~ラステイションの花嫁~ (雪鈴)
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(1) 新郎新婦入場

「夢について、君は何を感じる?」

「――えっ!?」

 私は思わず素っとん狂な声を上げてしまった。

 声が教会中に響き渡ろうとも、それがはしたないことだと理解していても、驚かずにはいられなかったのだ。

「ノワール……そんなに驚いた顔をしないでおくれよ。今の君はとても言葉には出来ないような表情をしているよ」

「そっ、そんな変な顔はしてないわよ」

「僕に嘘をつかなくてもいいよ、ノワール。今の君は『合理的で、損得感情でしか動かないケイが夢なんて曖昧な言葉を口にするなんて意外ね』って顔に書いてあるから丸わかりさ」

「……どんな顔なのよ」

 しかも、見事に図星を言い当てられた。

 さすがケイね。交渉事に慣れているだけあって相手の感情のわずかな機微を読み取ることに人一倍長けている。私はそこを見込み、性格を無視した上で、彼女を教祖へと推薦したのだけれど。

「そんなことより君は夢という言葉から何を感じる? 何でもいい。思ったことをオブラートに包み隠さず、率直に述べて欲しい。将来に対するロマンでも、はたまたセンチメンタリズムな運命でも構わない。今はとにかく君の意見を聞きたいんだ」

「何よ……気味悪いわねぇ」

 さっきとはまた別の意味でケイの言葉にどきりとしていた。おそらくケイは私に語りかけることで何かを探っている。

 私――いえ、私とユニに関する何かを。

 コホンと咳払いをしてから、思考を落ち着ける。

「夢とは一言で語り尽くせる程、小さくはないと思うわ。それは将来だったり、願望だったり、または寝るときに見るものだったり、状況によって様々な形を私たちに見せてくれる。それを望むときは甘い果実を口にしているような――心地よい気分に浸れるわ。と、まあ、今思い浮かぶ限りだと……ざっとこんなところかしら」

「なるほど……君の意見を聞いてはっきりした。やはり共通するイメージは曖昧模糊だ。雲のように掴みどころがなく、液体のようにするりと手の平から零れ落ちてしまう……夢に実体なんてあるわけ無いだろう? 現実はそう甘くない。寝ているだけで夢が叶うはずないんだ。どんなに甘い夢を見ても、それは逃避以外の何物でもない」

「その通りね。夢に形なんてない。ましてや寝ているだけでは夢を実現できない。だけど、空想することによって計り知れないエネルギーを得ることが出来るのは事実よ。人は夢を追い続けることで、生きる喜びを実感できる。自分の中に秘められた欠片を寄せ集めて、それを形にしようとする力こそが夢なのよ」

「随分と声に熱が籠っているじゃないか。驚いたよ。君もまた、夢を追い求めている一人なのかい?」

「まあね。私はラステイションの女神よ。他の国とのシェア争いで遅れを取るわけにいかないわ。特にプラネテューヌにはね」

 当然のことながら嘘はついていない。

 女神として自国のことを優先するのは当然のことだから。

 それと、ケイには声優を目指していると言ってもいないし、言う必要すら無い。

「国の発展を第一に考えてくれるのは嬉しいね。鼻が高いよ。だけどノワール、君の持つ夢の価値観に対して、これだけは言わせてもらうよ」

 ケイの鋭い視線が私をとらえた。

「ナンセンスだ」

 ケイの声が教会に響いた。

しんとした教会の中にぴりりとした緊張が満ちていく。

「そんな日和見主義じみた考え、排除してかかるべきだ。甘ったれた考えは捨てるべきだと思う。確実なものだけしか僕は信用しない主義でね、夢とか希望とかそんな形ないものに僕はすがりたくない。人生とは積み木のようなものだ。もちろんそのままでは不安定だからすぐ崩れてしまうだろう。だが、しっかりとした土台さえあれば難なくクリアできる問題だ。接着剤でも何でもいい。強く固定するものがあればそれで十分なのさ。天才じゃなくても、積み重ね次第で、人は人生の勝者に成り得るのさ」

「夢は接着剤にすら成り得ないとでも? 実にあなたらしい考え方ね。次からはリアリストとでも呼ぶべきかしら?」

 むっとなって言い返した。

 なんだか声優になりたいという夢そのものを愚かだと否定された気がして、ついついキツイ口調になってしまった。

「夢と現実の区別が出来ていると言ってほしいな。僕にだって血も涙もある。もっとも、君のようなロマンチストにはなりきれないけどね」

 ケイは神妙にうなずきながら、腕を組み始めた。

「ノワール、君は現実は厳しい事ばかりで溢れてると思わないか? だからこそ世の中には、形のない空想であったほうが幸せなこともある。叶えられない夢はその人にとって残酷なものでしかない。夢は夢で終わるべきなのさ」

「ちょっと……それはどういう意味よ?」

 私が問うと、ケイはにやりと薄ら笑いを浮かべた。普段、笑うことのないケイが笑うのは、とても空恐ろしいものを感じさせた。

「憶測で物事は口にしないことにしてるのさ。特に今回のケースに限ってはね」

「今回のケース? 何よそれ」

 薄ら笑いを浮かべながら、教壇に歩いていくケイ。その手にペンとメモが握られているのが、私の目を引いた。

 私の話を記録していたわけでもなさそうだし、何かの重要な書類だろうか?

「君と話せてよかったよ、ノワール。確証はないが、おかげで確信の方が高まった」

「ちょっと、あなた一人で勝手に納得しないでよ。憶測でも推測でも何でもいいから話しなさいってば」

「本当に分からないのかい? となるとアレは僕だけが体験した幻なのかな。まあ、仮にアレが現実だったとしても、今のところ危険はなさそうだ。万が一何かが始まったとしても君がいる」

 ケイは振り返った。

 その視線はさきほどの何かを探るような目つきだった。

「ノワール、これだけは胸に留めて欲しい。夢を追いかけるのもいいが、現実だけは見失ってはいけない。何が夢で、何が現実なのか、その境目だけはしっかりと区別するべきだ。さもないと過去の亡霊に足をすくわれてしまうよ」

「それは忠告のつもり?」

「違うさ。これは警告だよ。夢を見る者に対しての、ね」

「何よそれ。あなたらしくもないわね」

「直に分かるさ。ま、分からない方が面倒事も少なくて幸せだと思うけどね」

「……無駄話はお終いにしましょう。そろそろ仕事を片付けさせてちょうだい」

「了解。僕の方もそうさせてもらうよ」

 ケイはそう言って、執務室に戻っていった。

 私も自室に戻り、机に着く。ペンを握って書類と格闘を始める。

 書類と向き合いつつも、私は内心、首を傾げてばかりだった。

 ケイの警告――その言葉の50%を理解できているかどうかと問われればノーだと言わざるを得ない。

 詩的というか……どうにも表現が曖昧で、彼女らしくないと思う。それは夢や希望にすがれないと言ったケイ自身もそう感じていることだろう。

他ならぬ彼女自身ですら頭の奥から懸命に言葉を捻り出してきているような仕草だった。だからこそ詳しく語ろうとせず、あえてあのような曖昧な言い方をしたのかもしれない。

 夢――私とケイの会話の主題であり、何度となく交わされた言葉。

 やはりこれが大きく関係しているのだろうか。

「バカらしいわね」

 考えを振り払うように私は首をふった。

 その一方で、深層心理にいる私は、バカには出来ないと告げている。

 だとするとこれは私だけの問題ではない。下手をすればこの国――ラステイションに関わる一大事と成り得るかも知れないだろう。

 私は大きく背伸びをした。眠気が押し寄せて、欠伸まで出てくる。

 私は夢という単語に、非常に敏感になっているだけだ。

 それはケイだけでなく、もしかするとユニもそうなのかもしれない。

 だけど、もし夢が夢だけでは終わらず、はたまたそれが現実のモノとして形を伴なったとしたら?

「もし悪夢が現実になったら……!」

 気づけばペンを持つ手が震えていた。その反動で書類を数枚落としてしまった。ふにゃふにゃに曲がった文字が書類をすっかり台無しにしている。

 夢が現実のモノへと姿を変えていくような気味の悪さに、背筋がぞくりと震えあがった。

 いくらなんでもそれはシャレにならない。

 ――夢。

 声優になりたいという願望が叶うのならともかく、夢が現実になるのはなんて恐ろしいことなんだろうか。

 言葉こそ同じでも、そこに含められた意味は百八十度異なるといってもいい。

心の奥底から闇が這いよってくるような錯覚に囚われ、心臓がどくどくと脈打っている。

 ――最近、恐ろしい夢を見た。

 ――巨大な影。

 ――そいつは私の前に現れて、何かを告げた。

 ――そいつはとある願いを私に持ちかけた。

 ――私がそれに対して、何と答えたかは覚えていない。

 ――何かを答えたかもしれないし、答える前に夢から醒めたのか、それすらも定かではない。

 ――私の記憶はそこですっぱりと途切れているからだ。

 その願いがどんな内容だったか、今となっては思い出せない。

目が覚めた後、時間が経つにつれ、私の記憶に霞がかっていったからだ。

 ――ただ、そのときのことを思い出すと、ひどく落ち着かない。

 ――それがユニに関係しているような気がして、心の中に荒波がさざめき立つのだ。

 たかが夢。

 されど夢。

 はっきりとした確信はない。

 真実は、頭の奥底にたちこめる、深い霧の中に包まれたまま。

「夢は夢で終わる、か。目覚めてから悪夢が続いたら、恐すぎるものね。……はあ、夢もいいことづくめではないわね」

 私はペンを置いて、イスに寄りかかりながら自分の身体を抱きしめた。

 ああ、どうしよう。こんな惨めな姿をユニかケイに見られでもしたら、恥ずかしいなんてものじゃすまされないわ。

 私は耳たぶまで真っ赤にして、呼吸すらまともに出来ないだろう。そのまま両手をじたばたさせながら悶え死ぬかもしれない。

 ……というか今まさにもうしている。

 けれど、今の私はそうせずにはいられなかったのだ。

「ケイのバカ……恐くて眠れないじゃないの」

 

 

 

 男は絶望していた――

 

 理不尽な現実と、残酷なこの世界に。

 男は憎悪していた。

 心には憎しみの炎を宿し、終わることなき怒りに胸を震わせていた。

 同じ人間同士であるにも関わらず、なぜ上と下の身分があるのだろうか。

 名誉。

 権力。

 地位。

 家柄。

 たった二文字で事足りる肩書き程度で、人間の位が決まってしまうと言うのなら、この世界は狂っている。

命に上も下もない。誰か一人が得をせしめて、誰か一人が損を背負うことはあってはならない。

人間は等しく平等であるべきなのだ。

 

 この世界は間違っている――

 

 男は富裕と貧困の差に、原因があると信じて疑わなかった。

 ――貧しい子供には夢すら与えられないというのか。

 ――苦しみ抜きながら、のたれ死ねというのか。

 ――飢餓に苦しみ、娯楽の楽しみを知らず、先の見えぬ明日に怯え続ける毎日。

 そんなのは死よりも辛いではないか――

 

 男は革命を求めた。

 富裕と貧困の壁をぶち壊すために。

 貧しい子供達のためなら、躊躇いなく悪事に手を染めた。

 娯楽の楽しさを知らぬ子供達にマジェコンを無償で手渡すことで、救済を差し伸べた。その手がどれほど真っ黒に染まろうと厭わなかった。

それが世界に救済をもたらせると信じて疑わなかった。

 たとえ邪心を崇める異教徒と後ろ指をさされようとも、それが暗闇の世界に光を差し込めるのなら、男は喜び勇んで正義の刃を振りかざした。

 

 私が剣となりて、世界の歪みを断ち切ろう――

 

 そのためなら男は自分の幸福をかえりみなかった。ただ、子供達の笑顔を守り抜くために。

 それが男の信じた道であり、生きがいだった。

 そんなときだ。

 男の前に彼女が現れたのは。

 “バッカじゃないの!”

