外の世界、随分と様変わりしていて色々と面白く、同時に色々と面倒臭い世界になったのだなと感じていた。

 最初に気がついたのは街道。

 昔は砂利か踏み固めた土の道しかなかったのに、今なんだか油臭くて硬い地面しか見られない。

 街道を行く者達も、人間が歩くか場合によっては荷物引きの馬がいた程度だったが、今では馬どころか駕籠者も見られなかった。

 代わりに見られるのは臭うガスを吐き出して騒音とともに揺れ走る鉄の箱、それが赤青黄色の三色から命令でも受けているように規則正しく走っている。ソレらが走る脇には同じような赤と青で表記された人間のマーク、こちらもこちらで色も形も様々な鉄の箱、作りから乗り物というべきか、それに習って止まったり通りを渡る際に道標代わりとしているようだ。

 

 人間が好き放題に歩き回っていた江戸の町中とは随分違うなと眺めていると、さっきの鉄の乗り物達にパァァァンと音を鳴らされた、目の前にいるのが見えないのだろうか、そう騒がなくとも聞こえるからやめてほしい。密閉された乗り物に何か言っても聞こえないだろうなと口パクだけで煩いと話すと、再度鳴らされて、それがやたらと耳に響く高い音で‥‥ちょいとばかり耐えられなくて、舌打ちしてから騒ぐソレを蹴り上げた。

 編み上げブーツで蹴り上げるとボンと凹む乗り物の顎、音と同じタイミングで乗り物の中の人間が白い粉と布に包まれて何やら騒いでいたが、先に煩くしたのが悪いと、集まってしまった視線をあちこちに逸らしてその場を後にした。

 

 何食わぬ顔でやらかして、町中を歩いていて妖怪だ何だと騒がれないのか?

 あたし自身もそれを思ったが、さして騒がれる事はなかった、尻尾も耳も出しっぱなしで特に逸らしたり、隠蔽したりしていないというのにだ。

 通りを進む度に何かけったいなモノを見る目で見られている感はあるが、そんな視線は幻想郷でもよく浴びるもので慣れきっているものだ、さして気にする事でもなかった。

 強いて気になると言えば、偶に言われている『あにめのコスプレ?』という言葉の意味くらいか。コスプレは兎も角あにめとはどういった意味なのか気になるが、それは後で守矢神社の風祝(元現代っ子)か、同じ時代に外にいただろう愛する姉さんにでも聞いてみようと思う。

 ちなみに言われるのは耳と尻尾だけで、シャツやコートについては違和感はないらしい、どこぞのスキマではないがその時代に則した姿で現れる事ができているようで、態々化けずとも奇異の目で見られるくらいで済んでいるというのが少しだけ可笑しく思えた。

 皆が皆寛大にでもなったのかね?

 いや、こういう格好をしているのが他にもいて、見慣れているって感じかな?

 もしくは回りを気にしなくなっただけってところだろうな、指も差されず遠巻きに見られるだけなのだからきっとそうだ。

 

 それはそれとて、とりあえず何からどうしたもんか。

 目下の目的地はお月様、それは変わりない。

 場所も空の上にある事には変わりないし、預かり、尻尾に巻きつけたままの月の羽衣も変わらず存在してくれている、言われた通りこれを握ればお月様へと行けるとは思うのだが‥‥このまますぐに向かっておつかいを済ませ帰ってしまっては面白くないとも感じている。

 お使いを申し付けてきたもう一人。

 元月のお姫様に早めにお願いと言われている、早く持って帰って来て欲しいような素振りも見られたが、折角の外の世界なのだ、こっちのみやげ話もきっと期待しているだろうと思い込み、そう言逃れれば多少遅れたところで問題ない、せいぜい苦笑いされるくらいで済むだろう。

 であればもう少しこっちの世界を楽しみたい、が、宛もなく何をドコから見たもんか、見るものが多すぎて嬉しい悲鳴を上げそうで少々困っている。

 それでもいつまでも困っているだけでは何もなくて笑えない、取り敢えずは情報収集でもするかと、少し先に見えていた本屋に向かった。

 店先に立つと勝手に開くガラスの引き戸、原理は知らんが自動で開いてくれて幻想郷にもない不思議だと思えた、外にも案外不思議が多いのかもしれないと感じながら、ふらりと立ち寄った書店で少しの調べ物。

 人里の貸本屋や営業に逸らない男の店だったならば『買わずに読むだけはやめろ』そう叱られる事請け合いの状態だが、こちらの世界では掃除用のはたきを持って回りをうろつかれるだけ。

 パタパタと横目に賑やかだが、なんの文句も言ってこないのだからいいだろうと、エプロン姿の女は放置してあれやこれやと読んでいく。

 

 最初は月やらの本を読んでいたがすぐに飽いた、読まずとも行けばわかる事だと気がついて、事前知識はない方が楽しいだろうと敢えて知識は取り込まずにおいた。

 次に手に取ったのは妖怪図鑑や歴史物の書物。

 こちらの二冊は結構面白かった、挿絵の入った本だったが、つるべ落としは髭面のおっさんだし土蜘蛛はまんまでかい蜘蛛だった、河童も頭に皿を載せた爬虫類っぽい感じで天狗はまんま嘴のついた鳥人間。歴史の方も辞典に載る聖徳太子(おじさん)と良く知っている太子では姿形も性別も違うし、平安貴族である藤原さん家の娘さんなんて、もしかしたらいたかもって一行載っているだけで詳しく書かれてはいなかった。

 どれもこれも見知った相手に似てもいないし、相手によってはかもではなくいるぞと、一人薄笑いを浮かべているとはたきを持つ店員があたしから離れていってくれた、楽しそうだから離れてくれたのかね?

 関わっちゃいけないと目で語ってくれていたし、気が利いてありがたい事だ。

 

 そんな事をしながら情報収集というなの観光をしていると、背に感じる複数の視線。

 振り返っても目が合う者はいない、かといって態々探す気もないしまたコスプレ云々言ってくる輩かなと、感じなかった事として長居した本屋を後にした‥‥こちらの金でも手持ちにあれば辞典やらを買って笑い話に出来たのに、惜しい。

 店を出てみると少し日が落ち始めていて、誰ぞ彼はといった頃合い。

 日が陰り始めると背の高い建物や町中の飲食店などから人工的な光が漏れたり、綺羅びやかな看板が煌々と灯り始めたりしていた。時間の動きに気が付くと自身の腹の虫の動きにも気が付く、栄養を得る体などとうに亡くしているというのに腹がなるのは何故なのか?

 多分日頃の習慣だろうな、慣れとは怖いと考えつつ暗くなり始めた道を目的もなく歩く、なんとなく路地を曲がって寂れた風合いの裏通りに入ると、先ほど感じた視線の持ち主だろう者達から声を掛けられた。

 現れたのは昼間には見られなかったタイプの男達。

 毳毳(けばけば)しさが感じられる傷んだ金髪姿や茶髪姿で、成人男性のくせに細い腕や足をした者達から声を掛けられた。

 

――お姉さん何その、尻尾? 耳までついてんじゃん、動くしすげえ本格的だわ。

――コスプレしてんの? 銀髪メッシュとか派手だね? 目もカラコン?

――わかった、コスプレ喫茶とかの人っしょ、それとも飲み屋さん?

――そんなイベントやるんだ、お店何処よ? 

 

 四人で囲んでくれてそれぞれニヤニヤと、顔に下心を貼り付けて話してくれる男達。

 口調から面倒臭いのが来たなと思いつつも、ちょっと仕入れるにはいいかなと話を合わせて男達の話題にノッた。飲み屋の娘かと聞かれたので少し進んだ道向かいの店だと答え、名前も聞かれたから、ゆかりだと微笑んで答えた。

 イベントはもう少し先で、頼んでいた物が出来たから着てみていると耳を触りつつ答えると、似合っていて可愛いと心にもない事を言ってきてくれた。

 下品な心丸出しの言い草が今も昔も変わらなくて、本当に情事は昔のままだとクスリと笑むと、これから飲みにでも行かないかと誘ってきた。持ち合わせがないしうちの店でどうかと返すと、奢るから行きつけに行こうと手を取られ、背の高い乗り物に押し込まれる形で乗せられた。

 

 両側を挟まれて二列目の席に乗せられる、引き戸が閉まると聞こえ視える下卑た笑いとその考え、それから感じられる今後の流れも当然ソレだろう。

 乗り物に乗せられてからはスカートのスリットしか見てこなくなったし、その奥が目的だとまるわかりでつまらない、こういうのも昔から変わらないと笑うと、何笑ってんだと急に息巻くひょろい男達。雰囲気からこのままお持ち帰りされるのだろうし、乗り物が動き出して知らぬ土地の知らぬところに連れられるのも面倒だ、そうなる前にと近くの男二人から張り倒して、次いで右前に座る男の椅子も蹴り抜いた。

 前の席にいたもう一人はヒィッと騒いで逃げたので放置、追うほどいい男でもなかった。

 頭やら顔やらちょっと凹ませ赤くさせたりして、すっかりと静かになったところで懐を漁り物色してから乗り物を出る‥‥つもりが、簡単に開いたはずの引き戸は開かず、ガチャガチャさせても動かないので少し薄れてすり抜けた。

 

 ヌルンと抜け出て戦利品、ちょっと平たくて折りたためず画面もでかいが、天狗記者のカメラっぽい機械と赤く濡れた財布っぽい物をそこらに放って、短い観光の持ち合わせならこんなもんでいいかと踵を返す。

 振り返りつつ財布を開きそのまま銭を取り出すが、小銭は持たずに紙幣だけ仕入れた、こちらの世界では銭よりも紙幣というのが有効だと香霖堂の店主から聞いている。三人分合わせて二十枚くらいになった三色のお札をコートの内ポケットに突っ込み、取り敢えずこれくらいあれば少しの滞在には十分かと財布を捨ててその場から動いたが‥‥それでも感じる何かの視線、本屋の時から感じるこれはさっきの男達だけではなかったのかと振り向くと、やっぱりいた熱視線の正体。

 

「うっわぁ、コスプレかと思ったら本物だったわ」

 

 目が合うとすぐに逸しキョロキョロ動かすお嬢さん、すり抜けた乗り物とあたしを見比べる黒い帽子をかぶった少女。誘拐犯の男とは違うキューティクル輝く茶色の髪を揺らし、同じ色合いの瞳に好奇心をいっぱいにして見つめてくれる。

 今までの相手と同じくコスプレと言ってくるのが何とも言えないが、それでもその後に続く本物って言い草は何かね?

 確認するように尻尾と耳をそれぞれ動かしてみると、動かす方向へと頭ごと視線を動かして興味津々だと教えてくれる外の人間。

 

「気になるの? 触れてみる?」

 

 無言で頷く赤メガネの少女。

 初対面。

 それも人間相手だというのに、何故か気安く接する事が出来るのはメガネ仲間だからだろうか?

 そうかもしれないな、あの三妖精のすぐ転ぶ縦ロールも初対面で失礼な事を言ってきたが、こけて飛び出たメガネを見て何故か許せたわけだし。

 幻想郷で他には姉さんと小鈴、それと森近さんに河童の誰かくらいしか思いつかないしな。

 貴重なメガネ仲間達を思い出していると、手をワキワキとさせて耳やら尾に触れてくる外の世界のメガネっ娘。

 

「もふもふだけど、結構冷たいのね? なんか巻かれてるし」

「それはまぁ、退っ引きならない事情ってのがあるのよ」

 

 気まぐれに誘ってみたら、羽衣で包んでいない先っぽをそれはもうナデナデニギニギと、好き放題にしてくれる薄紫色の少女。

 いや、紫色と言ってしまうとあの胡散臭いのと同じ色合いになってしまうな、アレと比べれば初々しさも若々しさも断然感じられるし、こっちは少女らしく菫色としておくか。

 しかし、プリーツスカートが翻るほどテンション上げて触ってくれて、もふもふと褒められて悪くない気分だが‥‥こちらから言い出した事でもあるが、そろそろ飽きてくれないだろうか?

 生身の人間が長く触るには毒だと思うぞ?

 実際どうかは知らんが。

 

「満足したなら離してくれない? 只の人間にはあんまり良いもんでもないと思うわ」

「思うってまた曖昧ね、それはどうでもいいけどさ、隠しもせずに堂々としてていいの?」

 

「目立つコスプレ女は小さくなって歩けって事かしら?」

「誤魔化さないで……貴方あれね、化け物の類でしょ? それもあっちの世界の化け物ね」

 

 赤いアンダーリムのメガネにかかる前髪をフフンと撫でて、どうだと話してくれる娘っ子。

 あっちの世界が幻想郷を差しているのか、どこか別の世界を差しているのか、そこまでは読みきれないが化け物ってのは正解だ、触らせたから気が付かれた?

 違うな、本屋から視線は感じていたし触れる前から本物だったと言ってきた、だとすればすり抜けた辺りで確信でも得て絡んできたのかね?

 さっきは見比べていたわけだし、そこから察して現れたと考えるべきか。

 

「世界云々は何処を差すのか定かではないけど、化け物というのは正解ね。わかっていながら怖がりもしない貴女は何? 只の人間‥‥にしては恐れもなさそうだし、図太い性格してるわね」

 

 種族天邪鬼ではないけれど、誤魔化すなと言われれば誤魔化したくなるのが性、そうしろと囁くあたしの性根の通りに話の筋を相手の方に逸らす。

 華奢な少女に図太いと、容姿の雰囲気からは見られない事を伝え、未だに触られている尻尾から手を振り払い、そろそろ終わりと仕草で煽る。

 普通の、それも外の人間相手に能力を使うなど考えてもいなかったが、いつまでも小娘を構っているほど暇でもない。いや、暇ではあるのだけれども‥‥そうしていては何も出来そうにないし、頭の中もそのメガネの縁みたいな色にしてあげて、テキトウに煙に巻こう。

 

「もうちょっとさぁ、度胸があるとか言い方ってあるでしょ? 全く、念願の化け物と会って会話まで出来て、願ったりだと思ったのに調子狂うわ」

「化け物に狂わされて喜ぶのはいいけれど、別の心配はしなくともいいの?」

 

 煽りは逆効果だったか?

 悪態付きながらも願ったりなどと言われてしまった。

 が、これで調子は外す事だ出来た、浴びせてくれた溜め息からも冷静さより呆れが感じられたし、上手い事興味が逸れたのだと良いように捉えて、今度は別の方向でからかっていこう。

 別の心配事は構わないのかと、思考の逸し先を撒いてあげるとなんの事かと傾いで少し悩み出す現代っ子、そう悩む事もないだろう?

 話す相手は自身が言った通りの化け物なのだから、そっち方面の心配くらいすぐに思いつかないとそのうちに痛い目を見る事になるぞ?

 こっちの世界に痛い目見せてくれる化け物が残っているのか、それも知らないし興味もないが。

 

「喰われるとか。こっちの人間なんて久しく喰ってないし、見た目も好みだし、来訪記念に味見してもいいかもしれないわ」

「えぇ~‥‥見た目も味にも自信ないから勘弁してよ、もっと可愛いのにしたら? あっちの人達の方が肉付きいいよ?」

 

 指で差された先を横目で見ると、スーツ姿の成人女性。

 黒のストッキングに短めのタイトスカートが合っていて確かに肉付きは良さそう、自分で着るならああいった物もいいなと感じるが喰うとなれば話は別だ。

 あれでは化粧が濃くて粉っぽい感じが舌に残りそうだ、年齢もこっちのメガネっ娘よりは十は上に見受けられるし、どうせ食うなら若い方がいい、推薦されたあれは又の機会と考えてパスしよう。

 

「残念、化粧臭いのは嫌いなの。貴女も十分可愛いし、メガネが似合うというだけでも合格点だから、美味しく頂くのになんの問題もないわ」

 

 勘弁してと突き出してくれたお手々を取り、手の甲を指先でつぅっと撫でる。

 腹に収めるという意味合いで言葉を吐きつつ、態度の方は別の意味で取って喰うと知らせてみると、軽い反応の拒否を示しながら手を振り払ってくれた。

 後はこのまま呆れるなりして消えてくれれば、好ましいメガネ仲間を喰わずとも済むのだが、振り払った手に手品師のような白い手袋はめて、何やら構えてくれるお嬢ちゃん。

 表情にはやる気が見えるが、何かやるってか?

 

「化け物の癖に俗っぽい趣味してるのね、それでも喰われるのは困るし‥‥手を出すって言うなら私にも考えがあるわ」

「俗な考えを体現させたのがこの国の妖怪ってやつだと思うけど? 構えてくれて、何か見せてくれるのかしら?」

 

 シャッという効果音でも聞こえそうな構え方で取り出したカードを広げ、こちらに向かって見せつけてくれるが、星やら□やらが書かれたタダの紙っぺらがなんだというのか?

 眺めていると四、五枚のカードを空中に放ってこちらに奔らせてくる‥‥が、所詮はタダの紙切れ、避けもせずに片手で払い、ペシッと地面にたたき落とした。

 これで抵抗なのかと見つめていると、片目を瞑ってニヤリと笑う一応の敵対者。次なる手品はなんだろうかと佇んでいると、カードが触れている地が持ち上がり、辞書でも閉じるような動きでバクンと閉まった。

 押し花にでもしてくれそうな勢いで閉じる油臭い地面だったが、閉じ切るタイミングに合わせて身体を霧散させその場から一旦消えた、再度バクンと鳴り合わさると、聞こえてくるのは勝利者の声。

 

「今時の女子高生(超能力者)を舐めたのが悪いのよ! 化け物なんて言うからどんなのかと思ったけど大した事ないのね! あっちの妖怪が皆これなら‥‥イケるわ!」

 

 トドメのつもりなのか、道路標識を浮かばせると閉じた地面に深々突き刺す女子高生とやら、女子高生ってのは昔で言う陰陽師的な職業だったりするのだろうか?

 ケラケラと笑い揺らす召し物も、言われてみれば何か制服っぽくも見える、術師というよりは鈴仙の格好に近い感覚もあるが、あれも月の軍人の制服らしいし、これも何かの団体に属している制服なのだろう。

 人外、というのは失礼か、現人神だという風祝も外では女子高生だったと聞く、ならば異能な者が属する団体が女子高生ってやつなのかもしれないが、その辺りはどうでもいいか。退治できて満足したのか去ってくれるようだし、このまま忘れてもらおう。

 アハハと笑い去る女子高生の背中を眺め、過ぎ去ったのを確認してから高い建物の上で顕現する。先ほどまでいた辺りを見下ろして外にもまだ面倒な異能者が残っていたかと頷いて、大きな看板に背を預け荒事終わりの一服を済ます。

 背もたれ代わりにしている電気式の看板には『煙草は二十歳になってから』なんて表示されたが大きなお世話だ、こちとらその十倍じゃきかん年齢だ。

 そんな事を馬に乗った異国人のおっさん相手に思い、煙を吹きかけぼんやりとした。

 一息ついて見上げる空。

 ちょっと遊んでいたせいでとっぷりと暮れ、逢魔が時というには暗くなった外の世界。

 映る絵が変わる看板を背に、副流煙を振りまいて思う。主しそうな人間も未だにいると知れた、もう少し探せば他にも変なのがいて楽しい事になるかもしれないが、尻尾に巻いた羽衣が夜風に靡いて早く使えと自己主張してくる。

 主張の後ろに朧気に見える気がする友人達の顔、そういやこころには少し出てくるとしか言ってなかった、あまり待たせても悪いし放置がバレれば南無三される。

 ならいいや、後は本題を済ませて戻るか。

 取り敢えず本来の仕事をしようと、バサッと月の反物を広げる。

 強い街の灯りを受けても淡い青に見える羽衣を握ってみると、行き先は決まっていると言わんばかりに引っ張り上げてくれた、このまま握っていればそのうちに到着するのかね?

 よくわからない原理で浮かび始めた月の乗り物をキュッと握って、か弱く揺らぐ月光が差す方へとフラッと舞った。



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EX その19 月の兎と地上の兎詐欺

 路地裏の一騒ぎとなった女子高生との出会いから然程経たず、少し空気の臭う地上世界での一服も済ませた後。思いつきと勢いに任せてキュッと握り、ふらっと空へと舞い始めた月の羽衣だったけれど、フラフラしていたのは最初だけですぐに強めに握る羽目になってしまった。

 ふるふると揺れてからユラユラと動いたのは始動時のみで、一度動き出してからは空から落ちてくるお星様の如き勢いで、雲を抜いて飛び上がり壁のような何かも抜いて、見やる月へと一目散に上り始めた。

 

 段々と近づいてくるお月様。

 しかしなんだ、まさか見上げるだけだと思っていた場所へ向かう日が来ようとは。

 いつだったか赤いお屋敷の門番と見上げた事を思い出す、あの時は日中で地上から眺めるお月様は随分とか細い光だったが、こうして真っ暗な空から眺めてみると非常に明るくて素晴らしい。

 訪れた本屋で僅かに仕入れた知識からすればこれは太陽光を反射しているから明るいらしい、そう言われるのもわからなくもない、浴びる月光からはよく知る地獄の三本足のような朗らかさが感じられて心地よい。

 月見て陽烏を思い出すってのもなんだかなと思えるが、この光はお日様の光だというのだからそう感じてもなんら不思議ではないだろう。

 そういえばこの暗い宇宙もお月様にも空気がないそうだ、空、宇宙と言うんだったか?

 この黒い空に空気があろうがなかろうがそれはどうでもよいとして、月に空気がないってのは嘘だと思える、ないとするなら輝夜や永琳、鈴仙達は何を吸って生きてきたというのか?

 前者二人は生きてきたというか、死んでこなかった?

 いや、死のない?

 よくわからんから忘れるとして、玉兎という妖怪の鈴仙には空気は必要不可欠なものだと思えるのだが‥‥あれか、魚みたいに大気以外からも酸素を取り込めるのか、月見て跳ねる兎という種族なのだから案外そうかもしれない。

 だとしたらそれは素敵だ、あの子の評価をまた改めないといけない。

 溺れた後に助けてくれた相手の事を魚に例えるなどなんだかなとも感じるが、ただの思いつきで暇つぶしだ、さしたる意味も必要ない。

 ズンズンと迫り大きくなってくるお月様よりも、その地に昔住んでいたご近所さん達の事を考えているといつの間にやら地表が見える、いや、地球ではないのだし月表とでも言うべきか?

 どうでもいいな、地面には違いない。

 

 着地する寸前まで派手な勢いで引っ張ってくれた月の羽衣、降り立つギリギリ、足が触れるか触れないかという辺りまで勢いそのままに機能していたが、月の肌に足を伸ばしてみると進入角度を変えて動いてくれた。

 鋭角から緩い角度に進行方向を変えてくれて勢いも収まっていく、なんとも出来た道具だと関心したところで一気に勢いが衰えてしまい、急に動きが変わったものだから笑窪のような地につんのめって肩から地面に着地する羽目になった。

 専用の乗り物だったら最後まで面倒見てくれ、この不良品が。

 

 ザザッと転がった地面の上で数回転しどうにか足を着ける、肘やら膝やらが随分と汚れてしまったが、見てくれるものはいないし雑に払うだけにして周囲を見やった。

 見れば見るほど何もない、というのは語弊があるか。

 あるにはある、外の世界の街道を走っていたような鉄造りの乗り物、それが長い時を経て朽ちてしまったような残骸やら、似たような金属で出来たナニカが横たわっている。

 この辺りが月の頭脳が言っていた旗が立てられたという土地なのだろう、打ち捨てられている機械群の雰囲気からは永琳の言う文明の発達した月世界の科学よりも、外の世界の科学に似た風合いが見受けられた。

 そういえば、大気はあるらしい。

 残骸を見つめつつ煙管咥えて火を入れてみれば問題なく灯ったからだ、おかげで鈴仙の評価を改めずに済んだ、再評価など面倒なことをしなくて済むのはありがたい。

 ポヤポヤと副流煙を斜め後ろに流して歩く、少し歩くと見えてきたのは大きな大きな水たまり、海なんて何年ぶりに見るのだろう?

 時間があるのなら海水浴にでも興じるのだが、生憎それほど時間もない。

 ついでに言えば一人じゃ無意味だ、見目麗しい肢体を晒してくれる誰かでもいれば舌なめずりして眺めるが、今見られるのは自分の身体くらいしかない、それなりに出るとこ出てくびれもあると自負しているが、何千年と見過ぎていて今ではなんとも思わない。

 下世話でつまらない考えは捨て置いて、まずは何処へと向かったものやら。

 目的地には着いたけれど、目的にしたいモノは見られないお月様、月の都はどこだろか、彷徨い歩くがとんと見えず。つらつら歩いて脳裏に浮かんだ走尸行肉という言葉。

 なんでまたこれが浮かんだのか?

 わからないがまぁいいさ、これもどうでもいい事だ。

 どうでもいい事ばかりを考えていたから思い出した亡霊の先輩のお言葉、ざっくり言えば死んだも同じって意味だったか、同じというか正しく死んでいるのだからこれはあたしには当てはまらないな。

 

 再度どうでもよい事を思いついていると、静けさを湛える海の先、随分と遠くに見える辺りに何やらモヤモヤしたものが見える気がした。

 左右対称で造られた屋根っぽいナニカの影に始まり、大きさは大小様々だが似たような造りの町並みに見えるシルエット、それにうっすら明かりまでも見られる。

 いきなり現れて何かと思ったが結構歩いて来たらしい、地上とは違って天候に変化が見られないから時間の感覚がわからなかったようだ、星の位置も地上から見る位置とは違っているから時間なんかも読みきれなかった‥‥パッと星詠みをして時を読めれば便利そうだな、そんな事を考えて星が描かれたカードを投げてきた女子高生もなんとなく思い出していた。

 鉄の塔っぽい残骸を抜け、見えてきた街(予定)に向かう。途中黒鳥の羽とその骨が落ちていたが、鳥くらい何処にでもいるだろう、気にもせずに先を急ぐ。

 

 揺らいで見える街の端、そこからお邪魔してみようとヒョイッと壁を乗り越えるつもりで飛んでみたが、思っていた軌道で飛べず、何もない空中で何かに阻まれる感覚を覚えた。

 これがなにかはわからなけれど入るのに邪魔なものには違いない、わからないが触れられて、そこに在ると認識できた以上あたしの勝ちだ、労せず逸らし歪ませる事で無事に中へと入り込めた。

 少し歩くとすぐに広がる月の繁華街。

 さすがにここでは能力を使い間者としての姿で動く、あの胡散臭いのとは違って喧嘩を売りに来たわけではないのだから隠れる必要はない、そう理解しているが感覚が掴めるまでは様子見するに留まった。しばし眺めて動き出す、隠れもせずに煙管を咥え堂々とその場で化ける。

 化ける姿は地上の兎詐欺。

 月なのだから玉兎の方を真似ればいいかとも思えたが、街を行く住人達の皆が皆垂れ耳ばかりで、こっちの姿の方が場の雰囲気に溶け込みやすく感じられた為そうしただけだ。

 素直な狂気の兎よりも詐欺師のこっちの方がキャラ作りが楽だからとか決して考えてはいない、と自分を騙して、店の軒下で囲碁盤を囲むおじさん兎の間を縫って、近くの店へと潜り込んだ。 

 

「こんにちは」

「はい、いらっしゃいお嬢ちゃん、お使いかな?」

 

「そうなの、でも久しぶりの外だからよくわからなくて」

 

 普段よりも低い視点で並ぶ品を見ていると、カウンター奥の店員さんと目が合った。

 ちょっとだけ気弱な声で挨拶をしてみればニコニコと、人が良さそうな顔で迎えてくれる折れ耳のお姉様兎、鈴仙のような耳の奴もやっぱりいるのかと顔を見てから再度品物へと目線を戻す。少し背伸びをして並んでいる商品を見回すと、モチモチしていそうな食べ物、言うならまんま餅だな、それらが並んでいてここは餅屋だと気が付く。

 月の兎が売るには妥当過ぎて、なんというか捻りがないなと頭を傾けていると、久しぶりってどういう事? とお姉さんに問われた。

 

「病気で長く寝てたの、起きたのは少し前? でも、起きたら景色が違っててわからないの」

「長く寝てた? 景色がって‥‥あぁ、人工冬眠(コールドスリープ)明けかな? って事はお嬢ちゃん大昔の人なんだね、だったらわからなくても仕方ないわ」

 

「こーるどすりーぷ?」

「病気が治せるようになるまでお昼寝して待つって言えばわかるかな?」

 

 聞きなれない単語をオウム返ししてみると、態々噛み砕いてくれて、わからない者相手にもわかりやすく話してくれる兎のお姉さん。

 幼女姿だからそれっぽくしてくれたのだろうが、見た目の雰囲気通りに人がいいお姉さんで騙し甲斐がなくてつまらない、が、こちらの情報を聞くには丁度良い相手に思えて、少し呆けた顔で頷いて見せる。

 

「偶にいるの、地上にいた頃に病気や怪我をしてしまって治せるようになるまで寝ている人達が。起こしてもらえたお嬢ちゃんはきっと治ったんだと思うよ、良かったね」

 

 アホの子ですと見せれば追加が出る、そう踏んだがその通りに話してくれて、こちらの心配までしてくれる始末‥‥

 幻想郷の人間も平和ボケしているが、こっちの者はその上をいくなと感じられる。

 それでも悪い相手ではないし、ここで変な動きを見せては違和感しかない、臆面もなくうんと微笑んで頷くと、紅白の大福らしい物を手渡し肩をポンポンと叩いてくれた‥‥快気祝いだと言ってくれるが本当に人が良くて優しくて、裏がありそうで中々に面白い。

 頷いて戻した視線の端には揺れる折れ耳の先端を追うような視線が映った、プレゼントをくれるのに屈んだから揺れ動き、それを見ただけと考えればそれまでだけれど‥‥ここは紫が苦渋と美味しいお酒両方を得た世界、考えすぎて悪いなんて事はないだろう。

 考えが好ましい方向へと向かうと表情にもそれが現れる、少しだけ影の差す笑みを浮かべてしまい、ん? と一瞬に訝しがられたが幼女らしくニシシと笑い、雑に誤魔化してその店先から出た。

 ワイワイと騒ぐ喧騒に紛れ路地裏を曲がり視線を逸らす。

 そうして少し待っていると現れた折れ耳の集団。

 鈴仙の着ている格好そのままの垂れ耳少女達が、キャッキャしながらあたしが入ってきた路地裏の一角を埋め尽くしていく。

 一羽二羽と増え、十羽近くにまで増えると最後に姿を見せた垂れ耳タイプの月の兎が、この場をどうにかしようと話を仕切り始めた。

 

「いた?」

 

「いないわ」

「こっちにも‥‥あっちにもいないって」

「逆の路地にもいないみたい」

 

 問いかける水色頭の兎と、返答を述べる他の兎。

 こっちにはいるのだけれど、あっちにもいないってのはどこから取り入れている情報なのだろうか、耳票付きの折れ耳の先を上目遣いで見つめてからそう語る軍人兎達。

 

「連絡が来てすぐ動いたのに逃げ足の早い‥‥手分けして探しましょ、取り敢えず一度解散ね」

 

 逃げ足は然程早くない、口うるさい天狗からは逃げ切れる自身がないしその上司にも最後には捕まり喧嘩を売られた事がある、というよりも急いで逃げるような事があまりない。

 尻尾を巻いて逃げると常々言っているが、実際は逃げる事よりも今のように能力使ってそこにいるのに気が付かれないようにしてやり過ごす事が多いと思う、その方が相手の動きが読めて逃げるのに楽だと経験から知れたからだ。

 とまぁいらない自分語りはここまでとして、連絡が来て動いたというが、先ほどの玉兎達といいこの子といい、何を何処から聞き入れている?

 見る限り不審な素振りは見られないが見落としているだけかね、それとも見て気が付いているがそう認識できていないだけ‥‥前者だったならばあたしの目が節穴だってだけで納得出来るのだが‥‥ 

 

「そう、そっちにもいないのね‥‥だとすればやっぱりこの辺りが怪しい、いないのに穢れだけ感じるなんてどういう事だろう?」

 

 視界の先で邪魔そうに垂れているうさみみ、それをチラリと見つめてからいないと独り言を呟く水色頭、三度も見せて貰えれば何となく気がつける。

 あれが彼女達の情報伝達の術か、見知った兎を鑑みればわからなくもないな、以前に取り外し可能だと言っていた気がするしあれは所属する団体の中で連絡を取り合う為の物だろう、あちこちであたしを探す鬼兎と会話をしながらの捜索ってところだろうな。

 一つ謎が解けたが同時に湧いたもう一つも考える。

 いないのに穢れだけを感じるとはどういう事か?

 今のあたしは向けられている意識も視線も逸らしている、言うなれば地霊殿の妹妖怪の在り方に近い、その場にいるのに気にされないような状態でいる。

 それだというのに穢れを感じ取られるとは‥‥

 

「でもなんだろう、この穢れ。ちっちゃいなぁ、地上で感じた穢れはこんなもんじゃなかったし‥‥地上の穢れじゃないのかなぁ?」

 

 似合わない腕組み姿で悩む少女がう~んと唸る。

 なにやら楽しげな考え事をし始めていて出来ればあたしも混ざりたい、姿を見せてもいいかもしれないが相手の事を知らなすぎて素直に出るには気が引ける、そんなむず痒い思いを身に宿したからか変に痒い腹の辺り。

 右の袖から腕を抜き、ワンピースの中でポリポリと掻いてみると手に触れるカサつくナニカ。なんだこれと取り出すとそれは地上で仕入れた紙幣、これの角が触れて痒かったのかと納得し腕を戻して外に出してみると、兎さんから『あ』と聞こえた。

 こっちを、正確には紙っぺらを見つめて吐かれた言葉。

 穢れとはこれの事‥‥か?

 試しに一枚放ってみると、すぐに飛びついた月の兎。

 

「なにこれ!? 地上の‥‥何?」

 

 ぴょんと飛んで拾ったはいいがそれがなにかはわかっていないのか、それでも良しとしておこう、ただの気まぐれで仕入れた物だったが存外いい餌になってくれそうなのだから。

 あたしが触れていればあたしの物として逸れるだろうが、先ほどのようにピラッと放ってやるだけで清き清浄な世界に穢れをお届けすることが出来るようだ。

 ならこれを使って少し遊んで、ついでになにか目ぼしい物でもありそうなところにでも案内してもらうとするかね。二枚目を取り出してシュルっと針のように纏め路地ではなく通りに向かって飛ばしてみる、神社の巫女さんの封魔針のようにして往来の辺りに刺してみると、ワラワラと再度集まる軍隊兎。

 二枚目? 形状からすれば二本目か?

 なんでもいいかソレも拾い上げられたのを確認してから、指の間に三本ずつ握りあっちこっちにチクチク放る。商店や誰かの住居の壁にカカッと刺さると兎さん達が少し焦り顔になり始めた、悪くない反応だ、このまま手持ちが切れる前に大事にまで発展してくれればありがたい。

 

 残りの枚数が三枚くらいになるまで遊んだ穢れ撒き。

 放った数は拾伍枚ほど、後は右手の指の間に残るこれをポイっとすれば打ち止めでお終いってところまできたのだけれど、これを放つ前に兎さん達に動きが見られた。

 何やら皆で集まって先ほどの、場を仕切ろうと四苦八苦していた水色兎に集めていた、流れと雰囲気から何となく読める動き。皆で集めたソレを一人が代表で持って行くんだろう、何処かは知らんがソレを報告しなければいけない場所にでもね。 

 こちらとしてはそれなりに楽しいお戯れとなったし、汗を飛ばせて走り回る兎ちゃんたちも愛でることが出来たしと、中々に悪くない遊びだった。

 程々に楽しんだのだから今回はこの辺りで〆として、後は程々におつかいをこなしてどうにか帰ろう、持ち出すものと同じく帰り方も聞いてないが握れば多分帰れる気がする。

 なんの確信もないただの思いこみだが、いざ帰る際に帰れないと感じるよりは帰れないわけがないと考えていた方が心臓に良い、動いていないというかあるのかすらわからないのに思うのは言葉の綾ってやつだろうね。

 それはともかくそろそろ動くか、お札を握ったウサちゃんも動き始めたようだ。

 化けているてゐの姿に習い、両腕を頭の裏で組んで通りを歩く。

 普段の姿よりも腕が短くて頭がでかく感じられるが、可愛い悪戯がパンパンに詰まった頭を支えるのはこれまた可愛いお手々だなと、良いように捉えて先行く兎の後をつけた。

 

~兎詐欺追跡中~

 

 テクテク歩く兎さん、向かう先はどちらでしょうか?

 寄り道もせずに真っ直ぐ進む生真面目そうなその背中に言葉にせずに問い掛けると、大きな屋敷の前で立ち止まってくれた、ここがあの子の目的地らしい。

 高くそびえる壁の中央に進むと、地上の本屋で見たような自動で開く引き戸をくぐって行く玉兎、ガ~と開いて閉じきる前にあたしも身体をねじ込んでおく、逸らしたままの今の姿では戸を開けてくれるナニカに気が付かれないかもしれない。

 それほど影は薄くない、そう思ってはいるがこれが開閉役の人の仕事だとしたら認識されないだろうし、下手を打つ前に後に続いた。

 少し進むと外から見たよりでかい屋敷が目に留まる。

 なんとなく娘々や美鈴が似合いそうな造りの月のお屋敷。

 正門らしい大きな扉とその左右にある二回りくらい小さな扉が目立つ正面玄関、真ん中には守衛が二人ほどいるが左右にはいないらしい、二人で三箇所守っているのか、仕事熱心な者達だ。

 その二人に向かってピコピコと、垂れ耳揺らして何かを話す水色兎。

 身振り手振りとお札を見せてすぐに中へと進んでいった。

 ここまで来られればあの子に用はない、後はテキトーに侵入してテキトーにもらうもん貰って帰るだけだ、見た目の造りから立派な誰かが住んでいそうなお屋敷に見えるし、ここなら月の主従が求める何かしらもあるだろう。

 幸い守衛の男達は付け耳を装備しておらず、遠距離での会話は出来なさそうに見えるし、交代か何かで姿を消した時にでも中へ進めばよさそうだ。

 誰の屋敷で入ればどうなるのか?

 そんな事には興味もないし、知ったところで何もない、あるとするなら‥‥なんだろうね、わからないしいいさ、入ればわかる。



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EX その20 ほんの少しのから騒ぎ

 竹林の奥屋敷や妖怪のお山に住む仙人の住まいのような、和風と清國の風合いが混ざったような、なんというかお伽話にでも出てきそうな屋敷の前でしばし待ち、守衛のお兄さん二人が一瞬離れた交代時間を狙って無事潜入。

 潜入とはいっても誰もいない門を薄れてすり抜けただけなので、意味合いとして正しいのは侵入なのだろうが、入った屋敷の内装が外でも思った邪な仙人様のそれっぽくて、あの人の能力を鑑みて言うならば潜入のが似合いそうだと思っただけだ、掘り下げるような意味はない。

 何事もなく、というよりもなさ過ぎて拍子抜けしながらの物取犯となっている今現在、本当にここは紫が苦汁を舐めさせられたお月様なのかなと考えていると、進む廊下の先に誰かが現れた。

 

 苦汁を舐めた誰かさんみたいな長い金髪を背に流し、襟と袖が広い白のシャツを着たお姉さん、屋内だというのに白い帽子を被って歩いているが、それは何処の誰でも同じようなもんか。

 例えに出したスキマの主従も吸血鬼の姉妹も、あの我の強い天人様も、屋内でも屋外でも帽子を被ったままでいる事が多い、帽子を脱ぐのは空気を読んで弁えるあのパッツンパッツンくらいか、脱いで髪を少し振るう仕草もエロくてあの人は目に良い。

 と、地球よりもはるかに高い所にある屋敷の中で下な考えに興じていると、いつのまにやらいなくなっていたお姉さん。

 音もなく消えたから見間違いか何かかな?

 なんて勝手に解釈していると、丸い月見窓の下から声が聞こえた。チラリと覗くと屋根の上、片手で窓の縁を掴み、もう片方では扇子を伸ばし、片足立ちで頑張る誰かさん。

 

「もう、この桃はいつもいつも‥‥窓から道でも出来れば楽が出来るのに」

 

 プルプルと伸ばす右腕と右足、そしてプルプルと支える逆の手足。

 桃の木見ながらなんだか文句を言っているが、彼女が何をしたいのかは見ての通りまるわかり、そして密かに騒ぎ始めるあたしの小さな悪戯心。

 やっちゃダメだとわかっているが‥‥

 今の相手のこの姿、これを見て我慢できる者がいるだろうか?

 聖人君子ならわからないが、少しでも悪戯に関心があれば我慢など出来用もないだろう、左手の指四本だけで自重を支え、欲しい桃に手を伸ばす姿。

 どうしようかと見つめているとピンと薬指が立って窓の縁から離れた、このままではマズイ、何も出来ないままに一人で終わりを迎えてしまう。

 しかし、と考えている間に身体は動いていたようだ。

 縁に掛かる三本指に手を伸ばし、それぞれを同時に剥がしている自分がいた。

 意識が戻って見えたのは、左肩だけにかかる肩紐をずり下げて落ちる誰かさんの顔、見知らぬ兎詐欺を見る疑惑に満ちた顔が見られた‥‥無意識で動くとはこういう事か、能力使って妹妖怪のようになっているし案外無意識も簡単かもしれないと、思考の海に意識を沈めていると何やら悲鳴で戻された。

 下から聞こえた黄色い悲鳴。

 今覗けばあの一体型スカートが脱げたあられもない姿でも見られそうだが、同時にこちらの姿も見られそうでそれは困る。

 どこかの我儘天人じゃないが、機会があれば桃でも持って謝りに行くからどうか許して欲しい。

 投我以桃、報之以李

『我ニ投ズルニ桃ヲ以ッテスレバ、コレニ報ユルニ李ヲ以ッテス』

 紫はこれで天子を許したのだし、似てるんだから多分許してくれるだろう。

 多分。

 

 落ちたお姉さんと集まり始めた守衛さん。

 そやつらのせいで賑やかになり始めた正門辺り。

 そこは見なかった事にしてだ、まずは物色から始めてみるかね、桃李成蹊(とうりせいけい)なんて学がある事を言いながら体現するのがいる屋敷だ、何かしらはあるだろう。

 バタバタと騒がしくなる屋敷の中、折れ耳付けた玉兎の娘さんや耳のない玉兎のお兄さんが何が起きたと動いているが、一人の女性が落ちただけで大して騒ぐ事ではないと思えるが‥‥

 

――侵入者はどこだ?

――トヨヒメ様はご無事だ、ヨリヒメ様は何処にいらっしゃる!?

――報告にあった穢れと関連が!?

 

 なんて、それぞれの会話を盗み聞きしていると原因はあたしかと理解できた。

 鬼気迫るクソ真面目な顔で誰かやあたしを探したりしている兎さん達、そんなに真剣に探されるほど悪いことはしていないぞ、今はまだ。

 段々と騒がしく、緊迫していく月のお屋敷。

 あたしがいる廊下も人が増え、間違えば触れしまいそうなほどになってきた、このままいれば触ってしまってそうなれば鬼の多い鬼ごっこが待っている、それはまた厄介な事だ。

 そうなる前に少し動きたい、が、思いつくのが少し遅く気づけば回りは人集り。

 

「そこですね、小さいけれど報告通りの穢れが視えます」

 

 人集りの奥から聞こえてきた声。

 賑やかな喧騒を切り開く済んだ声が聴こえると、薄い紫色の髪を束ねたお嬢さんが現れる。落ちた女と似たようなシャツに同じ形の一体型スカート、こちらは赤の強い臙脂色っぽくてあっちは青みの強い紫で色味が違うがそれはどうでもいい情報か。

 余計な事に脳みそを取られているとチャキっと鳴らして突きつけられる刀。

 見た感じ業物だが、それだけっぽいな、なら問題なさそうだ。

 物理的に何かされるなら今は効かない。

 滅多な事でもされるというなら、それはどうにか逸らすだけ。

 なんとも便利でありがたい身体に成れたなと今更な事を感じていると、空いている左手を高く掲げた女が文言を述べた。

 

伊豆能売(いづのめ)よ、私に変わって穢れを払え」

 

 余裕を見せていると、一番マズイと思える言葉を述べられてしまった。

 穢れを払うなんて、そいつはマズイと理解するが、隙もない彼女の目から視線が外せず、素直にその場に留まってしまった。

 上げた右手の先にクルクルと、霊気のような神気のような何かが集まると人のそれらしい形になって現れるが‥‥伊豆能売ってどちらさんだったか、ぱっと見は巫女さんぽいが違うのだろうな、装束も脇が塞がっていて巫女らしくない。

 巫女なら脇を出せ脇を、なんて考えるんじゃなかった。

 神楽鈴をシャランとならし、キッと見られて一払いされ、あたしの身体が……じゃないな、残しておいた三枚の穢れがボゥっと燃えて灰となっていく。

 これが払われあたしが払われないのはなんでだろうね、自他共に認める穢れ満点な妖怪さんのはずなのだが。

 

「さて、後は‥‥この屋敷に侵入したお前は何者でしょう? 報告にあった地上の穢れだとは思いますが、実態は別、ですか?」

「あら、見えてるのね。仰る通り、今は地上の兎詐欺さんってところね」

 

「払った部分が見えるようになっただけです、実態を見せないのなら暴くだけ‥‥杵築大神(きづきのおおかみ)よ、彼の者の禁厭(まじない)を暴け」

 

 払われなかった事で安堵し、なんでバレたのかと見上げていると知らぬ神様の名を廊下に響かせた女、次はどんなのが出るのかと開き直って見入っていると見知った顔の見えない神様が現れた。

 黒く艶やかな角髪(みずら)が目立つ伊達男、格好良すぎて光り輝いてしまってそのご尊顔は拝顔出来ないが‥‥これは今の化け姿であるてゐの想い人、いや、想い神様だ、名前が多いとは知っていたが聞きなれない御名前で繋がらなかった。

 なんていい男を見つめていると、目に優しくて眩しいその御光を放たれて、ボロンとあたしの変化を剥がされる。

  

「正体は狸? 地上の妖怪が何故、いえ、どうやってここまで‥‥」

「成功法ではなさそうだけれどここに縁のある物を使って、よ」

 

 化けの皮を剥がして、随分とおっかない瞳で睨んでくれる月の女性が突きつけた刀はそのままに、こちらに質問の皮を被った尋問をしてくる。

 ここで逃げてもいいけれどそうすると後が面倒、逃げきれるかわからない場で逃げて万一捕まればその後は多分ないだろう、穢れを払い禁厭を解く御力を持つ手合だ、亡霊を成仏させる事など造作も無いだろう。

 であれば逃げずに素直に吐く、元より喧嘩を売りに来たわけではないのだ、代わりに媚びでも売り込んでどうにかこの場を誤魔化そう。

 例の如く尾を揺らす、ついでに巻いた反物を見せる、レプリカと言っていたが確かに機能した月の羽衣を視界にねじ込むと、それが視線を奪ってくれた。

 

「全く同じ物かわからないけれど、見たことくらいはあるんじゃないの?」

「それは月の羽衣? でも少し違う、似ているが‥‥地上でこれを作れるわけが‥‥それに縁など……八意様‥‥?」

 

 会話の種にするつもりが、羽衣を見せると一人でブツブツと語り始める宇宙人。

 八意様っていう辺りあのマッドな医者の知り合いか、だというのなら話が早い、このまま素直に話を続ければ上手い事いけるかもしれない。

 それならそろそろ話題を変えるか。

 独白が長いと、揺らしていた尾を背に戻すと臙脂の瞳で再度睨んでくれる、そう、そうしてくれていい、月と地上の女が絡むガールズトークなのだから目と目を合わせて話すべきだ。

 

「月の頭脳八意永琳、本当は☓◇だか☓○だとか言うんだったかしら? あれにおつかいを頼まれたのよ」

「☓☓です、言えないなら口にしないで下さい‥‥しかしそれも知っているとは、八意様の使いというのは誤魔化しではなさそうですね」

 

 漏らした友人をダシに使ってみれば、僅かながら警戒を緩め刀の切っ先もほんの少しだけ下げてくれる月の人。尻尾を振った甲斐があったと手応えを感じ、追加のネタも話してみる。

 口をひん曲げても発音できない名前を発してみて、きっちりと訂正してくれるくらいまで聞く姿勢を見せた相手。

 ここまでくれば後は大丈夫だろう、チョロいとは言わないが話が通じる相手ならそちらで負けるつもりはない、◇☓にはしょっちゅう負けているが‥‥内心でも正しく言えないとは、本当に言いにくい名前だ。

 

「そこはなんでもいいわ、永琳としか呼ばないし。それで、ネタバラシまで済んだのだけど後は? 処分してサヨウナラという流れ?」

 

「そうしたいところですが、八意様の使いかもしれないとわかっては‥‥」

「だったらはっきりさせたらいいわ、後は何が知りたいの? 言えることなら話すわよ? 出来ればお茶でも飲みながらだと嬉しいわ」

 

 思い悩む宇宙人にズケズケと突っ込んでいく。

 気を許しているわけでもない相手に向かって不躾な物言いだが、怪しい相手を前にして悩む姿を見せる輩は大概押しに弱い、わかりやすいところだと人里の守護者が同じような感覚か、アレに比べればこちらはスレンダー美女って感じだが。

 姿も戻された事だしと、煙管咥えて返答を待つ。

 葉を転がして火を入れて、ひょいと投げ入れ受け取った頃、少し動きを見せてくれた会話相手、指で支持して部下を動かすとあたしの両脇に配置した。

 この後捕縛かなと左右の二人を眺めると、縛り上げられたりすることはなく、部下っぽいのを脇に寄越すだけで終わる。

 両脇の玉兎を横目で見ていると、ついて来いと言って踵を返した神降しの宇宙人。

 もてなせと言ったから逃げる気はないとでも踏んでくれたか、実際逃げるつもりはないし、逃げるには物盗りを成功させてからでないとならない。

 まぁいいか、まだまだ待つよと姿勢を見せると動き始める後手な人と出会えたのだ、冷静さや知性的な印象はあれども真っ直ぐ過ぎて騙し甲斐のありそうな御仁。コイツをからかう事が出来たなら面白くなるかもしれない、そう思える背中の後をついて屋敷の奥へと歩を進めた。

 

~化狸連行中~

 

 欄間やら天井やら大陸風味な部屋に通されて、そこに掛けてと命ぜられる。

 ふかふかの絨毯敷きの床に設置された、おなじくふかふかのソファーに腰を下ろすとあたしに命令を下した女、綿月依姫というのだそうだ、歩きながら少し話した内に名があった。

 その依姫も腰を下ろし、楕円形の黒テーブルを挟んで対面する形になった。しばし待つとあたしを挟んでいた片方の兎さんがお茶を淹れてくれる、さっきは気にしなかったがこの水色頭はつけてきたあの子か、案内から歓待まで出来る兎で優秀だな。

 無言で見ていると地上と似たようなお茶と月らしい団子、それの横に何か醤油差しのようなものがあるが‥‥これはあれか、輝夜が以前の展示で振る舞った『団子が十倍おいしく食べられるタレ』ってやつか。

 

「それで、使いとは?」

「輝夜が月の物を展示するそうよ、『何か』取ってこいとは言われているけれど、『何を』とは言われてないわ」

 

「姫様が展示を? 信じ難いですね、ここを飽いて姿まで隠していた姫様が月の話を広めるなんて」

「昔は隠していたみたいだけど今は割りとオープンね、最近じゃ『眠らせておくのも勿体ない』って言い出してるわ、お小遣い稼ぎにちょうどいいみたいだわ」

 

 本当に? と問われ本当に、と返す。

 実際は知らん。

 お使い内容は嘘偽りないが、あの暇な姫の言い草はでっち上げだ。

 それでもある程度言い出してもおかしくないだろう言い方で伝えてみる、するとあの御方はと右手で頭を抑え始めた、手首に通す二つの輪っかがチャリンと鳴ると無言の空間になってしまうが、新しい相手の介入によりその静寂はすぐに消えた。

 

「八意様の使いがいると‥‥貴女? 地上の妖怪?」

 

 現れたのはさっきの悪戯相手。

 落とした時とは姿が違うがバレたのはなんでだろうか?

 気にはなるがやめとこう、そういう雰囲気ではなさそうだ。

 

「お邪魔してるわ、てっきりあのまま死んだかなって思ったけど無事で何よりね」

 

「落としたくれたのは貴女ですか、無事でなどと何を‥‥」

「美人薄命だと言っているのよ、美人で丈夫だというのなら尚の事何よりだわ」

 

 というかこいつは誰なんだろうか?

 と、考えていると依姫がお姉様と呟いた、つまりは姉なのだろう。

 それは兎も角として空気が悪いのでテキトウな冗談を吐いて和ませてみる。少しピリピリとしたお姉さんだったが、くだらない 御弁口が利いたのか、ピリピリからやれやれになってくれた。

 喜んでくれるのが最上だったが、これはこれで慣れている感覚だ、お怒りモードよりはやりやすくなるだろう。

 

「依姫、この者は?」

「あぁそういえば忘れてたわ、囃子方アヤメ、化けて出た狸さんよ」

 

「化けて出たとは? ただの妖怪狸ではないと?」

 

 そういう事だと話しつつ顔の半分を霧散させる。

 死んだあの晩のようにさらさらと、目の細かい煙の粒子に顔を変えて見せると、自己紹介を話した姉よりも妹さんのほうが強い関心を示してくれた。

 

「伊豆能売様で払えないのはそういう事ですか、貴女、霊の類ですね?」

「亡霊に近いと閻魔様には言われてるわね、自分では化けて出てきた狸としか考えてないけれど、それが何か?」

 

 一人で納得する依姫。

 顔になるほどと書いて頷くのはいいが、あたしにも分かるように説明してくれ。

 

「霊は浄土の住人、穢れとは無縁の者達なのですよ。自身の事だというのに浅学ね」

 

 などと考えていると姉の方が口を挟んできた。

 ふむ、穢れる身体がないからかと考えていたが穢れの世界の住人ではないから穢れていない、そんなところかね。浅学と煽ってくれるのは放っておいて頷くと、これみよがしに扇子を開き、ピッとあたしを差して話す姉‥‥竹林の姫も持っている扇子でそう差すな、輝夜にやられているようで気分が悪くなる。

 

「浅はかついでにお名前くらい教えてくれない? 教えてくれないなら桃姉ちゃんとか、落ち姫様とかそう呼ぶけど?」

 

 妹が依姫なのだから姉はトヨヒメって名だろう。

 騒がしくなった頃に誰かが言っていた名前がそれだ、依姫様の前に呼ぶくらいだしきっとそうだと思い込んでおく。

 きちんと教えてくれるまで言った通りのアダ名で呼ぶが。

 

「死人だから死なない、だから強気でいられる。そんなところでしょうか? そういうところも浅はかですね、この扇子を使えば‥‥」

「素粒子レベルで浄化出来る風が云々、だったかしら? 分解する身体のない霊に効くの? それ」

 

「‥‥八雲紫から聞いたのですか?」

「紫からは何も、ただ輝夜からは聞いているわ、ついでに言うとあたしには無意味よ、桃姉ちゃん」

 

 今度は半身を霧散させ、姉の奥に控える兎さんの横に半分だけ現す。

 実際抗えるかはわからない、輝夜のそれも実物を見て聞かされただけで使用したところを見た事がないし、好みに受けた事もない‥‥が、多分大丈夫だと思える。

 風だというのなら風が出るのだろう、見えないかもしれないが風など元から見えないものだ、そう認識しているのだから扇子から吹くだろう風は逸れる、あたしはそう確信を得ている。

 けれどそうなる事はないままにしてもらいたい、出来れば別の方で、粒子と化しても身体を戻せるから無意味だと、態々見せたそっち方面で意味がないと誤解してもらいたい。

 

「豊姫様、落とされてお怒りだというのはわかります、けれど‥‥」

「そうですお姉様、八意様の使いという線も消えてはおりません、はっきりするまでは我慢して下さい」

 

 扇子を突きつける姉をニヤニヤと見つめていると、お付きの兎と先ほど刀の切っ先を突きつけてくれた妹から擁護が飛んでくる。

 この姉妹、姉の方が敏いのだろう、大物らしい振る舞いからも落ち着いたまま放ってくる殺気からもなんとなくソレがわかる、窓から乗り出すお転婆さもあると見知っているがそれは今はいい。

 取り敢えず妹の方が頭が柔らかそうだ、話がわかると言い換えてもいい、あたしから引き出せる事がまだありそうだから始末するには早いと言ってくれる。

 中々に好ましい聡明さ、それとも勘が鋭いのかね?

 どっかの巫女さんモドキな神様を呼び出すくらいだし、案外そうかもしれないな。

 

「と、言っているけど?」

「わかりました、今は見逃しましょう。それで八意様は何を命ぜられたのでしょう?」

 

「なんか取ってこいってだけよ、落ち姫様は何を持って帰ればいいと思う? あぁ、返答を聞く前に訂正しておくわ。命ぜられてはいないわね、頼まれただけよ、断る事も出来たおつかいだったし」

 

 何度も聞かれて言うのに飽きてきた理由を述べる。

 ついでに訂正という名の煽り、それも届けてみるが、やはり自分から紹介し始めてくれないつれないお姫様、が、この辺りで良しとしよう。いつまでも煽っていても仕方がないし、煽りをくれても反応がない相手は構う気にもならない。

 次は一歩引いた感じで静かに見ている妹の方に聞いてみよう、こちらの方が会話していて楽しい相手だ。

 

「姉は返事をくれないし、依姫様には何か案はないかしら? あの輝夜が納得してあたしが持って帰れるもの、思いつかない?」

「何故私に‥‥そもそも何かを持ち出させるつもりもありません」

 

「では言い換えるわ、盗んでいけそうなものってないかしら? また酒でもいいけれど、紫と同じ物を取っていっても、ねぇ?」

 

 言いながら薄れる。

 刀と扇子それぞれを向けられるがどちらも逸らして綺麗に消えてみせた、切っ先が逸れた事で一瞬固まった二人だったがすぐに動いて部屋を出て行った。

 向かった先は物置とか倉庫とか、宝物庫的な何かのところだろう、紫が手に入れた酒、正確には幽々子がくすねてきたらしいがあれは随分と貴重な古酒だったらしいし、そういった物があるところにでも向かってくれたはずだ。

 だとすれば都合がいい。

 消えた二人を追いかけず、その場で姿を戻し、え、え、とたじろぐ兎さんと部屋で二人きりになった。

 

「これ、貰っていくわ、二人が帰ってきたら伝えておいて」

 

 団子を摘んで一つ食べ、横の小瓶に手を伸ばす。

 指先に少し垂らして口の中で混ぜてみると思った通り、とてもうまい。

 永遠亭で振る舞われた物よりも洗練された味わい、あっちが十倍だとすればこっちは十五倍は旨いかもしれない、中々に良い逸品だと思える。

 

「え? タレ? そんな物で‥‥」

「こんな物だからいいのよ、お宝の様子を見に行ったのにつまらない物を盗まれたとゲンナリする二人、想像すると面白い姿だと思わない?」

 

 言い切ると複雑な顔を見せる兎さん。

 これもこれでいい顔だとクスリと笑ってからそれじゃと告げる、あ! と大きな声を出してくれたがもう遅い、品物は既に手に入れてあたしに向けられる警戒や意識は全て逸らした。

 後はこのまま屋敷を抜けて羽衣握って帰るだけだ。

 

~少女逃走中~

 

 お邪魔した時と同じく、何事もないまま屋敷を後にした。

 もしあたしが格好良い主人公役だったなら、あの後に邪魔が入って一波乱なんて流れになり、場合によっては血みどろの争い事でも繰り広げてギリギリで勝つ、といった華々しい事になりそうだがそうはならなかった。

 そもそもが三下の小悪党、ついでに言えば流す血のない亡霊さんだ、そういった浪漫あふれるお話は鈴奈庵にでも行って借りて読むもので、自身で体感するものではないと思う‥‥別に妖怪図鑑の英雄伝に載る男の店でもいいが、あっちは品揃えが偏っているのでおすすめはしない。

 なんて、地元の事を考えつつ羽衣を握る。

 何を動力源にしているのかわからないが、行きの時と同じようにふらふら揺れてからゴウっと飛び立ってくれる月の乗り物、そう何度も使いたい乗り物じゃないなと、揺れる羽衣と自身の両手を眺め清き清浄な世界を抜け出た。



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EX その21 世渡り上手

 段々と大きくなる世界地図。

 地図というより地球儀か、それに向かって突き進み、一目散に里帰り。

 お月様を離れる前に変な事を考えたから、最後の最後で邪魔でも入るかと考えていたが、特に何もなく平和に地球へと戻ってこられた。アクシデントらしい事もなくて、やっぱりあたしは三下の小悪党だったなと感じられ嬉しく思える。

 けれども何事もなかったのは行きと帰りの話だけで、今はそれなりに困っている、帰るに帰れなくて親指の甘い爪でも噛みたい気分って感じだ。

 どうやらこちらの世界であたしの事が少しだけ、一部分だけで話題になっているらしい。

 通りから見える大きなガラスの画面等には映らず、大々的に報道されてはいないが‥‥

 『いんたーねっと』の『掲示板』という、画面の中で井戸端会議をする場ではそれなりに話されているんだそうだ。コスプレ通り魔だとか、気狂いコスプレ女だとか、色々な人が好きに語ってくれているらしい。中にはオカルト的要素があると正解を述べるおっさんもいるそうだが、相手にはされていないようだ‥‥事実は小説より奇なり、正解を言っても相手にされないなんてかわいそうなおじ様だ。

 

 それで原因だが、いくつかある。

 一つは最初に訪れた資料館。

 あの館内には内部を監視していた目があったらしい。

 能力使って逸し始める前、丁度軍需なんたらとか読んでいた頃、かすれてしまって読むのに時間のかかる文字を眺めていたあたしがそれに映っていたのが一つ。

 本来であれば外部に漏れる映像ではないらしいのだが、別の所の話と合致するモノがあり世間一般に公表されたそうだ。

 

 その別の話が二つ目の理由。

 なんでも殺人事件が起きて、その犯人の目撃証言と監視の目に映る姿が一致するんだとか、一致して当然だ、どちらもあたしの事だもの。

 人通りの多い街道から一本だけ入った裏路地、誰かに見られてもおかしくないような場所で男が三人殺されていたらしい、彼らの見つかった乗り物の外装には傷ひとつついておらず、内側から鍵もかかったままで殺されていたとの事。

 耳と尻尾を付けた怪しいコスプレ女が云々、なんて一人だけ取り逃がした男が画面の中で証言していたのはあたしも見た。人、じゃないな、狸攫いを企てて身体を狙ってきた小悪党のくせに、神妙な被害者面で語っていたのが気に入らなかったが、もう会う事もないだろうしこれはどうでもいいとした。それにしてもあれくらいで死ぬなんて、いや死ぬか、ボコっと頭やらを凹ませたわけだし‥‥恨むなら心から恨んでくれよ、あたしとしてはその方が長くこの世にいる事が出来そうでありがたい。

 

 そして3つ目、これは少し恥ずかしい。

 前者二つは妖怪としてはよくあることで特に思う所はない、けれど最後だけはあたしの失敗と呼べるもので、姿まで見られ気恥ずかしかった。地上に戻る最中、見えていた日の本の国が地図から大地へと変わり、もうすぐ着地かと身構えていた時にやらかした行いがその恥ずかしいソレだ。

 やっぱりこの羽衣は欠陥品だったらしく、行きは地上の高い建物の上から出たから当然帰りもそこに降りられると考えていた、だがそうはならず、足元には大きな池が近づいてきたのだ。

 飛べばいいなと思ったが羽衣の勢いが凄まじく、自分がいくら上昇しても月の牛車の勢いに負けてしまい、そのまま池へとドボンした。

 丁度近くにいた船に手をかけたはいいものの、苦手な水中で少し焦り、逸らすことも忘れていて、その船に乗っていた親子連れにずぶ濡れの情けない姿を見られてしまった。

 父親は真剣な顔して櫂でぶっ叩いてくるし、母親は黄色い声を張り上げて煩いしと散々だった、子供に尻尾だ耳だと驚かれた事だけが唯一の救いか。

 

 そんな事をやらかし、なんでこちらの世界で恥を残さねばならんのかとぼやきつつ、今は化けて人の喧騒に上手い事混ざっている。

 恥をかいたしさっさと帰ろうと、出口に予定していた資料館へと向かってみたのだが、来た時とは随分と変わっていて、観光客という名の野次馬が多すぎて入るに入れなかった。

 逸らせば視線などは気にならないが、こちらで出会った種族女子高生のように力ある者が混ざっていると面倒臭いし、恥の上塗りになっては困ると真正面から戻る気にはなれなかった。

 そういうわけで今は紫がかる暗い灰色、消炭色? チャコールグレーと言うんだったか、そんな色合いのスーツに黒のストッキングと短めのタイトスカートという、こちらの景色に馴染む姿で町中を闊歩している。ぱっと見は仕事の出来る女って感じだろうか、中身は頼まれたおつかいをこなし帰るだけという簡単な仕事も出来ていない、ダメな女ではあるが。

 ちなみに前述した『いんたーねっと』や『掲示板』などの話は、町をぶらつく今のあたしに声を掛け、少し遅目の朝餉まで奢ってくれた、下半身から下心を盛り上がらせる者達から聞き出せた事だ、皆が皆気持ち悪いくらい優しい口調で、別れ際にはあたしにお小遣いまでくれた‥‥別れた後は何処か町の外れでお昼寝でもしているだろう。

『昼間から暇そうだね、お姉さん』なんてどいつここいつも言ってきたが、あたしは一日通して大概暇だ、そこを履き違えなければ食事として腹に収めてもいいくらいの、顔だけはいい男もいたというのがほんの少しだけ残念だ。

 

 それはそれとて、どうやって帰ったもんか。

 人の噂も七十五日、後二ヶ月ちょいもすれば資料館も飽きられて人気もなくなるのだろうが、そんなに長く待つほど時間的余裕もないし。遅くなればなるほど南無三される頭が痛くなる事もわかっている。紫が起きている季節だったならちょっと助けてと、全身全霊で可愛さアピールして尾でも振れば、ぺっとスキマから吐き出してくれそうだが、今時期はアレが目覚めるほど暖かくはなっていない。全く、惰眠を貪る暇があるなら胡散臭い顔で助けてほしいものだ。

 

 困った時の頼り先が頼れない事に悪態を付きつつ、町中の一角に儲けられた喫煙所内で思案中。

 行きに潜った穴っぽこを通らずに帰るなら?

 紫を頼らず帰るなら?

 山の神様が仰ったように。もう一度妖怪として消えれば幻想郷に迎え入れてもらえるかな、とも考えたが一度消えて迎えられその後に自ら出てきたのが今のあたしだ、幻想郷はなんでも受け入れるとは言うが残酷だとも言っていた。

 それから鑑みれば一度迎えた後に出て行って、どこか知らぬところで勝手に消えるのも受け入れる、なんて風にも思えなくもない。実際どうだか知らないが一度そう考えてしまうと消えるなど出来なかった。

 

 だらだらと考えては壁に当たり、その度に振出しに戻される。

 中々に面倒で非常に好ましい難題に直面していて思いついたのは、誰かに聞くという事。

 あたしが馬鹿なら、手当たり次第に幻想郷は何処ですか?

 隣で一服するおじさんや通りを歩く誰かなどにそんな風に聞いて回ることも出来るのだが、生憎とそこまで恥知らずでもなく‥‥どうせ化けるならあの氷精みたいな、アホっぽい子供にでも化ければよかったかね?

 いや、ダメだな、姿だけ真似ても中身までは真似できない。

 

 聞けないなら調べる、そう思い少し動いて、一度お世話になった本屋さんへと移動する。

 戸を潜るとテンロンテンロン鳴り出してソレを合図にいらっしゃいませと声が聞こえた、一度目の来店時には横目で見られるだけで迎えの言葉などなかったのに、格好が少し違うだけでこうも変わるもんかね?

 コスプレ女はトゲトゲしい目で見るが、スーツ姿、OLというらしい今の姿に対しては元気の良い声をかけるとは、商売人なら客を選り好みするなと店のカウンターを睨みつつ、目的の物を探し始めた。見つけるものは神社特集とか、神社辞典だとかそういった類の物。

 山の二柱を思い出したついでに浮かんだ神社の風景、そして別の神社もついでに思いついて、そういやあの妖怪神社はこっちの世界にもあったのだったなと、上手い事すればそこから幻想郷に入れるんじゃないかと踏んで、どこにあるのか調べ物って感じだ。

 

 封がなされた本を解く店員さんをとっ捕まえて、神社仏閣に関する本はないかと尋ねたところ店の奥、あまり人がいない、日ノ本の歴史なんて棚札のある辺りの書架にソレらしい書物が多くあった。数冊取り出してしばしの立ち読み、目次を開いてはソレらしい名前の神社がないか探していくが、どの本を開いても博麗神社の名前はなかった。

 またこれで降り出しと肩を落としていると、声をかけた店員さんがどこを探しているのかと尋ねてきてくれる、心配りの出来る店員さんも中にはいるものだ。

 ここは素直に博麗神社と言い出してみる、しかし店員さんにも心当たりはないらしく、他に特徴や地域のヒントはないかと深く聞いてくれる、人間にここまで優しくされるなどほとんどなく、少し照れながら廃れていてお化け関連で有名かもとはぐらかしつつ返答をした。

 ならこっちですと別の棚へと促され、少し探すと、数冊の本に見慣れている以上にボロボロの鳥居が立つ神社の写真が載っていた‥‥心霊・オカルトなんて棚札の下にある辺り、外でも中でもあの神社の立ち位置は変わらないらしい。

 

 深く感謝し、頂いたお小遣いから支払いを済ませ店を後にする。

 そういえば以前に手に取った妖怪図鑑や歴史物の書物も同時に購入してみた、神社までの行き方を教えてくれた店員さんが言うには、電車で数時間かかる先に神社はあるとの事、飛行して行けば早いが神社のある地名には覚えがない為、変に移動して迷うよりはと、教えてもらった通り電車で向う事にしたので、その時間のお供にでしようと思って買ってみただけだ。

 

 地図を書いてもらった駅へと歩いてしばし人間観察。

 どうやら電車というのは紫のスペルにあるアレの事らしい、音も形も大きさも見知った物と似通っていて、アレに乗るのなら教わった通りにすればなんとかなるなと一人頷き、テキトウに切符を買ってパタコン動く入り口を抜けていく。

 問題なく入り口を潜れて、次は路線図とかいう物の通りに移動。

 話好きなスキマにあの鉄の蛇はなんだ、なんに使う物なのか、なんて聞いておいて良かったと思えた一時だった。

 最初に乗ったのは人気が多く人間臭い電車。

 ゴミゴミとした車内で隣に習い立っていると、ムンズと尻を揉みしだかれる。

 狙われる事自体は悪い気はしないし、小股の切れ上がったあたしだ、触りたくなるのもわからなくもないが無料で触るなど誰が許すか。揉む手を掴んで少し引くと半歩前に出た革の靴、あれかなとアタリをつけて革靴ごとヒールで踏み抜いた。ギャアっとおっさんが喚き転げるが、悪いのはお前だと見下ろすと、足を引きずってその場から逃げていった。

 騒ぎがあった為か、履いている靴の踵が赤く滴っているからか、その辺はわからないがあたしから人が離れてくれて、途中から乗り心地の良い旅路となる。

 そうして乗り換えを済ませると、四人掛けの落ち着いた椅子に腰掛ける事が出来て、更にまったりと、景色を眺める余裕すら生まれて、楽しみながら移動することが出来た。

 

 

 お天道様が勤務を終える頃合いに目的の神社前にたどり着く。

 長々と続く朽ちた石段を登ると、同じく朽ちて折れかかっている鳥居が見えた、柱のすぐ側、端の方を潜って手水舎‥‥と思ったが残っているのは本殿だけらしく、手水舎だった建屋は完全に崩れ落ちていた。

 致し方なしと電車内で購入したお茶でどうにか手を清める。

 参拝の作法も済ませ本殿の前に立ったが呼び鈴も賽銭箱も姿はなく、どうしたもんかと途方に暮れていると景色の方も暮れてきた、おかげでどうにかなりそうだ。夕暮れ、人の時間とあたし達妖怪の時間が入れ替わる逢魔が時が近づいて、鳥居の下の石畳が若干揺らいで見え始める。

 蜃気楼とも思えるが場所が場所だ、悩みもせずにゆらぎへ進んだ。

 

~少女幻想入り~

 

 外から続くゆらぎを抜けて、嗅ぎ慣れた空気の世界へと戻る。

 やはりこちらの空気のほうが良い。

 自然の香る大気を吸収するように大きく伸びをし深呼吸、ついでに綺麗な朱の鳥居を見上げて、散々廃れてるなどと言ってきたが外の神社ほどじゃあないなと頷いていると、珍しい姿の少女と目が合った。

 

「ただいま」

「は?」

 

 見知った少女にご挨拶。

 きちんと脇の出た紅白カラーの巫女装束を纏い、やる気なさげに竹箒で境内を撫で清める少女に向かってただいまと、無事に帰ってきた挨拶をしてみるが、首を少し伸ばし顔を若干前に出して形で、素っ頓狂な声を浴びるだけに終わってしまった。

 まぁそれも良いか、ここの巫女から今のような間の抜けた声が聞こえるなど思ってもみなかった、ニヤニヤとその顔を見つめていると、すぐに抜けた顔から見慣れたやる気ない顔になってしまう少女。

 

「ただいまって言った? っていうかアヤメ、あんたどこから湧いて出てきたのよ?」

「博麗神社よ? 詳しく言うなら神社の鳥居の下ね」

 

「私が聞きたいのはそういう事じゃ‥‥」

「冗談よ、野暮用で外に出てたの、無事に帰れて最初に見るのが霊夢だなんて嬉しいわ」

 

 見慣れた世界に帰り着き、最初に見るのがおめでたいカラーリングの巫女さんで縁起が良いと話してみると『あ?』 と、およそ少女らしくない低めの声色で、眉間にも低い渓谷を作って迎えてくれる博麗の巫女さん。

 珍しく掃除なんてしているところへ唐突に姿を現して、現れついでにからかってあげたからご機嫌でも損ねてしまったのだろうか? 

 それならここは物で釣ろう、幸い見合う物もある。

 

「そう睨まないでほしいわ、霊夢に土産もあるのに」

 

 内ポケットを弄って持ち帰ってきた戦利品を取り出す。

 数枚のお札と『すまーとふぉん』とかいう通信端末を差し出してみた、どちらもあげるとクイッと霊夢に向けてみるが受け取るのはお札だけ。

 端末はいらないか、あたしもいらないのだが‥‥

 いいか、後で魔法の森のがらくた屋にでも売りつけに行こう。

 

「土産って、外のお金じゃないの、これ。あんた本当に出てたのね」

「そう言ったじゃない、今のところ噓は言ってないわよ?」

 

 いつものように尾を揺らすが、今は化けた姿で限りなく薄めているような状態だ、大概の相手には見えない縞柄尻尾となっている‥‥はずだが、それでもこの巫女さんには見えているらしく、両目を僅かに左右させて眼に悪いからやめろとのたまってきた。

 

「噓はいつもの事でしょ、なんででもいいけどチラつくからやめて。尻尾振るならお茶淹れてよ、掃除も飽きたし」

「お茶淹れるから寄ってって、じゃないの、そこは」

 

「寒の内は働かないって前に言ったわ」

「霊夢の寒っていつまでなのかしら」

 

「桜が咲くまでかな」

 

 はっきりと言い切って、穂先の短くなった竹箒を肩にトントンしながら社務所に戻っていく、勘の鋭い素敵な巫女。

 相変わらずの妖怪使いの荒さでなんともいえないが、今は臥竜梅が見頃といった時期、だとすれば彼女の言う通りまだ寒い内とも言えるし、見た目もマフラーなんて巻いていてそれとなく冬っぽい様相だ。それならまだ寒い内だと思えるし、すぐに帰れと言われないだけヨシとして言われた通りにしておくかね。

 視界の端に視える臥竜梅の香りを鼻に嗅ぎ、社務所へ上がって香らない茶を淹れ一息いれる。

 

「で、何しに行ったの?」

「野暮用よ」

 

「それは聞いたわ」

「ちょっとしたおつかいをしにいっただけよ? これ以上は乙女の秘密、いえ、今の格好らしくお姉さんの秘密って言っとくわ」

 

 のらりくらりとからかうと普段よりも強く、ゴツンと音を立てて湯のみを置く結界の管理者役。

 この子自体は結界の維持管理方法だとかその辺りはよくわからないらしいが、博麗の巫女という役職自体がなんやかんやで結界の維持管理に役立つらしい。

 小さく華奢な肩に面倒なモノを背負っているように見えるが、実際は何にもしてないらしいし、実質で忙しいのはあの金色九尾くらいだからどうでもいいか。

 

「で?」

「しつこいわね、そんなに気になる? そんなに気にしてくれてた?」

 

「そういうんじゃない、迷惑するってだけ。好きに結界超えられると紫が煩くなるのよ」

「今時期ならまだ寝てるでしょ? 煩のもいびきぐらいだと思うけど?」

 

 主ではなく式を思い出していると、そういうのじゃないってはっきりとした拒否で思考を断ち切られた。もう少しこう、デレ部分ってのを見せてくれてもバチは当たらないと思うぞ?

 卓に両手をついて、少しだけ前のめりになるツンツン小娘。

 それを眺めてふと思いつき自分も顔を寄せていく、吐息がかかる距離とまではいかないが、それなりに顔を寄せても逃げずに、正面から睨んでくれる霊夢。近寄っても引かれないしこっち来んなとも言われない、普段よりも近い距離にいるがそれでも拒絶はされないか、ならこれがこの子のデレ部分だと一人で勝手に思い込み、話題に上がった主の方に気を回す。

 今時期は寝ている、幻想郷に住んでいてそれなりに過ごしている者なら知っている事、非常識世界の常識ってくらいに広まっているお話だ。

 それは当然竹林でも広まっていて、あの月の頭脳が知らないわけがない。

 だからこそ今時期を狙って行けと、紫の目の届かない今のうちに月に行ってこいと、そんな考えで羽衣なんて餌であたしを釣ったのだろうと踏んでいたが、これはもしかして起きてるのか?

 悩み顔で巫女を見る、知っているなら教えてほしい。

 ソレ上手くが伝わるようにバチコンとウインクかまし首も傾げてみるが、ここでは巫女の勘は働かなかったらしい、同じく首を傾けて何? と冷たく返された。

 わからないならそれでいい、伝えながら二本の指で眉間をつついてクイッと広げる、浅く掘られていた渓谷を強引に引き伸ばすと、はぐらかすなと叱ってくれる‥‥が、そのうちに多分わかると曖昧に返して、香らず濁らない出がらしのお茶を啜った。



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EX その22 永久の主従と月のモノ

 出がらし啜ってお茶を濁して、可愛い巫女に睨まれて過ごしていたのは数時間前。

 しつこく何が目的かと聞いてきた紅白少女に、そこまで迫ってくるのなら身体にでも聞いてくれと、おもむろにスーツの上着を脱いで、ブラウスのボタン三つほど外して見せた辺りでもういいと折れてくれた。あたしとしてはそのままの流れでいってくれても良かったのだが、相変わらずつれない巫女さんだ。相手はしてくれないくせに、そんな事ばかりしているとあの付喪神に叩かれるなんて余計な気は回してくれる。

 それでも霊夢相手なら相手が悪かったと諦めてくれるだろうし、叩かれるのも偶には良いと返すと久々に嫌な者、あの胡散臭いスキマでも覗いているかのような目で見つめてくれた‥‥その視線が少しだけ心地よかったのは秘密だ。

 

 そうして僅かな気持ちよさを覚えつつ神社を後にして、本来の帰宅先、竹林にある通いづらい病院へと向かって着いた今、非常に微妙な面構えで永遠亭の縁側に腰を降ろしている。

 きちんとお使いを済ませて帰ってきたのだから、胸を張って盗品を見せて借りを返せたかと問う算段でいたのだが、屋敷にいる者の顔を見てゲンナリとしてしまったのが今のあたしだ。

 庭を眺めて煙管咥えるあたしの背中側、そちらからは何やら楽しそうな会話をする数人の声が聞こえるが、そのメンツがなんとも言えない‥‥なんでいるんだ、宇宙人。

 

「アヤメもこっちに来たら? もう怒ってもいないみたいよ?」

「放っておいて、あたしが少し不機嫌なの」

 

「盗人が無事に盗んで帰って来れたのに、機嫌が良くなるどころか逆なんてどうしたの?」

「言葉を変えるわ、自己嫌悪ってのが近いわね」

 

 よくわからないわね、背中にそんな言葉をぶつけてくる輝夜姫。

 姫様のそんな言葉に、そうね、と同意する姿勢を見せる月の頭脳。

 二人から問掛けられて、返答を背中越しに済ますと、その場にいる二人からも何やらクスリと漏れたのが聞こえた。

 

「しかし、本当に八意様の使いだったのですね」

「兎の他に狸まで飼い始めるとは、読みきれませんでしたわ」

 

 宇宙人姉妹が話すとカタンという音が聞こえる。

 多分アレだ、あたしが永琳に渡した難題の品でも手にとっていて、それを卓に置いた音だ。

  

「離し飼いにしているから、うちにはあまりいないのだけどね」

 

 聞こえるもう一人の飼い主の声が少し大きくなる。

 ピクッと耳を動かすと同時に首根っこを掴まれて、グイッと強引に持ち上げられた。全く、お姫様だというのにこういう時だけ力に任せてくれて、あたしを愛玩動物だと言うのならもう少し愛でるなりしたらどうなんだ?

 子犬や子猫のオツムが足りない者達がするように、見た目アホの子のように手足を伸ばしたままで抵抗も何もせずにいると、ズルズルと引きずられ、皆の集まる卓に拉致された。

 宇宙人二人、正しく綿月姉妹と呼ぶか、顔を見て話す形にさせられたわけだし、その二人と対面する位置にわざと座らせられそれが気に入らず、借りてきた猫のように静かに無言で座っていると、隣に割り込んできた輝夜に何故不機嫌なのかと問われた。

 

「手段、いえ、悪戯する相手と尻尾を振る相手を読み間違えた自分が少し嫌だってだけよ」

「悪戯相手って、この二人に何か?」

 

「お恥ずかしながらその、突き落とされてしまいまして」

 

 輝夜に話していた事を永琳に聞き返され、内容を悪戯相手に説明されてしまう。

 月で突き落とされるなんてつまらん事を言うのに人をだしに使うなと睨むが、あたしは全く見られずに、大昔から慕ってやまない師匠だという八意師匠ばかりを見て話すこの姉。

 あたしの不機嫌、自己嫌悪の理由がコイツだ。

 人が恥までかいて帰ってきたのに、こやつらは何食わぬ顔でスルッと来やがったそうだ。

 詳しく聞いていないし、腹を割って話すつもりなど猫の額ほどもないから推測混じりだが、この姉妹があたしよりも早くに永遠亭に来られたのはこの姉の能力あってこそらしい。

 何をどうする能力なのか、そんな事は知るつもりが無いため全くわからないが、惰眠を貪る寝坊助のような場と場の境界を弄って繋ぐような能力か、どこぞのサボマイスターのように距離だとか、それに類似するモノでも操れるのだろう。

 この能力を先に聞いていれば‥‥

 あの時の扱いやすさから妹に尻尾を振って姉には態度悪く接してみたが、対応を逆にして姉の方に擦り寄っていれば、もしかしたら簡単に幻想郷に帰れたんじゃないかと気付かされたのがご機嫌斜めの理由。

 後の祭りだと言われればそれまでだが、紫がやらかした土地、真剣に事に当たり負けた土地だと聞いて慣れない気負いでもしていたのか、相手を見定めて転がすまでに至らなかった自分が少し情けない‥‥と、無事に帰って来れた今だから思う。

 

 それはそれとて。

 あれを全てあたしのせいだと言われるのは納得出来ない。

 あの悪戯は放っておけば勝手に落ちるところを敢えて早めただけなのだ。

 慕うお師匠様への報告なのだから、その辺りを偽らないでもらいたいところだ、物事は正しく伝えなければいけないと、このお師匠様は弟子に教えてはこなかったのだろうか?

 教えてないだろうな、真っ当な事を仕込んでいるならここの姫様はもっと姫様前としているはずだ、八意先生が里のアレみたいに、名の通りの先生だというのなら輝夜がこんな我儘娘に育ってはいないだろう。

 不死の蓬莱人が成長するなんて言い草、それは言葉の綾として。

 

「お姉様を突き落とし、あまつさえ盗みまで働いていきましたね」

「あれは突き落としたんじゃないわ、一人で勝手に落ちそうな所を少し、そう手助けしたのよ」

 

 完全に思考が逸れていた中、妹の声で我に返る。

 こっちもこっちで突き落としたと言ってくれるからアレは違うと反論を述べる、ピクリと揺れた姉の眉は見なかったことにして、あたしの言い分に耳を傾けた三人にそれとなく嘘偽りを述べておくか。

 さっさとこの場から逃げ出さないと、兎二匹が何処かで相手してくれているお面から、あのガンガン行く僧侶に南無三される話でもされてしまいそうだ。

 

「手助けとはどういう意味でしょうか?」

「依姫様のお姉様、という事はそっちの桃姉ちゃんもやんごとない御方なんでしょ、輝夜と同じく仮にも姫って呼ばれるくらいだし。そんな御方が自爆する姿が見るに絶えなくて、敢えて犯人となってみたわけよ」

 

 身振り手振りもなく神妙に語る。

 隣の輝夜が仮にもって所に食いついてきたが、今は罪人なのだから姫じゃないだろうと思い込み、言ったものは正しいと胸を張って主張した。

 一度尻尾を振ったからか、ほんの少しだけそういう考え方もあるのかと疑いながらあたしの嘘を咀嚼してくれる依姫、そして隣の姉は月で見た時よりも冷たさの見える瞳で睨んでくれる‥‥これもこれで心地良いが、同じ視線ならあっちの巫女さんの方が好みだな。

 なんて、下界にいる者らしく穢れた思考に興じていると、姉妹の色合いを足した誰かさんがフフッと笑って場を和やかにしてくれる。

 

「どう、うちのペットは? 手癖も悪くて口も減らないけど飽きないでしょう?」

 

 微笑んでフォロー、なのか?

 前の二つはどう聞いても悪口にしか聞こえないが、最後の一つは悪くないので、前二つはそこを強調するための言葉回しと捉え悪くないと思う事にする。

 しかしこれもまたあたしのせいか、手癖の悪さも減らず口も否定しないし出来ないが……今回のお宝頂戴は微笑んでくれたお前さんがお願いしてきた事だと思うのだが?

 

「否定するところもないからそこはいいとして、盗って帰って来いって言ったのは他ならぬ飼い主様でしょうに、そこまであたしのせいにするの?」

「あら、私は『とって帰ってくるだけの簡単なお使い』をお願いしたのよ? 盗んでこいとも言っていないし、『月の物』とは言ったけれど月の『都』の物をだなんて、詳しい場所の指定もしていないわ」

 

「それは、月の物を展示するって話をされれば‥‥」

「その話は私ではなく姫様から話されたものでしょ? ともかく私はお願いしていない、というよりも何も聞かずに出て行ったのはアヤメよ? 邪推しただけじゃない」

 

 いかん流れだ、確実に勝てない流れが来ているとわかる。

 ならば隣の我儘姫に矛先をズラしたい、天才に比べればまだこちらの方がやり込める‥‥けれど無駄なんだろうなと言うのもわかる、永琳の口から輝夜の事が話されたのだ、という事ははなっから組んでいるはずだ。

 

「輝夜も『展示に間に合わせたい』って話しかしてないわね、そういえば」

 

 これ以上話されて追い込まれても癪なので自分からネタバラシをしていく、よく理解していると褒めてきた輝夜に尻尾を撫でられ、これから巻き返そうという気概まで散らされて、勝てない流れに立つ瀬が流された気分だ、本当にぐうの音も出ない。

 気概とともに落ちズラされたメガネをクイッと直しつつ、頭を振って気を入れ替える、久しぶりに意識してチャラっと鳴る枷の音を聞き、もうなんでもこいと開き直っていると一番話しかけてこないと思えた相手が語りかけてくる。

 

「たかがペット風情が、随分気を許されているのね」

「そうね、結構気安い仲よ? 貴女のところの兎さんも過ごしやすそうにしていたし、大差ないわ」

 

「あの子は例外です、一妖怪の貴女なんかとは違います」

「そこはなんでもいいわ。あたしはあたしと輝夜達との話をしているの」

 

 食いつく所が違うと訂正すると永遠亭の主従が笑う。

 妹の方は静かに見てくるだけで何も言ってこないが姉は何か言いたげだ。

 けれどそれもはぐらかしておく、紫と違って争おうとは考えていない。

 あたしは楽しく笑えればそれでいい。

 

「仮に失敗した姿を見ても、失敗したと笑い飛ばして終われるくらいの仲ではあるわ」

 

 ねぇと頭を傾けて主従をそれぞれ見る。

 永琳からの難題を説いたあの日のように、目が合った輝夜と互いにウインクをすると、永琳からもあの日と同じように小さい溜息が漏れた。

 漏れた息をかき消すように二度目の煙草に火を入れて、ニヤニヤと天才様に吹きかける。それを見ていた正面の二人が、八意様に何をするのかとガタンと片足を立てて見せてくれた‥‥月を離れて幾久しいらしいが未だに慕われているようで、正しく妬ましいな、お師匠様。

 

「八意様、いいのですか? 今のような‥‥」

「言ったところでやめないし、言えば余計に悪化するわ」

「だからと言って八意様に向かって失礼な‥‥」

 

「ただのペットのお戯れに大袈裟ね。それに煙草で病んだとしても死ねば済む事でしょうに、ねぇ?」

 

 八意様八意様と騒ぐ姉妹は放置して、輝夜に話すとそうねと返ってきた。

 面と向かって死ねと言い慣れているあたしもどうかと思われそうが、言われ慣れていて何も思わない姫様もどうかと思う、が、死に慣れているしこれも慣れ切ってしまっているのだろう。あたしも特には気にしていないし。

 しかし赤い屋敷も地底の姉妹も、付喪神の姉妹もそうだし騒霊も‥‥あそこは三姉妹か、一人多いが多い分には問題ないから別にいいか。

 どれにしろ姉妹が寄れば姦しいな。そういえば後でお礼になんて言っておきながらプリズムリバーの三人に何も言えていないままか、これもこれであたしの心残りなのかもしれない、後で解消しに行ってみよう。

 ついでに彼女達の演奏でも聞くことが出来れば重畳だ、うむ、良い楽しみが出来た。 

 で、なんだったか?

 あぁ、どこの姉妹も寄れば騒がしいってやつだ、それは地上でも月でも変わらないらしい。

 死ねば早いと言ってのけると向けられる刀と扇子。

 またかと感じてちょいと煙管を握って見せる、滅多にも来ないお客様を偶には逃げずにと構えてみせる‥‥ちょっとだけ冷ややかな空気が流れたが、永琳からの『そうね』という穏やかな声で雰囲気を戻された。

 話を振った姫は当然として、思いがけない相手からも同意が得られてチラリと顔を拝むと、あたしと同じように永琳の顔を見る月の姉妹、何やら言いたそうだが無言で見るだけの月の姫様達。

 

「二人共、騒ぐくらいなら戻りなさい‥‥穢れに満ちた世界にあなた達は長くいるべきではないわ。顔が見られて良かったけれど、そう気軽に来ないほうがいいわね」

 

 こちらは見ずに姉妹に帰れと語りかける元師匠役、って今でも師匠か。

 帰れと言われ素直に帰るのか、視線を流して見てみると妹の方とだけ目が合った、姉よりはいいところがあるように感じられた依姫に輝夜と同じようにウインクをしてみるが、当然相手にはされなかった。

 呼び出す神様も巫女っぽければつれない感じまで巫女っぽいのか、そう考えていると姉とも目が合いこちらにもご挨拶‥‥ウインクは返ってこなかったが、声には出さずに調子付くなと口を動かしてくれる彼女。

 何に対してか?

 問う前に一瞬でどこぞへと消えていった。

 

「悪く思わないでくれると嬉しいわ、ただ少し真面目過ぎるのよ、二人共ね」

「なんとも思ってないわよ? 真面目過ぎると言われてもね、依姫の方はわからなくもないけれど、豊姫は真面目というよりも‥‥なんて言うのかしらね」

 

 僅かに苦笑して真面目だと教えてくれるが、妹の方はなんとなくわかる部分もある、わかるこそやり込みやすいと感じて妹の方には尾を振ったのだから。

 姉の方はなんというか、柔軟性を持っていてやりにくいというか、変に俗っぽいというか‥‥やっぱりアレか、紫に似ていると感じながら違う部分があるから反りが合わないとでも感じたのかね?

 刀を持つ方ではない姉に反りが合わないと感じるのも変な気分だが。 

 

「あれでも可愛いところもあるのよ、急に永琳に会いたくなったって言い出して来てみたり、こんな風にしてみたりね」

 

 反りの話をしたからか?

 二度と会うつもりのない者達の顔を見て肩でも凝っていたのか?

 理由はわからないが自然と身体も逸らしていた自分、その体制ついでにあちこち伸ばしていると、以前に月から訪れた時の思い出話を話しつつ、フラッと横に倒れる輝夜姫。

 ポフンとあたしの腿に頭を乗っけて、あの時はこんな風にしていたのだと姿で語るお姫様、長く艶やかな髪が腿の上から漏れ広がり、その下に感じるお姫様の温かみと重さ。

 死のない、終わらないというだけでソレ以外は人間と大差のない輝夜、我儘さも少女のそれなら暖かさも少女らしいそれがあると感じていると、先ほどの永琳の苦笑の意味がわかった気がした。

 髪色や思慮深そうな雰囲気等から紫に似ていると感じていたが、あの振る舞い方などは幻想郷に馴染む前の永琳、身内以外はなんとも思っていなかった頃、始めて会った頃の冷たい美しさだけがあった八意永琳に似ている、そんな感覚を覚えた。

 頭の上がらない師匠を真似つつ理解力辺りで自身のらしさも出す、なんとも面倒な事をしているなと考えていると腿の輝夜から手が伸ばされた。

 両手で頭を捕まえてそのまま引いてくれるが‥‥

 そこから先はどうせないのだろう?

 

「そういえば何を持ってきてくれたの? あの本だけって事はないんでしょ?」

 

 引かれるままに任せていると、クイッと引かれて顔が寄る。

 もうちょっとで触れられる、そんな距離まで近づくと、あたしの鼻先に唇を当てて土産は何かと訪ねてくる永遠の姫。

 口ではなく鼻なんて中途半端な位置だなと感じるが、これはきっと姫様なりの気配りってやつだろう、お使いを済ませてきたペットに向けて、飼い主からのちょっとしたご褒美って感じの物だろうね‥‥あたしも地霊殿の黒猫なんかによくやるし、特に意識するものでもない。

 広がり輝く黒髪を少し払い、持ち出してきた美味しいタレの小瓶をスカートのポケットから取り出す、緩く振って瓶を見せ小指の先に少し垂らし、そのまま姫の唇にあてがった‥‥悩みもせずにパクっと食らい付く、はしたないお姫様。

 釣れた姫の顔を見ていると一瞬瞳が大きくなる、姫の表情からどれと、永琳も手を出してきたので小瓶を渡すとあちらは自分の指に垂らして舐めた‥‥あっちにもやれば面白かったかもしれない。

 

「ほへっへ‥‥はんほのハレ?」

 

 離せばいいのに、小指を含んだまま喋る姫様。

 モゴモゴと舐められて愛玩動物としての気分は良いが、感触は微妙に隠微な感じがしてなんとも言えない、普段つれないなんて言っている意趣返しのつもりかね?

 だとしたら好ましくて焦れったい。

 

「お団子のタレ? そんなものを取ってきたの? というかあの二人もこれくらいの物を盗まれたからって態々来なくてもいいのに‥‥でも、うちにあるのより美味しいわね」

 

 モゴモゴ姫のそれに対して返答した永琳だったが、あれで会話として成り立ったのか、あたしは中身を知っているから聞き取れるが、これは永く一緒にいるからわかるのか?

 それとも阿吽の呼吸ってやつかね?

 いや、主従だし、阿吽のような同僚的な感じではないか?

 どうでもいい事を考えていると『いい加減にしたら?』なんて普段は見せない表情、正確に言えば昔に見せていたちょっと冷たい顔でこちらを見てくれる月の頭脳。

 見知らぬ間柄だった頃によく見ていた顔で寄ってきて、あたしの腕を掴むとチュポンと鳴らして姫が咥えていた指を引っこ抜く、そのまま調子に乗るなと冷たい声色で囁き、あたしの耳も引っ張られた‥‥千切れそうな勢いで持ち上げないでほしい、邪魔だと感じて摘むなら鼻だろうに。

 姉妹の姉が真似ているような顔で似た事を言ってきてくれたが、二人の間に割って入るつもりはないから心配しないでほしい、するとしても味見程度だ。

 ソレを伝えるように、姫から抜かれた小指を咥え永琳を見つめ返す。

 再度睨まれるが冷たさは消えて呆れだけが見えた。

 どうせ見るならその目で見てくれ、でないと悪戯をした甲斐がない。

  

 

 余談だが、さすがに味わいはしなかった。

 姫の味を覚えて、万一気に入ってしまえば本格的に飼われなければならなくなる。

 なんとなくそう思えたし、今のあたしには本命もいるから、この指は本当に試食程度だ。

 永遠の姫も旨い……気もしなくもない。



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EX その23 地上の姫と地上のタヌキ

 甘美な味わいだった小指から愛用の煙管に咥える物を変え、見つめる先は変わらない永遠の庭。

 またいつもの一服か、そう言われてしまいそうだがいつも通りで何が悪いのか、元々変化のない妖怪さんなのだ、変に新しい事でも始めてしまえばあり方が変わってしまいそうで、それは怖い。

 だからこそいつもの通り煙管を燻らせているのだが、見つめる先は随分と様変わりしていたりする、たったの数日過ぎただけだというのに何故ここだけ春めいているのだろうか?

 

 幻想の世界に戻ってきても過ぎていたのは外と同じく一日くらい、時間的な意味ではほとんど変わっていないのだが、この永遠の屋敷から望める庭はすっかりと模様替えしていた。

 ここに来るまでに通ってきたあの妖怪神社や人里では未だ冬の名残が見えた、けれどこの屋敷だけは何故か暖かく、ここだけほんの少し暦がずれているような錯覚を覚える。

 というか実際ここだけ春だ、日差しも風も心地よい暖かさが感じられる。こう過ごしやすいとあの空調完備の屋敷を思い出す、けれどあそこよりもこちらのほうが過ごしやすい。

 妖怪のお山に住まうあの仙人モドキの自宅も過ごしやすかったが、あそこは年中変わらない気候で、それはそれでつまらなくもある、暑さ寒さなどの自然の恵みは出来る限り享受したいあたしとしては、春を感じられるこの屋敷のが好ましいと思える‥‥機会でもあればまた行ってみようとは考えているけれど。

 前回は嫌な顔をされたが次は手土産、なにか甘いものでも持っていけば口悪くお茶でも出してくれるはずだ、節分で少し手助けしたやった恩もあるわけだし。

 

 さて、早速考えが飛んだ気がするが今日は飛んだと自覚している、だから話もすぐに戻せる、あたしは愚かだが馬鹿ではない。それでこの気候だが、どうせまたヤブ、じゃなかった野暮な医者がへんてこな薬でも作ってばら撒いた。『これは乾季を暖気に変化させる薬なの』とでも言って、怪しい色合いの薬でもその辺に振り撒いたのかと考えていたが、どうやらその読みは外れらしい。

 

「昼寝したくなるお天気ね」

「春はあけぼの、というけれど、昼下がりの陽気な今が一番よね」

 

「そうよ、朝方なんて肌寒いだけだわ」

 

 ご尤もな事を仰るのはここのお姫様。

 庭を眺めて縁側に腰掛けていたら、チョイチョイと手招きされて輝夜のいる外廊下の延長、舞台造というのだったか?

 廊下の床面が外に向かってせり出すように延長され、何か催し事でも出来そうな雰囲気がある廊下、そちらの方に呼ばれてしまい、隣に座って二人で日向ぼっこ中というのが今現在だ。

 この暖かな日差し、これは輝夜の能力で起こした事らしい。

 永遠と須臾を操るお姫様の須臾部分、感じ取れない些細な時間をより集め、他の場所よりもほんの少しだけ春の訪れを早めたらしい、あの春告精が聞いたら商売上がったりだと泣きそうな事を平然としてくれて、なんとも出来る飼い主様だと思う。

 柔らかな日を浴びてぽかぽかと暖まるあたしのコート、光を取り込みにくい白のはずがそれでも温まる冬の装い、最初は良かったが十分に温まった今は少し暑くて脱ぎ畳むと、隣で足を畳む姫が両手を床について這い、上半身だけ寄せてきた。

 

「またすぐに脱いで、はしたないわ」

「このまま着ていて脇汗を滲ませる、なんてのよりはいいでしょ?」

 

「汗ねぇ、亡霊が汗なんてかくの?」

「かくわよ? 冷や汗とか」

 

「それならいいじゃない、脇が冷えれば夏場も涼しくなりそうね」

「涼しさなら十分、間に合ってるわ」

 

 知ってるわ、そう言いながら腿に乗る輝夜の頭。

 中途半端な亡霊らしく、中途半端に冷えるあたしの体温が心地よい、そんな事を前回の膝枕の時に言っていた輝夜姫。そうだろうともさ、ライブの後にいいなんて言った通り、あっちの太鼓も自分から抱きついてくるくらいなのだから。

 今はまだいない付喪神の事は後に回すとして、珍しく素直に笑い、可愛い顔で嬉しい事を言ってくれる輝夜。そんな事を言われてしまっては無碍にも邪険にも出来ず、もぞもぞと揺れる黒髪が少しくすぐったいが、感触も楽しむ事として、愛玩動物らしくされたい放題にされている。

 落ち着いてはモゾモゾと動いて、輝夜のぬくもりを吸収していない冷えた部分を探すように腿の上で動いているお姫様、そんな飼い主に尻尾を出すと良い物を見つけた顔で抱いてくれる。

 らしくない、意地の悪さが見えない状態となっている気もしなくもないが致し方ないだろう、この姫と主治医からは外飼いのペットだと言われ、あたし自身それを利用して月旅行を楽しんできたのだから、飼い主から受ける多少の弄りは気にしない事としていた。

 

「心地よい冷え具合よね」

「あたしは微温くなるけどね」

 

「ねぇ、アヤメ」

「なに?」

 

「夏場はうちにいなさいよ」

「嫌よ」

 

「いいじゃない、減るものではないわ」

「減るわ」

 

「何が?」

「自由な時間と難題を受ける機会が」

 

 私の涼となりなさい。

 我儘な飼い主らしく上から物言いが降ってくるが、言ってくる顔はあたしの顔を見上げてくる形で、それならばと、いつかのやり取りとは真逆の雰囲気になるように会話を進めてみた。

 この会話も耳飾りの難題を課せられた時にしていたのだったか、たかだか数年前の事なのに随分昔の事に感じる、会話相手が随分昔から知っている相手だからだろうか?

 こんな事もいつだか考えたな?

 これを考えたのは‥‥

 

「そういえばいいの? 出開帳を拝顔するんじゃなかった?」

 

 そうだった、その出開帳に来た寺の奴等相手に考えたのだった。

 嫌な顔を見せてくれたネズミ殿の後をついて回っていた時の事だったはずだ、はっきりとは覚えていないが多分そう、というかそうだと思っておく。

 よくある話で深く思い出すことでもない、どうしても気になるなら今日来ている本人に厭味ったらしく聞けばいいし、今はここで愛でてくれる飼い主様と微睡んでいる方が好ましい。

 

「今は日向ぼっこの方がいいわ。輝夜こそ呼び出しておいて相手しないの?」

「私はお姫様だからいいの、長く姿を晒すとありがたみも減るわ」

 

「目的の物は見たからもう用済み、とは言わないのね」

「言わないわ、うちのペットがただいまと言う先だと聞いたしね、邪険にも出来なくなったのよ」

 

 気を利かせた、そう言えばいいのに言わない姫。

 やんごとないお生まれだから下々の者に対して気を利かせる事はなどはない、って感じだろうかね、なんというかこれもあれだ‥‥ツンデレって奴に近い気がする、言い方が悪く遠回りだからそう聞こえないが。

 それでも良しとしよう、永遠に変われない姫様が変わってしまっては異変になってしまう、そうなったらまた怖い人間少女が屋敷に乗り込んでくるし、今度は無料でおもてなしをしろと言ってくるに違いない。それは非常に厄介なのでこれ以上話を掘り下げるのはやめておこう、ペットだけれどあたしは穴掘り兎ではないわけだし。

 

「寺の皆に対してはそれでいいとして、他のお客様の相手はしなくてもいいのかしら?」

 

 命蓮寺の皆が出開帳で訪れている今、皆と言っても住職と雲付きは来ておらず、それ以外のメンバーで寄り集まって遊びに来ただけの話だが‥‥そしてそれと同時に開かれている月の物品の展示会。月都万象展(げっとばんしょうてん)と名づけたのだそうだ、今回で数回目の開催になるらしい。

 近所に住んでいながら知らなかったのは、あたしが月の事に興味がない為、ついでにソレが理解されていて話を振られもしなかったからだろうな、少し眺めてそれなりに楽しめたがそれだけだった。詳しく知りたいとは思えなかったし、触れて浮かび上がる紙の書物だとか、原理がどうこうと話されても詳しく知れる気もしない、持ち帰ってきたタレの味は結構気に入ったけれども。

 

「それもいいのよ、人間の相手は永琳とイナバに任せているから」

「相手をするのが面倒臭い、とも言わないの?」

 

 寺の皆の他にも結構な数の客が来ている。

 少し早めに着いてしまって最初の客を迎える手伝いをさせられた為、ある程度だが誰が来ているのかは知っていた。寺は端折るとして他を上げるならば煩い方の天狗記者、それとツートンカラーの人間少女達に里の人間達、その引率に来た里の守護者達は見た。

 最初と最後のはともかくツートンカラーの相手はしなくてもいいのか?

 輝夜も一応は退治された側の者だったろう?

 

「言わないわ、だって私はお姫様だもの。高貴な者の姿はチラ見せくらいの方がいいのよ」

 

 チラ見せという割に顔を出せばやれ暇だ、何かないのかと仰ってくれるやんごとない奴。

 ただの出不精が何を言うのか、と感じられなくもないが月の異変が起きるまでは身を隠してやり過ごしていたわけだし、引き篭もりになっても致し方無いのか。

 月からの迎えをヤリ過ごしてからどれ位隠れていたのかは知らないが、あたしの前から消えてこっちで再開するまで隠れっぱなしだとすれば‥‥ゆうに千年以上か、それだけの期間かくれんぼをし続けているとか、髪も長けりゃ気まで永いのかねここの人らは。

 腿から広がり溢れる黒髪、艶やかな姫の御髪(おぐし)に手櫛を通して思いに耽る。

『永く楽しませて』

 そう言ってきた輝夜は暇を潰すというよりも、永くいられる相手でも求めていたのかね。

 なんてペットらしく主を想うと、永遠に生きる主が言葉を述べる。

 

「外にいた頃もこんな感じだったでしょう?」

「そうね、門番に止められたのが懐かしいわ、すんなり通してくれなくて焦れったかったわね」

 

「あれはお祖父様のお考えからよ、私の考えではないけど‥‥あんな風に匂わす程度でいた方が神秘性も感じられるでしょ?」

「神秘性ねぇ、科学の発展したところで生まれたくせに、よく言うわ」

 

 開かれている展示会。

 クラシック部門・アカデミック部門・と色々括られたカテゴリーのその中、ミリタリー部門に置かれている物から考えれば、月に神秘も何もない気がする。

 外の世界もそれなりに科学が進んでいたがまだ思いつく事が出来たようになっただけってくらい、例えばお山の白狼天狗みたいに遠くの相手を見ながら顔を合わせて会話ができたりとかね。

 出来ればいいなと考えてそれを出来るようにする知恵は素晴らしいが、輝夜達がいた月からすれば可愛い玩具程度だろう。

 例えに使ったミリタリーで語れば、なんだったか、片手で持って弾幕を張れる銃もおっかないものだと思うが‥‥あれだ、月の天才が物理的に語れる熱量の最大値で云々とか、宇宙の始まりが云々とか言っていた爆弾なんて外の世界じゃまだムリだろうな。

 爆弾の説明を受けてもわからない、理解するつもりがないって顔をしていたらすげえ熱い爆弾だって教えてくれた事だけ覚えている、あの八意永琳が『すげえ』なんて下品な言い方をするくらい熱い、それはきっと思いつかないくらいの熱さなのだろう。

 

「アヤメにしては頭が硬いわね」

 

 実際のところはどれくらい熱いのか、わからない事を考えていると、腿にぬくもりをくれる姫様から冷えた言葉を言い放たれる。

 頭が硬いとは聞き逃せない言い草だ、いつでも柔軟な発想をしてそこから誰かを馬鹿にするのがあたしなのに、硬いと言われてしまっては困る。

 

「どういう意味?」

「科学が発展しているからこそ幻想的で、神秘性もあるって事よ」

 

 フフっと笑んで瞳を覗きこんでくる。

 赤みを帯びた黒の瞳、そこに結構な悪戯心を忍ばせて訪ねてくれる姫。

 

「知りたい? ならおねだりしなさいな」

「ねだろうにも、振る為の尻尾は抱かれたままよ?」

 

「それなら他を考えなさい、硬い頭を柔らかくしてね」

 

 抱かれ温くなった尾を見て話すと要らぬ難題が振ってきた。

 全く以てこいつは、欲しい時には寄越さぬくせに本当にいらない時にだけ難題をぶん投げてきてくれるな、誘い受けして話さないとか人としてどうなのかと思える。

 が、厳密には人ではなくて死なず終われずの蓬莱人だったか、言われたあたしも人ではないし、とすれば人の理など関わりのない事か。

 であれば、ここは諦めて考えるかね。

 何かしら思いついて鼻をあかす、その方があたしらしいだろうし、多分それに期待もされている気がする、裏切っても楽しめるだろうがここは一つ応えてみせようか。

 でないと後で面倒臭い。

 

 さて、まずは硬いと評された頭をどうにかしたい。

 取り敢えずの取っ掛かりを作るならば何故頭が硬いのか、硬くなったと思われるのか?

 あたしにしてはって言い草だ、普段のあたしならもっと柔らかい頭をしてるのにって言い方だと思える、というかそうでありたい。

 ならその原因は?

 これはすぐにわかる、外に出たからだ。

 非常識が常識として満ちる世界。

 幻想郷から外に出て、常識だけがまかり通り非常識は許されない世界の空気を吸ったから硬くなったって事にしよう、街道のルール一つでも雁字搦めだった外の世界だ、空気も多分硬いはず‥‥スーツ姿のお姉さんの胸やら腿やらは変わらず柔らかそうだったが。

 そういえば化けてみたあの格好だが、マミ姉さんも気に入る感じだったようだ。

 永遠亭を訪れた仏門一派よりも早くここに着いたあたし、いつも通りだらだらしていたらちょっと手を貸せなんて兎詐欺に言われ、輝夜に見せていたスーツ姿にうさ耳つけさせられて来客のご案内をさせられていたのだが‥‥その時に妖怪寺のご一行に見られてしまった。

 ナズーリンには口の端だけで笑われ水蜜にもププッと笑われたが、ぬえと姉さんは懐かしい格好だなとか言い出して、その場で同じような格好に化けてみたりしていた。

 グレーなあたしに黒いぬえ、紺の姉さんとスーツ三人娘となったが、ぬえだけは普段の格好と大差がないような感じに見られた、普段から絶対領域出しっぱなしだからだろうか、ギャップがないなんて化け甲斐がないなあいつ。

 

「思いついた?」

「ギャップっていいわよね?」

 

 余計な事ばかりに気を取られ、本筋から逸れていた思考。

 そんな中問いかけてきた輝夜に問い返すが、なんの話かと更に聞き返されてしまった、あたし自身もどうしてそうなったのかわからなくてなんの話からそうなったのだったか、再度考え始めてしまいそうになる。

 けれどそうなる前に輝夜姫からありがたい苦言が寄越された。

 

「不真面目なくせに、そうやって真面目に考えるからダメなのよ」

 

 思案内容はともかくとして、あたしの頭はまだ硬いらしい。

 柔らかそうな唇で語ってくれる永遠亭の主、そのまま手を伸ばしてまた頭を寄せて‥‥ってなるかと思ったが伸びてきた手は頬を過ぎて米噛み近く、メガネのフレームへと伸ばされる。

 これはなにか期待できそうな、外されて先日のご褒美以上の物が、なんて思ったが柔らかな唇に触れられる事はやはりなく、親指をレンズに当ててクイッと捻られた。

 あたしの視界が歪んだ指紋で埋まる。

 若干曇って見にくい為目を細めると、姫の表情が晴れる。

 

「もっと柔らかく、見方を変えてみなさい」

 

 別になくとも見えるから汚れようとも問題ないが、眼鏡はあたしの大事な物、慕う姉と共通している大事な化け狸要素だ、そんな物に何をしてくれるのかこの姫様は。

 曇る視界に見えるのは、ボヤケた輝夜が人様の物を汚して破顔するお顔。

 子供染みた悪戯をしてくれて笑むこいつに向かってちょいと睨むと、そうやって目を細めている方が見なくていい物、見なくてもよかった物が見えなくていいわね、なんて言い渡された。

 つまりはどういう事だ?

 見えなかった事にして取り敢えず言われた事だけ考えろ。

 そんな事でも言いたいのか?

 それでいいなら考えずテキトウに返すぞ?

 

「何も魔法や不可思議だけが幻想的って事ではない、って感じかしら?」

 

 見てきた物を一旦忘れ、促された形、見知った物から難題を紐解く、特に謎解きしてからの答えではなくただのこじつけを述べてみる。

 外では夢物語となっている魔法や、あたし達妖怪などの不可思議要素、こちらの世界では日常で常識と呼べるモノ、外では見られる機会が殆ど無いモノ。ソレらを輝夜の言った言葉にむりくり繋げて話してみると、その言い方では少し足りないという答えが返ってきた。

 これで足りないか、なら後は科学の方でもこじつけてみるかね。

 

「科学も理解できないくらいに過ぎれば未知の物、神秘的な物となる‥‥ってのでどうかしら?」

「なる、ではなくて変わらない、というのが私の考える百点だけど、及第点にはしてあげるわ」

 

「厳しい採点ね、もっと甘めに付けなさいよ」

 

 それらしくなるように言葉を繋いで言ってみた。

 こんなもんでどうかと話してみた結果、百点はもらえなかったが合格点はくれるらしい、メガネからあたしの頬へと移動した手が擽るように優しく撫でてくれる。そのまま抑えて引いてくれれば、そう思えるくすぐったさが頬から感じられるが及第点ではこの程度だろう。

 まぁいいさ、今日のところはこれくらい愛でてもらえれば十分だろう。

 

「そうしてあげてもいいけれど、いいの?」

「よくないわね、今日のところは今のご褒美で我慢するわ」

 

 欲した唇見ていたからか、ペロッと下唇を舐めて言ってくれる輝夜。

 それを寄越せと少し考えていたのはバレバレだったらしいが、考えただけでいらないと思っているのもバレているらしい、全く、聡い上に意地の悪い輩はこう言う事になるとすぐに気が付いてくれて困る。

 つれない姫様からくれると見せてくれるご褒美、アホの子らしく飛びつけば甘美な思いに浸れるのだろうが、今日は釣られない事とした。

 でないと後で怖い事もわかるからだ。

 今は屋敷内で寺の皆と話しているだろう永遠の従者も、その寺で居候している旧知の二人も怖いが……それ以上にバレると怖いのが、今日はあたしの家にいた。

 永遠亭で催されているお月様のイベント、今日はそこに顔を出すと伝えたところ、九十九姉妹を連れて後で行くわなんて言っていた太鼓様、独占欲の強いあいつに輝夜とちょっと戯れているところでも見られれば‥‥確実に後で痛い目にあうとわかる。

 布団の中で痛くされるなら構わないが、いつかのように内面を痛くされては‥‥

 困る以上のモノがある、生前以上に精神面に引っ張られるようになった今のあたしだ、下手すりゃ立ち直れんし酷けりゃ消える恐れもある。

 雷鼓や輝夜と交わした破りたくない約束がある以上早々消えるわけにはいかない、どちらも口約束でその二人それぞれの為にあたしが我慢するってのもなんだかなと思えるが、ソレもソレでいいだろう。期待は裏切るモノだと言い切っているあたしが期待に応えたい、そう思える珍しい相手達なのだから。

 

 褒美に釣られないあたしをどこか寂しげで、儚げな瞳で見てくる月の姫。

 そんな姫の黒髪、腿に広がる長い髪を(すく)い上げ、鼻を鳴らす。

 日を浴びて暖かな御髪から仄かに香るのは、柔らかく芳しいモノ、少し早い春の匂い。




予想以上に長くなってしまった竹林+儚月抄はこれにて終い。
後はまた思いつき次第って事で。


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~EX鬼ごっこ~
EX その24 事実は書物とは異なり?


 永遠の屋敷で感じた春。

 心地よい日差しと暖かな空気、それらを浴びつつ言われた言葉。

 暑い内は永遠亭(うち)にいなさいよ。

 あそこのお姫様にそう言われた事自体は悪くない、実際あの後は通い妻よろしく通い続けて、一足早く訪れていた春を楽しむ事をしていた。

 けれど、今ではそれもない。

 あの屋敷の敷地内でしか感じられなかった好ましいその空気は、今では屋敷の外どころか幻想郷のどこに行っても感じることが出来るようになったからだ。妖怪のお山の辺りから告げ始めた春告精が、暖かな春を幻想郷中へとお届けして回ったのは数日ほど前。

 おかげでどこもかしこも春めいてしまい、あの屋敷の居心地は普通となってしまった。

 その為長居する理由もなくなった、理由がないなら通う必要も然程ない。

 言われた放し飼いのペットらしく、アチラコチラへとお邪魔しては煙たい顔で見られる毎日に戻る事が出来た。

 そのアチラコチラの内の一つ。

 こちらの世界に帰ってきて最初に見られた場所。

 淡い桃色が粋な神社に今日のあたしはいたりする。

 理由は簡単、今は春だ。

 春の幻想郷といえば桜、桜と言えば花見。

 花見と言えば?

 語る必要もないだろう。

 

「何さぼってんのよ、ちゃっちゃっと動いて、ちゃっちゃと」

 

 神社に降り立ちまずは一服。

 そう考えていると出逢いから働けと話してくれる誰かさん。

 春らしい目出度さのある格好の上に白い割烹着を重ね着して、あたしの着物の袖を掴んでくれるここの住人。やれば出来るのに普段はやらず、妖怪でも、商売敵の山の祝女(はふりめ)でも、それこそ幻想郷の大家でも、なんでも使って動かない、動こうとはしない巫女さんが動く今日の宴会。

 珍しい事もあるものだと思えるが、呼んでくれたもう一人、黒白の言い分からすれば珍しい相手が花見に来るから偶には動いているのだそうだ。

 霊夢が言う珍しいお客さんってのが誰か、気にはなるがそれは後に回すとしよう。

 そろそろ何か返さんと、また体良く使われてしまいそうだ。

 

「今日のあたしはお客さんでしょ? それに動けと言われても、摘まれていては何も、ねぇ?」 

 

 言った通り、今日のあたしはお呼ばれした形で、以前の夜桜見物をした時のような料理番にはならずに済んでいる‥‥というのにサボるなとはどういう了見だろうか?

 

「離したらどうせ逃げるでしょ、ならするって言うまで捕まえたままよ」

 

 荷物を持つ右、ではなく左の袖を摘んで、煙管を咥えようとする度に腕を下げてくれる神社の巫女さん。さもわかっているかのような言い草で話してくれるが、今日のあたしは逃げないぞ?

 なんたってお呼ばれのお客さんなのだ、咲く花とそれらを見る花達を見ながらの上げ膳据え膳なんて場所から逃げるわけがない‥‥って事を思った通りに述べてみる。

 するとあんたは‥‥という目で見てくれる霊夢。

 身長差から若干見上げられる形になっているが、これはまた良い上目遣いだ。

 

「言い訳はいいから。テキトウな事ばっかり言ってないで動きなさいよ」

「嫌よ、最近働き過ぎたから動けないの。客として呼んだのは霊夢なんだからそれらしく扱いなさいよ」

 

「だからうちの客らしく扱ってるわ、働かざる者食うべからず、よ」

 

 普段最も働かない子がよく言う。

 と、思っただけで睨まれた、本当になんなんだこの子の勘は。

 これで能力ではなくただの勘だというのだから本当に納得しきれないモノがある、けれどそれはそれだと考えて取り敢えずは言われた通りに何かしらしてやるかね、節分でも見られた割烹着姿を再度見せてくれたわけだし、態々呼びつけてもくれたわけだし。

 取り敢えずだ、敷物を敷くのは外にいる奴等、黒白の魔法使いや青金の人形遣い、なんでか来ている青白い肌のキョンシー辺りにでも任せてあたしは皿でも洗って準備しよう、(くりや)で可愛い割烹着巫女でも眺めながらね。

 

 足早に現れてダラダラと巫女が戻った先、社務所と土間にある厨房の仕切り代わりとなっているレースの暖簾をちょいと潜ると、割烹着巫女以上に珍しいのが立っていた。

 持ち慣れた笏からお玉杓子へと握る物を持ち替えて、竈の前に立っている割烹着神子。

 怨霊の先輩と並んで台所に立って何やら作っているが、料理なんて出来るのか?

 人の事は言えないが格好がキャラにそぐわなくて、鍋の中身の想像が出来そうにない。

 

「これでも少しは覚えがあるのよ? 弟子に振る舞うこともあるし、屠自古や青娥から教わったりしているしね」

 

 良く聞こえそうな耳、梟の仲間っぽいあの耳を眺めつつ考えているとそれを読まれたのか、背中で語る聖徳太子。まだ口にしてはいないのだから、どこぞのジト目のように返してこないでほしい、そっちの、口は悪いが腕は良い嫁みたいに静かに料理しててくればいいのに。

 しかし、こいつが厨房に立つ姿を見るなんて初めての事かもしれない。

 

「こいつってのは酷い言い様ね、アヤメ」

「勝手に読むのが悪いのよ太子、思っただけでまだ口にしてはいないわ」

 

 酷いのはどっちだ?

 自分は棚上げしつつ言い返して、背中越しに鍋の中身を覗いてみれば、丹ではなく澄み渡る(たん)のアク取りに勤しむ太子様。

 片手は水を張ったボウルを持って、もう片手にはおたま姿‥‥

 これは、今なら余裕で耳を狙えるのではないだろうか?

 そう考えて太子の頭に手を伸ばすと、隣に立つ大根足からパリパリっと光が見えた。

 なんだ、旦那様に代わって邪魔するってか、態度だけは良い嫁で愛情が見えて妬ましいな。

 

「私が言わなければその内に言うのでしょう? なら一緒だと思わない?」

「思わないわ、あたしが嫌味として言ってこそ意味があるのよ。いいから口より手を動かしなさいな、働かざる者食うべからずって言われてるんでしょ、どうせ」

 

「どうせってなに?」

 

 巫女から言われたどうせを借りて、似合わない太子をからかっていると土間の奥、外に繋がる勝手口より再度現れた別の割烹着から疑問符混じりのどうせが飛んできた。

 これはなんの事だかと惚けて、言い帰された事は聞けなかった事にして、太子に比べればこの子の方がまだ台所に立つ姿が似合うな、なんて考えていると社務所の襖の奥辺りからガチャンパリンと聞こえてきた。太子がいて、その隣にはこっちを見もしないが屠自古もいるくらいだ、あの皿割り尸解仙もいるのだろう。

 狭い厨に三人も四人もいては邪魔になる、太子に良く似合っていると心にもない事を言い放って、思ってもいない事を平然と言わないで、なんてお叱りを背に受けつつ割れた音の方へと移動した。

 

 向かってみれば一枚二枚と、割れた皿を数える尸解仙。

 その隣には別の、落としても割れにくいお椀に乗ったお姫様もいた。

 どちらも顔を合わせるのは久しぶりな気もするし、掃除の手伝いがてら少しからかう事にした、仕掛けるのはいつかのような事、ちょいと煙管を咥えて煙を纏い、膝立ちで皿拾いをする輩の姿を綺麗に真似るだけ。

 姫には見られバレているが騙すのは布都だけだ、姫はまたついでとしておく。

 

「むぅ、我は何枚割れば気が済むのか‥‥よんまーい、ごまーい‥‥」

「はちまーい、きゅうまーい」

 

「じゅうまーい、じゅういちまーい? 増えた? お、皿も我も増えたぞ?」

 

 割った枚数を数えていたのかと思ったが、どうやら持ち込んだ皿の確認をしていたらしい、割れ物のほとんどは既に片付けられた後だった。

 それらも布都が片付けたのではなくて、隣に浮かぶ姫が片付けたようだが‥‥この姫も神社に長いこといるわけだし、ちゃっちゃっとやれと常日頃から言われていて素早く動けるのだろう、姫なのに仕事して、どっかの姫に見習わせたいものだ。

 それは(うさぎ)(つの)としてだ、取り敢えず謀る相手をどうにかするかね、首を傾げて真面目に考えている尸解仙を放置し続けるのはさすがにまずかろう?

 

「我よ、そう考えるでない。皿が増えるのだ、我が増えても不思議ではないと思わぬか?」

「おぉ、そうだな。皿如きが増えるのだ、我が増えない道理などないな!」

 

「うむ、そうであろうよ」

「そうだとも、さすが我であるな! 発想も斬新なり!」

 

 傾いだまま良い笑顔を見せる物部のお偉いさん。

 いいのかそれで? と同じように首を傾けて無言で見つめてみると、そんな事あるか、と今回は騙されてくれなかった。

 謀れなかったことは少し悔しいが屈託のない笑顔が見られたのでよしとする、いつかも思ったがこいつ、結構可愛い顔をしているらしい、これは中々にいいモノが見られた。

 

「そう何回も騙されてなるものか、この女狐めが!」

「あたしは狸よ、そっちこそ何度も間違えないでくれる?」

「言葉の意味としては間違ってないんじゃないの?」

 

「フフン、その通りよ! さすがは少彦名命、知識の神と呼ばれるだけの事があるのう!」

「それは人違いよ、あれ? これってやっぱり間違ってるのよね?」

「あたしに聞かないで布都に聞いてよ、付き合いきれないわ」

 

 伊達に尸解仙を名乗ってはいない、女狐も言葉の意味としては間違ってはいないし、少彦名命という神様の知識も正しい物を記憶している物部布都。

 それでも噛み合っているのかいないのかよくわからない言い様で、こいつにこれ以上付き合うと面倒臭いと感じた為、変化を説いて姫と二人で外へ出る事とした。

 皿運びを手伝わんのか、アヤメ? と、名前まで忘れずに覚えていてくれた事にいささか驚きを禁じ得ないが、大昔は利発で狡猾だったし多少はその名残があるのだろうと思い込んでそそくさと動き出す。背中においやらぶつけられるが、一緒にいて阿呆がうつされても困ってしまう為、太子から命じられただろう大事な仕事は取れないと、話を逸らしてそこから逃げた。

 

 お椀の姫と箸の櫂、じゃなかった端の方、まだ敷物の敷かれていない境内の隅辺りに向かうと転がってきた敷く物、それと死んだ者。

 魔法使い二人に突っ込まれたのか、邪な仙人様にそうしろと命じられたのか、その辺りは全く分からないが転がされる本人は何やら楽しげだ。曲がらない身体は回す物の芯とするにはちょうど良さそうだが‥‥それでいいのか、宮古芳香。

 

「芳香ちゃんったら、随分楽しそうね」

 

 神社の屋根から聞こえる声。

 見上げてみれば優雅な姿で堂々とサボるお人がいた、どうせ混ざるなら宴会準備よりもあちらに混ざってサボっていたほうが確実に楽だ、一人でサボるとはズルいと言いつつ、楽を好む淫猥な仙人様の方へと近寄って行く。

 

「サボりなんて人聞きが悪いわ、私は皆の動きを見ているのよ?」

「なるほど、現場監督って事ね、それは重要で大変なお仕事だわ、一人じゃ大変そうだしあたしも手伝ってあげるわ」

 

 足元の境内でやんやと準備する人妖と死体の少女達、それらを眺めて微笑む娘々。

 その隣に並んで佇むと、ようやく一服する事が出来た。

 一息吸って気だるく吐いて、若干吐き残る主流煙を口から漏らして微睡んでいると、一緒に連れてきた小さなお姫様から苦言を呈された。 

 

「あんたら、また霊夢に怒られても知らないわよ?」  

「何を仰られるのです、こうして忙しく目を動かしているといいますのに」

 

 ねぇ、と微笑み促してくる娘々に頷いて見せる。

 すると、小さな身体からこれまた小さな吐息が漏れた。

 そのまま、何やら神妙な面持ちで社務所の中を気にする椀の姫。

 霊夢に怒られるのがよほど怖いのか、あたし達を見てから神社の中へと戻ろうと少し浮いた‥‥ところをとっ捕まえて逃がさないように椀を抱える。

 

「ちょ、何するのよ?」

「針妙丸は十分働いたわ、後は他のに押し付けて、あたし達と目を動かす仕事をしていればいいのよ」

 

「そうですわ、お姫様なのですからあくせく働いてはなりませんわ」

「そうよ、お姫様が貧乏暇なしじゃあたしらが休む暇なんてなくなるもの」

「一緒にすんな、また共犯者にしようとすんな!」

 

 邪な二人でたおやかに笑んでいると騒ぎ出す、やんごとない奴。

 一度謀られ共犯者となり退治されたからか変に聡い、けれどそこは言い含める、霊夢に動けと言われたから忙しく瞳を動かしている、きちんと宴会準備をしていると話すと眉を平らにして見つめてくれた。

 これはどういう表情か、少し悩んで閃いた。

 この顔はあれだ、呆れと諦め両方が綺麗に合わさった顔だ、だから眉毛も平らになったのかと一人で思い込み大きく頷く。

 そうして満足気に頷いて、下がった視線に入ったのは持ち込んできた荷物。

 そうだった、今日は持ち込みがあったのだったなと、月の羽衣だった反物、風呂敷変わりにしているソレで包んだ書物を取り出した。

 パタンと開いて目次を眺め『し』の辺りのページを開く。 

 

「あら、なにかしら?」

「外土産、家で悶々と読むよりは誰かに見せたほうが面白いと思って持ってきたのよ」

 

 パラパラと数ページ捲ると見つけた人物。

 (へそ)のあたりに笏を構え、両脇に付き人連れた偉人さん。

『冠位十二階』やら『十七条憲法』やらと、取り決めた事が細かく記載されている、今では割烹着来て台所に立つこともある偉い人。

 

「これは豊聡耳様の事が書かれているのね、お髭なんて蓄えられて、まるで殿方ですわ」

「まるでというか、外だと男性として考えられているみたいよ、女性説があるって話も載っているみたいだけど」

 

 見知った相手のページを開くと、頭の∞をたゆんたゆんさせて寄ってくる仙人様。

 鼻を擽る芳しい色香を嗅ぎつつ、二人で肩寄せ合って書に目を通す。

 見ていくと、物部の者と戦ったやら蘇我氏の者に一族もろとも残虐に殺されたやらと書いてあったり、未来を見通して予言を残したが、遺した書物は時の朝廷に危険視され廃棄されたなんてのも書いてあったが‥‥二人して気にしたのは小さく書かれた別の項目。

 仏教の開祖と呼ばれる和尚の夢に女体で現れ、その色欲を受け止めたなんて項目。

 

「あれで意外と好きものなのかしら? ねぇ?」

「私に聞かないでよ、そっちの仙人に聞いて」

 

 こっちでも共犯にしてやろうと誘ったのに、聞いてくるなとそっぽ向く針妙丸。

 なんだい、つれないところはあっちのお姫様と一緒か。

 いや、あっちの引き篭もる姫はもうちょっとノリがいいな、だとすれば同じ立場? 役職? なんでもいいが似たアレでも違いがあるって感じかね。

 うむ、どうでもいい事か、それはそれとて聞いておこう。

 

「娘々、その辺は見てないの?」

「あらあら、私からは何もお話出来ませんわ、気になるのでしたらご本人に伺ったら?」

 

「その顔とその返答で聞くまでもないからいいわ‥‥それでいいのね? 後で怒られても知らないわよ?」

「お好きになさいな、私は何も話しておりませんもの」

 

 この邪仙様に聞き返したのがそもそも間違いか、どう転んでも楽しめる、あらあらうふふと笑える流れにしようとしか考えていないのだから真実を語るわけがない。

 ならば良い、言われた通りに好きにしよう。

 丁度準備も終わったようで皆も出てきたし、宴会が始まって場が温まった頃にでも少し聞いてみることにしようか、聞く前にあれはそういうモノでは‥‥なんて言い始まるのは目に見えるが、そんな事は気にしない。

 人の欲を聞くという太子、そんな自分の欲はどうだったのか?

 はぐらかされてもしつこく聞けば何かしら言ってくるだろう、ならばそこから邪推する。

 邪な仙人様が仰った事を推理するなら邪にもなろう。

 そうであろう?



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EX その25 隠す思いは恋慕に近いか?

 紅白の乾杯、ではなく黒白の乾杯から始まった神社での花見。

 赤い敷物に適当な座卓を並べただけの即席宴会会場、そこに根を張り見上げるは幻想郷一だと謳われる博麗神社の桜の花。満開には僅かに早い九分咲きの桃色を眺め、色鮮やかで美しい大陸仕込みの料理に舌鼓を打つ。日頃のあたしであれば花と酒、それと煙管さえあれば十分と言い切れるけれど、今日並んでいる見慣れない料理達には結構な驚きを提供された。

 あの瞑想する門番が拵える料理も素晴らしい物だが、今視界に映る大陸の料理もまた素晴らしい味わいで、花より団子ならぬ花と団子両方楽しめる状態となっていた。

 覚えがあると胸を張った太子が作っていた、というか、正確には屠自古が殆どを作った中華料理は美鈴の刺激的な料理とは違い、柔らか目の歯ごたえの物が多く、味もサッパリとした塩味メインの物が多く見られるような料理達だ。

 色鮮やかさという点では似通って見られるが、同じ大陸の同じ国でこうも味わいが変わるのか、と、お箸を伸ばして摘んでみては一人で目を見開いてみたり強めに瞑ってみたりしている。

 

「これは龍井蝦仁(ろんじんはーやん)ってやつ、お茶っ葉と川エビを炒めただけ」

「あちらは東坡肉(とんぽーろう)といいまして、幻想郷に馴染む言い方をするならば豚の角煮のような物ですわね」

 

 静かに瞳だけで騒いでいるとそんな風に解説してくれる今日の料理長と仙人様。

 取り皿に取った分をたいらげて、解説してくれた怨霊シェフに突き出すと何も言われずに取られ、無言のままで盛られて渡された。いつもは口も態度も悪い蘇我氏だけれど、今だけは大昔の頃のような、アヤメ様なんて言いながら上目遣いで見てくれていた頃のようで少し可愛らしい、ありがとうと笑んで受け取るとドヤっと笑む屠自古。

 普段もこれくらいデレてくれればいいと思える顔だ、そんな事を言えば両方の意味で雷が落ちるだろうから、口に出して言ったり出来ないのがなんともあれだが。  

 

 皿の中で旨そうな湯気を漂わせるそれらを啄みつつ、膝元で小さな醤油皿を出してきている姫にも取り分けつつ、大陸の広さを口内と鼻孔で感じていると、準備中に厨房を支配していた(てい)の道教代表と目が合った。

 穏やかに笑い味はどうかと目で訪ねてくる太子様、アク取りや火加減に気を配り頑張っていた甲斐もあるのか、豚の骨やら多種の野菜などから作った(たん)は澄んだ見た目に合わず濃厚で、こんな物も大陸にはあるのかとこれも美味しく戴く事が出来た。他のものには目もくれず鍋だけ見ていただけの事はあると言い返すと、嫌味があるならちゃんと言いなさいなんて苦言を返されてしまった。

 覚えがあるのは腕ではなく⑨の一つって方じゃないのか?

 そんな事はこれっぽっちしか考えていない‥‥思ったことをそのまま読まれる前に口に出して言ってみると返ってきたのは苦笑だった、自覚があるなら嫁さん任せにしなければいいのに‥‥とはさすがに言わずに思うだけにしておいた。

 作業工程は別として、味の方は確かな中華スープを食していると、あたし達に綺羅びやかな料理を取り分けてくれる艶やかな仙人様がそういえば、なんてよくない流れを作り始めた。

 

「話に聞くことはありますが、未だ味わった事はありませんわね」

「私も食べた事ないなぁ、そういえば」

 

 柔らかく顔を綻ばせて言うものだから一瞬ドキッとしたが、これはまた面倒な事を言い出したな、この人。おかげで一寸のお姫様にまで言われてしまったじゃないか。

 何をとは言わずに取り皿の料理を見て話す娘々、そういう余計な事を言われるとこっちに話の筋が飛んでくるからやめて欲しいのだけれど‥‥すでに針妙丸に食いつかれているが、このお姫様はまたついでとして、数には数えないでおく。

 それよりもだ、誰から聞いたのか?

 正月に兎の搗いた餅を差し入れたりはしたが、自分から台所仕事が云々なんて事はこの人達相手に言ったことはない、命蓮寺の居候辺りから聞いたか?

 寺の皆は知っていそうだが、ぬえや姉さんは別としても、ほかの連中は道教の連中と楽しく語らうような間柄ではなさそうだし‥‥出処に少し悩みながらも、どう言えば手間いらずで逃げられるか、揺れる羽衣相手に返答せずこまねいていると、あらあらと普段通りに笑む邪仙様。

 

「あのあれだ、ほれ、あのアヤツ、あれから聞いておるぞ、我が」

 

 悩み姿に業を煮やしたのか、言ってきたのは上手に煮られた湯を片手に騒ぐアホの子。

 あれよあれよと賑やかしいが、聞いていてもあれやらアヤツやら言うだけで、ソレを伝える固有名が出てこない尸解仙。

 さすがにアヤツという特徴だけでは誰のことかわからない。

 誰の名前が出てこないのか?

 新たな悩みに対面させられ小首傾げて眺めていると、両目を閉じて跳ねまわる布都。

 仕草から盲目、もしくは目が見えないって感じはわかるが‥‥

 夜雀女将辺りか?

 あの子なら知っているだろうし、雀だから地を跳ねて移動する姿もありそうなものだが、こいつと接点あっただろうか?

 斜めにした頭の中で、いらっしゃいませと少し傾いで微笑む女将を想像していると、両手を伸ばしてはばたくような、腕をピコピコと動かし始めた皿を割る尸解仙。

 ふむ、この動きは妹妖怪だったか。

 

「あぁ、こいしから聞いたのね」

「おお、其奴よ! 口は悪いが味は良いなどと言っておったぞ!」

 

 パタパタ跳ねる物部布都。

 太子に苦笑いされながらも落ち着きなく動き回っているが、なるほど、あの子なら知っているだろうな。しかしあの妹妖怪、寺の在家信者だというわりに道教にも顔を出しているのか、人に気が付かれない無意識だからどこにいてもおかしくはないけれど、どこにでもいるな、あの子。

 地上と地底、本当に不可侵条約があるのか?

 なんて思わなくもないが、散々行き倒しているあたしが考える事ではないし、これを読まれればまた姉妖怪にお前が言うなと言われそうだ。いつだったかの姉妖怪の顔と言い草を思い出しつつ酒と料理を口に運び、桜流しを愛でていると、少しずつ面子が増えていく事に気がついた。

 

 始まってすぐの頃は元々神社にいた面子。

 ツートンカラーの人間少女達と同じくツートンカラーの人形遣い。

 そして商売敵の道教一派と一寸のお姫様。

 これくらいしかいなかった宴会だったが、春風に乗って来た別の神社の巫女さんを皮切りにワラワラと増え出した。

 

「皆さんお集まりで、今日もいい陽気ですね!」

 

 頬を春色に染め、頭も春らしく双葉を芽吹かせて、元気よく境内に降りてきた東風谷早苗。

 なにやら酒瓶抱えて北の空から遊びに来たようだが、そのお酒っていつかの意趣返しに使ったお酒ではないのかね?

 また何か悪戯か?

 そんな事を思いつつ霊夢達と話す姿を見ていたが、今日はその気はないようだ、少し聞くとあの酒瓶の中身は重水というものなんだそうだ。

 いつだったかこの神社で執り行われた神事、なのか?

 大量の‥‥なんだったか、温泉成分のような名前の、金属のアレだ。

 金属の神様にお願いして作ったという合金を使った、新しいエネルギーとやらの実験で使う水らしくて、これは飲むために持ち込んできたわけではないとの事‥‥というか口にするのは危ないんです! とこれまた元気よく語っていた。

 何がどう危ないのか、大して興味もないけれど聞いた手前、形だけ取り繕って返答してみたら、たんぱく質が云々と語り出してしまって、これは聞くんじゃなかったなと苦笑いしか出来なかった。

 

 熱く語る風祝にソーナノカー、と抑揚のない返答をしていると次に来たのは人間と半分人間の従者達。稀に主を小馬鹿にしては微笑んでいる、頭の切れるメイドと、切れぬものなどあんまりないと自称する元辻斬り半人半霊の二人が揃って西から飛んできた。

 咲夜も妖夢も、二人共に人里で買い物中偶々出会い、少しの世間話をしている間に今日のお花見を思い出したそうで、ちょろっと顔を出してみたってだけらしい。

 そうだろうな、思いつきでもなければどちらも主が来ないわけがない、あれらを置いて従者だけで宴会などに顔を出したのがバレては後で煩くなりそうで、そうなっては困るはずだ。

 こいつら相手でなければ良い弄りネタが出来たと思えるが、いじり倒すには少し相手が悪い、なんたって異変を解決する側の少女達だ、まかり間違って対峙するような流れになったならば退治されるのが目に見える。若い子に追っかけられるのは悪くないが、この場合の追われるは意味合いが変わって‥‥

 

「道教の方々がここにいらっしゃるなんて珍しいですね」

「そういえばそうですね、しかも勢揃いで」

「そうね、娘々単品ならわからなくもないけど、豪族揃い踏みでいるのは珍しい気がするわ」

 

 うっすら聞こえた従者組の会話、その言葉に乗っかりつつ娘々の羽衣に手を伸ばす。

 フワフワと視界で漂い、まるでじゃれ付けと言わんばかりの羽衣に右手が触れるか触れないかと言う辺りでサラリと躱されてしまった。 

 

「あらあら、単品だなんて、そういう言われ方が似合うのは芳香ちゃんですわ。今日は私達もお呼ばれですのよ? 何か、儲かったお礼だなんて伺っておりますわ。アヤメちゃんもそうだという話ですけれど聞いおりませんの?」

「お礼? なんにも聞いてないけど、そうなの?」

「だからさ、なんで私に聞くの? でも、そうみたいよ‥‥正邪の追いかけっこあったじゃない、あれでアヤメに賭けて儲かったんだってさ」

 

 隣に座る娘々から桃の上の針妙丸に視点を代え問う。

 すると最初は宴会準備中の時のような、嫌な表情を見せてくれたが正邪の名を言った辺りで若干だが表情が曇ってしまった‥‥あれから姿を見ておらず、何処で何をしているのかわからない天邪鬼。死んだとは聞いていないから生きてはいるのだろうが、姫のこの顔からはいい感触は得られない‥‥けれどあたしにしてはよくやったほうだと思うぞ、あれで。

 

「会えていないの?」

「‥‥うん、まだ会ってない」

 

 再開はしていないか、それもそうだろうな、すでに会えているのならこんな顔はすまい。

 切ない顔に会いたいと書くくらいだったら探しに出かければいいのにとも思えるが、住まわしてくれる霊夢の手前‥‥って感じかね?

 それならば‥‥ちょっと悪戯するか。

 泣くほど心配する相手なのだ、無事がわかっているのなら話は出来なくとも元気でいる姿くらいは見たくもなろうってものだ‥‥姫が正邪に寄せる優しい感情、それを受けたあの天邪鬼の顔を見るのはきっと面白おかしい事になるだろう。

 きっと笑えるな、うむ、思いついたら早速行動だ、取り敢えずそこらを突いてノセるかね。

 浮かない顔でお酒を飲む姫に小声で話す、隣の娘々や回りの皆には聞こえないようにあたしの声を少し逸らして、針妙丸にだけ聞こえるように。 

 

「そういえばあたしのお願い聞いてもらってなかったわね」

「お願いって‥‥あぁ、ありがとうって言ってなかったね」

 

「どういたしましてよ、それでお願いなんだけど」

「なに? 私で出来るなら叶えてあげるわ‥‥小槌関連は勘弁して欲しいけど」

 

「あら残念、小槌関連だったのだけれど」

「使えばどうなるか知ってて言うの? あ! さてはまたちっさいとか言うつもり‥‥」

 

 膝上で騒ぎ始めた姫を摘み肩に乗せて耳打ちする。

 偽の小槌を使っていた誰かさんを探す相手が欲しい、一人で探し始めると途中で飽きてやめるだろうからそうならないように、突いてくれる相手がいると助かる。

 そんな事を呟いてみた。

 

「それって!」

「声が大きいわ、もっと身体に合う声量で話しなさいな」

 

「‥‥探すの手伝ってくれるって事よね?」

「ちがうわ、あたしが探すのを手伝ってもらうの、墓参りをしてくれた礼くらいは言いたいって思ってたのよ。どうせ暇でしょ? あたしも暇なのよ、だから少し付き合いなさい」

 

 定番の笑みで語りかける。

 人の肩の上で喜色の笑みを浮かべる小さな姫を小馬鹿にする顔で見てやる、が、今回は嫌な顔も呆れの表情も見ることが出来ず‥‥言葉にはされずにありがとうと唇だけで言われてしまった。

 正邪の追いかけっこの時にも思ったことだがそれを言われるにはまだ早い、ありがとうを言うのはあの天邪鬼を見つけてとっ捕まえた時にでも言え、そんな風に突き放して返してみてもやっぱり消えない歓喜の鐘を突くような顔。

 小さな顔がニンマリとしているところを見つつ、ほんの少しだけ着物の肩口を下げることにした、こんな顔で見られ続ける事に慣れていなくて、なんだか顔が熱い気がするからだ。

 柄にもなく照れているから、だろうな、これは。

 

「なに赤い顔してんの?」

 

 不意打ちで聞こえてきた巫女の声。

 お前はあっちで人間少女達と楽しそうに、且つやる気なさそないつもの顔で酒を楽しいでいただろうに、なんでこういう時にだけこっちに来るのだろうか?

 

「少し酔っただけよ」

「ふぅん、自前で酔った、ねぇ」

 

 そういうところにだけ勘を働かせないでほしいが、自分で招いた気がしなくもないから何も言わずに少し酔ったと持ち込みの徳利を揺らしてみせた‥‥どうせ、と再度言ったから巫女が来た、そう思い込んでおけば勘が酷いと悪態を付かずに済む。

 言いっぷりと細められる瞳から確実に誤魔化せていないとわかるが、それでも誤魔化す。

 一言で足りないなら他に何か追加するだけだ。

 勘の良さから疑惑混じりの目をする霊夢の気を逸らすならなにがいいか?

 飛んでいないのだ、今ならあたしの能力も効くだろうしそれでどうにでもなるが、そうしてしまっては口の妖怪としての名が廃る‥‥自称もしていないし廃ったところで問題ない名だが、これを言ってきたのは誰だったか?

 霊夢から視点を移し回りを見ると、奥で楽しそうに語らっている魔法使い達が目に留まった。そうだった、あっちの人形遣いから言われたことだったな、黒白と楽しげに話すのは多分魔法についてだろう、人間と妖怪で種族は別だが魔法使いって括りは一緒なわけだし。

 二人を見ていてふと思う、そういえばあれだ、今日は人外が少ないな。

 解決側のツートンカラー五人は当然除外するとして、道教の連中も元を正せば元人間って奴等ばっかり、肩乗り姫もちょっと小さいが小さな人って種族だし括るなら人間の亜種ってところだろう‥‥うむ、なんだこれは、どういうことだ?

 ここは名高い妖怪神社だぞ?

 だというのにあたしとアリスくらいしか真っ当なバケモノがいないなんて。

 これは……間違いなく異変だ。

 

「霊夢、大変だわ」

「なによ、サボり魔」

 

「あいつは魔の者ではなく死神さんよ、それよりも異変よ、異変」

 

 真面目な顔で異変と一言発するだけで、場にいる皆の視線を独り占め出来た。

 あたしの声を聞いて、真剣な顔で真剣に手をかける庭師や落ち着いた佇まいでいるメイド長、八卦炉と大幣(おおぬさ)をそれぞれ手にして気合の入る魔法使いと風祝。

 ついでに道教一派の者からも見られるがあいつらはどうでもいい、あたしの腹積もりを読んでいるだろう大使と娘々だけは何やら笑ってこっちを見ているが、笑うのはもう少し後にしてくれ、でないとバレる。

 肩にいた姫様を頭の上に移して、お祓い棒の一撃から守る盾代わりにした頃、解決する側の少女、その最後の一人、空は飛ぶが浮つかない巫女さんが口を開く。

 

「聞くなって凄い予感がするんだけど‥‥一応聞いてあげる。どういう事よ?」

「人間が多いのよ」

 

「‥‥は?」

「だから今日の宴会、妖怪よりも人が多いって言ってるの、博麗神社の宴会で人間のが多いのよ? これはちょっとした異変でしょう?」

 

 一瞬静かになる宴会場だったが、すぐにクスクスと聞こえ始めた。

 真面目な顔をしていた妖夢も落ち着き払っていた咲夜も頬をゆるめてくれて、妖怪をしばき倒す愛用品を持っていた魔理沙や早苗もソレをしまって、なんだそれといった顔で微笑んでくれる、道教連中もあたしをみてせせら笑ってくれた。

 酒宴の場で注目を集めた者としては上々な冗談が言えた気がして、ついでに霊夢の勘をよそに向けることが出来て、あたしととしては重畳なのだが‥‥紅白巫女の目が結構怖い。

 

「そう、異変、わかった、解決するわ」

「いや、霊夢? 冗談よ、冗談?」

 

「上段は針妙丸に当たるわ、覚悟するならべつのとこにしなさい」

 

 ちがう、そのジョウダンじゃない。

 そんな言い訳は全く聞かれず、一瞬で取り出された封魔の針と退魔の札があたしを襲う。

 少し逸らして後方に飛ぶと、いいぞやれ! なんて聞こえてきた。

 雰囲気から弾幕ごっこ(余興)をしろって事なのだろうが、やられるこっちの身にもなってくれ。

 声援を背に受けてあたしと同じ高さに上がってくる怖い怖い巫女さん‥‥こうなってしまっては逃げられない、腹をくくって本気で空を逃げる。暫く逃げ続けてから途中で針妙丸をぶん投げた、一緒にすんな、共犯者にすんなと叱ってくれた姫を手放すと本気で向かってくる霊夢。

 そんなクソ真面目に退治しようとしなくてもいいのに、そう思ったがこれはあたしの起こした異変だった、それならば真面目に動かれても致し方なしか。

 

 この後どうなったのかなど語る必要もないだろうが、強いて言っておくなら両耳の間、頭頂部辺りが数日間は酷く痛んだって感じだ。



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EX その26 得を納める

 姦しく笑い、それなりに楽しめた神社でのお花見。

 人間や半分人間、それと人間離れして幾久しい連中しかいなかった妖怪神社の桜見物、楽しく騒ぐ最中で異変に気が付いていしまい思わぬ弾幕勝負となったが、あの時の人間が多すぎる異変は一匹の妖怪が退治される事で幕を閉じた。

 あたしの能力を知っているからか、天上に住まう胸元つるぺったん二人が起こした異変の時と同じように、針や御札主体ではなく徒手空拳で迫ってきた異変の解決者。

 霊力の込められた掌底や蹴りを食らいつつも衝撃だけは受けて、退魔の力は肌の表面を沿うように流れを逸らしてどうにか逃げていたが、埒が明かない弾幕勝負に飽いたのか、途中から解決少女が増えてしまって、最後にはツートンカラー軍団にとっ捕まって目出度く南無三された‥‥のはいいが、青金の人形遣いはまだいいとして、赤青マントを着た元人間の現仙人にまで追い掛けられたのは未だに納得出来ていない。

 

 それはそれとて、その異変から数日した本日、再度神社を訪れている、巫女さんに南無三された旋毛(つむじ)辺りの痛みがやっと引いた今日の来訪はその時の一節が理由だ。あの場で交わした小さき姫との小さな約束、あれはただの思いつきだったが他にする事も行く所もないし、嘘吐き妖怪から真を出してやろうかなと、再度神社を訪れて輝く針の姫をお迎えに来てみている。

 いつもの如く鳥居を潜り清めと賽銭放る流れまで済ませ、満開となった桜の下で例の如く一服まで済ませていると、何やら旅支度を済ませたような、常日頃乗っているお碗の船に人形遊び用のバッグを詰めて登場した少名針妙丸。

 大割れ(トランク)手堤(てさげ)の丸型(かばん)が一つずつ、それと肩掛け鞄まで準備して、見た目から長旅しますといった様相だけれど、そんなに荷物を大きくして、一体何処をどこまで探しに回るつもりなのか?

 素直に問掛けてみたら、数日分は詰め込んだからこれで大丈夫! なんて小さな身体を仰け反らせて返答されてしまった‥‥暇な日の時間つぶし程度に考えていたあたしだったが結構な温度差があるな、これは。

 

「そんなに詰め込んで、重くないの?」 

「ちょっと重い、アヤメは荷物少ないけどそれでいいの?」

 

「あたしは煙管とこの身があれば十分よ、贅沢を言えば徳利もって思うけど、今の格好には合わないしね」

「ふぅん、着替えとかはどうするのよ?」

 

 春告精と共に幻想郷に暖かさを知らせる花嵐(はなあらし)を受け、ひらひらと靡いているあたしのスカートやら羽織っただけのコートやらを見て、着替えはいらないのかと訪ねてくる針妙丸。

 そのつもりもなかったし何の準備もしていないが、何か準備をしたところであたしの場合は変わらないか、言った通り煙管があれば十分だ。代えの下着くらいは、と思わなくもないが‥‥垢に塗れる肉体はとうに失っているし、万一何かで汚れたならばちょっと撫でればすぐ元通りになる、便利ねとここの巫女に言われるくらいには自分でも便利だと思えてありがたい在り方だ。

 それよりもだ、人の心配をする前にまずは己を顧みては如何だろうかお姫様、何処まで探しに出るつもりだったのかは知らないが、さすがに持ち出し過ぎだろう。

 パンパンに膨らむ肩掛け鞄の紐を整えつつこちらを見やるお姫様、合う視線から感じられる瞳の純真さとテンションの高さから日帰り前提で来たとは言い出せず、どう誤魔化すかと言い噤んでいると‥‥

 

「あ、そっか、撫でればいいのか」

 

 と、一人で納得までし始めてくれた、からかう事ばかりで姫と深く話す機会はあまりなかったが、この子ってば随分素直で結構思い込みが激しいな、これならば正邪が騙したくなるのもわかるが、ここで日帰りのつもりだったと期待を裏切るような事を言えばその天邪鬼と似たような立場になってしまうか?

 それは少し困るな、あいつに似るほど無鉄砲ではないし天邪鬼でもない、あたしは後先‥‥をあまり考えないところは一緒だったか。

 

「まず何処から行くの? 宛はあるの?」

「宛があったら探しに行くとは言わないわね、何処から行こうか?」

 

 宛は当然ない、宛があるならすでに行ってからかっているだろう、それを伝えるように質問に質問で返すと、行く先はアヤメに任せたと仰ってくれるお姫様。やんごとない御方らしく自分の準備だけは済ませて、後の成り行きは下々のあたしに任せてくれるらしいが、なにやら流れがおかしい気がする‥‥これは元々あたしのお願いだったはず、暇つぶしに付き合えと言ったつもりだったのだけれど、場の雰囲気からすっかりとあたしがお供側になっている気がするな。

 フンスと気合を入れ鼻息荒い針妙丸、二度ほどカバンを叩いてさぁ行くぞと、身に宿るやる気を姿で見せてくれて非常に愛らしい、からいいか。誰の願いだったとかつまらない事は忘れたつもりになって、ここはお姫様のお付きって(てい)でぼんやり探しに出るとしますか。

 フヨフヨと視界に浮かぶお碗を見つつ、僅かに舞い飛ぶ桜の花びらと共に神社を離れると、境内を掃き清める体でいた巫女さんが僅かに微笑んだ、気がした。

 

~漆器飛行中~ 

 

 二人並んで飛ぶ最中、何処へ行けば会えるかと話す。

 追いかけっこをしていたあの頃を鑑みて、天邪鬼らしい逃走経路を思い出していると、隣にいるお姫様が最初に会ったのはあの城だったなと空の高いところに浮かんでいる屋根を見上げた。

 今も沈まずに浮かんだままの逆さ城。

 天辺である地盤の部分は崩落し、地上のどこかに落ち崩れているが、建物自体は未だに残ったままの輝針城、今では九十九姉妹くらいしかいないはずの異変跡地だが、もしかしたらあそこにいるかもな、いないだろうってところにひょっこりいるのがあの二枚舌だ。

 小さな頭の見つめる先を一緒に眺め、天邪鬼っぽい思考に切り替えようとしていると、あそこにいたら早かったのにな、なんて考えを全否定されるお言葉が姫から吐出されてしまった。

 否定を受けそれもそうかと思い直す、針妙丸も霊夢の目を盗んでそれなりに探し歩いてはいるようだし、正邪の性格を読んで初めて出会った場所に向かってみたりもしたのだろう、(なり)は小さな小人だが異変を起こすくらいに器の大きなお姫様だ、頭の方も大き‥‥いのは被るお碗のせいだった、まぁいいか、そこは大事なとこでもない。

 取り敢えず針妙丸の言う通りだと考えを改め、再度頭を巡らせた。

 

 しばし悩むが具体的な目的地を思いつけず風に吹かれたまま漂っていると、今は何処に向かっているのかと問いかけてくる一寸法師、そう言われてもまだ考えがまとまらない、これは全ての意味合いで途方がないかな、などと遠くを眺めて悩んでいると、舞い飛んでくる白い花びらから何となく目につく場所があった。

 ふむ、時間潰しと情報収集、それと顔出しついでにこれも売っぱらってしまおう、未だコートの内ポケットに入れたままだった『すまーとふぉん』を外から小突いて、ついでの姫と一緒に下降し始めた。正面に降り立つと同胞の焼き物が迎え入れてくれる店、あたしとは性別が違うけれど、焼き物と厄介者で少しだけ語感が似ているから、何となく親近感のある招き狸の陰嚢を撫でつつ入口の戸を叩く。下の方に誰かの蹴り後、主に朱鷺っぽいのや黒白の靴跡が残る戸を叩くが店内にいるはずの誰かがいる気配はしなかった。 

 

「香霖堂って潰れたお店じゃなかったんだ」

「屋号は上げたままのはずよ、一応ね」

 

「じゃあお留守?」

「あの男が出かけるなんてそれこそ異変よ、最近は物拾い(仕入れ)にもあまり出ないって言っていたし、多分いる‥‥はずなんだけど? いないの?」

 

 店先に停められた赤いバイク、外の世界で見たようなソレにお碗毎乗って聞いてくる姫に返しつつあたしも訪ねてみた。店の玄関口で上の空を見つめる狸さんにいないのかと問いかけるが当然返事はない、突いてみても当たり前のように動かない狸さん、店主に似て返事も動きもしない相手を眺めていると何やら店の裏手で音がした。

 生物の足音らしいソレを確認しようと『ボンタンアメ』と書かれた千社札のようなものやら、『藍』とデカデカ書いてあるだけの板っぱちを横目に二人で店舗裏へと回る、するとそこにいた、動かない古道具屋。

 

「外にいるなんてどうしたの? ここでも異変?」

「僕だって花見くらいはするよ、ここでもとは、また何か起きたのかい?」

「起きたけどすぐに解決させられたよね」

 

「余計な事は言わなくていいの、それよりも森近さん、少し話があるのよ」

 

 博麗神社の桜とは随分と違った様子の真っ白な桜、それを見上げる大きな背中に声をかけるが振り向かない香霖堂店主、彼が言うようになんでか白い桜を拝むのも楽しいのかもしれないがこっちの華二人を見ても面白いと思うぞ?

 方や小ぶりで可憐な一寸金花(いっすんきんか)、もう片方は懐に話の種を蓄えた艶やかな菖蒲だぞ?

 そう思った通りの事をデカイ背にぶつけてやろうと思ったが、あたしではなく聞き慣れない針妙丸の声が気になったのか、ゆらりと振り向いてくれる森近霖之助、なんだよ、こっちに対しては見飽き、聞き飽きているって態度だったくせに。

 

「ふむ、見慣れない方だね、お客様でいいのかな?」

「第一声で潰れた店だなんて言うやつをお客様扱いするの?」

「な! なんでバラすの!?」

 

「……君の連れを客だと思った僕が悪いね」

 

 隣で喧しい姫を見る金の瞳があたしを見てくるものと同じ雰囲気になる、これは小気味よい。

 森近さんが顔を背けた所為か、一瞬だけ見えた瞳はいつもの通りメガネの奥に隠されてしまい、今見られるのはレンズに反射する白い桜吹雪だけとなる。さて、見慣れたつれない店主の姿を眺められたし、そろそろ今日の来訪理由を話しておくとしよう。

 

「そう邪険にしないでほしいわね、今日は商売の話で来たんだから」

 

 普段は冷やかしてばかりで商取引をしない相手、売買があったとしても顰蹙(ひんしゅく)か反感くらいしか買わせてくれないこの店主に珍しい事を言ってみる。話しながら縞尻尾の先だけを小さく振って、心付け程度に媚を売ってみると、振った分くらいの反応を返してくれるメガネ男子。

 

「生憎だけど、君に売るような物はもうないよ」

「物でなくともいいわ、仕入れの話がしたいだけだもの」

 

「仕入れ?‥‥そうかい、なら中で話そうか」

「あら、やけに素直ね。いつもなら相手にしてくれないのに」

 

「いつもの冷やかしなら無言で終わりだろう? 物有りげに話して僕を釣ろうとするんだ、何かしらはあるって事だと思ったんだが?」

 

 ニタニタと気色の悪い笑みで語っていると、それには触れずに言うだけ言って先を歩き始める強欲店主‥‥いや、ここは慳貪(けんどん)店主と言っておこうか、売れない古道具屋の主人に宛てがうのなら古めかしい言葉の方が似合いだろうし、この笑みも慳貪と評したあの寝坊助(スキマ)妖怪に似ていると言われるし。

 背丈に似合った広い歩幅で歩く森近さん、大きな背中はすぐに裏口へと消えていった。

 

「あたし達も入りましょ」

「流れで入るけどさ、ほんとにここに何かあるの?」

 

 隣に浮かぶお椀を促し、正面に回って店内へと向かう。

 店舗入り口を開ける前に、ここで何かわかるかなぁ、なんて気弱な事を再度口にする針妙丸、あるかないかなど聞いてみるまではわからないし、聞く前から心配する事か?

 何か足掛かりに出来るものがあれば当たり、なかったらなかったでまた別の所を探してみるだけだ、当たるも八卦当たらぬも八卦だと思ったままの事を返してみると『そうよね、探し始めたばっかりだもんね』と、落ちかけた気を持ち上げる姫。

 これはチョロいというよりあれだ、雑な感じがする‥‥が、乗ってるものから鑑みればこれで意外と似合いなのかね、食事用のお碗と言うにはデカイ漆器に収まるお姫様、浮き沈みの激しいどんぶり勘定な感情を宥めつつ、薄暗い店内に歩を進めた。

 

 あいも変わらず静かな店内で好ましい、本来であれば売手と買手が交渉する景色を見られるのが商店だとは思うけれど、ソレがないこの店独特の静寂と雰囲気をあたしは結構気に入っている。

 右を見れば用途の分からない物が乱雑に置かれていたり、左を見れば動作するのかわからないような物が雑多にしまわれた棚が見える香霖堂店内、物に溢れていて目に煩い様子だというのにそれでも静かなこの店。

 古い書架には外の世界で見たような宇宙に関する本があったり『すてんれす』とかいう材質の棚には刻む仕事を放棄した置き時計が置かれていたりと、静かなちぐはぐさが拝めて中々に居心地が良い店だ。

 そんな過ごしやすくて暗い店内に入ると、いつもの椅子には座らずにカウンターにもたれ掛かり、先ほどの話の続きを求めてくる姿勢を見せる店主殿‥‥そう焦るなよ、急いては事を仕損じるし、女を焦らすくらいの甲斐性はあるだろう? 

 

「まずは買い物から済ませても?」

「仕入れの話ではなかったのかな?」

 

「そうよ、情報があれば買いたいなと思って」

「情報? 出不精な僕よりも君のほうが色々知っているんじゃないか? さっきの異変だって僕は知らなかったくらいだよ?」

 

「そこを逆に考える、いえ、逆に考えたい相手の事を知りたいのよ」

 

 カウンターに両肘ついて上半身だけ傾ける伊達男、その横に同じく上半身を預けて語る、並ぶといっても身長差から見上げる形になるがこれはこれで良い景色だ‥‥それもそうか、黒白の恋慕の相手でなければつまみ食いしたいくらいの美丈夫だもの。

 いいオトコを近くで見上げ、目の保養をしながら小出しで話していくと、少し考えた後で組んでいた腕をゆっくりと解く商売人、スッと左手だけを上げ顎に当てると、思いついた事を話してくれた。

 

「お連れ様と話しぶりから何を欲しているのかわからくもないが、そういった話は一切聞いていないよ」

「そう、じゃあ別のモノを買ってもいいかしら?」

 

「まだ何かあるのかい? 無駄話は好まないんだが」

 

 年経た冷静さが伺える瞳で見られ、その冷たさがよく分かる言葉も言われてしまうが、この程度で折れて諦めてしまうほど物分りの良いあたしではない。それにあたしが買いたいものはその冷静さってやつだ、森近さんの返答を受けて隣で浮いてる姫様の顔色も沈んでしまったし、もう少し掘り下げてどうにか表情を浮かばせたい。掘って浮くとかちぐはぐだが、この店で感じるのならば妥当な事だろう、我ながら強引なこじつけ方だとは思えるが、それくらいの強引さがないとこの店主からネタは買えないとも思えなくない。

 

「では無駄なく要点だけ、天邪鬼が隠れるなら何処だと思う?」

 

「その話は聞いていないと言ったつもりだよ」

「聞いた事ではなく森近さんの考えが聞きたいのよ、大事なところが抜け落ちた推理小説を好んで読むくらい好きなんでしょ? ちょっと推理してみなさいよ」

 

「それこそ無駄な時間だと感じるね」

「そこで外での話よ、森近さんの時間を買うわ。コレで買える分だけでいいから偶にはあたしに付き合ってよ、ね?」

 

 ゴソゴソと内ポケットを弄って、渋る店主のついた肩肘、そこに向かってツツッと代金を滑らせる。カウンターに残る右腕にすまーとふぉんがコツンすると、一瞬だけその瞳に興味の色が宿るがすぐに普段使いのつれない色合いに戻った‥‥けれど、餌としては十分だったらしいな、動かない古道具屋の瞳が光るところなど中々見られたものじゃあない。

 気がついたその色には気がつかない振りをして、カウンターの横、非売品が多く並ぶ棚の、何か綺麗な、窓から差し込む光が屈折して七色に輝く棒を見つつそれでどうかと交渉を進める。

 

「それでは買えない、そう言うのならいいわ、にとりにでもあげるから返してくれる?」

 

「どこでこれを? 傷はあるが新しい物だ、視る限り外の世界で現役の機械だというのもわかるが‥‥そんな物が幻想郷に流れ着くはずは‥‥」

「持ち帰ってきた、それだけよ?」

 

「外に出たのかい? 妖怪の君が……いや、今の君なら出られるのか、少し羨ましいね」

「羨んでくれるのは嬉しいけれど、それで? 買えるの? 買えないの?」

 

 態度は平然と構えたまま、口だけで羨んでくれる森近さんに再度交渉してみる。

 コレで代金として適正なのか?

 それが伝わるようにすまーとふぉんに向かって伸ばされる手を逸らして、あたしの方から焦らしつつ問いかける‥‥すると数度のまばたきの後で少し時間をくれないかと聞き返されてしまった、変わらない態度を見て静かな姫はダメかなと感じたようだがあたしは逆だ、先ほどの瞳もあるし、今のこの言い方は考えるから時間をくれって言い方だと捉えることが出来た。

 

「どうぞごゆっくり、思いついたら声をかけてくれると助かるわ、それまでダラダラしているからそのつもりでね?」

「いつもなら追い返すところだけど、今日は僕から望んだ事か。君たちこそ、どうぞごゆっくり」  

 

~店主思案中~ 

 

 午前中の早い時間に訪れた香霖堂、その店内で少し小腹が空いたかなと感じる時間になった頃、今日の昼餉は何にしようかなと別の方向に思考を巡らせ始めた時だ、いつもの椅子に腰掛けて、絵になる悩み姿を見せてくれていた男から声を掛けられた。

 納得してくれるかはわからないが、そんな保険の枕詞を言いながらあたし達に向かって話し始める香霖堂店主。 

 

「結論から話そう、地底にいると僕は考えるね」

「旧地獄ね、当たり障りのない返答に思えるけれど、そう考える根拠は何かしら?」

 

「そうだね、一度は注目を浴びた者だ、姿を隠すのなら陽の目に当たらない場所にいると考えるのが一つ。それに地底の住人はあの騒ぎとは無関係だったはずだ、こちらで名が広まっていてもあちらでは無名なままかもしれない」 

「前者は納得出来るけれど後者はダメね、地底の鬼に知られているから、その読みは外れている気がするわ」

 

「そう急がないでほしいな、まだあるんだ。確か最後に姿を見たのは幻想郷の空だったはずだ、天界近くの空であの笑顔の不吉な娘と争っていたと聞いている‥‥君ならそれは知っているだろう?」

「そうね、あたしが死んだ場所だし、鮮明に覚えているわ」

 

 あんまり思い出したくはないがはっきりくっきりと思い出せる記憶、末端から薄れ霧散していくあたしの事を焦り顔で見てくれた誰かさんの顔、この男は不吉な笑みと言ってくれるがあたしはあの顔が嫌いではない。裏があるのかないのかよくわからない胡散臭い笑み、曖昧で白黒つけないあの笑みをあたしは好いている、それがあたしの在り方に似ているような気がして好ましく思っている。あっちは白にも黒にもならない曖昧さが売りだが、こっちは白と黒が混ざりぼやける灰色具合が売りだ、近いようで同じではない、似ているようで似ていない、そんなちぐはぐさを感じられるあの恩人の事をあたしは‥‥恥ずかしいからコレ以上はやめておいて話の筋を戻そうか。

 

「それで、あたしの死に場所がなんなの?」

「君の死所ってところはあまり関係しないね、場所だけに掛かるんだ‥‥『空』という方に関係があると僕は見立てたよ」

 

「……なるほどね、最後に見たのは空の上、ならば次に見られるのは」

「地の底‥‥どうだろう? 天邪鬼らしい考え方にはなっていないかな?」

 

「十分よ、納得も出来たし合点もいったわ、ありがとう森近さん」

 

 クールさを匂わせて饒舌に語った色男、目を合わせて少し語らったがこれはこれは、非常に有意義な時間を買い取れたなとほくほく顔で笑んでみた。あたし達のやり取りを見ていた姫も、次の目的地が明確になったからか、お碗とともに表情も浮かばせてくれた。

 売り物のない店などと言ってばかりいたが、偶にはここで買い物をしてみるものだと笑んだまま店主を見つめ続けると、納得してくれたのならコレをどうにかしてくれないかと、手元で逃げるすまーとふぉんを見ながら話す店主殿。

 買い取った時間が終わったらそうやってすぐに別のモノを見るのか、なんて事も考えたけれど、強く想う黒白には釣れない態度しか見せないし、あたしにも素っ気ない態度しか見せない伊達男が頼み事をしてくる姿も悪くない。

 そう感じた事にして、能力を解除し携帯電話を手渡した。

 求める物を手に取れて幾分顔が明るくなる男。

 いい女が二人もいるのに、女より物か、そんな事だから朴念仁なのだと内心で思いつつ、いささか遅くなってしまったが今日の昼餉は独活(ウド)にしようと決めた。

 いつだったか思いついた時には出回らない季節だった為食えなかった物だが、春まっただ中の今時期ならば人里にでも行けば食えるだろう‥‥食生活の乱れきった店主を眺めて季節の食を思いつくのも皮肉に思うけれど、そんなちぐはぐさが好ましいのだったと自分を納得させ、好ましい空気が篭もる店を後にした。



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EX その27 腹に納むは?

 売れない店のつれない男から聞けた名推理、それを頼りに向かうは地底、のはずが目的地に向かう前に少し道草食ってからと姫を誘って空を漂う。地底へと続く妖怪のお山へ向かうなら北東へ飛べば着くのだけれど、そっちには向かわずに吹かれる風に任せて漂っている。

 正邪がいるだろう場所にはアタリを付けた、後は行くだけで考える事があまりない。

 だからもう興味を失ったのか?

 そんな風に取られても致し方ない今の動き方だが、これには少し理由がある。理由といっても単純な話で、香霖堂を後にしてすぐに鳴ったあたしの腹がその理由だ、今の身体は亡霊さんで、鳴る臓腑など詰まっていない煙の体というに、それでも何故か鳴り出す腹の虫。

 外の世界でも感じたが、ないのに鳴るのは何故なのか?

 あちらの世界では習慣の一言で済ませたが、幻想郷に戻ってきてから少し考えたことがあった。その結果そうなのだろうなという原因というか、理由は思いつく事が出来ていた。中身がないとはいえ何かを企む腹は未だに残ったままにあるし、何かに対して気に入らないと腸が煮えくり返る‥‥まで熱くなることはないがこれは言葉の綾として、そのような気持ちを覚えることもある。

 そんなよくある簡単な事から得られた思いつきだが、これが思い込むにはいい理由となってくれたようで、この発想を得てから死んでも変わらずにいられていると再認識出来ている……なんとかは死んでも治らないと言われそうだが、それはそれだ、どうでもいい。

 と、原因を思い返していると再度鳴る腹の虫、誰に対してかわからない言い訳なんか考えていたからか、何かを収めさせろとあたし本体に語るようにコロコロと鳴る。

 

「そういえば何も食べてないね」

 

 黒く成りきれなかった腹が静かに鳴ると、一緒に店を出たお姫様が代弁してくれた。

 ネタも仕入れたし、このままその楊枝のような針の剣でも咥えて正邪探しに東奔西走するかと思っていたが、針妙丸から言い出してくれるとは、誘いやすくてありがたい。

 

「そうね、ちょっと早いけど行きつけに顔を出してみましょうか?」

「行きつけ? あぁ、里の甘味屋さん?」

 

「そこでもいいけど今日は別の場所よ」

 

 何処? と椀の中から問いかけてくるリリパットのお嬢様。

 簡潔に尋ねられたが目的地は話さずに、フンフンと小さな鼻歌をヒント代わりに口ずさんで、暖かく霞む幻想の空を飛び進んだ。

 着いた先はあたしの縄張り迷いの竹林、ここに向かって来たのにも当然理由がある。これもこれで短簡(たんかん)な話で、一旦帰って家にいるだろう赤い髪にちょっとお出かけしっぱなしになるかもと伝えておこうと思って、竹林と、話しに出た人里を繋ぐ道の丁度中間くらいで営まれる屋台で腹を満たそうというのがあたしの腹積もりだった。

 が、今はまだお天道様が傾き始めたかなという頃合いで、夜に生きる雀の屋台に()(とも)るには早い時間帯、今から行ってもまだ早いとわかっちゃいるけれど、思いついたらそうしたいのがあたしである。店自体はやっていないだろうが開店準備に勤しんではいるはずで、行って少し手伝うなりすれば何かしら食わせてもらえるだろう。いつだったか施しは嫌だなんて語ったこともあったけれど、働いた手間賃と考えれば施しとはならない、そう都合よく捉え、お碗とともに飛行した。

 

 駘蕩な春風とうららかな午後の日差しを身に浴びつつ、悠悠と向かった屋台。

 珍しく飛来すると少し前に着いたのか、煙に燻され(むら)のあるテカリが伺える黒竹の竿に、四枚割れで生地が厚めの暖簾から、薄手でひらひらとした同じく四枚割れの涼簾(のれん)へと通し直している最中の女将が見える。急急と準備に精を出す女将に向かって軽々しい歯笛の音を響かせると、耳っぽい羽をピクリとさせて空を見上げる夜雀の妖。

 

「相変わらず開店前の方が忙しそうね」

「常連しか来ないもの、アヤメさんが準備中に来るなんていつ以来?」

 

 見上げる形から見慣れた少し上目遣いの視線へと移ったミスティアに、立てかけられているあたしの指定席を煙管で指しつつ、空いている狸の手を貸しましょうかと問いかける。

 四枚割れの『目』部分を通している、もうすぐ女将になる夜雀へ右の平手を向けてみると、ニコリと微笑まれ指しているものを定位置に降ろしてと頼まれた。顔に愛嬌を浮かばせたミスティアに同じく、こちらも愛想を浮かべて笑い返し、いつもの位置にくるように腰掛けを降ろしていると、背中側で始まる二人の会話。

 

「そちらの小さなお客さんも、提灯広げるの手伝ってもらえる?」

「私も?」

 

「そうよ、久々のご新規さんなんだし、早くもてなしたいもの」

 

 透明さを感じさせる澄んだ声、詠うには十二分と思える声色で新規客をとっ捕まえて、そのまま顎で使おうとする商売人だけれど、初めてのお客さんに手伝わせるのはどうなんだ?

 そんな事をさせれば客としてついてくれそうにない、寧ろ離れていってしまいそうなものだが、この気安げな物言いは自称常連のあたしが連れてきたからだろうか?

 あたしの時はこんな感じだったか?

 自身も誰かに連れられて来たような気がしなくもないが、誰に連れて来てもらったのだったか?

 少し考えるが相手が思い出せない‥‥

 というか、小さいと言われたのに怒らないとはどういう事か?

 あたしはちっこい言うなと輝く針で突かれたのに。

 あれか、小さいならいいのか?

 ちっこいと、方言ではない正しい言葉ならば怒らないって事なのか?

 どちらにせよ意味は一緒だろうに、やんごとない出自だから綺麗な言葉遣いならいいってか?

 などと普段通り思考を逸しかけたが空きっ腹で頭が鈍いからか、そっち方面には行ききらず、すぐに冷静さを取り戻すことが出来た。返ってこれたし思考を切り替えようか、こういう時のどうでもいいモノは考えてもキリがない、霧の怪異がキリにこまるなど滑稽だが‥‥と、再度現実から離れそうになった頭を、不意に香ってきた香ばしいタレの匂いが引き戻してくれた。

 さて、どうにか帰ってこれたし話の腰にでも混ざってみるか。

 降ろした長腰掛けにどかりと座り、顔は見せずに背中で語ってみる。

 

「働かざるもの食うべからず、って姫は言われた事はない?」

「ん? アヤメさんなにか言った? 姫?」

「霊夢に言われてるけど……よし! それを広げればいいのね?」

 

 姫専用お碗をあたしの隣に着席させて中身だけになると、ガサゴソと音を立て提灯を手に取り伸ばしていく針妙丸。足りない立端(たっぱ)を立てに伸ばして、自身の上背よりちょっとだけ高さのある提灯を伸ばそうとしているが、伸びとともに横に広がる提灯の胴回りのせいで伸ばしきれないでいるようだ。手を出してもいいけれどあたしはお駄賃分の手伝いは済ませたし、こいつにも何かしらしてもらわないとコイツだけタダ飯食らいとなりそうで、それは常連客としては面白くない。

 蛇腹が後三段上がれば伸びきるのにどうしてもそれが伸ばせない姫、ぷるぷると袂を揺らして頑張る姿は健気で良いがこれでは準備が進まない‥‥なら少し強引にでも開店準備をしてしまおう、手は出さず口だけ出してみる事とした。

 

「内側から持ち上げれば届くんじゃないの?」

 

 内側? と頭を傾け、袖に負けずに髪も揺らして考える仕草を見せた後、すぐに思いついたのか、提灯の真ん中に立ち、黒塗りの重化(じゅうけ)手妻(てじな)の金輪でも持つように掴むと『せーの!』という掛け声と共に万歳しながら伸びをする‥‥そこそこの勢いで伸びる和紙の提灯に八つ目の文字が綺麗に浮き出ると、代わりに姫が綺麗に消えた。

 ぶっつけ本番で瞬間移動マジックとは、名手品師で素晴らしい。

 

「あれ!? これ出られないんじゃ?」

 

 綺麗に伸びた提灯の中で何やら消えた誰かさんの声がする、ニヘラと笑いつつ上から覗いてみると、ちょうど見上げていたお姫様と目が合った。

 

「なにその顔‥‥あ! こうなるってわかってて言ったな!」

「やる前からそうなるってわかるでしょうに、出してあげるから、手、伸ばして」

 

 やり取りを見て綺麗な笑い声を立てるミスティアを袖にして、真っ直ぐに腕を伸ばしてきた針妙丸の手を取り釣り上げる、姫の足元で光る蝋燭用の針に注意しつつ真っ直ぐ摘み上げると、そのままの姿勢で文句を言いそうな顔を見せてくれる。

 けれど、口撃を吐かれる前にその小さな腹から何か音がして、一拍置いた後にあたしの仄暗い腹も鳴った。

 

「フフッいい音色も聞けたし、じゃれてないで静かに待っててくださいな」

 

 互いに顔を見合わせてから何も言わずに互いの腹を見るあたし達、少し恥ずかしそうに口を引く付かせる姫とまた聞かれて少しこそばゆいあたしが視線だけで気まずさアピールをし合っていると、夜雀が話しながら屋台側へと歩き入る。店主側の立ち位置に立つと、一度耳をピクリとさせてピアスを揺らしたミスティアが手拭いを頭に被る。これで寒い時期なら和服にたすき掛けとなるのだろうが今は春、普段のジャンパースカートの上に割烹着を重ね着するだけで愛らしい夜雀女将と変わると、生きた食材を手早く捌き、リズムよく串を打った。

 

「さて、アヤメさんはいつものとしてそっちの、ええと」

「今日はおかず代わりにするから蒲焼きでいいわ、そういえば挨拶くらいしたら?」

「おぉ、これは失礼しました。流れに飲まれて忘れてたわ」

 

 あたしは見ずに、拭きあげている途中のカウンターを見ながら姫に尋ねる女将さん、女将の台布巾が姫の手前まで来た辺りで自己紹介でもと促すと、その手を止めてカウンターに上がり込む針妙丸。これから食事が並ぶ場所に上がるなどさすがにはしたない、また摘み上げてポイ捨てでもするか、そう考え手を伸ばしかけるが摘む予定だった袖と裾を外に払って綺麗に座り、カウンターに両手の平をハの字で揃えて名を口上する少女。

 少しばかり仰々しい挨拶を受けて、あらあらと困りながらも笑みを絶やさないでいる歌う夜雀。

 

「丁寧なご挨拶確かに頂戴しました、お姫様」

「あれ? 女将さんもそう呼ぶの? というかアヤメもそう呼ぶけど、なんで?」

 

「私はアヤメさんがそう呼ぶから、そっちは何故でしょうねぇ」

 

 前と右を見比べてそう聞いてくるが、なんでだろうな、きっと初めての会話で口について出たからだろうな……最初は素直に見た通り、鉢かづき姫っぽいと思ったから呼んだだけで特に意識して言ってはいなかったはずだ。人の話を聞けない妖怪などと言われ、それならばそれらしく言い続けてみようと思っていたような気もするが、今は雄々しい本名よりも姫って愛称の方が可愛いから、とはっきりとした理由があって姫とそう呼んでいる。

 けれどそれは教えない、言えば付け上がるまではいかないだろうが、バランスの悪そうなお碗の上でふん反り返ってしまいそうだから。それに今は姫のお付きって(てい)で動いているし、従者としては御名を呼ぶよりも姫と呼ぶのが筋だろう。

 

「探し人がそう言っていたからよ」

 

 問う瞳から感じられる、気になる視線を誤魔化すように、誰かさんを真似たように小生意気に鼻を鳴らす。スンと鳴らしたついでに焼けていくヤツメウナギの香りを楽しんでいると、返した言葉を気にした姫がちょっと真面目な顔で呟く。

 

「あ~‥‥確かにそう言われてたわ」

 

 思い当たる節がある、そんな顔で見てくれるが当然だろう、本人から聞いたしこの場所も節の目立つ木々しか生えていない場所だ‥‥けれど、おかげさまで本来の理由は話さずに済んだ、してやったりと意地悪に笑んでみせると今度はもう一人から突かれた。

 針にしろ嘴にしろそう突くかないでくれ、毛並みが禿げては困ってしまう。

 

「探し人? またお節介焼いてるんですね、変に世話焼きなんだから」

 

 人間が一生かかるらしい『焼き』ってやつを自然な流れで行う職人さんから案の定余計な事を言われてしまう‥‥が、もう訂正するのも面倒だしそれでいいや、否定も肯定もせずに今日の流れを少し話してみる。

 

「今日は焼いてもらってるのよ、あたしの暇潰しに付き合ってもらっているのよ」

「また、そうやって誤魔化すから面倒だとか言われるのに‥‥まぁいいわ、そういう事にしてあげます」

 

「そうそう、それでいいわ。人の事を弄ってないで手元を弄りなさいよ、そっちは誤魔化し無しの楽しみとしてるんだから」

 

 そうやってと言ってくれるが、あたしから騙しや誤魔化しを取ったら何が残るのか?

 厄介と面倒しか残りそうに‥‥あぁ、愛らしさが残るな、それならいい気もしなくもないが取られてしまったら化狸ではなくなってしまいそうだ、それは非常に困る。唯でさえ枠組みから片足出てるような状態なのだから、それは堪忍して欲しい。

 どうにか誤魔化そうと目についた焼き物を眺む、そろそろいい感じに焼けてきた屋台名物、見た目や漂う香りからもうすぐで頃合いだろう、話を聞いて姫の方も顔に期待を浮かばせているようだし、あたしの方も旨いと知っているモノは旨いままに楽しみたい。

 ソレを隠さず素直に言うと、ふふんと笑ってくれた女将。

 

「はいはい、期待を裏切らないように頑張りますよ」

 

 女将から笑ったままで返ってくる言葉、それを聞いてその後に続く言葉がありそうだなとも思えたが、そこは気が付かない事にした‥‥これがあたしであれば、誰かさんと違って、などと付け足すけれどこの女将はそこまでやさぐれてはいないはず。

 その考えを肯定するように、捻くれていない夜雀女将が手首を返してうなぎを焼く。

 良い音を立てているヤツメウナギの脂が落ちる。

 その度に漂う煙を眺め、これでも取り込めればもっとウマイいい女にでもなれるかな?

  なんてどうでもいい事を考えつつ、座して待ち侘びた。

 

~少女堪能中~ 

 

 満ち足りるほど食った、とは言えない、腹六分目くらいに抑えたところで食後の一服を済ます現在。平らげて空いた小さな音符柄の描かれる焼き物皿を女将に返しつつ、人のおかずを横からつついてくれた姫を眺めながら吐いた煙をなびかせていると、小さなお皿を綺麗にした、同じく小さなお姫様が両手を合わせた。

 

「ご馳走様でした、ヤツメウナギって美味しいのね、なんかコリコリしてたわ」

「フフ、お粗末さまでした。軟骨美味しいでしょう? 腱みたいな食感で私も好きなんです」

「腱ねぇ、あれは筋張ってる感じがして好みじゃないわ」

 

「そういえばアヤメさんもそうでしたね、新鮮で若い奴なら筋張ってもいない気がするわ。それにコラーゲンが豊富らしくて、肌にいいらしいんですよ」

「ふむ、そう言われるとわからなくもないのかしら? 牛すじみたいなものだもんね、あれも」

「二人して何の話? ケンってどのケンよ?」

 

「それは‥‥まぁ、ねぇ?」

 

 皿を引き下げると鳴き声よろしく珍々(チャッチャ)と洗い物を済ませる女将、手と目は皿に、耳と口はあたし達に向かって使い器用に両方こなす出来る料理人とある食材について話す。すると口を挟んできた針妙丸、それなりに満ちたのか撫でていた腹から腰へと手を動かして何の話かと見上げてきた。また質問か凝りないな、なんて見下ろしながら煙を吐くと、煙の奥で、ねぇ、と苦笑いしている女将が見えた。

 何か言い淀む事なんてあるか?

