夏の日差しと、レベルアップと (北海岸一丁目)
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第一話
夢を見た、気がする。
あまり楽しくない夢。
睡眠と覚醒の狭間を揺蕩いながら、碇シンジは抵抗した。
目が覚めたら、覚めてしまったら、現実がやってくる。
思い出したくない事が、見たくない物が襲いかかる。
しかし、眠りにしがみつこうとすればするほど安楽地は遠ざかる。
薄く目を開けぼやけた視界が定まるのを待つ。ようやく見えてきた光景に、シンジは無意識ながら言葉を一つ零す。
「知らない天じょ……」
声を発したのが切っ掛けなのか、耳が声を拾ったせいなのか、あの記憶が次々に蘇る。
巨大ロボット。
血の匂い
使徒。
痛み。
高揚感。
安堵。
目。
ファンファーレ。
ファンファーレ?
自分を捨てた父に呼ばれてこの地を訪れ、ロボットに乗って怪物と戦い勝利、した?
そしてどこかで聞いたようなファンファーレが鳴り響き、目の前に文字が現れた。
そしてその文字を読む前に意識が遠ざかり……。
落ちる寸前に思ったのは、なんて無駄なサービスを、だった。流れを考えれば勝利した事に対する祝福の意味での効果音なのだろうが、そんな事よりもっと強力なロボを作れよと。
思い出し、やや憤りながらシンジは体を起こした。見回してみると、妙に広い部屋にぽつんと置かれたベッド。白で統一された室内。漂う匂い。察するに病院であるらしい。
枕元を探るとコードが繋がったスイッチがある。ナースコールだろう。とりあえずボタンを押し、ボンヤリと考え込む。これからどうすれば良いのかと。
ロボット。エヴァンゲリオン。人造人間と言っていた紫色のアレに乗って、また戦うことになるのか。
父に対して何かを期待していた訳じゃない。否、やはり期待していたのだろうか。今まですまなかった、これからは一緒に暮らそう。そんな甘い願望を。しかし与えられたのは強制と、痛みと、失望と。
自分が乗ると言ったのも、正直、場の勢い的な感もある。怪我を負った同年代の少女が乗せられようとしている事への反抗も。
だが、と、そこまで考えてシンジは違和感を抱いた。他ならない、自分に対してである。
自己分析。自分はこんな事をする人間だっただろうかと。
病室のドアが開き、医師が入ってくると気分はどうか等の問診が始まった。どこかに不調はあるかと聞かれたので、何か色々考えてしまう、と先程までの考えを正直に話したが、無理もないとボソリと呟かれてそれで終わりだった。
医師の診断としては体は完調。いつ退院しても構わないが、ロビーで迎えが来るまで待つようにと言われ、ベッドサイドに置かれた着替えを指し示された。
入院着から第3新東京市に来る時に着ていた学生ズボンとシャツ。L.C.L.という血なまぐさい液体に浸かって駄目になったかと思ったが、綺麗にクリーニングされ袋詰されていた。
この服で訪れたのも、自分にできる最上級のフォーマル衣装がこれだったという程度の意味しかないのだが、父に会うという事が自分にとってそこまで大きかったのかと、今更に気付き、シンジは苦く笑った。
ロビーのベンチに座りながら見るともなしに窓の外を眺めると、この病院はジオフロント内にあるようだった。何がどうなっているのか地下であるにも関わらず光に満ち、緑が生い茂って湖には船まで浮かんでいる。アーチ状の天蓋から生えている構造物が落下したか瓦礫が散乱しているが、それを抜かせば随分と整った綺麗な場所だ。地下という特殊な環境で働く職員への配慮だろうか。
葛城ミサトから受け取ったパンフレットによれば、ここはネルフという国連直属の特務機関だ。そしてその後の事も踏まえて考えれば、エヴァンゲリオンを使って巨大な怪物、使徒と戦う為の特務機関である。それならジオフロント内は施設やら機械やらで埋め尽くされていてもおかしくはないのだが、そうはせずに自然環境を保護したか、あるいは作り上げたかして保っている。そこまでの配慮ができるならば、直前に自分を呼び出して戦わせるという無遠慮加減はどういう事だろうか。
格納庫にストレッチャーで運び込まれた少女はかなりの重症を追っていたが、あの怪我が想定外だったのだろうか。
自分らしくないと再び思いながらも、暇潰しがてらに考えを進めていくが、病み上がりという事もあり疲労感を覚えてシンジは目を瞑った。
いつまで待てば良いのかな。喉が渇いた。自販機はあるけど、財布はミサトさんの車に荷物と一緒に置いたままだし。
そう思った時、視界の隅に白いものが写っている事に気が付いた。
よくよく見ると小さく「メニュー」と書かれている。光の残像が目を瞑っても見え続けるのはよくある事、と放っておこうとしたが、思い返し、目を開いて確認するも、視界内にメニュー等という文字は無い。病院は食事処ではないのだから当然である。
ではこれは何なのか。
目が覚めた瞬間から存在していたが、白で統一された病院内の光景で、白文字が溶け込んで見えなかったのだろうか。
見やすくする為に再び瞼を閉ざし、文字に意識を向けると、カチリ、という音が聞こえた様な気がした。そして視界に枠が表示され、その中に文字が現れた。
想像外の事に息を呑み、声を上げそうになる自分を押さえ込む。
目を開けて周囲を見回してみると、見辛いながらもそれは確かに見える。表示の向こうに、医師や看護師が動いているのだ。
何が起こっているのか。
目を閉じ、表示された文字を読もうとする前に更に枠が展開され、別の文面が現れた。
『中断された処理を再開します』
意味が分からずただだた見入るシンジの視界に新たな文字が現れる。
――――――――――――――――――――
碇 シンジ はレベルが上がった!
筋力が 2 上がった!
体力が 2 上がった!
敏捷が 3 上がった!
精神が 1 上がった!
知性が 3 上がった!
運が 上がらなかった!
5 ボーナスポイント を得た!
5 スキルポイント を得た!
――――――――――――――――――――
あの音、どこからか聞こえてくるファンファーレと共に表示された、何かのゲームの様なメッセージ。
目を開けて音の発生源を探してみるも、どこから聞こえてくるのかも分からない。強いて言えば頭の上の様な気もするが、天井を見てもスピーカーは無い。更に、ロビー内の人間はこれが聞こえないかの様に振舞っている。可能性として考えられるのは、このファンファーレが日常茶飯事か、あるいはシンジにしか聞こえていないかだ。
見回している間にも何度もそれは鳴り響き、十数度に及ぶ効果音、そして「レベルアップ」とやらはようやく終わった。目を瞑ると上がっただの得ただのという文面が並び、しばしの後それは閉じられた。
残っているのは「ステータス」「スキル」「メッセージログ」「設定」の四項目が表示された枠のみ。
分からない。
何が起こっているのか分からない。
どんな意図があるのかも。
シンジはしばし考え、ある可能性に思い至り、身震いした。
人造人間エヴァンゲリオン。「人造人間」である。ここは人ひとりを巨大な形で造り上げた組織なのだ。人を「造れる」なら、人を「改造」する位容易いのではないだろうか。
ミラービルに映ったあの目。潰されてたのが急速に再生し、動くのを見た。肉がブクブクと盛り上がり、亀裂ができてそこから眼球がせり出してくるのを確かに見たのだ。
エヴァンゲリオンは「生きて」いる。
そしてエントリープラグという操縦席を体に納める区画を作られてなお「死んで」ない。
スケールの違いはあれど人造人間であるなら、これは人体改造と言って間違いない。改造の実績は既にあるのだ。
先程から妙に頭が回るのもその影響か。
自分は、改造されたかもしれない。
否定したいが、しきれない。その為の材料が無い。
荒唐無稽なのは分かるが、そもそもエヴァンゲリオン自体が荒唐無稽だ。
激しく打ち付ける心臓を無視し、顔や腕を触ってみるが、感触に違和感は無いし頭に縫い目があるという事も無い。
考えすぎだろうか。
だとしたら、この現象は何だ。
いきなりバタバタと動き出したシンジに何事かという視線が向けられるが、シンジにはそんなものに構ってる余裕は無い。許可や同意も無く改造された(かもしれない)のだ。周囲の事などどうでもいい。
「シンジ君、何やってるの?」
動きを止めて声を掛けてきた人物を見ると、迎えに来たらしき葛城ミサトだった。
意を決して、シンジは問いかける。
「僕の体に、何かしましたか?」
何を言われたのか分からないミサトは、何の事かと問い返した。
体に何かを埋め込んだりいじったり、とシンジが説明を始めると、ミサトは言葉を遮り、携帯電話を取り出して誰かと話し始めた。やや離れ、口元を隠しながらの通話だが、所々漏れ聞こえた言葉には、精神汚染だのといった意味は分からないながらも剣呑なものが含まれていた。
話し終えたミサトはシンジの肩に優しく手を置き、悪夢でも見たのだろうとこれまた優しく語りかけた。あんな事の後だもの、仕方が無いわ、とも。
シンジにとっては夢ではなく、現在進行形の出来事である。ではあるが、この分ではまともな説明は無いだろう。
本人にすら知らされない事をされたのか、もしくは、ネルフとはまるで無関係な事なのか。判断がつかない。
俯きながら考え込む姿を見て落ち込んでいると思ったのか、ミサトはシンジの肩を抱いてエレベーターへと促した。
エレベーターのドアが開くと、そこには長身の男が立っていた。特務機関NERV最高司令官、シンジの父、碇ゲンドウであった。
ゲンドウの着る暗い色調の服を背景にした為、視界に映る白い表示が出たままだという事に今更気付き、どうしたものかと考えたが、シンジはとりあえず「消えろ」と強く念じてみた。意識を向けたら開いたのだから、同じ様にすれば閉じるはず、という考えだったが、どうにかそれは上手くいき、視界の右下の「メニュー」に格納されていった。
改めてゲンドウを見ると、何か不機嫌そうな雰囲気を発していた。何かしただろうか、と考えたが、思い返してみれば先程の一連の行動は父を見ながらやったものだ。向こうからは睨みつけられた様に見えたかもしれない。
謝ろうか、と考えかけたシンジだったが、まあいいや、と放っておくことにした。考えてもみれば、何年も放置された相手にそこまで気遣う必要もない。発した言葉は別の事だった。
「これからは僕もここで働くの?」
「……そうだ」
違う反応を期待していたのか、ゲンドウの返答はやや遅れたものだった。
「お給料とか出るの? 僕、中学生だけど」
「……ネルフには特別権限がある」
「権限があるから『出る』の? 『出さない』の?」
「尉官待遇で出す」
「そう。分かった」
シンジが考えたのは安定した生活の確保だった。
汎用人型決戦兵器などというパンフレットにも載っていないものに、どこからどう見ても機密の塊という代物に乗せられたのだ。何らかの区切りがつくまでは逃げられないのは明らかである。ならばその間の生活を確保すべき、と割り切ったのだ。それに比べれば目の前の人物との確執なぞどうでもいい。
どうでもいい、と片付けてしまえる自分に少し驚きながら、シンジは閉じていくドアの向こう、ゲンドウに向けてバイバイと手を振った。
迎えに来たとはいえ、ミサトの役目はただの案内役であるようだった。次のエレベーターに乗り込み、ムービングウォークやエスカレーターで移動する。
「お父さんの事、苦手じゃなかったの?」
無言だったミサトが話しかけてくるが、シンジはどう答えたものかと迷った。ミサトの車の中での時と比べ、どう考えても心の有り様が違っている。変に頭は回るし、心もだが何か体が軽い気がする。改造、はどうか分からないが、全てが変わっている感覚があるのだ。説明しようにもまだ把握できていない事が多く、結局シンジは「どうなんでしょうね」と曖昧に笑った。
向かった先は本部施設の一室だった。と言うより、病院そのものがピラミッド型の本部内の一角にある様だが。
床はディスプレイとなっているのか、ジオフロントの天井からと思われる本部の映像が映し出されている。何の為かは分からないが。
空に浮かぶかの様な室内で告げられたのはシンジのこれからの待遇であった。給与、階級、守秘義務である。サインや判子は要らないらしい。
説明が住居に関する事に移ると同席していたミサトが異議を唱えた。本部内の第6ブロックなる場所に個室があるとの事だったが、それで良いのかと言い出したのだ。構わない、というか大歓迎である。今までが今までなので、一人暮らしというものにちょっとした憧れを持っているのだ。
だが、彼女はそれが気に入らない様で、シンジの返答をどう解釈したのか、こう言った。良かったら私と一緒に住まないか、と。
「嫌です」
他人と住まなければならない理由が無いのである。給料が出るなら自活に問題は無いし、物欲も薄い方なので散財の危険も少ない。そして何より一人暮らしがしてみたい。目の前に人参がぶら下がっているのだ。飛びつくのを邪魔しないでもらいたい。
真っ直ぐに断られるとは思っていなかったのかミサトは共に住む事によるメリットを色々と並べていくが、シンジは心動かされる事無く、
「お断りします」
と再度拒否した。
説明役の職員はこの場を早く終わらせたいのか、本人もこう言っている様ですし、と締めようとするのだが、それが気に触ったのかムキになっているのか、ミサトはシンジの腕を掴み、引きずって部屋を退出した。この件については私が責任を持つと言い残して。
