Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた (白詰草)
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プロローグ 0:召喚前夜

 まもなく二月を迎える夕べ。遠坂 凛がそれに気付いたのは、後見人兼兄弟子からの嫌味たっぷりの電話を叩き切った時だった。電話の相手は言峰 綺礼という男で、神父という聖職者である。だが、その根性と口のねじくれていることときたら、金属たわしの繊維のごとくであった。彼との会話は、それで神経を逆撫でされるようなものである。

 

 容姿端麗、文武両道、品行方正、挙措優雅。穂群原高校での遠坂 凛を飾る四字熟語だ。ほっそりと華奢で、身長のわりに顔は小さく、手足は長く、白い肌を豊かに波打つ黒髪が飾っている。翡翠の瞳が気位の高い猫を思わせる顔は、彼女に1/4流れている西欧の血を感じさせた。その全校生徒憧れの美少女が、彼らが見たら目を疑うような勢いで受話器を叩きつけると肩で息を吐く。勢いで首筋にまつわる長い黒髪を払う。

 

 その時だった。首にかかっていたわずかな重量がふと消失し、ついで体温であたためられた硬質な感触が胸の谷間を滑り落ちる。

 

「やだ……。チェーンが切れちゃったの!? もう、こんな時なのに!」

 

 慌てて赤いハイネックのセーターの襟元を引っ張り、手を突っ込もうとしたが不必要だった。そのまま、豪奢なペルシャ絨毯にセーターの裾からこぼれ落ちたからだ。凛の顔が微妙に引きつった。華奢な体型とは表裏一体、身体の特定部位のボリュームがやや不足しているのは本人にとっては悩みの種だった……。

 

「まったく、幸先が悪いったらないわね……。

 それにしても綺礼のヤツ本当に嫌味ったらしいんだから!」

 

 とりあえず、後見人への八つ当たりをつぶやきながら床に落ちた遠坂家の家宝を拾い上げる。それは真紅のルビーと白金の鎖のペンダントであった。鳩の血色の宝石は、凛の親指と人差し指で作った輪ほどもある大粒のトリリアントカット。石を留める枠や鎖、留め金にいたるまでふんだんに白金(プラチナ)を使った重厚なデザインである。女性のアクセサリーというよりも、ヨーロッパの王侯貴族が身につけた財宝といったほうがふさわしい。

 

 実際、このペンダントは遠坂家の初代が入手し、六代目である凛が引き継いだ由緒あるものだ。遠坂家は、この冬木市有数の代々続く資産家であった。しかし、それは一面の顔に過ぎない。月の裏側のように世間から隠されたもう一つの姿。根源「」に至る聖杯を育む冬木市を管理する魔術師。それこそが遠坂家の真実であり、このペンダントにも同様のことが言えた。宝石やアクセサリーとしての価値よりも、代々の当主が営々と込め続けた魔力こそ、この家宝の真実なのである。

 

 遠坂の魔術特性は流動と変換。魔力を込める触媒として、宝石との親和性が特に優れていた。魔術の触媒としては、上質で、由緒があり、かつ大粒な宝石ほど価値は高い。必然的に遠坂家の魔術は金を食う。資産家でなければそもそも魔術を継承できないのだ。

 

「あれ、チェーンは切れてないみたいね。どうして落ちちゃったのかしら」

 

 半ばほっとしつつ今度は留め金を触る。そして、より事態が深刻なことに気付いた。留め金の爪を引くと、まったく手ごたえがなく動いた。これでは鎖が留め金から抜けてしまう。

 

「ちょっと……冗談じゃないわよ」

 

 先ほどの電話を思い出す。本来約60年周期で行われる、根源に至るための儀式、聖杯戦争。七人の魔術師によって行われるのは、精霊にまで昇華し、世界の外の「座」にいる英霊のコピーの召喚である。もともと冬木市には良質な霊脈があった。しかし、単純にそれを集積しても根源に至るほどの力にはなりえない。世界を正常に保とうとする力が、守護するものこそが根源なのだから。

 

 根源にはこの世界のすべての情報が集うとされ、言わば神の座とも言ってよい。そこに触れることが叶えば、世界を改変する力『魔法』に至ることさえ叶うだろう。魔術は他の方法によっても代替可能なものだが、魔法は魔法でしか成立しえない現象だ。魔術師はそれを目指して血脈を繋ぐ。しかし、人類の歴史上『魔法使い』はわずかに五人。しかも現存する魔法はそのうち二つという有様なのだから、いかに至難の道であることか。

 

 それを打破するために編み出されたのが、冬木の聖杯戦争だった。

 

『足りないのなら他から持ってくればいい』

 

 これは魔術師の考え方の根幹である。冬木の霊脈を流れる魔力を集約したところで、根源まで至るには足りない。しかし、それを可能とする力を集める呼び水にするのは可能だ。英霊の能力を七つの鋳型に押し込めて、生前の人格を再現したうえで召喚する。いわば英霊の劣化コピーである彼らは、主人の使い魔として互いに闘争し、最終的な勝者が膨大な魔力を湛えた聖杯を手にするのだった。

 

 しかし、なんのイレギュラーなのか、始まりの御三家の一人、遠坂 凛の右腕に突然その兆しが現れた。能力を限定されているとはいえ、サーヴァントは英霊の分身である。ただの人間の魔術師風情に、到底制御できるものではない。……本来であるならば。

 

 御三家のひとつ、マキリが開発したのが、マスターにサーヴァントへの絶対命令権を与える『令呪』であった。サーヴァントに、魔力で叶う範囲のことを強制できる三回かぎりの枷。それは時にスパートをかけさせる拍車になり、絞首刑の首縄ともなる。

 

 この令呪は、マスターの候補者の魔術師の身体に、まず兆しとして浮かび上がる。もともと聖杯戦争の開発者である御三家――遠坂、マキリ、そしてアインツベルン――には確定参加権がある。しかし、聖杯戦争が開始してから二百年、その四回目はほんの十年前に行われた。通常なら次はこの五十年後、少壮期を迎えた凛の子供が参加するはずだった。

 

 凛の父時臣は、前回の聖杯戦争で戦死したという。母の葵もその後ほどなくして亡くなった。父の前当主である祖父は凛が生まれる以前に、祖母は時臣が少年期に死去している。魔術とは秘匿し、独占するもの。基本的には一子相伝だ。たとえ複数の子どもが生まれても、資質の高い後継者を選んだら、そうでない方は魔術とは関わりのない一生を送るか、他家に養子に出される。

 

 そして、配偶者といえども魔術についてはほとんど知らされずに終わる。もっとも、葵は時臣の死後に精神を病んでいた。何かを知っていたとしても、当時小学校低学年だった凛に、それを伝えられたとは限らない。

 

 ここに独占することの弊害、記憶や記録の伝承の途絶が起こっていた。普通の家庭なら、直系親族が亡くなっても、父母や祖父母の兄弟姉妹からなんらかの話が伝わってくるものだ。

 

 後少し、せめて五年後ならば、凛だって準備のしようもあった。先日来から英霊を召喚するための触媒を探すべく、家捜しを敢行した。だが出てくるのは、埃と解読不能な古文書、件のペンダント。そして魔術礼装の杖。

 

 最後のアレは、凛の魂の尊厳に、深刻な危機を覚えさせるシロモノであった。首に刃を突きつけられたならいざ知らず、現状において触媒に使用したいとは絶対に思わない。まかり間違って、アレを携えた英霊が出てきたらどうすればいいのだ。しかもそれが自分の先祖だったりしたら。

 

 だが、首に刃とまではいかなくても、扉の向こうまで火が迫ってきている状況ではあった。既に数日前から、新都を中心に事件が発生している。犯人はサーヴァントと見て間違いない。遠坂は確定参加者として狙われる立場であり、冬木の管理者としては凶行を野放しにすることはできない。

 

 だから、ペンダントという虎の子の魔力のストック源に、不具合が生じるのは死活問題だった。ここぞというときにうっかりして失敗するのが、遠坂家遺伝の宿業なのだ。落としたのが自宅の居間なのは、せめてもの救いとしか言いようがない。

 

 凛は、発生する修理代を思って溜息を吐いた。先ほど叩きつけた受話器を持ち上げると、今度は出入りの宝石商に電話をした。すでに閉店時間後であったが、遠坂家は代々の上得意である。また、老店主は、時臣の遺産相続の際に宝石の目録作成を依頼されて、遠坂の家宝を鑑定している。いかに高価なものかを熟知している彼は、明日の学校帰りに店に寄るという凛を断固として遮り、今から伺いますと宣言した。

そして、半時間後には、秘書兼助手の姪と一緒に、工具一式を持参して遠坂家の呼び鈴を鳴らしていたのである。

 

「本当にこれは逸品ですなあ……」

 

 右目にルーペを装着し、感嘆まじりに彼はペンダントを点検した。

 

「あの、近いうちにこれを使いたいんです。今直せませんか?」

 

「残念ながら、それは無理です、遠坂のお嬢様」

 

 老店主は、これが本当の逸品だからと改めて前置きして説明した。曰く、留め金の細工も非常に凝ったもので、既製品と交換するのはあまりにも惜しい。また、アンティークであるため、損傷した部品は地金から削り出しして作らなければならないだろう。それに宝石の枠も少し緩んでいるため、この機会に調整した方がいいでしょう、と。

 

「じゃあ、チェーン自体を交換すればどうかしら?」

 

「今、うちの店にはこの宝石に見合う商品がございませんよ。

 入荷するのと修理するのでは、かかる日数がさほど変わりませんし、

 正直学生さんにはお勧めできかねる金額になりますな。

 これと同等のものですと百万円前後になってしまいます」

 

 これには凛も内心で怯んだ。

 

「この際はシルバーでも構いませんけれど」

 

「宝石の質に負けますし、枠と鎖で色が違うのはちょっとねえ……。

 それにね、この、枠についている鎖を通す輪があるでしょう?

 ここも白金でして、これは銀より硬いですからな。

 この輪に通る太さの銀鎖だと強度に不安があります。

 当店としてもこんなに格の高いものを修理するのは、大変勉強になります。

 修理代の方も勉強させていただきますので、十日、いや一週間いただけませんか?」

 

 ここに、同行してきた姪も同調した。

 

「あの、遠坂様。私は、細工職人として勉強中なんです。

 私も店長にできるかぎり協力します。

 少しでも早くお届けにあがりますから、修理させてください。

 だって、こんなに豪華なペンダント、もう作れる富豪なんていませんし、

 見たり触れたりすることもないんです。お願いしますっ!」

 

 応接ソファから彼女は立ちあがると、深々と45度のお辞儀をした。若いが自分より年長の女性にここまでされるとさすがに凛も断れない。

 

「え、ええ、分かりました。あの、頭を上げてください。

 それでもできるだけ早くお願いしますね」

 

「はい!」

 

 彼女は、にこにこと笑いながら、手早く預かり証を書き始めた。店主の方はルーペを外し、ペンダントをケースに収めて立ち上がる。

 

「それでは遅くに失礼いたしましたな。……おや?」

 

 遠坂家の客間も、旧家にふさわしく贅を尽くしたものだ。煉瓦造りの洋館によく似合うマホガニーの柱時計が特に目を惹く。彼らの店は、宝石と共に時計も扱っていて、これまた垂涎の品であった。だが、時計技師としても老練な彼には、はっきりと異常が見て取れた。

 

「ちょっと失礼、その時計を拝見させていただきましょう。

 振り子の揺れ方がおかしいようだ」

 

 時計の前に屈み込むと、振り子のケースの蓋をあけて、中をのぞくと姪に手を差し出す。

 

「ああ、振り子のネジがだいぶ緩んでますな。おい、ちょっとペンチを貸してくれ」

 

「はいはい、どうぞ。凄いわ、本物の柱時計ですね。あの暖炉も凄く素敵……。

 あ、あの飾り壺、ひょっとしたら万暦赤絵じゃありませんか!」

 

「こら、うるさいぞ。静かにせんか。……すみませんな、遠坂のお嬢様。

 コレは跡取り見習いなんですがどうも落ち着きがなくて。

 ふむ、これでよし。ついでにゼンマイの調整もしましょう。

 ああ、こちらはサービスですよ」

 

「ありがとうございます」

 

 凛はにっこりと微笑んだ。ペンダント修理の代金とかかる日数は痛いが、時計が狂う前に無料で直してもらえたのなら、まあよしとすべきだろう。時計を修理するとなると、別途料金が発生するのだから。

 

「あの、ひとつ教えてください」

 

 美少女の微笑みに、宝石店主とその助手は大いに癒された。職業柄、彼らは美しいものが大好きだったのだ。

 

「万暦赤絵ってなんでしょう?」

 

「あのマントルピースの上の壺のことです。

 明の万暦年間……日本で言うなら、安土桃山の終わりから、

 江戸幕府の二代将軍ぐらいのまでの時代のものですね」

 

 はきはきと答えたのは意外にも女性の方だった。

 

「凄いわ、お詳しいんですね」

 

「私、アンティークのアクセサリーや陶磁器が好きで、

 この道に進んだようなものですから。

 万暦赤絵は特に日本での人気が高い骨董なんですよ。

 最近は国際的な評価も上がってきましたけどね。

 サザビーズとかのオークションだとそれこそ何百万、何千万のものも出ています」

 

 凛は日頃の掃除の仕方を思って、冷や汗が出てきた。

 

「ふむ、ケースをお作りになった方がいいでしょうなあ」

 

「でも店長、あの壺の入るケースだと、

 マントルピースの上から奥行きがはみ出しますよ。

 逆に不安定になっちゃうと思いますけど」

 

「それもそうか。むしろ台座を据え付けた方が……、

 いや、あの赤大理石を傷つけるのももったいない話だな。

 ああ、すみません、長々と余計なことを申しました。

 そろそろお暇させていただきます。

 修理ができましたらお届けしますから」

 

 若き上得意の笑顔が硬化してきたのを見て、老人は話を打ち切ることにした。姪を促し、遠坂家を辞去する。それでも夜分に駆けつけて来てくれた相手に、凛は礼儀を尽くすことにした。もう一度、笑顔とともに一礼して告げる。

 

「いえ、とても参考になりました。

 とりあえず、あの壺は金庫かどこかにしまっておくようにします」

 

 

 

「今日は厄日なのかしら……。ほ、ん、と、う、に、あの腐れ神父のせいね」

 

 宝石商らを見送ってから、後見人にふたたび八つ当たりする凛だった。今まで意識もしなかった物に、とんでもない価値があることを知るのは、プレッシャーのかかるものである。ここぞという時に失敗をしでかす自覚があるだけに、目につくところから速やかに撤去したい。

 

「でもこれ、金庫には入らないわよね。地下室に置くしかないのかしら。

 中国の壺じゃあ、触媒にならないものね」

 

――聖杯戦争に召喚される英霊は、聖杯の概念を持つ者である。従って西洋や中近東の英霊に限られ、東洋や新大陸はその対象にはならない。……ただし過去の英雄において、だったが。



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1章 Magus meets Magician 1:召喚

 結局、ペンダントの修理は召喚には間に合わなかった。修理に出した時点では、単独の連続犯と思われたサーヴァントの凶行が、続く数日で複数による連続犯と化したからだ。

 

 一番早く発生していたのは、連続集団昏倒事件だった。連日もしくは一日おきのペースで、隣接した数世帯で気分が悪くなったり失神する人が続出した。複数の人が悪臭を訴えていたため、世間はガス管の損傷による中毒事件と思っているが、これは人間の精気を搾取する仕業に違いない。しかし悪臭という小道具を使い、症状は重くても一両日で退院できる程度に止まっている。一応『魔術は秘匿する』という原則を守り、後遺症もない洗練されたやり口ではある。このあたりで治まっているなら、まだ目こぼしのしようもあったのだが。

 

 次に発生したのが、若い男女が意識不明で発見される傷害事件。いずれも首筋に咬み傷があり、『新都の吸血鬼事件』という通称の下、様々な憶測が流れている。こちらは前者に比べると、人数は少ないが症状がより深刻だった。いくら冬でも温暖な地とはいえ、一月下旬の夜間に、失血のうえ朝まで放置されればただでは済まない。死者はまだ出ていないが、それも時間の問題だった。特に冷え込んだ夜に襲われた青年は、凍死寸前で発見され、意識が戻っていないと聞いた。

 

 さらに、四人家族のうち三人が刀や槍と思われる凶器で惨殺されていた。学習塾から帰ってきた女子中学生は、変わり果てた両親と弟の姿に直面することになった。ただならぬ絶叫に隣人が駆けつけてみると、正視できない惨状が広がっていた。少女はショック状態で、事情聴取も不可能だという噂だ。

 

 とある正義の味方志望者が抱いていたのと、比べものにならない焦燥感が凛を苛んでいた。もはや、管理者として手をこまねいてはいられない。このままだと、最悪十年前の災害の再現である。サーヴァントにはサーヴァントでしか対抗できない。サーヴァントの七つの枠――剣士(セイバー)槍兵(ランサー)弓兵(アーチャー)騎乗兵(ライダー)魔術師(キャスター)狂戦士(バーサーカー)暗殺者(アサシン)――のうち、残されたのは『剣士』と『弓兵』のみ。サーヴァントの中でも前の三者は耐魔力を備え、特に『三騎士』と呼ばれている。中でもパラメーターが平均して高く、そのバランスのよさから『最優』と呼ばれるセイバー。遠距離攻撃を得意とし、多くが強力な宝具を所持するアーチャー。どちらも今までの聖杯戦争で高い戦果を上げている。その優秀なサーヴァントが残っているのは幸運だった。

 

 懸念されるのは触媒がないこと。その場合、マスターに似たサーヴァントが召喚されるという。これはかなりの賭けであったが、五つの魔術属性を備えた自分にもそれなりの自負はある。それに、今まで溜めてきた魔力の籠った宝石の半分をつぎ込み、最大限の努力を払って準備をした。慎重に召喚の魔法陣を描き、時の訪れるのを待つ。柱時計が柔らかい音を2回鳴らすのに合わせて、魔術刻印と魔術回路を駆動させる。

 

 そして、凛は高らかに呪を紡いだ。魔法陣が発光する。次いで、サーヴァントを構成するエーテルが集い、銀河のごとく緩やかに渦を巻き、輝き始める。

 

「――告げる。

 汝の身は我が下に、わが命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 魔力を肉体が駆ける苦痛と、魔力を容赦なく奪われていく脱力感が襲う。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者」

 

 しかし、これほどの高揚感があったろうか。本来の周期なら五十年後。その時凛は67歳。おそらく参加者とはなりえなかった大儀式である。

 

「我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 

 たとえ、若すぎるとしても。これが父の死による運命の悪戯だとしても。

 

「我に従え!ならばこの命運、汝が剣に預けよう!」

 

 ――遠坂凛は、魔術師の恍惚をこの時確かに感じていたのだ。

 

 刹那。膨大な白光が音もなく発生し、途轍もない圧力が凛を貫いた。余りの眩しさに目を瞑っても、はっきり分かる。召喚されたものとの間に、魔力のラインが形成され、現世に繋ぎ止めていく。エーテルが巻き起こす風が、凛の黒髪を浚って吹き抜けた。

 

「この手ごたえ! 釣り竿で鯨を釣ったようなものだわ。

 間違いなく最高のカードを手に入れた!」

 

 確信した。魔法陣の上、収斂する光は人の形を取り始める。この強烈な魔力は、千人の魔術師を集めても及ぶところではない。人の身でありながら、偉業によって英雄となり、精霊にまで昇華した存在。それが今ここに顕現する。光と風が治まり、凛は目を開けた。もの柔らかな声が語りかける。

 

「ええと……。君が私のマスターなのかな?」

 

 そこに立っていたのは、鍛え抜かれた体格の武人ではなかった。むしろ、武器を手にした姿など想像もつかない存在だった。黒髪黒目。身長はそれなりにあったが、まあ普通の範囲内。中肉というにはやや肉付きは薄く、全体に線の細さを感じさせる。服装は黒いベレーとジャンパーと靴。スラックスはアイボリーで、首元に同色のスカーフを巻いている。

 

「で……アンタ、何!?」

 

 思わず凛がこう言ってしまっても、誰が彼女を責められようか。鎧に身を包んだ西洋の騎士どころか、服装はどう見ても現代人。しかも、顔立ちはどちらかというと東洋系である。まあまあ整っていてハンサムの部類には入るものの、いかにもおとなしそうで文系の青年というのが一番ぴったりくる。一瞬『キャスター』なのかとも考えたが、すでに召喚されている。クラスの重複は発生しないのだ。

 

「ああ、……私はアーチャー? みたいだね」

 

「なんてこと……財産半分つぎ込んだのに! セイバーじゃないなんて目も当てられない」

 

「まあ、その……悪かったねえ」

 

 アーチャーはベレーを脱ぐと、申し訳なさそうにおさまりの悪い黒髪をかきまわした。

 

「人類の歴史上でも数少ない、豊かで平和な時代を見て、

 伝説の英雄に会えるなんてちょっと面白そうだなと思って……。

 気がついたらここだったんだ。

 それが我々の殺し合いで、こんな年端もいかない子が参加者だとは。

 せっかくの平和な時代なのに、なんて世知辛い話なんだ」

 

「ちょっと待ちなさいよ。年端もいかないってどういうこと?」

 

 凛はきりきりと柳眉を吊りあげて、なんとも頼りないサーヴァントを詰問した。

 

「だって、君は15、6歳くらいだろう? 立派に子供じゃないか」

 

「明後日には17歳になります! それにね、あんたには言われたくないわよ!

 あんただって私とそんなに変わらないじゃないの!」

 

「は?」

 

 アーチャーは何を言われたかわからないという顔をした。

 

「……来なさい」

 

 眼前の美少女が、据わり切った目で迫る。

 

「ええ?」

 

「いいから来なさい!」

 

 凛は、魔法陣の上のアーチャーの手首をつかむと、地下室の片隅に置いてある姿見のまえまで引きずるように向かった。

 

「ええと、これは質問なんだけど」

 

「何よ」

 

「サーヴァントは言わば実体化した幽霊なんだろう?」

 

「英霊っていいなさいよ!」

 

「果たして鏡に映るのかな?」

 

 もはや無言で、凛は鏡の前にアーチャーを突き飛ばしてやった。アーチャーの素朴な疑問はたちまち解消された。結果は『映る』。己が姿を見たアーチャーはあんぐりと口を開き、次いで傍らのマスターに向き直った。

 

「これは一体、どういうことなんだ!」

 

「私が知りたいわよ! サーヴァントは、全盛期の肉体で召喚されるって聞いてたのに」

 

「全盛期ってそんな……。

 まあ、たしかに実技なら一番ましな時代かもしれないけど……。参ったなあ」

 

 鏡の中に立っていたのは、どんなに高く見積もっても二十歳(はたち)まえ。現代日本においては、高校生か童顔の大学生にしか見えない青年の姿であった。

 

「で、あんたの真名は」

 

 もはや凛の口調からは、英霊に対する畏敬の念など欠片も伺えなかった。いずこかの英雄豪傑でもなく、現代人らしき青年が召喚されるなど、なんの間違いなのか。服装は軍服にも見えるが、左上腕部のエンブレムに記された国や地名など聞いたこともない。

 

「……そうだね、自己紹介はしようか。私はヤン・ウェンリー」

 

「ヤンっていうと、中国人なの?」

 

「多分、人種的なルーツはそうだと思う」

 

 また微妙な回答に、凛の眉間に皺が加算された。

 

「じゃあ、ヨーロッパとのハーフ?」

 

「まあ、そういうことになるんだろうね。母の旧姓はルクレールといったから。

 この時代ならフランス系になるのかな」

 

「いつの時代の英雄なのよ」

 

 ヤンと名乗ったサーヴァントは、また髪をかきまわした。

 

「英雄なんてそんなものではないよ。でも……私は今から約1600年後の人間だ」

 

「せん、ろっぴゃくねんご!?」

 

「そう」

 

 ふと、彼は凛の背後に目を向け、微苦笑を漏らした。

 

「万暦赤絵か。あれは親父の遺品で唯一の本物だったんだ。

 まあ、この時代になかったら私にまで伝わらないものな。ところで、君の名前は?」

 

「……遠坂凛よ」

 

「いい名前だね。まあ、とりあえずよろしく」

 

「終わったわ……」

 

 思わず床にへたり込んでしまう凛だった。未来からの英雄。ゆえに知名度補正はゼロ。先ほど掴んだ腕の細さから、相当にいやな予感はしていた。この線の細い文系青年を改めてマスターとして検分すると、筋力、敏捷、耐久いずれも最低ランクである。魔力こそ優秀だったが、保有スキルなど直接戦闘に向いているものは一切ない。

 

「私が伝説の武人と直接戦闘しても、瞬殺されるのが関の山だけどね。

 前提条件にもよるけど、やりようがないわけでもないさ。

 要は最後の瞬間に、君が生き残っていればいいんだから」

 

 そう言うと、凛の前の床に胡坐をかいて座り込む。

 

「なに言ってるのよ、管理者として参加するからには勝つ、当たり前でしょう!」

 

「まあ、最初から負けるつもりで戦争する人間はそんなにいないからなあ」

 

 あっさりと言い放つアーチャー。優しげな容姿で口調は温和だが、意外にも毒舌家のようだ。

 

「君は聖杯とやらに何を望むんだい?」

 

「遠坂の後継者として勝利は望むけどね。聖杯に願う望みはないわ。

 目標はあるけどそれは自分の手で叶えないと意味がないし。

 でも、いつか使いたくなる時がくるかもしれないじゃない。

 貰っておいても損はないでしょう」

 

「世界をわが手に、なんていうんじゃなくて安心したよ」

 

「そんなの望まないわよ、馬鹿馬鹿しい。世界なんて自分をとりまく環境じゃない。

 私はすでにその主人なんだから」

 

 アーチャーはちょっと目を開くと小さく拍手した。

 

「うん、同感だ。人は自分以外の主人になるべきじゃないしね。

 ……幽霊(サーヴァント)主人(マスター)になっていいものかは疑問の余地があるけど」

 

「そういうあんたはどうなのよ。聖杯になにを望むの?」

 

 アーチャーの顔に、なんとも言えない表情が浮かんだ。懐かしさとほろ苦さの入り混じったものだった。

 

「私は歴史を学びたかったけど、学費がなくて断念した。

 仕方なく、無料で歴史を勉強するために士官学校に入った。

 四年生の卒業試験の実技ほど頑張ったことはなかったなあ。

 ……ああ、だからこの姿だったのか。

 結局そのまま軍人になって、隣国と150年も続いている戦争に参加した。

 私の世界で、長期間の平和を知る人間はいない」

 

 凛は絶句した。150年も戦争が続く世界など想像もできない。

 

「そして色々あって、まあ結局私は死んだ。

 私の生きている間に、長期的な平和はついに訪れなかった。

 それを見ることができるというだけで、願いの半分は叶ったようなものさ」

 

 このヤンという名のサーヴァントは、外見よりもずっと年長なのだと思わざるを得なかった。穏やかで抑制の効いた口調も、凛に対する態度も、同年代というより父親のそれである。

 

「本当はあなたいくつなの?」

 

「この姿の年齢は20歳前後だね。死んだ時は33歳だった。

 ああ、せめてそっちで召喚されたらよかったのに」

 

 それもまた衝撃だった。つまり彼は、この姿の13年後には亡くなっているということだ。

 

「どうしてなのか聞いてもいいかしら?」

 

「君の態度からして、この姿だと私は成人には見えないんだろう?」

 

「別に気にする必要はないでしょう」

 

「いや、他のマスターやサーヴァントと交渉する際に不利だよ。

 やっぱり青二才の言うことを信じてもらうのは難しい。

 ましてや私は頼もしい外見の持ち主じゃないし」

 

 彼は肩を竦めた。

 

「でも私も君に聞きたい。まだ十代の君がどうしてこんな危険なことに参加するんだ?」

 

「……父が十年前に亡くなったからよ。

 遠坂はこの儀式を組んだ三家のうちのひとつだから、参加権も優先されているの」

 

 凛の言葉に、アーチャーは気まずそうに頭を下げる。

 

「ごめん、悪いことを聞いたね。とりあえず、これ以上の話は後にしよう。

 もう休んだ方がいいよ」

 

 サーヴァントの召喚には、大量の魔力を必要とする。飛び抜けた資質と魔力量を持つ凛だが、実は疲労の極にあった。

 

「……そうする。アーチャーはどうするの?」

 

「今の状況を知りたいな。新聞と法律関係の本があるなら読ませてほしい」

 

「新聞は居間にあるわ。法律の本は……あるならお父様の書斎よ。でも十年は前のだけど」

 

「別に大丈夫だよ。憲法や民法はそうは変わるものじゃないからね。

 そうだ、筆記用具も貸してもらいたいな」

 

 ――かくて、いずこかの並行世界と異なる英霊が召喚された。時計の狂いがなく、あるべき触媒がなく、異なる触媒が存在したゆえに。屋根を突き破ることもなく、令呪を使用することもなく。蝶の羽ばたきが、大海の彼方でどのような風を起こすのか……。



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2:最弱のサーヴァント

 漆黒の闇に色とりどりの宝石が散らばる。それは地上の大気を通さないため、瞬かない星々の群れ。現代の人間が、見ることのない宇宙空間の光景だ。『彼』は声もなくそれを凝視していた。

 

 鷹揚で磊落な大きな体をした父。男性ばかりで、荒っぽくガサツだったが、彼に優しかった乗組員(クルー)たち。旧式で武骨な星間宇宙船。そこはまぎれもなく彼の家と家族だった。父との目線の高さの差が当初の1/3になった頃に、『彼』は父に大学受験を切り出した。歴史を学びたいという息子に、『歴史で金儲けした奴がいないわけじゃない』と、父親は素直でない了解を寄こした。そして、彼が大学受験のために下船した直後のことだった。核融合炉の事故で、船と家族を失ったのは――

 

 

「う……最悪」

 

 凛が目を覚ました時、時計は八時を回っていた。とにかくだるい。サーヴァント召喚の高揚感が睡眠を取ったことで薄れて、疲労を増幅させてしまったようだ。あと15分で学校の予鈴が鳴る。実際に体調不良なのだから、息せき切って遅刻するより、いっそ休みの連絡を入れてしまおう。

 

 髪を乱し、幽鬼のような足取りで、電話のある居間へと向かう。そこに惨状が待っていた。テーブルにはチラシの裏に新聞の切り抜きが貼られ、疑問符混じりの殴り書きが添えられたものが山積していた。切り抜かれた新聞の残りは、テーブルの下やらソファの周りに散乱している。

 

 その生産者は、六法全書を枕に、黒ベレーをアイマスクにして、ソファの上で熟睡していた。たしか、サーヴァントは睡眠も食事も不要だと聞いていたのだったが……。

 

「ちょっとアーチャー! なに寝てるのよ、起きなさい!」

 

「……うーん、フレデリカ。あと5分、いや4分30秒、4分15秒でいいから……」

 

 フレデリカって誰よ!? 内心で激しく突っ込む凛だった。そしてやたらに具体的な寝言、実は起きているだろうと。とりあえず、肩を掴んで揺さぶり、また耳元で叫ぶ。

 

「アーチャー!!」

 

「う、ううん、いいじゃないか。聖杯戦争は夜にやるんだろうに」

 

 なに、そのいらない知識。国や時代を超えて召喚されるサーヴァントに、聖杯戦争や現代の知識、言語を付与するのも聖杯のバックアップなのだが、正直行き過ぎではないか。

 

「もう、せめてテーブルを片付けてちょうだい。これじゃ紅茶も飲めないでしょ」

 

「……はいはい。私にも一杯貰えるとうれしいなあ」

 

 黒い頭がむくりと動き、白兵戦や射撃とは縁のなさそうな手がベレーを握って伸びをした。そのままソファーから起きあがると、ようやく立ち上がっておざなりにチラシをまとめ始める。

 

「そう言えば今日はどうするんだい? 君は学生だよね」

 

「あー!!」

 

 アーチャーからの意外な指摘で、凛は当初の目的を思い出した。

 

「今日は体調不良で休むって連絡するわ。あなたとこの街の下見をしなくちゃ」

 

「それなんだけど、今まで知らなかった親戚が、急に訪ねて来るから、

 ということにしてくれないか」

 

「は?」

 

「そっちも後で説明するよ。学校が始まる前に先に連絡をしておいで」

 

 アーチャーに促されるままに学校に連絡し、ついでにケトルを火にかけ、湯が沸くのを待つ。その間にポットとカップ2つも温めておく。ちょっと奮発してお気に入りの茶葉をティースプーンに2杯半。

 

 沸騰の大きな泡が連続して立つようになったら、高い位置から円を描くように湯を注ぎ、素早くポットに蓋をして、砂時計をひっくり返す。そしてポットとカップを盆に載せて、居間へと向かう。

 

 とりあえず、アーチャーの片付けは、見られる程度に進んでいた。新聞はラックに戻り、チラシと六法全書はソファの反対の隅に積み重ねられている。

 

 凛は盆をテーブルに置くと、砂が落ち切るのを見計らい、2つのカップに均等に紅茶を注いだ。もちろん、最後の一滴(ゴールデンドロップ)まで落としきる。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう、久しぶりだ。……うん、君もなかなか上手だね。とてもおいしいよ」

 

「『君も』?」

 

「ああ、私には被保護者、ええと里子がいてね。本当によくできた子で、紅茶を淹れる名人だったよ」

 

「それじゃあ、フレデリカって誰なの?」

 

「私の妻だよ。……傷付くからそんなに驚かないでくれないか、マスター」

 

「そ、そうね、あなた実際は33歳なんだものね」

 

 改めて彼を見れば、左の薬指にプラチナの結婚指輪をはめている。そのあたりは遥か未来でも変わらないものらしい。

 

「なりたくてなったわけじゃないんだけどなあ」

 

 アーチャーは天井を仰いで嘆息した。

 

「まあ、私のことはさておいて、この戦争の基本方針をどうするか相談しよう」

 

「そうだ、宝具、あなた宝具は持ってないの?」

 

「まあ、宝具っていうか、使えそうな武器はこれぐらいだね」

 

 アーチャーがジャンパーのポケットから出したのは、一見拳銃に見えた。

 

「自由惑星同盟軍制式光線銃(ブラスター)

 一応、君の魔力の続く限り、エネルギー切れにならないみたいだ。

 有効射程距離は30メートル前後だね」

 

 取り出された未来の武器に、凛の愁眉もようやく開いた。なるほど、この武器なら引き金を引く以上の腕力は不要だ。そして光線銃というからには、その弾速はほぼ光速。アーチャー自身の敏捷もさほど問題ではなくなる。

 

「ただ問題は……」

 

「問題は?」

 

「わたしの射撃が下手くそだってことさ」

 

 今度は凛のこめかみに青筋が浮いた。

 

「……あなた、本当にそれでも軍人なの!?」

 

「うん、それはよくみんなに言われた。今にして思えばちょっと後悔しているよ。

 でも、『座』に固定された私は不変だからね。

 今さら練習しても上達しないから、現状を凌ぐのは難しい」

 

「じゃあ、どうするのよ……」

 

「聖杯からの知識によると、私たちを現世に留めおけるのは期間限定だそうだね。

 要はその間、生き残ればいいんじゃないかな。

 君は何が何でも聖杯が必要なわけでもないみたいだし、こんなことで死ぬのも馬鹿らしいだろう」

 

「あのね、召喚した時にも言ったと思うけど、

 遠坂の後継者として、参加するからには勝ちにいかないといけないのよ」

 

 そろそろ、こめかみと心の血管が切れそうになってきた凛である。対するアーチャーは、あくまで冷静だった。

 

「でも勝利を収めて自分は死ぬ、ということも有り得る。

 これは、私の国でも起こった例だよ。

 自分が負ける、死ぬと思って戦争をする人間は少ないけどね。

 でも、それこそが一番考えるべきことなんだ」

 

 漆黒の瞳は凛を見つめていたが、その対象はずっと彼方にあるものなのだろう。彼は、傍らの六法全書を手にとった。最初のほうの頁を開いて、凛の前に差し出す。

 

「どんなに平凡な人間だって、誰もその人の代わりにはなれない。敵を倒すということは、それが方向を変えるだけだということも。せっかく、君は素晴らしい憲法を持った国に生まれたのだから」

 

 軍人らしさのない指が示したのは前文と第九条。現在では右派左派の論争の的となっているのだが、150年間戦争が続く世界の人間の指摘は、あまりにも重たいものだった。……しかし。

 

「サーヴァントに日本の法律について言われるなんて……」

 

 魔術という、現代から過去に逆行する学問においては、最も相性の悪い分野であったろう。そもそも、魔術によって生じた現象に、どんな法律が適用できるというのか。召喚したサーヴァントの行為など、その最たるものである。

 

「だからね」

 

 アーチャーは傍らのチラシの束に手をやった。

 

「私に、こういったことを命じないで欲しい。令呪を使われる前に、座に帰らせてもらうよ」

 

 それらは、例の事件の記事が時系列順にスクラップされ、英語らしき書き込みがされていた。

 

「これ……、あなた一晩で調べたの?」

 

「そりゃ、私もこういう仕事で給料を貰っていたんだから。

 とりあえず、ここにあった新聞の中で、サーヴァントによると思われる事件を抜き出してみたよ。

 少なくとも三件、集団昏倒事件に、吸血鬼、一家三人の刀槍によるとみられる惨殺。

 今現界しているサーヴァントが、私を含めて六人。

 時系列的に私は除外できる。

 全て異なる犯人によるものなら、3/5が住民相手に残虐行為を働いていることになる」

 

 アーチャーの表情や口調は、柔らかで穏やかなものだったが、生半可な反論を許さぬ強さを秘めている。

 

「サーヴァント同士が争うなら、死人をもう一度殺すようなものだ。

 せいぜい他人に迷惑をかけないようにやればいい。

 何も知らない住民を巻き込むなんて、戦争とさえ言えない。単なる暴力だ」

 

 アーチャーの瞳が、凛の翡翠の瞳をひたと見つめる。今朝がたの夢でみた、星の海の闇そのままの色で。遠坂家の広い居間は、まだ十分に暖房が効いていないのに、凛は背筋に滲む汗を感じた。

 

「……返す言葉がないわね。

 一応聖杯戦争に監督役はいるけど、サーヴァントには対抗できないもの。

 結局、サーヴァントにはサーヴァント、ということになるわ。

 またはマスターの排除だけど」

 

「できれば人的被害を出したくないね。それが競争相手だとしても」

 

「でも、サーヴァントを倒すより、マスターを倒した方が楽なのよ」

 

「凛、凛、よく考えてごらん。

 一度、その手を血で汚したら、大海の水を以ってしても雪ぐことはできないんだよ」

 

 そう言うと、アーチャーは少し冷めた紅茶を飲み干した。

 

「もっとも、現段階では情報が少なすぎる。

 君以外のマスターやサーヴァントも分からないのに、闇雲に打って出るのは無謀だよ。

 だから、まずは情報収集をしないとね」

 

「でも、どうやって……」

 

「君の父上やご先祖様はなにか記録を残していないのかい?」

 

「正直にいうと、父の記録は所在が分からなかったわ。

 もっと古い物はあるにはあるけど、沢山あるし、何て書いてあるのか解読できなかったし」

 

「この聖杯戦争は、五回目だそうだね。では、四回目は何年前かな?」

 

「十年前。それで父が……」

 

「……そうか、すまない。じゃあその前はいつかな」

 

「第三回はその六十年前よ。聖杯戦争の開始は、だいたい二百年前ね」

 

「じゃあ、周期は通常六十年であっているのかい?」

 

「ええ、そのようね」

 

「う~ん、十年前……ね。

 できれば三次と四次を比較してみたいけれど、とりあえず前回の状況を調べないか?」

 

「だから、どうやって!?」

 

 また柳眉を釣りあげかけた凛に、アーチャーは穏やかに笑いかけた。

 

「個人的な記録が曖昧なら、公式や報道の記録を調べる。歴史学の基本さ。

 案内してもらえないかな?」

 

「どこへ?」

 

「市役所と図書館と教育委員会。この街にあるなら博物館も。でもその前に銀行だね」

 

 凛は、唖然としてアーチャーを見つめた。たしかに彼の世界は、現代社会と大枠で似ているようではあった。しかし、サーヴァントという幻想の存在に、こんなに現実的な場所を口にされるとは思わなかった。その凛に、アーチャーは苦笑をして肩を竦めた。

 

「人間の本質なんて、千六百年経っても変わらないのさ。

 戦争にお金がかかるってこともね」

 

 調べ物をするなら、実体化して同行しないと意味がないとのアーチャーの主張はもっともであった。幸い、彼の容姿は日本人と主張してもそうは問題ない。だが、問題は服装である。このちょっとぼうっとした、大人しそうな文系青年にはミリタリー系ファッションが全く似合わないのである。

 

 幸い、凛の父とアーチャーの体格は近かった。時臣が亡くなった頃の物は、さすがに彼には似合わない。しかし、資産家の着道楽らしく、学生時代にオーダーした衣服も残っていた。父のシャツにウールのパンツ、紺のコートに着替えたアーチャーは、見事に学生にしか見えなくなった。

 

 銀行に向かう途中、凛は彼に疑問をぶつけた。

 

「たしかに、あの三件の事件は私もサーヴァントの仕業だと思うわよ。

 でも、どうしてあなたはそう考えたの? 昨日、いえ今朝召喚されたばっかりで」

 

 凛の疑問に、アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「じゃあ、まずは集団昏倒事件から話そうか。

 ガス中毒説があげられているが、一家四人のうち父親が入院、

 母と幼児は軽症というケースがあった。これはね、おかしいんだよ」

 

「どうしてよ」

 

「要するに毒物だ。体重の軽い方が重症化する。

 彼らが住んでいたのは2DKのアパートだったね。

 同じようなアパートの賃貸情報の広告があったが、

 ああいう間取りなら、一家そろって同じ部屋で寝るはずだ。

 母子が重症、父が軽症ならありうるが、逆はまずない。

 一方で、一家三人入院の例。これは子どもが高校生だ。

 被害者をえり好みしているし、えり好みのできる実力者だよ」

 

「えり好みってなにがよ」

 

「母親が倒れたら、小さな子の面倒を見る者がいなくなる。

 本質的には戦いに向いていない、むしろ優しい人物だと思うね。

 女性の可能性が高いな。本当のガスなら子どもから先に死ぬ」

 

 百五十年間戦争をやっている国の軍人の言葉には、容赦というものがなかった。言葉を失くす凛に、アーチャーは肩を竦めた。

 

「こんな言葉で君が蒼褪めるくらいだ。この国は本当に平和なんだね。

 だから、吸血鬼事件もこの国の人にはまずできない」

 

「あんまり聞きたくなくなってきたけど、一応聞くわ。どうしてよ」

 

「凛、君はずいぶん華奢だね。新聞や広告に載っていた人も全般的に細い。

 それでも犠牲者の成人男女なら、五十から七十キロ前後は体重があるだろう。

 その人間を昏倒させて、路地裏まで引っ張り、抱き起こして首に齧りつく。

 たしかに生前の私にもできたよ。軍人として訓練をしていたからね。

 とはいっても、同じぐらいの体格の相手までだが。

 だが、なんの素養もない、普通の人には不可能だよ。気絶した人間はとても重い。

 体格差でできるとしたら、身長は百八十センチ以上、体重は九十キロ近い偉丈夫になる。

 私の国には大勢いるが、この国ではそんな人間は少ないんじゃないのかい?」

 

 魔術など知らない遥か未来の住人は、非常に論理的に不審点を炙り出していく。

 

「だいたい、人間の歯は首に穴があくようには噛み付けない。

 歯の形状もそうだが、そこまでの顎の力もないし、

 生身の人間がこんな肉体的接触をしたら、唾液やDNAも付着する。

 これだけ治安のいい国の警察だ。そんなに無能じゃないだろう」

 

「うう、一々もっともだわ。じゃあ、最後の一家三人惨殺は……?」

 

 そう聞く凛に、アーチャーは黒髪をかき回しながら反問した。

 

「刀と槍の違いはなにかな、凛?」

 

「ええ? 斬るのと刺すのかしら」

 

「それもあるけど、片刃と両刃だよ。

 この国の一般的は刃物は包丁だろうが、

 つまりは刺し傷の形状や深さがあてはまらないんだろう。

 なんで、複数の武器を使う必要があるんだ?」

 

「え?」

 

 意表を突かれてぽかんとした凛が、震え上がるのはこの後だった。

 

「普通の人間には、片刃と両刃の武器を右手と左手に握って戦うことなどできない。

 訓練を積んだ最精鋭の白兵戦闘員も、そんな戦い方はしない。

 そして悲鳴も上げぬ間に、三人を同じ部屋で滅多刺しにして殺す。

 これも不可能だよ。滅多刺しという条件を除くなら、私の部下にはできる者がいた。

 しかし、それには一撃で即死させる必要がある。そうでなきゃ、この図式は成立しない。

 一人が滅多刺しにされていうちに、残りは逃げるからさ。大声で悲鳴を上げてね」

 

 数式を述べる学者のように、淡々とした口調で恐るべきことを口にする。外見がおとなしいだけに、怖いことこの上ない。言いながら、彼は小首を傾げた。

 

「殺害方法としてはいささか馬鹿馬鹿しいが、複数の片刃や両刃の刃物を、

 マシンガンのように投げつければ可能かも知れないがね」

 

 もはや凛には言葉もない。こういうことをして給料をもらっていたというのは何の誇張もなかった。

 

 軍資金を降ろした後で、アーチャーに通信機器が絶対に必要だと強く主張され、

凛にとっての鬼門、携帯電話ショップに行くことにした。

 

「別にあなたとは心話ができるんだから、携帯なんかなくってもいいじゃない」

 

「心で念じて救急車や警察が来てくれるなら、問題はないんだけどね」

 

「っく、分かったわよ」

 

 たとえ彼の外見は凛と同年代でも、中身はずっと年長者。やんわりと正論で返されると、凛も反論できない。

 

 とりあえず、操作が簡単だという携帯電話を購入し、アーチャーがマニュアル片手に、ちょっと不器用な手つきで、短縮ボタンに救急と警察とタクシー会社の電話番号を入力するのを横目で見て、改めてサーヴァントって何だろう思う凛であった。

 

 そして、次に向かったのが市役所。

アーチャーが凛に取るようにと言ったのは、なんと遠坂家代々の戸籍謄本であった。その間、市役所のロビーの情報公開コーナーで、人口統計を調べ始めたではないか。

 

「ねえ……ほんとうにあなた、何やっているのよ……」

 

「凛、なんで何百年、何千年前の歴史が伝わっていると思う?」

 

「……考えたこともなかったけど、言い伝えとか古文書とか?」

 

「うん、正解だ。特に第一資料は、時の政権の公式文書だよ。

 よくお役所仕事っていうけど、そう馬鹿にしたものでもない。……ほら」

 

 アーチャーの指が、人口統計の十年前の行を指した。

 

「冬木市の年間死亡者数は、この統計上だとだいたい年六百から七百人台だね。

 でもこの年は千二百人に届いている。平年の倍だ。これは異常だよ」

 

「この年に、冬木では大火災が起こったの。死者は五百人以上だったそうよ」

 

「四回目との関連は?」

 

「たぶん」

 

 気まずく黙りかけたところに、凛の受付番号を告げるアナウンスが聞こえたのは、救いであったろう。だが、会計窓口で請求金額を聞いて、仰天する凛であった。

 

「い、一万円以上!? さっきの携帯より高いじゃない」

 

「さすが、先祖代々の名家だね」

 

 古い戸籍は一通750円。それを先祖代々で遡って取ると、予想もしない金額を請求されるのだ。二十通ちかくになった戸籍謄本を受け取ると、二人はロビーの隅の椅子に戻った。アーチャーが戸籍を新しい方からめくっていく。五通目あたりに入ったところで、一人の名前を指差した。

 

「ああ、やっぱり、君の父方祖父の弟が養子に出てるね。

 この人が私の祖父。生前は養子ということを母も知らなかった。

 先日亡くなってね、戸籍を取ったら、遠坂家が実家だとわかったんだ」

 

『……ということにしよう』

 

 と、器用に念話を交えて話すアーチャー。凛も当たり障りなく答える。

 

「じゃあ、大叔父さんの孫ということね」

 

「そういうことになるのかなあ。あ、そろそろお昼にしないかい」

 

 ちょうど正午のチャイムが鳴った。

 

『サーヴァントは食事はいらないんでしょう?』

 

『君は朝食抜きだろう。腹が減っては戦はできないよ。それはもう……』

 

 おっとりとした顔が一瞬苦渋の色を浮かべる。だが、彼はすぐにそれを消し去った。



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3:人と戦争の歴史

 二人は市役所そばの喫茶店に入り、テラス席に陣取ると、二人分の紅茶とミックスサンドを注文した。風もなく、穏やかな陽射しが二人を包む。それでも屋外にいるのは凛たちぐらいだ。アーチャーは戸籍をテーブルに広げると、髪をひと混ぜして口を開いた。

 

「君の妹さんが養女に行った先――これはマキリだね?」

 

 さりげなく投げ込まれた爆弾発言に、凛は息を呑んでアーチャーを凝視した。

 

「そんなに睨まなくても大丈夫だよ。これを見れば一目瞭然じゃないか」

 

 現在の戸籍には、時臣の名と凛しか記載されていないが、その前の物には父と母、そして養女に行った妹――遠坂桜の名があった。

 

「この子も参加者になるのかい?」

 

「……この前、令呪がないことは確認したわ」

 

「つまり現在は不明ってことだね」

 

 アーチャーの淡々とした指摘は、凛の肺腑を抉るものだった。

 

「桜は、そういう子じゃないの。それに、マキリの跡取りにはなれないのよ。

 血のつながりがない以上、魔術刻印を継げないんだから」

 

「凛、私は昨日、民法も読んでみた。

 未成年者を養子にする場合、直系親族や実親の配偶者でないかぎり、

 家庭裁判所の許可が必要だとあった。

 それに、未成年者は養父母双方と縁組するともね。

 現に君の大叔父さんはそうなっている。……一方」

 

 アーチャーの指が、桜の除籍した日の行をなぞった。

 

「こっちには養父の名前しかない。

 両親の揃った家から、母親のいない家に養女に行くなんて、

 普通は裁判所がイエスと言わないよ。

 それをどうにかしてしまう何かがあったと考えた方が自然だ。

 予断や希望的観測を入れるのは危険だよ」

 

「戸籍や統計ひとつでここまで分かっちゃうのね」

 

「言っただろう、お役所仕事は馬鹿にはできないってね」

 

 アーチャーは頼りない肩を竦めた。

 

「よく、画一的、無機質なんて言われるが、だからこそ分かることもあるんだよ」

 

 そこに、注文した昼食が運ばれてきたので、凛とアーチャーはまずはそちらを処理することにした。

 

「それで、どうして先祖代々まで戸籍をとったわけ?」

 

「理由は三つある。

 まずひとつめに、この聖杯戦争の周期と合わせて考えれば、代々の参加者の目途が立つ」

 

 サンドイッチを頬張る冴えない姿とは裏腹に、実に明晰な返答である。

 

「ふたつめに、君の家の古文書を調べる範囲が限定できる。

 そっちの時間がとれるかは何とも言えないけどね。

 まあ、これは今やるよりも次回への課題として継続調査すべきかな。

 次も今回のように短期間で開催するかもしれないからね」

 

「でも、今役に立たなくちゃしょうがないじゃない」

 

 凛の言葉に、彼は黒い頭部を傾げて見せた。

 

「じゃあ、二百年間に聖杯で願いを叶えた人はいるのかな?」

 

「あなたは、いないと思うわけ?」

 

「少なくとも、御三家にはいないと思っているけど」

 

「……そのとおりだわ。どうしてあなたはそう思うの」

 

「仮に遠坂が願いを叶えたとしよう。

 その六十年後、ただ一人の直系の跡取りを殺し合いに参加させようと思うかい? 

 息子や娘、ことによると孫を。

 そんなことを言われた方も、二つ返事で参加するものだろうか」

 

「聖杯戦争の勝利は、魔術師として大きな栄光だわ。それに、どんな願いも叶うのよ」

 

 アーチャーは一瞬瞑目してから、ひたと凛を見つめた。

 

「自分に言い聞かせることはできるだろうね。

 でも、君は子どもや孫にそう言える? 

 両親や祖父母にそう言われて納得できる? 

 よその家に協力するために死んで来いと。

 私はそこまで利他的にはなれないよ」

 

 魔術師というのは、むしろ極めて利己的な存在だ。

後継者を一人に定めるのも、魔術基盤を独占、あるいは寡占するためなのだから。

 

「私なら、聖杯戦争への貢献度あたりを基準に勝者となる順番も決めておく。

 戦争になったら、三家で手を組み、外来の参加者を各個撃破する。

 それで、令呪でもって生き残った自分たちのサーヴァントを始末する。

 うまくいけば三回で終了だ。

 そうでなくたって、四回もやっていれば、ひとつぐらい願いを叶えた家系が出ているはずさ。

 それにこの方法なら、真剣な殺し合いには発展しない」

 

 凛は、心底から戦慄した。彼が穏やかで柔らかな口調で、淡々と語るのは限りなく冷徹な策略であった。何より怖いのは、それが実に合理的だと思ってしまうことだ。

 

「あ、あなた、何言っているのかわかってるの」

 

 テーブルの下で、右腕の令呪を服の上から握り締める。

 

「わかっているよ。だからこその英霊の召喚じゃないんだろうか。 

 サーヴァントだけなら人命の犠牲はゼロ。

 おまけに大抵は高貴で栄光を謳われた英雄の分身、しかも魔力の塊だ。

 生贄の具としてはこれ以上のものはない。

 聖杯の完成には、生贄として七体が必要になると考えると説明がつくよ。

 そうでなきゃ、よそ者を自分たちより多く受け入れる意味はない」

 

 幼い日に、父から教えられた聖杯戦争。七人の魔術師が、七体の使い魔とともに、万能の願望機を賭けて戦うという栄光の側面。あまりにそれが眩しくて、疑問にさえ思わなかったのに。この底知れない未来からの来訪者を、令呪でもって排除すべきなのか。

 

 蒼褪めた凛に、アーチャーは笑って見せた。 

 

「もっとも、これは私の憶測に過ぎない。

 きちんと調査すれば真相も明らかになるかもしれない。

 みっつめの理由は、要するにこのことさ。

 情報の収集によって、遠坂には交渉材料ができる。

 そして、君を殺すと養女に行った妹さんしか係累が残らず、情報が継承されなくなってしまう。

 つまり、私を排除するのと君を殺害するのはイコールでなくなる」

 

「あなたねえ!」

 

 凛はテーブルに両こぶしを打ち付けた。

 

「なに覇気のないこと言ってるのよ!

 最初っから負ける気じゃあ勝てるものも勝てないでしょ!」

 

 アーチャーは、ため息を吐きながら、黒髪を掻きまわした。

 

「努力しても駄目なものは駄目なんだから、仕方ないだろう。

 まあ、私の人生に射撃や白兵戦の名手だった時期などないんだが、

 より『まし』なのが士官学校時代でね。

 でも射撃は58点、白兵戦技も大して変わらない点数だったよ。

 落第点(あかてん)が55点のところでさ」

 

「あなた軍人だって言ったけど……何やってたのよ?」

 

 低気圧をはらんだ凛の言葉に、彼はあっさりと返答した。

 

「宇宙艦隊の司令官だよ。

 優秀な部下のおかげで、私は作戦を考えて指揮するだけだったからね」

 

「じゃあ、ライダーの方が適性だったわけ!?」

 

「それもどうかなあ」

 

 ぼさぼさ頭が傾げられた。

 

「自分で戦艦を動かしていたわけでもないし、大気圏内を飛行したらえらいことになるよ。

 旗艦(わたしのふね)だけでも全長が一キロ近いんだからね」

 

「あなたの船だけで?」

 

 アーチャーはこっくりと頷いた。

 

「ヤン艦隊だけでも、艦艇一万二千隻、兵員は百五十万人。

 私が指揮した最大数は二万隻、兵員二百万人以上。

 秘匿も何もないだろう」

 

 もはやスケールが違いすぎる。仮にライダーとして召喚できていたら、彼が現界した瞬間に凛は干物になっていただろう。

 

「取りあえず、早く食べて次に行こうか」

 

「ええ…………」

 

 それからのアーチャーは、学生のような外見にふさわしい行動を取った。図書館に行って、冬木火災前後の新聞縮尺版のコピーをたんまりと取り、さらに司書に目ぼしい本を検索してもらい、冊数制限ぎりぎりまで借りる。

 

次に、教育委員会に足を運んで、郷土史研究家に連絡してもらうように依頼する。たまたま教育委員会の職員に、十年前に市民課にいた女性がいて、その状況も聞くことができた。

 

 その行政職員が語ったのは、守秘義務の範囲での概略にすぎなかった。だが、大火災に先駆けて起こった、連続猟奇大量殺人を含めた異様な空気は十分に伝わってきた。特に凛に衝撃を与えたのは、通常の一年分にほぼ匹敵する、五百通以上の死亡届が一か月程度の間に集中したというくだりである。

 

 届出の受付もさることながら、火葬場の稼働限界も瞬く間に突破し、近隣市町村どころか隣県まで受入れ先を求めて奔走した。冬木市始まって以来の大災害の、あまりに大きな爪痕。そのうち、彼女も涙ぐんできてしまい、二人は謝罪して早々に退散した。

 

 今度は大きな書店に行きたいとアーチャーが要求し、二人はデパートへと向かった。途中で閑散とした公園を通り過ぎようとする。その時だった。鋭い痛みが凛の右腕を走り抜けた。

 

「痛っ……」

 

「どうしたんだ、大丈夫かい?」

 

「……多分、マスターがいるわ。あなた、サーヴァントの気配はわかる?」

 

「いや、さっぱりだね。

 それにしても、マスター同士、サーヴァント同士は相手を感知できるのに、

 マスターとサーヴァントにおいてはその限りじゃない、というのも不思議だね。

 一応の安全措置なのかな、これは。逆に危険だと思うんだが」

 

「まあ、私が参加者だってことは、魔術師には周知のことだもの。

 のこのこ出て来るなら……」

 

「自分を囮にされても、私じゃ盾にもならないからね。

 お願いだから危ないことをしないでほしいな」

 

 真摯な口調で彼は諭した。そして、ふと気づいたように告げる。

 

「ところで、ずいぶん寂れた公園だね。子供も母親も一人もいない」

 

「ここが例の火災の跡地よ。その後に整備されて公園になったけど、誰も近づきたがらないわ」

 

「まだ十年だ。大事な人を失った心の傷が癒えるには、短いのだろうね」

 

 書店に着くと、彼は最初、歴史書や歴史小説に未練たっぷりな視線を向けたが、購入したのは冬木市周辺の地図と住宅地図である。こちらもまた結構な金額であった。戦争は金がかかるというアーチャーの言を、たった半日で実感した凛である。

 

「本当にあちこち連れまわしてくれたわねえ……」

 

 そろそろ冬の日も傾き始め、陽光が赤みを帯び始めていた。デパートの屋上に出た二人は、眼下を眺めやる。アーチャーはさっき買った地図を開くと、地形と照合し始めたらしい。

 

 凛の方は、遥か下の地上から、こちらを眺める琥珀の目と視線があった。こちらが見えているのかいないのか、赤い髪をした同級生が、驚いたような表情を向けている。少年の姿がはっきり見えるのは、凛が視力強化の魔術を使用したからだ。相手から見えているか不明だったから、表情を変えずにフェンスから離れる。

 

「ああ、お疲れさま。あれ、どうかしたのかい?」

 

「ちょっと知り合いを見かけたの。あっちからは見えていないと思うけどね。

 ところでどう、ここからの眺めは? 戦闘に役立ちそうかしら」

 

 地図から顔を上げたアーチャーの表情は冴えなかった。

 

「陸戦は士官学校の演習以来なんだ。その、力になれなくて申し訳ない……」

 

「ああ、そう……」

 

「でも、君が生き残るよう全力は尽くす。私の力が至らないかもしれないけれど」

 

 いや、そのフォローの後半は言わなくていいから。凛はがっくりする。このアーチャー、どうにも悲観主義者な気がする。自分の魔術に自負のある凛にとって、戦意に水を差されること夥しい。

 

「もういいわよ。帰りましょう」

 

 すっかり深刻な雰囲気になった二人だった。大量の本を抱えたアーチャーは、凛の後を付いていく。

 

 それが、翌日ちょっとした騒ぎを起こすことになるのだが、彼は感心したように呟いた。

 

「ああ、これが生前の十倍の腕力になっているっていうことか。

 荷物が軽いのはありがたいな」

 

「あのね、たったの十倍ってことは英霊として最低ランクなの。

 これが最高クラスのサーヴァントなら、五十倍以上だって聞いたわ」

 

「だがね、体重の十倍と考えると、今の私はホッキョクグマと同等のパワーだよ。

 そりゃ、ゾウと対決したら負けるさ。だが人間相手では過ぎるほどの力だ。

 どのくらい生前と違うのか比較しないと、危険かもしれないな」

 

「ほどほどにしといてよ。

 あなた、腕っ節がさっぱりのくせに、ものすごく魔力を食ってるの。

 なのに対魔力はお話にならないし。

 私が魔術で援護したら、あなたも大怪我しちゃうじゃない」

 

 彼の耐魔力は、三騎士として最低水準に近い。とはいえ、ヤン・ウェンリーは神秘なき遥か未来の住人だ。お情け程度でも対魔力があるのは、むしろ相当の幸運だろう。

 

「君の魔術って、どんなことができるのかい?」

 

「一番手っ取り早いのはガンドね。人を指差して病の呪いをかけるの。

 私なら、魔力を銃弾のように撃ち込んで、攻撃としても使えるけど。

 これならアーチャーでもキャンセルできるけど、私の奥の手ではばっちりダメージを食うわよ」

 

「はあ」

 

「遠坂の魔術は流動と変換。魔力を媒体にこめて、蓄積しておくことができるの。

 これを一気に解放すれば、シングルアクションなみのスピードでAクラスの攻撃が可能。

 だけど、問題があるのよ」

 

「君にもかい?」

 

 アーチャーが複数形を使用するのは癪に障るが、この助言者に見栄をはるべきではなさそうだ。

 

「数量限定なのよ。この媒体はなんでもいいわけじゃないの。

 私たちの家系の魔術に最も相性がいいのが宝石でね。

 貴石じゃなくて宝石。ダイヤとかルビーとかサファイアとかそういうの。

 しかもね、質が良くて、大粒で、古い来歴のあるものが必要なのよ」

 

 凛の言葉に、アーチャーは漆黒の目を瞬かせた。

 

「そりゃまた、ずいぶんな金食い虫だ」

 

「そうなのよ! 本当にお金がかかるんだから!

 中でも、さっき言った攻撃が可能なとっておきは十個しかないの」

 

 アーチャーは、また黒髪をかきまわした。

 

「よっぽど高価な宝石なんだろうね」

 

「しかも、十年近く魔力を込めてきたのよ……」

 

 凛は溜息を吐いた。アーチャーもマスターに従った。

 

「それじゃあ、おいそれとは使えないね。

 そんなに金も時間もかけて、秘匿しなきゃいけない学問のために、

 殺し合いまでするメリットがあるのかい?

 この経済行為には、激しく間違っているところがあるような気がするよ」

 

 元軍人に魔術師は反論した。

 

「経済行為って……。あのね、聖杯戦争は単なる戦争じゃないのよ。

 魔術師にとって、魔法を目指すのは絶対の命題なんだから。

 お父様はそう言ってたわ」

 

 黒い瞳が瞬いた。

 

「なるほどね。だが、人には思いどおりに生きる権利がある。

 この国の法でも謳っていたよ。

 私の父は星間交易商人だった。被保護者は軍人になってしまったがね。

 それがあの子の希望である以上、私に邪魔する権利なんてないが、

 なってほしくはなかったよ。凛、君はどうだい? 

 本当に心から望んで魔術師になったのかな」

 

「もちろんよ。わたしはお父様の夢を継ぎたいの」

 

「では、君自身の望みはなんだい?

 私なんかに命を賭すほどに希求するものなのかな?」

 

「えっ……」 

 

 その問いには、答えが見つからない。絶対的に不利な状況の戦いなんて、考えたことさえなかった。アーチャーことヤン・ウェンリーは、そんな彼女を優しく見やった。

 

「その悩みを考えるのは、生き抜いてこそか。頑張ろうよ、マスター」




サーヴァントステータス

【CLASS】アーチャー
【マスター】遠坂 凛
【真名】ヤン・ウェンリー
【性別】男性
【身長・体重】176cm・65kg
【属性】中立・中庸

【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷E 魔力B 幸運C(EX)
( )内は戦闘時。

【クラス別スキル】

単独行動:A
 マスター不在でも行動できる。
 ただし宝具の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。

対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

【固有スキル】

カリスマ:A
 大軍団を指揮する天性の才能。
 Aランクはおよそ人間として獲得しうる最高峰の人望といえる

軍略:A+
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具や対城宝具の行使や、
 逆に相手の対軍宝具、対城宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

心眼(真):A
 修行・鍛錬によって培った洞察力。
 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、
 その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。
 逆転の可能性がゼロではないなら、
 その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。

【宝具】

『制式銃』
 ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:0~30 最大捕捉:10人
 レーザー光線による攻撃を行う銃器。
 本来は、大量生産の兵器だが、現代から千六百年後の未来という、
 時間と技術の格差により、神秘を纏う事になった。
 使う者が使えば、地味ながら非常に強力な武器になりうるが、
 使い手がヤンだということで威力をお察し下さい。

『????』ランク:-- 種別:-- レンジ:-- 最大補足--

『????』ランク:-- 種別:-- レンジ:-- 最大補足--


触媒は、遠坂家にあった万暦赤絵の壺。
ヤンの父のコレクションで、唯一の本物で形見として相続していたもの。

聖杯にかける願いは特になし。
召喚に応じた理由は、人類史上にも珍しい平和な時代を見ることと、
伝説の英雄たちに会ってみたいから。したがって、戦闘意欲はあんまりない。
というか、戦っても勝てない。勝てない戦いはしない、それがヤン・ウェンリー。

身体能力が最高だった、士官学校卒業試験時の肉体で召喚されている。
実年齢は20歳、外見的には18歳前後。
ちなみに試験結果は射撃58点、白兵戦も似たりよったり。なお落第点は55点。
……お察し下さい。

趣味の歴史研究を生かして、聖杯戦争を調べてみようというやる気は満々である。


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閑話1:英霊とお茶を

 サンドイッチを平らげて、お替りした紅茶の香りに目を細めながら、アーチャーことヤン・ウェンリーは首を捻った。

 

「それにしても不思議なんだが、サーヴァントって幽霊なんだよね」

 

「なによ、急に」

 

「飲み食いした物はどこに行くんだろう。

 怪談なんかだと、よく座席がぐっしょりと濡れていたりするものだが、

 そういうこともないようだしなあ」

 

「か、怪談!? まさか、そんなことまで聖杯からの知識が!?」

 

 凛は目を剥いた。ほんとにこの聖杯、余計な知恵をつけすぎではなかろうか。そんなマスターに、ヤンは手を振ってみせた。

 

「いいや、その手の話は私の時代にだって山ほどあるよ。

 船乗りは迷信深いものだし、『宇宙怪談集』って、結構人気のシリーズなんだ。

 私もよく読んでたよ」

 

 凛の上半身が椅子の上で傾いだ。

 

「な、なによ、それ」

 

「ほら、百五十年も戦争をしてる社会じゃないか。

 一回の会戦で戦死者が何十万人と出るんだ。

 そういうネタには事欠かないというわけさ」

 

「……聞くんじゃなかったわ!」

 

 この青年は温厚な頭脳派に見えて、根っこはやっぱり軍人なのだった。

 

「私が司令官をしていた宇宙要塞でも、幽霊騒ぎがあってね。

 若い連中と私の被保護者が幽霊探しをして、捕らえたんだが、なんのことはない。

 事件を起こして逃亡していた兵士が、虫垂炎で呻いていただけだった」

 

「ちょっと待って、何ですって? もう一度言ってちょうだい」

 

「幽霊を捕らえてみれば脱走兵?」

 

「違うわよ! なに川柳にしてるのよ。その前よ、前。なんなの、宇宙要塞って!?」

 

 ものすごく聞き捨てならない単語だった。

 

「ああ、敵国が一種の国境的な宙域に設置した人口惑星でね。

 直径六十キロ、収容艦艇数は二万隻、五百万人が暮らせる要塞だったんだ」

 

 アーチャーが口にしたのは、想像を絶する代物であった。

直径六十キロ。水平方向はまだしも、垂直方向はエベレストの七倍ぐらいか。

それを宇宙空間に、人間が建設するのだという。いったい、幾らかかるのだろうか。

 

「やっぱりそう思うだろう?

 なのに、 建設を命じたオトフリート五世という皇帝は締まり屋でね。

 予算が大幅にオーバーして、責任者は自殺させられたんだ。ひどい話だよ。

 そこで建設を中止してくれれば、わが国もあんなに犠牲を出さなかったのに」

 

 凛の思考に、余計な解説を入れるアーチャーだ。また疑問が増えたのが始末に悪い。

 

「敵国って、敵の物をどうしてあんたが司令官をやってたのよ」

 

「その要塞はイゼルローンというんだが、雷神の槌という主砲があってね。

 出力は九億二千四百万メガワット、数百隻の艦艇を一瞬で蒸発させる兵器だ。

 わが国は六回攻略しようとして、六回とも失敗した」

 

「……ねえ、アーチャー。その艦艇って、あなたの艦のサイズよね」

 

「旗艦級はそうゴロゴロしてはいないが、六百メートル級の標準戦艦ならそうだよ」

 

 凛は頭がくらくらしてきた。なんてトンデモ兵器のぶつかりあい。1600年後の戦争は、ものすごいことになっていた。彼がえらく燃費の悪いサーヴァントなのも、そんな無茶苦茶な世界から呼んできたせいかもしれない。

 

「でも、攻略に成功したからあなたがいたわけよね」

 

「私が七回目にやれと言われてね。

 一芝居打って、ペテンにかけたのさ。私の艦隊からは死者は出なかった」

 

「すごいじゃない!」

 

 確かに英雄と呼ばれるにふさわしい功績だった。だが、アーチャーは苦く笑うと黒髪をかきまわした。

 

「で、よせばいいのに調子に乗って、敵国に侵攻したんだ。

 わが軍はボロ負けした。三千万人が動員され、二千万人が還らなかった。

 一番被害の少なかった私の艦隊が、国境警備の任に就いたというわけさ」

 

 凛は声もなく、線の細い青年を見つめた。

 

「もうこうなると、いくら戦術を工夫しても駄目だ。

 私が戦場で負けなくても、国が負けたら意味がない。

 君が勝利をおさめても、冬木が焦土と化しては意味がないように」

 

「……さっきの役所で見た、平年の倍の死者数になってはいけないってことね」

 

 黒髪の青年は、かすかな笑みを浮かべて頷いた。

 

「ああ、そうだとも。

 君はとても賢く、自分だけを安全圏に置いて戦いを煽動しない。

 私の生前の上司に、遥かに勝る美点だよ。

 しかし、もう一つの違いこそが安易に戦ってはいけない理由だ。

 ここは兵員だけの被害で済む、宇宙空間じゃないんだからね」

 

 凛のアーチャーは、戦いが大嫌いだという。死んでからまでやりたくないと。

 

 彼は生前、二千万人以上の味方を失いながらも、ただ一個艦隊で数倍する敵を殺した。だが、一人の民間人も犠牲にせず、百三十億の自由惑星同盟の国民を守り抜いた。

 

 千六百年後の世界で、ヤン・ウェンリーが、宇宙一の名将と称されるゆえんであった。

 



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4:遭遇

 翌日、霊体化したアーチャーをお供に凛は登校した。昇降口に入った瞬間、強烈な不快感が襲ってきた。

 

『やられたわ……!』

 

『どうしたんだい、凛』

 

『結界が張られてる。それも人体を融解させて、魂を回収する極悪なヤツよ!』

 

『……そりゃ一大事。この瞬間にも発動する代物かい?』

 

『そうはならないと思う。これだけの規模だと、発動するまでに相応の日数がかかるわ』

 

『じゃあ、第二目標はこの結界の解除だね。……あ、凛。お友達が来てるよ』

 

アーチャーの警告のおかげで、幸いにも凛は醜態を晒さずにすんだ。

 

「おっはよ~、遠坂。なーにシリアスな顔してんのよ」

 

「……おはようございます、美綴さん」

 

 人の悪そうな笑顔を浮かべて、背後に立っていたのは、同じ2年A組の美綴 綾子だった。茶色っぽいボブヘアをした、さっぱりした印象の美人である。スポーツ、それも武芸百般を得意としており、凛に次いで男女の人気が高い少女だ。凛が厳重に着込んだ猫を見事に看破している数少ない相手で、遠慮のない会話のできる悪友である。

 

「聞いたぞ、昨日学校サボって、なかなかのイケメンとデートしてたそうじゃない。

 ひょっとしてケンカした?」

 

「違います。あの人は柳井さん。わたしの大叔父の孫にあたるの。

 彼のお祖父さまが亡くなって、戸籍を調べたら分かったそうよ。

 それで、勝手に戸籍を取るのも悪いからって、断りの電話をくださったの」

 

「よく、あんたんちの電話がわかったわね」

 

 好奇心にきらきら輝く栗色の瞳に、翡翠の瞳は温度を変えなかった。

 

「ええ、わたしもそう思ったけれど、冬木市の遠坂ってうちだけなのよね」

 

 綾子ははたと手を打った。

 

「そういえばそうだった。なんだ、つまんない。

 どんなドラマがあったのかと思ったのに」

 

「そんなのないわよ。

 ついでだから、お祖父さんの実家のお墓参りもしたいって。

 わたしも知らなかったとはいえ、お葬式にも行かなかったから、

 せめて市役所とかを案内させてもらったの」

 

 これは、昨晩協議して作ったカバーストーリーだ。アーチャーは大学生二年生。実家は関東だが、冬木市から特急電車で一時間ほどの街に下宿中という設定である。

 

「なーんだ、彼氏作るの、遠坂に先を越されたと思ったのに。

 うちの部の一年達が見掛けてね。ちょっと地味だけど身長もあるし、

 割とハンサムで、磨けば光るって言ってたからさあ。

 ……で、泊っていったの、彼氏?」

 

 綾子はにやりと笑い、凛を肘で突いた。凛はすげなくその手を払う。

 

「あのねえ、初対面の親戚に、そこまでするはずないでしょう。

 いま大学生で、冬木の近くに下宿してるから、親に頼まれて来たんだって言っていたもの。

 夕方には帰ったわよ。でも、市役所で時間がかかっちゃってね。

 お墓までは無理だったわ。また案内することになりそう」

 

「もぉ~~、つまんないなぁ」

 

「ちょっと綾子、不謹慎よ。彼、ご不幸があったばかりなのに」

 

 友人と他愛のない会話を続けながら、教室へと向かう。そして、昼休みの開始をジリジリとしながら待つ凛だった。

 

『……朝ね、学校にマスターはいないって言ったの、あれ、取り消すわ』

 

 柔らかな調子の心話が、凛に語りかけてきた。

 

『まだ学校の関係者だとは限らないよ。

 ここは不特定多数の人間が出入りするところだからね。

 しかし、これが三件と別の犯人なら、六騎中四騎が容疑者になってしまう。

 ただ、君が信じてくれるかどうかは分からないが、私にはこんな芸当はできないよ』

 

 ここで自分を容疑者から除外しないのが、アーチャーの怖さなのかも知れない。

 

『信じるわよ。

 昨日ずっと一緒にいたし、

 あなたはこんな無差別攻撃をするタイプじゃないと思うもの』

 

『ありがとう。ただね、連続昏睡事件の犯人は容疑者の順位は低いと思う』

 

『どうしてかしら』

 

 これには質問というより、アーチャーの言葉を促すものである。

 

『あれも非道な行為には変わりはないが、

 被害者のダメージを的確にコントロールできている。

 隠蔽方法も無理がない。高度な技能を持った理知的な相手だよ。

 一方、この結界とやらは人体を融かすんだろう。

 この学校の生徒職員、数百人を融かしたら隠蔽なんて不可能だ。

 前者の方法を使える術者が、あえて後者の手段を取ることは考えにくい』

 

 彼の発言は、凛の推論とも合致するものであった。

 

『同感よ。あの事件で吸い取られた精気は、霊脈の流れに乗って、

 柳洞寺に集められているわ。

 犯人は陣地作成スキルを持つ、キャスターでほぼ間違いないと思う』

 

『じゃあ、学校の方がキャスター以外だとして、

 その主従は君の存在を知っているのかな?』

 

『遠坂の参加が確定だということは、これに参加しそうな勢力は知っているはずよ。

 突発的な参加者でもなければね』

 

『君の存在を知っているなら、百害あって一利なしだと思うなあ。

 生徒を人質に取るにしても、凶器ができるのは何日も後だ、

 黙って見ていて自分に従えと喚いたところで……』

 

『誰が聞くもんですか』

 

『そのとおり。主従が君の存在を知らないか、なんらかの齟齬があるのかも知れないね』

 

 このアーチャーは、戦闘面では非力だが、助言者や参謀としては紛れもない当たりであった。

 

『どんなふうに?』

 

『例えば、マスターは君を知っているが、サーヴァントには知らされていない。

 そんなサーヴァントが、マスターに隠れて勝手な行為をしている場合。

 双方が君を知っていても、凶暴なサーヴァントを

 マスターが制御しきれない可能性もある。

 あるいは君を知っているのに、マスターの命令に

 サーヴァントが従わざるを得ないのかもしれない』

 

『前の二つは分かるわよ。

 でも、最後のはちょっとねぇ……。そんなマスター、馬鹿すぎない?』

 

『人間は馬鹿なことを平気でやるんだよ。

 自分が強大な力を手にしていると思い込んだりすると特にね。

 君は頭がよくて、強力な魔術師さ。

 でも、そうではない人間だって無力という訳ではない。

 君の尺度だけで測るのは危険なことだ』

 

 穏やかな心話は、苦みを帯びて響いた。

 

『君にとっての弱者が、他の人にとってもそうとは限らない。

 金貨一枚の価値が、億万長者と貧乏人で違うように。

 自負を持つのは結構だが、それに溺れないようにね』

 

 これは遠坂凛のうっかり属性に、五寸釘を刺すも同然の指摘であった。そんな彼の気配が遠ざかろうとする。

 

『ちょっと、どこに行くの?』

 

『とりあえず、校舎を見て回ってくるよ。

 ああ、それと校舎の見取り図、

 さっき事務室の前にあったパンフレットでいいから手に入れてきてくれるかい?

 次の授業までには戻ってくるよ。あと、絶対に独りにならないように。いいね』

 

 本当に、生前の彼はどんな英雄だったのだろう。星の海を無数の戦艦が行きかう未来に、『魔術』や『魔法』は、まだ残っているのだろうか。『弓の騎士(アーチャー)』というよりも学者っぽくて線が細く、強いて言うなら『魔術師(キャスター)』かと思ったものだが。それがある意味で生鵠を射ていることを、凛は未だ知らない。

 

 その後、昼休みに簡単な作戦会議をして、この結界の解除を試みようということでふたりの意見が一致した。新都を中心に起こっている集団昏睡と連続傷害、深山町で起きた一家殺人のせいで、早く下校するようにという学校から指示があり、部活動も中止となった。そのおかげで、いつもより早く生徒の姿が減り、心おきなく探索を始められる。

 

「だめだわ、これ、私の手に負えない……」

 

 見るからに禍々しさの漂う呪刻に、凛は唇を咬んだ。

 

「もの凄く古くて高度な魔術よ。ひょっとしたら宝具かもしれない」

 

「現界していないセイバーは除外できる。私には不可能。

 するとキャスター、ライダー、ランサー、アサシン、バーサーカーが容疑者。

 ただし、新都の昏倒事件がキャスターによるものなら、容疑の順は低くなる」

 

「バーサーカーは理性と引き替えに能力を上昇させるクラスよ。

 複雑な魔術や宝具を使える可能性は低いと思う。

 アサシンは……こんな能力の持ち主なら、

 アサシンのクラスでは召喚できないような気もするわ」

 

 根本的手術が不可能である以上、できるのは対症療法である。呪刻を発見次第、凛は魔術刻印を起動し、呪刻に自分の魔力を流して浄化していく。これはほんの一時しのぎ、術者本人が改めて魔力を流せば、あっさりと機能を回復するだろう。

 

 その傍ら、アーチャーは凛が貰って来たパンフレットの、校舎見取図に赤ペンで呪刻の位置を書き込んでいる。赤丸は既に片手の指では足りなくなっていた。

 

「凛、この学校にもレイミャクってやつは通っているのかい?」

 

「ええ、冬木全体がそういう土地だから、聖杯戦争の開催地になっているわけだもの」

 

「大体の流れをこれに書き入れてもらえないか」

 

 アーチャーが差し出した見取図に、水色の蛍光ペンで大まかに蛇行した矢印を書き込む。それを見たアーチャーは拳を口元に当てた。

 

「ふーん、だいたいレイミャクの流れを堰き止めるように、

 ジュコクとやらが配置されているように見えないかな」

 

「確かにそうね……」

 

「そして、こいつを高低差や方位を加味して示すとこうなる」

 

 今度は、パンフレット表紙の校舎の写真に赤丸が書き込まれていく。凛は目を瞠った。今までに発見した呪刻を三次元視点で見ると、校舎に針金の輪を斜めに引っ掛けたように、魔法陣の一部が浮かび上がってくるではないか。

 

「こいつが線対称の図形と仮定するなら、ジュコクの位置はある程度予測が可能だね。

 もう数箇所と中心点を探せば、起点も推測できると思うよ」

 

「やるじゃない、アーチャー! で、次の位置はどこになるのかしら」

 

「ここは四階だったね。じゃあ、一番近いのは多分屋上だ」

 

「行きましょう」

 

「ああ、ちょっと待ってくれ。一応、退却ルートの準備をしておくよ」

 

 四階は特別教室が並んでいる。アーチャーは、ベランダ出入口のサッシの錠を開けて回った。彼にとって、退路の確保は常識だ。だが、凛の意気込みに水を差したのも事実ではあった。

 

 なんなのよ、もう。逃げること前提なわけ!?

 

 凛の内心はアーチャーに伝わった。彼は、ベレーを脱ぐと、黒髪をかき回して言った。

 

「私は一応、戦術レベルで負けたことはないんだ。

 『不敗のヤン』なんて味方には呼ばれていたもんだよ。

 とはいえ、戦略レベルで大敗してるから、それ以前の問題なんだがね」

 

 だから、なんでそう一言多いのか。台詞の前半で上昇した安心感が、続く言葉で台なしだった。

 

「私は勝てない戦いはしないよ。

 そのぐらいなら逃げるから、君もそのつもりでいてくれ」

 

 頼りなげな言葉に隠された悪辣さを、やはり凛はまだ知らない。

 

 

 屋上に出ると、すでに夕闇が空を濃藍に変えていた。半円よりも丸みを増した月が、ほのかに光を投げかける。冬の冴えた空に、宵の明星と天狼が白銀に輝く。

 

 アーチャーの黒い瞳が、彼には見慣れぬ、だが歴史書に記された星座を見上げた。とはいえ、凛の方には彼のそんな感嘆に気付く余裕はなかった。アーチャーの予測どおり、屋上の片隅に一際複雑な呪刻が刻まれていたからだ。

 

 魔術刻印のある左腕をかざし、呪文を詠唱する。魔術はつつがなく発動し、しばしの浄化をもたらした。凛は、ふっと息を吐いた。この複雑さから見て、ここは重要な基点だろう。かなりの妨害効果が期待でき、わずかに安堵したのだ。

 

「なんだよ。消しちまうのか、もったいねぇ」

 

 凛は弾かれたように顔を上げた。

 

 ふてぶてしいほどの自信に満ちた、よく通る男性的な声。給水塔の上に、長い髪をなびかせて痩身長躯の男が立っていた。瑠璃の髪と柘榴石の瞳。白い顔は美麗でありながら、猛々しさと気品を備えている。全身を覆うのは、群青色に白銀で幾何模様が刻まれたボディースーツのような武装。その存在感と魔力は、明らかに人のものではない。

 

「これ、貴方の仕業?」

 

「いいや、こんな小細工は俺の趣味じゃねぇよ。他の奴らはどうだか知らねぇが」

 

 アーチャーが凛を庇って前に出る。その背の薄さは、目の前の青いサーヴァントと対抗しうるとは思えなかったが、彼は悠然と質問した。

 

「では、新都の集団昏倒と吸血鬼、二つの事件については?」

 

「そっちも知らねぇな」

 

「だろうね」

 

 黒いベレーが小さく頷く。

 

「貴公の容姿と、為人(ひととなり)には合致しない」

 

 その言葉に、男が楽しげに紅い瞳を細めた。次いで右手に真紅の槍を出現させる。

 

「は、面白いこというな」

 

槍兵(ランサー)のサーヴァント……!」

 

 それもまた三騎士の一角、最速の英霊が選ばれるクラスだ。白兵戦に特に優れ、またセイバーほどではないが、魔術に対する防御を与えられている。魔術師やアーチャーにとっての天敵と言える。それ以前に、外見からして凛のサーヴァントより遥かに英雄豪傑らしい。能力に至ってはまさに天地の差であった。絶対に勝てない。一撃で倒されてしまうだろう。

 

 それを理解していないはずもないだろうに、アーチャーの態度からは動揺も緊張も窺えなかった。鈍感なのではないかという口調で会話を続ける。

 

「それに今、武器で深山町の一家惨殺容疑は除外できた」

 

「へェ、なんでそう思う?」

 

「貴公は、槍の名手だからランサーとして召喚されたのだろう。

 なのに女性や子どもを滅多刺しにしなくては殺せない技量だというのなら、

 聖杯の選考基準を疑うからね」

 

 柔らかな衣に包まれた強烈な皮肉だった。だが、ランサーは感心したように軽い笑いを漏らした。

 

「違いねえ。大人しそうな顔して言うじゃねえか、兄さんよ。

 セイバー……じゃねえな、アーチャーか?」

 

「そいつは間違いじゃないが、私を見てそう思った理由は何だろう。

 五つも候補があるのにね。

 貴公が他の四騎を知っているからかい?

 せっかくだから教えてくれると助かるんだがね」

 

「――あ」

 

「あっ!」

 

 アーチャーの前後で、同音の男女二重唱が発生した。その意味するところは大きく異なったが。

 

「と、とにかくだな、ごちゃごちゃ言うのはもう終わりだ。

 俺達はただ命じられたまま、た戦うのみ!!」

 

「ランサー、噛んでる」

 

 凛は淡々と指摘した。

 

『サーヴァントも元は人間。結局のところ、強大であっても無謬(むびゅう)の存在じゃない。

 我々が活路を見出すとするならそこだよ』

 

 昨晩、アーチャーが語った言葉である。たしかにそうかもしれないと納得した。その発言者は肩越しに振り向くと、凛をたしなめた。

 

「マスター、歯に衣を着せてあげなさい。気の毒だよ」

 

「てめえが言うな!! ッチ、てめえの舌は毒矢なのかよ。

 アーチャーで合っているじゃねえか」

 

 アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「そんなこと言われても、槍と飛び道具じゃ同じ戦いはできないじゃないか。

 犬は噛み付く、猫は引っ掻く、喧嘩のやり方は人それぞれだろう」

 

 後輩の台詞を盗用して応じた時である。ランサーの表情が一変したのは。

 

「――犬と言ったか、貴様」

 

「そりゃあ言ったけど、今のどこに怒る要素が……ああ」

 

 アーチャー、ヤン・ウェンリーの脳裏の歴史人名事典に、該当者が一名ヒット。遥か未来、故国の第三艦隊旗艦に、その名を冠せられた侵略への抵抗の象徴。このランサーが彼の英雄なのだとしたら。

 

 アーチャーは大きく溜息を吐いた。

 

「伝説というのは遠くにありて想うものなんだなぁ」

 

 ク・ホリン、あるいはクー・フーリンとして伝承に語られる光の御子。光の神ルーとアルスター王の妹の間に生まれ、百の黄金のブローチで身を飾る、槍の名手の美丈夫。それがどうして全身タイツに身を固めているのか。

 

「いや、ほんとうに、どうしてこうなったんだ!?