 困り顔の理由を考えるがすぐに思いついた、針妙丸も妖怪だけれどあたしやミスティアのような完全な人外とは言いにくい見た目だ、ちょっとだけサイズが慎ましやかなだけで尻尾もなければ羽もない姿だ。小さいだけで人間と左程変わらない見た目、そんな相手に食材をバラすのは気が引けるってところだろう、ならここは誤魔化すとしよう。 

 

「当然飯の話よ、牛すじって言ったでしょ? ここのおでんダネにもあるけど、それも美味しいって話、ねぇ女将?」

 

 テキトーでそれっぽい話を振るとこっちを向いたなぜなに少女、この屋台で食える腱の話を少し話すとそれはないの? なんて今度は女将へと視線を向けた。

 筋の話を振りながら話の筋もちょいとずらす、ついでにあたしからズレ見られなくなった視線の裏で、目を合わせている女将に向かって唇を尖らせ声無く囀って見せた。 

 

「あれは冬場だけなんです、寒くなったらまた寄ってくださいな」

「冬だけかぁ、残念。でも、おでんもいいなぁ」

 

 音無く鳴らした口三味線は仕草だけできちんと通じたようで、あたしの話に合わせ嘘のセッションをしてくれた女将さん、さすがに歌い手さんだ、楽器に合わせるのはお手の物らしい。返答を聞いて残念がるお姫様にごめんなさいねと、断りつつも上塗りをして後の客まで得ようとする名女将っぷりを見せてくれた。

 先程の困惑するような顔色ではなく後の楽しみとしておけと言うような、どこか誘うような雰囲気を見せる苦笑を浮かべ、お詫びに一節と咳払いをするヴォーカリスト。

 

――さくら~さくら~♪ じんじゃもつかもみわたすかぎり~♪――

――春風や~教えておくれ~♪ 明日のおかずと今晩のおかず~♪――

――さくら~さくら~ さくらを見ている愚かな人間をさらえ~♪――

――桜を切ったら叱られた~♪ 正直に言ったら感動された~♪―― 

 

 女将が歌い始めると最初は『ん?』という顔をしていた針妙丸、けれどもノリの良いメロディーや聞き惚れる歌声に負けたのか、楽しげに笑み始めた。

 あたしは何度も耳にしているしこの歌は花の異変でも聞いている、その為違和感などとうにないが、初めて聞くには確かにアレな歌詞なのかもしれない、どこか聞き覚えのあるメロディーにノセるのはやっぱり聞き覚えのある歌詞。省略しすぎていてよくわからないがソレもソレでいいのだろう、若者に人気があるって話だし、古狸であるあたしにはわからなくて当然だ。

 それでも耳馴染みはいいし小難しい事もなくて、ちょっと耳を傾けるには最適だと思える女将の音楽活動、姫も楽しそうだし、楽しいのならなんでもいいなと煙管咥えて聞き入った。



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EX その28 和合の衆

 ちょっと嵩張(かさば)る風呂敷包みの土産を携え、ちんたら進むは枯れ葉道、季節は春になったけれど、ここ迷いの竹林の地面は秋冬に蓄えた枯れ葉に覆われていて、足元を見るだけではまだ春らしくないなとも思えるけれど、他の部分ではしっかりと暖かな季節を感じ取れていた。

 足元では乾いた音を鳴らしているが、その少し上、膝や腿にはスカートのスリットから風が入り込み、少し冷たい春宵の頃を肌に覚えさせてくれる。もう少し上がった辺りの開襟シャツの開いた胸元や、肌着の脇が空いた黒インナーからも宵風は感じられるが、上半身はまた別のモノを感じている為こちらは特に例えない。

 その身体の上の方で感じるのは右肩にかかる少しの重み、原因はお姫様、赤い着物から緑の和服へと着替えた姫がいるせいで、あたしも肩辺りがほんのりと温かい‥‥のは好ましいが、その姫の髪から僅かに香るお酒の匂いと、見慣れず似合って見えない緑の着物が鼻について変に可笑しい。

 

「荷物が多くてよかったわね、濡れても着替えがあったんだもの」

 

 濡れ窄み少し小さく、色濃くなった紫髪を口の端だけで笑いつつ話す。

 すると、一瞬だけ苛立ちを瞳に込めて見返されるが表情通りの言葉は飛んでこない、代わりに飛んできたのはやらかしたという蹉跌(さてつ)の声。

 

「う~ん‥‥ちょっと詰め込み過ぎたわ、失敗失敗」

 

 酒臭い頭であたしの持つ荷物と顔を見比べている針妙丸。

 粗相、というか自爆か、ソレをやらかしてからは凹んだり開き直ってみたりしていて、何やら落ち着かない素振り、今も手拭いで雑に水分を取った髪を撫でつつ失敗だと述べている。

 

「とりあえずその頭と服をどうにかしないとね、酒臭いのが肩にいたんじゃ飲まずに過ごした意味が無いわ」

 

 あたしの肩を腰掛け代わりにしている針の姫、そいつに向かって悪態を吐くと素直にごめんなさいと頭を掻いた。大概は大きめのお椀に乗って、それより小さめのお碗を被った姿でいるが、今は乗りも被りもせずに人に乗っている針妙丸、なんでまた彼女がこうなっているのか?

 腹ごなしを済ませ屋台を出ようとした時だ、手伝いのお駄賃として食わせてもらった物なのに気に入ったから代金払うわと、大きな荷物のどこかにしまい込んだガマ口財布を探す最中、お碗をひっくり返し一升瓶を倒したせいで、今の酒臭い一寸法師の出来上がりとなっていた。

 

「洗い張りしないとダメかなぁ?」

 

 人の髪を手すり代わりにしている姫が、枯れ葉積もる地面を眺める。

 洗い張りか、これが全身ずぶ濡れとなっていたのならば必要だろうが、幸い頭から被った程度で済んでいるのだ、ならば乾かすだけでいい気もしなくもない。

 

「浴びたのは頭だけで、服には少し飛んだだけでしょ? アルコールだし乾かすか、最悪染み抜きだけでいいんじゃない?」

「それで済めばいいんだけど‥‥気に入ってるのになぁ」

 

 先ほどとは打って変わって、頭は竹林の空を見上げ氣は落とす姫様、安物の染み抜きくらいなら出来なくもないけれど、針妙丸の着物はあたしにさとりが譲ってくれたアレと同じで正絹(しょうけん)着物ってやつだ。手入れが大変だが他の繊維に比べて光沢があり、通気性や保温性も悪くないし、厚い生地でも柔らかめでしなやかさがあり着心地が良い、所謂高級品ってやつだな。

 素人が下手にやると縮んだりしてしまうくらい面倒な生地ではあるけれど、あたしは汚れには縁遠いから問題ないが‥‥姫は気を使っていたのだろう、乗り物としてくれている姫が肩の上であばたのような凹み顔だ。少し前からこんな風であまりに浮き沈みが激しいものだからちょっとだけ可哀想に思い、取り敢えず自宅に寄って干すくらいさせてあげようと思っていたりする。

 

「どの辺? もうちょっとで着くの?」

「もう少しよ、そろそろ見えるわ」

 

 先を見やる肩乗り姫様にもう少しだと説明を入れると、話している間に見えてきた誰かの住まい。ぱっと見は結構なボロ屋だけれどもそれなりに手入れはしており、隙間風が吹くような穴や雨漏りがするような孔はない平屋。外には薪割り用の台座があるだけで斧はない、煙管か手刀で割れるので斧は必要なかったりする、最近はこれにドラムスティックという代わりの斧もあるにはある一軒家、まぁなんだ、あたしの家だ。

 ドラムスティックで思い出したが、いるかいないかわからない雷鼓への言伝は今はついでとなっている、現在はとりあえず重そうな荷物を一時預かりしておくかと、我が家に向かって歩いているところだ。 

 

「あれかぁ、なんか思ってたのと違うわ」

「参考ばかりに聞くけれど、どんな家だと思ってたのよ?」

 

「家っていうか‥‥洞穴?」

「悪くない発想ね、そんなところに住んでいた事もあったけど、今はあそこがあたしの巣よ」

 

 そうなの? と問いかけてくる姫にそうなのと雑に返し、内心では別の事を思う‥‥いつかの魔法の森で見た、古く暖かであまり思い出したくない夢を思う。あの時の夢も暖かな光を感じる場面から見られた、その光を求めるように穴蔵から這い出すと待っていたのは小さな子供、笑顔のままで抱きついてきて幼子の温もりを届けてくれた童子の顔。今になって考えればあれも春っぽい温かさだったのかなと思えなくもない、心地良い温かさだったが僅かな時間が過ぎればなくなる温かみ、あれは春って季節には似合いの温もりだったのかもしれないなと、子供の顔を思い出せなくなった今になって感じ取れた。

 

「お、灯りが点いてる」

 

 少し前に見た昔の事を考えていると、今を生きる姫様の声が現実に戻してくれる。

 言う通り我が家には灯りが見え、誰かしらがいるのがわかった。

 

「誰かいるってだけでしょ、いつもの事よ」

「誰かって‥‥あぁ、あの付喪神か」

 

「かもしれないし、別の誰かなのかもしれないわね」

 

 いるとすればあたしの太鼓かその回りにいる楽器連中、もしくはちょっと前に連れてきたお面の付喪神も可能性としてはあるか、あのスキマと兎詐欺はいるというか、最早いて当たり前に近いから頭数には含まない‥‥後は鴉の二人かどちらか一人、妹妖怪も来るがあれはいてもわからんし、これも数の内に入れられないな。

 置かれている湯のみの数は七つくらいのはずだが顔を出す奴等はソレよりも多いな、暇な天人も来たしその付き人役も来た事があるか、そこにいたりいなかったりする鬼も来て人を殺めてくれたのだったか。天邪鬼も見た気がするし、なんだ、昼間に訪れた店よりも我が家の方が流行っている気がするな‥‥

 

「……アヤメの家なのよね? それとも集会所を間借りしてるの?」

「あたしの家よ、集会所ってのはあながち間違っていない気もするけどね」

 

 ふむ、その言い草は言い得て妙だ、来る者は拒まず去る者は追わず、そんな感じで日々を暮らしているあたし、荒らさないのなら誰が来ても気にしないし、誰かが来たところでもてなしたりはしない。あたしが進んでお茶を淹れたりするのはあのスキマと兎詐欺くらいか、他の連中にも出したりしているが、それは一服している最中だとか飯時だとか、こちらのタイミングに来たからついでに出しているだけだ、狙って出しているわけではない‥‥はず。

 暗くなり始めた竹林の中、小さく灯る我が家を見つめ、今日は誰が来ているのかと足を止めて眺める、が、止まってすぐに揉み上げあたりを軽く引っ張られ、取り敢えず行こうと先をせっつかれた。まぁそうだな、考えても致し方なし、帰ればわかる事か。

 上半身、右肩に感じる春っぽい微細な温もりを楽しみつつ、誰かが灯した迎えの明かりに向かって歩みを進めた。

 

~少女帰宅中~

 

「あ、お帰り」

「お帰り~、お、姫だ~」

「ただいま?‥‥姉妹揃ってなんでいるの?」

「ただいま、誰が来ているのかと思えばあんた達だったのね」

 

「なんでって、打ち合わせとかで偶に来てるのよ?」

「そうそう、今日はちょっとした用事で来たんだけどね~」

「用事を作って来るなんて珍しいわね」

 

 我儘な鬼っ子や我の強い天邪鬼に抜かれたり外されたりして、少し動きの悪い玄関扉を開くと目が合った二人。琵琶もお琴も久しぶりに見る気がするが、特に驚くような相手ではないから気にせずに挨拶済ませ、姫を風呂場に下ろしてから携えていた荷物を開く。

 卓につく二人に並んで座ると、降ろした姫が奥で騒ぐ、どうやらサイズがデカイらしくて自分一人じゃ水を張るのも火を入れるのも大変なようだ。帰宅の一服ついでに煙管に火を入れ煙を流す、長い管のように煙を硬め流しの蛇口と繋いで撚る。姫のサイズなら足首分も貯まれば十分だろう、そのまま少し放置して溜まった頃に妖術で火を入れた。

 

「なにそれ、お土産? ちょっと酒臭いね~、飲んできたの~?」

 

 姫の『もうい~よ~』が聞こえてきたので水を止める、キュッと蛇口を捻ると『ありがと~』も聞こえてきた。少し話したらあたしも入るつもりだし先に少しでも湯があれば後で楽だ、これもついでとして、この感謝は聞くだけで返事はしなかった。

 そうして姫をシカトして屋台で借りた女将の風呂敷、三羽の雀がチュンチュンと飛び回っている姿の描かれたソレを畳んでいるとお琴の妹が寄ってくる。

 

「酔うほどではないけれど、着物と姫の頭が少しね。こっちも大半は姫の荷物よ、そういや雷鼓は? 一緒じゃないの?」

 

 問いかけてきた妹に返答すると『石鹸とかあったら頂戴』なんて聞こえてきた、霧雨の道具屋で買ったものの残りがまだあったなと台所の戸棚を見ると視線の先に動く八橋、そのまま探して持っていってくれた。妹役ってのはやはり気が利いて妬ましいな、なんて眺めていると、先の会話のお返事を姉の方から頂戴出来た。

 

「だから帰宅早々で風呂なのね。雷鼓は里に楽譜取りに行ってるわ、私達は留守番中」

「そ、ならお留守番してくれてた二人にお駄賃あげるわ」

 

 ゴソゴソと姫の荷物とあたしの荷を分けていく、普段は乗っているお碗と蓋の両方を取り出して中から包みを取り出した。中身は八つ目の焼いたやつ、本当は自分のアテ代わりだったのだが留守を守ってくれた相手に差し出すにはちょうどいいだろう。

 対面で見ているだけの姉と隣に座っていた妹の間くらいで包みを開く、さすがに少し冷めてはいるだろうが見た目も味もそれほど劣ってはいないはずだ、焼き待ちの間に姫は濡れて、それから真っ直ぐ帰ってきたわけだし。

 湯気立つほどではない、天狗の丸文字が見られる包紙に触れれば温かいかな、くらいに冷めてしまったヤツメウナギだったけれど琵琶の琴線を引くには十分だったようで、いいの? と目で聞いてくる弁々、当然とわかるようにどうぞと平手で促した。

 その流れを見ていたのか、戻ってくる途中の八橋が流しに寄ってテキトーにあたしと雷鼓のお箸を取り出す、四本握って卓に戻りそのまま姉に差し出すお琴な妹。使い終えたら洗ってくれると知っているから構わないが、この姉妹のどっちがどっちのお箸を使うのか?

 それが気になり、荷解きする振りをしてチラチラと眺めていると、あたしの方を手に取った弁々と一瞬だけ目が合った。

 

「あぁ、アヤメも食べる?」

 

 人のお箸を使う奴から問われ、返事なく口だけ開けるとほれと口に運ばれた、姉役も姉役でそれらしく面倒見がよく妬ましい。差し出された身を舌で味わうと思った通り少し冷めているが、味も風味も問題ないな。土産として喜んでもらえるものか、それを確認するようにモグモグと咀嚼しつつ、分けた荷物の姫の方からお酒の香る着物を取り出した。

 お人形遊びにでも使えそうなサイズの赤い着物、立場からもわかるが触れたおかげで余計に上等な物だというのがわかる、どこまで濡れたのかと嗅いでみると焦って頭をかばった時に濡れたらしい袖だけが酒臭かった。

 

「いつもの姫の着物だね‥‥酒臭いのはそれか~」

 

 そういう事だと知らせるように濡れた袖を摘んで見せると、姉妹揃って鼻を鳴らす。ひくつかせた顔そのままに二人してこちらを見てくれるが、この視線には覚えがあるな、こうやってまたかと見られる時は十中八九あたしのせいだと思われている時だ。普段が普段だからそうとられても仕方がないとは思えるけれど、これもあたしのせいにされるとは、人を何だと思っているのかこの姉妹は。それでも身に覚えがありすぎるし、口内に物も残ったままだから何も言い返したりはしない‥‥が、これをやらかしたのはあたしではなく姫本人だ。

 ソレくらいは教えておこうと思わなくもないが、いいか、やっかみはあたしの糧だ、このままにしておこう。

 

 濡れて色濃い小さな着物、それの特に酒臭い部分、袖の下の袋部分を見つめ、このままにしておくとここだけ染みやら跡にでもなってしまいそうだが、あたしに出来る事もなく、どうしたもんかと首をひねる。

 頭の向きが捻くれると、視界にはウマイ魚を食べながら人の白徳利に手を伸ばす妹が収まった。飲みたいなら飲んでも構わないが手を出す前に一言くらい断れ、躾とまでは言わないがその心が伝わるように、わざとらしく右手を徳利に向けて能力を使う。八橋が手を伸ばすとその度にあちこちに動いていく徳利、数度繰り返した辺りで手から逸れる徳利とあたしを見比べる琴古主。

 

「呑んでもいいけれど、呑む前になにか言う事ないの?」

 

「ケチ~、どうせ減らないんだからちょっとくらいいいじゃな~い!」

「おねだりも出来ない相手にはケチなのがあたしよ。それに、無くなりはしないけど減りはするのよ?」

 

「そうなの? 無限に湧いてくると聞いてるけど」

「雷鼓から聞いていたのとは少し違うのね」 

 

 無邪気で悪戯好きな妹と話していると姉の方も混ざってきた、二人して土産を食べ終え妹は後ろに反ってこちらを見る、姉の方は肩肘立てて頬杖をつく姿。姉妹のわりにはあんまり似てない姿だが、興味を持つ対象やノリの良さは似ているのかね?

 それなら二人同時にからかってみるか、偶に顔を見せてくれたわけだし、姫の風呂上がりを待つまでの暇つぶし代わりには丁度いいだろう。

 

「中に住んでる酒虫が水を酒に変えてくれるのよ、ちょっとずつ無限にね」

「へぇ~酒虫かぁ、この中にいるのか~」

 

「鬼の一種だって話だけど結構可愛いのよ?」

「鬼で可愛い? どれどれ‥‥」

 

 妹が追いかけていた徳利を姉がラクラクと掴み上げる、あれ! なんで!? と妹が騒ぐがそりゃあそうだろう、実際に逸らしていたのはあんたの手の方で徳利自体には能力は使っていないのだから。

 

「ちょっと見にくいけど、このヌメッとしたのがそう?」

「そうよ、山椒魚みたいで愛らしいでしょ?」

 

「うん、ちょっと可愛いかな」

「趣味が合うわね弁々、なら弁々だけは呑んでもいいわ‥‥でも注意しなさいよ、あんた達がそれで酔ったら夜遊びでもしたくなるかもしれないから」

 

 姉さんだけズルいと騒ぐ妹を見つつ、徳利を覗きながら口元へ運んでいた姉にも少しの注意を言ってみるけれど、これはただの冗談だったりする。姉妹と同族である雷鼓は散々呑んでいるけれど、夜出かけたくて我慢できない状態になったなどは聞いたことはない‥‥別の意味では酔いに任せて我慢が効かなくなってくれてもいいのだけれど、話が春色に逸れそうだからこれはここまでとしておこう。

 でだ、雷鼓でそうなのだからそのようになるわけはないとわかってはいるが、折角思いついた暇つぶしだ、もう少しだけ悩んでもらいもう少しだけあたしの戯言に付き合ってもらおう。

 

「どういう意味?」

「さぁ、どんな意味合いでしょうね」

 

「そんな効果があるとは聞いてないけど‥‥本当にそうなるの?」

「さぁね、試してみたら? 成るも八卦成らぬも八卦、なったらなったでどこかに遊びに出たらいいだけよ」

 

 聞いてくる姉妹それぞれにさぁと雑に返事すると、妹は頭を傾けジグザグ模様のシャツを若干真っ直ぐにして考え、姉の方は少し透けて見えるシャツの袖を組み、悩んでいると姿で思考を透かして見せてくれた。

 なんでもないただの冗談だというのに、どちらも結構真面目に考えてくれているようだ、こうやって言葉を聞いてくれて悩む姿を見せてくれるのは本当に楽しい。ニヤニヤと二人を眺め煙管を楽しむ、二度ほど煙を吐き出すと身体と頭の先から煙、じゃなかった、薄い湯気でも出しそうに頬を春色にした針妙丸が風呂から上がってそのまま歩き、卓のど真ん中で正座した。

 

「お風呂、お先に頂きました、ありがとね」

「どういたしましてよ、それよりこの後どうしようか?」

 

「う~ん、今日は日も落ちたし、お風呂入ったら出かける気分でもなくなっちゃったのよね」

「なら泊まっていきなさいな」

 

「でもそうすると着物がなぁ‥‥」

「そうねぇ‥‥とりあえず何かで包んであたしのバッグに入れときなさいな、あの中なら多分劣化しないから」

 

 聞き慣れてきたそうなの? に言い慣れてきたそうなのを返し、腰のベルトに通してあるバッグを開く。今でこそ洋装に合う姿となっているが元を正せば鬼の秘宝『減らずの空穂(うつぼ)』ってやつだ。使っても中身は減らず変わらない、これはバッグごと水没させた事で経験済みだから変化はしないと実証できている。少しばかり煙草臭くなっているかもしれないが、多分その匂いも中身が変わらないのだから着物には移らないだろう、だから大丈夫。

 そっくりそのまま姫に話すと小さく畳んで持ち込みの風呂敷で包み始めた、そうしている姫を眺めていると悩んでいた姉楽器が話し始めた‥‥鬼ではないが小さな者が歩いたのを見たからか、付喪神らしい謎解きが出来たようだ。

 

「さっきのって百鬼夜行に掛けたって事?」

「そうよ、付喪神が鬼の身体から出た酒を飲む、そうしたら夜行にでも出たくなるかなって、ただの思いつきよ」

 

「雷鼓がそうなったことは‥‥」

「今のところないわね、どう? 答えを得られてスッキリした?」

 

「「スッキリしない」」

 

 頬を膨らませてそんな事かと顔に出す八橋と、ジットリとどこかの妖怪のような目つきになって見てくれる弁々が、違う形で不愉快さを表しながらも全く同じタイミングで言った一言。

 顔つきも声色も若干違うのに、それでも同じタイミングと同じ拍子で言ってくるのが可笑しくて、耐えられずクスリと声を漏らすと、また意地の悪い顔をしてと三人から言われてしまった。

 姉妹は兎も角、針妙丸までそんなところだけ似なくともよい、そう感じたがこれは似ているのではなく合わせがウマイのだろうなと思い込むことにした、その方が楽器の姉妹に宛てがうには似合いの言葉だろうと思えたから。

 新たな思いつきを一人笑うと、和気藹々と三人が弁々目そっくりの瞳になっていく。

 なんだよ、そんな目で見てくるなよ。

 その目は明日にでも行くはずの地底の主の方がお似合いだ。

 

 



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EX その29 多生の縁

 楽器の姉妹と一寸の姫、三者からじっとりねっとりと見られつつ、こういった視線も案外気持ちが良いものだと、覚えちゃマズイ味を僅かに覚えながら飲み回したあたしの徳利。

 人の事をあからさまに厄介者で見てくれる、好ましい和合の衆と回し飲みをしながら更けていった昨晩。和合それぞれがで三合くらいを空けた辺りで帰ってきたもう一人の付喪神、そいつも混じえて酒盛りとなった。5人、とは言えないか、大きく見積もっても4.5人位で呑むには少なすぎる白徳利。愛しい酒虫が拵えてくれた飲み慣れているお酒はすぐに尽きて、代わりに雷鼓が夜雀屋台に買い出しに出てくれた。

 ん? これも正しくはないな、出てくれたといえば聞こえはいいが、実際は買いに出したってのが当てはまるのかもしれない。銭を預けてよろしく、帰ってきたばかりの雷鼓にそうお願いしてみると、じゃあ荷物持ちでついて来てよ、そんな風にも言われたが飲まずに帰って来た場所にお酒を買いに行くのはちと格好が悪い。それに今のあたしは姫のお付きであって、おいそれと側から離れられない、股ぐらでほろ酔う姫を眺めつつ話すと、幸せの逃げる一息をついてから買いに出てくれた。帰ってきて一息つかずに一息吐くとは、やっぱり出来る太鼓様で面白い。

 

 そんな面倒なお願いから戻った雷鼓を猫なで声で迎え入れ、改めての酒の席。チビチビ呑みつつ、そういえば用事とはなんだったのかと改めて付喪神連中に問掛けた。ちょっと聞けばあたしに対しての用事だったようで、以前に一度人里でセッションした騒霊三姉妹ともう一度組んでライブをしたいのだそうだ。

 互いに楽器中間として気があったのか、あの人里での騒ぎの後にも一度組んで演奏したことがあるらしい。そんな楽しそうな事を黙ってやる奴等のお願いなど聞けない、ちょっと拗ねて見せて語ると、勝手に死んでいなくなったのが悪いと言い返されてしまい、返す言葉も立つ瀬もなかった。

 自宅にいながら座りの悪い思いを感じたし、出来ればあたしもその演奏会を見てみたい、今は別件があるからそれが終わってからと話すとバンドメンバーたちはそれでいいからお願いねと、こちらの意図を組んでくれた。

 そのお願いの話が済むと、それからはダラダラした酒宴となった。ガールズトークに花を咲かせてみたり、咲いたついでに隣に座る太鼓に頬ずりしてみたり中々に楽しい酒宴の場となって、静かな我が家が賑やかになるのもたまにはいいかと思わせてくれた。

 そうして皆で飲み明かして、布団も敷かずに雑魚寝した‥‥のだけれども、あたしは少しだけ寝付きが悪かった、原因は花開いた会話のせいで煽られた雷鼓。姉妹の煽りにノセられたのか、雰囲気と酒に酔い偶にデレてくれたのか、そこんところは読みきれないが、場のリズムに任せ皆の前で押し倒されてそのまま唇を奪われた。あっちから来ることなんぞあんまりないというのに、求められたのがちょっと嬉しく‥‥同時に少しだけ絡んだだけで終わってしまったせいか、一人悶々としてしまい、どうにも寝付きが悪かった。

 ちょっとまさぐりスッキリと、なんてのも脳裏をよぎったが、皆が寝静まってしまった我が家でそれはどうだろうなと思い直し、一人で火照り覚ますわけにもいかず、本当に焦らし上手になってくれたな、なんて思いに耽っていたらいつの間にか寝こけていた。

 

 

 暖かな日差しで目を覚まし、寝ぼけ眼で回りを見渡す。どうやら一番最後に起きたらしい、付喪神連中は既にいなくなっていて、我が家で動いているのは、あたし達の口吻を眺めておぉ~と騒いでくれたお姫様だけとなっていた。

 卓の上に正座しお猪口に注いだお茶を啜る針妙丸、あたしが起きた事に気が付いていないのか、どこかのんきな巫女に似た風合いでズズッと音を立てていた。目覚めの一服でもしているのだろうと思い、それならあたしの分もと考えて、今起きたと尻尾を振ってみる。

 

「あ、起きた? おはよう」

「おはよう、あたしのお茶は?」

 

 ちょいと微笑み片手の指先を上げる姫、あたしの尻尾と同じように右手を振ってくれて、何となくだがこれも嬉しい。

 

「雷鼓達が湯は沸かしていったから自分で淹れてよ、私にはここのやつおっきくて」

 

 当然だろうな、お猪口があの鬼の盃サイズに見えるのだ、我が家においてある物のほとんどが大きくて使いにくいものなのだろう。

 それでもあの神社と同じような物しかないはずだ、人様の家庭事情を例えに使うのはあれだが、あっちもこっちも対して物なんて置いてない、暮らすのに必要な物があるだけなのだ。あっちの仮住まいで働かざるもの食うべからずなんとやらしているのなら、我が家の物も扱えそうなものだけれど‥‥案外姫サイズの食器とかもあったりするのかもしれないな、あの紅白もあれで案外優しい所があったりするし。

 

「それもそうね、姫用の大きさの物なんて‥‥やっぱりないわね」

 

 身体を起こして周りを見ても当然小さな物はない、致し方なしと自分でお茶を淹れ、流しに寄りかかって目覚めの一服を済ます。

 2度3度くらい啜り音を立てると、姫と目が合う。

 

「なんか言われるかと思ったけどなにも返ってこなかったわ」

「意外?」

 

「ううん、アヤメでも寝起きだと頭が回らないんだなって思っただけ」

「少し寝不足ってのもあるけれど、寝起きから考えるのも面倒なのよ」

 

 言い切ると湯の身代わりのお猪口に自分の顔を移す姫、そのままくっと持ち上げて飲みきった。

 こちらもそれに合わせて湯のみを傾ける、雷鼓達が沸かして言ったと語った通り少しぬるめのお茶を飲み切ると、流れで煙管に火を入れた。ポヤポヤと朝もやのように煙を吐くとなんだかむず痒さを感じる気がした。

 寝ぐせと少しのテカリが見られそうな髪をポリポリかくと、姫も自分の前髪を摘んで見上げている‥‥そういや昨日は風呂に入らぬままだったか、朝に迎えに行き、そのまま埃っぽい古道具屋で過ごして、鰻の脂が混じる煙を浴びた後だったなと頬を撫でた。

 自分の頬の滑り具合から、これは出かける前に風呂に入った方がいいなと思いつき、湯船を見ると僅かに覚めたお湯が張られているのが見えた。

 雷鼓達も湯浴みしてから出て行ったか、それもまぁそうだろうな。

 

「目覚めついでにひとっ風呂浴びるけど、一緒に入る?」

「お、ありがたい。春とはいえさすがに雑魚寝だとね、ちょっと気にしてたの」

 

 ならおいで、そう伝えるとお猪口抱えて飛んでくる姫。受け取り流しに浸してから、姫を担いで風呂場に向かい歩いて行く。とはいっても台所のすぐ近くで、数歩も歩けば移動は済むが。ピチョンと湯船の蓋についた水滴を落としつつ指を浸す、普段浸かるよりは少し微温い、それくらいの温度かなと浸す指先から感じ、ならこのままでいいやと咥え煙管で雑に脱いだ。

 ササッと脱いで先に洗い場に座っていると脱いだ着物を持ち込みの小さな衣紋掛けに通す姿が見える。普通の着物であれば脱いでばかりならああするべきで、そうしないとシワが目立つようになる、あたしみたいに撫でれば終わりじゃないのは大変だなと、飛んで来た姫を眺め思った。

 

「なに? よく見て?」

「出るとこは出てるんだなって思っただけよ」

 

 普段着物だからあまり見られない姫の肢体。一寸のなんとかにも五分のなんとかってのとは逆で、全体的なサイズが小さいだけで体つきは女性らしいモノの針妙丸。これならあの人形遣いにでも頼んで洋装とか、ラインが見られそうな着替えを作ってもらってもいいんじゃないか、そう思えたほどだった。

 

「ちょ! そんな目で見ないでくれる!?」

「さすがに姫には手を出さないから安心しなさい、出しようにもサイズが違いすぎるわ」

 

 どうでもいい会話をしつつ、手桶にお湯を汲み頭から流していると、あたしの髪を伝って垂れるお湯を頭から浴び始めた姫。ちょっと待っててくれれば流してあげるのに、そう考えて先に姫の方を流す。右手で桶を傾けて左手を経由させてから流していくと、水の動きが変わった事を気にした姫が見上げてきた、目が合ったところで言われた言葉『ありがとう』これもまた嬉しく感じて、素直に気を使うことが出来ていた。

 

 汗も脂も綺麗に流し二人揃って湯から上がり、大きめのタオルで髪をバサバサとしているとその横で小さな姫も同じく動く。身の丈十寸くらいの針妙丸が使うには丁度いいくらいのタオルを眺めていると、魔理沙がくれたと笑顔で教えてくれた。

 住まいのドールハウスもそうだがこのタオルや他の鞄などもあの黒白提供らしい、良くも悪くも常に真っすぐな彼女らしく準備をするならきちんと真っ直ぐ、といった感じだろうか。仄かな想いを寄せる相手に手閭里を振る舞うこともあったりして、意外と女子力の高い魔法使い、あれで手癖が良ければいい嫁になりそうなもんだが‥‥無くて七癖あって四十八癖というし、一つくらい目立つものがあっても問題はないのだろうな。

 

 小さな姫が着替える姿を眺めそんな事を考えつつ、あたしもあたしで隣に習い着物美人となっていく。かっちりと帯を結んで背で流し、振り袖を同じようにフリフリと振っては左右の長さを確認する姿、やっぱりコイツは可愛らしい。そんな愛らしい物を眺め自身も着物に袖を通す、春先となり暑くないのか、暑いからこそ洋装を買ってもらったんではなかったのか?

 知る相手にはそう言われそうだが今のあたしの着物、これから向かう地の底の主がくれたこれには対策をしてあった。

 

「あれ? アヤメ? 着物仕立て直した?」

「さすが少ない着物仲間ね、亡霊さんになってから暑さに更に弱くなったから少し直したわ、身八つ口(みやつぐち)をちょっと広げて袖付も伸ばしたの」

 

 先に身支度を終えた姫が見上げ問うてくる。

 見つめる先は当然あたし、緋色の長襦袢の上に刺繍の施された白の長着を羽織ったあたしの丁度袖付け部分、脇の下辺りを見つめて覗きこむようにしてくれる。

 

「ついでにバチ衿に仕立て直して対丈(ついたけ)にもしたのよ、おはしょりもなくなったお陰で楽だし、なにより涼しいわ」

 

 ほれほれと身八つ口を広げてみたり、両手を上げてみたりして、その存在をアピールしてみる。

 男にはわからないかもしれないが女物の着物には身八つ口って開放部がある、ちょうど姫が見ている辺りに空いている穴というか、手を差し入れられるスキマのような穴が空いていると思ってもらえるとわかりやすいか?

 着ている側からすれば『おはしょり』という、一言で言ってしまえば着丈に対する着物の余り布って感じだろう、それを直すのに手を入れられる穴が脇の下辺りに空いているのだが、もうちょっと涼を取りたいと思って地底のあの店で仕立て直したのだ。

 ちなみに着る側だけでなく、着物を着た女に手を出す側にも魅惑的だ、着物を着たまま、女の襟元を崩すことなく胸元に手を伸ばせる穴にもなってしまうのだから。

 対丈ってのは逆で、男の着物だけ着物の長さが余らないようになっている長さの事、首から足首までの長さきっちりに仕立て生地が余らないようになっていると思ってくれていい。

 

「涼しいって‥‥見えても知らないから」

 

 開放感があって涼しいんだぞと、かっちり着こむ姫にチラチラと見せつけていたら窘められた。あたしの場合襦袢の下には何も着ない為あまりやり過ぎると横から下側くらいが見えてしまうが、これもまたチラリズムって奴だろう、見られたところで減るもんじゃないし場合によっては懐が潤う事となるので良い仕立てになったと思えた。

 姫で遊んで満足し、とりあえずさっさと着るかと細帯押さえて、最早飾りにしかなっていない帯紐を咥える。

 

「あに、見あいの? あっき全部見あにゃない」

 

 帯紐咥えたままニヤリと嗤うと、半幅帯を押さえて再度窘めてくれる着物仲間、折角押さえてくれているし、その動きに甘えて前で緩く締めていると姫が見ながら話しかけてくる。

 

「でも涼しいって重要よねぇ‥‥かといって見えるのは……う~ん」

 

 見えても構わないあたしは別段気にしないし言われても効きはしないが、自分のが見られるのはさすがに嫌なのだろう、右の袖を伸ばしながらうむぅと悩むお姫様。

 まぁなんだ、この忠告は素直に受けておこうと思う。地底に行くということは変な輩の巣窟に行くというのと同義だ、声をかけてくる男連中は大体がそっち目当てだし、以前より物理的に色香を見せられるようになった事は忘れずにおこう。

 

「なんかあれね、こうして見ると帯だけ地味ね」

「帯だけ昔のままだしねぇ、あっちで買おうかしら? 姫の着物も見てもらわないとならないし、行くついでに物色するわ」

 

 取り立てて目立つ所のない灰無地の帯を二人で見つめ、取り敢えずそろそろ出ようかと二人並んで家を出た。

 

~少女移動中~

 

 方や清潔さの見える小さな大和撫子、方やどこぞの鬼ほどではないが、ほんの少しだけ肩口を広げて着た似非(えせ)遊女姿の二人。実際に合わせるのは体格差から難しいが、袖振り合うような面持ちで進むは暗く湿った地の底。

 普段なら入山する過程に仕事一筋で男っ振りを上げていく可愛い狼と絡んでいくのだが、今回は姫の着物を早めに見せるって急ぎの用事もあったので、能力使って気を逸し、どこか遠くを見ている椛を横目に地底へ続く穴を降った。

 椛に習いキスメも放置し進んだが、なんでかヤマメはいなかった。ここを通れば大体いるし、会えたら先日の道案内に対するお礼でもと考えていたが、今日は顔を合わせない日だったらしい。

 どうせ橋にでも行けばいるだろうと思い気にせず進む‥‥が、ここにもいないどころかあのパルスィすらいないという始末。いるべき所にいるべき輩がいない、これはまた異変でもあったか?

 なんて考え歩く旧地獄街道、そういえば誰からも声を掛けられないなと思ったが、そういや能力使ったままだったと、馴染みの仕立屋近くに来るまで気が付かなかった。

 それもまぁいいかと気楽に考え、細帯に括りつけた、和服に似合わない革のバッグからゴソゴソと姫の畳んだ荷物を取り出す。袖から僅かに香るお酒の匂いを嗅いで、まだすえた臭いはしないし大丈夫だろうと仕立屋の戸を開いた。

 

 戸を開くと視界に収まる金髪二人の並び姿。

 片方はポニーテールで、もう片方は尖り耳の上辺りから髪を後ろに流して結っている頭、これも尻尾のように見えなくもないがこういう髪型はなんというのだろうな、よくわからんし別にいいか。

 

「あぁ、ここにいたのね」

「アヤメ? いつの間に?」

 

「今し方よ、それより店主はいないの?」

「少し前に勇儀に呼ばれて出て行ったわ。お陰で私達が待たされているのよ、勇儀専属でもないのに好きに呼び出すなんて、我の強さが妬ましいわ」

 

 よくわからない髪型をした橋姫さんの右肩に手を起き、左の肩には頭を乗せる。目だけを傾けてきた橋姫を挨拶代わりにとっ捕まえて、そのままの姿勢で店内に姿の見えない猫の主を訪ねてみるが、どうやらタイミングが悪かったらしい。

 

「それよりそっちの小さいのは‥‥一寸法師のお姫様とやらか」

「私の事知られてるのね、あぁ鬼がいるって話だし、あの鬼からかな?」

 

 見知らぬ相手とは余り話さないパルスィとは真逆で、よく見る晴れやかな笑みで姫を手に乗せ話すヤマメ。二、三話して名乗りまで済ませると毎回連れる相手を変えて、本当に怒られろとこっちに話が飛んできた。

 

「それなら問題ないわ、昨日も見せつけたばかりだし」

 

 斜め上の緑眼見ながらそう話す。

 少しだけ瞳に色を込め、うっとりとした目線でパルスィを見るとその緑眼が揺れ始めた。

 

「なに、その思わせぶりな言い草と目は? また妬んで欲しいの?」

「珍しく妬んでくれるの? それならもうちょっと、ねっとりとしたモノでもすれば良かったかしら? ねぇ?」

 

 言葉だけでは伝わらないかも、そう感じて、話しながらゆっくりと舌を出す。

 ナニカを絡めとるようにわざとらしく動かしてみせると、久しぶりにパルスィの瞳が正しい意味で揺れ動いた、妖しく揺れる緑眼にちょっとだけ灯る深い緑の光。

 真っ当に妬んでもらう事などないあたしがこの目を見るのはあまりない、込められる感情も瞳の色合いも好ましいなと見つめ合っていると、ねぇと振った方で話が進んでいく。

 

「そっちの金髪さんって?」

「嫉妬の権化橋姫って怖い怖い妖怪さんさね。パルスィが何かを察してあんな目になるってこたぁ冗談ってわけでもないんだねぇ‥‥あぁ、ちなみに私は黒谷ヤマメって土蜘蛛さんだ、よろしく頼むよお姫様」

 

 あっちはあっちで明るく自己紹介してて、仲よさげで妬ましい気がするが、こっちばっかり構ってくれる嫉妬の姫様。

 ありがたいがそれでいいのか?

 あたしよりもあっちの方が妬み甲斐ありそうだぞ?

 

「その顔をやめなさい」

 

 揺れる嫉妬心を瞳に宿しあたしにソレを放ってくる橋姫さんだったが、見せてくれたソレは食らわないようにちょいと逸らしてニヤついてやる‥‥と、両手を伸ばされムニッと頬を引っ張られた、心を弄べないからって物理的に顔を弄ばないでほしい。

 能力も性格もよく知られた相手だ、当然あたしに届かないと知っているが、種族としては正しく妬むネタがある以上、ナニカの形にして表わさないと気に入らないって感じだろうかね。

  

「橋姫は兎も角、聞いてた通りの妖怪とは思えない明るさだね、ヤマメって」

「そりゃあそうさ、ただでさえ暗い地底なんだ、いる連中くらい明るくないと面白くないだろ?」

 

「そんなものなの?」

「そんなもんさ、パルスィも、いつまでもアヤメにからかわれてないでこっちを構ってやれよ」

 

 振った話が返ってくると、人のほっぺたを引っ張っていたパルスィがそうねとそちらに混ざり始める。妬み姫様が折角構ってくれていたのに、振った話が元の鞘に戻ると共に棒に振られて放置されるあたし。

 なんだ、このつまらない冗談のような状況は?

 

「何を悩んでいるのよ?」

「状況がおかしな事になったなと思って、それはまぁいいんだけど‥‥それよりも店主はいつ戻るのよ?」

「さぁ、勇儀の用事なんて知らんしそのうち帰ってくるだろうさ」

 

「そのうちね、ならいいわ、姫を預けるから見ててもらえない?」

「私らも店番しているようなもんだし、構わないけど、今度は何しに出るんだい?」

 

「何ってわけでもないわ、姐さんの所にいるのなら呼びに行けば早いって思っただけよ」

「行くのなら客が待ったままだって伝えて。待つのに慣れてはいるけれど、待たされるのは嫌いなのよ」

 

 ヤマメとパルスィそれぞれと話し、ついでに土蜘蛛の手の平にいる姫にも手を振って店を出る。

 後頭部に置いていくなとぶつけられた気がしなくもないが、姿に似通って声も小さい気がするのであたしの耳には届かなかった事とする。バタンと店舗の扉を閉じると聞こえなくなったし、元よりついでだ、それでいいだろう。

 外に出ると聞こえるのは旧地獄の楽しい喧騒、メイン街道から一本入った通りでそれを聞き、腰元で揺れる革のバッグに手を伸ばす。中に収まる酒臭い包を軽く撫でてから煙草を取り出し煙、煙管の先に込め火を入れた。

 そうして歩き煙草で動き始める、向かう先は旧地獄繁華街。

 歩みながらポツリと呟く、探し物が増えたなと。

 この騒ぎの何処かにいるだろう店主と、騒ぎを何処かで聞いているかもしれない天邪鬼を思って、煙と同時に独り言を吐いた。

 




浴衣などを着た事のある女性ならご存知でしょうか、身八つ口。
浴衣を着た女の子と花火大会に行って、その帰りにちょっと抱きとめ、着付け出来ないからやめてと文句を言われ、それなら身八つ口からすっとこう、ね‥‥非常に魅惑的なモノだと思います。


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EX その30 不考者

 何処にいるのかお店の主、あの蟒蛇(うわばみ)に呼ばれたのだからといつもの酒場に行ってみたが、今日はまだ来ていないと酒場の女店主に言われてしまった。

 ここの女店主も少ない鬼の一人だ、尋ねた誰かさんと違って嘘をつくことなどはないだろうと考え、言葉通り素直に聞いてまたあとで寄ると伝え出た。次いで向かったのは姐さんの自宅、酒場にいないならここかなと顔を出してみたけれど、こちももぬけの殻だった。残るは旧都の町中、もしくは大衆浴場辺りしか行く先が思い浮かばない、町中を探すのは面倒だし先に風呂屋に顔を出す事とした。

 

 咥え煙管でたらたらと、両手を頭の裏で組んで歩く。

 別に下乳見せつけたいわけじゃない、あちこち顔を出すのに歩いたから身体が少しだけ熱っぽい気がして、その排熱のために空気を入れ替えようとしてみただけ‥‥なのだが、変な男も煩い女もテキトーに数人連れて面倒くさい。

 一晩いくらか?

 そう聞いてくる男には、諭吉二十人と外の紙幣で答えてあしらい、早くウチに来なよと誘ってくる女郎には、客を独占するのは気が引けると上から目線で断った。男は兎も角女の方は無理な話だろうな、それなりに声を掛けられ嬉しく思うが、あの地霊殿の姉妹みたいなのが好みな男や、あたしよりももっと大人の魅力がある、例えるなら竹林の医者のような奴に虐められるのを生き甲斐とする男もいる。趣味に合わせて化ければなんちゃないが、本職に慣れたその手の輩を満足させられる気はないし、今のあたしは一応一途だから誘いは全て断った。

 

 町中でまともに話したのは、ここでは珍しく好ましい雄妖怪の二人くらいか。

 片方は若い青鬼、人の身八つ口をチラチラと見ながら話すから、見たいのかと問うと素直に見たいと言ってくる可愛い鬼の若者。あんたの気概次第では見て触れられるわと、自分の手を身八つ口に突っ込んで話すと、後が酷いからやめておくと向こうから引いていった。

 怖いのは連れ合いらしいあの鬼店主か、それともあたしの太鼓か?

 あたしは太鼓のほうが怖いぞ。

 もう一人はその流れに乗って話し笑う蛇の男。こちらも視線は同じ場所だが、偶にチロチロっと出す二股の舌が印象的な男で、その舌を味わうのもいいかもと何度か話した事があった。その度に二枚舌の狸の姐さんには勝てないとほざく蛇。

 どちらの意味なのか、そう問い正した事があるが、それは苦笑されるだけで終わってしまった。

 両方だと言ってくれば面白かったのに、少し残念だ。

 

 そうして冗談を言い合ったその二人から聞けた事。

 どうやら姐さんは地霊殿にいるらしい、一人であそこに用事だなんてあんまり聞いたことがないが、さとりの会話の練習相手には嘘をつかない姐さん辺りがちょうどいいのかな、なんて勝手に思ってぶらぶら向かった。溜まり始めた自前のお酒、酒虫ちゃんが頑張ってくれているらしく、半分くらいに戻った白徳利を右肩から鳴らして歩き、着いたは地底の動物園。

 今日の第一動物は何かなと庭先を眺めると、二本尻尾の猫がいた。

 

「お燐、ちょっといい」

 

 ちょいちょいと手招きしつつ声を掛ける。

 声に気づくと、トットトと四足鳴らして寄ってくる、可愛らしいここのペット。

 

「お、狸のお姉さん、遊びに来たのかい?」

「遊びとは言い切れないけど似たようなもんね、勇儀姐さん見てない?」

 

 足元に擦り寄ってきたお燐を抱きかかえ、尻尾の付け根を撫でくりつつ話す。

 猫らしい水晶のような目を細め、腕の中で猫背を伸ばしていくお燐。猫の個体によってはここが性感帯だったり、嫌悪するポイントだったりするらしいがこの子は猫っぽいだけで火車だ、ちょっとしたマッサージくらいにしかならないのだろう。

 動かしていた手を止めると、目も口も開く二股。

 

「勇儀さんなら中にいるよ、遊びに似てるけど違うってのはなんなんだい?」

 

 自分で言っておきながらなんだろうな、これは。一言で言えば探し物、いや探し者か。

 ここにいるかもと聞いてきて、それを頼りにはあんまりしていないが、他に考えるよりもまずは仕入れたネタから消費しようと来てみた地底。地に埋まるものを探しているのだからこれはあれか、ちょっとした宝探しか?

 あの二枚舌がお宝だとあたしには思えないが、連れ歩く姫からすれば代わりなどいない、ある意味では掛け替えのないお宝のようなやつかもしれないし、それでいいか。

 

「宝探しってとこかしら、見つけたいのはお宝じゃないんだけどね」

「宝じゃない宝探し? う~ん? ……お姉さん、相変わらずよくわからない事を言うね」

 

「否定したいけれど自分でもよくわかってないし、いいわ、今は」

 

 手元で辛辣な事を言ってくる火の車。

 それでも否定はできないし、とりあえず肯定しながら鼻先に人差し指を伸ばすだけにしておいた。フンフンと鼻をひくつかせた後、狭い額にしわを寄せるお燐。

 煙草臭いのは苦手だったのか? 

 常に吸っていて臭いだろう人の腕には寄ってくるくせに。

 狐につままれたような顔で見上げてくるその表情を笑いつつ、三つ目屋敷の玄関を開いた。

 

 お燐を撫でつつ声を作る、少し甘えたような、体現通りの声色でただいまと玄関ホールに響かせた。永遠亭や命蓮寺でもなし、ここでまでただいまはないだろうと口にしてから思わなくもないが、ここの主には言った事があるしおかえりなさいという返事も聞けたはず、それならばいいのかなって思い込みつつホールを歩く。

 抱かれる事にやや飽き始めた二本尻尾が肩に顔を乗せ、その尻尾で頬やら首筋やらをスリスリとしてきてこそばゆいが、屋敷違いのペット仲間が触れ合うには肌を触れ合わせくすぐったいくらいがちょうどいいと、尾に指を絡ませて目的の書斎まで進んだ。

 ここにいなけりゃ風呂か食堂、そう思ってドアを開くと机とソファーに腰掛ける者達がいた。

 

「……おかえりなさい」

「あ? おかえりって地霊殿で飼われるようになったのかい? あぁ、お燐の方か」

「可愛げがないから飼ってくれないらしいわ、ただいま」

 

「そう言えと言うから言ってあげたのに、随分な言いようですね、アヤメさん」

「まだ言葉としていないもの、勝手に読んで言うのが悪いわ」

「読ませた上で小馬鹿にするか、あたしにゃ出来ない会話だなぁ」

 

 いつもの瞳で見てくるさとりに笑いかけ、カラカラと笑う姐さんの横に腰を下ろす。そうしてお燐を脇に下ろすとすぐにさとりの膝に移動した。やっぱり本来の飼い主の方がいいか、当然だろうな、妹に対してもそうだがあっちの方がきっと愛が深い。

 

「今日はなんだい? また温泉か?」

「それも一つの理由とするけれど、今日は別よ」

「するという物言いは‥‥いえ、無駄ですしいいです。仕立て屋さんでしたら別の部屋におりますよ、採寸を済ませたら店に戻るとの事です」

 

「そう、話が早くてありがたいわ」

「あいつに用事だったのか、八ツ口広げすぎて恥ずかしくなったか?」

 

「男も釣れたしこれで十分だわ、幾分涼しくなったし重畳よ?」

 

 そういや姐さんも少ない着物仲間だったか、横に座ってお燐を離した一瞬、その動きだけで少し広がった部分を目敏く見つけられてしまった。ぱっと見だけで気が付くなんて変化に敏感で妬ましい。そしてさとりの方もサードアイだけで見てくるが、その目はどんな意味合いだろか?

 大事にしている戴き物、勝手に手を入れて少し悪かったかなとは思うが、お陰で以前よりも長い季節着られるようになったわけだし、今のほうが愛着も強いぞ?

 

「差し上げた物ですのでどうされようと構いませんが、そう考えて貰えるのは素直に嬉しいと言っておきます」

「おいおい、二人だけで話すなよ。あっちで騒いでる奴と同じでつれない女共だねぇ」

「あっち? 採寸ってお空辺りかなと思ったけれど違うの? ハシビロコウさんでも人化してその用意?」

 

 問いかけても笑うだけの一本角、聞けば大概嘘偽りない答えが返ってくるのだけれど、こうやって笑い飛ばして誤魔化すだけの相手とは誰だろうか?

 そう思いながらさとりを見るが、こちらからの答えもない。

 ならいいか、鳴くまで待とうなんとやらだ。

 待ちついでに見てもらいたい包も出す、このまま仕立屋に見せてもいいが先にこの鬼に見てもらってもいいだろう。よく見もせず目についただけであたしの着物の変化に気が付く姐さんで、酒盛り大好きな着物仲間なのだから、酒に濡れた絹糸をどうすりゃいいかあたしよりも詳しいはずだ。ゴソゴソ取り出し包を開く、中身を広げて見せてみた。

 

「随分小さな着物だな、生地も仕立てもいいもんだ‥‥が酒臭いなぁ、人形相手に酒盛りでもやらかしたのか?」

「そこまで寂しい暮らしはしてないわ、これはおやゆび姫のやつよ」

「雷鼓さんが変化した原因を作った方ですか、今は‥‥見知らぬ地に置き去りとは、可哀想に」

 

「どっちが可哀想なのよ?」

「押し付けられた二人も、置いていかれたその方も、ですよ」

 

 それに振り回されるあたしは? と、考える前から首を横に振る読心妖怪。考え始める前から動きを見せるとは、心以外に未来まで読めるようになったのかこいつ?

 

「読んだのは空気です、その、姉違いというのは‥‥吸血鬼ですか、その方も今のように言われるのでしょうね」

「あっちの方がさとりより可愛げあるわ、親近感はさとりの方に感じるけどね」

 

「ありがとうございます、と言っておきますよ、本心のようですしね。勇儀さんも、悩まずともいつもの二人の事ですよ」 

 

 一から十まで語らずとも伝わる会話。こいつがいるとこういった面では楽だ。

 あたしだけではなく姐さんの方もまとめて話すってのは少々気に入らないが、会話の練習中って(てい)だ、そこには目を瞑っておくとしよう。あたしはさとりのように多くはないが、親近感はあると言った手前もあるわけだし。

 ふむ、こうやって言いたい事を言わずにいるのも甘やかしていると言えるのかもしれないな、実際は会話で手抜きをしてあたしが甘えているだけ、とも思えるが。 

 

「いつものって‥‥店にいた二人か。なんだ、置いてこないで連れてくりゃあ良かったのに」

「ここには用事を済ませてから来るつもりだったのよ。それよりその着物、どうすればいいかしらね?」

 

「うん? そうさなぁ……ビタビタの袖は仕立て直した方が早そうだ、縮んじまってこりゃあダメだろうな‥‥こんな色合いのやつも確かあった気がするし、それで良けりゃあくれてやるが?」

 

 物持ちも良ければ気前もいい鬼の大将、こっちから何かくれと言い出す前に欲しいものならあるからくれてやると言ってくれる勇儀姐さん。あたしの服といい、姫の着物といい世話になりっぱなしで頭が上がらない気がするが、くれるというのなら甘えよう。

 神様にもこの地の大家にも甘えるあたしだ、それなら鬼に甘えたところで今更だろう。それでも感謝はすべきだろうな、会ってもいない相手に気遣いを見せる姐さんに言うならなんだろうか?

 気立てが良くて妬ましい、いや、気前が良くて妬ましいか?

 悩みながら広げた着物を畳む、唯でさえ酒臭いというに、この蟒蛇に吸い付かれては大変だ、それで酒気が抜けるなら是非ともお願いするところだが、そこまで怪力乱神でもないだろう。

 包んだ着物をバッグにしまい、合う言葉を探していると余計な奴が口を開く。

 頼むから言うなよ?

 バレてゴキゲン損ねたらここが更地になるぞ?

 

「素直にありがとうございますで良いのでは?」

「そうね、ありがと姐さん。後でお酌でもするわ」

「おぅ、その時にゃ着物の主も一緒だと嬉しいねぇ」

 

 読んでいるだろうに、珍しく言わない姉妖怪。

 こういった読んでほしくない面が好物だと思っていたがそれを言わないとは、随分とお優しくなってくれたものだ、それともあれか、ここが吹き飛んだら引きこもり先がなくなるから困るって事だろうか?

 それはそれは大変だ、そうなってほしくはないしこの心も読まれたくない、ならば素直に伝えておこう。ありがとうさとり様、良ければ今夜床を共にしてあげる。

 

「結構です」

「お、また内緒話か? いるんだから話せよ、笑える話ならあたしも混ぜろ」

「笑えない話だからダメね」

 

「それはどういう意味だい、アヤメよぉ」

「直近の話だからダメって事よ、直近といえば当然酒盛りにも連れていくから安心して。というか、替え袖にするのなら採寸し直さないとならないし、本当に連れてきたほうが良かったわね」

「あちらも直に終わるでしょうし、預けて頂ければ渡しておきますが?」

 

 嘘偽り無く誤魔化す、聞かれたらあたしが笑えない事になる。勇儀姐さんは腹を抱えて笑うだろうが、さとりに振られるなんぞ聞かれたらまた浮気かと笑い飛ばされるに決まっている。

 今の身体ならば殴りとばされようと問題ないが、それを太鼓に聞かれでもすれば雷打ち鳴らされるに決まっている、鬼のせいで鬼太鼓になるとか洒落にならんし、ちょいと引っ掛けて誤魔化した。顎に手を当て悩む一本角は置いておいて、次に気になる部分でも突いておくか。藪から蛇が出はぐった後だ、中途半端は悪いのでしっかりと踏み込んでおく。

 

「そうそう、それよ、そのアチラには誰がいるのよ? 教えてくれないなら覗きに行くけど?」

「私達は構いませんし、覗くのであればお好きになさってください」

 

 なら好きにするわ、座って動かない二人にそう言い切り、いるらしい奥の部屋へと進んでいく。

 向かう途中で目当ての人物に会えた為後で仕事を持って行くと話すと、今日は満員御礼だと少し疲れた嬉しそうな顔で語る猫妖怪。この店主がお燐と同じサイズなら尾の付け根を刺激してやれるが、あたしよりも頭半分でかい猫をあやすのもどうかと思い、肩を叩いて労うに留めた。

 別れ際、サッサと店に帰らないと妬まれる、目を揺らしてそう伝えてみると、本当に今日は忙しいなんて早足で帰っていった。足早でも足音がしない辺り猫なんだなと、ほつれたボタンホールの絵を背負う猫背に感心して奥へ向かった。

 

 部屋に向かう最中くるりと回れ後ろをさせられて、何やら歩きにくいことこの上なかったが、部屋に一定距離近づくとひっくり返されるあたしの進行方向。これはもしやと当たりをつけて、何度か逸らしたその能力を逸らしつつドアに手を掛けた。

 けれどもノブが下がらない、引き戸だったかと横に動かすがやはり動かず、それならとノブを上げてみるとすんなりと開いた‥‥ここまでするなら鍵をかければいいのにと思うが、それをひっくり返して締めないのがアイツらしさなのかもしれない。

 少しだけ開いて注意を引く、誰か来たなと理解されてから勢い良くドアを開いた。 

 

「げ」

 

 真っ赤な前髪の束を揺らし、大袈裟に変な声を出す奴。

 薄汚れてボロッボロの白いワンピース、だった物を着こむピンクの肌着が目立つこやつ、あっちこっちと汚くて逆さまリボンも既にない姿。見た目から随分と頑張って逃げ続けているってのがわかる、わかるが‥‥まさかあの古道具屋の読み通りにいるとは思わなかった、てっきりそこをひっくり返して天界辺りで一騒動を展開していると思ったのに。

 

「黙ってんなよ! なんか言えよ!」

「相変わらず口が悪いわ、もう少し再会の感動とか‥‥ん? 喜んでくれているからその反応なの? わかりにくいわ」

 

「んなもんあるか! なんでいるんだよ!」

「そっくりひっくり返したいけど問答はいいわ、久しぶりね正邪、元気に舌出してた?」

 

 言うだけ言ってペロリと舌を出してみる、お前はコレを出してないのか?

 そう尋ねたが返答はない、それどころか小憎らしい舌も出してくれない、これではあたしが出し損であまり放っておかれたら乾いてしまいそうだ。変に意地を張るところでもないしすぐに戻して煙管を咥える、見慣れた姿になってみたらようやく何やら言い出してくれた。

 

「‥‥死んだんじゃなかったのか?」

「また随分と言い飽きた事を聞いてくるのね、死んだわよ? 今のあたしは化けて出た狸さん」

 

「それも嘘‥‥じゃあないんだろうな、鬼もそう言っていた」

「姐さんから聞いてるの? ならわざわざ聞き返さないでよ、話す事なら別に、色々とあるんだから」

 

 思わせぶりに微笑んで少しだけネタを振る、素直に針妙丸が来ていると聞けば一目散に逃げるだろう、それくらいは楽に読めるからそうは言わずに他の物で話を引き出したい‥‥が、別にコイツと話すことなど‥‥何かあった気がするがいいや、言いたければ口をついて出るだろう。

 取り敢えず五体満足で生きている事がわかり、死んで逃してやった甲斐があったというのがわかっただけでも十分だったりする。それでも自分から撒いた種だ、何かしら話しておくか、久々に顔を合わせるお気に入りに違いはないのだから。

 

「そうね、取り敢えずはあれね。墓参り、ありがとうと言っておくわ」

「フンッこうして生きてるなら意味がなかったけどな」

 

「真っ当に死んでるって言ったじゃない、聞いておいて聞かないなんて本当に馬鹿だった?」

「揚げ足とるんじゃねぇ! 久々に顔を見たと思ったら早速煽ってくれやがって!」

 

「冗談よ、冗談。これでもそれなりに感謝はしているのよ、そうやって突っかかって来てくれてありがたいわ」

「あ゛ぁ? 売り言葉を返されて何言ってんだよ?」

 

 ちょっとした罵り合いにちょっとした冗談、それに対して一々噛み付いてくれて、その辺りも変わらないようで何よりだ。稀代の反逆者となってみせた割に不可侵の地底に逃げ込んだりしているから、てっきり捻くれ者から小心者にでもなったかと考えていたけれど、こいつもこいつで死んでも変わりはなさそうな勢いを感じられて満足。

 確認ついでの触れ合いも終わったし、後は正しく感謝しておくか、忘れていたがこいつのお陰で今こうしていられる、という部分もきっとないわけでないはずだ。  

 

「これも冗談、感謝してるのは『久々に』ってところよ。忘れずにいてくれて嬉しいわ、お陰でこうして(はばか)る事が出来ているのだし」

 

 火も葉も入れず、宛てがっていただけの煙管を離し、帯に指して一払い。そうして袖を払ったところで両手を合わせてご挨拶、なんちゃない唯の礼だ、深いものでもないし仰々しいものでもありゃあしない。それでも頭を下げたのがよほど予想外だったのか、左右の眉根がくっついてしまいそうな程で睨みつけてくれる天邪鬼。久しぶりの顔合わせだし、偶に素直に言ってみたのになんでまたそんな目で見られにゃならんのか?

 

「‥‥何を考えている?」

「ありがとうと伝えて何故睨まれるのか、これもひっくり返すべきか、それともまた聞き取れなかったのか。まぁ、色々よ」

 

 考えているというか、考えようとしていたことをダラダラとのたまうと、くっつきそうな眉間に谷間が見え隠れするくらいになった‥‥のはいいが、どれを切っ掛けとしてそうなってくれたのか、それがわからず悩ましい。

 態度と言葉からすれば睨まれるってのをひっくり返しているだけ、そう思えなくもないがそれなら笑うなりしてくれたほうがわかりやすい。相変わらず面倒な思考回路の持ち主だ、読むのが非常に面倒で複雑なオツムが妬ましいわ。

 

「何故そう聞いてくるの?」

「ぁん?」

 

「そうツンケンしないでほしいわ、別に敵対しているわけでもないのだし、ちがう?」

「まぁ‥‥そうか。で、なんでここにいるんだよ」

 

「結局そこに戻るのね、まぁいいわ、罵り合いも楽しめた事だし教えてあげる。答えはコレよ」

 

 ポロンと取り出す小さな荷物、ちっちゃな風呂敷に畳まれたちっちゃな着物。正邪もよく見ていたもので、見たいけれど見たくない、そんな微妙な位置にありそうなモノを軽く摘んで視界に入れる。主張しすぎない特徴的な柄と濃淡の色合いを見てすぐに気がついたのか、あたしを見ていた時と同じ、ではないな、あれよりももっと複雑な色を赤目に込めて見つめる正邪。

 不意に揺らすと鼻を鳴らした。

 

「酒の匂い?」

「ちょっと浴びたのよ、そしてそれがここにいる二つ目の理由。貴女の採寸をしてたやつに用事があったの」

 

「それはいい、今はお前と一緒にいるのか?」

「誰の事? 雷鼓なら‥‥」

 

 人の顔見ず手元を見て動く二枚の舌、そこを見ながら誰の事を考えながら聞いてくるのか?

 今のあたしにはてんで検討がつかない為、一緒にいる事が多い雷鼓の名をわざと、ゆっくりとした口調で言ってみる、そうして完全な煽りをくれてやると部屋の壁をドンと殴った。

 あまりうるさくすると主が出てくるからやめておけ。

 ここの家主は口煩くて性格がひねていて、堪らないのだから。

 

「わかるだろ! 察しろよ!」

「言わずに伝わるのはここの主よ、あたしはジト目ではないわ、誰の事を聞いているのかしら?」

 

 握り拳をプルプルとさせ察してくれと素直に話す、ひっくり返した物言いしか言わないくせに、針妙丸の話題となるとこうも素直になるものか。そんなに気にしているのなら顔くらい見せてやればいいのに‥‥って今は無理か、顔を出せば即御縄が掛かりそうな場所にいた。

 

「……姫だよ、お前のところにいるのか」

 

 問いかけても返事がない為、それ以上何も言えず、いやもういいか。それ以上何も言わず自分から言い出してくるのを待っていた、すると言いたい相手の体格みたいな声で話してくれる反逆者。

 一言名前を言ったところでその言葉は伝わらない、だからもう少し声を張ってくれていいぞ?

 あたしがここの姉妹のような(さとり)妖怪で、拡散する程度の能力でも持っていれば別だが、聞いたところで言う気もないぞ?

 それを話したところで信用されないだろうから、言うつもりはないが。

 

「霊夢のところよ、今はあたしの我儘に付き合ってもらっているだけ」

「お前の我儘? 姫にまで厄介事押し付けてんのか! スキマにしろ姫にしろお前に甘くていい身分だなぁ!!」

 

「そうね、甘えさせてもらっているわ。今日もあたしの我儘を聞いて一緒に来てくれているし」

「な!!?‥‥いるのか、ここに」

 

「ここにはいないわ、残念ながらね」

 

 いないと聴くと握りしめていた左拳を開く、自身の在り方を示すというその左の(たなごころ)で何を握りこんでいたのか、詳しく聞いてみたいところだが、それは無粋か、やめておこう。

 自分の心を固く握り締め、それを壁に打ち付けるくらいだ、小槌の代償を知らずに謀って、その反動を一人で受けた針妙丸に対して、何か締め付けられるような思いでも持っているのだろう。

 そんな面倒な気持ちを聞いたところでなにも出来ないし、そんな事にお節介を焼いてやるほどあたしは人が良すぎるわけでもない。

 

 正邪を眺め黙々とした思いに耽っていると、無言のままで動き出す正邪。

 あたしが目の前にいるというのに、油断しすぎていてるのか、別の事で頭がいっぱいだから眼中に映らないのか、そのまま横を抜けようとする天邪鬼‥‥を、軽く小突いて壁に追いやり、正邪を真似て壁に右肘をついてそのまま腕を首に宛てがった。

 出入口は無理とでも考えたのか、窓を見る赤目の視界に横槍代わりを入れる、壁に煙管を突き刺してそっちもダメだと動きで伝える。キッと結んだ口が開きそうになったので、頬と唇の境目辺りをチロリと舐めて気を逸らす。

 そうすると何やら煩くなりそうなので、周囲に響いてしまいそうな正邪の声は全て逸らす。あたしに向かわないものを逸らせばあたしに向く、あたしの声も同じく逸すと、思った通りに作用して二人だけの壁際話となった。 

 

「逃げるの? また? 何処へ? いつまで?」

「そうだよ、逃げるんだよ! いつまでも、どこまだって行ってやるさ! 私はまだ諦めてはいない!」

 

「言い草だけは明日に向かっての逃走、って感じね」

「あぁそうさ! 私はまだ死んでない! なら今は逃げて‥‥二度目の狼煙を上げるだけだ!」

 

「ねぇ正邪、そもそも何から逃げるのよ? 貴女は遊びに勝ったじゃない、あの妖怪の賢者に一泡吹かせたでしょう?」

 

「あれはお前が‥‥」

「あたしを上手に利用した正邪は見事逃げ切っている、これが勝ちでなくてなんなの?」

 

 互いに吐息の掛かる距離、興奮した正邪の荒い息を浴びつつこちらも煙草臭いだろう息を浴びせる、そんな距離での煽り合い。

 何かを諭してやろうってわけじゃない、そういった事は寺の住職か、あの尸解仙あたりがやればいい。あたしは現状を知らせるだけ、既に勝者となっていて遊びは終わっている、あの遊びであたしに賭けた霊夢が儲けたというのだ、配当まで済んでいるならキチンと終わっているだろう。

 だというのに何故逃げるのか、何から逃げているのか、あたしが出来なかった投げずに勝つという事。それが出来た正邪にはソレは知っていてもらいたかった。

 再度口の端を舐めてから、煙管を抜いて拘束も解く。

 自由になると人の襟首ねじ込んできた。

 まだ付き合ってくれるなら、もう少し話しておこう。

 どれほど締め上げられても苦しくない、正邪のお陰でそんな身体になったのだから。

 

「もう一度問うわ、何から逃げるの?」

「お前‥‥黙れよ!! 黙ってくれよ、姫も諦めてくれていいんだよ」

 

「諦めが悪いのは針妙丸だけじゃないわね、正邪も随分諦めが悪い」

「さっきから何が言いたいんだよ! 何を言わせたいんだよ!!」

 

「わかってるなら聞かないで。それに、正邪が言う相手はあたしじゃないはずよ」

 

 握りこまれて乱れる襟元、帯も緩い前結びだからか、楽々と着乱れていくあたしの着物。着付けも出来るし撫でれば戻る、だからそれはどうでもいいが、どうした?

 返答を待っているのだから何かしら言ってこい、異変の最中針妙丸に『悪い』と言ったアレは騙して嗤う為の嘘だった、そんな風に言えば後では知らんが今だけはスッキリ出来るぞ?

 そう言いたいんじゃないのか?

 それとも、そうは言いたくないから返答出来ないのか?

 ギリリと握られる拳を眺む、合わせていた視線をこちらから逸らしてやると、着物を離して出口に向かう正邪。ボロボロの格好で何処に行くのか、わからなくもないからこっちでは世話を焼いておく。 

 

「姫はあの店にいるわ、今晩はここに泊まるから」

 

 行くなら行け、来るなら来い。

 後につけるべき飾り言葉は言わず、足早に出て行った背を見送る。

 これで行くなり来るなりすれば素直なのだが、確実に来ないと言い切れる。

 捻くれ仲間の反逆仲間だ、その辺りはわかる。

 ならとっ捕まえて会わせてやれば、とも思わなくもないが……それでは姫との約束を守りきれないのだろうな。『泣くような結果にはしない』ってのが姫との約束だ。

 今会わせれば一時は喜ぶだろうが、後々で泣くような思いをするかもしれない。そうなっては約束を守ったとあたしが思えない、それは非常に苛立たしい。口約束だが面倒な約束をしたもんだと、バッグに収まる着物を撫でてそのまま葉を取るとちょいと一服。

 窓を開けつつ煙を吐いて、胸が二度ほど膨らみ萎んだ頃、一つ思いつく。

 着物の替え袖が必要だと言われた後で、姫が袂別(べいべつ)した相手と会う。

 悪くない思いつきで、我ながら酷い皮肉だなと感じる。そうやって身から出た錆に対して、ちょっとだけ眉根を寄せながら、胸の内に湧いたモヤモヤも煙草の煙と共に外へ流した。



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EX その31 辛酸を舐める

 僅かに覚えた苛つきは主流煙と共に吐き流した、浅く掘られた眉間の渓谷も今では綺麗に消え失せた。見慣れただろう眠たげな顔を取り戻し、さとり達のいる書斎へ戻った。

 先に出て行った天邪鬼、あれは顔を出したりはしなかったようで、こっちの部屋にいた相手は色味が変わっただけで、そこ以外はなんら変わらず座ったままだ。黒い頭が一匹分増えているが、この子はもとよりここの住人、いてもさして不思議ではない。

 机に向かうここの主、その手前にあるソファーには鬼が一人とペットが一匹。来客の多い屋敷ではないためこちらのソファーはそれほど大きなものでない、その為あたしの席がない。

 それなら机の端でいいかと、片足上げて片尻を角に乗せた。

 そこは座る場所ではありません、そう語ってくる真っ赤なお目々。

 どうせ赤いのならもっと色のある赤の方がいい、目と目を合わせてそう思考すると、長い睫毛が絡んでしまいそうな程に細められた。ここに来る前の自宅でそんな目も悪くないと感じたばかり、なんとなくキュンとクルものがあるなと、覚えちゃイケない感覚を下っ腹の辺りに覚えると大きな溜め息がつかれた。

 

「さとり様、溜め息? 幸せが逃げちゃうよ?」

「漏らすほど多幸だと思わないから、大丈夫よ」

「ふむ、地底(ここ)の管理なんてさせられてんだ、どちらかと言えば薄幸だわなぁ」

「薄いなら尚の事だと思うけれど、漏らしたら無くなりそうね」

 

「漏れたら大変だよ? ホウシャノウが汚染でどうこうって神様が言ってた!」

「それを漏らすのはお空だけよ、でも覚えてて偉いわね、後で話を覚えてたって伝えておくわ」

 

 座ったままで右手に付けた足をブンブンと、大袈裟に振っていかに漏れると危ないのかを体全体で現す地底の太陽。ちょっと褒めると二つ名に相応しいくらい瞳を輝かせた、ナニかが融合してキラキラと反応するようなその目に見られ、相変わらずの愛らしさだと手招きすると飛んできた。

 こっちに来る途中で姿を変えて、黒羽輝く烏の姿となるお空。お燐やあたしと一緒でこの子も自由自在に姿を戻せる。するどいツメ足が三本あるのと緑のリボンが特徴的だが、宿している御方を考えればコレで当然と思えるので気にしない、寧ろリボンを何処で結んでいるのかって方が気になる。 靭やかで少し短い羽毛に縛るには随分デカイお空のリボン、本当にどうなっているのかと端を摘むと、腕から肩に逃げられた。

 

「なくなるほど強い息でもありませんし、貴女相手に漏らすなというのも難しいですね。あちらの者とは‥‥会えたけど逃げられたと、まぁ当然でしょうね」

 

 席が空いてもそちらにいかず、机に座ったままのあたし。乗っけたままのその尻を普段は使わない、新品同様の羽ペンで突いて、あっちに座れと促しつつ言葉では別の事を話すここの主。

 行けと言われると行きたくなくなる、天邪鬼という意味合いではなく誰でもこれくらいは思うだろう。必然あたしもそう考えて、突かれながらもその場に居座る。

 

「また逃げられたのか、逃げ足だけは本当に早いねぇ、あいつ」

「逃した、と訂正しておくわ。何故あれがいたのか、聞いてもいいかしら?」

 

「聞いてきてもいいが教えてはやらん」

「あら、あたしに甘い姐さんがいけずだわ、つれないなんて珍しい」

「どの口が、誰に向かっていけずなんて言うんですかね」

 

「そう言ってやるなよさとり、そうさなぁ‥‥前みたいに物々交換といこうじゃないか、あっちに行く前に言ってたアレ、どういう意味だい?」

 

 なんだっけか、肩に止まる地獄烏を見つめつつ考える。

 何かをいった覚えはあるが、特に思案して話したことでもない為、何をどう引っ掛けて言ったのだったかぼんやりとしか覚えていない。それでも少し考えれば思い出せそうだ、肩に乗せるこの子のような鳥頭ではないし、見てくるさとりの視線が意地の悪いモノになっている。

 ということはそういった物言いをしたって事だ、それに引っかかれば思い出せそうだ。

 しかし姐さんが物々交換なんて言い出すとはね、去年か一昨年くらいにあたしが言った事を返してくるとは、大酒飲みのくせに記憶力が良くて妬ましいとも思うが、たかが数年でごく最近の話しだし、忘れるほど古い記憶でもないのか。

 あぁ、これか、言ったのは。

 

「直近の話で、来年の話じゃないから姐さんが笑えない、だから教えなかったってだけよ」

「来年って、あぁ、そういう事かい。なんだい、どうでもいい事で意地はっちまったなぁ」

 

 答えを話すと軽く笑う鬼、ついさっきの事を話したのに笑うとは、誰が考えたか知らんがことわざなんてのも存外当てにならんな。そう考えつつ同じように薄く笑う、声は出さずに表情だけで笑んでいると、肩のお空を見ている三つ目がちょいと口を挟んできた。

 

「アヤメさんが言う事でどうでもいい事以外は少ないのですし、勇儀さんは遊ばれていただけですよ」

「遊ばれてたか、辛辣だがご尤もだ、真面目に考えたあたしが馬鹿だったな」

「勇儀姐さんこそ辛辣ね。偶には真面目に語る事もあるのよ?」

 

「先ほどの天邪鬼とのお話、ですか」

「思っただけで言っていない事を言うな、あたしはそう言わなかったかしら?」

「ハハッ! 誰も彼も辛辣だなぁ、おい。お陰で口が塩っ辛い感じだ、帰って酒で流すかね」

 

「ちょっと姐さん、質問の返答がまだよ」

「なんて事はないよ、あいつが来たからいたってだけさ、ここを何だと思ってるんだい?」

 

 背中で答えを語る鬼、後で来いと言いながらそのまま外へと進んでいった。

 パタンと静かに閉じるドア、破滅的な金剛力だがこういう時には静かに出て行く、やっぱり気立てが良くて妬ましいがそれはそれとて、さも当然と言って消えたが言われる通りだと思えた。ここは地底の旧地獄で、流れ者や忌み嫌われる者達の住む地だ、反逆者一人が来たところで追い返しもしなければ歓迎もないようなところだった。

 あたしとしてはそういう意味ではなく、何故地霊殿にいて採寸なんてしているのかを聞きたかったのだけれど、それを聞くなら姐さんではなくこっちの三つ目か。全部話さず帰ったのも街の顔役ではなく、姿の見られた場所の主に聞けって事だろう。

 そう思い込みさとりを見つめる。

 

「それもなんという事もありませんよ、来たから滞在させた、それだけです」

「地上で騒ぎの種になったあいつを匿う、ここが荒れるとは考えなかったのかしら?」

 

「元々荒れているから問題ありません、理解した上で問わないでもらいたいですね」

「再確認よ、それ以外にもありそうだしね」

 

「それ以外とは? 来る者は拒まず去る者追わず、ここはそういう世界ですが……だから居心地がいいなど、変なところで褒めないでいただきたいですね」

「変でもないわよ? 地上を追われたお尋ね者に対して、業者呼び出し衣服の提供までしてあげる優しい主がいる屋敷だもの。居心地いいわ、本当にね」

 

 遠回りな会話に飽いたのか、つぶらな瞳をしっかり瞑って、すっかり眠ったお空を撫でる、そうしながら思った通りの事を口にするとここの主の閉じない瞳に見つめられた。覚妖怪じゃないと否定したばかりだが、この姉妖怪が今何を考えているのかはあたしにもわかる。

 不意打ちで素直さを見せるな、そんな事でも考えているのだろう?

 正解か?

 なんだよ、偶に褒めたら恥ずかしいってか?

 目を逸らすなよ、なんか言えよ。

 

~少女嘲笑中~

 

 ケラケラと笑い、背中に刺々しい三つの視線を感じつつ、姫を迎えに店まで出向く。

 着いてみたらば面白い、ヤマメの肩の上ですっかりと玩具になったお姫様がそこにはいた。いつの間に仕立てたのか、姫サイズのフリフリドレスを着てまんざらでもない顔の針妙丸。

 見て欲しい着物を取り出して渡しつつ聞けば、能力を行使すれば短時間で仕立てられるのだそうだ。猫店主が持つのは『縫合する程度の能力』だそうで、衣服より医療に向いてそうに思えるが、重たい命を縫うよりも軽やかに着飾る物を縫っている方が性に合っていると、軽快な猫足持ちらしい言葉で考えを否定されてしまった。

 なるほどと頷いてヤマメの隣のパルスィを見る、その腕や指には大きめのスカーフと、袖を通した跡の見られる黒いスーツやら艶やかな着物やら色々掛かっているようだ。

 置いていかれて、押し付けられて可哀想なんて言われたが、こうしてみれば皆楽しんでいるようにしか見えない、寧ろ楽しいお着替えショーが見られなかったあたしの方がやっぱり可愛そうだったと思いつつ店舗内をぶらつく。

 あたしに気が付いても遊びに夢中だったお姫様、肩の上でくるりと回ってから見せた朗らかな笑顔を可愛いと、一言褒めると、巻いたネジが切れたように固まったおやゆび姫。正邪といい、さとりといい、誰も彼もさっきからこれだな、これなら素直さなど見せるべきではないな、固まる姫を眺めそう感じた。

 

 宿は開店させたから飽きたら行くわ、仏頂面でそう伝えると、金髪二人に笑われながらいそいそと脱ぎ始めた。グッと衣服を下げた頃、その姿はスカーフのカーテンに遮られ見えなくなる。

 それはそう使う物だったのか、コイツもコイツで気立てが良くて妬ましい、緑の瞳を見ながら妬んでいると、さらっと着替えて見慣れた姿に戻った。

 そんな姫を右肩に、忘れて連れてきた地獄烏を左肩に、重さのバランスを取りながらやじろべえのように歩いて戻る。偶に思うが、あたしの肩はそんなに乗り心地がいいかね。

 今もそうだが、天狗記者の妹も止まってくれるし、いつだかぬえも肩から頭を生やしてきたな。自分では感じられない自分の乗り心地、それは後で雷鼓に聞いてみよう、意味が違うと叱られそうだが。

 

~少女帰宿中~

 

「ただいま」

「おかえりなさい、そちらの方が針妙丸さんですか、初めまして、古明地さとりといいます。歓迎はしませんが、部屋は提供させられましたのでどうぞ、ごゆっくり」

「え? あ、どうも」

 

 ゆらゆら戻って玄関開くと、すぐにいたジト目妖怪。

 自己紹介からちょっとした嫌味まで、言いたい事を全て言い切ってからいつもの書斎の方に歩き始めた。声で起きたのか、肩の烏はそちらに飛んでいき再度バランスが悪くなる感じがした。

 致し方なしと白徳利の紐を左肩に掛けて歩く、最早自室と呼べる部屋に着くと姫を下ろして軽く一服。

 

「開店させたってそういう事だったのね」

「どういう事かしらね?」

 

「提供させられたって言ってたじゃない」

「いつもの嫌味よ、気にするだけ無駄。それより着物だけど、袖だけは替え袖にしろって言われたわ」

 

「あ~、やっぱりダメだったのね」

「そう気を落とさないで、鬼の着物で丁度いいのがあるみたいだから、それほど悪いものにはならないはずよ」

 

「それは、ご先祖様に対してどうなのよ?」

 

 そういや真っ当な子孫だったなと、被ったお碗を下ろす姫を見て思う。

 言われるまで完全に忘れていたが、気にするほどの事だろうか?

 そんな事を言い出すのならばあの打ち出の小槌だって元々は鬼の秘宝だろうに、それを使ってご先祖様は甘い汁を吸ったのだから、子孫もそれに習ったらいいんじゃないのか?

 

「でもまぁそれもいいかな? ご先祖様はご先祖様、私は私って事で」

「それでいいならいいんじゃない、あたしの思い付きとは別だけど」

 

「なんか面倒臭そうだから聞かない事にするわ、そういえば正邪の話って何処かで耳にした? 土蜘蛛も橋姫も正邪の事は知らないって言ってたわ」

「いたみたいよ、すれ違っちゃったようだけどね」

 

 そうかぁ、としょんぼりする姫。

 地底世界への出入口である大穴と、旧都の出入口である朱塗りの大橋、その二箇所にいるあいつらが知らないわけはないと思うが、何故知らないと白を切るのか?

 知らないというだけで見てないとは言っていないし、二人の証言も嘘ではないのだろうな。ならなんだろうか、庇う理由など見当たらないが‥‥まぁいいか、地上と不可侵条約を結ぶ地の妖怪さんだ、一応は地上の妖怪さんであるあたしが踏み込むこともないだろう。考えるのも面倒な気がするし。ちなみにあたしも嘘は言っていない、今は姫のお付きとしてあちこち動き回っているわけだし、出来れば嘘偽りは少なめにしておきたいというのが心情だ。

 会ったかと言われれば会ったと返したかもしれないが『正邪』って固有名はここの誰からも聞いていないわけだし。

 実際ここにいて、すれ違って部屋を出て行くところも見た、それを含ませて少し話すのはちょっとだけ漏れた優しさって事にしよう、そんな話も確かしたはずだ。

 

「でもいたって事は近くにはいるのよね!」

「でしょうね、次は何処に向かおうか?」

 

「う~ん、振り出しに戻っちゃったしなぁ」

「ならあたしの考えに乗ってみる?」

 

「考えって、目星がついてるの?」

 

 確信はない、がなんとなく当たりはつけていた。次は多分妖怪のお山だろう、単純に近いからだとか出入口があるからというわけではない、ほとんどがあたしの思い込みだがそれでも動いてもいいかなと思える理由はある。

 あいつはまだ諦めていない、二度目の狼煙を上げると言った。それをひっくり返せば完全に諦めて反逆する意思はもうない、ともとれるがここは返さずに素直に考える、これを言ったのは針の姫様の話をして揺れ動いた後の言葉だ、多分素直な物言いだろう。

 それで考え、というか読みだが、二度目の反逆をするために必要なのは何か?

 当然振り上げる拳だろう。

 けれどもあいつは非力な天邪鬼だ、自分の力だけではひっくり返せないと、異変からもその後の逃走劇からも学んでいるはずだ。

 ならば何を使うか?

 これも当然、使い慣れた打ち出の小槌だろう、一度使って味をしめているしアレがあれば一人でもどうにか凌いですきを突くことくらいは出来る、かもしれない。

 それでも本物は姫にしか扱えない、それなら求めるのは贋作だが、あれはあたしが破壊した‥‥というのは広まってはいない、目の前で踏抜き風に消えたのを知っているのはあたしとお山のエロジジイだけのはずだ。

 奪われた贋作はまだ残っている、あたしが正邪ならそう考えて、それを奪いに行く。

 ってのがあたしの読みだが、実際どうかは知らん、でも何もなく動くよりはいいか、明確な目的地がある事で姫がやる気を見せるなら、雑多な思い込みで振り回しても何ら問題ないだろうし。

 しかしあれだな、どこかしらにヒントを残して言ってくれるなあの天邪鬼。舌は(わざわい)の根というらしいし、それが二枚もあるからこうやって会いたくない、厄介で面倒なあたし()に思考を読まれるのだろうか?

 違うか、三下の小悪党同士で考えが似るだけなのだろうな。

 

「なんで黙るの? ただの思い付きで言っただけ?」

 

 この考えをどう伝えるか、どう話せばネタバラシせずに誤魔化せるか、悩んでいると真面目な声で問われる。こんな声色で言ってくれる辺りそれなりに信用されているのだろう、全面的に信用されると困ると伝えてあるはずだが‥‥まぁいいか、素直に問われたのだ、素直にらしく返そう。

 

「そうね、ほとんどは勘と思い付きよ。残りは‥‥空気を読んだって事にするわ」

 

 ポリポリと左耳を掻きつつ返答する。

 あたしらしいただの思い付きに、八口つ広げたお陰でちらりと見える、何処かの腋巫女らしい勘という物言い、ついでに親近感の湧いたここの主の言い草を混ぜて、混ざり物の妖怪らしく返すとそれで納得してくれた姫。それでいいのか、素直に問うと考えた結果なんでしょ、とこちらも住んでいる神社の巫女っぽい事を言ってきた。あの子もこの子も思案した結果だけは信用してくれるらしい、なら口だけ妖怪らしくどうにかアイツをやり込めるよう考えるかね。

 そのためにはまず飯か、お燐は書斎で寝たままだろうし、さとりが向かった先を鑑みれば今日はさとりが作るのだろう。お燐が上手というらしいその料理に舌鼓を打ちながら、舌三味線の楽譜でも起こすか。先ほどとは違って然程悪くない冗談を思い付き、また姫の乗り物となって食堂へと向かい歩む、酸っぱいおかずでなけりゃいいな、辛辣なのは言葉だけで十分だとか考えながら。



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EX その32 はやりモノ

 美味しい夕餉はなんだろか、美味けりゃ褒めてマズけりゃ嗤おう、そんな企みを腹に込めて姫と二人、地霊の宿の晩餐を味わった。今日の料理長は読み通りここの主人で、普段は羽ペンを奔らせるか、愛しいペットを撫でるくらいしかしない手を振るってくれた。その手腕はいかほどかと、さとりが作ってはハシビロコウさんが運んでくれる料理を眺め考えていた。

 正直に言えば口にする前から結果だけはわかっていた、冷えても味わいに問題ない副菜数品から出始めて、それから暖かな主菜、湯気立つ白飯と御御御付(おみおつ)けといった順に出てくる料理達。順番待ちでもしていたのかなってくらいに出揃う料理からは手際の良さが感じられて、これでマズイわけはないなと見た目から既に結果を読んでいた。

 それでも何かないものか?

 食べる前はそんな事を企んでいたが、腹においしい食事が入っていくとそんな悪巧みはソレに押されて何処かへ消えた。ご馳走様とお箸を揃えて置いた後、いかがでしたかと聞いてきたさとり。

 これで意地の悪い顔でもしていればそこを突いたのだが、普段通りのじっとりとした目で聞いてきてくれてそれも言えず、素直に美味しかったと褒めた。

 褒めてもあまり変わらない表情だったが、サードアイだけ普段より薄めになってくれて、それがなにかうっすらと微笑んでいるように見えた為、出来れば白味噌よりも赤味噌か合わせの方が好ましいと、嗜好の部分で軽く突くと、素直に褒めるだけにしてくださいと窘められた。

 酸っぱいおかずなど何もない、寧ろ食材の甘みなどがわかるような淡白な味わいの料理達。書斎を出る前に、甘やかすとか、甘えるとか考えた意趣返しかなと思った頃に、そうですよと含み笑いで話された。やってくれるじゃないかと、ソレも言わずに褒めた。

 

 予想以上に美味しかったもので腹を満たし、沸き立つ温泉で心も温めた。

 身も心も朗らかとした後で姫を連れて再度外出、ちょっと出てくると伝えると、ちょっと出ようでいいと言ってくる地霊殿の主。肩に烏を腕には猫を抱いて、姿も風呂上がりの寝間着ではなく普段着でいるさとり様。言いっぷりと見た目からわかるし、それならいいかと自分も狸に姿を変えてさとりの空いた右肩に乗る。主に連れられ夜のお散歩、向かう先は鬼の巣窟。温めた後にするのなら次は満たす事だなと、来いと言われた酒場へ向かう。

 いらっしゃいと迎える鬼店主にニャ~と鳴き、よく来たと迎えてくれる鬼の大将にはカァと鳴くそれぞれ。これはあたしも鳴いとくべきかと狸らしい、犬が飼い主に甘えた時みたいな声を出す。愛らしい今の姿を見せたのも久しぶりな相手に鳴き声まで晒すと、盛大に笑われた。鳴き損だったと拗ねてみせると、お前が鳴くなら嫌味な声色でポンポコだろう、わざと鳴らすのも三味線だろうと言われ、それもそうかと思えたので頭と共に傾けていた機嫌も戻した。

 

 そうやって遊んでから少し呑んで、珍しくすぐに帰った、というか帰してくれた。針妙丸の姿と少し膨んだままのあたしのバッグから察した勇儀姐さんが、まだなら忘れる前に行けと追い出してくれてありがたかった。そうして仕立屋に着物を預け、翌日に受け取りに行った後、すぐに地霊のお宿を出立し、向かった先は妖怪のお山‥‥向かうというのか、帰るというのか、そのあたりが曖昧だが、もう一つの出入口がある神社住まいの姫からすれば、こっちは向かうでいいのかなと思い、向かった事とした。

 出てきてみればお湿り天気、お山の新緑を静かに濡らす春雨が降る空模様。一人であればしっとり濡れていい女となるのが常だが、あたしは兎も角姫の着物は濡らしたくないし、蛇の目もないしと、能力使って雨粒を逸らしていた。そんな中現れたのはいつものあの娘、白い天狗の衣装を僅かに透かして、頭巾や髪の先から水を滴らせる色っぽい女の子。頬を僅かに春色にさせる生真面目な番人と出くわし、少し立ち話をしている。

 

「……と、そういうわけだったのよ、ねぇ?」

「だからなんで‥‥もう! そういう事よ」

「あの、そう言われても……どういう事でしょうか? 地底であった事を話されても、ここに侵入していい理由には‥‥」

 

 お山に入った、戻った?

 そこはもうどちらでもいいか、大穴から出てきてすぐからこちらに向かってきた哨戒天狗、いっつも生真面目白狼天狗に事の流れをダラダラ話した後ってのが今現在だ。

 あっちでこう過ごして今ここにいる。当然正邪の事は話さずに、遊び笑った話と新しく買ったりした物、仕立て直したりした物の自慢話をメインとして話し、土産話をしたのだからちょっと通してとお願いをしているのだけれど……話を聞いても疲れたって感じしか顔に貼り付けてくれない山のテレグノシス。話を振っても乗ってこなかった姫はどうにかノッてくるようになったのだし、ソレを見習って少しはノリよくなってくれてもバチは当たらないと思うぞ。

 

「ダメ? ちょっと目を瞑ってくれればいいのよ」

 

 姫の着物を預けた時に視界に入った黒い帯、一目見て気に入りその場で買って締めたばかりの細帯。黒地に薄紫の紫陽花が描かれ、その紫陽花に留まる小さな蝶々を撫でくりつつ、椛に向かって猫なで声を叩きつける。

 

「そう言われましても。それに、今は囃子方様に付き合っていられるほど暇ではないんですよ」

 

 弄りながら話したからか、あたしの指の動きに合わせその千里眼を動かす椛が、お山の今の状況を大真面目に話してくれる。あたしに付き合うほど暇じゃないというが、普段から構ってくれる事なんてないだろうに。

 こちらから絡みに行かねば付き合ってくれないくせに、普段は真面目に対応していますと聞こえるその言い方は何かこう、引っ掛かるような気分になるな‥‥が、そこはいいか、今は構ってくれているのだし、会いたいアイツと帯の花に引っ掛けて、言葉の意味をひっくり返し、今は暇で遊んでくれると聞いてこう。

 

「それはあたし達以外にも侵入者がいるって事ね」

「はい、大穴を抜けて山へ入った誰かがいたのは見たんですが、私の目でも追えなくなってしまったんですよね」

 

 馬鹿正直に話してくれる山の警戒レーダー。部外者で侵入者候補でもあるあたし達にそれを話していいのかと思わなくもないが、身に宿す警戒心はどこかに逸れていっているらしい。千里眼を自称する椛には悪いが、あたしの能力は相手が千里であろうと万里であろうと問題なく逸れてくれる、形として見えない能力はこういう時に便利だとつくづく思う。

 が、同時にこういう時に感じる不便さもあるな、行きは全て逸らして入った為、椛にはあたし達が地底に向かった姿は見られていない。お山に入ったところを確認できていないのだからこの場にいないのが当然、だというのにいるのだから、先の侵入者とは逆で突然現れたと思われても致し方無いだろう、そういう面では些か不便だが、これくらいのが面白い。

 出る時も逸らせと言われればそれまでだろうが、この娘と話すのもここを訪れる理由の一つと考えている為、そうはしないってのもあたしの常だな‥‥今日はそれが仇となっているがまぁいい、この娘の口ぶりからすればあたし達以外にも侵入者がいるようだし、それがあたし達の追いかける相手、ここの記者のスカート柄に似た布で消えたあいつだというのもわかるし。

 

「出てきた一瞬は見えたって事でいいのかしら?」

「足元だけですね、なにかつっかけのような物が見えただけです」

「それって‥‥」

 

 肩で大きな声を出す小さなお姫様。

 何を言わんとしているかわかる、声高に言いたくなる気持ちもわからなくはない。が、今騒がれると非ぬ疑いを被る事になるからやめておけ、主人役にしている姫まで逸らしてはいないのだから、姫から言われればそう感付かれる。言わずに右手で頭を覆う、普通サイズなら唇に添えるだけでいいが、そうするにはこいつはちと小さい。なので代わりに被るお碗と手の平で顔を隠すと、何すんのと騒がしくなった。主題で騒がずこっちで騒ぐなら構わない。 

 

「お二人の言動と態度、何か知っているという事でいいんでしょうか?」

 

 さて、なんと返答したものか。

 素直に言えば大捕り物、何も言わねばお目付け役が離れない。

 今から逸らしてもいいけれど、そうすればこの娘は血眼になってあたし達を探すだろう。逸し続ければなんちゃないが一人で無理ならまた遠吠えするだろうし、そうなれば(いぬ)のおまわりさんが増えてしまう。それは困る、あたしではなくもう一方の侵入者が困ってしまい、また何処かへと逃げ去るだろう。そうなるとあたしが困る。全く、あの二枚舌に関わると帯に短し襷に長しというような事ばかり起きるな‥‥まぁそれもそれでいいか、これはこれでやり甲斐のありそうな難題だ。 

 

「返答なしですか‥‥いいでしょう、侵入者として扱います!……出ていくか、白状するか、決めてもらう」

 

 返答というか弁解に悩んでいると焦れたらしい、腰から下げた白狼の剣、抜身で持ち歩くそれを真っ直ぐに構える椛。口調まで変えてしっかりと侵入者として見てくれる千里眼、あたしにそれを向けても無駄、それがわかっていながらも、そうせねばならないのが勤め人の悲しい性か、本当に仕事に一途で妬まし‥‥くはないな、気苦労が多そうで御苦労様な事だ。

 余計な事に思考力を割き、向けられる切っ先を見つめる事数分。無言で睨み合ったままでいると、携える肩からほんの少し震える切っ先の雫が刀身へ流れ、鍔へと伝って垂れては再度溜まる。

 握る剣と同じく、乾いていればふわふわしている白髪、その前髪からも雫を垂らす狼さん。こうなると出ていくか、実力行使するかしないと梃子でも動かなくなるのがこの哨戒天狗だ、致し方なしと帯に差した煙管へ手を伸ばす‥‥が、抜いても切れないあたしの刃が抜かれる前に、姫が口火を切った。

 

「別れたけど追いかけてるのよ、邪魔しないで」

「邪魔? お山に入り込み我々の邪魔をしているのはお前達の方だ。別れたというのは共犯者だと捉えて良いか?」

 

 二人して真剣な眼差し、そういった視線はもっと好ましい雰囲気で見せるべきだとあたしは思う。今の天気に宛てがえば一つの蛇の目に二人で入り、腕を絡めてゆるゆる歩く最中だとかね。 

 いや、この二人じゃ無理な話か。サイズが違いすぎるし、椛が差すのならば蛇の目より妻折笠の方がきっと似合いだ、なんて考え込んでいると姫の顔色に陰りが見え始める。

 

「お願い‥‥いえ、お願いします。邪魔しないから、邪魔しないで」

「立ち入ること自体がそもそも邪魔だ、このまま出て行くなら目を瞑る、居座るのなら‥‥」

 

 愛刀に溜まった雫を振り払う白狼、会話をするだけで打って出ず、目に力を込めて居座るのだけというのはなんなのだろうな。言い切らないって事は伝える気がない、これ以上の問答はいらないから好きにしろとでも言ってくれるのだろうか?

 完全にない事を思いついていると、表情に眼差しで見せた以上のモノを込めた姫が椛に願う‥‥けれど、それは聞き入れられないようだ、当然だろう。彼女は職務に忠実で上から言い渡された仕事をきっちりとこなそうとしているだけだ、侵入者からの言葉など聞き入れるはずもない。

 ならどうするか、ふむ、上司を使うか。

 

「椛の上司はそうは言わなかったけど?」

 

「上司とは、どなたの事を言う‥‥いや、それ以上は聞‥‥」

「文よ、荒らさず居るだけなら目を瞑ると言ってくれたわ、嘘だと思うなら確認してきなさいな。瞑ってくれないその眼ならすぐに見つかるでしょ?」

 

 今ではなく前回の追いかけっこで語っていた事、朝っぱらから我が家に来て、朝飯食らって話していた事を勤め人に押し付ける。ソレイジョウキなんてよくわからない、キだし鬼の誰かか? まぁそれはそれでどうでもいいとして、椛が言いかけた言葉を遮り、一方的に言い分を叩きつける。真面目で忠実だというのならそこを利用するまで。二人の仲はそんなに良くないが、あの新聞記者も上司には違いないし、実力だけをみれば仕事を申し付けてきただろう大天狗よりも文のほうが上だろう、それならおいそれと無視はできないはずだ‥‥と、言い切ったおかげであたしが思い込める。言って椛がどう感じるかなど知った事ではない、この場に居座る理由を作れるのならそれでもう十分だ。

 

「確認しに行かないの?」

「いないとわかっている相手をダシに使うなど‥‥」

 

「出汁なら鴨のが好みよ、朱鷺も烏も匂いに癖があるからあたしはあまり使わないわね」

 

 いきなり何を言うのか、抑えた指のスキマから見える姫の視線がそう語るが何を言っても今はいい、ただ流れをあたし好みのものにしたいだけなのだから。お仕事モードになったこの娘は手強い、頑なで強情で‥‥いや、強固な信念があると言っておこう、真面目に働く相手を小馬鹿できるほどあたしは出来た者じゃない。

 言わずに語る姫じゃないが椛の方もほんの一瞬だけ同じような目になってくれた、それでもすぐに警戒の色を取り戻していたが。まぁいい、取り戻したってんなら一度失っているのだ、もう一度手放すように仕向けるのは容易いだろうさ。

 

「誤魔化して濁し続けるのも少しだけ悪い気がするし、真面目にお願いしてみるわ。その目、少しの間だけ瞑っていてもらえない?」

「見逃して何をするつもりなのか、内容によっては‥‥少し、考えますが‥‥」

 

 笑みも見せず真面目にお願いしてみれば、かたっ苦しい態度のままで言葉だけ少し柔らかくなってくれる山の番犬。見る目は未だ開いたままだが聞く耳は持ってくれたようだ、それならば話は早い、一度揺らした手を使いもう一度ふっかけておこう。

 

「椛の上司との約束を守るってだけよ、文とは別の、ここでふん反り返っている爺との約束ってやつを、ね」 

 

 先ほどまでのクソ真面目な顔からはひっくり返して、ここの爺の本性のような、じっとりねっとりと視線だけで舐めるようなイヤラシイ目線で言い切る。場を逃れるための嘘、そう思われても致し方ない状況だけれど、どう思われようが構わない。

 あたしからすれば偽りのない真実だ、小槌を狙う誰かが狼煙を上げた時にはその際の火消しをしてあげる、そんな約束をあのエロジジイと取り交わしている。この話はあたし達しか知らないが、真意が気になるなら確認してもらっても構わないものだ‥‥が、それは難しいだろうな。あの爺に問い正したところであいつから言い出すことはないだろう、側近にすら隠している話なのだから、一介の哨戒天狗に話すわけがない。

 

「……天魔様との約束事?‥‥あの時にそういった事を?」

「そんな話をしていたから椛を長く待たせてしまったのよね、年を取ると話が長くて、付き合うだけでも嫌になるわ」

 

 今のはここの長に向けての言葉であって、独白の長い自分は当然棚に上げての発言だ、あまり気にしないで欲しい。それでその話だが、明るいうちにこの娘に捕まって、日が落ちた頃合いにこの娘に出所するところを迎えてもらった。あの時は確かそんな流れだったはずで、あの場での椛はあたしの事を気にかけてくれていたはずだ、思い違いでなければ。

 その辺の優しさと立場、それらをテキトーにこねくり回して話の流れを手元に寄せる。爺やら年寄りやらと、アレをそれなりに見知っている事も付け加えると、色々と考える事が増えてしまったからか、戦利を見通す眼を困惑一色にし始めた椛。

 

「いきなり現れた理由は伝えたし、そろそろどうしてくれるのか聞いておきたいんだけど?」

 

 フリフリと袖を揺らして問いかける。

 伝えた事に嘘偽りはありませんよ、約束自体は存在しているしそれを守るつもりもありますよと、ある袖を厭味ったらしく振り揺らしてその千里眼にちらつかせる。

 言わずに理解しろ、遠くまで見通せるめがあるのなら察してみせろという意味合いも含ませた仕草、八割以上はただの気分でお遊びだが、それをしながら返答を待つと雨脚が弱まる。

 雨脚が弱まると代わりに強くなり始める風脚、椛も風の流れてくる先を睨み始めたし、これはまた、面倒なのが来たもんだと空を見上げた。

 

「あんた達なにしてるのよ? 二人‥‥じゃないのね、三人でしたか。針妙丸さんを神社以外で見かけるなど、珍しい事ですね」

「射命丸‥‥いらぬ時に姿を見せて……」

「新聞記者か、いたのね」

「確かにそうね、出かけずにいるなんて珍しいわ、流れからいないと思っていたのに」

 

 右手に持った羽団扇をパタパタと仰ぎ少し操り、周囲の雨雲をかき消した幻想郷最速の天狗。緩く組んでいる両の手の左側には、何やら丁寧に包まれた物も見られる。濡れ雨を飛ばすと降りてきては椛の半歩前に立つ上司天狗さんだが、そう庇うように割って入られてもだな、今日はいつかのように争っていたわけではないぞ?

 しかしなんだ、椛も嘘をつく事があるのか。いないとわかっているなんて言い切った割にすぐに姿を見せた射命丸文、普段はいる事が少ないこいつがお山にいたから雨が降ったんだな、きっと。

 

「今日も出てたわよ、今し方帰ったばかり。今日はちょっと、用事があったのよ」

「用事ねぇ、どうせ新聞のネタ作りでしょ?」

 

 空を見上げて語る文、自分で飛ばした雨雲が再度集まり始めたのを確認して、それも吹き飛ばした。二度も奔った天狗の風を受け雨の匂いも掻き消えて、後は自然に任せていてもお山の辺りだけは晴れていきそうだ、ならばもういいかと能力を解除し文を見る。

 必要のなくなった団扇を腰のベルトに差し、見つめる先を空から下、部下へと移した烏天狗。ふむ、こいつってば、こうまで気にするほど雨が苦手だっただろうか、どこぞの式でもあるまいし。

 

「今日は別なの。偶には記事作り以外の事もしてるのよ」

「別の事ねぇ、なんでもいいけど来たなら助けてほしいわ。ちょっと椛を黙らせてよ」

「黙ら‥‥私が悪いような言い方は」

 

「聞き分けは悪いでしょうに」

 

 文を見ながら助けを求め、追い払って欲しい部下を指差すと、その指に小さくカチンと歯音を立てて反論してくる椛。先程よりも不機嫌そうに思えるのは反りの合わない上司が姿を見せたからだろうか?

 そんな事はないか、この娘の剣に鞘はない、なら合おうが合わまいがしまわないのだから反りがどうであろうと関係などないな。それはそれとて、いらない時に来てくれた文をどうにか使ってこの場を収めたいが、何をどう使ったら上手い事丸め込めるだろうか?

 呼んじゃいないが来たわけだし、なにかネタはないかね、記者さんよ。

 

「とりあえず、なんの話をしてるのか教えなさいよ。というか椛も、いつまでも濡れたままじゃ貴女まで流行病にやられるわよ」

 

 なんの話か教えたくないから目を瞑ってくれと願っているのに、そこを突いてネタを拾おうとするとは、鼻が利かない烏のくせに記者としてはいい鼻を持っているじゃないか。ちらりとコチラを見ながら話す文に首を振り、あたしからネタ振りはしないと見せると次に部下へ小言を付け足した。流行病とはなんだろうかね、椛の頬が赤いのは季節柄発情期にでも入って、それを我慢しながらのお仕事だから顔色に出ている、なんて思っていたが‥‥これはもしや、いいネタか?

 

「流行病って? お山で何か広まっているの? なら病気を移される前に退散すべきかしら?」

「死人が病にかかるならそうすべき、って言いたいけど、生憎あんた達は患わないわ」

「私も大丈夫って事?」

 

「そうですね、針妙丸さんも大丈夫でしょう。今マズイのは私達だけですので」

 

 組んだ腕を解いてちらっと肘の内側辺りを見せる天狗記者、羽も髪も真っ黒な烏の白肌部分に小さくぽつんと紅一点が見える。飛んできた方向とその跡、ついでに言いっぷりから考えればなるほど。あの新聞に書かれていた季節とはがずれているから思いつかなかったが、またお山で流行ってるのか、悪性インフルエンザとかってのが。

 足が早くて元気な、どこぞの土蜘蛛を啄んでも病気をもらいそうにないくらい元気な最速烏がいつだか記事に書いていた話『注意! 鴉の間で悪性インフルエンザ大流行中』なんてやつが今年は今時期に流行の兆しをみせているって事か、ならばあの包は薬で永遠亭にでも行ってきたのだろうな。あの記事を書いた後で文も患っていたし、そうなる前に予防接種をしてきて、ついでに家にいるだろうあの子の分の薬を手に入れてきたと、そんなところだろうな。しかし話しぶりからすると椛にまでかかるようだ、この娘は鴉天狗ではなく白狼天狗、鳥ではなく四足から成ったと思っていたが‥‥

 

「天狗なら患う事もあるのよ」

「おねえちゃんのサードアイは何処にあるのよ?」

 

「だからそう言うなと‥‥あんたの面倒な思考なんて読んでないわ、顔に書いてあったのを朗読しただけ」

「あぁ、そう。それじゃついでに聞くけ‥‥」

「いや、囃子方様? そうやって話し込ま‥‥」

 

 地底のジト目に続き、また空気を読まれて話されてしまい、それならついでに他の相手。はたてやこいつの妹は元気にしているのかと聞こうとした辺りで、文の後ろから言葉を挟んできた椛が一歩踏み出し、そのまま間に割って入って‥‥ふらっと前に倒れかけた。

 支えに伸ばしたあたしの手よりも早く上司の手が部下を支えると、言わんこっちゃないと顔に書いて息の上がり始めた椛に肩を貸す形になる。まったく、雨の中体調崩してまで仕事をするからそうなるのだろうに、不調な時くらいは苦手な上司を見習いサボるべきだ。 

 

「辛辣な言葉が額に見えるけど、そんなに気楽に構えていて大丈夫なの?」

「そのうちこうなる気がしてたから大丈夫よ、処方箋も多く出してもらってるしね。倒れたのがあんたら相手で良かったわ、別の相手だったらそのまま、なんてなりかねないしね」

 

 心配をしてみれば問題無いと返ってきた、発症したてホヤホヤの椛を見てそう語るのならあっちの記者も妹も大丈夫なのだろうな。そうとわかればもういいや、慣れぬ心配などやめておこう。

 別の相手と言う方が気になる、もしや気が付いているのか?

 帰ってきたばかりのくせに。

 なら少し誤魔化しておくか、時既に遅い気がするが。

 

「あんた達も、感染しないからって、いつまでもここにいないほうがいいわ」

「要らぬ助言ありがと。亡霊でも風邪を引く、なんてなったらインタビュー受けてあげるわ、取り敢えず連れて行ってあげなさいな」

 

「今のはアヤメに向けてじゃないわ、そちらの小さなお姫様宛よ。インタビューなら後で、別の事で聞いてあげるから、そのつもりでいなさい」

「風邪かぁ、お大事にね」

 

 姫への気遣いを話す文にはいはいと手の甲振ってみせると、あたしが言ったモノとは別の事で取材をしてやると言ってきた、清く正しい幻想ぶん屋。どこまで気が付いているのか知らんが、椛が剣を構えていた辺り頃合いから見ていたのだろうな、そこから察してカマかけてきたのだろうが、さすがに目のいい鴉だ、相変わらず目聡くて妬ましい。

 お大事にという言葉を受けて軽く飛び上がる黒羽少女、あたしに対しては最後まで口が減らなかったが、普段見せないその姿を見られたため、あたしから言われるだろう返答を待っていた鴉の羽に姫と同じくお大事にとしか言わなかった。珍しく翼を広げ、これから急ぎますと見せてくれた幻想郷最速の天狗。目の上のたんこぶだとか言われる割には部下思いでお優しい文ちゃんだが、無関心ではなく、たんこぶとしてキチンと見られているから相手をしてやるのだろうな。

 嫌い、というか文にはツンとした部分しか見せない部下だけれど、可愛い部下が危なくなると真っ先に飛んでくるのは決まって文だ。上司とは違って仕事熱心で真面目な、可愛い子がもつダメな部分ってのがあまりない椛だが、今のような体調管理などをそのダメな部分として見てあげよう。愛でる部下が櫛風沐雨(しっぷうもくう)と働いて、毎日巣の安全を守ってくれているとわかっているから、いつも好き放題に疾風少女となって飛び回る事が出来るのだろうしね。  

 

「さて、ありがたい事に邪魔者は自分達から消えてくれたわ。要らぬ忠告までくれたし、あたし達もあの邪魔者を探しに行きましょうか」

「確かにありがたいけど、いいの? このままここにいて?」

 

「いいのよ、ここの門番役が侵入者扱いしてくれたんだもの、それなら堂々と侵入者らしくしましょ」

「いや、そっちはもういいんだけどね、本当に私には移らないのかなって」

 

「そうね、正邪を見つけて上手く捕まえられたとしても、姫が調子に乗ったりしなければきっと大丈夫よ」  

「? どういう事よ、それって」

 

 さぁね、肩乗り姫にそう話し天狗の消えていった空を見る。

 心配症な誰かさんがかき消したせいで光芒(こうぼう)、というにはあまりにも大きな雲のスキマ、そこから漏れる日差しを拝みつつテキトーに話を返して歩み始める。歩く最中の耳元でどういう意味かと騒がしいお姫様だが、そうやって天狗の誰かさんみたいに煩くなると本当に患う羽目になるぞ。

 上手くいっても天狗になるな、気を(はや)らせるなと、遠回しにそう話してあげたのだから、真似るならもう一人の、倒れた真面目な方を真似て殊勝な態度で追いかけっこに興じるべきだ。そう考えると聞こえるクシュンという声、早速かと思ったがこのくしゃみは別だろうな。

 大方噂でもされているんだろう、アイツ辺りに。




お盆休みまで更新はないと言ったな、あれは嘘だ。
というのは冗談として、不意の休みが出来たので小咄を一つ。


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EX その33 永遠の三下

 噂をすればなんとやら。

 方方を眺め、妖怪のお山を散策していたら不意に見つけた天邪鬼。

 見つけた場所は天狗の集落近郊の外れ、お山の中道を逸れた陰りのある辺り。陰りというかまんま影か、今は住むものがいない洞穴だもの。大昔、地底で盃を煽る豊満な蟒蛇(うわばみ)姐さんや、幻想郷のアチラコチラに広がっている慎ましやかな蟒蛇幼女が根城としていた頃の住居、その入り口に消えていくところを不意に見かけた。ただの穴蔵だが一応住居と考えておこう、でないと後で話題にでもした時に、嘘を語ってしまいそうだ。

 あの連中に成りきれないとか言われているから居場所くらいはそれらしくしたりするだろうか、そんな事を思いついてなんとなく向かった場所で、いると考えて覗いて見たわけじゃない、だからいると思っていなかった。天邪鬼らしくいないと思う場所にいる、それを体現している姿を見られてほんの少しだけ可笑しく感じ、一人笑んでの二人行脚‥‥実際歩いてるのはあたしだけだが、まぁ、それはそれとて。

 

 鬼さんどちら、音鳴るほうへ。

 そんな拍子を靴から鳴らし、辺りを眺め、たらたら進む穴の中ってのが今現在。

 ちなみに、くしゃみ姫にはまだ教えていない。見かけたような気がすると洞穴に潜る為の言い訳は言ったが、あいつの姿を見つけたと教えてはいないし、逃がさないように追ってもいない。足早に追いかける理由もそれほどないからだ。そりゃあそうだ、この穴蔵はあたしが以前押し込められた穴で、最後には天狗の集落に通じている場所なのだ。

 壊されていない、大事にしまわれて山の何処かにある、そう思われているだろう正邪の贋作打出の小槌。あたし達が破壊したアレを探してソレらしい場所に潜り込んだのだろうが、確証もなしに(こじ)虎子のいない虎穴に自ら入るとは、やっぱりあいつも後先考えない奴だなと思えた。

 

「静かなとこだね」

「昔はそうでもなかったけどそうね、住人()が引っ込んでからは静かになったわ」

 

「あの鬼がいた頃の話かぁ、どれ位前の話?」

「さぁ、千年くらいじゃない? 覚えてないわ」

 

 洞窟内で声を響かせながらの会話、あっちこっちに反響して、二人だというのに大勢いそうな風合いに聞こえる姦し娘の与太話。下手すればあの天邪鬼に聞こえてしまいそうなものだが、あたしはこれを逸しはしなかった。変に逸らして姫に気が付かれればこの先にアイツがいると教えているような物で、それはマズイと、それならば敢えてアイツにも聞こえるように、声は逸らさず自然に任せていた。感付く注意力とか、そう考える意識を逸らせばなんちゃないが、ご主人様に向かってそれは出来ないだろう、そうであろう。

 と、ここまで来ていながら意地が悪いと思わなくもないが、地底での会話から二人が素直に顔を合わせてもきっと‥‥なんて考えてしまって、今会ってもらうわけにはと、少しだけ躊躇した結果が今のありのままの状態ってやつだ。

 

「雑な記憶力ね‥‥まぁいいや。さっきの檻とか、最近使ったような感じだったけど、ホントに誰もいないの?」

「雑ってのは傷つくわ。都合がいいとか、もう少しマシな言い方で言ってほしいわ。誰かもいないってのは確かよ、あの檻に入れられてた人が言うんだから間違いないわ」

 

「‥‥何したの?」

「ここの天狗と一緒になってちょっと火遊びをね、それだけよ」

 

 正邪を追いかけていた頃あたしが連れ込まれた穴蔵の牢屋。大昔は食事用の者達を攫っては閉じ込めていた場所。そこを過ぎ、横目にしながらの質問にそれっぽく返していく。

 実際に意地悪をした相手は正邪とあの大天狗だったが、結果的には天魔の邪魔をしていたわけだし、今の物言いも嘘って事にはならないはずだ‥‥そう思って意地悪と可愛く言ってやったのに、姫の視線はちっとも可愛くない。例えるならそう、ここにいた連中が引き篭もる先を管理してるアイツ、あのような目で見てくる姫。 

 

「なんでそんな目で見てくるのよ?」

「いや、どこにでも顔出してどこでもやる事変わらないんだなって思って」

 

「そうでもないわ、これで弁える事もあるのよ?」

「本当にぃ?」

 

「これも本当、禁煙だというのならそこでは吸わないし、入っちゃダメというのなら、そこからは入らないわ」

 

 これも嘘ではない、外の世界の資料館では建物の外に出るまで吸わなかったし、立入禁止の札がある地底への大穴も札のある場所からは入らず、その脇から降るようにしている。

 本来なら反論にもならない屁理屈だが、説法を説くような徳の高い人間がこの橋渡るべからずと言われ、橋のど真ん中を堂々と渡る事もあるのだから、徳も何もないあたしがそうしたところで何も問題ないはずだ。あの僧侶も実際は破戒僧だったと聞くし、人が猫を被るのだから、化け物が化け物の皮を被っているあたしの方がまだマシというものだ。

 バレたら狸らしく皮を剥がされれば済む話でもあるしね。

 そうやってテキトーに屁理屈こねて返してみると、何か納得したのか、被るお椀を前後させる針の姫。迎えに行った際の思い込みの激しさを再度見せてくれて、やっぱりこいつは可愛らしい。

 

「でもさ、ここならいても不思議じゃないって思わない?」

「今は誰もいないから?」

 

「そう! 正邪が逃げるならこういうところって気がするのよ!」

「いい考え方だと思うけど、そう思っているうちは会えない気がするわ」

 

「私が会いたいと思っているからでしょ!‥‥それが、今はそこまで強く思ってないのよ?」

「あら、もういいの? 泣いてまで想った相手でしょ?」

 

 これはまた随分な、空の見えない洞窟の中で青天の霹靂みたいな事を言ってくれるお姫様だ。追いかけっこの最中に正邪を一人にしたくないと泣き腫らした針妙丸がこんな事を口にするとは思いもしなかった、ここに来て心変わりとは‥‥何かそうなる事でもあったか?

 ずっと一緒に動いている気がするが、別れた時は‥‥あの店くらいか?

 あの時にいたのは、ふむ、嫉妬心でもどうにかされて飽きたのだろうか?

 いや、妬み嫉みを操ってどうにかなる想いだとは思えないな、ならなんだ?

 

「そんな、真剣に悩むほど?」

「これでも真面目に考えてたのよ、それを崩されては真剣にもなるでしょう?」

 

 人の揉み上げ摘んでくれて、そのまま悩み顔を見てくる姫。あたしの真顔をがそんなに珍しいのかってくらいに見てくれるが、まぁ珍しいだろうな。自分でも感じるくらいに真剣な顔で、思わず笑えてしまいそうなほどだ。それでも、ここで笑えば空気が乱れる、口調こそ朗らかだが話される内容は大真面目な事だ、それなら今の顔のほうが似合いだろうし、もう少し真顔で耐える。

 

「あのさ、その気持ちは嬉しいけどさ‥‥無事だってのは分かったから、もうそれでいいのかなって思い始めただけよ?」

 

 ニコリと笑って嬉しいなどと、これもまた思いがけない言葉だ。今のあたしはどうにか遠ざけようと考えている、言わば姫の想っていた気持ちとは真逆の事を考えているわけで、そんなやつに笑いかけて、嬉しいなど言われるとは、言ってくれるとは思っていなかったわけで。

 これはいかんな、自然と表情が緩む。

 

「無事って‥‥椛の言ってたあれね、つっかけしか見えてないと言ってたけど、足だけで判断していいの?」

 

 笑みを見られ割りと本気で気恥ずかしい、それを誤魔化すようにぱっと思いついた姫の理由ってのを述べてみるが、明るく微笑んだまま見上げそうじゃないわと否定される。

 これじゃないなら後はなんだ?

 ダメだな、照れが勝って頭が回らない。痒くもないのに頭を掻く、わざとらしく左手上げて左肩にいる姫を視界から消してポリポリとしてみると、耳の辺りでチャラチャラとなるあたしの枷。

 どうにか自分を誤魔化す、話し相手がいるというのに、そういった思考をして、それに囚われているからって今は鳴るな、気が逸れてしまって集中できん。

 

「アヤメには言ってなかったけどさ、今朝ちょっとだけ聞けたの。着物預けた店の人がお代はもらってるって、鬼っぽいのが一緒に払っていったって」

 

 着物を預けた時に聞いたのか、受け取りに行った時に聞いたのか、そこはわからないし追求するところでもないからいいが、そんな話をしていたのならあたしの耳にも入りそうなものだが‥‥その時は怪力乱神の事を考えていたし、よくわからない力にでも邪魔されてあたしの耳に届かなかったって感じかね?

 都合がいい考えだがまぁいいか、姫がそう話すのならきっとそうなのだろうし、そうだったほうがきっと良い。

 

「袖を落とした私の着物見て嫌な顔をする鬼っぽいのって、地底にいる?」

「いるかも‥‥いえ、いないわね。いないって事で納得してあげるわ」

 

「何その言い方、人が真面目に話してるってのに」

「あたしに真面目さを求めるほうが間違ってるのよ」

 

 言い切ると数秒考えた後、それもそうかとまた独りでに納得してくれる姫。

 耳の近くで大きな声を出してくれてからに、唯でさえ響き渡る洞窟の中なのだ、奥の方まで聞こえてしまって、きっとあたし以外のやつにもその声は聞こえているぞ?

 そう思った頃遠くでカランと鳴る、軽めの木が硬い何かに触れて鳴るような、洞窟内を動く誰かの足音に思える音がした。

 

「何の音?」

「天狗の下駄でしょ、もうすぐ出口も近いし。ここを出ると‥‥」

「儂等の住まう地よ。堂々と話してくれおって、相変わらずじゃな、古狸」

 

 姫と語らい歩き進むと暗がりに差す光が見える、アレを過ぎれば天狗の巣、そう言い切る前にその地の住人から声を掛けられた。本当に、今日は思いがけないことが多い。特に逸しちゃいないし誰かしらに会うとは思っていたが、一番面倒くさいのが出てきてしまった。

 見た目通りの嗄れ声で語る天狗、お山の天辺の天辺であるエロジジイとここで会うとは。暗がりで会う男ならもっとこう、好ましい奴のがいいのだけれど‥‥破戒僧の話なんて思い出すんじゃなかったと、天狗大僧正を睨みつつ思う。

 

「誰!?」

「天魔様よ、このお山の現大将、天狗の総大将って烏様。俗に言うお邪魔虫ってやつよ」

「どの口でほざきおるのか、ここを騒がし邪魔をしているのは誰かのう?」

 

「それは‥‥」

「あたし達じゃないって事は確かね、別のお邪魔虫でしょうよ」

「でしょう? わかっておるのに白々しいのう。人手不足といえど出張ってみるもんではないな、またここでお前様と会うとは思いもせなんだわ」

 

 説明すると笑みを消し凛々しい眼差しとなるお姫様、涼やかな顔も可愛いなと横目に見つつ前も見る。文といいこいつといい、何故にこうも厄介な相手ばかり続くのか、厄介な相手を追いかけているのだから道中くらいは楽させてくれ。

 などと言いそうになった愚痴を飲み込み、代わりに別の言葉を吐く。ぶっかける相手は当然セクハラ爺‥‥いや、吐きかけると思い直そう、こいつの性根に合わせてやる必要はない。

 

「あたしもよ、てっきり風邪引いて鼻でも垂らしていると思ってたのに、読みが外れたわ」

「別のをたらし慣れておるのでな、この程度の流行病など患わん」

 

「姫の前で下品な事を言わないでほしいわね」

「何と勘違いをしておるのかのぅ? 儂がたらしとるのは女じゃ、邪推するお前様の方こそ痴女ではないかの?」

 

 立場を笠に着て若い娘にセクハラしかしないエロジジイがどの口で痴女など言ってくれるのか、そう反論してやりたいが言ったところで時間の無駄だ、それに言い返せば認めたようでそれは癪だ、だからもう相手にしない。

 何も言わずに横を過ぎる、過ぎようとした瞬間に手を伸ばされるがソレは逸らす。発動が少し遅かったせいかあたしの長着と爺の着物の袖が触れるが、こいつに縁なんぞ感じたくはないな。

 

「手も取らせんとは、つれない女じゃのぅ」

「か細い(おうな)は触り心地が悪い、そう言ったのは何処の小僧っ子だったかしら?」

 

 自分から嫗と言うのには非常に抵抗がある、この爺じゃないがあたしも未だ現役で見た目だけなら可愛い少女、のはずだがコイツ相手に偽ったところで意味が無い。それなら年齢通りに上から目線でからかってあげよう、酒の席で勇儀姐さんにひん剥かれ全部見せたコイツ、体に似合ったモノまでさらけ出し、そのまま泣きついてきたコイツを小馬鹿にするなら、あやしてやったお姉さんとして言った方が楽だ。

 

「本当に口の減らぬ媼じゃ、やはり好かん‥‥どこぞの痴れ者なら集落から参道を抜ける頃合いだろうよ、捕まえるならさっさと行け。そしてそのまま山から去れ」

「自分からネタバラシなんて何の冗談? やっぱり病気なんじゃないの?」

 

「フンッ慣れぬ心配なぞするな、鳥肌が立つわ。安寧を願ってと話した心に嘘などない、病に伏せる者が多い今、少しでも早く静寂を取り戻したいと思うておるだけよ」

 

 誰がどの口で減らず口を叩くのか、鳥肌などと言う烏に向かってその部分を突いてやってもいいがそうしてはあげない。こいつの事だ、儂のは嘴だとかい言い返してくるに決まっている。

 それでも言い返さないのは面白くない、口だけで生きていた古狸が嘴を一丁前の髭で隠している鴉なんぞに負けるてやるわけにはいかない。それでも初見だろう姫もいるから、こいつの立場を考えてエロジジイとは言わずにいてやっているのだし、立つ瀬は流さずにどうにか別の部分でその鼻を折るとしよう。

 安寧と言いながら見逃しているわざらしい部分を小突いてもいいが、そこはあからさまな突きどころ過ぎて面白くはないし、そっちは正邪の華奢な体つきが好みじゃなかったから手を出さなかったんだと断定しておこう。他に突くなら‥‥そうだな、も鳥肌が立ったのだろうし、その辺から突いていくかね。

 

「鳥肌なんて、寒いの? やっぱり病気なんでしょ? なら大人しく寝ていたらいいのに。静寂ってのも、昔なら自分から騒いでいたのに、立場を得るというのも大変そうね。先を考えるならいっその事代替わりも案じたら? 耄碌してからじゃ遅いわ」

「よう言うわ……体が弱れば心も弱る、齢を重ねたからか、そう感じる事も増えてきてな。それに、また手遅れになるのは勘弁願いたいからのう」

 

 弱るほど軟な性格をしていないだろうに、嘴持ちのくせに突かれるのは弱いのかこいつ。それもそうか、同姓には硬い言葉と拳を向けて、若い雌に対しては優しく、尻やら乳やらを撫で回すのが大好きという輩だしな、突かれる事に慣れちゃいないだろうさ。

 いつだったか記者二人をとっ捕まえてからかい半分に聞いてみた事があった、長の手にかかった身内はいるのかと。結果結構な数の女が撫でられたり突かれたりしてるってのは分かったが‥‥確かこいつには連れ合いがいたはずだ、この爺を尻に敷く大した女だったけれど、そういやいつからか姿を見ないな。

 またってのはそういう事か?

 こいつもそうだがあっちも一応旧知だ、そうだというのなら墓参りの一つくらいはしてやりたいし‥‥聞いてみるか、デリケートな部分だが、こいつが自分から言い出したのだし、そこもあたしに突かれてもいい部分なのだろう?

 

「また‥‥ね。そういえば見ないわね?」

「もうおらん、お山に還って久しいわ」

 

 すっとぼけた顔をしてそう聞いてみれば、久しく見なかった瞳が拝めた。睨むというものではない、別のモノを強く秘めた男の目、歳を重ねたからか、冬場の澄んだ空色には若干白い雲も見えるが、曇空にも曇らない気持ちをその瞳に見てしまった。若いのを追い掛け回して揉みしだいては嗤って、それでも手篭めにするほどは責め立てない中途半端なエロジジイだと思っていたが、気持ちだけは未だにあれにあって一途だってか?

 本来の意味で妬ましいが、それでもまぁいいか、古い知り合いの悪くない部分を見られたし、口を挟んできそうな姫の顔を抑えるのにも飽いてきた。そろそろ別れの捨て台詞を伝えて先に向かうとしようか、あれを見失っては元も子もない。

 

「いつ?‥‥って、やっぱりいいわ、今聞いても遅いわね。山に還ったならその辺にもいるのだろうし、手が空いたら拝んであげるわ。手を合わせてもらうのも案外嬉しいものよ」

「嬉しいなどと、死んでも憚りおる輩が言いよるわ‥‥もう行け。お前様と会っているところを誰ぞ見られれば面倒だ」

 

 はいはいと、右手と袖を揺らして横を抜ける。これで袖でも振り合わせればこいつともっと長話をしそうに思えた為、少し大袈裟に離れて通り過ぎる。完全に背中合わせになった頃、そこらに転がる路傍の石を、爺の足元目掛けてわざとらしく蹴飛ばしてやった。

 穴蔵の中なら当然ある石っころ、わざわざ視界に入るように飛ばしたからか小憎らしい顔でそれに足を伸ばす爺、高めの一本下駄がそれを踏もうかという頃に不意打ちで逸らしてやった。踏むに踏めず躓くようによろめいた天魔の下駄音が響く。躓く石も縁の端と思ってこちらから引いてやったのだから、これくらいの悪戯はいいだろうと薄く嗤い、差し込む薄明かりの方へと歩みを進めた。

 

 洞穴を抜けると、そこは天狗の集落でした。言われているし見知ってもいるから当然過ぎてなんの感動もない。それでも肩の姫は違うようだ、抜けた先の集落を眺め、ここの何処かに正邪がいるのかと瞳に真剣さを見せて、先の白狼天狗のような目つきで辺りを見回している。穴の中で言っていた事と矛盾するようだが実際はそんなもんだろうさ、無事な姿を『聞けて』安心したのなら、次は元気な姿を『見たい』となるのが心情ってやつだ。

 それならばと能力を行使して、全てを逸し路傍の石となる。後は飽きるまで眺めるなり、先に行こうと促すなりしてくれと、外に出たついでに一服をしつつちょいと話す。

 

「多分ここにはいないわよ」

「もう参道って辺りにいるんでしょ、わかってる。でも、正邪なら引き返して来てもおかしくないとも思うの」

 

「そうね、よくわかってるわね‥‥そこまで理解してやれるならアイツの言った『悪い』の意味もわかってるんじゃないの?」

 

 ポツリと言ってみると動かしていた頭を止める姫。普段なら嘲笑う為の嫌味として言うような物言いだが、ちょっとだけ真面目さを匂わせて口にしたからか、そのように聞いて考える素振りを見せてくれた。実際は考えておらず既に答えは決まっていそうだが、問いに対して思考する姿を見せてくれるのだ、そうやって理解しようとしてくれる姿というのは悪くない‥‥そうは思わないだろうか、正邪。あの爺は参道を抜けると思っていた、けれど姫はそれをひっくり返してこちらに戻ってきていると読んだ。どちらが良き理解者なのかは既にわかっているのだから、あの謀反好きが今何処にいて、何を見ているのかも見当がつく。

 いるだろう辺り、穴蔵の出口が見える集落の端を睨み姫からの返答を待つ。

 

「わかった事にしたの、考え方なんてそれぞれって言われたし。だからもう、いいの」

「随分優しいのね、延々騙される事もあるかもしれないわよ?」

 

「いいのよ、それでも。正邪は異変の最中に姿を消したんだもん、あの後も最後まで姿を見せなかったし‥‥多分正邪の中ではあの異変は終わってないんだわ」

「終わっていないか、そうかもしれないわね。宴会の場で酒に流しても、謝ってもいないわけだし。それならどうするのよ?」

 

「終わってないなら私達は共犯者のままって事でしょ、て事は一番近くにいてあげられる仲間って事なのよ、だからキチンと終らせてあげる! 裏切られたんだから私だって裏切ってやるわ!」

「そう、いい覚悟だわ。あいつに聞かせてやりたいわね、キチンと、正面から」

 

 静々と語り凛とした姿勢を見せるお姫様、普段であれば可愛らしいとしか思えない小さな姫だけれど、今は違う。いつぞや正邪に撃ち落とされた時にも感じた格好良さ、気を失っても小槌を手放さなかった矜持の見られる今の言葉を、今度は面と向かって真正面から聞かせてやれ。

 煙管に多めの葉を詰める、そうして吸わずに盛大に吹かす。モヤモヤと漂わせ、そこいらに這い寄らせた。センサー兼トラップをばら撒いてから能力を行使した。あの布に包まれて姿が見えないのは粋じゃない、そう考えてソレを逸らす。アイツが強く握りしめているから逸らせない、そんな事はない。強く握っているからこそ、そうしたい意識が強く出るはずだ、手放したくないものを思う意識を逸し、そこら中に向けて放つ。

 そうするだけではらりと落ちる隠れ蓑、に見えるは矢印柄のワンピース。

 

「正邪!!?」

 

 あたしよりも早く声を発した針妙丸、その声と同時に飛び上がる正邪の動き、方向を逸らす。天邪鬼のくせに真っ直ぐに逃げたい、そう思っていたのか、地霊殿でのあたしのようにこちら側に向かって飛んでくる逆徒。

 途中であたしの仕業だと気が付いたようだがもう遅い、あたしの煙は既にお前を捉えた。あからさまに憎いと顔に書いてくれるがお前が悪いんだぞ、あたしはやる時だけはやるとこの口でお前に伝えている。

 拳を握ると集まる煙、姫がようやく見つけた相手を少しキツメに握っていると肩から飛び立つ針妙丸。真っ直ぐに飛び進み、そのまま正邪に突進かました‥‥そのタイミングで縛鎖を解く、自身の手で捕らえたのなら横槍はもういらんだろう。あたしも含め全てを逸らしてやるから、後は二人でお好きにどうぞ。

 

「正邪!」

「……なんだ、こんな所まで追いかけて来やがって! 騙してやったお礼参りにでも来たか!? このまま天狗に突き出せばそれも出来るな!」

 

「突き出すなんて! 私は‥‥」

「煩いよ! 黙れよ! お前と話す事なんてない! 聞く耳も、語る舌もないな!!」

 

 ひっつく姫に真っ向から口悪く言うが、今日は随分と素直だな。

 黙るな、もっと大きな声で話してくれ。聞く耳も用意するし語らうための舌も準備するから、そのようにしかあたしには聞こえない。そう感じるのは姫も同じなのだろう、正邪の胸元で揺れる逆さまリボンにくっついて離れない、振り払われているが以前のようには剥がされない針妙丸。

 

「くっつくなよ! 今更寄って来やがってなんだってんだ! 一度は襲ってきやがったくせに、今更何をしようってんだよ!!」

 

 白黒混じりの髪を振り乱し、天邪鬼が離れてくれるな、来るのが遅いと、目にも耳にも騒がしいが、騒ぐだけ。まぁそうか、距離を置いてほしくないと言うくらいだし、これで当然か。

 引き剥がせないと悟ったのか、振り払うことはやめて顔だけを背けるようになったが、そうやって真っ直ぐ見ないのもひっくり返した結果だろう?

 姫に対しては本当に素直で愛らしいな、ん?

 ……あたしに対してもこんな感じか?

 いやいや、ここまで素直さを見せて話してはくれないな。あたしに対して言う時はもっと小憎らしい感じばっかりで、まるで誰かを見ているような気分になる‥‥が、それもいいか、地底で反逆仲間だと思い込んだばかりだし、白メッシュ仲間ってのにも気がついたし。

 場にそぐわない緩んだ顔で新たな共通点を眺めていると、あちらはあちらで場にそぐわない顔、姫に向かってこれ以上ないくらいに小憎らしい顔をし始めた鬼人正邪。いや、そぐわない事もないな、あれを逆さまにすればいいのだから。

 素直だがわかりにくいとか、複雑で読むのが手間で面倒臭い。

 

「あれは‥‥あぁしないと正邪を止められないって思ったから!」

「止めるだぁ!? 反逆者を止めてどうしようってんだよ! そうか、八雲に突き出して、褒美ってのをもらうつもりだったか!? そうだよな、私のせいで小さくなったんだ! 私を使って力を取り戻してやろうって思うよな!!」

 

 一段と大きな声で響く正邪の反論、言われた内容から少しだけリボンの皺を薄くする姫‥‥だったが、すぐに先程よりも強い力で握り返した。細い針だというのに折れない力強さ、それを見せる輝く針のお姫様にあたしも正邪も視線を奪われた。

 

「あれは正邪の仕業じゃないわ」

「あん? 騙してやった結果だ‥‥」

 

「私達の仕業よ、正邪は私を連れ出して使い方を教えてくれた、私はそれが嬉しくて、だから小槌を使ったの! 自分の意思で小槌を振るって、その結果があの姿であの異変よ‥‥だから!」

「そうかよ、ただの自爆だって言いたいのかよ! だったらなんだ! それこそ私は無関係って事になるんじゃないか?! なら出てくんなよ! もう、放っておけよ! 一人にしてくれよ」

 

 だからに続く言葉は言わせずに自分の言いたい事だけをのたまう、自爆ではない私のせいだと、関係を切ってほしくないと、一人にしてほしくはないと。稀代の反逆者が随分と女々しい言い分に聞こえる‥‥が、気持ちがわかるから何も言えんね。

 一人を楽しむと言った事があるあたしだが、実際は誰かしらに会いに行ってそこで構ってもらってばかりだ。一人は寂しい、それを知っているし、雷鼓が来てからというものそれを実感する事も増えた。あの世話焼き兎詐欺にも先日そこをつつかれたし、自覚も‥‥なくもない。人の振り見て我が振りを鑑みれば、軽快な音が響く。意識を今に戻して見ると、頬をその舌と同じ色合いに染めた天邪鬼、姫は右手を振りぬいた形。

 

「なにしやが‥‥」

「黙って! 聞いてよ、ひっくり返してもいいからこれだけは聞いて‥‥」

 

「……なんだよ」

「許すとか許さないとかもういいの、もういいのよ」

 

 もういい、か。なかなか上手い事を言うものだ。何がもういいのか、それがわからないなら返しようもない。許すとか許さないとか明確に返せる言葉は使わずにただ許容するとだけ伝える針妙丸、やっぱり器が大きいな、このお姫様は。

 

「だからさ、正邪も、もういいって事にしよう? お互い失敗したって、笑ってお終いにしようよ」

「何がもういいんだよ‥‥下克上は失敗した、ひっくり返す事は出来なかったんだ。目の敵にだけされて追い回されて、小馬鹿にされて‥‥そうして反逆者として追われる事もなくなったんだ、私にはもう反逆者としての立場もない。一人の小物で、ただの雑魚だ‥‥」

「それで十分じゃないの? 出てきてもやられるだけの三下、煙たがられる小悪党、それでいいでしょうに」

 

 眺めているだけのつもりだったが思わず口が動いた、三下の小悪党で何が悪いのか、そのものズバリな自分としてはそれを否定にされるのは少し違うと感じたからついつい口が動いてしまった。

 折角逸らして混ざらずにいたのに、これでは自爆したのはあたしだ。が、いいか、既に混ざってしまったし横槍も入れてしまった。ならテキトーに誤魔化そう、そうするのが小悪党らしいと思えるし。

 

「あ゛!? どういう意味だ!」

「そのままの意味よ、何かを起こしては退治され、それでも懲りずにまたやらかす。そう出来るのは三流のやられ役だけ、一発屋の大物には出来ないわ」

 

「何が言いたいんだよ‥‥また無様に負けろってのか!? 這い蹲って恥を晒せってのかよ!?」

「そうよ、それでこそ悪者でしょう? 前にも言ったわ、悪は悪らしくって。小悪党なら小悪党らしく、諦めの悪さに磨きをかけて意地を通してみせなさい」

 

「また屁理屈こねやがって! それが出来るのは‥‥」

「強者ではないわ。今の幻想郷で、今の弾幕ごっこなら誰でも出来る事でしょう?」

 

 いかん、話し始めたら止まれない。ちょっとだけ横槍の先を見せるつもりが、主題である姫を弾き飛ばしてダラダラ語ってしまった。けれどもこれでいいのか、聞いていた針妙丸も少しだけ微笑んでくれたし、正邪も何やら理解するような素振りを見せ始めた。

 いつもなら見える眉間の縦線二本が今日は薄い、睨んでいないと愛くるしい顔にしか見えないのだからそんな顔をするなよ、あたしを見るお前の顔はそれではないだろうに、そんな可愛い顔のままでいるとまた味見するぞ?

 それは嫌だろう?

 あたし個人としては好ましいが‥‥姫に見られているし、告げ口でもされると困るんだぞ?

 少し気恥ずかしい気もするので普段の顔を取り戻してもらおう、つつくならなんだろうか?

 やっぱり針か? 話の本筋で主役なのだから。ふむ、終らせると言っていたし、それも混ぜ込みつつ形だけでもそうしておくか、丁度良いのも手持ちにある。

 

「次に何かするならまた誘いなさいな、その時は話にノってあげるかもしれないわ」

「かもってのはなんだよ? また棒に振るってのか?」

「楽しそうなら乗るって事だと思うけど、違う?」

 

「姫が正解ね、正邪はもうちょっと理解力を鍛えるべきだわ」

「あ゛! 誰がおま‥‥」

 

 姫を使って釣り上げて、軽口吐いていつもの調子、そうしてリズムを頂いて、それにノせるは愛用徳利。チャポンと鳴らして視界に入れて栓を外してそれを煽る、くぴっと鳴らして呑んでから正邪に向かって差し出してみた。

 

「なんのつもりだよ、お前と酒を飲み交わすなんて‥‥」

「相手を知るのに手っ取り早いのは素を視る事でしょう? 酒でも入れば素も出るわ、その気があるなら一献どう? 姫も一緒にね」

 

 正邪を横目に手を伸ばし、姫のお碗を引っぺがす、少しだけ注いで一度回し綺麗に清めてから再度注ぐ。自分の頭といえどもさすがに脱ぎたてホヤホヤはあれだろう、そういった気遣いをして見せ、手渡す。特に迷いなく受け取ってくれる姫、そうして正邪にウインクかまして徳利を突き出した。あたしと飲み交わしたくないなら姫としとけ、そんな風に見えるように、意外と気遣いも世話焼きも出来ますよと、酔ってもいない、素でもない気がする状態で促す。

 少し戸惑いは見せたが徳利をひったくり、姫より先に煽った正邪。普段から煽り慣れているからか意外といける口らしく、徳利に口をつけると数度喉を鳴らしてくれた。後は姫が飲み干せば、と考えている間に綺麗に空けたようだ、想い人と呑む酒だし、味も格別で喉の通りがいいってか。コイツもコイツで妬ましいな。

 なんて妬みを覚えつつ微かに微笑む姫を眺めていると突き返される白徳利、後はこれを‥‥ 

 

「おい!!‥‥おま!! おい!!!」

 

 徳利の口をペロリと舐め、もう一つを味わってから酒を含むと騒がれた。

 眉間に皺寄せいつもの顔で姦しくしてくれる天邪鬼、その顔が見たかった。やるとマズイ、見られるとマズイ、そう考えている事をするだけで普段通りになってくれるとか、やっぱり素直なのかこいつ?

 捻くれ者の思考はよくわからない。

 

「なに?」

「地底でもそうだったが、お前……そういう目で‥‥」

 

「見てほしいならそうするわ、二枚舌が楽しみってのは(あなが)ち嘘でもないのよ?」

「おま……ちょっと合わせてやればつけあがりやがって‥‥ホント、気に入らないな!」

 

 言い切ると逃げるように飛び立つ天邪鬼、少し浮いて振り返った。そこからどうしてくれるのかはわかる為左手を正邪に向ける‥‥と、同じく姫も手の甲を向けた。そうしてあたしより先に中指立てて小さな舌を出すお姫様。これで同じように中指でも立ててやれば良い流れになりそうだが、ここでそうしないのが厄介者って奴だろう。姫に向かってお返しの決めポーズが決まるのを眺めた後、正邪に向かって親指立てて逆さまに落としてみせる、形に少しの違いはあるがこれだって意味合いは一緒だ。

 挨拶代わりの煽りが済むと、あたしに向かい舌打ちし例の布を纏い消えていく小悪党。あれだけ想った奴に会えたのにこのまま別れていいのか、とも思うが、姫は追わないしこれでいいのだろう。それに、あいつらしくひっくり返せば遠けりゃ遠いほど近いって事になるんだろうさ、苦しすぎる発想だが、これも返して楽しい発想としておこう。

 しかしなんだ、考えていたシナリオとは随分と違う出会いと別れだった。けれど、これも脚本をひっくり返されたとでも思っておくとしよう、何やら返されてばかりだが、そうして見た方がきっと面白いのだから致し方あるまい。

 

「ねぇ‥‥ありがと」

「今回は感謝される覚えがないわ、あたしの我儘に付き合ってもらったんだし」

 

「それじゃなくて、さっきの。あれって宴会のつもりでしょ?」

 

 感動的、でもないな。らしい別れを済ませたからか、先ほどまでの真剣さをひっくり返し、普段らしさを取り戻した姫があたしの悪戯を突いてくる。ただの立ち飲み、それも一度徳利煽っただけで酒宴の席とは言えないものだったけれど、後で隙間に突かれでもした時には『酒で水に流した』と言い訳としてこじつけられる。そんな名目の悪戯だったが、気が付くとは目敏いな、妬ましくて好ましいお姫様だ。

 それでも否定はしておこう、世話を焼いたと知られればまたお節介だの世話焼きだの言われてしまいそうで、そうなればきっと、もっと恥ずかしく感じるのだろうし。

 で、ここで言うならなんだろうか?

 大元の話でも振れば誤魔化せるか?

 

「違うの? 酒で水に流せばそれでお終い、霊夢は私にそう言ったよ?」

「違うわ。あの天狗にしろ、正邪相手にしろ、少し話し過ぎた気がするから舌を濡らしただけよ」

 

「私も、正邪にまで呑ませてもそう言うの?」

「言うわ、あんたらはついでよ」

 

「あっそ‥‥それでも、ありがと」

 

 指定席である肩には戻らず、正面に浮かんだままで頭を下げる針の姫。被っているお碗が落ちるんじゃないかってくらいの礼だが、そうされても今回は困る、此度の宝探しは言った通りあたしの我儘って(てい)だ。

 だというのに感謝などされてしまってはある意味で立つ瀬がなくなってしまうが‥‥それもいいのか、爺相手には気を張ってみせたが、(あるじ)役にまで気を張る必要もないだろうし、偶には素直な謝辞をもらうのも悪くはないけれども……

 

「それとさ、聞いていい?」

「なに? 答えられる事であれば答えてあげるわ」

 

「地底でってどういう事? 『でも』ってのは、あっちで会ってたって事よね? なんで黙ってたの?」

 

 言われると思った、というかバラすつもりであぁしてやった。

 姫の付き人役としての心情、出来れば嘘偽りは少なめにしておきたいという思いは未だ携えたままだ、それに黙っていた事に対してはちょっとした悪かったかなとも思う。言うなれば懺悔に近い感覚か、探しながら遠ざけようと考えた事に対しての懺悔、誰かを見習いその心情を返して仕掛けた悪戯だったが、うまく伝わり心地よい。

 

「内緒にはしてないわ、すれ違ったって話したじゃない。『誰が』って部分を端折っただけよ」

「また誤魔化して……じゃあもう言わない、代わりに私も端折って伝えるわ」

 

 うむ、心地良いのは先の一瞬だけだったな、テキトーにはぐらかしてからかうつもりが恐ろしい事を言って下さるお姫様だ。人の徳利眺めつつ省略して伝えるとあたしを脅す針の姫。やっぱりやるんじゃなかったと思わなくもないが、六日の菖蒲(あやめ)十日の菊ってことわざにも名があるあたしだ、これは致し方ない部分だろう。

 誰に? 何を? どれを?

 視線と言葉だけですぐにわかる。あんな、間接的に舐めたくらいで他の奴に手を出したとは思われないだろうが、それでも独占欲の強い太鼓様なのだ、これを聞いて良い気分になるわけがない。

 叩かれるくらいであればいくらでも引っ叩かれてやるが、泣かれると面倒でそれは非常に困る。

 自前の酒で酔うほど飲んじゃあいない、それでも悪くないと感じる相手と呑んでそれなりの酔い気分でいたというに、これでは台無しだ。どうにか言い逃れておきたいけれど、何をどう言えばもういいと思ってもらえるだろうか?  

 ダメだな、思いつかない。ならここは素直にいこう、いつかの瞑想で達したからか、諦めの境地には立たされ慣れた気もするし。

 

 浮かぶ姫にそれだけは勘弁してと、素直に乞うと笑われる。

 小憎らしい顔で、私も黙ってたからおあいこだと、冗談だと微笑まれる。

 冗談にしては質が悪い、そう感じなくもないがそこには気が付かぬ振りをした。

 酔い気分は覚めてしまったが、良い気分なのは変わらないから。

 仕立て直し既にないお端折り、それにしてやられるというのがいい皮肉で堪らないから。

 本音を言えば姫の顔、泣き顔とは真逆の顔で正邪を見送った針妙丸を見られて満足だという心もあるが、これもこれで伝えない、なんとなく気恥ずかしいから。今回のお宝探しは主役にやられてばかりの小悪党が偶にする良い事、その程度の事で、言うなれば悪者の見せる気の迷いってやつだ。騙して嘲笑う事を第一と考えていたあたしが見せた気の迷い、その最中に思いがけない形で出してしまった優しさ‥‥と、思い込んでおけば悪くはない。袖振り仲間と共に合縁奇縁の者を追う、これもまた楽しいモノと思えたのだから。




着物の袖を揺らしての鬼ごっこもこれにてお終い。
縁って漢字には、布や飾りなどの脇に垂れた端・(ふち)って意味合いもあるのだそうですよ。



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~EX日頃~
EX その34 霊騒起、菖蒲枯、愚者鳴


 振り振りと袖を揺らしての追いかけっこをそれなりに楽しみ、連れ回した小さなお姫様との約束も守ってから暫く。朝方の、少しずつ白くなっていく稜線が綺麗な季節から、あたし達魑魅魍魎が跋扈する時間帯が素晴らしい季節へと流れた頃、今日も今日とて暇を潰すために幻想郷の結構高い所を漂っている。

 緩々と飛行ドラムの高度を上げて向かうのはアチラの世。

 死ぬ間際に世話を焼いた相手とも再開し、お墓参りをしてくれてありがとうと伝えたから、未練なく成仏でもするのかと思われてしまいそうだがえてしてそういうわけじゃあない。というよりも、未練がなくともこの世に葉ばかり続ける事は出来る。いつかも再確認したけれど、死ぬには死んだが、妖怪カテゴリーの中の『幼獣』から『亡霊』へと立場を変えるだけの事だ。ちょっとばっかり身体が薄れてしまったり、ちょっとばかり今のような夏場が辛くなったりするだけで、それ以外は全く変化のないあたし。

 ナントカは死んでも治らないなんて世間では言うようだが、自分ではそれほど愚かだとは思っていないし、見方によっては先に考えたデメリットが変化とも思える、自身では変化したとは感じられないが何処かしらは変わっているのだろう。このデメリットは言葉に含まれる意味の変化ではない部分だが、その辺はなんでもいいさ、そのナントカには愛おしい地獄烏なんかも含まれるわけだし、ナントカな子程可愛いとも言うし‥‥置いて逝ったらまた泣かれるのだろうし。

 

「ん? なに?」

 

 隣に座る付喪神がこっちを見てぼやく。

 あたしとは違って自分の乗り心地が体感できるドラムセットの妖怪が、もふもふに埋めた顔の半分から鼻より上だけ見せてきた。

 

「なんでもない、綺麗だなと思っただけよ」

 

 可愛い相手(お空)を思いつつ雷鼓の事を考えたからか、ふと視界に入れた二人共通の赤い瞳。あっちはたわわな胸の谷間にあって場所も数もちょっと違うが、どちらも沈む夕日の色合いで、綺麗なその色が今の景色に映える。同じく青空に映える前を留めない白ジャケットと、瞳と同じ色の髪を靡かせて漂う姿はやはり絵になる、なんて想いを抱きつつ眺めていれば気付かれる。

 

「え? あぁ、雲ひとつ無くていい天気だもんね」

「……空模様ではないけれど、まぁ、いいわ」

 

 言う通り、雲ひとつないようないい天気の今日。藍天、とでも言うような濃い青がどこまでも広がる中随分目立ったあたしの紅白。それを綺麗と言ってみたが伝わらないならまぁよかろうよ、素直に考えを言えたおかげであたしの気分も上天気となったしな。

 どこまでも抜ける蒼の中、ゆるゆる飛んでふと思う。

 何を考えていたんだったか?

 ただの会話をしたくらいで、ついさっき考えていた事が思い出せないとは、これでは本格的にナントカってやつになってしまいそうだが‥…風邪を引かないらしいしそれもいいか?

 いやいや、あたしが病気にかからないのは別の理由だって、そういやこれか、行き先か。そんなこんなで思い出し向かう先はあの世って場所だ。正確な地名を述べるなら冥界、のちょっと手前。涼を求めて向かうってついでの魂胆もあるにはあるが、枯山水と桜が美しいお屋敷の手前に今は用事があったりする。

 理由は簡単、隣の奴からのお誘いがあったからだ、以前に頼まれた騒霊音楽家とのセッション、あれのお願いに行くから暇なら一緒にどうと誘われたのが今日のおでかけ理由ってやつだ。

 

「ちょっと涼しくなってきたわね」

 

 人の尻尾を抱きながら涼んでいる誰かさんとは違って、こちらは夏場の体温を移されている今、こうやって涼しさが感じられるようになると非常にありがたい、おかげで移ってくる温かみが心地よく感じられる。

 

「高度が高いからか、あの世が近いからなのかわからないけど、どっちにしろ過ごしやすくていいわ」

「そうね、おかげで払われなくて済んでるし、心地いいわ」

 

 フフっと声を漏らしてから尻尾に顔を埋める太鼓。地上というか我が家であれば、あたしが暑さに耐え切れなくなりそろそろ尻尾を袖にする頃合い、だというのに振り払わないからか珍しくデレる雷鼓さん。これはまた、別の意味であたしが熱くなりそうだ、折角涼しい所に来たというのに大変な事だが‥‥うむ、顔が火照るから別の事を考えようか。

 そうだな、暑さといえば外の世界は暑かった。季節は春だったというに、日差しと照り返し、周囲の建物に貼られたガラスの反射が酷く、あたしではあっちでの夏は過ごせないだろうなと、あちらに好きに行ける様になってからそう感じられて、悪くない皮肉となった。それでも『外は大概冷暖房完備で、幻想郷よりも過ごしやすい場所もあるのよ』などと、あの隙間は語っていたが‥‥暑さ寒さは耐えたり体感するもので、比べるなんてのはおこがましい事だとあたしは思う。

 他所と比べればアチラは暑いだとか、あそこに比べればここの寒さはマシだとか、そんな事を言い出しても今あたしは暑いのだ。他と比べれば涼しく過ごせる様になるというなら、愛用の銀縁眼鏡で凝視してああだこうだと駄々をこねるが、騒いだところでそうはならず、寧ろ頭の中まで熱くなってしまうことばかりだ。それならばあるモノをあるように感じて文句を言った方が、自分にも相手にもいいような気がしている。

 

 そうやってダラダラとした独白に思考を委ね、身体の方は盆東風に委ね空を登る、そうしているとやっと見えてくる顕界と冥界の境。空を支えるように立つ四本の柱が視界に収まり、そのまま進めばここからあの世ですよと教えてくれる魔法陣が見えてきた。

 いつも通りならこの辺りに浮かんでいる、赤白黒の誰かしらに会えたりするのだが‥‥なんて思っていると柱の上にキーボードが見える。アレがあるならいるだろうとたらたら寄るといた赤いやつ、二人足らなくて三姉妹勢揃いとなってはいないが、三つの音を調和させる末妹を見つけられた。あの世に向かう魂を眺めぼんやりとしている感じだが、演奏していないと暇そうだなアイツも。それでも思った通りにいてくれて、予定調和で手間いらずだからよしとしよう。

 

「いたいた、久しぶりね、今日は一人?」

「お姉さん達は? 一人なんて珍しいわね」

 

 柱の上で一人佇み、明後日の方向を眺めている赤いヤツに、赤いのと揃って遠間から声をかける。呼びかけに気がつくと、振り向きながらの大欠伸を見せる騒霊。

 

「お? おぉ、誰かと思えば。久しぶり! 私達に訊いてるの?」

 

 久しぶりと伝えてみればオウム返しで戻ってくる挨拶、調子の良い拍子で返ってきた言葉に尾を揺らして見せると、浮かぶキーボードを撫でつつ私達に訊いているのかと問うてくる末っ子。

 こいつが付喪神なら間違ってない姿なのだろうが、お前さんはポルターガイストだろうに。

 

「達って何? 今はリリカしかいないでしょ、姉はいないの?」

「何だろ? まぁいいじゃん、気にしないでよ。姉さん達なら今は太陽の丘に行ってるよ」

 

「ルナサさん達が風見幽香のところ? なんでまた?」

「ルナサ姉さんはまた別のとこよ」

 

 他に誰がいるのか、聞いてみても答えはない、が、確かにまぁいいな、気にすることでもない。姉達は向日葵畑に向かったらしいがなんだ、またあそこでライブでもやるのだろうか?

 いつぞやの花の異変後にやったらしい向日葵に見られながらの好演奏、あの時はどこぞのサボり魔とその上司にとっ捕まってしまってあたしは聞くことが出来なかったが、結構な名演だったと噂や新聞では見聞きしている。この末妹がその日の為に作った曲もあったと聞くし、次はキチンと聞けるかね?

 

「ちなみに私は一人で待ち合わせ中、偉いでしょ!」

 

 偉いか偉くないかは別として、羽の生えたキーボードをふわふわさせる姿は良い。黒い姉にも白い姉にもない浮ついた感じというか、良く言えば天真爛漫な雰囲気ってのが感じられて良い。

 体躯も姉妹の中で一番小さいし、そういった小柄な少女が浮ついているってだけで何やら楽しそうに見える、そうさせてくれるのは次女の音だというのにおかしなもんだ。

 

「打ち合わせの方が楽しいでしょうに、はずれクジを引かされたわね」

「そうでもないよ? 待ち合わせの相手とは違うけど、会いたい相手と会えたしね」

 

「嬉しい事言ってくれるわね、褒めても口ぐらいしか出さないわよ?」

 

 多分あたしに対してではない、が、そこは気にせず思ってもみない事を言ってくれたと喜んでおく。良いところに来たとか、いるならついでにちょっと手伝えとか、地獄に落ちてほしいだとか。何処かで誰かと会ってもそんな風に偶々いたからなんかしろと言われる事が多い自分だというに、真っ向から会いたいと言われるとは思っていなかった。これは存外嬉しくて結構恥ずかしい、だから誤魔化す。言いっぷりは普段通りから変えずに、態度だけちょっと前に追いかけていた奴を習って舌を出す‥‥が、いつも通りとはいかないか、普段よりも目が起きていて、頬の締りも少し緩いと自分でもわかる。

 ならいいな、隠せないなら出していこう、ナントカにでもなったつもりで可愛さアピールでもしてみる事にしよう、下心があっての褒め言葉ならこっちも褒めてくれるはずだ。

 バスドラムからヒョイッと降りて、瞳に十字の光を宿し高度を少しばかり下げる、そうしてちびっ子騒霊に上目遣いを浴びせてみた。 

 

「なに? あざといよ?」

「狙ってるからね、あざとくて当然よ?」

 

「わかっててそうするの? それも褒めたらいいの?」

「褒めるだけ無駄だとお思うわ、中身はもっとあざとい事を考えてそうだから」

 

 素直な疑問を投げ掛けてくる赤いのとは違って、あたしの事をよくわかっている赤いのが余計な事を言い放つ。それでも瞳に込めた愛想を尻尾で振りまき見上げてみた。

 

「なにそれ、めんどくせ」

 

 結果飛んできたのはいつものお言葉だけ、だったがまぁいいだろう。あざといと言われたのだからしっかりと可愛さアピールは出来ているはずだ、それならば褒めてもらえた事としておいて、下心ありだったと決めつけておこう、その方が会話の流れが掴みやすい。

 この子に限らず三姉妹のどれと話しても拍子を取られる事が多く、そうなると口だけでどうにか渡ってきたあたしとしては些か面倒なのだが‥‥リズムを取ってくれるのがいるとそうもならず、存外楽だな、ありがたやありがたや。

 

「さっきからなんなの? 顔、気持ち悪いよ?」

 

 言われるまではそれなりに可愛い顔、をしていたつもり、だというのに追加ささてあたしに谷間が出来上がる。立ち位置も気付かぬ内に同じ高度になっており、指摘された部分とは別の谷間辺りにある妹の頭からそんな事を言われた。そうやって素で見上げられる小ささもいいな、何もせず愛らしさを振り撒いていられそうで、手間いらずで妬ましい。

 なんだろう、こういった陰鬱な思いを感じさせてくれるのも姉のはずだけれど、こっちの妹相手にも感じる事があったか‥‥少しはあるのかもしれないな、あの姉二人の調べを調律するのがこいつなのだから、あれらの扱うモノも多少は心得ているのかもしれない。

 見上げてくれるちびっ子を見下ろし、煙管咥えて深めに呼吸。これもいつの間にか取り出していたがこっちは無意識で咥えていても当然か、そうなるくらいには共にある物だから。

 

「あのさ、話、進めていい?」

「そういえばそうね、褒めてきた理由ってのは何?」

 

「ちょっとお願いがあったりして」

 

 話しながら愛用の楽器を動かすポルターガイスト、あたし達の間に割り込ませるとそれに両手をついて飛び乗る。おねだり顔は雷鼓に、愛用楽器の上に乗り調子よく動く尻はこっちに向けて話す三女。上から押されているのに鳴らない鍵盤がちょっとだけ面白いが、それはそれとして無視しよう。可愛いのが折角目の前にあるのだし、お願いってのも気になる、というかあたし達もそのつもりで来ているのだった。言われついでに言ってみるか、もし読み通りなら互いに話が早くて済む。

 

「お願いか、それって一緒にライブしよ? って話だったりする?」

「あれ? ひょっとして姉さん達と会った?」

 

「会ってないわ、ただの勘よ。というかあたし達もそのつもりで来てみたのよね」

「そういう事、だからお姉さん達もって思ったんだけど、話が早そうね」

 

 雷鼓と二人、リリカを挟んで頷いてると察したのか、雷鼓に詰め寄るちっちゃい騒霊。活発そうな両足をパタパタさせて元気がいいが、こいつもこいつで霊だというのに元気な事だ。

 

「お、これはもしや‥‥お願いする手間がなくなった感じ?」

「そういう事よ、あんた達も待ってないで来たら早いのに」

「まどろっこしい言い方しかしないアヤメさんが言う事じゃないと思うわ」

 

「その通り! てかさ、アヤメちゃん家って竹林じゃん、迷うじゃん」

「ふむ、そうね、普通なら迷うか。ならあっちの城にでもいけば良かったんじゃない?」

 

 遠くに見える逆さ城に尾先を向け、あそこに行けば多分楽器の姉妹か太鼓もいると促してみせるが、あそこは酔うから嫌いなんだとさ。雅な調べに酔わせる相手がいる場所なのに、同じく美しい旋律に酔わせる輩が酔うとはいい皮肉だ、中々に好ましい。

 悪くない思い付きにかこつけて緩い頬を更に緩ませる、ニタニタと少しだけ胸が悪くなるよな顔で笑んでいると、尾っぽの方から飛んでくる黒いのと、南東の方から上ってくる白いの。

 回りに音符を漂わせゆらゆらと向かってきた侍女と、静かに飛んできた長女二人。姉はいつも通りだが妹の方は‥‥これもたまに見るか、一人遊びだし注意することでもないと、飛んでくる音符を逸し三人で待つ。そうして物理的に見える音符を音吐朗々(おんとろうろう)とさせた状態、俗にいうスペルカード発動状態なんて息巻いた姿でこっちに来た侍女と、それを諌める長女が合流した。

 

「三姉妹勢揃いね」

「あ、雷鼓さんと非常食だ」

「誰かと思えば、宴のネタがいるわ」

「幽々子じゃないんだからやめて。相変わらずの口の悪さね、メルラン。ルナサも、それに合わせて具材扱いしないでくれる?」

「たぬきにく、たぬきにく~」

 

 やれやれ、合流した瞬間から姦しい姉妹だ、末妹まで冗談に乗っかって狸肉などと言ってくれるし。リズミカルにほざいてくれるが、今のあたし出汁も出ないだろうし多分マズイぞ?

 言い出しっぺの白い次女も見た目通りに随分騒がしく非常食などと口が悪いが、これはただの冗談で話してみると一番穏やかだったりする。ちょっとだけ躁の気が感じられて今のような事も言うが、冗談が通じて、言ってもいいと思われるのは悪くないので気にしていない。

 黒い長女の話し口調は淡々としたもの、ちょいとキツ目のつり目に似合う、静かな物腰のお姉ちゃん。キツイのは目だけでなく言いっぷりもちょいとキツイが、こいつにも悪気がないのは知っているし、会えば会釈してくれる素直さというか律儀さがあるのも知っている。

 だから気にせずいつも通り、普段の自分の拍子を崩さずに言い返す‥‥と、ちょっと暗くなった雰囲気を和ませるように、朗らかな妹が割り込んできた。 

 

「あ、姉さん、ネタと言えばね、お願いしなくても済んだよ」

「うん、知ってる、九十九姉妹からよろしくって言われたばっかりだから」

 

「そうなの? ついさっきその話もしてたのよ」

「ルナサが輝針城(あっち)方から来たってのはそういう事なのね」

 

 上と下の姉妹会話に口を挟んでみると、上の方からそういう事だと肯定され、そのまま視線を流された。見ている先は姉妹の真ん中、そっちもそっちで雷鼓とお話中だが、どうなったのか気になるんだろう。そちらには口を挟まず耳を立てることにした。

 

「メルランさんの方は上手くいったの?」

「それがフラワーマスターがいなくってさ、まだ会ってないのよ」

「いないって何処行ったんだろ? 雷鼓さん心当たりとか、ない?」

「さぁ、普段は付き合いないし、私はわからないわ」

 

 ふむ、向日葵が咲き誇るこの時期だというに幽香が花畑にいないか。リリカの言いっぷりじゃないが何処に行っているんだろうな、種の買い付けにでも出ているのなら人里辺りにいるかもしれないし、それ以外だとすると‥‥

 

「なに? 四人して見つめてくれて。そう見られても幽香の居場所なんて知らないわよ?」

「それならいそうな場所は?」

 

 思考の途中で気が付く視線、色取り取りの八個の瞳で見られればすぐに気が逸れるあたしでも気が付く。そうして少し邪推して言い返すと、それなら頭を貸してあげたらと寄り添ってきた太鼓に言われた。それほど難しいことでもないし、雷鼓に言われるならテキトーにこじつけて見るかね。

 

「いるなら‥‥多分香霖堂ね」

「魔法の森近くの? なんであんなとこに?」

 

「ただの思い付きよ。あんたらを見てて思いついたのが幽香の言ってた踊る花の玩具だったってだけ、あの店ならありそうじゃない?」

「あ~フラワーロック? 異変で言われたけど、あんなの買うキャラかなぁ?」

 

「さぁ? でも幽香が言うならあれも花なんだろうし、興味を持っても不思議じゃないでしょ?」

「う~ん?‥‥まぁいっか、時間あるし、あの店にいないなら人里にでも行けばいいんだし」

 

 傾いだり前のめりだったりする姉妹それぞれに素で話す。

 らしくないと言われればらしくないのかなと思える言い草だけれど、こうしておかないと姉二人の能力がばら撒かれてしまったりする事もあり、そうなると手間なので素でテキトーにあしらっておく。持ち得る能力からか、ルナサの場合あまりつつくとすぐ凹む、逆にメルランはやたら賑やかになる。凸と凹な姉妹で面白いがそうなると凹も凸もやたら長い為、それを浴びせられる前に裏で手を打っておく。

 あたしだけなら逸らせばいいが、付喪神連中に移されでもすればまともな演奏会にならない事必死だし、まかり間違ってあの花にでも移されれば‥‥微笑みながらそこらを蹂躙するような事になるだろう、あんまり変化がなさそうだがソレもマズイと今は考えておく。雷鼓なら明るいリズムにノセられなくもないのだろうが、明るさを発する前に凹んでしまわれては暗いリズムを操ることになるだろう。

 それは困る、先に考えた通り次のライブは結構楽しみにしていたりするし、ソレを暗い、しんみりとしたモノだけにされてしまっては客として困ってしまう。

 

「そうね、ここでアヤメさんにからかわれているよりは探しに出たほうが有意義だと思うわ」

 

 テキトーのたまいニヤついていると、考える素振りの姉妹ではなく別の相手から合いの手が入ってきた。ここという間でそれっぽい事を言ってくれて、頼りになる太鼓様で素晴らしい。

 あたしの放った根拠の無い言葉にそれらしい意義を作ってくれ、そのまま姉妹に語りかけるとそれもそうかと雷鼓の口車に乗せられた三姉妹。動き出す素振りを見せ、探しに言ってみると降下し始めたのでそれならと、言い出しっぺを押し付けてみる。

 

「雷鼓も一緒に行ったらいいわ、言い出しっぺの法則って言うし」

「ん? それならアヤメさんじゃないの?」

 

「いるかもとは言ったけど行けとは言ってないわ、自分の言葉には責任を持つべきよ?」

「アヤメさんには言われたくないけど‥‥言うだけでしないからいいわ、それで」

 

「ついでにライブの話でも纏めてきなさいな、期待しててあげるから」

 

 雷鼓の座るバスドラムではなく、腰に指すドラスティックにに煙管を当てる。カツンと軽快な音を鳴らして見るとちら見してから動き出すドラムの妖怪、〆を打つなら尻だが開始を知らせるならこっちの方がわかりやすい。そうしてせっつくと動き出した音仲間、それを眺めつつ足場代わりの柱に座り一人一服‥‥していると、不意に感じる誰かの視線。そういや誰かと待ち合わせしているなんてリリカが言っていたなと思い出しつつ、視線の主を探し見渡す。

 すぐに見つかったのはまたも赤い頭。

 

「お、妙なところにいるね。成仏する気になったんならこっちじゃなくてあたいの方に来なよ」

 

 視線の先にいたのは話題の出た太陽の匂い香る相手、ではなくて爽やかな曼珠沙華の香りを漂わせるやつ。死線の先にいる相手、いや、ちょっと違うか。死線を超えた者達をあるべき場所へ誘う水先案内人ってのが正しいな、大概サボっていてまともに案内してないともっぱらの評判だが。

 そんな相手を眺めていると、早くはないのにパッパと、数(けん)飛びつつ距離を詰めてくるサボマイスター。飾りの大鎌と赤いツインテールを振りながら、幻想郷の死神様が気だるげに寄ってきた。

 四音(しおん)の後に見るのが数間(すうかん)飛ばす輩と会うか、数間四音なんてこんな字面の格言もあったような気がするが、今はそれっぽい季節じゃないなと、くだらない冗談に一人笑みを浮かべて言い返す。

 

「その気があったら会いに行ってるわ。待ち合わせなんて誰との逢瀬かなって思ってたけど、死神と待ち合わせするなんて。あの子の方こそ彼岸を渡る気があるんじゃないの?」

「あれは生まれから死んでるし、お前さんとは違って迎える枠にゃいやしないよ。それで、何処行っちまったんだい?」

 

「人を連れ去るなんて怖い事を言う人には教えないわ」

「冗談だっての、四季様からも連れて来いとは言われなくなったしね」

 

 なんだ、そうなのか。

 いつだったか怖がってくれないと困るなんて言ってきたから、折角口だけは怖がってやったというのに甲斐のない死神様だ、がそれならそれでいいな。はなっから怖がるような相手でもないし、どちらかと言えば取っ付き易い友人だしな。

 それなら問いにも答えておくか、別に隠す事でもなし。

 

「なら教えてあげる、香霖堂か人里か、それともまた太陽の丘に行ったか、どっかにいると思うわ」

「ありゃぁ、聞くんじゃなかったかね? 折角待ち合わせしてたってのに探し回らにゃならなくなっちまったね」

 

 ポリポリと頭を掻いて苦笑する小町、あからさまに面倒だと顔に書いているが、お前さんの能力なら追いかけるのに苦労はないだろうに。何処に向かったとしても距離なんてあってないようなものなのだから、ちょっと顔を出していなきゃ次に行くだけだろう?

 

「そういやなんでまたこんなとこにいるんだい?」

「ちょっとした用事よ、もう済んだから一服したら幽々子の顔でも見に行こうかと思ってたところ」

 

「なんだいホントに冥界に行く気だったのか、盆にゃまだ早いよ?」

「お盆に還るならあっちからこっちにでしょうに、小町こそなんの用事があったのよ?」

 

 あの三姉妹の迎えじゃないなら何をしに来たというのか、ただ顔見せに来ただけのいつも通りのサボりだと言うのならわざわざ行き先を聞いたりはしてこないのだろうし、その辺りを鑑みれば今日は一応はお仕事なのだとは思える。

 それでも『私』ではなく『あたい』と言うくらいだ、聞いたところで話してもらえる感じはしないが、売り言葉に買い言葉だ、ちょっとくらい探ったところで別に不自然でもないだろう。

 

「あぁ、次のライブはいつなのかって、ちぃっとばっかり確認をね」

「雰囲気から近くやるって話よ、場所はあの花畑」

 

 吸いきった煙草の葉を落としつつ、煙管で黄色い地面を差す。

 遠くからでも鮮やかに映る地上で揺れる太陽の花々、地面から見ると緑の葉や茎と合わさって良いコントラストに見えるが、こうして見下ろす形でも緑色の幻想郷に目立つ差し色となっていて中々に美しい。遠間から見るのもいいなと思いつつ、視線を小町に戻すと、ほんのちょっとだけ真面目な船頭さんの顔つきが視界に収まった。

 

「近くかぁ、出来ればもうちょっと後だとありがたいんだが、その気はなさそうだしまぁいいかね」

「なにその言い草、突いて欲しいの? 蛇出ない?」

 

「アヤメは出ても喰う側だったろう? お盆時期にあそこで騒がれるとちょっと手間が増えるかもってだけさ」

 

 そういや四足の頃はわざと突いて喰う側だったなと思い出し、それなら気にせずに突いていこうと問いかけてみた。そうして聞くが、出てきたのは蛇ではなく棒、お盆時期と向日葵でなにか関連するモノなんてあったのか?

 彼岸やら無縁塚でライブ、だというならわからなくもない。死に果てた者達がたらふくいそうな場所で騒霊が騒げば、ましてやそういった能力持ちの相手が愉しめばどうなるのかは想像に難くもないが‥‥彼岸花でもない花がなんだってのかね。

 送迎の馬が道草食んでしまいそうだ、とか?

 いや、無縁塚に住んでいる賢将辺りなら向日葵も好きそうだが、茄子の牛やら胡瓜の馬が向日葵の種を食む姿ってのも似合わないし、よくわからんな。

 

「手間なんてなにかあった? 無縁塚でもないのに、盆だからって小町が忙しくなりそうな事なんてあるかしら?」

「あそこの向日葵はちょいと特別でさ、霊魂を宿しやすいんだよ。ほら、いつだったかの花の異変でも取り憑かれちまって、後始末が大変だったからね」

 

「ふぅん、あの異変って冬だった気がするけど夏場でもそんな風になるのね」

 

 あの時は手間だったのさ、と大鎌を優雅に女性らしい振る舞いで回転させてからこちらに差し向けてくるこまっちゃん。仕草と言いっぷりから何が手間でどう大変だったのかよくわかる。

 しっかしそんな事もあるのか。花なんて一度枯れて新しい芽が出れば別の生き物だろうに、一度取り憑かれたからって別の個体となっていれば慣れたりはしなさそうなもんだが。その辺りを聞いてみればなんでも土地自体に根付くものってのがあるそうだ。

 花自体には憑かないが、一度地に根付いたモノを頼りに集まったり、その地に芽吹くモノ、この場合は向日葵たちに取り憑いてしまうような事があるらしい。言われても中々実感が得られない事だったが、その地に根付くって辺りをどこぞの祟り神に置き換えて考えてみればなるほどと、納得できなくもなかった。

 そうして頷いているとカラカラ笑う船頭さん。

 楽しそうだが、なんだろうな。

 

「ふむ、お前さんが知らない事ってのも珍しいねぇ」

「何にでも首突っ込んでると思ったら大間違いよ? その頃は今ほど回りを気にしていなかったし、小町のとこのお偉いさんに叱られて自棄酒するのに忙しかったしね」

 

「そう、貴女は少し我が強すぎる、だったかね?」

「やめてよ、似てるから滅入るわ」

 

 鎌を両手にクドい顔、そうして言うのは上司の言葉。モノマネといえるようなものではなく声色も小町そのものだったのだけれど、その拍子や態度がまんま閻魔で、お叱りを受けたあの時にとても似ていて気が滅入る。

 幻想郷の何処に行っても見られた色取り取りの花、それらを眺め朝から晩まで花見酒やら煙草やらを楽しんでいた時に出くわしたヤマザナドゥ。あのお人から言われたのが今のお言葉だったが、説教だけなら良かったが弾幕ごっこにまでなってしまって‥‥ちょっとやり返しても数倍になって返ってくるクドさの弾幕が酷くて……あんなのにどう勝てというのだろうな。

  

「そう嫌な顔をしなさんなって、今は言うほどじゃあないみたいだよ?」

「我の強さは変わらないつもりだし、今はってのも引っ掛かるわね」

 

「自分で言っておいて何言ってんだい? その気無い素振りで世話焼いて、結構な徳を積んでるじゃないか」

 

 そんなつもりは毛頭ない、こう思うのは何回目で何人目に対してだろうか?

 それを考えるのも面倒になるくらいで、もういい、そこについて言い返すのはすっぱりとやめて、別の部分で言い返していくことにしよう。これからはもうちょっと意地の悪さを見せられるような物言いで返せるように、コイツで少し練習をしておく。

 

「もう言い返すのも面倒だからそれでいいわ、そう見てくれる事で監視の目が緩むなら都合もいいし」

「特別監視なんてしちゃいないさ、偶に会って話して終わりだろうに」

 

「それを様子見と言わないでなんていうのか、聞きたいわね」

「あたいだよ? 当然、サボりさね」

 

 真面目なお仕事の話をしておきながら、最後には自分でそう言うのかサボマイスター。不意打ちで折られた話の腰に合わせてカクンと頭を横に倒すとケラケラ笑う江戸っ子気質な死神さん、これは笑われたのか、笑わせたのか。よくわからなくて傾いだまま考えるが、悩んでいる間に肩を組まれ、傾く頭を赤い頭で押し戻された。

 

「狸から一本取ってやったね、いい肴も出来たしちょっと付き合いなよ」

「構わないけど小町の奢りね」

 

「お、幽霊らしく人に(たか)るってかい?」

「取り憑いてきたのは小町でしょ、それにもう直稼ぎ時なんだからいいじゃない」

 

「一律一回六文で、儲からない商売なんだけどねぇ」

「なら数をこなしなさいよ。それで丸く収まるわ。ついでに上司も部下が働いて嬉しい、小町も潤って嬉しい、あたしも奢ってもらえて嬉しい。なべて世は事も無しってなるわ」

 

「事があろうがなかろうが、あたいに払う連中はあの世行きで無関係だっての‥‥仕事中に聞いてたら聞き逃せないが、あたいの耳も休憩中だし、奢りでいいから行くよ」

 

 堂々とサボるマイスターに結構な皮肉を言ってみても解かれない肩、この感じからすれば監視してないってのも強ち嘘ではなさそうだ、これがお仕事中で監視中だってのなら何かしら用事を作っていなくなっているだろう。そうはせず、人の事をとっ捕まえたまま竹林までの距離を操る死神小町、そのままいつもの屋台に向かってみればまたも営業準備中で、さっさと開店してくれと二人で手伝い女将を追い立てた。

 準備にかかる手間を省き、ある意味で距離を操りつつ、本来の営業時間の枠から逸れた頃合いから二人並んで酒盛りを始めた‥‥までは良かったが、すぐに背に感じるようになった重たい感覚。

 そこからは当然の流れで、ペシンゴスンと鳴るあたしと小町の頭。

 元祖がきゃんと鳴いた横でいつかの異変の時と同じく、あたしもキャンと鳴かされた。頭が凹むんじゃないかという勢いで振り下ろされた閻魔様の折檻棒。その音と痛みから多少積んだところでやはり変わらんと実感出来て嬉しく、涙目のまま僅かに微笑んでみたが‥‥そのせいで先に始まるあたしのお説教、誘われついてきただけなのに何故こうなるのか?

 ナントカなあたしにはわからなかった。




ようやく出せた虹川三姉妹。


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EX その35 盂蘭盆に嗤う亡霊

 ミンミンからカナカナと、耳に届く時雨が変わるか変わらないかという季節、それと時間帯。夏場でも着られるようになった長着の袖を振りながら、一人ぽてつんと佇むのは我が家前。玉砂利が敷かれた参道を抜けて奥へと進んだ辺り、立ち並ぶ誰か達の終の棲家を過ぎて行くと端の方にあるあたしの家。

 正確には家ではなく別荘で、形だけある留守物件みたいなものだが、中に入れるわけでもないし、本来ならばこの下に収まるのが正解なのだろうが、まぁその辺りはテキトーに。

 口の端には咥え煙管、右手には火を入れたお線香が少し、左手には昼間に行われたライブ会場で揺れていた、譲ってもらった太陽の花を携えて、自分で自分のお墓参りってのをしてみている。

 

 送り盆なんてらしい日に、なんでまたこんな事をしているのか?

 そう問われても答えられない、そりゃそうだ、だってただの思い付きだもの。

 ライブ会場で再度出くわした彼岸の川渡しに、そういや墓石も残ってるんだねぇなんて言われて、言われてみれば取り壊しも移動したりもせず残したままだと思い出して、それなら偶には顔を出してみるかと一人で別荘掃除をしたのが先ほどだ。

 命蓮寺に入るまでは隣にいた雷鼓、今はどこかをほっつき歩いているだろう太鼓様も一緒の二人参りだったのだが、いざ墓場に入ろうとした時にやっぱりやめておくと一人で夕景の中へと消えていった。行き先も伝えそれでもついてきたというに、実際に墓は見ずに消える理由が思いつかなかったが、お天道様と同じく、近づくに連れて少しずつ影が差した雷鼓の顔を見て、なんとなく察する事が出来たので引き止めもせずに寺の門で別れた。

 地底で思い出し泣きしてくれるくらいだ、ここに来ればまた思い出し泣きをするか、そこまではいかなくともなにかしら上ってくる感情ってのがあるのだろう‥‥嬉しく思える反面、申し訳ないというか、いたたまれない気持ちにもなるが、今考えても後の祭りだと、音楽祭の後に考えている。

 

 ぼんやりと揺れる自身の影を墓石に写し、考える事も薄ぼんやりとした思いに耽る。珍しく真面目に思案しながら、既に誰かが供えてくれたらしい菖蒲の隣に向日葵を差し、焼け落ちているお線香を払ってから手持ち分を備えた。そうして立ち上る煙に煙管の煙を混ぜ込んで、肩から下げた徳利を墓石の頭に浴びせていると、何も考えていなさそうなのが視界の端に現れる。

 弱く抜けていく盆東風(ぼんごち)にゆらゆらと漂う煙。それに似た風合いで、被るハンチング帽の下、貼り付けられた額から直接垂れ下がる御札を揺らす死体仲間。あたしの場合は肉体なし、あちらの場合は(こん)(はく)のどちらかがないような状態で、正確には死体仲間でもないのかもしれないが、同じく死に体だから死なない仲間だと捉えておこう。

 なにやら気安げに、曲がらない手を振って寄ってきてくれたわけだし。

 

「おー、アーヤーメーかー」

 

 ふらふらと無軌道に漂う屍尢(キョンシー)、人の名前を覚えてくれてようでそこはありがたく思えるのだが、そうやって間を伸ばして言われると馬鹿にされているようで少し癪だ。

 

「普通に話そうと思えば話せるんだから、変に間延びさせないでくれる?」

「お? なにがだ? そうだ、今日は何だ?」

 

「さらっと流さないで欲しいんだけど、まぁいいか。お墓参りよ、見てわかるでしょ?」

「おぉ、お前も墓参りに来たか、今日は侵入者が多くて大変だー!!」

 

 生きていないのに、思わず生気でも感じてしまいそうないい笑顔で叫んでくれる芳香だけれど、随分前に事切れている身体で大変とは、疲労感など感じる事が出来るのだろうか?

 案外感じたり出来るのかもしれないな、あたしの腹が減るくらいだ、御札が取れたら一人で歌を詠む事があったりもするし、生前の記憶というか習慣くらいはコイツにも残っているようなのだから疲れるって感覚も覚えているのだろう。

 侵入者ってのがあたしを言うのか、先祖の送迎に訪れた里の人間達の事を言うのかはわからないが、どちらも守れと言われた場所に入ってくる輩には違いないし、気にする事でもないな。気にするなら別の方か。

 

「お前もって、あたしの墓に他にも誰か?」

「ん? 色々来たぞ?」

 

「だから、その色々って?」

「色々だー! 青娥も来たし、青娥みたいなのもあらあらって笑ってたぞー」

 

「娘々みたいなのって、そういえば娘々は?」

「わからん!」

 

「あぁそう、聞くだけ無駄だったわね。邪な奴ってのも心当たりがありすぎてわからないし、こっちも無駄だと思うけど一応ね、誰の事よ?」

「知らん!」

 

 死体のくせに元気よく知らんと言い放ってくれるが、一言バッサリと言ってくれるくらいだ、予想通りでこれ以上聞いても多分無駄だろうな。なら聞き出すことは諦めてどうにかこじつけてみようかね、ただの思い付きで来た場所で、新たな思い付きに賭けるというのも悪くない。

 まずはどこから手を付けようか、娘々みたいな、って取っ掛かりしかないが、それから引っ張り出せるとすれば‥‥

 

「色々って言ったわね、何色だった?」

「んお? いっぱい見たぞ?」

 

「いっぱいって、一人でカラフルだったの? それとも大勢?」

「そんな事言ったか?」

 

「芳香、自分で言った事くらいは覚えて‥‥いられないのよね、中途半端に覚えてて意思の疎通も出来るってのも難儀だわ」

「難儀だと? 難しい事なんてあるかー!」

 

 お前に対して言ってない、お前を構う自分に対して言った慰めの言葉だったが、おかげで少し思いついたしそれについての嫌味は言わないでおこう‥‥言ったところできっと無駄だ。

 曲がりにくい四肢をブラブラとさせながら、夕日を浴びて廻りを漂う芳香、自分の墓に腰掛けるあたしの廻りを飛び回っているが、こう回りを漂われるというのも悪くないな、どこぞの付喪神達のお麺や太鼓を見ているようで、なんとなく悪くない景色だと思える。

『自分を中心に見てくれて離れずにいてくれる相手がいるって素晴らしいもの』

 そう言って来たのはこいつの主だったか、娘々が言うような視線こそ感じないが、こうして付かず離れずいてれるってのはそれなりにいいかもしれないな。

 なんて思いに浸っていると、不意に止まる屍尢。

 なんだ、死んだか?

 いや、元より死んでいるな、ならなんだ?

 

「ちょっと、何止まってるの? 死に直したの?」

 

 軽口吐いても動かない死体、死体だから本来動かないのが筋なのだけれど今し方まで動いて話して笑っていたし、そこは忘れてちょいと構ってみる。話してダメなら触れてみるかと、一枚しか着ていない中華服の上から胸先を突いてみても、スカートのスリット部分を捲ってみても無反応な死体少女。視界の先で手を振っても瞳に光も戻らない、というより元々宿ってもいないか。

 しかし、どうしたもんか、娘々の姿も見えないし放っておけば腐り落ちてしまいそうだし‥‥最後の手段と思い、おでこの御札に手を伸ばす。軽く摘んで引剥がそうとした瞬間に、後ろから聞こえてきたゴトゴト音。

 

「あれ、狸のお姉さんじゃないか。お姉さんもお墓参りかい?」

 

 凸凹とした墓場の敷石に負けない勢いで猫車を押してきた猫、じゃなかった火の車。

 ‥‥なるほど、動く死体が動かなくなったのはこの子の仕業かと頷いていると、愛車に芳香を突っ込んで満足気に笑う二本尻尾。

 

「誰かと思えば、地上でまで燃料拾いだなんて仕事熱心ね、お燐」

 

 汗もかいていないのに狭い額を拭うお燐、してやったりと満足気な笑顔で愛らしい姿。まぁ動く死体なんてそうそういるわけでもないし、お燐の獲物としては上物になるんだろうさ、それが手に入って上機嫌だってのはわかるが‥‥どうすべきか?