通路へ出たミサトは手近な端末に飛びつき、どこかへと連絡をとった。出てきた名前からすると相手は副司令なる役職の人物、その次は赤木リツコであるらしい。
シンジの認識では、初対面が水着姿だった女性である。そして状況が押し迫っていたせいでもあるが、エヴァに乗る前に非常にざっくりとした説明をしてくれた人物でもある。考えた通りに動くからとにかくレバーをしっかり握っておけ、というざっくりにも程があるものであったが。
実際「歩け」という思いに反応して歩いたのだからそれはそれで良いのだが、それならレバーは何の為に握ったのだろうか。体を固定する為か。いやそれならシートベルト的なものを付けるべきでは。
シンジの疑問は尽きない。
悩んでいる間にミサトの元に引き取られる事に決定したらしく、シンジは、強制的とはいえ組織の構成員となってしまった以上は個人の意見なんて受け入れてもらえないんだ、と諦観の思いを抱いた。
コンビニで色々と買い込んでのミサトにとっての帰り道で、シンジはどこか高台の展望台へと連れ出された。買い物前にミサトが今夜はパーッとやると言い出したが、何をやるのかと聞かれたがっていると判断したシンジは無視を決め込んだ。希望を台無しにされた事の細やかな仕返しであった。
夕焼けに照らされた街が見える。四角く区切られた区域等が見えるが、建物が少なく殺風景な印象がある。
先程から腕時計を見ていたミサトが、時間だ、と呟くと周囲にサイレンが鳴り響き、機械の駆動音が、次いでビルが生えるかの如く地面からせり上がっていくのが見えた。
使徒迎撃専用要塞都市、第3新東京市。
報道ではここへの遷都等も言われていた様に記憶していたが、それは擬態なのだろう。迎撃専用要塞、つまりネルフはこの街そのものを武器としてあの化物と戦うつもりなのだ。遷都云々は建造費用を集める口実か。
山の向こうへと沈んでゆく夕日を眺めながら、何かが変化した自分を省みた。
これからは全てが違っていくのだろう。そんな予感が胸の内に渦巻いていた。
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第二話
使徒戦後の地上建造物の復帰を見届け、ミサトの住むマンションへと向かう。コンフォート17。一人暮らしという夢が絶たれたシンジの新しい生活拠点である。
荷物はもう運んであるとの言葉通り、玄関前には数個の段ボール箱が積まれていた。
お邪魔しますとの言葉に反応し、ここはあなたの家だと諭すミサトに対し、シンジは気負いも照れも見せずに、ただいま、と返した。お帰りなさいと言いつつも、何か腑に落ちないのかミサトは少し首を傾げた。
ちょっち散らかっているという言葉通りに部屋の中は荒れていた。
棚に並べられた空の酒瓶。テーブルに散乱したビール缶と放っておかれた食器。とりあえず突っ込みましたと言わんばかりのゴミ袋。未整理なのか袖らしきものが飛び出た引っ越し用段ボール箱。モップでもかけたか床に埃が積もるという事はないが、褒める事が出来るのはそれだけだし褒める事でもない。「ちょっち」の範囲が気になる所ではある。
引っ越してきたばかりと言っていたが、酒を飲む時間があるならゴミ処理と荷物整理に時間を割くべきだろう。
買ってきた食べ物を入れろという指示に冷蔵庫を開けると、中にはロックアイスとツマミ用の缶詰とビールという、酒か酒関連の物しか入っていなかった。それ以外は脱臭剤すら無い。
シンジは本部で説明をしてくれた職員に連絡先を聞いておかなかった事を深く、激しく後悔した。ここから出たくともどこの誰に言えば良いのか分からない。
今後は嫌な事はもっと強く主張しよう。希望が受け入れられるかは不明だが、幾らかマシにはなる、なってほしい。そう思いながら、シンジはある程度分類しながら冷蔵庫に物を押し込んでいった。
缶詰が開けられ、弁当や惣菜を電子レンジで温め、パーティー風の食事が始まった。
ミサトはビールのプルトップを開けるやいなやグビグビと喉を鳴らして流し込む。シンジもモソモソと料理を口へと運ぶが、コンビニ飯などそう珍しくもないし、土地が変わったと言っても味が劇的に変わるという訳もないのであまり箸は進まない。
そんな様子が気に入らなかったのか、身を乗り出して好き嫌いはダメだと詰め寄るミサトだったが、これは好き嫌いを云々というものではない。野菜が嫌いだから食べないのとは訳が違うのだ。
「楽しいでしょう? こうして他の人と一緒に食事すんの」
ミサトの中で何がどう消化されたのかそう言ってきたが、シンジはどう答えて良いやら分からない。いきなり叱られていきなり笑顔になられてこの台詞である。今まで人付き合いの少なかったシンジには難問過ぎる。それでもこれはミサトの奢りであるし、という事実を思い返し、曖昧に笑って「そうですね」とだけ返した。
時は進み、缶詰や容器は空になり、ミサトの呑み干したビール缶も積み上げられた。
一度部屋へ下がり、食卓へと戻ってきたミサトの手には紙とペンが握られていた。紙に何かを書きこみ、シンジに拳と共にそれを突き付ける。
「生活当番を決めるわよ!」
二人で生活するなら家事の役割分担を決めるべき、と言い出す彼女に、シンジは反論した。
「僕は仕事のスケジュールは聞いていませんが、そういったものが決まってからにしませんか? お世話になる訳ですから僕の負担が増えても文句は無いですけど、こういうものはクジやジャンケンとかじゃなくて話し合いで決めた方が良いと思います」
自分の主張ははっきり強く言う。シンジは先程決めた通りに実行する。ただ嫌だと言うだけでは駄々をこねているだけだと思われるので、その理由もきっちりとである。
「ところで家賃はどれくらい入れれば良いですか? 給料が出るそうなのでそこから支払いますけど」
ここに住むと言っても続柄は他人である。几帳面なシンジとしてははっきりさせておきたいポイントだ。ここが賃貸ならば家賃を折半。分譲ならばミサトの言い値から交渉スタートである。
その言葉にミサトは面食らった様で、しばし呆然とした後、もういいわ、と言って再びビールを呷った。
シンジとしては家賃は大きな問題なので話し合っておきたかったのだが、あまり主張ばかりすると相手の対応が硬化するかと考え直し、ミサトの酒が抜けてからにしようと決めた。後でここいらの相場を情報誌等で確認しておいた方がいいだろう。交渉の材料は揃えておくべきである。
ごちそうさまでしたと手を合わせゴミを片付け始めるが、ミサトは拗ねた様にビールを飲み続けている。どの部屋で寝れば良いかとシンジが尋ねても、弱々しく指差すのみ。行ってみると廊下を挟んで二部屋あったが、片方は物置として使用されている様だったので遠慮なく空き部屋を使う事にした。
机とタンスとベッドはいつ準備をしたのか既に用意されていた。本部でミサトが副司令とやらに連絡したのは数時間前程度の筈なのだが。考えても仕方が無いかと、玄関の扉前に積まれていた私物の入っている段ボール箱を運び入れて荷を解き始めるが、気になるのはこれからの事だ。
本部での説明によれば、中学校に通いながらの職務であるという。そして国際公務員に準ずる身分でもあると。何というか、配慮が足りない。
義務教育というのは分かるが、何ともどっちつかずな対応に思える。病院で父が特務権限がどうとか言っていたが、それを使って本部内で教育を受ける事にできないものだろうか。まあ、公務員であるという事は特務機関とはいえお役所だ。予算がどうこうという問題になるともう何も言えなくなるか。
考えながらも手を休めず、テキパキと荷解きを終え、シンジはベッドに寝転んだ。シャワーを浴びたい所だが一番風呂は家主が優先だろうと、やる事が無くなったので「メニュー」の検証に入る。よく分からない事態であるなら、分かるまで考えるべきだ。
明かりを消してベッドに横になり、暗闇をスクリーンにして視界の右下に表示されっ放しのメニューを意識すると、病院の時と同じく枠が広がり文字が描き出された。
改めて見ると枠というよりPCのウィンドウに見える。表示されているのは上から「ステータス」「スキル」「メッセージログ」「設定」。ゲーム風にするならばここにアイテム等の持ち物欄があった方が良いんだろうけど。そう考え、思ったよりも事態に馴染んできている自分に気付き、シンジは薄く笑った。
手始めにステータスを開いてみる。
――――――――――――――――――――
碇シンジ Lv : 21
職業 : 中学生
称号 : サードチルドレン
経験 : 55734
能力値
筋力 : 67
体力 : 69
敏捷 : 62
精神 : 59
知性 : 71
運 : 25
残りBP : 100
――――――――――――――――――――
「本当にゲームか……」
思わず声に出た。確かにゲームにそっくりだが、これをどうすれば良いのだろう。
数値についても、例えばテストの点数や体力測定等でその者の実力を数字に置き換える、というのは芳しい結果ではなくとも今までも経験してきている。それでも「お前の筋力は67だ」と言われても尺度が無いので実感ができない。しかし、頭が妙に回っている、気がするのはこの知性値の恩恵なのか。元はどの程度なのだろうか。
運の値があからさまに低いのはどういう事だろう。確かに運の良い人生とはお世辞にも言えない。運の良い人間は親に捨てられたりはしないし、いきなり呼びつけられて怪物と戦ったりはしない。納得できるが悲しいし腹立たしい。
とりあえずBPの事は後に回してスキルを開いてみる。これもまたゲームを思わせるものだったが、いわゆる戦闘技能的なものはあまり無かった。
あるのは「料理」だの「掃除」だのといった家事や唯一と言っていい特技のチェロの演奏、表現力といった音楽関係、そして「エヴァンゲリオン操縦」。密かに期待した魔法等は無かった。
――――――――――――――――――――
料理技能(6/10)
節約技能(4/10)
チェロ演奏 (4/10)
――――――――――――――――――――
1から始まり上限が10。既に経験しているものには数値が加算されている。最上部には「残りSP : 100」とある。
これもまた基準が見えない。
例えばチェロ。これが10の場合世界屈指の演奏家となるのだろうか。節約技能なんかは実社会でかなり役に立ちそうなので高めてみたいのだが。
次にメッセージログだ。
これは分かり易かったしある程度疑問も解消できた。
――――――――――――――――――――
第?使徒 ???? を倒した!
碇 シンジ はレベルが上がった!
筋力が 1 上がった!
体力が 3 上がった!
敏捷が 3 上がった!
精神が 1 上がった!
知性が 2 上がった!
運が 上がらなかった!
5 ボーナスポイント を得た!
5 スキルポイント を得た!
――――――――――――――――――――
病院で見たレベルアップ時の文面がである。文の最後のビックリマークや間のスペースが何とも言えず腹立たしい。
ログを全て見ていくと、スタートはレベル1である様だ。そしてレベルが上がるとそれぞれの数値が上がり、ボーナスポイントとスキルポイントは5ずつ貰えるらしい。これがBPとSPの事か。残り、とわざわざ書いてあるという事は消費して各数値を増加できるのだろう。
筋力、体力、敏捷の増加量は1から4。精神は1から3。知性は1から5。運は上らないか上がっても1だけ。腹立たしい。
再度ステータスを開き、それぞれの増加分を現在値から引いていくと一律14からスタートしていったのが分かった。年齢と同じ値だが、これは偶然だろうか。
試しに、運にポイントを加算、と念じてみると、ステータスの表示が変わった。
――――――――――――――――――――
運 : 26(+1)
――――――――――――――――――――
そのまま見つめていると新たに、このまま確定しますか? と問うウィンドウが現れる。下には「はい」「いいえ」の選択肢も。
考えた末、シンジは「いいえ」を選んだ。今後何にどう困るか分からない。使わなければいけない局面まで取っておくべきだと思ったのだ。
同じく、試しに「料理」にポイントを入れていくと、1ポイントで1上がるのが分かった。これも選択肢が出たが「いいえ」を選ぶ。
最後に設定だが、「透過率」なるものしかなかった。数字は100%となっている。はて、と首を捻ったが、数値を上げ下げしてようやく意味が解った。ウィンドウ内の背景色である。100%で全透過。0%で背景が黒一色に塗りつぶされ、その後ろの光景は見れなくなる。
自分で見やすく調節しろと言うのだろう。変な所でユーザーフレンドリーだが、どこか馬鹿にされている気もする。
一応これで使い方は理解できた。明日からネルフに色々とやらされるだろうし、効果、特に身体面の測定はその中で確かめれば良い。
しかし、このシステムは何なのだろう。まるで意味が分からない。やはり改造でも……。
少し休憩しようと目を瞑るがそれでも見える表示に、これは変な気分だなと苦く笑うシンジだったが、ログの、一番最初の部分に視線が吸い寄せられた。
――――――――――――――――――――
第?使徒 ???? を倒した!
碇 シンジ はレベルが上がった!
