原点にして頂点とか無理だから (浮火兎)
しおりを挟む

01-1

プロローグ編


 よく芸人が口にものを含んだ状態で驚き噴出すリアクションがあるが、あれは存外しんどいものだ。

 

「ッブゥーーー!! ……っげほ、がっは、ぐふっ……はぁ……」

 

 右手にポケギア、左手にハンバーガーを持った状態で必死に体をくの字に曲げ、苦しさをやりすごす。

 人間は唐突な出来事に驚くと息が止まるというが、その際口の中にものが入っていると気管支に入りこむ場合があるらしい。むせながら、こんな事実知りたくなかったと痛感した。

 

『ちょ、大丈夫?』

「ケホッ、あ゛ー……なんとか」

『んもう! 電話中に食事なんてするからだよ』

「いや、逆だろ。食事中に電話かけてきたお前に言われたくない」

 

 気の利く相棒が持ってきてくれたタオルをハンバーガーと交換して、口周りを拭う。

 そして目線を無残にも吐き出されたハンバーガーだったモノに向けた。

 此処が人のいない森の中でよかったとしか言えまい。幸いにも明日の天気予報は雨だ。土に還ることを祈ろう。

 

「それで、お前がさっき言ったことは本当なのか?」

『なんでこんなことで嘘つかなきゃいけないのよ』

 

 電話口の妹は憤慨して言う。

 

『面倒くさがりなシンのためにわざわざトレーナーカードを作ってあげたっていうのに、なにその反応? もっと感謝してもいいんじゃない?』

 

 ありがた迷惑だ。反射的に喉まで出てきた言葉を必死に嚥下する。

 

「……ドウモアリガトウゴザイマシタ」

『よろしい!』

「にしても、お前よくあんな昔の話を覚えてたな」

『大好きなシンの言うことを、私が忘れるはずないじゃない?』

 

 妹は上機嫌で答える。

 仲は良いに越したことはないという。好いてくれるのはとても嬉しい。が、これは間違いなく嬉しい誤算だ。

 

『ちゃ~んと覚えてるわよ。まだ一緒の布団で寝てた頃、寝る前に将来の話をしてたの。いつかトレーナーになる時がきたら、リング名を私が≪リーフ≫、シンが≪レッド≫にしたいねって』

 

 意気揚々と話す妹に反し、背中にヒヤリとした汗が垂れ落ちるのを感じざるをえない。

 心臓が落ち着きのないリズムを奏でる。間違いなく、焦っていた。そして胸中で叫ぶ、昔の自分爆発しろと。

 妹は相槌すら返さない相手を気にもせず、喋り続けた。

 

『私の出発は三日後。オーキド博士の研究所でトレーナーカードの受領をしてもらえるから、シンも博士から受け取ってね。なるべく早いうちに行くこと! 忘れないでよ! ……そういえば、シンって今どの辺りにいるの?』

 

 

 

 

 晴れやかな午後の昼下がり。

 鬱蒼とした森の中は日差しの厳しさなど関係なく、むしろ薄暗ささえ感じてしまうほど。そんなトキワの森にフィールドワークにきてからはや三週間。依頼されていた生態調査も終えて撤収作業に取りかかろうと、昼食を取りながら考えていたところに水をさしたのが妹からの電話だった。

 開口一番『きいてきいてー!』から始まり、嬉しそうに事の次第を報告してくれた。

 話はこうだ。マサラの実家に住む妹が、オーキド博士からポケモン研究の協力者を頼まれたらしい。依頼内容は、どうやらフィールドワーク的なものらしく、トレーナーの旅に出る矢先の依頼だったので二つ返事で応えたとのこと。

 それだけ聞くと、家族としては喜ばしい事この上ない。高名な博士の研究に携われるのだ、素直におめでとうと言える。

 

「…………どーしたもんかなぁ~」

 

 通話を終えたポケギアを片手で弄くりながら、傍らの相棒に語りかける。

 

「ピカァ?」

 

 相棒は不思議そうに応えた。

 リスの体型を猫ほど大きくしたような、体毛は黄色く耳は長い、おまけに尻尾はギザギザ模様。マニアな愛好家もいるほどの超有名人、通称ピカチュウである。

 愛らしい容姿と小柄な体躯からペットとしても大人気。ただし需要に対して反比例する生息数と狂暴性のため近年稀少種に分類されている。

 うちの相棒は通常サイズよりかなり大きめ。それ故に愛称がジャンボだったりする。

 

 

「ジャンボ~っ……」

 

 

 情けない声をあげながら相棒を抱き寄せ縋りつく。

 ふかふかの毛皮に顔を埋めて盛大なため息をひとつ。落ち込んでいると、よしよしと小さな手で頭を撫でてくれる。

 片手じゃ足りないほどの年数を共にしてきた相棒の優しさが身に染みる。

 どんな時でも見捨てず隣にいてくれた相棒に、嘘は吐けない。これから起こる苦難を共にする彼には、正直に話しておかねばならない。

 

「聞いてくれ、相棒」

 

 意を決し、相棒を正面に下ろして姿勢を正す。

 真面目な話だと感じ取ってくれた彼はしっかりと目線をこちらに合わせてくれた。

 

「これからカントーのジムを制覇したり、とある組織を壊滅させたり、ポケモンリーグの頂点に立っちゃったり、雪山の頂上で山篭りすることになるかもしれません……」

「ピッ!?」

 

 耳をピンと立たせながら驚きの声を上げる相棒は『なぜ?』と全身で語っていた。

 

「誠に遺憾ながら……主人公フラグが立ちました」

 

 ああ、なんてことだ。

 まさか自分がレッドになってしまうとは。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

01-2

 私には前世の記憶というものがある。特に何の問題もなく日本で暮らしてきた、平凡な人生が21年間分。

 そんな余計な荷物を背負って生まれてきた今世は、生前子供の頃に遊んだことがあるポケモンというゲームの世界と似て非なるものだった。

 どちらかというと、前世の生活に緑豊かな自然と科学技術が増え、そこにポケモンが追加されただけのような。

 全く違うもののように聞こえるが、そうではない。言いたい事は、基盤は前世と一緒ということ。

 当たり前のように両親に愛され育てられ、一定の年齢になれば勉学の義務が発生する。そしてこの世界での成人年齢に達すれば、税金の義務が課せられる。ね、大体同じでしょ?

 そんな世界に生まれてかれこれ10年。さすがに生まれたての頃は地球との違いに戸惑いはしたものの、郷に入っては郷に従え。

 理解ある相棒もいて、仲間もできた。将来に向けて就職先だって確保済み。資格もある程度取ったし、アルバイトとして父親の研究の手伝いもしている。

 この世界での義務教育は、資格さえ取れていれば通信課程でも修められる。それを利用して、こうやってフィールドワークに勤しんでいる訳なのだが。

 

「黒歴史がこうも己を苦しめる存在だったとは……二度目なんだから学習しろよ自分!!」

 

 うぉおおおおと叫びながら顔を手で覆い隠し天を仰ぐ。

 行き場のない怒りを咆哮に乗せて発散したつもりだが、相棒から白い目で見られた。ジーザス!!

 

「どうしようジャンボ!? 今年10才でリング名がレッドで手持ちが勢揃い(パーフェクト)なんだよ!!」

 

 これが死亡フラグってやつ? 今すぐカントー地方から逃げるべきだよね?

 肩を落として錯乱する私に彼は救いの手を差しのべた。藁にも縋る思いで相棒の小さな手に己の手を重ねる。すると、彼はとびきりの笑顔で雷撃をお見舞いしてくれました。

 オーケイ相棒、いい具合に肩の力が抜けたぜ。ついでに肩こりもな。

 落ち着いて状況を整理してみよう。

 身近にあった手頃な枝を筆がわりに、地面に箇条書きでまとめてみる。

 

 ・今年で10才(ポケモントレーナー受験資格解禁年齢)になる。

 ・妹が勝手に資格申請済み。リング名がレッド。

 ・手持ちメンバーがピカチュウ・リザードン・フシギバナ・カメックス・カビゴン・ラプラス。

 ・出身地がマサラタウン。

 ・オーキド研究所に行ってカードの受領をしなければいけない。最初のイベント発生?

 

「あ、これ完璧詰んだわ」

「ピ?」

「ジャンボ、お前将来は黄色い悪魔って呼ばれるんだぜ」

「ピギャアア!?」

 

 そんなの嫌ぁああ!! と膝を叩く相棒の頭を撫でて落ち着かせる。

 さて、これからどうするか。とりあえず目先のことから考えていこう。

 まずは、一度マサラに戻らなければならないということ。

 今受けている依頼については、父親が勤めている大学からのものなので、報告書をデータで送れば問題ない。道中のポケモンセンターで済ませてしまおう。そして、さっさとオーキド研究所に行ってカードを受け取る。

 それからどうするかって? 誰がご丁寧にジムを周る旅なんかするかよ、面倒くせえ。

 

「ちゃちゃっとカードだけ受け取って、トンズラすればいいんだよな」

「チャー!」

「よっしゃ、目指せ原作ブレイク! もしくは主人公フラグが私の気のせいであることを願う!」

 

 マサラに帰るのなら、ついでに実家にも寄っておこう。

 ジャンボに母親宛に一報入れておいてくれと頼んでポケギアを渡す。相棒は「ピカ」と了承してリュックの上に腰かけ、慣れた操作でメールを打ち始めた。

 そして私はベースキャンプの撤収作業に入る。テントを畳みながら、マサラに戻ったら妹に一言物申さなければなるまいと心に誓う。忙しい私に代わってトレーナーカードを作ってあげようという心は良い、だが事前に何も報告がないまま申請してしまうのはどうかと思う。大人になってから大事な報告・連絡・相談(ほうれんそう)をきっちりと教え込んでおかねば。

 それにしても、手持ちが被るのはどうしようもあるまい。意図してこうなった訳でもなし、運命としか言いようがない。それを言ってしまえば、レッドという名こそ運命なんじゃないのかと言われてお仕舞いだが。

 一人で悶々と考えているうちに作業は終わり、相棒のところに戻る。

 先程と全く変わらない体勢に、どれだけ長い文章を書いているのかと問えば指を3本立てた答えが返ってきた。

 

「ああ、もう3通目ってこと?」

「ピカ」

 

 返事をすると、またもや文章を打つのに夢中になるジャンボ。小さな両手で器用にポケギアを操作するその姿を見て、私は昔を思い出した。

 まだ相棒がピチューだった頃の話だ。私は前世の記憶のおかげで勉学には困らなかった。だが妹は年相応の知能を持っていて、一生懸命私に追いつこうと必死に絵本を読んでは文字を覚えていた。それに興味を持った当時のジャンボが妹と一緒に文字を覚えていたのを、私は母親に指摘されるまで全く気づいていなかった。バイトを始めるにあたってポケギアを買う際、母親が「ジャンボにもメールを打たせてあげてよ。筆不精のあんたよりまめに返事返してくれそうだし」と言われて疑問符しか浮かばなかった私が後に驚愕したのは良い思い出だ。

 よくよく思い出せば、アニメでも標識などポケモン達は普通に読めていたし、そりゃ文字読めるならメールだって打とうと思えば打てるわなと納得できた。

 ポケモンをただの獣と一緒にしてはいけない。むしろ人間に近い生き物だと、その時私は改めて学んだ。

 たくさんのポケモン研究者がいるのも頷けるほど、彼らは知れば知るほど深い生き物なのだとわかる。

 そんな彼らと共存しているこの世界が、いつの間にか私は気に入っていた。傍らに存在する大事な相棒がいない前世など、今となっては考えられないくらいに。

 私はこの世界を生きていく。だからこそ、レッドなんて死亡フラグは回避しなくてはならない。

 

「さーて、マサラに戻るとしますか!」

「ピッカチュー!」

 

 高らかに声を上げ、意気揚々と故郷に向けて足を踏み出す。

 その意気込みがぶち壊されるのは、そう遠くない先のこと。

 これはやはり、レッドという名が持つ呪いなのでしょうか。




【レッド】
本名:日下部 真紅(くさかべ しんく)
年齢:10歳
身長:155cm
性別:女(前世は男)

【手持ちポケモン】
ジャンボ♂(ピカチュウ)
アルディナ♀(リザードン)
バーナード♂(フシギバナ)
カロッサ♀(カメックス)
メルシュ♀(ラプラス)
職人♂(カビゴン)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02-1

マサラタウン編


 マサラに帰ってきて真っ先に実家に向かう。呼び鈴を鳴らして暫く待つと、鍵の開く音がして少しだけ扉が開いた。

 意地悪だな、と仕方なく自分で扉を開けると、そこには笑顔で仁王立ちする母親の姿。

 

「……母さん?」

「はいこれ、餞別。今回は特別に色をつけておいたから!」

 

 抗議する隙もなく押し付けられた封筒。このずっしり感……どれだけ入ってんだよ。後で札を数えるのが怖い。

 そして家の中に入ろうにも、玄関先に立ち塞がる母親のお陰で一歩も踏み入れられない。

 一体どういうこと?