 放っておいても構わないが、連れ去られるのを黙って見ていたと知られればあらあらうふふってのが怖いだろうな‥‥

 

「ふふん、これは燃料にはしないよ?」

「そうなの? 確かに色々手が入ってるから燃えにくそうだけど、そういう奴のが燃料としては長持ちするんじゃないの?」

 

「そうだけどさ、コレはあたいのコレクション用なんだ」

「コレクションねぇ、そんなにいいの? 死体って」

 

「いいもんだよ? 全部終わって後腐れない相手を弄ぶってのは独占欲が満たされるんだ!」

「放っておくとそいつは腐るわよ、長持ちはしないわ」

 

「そうしたら炉に放るだけだよ、出会いのモノだから楽しいんだよ? お姉さんにもそういうのあるだろう?」

 

 愛くるしい笑顔のままで問うてくる死体愛好家、出合いを楽しむってのもわからなくもない、今のように愛おしい相手をひょんな場所で見かけるのも楽しい出合いとも言える。だからこのまま拉致されていくのを見ているのもいいかと思わなくもないが、暇つぶし代わりの会話に付き合ってくれた死体仲間を見捨てるのも気が引ける。

 どうしたもんかと傾いでいると、いそいそと猫車を押し始める火車。考えている暇はなさそうだし、取り敢えずなんでもいいから時間潰しでもしておくか。 

 

「ねぇお燐、お姉さんもって言っていたけれど、他にも誰か来てたのを見たって事かしら?」

「あぁ、あたいがお供えしたのさ。墓参りだとか言わないと寺の奴らが入れてくれなくってさ」

 

 なるほど、本来出入り禁止なこの子がここにいられるのはその為か。

 いつだったか聞いた笑い話。

 墓標で眠る死体目当てで一度命蓮寺に弟子入り志願したらしいが、ここの住職に思惑が看破されてしまい、さっくりと断られた上に近寄るなという釘を打たれたって話をこの子から聞いている。狭いはずの額に落とされた南無三が痛かったと赤い猫目を更に赤くしていた姿が印象深い。

 だというのに今いられるのはあたしをダシに使ったか、相変わらずの自分に対する素直さで好ましいな。

 

 いざ地底、書く面積の少ない額にそう書いているお燐を呼び止め、そのまま手招きして例を述べる。猫車の中身とあたしを見比べて一瞬戸惑っていたが、迷った挙句にこちらに来てくれた地底のペット、普段から可愛がっていて良かったとこういう時に思う。

 目の前に来たお燐に向かいペシペシと、自分の腿を叩いてみせると腿には来ないであたしの隣、墓石に腰を降ろした‥‥猫の姿に戻らない辺りに先を急ぎたいって心が見えるが、もう少しだけ、ニャンニャン違いが気づくまであたしに付き合っておけ。隣に座ってソワソワしている頭に手を伸ばし、そのまま頭だけ腿に持ってくる。拒否はされず、借りてきた猫のように静かに動いてくれる地獄の猫、日を浴びて更に赤くなる髪を撫でつつ、お礼でも言っておく事とした。

 

「お燐がお供えしてくれたのね」

「あたいより先に来た人もいたみたいだよ?」

 

「そうなの? それでもありがたいわ」

「‥‥墓の主にお礼言われるってのも可笑しな話だけど、お姉さんがいいならそれでいいや」

 

 撫でているのは喉でもないのに、ゴロゴロと聞こえそうな顔を見せてくれるお燐。騙しているようで、いや、正しく騙しているから少しばかり気が引けるが言った言葉に偽りはないし、感謝を述べて嬉しく思ってくれるのが嬉しく、柔らかく笑いながらお燐を撫でていく。

 そうしていると目の前の猫車のある地面に小さなピンクと黒い縁取りが見えた、丸い真円型に現れた縁取り、ちょっとだけ花の香りが漂ってくる真っ暗な穴っぽこ。わざわざ持ち主に似せた形で手を出してくれる理由が分からないせいか、撫でる指先もそんな形になってしまったらしく、触れ方が変わった事で目を開いたお燐が、音もないままに落ちていく愛車を見て尻尾を太くした。

 

「あっ!! あたいのネコが! 折角のコレクションが!!」

 

 動きに気がつくと飛び起きて、真っ暗な真円に落ちていく愛車に手を伸ばすお燐だったが、その手が孤輪車の押し手から逸れてしまって掴む事は出来なかった。真っ暗で見えない深淵の中を覗きこんでいるお燐、その背に向かって声を掛けてみる。

 

「残念、持ち主が帰ってきちゃったみたいね」

「……お姉さん、これを狙ってたね? 折角手に入れたのに‥‥お姉さん、ちょっと酷くないかい?」

 

「あたしが何かしたわけじゃないけどそうね、確かに酷いかも。ならどうする? あたしも操ってみる? 待ってあげるから試してみたら?」

「怨霊しか操れないと思って煽るのかい!? あんまり馬鹿にしないでおくれよ!」

 

 赤い瞳孔を縦に細めて、フシャアと威嚇してくる火車、そんなお燐に向かって試してみたらと煽りをくれてみる。するとお燐の周囲にポツポツと浮かぶ青白い穢れた魂、ほの暗く燃え上がる髑髏が数個現れると、あたしに向かって飛んできた‥‥が、触れられず廻りに逸れていくばかり。

 

「ちょっとお姉さんズルいよ!」

「何がよ」

 

「待ってくれるんじゃなかったのかい!?」

「だから待ってるじゃない、動いてはいないわ」

 

「そんなの、待つって言わないよ!」

「逃げも隠れもしてないわ、可愛いお燐が相手だから逸らすだけで待っているってのに、文句が多いわね」

 

 話しながらも飛んでくる大量の怨霊共。

 操者の内面を現すような熱さをたたえて奔ってくるが、ぶつけたいあたしにはギリギリで触れられず、着物の袖や裾をを少し焦がしては明後日の方へ飛んでいく。

 きっちり逸らせば焦げる事なんてないが本気で悪いと思っている為、多少は焼かれて見せているけれど、どうにもこの程度では収まらないらしい。牙も見られる表情と同じで放つ怨霊も苛烈だ、どうやって誤魔化そうかとあぐねていると、本堂の方が賑やかになってきた。

 盆の墓場で怨霊が飛んでいればさすがに気付くか。

 

「もう! 気づかれちまったじゃないか!」

「みたいね、どうする? 諦めて尻尾を巻く?」

 

「‥‥そうするしかないじゃないか、恨むよお姉さん」

 

 次第に騒がしくなる寺とは違い一気に静かになるお燐、いきり立つ勢いで太ましかった尻尾も下げ、尾先が地面についてしまいそうな程になってしまった。ぱっと見から落胆している、ソレがわかる見た目と声色‥‥そんな姿を見せられるとちょっとは悪いと感じるが、それでもしてやったりという心のほうが強いのは性根ってのが曲がっているからだろうな。

 真っ直ぐというにはちょいと逸れているあたしの根っこ、だが‥‥このまま帰してしまっては今後温泉に通いにくくなる、それは困るし出来れば嫌われたくもない相手。都合が良すぎるように思うが、お燐もあたしの身体を狙った事があるし、ここはそれでおあいことしてだ、何かないかね?

 良さそうな釣餌は。

 

「もう終わり? 猫らしく飽きが早いのね」

 

 愛車が落ちてしまった穴の底を眺め、取りに行くべきか諦めるべきか悩んでいそうなその猫背。それに向かって話しかけても無言が返ってくるだけで、何の言葉も返ってこない。恨むってのは伊達ではないらしくまるで相手にしてくれなくなった愛らしいペット、これは本格的にマズイな。致し方ない、今度は本当に自分を餌にしてみるか。

 わざと足音を立てて墓から降りる、敷石からコツっと鳴らすと頭の上にある方の耳がハネた。無視してくれているだけで無関心ではないってのがわかり、少しだけ安心しながら自分の墓石を盛大に蹴り上げた。結構な音を立てて巻き上がると、命蓮寺との仕切り代わりの壁にぶち当たり割れるあたしの別荘。掘り返した墓穴をガサガサとしてみれば、すぐに見つかる誰かさんの右腕と左足だった骨。

 

「お燐、これじゃダメ?」

 

 少し振って土を落とし、二つを合わせてカランと鳴らす。

 そうして鳴らした音から、いくらかは察していそうな火車に声をかける、地底で愛玩している時の声色、先程までの意地悪さを多分に込めた声ではない色で話すと、ちょっとだけ顔を動かして、横顔と片目だけを見せてくれたお燐。

 

「肉は残ってないけれど、骨だけで良ければあげるわ」

「……ホントにくれるのかい? また騙したりしないかい?」

 

「もうしないわ、嫌われたくないもの」

「でもお姉さんの身体だよ?‥‥後で返してって言ってもダメだよ?」

 

「言わないし、猫車も拾ってきてあげるから、これで機嫌を直してよ、ね?」

 

 お燐からの返事は待たずに、白骨二つをポイっと投げる。

 わざとらしく穴の辺りに向かって放ってみると、落ちる前に2つとも回収された。左右の猫の手に収まるあたしの遺骸、二つを暫く見つめてから大事そうに抱えてくれた死体好き。気に入ってくれたなら何よりだが、掘りたてほやほやをそう抱いては綺麗な柄のワンピースが汚れてしまう、そんな風に思い立った頃には歩み寄っていて、ちょっと汚れた袖の辺りを払っていた自分。

 本当に、最近意識せずに動く事が増えた気がする、こうなるとあたしもなんか閉じるべきかね?

 

芳香(あっち)を諦めたわけじゃないからね‥‥今日はお姉さんの身体が手に入ったから諦めるけどさ」

「諦めろなんてのも言ってないじゃない。アレはまた後のお楽しみとして好きに漁りに来たらいいわ」

 

「‥‥うん、そうする。ここに入る口実はなくなっちゃったんだけどね」

「そういやそうね。さ、そろそろ逃げなさいな。怖い住職がそろそろ来そうよ」

 

 ピンクの雲が浮かぶ本堂の屋根を見つつ、お燐の頭を強めに撫ぜる。ガシガシと撫で付けて二つのおさげを振り振りさせて、乱れた前髪の奥に見えたおでこにでこピンしてみた。軽めにパシンと当ててみるとそこを寄り目で見ている火の車、その顔に南無三と言い放ってみると、名残惜しげな視線を穴に向けてからふわりと飛んで妖怪神社の方へと飛んでいった。

 取り敢えず機嫌も戻ったし、物理的に叱られる前に逃せたし、雷鼓の無く場所も潰せたしと良い事尽くめで悪くないと、軽く微笑みつつ開きっぱなしの穴に落ちる。穴とは言わずもうスキマとネタバラシしておくか。漂う香りと小さなピンクから察したお燐以外のお参り相手、あれがいるだろう空間に落ちると、中に置かれている猫車に寄りかかり、お茶を啜る誰かさん。

 

「お節介ありがとう、紫。助かったわ」

「何に対してのお礼なのか、言葉にしてくれないとわかりませんわね」

 

 墓参り、芳香、お燐と色々と甘やかしてくれてありがたい。が、素直にそれを言うのも気恥ずかしいので、全部ひっくるめて伝えておこう。さっきお燐に渡した誰かさんのような物言いを真似たように、言ってくれないとわからないなんてのたまう相手だ、それならばそれらしく感謝もテキトーに伝えておくのがいい気がする。

 

「色々よ、色々ありがと」

「そう、色々ならそれでいいですわ」

 

「罠にかけた獲物は?」

「さぁ、どこかその辺りの土の中にいるんじゃないかしら? 気になる?」

 

 謝礼を述べつつ隣に寄って、そのまま腰を落ち着けつつ、ネコの中身を見てみれば空。

 あるはずの中身はどこかと問うてみれば、ズズッと湯のみから音を立てた後でその辺にいるだろうという雑な答えが返ってきた。なんだよ、そんなつれない態度まで真似しないでもいいじゃないか、面倒臭い。

 

「気にしない、その辺にいるならいいわ、土に還る前に持ち主がどうにかするでしょ。それじゃこの尻に敷いているコレ、届けてくるから頂戴よ」

 

 二人で座る椅子代わりの猫車、その箸の方を煙管で叩きカツンと鳴らして寄越せと願う。そうしてみたが離れない紫、寧ろ離れるどころかしっかりと座りなおしてくれて、タダじゃ渡してあげないと見せてくれた。

 本当に手間のかかる友人だ、やはり顔を合わせると厄介だな、なんて考えていると余計な窘めとついでのおねだりが言い渡された。

 

「尻だなんて口にしないの、はしたないわ。そうね、おねだりしてくれたら返してあげてもよくってよ?」

 

 前半はどうでもいいから聞き流して、おねだりしなさいとおねだりしてくるスキマ妖怪。元を正せばあたしが頂戴と口だけでねだったのが始まりな気がするが、なんだかよくわからなくなってきたな。話の筋を曖昧にぼやかしてくれて、尻尾が掴めず捉えにくくて妬ましい‥‥が、式やあたしと違って紫に尻尾はないし、持ってないなら代わりに振ってあげるかね。

 ついでになんでまた墓参りなんてしたのか聞いておくか、手助けしてくれたのはお盆玉だと考えておいて、墓参りの方は理由もわからないのだから。ただの気まぐれだってのならそれでいいし、何かあるのなら聞いておきたいとも思うし。

 

「あたしのじゃないし、本気でねだる程じゃないのよね。でも返してくれたら甘えてあげるわ、お墓参りのお礼も兼ねてね」

「なら返してあげます、甘える代わりに酒盛りにでも付き合ってもらおうかしら? お墓相手じゃ酒盛りも、こんな話も出来ませんし」

 

「あら、構って欲しかったの?」

「そうよ、一寸法師や天邪鬼とは楽しくお酒を飲んだのに、私を呼んでくれないんだもの」

 

「紫を呼んだらアイツは逃げるでしょうに、逸しもせず見せてあげただけでヨシとも思いなさいよ」

「見せたかった、とは言わないのね‥‥まぁいいですわ、少しくらい付き合いなさい、偶にはね」

 

 真似していた誰かの顔、眠たげな顔から普段の胡散臭い笑みに張り替えて、空けた湯のみを差し出してくる紫。こいつと二人飲みなんていつ以来なのか、最早思い出せないくらい前の記憶で外だったのかこっち(幻想郷)に来てからなのかすら思い出せない。

 けれどまぁいいな、式とは年に一回飲んでいるが主とサシで飲むことなどあまりないし、自身の墓を蹴り飛ばした後で、黄泉返った先の白玉楼で最初に会った相手と精霊送り酒ってのも中々に粋だろう‥‥あの時はしこたま叱られたが、今は笑っているし、それならば笑顔で注ごう。

 湯のみに波々と注いでから、わざと徳利の口を当てて少しだけ零してやる。右手の指に垂れたそれを拭こうと、何処からかハンカチを取り出した紫の左手を止めて、右手を取ってあたしの方に近づける。そうしてちょっと屈んで見せてペロリと舌を這わせた。

 酒に付き合うついでに甘えて見せて、その体制のまま見上げてみると、普段使いよりも穏やかな顔で笑む幻想郷の大家さん。そういやいつから紫と呼び捨てにするようになったのだろう?

 死ぬ間際辺りか、反逆者らしく呼び捨ての捨て台詞を吐いたような覚えもなくもないが‥‥まぁいいな、生前の事は生前の事として酒で流して、ただの友人らしく呼び捨てで呼ぶのにも慣れておこう。悩んでいると舐めた右手が引かれる、そうして舐めた辺りを見つめてから普段通りの胡散臭い顔を見せてくれた紫。

 その顔が見慣れた、嫌味で好ましいモノだったので、あたしも同じような顔で笑えた。



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EX その36 扱い悩む秋の日

 暦の上では移り変わったというに、未だ元気なお天道様。

 そこから頭頂部に向けて感じる陽光もジリジリと暑いもので、葉月から長月に入っても残暑厳しい幻想郷だと我が身の天辺に感じながら、長い階段を一段ずつ登っていく。登る途中の参道でふと目に入った緑色、日差しと同じく夏の装いを残している周囲の林の葉を眺め、稲刈月(いねかりづき)には入ったけれど、景色はまだまだ穂張月(ほはりづき)だなと、手持ちの網籠に入る緑色と色みを見比べた。

 籠に収まるは深い緑の夏野菜。度々我が家を訪れるイタズラ好きな連中が、何故か(こぞ)って持ってきた胡瓜や茄子の最後の残り。最初の頃に持ってきたあの兎詐欺やスキマの分は美味しく戴けた。

 それでも後から来た記者達や妹妖怪も大体両方、よくてもどちらかの野菜を持ち込んで来て、その度にボリボリとかじったり、皮を引いて焼いたりするのに飽きたのがちょっと前だ。

 

 どいつもこいつも笑いながら言ってきたが、最初の二人がやはり厄介だったか。

 最初の一人は『アヤメの乗り物を持ってきてやったウサ』

 次いで来た二人の内、背の高い方は『暑いし、さっぱりと浅漬辺りが食べたいわね』

 などとそれぞれのたまってくれたが、あいつら、そんなにあたしに成仏してほしいのだろうか?

 前者には、あたしの乗り物はアレだと赤い髪を指差したが、『乗られる事もあるんだから言い切るには弱いね』と返されてしまったし、後者の甘やかしてくれる奴からは、酸っぱい物は好まないから作らんと言っても『酸いも甘いも味わうから甘味が美味しく感じられますのに』なんて返されて、口の減らない輩ばかりで随分と面倒だった。

 

 天狗に対しては河童に渡せと追い返しただけだ、こいつらが一番清く正しくてチョロかった。

 最後に持ってきた妹妖怪もあしらうのは簡単だったが、ちょいと自爆したのがまずかった。皆と同じく茄子やら持ってきた妹に、野菜は食い飽きたから本物の馬か、牛でも持って来いと軽口を叩きつけたが‥‥『馬乗りになるの、好きでしょ?』なんて奥で笑っていた雷鼓を見ながら言われてしまって、それをキッカケに住まいの中で夕立を起こされる事態となり、割りと大変だった。

 まだ覗きがいたと息巻く太鼓を宥めるのに気力を使い、その日の晩は溜まっていたフラストレーションを晴らすが如く、人の事をドラム代わりにしてくれて‥‥それが案外悪くなくて、目覚めてしまいそうでこちらもこちらで大変だった。

 兎詐欺の時みたいに例えで言うには構わないが、見られるのは嫌らしい。

 

 なんて春めいた事をもうすぐ秋の入りって頃合いの中考えていると、いつのまにやら階段は終わっていて、端の欠けた石段から所々が割れた石畳に踏み石も変わっていた。考え事をしながら動いても、転げもせずに上ってこれるとは、我ながら中々器用なものだ。

 そうして着いた妖怪神社、いつもの様にお清めをして柄杓を立てて左手を流し終えた頃、いつもの様にお賽銭を入れる‥‥前に、いつもいる場所にいつものがいない事に気が付いた。

 また気まぐれに掃き清めているのかと思い、賽銭箱の中から聞こえた物悲しい音を背にして、神殿の中や社務所の脇などを覗いてみたが人気がない。巫女さんの代わりに見つかったのは、地上の太陽に暖められて昼寝する地獄の八咫烏。烏姿で船を漕ぐ地底の太陽は見られたが、本来いるはずの巫女さんは見当たらなかった。

 お茶飲み娘がいないのもそう珍しくはないし、単純に出かけているのかなと、特に気にせず縁側に座り、お空を眺めつつ煙管に火を入れると、神殿の裏手、池近くの蔵辺りで物音がした。

 

「霊夢? そっちにいるの?」

 

 口から煙を漏らしつつ音のしていた方に呼びかけると、返事代わりのガタゴトとした何かを動かすような音が聞こえてくる。声を出さずに物音だけが返ってくるなんてなんだろうか、まさかの物盗りでも入っているだろうか?

 この幻想郷で、この神社に物盗りに入るような豪胆な奴があの黒白泥棒以外にいるのかと、どんな奴なのかお姿拝見してみたく、身体を薄れさせ気配を逸らしつつ近寄ってみる。地底に続くらしい洞穴を横目にしつつ向かってみれば、いたのはなんてことはない、ここの巫女さんだった。

 小さな少女に向かって斜めに傾いている荷物達を両手で抑え、左足を後ろに伸ばして頑張る姿。見た目からここは私に任せて先に、といった様子の紅白が羽毛バタキを口に咥え何やら頑張っていた。面白い泥棒なんていなかった、ちょっとだけ気を落としながら能力も解いて気配も戻しみると、首だけ動かして横目で見てくる博麗霊夢。

 

「なにやってんのよ、というか返事くらいしたら?」

「できああっあの!」

 

「ん? なんて?」

 

 顔半分だけ見せて、左目だけで見てくる巫女さんに何をしているのかと聞いてみたが、はたきを咥えたまま喋ってくれるものだから何を言っているのか、あたしにはさっぱりだ。舌っ足らずな物言いで返事は出来なかったと見た目で言ってくる巫女さんに、意地の悪い笑みを浮かべてしつこく聞いてみると、紅白の黒い眼が耐える瞳から少し強めの瞳に変わる。

 

「出来なかったって言ってんのよ!」

 

 ニタニタと眺めていると瞳と同じ剣幕で口から言葉が飛んできた。返事はキチンと飛んできたが、咥えていた羽毛バタキまで飛ぶようなことはなく、土埃の目立つ三和土の床にカランと落ちた。何を思ったのか蔵の掃除でもするつもりだったのだろう、そうして普段は開けない扉を開いたら積み上げただけの荷物が倒れてきたと、今はそんな状況なのだろうな、きっと。

 

「あぁもう、掃除する物が増えたわ」

「そうやって横着してばかりだから今みたいになるんじゃないの?」

 

「あんたに言われたくは‥‥いいから、ちょっと手貸してよ」

 

 落ちて汚れた掃除用具、それを見ながら悪態を吐いて床の埃を動かす霊夢。小さな吐息で流れるくらい溜まった埃や汚れを掃除するなど、元よりそのはたき一本じゃ無理な話だろうに。

 そんな考えを含めて話してみると、なんという事だろうか、あの博麗の巫女が妖怪に助けを求めてきた。普段は顎で使ってくれるか退治するくらいしかしてこないというに、コレは何だ?

 また異変か?

 煙管を支えていた左手で、次は顎を支え悩む。

 その姿が傍観する姿にでも写ってしまったのか、支え代わりに伸ばしている左足をあたしの方に振り回して、どうにかとっ捕まえようとしている巫女さん。尻尾代わりに振って甘えてくれている、そう解釈してもいいが‥‥手助けようにも既に遅いだろうな、抑えている荷物の上辺りが今にも転げてきそうだもの。 

 

「もう手遅れだと思うわ、崩れるのが早いか遅いかってだけに見えるけど?」

「え‥‥って、ちょっとま……」

 

 顎に当てていた左手の人差し指だけを上に伸ばす、ついでに目線も上げてみるとそれに釣られて霊夢も仰ぎ見る。その視界に映るのはひとつふたつと崩れ始めた荷物という名のガラクタ達。

 小さな箱が霊夢の頭に落ちてくる前に、ぶつかりそうな物、というか倒れこんでくる物全てを逸して一応埋まらないようにはしてやる。それでも身体に触れないだけで廻りには落ちてくる結構な数の荷物。舞い立つ埃とランダムに積み上がった荷物の山で霊夢の姿が見えなくなった。

 

「大丈夫? 綺麗に整った顔が凹んだりしてない?」

「厭味な一言が余計だけど大丈夫、でも動けないわ」

 

「動けないの? こけて怪我でもした?」

「袖が挟まっちゃって、抜いたらまた崩れそうなのよ」

 

 なるほど、身体は無事だが服はダメだったと、そこまで気を使ってはいないからそうなっても仕方がないな。なんて一人納得していると、挟まる袖でも動かしたのか少しグラつく荷物群。

 袖だけ挟まって動けないのなら袖だけ抜いてどうにかすれば、と考えたが両袖挟まっているとしたら白袖を縛って止めている赤紐も解けないか、と再度考えつくことも出来て、それならそろそろ手伝うかと、端から荷物を寄せていった。 

 荷造り用の紐で綴じられた天狗の着火剤(新聞)やら、中身がなくて箱だけが残っている河童の手が収まっていた箱やら、後はなんだ、付けて取り外した跡が見られる太めの注連縄に供物台と、使うのか使わないのかわからないようなものをそこらに寄せて掘り進んでいく。そうして下の方、焼き物のくせに割れなかった酒虫柄の壺をどかしてみると、ようやく見えた少女の可愛らしいお顔。

 

「あ、いたわ」

「いたわ、じゃなくて出して、これ、どかして」

 

「もうちょっと顔に似合う物言いをしてくれれば退けてあげるわ」

 

 言う通り袖やら赤いリボンやらが挟まっただけのようで、汚れちゃいるが他はなんともなさそうな人間少女。博麗の巫女とはいっても普段はただの人間で、つれないだけの可愛らしい女の子だ、傷物になっていないならなによりだ。が、それはそれとて、そろそろ本格的に引っ張り出すかね。感じる視線が助けてというものから今に見ていろって雰囲気になったし、寝ていた地獄烏も音で起きたのか、人型になって飛んできたし。

 

「うにゅ! アヤメだ!? いつ来たの!」

「お空が寝ている間にね、それより少し手伝って頂戴。霊夢堀りするから」

「なんでもいいから、早くして」

 

 はいはいと、軽く笑ってから猫の友人の手も借りて二人で荷物を退けていく。人手が増えたせいか、寝起きで元気なせいか、その辺はどうでもいいがおかげさまですぐに掘り出せた紅白の獲物。手を差し出すと素直に取ったのでそのまま引いて起こし、ついでに髪やらスカートやらについた埃を軽く払う。

 

「普段やらない事をするからこうなるのよ」

「あんたに言われたくないわ」

「うにゅ? アヤメん家は綺麗だよ?」

 

「ああん? そうなの?」

 

 その台詞は霊夢が退治したあれ(ぬえ)のモノだろうに、口が悪いぞ人間。

 それはともかく、綺麗だと言ってもらえて悪くない気もするけれど、なんでお空が知っているんだろうか。この子を我が家に連れてきた覚えはないし、仲良しお燐も知りは‥‥あぁ、妹からでも聞いたのか。

 

「こいしがそう言ってたの?」

「うん! こいし様が何にもなくて掃除いらずだって言ってた!」

 

 問いかけてみれば読み通り、覗き魔妖怪から聞いたと元気な返事が返ってくる。言いながら人の背中に乗っかって、あたしの右肩から制御棒を、左の肩には先ほど忙しく動かしていたお手々をついて、頭の上には軽そうな頭を乗せてくるお空。

 烏の時と違ってそれほど身長差がないのだから気軽に乗らないでほしいところだが、あたしとは結構な違いがある胸の瓜二つと八咫烏様の瞳が後頭部で温かいのでよしとしよう。そうして背中に焦げない太陽をおぶりつつ、正面の紅色に聞いてみる。

 

「物がなくはないんだけど、まぁいいわ。それよりなにしてたの? 大掃除するには早過ぎると思うんだけど?」

「ちょっと思い出した物があって、蔵にしまったはずなんだけど見つからなかったのよ」

「霊夢も何か忘れ物? 私とおんなじだ!」 

 

「あんたは鳥頭ですぐに忘れるだけでしょ、私のは胴忘(どわす)れで、偶々よ」

「うにゅ? 頭と胴だから違うの?」

 

 顎をのっけたまま傾けないでくれ、頭皮がゴリッとされて少しだけ痛い。

 しかし違いがあるのかね、お空は確かにアホの子でオツムも軽そうではあるが今みたいにゴリッとされればそれなりに重さを感じる、霊夢の方も違うといえるほど重そうな、豊満に育っているとは思えない体つきだ。まぁどうでもいいか、前者はその軽やかで明るいのがいいところだし、後者も成長はこれからだろうさ。

 

「どっちも軽くて似てるから一緒だと思うわ、それでさっきの思い出したのって何? 手助けしてあげたんだからちょっとくらい教えなさいよ」

「私の何が軽いのかはいいわ、めんどくさそうだし。あんた、あっちから来たのに気が付かなかったの? 洞窟あったでしょ?」

 

「あったけど、あれって地底に続くっていう穴っぽこでしょ?」

 

 来た方向、先ほど横目にしてきた洞穴の辺りを煙管で指して問いかける。すると聞いていた霊夢とは別の、あたしの肩から生えていた制御棒が煙管とは逆側、あたしの指した西側とは真逆の東側を指しながら地底はあっちと教えてくれた。

 

「うにゅ? 違うよ? うちに続いてるのはあっちだよ?」

「そうなの? それならあの洞穴は何よ?」

 

「知らない!」

「あれは偶に開くのよ。遺跡に繋がってるから、興味あるなら行ってきたら?」

「遺跡って初耳だわ、そんなところがあったのね」

 

 頭の上で知らないと言い切るのは捨て置いて、巫女さんが言うには偶に開いているらしい。遺跡があるって話だが花見やらで何度もお邪魔しているが、今の今まで見た事も聞いた事もなかった。初めて耳にする面白そうなところだ、言われずとも行ってみるつもりだけれど、潜っている間に入り口が閉まったり、もしくは閉じられてしまったりしないか?

 つい最近何かを閉じるべきか、なんて考えた事もなくはないが、これが閉じてはいさようならとなるのは困る。ふむ、気になるし、そうなる前に少し聞いておくか。

 

「入ってる間に閉じたりしない? 出てこられるなら閉じてもいいけれど、そうじゃないならちょっとねぇ」

「多分大丈夫よ、閉まってもまた開くし、その時に出てくればいいだけよ」

「うん! 結構偶に開いてるね!」

 

「結構なのか偶になのか、微妙なところだけど、お空が覚えてるくらい頻繁に開いてるのか‥‥放っておいていいの? 結界まで開いたりとか‥‥していたら今頃ここにいるか」

「そういう事、だからそっちも大丈夫。行かないんなら掃除の続きするから、手伝ってって」

 

 掃除の手伝いなど勘弁願いたい、そう言う前に捨て置いた方がわかったと返事をしてしまい、あたしをとっ捕まえたまま蔵の中へと飛び進んでしまう。首を突っ込むなら一人でしてくれと思わなくもないが、中に入ってしまった以上は已むを得ないか。あたしから飛び立って、奥でガサゴソ言わせ始めたお空。地底でも地上でも働き者な烏が鳴らす音を聞きつつ、そういえばと再度問うた。

 

「で、何探してるの?」

「あぁ、人形よ、人間サイズの」

「お人形さんか! 霊夢も可愛いの持ってたんだ!」

 

「確かに可愛い顔してる人形だったわ、でも、あんたと一緒で危ないみたいなのよね。だから奥にしまったんだけど」

「お空と一緒って、鳥頭なお人形さん?‥‥芳香みたいな感じ?」

 

「あのゾンビとはちょっと違うわ、どっちかというとアリスの‥…」

「うにゅ!! 私と同じのあったよ!」

 

 奥に突っ込んだお空とは別の辺り、手前の荷物を退かしながら霊夢と二人家探し?

 いや、蔵探し?

 なんでもいいか、そうやって探し物をしていると奥で声だけ聞かせてくれていた地獄烏が何かを見つけたと叫んでくれる。何を見つけたのかと暗がりを覗きこんでみると、どこぞの花妖怪がどこぞの従者みたいな給仕服を着ているお人形さんが出てきた。

 埃と蜘蛛の巣を被りながら、人形と共に出てきたお空。

 パッと見た感じお空には似てないが、どの辺りが同じなんだろうな。

 

「あんまり似てないわ、似てるのは可愛いってところだけね」

「おぉ! 霊夢! 私可愛いって言われた! 可愛い!?」

 

 頭を習って軽く褒めると八咫烏様の目が輝く。この子のテンションが上がり過ぎるとその身に宿す神の火まで熱くなってしまって、この季節にそれは悩ましいから是非ともやめて欲しい‥‥そう考えてジト目で見るが、それが飼い主の真似にでも見えたのか、人形をぶん投げて薄汚れた格好で飛びついてきた地底の太陽。胸元の第三の目がギラギラとして、纏うマントが風を遮ってくれてこれはどうにも暑苦しいが、キラキラとした目は可愛いからもういいか、諦めよう。

 

「ちょっと、雑に放らないでってば! 危ないロボットだって言ったでしょ」

 

 宇宙柄と黒い翼、ついでに暖かな瓜二つに視界が包まれてしまい回りが全く見えない中で耳には巫女さんの声が聞こえた。ちょっと焦るような、普段では聞くこと叶わない声色でちょっとだけ面白いが、それを言った顔が見られないのが残念だ。

 ズリズリとお空の乳を楽しみつつ持ち上げ、視界を塞ぐマントも捲って見るがもう遅かったらしく、地面に落ちる前に抱きとめられたらしいお人形さんが霊夢の上に乗っかっていた。両足開いて跨って、あたしが妹妖怪に見られた時のような状態の一人と一体。あれで人形側が舐めるなり弄るなり始めればまんまあたしか、なんて人形の背中見れば確かにあった、お空との共通点。

 黄色で書かれた放射能マーク、八坂様が仰るにはハザードシンボルとか言うんだったか、確かに霊夢の言う通り、危ない代物だったな。

 

「アヤメくすぐったい!」

「どうせなら違う感想を言いなさいよお空、自信失くすわ。核人形なんて、随分なものがあったのね」

「だいぶ前にもらったのよ。忘れてたんだけど、そいつとあの穴を見てたらふと思い出したの、壊れたりしてなくてよかったわ」

 

「貰ったって、アリスか神奈子様にでも貰ったの? そんなものを作れるの‥‥が、あそこにいるのね」

「前はいたの、今もいるのか、同じ所につながってるのかなんて知らないわ……探し物は見つかったしもういいわ、ありがと」

「うにゅ!? 霊夢がお礼言った!!!」

 

 知らなかった場所に知らなかった者がいるかもしれない、それがわかって思わずそちらを見たが失敗したな。あのツンツン霊夢が、退治する側である博麗の巫女が、妖怪であるあたし達に向かってお礼を言う顔などおいそれと見られるものじゃあない。

 お空はその顔を見られたようだが、また見逃すとは、あたしとした事が笑いどころを逃すなんてなってないな。ならば仕方がない、もう一回言ってくれるように突いてみよう、幸い嘴持ちもいるし。

 

「聞き間違いかもしれないわよ、お空」

「うにゅ?」

 

「だからもういっか‥‥」

 

 言い切る前に口が止まってしまった、懐に利き手を突っ込んで針か札でも飛んできそうな雰囲気がまるわかりだからだ。これ以上言えば間違いなく飛んでくる封魔の弾幕、ちょっとかわいいところを見せてと、おねだり代わりに軽口を言っただけなのに随分な態度でやはりつれない。

 巫女に睨まれ固まる表情、橋の方で横たわるロボットと似たような、無表情な顔で止まっていると、クスリと笑う楽園の素敵な巫女。

 

「その真顔、似合わないからやめてよ」

「笑うなと言ってきたり、真面目な顔をするなと言ってみたり、どんな顔ならいいのやら」

 

「そうやって悪態ついてる顔のがなんぼかマシだわ、ねぇ、烏?」

「うにゅ?」

 

 誰かのような胡散臭い顔をするなだとか、今のような無表情をするなだとか、その都度で何かしら文句を言ってくれて悩ましい。顔を合わせる度に悪態をついているのはどちらの方なのか、言い返しておきたいところだが‥‥似合いの顔があるのだからと遠回しに褒めてもらえたし、それならばもういいか、これも諦めついでって事にしておこう。お空に諦めさせられて、霊夢にまで諦めを提供させられて、本当に悩ましいところだけれど、何も考えていなさそうな、熱かい悩む神の火娘に悩みを移されたって事にして、あたしはあたしであっちに行くか。

 そうして行ってみるかと考えた場所を望んでいると、視線を外した辺りでカチャリと鳴る音。なにかと思い振り向けば、人形抱えて蔵へと潜る巫女の背中が見えた。

 

「また奥にしまうの? 出した意味ないじゃない」

「確認したかっただけだって言ったでしょ、本当に話聞かないわね」

「うん、霊夢はそう言ってた! アヤメも忘れてたね! 私とおんなじだ!」

 

「三歩以上歩いてるからお空よりマシよ、あたしは」

「うにゅ? 三歩? 勇儀がどうしたの?」

 

「変な事だけ忘れないのね、都合のいい記憶力だわ」

 

 覚えがいいのか悪いのか、よくわからないお空をからかっていると『くっちゃべってないで、手伝うか、お茶でも淹れてよ』なんて誰かの声がする。あたしは巫女の小間使いじゃないんだが、他にする事もなしヨシとしておいて、テキトーに終らせて可愛い二人と茶でもしばくか。その為にまずはお片づけを済ませよう、転がる荷物を手にとって、お空と二人ホイホイ積んでいく。二人でやれば進みも早く、崩れる前の荷姿と同じような形で再度積み終えた。

 そうして気付く現状と、訪れるだろう今後の展開。まだ霊夢が中にいて、出てくるスキマがない状態だ。怖い巫女はまだ奥にいるらしく、気が付いていないのが幸いだけれども、これからどう逃げれば退治もされず、積み直しもせずに済むのだろうか?

 暫くの間その場で固まり、どうしたものかと思い悩んだ。



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EX その37 引かれるモノ

 妖怪神社でお片づけ、その後は巫女を謀って、烏をからかいつつの作業。

 あの後はどうすれば逃げ切れるのかを悩んでいる間に、閉じ込めてしまった紅白は己の力だけで出てきてしまって、可愛いお顔の真ん中に深い筋彫りが見えてしまった為、結局荷物の再移動となった。いそいそと動きながらも、そんな顔は似合うけど見たくない、そう思ったままに伝えるとニコリと笑って色々とあたしに放ってくる巫女さん。

 雑多なゴミは逸らして事なきを得たが、後から放られた白黒の陰陽玉、普段使いの紅白ではなく、どこぞの魔法使いに似た色合いの玉っころは、逸らしても壁や床を跳ねてスレスレを掠めていくばかり。当たりはしないからこのままでも構わないけれど、キリがないし、片付けで多少喉も乾いたように思えたし、何より戯れに飽いてしまったので、途中で逸らすのをやめ両手を広げて降参すると見せてみた‥‥が、どうにも退治しないと収まりがつかないらしく、問答無用で陰陽玉を蹴りこんでくれた。

 ちょっと遊びすぎたのか、蹴られた玉っころには真面目な封魔の力が込められているように見えて、まともに貰えば払われそうだと、正面から来た時にはどうにか避けたが……避けて跳ねた陰陽の跳弾が、蔵の暗がり利用し返ってきて、後頭部を凹ませた後で綺麗なたんこぶを作ってくれた。

 

 つんのめり顔面から地に伏せると、ケラケラとあっけらかんな笑いを響かせる人間少女。

 これで成仏でもしたら祟ってやるところだったがそうはならず。引いてくれる人があんまりいない、あたしの後ろ髪が生える辺りを凸凹にするだけに留まった。

 そうしておつむに一撃貰った後は、慣れてしまった社務所の(くりや)でちょいと一服しながら湯を沸かし、十番茶くらいの出涸らしでもと考えたのだけれど‥‥出涸らしどころか使い古しの茶葉すらなくて涸らす事すら出来なかった。大概の事には頓着しないといってもさすがに無頓着が過ぎるなと、茶葉ぐらい切らすな、なんて文句を言ったのが数刻前で、そこからはさも当然の流れのように、今のあたしは人里にいる。

 博麗神社の小間使いとして里に降り立ち、ちょっとしたお買い物をさせられて、なんとも歯痒い扱われ方だと思えるけれど 茶葉ぐらい自分で買いに行けと言い返せなかったのは、妖怪使いが荒いってのが彼女の十八番だからだろうな。

 

「苦い」

 

 十八回くらい淹れてもお茶の味はするだろうか?

 色すら出なかったりしそうだな。などと、戯言を頭の中一面に広げて、深煎りで苦味が強い、飲み慣れていない珈琲の水面に文句を含ませた昼下がり。通りを歩く里の人を眺めながら、優雅でもないコーヒーブレイクに興じていると、あたしの視界に人影が映り込む。

 

「お席、空いてます?」

 

 最近流行りの里のカフェー。

 陽だまりのテラスに備え付けてある四人がけのテーブル、その椅子にカウンターで買った茶葉や、着ずに持ち歩いているだけのコートを掛けて置き、左手の管から煙を撒き始めた頃。手にしているコーヒーカップから薄い湯気を立ち上らせていると、不意に声をかけられた。

 お昼時なら混み合っているが、今の時間はおやつの時間というよりも少し早い頃合いで混雑とは言えない、寧ろ空席が目立つというに、わざとらしく人の正面に回る誰かさん。

 頭の先から爪先まで、どこぞのお屋敷が擬人化したような真っ赤な奴。やたら目について目立つけど、こんな派手なの見慣れない。一体全体どちら様だろうか?

 

「隣は空いてるけど、正面は予約席よ」

「待ち合わせでも? 人里で妖怪の貴女が誰と会うのでしょう?」

 

「白馬の王子様って言っておくわ」

 

 待ち合わせなんてしていない。それに、あたしに会いに来るとすれば赤い太鼓のおひい様がお相手って感じだが、あいつも格好は白いし、テキトーに濁すにゃ悪くない返しだろう。

 しれっと言い切り煙草を吸うと、そんな相手を待っているなら奪ってはマズイわね、などと話に乗りつつ隣に座る赤い女。

 匂いから正真正銘の人間だって事はわかるが、本当に何処のどなたなんだろうな?

 思うだけで口にせず、動きを眺めて伺えば、注文聞きに来た店員さんにあたしと同じ物でいいと言った彼女。注文した物が届くまで、入り口のコートハンガーに掛けた赤いマントやら、店の時計やら、周囲の景色をやおら見て、何かを伺うような女。

 

「こんな店も出来ていたのね、久しぶりにこっちに来ると新しい発見があるわ」

「いつ以来なのか知らないけれど、言うほど変わってないと思うわ。この店が出来たのも少し前だった気がするし」

 

「少し前ってどれくらい?」

「さぁ、気がついたらあったから覚えてないわ。知りたいなら天狗にでも聞いて、ここの事をネタにして新聞書いてたはずだから」

 

 こちらを見てくる人間をよそに、口について出た新聞が収まる棚を眺める。

 卓を共にし、あっちからは見られているというのに、顔を合わせないまま会話を進めていく。

 初対面で失礼な気もするが、あたしが失礼なのは今更だし、この人間の雰囲気からはこうしても気にされない空気が感じられた。

 何故そう感じるのか、尋ねられたら髪型からだと答えられそうだ。色合いこそ違うけれど、長さも纏め方もどこぞの銀髪お医者様に似ているようで、あれに似ているなら頭の方も良いのだろうし、細かな事も気にしなさそうだと勝手に思い込んで対応していく。

 

 そうする中で注文の品が届いた、置かれたカップを横目で見ると靭やかな指が取っ手を摘むのが見える、あっちも午後の一時を楽しむ事にしたようだ、あたしを見る視線は逸らさぬまま、見知らぬ隣人が静かにカップを口にした。

 それでいい、席や時は共にするが付き合う気はない。

 相席相手が一人で味わい始めた頃、あたしも味わい切った煙草の葉を安い銀色の灰皿に落とすと、安っぽい金属音が鳴った。

 

「へぇ、天狗も人間の里に来るのね‥‥貴女もその天狗も、フリークスとしての自覚はないの?」

 

 カランとなったのを皮切りに再度絡んでくる人間。

 静かに頼んだ品を楽しんでいればいいのに、あたしに構ってくれるな、とは言い返さず聞きなれない単語がなんなのか、顔を眺めて聞き返してみる。

 

「ふりーくすがわからないからどうしてあげようにも、ね。フリーに楽しんではいるんだけど」

「化け物よ、化け物。妖かしだというのに昼間から人里に紛れてお茶の時間だなんて、それで問題ないのかと聞いているの」

 

 目と目が合うと持ち上げていたカップを置いて、両手の指を組む女。そのままテーブルに両肘ついてあたしに向かって問うてくるが、あたしがこの女の考えるような化け物だったならば、そうやって隙だらけの姿を晒すべきではないと思う‥‥が、まぁどうでもいいか、人間など喰ったところで好みじゃなし、あからさまに隙だらけでは襲う気も逸れるし。

 そもそも襲えばまた退治されるのだろうし。

 小突かれた後頭部を撫でつつ、なんと返答すべきか考えていると、席を立ち上がり、先に示した文々。新聞を手にして戻ってくる。そうして足を組み直して座り、バサリ一面を広げる赤女。何かを読み解く仕草も竹林の天才がカルテを眺めるような、堂に入っている所作に見えて、姿から賢いのだと語ってくれて妬ましい。

 

「お返事はもらえない?」

「あぁ、なんだったかしら」

 

 余計な事を妬んだからか、素で抜け落ちた先ほどの話。

 何を言われたんだったかな、それが伝わるように口を半開きにして待つと、すぐに察して再度問うてくる。嫋やかに微笑みながら気まで回せて、こっちもこっちで妬ましいが、この辺にしておかないとまた忘れはぐるので、思考を切り替え答えようか。

 

「出入り自由、天狗のように商売するも自由ってのがここのお約束ってやつよ。ついでに言えば里に隠れ住む妖怪もいるし、人自ら住まいに囲う妖怪もいるわ。そいつらに比べれば外で喰ったりしている分、あたしは妖怪前としているはずよ」

 

 例えに出した烏天狗達も新聞撒いては購読料をもらったりしているし、いつだか話題になっていた座敷童ちゃんもそこいらの家々で大事にされていたりするのがこの里だ。

 あの太陽のような香りを纏うお嬢さんも花屋で買い物していたりして、里の流通に一役買っているとも言えそうだし、あたしもこうして銭を落としたりしている‥‥因みにあたしのは貰ったお小遣いだ、以前は葉っぱのお金やだまくらかして儲けた銭を溜め込んでいたが、今はライブで貰ったおひねりを少しだけ分けてくれて、それを元出に遊ぶ毎日である。

 足りなくなって偶に泣きつく事もあるが、そういった日には普段以上にご奉仕したりして、それなりに頑張ったりするからそれでトントンだろう。

 

「ふぅん、なんだか曖昧なお約束ね」

「考えた奴が曖昧なんだからそうもなるわ。詳しく聞きたいなら他の誰かに聞いて、これ以上は面倒臭いわ」

 

「そう、答えも得られたし、そちらは十分に聞けたからもういいわ。聞きついでにもう少しいい? 着物の綺麗なお姉さん?」

「構わないけれど、答えられる事しか答えないわよ? 派手な人間?」

 

 それで十分だと笑う女。

 初対面だというのに気軽に話しかけてきて、あたしを妖怪だと認知しながらも態度を変えない見知らぬ人間。こうも乗せられ話してしまうのは知性的な雰囲気を見せつつも気安いからか、話しやすいからだろうか。それとも髪色が好ましい相手と同じ色合いで、振る舞いがどこぞの飼い主様に似ているからだろうか?

 よくわからないがまぁいいな、巫女さんの使いっ走りにも慣れてしまって、新たな発見がなくて暇をしていたところでもある。稀にしか来ないカフェーで偶さかにもいない人間、興味を引いてくれる相手と出会い語らうのも一興だろう。何が聞きたいのか知らんが、聞かれたら言った通りに答えよう。

 

「で、後は何が知りたいの? あまり多いとお代を頂くわ」 

「後一つだけだからサービスしてくださいな、それに知りたいというわけでもないの」

 

「失礼。聞きたい、だったわね、それで?」

「聞きたいのは私が与えたロボットに関わる事よ。大事にしまわれているようで少し嬉しかったけど、どうせなら仕事をさせてほしいところね」

 

 ふむ、こいつがそうだったか。

 今までの物言いから分かる通り、こいつが神社の穴っぽこにいるとかいう相手だったらしい。

 行こうか行かまいか悩み固まり、そうしている間に退治され、余計な事で時間をとられていると閉じてしまったあの洞穴。閉じてしまったのなら仕方がない、またそのうちに開いた時にでもと、さして気にせずにいたのだけれど、あちらの方から出てきてくれるとは手間が省けて話が早い。

 

「ロボット? あぁ、あのお人形さんか。あれって貴女があげたのね、物騒なマークが見えたけどあれって平気なの?」

「あの子の他にも核の反応を示していた者がいて、そちらで問題ないのだから大丈夫なはずよ」

 

「ならいいけどね。いつから見てたの?」

「荷が崩れたあたりから。久々にこっちと通じたかと思えば、長く感じられなかった放射能まで測定出来たものだからね。その波形と懐かしさに惹かれてしまって外に出たんだけど‥‥途中で追い切れなくなってしまったの。これってどういった原理かしら?」

 

 少し前の出来事を知るか。

 視線も気配も、匂いすら隠してこちらを観察していたと、言わないままに教えてくれる彼女。

 聞きたい事を言い切ると、指を解いてカップに手を伸ばした赤いの。

 あからさまに余裕綽々と見せつけてくれて、ただの人間だというのに大物の匂いまで発してくれる面白い手合。睨んだ通り稀にもいない人間で、中々に好ましい女だけれど……こうやって見下されっぱなしは気に食わないと、あたしの小さな天邪鬼部分が燻り始めた。

 それが空気に出ていたようで、突くように追加してくる話し相手。

 

「途中まで感知出来ていたのは間違いない、でもすぐに途切れて、いえ、一瞬だけ明後日の方向から感知したというのが腑に落ちないのよ、知りたいのはその部分よ」

 

 話しながらゴソゴソと、真っ赤なスカートのポッケを探り、なにやら機械らしき物を取り出した。手のひらサイズの小さな十字架っぽい物で、覗き見る限り何やらボタンと数字の表示があるだけの物。なにやら外で見たような、進んだ文明の様相が見て取れるが、あれをどう使うのかは知らないし、知る気もないが、流れからすれば核やら放射能やらを感知するなり測定するなり出来るのだろう。

 それをあたしの頭や肩に向けるとボタンを推した、ピピピっとランダムに鳴る機械音。それが外の世界で聞いたような耳につく音で、思わず眉根を寄せてしまう、そんな顔を見られクスリと笑われた。悪戯して笑うとは、こいつも失礼な女だ。こういう相手にはつれない態度をしておくに限る、似たような事をして他者を笑う誰かさんは、そんな態度しかされてこなかったのだから。

 

「核反応には心当たりがあるけれど、求める答えには心当たりがないわ」

「そう、ならそれでいいわ」

 

 あっさり、取り出した物やら追加した物言いやら、なにかと興味があると教えてくれた割に引き際が良すぎて気持ちが悪い。手に入らないならもういらない、あたしはそう考えるがそれは割り切れる妖怪だからこそで、匂いも雰囲気も人間、欲深くてキリがない人間のこいつがそこまで割り切れるだろうか?

 

「諦めの早い人間ね、本当は聞かなくてもよかったんじゃないの?」

 

 思案した事を問いかける。

 話してくれるかくれないか、そこまでは読みきれないがこっちもこっちで話しついでだ。付き合ってやったのだから少しはこっちにも付き合って見せろ、そう示すように右の平手を向けた。

 これで何かしら引っ掛けるネタでもあればいい皮肉だが、ふとした出会いで懐を探ってもいない相手に対してだ、態度通り手の内がなくて狸としてはちょっとやりきれない気もするが‥‥まぁいい、ただの茶飲み話だ、深入りするような事でもないだろう。

 冷めて余計に苦く感じる深煎りの珈琲を含み、渋い顔して返事を待つと、開いた手の平を見つめるお嬢さん。視線に気づいて指を少し動かしてみる、中指一本ちょちょいと折って、返事はまだかと催促してみた。

 

「ネタバラシをしろって事かしら、それ」

「ハメるネタがないって事よ、バラしてくれるなら聞いてあげるけど」

 

「教えてあげないって言ったら諦める?」

「すっぱりと、ただの世間話にそれほど執着しないわ」

 

「そうかしら? 別の貴女は気にしたみたいよ、しつこく聞いてきて面倒臭かったわ」

 

 寄越せと促してみれば余計な事まで言ってくる、長いお下げを肩に掛け、それを撫でつつ語る人間。別のあたしをしつこくて面倒臭いなどと評してくれるが、しつこいって聞く限りではまるっきりあたし本人ではないな、というかあたし自身に覚えがないのだからそれで当然なのだけれど。

 ふむ、別のあたしとは誰の事だろうな? 

 この世に自分に似ている者は三人くらいはいる、なんて話を誰から聞いたんだったか?

 覚えていないが多分霊夢か幽々子辺りだろう、何処かのスキマと見比べて胡散臭い笑顔がそっくりだとか、のっぺら坊に近い語感の事を言われた覚えがある。その時だったか、自分に似ているそれぞれが顔合わせすると死ぬとか死なないとか言っていたな。

 とすれば是非とも会ってみたいものだ、顔を合わせたところでこちらに失う物はないわけだし、恐れる事など何もない状態で別の自分と軽口を吐き会える気がする‥‥ん、この世に三人いるというのなら、本来はあの世にいるはずのあたしを含めると四人になるのか?

 別のあたしも事切れていたら更に増えるのか?

 それはまた厄介な事だな、と思考の筋が綺麗に逸れて、なんで別の自分の事なんて考えていたのかと再度悩み始める始末。頭も肩も、火を入れず咥えているだけの煙管までいつの間にか傾けていたようで‥‥上がっていた煙管の先を指で弾かれ、脳内世界からこちらの世界に戻される。

 

「やっぱり聞きたい? 思い悩んでいたようだし」

「考えてはいたけれど、多分貴女の思うモノとは別の考え事よ」

 

「別の自分の事を考えていたんじゃないの?」

「ちょっと違うわね。そっちはどうでもいいわ、聞いたところでどうなるわけでもなし」

 

 弾かれた煙管をピコピコ上下させつつ言い切ってみせる、すると何やら楽しげに笑われた。興味が無いとつれない素振りを見せたのに嬉々とした顔で笑うとか、よくわからない人間だ。

 こいつはあれなのか、こうやってつれなかったりそっぽを向かれたりした方が好ましい手合なんだろうか。そうだとしたらそういった弄り方をしてあげるのが良いと思えるが、素直に聞くのもどうだろうな、いくら失礼なあたしといえど不躾ではないし……

 

「興味が無いか。顔には知りたいって書いてあるわよ?」

「書いてあるのは聞きたいって文字だと思うわ、言った通り知る気はないもの。訂正するなら書いてあるのもさっきとは別の内容よ、全身赤いし、そういう風にされたいと思っていたりする?」

 

「話が逸れてばかりに思えるけど、いきなり何の話?」

「さっきの話よ、これでも本筋から逸れてない質問なんだけど?」

 

 自分で言いながらわからなくなってきた、さっきとはどれの事だったか?

 相も変わらず逸れる思考でこういう時に結構困るが、これが性分で持ち味なのだし、気にしたところでこれも今更ってやつだろう。まぁいいさ、あたしがわからないなら相手に察していただこう、あの医者に似ている人間だ、それなら勝手に推測か考察でもして話してくれるはずだ。

 

「はぐらかされてはいそうだけどね、逸れていないというなら答えましょうか」

「何もはぐらかしてはいないんだけど、聞かせてくれるなら聞いてあげるわ」

 

「別の貴女とはそのままの意味よ、別の世界にいる貴女の事を指しているの」

 

 語り口調で指差す女、悪戯に先っぽを回す人差し指が示すのは、当然正面に座るあたし。

 別のあたしの話をしながら今この場にいるあたしを指す、中々気の利いた仕草で好ましく、言い草も遠回しな気がして、面倒な言いっぷりまでも可笑しなモノに思えてきた。先程は興味ないと言い切ったが折角惹いてくれたのだし、話を振られて振るのは野暮だ、ここは少し聞いてみようか。

 

「別の世界、ね。外や冥界辺りを指しているって事ではないのよね?」

「そういった『別』ではないわ、平行して進む世界って言い換えれば伝わる?」

 

「言いたい事は伝わるけれど、だから何というのが正直なところね」

「もう少し驚いてもいいでしょうに、興味を惹けないと本当に飽きっぽいわね、その部分はあっちの貴女と共通しているように思えるわ」

 

 別の世界線にいるらしいあたしも飽きっぽいのは変わりないか。あっちでも自分を見失わずにいるようでそこはなによりだけれど、人間相手に驚けとはまた無理を言ってくれる。あたしは人間を化かし驚かす側の者だ、それが驚かされていては商売上がったりで困ってしまう。

 それに、言われると逆の事をしたくなるのがあたしの性だ、どこぞの二枚舌ではないがそれが性分なのだから致し方無いだろう‥‥と思う部分もあるけれど、こいつの話はそれなりに面白く、驚くほどではないが意外性はあった。そこに免じて今日はやめておく事とした、そろそろ神社に戻らんと、襲ってもいないのに退治されそうだってのもあるわけだしね。

 

「言ったでしょ、聞くだけだって。語り損にしてしまって申し訳ないけど、知れたところで意味がないからもういいわ」

 

 こいつが聞かせたい事とやらは聞いてやった事として、話はこれでまるっと終わり、それがわかるように荷物を手に取り席も立つ。何やら仕草を見られているがこれ以上言うことも時間もないし、相手にはせず、テーブルの端に置かれた伝票に手を伸ばすが‥‥

 

「良ければ私が持つわ」

 

 あたしが手にするよりも先に取られ、ピラピラと揺らしながら奢ってくれると言う女。

 ただの相席相手で名も知らぬ輩だ、勘定を持ってもらういわれがなくて、素直に怪しく思える‥‥から、聞こう。さっきの話の代わりじゃないが、こっちの理由くらいは知っておいてもいいだろう。

 

「奢ってくれるのはありがたいけど、裏がありそうで怖いわね」

「何もないわよ、これはちょっとしたお礼代わりって感じ」

 

「礼を言われる筋合いもないんだけど、そうしてくれる理由は知りたいわね」

「こっちは知りたいのね、些細な事よ。収穫があったってだけ。同一の存在に同じ質問をして、別の答えが返ってくる可能性もあると知れた、それだけでも十分な収穫って事」

 

 不意に出た知りたいって言葉、流れから口をついて出ただけだったけれど、それを先の質問に引っ掛けて揚げ足でも取ったように言ってくる。まだ若さの強い人間相手に揚げ足を取られるなど口惜しいが、惜しまなかったから揚げられたのだな、それならそれで気にせんでおこう。

 しかしなんだ、知りたいかと問われいらんと返したつもりだったが、その返答だけで十分だったって事か。振る舞ってくれるなんて気前の良さに続いて、つれない返事を収穫だと言うとは、羽振りが良いのか謙虚なのかわからなくて悩ましいが、その悩みは忘れよう。ここで突っ込んで聞けば答えてくれそうだけど、そうしていては本格的に時間がかかり、そうなれば頭の凸凹が増やされるはずだもの。

 

「得たモノがなんなのかよくわからないし、それが収穫と呼べるのか知らないけど、貴女がそれでいいならいいわ。ともかくご馳走様、こっちのあたしとも縁があ‥‥」

「あ、ちょっと待って。これ、あげる」

 

 またねと別れを言い切る前に寄越される紙ッペら。

 伝票とはまた違ったモノに見えるが、流し読みする限りチラシのような物か。

 

――いにしえの遺跡♡――

――夢幻遺跡、繋がった時に開店。

――この遺跡に訪れた方には、あなたをしあわせにする何かをプレゼントします。

――皆さんのご来店を心よりお待ちしております。

 

 書かれているのはそんな内容。

 これを寄越して何だというのか?

 来いって事か?

 会ってみたいと考えた相手とは会って話して絡めたし、貰ったところで今更だ。なんて思いを表情に浮かばせちらりと女の顔を眺める、完全にやる気のない表情を見せるとあげたものだから隙にしてと、こちらの思いを読み取ってくれた。

 そう言われると急に捨てたくなくなるのが天邪鬼ってやつだ、そう感じる心の通りスカートのポッケに大事に仕舞いこんだ。幸せを寄越してくれるらしいが、あたしはこんな風に好きにしているだけで十二分に幸せだ‥‥と言ってもいいが、この言葉は飲み込んだ。

 見知らぬ誰かからのプレゼント、折角の贈り物にケチを付けるのも野暮なものだし、貰えるものは貰っておくとして、中断されたご挨拶を再度してから失せるとするかね。

 

「もうない? あってもいらないけど。また袖振り合う事でもあれば、その時に話しましょ。じゃあね」

 

 これ以上はいらない。そう言い切りつつ、縁あればって心を含ませて、お別れの挨拶を告げる。

 置いていた荷物を摘み、コートのフードに手をかけたあたりで、また、と、後ろ髪を引かれる事を向こうからも言ってくれるが、それには返答せずに上着を肩から掛けて去る。

 テラスから離れ、赤い女が小さく見えるかなという頃にふと振り向いてみたが、あたしが座っていた近辺には、変わらず赤いのと、ソレと話す白いお嬢さんがいた。自前らしい折りたたみ式の椅子に座り、やんやと赤いのに話す少女。雰囲気から叱っているような風合いだが、言われる方は気にしていなさそうで、寧ろやっと来たのかというような空気に思える。

 ふむ、どうやら白のお姫様を待っていたのはあたしではなくてあっちだったようだ。

 人に待ち合わせか聞いておいて、その実あっちが待ち合わせだったとは、なんだか化かされているような感覚を覚え、ほんの少しだけ悔しい気がする……けれど、すぐに思い直し、気にしない事とした。赤の他人を妬んでも致し方ないし、楽しげに話す二人を僻んでも、何処かの誰かさんのようにあたしの糧と出来るわけでもないのだから。

 

 キャイキャイと聞こえそうな景色から目を逸らし、背に掛かる髪を靡かせて博麗神社に向かって飛ぶ。そう遅くはなっていない、だから退治はされない、なんて思案しながら。

 ついでに、備え付けの椅子に座らず、持ち込んだパイプ椅子に何故座るのかを考えながら。



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EX その38 キヘンの頃を愛でる

 春夏秋冬、そのうちの三番目。

 秋深き、隣は何をする人ぞ、という詠に習えば、隣人の動きが気になり始めてもいいかなと思えるようになってきた幻想郷。椿によく似た山茶花や柊辺りはその枝ぶりに小さな蕾を見せ始め、榎も(ひさぎ)も夏の緑から黄色へと衣替えをしようかなという頃合い。

 その小さな四季の移り変わりをいつもの様に楽しむあたし、毎度毎回タイミングよくお花見だの、今日のような紅葉狩りだのに出くわせて、考えも都合がいいなら訪れる場所でも都合がいいな、とあたしの動きを知る者に言われそうなくらいだと思えるが、これにはそれなりの理由ってのもあったりする、言えばなんて事はない、蟲の知らせを聞いているだけだがね。

 これ自体はただの故事成語だが、幻想郷ではこれがサービスとして運営されており、あたしはそれを不定期で利用している。何故不定期か、そう聞かれたら相手が蟲だからと言っておこう。どうあがいても冬は動けないし、あたし自身も飽きっぽければ運営する蛍の少女も飽きっぽくて、毎日運営されてたり唐突に休止されたりする事もあって、それ故の不定期利用となっている。知らせをお届けする者が知らせなく休むとか、商売としてやる気がなさそうに思える辺りもあたしは気に入っていたりする。 

 

 そんな葉を食む蟲達から段々と秋めいてきたと知らせを受け、生命力を感じる緑の景色から、今年の終焉を迎え始めた朱や橙混じりの山木を眺めようと、今日は午前中から妖怪のお山にお邪魔している。邪魔とはいっても右を見ては立ち止まり、左を見ては立ち止っているだけだから、さして邪魔げにはなっていないと思うが。

 ゆるゆると歩き動いてはいるものの、大して前には進んでいないあたし達。

 口について出たので語っておくが、隣を歩く御方も何をするでもなく一緒に歩いているだけで、なんともおおらかな時間が流れて好ましい。目に彩を与えてくれる木々、妖怪のお山名物の紅葉をやることもないからと見物しに来たところで見つけたお隣さん。お姉様がせっせと絵の具を作る季節となり、ご自身は定例の収穫祈願を済ませて、後は稔りを授ければお仕事はオシマイという頃合いで、ご自身の季節が来たというに何故か暇する秋の神様。いや、準備期間が過ぎ去って後は収穫だけとなったのだから暇にもなるか、この御方は秋本番になる前の方が忙しい御方なのだし。

 並んで歩く季節の神様と少し早い紅葉狩りに洒落こんでいる現状が非常に心地よく、ただ歩を進めているだけというのに、自分でもわかるくらい柔らかい顔をしていると、木々からあたしに見るものを代えて何かを仰る豊穣神。

 

「さっきから楽しそうね」

「楽しいわ、目にも鼻にも好ましいモノが届くんだから」

 

 少し歩いて立ち止まり、そうしてからのちょっとの会話。

 出会って一緒に過ごし始めてからずっとこんな感じだ、足を動かせばついてきて、あたしが止まれば一緒に止まる。それから楽しそうだとか、珍しく静かだとか取り留めもない事を仰って下さる妹様。一言二言話しては無言になるってのがさっきまでの流れだったが、鼻にもなんて言ったものだから今度は少し長話となりそうだ。何やら嬉しそうな顔をしてお言葉を掛けて下さる、このお山の一柱、秋穣子様。

 

「鼻にも?」

「そうよ。目には彩りを、鼻には美味しそうな匂いを。穣子様のお陰で秋満喫中だわ」

 

 大袈裟に鼻を鳴らして少し顔を寄せる、姉の静葉様に比べれば頭半分小さな背、あたしと比べても同じくらいに低い頭に鼻を寄せて髪を嗅ぐ。上目遣いで見られつつ、そのお召し物に描かれる実った稲穂に似た髪色を嗅ぐと、掘りたてのお芋さんを蒸かしたような甘く芳醇な匂いがして、二つ名の通り、甘い匂いのする神様だと感じる。

 そうして秋の匂いを楽しんでいると、さすがに長く楽しみすぎたのか、あたしの鼻先に人差し指を押し付けて笑ってくれる。

 

「いい匂いだって言ってくれるのは嬉しいんだけど、近い近い」

「いいじゃない、減るもんでも枯れ落ちるもんでもないんだから」

 

「そうだけど、また誤解されても知らないからね」

 

 誤解と言われ思わず止まってしまった、この誤解というのもなんちゃない。少し前にカフェーでサボっていた姿をこのお山に住む天狗に撮られ、記事にされた事から始まったちょっとした思い違いというやつで、あのマッチポンプ記者が赤髪なら誰でもいいだとか、付喪神の次は見知らぬ人間が相手だとか余計な事を書いてくれたものだから‥‥あたしは今日朝から一人だったのだ。

 特に触れ合ったりせず珈琲と会話を楽しんでいただけのはずなのに、取られた写真はあたしとあの赤い他人が伝票手と手を取り合っているように見える写真まで新聞に載せられてしまった。

 実際には伝票を取ろうとしたあたしと、先にソレを取ったあの人間って絵面だったのだけれど、新聞の二面に映るあたし達は何やら仲よさげに手を触れ合わせる瞬間となっていて、角度によってはこう映るのかと思わず関心までさせられてしまった。

 

「既に遅いしもういいわ」

「いいの? また出て行っちゃうかもしれないよ?」

 

「そうしたらまた恋しいのって泣きつくわ。それに、どうせ怒られるなら一で怒られるのも十で怒られるのも一緒よ」

「怒りの度合いが変わるでしょ」

 

「それは雷鼓の方でしょ? あたしは変わらないわ、ごめんなさいは一回のほうが手っ取り早いから、これでいいの」

 

 人様の色恋沙汰なんて甘い話題に乗って心配までしてくれるなんて、さすがに甘い匂いを身に纏う神様だ、それでもその心配は杞憂に終わるから安心してもらいたい。というのも実際怒られたり出て行かれたりはしていない、寧ろこっちが気にするくらいになんとも思われなくて拍子抜けというか、不安というか、そんな気にまでさせられていた。

 

「ふぅん、余裕ねぇ。実って熟したら後は落ちるだけなのに、落ちないと自信たっぷりなのはなんでよ?」

「本気で浮気するならバレないようにするでしょ? なんて言われたら開き直ることも出来るでしょ?」

 

「あぁそういう、変な信頼のされ方をしてるのね」

「変とは言わずらしいと言ってほしいわ。それよりいいの、あたしと遊んでて。静葉様のお手伝いとかしないの?」

 

「いいの。私は私の仕事をしたし、お姉ちゃんも自分の仕事は自分でするの、それに今は山にいないから手伝いようもないの」

 

 そう言う割には楽しげというより侘しげな笑顔の穣子だけれど、その表情の後ろにはどんな思いが隠れているのだろうか。こういった寂しさなどはお姉様が司るものだったと記憶しているが、さすがに姉妹だけあって妹君の方も物憂げな表情というのが存外似合う。

 

「だから近いって」

「切ない表情が似合いだからつい、ね」

 

「そんな顔してた?」

「してたんじゃなくてしてるのよ、気になる事がありますって顔に書いてるんだもの」

 

「そう? まぁ気にしてる事がないわけでもないけど、毎年の事だから気にしても仕方ないの」

「毎年の事って、静葉様の事なんだろうけど‥‥毎年心配するくらいなら原因を断ったらいいんじゃないの?」

 

「それも出来ないから困るって感じなの」

 

 言い切ると最後に漏れた短い笑い声、顔色自体は物悲しいような風合いだけれど聞き取れたフフって声色からは、心配だなって感覚よりも仕様がないなぁといった様子が読み取れた。顔と声が一致しなくてなんだか難しいご尊顔を見せて下さるが、こういった小難しくて他愛もないモノは非常に好ましい難題だ。

 姉を気にする妹の心情、それが気になるところなのだからそこについて少し考えてみようかね‥‥なんて風に穣子様の顔をメガネのレンズに映し込む、すると思案する前に問いかけられてしまった。

 

「アヤメってお姉ちゃんと仲良しよね?」

「静葉様がどう見て下さっているかは知らないけど、あたしはお慕いしてるわよ?」

 

「じゃあさ、聞いてる? お姉ちゃんの絵の具の話」

「絵の具って、葉を染めるあの絵の具?」

 

 問うてきた顔から周囲に視線を流す、見るのは自分達の力で色づき始めた山の色。

 夏場の色から薄っすらと秋の色合いに染まり始めた葉や草花を眺め、後は静葉様が最後の仕上げと称して顔料を塗りたくり、お山の紅葉らしい斑模様を指し入れれば完成といえそうな山の一枚絵を見つめる。

 そうしていると続く神託。

 

「あれの赤色の元ってなんだか聞いてない?」

「虫だって聞いてるわ。リグルちゃん達のお陰で今年も綺麗に染まったわ、なんて事をいつだか仰っていた気がするし」

 

 人里で子供ら相手の花札勝負をしたいつかの日、読み通りにあたしが綺麗に負けて面倒なおやつ作りに興じながらのお話、だったと思う。カフェーで流行りのホットケーキを作りつつ話していたのがこれだったはずだ、食紅でケーキに顔を書き出した子供を眺め『あれが虫だと知ったらどう感じるんだろうね』と、同席していたリグルの触覚を指で弾きながら仰っていたのを覚えている。

 けれど、穣子様の言うものはまた別のようで、紅色を差し始めた紅葉(もみじ)や楓を指差して、また別の顔料が悩みの種だと教えてくれた。

 

「それも赤なんだけど、朱色の方がね。鉛丹(えんたん)なんて使うから冬に入る前はいつもお腹が痛いって寝こむの」

「へぇ、赤にも色々あるなとは思ってたけれど、鉛丹なんてのも使ってたのね」

 

 溜息ついて何を仰ってくれるのかと思えば、結構危ない物を使ってたんだな秋神様ってば。

 光明丹なんて言われ方もするが、実際は名の通り、鉛の成分を多く含んだ赤っぽい石っころが原料で、あんまり多く取り込み過ぎると人間なら身体のあちこちを壊すような物だ。

 それでも上手に使えば便利で綺麗な物で、大昔、竹林の若白髪がまだ黒髪だった時代には人の住まいの塗料だったりしていたはず、ついでに言えば博麗神社の明神鳥居はまだこれで塗っていた気がする。危ないとわかっているものだが、あの神社の蔵にはもっと危ないのが寝ていたし、裏手には有毒ガスが沸き立つ場所もあるし、そこから引き算して考えれば鉛程度そう怖くはないか。

 

「毎年お腹抑えて青い顔するからさ、看病するのも大変なの」

 

 頭の中を別の考え事一色に染めていると、ご自分の腹を両手で抑え嫋やかに笑う穣子様。

 人里で姿を見る場合は大概テンションが上がりきっていてもっとはっちゃけている事ばかりだが、仕事を終え、役割を努め終えた後はこのようにお淑やかな女性らしさを見せて下さる。お姉様よりも豊満な身体を小さく曲げて、両手でお腹を支える仕草。その格好がなんだか可愛らしくて、信仰すべき相手だというのに()い人だと思えるのはきっと妹だからなのだろう。

 なんだかんだと喧嘩する事もある姉妹だが、どちらも大事に思っているような感覚。何処の姉妹を見ても感じるが、こういった姉妹愛というか家族愛というのは悪くない気がする‥‥から、ちょっと口出ししてみるか。

 

「ならやめさせたらいいんじゃないの」

「言って聞くわけないじゃない、楽しみにしてる人がいるの! って言われておしまいよ、楽しんでるアヤメに言われる事じゃないわ」

 

「それもそうね、染めては蹴り散らしていく静葉様を見るのが毎年の楽しみだし」

「そうやって期待するから中毒になるまで頑張っちゃうのよ、それがいいところなんだけどね」

 

 仲も良いが喧嘩も多い秋の姉妹、互いに理解しているから言う事も多く言えないことも多くあるのだろう。だからと言ってあたしからやめろと言うつもりも枯れ枝の葉程もない、言ってしまって万一取り止めとなってしまったならば毎年の楽しみが減ってしまう。それは非常につまらないし、静葉様をからかうネタまでなくなってしまって輪を掛けてつまらない事になる。

 ならば別の事、腹痛の方をどうにかしたらいいんじゃないのか、と見つめる先に映った物から思いつく。

 

「じゃあアレでも煎じて飲ませれば? 腹痛なら効くでしょ、多分」

 

 染まり始めた木々の中、その内の柏のような葉をつける木を煙管で指して話してみると、そんなのがあったなと思い出したように頷く妹神。

 

赤芽柏(あかめがしわ)かぁ、煎じて飲むんだったっけ?」

「確かそうよ、人間みたいに腹痛起こすんだから、こっちも人間みたいに効くでしょ、きっと」

 

「きっとに多分って、慕う神様に対して雑じゃない?」

「お体を案じている事に違いはないわよ?」

 

「そうだけどさぁ、もうちょっと仰々しく言うとかさぁ」

 

 ニヘラと笑って話していくと、口ぶりがなっていないという神のお裁きを鎖骨辺りに言い渡される。言われついでにペシンと、いつかのお姉様みたいに身体を叩いてくれるけども、こんなのがあたしなわけで、それを窘められても改めるつもりも改められる気もしない。

 それに、静葉様も別段気にしないだろうし、他の神様、厄神や神社におわす二柱も対して気にされる素振りはない。というか穣子様も普段であれば気にしないような言いっぷりのはずだが、姉の身体を気にするなんてちょっと真面目な話だから叩かれたのかね。

 ならばいいだろう、なっていないというのならそこだけ直して言い直そうか、そういった物言いはあたしの好むところだ‥‥本気で言い返すのなら祝詞の一つでも奏上仕るのが筋だろうけど、生憎とうろ覚えだったあれは綺麗さっぱりと忘れてしまった、だからいいな、テキトーに恭しく(うそぶ)こう。近くに垂れる赤芽柏の葉っぱをもぎり、ちょいと差し出しつつスラスラのたまう事とした。

 

「愛し、慕ってやまない秋の一柱、その大前に立ち祈りたもう。貴女様の分身(わけみ)で在らせられまする秋神様の御身が気に掛かり食事も喉を通りませぬ、このままでは日々を生きるのが辛うございます‥‥どうかこの懇請(こんせい)を聞き届けてはくれませぬか? 何卒何卒我が悲願の為に、この情願(じょうがん)聞き入れたもう事あれかし」

 

 頭に乗せた葡萄の飾りが傾いている穣子様に、同じく頭を傾けて煙管を口に宛てがいながら語る。態度が普段通りの失礼なモノなら、表情の方もいつも使いの眠そうな顔で、仰々しく且つ恭しく言い切る。

 口ぶりがなってないと言われたのだからこれで正解だろう、そうわかるように胸を張り、穣子様からのお返事を待って見せるが‥‥返ってきたのは色好い返事ではなく、口から漏れる透明な吐息。それでも捧げ物を手に取ってくれる辺り、話自体は聞いてくれたらしい。

 

「あのさ、そういう事じゃあ‥‥」

「なによ、言い草が気に入らないって言うから頭を捻ったのに」

 

「捻り過ぎよ、心配してますって一言だけでいいの」

 

 捻り過ぎ、その一言を発して笑うだけの穣子様。

 言ったあたしとしては生きてないだろうだとか、結局は自分の為のお願いじゃないのかだとか、そういったツッコミに期待しての長台詞だったわけだけれど、その辺りには一切触れずに頬を緩める御姿を見せて下さるだけで終わる。

 拍子抜けとも言える空気がその笑顔から感じられるが、まぁいいか、伝わったのならそれで良しとしよう。そう頷くと、あたしの思考と被せるように、穣子様からもまぁいいかなんてお言葉が聞かれた。 

 

「ま、いっかな。少ない信者の一人だし。お姉ちゃんには言っておくから、今年も期待して待ってたらいいわ」

「いいの? 痛みに耐える静葉様を見るのが辛いんじゃないの?」

 

「辛いって言ってもあれよ、ちょっと食べ過ぎた時と同じくらいのものだもん。目くじら立てて止めるような状態じゃないの」

「なんだ、あたしはてっきりうなされたりするのかと思ったわ」

 

 なるほど、その程度だから困り顔で笑うくらいだったのか、それもそうか。元より人外どころか自然を司る神様なのだから、自然物である鉛の毒程度でどうにかなるものでもなかったな、心配して損をした。ちょっとだけ真面目に、長台詞を考えるくらいには真面目に心配したのだけれど要らぬ心配だったようだ。

 

「それもあるわよ? 季節柄ね。今時期はまだ早いけどもっと深まれば美味しいモノがもっと増えるわ、そうなると別の理由でうなされる日が出来たりもするの」

「ふむ、秋を司る神様が食い過ぎて腹痛起こす、か、悪くない冗談だわ」

 

 不意に言われた好ましい冗談、思わず微笑んでしまう。すると同じく笑んでくれた秋神様、笑われるのは嫌いなあたしだけれど今のような感覚で笑われるのは悪くない。

 こういった感情というか考え方も誤解の一つと言えるのだろうか?

 そんな小さな悩みを含み、ついでに煙管に火を入れた。煙と共に吐き出してしまうといった意味合いはなく、単純にニコチン中毒者として正しい姿を取っただけなのだけれど、話していた内容から口さみしいとでも映ったのか、珍しく誘ってくれる豊穣神。 

 

「そういえば暇?」

「聞かなきゃわからない?」

 

「そうよね、それならこのまま来なさいな、偶にはご馳走してあげるよ?」

「あら珍しい、恵みをくれても振る舞ってくれるなんてないのに」

 

「そろそろ昼餉だし、お姉ちゃんに食べさせないとならないからね」

「それが誘う理由なの?」

 

「そうよ、今時期のお姉ちゃんって人の話を聞かないで、篭って顔料ゴリゴリしてるの。一人でどうにかしようとすると手間が掛かるの」

 

 手渡した葉をひらひらとさせ明るく笑う、稲田に実りを授ける神様。

 つまりは厄介な姉に飯を食わせるのを手伝え、そのついでにあたしも食べて行けって事かい、姉に向かって手間が掛かるとか言うのはどうかと思うがそこは聞かなかった事にしよう。なんたって穣子様が何か食わせてくれるというのだ、美味しそうな匂いを纏う御方の飯が不味いはずがない、先の食い過ぎって話からも期待できるし。ここは美味い話に乗りつつ、ついでに矛盾している部分を突いておこう。

 

「さっきはお山にいないって仰ってなかった?」

「手間が掛かるって言ったでしょ? 探すところから手伝ってって事よ、どうせ暇してるんだからいいでしょ?」

 

「構わないけど、あんまり使うと高くつくわよ?」

 

 お手伝いはやぶさかじゃない、お慕いする秋神様からの託宣なのだ、断る理由などはないし、楽しみにできるご飯まで食わせてくれるというのだから素直にお手伝いをしてもいいけれど‥‥というかそうするつもりだったのに思わず出た減らず口。

 神様相手に恩を売るつもりなどなかったというに、どうせと言われて自然と口から出てしまった買い言葉。自然の神様相手に自然に吐けるくらい達者な自分の口が少しばかり煩わしい、が、楸を手にした神様だ、なら相手は物売りの販女(ひさぎめ)だったと見ておく事として忘れよう。

 そう考えると急に近しく思えて、足も自然に動いていく。ふらりと側に寄り添って後ろから肩に手を掛ける。素敵な香りを嗅げる距離まで寄ってみせると、両方の意味で再度の売り言葉を並べてくれる秋の販女様。 

 

「そうやってまた。亡霊になったのに神様相手に(たか)るの?」

 

「そりゃ集るわよ、霊なんだもの、取り憑く相手がいるなら集るわ。でもそうね、探し人なら人手が多い方がいいし、本来の取り憑き先も呼ぶ? あれも閑古鳥を鳴らしてるわ」

「鳥じゃなくてドラムの妖怪じゃなかった? 呼んでもいいけど、アヤメの取り分減っちゃうよ? まだ秋本番には早いからそんなに材料もないし。取り敢えず行きましょ、お姉ちゃん昨日の夕餉から抜いててさ、そろそろ何か食べさせないと本番前に倒れるわ」

 

 取り分が減るのは困る、なら内緒にしておこうと一人考えていると、先に歩き始めて行くわよと、振り向く穣子様。その後を追い掛けて、道すがら手渡した葉の大きめの物を摘んでいく。神様から振るわれるご飯だというのなら御菜葉(ごさいば)菜盛葉(さいもりば)が必要になるかな、なんて思い付きと、使わなかったら煎じて飲めばいいなという小さな企み事。

 悪い事ではないから企み事ではないのかな、と思う心や、神様のくせに一食抜いただけで倒れるのか、なんて悪態を楸の葉に隠すように、摘んでは顔の前にかざしたり、片目を隠してみたりしながら甘いお芋の匂いに続いた。



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EX その39 過去の清算

 夜も更けて静かな竹林、静かな我が家。

 少しのお酒を交えつつ夕餉も済ませ湯浴みも済ませて、濡れ髪を少し乾かす程度に時間を潰せば後は眠るのみ、そんなわけで先に布団に入っている赤髪の横に潜り込む。少し前までは暑苦しい熱帯夜が続いて向こうからあたしの方に来たのに、すっかりと過ごしやすい気候となったせいで、今では一人でおやすみなさいをする雷鼓さん。

 涼を取る必要がなくなったからひっつかなくても良くなった、そう考えればそれで当然なのだけれど、あたしからすればこうなんだ、必要ではなくなったと言われたようで思いの外侘しい。そういった心持ちを温めるように、先に布団を上下させた相手の懐に潜り込む。

 一度寝たら起きない付喪神、いつだったか地を揺らして起こそうとしてきた天人様の時もそうだったなと、一定のリズムで膨らんだり縮んだりする胸元に、狸の姿で潜り込んでいく。

 何度か語っている通りあたしの寝相はよろしくない、布団の中で必ず丸くなる、暑くても寒くても尻尾を抱えて丸くなるってのがあたしの寝相で、それは妖怪になる前から変わらない事。二本足で立つ前から続く癖など直せようもなくて、情事の後やただ一緒に寝るだけって場合はこうして四足の姿に戻っている。

 こちらは抱かれ、暖かで心地よく、あちらからすればもふもふを抱きまくらにするのは存外心地がいいらしい。アチラも立ってこちらも立つ、互いに利害が一致してあちらもこちらも立つこの寝方が今のところの最善と考えている。

 立つものがないといえば、あっちの方はどうなのかと問われそうだが、そこはまぁ察して欲しい……少しだけヒントを伝えるとすれば、あたしは変化が得意な種族で、立派な尻尾を生やしている妖怪さんだ、そして慕ってやまない姉さんも同じ種族、ついでに団三郎狢なんて男らしい別名があったりするくらいだ。

 と、その辺からテキトーに邪推してくれて構わない。

 

 そんな邪な思いを今日も胸に秘め、雷鼓の胸元で丸くなる。

 暖かな吐息が毛並みにかかり、温もりのある太鼓の体温が微温いあたしの体を温めてくれる。床で騒いで暖まるのもいいがこうして静かに温だまるのも好ましく、うつらうつらとし始めた辺り‥‥ガラッと開けられる我が家の玄関。

 

「アヤメ、おるかの? 邪魔す‥‥なんじゃ、もう寝とるんか」

 

 あっけらかんと開けられたと同時に話すどこぞの御方。

 今し方夢の世界に船出し始めたばかりのあたしの耳に届いたお声。

 立て付けの悪い玄関扉から鳴るギコギコ音が、あたしが乗る手漕ぎ船の()の音に聞こえ、なるほど、ちょっと例えに使ったからこれはきっと夢で、あたしは既に眠りの中だなと、立てた耳を再度寝かせ、ついでに思考もまどろみの中へ‥‥落としきる前にカタンとなるのは我が家の茶卓。

 なんだ、夢じゃなかったか、って寝ている場合ではないな。

 心地良い乳枕からモゾモゾと這い出るように、温い布団から鼻先を出していくと笑われた。

 

「お、起きとったな。そっちの姿を見るのもひさしいのぅ」

「最近はこの姿も多いわ、いらっしゃい姉さん」

 

 小粋な和服に身を包み、卓について片膝立ちしている、人間姿の愛しい御方。

 あたしより少し短い煙管を咥え、首には縞柄の細いマフラーっぽいのを巻いた御姿に、あたしの縞柄を振ってのご挨拶。

 ひょろりと布団を抜けし出て、床に沿わせている方の足に頭を乗せれば撫でられる。

 またこいつはって顔をしながら額やら喉のあたりやらをコショコショとされ、思わず目を細めるとそのまま持ち上げられて膝の上へ。

 なんだろうか、また気まぐれで愛でに来てくれたのだろうか?

 だとしたらいいぞ、いつまででも付き合う所存だ。

 撫でくり回されホクホク顔、獣の姿だからそれほど表情は変わらないが、姉さんの腰に向かって尻尾をペシコラ当てている事で上機嫌だってのは伝わるだろう。そうして無意識に触れていた紙っぺら、商売で使っていた帳簿に尾先が触れると語る親分。

 

「さぁて、うぉーみんぐあっぷはこのくらいでええかの。今日はちょっと話があっての、足を運んでみたんじゃが」

 

 揺れた帳簿に片手を添えて、空いている片手であたしを降ろすお姉様。

 こちらとしてはまだ足りないような気もする、素直に甘えられる唯一のお人なのだしもうちょっとだけ甘い顔を見せてくれてもいいと思うのだけれど、そんな思考は素直に漏れて小さな口から駄々漏れになった。 

 

「もう終わり? 偶に来たのだからもうちょっと構ってくれても‥‥」

「ええな?」

「はい、十分堪能しました」

 

 もうちょっと甘やかせ、そう願って突いてみたが出てきたのは蛇どころか蟒蛇だった。

 穏やかに笑んでくれていたのに、茶卓の後ろに置いてある火鉢で煙管を一叩きしてあたしの〆を打たれてしまった。裏手側に振り向いて、顔は見せずに後頭部で語る二ツ岩の御大将。さすがにこれくらいで怒るほど小さな器の方ではないが、空気から自然と敬語で返してしまった。

 あたしの口調が改まるとちらりと横顔だけを見せてくれて、態度の方もどうにかしろと目で語る怖い姉御役。こうなってはもう茶化せない、帳簿に触れて今のような状態になったわけだし、これ以上の余計な怒りを買う前にささっと態度もらしくしよう。

 対面には座らず、壁で揺れている緋襦袢の下で姿を戻す。ポフンと多めに変化の煙を撒いてから見えない内に袖を通した、この雰囲気であられもない姿など見せられるわけがない。

 

「ふむ、そういった気を回せるようにはなったか、善き哉善き哉」

「さすがにね、真面目な話をされそうな空気で裸体を晒すのはどうかと思ったのよ」

 

「察しがええのう、なら本題に入ろうか?」

「その前に、ね」

 

 羽織っただけで前は開いている、だもんであたしも背中で語り、帯紐だけで軽く結った。そうしてやっとこ振り向いたが、卓には着かずにちょいと水場へ。

 姿を戻してすぐに話を切り出す辺りに早く話し始めたいって考えも見えるけれど、そこは透けて見えただけとしておいて、まずは敬愛なるお客人にお茶の一杯でもと火を起こす。動きから察してくれたのか、何も言わずに再度一服し始め、筒先を僅かに上下させる姉さん。

 あたしに察しがいいと言いつつも自分も察しが良くて、ついでに儂は一服するからお前もどうかと見せてくれる、変化だけではなく気の回し方まで上手に見えて妬ましい。なんて嫉妬心を煙管の先に灯して、煙とともに吐き出した。

 そうしている間に湯も湧いて、湯のみとお猪口を持ってお茶を点てた、言っても普通に淹れただけだが。

 

「気が利くのぅ、ほれ、おぬしの分じゃと」

 

 卓に戻って粗茶を置くと、首の縞柄がニョロリと動いた。

 なんとなく生きていそうだなと思ってそいつの分も淹れてみたがやっぱり生きてたか、首から腕を伝って降りて、とぐろを巻いて頭を下げた爬虫類。随分と低姿勢に見える輩だけれどそうされるような事なんてあっただろうか?

 考えながらお茶を啜り、湯のみを置くと始まる話。

 

「のぅアヤメよ、覚えはないか?」

「ないわ、綺麗さっぱり」

 

「じゃろうな、あると言うとったらソレは叱り飛ばしとったわ」

「叱るって、覚えがない事を叱られる謂れがないわ」

 

「じゃから『とった』と言うたろうに、まだ叱らんわぃ」

「それでも『まだ』なのね、流れからそいつ関連だと思うけど、あたし何かしてた?」

 

 しとった。一言言ってはお茶を含む姉さん。

 はてさて、あたしは何をやらかしたんだろうか?

 というかこいつはそもそも誰で、なんだ?

 感じるモノから妖怪だってのはわかるけれど、蛇に知り合いなんて‥‥

 地底住まいの蛇男しかいないはずだぞ?

 それ以外で爬虫類っぽいのと言えば妖怪のお山におわす祟り神様くらいのものだが、あの御方は正確にはその蛇っぽい神様、赤口(ミシャグチ)様を含めた土着神の頂点だ、見た目も蛇よりは蛙っぽいしそこから見れば両生類っぽくなるだろう。

 これで後は蛞蝓(なめくじ)要素でもお持ちであれば一人三竦みが成立して、動きたいのに動けない祟り神なんて面白おかしいお立場になってくださりそうだが、そこまで求めては贅沢が過ぎるな。

 こんな感じに考えても思い当たる節がなくて、じっとりとした瞳になって思い悩んでしまった。

 

「当たらずも遠からずってところよのぅ」

「歯切れが悪いわね、じゃあなんで連れてきたのよ? てっきりそいつが何かをしたのかと思ったんだけど?」

 

「何かはしたさ、そこはきっちり叱るがこいつ事体には然程関わらんと言っとるんよ」

「よくわからないわ、モヤモヤと言うか、思考がねっとりするからそいつの事から聞いてもいい?」

 

「構わんが、ねっとりってのはなんじゃ?」

「顔見知りの蛇で蛙な爬虫類神を考えてたのよ」

 

「あぁ、それでねっとりか。蛞蝓って事かの‥‥叱り飛ばすと言うたんに、存外余裕があるのぅ」

「真っ向から叱ると言われれば逃げられないし、開き直ったのよ、多分」

 

 口にしたからか、言った通りに開き直れて完全に吹っ切れた。

 もうどうにでもなれという風にきっちりと揃えて見せていた正座も崩し、向かいに座る姉さんのように得意の方足立で座り直す。そうすると軽く結っただけの緋襦袢が開けてさらりと足がお見えする。妖怪だというに何も言わず、静かにお茶を舐めていた蛇の視線が内腿の奥辺りに向けられてこそばゆいが、こいつ、さては雄だったか。

 ふむ、さっきは煙で隠して正解だったな、内腿の奥を妄想するくらいなら千歩譲って許すとして、全身丸出しの姿を見せていたとしたら金銭をせびっていたところだ。

 

「開帳するのは気概だけに‥‥しとるようじゃしそれもええか。こいつは最近妖怪化したばかりの蛇じゃよ、調子に乗って里で悪さをしとったんじゃ」

「蛇が変じた、か。そんな輩のする悪さって、人でも飲ん……でたら今頃鞄にでもされてるわね」

 

「そうじゃな、人間(カモ)打ちしとったら今頃は退治されとる。こいつがしたんはただの食い逃げじゃよ、のぅ?」

 

 語り合いながら卓を見る、あたしも姉さんも妖怪としては先輩で、元は蛇を捕食する側だった者だ。そんな二人に見下されては借りてきた猫の様に大人しくするしか出来ない蟒蛇、こいつも話せるだろうに言葉は交わさない。

 それもそうか、煙草臭い我が家だ、ヤニが苦手なこいつでは長居するのも辛いだろうし、その上で見られているのだ。ただ見下ろしているあたしとは違って姉さんの方はナニカ混じりの視線だ。少し下がる顔の角度から眼鏡が光り、その赤茶色の瞳は見えないが、どんな目なのかはわかる。あたしも苦手なおっかない瞳でもしてるんだろうさ。

 本気で怖いのか、ひと睨みされて我が家の家具に隠れた蛇。その動きを見つめる顔はもう用はないといった風体で、それなら我が家にいつかれても困るしと、天井付近で巻いていた煙を使って摘み上げ、次に来たら喰うと伝えてから外に離した。

 食い逃げを食わずに逃すと笑う姉さん、笑みの中身が何か気になるがそこはさておいてだ、その食い逃げを連れてきてあたしを叱るとはなんだろう。本当に身に覚えがない事なんて珍しくて、まるでわからないな。

 

「で、その食い逃げからあたしのお説教にどう繋がるの?」

「ん? 簡単な話じゃ、あいつの原因がおぬしじゃからな」

 

「あたし? あの、姉さん? 本当に覚えがないんだけど」

「アヤメ、おぬしの頭はほんに都合がええのぅ。ついさっき言うたばかりじゃろうに」

 

 こいつの行い事体はどうでもいい、あたしから見たらまるで無関係の初めましてなのだ、それで当然だろう。その確認にちょいととぼけてみたが、姉さんもそこは違うと念を押してくれた、ならば何だというのか?

 わからないまま叱られるってのはいくら姉さん相手と言えど理不尽が過ぎるぞ、姉なら理不尽に下の者を扱うのが常だろうが、あたしは実の妹というわけではない‥‥そうだったら良かったと思うことは往々にしてあれど、それと同じくらい可愛がってくれているのだからこれ以上は望まない。って、変なノロケはこの辺にして追求しよう、でないと話が進まない。

 

「ソレは覚えてるわ、さすがに。聞きたいのは覚えがないのに叱られる理由ってやつよ」

「わざわざ確認せんでもよかろうに、そんなに怖いかのぅ?」

 

「怖いわ、どこぞの白黒好きよりもスキマよりもね」

「魔理沙殿‥‥ではないな。閻魔様より儂が怖いか、おぬしは」

 

「そうよ、一番怖い相手よ。愛想でもつかされたら成仏出来るくらいに‥‥怖いわ」

「何をしおらしく言うんかのぅ、その気があったなら叱りになんぞ来るか……おぬしも存外阿呆じゃのう」

 

 ポロッと漏れ出たこっ恥ずかしい本心、久々に会ったからか、それとも気を落ち着ける我が家で顔を合わせたからなのか‥‥あるいは両方の所為か、それらの所為で口から漏れた内心。

 叱りに来たと言ってくれる相手に気恥ずかしい考えを言うなんてどうか、と考えるが、叱ってくれるような御方だからこそ素直に言えるのかね。

 どうにしろ構わんか、もう既に言ってしまったのだから。

 

「全く、何しに来たのか忘れてそっちに逸れてしまいそうじゃ…‥がそれはそれで後回し、取り敢えず先に叱るが、ええな?」

「はい、どうぞ。お好きな様に」

 

「変に素直じゃ、そんなに真っ直ぐだったかの? まぁ……ええか」

 

 開き直って叱られる、そう括った割に真っ直ぐ見られない姉の顔。

 どうしてこうなった、何故にこうなっていると俯いた顔の奥で考えてみるが答えは出ない。そうして下向くあたしの顔を竹の葉を化かしたモノが持ち上げる、叱ると言うからあると思ったが、またいつもの『手』だ。

 あたしの弱点、暖かで大きな手が胸元にくっつく顎を持ち上げてくれる。

 

「それでの、原因ってなぁあれじゃ、あやつが妖怪化した原因がおぬしだとわかったんでな、中途半端な事をするなと叱りに来たんじゃよ」

「妖怪化って、あたし自身最近喰ってないのに、施しなんてしてないわよ?」

 

「施して放って捨て置いたら本気で叱っとるわ。こいつが喰うたのはおぬしが雑に埋めた人間じゃよ、こっちには覚えは……ないって顔しとるのぅ」

「その通りで‥‥ないのよね、忘れてるわけではなくて本当にないの」

 

「完全にないんか。なら思い出すのを待っても無駄じゃな、答えはここじゃよ」

「うち? 人なんて妹紅くらいしか来ては‥‥いない事もないわね」

 

 お叱りの理由ってのを聞いてみれば確かにあたしだった。

 いつの頃だったか記憶が曖昧、というか言った通り覚えてすらいないが、我が家に遊びに来てくれて深夜の鬼ごっこに興じた退治屋さんがいたはずだ。住処の周囲を結界で囲ってくれて、あたしの縄張りを清き清浄な空気で満たしてくれた者達。

 十人位で夜半に来て、ちょろっと遊んだら壊れてしまって、後片付けが面倒だから兎詐欺の掘った落とし穴にポイ捨てした奴らが確かにいた、はず。

 

「思いついたか? 言うてみぃ?」

「いつだったか遊びに来た退治屋さん達、竹林(ここ)に埋めた人間(カモ)なんてそれくらいしかいないわ」

 

「それじゃよ。のぅ、アヤメが原因じゃったろ?」

 

 言ってみるものだ、ほとんど覚えがないような事でも案外当たったりするもので、それがコヤツの原因じゃとあたしの顎を持ち上げていた手を鼻先に動かして、中指で弾いてから正解と話される。結構な勢いで弾かれた鼻っ柱がヒリついて、膝においていた手をついつい鼻に当てる。それが悪かったと感じた姿に見えたらしく、今日のお叱りのネタバラシをし始めてくれる化かしの師匠。

 

「処理の仕方が悪かったんじゃよ、喰わんのなら燃やすなりバラすナリして埋めれば良かったんじゃ。兎の掘った穴に落としてハイ終わりでは餌場を作っただけと変わらん」

「そうですね、浅慮でした」

 

「反省、したんか?」

「あんまり」

 

 これも本心。

 言われたところで今更だし、過去に窘められた理由と違ってこちらは全く気にしていなかった相手達についてだ、少々窘められたところでどうとも思わん。それでも何かしら叱られる要素にはなったのだろう、その気無く何かをして気にする事になるなんて、生前のあたしが遺した所業は業の深い物だったか?

 そんな事はないぞ、妖怪が妖怪らしく人を殺めて何が悪いのか、そもそもあたしを狙ってきた相手だ、返り討ちにしてやっただけで叱られる理由になるとも思えん。

 なら、なんで叱られた?

 

「じゃろうな、それ自体は構わんのよ、妖怪が一匹増えたところで儂らには害もないしの」

「? その気無くまたやらかしてこいつは、って話じゃないの?」

 

「やっぱり都合がええ頭じゃったな、それじゃないと何遍言わせりゃ気が済む? お?」

「‥‥これで三遍‥‥です……」

 

「儂が仏様として祀られとったら怒髪天じゃったな、そうではなくてよかったのぅ。それでじゃ、説教はさっきので終い。ここからは商談に入ろうかの、貸したもんを返してもらわにゃあならん」

 

 ごもっともだな、明神様ではなく天部として祀られていたら三度目で南無三されていたはずだ、仮にそうだったとしても懲りないのが小悪党、そうして三下の小悪党なのがあたしだ、そうだったとしても多分同じ事を言っていただろう。

 それは兎も角商談とはなんの商談だ?

 貸しを返せと言われるが、あたしが借りたものなんてこの世に顕現する際にちょいと拝借した妖気と煙くらいだ、それを返せと言われたら本気であの世に戻らんとならん‥‥さすがにそれは出来ないと、後ろで寝ている誰かさんの寝息を聞いて、鼻を擦るのをやめて正面を切り、真っ向から聞いてみる。マミ姉さんに向かって睨み返すなど、した事なくてなれないがあたしでも引けない事はある。

 

「商談? それに借りたモノって‥‥やっぱり成仏すればいいって事?」

「そうではない、じゃからそんな目をするなて。貸しとはこれじゃよ」

 

 否定して欲しい言葉と強い視線は否定してもらえて、ついでに借りているらしいモノも教えてくれる。仏様じゃないと言う割にそれらしく取る手つき、左手の親指と人差指で輪を作り、これじゃと語る金貸し。それこそ借りた覚えがないが……

 

「こいつが食い逃げしたと言うたな? 実際は逃げてはおらんのよ」

「言いっぷりから考えれば姉さんが出した、って事ね」

 

「奢りではないよ、その代金を儂が立て替えておるんじゃ‥‥で、その代金、おぬしに払ってもらおうかと思っての」

 

 狡猾さ丸出しの声で笑う姉さん。

 なるほど、仰りたいことはよぉくわかった。あたしが原因で成り果てた妖怪なのだから貸し付けた金を大元に取り立てに来たって事だったか、流れはわかったまるっと理解した……が、さすがにこれは払えない、だってそうだろう?

 

「……それ、酷い言いがかりじゃない?」

「そう、言いがかりじゃよ」

 

 先ほどとは別の瞳で睨んで問う。

 一度睨んで慣れたからか、さっきよりは幾分楽に見つめられた。

 そうして見るとさも当然のように言い返され、あたしが変な事でも言った勢いで笑う姉さん、いくらあたしが難題好きだからといってこの無理難題は通らないぞ?

 そう言う前に視界に入るモノ、何やら書かれた紙っぺら。

 

「ただのこじつけじゃ、おぬしの口癖を借りればそこはどうでもいいってところじゃな…‥じゃがな判は既にもろうた、証文にきっちり尻尾の印が残っとるんじゃ。お前さんも元金貸しなら踏み倒しはせんじゃろ? ん?」

 

 いつの間にと自分の尻尾を見てみるが、判に残るサイズとは随分と違って……そうか、さっき甘えて当たった時か。つまりは動きを読まれていた、会話で誘導だとかその場の空気の流れを変えてだとか、そういった手間全てを省いて、あたしならこうするだろうって読み一つで騙されたのか。

 これはまた、綺麗に化かされたもんだ。

 

「……やられたわ」

「儂は何もしとらん、アヤメが勝手に振っただけじゃ。それでも判子は判子。後見人として払ってもらわにゃあならんのぅ」

 

 してやったりと笑う顔、見慣れた慕う笑顔で素敵。ってそうじゃない、完全にしてやられたのだから関心など、しても致し方ない相手だったな。はなっから勝てると思っている相手じゃない、だからショックもそれほどない。

 まさか顔を合わせる前から勝負を付けられているとは思っていなかっただけで、騙された事に関しては全く気にはしていない。そりゃあそうだろう、相手は狸の御大将であたしはその下のどっかしらにいる者だ、騙し騙されを世の理として生きる者。

 片っ方は死んでるが、それはこの際置いておいて。

 ついでに言えば悔しくもない、寧ろ見事と褒めて今後に活かそうと考えるくらい。そう考えれば払えと言われているこの代金も授業料としては安いもんだろう、何もせず騙す、良い勉強になった。

 

「‥‥で、いくら?」

「聞き分けが良いのか、諦めが早いのか、らしいといえばらしいからそれもええかの」

 

「両方よ、姉さんに対してはね。そうやって褒めて煽ててくれてもある分しか出せないわよ?」

「振る袖がないなら化かして誂えたらええんじゃ、簡単な事じゃろうに」

 

 実際は諦めでも聞き分けでもなく、憧れからの素直さだが、そうは見られないのなら少しでも小憎らしくしておこう。その為に少しの悪態を混ぜて言ってみるが、それも当然効かずに逆に化かして返される始末。

 着ている緋色の襦袢の袖に葉っぱを飛ばしてくっつけられて、片目を瞑ったいたずら顔であたしの袖を染め上げる。真っ赤な袖に花咲いたのは白い花月(かげつ)、てっきり百日紅(さるすべり)でも描かれるかと思ったが、金のなる木を咲かせてくれて、それを振ってみせろとは、なんとも雅な化かし方だ。 

 これもまた見習うべきだが、あたしには多分出来ないな。同じ植物を使っての化かし、匂いまで感じられるこれと煙草臭いあたしでは比べられる気がしない‥‥が、気概くらいは見習おう。慕う姉の真似なのだ、拙くとも何かしらはしてやろう。

 

「そうね、最近はお駄賃貰って満足してたけど、それじゃダメよね」

 

 ニヤリと笑んでしれっと言い切る。

 そうするだけで伝わったらしい、腹に一物含んだ気配。阿と言わずに吽が伝わってなんとも心地よいが、何やら吽狸の姉さんからは言葉の返事もある模様。

 

「うんむ、似合いの顔になったのぅ。それでこそ愛で甲斐のある妹じゃて‥‥で、返済じゃが宛はあるんか? ないならソレでもええぞ?」

 

 それと言いつつ煙管で指す先。

 先ほどまでの言いっぷりから今度は仕草まで真似てくれて、さっきからそんな事ばかりして、あんまりそういう事をされると舞い上がるぞ?

 とは言わずともバレてしまった、人の形を取ると共に大きくなった縞尻尾が盛大に揺れている、ぱたこんもふんと床を打ち、また逆側の床を打つ。見ている姉さんの目が同じ動きで揺れて動いて、キチンと見てくれるってのがわかって余計に嬉しく思う。

 なんというかこれはこそばゆい、が、指されている先の物は素直に渡さない。煙管の先にある物はあたしが外に行った時に持ち帰ってきた外の本、いわゆる外来本ってやつで、幻想郷では稀覯本って呼ばれる物だろう。こういったモノが好きなのは知っているが、今は渡さない、多分売られるからだ。

 出先があたしとはいえこれは取り立て、であればそこはきっちりしている大手金融の総元締めだ。ここで渡せば翌日くらいには姉さんではなくあっちの、本を読む時だけ眼鏡をかける小娘が、僅かな金と引き換えに手に入れてほくそ笑むことになるんだろうよ。

 

 それは気に入らん、笑うのはあたしでいい。

 ならここはひとつそこから儲けを得るか、あたしも元金貸しだ、種銭さえ作れればそれなりに稼げもしよう。指される先にちょいと進んで、目当ての物を卓に置く。仕草とタイミングからはいどうぞってな感じだが、伸ばされる手先は逸し、本は取らせず宙を握ってもらった。そうして片眉を上げる姉さんの手を取り、あたしの両手と重ねていく。

 

「これはダメ、資本を作る元手とするからね‥‥そうね、上手い事儲かったら八:二くらいで分けましょ?」

「返済分だけで儂は構わんぞ、それに折半にはせんのか?」

 

 何をするのかって顔をされるが何かをするわけじゃあない、化かしや騙しで勝てないのだからそれ以外でやり返し、少しはこいつめと思わせたいだけだ。先に思いついた小娘、少し前から占いの勉強をし始めた貸本屋に照らし合わせれば、上手くいくかは八卦のみぞ知るってところだな。

 

「それじゃダメなのよ姉さん、あたしがあたしでなくなってしまうから。あたしは常にイイ女でいたいの、だから金も力も持てないのよ」

 

 うん? と聞こえそうなその表情。

 その顔に向かって投げキスを飛ばし、科を作っておどけてみせる。そうして合わせている手を引っ張って頬に添えると笑われた、引っ張るだけ引っ張って言う事はそんな事かと笑ってくれて、してやったりとあたしも笑う。

 これで少しはあたしのペースだ、本気でやれば多分口でも勝てない。だからそうなる前に言いたいことは言っておく、本来なら今頃は何かを言い返されている所だろうが、そうならないのは後に回されたっていう気遣いからだろう。この辺を甘やかしと考えるかどうかはその人次第だろうが、ペテン師であるあたしからすれば甘えどころだ、そうさせてくれるならそれに甘えるさ。

 最近は結構甘え上手になってきたような気が、自分の中ではするのだから。



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EX 閑話  徒然なるままに

本当に何もない日、そんな日常風景


 ぼんやり視界を(けぶ)らせる煙、愛用煙管から上るそれ。

 少し長めの筒先には込めたばかりの煙草が詰まっているが、大して吸いもせずに、なんとなく火を入れては、咥えているだけの無駄遣いをしている。

 ちょっと前までは有限でなくなったら買い足していた煙草だが、鬼に貰った秘宝のお陰で吸っても吸ってもなくならなくて、とてもとてもありがたい。減らずの物は元々持っていたが、あちらは減りはするか、一応。今日も肩から下げている白徳利、これも一日に湧く量の限りはあれど無限に酒が湧く、煙草もそれに続いてバッグをなくさない限りは限りなし。

 ついでに持ち主であるあたしもいつの間にか終わりが見えなくなってしまった、というか終点の先からとんぼ返りしてきたのが正しいか。お天道様が急に沈むようになった空の中、止まったり動いたりする番いの秋赤音に習えばそのような言い方になるだろうな。

 そんな風に徒然と、人里の一角にある甘味処で暇に弄ばれる午後の一時。

 

 何かをしよう、どこかへ行こう。

 そう考えて動く日の方が少ないから、今日のようにただただ時間の大安売りをする日も多くある、それ故何をしない事にも慣れた。あたし自身は何もせず無言で腰掛けているだけなのだけれど、瞳に映る風景は色々と変化を見せてくれて、それを眺めているだけでも面白い。

 例えば一番近くに見える煙草の煙。

 風もない秋の日だというに、何かに流されるように揺れ、真っ直ぐには立ち上らない。火元にあるだろう上昇気流に乗って空に上るなら直線でも良さそうなものだが、なんでか揺れながら上っていく。これが何故かと考えているだけでも、存外暇は潰せるものだ。

 何故こうなのか、そう問われたらあたしがたたえる煙だからって事に今日はしておこう。真っ直ぐではない不届き者が灯す火で、そこから立ち上る煙で、ついでにあたしは煙たい要素たっぷりな妖怪さんだ。そんな輩が扱う物なら真っ直ぐに上るわけがないだろう。

 他人の煙もこんな動きをするだとか、余計な部分には目を瞑るとして。

 

 それから瞑ったお目々を開き、誰にでも無くウインク決めて、次はそうだな、町中を歩んでいく里の住人でも眺めて、空きっぱなしのあたしの予定を埋めていく事としようか。

 今視界に入ってきたのは里の警備をするようにと、ここの石頭守護者に言われた頭の多い赤いやつ。東西南北の入り口に各一首ずつ配置され、基本的には人の眠る夜中に警らしていたりするのだが、本体が暇そうに歩いて行くのを見る限り今日は非番のようだ。

 あたしと目が合うと少し歩行速度を下げて横目で見ながら過ぎる、こちらは軽やかに手を振っているというのにあちらからの挨拶はなし。相変わらずの取っ付きの悪さだと感じるけれど、無視されず横目では見てくれるのだから、それはそれでいいとしよう。

 

 次いで現れたのは里の人、こっちは正しく人間だ。何やら買い物かごを肘に掛け霧雨の大道具屋に入っていった、あの店なら大概の物は揃うし、何を買うのだろうね。眺めていると先に店内に消えた者の面影を宿す女児が二人、後を追って駆け込んでいく。

 そのまま見ていると、入店時には付けていなかった(かんざし)を髪に通し、三人で繋がりはしゃいで出てきた。真ん中の母の髪で揺れる燻した色合いの金簪とは違った、玩具のような明るさの鼈甲(べっこう)が姉妹の黒髪に似合っているように見えて、ああいった物が似合うなら将来別嬪さんになりそうだなと思えて、後の目の保養が増え楽しみだ。

 

 こうやって何かしらを見つけてはどうでも良さ気な事を考える。

 何もない日によく見られる、あたしの過ごし方の一つである。

 大概はこのくらいの頃合いで誰かが顔を出したり、いたいた、なんて言いながら要らぬ面倒を持ってきてくれたりするのだが、今日は静かで過ごしやすい。

 これはきっと隣に座るお嬢さんのお陰だろうな。

 里の通りに面した甘味処、その入口にある長腰掛けでまったりとしていたら現れて、何も言わずに座った彼女。秋の神様とは違う、けれども同じくらいに芳しい香りを身体に纏い、常に持ち歩いている日傘を揃えた腿の上に抱え、傘を持つ手にはちょっとした買い物をしてきたとわかる手提げ袋が下がっている。こいつもマメに姿を見るが今日も花屋にでも行ったのかね?

 思いに耽つつ手元を見れば、靭やかな手で隠される。

 なんだよ、見るくらいはいいじゃないか、減るもんじゃなし。

 そんな考えを顔に出し、片眉を上げて見続けていると、残っていたお茶を飲み切り無言のままで立ち上がるお隣さん。非番の飛頭蛮と同じくコレもつれないな、なんて高くなった顔を見上げていると、傘を携えたままの手の指先が小さく上がった。

 会話もなく荷物の中身も教えてくれないが、お別れの挨拶はしてくれる花のお嬢さん。

 顔色変えずにあたしも指先を上げ振る、それを合図に飛び去った花妖怪。仕草で挨拶するなら一言二言くらいはあっても、そう考える部分もあれど、あいつは高嶺の花だったとでも思って気にしないでおくとしよう。

 

 そうしてまた一人になると、景色の方に視線を戻していく。

 幽香が高嶺を飛び超えるくらいの高さまで上がったのを見送り、視点を飛んでいった空から北東へと流していく。高嶺なんて思いついたからなんとなく見たくなった妖怪のお山、その稜線を望んでいると、そちらから妖怪神社に向けて飛び去る黒いのと茶色いのが見えた。

 前を翔ぶ黒天狗の少し後を茶天狗がついていく、幻想郷最速の後をついて回るしかしないなど、空の覇者としての矜持がないとも見えるが、偶にカメラを向けてスカートの中を狙う後者と、風を操り腿から上は取らせない前者。二人して遊んでいて、相変わらず仲が良くて妬ましいが、そんな妬みは兎も角としてだ、またネタ探しにでも出かけたのか。

 有る事無い事を面白おかしく書いて、幻想郷一早くて確かな真実の泉だとかどうとか言ってばら撒いている瓦版。言うとおり偶には面白い記事もあるけれど、一番おもしろかったのは号外の意味を勘違いして、むりくりに押し付けて回る文の姿だった気がするな。合ってるけど合ってないとはツートンカラー達の弁、それが言い得て妙で関心出来た出来事だった。

 

 そんな感じでマッチポンプな行いをする煩いほうだけども、一緒に飛んでいった喧しい方はそういった事はあまりしないように思えるな。というか、そもそもお山から出る事が少ないから何処かでしていたとしても目につかない、って事だろうか。

 ふむ、多分そうだろうな。ちょっと前に始まりすぐ終わった大戦争、私より強いやつに会いに行く、と幻想郷内では最強の妖精が他の妖精に喧嘩を売って回るって事があったが、あの妖精を誘導して黒白に喧嘩を売らせたのがはたてだったはずだ。

 妖精や妖怪と仲の良い人間に力のある妖精をぶつけるとどうなるか、なんてネタの為にそうしたらしいが‥‥んなもん、調べる事もなく、弾幕ごっこになるって結論以外にないだろうに。

 その後の勝ち負けや流れが気になるって事ならわからなくもないが、結局は異変でもない妖精のお戯れ、結末が気になるほどの事でもない気がして、結果どうなったのかはよく覚えてない。

 文末のケツの方に、いつのまにやら人間は強くなった、古い妖怪達の持つ人間は被害者だという古い考えを捨てるべき。そんな事も書かれていたが、あたしにとっては余計な一言だった。そりゃあそうだ、ツートンカラーには毎回退治されてばかりで、あの子らの強さは体感しているもの。

 

 弾幕ごっこに付き合わず、本気でやればどうなるか?

 それを考える前に、またケツなんて言って、はしたないわ。

 と誰かに窘められる妄想をしてしまい、一人笑って目を細めた。そうしていると狭まった視界の下の辺りで振られる手を見つけた、厄介者であるあたしに誰が手なんて?

 そちら方面にピントを合わせていくと、市松模様の袖を振り振りしながらホクホクと笑む小娘が見えた。相手はあたしが甘味処に立ち寄る前に寄った貸本屋の主殿。手元にあった外の世界の本、歴史物の書物や妖怪図鑑を買い取ってくれて、あたしに種銭を持たせてくれてビブロフィリアが、並ぶ求聞持の娘っ子と挨拶してから歩いて去って行く。

 少しの種銭にでもなればと売りに行ってみたが、あたしが考えていたよりも結構な高値で買い取ってくれてありがたい事だった‥‥どこぞの太子に似たおじさんの絵を始め、妖怪土蜘蛛や妖怪つるべ落としの挿絵に落書きをしてしまったせいで、安く買い叩かれるか、買い取り不可なんて言われるかと思っていたが、逆にそれがいいらしい。

 太子の頭にはそれっぽい耳を書き足して、土蜘蛛には紅葉の神様からくすねた黄色の絵の具を使ってポニーテールを追加し、つるべ落としの額には同じ絵の具の赤でケロリンと書いたいたずら書き。あたしからすれば本当にただのいたずらだったが、嬉々と書き足したせいであたしの色々が篭ってしまったらしく、どちらの書物も妖気を纏った妖魔本に成りかけているのだそうだ。どうやって騙そうかと企んで、本気で人間に化けて店を訪れたというのに、変に化かす事などしなくとも、あの程度でそうなるのなら小鈴の好む稀覯本なんてさして稀でもないな。そう感じた商取引の一幕で、あたしは詳しい事を語らずに(かた)る事が出来て、銭は上々心も重畳といった面持ちだ。

 たった数冊で良い儲けとなったが、紙幣を弾く指が何度か逸れて、真剣に数える意識までも何故か逸れてしまった事が随分と多い買取額に繋がったとか、そんな事もあったりなかったりするのだろうが……あたしは着ていたスーツに埃がつかぬよう場の流れを逸していただけで、そうしろとこちらから仕向けたものではない、言うならその雰囲気の中で勘定をした小鈴が悪いってところだ。

 それにあれを売ったのはあたしに良く似た人間であって、巻くための尻尾も、寝かして閉ざすための獣耳まであるあたしではないし、気にならんからこれは忘れてしまうとしよう。

 

 あぁ、あの隣にいた物忘れずも物書きだったな。

 あの天然求聞持も一辺見たら忘れられないとか厄介な授かり物を持っている気がするけれど、転生しては死んでを繰り返してごっちゃになったりしないのだろうか。そうならないように転生時には記憶が飛ぶとか、飛ばされるだか言っていたような気もしなくもないが、どっちにしろアイツも都合のいい記憶力だな。

 そういえばいつだったか、種族が幼獣から亡霊に変わったのだから、あの紹介本の項目も書き直してもらおうと思ったが、その思い付きは未だに出来ておらず、というかどうでも良くなってしまっているので直してもらいにも行ってなかった。

 あれにどう書かれようとあたしはあたしで変わりようもないし、変わるとすればまた嘘ついていたのかと騒ぐだろう阿求の顔色と口の勢いくらいだろう。それを楽しむのも良いだろうが、今生は今のままにしておいて、来期生まれ変わった際にまた書き直してもらい、笑ってあげる事にしようと考えている。

 

 阿求の書いた書物の事を思い、何度目になるのかわからない一服をしているとその著者が住まう屋敷の隣が煩くなった。

 時間帯からすればそろそろ小腹の空く時刻、この時間帯になると稗田の屋敷の隣に面した、あの石頭が教鞭を執っている寺子屋が賑やかになる。いつかお呼ばれした際にちら見したが、確か、あそこで教える内容のどれかに稗田の誰かが書いたらしい書物が幾つかあって、それを教本代わりに使っているのだったか。とすれば、あの幻想郷のガイド本みたいに一々阿なんたらの注釈が入っていたりするのだろうか、それなら一度読んでみたい。

 先生さようなら、けーね先生また明日、もこたん先生もまたね。

 考え事をしていると聞こえてきてくるそんな声。

 最後の一言を聞いた辺りで思わず笑ってしまった、軽く吃るような声も聞こえたが、それでもまたねと返す声も聞こえる、あたしにはそう言うなと喚いておきながら、慧音が面倒を見るガキ相手にはそうは言えないか。こいつは中々に小気味よいな、ガキ大将にそう言ってみろと仕込んだ甲斐があったいうものだ。

 それにしたってまだここにいたのか、誰かさんに煽られて灰燼に帰した掘っ立て炭焼き小屋。正確には何もないボロ屋だがそう言うと怒られるのでこっちに言い直すとして、それを建て直したはずだというにまだ里にいたのかあいつ。人に再建の手伝いをさせておいて、炭焼きも道案内も変わらずにやっている蓬莱人が先生と呼ばれているとは。そう呼ばれるのだから何かしら教えているのだろうが、何を教えているんだろうか?

 焼き物上手で焼き鳥は旨いし料理とか?

 それとも藤原流忍術でも教えているのかね、だとしたら一度見てみたい。

 

 ぷかり、口から煙を吐き出して、空に向かって漂わせる。

 そうして両手の指を合わせ、それらしい印を組みながらその流れを眺めていると、漂う煙に似た御仁があたしの視界に収まった。色合いこそピンク色で顔もあったりするが同じく不定形の御仁、話さず黙したままの親父殿だが、その下でじゃれ合っていた尼公と尸解仙の勝負に決着が着いて表情だけを変えていた。

 今日は布都の勝ちらしく、こんな時代遅れの奴に負けたー、なんて一輪が叫ぶ。その声を聞いて何やら難しげな顔の時代親父殿、遅れているのはきっと貴方の事ではなく、対戦相手であるアホの子の頭の回転速度だと思うからそんな顔をしなくともいいのに。

 

 対戦相手の方も、生前は皿と同じくらい高速で頭を回せていたはずなのに、復活してからはすっかりと鳴りを潜めてしまって。好ましかったしたたかさや狡猾さがなくなって、あたしとしては至極残念ではあるが、傾いでそうであろう? と問うてくる可愛さを代わりに得たのでトントンか。

 飲んだ丹のせいでそうなったのか、生まれ変わってしまったからああなってしまったのか、そこはわからんしどうでもいい部分だが、あれにつける薬はあるけど効かないというし、心配するだけ無駄な事だな、きっと。

 

 そうであろう、とは思わないか、薬売りの兎さん?

 同じように空を眺めて立ち止まっていた兎を眺む、いつだったか扮装していた人っぽい格好で、波長を操る瞳に空の者達を映す鈴仙。波長が短いと短気で長いと暢気だという話だけれど、今見えている二人の波長はどのように見えているのだろうか?

 争ってすぐだから二人共短いのか、それとも、ハイカラじゃないかと慰められて頭巾を解いた美人と肩組むアホ、もとい可愛い少女の空気は暢気な光景に映っているのか、聞いてみたいがやめておこう。人里に来る時は人の扮装をしていろと師匠に言われているようだし、妖怪であるあたしが話しかけるのも気が引ける。

 確実に何を今更と言われるだろうが、ただ話に行くのが面倒なだけで、その為に思い付かせただけの理由だ。これを掘り下げて、深く突っ込まれたとしてもあたしはきっと困るだろう。

 因みにこの姿で持ち歩かされていたあの月の羽衣だが、穢れの満ちる空気に触れさせても問題ないかどうかってのを見る為に持たせたらしい。本物なら問題ないがレプリカだから少し心配だったとあの飼い主様は言いやがったが、そんな不安定な者で月面旅行に行かせるな、無事だったから良いものの。

 

 まぁ事が起きる体などないがな、と、そうこう考えている間に薬売りの姿は消えた。

 後は見るモノもないかなと、火の消えた煙管から葉を落とし、再度の煙草に火を入れる。ついでにおかわりのお茶をお願いして、これを味わい切ったらあたしも昼餉にするか‥‥って頃合いに川を流れていく誰かが見えた。

 大きなリュックを沈ませて、背面を水面に浸けた姿の河童ちゃん。河童が川を流れていく最中、時折頭を撫でまわし何やら気にする素振りだが、なんだ、山童のチャンバラにでも巻き込まれ、ぶっ叩かれたか?

 それとも、そうやってあるのかないのかわからないお皿を磨いているのかね、帽子の中を見た事は未だないが、それなりに気になる事案でもある。後で聞くか、もしくは不定期で興行されているあの怪魚の演し物でも見るついでに、河童の巣でも覗き見しに行ってみるか。邪な仙人様が仰るには、私が抜けるのに適当に空けた穴は埋められてしまいましたわ。って事らしいが、出先を選んで掘ったせいか試しに、テキトーに空けただけの穴は今でもあると言うし、そこらから忍び込めばどうにか覗く隙もあろう。

 それでも用心深いにとりの頭は見られないだろうが、他のおかっぱ河童ちゃんや眼鏡仲間の河童ちゃん辺りなら覗き見るチャンスもありそうだ‥‥バレたら何しに来やがったと囲まれてしまいそうだが。

 

 ふむ、そうなったら逸らせばいいのか。

 振られるだろうサバイバルゲーム用の刀や、建造途中の大型水棲生物の起動テストだとかに付き合わされそうな気配もするけれど、何をされてもあたしの場合は逸らせばなんちゃないし、丁度見えてきたあの人間にもきっとなんちゃないだろう。

 あたしは逸らして、事象をあたし以外のそこいらに向けられるが、あっちの二人組もなんやかんや躱すのに長けた二人だ。片方は時間を止めて咲夜の世界に引き篭る事が可能なメイドさんで、自分しか動けない世界に閉じこもる事ができるらしい、己のみって辺りがミソで止まった物には干渉できないようだけど。門番の乳を突いてみたり、あの魔女や司書殿のスカートを捲ったりも出来ず、悪戯するのに便利そうで手が出せないとかやきもきする能力に思える。

 最近顔を出していないし、そろそろあたしのお友達の様子でも見に行ってみるか。季節柄庭で咲くあたしの花は見られなくなったが、花咲くような妹の顔と、面倒なのが来たなと見てくれる姉の顔を拝むのも楽しかろう。

 

 話しついでに、もう一人の人間少女もその現人神の御業を以って常識に囚われない奇跡でどうにかするだろう。何がどうなって大丈夫になるのか、なんてのは奇跡を信じていないあたしにはわからないし、自分で扱う事も出来ないのだから気にするだけ無駄だろう。目下気になって仕方ないのはあの風祝の能力よりも、頭で揺れる双葉の方。

 どこぞの蛍やどこぞのミミズク神子に同じく、あたしの視界に入ってしまうと気になって仕方が無くなるアレ。早苗のモノはただの髪と理解しているから耳なのかといった疑問はないが、どうしたって揺れて、どうしたって気になる。

 前はなかった気がするけれど、ある程度育つと芽吹くのかね?

 ともすればあの神様にもあるのか?

 河童に同じく、先祖である祟り神様の帽子の下を見た事がないから、もしかしたら同じく双葉が生えているのかもしれないね、もう一柱であらせられる表の祭神も、上っていうか横に広がり芽吹く髪型をされているしな。

 

 二人が別れてそれぞれが霧雨の大道具屋、橋の手前の通りの端に置かれた、守矢神社って踏み台に別れ進んでいく先の片方。信仰集めに頑張る方を眺めていると、外の世界の街頭広告で見たモノを思い出す。

 姿形こそ違うが、今の様に目立ちながら、町中を歩く人間に清き一票をお願いしますなんておじさんやらおばさんやらが語っていた姿。今の諏訪祝よりも高いところから声高に何やら話していたがうるさいだけで、内容は全く覚えていない話。

 

 人に話すならもっと身に沁みる言葉を選んで語るべきだと思えるな、例えば空の高いところを飛んでいる誰かさん、今日も今日とてやる事がないのだろう天人様の様に、語る相手を理解したようなお言葉でも言うべきだろうよ。

 あんまり言いたい放題を続けると、その少し後ろを飛んでいるパッツンパッツンから雷が落ちるのだけれど、それも最近なくなったな。我儘さは未だ残るが、素直に謝ったりと前よりは可愛くなった天子ちゃん。ちゃんなんてつけると、やめてよっなんて言われるから、これも言えない、残念である‥‥が、ちゃんが似合うのだから仕方ないな、隣の衣玖さんはなんでかさんと付けてしまうがこれはなんだろう、パッツンパッツンだから?

 イヤイヤ関係ないだろうさすがに、とすれば別の部分からそう思うのか?

 だとしたらどこだ?

 あの帽子で揺れる触覚か?

 それもないだろうが、あれもあれで気になる揺れっぷりだ、別の所、もうちょっと下で揺れる2つのパッツンパッツンもいつか突いてやりたいが、そう言う空気にでもすれば読んでくれて、揉むなり、突かせるなりさせてくれるか?

 

 これもないだろうな。と、清くも正しくもない事を、清く正しいらしい引き篭もり達やペッタンパッツン達が飛んでいった方向を見つつ考える。龍神様の使いに対して随分失礼な考えで、お偉いさんに知られればこの罰当たりと叱られそうだが‥‥窘めてくれそうな相手はきっとあたしよりも先に叱る相手がいるから大丈夫だろう。

 いつの間にかに現れて、あたしの座る店舗入口から一つ奥の席で横になった赤いの。

 赤髪族の象徴らしいたわわな胸元を少し横に溢れさせて、その口からもムニャムニャという念仏を漏れさせている死神さん。こいつもこいつで相変わらずのサボりマスターっぷりを発揮しているけれど、こんなに油断していていいのかね。ちょっと気を抜くとすぐに寒くなり、その油断から高齢の人間がぽっくり逝ったりする季節ってのがもうすぐに来るってのに。

 いや、その季節が来たら忙しくなり始めてサボれない、だから今のうちにタップリとサボり貯めをしているんだろうね。閻魔様も同時に忙しくなるだろうから叱り貯めもしないとならないし、部下と上司だけで需要と供給を賄うなんて、仲睦まじくて妬ましい。

 と、妬んでいる場合ではないな。

 時間的にそろそろ逃げておかないと巻き込まれるだろう。

 ちょっと前にあたしまでキャンと鳴かされたばっかりだ、ここで逃げ時を謝りボヤボヤしていると、貴方まで懲りない人ですねアヤメ、なんてありがたい文言の放出が始まってしまって、そうなったら逃げる隙がなくなってしまう。

 縁は円、輪廻の内にある者達が出会いと別れを巡らせるもの、なんて事を仰っていたというに、あたしが輪廻の輪から逸れた今でも変わりなくお叱り下さるヤマザナドゥ様。ありがたい事だが、巻き添えで受けるにはちょっときついからココは逃げて、別の説法でも聞きに行くかね。

 

 お茶を味わっていただけなのに多めの銭を席に置く、代金から逆算すれば丁度団子の串三本分くらい多い金額。いくら贔屓のお店と云えど食ってないのに払うとか、そんな大盤振る舞いをするわけではない。ただ単純に頼んだものをあたしが食えなかっただけだ。

 最初に頼んだ二本は気がついたらなくなっていた。これは無意識のうちに自分で食ってしまったかと思い、追加でもう一本頼み、それが届いて手を伸ばすと、あたしが触れる前に浮いて何処かの誰か、路傍の石のような相手の腹に消えていったお団子。

 食いきった後あたしのお茶にまで手を出してくれてからに、逃げ際に可愛い声でご馳走様なんて、抱きついて耳打ちされていなければ奢ってなんぞやらんのに‥‥まぁいいか、食い逃げせずに姿を見せて、それから逃げてくれたから今日は奢ってやるとしよう。

 

 ちょっと減ったがまだまだ潤うあたしの懐。

 借金返しても余るだろうし、これをもう少し軽くしないとイイ女とならんし、行こうと思った寺にお布施してもいいのだけれど、あそこは御本尊様の能力もあってか何かと潤っているんだったな。それならあたし程度の小銭はいらんか、ならどうしようか?

 そうだな、一番寂しい場所のお賽銭にでもするか。

 さもしいあたしの金ならば寂しい場所が似合いだろう。

 行けば記者達や天人様達に一寸の姫も、それよりデカイがちっさい鬼もいるだろうし、皆が集まればやることはひとつだろう。今日のあたしは長着姿で都合よく徳利も持ち歩いている、これを振る舞うついでに袖も振るって、里で暇してる非番きっきにでも擦りつけてから拉致して行くか。

 思考を逸し、目的地も逸し、ブレブレの頭を揺らして、里の長屋に向かって歩み始めた。



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~ちょっとした騒ぎ~
EX その40 遊びに出る先


多分三本仕立てになります


 少し前に考えた人里での思い付き。

 それを実行しようかなと、日が傾き始めてから目当ての屋敷を訪れている。

 本当ならもうちょっと早い時間に来るつもりが、住まいの近くやら魔法の森近くやらと、こちらに来る前に先に寄った場所で、教えてやるから酒のあてを作れだとか、分けてやるから搗いていけなどと言われ、それに付き合っていたら余計な時間を取られてしまって、なんでか夕暮れ時になってしまった。

 それでも上手い事手に入れたモノもあるし、深くは気にせず、搗いたソレを包んでいる、強く握れば飛んでいってしまう羽衣を吹く風に揺らしながら屋敷の正面に降り立ってみたが、いるべき場所には誰もいない。

 時計塔や壁を掃除し終えた外来種の座敷わらし達なら数人姿を見かけたけど、彼らも今日の仕事は終わりのようで、灰色がかった緑色の身体にちょっとした汚れなんかをくっつけて屋敷の中に消えていった。相変わらず働き者だなと同時に相変わらず可愛くない風貌だなと思ってしまったが、仕事を終えてスカーフで汗を拭う姿だけは、どこか美しく少し格好良い様に見えてしまった。

 

 まぁ、アレはアレとて、別のを探す。

 本来いるはずの別の緑の置物が今日はいない、まだ日は落ち切っていないのだから門にいるはずだと思ったけれど、定位置にいないのならばあっちかなと、よくいる門柱の辺りに一言お邪魔しますと断り中へ進む。

 園庭の真ん中にある噴水に沿って右回りで歩んでいくと読み通り、最初に門で会えるはずの番人が奥の庭先で屈んでいた。どうやら今日は門柱に咲く含羞草(おじぎそう)にはなっておらず、門の守護者以外にも任されているのか、または趣味なのか、分からないが庭いじり姿でいるのが見えた。

 小さくて赤い、先が少し錆びたシャベルでせっせと何やら植え替える門番の丸い部分、鍛え抜かれて締りの良さそうな尻を軽く撫で、来訪の挨拶をしてみた。女性らしい丸みを帯びるライン、あからさまに暇と書かれているそれに沿って四本の指を這わせると、長く赤い髪が揺れて、誰の仕業かと辺りを探す紅美鈴。

 

 今日は霧の湖どころか寄り道先から全力全開で逸らしている為、いつの間にか後ろにいる妹妖怪と同じように認識されない状態で遊びに来たあたし。こちらから触れたり存在アピールをしなければバレようもないのだけれど、先のように自分から触れてはすぐにバレてしまい、プリっとした弾力の尻はすぐに固めの物になってしまった。

 そうして触れている物の高さが上がり、あたしの視線も見下ろす形から見上げる形へと変わっていく。同時にあたしの銀の瞳に映すものも変わったな、西から穏やかに吹く中秋の風、金風(きんぷう)に揺れていたドレスっぽい華人服、そこから伸びる手も、優しく苗に添えていた形から、やや固めに握られたグーになった。

 

「全く、困った人だ。また可愛い悪戯をして。コラ! って叱ればいいんですかね?」

「それじゃいつも通りでつまらないわ。叱られるのは常だから、もっと別な、変わった反応を見せてくれてもいいわね」

 

「うん? 悪戯されて叱る以外に何かあります?」

「あたしじゃなくて美鈴の方よ。こう、イヤン、とか。キャッだとか、色々あるじゃない」

 

 片手にシャベル、片手に拳骨を見せるチャイナ娘。

 深いスリットから覗くカモシカのような足がまた淫猥で目に良い。

 先に触れたし次は見たい。

 そんな思考に走ってしまい、それならばと、ソレを拝みつつ、同じような開き具合のスリットがあるスカートからこちらの生足を晒し、身体をくねらせながら持ち上げて、イヤンと。そうしてから胸を抱えてキャッと、心にもない、言葉通りの仕草と声色で伝えてみるとその拳は解かれた。

 真似て欲しい仕草はしてくれなかったがこれはこれでいいか、ついさっきのような硬い気は漂わせず、もっと緩い空気を纏っていたほうがここの年長者らしくていい気がする。今日撫でたりした部分は緩み切ってしまぬよう、日々動かしていて欲しいがね。

 

「そういうのはちょっと。柄にないですねぇ」

「ないからいいのよ、ギャップって必要よ?」

 

「ギャップです?……それなら私にもありますよ」

「そう? いつも寝ている門番、それ以外思いつかないんだけど?」

 

「そこですよアヤメさん、あれは眠ってはいないんです。視界に入る俗世と自身の心を切り離し、その先で開かれる境地を目指して瞑想しているだけなんですよ」

 

 赤髪族らしい立派なやつを張り、前を綴っている紐かあれ、まぁそこはいいか、その紐っぽいのがはち切れんばかりに胸を張ってくれる。

 そうやって主張されるとやっぱり触れてみたくもなる、そう思考するに同じく両手を伸ばしていく‥‥が、今度は触れる事が出来ず、心を鎮めているらしい閉眼状態でサラリと躱す拳法家。

 瞑ったままで動きを読まれ避けられる、これは地底の読心妖怪もびっくりな動きだ、なんて褒めたりしないぞ。気の流れでも読むか、自身の気を撒いてあたしの動きを察知したってだけだろう。

 こうやってあたしが予想出来る内はギャップとは言えないな。

 

「中々にらしい事を言うわね。でも、それって美鈴にしかわからないし、ギャップを感じるほど意外って感じもしないわ」

「ごもっともです。実際そうしているから、私から見ても意外だって事もないんですよね‥‥ちなみに、どうしたら寝てないって理解してくれますかね?」

 

「さぁ、そこを考えて納得させるのは美鈴のお仕事でしょう? 今のままなら居眠り門番ってイメージを払拭しきれないわね」

「うん、これはあれですね。理解しようとしてくれないアヤメさんに聞いたのが間違いなんですね」

 

 気の利く門番らしく理解が早い、が、これも妬ましくもないな。こういった機転の良さや読みの早さも美鈴らしさといえばらしさだといえよう、ならばギャップには成りきれず、褒め称えるには少し足りない気がする。

 けれど、別に狙って探すような事でもないのか、普段のその人からは見られない一面ってのがギャップってものだろうし、今のようにあれやこれやと探していると、これはアレだと勝手にこじつけてしまってギャップになりようもない気もする。

 ではその辺りの考えは忘れた事にしてあたしも普段通りにいこうか、今までの流れも普段通りだと言われればそれまでだけれど、意識して気を入れ替えるという事は何事でも大事な事だろう、会話相手はそれを操るのに長けた相手なのだし。

 

「そういうことよ、本人がどう言おうとあたしの価値観は変えないわ。だってその方が‥‥」

「面白い、と。久しぶりだというのになんにも変わりませんね」

 

「相変わらず可愛い狸さんのままでしょ?」

「それなんですけどね、アヤメさん。一つ気が付いた事があるんです」

 

 あたしが普段の物言いを始めると打って変わって、美鈴の方がいつもとは違った雰囲気を纏う。表情や仕草なんかは大人のお姉さんらしい落ち着きのあるモノ、普段使いの雰囲気そのままだが、口振りがいつもの調子ではないように感じられた。

 なんというかこう、毎度の事であればここで肯定してくれて、それを聞いて満足した後に屋敷に入るってのが通例なのだけれど‥‥この言いっぷりは否定するような、言われっぱなしではなく言い返す事もあるんだといった空気に思えるが‥‥一体何に気が付いたというのか?

 流れからすれば……なんだ、このあたしが可愛くないってか?

 自画自賛じゃないが、これでも一緒に客を取らないかと地底の遊女共から誘われているし、一晩いくらかと尋ねられる事もあるくらいには端正な顔立ちで、体つきも悪くない方だと思うぞ?

 煙草臭くて煙たくて、ついでに口も態度も悪いって部分を見なかった事にしてもらえれば、十人並みよりはちょっと上くらいにいるはずだろう、多分。

 

「聞いてます?」

「聞いてるわ、理解はしてあげないけど」

 

「はぁ、またそうやって余計な一言を。それでもそういった物言いもそうなんですよね」

「減らず口が可愛くないって事? ならそこは見て見ぬふりでもして頂戴、あたしも聞かなかった事にするから」

 

「そういうの、なんて言うんでしたっけ?」

「うん? あぁ、聾の早耳とか言うはずよ、こっちの言葉だから詳しくない?」

 

 自分に都合の悪い事は耳の聞こえない振りをして、悪口だとか悪態だとか、別の意味で自分に都合の悪い事には敏感に反応する事いう昔の人のお言葉。何時頃の誰が作ったのかなんて知らんが、あたしにとっては非常に都合の良い言葉だ。

 正しくは慣用句ってやつになるんだとは思うが、昔の人の言葉なんて諺も格言も慣用句も、全部ひっくるめりゃお言葉だろう。どれがどれだと細かく括るのも面倒だし、これも都合よくお言葉とまとめて言っておく。

 言い切り笑うと相手も笑う、朗らかにいつもの笑顔だけれど、先の言いっぷりから鑑みれば何か裏のありそうな明るい笑顔。何を思っての表情なのか、気になったのだからそこもいつも通りに問うてみる。

 

「その笑み、なんか気に入らないわ」

「あ、わかってもらえました? ちょっとだけ厭味を含ませてみました」

 

「その表情が気に入らないってだけよ、含まれた中身まではわからないわ」

「でも聞きたいと、そういう事でいいんですよね?」

 

「? 歯切れが悪いわ。そんな意地悪さや思わせぶりな態度なんて、柄……」

 

 言いかけて止まる。なるほど、何も普段と変わっていない、笑顔の通り、いつも通り彼女だったらしく気を使ってくれていただけのようだ。

 気を使った上で美鈴のキャラにはない含みのある言い回しなんてのをしてくれて、そこにギャップを感じてしまった、勝ち負けの勝負なんてしてはいないが、上手い事引っ掛けられたって感じてしまった。こいつはどうしてやり手だったな、面と向かって正直に、真っ直ぐに言葉でも拳でも語るのが彼女だと思い込んでいたが、それ以外の面も持ち合わせていたらしい。

 口八丁でハメられるとは、歯がゆいが小気味よい。

 

「ふっふっふ、やっと一本取れましたね!」

 

 痒い歯を僅かに噛んでいると笑う門番。 

 軽やかな笑い声、先ほどまでは含んでいただろう厭味ったらしい様子のない、健やかな笑顔と声を見せてくれる。その笑みがあまりに眩しくて思わず目を細め顔の角度を変えてしまう、ちょっとだけ俯いて、銀縁眼鏡のフレームに笑う彼女の視線を隠した。

 

「なんです? 何か言いたげな上目遣いですよ? そうやってお伺いを立てられても待ったは無しですよ?」

「待ったなんて言わないわ、してやられたから睨んでるだけよ」

 

 こちらが下から見ているのをいい事に、ちょっとだけ、筋の通った鼻が目立つような角度にしながら問うてくる。別に睨んでいたわけでもないのだけれども、そう見てくれるのならそうだと素直に返して、後者の理由も素直に返す。

 

「憎まれ口を吐く時はもっと上から言ってくるのに、今日は上目遣いで返してくるんですね。そういった変化は出来なかったりするんです?」

「身長差はこれでいいの、出来るけどしたくないのよ、爪先立ちになる今が丁度いいの」

 

 誰との身長差を考えて言ったのか、それをすぐに察したのか、なるほどと頷いて顔の角度をこちらに向けた。この赤髪とあの赤髪、並んでいる所を見た頃がないから曖昧だが、見上げる角度からすれば同じくらいの身長なのか?

 方や帽子ありで方や何もなし、細かな差はあれどそうかもしれないな。ついでに言えばあの彼岸の赤髪も同じくらいの大きさだし、背も出かければ乳もでかいのが赤い髪をした連中の特徴だとでもいうのか?

 悩みつつ爪先立ちになってみせる、それなりに顔が近づくが、あとちょっとが届かないお陰で美鈴の方が大きいと理解できた‥‥届かない原因のもう一つ、支え代わりに手をついた柔らかな部分も多分デカイな。

 

「考えている相手次第では口も態度も可愛いのに、出し渋ってばかりですね」

「お生憎様、誰にでも愛想を振り撒いたりはしないの‥‥それで?」

 

「それで?」

「さっきのよ、別の方で理解しちゃったからついでにさっきの話も理解してあげるわ、聞かせてみなさいよ」

 

「あ~‥‥言わずに済む流れに出来たと思ったんですけど、言わなきゃダメですか?」

「その返しでなんとなくわかるから聞かなくてもいいんだけど、しっかりと理解してあげたいから是非共に聞いてあげたくなったわ」 

 

 再度ダメかと聞かれるが、ダメだと、姿勢を変えずに甘い声で返す。 

 そうやって返事をしても言葉は出てこないが、それでもここは弄り時だと理解している。

 これはあたしを肥料に芽吹いてくれたからかいの種だ、折角芽吹かせてくれたのだからこれを枯らしてなるものかと、少し距離を取ろうとした美鈴の服を軽く摘んだ。

 払われれば振りほどけるくらいのか弱さで摘み、返事をくれない美鈴に、もう待てないと呟いて、再度の追撃もしてみせる。

 

「怒りません?」

「多分、ね」

 

 こちらを見ずに上の空を見つめての疑問、そうやって真上を向かれるとこちらからは顎くらいしか見えやしない。今どんな表情をしているのか、ちょっとこっちを向いて見せてみろ、人と話す時は相手の目を見て話すのが筋ってやつだろう?

 能力で逸らせば上から下を向く、かもしれんが場合によってはもっと上か別の方を向かれてしまいかねない。ある程度の指向性があるあたしの能力だけど、そうしようという考えからも偶に逸れるのが厄介なとこで、今そうなると顔が見られない。

 それは厄介だと結論付けて、今は動きだけで振り向かせてみよう。

 摘む手から体重を預け、精一杯の爪先立ちで顔を寄せる。顎先に鼻がつくかつかないか、ソレくらいにまで近寄って、整った顎にフンスと息を吐きかける‥‥これ以上待たされ焦らされると飽いてしまい、もうどうでもよくなりそうだったので、そうなる前に鼻を鳴らし興味津々だと伝えてみた。

 

「じゃあ‥‥怒らない方に賭けて‥‥あれですよ、さっきの仕草にしろ、早耳にしろ‥‥ちょっとだけ古臭くて」

「あん?」

 

「いえ、悪い意味じゃないんですよ? ただほら、妹様に仕込んだ仕草は可愛らしいのに、自分で取るのは年季が入った仕草というか。言う事も古めかしい事ばっかりだなというか、なんというかですね」

「あぁ……ババ臭いって事ね?」

 

 言いたくなさそうなので代返してみる。

 すると、それですってのと言うんじゃなかったというのを半々に、ここのお嬢ちゃんが愛飲させられているお茶でも飲んだような顔、苦々しく笑う顔になる門番。その顔のあちらこちらに自爆したと書いてくれて、なんともわかりやすい顔を見せてくれた。

 それでも言うに事を欠いて、とは思わない。

 いつだったかも老獪さを見せてズルイだとか言われているし、偶に見せる素直さがここのお嬢ちゃんのお友達としては良いものだとも言われている。今の言い草も良く捉えれば古い妖怪だと見られ、オツムの方もそれなりにあると理解されているから言われる事だ‥‥と前向きに考えておくが、気分がいいかは話が別だ。

 最近遊びに来てなかったから、偶には顔を出してあの子(フラン)に文句の一つでも言われよう、ついでに門番で遊んだり、屋敷の主で遊んだり出来ればいいかな、と思い訪れたというのに、中々に効くお言葉を聞かせてくれる守護者。

 さて、この気持ちどう晴らそうか、晴れては困る煙の霊らしく鬱憤だけを晴らすなら‥‥怒らないかと問われ、そこはぼやかしているし怒って見せてもいいとは思うが、この程度で怒髪天になる程裁量が狭いわけではないし、まだ二つしか言われてないから死んだ仏さんとして怒るには一つ足りないし‥‥ふむ、ならここも素直に、少女らしくしようか。

 摘んでいた服から手を離し、顎から(したた)かに付いた皺に視線も落として、ちょっと大きめの声でぼやく。

 

「帰る」

「え? 遊びに来たのでは‥‥」

 

「来たけど、美鈴にいじめられたから帰るわ」

「いやいや、ちょっとした冗談で‥‥」

 

「冗談で婆扱いされたから、もう帰る」

「怒らないって言ったじゃないですか」

 

「怒ってないわ、拗ねてるの」

「拗ね‥‥ソレも可愛いですよ? だから、ね?」

 

 ダメですか?

 そんな風に言われながら肩を揺らされるけれど、頑なに顔を背け抗う。

 そうしていると高い背を屈めてこちらの顔色を伺ってくるが、全力でその視線を頭ごと逸らし、明後日の方向を向いてもらう。今顔を覗かれてはマズイ、泣くどころか真逆、笑いを堪えるのに忙しく、どうにか肩を揺らす程度で我慢しているような状態なのだ。

 こんな顔を見せれば折角作った空気が壊れる、美鈴自身も遊び半分だというのは理解しているだろう、それでもどうにかあやし引き止めねばなるまい。主の遊び相手が自分の行いのせいで帰ったともなれば‥‥ちょっとは叱られて、飯抜きか、あたしの代わりに妹と戯れざるを得なくなるだろうよ。そうなれば、壊される事はないだろうが、それでも翌日の仕事に残るくらいに疲れはするはずだ。疲れもすれば眠くなる、そこから読めるのはあたしの言った通り緑の置物になるというギャップのない姿。見せてくれたキャラにない言い草を聞いて、そこからギャップの感じられない姿をとらざるを得ない状況に持っていく、なんとなく思いついた意趣返しだがそれなりに気に入ってくれたらしい、こちらを伺う様子が必死だ。 

 

「ダメ、取ってつけた言い方が気に入らない、ヤダ」

「ヤダって、妹様も会いたがってますよ?」

 

「あたしも久々に会いたかったけど、泣かされて帰ったって言っておいて」

「泣くってまた、大袈裟な‥‥ちょっと、顔を上げましょうよ」

 

 肩を震わせ、無言で笑う。

 大した事はなにもせず、単純に気に入らないから拗ねただけでこうもやり込めるなんて思っていなくて、それが存外面白くて、耐えつつ肩も心も躍らせ思考する。

 謀る事はやはり奥が深い、大真面目に何かを企んで仕掛けるよりも、ちょっとだけ素直さを覗かせてみただけで焦る顔が見られるとは、何がとっかかりになって笑える事に繋がるのかわからないな、何事も往々にして読みきれないものだ。

 もう少し時間に余裕があればこのまま遊んでいたいくらいなのだが‥‥なんて思考を読まれたように現れる、時間稼ぎが得意な少女。正しくは稼ぐというより止めるだが、止まるのに稼げるとか語感がおかしく思えるけれど、実際稼げるのだからそこはいいな。

 何やら平たい輪っかを持って登場してくれて、その手に持った物はなんだい?

 

「美鈴、またお願‥‥何を遊んでいるの?」

 

 問う門番に荷物を押し付けつつ、こちらはチラ見のメイドさん。

 相変わらずのぽっと出具合だな、なんて俯いたままで感心していると、仕事はどうしたのか、と、輪っかを膨らませ始めた美鈴に季節風より冷える視線を投げかける。白より青の方が多い格好だというのに目つきは白けていて、そこでバランスでも取っているのかね?

 まぁいい、門で笑ったからか福が来たのだから。新しい遊び相手が来てくれたと思い、ビニールの輪が形になるまでこっちをからかうかと考えた、が、数度の呼吸だけでパンパンに膨らんだビニール製の輪っかっぽいの。何かと思ったら浮き輪だったのか、人間ならもうちょい時間がかかるはずだろうが、妖怪ならこんなもんか。

 兎も角、それを預けてあたしのおもちゃと話し始めてしまう中華小娘。あたしはまだ拗ねているはずなのだけれど、後から来た小娘の方にすぐに見る先を変えてくれて気移りが早いな。

 なんだ、あたしよりソッチの方がコワイってか?

 まぁ、怖いな。

 

「遊んでないですよ、寧ろ遊んでいって欲しくてこうして捕まえてるんです」 

「遊んでないわ、いじめられてるの」

「そうやって茶化さないで下さい、それを遊んでいると言っているのですわ。全く、真面目に取り合って時間を割かれるくらいなら無視でも、放置でもしたらいいのよ」

 

 出てきたそばからまた酷い言われように思えるがそれが正解だろう、こうやって構ってくれる美鈴には嬉しく思うが、職務に従事すると考えるならばあたしは放っておくのがいいだろうよ。

 ここで放置されたところでどうせ帰らん、わざわざ出向いて遊びに来たのだから、目的を果たすまではダメと言われても居座るつもりだ。門番はちょっとだけ慌てているようでそこは忘れているみたいだが、さすがにこっちのメイド長は冷静だ。

 

「本日は‥‥遊びにいらしただけなんですね」

 

 美鈴の言い訳と手荷物から察したのか、来訪理由は語らずに知ってもらえた、まだ年若い女子だというに理解が早くて妬ましい。先にも思いついたが、本当は時間を止めるよりも頭の回転を早めたり、なんやかんやしたりするして思案する方が得意だったりするのだろうか?

 それとも時間を止められるからこそじっくりと長考出来たりするんだろうか?

 後者なら面白いな、自身の世界に閉じこもり、これはなんだあれはなんだと首をひねる姿はきっと愛くるしいだろう。他のツートンカラー連中よりも少しだけ年上で、それ故冷静さを窺い知れるメイド長がそんな姿を見せてくれたらいいけれど、生憎止まると咲夜一人の世界になってしまって見られないんだったな、それはそれは残念だ。

 

「また思考が逸れていらっしゃるようで。お入りになられるならご案内致しますが?」

「そうね、浮き輪があるなら水着なんだろうし、あっちこっちに気が取られる前にソレでも眺めに行きましょうか」

 

 僅かに右手を上げて引き止めるような、先の流れはなんだったのかって顔の門番は放置して、歓迎に出てくれたメイドに答えるとこちらからも片手を差し出される。お荷物お預かりします、もしくは不審な物でもないか見ますって雰囲気の手だけれど、それには渡さず並んで歩き出す。

 渡してもいいのだけれど、これは折角持ち込んだ悪戯のための道具だ。これを見せるのであれば適した頃合いに見せたいし、そうした方が多分面白いだろう。それ故今晩までは内緒だと、ウインク決めつつやんわり断ると、また察してくれたようで、手を引いて先を進み始めた。

 紅魔館の石畳をカツカツ鳴らして、少し長めのエプロンの締まり目を揺らして歩く従者。不意に目に入った揺れるもの、それにじゃれつきたい心を今は抑え時だと己に理解させて我慢する。

 そうして気を紛らわせるように、こちらも遊び道具の入った包みを揺らして後に続いた。 



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EX その41 遊びに来た先

 目に悪い館内を案内されて進み、辿り着いた大空間。

 何度となく足を運んでいるからメイドの案内などいらない、そう考える部分もあるにはあるが、そうして一人で歩き回るといつのまにやら迷子になるのがこの屋敷、紅魔館。

 外からの見た目だけならそれなりのお屋敷ってだけで、一刻も歩き回れば一階部分は全部踏破出来そうな広さに見えるのだけれど、先を歩いて案内してくれたメイドさんの力のせいで、中はなにやらだだっ広いってのがここだ。

 少し訪れなかっただけであのホブゴブリンが寝食を過ごす部屋が出来ていたり、自称ハイセンスな屋敷の主が可愛いとべた褒めするペットを放し飼いにする部屋があったりと、見慣れない部屋や通路があるように感じられて、下手に一人で入らなくて良かったと地下に来て思っていた。

 

 知らないうちにといえば、今いる大図書館にも出来ていたか。

 初めて訪れた夜にはなかった物。

 正しくは物というか場所というか、本が犇めく空間にあったら湿気ってしまいそうな水量を湛えるモノが、今目の前で小さな波を立てている。

 海のない幻想郷、そして本来ないはずのプールで騒ぐのはここの末妹と、それに付き合う図書館の司書に、縦縞の水着っぽい何かを着ている魔女殿、残りは仕事を忘れて遊びまわる数人の妖精メイド達ってところか。別枠で見れば、プール近くにある本棚に黒いパパラッチもいて撮影しているみたいだが、こちらは撮らず一心不乱にフランを撮影していて忙しいらしい。

 あたしや文に比べれば若々しくて瑞々しい少女達、それを撮るのは楽しいようで、偶に風を起こして少女達の濡れ髪を流したり、飛沫を上げて演出しているが、また器用な風を吹かすものだな。水面を揺らしながら、遊ぶ連中の髪や水着を靡かせる風。

 稀にこちらにも吹いてきて、お前も早くと煽られるているけれど、これはこの場に吹き回された気まぐれな風としておいて、ついでにあの黒いのも、者ではなく、ちょっとした演出装置で、物だとでも思っておこう。

 

 あっちはそれでいいとして、眺める先の相手を思う。

 視界に映すは一番はしゃいでいる相手。赤いワンピース型の水着が似合う妹だが、その背中の羽の色を水面に写しつつ、キャッキャウフフと水面を乱しては相手してくれる司書殿をプールに沈めて笑っていて、随分と楽しそうだ。あんな風にはしゃぐ姿を見ていると噂など本当に噂なのだなと思える、気が触れていて幽閉される妹、身内も手を焼くほどで495年間もの長い時間閉じ込められている、それ故悪魔の妹なんて呼ばれているのだったか。

 それ自体は間違っちゃいない、彼女は実際吸血鬼で悪魔だ。

 そこは噂も事実も同義だとしても他の部分、気が触れているって部分は今の姿からは感じられない。時偶に加減を間違えて司書殿の腕を引いて腕を脱臼させてみたり、水着に手をかけて引っ張り、背で縛っている紐を解いてしまったりしているが、その辺は子供らしい無邪気さというか、悪戯心だとでも思えばなんて事はない。

 

「混ざらないのか? 遊びに来たんだろう?」

 

 置かれているデッキチェアに横になり、もうちょっと頑張れば溢れて眼福となるだろう司書殿の胸元と、それを執拗に狙う愛らしいお友達を眺めていると、同じくプールサイドにいる輩から問われる。隣に並ぶ椅子、あたしの座るものよりは少しだけ贅沢な作りに見える物、水を弾く素材で出来た寝椅子、形からすればシェーズロングとか言う西洋家具だったか、それに寝転びこちらを見る屋敷の主が聞いてきた。

 

「水場は苦手なのよ、水着は着るより眺める物だと思ってるの。というか、あんた達って流水ダメなんじゃなかったの?」

 

 隣りにいるやつ。

 妹と形は揃いで色違いの、白い水着姿でいる姉に、今の状況は問題ないのか聞いてみる。つい先程までは門番が膨らませた浮き輪に尻を収めて、プールに浮かんでいた吸血鬼。少し前に妹に下から持ち上げられて、盛大にひっくり返されたもんだからこちらに逃げてきたレミリア。そんな奴さんの身体を見つつ、司書殿とは違ってこちらはまだまだガキンチョだなといった顔で聞く。

 

「フンッ 品定めしながら何を言うかと思えば。流水は渡れないだけだ、ダメってわけじゃない」

「ふぅん、結構有名な弱点だと聞くけれど、実際は弱点らしくないのね」

 

「まぁな。そもそも私達から苦手だと言い出したわけでもない話だ、尾ヒレ背ヒレが付いてしまって色々と苦手だと言われるが、案外大丈夫なモノは多いんだよ」

 

 それもそうか、色んな連中から日光がダメだ十字架がダメだと言われているけれど、陽の光は日傘や日焼け止めで対策出来るらしいし、十字架なんてのも効かないどころか自身で真似てスペルカードにするくらいだったな。

 なんと言ったか、なんたらレッド?

 それともなんたらナイトメア?

 そんなハイセンスで、他の者には思いつきそうもない素敵なネーミングのあのスペル。ここに良く仕入れに来る黒白から聞くには、手を広げてはっちゃけたらあんな形になった、って話未来だけど、それがただの勢いからではなくて、なにか皮肉めいた部分もあって手を伸ばしている気がしなくもない。

 

「何か考えているみたいだな、足りないか?」

「雑多な事を考えていただけよ? でも、そうね、目は忙しいけど耳は暇だし、追加があるならついでに聞いてあげるわ」

 

「なら私も口の暇を潰すとしようか。プールも風呂も溜まっているだけで流れているわけじゃない、だから問題ないのよ」

「その理屈もわかるけど、中で動けば水流が出来るんじゃないの?」

 

 本人が問題ないというのだからそれ以上はない。

 そう納得してはいるが、一度話し始めるとあれやこれやと口をついて出る、大して興味もないような事だというのに聞いてみたくなるのはなぜだろうか?

 わからんな、理由などもどうでもいいか、悪魔本人が大丈夫だと話してくれているのだ。そういった悪魔の証明を立証するような考えに興じるなど、酷く面倒くさい。

 

「水流は水流、流水は流水で別物って事よ。詳しく述べるなら‥‥いや、わかるでしょ? これで」

「まぁ、そうね。本人がそういうならそれでいいわ」

 

 対して興味がなさそうに聞いているだけのあたしに説明するのが面倒なのか、後は勝手に結論づけて、だから大丈夫なのだと思ってくれていい。言いっぷりからはこう読み取れたので、本人から言われた通りにそうしておく。

 実際興味もないし、水遊びに戯れる姿も進行系で見ている為、本当にどうでも良かった。

 

「そう、それでいいのさ……しかしだ、そんなつまらない事を聞くくらいなら別に言う事があると思うが、そっちには触れないのか?」

「ひっくり返されてご立腹かと思って、突かなかったのよ」

 

「あれくらい、ただの遊びで腹を立てるほど小さくないわ」

「見た目はホントにただの子供なのにね。あっちも、引きこもりがちだっていうのがわからない活発さだわ」

 

 あたしが納得すると、一言多いとぼやきながら見る先を変えたお嬢様。

 かけていた丸いフレームのサングラスを頭に乗せて、プールの成分にでもやられたような赤い瞳で妹を眺め始めた。その視線に促されこちらも姉から妹に視線を泳がせる、水場だから泳ぐに掛けたというわけではない。フランがもう少し頑張れば今度こそビキニが剥がれるだろう司書殿と、それを握って楽しそうな妹の二人の間で、どちらを中央に捉えるか悩んでいるだけだ。

 そうやって眺めていると、司書殿からは救助の手が振られ、妹からはこっちにおいでという手が振られた。

 

「呼ばれているぞ、行かないのか? あっちで遊んでもいいし、妹と遊んでもいい。偶に来たなら少しは付き合ってくれてもいいんじゃないか?」

「言ったでしょ、水場は苦手なの。それに水着がないわ」

 

「ダメではなく苦手なだけなんだろう? なら少しは年長者らしく我慢してみたらどうだ? それに、水着も問題ないわ」

 

 パンパンと叩かれる吸血鬼のお手々。

 片手の平を四本指で叩いて誰かさんを呼んでくれる、その仕草から現れるのは当然のようにここの従者‥‥かと思ったら、呼ばれたのはその髪や生やす翼に似た色合いの水着を着ている誰かさん。キラリと光るレンズを覗かせ、プールの中の者達を写していたが、呼ばれて飛び出て即参上してきた。

 

「あやや? レミリアさん、呼びました?」

「呼んだ。確か、持ち込みの物が余っているって言ってたわね。こいつに貸してあげて」

 

 飛んできた烏に向かって持ち込みを出せと命じる主様。

 ちらりとこちらを横目で見てからそれに答える水着記者、自前で持込みって事はそれを誰かに着せての撮影って考えがあったのだろうが‥‥余っていると聞く限りあの門番かメイド長、もしくは良く来る黒白かそれを窘める役の人形遣いの分ってところか。

 前者三人の分だったとしたらあたしには着られないな、よくも悪くもサイズが違っていて、スッカスカになるか締め付けられるかしてしまってダメだろう。というかそもそも着替えて混ざる気は‥‥悩んでいるとレンズ越しにじっくりと見られる、なんだ、その数値を測るような視線は。

 

「そうですね、アリスさんに着せるはずだったものなら‥‥貸してもいいんですが、素直に着替えるとは思えませんよ?」

「さすがに文ちゃんね、言ってくれた通り、着るつもりはないわ」

 

 ちらりと本棚の上、先程まで陣取っていた辺りを見てからあたしの身体を見る天狗。

 先の視線も強ち間違ってはないかったようで、あたし自身が考えていたようにこちらの記者も人の身体を良く見るものだ。そういった事に対する審美眼は素晴らしく、清く正しい使い方をすれば素敵な物だと思えるけれど、使い道が邪に過ぎるって辺りがパパラッチな文らしさってやつか。

 文と見合いつつ当然着ないと二人で語る、それでも諦めないのか、文に対して何やら追加を語るお嬢様。何を言ってくれるのか、そこからどうやってあたしを懐柔させるのか、これもこれで面白いし、口を挟まず見ていよう。

 

「大丈夫よ、そこも問題ないわ」

「はて、大丈夫と言いますと‥‥どういった理由からでしょうね、面白い話になるなら是非とも記事のネタにしたいところですが」

 

「ネタになるかはわからないけど、そういった運命にあると私の能力が教えてくれているわ」

「レミリアさんの能力ですかぁ……それって眼に見えないからネタ作りの証拠にはならないんですよね」

 

「それでもネタになるのよ、アヤメが水着になりさえすればね」

 

 ここまで話してふと止まる、後はないかと見ていれば、もうないってな感じでこちらを見て、小さなその手を広げてみせた。

 ふむ、ちょっと期待して聞くだけでいたが、言いたい事を全部言わせてみればなんて事はない、自分が操るという運命がどうこうって力になぞらえて、あたしの運命をそう動かした‥‥って事を言いたいらしい。ともすれば、いずれは着替える運命ってのが訪れる事になるのだろう、ならここは話に乗っかり先に着替えて手早く済ませておく、という誘いに乗ってあげてもいいが、まだ遊びに乗るにはちょいと弱い。

 もう少し、後ひとつふたつくらいでいいから乗ってやろうと思わせるモノを言ってきてほしい。あたしはお嬢ちゃんやら愛称やらで呼ぶ事はやめたのだ、だというのなら不遜で高慢なここの主様らしく、あたしにも我儘を通してみせてはどうだろうか?

 ネタというか笑いの種にでもしたいのだろう?

 ならばそうしてみせろ、と、伝えるように、こちらも同じく平手を見せる。

 お手上げだ、そんな意味合いで伝わってしまう前に、そのまま指先だけを僅かに折って、もうちょっと何か寄越せと示してみるが、返ってきた言葉はここの主からではなく、煩いおねえちゃんからのお言葉。

 

「レミリアさんからのお話は兎も角、私に対してのツケもそろそろ払って頂きたいですね」

「また藪から棒な物言いね、ツケは払えないからツケなのよ? それを回収だなんて、記者はやめて、悪徳取り立て業にでも鞍替えした?」

 

「あやややや、払えないと開き直る方が悪質だと思いますよ? それに、そのような事を仰る割には回りがいいと聞いてますね」

 

 鳥っぽい取り立て業者に言い返し、そのお返事頂いていると、別の羽根付きがここが乗っかり時だというかのように身体を起こした。なるほど、お前さんはそっちの烏にノるか。

 ならば良し、二人同時に相手してやろう。

 そんな気概を口に込め、軽い文言を吐く‥‥前に、蝙蝠に先手を打たれてしまった。偶々時を同じくしている付け焼き刃のくせに良い連携を見せてくれるが、口煩いの天狗と目に煩い屋敷の主だから組みやすいってか?

 二人してはばたいてくれて、靭やかな羽根を伸ばす姿が優雅で妬ましい。

 

「この間の宴会か、確かにあの時は大盤振る舞いだったな」

 

「神社に奉納する分はあったんですねぇ」

「何処からくすねてきた金だったのか知らんが、アヤメの割にはあれこれ買って持ち込んでいたな、あんな姿を見せておきながら払えないなど、どの口が言うのか」

 

 先日の思い付き、嫌がるろくろ首を無理くりに連れ出して参った神社での事を言うか。

 あの時は確かに手持ちがあったし、神社に行く前に荷物持ちに結構な量の酒やら食い物やらを持たせて参加していた。そうしてそれを文に見られてもいるし、いつの間にか参加していたここの姉妹にも見られているはずだ。

 最初はお賽銭として奉納するつもりだったけれど、神事にあぶく銭を使うのはどうかと思い直し、ついでに言えば消え物にしてさっさと流通させてしまった方が、あの時にしてやられたと本屋の娘にバレ、文句を言われても問題ないだろうって考えから動いた事だったが‥‥

 

「裏目に出たわね、慣れない事をするもんじゃないわ」

「そうですね、不慣れな事をするから今のように突かれるのですよ?」

「だそうだが、どうする? アヤメ?」

 

「どうするもこうするも、文が代わりに言ってくれたじゃない、慣れない事はするもんじゃないの。だから着替えも泳ぎもしないわ」

 

 文がいいところを突いてくれたお陰で楽に返せた軽い口、自身の種族らしく突いてくれたものだから、あたしの藪から蛇を出すことが出来て随分と捗った。言い返すと何やら考え始める天狗記者、それを見ている吸血鬼。勝ち馬になるはずだった烏に乗っかりあたしを追い込んできたが、鞭を入れるのは少し早かったんじゃないか?

 再度手の平をニギニギして運命でもこねくり回している風体だけれど、そうやって見えない糸を操ったり捩ったりするのは今はやめて出来れば夜まで待ってくれ、その方があたしの意図が楽しい物になるはずだ。

 

「ではそこは諦めて‥‥支払いはどうします? 断るならモデル料以外の宛もあるんでしょう?」

「ないわね、今は」

「今はというのはなんだ? 今視えたモノがそれか?」

 

「ん? レミリアさんには何が見えたのでしょう? 内容次第ではそれを代金にしてもいいんですけど、是非とも聞かせてもらいたいですねぇ」

「これは今夜の流れ、か? ここにいる皆で空を見上げているが‥‥」

「それ以上は見えてないのね、そうよね、あたしの運命を見たというならそこから先はまだ読み切れていないもの」

 

 問いかける文に途中まで言いかけるレミリア、そいつらに向かってほんの少しだけネタバラシ。というか先にバラされてしまったので、持ち込んできた荷物を解いてその中身を見せ、一つ摘んで口へ運んだ。

 

「お団子、と、供物台ですか? 今夜お月見でも?」

「中秋の名月というやつか? あれは数日先ではなかったか?」

「お月様を愛でる練習ついでにフランちゃんの頑張る姿でも愛でようかと思って、話に乗ってくれるか、そして都合良くそんな夜になるかどうかはわからないけどね。まだ話していないし」

 

 何をさせるつもりか、そんな表情でいる二人を見つめ、ニヘラ笑いに興じていると、名を呼ばれたのが聞こえたのか、水を滴らせる良い女、って言うには少しばかり慎ましやかな体つきのお友達が飛んでくる。

 片手には司書殿が来ていた水着を持って、もう片手には縦縞の、話している内にいつの間にか巻き添えをくっていた魔女殿のパレオを持ったお友達。戦利品を両手に、呼ばなかったかと、寝転ぶあたしに視線の高さを合わせて聞いてきてくれた。

 可愛い顔が近ければ、大きなお目々も近くで輝かせてくれて、なんとも愛くるしいな、これは。

 

「呼んだわ、今夜暇してる?」

「暇だけど、何かするの?」

 

「デートのお誘いよ、場所は外‥‥といっても屋敷の庭だけどね」

「お庭でデート?」

 

「そ。で、どう? あたしからのお誘いは受けてもらえる?」

「暇だしいいけど、私からのお願いも聞いてくれる?」

 

 応えられるなら。

 そう返すと、一緒に遊ぼうと右手を取られた。

 これはまたどうしたものか、あたしのお誘いの為に聞いてあげたいところだけれど、本当に水だけは苦手で困りどころである‥‥が、ココは一つ願いを聞いてみるか。年長者らしく我慢をしてみろと諭された手前も、ついでにツケを返しておくいい機会でもあるわけだし。

 よくよく考えればあたしも水場は苦手だけれど、雨でずぶ濡れになったりするのには慣れているのだ。この吸血鬼姉妹も水がダメだと言われておきながら実際は風呂も入るし、プールで遊ぶ事もある。ならばあたしの水が苦手というのも食わず嫌いというか、思い込みというやつなのでは、と思わなくもない。

 これは弱点を克服だか払拭だかするチャンスでもあるか、それなら‥‥

 

「文、水着ってどれ?」

「遊んでくれるの? やったぁ」

「あやや、さっきまで渋っていたのに、どういった心境の変化ですかねぇ」

「そうだな、聞いておきたいところだ。フランからのお願いは聞いて、私達からの話では乗らなかった理由というのがあるんだろう?」

 

 着替えて遊ぶ、そうは言わずにあたしに渡すはずだった水着はどれかと問うてみる。そうすると、両手を上げて戦利品を放り上げた。そのを瞬間を狙っていたように魔女殿が魔法でも使ったのか、パレオを自分の方に誘導する。横目でその流れを確認して、ついでに流れた司書殿のトップスも確認し、手元に届く瞬間にそれを逸らす。

 手に収まる寸前で取れなかった水着、そうして掴もうとした片手は隠していた胸元から離れ、狙い通りの眼福物が‥‥見られる前に可愛いおへそで視界が埋まる、どうやら妹はワンピースではなくタンキニってやつだったようで、万歳したからおへそが見えたらしい。

 狙った物は見られなかったが、まぁ、いいか。これも可愛いお腹だと思えるし、乗らなかった理由に宛てがうにはこういった可愛いモノだと言うに限る‥‥姉組の二人は可愛いところなんて、水着姿以外は見せてくれなかったしな。

 

「可愛らしい姿でお願いされたからってだけよ、それだけ。着替えてくるから少し待ってて、それとも着替えから手伝って、遊んでくれたりする?」

 

 二人にはらしく返し、何かを言い返される前に動く。そのついでにフランに問いかけてみた。いつかのあたしも脱がされたし、そうやって誰かを脱がすのが好きなのならノッてくるかと思ったが、ここではノラずに先にプールに飛び戻っていった。

 なるほど、悪戯心より遊び心が優先だって事か。さっきのお戯れも、あたしが狙っていたモノとは別で、必死に胸を庇って逃げる司書殿や、それを眺めるだけで落ち着いていた魔女殿が面白くて、ソレに対して向けた遊び心ってやつなんだろう。

 

 そんな事を考えながら文のいた辺りに飛び上り、持ち込みっぽい匂いがする鞄を開けて、それっぽい水着を探してみた。出てきたのは、順に、白地に黒ドットのフリル付きワンピース、持ち主の記者らしい黒白ツートンのビキニ上下、後は部下のあの娘っぽい白メインで、所々に赤いラインの入ったモノトーンのワンピースぽいやつと、最後は紺色一色のやつ。後半の2つの内前者は言った通りだが、後者は下っ腹の辺りだけが開く作りで、後は飾りっ気のない二本の裁縫跡が目立つくらいで地味な物。

 この中であたしが着るならどれだろうか?

 フリル付きと地味な奴はさすがに着られないなと、残り2つを見比べていると、背中から声を掛けられた。

 

「どっちにするの?」

「どっちがいいかしら、ね?」

 

「ビキニのがそれっぽいと思うけど?」

「じゃあそっちじゃない方にするわ」

 

 言われると着たくなくなる、というわけでもなく、今回は素直に好みな方を選んでみた。

 前から見ればワンピース、背中側から見ればビキニのように上下分割して見えるコレ。色合いこそ生真面目白狼のそれに似ているが、前後で見た目にギャップが有るというのもまたいいだろう、屋敷に入る前には門番相手にそんな話をしたわけだし‥‥素直なビキニやワンピースでないって所もなんとなく好ましいし、これなら引剥される事もないしな。

 

 色々と考えつつゴソゴソと着替え終えた後、尻に食い込む水着を直していると、小さくカシャッと音が聞こえた気がしたが、そこは聞こえなかった事にして、カメラマンの方を一瞬だけ見て、目が合ったのを確認してから着替えの終わりとした。

 別に裸でもなし、撮られたところでなんちゃない。ついでにこれもツケの返済だと思えるし、これくらいの露出度であれば普段のスカートから見える足やへそとも、着物の脇からチラ見えする下乳とも大差ない。ならここは少しサービスしておくかと、わざとらしく屈伸をしてちょいと食い込ませてから、尻の布地を弾いて音を立ててみた。

 パンと小さく鳴ると、またカシャッと音が鳴る。

 

 見るなら中身だと自分では思うが、何やらこういった部分を好む者も一定数いると聞くし、そういった相手に売るならそれなりの金額で売れる‥‥といいな、その被写体が逸れているだろう写真。逸らした結果が何を写したのかは知らんが、あたしに向けてシャッターを切った事には変わりない、つまりはあたしは撮られて文は撮ったと認識しているって事だ。後々で現像した時に文句を言われそうだが、実際に撮影しているのだから、その時はそれを理由に煙に巻こう。

 なに、相手もあたしに慣れているし、これがダメでも多分何かしらで儲けを得るだそうさ。

 この記者もそう出来るくらいの年長者ではあるのだから。



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EX その42 遊ぶ相手の向かう先

 屋敷の地下で一騒ぎ。

 遊ぶとお返事してからテンション高めの妹を筆頭に、まったりしていた姉もまた遊び始めて、近距離ショットを撮ろうとしていた出歯亀に姉妹揃って水をかけ始めて、何をするんですかと煩い天狗が更に煩くなってしまって、あたしはゆっくりと寝ていられなかった。

 誘われたのに寝ていて良かったのか、そう問われたらいいと正面切って言い返そう。

 あのお願いがもっと面倒な、例えば、きゅっとしてドカーンさせて、とか、あからさまに厄介なお願い事だったとしたらどうにか言い包めて逃げ切るけれど、ちょっとした水遊びの誘いなど好ましいもので、一度いいと言った手前もあるし出来ればお付き合いしたかったのだが‥‥生前苦手としていたものはやはり苦手、というか血肉を失いほとんどを精神面に寄せてしまった今は、以前よりも余計に水中が苦手となってしまったらしい。

 

 幼女と遊んでどうなったか、結果から言えばまた消えかけた。

 それでも溺れるだとか、泳げない、潜れないとかそういった事はなかったが。

 風呂にはあたしも入るし、泳ぐ事も狸らしく苦手ではない、足のつく深さしかないプールで溺れるほど⑨でもない。潜るのも、他の人よりは短時間だが出来なくもない。

 が、それでも苦手なのは煙混じりの妖怪だからだろう、元より火の立たない水中、重ねてあたしは煙草の煙を元にした身体である。火事の煙が水に溶けるかはわからないけれど、煙草の成分はよく溶ける、それ故薄れて消えかけた、というのが大きな理由だろう、多分。

 最初はフランと一緒に遊んで、レミリアの足を引っ張って沈めてみたり、二人で前後から司書殿の水着を再度狙ってみたりして、それなりに楽しんではいたけれど‥‥少しした頃に、アヤメちゃんなんか薄いよ、と言われて、腕やら見返してみれば確かに透けてしまっていた。

 

 そんな事があって、付き合えなくて悪いと思いつつ、本来禁煙である大図書館だというに、書庫の主とメイド長に無理を言って灰皿を持ってきてもらい、吸っては吐いて吸収してを繰り返したのが今日の昼間のお話だ。日も落ちた今ではすっかりと体も戻り、屋敷の庭先に、これも無理を言って出させた小さめのテーブルと揃いの椅子を並べて、そこで一服しながら持ち込んだお酒とお月見団子をつまんでいる。

 

「で、何時ぐらいに始まるんだ?」

 

 綺羅星がゆっくりと巡る空を眺め、頭を持ち上げたままの姿勢で聞いてくる。

 どれくらいだったか、それを思い出すようにあたしも屋敷の主様に習って空を拝む、そうしていると視界の先でひらひらと飛んでいた宝石っぽいのがこちらに戻ってくるのが見えた。

 待つのに飽いたかね、戻ってきて人の盃からお酒を吸って喉を潤し、近くにあった団子をつまむ悪魔の妹。今回はタレを中に仕込んだらしく、見た目は無味な団子だが、噛んで味わった後に愛くるしい顔で羽をパタつかせたフランちゃん。

 

「これ、美味しい! ね! ね!?」

 

 あたしもこのタレは美味しいと思うけれど、見た目でわかるくらいに騒いでくれるとは、年増な兎詐欺にからかわれつつ、イヤイヤながらも搗いてきた甲斐があるものだ。

 先に摘んだ妹が騒いでいると姉もどれ、と、手を伸ばすが、伸ばした先で積まれている団子は再度妹の手中に収まった。姉妹らしいお戯れなんて可愛いじゃないか、そんな風に眺めていると、ソレ以上に愛くるしい場面に出くわした。

 

「はい、お姉様、あ~ん」

 

 プニッと、人形のような親指と中指で摘み上げた団子が、姉の口元へ運ばれる。

 仕草も可愛らしいものなら、その表情はもっと愛くるしい妹様。皮膜があればこの辺り一帯が暴風域にでもなりそうな勢いでパタつく羽、それに負けないくらいに瞳も輝かせて、見た目から口を開いてと語ってくれている。

 が、姉は別の理由で口を開いた。

 

人前(ひとまえ)よ、フラン」

 

 ズズイと出された妹の手を少し押して、自らの身体から遠ざける姉。

 人前、屋敷の者ではないあたしや文がいるからと、人を断る理由に使って妹を遠ざける。 

 

「なんで!? なんでダメなの! いっつも咲夜にさせてるじゃない!」

 

 レミリアが断るや一転、別の意味で光り輝くフラン。紅一転とはこういう事か、なんてくだらん思い付きを浮かべている空気ではないな、さすがに。

 そうして意味が変わると、含まれる色合いも変わってしまって、つい先程まで嬉々とした明る色合いだったというのに、一瞬にして屋敷の壁っぽい赤さに飲み込まれていった。

 なるほど、これが触れているって部分か、噂として流れる通り激しい部分もあったのだなと、フランに同じく親指と中指で煙管を咥え眺めていた。そうしていると聞こえる悪魔の囁き、小さくて聞き取りにくいが『咲夜はいいのに、なんで』と、拒否されて俯く金髪から声が漏れた。

 あたしに聞こえたのだからレミリアにも当然聞こえているだろう、それでも動かず、話さない姉。そんな態度を見飽きたのか、いや、呆れたのか、レミリアからあたしの方へ伸ばす手の先を変える悪魔の妹。こちらも別の意味で赤さを増してしまっただろう眼を見つつ、差し出されたお団子を悩まずに頬張り、姉を放って会話をしていく。

 

「ね? 美味しいよね?」

「当然、あたしの持ち込みだもの」

 

 返事をするとどういう意味?

 そう問われたので、これは気に入ったモノだから気に入ったモノの為に持ってきてみたと、そんな風に正面から伝えてみた。返答を受け一瞬考える素振りのフラン、数秒停止してからすぐに、漏らしている魔力の色を赤からオレンジへ変えていく少女。

 少しはゴキゲン取りが出来たかね、子供をあやすなどいつ以来か、四足だった頃以来か?

 覚えていないがそれならもう記憶の彼方だな、なんて考え事は頭に感じた重さにかき消された。

 

「これってアヤメちゃんが作ったの?」

「作ったといえば作ったんだけど、盗ってきたって答えの方が質問の答えには正しい気がするわ」

 

 頭の上の頭と会話。

 背中側から覆い被さるように乗った子供の身体と頭、その顎が話す度に動いてあたしの頭皮を刺激する。そんな刺激を受けたからか、この屋敷の魔女殿みたいに問いかけに含まれる内容と、そこから繋がる大元までをするする話す事が出来た。

 

「何処から取ってきたの?」

「お月様からよ、ちょっと前に行って盗ってきたの」

 

「そうなんだ、お姉様も行ってきたけどお土産なんてなんにもなかったわ」

 

 ちょっとの会話で機嫌が戻ったからか、顔は見ないが、お姉様と言葉にするくらいには怒りを鎮めて沈めてくれたらしい。全く、なんであたしが姉の尻拭いなんぞせねばならんのか、というのは考えるだけで言わずにおく。

 プールでも考えたが、この子らは若い、あたしや文からすれば半分も生きていないようなお子様だ。それなら少しの癇癪くらいは大目に見てあげて、ついでに尻拭いも‥‥してやってもいいかなと思えた、本当ならあっちの門番辺りがすべきだろうが、ここでもサボりか、それとも目を開けて寝てるのか?

 そうだとしたら器用だな、本当に。

 

「それは残念ね、でもお土産はあったって聞いてるわよ? 咲夜とレミリアの焼き物が月から届いたって聞いてるけど」

「負けて散々に焦がされたと、聞いた通りに言ってくれても構わんよ」

 

 拭うだけではつまらないので、少しばかり悪態を擦り付ける。

 それでも過去の火傷の傷口だから傷まないのか、構わないと返されてしまった。けれど、そう言われると言いたくなくなるのがアマノジャクな乙女心ってやつだ。

 こうやって捻くれてみたりすると、前とは考えている事が違うなどと窘められそうな思考だけれど、乙女心は今時期の空模様と同じく変わりやすいものだ、。なら毎回都合よく変わったとしても当然だろう。生憎と今の話し相手である乙女から受ける問いは変わらないようが、こいつらはまだ幼女だし、変わらなくとも致し方ないな。

 

「それでアヤメちゃん、まだ待ってるだけなの?」

「聞いた通りなら後半刻もすれば始まるはずなんだけど‥‥まぁ、視た人が視た人だし、お姉様が運命でも弄んでくれた方が早い気がするわ」

 

 戻ってきた妹に誰の事か問われ、少し顔の角度を変えてメガネのレンズを光らせた。

 そのままクイッと、レンズの横をのフレームを薬指で持ち上げて治す仕草。あの男が静かな店内で読書中にやっている仕草を真似てみせると隣の姉が、あの男か、と、何やら納得するような事を言い、お姉様が諦めるような奴なのねと、こちらも納得してくれた。

 そうしている間に図書館組や従者の二人にも、引いては妖精メイドや、まだ残っている天狗にまでちらりと見られてなんとも堪ら‥‥気まずくなってきたので、再度メガネの位置を直す。鼻に掛かる部分のフレームに中指を当て、あたしのよくやる直し方を見せ、言われた事と今出来る最善の策を話してみた。

 すると、視線の集まる先があたしからレミリアに移り、その視線に気が付いたお嬢様が立ち上がってすぐに飛んだ。浮かぶお月様を背にして、小さな体には不釣り合いな白の翼を大きく広げ、仰々しい面持ちとなると、天狗の放つフラッシュにたかれ一層姿を白く見せた。

 

「よし、皆に期待されているならお見せしようか」

「今晩は見られるようにやってくれるの?」

 

「茶々を入れるなよ、アヤメ‥‥ふむ、そうだな、時刻は僅かに早まる程度だが……少し増やすくらいは出来そうか?」

 

 語りながらその小さな右手を天にかざす、こっちから見ている限りは何をしているって言えるような状態ではなく、例えるなら夜空にあるお星様を掴もうとしているような姿勢、というところか。なんだ、やっぱり操ってる姿は見せてくれないじゃないか。

 なんて軽口を叩こうとした時、僅かながら夜空に変化が見られた。十日余りの月を過ぎ、半分よりもちょっと大きくなったお月様をメインに、回りで輝いていただけお星様の中にポツポツと、降り始める星が混ざり始めたのだ。思わずおぉと、感嘆の声を漏らす、その声が聞こえたのか満足気な顔で降りてくる運命の操者。

 

「やるじゃない」

「偶には格好いいところも見せておかんとな」

 

「誰に対してよ?」

「皆だよ、フランも、屋敷の者達にも。ついでに来ている厄介な友人にもな」

 

 フラッシュに焚かれながら降りてきたところで素直に褒める。

 褒めて返ってきたのはレミリアらしい減らず口だったが、今回は素直に驚いて、それからの賞賛だったのでこんな軽口も聞き流せる。というか、実際軽口だけで済ませるには勿体無い仕事をしたというのに、それでも大袈裟にどうだと言わない姿勢が良いものだと思えたので、仕事よりもそちらや、つれない素振りだったがちゃんと妹を見て考えている部分を讃えたつもりだった。

 友人と面と向かって言われ、少しうれしく感じた心もついでに乗せているが、それが伝わったかは別にどうでもいい。

 

「それは私の事ですかね? そんなに親しみを持ってくれていらしたとは、常日頃から新聞を配り歩いてきた甲斐があるというものですねぇ。さっきのレミリアさんもいい表情をされていましたし、次回の新聞にも期待していてくださいよ?」

 

 煩い。

 今までは静か、でもないな、屋敷内で撮ったあられもない司書殿の写真や、魔女殿の写真を扇のように開いて、どれで一面を飾ったらいいですかね、などとわざとらしく言っていたというのに‥‥あたしは魔女殿をおすすめするぞ、パレオを取ろうと追いかけてプールに落ちた瞬間、ちらりと片側が零れたのは見逃してない。

 清く正しい記者なら、そういった縦縞魔女の正しく邪な部分も見逃してはいないだろう?

 って、こいつの事はもういいか、話が逸れてしまって先に進まん。

 

「歩かず飛んでるからあんたの事じゃないと思うわ。余計な事はいいから、撮影しなさいよ」

「そうだな、お前も仕事をこなせ、天狗」

「あやや、随分な言われようです‥‥けれども良しとしましょう、仕事には期待されているようですしね。では参りましょうフランドールさん、次は私達のお仕事ですよ」

 

 キラリ光るカメラを携え、夜の空に飛び立つ文。

 滅多に出さない翼まで見せて、それなりに真面目に仕事をしますと姿で見せてくれてわかりやすい。そんな相手に感化されたのか、背中の宝石群を揺らし、輝かせながら行ってきま~すと出て行ったフラン。

 あたしやレミリアに手を振った後は、少し後ろで見上げていた屋敷の連中にまで愛想を振り撒いてから飛び立っていった。文とは違って夜空に映える羽、少し離れた位置で滞空するのに羽ばたいたのか、夜空に輝石の軌跡が綺麗に生えた。

 そうして待つとすぐに降ってくるお星様。

 どこまで操ったのか知らんがわざわざ屋敷に向かって降ってくるようにするなど、器用なものだ。火+水+木+金+土+日+月を操るここの魔女や、時間を操るメイドに比べれば曖昧で、使いドコロが難しい力に思えたが‥‥なんでも壊す妹の姉らしく案外強力なのかもしれないな、姉の運命を操る程度の能力ってのも。

 そうしていると聞こえる声、いくよ~と、幼子の元気な声が夜空に響く。

 それに対して頑張れと返すのは門番と司書殿、隣の姉は笑って見ているだけで何も言ったりはしなかった。愛する妹の見せ場くらい何かしら言ってあげたらいいのにね、態度で冷たくあしらったのだから、言葉では姉の優しさを見せてあげてもいいのに。と、思いつつ口に出した。聞こえるか聞こえないか、わからないくらいの小さな声で、視線も姉には向けず、友人を見つめたまま。

 

「そう言わないでもらいたいな‥‥今までそれらしい事なんて言った事がないんだ、フランも、今何かを言われては集中出来んだろうよ」

「言い慣れないから恥ずかしい、素直にそういえば可愛げもあるのに、ね」

 

「一城の主ともなると素直なだけではやってられんのさ、アヤメにはわからんだろうがな」

「ここでは一番偉いはずなのにしたい事が出来ないってか、主様は面倒なお立場であらせられるのね‥‥わかりたくもないわ」

 

 視線を交わさないままの会話。

 何を知っているのか知らないが、あたしの事をわかったかのように語られて、そう思われるならと、それらしい返事をしてみた。わかりたくもない、そう言い切った後で、浮かぶ妹からチラリ、横目で姉を探ってみる。

 こちらからの悪態など言われ慣れてしまった、そう見えるくらい変わらないレミリア。雰囲気も表情もよく見られる、偉そうで小生意気そうな様子だけれど、トントンとテーブルを突く指はいつもなら見ない仕草だな。卓を突く行為なんてのはなんだろうな、突かれたくなかった部分を突かれたから自分も突いているのか?

 そうやって同じ場所ばかり突いてると、そこだけ塗料が剥げたりしてしまって色褪せてしまいそうだ‥‥何かを語ってあげるべき相手は夜空に七色振り撒いているというに、姉は褪せていくとか、気に入らんな。

 

「さっきの物言い、立場があるから言えないって事でいいのよね?」

「うん? あぁ‥‥まぁ、なんだ、皆も気にはしないが……今更過ぎてって事よ」

 

 テーブルを突く小娘を小突く、先程は濁されたが二度目の問い掛けには少しだけ素直さを見せて、今更接し方を変えるのは気恥ずかしいとでも含ませたような物言いをしてくれた‥‥のはいいが、素直さを見せるべき相手はあたしではないだろうに。回りの皆も気にしないと、自身でもわかっていながら言ってあげないなんて、これは本当に恥ずかしいだけって事か。

 それならもうちょっと突いてあげようじゃないか。大概は偉ぶって傍若無人なお嬢様モードばっかりで、メイド長にしてやられた時ぐらいしか可愛いところを見せてくれない相手なのだから、こういったチャンスだと思える時には存分に突いていこう。結果もっと面白いものになればそれでいいわけだしな。

 

「今更、ねぇ。ならちょっと練習させてあげるわ」

「練習だと? 素直さでも見せろと? お前に対して? そういう事なら御免こうむるね」

 

 さっきは素直さを見せたくせに、まぁ、見せたというかついつい出てしまったってところなのだろうが、あたしが見た事には変わりないのでレミリアから見せてくれたとしておこう。

 しかしなんだ、真っ向から拒否するとは、そんなに恥ずかしい事かい?