 いやいや、これはなにかの間違いかも……」

 

「その心臓、貰い受ける」

 

「やっぱり、間違いなんかじゃないんだね」

 

 アーチャーは悲しげな視線を彼の武器に送った。真紅の槍は、脈動するかのように周辺の魔力を収奪し始める。冷え冷えと濃厚な死の気配が集った。アーチャーは再び溜息を吐いた。

 

「ランサー」

 

「どうしたよ、今頃命乞いか?」

 

 真紅の槍を構え、猛々しい嗤いを浮かべる敵手に、アーチャーはあっさりと肯定を返した。

 

「こういう手段を取るのは、非常に気が引けるんだが、そのとおりだ。

 貴公と決着をつけるなら、せめて最後の晩餐に招待させていただきたい。

 三日後でいかがだろうか?

 ただし、貴公とマスターがそれまでに斃れたら無効。

 私が貴公以外の手にかかったら、代わりに私のマスターが招待するものとする」

 

 畳みかけるように伝えられた言葉に、ランサーは呆気にとられた。

 

「――ッ、俺の正体はお見とおしってことかよ」

 

「三日後の十八時に本校正門に集合。

 ホワイトタイ、ブラックタイ、武装も不要。

 文字どおりの平服でお越しください。以上!」

 

 否とも諾とも返答を待たず、アーチャーは踵を返した。凛の手を引っ張って、校舎内へ駆け込む。後には深紅の目を見開き、口を開けっぱなしにした青い槍兵が残されていた。

 

「おい、どうすんだよ、くそマスター。

 あのアーチャー、弱っちいがめちゃくちゃ厄介な相手じゃねえか」

 

 冬木の管理者たる遠坂家は、第二の霊地に要塞となる工房を構えている。大きな主催者特権を有しているのだ。当代の凛は、潤沢な魔力と五大属性という希少な特性を持つ強力な魔術師。

 

 彼女のサーヴァントはアーチャー。戦士としてはまったくお話にもならない。ランサーの望みである、力を尽くしたギリギリの戦いの相手は務まらないと断言できる。しかし、かわりに滅法頭が切れる奴だ。

 

 ごくわずかな失言から、ランサーが他四騎のサーヴァントの情報を持っていることを見抜き、さらにはランサーの真名を断定してのけた。おまけに、ランサーの誓約を知っていて、それを利用して三日間の休戦に持ち込んでしまった。

 

 その間に彼ら主従がどう動くか。地の利と管理者としての権限を生かして、交渉と防衛戦に徹すれば、これほど堅固な存在はない。籠城されると、対城宝具を持たぬランサーでは攻め手に欠ける。

 

 ランサーは瑠璃の髪を掻き毟った。

 

「で、俺は招待に応じるしかねえ。

 まさか、犬料理を出したりしねえだろうな、あの野郎……」

 

 ここ、日本という国では犬は食用ではないと聖杯からの知識は告げる。しかし、この時代にそういう食文化の国はあり、この日本ではあらゆる国家の料理が食せるとも。ランサーは目を眇めて呻いた。

 

「いや、いらねえから、そういう知識は!」

 

 しかもこの知識、アーチャーにも入手できるのである。

 

「聖杯ってのは何なんだ? どう考えても悪意に満ちた代物じゃねえか。

 そいつが叶えてくれる願いなんざ、碌でもない代物に違いねえ」

 

 不信感が募るランサーだった。



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5:不敗と奇蹟

アーチャーに腕を引かれた凛は、一気に階段を駆け降りた。

 

「ちょ、ちょっと、こんな逃げ方しても追い付かれるだけ……」

 

 二階にある自分の教室まで、先導されるがままに戻ったが、霊体化して建物を突きぬけられるサーヴァントにとって、なんの意味もない。少し息を切らした凛に、アーチャーは頭を振った。

 

「彼の正体は私の推測どおりのようだ。恐らく追ってはこないさ。

 彼は非常に頭が切れる理性的な戦士だ。

 私のように簡単に除ける弱者との約束を破り、

 重大なハンデを負うような馬鹿はやらないと思うよ」

 

「あ、あなたっ、な何言ってるのよ」

 

「私が犬と言ったら怒っただろう。

 彼はク・ホリン、いやクー・フーリンと発音した方が有名かな。

 光の御子、クランの猛犬、アルスターの赤枝の騎士。

 祖国の為に七年間ひとりで戦い抜いた英雄だ」

 

 猫を思わせる翡翠色の瞳が、大きく見開かれてOの字を形作る。

 

「どうしてわかったのよ」

 

「彼は、千六百年後も英雄として語り継がれているんだ。

 私の国は、専制国家から逃げ出した、奴隷だった人々が築いた国でね。

 五十年をかけて、一万光年を逃亡し、新たな居住惑星を見つけたんだ。

 そして、建国して五十年後から、滅びるまでの百五十年間敵国と戦い続けた。

 宇宙を戦場にしてね。そこを征く戦艦には、神話や伝説の英雄の名前がつけられた。

 第三艦隊の旗艦は彼の名前だったんだ。だから、私は知っていたわけさ」

 

 アーチャーは髪をかき混ぜながら苦笑した。凛のほうは、途方もないスケールの話に相槌を打つことも忘れて聞きいった。

 

「私はいやいや軍人になった落ちこぼれでね。あんまり仕事熱心じゃなかったんだ。

 だから、こっそり戦術コンピュータの中の戦史ライブラリを読み漁ってた。

 で、旗艦ともなると命名の由来、その神話や伝説などの説明が添付されているんだよ」

 

「じゃあ、あのランサーの名前は、千六百年後まで伝えられているのね」

 

「そうだよ。我々の戦争は、侵略する暴虐な専制国家から、

 国を守るためのものだという建前だった。

 抵抗の象徴たる、ク・ホリンというのはぴったりな名前だろう。

 ギリシャ神話系の艦名が多いなか、珍しい響きでもあったんだ。

 私は興味を持ってね、彼の伝承はちょっと詳しく調べたのさ」

 

 凛は頷いた。召喚された当初から思ったのだが、このアーチャーはなかなか巧みな語り手だ。彼の話は面白く、わかりやすい。相当に頭がいいのだと再認識する。

 

「なにが幸いするかわからないものだね。伝説によると彼にはいくつかの誓約(ゲッシュ)があった。

 ケルト人は自らに不利な誓いを立て、周囲に公表することにより、神の加護を得るという信仰があったんだ。

 これを破ると、加護を失って破滅する。

 クー・フーリンの主な誓約は、一つ、目下の者からの夕食の招待を断らない。

 二つ、犬を食べないだったと思うよ」

 

「だからあなた、あんなこと言ったのね。でもそれ、単に意地汚いだけじゃないの?」

 

 凛の感想に、アーチャーは苦笑しながら首を振る。

 

「いやいや、とんでもない。彼の母は王の妹だよ。つまり彼はアルスター王の甥だ。

 彼より目上の者の方が少ない。要するに、どんな相手からの招待も拒めないんだ。

 敵からのものでも、それこそもう一つの誓約を破らせようとする相手でもね。

 実際、彼の敗北と死の遠因はそれなんだ。でも破ると、重大なペナルティーが科せられる。

 会食の準備を頼むよ、凛。犬料理を用意してくれなんて言わないからさ」

 

 凛の口もOの字を描いた。このアーチャー、優しそうに見えてとんでもなく人が悪いんじゃないだろうか。言う事が時折、本人の髪や目よりも真っ黒になる。

 

「あたりまえよ! 嫌よ、犬料理だなんて。私も絶対に無理!」

 

「うん、私もだよ。

 食べたいメニューじゃないし、できれば同盟、

 無理なら不可侵条約を結びたい相手だからね」

 

 凛は安堵の吐息を吐いた。そうすると、疑問が頭をもたげてくる。

 

「あれが、同盟を結びたい相手なの?」

 

「四件の事件に無関係で、しかも他のサーヴァントの情報を持っている。

 彼の能力をもってすれば、私たちが気がつく前にあの世に送れたのに、

 わざわざ戦いの口上を述べたんだ。堂々たる武人らしい好漢だと思うよ」

 

「だから、集団昏倒と結界は違うっていうわけね。でも吸血鬼の方は?」

 

「そっちは容姿もキーになる。

 君は魔術師だから、彼を見たらサーヴァントだ、対決すべしと考える。

 だが、考えてもごらん。夜道を一人で歩いているところに、

 あんな怖い外見の青年が現れたら、即座に逃げ出したくはならないのかい?」

 

「あ、言われてみれば、たしかにそうだわね……」

 

 被害者には女性も含まれていた。危険な香りのする美貌をした、長身の外国人青年。これだけでも警戒に値するが、加えてあの格好だ。脳裏の警鐘が、最大音量で鳴り響くこと間違いない。

 

「当然、相手に背を向ける。追いつかれて昏倒させられれば、

 転んで顔や手足に怪我をする。意識を失って倒れると、顔の怪我は避けられない。

 逃げないで抵抗しても、やはり負傷するよ。防御創ってやつだ。

 だが、新聞によると首筋の傷しかないそうだ。だからこそ警察は悩んでいるわけさ。

 大人一人を昏倒させて、傷一つで済むっていうのが逆に普通じゃないんだよ」

 

 これは、目から鱗の指摘だった。魔術を知らない人間の常識論と、軍人としての人間の動きの限界や、肉体の脆さへの知識。理にかなった推論であった。

 

「納得したわ。でも、マスターが問題じゃない」

 

「マスターは自分に似たサーヴァントを召喚するって、君は言っただろう」

 

 凛は、鋭い目つきで非力で冴えないサーヴァントを睨んだ。

 

「あなたと私のどの辺が似てるか、じっくり話をつけましょうか」

 

 怠け者で、髪はぼさぼさで大人しいふりした毒舌家。似ていると言われるのは心外だ。ミス・パーフェクトとまで言われた自分と、彼のどこに共通点があるというのか。アーチャーはまた髪をかき回して、机に腰掛けた。

 

「話は最後まで聞いてほしいな。

 つまりね、彼に似た性格のマスターなら、冬木の管理者たる君の提案を無碍にはしない。

 だが、彼に似ていないマスターならば、ああいう性格の彼とは長続きしない。

 私は後者の可能性が高いと思うんだ」

 

「ええ? 仲が悪いってこと?」

 

「そう。彼は他の四騎のサーヴァントを知っている」

 

 凛は頷いた。

 

「つまり、偵察なり、交戦なりをしていると思わないか?

 だが、まだ脱落したサーヴァントはいないんだろう」

 

「だって、七人のサーヴァントが揃わないと戦争が開始しないのよ」

 

「そんなの建前さ。彼もほかのサーヴァントもとっくに活動を開始しているじゃないか。

 新都の集団昏倒と吸血鬼、深山の一家惨殺、この学校の結界。違うかい?」

 

 凛は不承不承に頷いた。たしかに自分は出遅れて、挙句にこんなサーヴァントを呼んでしまった。

 

「彼は強い。なにしろ、七年間もひとりで戦い抜いたゲリラ戦の名手だからね。

 そういう武人が情報の重要性を熟知しているのは当然だが、

 こうした一対一の戦いでは、叩きのめすことを優先すべきなんだ」

 

「え、どうして?」

 

「端的に言うなら、殺した相手の名前なんて必要ないってことさ」

 

「うっ……」

 

 軍人の言葉は、魔術師という学究の徒の甘さを思い知らされるものだった。

 

「先手必勝は戦術的な大原則なんだ。だが、脱落者はいない。

 勝てる相手だが撤退をしているとも考えられる。

 その作戦の有用性は一部認めるよ。ただ、彼のような戦上手が好むとは思えないな。

 伝承におけるクー・フーリンの基本戦術は一撃必殺、即離脱。

 それを七年間、何回となく繰り返したんだ」

 

 学者の講義のように鋭い分析が披露され、凛はアーチャーの顔を眺めることしかできなかった。これが並外れた『心眼(真)』と『軍略』の能力なのか。役に立たないとばかり思っていたが、素人歴史愛好家だという本人の趣味との相乗効果は恐るべきものであった。

 

「この会食は、彼の誓約を利用した謀殺が目的じゃないよ。

 相手を量る試金石や、離間を招く(たがね)の一撃になるかもしれないと、

 まあこっちは何とかの皮算用だがね。でも、一定の布石にはなるだろう。

 食事を奢ってくれた相手に、ご馳走様でした、じゃあ死ねとは言いにくいじゃないか」

 

 しごく穏やかに話を結び、アーチャーはおっとりと微笑んだ。大人しそうな、十八歳ぐらいの文系学生の容貌で。余計に凛は蒼褪めた。なんて悪辣。絶対、こいつは私になんて似てない。

 

「ま、取りあえずは帰ろうか」

 

「ちょっと待ってよ、休ませて。疲れちゃったわ」

 

 自分の席の椅子に座りこんでしまった凛に、アーチャーは肩を竦めた。

 

「君が昨日買って、鞄の中に入れておいたものがあるじゃないか」

 

「は?」

 

「タクシーを呼びなさい。

 温かい居間で、夕食を食べて、紅茶でも飲んで休んだほうがいいだろう」

 

「そんなのもったいないわ」

 

「金で片のつくことなら、つけるべきだ。まだ、残り十二日間も戦いがあるんだからね。

 食べられるときに食べ、休める時には休む。でないと生き残れないよ」

 

 彼には珍しい、断固とした口調だった。手抜きは大好き、怠けるのも大好き、サービスと給料はそのためにある!

 

 しかし、彼は、末期を迎えた国の最後の一個艦隊を率いて戦い抜いた。やるときはやるし、体はやわでも心は鋼。そして幾度の戦場を越えて不敗。それがヤン・ウェンリーである。

 

 なんといっても、ヤンだって歩くのは面倒だ。霊体化して壁抜けができても、空が飛べるわけではない。幽霊なら、宙に浮いて飛ぶとか、あちこちに瞬間移動できるとか、そういうことができてもよさそうなのに。

 

 昨晩、色々と試してみた結果だが、つまらないなあ、というのが正直な感想だった。

 

「それにね、ランサーの尾行に怯えながら家まで歩く気かい。

 神秘の秘匿というなら、第三者が入るだけで回避できる戦いだよ。

 タクシーの運転手さんとかね。私は霊体化すればいいんだし」

 

 凛は鞄を探ると、携帯を取り出して短縮ボタンを押した。これは昨晩、彼に特訓されたことだ。アーチャー、ヤン・ウェンリーは地味に奇蹟を起こしていた。知る者は誰もいないけれど。

 

「もしもし、深山の遠坂です。穂群原高校にいるんですけど、タクシーを一台回してください」



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閑話2:名前の意味

 凛とアーチャーは警戒しながら階段を下り、到着したタクシーに乗り込んだ。むろん、従者は霊体化して。温かい車内の座席に納まると、凛はふと疑問が湧いてきた。

 

『ねえ、アーチャー。あなたの国の第三艦隊の旗艦が【ク・ホリン】だったのよね』

 

 凛はアーチャーに心話で問い掛けた。柔らかな肯定が返ってくる。

 

『ああ、そうだよ』

 

『じゃあ、あなたの旗艦は? なんて名前なのよ』

 

 第三艦隊とヤン艦隊。ナンバリングの中に混じる司令官のファミリーネーム。通常は一万二千隻、最大で二万隻を超える艦隊。兵員数は政令指定都市の人口レベル。アーチャーはそう言っていた。だが、その規模に個人名が冠せられるのは普通ではない。

 

 この頼りないサーヴァントが、とても高位の軍人だということに、凛は遅まきながら気づいたのである。彼の部下にとっては、司令官自ら銃を持ち出し、身を守るようなことがあってはならなかっただろう。

 

『【ヒューベリオン】さ。この時代だと【ヒュペリオン】と発音するようだね』

 

『そっちはギリシャ神話っぽい名前ね』

 

『そのとおり。土星の衛星の【ヒペリオン】と同じだよ』

 

 アーチャーは解説してくれたが、凛は気まずく心中に呟いた。

 

『ごめん、全然知らないわ』

 

『まあ普通はそうだろう。そんなに有名な神様じゃないからね。

 私も旗艦になってから、その名前を知ったぐらいだよ』

 

『へえ、それで、どんな神様なの?』

 

『ゼウス以前の古い神々の一人で、

 天体の運行と季節の変化を人間に教えたとされているそうだ。

 一説には、太陽神ヘーリオスの別名だとも言われている。

 エピソードらしいものはこれぐらいかな』

 

 たしかに派手な逸話を持つ神ではなさそうだ。

 

『あ、そうなの……。ところでギリシャ神話の神には、名前に意味があったわよね』

 

 有名どころではヘラクレス。『ヘラの栄光』という意味である。彼の苦行の数々が、女神ヘラの差し金であったことを考えれば、なんとも皮肉と言うか……。

 

 女は恐ろしい。

 

『よく知ってるね。さすがは優等生だなあ』

 

 ヤン曰く、約五千人の同期生の中の上の成績で卒業した。彼が告白した射撃や白兵戦の駄目さをカバーして、なお中の上ということは、得意教科は突き抜けて優秀だったということになる。

 

 この自己評価が低いサーヴァントの語らぬ点をこそ、凛は汲み取らないといけないのだろう。

 

『あなたには負けるけどね。で、意味は?』

 

『【高みを行く者】だ』

 

 智将ヤン・ウェンリーの旗艦の名は、主にぴったりな名前であった。千六百年前の遠坂凛が、それを真実の意味で知ることはないのだが。

 

 ――今はまだ。



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2章 運命は夜に訪れる 6:降臨

 とある世界では、校庭で行われた赤と青の剣戟。しかし、黒と青の遭遇は、火花さえ散らさぬうちに終結し、弓道場の掃除に勤しんでいた少年の耳に届くことはなかった。

 

当然、彼は掃除を終わらせ、何事もなく帰宅を果たした。そんな彼を、思いがけない客が待ち受けていた。

 

「遅かったのね。まちくたびれちゃったわ」

 

 白い肌に白銀の髪。満月に足りない月光と、門燈の淡い明りでも、最上級の紅玉を思わせる瞳は明らかだった。まるで、冬の妖精。年齢は小学校の高学年ぐらいか。

その身を飾るのは、いかにも高価そうな紫色のコートと帽子。それが余計に、少女を等身大のビスクドールのように見せていた。整いすぎるほど整った顔立ちは、一度目にしたら忘れないだろう。

 

 彼も覚えていた。

 

「む。きみは、昨日の……」

 

「あら、おにいちゃん。昨日教えてあげたのに、まだ呼んでいなかったの?」

 

 少年の琥珀の瞳を見上げて、紅玉が妖しく瞬いた。

 

「せっかく教えてあげたのに。早く呼ばないと、死んじゃうよって」

 

「な、何を言っているんだよ!?」

 

「はじめまして、わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 そう言って、少女は優雅にコートの裾を持ち上げて、貴婦人の礼をした。

 

「あ、ああ、よろしく。ええと、おれは……」

 

「ねえ、お客さまをいつまで外で待たせるのかしら」

 

「あ、悪かったな」

 

 何が何やら呑み込めぬうちに、彼は門の鍵を開けて、戸を開けた。

 

「ええと、イリヤス……イリヤちゃんだっけ。とりあえず、話を聞くからさ」

 

 少年は、彼女を先導して自宅の敷地へと歩み入った。背後で、少女の瞳に一瞬にして険が宿ったのには気付かずに。十歩ほど歩いたところ、背後の少女からの言葉をかけられた。

 

「……わたしね、その呼び方をされるのは嫌いなの。

 それも、よりによってあなたになんかね」

 

「え?」

 

 声に籠められた激しさに、彼は振り向いた。そこに、鉛色をした死の具現が立っていた。巨人だった。荒々しく削りだされた巨岩の彫像のような筋肉に鎧われた。絶対に人ではない。三メートルちかくはありそうな巨躯だが、巨人症の人間ではありえぬ、黄金比の体格を持っている。

 

少年は呆然と口を開き、本能的に後ずさった。

 

「せめて、苦しまないように殺してあげる。やっちゃえ、バーサーカー!」

 

 鉛色の巨人は、おどろに乱れた髪を振り立てて咆哮した。その形相の恐ろしさに、少年は後ずさり、踵を返して土蔵に逃げようとした。しかし、巨体に似合わぬ俊敏さを持つ剛腕が、背後から彼を痛打した。大型車にはねられたのに等しい衝撃。年齢の割にやや小柄な彼は、軽々と吹っ飛ばされ、進行方向へと短い空中遊泳を強制される。そして、目的地の扉へと叩きつけられた。

 

「ぐ、あ」

 

 体重を逃しかけていたのが幸いして、即死には至らなかった。だが、それだけだ。不吉な響きと共に、複数個所の骨折をしたのが、はっきりとわかった。そして、それが内臓を傷つけたであろうことも。喉の奥から熱い塊がせり上がり、鉄の味と匂いをさせて口からこぼれ出た。声も出ないほどの激痛に苛まれながら、彼は衝撃で開いた扉から、自らの工房、土蔵へと這い入った。

 

 なぜ、どうして、何があった? 夕日色の髪の下に疑問が渦巻く。それもあまり長いことではなさそうだった。薄れゆく意識をかき集め、彼はもがいた。不可思議な痣の浮く手を伸ばして。

 

もっと、少しでもアレから逃げなければ。このままでは死ねない。養父とのあの月下の約束も果たさないまま。

 

 思考とは裏腹に、もう力が入らなかった。彼は咳き込み、更に喀血した。その血が、這いずってめくれたシートの下の魔法陣に零れおちた。

 

 ここに召喚の条件は整った。令呪の兆しを備えたマスター。魔法陣に対価たる血液が流し込まれ、エーテルが回路を駆け巡る。王冠より出で、王国に至る三叉路へと注がれ、繰り返して満たされる。世界の外、根源『』との境界、英霊の座より天秤の守り手を招く。

 

 そして四方より風が降り立った。

 

 奔騰する銀と青の光。それに合わせたかのような武装の騎士。白磁の肌、金砂の髪、柊の葉の緑の瞳。死の直前の幻影か。

 

たとえ幻影だとしても、あまりに美しい少女であった。倒れた少年に歩み寄り、膝を付く。白銀の甲冑が鈴に似た音を鳴らす。地獄のような苦痛をも、一瞬忘却させるほどの美であった。

 

「あなたが私のマスターか」

 

 なにやらわからぬうちに、彼は声もなく頷いた。実際、声など出せそうになかったが。少女は、金砂の頭を頷かせた。

 

「ここに契約は完了した。これより我が剣は汝と共にある」

 

 それはいいから助けてくれ。声が出せたら彼はそう言ったことだろう。意識が混濁したのか、痛覚が麻痺してきたのか、痛みを感じなくなってきている。もうこれは駄目かも知れない。そこに軽い足音が聞こえてきた。

 

「あら、ようやく呼んだの」

 

 白銀の少女は、土蔵の中に立つ金髪の少女を認め、更に眼差しを険しくした。

 

「なんで、あなたがここにいるの、セイバー!

 ちょうどいいわ、バーサーカー、この裏切り者も一緒に殺しなさい。

 八つ裂きにしてやるといい!」

 

「いやいや、そいつは穏やかじゃないね」

 

 この状況に全く不似合いな声が、土蔵の外側から聞こえてきた。

 

「私は冬木の管理者(セカンドオーナー)、遠坂のサーヴァントだ。

 まあ、完全に通りすがりの者なんだが、一応魔術は秘匿するんだろう?

 そういう、不可能犯罪の死体を出すのはやめてもらえないかな」

 

 遠坂凛は、隣のアーチャーに何とも言えない視線を向けた。タクシーで帰宅の途中、尋常でないエーテルと魔力の発動を感知し、この武家屋敷に乗り込んだ二人だった。鉛色のサーヴァントは、ほとんど全ての能力が最上級というとんでもない化物で、この弱いアーチャーが逆立ちしたって勝てる相手ではない。

 

「アーチャー、全っ然、仲裁になってないんだけど……」

 

 だが、この言い草は、バーサーカーのマスターのお気に召したようだった。小学校高学年ぐらいの外見に似合わぬ笑みを浮かべると、妖艶なほどの流し目をアーチャーに送った。

 

「ふうん、トオサカのサーヴァントは面白いこというのね。わたしがこの二人を殺すのは止めないの?」

 

「まあ、止めてくれるとありがたいとは思うけれど、聖杯戦争も結局は殺し合いだから、

 彼らを助けるために、私のマスターが死ぬようなことをするつもりはない。

 というよりも、私には実力行使で止める力はないしねえ」

 

 黒髪をかきながら、穏やかな口調で冷静かつ辛辣なことをいう。それに白銀の少女は目を細めた。

 

「あなた、ちょっとキリツグみたいね」

 

「ええと、どちらのキリツグさんかな」

 

「エミヤキリツグ。十年前、アインツベルンのマスターとして参加した、わたしの父よ!」

 

「はあ。この家、衛宮という表札が掛かっていたね。

 じゃあ、あそこに倒れているのは、ひょっとして君のお兄さん?」

 

「そんな奴なんて知らない! キリツグはわたしを捨てたんだもの!

 そこのセイバーと一緒に裏切ったのよ。お母様を死なせたくせに!」

 

 激しい言葉に、土蔵の中のセイバーは、釘づけにされたように動きを止めた。アーチャーはまた髪をかきまぜると、首元のアイボリーのスカーフを外しながら歩き出した。

 

「通りすがりの者がすぐさまどうこうは言えないんだが、

 そういう恨みを含めて、君たちは話し合いをすべきじゃないのかと私は思う。

 そのためには、彼を病院に運ばないと。その出血量だと、あと十分保たないよ」

 

 そういうと、すたすたと土蔵に入っていく。凛も慌てて後を追おうとした。同級生の衛宮士郎の傍らに立つ少女騎士。彼女こそ、凛の希望だったセイバーに違いない。見事な戦装束から察するに、相当に名のある騎士だったのだろう。瀕死のマスターのせいか、能力はセイバーとしての基準を下回るものだが、それでもアーチャーよりも遥かに強い。

 

「いいよ、凛。君はそこで待っていてくれ」

 

「だって、衛宮くんの手当をしないと!」

 

 そこで心話が聞こえてきた。

 

『正直、重傷すぎると思うよ。

 私の視界に同調して、君に治せそうな怪我なら来てくれ。

 しかし無理なら、君はそこにいなさい。

 セイバーが私を殺したら、君は希望の相手と契約が可能だ。

 その選択肢を残せるようにね』

 

 それは凛の足を停めるに充分だった。冷徹なほどの判断と思考。王である凛が生存していれば、歩である自分を切って飛車角の入手が可能だと。

 

 そんな考えを窺わせない様子で、アーチャーは悠然と怪我人の隣にしゃがみこみ、世間話でもするように声を掛けた。

 

「ええと、君は衛宮君でいいのかな。私の声が聞こえるかい」

 

「う、あ……ぐ」

 

「大丈夫じゃあなさそうだが、ちょっと体を動かすよ」

 

 そう言うと、手際のいい動作で、側臥位に姿勢を変えて、スカーフで口腔内の出血を掻きだす。それに眉を寄せると、少年の上半身を触診した。ようやくセイバーが我に返った。

 

「マスターに何を!」

 

「落ち着いて、応急処置さ。あれ、この症状、絶対に肋骨骨折、肺穿孔、

 外傷性気胸を併発していると思ったんだが。骨折箇所がわからないな……」

 

 アーチャーはまた眉を寄せた。先ほどまで絶え絶えだった息が、明らかに整いはじめ、脈も安定している。この出血量なら、絶対にショック症状を起こし、急速輸血が必要になるはずなのだ。思ったより怪我が軽かったというだけでは、失血症状の改善の理由にはならない。肺に貯留した血液による呼吸困難も、自然に治るものではないのだ。

 

「変だな。なんだか、怪我が治っているみたいなんだが。

 これも魔法、いや魔術なのかい」

 

 従者に質問を向けられた黒髪の美少女は、左右に首を振った。アーチャーのマスターは言う。

 

「魔術は充分に集中して行わないと、それこそ死に至るのよ。

 そんな半死半生の状態で、大怪我を治すような魔術を使うのは無理だわ。

 他者に魔術を施すのは最も難しい。こんな位置からではわたしにもできない」

 

 鉛色のサーヴァントのマスターには聞く必要もない。アーチャーは、青と銀で武装した金髪のセイバーを見上げた。

 

「じゃあ、セイバー、これは君の力かい?」

 

「いいえ、私は……」

 

 かつてはできた。今は失われた宝具を思い、沈痛に首を振る。

 

「いや、凄いな。もう顔色もよくなってきた。

 これを解明した方が、聖杯うんぬんより人類に役立つような気がするんだが」

 

 軍人として、いやというほど負傷者を見慣れたアーチャー、ヤン・ウェンリーの見立ては、かなり正確なものだ。本来ならば、そろそろ下顎呼吸へと移行し、三分以内に臨終の息を吐いているだろう。なのに、もうすぐ意識を取り戻しそうなほどに回復している。脱いだ軍服の上着を、衛宮少年にかけてやりながら、アーチャーは肩を竦めた。

 

「わけがわからないが、まずは人死にが出なかっただけよしとしようか。

 そうだろう、バーサーカーのマスター。

 恨み事があるなら、それを伝えて原因を探るべきじゃないか。

 こんなに大騒ぎしているのに、誰も彼の家から出てこない。

 まだキリツグさんとやらが帰宅していないだけか、あるいは一人暮らしなのか。

 ならば、どうして衛宮くんはそういう境遇になったのか。

 聞いてみてからでも遅くはないだろう」

 

 この言葉に、宝石色の瞳の持ち主たちは、そろって目を見開いた。ルビーの瞳の少女が問う。

 

「どういう意味?」

 

「十年前まで、衛宮キリツグ氏と同居していた実子が知らない、私のマスターの同級生。 

 つまり、彼はキリツグ氏の実子ではない。そして、バーサーカーのマスター……」

 

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 そう言うと、彼女は顎を逸らした。

  

「レディに名乗らせたんだもの、あなたも応えなさいよ、トオサカのサーヴァント」

 

 アーチャーは苦笑すると、さまにならない敬礼をした。

 

「これは失礼。私はアーチャーのサーヴァントだよ、一応。

 フォン、ということはドイツ系かな。

 ではフロイライン、失礼な質問だが、君は一体いくつだい」

 

 イリヤスフィールは、その質問に艶然と微笑んだ。

 

「本当に失礼ね、レディの年齢を聞くなんて。

 でも、アーチャーには教えてあげる。あなたは紳士で賢いもの。

 他の人には秘密よ。こっちに来て」

 

「はいはい」

 

 言われるがままに、今度はイリヤスフィールへと歩み寄り、後ろに控えるバーサーカーにも頓着せずに、しゃがんでイリヤの耳打ちを受ける。彼のマスターと、セイバーは、呆気に取られて見ていることしかできなかった。外見は凛とさほど変わらないのに、完全に言動がお父さんである。ああ、里子はいたみたいだっけ。

 

「ははあ、なるほどね。ではフロイライン、君の事情をよく話した方がいい。

 そして、彼の事情も聞いてあげた方がいいよ。

 君が言う、十年前の聖杯戦争。それが五百人以上の死者を出した冬木の大災害と関連し、

 記憶の断絶を招き、親を失った子、子を失った親を生み出しているとみて間違いない。

 また、娘を失わせた夫を、妻の実家が許すだろうか。

 孫に向けて、娘の夫を詰るのではないかな?

 これは一般論だがね」

 

 イリヤスフィールは、しゃがんで視線を合わせたままで語る、アーチャーの漆黒の瞳を見つめた。彼女の父にどこか似た、不思議な英霊を。ギリシャの大英雄、ヘラクレスを従者にしている聖杯の化身にはわかる。彼が実はとてつもなく格の高い英霊であることが。彼を本来の力で召喚することは、どんな魔術師、いや魔法使いにも不可能。

 

「本当に、あなたはおもしろいサーヴァントね、アーチャー。

 じゃあ、そこのセイバーのマスターとの話し合い、あなたも同席していいわよ。

 というより、あなた、わたしのサーヴァントにならない? 

 わたしなら、もう一人くらい平気よ」

 

「ちょっと待ちなさいよ、アインツベルンのマスター。

 一応、私も名乗っておくわ。私は遠坂凛。

 そして、そいつは私のアーチャーよ。へっぽこだし、とんでもない魔力食いだけど。

 それでも、一人でマスターとサーヴァント、二組の中に放り込む真似はできないわよ」

 

「あなたもおもしろいマスターね、リン。

 マスターがサーヴァントを守るなんて、逆じゃない。

 でもいいわよ。アインツベルンのマスターとして、冬木の管理者には礼を尽くすわ」

 

 アーチャーは遠い眼をした。外見年齢はどうあれ、美少女に取り合いをされるなんて生前もなかったのに。この姿の時こうだったら、卒業パーティーで切ない思いをせずにすんだのだが。人生ではままならず、死した後に機会が巡るとは、なんと切ない話だろうか。

 

 まあ、調停役として期待されているだけだろうけれど。



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7:混迷

「あ、あの……?」

 

 衛宮士郎のサーヴァントは、急展開を呑み込めていないようだった。聖緑の視線が、銀髪と赤毛、長さの異なる黒髪の間を彷徨う。

 

 黒髪のアーチャーが労わるような表情を浮かべた。

 

「なにやら因縁があるようだが、とりあえず彼を室内に入れてあげよう」

 

 アーチャーことヤン・ウェンリーは、小柄な少年を肩に担いだ。生前の十倍の腕力は大したもので、人ひとりが枕程度の重さにしか感じない。再び学生時代を思い返して、遠い目になるヤンだった。この腕力があれば、白兵戦技のテストも、もうちょっと楽勝だっただろうに。

 

「怪我が治っても、肺炎で死んだら困るじゃないか。

 ええと、セイバー、霊体化して内側から鍵を開けてくれないかな」

 

 青年の申し出にセイバーは頷き、ややあって美しい眉を顰めた。

 

「……霊体化ができないようです」

 

 遠坂凛は首を傾げた。

 

「え? ……まあ、無理もないかも。マスターがそんな様子じゃあね」

 

「では、私が失礼して鍵を開けさせてもらおう」

 

 これはバーサーカーにはできない。室内で実体化したら、頭が天井を突き破るだろうから。アーチャーは少年をセイバーに託すと、霊体化して戸をすり抜け、実体化して内側から鍵を開けた。すると、軍服とスカーフが元に戻っている。

 

「不条理だよなあ。霊体になると服は戻ってるし。

 でも飲み食いしたものはどこかに消える。どうなっているんだろう」

 

 首を捻りながら戸を開くと、小柄なセイバーがマスターを姫抱きにして立っていた。とても男前な立ち姿である。アーチャーはさらに首を捻った。

 

 英霊の姿は、その人物を特定するのには役立たないと、ランサーの姿から学んだヤンだ。伝承によると、古代ケルト人は、出陣の際に裸身を青く染め、石灰の塗料で加護のルーン文字を肌に描いたという。その概念が、召喚者のイメージなり、聖杯のコピー機能なりで、全身タイツへと変貌したのではなかろうか。

 

 一応の根拠はある。槍を武器とする西欧や中近東の名だたる英雄は少ない。彼のマスターは、クー・フーリンを呼び出すつもりで触媒を準備したことだろう。

 

 一方、遠坂凛はヤン・ウェンリーを知らない。触媒も偶然あった万暦赤絵の壷だ。なのにヤンは、ほぼ生前の姿で召喚されている。大分若返っているけれども。

 

 だから、セイバーの色鮮やかな装束も、生前身に着けていたものとは限らない。鮮やかな青のドレスから判断するなら、藍が伝播した中世以降のものだと思うが、だいたい千年間ぐらいが候補になる。

 

しかし、これも怪しいものだ。例えば聖母マリアは、絵画では赤と青の服を身につけている。だが、紀元一年のころの大工の妻が、そんな服を着られるはずがない。宗教的な象徴を取り入れて、後世の画家が創作したのだ。

 

 女騎士というと、ジャンヌ・ダルクが有名だが、彼女は村娘だった。あんな全身鎧を身につけて、滑らかに動けるとは考えにくい。増した力とは関係のない、挙措動作の慣れというやつである。彼女の動作は男性的だ。つまり、さっぱりわからない。

 

「う~ん、今夜は文献を当たろうと思っていたんだがねえ」

 

 靴を脱いで、日本家屋に上がり込む。これも聖杯の賜物。なんとか誤魔化して学習法として売ることができれば、確実に巨富を得ると思うのだが。

 

小柄なセイバーは、力こそアーチャーに勝るが、自分よりも背の高い少年を抱えて歩くには腕の長さが足りないようだ。それを横抱きにしているものだから、廊下の壁にマスターの頭をぶつけかねない。

 

「セイバー、その抱き方はよくないよ。肩に担ぎあげた方がいい。

 いや、やっぱり私が代わろう。

 怪我人をその甲冑の肩に担ぐのはかわいそうだ」

 

 少年はふたたびアーチャーが運ぶことになった。

 

「文献ってなんの?」

 

 雪の妖精が、ひょっこりと下から覗き込む。バーサーカーは霊体化させてくれたようだ。

 

「ああ、私たちは第四次聖杯戦争を調査しているんだよ。

 私は、この聖杯というものが、どうにも信用できなくてね」

 

 これに、セイバーが顔色を変えた。

 

「何が信用できないというのか、アーチャーのサーヴァントよ」

 

「要するに、たった六人の人間の命で、なんでも願いが叶うというところが。

 私の父は船の事故で、乗組員ごと事故死した。あの時の死亡者数は十五人だった。

 その半分にも満たない犠牲で、そんなに都合のいいことは起こらないと思うんだ」

 

「あら、サーヴァントの命だってそうじゃない」

 

「サーヴァントの命、ねえ」

 

 アーチャーは苦く笑った。

 

「命という点なら、私たちは勘定に入らない。結局は幽霊のコピーだからね。

 私なんて、国を守るためにどれほど人を殺しただろうか。

 でも、願いなど叶わなかったよ。

 たった十数年の平和でよかったんだがね」

 

「私も国を守るため戦った! そのために聖杯が必要なのです」

 

 アーチャーことヤン・ウェンリーは首を傾げた。

この十五歳ほどのセイバーは、欧州の英霊だと思われるが、ゲルマン系やスラブ系ではなさそうだ。金髪だからノルマン人の血を引いているかもしれないが。

 

 だが、こういう甲冑の騎士のいた時代は、中世ヨーロッパ。六世紀から十五世紀ほどの間である。中間時期をとっても千年前だ。二十一世紀の聖杯で彼女の国が救えるものなのか。聖杯は、時間にさえ干渉できるのか。とてもとても疑わしい。

 

 光速の壁を越えて、三千光年を二十日で踏破する千六百年後でも、時は進むのみで後戻りはできない。マスターによれば、英霊である自分は時間から切り離された『座』にあり、だから時を越えられたのだと。このあり得ぬ奇蹟を、素人歴史家として楽しんでいたのだが、なにやらきな臭いものを感じる。

 

「私はこの時代に来られただけで満足だし、伝説の英雄に一人は会えた。

 その、ちょっとイメージとは違ったがね……」

 

 光の御子、クー・フーリン。ヤンにだって理想のイメージというものはあった。美しくも猛々しい、黒髪に青い瞳のブラックアイリッシュの戦士。白いリネンのローブを飾る、ルーン文字を象った百の黄金のブローチ。そういう感じの。

 

 実物が全身青タイツだなんて、あんまりにもあんまりだ。幻想が丸潰れ(ブロークン・ファンタズム)である。絶対にコピーのエラーに違いない。そういうことにしよう。歴史マニアの精神のささやかな安定のためにも。

 

「私は聖杯はいらないよ。

 従って、マスターの安全が叶うのなら、君たちと敵対するつもりはない。

 というよりも、私なんて敵にもならない。違うかい?」

 

「ちょっと、なに勝手に話を進めているのよ!」

 

 上がり込んで、少年を横にできる場所を探していた凛が、奥の部屋から声を荒らげる。

 

「でも、こちらのフロイラインの従者を見ただろう。

 彼に私が勝てると、一かけらでも思うんなら、私は君の正気を疑うよ。

 自慢じゃないが、私は首から下は役立たずだと先輩に言われたことがある」

 

「馬鹿なこと言わないでよ。自慢じゃないどころか恥じゃないの!」

 

 遠坂主従のかけあいに、イリヤスフィールは吹き出した。

 

「あらあら、セイバーには勝てるの」

 

「いや、それも無理だが、私とマスターは一応彼女のマスターの恩人だろう。

 騎士たるもの、相応の礼を尽くすべきじゃないのかな」

 

 セイバーは反論の言葉を封じられた。このアーチャーは、実に嫌なところを狙ってくる弁舌の持ち主である。しかも、これはまったくの正論であった。騎士道に背いた行いにより、剣を失ったことのある彼女にとって、急所を突き刺されたに等しい。

 

「凛、その部屋でいいのかい」

 

「ええ、布団も敷いたわよ」

 

「いや、そのまえに着替えさせよう。

 なにか敷物と湯とタオルを。あとハサミとゴミ袋も」

 

 凛は顔を強張らせた。

 

「ハサミって……」

 

「この制服はもうだめだよ。クリーニングに出しても落ちないし、大騒ぎになる。

 フロイライン、彼との話次第では弁償してくれるね?」

 

「じゃあ、わたしが切ってあげましょうか」

 

「それも駄目。怪我をさせないように服を切るにはコツがあってね。

 なにより、こういう汚れ仕事はレディには似合わない。

 血液は感染源だからね。処置は病死しない幽霊の方がいいのさ」

 

 このくらいの社交辞令は、アーチャーも言うのだった。中身は33歳、パーティーなどではそれなりに肉食系女性をかわしてきたのである。

 

 この白銀の妖精も、ちゃんと淑女として遇するべきだろう。貴族号をもち、千年も孤高を誇った名門。それは婚姻などによる、財産の補充は必要ないということだ。さぞや金持ちでプライドが高いだろう。だが、権威は権威を尊重する。そこらが落とし所ではないだろうか。

 

 レディ扱いされて、イリヤスフィールの表情がほんの少し緩みかけた。

 

「バーサーカーは強くて優しいんだけれど、たった一つ欠点があるの。

 おしゃべりができないのよ。リンはいいわね」

 

「いやいや、こちらのセイバーは綺麗で強い。凛は彼を羨ましがると思うよ。

 召喚されたとき、セイバーが良かったって言われてしまったからね。私も同感だ。

 私がサーヴァントを持つ側なら、冴えない男より、

 美しく凛々しい女性騎士の方がいい」

 

 気まずそうに沈黙するエメラルドの瞳に水を向けたつもりだったが、返ってきたのはルビーの瞳からの弾劾だった。

 

「でもそのセイバーは裏切り者のウソつきよ。

 ……守ると、わたしのところに帰してくれると誓ったのに。

 お母様はそう言ってたわ!」

 

「そんなっ……聞いてください、イリヤスフィール!」

 

 またもや修羅場が演じられそうな気配である。頼まれた物を運んできた凛も困惑しきっている。アーチャーは、まだ意識を取り戻さない少年の頬を軽く叩いてみた。

 

「そのね、申し訳ないけれど、そろそろ起きてくれないかなあ」

 

 当然、答えはない。アーチャーは溜息をついて、修羅場の上演者らを追い出しにかかった。

 

「じゃあ、着替えをさせようと思うので、レディは席を外してもらいたいな」

 

「それはできません。私はサーヴァントとしてマスターを守らなくては」

 

「うん、まあその方がいいか。騎士なら血は見慣れているだろう」

 

 アーチャーは、あっさりセイバーの申し出を受け入れた。彼女とイリヤスフィールを分断することが、まずは重要だと判断したのである。凛も彼の心話を受け取り、密かに共同戦線を形成する。

 

「ここはアーチャーに任せてよ。

 あれでも軍人だから、けっこう手慣れてるみたいだし」

 

 凛が促して、ようやくイリヤスフィールは立ち上がった。セイバーに強烈な一瞥を投げると、無言で部屋を出ていく。

 

「やれやれ、君たちは相互理解が必要そうだね。

 この子の父も衛宮、あの子の父も衛宮、君のかつてのマスターも衛宮。

 そして名前は、すべてキリツグじゃないのかな」

 

 なかばセイバーに聞かせるように呟きながら、まずは顔を汚した血を拭う。次に、少年の汚れた制服をハサミで切り、ゴミ袋へと詰めていく。年齢の割に鍛えられた、少年の上半身が露わになった。皮膚にべったりと付着している血に、アーチャーの眉が寄る。

 

「やはり、皮膚を損傷するような、激しい変形を伴う骨折があったんだ。

 どうして治るんだ。

 十分ほどで出血と呼吸困難で死にいたる傷のはずなのに」

 

 胸部を拭き清めると、また側臥位にさせる。背中の血にもなんとも言えない表情になった。

 

「これは、肩甲骨と背骨も折れたな。どうやって、あそこまで這えたんだろう。

 この子は平和な日本の、普通の学生のはずなのに。なぜだろうね」

 

「アーチャー、あなたは医者なのですか」

 

「いや、違う。軍人だから、人を殺すのと救うのと、双方の知識を学んだだけだよ。

 人体の急所を知る点では、表裏一体だからね」

 

 致命傷を負いながら、冷静に止血を行ったヤンである。恐らくは助からないと、はっきり認識しながらも。

 

 そして、この少年の怪我の痕跡から推測するに、肺が血で充満するような出血を起こしたはずだ。その量は一リットル前後、呼吸不全と出血性ショックを起こし、十五分以内に死亡する。

 

 だが、今は血色もよくなり、体温や呼吸、脈も平常。重ねて言うが、ありえないのだ。それこそ魔法でも使わないかぎりは。

 

「いやはや、上着も駄目だが、ズボンも駄目だね。もったいない」

 

 土蔵の石の床を這ったので、ズボンの膝や腿の布地が擦り切れ、穴が開いていた。これも脱がせてゴミ袋に突っ込む。そしてようやく、新聞紙を敷いた畳の上から布団へと移動させ、凛が出したパジャマを着せてやった。

 

「やっぱり、腕力があるって楽でいいなあ。……あ」

 

 やはり、これだけの動作をさせれば意識を取り戻しもするだろう。夕日色の短めな前髪の下、潔癖そうな印象の眉が寄せられる。瞼が動き、琥珀の瞳が姿を現し、何度か瞬きを繰り返して、覗き込む黒髪黒目の青年に焦点が合う。

 

「………じいさん?……」

 

 まだ意識がはっきりしない少年の、罪のない一言だったが、難しい年齢だったヤン・ウェンリーの心をざっくりと切り裂いた。

 

「ひどいっ……。それはあんまりだ……。私だってまだ若いんだ。

 実際の歳だって、世間から見たら若いだろうそうだろう」



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8:覚醒

「ひどいっ……。それはあんまりだ……。私だってまだ若いんだ。

 実際の歳だって、世間から見たら若いだろうそうだろう」

 

 アーチャーは、誰にともなくぶつぶつと訴えかけた。妻や被保護者なら同意し、先輩なら一蹴しただろうが。緊張感のない嘆き節は、少年の記憶の中のやや低い掠れ声ではない。若々しい、温かみのあるテノールだ。その差が彼を一気に覚醒させた。

 

「なっ……、誰だ、あんた!」

 

 セイバーが聖緑の瞳に喜色を浮かべ、アーチャーを押しのけて少年ににじりよった。

 

「マスター! 目が覚めたのですね!」

 

「な、なんで、誰だよ、その子も!? なんなんだよ、一体!?」

 

 その反応に、アーチャーは眉を寄せた。なにかがおかしい。瀕死だったはずの少年が跳ね起きて、布団の上を後ずされるほど元気なことはさておくとして。

 

「その、なんと言うか、何と言ったらいいのか、何と言うべきか……」

 

 アーチャーは溜息をつきながら肩を竦め、ついでに黒髪をかきまぜるという器用な動作を無意識にしながら、心話でマスターを呼ぶ。凛が駆けつけて来るまでの短い間だろうが、とりあえず当たりさわりのない質問をした。

 

「こんばんは、勝手に上がり込んで申し訳ない。私はアーチャーというものだ。

 順を追って説明しようとは思うが、最初に教えてほしい。

 どこか痛いところはないかい? 息苦しいとか、気分が悪いとか、

 少しでもおかしなところは?」

 

「え、あ、別に何もないぞ」

 

 自分より少し年長の青年の落ち着いた質問に、彼は反射的に答えた。

 

「そりゃあなによりだ。ところで、君の名前を教えてくれないか」

 

「え、衛宮士郎だけど……」

 

「士郎君か。いい名前だね。とりあえずはよろしく。

 まあ、詳しいことは私のマスターから説明があると思うがね」

 

 琥珀色が大きく見開かれ、吸い込んだ息が笛の音を立てる。彼はようやく、魔術使いとしての感覚で、目の前の少女と青年を捉えた。人の姿をしていても、これは人ではない。輝かしいほどに美しい、青と白銀の騎士装束の少女。

高校の先輩ぐらいにしか見えない、黒とアイボリーの軍服っぽい格好の、そこらにいそうな青年。外見は全く違うが、本質は同じ。信じられないほど高濃度のエーテルで編まれた魔力の塊だった。――あの鉛色の巨人と同じ。

 

「マスターってなんだよ!?」

 

 その時、廊下から二組の軽い足音が聞こえてきた。襖が開けられて、黒髪と銀髪と、二人の少女が入ってきた。

 

「こんばんは、衛宮くん。いえ、セイバーのマスターと呼ぶべきなのかしら」

 

「と、遠坂!? なんで、遠坂がここに? や、そ、それより……」

 

 穂群原高校の男子生徒が、あまねく憧れる高嶺の花、遠坂凛。しかし、その隣から敵意をこめた紅玉の視線の錐を突き刺してくるのは、先ほどイリヤと呼んだら激怒した少女だった。

 

「何のことなんだ。それに、きみ、さっきのアレは……え、なんでだ?

 俺、さっきアイツに殴られて、それで……なんで」

 

 断絶していた記憶が蘇える。月光の下、巨人の剛腕にはねとばされて、体のあちこちから鈍い骨折の音を聞いた。激痛の中、血を吐きながら這いずって逃げようとしたはず。

 

 突如として沸き起こった青銀の閃光、渦巻く風の中に現れたセイバーと名乗った少女。彼女の言葉に頷いて、それからの記憶はない。彼は混乱の極につき落とされた。いまごろになって震えが起きる。

 

「そう、そうだ。あの時、俺、もう駄目だってぐらい大怪我したはずなんだ」

 

 この言葉に、アーチャーの下がり気味の眉と目が、二十度ほど上向きに角度を変えた。

 

「あそこに逃げて、なんだか光ったと思ったら、あのセイバーって子が現れて……」

 

「なるほど。私はいままで勘違いをしていたようだ」

 

 黒い瞳がイリヤスフィールを射ぬく。それは、数百万人の部下を、一声で統率した司令官のものだった。

 

「ルール違反を犯したね、バーサーカーのマスター。

 セイバーのマスターと交戦したのではなく、

 バーサーカーに殺されそうになったから、彼はセイバーのマスターとなったんだ。

 一般人に手を出したのなら、管理者のサーヴァントとして

 君をそのままにはできない。

 彼への釈明と謝罪、賠償をしていただこうか」

 

 凛は、権限の正しい使い方というものを目の当たりにした。無力なアーチャーが、最凶のサーヴァントであるバーサーカーのマスターを、理路整然と糾弾し、冬木の管理者の代理として要求をとおす。

 

 いくら強大な魔術師でも、結局は十代の箱入り娘。軍隊という階級社会で、その最高位に就いた人間の毅然とした態度に気圧される。イリヤスフィールは一瞬言葉に詰まったが、ぷいと視線を逸らして言った。

 

「わ、わたしは昨日、ちゃんと警告をしたもの。

 早く呼ばないと死んじゃうよって。だって、令呪の兆しがあったわ」

 

「それだけかい? 彼に告げるべき内容は、

 最低でも、七人の魔術師が殺し合いを演じる聖杯戦争の参加資格者であることと、

 それにどう対応するかということだ。

 使い魔のサーヴァントの召喚なり、リタイアするなりを判断すべしとね。

 そう言わなけりゃ、警告とは呼べないね。情状酌量にはならないよ。

 セイバーが召喚されたのは、結果論でしかない。

 そして、不可解な現象で士郎君の怪我が治癒したのもだ」

 

 そう言って、イリヤスフィールの抗弁を却下する。彼が語った警告すべき内容は、そのまま衛宮士郎への簡潔な説明となった。士郎の目が大きく見開かれたが、アーチャーはかまわずに続けた。

 

「私の診たてでは、最低でも肋骨、肩甲骨、脊椎の骨折。

 それによる肺穿孔、外傷性気胸と肺動脈損傷。

 出血によってショックを起こし、心臓が止まるのが先か。

 肺に充満した血によって苦しみ抜いて溺れ死ぬのが先か。

 リミットは十五分以内。いずれにせよ、彼はもう生きていない。本来ならば」

 

 冷静な口調で、聞いているだけで痛くなるような怪我の所見が並べたてられる。これには元怪我人だけではなく、入室してきた二人まで顔色を悪くした。いや、実はセイバーもだ。聖杯を望んで召喚に応じて、すぐさま消滅を強いられるところだった。

 

 凛は従者に抗議した。

 

「ちょっとアーチャー、生々しすぎる表現はやめてくれない?」

 

「おや、マスター、君は戦いに挑む気だったんだろう?

 敗者は当然こういう傷を負い、まあ大抵は死に至る。

 救命に成功しても、残りの人生は重い後遺症と道連れだよ。

 それも承知で、参加したんじゃないのかい。

 フロイライン・アインツベルン、君もね」

 

 その気になれば、ヤン・ウェンリーはいくらでも剥き出しの皮肉や毒舌を吐けるのである。彼はこの時、本気で立腹していた。こんな年端もいかない子どもたちが、二百年姿も見せぬ聖杯とやらを奪い合って、なぜ殺し合いを演じなくてはならないのか。

 

 それは、親や保護者の教育が悪いに決まっている。聖杯戦争を魔術師としての栄誉だと、勝者にはすべての願いが叶えられるのだと教え込まれれば、子どもは疑問も持たずに『敵』を殺そうとするように育つ。

 

「なぜ、簡単に殺そうとするんだ? 人の命はとても尊い。

 失われたら、二度とは甦らない。そして、誰もその人の代わりはいない。

 君の母上のように。そして多分、父上のキリツグ氏のように。

 彼を失えば、君と同じように嘆き怒る人が、何人もいるだろうに!」

 

 こんなに真っ当に叱ってくれる相手は、イリヤスフィールのこれまでの人生にはいなかった。性格の根っこに外見相応の幼さを持つ彼女は、しゅんとして頭を垂れた。

 

「ごめんなさい……」

 

「謝るべき相手は、私じゃないよね。君にはわかるだろう?」

 

「う……ごめんなさい」

 

 ついに、彼女は白銀の頭を少年に下げた。戦い方は人それぞれとアーチャーはランサーに語ったが、これがまさにそうだった。でも、と凛は思う。完全に先生か父親だわ、こいつ。

 

「あの、ごめん。俺にはなんだかさっぱりわからないんだ。

 君が誰なのか、爺さん、いや切嗣とどういう関係なのか。

 あのセイバーって子がなんなのか。

 それよりも、なんで遠坂がここにいるのさ?

 そのアーチャーって人は誰なんだよ」

 

 衛宮士郎の疑問も、一気に堰を切って溢れだした。アーチャーは、ベレーを脱ぐと髪をかき回した。

 

「まあ、そうだね。普通はそうなるよなあ」

 

「ウソよ。だって、キリツグが養子にしたんじゃない。

 なのに、聖杯戦争を知らないわけがないのよ。

 キリツグは前回、アインツベルンのマスターとして参加したんだから!

 そのセイバーと一緒にね! そして、そのままわたしを捨てたんだからっ」

 

 アーチャーは困った顔をして、夕日色の髪の少年と新雪の髪の少女を交互に見やった。

 

「なるほど、君たちの知識に食い違いがあることはよくわかった。

 十年前の聖杯戦争がその境界になっていることもだがね。

 しかし、とりあえずは、順に自己紹介から始めるべきじゃないだろうか」

 

 イリヤスフィールとセイバーは、青年の姿のサーヴァントをぽかんと見つめた。仮にも英霊が、なんでこんなことを言い出すんだろうかと。

 

「まずは言いだしっぺの私からだね。私はアーチャー。

 そちらの遠坂凛のサーヴァントだ。

 こういった用語は、最後にまとめてマスターの凛に説明してもらうとして、

 君に問うべき大前提があるんだが」

 

「なにがさ」

 

「君が魔術師なのかということだよ」

 

「……なんで、知ってんのさ!?」

 

「え、ああ、そうきたか。これは困ったなあ」

 

 アーチャーは疲れた顔で、姿勢を崩して足を投げ出す。

 

「何ですって? よくも遠坂の管理地に潜り込んでてくれたわね」

 

「マスター、それも後にしなさい。

 ちょうどいい、君もちゃんと自己紹介するように。

 魔術師としての立場も含めてね」

 

 すっかり司会進行役に収まってしまったアーチャーを、凛は睨みつけた。

 

「私は遠坂凛よ。

 その口の減らないアーチャーのマスターで、この冬木を管理する魔術師。

 まったく、今までよくも隠れていたわね衛宮くん。おかげで大損よ。

 上納金、あとで耳を揃えて払ってもらうから覚悟なさい。

 おまけに、こんな何も知らなそうなへっぽこにセイバーを取られるなんて」

 

「セイバーじゃなくて、改めて申し訳ないね。

 じゃあ、フロイライン・アインツベルン、君の番だ」

 

「わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 聖杯の担い手にして、バーサーカーのマスターよ。

 バーサーカーを紹介するのは失礼させてもらうわ。

 この部屋は狭すぎるし、バーサーカーはしゃべれないものね」

 

「それは助かるよ。

 君と衛宮キリツグ氏の関係を、もう一度士郎君に言ってもらえるかな」

 

「私は、キリツグの実の娘よ」

 

 ルビーの瞳が、炎の色に燃え立った。

 

「爺さんに子どもがいたのか!?」

 

「失礼だがキリツグ氏はいま……」

 

「じいさん、衛宮切嗣は死んだ。五年前に」

 

 その反応と情報に、アーチャーはベレーを直すふりをしてこめかみを揉んだ。とても厄介なことを示唆していたからだ。 

 

「では、君と切嗣氏の関係は」

 

「俺は十年前にじいさんに引き取られたんだ」

 

 黒髪と銀髪の二人のマスターは、少年と青年に視線を行き来させる。先ほどアーチャーが口にしていた推論は、見事に的の真ん中を射ぬいていたのだった。

 

 凛はほとほと思い呟いた。

 

「……このぐらい、射撃もうまかったらよかったのに」

 

 アーチャーは聞こえぬふりで話を続けた。

 

「では、切嗣氏の息子さんの話を聞く前に、

 彼にはもう少し暖かい服装に着替えてもらおう。長い話になりそうだからね。

 そして、せめてテーブルにつかないか。彼が気の毒だよ。

 あんな目にあった後で、自分の寝床に美人が三人も踏み込むなんて。

 こんなに身の置き所のないものはない。男として同情する。

 さあ、マスターたちは一緒に別の部屋で待っていよう」

 

 この言葉に救われた少年は、感動さえ覚えて発言者に感謝を述べた。

 

「アーチャー、ありがとう! アンタ、いいヤツだな……」

 

「君こそ、人がよすぎて将来が心配だよ……。

 じゃあ、着替えてセイバーとも打ち合わせしてから来るといい」

 

「はあ!?」

 

 その後、セイバーが部屋の内外のどちらでマスターを警護するか、士郎と押し問答を始めたが、ヤンはさっさと二人のマスターを連れて離脱した。

 

 もう、疲れた。あとはお若い人同士、自由にやってくれという気分だった。彼本来の世界からは消えた、畳の部屋に感動を覚えながら、溜息と愚痴を一緒に吐いて座り込む。

 

「ふう、やれやれ、疲れたよ。超過勤務もいいところだ。

 給料も出ないのに、やっていられんなあ」

 

「あんたね……。やる気あるの?」

 

「君を守り、戦争の終了まで生存させるという点ならばイエスだ。

 しかし、ランサー、セイバー、バーサーカーと戦えというのなら、

 ノーと言いたいね」

 

 彼は左膝を立てると、その上で頬づえを突いた。

 

「金なら誰にも使い道があるが、魔術は万人に共通の価値があるものじゃない。

 むしろ、隠さなくちゃいけない学問なんだろう。

 しかし、公表されず、他者の検証や研究を受け付けない学問に発展はないよ」

 

「それはそうよ。魔術は過去へ向かう学問だもの。

 世界の根源に触れ、世界を塗り替える『魔法』に至るために、

 私たちは代を重ねるのよ」

 

 凛の言葉に、アーチャーは疲れたように目を閉じて答える。

 

「ビッグバンの一瞬前、一点に集中した全宇宙の質量、

 それを動かすゆらぎ、神の一撃に介入するわけかい?

 ちょっとできるとは思えないがねえ」

 

 これに目を瞬いたのは、イリヤスフィールだった。

 

「あら、すごい。よく第一魔法のことがわかるのね」

 

「なんだい、第一って?」

 

「いままでに生まれた魔法はたったの五つ。今でも使えるのはそのうちの二つだけ。

 アーチャーが言ったのは失われた一番目の魔法『無の否定』よ」

 

「そりゃどうも。無を否定するって、万物の生成ってことかい。

 なんともまあ、スケールの大きな話だね」

   

 宇宙時代の住人であるヤンは、自らの時代に主流となっている天文学の説を述べたにすぎないのだが、それも魔法だとおっしゃるわけだ。気宇壮大というより、誇大妄想が過ぎるような気がする。

 

 彼の内心はマスターには伝わらずにすんだ。凛も頷いて応じたからだ。

 

「遠坂は、第二魔法を求める家系よ。

 大師父キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの

 『並行世界の運営』が研究テーマなの」

 

「アインツベルンは失われた第三魔法を再現するのが、千年の悲願。

 『魂の物質化』と『天の杯』。

 詳しいことはアインツベルンも忘れてしまったけれど。

 その一部を応用しているのがサーヴァントの召喚らしいわ」

 

「並行世界の運用たらは想像もつかないが、魂を物質化するって、

 そりゃ幽霊を完全に実体化させ続けるってことかい?

 要するに、死者の蘇生か不老不死の研究なのか」

 

 イリヤスフィールは小さな手で拍手を送った。

 

「すごい! あなた、とっても頭がいいのね」

 

「いやいやいや、そりゃあ無理だろう。まさに魔法だがね」

 

 アーチャーは、左ひざを抱え込み、天井を仰いで嘆息した。そして、漆黒の視線を廊下に流す。トレーナーとジーンズに着替えた少年と、青と白銀の武装の少女が立っていた。

 

「なんだか、帰りたくなってきたよ。

 この聖杯戦争が胡散臭いということだけは、この二日でいやというほどわかった。

 では、重要な証言者も来たようだ。

 本当に色々とすまないが、セイバーのマスターとサーヴァント。

 君たちの話を聞かせて欲しい。まずは、もう一度自己紹介から。

 君が魔術師ならば、その立場も含めてね」



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9:ミッシング・リンク

 黒髪の青年の言葉に、衛宮士郎は口を開いた。五里霧中の状況だが、この青年は頼れるような気がしたのだ。短い間だが彼の為人(ひととなり)はなんとなく分かる。穏やかで公正、優しいが時に厳しい。それに、ただ一人士郎に助け舟を出してくれた。

 

「俺は衛宮士郎だ。十年前に衛宮切嗣に引き取られたんだ。

 魔術は切嗣に教えてもらった。一応は魔術師、いや魔術使いだ」

 

「それはどう違うんだい?」

 

「魔術師みたいに研究はしてないってこと。

 それに俺、大した魔術は使えないぞ。精々、解析と強化ぐらいで」

 

「それだって凄いと思うよ。普通の人にはできないことだろう。

 もちろん、私だってできないよ。魔術なんて、私にとっては想像上のものだった」

 

「あ、そうなんだ……」

 

 アーチャーと名乗った青年の服装は、黒いベレーにジャンパー、アイボリーのスカーフとスラックス。ベレーと襟元に五稜星を配し、左の胸にはオレンジの徽章、左上腕にはエンブレム。現代の軍服にもありそうなデザインだ。半裸の巨人や、鎧甲冑の美少女とは全然違う。 

 

「じゃあ、なんで、俺のこと魔術師って知ってたのさ?」

 

 黒い瞳が金髪の少女に向けられる。 

 

「彼女……、セイバーのサーヴァントがマスターと呼んだからさ。

 サーヴァントを召喚できるのは魔術師、

 もしくは魔術師の素養のある人間だからだよ」

 

「そ、そうなのか?」

 

 アーチャーのマスターが頷いた。

 

「そうよ。なにも知らない素質だけの素人なら話は簡単だったけど、

 魔術を使えるなら、衛宮くんのこともそのままにはできないわよ」

 

「う……」

 

 学園のアイドルが放つ並ならぬ迫力に、士郎は及び腰になった。それをみたセイバーが、膝立ちになりかける。アーチャーは両手を上げ、双方を制するような仕草をした。

 

「だから凛、それは後にしてくれ。セイバーの話が先だ。

 長いこと蚊帳の外に置いてしまって申し訳なかったね、セイバーのサーヴァント。

 君の自己紹介と、十年前の聖杯戦争の話を聞かせてくれないか。

 君のマスターとバーサーカーのマスターを繋ぐ、キーパーソン。

 衛宮切嗣氏のことを」

 

 それまで、会話に入れなかったセイバーは、アーチャーを鋭く見やった。

 

「たしかに私はセイバーのサーヴァントだ。

 だが、アーチャー、あなたにそんなことを聞かれる筋合いはない」

 

 潔癖な少女のサーヴァントを促したのは、当のアーチャーのマスターだった。

 

「気持ちはわかるけど、話した方があなたのためよ、セイバー。

 こいつは、ものすごく悪辣なヤツよ。

 ちょっとした言葉尻からでも、とんでもないことまで見抜くの。

 素直に言ったほうが、まだしも傷が浅くて済むわ」

 

「ひどいなあ、凛。そのおかげで助かったんじゃないか」

 

 凛は豊かな黒髪を、首筋から手櫛で梳き上げた。自分の従者の手口を真似て、圧力をかけてみようと思い立ったのである。

 

「それに、私は冬木の管理者(セカンドオーナー)よ。

 モグリの魔術師、衛宮切嗣と衛宮士郎は、我が家門に入るなり、

 上納金を納めて居住の許可を求めるべきだった。

 それを十年も怠ってきたんだもの、遅延金込みで請求するわ」

 

「ええっ、なんでさ!? なんで、そんなの払わなきゃならないんだよ」

 

「冬木の魔術基盤を使ってるんだからあたりまえじゃないの。

 家賃と使用料みたいなものでしょ。そのための管理者だもの。

 たとえ、月五万や十万でも十年分は大きいわよね、衛宮くん」

 

「いや、待ってくれ。一月分でも大きいぞ!?」

 

「セイバーの証言次第では、遅延金は値引き、分割払いも可としてあげるけど」

 

 これに水を差したのは、凛のサーヴァントである。

 

「日本の法律上、五年前以上の遡及請求は不当だよ、凛。

 彼が父上の跡を継ぎ、一定の責任能力を持った十五歳以降が

 支払期間として妥当だろう。

 君にも知らずに請求を怠っていたという責任があるから、

 さらにその半額ぐらいにしときなさい」

 

「あんた……、ほんとにいいヤツだな!」

 

「アーチャー、あんたね、どっちの味方なの?」

 

「法治国家で不法行為を働くのはよくない」

 

「なんですって?」

 

「君ね、軍人を何だと思ってるのかな。要するに国家公務員だよ。

 法律を守らない軍人なんて存在する価値はない。そういうことは見逃せないな」

 

 凛は座ったままよろめきそうになった。変なところが厳しいサーヴァントである。

 

「それにね、セイバーの証言次第では士郎君はそれどころじゃなくなる」

 

 セイバーが眼差しを険しくした。

 

「どういうことですか、アーチャー」

 

 アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「順を追って話すが、最初は君の自己紹介の続きから。

 十年前の切嗣氏のことを。

 まずは、バーサーカーのマスターが、本当に彼の娘なのか」

 

「はい、彼の娘がイリヤスフィールだということは間違いありません。

 しかし、本当にイリヤスフィール本人なのか……。

 今が十年後ならば、あなたはもっと……成長しているはずです」

 

 疑念を籠めたエメラルドに、怒りに燃えたルビーがぶつかる。小柄な少女は立ち上がった。

 

「嘘つきで裏切り者で、おまけに失礼なんて、

 最優じゃなくて最悪のサーヴァントね!」

 

 そして、硬度に勝るほうが相手を粉砕した。

 

「わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 キリツグとあなたが死なせたアイリスフィールの娘よ!

 本人がそう言っているのに、人の外見をどうこう言うなんて!」

 

「なっ……」

 

 アーチャーは肩を竦めた。

 

「君の怒りはもっともだし、セイバーの疑いももっともだ。

 人間は、自分の尺度でしか判断のできない生き物だからね。

 自らを知ってもらう努力も必要だよ。

 かわいそうに、一番の被害者が一番何も知らない。

 まずは、全部の事実を並べて、それを分析しないとまとまりやしないさ。

 その後で恨むなり、怒るなり、死後認知やら遺産の請求やらしたらいいんだよ」

 

「はい?」

 

 人とそれ以外の少年少女は異口同音に疑問の声を上げ、青年のサーヴァントに視線を向けた。

 

「士郎君の養父は五年前に亡くなり、相続人は養子の彼一人というわけだ。

 それは、イリヤスフィールという娘が戸籍に載っていないからだ」

 

「え、この子、外国人なんだろ?」

 

「違うよ。父親が日本人ということは、彼女には本来、日本国籍もあるんだよ。

 外国人が日本人と結婚しても日本人にはなれない。だが子供は違う。

 婚姻届を提出した夫婦の子なら、日本国籍と外国籍双方を持つのさ。

 最終的にはどちらかを選ぶんだが、それは大人になってからでもいいんだ」

 

 そう言うと、彼は拙い発音のドイツ語で、イリヤスフィールに語りかけた。

 

【こんなことを言うのは失礼にあたるんだろうが、

 君の母上は、フラウ・アイリスフィールであって、

 フラウ・衛宮ではないんじゃないのかな?】

 

 真紅が漆黒を見た。配慮のいきとどいた穏やかな示唆に、白銀の頭が頷く。

 

【ええ】

 

「つまりね、なんらかの事情で日本の行政機関に婚姻届を出していないんだ。

 そうなると、内縁の妻子ということになって戸籍に載らない。

 戸籍に載らないと相続権がないんだよ。 

 でもね、子どもには父の死後に認知をさせるという権利がある。

 しかるべき書類を添えて、裁判所に訴えればいいのさ。

 そうすれば、君の名は戸籍に載り、

 切嗣氏の遺産の四分の一は法律上君のものにできる」

 

 みな一様に目と口を見開いて、アーチャーの顔を見つめた。

 

「あんた、何者なんだ」

 

 士郎の疑問は、一同の心を代弁していた。アーチャーはもう一度肩を竦めた。

 

「私が十五の時、父が交易船の事故で亡くなってね。乗組員も全員助からなかった。

 私は社長の息子として、遺産相続というか

 負債の清算をしなくちゃならなかったのさ。

 乗組員の遺族にそういう人がいて、一緒に裁判所にも行ったものだよ」

 

「ああ、そこが私とアーチャーの似てるところだったのね。

 ……複雑だわ。性格が似てないってのは安心したけど」

 

 凛は安堵し、先日の戸籍うんぬんの疑問も同時に解消した。どおりで法律にこだわるし、しかもえらく詳しいわけだ。彼の人生経験からの知識だったのか。

 

 しかし、十五歳の少年がやらざるをえなかった、ということは。――彼にも母がいないのだ。なんて皮肉な相似。

 

「どういう意味かな、マスター。

 まあ、だからね、死んだ父親にも、そういう意味での償いをさせることはできる。

 何も知らなかった養子も、間接的にだが償うことになる。

 それでも許せないというのは思想の自由だから、誰にもどうこうは言えないが、

 全てをごっちゃにして、暴力を持ちだすのはよくないよ。争いは何も生み出さない」

 

「……お金なんていらない」

 

「うん。でも、君が切嗣氏の娘だって公式な書類に載る意味は大きい。

 望めば日本人の『衛宮イリヤスフィール』にもなれるんだよ。

 かなり手間はかかるけれどね」

 

 諄々と説かれて、ルビーの炎は鎮火に向かい、イリヤスフィールは、アーチャーのそばに腰を下ろして膝を抱え込む。セイバーの主従からは、ぷいと顔を背けたままだったが。

 

「だから、十年前にイリヤスフィール嬢と同居していた切嗣氏と、

 士郎君を引き取って死去するまで暮らした切嗣氏。

 この切れ目となる第四次の聖杯戦争のパートナー、セイバーの証言は非常に重要だ」

 

「たしかに、私はキリツグのサーヴァントとして第四次聖杯戦争に参加しました。

 しかし、キリツグが私に口を利いたのは三回に過ぎません。

 いずれ劣らぬ強敵ぞろいでありましたが、

 我が剣はどのサーヴァントにも後れをとることはなかった。

 最後に残った黄金のサーヴァントと戦い、あと少しで手が届くというところで、

 キリツグは令呪をもって私に聖杯の破壊を命じました。

 私は抵抗しましたが、重ねて命じられ宝具を抜き、聖杯を破壊しました。

 ……そこで魔力が尽き、現世から消滅しました。

 キリツグこそが聖杯を裏切ったのです」

 

 アーチャーはまた髪をかき回すことになった。これは困った。三回しか会話がないとは、銀河帝国の沈黙提督じゃあるまいに。

 

「なるほど、切嗣氏の聖杯にかける願いや、

 それを諦めた理由は君は知らないのかい?」

 

 金沙の髪が上下に振られた。 

 

「そして、君は聖杯の破壊後どうなったか知っているかい」

 

 それが今度は左右に振られる。なるほど、ここが失われた環だ。

 

「じゃあ、最後になったが、聖杯戦争後から五年前までの切嗣氏を知る、

 士郎君の証言を聞かせてくれないか。君と切嗣氏の出会いから別れまでを。

 辛いことだろうが頼むよ」

 

 穏やかな声のやさしい促しが、士郎の口を自然に開かせた。それは、□□士郎が死した日の記憶。

 

 黒と赤の世界、黒く燃える太陽。焦土の中、薪と化す数多の人々。助けを求める声に耳を塞ぎ、かつて人だった、家族であった炭化物を踏み越えながら、彼は彷徨い歩いた。助けを、救いを、安全を求めて。劫火に感情と柔らかな記憶をくべ、それでもどこかへと向かおうとして……。

 

 次の記憶は、覗き込む灰墨色の目。頬に落ち、濡らしていく冷たい雨と温かな雫。

霞む目に、その人は心から嬉しそうに、悲しそうに笑いかけ、彼を抱きしめて感謝の言葉をくれた。

 

「生きていてくれてありがとう……」

 

 そして、衛宮士郎が誕生した日。その笑顔があまりに幸せそうだったから、彼はそれを拠り所にした。命の代わりに、あの黒と赤の炎に捧げた記憶と感情。がらんどうになった心には、自分は誰かの役に立たねばいけないのだと思った誰かに喜んでもらうこと。自分が助けなかった人への償いにはならないけれど。

 

 家事がからっきしの父に代わって、料理を作り始め、家事を進んでやった。最初は下手だったけれど、父の笑顔がうれしくて、見る見るうちに上達した。

 

 切嗣は、ときおりふらりと旅行に出かけ、海外の土産をくれたが、そのたびに痩せてやつれ、落ち込んでいた。最初に助けられて、養子にならないかと言ってくれた時も、老けていたために、父さんではなくじいさんと呼んでいた。無論、照れくささもあったからだが。

 

「ああ、それはわかるよ。私は里子を預かっていたんだが、

 あの子は私を名前ではなく、階級や役職で呼んでいたものさ」

 

「へ、あんた、俺よりちょっと年上ぐらいだろ? 十八歳ぐらいじゃないのか」

 

「それなんだがねえ……。

 この聖杯、サーヴァントを生前の最盛期の肉体で召喚するんだ。

 言っておくが、私はもっと年上だ。この状態は二十歳の時だよ。

 それは、すべてのサーヴァントに言えるんだ。外見で判断はできない」

 

「そう、そうなんだよ。じいさんは、やつれて老けこんでいたんだ。

 俺もまだ小学生だったから、余計に爺さんに見えた。本当はそうじゃなかったんだ」

 

 そして、五年前の冬の夜。冴え冴えとした月光の下で、士郎は父に誓った。全てに手を差し伸べ、救済する正義の味方。父が諦めてしまった、きれいなユメを必ず実現させると。魔法使いだと言った、養父から教えられた魔術。できることならそれを使って。

 

 そんなこと、ありえない。そんな存在はこの世にいない。思わず反論しようとした凛を、アーチャーは一瞥で制止した。

 

『彼が全てを話すまで、反論は待ってくれ。

 この場だけじゃなくて、彼をよく知り、理解してからだ』

 

『だって、おかしいじゃない。あんな考え方!』

 

『典型的なサバイバーズ・ギルトだよ。

 私の国ではありふれているが、この平和な国では本当に珍しい。

 だから、周囲もケアの方法を知らないんだ。

 というより、病気だとは思わないのさ。だから、安易に責めてはいけない』

 

『病気ですって!?』

 

『重症だよ。でも、私も人の事は言えない。何度も思ったものさ。

 あの時、船を降りなければよかったのにとね。

 そして、きっと、もっとひどいことを巻き起こしただろう。

 身につまされるよ。死んでから思い知らされるとは、皮肉なものだ』

 

 アーチャーは、黒い瞳を伏せた。士郎少年の養父が、彼の言葉に一際嬉しそうな笑みを浮かべて、そして座ったまま、静かに息絶えたというくだりを聞いて。

 

「じいさんが死んで、俺ははじめてじいさんの歳を知った。

 まだ、三十四歳だったんだ」

 

「じゃあ、第四次聖杯戦争当時は二十九歳ということだね。

 そして切嗣氏は、その前はイリヤスフィール君の母の実家で暮らしていたんだね」

 

 白銀が無言で頷く。

 

「さきほど教えてもらった君の年齢から逆算すると、

 彼は二十歳そこそこで魔術の名家から、

 婿入りを乞われるような魔術師だったということになる。

 ……どういう魔術師だったんだい? 

 十代半ばから活動したとしても、研究で名を成せるとは思えないんだが」

 

「アインツベルンの魔術は、あんまり戦闘向きじゃないの。

 だから、名うての傭兵として、キリツグを雇い入れたんだって、お爺さまが」

 

「は? 傭兵ってなんだい」

 

 物騒な単語に、アーチャーだけでなく、高校生コンビも目を瞬いた。前回も参加したという剣の従者が口を開いた。

 

「キリツグは、外道の魔術師を仕留める、フリーランスの暗殺者だったと。

 魔術師殺し、とも呼ばれていました」

 

「他の参加者から?」

 

「はい」

 

 アーチャーはベレーを脱ぐと、眉間を揉みしだいた。

 

「ちょっと待ってくれ。

 それでも活動期間は、やはり十代後半だってことに変わりはないんじゃないか?