 彼女はそう言って、男の信念をいともたやすく切り捨てた。

 声こそ一人前に大きいが、身の丈は男の半分にも満たず、男の目に、彼女は非力でか弱い子娘にしか映らなかった。

 普段ならば、取るに足らない小娘の戯言など、鼻で嘲笑って見過ごしていただろう。

 しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。

 彼女は女神だったのだ――

 男にとって因縁の宿敵であり、世界を歪める元凶そのものだったのだ。

 男は彼女との出会いに、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられなかった。そう。今やそこにいるのは非力でか弱い小娘ではなく、男は世界の歪みと、真っ向から対峙しているのと等しかった。

 “ズルをしても幸福は訪れないわ。自分のお金で買って、初めてゲームの楽しさが分かるのよ”

 とりとめもないその言葉は、男の心を大きく揺さぶった。男にとって信念を否定されることは、己の存在理由そのものを否定されたのと同義だった。

 もちろん死ねと言われて簡単に死ねる程、男は潔くない。

 生きる意味を――人生そのものを否定されたのだ。

 男は真っ向から彼女に決闘を挑んだ。己の信念を賭けて、三度に渡る死闘を繰り広げた。

 一度は容易く勝利を治めることができた。だが、二度目からそうはいかなかった。

 戦闘技術においては男より劣る。だが、信念の強大さにかけては男の巨体を軽々と上回っていたのだ。

 そして、いつしか男は敗北した。

 信念と信念のぶつかり合いに、己は敗れ去ったのだ。

 所詮、自分の生きがいとはその程度のものだったのかもしれない。

 だが、男はそれでも希望を捨てなかった。

 彼女の掲げる理想にいたく心惹かれ、別の可能性を感じていた。男は彼女に共感し、変貌を遂げた。折れ曲がった信念は形を変え、新たな生きがいが男の中で生まれてすらいた。

 いつしか男はこう願っていた。

 ――彼女が欲しいと。

 男にとってそれは生まれて初めての願望といえるものだった。

 誰かの為ではなく、自分の為に。

「ほう……肉体は滅びても、精神は未だ健在か」

 暗闇の中に、女の声が響いた。男の意識しか存在しないはずの、この空間に。

「その声は……マジックか?」

 マジック・ザ・ハード――それが声の正体であり、男にとって上司にあたるべき存在だった。

艶めかしい肢体と、妖しげな薄ら笑いを浮かべているのがいやに特徴的な女だった。

絶世の美女――というよりかは、氷の女王という表現が的確かもしれない。

「久しいな、ブレイブ。女神に敗れたと聞き及んでいたが、まさかこのような場所で生き永らえていたとはな」

 男は名を呼ばれたことで今さらのように自分の名を思い出していた。

 男の名はブレイブ・ザ・ハードといった。マジックと同じく犯罪組織に所属しており、なおかつ四天王として肩を並べる存在であった。もっとも、組織内の立ち場や発言力はマジックが上なため、同格とは言えなかったが。

「死んでも死にきれないさ。生憎、私は死に場所を見つけてすらいない。だから、こうして人前に化けて出ることもある」

「安心しろ、ブレイブ。役目なら十分果たしてくれたさ。お前が敗れたことで、我らの理想が一つ達成された」

「どういう事だ? むしろ私が敗北を喫したことで、組織は多大なる被害を被ったのではないか?」

 ブレイブの問いかけに、マジックは不敵な微笑で応えた。

 それは蛇のようにぎらついていて、こちらが隙でも見せようものなら容赦なく喉笛を食いちぎってくる類の危うさを孕んでおり、女と言えども油断できない雰囲気を醸し出している。

「貴様に続いてトリックも敗れた。残るは私一人だけ。……この状況を不利と呼ぶのならば、そうなるのかもしれないな」

「トリックが敗れた……だと!? それは真なのか!」

 ブレイブは驚愕した。

トリックとはブレイブと同じく、四天王の一人だった。志こそ違えど、共に肩を並べて戦った戦友の一人だ。その訃報を耳にして冷静を保つなど不可能だった。

「ああ、事実だ。貴様のように未練たらしくこの世に留まる気配すら感じられない。肉体も精神も跡形もなく消滅したのだろう」

「そうか……やつは本懐を遂げたのだな」

 ブレイブはそっと目を閉じて、戦友に黙祷を捧げた。

 彷徨うことなく成仏できたなら、きっと名誉の死を遂げたのだろう。何の執着も残さず、心おきなく眠りにつけるのはなんと幸福なことだろうか。

「私も堕ちたものだな。死して尚、未練を晴らす為にこの世を徘徊し、未だに目的を果たせずにいる。墓場で安らかに眠りつくことはおろか、死霊のように現世をさまようこの現状を良しと考えている。畜生以下の存在だよ、私は」

「何を嘆く、ブレイブ。簡単な事だ。未練があるのならば晴らしてしまえばいい話ではないか」

「だが、そう上手くいく話ではないのだよ。目的の達成は非常に困難極まる。私の進むべき道は、いつも茨に阻まれている。痛手を伴なわなければ歩くことすら適わない」

「そんなことは当然だろう、ブレイブ。何かを手に入れるには、それ相応の代償を支払う必要がある。我ら四天王の前に、女神という最大の障害が立ちはだかったようにな。で、貴様をこの世に縛るモノとは一体何なのだ?」

「言えぬ。私の沽券に関わる話だ」

 口を閉ざそうとするブレイブに、マジックはさらなる追い打ちをかける。

「貴様を倒した、女神候補生のことが気になるのか?」

「――何故それを?」

 ブレイブはマジックをじろりと睨みつけた。

「ふっ、やはりそんなところか」

 分かりやすい男だ、と肩をすくめるマジック。

「難しく考える必要はない。手に入れたければ力づくで奪い去ってしまえばいいだけの話だ」

「断固、拒否する」

「何故?」

「私の流儀に反するからだ」

「他に方法があるというのか?」

「私の道に、諦めの二文字はない。私という存在があり続ける限り、何度でも再起する所存だ」

 胸を張ってそう答えるブレイブに、マジックは挑発的な笑みを投げる。

「威勢がいいことだな。――だが、どうするつもりだ? 肉体が滅んだ貴様にはあの小娘を抱きしめることが出来るのか? 抱きしめることはおろか、触れることすら叶わないはずだ」

「それは……っ!?」

 ブレイブの声がかすれ、動揺が露わになる。それを見とったマジックの笑みがより一層、色濃いものとなった。

「ふん、諦めるのか。貴様の未練とやらも程度が知れるな」

 ブレイブは歯がみするような思いでうつむいた。

 彼は彼女をものにする為に、思いつく限り様々な方法を試してきたつもりだ。といっても今や精神だけの存在と成り果てた彼に出来る事と言えば、人の夢に入り込んで何かを伝えるくらいだ。

そうして彼女と接触を図ろうとしたのだが、ブレイブは直前で怖気づいてしまい、妥協に妥協を重ねた結果、彼女の姉とその教祖とコンタクトを図ることにしたのだ。

 彼女の姉とは曖昧な結果で終わってしまったが、決定的となったのはラステイションの教祖と接触を図ったときのことだった。

直接ダメ出しこそされなかったものの、女神と婚約の契りを交わすに当たり、いくつかの交換条件を提示された。それはラステイションのために無償で労働力を提供したり、献上金という名目で多額の料金を支払わなければいけなかったり等々、無理難題を押し付けられたのだ。これでは条件を飲む以前にダメだと言われているようなものと変わりない。

「今の貴様に出来ることはもう全て試したのだろう? そして残された道は、女神候補生の夢に直接赴く以外に他ならない。

――そうは思わないか、ブレイブ?」

 一度は力づくも考えた。しかし紳士的な彼は、彼女に婚約を申し込むにあたって、やはり彼女の意思を無視して、一方的に自分だけの想いを貫き通すことは 憚はばかられたのだ。

「ブレイブ、貴様は難しく考え過ぎだ。時には水のような柔軟性で、臨機応変に立ち回らなければならないこともある。例えそれが、己の流儀に反することであってもな」

「……たしかにお前の言う通りかもしれんな、マジック。目の前に困難が立ち塞がった程度でむざむざと足を止めるとは、実に私らしくもなかった。……私が何のために生き恥をさらしたのか、その意味さえ見失うところであったよ。礼を言わせてもらおう」

「ふん、礼には及ばないさ。その気になったならば、私に構わずとも、貴様の未練とやらを晴らしにいくがよい」

「そう言ってくれるか、マジック。……かたじけない。この恩はいずれ、返させてもらおう!」

 高らかに叫ぶと、ブレイブの姿は消え去った。影も形も残さず、彼方へと霧散していった。

 一人、取り残されたマジックが秘かにつぶやいた。

「愚かな男め。……全く、利用しがいがあるというものだ」

 口元を歪め、薄らと微笑んだ。

「成否は問わない。あの男の行動がどちらに転ぼうと、我らの目的はおのずと果たされる」

 それは心臓が凍りつくような、残酷な笑みであった。

「――全ては犯罪神様のために」

          ~ラステイションの花嫁 (2)へと続く~



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(2) 聖歌斉唱

お姉ちゃんを超えてみせる――

彼女の心は、いついかなるときも戦いに明け暮れていた。

休日の昼下がり、器材を運搬するクレーンの駆動音や鋼鉄を削るドリルの騒音が響き渡っている。

燦々(さんさん)とした陽光がラステイションを照りつけており、工業区画で汗水を流しながら働く労働者たちにとっては過酷な一日となっていた。彼らに休日などない。

犯罪組織マジェコンヌの破壊活動によってラステイションは甚大なる被害を被っており、その復興作業が完了するまでは労働者達に休息の日々は訪れないことだろう。

慌ただしい騒音とは無縁の場所であるラステイションの海岸地帯――そこでは二つの影が小競り合いを繰り広げていた。

一人はユニ。ラステイションの女神候補生であり、女神ノワールの妹であった。

そして、もう一人は自称正義のヒーローこと日本一ちゃん。

二人はこの熱い陽差しに屈するどころか、それ以上に暑苦しいセリフを飛び交わせては、己の拳と獲物をぶつかり合わせていた。

決闘まがいの乱闘を繰り広げてはいるものの、二人は因縁の宿敵だとか、犬猿の仲だとか、そういうことは全くない。むしろ二人の間柄は良好だといってもいい。

そんな二人が獲物を突き合わせているのはユニの特訓に日本一ちゃんが付き合っているからだった。お互い、ゲイムギョウ界を救うための大切な仲間であり、かけがえのない友人である。

まあ理由が何であれ、珍しい組み合わせであることは言うまでもないだろう。

  

 乱れた心を落ちつけるために、深く息を吸っては吐き出す。

 研ぎ澄まされた心で照準(スコープ)を覗く。

 照準越しに日本一が見える。

激しいステップで左右に飛びまわり、こちらに撹乱(かくらん)をしかけながら前進してくる。日本一はアタシの弾を警戒して回避行動を取りつつ、攻めるチャンスを逃してしまわないように距離を詰めてきているのだ。

「ほらほら、あたしの動きについて来れてる?」

 動く対象物に狙いを定めることは出来ても、弾丸を命中させることは難しい。

 それでもアタシは視界から日本一を見失うようなヘマはしなかった。たしかに日本一の動きは素早くて狙いにくい。近づかれる前にカタをつけるべきだろう。

けれど、アタシの目標としている人物に比べれば月とスッポンくらいの差はある。

日本一がステップをしおえた瞬間――地に足をつけている一瞬の隙を私は見逃さなかった。

 アタシはすかさず引き金を引いた。

「遅いっ!」

 耳をつんざくような音と共に、目にも止まらぬ速度で銃身から弾丸が放たれた。

銃声を聞きつけた日本一は慌てて身体を反らせて回避に徹しようとしている。

だが、今さらもう遅い。弾丸は風を切り裂きながら日本一めがけて直進していく。

しかし、アタシの撃った弾はぎりぎりのところで当たらなかった。

悔しいことに日本一の胸に当たるか当たらないかのすれすれの部分を通過していったのだ。

「おっと……危ない危ない」

 日本一は得意げになりながら、ふふんとぺたんこの胸を突き出した。

「ほらほら、照準が甘いよ! ユニ、銃口をもっと上に上げたら?」

 アタシは舌打ちした。

ちなみに弾は訓練用のペイント弾よ。薬莢から火薬の臭いもしなければ、いつもより銃が軽いから使い勝手が違う。

「くっ、狙いは完璧だったのに……そのぺったんこの胸に感謝することね」

「ぺたんこ言うな――ッ! ユニだって人のこと言えないくせに!」

「失礼ね。アタシはアンタよりかはあるわよ!」

「ネプギアから聞いたよ! ユニって女神化したら胸が小さくなるんだって? 何か詰めてるんでしょ!」

「なっ、詰めてなんかいないわよ!」

「嘘だッ! あたしの胸に宿る、正義の心がこう告げているよ! 嘘つきは泥棒の始まりだと! 泥棒は悪者! すなわち胸をバカにするヤツも悪者! あたしのこの手が光って唸るっ! 悪を倒せと(とどろき)き叫ぶっ!」

 顔を真っ赤に染め上げた日本一に負のオーラが集中していく。

「メチャクチャじゃない。……どういう理屈よ」

「詰めているモノをあたしにもよこせぇぇぇっ!」

「だからっ、詰めてなんかいないって言ってるでしょうがぁぁぁっ!」

 アサルトライフルを取り出し、当たり構わず乱射。

 雨のように飛び交うペイント弾をかいくぐりながら日本一が光りの速さでこちらに迫る。さっきより明らかに無駄がなくキレのある動きだ。

 ――は、速いっ!?