 身内に頑張れだの、愛してるだの言うくらいどうって事はないだろうに。今考えている事、遠くに浮かぶ綺羅びやかな妹の背に語りかけたい事を口に出して、ちょっと応援するくらいの事が何故出来ないのか?‥‥いや、案外出来ない事だったりするか、400年だか500年だか覚えてないが、それなりの時間を一緒に過ごしていながら言ってないと先に語っていたな。

 こちらから見ればちょっと前くらいの年月だけれど、それが生涯だという相手にすれば長い時間だと思えるだろう。それでも話し、言葉にするくらいは簡単だ、と思えるのはそれなりに達者なお口を持つあたしだからだろうか?

 わからんな、そういった相手があたしにはいないし、今更と考える事もあまりない。

 そんな風に、先に言われた通りわからない状態になる頭の中、これはこうなる運命になるように操られでもしたかと少しだけ思いに耽る。そうしていると視界が明るくなり始めた。

 

「派手にやるわね」

「そうだな、随分と派手だ」

 

 ド派手に響く破壊の音、遠くに浮かぶフランが降り注いでは流れてくる流星を、片っ端からきゅっとしてドカーンし始めた音が鼓膜に響いて屋敷を揺らす。

 

「綺麗なものだ、上手に扱うようになったな」

 

 ドカーンの音と被せるように言ったらしい、隣の呟き。

 本来ならば聞こえない音量で、あたしでも破壊音を逸していなければ聞き逃してしまうくらいの声量。随分とか弱くて繊細さの伺える声で、今の妹を見つめる感慨深げな顔には似合わない声色だと思えた。褒めるならそんな暗い顔ではなく、もっと微笑むなり、満足気な表情だったりして見せたほうがいいんじゃないか?

 ならそうなってもらうか、見つめる先も暗い夜空からお星様が弾けて明るくなったのだし、見通しが明るいのだから、それを眺める者も明るくあるべきだ。

 

「さっきの、もう一回だけ言ってみない?」

「なんの事だ?」

 

「綺麗なものだ、ってやつ。音は逸らしてあげるわ、そうすれば回りの連中には聞こえないはず」

「それは‥‥フランも聞こえないんじゃないのか?」

 

「かもしれないけど、届かなくてもそれはそれでいいじゃない。レミリアがフランに向けて言った事実には変わりないわ、そういう結果を残せれば、今後は言いやすくなるんじゃない?」

 

 レミリアに見える側、片側だけの口角を僅かに上げての物言い。

 逆にいるだろう図書館組や妖精メイド達には見えぬように笑い語る。主様の後ろに控える従者組にはばっちりと見られているが、こちらに対しては声も聞こえているだろうし、隠すよりも一緒に組んで丸め込んだ方が手っ取り早いだろう。

 本当なら魔女殿にも手伝って欲しいところだが、パチュリーもフランから見ればお友達枠で、咲夜や美鈴とは違って姉に仕える立場ではない、その為今回はお言葉だけを拝借して結果が大事だと伝えてみた。

 

「そう、か。そうだな、一度でも言えれば後が楽か、悪くない提案だ」

「それだけ? お願いしますとか、ノッてあげるとか、キチンとした返事が聞きたいわね」

 

「アヤメから言い出した事だろう? それなら‥‥」

「あたしは案を出しただけ、するかどうかは提案された主様の心持ち次第って事よ‥‥するもしないもレミリア次第、さぁ、どうしましょ? 悩んでくれてもいいけれど、フラン(あっち)流星(こっち)も待ってくれないわよ?」

 

 何やら言いかけていたが気にせず遮って、こちらから伝えたい事を全て言い切る。そうしてどうしましょと、屋敷の地下で見せたように、両の手の平を開いて見せた。

 あの時は面と向かって何かを寄越せと手の内を見せたが、今はどうしますかお客さんって風合いで伺うように手の内を曝け出す。別にノッてこなくとも構わない、これは唯の思い付きで、ついでのお戯れに近い事だ。

 もしノッてきて上手く伝われば御の字で、夜空を彩る綺麗な妹と、それを想う情け深い姉の美しい姉妹愛も見られて面白い。これでノッてこなくとも、夜空で始まった花火大会のおかげであたしとしては十分満足出来るって塩梅だ。

 

 ここからさあどうすると再度の問いかけ。

 はせずに、開いた手で煙管を取り出し普段通りの姿を見せて空を眺む。 

 もうすぐで秋も終わりという季節で、花火をするには少し外れた頃合いの中、ドカーンする隕石群に負けないくらい明るい、朗らかなフランの声が聴こえる宙を望んでいると、隣の姉が口を開いた‥‥が、何も言えなくて開けただけで止まった。

 そこまで来たなら何か言えよ、そう考えていると後ろからたまや~と聞こえた、ここまで無言で聞くだけだったのに良い合いの手を入れてくれて、やっぱり気を使うのが得意だと示してくれる門番さん。声のした方を盗み見ると目が合い、何やら言いたげな視線を放られた。

 こちらからも何かしろ、そんな催促が込められているように思えて、あたしも見上げかぎや~とノッていく。あたし達の声が聞こえたのか、まばゆい羽を羽ばたかせてドカーンの勢いを強めてくれる妹蝙蝠。流れに乗るなら今だろう、そう分かるように姉蝙蝠に視線を移す、そうしてやっと何かを言い出す。

 

「フラァン! 素敵よ! もっと‥‥もっと見せて!」

  

 どこまでも届いてしまいそうな大きい声、右手を握っては開いてを繰り返している妹が思わず止まるくらいの声量が響く。回りの視線もレミリアに集まり、フランに向いていた天狗のカメラまでが叫んだ姉を正面に捉えてしまう。言いたくとも言えなかった応援を叫び満足した顔から一転、何故逸らさないのかと言うような睨みを効かせてくれるお嬢様。

 そんな目で見られても困る。

 あたしは『いつ』とは指定していないし、逸らすモノも音としか言っていない、だから声が良く通るように周囲の雑音しか逸らしてはいないぞ?

 

「アヤメ!!」

「なに?」

 

「これは!‥‥その、約束と違うんじゃない!?」

「約束なんてしてないわ、あたしはこうしたらどうかって案を述べただけよ。破ってばかりのあたしが悪魔と約束なんてするわけないじゃない」

 

 ちょっと前には天を掴むようにしていたお手々。それを握り締めてフルフルと、なんだか力いっぱいにニギニギしているけれど、何か言い返したいことがあるのならきっちりと言い返してみてはどうだろうか?

 何を言われたところであたしもきっちり返してやるぞ?

 なんなら運命を操ってくれても構わんぞ?

 したくともそうはしないのだろう?

 あたしに対して言葉遊びを仕掛けてくるくらいに敏いお嬢様だ、(めぐ)りを操って少し先を見たところで、その運命はどっかしらに逸れていってしまい、見たモノには辿り着けない。そんな結果になると理解する頭はあるはずだ‥‥それに、今流れる運命から抗うような暇はないはずだ。

 

 真っ直ぐに、羽の切っ先で火花を引いて、全力で姉に向かって飛んでくる悪魔の妹が、目に痛いくらいの光度を背負ってそのまま姉にダイブした。派手に吹っ飛ぶ吸血鬼姉妹、姉に向かってドカーンとしてからきゅっとして、二人仲良く、というか妹に抱きつかれた姉が背中で地面を抉っていく。ちょっと形は違うが、見たいものが近くで見られて良かったなと、土埃に消えた姉妹を眺め薄笑いを浮かべた。

 

 一人笑っていると見ている先からも笑い声が聞こえた、後ろで騒ぐ従者組に何かを言われて笑う声、少しだけ漂う土埃の奥から聞こえたそれは、よく似た雰囲気の幼女達のもの。これはまた盛大で面白い流星だった、考えていた甘い姉妹愛は見られなかったが、飛びつきたい相手に向かって真っ直ぐ落ちる花火を見るのも乙なものだろう。

 笑い声にノセられてあたしも少し声を漏らす。

 そうしていると魔女殿からこれは『なにや』になるのかしらと問われた。

 ふむ、玉屋鍵屋に続くならなんだろうか?

 悩みつつ、未だ降り続く流星群を見上げていると、お星様に混ざって空に浮かぶナニカが見えた。あれはなんだと少し目を細めると、先程まで空にいた妹と近いが、フランよりも白の多い衣装と、同じく烏天狗よりもエプロンや帽子のフリルなんかに白が多く見られるツートンカラーの人間コンビが映る。

 今頃顔を見せるとは読みが外れたか、流行らない店で流星鑑賞をしているから今夜は騒いでも安心、あたしに酒の肴を作らせるくらいだから長居するだろう、そういった読みでこちらは騒いでいたのだが……ふむ、これはあれか、もしかしなくとも異変扱いにされたって事だろうか?

 香霖堂の店主が観測した流れとは異なった流星群、それが向かうは妖かしが屯する真っ赤な屋敷。ついでに言えばドカーンの余波で空には結構な粉塵が舞っていて、昔を思い出して言えば黒い霧が空を覆っているような状態だ‥‥思いついてしまった考え、そこから繋がる今後の流れ。

 逃げるなら今しかない。

 あの距離でこの人数ならまだ間に合うな、そう思案し席を立つと、再度門番が呟いた。

 

哎呀(アイヤ)~……」

 

 なるほど、続く『なにや』は『あいや』だったか。

 そう感心している間に距離を詰められ、すっかり逃げ時を失った。

 それからは語る必要もない流れ、異変の場でツートンカラーと出会った際のお決まりが、流星に代わり夜空を彩ってくれた。眺めるあたしは早々に黒焦げだったけれど、ね。



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~EX茶飯事~
EX その43 偶の逢瀬のお相手は


 鼻につく排気系の煙を嗅ぎ、少しだけ眉間を寄せて歩く町並み。

 背の高い建物、聞く限りビルディングというらしい建物が立ち並ぶ中を歩む。

 緑赤黄と定期的に灯る灯りを斜め上に見ながら、人間の形をした緑の灯りに促され白黒の黒部分だけを踏んで渡る。暫くは同じような景色と同じような格好の人間を見て歩く。

 スーツにネクタイ姿で、何やら忙しなく歩いてはビルに消えていったりするおじさん達、鬼でも食いそうな厳しい顔つきで黄色い行灯が灯る車に乗って何処かへ行く連中、そんな戦にでも向かうような表情を見せる人間達とすれ違いながら、ふらふらと歩む。 

 

 そうしてそこを過ぎると、少し背の低くなった建物が多く並ぶ通りに出た。

 中が透けて見えるガラスに囲われたお店が多く見られて、人がひしめく食事処から、小物の可愛い洋品店に雑貨屋などを横目にする。色々と立ち並ぶ中でふと立ち止まり、そこに映る自分の姿を見た。着込んでいる服こそ普段の開襟シャツに黒いロングスカートと変わらないが、頭にあるはずの耳も、背中側から揺らしているはずの尻尾も化かし、隠した姿でいたりする今。

 まぁなんだ、ようはこっちの世界にいる者達らしい格好ってやつだ。上から下まで違和感のないように、頭に至っては髪色も、瞳の色まで灰色から目立たない色に変化させるように強要されていたりする。ついでに言えば愛用の眼鏡も外せと言われたが、コレはあたしのトレードマークの一つで大事な姉との共通点だ、そこは譲らんと強く突っぱねると、ならば致し方ありませんわと、連れ出してくれた相手も折れてくれた。

 

 こうして歩く外の世界。

 また勝手に外に出てきて、あの紅白巫女や胡散臭い紫色に小言を言われ、場合に寄っては退治されても致し方無い行為だと思えるけれど、今日はそういった心配が一切無いため、好き放題に外界見物と洒落込めている。

 

 何故か?

 それは、先日の紅魔館でやらかした異変で退治されたばかりで、あたしが凝りているから暫くは巫女の目に映らないように薄れたり逸したりしていたというのが一つ。

 もう一つは今一緒にいる相手、あたしの手を取り少し先を歩く奴、ちょっと付き合ってと、理由も言わずにスキマに落っことして‥‥失敬、外の世界へのサプライズデートに誘い出してくれたのが、叱ってくれる紫本人だからというのが二つだ。

 

「見飽きた自分なんて見ていないで、何か見たいところはないかしら?」

 

 立ち止まり、自分の姿を眺めていると引かれる手。

 あたしに何かないかと伺いを立てておきながら引いてくれて、意見は聞くが行く先は私が決めるわ、なんてのを仕草と引く勢いで教えてくれる。それ自体は別に構わない、特に見たいものもないし、見るべき物があるのかどうか、知らないわけだし。

 

「特には、紫からのお誘いなんだし、エスコートはお任せるわ」

「そう、じゃあお買い物でもしましょうか、何から見る? やっぱり女の子二人で見るならお洋服とか、アクセサリーがいいかしらね?」

 

 任せる、そう言ったはずなのだが、こいつは聞いていないのか?

 普段であれば『そう』の後でスキマが開いて、今日のお誘いの時のように強引に連れ出してくれたり、出た先でこれからナニナニをやらかすからお手伝いよろしくね、なんて言ってくるのに‥‥こんな雰囲気はあまりなく新鮮で面白い、けれども読みきれなくてやっぱり胡散臭い。 

 が、まぁいいか。こちらの世界で何かをする気などサラサラない事くらいはわかるし、繋ぐ手から感じるモノも、そこから伸びる顔に見えるモノも、何やら暖かな気がするし。

 

「そうやって何を考えているの? 先程から聞いていてよ?」

「何を見ようか考えてたの。でもあれよ? 見てもいいけど、こちらの銭は持ち合わせていないから、欲しい物でもあったら困るわね」

 

「大盤振る舞いをするから持ち合わせがなくなるのですわ。なんなら貸してあげてもよくってよ? 利子も期限もなしで、ね」

 

 ね、で傾く紫の頭。

 頭が斜めに傾くと長い金髪が揺れて輝く。こんな、なんというか見た目相応な態度を見せる紫などほとんど見た事がなくて、やたらと胡散臭い‥‥ってのは二割冗談として、今日は一体どうしたのだろう。変な大義名分までこじつけて、誘ってくれて、それが済んでも幻想郷に戻らずに遊びまわるとか、単純に暇なのか?

 外の世界に呼ばれて出て行ったままの連中。

 未だ戻らず、こちらの世界を謳歌しているって話のあの子達。

 人間の里で人に大事にされていた座敷童ちゃん達の一部がまだこちらの世界にいるらしく、『あちらの世界で元気に妖怪しているか、今から見に行きますわ』などと言い出したのが出てきた一応の名目で、その見聞が済んでからというもの、今のように唯ぶらついて遊んでいるだけで、何か企んでいるって素振りがまるで見られない。

 何かしら腹に含んで動くのがこいつだと思っていたが、今の姿からはそういった一物は読み取ることが出来ず、引いてくれる手も、いつも以上にか細い女の子の手にしか見えなくなってきてしまって、なにやらイメージがぶれてしまいそうだ。

 

「そんなに見つめて、なんでしょう?」

「紫が可愛いから見とれてたのよ、どうもしないわ」

 

「あらあら、褒め言葉なんて珍しいわ。そんな心にもない事を言っても『貸す』から『買ってあげる』には変わらなくてよ?」

「偶には素直に褒めたのに、何もないなら損したわ。なら今日は一個くらい買わせてみせるとしましょ。で、何処に行くのよ?」

 

「そうですわね、取り敢えずは‥‥あそこに行きましょうか」

 

 語りながらまた引かれる。

 見ながら言ったアソコってのは、道の反対側にある書店兼喫茶店か?

 あの店に行くのなら道を渡る前に思いついてほしいものだ。

 こちらの世界では飛べない、事もないけれど飛ぶと目立つ為、この信号機ってのに引っかかると何もせずに待たないとならないのだから。

 自動車って乗り物が黄色の灯りに気が付いて止まり始める。

 そのまま待つと次は赤が灯って、あたし達の正面にある信号が緑色の灯りに変わる。

 そうなるとまた引っ張られるので、そうなる前に紫と並んで足を出す。すれ違う男達が紫を見て、あたしを見て、それから繋いでいる手を見て肩を落とす。

 そういう目で見てくれるのは嬉しいが、肩を落とすとはどういう事か、声をかけるくらいしてきても構わないぞ、あたしはどちらでもイケる口だ、紫がどうかは聞いた事がないし、あたしも人間を相手にする趣味はないが。

 

 そうして着いた店内で先にテーブルについて待つ、喫茶店だし一服でもと煙管を取り出したが、赤い紙巻煙草にバッテンが押されているマークが目についてしまい、致し方なしと我慢した。吸えないところでは吸わない、愛煙家としての自分ルールを守りつつ連れ合いを待つと、何やらカップを2つ持った紫がこちらに歩んできた。

 頼んでないのに持ってきてくれるなんて、気が効いて、胡散臭い。

 

「どっちがいい?」

 

 右と左を差し出して、どちらが良いかと問うてくる。

 右手には透明で丸い蓋のされた物、何やら白いクリームが乗った見た目から甘そうな物。対して左手の物は白くて平らな蓋のやつ、嗅げる香りは珈琲に(はしばみ)、今はヘーゼルナッツと言うんだったか、それが少しだけ香る物。

 僅かばかり前に差し出されているのは右手の物で、左手は私のよ、という雰囲気が見て取れた為、せっかくだからあたしは奥のカップを選んで手を伸ばした。

 

「あら、甘いもの好きじゃなかった?」

「好きだけど、それ以上に木の実好きなのよ、あたしを何だと思ってるの?」

 

「あぁ、そうよね。忘れていたわ。熱いから気をつけなさいな」

「忘れられたらまた消えるから、勘弁して‥‥母親みたいな物言いもやめて、気色悪いわ」

 

 軽い冗談を言いながらカップの蓋を下唇にあてがう。

 ハイハイと、またもや保護者のような事を言いつつ、緑色のストローを咥える相手に動きを見られている気がするが、そんなに見つめてくれてどうしたの、とは誰のお言葉だったのか、わからないくらいの熱い視線に思えた。

 何かを飲む仕草が珍しいかね、外の世界で話しつつ外の世界の物を口にしている姿は珍しいかもしれないけど、仮にこれがお酒で、場所が妖怪神社だったら然程珍しい物でもないと思うのだけれど‥‥考え事をしながら傾けたカップ、少し傾斜をつけすぎたのか、思った以上に口に流れてくる中身。それが予想以上に熱くて、思わずアツッっと小さく言ってしまった。ピリピリとする舌先を出しつつ言うと、それも見られて笑われる。あまり見られないやわらかな笑み、人の失敗でそんな顔をするなよ、余計に気恥ずかしくなるじゃないか。

 

「だから言ってあげたのに」

 

 少しの声を漏らし、言った通りになったと笑う紫。

 それが恥ずかしさに拍車をかけてくれて、意識せずにうっさいとぼやいた。そのぼやきまで笑われて、こっちは冷たいから、と飲んでいた物をするりと交換された。一度やらかしたのだから二度目は問題ない、そう思うけれど火傷したベロに再度熱いのはアレだなとも思えて、素直に渡された物を口に含んだ。

 確かに冷たくて、これが意外と心地よくて、ガシャガシャと氷を回して飲んでいく。また暖かな視線を感じるけれど、もう良いやと気にせずに甘みの強い残りを味わった。

 

 煙草は吸えていないが色々と熱かった一服を済ませ、次はアチラねと語りつつ、再度お手々繋いでのデートに戻る。先程は女二人でって目線を感じたから一瞬戸惑ったが、伸ばされる手があまりにも自然で、悩みもせずにその手に触れられた。

 そうして連れ歩かされて次に着いたお店は駅の近くにあるお店、先に思いついていた洋服でも見るつもりなのか、吊るしが目立つ店の入り口を潜っていく。外見から感じた通り、入り口から壁に掛けて吊るしのお洋服が一杯で品数の多いお店、店先の一角には小物もあるらしく、アクセサリーの類も見るのなら都合が良さそうな雰囲気だと感じられた。

 店内で別れ、あたしは小物、あちらはお洋服と、それぞれ見ていると声を掛けられた、何かお探しですかと問われ、自分を少々と返す。すると、見つかるといいですね、なんて少し噛みながら下がっていく店員さん。ちょっとイタイ人だなって顔に書いてあったけど、残念ながら人ではないのであたしには該当しないな。

 

「ねぇ、これなんて似合うんじゃない?」

 

 つらつらと棚を眺めているとまた声を掛けられた、が、こちらはデート相手の声。

 何やら見つけてきたらしいので、何を気に入ったのかなと声の方に視線を流す。そこには白いオフショルダーのTシャツを持った紫、チョイナチョイナと手招きされて、ホイホイと向かって行くと、あたしの肩にそれを宛てがう。

 

「ね、どう?」

「自分用じゃないの?」

 

「私の物ではありませんわ、Tシャツなんて着ないもの」

「あたしも着ないんだけど? それにこれ、なんて書いてあるのよ?」

 

 肩に当てられた、まぁ肩にかかる布地はないんだが、そのシャツを眺めつつのガールズトーク。

 丁度右の胸元から下っ腹の辺りに書かれた単語、何処の文字だかわからなくて読めん。『Ru』で始まり『die』で終わる外来語に思えるが、なんて書いてあるのだろう?『いんぐりっしゅ』の一部分、死だか死亡だかってのは読めるが他はよくわからず、紫に聞いてもはっきりとは教えてくれないし、店員さんも近寄ってきてくれない。

 

「死ぬほど激しいとか、そんな意味合いよ、確か」

「ふぅん、それで、似合うと言ってきた根拠もそれだったりするの?」

 

「正解よ、悪くない皮肉でしょ?」

 

 確かに、さして激しい気性でもない死人に充てるにはいい皮肉だ、同じく悪く無いとも思う。気に入ったなら貸してあげる、そのようにも追加されて、気に入らなくもないけれど今日のところは、と断り見送った。嫌いじゃないが季節に合わない、これからは冷え込んでいくばっかりで、そんな中両肩を出しては冷える。別に冷えきってもこちらは問題ないが、まぁそこはいいか。兎も角、これは買わないと伝えると、変な顔してそれをワゴンに戻すスキマ。

 なんだ、見切り品なら安いのだろうし買っても良かったか、と思い直したが再度手に取るとまた笑われるので、これもまた耐え忍んだ。

 

 そうこうしているといつの間にやら移動したデート相手。

 次はなんだ、動きを眺めていると小物のある辺りでウロウロとし始めた。こうして中身を知らずに見ていると見た目相応な動きだけれど、口を開くと胡散臭い事しか言わない相手、それもギャップと呼べるものかね‥‥良いのか悪いのかわからないが。

 考え事をしていると、その頭に何か乗っけられた、視界を陰らせてくれたそれを上目遣いで見てみると、眼鏡のフレームと重なるくらいのところに丸い黒がチラリ見える。

 

「こういうのはどう?」

 

 勝手に被せ、人の体を勝手に回す。

 立ち見に対して正面に、肩を押されて回されて、これはどう? なんて訪ねてくるが、次は帽子を選んでくれたってか。真っ黒で飾りっ着のない中折れ帽を被っている自分、その隣には通常の倍くらいフリフリ部分が目立つドレス姿の紫、鏡を見ているとソレ越しに目が合って微笑まれた。

 本当に今日はどうしたんだろう、なんて思考がちょいと過るが取り敢えずはコレの感想を言うべきか。紫の趣味が良いのか、あたしの格好には合う気がするが、生憎と帽子は被らない。好き嫌いで言えば嫌いではないが、被れば以前に鬼がプレゼントしてくれた銀のカフスが隠れてしまうし、耳が蒸れてしまうような気がして、買っても被らないだろうなと思える。

 それならここはこういったお返事になるな。

 

「いい趣味だと思うし嫌いじゃないけど、パスするわ」

「お気に召さなかった? 白ばっかり着てるから黒を足してあげようと思いましたのに 」

 

「中身が黒いから外側くらいは白を着てるの、でないとあたしのカラーにならない気がするのよ」

「最近は白が多めの薄い灰色だと聞いているけれど、貴女がそう言うならそれでいいわ‥‥それにしても、さっきから好き嫌いが多いのね、困りますわ」

 

 脱いだ帽子を押し付けると、ぷいと横向く誰かさん。好き嫌いはあまりないが、気に入らない部分はハッキリ嫌だと言うのがあたしだ、それくらい知っているだろうに、今更困る事だってか?

 態度も何やらツンとして、これはまた素直な女子っぷりの見られる拗ねっぷりだ、本当にこいつはあたしの知る妖怪の賢者様なんだろうか、もしかしてまた化かされていたりするか?

 

「誰が何に、どう困ってるって言うのよ?」

「アレは嫌だ、これは要らないと駄々をこねてばかりの誰かさんが私とのデートを楽しんでくれませんの。折角連れ出したというのに、これでは誘い甲斐がありませんわ」

 

 渡した帽子を手に取ってそのまま向いた先、小物コーナーのある店先に歩いて行く金髪。

 うむ、あのクドイ言い回しは間違いなく紫だ、ナニカに化かされていたりはしなかったな。

 なんというか、こういった場合はどんな反応をすれば正解だったのだろう、選んでくれてありがとうとでも言って、あたしも可愛さアピールすればよかったのだろうか?

 それはまた面倒だな、心から欲しい物でもあれば全身全霊で甘えたり出来るけれど、今は振るための尻尾も隠しているし、キラキラと輝かせる銀眼も茶色の地味な色に化かしている。いつも使う甘えのポーズはこれでは使えないし、それでも何かしらでご機嫌取りをしないと厄介な少女がひたすらに面倒臭いし。

 傾いたご機嫌を戻してもらうなら何をすべきか?

 眺めつつ思案するが、パッと思いつくモノもないし、天啓のようなモノもない。

 からいいな、今は素直にあやして甘やかしてみるか。

 

「ちょっと、往来で拗ねないでよ。子供じゃないんだから」

 

 ただでさえドレスなんて目立つ格好の金髪美人さんだ、そんな輩が外から丸見えの位置でツンとしているってのは目を惹きつけるようで、お陰様でエライ目立ってくれて、外を歩き去る人らの視線がこっちを向いていると丸わかりだ。

 この状況はなんだ? 

 なんであたしが悪いような目で見られるんだ?。

 何を話しているのかは聞こえないだろうが、拗ねる誰かに表情や態度からナニカこじれているってのは伝わるらしい、紫を見てから連れのあたしを見る目が非難というか、含みのある目つきに見えてこそばゆい。こんな視線を外でも浴びせられるのは何故なのか、何もしてないわけでもないけれど、こんな、今のような針の(むしろ)だと感じる視線を浴びせられるほど悪いことなんて、まだしていないはずだぞ?

 あれか、美しさは罪だとでも、罪作りな女だとでも思い込めばこの視線も気にならなくなるか?

 あたし一人ならそれでイケるが、今は難しいだろうな、そうするには紫が目立ちすぎている。

 あぁ、もう、面倒臭い。

 

「誰かさんも同じように拗ねていましたし、私も心はいつまでも少女のままですのよ?」

「一緒にしないで、あたしは一人にしか迷惑かけてないわ。それに少女って、誰の事を言ってるのよ」

 

「私も貴女にしか迷惑だと思われておりませんわ。後半も、可愛い少女、ゆかりんの事ですわ」

「店員さんは頭数に入っては‥‥いないのね。あのさ、もう一回くらい聞き返してあげようか?」

 

「何度問われても変わりませんわ」

 

 ちょっとあやしてみれば抜け抜けズケズケと、一体全体何処のどちら様が可愛い少女で、りんなんてつくような愛らしい輩なのか。あたしに向かって駄々をこねるなんて言ってきたのは誰なのか、その辺綺麗にひっくり返して言ってやろうか。と、心から思うところなのだけれども、そこに言及すればまたむくれてしまうだろうし、あまり人様の事を言える立場でもないのでここは思考を切り替える。

 いつまでもこそばゆい視線を浴びっぱなしでは困る、ここが幻想郷だったなら、また何かやってるという視線で、ソレには慣れているが、ここは外で別の世界だ。常識が罷り通るこちらでは女同士で揉めているのは珍しいらしく、慣れた物とは別の奇異の視線が感じられてしまって、これがまた気に入らない‥‥が、紫から折れる事はなさそうな雰囲気だし、ここはあたしから折れよう、これも甘やかす部類に入るだろう。

 

「はいはい、わかったわよ。じゃあこうしましょ。次に選んでくれたやつは断らないから。着てもいいし、帽子やアクセサリーなら付けもするから、それで機嫌を直してもらえない?」

 

 致し方無しの折衷案。

 先ほどの、あたしを例えに真似てきている拗ねっぷりだというのならこういった折衷案を出せば折れる、そんな読みで言ってみたところ案の定、それなら少し待っててねと、また一人で奥へと消えていった少女紫。

 これはまた待ちぼうけか、と先ほど眺めていた棚を見つつぼんやり待つ。

 そうしているとすぐに戻ってきた美少女、最早突っ込むのも面倒臭い笑い顔で戻ってきて、一本の赤いのを差し出してくる。

 リボンか、またあたしのキャラになさそうな物を、と手に取り伸ばすとリボンじゃなかった。

 

「ネクタイ? なんでまた?」

 

 少し細め仕立て、赤地に黒ストライプ柄のネクタイ。

 どこぞの太鼓様から聞いた知識になぞらえるなら、タワーシェイプだかいう形のコレ。

 ふむ、どうやら紫もそれなりに譲歩してくれたらしい、帽子に比べればこちらはまだマシに思える、それでもなんでまたネクタイなのだろう、少女少女と強調するからもっとそれっぽいものを持ってくるかと思っていたのに。

 

「いいから、締められる?」

「まぁ、多分、大丈夫」

 

 着ているシャツの幅広い衿を上げ、するりと通して、左右の長さ調整をしていると、手馴れているのねって声が掛けられる。

 あたしは首周りが締まる気がして好んで着用したりはしない物だったけれど、これを締めている相手が直ぐ側にいるし、そのお陰もあってか、今は割りと好きで、締めたり解いたりするのは目を瞑っていても出来るはず。

 だったのだけれど‥‥ 

 

「長さが逆ね、それ」

「あれ? 本当ね。こう、締めてあげる時は‥‥あれ?」

 

 指を刺される胸元、そこには面に見える部分より後ろを通す部分が長いタイがぶら下がっている。おかしい、縛れないはずはないはずなんだけど?

 ここをこう通して、コレをソウするとハーフなんたらノットとかいう縛り方になるのよ、なんて我が家で言われながら覚えた縛り方、その手つきを何もいない空間に向かってやっていると微笑まれる。そう笑うなよ、自分でもエアネクタイなんて阿呆だと理解しているのだから。

 

「締めてあげる事には慣れていても自分の首には結べないのね。ほら、貸してみなさいな」

 

 空中でモニョッているあたしの手を払い、そっと近寄って胸元に手を伸ばされた。

 手を取ってきた時と同じような自然な流れ、まるで慣れていますとでも言うような仕草で近寄りするすると結んでいく。あたしと紫では身長差が然程ないから少し違うのだけれど、あっちの太鼓からはこんな風に見えているのかと、誰かの視点が少しわかって面白い。

 クスリ、小さく声を漏らす。

 それと同時に結び終えたらしい紫。

 微笑んで顔を上げる、事はなく、少し背中を丸め低い姿勢のままで、今度は背後に回って立ち見の前にあたしを押していく。

 

「これなら悪くないんじゃない?」

 

 立ち見で姿を確認しているあたし。

 その二の腕辺りからヒョコッと綺麗な顔を出して、見ているところを評される。

 確かに悪くないし、先に交わした約束から外したりはしないけれど、キッチリと上まで閉められて少しだけ息苦しく感じて、ついでに第一ボタンのないシャツではきっちり締めあげると不格好に見えるので、少しだけ緩めて垂らした。

 そうしただけで少し陰る笑顔。

 これは‥‥本当になんだろうな?

 鏡に映る姿を見て儚げな顔をする紫。

 こんな顔を見せる事などそうはないというに、今の姿の何処を見てそんな顔をするのか?

 

「こっちの方がだらしないあたしに似合うと思わない?」

「そうね‥‥かっちりし過ぎているのはアヤメには似合いませんわね」

 

 同意を得られたので直さずにそのまま、結んで貰ったネクタイを見つつ、鏡に映る自分を見る。

 よく着ている白のシャツには追加された赤いネクタイぶら下げて、下半身は深いスリットの入った真っ黒なスカート姿。首から下は違和感ないが、髪と瞳がこちらの世界に馴染む色、いつかこちらで出会った女子校生を真似た茶色に染まる、見慣れない自分を見て思う。

 化ける際に目立たずというだけで色の指定まではされなかったから、こちらの世界の住人を真似たというに、真似た姿を見られてからなんだか扱いがモヤモヤとしてしまっている。

 先ほどの帽子もネクタイも、あれやこれやと自分の好みで着飾ってくれて、あたしの趣味嗜好を多少は知っているくせに、そこを無視して押し付けてきた理由を思案する‥‥つもりだったが取りやめて、少し引っ掛けてみる事にした。

 

「あたし以外の誰かだったら似合ったのかもね」

「アヤメ以外って誰のことかしら?」

 

「さぁ? あたしにはわからないけど、さっき『には』って言われたからね、他の誰かと比べていたのかなって思ったのよ。思い過ごしなら忘れてくれていいわ」

 

 語った通りで他意はない、誰かと比べられようともあたしはあたしで、自分からブレたり、はするがズラされたり多分しない。だから至って気にはしない、そんな性格だというのも知っているはずなのに、ちょっと引っ掛けただけで儚さに悪びれも感じられるような顔にさせてしまった。

 コロコロと表情をかえてくれてからに、その顔はなんだ?

 何処のどなたを鏡に写し、その瞳では誰を見ている?‥‥なんてのは別にどうでもいい。

 それよりも紫自らが言った通りの少女らしく変わりやすい顔、感情表現の幅が広くて、その豊富さが妬ましく思える部分の方が興味深い。そう思った通りに口に出した、すると数秒、また顔色がコロッと変わる紫色の美少女。

 

「また褒められてしまいましたわ、なんだか……照れてしまいそうね」

「褒めてないわ、妬んだのよ」

 

「はいはい。それじゃあ怖い橋姫は物で釣って許してもらう事にしましょうか。良ければ一品買って差し上げますわ、なんでもよろしくてよ?」

「だからあたしをなんだと思ってるのよ‥‥選んでくるから、ちょっと待ってて」

 

 なんか買ってと言うには言ったが実現するとは、これは悪くない天恵(てんけい)だ。

 それじゃあと、鏡の中に紫を残して、先ほど被らされた帽子を手に取り持っていく。

 これでいいわ、語りながら押し付けるとまた難しい顔をされてしまったが、いいからコレを買って寄越せ、ついでにネクタイとさっきのTシャツも買うから金を貸せと、強請(ねだ)(たか)っていく。

 店員さんが引くくらい、ちょっと勢い強めで詰め寄って、鏡の前に居座っていた紫をそこから追い出して、今度は自ら帽子を被り、ついでに眼鏡も外して、(つる)をシャツのポッケに挿した。

   

「貴女‥‥トレードマークは外さないんじゃなかったの?」 

「そうね、これはあたしのトレードマークだけど‥‥今は髪色も瞳の色まで変えさせられた誰かだもの、それなら拘る必要もないし、外しても良いかなって思ったのよ、ゆかりん」

 

 言われた問いに真っ向からお返事を。

 変えさせられた、なんて物言いを聞かれれば怪しまれるかな、と思ったけれど店員さんも日本人っぽいのに紫のような髪色だし、瞳の色も何やら青い。それならこちらの世界でちょっと変えるくらいは楽なのだろう、そう邪推してはっきり言い切る。

 語りながら手を差し伸べて、早く寄越せとらしく強請る。そうしてみたらば笑ってくれた、朗らかで、見比べていただろう誰かに向けたい笑顔で笑ってくれて、随分と可愛らしい紫。

 この笑顔は他人に向けられたもの、あたしに対してではない。

 その部分は先程の対応からもなんとなく察する事が出来た。

 だからといってあたしが凹んだり、悲しんだりするかと言われればそんな事はなかったりする。元々がメインを張らない添え物ってのがあたしだ。その辺の何処にでもいるような、典型的な点景(てんけい)とまでは言わないが、普段から自分に都合よく考えてばかりの女なのだから、偶には‥‥紫にならば都合のいい女扱いをされてもいいと感じている。

 

 それでも気分が良いかは別だから、ここは一つ別の事でも考えてそちらが主題だと思い込んでおく事としよう。代わりに思うなら……そうだな、哀れみってところか?

 感じるなら自慢気な心情ってやつだろうか?

 比べられた誰かさんに対して、悪かったな見せられなくて、恨むなら今この場にいない事を恨んでくれよ、と会えない事に対して少しの哀れみを‥‥同時に、ここにいれば可愛い少女の顔を見られたのに、タイミングが悪い奴だな。と、代わりに見られた事に対する自慢気な情を少々覚えた事にして、紫の腕を取った。

 そうして財布を連れて、選んでくれた品を精算しにカウンターへと二人で進む。

 結局そっちも買うのね、などとTシャツ見られながら言われたので、少女らしく気変わりしたのだと返すと、皮肉を言ってきた相手も少女らしく笑ってくれた。

 

 それから他も見て回る。 

 あたしは悪戯な顔で、見知らぬ誰かの姿を借りて、一緒に歩く少女の手を引いて。

 引かれる少女は、ちょっとだけ苦しいが柔らかな笑い顔で、見たい誰かの影を踏んで。

 そうして逢魔が時が過ぎるまで、影が伸び踏みやすくなるまで借金しながら買い物を続け、背が高くなったあたしの影が紫の瞳に映らなくなった頃。上掛けなしで過ごすには少し肌寒くなってきた頃合いに、次は暖かくなってから、深い眠りから目覚めた後ぐらいに、幽々子も誘って三人で来ようか。なんて話を、寂れた神社へ向かう帰りの電車内で語り合った。



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EX その44 水暇を辞せり

水々しい、そんな話


 ふらりふらりと与太歩き、今日の訪れ先は何処ぞだろうか?

 そう聞かれたところであたしからもここだとハッキリは言い切れない、それもそのはず、今日はなんとなく思いついたままに少女の後をつけているからだ。

 いい感じに秋らしい色に染まり始めた妖怪のお山で、衣かたしきしつつ紅葉見物と洒落こんでいたところ、不意に視界に入った玄武の沢。赤や黄の色合いに済んだ川の色が栄えるなと、そちらも合わせて眺めていた時に、不意に視界に入った川っぽい色をした少女連中。

 その後を色々と逸らしつつつけているのが今の動きで、大きなリュックを背負って、秋風をそれで切って歩く輩達の後をつきまとっている。これは、最近出掛けた外の世界ではストーキング行為と言うのだったか、愛してやまない、いや、病む程に愛してしまった相手を想って後をつけて回り、その一挙手一投足から全てを眺める行為ってのがストーキングってやつらしい。

 

 ふむ、相手の事を知りたいと思う心は理解出来る。

 相手が今何をしているのか、何をしようとしているのか、そこに興味が惹かれてしまって思わずついて回りたくなるというのもわからなくもない。けれどあたしには出来そうにない行為だと思えるな、後を付けて回っている間に眺めるだけに飽いてしまいそうだし、見ているだけよりも直接話して聞いてみたり、手を出したくなってしまいそうで、我慢が出来そうにないからだ。

 ならば今も我慢出来そうにないのか、そう問われればそうでもないと答えるだろう。

 先の言葉と矛盾するじゃないか、なんて窘められてしまいそうだがそれほど矛盾もしていないはずだ、だって相手が違うもの。世間一般で言われるつきまといの対象は狂おしいほどに愛おしいと思える相手になるのだろうが、今あたしが追いかけている相手はそういった手合ではない、なんて事はない唯の暇つぶし相手なのだから。

 

 誰に向けてでもない訂正を内心で考えつつ、先頭を歩く少女、何やら機嫌よさ気に鼻歌を歌う性悪河童、河城にとりに連なる河童軍団の後をチンタラと歩いて行く。

 玄武の沢から通じる穴蔵を抜けて、あまり見慣れない景色が続いた先へと結構な数の河童ちゃん達が向かっていく。その背、というか甲羅に似た色味のリュックを眺め、まだ着かないのかな、と感じ始めた頃合いに開けた場所に出た。

 着いた先はなんだかゴゥンゴゥンと煩い場所。入るな殺す、そう書き捨てられた張り紙が張られ、奥には薄ぼんやりと見える長い煙突が数本見られる場所。

 ここってば何処なんだろうか?

 目的地には着いたようだし、そろそろ聞いてみるかね?

 意識やらは逸らしたままで、発明仲間と会話する奴の頭に手を伸ばす。

 そうして帽子を深々被せ、ここは何処かと聞いてみた。

 

「煩いところね、こんな所で何を作ってるのよ?」

「ひゅい!!!?」

 

 声をかけると手が弾かれる。

 払われたわけではなく、素直に驚いてくれたようで、その場で軽く飛び上がるにとり。回りにいる河童ちゃん達も何やら驚いてくれたらしく、それぞれがかけている眼鏡をズラすほどに仰け反ってくれたり、おかっぱ河童ちゃんに至っては人の顔を見て嫌な顔までしてくれた。

 

「アヤメ!? なんでここにいるんだよ?」

「来たくて来たわけじゃないわ、ついてきたら着いたのよ」

 

「あん? 何かしに来たってわけじゃないの?」

「特に何も、ゾロゾロと何処に行くのかなって思っただけで、何かやらかそうって気はないわ」

 

 問いに対して両手を開き、何もないと語ってみると、それならいいやとにとりもテキトーに返してきた。こちらとしては開き直ったわけではなく、本当に暇で、なんとなくいたからついて来たってだけで、ココで何かしらをやらかそうって腹積もりはない‥‥が、それを言わずとも安心されるとは、なんだか癪に障る。

 もう少し怪しむなりして欲しいところではあるのだけれど‥‥先程提供した驚きに続いて、もう少しつついて楽しめる部分はないかなと、にとり達や辺りをちょいちょいと見比べる。その動きから何か察したのか、良ければ中も見ていくかと、やけに親切な河童ちゃん。

 

「暇なんだろ? 何もしないなら見学してってもいいよ?」

「いいの? 素直にあたしの言う事を聞くなんて、普段の狡猾さが嘘みたいね」

 

「何かするなら別の事で来たって話を逸らすのがお前だろ? 何もないって言う時は大概何もないじゃないか、それなら信用してやってもいいかなって思ったんだよ」

 

 フフン、一言で例えるならそんな顔の河童。

 さっきの一言で言いたい事は全て言い切ったようで、収穫待ちの胡瓜に手を出さなければあちこち見てても構わないと言い残し皆と奥に消えていった。これはなんだ、切り替えが早いというのかなんというのか、よくわからんが、水平思考なんて二つ名らしく見方を変えてくれて、素直な物言いをしてくるにとりがちょっと可愛いなどと思ってしまった。

 このままだと本当にストーカーになりそうなので、勝手に理解してくれて、察しが早くて妬ましい、と別方向に思考を入れ替えておくとしよう。

 

 そうして人っ子、は元よりいないか、十人はいた河童連中の全員が奥の煙突が見られる建物へと消えた後、一人残されてウロウロとし始めてみる。まずは手前の手を出すなと忠告された辺りからと思い、全面が透明なビニールで覆われた中に足を運んでみた。

 中に入ると暖かで、なんとなく地底の温泉近くにいるような感覚を覚える。暫く眺めていると奥にいた河童ちゃんと目が合ったので、軽く手を振りつつ近寄ってみた。

 

「あ、野鉄砲」

 

 向かう途中で言われたお言葉。

 確かに狸は狸で大差ないが、そいつは違う狸さんで厳密に言えばあの子らはギリギリ動物の範疇に残っているはずだ、いつだったか誰かさんが『私が見つけて上手く処理しなければ、身内が退治されていたところだったのよ。感謝なさい』なんて言われた事があった気もしなくもない。

 そうだな、確かにそれなりには感謝すれども、その結果山童連中が巫女さんに退治されたって話で、そちらについては何のフォローもしないって辺りが、元お山の大将らしさに思えて、感謝よりもそちらに目がいってしまっていたな‥‥そうか、あの時の被害者か、こいつ?

 

「誰が野鉄砲なのよ、って‥‥あぁ、野鉄砲の犠牲者になった子?」

「そう、あの時は酷い目にあったよ」

 

 やれやれって表情で、長めの前髪を直す山童、もとい河童ちゃん。

 真ん中で分けられた前髪の右側にトレードマークなのか、ヘアピンをバッテンに通して見せてくれて、姿からあの時にドジ踏んで☓つけられたのは私だとでも言うような姿の河童に聞いてみた。

 

「貴女、山童になったんじゃなかった?」

「ん? 今は河童、格好も河童のそれでしょ?」

 

「そうね、山童の迷彩仕様ではなく雨合羽みたいな格好だけど、川を捨てたんじゃなかったの?」

 

 問うてみれば確かに捨てたと、で、また拾ったから戻ってると、調子のいい事を聞かせてくれた。なるほど、捨てても拾えば元通りってか、なんとも都合の良い思考回路だが、こいつらの住むお山には拾ってくれる野良神様も多くいらっしゃるはずだし、捨てる神あればと言われるくらいだ、ちょっとくらい捨てたところでなんちゃない事だったか。

 もうちょっと聞いて、サバイバルゲームに興じる時はまた山童らしい格好に戻ってから争うんだ、なんて話をした頃に他の河童に呼ばれて奥へと姿を消したバッテン河童ちゃん。

 それに習い、あたしもビニールハウスから抜け出て奥へと続く通路へと歩んだ。

 

 さして歩かず着いたは工場。

 どうやら煙が立ち上る建物の中のようで、あの煙はこの中の作業から生まれたものらしい。中に踏み入った瞬間から目に入ってくる大きな建造物、外の世界で語られているうまだかなんとか言うのを真似て作った巨大な‥‥可愛くない亀さん?

 にしては首が長いように思えるし、なんだ、これ?

 と、眺め悩んでいると、ソレの裏手から何やら言い合うような声が聞こえた。

 

「だから遠距離攻撃だっての、相手の間合いの外から狙撃して派手にぶっ飛ばす、大艦巨砲主義にこそしびれるロマンがあるんだって!」

「いいや、接近戦こそがロマンの代名詞だよ、にとり! ドリルで一撃必殺! そこに憧れるのが発明家ってもんじゃないか?!」

   

 やいのやいのと聞こえてくるのは、先に消えたにとりとオカッパ頭の河童ちゃんが言い合う声。

 その騒ぎ声に引かれるようにグルっと回って奥へと向かうと、聞こえた通りの激論が交わされていた。丁度近くで眺めていた眼鏡仲間の河童ちゃんに、なんでまた言い合いなんてと訪ねてみれば、今作っている最中の亀さん、正しくはネッシーとかいう生き物を真似た機械に搭載する武装について熱く論じているらしい。

 

「全く、わっかんないやつだな。ドリルなんて他にもいるじゃないか、あのパッツンパッツンと被ってちゃ目立てないっての!」

「そんな事言い出したらにとりの言う一発ってのも花や魔理沙と被ってるじゃないか! 二人もいるのと被ってる方が目立てないって!」

 

 互いの意見をぶつけ合う河童達、どちらの意見もなんとなくだが、同じような部分でダメ出しがされていて、両者ともに言われてはぐぬぬなんて唸っている。それでも反論されたところで自分から引き下がろうとはしない二人。

 ふむ、これはまた面白い状況が見られたものだ、水を操り水に生きる河童たちが水掛け論に興じている姿を拝めるとは、何の気なしについて来ただけだったというのに、こいつは存外面白い。

 二人を眺め、薄めの笑い声を漏らしていると、隣の眼鏡ちゃんも闘論に混ざっていく、このタイミングで混ざるのだから、二人の内のどちらかについて場を終わらせるつもりかな。なんて考えがあたしにはあったが、聞く限りではそうとも言い切れないな、こいつは。

 

「私はチェーンソーがいいと思うんだけど‥‥」

 

 少し身体を逸らせ、何を言うのかと思えば別の武装がいいと語り出す眼鏡っ娘。

 工場のライトでレンズを反射させ、キラリと光らせながらの横槍、解決のためにどちらかの意見に上乗せするなんてのとは逆で、私はまた別の物が言い出した。これでまた荒れるかなと一人笑って見守っていると、騒ぐニトリと之幸いと利用するオカッパちゃん。

 

「選択肢が増えた!? しかもまた接近戦仕様か!」

「お、わかってるね! やっぱ近接で蹴散らしてこそロボだよね!」

 

 そうだそうだと頷くオカッパ、そういうわけじゃと否定するも勢いに飲まれる眼鏡っ娘、そうして煮え切らなくなってきたにとり。この流れはにとりの負けか、そう読んだ頃に発明馬鹿と目が合った。何やら言いたげな表情であたしを見て、それから他の二人にバレないように器用な指の先だけを折って見せてきた。

 なんだ、なんか言って寄越せってか、こちとら発明やらロボットなんて物にはとんと疎くて、言える事なんて何もないぞ?

 傾いでいると目が細まる。

 そんな目で見ないでくれ、地底でキュンとキテからというものの、そういった目線にも少しだけ、本当に少しだけ反応してしまうのだから。

 この場にいると多分マズイ、そう理解できたので逃げる算段を企てる、けれども巻こうとした尻尾が眼鏡っ娘の裾に触れてしまい、それをキッカケに振り向かれ、視線を集めてしまった。余計に強くなるにとりからの視線、水を操る少女に見られ湿らせるというのもまた乙だが、今は相手もいないしいいか、テキトーに返そう。

 

「全部載せ、じゃダメなの?」

 

 ポツリ漏らしたあたしの文言。

 それを聞いてから数秒、にとりに向いていたやかましさが今度はあたしに牙を向いた。言うに事を欠いて全部載せとはどういう事だ、一点特化するからロマンがあるんだ、などとオカッパと眼鏡から続けざまに言い切られ、終いにはこいつにロマンなんぞわからんと、助け舟を出したはずのにとりからも言われてしまう。

 さてはあれか、こうやって槍玉に挙げる先を変える事が狙いだったな。先程までは劣勢で意見が水泡に帰す寸前だったくせに、立場が変わると水を得た魚のように活き活きとして喧しい。全く、相変わらずの狡猾さでそこは中々好ましいが……どうやってこの雰囲気から逃げ切ろうか?

 このままではにとりに変わってあたしが言われたい放題となってしまう、水掛け論に水を差して、そこから火傷していては格好がつかん上にペテン師としての名が廃る。このままでは気に入らんし、何か切り出せるような部分はないだろうか、あたしにとっての誘い水となるならなんでもいい、から見つけたい。

 

「黙ってんじゃないよ、口を挟んだんだから何か言い返してきなって」

「挟ませといてよく言うわ。言い返せと言われても、対して興味もない事で特に思う事もな‥‥」

 

 思いつかないから素直に返す、それがまたしても火種となった。

 興味もないって言い様がネッシーを整備していた他の河童ちゃん達の耳にも届いてしまったらしい、私達の作品に対して興味ないだとか、ブサイクだとか酷い言い草しやがって、と、アチラコチラから文句とともに集まってくる。

 だがしかし、ちょっとだけ待って欲しい、確かに興味は持てないが、ブサイクとまでは言っていないぞ。それを言ったのはあたしではない、他の河童連中の誰かのはずだ‥‥けれど、特徴のない奴も中にはいて、どの口から吐かれたのかまでは問い詰めきれん。

 奏功する間に囲まれる、本当になんだ、この寝耳に水な場況は?

 

「おい、アヤメ、なんか言えよ」

 

 何か脱するネタはないか、結構真面目に考え耽っていると、ちょいと詰め寄り下から覗き込んでくる水棲の技師。そうだそうだって声援を受けて、得意げな顔で見てくれるが、大元を返せばこいつのせいで今のような、水に絵を描くような思いでいるというに、いけしゃあしゃあと微笑んでくれて、全く以て気に入らない。

 そもそもお前が始めた水掛け論が切っ掛けで始まったことだろうに、その私は完全にこっち側ですって顔が面白く無い‥‥ならどうするか、こうなっては致し方がないので、心を入れ替えて開き直る事としよう。

「何も言う事なんてないわ」

 

「あん? 言うに事欠いてなんもないの?」

「ないわ、興味も、言う事もなぁんにもない」

 

「あ! またそうやって‥‥」

「そうやって? なに? 何を言えばいいの? にとりの推す大艦巨砲主義ってのに乗っかって論じればいいの? それとも接近して一撃必殺が気持ちいいと、別のに乗っかればいいの? どうしてほしいの?」

 

「どうしてって‥‥」 

 

 ズケズケと詰め寄って来た顔に、ズケズケと言い返す。

 もうどうにでもなれ、そんな勢いが感じられるように、散々感じた水っぽい思いに例えるなら蛙の面に水、若しくは立て板に水ってな感覚で、正面切って開き直り、にとりの言葉を遮ってかぶせていく。案がないなら勢いでちょろまかす、そう考えればこれも化かし合いと言える物で、化かし合いなら狸が河童に負けるわけがない。開き直って思いついた、考えのない勢いだけの思い付き。

 ソレに任せて語ってみれば、少しだけ静かになる工場内。

 これは存外悪くない空気になってきた、静まるって事は「言う」から「聞く」に立ち位置を変えようとしているって事だろう、ならそこを使わない手はない‥‥後はここから何を語るかだが、こういう雰囲気の時は相手を立てて煽てるのが定石ってやつだろうな。

 それでも覆水はお盆に返らないし、そうだな、我を通しつつこいつらを立ててみるか。上手くいったら重畳で、やっぱりダメなら案の定とでも思っておけばいいだろう、取り敢えずだ、何かしら言っておく事とするかね。

 

「なによ、じゃあなんて言えばいいのよ? もう面倒臭いから全部載せなさいよ」

「なんだよ、結局それか!」

 

「そうよ、河童のロマンなんてあたしにはわからないもの。だからわからないなりに別の視点から考える事にしたの」

「別ぅ? なんだってのよ?」

 

「単純な事よ、にとり。あたしは建造物には興味ないけど河童の技術ってのは評価してるの。だから遠近対応出来るように、全部載っけて作り上げて、それからしてやったりって顔をしてみせてほしいのよ」

 

 ズラズラとそれっぽい事を口にしてみる、すると、にとりではなく外野の連中からなるほど、なんて単語が聞こえ始めてきた。

 その中には眼鏡っ娘やオカッパ頭、いつ合流したのかは知らないがバッテンヘアピンの彼女まで合流していて、同じようにそれも悪くないなと頷き始めてくれた‥‥いい流れだ、人の事を尻子玉ならぬ槍玉に挙げてくれた河童を流すいい流れが訪れた。

 後は放っといてもあたしから発明の方向に意識が向くだろう、始めはどうかと感じたが、こうしてある程度の流れを得られた後になってみれば、悪くない化かし合いだったと思えるな。

 そうは感じないだろうかにとりちゃんよ‥‥感じてないな、その顔は。他の皆とは違って一人だけあたしを睨んだままだ、折角褒めてやったというのに、そんな視線を寄越してくれるのはなんでだい?。

 

「さっきの、また法螺吹いてるんでしょ?」

「どれのことを言ってるのよ?」

 

「評価っての、あんたが誰かを褒めるなんて‥‥」

「結構多いわよ? 少なくともにとりは買っているわ、ビジネスパートナーに選ぶくらいだし、椛との勝負でもあたしはにとりが勝つ方に毎回賭けてるんだから。出来ればそっちでも期待に応えて欲しいんだけど?」

 

 期待しているなんてらしくない事をぶつけてみれば、あまり見られないような、気恥ずかしさの混じる自慢気な笑み、とでも言うのか、そんな顔を浮かべてくれて、それなら応えないわけにはいかないなと、胸を張るにとり。

 あたしが期待し賭けているお陰で毎回にとりが負けて、その度にあたしもあの天狗記者に種銭取られていたりするのだが、そこはそれとして黙るとして、今はこっちの場を収めよう。

 水魚の交わりというには仲がいいってわけでもないが、ビジネスのパートナーとして選出するくらいには水心で魚心な部分もあると思える相手だ、そんな輩が気を良くしたのだから、先の言われっぷりは水に流して忘れた事にしよう。

 存外楽しめたし、悪くない暇つぶしだったのだから。

 

 

 そうして河童のアジトで過ごした日から数日。

 完成したという虫の知らせを耳にして妖怪のお山、正確にはその麓にある置いてけ堀に足を運んでみた。そこで見られたのは萬歳楽と一緒になって水辺に浮かぶネッシーとやら、姿形は先日の建造途中と何も変わらず、本当に全部載せたのかと疑いの眼差しで見つめていたが‥‥そんな視線に気がついたのか、こちらの方面を狙ったように、高速回転する頭から結構な量の放水が始まった。

 激しく回る水龍っぽい頭、そこから吐かれるは激しい水流。

 当然のように全身ずぶ濡れにされ、咥えていた煙管も火を消されてしまった。

 それでも何もせず、静水な心でその場を眺めた。視界に映るは弾幕戦、ずぶ濡れにされた見物客の人間少女達が巨大な水棲生物に札やら星やらナイフやらをぶっ放し、完成したばかりの物を滅多矢鱈に破壊し尽くしていく光景を、暫くの間見つめていた。




 後書きを利用しまして少しお知らせを。

 今回ありがたいお話を頂きまして、番外編として以前に書かせてもらいましたお話の主人公、白桃橋刑香さんが活き活きと描かれる本編『その鴉天狗は白かった』そのお話の一節にて『東方狸囃子』の主人公である囃子方アヤメが登場するお話を掲載して頂きました。
 ご興味を持たれた読者さんの中で、お時間の許される方は、よろしければ足をお運びくださいませ。そしてお手数ではありますが、ご拝読される際の注意事項を一点だけ記載させて頂きます。

1:世界観や設定などは『その鴉天狗は白かった』でのモノであり『東方狸囃子』内の流れや設定とは異なります。文章もほりごたつではなく、ドスみかん様執筆となります。投稿前に文章の再確認などもさせて頂いておりまして、何も問題ないという判断の元での掲載となっております。
  ですので、多少の違いなどが感じられてもソレも楽しみの一つかな、くらいの緩い見方で捉えて頂けるとありがたく思います。

 更に、コラボのお知らせと合わせまして、もう一つのお知らせも。
 拙作『東方狸囃子』の推薦文までもドスみかん様に書いて頂けました。
 色々と冗長で面倒臭い拙作を、簡潔でわかりやすい文章に起こしつつも丁寧な、素敵な文章でご紹介をして下さいました。
 あらすじに入れ替えたいくらい素晴らしく、同時に妬ましい推薦文だと感じております。
 ご興味を持たれた方はこちらも合わせてご拝読くださいますと、非常に嬉しく感じる次第です。

 それでは、暖かな目線でお読みいただけたなら幸せです。


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EX その45 忘れ物

 思うこともなく歩く雨道。

 昨晩の(おそ)い時刻から降り出した秋雨は、お天道様の勤務が始まっても未だ止まずに降っている。秋入梅(あきついり)と言うには少し遅く、冬場の氷雨(ひさめ)と言うには少し早い季節、そんな最中を二人歩む、大きめの、紫色の蛇の目にお邪魔して。右肩から先だけを僅かにはみ出し湿らせて、何やらケープなど羽織って女化しこんでいる本人は濡れないように気を使いつつ、左手はその紫色に引かれたままで。何故にこうなっているのか、それはちょっと前の世間話でそうなったからである。

 

 

 特にやることも、行く場所も相変わらずなくて、今日は何処の誰で暇を潰そうかなと考えふと訪れた人間の里。降る雨に打たれ、ポタリ滴らせるいい女となりつつ進んでいた中見つけた丁度いい相手。甘味処の門口で何やら隠れていたところで声をかけ、何か奢るからちょっと暇つぶしに付き合えと話してみたら驚いてくれた付喪神。

 誰かを驚かせるために隠れていたのだろうに、ちょっと奢ると言っただけで驚いてくれてそれもまた面白く、同時にこの程度で驚くのかとほんの少しだけ面食らっていると、それが腹に溜まったらしく笑ってくれた古い傘。(おど)かされて驚いたわけではなく、よくわからない一面に僅かに浅んでいただけだったのだが、腹が膨れたのなら何でも良しとしようか、機嫌も良くなったようだし、言った手前もあるのでそのまま食後の甘味を奢る事としてみた。 

 御萩(おはぎ)、あと一月も過ぎれば北窓(きたまど)と名前を変える和菓子を二つずつ頼み、互いにそれを腹に収めた後あたり、口直し代わりにお願いしたおかわりの玄米茶を啜り適当に世間話をしていた時だ、そういえばなんて切り出された。

 

「そういえば、あんたさぁ、私、言わなかった?」

「いきなりなに? 主語がなくてよくわからないわ」

 

 膨れた腹にお茶が染みるだの、今年の事八日はあんまり儲からなかったから、今は懐が寂しくて久しぶりの甘いものだっただの、可愛い顔して色々と言われた気もするが、今の問いはどれに対してだろうね。

 

「忘れ物よ、忘れ物!」

「忘れ物って‥‥どこかに何か忘れてた?」

 

 どうやらあたしの忘れ物に対しての問いかけだったらしい、そう言われても思い当たらず、ドコのナニについて言われているのか見当がつかなくて素直に言い返してみた。すると、大きな溜息と共に落とした肩に自身の本体を担ぎ、これから取りに行くから、と、またも主語がないままに息巻く忘れられた傘お化け。

 湯のみを煽ってか細い喉を鳴らした後、すっくと立ち上がると、空いている右の手が伸ばされて、あたしの手を取り引っ張ってくれる。ふむ、言いっぷりと雰囲気からこのままお手々を繋いで濡れ場での逢瀬となるらしいが、一体何処へ連れて行ってくれるのだろう?

 

「ついでにお説教されたらいいわ、いつまでも置きっぱなしでって、住職も呆れてたし」

 

 何処へいくのか、という淡い期待を浮かべていると、言われたお言葉。それを言い放ってきた小傘の悪戯な顔から行き先の察しがついてしまった。

 なるほど、行き先は寺か、最近は何かと相性のいい種族付喪神からのデートの誘いだったというに、随分と近場で、手近な所で済まそうとしてくれるものだ。なかった主語も、多分妖怪寺に置きっぱなしの蛇の目の事についてだろうが、あれは忘れているわけではないぞ?

 忘れた(てい)で置きっぱなしにして、あの寺の連中の妖気に当てて妖怪化しないかなとお試ししているだけなのだから。あそこの住職が呆れているってのも、新しい妖怪をあの寺で拵えようって考えについてだろうよ。

 行き場のなくなった妖怪連中を匿って人間に締め上げられた過去のある命蓮寺。

 住職を筆頭にその下で修行をしていた入道使いも、同居していた船幽霊も封印されてしまった流れのある場所で新しい妖怪を生み出す、そんな酷くて楽しい皮肉を思いついてしまった為に行っているあたしの悪戯、そこに呆れているんだろうさ。

 と、思い当たった忘れ物の事を考え雨空を見上げてみれば、視界に入ってくる二色の瞳。

 

「いい加減に持って帰ってあげてよ」

 

 赤い瞳は変わらず、蒼い方の瞳を僅かに赤らめて、まるで身内の不幸でも語るかのように切なさ満開の声色で語ってくれる唐傘お化け。つい先程までは満足気な笑顔で腹を擦っていた気がするが、季節の空模様と同じくこいつの顔色もコロコロ変わって面白い。

 

「あれは置き傘だって言ったでしょ、寺帰りに降っていたら使う為に置いてるの」

「なら今日でいいじゃん! 雨だよ! 丁度いいよ!」

 

 持ち帰らないと伝えてみれば、その場で地団駄を踏み始める小傘。普段の驚かしが失敗続きで慣れているからなのか、鍛冶仕事で蹈鞴を踏む事に慣れているからなのか、一本足で力いっぱいに地を蹴る姿がやたらと似合う。

 

「ねぇ、聞いてる!?」

「聞いてるわ」

 

「じゃあ持って帰‥‥」

「聞いているけど、話を聞いているだけよ。言う事を聞いてはあげられないわ」

 

 全部言わせずに口を挟み、キいているけどキいてあげないと答える、そうするだけで蒼い瞳を更に紅くさせるオッドアイ。やっぱりこいつは素直で、唐傘らしくからかい甲斐があるな。二つ名の通りに愉快な奴だとほくそ笑んでいると、握られている手に力が込められた。

 流れからそのままに立たされて、ようやく立ち上がった、このまま寺まで連れて行くんだからと息巻いてくれる不憫な不法投棄物。華奢な身体にしては随分と力強く感じるが、鍛冶仕事をするくらいだしこれくらいの力強さは備えているのかもしれない、と、評している暇はないな。

 取り敢えず勘定を席に投げ、半歩ほど先を歩く蛇の目傘の中に身を投じる事にした……

 

 というのがこうなるまでの流れで、雨降りの中お手々繋いでいる理由なのだが、本当にこれはどうしたもんだろうか? このまま寺に行ってしまえば傘を回収するまで離れてくれそうにないし、まかり間違えば本当に魔住職からのお説教が始まってしまいそうで、それもそれで面倒臭いな。お説教、というか説法自体は悪くない、他の妖怪連中も、偶に行われている法会はスリリングでエキサイティングだから良い余興だと楽しんでいると聞くし、その合間に始まることがある三味線ロックも悪くないという話だ。

 それらを楽しむことが出来るなら、ホイホイと連れられて説法の一つや二つ聞くなり、逸らすなりして、上手いこと般若心経ライブを楽しむのだけれど‥‥

 

 人里の道すがらに出来上がった小さな水溜り、それを気にしつつ歩き、頭ではこれからどうやって逃げ切るか、そんな事を考えながらの短い逢瀬はすぐに終わった。見ていた足元がいつの間にやら踏みしめられた里の道から、整えられた石畳の参道へと変わった事で気がついたのだが、今日はどうにも様子がおかしい。

 晴れ間であればあの狗っぽい子がギャテギャテ言いながら掃き清めている寺の参道、今日は生憎の雨模様だから響子ちゃんがいなくとも当然なのだが、それにしたって静かすぎる気がするのだ。

 葬儀でもあって出払っているのか、それともまた出開帳にでも出ているのかなと、視点を上げてみればなんだ、一揖する山門どころか寺自体が見当たらない。

 

「あれ? ない? 引っ越した?」

「みたいね」

 

 参道の真ん中を突き進む小傘も流石に立ち止まる、キョロキョロと周りを見渡すオッドアイ。

 左右の色味が違う瞳でそう見回してもあたしの銀眼と見えるものは一緒だろうに。

 残念ながらお寺は引っ越したかまた封印でもされたか、もしくは御本尊様がうっかり寺を失くしでもしたのだろう。これでは忘れ物の傘どころか失せ物となった寺探しから始めなければならず、小傘の思惑としては潰れたも同然だろうな。実際は引っ越しではなくて、あれだ、幻想郷上空を観光飛行する不定期な定期遊覧船として今日は出ているってだけなのだろう。その事について小傘も知らないわけではないだろうに、気が付かないのはしてやったりという心情からずり落とさされたからだろうな、小気味よい。

 

「で、ないけど。どうやって持ち帰れって言うのよ?」

 

 本来寺がある辺りで立ち尽くす茄子っぽいの、というのは失礼か、どこかの頭でっかちの言葉を借りてださい傘としておこう。で、そのださい傘に目的のものはございませんでした、持ち帰りたくとも持って帰れないわ、と、繋がっていない右手をひらひらとさせて語ってみる。

 

「な、なにさ! 急に強気になって! 寺がなかったからっていい気にならないでよね!」

 

 そうするだけでまた息巻いた、何処ぞの天邪鬼よろしく、べぇっと舌を見せてくれてから語気強いままに言い返してくる‥‥ここで話を切り上げて帰ってしまってもいいのだけれど、そんな風に無視したりするとやたらと落ち込むのがこいつだ、そうなると次回に顔を合わせた時に面倒なので、ここは取り敢えず付き合っておこう。

 

「急でもないわ、最初から持ち帰らないって言ってるじゃない」

「そ、そうだけど‥‥ぐぬぬ……」

 

 歯がゆそうに言い淀む小傘。

 ちょっと言い返すだけで、白い歯を僅かに見せて食いしばっている姿を見せてくれる。なんというか少しの事で表情を変えてくれるこいつが面白い、さすがは名鍛冶屋だ、打たれりゃ響くってのを顔で見せてくれるとは。しかもぐぬぬと言いやがったぞこいつ、ソレは口に出して言うようなモノでもないだろうに。本当にからかい甲斐のある唐傘だ。

 

「なによ! 厭味に笑ってくれちゃって! いい気にならないでってば!」

「はいはい、悪かったわ。雰囲気や表情をそう評する事はあれど、実際に言う相手を見るのは初めてだったのよ」

「お? 驚いた?」

「驚いた驚いた、腹に届いたみたいだし、分かるでしょ?」

 

 うん、と頷く元気な娘。今の今まで敵意のような感情を顔に貼り付けていたというのに、ちょっと食事を提供してみればいい笑顔で笑ってくれる。千変万化、一言で現すならこんな状態の小傘だけれど、あんまりそうやって変えすぎて忙しくはないのか?

 あっちの、感情表現は豊かだけれど顔に出せない付喪神にでも少し分けて、もうちょっと落ち着きを得たら良いのではないとか思えるくらいだ。

 まぁなんだ、笑ってもらえたのなら何よりだが、本当にどうしようか。ここでこうして待ちぼうけしていれば寺、というか今は船か、聖輦船となった命蓮寺も直に帰ってくるのだろうし、そうなれば笑顔からまた表情を変えるのだろうし‥‥どうせなら可愛い笑顔をさせたままで逃げ切りたいのだが、何かないかね……そうだな、ぼやいていたし、そっちの線で取り計らってみようか。

 

「そういや小傘、今年は儲からなかったって言ってたけど、厳しいの? 貸してあげる?」

「貸すって、ここの親分も言ってくれたけどすぐに返せる保証がないのよね‥‥それでもちょっと厳しいし、あぁ、どうしよう?」

 

「貸し付ける側のあたしに問われても困るわ、言い草から姉さんには借りなかったみたいね」

「返せる宛もないのに借りるのはちょっと、ねぇ?」

 

「そうね、懸命だわ。姉さんの取り立ては結構厳しいし」

「そうなの? さでずむな感じだったりするの?」

 

「さでずむというよりは、ふろうどって感じかしら?」

「ふろうど? いんぐりっしゅはわかんないよ?」

 

 (かし)ぐ頭に(かたむ)く傘、お陰であたしの右肩に雨露が垂れていい感じに濡らしてくれる。さでずむだっていんぐりっしゅってやつではなかっただろうか、ソレを言うから習って返したというのに、特にそっちの言葉に詳しいってわけではなかったか。

 

「詐欺よ、詐欺。ちょっと前にあたしも借金背負わされたのよ」

「アヤメが親分さんに? 仲良しなのに?」

 

「仲が良くてもソレはソレコレはコレ、ってのが商売人ってヤツよ。小傘も鍛冶仕事するんだからわかるでしょ、霊夢に売り込みに行ったってくらいなんだし」

「あぁ~‥‥巫女さんからのお代も回収できてないのよね、アレ払って貰えれば多少は潤うんだけど」

 

 横に傾いていた頭が今度は前に落ち込んでいく、表情の次は角度がふらふらと変わって、こっちもこっちで忙しそうだがもう面倒だしこれはいいや、気が付かなかった事にしよう。代わりに気が付いた部分、回収できていないって辺りを突いてみるか、ちょっと前にお賽銭奮発したばかりだし、ぐうたら巫女さんがすぐに使い切るはずもなかろう。

 

「今日あたりなら払ってくれるかもよ」

「お? なんでよ?」

 

「多分小金持ちになってるから。少し前に誰かが賽銭箱に結構放り込んだって聞いたわ、それなら機嫌もまだいいだろうし、ここで暇してるくらいなら行ってみたら?」

「でも、そうするとあの子(蛇の目)が‥‥」

 

「だから持ち帰らないって言ったでしょ? あんまりクドいと本気で忘れるわよ?」

「本気って‥‥本当に忘れてない? 本当に置き傘にしてるだけ?」

 

「そうだって言ってるじゃない、ソレがクドいって言ってるんだけど?」

 

 煮え切らないから追い込んでいく、二度クドいと伝えて指を折って見せてみた。

 そうしてみると少し呆けてからまた顔色を変えてくれる小傘。

 ふむ、仏様の顔は三度までってのは知っているらしい、連日寺に通っているからかそういった事は知っていた、というか知っていて当然か。こいつ自身も結構古い付喪神らしいし、いんぐりっしゅではなくこの国のことわざってやつだしな。

 兎も角もう一遍言う前にどうするのか決めろと伝えてみると、今迄繋いでいた手を離され、両手で腕組みし頬と肩で本体の足を挟んで抑え始める。そうしてこちらに被る面積が減ったので、離されて空いた手でなんとなく傘の手元、下駄履いてるから足元なのかもしれないが、部分的には持ち手に当たるから手元だろう、そこに手を伸ばした。

 軽く触れると一瞬ピクリと揺れるケープ、それでも離れたりはしなかったので、本来なら藤巻という、持ち手の少し上辺りを軽く握って預かってみた。

 

「あ、ごめんね。濡れるよね」

 

 流石に逃げるか、と思ったが、これでも逃げたりせず、寧ろこちらに気を使ってからそのまま悩み始める傘妖怪。なんというかあれだ、化狸が付喪神と相性が良いってのこういう面でも出るらしい、逃げずに本体を預けてくれて、傘らしく、あたしが濡れないようにと気まで回してくれるとは、出来た雨具さんだわ。

 それから少しの時間、思い悩む小傘と持っている小傘を見比べて色々と楽しんでいた。真剣に悩む人っぽい形の方は難しげな顔をしていて、持っている傘の方はあたしが置いている傘よりも細かな作りで、細いが靭やかそうに見える受け骨は、なんとなくだが良い作りで、作り手の丁寧さが伺える気がした。

 こうして中から拝むのは初めてだが意外とちゃんとした傘らしく、仕立ても細やかで丈夫そうな、長く使い込むことが出来そうな逸品なのかもしれないと感じる‥‥そんな驚きがまた届いたのか、組んでいた手を離し、再度人の手を取ってくる付喪神。

 自然に手を取られても悪い気がしないのは先の相性って部分が関係するのだろうか、それとも個人として面白く、好ましい相手だからだろうか。両方と思っておくか、その方がきっと良い。

 

「考えは纏まったの?」

「え?」

 

「腕組みを解いたんだし、答えは出たのかなって」

「あ、出たよ! 出た出た」

 

「そ。で、どうするの? あたしから借りる? 取り立てる?」

「取り敢えず取り立てに行ってみて‥‥ダメだったらちょっと、次の事八日でどうにか稼ぐから貸してもらえない?」

 

「いいけど、行く前からダメな場合の予防線を張るのは商いとしてどうなのよ?」

「そりゃそうだけどさ、相手が相手なんだもん」

 

 ぐすん、と、これもまた口で言う事がないような事を口にするこやつ。

 いいからそうやって落ち込むような姿勢を取るなと、また下がり始めた頭、そのおでこを前から持ち上げてみる。くいっと上げると今日の天気のようなぐずついた上目遣いで見てくる小傘、相手が悪いってのはわからなくもないがあの巫女さんも話せれば話がわかる相手だとは思うぞ、あくまでもきちんと話せれば、だが。

 それを伝えてみたものの、やっぱり何度も退治されていて怖いのだろう、自信なさげに取り敢えずの取り立てに行こうと誘ってくる。まぁそれもいいか、特に予定もなかったわけだし、小傘をからかった次は神社で巫女さんか、いるだろうお姫様、もしくはロリ小鬼でもからかうとするかね。

 小傘一人で取り立てられなくとも横から要らぬ槍を投げつけて入ればそのうち嫌になるか、諦めるかしてくれて、キッチリと耳を揃えて代金支払うか退治されるかはされるだろう。どちらにせよいい暇つぶしにはなると思えるし、あたしの蛇の目からは完全に話題が逸れてくれたみたいだし、ここは小傘に乗っかって遊びに行くとしますか。

 

「そういえば先に言っておくけど、あたしの取り立ても結構しつこいわよ?」

「げ。そうなの? 今度こそ……さでずむ?」

 

「場合に寄ってはさでずむかもしれないわ、痛いより気持ちいいって感じさせてみせるけど」

「ん? どういう意味?」

 

「身体で払えって事よ」

 

 言い切って、繋いだままの手に少し力を込め、爪を立てる。

 爪先が僅かに食いこむとピクリと跳ねる水色髪。それを笑って半分は冗談だと話すと、これから取り立てに行くのに余計な茶々を入れるなと、取られている手を強めに握り返された。

 そうしてくる辺り、さでずむなのは小傘の方じゃないのかなとも思えるが‥‥そんな事を言い合っていると話が先に進まないので、傘の代わりにコレは忘れた事にし、妖怪寺から妖怪神社へと続く参拝デートに興じる事として、少し明るい東へと緩く二人で飛んだ。




あまり間が空くと書き方を忘れそうなので、リハビリ代わりにちょっとした小話を


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EX その46 商人の空誓文

 今日も今日とて手空き手待ちの己。

 少し見飽き始めた秋空、飛び交う赤とんぼの数も減り空気も澄んできた水色を見上げ、温度だけは寒の入りといった風も読みつつ、今日も定例通り暇に遊ばれている。

 こうも毎回目的がないと空に続き現世にも飽いてしまいそうだが、そうなってしまうとアッチやらコッチやらから文句も言われるだろうし、今度こそ本当におしまいを迎えてしまいそうなので、本日もなにかないかと、暇って穴を埋める物探しに勤しむ。

 

 手始めに向かったのは人間の里、多数、とは言っても人数的には少ない部類になるのだろうが、他の場所に比べればそれなりに住人の流動が見られる場所へと訪れていた。少し前に貸しつけた唐傘に借用書の写しを届けるついでにあの九代目頭でっかちや、硬い頭に浮く頭、後は最近本業以外で繁盛している貸本屋にでも顔を出し、そいつらのどれかをからかえば多少は暇潰しにでもなるだろう。そう考えての来訪だったが、そいつらの誰もが相手をしてくれなかった。

 

 石頭は満月を迎える今夜は忙しいらしく、編纂作業に付きっ切りになる前に下準備やらのお買い物に走り、飛ぶ頭は、人里の守護者が引きこもる今晩は私が忙しくなるから構ってられないと、言葉にはせずに態度で、逃げるように姿を消した事で教えてくれた。

 そして九代目は、冷え込み始めてきた為にあまり外に出なくなったようで、里の元祖引きこもりらしく屋敷に引きこもっていた。こちらは少し相手をしてくれたのだが、普段からよろしくない体調が今日は更にすぐれないようで、お屋敷に顔を出してみたものの、床に臥せっていたらしく、いらっしゃいと布団の中から迎えてくれたが、咳き込む少女で暇潰しをするほどあたしの性根は腐ってはいない‥‥曲がってはいるが。そんな虚弱体質に、お大事に、とだけ返して屋敷は後にした。

 

 因みに本屋は混み合っていて、並ぶのも癪だし、何より人間臭すぎて中に入る気にもならなかった。集まっている連中全員が予約出版を願う客だったとすれば盛況だなと感じられる混み具合だったが、聞けば店主が最近覚えた占い目当てだそうだ‥‥副業の占いが盛況で本業は然程でもないとか、あっちの巫女さんと同じで商売が上手いのか下手なのか、よくわからん。

 

 それはそれとて、現在のお話をすると、今は人里を訪れた真っ昼間から大分経った夕暮れ時。暗くなり始めた頃合いに、気怠く握る煙管から煙を引いての物見行脚と洒落こんでいる。

 お天道様とお月様が同時に見られるような曖昧な時間帯に、現世なのかあの世なのか、よくわからないけれど、それなりに面白おかしい場所へと足を運んでみたってのが本日の暇潰しだ。

 ちんたらと歩く道すがら、その両脇では仄かに灯る提灯が垂れ下がり、連なるテキ屋連中の店やら顔やらを、薄っすらと明るくさせている。楽しそうに客と話す親父、立ち飲みながら酒を出し笑う店の女将。どいつもこいつも天冠のっけた頭で随分と朗らかなものだと思う。死人、それも地獄に落とされた罪人しかいないはずのここ、中有の道だというのに浮世に生きる者達よりも景気が良いような風合いだ。

 

 ふむ、案外そんなものなのかもしれないな、現世では何かと縛られるものだ。

 ただ何もせずに生きるだけでも何かしら食わねばならないし、何かを食すというのなら、狩りでもして糧を得るなり奪うなりするか、金銭を払って他者から提供してもらわねばならん。そうやって誰かと会うなら素っ裸ってわけにもいかないし、着こむ為の物だって、縫うなり買うなりせねばなるまいよ。

 中には本当に何もせずダラダラ毎日を生きているんだ、なんて言う輩もいるのかもしれないけれど、何もしなけりゃ死ぬだけで、考えもしないというのならそれは死んでいるのと変わらず、真っ当な生者とは呼べない気がする。

 その辺から鑑みれば、あたしは未だ生きているのかもしれない。

『何もない』を楽しめるほど達観してはおらず、ちょっとでも面白げなものがないかと、アチラコチラに顔を出している亡霊ってのが今のあたしだ。生前とやる事が変わっていない気もするが、変化がないってのを言い換えりゃ、これは死んでないって事になるのかもしれないな。

 

 考えたところで無意味な生死観、その思考を浮かばせては、吐き出す煙と共に外へと追いやっていく。そういった小難しい事はもっと徳を積んだ賢人様が考えればいい事だと思うから、邪なあたしは深く考えずに思いついては吐いていた。

 そうして進む屋台の流れ。

 右手に見えるテキ屋。

 そこから漂う焦がした砂糖の匂いに釣られフラついて。

 少し先の店先で泳ぐ可愛い金魚の姿に目を取られて。

 グルグルと店先を回りながら、それなりに縁日の雰囲気を楽しんでいる中で、誰かに呼びかけられたと気付く。岸を渡る前にうちに寄っていきなよだとか、輪廻を巡る前に手持ちの銭を落としていってくれだとか、そんな事を言ってくるテキ屋連中に混ざり聞こえたお言葉が再度あたしの耳に届く。

 

「珍しい所で出くわしますね、中有の道を進むなど、こちらに来る決心でもしましたか? それともここの亡者のように商売でも始めるつもりですか? 以前のように貸付業を始めたという一報が上がってきていますよ?」

 

 声の聞こえてきた方向、連なる出店の暖簾の、ちょうど切れ間辺りから何やら上から目線な物言いが聞こえた。姿こそお見せしてくれないが聞き覚えのある回りくどい言い方と、見通されるような声色から誰が話しかけてきたのかはわかる。

 

「屋号を上げられるほど真っ当に商売してないわ。仕事といえば、映姫様こそこんなところにいていいの? 部下を見習ってサボり?」

 

 確実にそうだろうという相手に、確定で有り得ないという事を言い返す。

 すると御姿を見せて下さる幻想郷のヤマザナドゥ、四季映姫様。帽子から伸びる紅白リボンを風に(そよ)がせて、お付きの鬼っぽいような風貌の連中に、下がって待て、と笏で示し、一人こちらに向かって歩んでくる。

 この地の偉いさんだというに、しゃなり歩くお姿は麗しくて、好ましく見えるが‥‥こうした下心なども閻魔様に知られれば白黒ハッキリつけられるのだろうな、区分けされる前から黒だと自覚しているから、分けられた所でなんちゃないが。

 寄ってこられると段々あたしの視線が上がっていく、上目遣いになると共にお近くで見られるようになるクソ真面目、ではなく凛と冴えるお尊顔。

 

「久しぶりだというのに悪態から始まりますか。最近の行いから少しは見直し始めていたというのに、顔を合わせれば減らず口や厭味ばかりですね、アヤメ」

「映姫様こそ、拝顔する度にお説教やらお小言やら仰ってくれて。そろそろ言い飽きたりしてくれないの?」

 

「飽きる飽きないというものではないのです、私の言葉はアヤメを思ってのものなのですよ? それだというのに説教だ小言だと言い換えて。一度滅したのですからそれを機会に、私の言い分を都合のいいように解釈する事をやめて、素直に聞き入れてはどうですか?」

 

 これは失敗だったな、世間話の一環としてらしく小突いてみれば、その藪から出てきたのは蟒蛇(うわばみ)どころか大蛇(おろち)だった。ちょろっと言い返しただけでスタートしてしまう閻魔様のお説教、あの胡散臭いのですら面倒がって逃げる、口煩くて有難いお話が二つ名の通りに始まってしまった。

 致し方ない、こうなってしまったのだから今はコレを楽しんでみよう。なに、飽きたら霧散して逃げるなり、声を逸らすなりしてやり過ごせばいいだけだ。

 因みに閻魔様ご本人に対してはなんでかあたしの能力は通じない、紫から聞く限り別次元の存在だから効かないとかって話だが、それでもお説教の言葉やらお小言やらは逸らす事が出来たりしている。理由を問われてもあたしの思い込みがそうだからとしか話せないが、細分化して考えるなら、あたしに対して言われた言葉であれば、それは映姫様の物ではなくあたしの物だから逸れる、って感じなんだろうな、感覚的なものだから、なんとも口にしにくい部分だ。

 

 それはともかくとして、お忙しいはずの御方が珍しく部下抜きで構ってくれているのだし、今はこちらに集中しよう……逸れた思考の海に沈む前に、海よりも広いだろう川向うの御方と話し込む事にする。

 

「減らず口を述べたかと思えば押し黙って、ちゃんと聞いていますか? 私の言葉を噛み締めているようには見えませんが?」

「聞いてるわ、きちんと聞いてます」

 

「そうですか、では‥‥」

「その前に映姫様、先のお話はあたしを思ってくれてのものだと仰られたわね? 輪廻の輪っかから外れて暫く経つのだけれど、それでもありがたいお話をしてくれるのはなんでよ?」

 

 あたしを思い仰ってくれた煩い、もといありがたいお話を噛み締め、珍しく敬語で返事をみれば、何か理解されているような返しが飛んできた。

 長い右側の髪と携えた笏を軽く振り、芽吹いた新緑のような髪はふわり、閻魔様の棒っ切れは空いている左手でパシンと鳴らしながら、では、などとお話あそばされるが、あたしの何処に理解を示されたのだろうか?

 言った通り、話されたものは真摯に受け止めたつもりだけれど、言葉を聞いただけで内容を理解してはいないぞ?

 それに今言われた所で今更に過ぎる、こちとら既に故人なのだ。過程をすっ飛ばしてしまった為に閻魔様に裁かれていないが、縁の(めぐ)る円の中にはいない状態である‥‥だというのに構って下さるのは何故だろうな、気にもなるしこちらは理解しておきたい、から伺ってみた。

 

「簡単な事ですよ。生死の理から離れ彼岸の住人になったとはいえ未だ竹林に居を構え幻想郷を彷徨(うろつ)いている貴女です。過ごし方も有り様も生前と何ら変わりなく、アチラコチラで他者を謀り笑うだけ。亡霊らしく誰かを呪ってみたり襲うような事もない‥‥この部分については少し褒めてもいいくらいですが、それは後々で語るとして。今の貴女も昔の貴女も、肉体こそ変わっていますが幻想郷の住人という立場に変わりはありません。であれば私が諭し、導くべき者だという事にも変わりはないのです」

 

 なるほどと頷く、そうしていると下がった頭にやたら重い棒ッキレが乗っけられた。

 悔悟の棒というのだったかこれは。映姫様が裁くべき者の罪状を書き込むと、生前に行った罪の重さや数で棒の重みが増したりするとかしないとかって物らしいけど、以前にキャンと鳴かされた時には感じなかったが、叩かれずにいざ乗せられてみると重たい。それこそ首が落ちるんじゃないかって程だ、まぁ、首は既に落ちているのだが。

 

「どうです? 重みを感じますか?」

「結構な重さだと我ながら感じるわ、妖怪としては鼻が高いわね」

 

「そうやって小憎らしい物言いを返せば私の話が終わらなくなる、それくらいは理解しているのでしょう? だというのに止まらないその減らず口、今更アヤメを裁こうなどとは考えませんが、一度くらい舌を抜いてもよいのかもしれませんね」

 

 長ったらしいお小言の後に伸びてくる左手、その手に向かってやめてよと、拒否を現す舌を出す。言われたから出して見せた、そういうわけでも、あるのかもしれないが口が減らないと評されたから思わず出てしまった口の中身。ペロッと出してすぐに収納し、引っこ抜かれるのは簡便だと再度のイヤイヤを示してみる。

 

「また貴女は‥‥天邪鬼な態度も程々になさい。あちらの天邪鬼の方がよほど素直に思えます」

「あら、本家と比べられて上を行くだなんて、褒めてなんなの? また何かお願いしてくるの? 映姫様直々のお願いなら聞いてあげてもいいけど‥‥前みたいなやつなら断るわよ?」

 

 褒められて悪くない、が、そこから通じてしまいそうなご命令は真っ向から断る。

 言い返し数秒、ほんの少しだけ表情に黒が差すヤマ様。今でこそ人払いをしてくれて二人で語らってはいるが、お付きの者を引き連れて彼岸に近い場所にいたのだ、今日は休みやサボりという感じではなく閻魔としての仕事中なのだろう。

 言うなれば視察ってところだろうか?

 死を迎えた者たちが中有の道で商売をする、それ自体は許可されていて、売上は財政状況が思わしくない地獄の収入源の一部となっている、なんて話を聞いたような記憶があったりなかったりする。それでも幽霊や亡霊が時には定命の者を相手取って商売をするわけだ、中には取り付いたり祟ってみたりする輩もいるらしいし、それらに対して姿を見せ、下手な動きを見せるなよって牽制も兼ねているのだろう。

 あたしにもそんな事を含ませて言ってきたし、本当にお仕事熱心な御方だこと。

 

「拒否、ですか。私に対してそうする事によりあるべき場所に還る事になるかもしれません、と付け加えても?」

「脅してくれても変わらないわ、還るっていってもどうせ冥界でしょ?」

 

 質問に質問で返す、お仕事中の閻魔様相手に亡霊が何を失礼な、と思わなくもないところだけども、あたしは一言も閻魔様とは呼んでいない。呼べば閻魔様として相手取らなけれなばならないと思えて、そうなれば、放置し続けてくれている事に恩を感じる身としては、お願いというか命令は聞かないわけにはいかないわけで‥‥また親しい誰かの日記やらを盗み読みするような、気に入らない事をしなけりゃならなくなる恐れもあるわけで。

 それは断固拒否したいところなので、敢えて映姫様と、名前でしか呼ばないようにしていた。 

 

「今の冥界では行き来自由ですし、貴女との取引材料とするには弱い。使ったとしても上手く言い逃げされるのでしょうし、ここは言い換えておきましょう。還す、ではなく、送る、と、言い直しておきます」

「送るって何処へ? 地獄に送られて獄卒でもやらされる? それとも別の場所? 黄泉にでも飛ばされたら困るわ、あたしは声を掛けてもらえる器量はあるし、葡萄も筍も大好物ってわけじゃないもの」

 

 何処ぞの筍姫や葡萄飾りを乗せた神様は嫌いじゃないがな、と、余計な方向に思考が逸れてしまいそうな中、ベラベラと言い返す。地獄の管理を一任されている、と言っても幻想郷の地獄に限定されるが、それを任されているお偉いさんに向かって思いつくネタをバラ撒いた。

 前者は実際に有り得そうな事で、台所事情の芳しくない現地獄の職員を安く増やしたいだろうって部分からのネタ。後者は実際どうなのだろうな、地獄は知識として知っているし、そこに近い冥界や元地獄の旧都は見知っている、だから黄泉なんて場所もあったりするかなと邪推して言ってみたが、あるとしたら行きたくはないな。いるだろう国産みの神様は目上の御方過ぎて、もし関わるような事でもあれば肩が凝りそうだ。

  

「場所で言えば地獄ですが、獄卒として働けとは言いませんよ。貴女を雇い入れた所で小町と一緒にサボるのが目に見える、サボり魔は一人で間に合っていますので」  

 

 私達の需要(説教)供給(サボり)という関係の間に割って入るな、って事かね、主従して仲が良く正規の意味合いで妬ましい……が、そう仰られると余計にわからなくなる。話の流れから今回もおつかいをしてこいって空気に思えるけれど、前回のようなものではない気もしてきた。

 何が言いたいのかとそのご尊顔を伺う。あのノッポな川渡しよりも更に高い上背の閻魔様。役職も、物理的にも高いところにあるお顔を下から見上げ、続きを待ってみた。

 

「何か?」

「それはあたしの台詞、今度は何なの?」

 

「今し方断ると言っていませんでしたか?」

「聞くだけはタダって言うじゃない。なら言うだけもタダなのだろうし、タダで聞けるお話なら、お説教のついでに聞いてみるのも一興かなと思ったのよ」

 

「アヤメ、本当に貴女という人は……いいでしょう。聞きたいと言うのなら話しますが、内容に触れると断らせるわけにはいかなくなりますよ?」

 

 言いたいのか、聞かせたいのか、よくわからん物言いの映姫様。

 人の事をこき使いたい、そんな事が悔悟の棒に書いてあるって感じで、あたしから棒っ切れの中ほどに視線を流して話されるが、内容を語り始める前に一言断りを入れてくださるとは、随分とお優しいことだ。白黒ハッキリつけるような事しか言わない、って事もないな、口煩くて冗長なだけで、温情のある御方に変わりはないから最後の逃げ道をわざと見せて下さったのだろう。

 前の、さとりの日記を盗み読みして、その時の報告ついでに、こういった事は閻魔様からの命令でも二度とやらないと伝えたのが効いているのだろうか‥‥まぁいい、あの頃のあたしの心情を鑑みて逃げ道作りをして下さった、と思っておけば面倒な命令を言われても嫌わずに済むだろうさ。

 お偉いさんが気を回してくれたのだ、それならば下々であるこちらも気を使わねばなるまい、ってな(てい)でこの場から逃げず、煙管を咥えて聞く素振りを見せた。

 

「逃げずに、一度断ると述べておきながらも私からの返事を待つのですね。わかりました、天邪鬼と言える部分かもしれませんが、そこには目を瞑って話すとしましょう」

 

 二度ほど吸って吐いた頃、こんな事を言われる。

 ちょっと前に幻想郷の管理人からは橋姫だの言われたばかりで、今度は地獄の管理人からも天邪鬼だと言われてしまう。なんというか、どっちのお偉いさんもあたしの事をなんだと考えているのか、ちょっと死んでいたり、霧や煙やら混ざってはいるけれど自分としては由緒ある化け狸のつもりだぞ?

 

「聞く前から悩まないでもらいたいものですね」

「悩みは別口だから大丈夫よ、それで?」

 

「人の話を聞きながら別の事を考えるなど‥‥いえ、これは後にしましょう、でないと話が進まない。単刀直入に言いましょう、また仕事をしてもらいたいのですよ」

 

 ピッと指し向く閻魔様の笏、向けられる先は当然あたし。

 仕草自体は慣れた形、そう貴女は少し、から始まるお説教のスタートによく見られる御姿。人の頭を小突いてくれる棒っ切れを真っ直ぐに向けて、表情の方は何やらバツの悪そうな雰囲気を纏う映姫様。

 なんというかあからさまに心苦しいってのが透けて見える顔色。大概の事ならハッキリと言い切る映姫様にしては煮え切らない表情で、あたしにお仕事をしろと命じて下さった‥‥が、普段の冗長さとは真逆で色々と足りなさ過ぎる。流石にこれではイエスともノーとも言えず、棒で分かたれて見えるお顔を強めに見てしまう。

 それが気に障ったのか、それとも言わずに疑問が通じたのか、これ以上は受けると言ってからでないと話せません、と、最後通告を冷ややかなお声で仰って下さった。

 少しだけひりつく空気が流れ、回りのテキ屋連中も、閻魔様に楯突いてる馬鹿は何処の誰だとこちらを気にし始めた。それならばそろそろいいか、もう逃げるつもりもないし、内容をお聞かせ願おう。咥えていた煙管に歯を立てて、上下にピコピコさせながら続きを寄越せと見せてみるが、それくらいでは話してくださらない。致し方無いからキチンと、言葉で寄越せと告げてみる。

 

「内容如何によってはお手伝いも(やぶさ)かではないけど‥‥胡散臭いアイツじゃないんだから、曖昧なままで命じないでほしいわね」

 

 曖昧に濁している部分を聞けば逃げられなくなる、だから話してくれなかったって事なのだろうが、ここまで聞いておいて後はポイと出来るほどあたしはこの御方が嫌いではない。立場を使い命じれば何を言っても断らない、それも理解されておいでなのだろうが、閻魔としてそうはせずに、呼ぶ通りの映姫様として話して下さるのだ。

 言うなれば譲歩してくれているって感じだろう、気を回した上に譲っても下さっている、目上の御方にこうまでされたら少しは素直さってのを見せてもいいのかもしれないと思えた。それ故の勘ぐり言葉。

 

「では今回も受けて貰えると、逃げないと考えて良いのですね?」

「逃げるならもう逃げているわ、残って聞いてるんだからそこは察してよ」

 

「素直にわかりましたと、自分からは言わないのですね。察せというのは私が勝手に思い込んだだけとも取れる言い様です。そこを利用し、聞いた上でやはり断る、といった逃げ口上は流石に許しませんよ?」

 

 話の取っ掛かりの際にはご自分から逃げ道を用意してくれたというのに、あたしがあたしの為に用意した逃げ道は、すっきりさっぱり許さないと言い切られてしまった。先は煮え切らない風貌だったくせに、こういう時には白黒ハッキリつけるとか、これは職権乱用ってやつ、でもないのか、言うなれば能力乱用ってやつだな。なら致し方無い、あたしだって乱用乱発して逸らすのが常だもの、人の事は言えん。

 

「クドいわ映姫様、あたしは虚言も言うし騙しもするけど、ここで断れば映姫様の顔が潰れるもの。それは好ましくないわ」

 

 見上げる視線を少し流し、横に見えるテキ屋の主人や、奥で集まる罪人連中の姿を捉えてみる。すると視線が気になるのか、場所を変えましょうと、少し離れた位置取りにいたお付きの者達に目配せをし、一人先に歩み出す楽園の最高裁判長。 

 視界の内で戦ぎ揺れるリボンにじゃれつきたい衝動を抑え、後について進むと、十数歩しか歩んでいないというに、いつの間にやら彼岸の花咲く此岸の端に着く。さてはあのサボり魔近くにいたな、姿を見せずに仕事だけこなすとか、出来るけど普段はしない死神らしくて格好いいじゃないか。

 

「ここなら視線も気になりませんし、続きを話すとしましょうか」

 

 場所まで変えて無駄に引き伸ばしたりするなど、何処でも構わずお説教を始める映姫様らしくない動きに思えるが、ここまで気を回して動かれるとは、一体何を頼んでくるのやら。確実に面倒臭い案件なんだと容易に読めるけれど、やっぱり断っておくべきだったか?

 

「また何か考え事ですか、相変わらずすぐに思考が逸れますね。余計な事を邪推され逃げ算段を思案し始める前に話すとしましょう」

「勿体振ってなんなのよ?」

 

「なに、簡単な事ですよ。依頼するのは何時も通りに過ごしてもらいたいという、それだけの事なのですから」

 

 今度は何を言われるのか、そう身構えていた心中に、定常通りに暮らせという言葉が染みる。

 また盗みだとか、あの長生きし過ぎて的になった、追いかけている最中の邪仙様でもとっ捕まえてこいだとか、そういった仕事らしい仕事を想定していたのだけれど、思いがけないどころか予想の端にもなかった事を言われて、咥え煙管を落としてしまいそうになった。

 そんなあたしの心情を察したのか、それとも気にしちゃいないのか、態度を変えないお偉い様から続きが聞かされた。

 

「そうですね、特に指定などはないのですが、出来るなら多くの人と話した内容を聞かせて貰いたいですね」

 

 指定などない、か。サラリと匂わせておきながら何を言うのかこの方は。

 先の依頼だけでは顔色を曇らせる必要がない、であれば他にも何かあると思う‥‥が、それは敢えてのミスリードなのかね。ふむ、考えたところで答えが出そうにないし、ここでは素直になってみよう。

 

「本当にそれだけ?」

「えぇ、今はそれだけです」

 

「そう、今は、なのね」

 

 またナニカを香らせて、でも答えては下さらない。が、今はというのなら後で聞かせてもらえるのだろうし、既に聞き入れてしまったのだから、コレはまた後日に伺うとしよう。

 全く、普段通りにはっきりと仰ればいいのに。と、普段のあたしなら言い返すところだが、白黒はっきりつける御方が濁されるというのも中々に面白いし、ここは命じてくれた部分にでも探りを入れて話を進めてみようか。

 かかるも八卦、かからぬも八卦、楽しい腹の探り合いをもう少し続けてみよう。ちょっとだけ頬を緩めたからか、頼みたいというお仕事内容の続きのようなお言葉が続く。

 

「楽しそうに笑いますが、自らなにかをしでかしたりなどは考えないように。本当に普段通りに過ごしてくれて結構です。見聞きした事を今日のように、偶に会って聞かせてくれればそれで仕事はおしまいです」

「それくらいなら構わないけれど、あたしに頼むくらいならいつも通りに小町でいいんじゃないの? あいつもよく見るわよ?」

 

「小町は私と直接繋がりのある者です、そういった色眼鏡を通さない話を聞きたいのですよ」

「何故聞きたいのか、その部分について聞いてもいいのかしら?」

 

 何処で、とは言わず気になる部分を問い返してみたが、教えては下さらないか。さすがに甘くはなかったな、それでもヒントはくれているから、ここはそれだけで満足しておくとしよう。

 裁きの棒を口元に当て、よろしくお願いしますよってな目線であたしを見るだけのヤマ様。内情の端くらいは聞きたいところだったが、致し方ないところではあるか。色眼鏡を通さないモノを見聞きしたいと仰ったのだ、ここで内情を話せばあたしの銀縁がその色に染まってしまうだろう、だからこそ何も教えてくれないって感じなんだろうよ。

 しかし、死後の裁きをなされる方が現世の事を気にかけるなど、何があるというのだろうな?

 多くの者ではなく人と仰った、つまりは人間の里辺りの事を知りたい、そこを見聞きして来いって事だろうが‥‥なんだろうな、現世とはなるたけ関わりを持たない閻魔様が何か気がかりとされる事。思いつかないな、ふむ、少しだけ突いておこう、その方が動きやすくなる気がする。

 

「答えにくいなら何も話してくださらなくてもいいけど、閻魔様が気にされるような事がある、もしくは気にしなければならない事が起きるって事かしらね?」

「アヤメの読みが当たるか外れるか、そこはわかりませんが八卦次第では当たる事もあるのでしょうね‥‥以上で私からの依頼は全てです、聞いた以上はそのように事を運んでもらいますよ? アヤメ」

 

「普段通りに過ごせって事らしいし、それらしくするわよ」

「やけに素直ですね、何か惹かれる部分でも出来ましたか?」

 

「別に、暇に飽いた今を潰すのに丁度いいお題が降ってきたなと思っただけよ‥‥あぁそうだ、映姫様? 念の為に一筆認めてもらえる?」

 

 何を、そんな表情の前にペラっと取り出した帳簿を見せた。

 一番上に書かれていたのはあの雨具用の借用書、忘れ傘用に用意した物だったからすっかり渡すのを忘れていたコレ。これはまた後で渡せばいいかと、ペリっと破り丸めて懐にしまい、煙管を筆に化かして、新たに一筆書き上げた。

 デカデカと『空誓文』とだけ書いて、その下辺りに名前を寄越せと、化かした筆の筆管でつついて示してみる。

 

「空誓文? 私は正規の仕事として依頼しているのですが?」

「でも、閻魔様としてお願いしているのは知られたくないのでしょう? 場所を移すぐらいだし。それなら嘘の誓文くらいでちょうどいいとは思わない?」

 

「しかし、それではアヤメに断る理由を与える事に‥‥」

「今更断らないわよ、顔を潰したくないって話したじゃない。それに、あたしはペテン師妖怪よ? だから嘘の誓文自体を嘘として捉えてあげるわ」

 

 そうすれば映姫様はあたしに何も話していない、あたしは逆に誓約書を正しい物として捉えられる。これであれば互いに利害の一致した物として機能するはず、ってのが考えたこじつけだが、この曖昧で小憎らしい提案は果たして白黒付けられてしまうのだろうか?

 突き出した帳簿をヒラヒラさせて、映姫様が仰る通り、あたしは貸付業者として、仕事は仕事として受けてあげると姿で見せてみたが‥‥少し悩んでから、笏を脇に挟み筆を取る閻魔様。サラサラと、書き慣れているって調子で長いお名前を帳簿に書いてくれる。

 これはまた達筆だなと、書かれた御名を拝見していると、さてそれではなんて、話の締めっぽいお言葉が聞けた。

 

「上手く誤魔化されていますが、そこは気を使ってくれたと、良い面として見てあげましょう。さて、私の話はこの辺りで」

「あたしも証文預かったし、今日はここでさようならするわね」

 

「さようなら? どこへ行くのです? まだ終わってはいませんよ?」

「話は聞いた、仕事は受けてお名前も頂けた。だというのにまだ何かあった?」

 

「私からの話は終わりました、ですが、重要な案件が残っていますね。後に回すと言った事、都合よく忘れていたりはしませんね?」

 

 後回し?

 案件?

 と、頭を傾ける。すると始まるお説教。

 貴女は少し都合が良すぎる、という先に言われたお言葉から封切られて、それから暫くは色々と言われたい放題となってしまった。話しの切り出しで尾を巻いて逃げる姿を取って見せても、私は後にしましょうと既に伝えている、なんてよくわからない事を言う説教好き。

 何のことかと問い返してみれば、中有の道で言いかけた、人の話を聞きながら別の事を考えるような、都合の良い思考回路を少しは改めなさいってなお話だったようだ。そんな事を窘められても、これはあたしの性分で持ち得る能力故の思考の反りだ‥‥なんて言い返したのがまずかった。

 またそうやって減らず口を言い返して、本当に一度引っこ抜きましょう。と、ひと睨みしてから笏をペシン、平手で鳴らす口煩いお偉いさん。さすがにそれはちと困る、天邪鬼だと評されたが、実際のあたしは一枚舌だ。それを教えてあげる為に再度ペロッと見せて、尻尾をきつく腰に巻き、踵をかえしつつ姿を薄れさせる。

 お待ちなさいなんてのも聞こえてきたが、薄れ、消えていくあたしの耳にはその声は途中までしか届かなかった‥‥それからどうにかやり過ごし、というか見逃してもらって、一人になった頃合いに頂いたサインを撫でつつ空を見た。

 

 彼岸に近い幻想の空はただただ暖かく、優しい明かりに満ちている。

 遠くに見える深めの霧、それを透かす暖かな日差し、霞んで漏れる日を浴びて、考える事は一つ。今日は逃げたが次回更に酷いのではないか、という事。

 偶に会って報告を、という話だったし、後日顔合わせすれば今日以上のお説教が待っているのだろうな。そうなれば面倒臭い事この上なくなるが‥‥致し方無いのかもしれないな。

 テキ屋を廻り嗜好を満たす為に足を向けた場所というに、功徳を積めるクドい話から逃げてしまったのだ、悟りとは程遠いくせに廻向(えこう)などしていたあたしが悪いのだ、きっと。




功徳、廻向、と仏教用語は言葉の響きが美しい気がします。


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EX その47 都合をつける

寒くなってきたので、こんな話


 ほろ酔いで、うすうす蠢く宵の頃。

 明けの明星だけが美しく見える暗い夜空、その下に姿を見せ、進むは寂れた雑木林。

 変哲もない雑多な林に向かって寂れたなど、そんな事を思っていると知られればこの地の何処かにあるらしい木に宿る三体の妖精や、その林に入る手前にある池の主、なにやら喋る亀の爺さん辺りに苦言を呈されてしまいそうだが、この林は寂れた神社の敷地内だ。例えとしてはそんなに間違っていないだろう。

 相も変わらず参拝客のいない本殿を眺め、来たついで、というかすっかりお決まりになってしまっているお賽銭を、重いが軽い博麗と彫られた箱に放ってから、裏手の林を進んでいる。

 

 つい最近『多くの人と関わって、それらの話を聞かせてほしい』なんてお仕事も引き受けたというに、なんでまた人気のない妖怪神社になど足を運んでいるかと言えば、今日はここが賑やかになる滅多にない日だったからである。少し前から慣例化している酉の市、あれが催されたのが今日の明るい内だったって事だ。今現在も市は続いていて、それなりの人数が出店(でみせ)を出し、それなりの人数がそれらの出し物を楽しんでいるはずだ。

 

 どんなお店が並んでいたのか、ちょっと紹介するのであればそうだな、まずは石段を登り切ってすぐにあった店から述べておこう。

 博霊酉の市の顔、とでも言うような位置に出店(しゅってん)していたのは、八つ目と灯る提灯の明かりと香ばしい匂いが人を引き付けるお店、あの夜雀女将の名物屋台。相変わらずの盛況ぶりで、一人ではまかないきれず、相方の山彦ちゃんまで連れ出して二人でどうにか切り盛りしていた。始まる前は参道の掃き掃除までやらされて、始まってからは鰻を捌く女将に変わり客をさばく響子ちゃん。巫女さんに文句を言いつつ笑い、忙しそうにお客を流す姿は大変そうではあったが、楽しそうだったので何より、か。

 

 そのお向かいは閑古鳥が鳴いていて、夜雀屋台とは真逆の様相だったと言えよう。手水舎の軒下に敷物を敷いて、マジックアイテム大放出中と書いた立て看板だけが目立つ店、と呼べるかいかがわしいゴミ置き場に近いナニカ。店主が誰かなどは置かれている物から察する事が出来るだろうし、割愛しようと思う。ついつい顔を合わせてしまい、今日も売れ残ったんだとクズアイテムを押し付けられそうになったが、自分から売れ残りのお面を一枚買う事でそうされるのは逃れる事が出来た。こうした難癖だけを考えているのがバレたら、また馬鹿にしやがって、と退治される羽目になるので、見つけて褒めるなら盗品は並べていなかったってところを褒めておこう。

 

 それ以外にも、天狗記者が出していたハズレ無しの的当てなんてのがあった、景品は彼女達の新聞のバックナンバーという話で、それなら当たりが出る事はないな、だからハズレもないのかと思える店もあったし、人里の寺から出開帳しに来ていた、妖怪寺のご本尊様なんかも姿を見たな。

 出張ってきた御本尊様、星自らが調理したらしいおでんもあり、厚揚げ大根こんにゃくに串を打ち、いつも持ち歩いているはずの宝塔に似せたおでん串が評判だった。うっかり塩加減を間違えた、なんて事はなくて評判通りに美味しく、出汁の旨味を味わう事が出来たのだけど、あれはきっと端の方でうっかり煮えていた本物から出汁でも出ていたのだろう。薄味で厳かな風味を感じたのはきっとそのせいだ。

 後は紅い屋敷のメイド店長が淹れるコーヒーショップといった定例のお店や、あの月の頭脳が弄くり回し悪戯兎詐欺が持ち込んだ、本当にその色のままで育つカラーひよこなど、結構楽しめるお店が色々とひしめき合っていた。 

 

 そんな酉の市、最早縁日か、なんでもいいがその場の景色に溶け込んで、元お山の総大将が営む酒屋で冷酒を引っ掛けながら眺めていただけでも面白かった酉の市。いつかは火事騒ぎとなってしまって市自体が中止となったようだが、今年はその辺りに対策を講じたようで、小火こそ起きていたがどうにか盛況なままに進んでいたようだ。

 因みにその対策というのも妖怪だ、いつぞや見学に行った河童の秘密基地、あの中で見かけたネッシーとかいう建造物が放水車代わりに動いていた。出し物にしろ鎮火にしろ、妖怪を巻き込んで、顎で使いながら騒ぐ職業巫女さん。相も変わらず妖怪使いの荒い少女だと感じると同時、相も変わらず愛されているなと、騒がしく面白い市の風景を、音楽妖怪組をバックに背負って舞い踊った面霊気がいた舞台上から見つめ、満足してから姿を消した。

 

 別に残っていても良かった。

 このお祭りが終わった後はいつもの通りの宴会になるだけなのだから、それに参加し笑っても良かったのだが‥‥別の部分、布教を終えて一汗掻いた現人神を連れて消えた二柱が気になったので、そちらを追ってみる事にしてみたのが、宴会には顔を出さず藪の中を進む理由だ。

 そういったちょっと前を思い出し、足を動かし奥へと進む。

 道すがらに見られた、背が低く横に広がる木から紅い果実をもぎり、シャリッと瑞々しい音を鳴らして咀嚼し、足元の雑草は裾ごとを払っていそいそ歩む。そういえばこれもお酒になるんだったな、シードルとか言うのだったか林檎の発泡酒。名を知っているだけで味わった事はないが、あの目に痛い屋敷のセラーにでも行けば現物を見られるのかね?

 発泡性で軽い口当たり、そんな事をあそこの小さなお姉ちゃんは言っていた気がするが、まぁそれはいいか。機会があればメイド長に伺ってみる事として、今はこの先にあるだろう場所へと急ごう、でないとタイミングを逸する事になってしまいそうだ。

 口元でシャリシャリ、足元でも葉をシャリシャリ鳴らして藪の中。

 抜けるとソコは、湯けむりが上り、硫黄が香る桃源郷。

 

「ひぃふぅみぃ、読み通りの御方しかいないわね」

 

 揺れる湯気の中にある頭、横から金緑紫、高さで言えば小中大な頭を数える。

 声を掛けると揺れる影、真ん中の緑色は双葉っぽいのを左右に跳ねさせて、そばに置いてあったバスタオルを湯船に突っ込んでいる。そんな事するとタオルに色がついてしまうし、あたしが眺め、舌なめずり出来ないからやめてくれ。

 そんな思いを脳裏に浮かべ、何やら端の金色っぽい方へと寄っていく。

 すると振り向く、愛すべき二柱。

 

「今は私達だけさ」

「そうなのね、てっきりあの仙人様や死神でもいるかと踏んだんだけど、読み違えたわ」

「私達だけじゃ不服と言うか、傲慢だなぁ、アヤメ」

 

 愛する土着神に向かって、場所柄もしかしたらいるかもしれないが九割方いないだろうな、という相手の事を伝えると、もう一人の愛すべき祭神様からも傲慢だと評される。

 不服など一言も口にしていないというに、そう仰られるのはなんでだろうな、多分あたしが目を細めていたからだろう。睨んで不服と示していたわけではない、寧ろ各々の濡れ姿をねっとり眺めようとした結果からの薄目だったのだが‥‥ 

 

「そんな事言ってないじゃない、三柱のあられもないお姿を見られて重畳よ?」

 

 言いながら一人バスタオル姿の奴に視線を落とす。

 豊満さを楽しむのなら山の神であらせられる御方を、奔放さや腹黒さを眺め、満たすというのなら逆側におられる祟り神様を見つめるべきだが、今宵はそうする気にはなれなかった。

 そもそも今日は、松明の明かりに照らされた汗姿の早苗が艶めかしく見えたから覗きに来たのだ、それならば目当ての相手を眺めるのが正しい行いと言えるはず‥‥それに見るなら若手、肌で水玉を弾くような若々(初々)しさを宿す相手を見つめた方が反応が楽しいはずだ。

 頭の先から湯船に沈む足先まで、舐めるように見定めてから、あの黒白や紅白よりも随分と発育がいいなと感じ、口に出す。そうするだけでまた騒いでくれる、お山の風祝。

 

「その品定めするような目! やめて下さい!」

「折角の上物なのに、そうやって隠さないでくれる? それに、湯船にタオルは無粋よ?」

 

「人の話を聞いてくださいってば! 痴漢ヤローは退治しますよ!!」

「あぁそう、なら野郎じゃないあたしは問題無いわね」

 

 生えてないから問題ない、そんな減らず口を漏らしていると飛ばされる飛沫。

 当然濡れるあたしの着物。

 着ているあたし自身も水は苦手としているが、この着物も濡らされると縮んだりして傷んでしまうのだからやめてほしい。さっきからやめてほしい事ばかりをしてくる現人神を軽く見据え、濡らされた袖を撫で戻していると、聞こえる二柱の穏やかな笑い声。

 

「温泉に姿を見せたのに、いつまでも脱がないからそうなるのさ」

「なるほど、場にそぐわないままでいる不心得者に、早苗から神罰が下ったんだな」

 

 戻した着物の袖を軽く振り、取りこぼしはないかな、なんて探していると、なんとかの冷水のように、そぐわないからそうなるのだ、などと言って笑う二柱。

 暖かな湯に浸かり冷水浴びせてくれるなど器用な事だが、あたしよりもよっぽど年寄りな癖に、二柱から見ればまだまだ若手なあたしに対して浴びせないでほしいものだ……いや、若いからこそ浴びせてくれたのか、ならまだまだあたしもイケるな、うむ。

 それにしても神罰、ね。これくらいの罰であれば可愛いものだが、そうやってからかわないでください、と、二柱に対してもお湯を跳ねさせてはしゃぐ一人娘。その水飛沫のおまけがまた飛んできて、再度小さなシミを作ってくれた。

 これは可愛い拗ねっぷりだが、いつまでもこれではキリがないな。取り敢えずだ、ここは場に混ざれるような状態になるべきか、そうすればいくら温水ひっかけられても問題なくなるな。

 ならばと細帯を解いていく‥‥が、敢えてゆっくりと脱いだ。

 何故か、何やら奥の茂みが動いた気がしたからだ。

 あたしの視線が流れると、それを追って二柱の瞳も動く。

 そうして見つめた場所からは数羽の鳥が飛び立っていった‥‥なんだ、野鳥か、やたらと闇夜に馴染む色、何処かの誰かの髪色に似た鴉が偶々飛び立っていく。鴉位どこにでもいるし、それほど不自然でもないって、んなわけないな。鳥目な連中がこんな暗い夜に飛ぶわけがない、なら飛ばされたのか。という事はいるんだろうな、きっと。

 黒いのが飛んでいった空を見上げていると、散切りな頭の端を掴まれ、こっちを見ろと顔を下げられる。

 

「なんだ、覗きに来たんじゃなくて浸かりに来たのか?」

「両方よ、浸かって眺めれば二度オイシイでしょう?」

「ははっ傲慢ではなく贅沢だったか、少し間違えていたな」

「もう! 八坂様も諏訪子様も、笑ってないで叱って下さいよ!」

 

「女同士で気にする事でもないだろうに。それにだ、言って聞くような相手ではないよ」

「言えば増長するのがこいつだ、もし退治するなら自分の力だけで、叱るなら自分の言葉だけでしてみせるんだね、早苗」

 

 何やら二柱から失礼な事を言われるも、大概あっているから何も返さず残りを脱ぐ。

 解いた帯を近くの枝にかけ、長着をはらり落としていく。仰られた通り女しかいない場所でしなりと脱がなくとも良いのだが、敬愛するお歴々や野次馬に見つめられていると思うと、その視線の期待に応えねばなるまいと思ってしまって、襟を崩し、科を作って脱いでいく。

 そうして残るは緋襦袢一枚、その内紐に手をかけて、解く最中に気がつく視線。

 感じる物はやたらと賑やかな雰囲気を帯びた、浴び慣れた鳥目な熱視線。

 なるほど、やはり、同じ穴のムジナ(覗き魔)はあたし以外にもいたらしい。

 

「固まってどうした? 焦らしても声援など送らんよ?」

「そんなの、はなっから期待してないわ」

 

 親愛なる祟り神様より届けられたご神託(皮肉)、それに言い返しつつ、素っ裸になる前にちょいと一服を済ませておく。ぷかり吐き出した煙を纏い、自分の頭へと伸ばし化かす。煙が髪に触れると色合いや質感が変わる、揺蕩う白はくすんだ灰色に、風に巻かれる形は流れる長髪へと変じさせ、それを纏って襦袢を脱いだ。

 足元に届くかどうか、それくらいにまで伸ばした髪、神様を見て思いついた神隠しならぬ髪隠しと洒落こんでみる。見た目からすれば毛羽毛現(けうけげん)、いや、体毛はそのままで髪しか伸ばしていないし、頭のモッサリ具合からすれば毛羽毛現よりもおとろしって感じだろうか?

 どうでもいいが、まぁなんだ、こんな事ばかりしているから狸以外の妖怪だと言われるのかもしれない‥‥けれども、そこには気が付かなかった事として、今はこちらの景色を楽しもう。

 蓄えた棘髪(おどろがみ)で下腹部やら胸元やらを隠し、先に温まる三柱の横、温泉蛙となっている祟り神様の側へと、かけ湯を済ませて並び浸かる。

 

「湯処で髪の毛お化けなど、洗うのが手間になるだけじゃないかい?」

「なんのつもりだい? 髪なんか伸ばして」

「早苗の濡髪が艶っぽいからね、真似てみたのよ。ちょっと伸ばしすぎたけどね」

 

 生やした長いのを掻き分け、耳にかけつつ少しの会話。

 けれど話題に出した当人は静か、でもないか、先の痴漢云々の流れから、ほんのちょっとだけご機嫌斜めといった風合いに見える。なんだ、折角艶っぽいと評してやったのに、ツンと澄ましてそっぽを向いたままの緑色。これは厄介な状況だ、このままこの子のご機嫌が戻らずにあれば、親御さんの御心も少しは陰ってしまうだろう。

 目に入れても可愛いような大事な大事な一人娘だ、怒りのあまり荒魂(あらみたま)となられる事は流石にないと思うけれど、ちょっと痛い目見せてやろうか、なんて神罰やら祟りやらが降りかかってくるやもしれん。

 どうやって機嫌を釣り上げたものか、そんな考えを巡らせ、湯船から空を拝んでいると、隣の神様がお立ちになられた。スレンダーな体に似合いの胸を張り、鎖骨には綺羅びやかな金の御髪(おぐし)を貼り付けて、何やら悪い顔をしているが、何かする前から立有(たた)りなど、やめてくれ。 

 

「さぁて、どうやって機嫌を取るのか。まぁ頑張るんだね」

「そうだな、退治されずに済むのか、楽しみにしておくとしよう」

「あら、二柱はもう上がるの?」

 

「年寄りには長湯がこたえるのさ、後は若者同士で好きにしなよ」

「そういう事だよ、それにやる事も出来てしまったようだ‥‥覗く程度なら良いが、姿を収められては信心に関わってしまいそうでな、ちとお灸を据える事にしたのさ」

 

 湯から上がって軽く指先を払う八坂様。

 そうするだけで二柱のお側の風が舞い、身体や髪を撫でるように(そよ)ぐ。

 器用なものだと眺めていると、乾いた肢体にそれぞれのお召し物まで現れて、よく見るお姿を形取られた。だが、身体は兎も角髪は流石に乾き切らず、普段の横に広がる髪型ではない神奈子様と、双葉など生えているかと、わざとらしく人に頭の天辺を見せて振るい、髪から冷えた飛沫を飛ばしてから市女笠を被る諏訪子様。

 飛んできた飛沫が目に入り、思わず瞬きの回数を増やしてしまう。

 そんな一瞬で、ざっくりと水気を飛ばした二人の神様はお姿を隠されてしまわれた。

 そうして残る人間と亡霊、現人神、というか荒人神か、今は。

 二柱を見送る時だけこちらを振り返り、いなくなったらすぐにプイと、背中と後頭部しか見せてくれなくなった早苗ちゃん。そろそろ機嫌を戻してほしいものだけれど、全く、どうしたものかね?

 

「帰った、のかしら?」

 

 帰ってないと、あのパパラッチ連中に神罰という名のお灸を盛りにいったのだとわかっちゃいるが、なんとなく理解していなさそうなこいつに合わせて話を振る。

 それでも未だ傾けた機嫌らしく、見てはくれない皮相浅薄な人間。

 もうそろそろいいだろう、そんな思いを込めて、バスタオルの端をちょっと摘み引く。

 しかし、その手も払われた。

 

「知りませんよ!」

「そうツンケンしないでよ、もうそういう目では見てないから」

 

「今は、ですよね!? それ!」

「そうよ、さっきはさっき、今は今で流しなさいよ」

 

 ね、と促すが早苗の顔はこちらを向かない。

 もういいや、ご機嫌伺いなど慣れない事には飽いてきたし、ここは放置して湯を楽しもう。そう思考を切り替えて、回りの景色を眺め始めた頃、視界の端でまたナニかが飛び回る。

 巻き上げられる枯れ葉に混ざり、大きくて長い手と足が現れる。追い立てられて逃げ惑う何か者、ってもういいか、天狗記者の二人が神の操る風に巻かれるも、どうにか空へと逃げ切っていく。

 

「見つかった!?」

「あやや! これはマズイですね!」

 

 消えていく最後に聞こえた二人の会話。

 本当に、バレたらバレたですぐに煩くなるが、はたても文も余裕の色を崩さないままで、少し焦った演技をして見せてくれた。それもそうか、この場から本気で逃げるだけなら二人に追いつける者などいない、そこからの余裕なのだろうが、巣に帰ってからやらかしたとは‥…思わないのだろうな、そう思うくらいならこんな事はしないだろうし、他の天狗連中も何を非礼な事を、なんて言い出す事はないだろう。

 それどころかあの天狗の天辺は喜んで見せろと言うかもしれない、元々がエロ爺というのも勿論あるが、相手が相手なのだ、目の上のたんこぶが晒すあられもない姿など、おいそれと見られるものではない、弱みを得るには丁度いいくらいだろうよ。

 しかし流石に空の覇者だな、乾と坤を司る二柱が相手でも、臆する事なく逃げきって見せてくれた。二柱が本気ではないにしても、軽やかな逃げ足が妬ましい。と、逃げた二人を褒めていれば、コレは理解したらしく、諏訪子様? 八坂様? といなくなられた二柱の御名を呼ぶ巫女さん。

 

「お灸、据えられなかったみたいね」

「そうですね……ってイヤに冷静ですね? もしかして、知ってました?」

 

 愛する二柱が何かした。

 そんな映像を見たからか、気を入れ替えてこちらを見てくれた山の新人神様。

 見慣れないだろうあたしの長髪姿を眺め、問いかけてくる。

 

「知りはしないけど、いる気はしてたわ」

 

 問いに答えるついでに、だからこんな頭なのだと、長く生やした髪を掬い上げ、毛先を少し遊ばせる。タバコの煙で化かした割に水に溶けずによく保つな、自分でもそう感じるが、これはあたしが髪に触れる水分を逸らしているからどうにかなっているだけだ。そんな湯船の中で濡れない髪が不思議なのか、ピロピロさせている毛先を摘む元現代っ子。 

 

「やっぱり気がついてたんですね! なんで教えてくれなかったんです!?」

「なんでと言われても、口にする前に二柱は察していたようだし、早苗はタオル巻いて隠してたからいいかなって」

 

「よくないです! よくないですけど‥‥そうするように仕向けてくれたので今日は許してあげます」

「そんなつもりは毛頭ないわよ?」

 

「またまた、そうやってツンデレですか? シンちゃんからも口は悪いけど親切だって聞いてますよ?」

 

 人の毛で遊ぶ少女に毛頭ないと、本心をひっ掛けて返してみるも、よくわからない相手の名を出して、あたしの事を許してくれるが‥‥シンちゃんってのは誰の事だろう?

 悩むように頭を傾げ、引かれる毛先を引っ張ってみる。そうすると脳裏に誰かが浮かんできた。

 サイズこそ大分違うが人の髪の毛を手綱代わりに、肩乗りしながら同じく引っ張ってくれた針ちゃんがいたなと思いついた。

 

「姫がそう言ってたの?」

「そうです、秋姉妹も似たような事を言ってました」

 

 フフン、鼻を鳴らして教えてくれる。

 自分の事ながら、改めてこう言われるとこそばゆい、思わず頭を掻いてしまう。 

 それが照れにでも映ったのか、軽く笑って突いてくる風と湖のテウルギスト。

 まぁなんだ、バスタオルは完全に勘違いで、寧ろ上手く撮影出来たなら焼き増しを頂こうと考えていた為、敢えて教えずに黙っていたのだが、こうして良い行いとして捉えてくれるなら、このままでもいいのかなと思えた。少し前には都合が良すぎると、数時間に渡るお叱りを受けたあたしだけれど、今都合よく解釈しているのは早苗のはずだし、この流れに甘んじても都合良い考えではないだろう。

 そんな風にあたしも都合良く捉えて、残された若手の神様と、しっぽり湯けむりを楽しんだ。



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EX その48 符号和合

 とっぷり暮れた幻想の夜、暗く静かな冷たい夜。

 煙管を咥えずに息を吐く、それだけで口元から白いモヤが漏れる季節に染まり始めた我が家。

 今日も静かなあたしん家、耳に届くのは笹の葉がこすれ合う音と、偶に揺れてぶつかり合う竹同士が奏でる鹿威しに似た残響音、それと、濡髪でいそいそ着替えているあたしや雷鼓が鳴らす布の擦れる音くらい。

 後はそうだな、他に聞こえるのは、あの竹林の案内人が炭を焼く音なども場所によっては聞こえるか。パチパチと、静かにゆっくりと燃える竹から生じる侘びしい音。あぁいった静かに奏でられる音色も耳に良い、冷え込みが厳しくなってきた空気に煽られ、後々に多数の者に温かみを届けるだろう八藤丸印の炭、通称もこ炭。ソレが焼かれる音も、額に汗して番をする蓬莱人を見つめるのも今時の竹林で見られる風物詩ってやつだろう。

 それ以外となると、偶に、月に一度くらいはご近所狼の遠吠えが聞こえてきたり、週に数度は穴に落ちて喚く兎の叫び声も聞こえなくもないが、それらは景色が鳴らす音というよりも住まう連中の生活音なので、カウントはしないでおく。ソレらを頭数に入れてしまうと、つい先程あたしが鳴らした太鼓の音色や、逆にあたしが鳴かされる声もカウントせねばならなくなってしまうので、敢えて触れずにおいておく。

 

 それでだ、日が落ち切った今時分から着替えて出かけるなど最近はあまりなかったが、二人してどこに行くのかと言われればちょっとそこまでってやつだ。いつだったかの生活改善で昼型に改めた習慣を、あの天邪鬼の鬼ごっこで更に改めて、妖怪らしく夜にも行動するように戻ってはいるものの、夜に二人で出かけるというのはあまりない事だと言える。

 だというのに出かける準備とは矛盾していそうだが、これから向かう先はあたし達の中ではお出かけには含まれていないので、問題ない事とする。行く先は飯処、雀のお宿ならぬ雀の屋台だ。住まいから出るのだからお出かけだろうと思われそうだが、飯くらい誰でも食うはずで日常行動の一つであるはずだ、その食事を取る場所が住まいではなく屋外にあるってだけなのだ、だからこれから向かう先は態々お出かけ先として上げる場所ではないと言っておこう。

 

「今日は冷えるわね」

 

 屋台で何を食うか、中途半端な季節柄おでんに(ひや)かな、なんて飯の事を考えていると着替えながら話す雷鼓。今日は冷えると、下は下着姿のまま、上はチェックのシャツの襟を立たせネクタイを通しながら、色っぽい立ち姿のままで会話を切り出してくる。

 

「そうね、もう時期レティさんが起き出してくる時期だろうし‥‥そうだ、もう一回温まってから行く? まだ脱ぐほうが早い格好だし」

「それはアヤメさんだけでしょ、私はもう結んだからダメ」

 

 こちらも着替え途中で返す。

 脱ぐほうが早いのはあたしだと言われたがそれには語弊がある、寧ろ今のあたしは何も着ていない状態だ。洋装にするか和装にするか、仕立て直してからは着物姿でいることが多くなった最近を鑑みて、今日あたりはシャツにスカートでもいいかなと悩んでいた為、あたしの着替えは雷鼓より少し遅れている。その為ネクタイを結んであげるお仕事は今日は出来ず、ちょっと前に布団で乳繰り合っていた姿に、湯上がりでタオル一枚をプラスした格好で止まっていたところだ。

  

「いいじゃない、ネクタイならあたしが結んであげるわよ?」

 

 ダメと言われると疼く心、何時も通りの反逆的な考えで近寄った瞬間に抱き寄せられ、今度はあたしが甘美な声で鳴かせてもらえるのかと期待したが、晒したままの尻を叩かれ鳴らされるだけで終わってしまった。ペシンと弾かれ思わず漏れる甘い息。それをつま先立ちすれば届く唇に吐きかけるが、そうやってもう一回と誘ってみてもノッてこない名ドラマー。叩いてノセる事に長けているくせに、自分の興が乗らないとノッてこない焦らし上手。

 

「それで汗掻いたらまたお風呂って言うんでしょ? そうしたら出かけるどころじゃなくなるし、早く着替えなさいって。お腹も空いたし」

「ケチ、イケズ」

 

 うっさい、その一言で断ち切られ壁に掛かる緋襦袢を羽織らされる。

 ふむ、どちらにしようか悩んでいたが選んでくれたから今日もこちらを着るとしようか。腕を通して態とらしく広げてみせる。袖先を僅かに摘んで持ち上げて、前を結ばずに振り振りしていると、しょうがないという顔で打紐を結んでくれた。

 脱がされる事も多いため、逆に着せることにもすっかり慣れたらしい雷鼓さん、結ぶのに少し屈んで、そうして見えた頭頂部に鼻と口を埋めて、少しだけ嗅いでからちょっとだけ笑った。

 

「茶々入れるならやってあげないわよ?」

「はいはい、ごめんなさい」

 

 そんな風にイチャつきつつ、帯を前で結んだ辺りで笑われた。

 どうやら尻尾が揺れていたらしい。

 相変わらず口では言ってくれないけど態度でわかる事が多いから、そういうところだけは可愛いわよね、なんて言われて、更にブンブン揺れたのはきっと気のせい。

 そうして着替えさせられて、雷鼓の方も着替えが済んで‥‥はいないな、愛用のジャケットは壁に掛かったままで、寒いと言ってきた割には薄着姿で待っている。寒かったんじゃないのか、そんな心を視線に含ませ顔を見上げると、壁に掛かったままのジャケットではなく、その隣にかかっているあたしのコートを手に取った。

 

「こっちを着せたのはソレが狙いだったのね」

「だって、寒いし」

 

「年中生足晒しててよく言うわ」

「ソレが私の良さなんでしょ?」

 

 うんと頷きそのまま眺む。視線に気が付かれ、立ちながらに組まれる生足。持ち主であるあたしが着れば踝まで隠れるロングコートだが、雷鼓が着ると脛くらいの丈になる、チラリと見える生足はなんともソソるもので、やっぱりコレは雷鼓の良さだなと再認識させられた。

 因みに今回が初めてではなくて今日のような季節の境目で、感じる寒さに慣れない時期には勝手に着られていたりする。最初は借りると言ってきていたけれど、今では何も言わずに着られてしまう‥‥が、そうなった事が少しだけ嬉しく思うのはおかしい事ではないはずだ、色合いも普段使いと大差がなく似合ってもいるしな。

 そういやコートの前は閉まらない、細身の仕立ての為雷鼓の胸元では閉められないらしい。別に羨ましくはない、あたしはソレを揉みしだいたり味わったりするほうが好ましいし、寧ろ差があってくれたほうがより楽しめるからだ。

 

「じゃ、行きましょ。お腹減ったわ」

「二回目よ、それ」

 

「大事な事だもの、何度でも言うわ……続きは帰ってからにしましょ」 

 

 (ひだる)いと言い切り、先に玄関から出て行く。

 開けられた扉の先で、本体に腰掛けて早く行こうと待つドラム。

 先の行動は嬉しく、同時に好ましく思えるのだが、返したちょっとの皮肉にまですっかりと慣れてしまわれて、それどころか人の事を釣り上げる術まで覚えてしまわれて。こいった面では少しだけ残念に感じるのだけれど、慣れるくらいに一緒にいてくれると、ついでに帰って来てからの楽しみが出来たと前向きに捉え、頭の中から残念な部分を消して隣に座り、フワリ浮いた。

 

~少女達移動中~

 

 低空飛行で向かう先。

 歩くよりも少しだけ早い速度で、竹林と人里のちょうど間にある飯処に向かう。

 進む最中にやっぱり寒いと、まだ今時期の寒さに慣れていない生足を裾を掻き分け突っ込まれた。他の連中からすれば結構低めの、それでも今時期の空気よりは温かい体温となったあたし。暖房器具と言うにはすこしヌルいが、寒気に晒したままよりは温かいらしい。

 突っ込まれたその足を両足で挟むと、段々熱が奪われていく感覚がわかる、が、生活する上で熱を必要としなくなったし、求められて堪らないので、尾先を揺らしつつ少し強めに挟み込んだ。

 

 そうして着いた夜雀屋台。大概あたし達が一番客で後からは誰かしら、炭焼き仕事を終えて一杯引っ掛けに来た元貴族の娘などの竹林住まいか、ネタがないと管を巻くあの天狗記者、もしくは今日もサボっているはずの死神や、気まぐれで訪れる姉さん辺りが二番・三番客となるのだが、珍しく今日は別の一番客がいるらしい。

 『八ツ目鰻』の『ツ』の暖簾に当たる席で、黒い尾を揺らす誰かさんがいた。

 

「ただいま」

「こんばんは、女将さん」

「おかえりなさい、こんばんは、噂をすれば来ましたね」

 

『八』と『目』それぞれの暖簾を分けて席に着き、互いにいつもの挨拶を済ませ、いつもの様に煙管を‥‥って、いつものとは呼べなくなったのだったな、二人で来るようになってからは座る席が変わったのだった。煙管の指定席を左手から変えるには違和感が有り過ぎて今更変えられない為、雷鼓と来るようになってからあたしは右端の『鰻』から左端の『八』の席に座るようになったのだった。

 それからは『ツ』に雷鼓が座るのが定例となったのだけど、今日は先客がいるので、その先客である狼女を二人で挟んで座る形となった。と、小さな変化はこの辺で、気になる部分を早速突いていこう、女将の串打ちも始まったわけだし。 

 

「噂って、何を話してたのよ?」

 

 串を打たれた白焼き予定が火元に並び、油の弾ける音が鳴る前。

 頼む前から出された升入りの冷酒を啜り、女将にではなく挟んで座っている奴に聞く。

 声をかけるとピクリ跳ねるとがり耳、そうだよ、お前さんに問いかけているんだ、今泉くん。  

 

「大した事じゃないから、気にしないで」

「それって誘い受けだってわかって言ってる? 大した事じゃないなら言いなさいよ」

 

 升酒と一緒に出されたお通しを摘み、咀嚼し終えてから箸を置き、代わりに隣の耳を摘む。

 薬指と親指で摘み、空いているお兄さんとお母さんで耳の中の毛を引っ張る、ツンツンと摘み引っ張ると、捕まえていない側の耳を跳ねさせて、やめてってな仕草を見せてくれるが、指を払われないので気にしない‥‥というか、払わないってのはされても仕方がない、そんな事を言っていたって事だと考えるがそれでいいのか?

 

「あ、早々にスイッチ入ったわね」

「ね、影狼さんも下手な躱し方をするから絡まれるのに」

 

 あたしの切り替えスイッチ代わりである耳元の鎖は引かれていない、けれど勝手にスイッチが入ったと、少し前に耳先やらを甘噛みしてくれた赤髪が話す。それに乗っかり今泉くんを評する女将。二人にも言われたし、それならと、言われたように耳から狼の右頬に触れる先を変え、少しだけ顔を寄せて更に絡んでやった。

 

「んもう! ミスティアが言わなくていい事を言うから絡まれてるの!」

「言わなくていい事、ね。それって自爆だってわかってる?」

 

「ん? え?」

「え、じゃないの。そうやって自分から見える地雷を仕込んでくれたら‥‥踏まずにはいられないわ」

 

 気にするなというのは聞き流したとしてもだ、言わなくていい事なんて口にされてしまうと、その辺りのお話を伺ってしまいたくなるのが心情ってやつだろう。道端でばったり出くわし少し話して、香る程度に話をぼかす相手がいたとする。そんな相手は大概その話題に突っ込んでもらいたいものだし、聞く側もそれなら少し聞いてみようと考えるのが世の常だろう。だから今のあたしの行動は間違っていないはず、そう思い込んで追撃をかける。

 

「だから、気にしないでって‥‥」

「そうやって引っ張られると余計に気になるものよ? ねぇ?」

 

 聞いて欲しい、そう見えているから絡み、突っ込んでいるというのに、まだ話そうとはしてくれない。頑ななのはこの口かと、添えた手で片側の頬を引っ張ると鋭い犬歯がちょろっと見えた。その歯を見つめ、なんというか本来食われる側の狸が捕食者である狼さんを小馬鹿にするなど、と思わなくもなくなってきたので、頬から肩に手の位置を変えた。

 

「あ、逃げられなくなった」

「逃さなくなった、じゃないの? この場合」

 

 元四足二人でじゃれ合っていると、音楽仲間の二人が語る。

 肩を捉えて話してくれるまで離さないとか、そういった気持ちでこうしたわけでもないのだけど、話の流れから見ればそうも見えるのかもしれないな。ふむ、何処ぞの獣の飼い主や、鳥類のような耳、じゃなかった髪型の仙人ではないのだし、心情を完全に読み取るっては難しいのだろう。

 暫くそのままでも白状しない黒い狼。正直なところだ、ここまで絡んで十分に楽しめたので、今泉くんの言ってきた通り、というか噂の部分は最初から気にしてなどはいなかった。漂わせる雰囲気に乗って問い詰める遊びに興じていただけで、噂は所詮は噂だ、75日も過ぎれば互いに忘れるものなので、そこから考えてどうでも良くなっていた‥‥が、今度は一人気にしているのか、酒に逃げ始めたルーガルー。

 

「いい飲みっぷりね影狼さん、私は嬉しいけど、そんなに焦って飲まなくてもいいと思うわ」

「もうその辺でいいんじゃないの? アヤメさん、はなっから気にしてないでしょ?」  

「気にしてないけど、ほら、自分から振ってくれた話だし、突かなきゃ野暮かなって」

「野暮じゃない! 気にしてないなら聞かないでよ、恥ずかしいんだから」

 

「だからそうやって‥‥」

 

 また見えた地雷、それを踏もうと切り出すが、焼き上げられた白焼きと、おかわりに注がれたお酒で水を差される。口にした通り、酒が進んで儲けがウマイ女将が微笑み、今泉くん越しに見える太鼓様も、出されたそれを美味しそうに摘んで笑み始めた。

 うむ、もういいか、これ以上突いたところでお酒がまずくなってしまうだけだろう。折角の美味しい料理に旨いお酒、それを台無しにしてしまうほうが野暮というものだ。

 からかいすぎたと、肩に添えていた手を下がってしまった尻尾に添えて、軽やかに撫でつつ謝っておく。そうすると今までとは違う意味で大きな耳が跳ね上がったが、それを三人で笑ってから注がれたお酒をそれぞれ口に含んだ。

 

~少女達歓談中~

 

 絡んでいた間の空気が嘘のように、注がれるお酒の味わいがそのまま場に溢れたような、軽やかな会話をしつつ食事を取る。気落ちしていた今泉くんもどうにか持ち直したらしく、自棄酒に近い飲み方だったのが、普段の飲み方である落ち着いたものに変わっていた。

 それでも慣れない煽り方で飲んでいたせいか、普段よりも酔っ払っているような雰囲気を纏う。いつもは飲んでも変わらない、変わっても頬に赤みが差す程度の、結構な酒豪である狼さん‥‥なのだが、今はいい感じに酔っているらしい、話す内容がらしくない。

 

「それでそれで?」

「それでって言われても、ねぇ?」

「そうねぇ」

 

「いいじゃない、教えてよ。どっちが主導権を持ってるのよ?」

 

 あれほど静かだった無口、でもない口の硬かった狼が、酒の勢いを借りて雷鼓に絡む。

 ねぇ、と、どうにか誤魔化そうと女将に話を振っている付喪神だが、振られた方は助け舟を出さずに、何を肯定しているのかわからない言い草で逃げている。その景色を眺めて一人ニヤつくのはあたし。流れからすればこちらに振られてもいい話なのだが、口では勝てないと思われているのか、先程絡んだ事が影響しているのか、あたしには話を振ってこない。

 お陰でさっきから今泉くんの後頭部を酒の肴にしている。後ろ髪を眺めての呑みなどつまらないと思われそうだが、これが意外と面白いもので、雷鼓に絡んで動く度に黒髪から香る花石鹸の香りが良かったりする。今日は金木犀、いやそれよりも爽やかな感じがするので柊辺りか、それが鼻を擽ってくれて嗅いでいても中々に楽しいのだ。

 奥で見える雷鼓の苦笑いも面白いものだし、それを眺めて微笑む女将も愛らしいので、悪くない酒の肴となっていた‥‥が、そろそろこれも終いだろうな、鼻に届く匂いが花のソレよりも酒精が勝るようになってきた。

 

「ちょっと、笑ってないで助けてよ」

 

 狼の獲物を狙う視線に耐えかねたらしい、本当なら狙われるラインナップにいない元無機物の太鼓が助けを求めてくる。

 あたしとしてはもうちょっとこの雰囲気を楽しんでいたいのだけれど、ここで邪険に扱えば機嫌を損ねてしまい、ここから帰ってからあるであろう楽しい事がお預けとなってしまうかもしれない、それは困ってしまうので、ここらで少し横槍を投げ込むとしよう。

 

「主導権なんてないわよ」

「ないの!?」

 

「そんな驚かなくてもいいと思うけど」

「だって聞こえるのは大概堀川さんの声ばっかりで‥‥今日聞こえたのも堀川さんの声だったし‥‥」

 

「ん?」

「声?」

「あ」

 

「影狼さん、また自爆しちゃったわね。でもこの場合は地雷というより爆弾投げた感じかなぁ?」

 

 あ、と言ったきり黙った今泉くん、そのまま電池でも切れたように突っ伏して、静かに寝息を立て始める。大酒を煽った後だというのにいびきもかかず可愛い寝顔で、なんというか、何かに開放されたかのような、解き放たれた顔で夢の世界へと旅だった。

 そんな彼女を笑い、それからあたし達の顔を交互に見る女将。ヤレヤレってな表情で見てくれるがなるほど、気にするな、聞くなと言ってきていたのはこれだったのか、そう納得するように頷くと、名前を出された方がそんなに聞こえてる? なんて頬に髪色を移して女将に問いかけた。

 

「流石にここまでは。というか、聞こえるのも影狼さんくらいで薄っすらと聞こえる程度って言ってましたよ? 今日も聞こえてきたから気まずくて逃げてきたって言ってましたしね」

 

 ふむ、さっきまでの聞くなといい、ここまで逃げて来る事といい、色々と気を使ってくれていたらしい。あたしは別に聞かれても気にしない、後々に金銭をせびるかソレをネタに強請(ゆす)ってたかるかするくらいだが、雷鼓の方はそうでもないようだし、ここはありがたい気遣いだと感謝しておこう。

 そんな謝辞を伝えるべく眠る狼の髪を撫でる。黒髪に手櫛を通し、ちょっとだけ悪かったという心と、別に気を使ってくれず素直に煩いと言ってくれてもいいのに、という心両方を指先から送ってみた。当然伝わるはずもなく、ただすやすやと寝息を立てる今泉くん。

  

「気を使ってくれたみたいだし、帰りくらい送ってあげてくださいね」

「あたしより女将のほうが似合いだと思うけど、雀なんだし」

 

「雀? あぁ、面倒臭いからって夜雀と送り雀を一緒にして逃げないでくださいな。それに、似合う似合わないならアヤメさんのがお似合いだわ」

「あたしだって化け狸で、送り狸なんているのかどうかもわからない妖怪じゃないわよ?」

 

「でも送り狼になるんでしょ?」

 

 送って欲しい狼ではなくその横、すっかりと静かになってしまった鳴り物を眺めて言われたお言葉。一緒に住んでいる相手なのだから正確には送り狼とは呼べない、言うならなんだ、帰宅狼?

 いやいや帰宅ってのにそんな意味合いは含まれていないし、そもそもあたしは狼じゃない、だとすれば‥‥

 

「送るのが似合うのは影狼さんなのになぁ、送られ狼とかつまらない冗談にもなりませんね」

 

 似合うに合わないの話から、見合う言葉を充てがおうと考えていた最中、不意に言われた女将の冗談でフフッと吐息を漏らしてしまった。女将はつまらない冗談だと言ったが、送られ狼とはなんとも間抜けな狼で、今眠っている可愛い顔の奴にはお似合いに見えて、思わず声に出して笑ってしまった。

 そうしてあたしから漏れた声に反応したもう一人、ドラムの妖怪が何をのんきに笑っているのかと騒ぐ。鳴りを潜めるなど鳴り物として似合わないし、こうやって騒いでくれたほうが鳴らすあたしとしては心地良いな、そのままそっくり口にすれば、先に帰って寝ると拗ねて席を立った雷鼓さん。帰ってからのお楽しみは、一人去る背にそうぶつけるも、何も言われずに飛び立って置いていかれてしまった。

 残されたあたしの後頭部には女将の笑い声がコツコツと当たる。

 ふむ、笑われるくらいだし、これは帰って弄っても相手にしてもらえないだろうな、と考えつつも、それでも似合いの姿に戻ってくれたしまぁいいか、なんて思考を右往左往させる。

 そうやっていると思考と共に揺らしていたらしい尻尾、それまでも女将に笑われて、どうにも立つ瀬がなくなってしまう‥‥これは致し方ないな、ここは開き直る事にしてだ、もう少しだけ酔ってから帰る事とするかね。

 静かに眠る送られ狼の寝顔と女将の囀りを肴に一人飲み、あたしも酒の勢いを借りて、似合わないか弱さや健気さでも纏ってから帰る事にした。



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EX その49 著者不明を容易く盗む ~前~

前後編、その前編です


 昼間は晴れた。

 夕暮れの今時分はところにより曇り。

 日付が変わる頃には俄か雪でも降り出すか。

 自身の髪色に似た空から(うらな)うならそんなところかな、と、人家の軒に被さる雲を読み今後の模様を諳んじる。暦の上では雪待月(ゆきまちづき)に入ったばかり。待つモノが降り始めるにはもう一月くらい過ぎないと降り出さないはずの季節であるが、今日はやたらと冷え込むし、このまま景色が白んでしまってもおかしくはないだろう。

 

 少し早めの雪空予定な幻想郷、こうなっている原因はあの低血圧な低気圧が起き出して、姿を見せたからだと思う。少し前にお目覚めした、そんな事を知らせるように、白い息混じりのあくびをしていた姿を霧の湖近くで見かけたのが数日前。霧の湖なんてあの氷精にでも会いに行ったのかな。そんなに仲が良かったかな。寝ぼけ頭の冬妖怪を門番と一緒に眺め案じていたが、目覚めたてで圧の低い状態では加減が上手い事出来ないらしく、意識せずとも漏れ出る冷気をあの氷精に押し付けにいったのだと、後で本人から教えてもらえた。

 押し付ける。言うなれば利用するって感じで、彼女の在り方らしく冷たいなと感じるが、レティさんはウォーミングアップに調度良く、チルノからすれば自身が冷気の顕現というだけあって過ごしやすくて快適と、互いに利点しかないから文句が出る事もないらしい。

 かかる霧に冷たい(つぶて)が混ざる景色、それを眺めていた門番だけが、この時期が来ると寒くてちょっと辛いなどと文句を言っていたが、眠りに落ちるなら寒いほうが手早く済みそうなものだと思える‥‥二度と目覚めない眠りになるかもしれないってのはご愛嬌だが。

 

 そんなわけで寒い。

 早ければ半刻、遅くとも一刻半も過ぎればふわふわ冷たいのが舞い始めてしまいそうな幻想郷の屋根模様。ふむ、屋根がないから見えるのに屋根模様とはおかしな表現か、なんて思いついてから否定する思考も浮かんだきたが、この地は結界に閉ざされているのだし、ソレを屋根としておけば(あなが)ち間違いでもないか。

 なんて事はない思い付き。誰に話したわけでもないものに。己が納得する為だけの言い訳を考えて、腹を空かした赤子みたいな空を見上げ、止めていた足を再度動かす。天下というほど広くはないが、住まう人間達の足により堅く締められた往来を、コロ付きの手引鞄、キャリーケースと言うのだったか、それを引きつつ低いヒールで小突いて歩く。

 

 お洒落は足元から、そういった新しい格言も外の世界にはあるようだけど、それをなぞって普段は履かないヒール、これもパンプスとか言うらしいな、兎も角こんな物を履いているわけではない。単純に、今日は全身を変化させているから、靴も愛用ブーツではないのだと述べておこう。 

 ついでだから言っておくが、今日は足下に限らず他の部分も本来の自分ではない姿だ。あたし本体より目立つ縞柄尻尾も今は薄れさせて、頭の上にあるはずの耳も、今は揉み上げの辺りから生やして見せて、そこから繋がる先のない銀のチェーンを垂らしている。

 因みに着ている物や被っている物は化かしておらず、外で買ってもらったあのTシャツにいつものスカート、頭には中折れ帽で現代少女らしく女化しこんでいる。半袖の肩出しはこれからの時期に冷えると考えていたのだが、よくよく考えれば寒さなど然程感じなくなったのだなと思い直し、何処ぞの年中ひざ上丈に半袖な幽霊船長を見習って、季節感のない格好と、あたしにはない人間らしい雰囲気ってのを纏っている、つもりだ。

 

 そうやって変化して、何をしようとしているか問われれば特に何かを成そうとはしていない。強いて言うなら、いつものお戯れとちょっとした好奇心からといったところだ。

 何時ぞやの現人神から頂戴したご神託じゃないが、またそんな事を言って、本当は閻魔様から受けたお仕事をこなしに来たんじゃないか? などと、ツンデレらしい事を言われたならば、ソレが半分で残りは別の考えが元だと言っておく。

 そもそもだ、前者の閻魔様からは人里で色々見聞きしてこいと言われてはいるが、あたしに何かをしてこいとは言われていない。あの依頼は普段通りの暮らしの中で知れた事ってのがご所望だったはずで、こうして何かをしようと考えて動くのは仕事の範疇には入らないだろう。

 

 ならば後者はどうかといえば、こちらは正確に言うならお願いというよりもあたしのお節介のようなものだ。これから向かう先はそれなりに気に入っている場所で、あたしの他にも誰かさん、愛する狸のお姉ちゃんが贔屓にしている店だ。

 いつだったかの酒飲み話、言いがかりから背負ってしまった借金を返そうと会いに言った時だ。最近占いで流行り始めた貸本屋の様子がおかしい、あれほどに混み合うなどただの占いではないんじゃないか。という愚痴を吐いていたので、返済の利子代わりって事にして、頼まれもしないのに化けて動いているのが現在である。

 

 様子見なら自分で動けば、そうも思うが姉さんの『人間』としての姿は面が割れていて、正体の方は面識がない。ついでに言えば書き認めた絵本を売ったりしている姿をあの紅白に見られ、そこから巫女さんに目を付けられてしまったらしく、目立った行動をしたり表立って深入りする事が出来ない状況にあるらしい。

 なら本来の姿で行けばとも考えられるだろうが、それはあたしから見ても出来そうにないと思えた。見知らぬ妖怪が最近どうよと行ったところであの小娘も警戒するだろうし、逆にあたしのような見知った妖怪が様子見に行っても、今日はどうしたと怪しまれるとも考えられる。ならばどうするか、単純だ、見知らぬ『人間』が顔を出してみてはどうだろうか? ってのが話を擦り合わせた事から出た思い付きで、それ故のあたしの変化である。 

 

 まぁなんだ、取り敢えずだ、言い訳のような考えは捨ておいて、向かうべき場所へと行こう。要らぬ独白を頭から抜くように、残り僅かな紙巻き(タバコ)を灯し、指で弾いて地に落とす。そのままグリっと足を捻り、つま先を行き先へと向けた。

 尖ったトゥの先にあるのは里の中心を流れる川、それにかかる橋を渡り、可愛い蕪の暖簾が掛かる軒先で立ち止まる。ふむ、聞いた通りだ。占いを覚え、それのせいで本屋稼業は暇になり、占い稼業としては盛況になったと聞く通り、噂として広まった景色が随分と賑やかな店先から伺えた。それでも先日のように、中に入る人間でごった返すという空気よりは、店から出ていく人間達の方が多いようにも見られる……が、まぁいいか、静かになるのならそれに越したことはない。

 

「あの、ごめんください」

 

 消え入りそうな声で伺い、良く知っている店内で疑心暗鬼を顔に書き、待つ。

 訪ねて十数秒、店の左右に並べられ、棚の収納量を超えた状態で置かれた本を、さも見慣れない物でも見るような視線で眺めていれば、は~いなんて、人垣の奥から店主の声が聞こえた。

 

「すみません、今行きますね」

 

 店舗の奥から声だけ届けてくれる小娘。

 頭につけた4つの鈴の音に似た、明るい声色を姿より先に聞かせてくれて客であるあたしを待たせるが、奥で一体何をしているのやら。そんな考えを巡らせる前に、揺れ動く短かめのツインテールが視界に入った。

 

「あのぉ、こちら、鈴奈庵さんであってます?」

 

 見えた顔にオドオドした声で問うと、一度下がって物音を立てる少女。

 出たり入ったりして何をしていたのか、ガサゴソガタンと聞こえる音から何か動かしていたのだとは思うが。

 そんなどうでもいい事を考えていると間もなく、営業スマイルで寄ってきた。常日頃のあたしに対してもこんな風に近寄ってきてくれるが、今はそういった空気よりも少しだけ余所余所しい。それもそうか、今の姿は見慣れない姿のはずだ、知らぬ内に引きこまれ、運良く里に辿りつけた運のない外来人って(てい)でいるのだから。

 

「はい、間違いないですよ。見かけない人ですけど、何か?」

「いえ、ちょっと、色々わからなくて。ここなら調べ物も出来るし、なんなら占ってもらえるってそこで聞いたので」

 

「調べ物ですか、本ならたくさんあるんで大概の事は調べられると思いますけど……占いは‥‥すみません、そっちは休業中なんです」

「休業です?‥‥いないんですか?」

 

「いえ、私が占ってたんですけど、ちょっと見過ぎて疲れちゃって、まだ慣れないんで人数限定で見るようにしてるんです。それよりお客さん、見ない人ですね。里の人じゃないし、その格好も見慣れないし‥‥あ、もしかしなくても外の人ですね?」

 

 出来れば占う姿を見てみたかったがお疲れならば仕方がない、何処か疲労感の混じるため息も聞けたし今日は諦めるとしよう。主題はそれではなく、小鈴が言ってきてくれた外来の人間ごっこなわけだしな。

 

「外の人? 日本人ですが‥‥それより、ここって日本の何処なんでしょう?」

 

 回りの本棚や小鈴の市松模様の袖を見つつ、不安を顔に貼り付ける。一抹どころではない、これからどうしたらいいのかわからなくて心細いって心情を顔に浮かばせ問うてみる。

 

「えぇと、そういう意味じゃなくて、幻想郷って地名に心当たりあります?」

「ゲンソウキョウ? 聞かない地名ですね、この辺りは何県なんです? 田舎の山奥だというのはわかるんですけど‥‥東京にはどうやって戻れば?」

 

「東京、ですか。やっぱり外から迷い込んできた人ですね、貴女」

 

 咬み合わない歯がゆい返しをしてみた、つもりだったのだが、何やら頷く貸本屋。

 ピロピロ揺れるツインテールの尾先を見ながら、この地を知らない者らしい返しをしてみると読み通りに勝手に判断してくれる。やはりこの小娘も面白い、若い割に小狡い面がチラ見え出来てなんとも先が楽しみな少女だ。

 

「う~んと、取り敢えず順を追ってお話します。ちょっと待っててください」

 

 微笑んで、両手の平を見せてからパタパタ奥へと消えていく。

 何かを探すような音を立ててから数分、片手に何かを持って戻る。そうして姿を見せて、いつも腰掛けている店の奥ではなく、何か厚めの天蓋が組まれたテントらしい場所に置かれたテーブルに何かを広げ、ひらひら手を振る小鈴。順を追うという辺り地図か、もしくはこの地の歴史書でも持ってきたのかと思えば読み通り、何やらこの地の名称が書かれた紙っぺらが机に広がっていた。

 

「これに見覚え、ないですよね?」

「ないですね。これって、関東はどっちに行けばいいんですか?」

 

「どこからも行けません、残念ながら」

「 行けない? どういう事なんですか? 日本なんですよね? 日本語通じるし、アルバイトさんも着物みたいだし」

 

「私が店主なんですけどね、一応」

「あ、そうでしたか‥‥失礼しました……それで、どういう意味です? 電車とか、バスくらいあるでしょ?」

 

「ないんですよ、そういう物自体が。ここから帰るというか、出るなら神社から出るしかないんです」

 

 神社? 頭を傾げてボヤいてみるが、それ以上の事は口にされなかった。

 知らないわけではないだろうに、もっとこう、この地は云々かんぬんと基礎知識から教えたほうが理解が早い気もするのだけれど‥‥まぁそうだな、些細な事か、本当に外に出たいわけではないし、幻想郷の事であれば教えられなくとも知っているし、外から来てしまった、帰りたいだけの人間がこの地の事を知りたいなんぞ思う事もないだろうしな。

 そういった、説明するのに面倒な事は全部飛ばして、帰り方だけ教えてくれる本の虫。可哀想な人間に対して随分冷たいというか淡白というか、興味のなさそうな風で話してくれるな。

 この子ってばもうちょっとしつこかったような覚えがあったのだが、こうもつれないのはなんだ?

 その理由を探そうと周囲に視線をばらまけば、目についたのは一冊の本。

 地図を広げるのに端へ寄せられた数冊には、飾りっけのない装丁に数行、易やら占やらって文字が見える。

 

「ここが今貴女のいる人間の里です、それで、外に帰るならこの端っこの神社に行って送ってもらうしかないんですよ」

 

 見知った土地の地図を眺める、ような角度でその奥で重なっている表紙に目を通す。なるほど、あれらが最近ハマり始めたという占いの本か、と頷いてみせる。

 そうした動きが長考のソレにでも見えたのか、続きを話し始めるビブロフィリア。

 

「あの、そこに行かなきゃダメっていうのは何故なんです?」

「外とここを行き来するのに色々とありまして‥‥ここから出るなら神社の巫女さんにお願いして出してもらわないと」

 

「色々って、あんまり端折られても話がわからないです。それに、巫女さんっておみくじ売ったりしてるだけですよね?」

「外とはちょっと事情が違うんですよ、詳しい事をお話しするのは面ど‥‥理解されるまで時間が掛かると思いますし……気がついたらこっちにいたって感じですか?」

 

「そうですね‥‥多分、そうです」

「う~ん、何かの拍子にこっちに抜けて来ちゃったんでしょうね。偶にいるんです、貴女みたいに神隠しにあっちゃう人も」

 

 生きて里に来れただけで貴女はラッキーですよ、最後にそう付け加えて体裁を整える半読眼。

 何か、言われ慣れた言葉を聞きかけた気がするがそこは聞こえなかった事にしてだ、そろそろ本題の為に動いておこう。外来人と関わりたくないのか、面倒臭いから端折ってぶん投げただけなのか、そこはわからんが教えてくれた場所を聞いていく。

 人間の里からどっちに出て、何を目指して移動すればいいのか、その辺りの事を伺いつつ引いてきたキャリーケースを開く。わざとらしく音を立てて、あからさまに視線をこっちに寄越せと見せつけて、中からノートを取り出すついでに、他の荷物も小鈴の視界にちらつかせた。

 

「あの、すみません」

「何か?」

 

「それって‥‥本ですよね?」

「そうですけど、それが?」 

 

 ケースに詰め込んでいたのは外の世界の書物、何時ぞやお世話になった外の本屋さんでお買い物してきた物を十冊くらい仕込んでおいた。

 

「あのぅ、良かったらでいいんですけど‥‥ちょっとだけでいいんで読ませてもらえないですか?」

 

 ちらつかせた餌に案の定食いついてきた本屋、サラサラと落書きをノートに書き、メモを取るような音を立てていると、面倒やら関わりたくないって雰囲気を自分から消して願ってきてくれた。

 

「構いませんよ、その地図をメモする時間が欲しいので」

「本当ですか! やったぁ!」

 

 握りこまれる少女の手、グッと結ばれて、板木に当てる馬簾(ばれん)でも掴んでいるかのような姿だが、それほどまでに外の書物が読みたいのかね。そんなに喜ぶような物は持ち込んでいないぞ、種類を上げればあたしがあちらの本屋で立ち読みした小説と、こんな格好の女が持っていそうなファッション誌。それと、小鈴が最近覚え始めた占いに似た内容の物や、あたしの暇潰しの数冊位だが‥‥

 

「良ければ地図は差し上げます、それで、出来ればどれかと交換なんて‥‥」

「ここの地図を頂いても私には使い道がないので、それはちょっと、申し訳ないんですけど」

 

「あ~そう、そうですよね」

「それでも、そうですね‥‥お礼って事で、一冊くらいなら差し上げてもいいですよ」

 

 断ると肩を落とし、後から餌を撒けばノッてくる。

 こいつはチョロい、あまりにもチョロくて小狡いどころか⑨なんじゃないのかと思い直してしまいそうだが、欲する物が目の前にあり、選択の幅はあれど選んで手にできるともなれば嬉しく感じるものか、その気持ちはわからなくもないので、⑨というのは否定しておこう。

 どれを手にするのか、横目で見つつノートに地図、ならぬ本選びに目を輝かせる少女や、端に置かれた蛞蝓(なめくじ)っぽいぬいぐるみを描いて待つ。絵心なんてないから見られたものではないが、形だけ何か書いていると見せておけばそれで良いので、テキトーにいたずら書きを続けていく。

 

「やっぱりそういうのが気になります?」 

「ちょっと、ちょっとだけです」

 

 まず手に取ったのはファッション誌、パラパラと目を通し、外の世界だと今はこんな物が流行っているのかと、やたら細くて触り心地を楽しめそうにないモデルさんの服装を眺め、呟く年頃の看板娘。

 

「ちょっとかぁ‥‥見た感じはそんな年頃よね?」

「そうですけど、私はお洒落より本の方がいいかなぁ」

 

 今現在の見た目年齢からすればあたしが年上、実際にも結構な年上だけれど、そこは端折るとしてだ。俗っぽい雑誌に似合う砕けた口調で問うてみると、興味が無いとは言い切らないがお洒落よりも本がいい、口からはそんな事を漏らし、手先はファッション誌から別の書物へと動かしていく若人。

 面倒な外来人が持ち込んだ、興味深いらしい本を手にできているからか、あちらも少し砕いた口調で返してくれて、次なる書物、小鈴の中で絶賛流行中の占い関連の書を開き、文字を追い始めた。少し待ち様子見してから考える、ふむ、そろそろ突っ込んでもいい頃合いだろうか?

 わからんし、いたずら書きにも飽いたのでいいや、聞こう。

 

「好きなんですか?」

「えっ」

 

「占い。熱心に読んでるみたいですし、町中で話題になるくらいですしね」

「好きってわけでもないんですけどね、ちょっと気になる本を見つけてしまって。読んでみたら試したくなっちゃってたんで、やってみたんですけど‥‥まだまだ勉強中なんでダメですね」

 

 語りながら机を見つめる小鈴。

 視線の先には蓄音機、それと積まれた本に筆記用具が刺さる筆立て。その内の一つ、数冊ある一番上がどうやら気になっている本ってやつらしい、数本の紐で綴られた簡素な作り、表紙に書かれている文言からすれば易ってやつだろうか。使うだろう筮竹(ぜいちく)も筆立てに刺さっているのが見えるし、きっとそうだ。

 

「へぇ、十三星座占いなんてあるんですね、十二じゃないんだ」

「私は好きなんですけど浸透しないんですよ、十三星座占い」

 

「へびつかい座? またマイナーな星座ですね」

「そうですねぇ。有名じゃないけど私は好きなんですよ」

 

 問われたので答え、ついでに近寄る。

 読み耽る娘っ子の手から一度本を奪い、良いところなのにって視線を浴びつつ、好きだと言った理由の載るページを開いて見せた。この辺だったかな、と、テキトーに指で文字を指して、読んでみてくれと促していく。

 

「アスクレーピオス、医術の神様なんですか」

「医術に優れ人を癒やしていた者、死人まで蘇らせた医学の神。それでも最後には他の神に殺されてしまう、というのがこの神様です」

 

「人助けをしていたのに殺された、悲劇の英雄って感じの神様と思えばいいんですかね?」

「そうも取れるんでしょうけど、私が好きなのはその後ですね」

 

「その後……?」

「殺された後の話ですよ、残された父親のその後について載ってませんか?」

 

 パラパラ捲り、口にされた星座のページとあたしを見比べつつ読み進める小鈴。途中色々と問うてくるが、その中身については殆ど言い返さず、殺されたのはやり過ぎから受けた天罰だとか、その為に見せしめで殺されたのだとか、占いに忙しい誰かさんに掛け、少し茶化して言い返す。すると、返した文言が書かれた辺りに入ったのだろう、天罰かぁ、なんて呟きながらまた本の世界に沈んでいってくれた。ふむ、遠回しな例えは伝わらなかったか。それでもまぁいい、気が付かないなら後でしっぺ返しをくらえばいいだけだ。

 しかし少しだけ危なかった、今し方言われた質問に対して答えられるほどの知識も興味もないあたしだ、持ち込みのネタとするために流し読みはしたものの、語れるほどに覚えてはいないのだ。あれ以上突っ込まれるとボロが出るところだったが、どうにか話の芯を逸らす事には成功したらしい。それでも、未だお勉強中というのは本当の事のようだ、今も熱心に読み耽っているし、あぁいった姿からは、精進中で安定しないから休憩しているのだと読み取れなくもない。

 読み漁る小娘を眺め読み取るなどと、我ながら悪くない冗談を小さく笑い、開いていたノートを閉じて、少しだけ視線の先に向かって背伸びして見せた。

 

「あ、良かったらうちの本も見ていきます?」

「いいんです?」

 

「いいですよ、お姉さんも占い好きみたいだし」

 

 別に好きではない、ただの話題の取っ掛かりの為に持ってきただけなのだから。

 それでもここは乗っておく。

 それじゃお言葉に甘えてなんて言いつつ、積まれた本の一番上に手を伸ばした。

 中を見ればやはり易経について書かれた物のようだ、あたしのノートほどじゃないがやたらと落書きが多くて読むのに手間だが、本として書かれている文章を読んでもよくわからんから些細な事か。それでも描かれている挿絵に何処ぞのツートンカラー達が持つ道具のような形、例えば二つの勾玉が組まれたような絵やら、あの緋緋色金で出来た魔道具に彫られている八卦のような図が見られ、そのお陰でどうにか占い関連の本だと理解出来た。

 

「その落書き、気になりませんか?」

「なりませんね」

 

「それを真似ると当たるって言っても?」

「なりません、ただの落書きでしょ? 気にしませんね」

 

 読んでいると掛けられる声。

 それに一言で返してみれば、予想とは違った答えを聞いた顔、ちょっとだけ驚いたような表情で固まってしまう貸本屋。顔色から読む限り賛同者が欲しかったのかね、偶々訪れた占い好きの女、それに向かって随分と気安く聞いてくるが‥‥知らぬ人間でも誰でもいいから賛同者を得て、この本に書かれたモノが実際に当たる物だとか、そんな自分を肯定するような事をしたかったのだろうか?

 だとすれば無理な話だ、あたしは占いを信じていない。というか、占いなんてのはあたしのようなペテン師からすれば先読みでもなんでもない、ただの誘導でしかないと思えるのだから。

 

「これを真似て占ってたんですか?」

「ちょっとだけです、本腰入れて占ったりしてないですよ」

 

「そうですか‥‥それなら、私からちょっとだけ忠告しておきますね」

「忠告ですか?」

 

「そう、忠告です。遊び半分でする分には良い遊びですけど、本業の片手間でやろうとはしないほうがいいですよ」

「? どういう意味です?」

 

 小娘の頭上に疑問符が見える、が、キッチリと話してはやらない。

 何故か、これはペテン師妖怪としての忠告だからだ。

 ただの小娘であれば好きにやって勝手に恨まれろと投げる事だが、この子は姉さんのお気に入りであたしもそれなりに気に入っている小娘だ。偲びないとまでは言わないが、この子に万一があればそれなりに心配するかもしれないし、何より姉さんが凹むような事態になるかもしれない。

 それは困る、出来れば姉さんには笑っていてもらいたいし、その為にはこの子にも笑っていてもらわないとならない、だからこそペテン師らしいお節介として少し話したのだが‥‥どうにも理解されないようだ。

 

「誰かの未来を100%当てるなんてそもそも無理なんですよ」

「そうですけど、それでも結構当たるんですよ?」

 

「それが余計にダメなんです」

「ダメ、ですか?」

 

 ちょっとだけ追加したが、未だ射る的が見えないらしい小鈴。

 占いというのは見えぬものを見る行為、真っ当な人の道から逸れるような行いだと愛しいお人が言っていた。これはあたしも同意権で、正しい先読みが出来ると者なんて占術に精通し極めたような者か、占いという名を借りて騙し謀る詐欺師くらいのもんだろう。

 人道に反すれば必然生まれるのは怨嗟や怨恨といったモノ、あたし達人外からすればそれは糧であり栄養源となるものだ。あたしが他者に驚きを提供して笑うのも、あの唐傘が誰かを驚かせて腹を満たせるのも、そういった陰の気を好むからだ。

 けれどそれが人間となれば別、恨み辛みが重なれば耐え切れなくなり爆発するのが人ってやつで、そうなればその爆発力は何処に向くのか、言わずとも答えは簡単だろう、自分の中で発散しきれなかったモノはソレを生み出してくれた人に向く、もしそうなれば要らぬ責任なんてものを背負ってしまう事になるだろう。

 だからこそ遊びでやるならやめておけと話したが、そう言っても理解されていないようだ、少し傾いで見つめてくれる小鈴。頭を右左に傾けて、髪留めが本物の鈴ならシャンシャン鳴ってしまいそうな仕草で悩んでいる。これで話が見えないならいい、もう少し具体的に話すだけだ。

 

「当たるようになれば信じられてしまう、信じられれば期待もされて、同時に責任も生まれちゃうって事です」

 

 こう言ってもわかったような、わかっていないような顔。ふむ、人様の先を見ようとしていた割にこれで話の中身が見えないとは、やはり才能はないように思えるな。

 先述した通り、占術なんてのはそれらしい事を相手に伝え、疑心暗鬼を煽りながら勝手に解釈してもらう事。話術で流れを作りこみ、その流れにノッてもらうといった、いわば騙しの手段の一つだ‥‥と、あたしは考えている。

 本当に先読みできる姉蝙蝠や、八百万の神様にいるだろう未来視の神でも降ろした巫女さんは占いというよりも力ってやつで、それを成せる力があるからこそ出来るってだけだ。ただの妖怪であるあたしや普通の人間である小鈴には本来先読みなど出来やしない、出来ても当てずっぽうな予測程度なものだ。

 その辺を鑑みれば占いなど身につけないほうが無難、知らなければあるかもしれない危険からも遠ざかる事が出来ると思えるが、ここで投げれば気にせず続けてしまうのだろうし‥‥それならばいいか、やりたいようにやってもらい痛い目見てからやめてもらおう。

 一度でも怖い目にあえば懲りるだろうし、こんな見知らぬ女からやめろと言われるよりも、実際に体感したほうが危うさがわかる事だろうよ。

 

「あの、それって‥‥」

「ただの例え話ですよ、ちょっと占って死なれて‥‥それから逃げ回ってたとか、そういう事はないです」

 

「ぁ‥‥だからこっちの世界に」

「ん、なんの事です?」

 

「いえ、なんでもないです……そうだ、帰るならそろそろ出ないと今日の内に帰れなくなっちゃいますよ?‥‥もし泊まっていったりするなら、(ウチ)で良ければ一泊くらいは」

「ご親切にありがとうございます、でも早く帰りたいので」

 

 泊まっていけなんて、嬉しい誘いはありがたい。が、泊まっていくような場所でも、お泊りして手を出して楽しむような相手でもないので断る。

 返事をすればそうですか、肩も気も落としてしまった小鈴だったが、そう気を落としてくれるような出会いとなったのだろうか、あたしにはわからないがアチラから見ればそうなのかもしれないな。占いという他者を見る事に慣れ始めた人間だ、誰かの運勢を見てばかりで、逆に自分が気にされて、見られる事に少し焦がれていたのかもしれない。

 そんな休業理由を勝手に考えつつ、解き開いていた荷を閉じる。バタン、閉じたキャリーケースの中は仕込んだ着替えや化粧道具、後は持ち込んできた本‥‥は入れずに全部小鈴に預ける事にした。 

 

 忘れ物です、素直に返してくれた本好きだけれど、帰るのに荷が重いと辛いから、なんてそれらしい言い訳をして差し出された本を突き返す。

 そうしてコロコロ引いて歩き出す前に、ありがとうございます、お気をつけて、ってな送り言葉と少しのお金を渡してくれた。売ったのではなくあげたのだから、そんな返事には神社のお賽銭にして下さいって言葉をもらい、それをポッケに収めてそのまま里の中へと姿を馴染ませていった。

 ろくに歩かず里の中、方向だけは博麗神社に向かう途中にあるカフェーに寄って、貰ったお小遣いで深煎りの珈琲を一杯頼む。そうして変化は解かずに一心地、気怠げに、少しのお戯れ後の一服を済ませつつ、今日の遊びを考える。

 閻魔様が見聞きしてこいと言うから人間達の間で話題になっている場所に行ってみたが、大して怪しい事もなく、報告に値するような事ではないように感じられてしまった。

 後はないか、何か話せるような事は。

 あの時逃げたお説教を次回受けずに済むようになるような、それなりのお話はないかなと、思いつかない頭を傾けて、灰色の空に煙を流した。



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EX その50 著者不明を容易く盗む ~後~

前後編、その後編です


 ふと出会っただけの人間がお礼代わりに見せる小さな親切、そんな(てい)で貸本屋の娘を謀ってから数日、今日の人里では結構な騒ぎがあったようだ。

 賑やかしい理由、それは低気圧妖怪が本格的に目覚めたせいで降らせた初雪に騒いでいるとか、それ故雪かき用具を引っ張り出して皆で朝から作業していたとか、その作業に当たっていた寺の連中に捕まってあたしもやらされただとか。朝方の早い時間から色々とあったのだけれど、騒ぎの理由はこの雪景色ではないらしい。

 薄暗い空越しに聞こえるのは妖怪が出ただとか、巫女さんが追いかけたぞ! だとか、深く聴き込まずとも荒事が起きているんだろうってのが分かる喧騒の声。何かあったのだから見に行けば、というかあたしも見に行きたいところなのだが、すぐには動けない理由が今のあたしにはあった。

 

「ここいらだった気がするんだけど‥‥あの並びだったっけか?」 

 

 帳面に描かれた地図を見つめ、歩きながらポツリ呟く。

 当然返事をしてくれる相手はいない。

 人がいないわけではない。

 周囲には薄汚れた着物に身を包み、寄って嗅げば鼻を刺激しそうな姿の人間もいたりする。

 俗に言う浮浪者、乞食、かどうかは知らないが、格好や雰囲気からは物乞いをしていてもおかしくなさそうな人間が掘っ立て小屋の壁に寄りかかり、シケモクを吸ったり安酒を煽ったりする姿が見える。

 

 この界隈にいる人間は汚れ具合に多少の違いはあれど大概こういう類の人間で、ここはそういった連中が集う里の暗い部分って場所だ。中央を分かち流れる川を中心にして、四角い敷地ながらも丸く発展しているこの里。真ん中の一番流行っている辺りは霧雨の大道具屋やカフェーなど、大きな店や華やかな装いの建物もあるのだが、今訪れている端の方は、そういった見目の良さとは真逆な建物が肩寄せ合って建っていたりするのだ。

 お世辞にも綺麗とは言えない長屋、貧民街と言っても過言ではないここに住むのは元外界の人間達なんだと。(何か)の│仕業《拍子》に神隠しにあってしまい、この幻想郷に引きこまれた連中が住み着いているのがここいらだという事だ。伝聞する限りだが、引っ張りこまれた│理由《餌》になるのはどうにか免れ、命からがら里にたどり着き、戻れもせず、真っ当に生きられもしない連中というのがこの辺りの住人の大部分だと、けーねが言ってた気がする。

 いつだったか、あの天狗記者が記事にしていた秘密結社とかいう団体もこの辺りを根城にしているそうだが‥‥まぁ、ここいらの事はもういいか、あたしからすればだからどうしたという程度の事で、興味のある場所でもないからこの話はここで切り上げる。 

 

「‥‥やっと来た、伝えた時刻からは随分過ぎてるんだけど?」

 

 視界に収まる人間を眺め進むと奥の方、賭場として賑わう長屋の軒下から聞こえた声。 

 通りの雰囲気にそぐわない明るい色合いの誰かさん。纏う前掛けに描かれた茨のように、トゲトゲした空気を周囲に巻いて、お迎えの言葉を吐いてくれる。

 目が合うとはよ来いって振られる包帯、一応右腕と言っておくか、中身はないらしいが。取り敢えず今日の待ち合わせ相手と出会えたので振られた包帯の端を真似て、ふらふら近寄っていく。

 

「遅い、どれほど待たせれば気が済むのよ! あんまり遅いと騒ぎが収まってしまうわ!」

 

 プンスカ膨らむ頬、となれば可愛げもあるが膨らんでいるのは角隠しならぬシニョンが二つ。

 遅刻だと顔に書いて、自称行者と言っている割には悟りからはかけ離れた姿の仙人様、あたしの帳面に地図と、ここに来いって書き殴ってくれた茨木華扇さんがいた。

 わかりやすいくらいのお怒りモードで、怒髪天を衝くような勢いが声色に見られるが、今日は叱られても仕方がないと思える。午前中に寺での雪かきを済ませ、その後は逃げ出すつもりが捕まって禅を組まされ、どうにか午後の修行からは逃げ切って、疲れて冷えた身体を癒すのにちょっと地底で一杯引っ掛けようかな、なんて考えていた時だ。

 修行の鬼からは逃げられたけれど今度は説教の鬼にまで捕まってしまって、地底に行くならまた酒のランクを上げてくれるように頼んで来てくれ、なんて頼まれてしまったのが正午くらい、待ち合わせ時間はそれから半刻後くらいで、今はおやつの頃合いなのだ。

 

「そんなに待たせた? 怒られるほど遅れてないと思うんだけど?」

「時間通りに来るとは思ってないからそこは諦めるんだけど‥‥見物しに行くには遅すぎだわ」

 

 怒りの理由は遅刻じゃなかったか、やはり他者の心など読めたものではないな。

 しかしだ、見物とは、見に行きたいのか‥‥何か気がかりな事でもあるのか?

 大して面白くもない捕物だけだぞ、多分。

 

「あの騒ぎを見に行くの? わざわざ? 放っておいても収まるわよ?」

「いいから行くのよ、仙人として人間達が困っているのなら放ってはおけないの!」

 

 空の手で生身の腕の肘を持ち、立てた腕の先では人差し指が尖っている。

 これがこの人のガミガミ言う時のお決まりのポーズってやつだ、大昔は握りこみ対峙する相手を張り倒していた掌だというに、今ではすっかりと柔らかになったものだ、と振られる指を目で追い思う。

 

「あたしは興味ないから一人で行ってきてよ」

「ダメです、ここで逃したらまた捕まえるのが手間だから」

 

 右に左に揺れる指、それを追って言い返せば、その手がするりと伸びてくる。

 さあ行きましょう、そう言いながらあたしの首根っこを掴み上げるパワフルな仙人。先には困っているのなら放っておけないと言いながらあたしを困らせるとは、なんというか辻褄の合わない仕草に思えるが、今の立場からすればこれで意外と合っていたりするのだろうか?

 いや、これはこれで正しいのか。摘まれ引きずられ、現状困っているあたしは人間じゃないし、華扇さんが救う範疇にはいないって事なのだろうな。

 

「ねぇ華扇さん」

「なに?」

 

「付き合うから。そうやって摘むのも引きずるのもやめて。あたしは猫じゃない」

「そう、なら離してあげます‥‥気まぐれ具合は猫っぽいけど、あんなに可愛くないわね」

 

 一言余計、とは言わず無言で睨むと離された。

 それでも首から離されただけで、代わりにあたしの袖を引く腕。ジャラジャラと繋がる先のない鎖を鳴らし引かれ、早く行くわと強めに引っ張られる度にあたしの耳から下がる鎖も揺れた。

 

「さて、何があったのか、キチンと見聞しましょうか」

「妖怪が出たとか、霊夢がそれを追いかけたとか、そんな事を耳にしたわね」

 

「妖怪? 出たっていうのはどういう事?」

「さぁ? 通りで耳にしただけだから詳しいところはなんにも」

 

「そ、まぁいいわ、行けばわかるし」

 

 そうですね、厭味ったらしく敬語で返す。

 するとようやく神妙になったか、そんなフフンってな顔で笑われた。相変わらずの上から目線、慣れているから気にはしないが、修験者だっていうならもう少し謙虚さとかを見せるべきではなかろうか?

 無理な話か、謙虚になろうにも昔より謙虚な体つきはなくなったのだったな。人を言い負かせたつもりなのか、意地悪気な笑みのままでちょっとだけ胸を張って歩く元ヤン。

 そうやって張られると紫色の冬服の上からでもたわわなモノを拝むことが出来て良い‥‥なんて機嫌を入れ替えて、並び歩んだ。

 

~少女行動中~

 

 少女二人で向かう先、そこは人集りが目立つ場所。

 つい先程までは占ってもらいたい客だった人間が集まり、今は気を失って残されたここの主と、それを介抱しているらしい黒白魔法使いの姿を眺めに行くだけだ、今は。

 

「お邪魔しに来たわ」

「同じく、お邪魔するわね」

 

 手のひらに『占』と焼き印押された立て看板を撫で、人垣と蕪の暖簾を掻き分けて話題の場所へ顔を突っ込んでみる。ちょろっと屈んでヒョコッと入り口から顔を生やすと、その上、あたしの背中に乗っかって華扇さんも同じく顔だけ生やす。

 重くはないがあたしの尻尾に包帯を巻き搦めて身体を支えているらしく、その締め付けがちょっと刺激的で心地よくて、思わずアンと声を漏らしてしまった。

 

「ちょっと、何甘い声出してるのよ」

「華扇さんが締め付けるからよ」

 

 遊び半分、いや、九割?

 心中の割合なんぞどうでもいいか。

 賑やかな周囲に負けない勢いでキャイキャイと、そぐわない雰囲気ではしゃいでいれば、この言い合いを店内にいる少女、本屋の主に肩を貸して今まさに動こうとするちっこい魔法使いに見つめられた。

 

「煩いな‥‥って、なんだよ、仙人とアヤメか」

「なんだとは何よ、魔理沙が忙しそうだっていうからこうして覗きに来てあげたのに。ね、華扇さん?」

「一緒にしないで、私は何か手伝える事があればと思って来たのよ。襲われたのは店主さん? 無事なの?」

 

 目が合った人間少女に二人揃ってご挨拶。

 異変解決組の中では一番身体が小さくて華奢な黒白にあたし達二人らしい挨拶を言ってみると、担ぐ小鈴の逆側の手に愛用の魔道具を握りしめて、あたしだけに向かって突き付けてくれた。

 

「気を失っただけで、怪我はないみたいだ」

「そうなのね、なら良かった」

「あたしは良くないわ、物騒な物向けないでよ」

 

「向けられるような事を言うのが悪いんだぜ? 小鈴ちゃんを寝かせた後できっちり退治してやるから待ってろよ?」

「またそうやって。荒っぽい事ばっかり言ってないで、年頃の少女ならこっちの仙人様でも見習って色っぽい話でもしたらどうなの?」

「私を見習ってとはどういう意味よ?」

 

 だって格好が卑猥、そう言おうとした口は左手で覆われた。

 あまり茶化してばかりいるな、話が進まないだろう、思わず舐めた手の平からはそんな風味が味わえたので、ここは黙っておく事としよう。冷やかしが収まると始まる二人、いや、もう一人増えての三者面談。

 

「魔理沙さん、お布団敷けまし‥‥アヤメさんに山の仙人?」

「稗田の、貴女もいたのね」

「お、サンキュー。寝かせてくるからさ、逃げないようにちょっと見張っててくれ」

 

「誰をって、聞くまでもないですね」

 

 奥の部屋へと進む黒白を横目にして、それからコチラを見つつの会話。

 誰に対して聞くまでもないのか交わした視線だけで教えてくれる小煩い娘っ子。

 なんだよ、珍しく静かに、素直に捕まっているというのに、そんな呆れた目で見られると意地でも逃げ出したくなってくるじゃないか。

 

「それで、これは何がどうなってるんです?」

「小鈴がやらかしちゃったんですよ、この本を使って‥‥いえ、今回の場合は使われてというのが正しいですかね」

 

「使われてとは?」

「この本には呪いが仕込まれていたみたいなんです」

 

「呪いですか、どういった――――」

 

 茶々を入れずに眺めていると話される事の顛末。

 阿求が言うには本、先日中身に目を通したあの易書には読んだ者の読み方次第で発現する(しゅ)が掛けられていたようで、小鈴はその呪いまんまとはまってしまったらしい。なんとか言う江戸時代の学者の名前やら、その学者の著書名やらが話題に出され、そこから二人で頷きながら話す景色が暫く続いた。

 話を要約する限り、本の中身を利用するだけなら問題はなかったらしい。自身の益としながら著者に対して敬意を払わなかった事が今回の騒ぎの発端になったようだ。

 ふむ、この呪を組んだ者も相当な変人だな、用意周到というか回りくどいというか、下手をすれば発動せずに終わる呪などかけて……と感じてしまうのはあたしが人ではないからか、人外の力を持つあたしらからすれば遠回しに思えるけれど、ただの人間が行うのであればこうもなるのかもしれない。

 

 そうして二人の会話を聞いて、互いが頷き何かに納得した頃。店の外が別の意味で騒がしくなった、聞こえてきたのは奥にいったはずの黒白の声。勝手口からでも出たのだろう、外で誰かと話しているようだ。

 

「この声は‥‥霊夢さん、戻ってきたみたいですね」

「そうですか、では追いかけたという相手は」

 

「きっとどうにかしてるはずです、聞きに行ってみましょう」

「‥‥ならお先に、私は少し考える事がありますので」

 

 何を、紫髪で隠したおでこにはきっとそう書かれている。あたしでもそう読めるのだから華扇さんにも読めるはず、だというのに考え事があるから先に行っててなんて、阿求を促し道を開けた。

 あたしと仙人二人を見比べ少し戸惑った阿求だったが、処分するだの、薪を持ってきてだのと、薄っすら外から聞こえるツートンカラー達の声に引かれ、いそいそと店の裏へと消えていった。そうやって見送ってあたしも視線の先を変える、見る先は口を塞ぐ手の持ち主。目止めが合うと何やら問われた。

 

「ねぇ、アヤメ、さっきの話聞いていたわよね?」

 

 問いに頷くと漸くお口の縛が解かれる。

 結構な時間抑えられていたからか、ただの呼吸でも新鮮な空気を久々に味わうような錯覚があった。深く吸って大きく吐いて、やっと得られた自由を味わっていると、返事はどうしたと叱られた。

 

「聞いてたけど、だからなに?」

「あの本……どうにかならない?」

 

「どうにかって、なんで欲しいの?」

「それは‥‥今は言いたくないわ」

 

「ふぅん……後で聞いたら教えてくれる?」

 

 そうね。

 何やら暗い顔で頷く片腕有角。

 ない方の腕を強く、見た目だけ形取っている部分が崩れてしまうほどの強さで握りこんで、見た目から真面目で深刻なお話だと告げてくれる。

 何を思ってあの本を欲するのか、気になる部分だったから問うてみたが話してくれず、後々で教えてくれるかも今は怪しく思えた。けれどまぁ良しとしよう、古い知人からのお願いだし、あたしに対して真面目な顔を見せる事など仙人を語り始める前ですらなかった事だ。そんな姿を見せてまで頼んでくるのだから、やるだけやってみてもいいかもしれない‥‥処分のされ方によってはどうにか出来なくもなさそうだしな。

 

「で、返事は?」

「出来るも八卦、出来ずも八卦。それでいいなら試してみようか?」

 

「それは掛けて言ってるの? それとも本当に‥‥そうなの?」

「偽りは今のところなし、よ。そうねぇ、上手くいったらあたしも写しをもらうって条件でならちょっと働いてあげる」

 

「写しなんて何に使うのよ」

「あたしは使わないわ、占いなんてどうでもいいし。ちょっと別件で使えそうだって思っただけよ」

 

「……わかったわ、悪用しないならそれで構わない、お願い」

 

 はいはい、気怠げに返し店を出る。

 出て行く背中に頼むわと、再度願いをぶつけられ、それに押されて足を動かす。

 てっきり華扇さんも一緒に出るかと思っていたが、考え事というのはブラフではなく本当にあったらしく、一人残ってなにやら呟いていた。店外へと進む寸前まで立てていた耳には外の世界を覗くだとか、そんな言葉届いていたが、華扇さんも外の世界を見てみたいのだろうか?