 いやはや、何だかわからないが、君たちにとっては、

 切嗣氏の個人史を知ることが重要だろうなあ」

 

 衛宮切嗣の娘と養子は、この指摘に目をまん丸にした。娘は戦争前の父しか知らず、養子はその後の五年間の父しか知らない。声を荒らげたのは、セイバーだった。

 

「なにを悠長な!」

 

「いや、セイバー、前の戦いの検証は非常に重要だよ。

 また同じ轍を踏む羽目になるかもしれない。

 幽霊の我々が、無辜(むこ)の人間に害を及ぼすなんてあってはならないと思う」

 

「戦いになれば、そんなことばかり言ってはいられない!」

 

「たしかにそうなのかも知れないね。私はその点はとても恵まれていた。

 さいわい、そういう事が可能な時代であり、戦場だったんだ。

 君と私は時代や立場が違っている。それは論争しても始まらないことだよ。

 君の気を悪くしたのなら、すまなく思うが」

 

 そして、ぺこりと黒い頭を下げる。見守っていた高校生らは、非常に微妙な気分になった。外見は似ていない兄妹の喧嘩、だが内容は娘を諭す父親だった。

 

「ところでね、セイバー。

 彼らにとって、亡き父を知るための調査と聖杯戦争はまったくの別物さ。

 二週間で終わるものではないだろうし、終わらせるべきものでもない。

 それは混同しないでほしい」

 

「っ……。わかりました」

 

「だから、バーサーカーとセイバーのマスターは、

 互いを殺さぬようにすべきじゃないだろうか。

 この戦いの後も、父のことを知ることができるように。

 サーヴァント同士が勝負をつけるのは、仕方がないのだとしてもね」

 

「心配はいらないわよ、アーチャー。

 わたしのバーサーカーは最強なんだから。

 セイバーみたいなザコ、敵いっこないもの」

 

「そういう言い方はレディにふさわしくないと思うなあ」

 

「むー」

 

 これは『カリスマA』の産物というよりも、父性に富んだ受容的な性格と、柔らかで情理を巧みに織りあげた語り口がもたらすものに違いない。父の愛情に飢えていただろうアインツベルンのマスターがすっかり懐き、衛宮士郎も彼に好感を持っているに違いない。

 

 なんて、ファザコンホイホイ。

 

 一番反感を抱くだろうセイバーが、アーチャーを脱落させてやりたいと思っても、どちらかのマスターから制止がかかるだろう。

 

「ちょっと待ってよ。アーチャー、あんた衛宮くんを聖杯戦争に参加させる気?」

 

 漆黒が琥珀を見つめた。

 

「それは、士郎君の意思次第だよ。しかし、これも言わなきゃいけないだろう。

 セイバーが召喚され、それは冬木にいる他の主従の感知するところになっている。

 こうなると、リタイヤします、記憶も抹消しますじゃ、逆に危険な気がするんだ。

 それに十年前の事情を知るためには、セイバーの助力が必要でもある」

 

「いや、参加するよ、遠坂。俺も、十年前の事が知りたい。

 それ以上に、じいさんのことを知りたいんだ。

 俺を引き取る前の事も。俺、じいさんに娘がいるなんて知らなかった。

 でも、今思うとさ、けっこう頻繁に海外旅行してたのは、

 君のこと迎えに行こうとしてたのかもしれない」

 

「そんなの、ウソよ!」

 

 アーチャーは髪をかき回した。海外旅行、ね。彼に聖杯が囁く。それに必要なものを。彼の国、彼の時代にも似たシステムは残っている。遥かな時が流れても、人間の考えることに大きな違いはないのだろう。

 

「傍証となるものはあるかもしれないよ」



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10:快刀乱麻

「傍証となるものはあるかもしれないよ」

 

 その言葉に反応したのは息子のほうだった。

 

「本当なのか!」

 

 ほんとうに養父思いの、なんていい子なんだろう。

士郎にとって、衛宮切嗣は本物のヒーローだったに違いない。

 

「切嗣氏の死後、返還してしまったかもしれないんだが、

 パスポートが残ってたら、それに出入国のスタンプがあるはずだ」

 

 またまた少年少女は呆気にとられた。凛はアーチャーの袖を引っ張った。

 

「ねえ、ちょっとアーチャー。それが証拠なの?」

 

「とっても有力かつ公的で客観的な証拠だよ。

 出入国管理ってのは、国がやってるんだからね。

 普通に旅行したなら、必ず通るんだ。君もそうだろう?」

 

 異国から参加したイリヤスフィールは反射的に頷いた。

 

「士郎君によると、切嗣氏は体調が思わしくなかったようだ。

 そんな人がけっこう頻繁に、スパイよろしく密出入国はしないと思うんだがね。

 探してみる価値はあるんじゃないかなあ」

 

 士郎が顔を輝かせて立ち上がった。

 

「ちょっと持ってくる! 形見に取っといたんだ!」

 

「待ってください、シロウ!」

 

 ぱたぱたと駆け出す彼の背を、甲冑を鳴らしてセイバーが追った。

 

「……お役所仕事ってすごいのね」

 

 凛はつくづく感心した。セイバーとバーサーカーのマスターの関係が、

たった一冊のパスポートで改善に向かうのかもしれない。

さすがは元国家公務員のサーヴァント。公式文書というものを武器にする。

若年の魔術師たちと、知識とその方向性がまったく違うのだ。

 

「ああ。そして、こういうものも、重要な記録のひとつなんだよ。

 切嗣氏が、ドイツに長期滞在した時期の物が残っていると更にいいんだがねえ」

 

「どうして?」

 

 首を傾げたイリヤに、アーチャーが苦笑いして告げた。

 

「イリヤスフィール君が、認知の裁判を起こすときの有力な証拠になる。

 というか、なったんだ。しかし、とても大変だったんだよ。

 だから、部下には認知届を出すようにと言ったものだ。

 男ならば生きているうちにやっておくべきだとね」

 

 嫌な思い出だったのか、渋面になるアーチャーに、二人のマスターは翡翠とルビーを点にした。

 

 これまた生々しい……。英霊にまでなった英雄だろうに、えらく俗っぽく現実的なことを言う。それに助けられたのは事実だが、なんだか夢のないことだ。というよりも、高いカリスマ性は、アレな部下を持って、苦労しての産物なのだろうか。

 

 廊下から二つの足音と、鈴のような金属音が戻ってくる。

 

「おや早かったね。

 しまっていた物がすぐ出てくるなんて、君も家事の達人なんだろうなあ」

 

「なあ、アーチャー、これのどこに載ってるんだ!?」

 

 士郎の手からパスポートを受け取ると、アーチャーは最初のページを開いた。

 

「まずは、イリヤスフィール君に確認しよう。

 この衛宮切嗣氏は、間違いなく君の父上かい」

 

 そこには、ぼさぼさとした髪に無精ひげ、あまり精気がない男性の顔写真があった。

彼が三十代前半に見えるか、というならヤンも首を横に振る。自分に似ていると言われても首を振りたいところだ。ここまで疲れた目をしてはいないと思いたい。

 

「そうよ……。キリツグに間違いないわ。

 でも、アインツベルンにいた時は、こんなにおじいさんみたいじゃなかった」

 

「うん、じゃあね」

 

 アーチャーの手が、さらにページを繰る。

 

「あった、これだね。ドイツ、フランクフルト空港のスタンプ。

 ミュンヘンとベルリンもある。

 随分足を運んだんだね。これの更新から、五年前までの二年で計八回だ」

 

 少なくない回数だった。

 

「キリツグは、わたしのことなんて忘れたんだと思ってた……」

 

「そうじゃないと思う。聞いてくれ、イリヤスヒールちゃん!」

 

「下手な発音ね。……キリツグとおんなじ。

 お母様のことも、うまく呼べなかったし。

 いいわ、イリヤと呼ばせてあげる。

 ただし、『ちゃん』はいらないわ。

 次にいったら殺すから」

 

 釘、いや氷柱を打ち込まれて士郎は怯んだが、気を取り直して雪の妖精に訴えた。

 

「う、じゃあ、イリヤ。爺さんは、外国に行くたび、やつれてきてさ。

 俺を引き取った頃に比べて、この写真はさらに老けてるんだ。

 変なお土産くれるたびに、笑ってても悲しそうだった。

 絶対に、イリヤのこと忘れてなんかいなかったと思う。

 ……死んじまったの、最後の旅行から一月も経ってなかったんだ」

 

 空気が密度と質量と湿度を増した。セイバーがアーチャーに縋るような視線を送る。

ここまでのやりとりで、自分の言葉はイリヤにとっては逆効果だと思い知らされたのだ。

 

「そういうことだよ。人の行動は記録に残る。でも、心はなかなか残らない。

 日記なんかつけてれば多少違うけど、人は簡単に本音を出せないからね。

 それに勘違いもするし、物忘れをしたりもする。

 記憶力というやつは、男の苦手分野でね。女の人には敵わないんだ」

 

 ふと微笑んで、黒髪をかきまわす。アーチャーには珍しい、照れ笑いに近い表情だった。

 

「だから、周囲の人の言葉を丹念に集めて、よく考えてみないとわからない。

 それでも、なお正解はない。

 当然だよね。自分の心でさえ完璧に理解できる人間はいない」

 

 アーチャーは凛にちらりと笑みを向けた。ここに乗り込む前に、心の贅肉なんて発言を繰り返しながら、顔見知り程度の同級生を見殺しにはできなかった、心優しいマスターを。

 

「自分を含めた人の心を解明できたら、それこそが魔法だと私は思うよ。 

 私たちサーヴァントだって、元はその不完全な人間だ。

 ろくに交流がないマスターの心を推し量るのはとても難しい。

 だって、時代も国も立場も違う。セイバーは性別も違うね。

 私のマスターと彼女のマスターは、同じ国の同じ高校生だが、

 同じ学年でも顔見知り程度だからね。

 やはりお互いの心の中のことなんてわからないと思うよ」

 

「じゃあ、なんのためにそんなことをするの?」

 

 アーチャーは、自分の傍で膝を抱えた小さな少女に向き直ると、細い両肩に優しく手を置いて語りかけた。

 

「それはね、イリヤスフィール君、君が納得をするためだ。士郎君もだがね。

 死者を知り、その思いを推し量り、自分なりに理解できるように。

 それだって正解はないけれど、自分が出した答えであることが重要なんだと思う。

 そうなってようやく、自分のほんとうの思いがわかる。

 悼んで泣くのか、やはり怒って恨むのか。そして、その後にどうするのかね」

 

 アーチャーの言葉に、イリヤはスカートを握り締めた。自分にはこの戦争の先はない。そんなことは知らぬ、すぐに敗退するかもしれないサーヴァントが、こんなに真摯な言葉をくれるとは。

 

 士郎も悟らざるを得なかった。これは、十七、八の人間に言えることではない。もっと、ずっと人生経験を積んだ者の言葉であった。自分の姉貴分の現役高校教師が、爪の垢を押し頂いて飲むべきである。

 

 温かな手が少女の肩から離れ、彼はマスターへ顔を向ける。

 

「それでね、凛。君もまた、聖杯戦争の孤児だ。

 彼らの父の過去はおそらく我々の調査の疑問とも重なることだよ」

 

「ええ。私の父も前回の参加者だったわ。

 でも、どういう状況で亡くなったのかはわからない。

 そしてセイバー、あなたが現世から消滅した後、この街は大災害に見舞われたのよ。

 死者五百名以上、焼失家屋は百棟以上。

 冬木の平年の約一年分にあたる死者だったわ。

 あなたのマスターの体験した地獄絵図よ」

 

 セイバーは緑柱石の瞳を見開いた。

 

「そんな、そんな馬鹿な!」

 

「それと聖杯戦争が、まったく無関係だとは思えないのよ。

 もしも聖杯を手に入れるとしても、それがわからないうちは使えたものじゃないわ。

 冬木の管理者としては、調査中の停戦を申し入れようと思ってる。

 聖堂教会の監視役にね。

 新都の集団昏倒と吸血鬼、深山町の一家惨殺、うちの学校の結界。

 全部サーヴァントの仕業よ。

 こんな連中野放しにして、戦ってなんていられないでしょ。

 いつ背中から刺されるか、わからないもの」

 

「なっ…なんだって!? ウソだろ、遠坂」

 

「信じられないわ。

 そういうことがないように、アインツベルンは

 英雄だった英霊召喚の術式を組んだんだもの」

 

「残念ながら嘘じゃないんだよ、これがね」

 

「では、どうして私たちにそれを明かしたのですか、トオサカの主従よ」

 

 美しい少女の詰問に、士郎ならば顔を赤くしただろうが、ヤン・ウェンリーの美貌への耐性は高い。敵対していた皇帝ラインハルト、かの絶世の美青年のほうが迫力があると思う。

 

「まず、君たちセイバー陣営には時間的にできないから」

 

 しごくあっさりした回答に、剣の主従の肩の力が抜けた。

 

「次に、さきほどのバーサーカーでは、ああいう事件はできないし、

 飛び抜けた力量のマスターのおかげで、その必要もないからさ」

 

 凛も腕組みして頷き、イリヤスフィールは自信ありげに微笑んだ。バーサーカーのマスターも、従者に劣らぬ化け物魔術師だった。魔術回路の量といい、生成できる魔力といい、並みの魔術師百人分の凛のさらに上を行く。それに、あの二メートル半の巨人では、吸血鬼や一家惨殺という『等身大』の犯行は不可能。

 

「あれは、食うに困ってるサーヴァントじゃないかなあ。

 特に、吸血鬼はあからさまにそうだ。

 血には魔力が含まれるそうだが、行き当たりばったりがすぎる。

 こんな事件が続いたら、夜歩きする人は減ってしまう。

 あるいは、近いうちにそれをどうにかする方法を構築中なのかもしれないがね」

 

 凛と士郎はアーチャーの顔を凝視した。

 

「それが、学校の結界っていうことなの?」

 

「推論にすぎないよ。だが、容疑者はぐっと減った。

 キャスター、ライダー、アサシンの三騎だ。

 昏倒は柳洞寺のキャスターの可能性が高く、ゆえに容疑順は低い。

 あとは、半々ってところだね。

 しかし、よりによって、なんで学校を選んだんだか」

 

「なんでさ」

 

「結界が発動したら、数百人が融解させられるそうだ。

 だが、あんまり子どもの帰宅が遅かったら、親が連絡なり迎えなり寄越すだろう。

 実際はそこまで猶予はない。業者やその他の来客がもっと早く来るだろうからね」

 

「はあ!? 遠坂、本当にそんなシロモノが仕掛けられてんのか!?」

 

 驚愕する琥珀の瞳。士郎の理解力もそろそろ限界に達しようとしていた。しかし、冬木の管理者は無慈悲に頷いた。

 

「ええ、発動まで一週間くらいはかかる見込みだけどね」

 

「だが、魔術の秘匿、という点で完全にアウトだろうに。

 もしも私がやるなら、不特定多数の人間が出入りし、

 発動で多数の死者が発生しても、誤魔化しおおせる場所を選ぶね」

 

 アーチャーは、さらりと恐ろしい事を口にした。

 

「……どこさ」

 

「駅だよ。朝夕のラッシュ時、電車がホームに入った瞬間を狙う。

 事故で死者多数、遺体が損壊したとしても言い訳が立つ。

 ついでに、ここは遠坂のマスターの生活圏に入っていない。

 邪魔もされないってわけさ」

 

 衛宮家の居間に集っていた少年少女の顔から、血の気が一気に引いた。このアーチャー、バーサーカーとは別の意味で怖い。あちらは外見が鉛色だが、こちらは腹の中が真っ黒だ。

 

「それほどに恐ろしいことができるサーヴァントだということを、

 マスターは理解しているんだろうか。

 そして凛、君もようやく深刻性に気がついてくれたみたいだね」

 

「だから、あんた、学校に仕掛けた時点で齟齬があるって言ったのね」

 

「ああ、自分の力を一番理解しているのはサーヴァントだ。

 少なくとも、その意見をマスターが充分に聞かないのか、

 サーヴァントが黙っているのかとは思う。

 学校で死ぬのも、駅で死ぬのも、死者にとっては同じことだ。

 いずれにせよ、一般の市民にとって最も危険な陣営だ」

 

 琥珀と緑柱石が互いを見つめ、小声で会話を交わした。

 

「なあ、セイバー。俺、アーチャーのほうがおっかないと思うんだ」

 

「同感です、シロウ。アーチャー主従から目を離さぬほうがいいでしょう」

 

「でも、学校の結界をどうにかしなくちゃならないよな。

 俺は遠坂に協力したい。だって、俺には何にもできないからさ。いいか?」

 

「賛成します。城を脅かされて、立たぬ城主はいない」

 

 そう言ってセイバーは頷いた。

 

「じゃあ、俺にも協力させてくれ。学校の結界のこと。

 そういえばお礼もまだだっけ。ありがとうな、遠坂とアーチャー。

 で、ごめん、イリヤ。

 知らなかったとはいえ、俺が爺さんをとっちまってたんだよな」

 

 本当に真っ直ぐな気性をした、いい子なんだよなあ。だからこそ、性格の偏りが気になるわけで。

 

 普通はもっと恐れ、イリヤに隔意を抱く。凛とヤンに不審の目を向け、警察を呼ぼうとするだろう。父の死に、もっと打ちひしがれ、泣き喚き、周りに心配を掛けたっていいのだ。それが当たり前の反応であり、子どもの感情というものだろう。

 

 周囲にとって理想の反応をするように、自分をコントロールしているかに見えて、とても気にかかる。

 

 そう思うのは、どことなく被保護者に似た少年だからか。よく見ると、感じのいいなかなかのハンサムくんでもある。ちょっと表情が乏しいのと、口調がぶっきら棒なので損をしているのではないか。

 

 だが、そんな彼の笑顔にはなかなかの破壊力があるな、とヤンは思った。年齢は違えど、いずれ劣らぬ美少女たちが、頬を赤らめているではないか。

 

 やれやれ、甘酸っぱい思春期で微笑ましいことだ。そう考える妻帯者であった。こんなろくでもない聖杯戦争の渦中でなければ、どんなによかったことか。ヤンのこんな思いだって、代償行為に過ぎないのかもしれないが。

 

「……まだ、許したわけじゃないわ。

 でも、アーチャーの言うとおり、キリツグのことは知りたい。

 お母さまを死なせたのに、なぜアインツベルンを裏切ったのかも」

 

「まあまあ、そいつは明日以降にしないかい。もう夜も遅い。

 こういうことは、夜にぐるぐると考えても、あんまり実りはないんだ。

 とりあえず凛、監視役に一報を入れた方がいいね」

 

 アーチャーの提案に、凛の柳眉が寄った。

 

「あいつに何を話すのよ」

 

 聖堂教会と魔術師は、本来敵対関係にある。あまり手の内を晒したくない。 

 

「事実を伝えればいいのさ。

 君がアーチャーを召喚し、アインツベルンとセイバーのマスターと接触した。

 三者協議の結果、十年前の聖杯戦争について、調査検証が必要と判断した。

 冬木の管理者遠坂と、はじまりの御三家アインツベルンの名において、

 停戦を申し入れするとね」

 

 言われるがままに、凛は教会へと電話した。今度は、アーチャーに操作をさせてだが。電話帳に登録した番号を呼び出し、通話ボタンを押すのはまだちょっと無理だ。

 

 いけ好かない凛の後見人は、彼女の申し出にしばし言葉を失い、ややあってから

明日、三者で出頭すべしとのみ答えた。凛はすかさず通話終了ボタンを押した。

 

 この携帯電話、いままで敬遠していたがなかなか便利だ。受話器を叩きつけるよりも、ずっと優雅に会話を打ち切れる。遠坂の家訓にふさわしいと言えよう。

 

「明日、三人で来いですって」

 

「時間の指定はないのかい」

 

「別にないわよ」

 

「じゃあ、マスターたちがきちんと休息してからでもいいね。

 魔力は生命力なんだろう」

 

「アーチャー、学校の結界はどうすんだ?」

 

 士郎の言葉にアーチャーは首を振った。

 

「昨晩、凛が邪魔する措置を取った。こいつの挽回もあるから、

 今日明日は大きな展開はできないだろう。

 もともと発動に一週間はかかるし、

 さっき言ったように息のあった陣営とは思えない。

 そのうえ、マスターは知識がないのか、あるいは自己顕示欲が強いよ」

 

「どういうことさ?」



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11:危機

「どういうことさ」

 

 士郎は眉を顰めると、アーチャーに問いかけた。この青年は、自分なら、学校ではなく駅に結界を仕掛けると言った。軍人と思しき服装だから、戦闘に関しては士郎よりも詳しいだろう。

 

 そんな士郎の予想どおり、いや、それ以上の推論が返ってきた。

 

「凛の存在を知らず、他の手段を考えられないのなら前者。

 凛のことを知っているのに、あえてやっているのなら後者だ。

 前者なら早々に尻尾を出すし、後者ならジュコクに干渉を続ければ、

 早晩なんらかの形で接触してくるんじゃないかな」

 

「お、おう……。そしたらどうするんだ?」

 

 アーチャーは髪を掻き回した。

 

「やり口が傍迷惑すぎるし、あんまり同盟に値する陣営とは思えないな。

 早めに決着をつけたいところだね」

 

 ルビーの瞳が瞬き、新雪の髪がさらりと音を立てて傾げられた。

 

「あら、どうして」

 

「三日後は伝説の英雄との会食なんだ。戦いを忘れて会話をしてみたいんだ」

 

 凛は、思わず彼の襟元に掴みかかった。

 

「ねえ、あんた、言うに事欠いてそっち優先なの!?

 もうちょっと真面目にやんなさいよ!」

 

 がくがくと揺さぶられながら、アーチャーは呑気に言った。

 

「いやあ、それが私の元々の目的なんだし、いいじゃないか。

 死んだあとまで目の色変えて、戦う意欲はないよ。

 生前、散々やったんだ。もう勘弁してほしいなあ」

 

 やる気のない台詞に、士郎は疑念を露わにした。この線の細い容貌の青年に何歳か、いや二、三十歳を取らせたところで、到底英雄らしくなるとは思えない。

 

「やったって、戦いを?」

 

「それも、多勢に無勢の絶望的な負け戦をね」

 

「そっか、軍人っていってたよな、アンタ。でも、ものすごくえらい人なんだろ?」

 

 士郎も、こういうミリタリー系の服装には多少の知識はある。襟元のはたぶん階級章だ。一本線の中央に大きな五稜星。軍の階級章には一定のルールがある。星は相当な高官の証拠だ。

 

「まあ、小さな国の軍だったからね。人口はこの国の四十分の一ぐらいさ」

 

 最終的な所属国の人口は嘘ではない。それ以前は、人口百三十億人の国家の軍のナンバー3であったが。なお、ヤン・ウェンリーが率いた軍の兵員数は、エル・ファシル国民とは別に二百万人以上である。

 

 否定せぬ口ぶりに、士郎は重ねて聞いた。

 

「じゃあ、大将とかなのか」

 

「いや、元帥だが、名ばっかりさ」

 

 想像を上回る答えが返され、現代人はぽかんとするしかなかった。セイバーは、彼らとアーチャーを交互に見るしかできない。聖杯で知識を得ても、じゃあ完璧に理解できるかというとそうでもない。生前に、概念のないことを理解するのは難しいものだ。

 

 アーチャーは、気のない素振りで手を振った。

 

「有能な年長者がみんな戦死してしまってね。元々は繰り上げ人事の産物だ。

 私も一回ぐらい戦略面で優位に立って、

 数に任せた勝利ってのを味わってみたかったよ、ほんと」

 

「では、これがそうだと?」

 

「いいや、違うよ、セイバー。

 もっと夢だったのが、戦わずに平和的な交渉を行うことだ。

 士郎君とイリヤスフィール君、そして私のマスター。これで七分の三。

 うち、御三家の三分の二が停戦の申し入れをすれば、監視役も拒めないと思う。

 できればあと一人、賛同者を募って、停戦及び調査に移行したいなあ」

 

「では、聖杯はどうなるのですか!」

 

「うん、調査をすればね、それを手に入れて使う価値があるかだとか、

 みんなが妥協できる案だとか、なにか方法が見つかるんじゃないかと。

 ここにはマスターが三人、サーヴァントは三騎。

 聖杯を欲しているのはそれぞれ一人ずつ。

 そのへんはね、やりくりがつくんじゃないかなあ」

 

 イリヤの眉が吊りあがった。

 

「冗談じゃないわ!」

 

「なんで怒ってんのさ、イリヤ」

 

「最終的にわたしとセイバーに組めと言ってるの!

 あなた、どちらかに殺されてもいいって、そういうこと!?」

 

 士郎は愕然とアーチャーを見つめた。自らを担保にした交渉。生前養父が言っていた。十のために一を切り捨てていたと。だが、その一に自分を据えてテーブルに乗せる。このおとなしげな青年の姿のサーヴァントは、切嗣よりも苛烈な存在なのかもしれなかった。

 

「そんなのやめてくれよ!」

 

「わたしだって許さないわよ。令呪を使ってでもね!」

 

「いやその、先走らないでくれ。あくまで調査結果次第だよ。

 事と次第によっては使用不可な物かもしれないしね。

 そのためには、専門家の知識が欲しい。柳洞寺にいるらしきキャスター。

 彼または彼女をこちらに引き込みたいんだ」

 

「討ち入るのですか、アーチャー」

 

 凛が見てとれるセイバーの能力は、アーチャーよりも余程に高い。へっぽこマスターのせいで不備が発生し、本来の能力を発揮できないようだが、それでもなお驚異的な対魔力だ。凛の目には金剛石のようにも見える。この神秘が薄れた現代、最高峰の魔術師であっても、彼女に傷をつけることはできないだろう。キャスターには、絶対的なアドバンテージとなる。

 

「いやあ、私たちに必要なのはキャスターの頭脳であって、首級じゃないんだ。

 まずは交渉してみようとは思う。これも明日、ああもう今日か、もっと後にしよう。

 より重要な問題から片付けるべきだ。士郎君」

 

「へ?」

 

「士郎君は一人暮らしのようだが、このセイバーを同居させて大丈夫なのか。

 彼女、霊体化ができないって言っていたんだが……」

 

 アーチャーの言葉に、凛は碧がかった蒼い瞳を瞬いた。

 

「そう言えばそうだったわね。でも、さっきは衛宮くんが重体だったじゃない?

 今はどうかしら、セイバー」

 

 金砂の上で、蒼い蝶が右往左往する。

 

「いえ、やはりできないようです」

 

 黒髪の主従は顔を見合わせた。

 

「では、あと二週間前後、彼女を住まわせて誤魔化しとおせるかな?」

 

 とんでもないことを言われて、士郎は目を剥いた。

 

「え、ま、待ってくれよ! セイバーが同居するって!?」

 

「やっぱり……。ハプニング召喚っぽかったもんね」

 

 凛はイリヤスフィールを軽く睨んだ。

 

「衛宮くんは聖杯戦争のこと何にも知らないみたいだし、

 不備が出るのも無理ないかもね。

 まったく、余計なことしてくれちゃって」

 

「だ、だって……」

 

 イリヤフィールは首を竦めた。

 

「でも、もう後戻りもできないしね。なんとかするしかないわよ。

 ちょうどいいわ、衛宮くん。ついでにサーヴァントの説明をしとく」

 

 凛は簡単にサーヴァントについて説明した。サーヴァントとは、偉業によって精霊の域に昇華した英雄の魂の分霊を、『座』から呼び出したもの。通常の使い魔とは一戦を画す最上級のゴーストライナー。その本来の姿は霊体。

 

 あの巨体のバーサーカーが姿を消したのは、その状態に戻ったからだ。霊体であるサーヴァントは、通常の武器で傷つけることはできない。

 

「本来、とても人間の魔術師が敵う相手じゃないわ。……本来は」

 

 凛は、胡坐をかいて、暢気に欠伸している黒髪の従者を睨みながら言った。衛宮士郎のセイバーの凛とした佇まいに比べると、なんとも緊張感に乏しい。

 

「マスターの体に浮かぶ令呪が、サーヴァントに対する三回だけの絶対命令権。

 うまく使えば、魔法の一歩手前のことまで可能になる。

 たとえば、離れたところからサーヴァントを一瞬にして転移させるとかね」

 

「じゃあ、霊体化しろって言えば……」

 

 手の甲の赤い痣を凝視する士郎だった。口調に78パーセントぐらいの本気が込められている。長い睫毛を半ば伏せた凛は、容赦なく問題点を指摘してやった。

 

「実体化できなくなったらどうするのよ」

 

「そうなのか?」

 

「可能性はあるんだから、そんな使い方は駄目に決まってるわ。

 今度は実体化しろなんて命じていたら、幾つあっても足りないでしょう。

 サーヴァントはサーヴァントでしか倒せない。

 わたしのアーチャーだって、この場のどの人間よりもずっと強いのよ」

 

 士郎は、また欠伸をした青年に疑いの目を向けた。

 

「その気持ちはよくわかるが、これは本当だよ。

 しかし、話を元に戻そう。

 セイバーと二週間同居して大丈夫かい?」

 

 セイバーは、士郎がこれまでに見たこともないほどの美少女だ。さっきの巨人の姿が見えなくなったのは、本来の状態を取ったということがわかった。だが、彼女にはそれが出来ないというのだ。士郎の顔から一気に血の気が引いた。

 

「そんな、困るよ! 

 うちには後見人のとこから、姉貴分がしょっちゅうメシをたかりに来るんだ。

 部活の後輩の子も、料理の手伝いとかに来てくれるし。

 そこに、いきなりこんな可愛い子がいたら……」

 

 マスターからの正直な賞賛に、セイバーの白い頬が微かに赤らんだ。アーチャーも腕組みをして、彼女の美を誉めたたえる。

 

「しかも、黄金の髪にエメラルドの瞳、白銀の甲冑に蒼いドレス。実にお美しい。

 伝承の女騎士とは、かくあってほしいという理想そのものだよ。

 ただ残念なことに、現代日本で一般家庭を訪問する姿ではないんだよなあ」

 

 そうなのだ。最後に付け加えられた言葉が、最大の問題である。

 

「しかし、私は騎士としてマスターを守らねばなりません。

 アサシンのサーヴァントは、同じ部屋に潜まれてもわからぬほどの技量の持ち主。

 私は、シロウの傍を離れるつもりはない」

 

「でもねえ、セイバー。

 あなたがそのままの姿で、うまい言い訳もなく同居なんかしてごらんなさい。

 二週間後の衛宮くんは、命は無事でも、社会的には死んだも同然よ」

 

「まあ、そうだろうね。世間の目ってのは厳しいからなあ」

 

 黒髪の主従はそろって頷き、夕日色の髪の主は、座卓に突っ伏してしまった。遠坂凛の言うとおりだ。どんな罵声を浴びせられるか、あらぬ噂が立つか。

 

 ――衛宮士郎は、コスプレさせた金髪美少女を囲っている。

 

 別の意味で人生が終了してしまう。とても正義の味方にはなれないんじゃないか!?

いや、士郎だってそんな噂のある人間を、正義の味方だなんて思えない。

 

 むしろ人間のクズじゃないか!

 

「だ、駄目、駄目だ! 頼む、セイバー、せめて普通の服に着替えてくれ。

 ああ、でもどうしようって……、もうこんな時間じゃないか!」

 

 居間の時計を見上げると、すでに午前二時を回っていた。あと三時間ちょっとで、早起きの後輩が来てしまう。その一時間後、教師としてはレッドゾーンの時間には後見人の娘が。間桐桜と藤村大河。士郎にとっては妹分と姉貴分。口下手な士郎の言い訳なんて、即刻ばれて、……修羅場がやってくる!

 

 二週間後の社会的な死よりも、すぐそこに迫っている危機だ。なにやら馴染みのある声で、幻聴が聞こえてきて、ぶるぶると夕日色の頭を振る。

 

 そして、衛宮士郎は真剣に己が生命を危ぶんだ。ゆえに最も頼りになりそうな者に縋ることにした。

 

「――た、助けてください、遠坂さん。

 弟子入りでも上納金でも払うから、

 そちらのアーチャーさんのお知恵を貸してください。

 お願いします!」

 

 これが伝説の日本の風習、土下座なんだ。アーチャーはまた黒髪をかき回した。長めでやや癖のある髪が、すっかり暴風の中でマラソンをした状態だ。

 

「そのね、士郎君。顔を上げてくれ。私より適任者がいる。

 君のごきょうだいにお願いしなさい」

 

「は?」

 

 士郎は呆気にとられた。



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12:偽装

 間桐桜は、穂群原高校の一年生だ。弓道部に所属する、おとなしやかな印象の美少女で、一年生のナンバーワンとの呼び声も高い。特徴的なのは、藤色と薄墨の中間のような髪と瞳の色。そして年齢の割に豊かな胸だ。

 

彼女はいつものように、弓道部の先輩である衛宮士郎を訪れた。朝六時、朝食の手伝いである。朝の挨拶をしながら、玄関の戸を開ける。そして立ちすくんだ。

 

 玄関を埋める、靴、靴、靴。それも多分、みんな女物だ。目を引くのは、鮮やかな紫色の小さなブーツ。三足の黒いフラットパンプス。いずれも艶やかで滑らかで、一見して高級品。それに混じるのは不似合いな、桜には見慣れた穂群原高指定のローファー。ただし、桜の靴ではない。

 

「せっ先輩っ! 一体何が……と、遠坂先輩……?

 なんで、遠坂先輩が……」

 

 桜の声に、現れたのは穂群原高校のナンバーワン、遠坂凛だった。キャメルのブレザーに赤いリボン、黒いフレアスカートの制服。それ自体は桜と一緒だが、スカートに座り皺がつき、いつもの完璧な身支度にはほど遠い。よくよく見れば、美しい翡翠の瞳の下に、薄っすらと隈ができていた。

 

「あら桜。今、ちょっと込み入った話になっちゃってて」

 

「今って、どういうことなんですか。こんなに朝早くに……」

 

 桜の詰問に、凛は腕時計に目を落とした。

 

「やだ、嘘、こんな時間!? 信じられない……。

 実は衛宮くんの家庭の事情でね。わたしの口からはちょっと言えないわ。

 もう冗談じゃないわよ。わたしは単なる案内役のはずだったのに……。

 ねえ、桜、あなた衛宮くんと親しいんでしょ」

 

「え、あ、その先輩は先輩で、お料理を教えてもらってて、その、あの……」

 

 赤らめた頬と、しどろもどろの言葉が語るに落ちるというやつだった。

 

「ごめんなさい、お願いがあるの。衛宮くんの後見人?

 そういう方を知ってるかしら」

 

「藤村先生のおじいさまです」

 

「あ、藤村組の親分さんだったのね。どうしようかしら……。

 すっごく、微妙な問題なのよ。ねえ、藤村先生と衛宮くんは親しいのかしら?」

 

「は、はい。毎朝のようにご飯を食べにくるんです。

 わたしはそのお手伝いで」

 

 無理があるわ、それ。凛は内心で思った。なんで後見人の成人の孫が、未成年に朝ご飯を作ってもらうのよ。逆でしょ、逆。霊体化しているアーチャーからは、弁解めいた感情が伝わってくる。

 

『いや世間には諸事情があるんだよ』

 

『ああ、あんたもそういう駄目な大人なのね……』

 

『まことに面目ない』

 

『もう、黙ってて!』

 

 内心で撥ねつけると、桜に問い質す。

 

「じゃあ、待っていればいらっしゃるのね」

 

「あの、何人お客様がきているんですか?

 遠坂先輩もよかったら食べていってください」

 

 はにかむような笑みを見せる、いまは間桐を名乗る妹は本当に可愛かった。

 

「わたしを含めて五人だけど、本当にごめんなさい。

 もう、帰るに帰れなくなっちゃって。衛宮くんも手が離せそうにないの。

 朝食作るの、私も手伝うわ」

 

 そして凛は、名字の異なる妹と、並んで朝食を作り始めた。これを逃避行動という。いまから二時間余り前にアーチャーが提案したカバーストーリーによって、間もなく起こるであろうことを、考えたくない凛だった。

 

「あれ、ご飯がそのまま……。ひょっとして、夕食も抜きだったんですか?」

 

「ええまあね。でも、これじゃ足りないでしょう。

 お客さん……外国人だし」

 

「大丈夫です。今朝は洋食にするつもりで、パンにしたんですよ。

 一応、二斤買ってきちゃいましたから。サンドイッチにしましょうか?

 こっちはおにぎりにしちゃいますね」

 

「人数も多いし、その方がいいと思うわ。じゃあ、わたしは野菜スープでも作るわね」

 

「遠坂先輩もお料理なさるんですね」

 

「わたしは一人暮らしだから、スーパーのお惣菜だと量が多すぎちゃってね。

 普段は食欲なくて、朝は牛乳ぐらいなんだけど、さすがにちょっとお腹が空いたわ。

 衛宮くんにも悪いことしちゃったなあ……」

 

 遠坂凛の様子に、桜は安堵の吐息をついた。どうやら、恋愛とかそういう関係ではないみたい。

 

 そこで会話が一旦途切れ、あとは食材を洗う水音、リズミカルな包丁の音が続く。野菜を刻み終わり、鍋に投入した凛が口を開く。

 

「ねえ、桜。最近、慎二とはうまくやってる?」

 

 びくり、と桜の肩が震えた。それで充分だった。

 

「兄さんが何か……」

 

「んー、アイツ、後輩に八つ当たりしてたみたいで、

 衛宮くんも遅くに帰って来たのよ。

 だからまあ、こんな時間まで揉めちゃったんだけど。

 桜は衛宮くんのお父さんって知ってる?」

 

 その問いに、桜は首を左右に振った。

 

「いいえ、先輩が小学生の頃に亡くなったとだけは聞いてますけど。

 わたしが先輩と知り合ったのは、去年からですし……」

 

「やっぱりそうなのね……。藤村先生ならご存知なのかしらね」

 

 浮かない顔の凛の質問に、桜はようやく笑顔で答えた。

 

「ええ、藤村先生は知っていらっしゃいますよ。

 高校生の頃、先輩のお父さんに片思いしてたって言ってました」

 

 豊かに波打つ髪のリボンが、飛翔する黒揚羽のように動いた。

 

「なんですって!? ……まずいわ」

 

 そして無情にも、ガラガラと玄関の戸が開く音が響いた。

 

「おっはよー士郎って、なんじゃこりゃー!?

 なによう、この靴の山ぁー!?

 しーろーうーっ! 出てきなさーいっ!」

 

 ああ、もう来ちゃったのか。凛は内心で深々と溜息をついた。

 

「おいでになったみたいね。後は衛宮くんと……衛宮さんのお嬢さん次第だわ」

 

 桜の手から、握っている最中のおにぎりがぼろりと落ちた。

 

「えっ、ええーっ!? 何ですかそれはっ」

 

「ねえ、わたし、やっぱり帰ってもいい?」

 

「そんなのダメです! 何があったんですか!」

 

 台所の手前の部屋から、廊下を複数の人間が歩く音が聞こえ、やがて止まる。玄関に到達したのだろう。先ほどの、明るく若い女性の声が絶叫に変わった。

 

「なんなの、この人たちは? は、え? ええっ……。

 う、ウソでしょーっ! きり、切嗣さんの娘ですってぇー!!」

 

 ほんとにやることがえぐい。これは無論、凛のサーヴァント、ヤン・ウェンリーの提案だった。桜相手の小芝居もだ。赤の他人である遠坂凛は、巻き込まれた第三者として振舞うように。

 

 薄日の射す曇りの夕暮れ色の桜の円らな瞳が、さらに真ん丸になった。

 

「うん、その、そういうことみたいなの。

 やっぱり、わたし帰るわ。ご家族の問題なんだし」

 

「待ってください。遠坂先輩からも説明してください」

 

 そう言う桜の目が据わっていた。ご飯粒がついたままの手で、凛の左手を逃すまいと握り締める。

 

「朝ごはんを持っていきながら、衛宮くんに聞いてみて。わたしだって困ってるのよ」

  

 我に返った桜は、凛の手を離した。

 

「あ、ごめんなさい、遠坂先輩。手ベタベタにしちゃいました」

 

「いいのよ。手を洗えばすむしね」

 

 凛と桜は、玄関からの絶叫に聞こえないふりをしながら、食事の準備を続けた。ほどなく食事はできあがり、手分けをして盆に載せると居間へ向かう。座卓に突っ伏す栗色の髪。夕日色の髪は項垂れている。

 

「そんな、ウソ、ウソよ……。切嗣さんに、娘がいたなんて……」

 

「ウソなんかじゃないわ」

 

 つんと顎をそびやかす白銀の髪。後ろに控えるのは、三人のメイド。銀髪が二人に、金髪は一人。

 

「ええと、おはようございます」

 

 凛の挨拶に、栗色の髪ががばりと起き上がった。

 

「と、遠坂さん!? なんで遠坂さんがここにいるの?」

 

「そのぉ、そちらのイリヤスフィール・フォン・アインツベルンさんの関係で。

 遠坂家は以前、彼女のお家と共同事業を行ったことがあるんです。

 そのご縁で、ときおり連絡をとる間柄で……」

 

 かなり歪曲しているが、まるきりの嘘でもない。この事業で行うのが、殺し合いだというのを口にしなければいい。冬木屈指の名家、遠坂家ならと納得してもらえるとは、黒い従者の弁だった。

 

 彼の言葉のとおり、相手はまったく疑う様子を見せなかった。

 

「あ、そうなの。じゃあ、遠坂さんはこの子の知り合いなんだ」

 

「ええ、イリヤさんのおじいさまと、電話でのやりとりが主なんですけど。

 私の父が亡くなって十年目ですので、式典の予定についての問い合わせを下さって、

 その折に、イリヤさんのお父さまのお話が出たんです。

 もう十年も音信不通で、失踪同然だと」

 

「うっ……」

 

 イリヤ側の事情を明かされ、藤村大河は怯んだ。士郎の目も虚ろになった。言語化するとたしかにひどい。

 

「わたしはそれで、珍しい名字ですので、ひょっとしたらと申し上げました。

 もちろん、衛宮くんに先にお話を聞くつもりだったんです。

 ただ、親戚の不幸の関係で一昨日お休みしたから、それもできなくて」

 

「あ、あの、遠坂さんのほうは、その、大丈夫?」

 

 気遣う大河に罪悪感を覚えつつ、凛は頷いてみせた。

 

「わたしの方は遠縁ですし、事務手続きの関係ですから。

 ただ、その間に、イリヤさんが聞きつけて、昨日押しかけてきちゃったんです。

 ――ドイツから」

 

『そう、その調子だよ。もっと困った顔で言ってくれ』

 

 姿なき脚本家兼演出家から、演技指導が入る。こんな時に霊体化して難を逃れるなんて。

 

『汚い、きったないわよ、アーチャー!』

 

『だって、未成年に見えている私が弁護士です、

 代理人ですって言っても通らないだろう。

 だから生前の外見で召喚されたほうがましだったんだよ。

 酒だって、問題なく買えるんだから』

 

 凛は真剣に殺意を覚えた。

 

『ほらほら、続けて』

 

「……衛宮くんには本当に申し訳なかったんですが、

 ドイツから来たと言われては、追い返すわけにもいかなくって。

 昨晩、こちらにお邪魔させていただきました。

 で、結論から言えば、衛宮くんの養父の衛宮切嗣さんは、

 やはり、イリヤさんの実のお父さまだったんです」

 

「ええーっ!」

 

 再びの絶叫と同時に、大河は立ち上がった。

 

「ホントなの!? ねえ、士郎、ホントなのっ!」

 

 剣道五段の姉貴分の腕に吊りあげられ、がくがく揺さぶられながら士郎も言い返す。

 

「ああ、ホントだったんだ……。俺だって、俺だって知らなかったんだ!

 じいさんが、実の娘を放っておいて、俺を養子にしただなんて!」

 

 シナリオどおりとはいえ、掛け値なしの本音の絶叫だった。

 

*****

 

 士郎君の関係者には、切嗣氏の家族に関する事実をそのまま告げればいい。これもアーチャーの提案だった。

 

「こんなに可愛い娘さんがいたのに、その子を妻の実家に置き去りにしていた。

 しかも、内縁の妻子で奥さんは冬木の災害で亡くなっているんだ。

 内縁とはいえ実の娘がいたのに、災害孤児を養子にして、

 それを伝えることなく亡くなった。

 切嗣氏にも事情はあったと思われるが、

 娘が激怒して当然の状況だとは思わないかい」

 

 もう今朝方になるが、淡々と列挙された事実に士郎は頭を抱えてしまったものだ。誇張や偽りではない。それゆえに、養父がとんでもない駄目男にしか聞こえない。

 

「イリヤスフィール君も当然そうなった。父の真実、母の死の真相を知りたい。

 事と次第によれば、法的な措置を取りたいと思っていると」

 

 士郎の手がばたりと落ち、声なき絶叫の表情で発言者を凝視した。鬼、いや悪魔がいる。それを誰に言うんだ。……誰が!?

 

「これはイリヤスフィール君の側の大人が言ったほうがいいね」

 

「お、大人ってどういうことさ?」

 

「私の国の敵国は、皇帝陛下が治め、貴族やその姫君がいた。

 そういう国の名家のお嬢様は、決して一人で旅行なんかしない。

 スーツケースを持ったり、逗留の世話をする人を必ず連れていくんだ。

 フロイライン・アインツベルン、君もそうだろう?

 貴族号を持つ、千年の名家の令嬢ならばね」

 

「ふうん、アーチャーはほんとうに物知りなのね。よくわかってるじゃない」

 

 イリヤの曲線的な肯定に、残りのマスターもサーヴァントも呆気に取られたものだ。

 

***

 

 イリヤの背後に控えた三人のメイドのうち、最も長身で怜悧な印象の美女が口を開いた。白銀の髪に紅玉の瞳は、手前にいる幼い主人に共通する色彩だ。

 

「それは衛宮士郎様の事情に過ぎません。お嬢様には、法的な権利がございます。

 きちんと調査し、事情を(つまび)らかにしたうえで、

 しかるべき措置をとらせていただきたく存じます」

 

 流暢な日本語で、切り口上に告げられて、士郎と大河は言葉に詰まった。あらかじめ、芝居の流れを教えられていた士郎だったが、これは強烈なインパクトだった。

 

 イリヤの付き添いのメイドで、家庭教師でもある、セラがその役を担っていた。彼女よりも若いリズという愛称のメイドは、無表情にぼそりと呟く。

 

「……かわいそう、イリヤ」

 

 こちらも銀髪に赤い瞳で、やはり美人だ。ゆったりとしたメイド服の上からも、それと判るほど豊かな胸の持ち主で、色々な意味で大層な迫力があった。

 

 その後ろ、唯一の金髪のメイドだけが居心地の悪そうな顔をしていた

 

***

 イリヤの返事に、アーチャーは小首を傾げた。

 

「おつきがいるんなら、もう一つ聞きたいんだ。

 なにか、お仕着せの服を持っていないかな?」

 

「持っているけど、わたしの付き添いが男だったらどうするの?」

 

「いくつだってレディはレディ。

 嫁入り前の令嬢なら、絶対に人間の男を従者にしない。

 私の時代ではそうだったよ。今は違うのかな?」

 

 ルビーの瞳が大きく見開かれた。

 

「違わない。ねえ、リン、アーチャーって本当にアーチャー? 

 キャスターの間違いじゃなくて?」

 

 この問いに凛は首を振った。口には出せないが、ヤンは千六百年後の科学技術を知るリアリストだ。鋭い分析はいっそ魔術的だが、それは彼の思考能力の産物だった。

 

「違うわよ。こいつはキャスターじゃないわ」

 

「マジシャンと呼ばれたことならあるけどね。

 うん、持っているなら幸いだ。セイバーに貸してあげてもらえないかな。

 そして、彼女を君の付き添いだということにして欲しいんだ」

 

 セイバーは仰天して声を張り上げた。

 

「何を言い出すのですか、アーチャー!」

 

「それはだねえ……」

 

 黒髪のサーヴァントは語りだした。複雑な問題は割り算で処理するといい。その前に結合できそうな物を同じカテゴリーに置く。そう言って人差し指を立てる。

 

「イリヤ君とセイバーは外国人という点で共通するんだ」

 

 アーチャーは中指も立て、ハサミで切る仕草を交えて言ったものだ。

 

「聖杯戦争と、衛宮切嗣氏の家族の問題は切り離して考えよう。

 魔術は魔術、法律は法律で決着をつければいいさ。

 後者については、イリヤ君に当然の権利があるんだしね。

 そして、この事実の重さの前には、セイバーの素性なんて微々たるものだ」

 

「しかし、私を敵マスターの使用人などと!」

 

 セイバーの抗議にも、アーチャーは動じなかった。

 

「それはせいぜい二週間のことじゃないか。

 彼女は君のマスターのきょうだいで、ずっと長く家族として関わるんだよ。

 君のことで悪評がたったら、士郎君もイリヤ君も困るだろう」

 

「……どうしてなのですか」

 

「士郎君とイリヤ君の関係を、色眼鏡で見られかねないってことだよ」

 

 同性としての配慮か、非常に婉曲な言い方にとどめてあったが、士郎は察して蒼白になった。 中学生ぐらいの金髪美少女にコスプレさせて囲っている変態が、小学生ぐらいの銀髪美少女に、今度はナニをする気かと世間は思うだろう。

 

 士郎はアーチャーをもう一度伏し拝んでから、セイバーに取りすがった。

 

「頼む、セイバー! どうしても駄目か? じゃあもう令呪を使うしか……」

 

 切羽詰った琥珀の目が据わりかけていた。本当にこのアーチャー、つくづく人が悪い。こんな時間にこの問題を切り出したのだって、相手の判断力を奪うために決まってる。

 

 一番状況を知らず、最も人がよく、サーヴァントとまだ足並みが揃うわけがない衛宮士郎。だが、サーヴァントの犯罪に全く関わりはなく、魔術師には勝てないセイバーのマスター。しかも、最強の主従であるイリヤスフィールと父を同じくするキーパーソン。

 

 こいつが標的にしないわけないじゃない。

 

 凛は横目で従者を睨んだが、彼の思惑には乗ってやることにした。このえげつない策だって、一には凛の生存、二には未成年のマスターの手を汚させないこと、三にはこれ以上人間の死者を出さないこと、そういう意志の元に考えられたものなのだから。

 

「衛宮くんにセイバー、ちょっと落ち着きなさいよ。

 確かにセイバーの案は無理があるもの。

 五年前に亡くなった衛宮くんのお父さんにお世話になったって言うと、

 あなたの外見だと最高で十歳ぐらいの時よ。

 彼が冬木に来る前だと、それが五歳になっちゃうのよ。ほら、無理でしょう?」

 

 セイバーは眉を寄せて唇を噛んだ。

 

「中学を卒業して、メイドとして働いてますっていう方がまだいいと思うけど」

 

 アーチャーも主人に言い添えた。

 

「申し訳ないが、故人には、一時的に悪者になっていただくしかない。

 娘と息子に迷惑をかけているのは事実なんだから、

 口実にされたところで、怒ることはできないと思うがね」

 

 致死量を超えた毒なら、いくら食べても同じことだ。ならば、それを活用すればいい。木を隠すには森の中、金髪の美少女を隠すなら、銀髪の美少女と美女の中に。

重大で強烈な事実に、わずかな偽りが混入され、アインツベルンには三人目のメイドが誕生したのである。



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13:団欒と後片付けと

 『法的措置』という重々しい単語に、シナリオを知ってはいたが言葉に詰まる士郎と、何も知らず何も言えない大河を尻目に、セラは話を続ける。

 

「とにかく、こんな非常識なことは許されません。

 旦那様に反対された仲とはいえ、実子のイリヤスフィール様に何も言わず、

 こちらの衛宮士郎様にも何も告げずに亡くなられたとは。

 調査のために、我々は冬木に滞在いたします。

 当面、証拠隠滅の監視に、こちらのセイバーをつけさせていただきます。

 我々もホテルのキャンセルが整い次第、衛宮邸に移りますので」

 

「ええっ、ちょっと待ってください。

 士郎はそんなことしないし、男の子ですよぉ!

 こんな可愛い子と同居させるなんて、何かあったら……駄目、駄目よ。

 おねえちゃんは許しません!」

 

「藤村様とおっしゃいましたね。後見人のお孫さんだとか。

 失礼ながら、これは感情ではなく法的な問題です。

 あなた様は衛宮家に何らの権利も有しませんので、悪しからず」

 

 ふだんは元気いっぱい、絵に描いたような美人ではないが、明るく親しみやすい大河の顔が固まった。

 

「は、はい?」

 

「こちらのイリヤスフィール様は、

 衛宮切嗣氏がしかるべき手続きを行っていたら、遺産の相続権がございました」

 

 真っ白な顔の大河に、白皙の怜悧な美女はやや口調を緩めた。

 

「むろん、当家の資産に比べたら微々たるもの。

 何も知らぬご養子が、困窮するような措置を取ろうとまでは思いません。

 しかし、衛宮の姓と日本の国籍が、父のせいで得られなかったとは……。

 家庭教師にすぎぬ私であっても、許しがたきことです。

 お嬢様の心は、いかばかりかとお思いですか」

 

「あ、あの、でも、それは士郎のせいじゃ……」

 

 なんとか口を挟もうとした大河だが、すぐに氷壁にぶち当たることになる。

 

「おっしゃるとおりです。たしかに衛宮士郎様のせいではありません。

 しかし、死後の認知の請求は、法に定められた子どもの権利です。

 お嬢様にとっても、当然の権利なのです。

 あなた様は教職におられるとうかがっておりますが、

 よもや否とはおっしゃいませんよね」

 

「う、うう……」

 

 ぐうの音も出ないとはこのことだった。気の毒になってくる凛だ。凛が大河の立場でも、弁護の術が見つかりそうにない。

 

 理屈と感情の双方に訴え、反論を封じ込める。相手の弱点を狙い澄ました、この根性の悪い台詞の製作者もアーチャーだった。

 

士郎が口にした、姉貴分の藤村大河と妹分の間桐桜。その立場や性格、士郎との関わりを聞き取り、こうした台詞を作成した。誰が誰に対するか、その配役も含めて。

 

 凛でも薄気味悪くなるぐらいの的確な配役であり、台詞回しであった。それに対して、学校では無愛想で口下手な衛宮士郎が、驚き慌て、困り果てた表情を見せる。台詞はある程度仕込まれたものだが、発露する感情は自然なもので、演技ではないのだ。だから身近な女性二人も、彼を不審に思わない。

 

 だって嘘ではないのだから。イリヤに関する話は、おおむねノンフィクションであり、登場する人物、団体等は実在する。だからこそ、こじれているわけだが。

 

「こちらのセイバーは、メイド見習い兼お嬢様の護衛で通訳です。

 働き始めたばかりの至らぬ粗忽者ですが、

 護身術の腕は衛宮士郎様より上かと。

 なにより、裁判の瀬戸際にそんな不祥事を起こしたらどうなるか、

 高校生ともなれば、弁えておられましょうに」

 

 セイバーは無言で一礼した。背筋の通った隙のない動作で、剣道五段の大河には実力者とすぐわかる。

 

「う、うう……」

 

「ごめん、藤ねえ。そういうことなんだよ。

 この人たちに信じてもらえるまではさ、仕方ないと思うんだ」

 

 セイバーは士郎の護衛ではなく、監視役。アーチャーは、そういう形に表面上の肩書を改変したのだ。『敵』であるから、短期的に恋愛関係に発展するとは思えなくなるように。

 

「いずれにせよ、長いことではございません。

 今日明日にでも、私どももこちらに移らせていただきますので」

 

 それを合図に、イリヤスフィールは立ち上がった。白いスカートの裾をつまみ、愛らしい淑女の礼をした。これもアーチャーの指導。『美は力なり、可愛いは正義』だそうだ。千六百年後の格言らしい。……なんか混ざってる気がする。

 

「そういうことで、よろしくね。

 わたしは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 イリヤって呼んで。ねえ、あなたのお名前は?」

 

「あ、ああ、あの藤村大河です」

 

「フィジムァ タイガ?」

 

「藤村……あの、やっぱいい。大河って呼んで」

 

 しろがねの髪にルビーの瞳、白皙の肌。ビスクドールさながらの美少女だ。こんな子に、タイガーって呼ぶなと叫んだりなんてできない。凝ったデザインのスカートとブラウスは、布の発色に光沢に質感、精緻な刺繍まで、一見して高価なもの。おつきのメイドの白と黒、紺の制服もこれまた上品で上質なものだ。

 

 あんまり服装には興味のない大河だが、それはわかるのだ。ああ、お金持ちだと。いつも、よれよれしていた初恋相手には欠片も似てない。

 

「じゃあ、タイガ。キリツグのことを教えてくれる?」

 

「う、うっ……こ、こちらこそ、よろしくね……。

 あは、あはははは……でも、やっぱり信じらんないよう。

 全っ然、切嗣さんに似てないし」

 

「わたしはお母さまに似たんだって、みんないうわ。

 とってもきれいなひとだったんだから」

 

「うん、うん、そうだろうねぇ……。

 イリヤちゃんもとってもかわいいもんねぇ」

 

 また、栗色の頭が座卓に乗っけられてしまった。この有様にどうするべきか言葉をなくしていた桜は、時計の音に我に返った。一回は先ほど鳴り、今度は七回。

 

「大変です。もう七時ですよ、藤村先生!

 早くご飯にしましょう。……食べられそうですか?」

 

「……うん、食べる。食べるってか、食わなきゃやってられるかぁーーっ!」

 

 自称のごとく、飢えた虎と化して、士郎の姉貴分は目の前の朝食に猛然と食らいついた。彼女の弟分は、アーチャーの読みの鋭さに、心からの感謝を捧げた。セイバー案では、セイバーの腕前を確かめると言い出しただろう。

 

 それでは困る。道場からは土蔵の入口が丸見えで、昨晩の血痕の掃除まではとても手が回っていない。大騒ぎになるところだった。

 

「藤ねえ、そういうわけで、今日は俺学校休むよ。

 とても無理だ……。これじゃ、今日は留守にできない」

 

「藤村先生、申し訳ありませんがわたしもそうします。

 もしも、体調が許せば午後から行くかもしれませんけれど」

 

「あ、いいよ、遠坂さん、無理しないで。

 女の子だもん、体が一番大事だからね」

 

「昨晩、藤村先生にご連絡すればよかったです。そこまで気が回りませんでした。

 結局、夕飯は抜きだし、お風呂にも入ってないし、一睡もできなかったし」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 夕日色と栗色が、同時に下げられる。こちらのほうが、確かに姉弟らしかった。

 

「この朝食も食べられなさそうだしね……」

 

 最後は呟きだった。猛然とサンドイッチとおにぎりにかぶりつく妙齢のはずの女性教諭。静かだが、けっこうなペースで食事が消えていく妹と、こくこくと頷きながら、主人そっちのけで食事をする金髪のメイド。

 

 行儀の悪い同僚を、怜悧な銀髪美人が冷ややかに見つめ、もう一人はただただ無表情に凝視している。

 

「……セイバー、よく食べる。おいしい……?」

 

 返事はせわしなく上下に振られた頭。

 

「こんなに美味なものは初めていただきました! 

 今まで食べたものは、……その……雑、でしたので」

 

 セラの眼差しが厳しくなった。アインツベルンが、使用人に碌な食事を与えていないと言われたようなものだ。さすがのアーチャーも、食事の感想までは仕込んでいなかったのである。

 

「とにかく、衛宮様。躾の行きとどかぬ新米を付けるのは、

 当方としても不本意ですが、あなた様の潔白のためでもあります。

 短い間ですが、ご了承を」

 

「あ、は、はい。

 俺も疑われたくなんかないし、我慢するよ。

 ええと、遠坂さん。その、ありがとう」

 

「いいえ、こちらこそごめんなさい。

 アインツベルンのおじいさまに、

 もっと確かめてから伝えなかったわたしのミスだもの」

 

 こんな中で、暢気に食べるなんて凛には無理だ。脳裏でアーチャーが栄養補給の重要性を説いてもだ。

 

『食事には雰囲気だって大事でしょ!』

 

『たしかにね。でもちょっとでも食べたほうがいいよ。

 せっかく、君の妹さんが作ってくれたんじゃないか』

 

 そうだ、この従者はそれを知っているのだった。凛は、すっかり冷めている紅茶を啜った。渋いし、香りも飛んでしまっている。許しがたいことに、紙のティーバッグのものしかなかった。せめて、三角パックのを用意させよう。

 

 あんまり苦かったので、口直しに桜が作った卵サンドに手を伸ばす。時間短縮のためか、ゆで卵ではなく、スクランブルエッグを挟んである。ケチャップと粒マスタードで、味がぼやけないように工夫されている。たっぷりとバターを使っていて、今の凛にはちょっと重たいがとてもおいしい。

 

「間桐さん、お料理上手ね。このサンドイッチとってもおいしいわ」

 

「遠坂先輩のスープもすごくお上手です。上品な味で、見た目もとってもきれいで」

 

 サンドイッチにもおにぎりにも合うように、さっぱりとした塩味のスープだった。これも時間短縮のため、野菜は綺麗に賽の目ぎりにされて、人参に玉ねぎ、かぶは根と葉を使っている。彩りもいいが、アクを丁寧に取っていて、野菜本来の上品な甘みがよく出ていた。

 

 さすが、ミス・パーフェクトと桜は感嘆した。

 

『こんな低カロリーで、ちゃんと美味しい料理ができるなんて。

 それに食も細くて女の子らしいなあ。だから、あんなにほっそりとしてて……』

 

 豊かに波打つ黒髪を、ツーサイドアップにしても顔が大きく見えない。それを引き立てる細く長い首。なにより、ウエストと手足の細いこと。太ももやお尻も細いから、正座しても下半身が平らだ。台所で並んだ時、身長は桜とさほどに変わらないが、歴然と顎や腰の位置が高かった。モデル体形で、どんな服も似合うだろう。

 

『きっと贅肉に悩んだりなんかしてないんだろうなあ。

 この前試着したけど駄目だったワンピも、きっと綺麗に着られる。いいなあ……』

 

 先日、一目惚れしたワンピースは、胸の下で切り替えるデザインだった。しかし桜が着ると、切り替え位置が上がってしまって、まるでマタニティードレスだ。可愛かったのに、華奢な人が着てこそのデザインで、泣く泣く諦めたばかり。羨ましい。

 

 羨む桜をやはり羨む凛だ。

 

『やはり、出るべきところを出すには、健康的な食欲が必須なのかしら』

 

 一歳下、いや今日から一月弱は二歳下の妹に、体の特定部位のボリュームがはっきりと負けている。山の高からざれば、谷間もできぬと、まあそういうことだ。ブレザーの胸元が、妹のような形になるには相当な質量が必要になる。

 

『私の体型はお母様似だわ。なんで、桜だけ……。

 ひょっとして、お父様の家系似? おばあさまが外国人だったからかしら。

 うう、髪の癖じゃなくて、なんでそっちが似なかったのよ!』

 

 それにサラサラのストレートヘアには憧れる。女の魔術師の髪は、魔力を溜める装置でもあるから、ロングヘアは必須。冬は乾燥と静電気、夏は湿気と熱との戦いで、天然ウェーブの髪は大変なのだ。

 

 持てば羨み、持たざればやはり羨む。乙女心は複雑であった。

 

「ありがとう、間桐さん」

 

「こっちも食べてくださいね」

 

「ありがと」

 

 でも、とても食欲がわかない。それより、お風呂に入って寝たい。美味しい紅茶を一杯飲んでから。

 

『うん、私にもくれると嬉しいなあ。そういえば、凛、誕生日おめでとう』

 

『ん、ありがと』

 

『……それが若さだよなぁ』

 

 そのうち、祝辞が祝辞に聞こえなくなる日が来るのだが、その日を迎えるためには今を生き抜くことだ。生存の方程式を解き明かすべく、ヤンの頭脳は静かに回転を加速させた。

 

 てんやわんやで食事を終えて、藤村大河と間桐桜は登校して行った。イリヤを、士郎の後見人の藤村雷画に会わせるために、藤村家にまで連れて行きながら。

 

 高校二年生の少年少女は、玄関先で見送った。玄関の戸が閉まり、三人の声が遠ざかり、門扉の音まで聞いてから、同時にへたり込んで大きく息を吐いた。

 

「あ、ああ、やった、やったぞ。何とか乗り切った……!」

 

「ふたりともお疲れさん」

 

 虚空から姿を現したアーチャーが、穏やかに労いの言葉を掛ける。

 

「もう、ずるいわよ。肝心な時に」

 

「しかしね、イリヤ君の怒りや憎しみの根幹は、家族の問題だよ。

 だから、部外者は少ない方がいい。君は第三者の調停役だ。

 管理者とは本来そういう役割ではないのかな?」

 

「まあ、そうだけど」

 

「二流の権力者は、その地位に就くことを考える。

 一流の権力者は、その地位で何を為すかを考える。

 私は、凛には後者になって欲しいな」

 

 座り込んだ凛に差し伸べられた手。握り返したが、まったく生きている人間と変わらなかった。あたたかく、乾いて感触のよい手だった。だが、右手人差し指の関節あたりに胼胝(たこ)がある。この穏やかな青年は、確かに射撃を学んだ者なのだ。信じられないことだけれど。

 

 廊下の奥で息を呑んだ者がいた。偽りの同僚が、感情の籠らぬ声を掛けた。

 

「……セイバー、どうしたの」

 

「な、なんでもありません……」

 

「そう、なら片付け」

 

「は? なぜ私が!?」

 

「メイドだから」

 

「私はセイバーのサーヴァントです!」

 

「でも、メイドだから」

 

 リズことリーゼリットは、セイバーの襟首と腰のエプロンの結び目を掴むと、軽々と持ち上げて連れて行ってしまった。

 

「な、ちょっと放して下さい!」

 

「仕事さぼるとセラが怒る」

 

 玄関先の三人は、それを呆然と見ていた。アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「申し訳ないことをしてしまったかなあ。

 彼女、どう見ても身分の高そうな騎士だったし。

 士郎君、やめさせた方がいいかもしれない」

 

「へ、なんでさ」

 

「君は彼女の真名を聞いたかい?」

 

「いや、実は聞いてないんだ。

 俺、マスターとしては知識が少ないから、

 キャスター対策に伏せておいた方がいいって」

 

 ヤンと凛は顔を見合わせた。危機管理の点では妥当といえよう。

 

「言えてるわ。セイバーはキャスターを攻めたいみたいだし、

 衛宮君のように魔術がからっきしなマスターに、知らせておくのは危険かもね」

 

 ぐらりと士郎がよろめいた。

 

「だからね、マスター。君は歯に衣を着せてあげなさいって言っただろう」

 

「や、アーチャー、それフォローじゃない。フォローじゃないぞ!」

 

「ああ、すまない士郎君。

 セイバーの考えも軍事的には間違いじゃないんだが、

 君には明かしておいた方がよかっただろうなあ。

 騎士の社会的地位は、時代によって随分違うから、

 君も適切な対応ができるだろうに。

 ああいう、甲冑の騎士のいた時代は中世ヨーロッパなんだ。

 彼女の出身地は、地中海地方や東欧ではなく、西から北だと思う」

 

「なんでそういうことになるんだ?」

 

「食事が雑だったという言葉を信じるならね。

 年代は五世紀から十一世紀の、十字軍の遠征以前の可能性が高い。

 イスラム文化との接触で、ヨーロッパ全土に香辛料が広まる前だ。

 そうなるとねえ、衣装の歴史的な辻褄が、合わなくなってしまうんだよなあ」

 

 黒髪を傾げて腕組みをするサーヴァントに、琥珀の目が見開かれ、隣の華奢な肩が竦められた。ちょっとした言葉から、とんでもないことまで見抜くと、彼のマスターが評したのは大袈裟ではなかったのだ。

 

「う、うーん、ごめん、俺歴史って苦手でさ……」

 

「何が言いたいのよ」

 

「この国は当時世界一の先進国、中国に近かったから、

 ヨーロッパよりはるかに文化的に進んでいた。

 日本では使われていたが、彼女の時代には多分ないと思うんだ」

 

「だから、何がないの?」

 

 台所から、破砕音が連続して響き渡った。アーチャーは困ったように眉を下げた。

 

「ごめん、遅かった。……今の音の原因。つまり、陶磁器だ」

 

「うわーっ! ちょっと……」

 

 脱兎のごとく駆け出しかけた、夕日色の襟首を黒い袖がむんずと捕まえる。

 

「まあまあ、落ち着いて。令呪が発動したらもったいない」

 

「へっ!? そんなんで発動しちまうのか、遠坂」

 

「単純な願いほど、強力な効果があるらしいのよ。

 いい、衛宮くん。三つあっても、実際に使えるのは二つまでと思っておきなさい。

 残りの一つは、マスターの生命線よ。万が一、サーヴァントが裏切った場合のね」

 

 そんなことをアーチャーの目の前で言うのは、ちょっとどうかと思うが、彼は落ち着いたものだった。

 

「令呪は貴重なものだ。皿の一枚や二枚、諦めるしかないよ」

 

 再び、音が連鎖する。

 

「いや、うん、そのね、今さら焦っても遅いだろう」

 

「……お、おう。そうだよな。俺、行ってくるよ……」

 

 毒気を抜かれ、とぼとぼと台所に向かう士郎。凛は、縦の物を横にもしない、怠け者のサーヴァントをまじまじと見つめた。

 

「いくら、聖杯から知識を受け取るとは言ってもね。

 自分の時代にない壊れ物を、数十倍になった力で扱うのは無理があるんだよ。

 私だって元から不器用なのに、この時代の陶磁器なんて恐れ多くて扱えないよ」

 

「どうして恐れ多いのよ」

 

「君ね、西暦五百年代の骨董を洗剤とスポンジで洗えるかい?

 それも力が十倍になった状態で」

 

 とても言い訳っぽい。しかし、彼の触媒となった、あの万暦赤絵の壺に同じ扱いができるかと自問すると……。

 

「たしかに無理かも。四百年前の壺が何百万でしょ。

 ってことは、少なくとも四倍よね」

 

「いいや、骨董ってのは、そうならないんだよ。

 時代に応じて、桁のゼロが二つ三つと増えるのさ」

 

 凛の眉根が寄った。

 

「……お、億?」

 

「食器は現代の価格に対してだからそこまでじゃない。壺はそうだと思うよ」

 

 だが、日常の食器でも万から数十万。長い黒髪が勢いよく左右に振られた。

 

「やっぱりそうだろう? 

 食器一個とっても、時代差を理解するのは難しいんだ。

 そんな主従で一つの目標に向けて共闘なんて、普通ならできっこない。

 彼女との接触を、必要最低限にとどめたらしき切嗣氏の判断も、

 あながち間違いじゃないとも思うんだよ」

 

「あなたは現代をかなり理解してるし、わたしたちのことも考えてくれてるわよね」

 

「それは後続ランナーの利点だろうね。

 私の国は、この国やアメリカ合衆国に近い政治システムだ。

 大人は子どもを守るものだ、という考えも浸透している」

 

 凛は頷いた。それは、彼を見ればよく分かる。外見は凛たちと同年代でも、言動は年長者としての経験に裏打ちされたものだ。

 

「それでもこんなに平和で、街に働き盛りの男性が大勢いて、

 六十年以上戦死者がいない社会なんて、私からしたら夢のようだよ」

 

「そうなのね……」 

 

「士官学校の代わりに、高等学校があって、音楽や調理を教えたりするのもだ。

 藤村先生はきっといい先生なんだろうね」

 

 そう語るアーチャーは、なんとも優しい、眩しいものを見るような表情をしていた。

 

「さて、我々はいったん帰って一寝入りしようか。

 学校の結界は、ちょっと考えを変えた方がよさそうだしね。

 教会への出頭は午後にすればいいさ」

 

「衛宮くんたち、ほっといていいの?」

 

「家族の問題に嘴を突っ込むと、痛い目にあうからね。

 当事者同士で頑張ってもらおう。

 二人とも、根っこはいい子たちだ。

 いろいろと歪みがあるが、お互いの存在が癒すと思うよ。

 一緒に暮らし、語り合えばきっとわかってくるだろう」

 

 そう言うとアーチャーは、台所の入口で仁王立ちしている長身のメイドに声を掛けた。内部の惨状に、険のある視線を向けている。偽りとはいえ、このありさまでは、千年の名家のプライドが許し難しといったところか。

 

「そういうことで、セラさん。私たちはひとまず失礼します。

 本日午後三時ぐらいに、こちらにお邪魔して、教会に行こうと思っています。

 あなたのご主人と、士郎君にもよろしくお伝えください」

 

「承りました。遠坂様、僭越ながら私が車でお送りしますわ。

 イリヤ様の関係者の家から、管理者遠坂のご令嬢が徒歩で朝帰りしたなどとは、

 アインツベルンの恥でございます」

 

 真紅の瞳を、漆黒の瞳が受け止めた。

 

「なるほど、遠坂の裁定を許容していただいたということでよろしいのですね。

 では、よろしくお願いします」

 

 アーチャーはぺこりと黒い頭を下げた。

 

「アーチャー様は、外見よりずっと大人でいらっしゃるのですね」

 

「そうなんですが、この外見がネックでしてね。

 おかげで、紅茶に入れるブランデーも買えそうにありません」

 

 かくて、遠坂主従は、快適に自宅に帰りつけたのである。黒塗りのリムジンで。アーチャーにと、リムジンのキャビネットに納められていた高価な洋酒が一揃い贈られた。

言ってみるものである。

 

「ねだらないでよ、みっともない。でも貰ったものは仕方ないわね。

 あんたが一番頑張ったと思うし、取っておきの葉で淹れてあげるわよ」

 

「ブランデーはたっぷりで頼むよ」

 

 遠坂凛の長い二日目はひとまず幕を下ろした。



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3章 趣味と実益 14:素人歴史愛好家

 ――ひとりぼっちになってしまった『彼』は、父の会社の弁護士の助けを借りて、負債の清算に奔走した。

 失われてしまった、父を含めた十五人の家族。でも、彼らには本当の家族がいた。天涯孤独になってしまった『彼』とは違って。

 まずは、その謝罪と賠償。浴びせられる罵声、それよりも遥かに堪えるのが悲嘆と慟哭。失ったのは『彼』も同じ。同じように振舞えればどんなによかっただろうか。

 上に立つ者は、その地位に応じた責任と義務を同時に負う。『彼』はそれを負債と共に相続したのだから。

 次に、船と一緒に宇宙の藻屑となった積荷の賠償。金額や物資だけの問題ではなく、規定の期日に届かなかったこと。失われた信用に必死に頭を下げて回った。

 『彼』の父は、金育ての名人などと渾名された商人で、保険と貯蓄と帰ることもなかった地上の家の代金で、なんとか清算することができた。借金がないだけましといったところだった。

 あてが外れてしまったのは、『彼』の父の骨董コレクションが、一点を除いてみな偽物だったこと。本物ならば、大学に通い、歴史学者となっても何不自由なく一生が送れただろうに。

 無料で歴史を教えてくれる、そんな都合のいい学校が……あった。自由惑星同盟軍士官学校戦史研究科。『彼』はぎりぎりで願書を提出し、なんとか合格したのだ。宇宙船育ちで、運動体験に乏しい『彼』にとって、過酷な学校生活の始まりだった。

 実年齢より二、三歳若く見える。これは十六歳の少年にとって、重大な肉体的ハンデだった。必死で行軍練習や実技に取り組んでも、及第点ぎりぎりを取るのがやっと。その辛さに、いっそあの時受験のために下船などしなければと、何度思ったことだろう。

 そんな『彼』にも励ましてくれる友達が出来た。同室だった性格のいい優等生と、学校の事務長の娘。どちらも金髪碧眼で、『彼』にとっては眩しい光のような存在だった。『彼』はおずおずと手を伸ばした。彼と彼女はその手を握り返し、陽だまりに連れ出してくれた。

 ――私は、生きていてもいいのだろうか。


 四時間ほどは眠っただろうか。凛が目を覚ました時には、正午を回っていた。

 

「うう、あんまり寝た気がしない……」

 

 日常的に魔術の鍛錬を行う凛は、ショートスリーパーである。

しかし、完全に体内時計がずれてしまった。なにより、あのサンドイッチが結構きいていて、まだお腹が減らないのだ。着替えをして、よろよろと居間に降りていくと、ソファーでアーチャーが寝息を立てている。調べ物をしているうちに眠り込んでしまったのか、一昨日集めた資料に半ば埋もれて。

 

「まーた寝てる。ま、いいわ」

 

 まだ時間はあるし、サーヴァントに身支度はいらない。羨ましい話だ。サーヴァントに飲食は不要だが、食べた物は魔力に還元される。マスターからの供給に比べれば微々たるものだが。紅茶を呑みながら首を捻っていた彼にそう説明したら、感心したように頷いた。

 

 凛のアーチャーは、紅茶以外にはあまり執着しなかった。一昨日の昼食は、凛だけが食べるのは不自然だから頼んだそうだ。だが、多少でも補助になるなら、食事をさせるのはいいかもしれない。何だか知らないが、とにかく燃費が悪いサーヴァントなのだ。睡眠も魔力の補充にはなる。この遠坂の屋敷は、冬木第二の霊脈上にあるのだから。

 

「ううん、ユリアン。もう朝かい……?」

 

 今度はユリアン。だが、もう内心で突っ込む必要はない。こちらが彼の里子なんだろう。きっと、このだめな大人に家事をしてくれていた。

 

「わたしはユリアンじゃないし、朝じゃなくて昼よ。

 でもまだ寝てて。あんた、家事の役に立たないから」

 

「そいつはどうも……。マスターの仰せのとおり……」 

 

 言葉の最後は寝息になった。あのランサーやセイバーに比べて、なんとも冴えない英霊だ。

 

「サーヴァントのトレードってできるのかしら……」

 

 いや、チームとして考えた方がいいか。御三家が協調して、外来の参加者を各個撃破する。アーチャーが言った構図だ。となると、やっぱりこいつは、なくてはならない『頭』になる。

 

 あの濃い面々、管理者の言う事を聞きなさい! では動かないだろうし……。凛は溜息を吐いた。このアーチャーがどうにかそうまとめたのだ。

 

「やっぱりそれは無理か。でも、間桐は参加してるの?」

 

 朝、桜に手を握られたが、令呪を持っている人間と接触した時のような痛みを感じなかった。でも、桜の義兄、慎二は魔術回路が枯渇している。彼の父にはわずかな魔術回路があるとのことだが、アルコール浸りでいるらしい。では、臓硯、あの五百年生きている化け物がマスターか。

 

「だとすると、ランサーかライダーかアサシン。

 キャスターだったら、間桐邸に籠るはず。

 いいえ、これも引っ掛けかもしれない。

 いずれにしろ、ランサー以外は、

 学校の結界なり新都や深山の事件のどれかの容疑者……」

 

 これでは同盟を組むのは無理だ。アーチャーはキャスターを引き入れたいようだが。

 

「ランサーを引き入れるか、交渉はしなくちゃならないってことね。

 ランサーが間桐のサーヴァントならいいんだけど」

 

「そいつは期待しない方がいいよ」

 

 いつの間に目を覚ましたのか、ソファに横になったまま、片眼を開けたアーチャーが応じた。

 

「どうしてよ」

 

「三騎士と言うのは、恐らく外来の参加者を騙すフェイクだ。

 この地に拠点を持ち、霊脈を押さえている遠坂や

 間桐が召喚すべきはキャスターだよ」

 

 この意見に、遠坂の当主は豊かな黒髪を乱す勢いでソファに駆け寄った。

 

「何ですって!」

 

 アーチャーは寝がえりを打ち、また両目を閉じた。

 

「御三家の共闘が前提ならば、どう考えてもそちらのほうが理にかなっている。

 君の家は、冬木第二の霊脈にあるって自慢してたじゃないか。

 目くらましのために、魔術師を最弱と言い、

 剣士、槍兵、弓兵を三騎士なんてもてはやして、

 外来の参加者に引かせる気だったんだろうが、

 その知識が伝達されていないんだよ、恐らくね」

 

「でも、三騎士には対魔力が付与されるわ」

 

「だが、セイバーとランサーは、マスターが傍にいなくては十全の力を発揮できない。

 つまり、マスターも相手に身を晒すことになる。

 どんなに強い英霊だって、頭は一つで腕は二本。元が人間である以上は変わらない」

 

 そのとおりだ。召喚できるのはあくまで、人間だった英雄たち。百の頭と腕を持つヘカトンケイルのような、そういう存在は含まれない。

 

「その何がまずいっていうのよ」

 

「だから戦闘時には、マスターの守備に致命的な隙が発生する。

 この二組と対するに、マスターはマスターを狙うだろう。

 セイバーやランサーには魔術で勝てないからね」

 

「それはそうよ。セイバーがよかったっていうのは、

 わたしの魔術での同士討ちを心配しなくていいからよ。

 でも、あんたにはあんたで、いいところがなくもないわ。……たぶんね」

 

「……そいつはどうも。

 そうして、マスターが戦っているところに介入し、

 漁夫の利をおさめられるアサシン。こいつが次善の選択肢だよ」

 

 どちらも弱く、ハズレとされているサーヴァントだ。

 

「そんなはずないでしょう!」

 

「そして今回、アインツベルンはバーサーカーを選んでる」

 

「ええ、とんでもない化け物。きっと大英雄にちがいないわ。

 あんな魔力をバカ食いするクラスを、きちんと制御できるんだもの、

 あの子も化け物魔術師よ」

 

「いいや、違うよ。バーサーカーを選ぶ最大のメリットは、

 サーヴァントの意志を無視できることさ。

 彼は聖杯を手にしたら、何をしたいなどとは考えられない。

 だからこそ、思考力を奪ったクラスが存在し、呪文も設定されているんだろうね。

 前回、あのセイバーを召喚した陣営に、思うところがあったのかな」

 

 凛は言葉を失くした。

 

「ちなみに、機動力のある強力な宝具に騎乗するライダーも、見せ札の可能性が高い。

 どんな乗り物かは知らないが、これほど秘匿と相性の悪いクラスはない」

 

 ヤンはむくりと起きあがった。凛は思い出した。彼をライダーとして召喚したら、という仮定を。

 

「今、ものすごく納得したわ。あんたの宇宙戦艦とか冗談じゃないもの」

 

「まあ、私の場合は極端すぎるがね。

 しかし、夜に戦うといっても、物音を立てればより響く。

 欧州、中近東の乗り物といえば、戦車や名馬の可能性が最も高い。

 やはりこれは、二百年前に作ったシステムとのギャップなんだろうなあ。

 当時はよかったが、社会や技術の発達で、馬がいなくなってしまったんだよ」

 

「ああ、そうかも。考えてもみなかったわ」

 

 歴史マニアの未来人の指摘に、現代人は頷いた。

 

「船だと戦場が限定されるから、ライダーを狙うなら考慮するだろう。

 空飛ぶ乗り物の伝承がないではないが、こいつも疑問だね」

 

 凛は首を傾げた。

 

「相手の攻撃は届きにくいわよ」

 

「だが、市街地に潜まれた相手を見つけるのは難しい。

 現代戦の空爆は、そういう敵の排除が目的だが、魔術の秘匿でそれはできない。

 となると、一方的に不利だよ。自分のほうは一発でばれるのにさ」

 

「それはいくらだって手段があるわ。マスターが結界を張ったりすればいいんだから」

 

 凛の反論に、軍人のサーヴァントは難色を示した。

 

「それで秘匿はクリアできるとしても、

 馬にしろ戦車にしろ、要は兵力を高速移動させる道具に過ぎないんだよ。

 攻撃には、矢を射るなり、槍で突くなりしないと意味がない。

 だが、その役割は他のクラスに取られてしまっている。

 乗り物で体当たりするのかい? 合理的じゃないね」

 

「そうとは限らないでしょ。宝具自体に武器が備わっている場合もあるわ。

 あんたの戦艦だってそうでしょう。どうやって攻撃してたのよ」

 

「主力武器は中性子線ビームだ。有効射程距離は五光秒。

 百五十万キロの彼方から撃ち合うのさ」

 

 凛が電子機器の取り扱いが苦手とか、もうそんなレベルの話ではない。距離の単位が『光』ときた。想像を絶するとはこのことだ。

 

「……ちょっと待って。ここからどのくらいの距離になるっていうの」

 

「うーん、月までの四倍ぐらいかな。

 彼我の距離がもっと接近すれば、レーザー水爆やレールキャノンの出番になるが」

 

「それ、どんな武器なのよ」

 

「ええとね、レーザー水爆は……」

 

 聞くだに禍々しい単語に、艶やかな黒髪が左右に振られた。

 

「やっぱりいいわ。知りたくなくなってきた。

 体当たりのほうがまだマシな気がする」

 

「体当たりなんかするのは、強襲型揚陸艦ぐらいだなあ。

 こいつは白兵戦の人員を送り込むための艦で、厳密に言うと強制接舷だ。

 しかし、白兵戦隊員は宝具に含まれるんだろうか……?

 戦闘技術的には、セイバーとランサーの中間になってしまうんだが」

 

 『バナナはおやつに入りますか?』みたいな自問に凛は呆れた。おざなりに手を振って、英霊ヤン・ウェンリーがライダーだったらという仮定を打ち切ることにした。

 

「も、いい。あんたがライダーじゃなくてよかったと改めてわかったから。

 じゃあ、アーチャーはどうなのよ」

 

 その問いに、ようやく大儀そうに起きあがり、黒髪をひと混ぜする。

 

「三騎士の中でも一見ぱっとしないし、接近戦にも弱い。

 あんまり、弓で名だたる英雄も聞かないしね。中世ヨーロッパだと」

 

「無駄なしの弓のトリスタンとか、ロビンフッドくらいよね」

 

「だが、ギリシャ神話まで手を広げれば、ヘラクレスにオリオンあたりも候補だ。

 どうやって呼んだらいいのか、触媒の入手は困難だろうがねえ」

 

 本当に歴史マニアって……なんていうかこう、発想の方向が見当もつかない。

 

「ちょっと待ちなさい。ギリシャ神話って、キリストの聖杯以前でしょうが」

 

「クー・フーリンが召喚できる以上、そっちの聖杯かは怪しいね。

 彼はイエス・キリストと同時代人で、どちらも夭折にしている。

 中近東のキリストの逸話を、アイルランドの彼が聞けたとは思えない」

 

「じゃあ、聖杯の概念って……」

 

「ヨーロッパに広く分布する、魔法の大釜伝承が有力候補じゃないかな。

 ケルト、北欧、ギリシャ神話にも登場してるよ。

 だから時代区分はあてにならないとみていい。

 私の時代には、いわゆる宗教はほとんど残っていないんだ」

 

 その見本が、この黒髪黒目の東洋人っぽいサーヴァントだ。凛は肩を落とした。

 

「あんたに時代を言われると、納得するしかないわね」

 

「なによりも、戦場で最も人を殺したのは飛び道具だ。

 剣や槍の射程外から、敵を撃つこともできる。

 篭城しているマスターを狙う輩を、死角から狙うことも。

 単独行動スキルが付与されるのは、そのためだと思うんだよなあ」

 

 たしかに、共闘するなら効果的な組み合わせかもしれない。キャスターが本拠地を固め、バーサーカーが囮となり、死角からアサシンないしはアーチャーが必殺の一撃を放つ。

 

「でも、弓兵も三騎士って、もてはやされてるクラスよ」

 

 凛の言葉に、アーチャーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「私を見てもそう思うかい?」

 

「うっ……」

 

「このクラスは、本来は一種のトラップではないだろうか。

 召喚者の知識と、用意する触媒によっては、強い英霊を呼ぶのも可能なんだ。

 『キリストの聖杯』以降の英雄にこだわらなければね。

 強い弓兵を呼びたいなら、『キリストの聖杯』以前の英雄の触媒を用意すればいい。

 しかし、そうと知らない者に取られても御三家側には脅威じゃない。

 召喚するサーヴァントの強さに、有意に格差を設けられるんだよ」

 

 凛はおのれのうっかりぶりを呪った。

 

「あの壺、地下室にしまわなきゃよかった……。

 中国の壺が触媒になるなんて思わなかったのよ!」

 

「だろうねえ。明代は一騎当千の英雄の時代ではないものなあ」

 

「千六百年後のあんただって、一騎当千の英雄じゃないでしょう!」

 

 いきり立つ凛に、寝癖のついた黒髪が上下動した。 

 

「いや、まったくそのとおり。

 だが、こいつが本物の戦争じゃないことはわかってるよ。

 軍隊として運用するでもなし、個々のぶつかり合いに、

 複数の兵種を用意する意味なんてない」

 

 そう言うアーチャーは、軍人というよりも学者の卵に見えた。

 

「あんた、そんなこと考えてたの」

 

「ああ。この聖杯戦争、そこからして怪しいじゃないか。

 なんで、様々なクラスにする必要があるんだ。

 本当に力比べと言うなら、もっとも伝承が多い剣士を七人呼んで、

 勝ち抜き戦の試合でもやればいいんだよ。

 ジークフリートにローランにシグルド、そしてアーサー王と円卓の騎士。

 七人くらいすぐ思いつくし、二週間とかからずに終わる」

 

 欠伸交じりだが、相変わらず合理的過ぎる発言だった。

 

「たしかにそうかもね。じゃあ、なぜこんな形にしたんだと思うの?」

 

 凛は逆に質問してみた。

 

「英霊が生贄と仮定すると、その方法では死に至るとは限らないからじゃないかな。

 だからこそ、『勝負』じゃなくて『戦争』ではないのだろうか。

 これは、ポーカーじゃなく七並べみたいなものだ。

 強い札じゃなく、目的に近い札を引くべきなのに、そいつが忘れ去られてる。

 一子相伝の魔術師が本気の殺し合いなんか演じたら、当然そうなるに決まってるさ」

 

 身も蓋も底もないほどに冷静な考察だった。

 

「きっと、最初のころは取りきめがあったんじゃないだろうか。

 第四次聖杯戦争で、傭兵を入れるぐらい切羽詰まった家がいたせいで、

 おかしくなったのかもしれないよ」

 

「じゃあ、アインツベルンが何かをやったっていうの」

 

「可能性は低くないね。

 なお、第三次は君の曽祖父が参加したと思われるが、きちんと生還してる。

 でないと君の大叔父、つまり『柳井くん』の祖父が生まれないからね」

 

 凛は舌を巻いた。それは先日、アーチャーがでっちあげた名であった。

 

「戸籍って、そう使って調査するんだ……。知らなかったわ」

 

 あの十六通で12,450円也の戸籍代金、ちゃんと役に立っていたのだ! 高いと思ったが、その分の価値はあったのか。これは驚きだった。

 

「でも、限界もある。この戸籍制度は明治五年にできたが、

 公開されているのは明治十九年に作り直されたものが最も古いんだ」

 

 呆気に取られた凛に、枕代わりの六法全書を見せるアーチャーである。

 

「つまり、聖杯戦争開始の二百年前の事は戸籍からではわからない」

 

「じゃあ、どうやって……」

 

「ここで登場するのがお寺だよ。遠坂家の先祖代々の墓はどこにあるのかな?」

 

「柳洞寺だわ……」

 

 キャスターが根城にしていると思しき場所だ。

 

「でもなんで柳洞寺が出て来るのよ」

 

「人間、生まれたからには必ず死ぬ。要するに、納骨した時の記録に頼るわけだ」

 

 凛の翡翠の目が点になる。歴史マニアって一体……。

 

「だからこそ、キャスターと平和裏に交渉したいんだよ。

 住宅地図で見たかぎりだが、とても大きなお寺だった」

 

「ええ、そうよ。昔から深山町にある家は大体あそこの檀家だわ」

 

「士郎君の家もそうかな?」

 

「多分、そうでしょうね。藤村組の親分さんが後見人になったぐらいだし」

 

「その線で、セイバー陣営の主戦論を押さえたい。

 確かに非道な行為だが、暖房のきいた室内で、

 救急車を自力で呼べる行為にとどめてる。

 失血の上、真冬の路上に放置しておく吸血鬼犯とは明らかに違う。

 おそらく、寺の住人にも、現段階では重大な危害は加えていないだろう」 

 

 アーチャーの言葉に、凛は胡乱な目を向ける。続いた言葉は突拍子もないものだった。

 

「冬木市の年間の平均死亡者数は六百人から七百人だったのを忘れたかい?」

 

「それがどうかした?」

 

「一日二人が亡くなっている計算になる。

 あれだけ大きなお寺なら、週の半分以上は葬式や法事をやっていないだろうか」

 

「ええ、そうみたいだけど、何の関係があるっていうの」

 

「新聞で見るかぎりだが、昏倒事件が起こり始めてから十日は経っている。

 その間に葬式ができないと、たちまち町中の噂になると思うんだ。

 欧州や中近東の住人が、人を操り、異なる宗教の葬儀を行うのは無理ってものだ。

 そして、異教を弾圧した時代や場所の人間ではないんだろうね」

 

「ああっ! ……たしかにそうだわ。

 柳洞寺の子も同級生だけど、別に変わった様子はなかった……。

 それに英霊によっては、寺なんてタブーもいいところよね」

 

 冠婚葬祭のうちで、予測ができず待ったもきかないのは、葬式だけだ。葬式を上げる寺の都合がつかないと、火葬だってできない。火葬場を管理している市民課だって困る。ヤンは、十年前の市民課職員の話と、戸籍を取りに行ったときの状況を結びつけて判断したのである。

 

 人が死んだら、遺体をどうにかしなくてはならないのは未来も変わらない。マスジッド宙港で永遠の眠りについた、あの老大佐のように。人類が存続するかぎりは、大地に墓標を立てるだろう。遺体の有無には関わらず。ヤンの父の墓は空っぽだが、母の隣で眠っていることだろう。

 

 自分のはどうなったことやら。そんな思いはおくびにも出さず、彼は続けた。

 

「柳洞寺にいるなら、キャスターは実体化しているほうが自然だ。

 霊体化した状態では、ほとんど現世に干渉できなかったよ。

 資料のページさえめくれないくらいだ。

 陣地を作るには、何らかの作業が必要じゃないのかな。

 ねえ、マスター、魔術師としてその辺はどうなんだろう?」

 

「あちゃー、うっかりしてたわ。

 魔方陣を敷くにしても、礼装を作るにしても、

 作業をしなくちゃ無理ね。考えてもみなかった」

 

 遠坂凛、うっかりをやらかすところだった。サーヴァントが、日常どうしているかまでは考えになかった。キャスターは籠城戦を前提とし、実体化しなければ、陣地作成を行えないのではないか。だからいっそう魔力を必要とし、あるところから持ってきているのだろう。アーチャーに言われてみれば、いかにも魔術師の発想だった。

 

「それに、いないはずの人間が出てきたら不審に思われるが、

 いるはずの人間が姿を消しても、何の不思議もない。

 トイレかもしれないし、ちょっと買い物に行ったのかと思うだろう。

 外国人ならば特に。キャスターと名乗っても、そう不自然じゃないさ」

 

「あーっ、そうだった!

 あんたの顔が東洋系っぽいから、そっちも失念してた!」

 

 またまたうっかりしていた。彼は遥か未来、国境が星の海の間に引かれた世界に生きた。歴史愛好の趣味のお陰で、ルーツに関係なく聖杯の概念を持っている。

 

 顔立ちは東洋系に近いが、肌は白く、日本人とは骨格が違う。頭が小さく、手足が長い。肉付きの薄さと相まって、軍服が似合わず損をしている。生っ白くて、頼りなく見えるのだ。よくよくよーく見ると、割とハンサムなのに。

 

「どうしようかしら。柳洞くんに事情を聞いたほういい?