 

「かわいい子には旅をさせろっていうじゃない」

「はあ、そうですか……。ところで、カズは?」

「もうオーキド博士のところに行ったわよ。さあ、あんたも早く行っといで! お母さん以上のトレーナー成績を修めないと、家には入れませんからねー!」

 

 そう言って母親は私をUターンさせて勢いよく背中を押した。躓く寸前に慌てて両手で地面に手をつく。

 あっぶね、ギリギリセーフ……。

 ホッとしたのも束の間、顔だけで振り返るとすでに扉は硬く閉ざされていた。

 ……これって、追い出されたも同然じゃないか?

 呆然とする私に、後ろにいた相棒が元気を出せと頭を撫でる。

 

「…………とりあえず、オーキド研究所に行くか」

「チャー……」

 

 とぼとぼと意気消失しながら、近所にあるオーキド研究所へと向かう。

 恐るべし、死亡フラグ。妹は大変なものを盗んでいきました。それは、私の平穏な生活です。……これは洒落になんねえな。

 怨むなら過去の自分を怨むべし。確か「どうせなら強くてカッコいい名前がいいね」と、なんとなく話していて、前世のポケモン世界で最強と言われていたのがレッドだったから、そう言ったんだよな。

 カズにも他の名前をせがまれて、ファイアとかリーフとか提案した覚えがある。ああ、どうしてあの時レッドなんて言ってしまったんだろう……私の大馬鹿野郎!!

 過去を嘆いていても仕方ない。こうなった以上、母を超えねばいけないのだ。

 ……あれ、母さんのトレーナー成績って私知らないぞ?

 

「おお、真紅君じゃないか!」

 

 考えに耽っていたら、いつの間にかオーキド研究所にまで来ていたようだ。窓からこちらを覗く博士に声を掛けられて、ようやく気づく。

 

「ご無沙汰しています、オーキド博士」

「待っておったよ。ささ、中へお入り」

「お邪魔します」

 

 駆け足で研究所の入り口へと向かう。先ほどの研究室からわざわざ出迎えてくれたオーキド博士が、扉を開けて待っていてくれた。

 ついさっき受けた実の母親からの仕打ちに比べて、博士の対応の優しさに涙が出そうだ。

 

「忘れないうちに、先に渡しておこう。これが、君のトレーナーカードじゃ」

「ありがとうございます」

「これでようやく真紅君もトレーナーじゃな。おっと、これからはレッド君と呼ぶべきか?」

「できれば。暫くはトレーナーでいるつもりなので」

 

 受け取ったカードをまじまじと見つめる。それは顔写真とリング名、そして固有番号が表記されているだけで他は一切なしのシンプルなものだ。

 その理由として、個人情報保護の意味とジム戦がある度に情報更新をしなければいけない手間を省くためにICチップが組み込まれている。読み書き方式となっているわけだ。

 それにしても、この写真……今の格好と大差ないことからつい最近のものだとわかる。いつ入手したんだ?

 いいや、悩むのは後にしよう。トレーナーカードを胸ポケットにしまい、会話を弾ませながら二人揃って広い研究所内を歩いていく。

 

「そういえば、カズ……じゃなかった、リーフはどこに?」

「ああ、あの子達なら二階のバトルフィールドで早速一戦ならしとるわい」

「リーフはポケモンを持っていませんよ?」

「儂が一匹授けたんじゃ」

 

 ということは、主人公はリーフか! それでもって、今はライバル相手の初戦中ということ?

 やっふぉおおい、主人公フラグ敗れたり!! 喜べ相棒、今夜は祝杯を上げようぞ!!

 内心で狂喜乱舞していると、ドシン! という音と振動が伝わってきた。

 頑張っとるの、と暢気に博士は言うが、この研究所の耐久性は大丈夫なのか……?

 上を見て考えていたら、博士がにこりと笑って「せっかくじゃから、見ていくか?」とお誘いしてくれた。

 妹の初バトルに興味が湧いた私は、その言葉に甘えることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02-2

 頑丈な扉を開けると、縦横に広がる大きなバトルフィールドがあった。研究所の二階部分を丸々使うとか、贅沢だな博士。

 フィールドの中央に立つトレーナー二人は侵入者に気づく様子もなく、バトルに熱中しているようだった。

 目をぎゅっと瞑り、口からぺっぺと何かを吐き出しているフシギダネを応援しているのが妹のリーフ。対する反対側、イーブイの背後から少年は妹を見下し、余裕の表情で腕組みしながら立っていた。

 原作でいうと、あれがオーキド博士の孫でライバルになるのか。昔から思ってたけど、あの逆立った髪ってどうなってるんだろう。

 寝癖? それとも、毎日ワックスでせっせとスタイリングしてるの?

 そんなどうでもいいことを考えていると、フシギダネが攻撃に出た。僅かばかりに開けられた目では狙う目標を捕らえきれず、相手に簡単に避けられてしまう。

 

「頑張って、フシギダネっ」

「へへっ、そんな状態で闇雲に攻撃したって当たんねえよ」

「うるさい卑怯者!」

「ハッ! 砂かけは立派な技で、これはちゃんとした戦略だ。命中率を下げて、なるべくダメージを食らわない。トレーナーになったんなら、こんな初歩レベルの知識くらい知っておけよな」

「うう~っ……」

 

 まさにその通り。ライバル君が言いたいのはつまり、当たらなければどうということはない、ということ。究極理論だが、これほど強いものはあるまい。

 というか妹よ、昔教えなかったっけか? 勝てば正義、金的だろうが使えるものは何でも使えって。勿論、審判に見つからないようにだが。

 ……あれ、変質者対策に言ったんだっけ? まあいいや。

 ぶっちゃけゲームでも天候技が在る通り、実際のバトルだってフィールド内だったら何でも活用しちゃっていいんだよ。ただし、ゲームと違うところはアイテムの使用が禁止されていること。ドーピングは反則です。

 必死の攻撃も当たらず目に入った砂が痛むのか、フシギダネの目尻に涙が浮かんでいるのが見える。

 

「イーブイ、その泣きべそかいてる奴に体当たりを食らわせてやりな!」

 

 ライバルのその言葉に、今まで回避に徹していたイーブイが駆け出した。フシギダネに向かって走り、すれ違い際に体躯で横に押し出す。

 なるほど、体当たりが自分に被ダメージを食らわないのは自分のぶつけるところを考えている為か。突進や捨て身タックルの説明文を見て疑問に思っていたが、これでさらにスピードを乗せたら自分も危険を増すし、ましてやダメージ重視で急所にぶつかりに行ったら中々当たらない。

 攻撃力と命中率の違いがようやくわかった気がした。え、ポケモンを持ってるくせに何でそんなこと知らないんだよって?

 ここで残念なお知らせ。妹が無知なのと同じく、私もバトルに関してはほとんど素人と言っていい。ただし無駄に手持ちポケモン達のレベルは高い。何故かって?

 母さんがジャンボにバトルを教えて、次々と仲間になったポケモン達に戦闘訓練を施したのはジャンボ、最強軍団の出来上がり。ね、簡単でしょ? 

 バトルは後ろで見てればいいんだもん。指示なんてしたことがない。今まで私がトレーナーじゃなかったのが良く判るね。

 

「それ、もういっちょ!」

「避けてフシギダネ! ……ああ~っ」

 

 あれこれ考察している内に、2撃目の攻撃が頭に入ったのか、フシギダネはひっくり返って目を回していた。妹の初戦は黒星を飾ることとなったようだ。どんまい。

 パートナーに駆け寄って心配する妹と、こちらに気づいてイーブイを連れて歩いてくるライバル君。彼は祖父の横に見慣れない私を見て、警戒心を顕わにした。

 

「お疲れ様、そしておめでとう翠」

「グリーンだ。間違えんなよ、じっちゃん」

「すまんすまん、まだ慣れんでのぉ」

「そいつは?」

 

 訝しむ顔で見られたので、反射的に営業スマイルで応答する。

 

「はじめまして、妹のリーフがお世話になりました。レッドです、よろしくね」

「レッド君はこの歳でタマムシ大学の研究室に就職先が決まっておる。将来は儂の同僚じゃ」

「しがない研究員見習いだけど、今は妹と同じ駆け出しトレーナーだよ」

 

 怪訝そうにこちらをじろじろと見るグリーン。おいおい無礼だな。まあ、この年頃の男の子の扱いは微妙だから、気にするだけ無駄か。それともゲーム通りの自己中心的な性格なだけとか。近い内にバイビーとか言っちゃうの? ヤバイ面白そう、すっげー見たい。リーフにポケギアで録画頼めないかな。

 そして、フシギダネをモンスターボールに戻したリーフもこちらに合流した。姉妹と言えど久々の再会になるのだが、お構いなしに妹は私に泣きついた。おいこら、人前でみっともない。

 

「だって悔しいんだもん~っ、シンの馬鹿ぁ~!」

「はいはい、泣くのか怒るのかどっちかにしなさい。そんでもって、シンじゃなくてレッドな」

「レッドの馬鹿ぁ~!! 仇討ちして~っ!!」

「はぁ?」

 

 おいおい、何を言い出すのだマイシスター。

 呆れる私とは裏腹に、先ほど勝利したばかりのグリーンは調子に乗ってこちらを挑発してきた。

 

「いいぜ、かかってこいよ。どうせ妹と同じでお前も大したことないんだろ?」

「レッドっ! 私、売られた喧嘩は買って打ち負かせって昔あなたに教えてもらったわ!!」

 

 両者から向けられる視線に耐え切れなくて、分別ある大人に放り投げた。オーキド大先生、仇討ほど愚かなものはないとこいつらに教えてやってください!

 なのに博士はケラケラと笑って「青春じゃなあ」とか抜かしやがる。だめだこの人、研究者としては一流かも知れないが、教育者としては三流だ。

 諦めろ、と相棒にも目線で訴えられ仕方なくフィールドへと足を運ぶことに。

 

「ジャンボ、お前がやれって言ったんだからお前が行けよ」

「……チャー」

 

 面倒くさそうに前へと進む相棒の肩は落ちていた。おいおい、見るからにやる気ねえぞアイツ。私もだけどさ。

 お互い位置に着く。開始の合図はオーキド博士が務めてくれることになった。このジジイ、ノリノリである。男性はいつまでも少年の心を持つというが、まさにこの人のことをいうのではなかろうか。

 相手のイーブイは先ほどの勝利で興奮しているらしく、やる気満々だ。その持ち主のグリーンも、こちらを舐めてかかっているのがわかる。

 ちゃっちゃと終わらせよう。それに越したことはない。オーキド博士の開始宣言がバトルフィールドに響くと、即座に私は呟いた。

 

「先手必勝、軽めによろしく」

 

 開始と同時に相棒が逐電していたものが、合図と共に放たれた。目の前を走る電光に、グリーンは驚き指示を出せず、イーブイはもろに電撃を食らった。

 電気タイプのポケモンを見るのは初めてなのかな?

 

 人間が電気タイプと相性が悪いとされているのは、目に雷光が慣れていないからだ。かく言う私も昔、これに慣れぬ頃は毎日目をショボショボさせていた。今では突然の雷光に対応するべく瞼が全開になることはなく、よく狐目だとか言われるが気にしない。

 もうこれ癖なんだよね。周囲の電気タイプ持ちの人も誰もが通った道だと断言する。ちなみにグラサンと目薬は常時欠かせません。

 もう一つの特徴として、電気ポケモンに触るときは静電気が発生するが、気になるのは最初だけ。その内、逆にポケモンの方が電気を吸収してくれるようになるから、心地よいピリピリ感へと変化する。帯電体質の人は改善してしまうオマケ付き。どういう原理なのかは未だにわからない。

 

 一瞬のスパークに目が落ち着くと、そこには床で四肢を伸ばして痙攣しているイーブイがいた。あれ、ちょっと過剰攻撃すぎやしませんかねジャンボさん?