――――――――――――――――――――
最初のメッセージだ。使徒を倒した事でレベルが上がっている。使徒を倒した事で、だ。
考えてもみれば、一番最初のファンファーレはエヴァに乗っている時に聞こえたものだ。つまり気絶する前には既に今の状態だった事になる。
ここに来て、気絶している内に改造、という疑惑は否定されたのだが、話はより複雑になっている。いつから「メニュー」が表示されていたのか。
少なくとも第3新東京市に来るまではこんなものは無かった、と思いたいが気付いていなかったという可能性も無いではない。シンジは必死に記憶を掘り起こすが、今まで視界の隅に注目などしてはこなかったので思い出そうにも手掛かりが無さ過ぎる。
最低でもエヴァに乗ってからこうなったと思いたいが証拠が無いし、そうだとしたら結局人造人間なる訳の分からないものに乗せたネルフの仕業という事になる。
もう、何がなんだか分からない
行き詰まったシンジはぼんやりと天井を見上げていた。すると廊下と部屋を隔てる引き戸が静かに開けられ、そして恐る恐ると、といった様子でミサトが顔を覗かせる。濡れた体をバスタオルで包んでいる。湯上がりの様だった。
寝る前にお風呂に入った方が良いわよ、との言葉に、ありがとうございます、と返事をする。考え疲れたのか、のろのろと起き上がるシンジに、彼女はもう一つ言葉をかけた。
「あなたは人に褒められる立派な事をしたのよ」
憶えていない部分を除くとシンジのやった事は、一歩踏み出し、倒れ、悲鳴を上げただけである。
「……あまり嬉しくはありませんね」
自嘲するシンジだったが、それでもミサトは、感謝している、と言い添えて戸を閉めた。
気遣いはありがたいんだけど。
どうも逃げられない様だし、分からない事も多いけど、やっていくしかないか。
今後の生活に向けた決意も新たに風呂へと向かうシンジの前に現れたのは、鶏冠にも見える立派な飾り羽を持つ謎の生物だった。
縄張りを主張するかのような動きをするそれに、後から来た者の礼儀として、とりあえず頭を下げてみるシンジだった。
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第三話
「おはようシンジ君。調子はどう?」
通信機のスピーカー越しに聞こえてきた赤木リツコの言葉に、シンジは
「はい! 最初は戸惑いましたけど、慣れてきたと思います。調子も悪くありません」
と笑顔を添えてハキハキ答えた。スキル欄でコミュニケーション技能を上げたのだった。
あの日の翌日、結局この使徒と戦うという状況から逃れられないならば、ネルフの人間にはある程度好印象を与えた方が良いと気付いたのだ。嫌な事には線を引き、そこまでに達しない事柄は受け入れていこうという方針である。別名、妥協という。
その一環として、コンプレックスでもあったコミュニケーション能力と口下手を解消する為スキルポイントを消費した。元の数値はどちらも1。納得できるも悲しい数字だったが、実験の為でもあるんだと誰に聞かせるでもない言い訳をしながらポイントを注ぎ込んだ。
――――――――――――――――――――
コミュニケーション技能(1 → 5/10)
話術技能(1 → 5/10)
残りSP : 92
――――――――――――――――――――
とりあえず人並み程度にはなりたい、と半分まで上げてみたのだ。
効果は覿面に現れた。相手に合わせて流されるという事無く、しっかりと主張が出来たのだ。
後から、これってただの気の持ちようでは、とか、スキルを上げる前から父やミサトさんにはちゃんと話せてた気が、とかが頭を過ぎったが無視した。そうでなければ消費したポイントが報われない。あのシステムを庇う理由も無いのだが。
まあ初対面の人とスムーズに会話ができるというのは効果が出ている証だろう。
加えて、なるべく笑顔を心がける様にした。笑う顔に矢立たずという言葉もある。オドオドとした態度をとるよりもニコリと微笑む表情の方が敵意や悪意で迎えられる可能性は減るし、好印象を持たれる確率も上がるのだ。騙している気分にもなるが、これは自己装飾、化粧の様なものだと自分に言い聞かせた。
ネルフ職員となって数日は朝から夕暮れまでレクチャーと訓練を受けた。エヴァに関する事、戦闘時に必要な情報、戦闘に役立つ体術、格闘技、射撃、etc。
座学はエヴァの開発、整備を担当する技術部、実際の作戦の研究、敵の分析を担当する作戦部の職員によって行われた。
エヴァは電力で動く。背中にケーブルが繋がれ、常に供給を受けなければならない。接続無しの場合、最大でも五分しか持たない。バッテリーは開発中との事だが、予算との兼ね合いですぐに実用化できるという訳でも無いらしい。その為市内各所にソケット及びケーブルが格納されているビルがあり、移動する場合は接続し直す必要がある。
他にも銃火器等や白兵戦様の武器が納められたビルが点在しており、状況に応じて使い分けるらしいのだが、そのほとんどが開発中。これも予算的な制約のせいらしい。エヴァ本体と街そのものに大部分を注ぎ込んだ結果だそうだ。
エヴァを起動、操縦するにはシンクロ率というものが肝となる。エヴァとパイロットは神経で繋がれ、その接続具合がシンクロ率として表される。高ければ高い方が良いのだが、100%となった場合エヴァの負ったダメージもパイロット側に100%伝わってしまうという嫌な特徴がある。先日の戦闘で腕を折られ頭蓋を貫かれたが、あの時のシンクロ率が40数%。仮にあの時100%だった場合、あれ以上の痛みに晒されていた事になる。酷い話だが、エヴァの操縦のみに特化したシステムの弊害である以上我慢するしかない。危険な時には発令所の方でシンクロを下げる、あるいは遮断するという措置が取られるそうだが、見る、判断する、命令する、操作する、という手順がある以上、実際の行動にはタイムラグが存在する。早めの判断を期待するしかない。
正直な話、今までのシンジの学校の成績はあまりよろしくない。シンジ自身に自覚もある。しかし、教わる内容が頭にスイスイと入っていく。これが知性値が上がった恩恵かと、シンジは真面目に取り組んだ。不真面目にやって痛い思いをするのは自分である、という理由も勿論あるが、偏ったものであっても知識がどんどん蓄えられていく、という感覚が新鮮で楽しいのだった。
実技については職員の安全確保等を行う保安部の職員に学んだ。
歩く事を考えて実際に歩いた様に、エヴァは基本的にはパイロットの思った通りに動く。そして明確に思い描けない場合は転んだりする。
エヴァの体の構造は人間とほぼ同じ。二本足で立ち二本の腕を振るう。それならば人間の、自分の体の動かし方を学び、高めれば、それがエヴァの動きへと反映されるのだ。故に、パイロットを鍛えればエヴァの強化に繋がる。
加えて言うなら、専門家が時間と予算を貰ってもエヴァ自体の強化というのがかなりの難題であるらしい。それならパイロットを鍛え上げた方が手っ取り早い、と休憩時間に雑談した際リツコがぶっちゃけた。お金も余裕もあまり無いのよ、とタバコの煙と同時に溜息を吐いたリツコに、頑張りますとしか言えないシンジだった。
ジオフロント内をランニング、そして本部内の道場での訓練で、シンジはまたレベルアップの影響を感じた。もやしっ子の代表の様だった自分が、それなりの距離を走ってもそれほど疲れないのだ。
教官も驚いたしシンジも驚いた。元の数値の約四倍というのは伊達じゃない。とは言え教官の言では運動部所属の高校生レベルといったところの様だ。あくまで体力「値」であって体力「量」ではないらしい。筋肉の値を考えるといきなりマッチョになったりはしていないのだから当然といえば当然である。それでもうっすらと筋肉は浮き出てきてるし力は強くなっている。レベルアップ効果は出ている。
格闘訓練では現在エヴァに装備されているプログレッシブ・ナイフを想定し、ゴム製ナイフを持って行っている。そしてアンビリカルケーブルを常に意識するよう、腰にロープを結びつけている。長さは道場内の2/3程で、ロープの存在を忘れて相手を深追いすると、グフッ、と出すつもりの無い声を出して転倒する羽目になる。制約の多い兵器を操る訓練ではあるが、それでも筋力、体力、敏捷の値のせいか、初日にして教官から一本取るという偉業を成し遂げた。その後は訓練のレベルを上げた教官にメタメタにしごかれる事になったが。
その中でシンジは教官に一つ注文をした。ある程度痛くしてくれと。
別に特殊な何かに目覚めた訳ではなく、エヴァで戦う上で必要だと思ったのだ。
人間は痛みを受けると動きが止まるし気持ちも萎える。ケンカに慣れている不良学生や格闘技のプロなどは話が変わってくるだろうが、シンジはつい先日まで一般人であった。そしてもやしっ子代表であるシンジは争うという経験がほとんど無い。まずは痛みに慣れねばならないと考えたのだ。話せば分かる相手ではないのだから、殴られて痛いと蹲っていては攻撃され続けて死んでしまう。
それを受けて教官はダメージを残さないギリギリまでシンジを追い詰める様になった。打撃は最低でも痣が残る程度に。関節技は筋が軋みを上げる直前まで。絞め技は気絶寸前まで。
様子を見に来たミサトがやり過ぎだと割って入った事もあったが、シンジは必要な事だから邪魔するなと追い返した。望んでやっているのだ、死なない為に訓練で苦しんでいるのだと。
射撃に関してだが、エヴァには現状ハンドガンとパレットライフルと呼ばれる突撃銃が配備されている。格闘訓練での事を考えると射撃場でこれらを撃つのか、と思っていたシンジだったが、そうでは無くエヴァに搭乗してのシミュレーション訓練となった。
銃の弾丸もタダではない。どうせエヴァに搭乗しての射撃しかしないのだから機体への慣熟も兼ねてやった方が効率が良い、という判断だ。
インダクションモード、つまり銃の引鉄を手元のレバーで操作する状態での訓練だ。最初の搭乗時にとりあえず掴んでおけと言われたレバーである。一応普通の思考操作で撃つ事も出来るらしいのだが、それよりも手元のトリガースイッチを引いた方が簡単であるという事だそうだ。
エヴァンゲリオンに関わる事、通称E計画の主任であるリツコの管制を受けて、モニターに表示される標的、先日の使徒に向かって弾丸を打ち込む。目標をセンターに入れてスイッチを押し込む、という単純作業だ。仮面の目の部分を狙ってみたり腕や足を狙ってみたりと試してみてはいるのだが、先の戦闘で得られたデータが少ないのか、あるいは所詮シミュレーターと割り切っているのか、どこを撃っても反応はさして変わらない。赤い球、コアと呼ばれる部分だけは多少ダメージ増えるらしく少ない弾数で倒せるが、結局その程度だ。多分撃って倒す、というよりも撃つ事に慣れる訓練なのだろう。ど素人を一から育てるのだから段階が必要なんだな、とシンジは考えた。
教習と訓練漬けの数日を過ごした後、こちらの中学校へと通う事になった。
第3新東京市立第壱中学校。義務教育である。
転校するにあたり、シンジは守秘義務の一部緩和を求めた。
使徒はいつ現れるか分からない。授業中という事もあるだろう。そうなれば急いでネルフに向かう事になるが、シェルターへの避難警報が出る度に姿を消す生徒、となれば関連を疑うなという方が無理である。どうにかならないか。
シンジの考えではここから、学校へ行かなくても済む様に、と話をつなげる予定だったが、相談を受けたミサトはすぐに何処かへと連絡を取り、ネルフ関係者だと明かすのは可、エヴァのパイロットだと明かすのも場合によって可、との許可を取り付けたのだった。
本部内で何かやるとか通信教育とかはないのかと聞いてみたが、そんな部署は無いとバッサリ断られた。さらにミサトから、友達と触れ合う時間は大切だと説教された。
正直なところ学校には良い思いを抱いていないシンジだったが、退路は断たれたと諦めるしかなかった。
職員室での挨拶を済ませ、教室へと案内されながらシンジは第一声をどうするかと考えた。触れ合いがどうとか言われたが、期待らしい期待は何もしていない。
廊下でしばし待たされ、入りなさいとの呼びかけで教室に踏み込む。
「ネルフの関係でこちらに越してきました。碇シンジです。よろしくお願いします」
第3新東京市の住民は元々居住していた者を除けば全てがネルフ関係者である。それ以外の転入は認められていない。そしてこの街全てがネルフの管理下にあるのは暗黙の了解として周知されている様だ。
そこで「親の仕事の関係」ではなく「ネルフの関係」。こう言っておけば余計な干渉は減るとシンジは考えたのだ。
表情は出さず、声に力を込めず。徹底して抑制し感情を見せない挨拶に対し、教室内に少々のどよめきが、そしてパラパラと拍手が起こる。まずは成功したようだと、シンジはこっそり拳を握った。ネルフでは印象を上げるため愛想良く、学校ではそんな必要も無いからやる気無くと、この時方針を固めたのだった。
空いた席に付くと朝のホームルームはそこで終了し、担任が退出するとそこかしこでコソコソと話し声が上がり始める。
これで良い。
これが良い。
生きるか死ぬかの戦いをやらされるのだから、学校なんかより訓練時間を増やしたい。このまま以前の様にクラスで浮いた存在になり、あわよくばイジメの対象になってしまえれば学校へと通う理由も無くなる。
それがシンジの作戦であった。
漫画やドラマ等のフィクション世界では転校生を囲み、どこから来たのか、趣味は、特技は、恋人の有無は、と矢継ぎ早に質問を浴びせるのがセオリーである。しかしシンジの作戦通り、クラスメイトの行動は「距離を保っての様子見」へと誘導された。
「私、学級委員長の洞木ヒカリ。分からない事があったら何でも聞いてね」
ただ一人話しかけてきた生徒もいたが、それも役職からの義務感であるらしく、シンジの目論見はまず成功と言える。
上手く行ってる、との思いが出たのか、ヒカリにありがとうと返すシンジの口元に微かな笑みが漏れた。
本部での教育と同じく、学校の授業もスポンジが水を吸う様に頭に入ってくる。シンジにとっては授業が、というよりもその感覚が楽しい。それまでの自分がどれだけ駄目だったのかと軽く落ち込みもしたのだが。
この学校では教科書とノートではなく端末を使っての授業である。ノート型PCに全科目のテキストが入っており、教師の説明や補足を受けながらそれを読み進める形式である様だ。
今のシンジは読めば頭に入るという状態である。どの教科でも使うのは同じ端末であるのをいい事に、授業進度も教科も無視して読み進める。
「その頃私は根府川に……」
老教師が繰り返し語るセカンドインパクトの体験談も興味深い。祖父母がいない環境で育ったシンジには、自分が生まれる前の事を直接聞くという経験が一切無いのである。知らない事を知るのが楽しくて仕方が無いのだ。知的欲求の芽生えとその充足にシンジは酔いしれた。
中学校の授業には体育がある。そしてシンジは特に体育が苦手だった。持久走等の個人種目も勿論体力面から苦手であったが、団体種目が、球技が苦手だった。チームメイトが授業だからと嫌々組んでいるのが分かるのだ。
クラスで浮いている。その上活躍する訳でもない。進んで組みたい筈が無い。
事情が分かっているのか、好きに組めとは言わず出席番号で自動的にチームを作り、シンジはチームメイトから無感動に、時には舌打ち混じりに迎えられるのが常だった。
故にここでもシンジは積極的に動こうとはしなかった。種目はバスケットボールだったが、ぼんやりと動き、ボールが来たらぼんやりとパスを出し、シュートはパスが出せない時だけ、特に狙わず放る。
放課後になれば本部でこれでもかと扱かれるのが決定しているのだから無駄に体力を使いたくない、という思いもあっての行動だった。
昼休みには屋上で一人で弁当を広げ一人で食べる。シンジが自分で作った弁当である。
冷蔵庫の状態から分かっていた事だったがミサトは料理をしなかった。出来ないのではなく忙しくてやれないのだ、と聞いてもいないのに語っていたが。
だし巻き卵に昨夜作った煮物、ミニハンバーグと、いわゆる「茶色い弁当」である。訓練での消耗分を体が補給しようとしているのか、最近とみに増した食欲に対応してご飯はみっちりと詰め込んである。
前の学校では屋上の扉は施錠され立入禁止となっていたが、この第一中学校ではフェンスを張って安全対策は十分としたのか自由に上がれた。その割に誰も入ろうとはしないこの場所を占有し、青空の下で食事をするのは中々気分が良い。校内に設置されている自販機でお茶を買い、ここで弁当を食べる、というのがシンジの定番となった。
転校して数日もすると、シンジはクラス内での自分の評価がほぼ固まったのを感じた。
話しかけられれば言葉は返すが自発的には話さない。
授業は静かに受けて目立った所もない。
可もなく不可もなく、孤立する。
「特に近づく必要も無い奴」。
綾波レイと同じ様に。
初号機のケージにストレッチャーで運ばれてきた重傷の少女も同じクラスだった。そして重傷のまま登校してきた。
腕にギプスを、頭に包帯を巻いて教室に入ってきたレイにクラスは一瞬静まり返ったが、一言も無く窓際の自分の席についた彼女を見やり、いつものざわめきを取り戻した。
近づく必要は無いから心配もしなくていい。いつもの事だから話題にもしない。そういう事なのだろう。
唯一、学級委員長であるヒカリが何事かを語りかけた様だったが、言葉少なに返答した後は興味無さげに外を眺めるレイに彼女は引き下がり、それ以降は特に触れようとはしなかった。多分以前からも話しかけては素っ気なく返されるのを繰り返し、今では諦めているのだ。シンジから見れば良い立ち位置である。見習っていこうと考えた。
ネルフでの説明によればレイもエヴァのパイロット、チルドレンであるらしい。レイがファーストチルドレン、シンジがサードチルドレンだ。
本部で見かけた折、シンジは一応挨拶と自己紹介はしたのだが、
「そう」
という興味無さ気な言葉を聞いて以後の接触を控えた。自分がしつこく話しかけられるのが苦手だからだ。自分がやられて嫌な事は他人にやらない、という気遣いである。戦闘時の連携等の事となればそれなりに話す機会もあるかと思うが、現状そういった訓練は話すら出てきていないしコミュニケーションをとれとも言われない。問題は無いのだろう。
レベルアップの有効性の確認。ネルフでの訓練。学校。
使徒に備えるシンジの新しい日常は、こうして過ぎていった。
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第四話
今日の帰りなら時間取れるけど、どうする?