おそらく胸に対する怒りと執着心が彼女に力を与えているのだろう。彼女の身体から怨念のようなすさまじい闘士がみなぎっているのがその証拠だ。

――ネプギアのやつ。日本一に何を吹きこんでんのよ。

「正義は必ず勝つっ!」

 日本一は掛け声を上げながら、いきなり宙に飛び上がった。

 ――あの動きにアタシは見覚えがある。

 くるっと宙で一回転したかと思うと、そこからアタシめがけて急降下した。それは大気の壁の破りながら、地表に迫りくる隕石のような迫力を思い起こさせる。

「くらえっ、ヒーロー・キック!」

 突き出された右脚にすさまじい闘士の炎をまといながら加速していく。

 轟っ――という激しい衝撃音と共に大地がめくれあがった。砂埃が舞い上がり、辺りに蒸せかえるような空気が立ち込める。

  

 日本一ちゃんは砂埃でゲホゲホと咳きこみながら、驚愕の表情で立ち尽くしていた。

――全く手応えがない。今の一撃を避けたと言うの? いや、そんなはずはない。気づいてからではあの必殺の一撃を上回る速度を出すことなど不可能に決まっている。

 砂煙のせいで視界が悪く、ユニの姿を捉えることは出来ない。

 もしかして最初から動きを読まれていた?

「どこ見てんのよ、アタシはこっちよ!」

 砂埃の向こうから勝ち誇ったユニの声が聞こえてくる。

「その技、もうちょっと使いどころを考えた方がいいわよ。動きが派手な分、相手に読まれやすいし。怒りに身を任せたのがアンタの運の尽きね」

 日本一ちゃんがふり返ったときにはもう遅かった。

「なっ、しまっ……!」

 砂煙の向こうに黒い影が見える。その手には狙撃用のライフルが握られている。

 

「――狙い撃つわっ!」

 アタシは引き金を振り絞った。

 銃身から放たれた弾丸は砂塵の壁を吹き飛ばしながら、日本一めがけて一直線に放たれた。

 まさに必殺必中の一撃。

 だが、日本一は甘くなかった。手に握られていたプリニーガンを投擲することでアタシの放った弾丸の軌道を逸らしたのだ。

「ちっ……」

 まさに捨て身といえる悪あがきにアタシは舌打ちを決めずにはいられなかった。

「当たらなければどうということはないよ!」

 すかさず日本一が踏みこんでくる。砂埃の壁を突破し、たちまち距離を詰められる。

 アタシはもう一度狙いを定め、日本一を迎撃するものの彼女は素早い身のこなしで楽々と避けていく。

「くっ……弾が切れた。撃ちすぎか」

 こうなればどちらが速いか一か八かのガンマン勝負をしかけるしかない。

日本一が文字通り飛んだ。強く砂浜を蹴ることで一気に距離を詰め、その勢いに乗ったまま強力な右ストレートを繰り出してくる。

アタシは狙撃用のライフルを捨てて、素早くアサルトライフルを頭上にかざした。

その直後、日本一の腕が振り下ろされる。

激しい金属音が響く。

日本一の拳とアタシのライフルが互いに火花を噴き、戦いを繰り広げている。相手の隙さえ作れれば十分だった。

「てぇーいっ!」

 アタシはガラ空きとなった日本一の腹に蹴りを入れた。

「うっ……」

 日本一がバランスを崩して後ろによろめいた。よろめきながらも気合で体勢を立て直し、鬼気とした叫びをあげながら正拳突きを繰り出す。

 すかさずアタシはアサルトライフルを構えた。

「もらった!」

 ぴたりと武器を構えたとき、勝敗は決していた。

 日本一の喉元には銃口が向けられ、

 ユニの喉元には日本一の拳が突きつけられている。

「……どうやら引き分けのようね」

「うん、そうみたいだね」

  

 二人は心身共に疲れきった身体を休めるべく、砂浜に腰を下ろしては、ざあざあと揺れる大海原をぼんやりと眺めていた。

 ただでさえ熱い日なのに暴れ回ったせいか、だらだらと流れる汗は止まる気配すら見せない。

「ユニってば脚の力すごいね。どうやって鍛えたの? ドーピング? 改造手術でも施したの?」

「そんなわけないでしょう」

「じゃあ、火事場の馬鹿力ってやつだね!」

「馬鹿力って……」

 がっくりとユニは肩を落とした。

 日本一ちゃんは首を傾げた。

 彼女としてはユニの戦果を精いっぱい褒め称えたつもりにも関わらず、それどころか浮かない顔で塞ぎこんでしまったからだ。

「どうしたの、ユニ?」

「強くなるのは嬉しいけれど……やっぱり、このままでは良くないわよね」

 彼女にとってラステイションの女神ノワールとは姉という立場であるのと同時に、目標にしている人物の一人でもある。

 天才肌で何でもこなせてしまう姉に少しでも近づくためだけに、ユニは寝る間も惜しみ、ほとんど身を投げ打つような形で、自分に出来うる限りの努力を積み重ねていた。

 その事実を知るのは親友のネプギアと教祖ケイだけである。

 しかし、ユニの中で自分の目標に対してささやかな疑問が生まれ始めていたのだ。

ユニはゆっくりと顔を上げ、ぽつりと言った。

「この前ね、ケイに言われたのよ。アタシは相手に恵まれないって。それでただ強くなるのもどうかなって」

「そっか……あたしではユニの訓練相手には務まらないよね。ネプギアには遠く及ばないし。正直、ユニが女神化したら勝てる気がしないよー」

「いや、相手って言ってもそういう意味じゃないわよ」

「となると、ユニと同じような遠距離戦を得意とするロムやラムがいいのかな? 距離の取り合いとはまた違った戦術が必要になってくるだろうしね」

「だから意味が違うって言ってるでしょう」

 さらに深く肩を落としてしまうユニに、日本一ちゃんの中で疑問は深まるばかりであった。

「じゃあ、どういう意味での相手なのさ」

「鈍いわね。……そのくらい話の流れから察しなさいよ!」

「そんなこと言われたってちゃんと言葉で説明してくれなきゃ分からないよー」

「あ、相手ってのはアレよ、アレ。女の人がいれば当然、お、男の人がいるでしょ」

「うん、そうだね」

「つ、つまりそういうことよ!」

「? よく分からないよー」

「だーかーらー、付き合うって意味よっ!」

「あたしなんかでよければ訓練いつでも付き合うよ!」

「もうっ、なんで今ので分からないのよー!」

 ユニは見たことないくらい真っ赤に頬を染めて、

「かっ、彼氏と彼女よ! ととと特別な関係になるってこと!」

 日本一ちゃんがぽかんとした表情で固まる。遅れて言葉の意味を理解したのか、

「えええええええええええええっ――――!!」

 その場からぴょこんと飛び上がった。

「そっ、そそそれって、つまり、けけけ結婚じゃ――!」

「落ち着きなさい! お互いの気持ちが通じ合ってもないのにけけけ結婚なんて出来る訳ないでしょ!」

 日本一ちゃんがはっとした顔で、

「――ま、まさかユニがあたしを訓練相手として選んだのも、その……あたしにそういった気があるからとか!? いや、でも、ほらっ、あたし達まだ知りあって間もないというか……まだ心の準備が出来ていないと言うかっ……!」

「なっ、なんでそうなるのよ! アタシが日本一を訓練相手として選んだのはお姉ちゃんやネプギアと戦い方のスタイルが似ているからよ! ほら、アタシのお姉ちゃんは細剣を主とした近接型だし、ネプギアは何でもこなせる万能型だけど、武器は片手剣だから基本は近接型になるじゃない! 日本一だって同じでしょう? それに慣れさえすればお姉ちゃんやネプギアを超えられると思ったというだけ! 本当にそれだけなんだからね!」

 束の間に流れる微妙な沈黙。

 沈黙を破るようにユニはコホンと咳払いをする。

「あー、もうっ! アタシったら何言ってんのかしら。恥ずかし過ぎて窒息しそう……今の話は忘れてちょうだい」

「そこまで話しておいてそりゃないよ。せっかく訓練に付き合ったんだからさー」

「何でもないわよ!」

 ぷんすかと肩を怒らせるユニの後に、訳の分からなそうな顔をしながら日本一が続く。

 その光景を覗き見ている影があることすら知らずに。

 

  

 

「……あの子たち、どうしてケンカしているのかしら? あー、もうっ、ここからじゃ全然聞こえないわ」

 私――ノワールは草木の茂みに身を隠したまま、苛立たしそうに呟いた。

「まったく、なんでこんな事に僕まで付き合わされているのか」

 その隣からケイが忌々しそうに私をねめつけた。

「いくら休日といえど、君も僕も仕事がある身だろう。こんな所で油を売っている暇があるなら国のために身を投げ売った方が得策だと思うんだけどね。ましてやユニのプライベートを監視するだなんて気が向かないな」

「監視だなんていやらしい言い方しないでよ。これはユニのためよ」

「……僕にはちょっと意味が分からないな」

「もしあの子がストーカーか何かに後をつけられていたら危ないじゃない」

「いつからユニにそんな悪い虫がついたのさ。最近の彼女を見る限り、そんなものに困っている様子はなさそうだけどね。仮にもユニは女神だ。ストーカーの一人や二人くらい造作もなく蹴散らせるはずさ。ユニにはその力がある。君もそのくらい分かっているはずだろう、ノワール」

「そんな話をしてるんじゃないの。女神だとかそういう事の前に、ユニだって一人の女の子じゃない。私は繊細な乙女心に傷を負わせたくないのよ」

「そんなに心配ならこんなストーカーまがいのことしなくても、君がユニのそばについてあげれば事足りるんじゃないか?」

「ダメよ。あの子がせっかく友達と遊んでるんだから私が邪魔しちゃ悪いでしょ」

「まあ、ユニとしても君と関わる事を良しとしないだろう。目標とする人物に近づくための訓練に君を呼ぶのは筋違いだろうしね」

「え、どういう事よ?」

「深い意味はないさ」

 私は深くため息をついた。夢の話をして以来、こうして私はケイに口で負かされるどころか煙に巻かれてばかりいる。

 ユニとケイの間に秘密があるという事実を驚く一方で、それを妬ましくも思っていた。

それも当然のことかもしれない。私がギョウカイ墓場で囚われていた三年間、ユニのまともな話し相手といえばケイ以外にいなかったのだから、自然、共に過ごした時間は長くなるはずである。

その一方で、私とユニの間には大きな溝が深まる一方であった。元々、ユニと私はあまり言葉を交わさないし、そこへ三年という深い穴が横たわっているのだから、いくら姉妹であったとしてもこればかりは難しいかもしれない。

「しかし、あの子達はどうしてケンカなんかしてるのかしら?」

「ユニも年頃の女の子だ。自分を取り巻く環境に頭を悩ませても何らおかしな事ではないさ」

「そりゃそうだろうけれど……って、あの子達の声が聞こえたの?」

 私は思わず訊き返していた。“年頃の女の子”という言葉が、頭の中にひっかかりを覚えていたのだ。

 ケイはにやりとした。

「今の時代は情報が命だからね。多少、耳ざとくなるのも時代の流れってやつさ」

「随分といやらしい性格をしてるわね」

「そうか。じゃあ、君にはいやらしい僕の情報は不要みたいだね」

「前言撤回。あなたらしくてとてもいい特技だと思うわ」

「ありがとう、ノワール。最高のほめ言葉だよ」

 私の皮肉に表情を一切変えず、そんな言葉を返すあたり、彼女はいい性格をしていると思う。

「で、一体ユニは何に悩んでるの?」

「将来さ」

「将来?」

「そう。言い換えるならば自分の恋路について想いを馳せていたのかもしれない」

「ふーん、自分の恋路ねー」

 うんうんと頷きかけてから、

「てっ……えええぇぇぇっ!?」

 大声を上げてしまった。

 ケイの口からそんなメルヘンチックな言葉が放たれたということよりも、ユニがそれに直面しているということに多大な衝撃を受けたのだ。

「しっ、静かに。あの二人に気づかれる」

 ケイのたしなめるような言葉で、私はっと冷静に返る。

 すーはーと大きく深呼吸をし、しっかりと心を落ちつけてから、

「ケイ、それってどういう意味よ!」

「言葉通りの意味さ。彼女は恋について興味を抱いているようだ」

「だからその恋ってどういう意味なのよ! ユニには、その、こここ恋人がいたりするの!?」

「そんなこと誰も言ってないよ。恋路について想いを馳せているとは言ったけれど、ユニに恋人がいるだなんて言った覚えはないよ」

「あ、あら、そうだったの? もーいやねー、ケイったら!」

 ケイの白い目線を横目で流しながら、気持ちを切り替えるようにニ、三回せき払いをする。

「まあ、それくらいだったらユニも年頃の女の子だし、悩んでも仕方ないかもしれないわね」

「ところで……ノワール、どうして君の頬は緩んでいるんだい?」

「え?」

「さっきは血相を変えて驚いていたのに、ユニに恋人がいないと分かってそんなに安心したのかい?」

 私は何も言い返せなかった。ケイの言葉に心をつかまれたような息苦しさを感じて。

「ユニが自分の手元から離れてしまうのが不安なのか」

「……」

「この際だから言わせてもらおう。ユニがずっと君の手元に置いてはいられないよ。彼女の方からおのずとそういう話も出てくるだろう。いつまでも(かご)の中に小鳥を閉じ込めておけるわけがないのさ」