 

「もしかして怒ってる?」

「ピーカー」

「違うか。じゃあ、力の入れ具合間違った?」

「……チュ、チュウ?」

「よーし反省しようか」

「ピカピカチュー……」

 

 バトル終了と私の勝利がオーキド博士から告げられる。相対する必要のなくなったイーブイの傍まで行き、手持ちの麻痺治しを口に含ませる。すぐに呼吸がよくなり、自分の足で立てるようになった。よかったよかった。

 その肝心のトレーナーはというと、先ほどから呆然としていて全く反応がない。おいおい、自分のポケモンだろう。心配するなり手当てくらいしろよ。

 イーブイをピカチュウに任せて、グリーンの前で手を振ってみる。

 反応がない。こいつマジで大丈夫か? もしかして目をやられてまだ視界が戻ってないとか? 電気タイプ初めてっぽいし、ありえるな。

 もう一度、今度は肩も叩いて呼びかけてみる。すると、ビクンと反応して距離を取られた。

 

「…………こ、こんなのはビギナーズラックなんだからな! まぐれで俺に勝ったからって、いい気になるなよ!!」

「何がビギナーズラックよ! レッドはあんたより何年も前から旅に出て、ポケモン達を育ててきたのよ。あんたみたいなヒヨッコが敵うはずないじゃない!」

「そいつはお前と同じで、今日からトレーナーじゃなかったのかよ!?」

 

 リーフの言葉に、話が違うとばかりに今度は詰め寄るグリーン。忙しいやっちゃなあ。

 

「正真正銘、今日トレーナーカードをもらったばかりの新米トレーナーだよ。間違いありませんよね、博士?」

「儂がこの町の発行元になっておるからの。直接手渡したのじゃ、間違いない」

「……くそっ!!」

 

 一言捨てはいて扉から出て行くグリーン。それを慌てて追いかけるイーブイ。

 

「ピカピ~」

「ブイ!」

 

 手を振るジャンボに扉の前で振り返り、挨拶を交わすイーブイ。トレーナーとは裏腹に、ポケモン達はいつの間にか仲良しになっていたようだ。あのイーブイ、グリーンよりよっぽどコミュニケーション能力あるぞ。

 

「ほっほっほ! さすがじゃの、レッド君や」

「彼の言ったとおり、ビギナーズラックですよ」

「あのイーブイは去年、グリーンの誕生日に儂が送ったものでな。本当は今日、リーフ君らと同じくパートナーポケモンを授けようとしたのじゃが『俺のパートナーはこいつだ!』と拒否されてのぉ」

「仲が良いんですね」

「そうじゃな。あやつもトレーナーではなかったが、イーブイを鍛えることはしていたようでな。皆より早いスタートを切ったと過信していたのじゃろう。お主が見事に鼻を圧し折ってくれたおかげで、あやつのプライド高い心も少しは変わればよいのじゃが」

「狙ってたんですか」

「君が負けるはずがなかろう?」

 

 ニヤリと笑って言う博士に答えることなく、お邪魔しましたと告げてその場から退出した。

 またいつでもおいで、と博士は言うが当分は来ないだろう。大人って汚い。

 すたすたと廊下を抜けて、玄関まで来たところで背後から呼び止められる。

 すっかり存在を忘れていたリーフが、置いていくなんてひどい!とふて腐れながら、隣を歩いていたジャンボを抱えて横に並んだ。

 

「ごめんごめん」

「これからレッドもどこかに出かけるの? それともまた仕事?」

「……母さんに、私を越えるまでは家の敷居は跨がせないみたいなことを言われた」

「うわちゃー……母さん、昔からシンにはスパルタだったもんね」

「名前に戻ってるぞ。リング名で呼ぶ癖つけろって」

 

学習能力の低い妹の額に、デコピンを一発お見舞いする。ふっふっふ、両手を塞がれていては防げれまい。案の定、無抵抗で食らったリーフは恨みがましい視線を送ってきたが、無視して新しい話題を切り出した。

 

「そういやさ、母さんのトレーナー成績ってどのくらいか知ってるか?」

「確か前にカードを見せてもらった時……バッジの欄は全部埋まってたような」

「……それってカントーだけだよな?」

「…………ご愁傷様」

 

 空に顔を向けて、どこか遠い目をする私に妹と相棒はそろって肩を叩いた。

 最近やたらと私、哀れまれてないか? 主に相棒とか相棒とか……トレーナーの威厳もへったくれもないな。

 ため息を一つ吐いて、気分を入れ替える。もっと前向きに生きよう、そうだポジティブに行こう。

 

「最近忙しかったし、これを休暇だと思ってゆっくり観光しながらジム巡りでもしようかな」

「いいんじゃない? それより、よくあの父さんがトレーナー修行の旅なんて許したね」

「あ……」

 

 思わず足が止まった。脳内の思考も止まる。やべ、フィールドワークの報告をする時に、今後の予定を何も告げていなかった。

 どどど、どうしよう!? 今たてこんでる研究ってあったっけ、スケジュールなんて週単位で変わるから大学に行かないと分からないし、むしろ勝手に仕事入れられてたりしたら……!!

 傍から見ても挙動のおかしい私に、妹までも顔が青くなる。

 

「まさか……」

「……忘れてた」

 

 急いでポケギアを取り出して見ると、現在時刻は夕方の午後5時過ぎ。大学の受付はもう閉まっている。

 だめだ、研究室に直接電話しても繋がるはずがない。まず、あそこの連中は受話器を取ろうともしない。

 考えた結果、明日大学に電話することにした。それも朝一だ。最早それしか手はない。

 当面の方針は決まった。明日の予定もある。あとは体を休めるだけなのだが。

 

「家に帰れないとなると、野宿か宿屋、もしくはポケモンセンターか。

 急げば暗くなる前にトキワシティのポケモンセンターに着けるかな」

「ならトキワまで一緒に行こうよ! 久々の姉妹二人旅!」

 

 私の手を取り、嬉しそうに妹は言う。小さな頃はしょっちゅう二人と一匹で探検しに行ったっけ、と懐かしさを感じた。

 首を縦に振れば、よーいどん! と急に走り出す。手を握られたままだった私も、引っ張られれば慌てて追いかけることになる。

 「ひゃっほ~い」と楽しそうな声を上げながら、時折こちらを振り返りつつ最短ルートを駆ける彼女に、私も嬉しくなる。

 朝起きたら、いつの間にか狭い布団に一人と一匹が追加されているんだろうなと予想しながら、私たちはトキワに向かった。




【リーフ】
本名:日下部 万葉(くさかべ かずは)
年齢:10歳
身長:139cm
アレコレ:レッドとは双子の姉妹


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03

トキワシティ編


 翌日の早朝。私は大学の受付が開く6時半きっかりに電話をすべく、10分前からポケギアを片手に、床に正座して待ち構えていた。

 リーフはというと、朝に弱いにも関わらず珍しく起きており、何故か私のベリーショートの髪を指で梳いて遊んでいた。無理に付き合わなくてもいいのに。相棒はその妹の後ろ。わざわざイスを持ってきてそこに登り、妹の髪を編みこんで遊んでいる。

 なんだこの電車ごっこは。しかもジャンボの奴、いつの間にそんな器用なことを覚えやがった。道理でポケギアのネット履歴に『流行 編みこみ 人気』とか出るわけだよ。お前の性別は雄だと記憶していたはずなんだがな。

 

「レッドはいつも髪の毛短いままよね。せっかく綺麗な顔してるんだから、もっとお洒落に気を使えばいいのに」

「面倒くさい。そんなのに回す金があったら、もっと有意義なことに使う」

 

 本音を言うと、前世の性別が男だったせいで今でも女の格好に抵抗があるから。さすがに10年も女の体に付き合っていると嫌でも慣れはしたが、それでも精神は男のままな訳でして。自ら進んで女の格好をしたいとは思わないのだ。

 幸いなのは、この世界では男女が完全に平等だということ。いくら日本が男女平等を掲げていようとも、スーツでパンツスタイルを取る女性は“俺”が生きていた頃はまだ少なかった。今はどうかしらないが。当時の日本には、女性は女性らしくあるべきという慣習が根強く残っていた。

 それが、この世界では存在しない。職種に性別の向き不向きはあれど、男性が保育士をやろうが、女性がレスキュー隊にいようが、誰一人奇異の目で見ることはない。私が普段から男の格好をしようが何も問題ないのだ。それに救われた私は、幼いころから女の子らしい格好を拒み、男の子らしいスタイルを貫き通してきた。

 最近では双子の妹であるリーフがそれを気に入らないようで、もったいないと度々不満を言う。外見にこだわりだすお年頃なのだろう。私がこの格好をするのは今更だろうに。

 そういえば昔は、私達が二卵性であまり似ていない上に格好まで極端に違うことから、年の離れた兄妹みたいだとよく言われたっけ。

 軽くあしらうも、彼女はしつこく詰め寄ってきた。

 

「金銭関係でうるさく言う割には頻繁にカットしてるじゃない。伸ばせばお金はかからないわ」

「無料でカットしてくれる専属美容師がいるから問題ない」

「なにそれずるい!?」

「リーフも頼んだらいいじゃん」

「どこにそんな都合のいい人がいるっていうのよ」

「お前の後ろ」

「ピッカー!」

 

 残念、人じゃなくてポケモンでした。驚き振り返る妹が見たのは、自分だと胸を張ってアピールする我が相棒の姿。

 髪の毛を掴んだまま反転されたせいで、私まで後ろに引っ張られる。痛い、そして巻き込むな。

 仰向けの体勢から一人と一匹を見上げれば、見事な編みこみが施された髪型の妹がジャンボに対し、必死にカットをお願いする図が見えた。この世界に常識は通用しない、私は相棒と歩んできた人生でつくづくそれを感じる。

 ふざけている内に、予め1分前にセットしておいたタイマーが鳴った。いよいよだ。わたしは短縮で番号を呼び出し、時間に備える。

 デジタル時計を凝視し、数字が変わった瞬間にボタンを押す。

 しばらく待つと、機械的なアナウンスが呼び出しております、と告げてコール音が鳴った。

 ここからが正念場だ。うちの大学は様々な企業、研究機関から人気があり問い合わせの電話が殺到する。

 どこぞの通販のフリーダイヤルにも負けていないほどのオペレーターを抱えてはいるが、一件一件の通話内容がものの見事に長いので中々繋がらないのだ。確実を狙うなら、業務開始の朝を狙うしかない。

 コール音が10回を越えた辺りで『はい、タマムシ大学総合受付、楠木でございます』と繋がった。よっしゃあ!

 

「お世話になっております、タマムシ大学ポケモン学部の日下部真紅と申しますが、日下部教授はいらっしゃいますでしょうか」

『日下部教授ですね、かしこまりました。いつも通り、こちらから掛け直させてもらいますので』

「よろしくお願いします」

『では、失礼いたします』

 

 無事に通話を終えて、ふぅと息を吐く。安堵したのもつかの間、すぐにポケギアが着信を知らせた。

 画面を見ると、求めていた父親の名前が表示されていた。すぐに通話ボタンを押す。

 

「もしもし」

『おはよーシンク、父さんだよ~ん。この前の報告書に不備でもあった?』

「重大且つ急ぎの項目が一点」

『おっと、そいつぁいけない。何かな?』

「暫くトレーナー生活に集中しなければいけなくなったので、バイトができない」

『……ぱーどぅん?』

 

 昨日までの詳細を話すと、『そっか、母さんからの命令なら仕方ないな~……』と納得してくれた。

 絶対反対すると思ったのに、呆気ない引き際に薄ら寒ささえ感じる。明日は槍でも降るのか?