燃えるゴミをマンションのゴミ置き場に置いて登校する道すがら、着信した携帯電話から聞こえてきたそんな言葉に、シンジはお願いしますと返事をした。相手は青葉シゲル。ネルフ本部のオペレーターである。
共に楽器を特技としている共通点から交流を持ったのだ。指の皮が剥けた等の話をしていく内にシンジはシゲルの扱うギターに興味を持ち、暇を見て一緒に楽器店に行くと約束していた。電話はその確認である。
未成年者への配慮か、訓練や実験があっても夜になればシンジを帰宅させてくれるが大人はそうは行かない。使徒の出現を監視する必要から、また朝昼夜という区割りに従っていられないという状況から勤務時間は長いし休みは少ない。前回の使徒襲来から三週間、今日になってようやく二人の退勤時間が重なったのだった。
シンジがギターに興味を持ったのは、実のところ最初は話を合わせる方便であった。楽器を扱えるという取っ掛かりがあったので向こうに合わせれば話はより転がると考えたのだが、何度も話したりたまたまシゲルが持っていたCDを借りて聞いたりしていく内に本当に興味を持ってしまった。何より魅力なのは金額であった。特に消耗品の。
楽器本体は安物を、安物と言っても数十万円はするが、持っているから良いとして、チェロの場合、弦も弓毛も数千円から、弓本体は数万円から、上限は天井知らず。中学生にして自分の給料で生きていく破目になったシンジにとってこの出費は大きい。すぐさま交換しなければならない訳でもないが、金額が大きすぎるのだ。
それに対してギターの弦は数百円から。魅力的すぎる金額である。初期投資としての購入代金はかかるが、後はこまめに手入れして大事に扱えばそこまで金がかからないというのは嬉しい。やっていると言うより辞めていないだけのチェロより、やってみたくて始めるギターの方が健全だろうとも思う。まあだからといってチェロを捨てる訳ではないが。
勿論今日店に行ってその場で買うつもりは無い。初任給は口座に振り込まれており予算的には問題無いのだが、やはり高い買い物は自分の目で見た後に検討の時間が必要と思うのだ。
浮き立った心を鎮めつつ学校へと到着し自分の席につくと、シンジは音楽プレーヤーを取り出してイヤホンを耳に押し込んで外界を遮断した。再生ボタンを押すとシゲルのお気に入りのバンドの曲が流れる。これも借りてコピーしたものである。今までクラシック一筋であった自分の体にロックを、ポピュラーミュージックを馴染ませる為だ。どちらかと言えばロックよりポップスの方が好みなんだけど、とは思っているが、タダで聞けるのだから文句は無い。そして何か背中に突き刺さってきている視線を無視するのにも有用だ。
最近減ってきている自分に向けられる視線だったが、今日は何故か強いものを感じる。面倒くさいなと、シンジは机に突っ伏して目を瞑った。授業まで寝るつもりであった。
《碇くんが あのロボットのパイロットというのはホント? Y/N》
唐突なチャットメッセージが端末に表示されたのは、数学教師がいつも通りにセカンドインパクトの話を始めた時だった。何度も聞いている内に分かってきたのだが、この教師はこの話をするのが大好きなのだ。授業をここまで進めると予め決めておき、そこに達するまでの一時限分の内容を時間を詰めて行い、そうした後に黒板に「セカンドインパクト」と書き込んでから始めるのである。ふと昔の記憶が蘇って話し始めるのでは断じてない。話をする為に授業を内容を圧縮しているのだ。週に一度以上は語られる内容だが、導入はともかく細部は異なり、時にはまるで違うエピソードも差し込まれる。しっかり聞いていれば面白い話ではあるのだが生徒の殆どは興味を持っていない様で、注意もされないのをいい事に友人とこっそり話をする時間として認識されている。
かく言うシンジも別の教科のテキストを読みながら話を聞いていたのだが、だからこそメッセージに意識を割く余裕は無い。勉強が楽しいという珍しい中学生にクラスチェンジを果たしたシンジにとって、読む、聞く、で手一杯である。故に、メッセージを無視する事にした。
《ホントなんでしょ? Y/N》
緩いながらも守秘義務はあるし、言いたくなったら言っても良い程度の許可もあるが、誰から送られたメッセージかも分からないものに返答する義理は無い。そしてシンジは学校で「授業を受ける」以外の事をする気が無い。飾らずに言えば邪魔である。
再度表示されるメッセージだったがやはり無視。ややあって、背後から「つまんないの」と女子生徒の呟きが聞こえてきたのも、周囲から失望の溜息が聞こえてくるのも無視であった。送り主が誰だろうと、どれだけ注目されていようと、名前も不確かな相手の好奇心を満たして差し上げる理由がシンジには無いのだ。
結局そのままチャイムが鳴り、老教師の話は中断となった。と言うより、学級委員長のヒカリの号令で終わらされた。シンジ以外は誰も彼も、真面目な部類の彼女ですら最後まで聞く気が無いのだった。
昼休みとなると同時にシンジはイヤホンを耳にねじ込んだ。触れるな、関わるなといういつものポーズである。プレーヤーをポケットに入れ、弁当を片手に屋上へと向かう。この所は胃の容量が増えたらしく、弁当箱にはおかずのみ詰め、そこにおにぎりを三つアルミホイルで包んでいる。こうなる前は放課後にコンビニで菓子パンを幾つか買って食べていたのだが、それではどこか物足りずコストパフォーマンスも悪い。以前の学校で運動部所属の生徒が、パンだと腹に溜まってる気がしない、と言っていたのを思い出し、なるほどなと実感するシンジだった。
いつも通りフェンスにもたれて床に座り、音楽プレーヤーをポケットから取り出して床に置く。弁当を広げて食べ始めてしばらくすると珍しく屋上への客がドアを開けた。男子生徒が二人だ。シンジは一瞥した後はそちらを見るでもなく食事を続け、どんな用か知らないけどさっさと出ていってくれないかな、と考えた。基本的に無人だから使用していた場所である。もしここの常連となるなら新たな場所を開拓しなければならない。
面倒くさいなと、最後のおにぎりに手を伸ばした時だった。太陽が遮られ、弁当に、体に影がかかった。はて、と見上げればそこにはジャージの生徒が腕組みをして立っていた。
よく見れば学校指定のものではなく、そういうものに疎いシンジでも知っている大手スポーツメーカーのジャージ、つまり私服であった。制服改造や私服登校となれば、方向性はよく分からないが、これはひょっとして不良の類かもしれない。
転校生が威を示そうとする不良生徒に絡まれるのはよくある話だ。しかし転校してから既に約三週間である。初動が遅すぎるのではなかろうか。
考え続けるシンジにジャージ生徒は何事かを話している様だったが、イヤホンを通して音を送り続けるプレーヤーに阻まれ何一つ伝わらない。と言うより、シンジは最初から彼の相手をしようとはしていなかった。ジャージの確認をした後はアルミホイルを開いておにぎりにかぶりついてぼんやり考えていたのみである。強いて言えば、早くどこか行ってくれないかな、程度の思いしか無い。
そんなシンジの態度が気に入らなかったのだろう。ジャージ生徒はシンジの前に置かれている弁当箱、飲み物、プレーヤーをまとめて蹴飛ばした。
「聞かんかいコラぁ!!」
耳からイヤホンを引き抜かれたシンジに聞こえてきた最初の言葉はこれであった。
それに対しシンジの答えは素早く返された。仁王立ちしているジャージ生徒と、座っているシンジ。互いの位置の関係で狙い易い、男にとっての絶対的な急所。即ち、目の前にある無礼者の股間への正拳突きである。
「オ、ゲェァ!」
戸惑うな。やる以上は最大効率を目指せ。
戦闘訓練での教官の言葉である。
理由は知らないがあからさまに敵対しているのだから、攻撃して文句を言われる筋合いもやった事に対する後悔も無い。
何かを吐き出す様な呻きを発して倒れるジャージ生徒を見やりながらシンジはやおら立ち上がると、今更になってもう一人、眼鏡をかけた男子生徒がいるのに気が付いた。特に表情も見せないままシンジが視線と向けると顔を青ざめさせながら後退る。こっちは何もしなくていいかと判断し、飛ばされた弁当箱の元へと歩み寄ると散らばった中身を拾って入れ始める。それが済むと音楽プレーヤーを確認するが、叩きつけられたのか部品が割れて散乱し、素人目にも明らかに修理は不可能な状態だった。
一つ溜息をついて諦め、プレーヤーをジャージ生徒の近くに放り投げると、弁償してねと声をかけ、弁当箱を包んで立ち去ろうとした。
「ま、待たんか、い……!」
呼び止めるジャージ生徒に振り返ると、床に転がったまま痛みに耐えて脂汗をダクダクと垂らしながらもシンジを憎々しげに睨みつけてくる。さっきの一発はともかくここまで恨まれるような事をしただろうか。
「お前、お前があのロボットのパイロット言うんはホンマか……?」
授業中と同じ事を聞かれたがシンジに答えるつもりは無い。弁当をぶちまけられて、それでも普通に対応出来るほど優しく穏やかな訳ではないのだ。
しかし、先日の戦闘で妹が怪我を負った、パイロットであるお前がヘボだったからだ、との言葉を聞くと方針を変えた。
「その怪我、何時頃なの?」
ジャージ生徒は一瞬何を聞かれたのか分からない様子だったが、何かを考える様な仕草の後、昼過ぎだと言った。
シンジは本部であの戦闘の推移を飽きるほど見ている。使徒との戦いの教材として使える記録がそれしかないためだが、それが故にすぐに気付いた。自分に罪は無いと。
確認の為に怪我の前後の様子を聞くと、シェルターにいたら爆発の様な地響きの後に瓦礫が降ってきて妹が、との事だった。
地響きというのは戦略自衛隊の設置したN2地雷の余波だろう。シンジ自身もミサトの車の中で体験したもので、あの時点ではシンジは非戦闘員である。指揮系統の関係上、パイロットであるシンジの責任どころかネルフですらあの件は無関係だ。
一々彼らに説明はしない。自分を恨みたければ勝手に恨めと思いながら更に問う。シンジがパイロットだと言い出したのは誰か。
ジャージ生徒は知らないのか眼鏡生徒の方を見る。シンジ、そちらに目をやると怯えながら答えた。言い出したのは知らないが学校中で噂になっているのだと。巨大ロボットが戦う状況から逃れる為に疎開が進むこの時期に転校してきたのだからきっと関係があるのだと。
シンジの思いは、だから学校は嫌だと言ったんだ、である。口に出してはこう言った。
「君は僕がパイロットについてハイともイイエとも言わないのに、僕の物を壊したんだね?」
と。
続けて問いかけようとしたが、新たに現れた人物によりそれは遮られた。
「碇くん。非常招集。先、行くから」
未だギプスの取れない綾波レイだった。端的すぎる言葉を残して立ち去る彼女を見送るとすぐに非常サイレンが鳴り始める。
深く深く息を吸い、ゆっくりと、肺が空になるまで吐く。こんな奴らに関わってはいられない。気持ちを切り替え校門に向かい駆け出すシンジに眼鏡生徒が何かを言いかけたが未遂に終わった。何かを言われても無視したのだろうが。
保安部の回した車に乗り込み、地下へと収容されていくビル群を遠く眺めながら本部に到着すると、すぐにプラグスーツ、生命維持や神経接続の補助機能を持たせたパイロットスーツに着替えてエヴァへと搭乗する。出撃のタイミングは発令所で指揮をとるミサトの指示待ちだが、状況を確認する為にエントリープラグ内に映像を投影してもらう。
見ていく内に疑問が浮かんだシンジは通信で発令所に問いかけてみた。迎撃用のミサイルが効いていない様だが、パレットライフルの弾はあれよりも威力があるのだろうか。
リツコの答えは否。前回の襲来ではA.T.フィールドの壁を崩せずN2兵器ですら足止めにしかならなかった。それを基準に考えるならばそれ以下の威力しか持たない火器は無いも同じであるという。
A.T.フィールドとは使徒の持つ一種のバリアーだ。展開されるとほぼ全ての攻撃を無効化する壁となる。それを中和できるのはA.T.フィールドのみ。エヴァンゲリオンのA.T.フィールドのみである。これが使徒にはエヴァでしか対抗できない所以であった。
「最終的には接近戦になるわ。シンジくん、頼むわよ」
リツコの言を受けてミサトから激が飛ぶ。臆するな、覚悟を決めろという事だろう。
シンジとしても負けて死にたくはない。力強く、はい、と頷いた。
外の映像を見ながら発進の時を待っていると音声のみの通信が入った。このタイミングで? と首を捻りながらつないでみると、発信者はシゲルであった。
「すまない。ギターはまた今度な」
こんな状況で言う内容か?