 神妙な顔つきでそう悩まなくても案外簡単に出られるぞ、あたしのように死んで霊となり、オカルトスポットに遊びに行けばいいだけなのだから。

 

 それでは早速お仕事と、気配を逸らして出てみれば屯する四人とご対面。

 そう言ってもあたしは空気のような状態で見られたり、話しかけられるような事にはならない。普段から思考が逸れてしまったりして、我ながら厄介な力を持ったものだと稀に感じなくもないが、こういう時には便利な能力なのでトントンってところかね。

 

「復活した人間は退治してきた、だから心配要らないよって事でいいんですか?」

 

 考え事をしながらトントン肩を叩き、さてやるかと意気込みを貯め始めた頃、目覚めた小鈴が帰ってきた霊夢に問う。

 どうやら被害者も目覚めたらしく、枯れ木を積んだ山を中心に、会話の輪っかを作ってのガールズトークが始まっていたようだ。それに対して堂々と真横、で聞くには少しばかり巫女の勘が怖いので、四人が佇む建屋の裏手に回り、近くに置いてあった瓶と同じ姿に化けて、あるだろう機会を伺った。

 

「そういう事、というわけでそれ処分するから」

 

 静かに、狙う獲物に視線を集中し、早く投げろと内心で願っていると、巫女さんに願掛けが届いた。

 店内で耳にした処分という文言が霊夢の口から漏れて、わかりましたと素直に手渡す小鈴が見られるが、あの本の虫にしては諦めが早過ぎる気がする‥‥あれほど占いにご執心だったのに、そうも思えたが小鈴が求める書物《妖魔本》じゃないからと、それ以上に危ないからいらないと、手放す理由も聞く事が出来た。

 

 そうして渡された易書は黒白の越した焚き火の中に投げられた。

 パチパチ、乾いた音に焼かれ、端から焦げ始めていく本。

 ふむ、処分方法も聞けた通りのやり方か、お陰様であたしにはありがたい。投じられ、黒く変色した部分が白へ、そうして崩れて煙となり立ち上っていく‥‥その煙を少しずつ操り、目に映らない粒子サイズになった段階で、地図の描かれた帳面の二枚目以降に写していった。

 僅かずつ、つい先程荒事をこなし、妖気や妖術などに敏感になっていそうな勘の酷いやつに見つからないように、焦らずゆっくりと文字を写し込んでいく。 

 

 そうやって過ごして暫く、焚き火の赤が周囲に積もる白で消された頃合いには、なんとか写し終える事が出来ていた。

 懸念した巫女さんに勘ぐられる事もなく、取り敢えず本としての体裁を保てるくらいになった帳面。それを眺めてほくそ笑み、そそくさと尻尾を巻き始める。これ以上ここに残る理由がない、いてもまたなにかやらかしてるなと人間カルテットに突っつかれるだけだ、そうなる前にさっさっとトンズラするとしよう。

 

 気配を逸し、意識を逸し、考えだけは逸らさずに。

 どうにか逃げ切り藪の中。無事に複写し終えた易の本を再読する‥‥が、少しばかり苦笑いしてしまった。

 確かに写しは出来上がった、燃やしてくれたもの全てまるっと転写する事は出来ていたのだが、どうにもこれは使えないような気がしてならなかった。帳面に書かれているのは『占術の類』とソレに似た『落書き兼呪の文言』後は『ピタリと当たる』なんて宣伝札やなめくじのぬいぐるみの絵。

 ふむ、これはこれはやからした。どうやら後から小鈴が追加したゴミまでも一緒に拾って写してしまったらしい。これでは元の易書とまるっきり同じとはいかず、頼んできた仙人が使えるような物ではないように感じられてしまった。

 まぁいい、華扇さんには八卦云々なんて言ってあるから問題ない‥‥が、もう一人の御方に対してはどうやって報告しようか。

 あちらの説教の鬼もこの騒ぎ事態は知っているだろう、華扇さんが里にいたのだから監視しているあのサボマイスターもどっかで見聞きしてるはず。であれば当然映姫様にも話が上がり、そうなれば、その場にいながら何故見てこなかったのか、そんな風に叱られる事請け合いだろうよ。

 

 おかしい、困らない為に先日は動いたのに、結局はお説教される流れが変わらない、それどころかガミガミ言われそうな相手を増やすだけで終わってしまった。どうしてこうなったのか、この易書さえなければこうもならなかったのではないか、と拵えた複写本を眺め愚痴る。

 そうして、こうなったのは全部お前のせいだぞ、と、帳面の中に描かれたブロマイド、微笑む彼女のデコを指で弾いた。



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EX その51 万病は心持ち次第

 青空を進む。

 ふよふよ。いつか例えられた灰色の雲のように、ふよふよ。時には気流に乗って高度を上げてみたり、今の気分にあわせての移動したり、気ままに流れている風合いで。それでも風に身を任せきる事なく、流れる方向だけは目的地方面から逸れずに二人、緩く飛ぶ。

 

 つい先日は気の早い銀世界となった冬入りのお郷だけれど、今日は一転快晴で、何処までも突き抜ける青が頭の上には広がっている。気候もほんのり緩やかで過ごすには調度良い空気だと感じるが、さすがに春先のような暖かさまではなくて、冬場の刺すような寒さの片鱗を肌に覚える今日此頃。それでも凍えるほどではないからいいか、ちょっと前に広まった冬本番さながらの寒気は、目覚めた冬妖怪と同時にバッサリと斬られた事でまた少し遠のいたわけだし。

 

 訪れるには早かった冬を払ったのは、あの半分庭師で半分辻斬りな娘っこ。

 主と一緒に顕界に降りて楽しくお買い物をするつもりが、寒いと文句を言い出したお姫様がカフェーに閉じこもり、一杯の珈琲と一籠のお茶請けを口にし始めてしまった事でお買い物どころではなくなってしまい、その八つ当たりを大義名分に、気の早すぎた冬退治となったようだ。

 サクッと斬ってササッと主の元に帰った半分幽霊仲間のあの子、いつだったか宣言した通り、あんまりないという斬れないモノの内に冬やら寒気やらは含まれていなかったらしい。

 らしいというのは伝聞だから、これを教えてくれたのは退治を眺めていた霧の湖近辺を縄張りとする宵闇の妖怪で、彼女がざっくばらんに、確かこんな感じだったと教えてくれた事だから。 

 なんでも受け入れ飲み込んでしまう闇。それを体現するように大らかな、あたしやあの紅白以上に面倒くさがりな彼女らしく、説明もそうだったような、でも違かったような気もするなんて、永遠亭のベッドの上でテキトウに教えてくれたから、あたしもテキトウに聞いて仕入れたのが少し前のお話だ。

 

 なんでまたベッドの上で、そう聞かれそうだが答えは簡単、彼女も退治されたから。

 辻斬り庭師がついでに斬ったというわけではなく、別の相手、寒の内は働きたくないと言っていた、普段からあんまり働く姿が見られない紅白が後から姿を見せ、事が終わり静かになった湖畔を漂うルーミアを見つけて、あんたら妖怪のせいでわざわざ動くハメになったと言いがかりをつけ、鬱憤を晴らしていったからだそうだ。

『またやられたぁ』

 そう言いながら落ちていったという黒い玉っころ。頭から着水してしまったが、湖底に沈む前に石ころ拾いが大好きな水辺の姫様に拾われて、どうにか闇に還る事なく済んだのだと。

 

 その日は偶々湖近くの廃洋館を訪れて、美しい旋律に酔っていたあたし。

 三姉妹の内の一人、いつ見ても楽しそうな顔した次女の演奏を堪能し一人喝采を送って帰る途中、拾ったらしい黒い玉の芯を抱いたわかさぎ姫と丁度顔を合わせて、竹林に帰るなら連れてって差し上げてと押し付けられたのが、真っ黒いのが真っ白いシーツに寝ている理由だ。

 しかしまぁ、完全に妖怪違いだとわかっていても、この寒さの原因ではないと理解していても、騒ぎの場にいる妖怪はしっかりと退治して帰っていくあの巫女さん。その背中は少し働き過ぎで、何か疲弊しているようにも思えたが‥‥実際は疲れるどころか早すぎた寒さに辟易して、丸くなっていただけなのだろうな。

 

 それでだ、ルーミアを担ぎ込んであそこの主治医に押し付けたまではヨシとするが、あのヤクザイシは『今回も貸しにしとくわ』なんて、治療を受けて寝息を立てる奴にではなくあたしに対して言ってきてくれた。身内でもない闇っころ、少女を抱えて陸を動くにはちと厳しい人魚姫の代わりに連れて来てやっただけでも十分だと思えるのに、代金まであたしに押し付けられるのか。

 一言一句違えずに言い返してみると、それなら代金代わりに鞄持ちをしてなんて誘われて、それくらいで払えるのならって返事をしたせいで今、鞄、というか花籠持ちをさせられて、目的地に向かい、出かける事など珍しい名医と並んで空中散歩と洒落こんでいる。

 

 口達者で、ちょっとだけ憎らしくて。

 そうあるのが好ましい相手の背中。

 それを追って飛び向かう最中、あたしは両手を頬に添えている。

 寒いわけではない。

 かわいこぶっての仕草というわけでもない。

 単純に頬の内側、あたしの商売道具であるモノを先程から派手に噛みしめているから、その痛みを誤魔化す為に両手を頬に宛てがっているだけ。加えて言えば冷えた舌の動きが悪く、そのせいで噛んだという事でもない。これも単純で、言うに言えない事を無理に言おうとしたせいでガチンと、自身の舌を味わう事になっているのだった。

 

「なに? さっきから、可愛げを見せても何もないわよ?」

 

 両手を当て、口の中で舌を転がし、噛んだ辺りを確認している中で飛んでくる文言。

 微笑んで、これも珍しい明るめの笑い声を小さく漏らして言ってくれる相手、あたしがこうなっている原因から厭味混じりの冗談が届けられる。

 

「そんなんじゃないわ、そもそも永琳のせいでこうなってるのよ」

「人聞きの悪い事言わないでくれる? 私は何もしてないじゃない」

 

 瀟洒な笑顔からフフと漏れる。

 確かにまだ何もされてはいない。

 何か新しい薬を飲まされてこうなったとか、知らぬ間に実験されていて口だけ妖怪の口を封じられてしまったとか、そういった小難しい事はなにもない。

 だというのにしてやられている、というか少し前から何度も自爆しているあたし。何故にこうなってしまったのか、それはあたしの矜持のせいだ。

 

「いんや、YXが悪いの」

「また間違えているわ。XXだと何度も言ってるでしょ?」

 

「‥‥XZ?」

 

 目の前にある形良い唇の動きを真似て発声してみるも、正しいお名前の音としては出ていないらしい。薄く笑ったままで銀のおさげを左右に揺らし、私の名前はそうじゃないと教えてくれる月の頭脳。

 

「また離れたわね、言えないんだからいい加減に諦めたら? 舌まで噛んで、何を意地になってるのよ」

「意地にもなるわ、口があたしの取り柄だもの。それによ? 知ってて言えないとか面白くないと思わない? Z‥‥」

 

 言い切る前に再度噛む、強かに噛んだせいで痺れる舌先。

 煙や霧という不定形混じりのおかげか痛みに対する耐性が程々に高いあたし、それだというのに思わず涙目になる。そりゃあそうだ、同じ部分を何回も噛みこんで、端の方が千切れかけたりしていれば多少は痛いと感じて当然だ。

 ここまでの会話でわかるだろう、コレがぶりっ子なんてしている理由だ‥‥いや、正確にはかわいこぶりっ子かましての仕草ではないから厳密には違うのだが、形を例えるならソレが一番手っ取り早いのでそう言っておこう。結果あたしの可愛らしさが増すのなら本当にそうだって事にしてもいいしな。

 

 そうして自己弁護を思案しつつ、笑われながら進む幻想の空。

 銀のお目々に赤を挿し、目尻の端には雫を貯めて、舌先出して並んで飛ぶ。

 外気に晒せば少しは冷えて、そうすればちょっとは痛みも引くかもと、隣でニヤニヤされるのも気にせずに、天邪鬼らしさとは別の意味合いで舌を出し進む。

 すると伸ばされる冷えた手。

 あたしの尻尾に括られた八意十字印の押された花籠を、空いている一方で掴み抱え、冬場の雪のように白く、ソレよりは少しだけ暖かなもう一方の手が出している舌先を優しく摘む。

 

「ほら、ちょっと診せてみなさい」

 

 プニッと摘まれ少し引かれ、引っ張られて、噛んだ辺りが広がる感覚を覚えた。

 その傷口を嬉々と眺める蓬莱の瞳、傷を癒やす医者、正しくは職業薬師ってお人がそうやって傷を広げるな、冷やしたおかげで少し麻痺したから然程痛みはないが、口内から聞けるプチって音はさすがに耳に痛い。

 

「あによ、はんらえん因に見へるひたなんへなひあ」

「いいから、減らず口は言えるようになってから言いなさいな‥‥しっかり噛んだわねぇ、端なんて千切れかけてるじゃない。死に体で問題ないとは言っても自分の身体でしょう? 少しは加減をしなさいな、それとも加減を忘れるくらいに美味しいタンなの?」

 

 あたしが言い返せないからか、ここぞとばかりに饒舌に、好き放題のたまう永琳。

 なんだこの状況は、診せろと摘む割に見るだけでなにもされない。捕まったら如何わしい劇薬でも投与されて、摘まれた舌端に火を点けられる、そう覚悟したのにそれはなく……そうなるどころかひっくり返され、相手の舌端が火を吐くような状態となってしまっっている。

 面白くない、あたしが返すなら良いが返されて笑われるなど捨て置けない状況だ。

 

 というかそもそもだ、噛んでしまうような、寧ろ力いっぱいに噛んでも言えないような七面倒な名前をしているのが悪いと思う。

 それにだ、今現在厭味を言っているのは果たしてどちらの方なのか?

 自分のタンなど噛みしめて旨いはずがなかろうよ。それともなにか、永琳の舌は旨いのか?

 味わった事も味あわせてくれるような誘いも、あるにはあったがあれは冗談の戯れ言としてだ、ともかく蓬莱人の舌は旨いとでもいうのか?

 同じ人種の姫様を試食した時は少しイイかもなんて感じてしまったがそれでも‥‥そんな心で指の持ち主を睨んでみる。こちらからはジットリと、返すあちらは少し瞳を細めて、目と目が合っているように見える姿になる。けれど、あたしは八意先生の顔を、先生は摘んでいる舌先を診ているようで、視線が重なっているとは感じられない雰囲気だ。

 なんだよ、こっち見ろよ、眼中に入れろよ。

 

「全く。邪魔だけするなら連れて来なかった方が良かったわ。これなら荷物持ちよりも、姫様の暇潰しにでも付き合ってもらっていた方がマシだったわね」

 

 さらなる厭味があたしを襲う、けれど掴まれている為逃げられず言い返せず。

 荷物持ちはいらなかった、輝夜の暇潰し代わりに置いてくれば良かった、そんな風に言ってくれるが連れ出したのはお前さんだろうに。

 一人で行くには荷が多い、けれど兎を連れて行くには空気が悪い場所だし、兎詐欺の方は既に逃げられたと、そう言ってちょっとお出かけしましょって釣り出してくれたのではなかったか?

 いや、釣られたあたしが悪いのか?

 永琳が珍しく出かけるなんて異変で釣り出され、それから釣られたあたしにあげる餌はないと、そんな事が感じられる言い草である。

 

「冗談よ。そう睨まないで」

 

 得意な事は全て封じられ、にっちもさっちもいかない状況。眼力込めて睨むくらいしか出来ないあたしを見て、楽しげだと、確実にそうわかる顔が少し寄る。

 珍しく感情まで読める顔を見せてくれて、今日は珍しい事が重なる日だが何がそんなに楽しいのだろう、そう考える間もなく何かをされた。不意に近寄った綺麗なお顔に見とれた一瞬、流れるような自然な動きで花籠から何か取り出していたらしい。

 そこから取り出されるのは言わずもがな、ナニカのお薬っぽい物。

 動作に違和感がなかったから気がつけなかったのか、信頼の置ける相手だからそうされても気にする事が出来なかったのか、自分でもよくわからないが、摘まれている舌の端切れ部分、そこに何やら垂らされ湿る感覚がするまで、何をされたのか気がつけなかった。

 そうして数秒、何かが塗られた事を認識した瞬間。

 苦い。

 痛い。

 辛い。

 そういったモノが舌を伝わり全身を奔る、そう身構えて少し待つけれど、考えていたようなモノは何もなく‥‥拍子を抜かれ、そのままの心情で近くい別嬪さんを見つめてしまった。

 

「……あれ? 無味?」

「変な顔して、なにかおかしい? ただの薬よ? 一体何に期待したのやら」

 

「身に染みる苦味とか。永琳の処方箋なら良薬なんだろうし」

「苦いほうが良かった? そういうのもあるにはあるけれど」

 

 そうやって呆けて、気まずい空気を押し戻すように見つめ返すとまた微笑まれた。

 聡明な月の賢者らしくない朗らかな、あの弟子(てゐ)が見せるような顔を一瞬だけ浮かべた永琳。

 柔らかく微笑むと本当に綺麗な御仁、ってそうではなくて、これは完全に遊ばれたなと理解出来たが、痛みは引いたし、随分楽になったのでここはお礼を伝えておこう、何か言い返したところで勝てるはずもないわけだし、取り敢えずのお礼を言っておくとする。

 どうするのと待つお医者様と同じように、一瞬だけ嬉々とした笑みを見せて呟いた。

 

「遠慮するわ、痛みも引いたしコレで十分、ありがと」

「どう致しまして‥‥案外効くのね」

 

 素直に感謝を伝えると、クスリ、漏れる声と吐息。

 本当に何を塗ってくれたのか、先のように睨みつつ問うてみるが、本当にただの痛み止めよ、返ってきたお言葉はこれだけで、摘まれていた舌は離されて、一人先に飛んでいかれてしまった。

 その背を眺め軽く舌打ち。それが小気味よく鳴らす事が出来て‥‥そう出来たのが治療のおかげからだとわかり、もう一度、我ながら惚れ惚れする舌打ちをして後を追った。

 

~薬師移動中~

 

 着いた先は真っ白。

 雪ではないが本当に真っ白が広がる場所。

 白を着こむあたしや普段見ている白衣姿の永琳が降り立てば自然と景色に溶け込めてしまえそうな程に、見える景観はまっさらな白がほとんどを占める丘に着く。

 先に降りていた尾行相手の隣に降りるとフワリ、好ましいモノが鼻孔を擽る。

 清楚で可憐、けれどそこはかとなくツンとした雰囲気も混ざる香り、美しい毒気の感じられる香りが目にも鼻にも届く。

 

「雪が降っても変わりそうにない白さね、相変わらず」

 

 漂う毒気を取り込むように大きく吸って、胸を撫でる。

 身体には当然悪いのだろうが、悪くするお肉はとうにないし、どうにかなったら主治医もいる、だから気にせずに深呼吸をし空気を楽しんだ。

 そうして何度か味わって、隣の毒を浴びようが関係ないお人に話を振る。

 

「そうね、いつ来てもここの蘭は咲いている事が多いけれど、どうしてなのかしらね? そういった品種? それとも‥‥」

 

 ここの香りに似た、ツンとした顎先に手をかけ、真剣な面持ちでブツブツ言い出す天才様。

 そんなに、真面目な顔で考える事か?

 品種がどうこう、寒気耐性が云々、多年草ではあるけれど通年咲くには、などと小難しい顔にお似合いのぼやきを漏らしているが、もっと簡単な答えってのがこの幻想郷にはいるだろうに。

 

「楽しい考察を始めたところで悪いけど、幽香が咲かせているだけよ、きっとね」

「あの花の妖怪が? 季節感のない事をするのね、らしくない気がするわ」

 

 正しい答えをポロッと吐くと、永琳からも反論が吐かれる。

 そりゃあそうだ、知らなきゃ確かにそう感じるだろう。事実あたしもそう考えていた事があったし、それを理由にお礼を伝えに会いに行った事がある。そしてその時にあたしの言った答えを教えてもらったのだったな。

 怪訝な顔の月の頭脳、こりゃまた面白い顔を見られたと鼻で笑い、余計に深まる疑り顔にらしくない事もない理由を教えてあげた。

 

「あたしもそう思ってたんだけど、案外らしい事みたいね」

「どういう事?」

 

「幽香曰く、花には咲きたい季節があるそうよ。あの言い草から鑑みれば、ここのお花は年中咲きたいとでも考えてて、それならちょっとって咲かせてる感じなんじゃないの」

 

 お昼前に訪れた真っ赤なお屋敷、季節になればあの庭で並び咲く花を脳裏に浮かべお澄まし顔で言い切ってやる。ちょっとだけ空を拝み、鼻高々に言い返すと、そんな事もあるのね、なんて素直に同意してみせてくれた。

 先には持ち得る知識から答えを得ようとしていた賢人様だが、知らぬ事を伝えてみると偶にはこんな素直な一面も見せる、それが面白くてあたしはこの御仁を好いているのかもしれない、向こうからどう見られているのかはわからんがね。

 

「で、どれを摘んで持ち帰るのよ? お師匠様?」

「そう呼ぶのは兎達で十分よ」

 

「そ、なら飼い主様って言ってあげようか?」

「ちょっと言い返せたからって調子に乗らないで、外飼いするのをやめてもいいのよ?」

 

「首輪は勘弁してよ、ただでさえそういうのもイイって感じ始めてるのに」

「すぐに下世話な話にもっていかないの、うちの子が真似たら面倒だからやめて」

 

 仰る通り、ちょっとだけ言い返せた事で随分楽しくなり、その分だけ調子に乗れば、直ぐ様に叩き落とされる。もう少し遊び心というか、話に乗って遊んでくれてもいいのに、そう考えて顔を睨む。今度はしっかり目が合って、それも楽しくて、思わずバチコン目尻から星を飛ばしてみる‥‥けれどその星がぶつかる事はなく、サクサク歩いて置いて行かれてしまった。

 

「何してるの? 待てと命じてないわよ?」

 

 ぽつねん、一人立ちん坊となったあたしに飛んで来る飼い主様のお声。

 確かにイヌ科だが犬でも狗にもなったつもりもないし、突っ立っていても仕方がないし、可憐なお花を踏まないように、軽く浮いて後に続いた。

 

 ろくに進まず中心地。

 それほど広くはない丘だからあのまま待っていてもいずれ姿を見つけられたのだろうが、会いに来ているわけだし、今回は見えないお相手を探しにコチラから動く事になった。

 

 あちこち目配せしながら探し、進む。そうして少し過ぎた頃、小さな妖精がふと目に入る。視界に入ると視線が合った、あの子がいつも一緒にいる子、スーさんと呼ばれているちっこいのが小さな手をフリフリして、こっちにおいでと誘ってくれた。

 そちらに向かい先に降り立ち佇む永琳の側にあたしも降りるが、それでも姿を見せない毒人形。いつもなら花畑に降り立った瞬間には、踏まないで! と、賑やかしくしながら出てくるのだが、今日は姿を見せないあの子。お出掛けでもしたのか、珍しい事続きの今日だしそんな事もあるかも、そう思い直すと隣の先生が花畑で屈む。

 

「ねぇアヤメ、付喪神でも風邪を引くと思う?」

「さぁ、あたしは知恵熱出したけど、物上がりはどうなのかしらね? 雷鼓も病気知らずだし」

 

 (こがらし)にそよぐ蘭の中、永琳の視線を追って問いに答える。

 実際のところはどうなのだろう?

 一応獣の延長線上に居るあたしは熱を出してこの先生のお世話になった事もあるが、目の前で幸せそうな顔のまま動かないお人形さんは体調を崩したりするのだろうか?

 一人悩んでいると動く医師。スカートを膝で挟み、背を丸めて手を伸ばす。雪と見紛う白景色の中で目立つ金に指先が触れる。小さな身体に比例した寝息を漏らす眠り姫の髪に指が触れると、ちょっとだけぐずついたように、ううんと漏らした‥‥なんというかコレはズルいと思う、小さいというだけで無条件に可愛いと感じてしまい、思わず頬を綻ばせてしまった。

 

「鼻の下、伸びてるわよ? 付喪神ならなんでもいいの?」

「やめてよ、年端もいかない相手を散らすほど節操なしじゃないわ。単純に可愛いって思っただけ」

 

「そう、ならそれでいいわ……さ、寝てると冷やすわ、女の子が身体を冷やすものじゃないわよ」

「ちょっと、自分から振っておいてその反応は冷たいんじゃない?」

 

 無視。

 起きないコンパロ人形に代わりプンスカしてみたが、完全に無視。

 先にも考えたがもう少し構ってくれても良いのではなかろうか、散歩に行くから着いてきなさいと誘ってきたのは飼い主様だったはずなのに。ちょっと前には外飼いするのをやめるとも言ってきたのではなかっただろうか?

 だというのに放し飼い、というか放置とは‥‥と、ちょっとだけあたしらしくない思考に囚われる。付かず離れず、それくらいの程々具合を好むのが自分だったはずだが、こうも気分が浮き沈みしてしまうのはなんでだ?

 あぁ、躁っ気たっぷりの演奏を聞いてきたからこんなテンションなのか。あの音を全身に浴びて、酔いしれたままでいるからこうも浮ついているのか。ならいい、今日はこの気分に任せたままで過ごしてみる事にしよう。

 

「ほら、起きて。野宿なんてしてると何処かのお馬鹿な狸みたいに風邪を引いてしまうわ」

「う……ん?‥‥ゆ~かぁ?」

 

 誰かわからない狸さんを例えに揺り起こす永琳。

 対して、別の相手の名前を寝ぼけて言う毒人形。声は発したみたいだけれど、目覚めるには至らず、モゴモゴ言った後で再度の眠りにつこうとする。が、そろそろ起きてくれないと話が進まないので、この辺で起こすとしよう、多少強引にでも。

 

「起きなさいコンパロ人形、起きないと遊んじゃうわよ?」

 

 隣に同じく、着物の裾をさばいて膝を折り、先生と並んで座る。

 そうして居眠り人形に声をぶつけて、頭頂部で結ばれているリボンに手を伸ばす。強めに摘んで持ち上げて、さながら土産物のマスコットのように持ち上げ揺らしてみる。すると、数回パチクリした後で愛くるしい蒼眼が開かれた。

 

「起きた? メディスン?」

「おきたぁ! おはよう!」

 

 持ち上げた小さな身体をそのまま片手で抱き、寝ぼけ眼の端にある雫を袖で拭う。

 そうしてやっと目覚めたのか、孵ったばかりのひな鳥みたいな薄い目を見開いて、ニパッと笑うお人形さん。それからすぐに、あたしの顔の近くに持ってきた小さなお口が激しく動く。

 

「あ、えーりんもいる、おはよう!」

「私もというか、私の用事で来たのだけれど、まぁいいわね。おはよう」

 

 ピーピーキャアキャア、母鳥から餌を貰うかの如き口が開く。

 実際この世に生まれ落ちてまだ浅いというお話だけれど、口はそれなりに達者で扱う力も結構強力なお人形さんってのが彼女、メディスン・メランコリー。寝起きから一気にハイテンションになって、そんなに回転数を上げたら調子でも悪くしそうだが、子供ならこんなものかね。

 

「用事? 何? あ、またスーさん持ってくの? 誰か仕留めるの? わかった、アヤメね? だから連れてきたんでしょ? よっし! この私に任せ‥‥」

 

 目覚めからなんて事を言ってくれるのかこの子。態度では嫌がらず抱き上げられているというに、言う事もしてくる事も随分と物騒だ。

 ケラケラ笑って向けられる幼い手の平。突き付けられた可愛らしい手の平には少しずつモヤモヤが溜まっていく。よく見慣れた白っぽい靄、普段あたしが吐き出している煙草の煙と瓜二つなモノが、あたしの体から離れ、あどけなく笑う幼女の手に吸い寄られていく。

 これはきっと今のあたしの元である煙草に含まれているニコチンとか、そんな毒素っぽいモノでも操って絞り出しているのだろう。このまま放っておけばもう一度あの世に送られてしまいそう、それくらいの勢いで自分の体が薄れていくのを感じて、思わず行使される能力を少し逸した。

 

「あ、また悪戯した! 変なことしないでよ!」

「変な悪戯してるのはどっちなのよ、気軽に消そうとしないでくれる?」

 

 少し逸らして邪魔してみれば、悪戯すんなとのたまうガキンチョ。

 笑っていたと思えばプンスカ拗ねてくれて、見た目そのままの無邪気っぷりを魅せつけてくれる。やはりあれだ、あたしも浮つく少女のようにしてみたつもりだったが、実際に子供で自然と拗ねられる奴には勝てるわけもないのだなと、膨らむ小さな頬を見て思い知らされた。

 そんなあたし達を見て小さな吐息を漏らすのは一番の年増様。膨らんだ頬をつついて笑うあたしと、つつかれてくすぐったいとはしゃぐメディスンを交互に見てから、いい加減にして、と、切り出してきた。

 

「遊んでないで、そろそろいいかしら?」

「あたしはいいわ、十分遊んだし。で、何するの?」

「私もいいよ? で、なんだっけ?」

 

 再度聞こえる薬師のため息を二人で聞く。そんなに吐いては幸が逃げてしまうと思えるが、このお人なら幸せになれるお薬もチャチャッと作ってしまえそうだし余計な心配か。

 何やら言いたげな永琳はともかくとして、取り敢えず薄まった身体を取り戻す為に煙管を咥え煙を纏う。吸った側から吐き出して、先程操られたモヤモヤを再度身に溜め込んでいると、また茶々を入れるつもりなのか、両手をバタつかせて見せるちびっ子。

 何度もこう邪魔されては困るので、吐き出した一部で煙の鈴蘭妖精を形取り、本物スーさんと並ぶように動かして気を引いておく。

  

「あ、スーさんが増えた!」

「気に入ってくれたなら何よりだわ、暫く持つだろうし、お仕事が済むまで遊んで……って、永琳? 何処行ったのよ?」

 

 キャッキャと童子らしい声を上げるお茶目な人形の気を逸らし、こいつはこいつで一人遊びしていてもらう。そのつもりで気を引いたのに、少しだけ目を離した隙に薬師の姿は見えなくなった。

 出かけると誘っておいて一人でいなくなるなど相変わらず連れない女だとも考えられるが、なるほど、連れてきた本当の理由はこれだったか。あの先生がここに来る理由など薬の材料を仕入れる以外にはない、お花摘みをするのなら回りではしゃいで煩いこの子はきっと邪魔で、それなら自分以外に相手でもさせればと、そんな考えで誘ってきたのだろう。

 そんな事が考えついて、いなくなってしまった赤青ツートンを探そうと周囲をチラリ見てみたが、白景色に目に付くだろう彼女の姿は見つからなかった。

 何処に行ってしまったのか、考えていると近い金髪で結ばれた赤リボンが嬉々と揺れる。

 

「よし出来た、こうしたほうが可愛いよ!」

 

 人の腕の中でしてやったり、ふんぞり返り鼻高々な声を上げる幼女。

 反ったせいで頭が離れ、そのまま後頭部から倒れこんでしまいそうになるが、ちょいと抱き直して身体を寄せた。これも嫌がらず素直に受けてくれる動くお人形。それほど仲が良いわけでもないあたし達だが嫌がられないのはこの子の成り立ち故だろうか、聞けば一人で訪れた永琳やあの花、人形遣いなんかも抱っこをせがまれる事があるというし、この子も元の人形時代から抱かれ続けているのだろうし、抱かれ癖でもついているから嫌がったりもしないのかもしれない。もしくは嫌うほどでも好くほどでもない、どうでもいい相手だとでも思われているからかな。

 言うなれば毒にも薬にもならない相手、ってところだろうか。

 一緒に来た蓬莱人とこの子を例え、我ながら悪くない思いつきだとニヤつきつつ抱き直し、再度近くなった金髪に視野の下半分を取られる。それで何が可愛いのか、声の向けられていそうな方を見れば、そこには灰色一色だった偽スーさん染色された姿があった。

 

「確かにこっちの方が可愛いかも」

「でしょでしょ、可愛いでしょ!」

 

「何をどうしたのか知らないけど器用な事するわね」

「ふふぅ~ん、もっと出来るよ? ほら」

 

 可愛いでしょ。

 エヘン顔でそう言って、スーさんと偽物を見比べ、最後に人の顔を見上げてくる童子。

 あたしが形取った時は白っぽい一色だった全身、今ではメディスンやスーさんのような赤と黒に染まったドレスを着こみ、髪の方も目に痛いくらいの黄色に染まっている。僅かな時間しかなかったはずなのに、艶やかに女化しこんだ偽スーさん。

 元がニコチンやらの毒素で作った偽者さんだ、毒を操る彼女であれば毒らしい警戒色に染め上げる事くらい造作も無いのだろう、上手に染色するものだと二体を眺めていると、あたしの唇に小さな指先がそっと触れた。

 

「なに? 唇奪うなら指より口のがいいんだけど?」

「なんでもない!」

 

 プニッと、唇をなぞられる。

 元は人形といえど今は幼子、気温やあたしの体温よりも暖かで柔らかな指の感触を口先に感じ、なんのつもりか問うてみたが、屈託のない笑顔をみせてくれるのみで、悪戯の内容は教えてくれなかった。

 何をしたのか言わないとこうだ、触れられた口からこんな事を発して、抱いた身体の脇やら首筋やらを少し擽ると、またもはしゃいで、キャイキャイとした黄色い声が辺りに響いた。

 

「二人ともなんだか楽しそうね」

 

 そうやって人形遊びに興じていると、背中側から、子守ご苦労様、なんて落ち着いた声色が聞こえてきた。

 

「えーりん、おかえり!」

「子守じゃないわ、また遊んでただけよ、もういいの?」 

「十分よ、これで暫くは保つから大丈夫。あら、見ない間にお洒落したのね、帯の紫陽花と合わせたの? 悪くない色だわ」

 

 花籠片手に現れたお医者様に返しつつ、頭だけ先に振り向いた遊び相手を追って振り返れば、よくわからない事を言われてしまった。

 何の事か、少女らしく少し傾いで答えをせっついてみるが、でしょでしょと、腕の中でニンマリするお人形さんと、珍しいものでも見るような顔の天才様の視線の先から、教わらずとも察する事が出来た。

 先程幼女になぞられた唇の端を空いた左の小指で撫でる、そうして指先を見てみれば、指の先に薄っすらと移ってくれる紫がかった紅の色。

 

「あ、落としちゃダメだよ! 折角綺麗にしたのに!」

 

 もう一度触れてくる子供の手。

 先とは違って撫でるのではなく、丁度あたしが触れた部分にだけ、ちょんと人差し指が乗せられる。それからすぐにコレでよし! と、破顔して見上げてくれた。

 なんというかこれは、あたしがお人形さんで遊んでいたつもりだったのだけれど、見ようによってはあたしがお人形さんに遊ばれているような絵にも見えるな。着せ替えとまではいかないが、子供らしいお化粧遊びに付き合わされてしまった感じがする‥‥が、今日はこれでヨシとしよう、永琳に褒められる事などないし、小指に移った紅の色はあたしの好みでもあるし。

 

 

 そんな風に少し遊んで、ちょっと笑って。

 日が傾いてきた頃合いに今日のお人形遊ばれはお開きとなった。抱いた相手を野に離し、お化粧ありがとうの投げキスを放りつつ、先に飛んだ薬師の後について浮く。

 それに返すように手を振る小さな人形と鈴蘭の精に見送られ、傾き始めたお日様が照らす空を進む中で、そういえばと聞いてみた。あの時、来る途中で塗ってくれたお薬はなんだったのかと。

 返ってきた答えはこんなものだった。

 

『あれはただの水、蒸留水よ。でもアヤメは治ったわけだし、そうね、薬だったと言っておきましょうか。前に聞かれたナントカにつける薬だったとしておいてあげるわ』

 

 こう聞かされたあたしがどんな顔をしたのか、そこはまぁ、察して欲しい。



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EX その52 浮夜道

 風に吹かれ散らばる枯れ葉を踏み(なら)し、足元で音を立てる。

 歩を進める度ランダムに鳴るカサついた音。

 その合間合間には踏まれ、割れる葉の音がパリッと鳴る。

 乾いた音を耳にして右肩から下げた白徳利を煽り、寒空の一人酒を楽しむ。そうやって乾きと湿りのバランスを取ったつもりになり、もうすぐ湿気が勝つだろう苦寒(くかん)の空を仰ぐ。

 

 冷える夜を行くのは少し低めの薄い灰雲、夕刻から育ち始めた冬の雲。同じ空を進む冬妖怪の両手から漏れる白をご飯にしてモクモク育ち始めたけれど、未だ成長途中の雲は見た目大きくなってきただけで、ギンギラな結晶を振らせるには至らないようだ。それでも直に降り出すだろうな、レティさんが冷やして回っているのだし。

 

 そんな、もう時期には降り出しそうな雪(もよ)いを見つめ思い悩む。冷たいのがちらつき始めればギンギラで正しいと感じられそうな今宵、そうなっていない今はなんと表せるのだろうかと。

 凍曇(いてぐも)りには違いないが、稀に途切れる雲間からは月華が差し込む事もあり、時々明るくしてくれる恥ずかしがり屋な望月様を弄月する事も出来る、なんとも微妙な天気模様。

 

 軽く頭を回してみたけれど、コレという表現が思いつかない。

 一人で考えて答えが出ないなら誰かに聞けば早いのだろうが、生憎話しかける相手もいない。

 視界の端の方にいる今時期元気な青白いの、見て触れて、話して一緒に笑い合える寒気に問うくらい出来るのだけど、あの人に対してはもう暫くこっちに来ないでくれればいいなと考えるだけにして、こちらから構まってもらうって案は捨て置く事にしておこう。下手に絡めば寒冷地前線を呼び込む事になり、今の景色は消えてしまいそうだ。

 

 捨て置くなどと案じたからか、今はデンデラな夜でいいんじゃないか。

 もうすぐ降り出すものも、覆う雲から捨てられたと見ればそう見えなくもないのだから。

 そんな事も思い付いたが、これもこれで捨て置いた。姥捨て山に例えるなどいつまでも少女でありたいあたしらしくない、そうやって思い込み、悪くない気がした思い付きは重たくなり始めた雲に隠れるお月様に預け、なかった事としておこう。

 

 考える事がなくなると思考が止まる、すると足も止まる、というか止める。気温が下がれば時間も止まるってお話だけど、それとは関係なしに足を止め、少し細めた目で来た道を眺み、立ち止まった。

 見えるのは夜風に揺れる木々に、青く照らされる薄暗がり。後は『二八』と書かれた看板だけが残る蕎麦屋の屋台だったような瓦礫、その脇で伸びている着物姿でのっぺらぼうな妖精も見られるが、そいつには触れずにただただ静かに立っているだけ。構えば更に遅れてしまうし、妖精なら死んでもその内復活するのだろうし、助けてやる義理もないしな。 

 

 無言で、淡々と待つだけの自分。風と舞う葉の音に身を任せる姿は、さながら誰かを待つような振る舞いってところか、実際待ってもいるがね。

 寒中の森に溶け込む姿は我ながら中々悪くないように感じられて、思わず笑む。

 例えるなら、会いたくて会いたくて堪らない相手との待ち合わせ、早く来てくれないかな、凍えてしまった手を早く温めてくれないかな。なんて雰囲気か。

 会いたい相手は待ち人ではなく待ち合わせ相手ってのも、逆さまで好ましい。

 

 そうして、こっちは悪くない思いつきだと口の端を持ち上げつつ、周囲で繁る森に目をやる。

 誰かに見られれば冷ややかな目で見られるだろう顔のまま周りを見るが、待つモノ達は未だ追いつけないみたいだ。あまり待たせないでほしい、気は長いが飽きっぽいのだから。

 

 そんな事を思案しながら待ち詫びる間に一服済ませ、空いた左手を首筋に添えてみた。

 夜の空気に晒した手先は酷く冷えて、定命の者であれば頬や唇は青くなってしまうかもしれないな、と、年中変わらなくなった自分の体温を手の甲に感じつつ、別の意味合いで薄っすら青ざめている頬を綻ばせた。

 一人歩き、立ち止まる最中に吹く風は身を切る寒冷さに満ちていて、先に案じた通り生き物が浴びるにはと辛いものがあるのだろう。それでもあたしには関係ない、血色良くなるための血液が流れていないのだから、多少冷え込んだところで寒さに負けて青くなる事などはない‥‥だというのに、今の顔は仄かに暖かで揺らめく青に染まっている。

 

 先日の鈴蘭畑でされたようにお化粧をしたりだとか、特に女化しこんでいるわけではない。

 年頃の女であれば鏡に向かって時間を使い、唇に紅を引いたり瞼に影を落としたりと、ちょいとお化粧して冴える青を魅せたりする事もあるのだろうが、それは人間に限っての事だろうな。

 あたしの場合そういった化粧などせずとも元より化かす狸であり、人に仇なす化生の身の上だ。顔つきを変える為に胴乱塗りたくる位なら軽く化けて顔毎変えた方が手っ取り早いし、どうせ時間を使うなら動乱にならん程度に何かを練り企んでいる方が楽しいとも思っている。

 それにだ、今のあたしは透き通る、というか物理的にも透けて通り抜けられるお肌になれるのだから、態々お化粧する意味が薄いとも言えよう。

 

 さて、出足から些か話が逸れた気がする。

 何を考えていたのだったか?

 なんで立ち止まったんだっけか?

 思い出す為に再度煙管を楽しみつつ、携えた青い灯りを持ち上げた。

 手元で灯るのは出てくる前に急拵えした行灯。

 正確には作る事になった、青い和紙を貼り付けた行灯である。

 あたしの顔が青い理由を高く上げ、時偶夜空で微笑んでくれるお月様と並ぶようにすると、冬場の澄み切る外気のお陰か、淡い青は思う以上に周りを照らしてくれて、青行灯でも案外明るくなるなと感じられた‥‥までは良かったが、青一色に染まる森も綺麗だなんて思ったせいかね、視界にチラホラ白が漂い始めた。

 

「こっちでも降ってきたか。冷え込みそうね」

 

 ポツリ呟く独り言。

 ボヤくと口から漏れる別の白が少し漂い、雪と共に吹き始めた風に流されて、消えた。

 これはよろしくない、雪に続いて風まで出てきたか。都合が悪くなってきたお天気に向けて愚痴を吐き、視線を奥の細道に流す。そのまま暫し待ってみると、青い案内灯に導かれるように、立ち止まった理由が姿を見せた。

 

「あ、やっと来たわね、もうちょっと早く歩……くのは無理か、生まれたてホヤホヤなんだし。あたしが早足過ぎたのよね、きっと。悪かったわ」

 

 現れた連中は大体が器物。

 そうだった、先導していたはずがいつの間にか距離が空いてしまったのだったな。おぼつかない足を生やした糸切り鋏や陶磁器といった物連中を見て思い出せた。ゾロゾロとあたしの視界に姿を見せて、それぞれがそれぞれに、シャキシャキだったりカチャカチャだったり、音を鳴らして追いついた事を教えてくれた。足が生えただけで他の部分は未だに器物そのままな子ら、話しかけたところで会話が出来るとは思えないが、成りきれていない彼らにも一応の心があるらしいので、ここは素直に悪かったと伝えてみる。

 言って数秒。やっぱり伝わらないかと考えた瞬間、あたしの謝罪に対してシャンシャン鳴り合い返してくれる子達。ふむ、話せはしないが反応はあって意外と可愛いかもしれないな、姉が育てようと考えるのもなんとなく理解できた。

 

 彼らは今は使われなくなった、里に住む人間達の家でしまわれていた物達だ。

 何故かは知らないが月に一度、今日のような満月の夜には独りでに動き出して、自然と列を成してしまうのだと姉からは聞いている。生み出され彷徨う事しか出来ない赤子、放っておけば戻り、いずれ朽ちるだけの子らを育ててやるなんて、姐さんはやっぱり優しい。

 因みにあたしの置き傘は今宵も動いていないみたいだな。連れ歩く者達の中に誰かの雨傘や提灯もいるにはいるが、手元に戻すつもりのない傘は未だ寺の何処かに立てかけられているらしい。耳にする限り一輪辺りが偶に使っているそうなので、まだまだ物として現役だから者に成ってくれそうにはないなと思えた。

 

 雨を降らせない桃色入道連れた青空色の髪をした奴のせいで傘が傘のままにある。何処かちぐはぐなようで正しいような、よくわからん思いを含みつつ、取り敢えず今連れ歩く列に思考を戻す。

 こっちもこっちで、色々と踏まえて言うならば付喪神見習いといったところだろうか‥‥いや、既に自我が芽吹き始めていて自ら動いてもいるのだから見習いではないのか、ならモドキ?

 いやいや、それこそちょっと失礼か。モドキだなんて偽者だと言い切っているようなものだし‥‥まぁなんだ、考えるのも面倒だしその他の妖怪でいいか。化狸から片足はみ出したあたしが引き連れる者達なのだし、それなら彼らもその他でいいや。

 

「あら? ちょっと減っちゃった? 迷子にでもなったの?」 

 

 そんな付喪神成り立ての赤ん坊に問うてみる。

 考える最中に追いついたらしい皆、最後尾まで集まったはずの付喪神達を見ると少しの違和感を覚えたからだ。見える子達の姿は変わらないが、どうにも数が少ないように感じられた。先導し始めてすぐは二十体くらいいたはずの小さな小さな百鬼夜行だったのに、今見えるのは十体いるかいないかというくらい。

 

「ま、いいか。こっちにいないならあっちにいるのだろうし、あんた達もそう思うでしょ? ね?」 

 

 問うてみたが、返事は変わらずシャンシャンだけ。

 やはり会話は出来そうもない、が、しかし、今返してくれた言葉はなんとなく理解できた。

 さっきのお返事は『そうだね、きっと大丈夫だから、こっちはこっちで早く行こう』なんて言ってくれているに違いない、なれば同意も得られたし何の問題もないな。

 そう確信し、一人頷いて踵を返す。

 

 ハラハラ舞い落ち始めた白の結晶が頬を撫でていく中、青い案内灯を揺らしてゆるり歩く。

 向かう先は人間の里から東に出て少し外れた方面、人気のない神社に向かって伸びる道を逸れた辺りといえば伝わるだろうか。あの夜雀や山彦ちゃんがゲリラライブを開いていたり、木っ端の妖怪が出没して人を襲ったりする場所なのだが‥‥今晩のこの辺りは冬らしい静けさに満たされていて死を迎える人の声も、山彦の喉から絞り出されるデスボイスも聞こえてはこない。当然か、あの女将は今頃屋台営業時間中のはずだし、山彦も今は住まいのお山で詠唱中のはずだ。

 

 お陰で静かな通り道。

 ここは何処の細道か、耳に入らない喧騒に代わり、一人呟く通い路。強まったり弱まったり、ランダムに風巻(しま)く雪に溶ける歌を歌って、これから聞こえるだろう音を思う。

 もうすぐ聞こえてくるはずのソレは狸達の笑い声や楽しげに囃し立てる音色、酒を呑み火を囲んでの小さなお祭り騒ぎが聞こえ始めるはずだ。この辺りはいつぞや姉さんが狸火燃やして付喪神を育てようと宴会開いていた場所の近くでもあり、そこが今夜の夜行の目的地でもあるのだから。

『今宵年忘れの宴を開く、暇ならお主も顔を出せ』

 そんな風に誘ってくれた姉さんが、来るならついでに迷っているかもしれん連中を拾って来てくれると有り難い。などと言うだけ言って去ったから、それなら向かうついでだしいいかなと、姉とは別の(はぐ)れ百器の夜行を率いているのがこっちのあたしである。

 

「あんた達も運がないわね、あたしじゃなくて姉さんの誘い火に惹かれていれば今頃話せるくらいに成れていたのかもしれないのに」

 

 聞いているのか理解されているのか、言葉での返答がないのでわかりはしないが、振り向きもせずに語ってみると、シャンシャン鳴らして背中にお返事してくれた‥‥が、その返事に少しの違和感を覚える。器が奏でる音自体には変わりないが別の音、同じく耳に届いていた足音が先程よりも増えたような、そんな気がするのだ。

 気のせいか、そう聞こえただけか。もしくは(はぐ)れてしまった子らがどうにか合流でもしたのかな、そんな風に考えて気にせずにいたが、少し歩くとハッキリと『今日も暇そうだな』と聞こえた。話せないと思っていたが本当は話せたのか、それともあたしの灯す偽狐火にアテられて急成長したのか。そういった考えが脳裏に一瞬浮かぶが、そんなにすぐに育つわけないなと、頭を振って思考を切り替えようとするが‥‥別の案を思いつく前に答えの方から絡んできた。

 

「さっきから独り言ばかり言って。相変わらず暇そうだねぇ、昼行灯さんよぉ」

 

 子供のような声質だが何処か年季を感じる声色、耳覚えもある声に煽られる。

 お巫山戯成分の多分に含まれた声があたしの二つ名を呼び、背中を突つく。

 

「今のあたしは青行燈よ、いつからいたの? というか、なに勝手に混ざってるのよ?」

 

 振り向き問うと、浮かび、並んでくるちっこい二本角。

 声をかけてきたのは見慣れた幼女、その一部。一人はあたしに絡んできて他のコイツは器物達の列に混じり、瓢箪を煽ったり、もうちょっと早く歩けと周りを煽ったりしているようだ。

 面白いおもちゃでも見つけたように笑って金魚鉢ちゃんを叩いたり、風鈴ちゃんを指で弾いてみたりしているが、百鬼夜行の御大将だと名高い鬼がそうやって赤子を煽るなよ、可哀想だろうに。

 

「今し方さ。いや、暇潰し(木枯らしごっこ)に流れていたら珍しいのが列を率いていたからな、ついついな。なんだぁ? 混ざっちゃまずかったってのか?」

 

 肩乗りサイズの鬼が笑う。

 来年ではなく今現在の話をしているというに随分楽しそうだ、一人が笑うと他の連中も笑い出し、列から聞こえる音が乱れ始めてしまった。こうやって笑ったり混ざってくれる分には構いやしないがゲラゲラ煩くされるのは勘弁して欲しいところだ、一人でも煩い鬼っ子なのに今晩のコヤツは多くて余計に喧しい。

 しかしなんだな、先にはコイツの一部分と捉えてみたが、ちっこいの一体に対して一部分と言うには語弊があるようにも感じられる。この鬼の場合群体全てが本体であり、列に加わり騒ぐ一人一人も本体なのだったな。

 ふむ、こういった場合はなんというのが正しい表現なのか?

 少し前と同じような悩みに傾ぐ頭。同時に耳から垂らした銀の鎖も下がる。

 そうなると、取っ手代わりにいいのがあったなんて顔をして、ソレに自身の鎖を搦めて支えに使い、あたしの肩で仁王立ちする幼女。

 

「聞いてるのか? なんで黙るんだ? 一人の時にはブツクサ言ってて私が来たらダンマリか? なんだよ、暇そうだったから少し遊んでやろうと思ったのにさ、嫌なら嫌って言えよ」

 

 肩の上で小さな瓢箪を煽る奴の語り。

 三度ほど喉を鳴らして、小さな身体にしては大きめのゲップと愚痴を吐く。

 あたしと会う前から呑んでいたのだろうな、言われた愚痴がやたら酒臭い。 

 

「嫌だなんて思ってないわよ? 寧ろ萃香さんの事で頭が一杯だったもの」

 

 なんか言い返してこい、そう言われた気がしたのでテキトーに返す。

 口をついて出た事で実際は一杯だなんて事はないが、酔っ払っているようだし、こんな風に言っておけば少しは気を良くするだろうと思い、ちょいと持ち上げつつのお返事をしてみた。

 

「ほぉう、私の事でねぇ。良けりゃ聞かせてくれないか? その一杯だってやつをさ」

 

 結果大失敗だな、これは。

 返答を投げてくれる鬼だけれど、この言いっぷりにはなんというか機嫌を損ねたような含みが感じられる。普段厭味を言わないお人だ、そんな輩が遠回しに、厭味ったらしい口振りで話すのだ、確実に機嫌は傾いたっぽいな。これはまた面倒臭い状態だ、常日頃から不羈奔放と過ごす奴がネチッコイ時ってのは大概悪酔いしている時だ、酒に別腸ありを地でいく鬼の割には悪酔いする事が多いなこいつ。あっちの蟒蛇はこうまで酔っ払う事なんて……あるか、酔いに任せて身内の鬼をぶん殴り、酒場の入り口ぶち抜いた事もあったな。

 なんだ、案外酔うのか、こいつらも。

 

 しかしあれだ、この空気感は前にも感じた気がする。あの鬼が一人(鬼人正邪)の鬼ごっこをしていた最中に会った頃を思い出す空気だ‥‥あの時はあっちの、色々大きな鬼のお姉さんとばっかり遊びやがって、もっと私を構えとゴネられたんだったか。あの時分は構う暇がなくて、相手にしてられないと伝えたら殴られはぐったんだった。

 ならそうだな、あの時を再現するように今回も言ってみるか、相手の事を考えて今現在の思いの丈を語るというのも構う範疇に入るだろうし、今は殴られようもないしな。

 

「まだか、おい、なんか言えよ」

「そうね‥‥まずは年中酔っ払ってて面倒臭い、そして酔っぱらいの相手をするのも面倒臭いとか。絡み酒じゃなければもう少しマシだけど言ったところで直らないし、もうちょっと可愛い酔い方をしてくれれば構って上げてもいいんだけど、とか?」

 

 聞きたいと願われたので口火を切ってみる。

 すると変わる幼女の顔色。元から赤かった童顔、あたしのところに来る前から飲んでいたのだろう、飲兵衛らしい顔色をしていたはずの萃香さんが青い灯りに負けない速度で更に赤々と変わっていくのがわかる。

 

「随分だな、言いたい事だけ言ってくれてよぉ」

「聞きたかったんでしょ? まだあるわよ? コレを伝えたら拗ねるだろうし、暴れられたらどうしようだとか、そうなったらどうやって機嫌を取ろうか、なんてのも頭にあるわ。後は‥‥」

 

 舌端に狸火灯してみたらば出るわ出るわ、幼女にむけてのあれやこれや。おっかない鬼の顔色が変わっても止まらなかったあたしの口。そこから溢れ出るのは結構な文句、と、少しの願い事のつもり、だった。

 

 前半は間違いなく悪態。酔いに任せて絡んでくるへべれけがちょっと面倒で、普段の自分を棚に置き忘れた事にして言ってみたものだけれど、後半は引き連れる子達の事を思ってのささやかなお願いのつもりだ。

 成り立てというか成り切れてない中途半端な赤ん坊というのが彼らだ。自ら動き始めちゃいるが身体は見たまま器物な彼らでは、この幼女が暴れた際の振動や高温に耐え切れるわけがない。唯でさえ腕力ゴリ押しな種族なのに今のこいつは酔っぱらい、常に酔っ払っているってのはこの際置いておいて、酔いに任せた鬼の力なんて振るわれてしまえば、古い割れ物な子らなぞ一瞬で塵となるだろう。

 そう案じての言い回しだったのだけれども、よくよく考えればこれは逆効果だな、一人酒は寂しいから構ってくれという我侭幼女に向かって半分以上煽りに聞こえる言葉を吐いたのだ……なるべく嘘のないように素直に言ってはみたが、もう少し言葉を選ぶべきだったと今になり少し悔やむ。

 

「ベラベラ喋って、またダンマリに戻るのか? もうないか? 今なら聞いてやるぞ?」

 

 やらかした、そんな考えが溜まり始めた頭の天辺、角の取れた三角耳を弾いたりして、おもちゃにじゃれつく子供鬼が上から目線で言ってくれる。

 人の耳で遊んでおきながら何を言ってくれるのかって思わなくもない、が、そんな思いはかじり取られた。じゃれつかれ跳ねさせた耳に覚えのある感覚が感覚が奔ったからだ。きっとこれは噛まれている、そう考えついてもう一度耳を跳ねさせると、モゴモゴした声で動かすなって怒られた。甘噛されている感覚を身に覚えつつ、こいつはいきなり何をしたいのか思案するが……深く考える前に、もう一度耳に届くコリコリ音、甘い歯の感触。

 本当になんのつもりだ?

 何かを甘噛するなど、かまってちゃんの子供か愛情表現くらいだろうに。

 前者は見た目からとして、後者は完全にない話だぞ、互いに。

 

「ちょっと萃香さん? 噛んでる? 噛んでるでしょ? 子供じみた事しないでよ、そういうのは姿だけで十分なんだから。それともごっこ遊びのつもりなの?」

「それもいいかもなぁ‥‥なんだっけか、ばろんばろんとか言えばいいのか?」

 

「おばりよんは狐だって話でしょ、あたしは狸よ」

「なんでもいいだろ、ちょっと付き合えって」

 

「はいはい、()れたかったら()れてくれていいわ。重いだけだし、そろそろ進まないと本格的に遅れちゃいそうだしね」

「そういや何処向かってんだ?」

 

「もうちょっと先であたし達だけの忘年会をするのよ。来ちゃったし、ついでに参加したら? そっちでなら構ってあげるから」

 

 姿の見えないおばりよんにそう言うと、御手柔らかなコツンが届けられた。これは読み違えたかね、言いたい事言い切られ怒髪天となったコレが動くのならもっとこう、傍若無人の限りを尽くすような振る舞いになると思っていたが、握る鎖と髪を支えによじ登り、人の頭の天辺を小突くだけで終わる鬼っ子。

 

「もっと荒々しいのを考えていたのに優しいのね、どうしたの?」

「おん? どういう意味だよ?」

 

「すっきり言い切ってやったつもりなんだけど」

「‥‥あぁ、私が拗ねるとでも思ったのか、そうやって考えてくれるなら拗ねてやってもいいぞ?」

 

「遠慮するわ、それで?」

「別に、理由なんてないさ。それでもそうだな、強いて言ってやるなら珍しい事続きだったのに、発端はまたいつものかって関心したってだけだ」

 

 頭の上の胡座鬼が、座布団代わりの髪を叩くと明るい声を上げた。ゲラゲラとしたらしい笑い声ではなくて、何処か優しげな、何かを思うような笑い方をする萃香さん。

 文字通り人に乗っかって態度は偉そうなくせに、話す事は関心などと、よくわからん事をのたまってくれるな。しかし関心とはドコのナニに対して言っているのか?

 この鬼が関心するような事、関心を持つような事なんて酒か喧嘩くらいしか思いつかん。

 

「関心ねぇ、何に心惹かれたのか教えてもらえる?」

「なに、相変わらずの嘘つきっぷりに関心しただけさ。な、大した事じゃなかっただろ?」

 

 言われてなるほど、確かに嘘にも関心を持っていたな。

 それでも言われた通りで大した事じゃない、嘘など常に吐いているもので、あたしそのものだと言い切ってもいいくらいのものだ、今更感心されるようなものではない。だというのにそこに感心するという嘘嫌い、というか今はまだ嘘偽りを述べてはいないのだが、どの辺りに嫌いな部分を見つけてくれたのだろう。

 先と同じように、モヤモヤと考え始めてしまい黙りかける。が、このまま思考の雪景色に迷ってしまえばまた小突かれてしまう気がする。なら語りつつの考え事とするか、可愛いコツンで済むのなら構わないけれど、酔って加減を間違われては困る。

 

「そうね、大した事じゃないわね」

「なんだよ、気にならないのか?」

 

「気にしてほしいの? 嫌いなモノの話題なんて嫌だろうなって思ったから聞き流してあげたのに。もしかして聞いてほしいから言ってきたの?」

 

 今までの言いっぷりや態度から邪推する限り、きっとそうだろうなと読みつつ問い返す。

 質問に質問でお返しするなんて失礼な物言いだけど、話し相手は酔っぱらいで、構うあたしも酒を口にしている。ならこれは酔った女の与太話って事にも出来るだろう、ならばそこには非礼や失礼なんてのは存在しない。無礼講とまでは言わないが、気安い冗談を語るだけなら細かい事は気にするだけ野暮だ。

 そんな考えが顔に出ていたのか、厭味な顔で笑っていたらしいあたし。その顔を見上げていた地を歩く萃香さん達が、本体らしい頭のやつに萃まっていく。

 サイズは変わらんが、萃まり纏まったせいか地味に重い。

 

「そうだよ、ほら、もっと聞いてこいって。遊んでやってるんだ、きちんと構え」

「遊んでほしいのか遊んでくれるのか、わからない口振りね。だけどいいわ、聞いてあげる。なんで関心なんてしてくれたのよ?」

 

 結構な重みのある頭頂部に話しかける。すると感じるモソモソした動き。

 どんな顔して何をするのか?

 見えない頭の天辺を気にして上目遣いで見上げると、眼鏡の縁の少し上に幼女の顔と両手が伸びてきた。笑顔、あんまり見た事がない笑い顔。穏やかに頬を緩める鬼の顔は、あたしと同じように仄かな青に染まっている。長い髪も、本来なら酔って赤くなっているはずの頬も青くて、中々幻想的な顔に見えて良い絵でも見ているようだ。

 

「嘘偽りなく言い切った事も珍しいし、縁もゆかりもない連中の面倒見てんのも珍しいと思ったのさ。そうだ、お前がこんな事してるから雪なんて降ってきたんだな」

「遊んでほしいくせに酷い事言うのね、冷たくフッてほしいのならそうしてあげるわよ?」

 

 軽く頭を揺すってやると、摘む両耳を支えにこらえる幼女。

 強かに摘まれる耳からは、やめろ、という声にしない声も聞こえてくるけれど、そう言ってくれる顔は先ほどと同じく楽しげな笑みだったので、気にせず揺らして戯れる。

 酩酊幼女のケラケラ声を少し聞き、道すがらに構うならこれくらいで十分かと思った頃。一通り構ってやって満足したのか、普段のドスの利いたロリ声で話してくれる萃香さん。

 

「冗談だ、冗談。雪女がカッカするなよ」

「そう呼ばれる人は今頃どこかの空を跳んでるわ、何度も言うけどあたしは狸」

 

「さっきは青行燈だって言ってなかったか?」

「ソレはソレ、これはこれよ」

 

「あぁそうかい、都合がいい事言うねぇ」

「そうよ、閻魔様に太鼓判押してもらえるぐらいあたしは都合のいい女なの。で? さっきのは?」

 

「だから冗談だって言ったろう? 気づけよ、察しが悪いなぁ‥‥それともコレも珍しいってやつかぁ?」

 

 揺蕩う灯りを顔に移して、ヘラヘラ嘲る青幼女。

 察しが悪いと小馬鹿にされて、何の冗談か考え、思いついて、それを返す言葉を練る間にも楽しげに笑ったままだ。あちらからの見下ろす視線にあてられて、コチラからは見上げる目線で線を重ねる。こうやって見上げているとまるで妖怪のお山に住む連中になったような錯覚を覚えなくもない。が、天気にかけたくらいの冗談で鼻を高くする鬼程度だ、拝んでやるには値しない、寧ろこの程度で天狗鼻になるなんてと、笑ってやれるほどだ。

 実際に鼻で笑ってやる。すると、返事はまだか、そんな顔で見下ろしてきた。

 

「ごっこ遊びに飽いたからってあたしも巻き込まないで。それで、もう一つはどの部分になるのよ?」 

「気づいたなら突っ込めよおい、放置すんなよ、ホントつれない女だなぁ‥‥まぁいい、ついでに聞かれたし、私もついでに教えてやるよ、そういう事さ」

 

「そういう?……あぁ、ついでって事ね。そうよ、ついで、ついで。でもそうね、前半はそうかもしれないけど、後半は‥‥どう思う?」

「私に聞くなよ、自分の事だろ? はっきりしない奴だな」

 

「曖昧な誰かさんに似てるから笑うなって言われた事もあるし、似てるならはっきりしなくて当然だわ。それでも後半は‥‥言うなら意識してそうしてるわけじゃないって感じなのかもね? この子達も元はついでに拾ってきただけなんだし」

 

 言われると口をついて出る『ついで』

 これもあの鬼ごっこの最中に言われた気がするな。小槌の情報を仕入れに地底へ潜り、ついでの一寸法師をなんやかんやしようと思っていた時だったか。あの時を再現してみようなんて思いついたからか、相手の所作もあの頃と同じように見えてしまう。

 それでも再現そのままというわけでもないか。構ってくれと言ってくる姿は同じだが、あの時のように本気でぶん殴ってくる事もないし‥‥ふむ、こいつも鬼だし、あっちの大将と同じくあたしに甘いのかもしれないね。悪戯に、口の端っこ持ち上げて人の事を笑うだけ、このちびっ子大将の割に甘い感じがするけれど、と、そこまで考えて後は深く考えなかった。

 今日の瓢箪の中身は八塩折の酒でも入っているんだろう、そう思い込む事にして頷く。

 あたしの頭が下がると当然下がってくる幼女の頭、顔。

 上目で見なくとも見られるくらいずり落ちてきて。

 それから人のおでこに手をついて、どうにか身体を持ち上げ、また笑う。 

 

「ほらまた出た、やっぱりついでか」

「敢えて言ったのよ。しつこく言えば触れてこないかと思ったのに、失敗したわ」

 

「私はお前ほど捻くれてないよ。全く、ちょいと気遣いするのについでの用事が必要だってかい。相変わらず面倒臭いやつだな、お前」

 

 言い返すと笑ってくれる。

 その笑い声に対してうっさいなんてお返事をぶん投げてみたが、全く以て気にされず不羈奔放の鬼らしい返事と笑い方で返されてしまった。

 カンラカンラ、天気を例えた冗談下手らしい、明るく乾いた笑い声を響かせる幼女。

 相変わらずと言われたが、こいつもこいつで相変わらず喧しいままだ。

 けれどそれもいいか。変わらずにいてくれる友人を見るのもいい、そんな事を考えた過去もあったわけだし、昔を回顧して話すのも酔っ払いにはよくある事なのだから。

 紅灯緑酒に染まる町ではなく、蒼灯悪酒に染まる自分達から考えるにはいささか下手な気もするが、相手も下手だしあたしも下手って事でいいだろう、今日のところは。

 

 下手だが下戸ではない者達が列を先導し進む。

 時折二人で自前を煽り、徳利と瓢箪をぶつけ合いながら、駆けつけながらの乾杯をしつつ暖かな狸火目指して酔い歩く。軽く酔ったふりをして、浮ついた気分でふらふら進むちょっとだけ育った百鬼夜行。いつの間にか最後尾についてた、頭にバッテン貼り付けた妖精と、コイツと同じ格好で伸びていた二人もついでに拾って、宵を歩いた。



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EX その53 暮れのから騒ぎ

 年の瀬も迫り、段々賑やかになってきた幻想郷。

 今年も残すところ後僅かとなり、人間も妖怪も他の動植物なんてのも、それぞれがそれぞれに忙しなさを迎えなければならない時期が訪れてきていた。

 

 一番最初に冬支度を始めたのは野山の木々達だろうな。

 紅葉のお姉さんが綺麗に葉を塗り上げて、秋めいた景色を一通り楽しんだ後、それらを散らすために蹴り歩く事から始まるのが幻想郷に生える樹木の冬支度というやつだ。

 心からの笑顔で樹木を蹴っては揺らし散らしていく彼女、自身が塗り上げた葉を何か、憑物に取り憑かれてしまったような勢いで蹴って回るは輝いて見えるほど。行い自体は哀愁篭もる尊い行為なのだが、蹴り歩くその顔からは終焉だとか侘びしさだとか、そういった儚げな雰囲気がまるで見られなくて、ちぐはぐ具合が非常に好ましい季節の行事である。そんな彼女を眺めるのがあたしの冬支度の始まりでもあるのだが、これはこれでまた別の話だ、変に話して気が逸れる前に木の話を続けておこう。

 

 それでその冬支度だが『こうやって散らしてあげないとこの子達は冬を越せないのよ』なんて事を静葉様は仰っていた気がする。何故越冬出来ないのか。その理由も聞くには聞いた気がするが、何やら難しい話だったのでざっくりとしか覚えていない。

 朧げながら覚えているのは、葉を散らしてあげないと凍ってしまうだか、散らした結果糖分が云々で氷点下でもかんぬんだかってお話だったと思う。紅葉を愛でて季節の恵みも楽しむあたしだが、それらが何故そうなるのか何故そうせねばならないのかって事にはさしたる興味もないので、その辺りのお話はあんまり覚えていない。

『享受するなら事象も知るべきよ、秋を楽しんでばかりいないで偶には考えてみてね』と、良い蹴りを放つ秋神様にそう言われた過去に、先の考えをそっくり言い返すと流石に窘められたが‥‥大昔、四足だった頃は大樹のうろで冬を越していた事もあるあたしなのだ、であればうろ覚えでも致し方無いだろう。

 

 で、次は動物達だがこれは割愛するか。たらふく食って寝るだけだしな。

 どうせなら別の動物、森や山ではなく郷で生きる人間の事を語った方が面白い気がするが‥‥それでも人間達も大差はないかね、実りの少ない冬の為に豊富な秋の頃から保存食を準備したり、冷え込む時期を超える為に色々と用意するだけだからな。

 敢えて違いをといえばそうだな、獣は冬を越す為に寝るが人は騒ぐって事だろうか。いつもの場所にいつもの奴らが集まって、いつもの様に宴会をおっ始めてどんちゃん騒ぎを繰り広げる。これが幻想郷に住む人間、もとい少女連中の冬の風物詩ってやつだろうな。

 

 気がつけば始まる神社の年忘れ大宴会。

 誰かが始めようと言い出すものでもないのに不思議と集う、博霊冬の例大祭。

 毎度のように訪れる誰かが今日も朝から寒いぜなんて言い出して、茶を啜る誰かがそれなら酒でも飲んで暖まればいいと返す、これが切っ掛けで始まる事が多いようだ。そんな話を聞いていた誰かがそれならと人を萃めようとするが余計な事すんなと止められ、そんな景色を高い位置から鼻で笑う誰かに撮られる。そうやって撮られた写真は尾ヒレ背ヒレを生やされて記事としてばら撒かれる。それからは記事を見たのか、ただ暇潰しに来たのか、よくわからないが色々な連中が集まってきて、少女だらけのから騒ぎが始まるまでがお決まりとなっているらしい。

 あたしもアチラに参加していればもう少し詳しく語れるが、コチラは毎年決まった誰か(八雲藍)決まった場所(夜雀屋台)で年忘れの愚痴吐き大会をしているので、あっちの宴会に参加する事はあまりない‥‥いや、なかった、だったな。今年はアチラに合流させられたわけだし。

 

 飲み始めは例年と変わらず、屋台で飲んで少し酔って。雀な女将の美味しい肴に舌鼓を打ちながら藍と二人で冬の惰眠を貪る誰かさんの愚痴を吐き出していた。それから少しした頃、言うだけ言って話す事が途切れた一瞬に本来寝てるはずのスキマが開いて、あたし達どころか屋台毎飲み込んでくれて、博麗神社の境内に吐き出されてしまったのだった。

 ぺっと吐き出された先では酔った少女達が夜空に咲く華を撃ったり眺めたりしている真っ只中で、顔を出したのなら何か出すか、何かしろ、なんて言われてしまって困りものだった。

 ミスティアは自慢の手料理を振る舞い評判を鰻登りとさせ、あたしは手持ちの徳利を飲んだ事ないと騒ぐ巫女さんらに味わってもらった事でどうにか難を逃れたが、藍は張り切る吸血鬼姉妹に押し負けて、弾幕ごっこに付き合わされる事になっていたな。

 十六夜を過ぎても血の気の多い姉妹に対し、式の化け猫呼び出して対峙する、二対二での弾幕ごっこ。演劇タイプと黒白に評された姉妹のスペルと、八雲組の二人が放つ幾何学模様な弾幕が空で咲き、眺めて楽しむには申し分ないものに思えた。あたしの近くに座り眺めていた花のお嬢さんから沸き立つ香りも相まって余計にそう感じられたのだと思う。

 その後は他の連中も遊び始め、夜空には黒やお星様よりも色取り取りな弾が多くなり、頑張らない巫女さんが頑張っても中々終わりそうにないお祭り騒ぎとなったのだが‥‥最後の最後に現れた邪仙が物理的に水を差してくれたおかげで一旦の終幕と相成ったんだったな。

 

 地面繰り抜いて、吹き出す水流と共に現れた無理非道な仙人様。

 今夜もまたあの鬼神長に追いかけられていたようで、盛大な水柱を引き連れて宴会の場に来たのはいいが、寒空の下で水柱上げられたら流石に寒い。あたしでそう感じたのだから人間少女連中はたまったもんではなかっただろう。

 当然のように皆々から見られる邪仙様。冷えた目、冷えきってしまった目線で睨まれるも、よく見る笑顔であらあらうふふと笑って受け流すだけ。まるでこの程度の視線など慣れていますわって笑う青娥娘々だったけれど、吹き出した流水浴びかけて結構ヤバかった吸血鬼姉妹と、その連れ合いや友人の魔法使い連中からキツく睨まれてもあぁやって笑えるのだから、本当に大したお人だ。

 そういえば普段見る蒼い羽衣ではなく付け髭に赤いミニワンピース姿でいたけれど、あの仙女はどこで何をやっていたんだろうな……まぁいいか、寒風に吹かれ翻った赤い羽衣よりチラ見えした生足は良い保養となったわけだし。 

 

 そうやって水入りとなった宴会だったが、言葉通り今も今で続いているようだ。

『雨降りになってしまった為帰れない、だから今晩泊めてくれ』そう言い出した蝙蝠姉妹を筆頭に、それなら私達も泊まっていくと黒白が青金の魔法使いを巻き込んだりして、藍も濡れた橙を気にしたりして、気がついたら輪の中にいた亡霊姫と妹妖怪は食い足りないと文句を言って。

 各々がそれぞれらしい言い訳を述べつつ残り、結果あの宴会に参加していた殆どが屋内での二次会と洒落こんでいるらしい。

 

 けれど、あたしや花、鬼に捕まりかけて全力で逃げた天狗連中など、あの場を去ったのもいるにはいて、そいつらもその後を好き好きに過ごしているらしい。

 その内の一人。あたしも類に漏れず、真っ直ぐ我が家に帰ったりしないで好きに過ごそうと、ちょっと他所様にお邪魔している。二度も変なタイミングで切られたせいか遊び足りない、話し足りないような気がして、今はあんまり来ない場所を訪れていた。

 何処かにいるのかって、先程までは打って変わって穏やかで静かな所、芳しい香りで満ちるその客間、そこにある白い椅子に腰を下ろしていると言っておこう。  

 

――第百二十ほにゃらら季 師走の四――

 静かな屋敷の席に着き、目に止まったものを読み耽る。

 今年も年末の繁忙期に商売を、なんて書かれた文面を指で追う。年の瀬という忙しい時期云々から始まる天狗の丸文字。相変わらず可愛い丸文字だが、六なのか八なのか微妙に文字が読み取れない字を書く社会派ルポライターだなと思いつつ、綴られた記事を読み漁っていく。指を這わせると跡を辿るように薄っすら水分が残り、その回りにも、覗く眼鏡のレンズにも髪から垂れた雫がポツポツ落ちて、今のあたしがどうなっているのか教えてくれた。

 冬場の今時期に美人っぷりが上がっていると分かる姿、先の流れもあるし言わなくともわかるだろうが敢えて言う、頭の先から足元まで全身びしょ濡れで艶っぽい非常にいい女ってやつだ。

 

 ポタリ、垂れる露が床の絨毯を湿らせてしまって少し気になるが、それでも気にしない(てい)で天狗の新聞で暇を潰す。新聞濡らして問題ないか、そんな部分も最初は気になったけれどこの家にあるバックナンバーは全て『らみねーと』って魔法がかかってるから問題ないみたいだ。魔法の森のアレに無理くりやらせ‥‥もといお願いしてかけているのだとここの家主は言っていた。

 それでもだ、他所様の家に上がり込みいつまでも濡れっぱなしでは失礼に感じるし、このままでは着ている大事な着物が痛んでしまう。それもわかっているけれど、帰宅途中の雨宿りをさせてくれた相手から、そのまま少し待ってなさい、なんて言われてしまったから逆らわず、偶々近くにあった新聞の綴を手に取って待つだけとなっていた。

 

 少しと言われ待つ時間、ただ待つだけとなるとやたらと長く感じる時間。この記事に載る相手であれば何もしないを楽しむのも一興ですわ、なんて言うのかもしれないな。と、異国の聖者・聖ニコラウスが動物に鞭打つなんて記事を読み進めつつ、その隣の写真に映る邪仙様を思い、笑んだ。

 

「何をニヤけているの? 取り敢えず拭いたら? 痛んでしまいそうよ?」

 

 一人微笑んでいると、芳醇な香りと共にきな臭い声が届く。

 ファサリ。頭を覆うように掛けられた物。小花柄が可愛いバスタオルのせいで声の主は見られないが、何も言わずに訪れてしまったというのに小さな気を回してくれるのが嬉しく、思わず気遣いに比例する笑い声を上げてしまった。

 

「さっきから何か可笑しい? 濡れたままの方が良かったのかしら?」

 

 淡々と言ってくれるネグリジェ女。

 時間帯からすれば日が変わって結構過ぎた頃合い、名残の月が綺麗に見える時間帯。そこから読む限りきっと寝入る寸前か床に着く前だったのだろう、ネグリジェと揃った色合いの懐中時計を見て時間を気にする素振りも見えるし、そんな所に押しかけたのだから機嫌を損ねる事必然だろうし、あたしよりも先に帰っているのだから寝間着に着替えていても当然か。

 

「そんな事ないわ。バスタオルも花柄なら匂いまでお花で、らしくって可愛いなと、そう思っただけよ」 

 

 微笑んだままで素直に返答。

 それでも何か気に入らないのか赤眼を細めるお嬢さん、突然の来訪が気に入らなかったかね?

 そんな事はないか、気に入らないなら迎え入れてくれなけりゃいいのだし、それなら何か別の事で不機嫌ってだけかね。まぁいいか、よくわからない事は考えず、別の事。思わず微笑んでしまうくらいに可愛らしいお嬢さんの姿を眺め、愛でるとしよう。

 

「睨まないでよ。前のも記事の誰かに対してってだけで、寝間着の幽香を笑ったわけじゃないわ」

 

 言い返すと幽香が顔を傾けた。

 被る帽子が揺れる。先端で揺れるのは白い毛玉。ボンボンなんてくっつけて、思っていたキャラにない見た目で愛くるしくて妬ましいな。普段見られる姿も可憐で素敵だと思うが、こういった寝入る寸前の、何か油断しているような姿もいいなと軽く睨まれつつ思う。

 そうして重なる瞳にウインク返し、幽香を笑ったわけじゃないって言い訳かましてみたが、これも気に入られないようで、何も言わずに見てくるだけの大妖。反応がないのなら致し方なしとバスタオルで髪を拭き、軽く巻いて、見てくれる誰かさんの帽子を軽く真似てみた。

 そんな風に遊んでいると、追加の一枚が手渡される。

 

「もう一枚? これで十分よ?」

「貴女じゃないわ。着物よ、傷んでしまうわ」

 

「あぁ、そっちは大丈夫よ、ありがと」

 

 出されたタオルには手を伸ばさず、代わりに濡れる着物の袖に伸ばした。触れた指先をスッと流す、そうするだけで色が濃くなるほど濡れしまった着物は乾いた。能力でも何でもない、狸じゃない方の種族柄持ち得る事が出来た力だが、相変わらず便利のものだと自分でも思う。

 そうして重くなった着物の端から順に撫で、乾かしていくとその途中、左の袖を乾かし終えた辺りで何か言われた。

 

「あら、乾くのね。知っていたら傘に入れてあげなかったのに」  

「ん? 入れてくれなかったじゃない、だからずぶ濡れなのに」

 

 乾かした袖をフリフリ、揺れ具合から左右の重さの違いを感じる。

 些か軽くなった左は乾いたようだし続いて右の袖かな、そんな仕草をしているとつれない言葉を言われてしまう。だが言いっぷりが少しおかしいな、つい先程降り出した局所的な豪雨の際には傘に入れてくれなかった、というかこいつは娘々と入れ替わりで帰っていたような気がする。

 あの場から動かず近くにいてくれればあたしは傘に逃げ込めて、逸らした水流をあの姉妹の代わりに浴びずに済んだというのに。当初はこちらに向けるつもりなどなかったが、あたしの逸らすだけって能力の都合上勢いはどこかに向けねばならず、それをこの女に押し付けるつもりでいたのだが‥‥濡れぬ先の傘はいつの間にかいなくなっていたのだった。

 

「いいじゃない、知者は水を楽しむと言うのだから」

「それ、皮肉で言ってるの?」

 

「そうよ、それとも山を楽しむ方が好きだった?」

「どちらそれぞれ楽しめる部分があると思うけど、そんなに出来たモノじゃないわ、あたしは」

 

 どうだか、幽香の顔にはそう書いてあるが、そんな異国の賢人の話を言われても困る。

 元は娘々の生まれの人間が言ったのだったか。

 『知者は水を楽しんで、仁者は山を楽しむものだ。そして知者は動きまわって、仁者は静かに突っ立ってるだけ』とかそんな意味合いのお言葉。

 そんな風に言ってもらっておいてなんだが、それでもあたしは自分の事を知者と呼んでもらえるほど賢いとは思っていない。悪知恵くらいは働くと思っているが、賢く楽しむというには水は苦手分野だし、山の景色をを楽しみはすれど仁なる者とは程遠いようにも思っている。

 だからこその皮肉で、幽香もそのつもりで言ったみたいだが、どれにも当てはまらない気がして、なんとも微妙な感覚を覚える。先の宴会でも濡れちゃいるが楽しんではいないしな。

 社に水圧放てば巫女が怖いし、他の人間少女の方に向ければ‥‥石も砕ける高圧放水だ、あたしのように濡れネズミ程度で終わるはずもなかっただろう。散らすには惜しい若葉が多くいたあの場、それならばいつまでも終わりそうにないこちらのお花さんに押し付ければと。あの吸血鬼達ほどじゃないがあたしも水場は苦手だし、それならパワフルな傘持ちの裏にでも隠れてやり過ごせば、と。そう思っていたのにさっさといなくなったこの女、やはりつれない高嶺の花だな。

 

「何でも楽しんで笑う、そう書いてあった気がするのだけど」

「それも何の話よ?」

 

「その綴の下の方よ、追いかけっこをしてた頃の記事にない?」

「追いかけっこって、あぁ、そういや正邪にそんな事を言ったわ。それも記事になってるのね」

 

「丁度貴女が死んでた頃かしらね、気になるなら読んでみたら?」

「やめとくわ、今更でしょ?」

 

「そうね、今更ね。さっきの話も今更だったわね」

「さっきの‥‥ずぶ濡れってやつ?」

 

 問うと微笑む花妖怪。

 楽しそうに頬を緩めて、また見当外れな答えを返してきたわねってな表情で笑ってくれる。

 高慢さも見え隠れするが同時に麗しさも見えるお顔。これは偶に見せる、というかあたしもよく見せる顔だ。一言で現すなら人の事を小馬鹿にした顔、なんでそんな事もわからないのかと誰かを嘲笑う時に見せる表情だが‥‥それでもこのお嬢さんの場合は清楚さが残ったままか、こちとら嫌味だとか胡散臭いとしか言われんのに、佳麗な笑みが妬ましい。

 

「やっぱり鈍感ね。感づかないならいいわ、忘れたままで」

 

 素敵な笑顔を睨みつつ、思いに耽れば聞こえるヒント。

 一言多いがソレは聞き流し、教えてくれた事を元に思い出す。忘れたって事は過去の事だろうし、それならあの時の事か、それくらいしか思いつかない。

 数年前、今とは真逆の季節の事。

 その日は良いお天気だったから傘なんて持たずに出掛け、正午を回った辺りにいきなりの雨に降られた日。季節柄降り出す事もあるかもしれない、そうは思えたが所詮夏場の通り雨だ、短時間だけのお湿りで長く降るものでもないだろうし、と、高をくくって出掛けた日の事。  

 案の定降られ、致し方なしと見えた軒先に逃げ込む途中、不意に日傘に入れてくれたのが彼女だったな。あの時は碌な会話もせずに過ごしてしまい簡単なお礼を伝えるだけで終わってしまったが、今考えれば本当にありがたい誘いだったと思える。あの時濡れネズミになっていれば今着ている着物は痛み、こうして愛用する事も出来ていなかったはずだから。 

 

「覚えてるわ、雨宿りの事でしょ? あの時は助かったわ、あの頃はコレを貰ってすぐで、まだ乾かせなかった頃だったしね」

 

 再度の謝辞を伝えてみるが素っ気無い向日葵の(きみ)

 それもそうか、あの時の礼は既に伝えているしこれも今更というやつだろう。それからテキトーに会話をしつつ結構な思い入れが出来たこの着物、いつだったか幽香にも褒められた物を見やる。コレ自体も上等で良い物だが譲ってくれた相手も上‥‥信頼の置けるジト目になったし、これを着始めてから色々出会いなんかも増えて、存外悪くない気分でいる事が多いように感じるな。などと、そんな思いも込めて右袖を乾かし次は前身頃、合わせの右前に両手を這わせそちらも乾かす。

 すると追ってくる華々しい視線。いつの間に座ったのか、対面の窓の下に備えられたソファーに座って、熱視線を送ってくる花の。

 部位から言えば肩辺り。丁度薔薇の花弁が刺繍されている左肩辺りを気にされているみたいだけれども、熱く見られるのは非常に好ましいが、花ならなんでもいいのか、お前さんは。

 

「意外だわ、都合よく忘れられたと思っていたのだけど。それに変な事も言うわね、乾いてるじゃない、それ」

「大事な事は覚えてるのよ、都合良くね。後の方も、さして変でもないのよ? この格好で見慣れてもらわないとこうやって戻せないの」

 

「ふぅん、そうやって触れないとダメなのね? 不便そうねぇ、着替えた方が早いんじゃない?」

「そ、案外不便なの。でも着替えもないからこうしないとダメなの」

 

 視線は忘れガールズトークを続ける。

 自分としては便利な力だと、そう思っているがここは否定しないでおく。

 先には人の事を小馬鹿にして、突きどころを見つけて言い切ってくれたお陰で少しだけ機嫌が良くなったような雰囲気が香りに混ざったのだ。折角上機嫌なお嬢さんとなったのだから是非ともそのままでいてもらいたい。機嫌が傾いて争ったとしても今更死に直したりはしないが、神社で見た血気盛んな連中のように若くないのだし、祭りの後は静かに過ごすのが粋だろう。

 

 そんな事を思案しつつ残りを乾かす。

 後は背中側だけとなったのでちょっと失礼なんて断りを入れて脱ぐ。

 本当なら緋襦袢も脱いで乾かしておきたいところではあるが、流石に人様の家で全裸になるのは気が引けて、長着だけ脱ぎ広げる。両手で広げるとコートハンガーを指で差されたのでそれに甘え、吊るしてから後身頃をそっと撫でた。

 

「あぁ、やっぱりそういう事だったのね」

 

 着物を撫でる後頭部、幽香の座る辺りから飛んできた文言。

 どういう事か?

 振り向かず、言い返してみたが答えはない。という事はまた考えろという事か、そう邪推して半乾きの後ろ髪に引っかかった言葉を考えてみるも、ちょっと頭を捻ってすぐにやめた。さすがに取っ掛かりがなさ過ぎて思い当たらん。

 致し方なしと作業の手を止め、正面切って問い直す。

 

「何がそういう事なのよ?」

「赤い格好で白髪だから。そういうつもりで姉妹にお節介したのかと思ったのよ」

 

「見てたの? それならちょっと手を貸すくらいしても‥‥」

「私が? 何故?」

 

「なんでって、まぁそうよね。でも赤いって言うけどあたしは年中緋襦袢(コレ)よ? 髪も白髪じゃないわ、くすんでるから灰よ、灰色」

「変なところを言い返すわね」

 

「対して年齢変わらなさそうな奴に年寄り扱いされたから訂正したのよ」

「でも若手でもないでしょう? どちらかと言えば――」

「いいから、そこから離れなさいよ、で? なんなの?」

「ここまで言ってわからないの? やっぱりお馬鹿さんだったのね、てっきり知っててそうしたと思ったのに。知らずにするなんて本当に世――」

「クドいわよ? モヤモヤするのは間に合ってるから、勘弁してよ」

 

 クスクス微笑むお嬢さんに食って掛かる、それこそ食い気味に。

 普段ならこれくらい流すのあたしだが、それは煽られる理由がわかるからこそ流せるわけであって、なんの事かわからん事で煽られ笑われたままではちょっと黙っていられない。ぶっちゃけ気に入らない。かと言って、コイツ相手に喧嘩を売る程腕っ節に自身はないし、喧嘩する為に腰を入れるならアレに跨がり腰を振った方がよほどイイ。

 だから最後には折れて、勘弁してと乞うてみたが……互いに黙って見つめ合い数秒、やはり教えてくれないかと諦めかけたその時、漸く幽香の顔が変わる。そうはいっても頬は綻んだままで、挑発的な笑顔から余裕綽々って顔になっただけのようだが。

 

「今日が何の日か知っててソレを読んでたわけじゃないのね」

「それって新聞? 今日は‥‥このクリスマスって今日なのね」

 

「そういう事よ、子供が年寄りからプレゼントを貰える日、それが本来のクリスマスよ」

「プレゼント? この記事の内容とは違――」

「天狗の新聞と邪仙を信じるの? 本当にお馬――」

「あぁもう……はいはい、知りませんでした。本当は幽香さんの仰るモノが正しいって事ですよね、そういう事でいいのよね」

 

 食って掛かったら被せられたので更に返す。

 言われっぱなしは気に入らん。唯でさえ喧嘩じゃ勝てないかもしれん相手なのだ、それならば口でぐらいはどうにかせんと口だけ妖怪と名高い、かはわからないが、口八丁でやってきた妖かしとして口撃くらいは勝ったつもりになっておかんとやるせない。

 が、実際は負け越しってところだなこれは。拗ねて敬語で返してしまった辺り、自分でも負けたってのが分かるし、風見のお姉さんも楽しげに笑ったままだ。

 

「わかればいいわ。それで、私は何を貰えるの?」

「あたしが? 幽香に? それこそなんでよ?」

 

「あら、私はプレゼントとして教えてあげたし、丁重に迎えてもあげたのに」

「それって後付けよね? ズルくない?」

 

「そうやって言い逃げする方がズルいように思えるけれど、それとも貰いっぱなしでも構わないと考えているのかしら?」

 

 笑ったままのお嬢さん。

 全戦無敗ではないけれど、勝時をよぉく知っている花のお姉さんだ、表情は変えずにトドメだと、そんな意味合いを込めて畳み掛けてくる。これで勝鬨の声でも上げてくれれば可愛げがあるのだが、そんな声は聞こえず静かに笑ってくれるだけ。

 これは非常に感じが悪い。口でも完全にやり込められたと、散々負けては逃げてきたあたしの勘がそう告げてくれる‥‥けれど納得出来る部分もあるな、このお嬢さんが言う事も尤もで、こいつも普段は赤い格好だし、年齢もどっちが上なのかわからんから貰いっぱなしでは失礼に当たるか。

 ならいいさ、ここは全開で開き直ろう。何か寄越せと言ってくるのなら全力で応えようじゃないか、あたしらしく。

 

「そんな感じで逃げてもいいけど相手が悪い気がするわ、追加で魔砲のプレゼントなんて貰いたくないし‥‥そうね、あげられる物はないし、何かしてほしいならしてあげるわ」

 

 負け口上代わりに伝える。

 特に渡せる物はなし、欲されている物もなしと、あげられるモノが思いつかない、だからあたしで出来る事であればしてあげる。そう話してみると動く彼女。たおやかにネグリジェの裾をちょっと摘んで足を晒した。それから何をするのか見ていれば、笑んだまま足を組み、上に重ねた右足をチョイチョイと揺らして見せてくれた。

 美味しそうな御御足を振って、その仕草から何をどうして欲しいのか、なんとなく理解出来たので襦袢の前を(はだ)けさせ歩み寄る。そうして晒された足を取り、片膝ついて眼前に持ち上げた。

 そこまで動いて一旦止まる、これで正解なのかと、出し慣れた舌を見せてご尊顔を仰ぎ見ると、柔らかな顔で薄く頷かれた。

 これで舐めれば本格的に負けだろう、が、今日は既に完敗しているのだ。何も気にせずに足の甲に口付けして、それから襦袢を脱いで派手に煙を立ち上らせた。

 

「ちょっと、逃げ‥‥!! 何す!?……くすぐっ‥‥やめ――」

 

 見せた煙から逃げるとでも読んでくれたのか、一瞬強くなった声だったがすぐに声質を変えた。

 撒いた煙はすぐに晴らした。そうしてそこから現れるのは、愛らしい灰色狸。四足着いてペロペロと、芳しい花の香りが満ちる足にしゃぶりつく狸が現れた。まぁなんだ、姿を変えただけで間違いなくあたしである。

 そうして獣の姿を取って舐める、本気で。お馬鹿な愛玩動物らしく武者振り付く。

 先の要求は要するに甘えろって事だろう、ご主人様に甘えるように丁寧に舐め上げろって事だろうよ、それならこっちの姿でやれば何の気恥ずかしさもない、そうやって思い込んで本気でじゃれつき、しなやかな指やら指の間やら、丁重に甘噛みしては舐め上げていく。指からふくらはぎへ、登って内腿へと舌を這わせる。

 あたしの頭を抑えて抵抗する最中、向日葵色した声でやめて、だとか、秋桜色の声でそこは、だとかも聞こえたが、今のあたしは人の言葉を解せない姿なので主様の声は無視してじゃれついた。

 

 暫くじゃれついて幽香の息が若干上がった頃、尻尾を鷲掴みされてとっ捕まり運ばれてしまったが、連れ去られたベッドでその後どうなったのかは敢えて言わずにおこう。

 その方がきっと楽しいはずだ、色々と。



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EX その54 的を射る

 以前にここから見上げた空では綺麗なお星様が微笑んでいたが、今年は昨晩から厚い雲に覆われていて綺羅星は拝めず、代わりに地面には雪が降り積もり、灰色の敷砂利を消して踝より上くらいの高さまで真っ白にしてくれていた。

 真っ白、一部掃除されていて砂利や砂が見えるが、それでも誰がどう見ても冬ですよ~と告げる事が出来る景色。時折強くなる風に煽られ、積もったばかりの新雪が舞い、見た目には美しく、身体にはいささか寒いと感じる風景からは、冷えるは冷えるがお陰で情緒があると思えた。

 

 そんな中に置き傘開いて、愛用煙管を咥えて。冷たい廊下兼縁側に腰掛け、風景を眺める。

 ぼんやり見やる絵面にはどこか暖かそうな、ほんわかとした人の顔ばかりが写り込んでいて、なんというか、冬場のはずだが春告精の告知を聞いたような錯覚すら覚えられそうだ。実際は白景色全開の真冬で、浴びるモノにも季節通りの寒さが含まれているというのにな。

 

 吐けば白む吐息と煙。

 モヤッと漏らして風に流して、消えた先を流れで望む。

 こちらに見えるは降り積もる白粉で薄化粧した妖怪のお山。遠き頂からは薄っすらと噴煙が立ち上っていて、さながら天へと向かう糸のよう。聞く限りあの不尽の煙は女神様が立ち上らせるものだってお話だけれど、実際のところはどうなんだろうな?

 ゆらゆら揺れて進むアレを伝い登っていけば醜女と噂のご尊顔を拝顔する事叶うのかもしれないが、まぁ無理な話だろうな。アレを頼りに天上へ上っていったとしても着く先は天上の世界くらいのもので、そこにいるのはやたら頑丈で桃ばかり食っている連中ぐらいだ。

 

 もっと登って行けば天界よりも上、終わった奴らが輪廻を待つ冥界やら、いつか参ったお月様やらに続くのかもしれないけれど、あっちに住んでるお姫様も片方は食事に執着しているし、もう片方は桃を取ろうとして窓から落ちていたしそれほど差はないか?

 いや、一緒くたに纏めるとそれぞれから同列に語ってくれるななんて怒られそうだ、ならば他にはどういった表現が似合うだろうか‥‥うん、思いつかんな。

 天を仰ぎ、どうでもいい流れを描いてニヤついていると視界、というか瞳そのものに振る雪が入る。これは、どうにも定まらない頭に入るには打って付けだな。二階から目薬なんて非じゃない高さから舞い落ちてきた目薬に頭とお目々を洗ってもらい、先の二人はどうでもいいと思考を切り替えていく。

 

 さて、あの幻想郷の姫様達と月の姫様について案じる前は何を考えていたか。

 立ち止まる人垣を眺める事ですぐに思い出せた、そうだった、晴れ間よりも何故か暖かく感じるのはなんでだってやつだ。暫し悩んで出た答えは、雪の白という膨張色のせいなのか……と、思いついてみたがこれもないと、揺らされる尾が視界に入ってきた事で感じられた。

 

 人の尻尾で遊ぶのはこの寺の在家信者。いつから弄んでくれているのかわからないが気がついたら近くにいたようで、あたしの尻尾に絡んで遊んでいる。入道使いから渡された『並んでお待ち下さい』と書かれた立て札を放り捨て、人の毛並みを逆立てたりじゃれついてみたりと、認識しにくい妹妖怪が仕事を放棄しあたしの縞柄で遊んだり暖を取ったりしているようだ。

 

 他にもあたしの背におぶさり伸びている黒いのも居るには居るが、きっとこいつらのせいで寒い景色に身を投じても暖かなのだろうな。腰を下ろしている縁側からは昨年末より残る雪とその上に積もった新雪のせいで完全に冷えている世界が見える、それでも暖かく感じるのはこいつらが絡んできてくれているからだろう。

 縁側に触れている尻部分は冷たいが、背中や尻尾に暖かいのがいるから痛み分けに出来るのかもしれない。いや、あたしの場合はそもそも分けるものでもないのか。寒さに痛む肉体はないし、どちらかと言うと今は体温を奪われ、分け与えている側にあるわけだしな。

 

「そろそろ行かないの? 準備とかあるんでしょ?」

「そうだよ、早く行った方がいいよ? 南無三怖いよ?」

「いいの、私は仕方なくやってあげるだけなんだから。それより二人共、この後って暇?」

 

 亡霊の背に取り付いてるやつに問う、が、さらり躱され効果がない。もう一人からもさっさと行けと言われたけれど意に介さず、人の背中に乗っかって両手は肩から突き出したまま吐息を吐き出す古い友。

 南無三怖いって単語には少し反応し、伸ばす指先をピクッとさせていたけれど、動きは見せず寧ろ問い返して終いのようだ。声色には気怠いってのが多分に含まれていて面倒くさいって雰囲気もあからさまである。それでもやってあげるという辺りがよくわからんが、元よりよくわからんのが取り柄なのだし、こんなもんか。

 問いかけに返答せず、こいつの二つ名らしい正体不明さの一片に気がついてほくそ笑んでいると、背中から飛び立つ未確認幻想少女。気を入れ替えて移動するつもりになったのかと思ったが、あたしから赤いUFOに鞍替えし、そのまま正面に回ってくる悪友、封獣ぬえ。

 

「ちょっとぉ、人が聞いてるんだけど?」

「聞かなくともわかるでしょ? いつも通りよ」

「私も暇だよ?」

 

「ぃよし、それならまた温泉行こうよ! 今度はこころとか村紗とかも連れてさ」

「あんまり多いとおねえちゃんが文句言いそうだけど、楽しそうだからそれもいいね!」

「行くのはいいけどまずは仕事をこなしたら? 主役のぬえちゃんはまだ出番待ちとしても、こいしは一輪に手伝えって言われてたでしょ?」

 

 赤いUFO眺めつつ質問に返し、そのまま打ち捨てられた看板に視線を移す。

 雪が積もるほどではないが木色が少し濃くなるくらいの時間放置されていて、何処か寂しげな看板を見て考える。こいつもこいつで道具といえば道具だし、このまま忘れ去られれば付喪神として成り果てたりするのだろうか?

 成ったとしたらどんな者になるだろうか、薄っぺらい板っぱちに長目の取っ手があしらわれただけの看板だ。姿としては背が高くて細めの揉み心地が悪そうな感じになりそうだ。性格はそうだな、一輪が書いた文字を見せる相手、人間達に向けた注意書きからは口煩く人の事をつついてきそうな性格にでもなるだろうか?

 ふむ、だとすればあの閻魔様のような姿で妖怪化するかね。背も乳もデカ目なサボり好きよりも更に上背のある閻魔様を脳裏に描き、説教好きなアレが増えるのは簡便だと苦笑すると、尻尾に飽いたこいしがぬえの隣に飛び乗った。尻尾は軽くなりありがたいが、いきなり離れられるとちょっと、寒い。

 

「私が手伝っても気がつかれないもん、手伝い損だわ」

「こういう時無意識って面倒ね、昔みたいに開いてみたら?」

 

 一人の世界に沈んでいると、黒髪が黒帽子に黒い冗談を言っていた。

 強く瞑られた第三の目にぬえが手を伸ばすと『やだー』なんてこいしが返す。顔は笑って軽く返しているけれど、結構込み入った部分だろうしそうやって軽々しくつついていい部分なのだろうか‥‥いいんだろうな、本人は笑っているし、言ったぬえも冗談以外は含んでないって顔で言い切っていたし。

 少し聞くだけでいると、昔のパッチリ三つ目がまた見たいと語るぬえに、聞きたくない事ばっかり聞こえるからもう開けな~いと返すこいしが見え、二人共の笑顔まで見られた。今でもパッチリお目目に変わりはないが、どちらかと言えばパッチリというか、瞳孔まで見開きかかる感じもするし、ぬえが見たいのは今とは違ったパッチリ具合なんだろうな。

 そうか、流れから考える限りだが、ぬえが地底に埋められた頃はこいしの瞳はまだ開いていたのかもしれない。この正体不明が人間にやられたのも結構前の事だったはずだし、その頃であれば認識不明瞭な妹も、もう少しわかりやすかったのかもしれんな。

 昔から互いに見知っていれば言える冗談なのかも、そんな思いを浮かべて二人を見比べる。すると飛んでくるお小言、よくわからん二人がわかりやすく、結託して茶々を入れてきた。

 

「ねぇ、一番何か言ってきそうなやつが静かなんだけど」

「気持ち悪いね」

「あんた達ねぇ。あたしにだって偶には黙って見てるだけの日もあるのよ」 

 

 考え事に興じる最中、感じた視線を見つめ返すと言われた事。

 赤いUFOの二人から感じるちょっとだけ冷めた視線に対して言い返し、思案の海からコチラの世界へと目を向ける。いやここは覚の妹に肖って現実の世界で目を覚ますとでも言っておくか、どうでもが思いついてしまったからね。

 

 そうやってまた視線を流し、回りの風景へと目配せしてみる。そうしても見えるものは変わらないがな。先に考えたように、見られるは寒い景色。感じるのは体感出来るが寒いとは感じない曖昧な身体。その気になれば、薄れ、雪が積もらないような状態にも出来るこの身に寒さを届けてくれている勢いの衰えない雪。それを見上げ景色を眺め、咥えている煙管に再度の火種をのせた。

 

 漂う煙の奥に見えるのは人集り。一月前の夜であれば鐘撞きの列に並ぶ人里の者達が見られたが、今では仕切られた参道を見つめる彼らの頭や着飾る女子の艶やかな着物が目立つ。

 列から聞こえるのは小さな喧騒。寒さに耐えながら並び、そのうち始まるだろう催し物に期待する人らの声。毛皮のマフラーなど、その口元は冬の装いに隠れているがなんとなくわかる楽しみという雰囲気。偶にビクンと揺れる者達もいるが、どうやら寒さの身震いではなくて、大きな声の振動を浴びて物理的に振るわされているらしい。

 

 震えの原因は寺の顔、でもないがこの寺に来るならまず顔を合わせる事になる相手、第一寺人幽谷響子ちゃん。今日は愛用の箒から案内用の立て札、こいしが放り出した物と同じ物に持ち替えて、よく通る声で『並んでくださぁ~い!』 と、可愛らしい声色で怒号のような音量を吐き出す山彦ちゃん。

 今は山門の辺りにいるらしく姿こそ見えないが声から何処にいるのか丸わかりで、あの子もあの子で変わらないなと思える。寺での催事の時くらい厳かにしたらどうか、住職や鼠殿辺りがそんな事を言ってもおかしくないくらい響く声だけれど、門を潜って入ってきた連中の殆どが明るい声と笑顔に癒やされたような緩い顔をしているし、そこから鑑みるなれば悪い事だとは思えないからあれでいいのか。

 

 そうやって並べられた列を見ると、偶に乱れるのが目につく。

 あまり進まず、つったっているだけになりかけている列にいるのが飽いたのか、やんちゃを顔に書く子供が飛び出して、行列にある大人の頭や振り袖暖簾を乱れさせているが、そいつらは整理に動く尼公と桃色の入道雲が拾い上げ押し戻しているようだ。

 一輪の方はとっ捕まえた悪ガキに頭巾を外されたりして、普段は見せない蒼のポニーテールを揺らしている怒っている‥‥ように見えるが実際は然程怒っていなさそうだ。頭巾を取り戻してかぶり直す際に、ない方がいい、なんて事を里の男集から言われてまんざらでもない顔をしているし。

 相棒の桃色雲も尼公の横で忙しなく動いているな、雲のくせに何故か触れられる髭やらを幼子に引っ張られたりして、表情の少ない時代親父殿の時折見せる困り顔が少し可愛いらしく感じられる。年末にはいつもの尸解仙と弾幕ごっこをしていたと聞くし、年の瀬が忙しければ年始を過ぎた今も変わらず忙しそうで、あのコンビも大変だ。

 

「アヤメちゃんさ、そやって見てるだけで楽しいの?」

「そうだよ、おねえちゃんみたいに静かに見てるだけって似合わないよ?」

「何も言い返さずにいれば言いたい放題ね。それなりに楽しいんだけど、言われっぱなしは面白くないわ」

 

「お、やっと乗ってきたね」

「人に乗っかってたのはぬえちゃんの方でしょ。こいしも、ジト目の物真似が似てるって言ってきたのはあんただし、あたしが静観する姿ってのも案外似合うはずよ?」

 

 しれっと言い返す、それに対してもああ言えばこう言うやら帰ってきている気がするが、もう面倒なので気にしない。しかしあれだ、こうしてぼやっと眺めていると昨年末の自分を思い出すな。

 毎年毎年何故か忙しなくなる年の瀬。年末の大掃除から始まる忙しなさだが、類に漏れずあたしも少しだけ忙しなくなってしまって、柄にもなく動き回る年末となっていたのだった。暮れに繁忙期を迎える商人ってわけでもないのにね。

 それで、まず手につけたのは冬場に使う薪の準備だった、はず。昨年の事だから正確に覚えていないし、言っても木材を割るだけだから然程語る事もなくて、己の事ながらうろ覚えの記憶だ。それでもどうにか思い出して語っておくなら、自分で切るのは手間だから斬るのが得意な奴に手伝ってもらったってくらいか。

 いつかの燻製作りで評判を得たから今回は桜でも薪に使ってみるか、そう思いついて、桜ならあそこだろうと向かった所で当然いた庭師。あの子に珍しくあたしから弾幕ごっこを仕掛けて、長く長く続く階段の端にあった朽ちかけの桜をあたしの身体毎斬って捌いてもらったお陰で、手っ取り早く数が揃えられて助かった。

 長い方の刀で断ち切ったあたしを見て勝負ありと、勝ち誇る顔で笑む庭師も可愛らしい表情をしていたし、互いに悪くないモノが得られた弾幕ごっこだったな。あの時短い方の刀で斬られていたら、まかり間違えば成仏させられていたのかもしれないと今になって思えなくもないが。

 

 それから帰宅し薪をしまって、次に手を付けたのは家具。以前に整理しようと考えた食器棚だ。

 使わない食器は、購読してないが届けられる天狗学級の新聞で包み奥にしまいこんだ。元は一人暮らしで手持ちの食器などそれほど多くないが、使わない物をしまうだけでも少しはスッキリできた気がする。

 ついでに、冬場はあまり姿を見せないあの主従共有の湯のみも一度しまおうかと考えたが、()が完全に寝付いた後はお疲れの()が不意に現れて一息ついていくってパターンもあったりするから並ぶ数は変わらなかった、少し変わったのは並ぶ順番くらいか。

 あたしの湯のみの隣が兎詐欺の湯のみでなく一番新しい湯のみになったくらい、いつからかそうなったけれど誰の物かは敢えて語らない、手に取る頻度順になっただけだから。

 

 そんな風に、旧年の埃を払い掃除も終えた辺りで新年を迎える準備に移った。

 準備とはいっても少しおせち料理を拵えただけ。いつかの正月に持って行った永遠亭への捧げ物に同じく、長老喜(ちょろぎ)やらの酸っぱい物のない、中身の偏ったお重をこの寺にもお裾分けしてみたがそれなりに喜ばれた。簡素なお煮しめと栗きんとんくらいを詰めた程度だったが畜生食いを禁じている寺にはそれで丁度よかったらしい、快く受け取ってもらえた。

『素材一つずつで分けて煮たほうが色が綺麗なんですよ』今回のお節を一緒に作った、というか仕込んでいるところにお邪魔してその最中に少し教えてくれた和食の師匠(ミスティア)はそう言いながら里芋や大根の面取りをしたり、人参に飾り包丁を入れながら煮込んでいたけれど、さすがに全部真似する気にはなれなかった。そりゃそうだ、女将は売り物として仕込んでいるがあたしのはただの差し入れだ、そこまで真心込めて作るほど料理好きでもないので、見た目のために煮崩れ防止の面取りだけ済ませて一つの鍋でさっと煮るくらいで済ませた。

 作ったあたしからすれば粗末な物、それでもありがとうと受け取ってくれるここのご住職はやはり出来た人だ。一緒にいたナズーリンからは何やら一言言われてしまったが、聖と一緒に迎えてくれて荷物を手渡した際に、あの賢将殿は片目でお重の中身を一瞥してから『詰めるならもう少し中身に気を使ったらどうだい」なんて小言を言ってくれたが、いざ食べる時にはそれなりにお箸が伸びていたし、細かい事は気にせんでおこう。味を気に入ったのか、小さな身体で大食漢だからそれなりの勢いで食ってくれたのか、そこは気にならなくもないが。

 

 そういった仕込みもあって、このあたしですら忙しなくなった年末。

 あたしと同じように人里も準備に追われて騒がしくなるかなと思い、賑やかな景色が見られる事に期待して今年も来てみたがこのお天気のせいでそれは見られず、例年とは真逆の静かに白いお里となっていた。

 昨年と変わらずあったのはリズム良く撞かれる鐘の音とそれを取り仕切る御本尊様か。仕えるネズミ殿と一緒になって参拝に訪れた客、特に子供連中か、寒さにも負けずにはしゃぐ連中をあやして鐘を撞く姿はどこかに軍神要素は失くしてきてしまったように映る。

 でもそれが彼女のいいところか、闘争本能むき出しにして牙を剥く姿なんて想像できないし似合わない、ここの住職と一緒になって子供あやして笑っている方がお似合いだ。

 そういえば大晦日には水蜜を見なかったがまた反省中だったのかね、年末だというのにまたお叱りを受けて写経に精を出していたのか? それともまた血の池にでも行って遊んでいたのか、もしくは商売敵(守矢神社)のお膝元にある湖辺りではっちゃけていたのだろうか。どうにせよ懲りない船長だと思えたが、年またぎで掬い納と掬い初めだと考えれば船幽霊らしいとも感じられて、少しだけ粋だとも思えるな。あの晩は何をしていたのかまだ聞いていないし、後で姿を見かけたならその時は楽しく問うてみよう。

 

「まぁた考え事?」

「もうやめるわ、そろそろ本番開始って頃合いだろうし」

 

 ん、と傾ぐぬえの後頭部に誰かの姿を見る。

 誰かなんて言っても正体は丸わかりでここのご住職だ、何やら烏避けに似たものや綺羅びやかな扇子なんてのを両手に荷物を抱えて、整えられた列を割り進んでいく。何処ぞの風祝のスペルのように海、ではなく人垣を割って進む先は整えられた砂の道。山門から続く列と並行するように敷かれた、寺から裏手の墓場方面へと抜けていく道。

 そっちを見ているとぬえも釣られて見始めて、仕方ないからそろそろ行くか、なんて捨て台詞を吐いてから隣のこいしを放り捨てて上昇し、一度姿を消していった。

 

「頑張ってね~」

 

 なんでもないもの、路傍の石ころのように放られたこいしだったけれど、まるで気にしていないようで。住まいで飼っている猫よろしく、回転しながら着地して、ぬえが消えた辺りに声援を送っている。雑な扱いをされても声援を送るか、こいつら結構仲がいいのかもしれないな。方や正体不明で方や存在不明確ってな妖怪だし、なんとなく似通っている面に思えるから、その辺りで気でも合うのかね。

 わからない二人について気を気を揉んでいると、着地したわかりにくいのが小走りで向かってきた。袖の余る両手フリフリしつつこっちに来るこいし、ぬえが消えたから狙いが尻尾に戻ったのか‥‥一度離れておきながらまたなど、そこまで都合よくやられてなるものか。

 そう考えて尾を背に隠すが、スキップしながら寄ってきたこいしが目の前で忽然と姿を消した。どこ行った、考える間に尾が重くなり、尾の付け根辺りに揉まれる感覚。

 

「あっちが消えたらまたこっち? 相変わらず移り気な女ね」

「それ、アヤメちゃんにだけは言われたくないわ」

  

 重たい背後に話しかける、返ってくるのはお前が言うなって内容。こいしはそう言うがあたしの場合逸れてしまうというだけで気が移っているわけではない、が、態々言い返しはしない。返したところで理解されるとも思えないし、意識の外から出された言葉かもしれんし、別にそう思われていようと害もないしな。

 けれどなにもしないのは面白くないので、言い返さない代わりに丸め込む。尾を振って、抱きついたままの妹妖怪を揺らしつつ隣に落とす。二人並んで縁側に腰掛けて、落ち着けない妹妖怪が少しだけ落ち着きを見せ始めると、比例するように視界の先がうるさくなり始めた。

 そろそろ本格的に始まるらしい、持ち込んだ荷物、(うしとら)の方向に三つ並べられた何処ぞの天狗避けにでも使えそうな霞的や、砂敷きの馬場も準備が終わったようだ。

 

 ここで漸くネタばらし、今日は命蓮寺でイベントがあるのだ。毎年やっているわけではないらしいが偶にとり行われる催事。大晦日の書き入れ時を過ぎ、この寺の檀家連中の新年参りまでが済んで、暇な時間が増え始めた今時分に行われるのは流鏑馬ってやつだ。

 行い始めてすぐの頃は妖怪寺で妖怪が流鏑馬なんて、魔を祓う鏑矢を射るなんてちゃんちゃらおかしいなんて感じたものだが、すっかり馴染んだ今となってはそれが面白いと感じるようにまでなった。人と妖かしが手を取り合って生きる、そんな信念を持つ御仁の元で迎えた新年に行うのなら良いイベントか、そんな風に考えられ得るようになったから。

 ただの語呂合わせ、それでも悪くないかもしれないネタを思い出し一人笑うとこいしに袖を引かれた。ちょっとだけ自分の世界に入り込んでいた間に準備は着々と進んだらしい、場は整って後は主役が姿を見せるだけとなったようだ。

 

「ね、ね、なんかおじさんが来たよ?」

 

 袖引き妖怪が山門を指差す。促された方を見やれば確かにおじさん、というには若い人間がたてがみと尾は短めだが体躯立派で力強いお馬さんに乗った姿で現れた。顔を見れば何処かで見たことがあるような、それでも記憶にある顔よりは凛々しくて伊達男に思えるような雰囲気がある。

 

「あぁ、あのおじさんはぬえちゃんを退治した人間よ。源頼政、源三位頼政とかって昔の偉い人ね」

「おぉあのおじさんがそうなんだ、結構いい男だね」

 

「本人はもう少し公家顔というか、のっぺりした顔だった気がするわ」

「そうなの? でも線の細い美丈夫? 優男って感じだよ?」

 

「きっと思い出補正ってやつね。一応は大妖怪である自分(ぬえ)を退治した男は格好良かったとか、そんな風に考えてあんな(なり)で化けたんでしょ」

 

 そっか、ぬえって見栄っ張りだね。

 なんて言葉を横で聞きつつ、あたしも同じような感想を思う。

 ぬえの中にも先に述べた心は当然にしてあるだろう。平安の世を騒がせ、姿も見せずに毎晩時の帝を怯えさせていたぬえを退治した豪の者、たった一人で大妖を射抜いてみせたのがあの男だ。実際は普通のおじさんって風体だった気がするが、退治された側からすれば一介の人間と同列には見られないだろうし、好敵手を格好悪い姿で晒すわけにはいかんのだろう。

 けれどこいしの言う通りで、あたしの記憶にあるものよりも数割増しで男前に見えるような、戦乱起こるあの時代を生きていた人間男性にしては線が細すぎる気が‥‥あぁなるほど、あの姿はぬえの見栄と好みが混ざった結果なのか、あいつも以外と麺喰いだな。

 と、これから的を射るやつを見つめて、心情を射抜いたつもりで一人頷く。すると(いなな)く名馬木の下(このした)。なんだ、会話が聞こえてたのかね、肯定のお返事なんていらんからさっさと始めろよ、客も待ってるぞ。 

 

「あ、走り出した~!」

 

 後ろ足だけで軽く跳ねて、ヒヒンと強めに鳴いて、砂を蹴り上げ駈ける馬。

 それを眺める妹妖怪も立ち上がり、両手を振ってピコピコ応援。あっちは雄々しくこちらは愛らしく、やはり静かに見ているだけってのも悪くない。が、静かなのは似合わないらしいし、ここらで一つ茶々を入れてみる。さっきは二人に入れられたのだし、意趣返しと洒落こんでみよう。

 

「実際は走ってないと思うけどね」

「お?」

 

「あれは馬じゃないって事よ、さっきの赤いUFOが馬に見えてるだけね」

「あぁ~正体不明の苗だっけ?」

 

「種よ、ぬえの苗とか言い難くなりそうだから嫌だわ」

 

 正体不明の明確な部分を訂正しているとザワつく観衆。声に惹かれて目を配せれば一つ目の的を水色の鏑矢が射抜く瞬間、は見られなかったが、けたたましく奔る名馬と武将が霞的のど真ん中を抜いて、次なる的へと向かう背を拝めた。

 

「ぬえ上手だねぇ。それともアレも化かしてるの?」

「あれは自力でしょ、意外と器用なのよ、ぬえちゃんって」

 

 これも能力故の化かしか、そう問われたがこちらは否定しておいた。

 実際のところどうなのかはわからんし、本当は化かされているのかもしれないけれど、ここはあいつの自力だと言っておいたほうがいいだろう。その方があいつの株も上がるだろうし、後々でふんぞり返って笑う姿も見られるはず、謙遜する姿よりもそういった姿の方がぬえには似合う気もするからここはテキトーに実力なのだと言っておこう。

 一人思案し薄ら笑いを浮かべた時に同じく、妖怪少女の化けた武将も二枚目の的に近づく。獲物が寄るとキリキリ引かれる弓、雷上動とかいうんだったか、ぬえを射抜いたあの名弓。ソレが(しな)って緩い弧を描くと、赤々とした(つわもの)らしい鏑矢が音を立てて奔った。

 パカン。続いて声援とパチパチ。本当に、器用に射抜くものだ。

 

「流石、スペルで怨敵の弓を再現するだけはあるわね、上手いもんだわ」

 

 ポツリ漏らすと見つめてくる元三つ目、何の事って閉じた瞳の瞼に書いてありそうなのでつらつらぬえの昔話をしてみる。その最中で食いついてきたのはぬえのスペル云々って辺り。掘り下げて聞いてみると、こいしはぬえのスペルを見た事がないんだそうだ。地底にいた頃も少しの小競り合いはあったらしいが、あの頃はやさぐれていて弾幕ごっこよりも本格的な喧嘩が多かったらしく、今で言う綺羅びやかな争いは見られなかったのだそうだ。

 ふむ、それなら少しいたずらしてみるか。幸い的はあと一つ残っているし、この流鏑馬も誰かに見せるための催し物だ。弾幕ごっこの方も美しさを競って魅せる為のものだったはずだし、観客が多い今行うならいい余興だろう。

 

 思いついたら即行動。こういう時だけ動きが早いと自分でも感じるがソレはソレとて忘れた振りで流し、こいしの手を引いて縁側を離れる。砂利を鳴らして態とらしく音を立て、気がついたお客陣の視線を得てから煙管を咥える。一服しては煙を吐いて、最後に残る三個めの的、少し豪華にあしらわれた大き目の扇子と同じ形を成していく。一つ二つ、七つ八つと、増やした物をこれまた態と舞わせて見せて、あたしの周囲に配置した。

 さながら何処ぞのお面妖怪のような状態になり、そのままお馬の走る馬場へと乱入する。正面から向かってくる武士っぽいぬえや、いきなり動いたあたしを止められず手をこまねいている寺の連中は何するのってな顔でいるが、手を引くこいしと奥の方でコチラを見ているお面の妖怪は何やら楽しげだ。別にお前を真似たわけではないが、そう見えて楽しいのならお姉ちゃんは何よりだと思う。そうして周りを一瞥してから多少の事は気にせん事として、正面切って武将を煽る。

 

「イベント追加よ、ぬえちゃん。そられしく言うならエクストラステージって感じかしら? ね、こいし?」

「そうなの? よくわかんないけどそれならそれでいいよ?」

 

 煙管で馬の鼻っ面を指して先を持ち上げ、軽く煽ってから最後はこいしに振る。

 これでぬえには伝わっただろう、邪魔したのはあたしの思惑ではなくこいしからの発案だって事が。後は周りに浮かばせた的をこいしに押し付けて空にでも追い立てれば、謎っぽい少女二人の弾幕ごっことなる‥‥と企んでみたが、あたしから手をとったのは愚策だったな。いい所で手を離し距離を取るつもりが、強めに握られたまま持ち上げられて、さも二人で何かしますよって姿になってしまった。

 

 思わず向かってくるぬえを見る。目が合う。

 顔だけ变化を解いている奴に微笑まれた。

 さて、その笑顔はなんだい?

 あたしには『迷惑極まりない事をやり始めて』って雰囲気よりも『いや、目立てるから有難いんだけどね』が感じられるが、目立つなら一人で、もしくはこいしと二人で華々しく目立つだけでいいんだぞ。あたしを巻き込まないでくれ。

 そんな思いは通じず、いや、通じた上での行動だろう。すっかりと变化を解いて、源三位頼政から封獣ぬえへと戻った少女があたし達に向かって弓を引き絞る。楽しげな顔で、片目だけ瞑って。狙いを付けるというよりも、楽しい遊びに誘うウインクのような表情で向かってくる旧友。

 

 やる気はなかったがこうなれば仕方がない、正体不明を相手に弾幕打ち初めといきますか。

 ユルユルと舞い上がり、馬場の砂から空の青へとイベント会場を移す三人。

 黒い艶髪揺らす一人は楽しげに弓引いて、紫色の矢をバラ撒いて、揺れ舞う的を撃ち抜いては下からの歓声を浴びて気持ちよさそうだ。もう一人の袖余りも笑ったままで、クルクル回る二色の薔薇を咲かせて、こちらもこちらで空を彩る花を咲かせて綺麗だとか、ええじゃないかと騒がれた。

 

 最後のあたしだけか、浮かない顔で扇を開き、誰かのように表情を隠して暗い未来を案じているのは。各々らしく動きまわり、寺の空でのお戯れを楽しんでいるように見えるが‥‥後々であるだろう南無三までを気にしているあたしは二人ほど楽しめないでいた……けれどすぐにそれも忘れられそうだな、いたずらならば誰かに叱られるまでがお決まりだろうし、遊ぶ二人の顔色は明るくて、先の事なんてまるで考えていないって顔で、今が良けりゃいいとしか考えてなさそうだ。

 そうだな、それなら一人だけノリキレないのは損をしている気がする。ならいいな、ここは気が付かなかった事にして、ええじゃないかとはっちゃけるだけにしよう。

 正鵠(せいこく)を射るには程遠い、都合の悪い事を先延ばしにしただけの心には気が付かなかったとして、少女三人での弾幕ごっこに興じる事にした。



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EX その55 空喧嘩

 珍しく全力で飛行。

 身を刺す空気を裂きながら、振り返れない背中側を気にしながら。

 最近目につくようになり同時に数が増えてきた丸っこいナニカを避けつつ、偶に高度を下げて煙る湖面ギリギリを飛んでみたり、急上昇して雲を抜いてみたりと、忙しない移動をしている。

 いつもは歩いてばかりで普段飛ばないから忙しいのか、だらけた自分を知る者にはそう感じられるかもしれないが、飛べる輩が幻想郷で飛ぶなんてのは移動手段の一つであって、それほど忙しくなるような事でもない。はずなのだけれど今ばかりはわけが違う。

 そりゃあそうか、今は本気を出して飛んでいる最中なのだから。

 

 出足から慌ただしく飛ぶのは何故か、そう聞かれれば追われているからと答えよう。

 ではなぜ追われているのか、そう問われたとしても残念ながら答えることは出来そうにない。なんでかって、それは追われるあたしにも理由がわかってないからだ。理由はわからないが綺麗で激しい弾幕があたしを襲っている、現在の立場を一言で表すならこんなところだろう。

 

 背後から流れてくるお星様やレーザー、あたしを落とそうと放たれるソレらを避けるように錐揉みしてみたり、時には逸らしてみたりして、やじろべえにでもなったつもりで翻りつつ宙を舞う。

 なんというか、こんな風に本気を出して飛ぶなどいつ以来になるのか?

 大昔を思えばそう、あたしを殺めてくれた子鬼っ娘から逃げ回っている間もこうやって飛び回っていたけれど、幻想郷に居を移してからは‥‥ちょっと前にもあるにはあったか、あの愛くるしい天邪鬼が逃げ回っていた頃だ、先に出てきたロリ鬼に地底で追われた少し後にこうしてまっすぐ飛んだ覚えがある。

 あの時は確か、読みの当否を見極めるために地底へ向かっていて、ついでに連れていた天狗記者のカメラに大事な太鼓の血濡れ姿が写り込んでからすぐだったような……うん、これはいいな。思い出す事は容易、あの写真を見てどう感じ、自分でどう動いたかって事も鮮明に思い出せるが、語れば恥ずかしくなる事この上ないからやめておこう。過ぎた事を語っても実りはない、それなら今現在の事を案じた方が建設的に思えるしな。

 

 で、今はといえば何でまたこんな話を思い出す事になったんだ?

 何かを取っ掛かりにしてそこから平常運転で考えが逸れていったと、そこまでは思い出せるのだけど、あいも変わらず逸れ放題ブレ放題の頭ではこうなった大元を思い出すには至れない。

 そもそも何故に全力で飛んでいるのだっけか‥‥うん、全力で話の筋が逸れた気がする、これは本格的に出てこないな。出し慣れていない本気なんて出したから別の方、記憶力の方が普段以上に怠けているのかね。怠け癖の強いあたしだ、その可能性も否定しきれんがこんな場合はあれだ、こうなってしまう前の事から思い出していくと案外するっと出てくるものだ。そんなわけで、また他に気が逸れてしまう前にちょろっと朝からの動きを回想する。

 

 朝はそうだな、何事もなく目覚めたな。ちょっと前から振り積もった白いのが屋根の傾斜に耐え切れず、雪(しず)りとなって落ちた音で目を覚ましたんだ。お目々を開けばたわわな胸元で丸くなっていたのが今朝で、それからは特に何も考えず、強めに抱かれた尾を雷鼓の谷間から抜いて、抱枕ならぬ挟まれ毛玉からいつもの人型に戻ったのだった。

 尾を抜く途中にくすぐったかったのか、あたしを抱いてた奴が一瞬声を漏らし縮めた身体を伸ばしてうつ伏せになっていたけれど、その声が少し甘く聞こえたのと伏せても横から溢れて見えるたわわなやつが誘ってくれているように思えてしまって、これは朝から昨晩の続きをしてもいいかな‥‥なんて事も考えなくもなかったが、それは出来ずにいたのだった。昨晩の色事が済んでから遊びに来て、そのまま泊まっていった九十九姉妹さえいなければ今度はあたしが指やら舌を這わせたのに、惜しかった。

 力強い太鼓様に鳴らされて高まりが収まった頃に丁度遊びに来た姉妹、タイミングが良すぎる頃合いに来た二人だったが、あれは時を伺っていてくれたのかね。だとすればコチラも惜しい事をした、前のお遊戯じゃこちらが攻めていたつもりだったがいつの間にか逆転し、あたしのほうが雷鼓の背に爪を立てる事になったのだし、ソレを聞かれていたと確信出来ればお小遣いを強請(ねだ)ることが出来たのに。

 

 それから目覚めてひとっ風呂浴びて軽い朝餉を済ませた後、楽器連中は先ほど後頭部の辺りを流れていった逆さのお城辺りに向かったはずだ。練習やらのいつもの音楽活動で向かったのかと最初は思ったが、どうやら何時ぞや語っていた理想の楽園創りの為に行ったらしい。

 ん? そういや聞いてもいないのに何故あたしは知っているんだろうか?

 情事の最中に漏れた、いやいや、そんな色のない事を言わせる余裕は与えていないし‥‥

 ま、いいか。今はそれどころではない。

 ともかくあいつらとは我が家で別れた。あのまま雷鼓達についていってお邪魔しても良かったのだけれど、肩甲骨や肩に薄く残された爪の跡から、血とか着物に滲まないかなと気にして着替えに手間取っている間に置いて行かれて、あたし一人は残された。

 ちょっとさみしく思えるが、あれは姉妹が来ても着替えを渡さないなんて悪戯したあたしに対する雷鼓からの仕返しだったんだろうな、おかげで意趣返しを笑える朝になったからあたしはヨシとしているが。

 

 で、その後はいつもの通り。やる事もないから今日も暇潰しに人里に行って、昨今噂の都市伝説とやらを見物したのだった。人間が出す生ごみを漁る卑屈な妖怪を探してみたり、里から出てすぐ辺りで物売りをしているって老婆の元を伺ってみたり、後は寺子屋の厠で出るらしい素敵な小女を覗きに行ったりしてみた‥‥のだが、どいつもこいつも姿は拝めなくて早々に飽いて、噂は所詮噂なのだと切り上げた。

 他の、見上げるほどの大女がいるらしい妖怪寺や、自然に燃え上がってしまう人間って話も聞くには聞いたが、こちらは流行りのオカルトなんて超常めいた現象ではなくて、寺のでかい女は大きな雲を連れた尼さんだったし、燃え上がる人間ってのも竹林のご近所さんだったから改めて驚く事もなかったのだがな。それからは、流行りなんてこんなもの、何時の世でも内情は存外わかりやすいものを不思議がるもんだと、テキトーに見切りを付けて里を離れた。

 そうして一気に興味が逸れて、その後はあの古道具屋へ種銭作りにネタを売りに行って、丁度出くわしたのが持ち込んだらしいた甘味を摘み、店主の湯のみからお茶を盗み飲みしてと‥‥里のカフェーでも見たが流行ってるのか、あのお菓子。通りで見た年頃の女の子も持って歩いていたが、黒白もあんな流行りに乗るんだな。

 

 考え始めるとダラダラ浮かんでくる今までの動き、それを脳裏で流していると、日中にはあまり見られないお星様が視界に浮かび、脳内世界から現実世界へと引き戻してくれる。

 後方から飛んできて、横やら下やら上やらと四方八方に流れ散っていくお星様。今時分が夜中なら綺麗な流れ星として眺めるのも乙だと感じるが‥‥そうだった、あたしはこれから逃げていたのだった。こちらを狙う解決少女を忘れるなど案外余裕があるな、あたしも。

 

「おい、いい加減こっち向けっての!」

 

 吐く息流して飛ぶ最中。尾先から雲引いて。視界に入るポワッとした丸いのを仕切るように、冬場の蒼い空に一本の白線通して進むあたしの背中にぶつけられる声。

 聞こえるのは耳に痛いほどの声量で叫ぶ黒白の声だ。見た目の雰囲気に似合った少女らしい高めの声があたしの鼓膜を揺らしてくれる。

 

「待てと言われて待つのは聞く耳持ってるやつだけよ」

 

 愛らしい獣耳跳ねさせ、そのまま振り返らずに言い切って更に速度を上げてみる。

 けれどそうしたところで無駄だろう、余計な事に思考を逸らしていたせいか逃げ始めた時よりも随分距離を縮められたらしい。

 吐き捨てたつもりでいた軽やかなお口の返事はすぐに拾われ返ってきた。

 

「アヤメから喧嘩ふっかけてきたんだぜ!?」

 

 先程よりも近く、大きく聞こえる少女の声。

 あたしから売ったって言い草には覚えがないから聞き流すとして、喧嘩とはドコにかかってくるのだろうか。喧嘩ってのは互いに殴りあったり罵り合ったりする場合に言うのであって、今のようなあたしには覚えがないって場合には成り立たないように思える。

 それでも魔理沙は喧嘩だと言うしあちらからすればあたしが喧嘩を売ったって話だ、なんだろうかねこの意見の食い違いは。

 

「そんなはずないわね、ふっかけていたら今頃魔理沙は素寒貧になってるはずだわ」

 

 売り言葉に軽く返し、流れで身ぐるみ剥がされ丸裸な黒白を妄想してみるが、ちょっと揉んだりする程度で舌を這わせるところまでは思い至れずに終わった。きっと好みの問題だろうな、あたしの好みはもっとこう実った相手、齧って甘みに溢れそうなのが好みだ。人間少女の中でも特にちびっ子、もとい青い果実な魔理沙ちゃんでは収穫する気になりゃしない。

 

「どういう意‥‥お前、もうちょっと真面目に返せよ」

 

 はよ熟れろ、でも散るな。そんな目で見つめ返すと髪色に似た声色が飛んで来る飛んでくる、卑猥な目付きだのエロ狸だのなんだのと弾幕より多いんじゃないかってほどだ。まぁ、そのおかげで妄想の世界から帰ってこれたようだし、小さく感謝しそれも含めて言い返そう。

 

「真面目にあたしらしくしてるじゃない」

「私が言ってるのはそういう事じゃない」

 

「ならどうだってのよ、相手もしてるし十分でしょ? あたしに突っかかるくらい暇なら本でも盗みに行ったら?」

「失礼な奴だな、何度でも言うが私は死ぬまで借りてるだけだ」

 

「それなら今日も失敬しに行くか、また箒木(ははきぎ)でも探しに行くか、妖怪神社にでも顔を出せばいいのよ」

「だから盗んじゃ――神社には行った後なんだよ。霊夢もいなかったし、雪だるまの展示会があっただけでつまらなかったのさ。暇だとわかってる場所に行くくらいならアヤメで暇を潰したほうが有意義だぜ」

 

「ふぅん、霊夢がお出かけ、それに暇潰しねぇ」

「その言い方、なんか引っ掛かるな」

 

「いやね、あたしよりも楽しめる暇潰しが回りで浮いてる気がするのに動かないんだなって。放っておいていいの?」

 

 なんの事か、そう問われる前にコチラから誘導していく。

 帯に差した煙管を抜いてあちこち浮かぶ丸いものを指す、正確な時期はわからんがいつからか現れ始めた丸いもの。見る人によっては無為の好奇と深秘で満ちているんだとか、夢を元にした魂で幽霊の一種なんだって話だが、どれも信憑性に欠ける気がしていまいち信用しきれていない、寧ろ幽霊の一種ってのは嘘だと思っている。偉そうにこれを語ってくれたお人も結構な嘘つき、おっと秘密があるようだし、あたしから見ても身内の一種とは感じられないからな。

 それでも話せりゃ身内に思えるか?

 そんな事を考え周囲を見やる。が、丸いナニカよりも綺麗なお星様のが数が多くて、そういや話し相手がいたと気がつけた。思い直して少女を見返す、けれどあちらも回りが気になってはいるらしい、あたしが行かずに済んだ脳内世界へ旅立った魔法使いが追撃から逸れ、離れていく。

 

「ねぇ? 魔理沙?」

「おっと、なんだ?」

 

「気になってるなら調べに出たら? というか何か用事があって追いかけてきてたんじゃないの? 森近さんのところに行ったのも――」

「! それだ! それが喧嘩を売ってるって言ってるんだよ! あぁもう忘れてた! 売ったんなら代金受取るもんだろ!?」 

 

 気持ち大きめの声で少し前のくだりをからかい呼び戻す、するとまたも聞こえ始める売り文句。

 呆けたと思えば荒々しい雰囲気に一変してくれて、少女らしく移り変わりが激しいな。

 若い身空でアッチにいきっぱなしはある意味辛かろうと、少し落ち着いてもらうつもりで普段の魔理沙がしてそうな事を言ってみたが、そのせいで思い出したのか輪をかけて煩くなり、少女の声は怒声に近くなってしまった。

 帽子被って蒸れるからカッカしやすいのかね、いや、最後の一言が余計だったのか。つれない店主に流行りのチョコレートを食わせるつもりが後で頂くと流されて、代わりにあたしに食われた事を思い出したようだ。気を逸らしていたつもりだがコチラから話をぶり返したのだから気が付かれても当然だが‥‥一粒つまんだくらいでここまで、割りと本気めな弾幕ばらまいてくれなくてもいいだろうに。

 まぁいいか、あちらが本気だというのならあたしも本腰入れて構ってみるかね。商品渡した覚えはないがこれ以上頭に血を上らせてはあの長い金髪が天を仰ぐ事になりそうで、そうなったら確実に笑ってしまう、さすれば殊更面倒になる事必然であろう。

 ならばと少し速度を緩めてみる。対空するのと変わらない速度になるとすぐに見えた箒の柄、次いで黒白少女の横顔と背中。脇を過ぎていく間際に眼と眼が合って睨まれるが、ウインクで見返すと変な顔をされた。今の今まで煽ってくれていたわりに見せるのは八の字眉、いきなり速度を下げたのが解せないんだろうが、そんな顔するなよ、待ってやったのだからどうせならもうちょっと甘えた顔を見せてほしい。

 

「いきなり止まるなよ!」

「注文が多いわ、あんまり増やすと本当に代金貰うわよ?」

 

「お、ようやくやる気になったのか! そうだよな、商売人なら売り逃げなんてしないもんな」

「あたしは売るんじゃなくて貸し付けるだけよ、というか売った覚えもないんだけど?」

 

「そうか、まぁなんでもいいさ。自分から止まったんだ、やられる覚悟が出来たって事だろ!」

 

 なんでもいいとは随分ぞんざいな扱いだ、こちとら気にして相手してやる事にしたのに。甘い顔を見せろと念じもしたのに、言ってくるのは辛口で困る、どうにかちょろまかして回避出来ればと思ったがこれでは付き合わざるを得ない、か。

 それならいい、今日は本気でいたのだし、偶には本気で遊んでみよう。

 

~少女起動中~ 

 

 対面すると始まるお約束、まずは基本のところから。

 とはいっても既に通常弾はさんざん撃たれているから、今回は勝負の動きも早そうだ。そんな余計な事を案じていると奔ってくる光線、魔理沙得意のレーザー。

 両脇に配したよく知らん光、魔道具の一種か?

 ソレから発せられるのも、本体からばらまかれるのも今回は青白いのを選んだらしい。

 眼下に見える霧の湖でも見て懐かしんだのか、それとも別の狙いがあるのか。わかりゃしないがこれは捌く。煙管咥えて煙を巻いて、周囲に濃い目の煙幕を張りコチラに向かう二本の白線を受けきる。ついでに、合間にぶつけられる尖った魔針も軽く防いで嫌らしく笑ってやる。

 

「げ、お前ってこんなにタフだったか!?」

「真面目に相手して欲しいんでしょ、だから真面目に受けてやったまでよ」

 

 いつもはそこらのやられ役、そのくらいでしかないあたし。そんな奴が堂々と受けきったからか結構な驚きがあったらしい、撃つ数減らして口数増やす対戦相手。

 弾浴びてやるだけで驚きを提供できて重畳だがなんだろう、あたし自身でも感じるが今日はやたらと余裕があるな。ちょっと前にも覚えたが弾幕勝負の渦中でベテラン魔理沙相手に感じるとは尚面白いな。これは場所の恩恵を受けているんだろうね、日中の霧の湖なんて霧の怪異の為のステージだと言い切ってもいいと思えるもの、我ながらいいところで喧嘩を買ったものだ。

 調子の良さに微笑んで、余裕をシャクシャク味わっていると飛んで来る追加弾。牽制程度の流星群が眼前に広がりを見せる、ソレらに向かってあたしもオプションを現し宛がう。食えば甘そうなお星様を青と黄色の妖気レーザーで打ち抜き適度に裁く。

 うむ、今日の調子からみるにあたしから派手にはっちゃけてもいいとこまでやれそうだが、もうちょい受けてみるか。雰囲気からはここらで一幕って感じだろうし、普段より固いあたしを見て楽しげに笑う相手の手元が輝き始めた、このまま待てば何か見せてくれそうな気配だ。

 

「ホント、今日はやたら固いなお前、普段どんだけ手を抜いてるんだ?」

「失礼ね、普段はあれでそれなりなのよ。今日は期間限定というか、地域限定で調子がいいの」

 

「地域って、水場は苦手だって言ってなかったか?」

「苦手なままよ? 別の方で得意分野があるって事よ、知りたきゃ霊夢にでも聞いてちょうだい」

 

「霊夢? 何であいつが出てくるんだよ!」

「多分答えを知ってるからよ。何? 何か気に障った?」

 

 一幕終えてのガールズトーク、というの名の探りあい。

 争う中で話しかけてくるなんてどうかと思うがあちらからすれば時間稼ぎだろうね、語らう間にも光る八卦炉両手に抱えて何か込めるような仕草のままだ、魔力を練るとか集めるとか、そんな作業時間を作ってるんだろう。それならそれにのってやる、気合を入れて何かをすると見せてくれているのだ、期待しないわけがない。

 それでも見ているだけじゃつまらんし、ここは一つ善きライバル(博麗霊夢)の名を出して煽ってみる。なんでもないただの思いつき、この場で競う相手の名が出されれば嫌でも火が付くか。そんな読みでつついて見たが存外効果があったようだ、可愛いお顔に小癪さが篭った気がする。

 これは、そろそろか?

 よし、問うてみよう。

 

「いい顔して、楽しそうね」

「楽しいぜ? 減らず口ばっかりのお前を撃ち抜いてやれるからな!」

 

 言うだけ言って準備は完了、そんな動きで魔理沙が飛び上がる。

 そうやって高度を上げた手合を見つめて一服、おかわりの煙を纏い見上げると、やる気に満ち満ちた少女の顔が遠く小さくなっていく。本当にこの子ってば弾幕ごっこが好きだな、年頃の女子ならもっとお洒落とか別の物に‥‥は気を使ってるか、相方の紅白は年中通して脇晒しっぱなしで見た目に変化が少ないけれど、この子は結構お洒落さんだったな。

 今日着ている物も、上着はいつも着込んでいる装束よりも黒が多目の何処ぞの聖人が来たら似合いそうなやつ、ライダースジャケットと言うんだったかね、ソレに袖を通してシュッとして見えるし。遠のいていった足元も普段使いよりも底が厚くて、見た目から今日はちょっとだけ背伸びしてますってな様相の魔法使いさんだ。黒七割白三割という色合いでいた黒白とは言い難いが、いつもこれくらいの割合だしそこはいいか。

 そうやって可愛いモノトーンを見ているとあちらさんに動きが見えた。

 煽っただけでそれ以上がない、そこに焦れたのか勢い良くすっ飛んでいく。

 本人のやる気よろしく体も高々上げて、遠くの方で薄い胸元を弄る魔理沙。

 愛用の箒に器用に立って、それから見えるはチラ見えカード。

 

 そのまま遠くで構える素振り。

 こいつの実家じゃ押し売りはしてなかったはずだが、娘は気にせず押し切って売りつける事もするらしい。見方によってはあそこの旦那よりも娘のほうが商魂たくましく思えるな‥‥なんて余裕もそろそろなさそうか。魔理沙の手元が輝きすぎて随分眩しくなってきた、これからぶっ放されるのは‥‥一瞬見えたカードの絵柄は確か――

 過去味わったスペルを思いどれが来るかと当たりをつけるが、答えが出るよりも先に本人から答えが届けられた。両手を大きく振りかぶっての一投、高く飛ぶ魔法使いの手元よりごん太の彩虹が降り注ぐ。

 

「これはまた、派手なの見せてくれちゃって」

 

 大気を震わせ突き進んでくる魔の波動。

 轟音と共に迸るソレは天と地を繋ぐ斜めの大黒柱と言ってもいいくらい。

 なんだっけ、これは確か星符‥‥実りやすいなんとか‥‥いや、ドラゴンなんちゃらだっけか、多分そんな名前のスペルだったはず。放つ角度が違うだけでいつもの魔砲とそれほどの違いがないように見えるが、チラ見え出来たスペルカードの絵柄はごん太の七色縦棒って感じだったし、きっとソレだ。

 ぼんやり思い出すと同時、轟く魔砲が眼前すれすれを抉るように奔る。が、軽く後退するだけで難なく脇を抜けることが出来た。魔理沙の放つスペルにしては手緩い気がしなくもないが、自身の著書でもこのレーザーは当てるのが難しいって書いていた気がするし、避けるのも楽なものだ。

 

「さらっと避けるなよ! 傷つくぜ!」

「ならもうちょっと当てやすいのにしたら?」

 

 傷つくなんぞと言うわりに悔しさは感じられない、顔の方も楽しげに、小生意気な笑顔をみせたままでいる魔理沙。嫌味を含めた軽いお釣りを返してみてもその顔色は変わらなかった。

 相手に当たらず外れたスペルを小馬鹿にされても楽しそうだってのはいいな、あの子の書いたグリモワールにある通り、負けても気持ち良ければ勝ち。これはお遊びで、遊びは楽しませてくれる物じゃあない、自分で楽しむ物だって言い分をきっちり魅せつけてくれているようで、素晴らしい。

 偶には本気で付き合ってみる、と、そんな言い方はあまりに無粋か。あたしも楽しんでいるんだ付き合うではなく争うと、真面目に考えて人間と争ってみよう。

 

 本腰と共に気も入れて、次は何か、暫し待つがどうにも動かぬ魔法使い。

 軽く飛んで箒に座り直すと小さなお手々の指を折る。

 なるほど次はこっちのを見せろって事かい。それならあたしも楽しもう、煙管を吸って吐き出して、漂う煙に右手を突っ込む。そこから一枚取り出す仕草、現したるは灰色がかるスペルカード。

 あんな紙っぺらなんぞ基本持ち歩かないからこれは急ごしらえで本来より僅かにくすんだ色のカードだが、これでも十分使えるし効果的だろうさ、本懐は中身だ。相手のスペルを見るというのも楽しみだが、自分のスペルを魅せられるってのも楽しむ範疇にあるはずなのだから。

 

 どんなのを見せてくれるんだ?

 見下ろしてくれる顔に書かれた文句に向かって右手を突きつける。

 裏返しのスペルカード、そいつをピラッと捲って絵柄を見せるとちょっと驚く顔を見せてくれた。その顔は実物見るまで取っておけ、その方があたしが楽しめる。

 

 右手に集めた熱視線、その熱を取り込むように左の煙管をくるくる回す。

 そのまま身体の中央にもってきて、回しながら筒先に狸火を灯した。回る炎の軌跡はさながらまぁるい魔法陣ってところか、込められるものはあたしの妖気で魔じゃないがそこはソレとて。回す速度を上げていくと風切音がキンと鳴る、まるで誰かのチャージ音も盗んだかのように、高い音が周囲に漏れる。

 後は照準用のガイドレーザーを標的、盗んでばかりで盗られる事になれてなさそうな盗人に向けて合わせれば準備万端だが‥‥素直に止まってくれる相手ではないので、コレでもかとオプション増やして手数をばらまく。赤の機雷と青・黄のレーザー、あたしの通常弾で少しずつ追い込んで夢魂の密集する空へと追いやった。

 ここまでやれば十分で、こうまで溜めれば十二分。

 ついでにあの子にも十割気が付いてもらえるだろう。

 片手伸ばして方陣構え、これからあたしが放つモノ、それは誰かさんのとっておきだ。

 

「覚えのないモノ売りつけられたし、きっちり返してあげるわ」

 

 言葉言い切り照射する。

 白っぽく輝く、というか光らせすぎた妖気光のせいで対面する相手は一瞬で見えなくなった。撃ってみてわかったがよくこれで相手を撃ち落とせるもんだ、最初の狙いなんて飾り以外のなにもんでもないと思える。

 それでも本家のそれらしく細かいことは気にせずに轟砲を垂れ流していく。初弾は化かした甲斐もあり魔理沙の魔力をガリガリ削る摩擦音が聞こえていたが、妖気の灯りが収束した後でも魔法使いは飛んだままだった。さすが持ち主、避けるのも得意だったか。

 

「おいおい、人のを――」

「盗んでないわよ? 魔理沙が落ちるまで借りる事にしただけ」

 

 お披露目の第一声こそお前が言うなってものだったが案外気に入ってくれたらしい。

 聞き取れはしなかったが、真似されるのは地底以来だとか、そんな事を笑う少女の唇が呟いた気がする。地底で真似といえばアレ(さとり)以外はいないだろうし、それならそれっぽくとジットリ見つめて二射目を放つ。

 本人が撃ち放った時と似るように大袈裟に後退して、大きな反動があるよな素振りを見せつつ妖気の波動を放出し続ける。本家よりも軽々しく荒っぽく振り回し、逃げる黒白の的を追いかけるが、流石に早くて捉えきれん。移動に関しては間違いなく紅白より早そうだ、ちっちゃいからからか? かもしれん、あっちのちびっ子人斬りもやたら早いし。

 

 その後も三発四発と放光するも、どれも当たらず不発に終わる。

 避けられ続けたおかげで時も使われ、定めたスペルの時間もそろそろ終わりが近い。垂れ流すあたし自身は調子の良さからまだまだ余裕はあるが本家の模倣なんだから時間の方もそれに習わせる。残り時間からすりゃ撃てて後一発か、そう案じて的を見やると撃たれる方もそう踏んだのか、撃ってこいと華奢な手の平を振ってくれた。

 よし、ノセられたのならノリますか、そうして少しは魅せましょう。

 最後だけちょろっと悪戯かましてね。

 

 次で終い。ソレが分かるように人差し指立て見せつける。

 あちらさんは弾幕ごっこに慣れた相手だ、言わずともわかるのだろうが、これは勝負のお決まりというか見得切りみたいなもんで互いこの一番の締めと見せるだけ、お決まりでも理解するにゃあいいだろう。

 そうやって正面切って〆の妖気を練り上げ放出した。

 見た目派手になるように、一層派手に見えるように波動の周囲を雷帯させて、それでもらしさが出せるよう端にいけば逝くほど色濃くなる、今までで最も極太なレーザーを、狙い絞ってぶっ放した。

 

 やたら煩く、やたら眩しく、やたら太くてやたら早い。

 本家の魔光と比べるならこんな状態になっている妖気の奔流。

 受け流し逃げまわる魔理沙もこれを見て驚いたのかちょっと悔しそうな顔をしてくれたが、実態はそう慌てるようなものではないぞ?

 見た目こそ派手だが本当に『見た目』だけで、奔流の中心部はスカスカで、威力の方もお察し、当たりどころが悪くとも一日休みになるくらいだ。中心部は込めた煙を化かしてそれっぽく見せているが当たり判定すらないパチモンで、最初に狙いをつけた位置から魔理沙が動かなきゃカスリもしない、光線の周りを彩る雷鳴にしか当たり判定のない粗悪スペルなんだから。 

 名付けるならそうだな――模砲『真似されやすいマスタースパーク』って感じか。 

 真似るなら中身まで真似ろよ、手元の光のせいで見えなくなった本家に言えばそう言われそうだが、この辺があたしの遊び心だし魔理沙もどちらかと言えばあの花の魔砲をパクってるんだろうし、気にしないでおこう。

 でだ、あたしの的はどこ行った?

 

 悪くない名付けと言い訳まで考えついた辺りで丁度時間切れとなる。

 本当に、相手に魅せるにゃ派手で綺麗だが自分で使うもんじゃないなこれは。戦う相手を見失いやすいなんて、あたしにゃ扱いきれそうにない。派手で綺麗だがもう使わん、そう納得して頷くと視線の中に収まる黒白。着こむ衣装を更に黒っぽくして、箒の穂先辺りからは少しの黒煙を流して落ちていく。これ……あたしが勝ったのか?

 あのベテラン少女に?

 おぉ、珍しい事もあるもん‥‥って考えている暇はなさそうか、放っておけばあのまま落ちて湖にドボンだ。初勝利して機嫌もいいし、今日は拾ってあげようか。

 

~少女移動中~

 

 どうにか拾えた焦げ付く少女。それでもちょっと遅れてしまい、下半身の腿くらいまで湖に浸かりびしょ濡れとなってしまったが、沈む前に手元に寄せられたから拾えた事にしておこう。

 とっ捕まえる寸前で魔理沙から放たれた夢魂、あれに邪魔されなければ芽吹きかけのちびっ子が濡れるなんてはしたない状態にならず済んだのだけれど、手を伸ばした瞬間に少し夢魂に触れてしまい一瞬眠たくなってしまった。それでもどうにか襟首掴めていたようで、吊られた黒白が一瞬目覚めたのと同じタイミングで夢魂が消えてくれたからどうにか眠らずに済んだようだ。

 弾幕ごっこでは障害物として役立ってくれたが、モノ拾いでは邪魔してくれてからに。そんな風に、夢魂に触れていた時間と同じぐらいの時間だけむくれたがその気持ちは一瞬で過ぎていった。

 代わりに満ちる今の気分は申し訳ない事をしたって軽い謝罪の心、少女の夢魂に触れていた一瞬にこいつが頑張る姿が見えてしまった為に、悪い事をしたのかもと、らしくない謝罪なんてのを頭のなかで広げている。

 

 見えた景色は汚い台所。

 積まれた魔道書の上に真新しい菓子の本が開かれていて、頬に甘そうな茶色を塗った魔理沙が笑う情景がなんでか見えた。

 出来上がった物、あたしが摘み食いした出来合いの物とは違う、形が不揃いながらも美味しそうに見えたモノを星型の入れ物に詰め包んで、エプロンのポッケに突っ込んで嬉々と家を出ていくまでが見えたのだが‥‥まぁなんだ、流れが見えてしまったせいで無粋が過ぎた自分を少し恥じる。

 

 これは怒られて当然と、未だ眠ったままの少女の顔を見る。

 拾い上げ、湖の畔で起こした焚き火に当たる少女の顔。

 あたしを追っていた時とは別な、ほのかな橙色に染まって軽やかな顔で寝る少女。

 濡れたブーツやエプロンやらは脱がして乾かしているから先程よりも軽装だが、これは別の部分で軽い、というか浮ついているんだろうな。

 

 今見る夢は先と一緒か?

 そう考えてふとエプロンを手に取る。

 つまみ上げるとエプロンのポッケが膨らんだままだと気がつく。

 中を覗けば可愛い包。真っ赤なリボンでハートが結われていて、誰が見ても大事な物だとわかるのが出てきた。見る限り中身の箱も角が濡れただけのようで、これに入っているはずのとても甘い物も無事だと思えた。

 

 それならと、荷物抱え、少女背負って移動する。

 向かう先は当然あの場所。

 寝て起きないから面倒見ろと押し付ける事が出来るあの古道具屋だ。

 店に着いたら弾幕勝負であたしが勝ったと大袈裟にまくし立て、脱がしたエプロンでもわざとらしくカウンターに置いて、この子もそのままぶん投げてこよう。

 起きたこの子がどんな顔をするのか?

 負けたと聞かされたこの子にあの店主が何を言って宥めるのか?

 真っ赤な織り糸で結われたお菓子を見てあの朴念仁がどうするのか?

 色々と気になる事目白押しだが、それは敢えて見ずに退散すると心に決めて空を進む。少女の恋慕の邪魔しちゃ野暮が過ぎるし、こんな気遣いが出来るあたしはやっぱりイイ女だと思い込んで。背負う少女にあの唐変木な色男を懸けて戦うつもりなどないよと、ちょっとだけ優しく語りつつ飛んできた道を戻っていく。

 夢魂で見たから遺恨はいらんと余計な事も少し考えて。

 あれが無念に終わらずに、甘い想いが実れば良いと、舞い飛ぶ帰路に淡い夢見て。

 

 



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EX その56 曲解

 最近肌を刺すようになってきた午後の日差し、気怠さが増す気候の中を進む。

 羽織っただけのシャツや長いスカート靡かせて。強めに吹く風に弄ばれつつ視線の先のゴロゴロ煩い辺りを目指して。遠くに浮かぶ灰色の雲に時折奔る稲光から、すぐに沛然とした雨模様になるとわかる中、一人ニヤつき飛んでいく。

 

 笑みの理由は朝聞かされた予言。

 今朝方も姿を見せた目覚まし兎詐欺が『今日は天気が良くなりそうだ』なんて淹れたてのお茶に浮かぶ茶柱吹きながら言っていたけど、その予言が外れる予定にあるのが目に見えてわかって、それがあたしの気を良くする理由になってくれていた。

 いつだったか『あたしゃこれでも名予言者なんだよ』なんて神話に出てくるイケメン神様の話を例えに吹聴されたけど、先程から数回横に奔っている稲光から鑑みるに、なんだよ神話の兎詐欺の予言も大して当たらんな、あの年増も存外テキトウな事いうものだと、そう感じられて。ソレがおもしろくて。お天気と比例してあたしの顔は晴れやかになっていた。

 まぁ、そうはいってもそもそもが山の天気、放っておいてもすぐに変わるものなのだし、あの兎詐欺の言い分も同様にコロコロ変わるのだから外れたからなんだって感じだが、そこはただの気分であるため深く捉えないでもらいたい。

 

 そんな風に今朝の小話を笑みつつ、行く宛目指して飛び進む。

 目指す辺りはその灰色方面だが育つ雲はまだまだ遠くに見えて、端っこがお山の頂きにかかるかなといった程度。薄く嗅げる雨の匂いからも後暫くは保つってのがわかるけど、それでも直に振り出してずぶ濡れるハメになるのだろうな。やっぱりてゐの言い草を鵜呑みにしなければ良かっただろうか、いや、育つ入道さんの勢いは結構なものだし傘一つで凌げるような雨脚にはならないだろうから、忠告無視して持ってきたところで手荷物を増やしていただけかね?

 どうでもいいか、どうにせよ降られる事には変わりないだろうし、最悪は馴染みの巣にでもお邪魔して雨宿りさせてもらえばいいだけだ。先の事は先の事として気楽に考え、そのうちに振り出すだろう空模様から未だ見えない鴉共の巣、そして遠くに小さく見える屋根瓦の景色へと、順に目線を流していく。

 

 視線の延長線上には並ぶ屋根、細く伸びる道、そこを行き交う人々。

 もう直訪れる雨に備え帰りを急ぐ町人や、端午飾りにでもするのだろう菖蒲の花束を抱えて歩く人が軒下に消えていく姿が見え、その奥には雲の大きさからこの先強い雨脚になると読んだ商人が軒からはみ出して並べている商品を店内に下げる様子や、編み紐片手に畑に向かって行く農民の姿も見えた。

 小走りで向かう誰かの背を追ってみると、その背は伸びかけの緑の中へ消えていき、すぐに見えなくなっていった。どうやら先に田畑にいる者らと合流し収穫するには早すぎる青麦やまだ若い稲穂なんかを束ねているようだ。

 そうさな、彼らの動きに習って言えばこの先降り出すのは三束雨(さんぞくあめ)ってところか。

 大事に育てている後の実り、それを奪うはサンゾクで、横取りされないようにするのもこの季節ならではで例年見慣れている光景だが、常々変わるお天気に合わせ働かざるを得ないのも大変な事だと思える。しかしサンゾクか、ならばあたしも少し急ぐか。唯でさえ少なめなあたしの温もりを怖い怖いサンゾクに奪われてしまっては大変だ、そうなる前に目的地へ向かうとしよう。

 

 眼下に見えた人間の里、ちょっと前まであたしが微睡んでいたところを尻目に動く。

 向かう先は先述通り、その(いただき)に雲を頂く高いお山。普段であれば山の麓から歩いて登りお山の神社の引っ越し騒ぎでおめでたくないツートンが駆け抜けた、もとい飛び抜けた、この時期益々茂っている妖怪の樹海を散策したり、もう一人のツートンカラーが荒らした未踏の渓谷で涼を取ってみたり。後は近くにある間欠泉地下センターに顔を出してせっせと働いているだろう愛しい地獄烏の様子を見に行ってみたりと、そんな事をしながらお山を登っているが、今日は寄らずに目的地へ向かっている。

 時期柄少し蒸すような、肌にまとわりつくような空気を感じるから、渓谷には立ち寄って涼みたいなって甘えた心もチラついたけど、ここで甘えて遅れれば唯でさえ口煩い依頼人達が更に煩くなりそうなので寄り道は諦めて先を目指そう。

 

 因みに先に述べた箇所はどこも良い所で、妖怪の樹海は静かで何も考えずに過ごすのに素晴らしい場所だ。いい機会だし少し紹介しておくと、樹海はその季節になれば秋の神様が彩った紅葉に埋め尽くされてなんとも言えない景色になるし、その侘しさを浴びすぎて二つ名の通り人寂しいなと感じてしまったら、この近くに住んでいる厄神様の処にでも行けば楽しく世間話をする事も出来るから、機会があれば立ち寄ってみるものいいと思う。

 未踏の渓谷も同様に景観麗しい場所だ、むき出しの大きな玄武岩を眺めているとその力強さに圧倒される事請け合いだし、逆に渓谷を流るる川を見てみれば風に流されてきた落ち葉が水面を揺れていく雅な情景も見られる。さっくり言うなら力強さと風流な絵が一箇所で見られる、一粒で二度美味しいような場所って感じだろうか。

 

 勿論最後の間欠泉地下センターもいい場所だ。

 真っ当なエネルギー施設として稼働してはいないがそれでも年中暖かくて冬場の暖を取るには最高の場所だし、あそこには年中馬鹿明るいお空もいるから暖かな季節以外に訪れて心の暖を取る事も出来るしな。

 あたしから見れば後者がいるってだけで素晴らしいからこれ以上語る必要もないがそれでもそうだな、あの子の名誉の為にここは敢えて付け加えておくか。このセンターを建てた神様達は地底にある灼熱地獄跡のエネルギー盗用を既に諦めている、けれどもあの子は今でも炉の管理を続けているみたいだ。捨てられた施設を管理するなど無駄な行為に思えるかもしれないが、あの子が管理を続けているから地霊殿の温泉は素晴らしい湯を称え続ける事が出来ているし、何より与えられたお仕事に励み輝く汗を額に浮かべるあの子が可愛いので、管理する事自体に意味があろうがなかろうが些細でどうでもいい事だろう。

 ん? ここまで語っておいてなんだが話題が少し逸れた気がするな。観光名所の紹介をしていたはずがいつの間にか愛くるしいあの子の自慢話に筋が逸れているような気もする‥‥が、まぁいいな、ダラダラ考え事をしている間に目的としていた九天の滝に着いたのだから、細かい事は止め処なく落ち続ける水に流して忘れるとしよう。

 

「今時期は涼しくていい場所よね、ここは」

 

 誰に言うでもない独り言をポツリ漏らすも、その声は飛んでくる水飛沫と轟く落水に吸い取られた。あたしのぼやきを受け止めてくれたのはそびえ立つ水色、眼前いっぱいに広がるそれはもはや水彩の壁と言ってもいいか。そんな水の壁近くを滞空しているせいで飛び散る飛沫があたしの視界を滲ませてくれるが、それは気にせずシャツで拭って、目当てのモノを見つけようとやる気のない目に力を込める‥‥けれどそこはあたしのお目々だ、どれほど込めようと元がないのだからやる気で満たされる事はない。

 だがそこも当然自覚していて、目では探す振りをして、耳では別のモノを探す。素直に聞けば響き立つ水の音に邪魔されるけれどそこもあたしだ、ちょいと能力行使して滝の音だけを逸らしもう一つのお目当てが立てそうな音を探す‥‥が、生憎こちらも聞きとれなかった。これは読みが外れたかね、いつものこの時間ならパッチンパッチン聞こえるのだけれど。

 

「椛は‥‥いないか、にとりもいないのね」

 

 会いたい時にいないんだから。後に続けてしまいそうだった愚痴は飲み込み、誰もいない滝を前に留まる。いつもなら入山してすぐ、もしくはお山の敷地に入る寸前に不機嫌そうな顔を見せてくれて、貴女はまた勝手に入ってきてと千里眼を細めてくれる生真面目に会えるのだけれど今日はまだ会えていない。あの子ってばあたしの用事のない時はお小言を言ってくれるのに用事のある時には姿を見せないなんて、やっぱり強かな娘なのかもしれん。

 

 で、ここからはどうしたもんか。

 手っ取り早く済ませるならこの地を良く知る椛か山童仲間が多くいるにとりに聞くのが早い。

 そう案じてここに来たのに。

 普段はアッチから来るのに現れないのならきっとコッチにいるだろう、監視の仕事にかこつけてまた発明馬鹿と将棋でも指しているんだろうと、そんな読みで滝へ来てみたもののこっちにも彼女の姿は見られなかった。

 二人にちょっとしたお願いをするつもりでここまで来たのにいないとは。まったく、山住まいの妖怪だからって天気と同じく読みにくい動きをしなくてもいいのにね。そんなぼやきを漏らしつつ、とりあえずお邪魔するわと声には出さず唇だけを動かして、手土産に持ってきた包の一つをあの娘がよく佇んでいる辺りに置いておいた。

 

 で、彼女達はどこにいるんだろうか? 

 どこかをほっつき歩いている事も多いにとりは兎も角、頑なに山から出ない椛がいない理由がわからん。が、今日は素直に諦めるとしよう。出来ればあの目をお借りしてちょいと探してもらいたかったのだけれど態々探すほどでもないし、ここにいてお願い出来ていたとしても大概は断れられるわけだしね。

 余談だが、それでも土産物で釣ると少しだけ手伝ってくれたりするのが彼女だったりする。困ったようにちょっとだけはにかんで、毎回『今回だけですよ』と言って目を貸してくれるあの子は結構可愛い。今日は見られなかったがあぁやって真面目にお仕事をこなす姿も凛々しくて少しそそる、同時に疑問に感じる姿でもあるけどね。自慢の視界にはあたしが写っているはずなのに毎度注意力が逸れてしまい立ち入っても問題ないと思ってしまうのはどういった心境にあるのか、機会があれば是非共も聞いてみたい。

 

 ふむ、聞くといえば自分にも当て嵌まるか?

 今日のあたしも以外と素直に話を聞いてやったと思える、手間がかかる探しものなんてのはあたしらしくもない気がするのに何でまた引き受けて‥‥いや、そこを考えるのはやめておこうか、先の余談もあるしこれ以上余計な事を考え続けるのはちとマズイ気がする。こうなった場合のあたしの頭は面倒で要らぬなものまで考えてしまう事が多い、そうしてそこから逸れてまた違う物について思案し始める前にやめておこう、でないと面倒に拍車がかかりそうだ。

 

 湧いて出た自問に即答しつつ脳裏には依頼人の顔を浮かべる。

 今頃はあちらも忙しくしているのだろうなと、里の道具屋で買った荷を抱える教師の姿を夢想した。あたしに今日のヤマ(面倒)依頼して(押し付けて)きたのは里の顔とも呼べる誰かさん‥…が、代表で言ってはきたけど実際の依頼人はまた別人だったな。そうだね、目当ての物もすぐには見つからないだろうしうろ覚えのまま動くのは少し癪だし、こっちも軽く思い返しておこう、切っ掛けは確か――

 

 

「珍しい二人が並んで楽しそうだが‥‥お前は相変わらず暇そうだな」

 

 馴染みの甘味処で甘い物をつまんで悦に入っていたあたし達に届いた声。

 いつもいる店舗前の長椅子に根を下ろして。いつものように微睡んで。

 店先に飾られた金魚鉢の中身をゆらゆら目で追っていたらゆらゆら漂う竜宮の使いを見かけて。それから暇なら偶にはお茶でもしましょとナンパして、とっ捕まえた相手のパッツンパッツン具合とあたしのはだけ具合を比べて笑っていた時だ。ガールズトークに花咲かせるあたし達とは違う、締りのある声が聞こえた。

 

「そうね、おかげさまで変われず暇に弄ばれてるわ。それでも今日は衣玖さんが‥‥って、衣玖さん?」

 

 声の主の方は見ずに、視線は揺れ柳と揺れる羽衣を収めたまま、火種を落とした煙管を弄びつつテキトーに言い返し‥‥って、なぜに羽衣が視界に入るのか、今の今まで隣に座り軽い呆れ笑いを聞かせてくれていたのに。

 と、一瞬考えている間に何か悪い空気でも読んだのか静かに衣玖さんは飛び去った、いや既に飛び去っていた、だな。小さくなっていく背中に声をかけると顔半分だけ振り向いて清楚に微笑むパッツンパッツン。静々とお手々を振りながら緩めた頬には『私は関わりません』てのをデカデカ書き記して、その場にいなくて当然てな顔ですぐに見えなくなってしまった。

 

「あの人も変わらず自由なようだな、しかし変われずとはなんだ? 何か思う事でもあるのか?」

「特には、今のもただ口から出ただけよ」

 

 なんだよ、何か読めたのならソレくらい教えてくれても罰は当たらないのに、つれない天女様だ。そんな心を瞳に込めて高嶺の花を恨めしく見ていると、こちらもこちらで自然な流れでお隣さんが変わったようで、天上に住まうパッツンパッツンから地上で暮らすたわわな者に話相手が変化した。

 飛び去る天女を見送る教師がついでの口振りであたしに向かって問いかける、それに対してあたしも習い口をついて出ただけのモノを言い返す。当然それは伝わってお隣さんの眉間には勘繰るような皺が少し寄るが、あたしの言う事などほとんどが口先三寸で出たモノなのだから気にするなと、内面通りに言ってみる。

 するとお前はまたなんて小言と共に聞こえる小さな吐息。落胆から生じるものではなく本当にいつも通りなんだなって納得するような、そんな色味の吐息が整った口から漏れ出た。

 

「まぁでもこれから忙しくなるんだけどね」

 

 せっかく話しかけてくれた相手がこぼす息、里で人気の美人さんが物憂げに漏らす吐息を浴びるというのも乙なものだが、これをそのままにしておくのは友人として面白く無い。そう感じたのでなんともないネタを振ってみる。

 それでもそう言ったところで忙しくなるようなモノなんてなにもない。強いて挙げれば今はゆったりとお茶を楽しむ事に忙しいから既に忙しくなっているってのが正しいか。話して数秒過ぎても反応がないので気にせず湯のみの残りを煽る、そのまま飲み切ってお盆に湯のみを戻した頃に漸くの返事が聞けた。

 

「これから? また何かしでかすつもりか?」

「出会いから質問ばっかりね、というかまたって何よ? 里で悪さをした覚えはないんだけど?」

 

 質問に質問で返してみたが先生からのお叱りは飛んでこなかった。

 寧ろ静かになる慧音、動きが気になり見つめると見慣れた青いスカートに揃えた両手を添えていた。それから視線を上げていくとたわわな胸元の赤いリボンと長い髪を風に流す姿が映り込む。こうして隣に座ったり肩を並べて立ったりするとあたしよりも小さいのに、どうしてこうも一部分だけ成長著しいのか?

 問いかけた事よりも気になる部分、どうしても気になる部分をねっとり見つめていると、眉間の谷間と注視していた別の谷間が若干深くなった。こんなサービスしてくれるなんて珍しいと思うが‥‥単純に腕組みしたから寄っただけでその気はないらしい、あたしの熱視線にそんな目で見るなと熱弁で返してくれる里の守護者。

 

「なぁさっきから、ちょっと話にくいからやめてくれないか」

「見えるものを見てるだけで何もしてないじゃない、やめてと言われるのは心外だわ」

 

「その舐めるような目をやめてくれと言っているんだ、というより話を逸らさないでくれよ」

「舐めたら後が怖いわ、バレると燃やされたり叩かれたりしそうだから見るだけにしてるのに。それに、逸らしてるつもりもないわよ?」

 

「だからそうやって話の筋をだな‥‥いや、もういいよ」

「もういいなら最初から言わなきゃいいのに、それで慧音が言いかけたのは何よ?」

 

 あたしは本当に何もしていない、先に掛けられた声はただの世間話と思ったからそれらしくどうでもいいように返しただけだったはずだ。それなのに話を逸しただの話の筋を曲げただのと、好き放題に言われてしまう。

 これがあたしの能力故なのかそれとも性格的な、ものからくるのだろうな。なんというか自分自身の思考すら知らぬ内に逸れていってしまうのがあたしなのだから、口から出る文言もそれとなく逸れるような物が混ざるのかもしれない。

 降って湧いた疑問に一瞬で答えが出たのでふむ、と、一人頷き空の湯のみに手を伸ばす。それからおかわりを頼む、つもりが湯のみを置いたお盆に届くおかわり二杯。横目で見るとお茶を運んできた店の娘と目が合った、いつもより強く感じる看板娘の視線、なにか言いたげに見えるがなにがあるんだろうね?

 

「悪さとは言っていないさ。里の景色を眺めながら何か考えていたように見えたからな、また何かしでかすのかと思ってな」

 

 並んだ湯のみの片方を手に取った女教師、少し温くて甘みが強く感じられるソレを一口二口含んで舌を湿らし、新茶はいいなと切り出してそのまま残りも語り始めた。

 揃えた足に両手を添えて、持った湯のみの中に映る自分を眺めるような角度で言ってきたが何の事やら。騒ぎとはなんだったか、同じく腿の上に湯のみを添えて似たような姿を取りつつ思い出す。薄緑の水面に映る自分の顔を見返し考えていると、自答を得る前にヒントが示された。

 慧音の手が動き指先が丸くなる、それから右手は握って添えて、トントンとリズムを刻み始めた。見た目から手馴れている動きだが、慧音も一人暮らしが長いわけだし料理の仕草くらいは堂に入るように見えて当たり前か。

 それはそれとて、コレから繋がるとなると‥‥あぁ、読めた。が、何も理解していない、出来ていないと伝えるように呆けた顔は敢えて変えない。でないと面倒な流れになる、そんな匂いが新茶の奥から嗅げた気がするから。

 

「何の真似?」

「白々しいな。お前の方こそ隙間のモノマネでもしてるのか?」

 

「真似るならもっと不真面目な態度を見せてるわ。何か言われる前に言っておくけど、アレならあたしからはもうやらないわよ」

「そうなのか? ああいった騒ぎも好きそうだと考えていたのにもう執り行ってはくれないのか、うちの子供達も楽しんだようだったからまた機会があればと思っていたんだが」

 

 直接口にはしなかったがやはり読みは当たったようだ。

 慧音が言うのはあれだろう、いつか里で開いた寺子屋で学ぶ社会科見学の事だろう。

 あの騒ぎを練っている間は確かに楽しかった、またやってもいいかもと思えるくらいに頭を使い企んだ。けれど同時に企みが成らずに凹んだ夜でもあったな、下手すれば友人を失うような事にも成り兼ねなかったし友人以上の者だって‥‥と、言われた晩を脳裏に浮かべていると無意識に手を動かしていたらしい。教師の目線に気が付いてそれを追うと捲り上げられたシャツの袖があり、残る傷の跡に沿って撫で動く指もあった。

 

「あぁ、そうだったな‥‥そんな事もあれば再度やろうとは思わないか」

 

 撫でる動きから察したのか、少しだけ気負うようなバツの悪い顔になる先生。

 そうやって気遣ってくれるのは嬉しいがコレはコレで悪いもんじゃない、寧ろ態々残してくれたモノとしてあたしはありがたいとすら感じているのだからそんなに気にしないで欲しい、というかあたし以上に気にしていそうな顔もやめてもらいたい。

 ならそうだね、ここは話の筋を戻すよう別の話題を振ってみよう。

 

「コレはコレで別口だからいいんだけどね、それより夜遊びを楽しんだって、そんな事教師が口にしていいの?」

「そこはまぁ、触れないでくれると助かるかな」

 

「あっそ。そう言うなら触れないけど‥‥変なところも柔らかいのね」

「何か言ったか?」

 

「なんにも、それで?」

「また一つ頼みがあってな‥‥先に言っておくが昼間の方での頼みだよ」

 

「言われずともそれくらいわかるわ、で、聞くだけ聞くけど何をどうして欲しいのよ?」

「簡単な話だよ、家庭科は私でも教えられるが音楽や喜劇鑑賞となると私だけでは難しくてな」

 

 先には逸らすなと言ってきたのにこのあたしに戻されるとは、この教師にも案外抜けた所があったものだな。軽く含んだ笑みを見せるとあたしの期ご機嫌が戻ったように見えたのか、姿を見せた理由を話してくれた。

 言われてなるほど、確かに簡単、ここまで言われれば理解は容易だ。そうしてやるのも簡単な事で頼られるのも悪い気はしない、けれどもプイと横を向く。正直イヤなわけでもない、毎度毎回煙たがられてばかりなあたしの心情としては友人からの珍しいお願いを聞いても構わないのだけれど、今回は嫌だとはっきりした態度を見せてみた。拒否の理由も単純だ、ここで断らないと次その次もと毎回やらなけりゃならなくなる、それは非常に面倒くさいのだ。

 

「そういった事なら雷鼓やこころに直接頼んだ方が早いと思うわ」

「そうも思ったんだがな、見かけてしまったらついつい。手っ取り早く頼むのならアヤメに話すのがいいと気が付いてしまってね」

 

「あのねぇ……最近多いんだけど、皆あたしの事をなんだと思ってるのかしらね」  

「そう言わずに、な?‥‥ダメか?」

 

 慧音の顔に書いてある『それで返答は?』という文字はあたしには難しくて読めそうにない、だから放置して、遠くの空を眺め煙管に火を灯しながらの返答をする。

 二三回ほど副流煙を撒き散らし流し目で伺うと、先とは違ったバツの悪さを浮かべた顔があたしの顔色を伺ってきた。上目遣いで、あたしよりも輝かしい銀髪をゆるく流して願い出てくる慧音、これはまた新鮮な絵面が見れたものだ。

 いつもなら同じ上目遣いでも目線は厳しいもので、またお前はって雰囲気をビンビン発してくれるのに、今日は甘えるような柔らかな視線で‥‥なんとも心地よくて可愛らして、思わず無言で見続けてしまう。

 

「なぁ、なんとか言ってくれないか?」

 

 放っておいたら言われたお言葉、無視されたのが少し障るのか、先よりも僅かに訝しむように綺麗なラインの眉が寄る。が、それもまたいい顔で、なるほど、あの焼き鳥屋が入れこむ愛らしさはこういう部分かと納得できた。勉学を教示する立場のくせにこんな顔も出来るとは、さては寺子屋でもこうやって教えているんだな? 厳しく教えて甘い顔も見せて、性格と顔つき通りムチとアメを使い分けるとか小器用で妬ましい。

 そうやって妬んでから暫くの間可愛らしい願い顔を眺め、内外共にニヤケていると本格的に焦れたらしい。少し前に口に含んだ一番茶でも揉むような動きで、合わせた手を小さくすりあわせ三度目の正直を聞いてくる。

 これにはちょっと感心した、この石頭がホトケ様なあたしに向かって三度頼み込んでくるなんて。これは少し洒落ていると思えるな、本人は狙っていないのだろうが悪くない冗談の一つかなと思えてしまって、同時に流石に引っ張りすぎた気もしてきたので、素直にダメだと伝えてみた。

 

「ダメか‥‥それは残念だ‥‥」

「そもそも順番がおかしいのよ、寺にでも行けばこころがいるだろうし、鈴奈庵で待ち伏せしてれば雷鼓だって来るでしょ? まずは本人に話を通してからあたしに言いなさいな」

 

 見上げてくれていた顔に言い切って最後にらしくない事まで付け加えると、こちらを見つめていた目線が下がり手元の湯のみに落とされる。

 なんだ、今度は憂う姿も魅せてくれるってのか、美人さんはどんな姿を見せても美人‥‥と、そうじゃないな、これは素直に落胆しただけだ。肩まで落としてうなだれる慧音、とまではいかんがその見た目から気落ちしたのは十分わかる。

 言い過ぎた気なんて毛頭ないが見た目にわかってしまうくらいに気持ちが沈んだ美人教師、あたしとしてはただの世間話の延長、慧音のお願いってのも世間話の話題の一つ程度に感じたのだが、ふむ、先に見せた顔は真剣味があったからこそ見せた顔色だったのかね?

 気になってきたし、少しつついてみる。

 

「しかしなんでまた? 里での騒ぎなんて喜ばしい事じゃないでしょ?」

「話しただろう、昼間の方の騒ぎでお願いしたいんだ」

 

「聞いたけど、お祭り騒ぎをするには時期が悪いんじゃないの、子供らだって家の手伝いとかあるでしょ、ねぇ?」

「確かに忙しい季節だが今回は私が言い出したわけではないから、なぁ?」

 

 視線を流して返答すると慧音も同じ方を向く。二人で見つめる先には子供、この店を営む爺の孫で慧音の開く寺子屋に通う娘がいた。先に問いかけたあたしからの「ねぇ?」には視線を逸らされてしまったが、慧音からの『なぁ?』には反応しお盆と店の前掛けを握ったまま小さく頷いた。

 そうかい、言い出しっぺは慧音ではなく寺子屋のガキ共だったってわけか。それなら少しは考えてやらん事もない、あたしの事を手抜きの姉ちゃんだの抜かすガキ共に喜んでもらおうなんて思わんがこの茶屋には手土産だなんだとお世話になっているし、その世話返しのつもりと思えば手を貸す理由にならんでもない、将来化けるかもしれん看板娘に恩を売りつける事になるなら吝かではないが、そうだな、やるなら次は何をしようか。

 気は乗ったがこれといって思いつくものもない、かといって前のような、下手なお祭り騒ぎをすればこの忙しい時にやらかしてと避難を浴びるのも必然だ。あたしは浴び慣れているし憎まれっ子としては願ってもない事だが、今回は子供らの発案でなにかあった場合に矢面に立つのは慧音か。里の守護者が里の保護者からやっかみを言われるのもまた楽しい絵面かもしれんが、そうなると子供らは叱られるだけで笑えないか。では騒ぎにならん程度の遊びならいけるか、ちょっとした子供の悪戯位なら何を言われる事もなかろう。

 

「それでなんだがアヤメ、次も――」

 

 考え事を始めた頭に次もと聞こえた気がしなくもない、けれど二回も同じ事をする気はない。

 しかしネタは浮かばない。なんともなしに拝む空、何も浮かばない自分の頭に似た上の空を見やる。そこひ広がるのは青色だけで後は遠くに雲があるくらいのなにもない里の空。殺風景で飾り気のない見るのに慣れきった‥‥か。ふむ、それならここにちょっとした変化をつけるか、あたしらしいと思えなくもないし丁度そんな時期でもあるしね。

 

「そうねぇ、家庭科も音楽もやったし次は図工でもやりましょうか‥‥あたしは画材探しに行ってくるから、慧音は大きな布と膠でも探しておいて」

 

 何かにつけて物臭なあたしからモノ作りなんて出ると思っていなかったのか、傾いでしまう教師の頭。それを笑って再度伝える、次の遊びは図画工作、皆でお絵かきでもしましょと。ネタをバラしても先生の傾いた頭は戻らなかったけれどそこには気が付かなかった事にして煙管咥えて煙を吐く。それからわざとらしく、視線を集めるように煙を吐いて、ちょっと動かし形取った。

 似せた姿は空を泳ぐ大魚、門を登って天へと向かう一尾の雌鯉―― 

 

 

「あ‥‥マズったわね」

 

 軽く舌打ちして我に返る。

 これはどうにも、ちょっと思い出すつもりが回想が長すぎたようだね。

 気が付くと山の天気はしっかり荒れていて、聞こえていた音なんかもすっかり変化していた。遠くに見えていただけの雨雲は今では頭の上に覆い被さり、そこからもたらされる物も当然にして降り注いでいた。

 周囲を洗い流していく雨。身を打つ雨脚は小洒落て五月雨だの麦雨だの言えるような余裕もない、鶴瓶を井戸毎引っくり返したような雨で見える範囲全てを覆っている。これはあれか、里で空を泳ぐ魚の話なんてしてきたからこんな状態になってしまったって‥‥うん、これもやめておこう。いらん事考えてこうなったのだから、今は案ずるより動くが易かろう、とりあえず雨を凌げそうな場所を探そう。

 見えにくい周囲を見回すとふと目に入った小さな岩場、洞窟とまでは言わないが身を寄せられそうな雰囲気がする場所が目に留まる。あたしが身を寄せるにはちょいと狭そうだが濡れないならそれでいいし、ちょっとお邪魔しよう‥‥と、顔を突っ込み伺うと、少し動いて固まるナニカ。

 

「先客がいたのね。ちょっとお邪魔するわよ」

 

 見えたナニカ、もとい誰かに声をかけるも返事はない。

 静かに、長い垂れ耳を時折跳ねさせるのみで、様子見するような雰囲気だけが伺えた。

 それならソコは合わせてやるか、あたしとしてもただの時間潰しだ、長居するつもりはないのだから特に絡まず無言で過ごそう。歩を進めると動く耳、さもこちらを気にしていますって中々に可愛い反応を見せてくれてちょっと絡みたい心も湧くが、ソコは我慢しまずは脱ぐ。着続けるには気持ち悪いシャツを脱ぎ一払い、ピっと周りに飛沫を振りまいてそれから近くに伸びている枝にかけようと‥‥って、枝じゃないなこれ、節くれ立った金物のコレはなんというか昆虫の足っぽいか?

 でも虫にしては幾何学的な雰囲気も、ん? 洞窟内に生える足ってのも気になるがその奥のアレは‥‥

 

「お、こんなところにあったの――」

「気安く触らないでもらいたいな」

 

 目に留まった物に触れようと差し向けた手は彼女の冷えた言葉で遮られた。

 思わず止まるあたしの動き。伸ばしている手は大きな節足の奥、山積みにされた金属片の影に見られる青いやつに向けていたつもりだが、どうやらこの兎ちゃんには金属に手を伸ばしているように見えたらしい。勘違いも勘違いだが場の空気からすればそう見えて当然だろうし、何やら機嫌も悪そうなのでここは一先ず言う事をきこう。

 止まった形そのままに声の主を見返すと目が合う。生やす兎耳に似合いの赤眼、何処かでよく見る真っ赤なお目々に似てはいるが、あたしがよく知る相手の雰囲気はもっと柔らかでこの子からはまた別の空気が臭う気もする。言うなればそうだな、この子の視線はもう一人の兎詐欺がよく見せる目で、懐疑心ってのがたっぷり含まれているような目に感じられる。

 

「手は止めたけど、まだ何か言いたげね」

「あぁ、もう一つあるんだ、いい?」

 

「言うだけならお好きにどうぞ、でも出てけってのは勘弁よ?」

「それさ、勘弁出来ないって言ったら出ていってくれるのかな?」

 

 最初に譲歩したせいか、強気に出て行けとを言われてしまう。

 くれる目線とは間逆な緩い口調で出て行けと、随分冷たい事を言ってくれるが、もう少優しくしてくれてもいいんじゃなかろうか?

 お前さんの上司に当たるあいつ(てゐ)だって偶には優しい事を言うもんだぞ?

 ソレを習ってもうちょっとこう見た目通りの柔軟さを見せてくれてもいいんじゃないかい?

 その袖の緩い橙色のシャツやゆったりしたかぼちゃパンツみたいにあたしにも緩い対応をしてくれてもいいんだぞ?

 

「聞いているのかな? 出て行かないなら‥‥いや、あれ?」

 

 思い悩んで傾いでいると、あちらもあちらで何かを思い悩む仕草。

 被る茶色の帽子に手を伸ばし上から抑えて悶々とした顔で洞窟内をウロウロし始めた。

 

「……前にも何処かで……でも何処で?」

 

 暗い穴蔵彷徨いて、聞き取れないくらいの声でブツブツ漏らす妖怪兎。

 何か考えているのならそうやって口にしないほうがいいと思うのだけど、妖怪化して日が浅いからそこまで頭が回らないのかね。それとも思考が漏れても問題無い相手だとでも思ってくれているのかな。だとしたらありがたい、偶に毛繕いしたり餅搗きの手伝いをしてやった甲斐があるというものだ。

 ちょっとだけ嬉しくなり、ふふっと漏らすと彼女の足音が消える。あたしの笑みに何か引っかかったのか、素足でペタペタ歩きまわったかと思えば不意に立ち止まって忙しい兎さん、ポツポツ漏らした単語の『姫様』ってのを最後に、餅搗き好きらしい足音は消えた。

 

「で、スッキリ出来た?」

「なんの事?」

 

「考え事してたみたいだから」

「ああ、それならなんでもないよ、忘れていいわ」

 

「出てけって言われたり忘れろって言われたり、今日はお願されてばかりね。そういう日なのかしら? 厄日だわ」

「私のは願いではなく‥‥いや、いい。それこそ忘れて」

 

「はいはい忘れてあげるわ、でその代わりなんだけどソレ、頂戴」

 

 地獄の誰かがするように笏の代わりに煙管で指す。真っ直ぐに兎ちゃんの腹を指し示すと抵抗のある顔で睨む彼女。モヤモヤ悩んだりフワフワ命令してきたりと、どうにも歯切れが悪いな。兎なら兎らしく、丈夫な前歯があるのだから出来ればそれらしく言ってもらいたい。

 そんな気分が前に出てついついあたしから切り出してしまった、流石に強引、突拍子もないタイミングだと自分でも感じるが、元々九天の滝に物探しに来たのだから急転直下な会話の流れになってもやむ無しだな。

 そう納得し頷くと、向かい合う子もあたしの動きを気にするように同じように首を動かす。この子もやむを得ないと思ってくれたってか、んな事はないしどう思おうが構わんか、あたしがそう思えたのだから今はこれでいい。

  

 そのまま暫し睨み合うもすぐにあたしが飽いた。

 ここらで少し気晴らしするかと煙管に火を灯すと、先ほどと同じように帽子をかぶり直す彼女。それは癖かい、それともそうして見せてくれているのかい?