 

『あー、どうしよー……。次は双子島の生態調査に行ってもらう予定だったのに……研究室の皆になんて言おう』

「やっぱり次の仕事入れてたか……。連絡が遅れて本当に申し訳ない。どうにもならなかったら、それだけ引き受けてから出発するよ」

『いや、まだ論文の提出期限には余裕あるし大丈夫。外部の調査班を雇うまでもないし。気分転換に父さんが行ってこようかな~!』

「頼むから副室長の胃を痛めることだけはしないでね」

『わかってますって』

「さすがに急を要する事とか、事前に連絡いれてくれさえすれば手伝うこともできるから」

『あ、じゃあさ! 進路ってもう決めてる?』

「まだだけど」

『お月見山に行ってきてよ』

 

 おい待てコラ、それ何て原作フラグ。声が出ないほど衝撃を受けた私を無視して父親は話を続ける。

 『最近珍しい化石が出たらしいんだけど、泥棒も多いみたいだから気をつけてね!』とか、貴様それが娘に言う台詞か!

 こちらのことなどお構いなしで、他にも注文をたくさん付けていく父親。口を挟む隙を与えない猛口撃が、数日前の妹の姿と重なる。これは遺伝に違いないと、血の繋がりを垣間見た。

 

『それと、もし月の石を見つけたら絶対父さんにも見せてね!』

「はいはい……」

 

 目には見えないが、父親が声だけでも興奮しているのがわかる。この人は相変わらず根っからの研究者体質だなあ。かくいう私も、物事を追求するその性格は父親譲りとよく言われる。

 『達者でな~』と応援の言葉を貰って通話は終了した。

 

「山越えかぁ……」

「いきなりハードなスタート切るね」

「望んでやってる訳ないだろ」

「わかってますよ~」

 

 私はマゾじゃない。なぜか敷かれるレールが過酷で茨道なだけなんだ。ステータスがあったら絶対に幸運値が低いに違いない。

 

「私の行き先は決まったが、お前はどうするんだ?」

「おじいちゃん達の処に行こうかなって考えてる」

 

 なるほど。

 うちの母方の祖父母は、ハナダシティの郊外で育て屋を営む夫婦として有名だ。

 どんなポケモンでも、この夫婦の手にかかればパワーアップが可能。育て屋とは、言い換えれば戦闘のプロである。

 トレーナー初心者であるリーフは、まずバトルのいろはを覚えることから始めるらしい。とても良い判断だ。

 

「てことは、リーフとは此処でお別れか」

「寂しくなったら電話するね」

「たまになら出てもいい」

「もうっ、意地悪なんだから~!」

 

 電話には出不精でメールにも筆不精。人付き合いが悪い姉ですまんな。

 

「ジャンボはいっぱいメール送ってね!」

「ピッカー!」

「おいこら、通信費が嵩むからやめろ」

「なによ、母さんから餞別貰ったくせにケチくさいこと言わないでよね」

「チャー!」

「そうよ、ジャンボ専用のポケギアを買えばいいんだわ!」

 

 名案だとばかりに妹は手を叩く。ジャンボはというと、期待に目を輝かせてこちらをじっと見つめていた。

 まてまて、話が変な方向に脱線してるぞ。

 私は節約しろと言ったんだ。いくら電気ポケモンが手持ちにいるから充電の心配がないとはいえ、旅の中での消費は避けたい。それがどうして、ポケギアをもう一台増やすことになるんだ。

 

「頑固者め! そっちがその気なら、こっちにだって考えがある!!」

 

 リーフはそう言うと、どこかに電話をかけだした。

 

「もしもしお母さん? おはよう! あのね、ジャンボ専用のポケギアを買いたいんだけど」

「おぃいい!?」

「ピッカァアア!!」

 

 私の悲鳴と、相棒の歓声が不協和音を奏でる。

 こいつ、母親を味方に付けやがった。だめだ、勝敗は見えた。私の敗北しかありえない。

 ジャンボに向けてVサインをする妹と飛び跳ねる相棒を見れば一目瞭然だった。

 

「餞別にはジャンボの分も入ってるんだから、欲しがってるなら買ってあげなさいって」

「然様ですか」

「あと、契約者はレッドでいいけど講座は母さんの使っていいらしいから、本体料金だけ餞別から出せばいいってさ」

 

 それなら問題はなくなる。もともと一人で餞別を使おうなどとは思っていなかったし、相棒が欲しいものはなるべく与えてやりたい。

 費用も気にすることがないなら、私に異存はない。

 おいで、と手でジャンボを呼んで正面に立たせる。しっかりと視線を合わせながら、私は彼に問うた。

 

「ポケギア、欲しいか?」

「ピッカー!」

「自分のポケギアだからって遊びすぎないと約束できるか?」

「ピ、ピカチュピ!」

「ご飯の時にポケギアは使用禁止。寝る前もです。守れますか?」

「……チュ!」

「レッド、お母さんみたい」

 

 外野が何か言ってるが気にしない。

 世間一般では可愛いと称されるピカチュウの目が、今は心なしかキリっと見える。どうやら相棒の決意は固いらしい。その意思を尊重するのが親である私の務めだよな。

 

「……わかった。今日、ショップが開く時間になったら買いに行こう」

「ピカチュー!」

「やったー!」

 

 妹と相棒は揃って喜びの声をあげた。リーフ、お前自分がメールしたいから買わせただろ。あとで母さんにチクってやる。

 目の前で機種についてあーでもない、こーでもないと盛り上がる二人に、まずは朝ごはんを食べに行こうと呼びかけた。

 機種はご飯の後にじっくりと相談して決めてくれ。あまり高いものにするなよ、と釘を刺すのも忘れない。




【ジャンボ】
種族:ピカチュウ
年齢:8歳
身長:約80cm
体重:ヒミツ
性別:♂
アレコレ:日本語読み書き可能、掃除洗濯料理裁縫、家事スキル完備。相棒の女性らしさを担う趣味と特技のオンパレード。だがしかし、彼は雄である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04-1

 開店と同時を狙って、リーフとジャンボはポケギアショップに突撃していった。私は後からのんびりと追いかけたが、店に着くころにはすでに契約書にサインをするところまで進んでいたことに驚く。君たちどれだけ張り切っちゃったの。

 店を出て早速番号とアドレスを交換したら、リーフは急いで出発していった。

 

「すぐにレッドみたいに強くなってみせるんだから!」

 

 「またね~!」と元気よく手を振って走って行く妹の姿は、とても輝いて見えた。若いっていいね。あれ、私たち双子のはずだよな……? いいや、気にしないことにしよう。

 妹の見送りを済ませると、山越えのために必要な物を買いにショップに向かう。

 わざわざトキワで揃えずとも、勿論ニビにもショップはある。むしろ、向こうのほうが山に近いおかげで品揃えは多いといってもいい。だが、値段に差が生ずるのだ。

 これでも自称倹約家。向こうよりこっちで買うと安いものは先に買い込んで行きます。道中に最近こもっていたトキワの森もあることだし、多少多めに買っても消費は可能だ。備えあれば憂いなし。

 三軒ほど店を周り、購入した商品はすべてある所へと配送を頼んだ。

 

「あとはフレンドリィショップぐらいかな」

「ピー、ピカピー……」

「どうした?」

 

 ジャンボが情けない声と共に、買ったばかりの彼専用ポケギアを見せてきた。まさか買って早々壊したのか!?

 違う! ここ、ここを見て! とデジタル時計を指差す相棒。時間はちょうどお昼時。なるほど、腹減りコールでしたか。失礼しました。

 「何が食べたい?」と聞くと、彼は珍しく私の背中に乗ってきて、首元から前方右方向にあるハンバーガーショップを指差した。妹が旅立っちゃったから、寂しくて甘えてきてるのかな。愛いやつめ。

 仰せのままに、うちのお坊ちゃんをおんぶしながら店に入る。お昼の時間帯なだけあって店は込み合っていた。レジにも長蛇の列が並んでいる。

 

「あちゃー……もう少し早めにくるべきだったな」

「チャー……」

「しゃーない。席取りよろしく。食べたいものはメールして」

「ピッピカチュー!」

 

 役割分担をして、私は列に並んで順番を待った。

 並ぶこと5分。ようやく回ってきた会計を済ませて商品を貰い、注文と一緒に送られてきたテーブル番号の席へと向かう。

 途中でガラの悪いグループが集まって食事をしているのが目に付いた。チラリと視線を向けると、十代後半のやんちゃ盛りで派手な格好をした男たちだった。いるよなー、そういう奴ら。

 公共のマナーなどおかまいなしに騒ぎ立てる彼らに気分を害しながら、テイクアウトにするべきだったと後悔する。

 食べ物に恨みはないと割り切り、早足で席に着いた。こちらに手を振って出迎えてくれた相棒の頭を撫でる。テーブルには、二人分の手拭きが用意されていた。うちの子最高。

 さあ食べよう、とイスを引いたところで店内の一角から悲鳴があがった。

 さっきの奴らがいる辺りから響いたそれは女の子のもので、すぐに男たちの下衆た笑い声にかき消される。

 

「ちょっと行ってくる」

「ピカピ?」

「一人で大丈夫だよ。冷めない内にポテト食べちゃいな」

「ピッカー」

 

 デザートのアップルパイは最後だからダメだぞ、と言い残して声がする方向へと向かう。

 現場は一人の女の子を囲む男たちが7人、誰も助けようとせず店員さえも遠巻きに見ているだけだった。

 いくらなんでもそれはないだろ……。私は女の子に詰め寄る男たちに向かって、歩きながら声をかけた。

 

「すみません、その子ツレなんでこっちで引き取りますね」

 

 突然出てきた私に向かって7対のいかつい視線が向けられる。残念だったな、そんなもので怖気づくほど私は軟な育ちをしていない。

 進む足取りは止まらず、男たちの輪へと入っていく。

 

「はぁ?お前いきなりなんだよ」

「しゃしゃり出てんじゃねーぞ小僧!」

 

 怒鳴りながら向けられる暴力をひらりとかわして、余裕を見せながら悠々と女の子の元まで歩いていく。

 

「ふざけんじゃねーぞ!?」

「なめんなよクソ餓鬼!!」

「はいはい、失礼しますよっと」

 

 全員がこちらに向かってきたおかげで、女の子がフリーとなった。これはチャンスだ。

 殴りかかられるも全て避けた結果、自滅して机にぶつかる者や床に転がる者が出来上がる。それらを無視して、呆然としている女の子の手を掴む。

 ビクりと痙攣して恐怖を示されるが、視線を合わせてくれたので警戒心を解くようにニコリと笑う。強張った表情が少しだけ解けた彼女に私は囁いた。

 

「向こうの奥にピカチュウが座ってる席があるから、そこで待ってて」

「え……?」

「ほら早く、行って」

 

 女の子を無理やり通路側に押し出すと、彼女は一度こちらを振り返るが、私の余裕の笑顔を見るとすぐに駆けて行った。それでいい。

 さて、と内心呟きながら男たちの方を見ると、全員が血走った目でこちらを睨んでいた。店内にあったイスを掴んで、今にもこちらに投げそうな奴までいる。

 

「おいおい、店内では静かにって親から習わなかったのか?」

「ざけんじゃねえ!!」

「この落とし前、どうつけてくれんだぁ? アァ!?」

 

 完全にこいつら頭に血が上ってるな。揃いも揃って常識のない連中め。世界は違ってもこういう輩は存在するんだな。

 と、ここでようやく店長らしき人が出てきて「お客様、店内での暴力沙汰は警察を呼びますよ……」とびびりながら発した。

 それがまた彼らの火に油を注いだようで「じゃあかしいわボケ!!」と大声で怒鳴る男達。店長は泣き出しそうな目をして、逃げるように厨房へと入っていった。いい歳した大人だろうが、情けないなあ。

 はぁ、と自然にため息が漏れたところで、男たちの一人が掴みかかってきた。それを交わして腕を捻り上げる。

 苦痛の声を上げる男を無視して、後ろの集団に向かって言う。

 

「とりあえずさ、他の人の迷惑になるから外に行かない? こっちとしてもお腹減ってるし、さっさと終わりたいんだ」

 

 捻りあげた男を引きずりながら扉へと向かう。これを挑発と受け取ったのか、他の奴らは顔を真っ赤にして後ろから走ってきた。咄嗟に掴んでいた男を突き出すように投げる。すると見事な同士討ち。通路でやってしまったのは申し訳ないが、野次馬共はとうに後方へと避難済みなので周囲に被害はない。

 この後どうするかな、と考えた矢先にパトカーのサイレンが近づいてきた。どうやら誰かが通報してくれたようだ。これで一安心と思う一方、どう被害者だと説明するか一抹の不安が脳裏をよぎる。

 すぐにジュンサーさんを筆頭に、警察官が大勢店内に入ってきて男たちを取り囲んだ。ファーストフード店ならば我が物顔をできる男たちも、さすがに国家権力には気後れるようで、彼らは水を打ったように静かになった。

 明らかに年齢の違う私だったが、側にいても彼らの仲間には数えられていなかったようで安心した。被害者だと思われたのかな?