いつもの軽い調子で、しかし申し訳なさそうに言うシゲルに一瞬頭に血が上りかけたが、すぐにその意味に気付きシンジは笑った。
これは気遣いだ。無事に戻れという労りだ。生き残れという激励だ。
発令所は今修羅場だろう。直接武器を振るう訳ではないが、彼らも自分と同じく戦っているのだ。その貴重な時間を自分の為に使ってくれた。
有難い。戦いに備え、知らずの内に緊張していたシンジの体から余計な強張りが消え、代わりに胸の奥に熱が灯った。シンジはそれを何と呼ぶのかは知らない。だが体中に広がっていくその熱を不快なものだとは思わなかった。
「頑張ります……!」
返したのは相手の言葉とはつながらない一言だけ。だがそれでも伝わったはずだと思う。
目を瞑り、集中を高める。
負けられない。
負けない。
エヴァンゲリオンによる迎撃開始予定位置まで、使徒は残り数kmと迫っていた。
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第五話
技術部の行った前回戦闘の解析によれば、使徒は視覚、あるいは体の前面へ向けられた何らかのセンサーによって周囲を把握し攻撃していると見られる。いきなり真横や背後に手を伸ばして光の杭を突き出すのではなく、一々体を攻撃方向に向けてからの攻撃を行っていたのがその証拠である。
今回の使徒にもそれが当てはまるのならばパレットライフルはダメージは期待できなくても、使徒に着弾し砕けた弾丸を煙幕として利用できる可能性がある。
「良くって? A.T.フィールドを中和しつつ、パレットの一斉射。練習通り、大丈夫ね?」
故に、相手の視覚、あるいはセンサーを塞ぎながら接近し、コアに向けての攻撃を敢行する。それが今回の作戦である。
技術開発部、赤木リツコの言葉を聞きながらシンジは考える。歩く事だけ考えて、と言われた前回とは雲泥の差だと。
思うにあれはネルフ全体が初陣だったせいなのだろう。誰もが落ち着きを無くしていたのだ。でなけばミサトが、怪我したのはあなたの腕じゃない、などとは言わないはずだ。怪我したのはエヴァだとしても、シンジの腕は実際痛みに襲われていたのだから。
今回の使徒は人型と言えなくもない前回のものと違い、紫色の寸足らずの蛇の様な外見をしている。あるいは体を切っても切っても再生する微生物、プラナリアと言ったろうか。腹の下に虫の様な足をいくつも生やし、側面には腕なのか短いT字型の突起が付いている。
使徒は低空を飛行しジオフロントの直上へと侵攻を果たすと伸ばしていた体を折り曲げ直立した。目の様に見える模様は実際に目であるのか、顔らしき部分を前へと向けている。同時に側面の突起から光る触手を伸ばし震わせ始めた。
あれを倒す。
高まっていく自身の集中力を感じながら、シンジは目標を見定めた。
ミサトの指揮の元、エヴァが地上へとレールに沿って射出された。場所は使徒の正面。シンジは身にかかる重力加速度に耐えながら状況を反芻する。
前回の戦闘により第3新東京市の迎撃機能は甚大な被害を被った。今日までの三週間という短い期間で復旧に努めてきたが万全には程遠い。それでもエヴァとシンジに可能な限りの援護を、可能な限り高い勝率をと考えると本部の真上であるこの地点しか無い。
背水の陣である。
ガツンとした衝撃と共に地上へと到着したシンジはA.T.フィールドを展開し中和を開始する。
「作戦通り、いいわね? シンジ君」
ミサトの通信に、はいと返答し、機体の向きを変えて射撃をと動き始めたところで、シンジはあるかなしかの違和感に襲われた。しかしそれに構っている暇は無く、ライフルを構えて射撃を開始する。
狙いは顔の様に見える使徒の上部。開始と同時に市内各所の火器も弾丸を吐き出し始める。使徒の狙いをエヴァのみに絞らせない為の援護だ。
戦闘前の予測通り、弾丸は着弾と同時に粉砕され煙幕となって使徒の周囲を漂っている。こちらからもダメージを確認できないが、とりあえずはこれで良い。
ビルの影に隠れながら周囲を回り、撹乱しながら接近戦へと移行する機を伺う。あまりに時間をかけすぎるとこちらの攻撃方法への対処を学んでしまう恐れがあるが、未だ一度も行っていない使徒の攻撃手段が気に掛かる。前回は光の杭と光線。今回はあの触手なのだろうが、速度も威力も未知数。
焦らず、慎重に。そう自分に言い聞かせ使徒の背後まで回った時、プラグ内の前面モニターに先程の違和感の正体が映った。射撃を中止して映像を拡大。
「ミサトさん! 正面の山、鳥居の所に!」
使徒を挟んだ正面、山の中腹に立つ小さな神社の鳥居付近に動くものが、人影がある。
「シンジ君のクラスメイト!?」
発令所でも確認したらしく通信を介してミサトの声が響く。
ジャージと眼鏡。学校で絡んできた二人であった。
言いがかりで弁当を蹴飛ばされているシンジとしてはあの二人の印象は悪い。悪いが見捨てるのも寝覚めが悪い。見つけなければ良かった、との思いが脳裏を掠めるが、ひとまずそれは脇に置いて考える。
エヴァで向かって救助するには使徒が邪魔になる。人を向かわせるには危険過ぎる。となれば、使徒を倒してからとなるか。
どちらにしても最低限こちらに注意を引きつけなければ。
射撃を再開したシンジだったが、その前方空間を光が疾走った。
とっさに身を伏せ躱したシンジの前に、斜めに切断されたビルがその切断面に沿ってズルリと滑り落ちた。
見えない。見えなかった。
触手を振るったのだろうと結果から分かるが、光が見えたと思った瞬間にはもう攻撃が終了している。
射程も長い。それなりの距離を保っていたはずだが、使徒はあの場から移動もせずに攻撃を繰り出してきた。触手を震わせる事で短く見せているのか、攻撃の瞬間だけ実際に伸ばしているのか。
発令所でリツコの声が飛ぶ。
「援護を中止して! エヴァの位置は察知されているわ!」
エヴァの発するA.T.フィールドに反応して攻撃したと思われる。それならば煙幕は使徒ではなくこちらの視界を遮るだけのものとなってしまう。
リツコの説明を聞きながら使う意味の無くなったライフルを地面に置き、肩のウエポンラックからプログレッシブナイフを取り出す。
こちらのやれる事は接近しての直接攻撃のみとなった。使徒の攻撃を掻い潜る必要があるが、速すぎて見えない。ならば、見える様にするしかない。
視界の隅のメニューを展開しスキル欄へ。そして記憶にある項目を探す。
――――――――――――――――――――
動体視力 (2 → 10/10)
反射神経 (3 → 10/10)
残りSP : 77
――――――――――――――――――――
A.T.フィールドの中和とはエヴァから使徒への一方的な手段ではない。向こうを中和すると同時にこちらも同じく中和されて無防備となる。そしてビルを切断する攻撃にエヴァの装甲が耐えられる保証は無い。攻撃を食らう訳にはいかないのだ。ポイントは消費するが背に腹は変えられない。この場で必要なものを最大限まで引き上げる。
ウィンドウを閉じて前方を見ると、風でかき消されていく粉塵の中から使徒の姿が浮かび上がる。使徒も攻撃の機を伺っているのか、鎌首をこちらに向けて先程よりも触手を激しく波打たせている。
視線を逸らさぬまま、シンジは念の為に発令所へクラスメイトはどうなっているのか問いかける。
「救助を向かわせたわ。なるべく気を付けて」
シンジの意図を悟ったか、ミサトの声にリツコが被せる。
「高エネルギーを発している腹部の赤い珠、コアを狙って。他の部分はあまり効果は無いわ」
山側に行かず、一直線にコアへ、か。なんとかなる、いや、なんとかしよう。
「行きます!!」
腰を落とし、声と同時に動きを妨げるアンビリカルケーブルをパージ。ナイフを構えて一気に使徒へと迫る。
使徒もそれに応じて触手を振るうもスキルの効果でその動きがはっきりと見える。
駆けながら身を翻して回避を試み、しかしシンジは判断を下す。
(避けきれない……!)
速いが、見える。見えるが故に無理だと理解できてしまう。反射神経どころじゃない。今の自分に出せる最大速度で動いても間に合わない。
それならばと、シンジは歯を食いしばり覚悟を決めた。機体ごと避けるのは無理でも、当たる部分に腕一本、割り込ませる事はできる。
攻撃に合わせて左腕をかざし、迫りくる触手の尖端で腕を敢えて貫かせる。焼けた鉄を腕に突っ込まれた様な強烈な痛みに吐き気すら覚えるが、今は無理矢理それを押さえ込む。
そのまま触手を握り込み、一息に引き寄せ右手のナイフをコアへと突き入れた。
避けられないならば、避けない。攻撃を食らってしまうなら、せめてその後の行動は最大効力を。それがシンジの選択だった。
ナイフはコアの表面を突き破り火花を散らす。シンジは更に力を込め、傷口を広げる様にナイフを捻り込んでいく。
エヴァの内部電源は全力で稼働させれば一分程度しか持たない。決めきれなければこの場で我が身のみならず世界が終わる。使徒を地面へと引き倒し、シンジは何度もナイフを突き入れる。
「ああァあァあああァアッ!!」
叫ぶ。一突きごとに明度の落ちるコアを見ながら。
命を表しているかの様なその光を睨みつけて、早く終われと。叫ぶ。
「パターン青、消滅! 目標、完全に沈黙しました!」
ガシャリと何かが砕け散る音がしたと同時に通信が入った。内部電源の残量は残り十秒余り。シンジは即座に電源ビルへと駆け寄りケーブルを接続する。電力の供給を確認すると、そこでようやく深く息を吐いた。
戦闘が終わった。前回は訳も分からず始まって終わったが、今回は自分の意志で戦い、勝った。
荒い呼吸を繰り返しながらエヴァの腕や手の平を見ると傷口は痛々しく、触手を掴んだ手は装甲が溶け落ちて素体も露出している。プラグスーツ越しで見えないが、自分の手はどうなっているだろう。
見た事によって体が認識してしまったのか、戦闘中は意識の外に置いていた痛みが甦ってくる。まだ治まりきらない心臓の激しい鼓動に連動して、徐々に強くなる痛みが断続的に腕を襲う。
でも、それでも、勝った。勝てた。
「僕でもや……」
やれたんだ。そう続けようとした時、勝手にメニューが展開され、次いでファンファーレが頭の中に響き渡った。
――――――――――――――――――――
第?使徒 ???? を倒した!
碇 シンジ はレベルが上がった!