 私のこと敵視してる奴だけど、衛宮くんとは仲がいいのよ」

 

「そいつはいいね。ただ、注意は必要だよ。

 その子からキャスターに伝わるかもしれない。

 士郎君も友人を人質を取られてるようなものだ。

 その彼のセイバーが切り込むなんて、不確定要素と危険が多すぎる。

 だがキャスターとの交渉は可能だと思う。君が言ったように」

 

 凛は眉を寄せた。

 

「は? わたしがなにか言ったかしら」

 

「モグリの『魔術師』は、遠坂の家門に入るか、上納金を払うべしって」

 

「え、ええーーっ!?」

 

 凛は信じられないものを見る視線を向けた。

 

「何言い出すの、あんた!」

 

「魔術師としてのルールは守っている相手だ。

 理を説き、利に誘えば、頷く可能性がある。

 とりあえず、先手を打って、手紙でも出してみたらどうかな。

 墓参りしたいけどいいですか、できれば管理者として話もしたいとね。

 イリヤ君だって、切嗣氏のお墓参りはしたいだろう。

 ついでに返信用封筒も入れておいたらいいよ。

 切手二枚分なら、無視されても安いものさ」

 

 凛は眉間に皺を寄せ、常に斜め上に突き抜けたことを言う従者を睨んだ。

 

「信じらんない。ありえないわ。聖杯戦争に郵便ですって!?」

 

「魔術勝負じゃ絶対に勝てない相手だよ。

 敵陣で、敵の得意分野の勝負をしても始まらないということさ。

 ならば勝る点、キャスターの生きていた時代より、

 進んでいる社会システム、こいつを利用すべきだ」

 

「もう、勝手にしなさい」

 

「ありがとう。じゃあ、便箋と封筒と切手をもらえるかな?」

 

 言葉もない凛だった。もう付き合ってられない。衛宮家に行かなくちゃならないから、身支度をしよう。とりあえず、レターセット一式を押し付けてから。凛が出発を急かす頃、何枚もの便箋を出来の悪い造花にしてから、アーチャーの手紙は書きあがった。

 

「こんなの、効き目あるの?」

 

「半々だねえ。だが、さほど害にはならない。

 打てる手は打っておいたほうがいいよ。敵の敵は味方ということだってある」

 

「聖杯戦争なんて、みんな敵でしょう」

 

「だが、キャスターにとっては、

 最も目障りなサーヴァントの排除を手伝ってくれるかもしれない」

 

「まさか、セイバーじゃないでしょうね」

 

 凛の詰問に、アーチャーは漆黒の瞳を瞬かせた。

 

「違うよ。吸血鬼事件のライダーだかアサシンさ」

 

 アーチャーの言葉は、聖杯の加護によってきちんと日本語に翻訳されている。だが、凛は懇願した。

 

「お願い。人間の言葉で話して」



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15:赤と黒

 遠坂家は、坂の上の由緒ある赤煉瓦の洋館だ。一方、衛宮家はもっと下、深山町の中心に近い武家屋敷だ。

 

 どちらの建物も、アーチャー、ヤン・ウェンリーにとってとても興味深い。特に衛宮家のような建築様式は、千六百年後まで実用としては伝わっていない。文献や画像に残ったものの復元のみだ。漆喰の白壁とコントラストをなす、美しいなまこ壁。見事な数寄屋造りの屋根は母屋、ふたつの切妻屋根は土蔵と道場。

 

『いやあ、りっぱなお宅だねえ。

 凛の屋敷も実にいいが、こういう建物は復元されたものしかお目にかかれないよ』

 

『感心するのはいいけど、この家は魔術師の工房としては、

 開けっぴろげもいいところよ。魔術への防御は無力だわ』

 

『まあ、その辺はイリヤ君もセイバーもいる』

 

『……殺し合いをしてなきゃね』

 

『それはないから大丈夫だよ。

 バーサーカーは、あの武家屋敷の屋内では出現させられない。

 昔ながらの建物だから、君の家に比べると天井が低いんだ。

 彼は落っこちてくる建材から、マスターを守らなきゃならなくなる』

 

 そんなこと、凛は気にも留めなかった。

 

『じゃあ、セイバーが有利じゃないの』

 

『いやいや、そうでもない。イリヤ君は聖杯の担い手だと言っただろう。

 聖杯を欲するセイバーにとって、すぐさま殺害できないマスターだよ』

 

 もう、どこまで人の悪いサーヴァントなんだろうか。

 

『あんた、ほどほどにしないとセイバーに殺されるわよ』

 

『そいつも彼女にはできないんだ。私は彼女と違って、霊体化できるからね。 

 彼女の剣を逃れて、士郎君を殺すことができるわけだ。

 彼女がすかさず仇を討っても、君は殺せない。

 君には新たなマスターになってもらいたいだろうからね。

 セイバーにイリヤ君を排除できない以上、君は生き残れる』

 

 昨晩、室内に誘導したのは、親切心ばかりではなかったと自白したも同然である。

 

「もういや。どうしてこんなに腹黒いサーヴァントが来ちゃったのかしら」

 

「そりゃ、触媒があったからだろうねえ。巡り合わせと思って諦めてくれ。

 私にとっては君が生き残ればいいのであって、彼らを斃す必要もない。

 そのためには、相手の弱点に、自分が勝る点をぶつけるしかないからね」

 

 この根性悪のリアリストめ。凛のこめかみに、何度目かの青筋が立ちかけた。だが、必要ないということは、できなくはないということじゃないの?

 

 衛宮家の門をくぐってから実体化したアーチャーは、穏やかに笑うのみだったが凛は確信した。

 

 できるの、こいつに? いや、できるか、こいつなら。強力だが超箱入り娘のマスターと、狂気のサーヴァント。お人よしで無知なへっぽこマスターと、清冽で一本気なサーヴァント。四人が束になっても、このひねくれた頭脳の持ち主に追いつくとはちょっと思えない。こいつの口の悪い先輩の言葉を裏返せば、『首から上は役に立つ』ということに他ならない。

 

 凛は頭が痛くなってきた。首を振りながら、玄関の呼び鈴を押す。しかし、応えはない。

 

「どうしたのかしら?」

 

「土蔵の血痕でも落としているのかな」

 

 なにげない一言だったが、凛をげんなりさせるには充分だった。昨晩、サーヴァントの非道を聞いて、聖杯戦争への参加を表明した衛宮士郎は、セイバーの同居問題が一段落するや否や、行動を開始しようとした。それに首を振ったのがアーチャーであった。

 

「士郎君、君は大怪我をしたばかりだ。

 不可解極まりない現象によって、完全に治癒したから実感が薄いのかもしれない。

 でも、その奇蹟を頼みにして無謀な真似はしないでほしい。

 あれに再現性があるのかも不明だからね」

 

 アーチャーは居間から出ると、士郎の部屋へと戻った。再び戻った時には、ゴミ袋を提げていた。半透明の冬木市指定のゴミ袋の中に、キャメルベージュと、黒ずみはじめた赤の物が詰まっていた。

 

「士郎君、持ってごらん」

 

 促されるがままにゴミ袋を手にし、その正体に気がつく。衛宮士郎の手に震えが走り、強張って手を離すことができなかった。視線を外すこともだ。それは、変わり果てた自分の制服だった。血に濡れた分、朝着た時より重みを増し、袋の中からは、眩暈がするほど濃厚な鉄錆びた臭いが立ち上る。

 

「これが君の流した血の量、命の重さだよ。

 たったこれだけの重さだが、それで人は死ぬんだ。ちなみに、私の死因でもある。

 私たち軍人は、まず自分が生き残ることを優先しろと教えられる。

 さもなくば人は救えない。死体が二つになるだけだということだよ」

 

 穏やかな表情で放たれた、強烈な牽制球だ。そこで止めておいてくれればいいのだが、士郎の手からゴミ袋を離させると、凛とイリヤにも向き直った。

 

「さあ、君達もこれを持つんだ。そして、考えることだ。

 聖杯戦争の勝者とは、この数十倍の重さを六個分背負う。

 冬木の大災害のようなことになったら、更に百倍、千倍にもなる。

 聖杯をもってしても、その罪は雪げはしない」

 

 全てを見通すような漆黒の視線に、凛もイリヤも抗うことはできなかった。決して満杯ではないゴミ袋は、とてつもなく重かった。

 

 言葉を失くした一同に、アーチャー、ヤン・ウェンリーは告げた。

 

「せっかく平和な時代に生きている君たちが、そんな罪に汚れて欲しくないんだ。

 ろくでもない戦いだから、犠牲なく勝たねば意味がない。

 犠牲となるのは、死人であるサーヴァントだけで充分だ。それが私の考えだよ。

 それからね、凛、一つ訂正があるんだ」

 

 決して激しくはない、静かな口調だった。

 

「な、なによ」

 

「この前、私は英雄じゃないっていっただろう。

 ある点においては、たしかに英雄なのかもしれない。

 この時代より、すこし前の映画の台詞だったかな。

 『一人を殺せば殺人者だが、一千万人を殺せば英雄だ』というやつ。

 その意味でなら」

 

 それはセイバーにも、息を飲ませるに充分な告白だった。

 

「私に言えるのは、今はそれだけだよ。考えて、判断するのは君たち自身だ。

 しかし、私は軍人でもある。

 司令官たるマスターと無辜の民間人を守るためには、

 敵兵とその司令官を排除することも選択する。

 われわれ遠坂と敵対するなら、そのことは考慮してもらおう」

 

 呆れるほどの交渉術だった。血まみれの制服と自らの死因でインパクトを与え、情理を説いて安心させたところに、生前の事績の一端を示して恫喝する。

 

 彼の能力からすると、とんでもないはったりだが、アーチャーというのが肝である。アーチャーとは、強力な遠距離攻撃の宝具を所有するクラスだからだ。彼自身の能力は極めて低いが、他のマスターにとっては、いまだ詳細を明かさぬ宝具は脅威。加えて、この頭脳。敵対よりも同盟を選びたくなるというものだ。

 

「じゃあ、ちょっと回ってみましょうか」

 

 だが、そこまでいく必要はなかった。手前の道場から、竹刀の打ち合う音が聞こえてきたからだ。

 

「あ、こっちだったのね。お邪魔するわよ」

 

 一声掛けてから、上がりこむ。ついてきたアーチャーは、物珍しげに中を見回した。

 

「感動だなあ。本物の道場だ」

 

 しかし、剣士らの服装は、ツナギの作業服にメイド服。打ち合いというより、衛宮士郎はセイバーに防戦一方だ。それは当たり前か。

 

「セ、セイバー、ちょっとタンマ!」

 

「そう言われて待つ敵はいませんが、いいでしょう。

 シロウ、一休みとしましょう」

 

 アーチャーは頭をかいた。

 

「それにしても、士郎君、本当に平気なのかい?

 昨晩、肺の損傷と大量の失血をしたんだから、無理しちゃ駄目だよ」

 

「ありがとな、アーチャー。ほんとに何ともないんだ」

 

「ならいいんだが、不可解な現象だよなあ」

 

 不可解現象の粋たる、サーヴァントにそんなこと言われても。士郎は思わず頬をかいた。

 

「いや、サーヴァントに言われるのもヘンだと思うぞ」

 

「ほら、私は幽霊だからある程度の不可解はありだと思うんだ。

 しかし、君は生身の人間だからね。

 あの怪我が治るというのは不思議でしょうがない。

 だが、治ってくれてよかったよ」

 

 和気藹々と話す男性陣。一見、学校生活の一幕である。

 

「衛宮くん、ちょっとは緊張感持ちなさいよ。

 セイバーと二人、何やってたのかしら」

 

「結局、イリヤのメイドに邪魔だって追い出されちゃってさ」

 

「ふうん。あの子はどうしたのよ」

 

「離れにいる。ちょっとの間は見てたんだけど、寒いのは苦手なんだって。

 土蔵の掃除して、昼飯食べて、稽古をつけてもらってたんだ」

 

 コミュニケーションを図るにはいい方法だとは思うが、護身術にするには問題があった。一応、凛の弟子になったのだし、師匠として言ってやらなくては。

 

「衛宮くん、サーヴァントは普通の武器では傷つけられないの。

 その竹刀で叩いても意味がないし、普通なら掠りもしないわよ」

 

「強化の魔術を掛けても駄目か? 俺、強化と解析はできるんだよ」

 

「また随分、マニアックというか偏った魔術ねえ。

 魔力を帯びたものなら通用はするけどね。

 ちょうどいいわ、その竹刀に強化を掛けてみて。

 で、わたしのアーチャーと戦ってみれば?」

 

「おいおい、凛」

 

 困り顔のアーチャーに、凛は心話で告げた。

 

『はっきり認識させたほうがいいでしょう。

 相手は霊体化できないセイバーじゃないって』

 

「トレース・オン」

 

 その傍らで、士郎は魔術発動の言葉を呟き、魔術回路に魔力を通していく。脊椎に鋼の棒を縦に突き通していくような痛み。

 

 それが、世界に働きかける代償。竹刀の構造を解析し、構造の隙間に魔力を流していく。いつもは一割に満たない成功率だが、ことのほかうまくいった。いや、これまでにないほど上出来だといっていい。

 

 魔術の成就に満足している士郎に、遠坂凛は愕然とした表情になっていた。

 

「……凛。すごい顔だよ。あたら美少女がもったいない」

 

 アーチャーがおずおずと取り成すが、空間を真紅に染め上げるかのような怒気が立ち上っていた。

 

「……アーチャー、遠慮はいらない。とにかく、ぶっちめてやって。

 その後で、とっくりと教えてやるから。……師匠としてね」

 

「そういう制裁には、私は反対だよ」

 

「違うわよ。師匠のレッスンその一よ」

 

 アーチャーは浮かない顔になった。それでも、ここはマスターの仰せに従ったほうがよさそうだ。凛の心話に込められた怒り。

 

『ものすごく危険なことをやってるのよ。

 これが衛宮切嗣が教えたことなら、理由を問い正さなくちゃいけない。

 そして、二度とやるなと言って、正しい方法を教えなきゃ。

 今まで死なないでいたのが奇蹟なんだから!』

   

 魔術師としての矜持と、それ以上に少年を思いやる真情だった。凛の形相を気にせず、士郎は竹刀を素振りし頷いた。

 

「準備できたぞ」

 

 アーチャーは溜息を吐いた。

 

「私は格闘術も苦手だったんだがなあ……。

 なんで死んでからまで、こんな目に……」

 

「つべこべ言わないの。大丈夫、今は十倍は強くなってるから」

 

 凛が叱咤激励しても、アーチャーの顔は晴れなかった。挙句、言い訳がましいことを口にした。

 

「ええと、士郎君。まず最初に言っておく。

 私はこんななりだが、一応正規の訓練を受けた戦時国家の軍人だ。

 君より身長も体重も勝る。

 これだけでも、平和なこの国の学生に勝てる要素は少ない。

 それでもいいんなら、気は進まないが相手になろう」

 

「俺はいいぞ。じゃあ、よろしく、アーチャー」

 

 道場の中央で対峙した青年に、士郎は頭を下げた。

 

「うん、まあ試合だからほどほどによろしく」

 

 セイバーがどんな剣術を仕込んだのかはわからないが、これでジャンヌ・ダルクの線は薄くなった。

 

 村娘だったジャンヌは、陣頭に立つが旗持ちを好んだ。しかし、神の啓示を受けても、村娘は村娘だ。学んでもいない剣術などできるはずがない。矢を受けて、泣き叫ぶほど取り乱したとも伝え聞く。

 

 そして、当時の戦争のマナーを頭から無視した。使者を送って日時を取り決めたり、一騎打ちの口上を述べたりする、そういうことを。だからこその快進撃であり、それゆえに戦後に迫害され刑死したのだ。政権を奪取したシャルル七世はともかく、王を支える保守派にとって、脅威だったというわけだ。

 

 士郎は、強化した竹刀を中段に構えた。今までセイバーにしごかれて学んだのは、サーヴァントに攻撃するだけ無駄だということだった。相手の攻撃に対し、牽制と防御に徹する。手加減に手加減されたセイバーの太刀筋でさえ、目のいい士郎でもろくに見えやしない。

 

 だが、急所を守るように武器を構え、衝撃を逃がして受け止めるようすれば、セイバーを呼ぶまで持ちこたえられるかもしれない。まだ成功はしていないが。

 

「じゃあ、失礼」

 

 アーチャーが一歩踏み出した。彼は無手である。士郎は、リーチの差を生かすべく牽制の一撃を繰り出した。アーチャーの姿が掻き消え、ベレーに向かって繰り出した竹刀は空を切った。たたらを踏みかけた作業服の足を、出現したアイボリーのスラックスが払う。

 

「っつ!?」

 

 文字どおりの意味で、士郎は足をすくわれた。硬く握り締めた竹刀が災いし、完全にバランスを崩した。手首を打たれて、竹刀がすっぽ抜け、床を叩いて転がっていく。

 

「うわぁっ!」

 

 そのまま手首を決められ、なにがなにやらわからぬうちに視界が一回転する。

 

「よいせ」

 

 緊張感のない掛け声とともに、士郎は床に押し付けられた。左腕は自らの体が重石となり、まったく動かせない。右手はアーチャーが掴んだまま、背後から首元を膝で押さえるように圧し掛かられた。実にあっけなく勝敗は決した。

 

「これで君は死んだ」

 

 淡々とした声と共に、夕日色の後頭部に、銃の形にした指が押し付けられる。

 

「二回目だよ、士郎君。本当なら昨日で終わっていたが」

 

 セイバーが聖緑の瞳を見開き、膝立ちになる。

 

「このように、幽霊ならではの攻撃法があるわけさ。

 君のセイバーにはできないが、それ以外のサーヴァントには皆できる。

 セイバーと離れないで済む、そういう方法を考えたほうがいいなあ」

 

 そう言うと、ヤンは士郎の体を離した。

 

「う、その、疑って悪かったよ。アーチャー。あんた強かったんだな……」

 

 物憂げな表情で両手を凝視しながら、黒髪の青年は頭を振った。

 

「最盛期の肉体でって、確かに本当なんだなあ。

 体がちゃんと動くし、教科書のとおりにやれば、さっきみたいに決まってたのか……」

 

「へ? なんでさ」

 

「学生時代はとろくて腕力不足で、落ちこぼれもいいところだった。

 これだけハンデのある君を拘束できなきゃ落第なんだがね。

 その及第点を取るのに、ものすごく苦労したんだ。

 それこそ、身長と体重の問題でね」

 

 士郎は、真っ直ぐアーチャーの顔を見てから、頭のてっぺんに目をやった。

 

「や、充分だと思うぞ。俺より十センチぐらい高いよな。

 いいなあ、羨ましい……」

 

「私の国は多民族国家でね。混血が進んでいて、私の身長が標準ぐらいなんだ」

 

「……げ、そうなのか?」

 

 身長に悩む者には、絶望する国家である。

 

「大丈夫さ、君はまだ十七歳なんだろ。私もその頃は君より小柄だった。

 きっと、まだまだ背が伸びるよ」

 

「あ、ありがとう、ありがとう……アーチャー……」

 

 昨晩から降ってわいた美少女と美女達に囲まれて、ストレスが音速で蓄積していく士郎にとって、同年代に見える同性からのエールは、なによりの癒しであった。

 

「身長は人並みだが、筋肉はさっぱり。おかげでパワーとスピードがね……。

 だが、今は当時の十倍で、その問題は解消してる。

 あの頃、こうならよかったのに。まったく世知辛い話だよなあ」

 

「そ、そっか。なあ、俺にも教えてくれないか?」

 

「それは構わないんだが、これでも四年間で三千時間の授業の賜物なんだ。

 あと十日に詰め込むとすると、百倍厳しい内容にしないといけないんだが、

 それでもいいかな?」

 

 アーチャーの静かな口調には、妙に迫力が籠っていた。

 

「え、ええと、どんな授業だったんだ?」

 

「君の年齢の時の授業は、十キロの装備で徒歩五キロ、

 水中歩行三百メートルに、障害越えを二十五か所。

 こいつを三時間以内に終了させるんだ。

 さて、どれを百倍にすれば出来そうかい?

 四項目を二十五倍ずつにするか、

 制限時間を百分の一にするという選択もあるが、どうかな?」

 

 腕組みをして、小首を傾げて士郎に尋ねる。その黒い目は全く笑っていない。士郎はせわしなく首を左右に振った。

 

「わかってくれたんなら結構。じゃあ、私のマスターからも話があるそうだ」

 

 アーチャーがそっと位置をずらす。その陰から出現したのは――あかいあくまだった。



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16:三者三様

 遠坂凛の魔術講座は、詰問から始まった。

 

「衛宮くん。あなた、一体何してるわけ?」

 

「強化の魔術だぞ」

 

「その前よ!」

 

「前って、魔術回路を作って……」

 

「……この馬鹿。あんた、へっぽこじゃないわ。ど素人よ!

 魔術回路なんて、何度も作ったりしないわ。

 一回開けば、スイッチを作ってそれを入れるだけ」

 

「え、どういう意味さ?」

 

「魔術回路は魔術師が持つ擬似神経よ。

 一回開通させれば、消えたりなんかしない。

 魔術のたびに作るなんて、正気の沙汰じゃないわ。

 それが一番危険で死亡率の高いプロセスだからよ!

 そんな馬鹿な方法、誰に教わったの!?」

 

「……じいさんだ」

 

「なんですって!?」

 

「お、俺がむりやりじいさんに頼んだんだ。

 でも俺は出来が悪くって、じゃあ、何度も練習すればいいって……」

 

「なんてこと……。

 言い方が悪かったのか、教え方が悪かったのか知らないけど、完全な間違いよ。

 今まで死ななかったのが不思議なぐらいだわ」

 

 凛の肩に、アーチャーが手を置いた。

 

「過ぎたことを責めてもしかたがないよ。

 君が正しい方法を教えてあげれば済むことだ。 

 それに子どもの独学は、どうしても偏りが出るものさ。

 そんなに怒らなくたっていいじゃないか」

 

 宥めるアーチャーを凛は睨めつけた。

 

「あんたはそう言うけどね。その偏りが、死ぬようなものなのよ」

 

 凛の迫力に、セイバー主従は口を挟みかねたが、アーチャーは一枚上手であった。のんびりとした笑みを浮かべる。

 

「凛もなかなか生徒思いじゃないか」

 

「なっ、なに言って……」

 

 そして、真っ赤になって絶句する凛をよそに、士郎に向き直る。

 

「そういうわけで、士郎君。

 君も上納金に授業料を上乗せすることをお勧めする。

 凛の魔術は、元手がとても馬鹿にならないんだ」

 

 琥珀とエメラルドが点になった。翡翠も丸くなる。

 

「あ、あら? アーチャー、あんたもたまにはいいこと言うのね……」

 

「技術や知識に対しては、相応の報酬を支払うべきだと思うんだ」

 

 含みのありすぎる口調と表情だった。

 

「わかったわよ。紅茶とブランデーと後は何よ?」

 

「本を買ってもらいたいところだけど、読んでる時間がなさそうだから、

 せめて枕とベッドを要求したいな」

 

「と、遠坂、いいのか? 

 セイバーをどうやって誤魔化すか、あんなに大変だったのに、

 その、男と同居ってことになるんじゃあ……」

 

 士郎は今になって慌てだした。その本性があかいあくまだったとしても、憧れのミス・パーフェクト、遠坂凛が若い男と同居するなんて。

 

「アーチャーは霊体化できるから、必要に応じて姿を消せるし、

 わたしの家には衛宮くんの家みたいな来客はないもの」

 

「いや、それにしたってさ、姿が見えないってのも……」

 

「不埒な真似をするんじゃないかと心配してるのかい?

 重ねて言っておくが、私は君たちよりもずっと年長だよ。

 士郎君のお父さんよりは若いがね」

 

 たった一歳だけど、というのは内緒のヤン・ウェンリーである。そして、左手を掲げると、手の甲を一同に向けて、薬指を右手で指差す。

 

「おまけに私は既婚者で、妻はもったいないぐらいの心優しい美人だった。

 まだ結婚して一年も経っていなかったのに、とてもそんな気になれないよ。

 なによりも、凛や君は私の里子とそう変わらない年齢なんだ」

  

 しみじみした述懐に、一気に空気が重くなった。十五歳で唯一の家族を失くし、たった一人で負債の清算をやり遂げた。小さな国の元帥として、一千万人以上の敵を倒した。そして、新婚ほやほやで美人妻と里子を残し、出血多量で死亡。三十四歳未満の若さで。

 

 彼の言葉を並べると、壮絶にすぎる半生記ができあがった。迂闊な発言をした士郎に、色合いの異なる緑の視線が突き刺さる。

 

「ないわね。寝言で奥さんの名前を呟くぐらいなのよ」

 

「……シロウ、謝罪をすべきです」

 

「ごめん、悪かった!」

 

「いやいや、君の懸念も当然さ。

 だから、君とセイバーの同居も藤村先生に反対されたわけだしね」

 

 下げた頭がもっと下がるような同意だった。

 

「そ、その節はお世話になりました……。ホントにすみません!」

 

 アーチャーは軽く手を振った。

 

「いや、私のことは気にしなくていいよ。

 君の命の危機をどうにかしたほうがいいんじゃないか?

 凛、何かいい方法はないのかな」

 

「じゃあ、衛宮くん、ちょっと魔術回路の状態を調べさせてもらうわ。

 痛いわよ」

 

 凛の宣言どおり、魔術回路の確認には激痛を伴った。あまり記憶に残っていない、昨晩の怪我よりも痛いぐらいだ。

 

「い、いってぇ……」

 

 涙目になっている弟子の傍らで、師匠は首を捻った。

 

「確かにスイッチがないわ。開いてるのはたった二本だけか」

 

 士郎を本気で驚かせたのだが、凛の弟子の素質は初代魔術師としては、なかなかのものであった。ただ、多少埋蔵量があったところで、それを汲み上げ、エネルギーとして効率よく使えるほうが重要なのだ。そう説明されて、士郎はしゅんとした。

 

「でも、これじゃサーヴァントを使役するには足りなすぎるわ。

 きちんと開いていたら、セイバーも苦労が少なかったでしょうに」

 

 セイバーも頷いた。

 

「パスは感じられるのですが、ラインが感じられません」

 

 凛はぴしゃりと顔を覆った。

 

「冗談! じゃあセイバー、今は召喚時の魔力で動いているわけ?」

 

「はい」

 

「まずいわね、早くに何とかしなきゃ」

 

「なんでさ」

 

「今のセイバーは、召喚時のストックで動いているけど、

 マスターからの供給がほとんどないってことよ」

 

 首を捻る士郎に、アーチャーがぽつりと言った。

 

「納車された車みたいなものさ」

 

「あ、すぐガソリン切れになっちゃうってことか」

 

 ディーラーによっては、サービスしてくれるかもしれないが、たいていは十リットルほどしか入っていない。非常に即物的だが、少年にはわかりやすい表現だ。士郎の部活の先輩も、卒業後に免許を取って車を買った者がいるので。

 

 女性陣は憤然となった。

 

「なんて表現よ。魔力切れになっても、サーヴァントは消滅するわ。

 アーチャーのように単独行動スキルを持っていれば別だけど、

 それだって、一日二日ぐらいのものよ」

 

 当然、セイバーには単独行動スキルはない。エメラルドの瞳が、不満げに役立たずのガソリンスタンドを見やる。

 

「ど、どうしよう!?」

 

 ふたたび、今さら慌てだすへっぽこ魔術使い。セイバーは小さく溜息をついた。敵マスターに指摘されるまで気がつかないとは。彼の養父と違った意味で問題がある。

 

「仕方ないわね。教会から帰ってからなんとかしましょうか」

 

「今じゃだめなのか」

 

 焦る士郎に、凛はにっこり笑った。

 

「さっきの十倍痛いのが、七、八時間くらい続くけど、それで教会に行っても平気?

 なら止めないわ。ちなみに、教会に行かないのはナシよ」

 

 最後はドスの効いた声だった。アーチャーにも仲裁する様子がない。士郎はがっくりと肩を落とした。

 

「それまで、魔術を使うのはやめなさい。

 今までは運が良かっただけ。次で死なないとは限らないのよ」

 

「う、うう。わかった。心配してくれてありがとな、遠坂」

 

 翡翠の瞳が鋭くなった。

 

「勘違いしないでね。借金を払ってもらうまで死んでもらっちゃ困るの」

 

『そんなに照れなくていいのに』

 

 凛は勢いよくアーチャーに向き直った。にこにこと見守る従者を射殺さんばかりの目で睨んでやったが、そんなものに怯むヤンではない。諦めた凛は、衛宮主従に顔を戻した。全く、やりにくいったらない。いけ好かない後見人より、よほどに手強いサーヴァントだ。

 

「さて、イリヤに声をかけて、教会に行きましょうか。

 バスの時間だってあるしね」

 

 離れのイリヤスフィールに声をかけ、一行はバス停に向かった。マスターは三人、サーヴァントは一人。平凡な少年を、年齢は異なれど色とりどりの美少女が囲んでいる図だ。

 

 大変居心地の悪い士郎である。学校を休んだのに、こんなところを誰かに見られたら、どんな誤解をされるだろうか。

 

「な、なあ、遠坂。アーチャーを実体化させてくれないか」

 

 もうひとり、男が加わればまだマシかと思い、凛に打診する。返答はすげないものだった。

 

「嫌よ。バス代が余分にかかるじゃない」

 

 坂の上の洋館のお嬢様が、どんだけケチなんだと耳を疑う発言である。

 

「ちょっ……そのぐらい俺が払うからさ。頼む!」

 

「駄目。あいつ、魔力をバカ食いするから。あんなに弱いくせに」

 

 不満げなアーチャーのマスターに、バーサーカーのマスターは流し目を送った。

 

「じゃあリン、わたしが引き受けてあげる。

 ああいう、黒髪に黒い目ってわたしは好みよ。

 よくみるとハンサムだし、なにより声とお話がすてきだわ」

 

 この場の現代日本人には該当しない。そして、混血が進んだ未来人には意外と珍しい色彩だった。髪や目の色は濃いほうが優性遺伝するが、もう一方の親に応じて色素が薄くなるからだ。一方、金髪碧眼も少ない。遺伝的に劣性だからである。

 

 これは、現代も変わらないだろう。霊体化したヤンは、引っかかりを覚えて考え込む。その思いは、マスターに伝えられることはなかった。

 

「あなたはすごい魔術師だけど、あのバーサーカー抱えては無理でしょ」

 

 凛にしても、はいどうぞと譲ってやるつもりはない。たとえ弱くたって、サーヴァントがいるといないとでは大違いだし、対マスターに関しては、アーチャーは充分に戦力になる。

 

「リンの魔力が貧弱なんじゃないの?」

 

「失礼なこと言わないでよ。

 わたしが衛宮くん並みなら、召喚した瞬間に干からびて死んでるわ」

 

 酷評に士郎は遠い目になった。セイバーに魔力供給もできない身としては言い返せない。

 

「声はともかく、あいつの顔ねえ。普通じゃない?

 ランサーはものすごい美形だったけど」

 

 雪の妖精はルビーの瞳をぱちくりさせ、とんでもないことをのたまった。

 

「ああ、あのカイジン青タイツね」

 

 凛も士郎もつんのめりそうになった。セイバーだけが姿勢正しく立っている。顔に疑問符を張り付けてだが。停留所に到着していたのは幸いだった。

 

「……ねえ、イリヤ。

 アーチャーからだけど、『そんな言い方、誰に教わったんだい』って、

 ものすごくショックを受けているみたいよ」 

 

「さっき、タイガの家のテレビで見たの。

 ああいう格好の悪いヤツが出てきて、セイギのミカタがやっつけたのよ」

 

「『そんな言い方もよくないよ。伝説の英雄なんだよ』ですって。

 でもイリヤ、やっぱりランサーに遭遇してたのね」

 

「三日くらい前だけど、バーサーカーに挑戦しにきたの。

 わたしのバーサーカーは最強だもの。

 全然歯が立たずにさっさと逃げちゃった。

 ねえ、最速のサーヴァントって逃げ足のこと?」

 

「もう、ぶつぶつうっさいわよ。

 『退却戦が一番難しいんだ。それも彼の強さなんだよ。たぶん』だそうよ」

 

「でも、わたしのバーサーカーにはかなわないわよ。

 だって、ギリシャの大英雄、ヘラクレスだもの」

 

 セイバーは息を呑んだ。伝説に語られた輝かしい武勲と、圧倒的な知名度。死後に星座となり、神々の一角に迎え入れられたほどの存在だ。現在のセイバーでは文字どおり太刀打ちできない。

 

 凛は眉間を抑えた。ちょっと頭に響く。この心話、マスター側からシャットアウトするのは難しいようだ。サーヴァントと人間の霊格の差により、高きから低きへの流れは容易で、低い方は高いものが汲み上げる形になるのだろう。

 

「ちょっとぉ、ボリューム落としなさいよね。

 イリヤ、『なんてもったいない!』って喚いてるわ。

 せっかくの機会なのに、その武勲をお聞きしたかったって。

 それこそ、アーチャーとして呼べばよかったのに、

 ギリシャ神話で最強にして、いとも賢き、男性美の極致たる英雄だろうにって」

 

 アーチャーの嘆き混じりの絶賛に、イリヤは胸をそびやかした。士郎は琥珀の目を真ん丸にする。 

 

「すげえ、遠坂のアーチャー、歴史に詳しいなあ」

 

「元々、歴史学者になりたかったんですって」

 

「え、歴史なんて暗記だろ」

 

「アーチャーから伝言よ。『士郎君、後でじっくり話をしようか』だって」

 

 その時、通りの向こうからバスがやってきた。なので、凛は伝えずじまいになった。

アーチャーの言葉に秘められた、何ともいえない迫力を。

 

 徒歩だと一時間あまりかかる教会への道だが、バスならばその四分の一だ。端然と座るセイバーに対して、イリヤは目を輝かせた。

 

「すごい、こんな大きくて椅子がいっぱいある車、はじめて乗ったわ。

 ねえ、シロウ、あそこにある丸いわっかはなあに?」

 

「ああ、あれはつり革。椅子に座れなかったときに、立ってる人が掴むんだ」

 

「どうして?」

 

「バスが揺れたりしたときに、転んだりしないようにさ」

 

 ぱっと見、兄妹に見えなくはない。まったく、ちっとも、欠片も似ていないが。だから、他の乗客から向けられる好奇の視線が結構痛い。座ったのは一番後ろの座席。でないと四人、一列で座れないからだ。

 

 士郎を中心に左右にイリヤとセイバー。銀髪と金髪の美少女に挟まれ、肩身が狭い士郎だ。セイバーとは一つ座席を空けて、出口側に凛が座る。

 

「でもリン、どうしてバスにしたの?

 セラが車を出すって言ったのに」

 

「アーチャーが言うには、人目を味方にしたほうがいいんですって。

 あなたをアインツベルンの城から移動させたのもそうよ」

 

 凛にも疑問だった。アインツベルンの城は、冬木市と隣町の境界にある、大きな森にある。魔術的な結界に閉ざされた、難攻不落の要塞のはずだ。

 

「ヘンなの。あのお城、キリツグの家よりずっとすごいのに」

 

「は? え! とりあえず言われたままに言うけど」

 

 凛はそこでドイツ語に切り替えた。これもアーチャーからの指示だ。他の乗客と衛宮士郎の耳を考慮したのだ。

 

【森の中の一軒家、ライフライン……電気と水はどうしてるのかって。

 電線や水道管を引いているのかしら】

 

【ううん、水は地下水で、電気は自家発電よ】

 

【それも魔術でどうにかなるのかな。あるいはメイドさんの人力かい】

 

 きょとんと目を見開くと、白銀が左右に揺れる。

 

【ドイツのアインツベルンの城はそうだけど、冬木の城は今は違うわ】

 

 十年前の第四次聖杯戦争で損壊した冬木の城。今回急に開催を迎え、魔術で完璧に修理するのは不可能であった。森の結界など、魔術工房としての機能に重点を置き、機械化できるものはそうしたのだ。

 

【では、水にはポンプ、電気には発電機、どちらも燃料が要るよね。

 それも魔術で調達できるのかな?】

 

 さらに揺れる小さな銀の頭。

 

【燃料を運ぶのは石油会社の車だろう。

 そんな業者まで、魔術の結界とやらを自力で解除するのかい?】

 

【招いた者は入れるようにしてあるから、そんなことしなくても平気よ】

 

【そういう業者は市内でも限られる。全部電話しても大したことない。

 燃料を注文した業者を探して、

 『急に帰ることになった。危ないから、油を抜いてくれ』と言うだけで、

 君たちは寒い冬の森でトイレもままならなくなる】

 

「……だそうよ。再配達を頼んだら、また取り止めを連絡する。

 そのうち、悪戯扱いされて応じる業者はなくなる。

 腹が減ってはいくさは出来ぬ、サーヴァントを使役できなくなっちゃうって。

 ほんとに根性悪い奴ね」

 

 凛も青ざめたが、ドイツ語を解する二人も心臓にまで鳥肌が立った。セイバーが強張った顔で応じた。

 

「ですが真理です。私も戦いで最も苦労をした点だ」

 

「でも、衛宮くんの家は街中にあるから、いろいろと便利でしょうって」

 

 そのいろいろが、食料などの補充にいざという時の避難、目立つ大威力の宝具の使用抑制などだそうだ。しかし、降車も近づいているため、詳しいことは省略したが。

 

 イリヤが大喜びでボタンを押して、言峰教会前で一行は降車した。

 

「衛宮くんは教会に来たことある?」

 

「いや、初めてだ。そういえばここ、孤児院をやっているんだよな。

 じいさんに引き取られなかったら、俺はここに住んでたのかもしれない」

 

 白亜の聖堂を仰ぎ見る士郎に、イリヤは複雑な表情になった。

 

「でも、わたし、ここきらい。あの神父も」

 

 豊かな黒髪が頷きを返す。

 

「それには私も同感。私の後見人だけど人格的には最低。

 人の心の傷を開くことに生き甲斐を感じているような奴よ。

 衛宮くん、せいぜい気をつけることね。

 あなたみたいなお人よし、格好の獲物よ」

 

「ところでさ、なんで聖杯戦争に教会が関係するんだ?」

 

 凛は肩をすくめて、『聖杯』がキリスト教のシンボルであるがゆえだと説明した。もしも本物なら、魔術師の勝手にはさせられないというわけだ。

 

 魔術協会と聖堂教会。魔を求める者と魔を駆逐する者。だが、神秘を重要視する者たち。聖杯戦争が明るみになるのは困る、という一点で協力をしているのだ。簡単に言うと、後ろに回した右手で武器を握りながら、左手で握手をし、足を踏みつけ合っているような関係である。

 

「ここの神父は、わたしの父の弟子で、わたしにとっては兄弟子よ。

 でも教会に所属し、人外を狩る代行者だった。

 まあ、要するにそういう奴よ」

 

 アーチャーの微かな思念が、不思議にはっきりと伝わってくる。 

 

『……フェザーンの黒狐、いや、地球教みたいだ』



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17:激突

 聖杯戦争の監視役、言峰綺礼は、遠坂凛の手厳しい表現どおり、いやそれ以上の存在だった。セイバーのマスターとして、名乗りを上げた衛宮士郎に向けた笑顔の胡散臭いことときたら。

 

それは『衛宮』の姓に反応したものらしい。そして、養父のエピソードをつらつらと語りだしたのだ。

 

 士郎としては、亡き養父を問い詰めたくなった。

 

 ……あんた、何やったんだよ、じいさん!?

 

 どこをどう聞いても、遺言となった正義の味方というニュアンスから、五百四十度(一周回って正反対)ぐらい角度が違う。昨日のこの時間に聞いていたら、士郎は猛抗議して、養父の正当性を訴えただろう。切嗣の正義を証明し、非道なサーヴァントを撃退するために、聖杯戦争に参加したことだろう。

 

 しかし、士郎は昨日までの士郎とは違っていた。隠し子のサーヴァントに襲撃され、圧倒的な暴力によって死にかけた彼である。どこかの世界で、真紅の槍の慈悲深いほど正確な一閃で絶命し、自覚なきままに蘇生したのとは異なる。暴力の痕跡を赤裸々に提示され、いかにその怪我が重態であったのかをこんこんと諭されたのだ。温厚で知的な『大人』によって。

 

 そして、彼がとりなしてくれた。もっと養父について知るべきだと。

 

 だがその大人のシビアなこと、正直この神父なんか目じゃない。血まみれの制服が詰まったゴミ袋のあの重み。遠まわしにだが、その数十倍を数百個、背負って歩けたのかと問われたのだ。生存のために逃走を選んだのは正しいと、そういう言葉でもあった。

 

 それが抗体となって、言峰の煽動に士郎は引っかからなかった。

 

 父の名を聞いたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、言峰神父にいっそう険しい視線を向けた。

 

「セイバーが召喚され、マスター衛宮士郎は聖杯戦争への参加を表明した。

 よかろう。ここに、聖杯戦争の開始を宣言する」

 

「そして、ここに聖杯戦争の停戦を要求します」

 

 凛の傍らから、アーチャー、ヤン・ウェンリーが実体化して告げた。

 

「ほう、凛のサーヴァント。何故かね」

 

「遠坂凛は霊地冬木の管理者で、衛宮士郎の魔術の師でもあります。

 また、衛宮士郎はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの

 義理のきょうだいです。この三者には密接な利害関係がある。

 ゆえに団結して、この聖杯戦争の本質を追求し、利益を享受したいわけですよ。

 だが、不利益をもたらすものならば、改善が必要であると判断しました。

 四回もやって、一度も成功していない儀式、二百年も前のシステム。

 徹底的な原因究明と、今後に向けた対応を行うべきです。

 これが、始まりの御三家、アインツベルンと遠坂の判断です」

 

 全ての人間が表情を空白にした。凛が今まで見たこともないような表情で、言峰綺礼はようやく口を開いた。

 

「アーチャーのサーヴァント、少々待つがいい」

 

 そんな制止はまるで役に立たず、定理を述べる学者のように淡々と要求が突きつけられる。

 

「戦争の継続には、我々以外の四人のマスターの、

 全員一致の賛成を提出していただきましょう。

 こちらには始まりの御三家の過半数がいる。

 覆すにはのこりの一家を含む過半数の同意がなければ、我々としては従えませんね。

 監視役ならば、その働きかけを行い、できないなら停止を表明していただく。

 三日もあれば可能でしょう」

 

 長身で、神父服の上からでも発達した筋肉がわかる言峰神父よりも、頭一つ背が低く、体の幅や厚みがふたまわり以上も薄いアーチャーだ。外見も二十歳を越えているようには見えない。しかし、落ち着いた口調とその内容を聞けば、交渉に慣れた人物であったことは明らかだった。三人のマスターにとって、昨晩からさんざん思い知らされたことであるが。

 

「無論、その間に戦闘が起これば、我々三家も防衛を行います。

 結果として、一騎でも敵のサーヴァントが脱落すれば、

 その時点で有無を言わさず停戦になることもお忘れなく。

 さて、早く働きかけをなさったほうがいい。

 当方はキャスターに書状を送り、返答まちですからね」

 

「お、おい、いつの間に……」

 

「君のお宅に行く前にポストに入れてきた。

 同じ町内だから今日明日には着くでしょう。

 返答があればよし、なくても教会からの働きかけには、

 何らかの反応があるでしょう。

 そういうことで言峰神父。

 教会は監視役であり、戦争の進行そのものに権限はない。

 監視役としての役割を粛々と果たされることです」

 

 言峰の眉間に皺が刻まれた。

 

「……なるほど。凛のサーヴァントは知恵者のようだ」

 

「そいつはどうも。で、教会としての返答はいかがです」

 

 マスターが自分の言葉に絶句しているのをいいことに、ヤンは畳み掛けた。この神父、生前の自分とそう違わない年齢だろうか。少年少女には権威に見えるだろうが、ヤンにはわかる。

 

 もっともらしいことを言って、サボっているだけだ。

 

 そして子どもに戦いを焚きつけている。こんなろくでなしに容赦はいらない。

 

 少々内容は違うが、自分もサボっては散々に怒られた。だから、攻める場所は明白で、攻撃手段も熟知している。これは、畏怖すべき先輩のやり口を真似てみたものであった。

 

「そちらの意見は検討しよう。

 しかし、セイバーとバーサーカーのマスターは、その案を支持するのかね」

 

「俺にはよくわからない。

 でも、あの大災害を突き止めてからじゃないと、聖杯戦争をやる気は起きない。

 罪を犯してるサーヴァントを放ってはおけないけど、

 マスターって教会に登録されてるんだろ?

 だったら、さっさと監視役がどうにかしないのはおかしいぞ。

 俺たちが躍起になって探すより早いんだろ?

 なんでそうしなかったのさ。

 学校の結界を、すぐ解除してもらわなくちゃならないし」

 

 法律遵守で合理主義の怠け者は、滅私奉公の働き者にたしかに影響を与えていた。いいんだか、悪いんだかは別として。

 

 自分ではどうしようもない、自分のせいではない難題を、法律と複数の人の手を借りることで、快刀乱麻を断つがごとくに解決してもらったためだ。

 

 役所や裁判所がえらいってこういうわけかと、士郎は感動してしまった。藤ねえが勝手に書き換えた進路志望、正義の味方=法律関係っていうのは間違いじゃないかも。

 

 じゃあ教会って、この聖杯戦争の役所や裁判所みたいなものだろう。士郎は自然にそう思った。教会の仕事を俺たちに丸投げするなんて、お門違いじゃないか。

 

「たしかにね。衛宮くんの言葉にも一理あるわ。

 冬木の管理者としても言っておくけど、登録したマスターへの警告ぐらい、

 やってもらわなきゃ困るわね。

 わたしへの参加をせっついた以上、他の登録者は知ってるんでしょう?」

 

 被後見人の言葉に、言峰は視線を黒髪の青年に向けた。すべてを見通すような黒々とした視線が返されて、神父の方が目をそらす。

 

 御三家の一員として凛に負けてはならじと思ったのか、イリヤスフィールも言葉を添えた。

 

「わたしもアーチャーの案に乗るわ。

 セイバーはキライだけど、シロウはそんなにキライじゃないし、

 リンとアーチャーはキリツグの調査に協力してくれるもの。

 それに、術式を組んだアインツベルンとして黙ってられないわ。

 おかしくなってるなんて言われたままにはしておけないの」

 

 人は、理解と恩恵を与えられると心を動かす。北風と太陽のたとえのように。厚い冬服を脱ぎ捨てて、温かな春を享受するだろう。孤独な少年と少女たち。その心を解きほぐす特効薬は、一に家族、二に友人だ。そして、三には頼れる年長者。複数の人に密接に囲まれ、その温かさを感じ、孤独ではないと知らせることだ。

 

 心の古傷の疼きにかわって、新たな頭痛の種を播いただけとも言うが、新しくて強い感情が、心の水面を閉ざす氷に(ひび)を入れるかもしれない。氷の下には、必ず感情の流れがある。複数の海流がぶつかって、豊かな幸が生まれるだろう。

 

 それは友情や愛情だ。たった五つの魔法よりも、ずっと尊いものだとヤンは思う。自身の経験からの処方箋だった。 

 

「決まりですね。では、失礼」

 

 ぺこりと頭を下げて、さっさと踵を返しかける。

 

「待つがいい。まだ返答はしていないが」

 

「返答なんて、はいかイエス以外はありえないでしょう?」

 

 穏やかな童顔に、ヤンはせいぜい人の悪い表情を浮かべてみせた。主戦論を唱える国家の命令には、軍人として従わなければならない。生きているならば。

 

 だが、幽霊に命令できるのは、せいぜいご主人様だけだ。それもたったの三回。商人の息子で、国家公務員の軍人で、二百万人の上官だったヤン・ウェンリーは、戦争とも言えぬ殺し合いに、真面目に付き合う気は最初からなかった。

 

「じゃあ、検討とご健闘を。

 三日を超えても返事がなければ、あなたの職務怠慢だ。

 聖堂教会とやらに連絡し、あなたの更迭を求めますので、あしからず」

 

 聖堂教会たらいうのも組織だろう。組織人を押さえるには、真っ当な理由で上位者に告発すればいいのだ。その後にどうするかを考えるのは、マスターの仕事ではなく教会の役割だ。少年少女には思い浮かばなくとも、元国家公務員にとっては当然の発想だった。

 

「さ、各陣営に連絡をお願いしますよ。

 三日後の午後五時までに、当方まで結果が伝わるようにしてください。

 書面でね。それがないかぎりは更迭を訴えさせていただきます。

 これ以上、お時間を取らせるのも申し訳ない。失礼します」

 

 そう言い捨てると、アーチャーはくるりと背を向けて、言峰の反応を待たずに歩き出した。期限内に仕事しないと、上に言いつけるぞ! というわけだ。

 

 さて、この神父には効くだろうか。上層部がどう反応するだろうか。しかし、手はいくらでもある。いざとなれば、ヤンは役所に訴えるつもりだった。その事態となったら、教会が聖杯戦争の主導権を握るどころではない。なお、大きな宗教法人を所管するのは、文部科学省である。

 

 

 猫背気味の背を追って、少年少女らも教会を後にした。

 

「いやー、やるもんね、アーチャー。あいつのあんな顔、始めて見たわ。

 もう、スッキリした」

 

「やれやれ、実に麗しくないご関係のようだね……」

 

「でもな、アーチャー。聖杯戦争の継続派が勝ったらどうすんだよ?」

 

 純朴な言葉にヤンは目を細めた。

 

「士郎君は素直で本当にいい子だね」

 

「お、おう?」

 

「だが、私は汚れた大人なのさ」

 

 否定も肯定もできかねる言葉に、士郎は夕日色の髪をかいた。

 

「ええと……」

 

「篭城しているキャスター、遊撃しているランサー、新都の吸血鬼、

 深山の一家殺人、学校の結界の犯人のライダーだかアサシン。

 どっちにしろ、アサシンは隠密行動のクラスだ。

 マスターが割れたら、サーヴァントもばれるから、

 呼びかけにほいほいと現れるとは思えない。

 四者の意見の取りまとめなんて、実質不可能だよ」

 

 士郎の顎が落ち、あんぐりと口を開ける。

 

 ――ち、違う。譲歩じゃなくて罠だ。

どれを選んでも、高確率で停戦するしかないってことか!?

おっとりと優しそうな顔で、笑顔さえ浮かべて言う台詞じゃないぞ。

サーヴァントがマスターに似るってホントだ。

こっちは真っ黒い悪魔だ!

 

「停戦に応じなければ、こちらの呼びかけに応じないほうが悪いと

 正当性を主張できる。主催者の過半数を抱えた利点さ。

 それでも襲ってきたら、三人で連携して返り討ちにする。

 あれ、ところでセイバーはどうしたんだい?」

 

 霊体化できないセイバーは、情報を与えたくないと教会内には足を踏み入れなかった。前庭で待っていると言ったのに、姿が見えない。二月三日の午後五時すぎ。明日は立春だ。冬至の頃より、随分と日が長くなったが、それでも既に日没を迎えている。夕闇の藍色が、残光の朱色を完全に拭い去り、寒さが忍び寄ってきた。

 

 そして、澄んだ金属音が、高く低く連続して聞こえてきた。

 

「……まさか、襲撃!? こんな早くに」

 

「考察すべき点だ。凛、あちらには何が?」

 

「墓地よ。あ、ちょっと! 待ちなさい、衛宮くん!」

 

 凛の制止にも関わらず、士郎は駆け出した。従者の名を叫びながら。そして、ほどなく足を停めた。

 

 そこに顕現するは英雄譚。蒼と群青の交錯。互いを鎧う白銀が、満月にやや足りぬ月光を跳ね返す。滑るように、舞うように、精錬された足さばきで、目まぐるしく入れ替わる蒼と群青。打ち合う刃が音(はがね)に伴奏された、死の舞踏(ダンス・マカブル)

 

 長い瑠璃の髪が翻り、手にした一条の槍が真紅の流星雨となって、蒼いドレスへ殺到する。金紗の髪の騎士は、聖緑の瞳を鋭くし、白銀の篭手を縦横無尽に振るう。だがそこに剣の輝きはない。

 

 狙撃銃のごとき、精密きわまりない刺突を、大口径の散弾銃の弾幕で阻止するかのように。姿なき武器が、鋼の音のみを響かせる。その衝撃はいかばかりか。

 

 両雄の足元で、冬枯れの芝生がみるみるうちに抉れ、黒土をのぞかせる。その不利を悟った、剣の騎士と槍の騎士は、再びの衝突の反作用を利用し、左右に飛び離れた。

 

 群青のランサーが、真紅の目を眇めて、蒼のセイバーを詰る。

 

「貴様、それでもセイバーか。武器を隠すとは卑怯者め!」

 

 対するセイバーは、涼やかな声で一蹴した。

 

「ほう、これが剣とは限るまい。槍か斧か、あるいは弓ということもありうる」

 

「ぬかせ、セイバー!」




 この世界の文科省には、陰陽師が所属してるかもしれない。陰陽師は、天文、気象、暦の研究者である。学問上の後裔は気象庁やJAXAだろうか。強そう。


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18:三騎士と狂戦士

 群青のランサーが、真紅の目を眇めて、蒼のセイバーを詰る。

 

「貴様、それでもセイバーか。武器を隠すとは卑怯者め!」

 

 対するセイバーは、涼やかな声で一蹴した。

 

「ほう、これが剣とは限るまい。槍か斧か、あるいは弓ということもありうる」

 

「ぬかせ、セイバー!」

 

 再び交錯する、真紅の槍と見えざる剣。色合いの異なる青が、月光の下で舞闘を再開した。士郎は息を呑み、美しき従者の剣戟に見惚れた。凛もひたすらに見惚れた。しかし、もっとも顔を輝かせたのは、その隣のアーチャーだった。

 

「ああ、これだ。こういうのが見たかったんだよ」

 

 崩れた足場から飛び離れ、再び両雄は対峙したが、新たなサーヴァントの気配にランサーが頭を巡らす。

 

「うるせぇぞ! って、てめえらは……」

 

「どうぞ、私のことはお気になさらず。お二人とも続けてください」

 

 ランサーは顔を引き攣らせた。彼が反応したのは、アーチャーの暢気な声ではない。

腹に響く重低音とともに近づいてくる、暴力的なほどの死の気配を纏った鉛色の巨人。

肩に冬の妖精を乗せたバーサーカー。

 

ランサー クー・フーリンにとって、最悪の相手だ。先日、小手調べで挑んだものの、あやうく座に直帰させられるところだった。なにしろ、彼の宝具ではかすり傷一つ付けられなかった。

 

ランサーは装束の色ほどに青ざめた。夕闇がそれを隠してくれたのは、夜の女神の寵愛なのか。彼の脳裏によぎるのは、『詰み』という単語だった。

 

 残りの面々は、令呪の縛りにより、引き分けて撤退せねばならないセイバー。誓約によって、夕餉の誘いに応じなくてはいけないアーチャー。最弱のアーチャーを倒すと、ステータスが著しくダウンし、残る二者を振り切ることはできない。

 

どちらかか、あるいは双方の攻撃で死ぬ。彼らはランサーの事情など知ったことではなく、追撃の手を緩めるはずがなかった。

 

「畜っ生! せっかく命を掛けたギリギリの戦いがしたかったのによ!」

 

「では、貴公は聖杯を欲しないのかな?」

 

「俺は国や時代を超えて、英傑と武を競うために召喚に応じただけだ!

 あんな根性の悪い代物、こっちから願い下げだぜ」

 

「なるほど、貴公は実に賢者でいらっしゃる。

 せっかく国や時代を超えたんだから、この立場でしかできないことをしたいものだ。

 例えば、皆で酒食を共にするとか。どうだろう、士郎君にイリヤスフィール君。

 実は明後日、凛が招待済みなんだが、君達もスポンサーになってくれないか?」

 

「ああ、俺はいいぞ」

 

 気のよい少年は、一二もなく了承した。もう一人のほうは、真紅の瞳を瞬かせた。

聖杯戦争のマスターとなるべく育てられた少女だ。高名な英雄の伝承は、ひととおり承知している。

 

槍兵としての条件を満たす英霊は案外少ない。槍と白兵戦の名手で、高い敏捷性を誇っていること。それに加えて、赤い槍と夕餉の誘いがキーワード。

 

「ふうん、そういうことね。ごめんなさい、ランサー。

 あなたのいないところで失礼を申し上げたわ。

 あなたは紛れもなき大英雄よ。

 ぜひ、わたしの招待も受けてくださらない?」

 

 絶体絶命のピンチに思わぬ形で手が差し伸べられたわけだが、ランサーは虚ろに笑った。ガーネット色の瞳の焦点も、少なからずずれている。

 

「は、ははは……。

 バーサーカーのマスターにまで、俺の正体はお見通しってことかよ。

 ところでバーサーカーのマスターよ。失礼ってのはどういうこった?」

 

「世の中には、知らない方がいいことがあります」

 

 沈痛な表情で首を振るアーチャーには、ランサーに口を噤ませる何かがあった。凛は目を瞠った。たしかに彼は、ランサーと同盟を結びたいと言っていた。明後日の夕食を待つことなく、さっさと動きを始めたようだ。

 

「アーチャー! この機を逃すつもりか!」

 

「セイバー、今、我々は監視役に停戦を申し入れてきた。

 ランサーが脱落すれば、確かに停戦条件は整うが、私の願いは叶わないんだよ」

 

「あなたの望みとは……」

 

『平和な時代を見て、伝説の英雄と会う。できれば話も聞いてみたい』

 

 昨晩聞いた限りではそうだった。セイバーは白皙の顔を紅潮させた。

 

「あ、あなたは聖杯戦争をなんだと思っているのです!」

 

「その定義はさておくとして、彼からマスターに伝えてもらったほうが、

 教会からの通知よりも確実に伝わるだろう。

 あるいはもう知っているマスターなのかもしれないがね」

 

 ランサーは、最後の一言にほんの少し表情を硬くした。

 

「では感謝をしよう、アーチャーのサーヴァント。

 我が主への伝言、しかと承った。

 だが、俺のマスターが聞くとは限らんぞ」

 

「私は別にかまいませんよ。

 我々三名でお相手するまでですからね。

 貴公の望みは叶わずに敗退を余儀なくされ、

 結果的に、貴公のマスターの意見は必要がなくなります」

 

 あかいあくまのアーチャーは、ランサー自身が評したように、黒い毒舌の矢を放つのだ。

 

「私としては、貴公がマスターを説得することを切に願うわけです」

 

 集中砲火を浴びたランサーの額から鼻筋の美しい稜線が、衝突事故車のフロントノーズと化した。その凝視に込められた諸々の感情は、アーチャーの眉を下げさせた。

 

「その、そんな顔をしないでくださいよ。

 まるで私がいじめたみたいじゃないですか」

 

「いじめてるだろうがよ! なんつー無理難題を吹っかけやがる」

 

「ははあ、ひょっとしてマスターと気が合わないんですか? 

 すまじきものは宮仕えとはよく言ったものですが、

 死んだ後までこき使われるなんて、お互い辛いですよね」 

 

「どういう意味よ、アーチャー……」

 

「いや、生前に比べると遥かにいいかな」

 

「おう、ちょいと若いが、てめえのマスターはいい女だよな。

 それに比べると、チッ、まったくツイてねえぜ!」

 

「ま、それもそうですが、彼女は安全圏から、

 愚劣な主戦論で煽動を行うマスターではない。幸いにもね。

 生前の上司というか、国のトップがそうだったので、生理的に駄目でしてね。

 握手された時には、心にジンマシンが出るかと思いましたよ。

 給料もベッドも枕もありませんが、それもないのが救いです」

 

「うっさいわね。ベッドと枕は用意するわよ」

 

 アーチャーの影から、ドスの利いた声が響く。それはアーチャーとバーサーカー以外の面々に、身を竦ませる迫力に満ちていた。しかし、黒髪の青年は微笑みを浮かべた。

 

「これで私の問題は半分解決しました。貴公に感謝します。

 なので、貴公も頑張ってくださいね」

 

 贈られたエールにランサーは思わず半歩よろめいた。精神的には槍に取りすがり、地面に膝をついた状態だ。

 

「そんな目で見ないでくれねえか……」

 

 さまにならない敬礼と、労わりと同情に満ちた眼差しに、心が音を立てて真っ二つに折れそうだ。生前を語るアーチャーの言葉は、まさにランサーの現在進行形の心境だった。

 

 握手なんぞしないで済むのはまだしもだが、死後までなんでこんなに不運なんだ。

あれか、幸運のステータスのせいか!? ランサーは聖杯を呪った。もう何度目だかわからないほど。

 

「あら、どうしたの、バーサーカー?」

 

 小さな主の隣の巨大な顔が、唸り声と共に何度も頷いているように見える。

 

「それはほら、彼の場合は生前大いに苦労しただろう?」

 

「ふうん。バーサーカー、今もそう?」

 

 今度は左右に顔が動く。ヤンは黒髪をかき混ぜた。さすがはヘラクレス、理性はともかく、知性が残っているような気がする。これなら、質問の形式次第では答えてくれるかもしれない。

 

 やる気が出てきた。こんなろくでもない争いにはさっさと決着をつけ、自分の願いを叶えるのだ! 

 

 国だの軍だの、縛るものがなくなり、欲望に忠実になったヤン・ウェンリーである。

 

 彼の前に位置する夕日色の頭も、せわしなく上下動していた。アーチャーはさりげなく半歩位置をずらし、背後にいる黒髪の美少女の視線から少年を隠してやった。男性陣に塩味と酸味と苦みの混じった合意が形成され、厭戦ムードが漂いだす。 

 

「まあ、じゃあそういうことで。貴公の健闘を重ねて祈ります」

 

「お、おう。じゃあ俺もそろそろ失礼するわ。では、明後日の夕餉の席でな」

 

「待てっ、ランサー!」

 

 仕えられる側であったセイバーが、我に返って一歩踏み出したときには遅かった。最速のサーヴァント、槍兵。ゲリラ戦の名手たるクー・フーリンは、戦闘からの離脱にも長けていた。風を巻いて、さっさと闇の彼方へと姿を消したのであった。

 

「みごとな退却だなあ。私の後輩もなかなかだったが、さすが年季が違う」

 

 暢気な発言に、セイバーは見えざる剣を彼の喉元に突きつけた。皮一枚分の切り傷が刻まれ、わずかに血が滲み出す。

 

「アーチャー! 貴様、裏切る気か!」

 

「騎士の一騎打ちに水を差した非礼はお詫びしよう。

 だが、停戦は君のマスターも合意したことだ。

 彼には自身のマスターへの伝達をお願いしたんだ。

 教会が手配するよりも確実だからね。

 その上で、挑んできたら斃せばいい。だがね」

 

 アイボリーのスカーフに、何滴かの血が染みを作る。ほとんど無彩色のアーチャーとの対比が強烈で、凛は拳を握りしめた。だが、彼はまったく臆することなく、静かな口調で続けた。

 

「ここは死者が眠る場所だ。私のマスターのご両親もここにいる。

 幽霊の私が言うのも変かもしれないが、その眠りを妨げるのはね。

 お墓が荒れたら、一番悲しむのは遺族だ。

 これ以上、ここで戦うのはやめてくれないだろうか」

 

 両者が激突した場所は、芝生が抉れ、土がのぞいている。だが幸いそれだけだ。墓石が欠けたり、倒れたりはしていない。セイバーは唇を噛むと、腕を下げた。

 

「ありがとう、セイバー。では、みんな帰ろうか。

 ここでは話しにくいこともあるし、

 魔術師としての意見も聞かせてほしいんだ。

 ところでセイバー、あのメイドさんの服はどうしたんだい?

 武装の下に着てるのかな?」

 

 顎に手をやり、小首をかしげるアーチャーに、セイバーは我に返るとあたふたとした。

 

「あの、そ、それは……」

 

 霊体化できないセイバーだが、その衣装や武装は魔力を編んだものだ。魔力を解くことにより、それらは消える。では再武装するとどうなるのか。

 

 衛宮士郎が使える数少ない魔術が強化だ。これは物質に魔力を通すことによって、材質の強化を図るものだ。しかし、魔力の注入に失敗すると、その物品を逆に壊してしまう。

 

 人間であってさえこうなのに、サーヴァントの桁違いの魔力を急激に叩きつけられて、普通の服に耐えきれるわけがない。夜目の利く士郎が、墓地に散らばる白い花弁のようなものを認めた。

 

「なあ、ひょっとして、あれがそうじゃないのか……。

 ど、どうしよう! セイバーの服装問題ふたたびだ!」

 

 セイバーの壮麗な戦装束は、一般家庭を訪問するのにふさわしくないが、街中を歩いたり、バスやタクシーに乗るのにもこれまたふさわしくない。

 

「ねえ、セラ呼ぶ? きっと怒るけど」

 

 セイバーがびくりと金髪を揺らした。

 

「あ、あの」

 

 おさまりの悪い髪がはみ出したベレーが軽く下げられる。

 

「よろしくお願いするよ、イリヤ君。

 ちょうど勤め人の帰宅時間だ。

 みんなで深山町まで歩いたら、どれだけの人の目に触れることか。

 リムジンだって、目立つことだろうがね」

 

 凛はアーチャーの袖を引いた。

 

「ねえ、わたしとイリヤは別行動でもいいでしょ。普通にバスで帰れば」

 

 この面々に混ざって、辟易しているのは凛も一緒だった。

 

「バス停なんかでサーヴァントに襲撃されたら、

 バーサーカーと私でどうにかなると思うかい?

 ここなら迎撃できるから、迎えを待った方がいいんだよ」

 

「うっ……」

 

 破壊力抜群だが、手加減とは一切縁のないバーサーカー。非力で射撃の下手なアーチャー。これは厳しい。主に凛の生存確率が。言葉に詰まった凛は、士郎と顔を見合わせた。

 

「な、なあ遠坂。学校の部活、今日も短いと思う。

 ここから歩くとさ、橋のとこですれ違うんだ」

 

 そして、高校生の帰宅時間でもあることに気付く。未遠大橋の歩道は、自転車道も兼ねている。彼らの歩む傍らを、学校の生徒達が走りぬけていくわけで……。

 

「あの橋、歩くと十分はかかるんだ。みんなに見られる。

 なあ、セイバー、家までの道、わかるか?」

 

「ええ、大体は……。まさかシロウ、私に一人で帰れと!?」

 

 セイバーの詰問に、琥珀色の瞳がふいと逸らされた。コスプレ美少女をこっそり囲うから、公然と連れ歩くにレベルアップしてしまう。いや、人間の屑からケダモノへのレベルダウンか。

 

 それはイヤだ。屑でもいい、せめて人間でいたい! 士郎も必死だった。

 

「そっか……」

 

 そこで士郎ははたと気づいた。一時は別行動しても、鎧甲冑の美少女が衛宮家に戻ってくるのは変わらないのだ。

 

「や、やっぱ、一緒に帰ろう。ごめん、イリヤ、俺からも頼む」

 

 昨夜からの騒動の末、士郎は他人を頼ることを覚えた。それは凛も一緒だ。

 

「ええ、わたしからもお願いするわ。

 わたしたちにも外聞というものがあるのよ。

 メイドはまだありだけど、鎧の騎士はないの。現代には」

 

 すかさず拝む少年と、頭を下げる美少女だった。アーチャーは凛の発言に、顔の前で手を振りながら応じた。

 

「二百年前だってどこにもいないよ」

 

「へ、そうなのか。なんでさ?」

 

「銃の台頭で、鎧が意味をなさなくなってしまったんだ。

 四百年ほど前に、セイバーのような鎧の騎士は姿を消した。

 ま、この国にはほとんどないようだし、

 我々サーヴァントには、一般の銃器が効かないのは幸いかな」

 

 セイバーもドレスの色ほどに蒼褪めた。このアーチャーは、作為もなく心臓を抉るような発言をしてくるのだ。彼女の思いは、アーチャーの知るところではなく、新たな難題に髪をかき回した。

 

「しかし、これは課題だね、セイバー。

 襲撃者の前で服を脱ぐわけにはいかない。

 君が戦うには、なんとか士郎君に同行し、同時に服の準備も考えないと……。

 地味に難しいなあ。君がたいへんな美人なだけに、どう考えても目立つし」

 

 腕組みして嘆息するヤン・ウェンリーだった。セイバーは歴史マニアの心を潤してくれる存在だが、やはり伝説は遠くにありて思うもの。近くば寄って目にも見よとなると、眩しすぎて困る。目にも痛いが、きっと財布にも痛そうだ。

 

「服なら、わたしのをあげるわ。

 貰いものだけど、似合わないから着てないし、

 毎年、同じのを贈ってくるから何着もあるのよ」

 

「悪いな、遠坂。なにからなにまでありがとな」

 

「アーチャーのマスターに感謝を」

 

 セイバーは結いあげられた金髪を下げて、その顔色を隠した。

 

「ただね、問題が二つあるの。贈り主があの綺礼なのよ」

 

「服に罪はないよ。サイズが合うならいいじゃないか」

 

 凛のサーヴァントは理性的かつ節約家だった。彼のマスターは首を振った。

 

「それとね、下着はないの。衛宮くん、そっちは調達しないとならないわよ。

 セイバー、あなた、下着も借りていたでしょう。

 あの布切れのどれかに、それも混じってるんじゃないの?」

 

 指摘を受けた剣の主従は顔を見合わせ、異口同音に叫びを上げた。

 

「ええっ!?」

 

 それから迎えが来るまで、ゴミ拾いに勤しむことになった士郎とセイバーであった。夜に墓参りをする人間はいないと言っていい。だから外灯もほとんどない。ゆえに、夜目が利く士郎が指示して、セイバーが小さな布切れをせっせと集めて回る。

 

 隠匿を教会にやらせて、下着の切れ端をあの胡散臭い言峰に拾われたいのか。アーチャーの主従や、バーサーカーのマスターに手伝ってもらいたいのか。そういうことである。

 

 それを遠巻きにした凛とヤンは、微妙な表情で囁き交わした。

 

「アーチャーごめん。前言を訂正する。

 あなたが来てくれてよかったわ。服の誤魔化しがいらないし」

 

「そうだね。私も花も恥じらう乙女に、千切れたパンツを拾われたくはないよ」

 

「あんた、わたしがあえて言わなかったことを……」

 

「しかしまあ、不備なく召喚してくれてありがとう。

 それにしても、前回の召喚時の彼女はどうだったんだろう。

 イリヤ君は知らないかな」

 

 イリヤは首を横に振った。

 

「セイバーとお母さまは、一緒に飛行機で日本に行ったみたい。

 でも、サーヴァントとしてどうだったのかは、よく知らないの」

 

 二つの黒髪が傾げられた。それは判断材料にはしがたい。アーチャーの考察を発展させるなら、その行動だって陽動とも取れる。

 

「言峰神父も前回の参加者だと言っていたね。

 凛とイリヤ君のお父さんと、これで三人。

 あと四人は参加者がいるはずだが、一人も生存者がいないんだろうか?」

 

 凛ははっと顔を上げた。

 

「外来の魔術師の参加を取りまとめるのは、魔術師の学びの府、

 ロンドンの時計塔よ。何か知っているかも」

 

「連絡が取れそうかい?

 今回の参加者も斡旋してるなら、そちらからも呼びかけをしてもらおう」

 

「そうね、取ってみるわ。

 わたしは卒業後に時計塔に進学し、

 そこの名物講師を師と仰ぐのが当面の目標だったの。

 聖杯戦争が始まるまではね」

 

「たった十年で再開したイレギュラーか。……くさいね」

 

 最後の呟きは、近づいてくる重厚なエンジン音にかき消された。



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19:時の女神の紡ぐ糸

 迎えが到着して、一行は黒塗りのリムジンに乗り込んだ。凛はセラに頼み、先に遠坂邸に寄って、セイバーの服を取りに行くことにした。アーチャーが、せっせと集めたり、書いたりした資料と地図も、一緒に紙袋に詰め込む。結構な重さだ。

 

「念のため、君も宿泊できる用意をして行ったほうがいい。

 制服や教科書もね。明日は学校に行って、結界の様子を見てみよう」

 

「じゃあ、あんたもお父様の服、適当に選んで持ってきてよ。

 『柳井くん』として行動できるようにしたほうがいいかもしれない」

 

「おや、君には戦略家としての素質があるようだ。

 紅茶とブランデーも持って行っていいかい?」

 

「好きにしなさい。あと、車まで荷物持ちして」

 

「はいはい」

 

 せっかく、車があるのだから使わない手はない。腕力が十倍になっても、人間が運べる体積はそうは変わるものではない。手の長さの分だけしか抱え込めない。

 

 それは荷物もマスターも同じだ。アーチャーことヤン・ウェンリーは、サーヴァントの能力を過信する気にはなれなかった。

 

 極論するなら、英雄とは多大な功績を上げながら、若くして非業の死に斃れた者だ。いわば幸福な人生の失敗者である。その原因の多くは、人間関係にある。

 

 ヤンだって他人の事は言えない。暢気に平和な余生を送るには、あまりに人を殺し過ぎた。そんな人間の幽霊の、そのまたコピーを呼んだところで、幸福をもたらすことはないのではないか。

 

 でも、せめて不幸を呼ばないようにしたい。生前の千六百年後だけで充分だ。凛の父、遠坂時臣のクローゼットをかき回しながら、置いてきてしまった人々に思いを馳せる。

 

「着道楽で、きっと美男子だったんだろうなあ。凛と桜君のお父さんだし」

 

 先日借りた、シャツと紺のカーディガン、グレーのパンツ。まずはこんなものでいいだろう。

 

「やはり、彼の代までには何らかの取り決めがあったのかも知れないな。

 姉妹がべつの家にいたら、将来的にはその子や孫が殺し合うことになる。

 だが、術式のアインツベルン、令呪のマキリ、霊脈を管理する遠坂。

 ……遠坂だけが、聖杯戦争という『儀式』の根幹に関わっていない。

 もしかしてそういうことか」

 

 黒い瞳が虚空を見据えて呟く。

 

「やれやれ、こいつは厄介だな。なんとかして、間桐も引き入れなくては。

 そして、キャスターが私の分析像に近い人物であることを祈るしかない」

 

 階下から、マスターの澄んだ声が聞こえる。今行くと返事をし、ヤンは主なき部屋にぺこりと頭を下げた。

 

「あんなに可愛いお嬢さんだ。さぞやお心残りでしょう。

 私の力の及ぶ限り、あと11日間はなんとかします」

 

 そして今度は敬礼を。そして、ヤン・ウェンリーはアーチャーとして、主の下に急いだ。

 

*****

 そんなこんなで衛宮邸についた士郎は、車のトランクから取り出された遠坂主従の大荷物に目を丸くした。

 

「まさかそれ、全部セイバーの服じゃないよな?」

 

「違うわよ。セイバーに合いそうな大きさの服は四着くらいよ。

 あとは作戦会議の資料と、それが長引いた時の宿泊用品。

 そして、学校の支度。わたしだってねえ、そんなに学校を休めないわ」

 

「す、すまん。今日はほんとに助かった。

 あとさ、アーチャーのケガ、大丈夫か」

 

「サーヴァントは頭や首、心臓の霊核を破壊されないかぎり、消滅しないわ。

 マスターの魔力にもよるけど、一旦霊体化して実体化すれば、

 大抵のダメージはリセットされる。魔力が足りないと難しいけどね」

 

 士郎は思わず詰めていた息を吐いた。アーチャーは士郎に対して、最も温厚に接する相手だ。同性の気安さもあり、好感を持つのは当然であった。

 

「そっか、よかった。でもサーヴァントも血が出るんだな」

 

「魔力の喪失を示すためにね、そうなっているらしいの。

 でも、衛宮くん、セイバーはそれを癒す霊体化ができないのよ。 

 おまけに魔力不足。それはあなたからの供給がないからよ。

 あなたみたいなへっぽこが、セイバーを使役したら、

 そんなにピンシャンしていられないわ」

 

 さすがに士郎もむっとして、師匠に反論する。

 

「アーチャーが魔力をバカ喰いするって言った割に、遠坂は平気そうじゃないか」

 

 しかし、あかいあくまは、弟子の抗議を一蹴した。

 

「あのねえ、わたしは遠坂の六代目よ。

 魔術回路はメインが四十、サブはそれぞれ三十」

 

 士郎は目と口でOの字を描くしかしかなかった。回路数は彼のざっと四倍。魔力に至っては百倍以上の開きがある。

 

「だから、あいつを養っていけるのよ。

 とりあえず、今夜はスイッチをつくることから始めましょ。

 作戦会議の後で。だから、これ持って行って」

 

 突きつけられた紙袋は、弓道部一の腕前で、正義の味方となるべく鍛錬していた士郎でも、ずっしりとくる重さだった。これをその細腕で、小揺るぎさせずに持ち上げるとは。遠坂凛恐るべし。

 

「でも先に夕飯にしよう。今日は藤ねえと桜も来ないって言うんだ。

 遠坂が来る前に、チキンカレーを作っといたんだ。

 あとはサラダぐらいしかないけど」

 

 なんてマメなやつ。凛は半眼になった。昨晩殺されかけ、ほとんど徹夜で善後策を話し合い、姉貴分と妹分の襲来をかわし、土蔵の血痕を落として、セイバーと稽古する間の仕事だ。おまけに言うことがふるっていた。

 

「それに、手抜きしてカレールー使ったんだけどさ。

 アーチャーはカレー食べられるかな?」

 

「まったく、カレールーが手抜きですって?

 もうね、正義の味方よりコックになったらどう? 

 その方が明らかに人を喜ばせるわよ」

 

 凛の傍らに、アーチャーが実体化した。アイボリーのスカーフは、もう真紅に彩られていない。

 

「私もマスターの意見に一票。それからカレーはよろこんでご馳走になるよ」

 

「わたしもいただくわ。じゃあ、ちゃっちゃと食べて、作戦会議としましょう。

 その後で、衛宮くんの処置ね」

 

 降りてきたセイバーには、凛の服の入った袋を渡す。深山商店街で凛が代理で購入した下着と一緒に。コンビニに下着が一式売っているなんて驚いた。別件で立ち寄ったのだが、棚の一角に並んでいて、これ幸いと購入したのだ。スポーツ用のフリーサイズの物だが充分だろう。また破いても惜しくはないし。 

 

「リンに、重ねて感謝を」

 

「セイバー、先に着替えてきてよ。また、いつ藤村先生が来るか……。

 私はイリヤの関係で誤魔化せるけど、あなたの服装はちょっとね」

 

 そのほかの荷物は、士郎とアーチャーで手分けをして運ぶ。あかいあくまの弟子と従者は、なんとなく顔を見合わせて、とぼとぼと歩く。

 

「俺さ、遠坂に憧れてたんだよ……。

 美人だし、スタイルいいし、文武両道で優雅なお嬢様って感じで……」

 

「うんうん」

 

「まさかすごい魔術師で、性格がああだなんて……」

 

「人間だれしも表と裏があるものさ。

 君だって、藤村先生と他の先生と同じように接したりしないだろう?」

 

「そりゃそうだけどさあ」

 

「逆に考えてごらんよ。

 取り繕うべき他者ではなく、自分の本音を言える相手と認めてもらったと」

 

 琥珀の目がじっと中空を見つめたが、がっくりと肩を落とした。

 

「うう、真実を知るって辛いもんなんだな」

 

 漆黒の目が優しく細められ、次に静かな力を込めて士郎を見つめた。

 

「そうだよ、士郎君。君にとっては切嗣氏を知ることがそうなるかもしれない。

 イリヤ君の存在さえ、君に伝わっていなかったぐらいだ。

 どうするかい? それでも君は求めるのか」

 

 士郎は息をのんで頷いた。

 

「そうか。では君に頼みがある。これは今は君にしかできないことなんだ」

 

「わかった。俺は何をやればいいんだ?」

 

「まず、衛宮切嗣氏の生まれてから亡くなるまでの戸籍を取って欲しい。

 君が遺産相続した時に、使用したもののコピーでもかまわない」

 

 琥珀の目が固まった。

 

「へ?」

 

「それを元に、切嗣氏の家系調査を簡単にしたいんだ。

 彼が魔術師だということは、親も魔術師ということだろう。

 切嗣氏が聖杯を欲するに至った理由に、大きく関与するのではないか。

 私はそう思うんだよ」

 

「な、なんでさ。なんで俺にしかできないんだ」

 

「戸籍は、直系の人間や養子でないと取れない。

 そうでない人間は、資格を持つ人に頼まないといけないんだ。

 そんな時間もないからね」

 

「あ、そうなんだ。

 じいさんが死んだ時は、藤ねえの祖父ちゃんが色々やってくれたから……」

 

「それが後見人の役割だからね。ではまず、その方に訊いてみてごらん。

 それを元に、切嗣氏の父母、祖父母を探ってみよう。

 あるいは凛の言う魔術の学校に、なんらかの記録があるかもしれない。

 士郎君、歴史は暗記じゃないんだ。過去から現在、未来はつながっている。

 自分に関わる過去の人々を探す、これも立派な歴史学なんだよ」

 

「俺、考えたこともなかった。じいさんも死んじまって、

 実の親の事もよく覚えてないし……」

 

 ヤンはわずかに目を伏せた。六、七歳で大災害から生還したということは、□□士郎を取り巻いていた世界の消滅に他ならない。

 

 闇に昇った新たな太陽が、衛宮切嗣だ。七歳から十二歳まで、反抗期を迎える前の少年時代。太陽の光にだけ目を向けているうちに、衛宮切嗣は亡くなった。背後にあるかも知れない、夜の闇を少年が知らぬうちに、再び世界は消失した。

 

 だが、太陽の残光が士郎を照らし、彼はそれをひたむきに追っている。いや、それだけしか知らない。あたりまえだ。衛宮切嗣が闇を見せていないのだから。

 

 十代の少年が魔術師殺しとして名を馳せ、可愛い娘よりも聖杯戦争での勝利を選んだ理由を。その聖杯戦争で、美しい妻を亡くし、娘との交流を断たれたことも。彼の軌跡の断片を綴ってみると不審だらけだ。

 

 この子は、それを疑問に思わず、真実を探そうという心の余裕さえないのだ。二度も世界を消失し、その度に精神がリセットされてしまったのではないか。衛宮士郎の精神年齢は、おそらく外見よりもずっと幼い。正義の味方を無条件に信じている、その年頃の子どもと同じなのではないのだろうか。

 

 だが、それを指摘しても意味がない。士郎が自身を見つめ、どうするかを考えるのは、彼の自由で権利である。本人が好きな生き方をするのを、周囲がとやかく言うべきではない。

 

 公序良俗に反しない限りだが。心の迷宮を彷徨い、出口を探すのは士郎にしかできないことだ。ヤンにできるのは、松明の灯し方や通路を探すコツを教えることぐらいだ。それだって、幽霊の高望みかもしれないが。

 

「ほんとうに大変だったね、士郎君。

 だが、君の戸籍には実のご両親の名前がきっと載っている」

 

「えっ! なんだって、本当なのか!?」

 

「この国の住民登録システムは非常に洗練されている。

 被災地から救助された、六、七歳の『士郎くん』の身許はすぐにわかる。

 その上できちんと養子縁組の手続きをしたはずだ。

 赤の他人の未成年を養子にするなら、家庭裁判所の許可が必要なんだよ。

 そちらの戸籍も調べれば、君の実の親族が見つかるかもしれない。

 特に母方の親戚全員が、被災地に住んでいたとは考えにくい。

 君は独りじゃないかもしれないんだ」

 

「お、俺に親戚がいるかもしれないって、そういうことなのか、アーチャー……」

 

 思ってもみない言葉だった。黒髪の青年は頷くと、視線を虚空に投じた。自らの苦い体験を語りだす。

 

「これは私の反省からなんだ。

 父の事故の処理には、亡くなった母は関係ないから、戸籍を調べなかった。

 私は天涯孤独になったのだとばかり思ってた」

 

「うん」

 

「ところが、私が軍で功績を上げたら、母方の叔父だという人が出て来てね。

 正直に言って、愉快な気分じゃなかったよ。

 父の船の遭難事故は、かなり大きく報道された。

 本当に私の将来に期待をしていたのなら、その時点で名乗り出たと思わないか?」

 

「それはひどいよな。あ、ゴメン、アーチャーの親戚なのに……」

 

「いいさ。私も二十一になったばかりだったし、何を今さらとしか思えなかった。

 だからその後に連絡も取らずにいた。

 それから八年後に、やっぱり功績を過剰に報道されたんだよ。

 しかし、その時には彼は顔を出さなかった」

 

「それって……」

 

 士郎は息を詰めた。では、アーチャーの二十八、九歳ぐらいの頃のことだ。その叔父というなら、まだ六十代ぐらいだろう。普通なら亡くなっているとは思わない。乗り込んできたイリヤと一緒だった。

 

「母の旧姓だけで、彼の消息を探すのは無理だった。だが、後悔しているんだ」

 

「俺の親戚も同じだって言うのか?」

 

 琥珀の瞳に影が落ちかけるのを見て、ヤンは首を振る。

 

「いや、君の場合は名前しか覚えていない状況で救助されて、

 すぐに養子に行ったんだろう。

 君の親戚が探しているのは、□□士郎。君は衛宮士郎だ。

 親戚がなかなか見つけられなかった可能性があると思う」

 

 少年の瞳が大きく見開かれた。

 

「そんなことがあるのか!?」

 

 ヤンは瞬きすると、十年前の市民課職員の話を自分なりに要約して伝えた。

 

「探す方法はあるよ。

 でも、一気に五百人もの死者が出て、役所だって大混乱している。

 一年分に匹敵する仕事が発生してるわけだからね。

 戸籍だって、作っているのは役所の人なんだ。

 とても大変だったそうだ。不眠不休で頑張り、遺体の確認に協力し、

 あちこちの市町村に火葬の受け入れをお願いしたと教えてくれた」

 

「俺、知らなかった。あの災害で、そんなことになってたのか」

 

 黒い頭がそっと頷いた。

 

「ああ、そうなると警察や消防の協力を優先しなくてはならない。

 どうしても、個人は後回しにされるが、誰にも責めることはできないよね」

 

 赤い髪も無言で上下に揺れた。

 

「君の親戚の有無は、調査をしないとわからない。

 しかし、それなりに時間がかかるんだ。

 相手にも同じことが言えるんだよ。

 士郎君を見つけた時には、切嗣氏と仲良く暮らしていて、

 君には名乗り出ずにいたのかも知れない」

 

「あ、そか、そういうこともあるかもしれないんだ。

 じゃあ、なんでじいさんは調べなかったんだろう」

 

「いや、調べなかったのかもわからない、というのが正解だ。 

 調査結果が不幸なものだったから、君には伏せておいたのかもしれない」

 

 士郎は、アーチャーの黒い瞳をまじまじと見詰めた。現在の状況から、複数の仮定を立ち上げ、もつれた糸を解きほぐそうとする。彼の言うとおりだった。歴史は暗記なんかじゃない。

 

「君には知るべきことが沢山ある。

 切嗣氏のことやイリヤ君のこともだが、君自身のことを知るべきなんだ。

 聖杯戦争よりもずっと大事なことだ。そのためには無事に生き残らないとね。

 イリヤ君のためにもだ。切嗣氏のことを話してあげなくちゃ」

 

「……ああ、俺も昔のじいさんのこと、知りたいよ」

 

「そうだろ。だからよく調べ、考えてからでないと、戦うべきじゃないんだ。

 戦いは事前の準備、戦略で九割九分は勝敗が決する。

 戦いの方法、戦術で不利をひっくりかえすなんて、百回のうち一回くらいだよ」

 

 銀河帝国の諸将が聞けば、『おまえが言うな!』の大合唱が起こっただろうが、この千六百年前には誰もいない。……たぶん。

 

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずってヤツか」

 

「そうそう。セイバーの魔力不足。こいつが君たちの当面の問題」

 

「うぐ」

 

 たちまち入る的確な切り返しに、変な声が出てくる士郎だ。師匠の従者は、穏やかで賢いが、決して優しいだけではない。

 

「で、それを解決しないと、彼女はガス欠で消滅する。

 あと十日あまりを生き延びるためには、セイバーの協力が不可欠だ」

 

 そして、さきほどの仲裁にも意味があったのか。

 

「うん、そうだよな。さっきはセイバーを止めてくれてサンキュ、な」

 

 訥々とした謝礼に、不器用なウィンクが返された。

 

「いや、無粋なのは申し訳なかったよ。私だってもっと拝見していたかった。

 だが軍人と言うのは貧乏性で、常に補給を気にしてしまうのさ」

 

 士郎は夕日色の頭を乱雑に掻き毟った。

 

「やっぱし、セイバーの魔力はなんとかしなくちゃな……」

 

「スイッチの作成とやらは、随分痛そうだが、なんとか頑張ってくれ。

 生きていてこそ、いいことに巡り合えるんだからね。

 絶体絶命のピンチが縁で、私は妻と知り合ったようなものだ。

 だから、まずは食事だね」



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閑話3:もしも魔術師ヤンがクー・フーリンを召喚したら

 アーチャー、ヤン・ウェンリーが召喚に応じた理由は二つ。一つは、人類史上極めて珍しい、平和で豊かな時代を見ること。もう一つは、聖杯戦争に召喚された伝説の英雄に会うこと。話ができれば最高である。

 

「なのになあ……。ランサーはうん、ちょっと、その、あれだし」

 

「あんたもいい加減しつこいわね。そんなにあの武装が気に入らないわけ?」

 

「ランサーは紀元一世紀の人間だよ。イエス・キリストと同時代人だ。

 アイルランドの気候や植生から考えて、リネンの服に、

 羊毛や毛皮のマントを纏っているだろう。そして、革鎧で武装してる。

 で、伝説によるなら、百の金のブローチで身を飾ってたんだ。

 そっちで出てきてほしかったんだよ」

 

 凛はその姿を想像した。

 

「なんか、随分雅やかな格好じゃない」

 

 たしかにあれだけの美形なら、そちらだって似合いそうだけれど。

 

「そうだよ。彼はアルスター王の甥。

 母は王の妹で、父は光の神ルー。貴種中の貴種さ。

 光の御子って呼ばれたのは、生まれもさることながら、非常に美男子だったんだ。

 少年の頃は、美少女と見まがうようなね。

 おまけに原初のルーンの使い手で、当時有数の文化人だよ。恐らくは」

 

「えっ……」

 

 それは、世間では貴公子と言わないか。

 

「うそ、それにしちゃずいぶんガラが悪いわ。

 夜の街でティッシュとか配ってそうな口調だったじゃない」 

 

 マスターの具体的な描写に、黒い頭が項垂れた。

 

「マスターのイメージによって、『座』からのコピー像に差でも出るのかな……」

 

「何が言いたいのよ?」

 

「私は未来の存在だから、当然君は私を知らない。

 そのせいか、若返った以外はだいたい生前どおりだと思う」

 

「ランサーは違うってわけね」

 

 項垂れたままの頭が、さらに下がった。

 

「うん。なんというか、勇猛で、かつ気さくで、

 皆に慕われるような戦士だったというのを、

 デフォルメしたような感じなんだよなあ」

 

「じゃあ、あんたみたいな夢見がちなマスターが召喚すれば、

 そういう姿だったのかもしれないわね」

 

「タイムトリップした幽霊なんて、元からファンタジーなんだから、

 夢ぐらい見させてくれたっていいじゃないか!」

 

「アーチャーは、どんなのが理想だったのよ」

 

 黒い瞳が虚空を見つめ、ややあってからヤン・ウェンリー版ランサー クー・フーリンがすらすらと語られた。いつもは眠そうな目に、星の輝きを浮かべながら。

 

「服装はさっき言ったように白いリネンのローブと毛皮のマント。

 ケルトの女性は、裁縫上手が美女の条件だったから、凝った刺繍入りで。

 彼の奥さんは、大変な美人だったそうだから、当然できると思うんだ。

 そして、ルーン文字やケルト文様の金のブローチは外せないなあ。

 アイルランド系の美男子ならば、白皙に黒髪碧眼が望ましい。

 で、勇猛かつ頭脳は明晰なんだ。

 そして身分にも関わらず騎士団に入り、皆に慕われる勇者。

 美と智と勇に人望をも兼ね備えた存在なんだよ」

 

 凛は開いた口が塞がらなかった。夢見がちではなく、夢見過ぎだ。

 

「あ、あんた……それは理想が高すぎよ! いくらなんでも盛りすぎだわ。

 それで理想と違うなんて言われても、ランサーだってかわいそうよ!」

 

「やぁ、だってそういう伝説なんだから、理想の丈をぶつけてもいいだろう?