 目深に被りそのまま固まる金髪兎、持ち上げた腕にシャツが引っ張られて捲れ上がる、するとそこには可愛らしいオヘソが見えた。ほう、洋装のあたしは出しっぱなしでそれも良いと思っているがこうやって偶に見えるのも中々に甘美だ。きっと成り立てなんだろうにそういった事も知っているとは、流石は旺盛な種族だな‥‥って今見るべきはそこではないな。

 何を考えこんでいるのかはわからんがそうやって悩むってのはどういう事だ、言いたい事言ってすっきりしてるんじゃないのか?

 それとも何かね、そんなに大事な物だっていうのか?

 悩むほど大したもんでもないと思うぞ?

 お前さんの後ろにあるのはただの岩で、絵の具の材料くらいにしかならんからな。

 

「どう? 頂けるなら退散するけど」

「あんた、コレがなんだかわかってて言うのか?」

 

「知らん物をくれなんて言わないわよ、いいからその藍銅鉱? 孔雀石かもしれないけど、ソレ、譲ってもらえない?」

 

 再度煙管を差し向けて、そいつを寄越せと述べてみる。

 それから煙管の先を少し弾いて目の前で仁王立ちを続ける子の顔前で揺らす。どうにも伝わっていないと思えて、それならそこを退け、そうしてそこをよく見てみろと、あたしが欲しているものへ視線を誘導させていく。

 

「ランド‥‥クジャクイシ?」

「そうそう孔雀石、その後ろのガラクタの奥に転がってるやつよ」

 

「‥‥こんな物、何に使うのさ?」

「絵の具にするのよ、知らないの? ってまだ知らないか。それならそうね、気になるなら帰ってから上司か姫様にでも聞いたら? あそこの連中なら知ってるはずよ」

 

 あ、でも鈴仙は知らないかもね、と、あたしが最後まで口にする前に動き出す彼女。くるり振り返りあたしが指した辺りにある石を持ち上げて、こちらに向かって放ってきた。

 ふむ、何か含みのあるような顔で投げられたがこの石にどんな意思を込めたのだろう。少し気にならなくもないがまぁいいな、求めていた物は手に入ったし後は話した通りにしてあげよう。

 

 放られたソレを受け取って、感謝の心はウインクで返しておく。

 けれどもその感謝は正しく伝わらなかったみたいだな、さっきと同じような懸念する顔で見返されて終わってしまった。これも知らない仕草の一つだったかね、よくやる輝夜との挨拶だけれどこの子には伝わらなかった模様。なんだ、姫様なんて口にするものだからこの子が姫に付いていた兎さんかと思ったが、どうやら違うらしい。

 でもまぁいいか、この子が永遠亭に行けばまたこの子に会えるのだろうしその時にでも詳しく聞いてみればいいだろう。ついでに輝夜やてゐの前で新人教育がなっていない、あんな勘違いをするような思い込みの激しい子を一匹で縄張り外に出すなんて可哀想だ、なんて説教でもかますかね。

 

 お手々に収まる石ころ転がし、ニタニタしながら穴を出る。

 笑いのネタをコロコロ変えて。

 短時間の雨宿りだったがその簡に雨脚は弱まってくれた事に笑い。

 お願いしたりされてみたり、コロコロ変わった今日の立場ってのも笑って。

 それから後にあるだろう永遠亭でのお楽しみも笑って。

 そうやって笑んだまま里へと戻った。



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~ものがたり~
EX その57 ものわずらい


 数日前の物拾い、見知らぬ兎とお山で会ったあの時の雨を切っ掛けに薄暗い毎日が続く。日によって打ち付けるように降り注いだり、大気を湿らせる程度だったりと、その日その日で勢いに違いはあれど、あれから連日飽きもせずに降ってくれて、今ではすっかり梅雨が似合いの幻想郷。

 

 なにはなくとも雨というくらい振り続けてくれるおかげで気温も下がってくれて、我が家の流しに開けた小さな虫籠窓から冷めた風が抜けるようになり、暑さに弱いあたし自身は毎日が非常に過ごしやくて心地よいがそれは自身の事だけだ。身の回りを見れば快適で暮らしやすい事ばかりでもなく、他の部分では少しばかり過ごしにくく、機嫌の方は体調の良さに比例して今の空模様によろしく、少し陰っている。

 

 あたしの機嫌を傾けてくれるのはこの時期特有の悩み事。

 湿度が高い日が続いて洗濯物が乾かず困るのは当然として、こうも湿る日が続くと箪笥にしまったままにしてある昔の着物に悪いとか、うちの楽器が集めている楽譜にもよろしくないとか、そういったよくある事にも悩まされたりしている。けれど、これらは季節柄感じられる事であり、幻想郷に暮らすのならば気にも留めないような当たり前の事。日常を活きる中には当然有り得るものであり今更悩むほどのものでもないのだが、今日はやたらと気になっている。

 

 それなら何か気晴らしでもすればいい。

 いつもの様に何処かへ出かけてみればいい。

 アソコに行けば何か暇潰しがあるかもしれない。

 そんな風にナニカで発散しようかと考えてもみたのだが、あたしの好奇心は過ごしやすさに負けたようで、すっかり湿気った状態だ。それでもただ引き篭っているだけには耐え切れず、何故か定期的に届けられる未購読な天狗の新聞を読んでこの地のニュースを仕入れてみたり、雨でも変わらず朝を知らせてくれる兎詐欺にこの間の出会いの事を問うてみたりと、家から出ないが出ないなりにお外の事情も知るようにはしていた。

 

 涼やかな流しにより掛かり一服始める寸前の今もそのうちの一つ、朝露に濡れた艶やか鴉共が届けてくれた新聞を読んで、今この地で一番ホットらしいニュースをチェックしている。

 記事の中身を少し紹介するならそうだな、まず目につくのは天狗の可愛らしい丸文字か。何度か話しているから知っている人もいるかもしれないがあいつの書く文字は何処か角が削れているように見えて、角が取れているようにはまるで思えないあの性格とは間逆な愛らしさってのが多分に含まれているように感じられる。

 褒め言葉のつもりでそれを本人に言うと、私は速度優先で流し書きが多いからこんな文字になるのよ、なんて、ちょっと照れつつ強く否定されるのだけれど、推敲から印刷まで済ませていざバラ撒いている物からでもソレがわかるのだから態と丸く書いているって言い訳は通らないというか、随分弱いように思えてしまうのだが、それも少ない可愛い部分の一つと思えば悪くはないのか。

 しかしあれだ、決定稿でこれなのだからアイツが常日頃持ち歩いているあの手帳、ネタ帳だか文花帖だかいうゴシップの種には今読んでいる文字よりも相当可愛いのが並んでいるのだろうな。

 幻想郷最速らしい速度でペンを奔らせ、どうでもよさげなメモ書きをしては閉じて胸元のポッケにしまってしまうアレ。あの悪戯ノートには文ちゃんの可愛い部分がたっぷりつまってそうで、メモ帳の中身を一度くらいは拝んでみたく思う。

 なんと言って謀れば見せてくれるのだろうか?

 考えても答えの出ない難題の一つ。

  

 のっけから話が逸れたか、今のは内容というよりあいつの人となりをバラしただけに思える。

 ならばよし、そう自覚出来たのならここはキチンと内容の方にも触れておこうかね。読み物としては面白い、ってこんな事も以前に話した事があるから今は割愛しようか。

 取り敢えず今朝の記事だけ伝えよう。

 今朝届けられた新聞に書かれていたのは少し前から幻想郷で賑やかになっている話題で、噂の都市伝説の特集が組まれているようだ。一面を飾るのはいつだったかあたしも見物しに行った事のあるやつ、人間の里の堆肥置き場に現れる幻獣ってのが今回のトップニュース扱いで、インタビューを受けたのはあの仙人様らしい。

 

 さらっと流して読む限りだが、どうにもこいつの正体は人面犬というやつで、中型犬の体に人間の、それも冴えないおっさんの顔がくっついているような奴だそうだ。堆肥置き場や飲食店のゴミ置き場に姿を見せて、漁っているところを誰かに見られるとほっといてくれと鳴くだけの幻獣。その見た目から不気味というだけで、実情は希薄で危険性のない存在なのだと新聞には書いてあった。この噂自体は結構前から聞いていて、その時にはまた新顔の妖怪がやらかしたかと思っていたがこうして記事を読むとその考えは間違いだったと思えるな。

 噂だけを聞いて見に行った時は、人間のお残しを漁って生きるなんて妖怪としてやる気が無いというか卑屈な奴もいたもんだ、と、そんな風に捉えていたのだが、こうして第三者の視線をかませて見てみるとはなっから妖怪の仕業ではなかったのだと気がつく事ができる。

 そもそも在り方からおかしな話だ、こいつが妖怪だったのならゴミ漁りなんてせずに人を襲っていたはずなのだ。あたし達妖怪からすれば人間は襲うものであり餌だ。あの宵闇のように直接イタダキマスするか、忘れ傘のように何かしらの感情をイタダキマスするかって違いはあれど、あいつらから何かしらを得て生きるのがあたし達なのだ。

 だというのにこいつは人が出したゴミを漁るだけ、見つかってもほっとけと自分から遠ざかるだけ。そこには妖怪としての矜持なんてものはなくて、人の敵なんて姿も見る事が出来なくて、どうにも中途半端な奴らだとしか思えない。

 

 あ、奴らなどと口にしたのはこの人面犬が複数いるからだとか、子を設けて増えているだとか、そんな事が記事として載っていたからではない。その辺りはアイツ得意の捏造ってやつで記事を賑やかにするためだけのお飾りだ、まともに捉えてやる必要もないだろう。

 もう一羽が持ってきた横書き新聞の〆に『こういった幻獣は噂を元に現れるようだ、この噂を我々が広めれば噂自体が妖怪化して幻想郷を歩くようになるかもしれない、この考察が正しい物ならばゆくゆくは妖怪から妖怪が生まれる流れが出来上がり幻想郷の新しい――』云々、と記者目線の注意喚起が言葉で記されているから、それならこいつ一匹ではないのかもなと邪推したから考えてみただけだ、特に深い意味はないので軽く流してくれて構わない。

 

 それと、もう一つの兎詐欺関連だが、こっちもこっちで割愛しようと思う。

 なんて事はない、妖怪のお山で見慣れない兎を見た、躾がなってないからよく言っとけとお茶飲み兎に話しただけで、大して面白い事なんてないからな。

 そんなのうちにゃいないよ。

 早合点してあたしに愚痴るなよ。

 そもそも毛並みが金色の奴なんて見てないだろ。

 なんて言われ小さな鼻で笑われたりしてはいないから、こっちも深く聞かないでほしい。

 

「……ん、強くなってきたわね」

 

 発行者の違う天狗記事三部をペラペラ捲り、ちょうど雨中に泣く紫陽花の写真が艶やかな記事が一番上に来た辺り、紙を捲る音よりも我が家の外が騒がしくなってきた事に気がつく。  

 軽薄なペラペラをかき消してくれたのは軽快なパラパラ、今まさに強くなり始めた頃合いのようで我が家の屋根を強かに鳴らしてから時を待たずに壁を撃つようになり、周りに茂る竹が撓り打ち合う音まで聞こえ始めた。であればもう直にも雨樋を伝う音も大きくなるのだろうし、鎖樋が揺れる音も激しくなり始めるのだろう。それならそうだな、準備でもするかな、と、耳にできる雨音や鼻に届く水の匂いの強さを体感しながら、煙管の火種を流しに落とした。

 まずは火でも起こしておくかね、雷鼓が帰ってきたら真っ先に風呂だろうし隙あらば一緒に入ってちょっといちゃつこう。最近、と言ってもここ数日程度だが、家から出る事がなくてなんというか運動不足に思えるから、少し風呂場で準備運動してそれから布団で本番といこう。

 激しくなり始めたお天気を真似るように、あたしの思考も不意に流れ始めた。

 

 思いついたら吉日、早速竈に火を入れて風呂場の方にも火を分ける。そうして湯も沸かし待っている間に米も研いで布団も敷いた。やるだけやって手が空くと誰も見ていないというのに満足気に手を打ち、払う。したり顔で、今後の動きに期待して。

 しかしだ、ここまで済ませてから考えるのもなんだがあれだな、今のあたしは旦那の帰りを待つ嫁の姿まんまだ。が、実際も気分的にも似たようなもんで帰りを待つのを意識するの存外面白いものだと感じられたし、この案は否定せずに頭の隅にでも吐き捨てておこう。四角な座敷を丸く履く暮らしぶりなあたしなのだから、端に捨て置けば掃除したとしても失くす事はなかろう。

 そうして一通り準備も終わって後はあたしの旦那様が戻ってくれば、と、そんなタイミングでトントン鳴り出す玄関扉。あれ、愛しい太鼓様が帰って来たのかと思ったが違うのかね、鍵なんぞかけた事もないしそれは雷鼓も知ってるはずだから戸を鳴らす事なんて普段はないのだが。

 

「あ~もう。降られちゃったわ、ただいま」

 

 一寸置いて全開された扉、そこから入ってきたのは聞き慣れた声と家の人、それとドラムのフルセット。今日は輝く針のお城に行くから姉妹も一緒についてくるかもね、なんて言い残して出ていったがお帰りは一人らしい、あたしとしては都合がよくてありがたや。

 もう少し気候が安定したら幻想郷のあっちこっちでゲリラライブを始めるらしく、今日はその練習だとか打ち合わせだとか、そんな事を出掛けに話していた気がするが、ゲリラライブの練習帰りにゲリラ豪雨を浴びるなど、変な掛かり方をするものだ。

 思いついたつまらない冗談を軽く笑い、全身ずぶ濡れの雷鼓もそのまま笑うと気にもされずに手を伸ばされた。びしょ濡れでシャツの袖やネクタイから雫垂らしている奴にタオル渡して、後は飯か風呂かあたしか、どれから手を着けるのか聞けば嫁ごっことしては上々だけど、それは言わずにまずはお仕事。おかえりと迎えつつ、あたしは本体の方へ。

 

「いきなり強くなってきたわね」

「そうね。もうちょっと保つかなって思ったんだけど、ちょっと遠くまで行き過ぎたわ。無縁塚なんて寄るんじゃなかったわね」

 

「あそこに行っても何もないでしょうに、輝針城で練習って言ってなかった?」

「その予定だったんだけどちょっとね、下見も兼ねて足を伸ばしたのよ」

 

 女体の方がタオルを被り見た目の白を増やす中、こちらは本体にタオルをポンポン当てて要らぬ水気を取っていく。楽器が濡れちゃまずかろう、内助気取って気遣いしてると知らぬものなら思うだろうがコレが本体と言うかコレも雷鼓だ、楽器部分が多少濡れようが妖怪化した今であれば何の問題にもならん。

 それでもちょっとは嫁さんらしく、気を使った体でバスドラムの金具辺りを念入りに拭きあげていく。まだまだ若いこいつだしあり得ん事だとわかっちゃいるが、どこぞの神様連中みたいに錆びついてもらっては困るからな。

 

「下見ねぇ、無縁塚で演奏しても無縁仏とネズミくらいしか観客いないんじゃない?」

「そっちはついでよ。メインは中有の道、初めて行ったけど楽しいところね」

 

「年中縁日してるような場所だからね、でもあそこで演るの?」

「演るわよ? なんで?」

 

「いや、あそこの客層じゃ演奏してもねぇ」

「お囃子鳴らしてる亡者もいたし問題ないと思うんだけど、話した感じも悪い雰囲気じゃなかったし。それにあの人達ってアヤメさんと同じような人達でしょ?」

 

 片手で脱いだ上着をつまみ含んだ水気を滴らせながら、もう一方でネクタイを緩めつつ質問してきてくれるが、問われたところであたしにはわからん。

 種族としては同じ霊だと思うけど、あたしは地獄のお裁きを端折ってしまった状態で、あそこでテキ屋開いてる連中は裁判待ちのやつもいれば地獄で裁かれた後で刑期を言い渡され、そこの社会貢献活動の一部って感じで過ごしているようなのもいるはず。

 そういった流れを追えばあたしとは立場が違うように思うが、ざっくりカテゴリー分けすれば同じようなもんで然程間違ってもいないのか。まぁいいか、今のあたしには地獄は縁遠い所だ、まだまだ行くつもりもない場所の事を案じても無駄だからこの辺で切り替えよう。

 

「あいつらほど柄悪くないわよ、あたし」

「知ってるわ、あの人らと違って可愛いとこがちゃんとあるもの」

 

 ニコリ笑って不意打ちとは、いきなりで珍しいな。

 あたしから言わせる事は多々あれど、ねだりもせずにあっちから言ってきてくれるとは。これはなんだろうね、舞い上がってもいいのだけれど、何故だろうか真っ直ぐに受け取ってはいけないように感じる。

 別に疑ったり勘ぐるようなつもりなどない、ちょっと前の考え、嫁云々なんてのもあるから余計にそんな事を案じる気にもならん。ただちょっとだけ不自然さが鼻についてしまってソチラが気になり素直に受け取ってやる気になれん‥‥が、別の面では気にならんわけでもない、こいつが何を隠しているのか、そこは非常に気になっている。普段言わない言葉に隠したモノはなにか、あたしが不自然と感じた言葉の裏に何を含ませているのか、日頃企む側の者としてはつついてみたくてたまらない。

 

「そうだ、お風呂先に入れちゃっていい? ちょっと冷やしたみたいなのよね」

 

 どうやって雷鼓の藪を分け入るか、悶々と悩んでいるとドラムを拭く手が止まってしまう。

 その動きに気が付いたのか、脱ぎながら声をかけてきた。

 

「構わないけど‥‥ん?」

「あ、これからだった? 煙が見えたからてっきり」

 

「いや、風呂ならもうすぐ沸くし、入ってくれてもいいんだけど」

 

 返答すると一転、向き直る太鼓様。

 開けっ放しの玄関に向かって、いいってよ、と呼びかけると、雷鼓の声を音頭にして開かれた玄関には見慣れた顔が二つあった。なんだ、やっぱりいたのかこいつら。

 

「お邪魔しま~す」

「こんちは」

「先にお風呂済ませていいって、入ってきたら?」

 

 それぞれ声だけで挨拶済ませ、戸を抜けた勢いそのままでちゃっちゃと荷降ろす濡れ楽器二面。

 拾ってきたらしい汚れた機材っぽいのや、同じく掘り出したんだろう土で汚れた四角い何かやら、よくわからん物を土間に降ろしてポイポイ衣装を脱いでいく。雨に濡れた汚れモノを土間に並べてくれるが、使い物になるのかね、物によっては土の匂い以外に血の匂いまで嗅げるというに。まぁあそこなら無縁仏が打ち捨てられていても不思議ではないし、場所柄仕方がないのかね。

 それでも持ち込むなら軽く流すくらいしても、と、物から物上がりに視線を流すとあっという間に素っ裸、なのは八橋だけか、弁々は雷鼓から受け取ったバスタオルを巻いて、何やら顔色悪い二人で沸かしたばかりの風呂場へ駆け込んでいった。

 だがなるほどな、今になって引っかかったモノが何だったのかわかった気がする。

 さっきの『入れちゃって』ってのはこいつらにかかっていたのか『冷やしたみたい』とも言われているのにそこも聞き逃していたみたいだな、すぐに気がつけなかったのはあたしが浮かれていたからか。気が付くとなんでもない事だったが、たった一言であたしを上手くノセてくれて相変わらずたまらん太鼓様だ。

 満足気に一人頷くと、九十九姉妹の放り出したガラクタとあたしを見比べる雷鼓が、それとね、なんて言い出した。

 

「アヤメさんにちょっと、見てもらいたいものがあるのよ」

「ソレ? あたしよりも向いてる人がいると思うわよ?」

 

「えっと、そうじゃなくてね?」 

「なんだか長くなりそうね。なら後で聞いてあげるから、取り敢えず風呂入っちゃいなさいよ」

 

「私も? でも――」

「いいから、冷えたのはあんたも一緒でしょ?」

 

 言いかけた言葉を遮り、少し屈んだ肩を押し風呂場へ追いやる。若干の抵抗をされるけれど、冷えた肩をトンと押すと雑に押したのが功を奏したのか、名奏者はそれ以上何も言わずに風呂場へと進んでいった。

 何か言いかけていたがそれは後々で聞くとして。さて、あたしの思惑を潰してくれた連中は全員風呂場に追いやれたし、ここらで少し落ち着きを取り戻すとするか。なにやら見てもらいたい物があるなんて言っていたが何を見せたいのだろう、持ち帰ってきた機械についてか?

 であればあたしよりもあの河童か古道具屋にでも持って行くべきだと思うが‥‥それともあのガラクタじゃないのか、中有の道で何か土産でも買ってきてくれたのかね。いや、さっきの口振りには相談のような雰囲気もあった、だとしたら‥‥足を伸ばしすぎたとも話していた、なにかあった、にしては元気だし‥‥ダメだな、一度浮足立った頭では上手く纏まらん。

 やっぱり整理が必要だな、それなら手始めに……脱ぎ散らかされた姉妹の服を拾い上げ、先に掛かっている雷鼓の服と並べて吊るして、それから濡れたままにあるあいつらの本体でも拭くか。内面の整理をしようにも目の前が散らかっていては集中出来ん。

 

~楽器湯浴み中~

 

 煙管咥えていそいそと、狭い範囲を右往左往。向った先は竈だったり風呂場だったり押入れだったり、我が家の狭い範囲内だがちょこちょこ動いて忙しなく過ごした。

 最初は気晴らしのつもりであいつらが散らかした物を整えていたがいざやり始めると案外集中出来て、散らかった荷物や服はさくっと片付けられた。お陰様で内面整理も捗った、と言いたいところだがこっちは一向に整理できていなかったりする、あれやこれやとやってる間にすっかり本題から意識が逸れいつの間にか本題と副題が入れ替わっていて、メインの方が気にならなくなってしまった。

 本末転倒と言われれば全く以てその通りかもわからんが、気晴らしに家事をこなしたせいで気を落ち着ける事自体は出来ているから問題ないと捉えている。言うなれば雨過天晴(あめすぎて てんはる)な気分ってところか。いや、気は晴れたが外のお天気は変わらずのままだったな、なれば雨過天青(うかてんせい)の方かね、言い換えたところで意味など何も変わらんが、晴れとするには天気が合わん。

 

「ご馳走様~」

「あ、八橋、そこ、米粒落ちてるわ」

「どこ? いいわよ、私がやるから」

 

 物思いに耽っていると茶色に紫それから赤いの、それぞれの声が聞けた。楽器三人寄り合って姦しく食後のガールズトークに花咲かせ始めたようだ。八橋はご馳走様ってあいつだけまだ食ってたのか、相変わらずよく食うものだと思うがまぁいいか、兎も角ソレを切っ掛けにまったり語らう声が聞こえてくる。

 どうでもいいような話から次のライブはなんて話にまで流れて、一度話し出すと話題が豊富でよく口が回るものだ。まるで雨後の筍だな、妖かしとして成ってからまだそれほど経ってない奴らばかりだし、濡れそぼって帰ってきたのだから若竹か姫竹として見れば強ち間違いでもないか、伸び代もまだまだありそうだしね。

 

 そんな風に一人案じる、あたしだけ蚊帳の外のような感覚だが仕方がない、あたしは結構前から妖怪しているし今のあたしは風呂場で一人だからな。

 あれから流れで家事をこなして腹減ったと騒ぐ連中、主に八橋に言われ、それならと簡単な物で飯を食わせて、使った食器を空いたお(ひつ)で受けて。それからお茶でもといった時に、後は私がなんて雷鼓が言い出したものだから、そっちは任せてあたしは一人遅れての湯浴み中といったところ。

 

「でもさ、何だったんだろうね」

「そうね、本当に冷やしただけだったのかな?」

「二人共問題ないの? 本当に?」

 

 風呂場の屋根からぴちょんと落ちる雫と広がる波紋を眺めながら、あたしも出てすぐから混ざれるようにトークの流れを聞いておく、するとそれぞれ主語なく話しているのがわかる。会話の流れからうちに来る前の事を話しているらしいな、我が家に来る前は無縁塚に行ってたんだったか、雰囲気からあそこで何かあったらしいが一体何があったのやら。

 

「大丈夫! なんか雷鼓ん家に来たら急に元気になったわ。ね? 姐さん?」

「それだけで治ったとは思えないんだけど、確かに調子は良くなったのよね」

「それならいいけど」

 

「雷鼓は過保護ね~」

「だって、さっきまでちょっと痛いかもって言ってたから」

「心配してくれるのは嬉しいけど、確かにちょっと過敏かな?」

 

 そんな事ないと笑って否定する雷鼓に、誰のせいだろうねと軽く続ける弁々、二人のやり取りを笑っているのだろう八橋の笑い声を耳にして、こちらは風呂場で耳を畳む。これは聞かずにいた方が合流しやすい流れに思えるから、耳は畳んで顔半分も湯船に沈めた。

 けれど、その程度で話し声を遮断できようもなく、うっすら届く姦しさのせいで、その場にいないのに何故か居心地の悪い気までしてきた。そろそろ湯を上がって混ざるかなとそんな風に思っていたのに、我が家を雷鼓の家と言われ悪い気はしないが、なんとも出鼻を挫かれた気分だ。

 

「あ、そだ、さっきのどうなった?」

「あぁ、後で見てくれるみたいよ、どこに置いたんだっけ?」

「さっきは土間に降ろしたんだけどあれ? 見当たらないね」

 

 まだまだ続く楽しげなガールズトーク。

 こちらは出るに出られず、沈めた口からコポコポ、手元の手ぬぐい潰してブシュウと一人遊びしているというのに、居間の方では探しものをしながら語らっていて、和気藹々で妬ましいが、本当にどうしたものやら。

 二の足を踏んでいる間にそろそろ出ないと逆上せそう、けれども‥‥などと湯船の中で独り言を吐くと、あちらからも似たような音と別の音が聞こえ始める。茶器からコポコポ注がれていく音に混ざるのは、ペチンと弾けるような音色。出てこないから出してくるわ、なんて妹の声と腹でも叩くような音が聞こえた。

 ふむ、着ていた服はまだ乾かず、湯上がりから姉妹揃って頭と体にタオル一枚巻いただけで過ごしていたし、八橋の言いっぷりからすればあたしを水揚げしにでもくるつもりなんだろうな。ペチンの後に、また冷やすよ、という弁々の台詞が聞こえたって事はそういう事だろう。そういうのはあたしがそっちにいる時にやれよ、阿呆と笑ってやるから。

 

 音に釣られてそのまま聞いていると、諦めたらしい妹の寝転ぶ振動がこちらにまで伝わる。

 布団にでも寝転がったか、なんだよこっちにくると思ったのに。姉に窘められた程度で諦めるなよ、冷やしたらしいその腹を弄んでやるからちょっと来いよ。ついでに風呂から上がる取っ掛かり代わりに鷲掴んでやったのに。でも仕方がないか、姉は怖いものだからな、誰とは言わんがあたしにも頭の上がらないお人がいるし、そんな相手に言われれば断念せざるを得ないかね。

 と、己とお琴を比べて両者を鼻で笑っているとちょっとした事に気がつく。腹といえばだ、叩いた八橋もそうだがそういや弁々も食事中から片手は腹に当てたままだったな。という事は……あいつら本格的に冷やして腹の調子でも悪くしたのか。音頭や調子を取る側の奴らが雨程度で体調を崩すなどつまらん冗談にもならんね、笑えるわ。

 それでも今は調子がいい、戻ったと本人が言うのだからどうでもいい事‥‥でもないのかもしれないな、一人余裕をかましていた雷鼓もなんでか片手は腹の上だった。が、あいつもそれなりに冷えていたし、偶には腹ぐらい痛める事も……と、気楽に考え聞いていると、不意にドサリ響く。

 

「ちょ!! 雷鼓!?」 

「これって!?」

 

「何? どうしたの?」

 

 慌てる姉妹の声を聞き、こちらも慌てて湯を上がる。出てみれば倒れ丸くなっている雷鼓。

 腹を抑え、お古の肌襦袢の布地に深い皺が寄るくらい拳を握り込み縮こまっているが何がどうしたって考えている場合ではないか、一体何がどうなったのかは姉妹の声が教えてくれたし、ここは焦らず赤い頭を腿で受け‥‥ると気がつくこいつの異常、風呂あがりで食後間もないというのにやたら悪い顔の色、亡霊として在るあたしよりも青白くて、血の気が引くどころか流れていないようにすら見える。

 

「やばいんじゃないの!? ねぇ!? ねぇってば!?」

 

 確かにヤバイ、と頷くだけの変に冷静なあたしに代わって八橋が騒ぐ騒ぐ。

 妹の叫びに近い声を切っ掛けに弁々も敷いた布団を捲ったり流しでタオルを濡らしたりと走りだした。そうだな取り敢えず寝かせて、いや、家で寝かせておくなら――と、考えこんでしまいそうになる寸前、腿の上に温いなにかが広がる感覚を覚えた。視線をズラすと見える赤、雷鼓の口元からあたしの太腿まで流れて繋がる鮮やかな赤が濡れた腿に染みて広がる。

 こうなると考えている余裕はない、なにもわからんが連れて行った方が手っ取り早いし確実だ。しかし、こういう時だけ冷めたままに動ける己がちょっと憎い‥‥いや、既に死んでいるからこういう場でこそ焦らなくなったのか、我ながら嫌な性分だとも思うが今はいいか、おかげですんなり体が動く。

 

 

「留守番って、私達も――」

「出られる格好してないでしょ、留守番任せたわ」

「でも――」

「いいから、お願い」

 

 カハッと吐いて何か喋ろうとする雷鼓は抱き抱え、喋らなくていいからと黙らせて、八橋と弁々には留守番してろと言いつける。

 きっと睨むと一瞬怯まれたが強く願うと勢いに負けてくれた姉妹。

 心配なのはあたしだけではない、こいつらだって当然心配なのだろう。

 それでも二人には残ってもらった、自分なら構わんがさすがにバスタオル一枚の少女を夜道に出すわけにもいかん。無言で頷く二人に、迷わず来れるならせめて着替えてから来いと追加し、ろくに水気も取らずに長着だけ羽織って、丸まったまま動かない太鼓を抱えて、目に映る全てを逸らし真っ直ぐに永遠亭へ向かった。



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EX その58 ものおもい

 誰かを担いで潜るのは何度目か、そんな事を考える暇もないまま永遠亭の戸を蹴り開ける。

 バァンと響く戸の音を聞いて、こうやって開けるのは二度目だなと、変なところだけすぐに思い出せて、泥に塗れた素足で磨かれた廊下に上がる前には今後の流れも浮かんできた。

 こうして結構な音を立てると出てくるはず、出てきてくれるはず、と思ったら出てきた悪戯兎詐欺。何も言わずに目線を合わせるとあちらも無言のままで視線を流し、あたしの背負う赤いのを一瞥して奥へと消えていった。急患背負って救急病院に来た客に対し無言とは、いつもなら悪態の一つでも投げつけている態度だが今はそういった機転が利くのがありがたくて、毎回毎回察しが良くて妬ましくて、本当に助かる。 

 

 雨の吹き込む縁側の掃除でもしていたのだろう、近くを通った部下兎が持つ雑巾を渡してもらい軽めに足を拭き上げ、先に奥へ向かった兎詐欺の後を追い診察室の敷居を跨ぐと、机で何か書き認めていた女医にもすぐに会えて、ここでも何も話さないまま、というか話す間もなく預ける事になった。

 背中で荒いリズムを刻む太鼓をベッドに寝かせ、何故こうなったのか、わからないなりに話すつもりで口を開くが、状況を知らせるべき先生は雷鼓とあたしにさっと視線を寄越してからてさっさとその場を離れ奥の小部屋へ。やはり天才か、患者を見もせず触れもせず診断できるとは大した薬師だと安心しながら関心しそうになったが、ろくに待たずに帰ってくる名医、赤青二色に白を重ねて戻ったのを見る限り、白衣を取りに行っただけのようだ。

 

 気がつけば小さい弟子の方も昔の名の通りの白兎と化していて、洗面器やら清潔そうな布やらといろいろ運び込んでいた。瞬く間にそれらしいのが揃っていくのを眺めていると、いるならお前も身なりをどうにかしろと、目線を上げて命じてくる白衣の兎。僅かな赤みの混ざるくりくり黒目が見つめる先はあたしの肩やら頭やら。

 なんの事か、気になる視線を追うように着物を少し引っ張ると、着崩れた肩や後ろ髪がベッドでうなされる雷鼓の吐いたもので真っ赤に染まっていた。それもそうだな、来る道中にも何度か咳き込んでいたのだからこうもなるか。

 背中の赤と横たわる赤いのを見比べ少し案じつつ鼻を鳴らす。

 自身の背後より漂ってくるのは好ましい者の血の匂い。

 ソレを纏ったままでいるのは気に障るがどうしたものかね、肩や髪ならなんとでもなるがこの分では背中の方も雷鼓色に染められているのだろう。気の長さには定評のあるあたしだが流石に背中まで回せるほど手が長いわけではない。脱いでちょいと撫でれば戻せるし一服して煙を纏っても元通りになるが、この雰囲気で裸体を晒すのもなんだし、医療機関の最前線で煙草に火をつけるのも‥‥

 なんて、部屋の天井を眺めてあぐねていると強く蹴られる足の脛。ぼんやり立ってるだけなら邪魔だから出てけ。ちょこまか動く兎さんに顔も見ないままそう言われてしまう。確かにあたしがいても邪魔になるだけか、ならそうする気など毛ほどもないとわかるよう姿で見せるべきだな。

 

 静かに部屋から去って少し経った頃、邪見に出てけと言われてから半刻が過ぎた頃合いに診察室方面から聞こえてくる軽快な足音。耳を跳ねさせ横目で見ていると陰りから姿を見せるピンク色のワンピース。屋敷の縁側で煙に巻かれていると隣に来て膝を折る。ちょこんと並んで座り見上げてくれる顔には、何やら様子を伺う素振りが見えるが。

 

時化(しけ)た面して、似合わないからやめときなって」

 

 隣に来ての第一声がこれだ。

 あたしにとっては大事の最中だと言うに何時も通りの悪態とは、安心するやら小憎らしいやら。

 それでも、そう感じただけであたしの口は開かず何も言い返す事ができない。取り敢えずここに連れてくる事だけを考えて動き、仮の目的を果たしてしまったからか変に安堵してしまって頭が回らんというか、他の事を考える気にならんというか、自分でもよくわからない状態になっていた。

 そういった心の機微にも気が付いたのか、黙ったまま見返すと上目遣いで睨んでくる目敏い悪戯兎さん。小生意気な視線を寄越してくれて、さも何か言ってこいと人の顔を見つめてくるが、そんな目で見られても今言える事など‥‥

 

「どんな感じ?」

 

 これしかない。

 他に聞くような事も、それ以外も、何も浮かばないから経過でも聞いてみる。

 診断や治療にあたるのはこいつではないし聞いても何もわからんだろうが、何ともいえないこの場の空気を濁すつもりで問うてみた‥‥けれど返事はなく、重ねていた視線も逸らされた。

 こいもこいつで見慣れない真面目な横顔で、得意の口も開かない今の姿‥‥そういった仕草からなんとなくだが雲行きが怪しいような雰囲気に感じてしまう。

 そうして少しの静寂の後、ポツッと言ったきりで何も言えないあたしからまた察したのだろう、顔は合わせないままで両手を開いて見せてくれる兎さん、雨曇りの空を見上げ首も僅かに横に振って‥‥お手上げだとでもいうのか、あの八意永琳に預けてもダメだったと、そういう事なのか?

 

「ダメなの?」

「あたしに聞くなよ」

 

「だって、今のは――」

「雨が煩わしいって思っただけウサ。なにさ、何の事だと思ったんだい?」

 

「なにって‥‥」

 

 可愛い鼻で笑いつつ言い切り、出てきた方向を見てそのまま静かになるてゐ。

 思わせぶりな仕草に引っ掛けられたのはこの際良い。今気にすべき事ではないし、こいつの悪戯など毎度の事で態々注視するような事でもない。それよりもアッチだ、言いっぷりは読み通りとして、流した視線からはこっちに来たがあちらも気になるって態度に見えるが、こいつが気にするほどの容体なのか?

 というよりも本来の助手はどこに行ったのだろうか?

 いないのか?

 診察室から出てくるならもう一匹の兎だと思っていたが、診察室では姿を見なかったし、てゐも永琳も鈴仙の名を呼んだりしてはいなかったな。聞こえていた足音もこいつと永琳の二人分だけだったし、また商売先で人に化けて置き薬だか機械仕掛けの猫でも売り歩いているのかね?

 もしくはこちらに来れない、何かに手間取り手が離せない状態に……と、こっちの線で考えるのはやめておこう、幸運の素兎が近くに来てくれたのに芳しくないモノなど考えたくもない。

 浮かんでしまった案を散らすように軽く頭を振ると、濡れ髪から雫が飛ぶ。

 その雫がお隣さんにもかかったようで、水気を切っ掛け代わりに振り向く兎。

 

「そう逸るなよ。診るのはお師匠様の仕事さ、あたしに聞いてもわからんってアヤメもわかってるんだろう?」

「そう、そうよね‥‥わからない事はわかりそうな人に任せるとするわ」

 

「そうしたいそれでいいんじゃない‥‥で、何があったのさ?」

「特に何も。いきなり倒れて、それから血を吐いたってだけよ」

 

「後は?」

「本当に突然だったし、あたしはお風呂に入ってたから詳しくは‥‥それまでは普段通りって感じで談笑してたっぽいのに、いきなりバタンって聞こえたのよ」

 

「へぇ、それからすぐに吐血したってか」

「追加するなら顔色悪くなって吐血、って感じかしら」

 

 何があったか問われ正直に答える。と、小さなお手々の平をパタン、目の前でちらつかせてくれる兎さん。あたしが話した雰囲気を手遊びで表してくれて、随分と余裕があるように見える。

 それもそうか、今余裕がないのは雷鼓くらいで他は取り立てて何事もないのだから。

 てゐからはあたしが逸っている、何処か焦っていると言われしまったが自分としてはそれほど焦っている気もしないけれど、そう見えるのか……いや、そう見えても当然ではあるのか、遊びに飽いた兎の目線を追って何となく視線を落とすと足元の汚れ具合に今頃気がつく。泥汚れを軽く拭いてそのままなあたしの足の延長線上には焼け焦げた跡がやたら多い踏み石。意識していなかったが葉を込めては吸って捨てて踏み消してと、そんな事を何度も繰り返していたらしい。

 真っ黒な足元に気が付いて小さく、あ、と声を漏らすと、漸く目に入ったのか鈍感娘、と罵られる……少し訂正しよう、あたしにも心の余裕がなかったようだ。

 

「ねぇてゐ? こういう時ってさ、もうちょっと焦ったほうがいいのかしら?」

「だからあたしに聞くなっての。好きにしなよ、()れたいなら焦れときゃいいし、見たくないなら見なきゃいい、時化た顔のままで終わりまで逃避してたらいいよ‥‥それでもそうだなぁ、他があるなら他をしてもいいんじゃないかい?」

 

 看護助手の減らない口に煽られて、素直に問うたが流されて、本当に小賢しい兎さんだと感じると同時にあいも変わらずお優しい事だと口には出さず感謝する。

 煽られる前までは余計な事を考える余裕などない、病院住まいならちょっとは空気を読んでくれと、そんな事しか考えられなかった。それどころか、鼻で笑ってくれた通常営業な兎さんの姿にイラッとして冷水浴びせてやったくらいなのに、その通常営業っぷりからあたしを普段の姿に戻してくれるとは、毎度口は悪いが本当にこの先輩兎にも頭が上がりそうにない。

 だから回そう、上がらないのなら上がるように頭を回して考えてみよう。マズイ時は逃げの一手に走るのがあたしだが現在マズイのはあたしではない、それならば他の事、今自分に出来る事ってのを考えつつ話してみるとしよう。

 

「他‥‥他にはねぇ……あぁ、一緒に帰ってきた九十九姉妹も始めは調子が悪いって言ってたわね」

「あの付喪神の姉妹か、あっちは始めだけだったんだね? なら今は?」

 

「うちに来たら治ったみたいよ? 風呂に入る前は二人共青い顔してたけど、温まって飯食わせたらいつもと変わらない様子になったわ。後から来るかもしれないから詳しく聞くならあいつらから聞いて」

「‥‥ふぅん、そうかい。同じような症状なのに不思議なもんだ、かもしれないって言うなら連れてくりゃ良かったのにそこまで気は回せなかったか」

 

 気を回したから一緒に来なかった、そう口にするが聞く垂れ耳は持たぬ状態らしい。

 あたしの返事を聞くと、軽い世間話でも聞くような小さな相槌を打って立ち上がる白兎。垂れ耳揺らしてクルッと回りよく見るポーズ、両手を頭の後ろで組む形で向かって来た廊下を戻ろうとした。が、このまま素直に見送る気にはならなかった。手遊びなどと小賢しい煽りをくれられたままで戻すのは気に入らん、せめて煽ってくれた分ぐらいは言い返しておきたい。小さな背中が見えなくなる前にちょろっと声を掛けると、廊下の端で裸足が止まる。

 

「てゐ?」

「ん? なにさ? まだ何かある?」

 

「代理の問診ありがと。それと、三人共通して腹抑えてたってのも永琳に伝えておいて」

 

 お優しい兎詐欺に感謝とついでを伝えてみると何も言わずに手だけ軽く振っていなくなった。

 くれられた煽りに対して感謝で返す。意趣返しにもならんだろうが、少しは言い返せたおかげであたしの心にも僅かな余裕と満足感が広がったから取り敢えずはこれでいい。永琳に預ける事ができて、取り敢えず安心してしまって、変に落ち着いたままのあたしの心を炊きつけて普段の頭に戻してくれて、こういった場面でも目覚まし役になってくれるとはあいつは本当に世話焼きな兎詐欺さんだ。

 今のも、推測だが手が離せない八意先生に変わって話せるやつからなにか聞いておこうとか、そんな感じだったのだろう。単純に馬鹿にしに来ただけとそんな案も拭いきれなくもないが、あれであたしに優しくしてくれる事も多いし、細かいところは後で落ち着いてから聞こう。全部終わった後の茶飲み話の時にでも、あの時はからかいに行っただけだと嫌味に言ってもらえればいい笑い話に出来る、というかしたい、なってほしい。

 

 そうやって代理の問診に答えてまた半刻。

 足元でとっちらかる煙草の踏み消し跡に追加している頃にもう一度誰かの足音を聞く。この屋敷らしく待ち時間が永いように感じてしまって、そのせいであからさまに近寄るなってオーラを発しているあたしに寄ってきたのは頼りの相手、今一番縋りたいお人、とその主。

 主治医の方はカルテを挟んだバインダー覗きながら側に立つだけ、主は隣に腰を下ろして庭を眺むだけ。でも、それだけだ。二人共に何も言わない、言ってくれない。

 なら何か話してくれるまで待つかね、大事なら向こうから話してくれると知っているし、輝夜や永琳ほど永く生きてはいないが気の長さでは並べるかもしれないしな。

 なんとなく思いついた一方通行な我慢比べに興じていると、そんな事は気にもかけていなさそうな主治医が静かに話し始めた。

 

「アヤメ、少し聞きたいのだけれど」

「なに?」

 

「さっきの話よ、九十九姉妹も腹痛を訴えていたのよね?」

「そ、雷鼓よりはマシな雰囲気だったけどね。それが?」

 

「そう、それなら原因は‥‥でも……」

 

 問に答えると独り言を呟き始めるお医者さま。

 冷めた顔してバインダーを見つめ、何か言いたそうな、それでも言いにくそうな感じに見えるが‥‥もしかして本格的に危なかったりするのだろうか。真っ直ぐに、雷鼓はダメなのかと、薬師が匙を投げるのかと、そう聞いてみるも八意先生からの返事はない、が、代わりに別の声が耳に届いた。

 廊下の奥から耳に届いたのはししょーと呼ぶ声、診察室に戻った白兎が永琳を呼んでいるらしい。当然振り向き歩み出す先生、思わせぶりな素振りだけをあたしに見せてその声の元へ消えていった。永琳にしては言いっぷりが中途半端でらしくなくて、普段のあたしなら沢山の悪態をぶつけていた態度だが今日は引き止める事も出来ず、廊下の影に消えていく背を眺め、拳を握る事しか出来なかった。

 

 すると聞こえる破壊音、手元を見れば握っていた煙管が真っ二つ。

 まるであたしの内面を表すように‥‥ってそんなに軟でもないな、永琳から明確な答えを貰えなかった事が結構なショックだったから煙管は握り潰したというか粉砕してしまったが、心の方はまだ折れていない。主治医の口からキチンと話されてはいないのだからまだ諦めるには早い。

 というかあの程度で死ぬ事などないと高を括っている面もある。そうだろう? 雷鼓だって妖怪でましてや物から成り上がったものだ、そんな化物がちょっと血を吐いたくらいで終わりを迎えるなどあるはずがない。確証も自信も何もないが何故かそんな確信は持っているし、最悪ダメだったとしても三途か中有の道辺りで待ち伏せして船に乗る前に掻っ攫えばいいだけだ。閻魔様には効かないがあのサボり魔にはあたしの能力は問題なく作用するし、奪う事自体は容易かろう。

 その後逃げ切る事が出来るかどうかはまた別問題として、いや、映姫様には貸しがあるからその辺りを上手く使えば‥‥

 

「黙り込んで、何考えているの? 静かなアヤメなんて似合わないからやめなさいな。それとも今に似合うような泣き顔でも見せてくれるの?」 

「ちょっと保険をね、逃避方法を考えてたの、そうするつもりはないけどね。それと、てゐと似たような事言わないでよ、まだ泣かないわ」

 

「今じゃないのね」

「まだよ。顔を見て、元気に笑われてから泣くわ」

 

「あら、匙を投げるのかって吠えたのに」

「ダメならダメって言ってくれるはずでしょ? まだ何も言われてないもの、泣くには早いの」

 

「根拠もないのに強気ね、早合点の次は空元気も見せてくれるの?」

「空ではないわ、匙を投げさせない方法があるってだけ、逸らしてでも掴ませないってだけよ」

 

 従者がいなくなると語り始めるお姫様、こいつもこいつで平常運転でそれが少しありがたい。

 隣に座り人の顔を覗いてきたが、あたしが泣いてない、ちょいと引きつった嫌味な笑顔でいるとわかるとすぐに目線を庭に戻した。しかし姫にしろ兎にしろ長生き相手はこれだから困るな、輝夜にはああ言ったが正直言われた通り元気などない空っぽでそれは読まれているらしい。

 まぁそうだろうよ、投げる匙を掴ませないなどただの嫌がらせにしかならず、なんの解決方法にもならんのだから。自分でもわかる事なのだ、あたしよりも永く生き人やら物やらを見続けてきた輝夜にそれがわからんわけがない。それでもあたしに付き合い冗談としてくれるのだから、こいつも案外優しい飼い主様だな。

 頼れる先輩に頼れる飼い主とその従者、近くにこういう者が多くいるというのは気が楽だ。

 あたしは結構な果報者なのかもしれないな。

 

 暫し無言で、互いに顔を合わせないままそんな事を考えていると、果報な兎の住む屋敷の主が口を開く。ポツポツと雨粒を眺めながら、してやられたなんて言い出したが、あれ(てゐ)に何を言われてきたのやら。

 

「まんまと騙されちゃったわ。真っ赤な見た目で似合いもしない時化た顔してて面白いよ、今を逃せば滅多に見られそうにないし見てきなよって聞いたから見に来てあげたのに」

「てゐの話を鵜呑みにするなんて、あの輝夜姫も地に落ちたもんね」

 

「当然でしょう、私はあれから落ちたままでいるんだもの」

 

 お前が言うなと言われそうだが敢えて言う、全く以て口の減らない姫様で困る。

 両手後ろにちょっとだけ仰け反って、さも上手い事言い返してやったって顔をしているが、その仕草がお似合い過ぎて、地に落ちたと言ってやったはずが何も言い返せなくて困る。

 

「で、何があったのよ」

「だから‥‥てゐと同じ事を――」

「私はつまらない話を二度も聞くほど暇人じゃないわ」

 

「なら聞かなきゃ――」

「その早とちりは治らないの? 月に行けと話した時も同じだったわね」

 

 口元を袖で隠し、目元で笑う月の姫。

 あの蓬莱人と同じ事を何度も、それこそ永遠と繰り返すくらい暇している奴だというに何様のつもりか。大昔はいいとこの姫様だったのだろうが今は罪人で元だろうに、あの時だって月の物を展示したいから持ってきてとあたしを逸らせミスリードさせたのはお前さんだったはずだ。

 それなのに早とちりとは酷い言われよう‥‥ん、何時だったかもあったなこの流れ。こんな雰囲気は確か、話題のお月様から帰ってきてこの屋敷の舞台廊下でまったりしている時だったか。あの場では早合点ではなく、そうだ、あたしにしては頭が固いと冷たく言い切られたのだったな。

 

「それで、何があったのよ?」

 

 先ほどと同じ台詞、それでも少しだけ柔らかに語る輝夜姫。

 お言葉こそ一言一句変わらないが顔や声には何か含まれたように感じられる。あたしが何かに気がついた、引っかかったというのが伝わったのだろう。昔から持て囃される事に慣れている絶世のイイ女らしく、たった一言で人の心を操ってくれて、惑わし上手で妬ましい。

 昔の結婚話の時もそうだったが、こういった術にも長けていて元月のお姫様というのが伊達ではないとわかる。あの頃も今のように話術でつついて相手をノセたのだろうか、だとすればたおやかな見た目に反してしたたかなお姫様だ。

 そう評していると、長い髪を耳にかけ返事を待つような姿勢を見せた、それならば‥‥

 

「ちょっと……思い出すから待って」

 

 その長い黒髪に巻かれた(てい)で何も言い返さず、思い出すから待てとだけお返事しておく。

 口で負けたようで癪ではあるがこの場ではソレがありがたいと感じるだけにしておこう、輝夜のおかげで考えを改める機会も出来て、冷えて固まってしまった頭を温める事も出来た。あいつらの腹じゃないが冷やしっぱなしはよくないな、やはり程々に暖かくないと調子が悪い。

 

 そうして僅かに暖かくなり、柔らかくなった思考を回す。

 以前の会話ではここから難題の受諾となりあたしの頭を柔らかくしろって流れになった、その流れを思い出して今の状況に宛てがえば何か輝夜に話すモノが見つかるかもしれない。

 そうだな、まずはどこから手を付けていこうか?

 中途半端に残っている煙管の葉を落とし、新たに葉を込め煙を漂わせ纏う。そうして真っ赤な背中を従来の白へ戻し、今考えるべき事、今抱えている難題について自問する。

 こいつはてゐの話を聞いてあたしの元へ来た、二度同じ話を聞くつもりはないとも言ってきた、であればそれ以外、雷鼓についてではない何かが聞きたいって事になる。とすれば思いつくのは同じような仕草で過ごしていた連中か、九十九姉妹の方に視点を変えてみれば何か出てくるか?

 でもあの二人は雷鼓ほど不調だとは思えなかったな、姉妹と雷鼓で何か違いがあるのか?

 三者とも共通するのは種族と妖かしに成り果てた時期くらいだと思うが、相違点となると‥‥成り方ぐらいか、雷鼓は自身で今の在り方を見つけ、姉妹はそれを聞いて同じ呪法を試したとかそんな話だったな、ならこれは違いとは言い切れないか。自力で見つけたか教わったかって違いはあれど行った呪術自体は同じだ、切っ掛けが違うだけで過程も結果も同じなら相違点とは呼べんだろう。では…‥

 

「またさっきの、イナバが話していた顔に戻っているわよ、真面目な顔して悩む事ではないでしょう?」

 

 静かな庭を眺めモクモクしていると、あたしの視界に手が映る。

 人の事を貶しつつお手々ヒラヒラさせてくれるが、何か思う事でもあってあたしの気を散らそうとしているのか。流石に今は考え中だ、降って湧いてしまった難題を解くのに必死なのだから邪魔しないでもらいたいのだが。

 そう思っても今度は伝わらず、蝶のように舞っていた掌の動きは変わらな‥‥いや、変化はあった、やめろと瞳に込めて睨むとあたしの小鼻に止まるてふてふ。そのままプニッと軽く摘んでしとやかに笑む輝夜。 

 

「邪魔しないでよ、真面目に考えてるんだからそういう顔にもなるでしょ?」

「アヤメ?」

 

「何よ」

「‥‥心配するのもわからなくもないけど大丈夫よ、永琳に預けたのでしょう? 余程の事なんて万一にもないわよ? だというのに何を焦るの?」

 

 摘んだ鼻を軽く押されながら言い切られる。

 面食らうと、小さな笑い声まで漏らす姫。

 軽く一笑いしてから声色を変えて、人には似合わないだの何だの言ってくれた割に真面目な声色で問うてくる。心配しているとわかっているなら思考を阻害せんでもらいたいが、確かにそうだな。言われた通り少し焦っていたのかもしれない。

 取っ掛かりのないものから見つからない答えを探す、探さないと万一がある。中途半端に冷めた頭ではそういった冷たい思考を忘れた事が出来ず、どうしても逸ってしまった、しまっていたようだ。真正面から何を焦るのか言われて気がついた。 

 まだ何も言われていない、だから大丈夫。自分からそう口にしておいてその実焦ったままにいるとは、格好がつかん。

 

「……そう‥‥そうね。余程があったら永琳を恨めばいいだけよね」

「余計な事は一旦忘れて、もう少し楽しみなさいな。アヤメの大好きな難しいお題と直面してるのよ、そんなつまらなさそうな顔のままで考えこんでいたら勿体無いんじゃないの?」

 

 袖で隠していた顔を覗かせる輝夜、見立て通り微笑んでいた。

 こういう時でも美人は美人で、ほんの少しだけその笑みに見とれるとコクリ首を傾けた‥‥なるほど、こいつもこいつでお節介な事だ。確かに今のあたしの頭はまだ硬いままだったようだ、大事な鼓が破れるかもと慣れぬ心配に気を取られ過ぎて大事な事を忘れていた。

 確かにこれは難題だ、考えても考えても答えにたどり着けない難題、あたしが輝夜に寄越せと強請るモノそのものだ。少しばかり違うのはこうしている間にあっちで何事かあるかもしれないって事だけど、ここに連れてくればなんとかなる、なんとかしてくれると思ったから連れてきたのだ。

 それならもういい、あちらは本職に任せたしこちらはこの場を楽しもう。難題解いたところで何もないかもしれんが上手い事何か出てくれば儲けもの、それでも下手を打ったら泣き腫らすだけ、もしくは未練がなくなっていなくなるかもしれんが、そういった綱渡りも偶には面白かろう。あたしには賭ける命がないというか実際危ないのは雷鼓の方だろうが、その辺もついでに忘れよう。

 

 では、改めて振り返る。

 何をしにここへ来たのか?

 雷鼓を預けに。

 何故に預ける事になったのか?

 ぶっ倒れて血反吐を吐いたから。

 ならばなんでそうなったのか、そうだな、これがわからんのだ。あたしが風呂に入っている間に倒れ、それから間もなく急変した、ざっくり考えるならこんなもんだがこれはあたしの視点から見ただけだな。

 それなら他の視点、他の事柄ではどうか?

 我が家に帰り着いた時には問題なさそうに見えた、つまりあの時までは普通だったって事だな、そして風呂に入る前も出てきた後も、食事中も何事もないように振舞っていたはず、いや、この時からすでに既に異兆はあったな、先に不調を訴えたらしい九十九姉妹も雷鼓も意識せず片手は腹に添えていた。

 であれば姉妹と雷鼓にはズレが生じるな、こうなった原因はそこ以外か。

 では原因として考えられるモノは‥‥モノ?

 そういえばあたしに見てもらいたいものがどうとか言っていたな、あの場では後で聞いてやるから先に風呂に入れと押し切って流してしまって、騒ぎのせいですっかりと忘れていた。あの時の雷鼓からはなんとなく相談事がありそうな雰囲気も感じたはずだし、ふむ、その見せたかったモノってのが怪しい部分かね。

 片付ける間に触れたはずでその際には何も感じなかったが、この状況を難題とするのなら何かしら見合う物があるはずだ、実際に物なのか概念的なモノなのか、その辺りがはっきりしないが‥‥

 

 ポッと出てきた取っ掛かり、何もないよりはマシ程度のモノだがそれでも完全手探りよりはいい。

 そう考えついて顔つきを変える、嫌味な笑みから普段の、やる気のやの字もない顔つきに張り替えて隣の姫と見合う。

 

「なにか思いついた?」

「まだ気掛かり程度だけど一応ね、一度帰るわ」

 

「そう、何か見つけたならまた‥‥って言わなくとも来るわね」

「勿論、いない間に何かあったら屋敷の連中全員恨み続けてやるから宜しくね」

 

 話しながらふわり舞い、輝夜の隣を離れた。

 去る最中、綺麗に戻した背中の辺りに、永遠に続けてくれるならそれも悪くないわ、なんてお言葉をぶつけられるがそんな事実際にやっていられるか。あたしの事だ、確実に途中で飽いて恨みなど忘れてしまうだろう。そんな心がわかるよう軽く袖と尾を揺らし、その話は袖にすると見せつけてから永久の屋敷を飛び去った。



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EX その59 ものしらず

 行きは背負って走り抜け、戻りは一人の侘しい復路。

 永遠亭を出たぐらいから雨脚は少し弱まって、長く浴びればしっとり濡れるだろう霧雨が降る迷いの竹林。唯でさえ迷いやすい竹林に霧がかかれば尚惑いやすい、無闇に足を踏み入れた人間でもいればこの竹林は無限に広がっているんじゃないかと錯覚できるほど。永遠亭に連れ込んでから暫く過ごしていたからか、時間の方も日の入りは過ぎたようで、どこを見回しても冥々としていて、霧煙る周囲と重ねて言うなれば千仞の竹林といった様相ではあるが、それはここを迷える土地だと思っている奴らに限っての事だろう。

 この地に住み着いている者ら、あの薬屋さんの連中やそこに喧嘩を売りに行く死なずの人間、後はあの影の薄い狼女やあたしからすれば、見慣れている景色がちょっと遠間が見難い景色となるだけで何の問題にもならん。寧ろ夜霧の昼行灯としては霧がかかってくれて調子が良く、景色とは逆に気分の方はやや晴れていた。

 

 大事な鼓が大事な時に浮ついていてよいのか?

 そう考えてしまう面も確かにあるが、いつまでも女々しくしていてもあたしがしてやれる事などない、アレが病気だというのならあたしの範疇外でそういった分野について考えていても景色の通り五里霧中の如しなのだ、であればあたしに出来ること、霧中に元気な孤狸(こり)らしく出来る事をしてみようとカラっと元気を回しているのが今だ‥‥と、少しの強がりと見栄はこの辺で、実際は輝夜に何かあったら恨むと亡霊らしく言い切ってしまった為、それなら少しは格好をつけなきゃならんと気を晴らさざるを得なかったのもある。

 ああ言った瞬間こそ空元気で間違いなかったのだけれど、空っぽな気を回したせいで今は何処か吹っ切れてしまったような感覚も覚えられて、すっきりとまではいかないがそれなりに快調な自分だ。同時に、恨みや霧・有耶無耶にするなど、惑う要素で晴れるなんてどうなんだと思わなくもないが、そういった事から今の己に成り果てているのだから、これも問題はなかろう。

 

 そうやって気持ちの面ではらしく、浮ついて、彷徨(うろつ)きなれた竹林内をやや浮かんで飛び進む。

 日頃であれば歩いて進む帰り道だけど、地に足着けずに帰路を行く。急いで帰るのなら慣れた道程を行くのが道理、であれば地に足つけて走るのが定石だろうが、今日はなんとなく飛んで帰った。着の身着のまま素足で出てきてしまったから、行きには何も考えず走って大事な着物の裾が泥に塗れてしまってこれ以上汚したくないから、そういった理由もあるにはあるが、一番の理由は永遠亭のご長寿二人に同じような事を言われたからだ。似合わない顔をして、と二人にからかわれ‥‥もとい元気づけられたから、それならば普段のあたしらしく、浮ついて、漂って帰るのもいいかなと、そんな思いつきのままに軽く浮いて帰路に着いた。

 

 そうして迷う事なく真っ直ぐ帰り、我が家の門戸を叩いてみたが、中からの迎えの声も聞けず戸が開かれるような事もなく、普段通りに静かなだけで、あたしのお手々が奏でる音が家と周りに響くだけだった。

 立て付けの悪い引き戸を開くと留守を任せた九十九姉妹の姿は見えず。代わりに目についたのは、消された竈や風呂場の火と所々が少し汚れたバスタオルが二枚。乾かず長押(なげし)に掛けたままだったはずの姉妹の服もなくなっていた。

 いつ発ったのかはわからないがどうやらあの二人も出たらしい、帰宅途中の竹林では二人の姿を見なかったからあたしとは入れ違いになってしまったようだな。留守番を押し付ける際に迷わず来れるなら来いとも伝えてあったし、今頃は竹林の何処かをさまよいながら永遠亭に向かっているのだろう。

 贅沢を言えば我が家に残っていて欲しかった、顔を合わせられれば色々と聞けて話も早かった…‥のだが、火元の処理をして出て行く余裕があるぐらいなのだからあいつらはきっと大丈夫、そう思い込んでおくとしよう。留守番任せている間にあいつらまで急変して血反吐吐いてぶっ倒れるなんて事も在り得たのに、そうなっていないのだから良い方向で考えておこう。

 

 考えを改める為再度竈に火を入れて、沸かした湯で茶を淹れながら小休憩。

 居間に腰掛け土間に足を投げ出しつつ、我が家の端の方に積まれたガラクタを眺む。

 あたしが片付けた時よりも乱雑に積み直された感がある山からは、誰かが探しものでもしたような形跡が見られた。一杯目を飲み切り二杯目を湯のみに注ぎながら見慣れた我が家を見回すと、視界ではなく耳の方、急須が立てるその音から誰の仕業か思いつく。

 多分姉妹のどちらかもしくは両方だろう、あたしが湯に浸かり口からコポコポ鳴らしていた頃にそんなガールズトークをしていたはずだ。憶測だがあの時話しながら少し探しものでもしたんじゃないかね、だからバスタオルが汚れているんだろうが、そこはいいか、掘り下げる部分でもないだろうし。今掘るべきはその探し物の方、姉妹が見つけようとしていた物を見つけるべきだな。

 湯のみを置き、煙管の火種も火鉢に落として、ガサゴソ荷物をひっくり返し軽く腕組み。そうしてよくわからない物の山とにらめっこして、とりあえずは見た目で判断していこう、まずは明らかに関係なさそうな物を除外していくと決めた。

 

~少女仕分中~

 

 白黒はっきり、なんて柄にないからきっちり分けられた気がせんが、なんとかそれっぽいのとソレっぽくない物に分ける事が出来た。とはいっても見た目で決めつけただけ、あの楽器連中が使おうと持ってきた物とあたしに見せたいと言いそうな物で分別しただけだが。

 内訳をざっくり語るなら、ひとつ目の付喪神の物は木箱。丸く穴の空いた部分に破れた布が張り付いているやつで、よくわからんからあいつらの物とした。コンコンと指で弾けば中で反響するような感じがするし、こんな物見せられてもあたしの好奇心が動く事はないと知っているだろうから、見せたい物ではないと判断しておいた。

 ふたつ目はあたしにもわかる物で分類するのが楽だった。長い杖の先に穴あきの小さな湯たんぽがついた物、これは鳥獣伎楽のライブで何度も目にしていたからわかった、支えの長さこそ違うがマイクだと思えたので、これは確実にあいつらの物だと思えた。 

 他にも、足のひん曲がった大きめの三脚のような物や、壊れて鍵盤のなくなった騒霊の三女が持っている物に似たのもあったが、それらはあたしが見ても壊れているように思えたので付喪バンドの物だという事にしておいた。ゴミを見せられても反応できんからな。

 

 そんな風に分類し、ゴミはゴミ、使えそうな物は使いそうな物として振り分けて、最後に残った物を鷲掴む。ムンズと掴んで持ち上げて上やら下から暫し見てみるも、これだけが何なのかわからなかった。大きさとしてはあたしの片手で持てるくらい、こびりつく泥汚れを落としてみても少しの時を経た木目がわかるくらいで、飾りもないしサイコロのように出目が掘られたり描かれたりしているものでもない。よくわからない四角形としか言えないナニカだが、なんとなくこれがあたしに見せたかった物、見てもらいたい物なのかと思えた。

 

 何故か?

 それは臭うから、きな臭いとかそういった表現ではなく、単純に臭うからだ。

 他の物も土や水の匂いは当然として、拾い先の無縁塚でよく嗅げる血の匂いや腐臭なんてのも嗅ぐには嗅げたのだが、この立方体だけは泥を洗い流しても鼻につく血の匂いが流れずに残ったから、なんとなくコレじゃないかと忘れかけている獣の勘で決めてみた。

 しかし決めたはいいもののどうすべきか、当たりはつけたがコレを見て何をどうしてほしかったのがわからん。よくよく見ても継ぎ目があるくらいでこれといって目立つ感じはしない、角張って掴みやすい物の割にとらえどころがないというかなんとういうか……継いでいるって事は中身があるって事かね、であれば開けて中身を見てみるべきか?

 でも勝手に開けていいものだろうか、見てもらいたい物とは言っていたがあたしにくれるとは言われていないし、もしかすると音楽関係以外、妖怪付喪神としてなんやかんやする為に拾ってきた物かもしれん‥‥どうしよう、開けるべきか開けざるべきか。本当に、なんでこういう時にあいつらの誰もがいないのか。素直に留守番しててくれれば、って無理な話か、心配して居ても立っても居られなかったんだろうから、ここは悪態つかずに感謝するだけにしておこう‥‥で、どうしよう。このままでは明確な判断材料がない事には変わらん。

 コレについて、なんでもいいからわかれば何かしらの取っ掛かりに繋がる気もするのだが。

 拾った場所にでも顔を出してみるか?

 行けば小さな賢将殿もいる、かはわからんな。最近は寺で見かける事も多かったりするし、日によっては浪漫を求めて宝探しに出ている事もある。確実にいると言い切れない相手を頼って行くのも面倒か、それなら‥‥そうだな、別の場所へ判断材料を作りに行くか。あそこなら確実に居ると言い切れるし幸いにも雨振りだ、難しいお題に対面し過ぎて考える物が増えてしまい、割りと散らかっている状態で顔を出すには似合いの場所があった。

 

~少女移動中~

 

 出かける前に軽く湯浴みし、肌に付いた泥や匂いを落としてから移動。

 服と違って足の泥は撫でても消えんし、髪についた雷鼓の血の匂いも同じく散らし切れなかった為、サッと残り湯を浴びた。両方共煙纏えば消せなくもないが、お目当てに姿を見せるのに汚れていてはとあたしの少女部分が囁いてしまい、致し方なしと軽く流してから家を出た。

 向かう先は馴染みのお店、正確にはあたしが一方的に馴染みだと思っているだけで店側からすれば煙たいおじゃま虫程度にしか思われていないような場所。行ったところで相手にされないってパターンも考えられる、というか十中八九無視されるとわかっているが、そういったつれない態度や寡黙さがあの男をイイ男にしていると知っているし、その辺りにあたしの少女らしさが反応したのだろうな。

 

 なんて考えていると見えてくる茂った森。

 来る度に毎回思うが、あの男は商いをする気があるのだろうか?

 ごった返すガラクタが店外にまではみ出して商品が見辛い店回りもそうだが、流行らない店の陰影が見えるこの距離からでも背負った森に込もる瘴気や幽霊が見えるというに‥‥ん、瘴気はわかるとしてなんで幽霊が屯しているのだろう、まぁいいか行けばわかるし、兎にも角にもだ、そんな場所に店を開いても来られる普通の客などそうはいなかろうよ。

 訪れる事が出来ても人外か、人外と並んでも見劣りしないような者くらいのはず。って、あぁ、なるほど。そういう連中をメイン客層として狙ったつもりなのか。この幻想郷で隙間産業を営むなど変わり者にしても度が過ぎているが、誰を相手にしても度が高まるような男でもないし、実際スキマが客として来るのだから、そういった経営方法でも以外と需要があるのかもしれないな。

 ふむ、と、思いついた店の狙いと客層に納得し頷きながら入口前に降りる。目に煩い店舗前でお出迎えしてくれる焼き物の同胞に慣れた手つきで挨拶し、店の扉に手をかけ‥‥て、いつもとは違う違和感を覚えた。

 

 中で動く音がする、そして店主以外の誰かの声もしていたのだ。

 客のいない事に定評のあるこの店で慳貪店主以外の声を聞くなど間違いなく異変、と冗談はこの辺にしておいて、気配を逸らし暫し聞き入る。耳に届くのはこの店でよく聞ける、跨る箒に似た真っ直ぐさが特徴的な少女の声色ではない。ピンと獣耳を立て伺うと、背負う物と反りが合うような真面目さの乗った女が、返して下さいと、それに対して店主殿が強気に言い含めているような会話が扉越しに伝わってくる。

 なんだ、散々その気はないとか考えた事がないなんて言っていたからてっきり男色、いやここはそういった店らしいのだから隙間な趣味とでも言っておこうか。ともかくそういった性癖を持っているものだと思っていたが黒白以外の女を連れ込んで強気に出るなんて、やっぱり男は男だったか。しかし魔理沙にバレたらどうなるのだろうか、いいかその辺りをネタに強請って少し働いてもらうか。よし、それでいこう。 

 確実にそんな事になってはいない、ここの主と聞こえる声の持ち主からそうなる訳がないとわかっちゃいるが、出来ればネタにしやすい状況でありますように。そんな願いを招き狸の陰嚢に掛け、ついでに狸の下げている何も書かれていない徳利に「春夏冬二升五合」と泥で嫌味な落書きを書き足してから店内に入った。

 

「こんばんは、二人でお熱な時に悪いけどお邪魔するわ」

「あ、アヤメさん」

「君か‥‥やれやれ、誘われて霊が増えてしまったな」

 

「あたし達のおかげで涼しくなっていいでしょ、ね?」

「え、まぁ、はい」

「間に合っているよ、この店にはエアコンもあるからね」

 

 たった今来たような素振りで戸を開くと、そこにいたのは見慣れた少女と店主さん。入って早々向き直りあたしの名を呼んだ半分剣士で半分庭師な娘っこに話を振りつつ、動かない大店主にも冷やかす言葉を売ってご挨拶すると、買い言葉が返ってきた。顔合わせからあたしと売り買いしてくれるなど、珍しい日もあるものだな。

 

「えあこんって何です?」

「快適な風が出る機械の事よ。残念ながらこの店の何処かにあるって話だけで、物自体も動いているところも見た事がないんだけどね。それより香霖堂(こんな所)で会うなんて珍しいわね、幽々子のお使い?」

 

 物に隠れてしまい見える部分が少ない壁や、無闇に高い天井へ視線を送りながら問いに答え、カウンターを挟んだ相手へ追加を売りつつ、妖夢の方も構ってみる。

 が、正しい答えを教えてやった割には少女はバツの悪い顔で、森近さんは普段通りでいるようだ。そうだろうな、外で聞いた雰囲気からすればこうなっていて当たり前だ、ここの店主と言い合いになって口で勝てるような子ではない、口より先に手が出るのがこの子だし。

 

「いえ、お使いというかなんというか」

「違うの? はっきりしないわね、違うなら後に(つかえ)ているんだから手早く済ませてくれない?」

 

「私も早く帰りたいんですけど‥‥でも――」

「……そうだね、では君から聞こうか。いらっしゃい、ご用件は?」

 

 問うと両手を固く握るちびっ子剣士。

 いつも以上に落ち着かないというか、あからさまに焦っているような素振りだ。こんな風に取り乱す姿を見るのはあの爺がいなくなって以来、でもないが今日はいつも見る姿より余計に焦っていて、どうしたんだろうね。ここの常連である黒白と大差ないぐらいの背丈だというに、降り続く霧雨にしっとりと濡れているのも気にならないような、女として背伸びしている少女が悩む事とは、気にはなる‥‥が、そっちは取り敢えず後回し、まずは別の気になる方からつついていこう。

 今迄一度も言われた覚えがない言葉、商いをする店主が客に対して言うべきはずの『いらっしゃい』を、あの森近さんが目線を合わせながら言ってきたのだ、間違いなく何かある。毎回さっさと帰れやら、いつまで居るのかって言葉しか言ってこなかったあたしに対してソレを言ってくるのは何故なのか、深く掘り下げて聞いても損しそうにないからな。

 

「いらっしゃいねぇ、唐突だけど森近さん、その心は?」

「……ん、あぁ、ここは僕の店だよ? 来店した相手を迎える事を言って当然じゃないか」

 

「‥‥あ、そう。それじゃそういう事にしてあげるわ」

 

 あたしと店主、ではなく店主越しの奥を見比べるのに忙しない半分人間は一旦放置し、視線を重ねたまま軽い会話をしてみる。するとわかる腹積もり。

 結論から言えば、やっぱりあたしは客扱いはされていないようだ。そもそもカウンターに頬杖ついたままで迎えるなど店を構える商売人の態度としてどうかと思うし、耳にした『返して下さい』ってのからこじつければ、いいところに顔を出したあたしを利用して妖夢をどうにかしたいと、その辺りがこの男の魂胆だろう。

 心にもない『いらっしゃい』で迎えてくれたのは振り、妖夢に見せる為の口だけのポーズってやつだ。妖夢の視線の先には形こそ違うがあれ、やたら綺麗な五色の甲羅‥‥ではなくその隣、あの天邪鬼が逃亡劇を繰り広げる際に使ったランタン、あれは提灯だったっけか、まぁいいか。ソレに似た形をした灯りのような物がある。そして外で聞いた流れから邪推するに、また妖夢がやらかして森近さんが拾って、いつか聞いたあの話の再来って状態が出来上がったんだろうね。

 

「さて、もう一度聞くけど、そちら様はどういったご用件で?」

「妖夢が先に来ていたんだし、あたしは済ませた後でいいわ」

 

 騒ぐ庭師を通り越し、あたしに問う店主。

 だがそうは問屋が卸さない、狙いはわかった気がするが素直に聞いては面白くならない、あたしにも用事はあるが、今のような、つれない伊達男が自ら仕掛けてきた悪戯を棒に振ってしまうような事出来るわけがない。さっさと終わらせるのは勿体無い、故に敢えて掘り返す。

 マゴマゴしている孫剣士にお先にどうぞと手で促し、見合ったままの店主に嫌味な笑いを投げかけると金色の瞳が少し細められた。なんだよ、端正な顔立ちしているんだからそう嫌そうな顔を見せるなよ、理解しながら乗ってこない、つれない態度には慣れきっているだろう?

 

「あの! お代は後で必ず持ってきます!」

「僕は売掛取引はしない主義でね、今欲しいなら――」

「でもですね! それがないと!」

 

「ないと‥‥どうなるんだい?」

「またこの店に幽霊が集まっちゃって、そうなると店主さんも大変じゃないかと‥‥」

「それなら心配無用だ。以前は冬場で余計に冷えてしまい困ったものだったが今回はこれから暑くなるからね、冷やす手段に乏しいうちではありがたいくらいさ」

 

 ニヤつき眺める二人の商談。

 片方はどうにか取り憑こうと必死な半分幽霊な少女、もう一方はそんな相手を軽く振り払ってありがたいなど心にもない事と、ついでに付け足したらしいあたしへの売り文句をカウンターに並べてから黙る半分妖怪のメガネ男子。

 誰が見てもどちらが優勢なのかわかる姿で、あれで交渉のつもりなのかと思わず声が漏れてしまう。そんなあたしの囁きが聞こえたのか、それとも笑われた事が面白くないのか、言い返せない店主からあたしに目線を流すが、幽霊少女は見るだけで何も言ってこない様子。いや、こっちは残り半分の人間部分だったかね、だから今のような人間臭い感じ、必死な姿を笑われ憤慨するも言い返せない状態になるのかね。それならもっと強調したらいいのに、人間らしさってのを見せれば多少の変化があるかもしれないぞ。この男だって妖夢と同じ半分人間ってやつなのだから。

 

「嬉しい事言ってくれるのね森近さん。でも、そんな回りくどい事をしてくれなくてもいいのよ?」

「なんの事かな?」

 

「その、なんて言うんだったかしら? 幽霊を集める灯り?」

「これかい? この商品は人魂灯というものだね、それが?」

 

「そんな物置いておかなくても、来てほしいって言ってくれればいつでも来てあげるのに」

 

 どうしたら取り戻せるかわかっていなさそうな、難解な顔つきで黙ってしまった前髪パッツン娘に、必死な姿で笑わせてくれたお礼代わりの小さな助け舟を出してみる。

 それでも実際は妖夢の為を思ってのものではない、言うなれば妖夢の主の為に小さなヒントを口にしてみた形だ。いつだったか、他愛無い茶飲み話だったからいつ聞いたのか定かじゃないが、以前にこの子の主から聞いたことがある。その時には確か『私の持っている道具を妖夢に預けてちょっとお仕事をお願いしたんだけど、うっかり失くされちゃって困ったのよねぇ』とか、そんな話を幽々子本人から話された事があった。その時には珍しく幽々子が怒って、失くした妖夢に拾って来いと強く言ったのだったか。

『隠さず素直に失くしてしまいましたと言ってくれれば叱ったりしないのに、私ってそんなに怖く見えるのかしら?』なんて、笑みの雰囲気は変わらないがどことなく儚げで、寂しさのある笑顔のままに言ってきたのが印象的だったからよく覚えている。

 このまま放っておけばまた同じように叱って、同じように寂しそうな顔をするのだろう。それを見せる相手が誰なのかはわからないが、幽々子がそういった事を話す相手などたかが知れているし、またあたしに話されたとしたらそれは気分的によろしくない。

 であればそうならぬように別の道もあると含め、かなり遠回しな物言いで口にしてみた‥‥けれど流石に気が付かないか、それならもう少し大きな船を出してみるかね、補陀落渡海に立つ少しの波なら乗り越えられるくらいの、日々鍛える剣士として、冥界を任された主に仕える従者として捨身行に乗れそうなサイズのやつを。

 

「これがなくとも好きな時に来るのが君だろう、何を今更言うんだい?」 

「そこじゃないわ森近さん。あたしが通ってもいい理由を森近さんが望んで置いてくれているってのが嬉しいのよ、普段は帰れとしか言ってくれないのに本当は来て欲しかったなんて、心に決めた人がいるのに困ってしまいそう」

 

「そういった意味合いは――」

「あろうがなかろうがどうでもいいのよ、あたしがそう視ているのだからそれでいいの」

 

「そんな事を言ってしまっていいのかい? あの付喪神は嫉妬深いと聞いているよ」

「嫉妬深いのではなく独占欲が強いだけよ、それに今は叱ってもらえないから大丈夫‥‥で、まだ何かある? 何を言っても無駄よ、あたしはこうと思ってしまったもの……森近さんが悪いのよ、濁しているだけで言い切らないから。大人気なく遊んで、らしくないのが悪いのよ」

 

 クックと笑い、黙ったままの少女を見ながら最後まで言い切る。

 どうだろうか店主殿? あたしから考えてもない、在り得ない、億が一でもあったら困る事を言い切ってやったつもりだが、傲慢なお客様ごっこというのを楽しんでくれているだろうか?

 気分はどうか、伺うように目を合わせると七面倒臭いってのが眼鏡の奥の瞳から延々発せられているが、そういった目で見られる謂れがなくて別の意味で困ってしまうな。あたしをこうしたのはお前さんだ。言うなれば自業自得ってやつだ、それこそ妖夢と同じで自らが巻いた種が芽吹いて巻かれているだけだ。それもわかっているから言い切ったあたしに何も返答しないのだろう。

 黙ったまま、少々キツ目に睨んでくるだけの店主に笑いかけ、その笑みのままで始終を見ていた妖夢の背を叩く。トンと、小舟を送り出すくらいの勢いで華奢な背中を押してやると、半歩進んで踏み止まる妖夢。押してやったのだからそのまま行けよ、言い『切らない』と『らしくない』なんてヒントも態々言ってやったのだから。

 

「あ、あの!」

「……なんだい?」

 

「人魂灯、返して下さい!」

「これは既に僕の物で――」

「お嬢様の物です! 返してくれないのならば‥‥」

 

 気づいたのか、流れに乗っただけなのかわからんが、勢いを取り戻し再度の交渉を始める剣士。チャキ、と背後の二刀に手をかける。思っていた流れと少し違うが、それも交渉術の一つではあるしまぁいいか、暫く見ていよう。

 

「力づくで持っていくと、そういう事かな?」

「それも出来ます、でも拾ってくれた事に感謝して帰る事も出来ます」

  

「どちらにせよ脅しだね」

「そうですね、今のままではそうなります」

 

 店主の問に真面目に返し、そのまま手にした刀を鞘毎抜く妖夢。

 てっきりこのまま辻斬りの再来も見られるかとおもったが、どうやらそうではないらしい。手にした短い方をカウンターに置くと、これを代わりに預けますと話し始めた。

 

「我が家に伝わる家宝です」

「白楼剣、人の迷いを断ち切る刀か。確かに宝物のようだね‥‥わかった、その条件で譲ってもいい。でも、それでいいのかい?」

 

「はい! 戻って、幽々子様に全部話して……すぐに買い戻しに来ますから!」

「僕が誰かに売る可能性を考えたりは――」

「そうなったらまた別の方法で、買っていった相手から取り返します!」

 

 ちょっと前とは打って変わって、勢い良く言葉を被せて返す剣客少女。

 さぁと両手を付き出して、奥のランタンに向かい手を伸ばす。店主が条件を飲んだのだから交渉は既に纏まった、ならばさっさとそれを寄越せといつぞやの異変で見せたような、勢いだけに任せた姿を魅せつけてくれる。顔の方もイキイキしたような、これ以上の問答は無用だって雰囲気を浮かべている。

 そんな少女の後ろに立ち、店主にきちんと見えるような位置で笑ってやると、あたしと妖夢を見比べて動き始めた動かない古道具屋。ゴソゴソ態とらしい物音を立て目当ての物‥‥と、カウンターに置かれた一振りを少女の両手それぞれに渡していた。なんでと傾ぐ少女に向かい、これを預かっても僕じゃ扱えないから意味がない、それに人魂灯を置いたままにしても面倒なお客が通い詰める事になってしまうから処分するのだと、それらしいことを言ってきた。

 前半は妖夢に向かって、後半はその後ろの誰かさんに向かって話したようだが半人半霊の後頭部には目はない、というかそれどころではないのだろう。どうにか取り戻せた事が嬉しいらしく、少しはしゃいでからあたし達に感謝を述べて、それからすぐに出て行っていまったからな。

 言い切って動き始めた少女の背を見つつ、ありがとうを言うのなら森近さんにだけでいいはず、そうも思ったがここは素直に受け入れた。きっと伝わらないだろうと思っていた部分、幽々子に話さずどうにかして失くした事を『濁す』というのにもあの子が気が付いて、それに対しての礼だと思う事にしておいた。

 

――チリンチリン――

 短く開きすぐに閉じた店舗の扉を眺め見送ると、やっとあたしの番となる。

 

「商品減っちゃったわね」

「君のせいでね」

 

「あら、人聞きの悪い。更に慎ましくなって良かったじゃない、そもそも最初から返すつもりだったのだから、人のせいにしないでほしいわ」

「ん? 何故そう考えるんだい?」

 

「店に入ってすぐ『霊』が増えたと言ったわ『客』ではなくね。であればあたし達を売り買いする相手ではないと、最初から商売相手としては見ていなかったのかなって」

「確かにそう口にはしたが――」

「それなら、最後には拾った物を持ち主に返すだけで済ませようとするんじゃないかなって、そう思っただけよ。正解? 正解でしょ?」

 

「君は、本当に‥‥」 

「本当になに? 気が利いてイイ女でしょ?」

 

「……で、君は何をしに来たのかな? うちの商品を減らしに来ただけなら帰ってくれ」

 

 なんとなくそうかなと感じた事を伝えると、何かを言いかけて黙る美丈夫。

 その姿を眺め、先のようなやり取りよりもやはり寡黙な姿が似合いだと感じつつ、自分の機転の良さも売りつけていく。けれどそこは肯定されず今日の来訪理由を嫌味混じりに聞いてくるだけだった。まぁいいさ、否定されなかったのだからイイ女ではあるのだろう、商売以外では口数の少ない男だ、きっと言わなかっただけだ、と、そう思い込み要件を見せる。

 

「今日はお仕事の依頼、ちょっと調べ物をお願いしたいの。早速だけどコレ、なんだかわかる?」

 

 コトン、カウンターの上に置いてみる。

 雑に置いたのは持ち込んだ四角形、片手で丁度収まるサイズのちょっとした寄木細工が目立つ箱。袖から出した瞬間から血の匂いが漂って鼻につくがそれは森近さんにも伝わるようで、軽く目を細めながらあたしと箱に視線を流す。

 

「森近さんの能力ならコレが何なのかわかると思ったんだけど」

「当然、見えているよ」

 

「で、何?」

「見えているが教えるかは別だよ、迷惑な客相手に話す口はないんだ」

 

「それでも教えて欲しいの。銭なら言い値を出すわ、足りないなら身体で払ってもいい。お願い出来ない?」

「随分拘るね‥‥どうしても知りたいならさっきの流れを真似たらいいんじゃないかい?」

 

 依頼人としてお願いする立場だから下手にでているというに、素直にうんとは言ってくれない店主で困る。これはあれか、珍しくこの男が拗ねているのか。これはこれは珍しい姿を見られたものだ、抽象的な意味合いでも表情的な意味合いでもあんまり動かない事で有名な古道具屋の心を損ねてやる事が出来たのだ、ちょっとした遊びに乗っただけでこうなるとは、狸として非常に楽しい。

 が、このままでは心から困ってしまう。何をどう言えば機嫌を戻してくれるのか、暫し考え思いつく。あたしの事を迷惑な客だと言ったな、ならばまだお客様ごっこは続いているという事か。うむきっとそうだ、実際はあのごっこ遊びすらなかった事なのかもしれないがあたしがそう思えたからそれでいい、そこから引っ掛けよう。

 

「拘る理由がちょっとね、色々あるのよ。力尽くなんてのはあたしの柄じゃないわ、それにまだ終わってはいないんでしょ?」

「何の事かな?」

 

「さっきの、お客様ごっこよ。あたしも飽いたしお終いにしてあげてもいいんだけど‥‥森近さんから遊びに付き合わせておいて旗色が悪くなったら打ち捨てるとかいくらなんでもヒドイんじゃない? 男が廃るわよ?」

「ズケズケと言ってくれるね。それでも確かに利用はさせてもらったのか、僕の思う結果とはならなかったけれどね……今『は』叱ってもらえないと、そう言ったね。もしやそこに繋がる事なのかな?」

 

「そういう事よ、これでも切羽詰まってるの」

「焦っているようには見えないが、君にしては正直に話していると思えるね」

 

「あたしの事はいいのよ、返答は?」

 

 話しながら立ち位置を変える。

 いつの間にかカウンターから離れ、愛用の揺り椅子に腰掛けている店主に近寄るようにこちらかカウンターへ向かい、両肘ついて身を乗り出す。それほど高さのあるカウンターではないから身を乗り出しても足は届く、けれどここは敢えて足をパタパタ、尻尾も揺々して見せて色好い返事が来るように姿で強請ってみる。

 相手はあのスキマじゃないんだ、こうしたところで求める答えを得られるとは思っていない。けれど一度はスキマな店だと思ってしまった節もあるから、今はあのスキマ妖怪に見せるような甘えた姿をしてみせた。

 

「ハァ……この箱は『コトリバコ』と呼ばれる物のようだね」

 

 聞こえた小さなため息からダメか、と、そう考える間を置いて答えを教えてくれる。

 つれない男だがやはり美男子、女を焦らすくらいの事は出来るらしい。

 しかしコトリバコとはなんぞや?

 聞き覚えがまるでなくて、どういった物なのか全くわからん。から聞こう。

 

「コトリバコ? 聞かないわね、というかようだねってなによ、はっきりわかるんじゃないの? 」

「この短時間で考察し話せと? 僕に見えるのは名称と用途だけだよ。その部分についてはハッキリわかるが、今初めて目にした物について確信を持って語れる程わかるわけじゃない。それに、僕の考えを話したところで今の君は信用しないだろう? 聞くが‥‥これを何処で手に入れたんだい?」

 

 確かにこの男の持ちうる能力はそんな感じだったな、あの古本屋の店主が黒白に連れられて訪れた時には、知らない物の事を詳しく話してくれて本当に博識で驚いたなんて言っていたらしいが、実際は物の名前と用途からこういった物だろうと推察した結果を述べている事が多いのだから。

 などとあたしもわかったような口を聞いているが後半は黒白の受け売りだ、訪れる頻度こそ多いがそういった深い部分まで語らう事はないし、深い付き合い方をしている魔理沙がそういうのだから実際にそうなのだろう。でも少し驚いたな、森近さんにしてはあたしの事をよく知っている‥‥が、前にも暑さに弱かったねなんて結構知られてていて嬉しがった事があったし、気にかける部分ではないか。

 そうやってちょっと前を思い出していると、強くなった視線に惹かれる。そうだな、こちらから問いかけた話だしあちらさんの質問にも答えんと話が進まないものな。

 

「それも当然ね、今回は自分で考えるからそっちは問題無いわ。拾った場所は確か、無縁塚だと聞いているけど‥‥つまりは外の物なのね」

「そう、これは外の物だ。外の世界の人間が作った、いや、作ってしまった忌み嫌われる呪いの小箱だよ」

 

 なるほど、外の世界から入ってきた物だったか。

 そして見た目に反して案外新しいものらしいな。忌み嫌われる呪いの小箱というのだ、言いっぷりからすれば何か呪術的な要素が含まれる物で、そういった物であればあたし達化物連中、正確には化狸や狐などの耳に入らない訳がないだろう。どれほど小さな呪いであれどそういった精神面に対する効果があり、人を惑わす物であればその土地の同胞が気にしないわけがないのだ。

 けれどあたしが外の世界にいた頃にこの箱の話を聞いた事はない、似たような物は調べれば出てくるのだろうが、ぱっと見で気が付けないような面白い呪いの箱など、今よりも好奇心旺盛で若かったあたしが耳にしていれば探して回らないはずがないのだ‥‥と、考え事はまた後でにしようか、この話にはまだ続きがあるはずだし、聞き逃すわけにもいかんしな。

 

「作ってしまったってどういう‥‥いえ、それはいいわ、呪いの小箱ってどういった用途に使うものなのよ」

「使用法は呪い殺したい相手がいる家に置くだけ、それだけさ。簡単だろう?」

 

「簡単ね、本当にそれだけで殺せる‥‥のか、だからあぁなったのね、これって人間以外にも効果があるものなのかしら?」

「効果範囲まではわからない、けれど『その家の者を殺す物』という用途なのは確実だね」

 

 ふむ、そこまではわからないか。

 まぁいい、実際苦しんだ者がいるのだし今は妖怪にも効くと思っておこう。

 名前と用途がわかっただけでも結構な進歩だしそれで十分のはずだが、なんだ、随分とお手軽な呪いもあったもんだな。家に置いておくだけで仕留められるとか、あたしが知る物の中でもかなり簡単というか単純明快な呪いだ、他者を呪って丑の刻に人形打ち付けたり、頑張って巫蠱鍛えたり八十八ヶ所のお寺さんを逆周りで巡礼したりと、恨んで殺そうと躍起になっていた人間達が聞いたら涙目だな。

 と、人間の事なんぞ考える事もないか、考えるべきは別の者達についてだ。それでもそのうちの二人は確実に安心だと言い切れるから考える必要もなくなってしまったが『その家の者を殺す物』と森近さんが言うのだ、それなら九十九姉妹はもう呪いの効果範囲にはいないはずだ。持ち込んできた時こそ不調を訴えていたがあれはきっと我が家に来る前に輝針城にでも寄ってきたから反応したのだろう。けれど輝針城は本来姉妹の住まいではない、あっちの小人姫の住まいだ。言うなら仮住まいで呪が発動するには中途半端、だからこそ腹痛程度で済んだのだろう。

 となると雷鼓にもおかしな面があるように思える‥‥が、今はそこは捨て置こう、長くなりそうな謎解きよりも対処法を探る方が先だ。

 

 そうして出来た次なる指針。無事に取っ掛かりが出来てそれに向かい頭を回していると、珍しい事を言われ思考を止められる。

 

「‥‥大丈夫なのかい?」

「あたしなら大丈夫よ、あっちも、腕のたつ薬師に預けてきたから大丈夫」

 

「そうかい、それならいいんだけどね」

「心配してくれるなんて珍しいわね、優しい男は好みだし本当に身体で払っていくべき?」

 

「そうだね、払ってくれるならお願いしようか」

「あら、拒否しないのね? 本気にしろって事?」

 

 嘘から出た誠じゃないが、まさかこの朴念仁が乗ってくるとは。言ったあたしが言うのもなんだが、思いもよらなかった誘いなど言うんじゃなかったと、そう思う一途な心九割、この男に抱かれるのならいいかなと感じる乙女心一割くらいにあたしの内心が音なく揺れる。

 そんな心情が見えているのか、今のあたしの用途が見えているような、そんな値踏みするような目付きで見つめてくれる古道具屋のキュリオスフェロー。視線を寄越してくれるならもう少し情緒のあるものがいい、頭になかった流れを前に少し気恥ずかしくなった気もするが、それでも自分から持ち掛けた事だし、それならと、踵を返し背を向けて、肩口をしゅるっと下げる。

 脱ぐ最中にも覚える気恥ずかしさにやられるが、ここで引いては女が廃る‥‥と、両肩さらけ出してもう少しで着物が落ちるか落ちないか、少し動けば開けて背中が見えるかなって頃合いに口を開く優男。落ち着いた声色で、何をしてるんだい、とあたしの後頭部に投げかけてきた。雰囲気から今後何を言ってくるのかわからなくもないが、言うならもうちょっと早く言ってきてくれ、手を出されていないのに穢されたような、惨めな気分になるから。

 

「払えといっても代金代わりに一つ働いてもらいたいと言ったまでだよ、そういった事を求めてはいないからやめてくれ」

「まぁ……そうよね、森近さんだし。で、何してほしいのよ?」

 

「君は以前に外の世界に出られると言っていたね、出来れば、なんでもいいからあちらの物を仕入れてきてくれないか」   

「そんな事でいいの? 内緒にしてくれるなら本気で腰振ってもいいのよ?」

 

「クドいね、そういった相手が大変だからといって僕で紛らわせないでくれないか……物は君に一任するから先の条件でお願いするよ」

「その気もそのつもりも毛ほどしかなかったけど、今の言いっぷりで完全に冷めるわね‥‥後半もわかったわ、あちらに行く事があれば何か持って帰ってきてあげる。これも確実に、ね」

 

「期待はしないが頼んだよ。あ、それともう一つ。ソレをどうにかしようと考えているのなら店から離れた場所で頼むよ、何がどうなるのかわかったものじゃないからね」

 

 すっぱり言い切っていつもの姿、読書の世界に落ちていってしまう森近さん。

 ソレと話した一瞬だけカウンターの木箱を見たが、その後は何事もなさそうな、僕には関係ないと姿で見せるように手元の小説から目を離さなくなった。

 そうだね、わかってはいたがやっぱりその気はなかったか。少しだけ、本当に僅かにだけ期待した心と同じくあたしの肩から白の着物がずり落ちかけるが、落ち切る前にそっと抑え、直した。

 その気のない男に肢体を魅せつける趣味などない、話しながらいつも以上にきっちり襟元を締めて、わざとらしく布の擦れる音を立て帯も締め直してみたが、そんな釣り餌も一向に気にされず店主は手元の本に夢中なままだ。ちょっと色のある話になったかと思えば、結局色気のない話で終わってしまって、完全に脱ぎ損だがまぁいい、本来知りたかった部分については十二分な程に実入りがあったのだからヨシとしよう‥‥それでも少し悔しいから、読み違えた失敗はあたしが一人でやらかしたものだとは思わず、先に店を出たあの子を真似ての事、狙っての自業自得だという事にしておく。でないと本当に惨めなままになってしまうから。

 



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EX その60 ためしもの

 手にした木箱、古道具屋で譲ってもらった紐で括り、ぶら下げられるようにしたソレを軽く放り投げ、緩く背伸びし、高い位置でパシッと受けて。右手に収まる接ぎ木の小箱『コトリバコ』を掲げつつ、左のいつものを咥えて、手元を見つつ一息入れる。

 

 大きく吸い込み深めに吐いて、携える何やら面倒な箱を包んで隠してしまうようにしつつ、これからどう動いたものかとお隣さんに問うてみる。けれど助言や欲しいお返事などはなく、無口なお隣さんは緩い顔で静かに遠くを望むのみ。同胞なのだから困った時くらい助けてくれてもいいのに、そんな思いを込め睨むも隣は黙ったままで、持ち主に似てつれない雄だと感じるのみ。

 お前さんも見た目狸なら動くなり話すなりして化かしてみせろ、と、そんな事を小さく呟いても見ざる言わざる聞かざるを貫く店舗前の狸さん。まぁそうよな、お前さんは(なり)だけで実際は焼き物だものな、無茶な言い掛かり済まなかったと、店に入った時と同じく優しく八畳敷を撫で謝った。

 

 さて、あたしが今何処に居るかは察しの通り、未だ流行らない古道具屋の前にいる。

 手元のコレ『コトリバコ』の名称と使用方法はわかった。

 求めた答えは得られたのだからここでの用事は済んだ。

 この店で買える情報は仕入れ終えたのだから移動してもよいはずなのだが‥‥なんというか、これ以降どうしたらいいのかを決めあぐねてしまい、次に向かうべき場所が浮かぶまでは動けずにいたりする。見る人によっては、面倒くさがりなあたしの事だから手探りが手間で動かないのだろうだとか、そう見られても致し方ない状況ではあるが、これでも次になにをすべきかは理解しているつもりだ。理解しているからこそ今後何処に向かうべきか決めあぐねているのだ。

 

 この箱がなんなのかわかったのだから次は対策を、これがあたしが優先すべき事。

 であれば次なる調べ物が出来る場所へ行くか、手掛かりを探しに向かうのが良い。

 そんな事もわかっている、言われずともわかっちゃいる。

 急がば回れと感じる部分も大いにあるのだけれど、変にあちこち動いて周り呪い振りまいて何かの異変だと思われれば余計な手間が増える事必死であるし、下手に遠まわるより何か考えついてから行動したほうが合理的だと思えてしまって、この箱が持ちうる性質のせいでそうしていいのかどうか少し悩んでいるってのが現状だ。

 

『君は‥‥まだいるんだね』『営業妨害のつもりかな』

 少し前に店舗の窓越しに目が合ったあんまり動かさない口を動かしていた古道具屋からこんな事も言われちゃいるがソレは気にせず、別の方、彼から仕入れた話をそれっぽく飲み込み考えれば、コレは他を殺める(しゅ)が込められた怪しい器物で、持ち込んだ先の者を呪い殺すという物体だ。そんな物を持ち込んで調べ物が出来る場所ってのが思いつかず、動くに動けない時間が続いている。

 

 動けなくなる前、店を出てすぐには一応の案はあった。

 順序がズレるが少し話すと、二つ目に浮かんだのは人里に行こうって案。

 貸本屋(あそこ)なら少数ではあるが外の世界の本があるから、それらしいのを読ませてもらう事が出来れば何かの手がかりでもあるかもしれないと考えたのだが、そういえばあそこは『店』であると同時に『家』でもあったなと気が付いてしまって、家の者を殺す物を持ち込んだまま行こうとは思えなくなってしまった。

 気になる事があるとリンリン騒ぐあの娘っ子にもしもがあれば悪い。

 そんな心もあるにはあるが、極論を言うとあの店主がコレで死のうが死ななかろうが別段どうでも良い気もしている。少ない眼鏡仲間であるあの子を失うのはちと惜しいが、あたしの鼓と天秤にかけてやるほどの愛着はないし、里に住まう人間ならば放っておいても妖怪に殺される事もあるのだからと気にかけてはいなかった。

 それでも候補から外したのはあの店が敬愛する姉のお気に入り一つだから。態々化けてまで訪れる暇潰し先があたしのせいで潰れるなどあったとしたら、儂の楽しみが減ったのぅ、なんてしんみりされてしまうかもしれないと思えてしまって、次の場所候補から外さざるを得なかった。

 因みに姉さん御本人を頼ろうとはまだ考えていない、あの御方は本当に手詰まりになってしまった時に頼れるあたしの最後の(よすが)だ。最後の甘え先に行くには名前と用途くらいしかわかっていない今は早すぎるし、話をしに行こうにも寺に居候している仮住まい状態の姉さんまで腹痛起こされては困ってしまうと考えてしまい、こちらから向かう気にもなれなかった。

 

 それなら別の場所で調べれば?

 (しゅ)に関する書を開くなら打って付けの場所は他にもある、知っているなと。そうして三つ目に思いついた場所は鈴奈庵よりも蔵書豊富で紙と魔の匂いに満ちる場所、背の高い本棚がヴワっと並ぶあそこ。ド派手で真っ赤な上物(うわもの)よりも広いんじゃないかと思える大図書館だったのだが、こちらもこちらでダメかもなとすぐに思い直してしまった。

 あたしの可愛いお友達が住んでいるからあの妹にもしもの事があればまたあたしが傷つく。

 そしてそうなってしまった場合には妹を溺愛する姉兼友人にエライ恨まれる。

 ついでに珍しく気に入っている人間な従者も面倒な事になるし、氣を使う事に長けた門番に入る前に悪い気を読まれ拒まれそうだ。と、そもそも全員あの屋敷の住人だからマズイだろうと、そんな読みが候補から外した理由の諸々だ。

 

 ここまで挙げて二人足りないじゃないかと言われそうだが、残った二人についてはなんの心配もしていないから挙げなかっただけだ。図書館の主は生来から真っ当な魔女で、中途半端にカジッただけのあたしよりもこういった呪術には詳しいはずだろうし、お付きの羽根付き司書殿は呪術や魔術で呼ばれる側の者だろうから人間が作った程度の呪でどうにかなるはずもないと、そう思えるから気を配る事もなかった。

 で、そういった物事に詳しいあの二人のどちらかと会えれば何かしらの対策が浮かびそうなのだが、あいつらが屋敷の敷地外に出る姿など見た覚えも聞いた覚えもないし、外に出るくらいなら篭って研究に没頭するタイプだと思えてしまうし、身体が弱いと聞いているから変わりやすい気候の下に出てこられて、雷鼓と違うモノを原因として目の前で血反吐吐かれる流れになっても手間が増えるだけだからと、頼るのは諦めていた。

 

 それなら我が家に一旦戻り、箱を置いて訪れればいいのでは?

 持ち歩かなければ何処に行っても問題なかろう。

 一番最初に浮かんだ考えがコレだが、これは一瞬でダメだと悟った。 

 家主で、本来であれば真っ先に呪われるはずのあたしは元気だが、今は元気というだけで戻って不調になる可能性もなくはない。吐く血液も呪い殺される肉体もとうにないが、それでも殺される可能性を考えついてしまったから戻るに戻れなかった。

 この箱は『その家の者を殺す物』という用途だと聞いた、この効果が単純に相手を殺すだけ、肉体的な意味で死をお届けするだけだとしたら帰宅しても問題はないだろう。だが仮に『殺す』というのがこの世から存在を『消す』という意味合いであったなら、と、そんな事も脳裏に浮かんでしまって、逃げるの大好きで雷鼓以上に我が身がとても愛おしいあたしから態々戻ってみる勇気など湧くわけがなかった。

 

 と、これだけだと格好悪いから真っ当な理由もいくつか述べておこう。

 単純な話、あたしの居らぬ間に誰か、我が家に顔出す誰か達に何かあればあたしが困るからだ。

 相手がどうでいい人間(カモ)や死んでも一回休むだけの妖精ならともかく、ほぼ毎朝来る兎詐欺や不定期で新聞押し付けにくる鴉共、いるのかいないのかわからん妹妖怪なんてのが我が家でぶっ倒れていても面倒が増えるだけで、家の者ではない連中に効果はないとわかった今でもそういった大事な相手達にむざむざ二の鉄を踏ませる可能性を残す事もないだろうってのが建前、誰かに聞かれた際の言い訳である。

 本命にはもう少し掘り下げた考えがあり、それ故に帰れない状態だと確信出来ているからな。

 

 それで、勿体ぶった本命を語るのならちょっと前、雷鼓が倒れた時間の話に戻る。

 あの時は我が家を雷鼓の家と言われその場の誰もが否定はしなかった、つまりは雷鼓の家だと皆で認めた、きっちりと(しゅ)の効果範囲であると皆で確認してしまったようなものではあるが、だからこそそのかかり方がおかしいと思えてしまっていた。

 確認すべき事でもないが、正しく言うなればあの家はあたしの家であって厳密には雷鼓の家ではない。寝食を共にする事も多く実際住んでいるが、ってこの考察に掛かってくる部分ではないから割愛する。重要なのは家ではなく名前の方だ、あの家はあたしの住まい、つまりは『囃子方家』であって『堀川家』ではない、であるのに呪が向けられるべきあたしは変わらず元気なままで、雷鼓の方だけ呪を浴びたのだ。

 これは一体どういう事か、既にあたしが死んでいて殺せないってのを差し引いても『囃子方』の者ではない『堀川』が代わりに呪いを受けるなど在り得ない。意志のある誰かがそう念じて行ったというのならわからんでもないが、今回の場合は意思なき物がそうあるように放った呪いだ、であればそういった作用があるだけで作り手が込めたモノ以上の事を『コトリバコ』だけで出来るとは到底思えない。

 この箱が付喪神にでも成っていて自我に芽生えているというのならわからんでもないが、生憎それらしい力も感じない。だのに効果は及んでいるのだ。ここがどうしても解せなくて、どれほど頭を捻っても答えの出ない部分で気がかりとなってしまい、我が家へ帰るに帰れない理由となっていた。

  

「さて、どうしようか」 

 

 意識せずに出たボヤキ、聞いてくれる相手は無口な同胞だけで、返事は当然ない。

 真顔で独り言など言って、あたしは何をやっているのか?

 店にいた辻斬りにはらしくないと背を押したのに、言った己は動けずになんてザマだと自己嫌悪。古道具屋の店主相手にはいつものあたしらしい雰囲気で話し笑う事が出来たのに、一人になるとまたクソ真面目な顔に戻る自分が嫌‥‥なら笑える事を考えてみるか、この辺りでまた気分を入れ替えておくとしよう、それなら何がいいかね狸さん?

 ぽわぽわ流れる煙を見ながらお隣さんの視線を追う。見つめる方向は(たつみ)の方角だが、教えてくれた方面にあるのはあたしの住まいがある迷いの竹林と、そこから少し東に逸れれば太陽の畑があるくらいで、我が家はともかく幽香の所へ言っても笑える事などないからダメだろう、寧ろ逆、楽しく微笑まれて終わりだ。

 やっぱりダメだな、多少のヒントを得られたくらいでは手探りが過ぎて良い案が出てこない。それどころか成したい事とは真逆な考えしか浮かばないとは、企む側の者の割に対案が出てこないなど本格的に焼きが回って……うん? 真逆か、そうだな、そうしてみるか。解決策が浮かばないなら浮かぶよう、考えをひっくり返し一つ試してみようかね。

 久しぶりに湧いて出てきた天邪鬼な心、それに身を任せてみるのも一興だろう。

 

~少女移動中~

 

 進む途中で雨は止み、立ち込めていた霧のほとんどは掻き消えた。

 あたしとしては間逆なお天気、降るよりも濃ゆい夜霧にでもなってくれた方が調子に乗れて都合がいいが、ひっくり返した立場からすればこうなるのもよかろうと思い込み、泣き止んだ空に向かい舌を出して微笑むだけに留めた。上げた顔を下げると揺れて見える水面には嫌味な笑みを浮かべた自分の顔がうっすら映り込み、ちょっと思考をひっくり返しただけでこうも気が楽になるかと、湖面に映る己の顔を更に嗤い笑みを強めた。

 今の訪れ先は古道具屋から(いぬい)に向かった辺り、昼間なら深い霧が満ち満ちている湖。日も落ちきって宵に染まる今時分には晴れ渡り、思っているよりも以外と小さい全貌を見せる事もある場所だが、今夜の晴れ具合はその調度中間ぐらいで、薄い靄こそかかっているが対岸は見えるくらいとなっている。

 弱々しい風が吹く雨上がり、湖面は静かに揺蕩うだけで、ぼんやり見ていると心を落ち着かせてくれる。これで雲が晴れてくれれば綺麗なお星様やお月様を反射して見目良い景色になってくれたのだけれど、あいにく今宵は無月のようで。流石にそこまではひっくり返らなかったか、そうなってしまったら都合が良すぎて幸先が悪いしコレもヨシかな、と、見えない月や星々の瞬きをかかる雲の奥に感じるだけに留め、静かな湖畔をのろのろ歩く。

 

 長く注いだ雨に濡れ、葉先に涙を貯める雑草を妖怪のお山から下りてくる山背(やませ)に押されながら踏みしめると、遠くには崩れかけた洋館と小さな小さな水色の碧、氷精の住まうかまくらが見えて、そこらを視点の中心に湖畔周りを舐めるように視線を流してみる。

 すると見えるは一度来訪を諦めた血の色をした屋敷、これからはいる予定の赤い館が視界に入る。この天気ではあの姉妹も外に出られず暇だろうな、いや、妹は元々引き篭もりがちだし問題ないか。なんて事を考えつつそこに向かって歩を進める、乗りきれない気分はひっくり返して浮かばなかった事として、成り切れない天邪鬼な誰かさんを真似て気にせず進む。

 少し前にはまずかろうと案じたが、魔女殿が虚弱だって事は常日頃から不調だって事だと、であれば吐血にも慣れているはずだと、そのようにひっくり返して今晩訪れてみた次第。一度返すとスルスル言い訳が浮かんできて、偶に咳き込む姿はあたしも見ているから大丈夫なはずだ、そうなった場合の対策も知識を貪る種族らしく詳しいはずだから問題ない、呪を浴びてもあの魔女は『家』ではなく『図書館』の主も兼ねた屋敷の者だから死ぬほどの効果はないかもしれんと、そんな案があたしの背を押してくれて、足取り軽く歩めていた‥‥

 

 が、軽やかな足は湖畔を少し歩いて止まる。

 屋敷には入らずあの図書館にだけ入るにはどうすればいいのか?

 そんな単純なミスと、茂る林から聞こえた少しの騒ぎに気が付いて、ノリと勢いだけで動かしていた足を止めてしまう……

 

「煩い」

 

 不意に聞こえた黄色い音。

 助けてくれぇと叫ぶ誰か達の悲鳴。

 野太いのと甲高いの、二種類の声色が不協和音となってあたしの耳に響く。

 

「人が考え事してるってのに」

 

 声の聞こえてきた辺りを眺めていると、茂みが揺れて影が動く。

 背の高い夏草をザワザワ鳴らして出てきたのは見た目質素、というよりも着乱れているって感じか。上半身だけ曝け出した一人は髭蓄えたいい年の男。もう一人は連れ合いよりも年若い女でこちらは帯を解いて襦袢羽織っているだけ。

 躍り出てきた二人とも召し物を開けさせたり履物を脱いでいたりして、こいつらの見た目の雰囲気からは、静かな夜にしっぽりと湖眺めて濡れ場一勝負でもってのが透けて見える。同時に吊り合わない年齢からは不倫な空気ってのも見受けられるが、盛る夏場を目前にして春な行いにお盛んとは正真正銘妬ましいな、あたしのお相手はそれどころではないというに。

 

「静かな夜に騒がしいのよ、もう少し景色に似合うようになってくれない?」

 

 ドタバタ、文字通り形振り構わない形相でこちらに向かってくる奴らに言い放つと、逃げてきたこちらにも妖かしがいたと驚く二人。

 慌て方や怯えっぷりから既に襲われている最中、あたしと出会う前から誰かに狙われているってのも見て取れる、って誰かなんて言うものでもないか。この湖で人を襲うような者など数える‥‥くらいはいるのか、人食い宵闇は当然として氷精も悪戯仕掛けるだろうし、紅魔館の連中も食材仕入れる事もあるのだろうし。襲わないかもしれないと思えるのは半分魚なお姫様くらいかね。いや、あの子に至っては寧ろ襲われる側かもしれんな、袖や尾ひれを靡かせて水中を進む姿を見れば大きな魚、誰かが流した噂にある霧の湖に住まう大魚っぽく見えなくもないから大物狙いの釣り人に獲物と間違われてしまう事もありそうだ。

 

「待て~! わたしのごはぁん!」

 

 そうやって、目の前の男女をほっぽり出して妄想を繰り広げていると、女の手を引いて走る男の背後が騒がしくなる。

 ガツンゴツンの度に痛いと騒ぐのが木々を揺らし向かってきてあちらもあちらで賑やかしいが、騒がしくなる周囲とは真逆に景色の方は更に暗く、音と共に濃い闇へと染まり始めた。

 

「 あ、イタ! 痛ぁい!」

 

 姿を見せたのは、いや、物理的に目には見えないからこう言うのは違和感があるがそれはソレとて。人間二人の後ろから真っ黒い玉っころが現れた、というのも何か違う気がするが細かいことはいいな、ともかく黒いのが愚痴りつつ揺れ舞い現れる。

 捕まったらイタダキマスされる鬼ごっこの鬼役が来たか、衝突音から察するに相変わらず周りが見えていないんだな、そう案じつつ眺めているとすぐに聞こえる別の音。

 バクン。大きく開いたナニカが閉じ切り断ち切った、そんな勢いのある音と共に飛ぶ赤い水飛沫と千切れた男の布切れ。張った風船が割れたような勢いで、黒い玉に飲まれ消えた男に代わり真っ赤な血飛沫と、着ていた着物が端切れとなり闇から周囲に飛び散った。歯切れ良く咀嚼しながら布だけ吐くとは器用なもんだ、頷きながら見ているとあたしの袖にピッと飛んで来た鮮度の高いおすそ分け。それを指で軽く撫で、そのまましゃぶりつつ思いつく。

 なるほど、こいつらは人喰い妖怪に追われていたか、出くわして追い込まれ逃げてきたものの、もう一人の妖怪であるあたしを見て慄いてしまい、断末魔を上げる暇もないまま食われたってか。なんとも、女を食いに来て別の女に喰われるなど晩年に随分モテた男だったな。

 

 齧られて上半身のない、食べ残された下半身が倒れる。

 と、今し方まで繋いでいた手を真っ赤に染めて、闇夜を劈く叫びを響かせるもう一人のご飯。

 静かな夜に喧しいから、さっさと静かになるか若しくは黙ってくれないだろうか。

 

「さっきから喚かないでよ、鬱陶しい」

「ん~? なんあ言っあ?」

 

「あんたに言ったんじゃないわ、口に物を入れたまま話さないで」

 

 腰でも抜けたのか地に膝ついた女に問うと、ボリボリ鳴らしたままの舌っ足らずな闇っころから代わりのお返事が来る。咀嚼途中で話すなどはしたない、見えないからいいけれども、口内に食物を含んだまま話されると音が気になり、ついつい窘めた。

 そうやって言い返し夜露と泥に汚れてしまった女を見下ろすと、先には黄色い声を轟かせた口を開きこちらからも何か言ってくる素振りが見えたので、これ以上騒がしくされても耳に痛いだけだと、すっかり青白くなって色変わりに忙しい女が発する声を逸らし黙らせる。

 軽く逸らしてやると己の声が聞こえない違和感が気持ち悪いのだろう耳を抑えて口をパクパク、池を泳ぐ鮮やかな鯉のような姿を見せる。自分の叫びが周囲に響かず己にすら聞こえない事にまた驚いたのか、慌てて這いずり逃げようとするも女の伸ばした手は地面から逸れたように滑り、突っ伏してそのまま立ち上がれなくなる。

 

「食われに来たならそれらしくなさい、喰ってもらえるまで待ってなさいな、意味合いと相手が代わっただけで変わりないわ」

 

 違うなら次がないくらいか。言い切ってから思いついた事は言わず、動くに動けず顔だけ上げる者に言ってやると訴えるような目を揺らして見せてくれるが、あたしにそんな視線を寄越されても、ねぇ。土壇場で助けを乞うならそれに見合う相手にお願いしたほうがいいぞ、あたしは寧ろお前を追う側の者だ。

 伸ばされる手と見上げてくる顔に向かい穏やかに微笑みかけると女も小さく微笑んだ、諦めの笑みを見せる余裕があるならもうちょっと頑張って赤いお屋敷にでも駆け込んでみればいいのに、あのお屋敷には一応人間に属する娘がいるから助けてもらえる‥‥事はないか、あそこに辿りつけたとしてもここに残ってもお前さんの結末は変わらないか、収まるお腹が代わるだけだな。

 

「どこいったぁ?」

 

 ルーミアのように生のまま齧る方が旨いのか?

 紅魔館で出てくるらしい調理された姿を食した方が味わい深いのか?

 比べた事もないしわからんな、なんて先程までとは別の考え事をしていると動きを見せる宵闇さん。真っ直ぐこちらへ、獲物に向かってくるのかと思えば、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしまって、動きも物言いも酔いでもしているかのような動き。冥々した妖怪が酩酊した動きをするなど中々悪くない冗談だな、って笑っている場合でもないか。

 そっちじゃない、お前のディナーはここだと、夕餉探して彷徨く玉にご飯はここだと指差して示すが『どこー?』と言いつつ更に離れていってしまう黒いヤツ。そうだった、そういやアレは真っ暗で周りが見えないんだったか、それでも声のする辺りに向かってくればわかりそうなものだが、あぁ、女の声はあたしが逸らしたのだったな、なら少し誘導してやるかね。

 

「そっちじゃないわ、こっち。ここよ、ここ」

 

 目の前の食べられてもいい種類の人間が放ってくれる恨みがましく心地よい視線を浴びつつ、こっちにおいでと声で招く。すると寄ってくる闇っころ、目の前が暗くなると同時に強く感じていた熱視線は消えた。

 生気の消えた顔や瞳、しどけない人の形が取り憑いた黒いモヤモヤに飲まれ見えなくなる。

 代わりに聞こえるガリボリ咀嚼音。

 それに合わせてビクつく足。

 さながら活造りだな。

 

「あれ? まだいるの? もっと食べられる?」

 

 獲物の末路を眺めていると夜にクッキリ浮かんで目立つ黒い玉っころ、目の前一杯を埋めるソレから何か聞こえる。

 こいつ二人喰ってまだ足りないのか、小さな少女の姿に似合わず大食漢な事だと思うがまだとはなんだ、あたしを人間(カモ)と一緒にするなよ、見えなくとも鼻は利く‥‥利かなくなるのかね、実際どうなのかわからんが兎も角だ、このままでは話が進まんから一先ず顔を見せてもらおうか。

 

「どこに目をつけて‥‥変な事言う暇があるなら出てきたら?」

「んあ?」

 

 眼前を埋め尽くす真っ黒に言い返すと、少しの間を置いて闇が晴れる。

 夜の闇よりも暗い黒が消えると、中から出てくるのは明るい少女。

 いつものように両手を広げ、まるでどこかの偶像が貼り付けられたような姿で浮かぶ彼女。狩りの最中くらい闇から姿を現せば捕食するのも楽になるだろうに、そうしないのは闇の妖怪としての矜持かね?

 いや、ぐうたらなこいつの事だ、ただ面倒なだけなんだろうな。それでも、明かりのない新月の夜には少女の姿で漂っている事もあるのだから常からそうしていれば‥‥と、読むに読めない闇の腹づもりを解いていると顔を合わせての会話となる。

 

「なんだぁ、アヤメだったのかぁ」

「そ、あたし。ご飯と一緒にしないでよ」

 

 一緒くたにすんなと返しつつ、あたしの着物に飛び散った赤いのを撫で消していくと、鬼灯色した瞳の色を口元や襟元にも移して、ニカっと笑う宵闇さん。

 真っ赤なお口の端から雫を垂らす少女になんだぁと、残念さたっぷりに言われてしまうが、さっきのまたと言いなんだとはなんだ、もう少しなんかあるだろ。例えばそうだな、狩りのお手伝いありがとうだとか、何時ぞやは世話になっただとか、後は‥‥特にないか、普段からそれほど絡んでいる相手でもないし、仲良く語らうような間柄でもないからな。

 

「とりあえず食事を済ませたら?」

「あ、そうだった。久しぶりのご飯だし、残さずイタダキマスしないと」

 

 あたしに向かっていた気を逸らし、じゃないな。

 特に狙ってはいないから今のは単純にルーミアが忘れていただけだろう。

 それはそれと流して、食べるなら食べる方に集中した方がいいんじゃないかと聞いてみると向き直り、先程までとは違う、見た目に似合う少女らしい姿で少しずつ貪っていく。まずは半分残った男の方に戻り、華奢なお手々を突っ込んで、白の長袖を赤々と濡らしながら、引っ張り出した中身を頬張り満面の笑みを見せてくれる。

 随分美味そうに食べて、いい年の男なんぞ喰って、そんなに美味いものかね?

 久しぶりだと言うが、それでもあの年代の男性は見た目も味も脂っぽいような感じがして生憎あたしの好みではない、どうせならもう一人の方がまだ‥‥

 

「あ、アアエはおあんあえあお?」

 

 好みについて案じるあたしによくわからん言葉が届く。

 頬袋をもつ動物上がりでもないくせに口一杯に食べ物詰め込んで、小さな頬をパンパンにしたまま言ってきてくれる。男女というか年齢からくる味の違いなんて些細な考え事をして、一瞬目を離しただけだと思っていたが手を付け始めたエモノはもう殆ど残っておらず、結構な勢いで喰ったらしい、血溜まりに跡だけが残っているみたいだ。面倒臭がりな割に旺盛な事だな。

 

「だから、頬張ったまま話されても何言ってるのかわからないわ」

「んくっ……アヤメはご飯食べたの? って」

 

「そういえば‥‥昼から何も食べてないわね」 

「そうなの? う~ん……一緒にごはんする?」

 

 大きく飲み込みちょっと悩んで、なくなった目の前ともう一つのご飯を見比べてから首を傾げる少女。緩く吹く北風に髪を靡かせて、切なげな声色で食べるか聞いてきてくれるけど、誘う仕草として見せるならそんな顔を見せるべきではないんじゃないかね。いや、この場合はあれかな、自分の取り分は減ってしまうけどおすそ分けしてあげてもいいとか、そんな風に考えたってところか。しかしどうするかね、嫌いってわけじゃないが好んで喰うものでもないし‥‥

 悩み顔の少女を習い少し傾ぐと音が鳴る。

 傾けた首からコキッと、ではなく、小さく鳴るのはあたしのお腹。

 

「お腹減ってるならいいよ?」

「でも取り分減っちゃうわよ?」

 

「そうだけどいいよ、ちょっとあげる、手伝ってくれたし……ちょっとだけならいいよ?」

「手伝ったつもりもないんだけど……そう言ってくれるならそうね、少し戴くわ」

 

 期せずして獲物の前に立ち、通せんぼしたあたし。

 形からすりゃ手伝った形だが言った通り、あたしにその気はなかった。降りたのは偶々として、さっきの足止め自体そもそもルーミアの食事補助ではなく、お預け食らってしまっているあたしの前でこれから情事に励もうとした連中が面白くないからなんとなくノリで八つ当たりしただけだったが‥‥まぁいいか、珍しいお相手からの折角のお誘いだ、惜しみながら譲ってくれるのを無碍にするのも悪いし、ここはおこぼれに与ろうかね。

 そよぐ餓死風(がしふう)浴びているのはあたしも同じだ、それに空きっ腹で案を練るよりは何でもいいから詰めた方が企む腹にもよかろうよ。  

 

~少女達食事中~

 

「ゴチソウサマぁ」

 

 食事の終わりを口にしつつ、もうちょっと喰べたいなぁと腹を撫ぜるのは隣の少女。

 真っ白な袖は当然として着ている黒い召し物まで赤黒くさせて、あどけないお顔の方も唐紅に染め上げて、ぱっと見では宵闇の妖怪なのか真紅の妖怪なのかわからない姿のままご満悦といった表情で、食後にこちらを見てくれる。

 ご馳走様したのだから洗うなり流すなりすればと思うのだけれど、程度の差こそあれどあたしもあたしで似たようなものだから何も言わず、並んで食後の一服を済ませていた。

 

「お粗末さまでしたでいいのかしらね、この場合」

「なんでもいいんじゃない? はぁ、ひさしぶりのまともなご飯だったわぁ」

 

「そうね、なんでもいいか。何時ぶりなの?」

「ん~? 一週間くらい? アヤメもちゃんとご飯食べないとダメだよ?」

 

 煙たいお小言代わりにタバコ吐きかけ話しかけると、全く気にしていない少女からお返事が来る。真っ赤に潤う頬を緩め久しぶりの食事だと話してくれるがそうはいってもだ、あたしの方は彼女が言ってくれた通りちょっとだけ、どうぞと抜き出してくれた臓腑と片足をちょいとつまんだだけで、ルーミアのように全身染まるワイルドな食事とはならなくて唇に血化粧施した程度。

 

「結構長いわね、その間何も喰べなかったの? ただでさえちっさいのに痩せてなくなっちゃうわよ?」

「どこ見て言ってるの? おやつは食べてたよ? 鹿とか、熊とか」

 

「おやつにしては獲物が大きい気もするけど、それで足りないって本当良く食べるわね」

「だって好きじゃないからね。おやつはつまみ食いしておしまいだもん、ちゃんとしたご飯は久しぶりだったの」

 

 朱鷺はまだ美味しいほうだったかな。

 そう言って笑う宵闇に、食通なのね、と皮肉を言うと、今日のアヤメと一緒だね、なんて差し出されたモノを軽くつまんだだけのあたしに対する減らず口が返ってきた。

 軽やかに笑って言い返されたから面白くなくて、あんな狩り方をしていれば久しぶりにもなろう、食事時くらい周りが見えるように闇の衣を脱げばいいのに、そうせず動けばまともな狩りなぞ出来るわけがなかろう。とは思うだけで口にせず、今日は食べられて良かったわねと同意するだけにしておいた。

 返答聞かせると頷いて、何度もごめんねと綻んで話してくれる闇っころ。顔を合わせる度に手助けしている、されているって雰囲気が見られる言われ方だがそんな事はない、あたしが手を貸した事など数えるほどもなくて心当たりも当然ない。ついつい急に何を言っているんだこいつってな顔で見返してしまう、と、続きを語る宵の妖かし。

 

「また助かっちゃったね」

「またって、何かしてあげた事なんてあった?」

 

「ほら、ちょっと前にもあったじゃない」

「前?‥‥あぁ、連れって行ってあげてって押し付けられた時の」

 

 数歩離れ、静かな湖畔で手の赤を流す宵闇の背中と話しつつ、そういやこの地でそんな事もしたなと思い出す。

 そういえば少し前、巫女に襲われたこいつを永遠亭に連れて行った事があったなと、あの時の治療代金はこいつではなくあたしに押し付られたのだったなと、食後の一服済ませながら思い出せた。あの日は治療代代わりに荷物持ちさせられて、出かけた先ではあの小さなスイートポイズンに身体まで散らされてそれなりに面倒な日になったが、あの時のお人形遊ばれもヤクザイシとの外出も存外悪くないもので楽しめたから、元凶となったこいつについては完全に忘れていた。

 

「覚えてたのね」

「ん、なぁに?」

 

「なんでもないわ」

 

 しかしルーミアが覚えているとは思わなかった、あたし以上に面倒くさがりなこいつの事だからてっきり忘れていると思い込んでいたが、巫女にやられて湖で溺れかけた事は本人も覚えていたらしく、今宵のおすそ分けはあの時の感謝代わりって意味合いもあったらしい‥‥にしては分け前が少ないような気がするが、相伴に文句を言うのも非礼に過ぎるからそこは言わずに咽んでおこう。

 

「う~ん、やっぱりもうちょっと食べたいなぁ」

 

 お手々を洗って戻った少女があたしの顔見て軽くぼやく。

 つい今し方まで似合いな宵の空気を浴び、野性味溢れる食事をし、五本箸で丸かじりして楽しんだようだったがどうにもまだ満ち足りないような言いっぷり。食事を済ませ真っ赤な手は流したけれど、口や顔は拭わずに綺麗な血化粧を施したままで、姿にお似合いな呟きを吐く。

 

「そんな物欲しそうな顔で見られても困るわ」

「でもなんだか美味しそう匂いがするのよね」

 

「あたしから? 生憎好みの味はしないだろうし、喰われてやる肉体もないわよ?」

「アヤメじゃなくてね、なんて言うの? 雰囲気?」

 

「美味しそうってのが女としてなら嬉しいし褒め言葉として受けるんだけどそんな空気じゃないわね、どういう意味かしら?」

「なんかね、臭うの、ごはんの匂いがするの」

 

「まぁ、そうでしょうね、御相伴に与ったばかりだし」

「うんとさ、そうじゃなくて。アヤメの方から別のご飯の匂いがするのよね」

 

 別とはなんだと聞いてみると、リボンと同じ色合いに染めた金の毛先を揺らし、ソレから漂ってくるのよと視線を落とされた。あたしの顔を見ていた目線はそのまま下げた袖の方、右の肩からぶら下げている徳利、じゃないな、その隣で揺れている木箱に向いている。

 

「ご飯ってコレの事? ルーミアの口に合うような代物じゃないと思うんだけど、獣は好きじゃないんでしょ?」

 

 目線を追って言い返すと、そうだけどそうじゃないなんて言ってくる。

 コレから美味しそうな匂いがすると言うけれど、そんな匂いするかね?

 それなりに鼻の利くあたしが嗅いでも口にした通りで、獣の血の匂いくらいしか嗅ぎ取れないのだけれど。

 

「色々混ざった臭いがするからよくわからないんだけど、その箱の中に何人分か入ってるよ」

「コレの中に?」

 

「そうそう、それの中に」

「ふぅん……そうなのね」

 

 考え事をしながら態とらしく揺らすと、箱の動きと同じ流れで目線を流す人食い妖怪。

 猫じゃらしに向かう子猫のような眼が少し可愛らしく軽く笑ってしまうと、ちょっと貸してと手を差し出してきた。

 

「物臭なあんたが気になるなんて珍しい事もあるわね」

「物臭ってヒドイなぁ」

 

「なら怠け者って言い換えてあげましょうか」

「アヤメだって似たような感じでしょ、厄介者だって言われてる人に言われたくないわ」

 

 あたしはまだマシなはず、それにこいつよりは動くし、今のも事実を言ったまでだ。

 誰が言ったか知らんが、襲われてくれる人が減ったと嘆くこいつに待ち伏せを提案した誰かがいて、その案を面倒くさいの一言で片付けるこいつなのだから物臭少女で間違いはない。

 ヒドイ事なんて何もないはずなのだが、しかし厄介者か、こいつの食事じゃないが久しぶりに言われた気がするな。こう言われるのも何時以来だろうか、生前はよく言われていてその度にほくそ笑んでいた気がするが‥‥なんてのは今はいいな、思考が逸れるとキリがないし、霧の晴れかかる湖にいるのだからこの頭の靄は晴らさず飲み込んで、伸びてきている手に反応しよう。

 突き出される手を見て、生きている妖怪の手に置いて大丈夫かなと、そんな考えも浮かんだ為少し躊躇してしまったが、こいつはもとより宿無しさんで住まう家がないというか何処か一箇所に居を構えているって話は聞いていないから大丈夫だろう。もし不調になればまた永遠亭に持ち込んでやればいいだけだし、ちょいと利用させてもらうとするかね、人を捕って喰う妖怪が人の呪いに喰われる事があるのか見るために、試し者とするには丁度いい相手だ。

 

「あ~、やっぱりこれだ! これから匂ってくるんだね」

 

 見たいならホレ、と、手渡した小箱を両手で握り、納得顔ではしゃぐ少女。

 己の読みが当たったのが嬉しいようで、持ち上げたり小さな鼻を鳴らしながら、コレから美味しそうな匂いが漂ってくるのだと教えてくれた。

 

「で、気になる物に触れてみてどう?」

「ん? 美味しそうな匂いがするよ?」

 

「それだけ?」

「それだけだよ? あ‥‥」

 

 何か変化でもあったか、ポカリ口を開いて片手を腹に宛がうルーミア。

 大丈夫と踏んで渡してみたがやっぱりこいつにも効果があったのか?

 それなら今のうち、まだ立って話していられるうちにさっさと連れ込むべきだろうか?

 背を丸め前かがみになる少女の肩に手を伸ばす、と聞こえる腹の虫……これは? 

 

「近くで嗅いだらお腹減っちゃった」

「……あ、そう。心配して損したわ」

 

 心配ってなんの事かと腹の音を聞かれ恥じらい顔のルーミアに問われるが、ずぼらなこいつに習いなんでもないとテキトー返す。ならいいやと気にされず、そのまま話は流れていった。

 まぁなんだな、思わせぶりな仕草に少し構えてしまったけれど何事もないのならいい、あたしの読みは正しかったのだと今は思っておくとしよう。イマイチ腑に落ちない気もするがこれ以上の実験は後で、気が向いたらあの氷精のかまくらにでも箱を置いてみて観察すればよかろう。

 あれなら死んでも一回休むだけだ、気兼ねする必要もない。

 

 それでこちらなのだが、やっぱりコレだとはっきり言い切る口ぶりから間違いない、確信があるような雰囲気だが人喰いのこやつが言うなら正しいのだろうな。ルーミアが旨そうだと話すモノ、そういった類のモノが中に収められているから呪いの小箱としての効力があるのかと、もらった言葉から強引に組み立てればあたしの方でも納得し頷く事が出来る。

 だからそれでヨシとしよう、そうすれば少し前の『まだいるの』ってお言葉もそこからきていたんだろうと繋がるし、妖怪であるあたしの方から餌の匂いがするなんて見当違いな物言いにも頷く事が出来るようになるから。

 

 ふむ、動くに動けず仕方なし、物は試しと、考えをひっくり返して来てみたが思いがけないところで新たなモノを仕入れられてこいつは重畳だ。しかも当初の目的の場所ではなく全く考えていなかった相手から直面する難題のヒントを情報を得る事が出来ようとは思いもせなんだ。

 調べる手間も省けたし、やはり困った時には他人を頼るのが一番だ、考え方を真似ただけだが後であの天邪鬼に感謝を述べるとしよう。思い当たる節が全く無いだろう感謝を伝えられてあいつがどんな顔をするか、ソレもソレで楽しみだ。

 

 新たに出来た後の楽しみに笑み、ついでに宵闇から光明を得るというチグハグな状況が面白くて口角上げてニヤついていると、ガチンという音で現実に戻される。何の音か、発せられた辺りに目配せすれば、小さな口を大きく開いて小箱を齧る宵闇がいた‥‥

 食い足りないとは言っていたがいくらなんでもソレは喰うなよ、全て終えた後であれば構わんが今喰われては流石に困る。固いと文句を言うルーミアの手から箱を逸らして奪い取ると、微妙に歯型が残って見えた。

 ナニカを試すのはあたしだけでいいんだ、お前まで食えるかどうか試さないでくれ。



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EX その61 おたずねもの

 ちょっと傷つき欠けたもの、大食漢な少女に齧られ、少し抉れた箱を片手に往く。

 あれから日が変わり朗らかなお天道様がお目見えすると、昨晩の雨上がりに感じた静けさとは一転して騒がしくなる郷の朝。日の出と共に目を覚まし、ここぞとばかりにさんざめく蝉の声と誰かのはしゃぐ遊び声が今朝の目覚ましと相成った。

 梅雨模様だった頃合いから一日どころか数時間しか経っていないというに眩しい夏の声が耳に届いて、季節の変わり目を一雨毎に実感し、朝方にしては強めに蒸す感覚も味わいながら、遠くに見える囲いを目指す。

 

 僅かな涼を求め軽く肩口下げて、鎖骨晒して向かう先。

 視線の先の門戸にはこれから増していく暑さを象徴するような、赤髪のろくろ首の頭だけが浮いていて、こちらに向かって目配せしていた。

 

「おはよう、朝からお勤めご苦労様な事ね」 

 

 目が合ったからなんとなく挨拶。ついでに労ってもみたけど何も言い返してこない赤蛮奇。

 里の石頭から仰せつかった見張り番の最中といえど人が挨拶しているのだ、一言くらい返せ、そんな心で睨んでいたら目線もすぐに逸らされた。

 こっちを見ろと咳払いして気を引く素振りをしてみるも、それでも無視は続くようで。額にうっすら汗を浮かばせて上の空を見つめる彼女はそのまま視線を流していく。

 

 空を仰ぐ見張り蛮奇につられて視線を向けてみる。

 視界に届くは少女の喧騒。蝉の声の裏にのるのは誰かが放つ弾幕の発射音と、カリカリ鳴る音、干渉音。この地の用語に照らし合わせるならばグレイズ音ってやつだな、それが里上空に浮かぶ朧雲の奥、雲を割り空を泳ぐ寶船の辺りから聞こえている。

 音量が上下して聞こえる辺りに近寄ったり離れたりしながら戯むれているってのはわかるが姿は見えず。それでもあの船の周囲で争っているのなら片方は寺の誰かってところだろうか、雲海を進む対戦ステージだし、水蜜か一輪辺りが出張っていそうだな。

 ハッキリとは読み切れずモヤモヤするが、そこは雲がかっているのだから当然として兎も角だ、あれに関わると手間が増えるのはハッキリわかるから意識しないでおこう。アレが遊覧飛行中に催している花火だったなら少し顔を出して楽しむが、あれは誰かが誰かと争っている喧騒だと今のあたしは知っているから近寄らずにおこう。

 

 見上げっぱなしの生首、構ってくれない紅髪で揺れるリボンをつまみ上げ、前髪の奥で光る汗を袖で拭い、再度の労いを押し付けつつ歩む。昨晩仕入れた情報源から空の騒ぎに当たりをつけて、あちらとは当たらぬように、関り合いになりませんようにと願掛けしながら、静かに歩く。

 闇妖怪と会った昨晩は近くの建物、涼しさに満ちる氷精のねぐらに忍び込み、コトリバコの効果が妖精にも作用するのか見ながら住まいの端を寝床とさせてもらった。あのかまくらの前を通る度にいつかは避暑地として使わせてもらおうと画策していたが、昨晩ついに実践出来た。

 落書き帳代わりにでもしているのか、隅で積まれていた天狗の新聞から新たな情報も読み取れて、中々悪くない、礼を言ってもいいくらいのお泊りとなった。

 夜分に来訪したあたしに文句も言わず、サイキョーらしく眼中にも入れずに迎えてくれて、氷精の割に暖かな心ってのを見せてくれたあの家主に礼も言わず出てきたのは心苦しいがこれは仕方ないか、あのバカは既に寝こけていたからな。

 それでも、一宿の恩義代のつもりで⑨が起き出すよりも前に顔を合わせた髪結いの妖精には挨拶したし、寝付く前に飛んできたタオルケットをあのバカにしては愛くるしい寝顔にかけ直してやったり、遊びまわる夢でも見ていたのか派手に放られた枕を戻したりと、少しのお世話はしてやったから本人への恩についても問題なかろう。

 

 その後は近くの洋館、チルノが平気なら他も大丈夫だと思い、潰れていない赤い方にもお邪魔して朝風呂借りて出てきたが、そちらでもこの箱の効果はなかった。

 魔女や司書殿は読み通りとして館の住人連中もけろっとしていたのが気になるところではあるが、まぁその辺りの事は後々で語るとして今の方、今日も今日とてご苦労な事だと、空で争う誰か達も労いながら歩みを進める‥‥と、鳴るお腹。

 そういえば昨日はお裾分け程度しか喰っていなかった、朝も寝起きに壁の氷一欠け齧ったくらいで出てきたから何も口にしていないようなものだなと、上の空に思う。が、まぁいい。腹が減ったのなら里で何か食えばいいだけだ、朝餉代わりなら贔屓先で軽食か、流行の蕎麦屋でちょいとたぐるか、繁盛している飯処で旬の鮎でも食えばいい。先々を考えれば霧雨の大店で保存の効く食い物でも買うべきだが、ソレはそうなったら考えよう。

 

 結論出して空から道へ視線を落とすと、丁度近くに建っているお社が目に留まり、お供えされたばかりらしい、朝取れの瑞々しさに満ちるとうもろこしが視界に収まる。

 言葉通りの意味合いではないがこれもこれで出会いの物かね、地に置かれたお恵みに手を伸ばす……途中に送られてきた複数の視線。今し方過ぎたばかりの門で語らうろくろ首と交代に現れた誰かの目線ではなく、お社の方から目線を感じる。新たに建立された守矢神社の分社がこれだと聞いているからあの二柱が朝からのぞき見でもしてるのか、感じた気配に向かって目をやると、お社の裏手から伸びている二本のお目々と目線が重なった。

 お供え物を手に取り、葉を剥ぎひげを抜きながら覗き込む。

 いたのはあの神様にはない要素、蛞蝓(なめくじ)

 何時ぞや貸本屋で燃やされたぬいぐるみと同じ物、なめえもんと小さく落書きされたぬいぐるみがおはようと顔を出していて、お前が見ていたのかと触覚に手を伸ばしかけた時‥‥この社にお供えを上げたらしい誰かさんからも朝の挨拶を受ける。

 

「おはようございます、社の前でしゃがみこんでお参りで‥‥はないんですね」

 

 時雨れる蝉や弾幕の音に飲まれてしまいそうな、弱々しい鼻声混じりのご挨拶。

 かがんだままで見上げると髪に咲く花の髪飾りがやわな朝風に揺れた。髪が靡くと薄く透けて見える袖を同じく揺らし、口元に寄せて咳き込み小さな鼻をすする少女。

 また面倒臭いのに捕まった気がするが今日はそれほどしつこくもなさそうだな。グスっと鳴る鼻や仕草から本調子ではないと読めるけれど、それでもこいつの場合はこれで通常だったかね、転生を繰り返しているせいか他の人間よりもちょっぴり体が弱かったりするし‥‥いや、いつだったかの捕物、紅魔館のペットが逃げた際にはこの子特製のお酒で満ちた瓶を小脇に抱えていたと聞くし、あたしが思っているよりも力持ちだったりするのだろうか? 

 朝っぱらから少し悩むと、返事を待つ視線に気がついた。

 とりあえず返しとくか、でないとしつこさに磨きがかかりそうだ。

 

「おはよう。お参りついでの朝餉よ、なんだか調子悪そうね?」

「軽い夏風邪ですよ、大事ないので大丈夫です」

 

 コンと一息咳払い、それから言われる大丈夫。

 そう見えないから聞いたけど阿求本人がそう言うなら構わんな、悪化しようが自業自得だ。

 

「それより朝ごはんって」

「丁度いいのがお供えされていたからね。どうせなら焼くなり茹でるなりしてからお供えしなさいよ、生でも食えるけど火が通っていたほうが甘さを感じられて美味しいのよ?」

 

「お供え物に火を通したりしませんし、これはアヤメさん宛ではありません。朝ごはんだったら拾い食いなんてしなくても」

「道端に食える物があったから食う、いつか書いてもらった通りの狸らしくしているつもりよ?」

 

「可愛いだけの狸だったら減らず口は言いませんね」

「それならそうね、今のあたしは化けて出た狸さんだから可愛い部分は減ってしまったのかも、と答えてあげるわ。これでどう? モヤモヤした言いっぷりに霧やら煙を掛けてみたけど」

 

「態々正当化しようとしなくても、今のような物言いが減らず口だって言ってるんです」

「そうしてほしいって言われた気がするから自己弁護をしてあげたの、で、何か間違ってる?」

 

「間違ってはいませんけど‥‥買えばいいのに」

「ちょっと考え事があってね、天恵でも口にすれば天啓を得られるかもと思ったんだけど、ダメだった?」

 

 小さく畳んだ包みを手に、私は構いませんけど、と苦笑する阿求。

 小鈴なら兎も角阿求が供えるなんて、こいつが守矢の信者だったとは聞いてないが、宗教家のトップ会談で語りあった事もあるはずだし、ネズミ被害で云々なんて話もあったから蛇関連な部分について感謝を表しているつもりかね、まぁなんでもいいか。

 それよりも、お付きも連れずに一人で出歩いて、やっぱり今日は調子がいいのか?

 いやそんな事もないか、それなりに体調がいいのならあたしから香るだろう血の匂いに気がつかない、状態みたいだな。鼻声になるくらいだ利かないだろうし、元より鉄火場に身をおくような娘っ子じゃない、であればそういった匂いに疎くとも当然か。生きたり死んだりしている生涯の中で嗅いだ事くらいはありそうでこいつが嗅げば忘れる事もなさそうなものだが、気にならんのならそれでいい、あたしが気にしてやる事でもないだろう。

 

 一人考え事に興じていると顔を覗いてくる九代目。

 思慮深そうなその瞳に見慣れた眠たい自分の顔が映り、思わず笑うと変な顔をされた。早い時間から少女の困り顔を見られて悪くない、けれど、その包みと違って握ってもつぶれそうにない瞳で見てくれるなよ。供え物なんてのは気持ちが大事な物だろう、置いた後はその辺にいる動物や乞食が拾って食うのがお決まりだ、あたしだって元は動物なのだから何も間違っちゃいないだろう?

 ああ言えばこう言うと語ってくれる視線を振り切って、残りを頬張り咀嚼しながらキレイになった芯を放る。が、何も浮かんでこなかった。よくよく考えれば天恵とはいえないかこれは、どちらかと言えば地から得られた恵みだし、案が浮かばなくとも当然だな。

 

 視線の気になる人間少女から自身の考えに思考を逸らして、場を離れようと折った膝を延ばし里へと向かってブーツの(かかと)を鳴らす‥‥前に再度話しかけられる。鳴らなかった(きびす)を返し少女の顔を拝むと、話しかけてきた割にこちらは見ておらず、遠くではしゃぐ説教の鬼と入道使いが連れた桃色の雲を眺めたまま固まった。そんなに見つめてどうしたい、普段からよく見る戯れと変わりない感じがするけれど何か気になる部分でもあるのかね、それなら話題に浮かばせてみるか。

 

「朝から賑やかね」

「少し前からあんな感じなんです。昼も夜も騒がしいんですよね、お陰で書き物に集中出来なくて、困ってます」

 

「ふぅん、大変そうね、いつからあんな状態なの?」

「ちょっと前ですね、強い雨振りの日があったじゃないですか。ほら、アヤメさんが鯉のぼりあげてた日ですよ」

 

 里住まいのもやしっ子が言うにはあたしが慧音にお使いさせられた頃から少しずつ賑やかになって、今では里の中でも誰かが弾幕勝負をするような流れになっているらしいのだけれど……そこについてはチルノの住まいで仕入れているからわかるが、それをあたしに知らせて何だというのか。

 

「アヤメさんも何か関わってたりします?」

 

 どれに、とは言わぬまま、賑やかな空を見つめ語る頭でっかち。

 視線の先のアレ、雲間を進む船と共に姿を見せた、ペットをお供に風巻く仙人とニョロっとしたのを連れた月兎を例えに問うてくるが、そんな事聞かずともわかるだろうに。

 ああいった催し物は酒でも飲みながら眺めるものだ、名も立ち位置も囃子方なあたしが派手な舞台で踊るはずなかろう。けれどそうだな‥‥見ようによってはいいタイミングか、上が騒がしいのならこちらに視線が集まる事もないだろうし、あたしが持ち込む面倒が何か事を起こしても目立たないか、まかり間違ったなら現状の一部って事にしてしまえばいいしな。

 ふむ、悪くない流れになりそうだ。記事を読んだ段階では、紙面のネタに困った記者どもが賑やかしに書いただけ、昨今流行りの噂や都市伝説を話のヒレとして盛り込んだだけだと、天狗が降らせて湧かせたいつものガセネタなのだと思っていたが、尾ビレや背ビレは伝説ではなく実在するものだったか。

 ならばここは利用しよう。乗っかれそうなお祭り騒ぎ、少し前から降り始めいつ頃止むのかわからんけれども、出来ればあたしの用事が済むまで湧いたままにあってくれよ、でないと都合よく事を運べなくなる。

 

「それともこれから混ざるとか? アヤメさん? 聞いてます?」

「聞いているし、言われるとも思ったわ。でも残念、その予想外れよ。あたしはちょっと調べ物に来たってだけ。来るつもりはなかったんだけどね」

 

 何を言っているんだこいつは、そんな顔に染まる小娘。

 そう思われても無理はない、そりゃあそうだ、あたし自身なんで来たのかわかってないのだから。里に来たのは昨晩のように考えをひっくり返して訪れたわけでもなく、ただなんとなく、誰かに呼ばれている感覚があったから訪れただけなのだから。まぁそこは内緒にするがね、話せばまた探られるのだろうし、そこは黙っておくべきだ。

 

「調べ物? 何かあったんです? あ、この騒ぎに関わる――」

「かはわからないわね、個人的な事情でちょっと、というだけだから」

 

 なんと言って誤魔化すか、案じていると問うてきたが被せて返すと口をつぐんだ。

 問答に対し返答がなかったから焦れたってとこか、それならもう暫し焦れていてくれ。

 そうなってくれた方が御しやすくなる。

 

「本当ですか?……その言い方、怪しいです」

「でしょうね、妖言(およずれごと)から成り果てたのがあたしなんだから、怪しくもなるわ」

 

「またそんな事言って! あ、本当は何か知ってるんでしょ! 輝針城の時もそうでしたけど、今回も自分だけ騒ぎの真相に近づいていて、 里に来たのもなにかあって――」

「憶測だけで言わないでよ、早合点が過ぎるわ。あの時は結果そうなっただけで今回も面倒事に首を突っ込む気はない‥‥って言ってもきいてくれそうにないわね」

 

「当然です! 前みたいにぼやかして私を誑かそうとしても駄目ですよ!」

「惜しいわね、今は煙に巻いているだけよ」

 

 曖昧に濁した部分は切り捨てたのか、阿求の追求が強くなる。

 か弱い声で語気強く、随分熱を入れ込んでいう素振り。

 そんな好奇心の塊が持つ熱を冷ますように、冷ややかに微笑みながら言い返す。

 すると瞳を細めて黙り込み少しの間を置いて、結局一緒じゃないですかと騒ぐが、その声にも、あたしにまともな返答を期待するから化かされるのだとニヤついて返‥‥したら今度は真っ直ぐ睨まれた。

 

 不調だろうに、そんなに息巻いては唯でさえ短い生が更に短くなりそうだが、熱も息遣いも太陽不良故かね。言い返した瞬間こそこちらを見たが、呆れたのか、再度空見てツンとする少女。

 騒ぎではない別の物の真相には近づいているはずだからその面で悪くないと、読みの部分には惜しいと褒めてやったつもりなのにツンとしやがって。あどけない顔に冷めた雰囲気が混ざり味わい深そうで妬ましいが、このまま調子付かせるわけにもいかないな、であればここらで再燃させておくか。

 

「…そうやってなんにでも首突っ込むといつか痛い目みるわよ、小鈴みたいに」

 

 この子が言う今回には今の騒ぎに乗るのかって意味合いが含まれるのだろうがそこが惜しい、乗りはするが意味合いが違う、あたしの場合はこの空気に乗じるだけだがそこまでは読み切れんか。

 そうだな、あっちの巫女さんならあたしの真意に気づくかもしれんが、お目出たい色合いでもジト目でもないこいつではそこまで心を探り切れんようだ。

 それでも悪くない方向に話が流れたようだし、とりあえずここは今の雰囲気に繋げて会話してみせよう。あの貸本屋のように巻き込まれたくないのなら、我が身が可愛いのなら邪推するなと、追加の小言を口にしながら止めた足を動かし、里へと向かいつつトークも進める。

 話題に切り出した話は妖かしが里から出て行った話、里の易者が小鈴を利用して妖怪に成り果てた事件で、妖怪であるあたしが里を歩く今とは真逆な流れにあったが、その流れとあの日あった事を例えにお小言を言ってやるとバツの悪そうな顔を見せてくてれた……が、苦笑するだけで済ませるあたり実感が湧いていないなこいつ。

 

「でもですね、知る事で関わらずに済むって場合もありますよね?」

「そうねぇ、知る事で出来る回避もあるし、逆に深みにハマる事だってあるでしょうよ」

 

「その言い方が怪しいんですよ‥‥さっきから誤魔化されてばっかりに感じます」

「誤魔化してなんかいないわ、今日は素直に接してあげてるつもりよ?」

 

「またとぼけて……もしかして、アヤメさんだけ知ってる事があったりするんです?」

 

 放っておいてくれていいのに、妖怪記録家さんらしい事を言って突っかかってくる。

 どうしよう、関わらせても知らんぷりしても面倒臭そうな流れになってきたな。

 今の騒ぎとは別口だがあたしはあたしで厄介事を抱えていて、一応は人間でしかない阿求がソレに関われば多分転生が早まるだろう、そうなれば地獄も予定外の御阿礼転生だと忙しくなって、原因があたしと知られれば今度こそ舌引っこ抜かれるかもしれん。その辺りを危惧して気を回しているというにこの子は全く。

 と、思わなくもないが、幻想郷の紹介本を執筆する立場としては知りたくなっても必然ではあるのか、天邪鬼と一寸法師が起こした異変時にも同じように探ってきたしな。けれど今回はどうしたものか、あの時は物が意思を持ってしまった程度で里や人間に対して危険とはならなかったのだが、現在あたしが抱える物は意思なく他者を殺める物だ。下手に知れば命取りになり兼ねんのだが‥‥素直にそう言ってもきかないのだろうな、それならばいい、知りたいなら自己責任で知るといいさ。そうなるよう、自ら突っ込みたくなるような流れに話をもっていこうか。

 であればまずは…‥

 

「またってのがわからないけど今のはもしもの話よ、あたしは無関係。何かしら関わっているならそもそも来ないわよ、会えば煩く取り調べされるって分かり切っているんだから」

 

 愛用煙管に火を灯して、煙流して。一服嗜みユルリ佇む。

 あたしが止まると阿求が並び、問いに対して悩み見上げてくれた。

 阿求にかぎらず、本当にこの土地の少女は好奇心が強い子ばかりいてたまらない。

 一物はあるが教えないと、少しのネタを振るだけで何かあると感じてくれて、らしい事を含ませ(かた)るだけで釣り餌に食らいついてくれる。黙って見返していると顔つきも私気になりますって様子に変わった、このまま待っていれば自ずと食いついてくるだろう、要らぬ事を知りたい心なんて話も済ませた後だ、きっと阿求から踏み込んできてくれるだろう。

 

「前にも調べ物だって来た事があったじゃないですか、それにあの時は触りだけ語って教えてくれなかったから追求したんですよ」

「あの時の話は雷鼓から聞いてるでしょ」

 

「あの時の雷鼓さんも愚痴っていたじゃないですか、なんで私がって」

 

 ふむ、これは失敗したな。

 踏み込んでは来てくれたけれど、あたしに向けた探りから別方向の愚痴に逸れてしまったか。良いリズムできていたからついつい名前を出してしまったがそこから失敗するとは、あたしが思っている以上にこの子の探究心は強かったらしいな。

 しかしだ、このままそちらへ流れると面倒だし早めに路線を戻しておこう、なにそちらは問題ない、話の筋が逸れるなどよくある事で修正するのも慣れている。

 

「話題にしてもらえるなんて光栄ね、それで?」

「それで? なんです?」

 

「なにやらお熱だし、今回はどうするのかなって」

 

 少しタメて問う、何をとは言わずそれらしく。

 会話の続きや少し間を置いた事から、話してあげてもいいけれど深みに嵌る気はあるのか、と、そんな質問に聞こえるように嫌味に笑って聞いてみる。少々強引なひっかけだが浮ついた頭のこやつなら気にせんだろう、事実悩み顔に戻ってくれたようだし。

 コロコロと表情変えて忙しそうだけど、名にあるキュウはそれではなかったと思うぞ?

 仲良し本屋で例えた小言があるから悩んでいるのだろうがそれは形だけだろうな、読み通りならこの辺りでノッてくるはずだ。新顔妖怪見つければ寄って書かせろと願うぐらいに阿求の好奇心は旺盛なのだ、であればそろそろ我慢出来なくなってくれるはずだが。

 問うた返事を待つように立ち止まると、クルクル、あたしの周囲でナニカが漂い始める。

 

「あ、オカルトボール」

「ん? これの事?」

 

「そう呼ばれてるみたいですよ。噂ですが、皆さんそれが目当てで騒いでいるらしいです、なんでも喧嘩して勝たないと奪えないとかで」

「らしいにみたいってのがアレだけど……また噂か、今はそういう流れにあるのね」

 

 あたしを中心に回る珠、それに向かって手を伸ばす阿求。

 子猫がじゃれつくような手つきで掴もうとするも、珠は手元に収まる前に何処かへ消え失せた。

 ふむ、オカルトボールというのか、コレは。少し前、正確には昨晩か。好物の匂いがすると言って齧りついた宵闇と小競り合いしてコトリバコを取り戻し、再度手にしてから唐突に現れたコレ。

 阿求の言いっぷりから鑑みるに、あの小競り合いで勝ったからあたしが奪った状態にあるのだと思うけれど、皆はこのボールの何処に引かれるのだろう、争って入手したくなるほどの物かね?

 不意に出てきて側で回られて、その度に目について離れないから、あたしにすれば正直邪魔な物でしかないんだがね。出来れば阿求に奪ってもらうか押し付けるかしたかったが、消えたのなら致し方無い、次の機会を伺おう。

 形や色味からすれば目立たない黒い玉、一言で言うなればぬばたまって風合いの物でそこには宵闇の奴っぽい雰囲気も感じるが、一体全体なんだろうね。

 邪魔げにシッシとあしらってみるも、手が触れる寸前には消えるというか無くなるというか、先の動きと同じようにあたしの懐あたりに来るといなくなってしまうから表現がよくわからないが、兎も角目の前から消えてなくなってしまう玉っころ。一度消えても忘れた頃に再度現れて、イヤに目につく物だって事はわかっているが、それ以外は何もわからない。

 

「やっぱり関わってるんじゃないですか」

「無関係だって言ったでしょ? 邪魔だから阿求にあげたいくらいだわ‥‥でもそうね、一輪はどうでもいいとして華扇さんまで目当てにしてるって事はこの珠になにかがあるのか、それとも……」

 

「仙人に何かあると? 小出しにして本当に怪しい……どこまで掴んでるんです?」

「そうね、(くう)を掴んでいるって感じかしら」

 

 再度興味の対象が逸れかけたが、それを取り戻すようにソレらしく、宙を握って口にする。

 すると乗っかってくる頭でっかち。

 それともってなんですか、結構な剣幕で言い寄ってきてくれたが言葉は返さず目線だけ逸らした。ソコに繋がる言葉はない、ただの撒き餌で釣り上げられればいいだけだから何も考えていない。故に無言で見返すに留めたのだけれど、あたしが静かな事に違和感でも覚えてくれたのか、物理と内面両方から下手に出て、教えて下さいと見上げておねだりしてくれた。

 湯立ったようなほっぺた見せてくれて、そんな顔色でもうちょっと可愛い雰囲気を纏ってくれれば何も知らない事くらいは話してやらん事もないが、今のような旺盛な好奇心ばかりを顔に浮かべられていては話す気が失せる。

 なんて考えていると口を開く小娘。

 語り口は、そういえば、どうやら違うアプローチで舌戦を続けるようだな。

 

「霊夢さんや魔理沙さんも集めてるみたいなんですよ、あの二人が関わっているという事はこの騒ぎって異変なんですかね?」

「あの子達が動いているなら異変なんでしょうよ、放っときゃそのうち収まって静かになるからまずは身体を労りなさいな‥‥あたしはついでに調べるから」

 

 言い切りぷいと顔を背け、歩き出す。数歩進むと再度現れる球体。それを眺めながら、後ろのキュウから聞こえる待ってを無視して進む。

 コレがふよふよし始めてから先のような視線、さっきのはぬいぐるみからのモノだったから除外するとして、出処のわからぬ視線も気になり始めたのだけれど、本当にコレはなんなのだろう?

 

 側で煩い阿求は無視して案じながら歩むと、いつの間にか里の中心、人で賑わう通りにいた。

 そうして増える雑多な視線。

 あたしはそんなに人気者だったか?

 他の騒ぎ、ええじゃないじゃないかと騒いだ異変の時も、里の人間から妖怪が出た日にもここまで見つめられる事はなかったのに、今更になってなんでまたと思わなくもないが……熱視線の送られてくる方向を軽く眺むと、見つめてくる連中の正体を見破れた。

 正体見たるは柳の下、ではなく里の広場、そこに集う子供ら。この里の守護神だとかいう河童手製の龍神象を囲み紙ッペらを持つ童子共と目が合った。けれど、目線が合わせるだけで何も言ってこず、一歩踏み出すと蜘蛛の子を散らすようにほとんどが走り去っていった。

 

 中には寺子屋で見かけた顔もいて、いつか開いた賭場で遊んだり話した事もあるはずだけど、何も言わずに逃げていくだけ。人の顔見て逃げるなんて可愛げがないな、そう逃げずともあの宵闇とは違って取って喰ったりはしない、が、今は喰った後だったな。であれば少しは怖い妖怪だと思ってくれたのか、それとも漂う匂いに恐れありとでも嗅ぎとったってところかね。風呂にも入らず徳利の酒で口内を流しただけだから多少は匂うのかもしれないね、頭の固い大人と違って子供はそういう面で聡いからな。

 

 これはまた失敗したか、人里に来るなら身辺洗い流してから来たほうが目立たずに動けた気もする、前回はこれで慧音に見つかったんだったか。と、傾いで考え一人残っている子供を見る。

 いや、あれは里の子供ではなく子狐か、上手く化けて童子の輪に混ざっているらしいが、人の血の匂いがするだろう妖かしを見て逃げ出さない子供なぞ不自然なだけだ、化けるならその辺りもきちんと真似た方がいいぞ?

 

 さっさと逃げろ、でないとバレる。そんな思いを含ませて子狐に向かい右手を軽く払うと、すぐに走って消えていった。そうだな、あれが正しい子供の姿だな‥‥となると横の子供(阿求)も追い払っておくべきか、先には自ら首を突っ込む自業自得な死に方ならと考えたが、翌々思い直せばあたしが原因で死んだとなると困る事に成り兼ねんな、閻魔様のお説教から逃げられなくなりそうだもの。

 

 あたしまで自滅は簡便、それなら何で追っ払おうかと、ネタを探して視線を流す。

 すると見つかる誰かさん、あたしの贔屓の甘味屋で横に寝転ぶ赤頭。

 腰巻きと着物の合わせ目をかく指が動くと、纏う彼岸花の香りが舞って芳しい。

 

「おはよう、朝からサボり?」

「残念、今日は朝からお仕事なんだ。先に来て席を温めてたんだよ。おはようさん」

 

 お決まりの声をかけると耳馴染みの良い声が返ってくる。

 店舗前に出された長腰掛けに寝そべったまま、上半身は番傘の影に入れたままで、片目瞑って話す死神さん。声色には軽やかさや柔らかさが混じっていて、軟派な雰囲気が見て取れるけれど、お固い上司の元で働く奴がそんなに暇そうにしてていいのかね。後からその上司も来るようだし、一応は仕事中なんだろう?

 

「お、九代目も一緒かい、おはよう」

「おは‥‥おはようございます」

 

 少し黙っていたせいで喉に痰でも絡んだのだろう、小さな咳払いを挟み言い直す阿求。

 すると、気が付いたらしい渡しが瞑った眼を開き見る、なにか値踏みするような、これはなんだったか、こいつの瞳は人の寿命が見えるとか言ってたしそういうアレかな‥‥うむ、タイミングも良さそうだしこれを使って追い払うか。

 

「ほら阿求、お迎え来たみたいよ」

「え、ちょっと、いきなり何を言うんですか」

「ん? もうそんな時期になったのかい? まだ十数年は残ってたと思ったんだけどね」

 

「今回はちょっと早くなりそうよ、咳込んでるのに出歩いたりして無理してるから」

「だから、これは夏風邪を――」

「いやいや、流行病を馬鹿にしちゃあいけないよ九代目。軽い風邪だと思ってたのが拗らせてぽっくり、そうやって逝っちまう人間ってのも多くいるんだよ?」

 

 よっと一声起き上がり、それから阿求をひと睨み。

 優しさやら思いやりってのが感じられる目線で小町がたしなめると、途端に静かになる九代目。たった一言語るだけでこうも静かになるとは、仕事についての説得力は殆どないがこういった生死に関しての話なら説得力たっぷりで助かる、伊達に毎日死人を送り届けていないな。

 今の言いっぷりがあたしからのものだったならまるで効果がなかったろうが、小町にお灸を据えるられて押し黙る阿求。薄笑いで二人を眺めていると軽いお灸で頬に赤みを差し始めた阿求がむくれるが、その桃色ほっぺをネタに再度赤い髪が言い放った。

 

「ほら、病人はさっさと帰んなって。唯でさえ余計な仕事が増えそうだってのに、これ以上あたいの仕事を増やさないどくれよ」

「でも――」

「でもじゃあないよ、聞き分けが悪いのは隣の奴だけでたくさんだ」

 

 後半の失敬な口振りはただの軽口、明るい笑顔が物語る。けれど声色は強気で前半は半分ぐらい冗談な辛口って感じか。

 気心知れた雰囲気の二人って感覚を覚えるが、毎度の転生時には小町が送り届けているのだろうし、何回も三途デートを繰り返していればそれなりに仲が良くなっても不思議ではないな。

 見知った相手に窘められて立つ瀬でもなくなったのか、それとも本格的に調子が崩れてきたのか、額に薄い汗を浮かべ始め、髪で紅咲く花飾りの色を頬に写したもやしっ娘はあたしだけをじっとり見つめてから、遠巻きに覗いてくる子供らの影に消えていった。すんなり引く態度に面食らいかけたがよし、取り敢えずは思惑通り追い払えた。後で顔を合わせたらまた煩いだろうが、まぁいい、今は小町に感謝しておこう。

 

「助かったわ、朝から捕まってやかましかったのよね」

「何を言うかと思えば、恩着せがましい事は言わなくていいよ」

 

「偶には感謝してあげようと思ったのに、阿求にしろ小町にしろ素直さの見せ損ね」

「よく言うよ、そうなるような事でも言って捕まってやってただけなんだろ?」

 

「当たり、寿命以外に魂胆まで見えるなんていい目してるわ。人払いして欲しいって心も見えたから乗ってくれたの?」

「いんや、ちょっと話すのに邪魔だったから乗ったまでさ、魂胆も何も見えやしないって。さっきのも単純な事さ、見てたからわかるってだけさね」

 

「そうなの? なんでまた‥‥って、もしかしてそれがお仕事?」

「いい鼻してるね、そういうこった。また何かやらかしそうな妖怪がいるってんでさ、そいつを見てこいって上からのお達しさね」

 

 飾りだけの、切れる刃のない鎌を手に取って、肩に担いで小町が語る。

 お達しとは、映姫様直々の命令で出張ってきているのか。てっきり今の騒ぎに混ざる仙人の様子でも云々だとか言われて来たと思ったのに、サラリとあたしを見てたなんて言ったなこいつ。

 あの流れでそういう‥‥って事はやらかしそうな妖怪ってのはあたしの事か?

 阿求じゃないがいきなり何を言ってくれるのか、何かをしでかすつもりなど毛頭ない、こっちは手間のかかる調べ物の真っ最中で他所に頭を回してやるほど暇でもないぞ?

 

「聞いてもいい?」

「お、なにさ?」

 

「まだ何もしてないしするつもりもないのに、どういう事?」

「なにもしてない事はないだろう? 昨晩やらかしてるじゃないか」

 

「あの程度、映姫様が気にされるほどの事? 外食しただけじゃない」

「その通り、喰える者が食える物を喰っただけで特に問題はないね。それでもそうさな、強いて言うなら普段襲わない奴が襲って口にしたってのが引っ掛かるって、そんなところさ」

 

「普段しない奴ならあっちの仙人も似たようなもんじゃない、要監視対象ならあっちのが重要だと思えるんだけど」

「あっちは四季様がいらしてからが本番さ、今はお前さんを見とく方が重要だと思えるからね‥‥昨晩喰われた奴ら、あたいからすれば今朝一番で送り届けた奴らって言ったほうがいいかね。あいつらを迎えに行った同僚から少し聞いちまってねぇ、仕事の引き継ぎとして聞いちまったから野放しなままってわけにもいかなくなったのさ」

 

 弾幕ごっこに興じる仙人が本来の監視対象、でもあちらより今はついでのあたしだそうな。こうなったのはあの人間(カモ)達のせいか‥‥どちらから、そもそそ何を聞いた?

 ルーミアに対してはあれこれ言ったが、あの二人には喰われるまで待ってろとしか言わなかったと思う、けれど何かを聞いて、それを危ぶまれているから今こうして目をつけられているわけで。

 

「それでだ。アヤメ、ここに来た理由ってのを聞いてもいいかい?」

「なんとなくよ、特に理由は‥‥あ、多分あれね」

 

 聞かれても答えられない、だから目線を逸らしたが、逸らした先で見つかる答え。

 視界に映るのは龍神象、その周りには先程まで子供らが触っていた紙ッペらが散らばっていた。

 

「流行りのこっくりさんか、あれに呼ばれて来たって言いたいんだね?」

「そうよ、そこも聞いていたんでしょ?」

 

 当たりだ、と、言葉を返しながら伸びてくる死神の手。

 あたしの袖をムンズと掴み、座る座席の横へ引っ張る。

 それほど強い力ではない、加減具合からとっ捕まえて突き出すとかそういった空気が感じられない仕草で、抵抗する気も起きないまま小町と並んで座らせられた。

 

「取り調べって雰囲気じゃないわね」

「今はね、これから怖い取り調べになるかもしれんよ?」

 

「そ。なら長くなるかもしれないし‥‥」

 

 緩い空気で語りつつお茶と茶請けを注文する。

 一服付けつつ話していると、すぐに出てきた季節のお菓子、売り時らしい葛餅が二人前。 

 

「もうちょっとほしいわね、わらび餅と心太でも追加しようかしら」

「朝から食うねぇ、アレと拾い食いだけじゃあ物足りなかったか」

 

「半分は小町の分よ」

「なんだい? 始まる前から袖の下のつもりかい?」

 

「そのつもり、これくらいで見逃してもらえるとは思っていないけど、この分の話くらいはと思って。キナ臭いあたしにはうってつけでしょ?」

「切り出しもお前さんからだってか、冗談言う余裕があるなら逃げないんだろうし、そうさな、それくらいなら構わないか」

 

「それこそ冗談、逃げる算段もするわ。その前に少し仕入れるの、お尋ね者として逃げまわるのなら情報は必要でしょ?」

「殊勝な態度でお縄についたってのに言う事は真逆か、らしいねぇ」

 

 注文頼んで再度一服。

 ぷかり吐き出し微睡むと緊張感がないなんて言われたが当然だ。監視に来た相手とお尋ね者予定が二人並んで仲良くお茶しているのだ、そんな状態で何か仕入れようとしているのだから、荒事めいた空気からは遠くてピリピリした捕物になろうはずがない。そもそもそんな事を言われてもだ、あたしにお固い姿勢を求めるほうが無理があるのだ。

 思ったままに言い返すとそれもそうかと笑われた。人の事を見張るなど言った割に緊張感がないのはどちらの方なのか、そんな姿勢で仕事に当たるから毎回お説教されるのではないのか、と考えただけで口には出さずお茶で流し込んだ。

 そうして二人並んで湯のみを啜り、届いた品をつつく。涼やかな見た目だから今時期に食いたくなるけどちょっと温いね、なんて、気楽にお茶を濁しながら。

 取り調べという割に話に乗ってくれて、聞く耳もあるようで、柔らかい雰囲気。らしくない気もするけれど疑わしきは罰せずと言うし、お優しいが口煩い上司に習ってそうしてくれるのかね?

 

「それで、話ってのはなにさ?」

「さっきの話から察するにコレのせいで小町に付きまとわれる事になったんだと思うんだけど、あってる?」

 

「お、流石だね、こういう時のアヤメは話が早くて楽だ。正解だよ、そのコトリバコのせいでお前さんに疑いの目が向いてるのさ」

「そう‥‥それなら、あたしがこれを使って人里を、とか。そんな読みで小町が出張って来たってとこね?」

 

「それも正解、素直に話してその気はない‥‥そんな腹積もりもあるのかい?」

「不正解。はなっからそういった企みがないのよ、いえ、企むつもりがないって言っておくわ」

 

「変な言い回しだねぇ、何が言いたいのさ?」

「あたしもコレに振り回されてるって事よ、お陰で大事なモノまで傷つくし、散々だわ」

 

 話しながら取り出した小箱を握る、こんな物が転がり込んでこなければ今こうして動き回らずに、小町に探りを入れられるなんて状況にならずに済んでいたのに。

 思わず入る手の力、それでも鷲掴める程度に込めただけだったのだが‥‥メキッと聞こえて二人で見つめる、眺めていると欠けた端から割れる箱、気持ちの良い音を立てボロっと崩れてドロっと漏れる。

 

「あ――」

「おっと」

 

 一言発する間に景色がブレた。

 里から森に、道に、見られる風景が流れていく。

 どうやら小町が距離を弄んだらしい。するする流れて景色が移り変わり、止まり、今見えるのは見慣れた絵面、というか我が家。人里から竹林までそれなりの距離があるはずだけれど、小町の力を以ってすれば距離なんてあってないようなものか。ふむ、これまた便利な能力だ、こんなに早く移動できるならどれほど仕事をサボっても取り返す事など容易だろうな。だからサボっていい、とは上司は言わないだろうがね。

 

「おいおい、いきなりはナシだよ、あたいがいたから良かったような――」

「そうね、また助かったわ」

 

「二つ返事で礼なんて珍しいねぇ、今日はやけに素直だ」

「昨日も言われたわ、素直なあたしってそんなに珍しいのかしら?」

 

「他人に素直なお前さんは珍しいよ、己に対しては常にって感じだがね‥‥それとも、さっきのも自分の為かな」

「当たり前でしょ、どうにかしたかった物がどうにかなったからこそよ。疑われる原因がなくなって逃げる手間も省けたし煩わしい物は壊れたし、いいコトずくめでたまらないから、そのお礼って事にしておいて」

 

 ニンマリ、今のあたしの顔を一言表すならこうだろう。

 我ながら可愛くない顔、やわらかな笑みこそ浮かべているが喜怒哀楽のどれも含んでいない笑顔、してやったりと楽しむ部分と、してやられたと感じる心が綺麗に真っ二つで嗤っているから自身でもどんな感情で笑んでいるのかわからん。が、それらしい笑声(しょうせい)も僅かに漏れているから実際は楽が強い気がする。

 そうして声が部屋内で響く。

 でも聞いている相手は態度も雰囲気も変わらなかった。直属の上司に言われて監視に来たはずなのに、何やら企んでいるかもしれない者が嗤う姿を見ても言い返さないなんてどういう事だろうか、これでは監視しているというよりも普段通り、サボる合間に顔を合わせた時と‥‥あぁ、つまりはそういう事か。

 

「ねぇ小町、ちょっと訪ねたい事が出来たんだけど」

「また質問か、まぁそうさな、箱も容疑も潰れたし構わないよ」

 

「どこまでが本当の話?」

「……ありゃ、バレちまったか」

 

 気が付かれたかと笑う死神、この笑い声で確信を得られた。

 どうやらあたしは騙されていた、こいつは仕事中ではなく何時も通りサボり真っ最中だった。

 ネタバラシをするならこうだ。出会いから仕事だと言い切り、その後はあたしの持つ厄介物の方へ話が逸れたから気が付かなかったが、こいつは一言も私と言っていない。このサボり魔が仕事に向かう際には『あたい』ではなく必ず『私』と口にする、オンとオフを切り替えるように言い直すはずなのだ。 

 そしてあたしが映姫様に目をつけられる事なんて今はないはずだ。以前に受けたお仕事で頂戴している誓文は未だ払われてはいない、であればあたしに何かなさる事があってもソレをどうにかしてからになるはずだ。あたしに正当な逃げ口を残したまま追うような、浅く愚かな行いをあの閻魔様がされるはずがない。

 

 巧妙さも見えない手口、少し考えればわかるような事だったのに、厄介な小箱が壊れて気が緩んだ、いや、緩んで頭に余裕が出来たからこそわかった小町のやり口だが、素直に騙されてしまったようで立場がない。が、今日のあたしは素直らしいから仕方ない、今は負けを認め開き直ろう。

 

「それで、どうだい? 気分の方は」

「悪くないわね」

 

「化け狸が騙されて悪くないってか? 読めないねぇ」

「謀られた事自体はしてやられたと感じるけど、結果あたしの良い方向に向かったからね、悪くないどころか晴れ晴れとした気分よ」

 

「霧だ煙だ自称するお前さんが晴れて気分良しってか、笑える冗談だねぇ。ま、いいか、晴れたのならそれで良し、慣れない事をしてやった甲斐があるってもんさ」

「気分はいいわ、代わりに別のモヤモヤが浮かんできてはいるけれど、ね」

 

「ん? まだ何か引っ掛かるってか?」

「あたしのつかえは取れたけど小町の動きが読めないのよね、なんでまた回りくどい事したのよ? 悩む妖怪の先導なんてのも仕事内容にあった?」

 

「別にアヤメの為を思って仕掛けたわけじゃあないさ、あたいも自分の為に動いただけ、習って言うならあたいの方も結果良い方向に向かっただけさね」

「あん? 話が見えないわよ?」 

 

 どういう事か、詰め寄っていくと下がられる。

 今更引くなんて、と、更に距離を寄せてみたが、話してやるからまずはその手をどうにかしてくれ、色は兎も角匂いがアレだ、なんてあたしの手先を細めた瞳で見つめ言い返された。目線を追うと血の色、にしてはやたらどす黒い色合いに染まる我が手と小箱だった木片。匂いと言われドレと鼻も鳴らしてみれば、確かに匂いがアレだった。

 流石にコレでは話にならん、洗うからと台所に立って小町に蛇口を捻ってもらい綺麗に流して湯も沸かし、落ち着きついでのお茶を注ぎながら話の方も次いでいく。

 

「で?」

「あぁさっきの続きか、難しい事なんてないさ。あたいはあたいで増えるかもしれなかった仕事を減らしたかっただけ、そういう事さ。言わなかったかい?」

 

「聞いてるわね、そういえば。てっきり狙って騙されたんだと思ったんだけど、そうでもなかったわけか」

「そりゃそうさ、慣れない事だってのも言ってやったろう? アヤメが本気でやらかすってんなら強引に攫うつもりだったんだけどそうはならずに済んで良かったよ、余計な手間はない方がいいからね」

 

「同意出来る部分もあるけど、現世の出来事に関わる事をヨシとしない死神が言うにはちょっと苦しいわね‥‥しでかしてあげればよかったかしら、そうすれば小町の暇を埋められたのに」

「寝る暇がなくなるから勘弁しとくれよ。まぁでもこういうのもたまにゃあいいねぇ、こういった事に長けた奴をからかってやるのも面白いもんだ。アヤメが四季様に言い返す気持ちがちょっとだけわかったよ」

 

 一頻り語り、笑うサボマイスター。

 こちとら小町に化かされてなんともいえない、笑えない空気になったというに、気楽な空気まで持ち込んでくれて、呆気にとられるというかなんというか。

 言葉ないままお茶をすすると、出会いにも聞いた軽快な声が我が家で響く。

 やってみるもんだ、なんて小憎らしい勝ち口上まで言い放ってくれて。些細な(はかりごと)ではあったがこのあたしを引っかけるとは、切れない刃持ち歩いているくせに存外切れ者で妬ましい。

 

 ちょっとだけ悔しいからどうにかしたいが手遅れか、既に開き直った後だった‥‥ならばよしとしよう、悪くないと負け惜しみは言ってしまったし、晴れやかだとも既に話してしまったし。

 乗りたかった空気とは違う空気には乗れて、取り調べも、相手こそ変わったが読み通り行われたからあたしの読みは正しかったと、別の部分で読みは当たったと納得するだけで済ませよう、実際抱えていた物がどうにかなって気が楽にはなったしな。

 話す最中には呼ばれ慣れないお尋ね者になりかけて気に入らなかったが、騙しに慣れない川渡しに渡りをつけられてしまったからもういいや。終わり良ければ全て良し、二人揃って口にした結果ってのが良い方向に動いたのだからそれでいい。






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EX その62 ききもの

 手にする管の先を潰して、通る地下水を程よく散らす。

 そうして眠たい目を擦り、寝起きの頭を掻いて、だらだらしつつ緩い水流を撒く。

 不意に筒を捌いて口元に寄せて、着ている黒のインナーやスカートの事など気にせず顔を洗い喉を潤わせ、顎から胸元まで井戸水で濡らしながら続きに戻る。お山の滝で見られるような小さな飛沫とまではいかないが、程々に散る水の中想う、今朝も暑いな、と。

 

 今時期偶に行う散水、行うだと語弊があるか、行わなければならない散水が正しいな。霊体となってから偶にしている日常作業、朝から暑い日やこれから暑くなるかもって日にはサラサラと屋根に水分を含ませていて、こうしていると今年も目に眩しい時期が来たなと感じられる。

 

 カラカラ笑うお天道様。

 顔を出してすぐから眩しい息吹を地に吹きかけてくれて、明るさと共に温かみも届けてくれるが、今日は朝から日差しが強く、深い竹間を抜けてくる僅かな木漏れ日だけでも我が家の屋根を熱くさせるには十分で、寧ろ放っておくと室内までがぬくだまりとなってしまう為、今のように散水せねば快適に暮らせない日もある。これが冬場であれば心地良い暖房となってくれるのだが、夏場となると今の我が身には結構厳しく、少し手間だがやらざるを得ない。

 

 うちにある唯一の近代文化、(くりや)にある蛇口に煙で成したホースを繋いで打ち水に打ち込むあたし。水撒きついでに屋根の様子も見ると、丁度水気の貯まりやすい辺りが薄緑に染まっているのが拝めた。マメに手入れはしているけれど本格的に葺き変えてはいない我が家の屋根、端から暫し目線を流し筒先も向けると、狸の住まいで降り始めた狐の嫁入りに驚いたのか、朝餉の餌を啄んでいた小鳥が吹く南風に乗り飛んでいった。

 

 ソレを目にして、そろそろ葺き替えるべきなのかねと、一人腕組み思いに耽る。

 耐えきれないような強い雨風あったればそれは逸らして事なきを得ていたが、避けるまでもない季節の贈り物が届く日は自然に任せたままなあたし。屋根に菖蒲を葺いちゃあいないが住まうあたしがアヤメなのだからと、よほどの時には逸らしているが流石にそろそろ限界か、そんな思いを屋根から続く狭い空に偲ぶ。

 

 伸びる竹の合間にチラ見え出来る御日様。

 二日前の朝、赤い頭に謀られた一日の始まりよりも力強く笑んでくれる太陽を拝むと、違う場所から見え隠れする紅炎めいた火の穂‥‥数本見えたそれらに向かい、また始まったかと視線を逸らした。視界に入れたくない厄介を逸らし、現実逃避するように瞳を瞑って、近くの物音だけに聞き耳を立てると、今時期の声が鼓膜に響く。

 聞けるのは青々茂る竹が白南風(しらはえ)に撫でられ織り成す竹時雨と、聞き入れば目眩を覚えてしまいそうな蝉の声。これらが鳴り合ってくれて、そういった自然が奏でる打ち合わせは耳にしていて心地良い。後はこれらを聞きながら煙管を楽しみ、つらつら語りながら自前の徳利酒でもお酌してもらえればいつもの暮らしとなるのだが……生憎そうも出来ず、別の、季節を彩る音以外が聞こえてしまい、拒否するように耳を倒した。

 

「朝から勘弁してほしいわ」

 

 時間からすれば隅中(ぐうちゅう)を過ぎた頃、朝というには少し遅いが起きて間もないのだから朝でよい。そこは兎も角、聞き慣れた弾幕音をぽいぼいするあいつ、姿は見えないが時々上がる火柱と流れてくる御札の勢いから、今日も檄を飛ばしていそうな御近所さんに向かって愚痴を放つ。けれど愚痴は伝わらず、散水と共に現れた小さな虹の橋を渡って消えた。

 

「やるならもっと離れたところでやればいいのに、自分で縄張り荒らしてちゃ世話ないわね」

 

 再度吐いた愚痴、それは住まいの周りの喧騒に飲まれた。

 普段は静かな竹林に建つ我が家、今時期耳に届くのは先のそれらくらいのものなのだが、今はそれ以外がやかましく、態々外に出なくとも屋外の騒ぎが聞けるくらいとなってきていた。

 

 その賑やかさの原因を追って紹介するのなら、まず煩かったのは紅頭、はいいか。語るにしてもあの後、あたしが抱えていた騒ぎの元『コトリバコ』が壊れ、というか壊した後に現れた上司にとっ捕まりキャンキャン煩くなっただけ、細部を述べるにしても本来の御役目である仙人の監視に戻るよう追い立てられただけだ。来訪された閻魔様と霊廟へ向かう予定だったらしいけど、あれが見ている監視対象に道教のあいつらまで含まれるとは知らなかった。が、監視自体は以前からしているのだし、今起きている外での騒ぎとは繋がらないから深く語るのはよそう。

 

 それにサボり魔なあれもイイ女だ、あたしから見ても羨ましい体付きの別嬪さんだから少しの秘匿ぐらいあってしかるべきだ‥‥.過程や思惑がどうであれ、抱えていた悩みを壊す切っ掛けをくれた死神さんの格好悪いところを語るのは気が引けるし、こんな陰口じみたぼやきが彼女を叱る閻魔様の耳に入れば説教が飛び火しかねないし、酷けりゃ黒だと仕分けされるかもわからないから、あたしのためにもこれ以上の追求はやめてほしい。

 

 紹介と考えて起きながら躓いた出足、最近は読みを外したり騙されてみたりしていて躓きながら動いている気もするが、それは小町の話とともに忘れ、代わりにそうだね、別の話、今も騒いでるご近所さんの事でも少し振り返っておこうか。

 あたし個人の騒ぎは箱の破壊を堺に終息を迎えつつあったのだが、このご近所さんのせいで竹林全体が騒がしい。ご近所さんの内の一人は『怖いわーオカルト怖いわー』と、らしい事を口にしながら訪れる相手から姿を隠していたようだが、あたしと似たような髪色のもう一人、蓬莱人の方は流行りに乗ってオカルトボールを手にしているらしく、妹紅も妹紅で色んなやつから喧嘩を売られ、猛る焔で降りかかる火の粉を払っているのだそうだ。

 

 昨日の朝だったか、何処の誰とも知れぬ半端な妖怪を一蹴して落ち着いた頃を見計らい、あの不死者と少し話した。彼女から聞けた内容はこの竹林にも結構な人数が遊びに来ているって事。聞けばあの紅白巫女さんや、里の空で浮かんでいた船住まいの聖人なんかもボールを寄越せと遊びに来ていたんだとさ。彼女達とは決着つかず引き分けて終わったそうだが、出会ったのがあたしではなくて良かった。争いの場であれらの相手は流石に面倒だ、お祓い棒や独鈷杵を向けられたのがあたしではなく妹紅で、そこで帰ってくれて、その部分ではもこたんに感謝していたりする。

 

 そんな蓬莱の人身御供はモンペのポッケに片手を突っ込み、延ばすもう片方の人差し指に炎を灯しながら『人体発火なんてオカルトでも何でもないのに、なんで私まで巻き込まれるんだか』と、我関せずな世捨て人らしい物言いだったが、その語り草からは少し楽しい雰囲気も嗅ぐ事が出来た。死なずの姫と定期的に殺し合っているくらいだ、巻き込まれるのは手間と言いながらも存外楽しんでいるのかもしれない。

 

 それから、燃えているんだか呆れているんだかわかりにくい炎の蓬莱人に、身体から火を噴く人間なんてお前さんくらいのもんだから珍しい都市伝説と言われても仕方無いね。と、思いついたそれは言わずに大変ねと、同じく巻き込まれやすいあたしとして同意するだけに留めた‥‥下手な事を言えばボールの所持者とバレて、まかり間違えばおかわりのもう一戦なんてなりかねないしな。

 

 そんなこんなで賑やかしい幻想郷。

 こうも(かまびす)しいのはあの天邪鬼を追いかけ回していた時以来、いや、あの時の竹林はそれほど煩くならなかったからあの時以上に盛り上がっているな、そのお陰で眺むによろしいお戯れがどこでも見られるが、自宅周辺まで囂然(ごうぜん)たる空気に包まれては楽しむだけでは片づけられず。落ち着くべき我が家にいながら落ち着けず、暑くて余計に考えが纏まらないから水を撒いてはみたものの……靄はあたしの源で、賑やかな祭りも嫌いじゃない。定例的に殺し合う蓬莱人同士のやり取りは眺め、楽しんでいるしね。だか今は別、誰かの視界を烟らせて楽しげな誰かの声を聞くのはあたしも好むところだけれど‥‥

 

「屋根は冷えども周囲は冷めず、そうしてあたしに熱込もる‥‥ならいいか、さめる場所にでもお邪魔しましょ」

 

 今感じているモヤモヤはあたしの糧になるものではなく、それどころかあたしの気を散らすのみ。ならばよい、煙や霧混じりの妖怪として散らされては参ってしまうし、気を落ち着ける場所で落ち着けない事にも飽いてきたし、我が家で落ち着けないのなら別の場所で腰を据えるとしよう。

 意識を入れ替えるように軽く伸びをし、そのまま握ったホースを持ち上げ、僅かに汗ばんだうなじやら脇やら冷やして、うっすら溜まった鎖骨の水分払ってから我が家をあとにした。

 

~少女移動中~

 

 さめる場所なら水辺、湖は最近行ったばかり、それなら高いところにでも。

 そんな考えを巡らせながら飛んだ先は水辺でも、あんまり高くもないところ。熱気篭った頭で良い案など思い付くはずもなく、風に任せて向かって来てみたが、それでも落ち着ける場所には辿り着けた。

 どこかと問われれば濃ゆい緑が豊かに揺れる場所、あの河童連中の棲み家である玄武の沢にほど近い場所とでも言っておこうか。沢よりも涼やかさが感じられるところ、こちらにおわす御方の能力からなのか陰りも強くて、標高も妖怪のお山の中腹程度だが、余所より冷ややかさを肌に感じられて心地よく、静かに耽るには打って付けだろう。正確には一処(ひとつところ)ではなくこの方の周囲がこうなってしまうだけだから場所というより領域って感じだが、細かな事は捨て置いて。

 

「ねぇアヤメ? そろそろお昼時なんだけど、どうしよっか?」

「戴けるならなんでも、お任せするわ」

 

 煙管携え思考を早めるあたしの隣、腰掛ける大きな倒木にいるもう一人から問いかけられる。

 時間も時間だから何を食べるかって質問だろうけど、献立を考える暇があるのなら別の問題に思考力を向けていたい為素っ気なく返してしまった。

 それが面白くないのか立ち上がり、くるり廻るお隣さん。嫋やかな舞かのように翻ると、微かに聞こえる衣擦れの音に合わせ、ヘッドドレスや手首からひらひら流れる数本のリボンが視界で揺れ、嫌でも気を取られる。

 

「知ってる? 考え事っていっぱい体力使うのよ?」

「体感していた頃もあるけど今は減らす体がないから問題ないわ。でも、このまま放っておくと更に気が散らされそうね」

 

「耽る最中に気が散っちゃうなんて、今日は厄日なのね」

「厄日には違いないんだけど、雛様らしい冗談のつもり? あんまり上手じゃないわ」

 

「そういうのは疎いのよねぇ、でも、もうちょっと言い方ってあるんじゃない? 気晴らしに来たって言うから晴らしてあげようと思ったのに」

 

 元気づけてあげようかなって想ったのになぁ、笑顔のままで語る雛様。

 笑みの奥から少しだけ、あらあらってのが覗いていて、小さな困りを忍ばせている。

 ちょっと前、久しぶりと伺ってから今までずっと笑顔な厄神様、今のような悪態をついても朗らかでお似合いの顔を見せて下さる。お優しいその顔のまま里に降りれば人集りの一つくらい出来そうなものだが、出来上がった輪の中心に長くいられないのがお辛いところか。

 今時期というか、人里で流し雛を執り行う間くらいしか忙しい事などない方だから年中暇なのだそうだが、大概の人妖は別の流行り物に逸っていて、誰も相手をしてくれなくて殊更に暇、もとい寂しい思いをされていたそうだ。普段からまともに相手してくれる人が少ない方だ、そういった厄い思いには慣れていそうなものだが、多少慣れようが寂しい事は誰だって寂しい、厄を纏める雛様でもそういった思いの一つぐらいはあろうよ。

 

 それでだ、確かに、気晴らしついでに遊びに来たとは伝えたけれど、元気づけてもらう程凹んだりはしていない、はず。でもそう見えたというのならそうなのかもしれないな、気が散って気落ちしてと、そういった陰の気質も厄に含まれると仰られるし、そこを危惧して気を回してくれたのだから入れ替えるべきだな。遊びに来ておいて浮かない顔のままにいるというのはあたしもつまらんし、快く迎えてくれた雛様にも失礼か。 

 

「偶に遊びに来てくれたのに一人で悶々としてるだけなんだもの、私以上に厄が似合いそうな顔してるのは駄目よ?」

「そんな顔して‥‥たのよね、きっと。気晴らしに来たのに真面目な顔ばっかりしてちゃダメか、今日は何にするつもりだったの?」

 

「今日は魚を焼こうかなって、にとりがお裾分けしてくれたのがあるの」

「ふぅん、にとりがねぇ。売りつけてきたんじゃなくて?」

 

「そんな事言わないの。豊漁だったから食べてねって分けてくれたのよ。うん、確かに、ちょっとだけがめついところもある子だけど、あれで優しいところもあるのよ?」

 

 纏うドレスのフリルが如く、柔らかに微笑んで、器用に編まれた籠と添えられていたのだろう、濡れても問題なさそうな素材で出来た三つ折りを取り出し眺める秘神様。

 あたしが言った嫌味など意にも介さずふわりくるりと、抱えた籠をもったまま緩く浮かんで一回転。回ると広がる赤のお召し物、リボンも前括りの髪も流れて、流し雛の二つ名通りに愛らしい。

 けれど、あまり回られると中の魚が酔ってしまいそう、というか廻るそばから少しずつ周囲にあった厄を集めていて、このままでは旬のものが縁起の悪いものにでもなってしまいそうだ。

 それならここらで一旦休憩するかね、でないと旨い食材が不純な食材に変じてしまう、そうなる前に戴くとしますか。

 

 丁度燃え尽きた煙草の葉を腰掛け代わりの幹で叩いて落とす。

 カツンと鳴らして気を入れ替えて、あたしも並び立ち上がる。

 そうして二人で籠を覗くと中では元気に泳ぐ数尾、見るからに新鮮で採りたてホヤホヤな雰囲気が鱗で輝いているけれど、この籠ってばどうなっているのだろう?