――――――――――――――――――――
湧き上がりつつあった達成感が急速に萎んでいくのを感じ、シンジは眉を顰めた。
次々とレベルアップ通知が流れ、その回数分ファンファーレも鳴る。うるさくて仕方が無い。早めに終わらないかと念じてみるもスキップ機能は無いらしく一定のペースでメッセージが表示されていく。ステータスかスキルを開いて中断できないか試したものの、レベルアップ通知の方が優先されるらしく反応は無い。設定に音量調節か文字送り速度調節が必要だなと考えながら、シンジは痛みの残る左腕を抱え、ただただ通知が終わるのを待つしかなかった。
「シンジ君! 聞こえないの!? 返事しなさい!」
ファンファーレが鳴り止むとミサトの怒声が聞こえてきた。あれのせいで他の音も聞こえなくなるのかと思いながら、ちょっとボーッとしちゃってと詫びる。やはり音量調節は必要だろう。
仕方ないわねと言いながらミサトはエヴァの回収ルートを指示するが、ふと目に留まったものが気になったシンジは質問で返した。使徒の死体はどうするのかと。
通信の相手がリツコに変わり、市街地の真ん中だから、とりあえずは大きなテントでもかぶせて隠しながら調査を、と説明された。破損が少ないから良いデータが取れそうねと声を弾ませているが、シンジは首を傾げ、
「エヴァでジオフロントに運べないんですか? いっぺんには無理でも、ナイフでさばいたりとか」
と再度質問した。一般人から隠すのは分かるが、この大きさをこの場に置いたままでは通行にもビルの再建にも邪魔だと思ったのだ。
やや間が空いた後、
「……そうね。じゃあやってもらおうかしら」
とのリツコの言葉で落ちていたナイフを拾い上げながら、シンジは今更ながら自分の失敗を悟った。
痛いし疲れてるのだから、疑問など持たずにさっさと帰れば良かった。
自分の言い出した事だから撤回もできず、シンジは疲れた体を引きずりながら、指示を受けながら使徒を切り分けていくのだった。
検査と治療のために病院で一泊した翌日。シンジの病室にミサトが見舞いと報告にやってきた。
シンジ自身は今日にも退院可能。痛みは少し残るが日常生活に問題は無い。
エヴァの損害は比較的軽微で数日後には補修も完了。調整も含めて一週間後には再配備される。
都市の被害もビル数棟で済み、前回に比べればほぼ完勝と言って良い。
「頑張ったわね、シンジ君」
そう言ってミサトは優しい笑顔を向けた。しかし、直後に顔を顰めて次の話題に移る。ジャージと眼鏡の事だった。
二人は一時はシェルターに避難したものの、その出入り口を不正にこじ開け無断で外へと出た。理由は、「戦闘を見たかった」と。
シェルターは安全のために一旦ドアを閉めると外からは開けられない。なのでドアを開けたまま見通しの良い神社へと向かい、好奇心に導かれて戦闘をビデオカメラで撮影した。
ここまで聞いて、シンジは軽い頭痛を感じて額を抑えた。彼らと同じ中学生であるから、禁止されている事をやってみたい、という欲求や衝動は分からないでもない。しかし一人は戦闘のせいで身内が怪我をしたと因縁をつけてきた張本人であり、もう一人はそれに同席していた奴だ。シェルター内ですら危険なのに、外に出るなら尚更だ。正直理解が出来ない。
その思いは直接聞いていた者も同じだったらしく、今回の件で呼び出された二人の親であるネルフ職員は、話を聞くなり殴りつけたそうだ。
ドアを開けっ放してシェルター内を危険に晒し、撮影、記録する事で情報漏洩の危険を呼び込む。処分に関してミサトは語らなかったが、碌な事にはなっていないだろう。
憤懣遣る方無いと体中で表現し、握りしめた拳からはミシリと音を生じさせるミサトを見やり、シンジは一つ溜息をついた。シンジとて怒りはあるが、より以上に怒りを溜め込んでいる人間を目の前にすれば逆に冷静になってしまう。もとより自分が処分内容を決める訳でもなし、聞かされた内容で納得するしかないのだ。
心を切り替える為かミサトは勢い良く鼻息を吐き、退院するわよ、と着替えの入ったバッグを差し出した。腕は痛いが我慢できる程度。医師のお墨付きがあるなら問題も無いのだろう。
ミサトの車でマンションへと帰る。ミサト自身はネルフへと取って返し、残務処理をするのだという。昨日からずっと本部に詰めての仕事だったのだろう。とすると自分を家まで送ったのは息抜きを兼ねてのものだったか、とシンジは曖昧に笑った。
「学校は明日からだから、今日の所はゆっくりしててね」
そう言い残し、ミサトはスキール音を響かせて去っていった。
学校か。避難は済んでたんだろうし、そこだけピンポイントに被害が出れば良かったのに。
そう物騒な事を思いながら玄関をくぐると、居室である冷蔵庫から出てくるペンペンと目が合った。
「ただいま。ご飯食べた?」
脚にしがみつき、プルプルと首を振る同居鳥の頭を軽く撫でて食料品用冷蔵庫を開けると、日常へと戻ってきた実感が湧いてきた。
ペンギンの居る日常って何だ? と思わないでもなかったが。
「碇、すまんかった! お前の事、何も知らんと勝手な事言うてしもた。ワシの事、一発どついてくれ!」
学校が再開され、いつもの様に屋上で弁当を広げていると、ジャージと眼鏡がまた目の前に現れた。
シンジの記憶が確かならば、彼には金的を入れたはずである。そして改めて攻撃するほど彼らに関心は無い。なので返答は、
「嫌だけど?」
となる。
こうして五体満足で学校に来たという事は、お咎め無しか、親が罪を被ったかだ。発言からして何らかの説明も受けたらしいが、どちらにしろ終わった事であるし、終わった事ならもう興味は無い。
名も知らぬジャージは、そうしないと自分の気が済まない、と言い募るが、シンジには彼の気を済ませてさしあげる理由が無いのだった。
「そんな言い方ないだろ! トウジだって反省して……」
「食べ物蹴り飛ばされて、持ち物壊されてるんだけど。弁償は、まあいいや。反省してるなら、もう関わらないようにしてくれればいいよ」
そんな事より弁当を食べたいのである。今日から訓練も再開するし、食べておかなければ身が持たない。
もういいか、と諦めて弁当に箸を伸ばすシンジの前に、手の平サイズの箱が差し出された。パッケージには最新型のプレーヤーが描かれている。
「弁償や。二人で買うてきた。せやから、頼む。どついてくれ」
「俺にも一発頼むよ。パイロットだとかトウジに言ったの、俺なんだ」
シンジは面倒臭そうに顔を顰めた。彼らはこの殴って許すという儀式めいた事を済まさねばずっとこうしてつきまとうのだろう。
今も今後も面倒ならば、この場で終わった方が良いか。
箱を受け取って脇に置き、喜色を浮かべる二人に、歯を食いしばって、と言葉をかける。
狙うのは顔、ではなく、腹。
「グオッ!」
「ガッ!」
これで良いよね、と想定外の攻撃を受けた彼らを見もせず弁当を食べ始めるシンジに、ジャージの生徒、鈴原トウジが痛みをこらえて話しかけた。
「ふ、普通は顔やろ。何で腹やねん……」
顔に怪我をしてると教室に戻った時に騒がれる。屋上へ行ったのを見られてるなら加害者は確実に自分だと分かる。それは避けたい。
「注目されたくないんだ。もう手遅れかもしれないけど」
ネルフだ使徒だはさておいて、学校からは逃げられるなら逃げたい。
そう思うシンジの頭上に広がる空は、今日も鬱陶しいほど晴れていた。
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第六話
一日が終わり、あとは寝るだけとなった夜。自室でステータスウインドウを開き、シンジは溜息をついた。
――――――――――――――――――――
碇シンジ Lv : 25
職業 : 主夫
称号 : サードチルドレン
経験 : 111984
能力値
筋力 : 77
体力 : 77
敏捷 : 70
精神 : 69
知性 : 86
運 : 26
残りBP : 120
――――――――――――――――――――
レベル増加量はいい。ゲームで言えばレベルが上がるほど必要経験値も増えるのは分かる。
運も、まあいい。運が無いのは分かりきってる。良いはずがない。
だが、
「主夫って……」
この職業はどうなのだ。
葛城ミサト宅に住むようになってから、炊事洗濯掃除は基本的にシンジの役目となった。シンジが進んで手を挙げたのではなく、ミサトがまるでやらないので仕方無くやっていたらいつの間にか全て押し付けられたのだ。
早朝に起床、洗濯機を回し二人分の弁当をつめて軽く掃除した後朝食を作り洗濯物を干し部屋を掃除する。学校と本部での訓練が終わるとスーパーに寄って食材と日用品を買って帰り、洗濯物を取り込んで夕食を作り風呂を沸かして洗い物をして翌日の弁当の準備をする。
「主夫だ……」
思い返すと否定できなかった。だが職業ではない。職業で言えば中学生かネルフ職員である。
何らかの条件で職業が変わるのだろうか、と考えるも判定基準が分からない。
ステータスを閉じ、新たに現れた「職業」を開くと、ウインドウに「中学生」「主夫」と二つ書かれていた。ウインドウのサイズに比べて数が少ない。と言うよりスペースが空きすぎている。これは職業がどんどん増えるという事だろうか。
任意に職を変える事できるのだろうかと思い「中学生」の文字に集中すると、職業を変更しますか、と確認のダイアログが現れた。とりあえずは「いいえ」を選択する。
スキルを開いてみると、主夫に関係ありそうなものに補正がかかっていた。
――――――――――――――――――――
料理技能 (6+1/10)
掃除技能 (5+1/10)
洗濯技能 (5+1/10)
裁縫技能 (2+1/10)
節約技能 (4+1/10)
――――――――――――――――――――
これが職業の効果らしい。これまではこういった表示は無かった。中学生はゲームで考えると無職の判定なのか。分からないでもない。
得をするなら主夫でも良いかと受け入れ、期待を込めて「設定」を開いたが、そこには相変わらず透過率の調整しか無かった。音量を下げたいという願いは聞き入れてもらえなかったようだ。
スキル項目を見ていくと、以前には無かった「軍隊格闘」「射撃技能」「エヴァ操縦向上」「A.T.フィールド」等が増えていた。他の料理や演奏などとは明らかに毛色の違うものだが、毎日の訓練の事を考えると、レベルアップで増えた、ではなく、レベルアップまでに集中して行った事がスキルとして登録されるのだろうか。
少し実験してみようか。そう考え、シンジは静かに眠りに落ちていった。
「センセ、それ何してんねん?」
「編み物か? 何でいきなり?」
教室で黙々と作業するシンジにジャージと眼鏡、鈴原トウジと相田ケンスケが話しかけてきた。屋上で殴ったあの日以来、よく話しかけてくるようになったのだ。
入門書を開き、辿々しく編み針を操りながら、シンジは「必要だから」とだけ答えた。話しかけられようが親しくする気はあまり無いのだった。第一これは大事な実験なのだから話をしている余裕も無い。
シンジの自由になる時間はそう多くない。ネルフと家事と学校とで大部分が削られ、間が空いたとしても短時間である。それを踏まえ、少ない時間で積み重ねる事ができ、なおかつ手軽に持ち運びができるものとして選んだのが編み物だった。できれば使徒との戦いに役立つものが良かったのだが、そちらの方面では物騒なものしか思いつかず、結局身につけても暇潰し程度にしかなりそうもない選択しかできなかった。常夏の国となった日本ではニットの出番は限りなく少ない。
「ネルフっちゅうんは、よう分からん事するもんなんやな」
パイロットに編み物を義務付ける国連組織も無いと思うが、シンジは特に否定もしない。
先日の使徒襲来に際し、シェルターへ避難せずに黒塗りの車でどこかへ行ったシンジについて、詳しい事は知らないがネルフ関係者である事は間違いない、という認識が広がっているらしい。探りを入れた、聞き耳を立てたという訳ではなく、聞いてもいないのにケンスケが学校内の様子として話しかけてきたのだ。シンジは否定も肯定もせずにいたのだが、幾日か経つと完全に定着してしまったらしく事実として受け入れられていた。故にクラス内では「シンジ=ネルフ」とつなぐ事はタブーとなっていない。どちらにしろシンジは何も言わないのだから、という理由で。
放っておいてくれないかなと思うシンジだったが、好奇心旺盛な年頃の集団相手ではどうしようもなかった。
結局のところイヤホンとプレーヤーに毛糸と編み針が加わったくらいで、シンジの学校生活に目立った変化は無いのだった。
その日シンジは学校を休み、制服に土木作業員用ヘルメットという姿でジオフロント内の巨大テントで使徒の残骸を見学していた。プログレッシブナイフでぶつ切りにして運び入れたものである。
当初は開いて身と内臓を分けて、と考えたリツコとシンジだったが、どんなに深く切ってもそれらしきものは見当たらず、ならば搬入口を通過できる大きさにするだけで良いと判断してザクザクと切り分けたのだった。
コアは戦闘時に粉々になるほど砕いたものの、それ以外はほぼ完全な形で残った使徒の調査を進めるリツコは、理想的なサンプルだ、と建設足場の上で笑顔を見せた。
場所を移して解析結果を聞いたが、現状で分かっているのは「何も分からない」という一点のみだった。具体的な構成物質が不明、伝達系はあれど動力源が不明、遺伝子の配列パターンが人間と似ているらしいが何故かは不明。それでもこれが調査の一歩目だと皆張り切っているようだ。
こういった専門分野も学べば皆の役に立てるだろうか。そう考えるシンジに紙コップが差し出される。中身はリツコ謹製のコーヒー。
「美味しい……」
屋外作業にもかかわらずテント内の自分のブースにコーヒーメーカーを持ち込むほどのこだわりを見せるリツコのコーヒーは、シンジの好みのど真ん中を射貫く。シンジは実験やレクチャーでリツコの執務室を訪れるとかなりの確率で振る舞ってもらえるこのコーヒーがお気に入りであった。役に立てれば、などと思ったのもその影響が強い。
何故かよく分からないが色々な事柄を嬉々として教えてくれる上に、美味しいコーヒーを淹れてくれる年上の綺麗な女性である。あれこれと考えてしまうのも無理はない。
最終的にこの残骸はどうするんですか、と聞いてみると、より細かく刻んで焼却処分するのだという。処分費用を考えると、人里離れたところで迎撃して塵も残さず吹き飛ばす、あるいは最初の使徒の様に自爆を誘発させるのが理想のようだ。色々な制約もあり実行は難しそうではあるが。
使徒と同じくエヴァも分からない事がまだまだ多いらしく、シンジは度々実験とテストを受けている。現在本部で稼働している唯一の機体である以上、その負担は全てシンジにかかってくる。
本日の科目はシンクロテストとシンクロ率の向上。数日に一度はやっている内容だ。