 人の想像が英雄を形作るんだし、やればいけると思うんだよ。

 この聖杯戦争って、そういうシステムじゃないのかい?」

 

「え、システムって、何が言いたいわけ?」

 

「理想の英雄を召喚するために、触媒を探して、

 事績を調べ、最良のイメージで召喚するんじゃないのかい?」

 

 そういうのってありなのだろうか。しかし、人の信仰が作り上げた英雄は、実在架空に関わらず、英霊の座に存在するという。英霊の定義を思い起こした凛は、口元に手をやって首を捻る。

 

「ってことは、ありと言えばありなのかしら。

 でも、サーヴァントは英霊の一部をコピーしたものだから、

 座の本体とは確かに違うのかもね。最盛期の肉体になるんだし」

 

「槍兵というのは、なり手が限られるクラスだと思う。

 欧州や中近東の槍の名手は、案外少ないんだ。

 時代が下がると、馬上槍の試合が主流になって、ライダーになってしまう」

 

「でも、槍の名手がいなくなるわけじゃないでしょ?」

 

「宝具の問題だよ。槍でなく、愛馬や馬術のほうが有名になるわけだ。

 この聖杯戦争には神様は呼べない。欧州の神の武器には槍が多いんだがね。

 日本なら、蜻蛉切の本多忠勝なんかがいるのに」

 

「ああ、そういう見方があるのね。で、それとランサーとどういう関係があるのよ」

 

「それに加えて、敏捷性に富んだ白兵戦の名手なんて条件を付されている。

 これは該当者を絞り、御三家が対策を取りやすくするためじゃないかな。

 外来者に三騎士を取られた時のために。だから三騎士ってのが罠だと思うわけだ」

 

「じゃあ、ランサーのマスターは、外来の参加者?」 

 

 アーチャーは頷いた。

 

「だと思うよ。しかしランサーは、実はセイバーより有利なクラスだ。

 最速であり、白兵戦の名手で、対魔力はセイバーに次いで高い。

 ランサーの敏捷性なら、魔術師がちんたら魔術を行使する間に、一突きで殺せる。

 普通なら剣よりもリーチが長いしね」

 

 剣道三倍段というのは、素手が剣に対してではなく、槍に剣が対する場合のものだ。

武器の長さを、技量で補うのは非常に難しい。最強なのは飛び道具で、日本では武士といえば弓だった。海道一の弓取りなどと言うように。

 

「セイバーの剣が見えていれば、あの一戦で負けていた。

 様子見もあって、手加減していたんだろう」

 

 断言するアーチャーに、凛は首を傾げた。

 

「私には互角に見えたけど」

 

「凛、こいつは算数の問題だ。

 身長百五十センチ半ばの彼女が、一メートル弱の剣を握る。

 相手は、二メートルの槍を持つ、百八十センチ後半の男性。

 さて、攻撃範囲が広いのはどっちかな?」

 

「あっ……」

 

「そして、素早さでは彼に分がある。まともに当たれば大変な強敵だった。

 ゲッシュとバーサーカーのお陰さ。これが戦術より戦略ってわけだよ」

 

 淡々とした戦況の分析に、否応なく思い知らされる。彼も戦いに生きた人間だったのだと。

 

「じゃあ、ランサーはなんで一人で偵察していたのかしらね?」

 

「さあ、なんでかはわからないがね。

 ランサーは安定した戦力を発揮できるが、対象者が限られるのが最大の弱みだ。

 もっとも真名を秘さなくてはならないんだよ。

 例えばギリシャ神話のアキウレスも、ランサーとなりうる英雄だからね。

 そのためにもマスターが同行し、カバーする必要がある。

 最速という条件ひとつで、マスターを狙いやすくする仕掛けもできるのさ」

 

 凛は、従者の言に上腕をさすった。暖房が効いているのに寒気がする。

身許が割れると、誓約を持つケルトの大英雄は、奸智に優る奴にひどい目に遭わされるのだ。生前と同じく。なんて、気の毒……。幸運の低さも納得だ。

 

「それも見せ札だとあんたが言う理由ね」

 

「もっとも、最速による一撃必殺を最大限に運用すればいいだけさ。

 本来は、不利と言えないほど彼は強い。

 槍兵の対象者の中では、最高クラスの英雄だと思う。

 おまけに彼は騎士の一員だ。仕えることへの抵抗も少ないだろう。

 それだけの人選をして、二千年前の人間の触媒を入手する。大変なことだよ」

 

「あなたのお父さんの形見の壺みたいな金額になるでしょうね」

 

 四百年前の壺が、今は数百万。彼の時代だと億単位。二千年前のクー・フーリンの物ならば、その価格になっても不思議はない。

 

「そういう物の準備は自腹だよね? 金なりコネなりが必要だよ。

 ぶらりと入った骨董品屋で、即座に見つかるものじゃない」

 

「言えてるわね。しかも、今回は急な開催だったのよ。

 きっと、時計塔からの参加者がマスターでしょうね」

 

「早く連絡がつけばいいんだけどなあ。

 停戦に応じてくれるかどうか、そいつが問題だがね」

 

 ヤンと凛は同時に溜息をついた。気さくな好漢のランサーが、あんなに嫌がっているマスターだ。停戦に賛同する可能性は高くなさそうである。

 

「ともあれ、伝説によれば、彼はキャスターや

 ライダーとしても適性がありそうなんだ。

 でも、彼のマスターは、クー・フーリンを槍兵として召喚すべく

 儀式を行ったのだろう」

 

 原初の十八のルーンの使い手だが、戦車での戦いも有名なのだ。愛馬は、灰色のマッハと漆黒のセイングレイド。アーチャーはそう補足した。

 

「へえ、さすがにアーチャーの時代まで語られるだけのことはあるわね」

 

「しかし一番有名なのは、必ず心臓を貫くという雷の槍だ。

 彼を呼べるというなら、私だってランサーのクラスで呼ぶよ。

 理想の限りを込めて、あの恥ずかしい呪文だって頑張って唱えるさ」

 

「あんた、言ってはならない事を言ったわね」

 

 サーヴァントを召喚するという高揚感の中では麻痺していたが、その対象に指摘されると赤面ものだった。呪文一つにも、戦争開始から二百年の時代差があるわけだ。当時は貴人への挨拶に、麗々しい口上を述べていたから、ご先祖にとっては正しかった。

 

 しかし、現代人の凛、そして未来人のヤンの感覚からすると……。

 

「将来的には君の子どもに発生する問題だけどなあ。

 あと六十年後なら、四、五十代のおじさん、おばさんが唱えるんだが」

 

「うっ……」

 

 由々しき問題だ。それまでには何とかしようと凛は決意した。

 

「彼のマスターは、相当に戦い慣れている人物で、優れた魔術師だろう。

 だが、大いに苦労をして召喚したのに、

 彼または彼女の理想なりイメージが、ああだったのかと思うと……」

 

 言葉を切って目を逸らす。凛にも彼の落胆が理解できてきた。なんともしょっぱい気分だ。

 

「たぶん、ちゃんと触媒を使って、召喚したのよね。

 わたしがあんたを呼んだのとは違って」

 

「……触媒なしでセイバーを狙ってたって、それも随分と無謀だね。

 準備の段階、戦略レベルで既に負けてるじゃないか」

 

「悪かったわよ!

 でも、準備したら準備したで、ランサーがあれでしょう……」

 

 もしかして、彼のマスターは残念な人間なのではないか。漠然と思う弓の主従であった。



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4章 形のない宝具 20:軍略A+

修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、
その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。
逆転の可能性がゼロではないなら、
その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。




 製作者が手抜きと言った食事は、たいそう美味であった。遠坂主従は賛辞を惜しまずに、だが食べる量はそう多くなかった。アインツベルンは主とそのメイドが席につき、見慣れない料理に首を捻った。

 

「これ、フリカッセと違うのね。とってもおいしいけれど」

 

「フリカッセって何さ」

 

「いわゆるシチューだよ」

 

 黒髪の通訳に夕日色の頭が、勢いよく方向を変える。

 

「アーチャー、よく知ってるなあ」

 

「私の敵国は、ドイツに近い文化の国だったからね。

 国民はみんな、その国の言葉を習うんだ。だからわかるんだよ」

 

「うわ、そういうことかあ。

 法律に詳しいって、それもそうなのか?」

 

「まあね。私は文民統制国家の軍人だから、当然法律に従わなきゃいけない。

 昇進する度に、必ず講習でしつこく言われる」

 

「講習ねえ。それ聞くと、やっぱり公務員よね。

 でもそういうので、そんなに詳しくなるものなの?」

 

 凛の言葉に、アーチャーは眉を顰めた。

 

「私は軍事基地の司令官を務めたんだ。

 この職は法的届出の最高決裁者になり、軍法会議で裁判長をやることになる。

 事務の責任者が、そういうことに厳しい人で、勉強もさせられた。

 彼のテストにパスしなきゃ、有給は認めんとさ」

 

 一同から感嘆の声が上がった。金髪を上下動させながらカレーを食べる一名を除いて。

 

「軍人って戦ってばっかりじゃないのか」

 

「一日の戦闘のためには、それに百倍する訓練が必要なんだ。

 そのための食糧や人件費に兵器、訓練の計画に実践。

 こういったことを充分やる、それが戦略で、戦争で一番重要な点だ」

 

「それ、腹が減っては戦ができぬ、ってヤツか?」

 

「まさに至言だね。我が国の滅亡の原因の一つがそれだ」

 

 セイバーがカレーから顔を上げ、アーチャーに鋭い視線を向けた。

 

「他には何があったのです」

 

「多勢に無勢さ」

 

 今まで戦いと縁のなかった現代人たちに、アーチャーは戦略の基本を説明する。

 

「一番の必勝の策は、敵より多くの味方を揃えることだ。

 さっきのランサーとの戦闘みたいにね。

 これができれば勝ったも同然、できなければ負けるのは必然。

 そいつを敵さんにやられた。彼は戦略の天才だったんだ」

 

「……何か、俺が想像してたのと違うぞ」

 

「長い年月、敵対している国同士だったが、一回の戦闘の限界は一月ぐらいだ。

 その準備と後始末が大変なんだ。

 そのためには、国から金を出してもらわなきゃいけない。

 一番ウェイトを占めるのは、予算要求と適正な予算執行。

 とはいえ金勘定なんて私にはさっぱりで、

 優秀な事務の達人に丸投げして、だから何とかなったんだがね」

 

「だからアーチャーは物知りなのかしら」

 

 イリヤの問いに、ヤンは苦笑いを浮かべた。

 

「一番大きいのは、私の国の仕組みがこの国に近いからだよ。

 似ているから理解がしやすいんだ。これは数少ない私のいいところかな」

 

 これに反論したのは、なんとイリヤのメイド兼家庭教師だった。

 

「アーチャー様、ご謙遜をなさるものではありません。

 あなたのお陰で、お嬢様は無用な復讐をなさらなくてよくなったのです。

 私どもが考えもしない方法を教えて下さったのですから」

 

「セラ……」

 

「いいえ、これは知っている者にとっては義務ですよ。

 子どもが親の愛を求めるのは当然のことだ。

 でもイリヤ君、士郎君もまた、養子としての権利を持っているんだよ。

 だからなんとか、折り合いをつける方法を考えてほしいのさ。

 非常に難しいことは、よく分かっているけどね」

 

 凛は小さく息を吐いた。

 

「なるほどね、アーチャーの『中立中庸』ってこういうわけね。

 人それぞれに立場と言い分があるってこと?」

 

 ヤンは小首を傾げた。

 

「そうかもしれないね。なにしろ長い戦争をしていた国に生まれたんだ。

 それぞれに言い分があるし、理があるってことを、私はよく知ってる。

 自分の意見を他人に理解してもらうのが、いかに難しいかもよくわかる。 

 ただ、努力しても駄目なものは駄目なんだよなあ」

 

 赤い色の潔癖そうな眉が、上向きに角度を変えた。

 

「俺は、そんなことないと思う。

 努力すれば、きっとできるようになるって」

 

 優しげな黒い眉は、下向きに角度を変えた。

 

「そう思えるのが平和の尊さなんだね。本当に羨ましい」

 

「なんでさ」

 

「戦闘中に努力しない兵士がいると思うかい?

 それで戦死を逃れられるなら、みんな戦場から帰ることができる」

 

 発言者を除くすべての者が息を呑んだ。

 

「こんな話はここまでにしようか。すまなかったね」

 

 遠坂凛のサーヴァントは、平凡な青年の姿をしている。新都のデパートにでも行けば、周囲に紛れてわからなくなるほど日本人に近い容貌だ。しかし、たしかに戦争の中で生まれ育ち、死んだ存在なのだ。現代人は骨の髄まで思い知らされた。

 

 セイバーも悟らざるを得なかった。この頼りなげで、ステータスも軒並み低いアーチャーは、『カリスマA』を持つにふさわしい一軍の将であったろうことを。これほど真摯に、兵士の死を惜しみ、人の心を理解し、理解させようと努める存在だ。さぞや部下に慕われたことだろう。セイバーは思わず問うた。

 

「アーチャー、それでもあなたは聞き、語ろうとするのですか。

 限界があると承知していながら」

 

「人間には他に方法がないと私は思うんだ」

 

 そう言ったアーチャーは、静謐な笑みを浮かべていた。

 

「不完全ではあるけれど、心をわかってもらうには、言葉をもってするしかない。

 たしかに、言葉では伝わらないものもある。

 でもそれは、言葉を尽くしてからのことだと思うんだ」

 

「アーチャー……」

 

 それ以上言葉がでてこないセイバーに、アーチャーは苦笑いしながら黒髪をかきまわした。

 

「しかし、三回ぐらい言っても、駄目だと駄目なんだよなあ。

 それにね、万人に賛同されるなんてありえないんだ。

 半分が味方になったら大したものだ、ぐらいに思ったほうがいいよ。

 選挙なら勝てる」

 

「あんたね、今ちょっと感動したのに、

 すぐさまぶち壊すようなこと言わないで」

 

 抗議する凛に対して、セイバーは無言で考えこんだ。生前のこと、前回の聖杯戦争のマスターのこと。すべて意志の疎通を欠いていたからではないのか。自分はまだ、衛宮士郎に真実の名を告げることはできないでいる。

 

「でも、これもまた私個人の考えだからね。

 もっとも、死んでからではあんまり意味がないか。

 だが、その死人が行う聖杯戦争に呼ばれてしまった以上、

 私は生きている人間の保護を最優先したい」

 

「戦わないと、そういうことですか」

 

 緊迫しかけた空気におろおろする琥珀に、翡翠の矢が直撃した。思わず目を泳がせると、今度は二対のルビーの矢が。もう一対はセイバーを無表情に見ている。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、セイバーにアーチャー。

 夕飯の片付けが終わってからにしてくれよ。

 お茶も淹れ直したいしさ! なっ」

 

「じゃあ、私がやる」

 

「ありがとう、リズ」

 

「うん」

 

「『うん』ではなくて『はい』と言いなさい。

 では、わたくしも」

 

 二人のメイドが立ち上がろうとし、一方をアーチャーが制した。

 

「すみません、セラさん。あなたはイリヤ君の家庭教師だと伺いました。

 そして、魔術の師だとも。あなたも魔術師ということですか?」

 

「はい、それがなにか?」

 

「あなたにも同席していただきたいんです。

 できるだけ多くの知識がほしい。家門によって魔術が異なるならなおのことです。

 私は、魔術にはまったく縁のない時代に生きていましたから。お願いします」

 

「それでは僭越ながら」

 

 リズが片付けを始め、アーチャーも資料をごそごそとテーブルに並べ出した。冬木市の地図が二種類に、郷土史の本。遠坂家の戸籍が一式と英語らしき文章の綴られた紙の束。レポート用紙と筆記用具は凛の前へ。

 

「じゃあ、凛には書記をお願いしたい」

 

「え?」

 

「きちんと記録をとり、文書に残した方がいいんだ。

 もしかしたら、第六次の基礎資料となるかも知れないんだからね」

 

 そう前置きすると、ヤンはこの聖杯戦争の概略をかいつまんで説明した。二百年前に始まり、およそ六十年周期で開催され、今回が五回目であること。遠坂家が霊脈、アインツベルンが術式、マキリが令呪のシステムを提供している。

 

 ゆえに始まりの御三家と称され、優先的に令呪が発現し、特典もある。サーヴァントが敗退すると、マスターからは残った令呪が消失する。しかし、御三家のマスターの令呪は異なる。サーヴァントを失っても令呪は残り、主を失ったサーヴァントと再契約が可能である。

 

「ゆえに、御三家のマスターはより狙われやすい。敗者復活の権利があるからだ。

 だから、本当に勝ちたいんなら、三者が連携して戦えばいいんだよ。

 自分たちの手下の魔術師で残る枠を埋め、願いを叶える順番も決めておけばいい。

 極論するなら、アインツベルンが願いを叶えたら、

 みんなに第三魔法を使うと約束すれば、諸手を挙げて協力してくれる。

 戦う必要もないんだ。令呪を使えばそれで済む」

 

 婉曲な表現なので士郎は聞き流したが、残るマスターとセイバーの顔色が白っぽくなった。不老不死が対価ならば、マスターだって八百長上等だろう。サーヴァントを六騎集めて、令呪で自殺させればいいということだ。

 

 そんなことを言われたアインツベルンのマスターが、抗議の声を上げた。

 

「でもアーチャー、これは魔術師としての栄光なのよ!」

 

「イリヤ君もそう聞いているのかい? 凛も同じことを言ったな。

 もう一つ重要なのは、これが六十年周期で行われることだ。

 歴史学では一代は二十五年として計算する。

 つまり、本来なら第五次はあと五十年後、君たちに孫が生まれ成人した頃に、

 君たちの子どもが挑むことになる」

 

 歴史マニアを除いた面々は、色とりどりの頭を傾げた。発言者と同じ色の髪の持ち主が、紙面にペンを走らせながら問う。

 

「それがどうしたのよ」

 

「単に霊脈とやらの、エネルギーの問題ばかりじゃないと思うんだ。

 魔術は一子相伝。これを守るなら、二代ぶんの間隔を空けないと後継者を残せない。

 遠坂家が直面している問題が発生する。つまり、君が死ねば遠坂に次はない」

 

 細い指先から、ペンが転がり落ちた。

 

「アーチャー、なんてこと言うのよっ」

 

「そして、君の父上もそれは当然考慮するはずだ。

 自分が死ねば、まだ小さな娘と何も知らない妻が遺されてしまうと。

 つまり、彼は死ぬつもりなどなかった。

 いや、そういう取り決めがあった可能性すらある。

 第三次の遠坂の参加者と思われる、凛の曽祖父は生還している。

 でないと、養子に出ている大叔父たちが生まれないからだ」

 

 士郎は首を傾げた。

 

「でも、なんでさ。遠坂のお祖父さんが跡継ぎなんだろ?

 なんの関係があるんだよ」

 

「そ、そうよ」

 

「こんなに出産や育児が安全になったのは、日本でも昭和四十年代以降だよ。

 凛の曽祖母のきょうだいは、七人のうち成人したのが四人、

 三十歳以上になれたのは二人しかいない」

 

「う……、マ、マジに?」

 

「とにかくそれだけ、感染症が恐ろしいものだったんだ。妊娠出産も命がけだった。

 凛の曽祖母の実家でいうと、兄嫁はそれで亡くなったと思われる。

 それを潜り抜けても、昭和三十年代まで人生は五十年だったのさ」

 

 平均寿命八十年の時代の高校生二人にとって、想像しがたい五十年前の日本の姿だった。

 

「アーチャー、なんであんたそんなこと知ってるの!?」

 

「一昨日図書館に行った時、司書さんに日本の明治以降の人口動態の

 ダイジェストを作ってもらったんだ」

 

 面倒なことはさっさと他人を頼るヤンだ。コピーをしている間に、そっちも頼んでおいたのだった。こちらは、千六百年後も廃れていない図書館のサービスで、素人歴史マニアはお世話になったものである。

 

「それが劇的に変わるのが昭和四十年代、高度経済成長と第二次ベビーブームだ。

 平和が続いて経済が発展し、栄養状態と公衆衛生が著しく向上した。

 医学の発達のおかげもあるが、前者の影響がずっと大きい。

 それより前の時代に、一人っ子を設けたからよし、なんて言っていられないよ。

 とにかく無事に育ってくれなきゃ、素質に応じて跡継ぎを選ぶこともできない」

 

「その発想はなかったわ……」

 

「子どもの素質なんて、赤ん坊の頃にわかるわけないじゃないか。

 せめて、物心つくぐらいまでは待たないといけないだろう。

 魔力の有無もそうだが、研究者なら聡明な頭脳の持ち主が望ましいはずだ」

 

「ええ、それはそうだけど……でも、なぜそれが問題なのよ」

 

「さっき言ったように、二十歳までに七人中三人が亡くなっているってことだよ。

 これは人類史上、長らく至難の技だった」

 

 白銀の頭が可愛らしく傾げられた。

 

「ねえ、アーチャーはなにをいいたいの?」

 

「ほんの六十年前までは、生まれた子どもが成人できるかどうか半々だった。

 出産が女性の死因の上位を占めていた。

 平均寿命が五十歳の時代、明治から昭和初期の五十年に、戦争が三回もあった」

 

 高校生二人の喉が鳴った。

 

「こんな状況で、一人っ子にすべてを賭け、

 本気で戦うような危険な真似はできないよ。

 聖杯戦争を続けていくならばね」

 

 凛は頭がくらくらしてきた。歴史上の社会や技術の発展を考察し、広く事象を把握する。高校生に追い付ける思考法ではない。衛宮主従は完全に表情が漂白されていた。イリヤとセラは、食い入るようにアーチャーを見つめている。

 

「もう一つ。日本の民法は、戦前と戦後で大きく変更されている。

 戦前は、相続権があるのは長男のみだ。

 最初に生まれた娘が優れた魔術師でも、彼女には遠坂家を継げない」

 

「じゃ、じゃあ、遠坂みたいな子はどうしてたのさ?」

 

「一人っ子なら婿養子を取り、婿が跡取りになる。

 弟が生まれたら、彼が遠坂家の跡取りだ。

 子どもを複数もうけておいて、素質に応じてなんとか算段する方が確実だ。

 こういう社会だと、子どもが成人してすぐに親の寿命がくる。

 凛の父方の祖父母がそうなんだ。違うかい、凛?」

 

 アーチャーの言葉に、凛は不承不承に頷いた。彼女が生まれる前に、父方の祖父は亡くなっている。祖母は時臣の少年時代に没している。二人の顔を、凛は直接には見ていなかった。

 

「そして、一子相伝の縛りのせいで、傍系の援助を期待できない。

 これでは余計に、小さな娘を残して死ぬわけにはいかない。

 遠坂時臣氏にとっては、サーヴァントを戦わせ、自身は籠城するのが最適な戦術だ。

 ならば、必ず単独行動スキルが付与されるクラスを選ぶ。

 凛の父が選んだのは、アーチャーだと私は予想する。

 それもとても強い英雄を選んだことだろう。彼には準備時間も資金も充分にあった」

 

 セイバーが我に返った。

 

「あの、黄金のサーヴァントが!」

 

「なるほど、君と優勝を争った相手だね。また後で教えてくれないか」

 

「わかりました」

 

「さて、こうやって死ぬ気のない人の相手が、

 『魔術師殺し』という異名を持つ傭兵だったらどうするだろうか」

 

「じゃあ、まさかじいさんが……」

 

「いや、セイバーはマスターなしでは戦えないが、

 アーチャーはそうじゃない。ゆえに、余計に籠城するだろう。

 こうなると一番あやしいのが、サーヴァントとの主従関係。

 このへんが鍵なのではないか」

 

 凛は眉を寄せた。同じ時代の同じ学校の同級生とだって、人付き合いは難しい。まして、時代も地位も常識も全て異なる英雄と、父がうまくやれただろうか。生粋の魔術師で、優雅で貴族的な、だがうっかり屋の父と。

 

「たしかに、あの黄金のサーヴァントは傲慢この上ない男でした」

 

 セイバーの証言を聞くと悲観的にならざるを得ない。翡翠の色を黒ずませる凛を見て、士郎は眉間に皺を寄せて呟いた。

 

「セイバーが言うんなら、相当なもんだろうなあ」

 

「……シロウ、どういう意味ですか」

 

 まさに、口は災いの元。冷や汗をかいた士郎に、穏やかな声がかかった。

 

「ええと、続けてもいいかな」

 

「あ、ああ、頼む」

 

 アーチャーから送られたのは労わりの眼差しで、ほろりとする士郎である。『男は辛いね』と語りかけるかのようだった。

 

「単独行動スキルのレベルにもよるが、

 アーチャーならば遠坂時臣氏が死亡しても、主を探す余裕がある。

 飛び立ったふ、っと飛行機で、目的地まで飛び続ける必要はない」

 

 開戦時と終幕では、主従の組み合わせに変動が生じているかもしれない。理論的にはありとされているが、にわかには想像できないことだ。

 

「でも、御三家以外のマスターは、敗退により令呪が喪失するのよ」

 

「しかし、主を失ったサーヴァントの出現により、

 一度脱落したマスターに、令呪が再配分される仕組みもあるそうじゃないか。

 せっかく呼んだサーヴァントを、死ぬまで戦わせようとしているみたいだ。

 いかがわしいし、疑わしいね。令呪一つ取っても、真っ当な代物じゃなさそうだ」

 

 凛は、アーチャーの言葉を記すと、隣に赤で疑問符を書いた。

 

「さて、ここまででほとんど言及されていない、最後の御三家がある。

 令呪を開発したマキリ。前回と今回の参加は今のところ不明。

 だが、語られず表に出ないからこそ、重大な秘密を握っているのではないだろうか」

 

「でも今、あの家には戦争に参加できる魔術師はいないはずよ!」

 

「では凛、魔術師って何だろう」

 

 ここに集った魔術師達は、顔を見合わせた。

 

「世界の根源に至り、魔法を目指す者よ」

 

 凛の言葉に、おさまりのわるい黒髪が左右に振られた。

 

「いや、私が言っているのは魔術師である条件さ。

 魔術回路を持つ者。その点ならば、マキリには三名も該当者がいる。

 さっき言ったように、飛び立った飛行機で」

 

「飛び続ける必要はない……。って、アーチャー、あんたまさか」

 

「召喚した者と使役する者が一緒である必要はない。

 サーヴァントを従える令呪の製作者で、御三家の特権を作れるような技術がある。

 自分に便宜を図る、ズルをしないほうが不自然だ」

 

 穏やかな口調で、平然と悪どいことを言うヤン・ウェンリーだった。

 

「なんですって!?」

 

「戦争というか軍事ってものはね、手段があるならやらないほうが馬鹿、

 ひっかかるほうがマヌケ、そういう世界だよ」

 

 士郎が眼差しを鋭くした。

 

「……卑怯だ。そんなの正義なんかじゃない!」

 

「ああそうだ。戦争はおしなべて卑怯で醜い。

 敵より多くの兵力を整えること、敵の食糧を断つこと。

 日常では人でなしと罵られることが、戦争になると正しくなる。

 やらなければ負けるんだ。敗者が言うんだから嘘ではないよ。

 私もさんざんやって、ペテン師とも敵国に呼ばれたものだ」

 

 母音による混成合唱が沸き起こり、黒い射手は肩を竦めて髪をかき回した。

 

「みんなそろって、頷かなくてもいいじゃないか。

 戦争はいつの時代でも、経済や国家の権益と密接に結びついている。

 バーサーカーのような英雄は、もう出現しないかも知れない。

 だからこそ、不朽の英雄譚として語られているのだろう。

 何千年もの間、夢と憧れの存在として」

 

 と、これは歴史マニアらしく言葉を結ぶ。そんなフォローをしても、発言内容を漂白するなど不可能だが。

 

「じゃあ、アーチャーはマキリが参加してるって言うのか?」

 

「可能性は高いし、戦争が開始した今となっては、

 いずれにせよ呼びかけすべき相手だ。

 教会にもはっきりと所在が知れているからね」

 

「冬木って、遠坂のほかにも魔術師の家があったんだな。

 マキリなんて聞いたことないけど」

 

「恐らく、帰化したのだろうね。

 今は同音の漢字を読み方を変えて当てている。『間桐』と」



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21:無限の知性―Unlimited Brain Works―

「冬木って、遠坂のほかにも魔術師の家があったんだな。

 マキリなんて聞いたことないけど」

 

「恐らく、帰化したのだろうね。

 今は同音の漢字を読み方を変えて当てている。『間桐』と」

 

 アーチャーの言葉は、爆弾を投げ入れたかのような作用をもたらした。大きな目を更に見開いた士郎が腰を浮かせる。

 

「嘘だろ! 桜と慎二が!?」

 

「アーチャー! なんで言ったの!」

 

 凛は青ざめて従者に詰め寄った。投げ捨てられたペンが畳を転がる。

 

「さもなくば士郎君が危険だからだ。あるいは凛、君の妹さんも」

   

 思わず掴みかかった凛の手は空を切った。霊体化したアーチャーが、凛の対面に座していた衛宮主従の背後に出現する。セイバーの背後の左側、凛の魔術がキャンセルされ、セイバーが咄嗟に反撃できない位置に。

 

 凛は従者の小賢しさに舌打ちし、残る二人の少女たちは、アーチャーの真の脅威を初めて目の当たりにした。

 

 霊体化できる、高い知性を持つ平均的な体格の持ち主。常人の十倍の膂力と敏捷性、劣るとはいえ射撃と格闘の技能も有している。これらを複合的に運用すれば、最優のセイバーにも、最強のバーサーカーにもできない攻撃が可能ということだった。

 

 自分のマスターを安全圏において、室内に戦場を限定する。単独行動スキルを持つ彼ならば可能。そして敵のマスターを狙えば、サーヴァントと矛を交える必要すらない。アーチャーというよりはアサシンの戦法だが、手段があるのにやらないのは馬鹿と言い切る者に、こだわりなどないだろう。人を殺すという結果は同じなのだから。

 

 バーサーカーは反撃するまえに消滅するだろう。セイバーも同様だ。タイムリミットが多少異なるだけだ。今朝方の警告は、決してはったりなどではなかったのだ。

 

「遠坂の妹……? 遠坂は一人っ子じゃないのか」

 

「さにあらず、さ」

 

 セイバーの背後から、手を伸ばして遠坂家の戸籍一式を取り上げる。

 

「戸籍は語る。見てごらん、士郎君。

 これは現在の戸籍。今は亡くなった時臣氏と凛の名しか乗っていない。

 しかし、これは約八年前に法律の改正で作り直されたものだ。

 その前のものがこっちだよ。凛は四人家族だった。父は時臣、母は葵、

 長女は凛、二女は桜」

 

「遠坂以外みんなバツがついてる……」

 

「そう。ご両親は死亡により除籍、妹は間桐家へ養女に行って除籍したんだ」

 

 士郎は思わず立ち上がった。自分より頭半分背の高いアーチャーの肩を掴む。その手は空を切ることなく、生身の人間と全く変わらない感触と体温を伝えてくる。

 

「嘘だろ、なあ、嘘だろ!? 遠坂と桜が姉妹だなんて!」

 

「本当だよ。こういった届出に、虚偽を行うのは大変難しい。

 法律をきちんと守ったほうが遥かに楽だ。

 養子縁組そのものは犯罪でもなんでもない。非常に不自然だがね。

 私は、聖杯戦争を控えた時臣氏の安全対策と見ているんだよ」

 

 黒い揚羽蝶も、勢いよく上昇した。

 

「なんですって!?」

 

「桜君が養女になった時期には、実のご両親は健在だった。

 しかし、縁組したのは養父のみ。

 母のいない家庭に行くなんて、実父母と養父の強い希望と誠意がなければ、

 まず家庭裁判所が許してくれないよ。そんなに法曹は甘くはない。

 一般人には一生のことでも、彼らには毎日の仕事だ。

 不審があれば、すぐに見抜かれるさ」

 

「そんなの、魔術で誤魔化すことだって……」

 

 凛の反論にアーチャーは首を振る。

 

「裁判所はまだしも、市役所への届け出はそうはいかないよ。

 あんなに混雑した窓口で、秘匿すべき魔術ができるのかい?」

 

「あっ……」

 

 先日、戸籍を取りに行った時、平日の午前中にも関わらず、市民課の窓口は混雑していた。いや、当然だ。市役所は平日の日中にしかやっていない。

 

「複数の第三者が見ても、問題のない形で手続きをしているはずだよ。

 何度も言うが、その方が楽なのさ。

 間桐家も協力して、円満に養女に行ったと判断していいだろう。

 いわば桜君が結んだ親族関係になる。

 そうそう殺し合いなどできるものじゃない」

 

「間桐は、そんなに甘い家じゃないのよ!」

 

「だが、養父や実父母が無事なら、いつでも養子離縁は可能だよ。

 今の桜君や士郎君だって、やろうと思えばできるがね」

 

「ええっ!?」

 

 凛と士郎は揃って声をあげ、アーチャーに顔を向けた。

 

「娘を預けるほど信用しています。戦争ではよろしくお願いします。

 そして、万が一の場合には、娘を頼みますとね。

 生還すれば、いつだって手元に取り返せる」

 

「本当なの、アーチャー?」

 

「もちろんだよ。養子離縁という手続きがちゃんとある。

 婚姻、離婚と同じでね、セットになっているんだ。

 だって、婿養子が離婚したときとか困るじゃないか」

 

 士郎は思わず咳き込んだ。

 

「む、婿養子ぃ!?」

 

「再婚相手の子供を養子にして、でもまた離婚するときとか」

 

 昨晩の怪我とは違う意味で、生々しい事情が語られた。

 

「あ、そ、そうなの」

 

「凛が利用することがないように祈るよ」

 

「うっさい!」

 

 真っ赤になって拳を振り上げる遠坂凛は、学校でのクールビューティーではなかった。イリヤは軽やかな笑いを立て、セイバーは表情の選択に迷っている。

 

 士郎は赤くなりながら、凛からの死角になる位置で、アーチャーに親指を立てて見せた。グッジョブ! と。本音を言って地を出す姿はたしかにいい。とっても可愛いじゃないか。

 

 アーチャーは同意を込めて微かに頷き、続きを話すことにした。

 

「人質とも言えるが、そういう形では楯にされないという、

 時臣氏なりの計算があったとも考えられるんだよ。

 目の届く所で見守りたいという親心もあったんではないか。

 自分が戦いに優勝すれば、子どもが戦争に参加する必要はなくなる。

 優勝しなくても、生還すれば六十年もの猶予がある。

 その時までに、間桐と協力体制を整えればいい。

 これはね、イリヤ君のお父さんも同じじゃないかと思うんだ。

 ただ、計算違いってのはよくある話なんだがね」

 

「キリツグも、そう思ったのかな……」

 

 ルビーの瞳を潤ませる銀髪の少女の傍で、頬を押さえて翡翠の瞳を彷徨わせる黒髪の少女。

 

「うっ……どうしよう、否定できない。お父さまならありうる……」

 

 遠坂の遺伝子に組み込まれているのではないか、といううっかりの呪い。ここぞという時に必ず発動して失敗するのだ。父もそうだった。無論、自分も。

 

 なにせ、来たのがこのサーヴァント。参謀としては最高だが、戦士としては最弱で、中身は食えないおっさんの。がっくりと畳に手をつく凛に士郎は焦った。

 

「と、遠坂、その大丈夫か? でも俺、信じられない」

 

「気持ちはわかるが、凛と桜君が実の姉妹であり、

 間桐家は魔術師の家門で、桜君がそこの養女というのは事実だ。

 これを念頭においてくれ」

 

「う、わかった」

 

「そして、私の推論はこうだ。御三家といってもその立場は対等ではない。

 術式を作ったアインツベルン、令呪を開発したマキリ。

 彼らは聖杯戦争という『儀式』の根幹に関わっている。

 一方、遠坂は霊脈の管理と提供だ。

 だがこれは地主と一緒で、遠坂でなくてもいい」

 

 俯いていた顔が勢いよくあがり、翡翠の錐が漆黒にねじ込まれる。

 

「……なんですって、もう一度言ってごらんなさい」

 

「アインツベルン、間桐と違って、遠坂は替えがきく存在だ。

 『儀式』にとってはね。

 彼らには、冬木でない霊地を選ぶことだってできた」

 

「そんな霊地、日本にいくつもないわよ!」

 

 アーチャーは眉を上げた。

 

「では、日本以外だっていいじゃないか」

 

 一言でマスターを沈黙させると、彼は続けた。

 

「だから、遠坂家の立場は、他の二者のいいように歪められていた可能性もある」

 

 緊迫した黒髪の主従に、白銀の髪の少女が声を掛けた。

 

「ねえ、どうしてアーチャーはそう思ったの?」

 

「二百年前というと、日本はまだ鎖国中だ。

 一方、欧州の国家は自国外に進出し、植民地政策を盛んに行っていた。

 彼らからすると、こんな極東の小国の、

 言葉や肌の色が異なる未開人は同格の相手じゃない。

 アインツベルンはドイツ、マキリはちょっとわからないが、

 少なくともアジア、アフリカ系ではない。

 白色人種と有色人種、現在だって解消していない問題だ」

 

 そして、千六百年後の未来でもだ。ゲルマン系偏重の銀河帝国と、他民族混血国家だった自由惑星同盟。ヤンは苦味を噛みしめながら、思考の刃をふるい、弁舌の剣先を突き刺す。限りなく、無限に近い知性の発露であった。

 

「そもそも、聖杯戦争に選抜されるのは欧州に中近東の英霊。つまり白色人種だ。

 だが、東洋に聖杯の概念がないなんて大嘘だよ」

 

「どういうことよ。アーチャー」

 

 猫のようなアーモンドアイに、翠の炎が燃え立つ。

 

「西暦七世紀の唐、首都長安にはキリスト教徒が住んでいた。

 イスラム商人も大勢貿易に来ていた。

 絹を求め、陸路や海路で。十字軍よりも五百年以上昔のことさ」

 

 俗に言うシルクロード貿易を持ち出されて、高校生は唖然とするしかない。魔術に関する知識はあれど、そんなことは初耳のイリヤは瞳を輝かせる。

 

「大昔の中国に、ヨーロッパの人が住んでたの?」

 

「紅毛碧眼の舞姫が、夜光の杯にワインで酌をする酒場もあったそうだよ。

 なにしろ、世界一の国際都市だ。それが唐代だけで三百年も続いたんだから、

 聖杯の概念が伝わらないほうが不自然だ」

 

「でも日本はサコクしてたって、アーチャーはさっきいったでしょ」 

 

「厳密に言うと、貿易先と受入れ場所を限定していただけだがね。

 その前には、宣教師を受け入れていた時代があったんだよ。

 当代一の権力者が認めたからで、彼が知らなかったとは思えない」

 

 確信のこもった言葉だった。凛は長い睫毛を瞬かせた。

 

「それって……」

 

「織田信長だ。同時代の主だった武将が、全く知らないなんてこともありえない。

 なにしろ、彼に叛いた明智光秀の娘は細川玉だよ」

 

 いきなり知らない名前が出されて、日本の高校生達は顔を見合わせた。

 

「呼び方を変えようか。細川ガラシャ夫人。これなら聞いたことがあるんじゃないか」

 

「えっ、そうなの!?」

 

 歴史上の人物として、個々には知っていている。しかし、そんな血のつながりまでは、学校の授業では教わらない。

 

「権力体制に不都合だと、キリスト教の布教を禁じたのは徳川家康。

 不都合だと思うのは、内容を理解していたからじゃないのかな。

 彼は死後神として祀られた。永遠の生命なんて不都合だろう?

 キリシタンの弾圧と島原の乱。遠坂家も隠れキリシタンだったそうだね。

 天草四郎は殉教の英雄だ。彼なら聖杯を知っていても不思議はない。

 なのに日本人だから呼ぶことができない。おかしいとは思わないか。

 これでも差別をされていないと言えるだろうか」

 

 凛は口を両手で抑えた。イリヤの瞳にも緊張が宿る。

 

「わたしは、そんなことは聞いていないわ」

 

「不都合なことを正直に教える人間の方が少ないんだよ」

 

 こちらもまた、イリヤには思い当たることが多すぎ、唇を尖らせて黙るしかなかった。アーチャーは、座卓の誰もいない辺まで足を進めた。座り込んで、胡坐をかくと続ける。

 

「凛は、なんでそうしたんだと思うかい?」

 

「さっぱりわからないわよ!」

 

「私は、遠坂家に更なるハンデを付けたんだと思うね」

 

「ハンデって、何がハンデよ」

 

 アーチャーは、座卓に肘をつくと、手を組み合わせて顎を乗せた。

 

「触媒の入手さ。

 当時は鎖国状態だったが、欧州や中近東から遠い、

 ほぼ単一民族の島国という地理的特性は変わるもんじゃない。

 君も苦労したばかりだろう」

 

 背筋を冷たい雷撃が奔る。喉をせり上がる絶叫を、凛はどうにか飲み込んだ。

 

「もう一つ、アインツベルンは千年、間桐は五百年、一方遠坂は二百年。

 これからマイナス二百年。どうかな、凛。君と士郎君の関係にならないか?」

 

 凛は口を開きかけ、結局言葉を見つけることはできなかった。そういう考え方があるのかと。アーチャーは、不変の公式を読み上げるように、淡々と続けた。

 

「むしろ当然だろう。当時の君の家は、ぽっと出の新参者だよ。

 新兵を訓練なしで、将軍として出陣させるようなものだ」

 

 これはセイバーに対する牽制でもあった。

 

「だがなぜ、ここまでのハンデをつけたのか?」

 

 まるで、生徒に出題する教師のような口調だった。そんな授業を受けたことのない者は、教師に質問で返すしかない。

 

「それも私にはわからない。アーチャー、あなたにはわかるわけ?」

 

 またたいた黒い瞳が閉じられる。頬を左手に託すと、右手の平を凛に向けてアーチャーは語った。やれやれ、と言わんばかりの仕草だ。

 

「理由は簡単。

 最初に遠坂が願いを叶えたら、自分の土地が荒れ、

 住民に被害を及ぼす戦争を、継続させようとは思わないからだ。

 戦争なんてやらずに蓄財に励み、魔法の研鑽に努めるだろう。

 余所者なんか追っ払って」

 

 いずれにせよ、アインツベルンとマキリが勝利しないと遠坂に順番は来ない。アーチャーは、駄目押しに付け加え、溜息まじりに凛に告げた。

 

「よくもまあ、五代も騙されたまんまになってたもんだ」 

 

「な、な、なんてことーーっ!!」

 

「これはあくまで、私の推論だがね」

 

 士郎は凛が気の毒になってきた。目を逸らすと、義理のきょうだいと目が合う。

 

「そんな、いまさら取ってつけたように言われても……。なあ?」

 

「むー、説得力がありすぎるもの」

 

 おまけにアーチャーは元帥だったという。彼の部下も随分苦労したんではないだろうか。ふと、同意する空耳が聞こえたような気がしたが……。

 

「だが、三家での儀式という割に、遠坂家はあまりに知識に乏しい。

 だからこんなに困っているんだよ」

 

 遠坂の宿業、うっかり。それは、初代からの遺伝だったのか! 長い黒髪を振り乱す少女から、呆気にとられている銀髪の少女に、黒い瞳が向けられる。

 

「もっと言うなら、アインツベルンも聖杯戦争に固執しすぎではないのかな。

 これは第三魔法復活の手段であって、戦争自体が目的ではないんだろう。

 せっかく過去の英雄を呼べるなら、その道の先達に教えを請えばいいのに」

 

「え、どういうこと?」

 

 二対の真紅の瞳が互いを見つめあい、年長の方が口を開いた。

 

「それは、いったい誰だとおっしゃるのです」

 

「あなたがたのご先祖様ですよ。第三魔法だかを使えていた魔法使い。

 その人だって、歴史上五人しかいない英雄でしょうに。

 元々の聖杯戦争は、その方をキャスターで呼び出すためのもの

 だったのではないでしょうか。

 術者を呼んで、エネルギーも調達して、第三魔法を復活させる。

 これが一番手っ取り早い方法だ。

 そして不老不死であれば、大抵の望みは叶うんじゃないでしょうか」

 

 魔術師たちは眉を寄せて、黒髪の青年を凝視した。アーチャーは髪をかき混ぜながらつぶやく。

 

「いや、不老不死を得て、まだ存命だから降霊ができないのかな?

 じゃあ、世界中に尋ね人の広告を出してみたらどうでしょう。 

 そちらは資産家でいらっしゃるようですしね。

 二百年前なら不可能だったでしょうが、現代ならそれも可能でしょう」

 

 セラが眉間を抑えて俯いた。

 

「セラ、大丈夫? アーチャーにひどいこと言われたの?」

 

「い、いいえ、違いますわ、お嬢様。衝撃的なご提案でございました。

 アーチャー様、当主にもお話しさせていただきますね……」

 

 アーチャー、ヤン・ウェンリーは半眼になって続けた。

 

「是非にお伝えください。

 いくら、先祖代々時間をかけるのが魔術だとはいえ、

 二百年はいかにも長い。手段が目的化しては、事業として失敗です。

 真面目に付き合うだけ損な戦いだよ、士郎君とセイバー」

 

 琥珀色の目は大きく見開かれ、エメラルドの方は完全に動きが停止している。

 

「私たちは勝てないと、そう言いたいのですか」

 

「君は前回、アインツベルンのサーヴァントだったね。

 だから気にしなくてもよかったが、今回は違う。

 聖杯の器を用意するのもアインツベルンなんだろう?」

 

 黒い視線がルビーをとらえ、イリヤは頷いた。

 

「ええ、そうよ」

 

「士郎君達が優勝したとして、イリヤ君を欠いたり、協力を得られねば、

 聖杯の器がないから聖杯は手に入らない。

 この戦争は最初から、外来の参加者が勝てるようにはできていない」

 

 絶句するセイバー。アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「つまり、昨日言ったような図式にしないと、

 君が勝っても、君の目的は果たせないんだよ。

 士郎君やイリヤ君と語らい、互いに理解に努め、

 君の望みに賛同してもらわなくてはいけない。

 衛宮切嗣氏に関わる者は、みんな仲良くしなさいと、こういうことかな。

 それならば、我々遠坂主従も知恵と力は貸すけどね」

 

 凛も頭が半分真っ白になった。黒髪の従者が、聖杯戦争の根本まで考察しているとは思いもしなかった。世界史に日本史、そして地理や社会学まで総動員して。交渉のために、知識が欲しいと言っていたのは、本気だったのだ。だからこそ、彼は考える時間を欲するのだろう。

 

 アーチャーことヤン・ウェンリーの持つ究極の一。それは、この頭脳なのだから。 



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22:知は力なり

 呆然としている一同を見回すと、アーチャーは言葉を続ける。

 

「だが一方で、停戦が成立するまで、最大級の警戒を行わないといけない。

 桜君は遠坂と衛宮の弱点だ。

 間桐からの参加者がいるのならば、この点をこそ衝いてくる。

 凛に士郎君、間桐の名を持つ者からの接触には、充分に注意するんだ」

 

 士郎がようやく口を開いた。

 

「桜もか……?」

 

「君たちにはすまないが、彼女を候補者から除外はできない。

 養女になったところで、実の親や姉妹との法律上の縁が切れるわけじゃないんだ。

 この戦争で凛が死んだら、遠坂家の資産は桜君が継ぐことになる」

 

 陳腐なサスペンスドラマに出てきそうな、だが、紛れもない法律上の仕組みだった。

 

「義兄が十八になったら結婚し、最低二人は子どもを作るんだ。

 そして成人になったら、離婚と養子離縁をする。

 家庭裁判所の許可も必要なく、いつでも可能になるんだよ」

 

 士郎は唾を呑み込み、なんとか言葉を絞り出す。

 

「そ、それで、どうなるのさ」 

 

「遠坂桜が遠坂家の当主になり、間桐の血を引く子どもが将来の当主だ。

 もう一人の子が間桐の跡取り。婚姻による家門の乗っ取りってやつさ」

 

 間桐桜の姉と兄貴分にとって、側頭部を一撃されるような指摘だった。

 

「そうなれば、御三家とは名ばかりだ。マキリが二に、アインツベルンは一。

 今後に聖杯戦争が起きれば、よりアインツベルンの勝利は難しくなる。

 マキリが令呪を開発した家だということも、忘れてはいけないよ。

 勝者となったサーヴァントの所有権を、

 乗っ取れるようにしていないとは言い切れない」

 

 そして、アインツベルンからの参加者には、アーチャーは氷の釘を打ち込んだ。虚空の女王の心身を、二杯の紅茶で篭絡したヤン・ウェンリーにとって当然の懸念であった。サーヴァントに絶対の命令を下せる令呪は、言うなればバックドアと強制コマンドの複合体だ。

 

「絶対に乗っ取りができないことが、証明されているのかい。

 きちんと、複数の他の魔術師が検証しているのかな」

 

「え、わからないわ……。お爺さまからはなにも聞いていないもの」

 

 黒い瞳を向けられた凛も無言で首を振った。父や後見人から、そんなことなど聞いていない。

 

「よくも疑問と危機感を持たずにいられるものだ。

 参加が不明なほど消極的なのは、

 そういうことを画策しているのかもしれないじゃないか。

 ご三家のマスターの令呪が消えないというのが、

 その布石でないと断言もできないだろう」

 

「じゃあ、どうすればいいのよ……」

 

「そんなの考えるまでもないよ。

 この戦争を生き残り、様々なことを学び、幸せになればいいんだ。

 その幸せの中には、桜君の幸せも含まれるだろう。

 君たちの友人の幸せもだ。だからまずは、学校の結界の除去を優先する」

 

 穂群原高生たちは頷いた。

 

「居場所が判明している参加者には、今夜にも教会からの連絡はされるだろう。

 明日登校して、結界が消えていればそれでよし」

 

「そのマスターとサーヴァントが応じなかったらどうすんのさ」

 

「いい質問だね、士郎君。私もそんな気がするんだ。  

 私は、結界の犯人のマスターは、学校に強いこだわりを持つ者だと思う。

 遠坂凛の存在を知っているならなおのことだ。

 そして、学校に出入りしても不審に思われない者。

 生徒または教職員で、自己顕示欲が強く、他罰的な性格である可能性が高い」

 

 むくりと顔を上げた凛が目を泳がせた。同じく琥珀が彷徨いだす。

 

「わたし、ものすごく思い当たる相手がいるわ。

 この前、告白されたんだけど、思いっきりお断りしたばっかりなの……」

 

「それは奇遇だな。俺にも思い当たるヤツがいるぞ、遠坂。

 そいつさ、失恋のせいで、下級生にひどい八つ当たりしててさ。

 俺、仲裁に入って弓道場を掃除してきたんだ。昨日のことだけど」

 

 座卓を挟んで二人のマスターは顔を見合わせた。

 

「衛宮くん、誰なのよ」

 

「遠坂こそ誰なのさ」

 

「二人とも、逃避しても始まらないよ。

 桜君の義理の兄、間桐慎二君。凛が今朝、台所で心配してた子だろう」 

 

 ずばりと言われたが、間桐慎二の友人が弁護に立った。

 

「し、慎二はちょっとクセが強くって、

 ひねくれてるけど、そんなに悪いヤツじゃないんだ。

 そりゃ、桜とぎくしゃくしてたこともあったし、

 俺がケガした時に、みっともないから部活に出るなって言ったけど!」

 

「苦しい弁護ですわね、士郎様」

 

 玲瓏な声音でぽつりとセラが反論した。

 

「うぐ」

 

 アーチャーが黒髪をかき回した。

 

「確かに癖がある性格なのかもしれないね。

 怪我が治るまで安静にして、部活も休めって素直に言えばいいのに」

 

「あ、そっか、アイツのことだからそういう意味だったのか!」

 

 セラは、小さく手を打ち合わせた。

 

「なるほど、そういうことなのですか。日本語とは難しいものですわね」

 

「ええ、言い回し次第で、全く別の意味になってしまう」

 

 黒髪黒目の青年の『通訳』の巧みさに感心する家庭教師をよそに、彼女の生徒は仰天するようなことをさらりと言った。

 

「わたし、今日テレビで見たわ。ツンデレっていうんでしょ?」

 

 二人の日本人と、一人の未来人がよろめき、三人目は座卓で身を支えた。

 

「お嬢様、そんな余計なことは覚えなくても結構です。

 まったく、なんて品のない。どうなさいました、アーチャー様?」

 

「いえ、余計な知識が聖杯からやってきまして、目眩がちょっと」

 

「ちょっとアーチャー、大丈夫なの?」

 

「あ、ああ、大丈夫だよ」

 

 言えるわけもない。『ツンデレ=遠坂凛=先輩他多数』なんてイメージが降ってきたことなど。非常にわかりやすい喩えではあったが、正直いらなかった。

 

「と、とにかく、学校の結界。これは我々も陽動作戦としよう。

 犯人を炙り出すために、凛と士郎君の二人で協力して、

 残りの呪刻を調査し、妨害工作を行うんだ」

 

「でも、あの結界、そんなことじゃ解除できないわよ」

 

 凛の指摘に、アーチャーは首を振る。

 

「発動を先延ばしし、二週間弱を稼げれば我々の勝ちだよ」

 

「うう、まだるっこしいわね!」

 

「それが一番いいんだが、相手も同じように考えるだろうさ。

 この犯人のマスター、短気で我慢も足りない性格だと思うんだよね」

 

 士郎は冷や汗が出てきた。

 

「なあ、アーチャー。あいつに会ったことあんのか……?」

 

「ないけれど、こういう行動には為人(ひととなり)が現れるものなんだ。

 学校の広い敷地に呪刻を設置するって、一人でやるには大変だと思わないか?

 ええと、あれはどこだっけな」

 

 そう言うと、座卓に並べた資料をかき回し、学校のパンフレットを拡大でカラーコピーしたものを人数分配り始めた。凛がコンビニに寄った理由である。彼女が笑顔で店員に頼んだら、快く操作をしてくれた。千六百年後の格言は真理だと、霊体化したアーチャーは唸ったものだ。

 

「昨日調べたかぎりだが、見取図の赤丸が呪刻の位置。

 そいつを校舎の写真にもマークしてある。

 写真の赤線は、実際に見つけた呪刻をつないだものだ。

 青丸と青線は、こいつが線対照の図形と仮定した場合の、

 呪刻の予想位置と予想図の残り。仮定と予想の多い代物で申し訳ないが」

 

 話し合いは、完全に軍事作戦の様相を呈してきた。

 

「……あのさ、遠坂。聖杯戦争って、魔術の儀式なんだよな?」

 

「しょうがないでしょ、アーチャーは軍人よ。

 こういうことやって、給料もらってたって言うんだから、

 できることをやってもらうしかないじゃない」

 

 地図や写真を駆使して、理論的に魔法陣を予想する。ある意味すごい。解析の魔術が得意で、ガラクタいじりの好きな士郎には燃えてくるものがある。

 

「アーチャー、どうやるんだ、これ。カッコいいなあ!」

 

「作戦参謀は、地図を元にいろいろな作戦を立てるからね。

 平面図を元に、立体図をイメージするのは慣れかなあ。

 そのうち、感覚的になんとなくわかるようになってくるんだ」

 

 ヤン・ウェンリーは、数百万キロ範囲の戦場を、感覚的に一瞬でイメージできるが、

地上ではこのぐらいしか使いどころがない。

 

「アーチャー、あなたは素晴らしい軍師だ。わが国に招くことができぬのが残念です」

 

「おほめいただき光栄だが、私はそんなに役立たないと思うなあ。

 セイバーの甲冑は実に美々しいが、あれを身につけて行軍なんて、

 ちょっとできそうにないからね」

 

 セイバーの鎧は、いわゆる全身鎧ではないが、それでも二十キロ以上はあるだろう。兜を含めた全身鎧は、総重量が三十キロから五十キロにも及ぶ。にもかかわらず、当時の騎士は馬に飛び乗ったり、泳いだりもできたそうだ。すでに人間じゃない。もっと軽量化された装甲服の戦闘訓練でも、悲鳴を上げていたヤンには無理だ。

 

「そのサーヴァントは、この作業を凛が休んだ日にやったんだよ。

 それも学生や先生のいなくなった、深夜から早朝までの間さ。

 気の毒な話じゃないか。この赤丸を調べるのだけで、三時間余りかかったんだ」

 

 士郎とセイバーは予想図を見た。それでもなお、青丸のほうがずっと多い。これを一人で、六時間程度の間に施術して回っているわけだ。おまけに……。

 

「ものすごく古くて、高度な魔術だったわ。

 私にできる結界の術でも、そんな短時間の施術は無理よ。イリヤはどう?」

 

 地図を見回したイリヤは首を捻る。

 

「この学校の中をこんなにあちこち歩くの? 歩くだけで一晩かかっちゃう。

 それにリン、こんなにたくさん呪刻を書かなくちゃいけないんでしょ?」

 

「ええ、その時間も必要ってことよね」

 

「だったら、よけいに無理よ。でも、そんな結界がシロウの学校にあるのね。

 ちょっと行ってみたかったのに」

 

 若いとはいえ、破格の実力を持つ魔術師ふたりが、揃って否定的な見解を述べた。アーチャーは、イリヤの師であるセラにも聞いてみた。

 

「サーヴァントは人間の数十倍の速さで移動できるが、

 魔術にかかる時間の短縮はできるものなんですか?」

 

「そういう能力を持つ英霊が、いないことはないと伺っております。

 しかし、キャスターとして召喚されるにふさわしい英霊ですわ」

 

 黒髪の魔術師(マジシャン)は、腕組みをして独語するように呟く。

 

「一応は合理性をうたう魔術師が、こんなに効率の悪いことをするだろうか。

 凛の学校というホームグラウンドに、発動まで一週間以上はかかる罠を敷く。

 その間に凛にも存分邪魔され、それを修正しようとすれば発見される可能性が高い。

 倒されたら、掛けた労力と魔力の大損だ」

 

「じゃあ、アーチャーは、サーヴァントはキャスターじゃなくって、

 マスターも魔術師じゃないって言いたいの?」

 

「そうだね、イリヤ君。その可能性も排除すべきじゃないと思う。

 しかし、サーヴァントというのは、その存在も力も本当にすごいものだ。

 たぶん私を除いてね」

 

「え、えと、アーチャーはアーチャーですごいと思うぞ。

 すっごく頭がいいし、とにかく、物知りだしさ」

 

 士郎の褒め言葉は正直なものだったが、強いとか美しいという、英雄らしい形容詞は含まれていない。

 

「ありがとう。

 大体は仕事して、給料をもらって、それなりの年齢になってのおかげだがね。  

 さて、君たちはそうじゃない。そして、結界のマスターも若いことが予想される。

 見たこともないような美男美女に偉丈夫たちに、

 マスターとしてかしずかれ、命令を下せるんだ。

 舞い上がって、とんでもないことをしでかしてもまったく不思議じゃない」

 

 黒い瞳が、低い位置にある真紅の瞳をちらりと見た。

 

「シロウ、わたしが悪かったわ。ごめんなさい」

 

 白銀の頭が下げられて、士郎はあたふたした。

 

「や、いいよ、もう。イリヤの気持ちもわかるんだ」

 

 しかし、これには裁判長経験があるヤンは首を振った。

 

「イリヤ君のしたことは殺人未遂だ。簡単に許されるものじゃない。

 士郎君が許すというのだから、私はもうとやかくは言わないがね。

 ただし士郎君、自分の命が粗末にされたことを君はもっと怒っていいんだ。

 誰も代わりはいないし、誰かの代わりにもなれない。

 君も、凛も、イリヤ君も、こんな戦争をやれという大人に対して

 否と言う権利がある。

 死ぬぐらいなら逃げたほうがずっといい。逃げなかったら死体が増えるだけだ」

 

 士郎を揺り動かす言葉だった。あの日逃げた自分を、ずっと負い目にしていた。

だがそれは間違いではないと、アーチャーは語る。そして、これからの戦いのことも。

 

「だから、この作戦も危険と思ったらすぐに離脱すること。

 間違っても、マスターである君たちは、サーヴァントと交戦してはいけない。

 それはサーヴァントの役割だ。明日は私がやるしかないね。

 セイバーを学校に連れて行くには、準備と工夫が必要だから、

 明日に間に合わせるのは、ちょっと難しいだろうが」

 

 セイバーが目を丸くした。 

 

「私がシロウの学校に行けるのですか?」

 

「まあ、つまり証拠隠滅の監視ということでね。

 学校に証拠を隠したりしてないか、荷物検査して見張りをするってわけさ。

 イリヤ君側の協力も不可欠だし、士郎君の了承が一番に必要なんだが」

 

「俺はいいけど……」

 

「故人の名誉の問題があるんだが、いいかい?」

 

 夕日色の短髪が、激しくかきむしられた。

 

「うわぁ、それを学校に言わなきゃなんないのか!

 どうしよう、俺、藤ねえに殺される……」

 

「そのへんの根回しが必要なわけなんだ。

 味方になってくれそうなキーパーソンに、あらかじめ話を通しておく。

 そうやっておいてから、初めて全体に話をするんだよ。  

 こいつをやるのとやらないのとじゃ、人間関係やら事業やらの成功率が大きく違う」

 

 セイバーががっくりと項垂れた。

 

「アーチャーよ、あなたはまさしく賢者だ。その方法をもっと早くに知りたかった!」

 

「どうしたんだよ、セイバー?」

 

「い、いえ、生前の人間関係に思いをいたしまして……」

 

 ぼさぼさになった赤毛の主と、金髪が萎れた従者は、顔を見合わせて力なく笑いあった。

 

「ではセラさん、放課後に管理職と面会をと、

 明日の朝、学校に電話で申し入れしてください」

 

「はい、かしこまりました」

 

「え、ちょ、ちょっと!」

 

「士郎君はこれに慌てて、藤村先生に相談するという形をとる」

 

 琥珀色の目が真ん丸になり、口も同じ形になった。士郎を悩ませる姉貴分を、そのキーパーソンにしてしまえという逆転の発想である。

 

「事実を話すだけで、彼女はきっと君の味方になってくれるよ。

 初恋相手の名誉と、弟分の立場がかかってるんだから。

 でも、イリヤ君のことも思いやれるような人だ。

 無碍に反対もできず、明日は管理職をとりなしてくれると思うよ」

 

「う、うう、うん」

 

 言葉もない士郎に、ヤンはにっこりと笑いかけた。時系列を少々入れ替えて、誰も悪者にせず難題に片をつけてしまう。大人のテクニックの一つ、嘘も方便というわけだ。

 

 巧妙な詐欺の手口そのものでもあるが、基本的には事実なので、追求されても無理がない。口下手な士郎でも、これならなんとかなりそうだ。

 

「で、明日の放課後に、イリヤ君とセラさんは、

 セイバーと一緒に学校に行ってほしいんだ。

 セイバーを貼り付けるための談判兼、

 いざというときにバーサーカーの動員を願いたい」

 

「ちょっと待ちなさい! 学校の中でだって無理よ。頭がつかえるでしょう。

 校舎がめちゃめちゃになるわ」

 

 物申した凛に、アーチャーは人差し指を立て、床と天井を交互に指差した。

 

「学校の教室は、高さを三メートル以上にする法律があるんだ。

 六法全書に載ってたよ」

 

「え、マジか?」

 

「そんなの決まってるの!?」

 

 現役高校生が口々に驚きの声を上げた。

 

「君たちは学生だから、この時代の学校についてひととおり調べたんだ」 

 

「や、普通そこまでやんないだろ……」

 

 若干引いている士郎に、アーチャーは首を振った。

 

「魔術なんてわからないから、できそうなところから手を付けただけだよ。  

 学校が戦場となってしまった場合、兵力が展開できるか否か。

 身長二メートル半のバーサーカーを、出現させても大丈夫かどうか」

 

「あ……」

 

 戦いの準備である戦略は、99%が戦術に勝る。彼はそう言った。学校の見取り図や写真の準備、法律の調査だってその一環なのか。

 

「結論を言うなら、彼が出ても大丈夫だ。

 障害物のない廊下と広い特別教室の呪刻を中心に除去し、

 さらに体育館や武道場などに手を伸ばすようにする。

 相手が手を出すなら、こちらに有利な場所で手を出させればいい」

 

 一同、唖然とするしかなかった。これがアーチャーの戦略というわけだ。相手が出した手が、こちらに届く前に殴り倒せるようにする。

 

「まあ、他にも色々考えてはある。

 いざとなったら、凛に本来の意味のガンドで、

 学校閉鎖する数の生徒と、教職員全員に風邪をひかせてもらうとか。 

 人がいなきゃ、結界が発動しても被害者は出ないからね」

 

「出ないって、あんた、わたしにそんなことやらせる気でいたの……」

 

 凛だけでなく、みんなからも色々なものが引いた。血の気とか心とか。なにそれ、超怖い。もはや、鬼とか悪魔とかじゃなくて、名状しがたきナニカだ。

 

「最悪の場合には。あの結界が、術者が消滅しても解除されないことも考えられる。

 爆弾を置いた者を逮捕しても、爆弾はなくならないようにね」

 

 凛は、口許に拳をあてた。

 

「現代の魔術だと、そこまで頑固なものはないけど、

 あんなに高度な術だと、あんたの言う可能性もありよね……」

 

「今はちょうど冬だし、風邪が流行して学校閉鎖ってのはさほど不自然じゃない。

 数百人の若い命がドロドロにとけるより、数十人が風邪引くほうがましだ。

 もしもの場合は頼むよ、マスター」

 

 これが司令官としての思考法だ。常に最悪を仮定して、決して楽観論では動かない。作戦成功のためには、ある程度の犠牲も止む無しと割り切る。より少ない犠牲で、より多くの生存を。

 

 士郎は目を見開いた。養父がしていたという救済の手段は、軍事行動そのものだった。そして、『魔術師殺し』に『傭兵』だったという衛宮切嗣とは、一体何者で何を為し、何を想っていたのか。自分は何もほんとうのことを知らない。遺言となったあの言葉以外は。

 

 養父が亡くなって五年。初めて士郎は、彼をもっと知りたいと思った。それが時の癒し。養父の死にかたくなに凍り付いて、最後の約束を果たさねばと思っていた士郎に、差し込んできた光だった。

 

 もっと違う角度から、沢山の方法の中から、『正義の味方』に至る道があるのではないか? それには、知らなかったことを知らなくてはならない。そして知ることができるのだ。アーチャーが教えてくれた方法もその一つ。

 

 そして考えてみよう。あの言葉の意味を。切嗣の絶望と『正義の味方』の限定期間とは何なのかを。



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23:一石二鳥

 悲観論に基づいた対処法に、皆が及び腰になってしまったようだ。アーチャーことヤン・ウェンリーは、漆黒の瞳を瞬いた。

 

 やれやれ、言いすぎたか。この子たちは、聖杯戦争は魔術の儀式だと思っている。軍人の理論は、いささかどぎつかっただろうか。実の妹や友人を、敵だと疑ってかかれとは。

 

 とはいえ、間桐兄妹にも公平は期すべきだろう。

 

「もっとも、これは根拠のない言いがかりにすぎないよ。

 結界が消えていれば、それがベスト。犯人は不問としよう。

 心理的な圧力は残るから、交渉の際には我々が有利さ」

 

「だったらいいんだけどね」

 

 溜息を吐く師匠に対し、弟子の顔色が冴えなくなった。

 

「あの、俺の立場は……」

 

「君に身内がいるとなれば、逆に滅多なことができないよ。

 それがアインツベルンのマスターなら余計にね。

 なにか言われたら、そのことを持ちだしてごらん」

 

 力をなくした夕日色の頭が、座卓に突っ伏してしまった。

 

「シ、シロウ、気を確かに。

 アーチャー、どうしても私が学校にいかなくてはならないのですか」

 

「結界がそのままかどうか、わかってから学校に申し入れるのでは遅いんだ。

 学校の都合だってあるからね。

 無理を通すためだからこそ、きちんと手順を踏まないと」

 

「なるほど、もっともです。あなたの言うことは礼にも適っている」

 

 ビジネスマナーを持ちだす元国家公務員に、王だった剣の英霊は納得してしまった。生前は臣下たちに伺候される側だった。その前には必ず使者にが立ち、日程などをやりとりしたものだ。

 

 こうしたことを不作法に省略したら、戦の原因にもなりうる。だから、使者とは命がけの仕事であった。現代はまことに簡単で穏やかになったものだ。電話の一本で済む。

 

 この国、この時代は、セイバーが夢見た理想に近い。冬に飢えることなく、食卓には世界中の美味が並ぶ。市井の人々が、王侯にも勝るほどの色鮮やかな衣服をまとい、繁栄した街を行きかう。電気の灯火は夜の闇を照らし、暖かな室内はまるで春のようだ。

 

 千六百年あまりの時を経て、大陸の西の島で求めた理想が、東の島で現実となっている。戦いの剣としてのみ、現世にあった十年前とは目に映るものが違っていた。もっとこの時代を見たいと、彼女が思い始めるほどに。

 

 こんなに平和で豊かな時代が訪れたのに、衛宮切嗣にはなおも不足であったのか。そして、騎士道や英雄を否定した彼の、正義への渇望とはなんだったのだろう。養子がそれに共鳴するほどに、今わの際まで希求していたという。

 

 まるで、自分のようではないか……。

 

「そ、そんなぁ、セイバーまで……」

 

「マスターの師や学び舎に、サーヴァントの私が礼を尽くすのは当然です。

 確かに、令呪で転移させることもできるのでしょうが、

 シロウのそばで守れるならば、これ以上のことはありません」

 

「セイバーが霊体化できない以上、きちんと立場を作って、

 士郎君に同行できるように存在を公表してしまったほうがいいんだよ。

 女性は外出の際に、財布や化粧品を入れたバッグを持つだろう?」

 

「そうでしたね。バスに乗った女性も持っていました」

 

「そのバッグに、セイバーの服の予備を入れておけばいいよ」

 

 セイバーは、凛からもらった服に着替えている。白いブラウスと深青のリボンタイ、ハイウエストのロングスカート。ミッションスクールの制服を思わせる、楚々とした服だ。硬質な美貌のセイバーにはよく似合っている。

 

 あの言峰神父が、どんな顔して選んだのやら、知りたくもあり知りたくもなしだが、

全く同じものが何着もあった。万が一、着替えることになっても、不審に思われないだろう。

 

「服を? なんでさ?」

 

 意外な単語に士郎はきょとんとし、アーチャーは頭を掻き回した。

 

「さっきみたいなことがあると、困ったことになるからね。

 士郎君の荷物に入れてもらうのも考えたが、何かの弾みで所持がばれたら……」

 

 奥歯に物が挟まったような台詞だったが、言わんとすることは十二分にわかった。青ざめた顔の周囲で、赤い髪が激しく左右に振られる。

 

 セイバーの服の予備というと下着も込みだ。男子高校生が所持すべきものではない。バレたら社会的生命の終了。しかし、セイバーがいなくては生物学的生命の危機だ。

 

 この命題を両立させるのは、なかなかに難しい。隠し通すことができないなら、公表しても不審に思われないようにするしかない。今朝の焼き直しになるが、教職員の藤村大河にイリヤたちを紹介した布石がここで生きてくる。

 

士郎は唸りながら頭を下げた。

 

「う、うう……わかったよ。ありがとな、アーチャー。考えてくれてたんだ」

 

 士郎とアーチャーの手合わせと、セイバーとランサーとの攻防の際の反省点に、折り合いをつけた苦肉の策であった。だが、士郎や凛の高校生では考えつかない方法だ。

 

「しかし、結界はそのままだが、明日の出動には何の反応も起きない場合もある。

 これは示威行動が効果を出したということになり、決して無駄にはならない。

 呪刻の処置も進むから、結界の発動が先延ばしできる。

 そうそう、イリヤ君も士郎君の学校見学ができるよ」

 

「え、ほんとう?」

 

「そして、日中に時間的余裕がある、

アインツベルンの方にお願いしたいことがあります」

 

「何をでしょう?」

 

「携帯電話の準備を。

イリヤ君とセラさんとリズさん、ええと、士郎君は持ってるかい?」

 

 いきなりの発言に、士郎は虚を衝かれた。

 

「え、ああ、持ってるよ、一応。あんまり使ってないけど」

 

「じゃあ、士郎君はいりませんが、セイバーの分もお願いしたいんです。

 そして、凛の電話番号の登録を。

 凛の電話にも皆さんの番号を登録させていただきますが」

 

 今度は携帯電話。確かに、現代知識は聖杯からもたらされるとはいえ、迷いなく作戦に取り込めるものだろうか。士郎は疑問に思った。かなり現代に近い英雄なんだろうか。でも、皇帝のいる国と戦っていたというし、貴族の習慣も知っている。何者なんだろう?

 

 セイバーの正体に首を捻るアーチャーだが、周囲にとっては彼のほうがよほど謎の多い英霊であった。

 

「俺はいいけど、どうしてなのさ」

 

「情報を制するものは戦いを制するんだよ。

 特に重要なのが、情報を共有し、即時に伝達できることだ。

 こんなにいい手段があるのなら、使わない手はない。

 さて、明日は学校だ。凛、そろそろ士郎君の対策に着手すべきじゃないかな」

 

 せっせと筆記する凛のこめかみに青筋が立った。

 

「ちょっと、わたしが書くまで待ちなさいよ。あんたが書記を振ったんでしょうが!」

 

 ヤンは小首を傾げてから、お金持ちの陣営に向き直った。

 

「うーん、録音機器も一緒にお願いできませんか?」

 

 厚かましい依頼だが、セラは深々と頭を下げた。

 

「承りました」

 

 知識や技術には価値があるのだ。並ならぬ頭脳の持ち主の考察は、値千金ではきかない。

 

 そして、これに思わぬ恩恵を受けた者がいた。穂群原一の美少女、遠坂凛と携帯番号を交換した衛宮士郎だ。

 

『生きてりゃいいことがあるよ』と言っていた、弓の従者からの飴の贈り物だった。

 

 だが、士郎の幸運もそこまでだった。弓の主からは、一見飴に見える味のない代物――魔力入りの宝石――を飲まされ、熱と激痛に朝までのた打ち回ることになった。これは師匠としての愛の鞭なのか。

 

それとも、セイバーを召喚した意趣返しなのか。いや、両方かも知れない。マスターは自分に似たサーヴァントを召喚するという。常に一石数鳥狙いのアーチャーに、遠坂凛も似ているのかも。

 

「大丈夫ですか、シロウ」

 

 熱い額に、ひんやりとした小さな手が触れる。焦点の合わない視界の中、聖緑の瞳が心配そうに見つめてきた。なんと返事をしたのかは定かではない。士郎の意識は、深い井戸の底へと沈んでいった。

 

そして、切れ切れの夢を見る。国を守るため、剣を執り、戦いを選んだ孤高の王の物語。皆の笑顔を望み、行動したのに、滅私のあまりに理解をされない。

 

少年と同じ魂の持ち主の軌跡を――。



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閑話4:ステップファーザー・パラドックス

「それにしても、養子がやめられるなんて知らなかったわ……」

 

 長い黒髪をかき乱しながら凛は唸った。アーチャーことヤン・ウェンリーは、ブランデー入りの紅茶の湯気を顎にあてながら小首を傾げた。

 

「一種の盲点だね。

 養子縁組は、結婚ほど多くはないし、特に子どもだと大っぴらにはしないものだ。

 それに結婚と違って、養子縁組は重複できるんだよ」

 

「は?」

 

 眉を寄せたのは高校生二人だった。

 

「養子が婿養子になる場合でも、前の養親との縁組を解消する必要はないんだ。

 妻の父母のどちらかが、健在であることが条件だがね。

 士郎君がどこかに婿入りする場合、例えば藤村先生と結婚して、

 藤村士郎になるとそうなるんじゃないかな」

 

 こちらは緑茶を啜っていた士郎だが、盛大に噎せ返った。アーチャーの隣の凛にまでは被害が及ばなかったが、彼女が眉を顰めるには充分だった。

 

「やだ、ちょっと汚いじゃない」

 

 咳がおさまり、謝罪と抗議ができたのは、それから百秒も後のことだった。

 

「う、す、すまん……。アーチャー、そのたとえは勘弁してくれ!」

 

「ごめん、ごめん。でも他に該当しそうな条件の人がいないもんだから。

 具体例があったほうが、ピンと来るだろう?」

 

 士郎は、音がしそうな勢いで、左右に首を振った。

 

「いや、そんな具体例はなくていい。なくていいぞ!」

 

「そうかい? ちなみに亡くなった養父母とも離縁できる。

 家庭裁判所のお世話になればね」

 

 澄ました顔で紅茶を啜るアーチャーの隣と対面の、翡翠と琥珀がしばし見詰めあった。

 

「ねえ、遺産相続はまだわかるけど、なんで養子のことまでそんなに詳しいわけ?」

 

「俺もそう思う。普通、離縁できるなんて知らないだろ」

 

 二色の視線を注がれた漆黒が瞬きをした。

 

「ああ、私がやろうと思ったことがあったからさ」

 

「ええっ!?」

 

 すっとんきょうな声を上げる少年とは裏腹に、アーチャーとの会話が多かった凛にはぴんときた。

 

「ひょっとして、里子の?」

 

 おさまりの悪い黒髪が頷いた。

 

「うん。恥ずかしながら、私は女性にもてなくってねぇ……」

 

 そういう前振りに、うまい相槌を打てるような話術を高校生に求めないでほしい。凛と士郎は無言になってしまった。

 

「なかなか恋人もできないし、いつ戦死してもおかしくないし、

 そうしたら遺産は顔も見たことがない親族にいっちゃうわけさ。

 あの子の面倒を見るどころか、私が面倒を見てもらっていたのに。

 不公平だろう?」

 

 更に難易度の高い言葉が続いた。

 

「う、そ、それは……」

 

 口ごもる凛の脳裏に、彼の寝言が閃く。

 

『――ユリアン』

 

 アーチャーはゆっくりと頷いた。

 

「君達よりひとつ上になるのかな。

 彼が十二歳の時に、私のところにやって来たんだ。

 あの頃は小さくって、引き摺っていたスーツケースの方が大きいぐらいだった。

 とてもいい子だったよ。賢くて優しくて、スポーツも万能。

 おまけに美少年で、家事の達人だった。紅茶を淹れるのもとても上手だった」

 

 黒い瞳が、眩しいものを見るように細められた。

 

「まったくね、天は二物も三物も与えるのかと思ったよ。

 でも、それほど優れた子だったから、私なんかの所に来たのさ」

 

 優しくもほろ苦い微笑が、青年の面を彩った。

 

「戦争が続いて、社会福祉施設も一杯で、軍人の孤児を軍人が引き取ると、

 養育費を貸与するという悪法ができたんだ」

 

「なんでさ、そんなに悪くはないんじゃないか?」

 

 アーチャーの眉宇が鋭角を描き、静かな口調に鋭さが加わる。

 

「戦争孤児が、みんな適用を受ける法律じゃないんだ。

 社会福祉施設の子は対象外だ。

 そうならなかったのは、あの子が優秀だったからだ。

 借金で縛りつけてでも軍人にしたかったわけさ。

 だから先輩は、借金を返せそうな私を里親に選んだのだろう」

 

「借金ですって? どういうことよ」

 

「軍人にならないと、借りた養育費は返さなくちゃいけない。

 私は独身だし、給料も高い方だから、扶養者控除で元が取れた。

 養育費には手をつけずに取っとけるぐらいにね。

 しかし、一般の里親は子持ちの夫婦だ。養育費を使わざるを得ないのさ」

 

「ひどい……」

 

 ソプラノとテノールが一小節の合唱を奏でる。アーチャーは片膝を立てて、腕と顎を乗せた。

 

「ああ、そうだ。実に非人道的なやり口だ。

 おまけに養父母のどちらかは軍人だ。また家族が戦死するかもしれない。

 職業選択の自由を奪い、敵国への更なる憎しみを植えつける。

 このうえない悪法だよ。こんな法ができるようじゃ、国家として終わりさ。

 実際に終わりを迎えたがね。予言の成就を誇れやしないが」

 

 困り果てた少年少女に、青年は頭を掻いた。

 

「いや、そいつは措いとこう。今はない国のことだ。

 個人レベルに話を戻すが、私は親が急に死んで、えらく困ったものだ。

 彼をそんな目に遭わせたくはなかった。

 幸い借金もないし、あの子と養子縁組をしとこうかなと思ったんだよ。

 貰うものを貰ったら、元の名字に戻すこともできるしね」

 

 彼の知識には、実に重い裏打ちがあったのだった。

 

「ねえ、アーチャー。その人を養子にできたの?」

 

 黒髪が振られた。

 

「いやあ、それこそ家庭裁判所がうんと言ってくれないんだよ。

 独り者だし、いつ戦死してもおかしくない軍人だ。

 だから養子にしたいと思うのに、融通が利かないったらありゃしない。

 例の先輩は、ますます嫁がこなくなるから、止めとけだとさ。

 そんなこと言われたって、婚姻届は死亡届と違って、一人じゃ出せないんだよ。

 そのかわり、死亡は自分で届出しなくていいけどさ。というか出来ないなあ」

 

 凛は座卓に拳を振りおろした。重々しい打撃音に士郎はびくりとした。普通の女の子の華奢な拳が出せる音じゃなかった。この主従、絶対にマスターの方が腕っ節が強いと思う。口以外の攻撃力もだが。

 

「やめてちょうだい、その真っ黒いジョーク。

 これ以上口にするなら、禁止のためには令呪の使用も辞さないわよ」

 

「残念ながら事実なんだがね……。死んだから召喚に応じられたんだよ」

 

 フォローも突っ込みもできない。障害物を避けたら、落とし穴にはまり、底に地雷が埋まってる。

 

「ご、ごめんなさい……。ああもう、そんな微妙なこと聞くんじゃなかった。

 私が悪かったわよ」

 

 口下手な士郎は、師匠の言葉に頷き続けるしかない。

 

「まあまあ、これには続きがあるんだよ。あの子は軍人を目指してしまってね。

 私はできれば諦めさせたくて、部下の腕利きのパイロットや

 陸戦隊員の弟子にしたんだ。

 どちらも、我が国一の技量の主だ。

 厳しい訓練を受ければ、考え直すかなと思ってさ」

 

「あんたって、おとなしい顔で、しれっとえげつないことやるわよね……」

 

「私の影響で、軍人になってほしくなかったんだよ。

 つまるところ、人を殺せば殺すほど出世する職業なんだから」

 

 溜息を吐きながら、紅茶を啜る戦争嫌いの不良軍人だった。

 

「士郎君のおとうさんの気持ちも、私にはわかるような気がするんだ。 

 彼は、君に魔術を学んで欲しくなかったんじゃないかって。

 痛い思いをして、さっぱり上達しなければ、嫌になるんじゃないかとね」

 

「え、じいさんが……!?」

 

「これは私の経験からの憶測だけどね。ジレンマなんだよなあ。

 嫌いなことでも、飯の種になるほど得意なわけで、

 私が教えられることはそれぐらいなんだ。

 共通の話題にもなる。情けない話だが」

 

 言われてみると、思い当たることが多々ある。アーチャーは、衛宮士郎から衛宮切嗣となった存在でもあったのだ。掌を指すかのような洞察も、全部彼自身の経験なのかも知れない。

 

「ただ、子どもというのは、大人のケチな目論見をやすやすと超えてしまうんだ。

 私の里子は優秀だった。どれにも望外の成果をあげてしまってね。

 十六歳で少尉に昇進して、遠い半敵地に赴任ときたもんだ」

 

 思い出してヤンは腹が立ってきた。不機嫌な顔でベレーを脱ぐと、両手で締め上げる。雑巾を絞る手つきじゃない。扼殺する握り方だ。掃除好きの少年は、いち早くそれに気付いた。

 

「と、遠坂ぁ……」

 

 青褪めた弟子から哀願の眼差しを送られて、凛は黒い袖を引っ張った。

 

「よその茶の間で、そういうことするんじゃないわよ。

 せめて霊体化して、見えないようにやりなさい」

 

「それもやめてくれ! 見えない状態でそうしてると思うと余計怖いだろ!