 外から見る限りただの網籠、中で揺蕩うお山の水なんて網目から漏れてしまいそうだが‥‥まぁいいか、きっと河童の科学力とやらで水が抜けない籠なんてのを作ったのだろう、水を操る川の便利屋さんと呼ばれるくらいだしこれくらいは容易いのだろうよ。 

 

「そういうところがあるのは知ってるけどあたしにはあんまり見せてくれないのよね‥‥ひぃふぅみぃよ、いつむぅ、と。なるほど、にとりらしい数ね」

「あら、どういう事かしら?」

 

 要らぬ事は考えず籠の中身を指折りしていく、背の盛り上がった岩魚に山女魚、大きく目立つ斑点が美しい鮎を数え、ついで湧いた思いつきを口にしてみた。

 けれども先の通り疎いというか、普段から冗談など言うような方でもないから上手く伝わらず、すぐにネタの解答を求められた。

 

「割り切れる数だもの、現金な河童ちゃんらしいわ」

「あぁ! そういう事ね。やっぱりお上手だわ」

 

 欲しがられた答えを返すと懐っこい笑顔で褒めてくれるお雛様。

 屈託のない笑みで悪意がないのはわかるが、柔らかな笑み過ぎて幼子をあやすような褒め方に聞こえてしまって、むず痒く、ちょっとだけ気恥ずかしい。そんな火照りを冷ますように、籠に手を突っ込み、川魚を追いかけながら言い返す。

 

「褒められてるんだろうけど、なんか馬鹿にされてるみたいだからやめてほしいわ」

「素直に褒めただけよ? いつもならありがとって笑うだけなのに変なアヤメね。どうしたの? 何かあった?」

 

 更なる問いかけ、これには答えられず思わず手を止めてしまう。

 どうしたのかと聞かれても上手く答える事が出来ない。

 原因は理解している、考え事のせいだとわかってる、わかっちゃいるがそれを上手く口に出来なくてもどかしい……からそれを話すか、他者とあんまり関われない雛様、山で拾える天狗の新聞くらいしか周りの情報を得られないだろう方に話して明確な答えが得られるとは思わないが、一人でモヤモヤしているよりは気も晴れよう。

 手から逃げる魚が揺らす水面、時折ヒレが乱してくれる籠の中の鏡越しに話す。

 

「少し前から悩み事があるのよ、そのせいで気が散りっぱなしなの。雛様は今の流行りについて何か知ってる?」

「流行りってこの騒ぎ? にとりも話してくれたけど私はあんまり、遠巻きに観ているばかりだから。にとりからは外の世界から入ってきた都市伝説を利用した儲け話って聞いているけど、アヤメのはそうじゃないのね?」

 

「にとりからすればそうなんでしょうけどあたしの場合はまた違うのよ。その都市伝説、あたしが触れたのはコトリバコってやつなの。聞くけれど、何か知ってたりはしないわよね」

「ごめんなさいね、知らないわ。どんなものなの?」

 

 こんな物だったと語りながら煙管を燻らせ、吐いた煙で形取る。そうして成した贋作木箱にやっと捕まえた山女魚の中身、爪で腹裂き掻き出した中身を突っ込んで、こんな感じと雛様に放った。

 放物線を描いたソレを両手で受けると見つめる彼女。

 

「人と魚で中身が違うけどそんな雰囲気の箱よ、呪い殺したい相手の住まいに置いておくだけで効果を発する厄い箱なんだって」 

「そうなんだ、それはまた‥‥厄いわね」

 

 表情にお変わりはないが角度から顔に影が差す、それがもの悲しげで似合いの顔に見える。いや、見慣れている顔と大差ない朗らかなお顔なのだが日の差し方とお立場、後は扱う厄故か、そういった背景からなんとなくそういう顔つきに見えて、それがひどく似合ってしまって‥‥失礼ながらとても綺麗で、思わず見とれてしまった。

 

「それで本物は? 手に負えないっていうのなら――」

「そっちは大丈夫、もう壊しちゃったから」

 

「そうなのね、それは残念‥‥でも壊したのならもうないのでしょう? だというのに悩み事?」

「ちょっと回りくどかったわね、箱自体は解決出来たんだけど、その箱が起こしてくれた結果が腑に落ちないのよ。呪われ方がおかしいから納得出来なくて悩んでると、そう言えば伝わる?」

 

「そういう事だったらそれも話してみなさいな。私が聞いてわかる事だとは思わないけど、誰かに話せば楽になる事もあるし」

 

 顔を上げた雛様は笑顔なし、真剣に聞いてくれる雰囲気で問うてくれた。他人事だというのにこの方は親身になって聞いてくれてありがたい。好きだけど近寄れない、近寄ってはマズい人間達を強く想うくらいお優しい方らしい仕草だ。

 

「内に沸いた厄を払う祈願と思えば気楽にも感じられるか、雛様も興味あるみたいだしね、聞いてくれる?」

 

 穿った見方をすれば、厄に関わる物事っぽいから深く聞いてくれているのだと受け取る事も出来るけど、今見せてくれるお顔からは前者の優しさが溢れているように感じられた‥‥だからかね、素直に甘える事が出来た。そうして小さな吐息一つこぼした後、掻い摘んだものではなく、事の起こりから箱の終わりまでを細かに話し始める。

 

~少女説明中~

 

 まるっと話して、少しスッキリして。

 逃げる魚を安々追えるくらいに気が楽になり、捕まえ串を打った鮎達が起こした火に焼かれ美味しそうな香りを漂わせ始めた頃、互いに二尾目の背や腹を()み始めた頃合いに雛様がそういえばと口を開いた。

 

「そういえば雷鼓さんは? その箱が壊れたのなら呪は解けているのでしょう?」

「そうね、今はもう元気みたいよ」

 

「みたいって、帰ってきてないの? 呪詛でも返ってきちゃった?」

「まだ永遠亭にいるわ。体調は元通り、というかあたしが考えていたよりも軽くて済んだみたい」

 

「あら、それなら良かったじゃない、アヤメの話では深刻な状態だって聞こえたけど大事がないならいい事だわ」

「それだけならいいんだけどね、あそこの医者が原因がわからないのならまだダメって言って返してくれなくて、困りものなのよ」

 

 これも悩み事の一つ、寧ろこれが悩みの主題かもしれない。

 呪の原因である箱は壊れた、そうしてあたしの気苦労は減った、代わりに要らぬ難題が増えてしまっていた。それが今話した通りのお題、血反吐吐いて倒れた雷鼓、あいつがそうなった原因がわからないから帰せないってのが今悩みの大きなタネである。

 あたしも雷鼓も治ったんだからいいじゃないか、もしまた何かがあればすぐ来るから近いんだからと言ってみても、そうなってからでは遅い、今落ち着いているだけで再発するかもわからないからダメと、頭に載せた帽子の柄を傾けて語る名医さん。

 あたし目線、呪術的な見地からすれば呪術を放つ元を壊したのだから次はない、あっても雛様も仰られた呪詛返しくらいでそれは壊したあたしに向かうはずだと考えている。けれどあのヤクザイシ様は別の検知から考えているらしく、体調に関わるのなら何かしらある、その根っこを特定し根治出来ないのは預かった私が気持ち悪いからもう少し待てと、そう言ってくるのだ。

 

「それって八意さんがきっちり診てくれてるって事でしょう?」

「診てくれてるわ、雷鼓の見舞いに行った九十九姉妹までとっ捕まえて診てるみたいよ」

 

「捕まえてって、口が悪いわねぇ。いいじゃない、彼女達もその被害者なんでしょう? それなら万一があってもすぐに処置してもらえるんだから、寧ろ安心出来るんじゃないの?」

「まぁそうなんだけどね‥‥それでも、そろそろ退院させてあげたいのよ。見舞いに行く度につまらなそうな顔されて、そのまま袖摘まれたらどうにかしてあげようって思うものでしょ?」

 

 ほろ苦い鮎の腹を食しつつ、少し甘い話を漏らす。

 実際は三人共それなりに暇潰し出来ている、あいつらよりも更に暇している姫を相手に調律程度の演奏をしていたりして調子を整えているようだが、それでもそろそろ飽きた、いや、医者の目を気にせず存分に奏でたいらしくて、言うなれば不完全燃焼って感じで過ごしている。と、まぁ、これ以上こちらを話すとあたしがこっ恥ずかしくなるから切り上げて、今の話に戻す。

 既に話した中身の細部を追加すると少し考える素振りを見せてご馳走様と、魚ではなく別のものに向けて食事の終いを話された。それを切っ掛けに昼餉も済ませると、すらっとした人差し指を顎にあてがい、うわの空を見つめる厄神様。

 

 あたしも見習って同じ仕草を取り、考える。

 腑に落ちない部分、雛様に話したそれは箱の呪のかかり方について。

 一度は名前やら家やらこじつけて考えた、九十九姉妹だけに充てがうのであればあの説でも問題はなかったのだが、箱が壊れた今になり新たに気が付いた事があるのだ。

 あいつらが腹痛起こした頃合いには先の理由で痛めたのだと考えた、だがそれでは箱の効果としておかしいのだ。古道具屋で仕入れた用途に間違いはない。あの店主の事だ、あたしに偽りを伝えれば後が手間だって事くらい読めるだろうし、報酬として交換条件を出してくるくらいなのだからあの場では真実を語ってくれたに違いない。

 そしてそこが引っかかる、あたしは森近さんに見てほしいと頼んで店のカウンターに置いたはずだ。袖から出した箱とあたしを眺めそれぞれに目線を送ってくれた、冷静さの宿る金の瞳で品定めするような、冴えた色味の目線にちょっとだけあたしの少女心が惹かれたからハッキリ覚えている。で、売り言葉を並べながらも彼は鑑定してくれて、コトリバコの名前と用途を知らせてくれた。森近さん自身が『使用法は呪い殺したい相手がいる家に置くだけだ』と、カウンターに置かれたままの箱を眺め教えてくれたのだ、だというのにあの慳貪店主には呪いの効果は現れなかった、そこが解せんのだ。香霖堂は店であり彼の家のはず、であればあたしが箱をカウンターに置いた時点で呪が発動するはずだった、なのに森近さんはピンピンしていて問題なかった。

 

 用途に間違いはないはずなのに彼が呪われなかった理由とは?

 そして雷鼓や付喪姉妹が呪われた理由とは?

 

 これは推測だが、永琳が気にしているってのもこの部分にかかるのだろう、呪としてはこうだと説明しそこは理解されている、月の頭脳とまで言われたお人だ、あたしからの説明を一聞けば十理解するくらい訳ないだろう。だのにあの天才様は気になる別があるという‥‥そうしてその部分をあたしが気にしないわけがない、賢人がわからぬ問題とはなにか、難題に次ぐ難題ばかりで頭を休める暇がない。

 

「ねぇアヤメ? そのコトリバコって外の世界の都市伝説なのよね?」

「無縁塚で拾ってきたのと森近さんの話から考えれば外の物って事になるわね」

 

「? 言い切らないのね?」

「断定してもいいんだけど確定じゃないからね、で、なにか引っかかるの?」

 

「外の物だとしたら雷鼓さんや九十九姉妹に強く効いちゃったのもわかるかなって」

「うん? そう言えるネタが何かあるの?」

 

「昔の話だから正しいかわからないし、自信もないけどね」

「取っ掛かりになるならなんでもいいわ」

 

「それじゃちょっとだけ、雷鼓さん達の元って何か知っているでしょう?」

 

 それなりに古い和楽器だったと返事をすると、じゃあどんな? と返され、暫し悩む。

 本人達から聞いているのは元和楽器で結構古いという事、付喪神に成り果てるくらいの時を物として過ごしていたって話だったな。寺や霊廟で姿を見るお面の付喪神ほど古めかしい物ではないらしいが、外の世界の人間達の間で猿楽なんかが流行り始めた頃に作られたとか。で、暫くは能狂言だ歌舞伎だ浄瑠璃だので鳴り物として使われていたそうだが、いつしか使われる事がなくなり、大事にしまわれたまま忘れ去られた、気が付いたら文字通りのお蔵入りになっていたってのが雷鼓本人から聞いている話だけど、その辺りに何かが関わっていたりするんだろうか?

 というか人の暮らしからは遠い雛様が知っているというのが驚きだ、雷鼓の方はライブの写真撮影だのなんだので山に来たりしていただろうからその際にでも会ったんだろう、知っていて不思議はない、自身の宣伝のもなるし聞けば教えてくれるだろうしね。

 驚いたのは人の方だ、自慢じゃないがこのお人よりは人間の近くで過ごしてきたあたしだ、鳴り物関連の楽しげな流行り廃りであればあたしが知らず雛様が知っている事などあんまりないような気もするのだが。

 

「私が何を知ってるのって顔してるわ」

「あら、また顔に出てた? 失礼、悪かったわ」

 

「ふふ、いいわ。今のはそう思ってるんじゃないかなって感じたのよ、そういった――」

「懐疑な心、負の感情も厄の内って事ね、それで?」

 

「もう、口を挟まないの。昔は少し、そう、少しだけ人の暮らしに近寄ってみようと思っていた頃もあったのよ。その頃は神も妖怪も人の営みの中に在ったから私もちょっとくらいならって……そんな事を考えたりしていたの」

 

 少し前に誰かさんが浮かべていた顔、真面目で沈む雰囲気を含む表情と声で仰られる。

 そう考えて近寄った結果は聞かずともわかる、過去にそんな事をして色々とあったから今は人と距離を取っていると、そんな感じなのだろう。当時の話を聞くついでに聞けばお話下さるのかもしれないが、それはやめておこう。誰しも語りたくない過去や思い出したくない思い出くらいある、あたしにもあったし掘り返してどうなったかは身に沁みているので野暮な思いは飲み込んだ。

 そうして無言で、雛様から続きが話されるのを待っていると続く昔話。

 

「でね、その頃は浄瑠璃が流行っていてね。当時人気だった作者の初演があるなんて話があって、人間達が話題にしていたのよ、聞いた事はない?」

「ないわね、それっていつ頃の話?」

 

「そうねぇ、確か江戸の街が華やかになった頃よ。私がいたのは京の街方面だったとは思うけど」

「だったらわからないわね、その頃のあたしは引きこもっていた時期もあるから」

 

 なるほど、あたしが知らずに雛様が知っている理由はわかった。

 昔話で正確な年代はわからないが、その時のあたしは話した通りの引きこもり、愛しい姉さんとの大事な約束を破ったと気に病んで、いや、実際に心を病んでいた頃、内外の情報を閉ざして一人で忘れてくれと願っていた頃だ。

 まぁいい、あたしの事は捨て置いて話の方だ、雷鼓が太鼓だった話と今の話がどのように繋がっていくのだろう、悩みを晴らすの本命として、ついでに愛する鼓の過去話も聞けるのだ、ここは黙って続きを聞こう。

 

「アヤメが引きこもってたの? 想像出来ないわね」

「苦い記憶だから触れないでもらえるとありがたいわ、あたしの事はいいから続きをお願いしたいんだけど」

 

「あ、気が利かなくてごめんなさいね。それでその流行り物だけど、確か、堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)という演目だったの。内容はともかく題名には聞き覚えがあるでしょう?」

「そうね、聞いた事ある名前だわ‥‥その演目ってどんな内容だったの?」

 

「それがね、人気作家の初演だったから人が多くて、私は入れなくて。でも、これだけ人気なら再演もすぐで、他の舞台もあるんだろうなって思っていたんだけど……」

 

 ここまでは饒舌に過去の思い出を語ってくれた、けれどそこから先が出てこない。

 雛様の仰られた『だけど』から繋がる部分、それはきっと話しにくい部分なのだろうな、気を使ってくれているのか表情には出さない、ぱっと見では何も変わらないように見える秘神様。

 二つ名によろしく上手に隠して下さるけれど、その仕草が自然すぎて逆に不自然だ。言い淀むのだから態度や顔に少しは出る、出てしまうのが感情を持つ者の性だろう、だというのに穏やかなままにおられるのがあたしには不自然に見える‥‥しかし、つつく気にもならんな、あたしを想って思い出したくない事を語ってくれたのだ、その藪をつついても後味の悪い蛇ぐらいしか出てこないだろうが……そうはいっても気にはなる、だからここは邪推するだけ、勝手に思い込むだけに留めておく。

 

 先の話に続くのはきっとこんなところだ。雛様が人に近寄ってしまったから、厄を纏う神様が人の暮らしに近づきすぎてしまったから周囲の者に厄が移った。結果その演目は不人気になり潰れたとか、何か公演出来ない理由でも湧いてしまって再演されなくなったとか、そういった負の要素に満ちた流れになったのだと想っておく。

 ここから雷鼓達に繋げるならそうだな、初演で鳴り物として使われたか、再演で使われる予定でもあったが、その話は流れてしまい演目ともどもお蔵入り、そうして蔵の奥で忘れ去られて幻想へ、とこんな過程があったのだと結論づけておく事にしよう。

 

「それで――」

「そこまででいいわ、後はどうにかするから。ありがと雛様」

 

 そう? と横に倒れた頭に向かって十分と、あたしの頭を縦に倒す。

 ヒントとしてはここまでで十分、気晴らしに訪れた場所で悪くない聞き物となり上々だと言えよう。が、そこまでで抑えておいてほしい、口をついて出た永遠亭で思い出したがこの悩みは難題だったはず、あたしが好いてたまらない、解くに解けない難しいお題だったはずなのだ。これ以上ヒントを貰っては難易度が下がってしまって面白くない、解いた後の達成感と、あるはずの開放感を奪われてしまっては盛り上がらなくて困ってしまう。

 

「私に気を使ってくれなくてもいいのよ?」

「そういうわけにもいかないの、厄神様を邪険にするなんておっかない事出来ないわ」

 

「でもここまで話してしまったんだし――」

「クドいわ雛様。そういうのは閻魔様で間に合ってるから勘弁して。女の子ならそれらしく、いいところで切り上げてほしいわ」

 

 らしくしろと言い切ると見える、眉尻下げた困り顔。

 短かな時間に何度か見てるが、今のような困惑というのも厄に含まれるのかね、わからないがこんな顔の雛様も愛らしいから良しとしよう。

 元が愛玩される雛人形だったのか、忌み嫌われる流し雛の名の通りだったのか、それは知らんし掘り下げるつもりもないが、両手揃えて、風に遊ばれる左手のリボンを抑える仕草は言った通りの女の子らしいからそれでいい。後は秘神と呼ばれる方らしくこのまま黙って秘密の一つくらい持ったままいてもらいたいのだが、そこは敢えて言わず、あたしも女の子らしい仕草で伝えよう。

 

 何か話しかけたお口、小さく開いた神の口に向かい人差し指を立てて寄せる。柔らかな唇に触れるか触れないか、そのくらいまで近づけてから、そこから先は秘密だと、態とらしく間を伸ばして言ってみた。

 すると微笑むお雛様、今度は勘付いてくれたらしい。

 イイ女なのだから秘密の一つや二つは持っている方がいい、だからその秘密(ヒント)は語らず黙っていてくれと、そう込めた心は伝わったようで。見せて下さったその嫋やかな笑み顔には忌み嫌われるどころか愛でられる雰囲気、大棚に飾られるべきお人形さんらしい要素が含まれている気がした。



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EX その63 きもの

 薄く揺らめく夜の湯気、その奥、静かに揺蕩う水面に指先を浸す。

 ちゃぽんと中で遊ばせて、こんなものかな、上の方はちと熱めだが混ぜれば丁度いいくらいになるかな、と。そんな読みで手桶を突っ込み軽くかき混ぜるとあたしが思っていた以上に温い湯になったが、今時期入るにはこれくらいでちょうどよさ気だし、湯上がりに汗ばむほど温まるつもりもないからこれでいいやと一人頷く。

 そうして下がった視線を上げ壁に向かって指を弾くと、外で起きていた火が鎮み、ゆらり飛んで咥える煙管と竈に移った。受けたあたしの口先から煙たいモヤが焚かれると、竹炭眠る竈の方からも乾いた音が鳴り始め、同時に煙を上げていく。

 ろくに待たぬうちに筒先と厨の二箇所から煙が上がる、その二種類が程々に混ざり込んだ頃合いに咥える煙管の先を上下、手招き代わりに動かすと、あたしの周囲で纏まり始めた。

 

 それをアレ、我が家の外に停めてある馬のような三拍子が軽快なアレだ。

 たまに出ている外の乗り物で動く鉄塊としか認識しておらず明確な名称では呼ぶに呼べないがともかく、アレに轢かれて見た目酷い状態になっている右腕に取り込み治す。

 そうやって出来上がったお手々をぐーぱーして、具合の確認をしながら着物の帯を解いていると、その動きを察したように壁一枚の向こう側で何かが蠢く気配。

 

「お湯加減はどうでしょうか?」

「いい感じよ、助かったわ」

 

「そうですか、では」

 

 暖かな、それでも何処か寒々しく感じる声色で問われる。 

 それに対して丁度良い具合だと、沸かしてくれた彼女らしい温度に触れながら伝えると一旦離れる声の主。このまま帰られてしまうかと思ったが、一瞬薄れた足音はそのまま壁沿いから玄関前、室内へと進んできた。

 

「改めて、いらっしゃい」

「はい、お邪魔します。無事に治られたようで、良かった」

 

「結構痛かったけどね」

「それなりに本気で向かいましたから」

 

「もうちょっと加減を覚えた方がいいと思うわ」

「それは相手次第となりますね」

 

「‥‥あっそ。過大過ぎる評価だけど褒められた事にしとくわ。取り敢えず流してくるからちょっと待ってなさいよ」

 

 迎えたお客に茶を淹れ再度鉄瓶火にかけて、脱ぐ。

 動く最中、卓で湯呑みに手を添える者から申し訳無さそうな顔で見上げられるが、あたしをこうしてくれたのはこいつなのだからと気にかける事もなく。気負いや罪悪感といった心が剥き出しで見える視線を浴びたまま少し間をかけて、傷んでしまった着物が千切れてしまわぬよう脱いだ。

 

 帯を解くと感じなくなる視線、配慮してくれなくとも同性だし湯上がりは何度か見られているから構わないのだけれど、あちらさんは見てくれず。欠けた、もとい彼奴自身が弾き飛ばして部分部分が足らなくなったあたしの身体を見るのが嫌なのか、それとも見る価値もないから見てくれないのかね。この人のことだからきっと前者、それも間違っている気がしなくもないがなんだ、こうも見向きされないとは面白くないな。

 少し前の古道具屋でも感じた想いを我が家でも感じてしまってやるせない‥‥けれど、うろ覚えだがそういった行いも戒律で禁じているとか禁じていないとかって話だったな。話題としている張本人もちょっと動く度にたゆんたゆんさせるような麗しい見た目だけれど、性格の方は反してそういった行為から遠くにあると思えるからいいな、今は忘れよう。

 

 あれこれ考えながら準備を進めると、半分被せたままにしている湯船の蓋から雫が垂れる。

 たん、たたん。張った水面に落ちるそのリズムがどことなく一定で、それが誰かさんの奏でる音のノリに似ている気がして。そのせいで『考え事なら湯船でしたら』『浸からずに逆上せた事考えていないでさっさと入れ』と、まるで尻でも叩くような雰囲気で言ってきている気がした為、何処かへ向かい始めた思考を改めて風呂へと戻す……前にもう一仕事。

 

 (ゆき)の長い衣紋掛けに通した着物を見つめ、触れる。少し布地を張れば破れてしまいそうな袖、外のアレに追われる際に躱しきれず、取っ手に引っ掛け広がってしまった八ツ口などに指先を添え、傷んでしまった箇所を元に戻す。

 修復作業中のあたし背中にも、女性が他者の見ている前で脱いだままなどみっともない、という真言込みの視線が刺さっているけれど、至って気にせず作業を続行。触れさせはしないが柔肌晒すくらいあたしからすれば希にある事で、もっと言えばここは我が家だ。振る舞いに対して釘を刺される謂れもないし派手にやってくれなければこんな事せずに済んだのだから、身に覚える熱視線は湯を沸かした熱から感じている事にして今は無視しておこう。

 こちらから招いちゃいるが今のあたしは細かな所作に構ってあげるほど機嫌良くもないし、奴さんは機嫌を傾けてくれた相手に間違いないわけだし。

 

 誰かさんを一時忘れ浴室の戸を開くと、出来た隙間からそよいできた夏の夜風に直した袖や湯気が揺れる。僅かに動くそれらを眺め頷いて、きちっと済ませた修復に満足してからようやくのバスタイム。

 汚れを落とすならまずは上から、掃除の基本に則って軽く屈み頭から掛け湯。天辺から落とすと耳に水が入るから丸い頭の形に沿うようにゆっくりと流す。二度三度湯を浴びてそれから手元の石鹸を泡立てると少し前に過ぎた(みぎり)の香りが湯気に乗って立ち上り、鼻を抜けていく度に傾いた機嫌を押し上げてくれる。

 うつむいていた心が戻ると和らぐ顔、緩む頬。

 柔らかに笑みながら手元を見れば、泡立ちの元に未だ残るキメ細やかなもこもこ。

 丸っこくて眺むに愛うい造形だがこのまま放っておくと早くとろけてしまうから、今日はお別れだと惜しみつつ泡と水気を丁寧に切る。使い始めて少し経つから既に形も崩れてしまっているが、手作りらしく整わない形の名残はまだ残っているし、お手製らしい色合いが溶けて見せる斑具合は美しくて見えて、消耗品だけれど大事に使っていこうかなと見るたびに思わせてくれていた。

 

 これであたし一人だったなら鼻歌一節諳んじていたかも、それくらいに上がったご機嫌に合わせて、わしわし。音を立てて全身を洗い、濯ぐ。そうやって流しながら後ろ髪に手櫛を通して、光の三鈷剣で断ち切られ首元くらいにされた髪を元の肩甲骨周りまで伸ばしつつ、蹴られ抉れた跡残る肩や鎖骨辺りも治していく。

 我が身に肉が残っていたならば傷ついた部位を戻してから風呂に浸かるべきだとは思うが、実体のなくなった今そんな心配する必要もない。多少の消耗感はあるものの染みるような痛みはほとんどないから今日は湯浴みと共に戻していく事としてみた。

 肉芽ないなら触覚もない、感覚がないのなら暑い微温いもわからなくなる、今の体になる前はそう思っていたけれど、五感は変わらず感じられる便利な身体。その辺りは生前の習慣が魂に根付いていたり刻まれていたりするのだろうね、我ながら都合が良くて素晴らしい。

 弊害として痛いや苦しいってのもしっかり覚えていてこっちは要らぬ気もするけれど、そのお陰様で真っ当に死んでいるのに生きている感覚があり、こちらも己の事ながら曖昧な身体で存外面白いと思える。

 

 他の皆、亡霊の姫や寺の幽霊辺りも過去の在り方から感じる事もあるのだろうか?

 はなっから騒霊な奏霊三姉妹や、極稀に神社の境内で麦わらを烏に突かれている騒霊、魅力的な魔を湛える流し目が特徴的な悪霊の親分は除外するとしてだ。幽々子は撫でてわかるくらいのたんこぶをこさえた事もあったけれど、水蜜も何かあれば身に変化があるのかね?

 後々で顔を合わせた際にでも聞いてみようか。昔過ごしていた血の池地獄で気のままに楽しんで今の住まいに帰る度に和尚にどやされ南無三されているのだから、未だに体に覚えさせられているのだろうし。

 

 あいつら相手に身に覚えなど笑えない冗談だ。

 そんな事を考えながら洗い終えた濡れ髪を嗅ぎ、通した指の匂いも嗅ぐ。

 特に意識せず普段通りに洗っただけだが指通りのよく潤う髪、ただの石鹸だったなら軋む事もあるけれどそうならないのはこの石鹸が妖怪手製の物だからだろう。手触りの良い泡で包み髪を流しただけであたし自身から臭うはずの煙と煙草の匂いよりもこの石鹸の作り手であるあいつ、あの狼女が纏っていそうな加工した花樹の香りが勝っているように感じられるな。

 

 ご近所さんも今頃は湯浴みの最中頃かね?

 それとも狩りにでも出ただろうか?

 時報代わりの遠吠えを今宵は聞いていないから今頃は美味しそうなお友達にでも会いにいっているのかもしれないね。どちらの意味で美味しそうなのか、本人に聞いても教えてくれないから答えは出ていないけれど、あいつも獣上がりなのだしきっとあたしと同じ方面で考えているはず。

 と、そんな妄想を湯気に浮かべながら頭を洗い、終えて、今度は身体。

 首から順に脇やら下乳やら、激しく動いて汗ばんだ辺りを洗い擦り、鼻を鳴らすと、鼻孔を抜けていく華々しいモノが心を擽ってくれて、本当にいいものを貰えてありがたいと思えた。

 なんて、感慨に耽っていると聞こえる囁き、あたしを吉夢(きつむ)から引き戻す現世の声。

 

「アヤメさん、お体の方は?」

「問題ないわ、なんなら確認してくれる?」

 

「‥‥なら良かった。あの、改めて言うのもなんですけれど――」

 

 イマの彼女の問いに答えて、ついでに確認してみてと、髪から漂う甘さを声に乗せ言い返す。

 けれど返事はわかりましたでもはいでもないようだ。シュンとした口調で改まって何を言いたいのか、空気から確実に言わんでもいい事だろう、であれば‥‥

 それは求めていない、要らぬと返事するように戻したお手々で水面弾き湯を遊ばせて遮る。

 すると押し黙るあたしの話し相手。

 言うなと示しはしたけれど叱ったわけでもないのだから、そんなに沈まないでほしいんだがな。

 

「何か言った? あ、やっぱり一緒に入るって?」

「‥‥いえ、そうでは」

 

「でも、気持ちよく暴れてくれたんだから少しは汚れたでしょ?」

「そうです、けれども」

 

 こんな硬い空気は我が家にそぐわない、もっとこう緩んだものこそ好ましい。なればとだらけて、湯船の縁に顎を乗せ扉一枚挟んだ相手を誘ってみるもそれにもノってはこなかった。

 寧ろ沈んだ気配は強まるばかりに感じられるな。

 なんだよ、住居の船やら外のアレやらは乗り回すくせに下賤な口車には乗ってこないなんて。

 気分を落としているからいつも以上に落ち着いてるってことか?

 確かに、やらかしてしまった手前もあるから居心地は悪いかもしれんが……それでも下手には出ないらしい、彼女らしく言うなら失態しせども不動に揺れずって感じかな。

 あたし相手にまでその姿勢を貫いて、泰然自若とした雰囲気が妬ましいやら、面倒臭いやら。 

 

「けれども、なぁに?」

「それはその、ご無事ならそろそろお暇させてもらおうかと思いまして」

 

「それは駄目、ちょっと待ってろってお願いしたじゃない」

「しかしですね」

 

「はいって返事も聞いてるわ」

「そのような意味では‥‥戻ってからの専当(せんとう)も残っておりますし」

 

「弟子にやらせればいいじゃない、貴女を見習って忙しくしてるのもいるけど出歩かないやつらは変わらず暇してるんでしょ?」

 

 風呂場のあたしにせんとうなどくだらない冗談だ。

 らしくないジョークを軽く笑ってから言い返すと再度黙ってしまう。聞いているなら何か返事を聞かせてくれてもいいとは思うが、そのつもりで言っちゃいないだろうしそこは良しとしよう。

 

「そういうのも修業の一環と呼べるんじゃないの?」

「御本尊に雑務を押し付けるのは――」

「本尊様だって弟子でしょうに、それに後は読経して寝るだけなんじゃないの? 法要があるわけでもないなら日課の仕切りぐらい任せてみなさいな」

 

 弟子が先か本尊が先か、あたしには優先順位がよくわからない誰かさんだが、寺のお偉いさんの話振りでは像代わりとしての姿が優先されるらしい。いつだったか忘れたが星自身も本尊だから修行しなくとも叱られないなんて言っていたし実際そうなのかもな。

 どうでもいい事に納得しながら両手を湯から上げ構える。

 話中に出した虎を真似て、槍と宝塔から座禅に用いる警策に持ち替え、叩く。

 そうして少し動くと共鳴して揺れる湯船の中身、広がる波紋、水の音。話しかけたのだから止水としているな、なんて格好とは間逆な考えを黙ってしまった向こう側に催促としてお届けしてみた‥‥はずだが、欲しい声は聞こえてこない。

 

 これは返事を間違えたか?

 言いすぎてご機嫌斜めになってしまったかな?

 この程度の軽口には乗ってこない人、些細な事は聞き流してしまう頭の固めな聖人だから引っかかりやすいよう暮らしぶりを煽りとしてみたがお気に召さなかったかね……いや、逆か、そういった日常から一度は引き離された者だったな。であれば変わらぬ日課をこなすのも聖にとっては修行ではなく幸福な行いなのだろうし、そんな平穏を愛するが故に仏法の理を広めているのだったなと、静まりかえってから自身の悪手に気がつく。

 

「聞いてる? 聖?」

 

 ちょいと待っても続く静寂。本格的に失敗したかと声を掛けるも返事はなく。これはまずい、まだあたしからは何も聞いていないのに参ったな、そう案じると床の軋む音がした。

 昼間に見上げた屋根もそろそろ手入れをすべきと見えたし上が駄目なら下も弱ってきたかね、四肢から胴から豊灑さに満ちた僧侶が歩いてミシリと鳴ってしまうのだから似たような体躯の太鼓でも同じく鳴るか、まかり間違えば抜くかしてしまいそうだな。それなら張り替えも視野に入れておくか、根太は問題なかろうが床板くらいは替えてもいいだろう。

 間隔短く鳴る足音からそんな事を考えていると、その音が一旦消えて土間へと移った。

 

 ‥‥ふむ、先の考えは否定しよう。これは案外悪くない煽りになったのかもしれないな。

 戸の向こう側からしゅるり、ゴシックな法衣の端か長い裾辺りかね、わからないが長めの布を擦るような音も聞こえてきたし、これはやもすれば人里周辺では一二を争うと噂な体を拝む事叶うのかもしれない。

 過去何度か寺に泊まった事もあるあたし、その度に他の連中、ぬえや水蜜など居候達とは一緒に風呂に入る事もあって身体のラインやどこそこのなにやらなどは見知っていたが、この和尚だけは全貌を見た事がなかった。たまに誘っても私は一人で済ませますやら身を清めるのも修行の一つやらと頑なに断られる事ばかりだったが、今日はご一緒して‥‥くれないか、やっぱり。

 

 聞こえていた足音は戸の前、竈で止まった。

 動が消えるとまた静が戻ってくる‥‥が、床とは別の鳴り物がその静を破る。

 かんこん。続いてかつん、と。

 淀みなく澄んだ音色は炭の追加、後半は火にかけていたか鉄瓶でも動かしたか。

 湯はともかく夏場に火種を強めるなど何事だろうね、修行の一環か?

 異変に逸る中待たされて怒り心頭だからその熱に耐えるが如く、心頭滅却すれば火もまた涼しく感ずる境地にでも達しようとしているのか?

 それとも怒りに身を任せ、憎いあたしをお焚上げしようって事かな?

 どれも流石にないな、それならなんだろか?

 

「お湯は湧きましたけど、火の始末はどうしましょう?」

「見ててくれなくてもいいし暑けりゃ消してくれてもかまわないわよ、身体を戻す分には足りたから。それともひとっ風呂浴びる前に汗をかきたいって感じかしら? それならそのままでもいいけどね」

 

「ですから私は‥‥お茶っ葉はどちらに?」

「棚にない? 茶筒に残ってなければその隣に四角い缶があるからそっちを淹れてもいいわよ? あ、三つ並んでる右端は触らないほうがいいわ、開けるときっと匂うから」

 

 促すと一歩二歩、進んで戻ったような足音が響いて消えた。

 なんだ、湯は湯でもお茶のお代わりを求めただけか。我が家の玄関を潜る際にもてなしはするけど二杯目からは自分で好きに、なんてあたしが言ったものだから素直に実践しているだけらしいな。がさりごそり、探し物らしい物音を立てるお客人。勝手を知らぬ勝手といえど棚を開けばすぐ見つかるはずだが、きちんと見つけられたのか、それとも触れるなと注意した物にでも気を取られているのかね?

 そんな事はないか、注意した方を開けられていたら無言で終わるような事もないと思うし。

 

 開けるなと言った右側、茶筒と紅茶葉の缶に並ぶ瓶の中身、それは何時ぞや壊したコトリバコ。

 破壊した後で箱として成していた木片や淀んだ内容物をさらっと集めて念の為保管した物である。あれを残しておくなどと縁起が悪いようにも思えるのだけれど、まだ謎解きが終わらぬ現在流石にぽい捨てする気にもなれず、けれどもしまい込む気にもならず、折衷案として瓶に突っ込んで棚に並べて置くだけにしてある。 

 

 厄い呪いの大元を雑多な物に込めるなど扱いが雑だ。

 目に付く場所で保管して何かあったらどうするのか。

 と、壊した場にいた死神やそれを顎で使っている閻魔様、心配してくれた厄神様にでも知られたら大層罵られそうなものだが、これが存外雑でもなかったりする。ぱっと見では漬物でも漬けているだけの瓶。中身を知らねばあたしでもそう見るくらいの平凡な物で誰が見てもそうとしか思えないけれど、それが隠すに丁度良い物となってくれていた。

 何故かって?

 それは我が家に来る連中の大概はあたしがすえた臭いのする物は好かんと知っているから。あいつらならばこうしたあからさまに胡散臭い物には触れないと踏んで、わざと目立つ場所に置いてあったりする。

 

 なかには目敏く気がついて覗くような輩、そんな事をしそうな奴らの内一人は瞳を塞いでいるがそれは忘れて、あの目玉だらけの空間妖怪みたいに覗き見するのもいるかもしれないがそうされても問題はないだろう。仮に見られたとしてもその匂いからすぐに封を被せるだろうし、よくよく見られても作り慣れない蠱毒でも作っているか、もしくは何か悪戯でも仕掛けてるくらいにしか捉えられないはずだからな。

 けれど、もしも誰かに見つけられて(しゅ)を浴びたら、と、そんな考えも浮かぶだろうがそれはないと言い切れる。ここまで語ったからついでに言っておくと、あれはあの状態だから保存の面でも御誂え向きなのだ。あのハコは名の通りの呪だとあたしは考える、そうあるから呪として作用する物のはず、ハコが箱として存在するから込められていた呪もそうあろうとするはずなのだ。

 それならば『箱』ではなく『瓶』に込めておけばその作用は現れない、あるだけで憑き殺す強い(まじな)いだからこそあるべき形を変えれば発動しないと、そんな確信めいた考えのもとにハコを処理した結果何事もない状態に至っている。実際聖には何もおきてはいないし気づかれてもいなさそうだからこの説は正しく思える‥‥しかしあれだ、元々は付喪神連中の拾い物から起こった問題なのにそれを封じるのも同じく拾ってきた物だというのだから、悪くない皮肉で面白いものだ。

 と、案じた瓶に思考を割いていると、慣れないだろう台所で動く気配。

 

「見つかった?」 

「見つかりました。この煎茶葉の隣の物は?」

 

「そっちは西洋茶葉ってやつよ」

「あら、では紅茶葉ですか。私には馴染みがありませんが珍しい物を置いているんですね」

 

「聖だけってよりも幻想郷には馴染みないって感じよね。以前に戴く機会があって気に入っちゃったのよ、それからは作り手にお願いして度々譲ってもらってるの」

「そうですね、カフェーのお品書きでは見かけますが頼む人は少ないようです‥‥アヤメさんが誰かに願っているのですね」

 

「何かおかしい?」

「逆です、相変わらず広い顔だなと思いまして。それで、こちらを味わっても?」

 

「狸らしい小顔なつもりだけどね。さっきも言ったけど気になってるならどうぞ、御相伴あれ」

 

 最後の文言だけ声を作り語る。

 特に意識して真似るわけではないがあたしの口調よりも少しだけ抑揚を抑えて、あの従者が主に向かって述べるように恭しく、さもお仕えしていますって雰囲気が出るように。

 すると西洋ってヒントと語り草から正しく伝わったのか、あのメイドさんですねと、いい勘とパカンを聞かせてくれるご住職。

 しかしなんだな、混浴の願いは叶わなかったけれど他の願いは聞き届けてくれるらしい。気になる何かがあったお陰で風呂上がりまでは待ってくれるようで、その願いを叶えるために慣れぬ台所で茶を淹れるお坊さん。

 

 薄く香ってくる柑橘の香り。作り手である咲夜の謙遜は捨て置いてあたしは良いものだと思っているし、聖も気に入ってくれれば幸いだけれどもどうだろうか。

 暫く無言で耳だけ立てていると、急須が傾く音の後小さな啜りも聞こえてきた。数瞬の後に吐かれた『ふぅ』にはなにか落ち着いたような雰囲気が混じっているように聞こえる。絶妙な渋みがあるオレンジ色のお茶を妙蓮寺の住職さんもお気に召してくれたらしい。

 

 それならもう少し風呂でまったり出来るな、こちらもこちらで残り香を楽しむ事にしよう。

 大きく吸って深く吐く。聖のような衣服ごと揺れる立派さはないが、あるにはある乳を膨らませて楽しむ。

 先にも言ったがこの石鹸は頂き物だ。近くの獣道や通いの屋台で顔を合わせる度に毎回いい香りを漂わせて美味しそうだとか、女豹のような体つきで見た目は綺麗な狼なんだからその香りに負けないくらいの色香でも振りまいて獲物を漁ればいいのにだとか、そんな風にあの狼女をからかっていたらいつからか譲ってくれるようになったコレ。

 この石鹸を使い始めてからあたしの色香も一層増した気がしなくもない。物で釣られて上手く煽てられているあたりにあたし自身女郎のような尻軽さを感じなくもないが、譲ってくれたあいつこそ女狼だし、貢ぐほどに良い女なあたしに対する捧げ物と考えれば悪い気もしないから、それはそれとして忘れた事にしている。

 ただなんだ、生憎と香らせるこれを嗅いでくれるはずの我が打ち手は未だ入院したままで、そのせいであたしは一人で揉んだり挿れたりと寂しく慰めて‥‥は出来ていないか。

 あたしの指よりも長く節が目立つあれの手に身体が慣れてしまったからか、己の細い指では心地のイイトコロまで僅かに届かず、一人では慰めきれなくなったのが癪というか残念ではあるが、まぁ、これもこれとて。

 

 話が逸れた、いや、戻りすぎたから今に戻して、そんなわけで湯浴み中。

 昼に訪れた先で移った魚の匂いを落とそうと、いや、他にも色々落とすものはあるがそこは順々に語るとしてだ、今は少女一匹微温い行水と洒落込んでいるところ。

 先に語った匂いだけなら気にする必要もなかった。河童が差し入れした魚を焼いたその煙と漂う厄気を多少浴びたくらいで、その程度なら暮らす上で少なからず移る生活臭ってやつだから鼻につく事もない。調べ物に忙しい今態々帰って身体を洗うほどでもない。だというのに湯を浴びたのはその色々というかなんだ、ソレも含む諸々のせいと言えばいいか。

 

 その諸々、複数あるから順番に話そうか。

 暑気を払いに伺った厄神様のお膝元。彼の地で聞いたほろ苦い思い出話の中にヒントを見て、次は何処へ顔を出そうかと考えて雛様のお側を離れ、お山を発つ前に寄った誰かさんのお家で電撃浴びてしまったのが一つ目。

 最初はあそこに寄るつもりなどもなかったけれど、夏の中天(ちゅうてん)に悠然と舞う歳経た鷲を見かけてしまって、そういえばあの子の飼い主も異変の最中にいるのだった、であればあの人の住まいに行けば昨今の諸事情が何かしらわかるかもしれないと、そう思いついてしまったから立ち寄らざるを得なくなってしまったのだった。

 異変に関わるつもりもないし自ら退治されに行くなど阿呆だ。常々そう言っているあたしだというのに、今はその騒ぎが郷のメインの催しなのだから多少の情報は知っておくべきだなんて、そう考えてしまった少し前の自分が今は疎ましい。

 

 で、その後。逃げと運びの足早さには定評があるあたしだ。今日も案が思い立ったれば行動だと、高度高く飛んでいた久米に向かって袖振りながらお声掛けをしてみた。

 片腕仙人とは違ってあたしと久米では言葉を交わせない、が、互いに見慣れた買い物仲間ではある。里で度々見かけては餌付けしたりからかったりしている子だ、最近では買い物の翼を止めてあちらさんから寄ってきてくれることもあるくらいで、それなら少しは相手してくれるだろう。そんな腹積もりで寄ってみると目論見通りあたしの事を覚えていてくれたらしく、姿を確認してすぐから高度と速度を下げて飛ぶようになってくれた。

 

 今日は頼まれ事もないらしく散歩していただけで、気を回して下げなくともあたしでも追いつける速度でいたワシのお爺ちゃん。その姿には華扇さんが常々言う通り年齢を感じさせる様子があったのだけれど、こちらを気にして速度を落としてくれる老紳士前な心を無下にするのは女として無粋に感じたから、あの場ではありがとうを込めて嘴に口吻するだけで留めた。

 唇触れると猛禽類らしい鋭利な目を細めて顔色も変えてくれる。しかし、色は変われど情は変わらず。若い竿打とは違って変化のわかりにくいその表情からは喜んでくれたのか気安くキスする売女と見下してくれているのかはわからなかった。

 もしも後者だったなら二度とおやつをあげないでおこう。

 

 で、感謝ついでに両手で頬に触れ撫で回して、そのまま背中にお邪魔すると、それだけであたしが何をどうしたいのか察してくれて。それからは描いた通りになった。

 今はどこもかしこも異変に騒がしくなっており、あの仙人の動きは仙術、じゃない先述通りだ。であれば華扇さんは今日も自宅にいないのだろうと読めたし、噂で聞く限り表立って行動するより何処かの誰かさんのように暗躍している素振りを見せているっぽいので、このままあたしを連れて飼い主の元へ行くよりも取り敢えず自宅で飼い主の帰りを待ち命令も待つだろうと、そう見ていたら読み通り帰ってくれて、思いの外楽な誘導となった。 

 

 と、ここまでは上手く事が運んだのだけれど、その後が手間で湯浴みの理由になる。

 さらっと忍び込んだ仙人屋敷、家主は道場なんて話していたけど机に広がる書の山やあの人と酒の匂いが強く染みた寝具なんかがあるのだから家だろう。まぁその家に入ったまでは良かったが、その後でちょいと失敗してしまったわけだ。

 あの地底の洋館に同じくここも動物屋敷である事は知っていたし、入る際には門番代わりの虎をどうにかしなけりゃならんのも知っていた‥‥だが、今回はここの住人に連れられて来たからそこは問題なかった、事が起きたのはあたしが家探しを始めて少し経った頃だ。

 屋敷の外を練り歩く虎は自宅ながら借りてきた猫のようで静かだったのに。あっちのせい、屋敷の中で飼っている雷獣の事を失念していたせいで不意打ちで電撃食らう羽目になり、着物の袖を焼き落とす事になってしまったのだった。

 

 いつか博麗神社で見つかったらしいあの子はこの屋敷の子になったと耳にしていたし、節分時期に訪れた際にも実際見ていた。あぁ、その時にも雷光で追い立てられた覚えがあるからあたしが油断していたわけではないと少しだけ取り繕っておこう。

 それでも失敗したのはあれだ‥‥だって今日はいなかったんだもの。

 屋敷にいない者の事など誰も気にはしないだろう?

 庭に居らず邸内でも見かけなければ飼い主が連れ出したと、そう考えても不思議ではなかろう? 

 それなのに気がついたら側にいて、招いていない客であるあたしに電撃浴びせてすぐ黒い空間に飲まれ消えていったあの雷獣。バリっと全身を光らせてあたしの袖を焼き切っていくまで、あたしは何をされたのかよくわからなかった。

 

 さて、かなり長くなったがこれが一つ目、長い割に大した失敗もしていないと思われるだろうがその通りで、成程問題視する事でもない。あたしの髪や柔肌を痛めつけてくれたのはこれから語る二つ目でこっちが本命だ。

 焦げ付く匂いといえばあの不死鳥人間が思い浮かぶだろうがその読みはハズレ、あたしを痛めつけてくれたのは妹紅ではない、あたしの前に妹紅はやられているらしいしね。無論焼くと言っても鰻の焼きが上手な女将さんでもない、彼女は寧ろあたしの愚痴を聞いて共感して笑い飛ばしてくれる頼れる味方だ。

 さて、ここまで引っ張ってみたが答えは既にわかっているだろうし、これ以上間延びさせても仕方ないから正解を述べておこう。

 我が身を削ってくれたのは戸を隔ててすぐにいる聖人、あたしら妖怪から得た力を元に仏法の理を世に広めている御仁、帰宅途中というか殆ど我が家の目と鼻の先で会い、今では我が家の卓に着いている和尚さんだ。

 その時を振り返れば確か、こんな流れだった。

 

 

~少女回想中~

 

 

 土産話を腹に抱え帰路に就く途中、見るに慣れた竹屏風の中にやたらと早く移動している妖かしの気配を感じた。迷いのない真っ直ぐさで宙を駆けながらも彷徨う聖なる魔の力。人外でありながら人に近いような、何処か歪に思えるこの感覚は寺の誰かか霊廟の連中かね。何処の誰にせよ何しに来たんだろう? と考えていた時だ、あの魔住職は案じたあたしの考えをひっくり返すが如き勢いで向かってきた。

 あたしが感じ取れたのだからあちらさんもあたしの事を感知出来たのだろう、足さばきがぼやける速度で辻を抜けてきた彼女はいつも見ている姿に編笠を追加した格好で、我が前に降り立った。

 

「珍しいのがいるわね、今日はどうしたの? ここの住人相手に出開帳(ドサ回り)法話(ライブ)でもしに来た?」

「いえ、そういうわけでは‥‥法会をそのように表されるのは貴女くらいですね。でもよかった、お見かけしていないと聞いたので今日は諦めていましたが、なんとかお会い出来ました」

 

 挨拶代わりの軽口は微笑み一つで返された。

 顔を合わせば話したり叱られたり、それから逃げたり。そんな事ばかり繰り返しているあたし達の会話は日頃からこんなものだから互いに気にした素振りはないが、今日はなんだろうな、雰囲気がいつもよりも重いというか切り返しに物騒な気配が感じられるな。日の落ちた竹林、場所柄もあって余計に暗いと感じても当然なのだけれど。

 会えて良かった、嬉しい事を言ってくれる顔には普段の穏やかな仏僧らしい表情もあるがなにか引っかかる。その奥には宿す優しみよりも別のモノが含まれている気がする‥‥というか言い回しまで引っかかる感じなのも妙だ。平常ならばもっと真っ直ぐに話してくれるのに、あからさまに後半をつついてほしいと、そんな顔であたしの袖を見つめる坊さん。

 一体何用で来たのか知らんが、焦がしてて恥ずかしい部分をそうも見つめてくれるなよ。

 

「あたしにも用事と聞き返すべき? それとも別の部分を膨らませるべきかしら」

「そんな含みはありませんよ?」

 

「後半は冗談、ただのご挨拶よ、悪巧みしてるとは思ってないからそういうのはいいわ。それよりも前半、否定はされなかったしやっぱりついでって事でいいのね」

「また、人聞きの悪いように仰られますね」

 

「でもそうなんでしょ?」

「ええ、まぁ、結果的にはそういう事になってしまいますけど」

 

 聞いた、つまりは他の誰かと会っていた、そして一度は諦めた。

 そんな口ぶりだったのだから省略すればこうなるはず、あたしを主題としてくれていたわけではなく他の誰かさんを目当てとして此処へ、そうしてこちらは訪れるついでに会えればいいかなと、そんな風に考えていたってことだろう。

 その変邪推して口悪く問うてみると、肯定から続いて動く阿闍梨のお口。

 

「なんだか刺々しいですね、今日は御気分が優れなかったりします? それとも何かそうなるような事でも? お召し物も汚れて見えますし」

「これは一悶着あっただけ。一張羅は汚しちゃったけど機嫌は良いほうよ、ちょっとしたヒントを得られたから気分は上々」

 

「ヒント‥‥それはこの異変に関する何かと考えても?」

 

 また異変か、どいつもこいつも騒ぎに乗ってご苦労様な事だな。

 けれどこの問いかけは外れだ。皆して人の顔を見れば異変異変と言ってくれるが、そんな事にかまけるほどあたしは暇ではない。ま、そう言い返してもまた聞いてもらえない‥‥いや。この御仁はまだ人の話を聞いてくれる方だからいいか、素直に話しておこう。

 

「それとは別、細かい事は気にしないで」

「そうですけど、それでも引っかかりますね、何を隠されているのでしょう?」

 

 言った通りに機嫌よく、偽りもなく話すと少し真面目な顔を見せるご住職。

 なにやら流れがおかしいな、含みの在る物言いは聖の方だったはずであたしの腹にはなにもない。どうやって雷鼓を取り戻そうかと企む腹はあるけれど今の異変に関わるような荒々しい腹づもりなどなんにもない、だというのに引っかかるとは、そしてこの空気感は‥‥やはり素直さなど見せるべきではないな、いつから感じているか覚えていないけど素で語る度に何か予想外の流れになってばかりだと自覚出来た。

 

「まだ何もないから気にしないでって。誰かと会う度に異変が異変がって言われるけど聖にまで言われるなんて、その度に否定するのも飽いたからやめてもらいたいわ」

「それは致し方ないかと、アヤメさんもボールを持っているのですから」

 

「それも聞いてきたの? 特に欲したものじゃあないんだけどね」

「欲せず、やはり望まぬまま手にしていると……私の読んだ通り、貴女も同じでしたね」

 

「何の話? 同じって誰と?」

「いえ、そちらは既に済ませましたし忘れて下さい。それで、得られたヒントとは何についてなのでしょう?」

 

 口の悪い誰かじゃないんだささくれ立つ言い方をしてくれなくともいいのに、そうされると触れたくなるじゃ‥‥ダメだな、摘めばあたしが叱っ目面になりそうな事請け合いなのでここはシカトしておくが吉だろう。

 でもそれも無理か、先の予感もあるし異変と口にしてからは何となく気配が変わったような風でもある。それなら質問には答えておいた方が懸命か、手早く帰してくれないのならそれっぽく話して納得して帰ってもらおう、生憎袖の下は焼き切られて失くしているがどうにかなろう。

 

「そう言うなら忘れるけど‥‥こっちはごく個人的な事情よ、態々会いに来てくれたのに申し訳ないけど異変に関わりはないわね」

「そのお話に偽りは?」

 

「残念ながらないわ。まったく、異変なんてそのうち解決されればいいと思ってたけどこうなってくると早い方がいいわね」

「そこには同意できますね、私も早く鎮まってほしいと考えています」

 

 あたしは興味ありませんよ、終わって欲しいと願っているだけですよと、大して思ってもいないことを話すと素直に同意してくれた。意見が合うなどちょっとした驚きだがたまにはこういう事もあるだろうさ、気にする部分ではないな。

 先の物言いに嘘はない、興味は当然にしてないしゆっくり眺める暇もない。あたしが楽しめない異変など煩いだけでなんの面白みもないからさっさと終幕してもらいたい。

 この心に嘘はないからそのまま口にしてみた。

 結果あたしが読み違っていたのかなと思える同意が貰えてしまう。なんだ、以前の人気取り異変みたいに聖も争っているのかと思ったけれどそうでもないのか?

 

「ね、ほんっとに皆が皆クドくて困りものだわ。誰も彼も噂に振り回されて、こんな風になってしまうのも流行り物のせいなのかしら‥‥なんて愚痴っても仕方ないわね、それで何用だったの?」

 

 思わぬ形で得られたから調子に乗って続けていく。

 このままあたしの愚痴に乗っかってきてくれれば聖は白、異変には不介入で偶々この地に来ただけだと結論付けてもいい‥‥はずだったが、返事は何も返ってこず、動いて見えたのは傾く頭と揺れそよぐ長髪だけ。

 これは追加した物言いにも引っかかったかな?

 やめてと言いながらも再度口にしてしまった異変か、もしくは掘り返した用事ってのに躓いたのかなと思い少し身構えたが、聖が気に留めたのはそこではないようで。高貴な色合いの髪を靡かせ、昼間に何事があったのかと質問でお返事されてしまった。

 話しても関わりない、聖が臨んでいる異変に係る事などない。再度探りながら濁してみるもこういったあたしの態度が何かを秘匿するかのように見えてしまったのか、ずずいと近寄ってくる和尚さん。それなら仕方がない、数日前から今日の昼間の流れまでをざっくり語る‥‥だけで済ませると更にしつこくなりそうな気もするか。ならばよい、じっくり腰を据えて語ろうか、幸い我が家の近くではあるのだし。

 

「話せる事なんてなにもな……あ‥‥」

 

 なんて考えるとまた現れるけったいな珠っころ、ふわり浮かぶとあたしの周囲を回り始める。異変の話題を口にしたから出てきたのかもしれんがまたタイミングの悪い時に出てきたな、今出てこられたら話の巡りが悪いものにしかならんというに。

 でもまぁよい、出てきてしまったものは致し方ない、放っておけばそのうち引っ込む事はわかっているし今は無視して続きを話そう。やけに気になる聖なる視線、睨むような探るような、ボールを貫く鋭い眼力には気が付かなかったことにして。

 

「うん、詳しく聞きたいなら場所を変えましょうか、立ち話もなんだし」

「構いませんがどちらへ?」

 

「ムジナの穴よ、同意も得られたしどうせ話すならゆっくりお茶でも啜りながらと思って。無用な説法説いたりしないのなら多少のもてなしもあるかもしれないわ」

「またそうやって‥‥でも、そうですね、それも良いのかもしれません」

 

「なら――」

「――ですが」

 

 そう言って歩き出す、つもりが足を止められる。帰り道に迷ったとかそんなわけでは当然ない、目の前で佇む聖人が動こうとせず、寧ろ目の前で立ちはだかるように静かに両手を開いたからだ。

 自分自身のあり方を示す左手を天に、清廉さや知識といった仏様らしさを宿す右手を地に構えて見せる僧侶。堂に入った立ち姿で思わず見惚れる程だが、なんでまた今ここで?‥‥というか何故にあたしに対して構えて見せるのか?

 何も言わず見つめ続けてみるが、本格的に対峙する相手に向かってガンガン行く前の構えを崩してくれない魔法使い。これはなんだどうしてこうなった、これからどうなるのかは仕草から容易に読めるが、それは勘弁願いたいぞ?

 

「悪い予感しかしないんだけど、なんのつもりか聞いてもいい?」

「問答は後に致しましょう、今はそうするよりもこちらが大事(だいじ)と心得ます。異変の最中でボールを手にしている者同士、やる事など決まっておりましょう」

 

「心得なら口で説くだけにしてってば。それにこのまま始まったら間違いなく大事(おおごと)になるんだけど‥‥無益な殺生は禁じているんでしょ、それなら勘弁してよ。尼さんなら尼さんらしく拳より禅問答で示しなさいって、ね?」

 

 死人が何を言うのか、それは置いておいて。

 掌開く聖人にあたしも手の内さらけ出して言い返す。

 知っての通りでやる気なし、面倒だから勘弁してと。中身は忘れて見た目は互いに可愛い少女なのだからそれらしく、ティータイムを洒落込みながらの問答ならいくらでも付き合うからそっちでお願いと。

 そのように伝えてみても聖の構えは解かれない。

 それどころか寧ろ余計に力強さが増したような感も見られるな。

 

「お応え出来かねます。はぐらかさず、観念なさって下さい」

 

 益々高まる嫌な予感、とうに錆びつき動かなくなった獣としての勘がこのままここにいたら狩られると教えてくれる‥‥が、楽々逃げ切れる雰囲気でもないしどうしたものか、静々発せられる闘気のせいで何か悪寒のようなものまで背を伝わっていくようなそんな錯覚すら感じられて、思わず口元に手を添えてしまう。

 すると動く聖の視線、見ているのはあたしの顔、ではないな。どうやら焦がした袖と浮かぶボールにご執心されているようだ、それならこのまま袖に振り切り逃げ去りたいのだけれど無理だろうな。焼き切られた着物の袖は振るには短く物足りん。

 ならば、どのようにして場を誤魔化すか。

 このまま黙まったままでいると腹を括ったと見られそうで、マズイ。

 

「観念ね、仏様の姿を観想しろって? 鏡でも見たらいい?」

「……わかりました、そこまでで結構です。これ以上貴女と言い争っていても無駄でしょう、戦意のない相手に気は引けますが‥‥まずはそのオカルトオーラを払わせてもらいます!」

 

「オーラ? また知らない単語が出てき――」

「お黙りなさい!」

 

 業を煮やしたのか、ぴしゃりと奔る声。

 口上を述べながら両掌を重ねる聖女の姿勢には弾劾しますって雰囲気が宿る。

 けれど、そんな正されなければならん事などなにもしてないぞ、まだ。

 

「言葉巧みにはぐらかしては取り繕うような妄言を繰り返すその所業、誠に愚かで軽挙妄動であるッ! 問答はその身に宿しているボールを奪った後で伺いましょう! 身に纏うオカルトオーラを知らぬ存ぜぬとは言わせません!」

 

 続く決まり文句。

 どちらかと言えばあたしは取り憑く側な気がせんでもないが言われた内容は八割方間違っていないから気にならん。強いて言うならそうだな、妄言が云々と啖呵を切られたけれどあたしの場合は妖言だって事くらいか。

 なんて小さな部分を訂正している暇もなさそうだ。問答は無用と態度で示されてしまった。本当にどうししたものか、このまま言わざる聞かざるを貫き通してもよいが、そうしたところで流れが変わる事もなさそうだな。

 

 向かい合うと綺羅びやかな巻物を広げ輝かせる聖、頭上で灯る七色が明るく光ると綺麗な髪を輝かせて尚更に美しく見える。本当に、坊さんにしとくにゃ勿体ない御仁だ。

 あんまり拝めぬ目の保養、様子見ついでに目を細めると軽快したのか周囲に護法の灯りまで纏ってくれて、その姿はまるで衆生を導く如来のよう。あたし達穢れた者達から得ている力とは思えない清廉潔白な御姿が妬ましいが、振るう拳は如来よりも明王に近い気がするからその辺りで荒々しい穢れと清らかさのバランスを取っていると思っておこうか。

 しかしこうまで見せられては逃げても無駄だな。

 お決まりの口上まで言った聖が引く事などない。

 というか引いたら格好がつかんだろうし、見栄を切って見せたのだから何もしないまま掲げた掌を下げる事もないのだろうよ。

 ならばよい、問答は無用と態度とやる気で示されたわけだし、それならそれらしく付き合おう。普段見ない場所で顔を合わせたのだ、であれば聖に合わせて身体を動かすのも良いものかもしれん‥‥聞きなれない単語も気にはなるし聞き捨てならない事もある、それなら弾幕でのガールズトークをしながらそちらも伺っていくこととしてみようか。

 

 構えを解かない物騒な仏僧に向かって斜に構えて立つ。

 引けているらしい分だけ手加減してくれないかな。そんな邪な思いをあんまりないあたしのやる気ってのに込めて現すと、蓮な彼女のいざ南無三を合図に弾幕ごっこが始まった。

 

 

~少女帰想中~

 

 

 で、どうなったかと言えば知っての通り。

 反省するつもりじゃないが、振り返るとあれは初動から間違っていたように思えるな。あたしも小さなやる気は見せたがそれはいつもの弾幕ごっこに対してであって、今回のようなほら、あの天上住まいの奴らや面霊気がやってみせた物理的な弾幕ごっこの方だとは思わなくって‥‥初手から巻物おっぴろげ、全力で突っ込んでくる聖にぶっ飛ばされるとは考えてもいなかった。

 

 気がついたら目の前にいた僧侶。面食らっていたらガンガン行く二つ名に相応しい速度で重たい手刀を放ってくれた、受けていた煙管は数発で剥がされ、いきなりなんだと思っていれば腹に掌底突っ込んでくれて。その勢いに飛ばされたら飛ばされたで何度か味わっているよりもやたらに強く輝いている独鈷杵まで放ってくれて。

 ‥‥と、ここまではいい、ここからが酷かったからあれくらいは問題ない。問題は弾かれ飛ばされ、竹で背を打ち返されたその後だ。反動であたしが跳ねると勢いに乗り突っ込んでくる極速和尚。間合いが近いせいかあの烏天狗よりも速いんじゃないかって速度で距離を詰められ、近距離で新たな構え、どこぞの仏像が取るような平手を天と地それぞれに見せる仕草を見せたと思ったら、とかくデカイ手刀が天から降ってきたのだからな。

 

 まぁなんだ、これくらい語ればあたしがどうなったかはわかってもらえそうだから後は掻い摘むだけにしよう。それからは叩きつけられ地面を舐めさせられて、逃げの一手を打つ前に聖の跨る乗り物に轢かれて終わりだからな、加減なぞ微塵もない、正しく狸殺しと呼べるほどに一方的な展開だった。

 しかしこれだけだとあたしが格好悪いだけに聞こえるな、それなら少しは取り繕っておくか。言い逃れをするのならそう、一手目をもらう前に『こっち』の弾幕ごっこだと気が付いていればもう少し健闘出来たはず、聖にいい勝負かもと思わせるくらいはしてやれたのにってぐらいか。

 当たらぬ遊びは無粋などと逸らさず受けようとしたあたし、この聖人相手に余裕を見せたら破竹の勢いで責め立てられて何も出来ずに負ける、我ながら盛大に読み違えたと思う‥‥が、少しは得るものがあったからヨシとしておこうか、異変や修行に勤しむ坊さんとこうしてゆっくり話すことも、目の保養も出来ているわけだし。

 

 打ちのめされる少し前、一瞬を思い出すと脳裏に浮かぶ確かな模様。

 それは地に伏せるあたしめがけて蹴り込んできた聖のスカートの中身。

 何度か眼にしている気もするがそうそう拝めるものではないし、寺住まいの秘部を拝む事叶っているからただ負けただけではないと己を慰めておこう。清廉な裾の中、精錬と鍛え上げられた腿の奥は‥‥言わずにおく、知りたければ自分で見たらいい。

 なに、あたしのように一発もらえば観覧叶うさ、簡単な事だ。

 

 何を言っても負け惜しみ、勝つ気もないから惜しくはないがそもそもあれだ、普段見せない姿に合わせてしまい普段なら流せるような事を聞き流さず、剰え教育しようなんぞ考えたから読み違えたのかもしれんな。

 であればいつも通り、付き合わないでさっさと逃げればよかったのか?

 いや、それも無理からぬ事だな。あれは正してやらねばならない言いっぷりだった。妄言も妖言も大差ない、どちらも法螺を吹くに変わりはなくて大事な着物を傷つけられてまで直すような事でもなかった‥‥と、思われなくもないがそこは違う。

 胸を張って他人を騙し謀る。それがあたしで、あたしのような妖かしにとっては己を下げる下げないって部分はそれなりに大事な部分、妖怪としての矜持というか在り方に関わる部分なのだ。妄言、根拠のないでまかせばかりってのは共通しているけれどあたしがそれを口にする際には()びる事などないのだ。その辺を重要視して、否定しても仕方がなかろう……

  

「アヤメさん?」

「あん? あぁ、そうだったわ」

 

「そう? あの‥‥もしかして忘れていました?」

「そんな事ないわよ、頭の中は聖で一杯だったわ。それ故抜けてたって事にしておいて」

 

「? 仰られる意味がよく」

「いいから、己の勘違いに浸っていただけだから気にしないで。今上がるから今度はあたしに付き合ってね」

 

 ちょっと前の戯れを思い出し浸っていたら現在の彼女から声がかかった。

 半分呆れているような、諦め混じりの穏やかな声。

 風呂を楽しみ耽っていたら結構な時間が過ぎていたようで、記憶の中に旅立っていたあたしにはどれほど呆けていたのかはわからないけれど、気の長い御仁がお茶飲みに飽きるくらいには時が流れているようだね。

 ふと窓を拝む。月明かりの差し込み加減から其程経ってはいないはず、ならばと指折り数えるつもりで湯から腕を生やすと、綺麗に戻した指先にはうっすら皺が寄り始めていた。これは長湯が過ぎたな。

 気付くとすぐに動く身体、待たせて悪いと考えながらこれでおあいこだと含み笑いを浮かべつつ急ぎ目で風呂を出る。そうして水に流したつもりになって濡れ髪を軽く纏めて結い、緋襦袢一枚羽織って卓に座る彼女と向き合うと、二杯目だろう茶を含み濁らぬ水面を揺らめかせてから語り始める和尚。

 

「それで、お付き合いとは」

「聖の用事には付き合ってあげたからね、今度はあたしって事よ」

 

 喧嘩には付き合った、だから今度は話に付き合え。

 争い始める前に話した事を含ませて述べてみると湯呑みを啜る阿闍梨。

 ずずっと聞こえたそれに向かい態とらしく耳をはねさせると、一拍おいて開く聖人のお口。

 

「‥‥アヤメさんはこの異変をどう視ますか?」

「別にどうとも、具体的に答えた方が話が早い?」

 

「出来るなら答えてくださるとありがたいのですけれど」

「なら言うけども、普段と変わらないようにしか視てないわ。過程や流れがどのようなものであろうとそれが異変だというのなら特別視するような事もない、そう思うわよ」

 

 異変とは暇に飽いたどこかの誰かが気まぐれに起こすもの。

 変わらぬ日常にちょっとした香辛料を求めてはしゃぐだけなのだとあたしは結論付けている。

 過去には希望を失った付喪神のせいで人間が無気力になったり、終わらぬ連中がお月様に悪戯して夜が終わらぬ日が続く事もあった。その際には幻想郷が危ない橋を渡る事にもなりかけたが、あの不良天人や寂しがりな鬼っ娘がやらかしたものはあたしの論じた話の通りで暇潰しだった。

 それを踏まえて更に論じるが、例えば、現状に不満ばかりで気に入らない厭世を楽土へと変えたい、間逆な景色にひっくり返してみたいと考えた奴らがいた。けれど、そんな必死な思いがわかるのは起こした側だけであって、あたしを含む他の連中は首謀者の思想など知らぬままだ。事を起こすにしても騒ぎに乗じて動くだけ、段幕ごっこに興じるだけなのだから、暇をつぶす楽しみと捉えても間違いではないはずだ。

 不真面目と感じられるかもしれないが六十年周期で訪れる大規模な花のお祭りだって異変扱いされるし、神社の引っ越しが異変になることだってある。そうして越してきた連中のせいで新たな異変が起きるくらいなんだから、その一つ一つを真面目になんて考えていたら面倒くさくてどうしようもないのだよ。

 

‥‥と、まぁここまでは言わんがね。

 真面目に異変と向かい合う聖に話しても伝わらないだろうし、諭す雰囲気や流れ次第じゃあたしが南無三される理由にもなり得てしまうからな。

 

「あたしの考えは述べたし、そろそろ質問にも答えてもらいたいわ」

「わかりました、でもその前にですね‥‥」

 

 更なる質問には答えず動く聖、卓を離れて何をするのか?

 そう思っている間に姿勢を正して向き直った。

 粛々と揃う両の掌、それを畳の縁に添わせ、高貴な色味が差す金の髪を段々と下げていく。

 

「ごめんなさいってほざいたら拗ねるわよ?」

「ですけど」

 

「しつこいわ。勘違いくらい誰だってするもんなんだから気にしないの」

「……そう言われましても」

 

「クドイのは説教だけでたくさんよ、口説くならもっと色のある物言いでお願いしたいわ」

「そのような事、私は――」

「出来ないならここいらできりあげて、まだ続けるなら本当に拗ねるわ」

 

 功徳を尊ぶ坊さんにクドいと言い切り、ぷいと横向き。

 謝罪はいらんと伝えるのはこれで二度目、あと一回は猶予があるがそれは天上におわす仏様だからこそ、飽きっぽいホトケ様なあたしとしてはこれ以上はしつこく感じてしまって言った通りになるだろう。自分で言うのもなんだが機嫌を損ねたあたしは結構面倒くさいはずだ、お硬い頭で相手取ると手間が増えて大変になるに違いない。

 だうからそうなる前に譲歩せよ、そんな心を示すよう顔を逸らす。

 すると一息整えたあとゆっくり頭を上げてくれた。

 

 こう、落ち着いていた場では聞く耳も話す舌も持ち得た御仁だというのに、こと異変となると人が変わったように好戦的になるのは何故なのだろうな。聖だけではなくこの地の飛ぶ女連中は皆そうなってしまうから困る、が、触れ合う者らがそんなだから聖もそれに則っているというか真似ていたりするのかね。

 あたしなど妖怪連中は大昔から若くあるままに生き続けているし、異変解決に動く人間達は実際に若い見たままな少女として過ごす連中ばっかりだ。対して一度は老いた彼女。その後八苦を滅し‥‥切れてはいないか、愛別離苦を滅しきれなかったせいで今の姿になったらしいがそこは忘れて、人として生きていた時代を鑑みれば聖も中身はお年寄り側にいるはず。そんな彼女が若者と絡もうとすると多少の若作り‥‥と言うと角が立つから言い換えるとして、幻想郷の若者と並び共に歩もうとするならば多少の力業も必要なのかもしれないね。

 

 さて、今までの雰囲気からなんとなくわかるだろうし聖の名誉の為に敢えて言っておくと、聖の陳謝は先の喧嘩に対してだ。話を聞かずに喧嘩をふっかけてきて、もとい弾幕ごっこを仕掛けておきながら頭を下げるなど何事か、法の理を信念とする者がいかがなものかと思えるがそういった異変が起きている時世だ、その程度の小競り合いくらいあって然るべきでそこに疑問も浮かばない。

 で、どうして謝罪に繋がるのかと言えば簡単だ。あたしは聖の勘違いで喧嘩を売られてふっ飛ばされたのだからね。彼女がここに現れたのは妹紅が目当て、あの蓬莱人が持っていたらしいボールを奪うために来たと帰宅途中に聞いている。では何故あたしまで狙われたのかと言えばそれも同じくオカルトボールを手にする為にだったのだそうだが、そこで聖に読み違いがあったらしく、ごめんなさいへと繋がっている。

 聡明な彼女が違えるなどあまりないように……そうだな、その辺りを再確認しておくべきか。読み違えたと理由の根っこは聞いたが何故違えたのかは聞いていないし、謝るくらいなのだから聖もそこらを話したいだろうよ。

 あたしとしても知っていても損はないと感じるし、蓮が咲かせてくれた話のタネだ、根や葉だけではなくその華も愛でるべきであろう‥‥本当は来たついでに襲いました、万一そう言われたら珍しくあたしが聖を叱るなんて立場を逆転させた遊びにも興じられるだろうしな。

 

「ねぇ聖、思い違いとは聞いたけどその理由は聞いてなかったわね」

「聞けば異変に関わる事になると思いますよ?」

 

「今更よ、既に異変に押し込まれて退治された後だもの。で?」

 

 出会い、見せつけられた時のように、平手を見せて先を促す。

 竹林では聖に先手を取られてしまったけれど今はあたしが攻める番、己を表す左を差し出し余計な事はいいから話せと示した。

 すると数秒、ではから封切られる僧の語り。

 

「ではまずこの異変ですが、これは今までに起きた異変とは性質が異なるものだと考えています」

 

「異なるねぇ、その根拠は?」

「異変とは妖かしが悪戯に起こすもの、妖怪が起こした怪異を人が解決するもの、定期的に繰り返される騒動だと私は感じています」

 

「そうね、時と場合に寄って規模は変わるけど、どれもそんなもんでしょうね」

「時と場合? 異変に大小ありましたか?」

 

「人間を襲って糧を得ないと生きていけない者達もこの地には住んでいるし、妖怪が人を襲う形だけ見ればそれも異変と呼べるものでしょう? 命蓮寺というか管理してる墓場にもそれっぽいのがいるから心当たりくらいあるはずよ」

 

 墓場で驚け~! とやかましい愉快な忘れ傘。

 墓場に近寄るな~! なんて騒ぐ忠実な死体。

 あいつらの過ごし方も見方を変えれば人妖の争いだ、異変とするには規模が小さすぎて目立たないが、どちらも異変解決少女にのされた経験があるのだし例えとしては間違っていないだろう。

 

「小傘さんですか、皆が皆彼女のように人を驚かす程度で満足出来るなら手と手を取り合う事も容易になるとは思います、けれど」

「聖には悪いけど今は無理な話だと思うわ」

 

「今は?」

「異変を広めた誰かさんの口を借りると、定期的に起こしてもらって恐れる者と恐れられる者を明確にしているの、そうやってこの地のバランスを保っているのですわ。なんて話だからね、起こすべき連中がそうしなくなってここが壊れても困るのよ」

 

「それは理解出来ます、争いを楽しむような荒む心がないと維持し得ない部分は悲しく感じますが……その部分は語らずにおきましょう。私が気になるのはそこではありませんから」

「じゃあ何が気掛かり? 争って傷つく奴らの身体でも心配してる?」

 

「そこも今は飛ばします‥‥先の話を鑑みまして改めて問いますが、この異変、何かおかしいとは思いませんか?」

 

 ふむ、おかしな点とはなんぞや?

 あたしが気にかけず聖が気がつく事とは?

 暫し悩むも思い当たらず。こういった場合は気分転換だと煙管を咥えぷかり吐き出す、つもりが唇に煙管が張り付いてしまい端を切ってしまった。そういや湯上がりから水分を取っていなかったな、温まるほど熱くはなかったけれど長湯したせいで少し乾いてしまったらしい。

 それでも今は頭を回すほうが忙しいし、後で治せばいいだろう。そうやって切った下唇を軽く舐めると差し出される湯呑み、注がれる冷めたお茶。急須に残った少しの紅茶はそれなりに火照っていた身体には願ったりな温度‥‥ってあぁ、この辺かね。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、ありがと。それで話の続きだけどね、願いが叶うってのが変だと、そんな事を言いたかったりする?」

 

 おかしいのは異変としての形というか、流れというか、まぁその辺りに思えた。

 騒ぎは変わらず起きている、争う者達も人妖混ざっていて結構なお祭り状態となっているはずだ。だというのに違和感を覚えるのはあたしが話した部分、願いが叶うとされているところ。今までは誰かが願いを叶えるために起こしていた異変、それが今回は参加者連中の願いが叶うなんて話になっている、それも噂として広まるくらい公なのだ。それが少しだけ解せない。

 そう思った通りに問い返すと同じような事を考えていたんだろう、と聖も頷いてくれた。

 

「はい、そこが腑に落ちないと言いますか、何か引っかかってしまって」

「言うほど気にする部分じゃないように思うわ」

 

 あたしもちょっとは気にしている、けれどここでは嘘偽りで返す。

 これ以上は考えるに手間だからだ、話しぶりから聖はこの異変の全容や全貌が知りたいのだろう、知ろうとするが故に引っかかると、あたしが引っかかりやすいように言ってきたのだろう。

 だがそんな事はどうでもいい、誰が何のためにやらかしたのかあたしが知った事ではない。そういうのは最後にとっ捕まった首謀者から聞けばいい話で、待っていればそのうち、聖も含む解決者達の誰かしらから聞ける事だ。

 それに異変と捉えているのだからこの騒ぎは直に落ち着くはず、あたしにはそんな確信があるから深く知ろうとはしていなかった。既に切羽詰まっていたなら前のように紫自身が動いているだろうし、現状そうはなっていないのだからこれはまだ大丈夫だと、眺めて過ごすだけでいられる事態なのだと、幻想郷に関わる事にだけは信頼できるスキマのお陰であたしは考えずにいられた‥‥まぁ、大げさに動くのが億劫に感じる心も当然にしてあるがね。

 

「何か、そう考えられる理由がありますか?」

「過去の異変では願いを叶える物を使っていた連中もいたわ。誰かは説明しなくてもわかるでしょ? あの異変の延長戦で逃げ惑う首謀者の事を聖も追いかけていたと聞くし、あれとは逆手な企みを描く誰かがいても不思議ではないんじゃない?」

 

 心配しなくともいい理由をでっち上げる。

 例えたのは可愛い姫と可愛がるにイイ天邪鬼。

 共にあたしのお気にいりな二人が仲良く起こしたあの異変では願いが叶う打ち出の小槌を使って駒を増やしていた。その前例と今をこじつけるなら、願いが叶うなんて噂を流しそれを叶えようと動く者達全てを駒に置いた異変とでも言えばわかりやすいか。

 手段や目的には興味もないからその辺りはまるっと端折って、まぁそんな感じで駒を増やしたどこかの誰かさんが巷を賑わせて楽しんでいると、そんなものかと考えて説いてみたが‥‥どうやらこの考えには同意してくれないらしい。

 真面目な表情は変えず見据えてくれる和尚さん。真っ直ぐなその紫眼にゆるい顔した誰かの顔が映り込むと、反論いや反説とでもしておこうか坊さんらしく、それらしいを言ってくれた。

 

「天邪鬼が起こした異変ですか。けれどあの異変とも趣が違いませんか?」

「まぁ、そうね。願いが後にくるのか先にくるのか、そんな違いもあるにあるわ」

 

「集まれば願いが叶う。実際に叶うのかどうかは定かではありませんがそんな噂を流して人知れず異変の種を拡散する事が出来る者、それほどの者が誰にも姿を見せぬままでいられると‥‥霊夢さんは見慣れぬ誰かと争ったようですが、ともかくですね」 

「はいはい、なるほど、ようはそういった周到さが鼻につくって事ね。霊夢は忘れて言うけれど、尻尾を掴ませぬまま何かを行う誰かなんて結構いるし、そういう相手にも何人か心当たりがあるわよ」

 

 当然あたしではない。

 聖は多少は思う部分でもあったのか襲ってくれちゃあいるが既に容疑者からは外れているし、聖の近くにはあたしよりもそういった事に長けた御方も、正体を掴ませずによくわからん種を芽吹かせるやつもいる。

 霊夢が会った手合というのも気にはなるがそれは言った通りとしてだ、よくよく言えばあたしの心当たりというのは姉さんやぬえではない、それなら誰かと言えば‥‥

 

「八雲紫ですね」

「そ、あいつなら容易に出来るし暇ならやりかねないわ。前例もあるわけだし」

 

 言われて飛び出た誰かさん、慌てずに済む理由な誰かさんを今度は犯人に仕立て上げ、そのまま続ける。

 また私を悪者にして、困りますわ。扇越しの胡散臭い笑顔でそう言ってくるのがくっきり見える気がするが、善なる者でもないし曖昧なあいつらしいから肯定しても問題はなかろう、実態も割と困ったちゃんで間違いないはずだし。実際正邪の鬼ごっこはあいつを言い出しっぺとした騒ぎだったのだからこれでいいとしよう。

 

「しかし、あの妖怪が幻想郷を乱すような事をするでしょうか」

「遊びでかき回す程度の事は確実にするけど、聖が危ぶむような本格的な乱れ具合ってのは紫も望まないでしょうね‥‥ふぅん、聖はそれほどの大事だと視ているのね」

 

「はい、ですからボールを手にしている者と会い、預かろうと方々を回って‥‥無為の好奇と神秘に満ちたこのボールは争いの元にしかならぬ物だと判断致しました。皆が皆己の願いを叶えようと奪っては取り返す、そんな事が続けばいずれは一線を超え、長く続けば終わらぬ争いにも成り得ましょう。もがき傷つき倒れようとも終わらぬなど……そうなった世はもはや悪夢と変わらないものだと思えるのです、故に私は……」

 

 訪ねて始まった和尚の説法、それに己の説も被せ思い思いに語る。

 悪夢、つまりは凶夢(きょうむ)。夢幻が飽きるほどにいるこの世界、今日明日程度で夢と消える事もないとは思うが、また随分大げさだ。と、感じられなくもないがまぁいい、聖の言わんとする事はわかった。流石は普段から他人に向けて語りかけている聖だ、あたしの説にも納得出来る論を立ててくれて、自身が話す内容も繋がる紐を解くように理解しやすく話してくれた。語り草が長いのが玉に瑕だがそれは説教を説く者らしさという事で今は処理しておこう。

 世を乱すボールを手にしている者から奪、もとい預かる事にした聖。他者のためと考え動くその精神はとても美しく尊いものだろう、人妖に関わらず全て等しく守ろうと動くのもこの御仁らしい善い部分に思えるしこの地が末法の世となるのを案じて行動する様も好印象ではある、けれど、けれどだ。

 

 色々と頷ける話、このまま納得してしまってもいい物言いなのだけれど。

 どうにも腑に落ちない。聖の言い分は御尤もだと思えるし応援してやりたくも思う、それだというのに納得しきれないのは‥‥亡くした腑に落とすべきモノを頭も傾げず考えていると重ねていた視線を外して口ごもる聖。その目は天井の梁をって違うな、あたしの頭上、また姿を見せたオカルトボールを向いていた。

 そうだな、こいつのせいであたしは納得しきれんのだ。

 

「なんで離れてくれないのかしらね」

 

 首を縦に触れない理由、それは口にした通りだ。 

 そしてそれが聖の言う読み違いでもあるらしい。

 あたしは綺麗に負けた、それはもう完敗と言い切っていいくらいに負けたはず。だのにこのボールはあたしから聖に移ろうとはしなかった、変わらずにあたしの周囲を漂って視界の中で遊んでくれるのだ。もう本当に邪魔だからあっちに行ってくれて良かったのに、至極残念で仕方ない。

 

「わかりませんねぇ」

「他の連中はこうはならなかったんでしょ?」

 

「えぇ、藤原妹紅さんや布都さんが持っていたボールは確かに私が預かりました」

 

「じゃあなんでこれだけ? やり口も同じなんでしょ?」

「はい、本当に何故なのでしょうね」

 

 二人で悩む最中、気にもせず宙を舞うあたしのボール。

 こちとら悩んでいるというのに、まるで友人達のひそひそ話を見つけた童子が囃子たてるような雰囲気で飛ぶ珠。不意に寄ったり離れたりして遊ぶようにあたし達の間を飛んで回って、あ、消えた‥‥見始めた頃から思っていたが本当に気まぐれだなこいつ、聞けばボールそれぞれに特異な何かが秘められているというし、宿す何かがこうした性質を見せるのだろうか?

 持ち主の性質でも表しているか?

 ふよふよ浮かんで浮うわついて、何処かの誰かさんのように振る舞っては消える珠っころ。これをおどけて真似るような仕草と見るとほんのちょっぴりだけ可愛いようにも感じ取れるが……

 

「あぁ、そうでした。これも聞こうと思っていたのにすっかり忘れていました」

「ん、まだ何かあった?」

 

「オカルトボールなのですが、アヤメさんの持っているボールは他の皆が持っているボールとは少し色味が違っているように思います。私が今までに見てきたものは等しく紫珠(しじゅ)でオーラも似た色合いでしたが、貴女の周りに現れるものは――」

「黒いわね」

 

「そちらについても心当たりは」

「ないわ、当然。ていうか見た目で違うなら争う前から気がつけるんじゃないの、始まる前にも見ていたはずよね?」

 

「それも違えて‥‥いえ、私の早合点でしたね。数を揃える必要があるなら違いがあるボールの一つや二つはあるのだろう、そのように考えておりました」

「で、色違いだったけど襲ってみたと」

 

「はい、私とした事が早計でしたね」

 

 早合点、これも今回の異変でよく感じるな、聖までそうなるとは思いもせなんだが。

 早計だったと言う割に悪びれる様子もなく微笑む聖人。このまま見つめ合っていればバツの悪さに負けて謝ってくるかと思ったが、さすがに三度目のごめんなさいはなかったか。もしも言ってくれたなら本気でごねてあげられたのに、惜しい。

 

 「またはっきり言ってくれて。でもいいわ、済んだ事だから。しかし此処にきて新たな難題か‥‥ホント、たまらないわね」

 

 会話がひと段落するとあたしの顔からボールの消えた空間へ目線を流した聖。宙に定めた聖の目には一体何が見えているのか。なんでもいいがその隙に小さくたまらんと呟き、唇の傷を舐めた。顔色も声色も変えず呟いたそれは喜びの声、小さな歓声。

 その独り言が聞こえたらしい聖からは、何かあればいつでもお話下さいね、なんて包み込むような声色で言われてしまったけれど‥‥あたしの内心はそういった方向とは真逆、こいつは愉快だと、悪くない流れになってきたと感じてしまったのだから。

 

 事の起こり始めから続く調べ物。

 あちこちで色々調べてあたしの元に少しずつ集まってきた情報は雷鼓やコトリバコについてだけ。あたしはそう思っていたけれど聖のお陰で別の物事に繋がるのかもしれないと気がついたから、裏腹でたまらない心境にさせられてしまったのだ。だってそうだろう、解き難いお題が解決に向かったかと思えばそれを上回るお題となって帰ってきてくれたのだ、これを面白がらずして何を楽しめというのか。 

 それにだ、異変の全容については今もどうでもいいのだけれど、これが誰が仕掛けたお祭りなのか、誰があたしに火の粉を振りかけてきたのか、そういった部分には若干の興味が湧いてもきたし、蓮から生じた花粉のせいで菖蒲が芽吹いて蟠るというのも笑えない冗談過ぎて嫌いじゃあない。邪な一蓮托生、それを妖怪和尚から感じ取るなんて、こいつは愉快で心地良い皮肉だと、悪くない流れになってきたと思えてしまって、たまらない。

 

 ついつい漏れる嫌味な笑い、声と成るほどではなかったが向かい合う聖には当然気が付かれた。

 僅かな疑問を瞳に込め、その顔はどういう事なのか、真正面から問われてしまう。

 けれどこれも笑みで返す。

 ここで話してしまっては折角湧いた奇なるモノの片鱗が見えてしまう可能性もある。こうした楽しみは出来るだけ一人で味わい尽くしたい、ならばここは誤魔化すべきだ。

 

 そう案じてすぐ、少し動いて見せる。

 口元に袖を宛てがい、曖昧な誰かさんのように瞳以外の表情を隠し、濁す。

 

 あたしを退治た仇な尼に向かい、婀娜(あだ)な仕草をとって、思わせぶりに微笑むと再度問われる腹積もり。さて、この難題はどう説くか?

 仁の道を(めぐ)む者相手との騙り合い、躱す問答は何と言うべきかね。

 思いつかんがいいな、元より違えた考えから発した事だ。

 それならこの流れもそのうち違える事になるだろうさ。



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EX その64 ふとどきもの

 原色萌ゆる朝の日差しに夏の賑わいを感じる今日この頃。

 少し前まで感じられた湿った空気はとうになく、今朝はすっかり盛夏の日和。

 例えば、乾を仰がば木々の合間から強いお日様が差し込んで光を反射した緑の葉が時折輝き、坤を見下ろさば芽吹いた新緑が獣道を覆い色濃く写る己の影と良い陰影を描いてくれている。

 暦の上では未だ夏本番前、烏柄杓(からすびしゃく)も背伸びをし始めたばかりで、遠く僅かに見える人里の田畑なんかも濡れた茶色に少しの緑色が差し色になったくらいだというのに、今朝は耳よりも目、視覚の方で季節の来訪を強く感じることが出来た。

 

 少し動けば汗でもかいてしまいそうな朝。

 向かう先にいるはずの巫女を真似て脇でも晒したくなるくらいの朝。

 そんな夏らしい空気の中鳥居目指して一歩、目立つ尻尾と怠さの残る腕で揺れる小さな巾着袋を振りながら、また一歩と巾着に収まる爽やかな実山椒の香りを振り撒きつつ参る。

 

 目的地に近づけば近づくほど、上に来れば来るほど強くなる坂の傾斜や自然任せで整っていない道肌は見た目よりも足にきて、彼の地を訪れるに慣れぬ者達ならば数度の休憩を取りながら進むのだろう。しかし、そうした(みち)も地を行く事に慣れたあたしや連れ歩く山の者達には大した困難とも感じられず、今もサイズこそ違うが似かよった縞柄尻尾を揺らしてのお気楽道中にしかならない。

 なんならもう少し険しいくらいでもいいんじゃないかとすら考える事もある。

 そうなれば祀られる方々の威厳も増して万歳となるし、彼の神々を崇める鼻と下駄が高い連中も侵入者が減って万々歳となるはずだけれど、そこまでしてしまっては少ない来訪者が皆無になるだろうし、メインの客層である天狗自体がこの山に住み慣れた連中でそもそも飛んで移動してばかりなのだから山道を変えたところで変わりもないかね?

 うん、そうだろうな。下手に梃子入れすれば生い茂る木々や住まう動植物も驚いてしまうし、()(もっ)て頭の堅いあの連中が賛同するはずもないか。それなら今ぐらい、人が歩むには荒れていて、山の住人が進むには楽な参道ってのが丁度良い具合なのかもしれないね。

 

 流れゆく東風(あゆのかぜ)に乗って舞う烏。

 近頃週刊誌にも興味を示し始めた黒い鴉記者が飛ぶ紺青の空を拝みつつそんな事を考える。

 と、踏み出す足にふわり、触れるものふたつ。

 

「なに? あぁ、もうすぐ着くわよ」

 

 思考に次いで逸れ始めた道程を見ながら、茂る若葉ともう一つ、あたしの足に触れてきた者達へ軽い説明。くりくり黒眼で見上げてくる者らにもうちょっとで目的地だと伝えると、もうすぐってどれくらいと聞き返されたが間もなくだと言い返し、邪魔されて些か逸れた道を修正した。

 

 今進んでいる山坂を超えれば傾斜も少しは緩くなり、そこまで行けば景色も開けて、視界に収むるに鮮やかな情景となる。今現在も高く揺らめく不尽の煙や崖下に見える玄武の沢など観光名所らしい場所も眺められるが、もうちょっと行けば芽吹いた夏草や濃い緑を湛える広葉樹に彩られた九天の滝を上から拝む事が出来て、あたしはその絵面を結構気に入っている。

 

 共に歩むこの子らも気に入ってくれるだろうか。

 それとも見慣れた景色だから気にもならんのだろうか?

 そんな思いを描きながらコツコツ。

 こっちに行くと伝えるようにブーツの踵を鳴らして歩き、偶に見下ろす。

 共に地を行く彼らの足取りを想いながら己の足を動かすと、裾に暖かな縞柄がまた触れる。

 邪魔気に絡みついてくる尻尾。まだ未熟、夏毛のせいで余計に細く見える尾先に向かってブーツの爪先を向けると、本体は尻尾に似合った小さな体をくねらせ、あたしの足をくぐり抜けては八の字に回り、遊ぶ。少し前から人の足元でぐるぐると回ってくれて、初々しい視線を送りながら懐いてくれるのは嬉しく思うが流石にちょいと鬱陶しいというか、踏みつけてしまいそうで危ない。

 

「ほら、そろそろやめなさい」

 

 じゃれつく縞尻尾の持ち主達を叱る。

 が、八の字描き続けていた一匹、若干の乳臭さが残る弟の方は気にも留めず走り回って、あたしの注意など聞く耳を持たない様子。

 

「あんたねぇ、あんまりしつこいとお姉さん怒るわよ」

 

 軽い注意はまたも無視、されたが今回は姉の方だけは反応してくれた。

 弟よりは僅かに体の大きな姉が角っ口した人の顔色を伺ってくる。

 生まれた日にちは然程変わらないはず、差があっても数時間程度だとは思うけれどやはり先に世へ出た者か、弟の様子を見ながらあたしに向かって甘え半分伺い半分という目線を発してくれる。

 でもあたしのご機嫌が気になるのは姉だけらしいな。叱った弟の方は我関せずな心模様。

 まったく、ついてくるというから気を配ってやっているのに。

 あんまりにも話を聞かないなら本当に踏むぞ? 

 

 歩く度に揺れるブーツの紐、それを標的にする悪戯坊主。

 危ないからやめなさい、語気強く伝えると視線を外してそっぽを向かれてしまった。悪びれた風合いで顔をそむけたから今度こそ叱られていると理解‥‥はしてないな、あたしから別のもの、木漏れ日の差し込む枝で休んでいる野鳥を見つけてそちらに意識が向いただけか。

 こいつめ、この先におわす神様もあたしも機嫌が傾くと面倒臭い手合だからそうならぬようにと、お前達の事を思って言ってやったのに、これだから子供の相手は困る。

 

「だから、いい加減に‥‥もういいわ、天罰下されるのはあんたらだし」

 

 立ち止まらずに言い切り、そのまま歩みを戻す。

 すると半歩分離れた辺りで再度ついてくる二匹。後にあるかもしれないお叱り、あたしからではなくもっとおっかない方々からの分も含めて言ったつもりだがその心はあまり伝わらず、華奢な縞柄揺らしてくれてもっと構えとごねてもくれる。だが、もうこれ以上時間を割かれたくはない。

 もう知らんと含ませて、裾に纏わり付く尻尾をあたしの尾先で払い返すだけに留めた。

 

 先程からの話し相手は仄かな妖気を纏う者達、我が同胞の野鉄砲。

 山に入ってすぐに出会ったというか向こうからあたしを見つけて近寄ってきた姉弟で、いつだったか起こした山童襲撃騒ぎの際仙人に諭された者達が生んだ子供達。あの時にはしゃいでしまった狸達の多くは華扇さんの言いつけを守り、血の味を忘れた狸として過ごすようになったはずだったのだが、中には一度覚えてしまった味をもう一度味わいたいと考えた狡い者達もいたらしく、そうした狸達は説教の鬼の口煩い言い分虚しく妖怪野鉄砲として生きるようになった。

 そんな新参妖怪の中でも更に新参なのがこの子達。どちらもこの春に生まれたばかりの、体格からすれば乳を吸うより肉を食むのが好きになったぐらいかね。あたしを見上げたままうろちょろと、時折木の根に足を取られながら歩む二匹。その姿こそ可愛いは可愛いが合流してからずっとあたしに付きまとってくれて、足元や視界の端をチョロチョロと動き回られて。

 邪魔と言えば邪魔、だが愛すべき身内には違いなく、慕ってくれる子らを邪険にする気も起きず。なれど困ってしまうのは同族の子守りから離れて久しいせいだろうな‥‥子供だからと甘い顔をしないで違う対応をしていれば良かったかね、あたしと出会って開口一番『綺麗な着物のお姉ちゃんが一人で何処に行くの?』なんておべっか上手な弟のやつに尋ねられたから、このお山の偉いさんに会いに来たと返事をしたが、もう少し言い方を考えれば連れ歩く事にもならなかったのかもしれない。

 

『新しく社を構えられた神様がこのお山にはおわします』

 親からそういった話を聞いているらしいが『僕たちはまだ会った事ないから一緒に行きたい』なんて茶色の坊やに言われたものだから、それなら行くついでだしと、三匹で神社に繋がる参道を進んでいるが‥‥しかし、親の迎えはまだだろうか? 乳を離れた頃合いとはいってもまだまだ目を離せない子供らだ、少しの事でも新鮮に感じて興味を覚えれば遊び呆け、道を逸れたり知らぬ者に連れ去られたりしかねないというのに。

 ここいらは神社の神域に近いからあまり見ないが、もう少し麓に近い辺りなら野犬や木っ端の妖怪もいる。放っておけばそいつらに喰われてしまうかもわからんし、可愛い身内がそうなるかもしれないと考えてしまって、それなら親と合流するまではあたしと一緒にいれば‥‥なんて思ったから保護代わりに連れ歩いているのに。この二匹のおかげで通い慣れた参路が中々に遠く果てしない旅路になってしまうし、親の姿も匂いもしないしで、これではお参りしながら参ってしまいそうだ。

 

 などと何時も通りの下らん冗談に耽っていると見えてくる山坂の上、大根注連(だいこんじめ)の大きな縄。

 

「あ、ほら、前見て、あそこを潜ったらもう神社よ。着いたらおとなしくなさい」

 

 話しながら煙管を向ける。

 幼い視線がそちらに向いたのを確認した後、ひとつ大きく吸い込んで火種を落とし踏み消した。

 わざと強めに音を立て鳥居からあたしの足へ注視させた後、吐いた煙を一匹の大きな爬虫類、子狸の二匹くらい一飲みに出来そうな蛇へと変じさせ鎌首をもたげさせると、浮つきっぱなしだった弟のほうがあたしの裾をよじ登り腿の辺りにへばりつく。

 いくら言ってもきかなかったくらいだ、幼いながら肝が座っているのかと思ったがやはり子供だったな、危ない相手を見て怯え、縋れる相手に縋り付くとは。言うこと聞かない悪戯小僧かと思ったが案外可愛いところもあったか。

 瞳を潤ませる顔が愛らしくて、もう少しだけ見たくて。調子に乗って蛇に威嚇させると泣き出しそうな顔で脛から腿へ伝い登りしてくる僕ちゃん。唐突に現れた白蛇は結構な驚きだったらしく、握られる着物には深めの皺が寄ってしまうが、それを気にさせないくらいの可笑しな顔をした弟が可愛くて、謝りながら笑って蛇を消し、戻した煙を山の方々へと流した。

 

「ね? 言った通りにしないとこんな神様に食べられちゃうから、静かに、ね?」

 

 薄笑い浮かぶ唇に人差し指を添えて述べると二匹共に小さな頭を上下させた。例えに使った方々は捕まえてもいない狸の皮算用をするような浅慮な神々ではないがお蔭様で静かにはなったし、ここはそのご威光に感謝しておくとしよう。

 ね、と同意を求めながら腿の毛玉を片手で抱き上げ、もう一方で煙管を回す。慣れた仕草でそのまま帯に挿して、空いた左手でやらかしすぎたのか小さく震える弟を優しく撫でた。それから泥色の肉球跡がつけられた上前(うわまえ)辺りを撫で戻して地面のもう一匹、太くなった尻尾をあたしの踝に回す姉も抱き上げる。

 

 小さな体にしては重く感じる腕。

 これは守るべき同胞を抱いているから感じているのか。

 それとも我が家を訪れた妖怪和尚の質問攻めから結局逃げ切れず、寺まで拉致され一晩中書かされた写経がきいているからなのか。どちらのせいでこうなったのかはよくわからないが色即是空空即是色なんて長々書き連ねた後なのだし、重みの本質がわからなくてもまぁ当然か。

 なんて考えながら鳥居の端をくぐる、そうして向かうは裕福な清水湧く手水舎‥‥のはずだったが今日はそちらに向かう前に別の場所、普段以上に掃き清められて落葉の一枚も見られない境内の中央、人の背丈よりも大きな濃緑のお飾りが佇むところへ向かった。

 

「そっか、もうそんな季節になるのよね」

 

 失敗したか、お裾分けだけじゃなくて小豆と外郎(ういろう)でも土産に持てばよかったかね。

 袖から垂らすお裾分け、今朝方過ごしていたところより失敬してきた巾着袋を揺らしながら、石畳の真ん中に仰々しく陣取る緑輪の感想を漏らす。

 木造の台座に設けられた大きな輪っかはここの神様が背負っている形を模したもの、(ちがや)で編まれたもので、今時期の神社で例年修祓されている神事である。あたしが外の世界で生きていた頃はここだけでなく他のお社でも執り行われていたからそう珍しいこともないが、そういや麓の神社では見た覚えがないな‥‥と、眺めていると抱えた二匹からこれはなぁにと質問がきた。

 

「この輪っかは夏越(なご)しの(はらえ)っていってね、あの輪をくぐり抜けると悪いものが払えて千年は生きられるようになるって言われてのよ」

 

 輪を何回かくぐるとか、弟ちゃんがあたしの足元を回ったような動きで抜けるのだとか、そんな作法もあったような気がするけどこの子らにそこまで言っても仕様がないから今は端折る。

 夏場に見られる除災の神事を指差して、あたし達妖怪がくぐり抜けると浄化されてしまうかもね、なんて嘯きながら笑うと手元の二匹がぶるっと震えた。

 さっきからあたしの言う事を真に受けて怯えてみたり震えてみたりしてくれて、やはり子供は素直だ、莫迦にし甲斐がある。実際のところはただの飾り、古い神話の験を担いだ客寄せ行事だ。この神社に祀られる神がその御力を振るわば払われん事もないだろうが、山に生きるだけの子狸に下す神罰などないだろうし、あたしも罰せられるような悪さは今はしてないから祓い落とされる事などないと思う、多分。

 

「誰が来たのかと思えば、穢れに生きる妖怪が解除(はらえ)を語るか」

 

 話しながら輪に歩み寄ると不意に感じる穏やかな神気。

 その雄姿は見られず聞き慣れたあたたかなお声だけがかけられる。

 だがなんだ、意識するほどでもないはずだけどなんだろうな、言葉のどこかしらに棘があるような、ちょっとだけご機嫌斜めな匂いがしなくもない。

 

「今のあたしは本来浄土にいるはずの立場らしいし、穢れとは縁遠くなったみたいよ?」

「曖昧な言いっぷりだな、自身の事だろう?」

 

「誰かにそう言われただけで実感はないの、あたしとしては変わらずだからどうでもいいのよ」

 

 言い返すと聞ける笑い。感じた嫌な感覚を気にせず何時も通りに言ったのが功を奏したのか、見上げる空のようになったその声。声量から近くにおわすのだろうがどことなく気配は遠くある気もするな、あたしの減らず口には笑声を聞かせてくれるのに姿は見せてくださらないから余計にそう感じてしまう。

 

「なんだったかしら、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に肖った催しものだとか? 胞衣(えな)を納めたりする事もあったとかいうけどその辺はうろ覚えなのよね」

「然り。無病息災を願う夏祓だ。うろ覚えでも記憶にある辺りは相変わらずよなぁ、アヤメ」

 

 良い意味で相変わらずと言われるなど珍しい事もあるものだ。

 少し語っただけで褒められた事に満足し微笑むと、そうやって調子に乗りやすいのもそのままだなんて、伸び始めたあたしの鼻を折ろうとする神奈子様。あたしが天狗だったなら多少は気になる言いっぷりだけれど性悪狸なあたしにはこの程度、微温いだけで気にもならん。

 

「世間話のネタ程度にしか知らないけどね。おはようございます、神奈子様」

「あぁおはよう。それで、朝一番からどうした? またなにか用事かい?」

 

「そ、御三方にちょっとした御用があるの」

「我ら全員にか? それはすまんな、少ない信者からの話、願い通りしっかりと聞き届けてやりたく思うが今は欠けているんだ」

 

 どうやら誰かがいないらしいな、諏訪子様はあんまり出かけないし欠けているのは早苗か?

 これは少々間が悪かったかね、今日はそれぞれに聞きたい事があって伺ったのに今日一番の目当てである一人娘がいないとは残念だ。

 

「残念だわ、早苗が一番の目当てだったのに」

「お前さんがあの子に用事とは珍しい事もあるものだ。しかしタイミングが悪かったねぇ、昨日は一度帰ってきたがそれから泊まりで出たままだ。今日も夜半過ぎまで戻らんだろうな」

 

「あの子が他所に泊まりってのも珍しいけど何かあったの? 最近の騒ぎ関連?」

「関わってはいるが間接的にだ、昨今流行りの都市伝説に乗っかって少しな。聞けば私達が外にいた頃に流行った話がこちらで実体化しているそうじゃないか」

 

 あたしも聞いた限りだがどうにもそんな感じで実体化したりさせられたりしているらしい。

 昨日会った和尚も見慣れない乗り物をなぞらえた都市伝説を成して跨っていたし、彼女から知り得た他のオカルト、人体発火や番町皿屋敷、口裂け女ってのもあたしの知らない新たな怪談話だったしね。

 

「新旧取り揃えているみたいね。顕したオカルトと仲良く皿を割る奴もいれば、おじさん顔の犬を見たってのもいるとか」

「皿屋敷は仙人一派の者で後者は人面犬という都市伝説だったか?」

 

「そうみたい。頑張って表情作ってる健気な女の子もいるって話だけど、あれは可愛いからオカルトって感じはしないわね」

 

 作れない表情を浮かべようと両頬に指突っ込んでいる誰かさん。

 聖からすればああいった行いは(いや)しい所作に見えるらしくて、はしたないからやめさせたいとの事たが、こころがああしているのも所詮流行りで一時的なものだろうし、誰がどう見ても可愛いだけだからあれはあのままがいいと思う。

 

「愛いオカルトなど記憶にないが‥‥ふむ、そんな者も姿を見せているんだねぇ。私が早苗から聞いたのは紅白巫女はスキマと仲良くしていて、あの白黒はトイレの花子さんを操っているなんて話だな」

「霊夢と紫はいつも通りか」

 

 頷きながら話を合わせつつ、別の事も思案する。

 なるほど、だから紫は出てこなかったのか。外の話は外に詳しいものに聞けばわかる、そう思いついた頃からあのスキマを犯人に仕立て上げたり思い浮かべてみたりしていたが、目をかけているあの巫女さんといちゃついているのならこっちに顔を出す暇なぞないのだろうな。

 

「で、その魔理沙の方は? 花子さんは聞かないわ」

「最近になってからそう呼ばれ始めたからね、こっちに居着いて長いアヤメが知らなくとも無理はないな。なに、御不浄を司る神の事を人間達が花子さんと呼ぶようになり、そのまま広まったというだけの事だよ」

 

「厠を司る神様‥‥花子さんって名前からすると女神様よね? それなら‥‥なんだったかしら、娘々から聞いた覚えがあるような」

 

 寺から逃げた先の霊廟近辺で浮ついていた邪仙との話題にそんな話もあったような気がするがいかんな、追手を気にしながら語らったからうろ覚えてすらいない。

 

「道教の仙人ならば紫姑神(しこしん)だね。彼女も厠神ではあるが花子さんの元々は我らと同じ日の本の女神だよ。弥都波能売神(ミズハノメノカミ)波邇夜須毘売神(ハニヤスビメノカミ)と言えばお前さんも知るところだろう?」

「それぞれ紙漉きと粘土の神様よね、言われると厠関連の二柱と思えなくもないわ」

 

「そこから繋げるのは如何なものかと思うが、そういった連想から生まれたのが花子さんなのだから否定は出来んな。ともかく彼女達を幻視したものが怪談話の花子さんだという事さ。しかしだ‥‥敬う祭神を前にして商売敵を想うでないよ、不敬者め」

 

 呆れて聞こえる神の声、これはあたしが悪いのか?

 あたしは不届きな女だが不敬な妖怪ではないはずだぞ?

 現にうろ覚えの神様を考えはしたが名は出していない、下手な事を言ってご機嫌を傾けられたら手間だから言わずに濁したというに。と、言い切られた後になって思うけれども神奈子様もたいして気にされてはいないようだしまぁいいか。

 

「今朝はその近くで日の出を迎えたからついついね、それに山と厠じゃ商いとしてはかち合わないしいいかなと思ったんだけど‥‥なに? もしかして神奈子様ってば嫉妬してる? 少ない信者が、なんて心配しなくともあたし達狸は一途だし、変わらずお慕いもしてるわよ」

 

 言いたい放題言いながらふふっと漏らし、手元の同胞にも促す。

 抱えた身体を軽く揺すって、あたしに合わせて何か言いなさいと示してみると抱えられたまま尾を揺らした子供達。愛くるしい尻尾が揺れたのに合わせてあたしも秋波(しゅうは)を送ると、余計な一言とそうした小生意気な態度がなければお前もなぁ、なんて言われてしまった。その『なぁ』の後に続くのがなんだったのか非常に気になるが、色目を送った通りに可愛い信者だとか愛すべき者だとか、きっとそういう物言いが続いたのだと思うからそこは深く考えずにおこう。

 しかし、坤を司る奥方様の方ならわからなくもないが、天に向かって用を足すことなどなかろうに。それ故敵には成り得ないはずだが、あれか、信仰を求める宗教家としてって意味かね? それなら確かに商売敵だからわからなくもないが‥‥と、ブツブツ考えながらブツブツ唱える。

 両手は塞がっているから合掌こそ出来ないけれど、今朝の早い時間まで過ごしていた、もとい拉致監禁されていた場所で耳にした『ぎゃ~て~ぎゃ~て~はらそ~ぎゃ~て~』なんてのを唱え、持ち込みの虎柄巾着を揺らす。そうやって朝方の『近く』は此処だったと知らせてみると神奈子様も察してくだされたようだ。

 

「命蓮寺か、あの住職の顔も暫く見ていないが変わらず健在かい?」

「元気も元気よ、握り締めた掌をあたしに向けるくらいには元気だわ」

 

「息災か、それならば善い」

 

 あの和尚こそ正しく商売敵だろうにいいのか?

 いや、いいんだろうな、こんな気安さがこの神様のいいところでもあるし、そも今の命蓮寺があるのもここの神社の神様が関わっているからだとか聞いた事もある。あの和尚もついでに道教の仙人も、人間二人を間に入れてお茶啜りながら仲良く対談するくらいの仲ではあるらしいから競って励み合う同業他社ぐらいにしか見ていないのだろうよ。

 あたしの方こそ星の持ち物だろう巾着なんてくすねたりして危ういかもしれんが、バレたところでそこいらに落ちていたのを見つけたから預かったとでも騙れば鼠殿以外には通用するはずだし、こちらは構う事でもないけれど‥‥

 

「ちっともよくないわよ、守矢の信者が退治されたって言ったのよ?」

 

 こちらは構う、とっちめられたと報告したのに善いなどと言いおって。この神様こそ慕う信者の事をどう思っておられるのか?

 

「なればこそだ、お前さんを締め上げられるくらいに元気なら要らぬ心配もせんで済む。それに死人の躯を案じるほど私は粋狂者ではないよ」

「粋狂な計画ばっかり立ててるくせによく言うわ。大事な大事な信者が泣きをみたってのに笑わないでほしいわね」

 

「何を言うか、本気で泣かされた者は失敗談を話の種にせんよ」

 

 御尤もだとグゥの音を吐いてしまう。

 すると、クックなんて音色が返ってきた。このあたしが揚げ足を取られて言い負かされるなど、ましてや笑われる事など本来あってはならないが今回は別にいいか、相手は目上の御方であらせられるし言われたあたし自身気にも留めていない。それにこんな事ぐらいで(かし)いでいたご機嫌が逆方向に傾くのならばそれにこした事はないしな。

 言い返すことなどもうない、そんな顔で空を拝むと更に聞こえる神の笑声。口だけ妖怪なあたしが黙る姿を見てほんのりでも楽しんで頂けたようでなによりだ‥‥ならばこのまま、もう少し強調して持ち上げるかと、そんな思い付きと共に顔も作る。

 ちょっとだけ、眉間に山坂ほどではない浅い谷を作って見せるとこちらもお気に召したのか、一頻り笑われた後で話を戻される神。聞けばなんでも外の世界では霊能者が珍しくなったようで、また、ある程度の霊力を持ち得ていても本人に自覚がなかったり信用されなかったりといった事が往々にしてあるそうだ。そんな人間達が偶々見かけた、視ることが出来た怪異を切っ掛けに噂話が出来上がり、面白おかしい怪談話として巷に広まったのがトイレの花子さんを代表とした都市伝説なんだそうな。

 

「しかしまぁ花子さんねぇ。形として多少変われど現在でも認識され信じられている、神として崇められてはいないようだが外でも此処でも人の心の内には残り続けている、か‥‥少しだけ羨ましいな」

 

 昔語りの草の中、神奈子様が緩い声を漏らす。

 その穏やかな声に聞き入っていると、あの子が小さかった頃は花子さんを怖がって夜中一人でトイレに行けなくなったなぁ、なんて思い出話のネタも零された。

 過去を見る神の声は包容力満点で間違いなく親の声。 

 そんな声が馴染んだのか自然と緩む空気、そうして続く昔語り。

 大げさに語られたのは創生に謳われた八坂様のありがたい思い出話だったが、内容自体は大したものでもないから掻い摘んで紹介するだけとしよう。

 一言で言うなら寝ていると足音が聞こえ、瞳を開けば枕を握りしめて半泣きで枕元に座り込む誰かさんの顔があったって話。目尻に大きな涙粒を溜めたその表情が本当に愛らしいものに見えて、一人娘がそれなりに成長した今でも忘れられないってな惚気話だった。

 

 お話の受け取り方如何によっては正しくオカルトな逸話と聞けなくもないのだけれど、その正体は愛しくてたまらない娘だったというのだから気がほころんでも無理はないか‥‥しかしふむ、中々悪くない話であたしとしても好ましい流れだな。

 娘をからかうネタを仕入れられたのもそうだけどあたしが此処に来た用事の一つ、外の世界で過ごされていたここの方々ならオカルトや都市伝説について何か知っているかもしれない、なんて考えは大概正しいものだったとこれで証明された。後はここから知りたい話へと掘り下げていけばいいのだろうが、はてさて何処から手を付けたものかな。

 

「それでな、懐かしさに色々と思い出していたら早苗が閃いたらしくてね、この話を切っ掛けに今こそ信仰を! 霊夢さんのいない今がチャンスですよ八坂様! などと息巻いてしまってなあ」

 

 続く神奈子様の饒舌に対しては頷き、裏では考える。

 噂話に乗せられやすい子供への注意喚起を名目に寺子屋へ押しかけたと、つまりはそういう事か。(かしこ)(もう)す巫女さんが(かしこ)まらずに押しかけ申すとな、普段突飛な事ばかり考える早苗にしては上手い冗談で誠に妬ましく羨望嫉妬である‥‥ってこれはもういいな、それよりも気になる部分があったしそこを引っ掛けて掘り下げようか。

 

「麓の巫女がいない間を狙うなんて山の巫女もしたたかになったじゃない。暢気に託宣触れ回るのもいいけど、面倒な奴らに見つかって喧嘩売られても知らないから」

「そこも問題はない、紅白はそれどころではないようだからね」

 

「黒い影に襲われたとは聞いたけど、派手にやられてそのまま寝込んだりしてるの?」

「数日前の一件については大事ない、そんな事もあるにはあったがそれだけだ。それにあの程度で寝込むほど軟な者ではないだろう、あの巫女は」

 

 言われてそうだなと頷く。

 霊夢が襲われたと耳にはしたが負けたとは聞いていないし、異変となると鬼になるあの巫女が不様に負ける姿も浮かばない。内情を知っているらしい神奈子様の仰りようも普段使いの気楽なものだし、何より紫も見ているって話だから気に病む事などないな。

 実態は文字通り、霊夢と影とが争った程度で大事には至っていないのだろう。しかし、あの尼さんから仕入れたネタは古い情報だったか。ならばいいな、これはそんな事もあったという部分と霊夢が明確な行動をしているって部分だけ記憶しておいて流してしまおう。

 

「まぁそうよね、それなら別件で忙しいのか。以前の人気取り合戦みたいに今回も大立ち回りしているのかしらね」

「先日までは忙しく回っていたさ、だが今は別の理由があるようだね。自宅に開いた大穴に飛び込むなど、あの巫女も何を考えているのやら」

 

「ん? 穴ってあの神社また穴開いたの?」

 

 問うと一言、うむと答えて下さった。

 あそこも潰れたり燃えたりして毎回毎回飽きないな、これで何回目になるのか。不良天人が暇だからとやらかしてみたり、巫女さん本人が間違った酉の市を仕切ったせいで燃え落ちたり、そろそろ片手で足りなくなるくらいになるんじゃないのか?

 そも、此度の穴は何処の誰がやらかして何処に繋がるのかね?

 神社から地下に潜るなら行き先は暖かな旧地獄か、どこか胡散臭く感じる仙界、後は博霊神社の蔵で眠る危ない人形を貰った先くらいだとは思う。でも娘々はなにも言っていなかったし‥‥だったら通じているのは一体どちらだろうか?

 なんて疑問を浮かばせていると、神奈子様からご神託が届く。

 曰く、今回の犯行は家主である紅白が留守の間にあの黒白と山の仙人がやらかしたものらしく、あたしが聖の監視のもとに写経しながら念仏唱えていた時間ぐらいには華扇さんも博麗神社の境内で魔法使いと話しながらゴニョゴニョ唱え、結界の破れ目を拵えたんだそうだ。

 

「裂け目なんて、見た目に似合って派手にやるわね」

「おっとすまない、言葉足らずだったね。その見た目こそ地の裂け目だったがあれは門と呼ぶべきものと感じられたよ」

 

「門、ようは結界に出入り口を拵えたって事かしら。そんな術を知ってるなんてあの人も伊達に仙人名乗ってないわね‥‥後で紫にどやされなけりゃいいけど」

「さぁてな。隙間の腹積もりなど知らぬがあの場に顔を見せる事はなかったし、茨華仙の落ち着き払った様子からすれば大丈夫なのだろうよ」

 

 管理人が知らぬ顔をするならどうでもいいかと浮かんですぐ、神奈子様からそれとな、と続く。どうやらその門の先には懐かしい景色、人工的な灯りに満ちた綺羅びやかな世界ってのが見えたらしくて‥‥つまりだ、繋がる先はあちらの世界だったわけだ。

 

「黒白のは仙人と争っただけらしい。先に神社に来ていた茨華仙が仕掛けたのを見計らったようにも思えたが、さて」

 

 まだまだ続く神の口。先の神託に連なるは神奈子様達がいらっしゃるよりもっと前の話か。確かに、あの仙人もこのお山が外にあり鬼の膝元にあった頃は拳骨振り回してやんちゃしていた四天王の一角だったし、今も能ある鷹を飼い慣らしている人だ、実力は当然にしてある。と、あの人の過去はどうでもいいか、今は目の前の話を考える事としよう。

 魔理沙と茨華仙、二人のことを語られる割にはらしいやら、そのようだやら、明確な答弁というには些か弱い物言いで語られる神様。普段は言い切る神奈子様らしくない言葉に少しだけ違和感を覚えてしまいあたしの頭が横に傾くと、分社を通して聞こえた声はあいつらの声だったよと、曖昧に述べた理由もお話下された。

 

「あの仙人も結界に手を出すなど、やはり中々の実力者だったねぇ」

「そうね、よくやるわ」

 

 関心される声に相槌を返す、あたしは呆れただけだがね。

 あの巫女さんは下手に手を出せば火傷じゃ済まない相手で、あの場所も幻想郷としては大事とされている場所だ。そんなところでしでかせば巫女さんに祓われ退治されてもおかしくはないのに。あれか、普段から徳の高い仙人として振る舞っているから今回も仙人が下す善行の一つとでも見てもらえたのかね?

 それとも、隙を狙ったか。魔理沙も華扇さんもあの神社で常から入り浸っているし、ほぼ毎日見かけていればあの霊夢でも気を許して脇が甘くなるのかもしれんな。年中晒しっ放しで塩辛くなりそうにない脇巫女だ、そうした面では案外甘いところもあるのかもしれん‥‥ん、また逸れてきたな、少し戻るか。

 華扇さんが何を目的に大それた事をしたのかは知らんし中途半端に首を突っ込むと後が怖いからこれ以上は深入りせんが、話では霊夢もその割れ目に飛び込んだらしいし、彼女が忙しくなったというのもそれ関連で間違いないだろうね。

 

「とまぁそんなわけでだ、麓の巫女が別件で忙しい間に広まってしまった不安を少しでも拭おうと早苗は動いているわけだ」

「それで手始めに寺子屋と。将来の信者予定からだなんて、神の威光を知らしめる巫女さんとして素晴らしい心掛けね」

 

 言うなれば鬼巫女の居ぬ間の託宣って感じかね。

 人間少女達で敵対しているわけでもないし引っ掛けた諺通りの気晴らしってもんでもないとは思うけど、中々悪くない場所に目をつけたな。噂話の出所など大概は好奇心旺盛な子供か余所様の動向が気になる女だ。そのどちらかを直接諭せば親か子の片方を媒介に両方の耳に話を届ける事が出来る、ひとつ論じて信頼を得ればふたつ以上の信仰心が簡単に得られるはずだ。あたしから見ても一石二鳥で上手いやり口だと思えるが‥‥早苗はそこまで考えていないかもしれんな、純粋に民草の心を普段のようなのんびり具合に戻そうとしているのだけかもしれん。

 読みきれんが、まぁそこらはいいな、今案じる事でもなかろう。

 案ずるべきはその場所。人間の里か、また面倒な場所に行ってしまわれたものだな。

 

「あそこって事は阿求もいるわね」

「昨日は稗田の当主と里の教師も同席していたと聞くが、今日はわからないなぁ」

 

「昨日いたなら今日もいるでしょ、きっと」

「だろうな。そういえば付喪神やあの覚妖怪も顔を出したそうだよ」

 

「人里ならこころとこいしかしらね? あいつらはどうでもいいわ。どうせ遊び回ってるだけなんでしょうし、そもそもいようがいまいがわからないんだから気にしても仕方ないわよ」

 

 どうでもいいと語りつつも、脳裏に浮かぶあの子達。

 無表情な方は大概寺にいるし、寺な子屋で見かけてもおかしなことではないか。無意識な方も相変わらず寺にしろ小屋にしろ、本当に何処にでも顔を出しているようだ。寧ろ姿を見たって話が出てこない場所のほうが少ないくらいかね、この調子ならあの霊廟にも顔を出しているのだろうし、あの子の話を聞いていないのは後は天界や地獄、スキマの中、外の世界くらいか。うむ、やっぱりどうでもいいな、考えを改めよう。

 

 さて、オカルト話に続いて少し気になっていた霊夢の話も聞けた。早苗の方も誰かに語って諭せるくらいには都市伝説を知っていてくれて、ここまで聞かせてもらえた事だけでも情報収集としての成果は上々と言えよう。

 今でこそ幻想郷で巫女さんやっているけれど早苗は元々外で生きていた娘っ子だったはず。こっちに来てからは常識に囚われない様子を色々と見せてくれるあの子でもあちらの世界で生きるなら十人並みの生活をしていたのだろうし、年頃の女の子ならこうした巷の話題には耳聡いはずで、元が噂話なのだから早苗も誰かに話したくなるはずであろう。

 そして、そういった噂話は早苗の生活圏、家庭内の話題でも必ず上がる。つまりは親代わりである二柱も娘との会話からなにかしらを聞いたり知っていたりするはずだと、そんな読みを元にして会いに来たのだけれど、多くの者達を前にして語れる程度には都市伝説を知っていてくれたとは、あたしにとって非常に好都合である。 

 ‥‥だが、ちょっとだけ予想外というか想定以上でもあったな。異変が起きれば自ら乗り込み解決に動くなど何かと行動的なここの一人娘、今回も異変に対して向かっていてどこかの誰かと小競り合いを繰り広げているかもしれないとは考えていたが、まさかこういった形で行動しているとは思わなんだ。これはどうしたものかね?

 居場所こそわかるがそこには阿求も同席しているというし、あの小娘と顔を合わせてもはぐらかす事くらいわけないが流石に先日の事もあるし近くに慧音までいるというのだ、からかうにしろ真面目に語り合うにしろいつも以上に口煩く問い正されるのが目に見える。

 そこから鑑みるとあちらに合流するのは悪手だろう‥‥それならよい、慌てて探るような事でもないし待っていれば戻るという話だ、果報が帰ってくるのをご両親と待つとしよう。

 

 結論付けた頭を振ると、合わせたように風が吹く。

 一瞬だけ強まった夏風はあたしの髪を靡かせた。

 後ろ髪を撫でるよう、こちらの気を引くように吹いた悪戯な風、ってそのまま気を引いたのか。考え事の内に沈んでしまったあたしを神奈子様が呼び戻してくださったのだろう。ならば取り敢えず話を合わせておくか、この神様も忙しい神様でもないし世間話に花咲けばそちら方面で繋ぐ事も容易かろう。

 

「惚けた顔してからに。お前まで何を企んでいるのやら」

「些細な事よ、あちこちから質問攻めされて早苗も大変そうだなって」

 

「そんな事か。心配はいらないよ、かえってそれくらいがいいのさ、これは早苗にとっての修行にもなるからね。不確かな噂話に振り回される民衆に応え先へ導くのも宗教家としての勤めだ、あの子にはそういった事も覚えて貰わないとならんからな」

 

 娘の事を語る山坂の化身、その声色はとても明るい。

 それもそうか、慕う神を想い祝女が自ら行動しているのだ、親としても神としても嬉しく感じて必然であろう。話を合わせて聞いていると惚けて見えたあたしの態度があの無意識妖怪が操る『メリーさんの電話』なんてオカルトを想起させたらしい。こっちも懐かしいと、オカルトについて神奈子様が語り始めた。

 聞きついでに問いついでと思ってそれはどんなお話なのか、流れから少し伺うと遠くの者と会話が出来る機械を通していつの間にか背後に現われている誰かの事で、操っている妹妖怪らしいオカルトなのだとざっくり教えて貰えた。

 

『私メリーさん、今貴方の後ろにいるの』

 これを決め台詞に音もなく忍び寄り背後から襲うのがそのオカルトなんだと。

 気が付く付かないはこの際捨て置いて、話で聞く限りは確かにこいしの在り方らしいもの、うってつけのオカルトだと思えたのだけれど、後ろでどれほど騒いでも気づいてもらえないこいしよりも別の者、背後から声をかけるならもっと胡散臭い奴の方が似合う気がして、一度想像すると姿がハッキリ見えてきてしまった。

 

『私がメリーさんですわ、今貴方の後ろにおりますの』

 聞こえた声に振り向くとあの笑顔がいる。

 こちらのほうが恐ろしく、愉快なオカルト伝説と呼べるものなんじゃないだろうか?

 ちょっと考えただけで瞼の裏にありありと浮かぶ紫の姿。それが思った以上にお似合いで耐えきれず吹き出す。と、語られていた神奈子様の話が止まる。笑って止めるなど些か失礼かもしれんがまぁいい、空気も変わったしこの辺りで話題を変えようかね。未だ清めも済ませていないし、このままお付き合い頂いては輪を掛けて失礼と言うものだ。

 

「まぁなんでもいいわ、今日の内に戻るんでしょ?」

「日が落ちる頃には戻る予定だ。よし、それまでうちで留守番してなさい。どうせ暇しているのだろう?」

 

「留守番って何処かに出られるの?」

「私はこれから会合があってね、少し出ねばならんでな」

 

 だから諏訪子の相手を頼む、そう言ったきり薄まる神気。

 私は出かけてくる、それを知らせる柔な(おろし)が境内を流れ、茅の輪を揺らした。

 これは上手く押し付けられたな、口振りこそこれからと仰られたが本体は既に来訪先にでも向かっていたのだろう。多少の話に耳を傾けそれには応えて下さった。恩は着せてやったから後はよろしくと、そんな感じか。だから姿も見せず声だけを届けてくれていたのだろう。

 言い逃げた感覚と最初の(むずか)る雰囲気からすれば今朝は二柱で喧嘩でもしたんだな、そして不興を売りつけたのは神奈子様の方らしいね。ここのご両神の痴話喧嘩などいつもの事だしあたしが気にする事でもないからそれはいい……けれど、これもこれで想定外だな。早苗がいないのは想定内だったが神奈子様までお出かけとは、あたしとした事が本当に読み違える事が多くて困るが今はヨシとしておこう。思い当たる他の場所もすぐには出てこないし多少の事情は知り得る事が出来た。なれば今はお誘いに乗る事とするかね、申し付けられたお留守番はその代金と考えて払ってあげるとしましょうか‥‥ならそうだな、神社で過ごす者らしく、やることはやっておくべきだな。 

 

 どちらに出られたのか定かじゃないが気配を消した山の神、風向きからすれば玄武の沢方面か、会合ならそっちだろうしとりあえず沢に向けて両手で抱えた姉弟の四肢、山歩きで汚れた肉球を見せながら手水舎方面に目を流しながら移動する。

 朝日に照らされて神々しく見える茅の輪を、我が身に降り掛かる火の粉がこれ以上育ちませんように、異変の騒ぎが遠いうちに鎮まりますように、これ以上読みが外れませんように。なんて願をかけながらくぐり抜け手水舎に向かうと、差し込む日を反射してやたら眩しく見える水面が迎えてくれた。

 その正面に向かい、眠そうな目とよく言われる自身の目を更に細めて、まずは自身の清めを済ませ、そのまま身を屈めて手水鉢から垂れ流るる清水で二匹の足もお清め……していると、屈んで小さくなったあたしの影が頭ひとつ分くらい大きくなる。銀の鎖が垂れるあたしの耳、その延長線に追加された影は同じく丸い飾りと風に流れる袖。表の祭神様が引っ込んだかと思えば今度は裏の祭神様がお見えになられたらしい、市女笠とひらひらしたお召し物が特徴的な影が体ごと動き、あたしの尻尾 に飛びついてきた。

 

「珍しく早くから来るな、雨でも降るか」

「振ってくれたら少しは涼しくなるかしら。おはようございます諏訪子様、今朝もご機嫌麗しくて何より」

 

「おはよう、今日も暑くなりそうだね」

「すっかり夏らしくなってあたしも微温くなりそうよ。そうやって好いてもらえるのはとても嬉しく感じるけど、同時に困る時期にもなってきたわね」

 

「善いと感じているならまずはその口を減らすべきだな、それに私達から何か聞きたいなら機嫌はとっておくべきだと思うよ?」

 

 あたしたちの話を聞いていたのか、ご機嫌を伺えと態とらしく言いながら見慣れた姿が現れる。

 お見えになられた御方の顔は些か曇り気味、ケの模様だが元々がそうした性質の神様だし、いつも通りの口調だからあたしが考えていたよりは荒れてもいなさそうだな。それもそうか、神奈子様もあたしとの無駄話に付き合ってくれていたし、喧嘩相手の片方にそれくらいの余裕があるのならもう一方もそれ程怒ってはいない、正しくご機嫌斜めになった程度なんだろうよ。

 まぁいい、何が切っ掛けだろうがあたしが悪いわけじゃあない、だから無視してご挨拶を済ませ……ながらも尾を揺らす。そうした蟠りはここの哨戒天狗にでも食わせろあたしに振るなと、そんな思いを込めて天狗の里方面へ温くなり始めた尾を揺らすと想像よりもワンテンポ、重りの分遅れて動く我が尾。

 

「態と揺らすな、抱き心地が悪くなる」

「お慕いする御方に抱かれているんだもの、自然と揺れもするものよ、ね?」

 

 背後の神に返しつつ、抱く子らに肯定を求めてみる。

 そうして語りながら山歩きで汚れた二匹の足を清め、自身の手も濯いでいると動く神の影。

 

「まだ小さいね、七五三には早いんじゃないか?」

「残念ながらそれらしい神参りじゃないわよ」

 

 普段よりもがしっと、何か気に入らない事があったとわかる力加減で人の尻尾をよじ登った諏訪子様へ言い返すと、尾先の毛を些か摘まれ引っ張られた。

 先の神奈子様と諏訪子様の話される声色、あたし達を見下ろす眼光から不機嫌だとわかったから持ち上げようと思って言ってやったのに、麗しさなどまるで感じられない引張り具合だが‥‥悪意は感じないし痴話喧嘩の憤りを他人にぶつけるような小さな御方ではないと知っている、ではこの当りの悪さはと思わなくもないがあたしの扱いなど毎回こんなものだ。

 

「孫の面通しに来たかと思ったのに、違ったか」

「せめて子と言ってほしいわ。それに孕む腹もとうにないし授かる種もないわよ」

 

「そうだったな、それなら拾ったのかい?」

「そういう事、道すがらに出会っただけよ。来たいと言うから連れてきてみたの。ほら、あんた達も土地の神様にご挨拶、愛嬌振りまいてご機嫌伺いをなさいな」

 

 綺麗に洗った二匹の四足、そのうちの幾分大きな方を抱きかかえ持ち上げる。見つめてくる神の目線まで毛玉を掲げて綺麗になった肉球を開き、おはようございますとぐーぱーさせてみると、虹彩美しい金色の眼を細められた。なんとなく品定めするような、言うなれば蛇が獲物を定めるような目線。見慣れたあたしにすらそう感じられる視線を受けてすぐに耐えきれなくなったのか、持ち上げた姉は身を震わせる。

 見た目こそキツイお目々に感じられるが諏訪子様の眼差しには悪意などお見受け出来ない。

 だというのにこうまで怯むなんて‥‥これは道中の悪戯が過ぎたのかもしれないと感じなくもないけれど今更か、時既に遅しってやつだな。それでもまぁなんだ、慈しむべき子供相手にちょっと悪い事をしたとも思う。

 

「お? 見つめただけで怯える事ないじゃないか、取って食いやしないよ」

 

 一瞬あたしを睨んでから瞳の色味を変える祟り神。

 細めたお目々で瞬きするとまた別の意味で細め、震える頭に手を伸ばす。逆立つ姉の毛並みをそっと撫であげる神の御手、触れられて一瞬はふわふわの和毛(にこげ)を震わせたお姉ちゃんだったが、子をあやす事に慣れた諏訪子様の手つきから産み育てた者としての優しさだとか包容力だとか、そういった何かでも感じ取ったのだろう、すぐに懐いて指を舐め、すぐにじゃれつき始めた。

 けれど甘噛み漂う雰囲気はそちらだけ。

 弟の方は細い牙を見せ、強い警戒を放ったまま。

 

「そっちの子は警戒心が強いね。私相手に姉を守ろうとは勇ましいよ、将来有望そうだ」

「口は上手で威勢もいい、これで気概も持ち得てくれればお姉さん嬉しいわ」

 

「フンッ、連れてきただけと言う割にすっかり保護者気取りか、まぁわからんでもないが」

 

 鼻で笑いながら見る先を変える神。

 ないはずの喉笛でも鳴らしそうな、悪戯心の強い顔で今度はあたしを見つめてくれる。

 

「何か言いたい事でもあるお顔よ?」

「いつだったか覚えちゃいないが子を設けるのもいいものだって諭した事があるからね、そんな心境も少しはわかるようになったのかと思ってな」

 

「そうね、子育てってのも悪くない気もするわ」

「そうだろう? 宿せなくなってから知るなど、似合いだねぇ」

 

「あら、そこについてはそうでもないわよ? 膨らむ腹は失くしたけど企む頭は残ったままだから子を成す事自体は出来ると思うわ。それこそ千年(ちとせ)もかからずにね」

 

 血肉を失ってそれなりに経つあたしには作れないと知っての冗談、いや、皮肉か八つ当たりだろうな。そのつもりで産んだのかと先にも問われたが、それも含めて冗談を上掛けする。言われた七五三(もうで)に引っ掛かるよう、長い飴でも舐めるように煙管の吸口に舌を這わせながら述べると締まる神の御手、きゅっと首でも締めるように尻尾にある手が少しだけ硬くなる。

 ふむ、大して難しい冗談でもなかったが思いつかないか。聡い諏訪子様らしくはないがまぁ致し方ないのだろうな、お相手は実際に母となった事もある神様だ、であれば『産む』はその意味合いが強いのだろうし伝わらなくとも当然か。

 

「子に迎えるなら何がいいかしら? 煙管はあたしと同義だから‥‥そうね、着物帯にしましょうか、あれならあたしに似たシマリのイイ子と成ってくれるかもしれないし」

「緩みきった顔ばかり見せる輩がよく言う‥‥しかしなるほどな、そういう生みもあったね」

 

「妖気たっぷり浴びせながら百年(ももとせ)も愛で続ければそのうち妖怪化するでしょ、そうなったらあたしの子と呼んでも間違いじゃないと思わない?」

「だったら法螺貝でも愛でるんだね、帯や太鼓なんかよりも似合いだよ」

 

 荒事から逃げ回るあたしに開戦を知らせる道具が似合いと仰られるか、また捻くれた冗談に聞こえるがあたしに合うというのだ、含まれるのはそちらではなく別の意味合いだろうな。

 なればそれらしく返すか、笑えようが笑えなかろうがどっちでも構わんがこの辺りで落とし所を作らんと話が進みそうにない。

 

「それもいいわね。螺旋模様らしく捻くれて育つかもしれないけど、それくらいの跳ねっ返りがあたしの子には丁度いいし育て甲斐もありそう」

「さっきからいけしゃあしゃあと、その気もないくせによく回る口だ」

 

「法螺が似合いと仰られたのは諏訪子様よ」

「あぁそうかい。まったく、反論なしに返されたんじゃあ皮肉にもなりゃあしないね、神奈子の言う通り相変わらずな奴だ‥‥それで、その者らは? 貰い子でないならお初穂(はつほ)ってわけでもないんだろう?」

 

 放ったオチは見事に拾われて、会話の流れも取り敢えず〆を迎えた。

 そうして動く神、僅かながらの落胆を声に乗せると一度姿を宙に消す。

 突然に軽くなる我が尻尾。離れて次は何処に行かれたのかと思えば目の前、器用に手水鉢の角で蛙座りなさる。お召し物に描かれている姿をとりながら四つの視線をあたしの手元に向けているけれど‥‥そんな心なぞ当然にしてないぞ。なにかある度に同胞から贄を差し出し、荒ぶる神に人身御供を捧げてどうにかしてもらおうとしか考えない人間でもないんだ、あたしが愛しい身内を供えとして捧げるわけがなかろうに。

 

「身内を捧げるわけがないでしょ、趣味の悪い冗談は嫌いって知ってるくせに」

「言うに事欠いて。どの口がそう言うんだ? 幼子を脅して連れてくるのも悪趣味だと思うよ」

 

「あれはちょっとした躾のつもりだったのよ、子供相手にやりすぎたのは認めるけど」

「お、素直に認めるのか」

 

「別に、大人気なかったと思っただけ。なによ、何かある?」

「いいや、産み育てた事もない奴から躾なんて出てくるとは思わなくてな。まぁいいさ、崇める神に対して見せた少しの信心って事にしてその話は〆てやろう‥‥で、どうするんだい? 本当に引き取るのか?」

 

「まさか、ここにいるって知らせは煙に乗せてばら撒いたし、そのうちに気がついた親が迎えに来るでしょ」

 

 参道で見かけた子狸、まだ巣穴から遠く離れる事などない者達。であれば住まいはこの近くか、もしくは親が近くにいるはずだ。何かを理由にはぐれた両親を探す為吐いた煙にはあたしの匂いや妖気を含ませてあるし、流した煙から周囲を探っているがまだそれらしい気配は見当たらない。

 あたしの考えでは其程離れたところにはいっていないはず、今後食いっぱぐれないよう狩りの練習にでも連れ出して偶々はぐれたと、そんな読みではあったのだがこれも読み違えているのかね。狩りにいったつもりが狩られる側になってしまった、木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になるなんて事もあるにはあると思わなくもないがこの子らの親って事は妖怪だ。成り果てて間もないといえどもそこらの獣に負けるほど弱くもないはずだし、格上の輩でも得物に定めなければ大丈夫だとは想うけれど‥‥まさか天狗か河童でも狙ったか?

 さすがに前者はないにしろ後者は一度襲っている相手だし、野鉄砲として喰える相手と判断したのだろうか?

 

 実際の所はどうなのか、手元の二匹に声をかける。

 されど返事はなく耳を跳ねさせてくれるだけ。

 あどけないその姿からは親に対する心配など感じられないが、この子らがそう信じるならそれでいいか。この地を司る神様も包容力のある笑顔で二匹を見ているし、あたしに対してはあんな風に言ってくれたが土地神がそうと視て下さるのならやはり不安もないのだろう。

 そう案じながら子狸を眺める諏訪子様を見ると、市女笠のお目々と目が合った。

 

「親も無事とわかりきったように言うね。巣立ちの遠い幼子が(はぐ)れるなど余程の事だ、ならば親がどのような姿にあるのか、想像に難くなかろうに」

「そうねぇ、素直に考えれば親は既に、と、十中八九そう見るべきなんでしょうね。でも土地神様から無事だと太鼓判を押されたから心配ないわ」

 

「私は何も言ってはいないがね」

「だからよ、知らせがないのは元気な証拠って言うじゃない。この地を駆ける者達の事で諏訪子様がわからないはずはないし、機嫌に合わせて意地悪するならあたしだけにわかるよう言ってくるはずよ……それに、そう考えてしまうネタがない事もないの」

 

 諏訪子様が外で信仰されていた頃から続くあたし達の親交、それなりに長いお付き合いにもなり性格もそこそこ知っている。だからこそこういう時はこう言ってくるだろうと、わかっていますって顔で言い切ってやると当たっていたのか、神の口角が上がった。

 悪い笑顔をしてくれて、その笑みはまさに祟り神ってな風格だ‥‥とも捉えられるが、瞳の奥には優しく接して下さる偉大な母らしい雰囲気も宿って見えるな。

 そんな表情には何が含まれるのか、憶測だがあたしが話した通りのものが込められているのだろう。この山の土地を司る事になった神がその土地に生きる者に厳しく当たるはずもない、下手を打って信心に影響するような事をかつては国を纏めていた神がなさるはずもなかろう。ましてやその相手というのも信者であるあたしとその同胞で、後者は未だ乳臭さの残る幼子なのだ。諏訪子様御自身も今現在子育て真っ最中のようなもの、今の早苗を見るような荘厳な神目線としてはともかく、幼い子を見守っていた親の目線で見たら山の子供に対してキツく当たれるはずもない。

 

「ほんっとうにからかい甲斐のない奴だな、アヤメの言う通りこの周囲で地に還ろうとしている者はいないが……狸達はともかく、後の物言いはよくわからんね」

「前半はケロちゃんの地母神らしさとしてね。後半はなんていうか、我が身に降りかかった事と今までの考え、それらをすり合わせた結果がそんな読みに繋がると、そんな感じ」

 

「回りくどい、話を引き出す為に(おもね)るならはっきり言ったらどうだい?」

「そう言われても……読み違えていたからこそ正しかったなんて言ったら理解してもらえる?」

 

 我ながら変な事を口にしたと思う。

 そして諏訪子様も同じく感じたのだろう、よくわからん事をはっきり言うなと正面切って叱られてしまった。だがこれで正解のはずなのだ。間違っていたから正しい、読み違えていたからこそ今のあたしは正解への道筋を歩めるようになったのだと思っている。後はそう考えるに至った経緯を話せば理解してもらえるとは思うが、なんと切り出せばいいだろうか?

 

 真面目に悩むつもりで腕組み、は出来ず。

 なればと抱えたままの二匹を下ろし、あたし達は話があるからそこらで遊んでおいでと、空いた両手で軽く煽ぐ。そのまま流れでお手々ひらひら、靡かせた手で宙を(あお)いで見せるとその先、動かす手先の延長線上に話題にしたい奴が姿を見せた。

 

「怨霊、ではないか、それなりに念は強いがまた別だね。なんにせよ見慣れないな」

 

 神が評すは例の如く顕れた黒い珠っころ。

 最近は朝一番、人が目覚める瞬間を狙って出てくるのに今朝は今頃か、不意を突くのが本当に好きだなこいつは。まあいい、こいつがあたしの考えている通りのものならそろそろ出てきてもいい頃合いだとは思っていた。

 そしてこの祟りの化身様であればコトリバコ自体は知らなくとも何か感づいてくれるはずと思っていたがこちらは読みが当たったな‥‥うむ、丁度よく出て来てくれたし是を切欠にしよう、切れる角のない珠だが元より欠けた箱から現れたやつだし、神の目線もそちらに向いた。

 

「こいつを見た奴らにはオカルトボールって言われたわ。でも形だけよ、本来は紫色で色々な副産物があるって話だけど、こいつからはそんなもの感じないし」

 

 爬虫類っぽい神様から副産物? とオウム返しがきた。

 その声色はあからさまな返事待ちだけれど残念ながらあたしも知る事が少ない。だからとりあえず知っている事、コトリバコから今に至るまでを伝え、ついでに聖から聞けた話、ボールそれぞれに効能があるやら集めたら集めた分だけ力が強まるやらと、尾ひれ背ひれを付け足して言い返してみた。

 

「コトリバコにオカルトボール、無為の好奇と神秘に満ちた恐ろしいもの、ねぇ」

「外で過ごしていた頃に何か聞いたりしてない?」

 

「多少はな。ボールはうちの娘や他の者に任せるから捨て置くとしてだ、コトリバコは外で聞いた都市伝説でそれなりに流行りもしたよ」

 

 これは僥倖だ、コトリバコそのものを知っているか、それなら話が早くて助かるな。

 続く吉報に思わず頬が緩むと、神様の頬も動いた。

 

「嬉しそうだな」

「嬉しいわ、知りたい事を知ってくださっていたんだもの」

 

「教えるかはまた別の話だと思わないか?」

「思わないわね、あたしの愛するお諏訪様は信徒を裏切らない御方のはずだから。大軍率いて攻めてきた神奈子様から民草を守ろうとするぐらいにはお優しいはずよ」

 

 昔々の事を引っ張り出すなど少し狡い気もするが神奈子様もこの手でいけたし今はあたしが攻め時だ、細かな事は忘れたつもりで言い切りながらウインクかまし、返事を待ってみる。

 

「……信徒として私に縋るってか。なら信心を受ける神としては応えてやらねばならんな」

 

 閉じた瞳の奥でお願いします、一心に念じてみると一瞬見せる訝しい表情。

 シブい顔をされるなど心外だ、これでも真面目に念じたつもりだが‥‥あれかね、打算的な味わいがたらふく含まれる我が信心は不味かったりするのかね。実際どんな味なのか気にならなくもないけれどまぁいいか、見つめ返すとその表情はすぐに薄れたし、お応え下さるならなんでも構わん。

 

 語りながら宙で転げる玉に向かいそっと手を伸ばす祟り神。あまり気味の袖を伸びをきらせ話題の珠に触れようとなさるが、ボールは袖を支えに伸びる蔦のよう這って飛び、そのまま帽子の目玉の間を抜けていく。

 

「その箱だが、今もお前の手にあるのか?」

「正確にはあった、よ。今は我が家で胞衣壺(えなつぼ)に似た飾りになってるわ」

 

(しゅ)としては崩れたが残したままか、用向きがないのなら弔ってやればよかろうに。こいつの正体にもおおよその見当はつけているんだろう?」

 

 伸ばした片手にもう一方を添えてパシン、神か柏手を一つ打つ。

 使わないなら葬ってやれと仕草でも伝えて下さるが確かに、あたしが持っていても利用する予定はないし誰かを殺すのに呪うなど遠回りで面倒臭い、やるなら目の前でのたうち回る様を眺めながら煙草か酒でも楽しみたい。そうした性分だというのもよく知られているから弔ってやればと仰られるが‥‥諏訪子様の言い分はわかるのだがそれはまだ、あたしの中で終わったと感じるまでは出来ずにいたのだけれどそろそろいいかね、話もできない珠っころに付きまとわれるのにも飽いてきた頃合いだし。

 

「薄々はね、事が済んだら命蓮寺か娘々にでも預けるわ」

「道教の?‥‥弔ってやる気はないってか」

 

「そっちはついでの冗談、さっき話題に出したからなんとなくよ。ちょっと話したら欲しがったけど娘々の用途には興味もないし、あの人と共犯なんていくらあたしでも身が持たないわ」

 

 お返事しつつちょいと物思い。

 先程問われた珠の正体、これをあたしが口にするなら人の子の心や念ってやつになるだろうね。子供らの血肉だけでは足りなかったのか呪術的要素から必要だったのか、そこはわからないし獣の血と共に収まっていたから幾らかの野性味が混ざり正確な判断は出来ないが、漏れ出した箱の中身はかつて人の子として生きた者達の成れの果てだった。喰う側のあたしが見る限り()(わらわ)(おも)で、その中でも生まれて程ない嬰児(みどりご)達が素材として籠められていたのだと思う。

 そんな箱から現れ出るなど材料に宿っていたもの、つまりは人の子の内面に宿るものしかない。と、あたしは考えているが、これは先述通りそう思い込んでいるだけだ。箱自体がそこそこに古い物で(なまじ)に呪いの力があるせいか腐って地に還る事も出来なかった哀れな者達だってのはわかるが、それ以上はわからんし今は知る気もあんまりない。あたしが聞きたいのはもっと別の部分についてだ。

 

「そんなことよりも他のお話が聞きたいわね、例えばこのボールやオーラの(たち)なんてやつが‥‥一目見ただけで人の念とわかるくらいなんだし、それらも容易くわかるんでしょ?」

「その言い様から既に理解していそうだけどねぇ」

 

 流石は神様、我が心なぞ容易に読まれるか、なればここらで思考の整理をしておこう。

 あたしの中にあるちょっとした答えに近いもの、それはだな‥‥まず結論から述べるならあたしに纏わりつく珠はオカルトボールではない、形こそ似ているがこれは全くの別物なのだと考えていいだろう。そう結論付けた理由を順に追って話すそうだな、他の奴らと比べればわかりやすいか。

 

 この異変で争う者達は皆一様に都市伝説の力を操り戯れていると聞く。妹紅なら人体発火、布都なら皿割りお菊さんと、それぞれ得意な分野をオカルトで強化して争っているらしい。もう少し明確に例えるならあたしを退治てくれた聖で言ってみよう、彼女の場合は乗り物に跨りどこまでも相手を追いかけていく都市伝説に己の早さを掛けて操っているのだそうだ。

 確かにあの御仁の足は早いがそれは魔法を行使している間だけだ、魔力強化されていない聖は非力な人間と大差がない、素の状態ならか弱いあたしですら足で勝ち、腕っ節でも楽々と勝てるくらいだ。そんな彼女が操るオカルトも取っ手、聖はハンドルだかグリップなどと言っていたが、その部分を捻りこまんと速度が出ないとのことで、そうした限定的な速度強化を妹紅の発火や布都の一つ足りない部分など本人の性質と呼べる箇所に当てはめれば他の連中と類似していると言えなくもないだろう。

 こちらは余談だが、期間限定で強化される力に合うのはどんなオカルトなのか、我が家へ二人乗りして戻る途中に詳細を尋ねてみたが聖は素朴な笑みを浮かべるだけで何も言ってはくれなかった。聖も嫌ならハッキリ断ってくれればいいのに、はぐらかされると突きたくなるあたし。詳しく教えてくれなくても都市伝説の名称くらいはと考えて追求もしたのだが、あの笑顔には恥ずかしいから聞かないでくださいと書いてあった気もするからそれ以上は諦めた。その代わりに仄かに染まる尼の横顔、言うのが恥ずかしいのか珍しく見せてくれた少女らしい照れなんてのを得られたからあの場はそれで収めている。

 

 さて、だいぶ話が逸れたがあちらさんはそういう事だ。

 で、あたしの側にあるボールと他のボールではなにが流行り物と異なるのかだけれど、これは聖の言葉『早合点』から気がつけたことだ。こちらも結論から言ってしまおう、あたしも度々していたこの早合点が答えのきっかけであり、何を早合点していたのかといえばそれはこの黒いボールの在り方である。

 まずこのボールだが、あたしの手元に転がってきたあの箱オカルトアイテム『コトリバコ』から生まれ出たものだ、と考えていたがそれがまず間違っていた。前例に習い順を追う、最初にコトリバコから。これは我が家に持ち込んできた雷鼓や九十九姉妹はあの古道具屋で鑑定してもらった通りの呪を浴びているのだからオカルトとしては間違っていない。そしてあの箱が正しい在り方であったからこそあたしは読み違えたのだ。

 更に話を遡るが、あのオカルトアイテムの元々は無縁塚で雷鼓が拾ってきただけのもの。場所柄からを加味して述べればあちらの世界で否定され幻想郷に迷い込んできた都市伝説だったはず、只それ『だけ』の物だったはずだ。だというのにあたしはそこを見落としていた、世間を騒がす都市伝説とボールの噂を自然と混ぜ込んで考えてしまって、あのコトリバコも巷を賑わす連中のオカルトと同列な存在だと思い込んでいたらしい。

 

 こいつはやらかしていた、抜けていたなと自身でも思える。あたしとしたことが噂話と自身の状況が似ているというだけで同質の存在と考えてしまうとは、思慮の浅い阿呆としか言いようがない。なんて、珍しい反省は今は捨て置いて続きだ。

 この珠が姿を見せるようになったのはあの宵闇のが箱に歯形を付けた後から。当初は囓られて呪の道具としての形が欠けたから中身が開放され世に出て来たと、そう思っていた。しかし今は別の要素から現れたんじゃないかと感じている。例えば、あれを呼び水に出てきたと踏まえてだが、あの時にあたしとルーミアの少女二人が仲良さそうにじゃれ合っていたからこの珠の元である幼い童女達も『楽しそうだから私達も混ぜて』と、宵闇の姿を真似て自身達の形を成した、目に見える状態で出てきただけなんじゃないかなってのが先の読み、ボールの正体の足掛かりだ。

 これを元に色々と紐付けてみるとあの後、阿求や小町との言い争いの際にも子供らしい口喧嘩に釣られて現れたのだと考えられないだろうか。あの日の片方は朝御飯云々、もう片方はおやつ代わりの甘い菓子を話の軸にした問答で、どちらも子供の興味を引くには十分な釣り餌だったんじゃないかと思えるはずだ。

 この仮説で噛み合わないとすれば、別段思い当たる節のない聖に対しての理由付けが苦しくなるがあれだ、節よりも柔らかそうな部分が目立つ優しげなお姉さんからオカルトボール(わたしたち)の話題が出てきた事が嬉しいとか楽しいとか、そんな幼稚な要因で表れたんだと思えば辻褄が合わなくもなかろう‥‥と、現時点の予想としてはこんなところか。付け足すなら気まぐれな現れ方や出てきてからの振る舞い方も気移りしやすい餓鬼っぽくて、そこもあたしの邪推に拍車を掛ける部分ではあるのだが‥‥

 

「悩んでいるようだけどさ、本当のところはどうなんだい?」

「読めていなくもないけど読み切れてはいないの。正直に話すとあたしの思い込みだけじゃなくて確かな後ろ盾が欲しいのよ、取り戻したい者達の為にもね」

 

 思考に浸る最中届いた神の導き。

 どうなんだという問い掛けはどうなのかと悩み始めたあたしを釣り上げるのに適していたらしく、思案の深みにハマり切る前にこちらの世界に戻ってこれた。そうして気分を入れ替えるよう一度頭を振ってから感謝ついでにお返事もしておく。

 そう、あたしだけに関わるなら先の思い込みそれだけでいいのだけれど、これは雷鼓や九十九姉妹に関わる話でもあるからな。誰か、その手の事に長けた餅屋に背を押してもらいたかったのが本音であり、こういった方面の呪術に詳しそうな娘々に話を振ったり祟りの玄人を宛にしたのはそれが本命でもある。

 

「取り戻すねぇ、竹林の姫が賑やかな連中を連れ回してるとは聞いたが……早苗が言ってたのはそれかい。はぁん、我の強いアヤメが誰かの為など殊勝な事だ」

「我の強さ故によ。あたしのものがあたしの手元にないと嫌なの、だから取り戻すのよ」

 

 里で見かけた付喪神とは楽器連中だったか。輝夜が出歩くなど珍しいが偶に里へ赴いて子供等に昔話を聞かせているらしいし、今回は兎の代わりに楽器をお供にした行楽かな。どうにせよあたしのものを勝手に連れ回さないでほしい。

 それともあれらは輝夜のものとでも思われているんだろうか、あたし自身が外飼いのペット扱いなのだからその鼓を好きにしてもいいって考えなのかもしれんね。まぁいい、あの姫様ならモノの扱いは丁寧だし、あいつらも出歩いて気晴らし出来ているのなら悪いことでもあるまい。

 

「恥ずかし紛れの減らず口を吐いたなら黙るなよ、それとものろけだったか? どちらにせよご馳走様だ‥‥でもまぁそうだね、らしくない摯実な心のおかげで割りと楽しめたし、そんなに聞きたいなら話してやろう。その珠は人の魂だった者達が変じたなにか、最早人とも魂とも呼べなくなった憐れなナニカだよ」

「そこは言い切って下さらないのね?」

 

輪廻生死(りんねしょうじ)は私の領分ではないからね、確実にそうとは言い切らんよ。言い切れるのはその性質、力のほうさ。放つ力は私の司るものに近く感じる。私と比べれば幼く拙い怨嗟だが、子供らしい無垢な黒さは人の身に浴びれば余る程だろうな」

 

 わからんならそこはいい、後でまた誰かに聞こう。

 しかしなるほど、変化しちゃいるが心残りの具現ではなく魂だったか、あたしの考えも見当外れとまではいかなかったようでとりあえずは満足。だが無垢なのに黒とは、純粋な色の表現ならば白ではないのか?

 

「呪の歪み、もしくは種として歪められたから黒なのかしら?」

「純粋だからこそだよ、無垢といえば白と連想しそうだが実際はそうじゃないってことさ。元は無垢な子供だったはずだ。そうした幼子の持つ無垢さは無知故のもの、何も知らぬから無邪気に生き、笑い、泣き、殺める。黒に染まりやすく、他者から発せられた邪気に塗れた故に現在は黒ってところかね」

 

「ふぅん、それって邪気に溺れやすいから、邪な情に(ほだ)されやすいから黒と?」

「少し昔話‥‥でもないな、ほんの少し前だ、この神社が外にあった頃の話をしよう。あの頃はまだ人の出入りがあってね、境内で遊び回る童子共も多くいた。中には悪戯小僧もいてな、そいつらがまた悪ガキでなぁ‥‥」

 

 表の祭神様に同じく、裏の祭神様も身近な昔語りを始めた。

 年寄りが過去の話を始めると長くなるから若者なあたしらしく纏めるが、外で見ていた子供らの遊びについて思う部分があるらしい。捕まえた蛙の尻に発破を詰めてふっ飛ばしたり甲虫の首に紐を掛けて回したりと、中々にやんちゃする姿をよく見ていたと仰られるが、なんとも子供らしい刺激に満ちた遊びをするものだ。

 

「尻を爆ぜさせるって、大胆な遊びを考えるわねぇ」

「ああいった遊びは楽しいが見方によっては尊さも知らぬまま命を奪う浅はかな行いにも成る、見ていて心地良いものではなかったね。でも私は何も言わなかったよ、そうした遊びから命の尊さを知る事も往々にあるからな。だがあくまでも往々だ。無垢なまま、諸々を知り得る事叶わぬまま育ち暮らす者も多くいて‥‥と、話が逸れたな、何が言いたかったかといえばだ、子というのは無邪気故に残酷だってことが言いたかったんだ」

 

「心境だけならわからなくもないわね。無邪気に奪うだけってのは楽しいもの、何事でも」

「お前の考えている略奪とはまた違う想いだろうがね。お前は少女以前に妖怪だ、悪戯に命を奪い命を喰らって生きる者達なのだからそうあって然るべき、はなから別物だよ」

 

 そもそも子の無垢さなどアヤメにゃ関係ない話だ。

 そんな〆で一度閉じる神口。

 あたしとは違う縞柄の巾着に視線を感じるが今は無視。まぁそれはいいとしてだ、一言多いぞ、最後のはいらん‥‥が、仰られる事は理解出来た、生憎人の子だった経験がないから諏訪子様の言う無垢な心ってのはわからないがこの珠が黒い理由ってのはなんとなくわかった、オーラの方もそれに準じた色合いだったから紫ではなかったんだろうね。

 元が透明だからこそ白にも黒にも染まってしまう、ね。ふむ、あの閻魔様もこういった部分を見て判断されるのだろうか。というかここまで聞いてなんとなく理解出来た、あの日に小町が出向いて来たのはやはり映姫様の差し金だったようだな。こいつらも一応は人の魂、死後裁かれるべき立場の者達だ。但しこのボールな魂達は人として幻想郷に来たわけではなく既に事切れた状態で入ってきている。という事はこの地の人の死後を運び、裁く方々の仕事の範疇にあるかと言えばそれは否のはずだ、だからこそ地獄側からも手を出さず様子見するだけにしたと、そんな感じだろうな。

 

「黙り込んで、もういいのか?」

「まだあるならもっとお話きかせて? 催促いる? あ、おねだりって言ったほうが可愛い?」

 

「ブンブン尻尾を振るな、あざとさしか見えん」

「あざといなんて失礼ね、あたしは元から可愛いの、ちょっとあくどいだけよ。いいからほら、ケロちゃんもっと頂戴」

 

「やれやれ、こんな奴から信心を感じる自分が嫌だね‥‥黒とは負の色、世を祟り他を憎んで染まる色合いでもある。が、そいつらの色はまた違う。そうなったのはそいつらなりの自衛の為だったんだろうよ」

「自衛って‥‥そうよね、あんな箱に入れられたい人間なんていないわね」

 

「そうさ。その子らが生前最後に見たのは酷い顔した大人達で、細首に手をかけてきた奴らの中には見知った顔もあったはずだ。昨日まで話していた近所の大人が血相変えて自分を見てくる、追いかけてくるんだ、わからないながらもまずいと感じたはずで、そうなったら逃げる手段の一つも考えるもんだろう? で、そうした連中から逃げるにはどうすべきか? 何も見えぬ闇を纏って暗がりに潜めば見つからないだろう、怖い大人に連れていかれずに済むだろうと‥‥黒いオーラは己の死も理解できない幼さながらに考えた、他から己を守るための手段だったのだろうな。私が言うのもなんだが人とは怖いものよな、アヤメ」

 

 感想を素直に吐いたあたしに合わせ、長々語られる神。

 他と交わらない、最早この世のものとは交われないから、怨み辛みの塊だったから黒い、あたしは単純にそう考えていたがこの祟り神の語り草は別の意味合いであった。そういったものだったから他のボールとは色合いが違ったのか。自分達を殺し封じ込めた者達を畏れた。だから見つからないよう、見つけられないように黒を纏って隠蔽するように成った、していたと、そういう事だったらしい。

 ついでに言えば暗い怨念などは人、あの阿闍梨が真っ当な種族人間とは言い切らないけれど、人に近い立場の者から見れば危ういものに見えて、祓うべきオーラと感じてしまうのもわかる気がする。纏うあたしが気が付かなかったのは似たもの同士、この世に未練たらたらな怨霊になったからってところか。我ながら鈍いと思わなくもないが己の事より取り戻したい相手を中心に考えていたから仕方がなかろう、なんとかは盲目というくらいなのだし。

 ま、そこいらはともかくだ‥‥

 

「自衛ってのに戻るけど、他者を呪うようになったのもそうした部分が作用しての事?」

「いや、こいつらは純粋だと言ってやったろ? (しゅ)の方はその純心さが歪められたから発せられるようになったのだろうな。元々が人の、物心もつかぬような者達だ。物事の分別もわからなければ世の恨み辛みもわからんような子らが他者を憑き殺せるほどの念を発せられるはずもない。人としてすらまともに生きられなかった連中がその種族を殺める呪など生むことも出来なかったはずだろうよ」

 

 見えない張り扇でも握るように、雄弁と講釈される諏訪子様。 

 元々が人の子、だからこそ人に対する念も強いはず。そうした恨み辛みから発せられる呪いがコトリバコの源なのだとあたしは考えたがこれも読み違っていた、いや浅かったようだ。

 祟りの玄人が仰るには元は純真無垢な子供らだったのだからそのような力などはなかった、持ち得る事も出来なかったはずだという。これは納得出来る話だ、恨みや辛みをソレと認識出来るほど中身の子供は人として生きられなかったはずなのだから、そうした怨嗟を発しようにも発せらんだろう。

 が、逆に考えればそうした者達の念だからこそ歪むだけで人を殺めるほどの力を有す事叶ったのかもしれんのか。物心が付く前の子ら、少し前の時世なら子供は七つまで神の子として見られていた、親からも世間からもそう見られていた連中が惨たらしく殺され籠められたのだ。死んで人でなくなれば後に残るは想いだけ、一時は神の子として大事に想われていた者達だが‥‥それが墜ち、ひっくり返れば呪も宿すようにもなるのだろうな。

 

 箱の作り手の考え、想い。

 それは他者の死。

 それのみだ。

 何故だとか、理由や目的までは知らないが森近さんの教えてくれた用途から引き出せるのはそれ一つ。誰かが誰かの死を願うなど憎いか恨めしいか、根底にあるのはそんなものが大半だろう。そういった負の心はやたらに粘り強く、一度感じてしまったら後々まで引きずってしまうものだ、あの死んでも死ねない死にたがりな蓬莱人のように長く患う事になる。

 そして、そんな強い想いを込められて作られた箱に向かうのも当然誰かに向けた怨念や憎しみの心であり、人の形から離れ、あたし達妖怪と近い存在に成り果ててしまった者達、純粋で染まっていなかったモノ達が浴び続けてしまえば自ずと‥‥

 

「後はお前達妖怪と同じ末路を辿ってしまったのさ。呪いの箱としてそうあって欲しいと、そうあってくれないと困るってな。同じ人の子同士だというになんとも、哀れなものにされたな」

 

 酷い仕打ちをしてくれた大人達に対する抵抗、最初はそのくらいの効果しかなかった箱。

 けれど作り手はそう捉えず造った通りの効果があると思った、思い込んだ。

 だから箱はそうなったと、祟り神は語る。

 大事な何か、まるで子でも亡くしてしまったような神妙な表情を浮かべる諏訪子様。

 侘しい雰囲気を見せる御方を前にあたしも煙管一息吹かせる、少しだけ憐れみながら、抱えていた難題の内一つの謎が解けた事に安堵と開放感を覚えながら。

 そうして暫く、煙草の葉が燃え尽きる頃合いになると暗かったご尊顔を上げた神。

 角度から幾分顔に光が差して、思う以上に明るい表情に感じる。

 

「ま、成り果ててしまったものを案じても詮無き事だ。悩むなら今を見るべきだね‥‥アヤメに取り憑いたのがこの子らにしてみれば幸だったな。地獄にも逝けなくなった者達の縋る相手がホトケな妖怪だったなど、お前らしい冗談で笑えるよ」

「笑えないわ。どういう意味よ、怨霊同士お似合いって言いたいの?」

 

「お前だけに向けてならそう言ってやりたいがね、そっちの珠に言うにはちと不憫だ‥‥まぁ、 悪運尽きちゃあいないみたいだがね」

「なによそれ」

 

「拾ったのが祟っても死なぬ相手で、そうした力があっても使おうとはしない奴で良かったって言いたいのさ」

「憑かれたあたしはついてないんだけど」

 

「珍しく誉めてやったんだ、悪態をつくなよ。相手は散々に使われてきた者達、本人達の意識の外ではあるが誰かの悪意に利用され続け、人を殺め続けてきた子供らの魂なんだ。そういった者達が縋るのに同族の面倒見はいいお前で良かったと誉めてるんだぞ」

 

 境内を転げ回る子狸とその後を追うように飛ぶオカルトボール、二つに目線を流しながら諏訪子様が僅かに頬を緩ませる。

 同族って、同じく霊体ではあるがこいつらは人上がりの迷い子で今も絶賛妖怪中のあたしとは違う‥‥のだが、亡霊姫や舟幽霊と大差なくなった今ならこいつらと差はないか。でも、こいつらのせいであたしは被害を被ったのだから素直に頷きたくないというか否定したいというか、どうにもむずがゆい心情だ。

 

「なんにせよ、気易く縋らないでほしいわ」

「そうツンケンするな、知らずともどこかで憐れみは感じていたんだろう? 『これ』と言わず『こいつら』なんて言い回しをしたんだ、既に頭のどこかで確信を得ていたんだろうさ。だから祓わず傍に置いておいた、そのまま私の下にも出向いてきた。違うか?」

 

「子守は得意じゃないしあたしは巫女でもない、そもそもが祓われる側よ」

「なら無理矢理逸らして烟に巻く、逃げ切る事も出来たって言い換えてやろうか? 人の子が編み出した程度の呪詛だ、お前に出来んわけでもあるまいよ」

 

 言い切る女神が楽しげな声を上げ、境内の奥へと歩んでいく。

 顔だけを境内で遊ぶ子らに向けたまま社務所に戻られていくが、ケロケロ聞こえるその後ろ姿からは夫婦喧嘩で傾いていた気配は消えて、機嫌の方は戻されたように思えた。

 普段の明るさを取り戻されて重畳だがこっちは笑えない。それどころか捲し立てられて言い返す事すら出来てやしない。が、今日のところはそういう事にしておいてやろう、実際逸らして何処かに置いてくる事も出来ていたはずだし、そうしようとしなかったあたしもいたわけだし。

 

 ‥‥と、少し離れたその背を眺めるあたしに、長居するなら朝餉でも作れ、茶ぐらいは淹れてやるから。なんてご神託も飛んでくる。うむ、それなりの情報は頂けたし急ぎの用も特にない、するにしてもタネの割れたコトリバコをどうにかしてやるくらいになった。ならばそうだな、時間も丁度良い具合になってきたところだし、寺で仕入れた山椒でも炊いて話の御礼と捧げ物代わりにしますかね。

 普段は成すべきをなさず、成すべからざる事ばかりをしている不届き者なあたしだが、叡智を授けて下さった神に対して礼儀を込めた飯を食卓に届けるくらいは出来るから。




久々の更新ついでに久々の補足も少し

・夏越の祓え
話中にある感じの神事です、京都の方では小豆とういろうをその祓えで食すとか。
6月の最終日辺りにお住い近くのお寺さんや神社で見られるかもわかりませんので興味のある方は験担ぎついでに見物されるのもいいかも。

・花子さん
話中では正体は神様、道教の紫姑神やミズハノメカミ・ハニヤスビメノカミとしていますがこれはこの話の中での設定です。諸説あるそうなのでそのうちの一つくらいに思って頂けると幸い。

・胞衣、胞衣壺
胞衣は出産の際、後産で出て来る胎盤などをいうそうな。
壺はそれを収める容れ物とされています、字面から忌避すべき雰囲気がありますがそういったものではなく、嬰児の健やかな成長を願うもの、硬貨と共に土間に埋めたりもしたそうです。





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EX その65 ものまね

 かんかんに照りつけていた日天が沈み、幾分更けた景色を肴に一献。

 夜を迎えても暗くなれない、眩しすぎて空の星すら拝めない町並みを眺めつつ、心地良い冷えに満たされた空間で涼を湛える手元のグラスを習いあたしもあたしで涼に微睡む。

 苦味や酒精よりも柑橘類の爽やかさを強く感じさせるお酒、提供してくれた髭のおじ様が言うにカクテルノナンタラという種類のお酒らしいが、酢橘に似た風味の香るソレを味わいながら流れる景色に目をやると、暑さに勝てずに下げた肩口から露出する肩の汗もすっかり引いたあたしとは正反対な様子で歩む者らが見えた。

 

 歓楽街の灯が揺らぐ中忙しく行くのは種々な民草、老若男女。

 その内の老男は日中にかいた汗や皮脂で額を光らせて足早に歩き去っていく。大きな辻に交差するモノクロなストライプを行く彼らは身に纏う服装も足元の色と似通った物が多くて、その顔付きも暗色らしく洋装を呈していて表情や衣服の色合いからみれば何か急ぎの葬祭にでも向かう雰囲気を帯びているけれど、聞く限りあれが彼らの勝負服だそうで。あんな形でも見た目に叶わず冥々した心は薄く、逆にこれからは遊びに出る時間帯なんだとさ。

 夜になり少しだけ緩んだ暑さを浴びながら話す男衆、これから昼間の(ろう)(ねぎら)うために酒か女でも買って楽しい一夜に勤しむのだろうが、そちらもどうにか成功するといいねと、再度お酒を含み目線を流した。

 

 そうして流した視点の先、そこには語り合う若女が映りこむ。

 その半分弱は先の者らと並べば似合うかっちりした姿で、膝丈だったりもう少し短めのスカートだったり或いは張りのある尻が目立つパンツスタイルだったりと、下半身を飾る服に違いはあれど、誰にもこれからもう一勝負という意気込みを感じるな。夜に映える明るさを唇や目元に纏わせていく姿から仕事明けに遊びに繰り出すってのがわかるし、どいつもこいつも夜の灯りに直したての化粧を輝かせて街の何処かへ消えていくんだ、気合の程もわかりやすい。

 

 それから残りのもう半分は、こっちは完全に遊びだろうな。先の者達と違って夜を楽しむよう目立つ衣服に袖を通す者が多い。色も形も様々、いつかこちらの世界で見た女子高生だったか、あれが着ていた衣服と似たような集団もいれば、今日のあたしのように肩を出したり長い裾から生足晒した露出度の高い服装も多くいるようだ。

 目に付く者を列挙するならそうだな、あちらの路地を歩き去っていったのは上下をモノトーンな色合いで揃えていて、見慣れた誰かに例えるならあの蛍の少女が外羽根マントを外して袖を切り落としたような姿か。すらりとした脚と小さめの尻のラインがよく分かる出で立ちは例えに出したあの子も勿論だが別のモノトーン、あっち(黒白)の魔法使いが纏っても似合いそうだ。ああいった活発さの中に華奢な要素が混ざる装いには(なり)小さくとも口はデカい魔女っ娘と親和するはずで、騒がしい小娘の性格を反映した輝く金髪に落ち着いた色味も良く映えるだろう。

 

 ん、あちらの角、女同士で話している娘達の格好も誰かが着れば似合うだろうね。

 二人とも派手な色合いだが郷愁を感じさせるワンピース、彩色豊かな柄には何処か知らぬ地の風土に寄せた風味が伺える。ああいった格好ならそうだな、地に咲く太陽に愛されたお嬢さんや鈴蘭の匂いを漂わせる御嬢ちゃん、稔りと終焉を司る姉妹なんかがお似合いか。強調的な服の柄にはいくらかの癖も感じるがそもそもあの花妖怪にも協調性はないしあれ自体のクセも強いから柄に負ける事などないはず、もう一人は元が愛くるしいお人形さんだから何を着せ替えても大概は似合うはずで、姉妹神も紅葉に負けない華やかさを羽織れば秋以外でも元気な姿を見せてくださるようになるかもしれないね。

 

 うむ、人間(エサ)を肴に呑むのも悪くない、なんて考えつつ更に続ける暇潰し。

 残りで目につくのはあっちの、軟派な男達に声をかけられている女の子達だけれど、あの二人は今日のあたしと大差がないから詳しく語る気もしないな。二人揃ってオフショルダーのTシャツから下着の紐を見せつけてそこに収まる形の良いソレ目当てな男を釣っているみたいだが、陸釣り狙いで肌を見せるならそう、どうせならその紐もない方がいいんじゃないかね? その方が頭も尻も軽いと見てもらえるだろうし、そうやってアピールしておけば男も声をかけやすいと思うぞ。

 

 と、そんな風に多種多様なお洒落を眺めながら濡れたグラスに手を伸ばし、氷が溶けて味のぼやけた中身を飲み干すと、店内のカウンター奥から穏やかな視線を感じた。

 横目にすると店員さんと視線が重なる。

 目があってすぐに放たれる丸い笑顔、それが物語るのはおかわりはいかがでしょうか。その声に対して空のグラスを振ってみるとカウンターでかろんころん、涼しげな氷の音がした。

 

「しっかし遅いわね」

 

 おかわりが来るまでの手持ち無沙汰、眼鏡の縁にかかる前髪と、空隣の椅子に向かってぽつり。

 レンズ越しに揺れるのは普段とは違う色の髪、待ち合わせ相手を真似て化かした茶髪。

 それを、こちらも化かして成した人の耳にかけて言った言葉は注文に対して、ではない。これはこの店で落ち合う予定になっている誰かに向けてのもの、のはずだったがお店の人にも聞こえたのだろう、暗めのカウンターから響いてくる氷や液体の音が幾分早まった気がする。

 

「ちょいと抜けるなんて言っていたけど何処まで出掛けたのやら‥‥もしかして道に迷ってたりするのかしらね」

 

 窓を眺めながら少し大きめの声で語り、袖の下に手を突っ込む。

 二言目の独り言を態と漏らして取り出したのは紙一枚。

 それはあたしが偶に持ち歩いている帳面よりも上質な紙で、讃仰してやまない眷属、この店の前で一旦別れた御方の匂いと妖気が強く強く染み付いているもの。

 

「あ、どうも。ありがとね」

 

 メモ書き眺めるあたしの手元、そこに冷えたグラスが届く。

 店員さん、見た目の年齢や立ち振舞からすれば店長さんかね、どちらでもいいが。配膳してくれた彼に感謝を伝えると微笑みながら僅かに目を流されて、ここは小さな店ですが立地だけはわかりやすいから大丈夫でしょうと、先の呟きに対して気を利かせてくれた、気配り上手でなんともできた店員さんだ。四角いコルクのコースターに残った丸い跡へグラスを置きながら言ってくれたのは文に添えられた地図に対してだろうな、大きな電波塔を背にして辻を幾つか抜けた先、そこの二階に記された酒場、というにはこじんまりし過ぎている気もするがともかく、その店の隅があたしが過ごす場所で、待ち合わせ場所である。

 

 こちらの世界に出てきてまで酒飲みか、幻想郷じゃあ異変で騒がしいのに遊び惚けていて構わないのかと、昨今の事情を知る人にはそんな事を言われてしまいそうだがその辺りは問題ない。

 オカルトボールやらコトリバコやら、幻想の少女らしい流行りものに触れてはいたが、あたしの場合は拾ってきた物から偶々玉々が顕れちゃったというだけ、謂わば重なった偶然に振り回されたようなものだ、何に気兼ねすることもない。一時はあの尼さん、我が身をぶっ飛ばしてくれた狸殺しの和尚に疑われたけれど、あたしは元より関わりないと昨日訪れた神社の神からお墨付きを頂いたし、風説の流布を操る程度の能力者がばら撒いた号外に聞けば元凶らしき者の影を見たって奴も現れたらしいからこの異変も放っておけば解決したい連中が解決するはずだ、餅は餅屋にまかせておけばいい。

 

 なんて、さもわかっていたような考えの元に遊び歩いちゃいるが、こういった結論に至れたのはあの託宣を賜る事ができたからで今思い返せばあれだ、あの死神と出会った頃に無関係だと自覚出来てもよさそうなもんだったんだが‥‥いざ振り返るとあたしにしては冷静さに欠けた数日間だったと思える。

 迂闊だったと思えるソレ、少し振り返るならそうだな、彼岸の住人である小町が現世の生死に直接関わる事などそうはないってことから読み違えていたな。上辺だけは気が付いちゃあいたが読みが浅く、あの時のあたしは小町の動きの全てを否定した、そこから誤解したままに考えてしまって、今更浅かったと考えるなど少し恥ずかしくもあるけれど、それはそれ、過ぎたのだからそれこそ今更って事にしておく。思い出しついでに振り返るが、あいつは何かやらかしそうな妖怪がいてその監視に来たんだなどと抜かしやがった、この時点で違和を感じていればあの住職とやりあう事もなかったはずだし、あたしとしたことがちょいと抜けていたと思える。けれど、大事なものが大事になりそうだったのだから多少の見逃しがあったとしても無理はなかろう。

 

 話が逸れかけたから戻すが、先に言った通り、小町は基本的に事が起きた後にしか仕事をしない、いや立場上出来ないと言っておくべきか。死んだ魂を運ぶだけの船頭さんが事が起きないように先導するなどない、もしもやってしまったら怖い怖い上司から現世の事象に関わるなどおこがましいなんてお説教と重たい棒が頭に飛んでくるからするはずがない。そんなやつがちょっと呪われていて人を殺せる器物を持ったあたしと会っても止める事など本来なかったはずだし、勤務態度はともかく仕事内容に関してだけは真面目な彼女だ、気付いてもそうしなかったはずだ。

 だというのにあたしに絡んできたのがわからない部分で長らく引っ掛かっていたところだがこれはあれ、例外措置として動かざるを得なくなったのはコトリバコが幻想郷のものではなく外から迷い込んだものだったからだろう。幻想の民の魂を裁く立場にある二人としては外来のもので郷の者が死ぬのは好ましくない、しかし大腕を振って関わるのも役職柄マズイ、だからそうなる前に、扱いに困る前になんとか丸め込んでしまおうとか、そんなお考えを基に映姫様が小町を動かされたのだと思う。見方によってはこれも現世に関わる事柄となりそうだが、標的とされたあたしは本来彼岸の住人であるべきらしいし、以前の花の異変でも外と郷で白黒つけて考えていた閻魔様だから、今回はそんな風に仕分けをしたんだろう。

 随分と都合のいい解釈ではあるが世の事象なんぞわからないことのが多いもの、大概のことなんざ己が良ければ物事の正誤なんてどうでもよくなるものだ、そう思うからこれでいい……

 

 なんてことをつらつらと、昨今の事情を思い出していると不意に目に留まる風景、酔っ払いがどこかの店員に絡んでいるところが見えた。怒鳴る若手と謝る若手、このまま見ていれば熱くなった方から手でもでそうな‥‥と、なる前に現れる第三者。

 そいつが来ると静まる酔客、萎縮する姿勢から見るに上司か目上の者だろうか。そやつが荒れる連中の間に体を挟むとすぐに騒ぎも収まったらしく遠巻きに見ていた見物人もまた歩き始めた。ふむ、まかり間違えばあたしも『貴女は少し都合が良すぎると説きましたがそれを忘れるなど、相変わらずな頭ですね、貴方は』なんて誰かさんに叱られそうだ、外の流れも変わったことだしあたしもあたしで切り替えよう。

 

 いただいたおかわりを含み喉を鳴らす、余計な考えを飲み込むように。

 そうすると自分にだけしか聞こえないはずのその音が聞こえたようにこちらを見る店員だったが、今はお呼びじゃないですよと、もう一度外へ目を向ける。

 透明度の高いガラスの向こう側を行き来するのは代わり映えしない人、人、人。

 幻想郷の里で見るよりは随分と多く、随分と足早に歩いて行く人間達。違いがあるとすれば男も女も身長が高めだったり肉付きよくて食いでがありそうって感じるくらいで、あの宵闇のが見たら喜びそうな体格が多いってくらいか。前述通り身につけている衣服にも多少の違いがあって中には下着なんじゃないかって男女もいるけれど、奇抜な格好が多い割にそれほどの驚きを感じないのは皆が皆どこか見た事があるような格好だと見受けてしまうせいだろうな。見知った誰かが着れば似合うと妄想してしまうくらいだ、あっちの少女連中で見慣れている格好もいるにはいるからそう感じて仕方がないことも‥‥ないのか?