エヴァンゲリオンという兵器は、諸々端折って言ってしまえばシンクロ率が高いほど強くなる。なので、シンクロ率を上げるために集中する、という事を体に染み込ませる必要がある。
集中して行うという経験を済ませているためか、スキルに「シンクロ向上」というものがあるのだが、シンジはこれに手を付けていない。ポイントを割り振りスキルレベルを上げた場合、どこまで実際のシンクロ率が上がるのか分からない上に、極端に向上してしまった場合説明のしようが無い。これまで幾つかの項目を上げて分かったのだが、一度上げて確定すると下げられないのだ。
前回の戦闘の様に場合によっては、という事も考えてはいるが、誤魔化せない範囲のものには手を出し辛いのである。
シンジの乗るエヴァ初号機の他に本部には零号機という機体もあるのだが、起動実験で暴走事故が起こり、つい先日まで封印されていた。
パイロットは綾波レイ。あの大怪我は事故の時に負ったものらしい。
事故原因は不明ながら、レイの精神状態によるものではないかという分析であるようだ。シンジとしては改めて、よく分からないものに乗ってるな、という感想である。スキルに「暴走の抑制」的なものが出れば積極的に取得しようと心に決めた。
テストが終わりシートに身を沈めて一息つくと、シンジはモニターに映る零号機に目をやった。
初号機と違い、目が一つで色は黄。試作機として建造されたので肩にウエポンラックは付いていない。傍らでは翌日に控えた再起動実験に備えてレイがプラグスーツを着用して何か作業をしていた。
その姿を見てシンジは思う。このプラグスーツ、どうにかならないかと。
身体にピッタリと張り付くシロモノなので当たり前の様に体の線が出る。簡単に言えば恥ずかしいのである。
あれやこれやと機能が付いているのは分かるが、移動時にこの姿を見られながら廊下を歩くというのは軽い拷問の様な気がする。男の自分でこうなのだから、女の子はそういったものにより敏感だと思うのだが、レイに何かを気にしている様な素振りが見えないのはキャリアの差だろうか。
ベンチコートか、もしくはポンチョみたいな物を着て良いか聞いてみよう。なんなら自費で用意しても良い。戦う相手は使徒であって羞恥心じゃないはずだ。
機体から降りて良いという指示が出るまで、シンジは上着の着用を承諾させる為の作戦を考え続けた。モニターには父とレイが会話している様子が映っているが、そんな事よりまずは己の身が重要なのであった。
翌日、シンジは寂れた雰囲気のマンションの前に佇んでいた。何かを建てているのか解体しているのか、周囲からは重機の音が絶え間なく響いている。
住民は少ない、と言うか居ないのだろう。駐車場、駐輪場、ゴミ置き場とも使われている形跡が見えない。側を走る道路が街路樹も含めて綺麗に管理されているのに比べ、全く同じ形の建物が並ぶこちらは打ち捨てられているかに見える。
普段はこんな所に自分から立ち入ったりしないんだろうな、と考えながら手元に目を落とす。
綾波レイのセキュリティカード。シンジがこの場所を訪れた理由であった。
昨日自宅にて、客人は招いた者がもてなすべき、と主張するミサトの作りあげた形容し難い味のするカレーを客人であるリツコにお見舞いした後、これを本人に渡すよう頼まれたのだった。
メモを見ながら部屋の前に辿り着きインターホンを押してみるも、故障しているのか何の反応も示さない。仕方なくドアをノックして呼びかける。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
シンジとしては珍しく声を張り上げてみるものの、反応らしい反応は返ってこない。
どうしたものか。しばし考えた後、シンジは携帯電話でネルフ保安部へと連絡を入れた。
「チルドレンの碇シンジです。いつもお世話になってます。
……はい、赤木博士からですね、綾波さんに本部のセキュリティカードを渡すよう頼まれたんですけども、はい。
……ええ、部屋のドアをノックしたんですけど返答が無いので、ええ、はい、綾波さんが外出してるのかもと思いまして。あ、はい、申し訳無いですけど、はい、お願いします。
……、はい、はい、在宅中。……はい、分かりました。お手数おかけしました。ありがとうございます。失礼します」
チルドレンには保安部の護衛が付いている。何らかの危険が及ばない限り姿を見せる事は無いが、それでも常に見られている。ならば居るか居ないかは聞けば分かる。
普段ならば所在確認なぞ取り次がないのだろうが、今回に限れば公式な理由がある。再起動実験という重要な仕事があるのにカードが無くて本人が入れないでは話にならない。
組織の人間になってしまったのなら必要になるかもしれない、と書店で購入したビジネス会話の教則本が役に立った。相手の姿も見えないのにお辞儀を繰り返すという徹底ぶりを見せ、レイの所在を確認すると再びノックをして呼びかける。
数分の間、断続的に声をかけ続けると彼女はようやくドアを開けた。
「何か用」
シャワーを浴びていた様で、濡れた髪もそのままに下着の上に制服のブラウスを羽織っただけで出てきたレイに、シンジはなるべく顔だけを見て話をする。
「これ、リツコさんから預かったんだ。セキュリティカード。更新されてるんだって」
カードを手渡すと、再起動実験がんばってね、と言い残してシンジは足早にその場を立ち去った。レイが無防備過ぎて驚いた、有り体に言えばビビったのである。
ミサトと暮している関係で薄着の女性に耐性ができつつあるシンジではあったが、見慣れている人と交流も無い人物ではやはりインパクトが違う。
シンジとて思春期真っ盛りである。異性のあれやこれやを想像する事もある。そこに来てあれは、あの格好は刺激的に過ぎる。
とはいえ、仕事の同僚をそういう目で見るのも何となく申し訳ない。先程の光景を振り払い、できれば忘れ去るために首を痛めそうなほど頭を振りまくるシンジであった。
再起動実験はネルフにとっては重要事項だがシンジ個人にはあまり関係が無い。実験の立ち合いを求められている訳でもないのでやる事といえばトレーニングしかない。ジオフロント内でランニングをこなしていく。
実のところ教官側からはもう少しトレーニング量を減らしても良いと言われ、組まれたメニューも毎日ではなく二日に一度となっている。シンジはそれを無視して勝手に走っているのだった。
現在の身体能力はレベルアップの恩恵で成り立っているので、シンジの感覚では元々の自分の力ではない。例えれば外付け機器を装着したように感じるのだ。活用できればそれも含めて自分の力と自信を持てるのだろうが、そこに至るにはやはりトレーニングが足りない気がしている。
力が自分の意識に馴染んでない。馴染ませるには動くしかない。そして動くからには意味を持たせたい、という考えである。
傍から見ればオーバーワーク気味にも見えるだろうがステータスの数値は下がっていない。ならば、正しいかどうかはともかく間違ってはいないのだろう。
一時間ほど走った後、この後はどうするかとスポーツドリンクのペットボトルに口をつけていると突如サイレンが鳴り響いた。ほぼ同時に携帯電話の呼出音も。
使徒接近につき第一種警戒態勢。
必要な情報のみを伝える連絡に了解しましたと答え、シンジは駆け出した。
シャワーで手早く汗を落としプラグスーツを着込む。その間も当然の如く使徒の進軍は止まらず、待機室へと入ると程なく戦闘配置へと移行した。
ケージへと向かいエントリープラグに搭乗して起動を開始。後は状況の伝達なり発進の命じる通信なりを待つのみとなるのだが、緊張が高まっていく心と体とは裏腹に、シンジは意外なほど長く待たされる事になったのだった。
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第七話
通信も情報も送られてこず、高揚感や緊張を持て余しながらもプラグ内のインテリアやケージの中を眺めるしかない、という間が抜けた状況が数十分続いた後、シンジはブリーフィングルームの一つに呼び出された。
プラグスーツ姿のまま向かったそこには職員が一人。何だコレ、という戸惑いを余所に、職員から何枚かのプリントアウトされた書類が手渡され、勧められるままに椅子に座ると照明が落とされた。間をおかず壁面の大型ディスプレイに使徒の映像が流れ始める。
要するに、格が違う。
それがシンジの印象である。
過去二回の戦闘と同じく迎撃可能範囲に入ると即座に使徒へと攻撃を仕掛け威力偵察を行ったものの、反応として示された結果は発射地点の蒸発であった。
山肌に隠されたミサイル発射孔。それが使徒の反撃により吹き飛び、山ごと消し飛んだのである。
これまで使徒からの損害は建築物のみだった。軍事施設という面もあり耐久性もそれなりに高いものではあったが、吹き飛ばされ、切り刻まれと散々な扱いをされている。しかしこちらにとってもそれは無駄に終わらず、使徒の攻撃力の上限は兵装ビルを問題としない程度、と見積もることができた。できていた。
そこにこれである。山一つという巨大質量を消し去る熱量。技術部の見解では加粒子砲だそうだが、今までの使徒の攻撃とは文字通りに桁が違う。似たような兵器ならネルフにも配備予定のものがあるそうだが、あそこまでの威力を持たせる事は難しいらしい。
変わってドイツで開発された自走臼砲で威力偵察として攻撃してみた所、こちらの攻撃はA.T.フィールドではね返されて小動もせず、返された攻撃は再び地形を変えた。
怖ろしく強力な攻撃と、絶対的な防御力。これが今回の使徒の特徴である。
使徒は現在本部の直上に居座り、下部からドリルを伸ばして掘削中。日付が変わる頃にはジオフロントの天井を貫通して直接侵攻する見込みだ。
問題は、これをどう殲滅するか。
職員が言うには、現在どうにかする為の武器を借りに行っているのだそうだ。
戦略自衛隊で開発中の試作型自走式陽電子砲。現在零号機が試運転がてらに受け取りに行っているらしい。
ネルフのものとどう違うのかよく分からないが、とにかくモノがこちらに到着して準備を進めないとパイロットにはやることが無いので休んでいて構わない、との事だった。
プラグスーツを脱いでシャワーを浴び、服を着て残っていたスポードリンクを飲み干して、一息。
戦闘が迫っているのにやることがない、という気持ちの置きどころに困る状況に表現し難い居心地の悪さを感じながらも、シンジは大人しく待機室へと向かった。
パイロットは体を休めるのも仕事の内、とは何度も言われている事だがこんな時ではそれも難しい。
長椅子に体を横たえ目を瞑る。深呼吸を繰り返す。それでも昂りは、あるいは不安、恐怖は収まらない。
過去の戦闘では、第3新東京市に呼びつけられてあれよという間に事態が進んで出撃、使徒襲来に合わせて学校から呼び出されて慌ただしく準備して出撃と、言ってしまえばシンジは勢いや流れに任せてのものしか経験していない。準備時間が設けられている事自体が初体験だ。
緊張を保ったままでは体が持たない。しかし気の抜き方が分からない。
睡眠薬とか貰えないかな。保安部の誰かが気絶させてくれるのでもいいけど。
思考があらぬ方向に飛びながらもシンジはとにかく目を瞑り続ける。時間の経過と共に寝返りと溜息の数だけが積み重なった。
日が沈み夜に溶けていく景色の向こう、街の中心部に青い巨体が静かに佇んでいる。実際はその下でドリルを使ってギャリギャリと音を立てながら地下へ掘り進んでいるのだが、少なくとも遠くから見る分には。
情報統制とか完全に無駄になるんだろうな、とシンジは広報部の苦労に思いをめぐらせた。
今回の使徒は地形を変えた。そして長時間居座っている。これを誤魔化すには第3新東京市のど真ん中にテーマパークを建築中とか、かなりの無茶を言い出すしかなさそうだが。
こちらの方はと振り返ると、初号機と零号機、そして巨大なライフルが。その周囲にはネルフの職員、そして太いケーブルの束が見える。
エヴァのメンテナンスは終わっているので今忙しく動いているのは陽電子砲の準備に追われている人達だ。戦略自衛隊から特別権限を盾に無理やり借りたものをネルフの技術でセットアップして使おうというのである。
使い終わったら元通りにして返却するらしいが、この場に戦自関係者は一人もいない。技術者だけでも連れてくれば仕事が捗りそうなものだが、機密の塊であるエヴァがむき出しの状態で突っ立っている以上はそうもいかないのだろう。それならば戦略自衛隊の機密は、とも思うのだが、そこはやはりネルフの権限でものを言わせたのだろう。
付け加えるなら、元通りというのは研究所から持ち出した時の状態のままという事で、つまりは成果も実績も残さず稼働させたデータすら一切合財残さず吸い上げるという意味でもある。権力って怖いな、とシンジは寒気を感じて二の腕を擦った。
今回の作戦は、盾で防ぎライフルで撃つ、と言葉にするとかなりシンプルになるが、実行にはかなりの困難と危険を伴う。
盾は使徒の攻撃に対し最長で17秒しかもたない。そしてライフルでの攻撃は2発目のチャージにはどれくらいかかるか不明と、一の矢を外したらある程度は覚悟しなければならない。
それを聞いてシンジも一応作戦案らしきものを出してみた。
盾を二つ用意し、エヴァ一機は陽電子砲の守備、もう一機は強襲。陽電子砲の発射は司令部の誰かが。
強襲側は狙撃地点の反対側から投擲できるような武器を投げつけた後に使徒に突撃。
それで撃破できれば良し。できなくとも攻撃に反応して反撃するはずだから注意は引ける。
使徒の攻撃を引き付けている間に狙撃でケリをつける。
もし陽電子砲側に攻撃が向いた時はやはり防御している間に直接攻撃。
接近している分A.T.フィールドを微かにでも中和できる可能性もある。
発射そのものにエヴァは必要ない気がするし、いけそうな気もするのだがどうだろうか、と伝えてみたところ検討された上で却下された。
理由は三つ。盾が一帖しかないのと、投擲に使えそうな武器が無い事。そして何より、時間が無い。
盾に使われているのはSSTO、地上と宇宙を行き来する輸送機の底部だが、現在用意できるのは一機分のみ。新しく用意するならまずどこかから調達してきて切り離して持ち手を付けて、とあれこれやらねばならない。今回使用するのはいつか使うかもしれないと前もって入手しておいた部材を簡単に仕上げたもので、こんな事もあろうかと、というやつだ。
投擲武器はソニックグレイブという薙刀が使えそうだが、未だ試作段階で完成には至らず。シンジは建物解体等に使うクレーンで吊り下げる鉄球とかはダメなのか、と聞いてみたが、あれは人間が扱うと考えると重過ぎるがエヴァが投げるとすると軽過ぎる、との答えが返ってきた。人間でいえばピンポン玉を投げるようなもので、狙いが安定しないとの計算結果付きで示された。