 何も聞かれない内にさっさとその場を後にする。誰にも止められることなく店の外に出ると、相棒と先ほどの女の子が待ち構えていた。

 ジャンボの両手にはテイクアウト用の紙袋がしっかりと抱えられている。あの状況を判断して、テイクアウト用の袋を貰って外で待機してくれていたようだ。さすが相棒、いい仕事するぜ。

 ありがとさん、とジャンボの頭を撫でていると横にいた女の子が話しかけてきた。

 

「あの……さっきはありがとうございました!」

「いや、気にしないで。それより、君の方こそ大丈夫? 被害届とか出さなくて平気?」

「大事にして、親に知られたくないので……」

 

 聞けば、親の反対を押し切って最近トレーナーになったばかりだという。お互い自己紹介をする時にトレーナーカードを見せあったら、彼女も発行元がマサラタウンのオーキド研究所となっていた。

 もしかしてと思い詳しく訊ねると、彼女は博士と懇意な関係で、旅に出たいという希望を叶える条件として研究の手伝いを請け負ったそうだ。

 前世の子供時代に流行った玩具と全く似て非なる、本物のポケモン図鑑を見せられ私は混乱した。なぜなら、彼女の名前はブルーというのだ。

 えっ、主人公ってうちの妹じゃなかったの? 一体どういうこと……!?

 そんな懸念事項を掘り下げる時間を、相棒は与えてくれなかった。

 

「チュゥウウ……」

「あ、悪い悪い。昼ご飯が先だよな」

 

 相棒の空腹を切なげに訴える目線には適いません。天気もいいことだし、中央公園の広場で食べようかと提案して、ジャンボから荷物を奪う。

 身軽になった手で傍らの少女をぐいぐいと引っ張るジャンボ。戸惑う彼女に、相棒の意を伝える。

 

「よければお昼、ご一緒しませんか?」

「いいんですか?」

「こいつもそう言ってますし」

「ピッピカチュ!」

 

 早く行こうと先頭を行く相棒を追って、私たちも歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04-2

 あれからすぐに移動した私たちは、目的地のトキワ中央公園へと来ていた。

 大きな噴水が見える広場にはたくさんのベンチが設けられており、その一つへと腰掛ける。

 冷めかけた昼食を二人と一匹で分け合うと、ブルーが神妙な顔つきで口を開いた。

 

「改めて言わせてください。先程は助けていただいて、本当にありがとうございました」

 

 そう言って彼女は深々と頭を下げる。気にしないで、と一言告げると、下からおずおずと覗き込まれた。

 

「レッドさんは強いですね。私とあまりかわらない年頃に見えるのに」

「そんなことないよ。君もポケモントレーナーなんだし、これからたくさん学んで強くなれば、その内あんな奴らに怖気づくことなんてなくなるさ」

「強く……ですか」

 

 どこか遠い目をして呟く彼女からは不安しか感じない。こういう時に、ついお節介を焼きたくなっちゃうのは悪いことなのだろうけど。

 ブルーの落ち込んでいる頭をポンポンと叩いて、あえて気安く声をかける。

 

「大丈夫だよ。誰だって最初は不安や戸惑いを感じるものだ。それに、君はもう一人じゃないだろ?」

 

 ブルーの肩掛け鞄に付いているモンスターボールを指差す。

 すると、ようやく彼女の表情が明るくなった。

 

「好きなんだね、ポケモン」

「はい!」

 

 聞けば昔からポケモンが好きで、どうしてもトレーナーになりたかったブルー。そんな彼女と違い、両親は普通のサラリーマンに主婦で、ポケモンにあまり理解がない人たちらしい。

 幼い頃から押し付けられた勉強漬けの毎日に不満を感じていて、家を抜け出しては親に内緒でオーキド研究所に行きポケモンたちと触れ合っていたそうだ。

 

「いつか絶対にトレーナーになって、あの家を出るんだってずっと心に決めていたんです」

「よかったね。夢が叶ったんだ」

「でも、現実はやっぱり厳しいですね」

 

 ブルーは胸の内を静かに語った。

 親の反対にあいながらも、トレーナー講習に通って必死に資格を取った。旅の道具も費用も、こつこつとお小遣いを貯めて頑張って用意した。

 それでも、誰の支援も無く旅を続けるのは、10歳の子供にとって肉体的にも精神的にも辛いものだった。

 

「まだ旅立って一週間も経っていないのに、もう挫けそうなんです。あんなに夢見てた一人立ちなのに、今まで勉強してきたことが何一つ役に立たない。

 私は何も知らない子供だったんだなって、実感しました」

 

 無理もないと思う。いくらポケモン世界に生きているからといって、町の中で普通に暮らしていれば野生のポケモンなど滅多に見かけることはない。旅の知識も実践となれば勝手が全く違ってくるだろうし、経験で覚えていくしかできないことだって山ほどある。

 この世界の科学水準は前世と違い抜きん出ている。しかし、それは街中に限ること。人里から一歩出れば、野生の王国がこの世界なのだ。

 最近では、10歳でポケモントレーナーになる子供たちの約7割は出戻ると全国統計データが出ている。それ程、旅とは厳しいものだ。誰もが夢見る旅立ちは儚い思い出となり、パートナーポケモンはいつしかペットになる。それがこの世界での通過儀礼となりつつある現状だ。

 彼女も今まで生きてきた自分の世界とは桁違いである未知の世界を体験したといえよう。その不安、恐怖に後ろを振り返りたくてもできない、家を飛び出した自分には誰も頼る人がいない。追い詰められた状態で、精神が不安定になっていても仕方あるまい。

 そんな矢先に先ほどの事件だ。正直この歳で泣かないだけでも十分すぎるくらい、相当この子のは我慢して頑張っていると思う。

 暗い影を落とす彼女に、相棒も心配してよしよしとブルーを慰める。

 

「あはは、ありがとう」

「ピカチュ」

「この子、すごく優しいですよね」

「自慢の相棒だからな」

「チャ~」

 

 ジャンボと戯れるブルーは傍目から見ていても凄く楽しそうなのが伺える。

 これだけ極限な状況だろうとリタイヤを選ばないのは、ひとえに彼女のポケモンに対する愛ゆえだろう。同じトレーナーとして、尊敬の念を抱く。

 

「レッドさんは、これからどうするんですか?」

「お月見山に用があるんだ。方角としては、ニビ方面かな」

「ニビシティって、ジムがありますよね」

「んー……どうだろう。挑戦するかは今のところ未定」

 

 下手に原作通りに進まれては困るんだよ。命の危険的な意味で。秘密組織に狙われるとか、凍死の恐れとか。

 でも、母さんから好成績を修めろって言われてるんだよなぁ……。だとすると、バッジくらいは取っておいてもいいかもしれない。要はセキエイリーグに行かなければいいんだよな!

 思案する私に、ブルーも当初の目的を語る。

 

「私も最初はニビシティを目指していたんです。トレーナーになったからには、バッジを一つでもとって親を見返してやりたくて」

 

 その言い方は、聞きようによっては彼女の今後を勘繰ることができるものだった。

 それを悲しいと感じるには、まだ私たちの関係は薄い。

 だが、ここで知り合ったのも何かの縁だろう。私はブルーに一つの提案を持ちかけた。

 

「もしよければ、ニビシティまで一緒に行かないか?」

「えっ」

「君さえよければ、だけど。これでも旅の経験は多いほうだから、道中色々教えれると思う」

「でも、ご迷惑になりますし……」

 

 戸惑うブルーを見て、なんとなくわかった。この子は、人を頼ることが苦手なのだろう。今まで一人で何でもやってきたせいか、差し出された手を取ることに躊躇いを感じているのだ。

 

「まだ諦めるには早いんじゃないか。せっかく叶った夢なんだろう?」

 

 そう聞けば、彼女は固まること数秒、突然両目から静かに涙を流し始めた。

 なんで!? 今の発言のどこにNGワードがありましたか!?

 おろおろする私は目の前の少女以上に、相棒からの威嚇が怖い。違うんだジャンボ、わざとじゃないんだ。私に女の子を泣かす趣味は断じて無い。

 

「ごめん、言い過ぎた……無理強いはしないから、嫌なら止め」

「嫌じゃないです!!」

 

 全部言い切る前に、大声で拒否された。あれ、じゃあこれって承諾なのか?

 とりあえず、ブルーの止まらない涙のためにハンカチを渡す。

 ぐずりながらこちらを伺い見る彼女の顔は真っ赤で、ようやく年相応の女の子に見えた。

 

「私、まだトレーナーの道を諦めなくていいんでしょうか」

「当たり前だろ。君はまだまだこれからなんだから、絶望するより期待に胸を膨らませておきなさい」

「ふふっ、なんだかレッドさんて面白い言い方しますね」

 

 始まってすらいないのに諦めるのはバカのやることだ。まずは一歩、そしてまた一歩。とりあえず10歩は歩いてから考えなさい、とは偉大なる母の言葉である。さすがです母上、伊達にジムバッチ制覇しているわけありますね。

 こうして私たちは、ニビシティまで一緒に旅をすることとなった。旅の同行者が増えたことに、相棒は素直に喜んだ。ポケモン好きのブルーは連れ歩くジャンボとの触れ合いに味を占めたのか、さっそくベッタリだ。一人仲間外れな気もしないが、ここは精神年齢年上の私が譲るしかあるまい。さ、寂しくなんてないんだからな!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04-3

 そして私たちはフレンドリィショップへと来ていた。

 トキワの森は徒歩で一日半、自転車だと朝から出発して夜には抜けれるくらいの距離がある。ブルーの移動手段は徒歩なので、それに合わせた買い物をしなければならない。

 ポケモン図鑑の収集もしなければいけないので、モンスターボールは多めに購入しよう。傷薬は勿論、森には毒タイプの虫ポケモンがいるので、その対策に毒消しは必須だ。

 

「たくさん買い込む必要があるんですね……」

「旅の途中に都合よくポケモンセンターがある訳じゃないからね」

 

 ポケモンは生き物だ。トレーナーとはそれを管理して育てる者のこと。命を扱う職業上、責任を持って行動しなければいけない。

 新米トレーナーにはそこらへんの意識がやっぱり足りていないんだよね。一度失敗して痛い目をみれば身にしみるのだろうけど、それだと被害を受けるポケモンが可哀想だ。

 そう説明をすると、ブルーは心に留めるようにしますと理解してくれた。幸い、目の前の少女には倫理観がきちんと備わっているようで安心した。

 随時説明を加えながら、てきぱきと籠の中に商品を入れていく。お次はポケモンフードのコーナーへ。

 

「普段どれ使ってる?」

「えと……この子がいつも食べていたものを博士がくれたので、今はそれを与えています」

「ということは、まだ好みがよくわかっていないか」

 

 私はブルーに一度外に出て、ポケモンを連れて此処に戻ってくるように言うと、先に自分用のポケモンフードを購入して彼女を待った。

 彼女のパートナーはゼニガメだ。うちの妹がフシギダネだったので、残った二択のどちらかだとは思っていたが、ニビジムに挑戦するならばゼニガメで大正解だ。決してヒトカゲがいけない訳ではないのであしからず。

 会計が終わるタイミングで、ゼニガメを腕に抱えたブルーが店内に入ってくる。ゼニガメは見慣れない場所だからか、きょろきょろと視線をさ迷わせていた。私の視線が合うと、ピキンと固まってしまう。この反応は、緊張してるな。

 警戒心を解すように、営業スマイル全開で自己紹介をする。

 

「はじめまして。これから暫く旅を共にするレッドです。こっちは相棒のピカチュウで、愛称はジャンボ」

「ピッカー!」

「この子はゼニガメのモニカです。私にもまだちょっと人見知りなんですが、慣れるまでよろしくお願いしますね」

「女の子?」

「はい!」

「なら、うちのカロッサと仲良くできそうだな」

 