 うちではやっちゃダメだ!」

 

「ああ、これは失礼。ついつい癖で」

 

 なんて気の毒なベレーだろうか。まだ鷲掴みされたまんまだ。

 

「士官になると、私の保護を外れる。余計に養子は難しくなった。

 しかし、当時副官だった私の妻は、法律に詳しかったんだよ。

 私が悩んでいると、相続税がかからない範囲で生前贈与して、

 相続人として遺言で指定しておけばいいと教えてくれた。

 いいタイミングで餞別になったよ」

 

「そ、そう……」

 

 それもやるせない解決法だった。しかし、アーチャーにとっては名案だったようなのが、また何とも言えない。百五十年も戦争が続く世界の人間の考え方なのだろうか。

 

死を思え(メメント・モリ)

 

 アーチャーは、常にそれを念頭に置いて動いている。

 

 父のことを思い起こし、肩を落とす凛だった。いくら弟子だって、あの後見人の選択はない。陰険な性格破綻者だし、財産管理はおざなりだし、小学校の授業参観、級友が泣き出したものだ。自分は気をつけよう。この戦争を生き抜くのが最初の超難関だけど。

 

「そうさ。このように、いくつも方法があるんだよ。

 一つのやり方で駄目だったら、他のやり方を考えてみればいい。

 自分で出来ないなら、他の人の知恵や力を借りればいい。

 桜君が今日、凛の二つ下になったということなら、十五歳だろう?

 彼女が望むなら、養子離縁の届け出は自分でできるんだよ。面倒だけどね。

 そのへんも、この戦争を通じて交渉できるかもしれない」

 

 見開かれた翡翠と琥珀に、黒曜石が微笑む。はたと士郎は気付いた。

 

「あ、遠坂、今日誕生日だったんだ……。ゴメン、知らなかった。

 もうあと二時間ぐらいしかないけど、その、お誕生日おめでとう」

 

 凛の白皙の頬に、突如としてセーターの真紅が照り映えたかのようだった。彼女は口ごもりながら祝福に応えた。

 

「あ、うん、ありがとう、えみ、え、えーと士郎……」

 

 士郎の頬を染めた朱を、夕日色の髪のせいにするには少々無理があっただろうか。



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24:呪文と言葉

 結局、遠坂凛とアーチャーは衛宮邸に宿泊した。魔術回路を開く痛みに唸る士郎を放置することはできない。万が一だが、死に至ることもありえる。

 

 とはいえ、弱ったマスターの枕元に遠坂主従が控えるなど、セイバーに許容できることではない。折衷案で、凛は客間に通され、アーチャーは居間で持ってきた資料に取り組むことにした。

 

 なにかあれば、アーチャーに声を掛け、凛を心話で呼ぶ。それでいいじゃないかというアーチャーの提案だ。セイバーと凛に受け入れられる内容である。

 

ついでにアーチャーは、あの不可解な治癒を議題に上げてみた。

 

「昨日の怪我、あれは致命傷だよ。それが治ったぐらいだから、危険性は低いと思う。

 しかし、生来の体質ではないようだね。セイバーの召喚に関連するのかな」

 

「どういうことでしょうか」

 

「以前怪我をして、部活を休めと言われた時は、

 治癒まで相応の時間がかかったようだから」

 

 セイバーは密かに舌を巻いた。たったの一言から、そこまでの考えを巡らせることができるのか。彼のマスターは小首を傾げた。

 

「ひょっとして、セイバーの魔力が逆流しているのかもね。

 以前の参加者には、サーヴァントと魔力を同化させて、

 一時的に不死に近い肉体を得たマスターもいたそうよ」

 

「もともとイリヤ君の家の悲願は、

 不老不死または死者の蘇生に類するものと考えられるからね。

 頷ける話だ。ああ、そうか、だから『聖杯』なんだよ。

 魔力の釜というだけじゃなくて、ダブルミーニングだ」

 

 ゴルゴダの丘で処刑された、イエス・キリストの血を受けた杯。その聖杯で汲んだ水は、飲んだ者の傷病を癒し、あるいは不老不死を与える。病に倒れたアーサー王が求め、騎士らが探索して持ち帰り、王は快癒したという伝説は有名である。

 

「もう、名称からしてあからさまにアインツベルンのための儀式じゃないか。

 『ヘブンズ・フィール』も天の杯という意味だそうだし」

 

 再び、ぐったりとする漆黒の長い洗い髪。

 

「ああもう、ご先祖様はどうして気が付かなかったのかしら」

 

「恐らく言葉の問題だ。キャスターって、最初なんのことかと私は思ったね」

 

「『魔術師』よ」

 

「違うよ。英語で直訳すると『投票者』さ」

 

 凛が眉を顰めた。

 

「テレビのキャスターと同じじゃないの?」

 

「そいつは和製英語。ニュースキャスターとは別個のものさ。

 ニュースが接頭語に付くから『ニュースを報じる者』になるんだ。

 詠唱する者というニュアンスで選んだのなら、スペルとかを頭にくっつけないと」

 

 アーチャーの言葉に、今度は顔を覆う凛だった。

 

「いやぁ、もう……。間抜けすぎる。カッコ悪いわ」

 

「アインツベルンがドイツ人だったせいかな?

 遠坂は当然として、マキリも英語圏の人間じゃないんだろうか」

 

「それ、聖杯戦争となんか関係がある?」 

 

「魔法使いといえば、呪文を唱えるものだろう。

 他国語だから間違えたとも思えなくてね。

 呼び出される側に配慮でもしたのかな」

 

 セイバーが首を傾げる。

 

「配慮とは……どのような?」

 

「ヨーロッパの暗黒時代に行われた、魔女狩りという名の異教弾圧。

 土着の信仰にキリスト教が取って替わるため、知識層の女性を迫害したんだ。

 彼女たちは、教会以上に地域の住民からの信頼を受ける存在だったからだ」

 

 翡翠が瞬いた。

 

「魔女狩りが? あれはでっちあげだってのは知ってるけど」

 

 これもまた、凛が思ってもみない発想だった。魔術は知らないが、戦史では優等生だったヤン・ウェンリー。

 

 戦争の歴史は、人類の歴史とほぼ等しい。宗教戦争は文化衝突の一形態だ。銀河帝国の専制と、自由惑星同盟の共和民主制を考える上で、ずいぶんと地球時代の歴史資料を読み漁ったものだ。大半は趣味だけど。

 

「風土に根ざした信仰には、薬草などへの知識が含まれている。

 医師で薬剤師、助産師でもあった白い魔術の使い手だ。

 だからこそ、ぽっと出のキリスト教には邪魔だったんだよ。

 神秘が薄れたなんて、案外とそのせいじゃないのかね」

 

 宗教のない未来に生きたヤンは、しごく罰当たりな台詞を吐いた。セイバーがいつの時代の人間なのかを測る目的もある。十字軍の参加者やジャンヌ・ダルクならば、烈火のごとく怒るだろうと思ったのだが、その様子もない。

 

ヤンは黒髪をかき混ぜ、言葉を継いだ。

 

「そういう存在をそんな風に呼んだら、気を悪くするかもしれないだろう。

 魔術師殺し(メイガス・マーダー)か。凛、魔術師はメイガスと呼ぶんだね?」

 

「まあ、そうね」

 

「なるほど、ウィザードやソーサラーではないってわけだ。

 じゃあ、語源はマギ、東方の三博士ということか」

 

 言葉遊びのような会話に、セイバーの眉間に皺が寄る。

 

「それが何か?」

 

 ヤンは、英語が銀河連邦公用語へと発展し、ルドルフ・ゴールデンバウムのゲルマン文化偏重により、ドイツ語が復活して、銀河帝国公用語が成立した歴史を知っている。帝国からの逃亡者たちは、銀河連邦公用語を復活させ、後の自由惑星同盟公用語となった。

 

 それが可能だったのは、英語とドイツ語は古代ゲルマン語を共通の祖とするからだ。

しかし、近隣の民族の文化からも大いに影響を受けた。

 

 最たるものが西方世界の中心、東西文化の要衝たる古代ローマ。ギリシャ文明やエジプト文明、メソポタミア文明の後嗣でもある。古代ローマ人はラテン語を話した。マギもラテン語であり、それは英語の語源ともなった。

 

「言葉は本質を表すんだ。マギの技はマジックで魔術。魔術を使う者がマジシャン」

 

「あんたの二つ名ね」

 

「私のは手品のほうになるけどね。

 実はもうひとつ、マギが語源ではないかという言葉があるんだよ」

 

 金髪と黒髪の美少女達は顔を見合わせた。

 

「なんなのよ」

 

「メディック。医療だ」

 

「はぁ? 今度は何が言いたいの」

 

「東方の三博士が、イエス・キリストに贈ったのは、黄金と乳香と没薬。

 後ろ二つは、香料であり薬でもある」

 

「香料が薬、ですか?」

 

 金沙の髪が傾げられる。

 

「薬草の一種だからね。殺菌と防腐作用もあるんだよ」

 

 凛の瞳に不審の色が浮かんだ。洒落っ気なんて皆無なアーチャーが知っている香料。ということは、歴史的に有名な用途があるんじゃないのだろうか。

 

「ねえ、あんたが知ってるってことは、何の香料と殺菌と防腐に使ったの?」

 

 その問いに、優等生の発言に機嫌をよくした教師の笑みが浮かべられた。

 

「さすがに君は察しがいいなあ。ミイラの製作に使用したんだ」

 

 言葉もないセイバーに、凛が溜息を吐きながら首を振ってみせる。

 

「こういう奴なのよ。あんまり真面目に付き合うと疲れるから。ね、セイバー」

 

「はい……」

 

「永遠の命を願うのは、人間の普遍的な感情だよ。

 そして死者の復活への願いも、世界中の神話に語られてる。

 なにもイリヤ君の実家ばかりのものじゃない。

 もっとも、成功例はほとんど聞かないがね」

 

 その言葉には、西洋と東洋の少女らも頷かざるを得ない。

 

「人間誰しも死ぬのは怖い。可能ならば逃れたいものだ。

 その最先端の研究者が、魔術師だったわけだろう。

 魔術からは、自然科学や薬学、医学、天文学が分化していき、文明は発展した」

 

 鉛から金を生み出そうとしたことが元素の発見につながり、見えない神秘を覗く水晶玉は、顕微鏡や望遠鏡になった。星の運行に人の運命を重ね、観測することが天文学の基礎である。東方の三博士は、キリストの誕生を星の輝きで知ったのだから。そうした学術の積み重ねが、ヤンの時代の技術の根幹ともなっている。

 

「そのせいで、魔法と呼べるのはいまは五つしかないのよ。

 他の手段で代替できるものが魔術になったんだから」

 

 かつては、呪文一つで松明に炎を点すことができれば、充分に魔法と呼べた。しかし、今ではマッチがあり、ライターがある。いや、懐中電灯の方がはるかに優秀だ。

 

 凛の最強の宝石魔術も同様である。威力で比べるなら、ミサイルのような近代兵器には及ばない。ただし、霊体であるサーヴァントには一般の兵器は効かないが。

 

「なんにしたって、狭い世界で他者の検証も受けずにやれば退嬰もするさ。

 昔は魔術師として名を成し、尊敬や畏怖を捧げられていただろうに。

 時を逆行する学問なんてかっこつけても、

 私には葡萄をやせ我慢する狐としか思えないね」

 

 肩を竦めるヤンに、翡翠の瞳が険しくなった。

 

「なんですって!?」

 

「君の魔術、何か日常で利益を生むかい?

 あ、士郎君の上納金と授業料は除いてね。

 魔術や薬で、病人やけが人を公然と癒し、感謝されるようなことはあるのかな」

 

 凛は口を噤むと、視線を逸らせた。そんなことはできない。魔術の行使が明るみになったら、時計塔の封印指定執行者に狩られるのだから。それ以上に、費用対効果で現代医学に敵わないのだ。マスターの様子に、アーチャーはそれ以上の追撃はせず、射たのは別の疑問点だった。

 

「キャスターは、魔術で名を成した英雄だ。魔術を秘匿しなくてよかった時代の人間。

 令名か悪名かは措くとして、君たちより原初に近い位置にいる。

 当時最高峰の薬学の権威でも不思議はない。

 昏倒事件の悪臭は魔法薬のたぐいかもしれない」

 

 セイバーが拳を握り締め、鋭い眼差しで声を張り上げる。

 

「卑怯な! すぐさま討伐すべきです」

 

「いや、そうとばかりも言い切れないな。

 戦う方法がそれしかないのなら、使わざるを得ないんだ。

 毒や陰謀は、多くの場合非力な者の手段なんだよ」

 

「非力?」 

 

 セイバーにアーチャーは苦笑してみせた。

 

「そう。私に力があるなら、何も考えずに正面から粉砕できる。

 バーサーカーのように。しかし、持たざるから考えるわけさ」

 

 あまりに的確な具体例に、セイバーも凛も頷くしかなかった。

 

「キャスターの犯行も非常によく考えられたものだ。

 私は、キャスターは女性の可能性が高いと思う」

 

「たしか、あんた最初にそう言ってたわよね。

 小さい子と母親は重症にならないようにしてるって」

 

「他にも悪臭という小道具を使って、ガス中毒と思われるように辻褄を合わせてる。

 こいつが男の発想と思えないんだよなぁ」

 

 セイバーは周囲の人々を思い返した。ことに生前の面々を。

 

「たしかにそうかもしれません。――いろいろと雑でした」

 

「雑なら付け入る隙があるんだが、細やかな相手はとても厄介だ。

 おいそれと現場を押さえられるようなヘマはしてくれない」

 

「見逃す気ですか」

 

 黒髪が左右に振られ、組んだ両手に顎を乗せる。

 

「ここまでの犯行を証明できない以上、これからの犯行を抑止するんだ。

 キャスターは、魔術は秘匿するという、現代のルールを弁えて対応している。

 ほぼそれに成功し、今のところ死者や重症者を出していない。

 斃すほどの重罪には問えないよ。この昏倒事件に関してはね」

 

「マスターの入れ知恵かも知れぬでしょう」

 

「それでも別にかまわないよ。

 理があることには従い、損得を計算できる相手ならね。

 見ず知らずの人間に、不必要に残虐な真似をしないタイプのような気がする。

 吸血鬼や一家殺人と違って、非常にやり方が洗練されてる。

 これみよがしな学校の結界の犯人でもなさそうだ」

 

「犯行には為人(ひととなり)が現れるって、あんた言ってたわね」

 

 凛の問い掛けに、アーチャーは髪をかき回しながら渋面を作った。

 

「集団昏倒の犯人が、結界の設置者ならば、凛が気付かぬ内にやられていただろうさ。

 反面、ちょっと気分が悪くなったとか、

 風邪が流行ったという程度で収まったと思うね」

 

「数百人を融解させるようなことはしないと?」

 

 セイバーの反問に、ぼさぼさになった黒髪がうなずいた。

 

「下手に手を出して、恨みを買うのは逆効果だと思うんだよ。

 必要ならば、非情に徹し、残虐な手段も厭わない。

 生前の敵に、似たようなタイプがいたんだ」

 

 『彼』が最も憎悪したのは、自国の旧王朝とそれを支えた権門であった。その粛清は容赦のないものであったが、敵国たる自由惑星同盟への出兵には、むしろ反対派だったと聞き及ぶ。宇宙統一なんぞ、正直言えば損だからだ。

 

「へ、へえ、そうなの……」

 

 心話を送られた凛が口の端を引き攣らせる。セイバーは無言で表情を硬くした。セイバーの生前を知りもしないだろうに、言う事がいちいち急所に命中し過ぎる。彼女にとっては、実に嫌な相手だった。

 

「では、放置しろと!?

 管理者のサーヴァントを名乗るならば、片手落ちというものだ」

 

「ちょっと違うなあ。

 仕掛けるには、時期尚早だと言っているんだ。

 手紙の返事もまだだし、相手が折れてくれるかもしれない。

 それが無理でも、確実な対処法を編み出してからにすべきだと思う。

 いずれにせよ、君たちの魔力供給の目途がたたない間は駄目さ」

 

 やんわりといなされたセイバーは、アーチャーとの会話を打ちきることにして、無言で一礼すると士郎の寝室に向かった。それをしおに、凛も立ち上がって客間に向かう。

 

 残ったヤンは、資料をめくりながら、黒い瞳で別の物を見ていた。

 

「そう、言葉なんだよ。ヘブンズ・フィールは天の杯。

 アイリスフィールにイリヤスフィール。フィールを名に持つ親娘。

 たしかに杯は女性の象徴だが……。

 そして聖杯の担い手。母が銀髪紅眼、父が黒髪黒目、娘は母の色彩をしてる」

 

 銀髪紅眼。アルビノに見られる特徴だ。それが三人、いや故人も含めれば四人。遺伝的な要因によるものだが、近い親族といえども、ここまで頻発するものではない。

 

 イリヤの場合は、父が黒髪黒目なのだからなおのことだ。あの真紅の瞳にも関わらず、視覚障害は見受けられず、陽光への備えもしていない。アルビノの人間は虚弱体質であることが多く、実年齢とは異なる幼い容姿も、最初はそれだと思っていた。

 

 しかし、呼ばれたメイドを見てヤンは首を捻ったのだ。こんなにアルビノが揃うだろうか。しかも妙齢の女性ばかり。イリヤの実年齢からすると、五年間ほどで三人も生まれていることになる。いくらなんでも不自然だ。それに、皆がみな、人形のように美しい。メイド二人の能力も大変なものだ。

 

 ヤンが作ったセラの台詞は、外国人に話せるようにと、当初はもっとシンプルなものだった。それに首を振り、法律知識を組み入れて、もっと強烈な印象を与えられるように要求したのはセラだ。難しくなった台詞を一発で記憶し、外国語を駆使して流暢に話せるものだろうか。

 

 そして、四十人分の膂力を持つセイバーを子猫のように運べるリズ。今のヤンならば、同等の体格差の士郎でもああやって運べるが、生前は無理だった。すなわち、尋常の腕力じゃない。

 

「凛は、アインツベルンは錬金術の大家だと言った。まさか……」

 

 その時だった。蛍光灯の光に影を落として、ひらひらと舞うものが視界をよぎる。黒と薄紫の優美な蝶だ。――二月の最中にいるはずもない。

 

 蝶は意志あるもののように、いや意志をもって彼の黒髪に止まった。ちょうど、左耳にかかるあたりの位置に。

 

『よく気がついたこと。アレらはピュグマリオンの末裔の手になるものね。

 そうそう、書状はいただいたわ。

 返事をしたためるよりは、こちらの方が早いから、

 こんな恰好だけれど失礼させていただくわね』

 

 優美で落ち着いた女性の声が、アーチャーの耳朶を打った。



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25:緒戦は舌戦

 アーチャーの目が一瞬だけ大きくなった。だが、それ以上の動揺は面に出さず、礼儀正しく挨拶を返す。

 

「いえいえ、こちらこそ用件のみで申し訳ない。

 さて、あなたをキャスターとお呼びしても失礼にはあたりませんか」

 

『いささか間が抜けているけれどかまわないわ。

 魔術師では紛らわしいけれど、魔女と呼ばれるのは好みではないもの。

 貴方は考え深い殿方のようね』

 

「ではキャスター。

 単刀直入にうかがいますが、一家殺人と吸血鬼事件と穂群原高校の結界は、

 あなたの仕業ではないということでよろしいのかな」

 

 蝶が羽を開閉し、アーチャーの耳を叩くような仕草をした。くすぐったさに彼は肩を竦め、首を振ったが蝶は髪に止まったまま。また羽根で耳を叩く。

 

「うわっ、怒らないでくださいよ。

 証拠隠滅に気を使い、いわば非合法な献血程度でおさめていた昏倒事件と、

 あの三件が同一犯だと思ってはいません。だが、念のためにね」

 

『やはり知恵者ね。あのお嬢ちゃんにはもったいないこと。

 あの坊やのセイバーと同様に』

 

「私としては、あなたのような魔術の先達に、

 凛の師になっていただきたいところですがね。

 それには不法行為を止めていただけませんか?

 今ならば、まだ推定無罪が通る。疑わしきは被告人の利益にということで」

 

『それが私への利と言うなら足りなくてよ。アーチャーのサーヴァント』

 

「だが、我々が団結して停戦を進めれば、あなたは困る。

 陣地が足枷ともなるのが、キャスターのクラスの欠点です。

 手を出してもらえず、無視されるとタイムオーバーになる。

 聖杯は入手できませんよ」

 

 蝶が微かに身じろぎした。

 

『貴方、マスターを裏切る気かしら?』

 

「いいや、この聖杯の不備を解消したいだけです。

 もうひとつおうかがいしますが、

 あなたは『魂の物質化』を使える魔法使いではないですよねえ?」

 

『貴方ならばわかっているはずでしょう。

 それを使えるのなら、英霊の座に行くこともないのではなくて?』

 

「しかしですね、それこそギリシャ神話には不老不死を返上する存在もいたでしょう。

 射手座のケイロンに、双子座のポルックス。

 天球を支えるアトラスは石に変じました。だから、一応は」

 

 笑みの気配が蝶から漂う。

 

『ふふ、そのとおりよ。永遠の命など、呪いでしかないわ。

 日毎に、肝を啄ばまれるプロメテウスのようにね。

 神の血を引くものにさえ、なかなかに耐えられぬものよ。

 死に勝る苦痛や、愛する者を失う孤独を味わい続けねばならないのだから。

 そんな生になんの意味があるかしら』

 

「だから、エンディミュオンは眠りにつかされたのかな?

 たしかに、あなたのおっしゃるとおりでしょう。不老不死がそんなによいのなら、

 子々孫々に伝えるべく、魔法を守り抜くはずだ。決して失伝させはしない。

 そうなっていないことが明白な答えだ。魔法使いの行方不明もね」

 

 イリヤやセラには、別方向からのアプローチを示してはみたが、ヤンは成功すると思っていない。キャスターの言葉もそうだが、トップに不老不死の存在が君臨しているなんて、後から生まれた者には堪ったものではないだろう。旧銀河帝国の皇帝には、長寿のあまりに暗殺された者もいたのだ。

 

 本人にしても、技術や社会の進歩についていけるだろうか。過去の遺物と成り果てて、時から取り残されてはしまわないか。

 

 そして、愛する者に先立たれ続けるのだ。遺された者は、いつの日か亡き人の許に赴くことを知っている。だから、喪失の痛みにも何とか耐えられる。それさえも叶わないのが不老不死。

 

 祖父母や両親、配偶者を看取るのは人間の常だが、子どもに孫、ひ孫に玄孫(やしゃご)……あるいはもっと。ずっと子孫の喪主を務めなくてはならないなんて、ヤンならばごめんこうむる。

 

『その不老不死も、果たしてどんなものかしらね。

 人の姿形、心を保っているとは限らないわ。

 黄金や大理石の像と化すのかも知れなくてよ?』

 

「うう、そいつもありえるなあ。錬金術の大家で資産家だそうですからね。

 宝物庫の財宝のどれかが、ご先祖様の変じたものかもしれないのか。やれやれ」

 

 アーチャーのピントのずれた慨嘆に、蝶が小さく笑い声を立てた。

 

「しかし、あなたがアインツベルンの魔法使いでない以上、

 イリヤ君の参加目的を果たすのは難しそうだな」

 

 彼は髪をかき回しかけ、耳元の来訪者を思い出して手を止めた。

 

「これは専門家にお聞きしたいんですが、

 この聖杯戦争のシステムは改正できないものですか?

 あなたに協力していただき、その対価として、

 イレギュラーの今回はサーヴァントへの報酬に充てる。

 そういう選択も可能ではないのかと、門外漢は思うんですがね」

 

『今回は諦めさせるのかしら?』

 

「二百年やってて成功しないのに、そのまま継続するなんてナンセンスです。

 この二百年で、社会や技術は非常に進化しているのに。

 あなたの生前と比べて、この世界はいかがです。

 まさに魔法のような変貌ぶりではありませんか?」

 

『……貴方、私の真名を知っているわけではないでしょう』

 

「それはもちろん存じませんよ。

 だが、近代は神秘が薄れ、パワーソースを独占するために、

 魔術を秘匿し、一子相伝なんてことをしているわけです。

 こんな世情では、魔術で名を成す英雄なんて生まれません。

 ですから、あなたは魔術が魔術として語られる時代の存在だと思うわけです。

 ゆえに、魔術を使うためのエネルギーに苦労されて、

 ああいうことをせざるを得ないのではないかとね」

 

 なんとも魅惑的な忍び笑いが蝶から漏れた。

 

『まあ、本当になんて(さか)しいのかしら。

 あの年若いマスターたちとさして変わらぬ、可愛らしい姿をしているのにね。

 アーチャーのサーヴァント、私の僕にならないこと? 

 魔力不足で困っているのはセイバーだけではないのではなくて?』

 

 この言葉に苦笑いしたアーチャーは、右手で髪をかき回した。

 

「おほめいただき光栄ですが、私は本当は三十三歳の既婚者です。

 可愛いなんておっしゃられても、その、困りますよ」

 

『……つ、妻に誠実な夫が、まだいただなんて!』

 

「いやいや、どういう意味ですか、それは。

 浮気上等の既婚者なんて、大神ゼウスじゃあるまいし」

 

 不実を疑われるのは、ヤンとしても不本意だ。細めた瞳に不満を見て取ったか、蝶が謝罪の言葉を紡ぐ。

 

『ま、まあ、これは失礼。……貴方、現代に近い英雄のようね。

 私と違って、今は夫婦が誠実なのは当然だもの。なんて素敵なのかしら』

 

「あなたも色々とご苦労をなさったようですね。

 私も妻を置いてきてしまいました。

 きっと、大変な苦労をさせたことでしょう。

 せめて、それを裏切りたくはないんですよ。たとえ幽霊であっても」

 

『……貴方の妻は、きっと幸福だったでしょうね。

 そんな貴方の主に、あのお嬢ちゃんは力不足よ。

 貴方の本来の力を発揮できないでしょうに』

 

「それはさておき、とりあえず冬木の管理者としてお話がしたいんです。

 それに、墓参りの必要性もある。柳洞寺への訪問の許可をいただきたい。

 当面、我々との戦闘がなければ、あなたも魔力の搾取は必要ない。

 私たちはまず、吸血鬼と結界の犯人の排除に努めたいんです。

 悪い話ではないでしょう?」

 

『あら、私にとって、よい話だと言うの?』

 

「あなたが細心の注意を払って、魔力を集めている隣で、

 無遠慮に猟奇事件を起こしているサーヴァントだ。

 新聞に隣り合って載っていたから、私もあなたの事件の不審に気が付いたんです」

 

 蝶が再び身を震わせた。低められた声に冷気が籠る。

 

『ええ、あの下品な輩……。マスターともども忌々しい』

 

「魔力の搾取相手を選べるほどの探知能力を持つあなたなら、

 本来は攻撃も可能でしょう。

 しかし、それをしていないのは、遠隔攻撃が難しい相手だからだ。

 機動力や敏捷性に優れ、高い対魔力を持つ、だがランサーではない者。

 クラスはライダーまたはアサシン。私の推測はこんなものですが」

 

『一つを除いて当たりね。教えてあげましょうか、犯人はアサシンではないわ。

 悪趣味な結界の方も。だから私には手が出せない。

 あの女の首をはねてくれるのなら、柳洞寺への訪問は考えましょう』

 

 黒髪から蝶が飛び立った。

 

「ありがとうございます。犯人が確定しただけでも、大いに感謝しますよ。

 ただそのね、行為をやめさせる程度で勘弁してください。

 私の宝具で首をはねるのは、ちょっと無理ですから」

 

『とにかく、さっさとやめさせることね。

 訪問はその結果次第。貴方だけならいつでも歓迎するけれど』

 

 小さく様にならない敬礼をするヤンの前で、空気に溶けるように蝶の姿が掻き消えた。

 

「いやあ、すごい術だなあ。

 こういう術が使えるなら、電話に頼ろうとは思わないのかもしれないが。

 しかし、ピュグマリオンときたか。美女の石像を人間にした王と錬金術。

 そして杯の名を持つ、聖杯の担い手の母と娘。

 父には似てないのに、メイドには似てる。

 ああ、嫌だなあ。嫌な予感しかしない」

 

 ヤンは後頭部で腕を組み、寝転がった。眉間に皺を寄せてぶつぶつと呟き続ける。

 

「うう、別の事を考えよう。アサシンじゃなくてライダー。

 キャスターの言を容れるなら、女性のライダーか。

 で、人間の血を吸えるような歯を持つって、誰だろう。さっぱりわからない。

 アサシンじゃないのはありがたいな。

 ライダーなら、戦場次第でどうにかなるかもしれない」

 

 だが、すぐに起き上がった。畳の寝心地は快適とはいえない。部屋の隅に敷いてある布団に場所を移すことにしよう。

 

「やはり第三次、第四次の双方とも怪しい。

 第三次は七十年から八十年前、日本は太平洋戦争に向かっているご時世だ。

 外国人が大挙して二週間も何かやれば、絶対に人目につくはずなんだ。

 早く中止になったのか?」

 

 

 ヤンは、めくり癖の付いた戸籍謄本の束に愚痴をこぼした。

 

 

「凛の祖父が早死にしているのは痛いな。

 おまけに傍系を養子に出して、記憶が断絶してしまっている。

 いくら魔術は一子相伝といっても……。

 それだって、騙されてる可能性もあるなあ。

 秘匿に独占じゃ、他家の魔術師も結局は敵だ。

 お宅は後継者問題にどう対応していますかって訊いても、

 正直に答えないだろうし」

 

 布団と枕を用意してくれた士郎に感謝しながら、ごろりと横たわる。だが、ヤンの独白は止まらない。

 

「こんなことしなくたって、あと三百年で人は光の速度を超えるのに。

 違う星に向けて飛び立ち、新たな惑星を住居となして、銀河へ広がっていく。

 魔法がなくても、私の時代までは届いたんだ。あの万暦赤絵は」

 

 押し入ってきた憂国騎士団の、テロ行為で割られてしまったけれど。

 

「あの時、ああすればよかったを叶えたところで、英霊の『座』にある我々は不変。

 この世界につながる時間線は改変できても、

 それ以外の平行世界はそのままじゃないのか? 

 ここだって、明らかに私の世界の歴史と違うしなあ。

 ざっと二十年後に、二大国家間の全面核戦争が起こるようには思えない」

 

 ヤンの世界史では2029年に北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)と、三大陸合衆国(U・S・ユーラブリカ)の間で、全面核戦争が勃発した。世界は焦土と化し、多くの人や建築物、文化遺産は灰燼に帰した。

 

 その後に起こる核の冬、残り少ない人類は生存のために団結するのではなく、他者を蹴落としてでも生きる道を選ぶ。九十年にわたって内乱と紛争が続き、2129年に地球統一政府(グローバル・ガバメント)が成立する。

 

 だが、この世界は二極化していない。ここはきっと、東西冷戦が終結した平行世界だろうとヤンは推測している。

 

「なるほどね、凛の研究テーマにも、一応関連がないことはないんだな」

 

 だからこそ、初代はこんな詐術に引っ掛かったのだろう。駆け出しの魔術師を騙すことなど、造作もなかったに違いない。そしてもう一人、騙されていると思われるのは。

 

「『世界の内側』の願望はおよそ叶えられる、ねぇ。

 ふん、『世界の外側』の英霊は、結局対象外なんだ。所詮コピーだしなあ。

 セイバーが英霊になった原因によっては、勝っても利益を得られない。

 結局、あれも嘘、こいつも嘘、万能なんかに程遠い代物じゃないのかね」

 

 ヤンはもぞもぞと寝返りを打った。時臣の私服じゃなくて、パジャマを探せばよかった。

 

「じゃあ、マキリのテーマや願いはなんだろう?

 不老不死というのは協力に値するが、慎重派だと思われる当主だ。

 今回みたいな悪い条件下で、真面目に参戦しようとするかな」

 

 ヤンの思考は行きつ戻りつしながら、しかし複数の道筋をシミュレートしていく。

 

 こうして、宇宙有数の軍事的才能の持ち主が、思考と牙を研ぎ澄ませ、

同盟を組んだ者に、その一部を提供して警戒を呼び掛けた。

そこに手を出してきたところで、『彼』は所詮敵たりえなかったのである。

 

 最初に声を掛けられたのは、一晩の苦行からけろりと回復して、登校した衛宮士郎だった。右手の令呪を包帯で隠したところで、衛宮家からの巨大なエーテル反応は隠しきれるものではない。

 

 しかし、誤算だったのは、他にも出入りしている御三家の遠坂、アインツベルンのマスターだ。誰が誰のサーヴァントなのか。

 

 探りを入れるために、自分も魔術師で聖杯戦争に参加していことを告げ、学校の結界をキャスターの仕業だと言ってやったが、単純なはずの衛宮士郎は、琥珀の目をぱちくりとさせた。

 

「そっか、慎二も魔術師だったんだな」

 

「ああ、そうさ。この学校にはもう一人マスターがいる。

 そいつがこの結界の犯人さ。なあ、衛宮、僕と組んでアイツを倒さないか。

 これは遠坂のサーヴァント、キャスターの仕業だ」

 

「ふうん。なんで慎二が知ってんのさ。現場を見たのか?

 で、そいつがキャスターだなんてどうしてわかったんだ」

 

「遠坂と一緒にうろうろしていたからさ。

 三日前もあいつ学校を休んだだろう。その時に召喚したんだな。

 そいつがやったに違いないね」

 

「遠坂のサーヴァントはキャスターじゃないぞ。

 アイツは魔術なんて使えないって言ってたし。

 だいたいさ、慎二もマスターなら止めたらよかったじゃないか」

 

 士郎の反応は、冷静かつ理論的なものだった。単純な正義バカと侮っていた間桐慎二はたちまち言葉に詰まり、返事がないので士郎は続けた。

 

「それにさ、まだ教会から連絡されてないみたいだけど、

 遠坂とアインツベルン、あと俺で停戦を申し入れたから。

 じいさん、いや親父の隠し子が名乗り出てきたんだ。

 ……俺、それどころじゃないんだよ」

 

「か、隠し子!? なんなんだよそれ」

 

「なあ、慎二、どうしたらいいと思う?」

 

 困り果てた士郎に逆に相談されて、慎二の繊細な顔が引き攣った。

 

「僕が知るもんか!」

 

 当然すぎる返答に、士郎は項垂れた。琥珀の目も虚ろになり、雨雲を張り付けたような顔で、呻くように養父の不義理の実態を告げる。

 

「うん、だよな。だよなあ……。その子がアインツベルンのマスターなんだ」

 

 間桐のマスターは、驚きの声をあげることしかできなかった。

 

「はあぁっ!?」

 

「一昨日、家に乗り込んできて、正直、殺されるかと思った。

 遠坂が仲裁に入ってくれて、どうにか助かったんだ。

 でも借金のかたに、俺、遠坂に弟子入りさせられちまってさ。

 アインツベルンの子も、まだじいさんに怒ってるんだよ……」

 

「あ、ああ……」

 

「そりゃ、十年も放っといたら無理もないけどさあ!

 しょうがないじゃないか、五年前に死んじまったんだから……」

 

「……衛宮の親父さん、何も言ってなかったのか?」

 

「ああ、俺はなんにも聞いてないけど、相手が信じてくれないんだ!

 今日は今日で、放課後に学校に談判に来るって息巻いてて……。

 ごめん、悪いけど、今日はそっちを優先する。じゃあな」

 

「が、学校に談判!? なんだって、ちょっと待てよ。おい!」

 

 屋上に呼び出したはいいものの、力のない足取りで踵を返されてしまった。だが、問題はそこではない。間桐慎二は、とんでもない墓穴を掘ったのだ。

 

 果たせるかな、次の休み時間には彼の元に遠坂凛からの呼び出しが入った。

 

「間桐くん、この結界の犯人を知っているんですって?」

 

 腕組みして、優雅に微笑む遠坂の魔術師。二つ所持すれば希少という属性を、五つも所持する天才である。この時、周囲を染めていたのは炎の色と氷の温度だった。

 

「あ、ああ。キャスターの仕業だ」

 

「それがわたしのサーヴァントだと、士郎に言ったそうね。

 おあいにくさま、わたしのサーヴァントはキャスターじゃないの」

 

「し、士郎!? おい、遠坂、いつの間にそんな……」

 

「あいつはへっぽこだけど魔術師よ。我が遠坂の弟子ね。

 魔術回路を持ち、サーヴァントを召喚したわ。

 で、魔術回路のないあなたが、どうやって聖杯戦争に参加する気?」

 

「僕は魔術師だ! 魔術回路の有無なんて、魔術師としてのありかたには関係ない!」

 

「へえ、じゃあどうやってサーヴァントを召喚する気なの?

 エンジンのない車は、サイズがどうであれ模型だそうよ。

 わたしのサーヴァントによるならね」

 

 間桐慎二は、整った眉目を歪めた。

 

「サーヴァントならいるさ。来い、ライダー!」

 

 彼の傍らで、サーヴァントが実体化した。



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5章 アーチャーVSライダー 26:万能の釜

『う……うわぁ……』

 

 凛の脳裏にアーチャーの呻きが伝わる。サーヴァントの出現に驚愕したわけではない。士郎の断りも、凛の挑発も、彼がアレンジしている以上、それ自体は想定内であった。

 

 現れたライダーは、長身で女性美の極致のような肢体の持ち主だった。一点のしみも傷もない、乳白色の肌。ほっそりと長い首は、華奢ながらも優美なまろみを帯びた肩へと続く。くっきりとした鎖骨のくぼみの下には、双つのたわわな果実が実る。半面、細くくびれた腰から足へと続く曲線は、小さな円周に反比例する高さをもつ。そこから連なる手足も、長さといい、細さと滑らかさを兼ね備えた肉付きといい、男ならば魅了され、女ならば羨望することだろう。

 

 彼女の体を縁取るのは、膝を超え踝あたりまである、紫水晶を紡いだような美しい髪。卵形の輪郭におさまった彫像のような眉目は、半ば隠されているが、絶世の美貌と表現しても不足なほどだ。彼女の容貌に、ケチをつけられる人間などいないだろう。

 

 問題があるのは、体形を克明に描写できるような服装である。万事に鈍感なアーチャー ヤン・ウェンリーでさえ、動揺するような代物だった。

 

 黒と紫のベアトップのワンピースは、素肌に貼りつくようなデザインで、上下とも実に際どい位置までしか布地がない。その露出を埋め合わせるかのように、腿までのブーツと、上腕まであるレザーグローブを身に着けている。色はいずれも黒。双方に紫のベルトがあしらわれ、首にも紫のチョーカー。そして顔を半ば隠しているのが、仮面のような紫の眼帯。

 

『未成年の前では、口に出せない職業の人にしか見えない……』

 

 口に出されなくても、彼の思考が駄々漏れの凛はどうすればいいというのだ。

 

『アーチャーには完全に同意だけど、仕事着ならある意味マシじゃない?

 本人の服の趣味がコレなら、超美人なだけに痛すぎるわ。

 痴女よ、痴女』

 

 凛の内心を読み取ったのか否か、うちひしがれた様子のアーチャーが実体化した。

 

「……ひどい、あんまりだ。私の夢を返してくれ。

 全っ然、召喚に応じた意味がないよ。凛、もう帰ってもいいかい?」

 

「馬鹿言わないで。どこに帰る気よ? 『座』とか言ったら殴ッ血KILLわよ」

 

 図星だったらしく、アーチャーは口を噤んだまま、実に嫌そうな表情で間桐の主従に向き直った。だが、どちらとも目を合せようとしない。

 

「は、どうしたんだよ、遠坂。ずいぶんしょぼいヤツじゃないか」

 

 黒い瞳が、ライダーのマスターに恨みがましい視線を向けた。

 

「あなたね、そんなにショックを受けることないじゃない。

 召喚者のイメージに左右されるのかもって、推理してたんでしょ。

 間桐くんらしいじゃないの。……この変態。最っ低!」

 

 凛の口調に電撃が加わり、騎乗兵の主従を打ち据えた。次いで視線の風刃が、少年の心を切り刻む。腐ったゴミを見る目だった。

 

「なっ……僕が変態だって……!?」

 

 無言のライダーは、眼帯の下で涙ぐんだ。岩塊を頭上に落とされた気分だ。

 

「それ以外の何だって言うのよ! どこの英雄がそんな格好してるのよ!?」

 

「えーと、マスター。ランサーが、ほら」

 

「あっ……そうね。うっかりしてたわ。彼の方がまともだもの」

 

 まったく、さっぱり、ちっとも慰めにならないフォローと、同性からの厳しい査定は、ライダーをいたく傷つけた。

 

 あれよりはマシだと思っていたのに!

 

「いずれにせよ、遠坂とアインツベルン、衛宮の三家は停戦を選択したわ。

 あんたの選択肢は二つよ。私たちに同意するか、残りの陣営をまとめて

 戦争の継続を教会に訴え出るか」

 

「ちょ、本当だったのかっ? 衛宮の言ってたことは」

 

「そうよ。士郎の言葉は遠坂の言葉と同じ。

 今からでも我々に与するならばよし。敵対し、向かってくるなら叩き潰すわ。

 停戦を呼びかけたけれど、防戦をしないとは言っていないわよ。

 わたしたちに喧嘩を売る気なら、覚悟することね」

 

 小気味よい啖呵のマスターの隣、黒髪のサーヴァントは表情を曇らせたままだ。

 

「よく考えるといいわ。わたしだって間桐の長男を殺したくはないもの」

 

「そんな弱っちいヤツに、ライダーが倒せるもんか」

 

 この言葉に、ようやく凛のサーヴァントが口を開いた。

 

「君自身を倒すのと、彼女を倒すのはイコールではない。

 サーヴァントの力はマスターの力ではない。

 私のマスターの言うとおり、よく考えることだ。

 私はテロリストとは取引するつもりはない。司法取引も望ましくはないがね」

 

 慎二とさほど違わぬ年齢に不似合いな、すべてを見通すような漆黒の瞳だった。

 

「君ははじまりの御三家の一員だ。

 聖杯戦争を継続したいなら、我々以外の陣営に呼びかけをしたまえ。

 あと二日以内にね。不可能なら停戦になる。

 よく考え、ただし早急に判断することだ。

 じゃあ、凛、失礼しようか。授業が始まるよ」

 

「そうね。そんなに休んでもいられないもの。お先にね、間桐くん」

 

 颯爽と長い髪を靡かせて屋上出入口に向かう凛の背後を、実体化したままの青年が警護する。少女がドアを閉めると同時に、姿を消した。歯噛みをする間桐慎二に、ライダーは眼帯の下から冷たい視線を送る。

 

「畜生、衛宮に遠坂、僕をバカにしやがって……!」

 

「シンジ、停戦に応じたほうがいいでしょう」

 

「黙れ! オマエの意見なんか聞いてない!」

 

 あの黒髪の主従となんという差だろうか。自分の真のマスターは、青年の主にも劣らぬ資質の持ち主で、同じぐらいに愛らしく美しいのに。

 

 ――やはり、この姉様たちのおさがりは、私のような大女には似合わないのですね……。

 

 また目元に熱いものが込み上げてきた。 

 

「……そうですか」

 

 一言呟くと彼女も霊体と化す。

 

 だが、アーチャーの仕掛けた罠はこれで終わりではなかった。放課後になって、衛宮士郎の言う『親父の隠し子』が、付き添いを伴って乗り込んできたのだった。

 

 目に見える者として、金銀の髪をした美しいメイドがふたり。そして、目には見えぬ鉛色の巨人を連れて。

 

 呼び出された衛宮士郎は、藤村教諭と共に校長や教頭の前で、冷や汗をかきながら養父のことを告白することになった。

 

 必然的に、呪刻の調査を行うのは凛とアーチャーになる。アーチャーが作成した予想図は、実際の呪刻の位置とほぼ一致していた。これにより、非常に効率的にチェックと妨害が進んでいった。

 

 今日も、昏倒事件や通り魔事件のため、部活動は五時までに短縮。その間には人がいなくなる、特別教室周りを中心に回る。

 

「ちょっとぉ、いつまで不景気な顔をしてるのよ」

 

「いや、あのライダーの恰好はたしかに衝撃的だったよ。

 だがあれで吸血鬼事件の犯人でもあることがわかってしまった。

 できるだけ、サーヴァントも排除はしたくなかったんだが、

 そうも言っていられないかな」

 

 げんなりした表情の従者に、主も同じ表情になった。

 

「英雄として話を聞きたいから?」

 

「いいや、これまでの四回、望みを叶えた者はなく、斃れたサーヴァントは存在する。

 『聖杯』というのなら、特別な器に満たされた中身が重要なんだ。

 それが魔力。六十年かかるインターバルが、六分の一になったっていうのは、

 オーバーフローを起こす手前じゃないのかと思うんだよ。

 だからサーヴァントの犠牲という供給をしたくないんだが」

 

 アーチャーの発言は、色々な意味で問題だった。

 

「その魔力が残存しているから、

 インターバルが六分の一に短縮されたのではないか。

 聖杯は『さかずき』なんだ。入れすぎればこぼれる。その悪影響も心配なんだ。

 サーヴァントには肉体がある。

 魔力によって形成されているが、結局はエネルギーだろう。

 E=mcの二乗が適用されないのかと疑問に思うのさ」

 

 やや吊り気味の翠の目が真ん丸になる。

 

「え、なにそれ、アインシュタインの公式よね。何よ、急に」

 

「物質は質量に光速の二乗をかけたエネルギーに変換されるという公式だが、

 単なる公式じゃないよ。現代社会を支えている重要なものだ。

 だが、その前には不幸な使われ方をした。何か知っているかい?」

 

 二羽の黒揚羽が、連なって左右に動く。

 

「では、マンハッタン計画という言葉を聞いたことがあるかな。

 平たく言うなら原子爆弾の開発だ」

 

 人のいない教室を、沈黙の天使が旋回する。

 

「本来の私は霊体だが、実体化すれば、176センチ65キロの質量を持っている。

 バーサーカーの身長は二メートル半、体重は三百キロはくだらないだろう。

 残る五騎のサーヴァントも、相応の体格を持っている。

 これだけの質量に変換できるエネルギーたるや、凄まじいものになる。

 君は、この国に落とされた原子爆弾の核物質の量を知ってる?」

 

 凛は息を呑み込んで首を横に振った。

 

「ヒロシマ型のウランは50キログラム、

 ナガサキ型のプルトニウムは6キロちょっとにすぎないんだ。

 それも、全ての核物質が反応したわけじゃない。

 エネルギーに変換されたのは、およそ1グラムだと推定されている」

 

 寒気がしてくるような講義だった。ヤン・ウェンリーは戦史では学年一の優等生だったのだ。

 

「サーヴァントは魔力で形成されているが、

 それでも一定の物理法則には縛られている。

 宙に浮いたり、あちこちに瞬間移動したりはできない。令呪なしではね。

 この物理法則にも、当てはまらないとは言い切れない。

 我々のエネルギーを合計すれば、どのぐらいの破壊力になると思う?」

 

 凛には答えられなかった。

 

「第三次の戦争が終了するまでに、

 何騎かのサーヴァントは脱落しているんじゃないか。

 そして、前回は少なくとも五騎だ。もう器が一杯ではないのかな。

 エネルギーとは、多ければいいというものでもない。

 きちんと制御することのほうが、ずっと重要なのさ。

 十年前の大災害は、溢れた聖杯の中身のエネルギーによるものかもしれない」

 

 歴史学や社会学の次は、軍事知識と物理学。このアーチャーは、多彩な弁舌の矢を放つ。 

 

「だから私は、それが判明するまでは滅多なことをしたくない。

 聖杯戦争の孤児である君たちが、新たな加害者となってはいけないんだ」

 

「ちょ、ちょっと、どうしてそんなことを思いついたの!」

 

「いろいろと考えたんだよ。聖杯とは何なのだろうとかね。

 キリストの血を受けた杯、あるいは万能の願望機、魔力の釜。

 では、魔力とは何か。それで形成されたのが我々サーヴァントだ。

 物質でないなら、さっきの公式は適用されないが、まだ厄介な疑惑がある。

 目に見えぬものがエネルギーを持ち、目に見える姿になると言うと、

 君は何を連想する? 身近にあるもので」

 

 凛は一瞬眉を寄せたが、すぐに答えた。ここは調理室、答えは実習机についている。

 

「やっぱり、ガスの炎とかかしら」

 

「ご名答。私が連想するのとはやや異なるが、炎もプラズマの一種だ」

 

「ぷ、ぷらずま?」

 

「私の時代だと、そいつは核融合炉で生成される。太陽の中心核と同じ環境でね」

 

 凛にはまったく理解ができなかったが、現代においては研究の端緒がついたかどうかという、次世代エネルギーである。簡単に言えば、太陽の中心核とおなじ環境を作るのだ。十億度を超える超高温の世界。そこで水素原子が融合し、ヘリウム原子が生成される。その高温を生みだすのがプラズマである。これを封じ込め、コントロールするのが核融合炉だ。

 

「プラズマが生み出す超高温によって、

 核融合が起こり、莫大なエネルギーが発生する。

 それを収める容器は尋常なものじゃない。

 超伝導によって強力な電磁場を作り、十億度に達する熱を封じ込めるんだ」

 

「聖杯が、その、核融合炉みたいなものだってこと……?」

 

「いいや、聖杯じゃなくて、その器が」

 

 膨大な魔力を受け止めることになる器とは、どんなものなのだろう。セイバーが一瞬目にしたのは黄金の杯だったという。だが、聖杯は霊体であるとも聞いている。単純に金属の器に入れられるのか。

 

 儀式の最も重大な秘密を握っているのはアインツベルン。他の者が戦いに勝っても、儀式が成功しない理由だ。ヤンはそう睨んでいる。

 

「『天の杯(ヘブンズ・フィール)』、杯はフィール。

 アイリスフィールとイリヤスフィール。

 キャスターは、イリヤ君たちをピュグマリオンの末裔の作だと言った。

 正直、嫌な予感しかしない」

 

「なっ……。あんたじゃないけど、順を追って話してちょうだい。

 キャスターの話って何よ!?」

 

「キャスターとつなぎが付いたんだよ。

 彼女は結界と通り魔と一家殺人は、自分とアサシンが犯人じゃないと言った。

 その時に、そんな話が出たんだ」

 

 凛はほぼ頭ひとつ上にあるアーチャーの顔を睨んだ。

 

「あんたね、そういうことは先に言いなさい!」

 

「士郎君とセイバーには、今は余計な情報は与えないほうがいい。

 ああいう、正義感と義務感が強いタイプは、ひたすらに邁進する恐れがある。

 イリヤ君という、心を繋ぎ止める錨の存在に馴染むまで時間が必要だ」

 

「もう、そうかも知れないけどね。わたしには言えるでしょう」

 

「君もけっこう、態度と顔に出るからねえ。

 事後報告ですまないが、ライダーのマスターに会うには伏せておく必要があった。

 さて、吸血鬼事件だが、ランサーが犯人でない理由は言っただろう」

 

 凛は不承不承に頷いた。

 

「ええ、あんな容貌の若い男が夜道に現れたら、みんな逃げ出すってことでしょ」

 

「こいつは仮説のひとつとして聞いてほしい。

 あの格好は確かにすごいが、私やセイバーと同じことができないわけじゃない。

 たとえば、ロングコートを着て、眼帯の代わりにサングラスをかける」

 

「夜にサングラス?」

 

「まあ、包帯でもいいさ。そして手に白い杖を持つんだ」

 

 凛は目を見開き、口を両手で押さえた。

 

「あんなに美しい、目の不自由な外国人女性が夜道を歩いていたら、君ならどうする?

 男が鼻の下を伸ばすより、同性のほうが心配して声をかけ、大丈夫かと尋ねないか?

 そこでつまづいたふりでもすれば完璧だ。

 助け起こそうとしたところを……」

 

「襲うってわけね」

 

「漠然とだが、新都の吸血鬼は美しい、

 人を誘惑できる存在じゃないかと思ってはいたんだ。

 若い男女が共に被害者だし、これだけ報道されているのに、

 通り魔とは思いつかないような容姿なのでは、とね」

 

「たしかにね。ランサーやバーサーカーじゃみんな逃げるわ。

 あんたからは逃げないでしょうけど、寄ってくるかといえば」

 

「セイバーやライダーのような存在だろう?

 だが、セイバーには時間的に不可能な犯行だ。

 そしてキャスターとアサシンではないなら、そういうことになる。

 キャスターの言葉が真であると仮定したうえで、

 物的証拠も目撃証言もない、状況証拠と消去法による不完全なものだがね」

 

 猫背気味で元気のない足取りのアーチャーだが、頭脳と弁舌のほうは澱みがない。調理室を出て、隣の被服室へと移動する。予想図では、呪刻が集中している部屋だった。

そして予測どおりに、あるわ、あるわ。床と四方の壁に呪刻がびっしり。

 

「――セット」

 

 凛は、廊下側の壁の呪刻に魔力を流した。そして、次の呪刻に歩を進めようとして、壁に貼られた『衣服の歴史』が目に入ると、疑問がむくむくと湧き上がった。

 

「それにしても、あれどこの英雄よ?」

 

「そんなの私が知りたいよ。ありえないだろう、あれは! 服飾史的にも!」

 

 壁の資料を指差して、アーチャーは小声で喚いた。凛もまじまじとそれを読む。

 

「彼女が着ているのが革や絹なら、ああいう体にぴったりするデザインは、

 その図表にある、ビクトリア朝あたりの服みたいにしないといけないんだ」

 

 まだしも近いのが、後ろボタンの細身のドレスだろうか。スカートの長さが全然違うが。ブーツは男性の乗馬服が参考になる。こちらも腿までの長さはないけれど。

 

「あら、どうして?」

 

「脱ぎ着ができないんだ」

 

 凛は、ビクトリア朝の紳士淑女の装いを注視した。そして、ライダーとの相違点に気づく。

 

「たしかに、こっちのは紐で編み上げにしたり、スリットを沢山のボタンで留めてる。

 ああ、こういうのって脱ぎ着するためなのね。デザインだと思ってたわ」

 

「着脱の利便も、デザインに取り入れるのさ。

 人間ってのは貪欲に工夫するんだ。どうせなら見栄えがいいほうがいい」

 

 凛は素直に頷いた。

 

「うん、わかるわ。セイバーのドレス、今見ても素敵だもの。

 着替えのときに鎧を解いたところを見たんだけど、

 胸元からウェストが編み上げになってたわね。あんたの言うとおり」

 

「ゴムやファスナーみたいな便利なものがないからさ。

 化学繊維の編地のような、伸縮性の高い布もね。

 そのせいもあって、貴族には召使が必要だったんだよ。

 この図の服だと一人じゃ着られないだろう?」

 

 襟首から腰の下まで、びっしりと真珠のボタンが並んでいた。後ろ手ではめたり外したりは、たしかに無理があるだろう。

 

「へえ、贅沢というだけじゃなかったのね」

 

「セイバーの鎧も、本物ならば一人では着られないよ。

 一方、私たちの時代の装甲服は自分で着脱できる。

 技術の差が服装に現れ、歴史とも密接に関連するんだ」

 

 壁の年表によれば、そうした素材が全部揃うのは、二十世紀中盤以降だった。繊維工業が発展し、平和が訪れて、石油や金属を豊富に使えるようになっての産物だ。

 

「たったの四、五十年前に、こういう高度な結界の魔術を使える存在がいたのかい?」

 

 凛は無言で首を振った。

 

「そうだろうなあ。コピーの不具合か、伝説と実態は異なるのか。

 いずれにせよ、髪と瞳などに逸話を持つ、普通の人間ではない存在。

 で、騎乗するものとの関連がなくてはならない。

 ギリシャ神話の人名、首を刎ねるというのも、多分キャスターのヒントだ。

 該当者がいなくはないが、なんでライダーなんだろう」

 

 顎に手をあてて渋い顔をするアーチャーに、翡翠の瞳が再び丸くなった。

 

「うそ、そんなこと何から思いついたのよ?」

 

「ライダーが吸血鬼なら、歯が人間よりも鋭いはずだ。

 そして、あの長い髪。個人差が大きいが、

 人間の髪の寿命では、あんなに長くはならない」

 

「そんなことないでしょ。平安絵巻なんかどうなるのよ」

 

 凛の反論に、アーチャーは凛の顎の下あたりの高さに手を置いた。

 

「そのころの女性の平均身長は、百四十センチあるかないかだよ。

 そして、正座に近い姿勢で、膝で歩いたんだ。

 身長から半分近い高さがマイナスになる」

 

 そこから更に手を下げる。凛の腰ぐらいの位置まで。

 

「凛より二十センチ背の低い人の正座だ。君の髪の長さでも床に届くだろう?」

 

 凛は頷いた。髪型ほど、女の子の好みが出る部分はない。凛も腰あたりまで伸ばしているが、これは手入れの都合もあってのことだ。とはいえ、伸ばしっぱなしにしても、髪の長さには限界があるらしい。

 

「でも、ライダーの身長は、私とそう変わらない。

 色はさておくとしても、あの長さは人間にはありえないよ」

 

「……あんたってつくづく物知りねぇ」

 

 凛の賞賛に、アーチャーは肩を竦めた。

 

「こんなの雑学のたぐいだよ。

 歴史学者は、これぞというテーマを選び、注力しなくちゃ一流にはなれない。

 広く歴史の流れを知りたいなんて考えると、どうしても水深が浅くなる。

 もしも歴史学者になれたとしても、いいとこ二流で終わったろうなあ」

 

 雑談の合間にも、地図の位置を彼が指し示し、凛がほぼ予測の場所に呪刻を見つけて魔力を流していく。

 

「英雄にはなれなかったってわけね」

 

「そりゃそうだ。戦争の才能ってのは非常の才の最たるものだ。

 平和なこの日本で、平凡な生活を送っている人に眠っているかもしれない。

 でも、そんなものを知らない時代や世界のほうがずっといいよ」

 

「わたしこそ、あんたの時代の想像なんてつかないわ」

 

 凛は言葉を切って集中する。左腕の魔術刻印が、仄かな光を放ち魔力を流していく。

 

「これでよし。アーチャー、あと何個ある?」

 

「ここまでで四十個。残りは推定で最少が三十二。最大数は見当もつかない」

 

「ああもう、キリがないわね!」

 

 ヤンは青丸の一つを赤で囲んだ。赤丸は十数個、二色の二重丸は二十数個。彼もうんざりするが、マスターをなだめる方に回った。これも参謀の役割である。

 

「だが、魔方陣を構築する基点の、複数の交点となりそうな部分は潰せたと思う。

 術を起動させようとすると、かなり時間を食うようになってると……いいんだが」

 

「頼りないわね……」

 

「そんなこと言われても、私には未知の技術だからなあ。

 この結界とやらのシステム、君にわかるかい?」

 

 凛の柳眉が鋭角を描いた。

 

「悔しいけど、無理!」

 

「だからさ、こうやって地道にやるしかないんだ。

 相手が諦めてくれると一番楽なんだが、君と誰かさんとの根くらべだね」

 

 と言いながらも、それは望み薄だとヤンは思っている。一番頭にくるのは、この施術者だろう。あるいはそのマスターか。

 

 アインツベルンのマスターと同席している衛宮士郎。彼または彼女の従者である金髪のサーヴァント。霊体化しているだろう、もう一騎のサーヴァント。彼らを取り巻く学校の管理職と担任教諭。

 

 一方、姿を見せている遠坂凛と黒髪のサーヴァント。停戦の中核となっているが、サーヴァントの能力は軒並み低い。さて、どちらを狙う?

 

 それは当然弱い方だ。ほいほいと襲撃を仕掛けてくるか。これを誘いと看過して、見え透いた手には乗らないか。いや、誘いと知りつつも倒せると踏んで、やはり戦いを選択するか。 言語化したヤンの第一希望は、もっとも可能性が低いと思うのだ。

 

 教室内の呪刻を処置し、警戒しながら廊下の出入口の戸を開いたヤンは口の中で呟いた。

 

「ほうら、おいでなすった」

 

 凛に室内にいるように心話を送り、彼は扉から半歩だけ体を出した。廊下の端に、長い髪の女性が佇んでいる。そこが、凛が仕掛けた霊体化防止結界のボーダーライン。

 

「何のご用かな、ライダーのサーヴァント。

 ひょっとして停戦の申し出かい? あるいは、この結界の除去の協力かな?」

 

 返答は、両手に現れた長い釘のような、鎖のついた短剣。

アーチャーもポケットに手を入れた。

 

「残念だ。どちらでもない、ということか」

 

 ポケットから抜き出した手には、黒光りする銃。安全装置を解除して、立射姿勢をとる。

 

「では、これが最後の警告だ。投降せよ、しからざれば発砲する」



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27:嚆矢

「では、これが最後の警告だ。投降せよ、しからざれば発砲する」

 

 降伏勧告への返答は、唸りを立てて投じられた短剣だった。だが、被服室の戸口の枠を粉砕しただけに終わった。ひょいと首を引っ込めただけで、アーチャーはあっさりと一撃を回避したのだ。再び廊下に突き出された銃は、位置を低くしていた。立座位姿勢から引き金が引かれる。

 

 光の()が、狭い廊下を席巻してライダーに殺到した。

 

「くっ……」

 

 ライダーから苦鳴が上がった。魅惑的な肉体の、そこかしこから鮮血が滴っている。

回避は不可能だった。彼女がいかに敏捷を誇ろうとも、精々音を置き去りにする程度の速度しかない。一方の光線銃は文字どおりの光速だ。いかにヤンの射撃が下手でも、遮蔽物のない直線通路では関係ない。

 

 下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる。これは全くの真理であるが、現実の光線銃にはエネルギーに制約がある。不器用なヤンはエネルギーパックの交換が大の苦手で、かなり減点を食らったものだ。だが、今は供給豊富なマスターの魔力でそれを気にしなくていい。そして、同じ武器で撃ち返す相手ではない。

 

 これなら負けるはずはない。――人間が相手なら。しかし、相手は人間でないサーヴァントだ。ライダーの傷は、見る見るうちに消滅していく。

 

 アーチャーはわずかに顔を顰め、独語する。 

 

「厄介だな。急所に当たらないと死なないってのは、このことか」

 

 アーチャーの戦闘行為に、凛は息を呑み呆然としていた。弱い、射撃が下手と自称していた彼だ。しかし、それを覆す手段を構築していたのだ。自分でも戦える戦場を設定して、相手に攻めさせる。それが処刑台への十三階段と気付かせることなく。

 

 この四階は、結界の予想図の外周円の頂点付近にあたる。呪刻がそこかしこに配され、凛が今までせっせと魔力を流している。廊下には、人払いと霊体化防止の結界も施した。

 

 特に、立てこもっている被服室は、天井以外のすべての面に呪刻がある。そして、屋上の呪刻の真下だ。霊体化すると無機物をすり抜けられるが、魔力の込められたものはその限りではない。魔術基盤である地球そのもの、地面には潜れないように。

 

 ライダーは、教室の前後にある出入口以外から、この部屋には入れない。女性二十人の体重の動物というと、大型種の馬に相当し、腕力もそれに準ずるだろう。人間が殴られたらひとたまりもないが、鉄筋コンクリートの壁を壊せるほどのものではない。そして、ヤンが陣取るのは、ライダー側の出入口。凛を守るための布陣だった。

 

 炭酸飲料のタブを何個も開けるような音がして、再び放たれる光弾。ホースで水播きでもするかのように、遠慮のない乱射だった。ライダーはたまらずに跳躍し、いくつか被弾しながらも壁を蹴り上がり、天井を蹴って、また反対側の壁に。変則的な軌道を描いて、アーチャーへの距離を詰めようとする。

 

 神秘は神秘に打ち消される。千六百年後の武器と、それ以上に現代から時間を隔てたライダー。レーザー光線に変換されているとはいえ、そのエネルギーは凛の魔力。対魔力の高い彼女には決定打になりえない。

 

 しかし、光というのが、アーチャーが意図したわけではない、ライダーにとっての弱点だった。影の島の魔物、蛇の眷属である吸血種を貫く白光の矢。

 

 戦いには相性というものが存在する。ライダーにとっては、この弱いアーチャーは最悪に近い相手だった。弓矢を射るのではなく、光の魔弾の射手。攻撃動作に必要な空間は極端に小さく、攻撃範囲は広く、抜群の連射性能だ。

 

 鎖つきの短剣の射程距離はたかが知れている。投擲武器としてはお粗末だ。なにより彼女は武人ではなく、遮蔽物の陰から見え隠れする、アーチャーに中てる技術を持っていない。

 

 しかし、それでも銃の威力不足は否めなかった。ブラスターは、人間を殺傷できるだけの出力しかない武器だ。宇宙戦艦の内部で、機体や機器を損傷しないようにしてある。金属を溶解、切断することはできない。

 

 ライダーはすぐさまそれに気がついた。短剣で顔と胸元、二つの急所をカバーし、敵手へと迫る。

 

 ヤンの最大の賭けが見事に当たった。ライダーもまた、宝具に依存するクラス。

彼女がかの英霊ならば、その乗り物は屋内での使用に適さない。ゆえに飛び道具が天敵だと。銃撃をあえて防御させ、手を塞ぐ。あからさまに怪しい眼帯に触る(いとま)を与えないように。

 

 飛びまわるライダーを追いそこねた光線が、壁や天井を削る。しかし、命中したものも両手の指を超える。満身創痍でもライダーは怯むことなく、アーチャーの頭上に達し、天井を蹴るや頭上から襲い掛かった。

 

 黒いベレーを乗せた黒髪が一瞬で霊体化し、現れたのはいま一人の黒髪の魔術師。くっきりとした翡翠の瞳に、鋭い輝きを乗せ、形よい唇が力ある言葉を放つ。淡青のアクアマリン、透明と深青のサファイアを投じながら。

 

「――七番、八番、六番、冬の河!」

 

 水の檻がライダーを取り巻き、白く冷気を立てて瞬間的に凍りつく。その威力はAランクに達した。ライダーの対魔力をもってしても、完全には防げぬ攻撃。

 

 ヤン・ウェンリーの思考誘導は、英霊にも完璧な効果を発揮した。マスター狙いを匂わせて、ライダー単騎での襲撃を余儀なくさせる。決定打にはならない飛び道具、そしてアーチャー自身は弱い。接近戦に持ち込めば彼は敵ではない。そう思い込ませるミスディレクション。

 

 だが、本命はマスターの宝玉の一撃。視界の共有と心話という情報伝達が可能にした、黒髪の魔術師ふたりの十字砲火(クロスファイア)

 

 ライダーは声もなくのけぞった。その紫と黒の妖艶な姿を、純白が侵食していく。アーチャーが淡々と告げた。

 

「さて、君のマスターに言ったように、私の力とマスターの力も関係ない。

 しかし、聖杯戦争はチーム戦だ。

 君のマスターは君の危難を救ってくれないようだね。

 ではさようなら、ライダーのサーヴァント」

 

 制式銃が背後から延髄に押し当てられる。引き金にかかった指に力が篭る。そして、ライダーの姿は消失した。

 

「やったわ!」

 

 歓声をあげる凛に、ヤンは首を振った。

 

「いや、違う。令呪による転移だ。まだ撃ってなかった」

 

「何ですって!? あんたがモタモタしてるからよ!」

 

「いやあ、ごめん、ごめん。ただね、収穫もあった。

 あの凍りついたライダー、どうやったら解凍できるんだい?」

 

「それは、わたしの魔術を解くか、時間を待つしかないわ。七、八時間ぐらいはね。

 あんたが、簡単に解除できず動きを止める魔術を使ってくれって、

 言ったとおりにしたんだから」

 

「温めれば溶けるってものじゃないんだね」

 

 凛は眉を吊り上げて、頼りない従者を叱りつけた。

 

「あたりまえでしょう! 霊体のサーヴァントに通用する術よ。

 お風呂に突っ込んでも溶けたりしないし、

 そこらの魔術師にも解除はできないようにしたわ。

 半端な術じゃ、ライダー自身の対魔力に弾かれるしね」

 

「でも夜中までには解けてしまうんだろう?」

 

「それで充分よ。最後のほう、傷が消えなかったでしょ?

 アーチャーが、随分魔力を消耗させたからだわ。

 そして、私の魔力に覆われている間は、マスターからの魔力供給はできないの。

 魔術が解けるのが先か、ライダーが魔力切れで消滅するのが先か。

 ギリギリのラインよ」

 

 アーチャーは感心して頷いた。

 

「すごいなあ。そいつを自称魔術師の慎二くんが解けるかどうか。

 無理なら令呪を使って、ライダーの対魔力を底上げするだろうが、

 決断が必要になる。二つ目の令呪の使用だ」

 

 ライダーを消滅させることはできなかったが、実質的に行動不能に追い込んだのだ。

 

「でも、間桐臓硯がどう出るか……あいつは五百年も生きてる化け物よ」

 

 アーチャーは首を振った。

 

「それはむしろ彼の問題になる。君が気にしても仕方がない。

 今日はこれでよしとしよう。彼らにも選択肢を残したということさ。

 令呪を使って君の術を解くか、君に詫びて我々の陣営に下らせるか。

 あるいは、誰かほかの魔術師に頼むか、

 ライダーの消滅を待って他のサーヴァントと組むか」

 

「うう、もう一個使って完全に止めを刺すようにすべきだったんじゃないの?」

 

 ふたたびおさまりの悪い黒髪が振られた。

 

「いいや、マスターの選択肢を増やすのは、こちらにとって有効な手段だ。

 ライダーが死ななかったからこそ、令呪をどう使うかと迷うことになる。

 最後の選択肢は現実的ではないからね。

 間桐慎二が他のサーヴァントと組むには、マスターのみを斃さねばならない。

 ライダーの戦力なしには不可能だ」

 

 ジェンガのように積み上げられた、重層的な罠だった。取れると思いこませ、手を出した敵の頭上へと集中砲火が叩きこまれる。ヤン艦隊司令官の十八番だ。

 

「ライダーを見殺しにし、君を倒して、手に入るのが私では割に合わないよ。

 咄嗟に令呪を使ってしまったぐらいだから、そんな思い切った手は打てないさ。

 衛宮陣営とアインツベルン陣営に注意喚起を行い、

 あと十日あまりの防衛に成功すれば、君にとっての勝利は変わらない。

 魔術を解いたとしても、マスターは魔力を供給しなくてはならない。

 相当な魔力の喪失だというなら、今夜は吸血行為をする余裕はないだろう」

 

 敵の退路を、掘削機で削りにかかるヤンだった。無辜の市民に重症を負わせている相手だ。聖杯に不備があるのではないかという懸念さえなければ、斃してもいいと思っていたほどだ。

 

「さて、凛。戦いは終わったが、この壊れた部分、どうすればいいかな?」

 

 凛は士郎の電話番号を押した。高齢者向き携帯の登録ボタンに、同盟者のマスターの番号を割り振りしたおかげだ。やったのはアーチャーだが。

 

「士郎、話は終わった? じゃあ、師匠としての命令よ。

 穂群原のブラウニーの活躍に期待するわ。

 脚立と修理道具一式を持って、四階被服室前に来なさい。

 なんでさ、ですって!? 

 あなたたちが談判している間に、ライダーと闘ってたのよ!

 虎の子も放出したんだから! つべこべ言わずにさっさと来る!」

 

 言うだけ言って携帯電話を切る凛に、呑気な声で質問が投げかけられた。

 

「うーん、こういうの、魔術でぱっと直せないのかい?」

 

 もしも視線に物理的な力があるのなら、アーチャーの頭部は消失していたことだろう。

 

「本当ならそれぐらい出来るわよ! 

 これだけ呪刻に魔力を流して、そのうえ、

 あんた、自分がどんだけ魔力をバカ喰いするかわかってんの!?

 さっさと引っ込んでてちょうだい」

 

「は、はい、マスター。悪いねえ……」



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閑話5:メイドとサーヴァント

メイド【英】小間使い
サーヴァント【英】家僕


 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンとその一行は、アーチャーの依頼を果たすべく、家電量販店に繰り出した。銀髪紅眼の美少女が一人、美女が二人。金髪翠眼の美少女が一人。その目立つことときたら。平日の日中で、客の少ない時間の来訪なのは、店にとって幸いだった。

 

 そして、この美しい外国人女性たちが、日本語に不自由していないこともだ。

 

「すーごい、色々なケイタイがあるのね」

 

 外見上の最年少者が、大きな瞳を輝かせる。本物のルビーにも勝るほどに。

 

「リンはどんなのにしたのかな?」

 

「遠坂様と同じ物になさいますか、お嬢様?」

 

「セラ、どれがそうなの」

 

「機種をうかがってまいりました。ええと、あ、あちらですね」

 

 少し離れたコーナーにある、シンプルな外観の携帯電話だった。

正面に配置された最新機種よりも、やや大ぶりでボタンの数も少ない。

壁のポップには『初心者の方、ご高齢の方にもおすすめ!』の紹介文が。

 

「……これ、おじいさん、おばあさん用のなの?」

 

 ぽつりと言った主人に、セラは礼儀正しい反論をした。

 

「初めての方にも使いやすい、ということで選ばれたのではないでしょうか。

 アーチャー様がお使いになる場合もあるでしょうから」

 

「どうする、イリヤ」

 

「リズ、様をつけなさい」

 

 メイド二人のやりとりに、白銀の頭が傾げられる。

 

「これも悪くないと思うけど、さっきのみたいにキレイな色のがないわ。

 赤だとリンと一緒になっちゃうもん。違うのがいい。あ、あれがかわいい!」

 

 イリヤが指差したのは、キッズ携帯と書かれたコーナー。しかし、セラは首を振った。

 

「旅行中などの短期間ならば、プリペイド携帯というものがよいそうですわ。

 それには専用の機種があるようです。

 とりあえず、そちらになさってはいかがでしょうか」

 

「えー、こっち? あんまりかわいいのがないじゃない」

 

「これが終われば、一旦、ドイツにお帰りになるのですから」

 

 セラの言葉に、少女は目を見開いた。

 

「ドイツに帰る……なぜなの?」

 

 イリヤは、聖杯の器として形作られ、生まれ、生きてきた存在だった。五十年も繰り上がった聖杯戦争に参加するべく、さらに急遽調整されたホムンクルス。この戦いの勝者となれば、小聖杯となるだろう。よしんば聖杯が降りなくても、長い命ではない。

 

【昨晩、旦那様にアーチャー様のお考えをお話ししました。

 驚いておいででしたわ】

 

 キャスターとして第三魔法の魔法使いを召喚し、協力してくれる魔術師を参加させ、

サーヴァントを令呪で自殺させればいい。

 

 あるいは、不老不死となって存命かもしれない魔法使いを探し出す。おおむね平和な、情報が行き渡る社会となった今、全世界に訪ね人をするのも可能だろうと。

 

【それは、アハトお爺さまも驚くだろうけど……】

 

【今回は無理をせず、あの方のお考えを詳しくお聞きするようにとのお言葉です。

 無論、お嬢様には勝ちぬくお力がありましょうが、

 その方法も視野に入れるとなると、

 この先もお元気でいていただかなくてはなりませんから】

 

 それは、次回への布石として、イリヤの体を再調整するというものだった。アインツベルン千年の歴史が生んだ、奇蹟の存在。アーチャーの考えを聞かされてみれば、イレギュラーの今回で使い潰すのは惜しくなる。

 

 六十年以内に訪ね人が見つかれば、小聖杯としての魔術特性を持つイリヤは、魔法使いの後継者にうってつけだ。

 

 見つからなかった場合には、次回の聖杯戦争で、アインツベルンの魔法使いを召喚するのだ。第六次のキャスターのマスターとなれるように、より高度な調整を行う必要がある。小聖杯になって、意識や知能を喪失してしまうと、魔法を継承できないからだ。

 

 並行して、新たな戦略を練らなくてはならない。次回のキャスターを、アインツベルンの魔法使いとするなら、この冬木の霊脈に拠点が必要になる。遠坂家の協力が不可欠だ。

 

 そして、第三魔法が不明である以上、聖杯の器をホムンクルスにするのは疑問である。第三魔法の使い手が、自ら望む形に器をアレンジをするかもしれない。ホムンクルスの調整は、聖杯戦争の二週間程度でできるものではない。だとしたら、無機物の方が適している。

 

 アーチャーの言葉をきっかけに、様々な検討が必要となったのだ。

 

 それは、イリヤが一般人の天寿に近い年月を生きられるということだ。セラの密やかな願いだった。彼女はイリヤの教師となるために調整されたホムンクルスだ。高い知性と母性的な性格を持つように作られている。

 

 だが作りものでも、姉のように、母のように、主人の幸福を祈っている。ユスティーツィアに連なる、アイリスフィールに続く存在だからだろうか。

 

【ほ、ほんとうなの】

 

 セラは頷くと、イリヤの耳元に囁いた。

 

【はい、そしてできれば、あの方をお引き留めするようにとのことです。

 お嬢様以外には不可能ですわ】

 

 若き天才の遠坂凛をして、魔力を馬鹿食いするというアーチャーだ。聖杯のバックアップがなくなったら、彼女でも受け止めきれないだろう。

 

 だが、冬木から遠いアインツベルンで、三か月もの間ヘラクレスと暮らしたイリヤなら? 彼は本当はとても格の高い英霊だ。それでも多分可能だろう。

 

 凛のアーチャーを、どうやってイリヤのアーチャーにするかという難題が立ち塞がるけれど。彼のマスターに危害を加えて奪い取ったり、バーサーカーを非道に死なせたら、きっと協力してくれない。座に自分で帰ってしまうだろう。だから、味方にしなくっちゃ。

 

「うふふ、おもしろいわ。それって、リャクダツアイよね」

 

 知らない単語に無表情に首を傾げるリズ。身に覚えのある言葉にへたりこみそうになるセイバー。セラは目を伏せて、厳かに家庭教師としての役割を果たした。

 

「お嬢様、藤村様のお宅でテレビをご覧になるのは禁止します」

 

「えーー、ひどーい! おもしろいのに」

 

 あがる不平に、リズがぼそりと呟いた。

 

「テレビじゃなくても、今日学校で見られる。それもイリヤ……様が主役」

 

「もう、リズったら、ああいうのはテレビだからおもしろいの」

 

「たしかに。本当だと笑えない」

 

 イリヤは唇を尖らせ、セラは瞑目してこめかみを揉み、セイバーは棚に取りすがってなんとか身を支えた。

 

「あら、セイバー、顔色が悪いわよ。そんなことで大丈夫なの?」

 

 棘はたっぷりと生えていたが、仮の主人からの労わりの声。イリヤからの初めての歩み寄りだった。

 

「な、なんでもありません……。

 いいえ、申し訳ありません、イリヤスフィール。

 私が不甲斐ないばかりに……」

 

 前回に勝っていれば、いや、アイリスフィールを守り切れていれば。忸怩たる思いで一礼するセイバーに、セラからの厳しい叱咤が飛ぶ。

 

「あなたも様をつけなさい、セイバー。

 今のあなたはアインツベルンの使用人なのですよ」

 

「は、はい……」

 

 セイバーは、アインツベルン陣営に出戻った格好だ。『先輩』らの態度は、大事な令嬢の母を死なせた者に対して、むしろ寛大だといえよう。

 

 ――しかし、これはきついです。これでも仲良くしなさいというのですか、アーチャー……。

 

 答えは聞くまでもなく、『うん』に違いない。このメイド稼業に関しては、自分のマスターである衛宮士郎が最大の賛同者だ。もしも、取りなしてくれる者がいるとすれば、アーチャーのマスター 遠坂凛しかいない。 

 

 みんなに真名を明かして、助けを求めた方が楽ではないかと思い始めるセイバーだった。

 

 それは、穂群原学園で昼ドラ上演が始まる五時間前の物語。



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28:戦い続いて日が暮れて

 凛が電話してからほどなくして、衛宮士郎とイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、二人のメイドもやってきて、戦いの痕跡に目を瞠った。

 

「なんだ、これ? どうしてこんな跡が付いたんだ」

 

「アーチャーの宝具よ。教室の戸口を壊したのはライダーだけど」

 

「服が昔っぽくない英霊だったからなあ。ひょっとして銃の跡か?

 でもなあ、天井まで傷がついてるぞ。

 俺じゃ、あんなところまで板の張り替えはできないし……」

 

 顎に手を当てて思案する士郎に、凛とイリヤは目を丸くした。

 

「え、修復の魔術は使えないの?

 こういう無機物の扱いって基本じゃない。

 せっかくスイッチができたんだから、使ってみるいい機会でしょう」

 

「そうよ、ヘンなの。

 シロウのししょーの命令なんだから、魔術でやりなさいってことよ」

 

「へ? だから俺、解析と強化ぐらいしか使えないんだ」

 

 二人の少女は顔を見合わせた。

 

「ねえ、衛宮切嗣さんのお嬢さん。あなたのお父さん、どんな魔術師なのよ?」

 

「だからわたし、よくしらないもの。

 リンこそシロウのししょーでしょ。いまから教えればいいじゃない」

 

「冗談。呪刻の処置とアーチャーのせいでそんな余力ないわ。

 だから士郎を呼んだのに、あてが外れちゃったなぁ。

 機械いじりは得意だって聞いてたけど、この穴はそういうわけにはいかないし」

 

「いや、その、故障したとこを調べるのには解析の魔術を使ってたんだけどさ……」

 

 士郎は頭を掻いた。

 

「これは解析はいらないけど、こんなにあちこちの壁や天井の張り替えなんて無理だ」

 

 凛は溜息をついた。

 

「あんたね、その解析の度に命がけで魔術回路を生成してたわけ?

 それで、あんなにあれこれ修理してたの? 馬鹿じゃないの」

 

「な、馬鹿ってなんだよ、遠坂!」

 

「リン、シロウを愚弄するとは、聞き捨てなりません!」

 

 金髪のメイドが眉を逆立てる。凛は、弟子の従者に取り合わなかった。

 

「セイバーは黙っててちょうだい。これは魔術師としての問題だから」

 

 彼女の前の主にこそ言ってやりたいが、いない相手にぶつけても仕方がない。魔術師は血を流し、死を許容するものとはいえ、限度がある。士郎には、みっちりと危険を教えていかなくてはならなかった。

 

「……ねえ、士郎、あんたの命は、おとうさんに助けてもらったものよね」

 

「あ、ああ」

 

「それを古いエアコンやストーブと、引き替えにしていいのかって訊いているのよ。

 失敗したら死んでいたって、わたしが昨日言った意味わかってるのかしら。

 あんたが修理中に変死していたら、どうなったと思うの?

 本当に誰かの役に立つのか、よく考えてみなさい」

 

 士郎は琥珀の目を見開き、師である黒髪の美少女を凝視した。言葉もない少年に、凛は頭を振った。

 

「出来ないなら、この修理はやめにしましょ。

 教会に停戦勧告をせっつきながら、直させるようにするから。

 それがあいつの役割なんだしね。

 これまでサボってた分、こき使ってやるんだから」

 

 今度は後見人に電話をし、用件を一方的に伝えると通話を切る。 

 

「じゃあ、帰りましょうか。もう、本当に燃費が悪いんだから」

 

「って、勝ったのか、遠坂?」

 

 士郎の前にあかいあくまが出現した。

 

「ふーん、士郎。

 あんた、アーチャーが負けて、わたしが平然としてるような人間に見えるんだ?」

 

 物凄い重圧がへっぽこ見習いを直撃。士郎はシンクタイム0の弁解を余儀なくされる。

 

「え、や、そんなことない、そんなことないぞ!

 だって、姿が見えないからさ、その、てっきり……」

 

 そして微妙に墓穴を掘ったが、凛は鼻を鳴らして否定するだけでにしてやった。そこらの学生みたいなアーチャーが、戦って勝つとは確かに思えないだろう。

 

「あいつの言葉を借りるなら、負けてはいないってこと。

 わたしも、アーチャーがあんなにやるなんて意外だったけど。

 こっちはわたしの魔力と預金残高以外はノーダメージよ」

 

「やっぱりね」

 

 イリヤの言葉に、士郎とセイバーは首を捻った。

 

「どうしてですか、イリヤスフィール……様」

 

 セラの鋭い一瞥に、セイバーはびくりとして敬称を付け加える。今のセイバーの社会的な肩書は、アインツベルンの使用人。何かの折にボロを出さないように特訓中だ。

 

「アーチャーはとっても賢いからよ。

 勝てない戦いはしないっていっていたけれど、

 勝てる戦いならするってことじゃないの? ねえ、リン」

 

「そういうことらしいわね。

 生前は負けたことがないから『不敗』とも呼ばれていたそうよ。

 でも一撃食らわせたのは、わたしのほうよ。だから大損だわ」

 

『命あっての物種だろう』

 

 被服室に置いてあった鞄を手にすると、凛は肩を竦めた。

 

「アーチャーからの伝言。

 秘匿する戦いなら、公開する状況にすれば避けられる。

 サーヴァントの出現を防ぐには、衆目こそが最強の味方。

 ちょうど部活の子の下校時間だから、一緒に帰れですって」

 

 渋面になる凛だった。この濃い面子に混ざりたくなかったのだが、いたしかたない。

凛の新たな下校仲間は、次から次に明かされるアーチャーの波乱万丈の人生に、呆然とするしかなかった。

 

「何者なのさ、アイツ……」

 

 士郎が思わず漏らした呟きは、セイバーとイリヤたちにも共通する疑問だった。それは、穂群原高校の生徒たちが、金銀の髪の美少女と美女にも送る言葉だったが。今日も肩身の狭い衛宮士郎と、それに加わった遠坂凛である。姿を消してるアーチャーが羨ましい。

 

「でもさ、遠坂。うまいことアイツに逃げられてないか……」

 

「アーチャーをここで現界させて、なんて説明するのよ。

 三日前に初めて知った亡き大叔父の孫が、イリヤたちと知り合いだとでも?

 不自然すぎるわ。却下よ、却下」

 

「は? じゃあ、一年が見掛けたって美綴が言ってた、

 遠坂のイケメンな彼氏って、もしかしてアーチャーか!?」

 

 強烈な翡翠のビームが放たれた。

 

「なんですって!? なんでそんなことになってるのよ……。

 わたし、親戚だって綾子に言っておいたんだけど」

 

 右手の通学鞄の取っ手から不吉な軋みが上がり、逆の握りこぶしがぶるぶると震えている。士郎はびくりとした。

 

「えーっと、ホラ、遠坂とアーチャーは仲がいいし、

 アイツ背も結構高いし、優しそうで頭よさそうだろ。

 顔もよく見ればちょっとハンサムだし……」

 

 そこまで言った士郎は気付く。あれ、お似合いじゃないか。

 

 ランサーのように飛び抜けた美丈夫ではないが、なにげにハイスペックな物件である。同年代ではなく、父親的な立ち位置にいるから認識しにくいが、穂群原にいたら、知る人ぞ知る感じの人気がありそうだ。少なくとも得意教科はトップクラスだろうし、軍事訓練についていけるなら、学校の体育が全然ダメということもないだろう。部活は郷土史研究部とかだろうけど。

 

 だが当人に言わせると、背もとりたてて高くはないし、体格が貧弱で実技は苦手、一向にもてなかったそうだ。どんだけ男に厳しいのか。それが戦時国家ってことだろうか。

 

 平和の尊さを、士郎はまざまざと実感した。日本だって、ほんの六十年前はそうじゃなかった。昨晩のアーチャーの講義に色々と考えてしまうが、今すぐ必要なのは自らの安全と平和であった。

 

「ええと、そうじゃなくて、遠坂の隣にいても

 不自然じゃないってことじゃないのかな!