「……っ」

 私は拳をぐっと握りしめていた。手の平に爪が食い込んで真っ赤になろうとも構わなかった。

 ケイはいたって冷静で真面目だった。

 何もおかしなことではない。

 ユニの事について真剣に考えてくれているのだから。

 しかし、彼女の放つ言葉から、身体の一部をナイフで抉られているような痛みを感じていたのも確かだった。

 いつの間にか手の平から血がにじんでいた。

 全てを飲み込むような闇が教会の廊下を覆い尽くしており、ほのかな月明かりが窓から差し込んでいる。

 アタシはわずかな月明かりを頼りに目を凝らしながら、報告書に目を通してみた。

けれど、すぐに諦める。

暗過ぎてとても読めたものではなかったわ。かろうじて読めたのは報告書にでかでかと押された朱印だけ。

 

 女神の承認待ち――

 こういうとき、女神候補生はまだまだ未熟なんだなって思い知らされる。もしアタシが一人前の女神であるならお姉ちゃんの負担をもっと減らすことが出来るはずなのに。

 廊下に充満する暗闇を憎らしげに睨みながら、ふと私は昔を思い返していた。

 小さい頃は一人で真夜中のトイレにすら行けなかった。

 わざわざ寝ているお姉ちゃんを揺り起こし、一緒に長い廊下を付き添ってもらったものだ。

あの頃のアタシはお姉ちゃんの背に隠れながら、廊下の暗がりに潜む何かに怯えていた。

お姉ちゃんは寝ぼけ眼で目をこすりながら、

“ユニ、私がついているから、大丈夫よ”

 

 と、優しく微笑みかけてくれたことをよく覚えている

 そこには怪物なんていやしないのに。

 お姉ちゃんはそれでもバカにせず、しっかりとついてきてくれた。

その後、パジャマのすそを引っ張り過ぎて、パジャマをすっかり台無しにしてまった。当然お姉ちゃんにこっぴどく怒られたけれど……あれは怪物の何十倍も怖かったかも……。

 

「アタシって進歩しないわね……まだお姉ちゃんの背中を追い続けてるし」

 思い返すだけで顔が真っ赤になることばかり。

 けれども、胸が温かくなるような思いに包まれる。

 優しい記憶の海たち。

 その想いを馳せるだけで、温かな毛布に身をくるまれているような気分に浸れるのだ。

「あー、もうっ、恥ずかしいったらありゃしない!」

 廊下を渡り終えて、お姉ちゃんのいる執務室へと入る。

「お姉ちゃん、承認待ちの書類もってきたわ」

「ありがとう、ユニ。そこに置いといてくれる」

 お姉ちゃんは一旦ペンを置いて大きく背伸びをはじめる。よほど身体中が凝っていたのか、ぽきぽきと小気味いい音がアタシの耳元にまで聞こえてくる。

 アタシはお姉ちゃんの仕事を邪魔しないよう、素早く書類を置いてから、退散しようと出口へ向かったとき、

「ねえ……ユニ」

 お姉ちゃんはそこで何かを言おうとして、口をつぐんだ。変わりに、

「もう夜中に一人でトイレいけるの?」

「い、行けるわよっ! いきなり何言ってるのよ!」

 とんでもない爆弾がお姉ちゃんの口から放たれた。お姉ちゃんがエスパーなのかと一瞬疑いたくなった。

「そうよね。もうユニはあの時のままじゃないし、ちゃんと成長してるものね。もう私がいなくても大丈夫だよね」

「お姉ちゃん、さっきからおかしなことばかり言ってるわよ?」

「それでこそ私の妹だわ」

 お姉ちゃんは誇らしげな表情だった。

 だけど、気のせいだろうか。お姉ちゃんの目はとても寂しそうに見えた。

 いつもみたいに堂々と構えていて、余裕たっぷりに黒髪をなびかせている姿はいかにも凛々しくて惹きつけられてしまうものがある。

しかし、その誇らしげな表情の奥に、何か別の感情が隠されているように思えたのだ。

 今、このときだけは。

 

  

 

 目が覚めた時、私は見知らぬ場所にいた。

 眠気で重い目をこすりながら、ぼんやりと霞がかったような視界が徐々に鮮明になっていく。

「あれ……たしか私は執務室で仕事をしていたはずだけれど」

 目に映るのは殺伐とした光景――

 天を暗雲が埋め尽くし、激しい雷鳴が轟いている。遠くでは火の河が流れており、どこか地獄を連想させるようなおぞましさ。

 まるでこの世の終わりのような場所である。

「ここはどこなの?」

 ――これは夢なのか、現実なのか?

 ――そもそも私は誰? ノワール……ラステイションの女神だったはず。

まだ起きたばかりで頭が回らないためか、順当な判断が下せず、これが夢なのか現実のなのかすら区別がつかない。

混乱のあまり上手く働かない頭で右往左往していたとき、

 

「――こうして一対一で相見(あいまみ)えるのは久しいな、女神よ!」

 猛々しい声が、雷鳴の如く周囲に木霊した。

 悪寒で背筋がぞっとなった。この声はどこかで聞き覚えがある。

「いや、義姉(おねえ)さんと呼ばせてもらおう!」

 私はふり返れなかった。

 そうすることを身体が拒否していたのだ。

 振り返ることでその姿を認めてしまうことを心が畏れている。

 だけど分かっていた。夢が現実のモノへと形を変えたのだ。

「今一度、改めて、問わせてもらおう」

 そう、これは最高の悪夢の幕開け――

「義姉さんっ、私にあなたの妹さんを下さい!」

 

~続く~



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(3) 誓いの口づけ

「お義姉さん! あなたの妹さんを私に下さい!」

私――ノワールは戦慄していた。

 目の前の大男の口から放たれたとんでもないセリフに、ただ立ち尽くしていることだけしかできなかった。

「あなたの面倒も見させてもらいます!」

 この大男の名前はブレイブ・ザ・ハード。

私達、女神の宿敵である犯罪組織マジェコンヌの一人だ。しかも四天王という肩書きを持つこの男――私達と決して相容れない存在であるはずのこいつが――すでに倒されたはずのくせに化けて現れただけでなく――妹への結婚を申し込んできたのだ。

思わず私はほっぺをつねっていた。

――訳が分からない。

まるで悪い夢でも見ているような気分だった。

しかし、頬に走る鋭い痛みがこれが現実であることを非情にも告げていた。

「……い……よ」

 私は人知れず無意識のうちにつぶやいていた。

それはお腹の底から絞り出すような声だったと思う。

「む、失礼。よく聞き取れなかった」

「嫌だって言ったのよ!」

 キッと顔をあげて睨みつけてやった。

 ここでへこたれて屈してしまうなど一番私らしくないと思ったからだ。

「ユニは……ユニだけは誰にも渡さないんだからぁぁっ!」

 おそらくこの問題からは一生逃げ出すことは出来ないだろう。

 ならばこれが性質の悪い夢などでなく、あくまでも現実だというなら最後まで抗ってやろうと思ったのだ。

「確かにいくら改心したとはいえ、一度は犯罪組織に所属していた身の上。私に良い印象を抱けぬことは百も承知。その上であなたに許しを乞う。私に、ユニとの婚約を認めさせてはもらえぬか?」

「何か裏でもあるんでしょう!」

「いや、違う。あなたの妹さんの、尊い志に心を惹かれたのだ。マジェコンこそ真の救済であると信じ続けていた私に新たな道を――生き方を示してくれた。彼女を支え、共に寄り添う事が私の新たな道だ」

 イライラが収まらず、私は唇をかみしめた。

「うるさいわねっ、分かったような口を聞いて! あなたにユニの何が分かると言うの! 小さい頃、一人でトイレに行けなかったり、困ったときには上目づかいになるクセがあるのを知らないくせに!」

「知らぬさ。だが、これから解りあっていく」

 そこでブレイブは何を思ったのか、膝を下ろし、頭を地に着けた。

私はぽかんとなった。

「あなたの妹さんを不幸な目に遇わせたりはしない。例えこの身が朽ち果てようとも、全力で守り抜いて見せることを誓おう」

 有り体に言うならそれは土下座だった。

プライドの高いこの男が四天王としての地位を貶めてでも、決意と覚悟が本物であることを、その身を挺して証明しようとしている。

己の全存在を賭した土下座だと言ってもいい。

 間違いない、この男は本気だ。

 だけど――

「絶対にユニは渡さないんだからっ!」

 私も本気だ。

 ユニは私のたった一人の妹。たった一人の家族なのだ。

 姉として、妹を見守っていく権利がある。

ユニはまだ幼いし、プライドは人一倍高いけれど、見ていて色々と危なっかしいし、学ばせてあげたいことはたくさんある。

 まだまだよそへ送り出すには不安だし、かといって他の誰かに渡すつもりなど一切ない!

「そうか……ならば致し方なし。これもユニと婚約へ至る試練だと思えば火もまた涼し。私の人生において、何かを得るためには力こそが全てだった。否――私の人生にはこれしかなかった。今思えば、こうなるのも必然の道だったのやもしれぬ」

 それは私に向けて放った言葉というよりかは、まるで自分に言い聞かせるような響きだった。

「お義姉さん、あえて言わせてもらおう」

 ブレイブはおもむろに背中に手を回して、

「何をする気?」

 身構える私に、大男は高らかに言い放った。

「――あなたとの、正々堂々たる果たし合いを所望する」

 風を切り裂く音と共に、ブレイブは大剣を取り出した。

「なーんだ、そっか、そういうことね」

 私はお腹を抱えて笑ってしまった。そんな私をブレイブは変な物でも見るようにじっと睨んでいる。

「何が可笑しい?」

「結婚云々の話よりも、そっちの方が分かりやすくて好きだわ」

 そう――堅苦しい話し合いを交わすよりかは、こうやって力と力をぶつけ合わせる方が簡単だ。

 決闘――そこには単純に勝者と敗者しか存在しないのだから。

「お義姉さん、剣の心得はお有りか?」

「ええ、私に剣を持たせたら右に出るものはいないわ」

 細剣を一瞥し、ブレイブが心配そうに目を細めた。

「少々、折れてしまわないか不安が残るな」

「心配は無用よ。これで私はあなたの仲間をたくさん屠ってきたのだから。見て学ぶといいわ! 洗練された戦い方というものを!」

 胸を張って自信満々に言い放った。

「そうか。ならば何も言うまい」

 何らかの確信を得たようにブレイヴは低く腰を落とした。その目はこれから起こる勝負事への期待に満ち溢れていた。

「手加減は無用だ。ユニのお義姉さんだからといって私の方も一切手を抜くつもりなどない。己の持てる全ての力を出し切ってこそ、勝利の美酒が味わえる。それが戦いというものだ!」

 ブレイブの期待に応えるように、私も細剣を正面に構え、腰を低く落として臨戦態勢をとる。

 この男は強い。

仮にもあの犯罪組織マジェコンヌの四天王なのだ。

私が勝てる確率はそう高くはないだろう。しかし、だからといって全く勝ち目がないわけではないし、ここで退く理由にもならない。

 それは私も、この男も同じ条件に立たされている事は言うまでもないだろう。

 ブレイブが言った。

「この前は話し合いの途中であなたの意識が覚醒してしまった。だが、今回ばかりはそんな心配も不要。心ゆくまで互いの心と心をぶつけ合わせようではないか」

「成程……そこら辺の準備は万端というわけね」

 そうだ――

 ブレイブの雄弁な沈黙がそう肯定しているように思えた。

 長い長い沈黙が降りた。空気が緊迫で張り詰め、ぴりぴりとした気迫が満ちていく。まさに一触即発の雰囲気だった。

 やがて、張り詰めた静寂を破るように雷鳴が轟いた。

「この剣で、その旨の正義を問おう!」

 ブレイブが高らかに叫ぶ。

「ラステイションの女神として……いいえ――一人の姉としてあなたからユニを守って見せる!」

 私も負けじと声を張り上げる。

「ブレイブ・ザ・ハード! ……いざ尋常に参る!」

「ブラックハート! 女神の本気、その身で味わうがいいわ!」

 