 手持ちにカメックスがいることを話すと、ブルーとモニカは揃って舞い上がった。

 これでも初代御三家最終進化体が手持ちにいますからね。育て方はわかっているつもりだ。色々と教えてあげられると言った言葉は、口から出任せではない。

 フードコーナーに行き、まずゼニガメに好きなものをいくつか選ばせて、今度はそれに合わせて補助的なものを買っていく。

 

「栄養面を考えるなら、こちらの方がいいのでは?」

 

 そう言って彼女は、一番目立つところに置かれていた新商品の『これひとつで完璧!ポケモン専用マルチ健康食品』を指差す。

 

「じゃあ逆に考えてみよう。たとえ栄養がきちんと摂取されるからといって、君なら毎日ブロック状の健康食品ばかり食べたいと思うかい?」

「あ、なるほど……!」

 

 栄養面を考えて言ったのだろうけど、私がパートナーをわざわざ連れてまで選ばせた意味に気づいていなかったようだ。

 

「誰にだって好みはあるよね。勿論ポケモンにだって。

 この子はこれから進化だってする、いわば成長期なんだ。たくさん食べて強くなってほしいなら、この子の好きな物を選んであげないといけないよ」

 

 食べない物を買っても意味はない。それがいくら高級なものだろうと栄養面で優れていようと、食べるポケモン自身が拒否しては意味がないのだ。お金も勿体無いしね。だったら最初から好きなものに合わせておくに限る。

 これは初歩的なことだが、すごく大事なことでもある。とくにポケモンが大きく成長してしまう前なら一緒に店で選べれるし、関係も最初から良好なものを築くことができる。誰だって胃袋を掴まれれば弱いものだ。それと同じ。でも甘やかしすぎには注意。

 

「そういえば、ジャンボ君は普通に私たちと同じものを食べていましたけど」

「ポケモンによるけど、人間と同じものを食べても問題はないよ。与えすぎはいけないけどね」

 

 ちなみにうちのジャンボはポケモンフードを食べません。三食すべて私と同じ人間食です。良い子は真似しちゃだめだよ。

 ポケモンによっては食べちゃいけないものがありますので、きちんと把握していない限り人間食を与えることは滅多にない。本当はジャンボもダメなのです。

 うちのジャンボの場合何がいけないのかというと、塩分過多。でも人間と同じ要領で私が育ててしまったため、私が食べないものは彼も食べようとしない。これは私が育て方を間違えたと言わざるを得ない。

 それに気づいた時は慌てて病院に連れて行ったっけ。あの頃は毎月健康診断に行っていた。今では年に数回行くくらいだけど。結果的に今まで一度も異常値は出ておらず、むしろ栄養たっぷりですくすくと育ち、標準値を大きく上回る大きさへと育ちました。肥満にあらず。

 納得したブルーは、この機にモニカとフードコーナーでじっくり好みについて考えるそうだ。その間、私ももう一度店内を見て回ることにした。先ほど買い物を済ませてしまったので、今度は相棒の気が向くまま足を運ぶ。

 店内の隅の方にあった特価コーナーをジャンボが見つけると、一緒にワゴンの中身を物色する。掘り出し物はないかな、とバーゲンのおばちゃん気分を味わっていたら相棒に肩を叩かれた。ワゴンの上に乗った彼の手には一つのキャスケット帽が。シンプルながら、形はしっかりしていてワンポイントが利いている。特価コーナーに置いてあるにしては良いものだ。

 

「さすが。お目が高い」

「ピッピカチュ!」

 

 お前本当にセンスいいな。彼に一度全身コーディネートを頼んでみたいと言っていた妹の言葉も嘘でないとわかる気がした。

 それを持って、まだフードコーナーにいるブルーの元へと向かい声をかける。

 

「決まった?」

「はい、お待たせしました」

 

 そう言う彼女の籠は先ほどより大分重くなっているように見えた。これはまた、たくさん選んだな。

 満足気な顔をしているブルーに、相棒の選んだ帽子をかぶせてみる。

 

「うん、似合ってる」

「……予備の帽子ですか?」

 

 確かに私は帽子を被っている。野球帽のような男の子が主に使う鍔つきキャップだ。

 彼女の頭から帽子を取り、ついでにブルーから籠を奪って会計にまで向かう。

 慌てて後ろから追いついてきた彼女が財布を取り出そうとしていたが、それよりも先にカードで払ってしまう。

 驚く彼女を無視して、買った物を袋に適当につめて店を出る。荷物はポケモンセンターで整理すればいい。

 

「あのっ、お金!」

「買わせたのはこっちなんだから、出すのは当然だよ」

「そんなことないです!!」

「いいから、気にしないで」

「でも……」

 

 納得のいかない彼女に、じゃあニビについたら何か奢ってよ、と渋々だが諦めてもらう。

 これでもカードが作れちゃうくらいにはちゃんと働いてるのです。この世界って凄いよね、年齢の概念は一体どうなっているのだろう。私にとっては都合がいいのだけど。

 袋からキャスケット帽を取り出すと、タグを取って彼女の頭に被せた。

 

「はい。あげる」

「えっ……!?」

「気に入らなかった?」

「そ、そんなことありません!!」

「なら、もらってよ」

 

 旅に帽子は必須だと私は勝手に思っている。いや、これが実際凄く便利なんですよ。森とか洞窟とか、頭部を守るだけじゃなく落下物からの汚れを防ぐのがとても有難い。虫とか鳥の糞とか砂埃に水滴、挙げたらきりがないな。

 ブルーは見たところ持っていなさそうだったので、少しばかり老婆心が疼いてしまいました。同じ新米トレーナーだけど、旅の先輩としてささやかなプレゼントです。

 黒いキャスケット帽は色素の薄い髪のブルーにとても似合っていて、少し大人っぽく見えた。この出来に、選んだ相棒もご機嫌な様子。

 赤くなった顔を隠すように、彼女は帽子を少し下げて呟いた。

 

「ありがとうございます……」

 

 その可愛げな反応に、ついブルーの頭を撫でてしまう。後から気づいたけど、これってどう考えても相棒にする癖だよな。私は悪くない、ジャンボがあざとすぎるのがいけないのだ。うちの子が愛しすぎて辛い。

 モニカをモンスターボールに戻して、ポケセンへと向かおうとしたブルーに待ったをかける。

 

「最後に一箇所寄って行きたいところがあるんだ。いいかな?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04-4

 『トキワオートサービス』の看板を掲げた店の裏にまわり、工場で愛車のメンテナンスをしてくれていた壮年の男性に声をかける。

 

「おやっさん、チェック終わってる?」

「おう、シン坊か! いま終わったところだよ。ついでに目に付いたところは直しておいたぜ。荷物が全部届いてるか、カミさんとこ行って確認してきな!」

「了解」

 

 ここで待っているようブルーに言って、裏から店の中に入る。ジャンボはおやっさんの背中にくっついていたので置いてきた。いつものことだ。

 裏口から入っておかみさんに一言声をかけると、鍵を持ったペルシアンが駆け寄ってきた。勝手知ったる常連なので、受け取ったそれを持って倉庫へと向かう。

 中に入ると、財布からレシートを取り出して荷物と照らし合わせる。途中で、おかみさんがペルシアンと一緒にやってきた。

 

「今回は多いねシン坊、どこか遠くに行くのかい?」

「ちょっとお月見山まで発掘にね」

「山越えかい!? そいつぁ大変だ!!」

 

 ちょっと待ってな、とおかみさんは走って店にまで戻っていった。相変わらず元気な夫婦だなあ。

 待っている間に、倉庫に置いてあるカートに確認し終わった荷物をすべて乗せておく。手が空いた時を見計らってペルシアンのルビーが擦り寄ってきた。喉元を撫でてやると、ごろごろと甘えた声をあげる。

 親子二代に渡って利用しているこの店とは家族のような付き合いをしており、店主夫婦から私は我が子のように接してもらっている。ルビーとも長い付き合いで、ジャンボのよき友達である。

 ルビーの毛並みを堪能していると、バタバタと大きな音を立てて大き目の紙袋を片手に持ったおかみさんが倉庫に入ってきた。

 

「お待たせ! これ持っておいき!」

 

 渡された紙袋の中にはたくさんの様々なパンが入っており、奥の方にはしっかりと密封された長期保存パンまで入っている。

 結婚してこのお店に入るまではパン屋で働いていたおかみさんは、週に何度か自分でパンを焼く。結構な頻度でおすそ分けを貰うのだが、こんなに量があるのは初めてだった。

 

「ちょ、これ多くない? こんなに貰っていいの!?」

「当たり前じゃないか。今更なに遠慮なんかしてんのさ。

 いや~昨日作っておいたんだけど、ナイスタイミングだったね!」

 

 そう言って豪快に笑うおかみさんもだが、メンテを頼んだはずが修理までしてくれるおやっさんも大分気前がいい。まったく人が良すぎる夫婦だ。

 次に来る時はお土産をたくさん持ってこようと、心にしっかりと刻む。後で裏に行くから、とおかみさんはルビーと一緒に店に戻っていった。

 荷物を乗せたカートを持って裏手まで行くと、まだジャンボを背中にくっつけたままおやっさんがブルーと話していた。

 

「おう、待ってたぜシン坊! もう少し遅けりゃ嬢ちゃんにシン坊の昔話ができたんだがな」

「しなくていいから。

 ジャンボ、そろそろ離れなさい。おやっさん疲れちゃうでしょ」

 

 おやっさんの背中にくっついていたジャンボはもぞもぞと移動して、降りるかと思いきや今度は正面からくっついた。

 おいこら、なにしとんじゃい。呆れる私とは逆に、おやっさんは大爆笑。笑い声に釣られたおかみさんもやってきて、ひしっと抱きついて離れないジャンボを見て大笑いする。

 

「ジャンボ、いい加減にしなさい」

「ええてええて、気にすんなや!」

「すみません……」

 

 そこに遅れてルビーがやってくる。ニャァ~ンとジャンボに向かって一声あげると、ジャンボは飛び降りてルビーに駆け寄った。

 

「あれま、振られちゃったわねアンタ!」

「ルビーにゃかなわねえわな、ワッハッハ!」

 

 豪快な夫婦にブルーはたじたじで、先程から一言も喋っていない。まあ、圧倒されるよね。それだけの貫禄がこの二人にはあるよ。

 とりあえず、私はカートの荷物を愛車に詰め込む作業を開始する。ひとしきり笑ったおやっさんは折りたたみ椅子を持ってくるとブルーに渡した。おかみさんは店の中に戻っていく。きっと飲み物を取りに行ったのだろう。

 

「さっきも話してたんだがな、シン坊は色々と規格外だってよお。神童ってやつかねえ?」

「別に、このくらい世界中で探せばいくらでもいるよ」

「お、ついに生意気な口きくような年になったか!」

「なんでそこで喜ぶのさ……」

 

 気にせず手元を動かしていたら、視界に影が入り込む。視線を上に上げると、ルビーが背中にジャンボを乗せてこっちにやってきた。近づいた相棒は手を差し出す。

 何が欲しいかなんて会話できなくてもわかるので、無言で手渡すとまた作業に戻った。すると、途端に背後がうるさくなる。

 

「なんだなんだ? もしかして、ジャンボ専用のポケギアか!?」

「ピッカー!」

「マジでか! おーい、ジャンボがポケギア持ってんぞー!!」

「なんだってー!?」

 

 またもや大きな音をたてておかみさんがやってきた。振り返って見ると、持ってきたお盆の上には麦茶のグラスが五つ。よく走って零れないな。

 一人一人にグラスを手渡したおかみさんは最後にジャンボにグラスを渡すと、ポケットから自分のポケギアを出した。

 

「アドレス交換しましょ!」

「ピッピカチュ!」

 

 随分と楽しそうだな。ふんだ、私は一人で黙々と作業しますよーだ。

 お茶を飲み干して愛車に向かおうとしたら、今度はブルーが側に寄ってきた。

 

「何か手伝いましょうか?」

「大丈夫。待たせてごめんね、もう少しで終わるから」

「レッドさんて、オートスクーターの免許持ってたんですね」

「仕事でなにかと遠くにいくから、必然的にね。義務教育は通信で終わらせれたし、時間もあったから」

「通信なんですか!? え、凄い……」

 