 ……俺だったら緊張して、とても彼氏には見られないと思う」

 

 というか、今もとても緊張してます。ああ、そんなに怒気を放たないでください。士郎は必死の思いで、凛をなだめにかかった。

 

「いいなあ、リンは。バーサーカーと、街を歩いたりできないもの」

 

「……そういう問題でしょうか、お嬢様」

 

「だから、そんなんじゃないのよ。

 昨夜の作戦会議の戸籍とか資料、一昨日にあいつの指示で集めたんだもの。

 ぽんと、どっかから出てきたわけじゃないのよ。

 戸籍は12,450円、住宅地図は18,900円もしたんだから。

 わかる? 元手が掛かってんのよ!」

 

「すげ……。それだけの元手であれだけ考え付くのか」

 

「それで給料もらってたってのが口癖だもの」

 

 セイバーは顔を覆って、時代が異なることへの嘆きを発した。

 

「な、なんと……あれほどの軍師を金のみで臣下にできるとは……。

 その王にとって、どれほどの幸運か!」

 

「アーチャーは心にジンマシンが出るような奴だって言ってたけどなあ……。

 そうだ、軍人は国家公務員とも言ってたよな。

 公民の授業で言ってたけど、公務員は全体の奉仕者だってさ。

 セイバー、アーチャーのご主人は王様じゃなくて国民だ」

 

「う、士郎、アーチャーから『よくできました』ですって。

 綾子め、後で覚えてなさいよ。でも、あいつの変装、一応は成功しているのね」

 

 アーチャーが、脳裏に語りかけてきた。

 

『凛、新たなる問題の発生だ』

 

「今度は何よ」

 

『私の容貌はライダーのマスター、間桐慎二が知っている。

 君の大叔父の孫の容貌は、彼の友人や後輩が知っている。

 両者の情報を統合したら、いずれ気付かれる。なんとかしなくてはならないよ』

 

 凛は項垂れると深く溜息を吐いた。

 

「……もう、勘弁してよ」

 

 このまま、坂を登れば2分で遠坂邸という交差点。ここから衛宮邸までは、10分も歩かないといけない。魔力の消費でクタクタなのに。

 

「どうしたんだよ、遠坂」

 

『それでも、まだ我々は勝っていない】

 

 静かな思念が凛の心に響く。

 

「ライダーのマスターの対策会議が必要になったわ」

 

「なんでさ」

 

「ライダーのマスターが、アーチャーの推理の人物だったからよ」

 

 琥珀が真ん丸に見開かれ、ついでに口まで同じ形になった。

 

「ウソだろ……」

 

 凛は眼差しを鋭くし、顎の角度を上向きにした。

 

「そうとなったら、さっさとやっちゃいましょう。

 今夜はわたし、自分のベッドで寝たいのよ。魔力の回復のためにね。

 イリヤにセイバーも参加して。特にイリヤ、あなたは士郎の身内よ。

 よく知らないからこそ、狙われる可能性が高いって、アーチャーが言ってるわ」

 

「わたしのバーサーカーには敵わないと思うけど」

 

 凛はアーチャーの言葉をドイツ語で伝えた。

 

【だからこそ問題なんだ。

 凛の妹の義兄、士郎君の友人をイリヤ君が手に掛けたら、

 切嗣氏の過去を二人で探すどころではなくなる。

 一方、彼にはイリヤ君に何の遠慮もない。

 サーヴァントが手強いなら、君自身を狙ってくる。

 ライダーだけを排除し、彼が報復できなくなる手段が必要になる】

 

 雪の妖精は頬をふくらませた。

 

「もう、面倒くさーい」

 

 またもアーチャーからの忠告が凛を経由してもたらされる。

 

【それ以上に、君のバーサーカーではライダーだけ排除するのが難しいだろう。

 もし、彼女のマスターがそばにいたら、彼まで巻き込んでしまう】

 

「……彼女? ライダーも女のサーヴァントなの?」

 

「そうなのよ。アーチャーに、そういう報告をまとめてさせないと。

 私がやるのかいですって!? 

 当たり前でしょう、そのほうがわたしが楽じゃない。

 は? うっさい、超過勤務なのはわたしも同じよ!

 報告しないなら、ベッドも枕も紅茶もナシよ。そう、素直でよろしい」

 

 虚空を睨んで叱咤する凛は、危ない人にしか見えなかった。この豪華で異色の取り合わせが一種の結界となって、他の下校する生徒を寄せ付けなかったのは幸いといえよう。

 

「なあ、セイバー」

 

「なんですか、シロウ」

 

「霊体化できるのも、いいことばっかりじゃないよな。

 セイバーが実体化しててさ、顔を見ながら話ができるのはいいことだと思う。

 俺のせいで不便で悪いんだけどさ、姿が見えなければ見えないで、

 アレだもんなあ……」

 

 琥珀色の目が、ちらりと凛に視線を流し、瞑目して溜息を吐いた。わかっちゃいても見てて痛い。憧れの崩壊を嘆くのは、黒髪の青年だけではないのだ。

 

「……シロウに感謝を」 

  

 語るべきだろうか。自分の真名を。同じ衛宮の名を持っていても、この少年は先のマスターではない。

 

 セイバーに芽生えた心の揺らぎだった。



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29:夢破れし者の哀歌

 遠坂邸は、魔術師遠坂凛の工房である。魔術師にとっての砦。至るところに魔術的な罠が仕込まれた、難攻不落の要塞だ。アインツベルンのマスターは当然、へっぽこな弟子を招じ入れるわけにはいかない。

 

いきおい、会合場所は衛宮邸になるのだった。

 

「リン、もうここに泊りこんじゃったら?」

 

「うーん、イリヤ君。私は賛成できないね。風紀的にも危機管理の点でも」

 

 実体化したアーチャーが首を振る。

 

「我々が連携しているのは教会に公表した。

 戦争継続派も連携して攻めてくるかもしれない。攻めなくとも方法はある。

 士郎君の所に凛が寝泊りしていると世間に言うだけで、かなりのダメージだよ。

 どうも魔術師の皆さんには、そういう発想がないようだが」

 

 顔を強張らせた士郎と凛に、アーチャーは眉間をさすった。ヤン艦隊の良心、生ける軍規のありがたさを今さらながらに実感する。だからこそ、間桐慎二を『魔術師』という単語で挑発しておいた。『間桐くん』と『士郎』も無論その一環だ。

 

 ヤン・ウェンリーは、普段は見え透いたところのある善人だが、戦争では宇宙一人が悪くなるとは別の部下の評である。アーチャーにとっては甚だ心外だが、ここにいる面々が知ったら、全員がその美丈夫に賛同したことであろう。だから黙っているのだが。

 

「魔術師といっても、一般常識を甘く見ちゃいけない。

 君たちを傷つけ、生活をままならなくさせるには充分だ。

 イリヤ君は、おつきの人を抱えた切嗣氏の娘だからいいが、赤の他人の凛は駄目。

 昨日は車のおかげで見られなかったからいいけどね。

 わかったかい?」

 

 声もなく頷く高校生たちであった。

 

「それに、戦争継続派も連携して攻めてくる恐れがある。

 少なくとも、ライダーのマスターは一度は継続を選択したんだからね。

 複数の拠点を持てば、敵も分散せざるを得ない。

 どちらか一点に集中するならば、こちら側が挟み撃ちするチャンスになる。

 期間限定の戦いだから、相手に迷わせるだけでも意味があるんだよ」

 

 そして迷ったり、焦ったりすると、ヤン・ウェンリーの思う壺。銀河帝国の綺羅、星のごとき名将たちを手玉にとった思考誘導である。

 

 ただなあ、とヤンは内心で嘆息する。この少年少女たちはせっかちだ。これを今から説得にかからなければならなかった。

 

「では、そのライダーについて報告しよう。凛、携帯を出してくれるかい。

 うまく写っているといいんだが。ああ、これこれ」

 

「アーチャー、あんた、いつの間に……」

 

 彼は乱射したレーザー光線にフラッシュを紛れ込ませ、ちゃっかりと写真を撮っていたのであった。

 

「ほら、私は鏡に映るじゃないか。

 写真にも写せるんじゃないのかと思ってね。

 昨晩、自分を撮ったら撮れたんだよ」

 

 ライダーの前には、アーチャーの写真。自撮りに慣れているわけもないので、画像は少しぶれているし、視線もあっていないが、アーチャーが映っていた。えらく鮮明な心霊写真だ。

 

「自撮りってさあ、女子高生じゃないんだぞ」

 

 がっくりする男子高校生に、女子高生が反論した。

 

「失礼ね、わたしはそんなことしないわよ」

 

 正しくはそんなことできないだが、士郎も追及はしなかった。優雅なミス・パーフェクトには、たしかにふさわしくないと思うし。

 

「私だって面倒くさいが、作戦を立てるためには細かいことが重要なんだ。

 確認してみて、ライダーも同様じゃないかなと思ったのさ。

 口で言うより実物を見せた方が早い」

 

 そして、自分と同じくらい驚愕を味わってほしい。このやるせなさも共有してほしい。傷ついた歴史マニアであった。琥珀とエメラルド、ルビーが揃って大きさを増し、口々に呻き声があがった。

 

「う、うげ、これ誰? というかなんなんだよコレ!?」

 

「こっ、これがライダーのサーヴァント……! 

 なんと羨ま、い、いやはしたない姿なのでしょう。

 宝具は見たのですか、アーチャー?」

 

「ヘンなかっこう。ねえ、こんな服でなにに乗るの? 前だって見えないんじゃない」

 

 箱入り娘の言葉に、硬直する義理のきょうだい。馬に跨るにしろ、戦車を駆るにしろ、眼のやり場のない格好になるに違いない。ご丁寧に、武器は鎖の付いた釘のような短剣だ。そして目元を隠した仮面。騎乗兵という単語から想像する範囲を超えている。どう見ても妖しいお店の従業員であった。絶句する未成年に対し、中身が成人のサーヴァントはあっさりとしたものだった。

 

「いや、宝具は見ていないよ。そんなものを出されても困るからね。

 だから廊下を戦場に設定したんだよ。

 それにできるだけ、彼女の顔も見なくて済むようにした」

 

「やっぱり、あんた察しがついてたのね」

 

「うーん、誠に不可解なんだが、別の英雄を呼ぼうとして召喚されてしまったから、

 彼女はライダーなんじゃないかと思うんだ。

 そういう状況で召喚されたから、あんな格好にあんな武器なんじゃないかと」

 

 別の意味で異形のライダーと対峙しながら、冷静に考察しているアーチャーも相当であった。そら恐ろしくなるセイバーである。

 

「アーチャー。私にはあなたが何を考えているのかわかりません」

 

「いや、セイバー。あの格好を目の当たりにしてごらん。

 誰なのか気になって仕方がないよ。あれはない。あんまりだ。彼女も気の毒に」

 

 嘆くことしきりのアーチャーに、士郎は訊いてみた。

 

「で、誰なんだよ、このライダー」

 

「ペルセウスを召喚しようとして、呼ばれてしまったメドゥーサ。

 鎖の短剣は、アンドロメダの鎖のイメージの混合かな?

 そっちの方は濡れ衣だよなあ。かわいそうに」

 

「ちょっと待ってくれ。ペルセウスって誰さ?」

 

「じゃあ士郎君、ペガサスの神話は知っているかい? 秋の星座の代表格だけど」

 

「翼の生えた天馬だろ」

 

「そう。ギリシャ神話でも華やかな物語だね。

 ペルセウスは武勲を立てることを王に約束し、

 髪が蛇になっている魔物を倒しに行くんだ。

 神様から幾つも武器や道具を借りてね。

 冥府の神ハーデスからは姿隠しの兜、知恵と戦の女神アテナからは盾と剣。

 そして、伝令神ヘルメスからは空飛ぶサンダルを。

 あと、石にならない袋もあったっけかな?」

 

「じゃあ、宝具をいっぱい持っている英霊になるのか?」

 

「彼が召喚されていれば、そういうことになっただろうね。

 しかし、ペガサスの乗り手ではなく、生みの親が来てしまったんだろう」

 

 苦り切った顔のアーチャーは眉間を揉むと、座卓に突っ伏した。

 

「ほんとにもう、どうしてああなったんだ!

 最盛期の肉体なら、ギリシャ神話屈指の美女なんだよ。

 絶世の美女、知恵と戦いの女神アテナが嫉妬するようなさ!」

 

 少年少女はもう一度携帯画面を覗き込んだ。長く美しい紫の髪、黄金比の肉体、彫像のような眉目。確かに物凄い美人だ。衣装が全てをぶちこわしにしているが。

 

「そのさ、アーチャー。気持ちはわかるけど続きを頼む」

 

 きっと知らないのは士郎だけなんだろう。他の女性陣は一様に頷いているのだから。

 

「……ペルセウスが退治に向かったゴルゴンの三姉妹は、

 末妹のメデューサだけが不死身じゃなかったんだ。

 彼女たちの顔の恐ろしさは、直視した者を石に変えてしまうというものだった。

 それは、女神アテナに美貌と美しい髪を嫉妬されて、

 そんな姿にされてしまったんだよ。

 そうしておきながら退治に道具を貸す。ひどい話さ。

 やったのは自分なんだから、元に戻してあげればいいだけのことなのに」

 

「完全にマッチポンプじゃないか!」

 

「だろう? 

 ペルセウスは、女神アテナの鏡の盾に、

 メドゥーサを写して近づき、首をはねるんだ。

 その血潮から生まれたのが天馬ペガサス」

 

 柔らかな抑揚で紡がれる、遥か神代の物語。アーチャーは物語の優れた語り手だった。それは、彼の里子も聞いたであろう優しい声。

 

 凛ははっとした。この父と夫を失った子と妻が、どれほど嘆き悲しんだだろうか。彼という上官を失った、二百万の部下達もだ。今から千六百年後の、だが彼にとっては死後の出来事。凛は初めて認識した。聖杯戦争とは、なんて歪んだシステムなのか。

 

 ヤン・ウェンリーは英雄譚の続きを語る。

 

「ペルセウスは、ペガサスに乗って故郷に凱旋する途中、

 生贄にされそうになっている王女アンドロメダを、化け物鯨から助けるんだよ。

 メドゥーサの首を見せて岩にしてね。

 この神話の登場人物は、全部星座になっているんだ」

 

 そう言うと指を折って星座の名前を上げる。四辺形のペガスス座に、他の銀河を持つアンドロメダ座。アンドロメダ銀河は、我々が属する天の川銀河から約二百万光年離れているが、もっとも近いお隣さん。

 

 くじら座には老齢の巨星ミラ。星の膨縮が始まっているため、変光星としても有名である。

 

 アンドロメダの母のカシオペア座は、Wの形が特徴で、北極星の指標星座。ほかの星座は秋の星座だが、北極星に近いので、季節にかかわらず見ることができる。

 

 父親のケフェウス座は目立たないけど、全天一美しい赤色星ガーネットスターを王冠に持つ。

 

「ま、この一家は、星の位置が示すとおりのかかあ天下でね。

 娘が生贄にされたのは、母親がうちの子は海神ネーレウスの娘より

 美しいなんて言ったからさ。その一人は海神ポセイドンの奥さんだ」

 

「海の神様が二人もいるんだ」

 

「もっと沢山いるよ。ざっと三千人ぐらい」

 

「へっ?」

 

 神話のあまりの壮大さに、琥珀が真ん丸になった。 

 

「海は広いからね。他に有名なのは、外洋の守護神オケアノスかな。

 オーシャンの語源だ。ポセイドンは地中海、ネーレウスはエーゲ海の神」

 

「ああ、そうなんだ……。世界中の海の支配者じゃないんだな」

 

「そりゃ、地中海地方が世界の全てだった時代の神話だからだね。

 ネーレウスは古い神で、ポセイドンの大伯父だ。三千人の海の神は彼の息子。

 同じ数の娘もいる。そいつもあって、婿としては黙ってたらまずいわけさ」

 

 ユーモアを織り込んだ説明に、士郎とイリヤの目が輝いた。

 

「すごいわ。どうしてそんなにくわしいの?」

 

「船乗りは、古来から星を指標に航海していたからね。

 父の船の航法士のじいさまが教えてくれたんだ。

 これは彼の受け売りだよ」

 

 凛は感心しつつも呆気に取られた。実に自然な切り返しで、航行しているのが星の海だとは思うまい。

 

「なあ、じゃあペルセウスとメドゥーサはどうなったんだ」

 

「うん、英雄のペルセウス座の一角には、メドゥーサの首の星がある。

 こちらも変光星として有名なアルゴルだ。ミラとは変光のメカニズムが違うがね。

 ペルセウスの石像もメドゥーサの首を持っている。

 その手の触媒を使って、イメージが曖昧な者に召喚されたのかもしれない。

 少々、無理があるかな、この推論は」

 

 首を捻る黒髪に、金沙の髪が頷いた。

 

「しかし、アーチャー。あなたの考えにも一理あります。

 サーヴァントの強さは宝具によります。

 宝具が豊富なサーヴァントはそれだけで有利ですから」

 

「ありがとう、セイバー。触媒が不適切で、ペルセウスを呼ぶには弱かった。

 だから彼女は、女神に嫉妬された美貌に、

 怪物と化した後の能力なんかが変な具合に付与されて、

 あんな姿なんじゃなかろうかと思うんだ」

 

 大変悲しげなアーチャーである。

 

「ランサーはイメージのアレンジの範囲内だ」

 

 彼にひどい評を下したイリヤが、びっくりして声を上げた。

 

「ええーっ! あれでも範囲なの!?」

 

「彼の時代の戦支度は、体を青く塗って白い塗料で加護の文字を書くんだよ。

 それが鎧と一体化した姿なんだろうね、きっと。

 まあ、それは二騎のどちらにも言わないであげてくれ。

 一番不本意なのは彼らだろうからね」

 

「あんたもでしょう。なんでそんなに落ち込むのよ」

 

「……私にだって、夢を見させてくれたっていいじゃないか。

 ライダーの正体がメドゥーサならば、あの姿は気の毒に過ぎる。

 サーヴァントが最盛期の姿で召喚させるというのなら、

 ギリシャ彫刻のようなドレープのドレスに、

 美しい髪を凝った形に結いあげた、そういう姿でいいじゃないか!」

 

 艶やかで豊かな髪の美女が、たおやかな手で純白の天馬のたてがみを撫で、鞍上に横座りして天空を騎行するのだろう。一説には海神ポセイドンの寵愛を受け、ペガサスは彼との間の子だったとも言われている。

 

 海神は、彼女に貝紫で彩ったドレスも贈っていたかもしれない。一着の服を染めるのに、何千個もの貝を必要とする貴重な染料である。ユリウス・カエサルの服にも使われた帝王の紫。

 

「ちょうど、この髪のような色になるんだ。

 空と海の青に映えて、さぞ美しい姿だったろうに」

 

 膝を抱えてしょんぼりしながら、理想像を語る歴史マニアのサーヴァント。マスター以外がはじめて見る、外見相応の表情であった。

 

「そのほうがよかったのに。この服よりずっとすてきだわ」

 

 携帯画面を再び凝視したイリヤの評だった。凛も同感である。このアーチャーにも、ロマンチストな部分があったらしい。

 

「ひょっとしてだけど、これ、蛇のイメージに引きずられたんじゃないのかしら?

 この写真じゃよく見えないけど、あの眼帯には鱗模様があったでしょ」

 

「ああ、そうかも知れない。でも、これはないよなあ……。

 せめて、呼びだす相手の勉強ぐらいしてくればいいのに。

 ライダーも可哀想だが、私だって悲しいさ。

 夢が片っ端からおじゃんになってくのに、誰も慰めてくれない……」

 

 そんな不真面目な態度で、誰かに同情してもらおうというのが間違っている。一番冷淡なのは彼の主だった。

 

「なにブツブツ言ってんのよ」

 

「だから、キャスターがマスターともども下品な輩と評したのかねぇ……。

 そうそう、昨日の手紙は、昨夕には届いたらしいよ。

 素晴らしい社会インフラだね。昨晩、君たちが休んだ後で、

 彼女からの伝言を聞いたんだ」

 

 凛のこめかみにくっきりと青筋が立った。なのににっこりと微笑んでいるので余計に怖い。セイバーの主従と、バーサーカーの主の背中がそそけ立った。

 

「ちょっと待ちなさい。どこで、伝言を聞いたんですって?」

 

「この居間だけど」

 

「昨晩は私とイリヤで結界を張ったのよ。

 なのに、それをやすやすと突破して、わたしたちに気付かせもせずに……」

 

 アーチャーは黒髪をかき回した。

 

「いや、それだがね。衛宮家の結界云々なんて私は知らないんだが。

 防衛網を突破されたと知っていたら、きちんと報告したよ。

 私は魔術については全く知識がない。

 なにかやっているのなら教えておいてくれないか」

 

「あ」

 

 黒髪と銀髪の少女は顔を見合わせて、同音で合唱をした。

 

「ごめん、聖杯は一般常識や言葉の加護しかないんだったっけ……。

 ここには、士郎のお父さんが施術したらしい、侵入者警報の結界はあったわ。

 でも、警報じゃ間に合わないから、侵入に抵抗する種類の術も施術したの。

 結果として、まったく役に立っていなかったけど」

 

「マスターより優れた魔術師が、キャスターのサーヴァントなんだろう。

 驚くにはあたらないと思うね。いくつも有益な情報をくれたよ」

 

「キャスターも女の英霊なのね」

 

 眼を瞠るイリヤに、アーチャーは頷き、胡坐を組みかえた。 

 

「たぶん、大変な美女の英霊だよ」



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30:新たなる強敵

「なんでさ」

 

 純朴な問いを発する男子高生と、無言で眼光を険しくする女子高生。

 

「私の部下には大層な女好きが二人もいた。

 彼ら曰く、美人は声まで美しい。なぜならば、美しい骨格が美声を奏でるからだ」

 

「……たしかにそうかも。遠坂も、セイバーも、イリヤもみんなそうだ」

 

 ヤンは思わず眉を上げて、士郎の顔を見なおした。この少年、なかなかやるなあ。

そのへんは衛宮切嗣に似たんだろうか。

 

「彼らのうちの一人は、映画俳優も裸足で逃げ出すような大変な美男子だった。

 もう一人だって、そこらのタレントも目じゃない愛嬌のある美男子だ。

 二人とも美声の持ち主でもあった」

 

「アーチャー、ものすごい説得力だ……」

 

 士郎は拳を握りしめた。黒髪が頷きを返す。

 

「それだけじゃないんだ。私の周囲の美男美女は、みんなその条件に適合した。

 なにより敵国の皇帝は、絶世の美貌に素晴らしく音楽的な声の持ち主だ。

 こうなると、彼らの言に異説は持てない」

 

「え、絶世のって、そこまで……」

 

「私の言葉などでは、表現しきれないような美青年だった。

 あのキャスターも、とても美しい声だったよ。

 生前はかなり高い身分の女性だったと思う。言葉遣いにも落ち着いた気品があった」

 

「でも、それだけじゃさあ」

 

「士郎君、もうひとつあるんだ。美人は自分の魅力を知っている

 そして、それは会話にも現れる。本物の美人は会話も魅力的だ。

 美声は美貌を保証しないが、美貌の美声には裏づけがある。これも彼らの弁だがね。

 彼女の話は、とても知的で興味深かったよ」

 

 夕日色の髪が、音を立てる勢いで上下に振られた。あほな会話の男子どもに、女子の視線が突き刺さる。

 

「この馬鹿、そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」

 

「リンの言うとおりです」

 

「シロウもアーチャーもフケツだわ。ケダモノね!」

 

「うん、ケダモノ」

 

「お嬢様、益体もない低俗な番組をご覧になってはいけません。

 リズ、おまえも見てないでお止めしなさい」

 

 蒼褪める高校二年生(真)と、平然たる高校三年生(偽)。後者は表情も変えずに、少女たちに説いてみせた。

 

「いいや、これだって真面目な話さ。わずかな材料でも手がかりになる。

 キャスターとなる英霊は、魔術が魔術として語られた時代の英雄だ。

 そして、身分の高い美女だということを踏まえれば、事前対策がある程度可能だ。

 毒薬に媚薬、魅了や幻惑の類いには注意するとか」

 

 セイバーの手から、茶菓子の饅頭が膝に転がり落ちた。

 

「な、な、何を言って……」

 

 動揺した様子のセイバーに、ヤンはおや、と思った。

キャスターへの主戦論といい、この様子といい、魔術師に反感を抱く理由があるのかもしれない。

 

 第四次のキャスターが非道な相手だったのだろうか。前回のマスターと、よほどにうまくいかなかったというのもあり得る。あるいは……生前の問題か。

 

 この儀式は降霊だという。前回亡くなった参加者を呼んで、事情聴取ができればいいのに。それこそキャスターに聞いてみたい。そのほうが手っ取り早いと思うヤンだ。ハムレットの父王のように、誰が悪いのか告発してくれないものだろうか。彼らの息子や娘が、ハムレットのようになっては困るけれど。

 

 それは口にせず、ヤンは最も危険そうな人物に懇々と注意をした。

 

「お伽噺にあるだろう。魔術を使う、美貌の高貴な女性」

 

 随分と回りくどい言い方である。

 

「って、魔女だろ?」

 

「士郎君、キャスターはそう呼ばれるのは嫌いなようだ。注意してほしい。

 白雪姫に眠れる森の美女、白鳥の湖。そのへんの常套手段じゃないか。

 幻惑はアーサー王の魔術師マーリンもやってなかったっけかな」

 

 心臓に悪いどころではない言葉だった。サーヴァントの心臓が、いかなるものかは不明だが。セイバーは、座卓の下に転がり込んだ饅頭に手を伸ばすことで、表情と動揺を隠した。

 

「お伽噺には、原型となる話が神話や伝説にあるんだ。

 月や夜の女神。アルテミスにヘカテー、北欧のフレイヤ、ケルトのモリガン。

 変化に幻惑、出産と豊穣。そして死や眠りも司る。

 月と夜、さらには水と神秘の象徴なんだ。

 美しく、情が深く、ゆえに嫉妬深くて残酷にもなる。

 女性の二面性とも言えるんだろうね」

 

「いや、俺に同意を求められても、その、困るんだけど……」

 

 また女子の目力が増強してるし。女の子には優しくしないと損をする。じいさんの言葉は真理だったようだ。 

 

「キャスターは、そういう存在なんじゃないかな。

 彼女はセイバーにご執心のようだった。

 篭城戦には弱点があるんだよ」

 

「弱点?」

 

 士郎は頭を捻る。たしか、歴史の授業に出てきたような気がする。

 

「援軍がいないとダメだってことか」

 

 アーチャーは微笑んだ。

 

「一般的にはそれが正解だが、聖杯戦争では少々違うんだ。

 相手に無視されると意味がないのさ」

 

「え、無視って……」

 

「それが一番困るんだ。彼女の仮想敵がイリヤ君ならね」

 

「わたし?」

 

 自分を指さすイリヤに、アーチャーは頷いた。

 

「わかっている限りでは、君たちが最強の主従だ。

 アインツベルンのマスターとして、聖杯の器も持っている。

 そんな君がキャスター以外のサーヴァントを斃し、霊地に籠ってしまったら?」

 

「む……。陣地から出て、攻めるしかなくなるよなあ」

 

「そのとおり。短期戦の聖杯戦争で、勝つには不利なクラスと言える。

 だからこそ、セイバーという前衛を欲しているんだろうね」

 

 イゼルローン要塞だけでは雷神の槌が意味を成さないように、キャスターの魔術の範囲へ追い込み役が必要になるというわけだ。おおよその魔術をキャンセルできるセイバーなら、同士討ちの心配がいらない。

 

「魔術師の考えることは一緒ね。

 だから、セイバーは最優のサーヴァントというわけよ」

 

 もっとも、セイバーとして付与される対魔力は、標準的には大魔術で即死しない程度。魔術では傷付けられぬ士郎のセイバーは、破格の存在である。

 

「キャスターの魔術ごとき、私には効きません」

 

「しかし、セイバーが魔術をキャンセルできても、

 士郎君が篭絡されてしまってはどうしようもない。

 そういうことがないようにと、君たちに注意喚起をしておくよ」

 

「ちょっと待ちなさい。あんた、キャスターとそんなことまで話したわけ?」

 

 雷雲漂う凛の言葉に、アーチャーは小首を傾げた。 

 

「いいや、違う。私も彼女にスカウトされたんだ。

 高待遇を匂わせてくれたが、無辜の市民の生命力が報酬では頷くつもりはないよ。

 しかし、それは私やセイバーを抱えるに足る魔力を集めているってことだ。

 争うよりも、交渉でなんとかしたい相手なんだよなあ」

 

 勝てない戦いはしない。戦うならば負けないで済む方法でやる。そして負けたことはないという凛のサーヴァントは、緑茶をもの珍しそうに啜って続けた。

 

「それだけの魔力を運用できる者なら、

 魔力の釜たる聖杯をうまく使えるんじゃないかって思うのさ。

 イリヤ君の家の悲願や、凛の研究テーマにも有益な情報を持っているかもしれない。

 効率よく複数の願いを叶える方法も。

 マスターとサーヴァント、二者のどんな願いでも叶うシステムならば、

 妥協すればもっといける可能性もあるんじゃないかな?」

 

「でも聖杯は、サーヴァントが残り一騎にならないと出現しないのよ」

 

 こちらは緑茶も和菓子も、一口でやめにした銀髪の少女の言葉だった。

 

「そうかなあ。これまでの四回、願いを叶えた者はなく、

 しかし、斃れたサーヴァントはいるわけだろう。

 それも含めて、専門家に診てもらおうと考えているわけさ」

 

 ヤンは顔色一つ変えず、凛に明かした内容は伏せて、他の陣営に考えの一部を明かした。視線で同意を求められ、セイバーは頷いた。

 

「ええ、私も前回、この手でサーヴァントを斃しています。

 

「そして、君と黄金のサーヴァントが残った。

 君は途中で消滅したそうだが、その相手とマスターはどうなったのか」

 

「……いいえ、何も」

 

「何もわからないで戦いを進めてはいけないと思う。

 私たちサーヴァントは、幽霊の一欠片のコピーにすぎない。

 死んだところで、なんの痛痒もないが、人間はそうはいかない。

 だからこそのサーヴァント、騎士の果し合いに

 代理を立てるようなものではないかな」

 

 士郎がまた目を丸くした。

 

「騎士の果し合いに代理ってありなのか……?」

 

 それに聖緑の瞳が苦笑する。

 

「シロウ、珍しいことではありません。

 たとえば、貴婦人の代理として、夫の仇と一騎打ちをすることもあります。

 そう言いたいのですね、アーチャー」

 

「この場合は父母の仇というか、その原因が前回の聖杯戦争だろう。

 特に御三家同士で、跡取りを殺しあったら本末転倒だ。

 家門を断絶させないための取り決めがあったのかもしれない。

 だが、外から迎えられた、切嗣氏にそれが伝わっていたかどうか。

 セイバーは何か……」

 

 金の髪が力なく揺れる。

 

「イリヤ君は?」

 

 躊躇いがちに銀髪も揺れた。

 

「とまあ、こういう次第だ。巻き込まれた士郎君は当然知らないだろう」

 

「ちょっと、わたしには聞かないわけ?」

 

 翡翠の瞳に険を含ませる凛に、黒い瞳の半ばまでを瞼が覆った。

 

「自分が死んだら後がないのに、セイバーを呼んで出陣する気だった君が、

 知っていたとは思えないね」

 

「うっ……悪かったわよ。根に持ってたの、あんた……」

 

「そういうわけじゃないよ。それが趣味の人間もいる。

 まあ、凛は違うってわかるけどね」

 

「え?」

 

 どんな趣味だ。というか、なんて奴だ。一同が眉間に縦皺を作る中、黒髪のサーヴァントの嘆き節が続く。

 

「私だって、どんな英雄と出会えるのかと楽しみにしてたんだ。

 なのに、ヘラクレスはバーサーカーだし、ランサーは怪人青タイツだし、

 ライダーは妖女黒タイツだ。夢も希望もありゃしない」

 

 正確に言えば、ライダーはタイツではないが、まだそのほうがましだった。ヤンは内心で、聖杯戦争のシステムに呪詛を吐いた。英霊の一欠片を、クラスという枠に押し込むというが、絶対に劣化しているに違いない。

 

 クー・フーリンもヘラクレスも父を神に持つ王族の貴公子。メドゥーサも海神ネーレウスの血を引く姫君だ。それぞれの時代において、最高の美を誇る知識人でもあるはずだ。

 

 そんな巨大な人格の持ち主たちを、七人も完全に再現できる魔術があるなら、聖杯戦争はとっくに成功している。

 

 彼らに比べれば、ささやかに過ぎる自分でさえ、酒も買えないこの童顔。身体能力は二十歳、外見は二十五歳ぐらい、そのぐらいの融通も利かないとはポンコツじゃないか。万能の願望機だなんて、ちゃんちゃらおかしい。信じるに値しない。

 

「ああ、私もなんで応じちゃったんだろうなあ……。こんな面倒くさいものだったとは」

 

 毟り取ったベレーを渋い顔でもみくちゃにするアーチャーに、名前を略されたサーヴァントの主はおずおずと質問した。

 

「えっと、セイバーは……」

 

「もちろん、セイバーは私の理想の女騎士って感じだけど、

 マスターである士郎君を差し置いて、あれこれ聞くのも失礼だろう?」

 

 剣の主従は決まり悪げに顔を見合わせた。前半は素直な賞賛だったが、後半は衛宮主従の交流を促すものだ。同盟者は当然として、マスターにも真名を秘しているセイバー。士郎も、養父とうまく行っていなかった様子の彼女に、臆するものがある。言峰神父の言葉が事実なのか、それも心に(わだかま)って。

 

 

「こうなりゃ、キャスターに希望を託すしかないよ。

 ひととおりの目途がついたら、さっさと座に帰るから」

 

「ちょ、ちょっと待った! 待ってくれ!」

 

 声を張り上げたのは、彼のマスターではなく、セイバーのマスターだった。

 

「それは困る! アーチャーが居なくなったら、

 俺、このメンツの中でやっていかなきゃならないじゃないか!」

 

 黙々と努力するだけでは、どうしようもないことがあると悟ってしまった士郎である。これまでの士郎は、肉親もない孤独な存在だった。だが、その半面、こういったしがらみにも縁がなかった。だから、自分のことにのみ努力することができた。

 

 でも、じいさんの娘が現れ、じいさんのサーヴァントだったセイバーも現れ、イリヤの身内のメイドさんまでやってきた。精神的には、バーサーカーにやられちまったほうが楽だったかもしれない……。

  

「……無理。絶対に無理だ。

 頼む、じいさんの事を調べるのにも、色々教えてほしいんだ」

 

「はあ、でも基本のやり方は、ちょっと調べればわかることだけど……」

 

 士郎は夕日色の髪をぶんぶんと振った。

 

「アーチャーのちょっとは、俺には沢っ山なんだ!」

 

「うーん、大半は聖杯の知識のお陰なんだけどなあ」

 

 これに物言いをつけたのはイリヤである。

 

「ちがうでしょ、受け取り手の差があるもの。わたしのバーサーカーにはムリよ」

 

「ほんとにもったいないなあ。

 ヘラクレスの師は、ギリシャ神話最高の賢者ケイロンだ。

 アーチャーかセイバーなら最強にして最賢、主に忠実な最高の戦士だったのに。

 この聖杯の知識の恩恵、マスターが受けられればいいのになあ。

 時代も国も違う私たちが、当たり前に会話し、本や記録を読めるって、

 そっちの方がものすごいことだろう。これを普段も君達が使えないのかい?

 言語のサポートまであるし、テストだって楽勝だ」

 

 高校生の心を砕くような一言だった。

 

「あーっもう、それを言わないで! 

 聖杯戦争に敗れて死ねば、期末考査は関係なくなるけどね!」

 

「君たちがちゃんとテストを受けられるように努力するよ」

 

「お、おう。その、どうも」

 

 ああ、そうか。負けて死ねばテストは受けられないが、生き延びれば問題になってくる。あれは再来週だったっけ。テスト勉強にも、そろそろ手をつけなくてはいけない。

 

 そして、じいさんの隠し子問題。琥珀の瞳が翳りを帯びた。生きていくのは大変なんだ。でも、あの時劫火に消えれば、狂戦士の剛腕で八つ裂きにされれば、今はない。辛くとも、いいことばかりでなくても、生きているのだから。だからテストだって……。

 

 そこまで考えた士郎の脳裏に、不吉な雷光が閃いた。

 

「ま、まずい、まずいぞ、遠坂! さっさと学校のカタを付けないと!」

 

「急に切羽詰ってどうしたのよ、士郎」

 

「来週は高校入試だ! ガンドの風邪で避難はムリだぞ!」

 

「あーーっ! そうよ、まずいわ。うっかりしてた!」

 

 蒼白になったマスターの言葉に、アーチャーは天井を仰いだ。

 

「おいおい、凛、そいつはうっかりじゃ済まないよ。

 君の言うとおり、止めを刺しときゃよかった。

 仕方がない、ライダー陣営の焦りを誘って、入試までにカタをつけよう」



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31:アーチャーの会議好き

 入試までにライダーのカタを付ける。士郎には可能とは思えず、アーチャーに詰め寄った。

 

「どうすんのさ!」

 

「なんとか撃退に成功したライダーだが、

 凛の虎の子のおかげで、氷漬けになっている。

 令呪による転移で、取り逃がしてしまったが、令呪を使わせたから無駄ではない」

 

 整然とした説明が再開された。作戦参謀としては、やる気がないくせに能力だけはやたらと高く、ゆえに煙たがれたヤンだ。その気になれば、このぐらいの説明はお手のものである。

 

「俺が大汗かいているときに、そんなことになっていたんだ」

 

「私よりもマスターのお陰だね」

 

 凛は碧眼を眇めると、忌々しげにライダー戦の決算報告を行った。

 

「当然でしょう。元手が掛かってんのよ。ざっと三百万円と十年間分の魔力がね」

 

 士郎の上体が揺らいだ。精神に食らったアッパーカットが、肉体にも効いたのだ。

 

「え、な、なんだってぇ!? さっ、さっ、さんびゃくまんえんーー!?」

 

 イリヤの方はわずかに銀髪を傾げただけだ。

 

「そういえば、トオサカは宝石翁の弟子だったものね。でもリンすごいわ。

 たったそれだけで、サーヴァントを凍らせる魔術ができるんだもの」

 

 桁はずれの金満家の言葉に、凛は不機嫌になった。

 

「たったってね、一個百万はしたんだけど」

 

「え、遠坂の魔術って……」

 

「魔術のための触媒として、お高い宝石が必要なんだそうだよ、士郎君」

 

 道理で、『月五万や十万でも十年溜まればそれなりでしょう』と言う金銭感覚のはずだ。それは高校生としておかしいから!

 

「早めに、上納金だか授業料を払ってあげてくれ。分割払いでいいから」

 

「わ、わかった。でも俺、遠坂に魔術習っても、そんなの用意できないんだけど!」

 

 今後、どんな教材が必要になるのか。戦々恐々とする士郎に師匠は手を振った。

 

「ああ、士郎には当分必要ないから平気。

 大量の魔力を生成して、制御して放出できるようにならないと無理よ」

 

「う、あう」

 

 容赦のないごもっともな講評だった。

 

「それよりなにより、最初はセイバーへの魔力供給からよ。

 もう、あの石だって結構高かったんだから」

 

 昨夜飲まされた石の金額を聞いた士郎は卒倒しかけ、浄化槽の清掃をしなくてはならないのかと危ぶんだ。そして、助け舟を出してくれたアーチャーともども、メドゥーサにも勝る眼光に射竦められることになったが、まあご愛嬌と言えるだろう。

 

 イリヤは『ジョウカソウってなにかしら?』と疑問を持ったが、賢明にも沈黙を守った。

 

 凛は、セイバーを取られた憤懣を込めて、弟子のへっぽこぶりを腐したが、問題点を指摘することは怠らなかった。

 

「現物で返せとは言わないけど、士郎はきちんと授業を受けて、

 上納金と授業料を払いなさいよね。

 わたしが身銭を切ったのに、

 ヘロヘロなラインしか繋がらないってどういうこと!?」

 

 凛の剣幕に、士郎は正座して頭を下げた。 

 

「遠坂、ごめん。ぶ、分割払いでお願いします。

 できれば、その、六十回くらいで……」

 

「あんたね、それは聖杯戦争を生き延びないと無理でしょ」

 

「リンだってそうじゃない」

 

「それはそうよ。でも、わたしが死んだら、士郎だって遅かれ早かれ死ぬわよ」

 

 断言する凛に、士郎は眼を剥いた。

 

「な、なんでさ!?」

 

「わたしの弟子でなくなったら、真っ先にあんたが襲われるわ。

 わかってるだけでも、ランサーに、ライダーに、キャスター。

 イリヤとあんたじゃ、当然弱い方が狙われるわよ。

 セイバーが魔力切れで消滅するか、自己流の魔術で自爆するでしょうね。

 そしたら、イリヤだって困るのよ。

 お父さんのことを、調べられなくなっちゃうでしょ」

 

 士郎とセイバーは、力のアインツベルンと知の遠坂、二人のサーヴァントのお陰で平穏を保っているようなものだ。そして、知の恩恵を受けているのは、アインツベルンも一緒だった。セラは、美しい所作で凛とアーチャーに一礼すると、主を諭した。

 

「遠坂様のおっしゃるとおりですわ、お嬢様。

 こちらに移っていなくては、あの森で孤立し、絶好の的になっていたでしょう。

 お二人の助言に感謝しなくては」

 

「アーチャーが言ってた怖いことって、こういうことなのね。

 ありがとう、リン。シロウも」

 

 セラを真似て、小さな銀の頭も下げられた。慌てた士郎は手を振った。

 

「い、いや、俺何にもしてないしさ」

 

 士郎の言葉に、白い五稜星が左右に揺れた。

 

「士郎君は大したことをしてるんだよ。

 生死の危機を二回も生き延びて、切嗣氏のことをイリヤ君に教えてくれた。

 凛とイリヤ君とセイバーを受け入れてくれたのもね」

 

 士郎が、間桐慎二のような性格ならば、もっと紛糾していただろう。自己への執着が薄すぎるのは問題だが、この場合はプラスに作用した。しかしこれから、正しい意味での自尊心を身につけてもらわなくてはならない。それは凛やイリヤに任せるとしよう。家族を失った悲しみを癒すのは、新たな愛情なのだから。

 

 幽霊にはできないことだし、してよいことでもない。

 

「いいこと、わたしがいいって言うまで、絶対に独断専行しちゃ駄目よ。

 セイバーもお願いね。こいつが無茶しないように見張ってて」

 

「リンに感謝を。シロウをよろしくお願いします」

 

 礼儀正しい美貌の騎士を、凛は魔術師の目で検分した。

 

「まあ、なんとかやってみましょうか。 

 それでも、セイバーの魔力は昨日より回復してるわね。

 食事のおかげかしら?」

 

 そして、相変わらず魔力が満タンにならないアーチャーにも首を捻る。先ほどの光線銃の消費は、拍子抜けするほどに少ないものだった。一方、霊体化していても魔力をそこそこに食うのだ。

 

「さて、夕食前に切りあげないとね。続けて、アーチャー」 

 

「はいはい。ライダーの使役者は、やはり間桐慎二君だった。

 で、君達には私がキャスターではないと言ってもらったが、

 彼には私がアーチャーと断定できなかったようだ」

 

 イリヤが真紅の瞳を瞬いた。

 

「マトウシンジは正式なマスターじゃないということね」

 

 正式なマスターには、敵のサーヴァントの能力が透視できる。その情報は、マスター経由でサーヴァントに伝達されるとヤンは推定する。単独行のランサーが、ヤンのクラスを判じかねていたのが傍証だ。そして、消去法でセイバーとアーチャーを挙げてしまったのが、ランサーの不運の始まりでもあった。

 

「召喚者は別に存在すると考えて、注意を怠らないように。

 こうなると、自分に似たサーヴァントを召喚するという点で、

 もう確定と思ってもいいだろう」

 

 表情を曇らせて、黒髪を掻きまわす。示唆された実姉にとっては、問い返すまでもなかった。ヤンは、桜が養女に行った理由を聞いていた。

 

 桜は、魔道の家門の加護なくば、生きていけないほどの素質に恵まれていたのだ。五つの属性を持つ凛に劣らず希少な、架空属性『虚数』の所持者。

 

 魔術回路が絶えた間桐家の、後継を生む者として乞われたことだろう。マキリの魔術は継承できないが、将来の家門の母として守られるためだ。知識は与えられずとも、桜には魔術回路がある。凛とほぼ等しい数の、強力なものが。

 

 そして、ペルセウスとメドゥーサに共通する、固有性の低い触媒を使ったとすると、

召喚者に似たほうが召喚されるのだろう。魔物と化す前のメドゥーサは、豊かな髪と水晶のような灰色の瞳、曲線美に富む肢体に恵まれた、美貌の持ち主であった。そして『妹』である。

 

 ライダーがメドゥーサならば、真の主は間桐桜だ。

 

「凛の魔術を解除するには、令呪を使うか誰かに頼むかの二者択一になる。

 前者ならば、残る令呪は最大でも一個。

 ライダーを殺し、他のサーヴァントと再契約する気があったら、

 そもそも令呪を消費してまで避難はさせないだろう。

 間桐家の他の魔術師に、凛の術が解けるのならば、そうするだろうが……」

 

「あの家の当主だろうと、そんなに簡単には解けないわ。

 十年間蓄積した魔力による、Aランク相当の魔術だもの。

 世界の修正があっても夜中までは保つわよ」

 

「じゃあ、明日には復活しちゃうじゃないか」

 

 凛は人の悪い笑みを浮かべて、先ほどアーチャーに言ったことを繰り返した。セイバーの主人は納得した。やっぱり、似たサーヴァントを召喚するって本当だと。アーチャーも、ライダーのマスターには、選択肢が少なくとも四つあり、それが行動を迷わせることになると補足する。

 

「せいぜい迷ってもらおうと思っていたが方針を変えよう。

 今夜の吸血行為は不可能と考えていいが、またぞろ蠢動されては堪らない」

 

「やっぱり、ライダーが吸血鬼なのか……」

 

「これは仮定だが、ちょっとした変装をすれば、

 皆が声をかけて、心配するような存在だと思わないか?」

 

 アーチャーは再び、携帯電話の画像を見せた。

 

「さんざん通り魔への注意がされているんだ。

 最もそう思われない姿をしているんじゃないだろうか」

 

 際どい部分を衣服で隠せば、皮の手袋もブーツも冬の装いとしては普通だ。最も目立つ眼帯も、包帯などで隠して、白杖を持てば不審に思われない。

 

「そっか、セイバーをメイドにしたのと同じなんだな」

 

「アーチャーがリンの彼氏になったのもね」

 

「だーかーらー、違うって言ってるでしょ!」

 

 本気で嫌がる凛に、アーチャーは苦笑いをしながら『遠坂凛の親戚』のプロフィール

を士郎とイリヤに伝達する。

 

「そうそう、私は凛の亡くなった大叔父の孫で、大学二年の『柳井』二十歳。

 出身は関東、現在は京都に在住。

 そういう設定にするつもりだから、心に留めておいてくれ」

 

「なんでさ。なんでまた、そんなに細かいんだよ」

 

「明日のランサーとの会食を、誰かに見られたらそれで通すからさ。

 ランサーは、大学の留学生ということにでもしようと思って。

 そうだ、凛。明日の会食の飲食店、どこか予約しておいてもらえないだろうか」

 

 凛は反射的に尋ねた。

 

「あんた、本気? こんな時に!」

 

「こんな時だから、彼に助力してもらいたいんだよ。

 敏捷性でライダーと同格であり、ライダーに勝る白兵戦技能の持ち主だ。

 ランサーでありながら、マスターと離れて行動できる。

 持久力がセイバーやバーサーカーに勝るということだ。そのうえ、霊体化が可能。

 一定の広さの屋内を戦場にするなら、対ライダー戦は彼以上の適任はいない」

 

 つらつらと列挙されるのは、ランサーがいかに強敵であるかということの裏返しだった。今のところ、アーチャーの奸智に丸め込まれてしまっているが、逆にアーチャーとランサーが組めば、このうえなく手強いだろう。セイバーは密かに危惧した。

 

「どうやって協力させるのよ。あんた、あれは嫌われたわよ。

 色々とひどすぎるわ」

 

 凛の非難に、アーチャーは人畜無害そうな笑みを浮かべた。

 

「とんでもない、私は彼の命の恩人になるんだよ。

 さらに美味と美酒を振る舞い、彼の願いを叶えるように持ちかける。

 強敵と武を競うチャンスだよとね。魅力的な提案だと思うんだが、どうかな」

 

「よ、よくもまあ、そんなことを言えるわね……」

 

 従者の悪どさに、うら若き女主人は呆れかえった。発想が完全に悪徳商人だ。事故死したという彼の父は、さぞやり手だったに違いあるまい。

 

「だから、ランサーとの約束を破るわけにはいかないよ。

 彼も誓約に縛られるうちは、全力を発揮できないからね。

 ご馳走を食べて、後顧の憂いをなくし、管理者に協力してもらうのさ。

 おまけに私の願いも叶うし、いいことずくめだろう?」

 

「なんと不謹慎な! 何より、サーヴァントならば私がいる。

 なぜだ、アーチャー」

 

 一転、険しい顔になったセイバーに、アーチャーは髪をかき混ぜて眉を下げる。

 

「申し訳ないんだが、今の君は表面上、

 イリヤ君のサーヴァントに見えるようにさせてもらってるんだ。

 一方、イリヤ君の真のサーヴァントを知っているのがランサーだ。

 バーサーカーは切り札だ。直前まで伏せておくべき類いのね。

 ランサーとライダーのマスターが、手を組むことを阻止する目的もある」

 

「どうしてなの? バーサーカーは最強よ。

 ランサーなんかじゃ傷も付けられないんだから」

 

「イリヤ君は、バーサーカーはおしゃべりができないって言っただろう?

 彼の宝具は真名解放型のものではない。違うかな?」

 

 穏やかに問いかけられて、イリヤは息を飲み込んだ。

 

「バーサーカーは、極めて高い能力を持っている。

 肉弾戦では彼に勝てるサーヴァントはいないと思うよ。

 しかし、サーヴァントの強さは宝具に依るところが大きいと、

 セイバーもさっき言ったね」

 

 不承不承という表情で、上下動する金銀の髪。

 

「バーサーカーの宝具は、常時発動型ではないかと私は推測するんだが」

 

「う……」

 

 言葉に詰まるイリヤに、アーチャーは手を振った。

 

「ああ、無理に話さなくてもいいよ。私だって秘密にしてるからね。

 バーサーカーの白兵戦能力は比類ないものだろう。

 だが、真名解放型宝具ではないとなると、爆発力に欠ける。

 機動力に富み、宝具に依存するライダーとの相性は、あまりよくなさそうだよ。

 彼女は肉弾戦の専門家ではなさそうだから、

 正面から身一つで組み合うとは思えない」

 

 バーサーカーは、肉弾戦に優れたサーヴァントに、無類の強さを発揮する。しかし、欠点も存在するとのアーチャーの言だった。バーサーカーの攻撃範囲の外から、イリヤを巻き込むような一撃を放ってくるかもしれない。

 

「ライダーがメドゥーサならば、一番厄介なのは石化の邪眼だろうね」

 

 イリヤは怪訝な顔になった。セイバーの主従も同様だ。

 

「きっと宝具のペガサスじゃなくて?」

 

「馬って大きいんだよ、イリヤ君。バーサーカーと同じぐらい背も高いんだ。

 そのうえ、翼がついているなら余計に場所をとるのさ」

 

 騎士だったセイバーが真っ先に気付き、はたと膝を打った。 

 

「ええ、あの廊下で騎乗するにはいかにも狭い。

 騎乗して走るなら、バーサーカーより高さが必要になります。

 なるほど、見事な計略です」

 

「私が生き残るには、それしか方法がないからね」

 

 幅二メートル半、高さ三メートルの学校の廊下では、翼をたたんでも身動きがままならないだろう。こと戦闘になると、ヤン・ウェンリーはどこまでも根性悪になれるのだ。

 

「私の宝具は、威力は低いが数撃ちゃ当たる。遠くからね。

 だが、接近戦主体のセイバーやバーサーカーはそうはいかないだろう。

 どちらも単独行動ができないから、

 士郎君やイリヤ君がそばに付かなくてはならない。

 彼女の一瞥で石になるんじゃ、天馬よりおっかないよ」

 

 衛宮とアインツベルンの陣営は顔を見合わせた。代表してイリヤが異議を述べる。

 

「でも、マキリの跡取りが、わたしを殺そうとするかしら?

 聖杯の器が手に入らなくなるのよ」

 

 それにヤンは首を振る。

 

「彼が魔術師として、ちゃんと教育されているかどうか。

 聖杯の担い手の意味も、知っているか怪しいものだ。

 でも、マスターとサーヴァントが七組というのは知っているだろう」

 

 そう言うと、ヤンは士郎の状況を説明した。セイバーは、イリヤの命で士郎の監視役についている。前回もアインツベルンのサーヴァントとして、アイリスフィールを守っていた。そして、前回は最後まで勝ち残っている。

 

「それほどに有能なセイバーを、再び召喚するのはむしろ当然だろう。

 イリヤ君のお母さんは、セイバーを公然と同行させていたようだし」

 

 セイバーは目を伏せた。

 

「ええ……とても楽しそうに、この街を見ていました」

 

「娘が母の真似をしても不自然ではないよね。

 イリヤ君が前回のことを知らないということは、

 我々以外は知りえないんだから」

 

 決勝まで残った切嗣主従の戦果は大したものだ。せっかくの情報を無視することなど、常識では考えられない。

 

「なるほど……、たしかに、イリヤスフィール……様のサーヴァントとして、

 私がシロウを監視しているように見えるでしょう」

 

「だから、士郎君のサーヴァントは、慎二君にとっては謎のままだ。

 イリヤ君のセイバーがついているのに、

 士郎君を無防備にすることはありえない。

 よって、姿を見せず霊体化しているとね」

 

 その先入観を利用した、ちょっとした詐術だ。

 

「じゃあ、シロウには、サーヴァントが二人ついてるって、そう思わせてるの?」

 

 イリヤの質問にアーチャーは頷いた。

 

「そして、士郎君は凛の弟子で、イリヤ君の義理のきょうだいだと言い渡してある。

 私とセイバーと謎の一騎を、敵に回そうとは思わないだろう。

 イリヤ君に手を出すならば、ここに攻め入ることになるが、

 隙だと思わせることで、襲撃を日中に誘導できるのさ」

 

 夕方には、セイバーと架空の一騎が帰ってくるからだ。

 

「となると、ペガサスで飛ぶわけにはいかなくなる。

 邪眼にさえ注意すれば、バーサーカーの有利は動かない」

 

「だから、私をアインツベルンに?」

 

 前回のマスターと酷似した手法に、反感を覚えていたが、そちらが目的だったのか。なんという神算鬼謀だろう。慄然としかけたセイバーに、アーチャーは手を振る。

 

「いやいや、いくらなんでも、そんな先読みはできないよ。

 君にメイドのふりをしてもらったのは、

 主に士郎君の今後の生活を守るためだからね」

 

「あ、ありがとうございました、アーチャーさん!

 学校の付き添い、ほんとに何とかなったんだ。

 あ、そうだ。セラさんもありがとうございました……」

 

 士郎は、アーチャーとセラを伏し拝んだ。今日の学校への説明は、イリヤ側の使用人ということでセラに押し切ってもらい、見事にセイバーの付き添いを了承させてしまった。しかるべき理由できちんと手順を踏めば、おおよそのことは通るというアーチャーの言葉のとおりに。

 

 ――養子と隠し子の骨肉の争いなんて、学校だって巻き込まれたくはない。特に、穂群原高校は私立で、公立とは違って自治体の後ろ盾がない。

 しかし、簡単に退学とも言えない。生徒は金蔓だからだ。だからこそ、管理職は当事者同士でなんとかしてくれと考えるものだ。きちんと許可を求めての付き添いだし、藤村先生の証言もある――。

 

 そして、この騒動は、全校生徒の耳目を惹いた。部活動どころではなく、みんなが応接室を遠巻きにする状況になったのだ。四階の特別教室周辺から、生徒を遠ざけるのにも一役買ったのである。

 

 ヤン・ウェンリーの魔術は、彼が望むカードを相手に選ばせて引かせる。破滅を迎えるまで、相手はそれに気付かない。

 

「そして、士郎君と同じくらい、間桐慎二君の今後のことも配慮すべきだ。

 彼を殺すのは論外。私たちのマスターに犠牲者を出すのと同様にね」

 

「なぜですか。大勢の人間を害しようとしたマスターでしょう」

 

「たしかにね。しかし、そいつはサーヴァントの仕業だ。

 マスターの指示によるものだとしても、教唆犯と実行犯では後者の方が重罪だ」

 

 セイバーの白い頬に朱が上った。

 

「なんと卑劣な!」

 

「私もそう思うよ。

 しかし、ライダーが嫌だと言っても、令呪で命令されたら拒めない。

 そんな犯行を抑止するのが教会だろうに、ろくに働きかけもしてないじゃないか」

 

 前回の教会の対応を知るセイバーは考え込んだ。深い緑に金の睫毛が影を作る。

 

「……前回のキャスターは、一般人に無用の殺戮を行う輩でした。

 教会からの要請で、他の陣営と協力のうえで、キャスターの討伐に当たった。

 たしかにおかしい。アーチャーの言うとおりです」

 

「あちらがやらないなら、管理者が抑えなくてはいけないのは、

 君も騎士なら分かってくれると思うけどね」

 

 金沙の髪が頷き、決然とした眼差しを漆黒の瞳に注ぐ。

 

「国を守るのが騎士たる者の務めですから」

 

「それでも、同格の存在である間桐を蔑ろにできないだろう?」

 

 形のよい金の眉が寄った。同盟者の討伐は、政略で最も難しいことだ。多くの味方を作らなくては、苦戦と戦後の汚名は必至である。

 

「……わかってきました。

 間桐への対応は、前回のキャスターの討伐の逆だというわけですね。

 同盟者である遠坂、アインツベルンでは難しい。

 かといって、友人であるシロウが行っては禍根を残すと」

 

 アーチャーが穏やかに微笑んだ。

 

「これ以上、間桐主従を追い詰めて、決定的に敵対させてはいけない。

 遠坂陣営は、同盟者を増やし、ライダーが勝てない状況を作る。

 そして、士郎君は慎二君の攻め手を奪いつつ、彼の味方になるんだ」

 

 遠坂凛が北風となるなら、衛宮士郎は太陽になって、間桐兄妹の懐柔をというのがヤンの新たな構想だった。

 

「意味がわからないぞ、アーチャー……」

 

「つまりはこういうことさ」

 

 それから士郎らに語られたのは、仕事を丸投げするために人材発掘と育成に努め、

『ヤン・ファミリー』と称されるほどに、幕僚を団結させた管理職の極意であった。



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32:戦いのかたち

「士郎君と慎二君、桜君に共通する接点は弓道部だね。

 一昨日、君が遅く帰ってきたのは、部活のトラブルだったそうだが、

 ここを士郎君のホームにするんだ」

 

 明らかにぎくしゃくしている、部内の人間関係の調整に努めろということだった。

 

「君の受けた仕打ちを単純になじるのではなく、改善案を提示するのさ。

 できるだけオープンに、部内で合意を形成するといい。

 でないと、彼や君だけが悪者になるからね。どちらもよくないだろう」

 

 みごとな組織管理論だが、士郎の口から疑問が零れおちた。

 

「……なあ、聖杯戦争は?」

 

「それとは別に、きちんとした手段によって解決すべき問題だよ。

 その問題が解決されれば、君や他の生徒の学校生活が充実し、

 相手の攻撃手段を封じることにもつながるからね。

 それで彼が同盟を選んでくれれば、ベストじゃないか」

 

「でもさ、吸血鬼事件も、あいつらの仕業なんだろ」

 

 法律を尊重するアーチャーなのに、その態度は意外だった。

 

「証拠もないし、目撃情報もないけど、恐らくはね。

 彼らは悪事を働いていて、こっちは制止する理由もある。

 戦うのは実は簡単だ」

 

「じゃあ、ライダーを倒さなくちゃ。

 やらせた奴にだって同罪だろ。なんで赦すのさ」

 

 ヤンは、髪をかき回した。それが、聖杯戦争の巧妙で陰険なところだ。

 

「しかしね、捜査もできない、幽霊が犯した罪だ。

 悪事をやらせたマスターには、日本国民として裁判を受ける権利がある。

 それを無視して制裁を加えたら、我々も犯罪者になるんだ。

 士郎君の理想とは少し違うんじゃないかな?」

 

 誰をも切り捨てず、全てに手を差し伸べる正義の味方。静かな眼差しが、士郎に問いかけていた。それが、養父から受け継ごうとした理想ではないのかと。

 

「ああ、うん、だけどさ……」

 

 凛も同意するしかなかった。法治主義者のサーヴァントの言い分は、一理も二理もあった。

 

「ねえ、士郎。やるだけやってみたらどう?

 綾子も手を焼いているみたいだし、桜も弓道部よ。

 確かに、わたしやあんたにとって、人質にできる相手が揃ってる」

 

 士郎には反論の言葉が見つからなかった。ライダーは生徒と教職員全員が犠牲になるような結界を仕掛けている。一人二人の犠牲を躊躇いはしないだろう。

 

「わたしだって、アーチャーに言われるまで考えなかったけど、

 綾子や桜が呼んでるって下級生に言われたら、きっと疑わずに行くでしょうね」

 

 弓兵の役割を果たしているとは言えないが、二百万人以上の兵員の司令官はこういうことまで考えるのか。凛は考え込んでしまった。戦力としては最弱に等しいが、おそらくは歴代で最も賢いサーヴァントだろう。

 

「そうそう、凛もイリヤ君もよく気をつけるんだよ。

 士郎君の学校関係や、教会の呼び出しや来訪は、絶対に複数で対応すること。

 凛の後見人を悪く言いたくはないが、素人同然の学生を焚きつけるような人物を、

 私は信用できないね」

 

「それが正解よ。あいつはね、信用できないことを信用できるというタイプの奴よ。

 人外の化け物を狩っていた、バリバリの元代行者なの」

 

「……じ、人外ってなんだい?」

 

「死徒とかね。言ってみれば吸血鬼やゾンビよ」

 

 黒い目が真ん丸になった。

 

「あの外見を見りゃわかるでしょうけど強いわよ。

 わたしたちマスターが単独じゃ勝てない。アーチャーも肉弾戦じゃ負けるわね」

 

「やれやれ、貴重な情報をありがとう。まったく心躍らないがね。

 だからこそ、ランサーを引き入れたいんだがなあ」

 

 溜息をついて、冷めた緑茶を啜ったヤンは、ふと菓子の皿に目をやった。饅頭や大福がぎっしりと並べられていたのだが、皿の模様がよく見えるようになっていた。

 

もっぱら話をしていたヤンは食べていない。慣れない味に、一口でやめたのがイリヤ。凛は緑茶にもほとんど口をつけていない。士郎も同様。と、すると……。

 

「ところで、明日の夕食の店だけど、美味しくて食べ放題のところがいいと思うんだ。

 定額制のバイキングレストランなんかがいいと思う。

 貸切じゃなくて、予約席で充分だ。人目を味方にした方がいい」

 

「俺の家で夕飯作ってもいいぞ」

 

「サーヴァントに毒は効かないが、苦手な物を食べなくてもいい場所の方が気楽だよ。

 彼にとってここは敵地で、サーヴァントが三人もいるんだから」

 

「あ、そっか、そうなるんだよな」

 

「君だって、後片付けを気にせずにゆっくり話ができた方がいいだろう。

 たまには外食だっていいものだ。なによりも」

 

 凛は半眼になった。

 

「なによりも、何? またろくでもないことか、手抜きを考えているんでしょ」

 

「さすがマスター、ご明察だ。

 食後の運動に、ランサーに一騎打ちを申し込まれたら困るんだよ。

 そういうところなら、すぐさまそういう話にはならないだろう」

 

「やっぱり。どうするのよ、これから?」

 

「うーん、少々エンゲル係数はかさむが、夕食後に翌日の夕食に誘い続けるとか?」

 

「エンゲル係数ってなあに?」

 

「家計に占める食費の割合だよ。低所得世帯ほど、係数が高くなる」

 

「大食いがいても高くなるの?」

 

「そりゃ、食べる人や量が増えればそうなるねえ」

 

 黒髪と銀髪の擬似兄妹が、和やかに会話するのをよそに、士郎が裏返った声で叫んだ。

 

「エ、エンゲル係数!? なんでそんなこと知ってるのさ! 

 これも聖杯の知識なのか、遠坂!?」

 

「わたしが知るもんですか。

 こいつは日本国憲法の素晴らしさを、召喚して六時間後に力説したのよ。

 生前に知ってようが、聖杯の知識だろうが、関係ないと思わない?

 付き合うこっちも疲れるのよ」

 

「なんでそんなに不満そうなの、リン。

 頭がよくて、お話がおもしろくて、マスターをきちんと守れるんだから、

 アーチャーはいいサーヴァントじゃない。

 おまけにだれかさんと違って、リズの服やセラの下着をダメにしたり、

 大食いもしないのよ」

 

「う、あの……」

 

 気まずそうに口を開いたセイバーだが、銀髪がぷいと横を向く。相変わらず、セイバーに対するイリヤの採点は辛口だった。

 

「まあまあ。それは召喚の不備と魔力不足に起因するんであって、士郎君の問題だ。

 だが、そうなったのはイリヤ君と切嗣氏の責任でもあるんだよ。

 セイバーばかりのせいじゃないさ」

 

 ルビーの瞳が、アーチャーを上目遣いに見た。

 

「アーチャーはどっちの味方なの?」

 

「私は凛の味方だから、管理者の部下として公平を期すだけだよ」

 

 セイバーのみを責めるのではなく、広く深く原因を考察せよ。それがアーチャーの論旨だった。士郎の疑問はイリヤの疑問でもあるのだ。黒髪と黒い瞳のアーチャーは、生きていた時代が全く読めない。わかるのは、とにかく頭がよく、本来の意味で中立中庸ということだけだ。

 

『どうにかして、アインツベルンに連れて帰っちゃおうかな』

 

 そんなバーサーカーのマスターの思いも知らず、士郎は野望を抱いた。エンゲル係数。その言葉の意味を虎にも言ってもらおう。そして、食費を入れてもらうんだ!

 

「食費の問題だけじゃないわよ。

 あんたやランサーが、夕飯時に毎日ウロウロしたら、誤魔化しきれないでしょう」

 

「そうだっけ、今だってアーチャーは遠坂の彼氏だって思われてるもんな。

 今度はランサーが加わったら……」

 

「サンカクカンケイ? それともギャクハーレム?」

 

 凄味のある微笑を浮かべた凛が、左手を突き出す。制服の袖から手首に覗く、魔術刻印が青白い光を発した。

 

「なんですって、衛宮くんとフロイライン・アインツベルン。

 もう一度言ってみてくれる?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 異口同音に叫んだ赤毛と銀髪が、揃って米つきバッタと化した。メイドとして誤魔化しているセイバーの気持ちは複雑だった。キリツグとの関係を主張して、士郎の家に同居したら、セイバーもそう思われたことだろう。

 

 ヤンも何とも言えない思いになった。死亡時の外見で召喚されていたら、まずは起こらない問題だった。遠い親戚という説明だけで、あっさりと終わったろうに。

 

「駄目かなあ、やっぱり。

 一回限りだから、彼のマスターも黙認してるんだろうし、

 度重なれば、令呪をもってでもそんなの守るなって言うだろうなあ。

 令呪に余裕があるマスターの場合に限られるが」

 

 ルビーの瞳に、白銀の睫毛が半ばまで影を落とした。

 

「リンとアーチャー、わたしだって聖杯が欲しいんだけど」

 

「それは期限内に、より安全に達成すればいいわけさ。

 目的に応じてさまざまな手段を考え出すのが、マスターの役割とも言える」

 

「そっちはアーチャーのお仕事だったの?」

 

「そういうことだね。

 君は最強のバーサーカーのマスターで、彼の強さは切り札の一つだよ。

 だが、切り札はここぞという時に使ってこそだ。逆に温存しすぎてもいけない。

 その投入の機をはかるのが、イリヤ君に求められることだが、まだ早いと思うね。

 だって、たったの四日目だ。色々と情報を集め、分析してからでも遅くはないさ」

 

「わかったわ。アーチャーのお話は面白いから、もっと聞きたいもの」

 

「それはどうも、ありがとうと言うべきなんだろうね。

 さて、明日の夕食、どうしようか。

 どこかいい場所を知ってるかい? 食べ放題、飲み放題だとなおいいね」

 

 夕日色の頭が、力強く頷く。

 

「俺もそう思った。エンゲル係数的にも。

 安くて、旨い食べ放題の店が新都にあるんだ。予約しとこうか?」

 

「いいや、遠坂の名で予約したほうがいいから、店の名前を教えてくれないか。

 士郎君とイリヤ君の親睦を深めるという名目でね。

 セイバーは当然だが、セラさんとリズさんにも来てもらおう。

 私は凛の親戚で、ランサーは私の友人」

 

「ずいぶんと面倒な設定よね。やっぱり、士郎の案の方が楽じゃないかしら」

 

 確かにその方が楽だが、これも生存のための一手なのだ。

 

「いや、これは大勢の目に触れさせることに意味があるんだよ。

 理由はいろいろあるが、秘匿せよとは公開されるとまずいということに他ならない。

 後ろ暗い真似は、公明正大な行為には絶対に勝てないのさ。

 覚えておくと役に立つよ」

 

 心当たりが多すぎる面々には、言い返すことができなかった。

 

 ぎりぎり夕食前に会合を切り上げ、凛は衛宮家を辞去した。

 

「え、食っていけばいいだろ。二人分くらいなんとかするぞ。

 カニ玉の具はちょっと減るけどさ……」

 

「ありがと、士郎。でも、この二日結構食事をすっ飛ばしたのよね。

 買い直さなきゃならないものがあるのよ。牛乳とか野菜とか」

 

 士郎は夕飯に誘ってくれたのが、そろそろ食品の補充も必要だ。夕方のタイムセールを逃す手はない。マウント深山商店街に寄って買い物をしたら、結構な量になった。アーチャーを霊体化させなくてはならないのが残念だ。荷物持ちをさせてやるのに。

 

『でもやっと、家で眠れるわ』

 

『お疲れさん。ところでマスター、例の物は?』

 

『客間を開けるわ。あんた、掃除しなさいよ』

 

『別に埃じゃ死にゃしないし、もう死んでるから余計に気にする必要も……』

 

『うっさい。あんたの足跡が床に残ったら不審でしょうが。

 箒なら壊す心配はないわよね!? 嫌よ、埃まみれのサーヴァントなんて』

 

 凛の小言に、ぼやくような思念が返ってきた。

 

『誇り高きサーヴァントの方が難しいと思うなあ。

 皇帝が敵だったと言ったのは失敗だったかな』

 

『どうしてよ』

 

『騎士とは支配者階級なんだが、ローマ文化圏では女性の相続権は低かった。

 特にフランスでは、ずっと女性の継承権がなかったぐらいだ。

 時代が下がると、ローマ帝国の影響が少ない英国やドイツ、

 北欧なんかは緩んでくる。

 中世末期のその国々ならば、甲冑の女騎士はぎりぎり存在する。

 容姿や服装的に、最初はそうだと思っていたんだが、どうやら違うみたいだ』

 

 思いがけないと言おうか、彼らしいと言おうか、また歴史論が語られる。今度は女性の騎士についてのあれこれだが、随分と歯切れの悪い調子だった。

 

『よくわからないけれど、それとセイバーがどう関連するの?』

 

『その時代の女騎士は、国を救いたい、守るとまでは言わないと思うんだ。

 女性が継ぐような家は、そんなに名門じゃなくて、貴族の配下でも末端だからね。

 日本の戦国大名の部下の部下、足軽の頭みたいなものだ』

 

 自分の家や主家の存続は願うが、国家という大局的な視点を持つには至らない。

 

『一方、キリスト教信仰も篤くはないから、ジャンヌ・ダルクでもなさそうだ。

 ジャンヌならますます支配者じゃないけどね』

 

 凛は驚き呆れた。よほどセイバーに興味があったのだろうが、作戦を考える合間によく分析できるものだ。好きな甘味は別腹、みたいなものかもしれない。

 

『つまり、セイバーと時代が合わないって言いたいのね?』

 

『そうなんだ。騎士が一国の王というのは、十字軍以前の時代、中世の前半までだ。

 ヨーロッパのどの地域であっても、女性が王位を継げるはずがないんだよ。

 となると服装が噛みあわなくなってしまうんだ』

 

 セイバーの見事な板金鎧は、十四世紀以降の技術力がないと作れない。十字軍の遠征により、イスラムの進んだ冶金術がヨーロッパに流入してからのことになる。アンダースカートの精緻なカットワークレースは、早くとも十五世紀以降のもの。この時代が、甲冑の女騎士が存在するギリギリなのだ。

 

 十六世紀になると、騎士は階級の名称となり、剣を振るっての戦いは銃撃戦へと移行する。中世最末期、あの見事な装束を用意できる家格の娘が、騎士を継ぐこともありえない。国中から、有能な騎士が婿入りを争って願うだろう。彼女は姫君として育てられるはずだ。

 

『英霊が人類の意識の集合体というなら、

 後世の創作によって姿が変容するかもしれない。聖母マリアの服のようにね。

 中性ヨーロッパの前期から中期の、身分の高い女性の騎士なんて不審極まりない。

 取り扱い注意だ。彼女は、士郎君たちに任せた方がよさそうだよ』

 

 聖杯を真剣に欲している者にとっては、その価値を認めていない、物見遊山気分の者の主導には、頷きがたくなっていくだろう。ヤンはそう分析する。だから、素性と目的がはっきりしているクー・フーリンと同盟を結びたいのだが、彼のマスターが誰かわからないのがネックだ。

 

 キャスターは素性と目的、マスターの全てが不明だ。しかし、利己的だが理知的な為人だ。損得勘定ができるということで、金の卵をとるために、ガチョウの腹を裂いたりはしないだろう。

 

 そして、アサシンの動向も彼女は知っている。知識は戦いを制する。敵対よりも利益供与によって、何とかしたいものだあと十日しかないが、凛の師になってもらえないものだろうか。今後に大いに役立つだろう。女性としても、猫かぶりではない気品を身につけられるといいのに。

 

 ライダーは、間桐桜のサーヴァントである可能性が高い。だが、神に翻弄され、死後に星となったメドゥーサが、人の作った聖杯に望むことがあるというのか。むしろ、声なき嘆きに、地母神としての側面が慈悲を垂れたのではあるまいか。かつての自分に似た美しい『妹』に。

 

 衝撃から立ち直り、彼女を桜のサーヴァントと仮定すれば、あのものすごい服装も、別の意味をヤンに提示する。

 

 特に眼帯が。メドゥーサは、ゼウスの兄に略取された乙女として、もう一人の兄である冥府の神ハデスの妻、ペルセフォネーと混同される事があるのだ。

 

 ペルセフォネーは乙女座になったが、じつはもう一人、乙女座になぞらえられた女神がいる。正義の女神アストレイア。ローマ神話のテーミスの元になった存在だ。西洋では広く司法のシンボルとなっている、目隠しをして天秤と剣を持つテーミス。外見にとらわれず、真実に耳を傾けよとの教訓である。

 

 眼帯の女。あの蛇を思わせる服装にも、潜むものがあるのではないか。メドゥーサが表すのは、美女から魔物への変質。蛇は地母神の象徴だが、心理学では恐怖や性の暗示だ。そして、生贄を拘束する鎖にも似たライダーの武器。マスターからのSOSが反映されているのかと思わざるをえない。

 

 あの廊下だって、眼帯を外して突進すればよかったのだ。きっと、彼女は『姉』に手を上げられないのだろう。女神アテナに妹を元に戻すように嘆願し、だが、同じ魔物にされてしまった二人の姉がいるから。

 

 ゴルゴンの三姉妹は、魔物としても受身の存在だった。ガイアが生んだテュホーンのように、神々の下へ乗り込み、散々に暴れたわけではない。『討伐』に来る連中を退け続けただけだ。勇者とやらも、来なければ石にされなかったろうに。

 

 それが、従順というか主体性に乏しい為人となっているのか。あるいは、真のマスターが人質になっているのかもしれない。他人に危害を加える者は、真っ先に家族の中の弱者に矛先を向ける。すでに、手を上げた過去があるようだし、魔術など使えなくても、人を痛めつける方法は無限にある。

 

 しかも、五百年も生きているという老魔術師がいるという。クローン体を作成し、脳移植を繰りかえすというのは、子供向けの立体TVアニメの悪役の手法だ。

 

 しかし、人間の脳の耐用年数は百年程度である。その五倍も長持ちさせるのは、どういう仕組みか。まともな手段ではないだろう。桜だけではない、間桐慎二とその父も、恐らく犠牲者だ。

 

 ライダーを排除して、戦争から一抜けさせるか。彼女も引き入れて、あの兄妹を信のおける人に託すか。難しいところだよなあと溜息が出てしまう。

 

 しかし、気を取り直したヤンは、今まで心話を遮断していたマスターに語りかけた。

 

『とにかく、問題は切り分けて考えよう。

 士郎君の家族の問題は士郎君が担うべきだ。

 君は、君の家族の問題に注力したほうがいい』

 

『わたしの家族……』

 

『そう、君の大事な妹さんがいる』

 

『遠坂と間桐は不干渉なのよ!』

 

 ふと、凛の脳裏に微苦笑の気配が漂った。

 

『養女に行ったからといって、実親との関係は変わらないよ。

 姉妹の関係も同様だ。そんな法的根拠のない悪習なんて従わなくてよろしい。

 そもそも、そいつを主張しているのは誰なのかい?』

 

『……間桐臓硯よ』

 

『おやおや、やはり五百年も前の人間だね。現代法に乗り切れていないようだ。

 いいかい、凛。養子縁組は家じゃなくて、子どもの福祉のためにあるのさ』

 

『え……?』

 

『こいつは、現代も千六百年先も変わっていない基本だ。

 正義の基準は、時に応じて変動するものが多い。

 七十年前は、養子は家の存続のためだったが、現在はそうはいかない。

 すべては桜君の意志でどうにでもなるんだよ』

 

『桜の意志で?』

 

『昨夜言っただろう。やろうと思えば養子離縁ができるって。

 かなり面倒ではあるが、十五歳以上であれば自分でできるんだ』

 

『本当にできるの……?』

 

『本当だとも。もう、君たちは五つ六つの子どもじゃない。

 権利が侵されたのなら、正当な方法を以って対抗できる』

 

『そんなまともな方法、あの化け物には効かないのよ!』

 

 アーチャーに思念を叩きつけて我に返ると、いつのまに坂を登ったのか、自宅の前に立っていた。

 

『凛、ポストを確認してみてくれないか?』

 

『わかってるわよ』

 

 どうせ、夕刊に広告、ダイレクトメールや請求書の類いだろう。そう思っていたが、一通だけ見慣れた文字の封筒が混じっていた。アーチャーに促されて、凛が記入した返信用の封筒。慌てて裏返すが、差出人の名前はない。

 

「嘘、手紙が来てる」

 

『なるほど、彼女は約束を守る人物のようだね。

 化け物魔術師には、強大な魔術師の力を借りてみないかい?

 おとぎばなしにも真実の一端が含まれるのさ』



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閑話6:衛宮家の食卓――ヘラクレスとかに玉と――

 バーサーカーの正体がヘラクレスと知ったアーチャーは目に見えて落ち込んだ。

 

「ひどい。あんまりだ。彼の武勲を一番うかがいたかったのに。

 なんで、アーチャーとして召喚しなかったんだ。

 それこそ、最強だっただろうに」

 

 そんなことを、部屋の隅で膝を抱えて呟いている。凛の翡翠の瞳の半ばを、長い睫毛が覆う。

 

「馬っ鹿じゃないの。

 ヘラクレスがアーチャーだったら、あんたはどうなるのよ。

 あんたがバーサーカーだったら、どっちみち話なんてできないでしょ。

 じゃなかったら、他に空きがあったのはセイバー。

 あんたに剣術なんてできるの!?」

 

「あんまり関係ないんじゃないかい? 

 私が生前できなかった戦略上の最高の結果を出してるんだし」

 

 言われて凛は眉を寄せた。

 

「最高の結果って、何?」

 

 黒髪のサーヴァントはのほほんと笑った。

 

「読んで字のごとくさ。戦いを略すことがすなわち戦略上の大勝利ってね」

 

 凛は、人差し指を立てたアーチャーの胸倉を掴み、ゆっさゆっさと揺さぶりながら説教した。

 

「言われてみると、あんた、ろくすっぽ戦ってないじゃない!

 この無駄飯ぐらい!」

 

 凛の腕力か、はたまたアーチャーが軽量級なのか。衛宮士郎は後者であってほしいと切に願う。遠坂凛は今日から魔術の師匠となった。もしも前者で、あの調子で締めあげられたら……、俺は、死ぬかもしれない。

 

 もっとも後者であっても、士郎の危機は何ら変わらないのだが。アーチャーは士郎より十センチ近く背が高く、体格は似たようなものだ。士郎のほうが小柄な分だけ体重も軽い。より激しくシェイクされるだろう。

 

 戦わなくちゃ、現実と。でも幻想の崩壊を見るのも辛い。ミス・パーフェクトがどうしてこうなった。あかいあくまの下僕の前途は多難だ。

 

 締めあげられている黒い悪魔は呑気な声を上げた。通常物理攻撃無効のおかげだ。

 

「いやー、懐かしいなあ。昔はそうも呼ばれてたんだ」

 

「何ですって!? 不敗だのマジシャンだの、大層な二つ名は嘘だったの?」

 

 凛は知らないが、実はまだある。奇蹟だとか、ペテン師だとか、戦場の心理学者に戦争の芸術家。戦術なんて、戦略を整えられなかったことの苦しまぎれの悪あがきだったから、ヤンとしても不本意な異称の数々だ。

 

「ほら、私なんかが元帥になったのは、

 有能な年長者がみんな戦死してしまったからで、

 その前は指揮官じゃなくって参謀だったんだ。

 参謀だって何人かいたから、作戦案を採用されないとどうもこうもない。

 私はろくでもない結末ばかり考えつくんで、上官に好かれなくってさ」

 

「そればっかりじゃないわよ。あんたの上司の気持ちがわかるわ。

 あんた、大人しい顔して、しれっと真っ黒いこと言うんだもの。

 不真面目だし、すぐさぼろうとするし! 