 

 いや、勿論そういう部分もあるが、あたしがそう感じとってしまうのは今目を通している内の一冊、こちらの世界で買い入れた雑誌なんてのを流し読みしているのが強いんだろう。開いたページをぺらり捲れば目に留まる表紙の文字、目立つ字体でデカデカ書かれるのは今年の夏コーデ特集。ようは流行りのおしゃれ着を追う雑誌ってやつだな、その中身を見ると今年のトレンドだのモテカラーだのモテスタイルだのと書かれていて、カラーやスタイルはわかるがトレンドとはなんぞやと、写真に収まる彼女達みたいに首を傾げてしまった。

 傾いで写る彼女らも通りを歩く女達も化粧こそ似てはいるが、雑誌の中の女達のほうが幾分派手で目を引く身形をしているか。皆が皆したり顔で、似たような笑みで微笑んでいたり遠くを眺める素振りで佇んでいて、特集記事のそれらしく同じ装いに寄せているようだ。

 これで写真がモノクロだったならば益々見分けがつかないけれど、これらから察するにトレンドとは流行りもの、横並びに合わせるものをいうのかなと、同じようなすまし顔や作り笑いで映っている女性の姿から感じ取れた。

 

「暑さに強くなったのか、それとも鈍いのか、どっちかしらね」

 

 なんにせよ炎天下で汗の一つもかかずに写真に収まるなど雑誌に載る娘達は大したものだ。

 捲る特集記事に一人感想を漏らした頃、お店の扉が静かに開く。

 

 重たい造りの扉がギィと鳴る。

 カウンターからのいらっしゃいませを受け、一言二言話してからこちらに近寄ってきた足音は、あたしが居座る窓際の小さな個室の傍で止まった。

 

「遅かったわね、どこまで行ってたの?」

「なに、ちょいとな、待たせてすまんかった‥‥ってなんじゃ一人で始めておるのか、すぐに戻るから待っておけと言わんかったかのう」

 

 振り返りはせず、強めに仰け反りながらお迎えすると仕切りの扉が開く。

 あたしの顔に目線を添えて待たせたと語る御方はそのまま視線を動かさず、我が額を支点にするように歩いてお隣へ。

 漸く来た待ち人、先約と言って出て行った姉さんだがこちらの世界でなんの用事を‥‥佐渡に残した配下や他の狸連中になにかしらの言伝でもあったのかね、姿もこちらの世界に溶け込む紺色のビジネススーツ一式で任侠に生きる二ッ岩の大親分というよりは経済を生かす二ッ岩商事の若社長って雰囲気だし、大方この辺りを縄張りに今でも生きている狸達のところへ顔出しに行っていたのかもしれんな。

 

「だって暑いんだもの、お品書きに涼し気な飲み物が載ってたら誰だって頼んで待つものでしょう?」

「わからんでもないな、こちらの夏は随分と蒸すからのう。シマに居た頃は気にしておらんかったが比較すると確かにこたえる気もするわい」

 

 メニュー片手に話ながらシャツの胸元摘まんでぱたぱた、あたしが手団扇煽ぐと対面も動くと、あたしの仕草を真似るようきっちりしめていたワイシャツの襟元のボタン二つぶん、ぱっと開いて風を送る姉。

 元々こちらで暮らしていた御方だ、多少の熱さには慣れていらっしゃるはずでそんなことせんでも問題ないとは思うのだけれど‥‥それなりに急いで向かってきてくれたらしいな、気にして早駆けでもしてくれたのか漏れてくる汗の香り、ふぅと吐かれる温かな息遣い。

 

「昔はもう少し涼しかった気がするんだけどね」

「お前さんがうろついておった頃と比べたらいかんよ、世の変化はめまぐるしいもの、気候もそのうちの一つじゃろうて」

 

 言い返しながらハンカチを差し出すと、返事と交換するように受け取られた。

 そのまま首元や胸元が拭われていく。

 

「そうね。生きていれば変化はあって当然だし、こっちの暮らしには慣れてないから余計に大きく感じられるのかも」

「何事も変わって然るべきなんじゃろうな、でなければ儂らのような存在が忘れられることなどないわい」  

 

 話しながら突っ返してくれるハンカチを受け取り、そのまま雑誌へと目線を逸らす。さらっと受け取ってもらえてさらっと返してくれる気安さは変わらないな、なんて辺に気恥ずかしくなるような思いから気を逸らすように。

 移り変わりが激しい、それはあたしも感じなくもない。流行りにうるさい女子達が追いかける雑誌も来月号は秋冬のコーディネート特集なんてものになっているし、衣服一つをとっても真夏の時分から秋冬を案じて特集されるくらいだ、世の中忙しくなっているのだろう。

 あたしがこちらでのさばっていた頃は今ほど夜が明るくなかったし闇夜に出歩く人間も多くなかった、いても酔い潰れた男衆かそいつら狙いの小悪党と同心くらいだったはず、それが今では若い女が肌を晒して遊び呆け、まかり間違えば赤子を連れた者達まで夜道を闊歩しているのだから、姉さんが言われる通りめまぐるしいものだ。

 

「なんにせよ一時の変化に流される連中は大変よね」

「流行りと変化はまた別物じゃろうて。流行りは遊び、いずれ廃れるが変化は習慣付いたもの、残っていくもんじゃ」

 

「分類なんてなんでもいいわ、流れに飲まれる事には変わりないんだから……それで、用事は済んだの?」

「大方は済んだ、後はこれから残りを片づけるってところかの」

 

「あら、それじゃあたしはまた待ちぼうけ?」

「なぁに、気にするでないよ。片付けは他の連中の仕事じゃ、儂の出番はもう済んでおるよ」

 

 まだ残りがあるのなら付き合わせるのは気が引ける、誘っておいてもらって気を使うのもなんだが相手が姉さんならあたしは一歩どころか何歩でも引けると、そう思って気配りしたがそれは要らぬ心配だったようだ。

 ならば気兼ねなく呑もう、再開に華開かせよう。

 そうやって別方向に気を回すとおしぼりとお通し片手に、もう一方の手には小さな帳簿らしきものを持つ店員さんが寄ってくる、先程から本当にタイミングのいい人間だな。

 

「儂にもこやつと同じものを頼むよ」

「あ、あたしはおかわりね」

 

 それに気づいた姐さんがこいつと同じものでいいと頼み、こちらも追加の注文をしてさくっと人を払う。後はお酒が届けば楽しい宴会の始まりだが今晩は何を肴に語らおうかね。

 話したい事、聞きたい事、それなりに多くあって何から切り出せばいいか、楽しい迷いに気が落ち着かない。

 

「なんじゃ、嬉しそうに笑いおって」

「作ってないわよ? 素直に嬉しいし楽しいの」

 

 今は薄れさせている本物の耳をぴこん、軽く撥ねさせて上機嫌をアピールすると思った以上に伝わったらしい、あたしと似たような丸眼鏡の奥にある瞳が幾分細まる。が、そんな呆れ顔はしないでほしいな、さっきのは本心から言ったのだから。

 

「大好きな姉とのお酒だし、最近ゆっくり呑めもしなかったからね。漸くまったりお話出来ると思うと可愛らしく綻ぶってもんでしょ」

「お主も近頃の流行りに乗じておったようじゃからな、あの騒ぎに混じっておったのなら忙しい日が続いても致し方ないわぃ」

 

「不本意ながらの強制参加だったんだけどね……その口振りからすると姉さんも一枚くらいは噛んでるのね?」

「儂はお膳立ての甘噛み程度ってところじゃがな」

 

 話し合う中届いたグラス、その二つを小さく重ね、チンと鳴らして一息入れる。

 新しいお酒は飲み干したものよりも清涼感が強く、我が鼻孔を抜けていくものも同じく強い。

 堪能するように味わい長くお目々を瞑っているとカランと鳴るお隣のグラス。

 音に惹かれて目配せすれば、そこには微笑む姉の顔。

 

「おまえさんのもぬえから聞いておるよ、巻き込まれた舞台とはいえあの住職とやり合うなど、尻尾を巻くのに飽いたかのぅ?」

 

 ニコリ、ではないなニヤリか。

 なにか良からぬ事を企んでいます、姉さんの顔に書かれたソレ。口振りと表情からして姉さんの用事とはこの異変に関わるなにかだったようだな、もしや香った汗はここに来る前に一悶着してきたからだったり、はしないか、さすがに。こちらの世界にそれほどの者が残っているならあたし達妖怪が忘れられるはずもないからな。

 で、姉さんは何を聞きたいのかね、ぬえから聞いたとあたしの話を振ってあたしからこの異変の話を引き出すつもりってのも、軽い煽りまで混ぜ込んで話される辺りにも探りたいってのが無骨に匂う……ならばそこには気が付かぬふりをしよう、あたしは流行りの催事を語り合うよりもあたしの難事がどうにか纏められるような話が聞きたいから。

 

「巻く余裕がなかったし自ら上がったわけじゃないわ、舞台袖を彷徨いていたら無理やり引っ張り上げられたのよ。まぁ、乗り掛かった舟なら楽しまなきゃ損と考えなかったわけでもないし、そのお陰で色々と捗ったから結果は上々なんだけどね」

 

 思惑には気が付きませんよ、素知らぬ顔で近況を語っていく。

 竹林で阿闍梨に打ちのめされた詳細から始まり、彼女の異変に対する真摯な思いやら、そんな話を聞かされてしまったものだからあたしの意識も異変に向けられてしまったことやら、そのせいであたしの傍にある珠っころが別物だったことに気がついたことやら。色々と含めてつらつら漏らす‥‥

 

 するとまたも笑い始める御大将。

 悪戯に失敗した子でも笑うよう、明るい声を聞かせてくれた。 

 

「そんなに笑わなくてもいいんじゃない?」

「いやいやすまんのぅ、あまりに似合わなくてついな」

 

「あら、あたしだって偶には争うのよ。弾幕ごっこの楽しさは知ってるもの、興に乗れば楽しく戯れることくらいあるわよ?」

「逃げ切れなかった輩が興に乗じたなどと言うものではないのぅ。狸が人に化かされたのはおぬしの不手際じゃ、曖昧にするでないわ」

 

 結構な勢いで笑い飛ばされたからちょっとだけ面白くなくて言い返してみたが、あたしの小業は全く通じていないらしい。

 大概の相手なら、異変の場で出くわしたならそういうこともあるな、ましてや相手があの元人間(聖白蓮)ではそうなっても仕方がない、なんてさらっと話を流してそのまま別の話題にもっていけるのだが、変に逸れずに叱るだけとは流石我が姉、逃げの一手が得意なあたしが逃げ切れなかったという汚点を忘れずにつついて笑ってくれる。やっぱりこのお人には口でも頭でも勝てそうにない。

 けれど、それでも僅かにはあるあたしの享受。我らが御大将相手に言い返せなくてもそこは当然だから苦虫を噛むほどではないが、ここで引いては変幻自在の食えない妹分として名が廃る。ならばどうするかといえば……そうだな、ここは狸ではなく妹らしく化けてみるか。

 

「狸は泥舟に乗るものでしょ、宝船には乗れなくても仕方ないじゃない」

「そうツンケンするな、冗談じゃよ冗談、拗ねるでない。笑ってやったのはあれじゃ、目立つ場所にお主が自分から首を突っ込むのが珍しくてな、それが可笑しかったのよ」

 

「自ら突っ込んで見事に打ち返されてるからね、さぞ面白いでしょうね」

 

 無骨な煽りに対して僅かに傾けた(てい)によろしく、(からだ)を捻りこちこち鳴る壁掛け時計を見つめて返事を投げる。それから顔だけ振り向いて、わざとらしさを満載した尖り口でグラスを啜り上目遣いで睨んでいると、姉さんの手が伸びてきて、ポンポン、頭を叩かれた。

 

「だから拗ねるなと‥‥手間がかかるのぅ」

 

 是非ないって顔であやし始めてくれるお姉さん。

 一度二度と叩かれて一回二回撫でられて。その度に頭が沈むが、こうしてみせればそうしてくれるだろうという面倒な妹が弄した策通りに構ってくれてあたしの機嫌は逆に傾いた。

 

「こんなもんでええか?」

「待たされた分はね‥‥あの時はいつもの弾幕ごっこだと思ったし、逃げるだけならいくらでも逃げられたんだけど、ねぇ」

 

「逃げるよりも益があると、そう踏んだわけじゃな」

「そういうこと、深く突っ込むつもりはなかったんだけど身を沈めたほうが話が早くなるんじゃないかって思っちゃったのよね、そこそこに捗ったからそれはそれでよかったんだけど」

 

 沈めるのはあの住職ではなくあっちの難破が得意な船長だがあれも寺住まい、流れで出しても違和感はないだろう。そう思いながらあたしも姉をナンパ。ちょっとだけ席を寄せ、肩寄せあえるくらいまで近寄って、 酒も語りも流していく。

 姉さんとしては今の甘やかしで話の趣旨を変えたい、あたしの話を一度切って自分の話題、大方乗ってきた異変関連に持っていきたかったのだろうがそうはさせない。二人きりの時くらいしかこうして構ってくれないし甘えさせてもくれないのだから強引にでも話を戻しこの空気を利用させてもらう。

 二度も捗ったと言ってやったのだ、不機嫌になりかけたあたしがそこに噛みつけと示したのだから今後話されるなにかの為に我がご機嫌を持ち上げておきたい姉さんならば察して甘噛みしてくれるだろう。

 

「思わせぶりに振らんでも聞いてやるわい、それで乗った舟には何があったんじゃ? 珍しく表舞台に立ったんじゃ、何かしらの収穫はあったんじゃろう?」

「そうね、色々とあるけどまずは……それかしら」

 

「ふぁっしょん雑誌か? そんなものに何が――」

「その下よ、重なってる下のほう」

 

 テーブルの端に追いやった雑誌群の下、動かした時に少しズレたせいで見事に隠れていた一冊へと興味を示す。

 そうするとまた伸ばされるお姉様のお手々。あたしの前を経由して雑誌へと伸びそうだったから目的地である書籍にたどり着く前にその手を取って我が足、組んで肌蹴た着物の裾から露出する腿へと導いた。

 

「そういうのはあの付喪神に頼むとええぞ」

「勿論そのつもりよ、欲求不満ではあるけれど姉さんにお願いするほど飢えちゃいないわよ、獲物を求める手つきがいやらしかったからなんとなくそそられちゃっただけ。その付喪神について捗ったから取り戻したらたぁんと可愛がってもらうわ」

 

 握ったままだった手、あたしと同じくらいの指の長さで弄んでもらうにはちょっと物足りないだろうその手を離して、代わりに姉が目指していた本を手にする。

 そのまま流れで渡そうとすると片側の眉だけ上げて僅かに眉根を寄せて見つめられた。その目は何に対してか、間違いなく下世話な考えについてだろう、だから、大した本でもないのに勿体振ってごめんなさいと、素直に謝りながら手渡すとその眉はすぐに戻ってくれたが、どれどれと開く姉の手元は見せてくれず、仕方がないからその手の動きを眺めてポツポツ漏らす。

 

「堀川波鼓っていうお話、知ってる?」

「不移山人が手がけた世話物じゃったか、久しぶりに聞くのぅ」

 

 ぺらり頁を捲る姉、その指を邪魔するように話しかける。

 書籍はなんてことはないもの、そこいらの書店でも売っている浄瑠璃本だ、特に読みふけるようなものでもないけれど、姉さんからすれば違って見えたのかもしれないな、久しぶりという呟きから『それは塩焼く海人衣』と続いた。ふむ、伊達にあたしの鼓の師ではないな、演目の名を見聞きしただけでその語り出しが出てくるうえに、本に記載された近松某という名前とは違う呼び名も知っているとは。狸としての化けでも上をいかれ知識でも我が上をいかれて本当に頭が上がらない、全くもってデキル女でお慕いし甲斐のある御方だ。

 

「知ってたのね、詳しい?」

「滑り出しを諳んじる程度には、な。当時人気になりかけたからの、江戸の都から流されてきた者らの中に覚えておったのがいてのぅ」

 

 続きはなんじゃったかな、そう言ってグラスを傾ける姉さんがあたしの顔を覗き込む。それがなんとなく試されているような表情に見えたから『これは夫の江戸詰めの』などと続きを空で読むとにこり、今日一番の柔らかな笑顔を見せてくれた。

 しかし、人気になった、いや、姉さんの口を借りればなりかけたか。浄瑠璃がそうなった頃のあたしは姿を消して外からの情報も仕入れずに過ごしていたってこれはいいか、思い返すと苦いからやめておこう。

 そういえば厄神様から話された時には雛様のせいで流行らなくなったのだと、雷鼓のほうもそのせいでお蔵入りになったと結論付けた憶えがあるが実際のところはどうなのだろうな。ちょっとその辺伺ってみようか、雷鼓についてはわからないだろうが浄瑠璃については知っていそうだし、なにか聞ければあたしの考えの後押しとなってくれるはずだ。

 

「なりかけたってのはどういう意味?」

「名うての作家が手がけたからの、こうして後世にまで残ることになったんじゃがな、この世話物の内容が少しばかり不味くてなぁ」

 

「その本のあらすじくらいしかあたしは知らないけど読む限り不貞行為ってやつよね、昔は一夫多妻も多かったし通婚が罷り通っていたんだからこれくらい問題ないんじゃないの?」

「それが当たり前じゃったのはお偉いさんだけの話じゃよ、この浄瑠璃が書かれた頃合いには不義密通は死罪とされとる‥‥そうそう、これが語られる前にもこの作者が作った話が流行ってのぅ、それがまた……」

 

 ふんふんと、頷きながら聞いていると続いていく姉の弁。

 聞けばこの作者、世話物作家として有名らしくその手の演目を多く作っていたらしい。堀川波鼓を手がける前に書いた話では一人の女を愛するあまり金銭のいざこざに巻き込まれてしまった男とその想い人を主人公とした話を書いたそうで、そっちは最後に心中して生を終わらせるってなものだったそうな。で、それが当時の人間達に滅法気に入られて、同時に心中自体も流行ったらしくその手の沙汰が増えてしまい、原因となったこの演目は演じてはならないとお上から御触れが出されたのだと。

 

 そこいらの話は本にも書いてあったからあたしも知っていてやっぱり興味はない、というよりもあたしにはわからない感覚だからこれと言って言うことなどないってのが本音か。互いの愛を示すため一緒に死ぬくらいならその相手と楽しく暮せばいいのにと思ってしまってやまないからな。

 しかしそういった人情から考えるべき部分はあった、それが捗ったってやつ。

 思うに雷鼓の性格はここいらが元になっているんじゃないかなと感じられるからだ。最近で言えばあの人、言ってきたのは半人半妖の店主だから正確には人間じゃないがそこはともかく、他人に言わせれば嫉妬深いと見られがちだが雷鼓の場合は独占欲がちょっとばかり強いからそう見えるだけで、その独占欲は先の話、心中や愛情なんてのが渦巻く話から名を取ったことでそうなったんじゃないかなとあたしは考える。

 元々の素性が太鼓で鳴り物として使われるはずだった、しかし打たれること叶わぬままに終わってしまった。だから悔しくてその演目から名を取ったと、そう言われればそれまでだが、演じることが叶わなかった話を名に当てる、つまりは自身とするなど独占的な感情だと思えるし、一つの感情の為に命を投げ出すような苛烈な面が根底にあるから雷のような熱い演奏が出来るように成ったのだとあたしは感じてしまい納得もできる。

 

 そうそう、この線でいくと雷鼓だけにコトリバコの呪いが聞いた理由もなんとなく紐付けられるからそれも我が考えを後押しする理由に成り得るか。方や苛烈な感情を憶えてしまった元器物の現妖怪、方や激しい恨み辛みから作られてしまった元人間の現……なんだろう妖怪と呼ぶには曖昧なあり方だが‥‥そこはまぁいいか、教えてくれた神の言葉を借りて成りきれなかった哀れなナニカ、って言うのは憐れに過ぎるからそうだな、報われない子の魂とでも言っておくか。

 それで、どこが紐で結ばれるかといえばだ、その在り方が似ているから呪いも強くかかってしまったのだと思える。妖怪と人の子に共通点などないと思われそうだが確かにそう、あたしもそう考えていた。

 けれどよくよく考えればあいつもコトリバコも共通している部分があるのだ。どこが似るのか、それはお互いにまだ子供なのだという部分。雷鼓は妖怪として成り上がってからまだ間もない、ちょっと前の異変で生じた魔力の嵐を切っ掛けに成った言うなれば世に出て数年程度のお子様ってやつだ、身体はあたし以上にご立派な出るとこが出た体躯で抱き心地も抱かれ心地も良い、そして頭のほうも一人で企み事が出来るくらいにある、そんな形だからそう感じさせないが年数だけで言えばあいつはまだまだケツの叩き甲斐のあるガキだろう。

 

 対してコトリバコの方だがこちらは諏訪子様から聞けた通りで、この世に出て間もない子らを元に作られたもの、箱として成った瞬間に生を終えた者達だ。そこを踏まえてこじつければ子供ら同士が惹かれ合い片方が悪戯してしまったのだと思えないだろうか?‥‥まぁ思えないな、これだけでは呪を浴びるには理由として弱いと考えたあたしですら思える、でも、案外これで当たりなんじゃないかとも思っていたりする。それは何故かと問われればだが、こちらも幼稚な理由付けになるから納得するには難しいかもわからないが言っておこう、ここも互いに子供だったからってのがその理由だ。

 こちらはコトリバコから考えるが、あの箱の中身は子供、女児が部品になっていたと箱の中身から見当をつけた。そこから繋げるならばそうだな、乳離れしたとはいえど童女は童女、本当ならまだ親を欲する年代で、人の子の大概は親元を離れず、離されれば寂しがるってのが定石って感じになるだろう。ましてや相手は成長をやめてそのまま子供として長く過ごさざるを得なかった者達、よくわからない箱に封じられ誰かと会う事もできなくなった者達だ。 そんな連中が自分達に近しい存在、人と妖怪で種族こそ違ってしまうが同じような妖しの力に満ちた同性の童女と出逢えば、その手を伸ばし触れ合おうと考えることもあるのではないだろうか。しかしあいつらは遊びの誘いに伸ばす手足すらない子らだ、どうにかして存在を知ってもらいたい拾い上げてもらいたいと考えるなら行う手段は一つ、物として成ってしまい有することになってしまったソレとしての力を発するしかなかったのではなかろうか。と、こんな共通点があったせいで雷鼓は呪を浴びたんじゃないかと思考えられないだろうか。

 

 関連付けとしちゃあ随分と頼りないが相手は深秘に満ちたオカルトなお子様達だ、これくらいに突飛で単純な方が純粋な呪いを発する器物としても幼い子供らの影響として見るにもいいような気がしなくもない。それにこの案であれば同じく被害にあった九十九姉妹、雷鼓と似たような立ち位置にいる二人にも効いてしまった理由に上乗せできるし、子というにはちょっとだけ長く存在し続けているあたしに効きやしない理由ともなる。同じ始原を持ち、発するビートも似た姉妹ならその波長に近いリズムを見つけるのかもわからないが、あたしのような子守を苦手とする大人は子供の言う事なんぞ真に受けないからな、幼児が発する舌っ足らずな言葉代わりの呪などこの身に届くはずもない。

 

 後はそう、ついでに森近さんに効かなかった理由にもなるのかもしれないね。

 彼の場合は男性だってのが大きいと思われる、自分達を閉じ込めた怖い大人の男衆と似たような者、強調するなら大きな背丈や落ち着き払った雰囲気からそいつらよりもよほど不気味な男に見えてしまったから手を伸ばさなかった、縋り付く先として選ばなかったのだろう‥‥って、これだけだと知らぬ場所で貶したようでちょっぴり悪い気がするから少し擁護しておくが、彼は静かで物腰柔らかなイイ男でそれは間違いない。けれどそういった大人の魅力がわかるほど箱の中身は育ってないからわからなかったと、そういうことにしておこう……

 

「……のぅアヤメよ、聞いておるのか?」

「え? あ、なに?」

 

「むぅ、なんじゃ、聞きたい素振りが見えたから話してやったというに」

 

 すっかり潜り込んでいた頭の中に姉の声が響く。

 気が付けばいつの間にか終わっていた姉さんの語り、どこまで話してくれたのかわからないが、あたしを見るその顔には不満が乗っかっているように思えたからここは素直に謝っておこう、後が怖いから。

 

「あぁ、ごめんなさい。聞くべきところはしかりと聞いてるわよ」

 

 十割空な返事とともに一言詫びを入れ、手元のグラスを意識すると‥‥それなりに長いこと自分の世界に入り込んでしまっていたようだな、グラスがかいた汗は結構な量となっていて反面中身は変わらぬまま。見れば姉さんのグラスは殆ど空いているし、ずいぶん長いこと耽ってしまっていたようだ。

 

「まぁええよ。こちらに向き直ったようじゃし、そろそろ儂から話してもええんかの?」

「色々聞かせてもらったしお陰様で考えも纏まったからいいわよ。態々こっちに呼びつけた理由ってのも気になるし、おかわりでも味わいながら聞かせてもらうわ」

 

 どれほど聞いておるのかの、そう愚痴る姉の顔は見ないまま酒を煽ってお手てを振る。

 気がついてくれた店員さんに再度グラスを振ってみせると、いそいそ動き始めてくれた。そういや何も気にせず化物だの鵺だの話しているが変な顔のひとつもされないな、さすがに違和感を覚えるところだがこれはきっと姉さんがナニカしているんだろうな。席に付く前に少しお話ししていたし、その時にちょいと幻術しかけてあたし達の会話が聞こえないとか取り留めのない会話に聞こえるようになっているとかそんなもんなんだろう、本当に出来るお姉様だ。

 なんて頭でカウンターを眺めていると届く追加のお酒、それも煽って再度のおかわりも頼む。そろそろ待つのも面倒になってきたから次からはボトル毎頂戴と、そう注文すると少し待ってから氷の入った容れ物と未開封の青いボトルがあたし達のテーブルに届いた。キラキラした青玉色のボトルの栓を抜き手酌で注ぐと、注いだグラスのお隣に同じ空のグラスを並ぶ‥‥こっちにも寄越せと催促がきたか、あたしが気に入ったお酒を姉さんも気に入ったらしいな。

 

「キリもいいし、あらためて」

「うむ」

 

 中ほど注いだそのグラスを手渡しあたしのグラスも差し出すと、かちんと涼しい音が鳴る。

 その涼音を皮切りに二匹でぐいっと煽り、一旦の仕切り直し、あたしのほうはもういいからって伝えてみるが姉さんが口火を切ることはなく。これはあれかね、あたしから引き出しを開けてくれってことなのかね、それなら飲むペースも早まったようだし、これを気に姉さんの話もちょっと早めていこうと思わなくもない。

 

「で、姉さんの話ってなによ?」

「いやなに、おぬしが持っとるというオカルトボールについて少しな、未だ傍におるようなら一目見てみたいと思ってのぅ」

 

 なんだそんなことか。それくらいお茶の子さいさいってやつだ、寧ろ話題に上げるたけで、言われんでも出てくるのがあの子供らの魂……だったんだがなあ。 

 

「姉さんの頼みなら叶えたいんだけど、残念ながら今は一緒じゃないのよね」

「ん? おぬしに取り憑いて離れないと聞いておるが、おらんのか?」

 

 生憎今は傍にいなくて見せように見せられない状態になっている。

 鬱陶しいから守矢のお社で払ってもらったとか、あんまりにも憐れだったから成仏させてやったからいないとかそういったわけではない、単純な話、あいつらがあたしの傍から離れていったのだ。守矢神社を出て夜を過ぎ、朝を迎えて別の神社に開いた割れ目からこちらの世界に出てくる寸前まではあたしの周囲を漂っていたのだが、元々の居場所である世界に来たくなかったのか、それとも別に理由が‥‥あるか、怖い大人に追いかけられた過去がある世界、幻想へと至る理由に満ちた世界などあいつらにとって過ごしやすい世の中とは思えないものな、ついてこなくとも当然か。

 ま、それはともかくだ、いないならいないと話しておかないとマズイか、悪巧み、と呼ぶには些か好奇心が強く嗅げる笑みで待ってくれている姉さんに悪い。

 

「今は、ね。帰って戻ってくるかも定かじゃないからはいどうぞってわけにはいかなくなっちゃったのよね……あの子らが気になるの? てっきり異変云々なんて話になると思ったのに」

「その通り、聞きたいってのはその話じゃよ。聞けば色味や雰囲気が違うなんて話じゃないか、見た目が違っていてもオカルトと認識されるものがどういったものなのか、ちょいと参考ばかりに見ておきたかったんじゃがのぅ」

 

 残念じゃ、そういう姉さんだがその目に無念など見られない。

 口では惜しいと言うけれどそれほどと思えないのは言った通り参考程度と考えていたからだろうか? しかし参考にしたいとはなんだろう、異変関連のことだってのはわかるがあんな偽物のボールを見ても‥‥ふむ偽物で異変に絡んだ話か。参考ってのはこの異変で仕掛けるなにかに対してかもわからないし、ちょっと小突いてみようか。展開次第では面白い話が聞けるかもしれない。

 

「参考ねぇ‥‥姉さん?」

「ん? なんじゃ?」

 

「紛い物のボールの何を見て何をする‥‥いえ、誰をどうするつもりだったのか聞いてもいい?」

 

 態とらしく言いかけて、訂正までして見せてから笑う。

 口角の端だけ上げて嫌味な、いつか褒められた笑みを見せつける。

 すると姉さんもあたしを真似たような顔で笑い、くっくと声まで漏らしてくれた。

 

「外しちゃった?」

 

 楽しそうな笑い声に合わせて問いかける。読み外したのか、そう聞くとグラスを置いてその手をヒラヒラして見せてくれるお姉さん。そのまま、聞かんでもわかっておるだろうにと、黒っぽい笑みを浮かべたままあたしと目線を合わせてきた。

 言われるままに当然だ、あたし自身外したなんて思っちゃあいない、というかこの読みは正しいはず。姉さんが異変に関わるなど何かしら興味が惹かれたからで、その興味ってのは『面白み』ってやつが大概だ。知らぬ人からすれば大妖怪である佐渡の団三郎がその程度で動くなどと思われなくもないがそんなことはない、あたし達化け狸ってのはお祭り好きでそれなりに有名だし名の通った親分連中ですら遊び過ぎて痛い目にあう逸話もある。近場の姉さんのネタで言うならそうだな、暇に飽いていた時に見つけた農夫で遊ぼうと思ったらしく具合の悪い振りをしてその男に背負われたのだが‥‥ってこれはいいか、下手に話すと怒られる内容だやめておこう。

 まぁ、なんだ、兎にも角にもそれくらい楽しみに対して敏感で懲りないのがあたし達である。今回も何かしらの楽しみを見つけたから賑やかな場に姿を馴染ませて自然と混ざった、それから誰か、騙して笑うのに一番適した者を見つけてそいつ相手に化け勝負してるってのが今の姉さんの立ち位置で異変との関わり方なのだろう。

 その誰か、目下勝負中の相手が誰なのかちょっと気になってきたから伺ってみたのだが、果たして教えてくれるかね?

 

「それで、どちらの何方さんを紛い物のボールで釣り上げるつもりなの? あたしも知ってる相手? 話の流れからすると聖はないし……霊夢ってこともないわよね?」

 

 異変に動いていると聞いた者達の中から騙し甲斐のある相手を選ぶなら名を上げた二人くらいだと思うけど、寺に居着いていたこともある姉さんだ、あの住職を騙すようなことは流石にない気がするしいざ対立すると面倒くさい巫女を選ぶような線も、ないな。そうするくらいならあっちの、以前に媼呼ばわりされて些か蟠りのあるほうのミコに仕掛けたほうが楽しめそうだが……宛が多いと読み切れんな、一体誰に仕掛けるのだろうか。

 

「ん~……中々に悪くない読みじゃがハズレじゃな。そもそも前提から読み違えとる、この店に来る前に用件済ませてくると伝えたじゃろう?」

 

 悩んでいると出されるヒント。

 なるほど、悪戯相手はこちらの住人だったのか、それでは読めなくとも無理はない……って、異変に関わる誰かさんに向けたものだと思っていたがこちらの世界とな? 前提とはそこから違えているってことかね?

 

「悩ましい顔をするでない、それほど難しい話でもあるまいに」

「それじゃ素直に受け取るけど、こっちでやらかす相手なんているの?」

 

「おるとも。仙人が人間二人を使っておるのを見かけたのでな、ちょいと探ったらオカルトボールの仕掛け人がこちらの住人だとわかってのう。中々どうして、肝の据わった女子高生でな、オカルトボールを投げ込んで広がる波紋を見たかったから異変を起こしたなんて言ってのけおったわ」

 

 問いかけるとすぐに答えてくれた。

 いつの間にか取り出していた煙管を咥えて饒舌に語る素振りから儂はそいつを気に入った、見所があったなんて雰囲気もわかるが、こちらの住人にしてはやけに買われていて僅かばかり妬ましくもあるな。

 

「それはまぁ随分と威勢が良いわね」

「うむ、力はあるが使い方がまだまだヒヨッコ、儂ら異形の真似事をして楽しんでおる程度じゃったが今から見ておけば後々楽しめそうな輩じゃ。ま、後があればになるがの」

 

 どうなるやらな、と最後に言い捨てる姉。

 ぶっきらぼうな口調で言うほどではないと見えるけど、旨そうに吐き出す煙にはそこそこ楽しみにしているって匂いがノっている。

 なれど、後があればとはどういう意味だろうか。仙人、人間を使うってことはおそらく華扇さんがツートンカラーの異変解決コンビをけしかけたってところだと思うけど、あいつらと争える人間がこの現代に残って……いてもおかしくはないか、あの山の巫女だってちょっと前まではこちらの世界で過ごしていた人間だった、この元凶さんも早苗と同じように常軌を逸した能力を持ち得ているとすれば案外イイ勝負をするかもしれない。ちょっと前にはこちらの人間を否定したがあの考えは捨てよう、つまらん常識に囚われては楽しめるものも楽しめないものな。

 

「少しは興味が出てきたか?」

「少しは、ね……そんな手合いになにをしたのか、聞いても?」

 

「大したことはしておらんよ、儂は招待状(オカルトボール)を送り届けただけじゃからな」

「届ける?返却したってわけではないのね」

 

「おうとも。儂は届けたのみよ、後詰めは然るべき連中が上手くやってくれるじゃろうて」

 

 オカルトボールを送りつけた相手に返したわけではない、あくまでも送り届けただけ、そう言って笑う姉の顔はとても好みな顔をしていた。口角を程々に上げ、少しだけ歯を覗かせるその笑みは見る人が見れば厭らしくもいかがわしくも見えるだろう。だがあたしにはこれ以上ない笑顔にしか見えない、姉さんがこんな顔をする時はしかけた勝負に絶対の自信がある時なのだ。

 ご機嫌に、ニンマリと笑む御大将があたしを見つめてくる。

 慕う御方のそんな顔を見られるのは嬉しいもの、だから今度はあたしが姉を真似てにやりと微笑み、煙管を咥え火種を起こす。

 

「しかし残念じゃなぁ、一目拝んでおきたいと思っとったのに」

「見せてあげられなくてお生憎だわ……ご執心ねぇ、そんなに気にするものがあの子達にあったとは思えないのだけど」

 

「惹かれたというわけではない、ちょいと確認しておきたかっただけじゃよ。あやつに預けた儂のオカルトボールの出来とおぬしが持つボールとを比べられればこの勝負を更に面白おかしく感じられると思うてな。色味も質も違う物でありながらおぬしや聖を騙し切りおったその姿、この目に収めておきたかったんじゃがなぁ」

 

 二匹で煙管の先から鬨代わりの狼煙を上げると続くお話。

 送り届けるとはなにか、あたしの傍にいたボールを見たがったのはなぜなのかが語られる。

 あたしとしてはもっとこう、騙しに係わる大きな何かがあるから見たいのかなと思っていたのに確認とかその程度のことだったのか、なんてことはなかったな。

 そういった事情なら口にした通り会わせてあげられなくて申し訳ない、とそうも思うがあたしの好奇心は別のものに刺激された。そのように考えていなかったから気づかなんだが、言われてみれば確かに大したモノだったのかもしれないなあのボールは。

 あたしにすれば降って沸いた厄介物になったけれど結果の見方を変えてみればまた変わる。

 騙しにはそれなりに長けているあたしやあの妖怪住職を騙し通した、ちょろっと悪戯しかけてあたしと聖を争わせた、これは狙ったものではないかもしれないが楽しい弾幕ごっこを眺めることが出来て一人勝ちを収めたともいえる。悪ガキのくせに化け狸を騙しその御大将の興味まで興味を惹くとは存外にやるではないか。もう少し早く気がついていたなら少しくらいは褒めてあげても良かったのに今更になって考えるなど、回転の遅い頭で我ながら困る。

 

 なんて考えが顔に出ていたのだろうか?

 ニヤニヤと、嘲るような表情であたしを覗き込む姉の顔が間近にあった。

 

「どうやら少しどころではなくなったようじゃのう」

「お陰様でね、褒めて懐かせれば面白い奴になってくれたかもしれないのに、惜しいことしちゃったわ」

 

「惜しいか。そうじゃな、確かに惜しいのぅ」

 

 ころんと氷を鳴らす姉。

 空いたグラスから瑞々しくもどこか冷たい音色を響かせて惜しむ心を知らせてくれる。

 そんな絵になる姿を見つめ、あたしはあたしで手酌でおかわり。

 同じような心持ちならそこも真似して見せればいい、姉さんの顔を見た瞬間にはそう思ったのだがそれよりも他のもの、別の理由であたしの心は満たされたから、こちらは敢えて真似せずにグラスを満たし、氷を回した。

 

 きっと姉さんの侘しさは達者な騙しを見られずに終わったことにあるのだろう。でも、あたしにはあいつらの騙しの業がなんなのかわかってしまったから、思いついてしまったから、静かにグラスを満たしそのまま飲み干す。

 ぐっと一息、思いつきも飲み込む勢いでお酒を煽ると何かを察したらしくまた顔を覗き込まれたが、その顔を更に覗き返し、童女のように下から見上げるとなんでもなかったかのように頭を引っ込める姉。

 

 口にはしてあげないが少しだけ見せてあげたヒント、姉が関わる異変の元凶とあたしが賑わう理由となってくれたボールを真似て大人を騙すにふさわしい子供騙しな物真似ってのをまたやってみせたのだけど果たして上手く伝わったのだろうか。

 ちょっとだけ気になった。

 



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EXその66 うせもの

 カラリとした晴れ、一日の始まりとして清々しいお天気。

 差し込む朝暉(ちょうき)もそれらしい暑邪、火邪だったか、どちらでもいいがそれっぽい気配に満ちていて気怠さと乏力(ぼうりょく)で構成されているあたしには強い刺激となるけれど、あちらの世界の夏を体験してきた今は暑さよりも爽やかさの方が強い気がするね。季節と陽だまりに熱せられた藺草(いぐさ)より立ち上る弱々しい畳の香りも部屋を漂っているから、より一層感じさせてくれるのかもしれない。

 

 昼も夜も騒がしいあっちと違って静かな空気を纏う我が家の朝。

 今日のような気怠い朝があたしにはちょうどいい。もとよりうるさく騒ぐタイプでもないしやる気に満ち満ちるのも似合いだとは思えないから今日みたいに穏やかな朝が怠惰を好む己には恰好だろう、そんなことを考えながら煙管咥えて種火を起こす。

 ぽわり。寝ぼけ眼を隠すような軽々しい煙を吐き烟る視界から目を逸らすと、目につくのは隣の赤い髪。昨晩に漸く近くの病院から連れ戻してきたばかりでこちらとしてはやっと取り戻せたことにテンション高くもなりかけたのだが、我が家に着いたあちらさんは何時も通りにただいまと言うだけで特に盛り上がることもなく。

 

 こちとらあそこの名医を納得させて退院にこぎつける為の理由探し、殆ど屁理屈か、それを見つける為にアチラコチラを練り歩いたのに、雷鼓達もそれを知っているはずだというのに。

 その辺を鑑みてもう少し大袈裟に喜ぶなりしてくれても、振る舞いに出さなくとも久しぶりの夜にちょっとしたご褒美があっても‥‥というのはちょいと無理なお話か、付喪神連中はコトリバコの呪から解き放たれて暫く経つが建前上は退院したての病み上がり、そこまで求めるのはちと酷というもの。酔って笑い合う付喪神を眺めながらそう考えたあたしは何も言わずに飲み込んだ、そうやって場の空気を読み、後にあるはずの見返りを待つのがいい女ってやつだろう。

 

 と、脳裏に浮かんだ自画自賛はタバコの煙に混ぜて吐き出し、チュンチュンに混ざり始めた蝉の声を聞く。あたしが髪を弄ったからかそれとも賑わいできた外に反応したのか、うぅんと一言唸ってからあちらの方に寝返りを打つ太鼓の娘、それと奥の布団で眠る琴と琵琶の姉妹共。永遠亭に迎えに行った際なんでかそのままついてきてこれから退院祝いをするのだと、帰路の途中で買い込んだ雀屋台の料理を肴にあたしの徳利を煽って寝落ちした九十九姉妹も同じように寝返り打って布団の端から足やら腕やらをはみ出させた。

 

 こいつらもこいつらで戻った最初の晩くらい気を利かせてすぐに帰ってくれればいいのに、二人がおらねばあたしから襲っても良かったのに……ってのも吐かずに思うだけにした、退院祝いの(てい)のわりに昨日の酒代はこいつらもちだったし追加のお酒の買い出しも率先して出てくれたし、退院理由の出しの一つにもなってくれたわけだしな。

 お囃子の楽器に向かってダシなど何事か、宛がうならば山車だろう、そう感じ取られそうだが実際そうなのだから致し方なかろう。あぁ、九十九姉妹を悪く言ったわけじゃあない、むしろ悪く言うのなら彼女らを話の出しとして利用した永遠亭の連中こそを悪く言い切ってやりたいところだ。

 

 着の身着のまま連れ込んだ患者を預けてそのまま世話してもらった医局の悪口など、こちらの方こそ言うべきではないのかもしれないが、あたしとしては言わざるを得ない心情にあるのだ、可愛らしい小言の一つや二つ許してほしい。

 だってそうだろう、入院当初は呪を浴びた原因がわかるまでは退院を許さない、返してほしくば納得できる考えを示せと言っていた八意永琳が、いざそれっぽい理由を見つけてきたら土産話を聞く前に私よりも輝夜に話してみろ、姫が笑ったらそれでいいわなんぞ言い出しやがったのだ。

 

 こうまで言われれば誰だって気づくもの、思考が逸れてばかりなあたしですら容易に気づくというものさ。永琳は入院当初から治療の名目で付喪神共を預かったのではなく、輝夜の暇潰しに利用するためにあのトリオを預かったんだってことにな。無論それは当然の考え、何事でも姫様最優先で動くのがあの八意女史なのだからそこはなにも言うことなどないのだが、その何が憤るってそれはあたしとした事がこの考えに至るまでが遅すぎたってこと、永琳に言われるまでもなくもっと早くに気がつくべきだったってことだ。遅くともあの山の神社で輝夜が付喪神を連れ回しているって聞いた時に気がつくべきだったのだが、直接話された後に気づいたのでは遅く、またしてもこの主従にしてやられた、永琳と輝夜の手のひらで転がされたと我が心が感じてしまって、勝てる気がしないから小言の一つも言ってやりたくてたまらなかったのだ。

 まぁ、文句を言い出したらキリがないしあたしは信用して預けた立場だから、見抜けなかったのはあたしの落ち度だからそこでもいい女らしく空気を読んで呑み込んだけれど、あたしの心情を知りながら何も言わずにクスリと笑ったあの薬師にはいつか仕返しをしてやろうと今は考えている。

 

 後の仕返しを心に、荒くなる鼻息代わりに鼻から煙草の煙を漏らす。

 それから舌打ち一つ鳴らして負け惜しみを吐いたおかげで我が心は落ち着いたし、そろそろ出かける準備でもすべきかね。帰ってきたこいつら連れて人里辺りへ朝餉に繰り出すのもアリといえばアリだが今日はそれよりも優先すべき用事があったりするのだから。

 部屋の端、丁度あたし達の足元に置いてある紙袋を眺めることでそう思い直せた。

 

 ならばと、火種の落ちた煙管を咥えたまま再度の伸び。

 背筋を逸して胸を張り、それから逆に背を丸める。

 そのまま起こした体を軽く撚ったり伸ばしたり、寝起きの体操に軽く動きながら聞き耳立てると静けさだけが痛む頭の中を走った。ちょっと前までは賑やかだった我が家回りだがあのご近所さん、生死の境に身を置けなくなって久しいくせに黄泉平坂のオカルトボールを手にするなんて皮肉が笑える蓬莱人が落ち着いてくれたから家の辺りもすっかり静寂を取り戻せて、気分の良さも一入だが、その静けさが余計に頭に響く。

 

「頭痛も引かないし、どうせなら気分の良さも上書きしてから出るべきよね」

 

 感慨深く考えながらポリポリ、後頭部をかいて鳴らす一鼻。

 頭をかいた爪の先に続き伸ばした腕やら脇やらを軽く嗅ぐと、やはり気になる夏場の香り。

 ご近所さんのことなんか考えたから別のご近所さん、身嗜みに気を使う狼女の顔までが脳裏を過り、そのせいで余計に気になってしまうその部分。

 どれどれと、じぃじぃ流れる蝉時雨を聞きながら腰に添えていた片手を両腿で挟んでから鼻を鳴らすと、自分でもわかるくらいに汗臭く、酒臭い。昨晩あれだけ笑い飲み明かせばそれも当然と思わなくもないがこれから行く先を思えば一汗流してから着替えるべきだなと、女の匂いなど気にしそうにない誰かの顔を思い浮かべながら風呂場へと急いだ。

 

~少女準備中~

 

 さぱっと浴びたひとっ風呂、おかげで髪も体もサッパリしたが頭の痛みは鳴り止まず。

 気になるズキズキを振り払うように普段は出さぬ速度で、尾と袖を横に流し、咥えた煙管の先からクモの糸を引いて飛び進むと遠くに見えるは目的地。

 

 後はこのまま真っ直ぐ進み、閑古鳥が騒ぐ中で手にした土産を見せびらかせばいいだけ。

 果たしてあの慳貪店主は袋の中身にどんな反応を示してくれるのだろうか。

 商売人のくせに仕入れをあたしに一任するからと言い切った顔がどのように曇るのか。

 これから見られるやつの顔を妄想していると飛行の速度も随分緩んでいたようで、追い越していた雲はいつの間にかあたしと同じ速さで後方へと流れていた。

 

 相も変わらず逸れる意識、最近は一つのことに集中していたから久しぶりに実感している気もしなくもないが、こんな風に思考があちこちへ散ってこそあたしなのだと自己弁護まで済ませ、速度と頬を若干緩めながら魔法の森方面へと向かい飛び進む……あたしの前に、見慣れた物がこちらに向かって飛んでくる。

 視界の端でだんだん大きくなり、真っ直ぐに近寄ってくるのは立派な漆器。

 空飛ぶお椀に乗るなど一人しか思い当たらないけど、何をそんなに急いでいるやら。

 

「あー! いいところに! ちょっと助けて、匿って!」

 

 あたしが認識するに等しく、我が背後に隠れるお椀。

 艶のある漆器らしくぬるっと回り込むのはいいがまるっと全部隠してやれるほどあたしの図体はでかくない、だから背に回られても、尻尾込みでも無理だと思うのだが。

 

「出会いからご挨拶ねぇ、匿うってなにから‥‥あっ、ちょっと」

 

 話しかけるも返事はない、何かから逃げているらしいから余裕がなくとも当然ではあるが、なにもわからないままで巻き込まれるのはもう勘弁願いたいし、今は強めに出てみよう。我が背中でがっちり閉まる椀の蓋、浅蜊か蜆にでもなってしまったようなその姿に煙管で小突いて響かせる。

 

「唐突過ぎてわけがわからないんだけど」

「いいから助けて、追われてるの!」

 

「追われてるってなにから――」

「あれよ、あれ!」

 

 コツンカツン、数回鳴らして開いた蓋から出てくるのは愛らしい姫の赤々としたお目々。

 雷鼓の髪といい姫のお目々といい今日は久々に見る赤の色合いと縁がある日だと感じて、いる場合じゃないな。姫の瞳の揺れ具合から結構な慌てぶりが伝わるからまずは助けてあげようか。

 なにから匿えばいいのかわからぬままだが追われていると言っていたし、アレと叫ぶくらいなら近くになにか追手らしいのがいるのだろう、ならばそいつから逸れりゃあ早い。

 

 よくわからないなにかを探しつつ、あたしと姫の気配を逸らす。

 ついでに漏れ出ているだろう妖気や匂いなんかも逸らして他者から認識出来ない状態を作ってあげると、そのなにかが遠くに浮かぶ逆さの城方面から飛んできた。

 

「もぉー! あの子ってばどこ行っちゃったのよー! 今度こそペットに出来ると思ったのに!」

 

 キョロキョロガヤガヤしながら飛んできたのは女の子、か。

 その匂いからただの人間、軽率に騒ぎ立て軽快に飛び回っていることから関わるとろくな事がない部類の相手とわかるがはて、どこかで見かけたような気もするが一体どこで見たのやら、あの華奢な風体に纏う菫色の衣服、落ち着きのなさそうな様子や印象的な赤い眼鏡には覚えがなくもないと思うのだけれど、思い出せなくてモヤモヤする。

 そのせいでまた痛み始める我が頭、頭痛の種が増えるなど今日は厄日なのかもしれない、厄の神も赤いドレスの装いだしな。なんて考え込む前にその眼鏡っ子はあたし達の眼前を抜け、魔法の森の藪の中へ降りていった。

 瘴気に物怖じしない人間か、それなりに気がかりな小娘だけど今は姫だな、後回しにしよう。

 

「もう行っちゃったみたいよ、あれに追われてたの?」

「そうなんだけど、話しても大丈夫?」

 

「普通にしていて大丈夫よ、あたしだってわかったから声をかけたんじゃないの?」

「あ! そうだった!」

 

 消えた外套娘の余韻を見送り、小話。

 姫の反応には素で忘れていた空気が含まれていてなんとも助け甲斐がないと思わなくもないがまぁよかろう、固く閉ざしていた椀から恐る恐る顔を出してあたしの袖にギュッと縋り付き、必死な形相でよじ登ってくるのはとても愛くるしいから。

 

「で、なんで追われてたのよ、ペットがどうこう言っていたけど知り合い?」

「知り合いなんかじゃないわ! あいつは私のことを付け狙う、付け狙うぅ……変質者なのよ!」

 

「溜めて言うことがそれなの?」

「だって、だって変なやつなんだもん!」

 

「それほど変にも、見えなくもないわね、あんな派手なマント着込んでたんだから」

「からかうのはやめてよ。飼うなんて言って……間違いなく変態なんだからそれでいいの!」

 

『酷い扱いだと思わない?!』

 小さな体で大きく叫ぶ姫様。これで何度目になるのか覚えていないけど我が耳元で声を張るのなら一言断りを入れてからにしてほしい、宣言して頂いた痕でなら逸らすことも容易いのだから。

 しかしだ、異変ではトリを務めたこともあるお姫様なのに今日はやたらと怯えているな、皺が入るのも忘れてあたしの袖をさらに締め上げる姿は言いようのない可愛い、もとい弱気な姿だ。

 

「ああいった子は苦手? たかが小娘一人でしょうに」

「苦手というか……捕まえて飼ってやるなんて言われれば逃げたくもなるでしょ!」

 

「尻が青そうな子供よ、ちゃちゃっとはっ倒してしまえばいいのに……それにしても姫を飼うねぇ。気持ちだけはわからなくもないけれど大胆な物言いだわ、モテる女は辛いわね」

「アヤメまでそういうこと言うの?……まさか、あの人間と組んでたり!?」

 

「ないわよ。見覚えがあるような気はするけれどあの娘の名すら知らないし、別に姫を捕まえようって気もないわ、そんなことしなくたって姫を愛でることはできるわけだしね」

 

 あたしの肩で騒ぐ一寸法師、その前髪を指で撫でつつ言ってみるとクリクリのお目々が細まる。油断、ではないか敵対しているわけでもなし。それなりに気を許してくれている姫を愛でながらその気はないと伝えてみるがどうにも扱いを間違えたようだ、細められた目は心地良さではなく別の意味だったらしく撫でている指先は払われ、そのまま刺すような視線まで発せられてしまった。

 

「愛玩動物みたいに言わないでよ!」

「ペット仲間としては愛玩されるのも悪くないと思うんだけど、わからないならしかたないわね。ま、お願い通りに撒いてあげたんだから軽口の一つや二つくらいはいいじゃない」

 

「冗談って‥‥変態に追われる私の身にもなってほしいんだけど」

「生憎とお尋ね者になるようなヘマはしないのよ、姫と仲良しな誰かさんと違ってね」

 

 見開かれた瞳を見つめ返して薄く笑うと、そのうす笑いは馬鹿にされている気がするからやめてとまた叫ばれてしまい、ズルリと着物の肩口も下げられてしまった。

 そんな顔をしているだろうか、しているな。かわいいかわいい一寸のお姫様を飼う、そうした発想などあたしにはなかったがこの子を飼えば眺めているだけで退屈な時間も過ごせるし、暇な時を潰す話し相手にもなってくれて悪くない案だ。飼うにしても容れ物を椀から籠に変えるだけ、というかちょっと前までは神社に持ち込まれた籠で実際に暮らしていたのだから飼われる姿も間違いなくお似合いだ、なんて考えていたのだ、さぞ嫌味な笑みに見えたことだろう。

 しかしそれをそのまま言うのはちとマズいね。言えば摑まれっぱなしな着物の皺が酷いことになりそうだし、言い方によっては針を通されることになりかねない、たしかに竹やら蒲やら生い茂る土地で暮らしちゃいるがあたしの着物は(むしろ)じゃあないんだ、ここはどうにか誤魔化そう。

 

「馬鹿にするつもりも今はあんまり、この後はわからないけど」

「この後?……あ、紙袋? もしかしてお出かけの予定だった?」

 

「あそこまでちょっとね」

 

 視線を振って話を流し、右手の荷物を持ち上げる。それから右肩せり出して姫の体ごと行き先を指し示すと、背伸びするお姫様の体越しに見えるのは今日も静かなはずの店、朱鷺色の閑古鳥を飼う香霖堂。今日の予定はあちらの世界で買い付けてきたお土産を持ち込んであの店主に作った借りを返すつもりなのだ。

 

「あのお店かぁ、なにかお買い物?」

「逆よ。頼まれていた品を届けにね」

 

 白徳利と共に右手で提げた紙袋、その持ち手の片側を離す。

 はらりと開く袋の中身はあちらで買ったお土産の諸々。

 

「う~ん? 食べ物?」

「だいたいはね」

 

「キラキラしたのがいっぱいね」

「市販品ばっかりだけどね、色々と持ってきてみたのよ。幻想郷じゃ珍しい物だと思うんだけど、あの男は喜んでくれるかしらね」

 

 袋を覗いてがさりごそり、物色する姫の襟首つまみ上げてそれ以上は駄目と諭す。

 包装の上から触れられるくらいで痛んだりはしないらしいが一応は人様に差し上げる物だ、あまりベタベタ触られても気分的によろしくないのでここらで終わりと話を〆る。

 

「よければご一緒する? 気になるなら味見の一つぐらいできるかもしれないわよ?」

「誘ってくれるのは嬉しいんだけどあの変態と会いたくないし、これから練習するつもりだったから今日はちょっと……」

 

 好奇心旺盛な輝針城の主だからてっきり二つ返事で行くと言ってくれると考えていたが、少しの間を置いてから今日は忙しいからやめておくねと断られる。

 お誘いありがとね、助けてくれてありがとね。

 断りと同時に手助けの謝礼を述べながら我が体を離れていくお姫様。

 お礼なら暇な時にでも一献付き合いなさい、ゆらゆら飛びゆくお椀に向かってひらひら平手を扇ぎ返すと、また今度会ったらその時はゆっくり話そうね、なんての言い残しながら妖怪の山方面へと向かい小さくなっていった。

 これから練習があるとのことだがお山で一体なにを練習するのか、また誰かに騙されて異変でも起こす練習かね、オカルトな異変にも首を突っ込んでいたと聞いているし。それはそれで気にはなるところだが聞きそびれてしまったし、それらはまた追々に酒の席にでも伺おう、そうすれば後の肴にもなろう。そんな思いで飛んでいく椀の縁を見送り、あたしはゆるゆる高度を下げた。

 

 

~少女来店中~

 

 

 また楽しみが増えたことを歓びつつ、眼下に見えていたお店に降り立つ。

 開いているのかいないのか外から見ただけではわからないこの店、人里にあるお店なら扉越しでも人の動く気配を感じて誰かいるいないのアタリをつけられるのだがこの店だけはわからなくて、ここは本当に商店なのだろうか、一枚板の扁額に屋号はあるから店なのだろう、毎回そう納得しながら入店しているが今日は少しだけ様子がおかしい。

 なにやら嗅ぎ慣れない匂いがするような、つい最近に嗅いだような、そんな怪しい香りが扉の向こうから流れてくるような、しないような……痛む頭で考え込んでもよくわからんからいいな入ろう、中を覗けばわかるだろう。

 

「こんにちは」

 

 ノックもせずに扉を押すと視界に広がる雑多な店内。瘴気流れる森に近いのだから少しは涼しくてもいいのに、売れない売り物や店主のコレクションで溢れているからここは風通しが悪い。

 思わず着物の襟口に手が伸びる。幻想郷ではあちらの世界のようにどこに行っても涼しい空気に満ちているわけではないし、エアコンが置いてあるだけで稼働していないこの店は余計に暑く感じられるからちょっとだけ着崩して、姫にズラされた肩を更に下げ、ぬるい外気に晒して涼を取りつつ店内をぶらついていると奥の方から音がした。

 

「誰かと思えば、何をやっているのかな?」

 

 窓に映る己のぼやけた姿を眺め、晒した左右の肩のバランスを見ていると背中にかかる声。

 いつもなら店舗の揺り椅子に座ったまま動かないか、もっとゆっくりと、こちらが飽き出す頃合いにならないと顔を出さない店主なのに今日は予想よりも早いお出でだ。

 どうせ来るならあたしが整え終えた後で来いよ、身だしなみを整えている姿など見られてしまったら色気もなにもあったものではないじゃあないか。

 

「森近さんをからかう準備よ、間に合わなかったけどね。しかし暑いわねこの店も、二日酔いにはちょっとつらいわ」

「僕は意識していないがこの店は暑いらしいね、最近よく言われるよ」

 

「言ってくれるお客が来るようになったの、ちょっと来ない間に随分と繁盛しちゃって」

「お客様だったら嬉しかったね」

 

 振り返らず、顔も見ずの会話。

 冬場にはしゅんしゅん賑やかなストーブに腰掛け、外を眺めながら手団扇仰いでお話しする。

 よく言われるか、誰に言われたのか知らないが店でよく見る黒白か紅白か、それとも別のツートンカラーの誰某にでも言われたのだろうな、客の来ない店を訪れるなどそいつらくらいのものだ。

 そういえば冥界にいるツートンカラーともこの店で会ったな、あの行灯は無事幽々子の手元に戻れたのだろうか、それともまた別のところで失くしたりしてはいないだろうか……失せ物といえばあの寺の御本尊様が亡くした光る宝塔もこの店で発見されていたっけか、無縁塚やら再思の道やら散々探したのに見つからなかったと失せ物探しの達人は言っていたけど売り物のない店に金になる失せ物があったとは、今考えても良い笑い話でたまらないね。うむ、寺のお偉いさんには今回の異変でお世話になったし、折角思い出したのだから要件済ませたらちょいと遊びに行ってみるかね。

 などと、一人再思して迷っているとギィギィ、窓の外が賑やかになった。

 見れば数羽の鳥が飛び立つ姿。

 誰ぞ近くにいるのか、思いつくのはこの森に住まう魔法使い連中と、さっきの、見た目だけは魔法使いのソレっぽかった人間もまだ森の中にいるのかもしれないね。

 

 気になった藪の奥を睨み考えを巡らせていると、窓の鏡に一瞬映り込む店主の背中。

 一言二言会話をしたらもういいのか、すんなり奥へ戻り、はしないなさすがに。

 思い直すと背に感じる視線。

 着物を下げたちょうど中央、布が余って露出した背中になにやら強い視線を感じる。

 

「女の肌が気になるなんて、暑さにでもあてられちゃった?」

「急になんだい?」

 

「背に刺さる視線を感じたものだからね、流れる汗でも気になったのかなって。以前は目の前で脱いでも見向きもしなかったのに、着たまま濡れているほうがお好みだったとは知らなかったわ」

「そういった目で見ていないよ。昨日の客から異変の話を聞いていてね、この前の異変では背後にオカルトを背負って争ったと言っていたから『コトリバコ』を連れていた君の背にもなにかいたのかと気になっただけさ」

 

 晒した背が気になった、素直にそう言ってくれれば触れるくらい許してあげるのにって普通の色男相手なら言い返すがこいつにそんな返事をしても暖簾に腕押しされるだけだ、屋号の書かれた暖簾が下がっている店でもないしここはあたしが腕押しして流してしまおう。

 しかしどうしてそういう視線ね、異変が収まったのも昨日一昨日の話だし、外を気にしなさそうなこの男だとしても店舗前で争う音ぐらい聞いていたと思うし、玄関口が煩かった原因に気を取られても当然と言えば当然か。

 

「あたしもあの箱もそういうものではなかったみたいよ、ご期待に添えられなくてごめんなさいね。それでも気になるというのなら常連のお客様達に聞いたらいいわ、あたしよりも当事者なんだから詳しいはずでしょ」

「そうだね、新しい情報源も得られたし後程にでも聞いてみるよ」

 

「あら、ご新規さんがいるなんて、やっぱり盛況なんじゃない」

「待ち合わせの時間潰しばかりだって言ったろう? 僕は場所の提供をさせられているからね、その見返りをもらうのも悪くないかと思ったんだ」

 

「待ち人に飲み物でも出せば少しは売上に貢献してくれるかもしれないわよ。なんていったかしらね、珈琲に似た色合いの刺激の強い飲み物は、あっちで飲んできたんだけど覚えてないわ」

「あれも拾い物だからね、常日頃から並べられる品じゃないんだ」

 

「あっそう、なんだって構わないけど取りっぱぐれないといいわね。それよりも、こっちのお話を進めてもいい? 森近さんとしてもその方がいいでしょ?」

「あぁ、そうだったね」

 

 逸れるのはあたしの専売特許だ、アンタが逸れてくれるな、なんて悪口は飲み込んで。

 普段は突っ慳貪な対応しかしてくれない店主が今日はおしゃべりに付き合ってくれるなんて珍しい、そんなことを話中に案じていると数歩の足音とともに肩にかけられる手拭い一枚。

 女が晒した肌に柔らかな布をかけてくれるとは、この男ってば案外紳士……って違うのだろうな、このまま話していても埒が明かないと思われているのだろう。余計な小話など面倒なだけ、これで汗を拭って早く用件を話せとでも思っているのだろうな、苦み走ったいい男が見せる優しさは嬉しいけれど変わらないつれなさがちょっとだけ悔しい。

 

「優しいのね、やっぱり珍しい日だわ」

「頼んだ手前があるからね、気遣いもしてみせるさ」

 

「いつもは気遣ってくれてないような言い草に聞こえるわ」

「そのつもりだよ」

 

「ま、そうよね」

「そうさ……その袋の中身が品物でいいのかな? 急かすようで悪いが早めに見せてもらえると嬉しく思えるのだけどね」

 

 いい女との会話より土産を見たいってか、本当にもうこの男は。

 などとは思わない、そんなことは昔から知っているし以前に見せた我が肢体にも動じることなかった男だ、考えてやるだけ損だろう。だが今日はそれでいい、今日のあたしは持ち込んだ品を届ける飛脚のような面持ちでいるし、余計な遊びはここいらで切り上げて品定めでもしてもらいましょうか、思っていた以上に期待されてもいるようだしね。

 

 ではではと持ち込みの紙袋を揺らす。

 すると店主の視線はそちらに動き、体も店の中央カウンターへと移動した。あたしもそれに合わせて動き、椅子代わりのストーブから店主の前へ身を流し、荷物を置いて店開き。

 のっそり袋に手を突っ込むとその所作に注目されて、このまま中身を取り出してあちらこちらに動かせばその視線で遊べそうなほどだと思えてしまうが、そこまで底意地悪くもないし出し惜しむほどの物でもないからさっさと御披露目してしまおう。

 

「まずはこれからね」

「缶詰か、中身は」

 

「鮪の油漬け。他にも鰹だとか色々種類があったみたいなんだけど鮪のほうがあたしの口にはあってたからそっちにしてみたわ」

「僕が知る形ではないね、特に上蓋が見慣れない形状をしている……このツマミを引き上げると開く構造になっているのか、缶切り不要となると携帯するのに便利そうだ」

 

 一つ二つ、三つ四つとコンコン重ねていく音にカツンカツン、蓋のツマミを弾く音が重なる。

 味見した時のレポートもそれっぽく話してみたけれど鈍感な草食系男子の食いつきはよろしくないようだ、それどころか味や中身よりもガワの入れ物に着目されてしまいなんとも説明し甲斐がない。見慣れないと言ってはくれるが見覚えはある様子と伺えるし、もしかすると似た物が無縁塚で拾えたりするのかもしれん、保存のきく食べ物は意外と忘れられがちだから厨の奥で忘れ去られてそのままこちらに流れてくることがあるのかもな。

 

「他には?」

「次はこれ」

 

「こちらは鯵か、久しぶりに見るね」

「そ、開いて火も通してあってね、温めるだけで焼きたてみたいに美味しく戴けるんだそうよ。このまま封切らずにおけば長持ちもするみたいね」

 

「長期保存を可能にしているのはこの包装のおかげかな? 僕が見る限りでは中の空気が綺麗サッパリと抜かれた状態になっているね。どういった原理で真空状態にしているのかはわからないけど空気がないという部分になにか理由がありそうだ……真空状態といえばあの星や月があるという宇宙も真空状態なのだと聞いている。宇宙、そして、真なる空……そうか、この品は仏教における五大の力を使って作られた保存食なんだね。食べ物が傷まないということは時が流れないということだ、成住壊空(じょうじゅうえくう)の理をこの袋の中に込められるのならば限定的だが時間の停止した空間を作ることもできるはずだ。なるほどね、そういった環境を作り出すことができれば腐敗もしにくいし長持ちもして当然だな」

 

 長々語ってどうだい、らしくないほど誇らしい目線が痛い。

 それを浴びせられるもあたしはそんなこと知らないしどうであろうと構わない、美味しく食べられるならガワなんぞなんでもいいとすら思ってしまう。しかしこの店主は中身のアジよりもこの商品の仕様に興味津々らしく、手渡した品の状態や記載部分に釘付けとなってしまった。

 なんというか、さっきから土産に惹かれてくれて嬉しく感じるけどあたしの考える部分とは違った要素に惹かれてしまい、少しだけ複雑である。

 

「他にもなにかあるかな?」

「後は蟹の缶詰と、あ、烏賊の乾き物もあるわよ」

 

 あたしの狙いでは海の魚なんて久しぶりだ懐かしいねと楽しんでもらうだけだった。

 昔食べていたはずの海産物を見てちょっとだけ懐古な思いに浸ってもらい、新しい物で満ちているはずの世界から持ち込んだお土産で懐古な思いに浸るという、どこかあべこべな感覚に触れる森近さんの顔がみたいだけだった。

 ただそれだけのはずだったのにこの男、缶の仕様や袋の製造方法にばかり着目しおってからに。なんだか面白くない……気持ちも沸き立つがあたしが予想していた以上に喜んでくれてもいるみたいだからソレはソレとしてだ、邪な考えはこの際捨てて流れのままに任せてしまおう。

 

「本当は鮮魚でも持ち込んでね、ちょっと捌いてお刺身を肴にお酌の一つでもしてあげようかなって思ったんだけど、あたしも海の魚を触るのは久しいから自信もなかったし、こう暑いとねぇ。お土産食わせて渋り腹ってのも気分が悪いから今回は加工品だけにしてみたの」

 

 店主が悪戯したせいで少しだけツマミの浮いた缶、その蓋を爪で小突きつつ一緒に持ってきた白徳利を揺らして見せる。この男があたしのお酒に付き合ってくれるなどと思ってはいない、けれど痛む頭を鎮めるためにもここらで迎え酒のひと口やふた口煽っておきたくもある。

 そんな心積もりでお誘いしてみると売り物の棚に森近さんが手を伸ばし、桐作りの小箱を取り出した。ぱかり開かれた中を見てみれば、そこには可愛い朱色の酒器が二つほど。

 

「あら、お酌も受けてくれるってことでいいのかしら?」

「いただき物を開ける気はないけどそうした方が君の話が弾みそうだからね、湿らせる程度でよければ付き合おう」

 

「少しってのが癪だけどそうね、土産話を語るなら少しは湿らせた方が滑りがいいわ」

 

 珍しい事が続くものだ、駄目元のついでに言ってみた呑みの話に乗ってこられるとは思わなんだ。けれどもよかろう、迎え酒に付き合ってくれると言ってくれたのだから素直にいい男とのお酒を楽しもうか。

 少し大きめのぐい呑み、いや小さめの片口って言ったほうが適正かもしれないね、このサイズなら。使い勝手が悪くて売れそうにないその二つに少しだけ酒を注ぎ、軽く回して酒器を洗い、床……に撒くのは失礼だから窓の外へと中身を放る、そうして清めた片口にあたしのお酒を注いで手渡した。

 

「では一献」 

「頂戴しよう……そういえば礼を伝えていなかったね。ありがとう、思っていた以上に悪くないお土産だったよ、いい仕入れになったと思う」

 

「そう、喜んでくれるなら良かったわ」

「出されてすぐは食料品なんてと身構えてしまったけどね、そういった日用品こそが外の世界のあり方を知るのに良いと再確認できたのは嬉しく思う。こういった考え方も外の情報と呼んでいいのかもしれないし、仕入れの一つとしてもいいのかもしれないね……しかし、外の世界では科学ばかりが信仰されていると聞いていたが神や仏も確り残っていたのか、社会科学という別の分野に取り込まれ本来の姿からは変わりかけているとも言っていたけれど、幻想郷と同じ文化が残っているのは感慨深い気もするね」

 

「さっきの話? あれって森近さんお得意の憶測でしょ?」

「そう言われては身も蓋もないんだがね、でもそう考えてもいいじゃないか、そのほうが浪漫があるとは思わないかい」 

 

「男の人ってそういうの好きよねぇ……神様や仏様が学問の内に収まってしまうのならあたし達も含まれてしまうのかしら、簡単に正体割れてしまうなんて商売上がったりよねぇ」

「妖怪は人智の及ばない自然現象が偶像化された姿なのだと聞いているよ。神仏や妖怪を調べるにしても今は手軽で、ネットという場所に潜ればいつでも手軽に調べられるらしい。スマートフォンでも電波と充電があれば調べられると言っていたが僕のは使い捨てのプリペイドというものだったらしくてね、もう一度チャージしないと使えないのだそうだ」

 

 興味深い分野の説明となると話の長い男だ、そう案じながらそういや以前この男にスマートフォンなる機械を売りつけたことがあったこと、そして同時にそのスマホを入手した状況を思い出す。

 そうだったそうだった、さっき見かけたあの眼鏡っ娘とあたしは出会っていたのだな、月へのお使い押し付けられて外の世界へ出たあの日、あたしはあの小娘に襲われていたのだったな。あの時はそれどころではなかったから綺麗サッパリ忘れていた。

 道端でばったり出会って少し話し、少し触れ合ってあたしを化物だと言い当てた娘っ子。神仏妖怪魑魅魍魎、超常なる力なんてのを信じなくなって久しい世界であたしを正しく認識した人間はついにこちらの世界に来るまでに至ったのか……ふむ、この店に入ってすぐに感じた嗅ぎ慣れないが最近嗅いだ匂いというのもあの子の残り香と思えば納得できるし、匂いを残す程度にはこの店に来ているようだな。その辺のお話を伺えればこいつも後のお楽しみに成り得るかもしれないね、姫を可愛がるネタにもなるしほんの少しだけ探ってみようかね。

 

「そんな物もあったわね、そういえば。それって誰から聞いた話? 外の世界を見ていない森近さんにしてはさも当然って語り口に聞こえてしまうんだけど」

 

「客ではないお客様から少しね、聞いているのさ」

「あぁ、ご新規さん……そう、そのお客様は外の世界絡みの誰かさんなのね」

 

「絡みも何も彼女は外の世界に生きている人間さ。眠っている間だけ幻想郷にいられると言っていたから怪しい部分もあるけど、外の世界の機械にあれほど詳しいならその部分に嘘はないだろうね。君も異変に関わっていたのなら既に会って……いや、無関係だと言っていたね」

「何にも無しってわけでもないけどね。ともかくその話はやめておきましょうよ、あたしはやられっぱなしで終わったから酒が不味くなりそう」

 

 チビチビ、お酒を含んでのお話。

 此度の異変じゃ美味しい思いの一つもなかったしそいつを肴にしたのでは酒も不味いし立つ瀬もない、だからその手のお話は遠慮しておきたいと、そういう流れを敢えて作って話を纏める。

 出来れば名前の一つや立ち寄り先くらい引っ張り出しておきたいとも思うのだけれど、ここで長いこと引っ張っても森近さんに怪しまれて終わってしまうだろう。外の世界と関わりたい古道具屋からすれば客にならないお客様かもしれないが、仕入れの範疇にしてもって口ぶりには今後もお付き合いしていきたいって思惑が見え隠れしているから、この場はここいらまでで留めるとしよう。突っ込みすぎて後々にあるかもしれない笑い話の種を潰してしまうのはあたしが笑えないからな。

 それに、森近さんの話の流れと外の世界で姉さんから聞いた話を突き合わせばあの派手なマントの眼鏡っ娘が異変の元凶で間違いはなかろう、そしてあちらさん自らが幻想郷に来ているというのならそのうちに出会うこともあろう、詳しい話はその時にすればいい。あたしと会った時に見せた好奇心の強さがそのままならこちらから動かなくとも彼女のほうから何かしらあるかもしれないし、その結果に悪夢を見るのなら怨みありげな付喪神達のお礼参りをその夢としてもらいたいしな。我が目の届くところでしかけてもらえればあたしも楽しく眺められるのだから。

 

 故に今は我慢してこちらだけ。

 初めてサシで呑む者との会話を楽しみたいのだけど。

 ついでに話題も別の物に切り替えたいところなのだけれど……

 

「同じ缶でも仕様が異なる物があるみたいだね、同じ鮪の缶詰でも油漬けと水煮があるの……ん? それは?」

 

 あたしが少しの考え事に興じている間、店主は土産を手に取っていた。

 机に並べた缶詰に触れ独り言を漏らしていたようだが、途中で声色が変わる。なにかまた新たな推察でも考えついたのかね、そう思って店主の手元・目線を追うとその瞳は持ち込んできた紙袋に向かっているようで……あぁそうだった、土産はまだあったな。

 

「残りの物も同じ食料品かな?」

「察しのいい男は好きだけど惜しいわね、目敏いだけでは駄目よ」

 

 放置したままの紙袋、未だたたまれない入れ物を見てそう言ってくる森近さん。

 中身がないならたたまれたり捨てられたりするべき袋を眺めて言ってくるあたりはやはりのお察しと言ってあげてもいいが、中身は狙い通りのソレではないから見る目がないが目の付け所は悪くない、おかげで新しい話の振り先が見つかった。そう伝えるべく嫌味を言い放ちながら残り物、出すに出さなかった土産を取り出す。

 

「へぇ……綺麗な星空だね、丁寧な作りが伺える」

 

 差し出された大きな手のひらに向かい手渡すと、平手の上に現れた空をそのままに語る店主。

 名前も用途もわかるだろうにそれは言わず、まずは品物への感想を述べる森近さん。

 その辺りは抜け目ない商売人らしいというか、いやここはもう少し違う、ロマンチシズムに溢れた夢想家とでも言っておくか、そう表現したほうが外の科学に夢馳せる男を表すのには粋だろう。

 彼に差し出したそれは……なんというのだろう、外の世界の雑貨屋で投げ売りされていただけの品であたしにゃ名前もわからないもの。用途のほうも部屋に飾る以外に使えないものだとは思うのだけれど、森近さんの感想通りとても綺麗なもの。

 透明な液体で満たされた半円球の容器にはとても美しい夜空が透かして描かれていて、その内に作られた小さな喫茶店では客である少女二人が星空を楽しんでいる。一人は中折れ帽の女の子を指さして笑い、もう一人の女の子は手元、手首を指差している辺り遅刻でもしてきた(てい)で作られたのだろう。上下を反転させると中の液体と仕込まれた紙、キラキラしている銀の粒みたいなものが器の中を粉雪や流れ星のように広がるなんとも綺麗な小物で、例えるなら星の器とでも言うような……と、そういうのは恥ずかしいからいいか、ともかく仲の良さそうな二人が星の落ちるカフェテラスで過ごす情景がとても気に入ったから買ってきたものだ。

 

「魔梨沙が好きそうでしょ?」

「魔梨沙の名前が出てくるのがわからないね」

 

「なんとなくよ、他意はない」

「ならいいけどね、これも僕へのお土産でいいのかい?」

 

「欲するのなら差し上げるわ」

「だったら遠慮しておこう。君も気に入っているようだし、ここに置いてもいずれ持っていかれてしまいそうだからね」

 

「そ、なら持って帰るわ。これって骨董屋の店先で投げ売りしてたのよね、ついでじゃないんだけどお名前ってわかる?」 

「これは『衛生望むカフェテラス』という名の縮尺模型(ジオラマ)だね、造り手はその土地の学生達さ」

 

「用途と名前だけって思ってたけど、造り手まで視られたのね」

「それはほら、下に刻印の痕が残っているからね」

 

 店主がジオラマをひっくり返し、底に押された刻印を示す。

 長く売れ残ったせいなのか元々の作りがソコだけ荒かったのか、わからないが底面に打たれた刻印は削れて薄くなっていて『都市開発における』やら『大学』やら、そういった部分だけが読み取れた。星が綺麗で少女達が可愛い、そこだけ見て買ってきたから底の文字なんぞあたしは気にしていなかったな。

 

「やっぱり目敏いわね」

「今のは褒めてもらえたことにしておくよ」

 

「褒めたわ、いいから続きのお話は?」

「このジオラマは区画整理の候補地として計画されている地域の未来を描いたもののようだ、将来の美観を考えたその土地の学生たちが町の造形(コンセプト)モデルの一つ、町の一角の風景として形作ったものさ」

 

「態々形にするなんて、学生も暇なのねぇ」

「お上への上告も兼ねていると思えるからね、力も入ったんだろうよ」

 

「申し立てるって、物々しいわ」

「本質はもっと軽い、小さな嘆願と言えばよかったかな……僕が思うに、この小さな風景はもうなくなったかこれからなくなるかのどちらかだったのだろう。でも失くなってしまいそうなその景色を学生達は愛していた、だからその土地に住む者達にこの品を通してそれを知らせたかった、失いたくないという思いを聞いてもらいたかったのがこの品の本当の用途だろうね。ついでに言わせてもらうとだな、学生らしい拙さもない、とてもいい仕上がりの物と視るがそこが原因で売り物には向かない物になってしまったのだと僕は考える。まだ若い学生の考えることだ、土産物にするには少し」

 

「値が張ってしまったか、もしくは重くて駄目だったってところね。それで残ってしまったのねきっと、値札も販促の広告も何枚も上書きされていたもの」

「手の込みすぎてしまった作品は手に取りにくいからね、土産物には向かないよ」

 

 言われた感想に一言、そうよね、と返し頷く。

『綺麗だが向かない、美しいけれど向いてない』か、ものを見る目も語る口もあるのに商売下手な誰かをあたしは知っているがどの口がそれを言うのか、とは言わず頷くだけにとどめた。向かない呟くと男の顔がなんだか切なく見えたから。

 

「向かないのにそうしたいってのも難儀よね」

「それも僕への皮肉かな」

 

「受け取ってくれてもいいけど今のはあの子達に向けてよ」

「この喫茶店の?」

 

「違うわ、別の子達に言ったのよ」

 

 綺麗な景色に過ごす女の子達を見ていて思いついたこと、それはコトリバコのこと。

 謎解きも、異変の騒ぎも終えた今語るべきものも特にはないがなんでだろうな、なんとなく彼らの姿が脳裏に浮かんでしまった。

 

 思いついた皮肉のせいかね、外を知りたいのに出られない、気の合いそうな誰かと触れ合いたいのに傷つけ終いにゃ殺してしまう、そうした不器用な在り方でしかおられずきっと今後も変わることがないコトリバコな子供、子供の魂だったナニカ達。

 そんな者達を見られる為に作られた容器(ジオラマ)の中で笑い合う幸せそうな女の子、彼女達を見て思いつくのが強い皮肉に感じられてあたしはとても楽しいが、今ばかりは笑わずにそっと話を流してやりたく思う。物を扱う男の前で物に込められた気持ちや物に込められてしまったモノを笑うなど無粋に過ぎることだと思うから、酒が不味くなるとわかるから、今は静かに呑むだけとしよう。

 

 一人納得するように手酌で注いでおかわり煽る。

 すると出される向かいの酒器、どうやらもう暫く付き合ってくれるらしい。

 男らしい飲みっぷりなど期待していなかったけど、空いた片口に注いだおかわりは拒否されず。

 ならばその心意気を買おう。何を考えての行動かわかりにくいが、今は僅かに見せた女の憂いに付き合ってくれる男として見て、その姿に甘えよう。普段は乾きに乾いたような振る舞いしかしない男が魅せてくれる感慨深そうなその顔を肴に。

 



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~日常~
EXその67 探り


 里を出て少しばかり。

 更に歩いて幾許ばかり。

 それからくぁっと、大きなあくびでもしながらほどなく行かば見えてくる雑木林の出入り口。どっかのお山の竪穴みたいに立て札が立っていることもないしそれらしい門戸があるわけでもないここが入口として機能しているかは不明だが、踏み締められた古い痕からはそう言っていい様子。

 

 見た目もそこいらによくある普通の林。

 広がる木々の背丈も高く、蔦が巻き付く樹木も多いから緑深くも見えて、規模からいうなれば森と呼んだほうが正しい気もするのだがこの辺りで森と言えば魔法の森を指すことが多いのでこっちは林と呼ばれてばかりだそうな。

 

 そうしてそこから分け入って奥の方へ進んでいくと小さな池沼がいくつかあって、それぞれの湖面は静かに揺らめく鏡みたいになっている。聞けば地下では繋がっているらしく、大元を辿っていけば妖怪のお山の水源とも繋がっているんだそうな。あのお山には大蝦蟇の池なんて呼ばれる池があって、この沼地があの蝦蟇の池とも繋がっていることから人間たちは神水とありがたがって里で行う神事の際には態々汲みに来ることもあるとかないとか。本来ならば大蝦蟇の池に行って本物の神水、実際に神の力が宿っているのかどうかはわからないのだけれどそんな話があるくらいだから霊験あらたかなのだろう、そこで汲んだものが神事に用られるとのことなのだが、比較的里に近いこの沼に水を汲みにくる者もそれなり数いるのだそう。

 近いは近いが脆弱な人間の住まう地域から歩きで来る場所にしては緑が深く中々に険しい、と、あたしは聞いていて実際に歩いてみたが聞いた話ほどとは思えない。現地に立ってもその感想は変わらないが、元々が山住まいの化け物であるあたしと人の子で比べれば感想に差異が生まれても致し方ないのかもしれない。

 

 逸れてしまいそうだから早めに話を戻す。

 大きな神事、例えば妖怪神社の紅白巫女や妖怪の山の神社の緑巫女に願って執り行うようなまっとうな祭事にはさすがに使わないとのことだけれど、里の人が新たな住まいを建てる為の地鎮祭やその年に初めて刀や農具を打つ鍛冶師なんかが専らこの沼の水を使って祝うのだと、あの寺子屋の先生がいつだったか話していた。

 もうちょっと昔であれば苦しい暮らしに耐えかねた民衆が起こす一揆や、小さな村々が寄り合ってより暮らしやすくなる為に惣村する際にも神水を回し飲みしていたと思うが、幻想郷ではそうした動きはないというかそれほど辛くも団結しなければならないこともなく、身近な神への願いや呼ぶために打ち鳴らす鐘や鉦などを作り出す連中の間の風習として残っているくらいなのだと。

 

 そんなわけでこの池は名はないがそれなりに重宝されていて、わかりやすく言うなら知る人ぞ知る隠れた癒やしスポットというやつになっている。で、なんでまた今日はそんなところに来たかと思えばなんとなく。いつものこと、ただ暇だったからだ。

 家にいても和らぎ始めた暑さを味わうか抱いてもらって熱くなるだけ、むしろ屋根やら床やらにほころびが見え始めた我が家では隙間風やら喘ぐ声が煩いと言われる風評やらが、主に後半だがそれが身に寒すぎる日もある為、今日は別れて外出している。

 

 あたしを上手に鳴かせてくれる太鼓様は今日は打ち合わせらしく先に出ていて、あたしは終わりの見え始めた夏に涼を楽しもうかなとこちらの池に足を向けてみたところ。着いてすぐ、沼の畔からお誂え向きにせり出している大きな石に腰を下ろし、この時期に蒸れる愛用ブーツを脱いでちゃぷちゃぷしているところである。

 

 見た目少女のそれらしく足を水に浸していると水面が揺れる。

 中で泳いでいた小魚の群れが遠のいていく。

 揺らめき漂う蓮の葉は花と共に木漏れ落ちる辺りから少々動いて奥の暗がりへと流れていった。まぁるい葉が輝く雫を運んでいく様は魂を載せていく川面の船のようで、どこか力強くも、なぜか儚くも感じてしまうな。

 

「近場だけど来てみるものね、悪くないわ」

 

 誰もいないのをいいことにあたしも少しだけ物思いに浸る、いや足は既に浸しているけどね。

 ともかく、ぷかぷか流れた蓮の葉眺め、煙管の先もプカプカさせると、沼の周囲に自生する白くて可憐な花、花弁の形が白鷺に似ている(さぎ)草やふんわりとした花が愛らしい猫柳の葉先で休んでいた蜻蛉(とんぼ)が飛び立っていく。

 一度飛び立ち、数秒の対空の後に舞っていく青紫の翅。

 ひらひらふわりとお日様の光を浴びて輝きなんとも美しい姿。

 あれは確か蝶蜻蛉というのだったか。以前にも川べりで見かけたことがあって、あんまりにも綺麗な翅に見えたから蟲に詳しいあの子に名前を聞いたことがあったのを思い出した。

 夏場と言えば蛍や甲虫、鍬形虫ばかりが主役になっちゃうんですけど昼間の空にも綺麗な子がいるんですよ。新緑のような髪とどうしても気になる触覚二本を風に揺らして笑うリグルも負けないくらいに綺麗だと伝えたら照れてしまったけど、その照れ顔もまた愛らしかったな。

 

「心得があれば詩のひとつでもって思わなくもないけど……」

 

 歌人が読むならなんと読むのかこの景色。

 生い茂る木々やシダの緑、水場の青に空の紺色。

 夏場の装いをより集めたこの景色を覚えのある者はなんと詠むのだろうか?

 知り合いの詠をもじるなら『熱消えては波旧苔の足を洗ふ』とでも謳いそうだが……あいつも墓で暇そうにしていたしどうせなら拉致してくればよかったかね。こちらを訪れる前に出会った少女、死にながら動きまわりされど生きることなどないあいつを思い出す。ちょっと前に思いついたネタを叶えるつもりでこの地に来る前に命蓮寺へ顔を出してみたのだけれど、生憎誰もいなくて、本尊様や阿闍梨はさすがにおわしたのだが彼女達は信者の相手をしていて忙しくしそうだったからあたしの相手はしてくれなかった。弥勒菩薩が云々なんて話し合う連中の顔が談笑ってのより真面目な空気なのだと思わせてくれたから下手に茶々を入れれば南無三されそうで、絡みにいけなかったというのが正しいか。

 

 まぁなんだ、日頃から遊びとはほど遠いあいつらは数には含まないとしてだ、星達以外の寺住まいは誰一人として見かけなくて皆何処で何をしているのだろうな。いつもは門前の小僧ならぬ小娘として過ごし、顔を合わせばチャージドオハヨーをかましてくる響子ちゃんは近いうちにライブがあるって話だからその打ち合わせでいなかったのだろうけど、他の連中がいないなど珍しい日もあったものだ。

 

 最近は空で桃色の拳を振り回している一輪達も今日は雲山のうの字も見あたらなかったし、一番暇していそうなぬえちゃんもいなかった、二人で水蜜を誘って地底の血の池にでも遊びに行こうと思っていたのに……いや、お一人暇をしていそうな御方は見かけたのだけど、姉さんは揃いの二ッ岩法被を着込んだ狸の若い連中に囲まれて楽しそうに話していたのでそっちに混ざるのはあたしから遠慮しておいた。

 同族しかいない気軽に混ざれる場ではあったのだけど輪になって語らうあそこに混ざればあたしはきっと使われる『丁度よいのが来おった、外の世界で飲み食い土産で散財させたから今度は儂の企みにちょいと付き合え』なんて断れない物言いで混ぜてもらえるのが読めたから敢えてそちらは触れなかった。最近暇しているぬえちゃんと組んでなにかしでかしてやるかねと、そんな話を先日の酒の席で伺っていたから、どうせなら甘い汁が一番甘くなった頃に混ざりたくて今は離れた。

 

 で、唯一暇そうにしていたのは寺の墓場で小傘を追いかけ回して遊んでいた芳香だけだったのだが……どうせならあの二人共々を連れてきてしまえばよかったか、詩人な死人には風靡な詩の一つでも詠んでもらってもうひとりの鍛冶上手にはその神水とやらの恩恵を授けてやれたのかもしれない、そうすればあたしの散策はもっと楽しく美しいものに成り得たのかもしれない。

 

 惜しいことをした、なんて思い返していると別のもの、まだ誰か忘れていたことにも気がつく。

 そういやあの寺にはもうひとりくらい口煩くてちっさいのがいた、あいつもあいつもで利発だし弁も立つ、ならばそれらしいことの一つでも身に覚えていそうなものだが……なんて考え事に興じ始めたあたしの背後でがさりとカサリ、夏草の揺れる音二つ。

 

「こんなところ、誰がいるのかと思えば」

 

 揺れた茂みに向かい仰け反ってみると現れたのは丸いお耳を時折パタパタさせる鼠殿。

 スカートに空いた、いや空けたかな、そういったデザインのお召し物だって話だったから、その穴に引っかかる小枝を払うと、いつもは尻尾の籠にいる同胞ちゃんがナズーリンの足元からチョロチョロ出てきた。

 

「あぁ、忘れてたのはアンタだったわね」

「なんのことかな?」

 

「なんでもないわ」

 

 賢将殿が連れ歩く田鼠殿のつぶらな瞳を見つめると、我が視線から逸れていく。連れ歩く子は一匹と決めているそうでこの鼠ちゃんがそうなのだと思うが、代替わりしてもあたしになついてくれることはない、敵意も害意も浴びせたことなんてないが大昔は散々食って食われた間柄だからこればかりは致し方ないね。

 それよりもだ、こんなところにいるなんて言われたけれどお前さんこそこんなところ、愛しいご主人から離れた場所に二匹だけでいるなんて珍しいね、最近は眠る時間以外は寺で過ごすことが多いのだと聞いていたのに。

 

「ならいいが、君はなにをしているんだい?」

「なんでもないって言ったわ、暇って名前の沼に浸っているだけよ」

 

「ここに名称がついたという話は聞いていないが」

「言葉遊びよ素直に返さないで、わかってるくせに」

 

「君に絡むとなにかと面倒だからね」

「辛辣な物言いねぇ、でも久々に言われたわ、それ。なんだか嬉しく思えるわ」

 

「侮られて喜ばないでくれるかな」

「なにで喜んだってあたしの勝手でしょうに」

 

 軽く言い返すとゆっくりした瞬き一つで返してくれる賢将。

 なんだよその目は、折角顔を合わせたというのに。どうせ見せてくれるならそんな小憎らしい半目ではなくその耳のように大きな可愛いお目々で見つめてくれよ。

 

「ナズーリンこそどうしたのよ、こんなところに用事?」

「ここと決まったわけではないが、所用で少しね」

 

 用事だってんならなおさらこんな場所、綺麗な景色に美しい生き物くらいしか見られないぞってそれらが見られるだけでも十分か、あたしに昆虫の名を教えてくれた蟲っ娘の言葉を借りればそうしたものほど尊いお宝なの……ふむ、所用ってのはそういったものかね、見れば愛用の棒っ切れ二本もその手にある。探索の際にはその手のダウジングロッドを使って失せ物探しをするというのは聞き及んでいるし、現れた姿から邪推すれば今日はそうした御用で決まりなのだろうね。

 だとすればこのお話に噛みつかざるを得ないな、こいつが一匹で探すものといえば地中に埋まる浪漫の品、俗に言う宝物の類ってやつだ。ならばそれを探し歩く道中のお付きの真似でもしてみよう、目当てのものがどんな物かはわからないし興味もないが、ここで一人暇を明かしているよりは余程楽しそうだし、(のねこ)ならぬ狸が窮鼠を甘噛みするというのも一興であろう。

 

「ね、その用事にあたしもご一緒していい?」

「君が楽しめるような物探しではないが、来たいと言うなら構わないよ」

 

 今まで、いやいつもか。普段であればあたしが後をついていくなんて言い出すと決まって嫌な顔で断ってくるのがナズーリンだ。近くを彷徨かれると気が散るだとか鬱陶しいから帰ってくれだとか、そんな嫌味を混ぜ込みながらストレートにお断りされるのが常だったのだけれど。

 ちょっとだけ面食らい、呆けた面で見返してしまう。 

 

「気の抜けた顔はいつものことのように思うが、今日は一段と抜けているよ」

「その返事で安心したわ」

 

「相変わらずよくわからないことを言うね」

「そっくり返してあげるわ。いつもは嫌だって顔に書いてくれるのに今日はあっさりいいよって言ってくれるんだもの、拍子の一つや二つ抜けて当たり前でしょ」

 

「まぁ、そうだね」

「じゃあ今日はどうしたのよ、なんかあった? 星と喧嘩でもした?」

 

 問いかけはバッサリ、違うと切られた。

 ならばなんだというのだろう、星のお側を離れあたしが側に寄るのは構わないと、そういうことを言い出すなんて暑さで気でも違えたか虫の居所でも悪いぐらいしか思いつかん。

 

「何事もないよ」

「本当に?」

 

「しつこいね、君がいつも言ってくるような無理強いではなく願いであれば構わないと思った、それだけのことさ」

 

 たしかに普段は無理を言っている、そも邪魔をするつもりでつきまとっていたのだから嫌がられて当然でもある。しかし今回はお願いだからいいんだって物言いはなにか引っかかるな、強要でもお願いでもあたしがつきまとうことには変わらず、周りでウロチョロすることにもなんら変わりはないと思うのだが。

 

「では早速行こうか、どうやらこの辺りではないらしいんだ」

「あっちょっと待ってよ、靴ぐらい履かせてくれたって」

 

 少しの考え事の合間に鼠殿は振り返り二本のロッドを頼りに林の奥へ進み出してしまう。

 同行を許してくれたのだったらこちらの準備くらい待ってくれてもいいのに。

 一歩一歩小さくなっていく大きな丸耳の後を、濡れた足のまま追いかけた。

 

 

~少女探索中~

 

 

 ザクザク歩いて藪の中、進むはどこの細道か。

 天神様はおりませぬ、いても蛙か蛇、蛞蝓か。

 見たままを見るままに、来た道程を茶化すような鼻歌口ずさみつつ小さな賢将殿の小さな背中について、尻尾の籠で揺れる田鼠に目配せしながら後を行く。

 

 少し進んで耳を済まし、二本のロッドを開いたり閉じたり。

 そうやって歩いていくダウザーの後を行くと生い茂る草や木が一層大きく深くなり、やっぱり森と呼ぶべきなんじゃないかって雰囲気になってきた。ここいらまで入ってくると道も獣のそれすら見当たらなくて、苔生した倒木とシダ植物が目立つようになる。場所もそろそろ林から森、森から山と変わり、もうちょい行けば妖怪のお山の麓と見てもいいようなところまで来てしまった。

 空気も幾分冷えたものになってきていて、この具合ならちょいとそこいら掘り返せばあんまり見ないお宝のひとつでもありそうだな、ちょうどそれらしい横穴もいくつか空いているようだし。

 

 けれどナズーリンは周囲を見つめるばかりで地面を掘り返そうとしたりはしない、それどころか来た道を進んでみたり戻ってみたりしているだけだ。このままではあの貸本屋で読んだ童話のヤシの木の周りをぐるぐる回って終いにチーズになってしまうお話のソレになってしまいそうだけど、あの乳製品は赤色が薄いから好かないなんて言ってなかったか?……などと、またも考えが逸れ始めると眼前にいる卑近なダウザーの足が止まった。さて、立ち止まったってことはこの近くになにかあるって当たりをつけたのだろうけど、あたしが見た限りじゃあ周りになんにもなさそうだ。

 

「近くまで来ているはず、ロッドの反応はもう少し低いところから届いているんだが洞穴のどれかだろうか?」

「そう言ってさっきから立ち止まったり歩いたりして、方位除災をうたう神の眷属らしくないわね。そもそも今日の狙いはなんなのよ? というよりもナズーリンの狙ってるものって無縁塚で拾えるような物でしょう、ここを探しても希少品にぶつかることなんてないと思うんだけど」

 

「そうだね、レア物は見つからないだろうな」

「見当違いがわかってて探すの?」

 

「なにか勘違いをしているようだけど、今日は個人的なものではないよ」

「あら、そうだったの?」

 

 聞き返すと素直に頷かれる、連れ添いを願った時といい今日はやけに素直な鼠殿だ。

 しかしなんだい、今日はお使いの失せ物探しか、てっきりいつもの探索だと思ったのに。

 だがそれならばあたしの同行を許すのもわからなくもないな、ナズーリン個人の捜し物でないのなら今日はその他の者が依頼した探しものでこいつが態々探すようなものは一つ、あのドジっ虎に関わるなにか以外にはないが、しかしそれでも疑問は残るか。

 依頼なら他の同胞を使って探したほうが早いはずなのに二匹で動き回る理由とは?

 そもそも何を探しに来たのだろうか、今日は本尊様と言った通り宝塔は星のその手に収まっていたし……まさか、槍の方を失くしてなどいないだろうな、あの大きさの得物を何処かに置いてくるなどうっかり具合にも程があるぞ、星ちゃんよ。

 

「ん? なに見てるのよ?」

「考え事をしている顔に見えたが聞いたほうが早いんじゃないかと思ってね」

 

「今日は素直に教えてくれるの? 珍しいことって続くのね」

「君が私をどう見ているのかわからなくもないがね。折角同行を申し出てくれたんだ、その手を借りるのも吝かではないと思うんだよ」

 

 素直じゃないが素直に届く答え。

 これに応えるなら慇懃無礼な天部の眷属、と言えば角が立つからそうだな思慮深くて素直じゃない可愛い系のチビっ娘とでも言うべきか。と、そっちはどうでもいいことか、ナズーリンが欲っしている返事はそうしたものではないだろう。

 

「素直に助けてっていえばいいのに、そこはかわいくないわよね」

「アヤメこそ素直に……と、堂々回りは捜し物だけでたくさんだったね。どうだい、一つ手を貸してはくれないか?」

 

「ナズーリンからの頼み事ってのも中々のレアものだと思うし構わないけど、具体的にはなにしたらいいのよ? というか、そろそろお目当てを教えなさいな、勿体振るようなもんじゃないんでしょどうせ」

「今回は人だよ。檀家の者が姿を消してしまってね、今朝になってうちを頼ってきたのさ」

 

 ひと月ほど前のお話だ、オカルトな異変で賑わう里で一件、新しい家族を迎えた家があったのだと。狩りを退いて久しい父親と二人娘が住むお宅に男手のお手伝いとして入っていた小姓がいて、そいつはよく働く真面目な子で痛く気に入られたらしく、正しく家の者として住まうようになる予定だったのだと、そのついでに小姓の親や兄弟も同居する流れになって住居を建て直すことになったのだそうな。そこで地鎮祭を執り行うにあたりこの林の沼地から水を汲もうと一家の主と新たな家族、年老いた父親とまだ幼さの残る小僧っ子の二人で出掛けたが何日待っても戻ってこないらしく、しびれを切らした親族が拠り所である命蓮寺に話を持ち込んだってのが今朝の出来事なのだそうだ。

 

 なるほどね、だから探索上手なダウザーさんが手をこまねいているのか。

 

「ふぅん、それで二匹で探してるのね」

「あぁ、同胞の皆を使ってもいいんだが」

「――鼠が囓った痕のある骨を届けるわけにはいかないものねぇ」

 

「……そういうことだ。私の眷属は皆現金な性格をしていてね、見合う報酬を先に渡さないと思う通りに動いてはくれない、雑な扱い方をすれば君が察した通りになってしまうこともあるのさ。明日だったなら備蓄(報酬)の買い出しにも間に合ったというのに」

 

「報酬って?」

「米も野菜も切らしてしまって一輪と村紗が買い出しに出たんだ、朝には聖も一緒に回ると言っていたのだがね」

 

「なら一日ずらせばいいじゃない?」

「遅らせられると本気で思っているのかい?」

 

「ま、無理よね、聖や星の耳に入ってるんじゃ……間が悪いわねぇ」

「そう、間の悪い話さ」

 

 財宝の神の眷属らしく実にそそる性格だな鼠達ってそれはもういいか。

 確かに間の悪い話だ、というよりもいなくなったとわかってすぐに寺を頼れば無事に済んでいた話だろうに。いや、人間たちもこうなるとは思っていなかったのだろうな。元々は通うに安い場所で水汲みするだけだったのだ、狩猟の腕に覚えのある人間が一緒にいて帰ってこれなくなるなど思いも寄らなかったのだろうよ。油断大敵ってやつかね。怪我か病気かわからんが引退した、脂の乗った時期を過ぎ衰えた人間と未だ脂の足らない小姓では湖沼にたどり着けなかった、浅はかさが見えてしまって笑うにゃつまらない冗談だ。

 

「それで、どうしたものかしらね? 衣類の切れ端でも見つければいい?」

「まだ可能性を捨てたくはないが……」

 

「でも見つからないんでしょ、お目当ての人間達が」

「わかるのかい?」

 

「馬鹿にしないでほしいわ。ここいらをずっと歩いてるけど人の臭いなんて嗅げないし、お肉大好きなアンタのお供が探せないんだから、そういうことでしょ」

 

 喰われる恐れがあるから身内は使えないと言うのだ、籠の彼もあたしと同じくその手の臭いに反応できるはず。その鼠さんが動きを見せないのだからこの辺りに肉肉しいモノはない、簡単な推理、というかあたしの鼻にもかからないのだ推理というより確定事項だ。ついでに言えばだ、ナズーリンのロッドで見つからないのはこの地にはそういった手合が程々にあるからなんだろうな。物を探すだけならあたしよりもナズーリンのほうが得意だ、どこそこで横たわる骨やら腐り落ちていない肉体やらは見つけられないわけがない。だのにウロウロと踏ん切りがつかないのはドレが目当ての亡骸なのかわからないからってところだろう……あたしからすればテキトーなやつを見繕って家族に返せばいいとは思うが、この賢将はそうはせんわな。聖はともかく星に対して不誠実な行いはしたくないだろうから。

 

 想う相手には真摯でありたい、ね。

 騙すあたしが言うと不実にしか聞こえんがいいか、ここは一つ手を貸してやろうか。思いがけない相手との二人歩きも存外に楽しかったしあの寺の住職には仇もある、それをひっくり返して恩を押し付けてやるというのも悪くない皮肉となろう。

 

「で、どうするの? 黙られても困るんだけど」

「今考えている」

 

「さっきの物言い、そっくり返してあげようかしら?」

「さきほどの……?」

 

「聞いたほうが早いってやつよ、お目当ての髑髏でも見つければいいんでしょ?」

「すんなり特定できるのかい? 私でも手間がかかるというのに」

 

「今回だけはね。間は悪かったけど運は良かったわね、ナズーリン」

 

 見上げてくれる目線を身に受けながら煙管を取り出しひと吹かし。

 大きく吸って大きく吐いて、あたし達の周囲全てに向けて薄く広く漂わせていく。

 こうして拡散させた煙で触れればあたしにはわかるはず。なんたって相手は元狩人、長いこと山や森で獣を狩り続けていた者だというのだ、であればその身に染みているものがあるはずなのだ。彼らは獣の好き嫌いを知っている、特に音や臭いには敏感だと知っている。そこを利用して追い込みも逃げもする。そこで今追うのは逃げる際の痕跡だ、無事に狩猟を終えて帰る際には獣を避ける為に大量の煙を使っていたはずで、それは多量に吸い込んでもいたはず、獣避けの煙が骨身に染みついてもいるはずであたしはその残り滓を探り当てればいいだけ。

 簡単な探しものだ。無論他にも狩りに出た元人間ってのがいるのだろうがその判別もわけないだろう、それらしく燻された骸骨連中の中から比較的新しいもの、このひと月前には生きていたような新鮮な骨ってのを探せばいいんだからな。

 

「あっちね、きっと」

「あの洞穴か」

 

 感知したのは(あなぐら)の先、いくつかある洞穴の一つ。

 あたしの背丈で潜らずに入れる程度の大きさか、これくらいなら逃げる先に選んでも違和感はないように思う。ともかく入ってみようか、行けばわかる。そうしてあたしがつま先を剥けると、正式な探索者が数歩先に歩み出てそのまま中へと入っていった。

 

「これか……襲われてしまったようだね」

「人食いの妖怪じゃないの? お山も近いし。獣相手は慣れてると思うんだけど、さすがに」

 

 洞窟の中程で見つけた仏さんは全身揃った姿。

 腿や脊椎なんかの大きな骨は多少とっ散らかってはいたがそれなりに綺麗な部類か。

 

「相手は熊か狼の類だろう。人を食うことを覚えた妖怪にやられたのなら全身揃って見つかることなんてないさ、君にもわかるだろう?」

「そういわれるとねぇ、もうちょっと遊ぶかも。足飛ばして動けなくするとか」

 

「首の骨が酷く砕けているね……喉笛に噛みつかれて息絶えたというところか」

「急所に一発か、確かに獣だわ。まぁなんだっていいんだけど」

 

「いや、獣だから(・・・・)良かったんだよ」

「そんなに拘るところ?……って、あぁ、そうね」

 

 獣でよかった、妖怪でなくて助かった。

 そりゃあそうだな、これで人食いの妖怪の手にかかっていたなら命蓮寺としてはちょっと、いや、随分と気不味いことになろう。たとえ理解を示してくれている檀家が相手だとしても身内が妖怪に殺された喰われたとなれば見る目も変わる、悪い方向に変わってしまって当然だ。なればここでも運が良かったな、骨に遺る牙の痕は大きさからナズーリンの言う通りの熊で間違いない、着ていただろう着物の千切れ具合から見ても野犬や狼の爪より熊手の一撃って感じだし、そもそもあの宵闇のやつのような人食いに狙われたなら肉だけ喰って骨は残すということもないからな。

 

「しかし困ったな」

「そうね、足らないわねぇ」

 

 耳を畳んだ賢将に合わせ、ポロッと呟く。

 何に困っているかって言った通りに足らんのだ、話では子供もいたはずなのだがここにはこの男の亡骸これだけで近くにそれらしいのはない、あたしが探れる範囲にも子供の身体らしいやつは見つからなくて、何故ないのか思い当たるものもないからナズーリンは困っているのだ……だがそれはナズーリンだけ、あたしはそれほど困ってもいない。何故か、寺の立場がどうであろうと知ったことではないってのもなくはないが理由としては別、確信ではないがあたしには当たりをつけられなくもなかったから。

 

「それらしいのは見当たらないけど良かったわね、ここでも運がよかったじゃない」

「なにか嫌味のつもりかい? さすがに笑ってあげられないよ」

 

「そんなんじゃないわ、今度は素直に言ってあげただけよ。相手が熊でここが妖怪のお山に近い、そして見つからないのは男の子、その辺を踏まえるとちょっとだけ心当たりがあるのよね……ナズーリンも噂に聞いたことくらいあるでしょ、里の人間が妖怪の山で行方不明になったらどうなるのかってやつ」

「噂……迷い子を保護して育てる妖怪、浮世の関を超える山姥の話だったか。しかし噂を鵜呑みにするほど」

 

「信憑性はそこそこにあるわよ、なんたって流した張本人から聞いているし、あたし自身何度か見に行ってるからね」

 

 妖怪の山に住む妖怪は何も天狗や河童だけじゃない、名の上がった山姥もお山で暮らしている。

 あのお山に住む連中にしては珍しく寄り集まって暮らしている前者たちとは違って、集団行動も組織的な活動もせず単独行動を好むのが彼女達山姥で、あいつらは同じ山姥同士で群れることこそないけれどなんでか他の種族とは話したり関わったりすることがあるのだと。

 あまり行動的でもないらしく自ら山を出る話なんてまるで聞かない連中、そんな奴らのことを何故にあたしが知っているかと言えばそれはそれ、山に住みながら真逆の外に生きる鴉が我が家に来るからで『顔を合わせると手間なんです』と聞いたからどれほどかと見に行った過去があるから。

 その時は残念ながら交流できずに追い返されてしまったが、そこが噂を信じるに足る理由となる、理由こそ判らないのだが噂で広まる話を鵜呑みにすれば迷った大人は追い返し、人の子は保護して育てあげ立派になったら開放するらしい。なんでまたそうするのかはわかっていないって話だったがあたしを追い返したってことは噂の半分は真実、後半の部分もちょいと都合はいいが鵜よりも黒く人にも近い鴉の知識だ、信じてみてもいいものになるだろう。

 

 そんな話をそっくりそのまま話してみた。

 するとしばし考えた賢将はおもむろに屈み、足元の髑髏と砕けた首の骨に手を伸ばした。

 コトリ、顎の骨が動き小さな音が鳴ると、洞穴の奥を見つめて背丈に似合った大きさの息を吐く賢将殿。お目当てが見つかったというのに浮かない顔、になっても仕方がないのか。ナズーリンならば見つけてもらえると信じて送り出されたのに結果は半分にも満たない状態、気落ちもして必然だ……だがこのままでは面白くないな、一応お宝は見つかったのだ、であれば探求者のそれらしく小さくてもいいから笑顔の一つも見せてもらわないとあたしが楽しめない。

 

 なら笑ってもらおうか、こういう時はなんだろう?

 そうだな、くだらない冗談がいいかな。

 

「信用はしきれないね。でも、死んだと伝えるよりはいいかな」

「信用ねぇ、人と関わって生きる連中は面倒よね」

 

「私はいいがご主人には言わないでくれよ?」

「言わないわよ。それより伝えるなら聖より星からのがいいわね、そのほうが信じてもらえるようになるはずよ」

 

「心願成就の毘沙門天としての威光か、悪くないね」

「それもあるけど、ほら、カホウは寝て待てっていうじゃない。子は宝よ、失せ物癖があるけど必ず戻ってきてる財宝福徳の神が言ってあげれば気休めにもなると思わない?」

 

 悪くない、少しだけ明るくなったその顔にズケズケ言い切る。

 すると一瞬の陰りも見えたがその後でクスリと一言漏らしてから、それも言わないでくれたまえよと釘を刺しくれた。私にはいいと言ってくれた事と心酔するご主人をかけていってみたくだらない冗談は受け取ってもらえたらしい。

 本当はもう一つ家宝を失くす部分もかけて言ったつもりだったのだがそこもきっちり理解してくれたのだろうか。うん、きっと解ってくれているはずだ、神髄するご主人のことに対してはこの賢将が一番解っているはずだから。



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EXその68 水辺にて

 風に揺られて漂って、生くるも死ぬるも風だより、今時期の雲は大概こうだ。

 妖怪の山にかかっている大きな笠雲も少し前まではゆるゆる流れる吊るし雲だったが、今ではその頂きを包み隠す立派な笠となった。上空で吹き荒ぶ風に煽られて端の方から少しずつちぎれては雲霞へと成り果てているけど、それでも白い丸さは失わないる夏の雲は愛らしく、自らが雨をもたらせる側だと言うのにその名は傘だなんて、ちぐはぐ具合までが可愛らしい。

 

 そんな雲をあたしは結構好いていて、いつだったか追いかけたことがある。

 いつの間にかに現れていつの間にかに消えてしまうあれらは何処へ行ってしまうのか、ちょっとだけ気になって、母体の入道から千切れて流されていく小雲を追いかけたこともあった。

 

 だけど、いつからから追わなくなってしまった。

 霞と消えた雲を追えば大概面倒な者と出会ってしまうことを、あたしは知ってしまったから。

 その者ら、例を上げるなら仙人てのが筆頭か。人を超え、その頂上に至った者。

 近場で言えばあの片腕有角や無理非道な仙人様が思い浮かぶがあの人達も会えばなにかと面白い、関わるとはた迷惑なことばかりが起きて楽しいよりも手間が多いのが玉に瑕だけど彼女達に玉はないしあたしにもないからそれはいいとして……玉持ちの仙人といえば別の、昔に見かけた男の仙人も強く思い出せるか。そいつは寺のお堀に住むって噂が立つような変わり者で修行の末に空を飛べるようになったという、別の意味でも世から浮いた男で仙人らしい仙人だった。我が記憶にあるのは伐採した木材を神通力で空運しているところで、あたしが昼寝していた近くで木を切り出し始めた絵面なのだけれど、その日は物凄く煩くて一言文句を言ってやろうと思ったものだが、別の日にはたいそう笑わせてくれたからそれはよしとしてある。

 

 その笑い話、こちらは別の日に見かけたものだが、その時はたしか遠くの空を飛ぶ姿を眺めていた昼のことだ。その日もゆるく飛んでいた仙人だったがふと目についた眼下、川辺で洗濯する女の脹ら脛(ふくらはぎ)に気を取られてしまったらしく、その女に声を空から声をかけるつもりで近寄っていったのだが突然飛べなくなったことがあり、自ら衝撃的な出会いを演出する羽目になっていた。

 あの絵面も中々に面白いものだったな、仙人が女にみとれて墜落するなんざお茶目さんだと笑ってしまったし、悠々自適に霞食ってりゃ生きられるくせに女も食いたくなるって贅沢な、世捨て人となっても俗な想いは断ち切れないのだとその身で教えてくれるのも面白くて、色々楽しませてくれる男だった。

 

 霞と言えばだ、あちらの霊山におわします科学好きな神様や発明馬鹿が言うには雲は白く見えるだけで本当は無色、今あたしの視界いっぱいに広がっている水と同じで透明な色合いだから見えなくなっても不思議ではないというお話を聞いたことがある。真実はそのまま然り、幻想郷の先端を行く連中が科学を用いて暴いた結果だからそれで正しいのかもしれないが、科学の真逆に立ち位置を置いているあたしとしてはその答えに少しの異を唱えてみたくもある。不服があるわけではないけど、なんとなく面白い答えに聞こえないから違う可能性を探してみたくなる。

 

 では反論するならば、そうだな、先の通りあの山には霞を主食とするはずの仙人が住んでいるし、あたしが知るその仙人は大昔から大食らいだ、おつかいに出すペット達が買わされているのも食い物ばかりだからそれは周知であると言えよう。そこを踏まえて論じるならばあたしはあの仙人様が霞をとっ捕まえて食うなり、家に隠して保存していたりするからいつの間にか消えているんじゃないかと説こうか。

 あのお山の空には河童が作った便利アイテム、霞だけを捕らえる霞網という物が張り巡らしてあるのだって話もあったはずだから、山の技術部門と仙人で結託、ではないな昔は顎で使っていた河童連中に声をかけて自身の食料確保をさせているんじゃないかってのが今考え得る最良の答えだとあたしは思っている。

 このネタを特集として組んだ天狗記事の中でもばっさり否定していたし本人に問い質した際にもそんなことあるわけないでしょと一蹴されたが、元々の話も腹まで黒い天狗の書いた新聞が情報源でどこまでが本当のことなのかすら怪しいのだ、はなっから信憑性などないのだからそれを否定する意見にも信憑性なんぞない、だから華扇さんの言葉なぞどうでもよいと考えている。

 無論あたしも鴉のネタを鵜呑みにしているわけではない、話した通りで信じちゃあいない。ならば何を根拠にするかだが、化かす狸なあたしが狐に化かされぬよう眉唾なお話に乗るのも一興と、そう思ってしまって一人笑うことが出来たから、そうであろうと思い込んでいる次第だ。

 

(あれ)ってどんな味なのかしら、見た目通りなら蛋白でお上品なんだろうけど、華扇さんにでもまた聞いてみるか……あの雲が出るとお天気崩れるし、夜には降ってくれたらいいんだけど、ねぇ」

 

 だけどだけどと接続し、紡ぐ中身は空模様。

 あれじゃ期待出来そうにないか、笠雲や吊るし雲がかかるとその後の天気は下り坂なのだが、流れるそばから空の青色に飲まれていく夏雲は育つどころか消えていくだけ。盛りの頃なら千切れても空のどこかで纏まって背丈のある入道雲へと姿を変じさせ、幻想郷の大地に潤いの雨をもたらしてくれたものだが、夏の終わりの見えた今では恵みを蓄え育つよりも季節の最後に吹く送南風(おくりまじ)にかき散らされるほうが早いようだな。

 

「一雨降ってくれれば涼しくなってくれて嬉しいのだけど、このお天気じゃ降ったところでそれほど冷えもしないか」

 

 お彼岸まではまだあるし、もう暫くは暑いままかね。

 青一辺倒になってしまったかんかん照りのキャンパスを眺め、ぼやく。

 暑さ寒さも彼岸まで、誰が言ったか知らないが冬の余寒は春が分かれる頃までで、夏の残暑も秋が分かつ頃までには和らぐことが多い、言い得て妙だと死んで彼岸の住人になったあたしも思う。

 彼岸と言えば今年の盆には精霊馬を持ち込んでくる奴はいなかったな。いつだったかの入り盆には胡散臭いスキマやら無意識な妹やらが死んだあたしへの嫌味として胡瓜の馬や茄子の牛を我が家に持ってきたものだが、流石に毎年やるようなネタでもないし早々に飽きてくれたのかね。だとしたらいいな、今日は湖で冷やした胡瓜馬を齧るにはいい気候だが茄子牛の方はあまりいい気分にはなれないから、昨晩の悶着のおかげでその手の乗り物に乗る気にはなれそうにない。

 

「ね~? なんか言ったぁ?」

 

 二度目のぼやきを吐き捨てて少し、別の思いにふけ始めた頃に届く声。

 その声はあたしの視線の先にある岩、霧の湖の湖底よりそそり立つ大きな岩で寝そべる水着姿の女の子、丁度眺めていた空のような濃い青のビキニな奴から届いた。

 

「なんでもないわ」

「なんでもなくないよ! なんか聞こえたから聞いてんの!」

 

 手をブンブン、口ではわんわん騒ぐ誰かさん。あからさまにはぐらかされたのが面白くないのか、アイツの口調らしい間延びした『エ~ナニ~?』って問いかけも聞こえてきた。

 濡れた茶髪を一度纏めて、オールバックでこちらに向かって叫ぶ女の子。暫くは呼びかけてくれていたが少し待ってもみてもあたしからの返事がないことにしびれを切らしたのだろう、湖に飛び込んで泳ぎ始めた。

 タプンと飛び込む水の音を鳴らしてくれるのはいいけれど、お前は琴の付喪神で蛙じゃあないんだからそんな風流な音を立てても様には……ならなくもないな、今の性格はアレだが八橋の奴も元々は雅楽を奏でる(みやび)な楽器様だった、であればそれなりの形にはなるか。

 

「ね~え~、さっきの、なんて言ってたの?」

「秋が恋しいって言ったの、ご飯も美味しくて景色も綺麗、厚着してお洒落もできるしなにより涼しい秋が待ち遠しいって言ったのよ。涼しくなればあんたらに付き合わされてこんな格好しないですむし」

 

「なにそれ~、さっき言ってたのより全然長いじゃな~い!」

 

 一潜りしてそばに来た琴古主、買ってやったフリフリ水着をふりふりしながらプリプリ騒いでくれるけどあたしは言ってやったままの心境だ、気にせずに顔を背けて立ち上がる……と尻に布地の挟まる感覚。本当にもう、さっきから歩いたり立ったり座ったりする度にこれで開放的な姿のはずなのに窮屈で困る、これだから着たくはなかったのだが……直さにゃあ気持ち悪いままだし致し方なし、着ている水着のパレオに纏わり付いた湖畔の芝を払い、そのまま食い込んだ尻も直す。

 と、所作に出ていた乗り気のなさもお気に召さなかったのだろうな、隣の奴に絡まれる。

 

「泳ぎに行くって言った時はアヤメも乗り気だったじゃん!」

「あたしはアンタらを眺めるだけでよかったの」

 

「んじゃあなんで自分の水着も買ったのさ~」

「それは、似合うって言われたから?」

 

「なんで疑問系なのよ……それって雷鼓が言ったからでしょ」

「そうよ、これがいいって選んでくれたから買ったの」

 

 ふわっとパレオを翻しどんなもんよとアピールしてみる。これで褒め言葉の一つでも飛ばしてくれるなら可愛げもあるるのだが、そうした言葉は何もなく、八橋は無邪気な笑みを見せるだけ。

 その顔の真意はなんだろか、もしかして似合ってなかったりするのだろうか。だとしたらお前ら楽器トリオの見立てがなってないのだ素材であるあたしは決して悪くない……と、開き直ってもいいが、今にして思えば早計だったな。

 水着を強請る可愛げに負けなけりゃ良かったかも、そんなことを着替えた今更になって思うが後の祭だ、お囃子の楽器連中に負けた囃子方が誘いに乗って踊らされたが悪いのだから否定はしないで伝えよう。

 

「……アヤメって変なところだけチョロいよね~」

 

 欲しかった一言はなしで、変わりに別の言葉をもらう。

 あたしに向かってチョロいなど聞き捨てならん物言いであるが、ご尤もと感ずる部分もあるから今は捨て置くこととしよう。

 自分でも雷鼓というかお前ら付喪神や地底のペット達など、可愛がるのに申し分ない奴らにゃ甘っちょろいなと思う節が多々あるからそこを言い返したりはしない、別の言い回しはするが。

 

「これ着て一緒に泳ぎに行きましょって可愛いお強請りに負けたのよ」

「あ、今可愛いって言った? 言ったね?」

 

「まぁ、可愛いし似合ってるとは思うわ」

「そうよね~やっぱりこの水着可愛いよね、私達の分までまとめて買ってくれてありがと~!」

 

「ちょっと、アンタら姉妹のは別よ、後で返しなさい」

「だって好きなの選べって言ってたじゃん」

 

「言ったけど買ってやるとは言ってないわ」

「えぇ~……あ、アヤメのも可愛いよね、 白いのしか着てないイメージだったけど黒も似合うんだ。ねぇその下ってどうなってんの?」

 

 隣でくるり、一回り。

 コロリと変えた会話に同じく、どこぞの厄の神様のように片足立ちでふわっと回って、胸元や腰回りを飾るフリルごと八橋本体もふわふわ揺れて我が外周を回る。

 どこぞの邪仙の連れ合いのように可愛さアピールしてからあたしが着ている水着も可愛いよねと、上と同じ色合いの黒いパレオを摘み上げひらひらしてくれる妹。たしかに濃淡のある空色のフリルはかわいいし姉の弁々と似た透き通る肌の色に映えるものだとは思うけど、人に近い姿のお前と違ってあたしの水着は股上が浅い尻尾ありでも履けるやつなのだ、そう翻されては大事なところが見えてしまいそうで、真っ昼間に見せびらかす趣味はないからやめてほしい。

 

「待って、引っ張らないでってば」

「いいじゃん、減るものじゃないって」

 

「御代官でもないんだからやめて、言うこと聞かないなら減らすわよ」

「減らす? なにを? あぁ、貸しってやつ? それならもっと頑張らな――」

「――頑張ったらその分なくしやるって言ってるの。減らすのはあんたに対する慈愛の心、復帰のお祝いってことで買ってあげたことにしてやってもよかったんだけど、これ以上絡んで――」

「いいの!? やた~!」

 

 被せて放った売り言葉に被せられる買い言葉。

 余暇の片手間に貸しつけ業を嗜む狸として貸しはきっちり返してもらう予定だったが、引っ張られ持ち上げれて食い込む尻や腰の嫌悪感にあたしの心が負けた為ここは譲歩のひとつとして策を話す、つもりが遮られ、抱きつかれる。貸した側から譲ってやるつもりだというのに人に飛びつきくるくると、さっきから回るのに忙しいお琴だこと。

 

「ありがとね~、こういう時のアヤメって気前良くって好き~!」

「はいはいあたしも好きよ。好きだから、暑苦しいから、さっさと離れて、ほら」

 

 ほれほれしっし、我が首へと回されているやわく温かな悪戯顔にそんな気持ちを込めてぶつける。するとその言葉が効いて、ないな、邪険にされて凹むどころか人懐っこい笑顔を見せてくれるばかりだ。こいつもこいつですっかりあたしの物言いに慣れてしまわれたようで、些細な憎まれ口程度は効くこともなくなってしまって面白くない。

 が、まぁいい、こいつらに好かれるなら悪くないしこいつにおだてられるのも悪い気はしないから、今日は大人なあたしから譲ってやることにしよう。一つ譲るも二つ譲るも大差などないしな。

 

「でさ、着替えたのに泳がないの? 木陰でダラダラしてるだけじゃん」

「日焼けしたくないし、泳がないわよ」

 

「なんでよ、水の中って涼しいし、気持ちいいよ?」

「知ってるけど今のあたしは水中はダメなのよ、ここは一度溺れてるから余計に苦手に感じるの、だからイヤ」

 

 そうだ、あたしがこの湖で溺れたのはちょうどこいつらが柔らかな肉体を得た異変の頃、というかあの異変で真っ先に気が膨らんだ相手にあたしは沈められたのだったな。そういやその相手、この湖にいるという噂の主かもしれないわかさぎ姫はなにをしているかといえば、八橋がいた大岩の奥、あたしでギリギリ足がつかないくらいの浅いところで雷鼓達の腹を支えて泳ぎを教えてくれている。というより八橋もあたしに絡んでないで泳ぎに来たんだから泳いでいたらいいのに、そいつが今日の本題だろうに。

 

「そんなこと言って、本当はアヤメも泳げなかったりするんでしょ?」

「あんたらと一緒にしないで、狸は泳ぎも上手よ」

 

「じゃあなんで」

「うるっさいわね、あんまりしつこいとひん剥いて取り上げるわよ?」

 

 強めに言っても離れない、それどころかあたしの腕をとり絡みついてくる付喪神。ぺたっとくっつけられている柔らかな腹を押し返しても離れてくれなくて、このままではぬるくなってしまいそうでそれもイヤだな。

 アヤメも、なんて八橋は言うがその通り、この付喪神達は泳げない、わかさぎ姫に指導してもらうまで沈むばかりでまともに泳げなかった。玄翁やトンカチではなく木製の楽器上がりなのだから水に浮くくらいは容易いはずと、そう思っていたけれど楽器上がりとしては水場で湿気るのはとても嫌だったらしく、これまでは泳ごうって意識すらなかったそうな。だというのに湖へ、自分達から泳ぎたいと誘ってきたのはある重大な理由があったりする、それは……

 

「ね、ね、その溺れたってなに? 紅魔館の門番さんがずぅっとこっち見てるのと関係ある?」

「あるにはあるけどあんたには関わりないわ、いいからもう離れてよ、暑いのよ」

 

「私は冷たくていいよ~、雷鼓が抱きつくのもわかるわ~」

 

 だろうな、あたしも夏場に冷たい抱き枕があったら抱っこしていたくなるってそうじゃない、お前があたしで涼しさを味わえば味わうほどあたしの体はぬるくなっていくのだ、本当に勘弁してほしい……からそうだな、そろそろ焚き付けよう。であれば…… 

 

「八橋……」

 

 低めの声を作り名を呼ぶ。普段の軽々しい声色をやめ古狸らしい年季を滲ませて伝えるのは、あんまりにもしつこいからあたしのご機嫌が傾き始めましたよって空気。

 そうやって面倒が起こる前兆を知らせるよう耳に囁きかけると漸く離れて、上がりっぱなしだった調子を幾分抑えてくれた。強めに言えば聞いてくれるんだから最初から聞き分けよくしてくれればいいのに、と考える裏では手間や面倒なんてあたしらしい部分で信用されているのが好ましくて、思わずニンマリしてしまう。

 

「怒った?」

「そう思う?」

 

「だって顔怖い……ごめんね? 調子に乗っちゃった」

「わかったならいいわよ、青筋立てて怒るほどのことでもなし。それよりいいの? このままだとあんただけ置いてけぼりになるわよ?」

 

 突き放した八橋、その眼前に指立ててあちらを見ろと促す。そうして泳いだ目線の先では今日の水泳のコーチ役であるわかさぎ姫が雷鼓と弁々の手それぞれをとり促す景色。

 二人それぞれオレンジのビキニと白いラッシュガードの、遠景遠でも目立つ水着を着込んでバシャバシャ足をばたつかせてはいるが、あれだけ水飛沫を上げていては前に進むものも進まなさそうだけど、今回はそれでいいんだな、その無駄遣いをしに来たのだから。

 

「おいてかれるってなに? 私のが泳ぐの上手になったよ?」

「泳ぎはね。別の方で一人だけ取り残されるって言ってるのよ、その二の腕の振り袖、弁々は見た目変わらないけどあんたと雷鼓は……あんたがサボってる分雷鼓のほうが早く引き締まって、いい体に戻っちゃうんじゃない?」

 

「振り袖って! 私は姉さんと一緒でそんなには……」

「そう思うのって本人だけよ、体型の変化って本人より回りのやつのが気付くものだったりするの、抱いたり抱きつかれたりすると余計にね」

 

 語りながら手をわきわき、さっき確かめたとわかるような素振りで動かすと揉みしだくような指使いと憎まれ口から察したのか、八橋が自分のお腹に軽く触れてから、やわやわした二の腕までも摘まんで確認し始めた……ならばここだと、その隙を狙って一撃。少し屈んだ頭の天辺を鷲掴み、そのままググッと押し込んで、さっき上がってきた背後の湖に突き落とす。

 

 当然聞こえるドボン。

 雅な調べには程遠いその音だが今のこいつにゃソレが似合いだと笑う。

 ともかく頑張って泳いだり潜ったりして身体を引き締めてくれたまえ、言い出したのは自分達なのだ、昨日はあれほど騒いでいたのだからその勢いをあたしに魅せつけてくれたまえよ。

 

 ケラケラと嫌味な笑い声をあげながら頬を撫でる己の髪、水着に着替えた後で『そうやって下ろしていたら泳ぐのに邪魔でしょ』と、弁々とお揃いにしてもらったポニーテールに指を通して思い出すのはここに来る前、昨晩の事。

 昨日の帰宅は夜半過ぎ、昨日の日中も残暑厳しいものであたしは朝から避暑地を巡ろうとあちらこちらにお邪魔していた。まず訪れたのはここ霧の湖、ここにはあの氷の妖精が住んでいるからちょいと騙って取っ捕まえてあの涼し気な翅の一枚でも失敬するか本体が放つ氷の結晶を集めてかき氷でも食えれば気持ちよく過ごせると考えたのだが、お目当ての彼女は既に住まいにおらず、近所で門番しながら花壇の手入れをしているやつにチルノなら朝一番から出掛けていないはずですよと教えてもらえて、仕事中に余計な気を回してくれたことに感謝し、その場はすんなり諦めた。

 

 で、次に向かったのは人間の里。

 里には思い当たるものもなかったけど里には中央を流れる大きな川があるし、そこで足を浸しながら近くに生える柳の下にいるはずのデュラハンでもからかって遊ぼうと思って訪れてみた。しかしこちらもハズレを引いて遊び相手はいなかった、寺子屋方面から偶然歩いて来た愛らしい子狐の子に聞けば、目立つマントのお姉ちゃんは魔法の森方面に出て行く後ろ姿だけを見たとのこと、どうやらあたしと入れ違いになったらしい。ならもう一度とも思ったのだけど素直に湖へ出戻るのもなんだか癪だったし、また来たと気を使う妖怪に気を使われて愛想笑いされるのも癪だからこっちもさらっと諦められた。

 

 それからあちこち、人気がなくて涼しいはずの妖怪神社や同じく人気のない、むしろ人として終わった連中しかいない冥界や三途の川にも顔を出してみたけど誰とも会えず、あたしは誰を冷やかすこともできぬまま帰路に着く羽目になったのだった。

 

 そんなわけで我が家に着いたのはいい時間、既に夕餉を済ませた者達が寝入るか団欒しているかって頃合いになってしまい、無論あたしの家でも同じような絵面が繰り広げられていて、落とし穴をこさえた兎詐欺が楽器トリオを冷やかす光景を見られたのだが、この辺は端折っていいな、他人の冷やかしではあたしが涼めないし。兎も角、土汚れを落とすのに風呂を借りて出て行った白兎詐欺を送り出し、後に残ったのは遊びに来ていた付喪神の姉妹と我が家の付喪神の三人で、そいつらはちゃぶ台囲んで金色のクモが云々とよくわからないことを話していた。

 

 で、ここで発したあたしの一言が今日のお出かけの原因なのだそうだ。なんのことはない、食うだけ食って動きもしないとクモどころか牛になるなんてあたしが言ったものだからそれなら明日は身体を動かしに行きましょうなんて話になってそれがこの現状だ。

 あたしとしては茶化したつもり、食い散らかしたまま洗い物もせずだらけているのは消化に悪くて肌ツヤの悪さにも繋がる、この家に来るのはあたしを含め顔だけは愛らしい奴しかいないんだから荒れたりしては勿体無いぞって、そんな意味合いで言ってみたのだがこいつらはなんでかそのことわざにやたらと食いついてきやがった。その時は特に思うこともなく、最近まで永遠亭でダラダラしていたからマトモな活動でも、その肩慣らしでもしたいのかなとしか考えなかったのだが……あいつらが食いついた理由はその夜になってはっきりとわかった。明日出かけるなら一旦帰ると言い出した九十九姉妹をお見送りして、風呂を沸かし、雷鼓が入った後であたしも湯船へ混ざりに行った時、あたしはちょっとした変化に気付いた。

 

 元々があたし独り暮らしの一人風呂で二人で浸かるにゃ狭いから大概は先に入っているやつが組んだあぐらの上にもう一人が乗っかるのだけど、そうやって雷鼓の上に座って両足を腰に回し内股で触れた際に、腰骨の感覚がなにやら柔らかいと気が付いてしまったのだ。その時は気を回してちょっと抱き心地がよくなった? と、遠回しに伺ってみたのだけど……言われずとも本人もわかっていたらしく、その為に明日はお出かけ、泳ぎに行くのだと気合いを入れた顔で微笑まれてしまい、その笑顔に撃ち抜かれたあたしは断りきれなくなってしまった。

 

 なんでも、体を引き締めながら痩せたいのであれば泳ぐのが健康的だとか八意先生に唆されているようで。消費するならこの後でいつもより激しく運動をすればと首筋に催促の口吻しながら提案してもみたのだけど、それでは姉妹が混ざれないと言われ、それなら見物くらいはさせろとあたしも同行することに相成ったわけだ。

 そもそも冬でもライブで汗を流す連中が消費せずに永遠亭で静養していればそうもなるだろうに、派手に動くことの少ないはんなり蓬莱人に付き合ってまったり過ごして食っちゃ寝していれば肉付きもよくなるとわかりそうなものだが、自制はしなかった……できなかったのかね、あの姫様も物はを大事にする暇人だ、暇を潰してくれるものらが傍にいるなら甘いほどに可愛がりそうで、制するどころか怠惰へのおもてなしまでしてしまいそうだものな。

 

 因みに、あぁ言ったが三人とも見た目じゃそれほど変わってない、輪郭に女の子らしいフォルムが加わってより愛らしさに磨きがかかった程度、ライブで絞って作られた筋張る体よりも女の子の柔らかい丸みが前面に出てきた雰囲気で、程よい弾力がありそうな腹や内腿、二の腕なんかは以前よりも美味しそうな仕様になったとあたしは見る。

 なんて本心も言ってやったのに雷鼓といったら変に気合いを入れて泳ぎ回ってくれて、あたしは眺めているだけに飽いてきたから少しはかまってもらいたいし、味の妄想なんてしたからそろそろ昼餉としたいところなのだけど……

 

「……子方さん?……突き落としたら危ないですよ、聞いてますか?」  

 

 昨日の流れを思い返していると今の流れを泳ぐ者に呼び戻される。

 今度は誰がサボりにきたのか、湖に目をやるとその直後で大きく美しく広がる尾ビレ。

 よくよく見れば生徒役の二人は疲れて岩で寝そべり、その横では肩で息するサボり生徒の姿までがあった。なるほど、突き落とした生徒の救助を最後に今日の授業はおしまいとなったらしいな。

 

「ちょっとした悪戯よ?」

「悪戯でも危ないものは危ないんですよ」

 

「凍える季節でもないし、ここなら姫に助けてもらえるから大丈夫でしょ?」

「それは……まだ不慣れなんですし、本当に溺れてしまったらどうするんです?」

 

「どうするって、それを姫が言うの? 面白い冗談ね」

 

 溺れたら危ないのはわかる、体感しているから。けれどそれを言う相手を間違えてないか、天邪鬼の起こした異変であたしを沈め、溺れさせてくれたのは一体何処の何方だったのだろう。

 それとも煽りのつもりか? だとしたら買ってやらなくもないぞ、可愛さしか感じない挑発に乗るなんぞあたしらしくはないが今はちょっとだけ、両方の意味で飢えているから。

 そんな含みを笑みに偲ばせて返すと、耳のようなヒレを下げちょっとだけたじろぐお姫様。

 気弱なのは知っているけどこの程度、お遊びの軽口くらいで怯んでみせてくれなくとも。  

 

「えっと……」

「あ、いいのよ気にしないで。あの時はあの時でもう水に流したし、別に怨んじゃいないわ。あたしはむしろ感謝してるくらいなんだからね」

 

「感謝されるのはさすがに違うと思いますけど」

「だから気にしないでって、今のは今日に対してよ。いきなり来て泳ぎを教えてってお願いに付き合ってくれてるし、おかげであたしはあいつらの水着姿も見れたし、ありがたいわ」

 

「泳ぎを教えるくらいは、私こそ普段は影狼や蛮奇ちゃんくらいしか話し相手がいないので。今日みたいに遊び相手が増えるのは楽しいですから、皆さんで来てくれて嬉しいです」

 

 ニコリ笑む人魚姫。

 あちらさんがどうだったかはしらんが、あたしは遊びの冗談だったというのは今ので伝わったらしく、涼やかな水辺に半身沈めているのにあたたかそうなピンク色に頬を染めた笑みを眩しくしてくれた。この笑みもとても柔らかで、ただでさえ綺麗な顔付きしているのにそんなに朗らかに笑われると今はその、くるものがあるな。

 

「あんまり素直に笑われても困るわね」

「でも――」

「――喜んでもらえたみたいであたしも悪い気はしないんだけどね、そういう顔はあんまり……気軽に見せないほうがいいわよ?」

 

 笑顔に笑顔で返しながらそれはよしてと語りかける。

 その質問にも笑顔のままで小首を傾げて聞いてくれて、それもまた愛くるしい……いや、今あたしにある欲は愛玩や寵愛ではないから愛くるしいのはちと違うか。今感じる思い、溺れてしまいたい欲は別のあれだ。

 

「同性から見ても可愛い笑顔でホント、美味しそうね」

 

 言い漏らしてすぐに聞こえる水の音。鳴り響いたそれは姫の尾ビレから発せられたもので、あたしに向かい真っ直ぐに向けられていた。飛んでくる水飛沫、会えば毎回美味しそうだの食べてみたいだの言っているからこの軽口も水に流してくれるものと思っていたのだが今日はなぜだか受け流されず、姫の返答は冷えた水の勢いとなってあたしの身に降りかかる。

 

 泳いでもいないのに頭から尻尾の先までびっしょりと、容易に出来上がるいい女。

 ついでに頭も冷えてちょうどいいから少しだけ、なんで今日に限ってきつめのツッコミが飛んでくるのかと思案するが……難しく考えなくともわかるな、みんなで遊びに来たというのにあたしは眺めるだけ、混ざらずに口を挟むだけの、水を差すだけで過ごしていたのだからこうされても仕方がない。

 

 ぶつけられた水の勢いにズラされた眼鏡。

 それを直して正面を捉えると奥の岩で復活を果たした八橋に指で差されて笑われているのも見えて、弁々や雷鼓にもいい女になったわなんて冷やかされる始末。

 

 ちょっと口を滑らせただけなのにこうも笑われるものか。

 なんとも笑えない状況であたしの立つ瀬など見当たりもしないが、ココはもとより湖で瀬などなし、そも遊びに来たのだから遊ばれても致し方なしと再度開き直ってみせよう。悪戯を返してきたわかさぎ姫も皆と一緒に仲良く笑っていることだし、嬉しいという魚心は話してくれたのだからそれに答えて笑い返すのが濡れ濡れなあたしの水心だ、変にむくれてはみずくさい。



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EX その69 くろうは買ってでもするか?

 仄かな寒気を()びる風。雲足が早い妖怪の山方面より降りてきた秋風に髪を撫でられながら齧る栗は優しい甘さで、焼いた香ばしさとともに我が身に染み入っていく。じんわりと広がる風味、夏場の西瓜やさくらんぼのようなさっぱりした甘さとはまた違う栗の甘さはどこかあたたかく、一つ二つと口に含めばそれだけで心も豊かになるようだ。

 これに合わせて秋番茶でも啜れば渋みと甘みの両方を楽しめて愉悦の一時と洒落込めるのだけど、生憎と今はそう出来ておらず、年間通して変わらない自前の徳利酒でお茶を濁している。

 濁すとはいっても、焼き栗の香りでいっぱいだった口の中を慣れ親しんだ酒の味で流すのもまた味わい深くあるし、度々目が合うあたしの酒虫ちゃんは相変わらずかわいいし、知らぬ間に拵えてくれている酒も十分にウマイし、ご機嫌に暇を明かすことには成功しているから、これ以上を望んではいないのだけれどね。

 

 酒虫ちゃんとお揃いで、あたしのほうも相変わらず暇を楽しむだけの日々。

 今日はと言えば先の通り、何を考えるでもなく、ひとつ剥いては口に放り込み、ふたつ剥いては酒で流してホッと息をつくだけ……だったのだが、みっつめを手に取った頃にふと思った、食べ物はやはり秋がいいなと。

 

 なんたって空気が違うのだ。

 あたたかな春の芽吹きの勢いもなく、猛々しく盛る夏のような眩しさもない。そして来たる冬ほど静かでもない、穏やかな時が流れる秋は獣から成り果てたあたしにとってはとてもとても居心地がよく、緩やかに流れる空気は何を喰ったって美味しいと感じさせてくれるものだ。

 

 これで剥かずに済んだら言うことなしだなと、しかしそれでは味気ないなと。

 そんなことも考えつつ皮剥き、だからこそ情緒があるのだと頷き、食う。

 そうやって自問自答しつつ明るいうちから美味いもの喰って飲んで、郷を流れる空気に同じくあたしの心もほこほこでなんとも暖かに感じるけれど、日中からこの調子だと夜にはちょいと困りそうだな。なにを口にしても美味いからとあまりに飲み食いしすぎてはお腹ポッコリになってしまいそうで、それは少し恥ずかしくもあるが……そうはいっても元々肉付きのいい連中とは違ってあたしの場合は多少肥えたところで問題もないか。着物姿じゃ目立たんし元々の体も浮いた(あばら)が指でなぞれるくらいだから見た目の方も変わらぬはず、却ってが肉付きよくなったほうが抱き心地もいくらかよくなり、歓迎もできそうだけれど、いざという時になんだか重く感じるから乗らないでと言われるのはきっと切ないから、今日のところは抑えめで勘弁してやろう。 

 

 して、程々で抑えるにはどうしたものか。

 もぐもぐしながら案じるモヤモヤまで食についてだなんて、本格的に食欲の秋を楽しんでいるのだと自分でもつくづく思う……で、そうだな、夜は夜で馴染みの屋台でお酒飲みつつなにかつつけばいいか、ミスティアの屋台なら多少の注文をつけたところでそれに応えたものを出してくれるし、鼻歌交じりに焼かれる銀杏の二つ三つを肴に呑む女将のお酌はまた格別のはずだ。

 

 見つめる川面に浮かぶ女将の顔。

 今日はどうしますと笑顔で、小首を傾げながら伺ってくれるその表情もまた肴の一つで、それもおいしいものだとか考えながら。人間の里を流れる川の上、橋の欄干に背を預け、今日も盛況な霧雨の大道具屋を眺めながら宵の味を考えていると、荷車押した人間達が今年の恵みを荷台に載せて里のあちこちへと流れていった。

 

 今季は秋の妹様がやたらめったら頑張ったみたいで大地の恵みが豊作となり、畑の野菜も田の米も大収穫なのだと。なにを穫るにも人手が足らず、小作を生業とする者達以外にも人手としてかり出され、積み込む代八車ですら売れるほどなのだと。

 その味も、素のまま食ってもそれはもう美味しいものがギュッとしてドカンと美味いのだそうな。今戴いている栗なんかも類に盛れず大当たりで、粒の大きさこそ不揃いではあるけれど甘みの強いものがたらふく採れるらしく、あたしが口にしているコレも甘味処の末娘が寺子屋帰りに友の家事を手伝った際に頂いたものなんだとか。

 タダで提供するくらいなら羊羹にするなり甘露煮にでもするなりして店で出せばいいと考えなくもないが、今年は栗畑の持ち主が売らずに子の友人へ土産で渡すほどの実りだ、商なう側がかけた手間暇と時間を取り返せるほど同じ里の連中が買う見込みもないのだろうし、それならば馴染み客に振る舞ったほうが恩が売れてよいのかもしれないと考え直して、なにも言わずに頂戴した次第。ムリに断ったりするのは、まいどどうも狸のねえちゃん! と、曇りない笑顔でよこした店主の爺の顔を潰すことにもなりかねなかったからね。

 

 それでも紙の袋で二つは多かろう。焼いたものと生のもの、どちらも中身は変わらぬ栗だけでパンパンになった紙袋相手にそうぼやくと、その呟きをかき消すように人で賑わう通りのどこかしらから話し声が聞こえた。

 『いい』と言ったあたしへ当てつけたように聞けたのは『よくないね』

 誰かの具合かそれとも景気か、はてさて何が悪いのか。

 耳を寝かせてその声に集中してみればそれは通りの奥、長屋に住む女連中が集った井戸端から漏れ聞こえていたようで、牛頭天王様の噂が終わったと思ったら次は首のない羅刹が云々と、また別の噂話で井戸端会議が盛り上がっている様子だ。

 水を組む音に混じって三人、四人くらい姦しいのが雁首揃えて首、首と、なにやらおどろおどろしく話している気配だが、少しばかりの笑い声も聞こえる辺りに深刻さってのはそれほどでもないとみえる。まぁそれもそうか、その噂自体が荒んだものってわけでもないからね。

 

 今の噂で盛り上がる前、その時にもとある噂で里は賑やいでいた。

 それは『牛の首』という都市伝説で、どこぞの妖怪どもが組んで里に住む人間達の心をちょいと弄ぶって趣向だった。ばら撒いた正体不明の種は撒いてすぐから効果を発揮し始めて、噂を聞きつけた里の人の心に謎めく恐怖の色を滑り込ませていったそうだが。正体のわからない怪物話で慌てふためく様はそれなりに面白おかしくて、しばらくは上手く事が運んでいたように見えたそうのだが……そうやって人にとってはよろしくない遊びで妖怪が楽しんでいるのを許さないヤツってのがここにはいて、その時も当然の如くあの巫女さんが姿を見せたのだと。で、紅白がちょろっと探偵ごっこをしてすぐくらいにはあの遊びも終わってしまったのだと。

 

 この話を聞いて『さっさと止められてしまうなんて、大妖怪二匹が組んだにしてはちょっと詰めが甘いんじゃないの』なんて煽りながら笑ってやったのだけど、それはすぐに悪手と気付いた。

 嘲笑うあたしに向かってぬえちゃんからは『今回は遊びも兼ねた修行の一環だからいいの』なんて、あっけらかんな返しをされて、組んでいた姉さんの方からは『これくらいが儂ら日陰者にできるギリギリのラインじゃ、ここより進むと引き際を誤りかねんからのぅ』などと、それぞれのしたり顔で言い返されてしまって、叩きつけた悪態を結託して叩き返してくる二人の口に負けたあたしは笑顔を引き攣らせてしまった。

 

 ……いや、それだけならいい、良かったのに!

 ぬえのやつってば『仲間外れにされたからってやっかまないでよ、アヤメちゃんはマミゾウと一緒に都市伝説異変で遊んでたんだからいいでしょ!』などと、言ってやった以上の煽りをかぶせてきやがって、八つ当たりの文句までふっかけてきやがって!

 あの異変ではあたしも遊べてない、振り回された挙げ句寺の住職にぶっ飛ばされただけだ、と、ありのままの返事をしたら『こやつは逃げ回る術こそ長けておるが引き際をすぐに忘れる、それこそ楽しくなったら逃げるどころか自ら首を突っ込んでいくやつじゃ、人間達にしてやられたのもそのせいじゃよ』などと姉さんからの追撃まで増やしてしまい、結局最後まで言い返せないまま、姉さんはともかくぬえにまで馬鹿笑いされ、あたしはとても悔しい思いをしたのだった。

 

 でまぁ話を今に戻すと、その時に味わった歯がゆさと姉さんと共に笑う親友の顔を見て、そういやこいつと組んで遊ぶなど久しくなかったな、叩きに叩かれて潰れてしまった気持ちをなにかで発散してやりたいかなってイタズラ心が合致するに至り、前回の鵺狸コンビに続き今回はあたしとぬえでコンビを組んでちょいと噂を流して遊んでいたわけなのだが…… 

 

 

 

「おやおや、今日も変わらずのご様子で。それとも、そう見せているだけでしょうか?」

 

 流れる川面眺めてつらつらしていたあたしに寄りかかった人影。

 耳馴染みのよい声色で寄ってきたその影はすぐに色づいた。

 見つめる水面に映るそれは見慣れないキャスケット帽で尖り耳を隠した誰かさん。そのまま目線を動かすと、足下は焦げ茶にレースアップの紐がかわいい革靴に白いハイソックスで、声と違って姿のほうは馴染みがないな。

 

「あんたは珍しいわね、一言目があややじゃないなんて。また天狗風邪でも引いた?」

「出会いがしらに酷いですねぇ」

 

 いつもなら囓るに適した脛から引き締まった太腿まで拝めるというに。

 得意気に出しっぱなしの生足はどうしたのか?

 履いてる下着が見えそうなミニ・スカートでもないなんて。

 膝上のキュロットパンツで布面積を増やすだなんて、秋の陽気にでも当てられたか?

 

「心配してあげたのよ」

「そういうの、世間では冷やかしと言いますよ」

 

「冷えたならこれから引くのね、お大事に」

 

 天狗世間に疎いから知らなかった、冷やかしてるのはあんたのほうだ。

 あたしは至福のひとときを邪魔された清く正しい被害者だと、そんな気持ちのありったけを込めた嫌味は口だけでなく顔にも出ていたようだ。

 クスリと笑う天狗記者から間髪入れずのお返事が届いた。

 

「被害者面から飛んでくるにしてはまた、図々しい物言いで」

「そのままそっくり返してあげるわ。あたしは流れ行く季節の味を静かに楽しんでいたの、そこを邪魔されたから嫌味の一つを言っただけ」

 

 ヌケヌケと、どの口が図々しいなんて言うのか。天狗の顔に書いてある見出しを黙読し、徳利を啜る。わざとらしく喉を鳴らしてイイ音を立てると、それを合図に言い負かしてやった記者がネタ帳開き、そのまま閉じていてほしい口まで開いた。

 

「声をかけただけで邪険にされるとは思いもしませんでしたよ」

「厄介払いしたいだけでまだ邪険にはしてないわよ、これ以上絡んでくるならお望み通りにしてあげるけど」

 

「つれないですねぇ、もう少しお話してくれてもいいじゃあないですか」

「あんたと話してると酔いが冷めるからイヤよ」

 

「そんな事言わずに、私とアヤメの仲じゃないですか」

「羽のない天狗と仲良くなった覚えはないわ」

 

 姿に合わせたのか、今日は黒羽隠した天狗。

 太陽光を吸い尽くすような黒さは触れるに暖かく、心地よい。あたしは羽に顔を埋めて嗅ぐのも結構好きなのだがそれをやるとしかめっ面を見せてくれて、それも良いってこのままだと話すが逸れっぱなしになってしまうな。ともかく、今日はそいつも見えなくて少しだけ残念だ。

 

「その言い草は椛にも嫌われてしまいますよ」

「あの娘にも好かれていた覚えもないわよ、あたしって厄介者みたいだし」

 

 脳裏に浮かぶは、人の顔見てため息零す哨戒天狗の顔と下がった尻尾。

 これだけでは好かれている気配など微塵もないのだけれど、毎度毎回お山で会うたびに声はかけてくれるし、なんだかんだでかまってもくれるからそれほど嫌われてはいないのだろう。

 お役目故のお声掛けだとか、そういった無粋な真実からは目を逸らすとして。

 

「ほら、用がないならどっか行きなさいよ、押し売りも間に合ってるんだから」

「今日は勧誘ではありませんよ、少々立ち話でもと思いまして」

 

「話ねぇ、これといってなんにもないんだけど」

 

 ヘタをうつと立ち話で済まなくなるのがこいつとの語らい、今日のように向こうから絡んでくる時ほどそれは顕著で付き合いきれぬこともある。だがまぁいい、酒のアテに栗だけってのも飽きてきた頃合いだ、本当に少々で済むのなら付き合ってやるのも吝かではない。

 

「……でも、ちょっとだけならいいわよ。付き合ってあげる」

「お早い心変わり。何か思惑が?」

 

「そのほうが早いとこ立ち去ってくれるでしょ」

「あやややや、ツンケンしなくても。いつもいつも暇しかしていないアヤメには長話こそうってつけのものだと思いますが、はて……あぁそうでしたか、邪魔されては困る事でもしていらっしゃると、そういうことですか」

 

 ネタ帳つついて聞きたい素振り、にも関わらず人の話を聞かない天狗。

 あたしからの文句をヒョイヒョイと、軽やかな動きで躱してくれて。そこは風の者らしく身軽で妬ましいが、軽口に軽口を返しても操るに長けた風が如く避けられては面白くもない、あたしのお酒が不味くなる一方だ。

 

「それで今は? あぁこれからというお話でしたね」

「決めつけないでもらいたいんだけど」

 

「だけど? なんです?」

 

 開きっぱなしの鴉の嘴は放置してちょいと考え事、案じるタネはこの違和感。

 雰囲気というかなんというか、ヒシヒシ感じられる変な余所余所しさはなんだろう。着ている服装が違っているからか、文の口調がいつも聞いているよりも落ち着いた様子だからなのか。原因はわからないが、今日は見た目も変わっているから格好に合わせて調子の方も演じているのかね、鼻につく遠回りな口ぶりからはなにか探っていますって気配が多分に漏れ出しているし。ふむ、なんだか今日の文は僅かに混ぜられたしつこさと冷静さが滲んで見えて、そういうのも悪くないと感じなくもないな。

 古い妖怪相手に言うのもなんだが、今のこいつは見た目のそれらしい人間臭さを纏っているように感じる。普段も嫌いではないが個人的な好みとしてはこういう冷めた声色で迫られるのもイイんじゃないかなと思ってしまう、が……こいつ相手じゃあそういった考えは楽しめないか。

 この天狗は性格のほうがアレだから誘導してやっても艶っぽい流れにはならなくて面白みが少ないのが玉に瑕だ。どうせならもうちょっとね、黒光りする鳥らしく声や肢体は美しいのだから、ゴシップネタにした連中の傷口煽ってばかりいないでキラキラと色づいた玉の肌や悩ましい表情に興味を持ってもいいんじゃないかね、いっつも浮いたり飛んだりしっぱなしの天狗様なのだから。

 

「ではでは、早速伺っていきたいところなのですけれども」

「早速なんて言われても、意味有りげに迫られてもねぇ」

 

「すんなり話して頂けるなら迫ることもありませんよ」

「かといって今は、なにもないわよ」

 

「ならばこれから?」

「しないわ」

 

「本当ですか?」

「しつこい、下手な絡み方をしないで」

 

「アヤメの場合ちょっとしつこいくらいのほうがいいんですよ、そうしたほうが折りやすい」

 

 然りと心得ていますとも。そんな顔つきの記者さんが腰を折り、覗き込んでくる。

 確かに、あんまりしつこいと面倒さが勝ってしまって有る事無い事言いたくなる性分かもしれないがしかし、そう言われて折れてやるほどあたしは素直ではない。そのへんもこいつはわかってくれているのだと思っていたのだけど。

 

「追いかけ回されるとすぐ逃げるってのも知ってるでしょ?」

「この私から逃げ切れると」

 

「逃げ続けるだけなら自信がないわけでもないけどそれも面倒よね……ホントにないんだけど、なんか言わなきゃ引いてくれないって感じだし遊びはもう終わるって言っとくわ、これで納得して」

「そうですかお遊びですか……では、今はそれでいいとしましょう」

 

 言い切りながら煙管咥えて、これ以上はないと示す。

 納得なんぞしてもらえる気は毛頭ない言い種だと自分でもわかっちゃあいるが、どうやらそうでもないようで、返事を受けた記者が今度は満更でもないと顔に書いてくれた。なんだか今日のこいつは手間が掛からずよいけれど、きな臭さも感じてしまって少々やりにくくもあるな。

 

「それでいいの。見た通り、今のあたしは短い季節の風味を楽しんでいるだけよ」

「でしたら私も一息ついていきましょうか、お隣も空いていることですし」

 

 言うが早いか隣にストン、同じ欄干に背を預けた今日は茶色い黒天狗。

 組んだアイツと似ている長い耳を隠すよう目深に被っていたキャスケット帽を浅くかぶり直して、締めていたネクタイを緩めると、流れるように脱いだ上着は肩にかけた。それから小さなため息一つ吐き出した後で、あたしと同じくどこを見るでもないように視線を上げる文。

 それなりに含みのある言い方をしてやったつもりだがそこにはのってこないらしい。こんなにすんなり身を引かれるとは、先のやりにくさから考えないでおこうと思ったがこれは一考すべきか?

 

「冬も近くなったというのに暖かいですねぇ今日は、ちょっと失敗したかもしれません」

「年中半袖とミニ・スカートなやつがそれだけ着込んでいれば暑いでしょうに」

 

 ですねと苦笑いの天狗、そこは否定せず肯定しておく。ここで隙を見せると潜り込んでくるのがこいつのやり口、天狗取材法四十八の手の内の一つってやつだからな。やたら押しの強い奴がすっと引いたら気になると、そんな取材方法もよくある手口でこいつはそういうことを平気でしてくる、周知もされている、あたしもそれを知る内の一人だから今は藪を突かずに後に飴と鞭でも振りまいて場を濁すとしよう。 

 

「でもたまには別の格好もいいんじゃない、かっちりしたジャケット姿も悪くないと思うし」

「卸したてなんですよ、似合ってますか?」

 

「お似合いよ、ネクタイ姿もいいものね」

「それってネクタイに惹かれているだけでは?」

 

「誰かさんと一緒になんてしないわ、なんなら撤回してあげるけど」

「いえいえ、それは遠慮しておきましょう。アヤメに褒めてもらえるなんて思っていなかったので勘ぐってしまっただけですから」

 

 ふふ、と似合いの姿らしい笑みを見せる天狗。

 浮かべてくれる笑顔は確かに可愛らしい、呑んでもいないのによく回る舌だとか、いらぬ皮肉までかぶせてくれやがってとか、そう感じる心を少しだけ癒やしてくれるくらいには可愛い。

 

「褒めるべきは素直に褒めるのよ、あんたにはあんまり言わないってだけで」

「私には、というのはどういう意味ですかね」

 

「その胸に聞いてみたら?」

 

 見慣れぬ姿の感想に合わせて、甘い顔をすべきじゃあないとイヤミの一つも言っておく。あんまり褒めてつけあがってくれてもそれはそれで手間だと思うから、ここも言い切りからの沈黙で会話を流すが正解だろう。

 

 そうやって頂戴した皮肉には見合うものを返し、続けていく世間話。

 ん~と背伸びまで始めて、本格的に隣で羽休めされてしまったしこれからどうしたものか、そもそもこいつは何がしたいのか。わかっているのは何かがあってあたしに絡んできているってことなのだが、こいつはあたしから何を聞き出したいのだろうね。

 

「ついでに聞くけど、あれでホントに寒くないの?」

「普段の格好ですか? あのままでしたら寒いでしょうね」

 

「風をなんやかんやしてるから寒くないし捲れもしないって話だったかしら?」

「その通り、風の衣を纏っているおかげで冬でも夏でも快適です」

 

 話の着地点を探す中降ってくる新たなネタ。

 最近のあたしも年中の殆どを着物で過ごしていて他人のことを言えるような格好してないが、今日のような秋日和に細身のジャケットまで着ていては言った通りに暑かろう、いくら似合う服装だとしても本人が暑いと感じていては過ごすにつらかろうに。

 けれど、その辺りがちょうどいい話題ではあるかね。待ち合わせたように並んでダラダラしちゃあいるがこのままでは邪魔されただけになってしまうし、とうせならばこいつで遊びたくもあるからこっち路線のガールズトークでもしていこうか。チンタラ話している間になにか、追っ払うに適したネタの一つも湧いてこよう。

 

「冷暖房完備の一張羅、何回聞いても羨ましい話だわ」

「そのおかげで今日は少しだけ暑いのですがね」

 

「だったら今日も涼しく過ごしたらいいじゃない、風を着るんだから今の格好でもできるでしょ」

「今はそうする気にならないんですよ、着替えている意味もなくなりますし」

 

 胸元摘まんでパタパタと、手団扇(あお)いで語る記者。

 暑い暑いと言う割に外したボタンは一番上だけ、そんなに涼みたいのなら一と言わずに二三外せばもう少しマシになるだろうにって身持ちの固いこの女がそうするはずもないか、両肩晒しっぱなしのあたしとは違って。

 それはそれとて、何気ない話に新たな話題をねじ込んできたな。見慣れない衣装摘まんで意識させ、これ見よがしに言ってきた『着替えている意味』ってのが文からのネタ振りで、聞きたいところに繫がるのか。出来ないではなくする気にならないってのもあたしを釣り上げるために態とらしく晒してくれた返しの針なのだろうな。だとすれば、そこに触れてやればそれからは文が聞きたい話に向かって会話の舵取りをしてくれるはずなのだけど……

 

「なんでもいいけど、わざわざ着替えて出向くなんて……あぁそう、奥手の文ちゃんにもようやくそういうのが……お相手はだぁれ? そんな格好でここに来るんだからまさかの人間? 攫い甲斐のあるかわいい男の子でも見つけた?」

「いえ、そういった事ではなくてですね」

 

「違うの? 普段よりも露出の少ない格好だし、清く正しいお付き合いってのを示すために衣装替えしてきたのかなって思ったんだけど、ちがうの?」

「ちがいますよ、用事で降りてきてはいますけど」

 

 ニンマリ笑って無いこと無いこと言い放つも、一蹴されてすぐに終わる。

 見慣れた装いを脱ぎ、人間の着るソレらしい衣服に身を包んでいるから万が一、億が一の可能性ってのに賭けてみたがまぁないか、わかってはいたが。この里の人間の大方は着慣れた和服で出歩いているからあんまり見ないのだけど、若者集うあのカフェーや外れの呉服屋に通うなど流行りに敏感な連中には好んで洋装を着る者もいてそれなりに増えてきたって話も聞いている。とまぁ、そこいらの話から引っ掛けて下世話な話題にもっていったがあからさまにイヤな顔をされた。

 

「なんだ、つまらない。スクープ狙いの記者をすっぱ抜けたと思ったのに」

「それはまたの機会にどうぞ、あればですけどね」

 

 本気でつまらんと顔に書いて見返すと、同じような表情で返された。種族から違うというのに顔付きまで似せなくとも、鏡じゃないんだからそんな顔するなとちょっとだけ楽しくて笑ってしまって。その瞬間に文の顔がまたイヤな感じに戻った。

 

 好ましい表情も見られたしここらで見方も変えていこうか。

 それで、こいつはなにしに来たのだろうね。幻想郷で古く名高い妖怪が最近の若者のマネまでして会いに来る者とは。ぱっと思いつくのは会っているところを見られたくない相手、見せられない誰かってところか。妖怪のお山を束ねる天狗が繋がりを知られるにはマズイやつ、そんなのと会う予定があるから態々着替えて、人に扮していると仮定するのが妥当な線だろうがそんなやつがこの人里にいたかね。

 ここで顔が利く連中といえば口うるさいが体の弱い九代目とその近くの寺小屋で教鞭を執っている口うるさい教師、後はやっぱり口うるさい普通の魔法使いの生家くらいのものだが……あぁ、最近は貸本屋の小娘もなにかと話題に上がっているな。我らが姉さんもなにかと気にかけているようだし、もしかするとこの天狗も小鈴狙いで里を彷徨いていたのかもしれない。

 煩い奴が尋ねるのが煩い連中。揃いも揃って姦しいと感じてしまうけれど、それほど広くもない里だというのに話題となる奴らはこうも揃って騒がしい者達ばかり、少しはあの妖怪、人の里に暮らすろくろ首のように静かに暮らすことをしてもよかろうに。

 

 などと、人間の縄張りで生きる妖怪に意識が逸れ始めた頃、山住まいの妖怪が口を開いた。

 

「それでも気になると、そんなご様子ですねぇ……よろしかったらお答えしますよ? この清く正しい射命丸が嘘偽りなくはっきりとお答えしましょう」

「聞いてもらいたいなら素直に吐いてしまえばいいのにって言い返したいけど、長くなるからいいか。なんでまた着替えてなんて、あんたが人目を気にしなきゃならない奴がここにいたかしら?」

 

「気にしたわけではなりません、引きたくなかっただけですよ。なに、里に天狗縁の品があったという話を聞きつけましてね、なんでも通りの角の酒屋に鞍馬山の力を宿した秘宝があると。それは是非、一目見て置かなければならないと思いまして」

「へぇ、それで探りに来ていたと」

 

「そういうことです。清く正しい私は普段の格好ても怪しまれることはありませんがそれは天狗として(・・・)、天狗以外として(・・・)見てもらうには人に化けてしまうのが手っ取り早いですからね」

 

 なるほど、それで人臭さを纏っていたわけか。

 天狗が天狗の品探しをしている、そんな話が広まればその品は本当に天狗の品だと認識されてしまう。その品物、聞くにタライだそうだが、それが偽物にせよ本物にせよ天狗としては目の行き届かぬ場所に自分達の匂いがするものがあるのはあまりよろしくない、だから私が見定めにきた。

 今日の変装じみた格好はそういったものが理由にあったらしい。ガラクタ市のほうでもそのタライに関わる文書が売り出されていた話もあるらしかったがこちらは文が行くよりも早く売れててしまったようで、今はその帰りなのだと。

 

「都市伝説が具現化してしまう噂が絶えない、どうしても盛り上がってしまうのが今の里です。そんな状態で我々の話が広まってしまうと困る事になりかねませんからねぇ、なにかと」

「どうでもいいけど手間は増えそうね……へぇ、珍しく真面目に天狗してたんじゃない」

 

「失礼ですね、私は常日頃より真面目さを売りにしていますよ」

「それって自分に対してってやつでしょ」

 

「その通りです。私は私が真実と呼べるものを取材し、記事にする天狗ですから」

「さも当たり前って顔で言い切るのが文のいいところよね」

 

「これはこれは。一日に二度もアヤメに褒めてもらえるなんて、お天気が崩れないか心配です」

「そうなったら雨雲散らして頂戴ね。着物濡らしたくないし、天狗の仕業ってのを偶には魅せつけてもらいたいし」

 

 互いに放つ皮肉を咀嚼して、それから訪れる沈黙。

 静かになった空気に添わせるように煙管取り出し、ここらで一服。

 会話のほうも一旦途切れたし、潮時かね。お着替えの謎は解けてしまったし、この真似っこ天狗のそれらしい矜持ってのも見れたし、姿隠した妖怪がその狙いを表したのだからこの話はもう終わりだな。後はどうにかしてこいつを引っ剥がせばあたしの楽しい時間も帰ってくるはずなのだけど……そういえばだ、文がなにしに来たかはわかったけど何故に絡んできたのかはわからないままだな、それも聞けば教えてくれる……いやいや、こいつから貰いっぱなしの聞きっぱなしなんて後が怖いな、ならばここは気付かぬ顔で流してしまおう。

 

「ちょっとアヤメ、その顔はなんです? いきなりニヤつかれると気になりますよ?」

「そういう顔なのよ。で、なに? そろそろ意中の人のことでも話してくれる気になったの?」

 

「その話題は飽きましたねぇ」

「飽きたなら新しいネタ探しに出たら? 羽休みも十分でしょ」

 

 軽々言ってやってから徳利を持ち上げると、軽く添えられた手で止められた。

 なんのつもりか問おうとすると、汗の引いた首元のネクタイを締め直した天狗記者の嘴が開く。

 

「新しいネタなら今からお話しますよ」

「急に真面目な顔して、キリッとしてるところも褒めてもらいたくなった?」

 

「茶化さないでくださいね。そろそろ冗談も尽きた頃でしょうし、ここからは貴方に関わるお話なんですから取り合ってください」

 

 語らいながら添えられた手を払い、徳利傾ける。

 くぴっと一口、いくつもりが潤わない我がお口。

 文の目線を気にせずに徳利を覗き込むと、お酒の尽きた徳利の底の方でこちらを見上げる酒虫ちゃんだけがいた。里へ顔を出してから今まで飲み歩きしっぱなしだったし、あの鬼っ子が振り回している徳利ほどは大きくもない我が酒器だ、このあたりで尽きもするか。

 ならばよい、言われた通り酒飲みの冗談は切り上げて真面目に付き合ってやるとしよう。雰囲気からすればあたしに絡んできた理由ってのを聞けるみたいだし、熱烈に求められているのだから応えてやるのがモテる女としての在り方ってものだろう。

 

「アテ代わりにかまってあげてたじゃない……でもそうね、お酒もなくなっちゃったし、内容次第では改めてあげるわ」

「ではでは気が変わらないうちに聞いてしまいましょう、アヤメは最近の流行りについてなにかご存知でしょうか?」

 

「流行り? 洋服には疎いし和服も今はこれしか着ないから……って、これももういいわね」

「この里で流行っている噂について。首のない羅刹に襲われるって話で賑やかじゃないですか」

 

 言い切って、フフンと笑う射名丸。

 天狗らしく鼻高々に、ここが往来の最中ではなく二人だけで会っていたなら偉そうに胸まで張って魅せてくれそうな勢いを感じる笑みだ。こいつがこういう顔をする時は既にウラをとっている時、目星がついている時が大概だ。そして先の話の切り口からすれば……

 

「あのろくろ首のことじゃあないの?」

「赤蛮奇さんのことではありませんね、彼女からの聞き込みは既に済ませていますし疑いも晴れていますよ。里を賑わす噂の出処として彼女よりも相応しいのはそう、正体を掴ませないでいた誰かさんが怪しいと考えています。例えば人を欺き嘲笑うことに長けた方、とか」

 

 手帳を捲る記者の言い分。

 キャラに似合わぬ丸い筆跡見ながら淡々と言ってくれてあたしの探りを鼻にもかけてくれないがなんだ、これは流した噂の出所として既に割られていそうな予感。

 ……いや、もうわかっているのか、物言いから鑑みれば。

 

「ここまでで、なにか?」

「特には、あたしの与り知らぬことだったし」

 

「ほぅ、ここまで聞いてまだしらを切ると……」

 

――その態度はよろしくありませんよ――

 ぼやきながら手帖になにやら書き記し、すぐにしまって腕組む天狗。

 組んだ腕にトントンと、指先を遊ばせる立ち姿になにか待つ素振りまで含ませて、そんなに返事が聞きたいかね。ここまでの流れや雰囲気から犯人はあたしだって確信を得ているだろうに、そんなに本人の口から吐かせたいのかね、証言としてはっきりしたものがないと記事にしないとか、そういったルールはこの天狗にはなかったと記憶しているが。そもそもその顔はなんだ、あたし達からすればたかがと言ってもいい遊びの一つを突き止めたくらいで鬼の首を取ったような表情してくれて、人真似天狗が姉狸を真似た手抜きの遊びに茶々入れてきただけのくせに、この程度で天狗が天狗になるなど気に入らない、面白くない。

 

 ならばどうしてくれようか、犯人としてはもうバレているのだからすんなり話して鼻を折ってやってもいいがあたしの中の天ノ邪鬼がそうしたくないとごねてもいる、心地よい一時を邪魔された部分をなにか他のモノで補填せよと悪戯心に火が点いた気もする。

 だからここは敢えて濁していこう、こいつだって切り出しから尻尾を掴ませる話し方をしてくれていないのだ、尾のないこやつがそうするのだから尾を揺らすあたしはそれに習って当然だ。

 

「なにがよろしくないのかわからないけど出し惜しみもよくないわよ」

「アヤメに言われたくはありませんがこのままでは拉致が明きそうにない……はっきり言ってしまえばそうですね、貴女にまで積極的に動かれては困るというのをお伝えしておこうと思いまして」

 

「困る? そう言われても、あんたらにはまだ手を出してないわ」

「それはそうでしょう、私達が直接影響を受けたわけではないですからね」

 

「よくわからないことを言うわね、なにかされたから忠告しに来たんじゃないの?」

「間接的に、ということですよ……思い当たる節がありませんか?」

 

 そんなことはないはずです、仰々しく吐く天狗はまたも無視。

 はて、なんのことを言われているのだろうか。こいつから釘を刺されるような事など本当にしていないぞ。節があるなどと言われたが、我が心情はあたしのお肌のようにつるっつるで引っかけられるようなものがない。どうにもあの噂遊びでなにかしらあったようには思えるがアレはもう終わったというか、ほうっておいても終息する遊びだ、あの程度で天狗に害成すことなどないとあたしは考える。でもそれ以外にはなにもしていないし、アレ以外に探すというのならなんだろう、最近で動いたのは……

 

「そうねぇ、強いてあげろっていうのなら……貸し付けたままで取り立てていない奴のとこに顔を出したりはしてるわね、あたしも姉さんも。今日もこの後で会いに行こうかなって思ってたし」

「それはそれは……ちなみにどちら様で?」

 

「寺の忘れ傘よ、暇を見て会いに行ったりしてるの」

「小傘さん、あの方も面倒くさい相手に貸しを作ってしまいましたねぇ」

 

「利子付きで返してくれるってわかってるから態々出向かなくてもいいんだけどね、あいつたまに忘れてるのよ、あたしの顔を見ると返済に滞りがあるんじゃないかと思うみたいで」

 

 普段から驚けー! と誰かを驚かしている、いや驚かそうとしているやつの驚く顔は中々に面白い、二色のお目々を同じく丸くして、たどたどしさに満ちる様は写真に収めて飾っておきたいとすら考える。そんな姿を見せてくれるものだから毎回忘れた頃を狙って様子見するのだけど毎度変わらずハッとしてくれて、あいつはからかっていて本当に飽きない唐傘で愛らしくて、これからも長いお付き合いをお願いしたいところである。

 

「その瞬間の反応が面白くてね――」

「まぁまぁ小傘さんの話はそのあたりで。私個人としてはこのままネタの提供をしてもらっていてもいいのですけど益々埒が明きませんからね。素直に問いますが、以前に流行った都市伝説も当然知っていますよね?」

 

「茶化すなって言われたばかりだったわね……聞いたら死ぬ牛の首が云々ってやつ? あの話も噂でしかなかったみたいね、それなりに広まっていたけど人死にもなかったみたいだし、あたしは楽しめなかったわ」

「内容については省きましょう、私が言いたいのはそこではありませんしね」

 

 かぶるキャスケット帽に指を添えた文が視線を隠して切り出してきた。

 やや強めに聞こえた口調とキメに思える仕草には推理から導き出した答えを語る名探偵のようで、その顔はなんだか輝いているようにも見えるな。

 

「今日聞きたいのは最近まで流れていた『牛の首』に続いて流行った噂についてです。巷で呼ばれている名称から『首なし羅刹』とでもしましょうかね、こちらも聞けば死に至るなどと物騒な話ではありましたが結局はそうならず、噂は噂でしかなかったところに落ち着きましたね」

「二番煎じなんてそんなもんでしょ。笑って話せるネタになってよかったじゃない、文達からすれば面白くないのかもしれないけど」

 

「私達? それはどういった理由で?」

「このままじゃあ記事に出来ないままで終わっちゃうでしょ」

 

「あぁ、そこは特に問題ありませんね、代わりに犯人の記事を書く予定ですから」

 

 そうかいそうかい、そちらはそちらで楽しむか。

 つまり、今この場での語らいは全てその為のインタビューだったりするわけか。

 思ったまま、感じたままに問い返す。

 と、その通りですと返事がきた。

 

「まるっと話してもらえれば悪く書いたりはしませんが口八丁で逸らされても面倒ですからね、私の方から問い正してしまいましょう。あの噂話、出所はアヤメで間違いないですね」

 

 キラリとした顔のまま、ピシャリと言い切る黒天狗。

 散々引っ張ってみたがやっぱりあたしとバレてはいたか、どこから仕入れてきたのか知らないが突き止めてくれるなど、やるものだな名探偵。

 

「あたしだとしたら、それで?」

「おや、お認めになるのです?」

 

「文こそとぼけないでいいわよ、はなっからわかってたみたいだし、遠回りご苦労様」

「させた本人に言われたくありませんね……しかし、ネタが割れても焦りもしないのはなんというか、アヤメらしいですねぇ」

 

「割れたところでね、もう終わる遊びだと言ってやったでしょ」

「割って差し上げた者としてはもう少し驚きを見せてもらいたいところですし、詳しい解説を聞きたくもあるのですけど」

 

「大したことなんてなんにもないけど、聞きたいってんなら話してあげるわ」

 

 また勝手にバラして! アヤメちゃんは!

 脳裏に浮かぶ親友がそう騒ぐけどいつものことだと蹴り飛ばし、語る。

 あたしとぬえで広めた噂は話の通り、前回流行った牛の首をもじっただけの二番煎じといったもの。姉さん達の噂は謎の怪異が人を殺すというものだったが、あたし達はそこに手を加えて、今度は首のない羅刹が人を殺めに出てきたとしてこの里に流した。羅刹なんて物騒なものを選んだのは演目の二枚目だからそれらしく映えるやつにしようって粋な心と、話だけは御大層にしたいという見栄、それと姉さんの言っていた日陰者がやれる範囲を考慮してだ。前回は出張ってきた巫女に解決されてしまったから今回はそうなる前に、面倒な人間に首を突っ込まれず正体は無辜のまま終わるように、解決策もわかりやすくなるように羅刹を選んだと、そんな腹積もりだった。

 

 そんな中身をベラベラすると、キャスケット帽より零れていた髪をかきあげる天狗。

 欲しがっていたネタは話してやったつもりだが、この顔はまだ足りてないって顔だな。

 

「大まかな狙いはわかりました、しかし解せませんねぇ」

「なにがよ、わかりやすい遊びだったでしょ?」

 

「動機自体はわかりますよ、けれど解決策まで用意するのがわかりません。敢えてわかりやすくした部分はどういった狙いで? 意味なくそうしたようには思えませんが」

「そこはほら、巫女達や魔法使いとやり合う気なんてさらさらないし、あいつらに邪魔されない程度に遊んで笑えればそれでよかったから、ちゃちゃっと終わる話にしたかったのよ」

 

 事実、あの子らの顔を見てないのだからあたしの読みは正しかった。それを示すためニヤリ、嫌味に笑ってやるとその笑顔を気に入ってくれたのだろう、先程までの決め顔をやめた天狗が大きな大きな溜息を吐き出した。毒気の消えた天狗の顔も見られたしここまで話してやったついでだ、ネタが欲しい探偵さんにその読みのウラも話しておいてやろう。

 

 以前の牛の首は博麗の巫女さんが牛頭天皇を正体として祀り上げ、噂の真相を上書きすることで解決した。あたし達目線で言うならそのせいで正体不明のタネは割れ、人間達の間ではあの噂は笑って話せる過去のものとなったって感じだ。

 あたし達はそこを逆手にとったのだ。牛の首の解決策には人々の信仰心が関わっている、そして信心高まった人間の中には好奇心旺盛な奴も当然いて、牛頭様をきっかけにした調べものなれば馬頭様にも容易くたどり着くはずだ。そこからはもう手間はない、羅刹と牛を繋げて考えるなら、なにやら牛頭天皇様だけが我々に持て囃されて相方である馬頭羅刹がお怒りになっただとか、ご機嫌斜めになってしまって牛がしなかった行いを人に対してしてしまうとか。そんな雰囲気の結論を人の噂が勝手に作り出すだろうと、そんな読みであたし達は噂のタネを流したわけだ。

 一度得られた答えは他にも当てはめやすく、それを正解と考えがちになる。その元が正体不明、そして神様かもしれないというなら尚更正解を導き出した名高い神職の答えに肖ろうと、人としてはそう考えて必然だ。

 

「それでも絡んでくるのがあの人間達だと思いますよ?」

「その時は解決策が広まって良かった、さすがは霊夢が広めた教えねって嘲笑ってやることもできたし、あの娘を小馬鹿に出来た時点であたしは楽しめているから勝ちなのよ」

 

 その後どうなるか、それは明白。

 嫌みったらしく笑うあたしに向かって封魔の針や退魔の札がそれはもう飛んでくるのだろう。しかしそこも織り込み済みだ、その時はしでかした化け物らしく弾幕ごっこでケリをつけるだけだ。無論勝ち筋なぞまるでないけれどイタズラがバレた妖怪は退治されるが定めにあるのが幻想郷なのだからそれでいい、一度の負けで博麗の巫女を笑ってやれるのだから遊びはご破産どころか寧ろお釣りがくるほどと思える。

 

 「なにもしなくても喧嘩売られて撃ち落とされることもあるんだから、それならやるだけやって弾幕ごっことなったほうがいつそ清清しいじゃない……まぁそれでも、勘のいい巫女さんならあの噂は動くまでもなく落ち着くものだと気が付いてくれたはずだけどね」

 

 それらしい理由の追加に合わせ、確信している部分も話す。

 言われたようにあの子達なら動いた可能性もあった、解決した話がもう一度蒸し返されたとなれば面白くないと感じて犯人捜しに乗り出すかもしれなかった。だがそこも手を打ってあるというか、巫女につけ込む形で盛り上がってしまっているからこそ動きにくいだろうと踏んでいた。

 

「そう思える理由は、文ならわからなくもないでしょう?」

「私なら?……あぁ、そういう(・・・・)狙いで」

 

「そ、霊夢を真似たのはそういう(・・・・)事にしたかったから。真似た相手の匂いってのは鼻につくものでしょ、狙っていようといまいとね」

「霊夢さん達にもあの噂では益がありましたからねぇ、同じ内容の噂に同じ解決方法とくれば浮かぶ顔も同じ顔……霊夢さんにマッチポンプ疑惑が向く可能性を残したわけですね、この里の人間たちがいくら日和見とはいえ二度目ともなれば疑り深くもなるものですし――」

「ね、何もしないで解決されるのに態々評判が落ちるような事をするか、という話よ」

 

 あの妖怪神社や妖怪寺など、噂でいくらか潤った場所は評判を気にする傾向にある。それは面霊気の異変でも表に出て見えるほどだ、ここで説明する理由などないだろう。

 そこを下地に考えれば霊夢が、こと信仰に関わる連中が首を突っ込んでくる可能性は低い。時を置かずにニの轍踏んで手軽に信仰荒稼ぎしているなんて悪評はあの子らの望むものではないからな。あちらの、信仰など気にしない異変の解決者達、魔法使いを筆頭に半人半霊の庭師や吸血鬼の天然メイドあたりが出張ってくる線も捨てきれなかったし、ともすれば怒り心頭な神道の巫女に追いかけられるってのも考えられないわけではないが、前者は博麗の巫女に比べれば御しやすく、絡まれたところでどうにでもなると思えたから気にしなかった。紅白は、神社の評判下げてまであたしを退治するほど生真面目ではないから、そちらも問題はなかったはずだ。

 

「これで本当に納得してもらえたかしら?」

「それが真実というのであれば、ですがね」

 

「もうないわよ? それよりあたしのほうも答え合わせが聞きたいって思わなくもないんだけど」

 

 あたしの方はこれで打ち止め、後はもうなんにもない、本当に。

 それよりもだ、話の流れだとこの遊びのせいで文達天狗衆が間接的な被害を被ったってことになるがそれってばどういうことなんだろうか、こっちは犯人役としてすっぱり話してやったのだから探偵役も行動の動機を語るべきではないのかね。

 そう思って問いかけたが、天狗の顔は明るみに出た真実とは裏腹に、少しだけ陰って見える。

 

「あたしは答えてあげたんだし文からの答え合わせも欲しいわね。犯人候補に選んだ理由も聞いておきたいんだけど、いい?」

「勿論お伝えはしますよ、そこがメインのつもりでしたからね……」

 

 聞かせてくれるはずの口、あたしを問い詰めていた嘴は先の台詞を言ってから噤まれてしまった。本当になんなんだこいつは、聞くだけ聞いて黙るなど。そういう態度は好かんと知っているくせに。そも、つもりってのはどういう意味か。伝えなきゃならないナニカがあったから絡んできたんじゃあないのか?

 そんな心で沈黙天狗を睨む。

 すると咳払い一つの後、続きが吐き出された。

 

「失礼。少し、軽率さに呆れてしまいまして。まさか本当に遊んでいただけとは思っていなかったので呆けてしまいました」 

「あん? どういう意味よ」

 

「そのままですよ。我々の勢力争いにアヤメまで噛んできたのかと思っていたところにね、気晴らしのお遊びでしたと聞かされては拍子抜けもいいところじゃありませんか」

「勢力争いなんて興味ないわよ、姉さんじゃあるまいし……あぁ、そういう繋がりであたしを疑ったわけか、合点がいったわ」

 

「そういうことです。牛の首の噂では貴女のお姉さんが陰日向に動いていたという話もありましたからね、アヤメがこうした争いに乗ることはないとわかっていても強い繋がりのある貴女を見過ごすわけにはいかなかった、我々としても気を回さないわけにはいかなかったのです」

 

 いつぞや興した堆肥ビジネスであったり、夜な夜な連なる付喪神の行列であったりと、小さな事ではあるけれど着々と、それでも確実に幻想郷で幅を利かせ始めた我らが化け狸の御大将。外での勢いに比べれば幻想郷てはまだまだ新参、伸びしろのほうが大きいものではあるがなるほど、こいつはそのあたりを危惧して、あたしが姉さんと組んで狸の縄張りを広げているのではないかと勘ぐっていたわけか。

 そうして探る最中、牛の首は化け狸が一口噛んだネタだったってことに気がついて、そこから首なし羅刹も狸の仕業、前回とは違う狸の仕業としてあたしを犯人だと読んだと、そんなところかね。これだけでは説明しきれぬ動きも、読みきれぬ面も往々にあるがそこは耳の早い天狗だ、何かしら情報筋があるのだろう。

 

 なんにせよ最終的には正解に辿り着いているし、やはりこいつらは侮れないな。

 そう褒めるつもりで文を見る、と、目線があったと同時に大きな溜息をつかれた。

 並ぶあたしの前髪を揺らすほどの息、いくら風に長けるとはいってもなんだよ、そこまで落胆されるとやっぱり面白くない。だから賞賛はやめてくだらん悪態で返してやる。

 

「色々思惑があったところ申し訳ないけど、そんな感じよ? 取り越し苦労でホント、ご苦労様」

「……トリだけに、なんて言ったらさすがに怒りますよ」

 

「冗談に突っかからないでよ、恥ずかしくなるから」

 

 くだらない冗談はヨシとしてだ、どうしたものかねこの空気。

 来た時とはまるで雰囲気の違う天狗、キメ顔したり鼻を高くしていたはずの文ちゃんが真相を知ってから肩を落とす光景は悪くはないのだけど、あたしとしては遊びに釣られた阿呆の顔が見られて万々歳ではあるのだけど。ここまでガッカリされると腹立たしさよりもバツの悪さが強まってしまった気がして、これはこれで面白くもない気もしてきた。

 ならばそうだな、ここは一肌脱いであげるべきかね。

 下手に肩入れすれば天狗の勢力を広げることとなり、あたし達狸としてはオイシクなくなってしまうかもしれない、姉さんにも悪い印象を与えてしまうかもしれないが……元々が姉さんの勘定にないお遊びだったのだ、この程度で裏切りになるはずもないし最低限の駄賃で天狗に貸しを作ったとなれば褒めてもらえるネタにもなろう。ついでにこいつに花を押し付けて持たせたとなればあたし個人としても楽しい終わりを迎えられる。

 

 であれば打つ手は何がいいか……そうだな、天狗の仕業を見せてもらうとするかいね。

 

「ねぇ文、これからどうするの? お山に戻って報告?」

「そのつもりですけど、狸連中に化かされたと言えば私は笑い者ですし、かといって大天狗様や天魔様に偽りを伝えるのも……困りものですねぇ」

 

「そう、あの爺にも通じた話なのね……だったらいいわ。帰る前に一つ、悪巧みに乗りなさいな」

「悪巧み? この噂にまだなにかあります?」

 

「逆よ逆、なにもなくなる前に終わらせるの。解決法を教えてやったんだから記事にして広めろって言ってるのよ」

「私にマッチポンプの片棒を担げと」

 

「イヤなの? 今までにも自作のポンプを散々担いできてるでしょ、今回は自作ではないってだけなんだから気にすることもないと思うんだけど」

 

 文の面子を潰さないため、あたしが協力してあげる、そんな(てい)での提案。

 ほうって置いても落ち着く噂、だがまだ終わってはいない噂。そいつの正体を掴んだ文が狸の目論見にも気付いて、自然消滅する前に潰した。そんな手筈で話をもっていけば上に対する報告として形になるだろう。勢力やら権威やらを気にする天狗なら自分達の手でライバルの企みを潰したと知ればその行動を高く評価してくれるはずだ。たとえそれが自然に消える噂だとしても、大事なのは天狗が狸に一泡吹かせた結果だけだろうから。

 

「……見返りは?」

「特に考えてないけど、あたしと文の仲なんでしょ?」

 

「そういうのはやめましょう。はっきり言っていただいたほうが随分とマシです、アヤメに借りを作ると後が怖い気がしますので」

 

 後の話か、そこは互いに出ずっぱりの化け物なんだから怖いも怖くないもなかろうに。

 あたしは文が乗ってくれるだけで得する案だからなにを望むべくもないのだけど、せっかくお返しの提案を述べてくれているのだ、ここで断っては女が廃るかもしれないな。文のほうからそう言ってくれるならここは甘えていくのが吉というものだ。

 

「だったらそうね、多くは望まないから……冬も来るし、(こな)れた布団を打ち直すための羽をいくらか届けてくれればいいわね」

 

 またですか、そう囀る鴉に向かい鼻を鳴らしてから煙管を咥える。

 大きく吸ってぷかりとさせて、先に同じく後はお任せの姿勢を見せてやる。あたしとしては文がこの話には乗つてこようが降りようが構わない、乗ってくるならお布団がふかふかになり、ついでに人間少女達に襲われる可能性を減らせるだけ。もし厭だと降りても噂が鎮まるだけで文が天魔や上司にどやされるだけだ、あたしに損はないからどちらでも構わない。

 

「後の判断は任せるから好きにしてくれていいわ、できればこの冬もふかふかの羽毛布団で寝たいと考えているけどね」

 

 最後通告変わりに文の顔目掛けて煙を吐く。 

 しかしその煙は届かず、冷えた秋風に消されてしまった。

 この果たして提案は立ち消えとなるか、流れる煙草の煙に案じでいると結論を出したのか、文はなにも言わぬまま何処か里の通りの奥へと消えた。

 

 いつもならバサリと、お山の匂いとインクが香る美しい翼はためかせて飛んでいくのに。

 里に並ぶ民家の屋根など一度の羽ばたきで超えていくのに。

 飛ぶに適した連中が飛ばないなど疲れるだけで、それこそトリらしくなくて苦労だろうにな。



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