 二つの影が飛びかかったのはほとんど同時であった。

 剣閃が交錯しあい、盛大な火花が散った。

 こうして、お互いの大事なモノを賭した決闘の火蓋が、今ここに切られたのであった。

 

  ◆◆◆

 

 同時刻。

 

 戦いを遠まきから監視する者がいた。

 監視者は女だった。とは言っても、全身から発散される威圧感がただの無力な女ではないことを否応なしに告げている。

「ふん、ようやく始まったか」

艶めかしい肢体と、妖しげな薄ら笑いを浮かべているのがいやに特徴的な女だった。

絶世の美女――というよりかは、氷の女王という表現が的確かもしれない。

マジック・ザ・ハード――それが彼女に与えられた名であるのと同時に、犯罪組織マジェコンヌの頂点に君臨する者の姿であった。

「全く、あの男も小さいものだな。直接あの女神候補生の元へと赴けばいいものを。でかいのは心ではなく、図体だけということか」

 マジックは鼻をならした。

「まあいい。この程度、瑣末な修正点にしか過ぎぬ。計画には何の支障もきたしてはいない」

彼女はブレイブが勝とうと負けようと興味がなかった。ブレイブの恋路がどう転ぼうが、欠片の興味を抱いてもいなかった。

彼女の興味の向くところはあくまでも計画の完遂だけであり、それ以外の事象はどうでもよかったのだ。

ブレイブをノワールとぶつけ合わせたのはついでのようなものであり、彼女本来の目的はそこではない。もしブレイブが女神を潰せたのならそれはそれで良い収穫だが。

 何であれ、マジックはしばらく観客に徹しようと考えていた。

計画を遂行するにはもうしばらく時間を要する。準備期間を埋める、退屈しのぎの余興になると考えたのだ。

「あの愚かな男がどこまで足掻くのか、この目で見届けさせてもらおうではないか」

 マジックは笑みを浮かべる。

 凍りつくような笑みであった。顔は笑っていても、目だけは笑っていなかった。それは身を焼き焦がすような憎悪すら感じる、酷薄な笑みだった。

「……最期にいい働きを期待しているぞ、ブレイブ」

 

 ◆◆◆

 

「お姉ちゃんが目覚めないですって!?」

 アタシが朝一番にケイから聞かされたのはおよそ耳を疑うような話だった。

 そう、あのお姉ちゃんが寝坊である。

真面目で何でも一人でこなすような天才肌がそんなミスを犯すとは考えにくかった。

……いや、案外そうでもないか。

お姉ちゃん夜遅くまで書類と格闘していたみたいだし、疲れとかが溜まっていのかもね。

「ああ、そうさ。こうしていくら体を揺さぶっても、足をくすぐっても、耳元で大声を出してもノワールは目覚めようともしない。しかも何かにうなされているように呻いている……これは由々しき事態だよ、ユニ」

「甘いわね。ケイ、アンタお姉ちゃんの弱いところを知らないでしょ」

 深刻そうに顔を曇らせているケイに、アタシはふふんと腕を組んで見せた。

「そーれっ! こちょこちょこちょ」

 ムチのようなしなやかさでお姉ちゃんの足裏、うなじ、大腿を重点的に手を這わせていく。羽毛のような柔軟さで、時にはハチのように刺激を与えていく。

 しかし、お姉ちゃんは相変わらず苦しそうにうなされているだけだった。

「あっれー? おかしいなあ。いつもだったらお姉ちゃんこれで転げ回ってベッドから飛び降りるんだけどなあ」

「ユニ……君は何でそんなことを知っているんだい?」

「お姉ちゃん、朝よ。起きて」

 ほっぺを思いきりつねたり、伸ばしたりこねくり回してみる。だが、お姉ちゃんは微動だにしない。

「起きなさいってば! このっ!」

 お姉ちゃんの両足を持ち上げてえびのように反らせていく!

「お~き~ろ~!」

「ユニ、ノワールの体が曲がらない方向に曲がっているのは気のせいかい?」

「はあ、はあ……どうして、起きないのよ、お姉ちゃん」

 アタシは息を切らせてその場に倒れ込んだ。いくらお姉ちゃんといえど寝ぼすけもここまで極まるとさすがに容認できない。

 ケイはあごに手を当てながら何かを考えこんでおり、いつにない神妙な顔でアタシを見下ろしていた。

「おそらくノワールは悪夢に囚われている。誰にも邪魔されない夢の牢獄の中で必死に戦い続けているはずだ」

「ええ、そうでしょうね。全く、お姉ちゃんったら」

「ユニ!」いきなりケイが語気を荒げた。「僕はふざけていない。これはいたって真面目な話だ」

「……なっ、何よいきなり?」

 ケイは見たことない気迫にアタシはたじろいた。感情を表に出さず、損得感情で動くケイが声も高らかに叫ぶのは珍しい事だ。

「断定は出来ないが、おそらく犯罪組織の仕業だろう」

「なっ、何でそんなことが分かるのよっ! 確証も証拠もないのに。お姉ちゃんはただ寝ているだけじゃない!」

 ケイがアタシの肩をつかみ、言葉をさえぎる。力強く握られたため、爪が肩にぐいぐいと食い込んでいく。

「ちょ、痛いじゃないの――!」

「見たのさ、僕もその夢を。倒されたはずのあいつが――ブレイブ・ザ・ハードが僕の前に現れたんだ」

「何ですって!? あいつが――」

 アタシは我を忘れて叫んでいた。肩の痛みさえどこか吹き飛んでいた。

「その驚きようから察するに君の前には現れていないみたいだね。となるとアレを見たのは僕とノワールだけか。……にわかには信じがたいことだが、現物が目の前にいる以上そうとしか考えられない」

「そんな、アイツが何でこんなことを……」

 アタシはその場にくず折れる。まるで自分の足元が崩れ落ちていくような衝撃を受けていた。アイツが生きていたということよりも、アイツがお姉ちゃんに危害を加えたという事実が、ただ受け入れられなかった。

「なんで? アイツは改心したといったのに……最期に解り合えた気がしたのに」

「それは本人に会って確かめるしかないだろう」

 一瞬、ケイが何かを含んだように目を逸らしたが、このときのアタシはそれにすら気づける余裕がなかった。それほど心を取り乱されていたのだ。

「でも、どうやって?」

「答えは単純だ。ノワールの夢の中にいくしかない」

「お姉ちゃんの夢に入り込むですって? 無理よ、そんなの!」

「たしかに僕も馬鹿げていると思う。だが、世の中には努力次第では不可能を可能にする術がつきものだ。君は覚えているかい。ルウィーに封印された魔物の封印が解かれ、未曽有の危機に陥ったというあの事件のことを」

「覚えているも何も……つい最近のことじゃない」

 とは言ってもまだアタシが馬鹿みたい意地を張ってネプギアから遠ざかっていたので、その事件は小耳に挟んだ程度だけど。

「ネプギアは諦めなかった。たとえゲイムキャラが破壊され、ルウィーの女神候補生たちから援助を得られないという最悪の状況下に置かれようとも、彼女は立ち止まらずに走り続けた」

「……」

「分かるかい、全ては姉を助けたいというひたむきな心が彼女に力を与えたんだ。君が影で必死に努力していたのも、そこに理由があると思ったんだが、僕の見当違いだったかな?」

「なっ、なんでそれを!?」

「そのくらいのデータをつかめなければ、君達の世話役は務まらないさ」

「~~もうっ!! ほんとっ、ムカつくムカつくムカつく!」

 うろたえるアタシにケイは得意顔で書類を見せびらかす。顔が羞恥で真っ赤に染まっていく。

「でも、気持ちだけでは何も変えられないのが現状だ。何せ、相手は夢の中という、およそ常識では測れない手段を用いている。そこでだ。非常識に対抗するために、こちらも非常識な方法を用いるしか方法はない」

 おもむろにケイは懐から何かを取り出した。白い野菜――カブのような形に見える。

「それは……?」

「こんなこともあろうかと、がすとからもらっておいた薬さ。見た目はただの野菜にしか見えないが、夢の国サブコンとやらで作られた特別製でね、これは野菜の形をしている飲み薬なんだ。にわかには信じがたい話だが、これを飲めば夢の中へ入れるそうだ」

 ――こんなものが……?

 しかし、がすとの錬金なんたらとかいう腕前は尋常ではない。ただの石くれから黄金や、泥水から清らかな聖水を精製できたり等々……通常では考えられない力――不可能を可能へと変える奇跡の力だ。嘘みたいな話だが、ネプギア一向に加わってからアタシは何度もこの目で目撃している。

聞くところによると未曽有の危機に陥ったルウィーを救済する決定打となったのもがすとの力らしい。

アタシは意を決して、野菜の形をした飲み薬を口の中に入れ、丸のみした!

「っ……! ゲホッゲホッ、うぇぇっ、何よこれっ、苦ーい!」

 今まで体験したことのないような苦味がアタシの舌をはいずり回り、意識がくらくらと揺れる。目から涙が溢れ、全身が震えあがった。

 あまりの苦味に目がぱっちりとしてしまい、この状態から寝るだなんて不可能だとすら思えてくる。

「そのくらいでへこたれてどうする。君の三年間の努力はそんなものだったのか」

「いっ、いくらなんでも体の中を鍛えるのは無理よー!」

「そうか、いささか荒っぽいが、こうする以外に道はない」

 ケイの声はいつになく穏やかで、寒気を覚えるほど優しげであった。そしてハンマーを振りかぶり――

「ちょっ、そんな物騒なモノ持ち出してどうするつもりよ」

「ユニ……ノワールを頼んだよ」

「セリフと雰囲気が合ってないわよぉぉっ!」

 

 ◆◆◆

 

「はぁっ! やぁっ!」

 ノワールは大地を蹴り、ブレイブめがけて文字通り飛んだ。

 細剣を正眼に構え、その華奢な矮躯を生かし、目にも止まらぬ素早さで細剣が突き出されていく。

「トリコロールオーダー!」

 相手を切り裂くというよりかは、まるで踊り子のように華麗でどこか惚れ惚れとする剣さばきであった。

 ブレイブは顔色一つ変えず、大剣で全てを防ぎきることに専念している。

ブレイブは動けないのだ。

ノワールが繰り出す光速の剣筋に対し、一歩も動かず防戦一方となるのは必定だといえた。

――このままでは堂々巡りね。埒が明かないわ。

ノワールはブレイブの堅牢な守りを崩すべく、全神経を集中させ、必殺の一撃を解き放った。

「くらいなさいっ、インパクトロー!」

 すさまじい衝撃が走り、大地が揺れた。ブレイブの巨体がわずかに地面へと沈みこんだ。ブレイブの剣ではノワールの剣による威力を完全に殺しきれなかったのだ。

 ――よしっ、これで動きを封じた。

「一気に畳みかけるわ!」

 次の一手を打ち込もうとノワールが飛びかかる。

絶体絶命の状況であるにも関わらず、ブレイブはこの状態を楽しんでいるかのように興奮冷め止まぬ声で言い放った。

「良い太刀筋だ。私の剣に対して手数で圧倒する手際は見事だと言わせてもらおう。だが、」

 裂帛の掛け声と共に大地が振動。ノワールが気づくよりも先に、眼前に閃光が迫っている。

「――踏み込みが甘いっ!」

「っ……!?」

 とっさに細剣を構えて防いだ。脳で理解するよりも先に、ほとんど本能による動きだった。

ブレイブの巨体から繰り出された大剣の一振りによって身体ごと弾き飛ばされてしまう。

ノワールはよろよろと立ち上がり、細剣を構え直す。一瞬の出来事に、ノワールには何が起こったのか理解できなかった。

ブレイブはこの瞬間を狙っていたのだ。居合いによる力任せの抜き打ちでノワールの攻撃を全力で迎え撃つ時を。

 隙をつくようにブレイブがすさまじい速度で迫った。

 ノワールは慌てながらも細剣で迎え撃つ。

「あなたは私が戦ってきた中でも間違いなく最強の部類に入るだろう。だが、あなたの攻撃は全て見切らせてもらった。力で今一歩劣るあなたでは私に勝てはしまい!」

「くっ……!」

 剣の柄を握る手にびりびりと衝撃が走る。

 ――まずいわね。

 ブレイブが最初手を出さず守りに徹していたわけはノワールの動きを観察することで、攻撃パターンを読み取っていたのだろう。そうすることでノワールの隙がどういうタイミングで生じるのかも阿吽の呼吸で把握していたに違いない。

「細剣とは突くことに特化した最強の矛だ。そこから繰り出される華麗な剣の雨は誰の目にも追うことすら敵わない。だが、所詮それだけだ。斬撃による打ち合いは想定して造られていまい!」

 まさにブレイブの言う通りだった。

 こうしてブレイブと激しく剣をぶつけ合わせている合間にも細剣は軋み、悲鳴を上げている。

細剣は相手に身動きをとらせる間もなく斬りこむことができるが、同時に細剣は脆く、折られるのもまた容易い。

――ここは一旦、距離を取る。

ノワールは体勢を立て直すべく、後方へと大きく飛んだ。

「逃がさんっ!」

 すかさずブレイブが踏みこんできた。大剣を振りかぶってノワールめがけて身体ごと突進してくる。

「くっ……この!」

 身体をよじることでブレイブの追撃を回避することに成功。だが、着地の際に大きな隙が生じてしまった。

またもブレイブが迫る。ノワールが攻めに転じられない今を好機と判断した彼に、攻撃の手を緩めるという生ぬるい選択肢は残されていない。

「奪い、奪われ、何かを得るために常に戦いが起こった。誰かを救うには誰かの命を奪わなければならなかった。それが私の人生だった。この戦いもその一つに過ぎない」

「私の命を奪うですって? 笑わせないでほしいわ」

 ブレイブの流れるような斬撃を必死に受け止める。

ノワールは勝気そうな笑みを浮かべているものの、冷や汗が止まらなかった。相手の一撃が重く、細剣の薄い芯が耐久限界を超えていつ折れてしまうか分からなかった。

「元より私とあなたは因縁の宿敵だ。女神と犯罪組織では相容れない運命にあったのかもしれない。だからこうして奪い合う戦いをしているのも何らおかしいことではないはずだ」

「私はラステイションの女神、ノワールよ。あなたなんかに負けるはずがないんだから!」

「威勢がいいことだな、お義姉さん。それでこそ戦い甲斐があるというものだ。だが、」

 ブレイブが剣を真横に大きく放った。

ノワールは身を低くすることで楽々と回避に成功する。

 ――隙が出来た!