 実際問題できるの? セイバーなんて」

 

 マスターの無理難題に、アーチャーは胸の前で手を左右に振った。

 

「そんなの、無理に決まっているだろう。

 武芸百般に傑出し、最高レベルの頭脳を誇り、

 男性美の極致で数多の女性を魅了した、ヘラクレスとはわけが違うんだよ」

 

 死を具現化したような鉛色の巨人とは、結びつかないようなアーチャーの評だった。

 

「男性美ぃ? たしかに筋肉隆々で、すごく大きかったけど、

 美形かっていうと違わない?」

 

 これは凛の評だ。バーサーカーに吹っ飛ばされて死にかけた士郎は、当然観察している余裕などない。 

 

「彼は大神ゼウスの子だよ。オリンポスの神々は巨人の神だ。

 人間とのハーフだから、逆にあんなもので済んでいるんじゃないのかな。

 だって、女神ヘラの乳をヘラクレスにこっそり与える際に、

 飛び散った乳が天の川になったわけだから」

 

「ミルキーウェイね。確かに体が大きくなきゃ、そこまで飛び散らないか」

 

「そういうこと。ちなみにヘラは絶世の美女でもある。

 ヘラクレスの母親は、そんな妻を持つ大神ゼウスが

 目をつけたほどの美女。ゼウスだって、男性の理想美の持ち主だ。

 二人の息子のヘラクレスが美男子でないわけがない。

 アマゾネスの族長の腰帯を借りてこいという、

 十二の試練の一つだって、それで難なく解決してるだろう」

 

「あ、そういえば」

 

 凛は頷き、士郎は会話からおいてけぼりを食った。魔術の自己鍛錬はしていたが、こういう神秘学的な勉強はさっぱりだ。過去へと向かう学問と、凛は魔術のことを語っていたが、歴史マニアのアーチャーはさらにその上を行く。

 

 普通の男は、ギリシャ神話の詳細なんて知らないから! 女子高生だって、星占いの星座ぐらいじゃないのか。

 

 ――この人たち、色々とおかしい。ヘンだ。

 

 とある平行世界では、行き過ぎた無私を散々に貶された士郎だが、ここでは師匠らが他山の石となった。

 

 突き抜けすぎて賢いって、気味が悪いよな……。

 

 弟子の内心は師匠には伝わらず、豊かな黒髪を胸元から背中に梳き流すと、腕組みをする。

 

「そうよね。たしかにもったいないわよね。

 十二の試練を考えてみると、ヘラクレスはキャスター以外の

 すべてのクラス特性を持つんじゃないかしら」

 

「あれかな、アーチャーだと宝具になりそうなヒドラの毒矢が、

 自分の弱点になるからかな」

 

 きょとんとする士郎に、アーチャーはヒドラの毒矢は、試練のひとつで退治した、多頭の巨竜の血の毒だと説明した。

 

「この怪物は海蛇座として天にあるんだ。

 ヘラクレスの邪魔をするために、ヘラが送り込んだ大ガニはかに座。

 だが、こいつはあっけなく踏みつぶされてしまった」

 

「わかるぞ。あのバーサーカーの元だろ。カニのハサミなんか効かないと思う。

 それにしても、星占いのかに座って、そういう伝説があったのか。

 バーサーカーを邪魔するぐらい、大きなカニかぁ……。

 食ってみたいなあ」

 

「ははぁ、確かに食いでがあるだろうね」

 

 でもそれ、お高いんでしょう? 自問した士郎は、次に財布と相談した。答えはノー。いや待て、藤ねえからお裾分けのカニ缶があった。そして一昨日買った特売の卵2パック。うし、明日の晩はカニ玉にしよう。  

 

 献立が一つ決まって晴れ晴れとした士郎に、本題が説明された。自らの武器が、ヘラクレスの弱点となりうる理由が。

 

 ヘラクレスの妻はケンタウルスに攫われそうになったことがある。犯人のケンタウルスは、夫にその矢で射られ、彼女にこう言い残して息絶えた。

 

『私の血には、愛を取り戻す力がある。

 夫の愛が薄れた時に、私の血を彼の服に沁み込ませれば、

 彼は貴女の元に戻るだろう』

 

 ケンタウルスにとって、彼女は自分の仇の妻。ヘラクレスの妻にとっては、彼は夫に処断された誘拐犯。その言葉を信じるなんてどうにかしている、と思わざるをえないが、彼女は信じてしまったわけだ。

 

 蛙の子は蛙の子というべきか、数年後にヘラクレスは別の女性を寵愛するようになり、妻は取っておいたケンタウルスの血を下着に沁み込ませる。それにはたっぷりとヒドラの毒が含まれていた。

 

「もてるのは羨ましいけれど、男としては避けたい死に方だよなあ」

 

「言えてるわね……」

 

「……ど、どんな死に方だったのさ?」

 

 ヒドラの毒は、激烈な苦痛をもたらす。不老不死の者でさえ癒えることはなく、神に不死の返上を願い出るほどのものだ。被害者のひとりは、ヘラクレスの師、ケンタウルスの賢者ケイロン。誤射によるものだ。ギリシャ最高峰の頭脳の持ち主で、死を惜しまれて星座に迎えられた。それが南斗六星をもつ射手座である。

 

 そんなものを下着、いや正直に言おう。パンツに塗られたら。

 

「皮膚、肉、臓器に至るまで、毒に焼けて腐れ落ちるんだよ。

 自ら焼死した方がましという痛みだっただろうし、

 ヘラクレスは実際にそうしているんだ」

 

 臓器、それはパンツに縁のあるアレというかナニ……! アーチャーの遠まわしな解説に、逆に蒼褪める赤毛の少年。

 

 『女の子には優しくしないと損をする』とは真理の一端であった。しかし、『女の子()に優しくするのは死を招く』ということでもあるようだ。

 

「ちなみに、死んだあとでヘラクレスも星座になってる。

 そんなことより、生きている間に優しくしてあげればいいのに。

 神様なんてのは理不尽なものだが、彼の名前は、『ヘラの栄光』って意味だ。

 十二の偉業は、ヘラの差し金によって行われたからだよ。

 怖いだろう?」

 

 アーチャーの警告の矢も、ヒドラの毒に匹敵するぐらいに強力だった。

 

 ※ヘラは貞節と信義の守護神です。彼女の半分は嫉妬の怒りでできています。フラグの建築は、用法用量を守り、あなたの健康と生命に留意して行いましょう。

 

***

 遠坂主従が帰宅して、士郎は夕食の準備を始めた。昨日計画したとおり、メインはカニ玉、付け合わせは春雨と肉団子のスープ、レタスとコーンの中華風サラダ。貰い物の缶詰に、買い置きの乾物、特売の卵とひき肉にレタスを使い、緊縮財政でもうまいものを。士郎の努力と工夫の結果である。師匠の従者がこれを見たら、拍手喝采したことだろう。

 

「あ、あの、リズさん。コレ、できたから運んでください」

 

「……ハイ」

 

 今日も、虎も桜も来ていない。その代わりに、メイドのリズが助手を務めていた。美人だしスタイルも抜群だけど、無口で無表情で、士郎も対応に困る人だ。いま一つ、何を考えているのか読めない。その点では、士郎に手厳しいセラの方が理解できる。

 

「でもリズさんはセイバーにあたりがきついんだよなぁ」

 

 士郎はスープをかき回しながら、溜息もひとつ。

 

「うう……。やっぱり、皿かなあ。

 セイバーの割ったヤツ、リズさんの給料から弁償だったり……」

 

 セイバーを新しいメイドと紹介したせいで、リズは後輩ができたと思ったらしい。さて、仕込んでくれようと皿洗いをやらせたところ、朝食に使った皿は半減の憂き目にあった。

 

 だが、それを責めることはできない。セイバーの腕力は常人の四十倍だ。アーチャーが警告したように、陶磁器はポテトチップス同然の脆さだったに違いない。

 

 イリヤも悪いと思ったらしく、今日学校に談判に来る前に、皿やカップを買ってきてくれた。

 

「うぅむ、余計に使えないじゃないか」

 

 士郎は、台所のテーブルに鎮座ましましている、ロイヤルブルーの箱に視線を送った。アインツベルンは並外れた資産家だ。藤村家から貰った皿の代わりに、新都のデパートの最上階のブランド食器の店で買ってきたのだ。

 

「だって、このお店しかセラも知らないんだもの」 

 

 そう言ったのは幼い女主人のイリヤである。

 

「申し訳ありません、士郎様。リズについては、わたくしの責任です。

 セイバーのサーヴァントをメイドにするのは、

 あくまでふりという説明が充分ではありませんでした。

 出来あいの安物で申し訳ありませんが、お納めくださいませ」

 

 謝罪と共に深々と一礼したのは、その家庭教師のセラだった。

 

「くれるというならもらっておきなさいよ。

 洋食器だから、イリヤたちの食器にすればいいじゃない」

 

 遠坂家の令嬢もあっさりとしたものだった。日常的にアンティークの名品を使っている凛にとって、結局は現代の大量生産品である。

 

「ちょっと待ってくれよ! これ、ものすごい値段がくっついてるんだけど!」

 

 士郎の言葉に、黒い頭がひょいと覗きこんだ。

 

「どれどれ。……おお、こりゃすごい」

 

「あら、イリヤ。自宅用って言ったの?」

 

「え、だって、この家で使うでしょ」

 

 凛は髪を掻き上げた。

 

「んー、間違いじゃないけどね。贈り物用って言っておいた方が無難よ」

 

「値段がわかったらよくないの?」

 

「イリヤ君、金貨一枚の価値は、人それぞれに違うんだよね。

 これは普通の人にとって、お皿一枚の値段としては高いってことさ」

 

「そうなの?」

 

 アーチャーの説明に、イリヤはセラに訊いてみた。

 

「ですが、あのお皿も日本の物として、我が国のこの社と同等の格式のものですが」

 

 士郎はあんぐり口を開け、我に返るとせわしなく両手を振って否定した。

 

「へ? ないないない、それはない! あれ、貰いもんだから!」

 

「ですが、歴史ある有名な窯のものでしたわ。この社の手本となった物ですのに」

 

「えっ!?」

 

「ああ、そういえば、私の父もそんなことを言ってたなあ。

 ドイツの磁器は、中国や日本の物を手本に絵を模写したけど、

 ドイツに柘榴の木がなかったから、タマネギになっちゃったって」

 

 言いながらも、アーチャーの表情は疑わしげだ。

 

「ザクロがタマネギ? へんなの」

 

 首を傾げるイリヤに、士郎も倣った。

 

「ああ、でもよく見ると、タマネギから枝が生えてる。変だよな」

 

 真紅と琥珀が見つめあった。

 

「あ、ホントね、シロウの言うとおりよ!」 

 

 頃あいと見た凛は、可愛らしく咳払いした。紅茶好きの彼女は、茶器にも一家言あった。これはヤンと違うところだ。

 

「アーチャーの雑学と、歴史好きの源がわかった。お父さんの影響だったのね。

 その疑問は、アーチャーのお父さんが正しいわよ」

 

「本当だったのかい?」

 

「ええ、ブルーオニオンは、本当に柘榴の実だったのよ。

 それにしてもあんたのお父さん、相当な骨董マニアだったのね」

 

 眉を寄せて、こめかみを掻く凛に、アーチャーは眉を下げて髪をかき回した。

 

「いや、私もてっきり与太話だと思ってたんだよ。

 形見のコレクションが、一個除いてみんな贋物だったからね。

 だが凛もそう言うなら、親父に謝らないといけないな」

 

 当事者二人は買い出しに行き、席を外していた。セラの大人の配慮である。それは素晴らしいと思う。でも、でも!

 

「だ、だからって、いきすぎだろ。一枚五桁の皿なんて!

 やっぱこれ、イリヤ達が使ってくれ。

 貰い物が土蔵にまだ沢山あるからさ、な!」

 

 そうして蔵出しされたのが、いかにも結婚式の引き出物っぽい白い皿だ。

 

「なーんか、カニ玉乗っけるだけじゃ殺風景だな。

 でもなんでこう、家で作るとふんわりといかないんだろ」

 

 やや不満の残る出来上がりだ。あんをかけて、これも運んでもらう。

 

「炒飯も、こう、パラパラッといかないんだよな。

 作れない事はないけど、中華って微妙だ……」

 

 最後に冷やご飯を活用した、山盛りの炒飯を二皿。お好みで取り分けてもらおう。白いご飯も炊飯器にスタンバイ。急に増えた人数に、士郎も試行錯誤の最中である。

 

「じゃあ、みんな、手を合わせてください。いただきます!」

 

 挨拶して、士郎は料理を口に運んだ。

 

「うーん、七十、いや六十七点ぐらいかなあ……」

 

「とんでもない、シロウ。今日も素晴らしいです!」

 

「うん、シロウ。このピラフしっとりしてておいしい。

 初めて食べるわ」

 

「あー、うん、ありがとな、イリヤ。

 しっとりしてたら炒飯として駄目なんだけどさ……」

 

「このオムレツは、重厚で食べ応えがありますね。

 具はカニと……マッシュルーム? この歯ごたえのあるものは何でしょう」

 

「セラさん、それはマッシュルームじゃなくて、シイタケなんだ。

 あとタケノコ。でも、ふんわりトロリがカニ玉の理想だよなあ。

 やっぱし、中華は難しいな。どっか習いに行こうかな……」

 

 ちょっと不出来な料理でも、大勢で囲む食卓は楽しい。アインツベルンの面々の、鋭い批評交じりの褒め言葉にはグサリとくるけど。

 

「リ、リズさんはどうだろ?」

 

 無言でスープをかき混ぜるリズに、士郎はおずおずとお伺いを立ててみた。

 

「これ、みんな逃げてく。……生きてる?」

 

 女性陣が顔色を変え、一斉にスープから身を引いた。

 

「違う違う! それ春雨! ごめん、フォーク持ってくるから!」

 

 慣れないレンゲに悪戦苦闘し、春雨をすくえないリズ。中華は、世界三大料理って言うじゃないか! なのに、どうしてこうなったんだ!? 

 

 自己流による、『もどき』が呼んだ大誤算であった。



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6章 彼岸からの願い 33:聖杯探求

「どういうことよ?」

 

 門を潜り、玄関に入ると同時に、凛は実体化したアーチャーを問い詰めた。

 

「魔女というのは、本質的には女性の味方なんだよ。

 彼女たちの原型は、キリスト教に迫害された土着の宗教の癒し手だから。

 薬師にして毒使い、産婆にして堕胎医でもある」

 

 癒せる者には癒しを、癒えぬ者に永遠の安息を与える、生死のあわいに立つ女。月と水に象徴される、変容する女神の末裔たちだ。

 

「だから、心優しい不幸な女性に味方してくれるんだ。

 シンデレラにドレスやガラスの靴、馬車を贈ったように。

 オーロラ姫の死の呪いを、百年の眠りに軽減したように。

 誠意と対価をもって交渉してごらんよ。

 君の魔術の師として、大きな実りをくれるかもしれない」

 

「あんなことした相手なのに、そんなことできると思うわけ?」

 

「試してみる価値はあると思うよ」

 

 未来の黒髪の魔術師は、現代の黒髪の魔術師に微笑みかける。

 

「女性の持つ世間の知恵は、それだけで一つの魔法だよ。

 今の凛に必要なのは、魔術ではなくそちらの方だと思うんだ」

 

「魔術でなくてって、なによ、それ」

 

 色をなしかけた凛に、アーチャーはやんわりと微笑んだ。

 

「家同士は不干渉でも、周囲の人はその限りじゃないってことさ。

 桜君が遠坂家の娘だったことは、大人たちは知っているわけだから。

 学校にだってちゃんと伝達されてる」

 

「えっ!?」

 

 凛の吊り気味の目が丸くなり、間桐桜との相似が現れた。

 

「戸籍に載ってるんだから、行政側には秘密でもなんでもない。

 学校が知らないんじゃなくて、事情を配慮して口にしないだけさ。

 それが守秘義務ってことだから」

 

 あまりのことに言葉が出てこない。そんな凛に、アーチャーは語り掛ける。   

 

「だから、君たちのお母さんが健在だったなら、

 学校の先生や他の子の親から、桜君の様子を聞けただろう。

 間桐家が利用する店の人なんかからもね。

 桜君が幸せそうでなければ、必ず手を差し伸べたと思うよ」

 

 学校や衣食住は魔術では賄えない。それに関わる人々を通じて、桜を思いやり、助けることができる。高校生が陥りやすい盲点をアーチャーは指摘する。彼の知る白い魔女ならば、必ず取っただろう手段を想像しながら。

 

「キャスターと交渉したいのは、そのためでもあるんだ。

 彼女は、私のことを若いマスター達と変わらぬ容姿をしていると言った。

 これが示すことは二つ。一つは彼女は、私より年長の容姿をしているということ」

 

「もう一つは?」

 

「彼女のマスターが、君達のように若年ではないということだ。

 この日本で、成人と未成年の差は大きい。

 聖杯戦争にあたっては、成人の同盟者がいることは必ずプラスになる」 

 

 凛はアーチャーを凝視した。

 

「前回の戦争で、セイバーが活躍できたのは、

 成人のマスターの戦略によるところが大きいと思う。

 彼らもまた、戦争を予期して、充分に戦いの準備を整えたはずだ」

 

 魔術師殺しと呼ばれた衛宮切嗣ならば、その準備は入念なものだったことだろう。千年の名門のアインツベルンと、六代二百年の遠坂では比べるべくもない。戦闘に特化した者を、婿に迎えるなどという発想も、一子相伝を旨とする魔術師のものではなかった。

 

「だから、お父様は負けたのね」

 

 アーチャーが繰り返すのは、戦争は事前の準備を尽くした者が勝つということだった。可能な限りの準備を整えたとしても、優劣は発生する。それは強さの差に直結し、戦術で埋めるのは容易なことではないと。

 

「いいや、それも違う」

 

 アーチャーの黒い瞳は、あくまで静かだった。

 

「前回の戦いでは、聖杯で望みを叶えた魔術師はいないだろう。

 聖杯の取得に関するなら、全員が負けているということになる。

 それまでの三回と同様に」

 

 凛は頷くしかなかった。

 

「この聖杯戦争は、根本から誤っているのではないか。

 聖杯は探求するものであって、戦いで奪い合うものではないと私は思う。

 魔術師が学究の徒というのなら、なおのことだよ」

 

 学者になりたかった軍人の言葉は、戦おうとする魔術師には重く響いた。

 

「だから、あなたは探求を選ぶの?」

 

「二百年も成功しない理由を考えなくては、いつまで経っても成功はない。

 ゆで卵をいくら温めたって、ひよこは孵らない。

 卵の状態を調べなくてはならないが、割るわけにはいかないだろう」

 

「それで、キャスターに見てもらうってこと?」

 

 アーチャーはこくりと頷いた。

 

「それも方法の一つだが、残りの家には頑固な老人がいるんだろう。

 若い君が、改善なり廃止なりを訴えても、そんなに簡単には通らないよ。

 土地の管理者の遠坂ならば、首をすげ替えても構わないということになりかねない。

 桜君にはその権利と資格があるんだ」

 

 凛の背筋を寒風が吹き抜けていく。限りなく冷徹に、そして辛辣に『敵』の思考を読み解く。彼のスキルの軍略や心眼(真)のランクの高さは、そういうことなのだ。

 

「そのことを忘れてはいけない。

 サーヴァントを使えば、完璧なアリバイを用意して殺人ができる。

 宝具や魔術なんかなくても、人を殺すのは簡単だ」

 

 棒立ちになった凛に、アーチャーは表情を緩めた。

 

「だがまあ、聖杯戦争の勝者は一組なのだから、勝てなかったら存続を望むだろう。

 やみくもに君を殺すとは考えにくい。年寄りは保守的だからね。

 二百年も見切りをつけずにいるぐらいだ。

 もっとも、私に人様のことをいう資格はないがね」

 

 しかし最後のほうは、自嘲の笑み交じりだった。凛の胸がチクリと痛んだ。彼は言っていた。百五十年も戦争が続き、誰も平和を知らない世界に生きていたと。

 

「しかし、君のような少女が、そういう年寄りを納得させるのは難しい。

 だが、方法がないわけじゃない。

 権威主義者は、往々にしてより高い権威に弱い。

 それにはキャスター以上の適任者はいないよ。

 私のような門外漢が、好き勝手を言うよりもずっと効果的だ」

 

「そんなにうまく行くかしら」

 

「だから複数の方法を考えて、準備をしておくわけだよ。

 その手紙だってきっかけになるかもしれない」

 

「もう戦争どころじゃなくなってきたわね。聖杯は探求するもの、かぁ……」

 

 溜息を吐く凛に、アーチャーは首を振った。

 

「その探求の果てに、聖杯戦争の解明がなされるとしたらどうだい?

 二百年成功しなかった原因を究明し、改良を行い、次代に繋ぐ。

 魔術師にとってそれも一つの栄誉じゃないか」

 

 静かな笑みを浮かべた黒い瞳を、凛は凝視した。

 

「栄誉どころの騒ぎじゃないわ。快挙よ。

 時計塔の入学試験どころか、王冠の位階に到達できるぐらいの!」

 

「戦いや勝利の方法は一つじゃない。

 戦争は血を流す政治だが、交渉や政略は血を流さない戦争だ。

 そっちのほうがずっと優雅だ。君の家訓にもふさわしいじゃないか」

 

 アーチャー ヤン・ウェンリーは、闘争ではない勝利を求めていたのだ。

 

「千年前、二千年前の国家の滅亡は、現代には関係ないことが多い。

 だがそのころに発見された公式や法則は、今日でも使われている。

 魔術は学問なんだろう。学問的な勝利じゃ駄目かい、凛?」

 

「あなたの時代でも、アインシュタインの公式が使われるように?」

 

「そうだよ。何百年も昔の国家の興亡は、歴史書に語られるだけだが、

 民の嘆きや王の苦悩が、憲法や民主主義を生み出していった。

 戦火への反省が、平和の礎となり、双方が現代の日本を形作っている。

 こいつは士郎君にも言ったが、過去から現在、未来はつながっているんだ。

 過去の聖杯戦争の検証なくして、今回の聖杯戦争をやっても成功しないだろう」

 

 凛は再び頷いた。六十年の間隔は、聖杯戦争への研究や反省、準備の時間でもあった。

 

 今回はたった十年。凛がいかに魔術の才能に恵まれていても、遠坂の魔術を継承するだけで精一杯だった。第四次戦争がどうなったのか、何が起こったのか。父の死の真相すら、調べるには到底間に合わなかった。

 

「ええ、そうね。ましてやあんたがサーヴァントじゃあ、戦っても勝てないもの」

 

「そいつを言われると申し訳ないが、そもそもこのシステムが完成しているのどうか。

 単に、屋根の雨漏りや扉の建て付けの問題ならまだいいが、

 屋根や扉がないんだとしたらどうする?」

 

「そこからぁ!?」

 

「だって、一回目と二回目は、戸籍からじゃ参加者の目星もつかないんだよ。

 地下室と書斎の文献、時間があるんなら

 片っ端から読ませてもらいたいところだけど」

 

 双方の書棚をぎっしりと埋め尽くした、遠坂家歴代当主の文書。父や祖父の遺した物は、いままで魔術の修練のために何度も読み返した。曽祖父以前の文書は、すべて達筆すぎる毛筆で、現代人の凛には解読不能だった。聖杯の加護のあるアーチャーに、解読してもらえるなら願ったり叶ったりだが……。

 

「わたしだってあんたに頼みたいわよ。でも、そんな時間はないものね……」

 

 遠坂が根源への道を目指してより六代二百年。だが、遠坂家の歴史はさらに古い。平安貴族の流れを汲むという名家なのである。魔道を志す前の先祖の文書も、地下室に保存されている。膨大な量だ。せめて該当者にあたりをつけないと、お手上げというほかなかった。

 

『太平洋戦争の終戦以前は、家を継ぐのは長男。

 次男、三男や娘が優れた魔術師でも当主にはなれない。

 かといって、昭和三十年以前の乳幼児死亡率や感染症の脅威を前に、

 一人っ子にすべてを託すのは危険すぎる』

 

 社会情勢からのアーチャーの分析で、遠坂家の当主イコール魔術の継承者と言い切れなくなったからだ。

 

「ほんとに厄介よね……。

 第一次と第二次は失敗したらしいから、余計に伝わってないのよ」

 

「できることからやるとしようか。さあ、キャスターからの返事を読んでみよう」

 

「ええ……」

 

 浮かぬ顔のマスターに、アーチャーは微笑みかけた。 

 

「それにしても、死んでから歴史研究ができるなんてね。

 念願だった、大学に入ったような気分だよ。召喚してくれてありがとう」

 

 普段と異なる笑顔だった。知的好奇心に輝き、喜びに満ち溢れて若々しい。

 

「じゃあ、感謝しなさい! ちゃんとわたしたちの勝利を掴むのよ」

 

 凛はそう言い放つと、玄関に施錠するためにアーチャーに背を向けた。危ないところで間に合った。本当はえげつない性格のおっさんの癖に反則だ。

 

 今のはちょっと、いやかなり……。

 

 紅潮した頬を隠すためと、キャスター対策に念入りに結界を張り直す。落ち着きなさい、遠坂凛。不毛すぎるから!

 

 まったく気付いた様子のないアーチャーに、安堵が半分、いらだちも半分。優雅にそれを押し隠し、凛は毅然と顎を上げるとアーチャーを伴って居間へと向かうのだった。

 

 そこで二人はキャスターからの手紙を開封し、腕組みして唸り声で合唱をすることになった。魔女の手紙はとんでもない代物だった。

 

 凛の目には美しい筆跡の日本語に、アーチャー ヤン・ウェンリーは読むと、流麗な自由惑星同盟公用語に見える。聖杯の加護は、口語のみならず文章にも及ぶ。

 

 それでもヤンは、現代ドイツ語とほぼ等しい銀河帝国公用語で手紙を書いておいた。ルドルフ・ゴールデンバウムの復古主義が、こんなところで役立とうとは。ヤンは帝国語の発音が苦手だが、読み書きに不自由はない。敵国の本であろうが読み漁る活字中毒のおかげだ。

 

 時代も国もわからぬ相手に出すなら、英語の発展形である同盟公用語よりも、現代ドイツ語のほうがましだろうという心胆であった。

 

 冬木の聖杯は日本の英霊を召喚できない。だが、キャスターは未知の異なる言語に変換される術式を編み出しているのだ。

 

「未来の言葉にも対応してるなんて……。 

 聖杯のシステムを解析して、転用してるってことよ。

 とんでもない魔術師だわ。

 とにかく、わたしと、士郎とイリヤ、あんたの訪問は許可。

 でも、セイバーとバーサーカーは、山門から進入禁止。

 柳洞寺はもともと天然の結界で、霊体は山門以外からは入れないの。

 のこのこ行くのは危険すぎるわ」

 

「凛、もうひとつおまけがある。消印の時間をみてごらん」

 

 便箋にのみ注意を払っていた凛だが、封筒を見て慄然とした。

 

「嘘でしょう……。 

 この時間じゃ、まだライダーと戦闘になってない。

 『弓の騎士と主の健闘を讃えて』なんて書けないはずよ!」

 

「戦いの様子を監視していたとしか思えないだろう。

 複数の条件づけで、文章を最適な形に変化させるのかな?

 うーん、こいつがまさしく玉虫色の言葉ってやつか。

 やれやれ、ほんとに厄介な相手だ」

 

 アーチャーのぼやきに頷くしかない。だが、彼はめげなかった。

 

「敵に回すにはね。味方か同盟者にできれば非常に心強い。正念場だよ」

 

「味方にできると思うの?」

 

「せめて、敵として襲われない程度にはしたいものだね。

 明日は士郎君とイリヤ君は朝一で後見人に事情を聞き、午後に部活だったろう。

 午前中の予定を早めに切り上げてもらって、私たちとお墓参りに行こう」

 

「私たちって、まさか……」

 

「簡単さ。君の大叔父の孫として行動するんだ。

 曽祖父の墓参りと、ご先祖の納骨記録である過去帳を見せてもらう。

 キャスターに挨拶しながらね。凛、お寺に連絡しておいてくれないか」

 

 凛の目がまた妹似になった。

 

「え、敵地に乗り込んで調べる気なの?」

 

「当然だろう。有益なことは何一つわかっていない状態だよ。

 聖杯の不具合がいつから発生したのか。

 いや、そもそも、きちんと完成をみたシステムだったのか。

 その差は大きい。前者ならまだしも、後者だったら大変なことだ」

 

 屋根の雨漏りなのか、屋根がないのか。後者ならば屋根を乗せるだけでは駄目だ。壁を崩し、骨組みから直さなくてはならない。

 

「だから、設計図に相当するものを見つけたいんだよ。

 今回成功するとはちょっと思えないが、現象が発生している今こそ、

 目星ぐらいはつけておかないとね。

 継続にしろ、改善にしろ、廃止にしろ、いつまでたっても結果が出ないよ」

 

 聖杯戦争の廃止。聖杯に招かれたはずのサーヴァントとも思えない発言である。

 

「ちょっと待ってよ。廃止するって、あんた……」

 

「まあ、ちょっと聞いてくれないか? 二百年前の日本は鎖国していた。

 二回目は明治。日本の人口は四千万人。この冬木もずっと人家が少なくて、

 まだ電気も電灯もない。夜は暗く、牛馬が当たり前にいて、

 夜に聖杯戦争をしても問題はなかった。人間が太陽にあわせて生活していたからだ。

 だが、今はどうだろう」

 

 人口は明治時代からの百年で、三倍に増加し、平均寿命は三十年以上も延びた。最も劇的な変化は、妊産婦や乳幼児の死亡率の激減である。平和により工業と経済が発展し、牛馬はいなくなり、人工の光で闇は薄れた。

 

「こんな市街地で、サーヴァントや魔術師が秘密裏に戦争するなんて、

 土台無理な話だよ。さらに六十年後の社会なんて、予測もつかないだろう」

 

 凛は怪訝な顔になった。紀元前の神話にも詳しい彼が、千五百年ほど前の事を知らないなんて。ずいぶんと矛盾している。

 

「アーチャー、あなたは千六百年後の未来から来たんでしょう。

 知っているはずよね」

 

 凛の反問に、黒い瞳がゆっくりと瞬いた。

 

「だがきっと、この世界から、私の世界へはつながってはいない。

 君の研究テーマの、平行世界の運用と関係がないこともなさそうだがね」

 

 様々な可能性を挙げる彼には、珍しい断定口調であった。

 

「どうしてそう言い切れるのよ」

 

「私の時代につながるのなら、世界はもっと二極化しているはずだ。

 ちょっと調べてみたが、東西冷戦の終了の有無で世界が分かれたんだろう」

 

「あなたの世界は、冷戦が継続してたの?」

 

 アーチャーは、お手上げのポーズを作った。

 

「恐らくはね。その頃の資料は極めて残存数が少ない。みんな焼けてしまった」

 

 世界中の資料が焼失するとは、尋常ならざる状況ではないか。凛はアーチャーの顔を凝視した。

 

「私の世界では、西暦2029年に全面核戦争が勃発した。

 生き残った人類も、生存をかけて互いにいがみ合った。

 核の冬の中で、紛争が一世紀近くも続き、

 2129年に地球統一政府(グローバル・ガバメント)が発足する。

 首都はプリンスベーン、当時の世界人口は十億人」

 

「う、嘘……」

 

「私の世界の歴史の事実だよ。

 現代社会の情勢では、その時そうなるとは思えないが、いずれ戦争は起きる。

 今までの人類史上、こんなに長く平和で豊かな時間はないんだ。

 君達は、どんな宝石よりも稀有な時代に生きている」

 

 アーチャーの面をよぎったのは、透き通るような微笑だった。

 

「第三次聖杯戦争は、第二次世界大戦の前夜に開催されたことだろう。

 第六次聖杯戦争が、第三次世界大戦の最中でないと、断言できる者はいない。

 私にもわからないんだ。異世界人だからね」

 

「……それでも、あなたは聖杯に願わないの?」

 

「何をだい?」

 

 底知れぬ黒い瞳が、静かに凛を射抜いた。



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34:女神の遣い

「例えば、自分の国が滅びませんようにとか……」

 

「千六百年後のことを今願っても仕方がない。

 先祖さえ生まれていない子どもの葬式を、キャンセルなんて出来やしないさ。

 君こそ、この平和が永遠に続きますようにと願わなくていいのかい?」

 

 凛は唾を呑み込んだ。夢で見た、星をも飲み込む宇宙の闇。それがじっと見つめている。

 

「……願わないわ。

 永遠の平和って、対立もないけど、競争も生まれないということでしょう。

 あなたが、魔術の衰退を指摘したのと同じことよね。それは停滞よ。

 そうなったら、人間は腐って滅びると思うの」

 

 アーチャーはゆっくりと瞬きをした。その色は、茫洋としたいつもの彼の目だった。

 

「たしかに君は賢者だ。

 それ以前に、この願いのスピードはどのくらいなんだろう」

 

「は?」

 

「宇宙で最速なのは、現在のところ光だが、

 それで進んだとしても私の国まで届かないよ」

 

 凛はぽかんと口を開けた。そういえば、そんなことを言っていたっけ。奴隷だった先祖が、五十年をかけて、一万光年の逃亡の果てに新たな惑星を見つけたとか何とか。彼の先祖は、光の二百倍の速さで宇宙を航行していたのだ。

 

「え、ちょっと待って。あんたの国は、地球から……」

 

「ざっと一万一千光年ぐらい離れてる。

 首都のある恒星バーラトは平凡な星だから、

 地球最大級の望遠鏡でも見えるかどうか。

 千六百年じゃ、十分の一を超えたぐらいの距離しか到達しないなあ」

 

「いちまん、いっせん、こうねんって……ええ!?」

 

 たどたどしい鸚鵡返しをした凛に、更なる事実が突きつけられた。

 

「私の時代なら、亜空間跳躍航法で二か月ぐらいで行けるけどね。

 一日百五十光年ぐらいは進む。航路図があるおかげだ。

 そいつがない、未踏の領域を航行したから五十年もかかったのさ。

 自由惑星同盟は、地球のあるオリオン腕じゃなくて、サジタリウス腕にあるんだ」

 

「その、オリオン腕とかなんとかって、何なのよ!?」

 

「銀河の渦の名前だよ。サジタリウス腕はここの一本隣だ。

 銀河系中心に近い方になる」

 

 凛の思考が固まった。改めて聞かされると本当にとんでもない。アーチャーは、先人の苦労をしみじみと語った。

 

「渦の間にある、航行不能宙域を乗り越えるのが大変だったんだよ。

 千六百年後でも、二か所の回廊宙域しか見つかってないんだ」

 

 彼の時代になると、一日に光の何万倍もの距離を飛ぶというわけだ。それでも宇宙は広大で、謎と危険に満ちている。

 

「うそぉ……亜空間跳躍って、それ」

 

「君の言う、平行世界の運用の一歩手前じゃないかな。

 ほぼ時差なく一万光年に届く、超光速通信波なんてのもあるが」

 

 凛は頭を抱え込んだ。聞くんじゃなかった。

 

「ま、世界の内側ってのが地球を指すなら、どのみち範囲外。

 人間のいる領域だとしても、願いが光速なら時間が足りないってわけさ。

 逆に一瞬で届いたら、千六百年後までエネルギーが残るとは思えない。

 エネルギーの恒久的な保存なんて、それこそ第三魔法と同じだ。

 そいつができるなら、聖杯戦争なんて必要ないじゃないか」

 

 道理で、アーチャーが聖杯に願いを抱かないはずだ。ヤン・ウェンリーは千六百年先の未来、一万一千光年離れた星の住人。彼の時代では、その距離も二か月で飛べる。科学が魔法の領域にまで迫っている。だからこそ、限界が見えるのだろう。

 

「ん、待てよ、銀河帝国の首都星になら届く、かなあ?

 彼のお姉さんが、皇帝の寵姫になりませんようにと願うか……」

 

 ヤンは髪をかき回しながら、脳裏で距離を計算した。ヴァルハラ星系オーディーンなら、地球から八百光年ぐらいだ。しかしすぐに首を振る。

 

「うーん、どう考えても、そこまで彼に塩を送る義理もないよな。

 というか、むしろ塩を撒いて追っ払いたかったし。

 世界の外側の座にいる英霊が不変なら、意味ないだろうからなあ。

 私なんかが英霊になれるんなら、彼は確実になってるはずだ」

 

 凛のサーヴァントは、聞き捨てならない言葉を続けざまに放った。

 

「あ、あなた……何を言ってるの?」

 

「言峰神父が言ってただろう。世界の内側の願いなら、おおよそ叶うって。

 『内側』に降り立ったサーヴァントの願いは叶う。

 だが、『外側』の座にいる本体に影響を及ぼすものではない。

 そういうことじゃないだろうか。確証も何もない、私の憶測だけど」

 

 暖房の効いている部屋なのに、背筋に霜が下りていく。

 

「君の研究テーマの平行世界とは、

 歴史年表が何冊も隣り合わせに並んでいるような感じなのかねえ?

 本ごとに、ページの記述は微妙に異なっている。

 英霊は本棚の前の閲覧者だけど、サーヴァントは本に突っ込まれたしおり。

 この本の中なら、しおりとして干渉できるけど、よその本には関係ないし、

 本の中に戻れない本体にとって、大した意味はない。

 そう推測しているんだが、どうなんだろう?」

 

 凛の前にいるのは、知恵と戦の女神の使いだった。黄昏に飛び立ち、海鷲の群れを蹴散らし、黄金の有翼獅子をも爪に捕らえる梟。昼の微睡みから目覚めれば、微かな光で彼方を見つめ、わずかな音も聞き漏らさない。

 

「わからないわよ!」

 

「そりゃそうか。一回も成功していないものなあ」

 

「うっ……」

 

 痛いところをずばりと衝かれ、呻き声しか出てこない。ヤンは肩をすくめてみせると、右手の指を立てて、判明しているサーヴァントを挙げていく。

 

「その辺を割り切ったサーヴァントならいいんだがね。

 クー・フーリンは確実にそうだから、敵にはしたくないんだよ。

 ヘラクレスは、イリヤ君の意志に従うだろうから、

 彼女と背後の面々を味方にできるかが鍵だね」

 

「ランサーはわからないけど、イリヤはアーチャーに懐いているものね。

 あのバーサーカーなら、クー・フーリンには有利よ。

 マスター殺しに出られたらまずいけど」 

 

「そいつはランサーの望むところじゃないだろうが、

 令呪に逆らえないのがサーヴァントの悲しさだからなあ。

 早いところ、彼のマスターを割り出しておきたいんだがね」

 

 それも会食の目的の一つだ。キャスターとの会合を乗り切らなくてはいけないが。 

 

「これほど魔術に詳しいキャスターなら、このカラクリも承知のうえだろう。

 それで召喚に応じたのならば、望みによっては折り合える。

 彼女はアサシンの動向を知っているから、同盟なり利害調整をしておきたい」

 

 ヤンは説明を続け、薬指と小指も立てる。生前はほとんどできなかった、戦略家としての本領発揮だった。ここまでで立てられた指は四本。アーチャーを除くと残り二騎になる。

 

「セイバーはどうするの?」

 

 親指が立てられ、次に左手の人差し指も立つ。

 

「一番切実に聖杯を求め、一回失敗しているセイバーがもっとも危なっかしい。

 士郎君に慎二君の対応をしてもらい、彼女にはライダーに目を向けてもらう。

 桜君に対する為にも、士郎君と藤村先生の協力が欲しい。

 彼は君の弟子で桜君の兄貴分、彼女は二人の姉貴分で、最近身近に接しているしね」

 

「そんなことで、大丈夫かしら……」

 

「それが管理者(セカンドオーナー)遠坂凛の腕の見せどころさ。

 お墓参りをしたり、切嗣氏の遺品整理をするのは

 士郎君やイリヤ君にとっていいことだと思うんだ。セイバーにとってもだよ」

 

「セイバーにとっても?」

 

 首を傾げる凛に、ヤンは頷いてみせた。

 

「前回の失敗の遺恨はあるだろう。

 聞いた限りじゃ、円満な主従とは言い難そうだしね。

 余計にむきになるってことはあると思うんだよ。

 その養子と向き合うことで、彼女には見えなかった衛宮切嗣が見えてくるだろう。

 冷静になってから、聖杯の取得をよく考えてほしいんだ」

 

 まどろっこしいと思っていたアーチャーの牛歩戦術だが、二重三重に意味があったのだ。

 

「セイバーを止めてたのはそのせいだったのね」

 

「あとは魔力の補給だね。戦いで一番重要なのは食料と機動力なんだ。

 武器がなくても、そいつがあれば逃げられるからね。士郎君の調子はどうだい?」

 

 波打つ黒髪を飾るリボンが、力なく右往左往する。

 

「スイッチは出来たけど、肝心の魔術回路の稼働はまだまだよ。

 なにせ、二十六本分も認識が出来てなかったぐらいだもの。

 あいつのは、ちょっと普通じゃなくって、神経と一体化してる。

 わたしが魔力をほとんど感じなかったのは、そのせいもあると思うわ。

 一応、ラインはつながったようだけど、糸みたいなものよ」

 

「満タンまで時間がかかりそうってことかな?」

 

 リボンの蝶が上下に動いた。ガソリン用のノズルではなく、実験用スポイトで給油しているようなものだ。せめて、手動式の灯油ポンプぐらいには動いてくれないと困るのに。

 

 おまけにセイバーのスキルの一つも問題であった。

 

「あんたが止めたのは正しかったと思うの。

 ランサーと戦ったときに、セイバーのスキルが見て取れたけど、

 魔力放出で腕力なんかをブーストしているのよ。その分魔力を食ってるはず。

 今の状態で連戦して、宝具なんか使ったら、彼女は消滅しちゃうわ。

 アーチャーもあんまり連戦しないでちょうだい。

 で、多少は魔力を補うためにも、あんたも食事しなさい」

 

 アーチャーは決まり悪げに黒髪をかき回した。

 

「私まで、君んちのエンゲル係数を悪化させる存在になろうとはね……。

 それにしても、君が料理するなんて意外だなあ」

 

 形のよい眉が、ぴくりと動いた。

 

「見くびらないでよ。ルゥを使っているカレーより、私の方が上よ。

 あんた、中国がルーツって言ってたけど、中華料理って平気?」

 

「うん、コーヒー以外に嫌いなものはないよ。ありがとう、マスター」

 

「じゃあ、客用寝室の掃除でもしてて」

 

 凛は台所へ、アーチャーは寝室へと身を翻したその時、遠坂邸の電話が鳴り響いた。凛は受話器に手を伸ばし、応対する。流れてきたのは英語だった。時計塔からの電話だ。やりとりをするうちに、凛の額に皺が刻まれた。次に白い氷にひびがはいって、蒼い水流が現れる。最後に浮かんだのは、美しき微笑だった。

 

「くわばら、くわばら」

 

 ヤンは呟いた。仰せのとおりに掃除して、落雷を避けよう。そう思ってドアノブを捻ったがピクリとも動かない。魔女の仕業だ。恐る恐る背後を振り向くと、完璧な笑みを浮かべたあかいあくまが手招きをしていた。

 

『あんたが電話に出なさい。嫌味の限りを言ってやって。

 連絡つかないんですって。今回の参加者と前回の参加者、両方がね!』

 

 心話で命じられて、しおしおと電話を替わったアーチャーの眉がはね上がり、マスターのオーダーに応えたのは、それから三十秒と経たない後のことであった。

 

***

 

 凶報二つに、もう一つも吉報とは言えなかった。ロンドンの時計塔からの返事は、時計塔から公式に聖杯戦争に参加した魔術師は二人。彼らの双方と連絡が取れないという。

 

 それに先駆けて、昨晩の内に電話をしたのは、アーチャーことヤン・ウェンリーである。凛の英語力は高いが、聖杯の加護により言語の壁がないアーチャーの方が適任だ。なにより、交渉や尋問の能力は従者が主人に遥かに勝る。

 

 ――始まりの御三家、聖杯の担い手アインツベルンと、冬木の管理者遠坂が望んでいるのは、聖杯戦争を一時停止し、不具合発生の疑いが濃厚な、聖杯のシステムを解析することだ。

 

 この状況下での交戦は、我々ともう一組の主従の望むところではない。しかし、主催者の言葉を信じるのも難しいだろうから、教会からも停戦の呼びかけを行うように依頼した。だが、潜伏行動中のマスターへ伝達できるか定かではない。ゆえに、時計塔からも連絡をお願いしたい。

 

 ヤンの依頼に対し、相手の対応は煮え切らないものだった。さすがにカチンときたヤンは、勤め人ならではの啖呵を切った。

 

「そちらの所属の魔術師にとって、時計塔は生命線でしょう。

 なんらかの連絡方法はお持ちのはずだ。給与口座とか、雇用保険とかね。

 そして、第四次聖杯戦争に、時計塔から参加した魔術師がいるならば、

 是非教えていただきたいことがあります。ご連絡をお願いします。

 は、私ですか? 遠坂のサーヴァントである、アーチャーと申します。

 じゃ、よろしく」

 

 これが、一昨日の深夜に掛けた電話の内容である。ロンドンはちょうど午後のティータイムの頃だった。神秘中の神秘、人から昇華した英霊の一欠片であるサーヴァントが、まさか、こんなに俗っぽい事務連絡を電話でやろうとは。従者にやらせたのは凛だが、電話を受けた時計塔が気の毒になってしまったものだ。

 

 だが、今にして思えば、もっとガツンと言わせてやればよかった。

 

 職員も引っくりかえりそうになったろうが、学び舎も上へ下への大騒ぎになったのは想像に難くない。万事、秘密主義に権威主義、しごく腰の重い時計塔が、翌日に連絡をくれるなど、開設以来の快挙に違いあるまい。

 

「はあ、二人とも連絡がつかないと……。

 お宅の安全対策はどうなっているんですか。

 魔術は死を許容する? 聖杯戦争は魔術師としての栄誉?

 へえ、随分なたわ言をおっしゃるものだ。

 そちらから参加した魔術師も、一家の当主や次期当主になるのでしょう。

 そこからそっぽを向かれて、お宅の今後の経営が心配ですよ。

 私のマスターが入学し、卒業するまで存続するんですかねぇ?」

 

 電話の向こうの人間は押し黙ったらしい。アーチャーの舌が切れ目なく火を噴いたからだ。

 

「前回の正規の参加者は、そちらの講師だったロード・エルメロイ氏。

 こちらは死去なさっていると先日うかがいましたがね。

 前回といい、今回といい、そんな調子だとますます心許ないですね。

 いっそ、名物講師だという方を、アインツベルンと遠坂で招聘し、

 家庭教師になっていただいたほうがいいんじゃないのかな、マスター」

 

 送話口を押さえもせずに、アーチャーは凛に質問した。

 

「後で考えるから、続けなさいアーチャー」

 

 彼の質問に、日本語で答える凛だ。マスターが来年入学しようとしている学校に、サーヴァントが喧嘩を売るなんて……。

 

 しかし、アーチャーの非難にも大いに頷ける。大学に進学したかった人間だけに、時計塔の体制がいたく不満らしく、正論でくるんだ毒舌を叩きつけている。

 

 前回の参加者については、昨日連絡した時に教えてもらうことができた。故人であるロード・エルメロイこと、ケイネス・アーチボルト・エルメロイは、降霊科の神童とまで呼ばれていたらしい。そして、風と水の二重属性を持ち、礼装は水銀。

 

 アーチャーが言うには、アインツベルンはケイネスに協力して貰うべきだったそうだ。敵として排除するより、戦争に敗れることも考慮して、六十年後の布石を打ったほうがいい。略歴を聞くに、たしかに聖杯を研究する適性が高そうだ。

 

『いや、切嗣氏よりも婿入りさせるべきじゃないか。

 アインツベルンの願いは、第三魔法の復活のはずだ。

 切嗣氏の魔術がどんなものかは知らないが、十代で神童と呼ばれた人と、

 魔術師殺しと呼ばれた人では、学者としてどちらが適しているだろうか。

 降霊の専門家ならば、魂の物質化にも大いなる栄光を感じてくれるだろうに』

 

 衛宮切嗣が聖杯にかけた願いを、はっきりと知る者はいない。

 

『士郎君への遺言からすると、正義と平和、救済というのが彼の願いのように思える。

 戦いに勝ったとして、第三魔法を復活させてくれるだろうか。

 あるいは魔法を復活させて、魔法使いになるのが余所者でいいのかい?

 それとも、マダム・アイリスフィールが魔法使いになるならば、

 誰を不老不死にするのか』

 

 今日の授業中、凛に心話で明かされた考察だが、改めて考えると眉間に縦皺が寄ってしまう。こうやって整理されてみると、戦闘力にのみ秀でた傭兵の婿入りには無理がある。衛宮切嗣には、彼なりの願いがあったのではないか。それが舅と一致しているとは限るまい。

 

『魂の物質化を、自分にかけられるならばいいが、無理ならどうする。

 よそ者の夫、魔術師殺しを不老不死にしていいものかな?

 冬木の聖杯の力を、ドイツのアインツベルンまで持ち帰れるのか。

 今まで成功していない儀式なんだから、誰にもわからないんだ。

 その場で願いを叶えるほうが、素人には確実だと思えるんだがね。

 凛は宝石に魔力を貯めておくことができるが、魔術師がみんなできるのかい?』

 

『宝石魔術は、流動と変換の特性を持っていないと難しいけど、

 アインツベルンの魔術は錬金術だったわね。

 聖杯の器にそういう仕掛けをしておけば可能かもしれない。

 でも、魔術基盤の冬木から離れて、平気かはわからないわ』

 

 アーチャーの言葉に首を捻りつつ、凛は自分の迂闊さに理科の教科書の裏で歯噛みした。優勝したら魔力をとっておくことを考えていたが、最上質の媒体が大量に必要だ。

金庫ではなくて、遠坂家の地下室から屋根裏まで満杯になるぐらいの宝石が。当然そんなものはない。そこで大量の宝石を願ったら、溜める魔力は残らない。

 

『ああもう、十年での再開なんてイレギュラー、不利ばっかりじゃないの!』

 

『……あのねえ、六十年周期で巡ってくる彗星が、十年で訪れたら凶兆じゃないか。

 正常な軌道を外れてるってことだ。

 衝突するんじゃないかと心配するのが当然で、

 チャンスと思って飛びつく、君たち魔術師がどうにかしてるよ』

 

 ちょうど授業でやっていた地学の内容で皮肉るなんて、何て憎たらしいサーヴァントだろう。とっても悔しいが、口に出して反論できなかった。……授業中だったから。

 

 おのれ、知能犯の確信犯め。思い出しても腹が立つ。凛は、罪もない白菜を一刀両断にして憂さを晴らした。

 

『そんな不測の事態だって、いくらでも起こりうるんだよ。

 外部に助力を頼むなら、価値観を共有できそうな人の方がいい。

 九代も続く魔術の名家ならば、うってつけだろうに』

 

 彼の死去に伴い、教え子がエルメロイの名を継いだ。彼は優れた教師だが、術者としては二流半。エルメロイ家の魔術刻印も失われ、家門の伝統や栄誉も地に墜ちたそうである。

 

 それは、遠坂家が追うことになるかもしれない道だった。父の死に際しては、魔術刻印の保全が間に合った。魔術の知識は伝達もなされた。遠坂時臣が万全の手はずを整えていたからではあるが、後見人言峰綺礼の力も大きい。

 

 さもなくば、アーチャーの嫌味は遠坂家にも浴びせられたのであろう。

 

「へえ、辞められたらお困りになるのに、

 先代のエルメロイ氏の戦争参加は止めなかったんですか。

 その二代目ロード・エルメロイ氏が、前回のイレギュラーのマスターですか。

 で、あなたが名乗られたのは、エルメロイでもベルベットでもなかったですが、

 ご本人はどうしていらっしゃるんですか」

 

 生前は凄腕の事務の達人がいたので、この手の要求はやらずに済んだ。経験がないため、先日に引き続き、ヤンは先輩のやり口を真似てみた。効果は絶大だった。顔の見えない電話ならではのプレッシャーもあったろう。サーヴァントの詰問に、相手はたまらず口を割ってしまった。

 

「は、エジプトへ出張中? ……いいなあ……。実に羨ましい。 

 連絡がつかないんですか? ライバルの本拠地だから難しい?

 いや、学問の府なら競い合い、協力してなんぼでしょう。

 早急に連絡してください。

 ロード・エルメロイ二世と、冬木入りしているはずのマスター二名にです。

 遠坂まで連絡が欲しいと。できれば明日中、不可能ならば明後日までに。

 連絡が来るまで、こちらから時計塔に連絡を続けますからそのおつもりで」

 

 言うだけいって、アーチャーはかなり乱暴に受話器を置いた。

 

「まったく、どうなっているんだ。危機管理がザルどころか枠じゃないか!」

 

 ぶつくさ言いながら、隣のキッチンに入り、椅子にどかりと座り込む。護衛嫌いで、要塞防御指揮官にお小言を食らったのを、遠くの棚に投げ上げた発言だった。だが、それを告げ口をする者はいないのだから構やしない。

 

 イリヤが評するように、アーチャーの声はとおりがよく、食事の準備中の凛にも明瞭に届いていた。

 

「やっぱり、あんたの言ったことが正しかったような気がするわ。

 これは魔術の勝負、マスターには殺すまでの危害を与えないって、

 そういうことを時計塔に言ってたのかもしれない。

 そして、十年前の冬木の災害と、聖杯戦争との関連があると思っていないんだわ。

 参加者との連絡もままならないなんて!」

 

 ぼさぼさになった髪を更にかき混ぜて、アーチャーは渋面を作った。

 

「そのとおり。脱落したサーヴァントはいないが、

 マスターはその限りじゃないのかもしれないなあ」

 

 凛は、海老の殻を剥く手を止めた。

 

「うう、じゃあ、こういうことよね。

 所在とマスターがはっきりしない、ランサー、キャスター、アサシンの、

 三分の二が時計塔の魔術師のサーヴァントだって。

 で、二人とも連絡が取れない。脱落してるのかもしれないって!」

 

 悲観的だが、蓋然性の高い推論である。アーチャーは楽観論を捻り出してみた。

 

「キャスターはアサシンの動向を知っている。

 この二者のマスターが、連携して篭城しているのならいいんだが」

 

 これは即座に駄目だしを食らった。

 

「よくないでしょう、よけいに危険よ!

 私と士郎とイリヤにアーチャーじゃ、死にに行くようなものじゃない」

 

 事象を分析すれば当然だが、この子は賢いとヤンが感心するゆえんだ。素質の差はあれど、ほぼ独学なのは凛も士郎も一緒だろう。学び、考え、改善することの適性が、魔術師としての二人の格差につながっている。良い悪いではなく、向き不向きということだが、双方の交流は互いに実りをもたらすだろう。

 

 そんな前途有為な少年少女を、若死にさせるなんてとんでもない。

 

「だからこそ、夜じゃなくて昼間に行動するんだよ。

 おおっぴらに集団行動する人間が、いきなり失踪したら不審に思われる。

 あのキャスターならば、そんな下手を打たない」

 

 たしかに一理ある。

 

「だといいんだけど……。

 まあ、柳洞くんも普通に学校に来てるし、

 お寺の参拝者が帰ってこないなんて騒ぎも聞かないし、

 なんとかなるかしら?」

 

「士郎君に、藤村先生にも同行していただくように頼んでもらおう。

 日程的にきっとそうなるだろうけど、念を入れてね」

 

「わかったわ、士郎に電話しとく。

 イリヤと一緒に、藤村の親分さんに話を聞くんだから、

 藤村先生も同席するでしょうしね。弓道部は午後からだし」

 

「ただ問題は、私が長時間実体化する必要がある。大丈夫かい?」

 

 凛は海老の殻剥きを再開しながら、昂然と宣言した。

 

「やってやろうじゃないの! そうと決まれば食事よ。あんたは掃除!」

 

 アーチャーは首を竦めた。

 

「ま、魔力節約のために霊体化しようかなーと……」  

 

「霊体化は節約にはなるけど、魔力の取り込みには効率が悪いのよ。

 あんたも寝てるうちに実体化してるでしょ。だから、サボらないでやりなさい」

 

「はいはい……」

 

 遠坂家の家具は、どれもこれも由緒あるアンティークだ。掃除が下手ということを差し引いても、ヤンは十倍になった腕力で扱いたくない。彼の世界の地球では、全面核戦争によって、地上の多くが灰燼と化した。地下金庫などに保管されていた美術品と異なり、木製家具は日用品だ。ゆえにほぼ全てが焼失した。たとえ難を逃れていたとしても、ヤンの時代まで千六百年もの時が流れている。

 

 もしも、どこかからこの家具で発見されたら、とてつもない金額になるはずだった。宇宙暦八百年にあるとするならば、ゴールデンバウム王朝の皇宮『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』ぐらいだろう。

銀河帝国の皇帝でも、入手できるかわからない貴重品なのだ。

 

 根っから小市民のヤンは、へっぴり腰で、そろりそろりと不器用にはたきを動かした。それでも、階下から食事の支度を告げる声が聞こえる頃には、ひととおりの埃をはたき、箒で集めてゴミ箱に。カーテンをしたまま、細く窓を開けて、空気を入れ替える。

 

「それにしても、どうしたものかね……。わかった、今行くよ」

 

 明日のランサーとの食事をどう乗り切ったものか。マスターらやセイバーが思うほど、ヤンも能天気に楽しみにしているわけではない。凛が作ってくれたのが、最後の晩餐となるのかもしれなかった。



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35:食卓に英雄譚

 凛も、どこかでそれを感じていたのかもしれない。並べられた色とりどりの料理は、豪語に恥じぬ出来栄えだった。

 

 泡立てられた卵白が、朧ろに浮かぶコーンスープ。ホタテの貝柱と花形の人参が添えられた白菜の豆乳クリーム煮。翡翠色の青梗菜の炒め物を添えられた海老のチリソース煮は、紅橙色が目に鮮やかに、香味野菜の効いたソースが嗅覚をも魅了する。

 

 これらを引き立てて調和させる、圧力鍋で炊いた純白のご飯は、艶やかな光沢を甘い香りの湯気が飾っていた。

 

「うわあ、これは素晴らしいご馳走だね。いただきます」

 

 一礼すると、アーチャーは食事に手をつけ、漆黒の目を丸くした。

 

「本当にとっても美味しいなあ! マダム・キャゼルヌに匹敵するよ。 

 すごいよ、ミス・パーフェクトってのも頷ける……」

 

 賞賛の言葉に、凛は誇らしげに笑った。

 

「わたしが本気を出したら、もっと凄いんだから。

 士郎じゃないけど、今日は時間のかからないメニューだもの」

 

「いや、君はお嬢様だから、てっきりこういうことは苦手だと思ってたんだ。

 私の妻も、あんまり得意じゃなくてね。……挟む物以外は。

 あ、失敗するだけで、まずいわけじゃないんだよ、うん。

 習ったら、ちゃんと上達したんだ。

 達人になるには、ちょっと時間が足りなかったけど」

 

 妻への弁護を忘れない、心優しい夫だった。

 

「アーチャーの奥さんってお嬢様だったんだ?」

 

「一応、上官のお嬢さんということになるのかな。

 最初に会ったのは、彼女が14歳の頃のようだが、私はさっぱり覚えてないんだ。

 軍務でそれどころじゃなくって」

 

「すっごく、興味があるけど、食べてからにしましょ。

 中華って冷めると不味くなるんだから」

 

 ヤンは異論なく頷き、せっせと料理に箸を伸ばした。箸の使い方までとは、聖杯の加護はすごいものがある。それよりも、この料理の数々、これが魔法じゃないだろうか。

確実に人を幸せにしてくれる。

 

 たしか、この時代の人の言葉ではなかったか。『本当の正義の味方は、みんなのお腹を一杯にしてくれる人だ』これこそが真理にして至言だ。

 

 皿の上がほぼ綺麗になるまで料理を堪能し、満足の笑みとともに、アーチャーは再びマスターを褒め称えた。

 

「でも、料理ができる人というのはすごい。尊敬するよ」

 

 彩りよく、季節の野菜を使って、味と栄養バランスも完璧だった。

 

「今日はあんたもいるしね。わたし一人だと、海鮮類が一回で使い切れないのよ。

 長持ちしないから、次の日も使うでしょ?

 料理を変えても、素材が一緒だと飽きちゃうのよね」

 

「自炊してるとは偉いなあ。私なんて独身の頃は外食ばっかりだった」

 

 ヤンの独身生活のルームメイトは、被保護者が揶揄したようにカビと埃だった。外食ばかりしていたので、生ゴミの類は出ないということだ。せいぜいが紅茶のティーバッグ。ゴミ出しするなら寝ていたかった。艦隊勤務が多くて、出撃すれば二、三か月は地上に帰らないという事情を加味しても、弁解の余地なく駄目な生活態度だった。

 

「男の人ってそうよね。女の子はカロリーや栄養を気にするの。

 珍しいのは士郎よ。よっぽど、おとうさんが何にもやらない人だったのね」

 

 黒い瞳が宙をさまよった。

 

「まことに面目ない」

 

「やっぱり、あんたも駄目な大人なのね……」

 

 アーチャーは、コーンスープを啜って表情を誤魔化した。

 

「それを言われると反論のしようもないんだが、

 私の父はまっとうな家庭人じゃなかったからなあ。

 人間、経験のないことはできないんだよ。

 衛宮切嗣という人も、当たり前の生活を知らない人に思える。

 一方、士郎君の中には、実のご両親が与えてくれた

 家庭生活がちゃんと生きているんだ。 

 凛のお母さんも、とても優しい、料理と家事の達人だったんだろう?」

 

 不意打ちだった。目頭が熱くなり、凛は眉間に力を入れて堪えた。

 

「や、やだ、急に何を言い出すのよ」

 

「私の母は、私が五歳の時に亡くなって、ほとんど覚えていない。

 父は再婚しなかった。男所帯の宇宙船暮らしじゃ、家事の出番はない。

 士官学校に入学して、寮生活のおかげで最低限はできるようになった。

 でも私は、挟む物さえ満足に作れないんだよ」

 

 言いさして、今度はジャスミンティーで口を潤す。  

 

「しかし、君や士郎君は違う。

 愛されて、充分に母の手を掛けられて、育った子だとすぐにわかる。

 そちらだって、大事な遺産なんだ。

 身に染みこんでいるから、自分ではわからない。

 でも、ちゃんと現れるんだよ。士郎君もわかってくれるといいんだが」

 

 遠く、懐かしむような眼差しだった。

 

「士郎のことを、ずいぶん気にするのね」

 

「士郎君はちょっと私の里子に似てるんだ。

 だが、私が気になるのは、養父の方だ。

 私が知る人物に、非常に方向性が似てる」

 

 凛の箸が止まった。とはいえ、二人とも皿の上はほとんど片付いている。

 

「誰よ」

 

「新銀河帝国皇帝、ラインハルト・フォン・ローエングラム」

 

 凛は息を飲み込んだ。

 

「士郎やイリヤのおとうさんと、あんたの敵だったっていう戦争の天才が!?

 いったいどこが似てるっていうのよ!」

 

「スケールは全く違うし、

 皇帝ラインハルトの方がまだしも現実的な手法を選んだがね」

 

「宇宙で戦争するほうが現実的ですって?」

 

 収まりの悪い黒髪が頷いた。

 

「ああ、私はそう思うよ。だが、長い話になる。ここを片付けてからにしよう。

 君の体力と魔力の回復のために、今日は早く休んだほうがいいからね」

 

 とても続きが気になるところなのだが。

 

「じゃあ、あんたもお皿を運ぶのぐらい手伝ってちょうだい。

 洗わなくていいから。今夜のお皿、景徳鎮なの。骨董じゃないけどね」

 

「……聞かなきゃよかったよ。緊張してきた」

 

 ヤンは細心の注意を払って、盆の上に皿を載せていった。これだと、一揃いで何万ディナールになることか。この世界で、2029年に全面核戦争が起きることはなさそうだが、千六百年先までまったき平和が続くとも思えない。でも、こうした文化遺産が灰燼と化すことがないように祈る。

 

 皿洗いと台所の片づけを済ませ、さらに入浴もしてから凛はベッドに座り込んだ。ナイトテーブルには凛用のハーブティーと、紅茶入りブランデーが一つずつ。アーチャーの話は、寝るばかりの状況で聞こうというわけである。

 

「さて、それでは、最初に私の敵国であった銀河帝国に、

 新王朝を打ち立てた、ラインハルト・フォン・ローエングラムの話をしよう」

 

 そう前置きして始まったのは、超巨星の物語。何度か語られた絶世の美青年が、至尊の座を占めるまでの道程である。

 

 かの青年は、白磁の肌に豪奢な金髪、蒼氷色の瞳をしていた。彼には、五歳上の姉がいた。肌と髪は弟と同じく、瞳の色は最上級のサファイアブルー。幼くして母を失くした彼にとって、姉であり、母である最愛の存在だったことだろう。

 

「お姉さんもやっぱり絶世の美人?」

 

「映像で見た限りだがね。

 専制国家で過ぎたる美貌は、女性に幸福をもたらさない。

 彼女が十五歳の時に、皇帝の寵姫として、後宮に入れられることになってしまった」

 

 彼ら姉弟の父は、妻を亡くしてから気力を失い、酒に溺れる毎日を送っていた。貴族といえども名ばかり、生活は苦しかったことだろう。だが、金を貰おうと貰うまいと、皇帝の命に逆らうことなどできないのだ。

 

「皇帝に逆らったら一族郎党処刑台だよ。

 父娘に選択の余地なんてない。

 だが、ただ一人、叛逆を胸に抱いたのがその弟だ。

 幸か不幸か、彼は天才だった。

 彼の幼馴染の親友は、その天才に追随できる才能があった。

 彼は親友と二人、軍に身を投じ、めきめきと出世した。

 姉の寵愛の余慶はあったにしろ、二十歳で上級大将まで達したんだからね」

 

 アーチャーが語ったのは、まさしく英雄譚と呼ぶにふさわしいものだった。

 

「すごい英雄じゃないの。その皇帝とますます似ているとは思えないんだけど」

 

「彼との攻防で、滅んだ母国のことを考えなきゃ、実に輝かしい人物だよ。

 だが、同時代に敵として生きるには、こんなに嫌な相手はいない。

 その為人(ひととなり)、戦いを嗜む。

 とても苛烈で美しい、青白い炎のような青年だった」

 

 しかし、アーチャーの口ぶりからは、嫌悪の念は感じられなかった。敵ではあったけれど、ヤン・ウェンリーは彼を心から憎むことはできなかった。数世紀に一人の、歴史上に輝く奇蹟のような存在に、畏敬の念さえ抱いたものだ。敵国の軍人として、正しくない考えなのだろうけれども。

 

 しかし、ラインハルトは専制国家で軍事の実権を握った者にふさわしく、 ヤン・ウェンリーには絶対にできない戦略の数々を行った。例えば、同盟軍の帝国領逆進攻の際の焦土作戦。

 

「こちらの進軍ルート上の、辺境惑星の物資を引き上げての焦土作戦をやられた。 

 専制政治からの解放を謳っている手前、食料を放出しないわけにはいかなかった。

 そして飢えたところで逆襲された」

 

 三千万人が出撃し、二千万人が還らなかったと 淡々と語るアーチャーに凛は言葉を失った。ぼろぼろになったアーチャーの国の軍。さらに、帝国の旧王朝の皇帝が病死した。

 

 死去したフリードリヒ四世は後継者を定めなかった。彼と、ある侯爵が男子の孫を、別の大貴族二人が皇帝の孫にあたる彼らの娘二人を立てて、後継者争いの内乱に突入した。

 

「それに先駆けて、互いの捕虜の交換を行ったんだがね。

 その帰還者の一人を彼の操り人形に仕立てて、

 同盟で軍事クーデターを起こすように画策した。

 警戒していたが、予測よりあちらさんの手回しがよくて、

 見事に起こされてしまった。

 唯一、無傷だった第十一艦隊がクーデターに与したもんだから、

 私たちの艦隊が鎮定しなくちゃならなかった。

 私は二千万人を助けられず、百五十万人の同僚をこの手で殺した人間なんだよ」

 

 それはまた、宇宙を燃やす烈火への、凄絶な抵抗の物語でもあった。一千万人の敵を殺していると言うヤン・ウェンリーは、その主人公だったのだ。凛は言葉を失う。

 

「まあ、私のことは置いといてくれ。似てないか?

 言峰神父が語った衛宮切嗣の手法に」

 

 他のマスターを除くためにビルごと爆破し、婚約者を人質に取って、騙まし討ち同然に殺したと。

 

「衛宮切嗣の戦い方には、彼に重なる部分がある。そして能力もだ」

 

 年少から戦いに身を投じ、それに高い才覚を現す。半面、一般的な生活や感情の機微に疎い。

 

「皇帝ラインハルトは学校教育を受け、軍隊で生活もした。

 親友だったキルヒアイス元帥が、非常にできた人物なのも大きい。

 だが、切嗣氏はどうだろうか。

 士郎君やイリヤ君への対応を見ると疑わしいんだ」

 

「士郎に何にも言わず、アインツベルンにも門前払いを食わされていたように?」

 

 凛の問い掛けに、アーチャーは頷いた。

 

「私が門前払いを食わされたのなら、アインツベルンに書状を送ったり、

 仲介人になれそうな相手を探す。敗戦の記録は重要なんだ。

 歴史の第一資料が、時の政権の公文書だというのは、

 敗者の記録が残るのは稀だからだよ」

 

「ああ、そうよね。うちだってそうだもの。

 お父様がどうしていたかもわからない」

 

 敗者の多くは死に至る。負けても生き残り、記録を残せるのは稀な幸運だ。黒髪の主従は、苦い思いをそれぞれの飲み物で流し込んだ。アーチャーは、紅茶の残るカップを置くと続けた。

 

「彼が把握していることを説明し、次回の改善策を提供するといえば、

 接触ぐらいはできるだろうに。

 イリヤ君のことを士郎君には言いにくいとか、

 理解が難しいと判断すれば、遺言状を残しておく。

 明日の話し合いで、そいつが見つかれば万々歳なんだがね」

 

「でも、士郎が十二歳の時のことよ。ちゃんと話せばある程度はわかるでしょう」

 

「士郎君の内面は、きっともっと幼いよ。

 君とは違うというか、この勝負では男は女に勝てない」

 

 それは凛も感じていたことだった。普通の男子高校生なら父親を愛称の『じいさん』とは呼ばない。せいぜい親父ぐらいのものだろう。

 

「だから藤村先生も心配してるんだわ。ご飯をたかるのは感心できないけど」

 

 これにヤンは苦笑して首を振った。

 

「でも、あのぐらい積極的に交流を強要されないと、

 サバイバーズ・ギルトの人間は負い目に思ってしまうよ。

 一般的には非常識だが、士郎君にとっては正解なんだ。

 迷惑だけど藤ねえだから仕方がない、って思えるぐらいでちょうどいいのさ。

 計算なくやっているのが、彼女のすごいところだよ」

 

「あんたはずいぶん高く評価してるけど、藤村先生のあれは素よ。

 学校でもあんな調子で、問題教員だもの」

 

 凛の言葉に、ヤンは苦笑を深くした。

 

「少年少女とうまくやれる大人ってのは、貴重な才能なんだよ。

 才能の有無と生活態度には、直接の関係はないのさ。私の部下にもいたもんだ。

 それ以上に、人間同士のそりがあうかどうかってのが重要でね。

 解毒剤が効くのは、一種類の毒だけだろう?」

 

「あんまり褒め言葉になってないんだけど、わかりやすいからまあいいわ。

 でも、ほんとによく知ってるわね」

 

「そんなことないさ。私自身、学生時代はずいぶんと助けられたよ。

 佐官になってからは、そういう勉強をさせられたけどね」

 

 凛は溜息をついた。戦時国家に生まれ、望まずとも軍人の道を歩んだ彼だから、士郎の精神的な問題を見抜き、穏やかな対応ができたのだ。彼の忠告によらず、士郎の異常性を指弾していたらどうなったことか。きっと、ムキになったに違いないのだ。ランサーにもライダーにも、ことによったらキャスターにも、突撃したかもしれない。

 

「だが、それでも限界があるんだ。

 君だって、近所の小学生に母親のように世話を焼いたりできないだろう」

 

「そりゃそうね。それを考えたら、たしかに大したものかもしれないわ。

 士郎と藤村先生のおかげで、桜も笑うようになったんだもの」

 

 中学校までの桜は表情が硬く、いかにも小心な様子で仲間はずれにされることも多かった。間桐慎二が、威張っている反動を受けていたせいもあるのだろうけれど。

 

「しかし、士郎君を見てると、切嗣氏の孤独な人物像が浮かんでくる。

 誰も信じられず、一人で全てを背負おうとしているかのようなね。

 皇帝ラインハルトでも、そんな無茶はやっていない。

 彼は戦略の天才だ。多勢の力を知っている人間だからだよ」

 

「教会のランサー戦みたいに?」

 

 頷いて、ヤンは紅茶入りブランデーを啜った。

 

「誰をも切り捨てず、全てを救う正義の味方になる夢よりも、

 腐敗した王朝を打倒し、敵国を征服し、宇宙の統一を目指すほうがずっと具体的だ。

 彼にはその才能と能力があったし、

 有能な将帥が揃った精強の軍という道具も揃ってる。

 衛宮切嗣の戦力は全体の七分の一。

 帝国軍と同盟軍の勢力比は、彼の巧みな戦略によって、最終的には十対三。

 さて、君ならどっちが勝つと踏む?」

 

「……皇帝ラインハルトだわ」

 

「そのとおりだ。君には確かに戦略のセンスがあるね。

 凛は、切嗣氏の行動から何を思うかな」

 

「『魔術師殺し』の暗殺者には、頼れる人間がいなかったってこと……?」

 

「あるいは、それを失ってしまったのか。

 皇帝ラインハルトが同盟征服に乗り出したのは、親友の死後のことだ。

 キルヒアイス元帥の死後まもない頃の作戦は、滅茶苦茶だったよ。

 懐の痛まない手段で、同盟軍を割った謀略の主とは思えない作戦を取ったりした」

 

 イリヤの母、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、優美で高貴な姫君のような女性だったとは、セイバーの証言である。徹底してセイバーを無視する夫との緩衝材として、随分と骨を折ってくれたそうだ。

 

 そんな妻を失い、愛娘を取り上げられた人間がどうなるか。アーチャーが示したのは、皇帝ラインハルトの父セバスティアンのことだった。彼は、娘が後宮入りしてすぐ、酒浸りが激しくなって死去したという。

 

「イリヤが入る予定だったアインツベルンの城は、ものすごい結界の工房なのよ。

 本国のアインツベルンはもっと厳重でしょう。

 そこに命を削るようにして、何度も行こうとしたのかしら」

 

「一方で、医者にかかった様子もないだろう。

 彼の絶望を感じると同時に、世俗の事に疎い人なのかなとも思うんだよ。

 士郎君のことを頼む、と依頼されれば後見人にはなれる。

 だがねえ、いくら近所の知り合いで、個人的にはいい人だからといって、

 私なら老齢のやくざの親分には頼まないよ。

 君のお父さんのように、社会的にきちんとした人に頼むさ」

 

 翡翠の瞳が丸くなった。

 

「うっそでしょ、だから、あの根性捻じ曲がった綺礼を!?」

 

「聖職者だし、自分よりも若い。

 君のお母さんとどうこうなる心配も低い。

 逆に、君が成人するまで健在な確率は高い。

 そして、遠坂の魔術を知っている。考えうる限り、最適な人選だと思うがね。

 お父さんは、君とお母さんのことも、充分に案じていたんだろう。

 当主が亡くなって、遺族が貧乏しないって、とっても大したことなんだよ」

 

「うー……うん……」

 

 遠坂時臣は、普通の父らしい父ではなかった。遊園地に連れて行ってくれたり、いっしょに公園で遊んだ記憶はない。

 

 戦いに赴く際、頭を撫でられたのが、覚えている限りでは最初で最後のスキンシップ。だが、それを恨んだことなどない。父は遠坂凛の誇りだった。

 

 そして、これからも。貴族的で、生粋の魔術師としての行動だが、あの日の凛には、根底にある自分への想いを感じ取れたから、父の言葉を守ってきた。

 

 凛はこれからも魔道を往くことだろう。経済的には間違ってると言われても、父の道を歩みたいと思う凛の考えは、間違いなんかじゃないのだから。



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36:枕辺の伝言

「一方、藤村雷画氏は、地元では有名な暴力団の組長だ。

 孫が二十代半ばなら、本人は七十台後半ぐらいじゃないのかな?」

 

「多分ね。でも、とっても元気よ。派手なバイクを乗り回しているのを見かけるもの」

 

 どうやら、孫娘は祖父に似たようだ。

 

「だが士郎君が成人するまでに、亡くならないとも限らない。

 そして万が一、被後見人がそっちの道に進んだらどうするんだい」

 

 アーチャーの問いかけに、凛は眉根を寄せて首を傾げた。

 

「正義の味方になるって言うんだから、それは大丈夫じゃないの?」

 

「だったらいいんだが、こういう役割を担う人は、善意の隣人ってだけじゃ不十分だ。

 士郎君は誰かのためになりたいと思うがあまり、自己への価値観が希薄になってる。

 恩のある老人に、組を頼むと遺言されたら、嫌だと断れるかねぇ?

 例えば暴力団の抗争で、襲撃を受けたような場合にさ」

 

 藤村組は、暴力団というよりテキ屋の元締めといった方が正しいが、絶対にないとは断言できない。彼らのほうにそのつもりはなくとも、相手にその気があれば、暴力団抗争は起こりうる。 

 

「それだとありかも……。たしかに後見人って人選が難しいのね。

 あいつの性格は最悪だけど、社会的には問題ないし」

 

「そういうことだ。三十代の男性に、他に頼める人がいないってのも普通じゃないよ。

 たとえ天涯孤独でも、会社の上司や先輩、学校の恩師とか、それなりにいるものだ。

 もっとも、会社勤めをしていたようには思えないがね」

 

「確かにね……。三か月ごとに二週間の旅行をしてるんだもの」

 

 凛は腕組みをし、アーチャーもマスターに倣った。

 

「旅行は無論のこと、ただ暮らすにしたって金は要る。

 彼の死後は、ほとんど収入がないだろうに、士郎君は私立高校に行ってる」

 

「保険とかじゃないかしら」

 

 アーチャーは首を捻った。

 

「だとしても、大金が子ども一人に遺されたわけだ。

 社会の一般常識からすると、よけいに後見人には不適切だ。

 切嗣氏は役所に相談して、弁護士を紹介してもらい、

 行政の援助も受けたほうがよかったかもしれない」

 

「またお役所仕事?」

 

 この疑い深いサーヴァントは、隣人の善意にまで疑問符をつけるのか。辟易とした凛に彼は頷いた。

 

「そうさ。そいつのおかげで、私はユリアンを預かることができた。

 血のつながらない、身寄りのない子を背負うには、

 そういうバックアップが後見人のためにも必要なんだ」

 

 ……そういえば、こいつは経験者だっけ。

 

 十五歳で孤児になり、巨額の負債の清算に取り組み、戦争孤児を預かっていた。だから目の付けどころや、言うことが違うのだろうか。

 

「でもアーチャー、普通はそんなこと思いつかないでしょ」

 

「凛なら、自分が知らないことは、知ってそうな人に聞くだろう?」

 

「そりゃあね」

 

「誰かに聞けば、役所に相談してみたらぐらいのことは教えてくれる。

 冬木の広報誌にも、ちゃんと法律相談の日が載ってるよ」

 

 凛は呆れて首を振った。

 

「そんなの、わたしもちゃんと読まないわよ」

 

「来年度のゴミ収集のお知らせなんかはどうだい?」

 

「あ、そういうのは読む。

 読むけど、それにしても何読んでるのよ、アーチャー……」

 

 聖杯や魔法のことを、様々な知識を駆使して考察したかと思えば、今度は『広報 ふゆき』を熟読してる。なんなの、そのギャップは。

 

 アーチャーは溜息を吐いて、がっくりと肩を落とした。

 

「平和な社会だと、地方自治体がここまでやってくれるのかと思うと、

 羨ましいやら感心するやらだよ。

 こういうのを読まない人は多いが、読む人はちゃんと読むんだ。

 特に、高齢者や子供を持つ母親はね」

 

「それがどう関係するのよ」

 

「ご近所にちょっと聞けば、答えが返ってくる質問だってことさ」

 

「あ!」

 

 ほんの些細な糸口、事象の断片から、対象の人物像を立体的に描き出す。戦場の心理学者の名をほしいままにした、ヤン・ウェンリーの能力の一端だった。

 

「学校行事に参加すれば、保護者や学校の先生に聞く機会もあるだろう。

 地域や学校に無縁で、あまり他者と交わらない人だったのかと思う。

 ……もしくは敬遠されてたかもしれないが」

 

「士郎の実のご両親と知り合いだったから、遠慮してとか?」

 

「その可能性も高いね。それと、あのパスポートの写真を見て、君はどう思う?」

 

「ずいぶん、疲れきった人だと思ったわ」

 

「そうだよね。でも、彼はその三年前までは、名うての暗殺者だった。

 やっぱり、そういうのは隠せない。特に子供がいる母親は敏いよ。

 怪しい人間を敬遠するものさ」

 

 定職に就かず、しょっちゅうふらりと姿を消し、半月も帰ってこない。よれた服に無精ひげ、ぼさぼさ頭で昏い瞳の、年齢よりも老けた三十代の男。

 

 凛も普通の家に生まれたとは言いがたいが、母の葵なら、幾つであっても遊びに行くことを許さなかっただろう。よくもまあ、女子高校生だった大河が入り浸れたものだ。なるほど、藤村家も普通とはいえない。

 

 だから、早朝に桜と士郎が二人きりになる時間があっても気にしないのか……。

 

「……許せないわ、あのじじい。

 桜や慎二を利用して、『衛宮』に探りを入れさせてたんだわ!」

 

 だからイリヤと凛の登場で、足が遠のいたのだろう。

 

「だが、もっともな懸念でもある。

 たかだか魔術儀式のために、ホテルを爆破する人間が引き取った子なんだからね」

 

「たかだかって!」

 

「イリヤ君の実家ほどの金持ちなら、たった六人ぐらい、

 なんとでも言いくるめて協力してもらえる事じゃないか。

 ヘラクレスを呼び出せる触媒だなんて、国家というより人類の宝だよ。

 その金で、何人雇えると思う?」

 

「わたしたちがいるわ」

 

 アーチャーは黒い眼を半ば瞼で隠し、親指と人差し指で丸を作った。『金』のハンドサインだ。

 

「遠坂と間桐には、次回、次々回に同様の手段を取れるよう、

 資金提供を約束すればいいだけの話だ。

 第三魔法を使うと約束してもいい」

 

「そんな、失われた第三魔法を他人に使うですって!?」

 

 凛の反論に、虫も殺さぬような顔が人の悪い笑みを浮かべた。

 

「私なら、千年も忘れてた代物を、いきなり自分や家族に試そうと思わないね。

 怪しい実験に、被験者が喜んで立候補してくれるなんて、一石二鳥じゃないか」

 

「ア、アーチャー、あんた……なんて、黒いこと……」

 

 中立中庸とは、善と悪、秩序と混沌を行き来するから、平均値でってことじゃないでしょうね……。慄く凛に、アーチャーはイリヤの家を一刀両断した。    

 

「私から見たら、アインツベルンはそういう家だよ。

 当主が安全地帯でふんぞり返って、イリヤ君のような少女を死地に送り込んでる。

 そして、聖杯戦争を名誉だと教えてるんだ。まったく、虫唾が走る」

 

 ヤン・ウェンリーにとって、安全地帯から戦争を賛美する権力者ほど嫌いなものはない。アインツベルンも、間桐も、時計塔もだ。戦争賛美は遠坂も一緒だが、自ら戦おうとする凛の気概が一線を画している。

 

「そこに納得ずくで雇われたのが衛宮切嗣。彼が引き取った子も魔術師だ。

 極端な人間は、身近な者に強烈な求心力を発揮する。

 どんなことを教えられたかと疑いもするよ。

 間桐臓硯は、かなり慎重な人物だと思われる。

 彼が聖杯に託す望みは不明だが、大災害じゃないだろう」

 

「え……?」

 

「あちらも冬木に住んでる。ここが合わないなら、なんでよそに行かないんだ?」

 

 凛は髪をかきあげた。確かにそれも一理ある。

 

「そう……ね。あのじじいだって、外国から来たんだもの。

 魔術回路が枯れるまで、冬木にいなくてもいいのよね」

 

 アインツベルンのように、適した地に居を構え、戦争のたびに来訪する方法を取ってもよかった。間桐臓硯にも、冬木を離れがたき理由があるのではないだろうか。

 

「愚行に見えても、外道であっても、行動にはその人なりの理由がある。

 もっとも、士郎君の様子を見れば、おおむね普通の子だとすぐにわかるさ。

 テレビみたいな正義の味方なら、子どもの空想で片付けられる。

 探りと言っても、ほんの最初だけだろう。あとは本人達の自由意志じゃないかな」

 

「だったらよかったわ」

 

 凛は胸を撫で下ろした。妹が、四六時中スパイを続けていたとは考えたくない。あの朝に赤らめた頬の好意は本物だ。

 

「ただそれが、何を正義とし、どう実現するかで、危険なものにもなるんだよ」

 

「その、皇帝ラインハルトみたいに?」

 

 黒髪がかすかに動いた。縦とも横ともいいがたい方向に。

 

「私が心配するのは、士郎君は元々は彼の親友に近い性格の持ち主だと思えることだ。

 それが大災害でリセットされ、養父の死で再びリセットされてしまった。

 残された部分で養父の理想に感応し、理想を体現する人を追いかけ、支え、

 ……身代わりとなり殉ずる。そいつが一番怖い」

 

 言葉もなく凝視する凛に、黒い瞳に翳が落ちた。

 

「そして、私が遺した人々に強いている道なのだろうね。

 でも、ここで案じてもどうしようもないし、願っても届かないだろう。

 あそこで死ぬとは思わなかったから、何も伝えておけなかった。

 だが君達には間に合う。もしも、私が斃れたときのために」

 

 凛に反論することはできなかった。そして慰めたりすることも。ヤン・ウェンリーという名の、非力で、不真面目で、毒舌家の、とんでもなく聡明なサーヴァント。彼は自分の死後の状況までも見通している。なんて、やりきれないことだろうか。

 

「戦争中の強烈な体験っていうのは、人の一生を決定付けてしまうほどのものだ」

 

 瞳が伏せられ、自嘲の笑みが浮かぶ。

 

「やった本人が言うんだから本当だよ。

 妻も、被保護者も、私に出会わなければ軍人にはならなかった。

 衛宮切嗣は、私にも似ているんだ」

 

 いや、私の方がもっと悪いなと、苦い呟きが凛の耳を打った。少なくとも、ここは平和な国だ。戦場の只中じゃない。

 

「そこへ正義というイデオロギーが絡み付いてしまうと、

 百五十年も争い続け、なお終わらないような思想戦争も引き起こす。

 私が士郎君とイリヤ君の関係を、家族の問題に矮小化したのはそのためだ」

 

 そして、聖杯戦争より家族争議に重きを置かせたのも。

 

「私がいなくなったら、君はその路線で衛宮家の子たちの関係調整に務めてくれ。

 君が頼りになるならば、士郎君とイリヤ君は君を守ろうとする。

 士郎君の交友関係を通じて、桜君に手が届くようになる。

 敵として、間桐を排除するのは難しくないが、

 桜君にとっては、十年も一緒に暮らした家族だよ。

 君やご両親よりも長く接した相手だということも忘れてはいけない。

 必ず、彼女の意志を尊重して、最適な道を選んで欲しい」

 

「……な、なに、なんでそんなことを言うのよ!」

 

 それは紛れもない遺言だった。聖杯戦争の事ではなく、凛を案じ、関わった人々への善後策だ。

 

「あんた、やりようがあるって言っていたし、ここまでなんとかしてきたじゃない」

 

 涙を見せまいとした結果、アーチャーを睨むことになった凛に、不変の定理を述べるような声が返された。

 

「深山の一家殺人だ」

 

「えっ……!?」

 

「私は戦死したんじゃない。戦いに負けずに済んで、

 講和会談に赴く途中で暗殺された。

 正面の雄敵に必死で、横合いからのテロリストに気付かなかったのさ」

 

 硬直した凛に、淡々とした調子で言葉が続いた。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

「まあ、私には過ぎたことだが、はるか未来の話だからね。

 細かいことは省くとしよう。深山の一家殺人の凶器は刀や槍と思われる。

 そういう発表なのは、片刃と両刃の刺し傷が混在し、

 人体を貫通する深い傷も含まれるという意味だ」

 

 短い新聞記事からは見えないが、凄惨そのものの事件像だ。凛は掛け布団を握り締めた。

 

「それがどうしたの?」

 

「私たちが相対したランサーかライダーの武器なら、傷の形は一種類だけになる。

 ランサーの槍は両刃、ライダーの短剣は二本あったが、

 刃の形は両方とも片刃だった」

 

 あの最中に、そこまで観察をしていたのか。凛には頷くことしかできない。

 

「さて、キャスターの言葉はそれなりに信が置ける。

 私たちがライダーを退けたことで、ちゃんと訪問の許可をくれた。

 彼女が自分とアサシンではない、と言うのなら確かにそうなんだろう。

 プライドの高そうな女性だ。濡れ衣を着せられるのは我慢ならないと思うね」

 

「じゃあ、誰なのよ……」

 

 ようやく声を絞り出した凛に、アーチャーは直接の回答をよこさなかった。

 

「時間的に私とセイバーではない。

 バーサーカーでは、遺体がミンチになるだろう。

 つまり、一家殺人は、今回のサーヴァントの仕業ではない。

 しかし人間業でもない」

 

「アーチャーが、最初に言ったように?」

 

「ああ。では、誰なのか。実は、この犯罪が可能な者は過去にいたんだ」

 

 翡翠の瞳に緊張の色が宿る。マスターの視線に促され、アーチャーは話を続けた。

 

「第四次聖杯戦争のアーチャー。

 君のお父さんのサーヴァントだった可能性の高い、

 複数の宝具を、雨あられと打ち出した黄金のサーヴァントだ」

 

「……まさか!」

 

「用心するにしくはない。

 君のお父さんがいつ亡くなったのか不明だが、

 セイバーの証言によるなら、とても強いサーヴァントだった。

 そんなに強いサーヴァントがいたのに、なぜ、君のお父さんは亡くなったのか。

 そして今、四次アーチャーの戦い方に合致する殺人が起こっている。

 よく考えてみるべきだ」

 

 凛をひたと見つめる、底の見えない永遠の夜。彼の部下が戦場で見ていた、不敗とも魔術師とも称された名将の顔だった。

 

「そして、これは君のお父さんに対しても言えることだ。

 敵と相対してると、どうしてもそちらに意識が向く。

 横槍や背後から足を引っ掛けようとするものが目が入らなくなる。

 特に、強大無比なものに拠って立つと、一層その傾向が高い」

 

 ヤンは一回目と二回目のイゼルローン攻略を思い返しながら言葉を続ける。

 

「いいかい、凛。サーヴァントとは極論すると戦いの道具、ハードウェアだ。

 それを運用するマスターがソフトウェア。前者を動かすのは後者なんだ。

 どんな強大なサーヴァントも、

 マスターがきちんと運用しなくては力を発揮できない」

 

 もしも、三騎士の残る二人が聞いたならば、肌に粟を生じさせていたことだろう。アーチャーの主は、むろんそんなことは知らないが、静かな迫力に気圧されて、頷くのも忘れて聞き入った。

 

「しかし、ハードを過信するのは危険だ。

 絶対に大丈夫と思い込んで、ハードを篭絡しようとする者を、

 自ら呼び込んでしまうことだってある。

 味方のふりをされると、余計に信じてしまうものだ。

 または、ハードに寝返るような仕掛けをしておく。

 私はどっちの手も使ったが」

 

 アーチャーは、椅子の上で足を組み替えた。

 

「いずれにせよ、前回の戦争の結末を知る者はいないんだ。

 セイバーは聖杯を吹き飛ばしたということだが、顕現はしていたのかもしれない。

 彼女が聖杯を吹き飛ばすまでの間に、誰かが願いを叶えていないとも断言できない」

 

「あなた、聖杯で願いを叶えた魔術師はいないって、そう言っていたじゃないの!」

 

「サーヴァントは魔術師じゃないからね。

 セイバーが吹き飛ばしたのは聖杯の器。そして彼女は消滅した。

 その瞬間、前回のアーチャーが最後の一騎となった。

 前回のアーチャーはどうしたんだろう?」

 

 凛は、頭を抱え込むと、枕に倒れ込んだ。

    

「ちょっと、ちょっと待ってよ。頭がどうにかなりそう!」

 

 凛は掛け布団に手を伸ばし、頭から引っかぶった。

 

「うう、も、寝る。これ以上は、明日考えるから……」

 

 ヤンは苦笑すると、残った紅茶を飲み干した。

 

「まったくだ。世の中は、考えても駄目なことばかり。

 同じ駄目なら酒飲んで寝よか、さ。おやすみ、マスター」

 

 立ち上がり、歩き、ドアを開ける音が、布団越しに聞こえてきた。そして、灯りが消える。ドアが閉じられて、足音が消えた。凛の負担を軽減するために、霊体化したのだろう。カップが置きっぱなしでも仕方がないか。

 

 布団の中で凛は呟