 驚くことなかれ。この世界の義務教育はその名のとおり、前世の義務教育とまったく同じ。つまり、10歳までに中学三年までの内容を教えられるのです。二次関数を10歳でやんなきゃいけないとかなにその地獄。この世界には空気中にプロテインではなく、DHAが含まれてるのではなかろうかと、一時期血迷った考えを持ったことがある。

 それを通信課程で終わらせるというのは、相当ハードな道のりなのだ。だって教えてくれる人いないんだよ。基本はテキストとにらめっこ。定期的なテストさえ合格すればOK。その基準もまた学校とは違って厳しいんだな。

 前世知識と柔らかい子供脳、さらに父親の大学仲間という勉強においての専門家を味方につけて、見事難関を乗り越えた私。全課程を終えたのは半年前なんだけどね。5歳から始まる学校に行ってないから、その間バイトをしながら勉強をしていたと考えれば物凄く頑張ったと思うんだ。免許も取ったし。

 運転免許証は少々の講習とテストさえ合格すれば簡単に取れる。この基準は大人にとっての簡単ですけどね、まず子供では無理だ。取得可能年齢は8歳から。生前じゃ考えられないよな。

 そもそもこの世界では10歳で旅立つ子供が多い。それを考慮しての免許取得可能年齢なんだろうけど、10歳以下で取れる人は極僅か。何が難しいって身長が足りないんだよ。私でも一年前にようやく145cmを超えたから取りにいけた。今は154cmあるおかげで大分乗りやすい。

 わかりやすい尊敬の念を向けられながら、内心ではチートでもないのに湧き上がる罪悪感で、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。普通に暮らしていたつもりなんだけどなあ……こんな風になるつもりはなかったのに。大体父さんのせい。

 

「じゃあ、これは借り物じゃなくて……」

「正真正銘、シン坊のスクーターさ! しかも特別仕様のオーダーメイド!」

「ええっ!?」

 

 一般車よりも大型で、荷物容量が総重量最大200kgと多目な仕様。備え付けのタンクに水は30ℓまで保存が可能だ。

 電気スクーターはあまり長持ちしないと世間から嫌われているが、利便性は高い。なにより浮遊可能なのが旅にとってはありがたい。デコボコ道を通る時などは大助かりだ。ただし水面上では浮遊できず、地上限定だが。

 浮遊幅は停止状態なら最高で2m、走行中は1m以上浮いていると動かない仕組みになっている。限界傾斜角度は上下35度まで。

 ジャンボが定期的に充電してくれるので燃料面での問題はない。

 スピードは一定で時速5km。大人の歩く速度程しかでない。これには理由があり、野生ポケモンの飛び出しを警戒して定められている。規定で定められているので全車共通だ。急ぐ人は自転車をどうぞ。

 長期のフィールドワークになると、ベースキャンプを作ることが多いのでタープなど荷物が多くなる。そのため父親に免許の取得を強請ったら、費用と一緒にスクーターまで用意してくれました。落ちるわけにはいかなくなったよ、とんだプレシャーをかけてくれたもんだ。まあ一発で合格しましたけど。

 旅慣れている理由をおやっさんがブルーに話していると、彼女は混乱して訊ねた。

 

「でも、トレーナーカードの発効日は私と一緒でしたよ!?」

「そりゃ、トレーナーになるには年齢制限があるからな」

「よくよく考えたら、トレーナーになったばかりなのに手持ちが6体とかおかしいじゃないですか!」

 

 貰ったりすれば別におかしくはないんだよ。私の場合はちゃんと育てたからおかしいんだけど。

 

「嬢ちゃんは仮免期間って知ってるか?」

「トレーナー試験の実技を得て、一次合格を貰ったあとのことですよね」

「そうだ。実技のあとに筆記をやるもんだから、一斉に行うために補習期間を取ったりするもんで仮免となる」

「特例として、その仮免を国立専門機関で取得しておけばモンスターボールを所持できるんだ」

 

 私の場合は筆記もその場で済ませてしまったので、後は年齢に達すれば正規申請をするだけでちゃんとした免許が取れる。そんな状態であったから、リーフが勝手に申請してトレーナーカードも発行できたんだよね。あれにはやられたなあ。

 ちなみに特例仮免はちゃんとした理由がないと取れません。私は見習いとはいえ研究員になるからモンスターボールの所持が必須だったもんで、親同伴で取りに行きました。実技以上に精神診断が辛かった覚えがある。

 元々早くジャンボを私のポケモンとして登録したかったから、早くトレーナーになることは吝かではなかった。卵から孵したジャンボだが、私が親になりたくて仕方がなかったので一時期はペットとして登録していたことがある。誰かのポケモンとして登録されるのを私が嫌がったためだ。

 ジャンボが普段からモンスターボールに入っていないのは、ずっとペット扱いとして家で放し飼いにされていたのもある。

 そんな豆知識にもならない長話が背後でされている間、私はようやく荷物を詰め終えた。

 よし、あとはポケモンセンターに行ってポケモンたちの健康チェックと、ブルーの荷物整理を終えれば出発だ。

 

「終わったか?」

「うん。はいこれ、ちゃんと取っておいてよ」

 

 予め用意しておいた代金を入れた封筒を渡す。お釣り? そんなの受け取れないくらい普段からよくしてもらってるんだから不必要。

 それを、有難く頂戴しやす、と言って受け取るおやっさんの顔は笑顔だ。何年たってもその眩しさは衰えない。

 

「シン坊は真面目やなあ。一回くらいツケで! とか言ってみろよ」

「そうしたら面白がって調子に乗るんでしょ?」

「わしがな!」

「おやっさん、おかみさんが泣くよ……」

 

 ふざけあいもそこそこに、おかみさんと遊んでいた相棒を呼んでお暇する。

 

「頑張れよ! 嬢ちゃんも元気でな!」

「また近いうちに顔を見せなさいね! ブルーちゃんもよ!」

「ありがとう、いってきます!」

 

 店の前まで出てきて手を振り、見送ってくれた夫婦。思わずブルーも、いい人たちですねと声をこぼした。

 そうだろう、自慢の身内だ。

 スクーターの座席に座り、後ろをずっと眺めている相棒はあの二人のことがうちの親以上に大好きだ。それ程、私たちとあの夫婦との絆は強い。

 隣を歩く彼女は、突然ふふと笑い出した。どうかした? と聞くと、上機嫌で答える。

 

「私、こんなに濃い一日は初めてなんです」

「こんなのに感動してちゃこれからは耐えられないよ。毎日が感動の嵐だ」

「本当ですか? 今日だけで凄く素敵な出会いがたくさんあったんですよ!」

「もちろんさ。これからは手持ちだって増えるだろうしね 

 なにより進化の瞬間というのは一番心が震えるよ。その時を覚悟しておいた方がいい」

「なんだか私、ドキドキしてきちゃいました……!」

 

 興奮してそう告げる彼女の瞳には、もう朝のような陰りは見えなかった。

 数歩前に進み、私の正面に立った彼女は高らかに言う。

 

「レッドさんに会えてよかった。私、今日のこと忘れません。絶対です!」




【ブルー】
本名:谷口 葵(たにぐち あおい)
年齢:10歳
身長:136cm
性別:女
アレコレ:オーキド博士から託されたポケモン図鑑所有者の一人。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05-1

トキワの森編


 ざくざくと迷いのない足取りで獣道を進んでいく。道なりから大きく外れた私たちは、トキワの森の奥深くへと向かっていた。

 その後ろを歩くブルーの顔は実に不安気だ。

 

「なんで道に沿って歩かないんです……?」

「修行だから」

「私たちニビに向かうんじゃなかったんですか!?」

「ちゃんと向かってるよ」

 

 納得のいかないブルーはまだ抗議をしているが、私の足にはまったく響かない。

 彼女には教えていないが、方角はこれで合っている。いわば最短ルートだ。ただし周囲に目印なるものはなく、素人ではまず生還するのが難しい。

 トキワの森は二つの町を行き来するのに必ず通らなければならない場所だ。それは必然的に人の往来が多くなるということ。よって人の手が入っていない森とはいえ、踏み固められた本道が存在する。その道の周辺では野生ポケモンも人間が通ることを理解しているのだろう、遭遇率は極端に低い。ただし、草むらに入ればそこはもう野生の王国だ。一歩間違えて彼らの縄張りを荒らせば攻撃されても文句は言えない。

 つまり、今の現状がそうだ。いつ襲い掛かられても不思議ではないってこと。彼女が周囲を警戒しながら進む理由がお分かりいただけただろう。

 だがしかし、こんなことで怯えているようではこれからトレーナーなんてやっていけない。手持ち一匹だけでジムに挑むことは無理だろうし、仲間を増やすなら野生ポケモンを捕まえるのが一番手っ取り早いのだ。

 今日は一日、ブルーとモニカにバトルをしてもらいながら、気に入ったポケモンがいたらゲットするように言ってある。今のところ4戦しているが、まず倒すのに必死で捕まえるのには程遠い。

 先が少々不安になる結果だが、まだまだこれからだとブルーを励ましながらここまでやってきた。

 それでも不満がこぼれはじめてきたということは、疲れてきちゃったのかな。気分を入れ替えようと、ちょうど川が見えてきたので足を止める。

 

「ここで休憩しよう」

 

 そう提案して時刻を確認すればお昼に差し掛かっていた。ちょっと早いけど、結構歩いたし昼食にしちゃおう。

 ちなみにスクーターはジャンボに操縦させて、人間組みは徒歩でここまでやってきました。

 免許? 運転技術? うちの相棒は常識を覆す存在とだけ言っておこう。

 ジャンボの身長は約80cmとかなり大きめ。そして私の座高が80cm越え。座席に立ってハンドルさえ握れば運転できるんです。

 そもそもこのスクーターが特注なのは、ジャンボも運転できるようにとおやっさんが一から作ってくれたもの。座席やハンドル部分、収納スペースなど構造が特殊になっております。大半がジャンボ仕様になっている時点でどれだけ相棒贔屓なのかがわかるよね。さすがに人目がある場所や街中では運転させませんが。

 相棒はスクーターを停めると、自分専用のリュックを背負ってブルーの手を引っ張った。

 

「ピカピ」

「あの、レッドさん……ジャンボ君が」

「いいよ、こっちは昼食作っておくから行っておいで」

「チュー!」

「散歩でしょうか?」

「まあ、そんな感じ。遅くならないようにね」

 

 頭に疑問符を浮かべながら、ブルーは手を引かれるまま森の奥へと入っていった。

 きっとおやつを探しにいったのだろう。

 先週までこの森でフィールドワークをしていた私とジャンボだが、仕事中暇をもてあました彼は独自に森を歩き回るようになっていた。自他共に認める賢い相棒のことだ、好きにさせておいても問題はなかろう。そう思って放任していたら、いつの間にやら美味しいものをたくさん持って帰ってくることが多々あった。

 おかしいな、卵から孵したはずなのに野生の勘が冴え渡ってやがる。そんな教育をした覚えはないぞ。内心は疑問に思うけれど、おこぼれに与る身としては何も文句は言えません。

 

「さーて、こっちも調理しますか」

 

 掛け声と共に気合を入れる。

 まずは車からブルーシートを取り出して地面に敷き、折りたたみ式の小さな作業台も組み立てる。

 次にケトルを取り出し、車から電源を繋いでお湯を沸かす。携帯ガスコンロも持っているが、そこまで火力が必要でもないので今回は出番なし。マグカップを取り出してココアとカフェオレ、コーヒーと三種類用意する。冷めないように、蓋をかけることを忘れずに。

 もう一度湯を沸かして、おかみさんから貰ったコッペパンを三つ袋から出す。ナイフで上部に切れ込みを入れて、トマトとサラダ菜を切って挟む。後は沸いた湯にソーセージを入れて、もう一度沸騰させたら取り出してパンに挟むだけ。ケチャップとマスタードは各自でどうぞ。

 ものの15分もかからず昼食の準備は終わってしまった。まだ相棒達が帰ってくるには早い。これでは飲み物が冷めてしまうではないか。しまったな、もっと遅らせるべきだったか。

 車から読みかけの文庫を取り出して。自分用のコーヒーを啜りながら時間を潰す。

 5分も経っていないだろう、数ページ読み終えたあたりで森の奥から声がした。

 

「ピーカー!」

 

 相棒たちのお帰りだ。私は本をしまって立ち上がる。

 まだ遠目からしか確認できないが、相棒は元気いっぱいにこっちに走ってきていた。そのだいぶ後ろをなんとか追いかけてきているブルーは疲れているのが一目瞭然で。

 君たちフルマラソンでもしてきたのかい?