 大振りだったためでかい隙が生じたのだ。ここで優位に立っていると言う慢心がブレイブに愚かな行動を取らせたのだろうか。何であろうとどうでもよかった。ノワールはブレイブめがけて飛翔した。

「隙アリっ!」

 細剣を前に突き出し、捨て身の一撃を繰り出す。

 だが、驚くべきことにブレイブの前蹴りがノワールめがけて炸裂し、吹き飛ばされてしまった。

わざと隙を見せたのはブレイブの仕掛けた罠だったのだ。

「この勝負、私の勝ちだ」

 朦朧とするノワールの視界の中で、今や勝利を確信したブレイブが笑みを浮かべながら迫ってきている。

「切り捨て御免!」

 ブレイブは剣を振り下ろした。疾風と化した一太刀がノワールを真っ二つに両断するかと思えた。しかし、

「まだよ……まだ……戦える! 私はまだ自分を敗者だと認めてはいないわ!」

 その瞬間だった。

 目も眩むような光がノワールの全身を包み込んだ。とてもつもない光の奔流から莫大な力が流れ、彼女の身体の一部へと姿形を変貌させていく。

 それは女神化による奇跡の光だった。

 彼女の全身を覆うのは上品そうなドレスでもない。

 そこに現れたのは流れる銀髪に、黒い大剣と鎧、戦闘に適した女神専用の鎧。これこそが女神ノワールの真の姿であった。

「ははっ、それを待っていたぞ!」

 ブレイブが歓喜の唸りを上げた。その姿は理性を失くした獣のようですらあった。

「覚悟はいいかしら?」

 ノワールが銀色に輝く髪をかき上げながら挑発的な眼差しを送る。

 ブレイブは大剣を正面に構えた。いつでも迎え撃てるように気を昂らせ、集中力を高める。

「見せてあげるわ。洗練された戦い方というものを!」

 ノワールが剣を構えた刹那――

 ふっと姿が消えた。

「何!?」

 ブレイブが驚嘆の声を上げた。

瞬間――

 背後から殺気を感じ、振り向きざまに大剣を振りかぶる。

 ギィンッと、刃と刃が激しくぶつかり合う。

 案の定、そこには消えたはずのノワールがいた。

 ノワールの姿が消えたように見えたのは、一瞬でブレイブの背後へと回り込んでいたからだ。

「驚いたぞっ!」

 心底嬉しそうにブレイブは剣を振り乱した。

 ノワールも攻撃の手を緩めず、激しい剣舞の嵐を見舞っていく。

「インフィニットスラッシュ!」

 今や光と化したノワールとブレイブが目にも止まらぬ速度で剣をぶつかり合わせている。激しく剣戟が交叉し、火花を散らせていく。

「最高だ……。力も速度も申し分ない」

 陶酔したようにブレイブが言った。その声は未だかつてない感動と興奮で打ち震えている。

「血湧きっ、肉踊るっ! 戦っている時こそ生を実感できる! こんなに楽しい戦いはいつ以来だろうか! さすがユニのお義姉さんだと言わせてもらおう!」

「お義姉さんって呼ぶなぁぁっ!」

 ノワールが剣を振りかぶり、衝撃波でブレイブを弾き飛ばした。相手が体勢を整える暇すら与えず、一気に距離をつめて追撃を開始する。

「レイシーズダンス!」

 ノワールの両足が宙を舞う。

円を描くような軌跡をなぞりながらブレイブの腹部に両足を叩きこんだ。女神化によって強化された脚力から放たれた一撃はブレイブの身体を吹き飛ばした――かのように思えた。

だが、

「生温いっ!」

 反撃とばかりに巨大な拳がノワールに襲いかかった。かろうじて両手を頭上に構え、大男の打撃をすんでのところで防いだ。

ノワールは信じられない物を見るような目で、大男を見上げた。恐ろしい事にブレイブはあの一撃を気合と根性だけで耐え凌いだのである。

戦いを楽しむ狂戦士の心があいつにそうさせているのだろうか。いや、それ以上にユニに対する想いが力を与えているのだろう。

 ――くっ……SPがもう保たない。女神化の限界時間ね。これ以上、戦闘が長引くのはマズイ……。

 相手も同じ状況なのだろう。大男は息を荒げては、今にも消えてしまいそうな意識でかろうじて立っている。

「……どうやらお互い、限界が近いようだな」

「……そのようね」

 ブレイブは両手で大剣を構え直した。

「決着の時が来たようだ」

 その鋭い双眸には最強の敵が捉えられている。

「ええ、私の勝利で彩られる終幕がね」

 ノワールは肩で呼吸をしながら自分の正面に立つ好敵手を睨み返した。剣を片手で構えて、目前の敵だけに狙いを定める。

 世界を静寂が埋め尽くした。それは一瞬の間だったのかもしれない。だが、二人にとっては空間そのものが永遠に凍りついてしまうかのような間が流れていたのだ。

 ――一撃の元に斬り捨てるっ!

 ただその一心だけで二人は走りだした。最強の敵を、自分の全存在を賭けて打ち滅ぼすために。

「ブレイブ・ソード!」

 爆発的な力がブレイブの大剣に集中していく。目の前の空間ごと一刀の元に両断する奥義である。

「トルネレイド・ソード!」

 ノワールの剣がすさまじい粒子に包まれ、巨大な光剣と化した。高密度の刃に触れればどんなものだろうと灰塵へと化すだろう。

 二つの刃が激突する――その時だった。

「二人共っ、もうやめてぇっ!」

 突如、女の子の声が響いた。

 両者がぴたりと硬直した。

 二人にとってその声はよく聞き覚えがあった。

 今まで命の奪い合いをしていたことさえ忘れ、時間どころかこの場を停止させてしまうほどの影響があった。

 そう――この戦いのきっかけとなった中心人物。

「「……ユニ?」」

 二人は同時にその名前を呼んでいた。

 

 

 



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聖夜 (4)

これにて完結です。
読んで下さった方ありがとうございました。


 女神の特権――女神化。

 それは人々の「信仰」があって初めて成せる奇跡の光。

 言い換えるならば人々の「祈り」を糧に、自分の身体に奇跡を宿すことの出来る「力」である。

 人々の支えなしでは、女神と言えども、ただの無力でか弱い少女に過ぎない。

 だが、人々の信仰を維持してしまえば絶大的な力を有することができるのが「女神」である。

 たとえ女神候補生という修行中の身であっても、「女神」の肩書きを持つ以上、その力は凡人の及ぶところではない。

 

 ユニ――いや、ブラックシスターはその力が全身に充満しているのを感じていた。

 姉ゆずりの銀髪をかき上げながら、死闘を繰り広げる二つの影に向かって叫んだ。

「二人共っ、もうやめてぇっ!」

 二つの影がぴたりと静止した。

「「……ユニ?」」

 どちらの表情にも信じがたいモノを見るような驚愕の色が浮かんでいる。

 一つはノワール。

またの名をブラックハートともいい、他の誰でも無いユニの唯一無二の姉でもある。

 もう一つはブレイブ・ザ・ハード。

 悪妙高き犯罪組織マジェコン四天王の一人である。

「馬鹿な……ここは誰にも干渉できぬ絶対領域のはずだ。どうやってここに?」

 困惑冷めやらぬと言った感じで、ブレイブは頭を押さえながらよろめいた。

「動かないでっ!」

 そこへすかさずユニが機銃を構えた。銃口の切っ先をブレイブに突きつける。

 ノワールがはっと息を飲む声が聞こえる。しかし、それ以上は動こうとせず、この状況を見守ることだけに徹している。

 ユニが持っているのはただの銃ではない。信仰の力によって形成された女神専用の武装である。

「ブレイブ、アタシはあんたと解り合えたと思っていた。敵でありながら、世界をより良い方向へ導こうとする心意気をアタシは信じていた。それなのにっ、あんたはなぜこんなことをしたの?」

 ブレイブは答えなかった。

答える代りに両手で大剣を構え直していた。

彼に攻撃の意思はない。先ほどブラックハートと死闘を繰り広げてから、戦うための余力はもう彼に残されていないのだ。

それは攻撃のために大剣を構えるというよりかは、運命の女神に救いをすがるような動作だとユニは感じていた。

「お姉ちゃんを殺す気だったの!? 犯罪組織のために!?」

「今回の一件は組織ではなく、私個人の独断であると明言しておこう。だが、私はお義姉さんを殺すつもりなど毛頭なかった。元より私は無益な殺生は好まぬ。ましてやそれがお前の姉となればな。私はただ、お義姉さんに認めてもらいたかっただけだ」

「認める? お姉ちゃんに何を認めてもらうつもりだったの?」

「私という存在を受け入れてくれるかどうか、だ」

 ぜいぜいと肩を揺らすブレイブ――満身創痍といった様子。その大きな身体は今にも消えてしまいそうなくらい揺らいでいる。

「それが私の望みだった。この身を投げ売ってでも叶えたいと思えるくらいの……有り体にいうならば――“夢”というモノに近かった」

 ブレイブは震えていた。おそらく戦闘による疲労だけではない。

 原因は別の何かにあるとユニは感じていた。

 だが、それが何であるのか正体は分からない。

「どういうこと? もっと解りやすく説明しなさい!」

 ユニは構わず糾弾した。

 ブレイブがそっと弱々しい目を向ける。

追い詰められた者の目――それを見つめているだけでなぜか心を削り取られるような痛みが走る。

――どうして? どうしてなの? そんな哀しそうな目で見ないでよ。まるでアタシが悪者みたいじゃない!