両者に共通して言えるのは時間だ。時間さえあれば、例えば猶予が一週間あれば万全の状態を整えて送り出せるがタイムリミットまでは数時間しかない。用意できる中での最良が今回の作戦であると。
もっともこの作戦、ヤシマ作戦に問題が無い訳ではない。
陽電子砲に使うのは日本中の電力、1億8000万キロワット。こんなものを扱った事がある人間など居やしない。つまり試射をした事が無いのだ。
さらには自走砲を急遽ライフルに改造したことで重量バランスもめちゃくちゃになっており取り回しが難しくなっている。銃架があるから大丈夫、という訳ではない。重心が狂っていると射撃時の反動でどう動くかすら分からない。
それも含めて、あくまで「現段階での最良」なんだな、と納得するしかなかった。
視界を白く染める強烈なライトの中、各機の配置が伝達された。砲手は零号機、防御は初号機。
今回の作戦は攻撃力は当然の事ながら防御能力がものを言う。
基本的に陽電子砲に何らかの障害が出た場合そこで一巻の終わりである。故障や不具合は技術部に頑張ってもらうとして、使徒の攻撃は何としても食い止めねばならない。
初撃を失敗して移動する事になった場合、ただ武器を担いで動くよりも対象を守りながら自分も移動する方が難しい。そこで再起動を果たしたばかりの零号機とレイよりも、今まで稼働させ二体の使徒を撃破した実績のあるシンジが盾持ちに選ばれた。
言うまでもないが、盾持ちの方が危険である。死にやすいと言ってもいい。攻撃を直接受け止めるのだから当然だが、作戦失敗となった場合は結局人類ごと滅亡だ。
「了解です」
シンジは配置を受け入れた。受け入れる以外の選択肢は最初から用意されていないのだろうが。
23時30分。日本から明かりが消えた。
搭乗用の仮設ブリッジから街灯が消えていくのを見ながら、シンジはメニューを開いた。
――――――――――――――――――――
シンクロ向上 (2/10)
A.T.フィールド (2/10)
残りSP : 102
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今回必要になるのは多分この二つだろうと見当はついたが、それでもシンジは迷っていた。
リツコとMAGIによるシミュレーションでは、加粒子砲を受けた場合でも最も装甲の厚い胸部であれば機体は数秒耐えられる。機体は、だ。その数秒というのも装甲が融解し素体に直接照射されるまで、というだけの時間でしかない。
しかしパイロットはそうはいかない。熱は容赦なく機体、プラグを通して伝達され、結果L.C.L.の温度も上がり沸騰した挙句パイロットが茹で上がる。
直接攻撃された痛みと温度上昇により動きは止まり、貫通または蒸発させられるまで攻撃を受け続けるという結果となる。
装甲の薄い末端部であれば言わずもがな。一瞬で消し飛ばされてそれまでだ。
作戦前にネガティブな情報を突き付けられはしたが、それを防ぐ為の盾であるし、加えてA.T.フィールドを展開できれば防御可能時間は延びるだろうと思う。しかし上げ幅を決める為の基準と、それを定める為の経験が、物差しがシンジには無い。使徒のフィールドを中和した事はあっても、フィールドで能動的に防御した事は一度も無いのだ。数値的にどこまで伸ばして良いのか判断がつかない。
スキルを上げてしまうと元には戻せないという問題がある。一瞬ならば、使徒の攻撃を受け止めている間だけならば火事場の馬鹿力的なアレやソレという事にもできるかもしれないが、その後も上がりっぱなしではいかにも不自然だろう。
上げた場合深刻な事態となり得るのはシンクロ率の方だ。シンクロ率が上がるというのはダメージを受けた際のパイロットへの伝達率も上がるという事になる。過去二回の戦闘でも、折られて打たれて潰されて貫かれて、とかなりの破損と怪我をしているが、より強いの痛みを食らうのは正直厳しい。
ならばフィールドだけ上げれば良いのかというとさにあらず。低シンクロで高出力フィールドという状態がエヴァのシステムとしてあり得るのかシンジには分からない。
ポイントを振り分けて上がるとしたらそれぞれの下限値か平均値なのだろうが、シンクロ、フィールド共に自力での調節、というか下げる事もできなくはない。だが下げる為には「集中しない」という戦う者としてあるまじき状態になってしまう。それでは遅かれ早かれ死ぬだろう。
では1か2か上げて様子見で、という訳にもいかない。貫かれて一発食らったらほぼ終了。懸かっているのは自分の生死と、その先の人類の生死である。失敗して残念だったね、では済まされない。
「死ぬよりはマシか……」
色々と考えてみるも、結局はそこに行き着く。
後で詰問されるのも、何かの実験を受けるのも、死ぬよりはマシだろう。
――――――――――――――――――――
A.T.フィールド (2 → 10/10)
残りSP : 94
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フィールドのみにポイントを使い、シンクロ率は据え置きとした。
これで何とか間に合ってくれれば良いけど。
そう考え、シンジは知らず強張っていた体から力を抜いた。
取り消しが効かない以上、上げてしまったスキルによって起こる問題は仕方がない。何があっても動じないように……。
と、開きっぱなしになっていたウィンドウを閉じようとした時、気付いた。
――――――――――――――――――――
A.T.フィールド (10/10)
┗A.T.フィールド2 (0/10)
残りSP : 94
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「……派生した?」
項目が変化していた。
2、と分かりやすくも雑な項目名が追加されているが、察するに強化による発展型のスキルなのだろう。
以前動体視力等にポイントを割り振った時にはこんな事は起こらなかった。何故今回に限って2などと。2が出たという事は3も4もあるのだろうか。とりあえず上げてしまえば安心できると思ったのに、A.T.フィールドの強化はこの程度では不完全という事か。というか上限が分からない。
試しにポイントを振ってみると、1上げるごとにSP3と消費量が上がっていた。10まで上げるなら30ポイント、と軽い気持ちでは使えない数になっている。
確認メッセージで「いいえ」を選択してシンジは考える。もしレベルに上限が、カウントストップがあったとしたら。
レベル1上昇につきSPが5。レベル99まで上がったとしたら総計490。
もしこのままフィールド3、フィールド4と段階が上がっていった場合、それに応じてSP消費量もきっと増えていくだろう。
次が5、その次が7、10と進むのが妥当だろうか。となるとスキルを最大まで上げれば50、70、100だ。A.T.フィールドだけで260。半分以上費やすことになる。
それよりも問題は、そこまでやらなければ対処できない使徒が出た場合だ。
例えばSPが1000や2000も余ってるというのなら何も考えずにスキルを上げて終わりだが、システムの全体が分からない以上は、そしてこの先の使徒の力量が分からない以上は無駄遣いはできず、危機が目の前に迫った時に考え判断しなければならない。
面倒な事になってきた。
先の仮定が正しいという保証はない。レベルが999まで上がるゲームも存在するしそのシステムを再現している可能性もある。
それならば嬉しいのだが、こういう事だろうと甘い予測で一定数ポイントを残しておけば余裕という事では断じてないのだ。逆にレベルが50までしか上がらないゲームもあるのだから。
それはともかく、
「後で考えよう……」
今は目の前の使徒である。
フィールド出力が上がった事で逆に不安になる、と本末転倒な結果となったが、兎にも角にも生き残ってからだ。
まあ、これは棚上げや先送りというのだが。
臨時指揮所で発せられた作戦開始の号令が、通信を介してプラグ内に響く。
使徒の行動は攻撃されてからの反撃のみと思われるので初撃は取れるだろう、という予想だ。なのでシンジの役目は一発撃った後に射線上に入っての防御と二発目までの時間稼ぎとなる。
山の麓からこの山頂付近まで、急遽設けられた変電機やら高架線やらがひしめいている。冷却器が唸りを上げ始め、伝達系の不具合かどこかから煙が上がり始める中、シンジは飛び出す機を窺い初号機の身を沈ませた。
「目標に高エネルギー反応!」
MAGIによる照準補正もライフルへのエネルギー供給も終え、射撃の最終段階であるカウントダウンが行われる中、使徒が動いた。
攻撃ではなく、エネルギー量に反応した?
そう考え、シンジの口角が微かに上がった。放たれる前に叩かねばならない程のエネルギー。使徒が危機感を覚える程の攻撃。つまり、当たりさえすればフィールドごと貫かれると、他ならぬ使徒が判断したという事だ。
ならば、命中しさえすれば勝てる。
カウントダウンは続き、ミサトの号令でトリガーが引かれた。
使徒の砲撃もほぼ同時。互いに迎え撃つ様に放たれた光の奔流は、互いに干渉しあい逸れていく。
双方の背後にそびえ立った火柱を確認し、振動も轟音も無視してシンジは動いた。使徒と零号機を結ぶ線上にやや距離を離して膝を付き、盾を構えて全身を強張らせる。
再び慌ただしく動き出した指揮所の音声と、背後からヒューズの排出、装填音が響く。
一射目はほぼ同時。二射目は、
「目標に再び高エネルギー反応!」
向こうが速い。
「フィールド……!」
初号機を中心にフィールドに押し退けられた地面がめくれ上がり吹き飛んだ。
スキルの効果は確実に出ている。が、これで間に合うかどうかは未知数。
シンジは念じる。
より固く。より硬く。より堅く。
思い描くのは、他でもない目前の使徒。攻撃を弾き返したあのフィールド。
使徒を一心に見据え、それだけを思い描く。後はもう信じるしかない。技術部の力を。初号機を。この訳の分からないシステムを。
「あぁ、怖いなぁ……」
覚悟を決める為、シンジはあえて一言弱音を吐いた。
吐き出す事で自分の怯懦を追い出そうとしたのだ。
もう自分の中には残っていない。十分に立ち向かえる。
可能性がどうこうという問題ではない。やれる、できると全霊を込めて思い込んだ。
使徒の円周部が煌めき、間を置かず、砲撃。
真正面からは光の壁が尋常ではない速度で迫ってくるようにしか見えない。
着弾。
衝撃。
A.T.フィールドがオレンジ色に瞬き加粒子砲を受け止める。
しかしそれは一瞬のみ。
シンジの、初号機のフィールドは微かな時間のみ効果を示して貫かれた。
破られた。
光が飛び散ってる。
手が熱い。
盾が保つのは17秒。
残りは何秒?
盾が溶け始めた。
手だけじゃなく体も熱い。
エヴァからのフィードバックだけじゃない。
プラグの中が熱い。
エヴァの装甲は?
熱いな。
熱い。
自失なのだろう。
機体を通して、自分の感覚を通して様々な情報が飛び込んでくるが、シンジの脳はそれらを処理をやめていた。
ただ、受け取るのみ。それなら次は、と行動へは結びつかない。
それは確かな予感の為。免れえない結果の為。
浮かんでくる言葉は一つだけ。
ああ、これは。
死ぬんだ。
脳裏に映像が映し出される。
駅のホーム。背の高い父の姿。バッグ一つだけの荷物。泣いてる自分。
母がいなくなり、父が自分を遠ざけた。
捨てられたと思った。
年に一度の墓参り。父からは情らしきものは感じられず、ただの義務感で訪れている様に見えた。
やはり捨てられたのだと考えた。
新しい住処では口さがない者達が、親に捨てられた子供だと噂した。
確かに自分は捨てられたのだと信じた。
誰にも言えず誰も聞かなかった。
何もしたくなかった。
何ができるとも思わなかった。
死んでないから生きていた。
ただ生きているだけだった。
これが走馬灯の様に、というやつか。
つまり死にかけているという事か。
そう気付いたシンジは急速に正気を取り戻し、嘲笑った。
自分を。
こんなものしか思い出せない自分を。
こんな事しか体験していない自分の過去を。
辛い事ばかりが連なって面白い事なんか一つも無い。
笑える思い出が一切ない自分を嘲笑った。
そして思う。
こんなものじゃ死ねない。
未練に思える出来事一つ自分は持ってない、それ自体が未練だ。
だから、死ねない。
死んでたまるか、と。
視界が、晴れた。
稼働を始めた自分の思考を確認し、今とこれまでの経過を把握し、シンジは考える。
盾はもう溶けて流れ散るのを待つのみ。
フィールドは一瞬で破られた。
が、それでも一瞬は確かに攻撃を防いだ。
ならば。
何度でも展開すればいい。
破られる度に展開すればいい。
「ぐぅぅぅうぅうううううう……!」
僅かな時間しか保たないならば、僅かな時間をつなげばいい。
数多くの一瞬を連続させ、数珠の様につなげば。
それは確かな障壁となり得る。
「うううああああああアアアア!!」
ろくでもない過去に意識が向けられるのを懸命に引き戻しながら。
何度も再生されるゲンドウに捨てられたその時を振り払いながら。
何度も、何度でもフィールドを展開する。
死の予感によって引き伸ばされた知覚をフルに使い、スキルで取得した動体視力と反射神経を限界まで酷使して。
破られる瞬間に展開。
破られる寸前に展開。
瞬きする間もなく、一心不乱に、ただひたすらに。
背後からの火箭が使徒を貫き、通信からミサトの快哉の叫びが聞こえた。
炎と煙を拭き上げかしいでいく使徒を確認すると、シンジは機体を横たえエントリープラグを排出、L.C.L.も緊急排水させ外へと転げ出た。
外は普段通りの熱帯夜、更には使徒の攻撃の影響で周囲の温度も十分高いのだろうが、滾ったL.C.L.と比べれば高原の爽やかな空気も同然だった。
肺の中の液体を咳き込みながらも吐き出し、その場にゴロリと体を投げ出す。荒い呼吸が整い興奮も収まっていくにつれ、短時間とはいえ極度に酷使した心と体へ疲労が一気に襲いかかる。瞑ってもいない目の前が暗くなっていく。
後は職員に任せてこのまま眠ってしまいたい。
生理的な欲求が吹き出してくるが、脳内に反響するファンファーレが遠ざかる意識を無理につなぎ止めている。
勝手に開いたウィンドウにはレベルアップのメッセージが表示され流れていくが読む気も起きない。
それでもまだシンジにはやらねばならない事が残っていた。
一通りのレベルアップ処理が終わるのを待ち、メニューを展開してスキル項目を辿っていく。
そして、
「……あった」
見つけた。
追加されたスキル「編物技能」。仮説は証明された。
実験の成功を見届けるとシンジは深く深く、肺が空になるまで息を吐いた。
ネルフ職員の誰かだろう足音が迫ってくるが、もはや限界と目を閉じる。
同時に意識もプツリと切れた。
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