「何か言いなさいよ! ……黙っているだけじゃ何も分からないわよ!」

ぎゅっと身を振り絞られるような痛みを堪えながら、ユニは銃口をブレイブに向けた。

「答えなさい! ……さもなければ撃つわよ。これは脅しなんかじゃないわ。ホントにホントに撃つんだからね!」

「――ユニッ!! 止めなさい!」

 ノワールが声を張り上げた。

 妹を制止するべく二人の間に割って入った。

「……お姉ちゃん?」

 ユニはこの状況に大いに混乱していた。

 ユニは夢に囚われたノワールを助けに来たつもりだった。

だが、ノワールは被害者であるにも関わらず、加害者であるこの男をかばい始める始末だ。意味が分からなず、ただただ胸の中がむしゃくしゃするだけである。

「こいつは悪くないわ」

「悪くない? どうして? こいつは――ブレイブはお姉ちゃんに襲いかかってきたのよ。お姉ちゃんの意識を夢の中に閉じ込めるような真似までしたっていうのに!」

「たしかにこいつが働いた行為自体は私も許せないし、許すつもりはないわ。だけどね、この男が私のところに来たのはちゃんとした事情があったのよ」

「事情? それはさっきブレイブが言っていた、存在を認めてもらうってヤツ?」

「そう、ソレよ。ただ言わせてもらうなら、姉である私のところに話を通しにきたあたり律儀だけど……もっと他にやり方があったんじゃないのかしら? そう思わない、ブレイブ?」

 ノワールは銀髪をかき上げながら、ブレイブにじっと視線を送る。

 ブレイブは顔をうつむかせる。

「……私の人生において闘争が全てだった。――よって己を証明できるものはこの剣のみ。他には何もない」

 ブレイブの真面目くさった反応に、呆れたように肩を落とすノワール。

「不器用な男ね。……あなた、ユニに何か言いたいことがあるんでしょ? 言いたいことがあるなら、私が耳を押さえている内に言う事ね」

「どういうつもりだ?」

「あーもー、ほんと話の分からないヤツね。本来、こういうのは気が進まないんだけど、特別にチャンスを上げるって言ってるのよ!」

「なん……だと!?」

 己の耳を疑った。顔を上げ、信じられないような表情で、まじまじとノワールを見つめた。

「ただし、一度だけよ。ユニがどんな答えを下そうとも、ユニの意思を尊重すること。あなたを拒絶しても恨みっこなしだからね」

「……あなたの寛大さに礼を言わせてもらいたい。私のような愚者を認めていただき、心より感謝する」

「礼なんて要らないわよ。それに、最初から結果なんて解りきってるんだからね!」

 ぷんすかと顔を背けるノワールに、ブレイブは深々と頭を垂れた。

「……かたじけない」

 もしこのやり取りをノワールに近い者が間近で見ていたら目がこぼれ落ちんばかりに驚いていたことだろう。しかも、あのノワールがである。ひねくれ者で、己に素直になれないことで有名な彼女がだ。この騒動の当事者である彼女からしてみてもこれは異例な行動であっただろう。さきほどまで命の獲り合いをしていた二人にはとても見えなかった。

 いや、全力で命の獲り合いをしていたからこそ二人は分かりあえていたのかもしれない。

 真剣勝負の中に芽生えた友情が、ノワールにそうさせたのだろう。

 一方、ユニは訳の分からなそうに顔をしかめていた。勢い込んで夢の中に入ってきたものの、二人の会話の意味がさっぱり読みとれず、蚊帳の外にいた。二人の会話から察するに、自分のことを話していることは分かるのだが、何が何だかさっぱりである。

「ちょっとちょっと、何勝手に二人で盛り上がってるのよ。アタシにも分かるように説明しなさい」

 ユニがしびれをきらし始めたその時、

「ユニッ! ――いやっ、ユニさん!」

 間髪いれずにブレイブが叫んだ。

「ひゃっ、ひゃいっ!」

 突然の大声に、飛び上がってしまった。

「あなたに大切なお話しがあります!」

「なっ、なによ!?」

 ユニはたじろいだ。

 ブレイブの熱のこもった口調と溢れ出る真剣さに。いや、この男はいつだって真剣だった。生きることに全力だった。それはこれまでの戦いを通してユニが身を持って知っている。

 だが、今のブレイブの身をまとう雰囲気はいつもとは違うように感じられたのだ。彼をここまで異質なモノへと姿を変えさせる何かがあるのだとユニは考えた。それが何なのかユニにはてんで分からなかったが、自分を見つめるブレイブが――まるで夢を追い求める少年のように純朴な瞳をしていたことに気づいた。

「私はお前がっ! ユニのことがっ――!」

 

「下らん。見るに耐えん茶番だ」

 

 突如、女の声が響いた。

 その場にいた全員が落雷をうけたように固まった。

低く、くぐもったその声は雷鳴のように荒れ狂っており、静かな怒気をにじませている。

 ノワールはふり返った。ユニは身動きもできず硬直していた。ブレイブが驚愕の声を上げた。

「その声は……マジック!? お前、いつから見ていたのだ?」

「一部始終を見届けさせてもらったさ。実に興冷めだった」

マジックは言った。いつものような氷の微笑はそこに存在していない。いつ噴火するかも定かではない活火山のようにぴりぴりと張り詰めているような威圧さが見え隠れしているように思えた。

「女神共、貴様等は良い時間稼ぎだった。おかげで夢の中に囚われた住人を呼び覚ますことができたからな」

「夢の中の住人って誰のことよ!」

 ノワールは言った。マジックはゴキブリでも見下すような目で答えた。

「よく周りを見回してみろ。貴様等の周囲を数千のキラーマシーンが包囲している」

「な、なんですってっ!?」

 ぎらぎらと赤い光があった。

 いたるところで歯車を肉食獣のように低くうならせており、頭部は不気味な骸骨が無機物な笑みを浮かべている。

 どれもが今にも獲物に飛びかかりそうな獰猛な目つきをしている。

 司令官の命令一つで一斉に飛びかかる忠実な機械兵たち。

 死を恐れず、敵の殲滅にのみ喜びを覚える狂戦士。

 おそらくこの世で最も凶悪な、命無き戦士の群れ。

 三人は緊張の面持ちでじりじりと身を寄せ合い、四方からの攻撃を警戒する。

 ユニは機械兵にライフルを構えながら、ノワールに問うた。

「お姉ちゃん、こいつらって……!」

「ええ、たしかネプギア達の話だと封印されたって聞いていたけど……」

 あまりにも危険な兵器であるためルウィーの奥地にて封印され、永久の眠りについていたはずだった。それにも関わらず、何故そいつらがこの場に現れたのだろうか。

「ご名答だと言わせてもらおうか。貴様等の言う通り、こやつらの身体は封印されている身だ。今でも極寒の地で眠り続けていることは間違いないだろう。だが、ここは夢の世界だ。肉体はそうであっても精神が同じ状態であるとは限らない。そこのブレイブが肉体を滅んだ今もなお、精神だけで動き回っているのがいい例だ。さすがにこの私でも、これだけの数をかき集めるのは少しばかり骨が折れたがな」

「なんですって……そんなバカなことが」

「信じられぬのも無理はない。人は圧倒的な戦力の前には成す術もなく、飲み込まれていくのが世の常だ。例えそれが女神であっても同じ事だ」

 マジックが機械兵へと向き直り、手を挙げた。

「我が忠実なる下僕共に命じる。我らが犯罪神様に仇名す怨敵を葬りされ! この異教徒どもを深く、暗い絶望の地へと誘ってやるがよい!」

 それは号令であり、彼らを動かす鍵となった。

 キラーマシーンの全身からけたたましい駆動音が鳴った。

 たちまち全身を覆う装甲から鉄球や鋸が出現し、三人を退路を断つように散開していく。

「なぜだ! なぜなのだ、マジック! どうしてこんなことをする!」

 ブレイブが叫ぶ。その顔は同胞に裏切られた哀しみや、行き場のない戸惑いで歪んでいる。

「何故か、だと。ふん、自分の胸に手を当てて考えろ」

「答えろ、マジック!! 答えぬならお前と言えど斬り捨てる!」

「面白い。やってみせろ」

 怒りを込めた咆哮を、マジックはまるで取り合おうともしない。

 ブレイブは諦めたように、重々しく口を開いた。 

「……私が脱出口を切り開く」

 ノワールが目を見開く。

「何か方法があるの?」

 心配そうな目で見守る二人を交互に見つめ返しながら、ブレイブはとある重大な決断を下した。

 己には成し遂げられない、未来を託すために。

「私のブレイブソードは空間をも切り裂く秘剣だ。それで空間を切り開けば、お前たちは元の世界へと戻れるだろう。だが、一つ問題がある。今の私にはもうブレイブソードを撃てる余力があまり残されていない。おそらくあと一回が限度であろう。この身体だとしばらく時間を要する。その間だけでいい。時間を稼いでくれないか」

「了解!」「任せなさい!」

 

 ユニとノワールは息もぴったりにうなずいてみせた。 

「ユニ、援護は任せたわ!」

「お姉ちゃんの背中はアタシが守ってみせる!」

 ノワールがキラーマシーンの群れへと果敢にも突っ込んでいった。

 装甲と装甲の隙間にある脆い関節部分に狙いを定め、勇ましく斬りこんでいく。装甲が手品のような気軽さで解体され、あっという間にバラバラに崩されていく。

 ノワールに近づく者がいれば、すかさずユニの放った弾丸が敵の足を挫き、その場に跪かせ、触れることはおろか頭を上げることさえ許さなかった。

 見事に連携の取れた攻防。

 ノワールは後ろを振り返らなかった。ユニに背中を任せ、前だけをしっかりと見据えている。また、ユニも敵に狙いを定めることだけに集中している。ノワールに敵を惹きつける役目を任せ、狙撃のみに神経を注いでいるのだ。

 ぴったりと息の合うさまは姉妹だからこそ成せる芸当なのだろう。

 ブレイブは我を忘れ、二人が織りなす獅子奮迅の攻防をしばし魅入っていたほどだという。

 やがてブレイブが大剣を振り下ろし、次元を切り裂いたのは束の間のことだった。

 

 

 

  ◆◆◆

 

 

「ユニ……迷惑をかけてすまなかった」

「バカッ、謝るな。さあ、行くわよ。敵がすぐそこまで迫っているわ」

 ユニの誘いに、ブレイブは首を横に振った。 

「私はここに残る」

「――まさかアンタ、死ぬつもりなの? カッコつけてんじゃないわよ、バカ! 一緒にここから逃げるのよ!」

「断固拒否する」

「いつまでも下らない意地張ってるんじゃないわよ、バカ!」

「今回の一件が謝って済むことではないと重々承知している。だからこそ、せめてもの罪滅ぼしだ。私がここで奴らの侵攻を食い止める。そう……これは男の意地だ」

「ああもうっ! 何でわからないのよ! 死んだら全てがお終いなのよ! それが分からないの! バカバカバカ!」

「そんなにバカバカ言わないでくれ」

「何度でも言い続けてやるわよ! バカバカバカバカバカバカバカァ――――――ッ!」

 哀しいかな。ユニの抵抗や抗議の声も虚しく響き渡るだけで、ブレイブの強固な決意をねじ曲げるまでには至らなかった。

 落ち着かせるようにそっとユニの手を取る。ブレイブの手は分厚く、無骨な手だった。とても人のものではなく、温かさなんてあったものではない。しかし、人かどうかなんてこの際関係あるのだろうか。胸を打ち震わせる熱いモノがそこにはこめられていた。

 

 ――バッカじゃないの!

 そう言えばあの時もそうだった。

 彼女はそう言って、ブレイブの生き様をすげなく一蹴した。

 男の全てだったものを、たったのバカの一言で吹き飛ばしたのだ。

「ユニ……私の人生において戦いとは何かを奪うことだった。ちっぽけな男の生きがいだった。バカで野蛮人な私にはそれしか知らなかったのだ。だが、私は最後の最後で気づけたんだ。これは奪うための戦いではない。大切なモノを守るための戦いだ。ユニ、お前がそれを気づかせてくれた」

「アタシが……?」

 ブレイブは愛おしそうな手つきで、ユニの頬に触れた。

 惚れた女は、静かに息をのんだ。男はさらりとした美しい銀髪を上へ下へと撫でながら、流れるようにして弄んだ。

 誰かのことを想い、想われるのもこれが最初で最後かもしれない。

 だが、これからも胸を張って宣言し続けるだろう。

 惚れた女のことを。

 この想いを胸に抱き、生き続けていくことを誓おうと思った。

 ブレイブは初めて触れた女の柔肌から手を離し、名残惜しそうに大きな背をそむけた。

「お義姉さん、頼みがある。どうか私の最後の我がままを聞いてくれないか」

 ノワールは無言で見つめた。

「どうかこれからも、私の代わりにユニを見守っていてくれないか」

「あなたに言われなくても……そうするつもりよ」

 ノワールはユニの身体を担ぎあげた。

「ちょっと! お姉ちゃん! 離してよ! 離してったら!」

「ユニ、ここは行きましょう。……それがあいつの望みでもあるわ」

「そこまでして守りたいものって――あんたの大切なモノって何だったのよ!?」

 ブレイブは口を開いた。

「それは――……」

 しかし、それがユニに届いたのか今となっては確かめる術もない。

秘めやかな告白はユニの悲鳴によってかき消され、男の静かなる囁きは沈黙の彼方へと消え去っていった。

 二人の言い争う声が尾を引き、それも次第に消えていった。

 姉妹の姿が、次元の狭間に消えていったのだと思った。

「次に顔を合わせるその時まで、答えはお預けだ」

 男は、決して振り返らなかった。

 これからの戦に志半ばで倒れたとしても、この想いは誇りと共に生き続けていくだろう。

 男がかつて夢見た、争いのない平和な世界とやらで、女が笑い続けてくれる間は。

 これが一人の男の、淡い初恋が、静かに幕を閉じた瞬間だったという。

 

 

 

  ◆◆◆

 

 

 

「派手にやってくれたな、ブレイブよ。まさかあんな大技を隠し持っていたとはな。おかげで女神共をみすみすと逃がしてしまったよ。この責任、どうしてくれようか」

 マジックがブレイブを見下ろした。

 仇敵を見るような憎しみのこもった目のくせに、その顔は聖母のような慈愛に満ち溢れた表情をしている。

 キラーマシーンの群れは二人を取り囲むようにして沈黙を守り続けていた。命令一つで標的を抹殺する心ない殺戮者に囲まれているという光景は、いかにも不気味でさぞ落ち着かないことだろう。言葉には形容できぬ威圧感がこの場を支配していた。

 それでもブレイブは動じることはなかった。彼の意識の大半を占めているのはマジックの心の内に他ならない。

「ふん、そのわりにはあの二人を逃がしてしまったことはどうでもよさそうな口ぶりだな。察するに、女神ではなく、この私に用があったのではないか?」

「ほう、察しがいいな、ブレイブ。私は嬉しいよ。なぜ嬉しいか貴様には分かるか?」

「知らぬさ。お前は四天王の中でも一番謎めいていたからな。こうして相見えている今でさえ、お前の意図は掴めそうにない」

「ならば冥途の土産に教えてやろう。マジェコンヌ様にとって障害である存在に、この手で直々に引導を渡せるからだ。その障害とは貴様だ、ブレイブ」

「私が犯罪神の障害だと?」

「私達、四天王が何故生まれたのか貴様は知っているか?」

「ふん、お前は赤子の頃どうやって立てるようになったかを覚えているというのか? 私は覚えてなどいない」

「正論だな。だが、貴様が知らないことを私は知っている。

――四天王とは四つの器だ」

「器?」

「そう、杯から美酒が注がれることで器は満たされる。私達の魂が美酒だ。そして、杯が満たされた時、犯罪神様は蘇る」

「まさか……私達の存在そのものが復活の鍵だったというのか!?」

「ああ、事実だ。女神共も滑稽なモノよ。まさか我ら四天王を倒すことが犯罪神様を復活することになるとは夢にも思っていないだろうからな」

 ブレイブは驚きを通り越して呆れかえっていた。マジックの執着心に。そうまでして犯罪神を復活させることに何の意味があるのだろうか。

 ただ、分かることはこの女が普段と違って饒舌だということ。

真実を――とっておきの絶望をブレイブに叩きつけるために。

「しかしだ。困ったことに、杯の中身には不純物が紛れ込んでいた。酒にも良し悪しがあるということを思い知らされる。その不純物とは貴様だ、ブレイブ」

「不純物? 私が?」

「そうだ。貴様は実に優秀な力を持っていた。だが、何の因果か、犯罪組織に身を置いているにも関わらず、貧しい子供を救うなどと言う戯言が貴様の行動原理だった。下らん。実に下らん。犯罪神様にそのような心など不要だ」

「マジック、お前は目の前に飢えた子供が倒れていても胸が痛まないというのか! お前には何かを感じる心がないのか!」

「私からすればそんなものは唾棄すべき行為だと言わせてもらおう。貴様は人を救うことこそ生きがいといったな? ならば貴様は目の前にいる全ての人間を一人残らず救えるとでもいうのか? そんなものは無理だろう。貴様の慈善は私からしてみればただの偽善にしか映らない。いいか、ブレイブ。真の救済とは無にある。我々は民衆を導かなければならない。何かに思いを馳せ、何かにもがき苦しむ。心など存在しない方が人の為であるとは思わないか?」

「まさか……犯罪神とは世界を滅ぼす存在だったというのか」

「そうだ。だが、滅びではない! 無とは救済だ! 虚無こそが我々の崇めるべき神だ! この世にあまなす苦痛や苦悩、あらゆる煩悩から我々を解き放ってくれる! 例え幾重もの屍が積まれようとも、我々の悲願が成就されればそれも救われる!

マジェコンヌ様だけがその偉業を成し遂げられる御方なのだ!」

「……身損なったぞ! 身損なったぞおぉぉっ、マジック!」

「ほざけ。マジェコンヌ様の崇高な考えが解らぬ異教徒が何を吠えるか。身の程を知るが良い」

「……もういい。これ以上、お前と語り合う事など何もない」

「私も同じ気持ちだよ、ブレイブ。ずっと貴様が邪魔で邪魔で仕方なかった。こうして貴様を葬れる時を迎えられて私は嬉しいよ。だが、貴様の力はとても優秀だ。捨てるには惜しいものがある。力だけ残して、後は消えるがよい」

「……最後に言わせてもらおう。マジック、お前は良き司令塔だった」

「そうか。ならば死ね」

 マジックはつまらな気に言った。それ以上、言う事は何もないという風に。

 だが、おかしなことにそれを聞いたブレイブは腹を抱えて笑い声を上げた。これ以上の傑作はないとでもいう風に、豪快な哄笑を上げている。

「……何が可笑しい?」

「私は死なぬさ。私はまだ彼女の答えを聞いていない。私は、私自身の夢を果たすその時までは死なぬ!」

 マジックから表情が消えた。眉がつり上がり、全身に怒気がみなぎっていく。

「最後の最期まで世迷言を吐くか」

 ブレイブは満足したような顔だった。脳裡ではさきほどの彼女達の獅子奮迅の雄姿を思い浮かべているのだろう。後のことを全て任せきったような笑みすら浮かべている。

「たとえ女神がこの真実を知ったとしても彼女たちならば乗り越えて見せるだろう。たいした壁ではないさ。お前も、世界の滅亡の危機とやらもな!」

「――いいだろう、貴様はただでは殺さん。キラーマシーンでたっぷり小突きまわした後、この私の手で直接、引導を渡してやろう」

 ブレイブは大剣を構えた。その堂々とした雄姿は幾戦もの兵士の群れを前にしても決して揺らぐことはなかった。

「そうだ。これは無謀ではない。無駄な死でもない。例えこの身が犯罪神の傀儡であろうと関係ない! それは他ならぬ私の自由意思だ! この命が燃えるその時まで、私は戦い続ける! 夢を勝ち取るその日まで!」

 ブレイブが獣のような咆哮を上げた。

「聞けっ、 強者もののふ共ッ! お前たちが群を成して雪崩のように押し寄せようとも、私は逃げも隠れもしない! 私はッ! 私はここにいるぞッ――!」

 悲嘆ではなく、まだ見ぬ明日への希望に満ち溢れた叫び。それは大地を震わせ、心無い機械兵隊達までもが畏れをなしたように身を震わせたのだとか。あのマジックでさえも氷のような美貌をほんの一瞬、恐怖で歪ませたのだという話だ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

ラステイション――ノワール/自室

 何かがあった事だけは覚えている。

だけど、それを正確に思い出すことはできなかった。

長い眠りから醒めたノワールは自室でデスクワークにひたすら没頭していた。眠っていて遅れてしまった分を取り戻すかのように。あるいは忘れることへのもどかしさを激務で紛らわすように。

それが何かを思い出そうとしても頭の中にぼんやりとした深い霧が立ち込め、思考を阻まれてしまうのだ。

 実際、それはノワールだけでなくユニもそうだった。

 ケイに事情を問い正されても、ノワール達は何一つとして答えられなかったのだ。

 まるで狐にでも化かされたような気分だった。

 ケイはしばらく納得のいかない様子だったけれど、姉妹に何一つ異常がない事だけを確かめてから――ケイにしては珍しい事に、安心したような表情で、自分の業務に戻っていった。

「夢ってそういうものだけど……やっぱり思い出せないことがあると気持ち悪いものね」

 ノワールは誰に言うでもなくそうつぶやいてから、イスから立ち上がり、大きく背伸びをした。眠気がすぐそこまで押し寄せていた。

 窓の外はすっかり夜の帳に包まれている。

 今日はこの辺りでデスクワークを切り上げて寝てしまおう。

 なんだか寝てばっかりいる気がしないでもないが、身体にどっとのしかかってくる疲れにだけは抗えなかった。

 欠伸をしながら、ベッドに飛びかかろうとしたそのときだった。

ノワールの部屋のドアが開け放たれたのは。

「お姉ちゃん、起きてる?」

「ユニ……?」

 来訪者は寝間着姿のユニであった。

 手にはいつも使っているマイマクラが抱きかかえられている。

「あのね、お姉ちゃん。もしよかったらでいいんだけど……」

「何よ、どうしたの?」

 ほっそりとした膝をもじもじさせながらユニは言った。蚊の鳴くような弱々しい声だった。

「一緒に寝てほしいなって……」

「もう、ユニったら、自分のベッドがあるでしょう」

「眠れないのよ。哀しい夢を見てしまいそうなの」

 昼間見た夢のことを言っているのだと思った。

 おそらくユニもそれが何のかは、具体的に思い出せていないのだろう。

 もやもやとした後味の悪い何かが頭の底にこびりついているに違いない。

 思い出せないと言う事はとても気持ちの悪い感覚だ。

「まったく……」

 子供じゃないんだから。ため息と共に、そんな言葉が口をついて出そうになった時――

 ふと、ノワールの脳裏に声が蘇った。

 

 ――ノワール、君は現実は厳しい事ばかりで溢れてると思わないか? だからこそ世の中には、形のない空想であったほうが幸せなこともある。叶えられない夢はその人にとって残酷なものでしかない。夢は夢で終わるべきなのさ――

 それは先日、ケイと交わした言葉だった。

 いかにも現実を見据えていて、合理的なケイらしい言葉だ。

 たしかに夢を見ることが良い事であるとは限らない。

 現実は辛く、厳しい――

 悪夢から目を逸らして、逃げたくなることばかりの連続だ。

 深い眠りの中で、甘い夢に身を任せていたくもなる。

 目を閉じるだけでいい――

 深いまどろみの中で、心地よい安らぎが、疲れ果てた身体とぼろぼろになった精神を癒してくれるはずだから。

 だが、空想に逃げ続けているばかりでは悪夢の根本的解決にはならないのも現実の厳しさだ。

 目を閉じていては何も見えない。暗闇の中で悪夢に足元をすくわれ、いずれ身も心も貪り尽くされてしまうだろう――

 そうならないためにも、しっかりと前を向いて、現実と向き合わなければならない。

 生きることは、戦いの連続なのだ。

 しっかりと目を見開いて、真っ向から現実を見つめ直す必要がある。

 目とは開くためにあるのだ。

 現実を直視し、悪夢に飲み込まれないためにも。

 前を向いて歩かなければならない。

 ノワールはユニをゆっくり抱きしめた。

「いいわよ、別に」

「え?」

 ユニはぼんやりとノワールを見つめ返した。何かの聞き間違いではないかと疑っている表情だった。

「どうしたのよ、一緒に寝たいんじゃなかったの?」

「……いいの?」

 本当に甘えていいの、という風に頬をゆるませた。それはまごうことなき甘えん坊の妹の顔だった。

「……今日だけは特別よ」

 いつもなら恥ずかしくて言えないような言葉がなぜか自然と出ていた。きっとユニがこんなにも無防備で、可愛らしい表情を見せるからだろう。普段は一人前であるかのように振る舞っているくせに、ふとしたとき幼い子供のように姿を変えるのだから、とても卑怯な妹だ。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 ユニは嬉しそうに微笑んだ。

 それから二人はお互いに抱き合うような格好でベッドに身を横たえた。姉妹はそのまま身体を寄せ合い、静かに瞼を閉じた。

 ノワールは、ユニの温もりを腕に感じながら、今はただ眠ろうと思った。

 前を向いて現実を直視するのも大切なことかもしれない。

 しかし、悪夢から目を逸らす期間も大切なことである。

 傷つき、疲れ果てた身体を癒すには、逃げ出す勇気も必要であると知っていたのだ。

 休めるときにはゆっくり休もう――

 悲しい気持ちを薄めるには、寝ることが一番の薬だから。

 夢を見ることの何が悪い。

 夢を追いかけることで自分が満たされていくなら、それに勝る喜びはないはずだ。

 夢を諦めない限りは、いつまでも走り続けられるのだから――

 夢とは縋るためにあるものだ。

 ノワール腕の中ではユニがすやすやと寝息を立てながら眠りについていた。

 窓から差し込む月明かりが、ユニの頬を照らしていた。泣き腫らした痕が夜目でも分かるくらいほんのりと浮かび上がっている。

 こうして同じベッドで眠りにつくのはいつ以来だろう。

 よくは思いだせない。

 漠然と思いだせるのはまだユニが小さくて泣いてばかりいたこと。

 夜中、一人でトイレに行けなくて、付き添ってあげたときのこと。

 今よりも危なっかしくて目が離せなかったときったのこと。

 思い返すだけでも、頬が緩んでくる思い出ばかり。

 腕の中で眠る、最愛の妹の寝顔を見つめながら、ユニはどんな夢を見ているのだろうと思った。

 不思議なことに、それがどんなものであれ、悪いものではないという確信がノワールにはあった。

 妹を起こしてしまわないように、そっと頬を撫でる。

 それは、そっと愛おしむような手つきだった。

「良い夢を、ユニ」

 それを最後に、ノワールの意識は深いまどろみの中に溶けていった。

~Fin~



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