 こちらに飛び掛る相棒を、私は踏ん張って抱きとめた。

 

「おかえり」

「ピッカー!」

「収穫は?」

「ピッピカチュ!」

 

 相棒は背中のリュックを下ろして大量の木の実を見せてくれた。

 これには見覚えがある。確か、リンゴを小さくした形で苺のような味がする不思議な果実だ。

 ご苦労様、とリュックを受け取って代わりにココアを渡す。遅れてブルーも到着した。

 

「た、ただいま戻りました~……」

「お疲れさん。たくさん取ってきたみたいだね」

「それはもう……ジャンボ君すごかったですよ」

「だろうね。でも、君も負けてないんじゃない?」

「はい?」

 

 理解していないブルーの頭上を私は指差す。

 ソレは自分のことを指しているとわかると顔をかしげた。

 

「私に何かついていますか?」

「とびきりの大物が」

「ええっ、レッドさん霊感あるんですか!?」

「頭重くない?」

「そういえば、木の実が降ってきた時に頭をぶつけてからちょっと違和感が……」

 

 顔色を青くする彼女にむかって、私はリュックから取り出した果実を向ける。

 

「とりあえず、お昼にしよう。よければ君も一緒にどうかな?」

 

 呼びかけに対し、私に向かってピョンと飛び跳ねたソレを受け止める。

 これでようやくブルーの前に姿を現すこととなったソレは、緑の体躯に赤い触角を持っていた。

 警戒することもなく私の手ずから果実を頬張る姿は、手のひらサイズといってもおかしくはない大きさだ。きっと体重もほとんどないだろう、生まれたてかなと推測する。これではブルーも気づくまい。

 当の本人に視線を向けると、口を開いて呆気にとられていたまま固まっていた。おいおい、大丈夫か?

 心配したジャンボが服を引っ張り声をかけると、はっと驚いて彼女は叫び声をあげた。

 

「キャタピィイイイ!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05-2

 ポケモン達は早々に昼食を終えると二匹でなにやら話し合っていた。

 これものすごく疑問に思うんだけど、いくらポケモンという括りで一緒くたになっているからといって、種はそれぞれ違うんだから意思疎通ってどうなってんの? そもそもポケモンに言語ってあるの?

 

 私が最初にそれに気づいたのは、ジャンボが初めて他のピカチュウと対面した時だ。

 その時のピカチュウは野生から人に飼われていたペットだった。当然同じピカチュウ同士仲良くできるものだと思いこんでいた私は、まずコミュニケーションを取ろうとしない彼らに驚いた。というか、成り立っていなかったと言った方が正しいのだろう。最初にお互い数回鳴いただけで、それからはどちらも相手に見向きをしようとしなかった。

 どうしてピカチュウ同士仲良くできないのだろう。そう感じた私が両親に問うても答えは相性が悪いんじゃない? とだけ返ってくるだけ。

 何かがおかしい。そこで違和感を感じた私はそのピカチュウとジャンボを見比べてみた。人と同じように生活するジャンボと、人の生活を知りながらもどこか理解していない様子のピカチュウ。一体何が違うのだろう。

 そこで私はジャンボに聞いてみた。

 

「あの子と仲良くできなかったの?」

 

 少し考えた様子のジャンボは珍しく答えを文字に書いて私に教えた。

 

『あのこ、しゃべれないからわからない。ぼくとちがう』

 

 違うとはどういうことなのか。

 うちのジャンボは人間の言葉を理解している。そして意思疎通も可能だ。逆に言えば、卵から孵したジャンボにはピカチュウの言語がわからないのではないのか。そもそもピカチュウに言語は存在するのか。

 ここで疑問はさらに増える。ピカチュウに限った話ではない、他のポケモンはどうなのだろう。それぞれの種別に言語が存在しているとなると、それはすごいことになるだろう。だがこの推測を決定付けるには、人間がどうやってポケモンの鳴き声から言葉を知るのか、確かめる手段がない現状それは難しい研究になるだろう。

 しかし、一般的にトレーナーが多数種別のポケモンを持っていても彼らは総じて意思疎通が可能であり仲もよい。両親の言うとおり、相性も確かにあるだろう。それでも、どうやってポケモン同士でコミュニケーションを取っているのか。ジェスチャーだけじゃ伝わらない部分だってあるだろうに、彼らは種族の壁などまったく気にせずコミュニケーションが取れている。

 ジャンボもどうして喋れないのか不思議に思ったのは最初だけで、後に自分以外のポケモンともなんとなくだがコミュニケーションが取れるようになった。本人に聞いたところ、本当になんとなくらしい。その部分が知れれば大きな発見になるのだが、とりあえず会話はできないようだ。

 

 

 学会では昔、ポケモンと人間のシンクロ説が唱えられたことがある。

 バトルなどの互いが極限状態に陥っている最中は、何も指示しなくともポケモンがトレーナーの思ったとおりに行動することがある。それは経験に則った行動かもしれないし、一種のトランス状態なのではないのかと否定されたが、私はあながち間違いではないと思っている。

 ポケモンにはエスパータイプというのが存在するが、そもそもポケモンという存在自体が超能力を持っているのではないのか。私はその仮説をたてた。

 ESPを持つことから他の種ともコミュニケーションが取れる。シンクロ説をいうならば、トレーナーの心を読み取れる。ボールに収めるきっかけとなった『衰弱時に縮小して狭いところに隠れる』本能だって、普通に考えればありえないことだ。総じてまとめてしまうには簡単すぎるが、一般的な言い方をすればこれは超能力と言わざるを得ない。

 そもそも体積の問題を丸無視してモンスターボールに収まることがおかしいのだが、いくら西之森教授が本能だと訴えてもその真相は未だ納得いかない者が多く、学会でも永遠の課題である。

 

 

 ポケットに入るからポケモン。そう言い出したのは一体誰なのだろう。

 この世界で生まれた人たちは何の疑問をもつことなく、ポケモンとはそういうものだと理解して生きているようだが、生憎と私には前世の記憶がある。それもポケモンとはゲーム、架空の物だという認識が。その誤差から違和感を感じてこの疑問に目をつけたのかもしれない。

 かくして私は、歪ながらも父親に助言をもらいつつこの仮説を論文にまとめた。認められるには程遠い出来だったが、大学側はこれを入試小論文扱いとして、特例だが私の研究者としての将来が決定した。超能力と称したこれが一体何なのか、私は大学に入り研究していくことになる。

 父親は私が研究者になることを素直に喜んだ。私は父と同じくポケモン学科に配属となったが、後で聞いた話によると勧誘をすべて蹴り倒してもぎ取った結果らしい。何よりも生物学の研究者が私の論文を読んで、今取り組んでいるポケモンの脳に発見された共通部分の証明をしないか、としつこかったと副室長は語った。こんな幼児に青田買いとか大学はそこまで困窮しているのか?

 

「そんな感じで、6歳にして研究者人生が決まりましたとさ。めでたしめでたし」

「ろっ、6歳ですか!?」

「実際は5歳から研究を始めたかな。元から学校に通う気はなかったし、通信教育だけしてるのも暇だったから一年かけて論文に纏めたんだ」

 

 おやつに取ってきてくれた果実を食べながら、私は自分の過去について話していた。

 ジャンボとキャタピーを見て、異種族間の会話という切欠をブルーが話題にしたのがいけないんだ。そこで私が自分の論文テーマだと言ってしまったから、大学の話になって……どうしてこうなったし。

 まあいいや、と気を取り直したところで相棒を呼ぶ。ジャンボはキャタピーを抱えて側までやってくると、地面に下ろして私の隣に座った。

 なあに? とこっちを見てくる相棒が可愛くてつい撫でてしまうのは仕方がないよね。

 

「キャタピーはそろそろ帰らなくて大丈夫?」

「ピカピ」

 

 ジャンボは首を縦に振ると、ブルーを指差した。ちょっと視線を離した隙に、いつの間にか地面にいたはずのキャタピーはブルーの帽子の上によじ登っていた。

 全く動く気のないキャタピーを見て、相棒と共に苦笑いをする。これは、ある意味ラッキーなのかな?

 そんな私たちを戸惑いの目で見ながら、ブルーはおずおずと喋りだした。

 

「えっと……この子、どうしましょう?」

「ブルーさえよければ、手持ちに加えればいいよ」

「いいんですか!?」

 

 喜んで言う彼女からは、女の子特有の虫ポケモンに対する嫌悪感は全く感じられない。すげえ、うちの妹と大違いだ。

 聞けば、学校の授業で一時期キャタピーをクラスで飼っていたことがあるそうだ。あーなんか前世にもそんなようなことあったわ。

 モンスターボールを取り出して、いざ捕まえようとしたところで彼女の手が止まる。

 

「どうした?」

「あの……野生ポケモンは弱らせてから捕まえろって私習ったんですけど、この場合はどうしたら……?」

 

 キャタピーは見るからに元気いっぱい。さっきお昼を食べたばかりだから、体力も減っていない状態だ。

 彼女はモンスターボールに入れても抵抗されて出てきてしまう、捕まえられないと考えているのだろう。

 

「キャタピーにお願いすればいい。今から君を捕まえるためにモンスターボールに入れるから、抵抗しないでねって」

「そんなのでいいんですか?」

「そもそもモンスターボールの仕組みってどうなってるか知ってる?」

 

 首を横に振るブルーのために、私はまた語りだした。今日は喋ってばかりだな。

 モンスターボールの起源は、西之森教授の弱ったオコリザルが生存本能から体を縮小させて教授の老眼鏡ケースの中に入り込んだことから始まる。つまり、ポケモンは弱らせないと縮小しないためボールに収められない。それを強制的に行うために、モンスターボールから出る赤外線にはポケモンを仮死状態にする性質が含まれている。

 データで通信できるポケモンだからこそできることだよな。私はそっちの分野にあまり詳しくないのでわからないが、赤外線にはそういった性質があるらしい。

 仮死状態といっても、体を動かなくさせるだけで死に及ぶことはないし脳は動いている。ボールの中に収められても、そこでポケモンが出たいと抵抗してしまえば仮死状態は解かれ、拡大される前にモンスターボールは自動的にポケモンを排出する仕組みになっている。

 

「だから、抵抗さえしなければポケモンの体力がある状態でも捕まえられるってわけ」

「わかりました」

 

 そう言って彼女はキャタピーと向かい合って説得を始めた。

 あのー、ブルーさん? すっかりジャンボに慣れちゃってるから忘れてるだろうけど、本来ポケモンに人間の言葉は通用しないのよ。頼み込んだってわかるはずがないのだから。

 確かにお願いすればいいと言いましたけどね、実際には怖がらせないようにモンスターボールの中に入れるしかないんだよ。

 ちょっと心配になりながらも後ろで見守っていたが、無事にキャタピーはモンスターボールの中に入ってくれた。よかったよかった。

 喜んでいるブルーに、おめでとうと声をかける。

 

「ありがとうございます!」

「あとはジム戦にむけて二匹を鍛えるだけだね」

「よろしくお願いします、レッドさん!!」

 

 ブルーは手持ちが増えてテンションが上がったのか、気合十分といったところだ。

 それなら期待に答えてあげるとしよう。私も腰のベルトからモンスターボールを取り出す。

 

「お昼もとったことだし、ここからはうちの子たちとバトルして教えていこうか」

「はい!」

 

 夕方になる前にバトルはやめて、野宿の仕方と野外でのご飯作りを教えて、まだまだ教えることはたくさんあるな。

 予定では森を抜けるまで三日間。この間いかに野外生活の基本とバトルの基礎を、みっちりと教えられるかにかかっている。

 さーて、いっちょ頑張るとしますか。




小難しいこと書いてますが、多少公式から設定引っ張ってアレンジしたフィクションですので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

05-3

 草木も眠る丑三つ時。森の中で星灯りはほとんど届かない。闇夜で頼りになるのは、目ではなく耳だ。

 必然的に旅をしていると物音に敏感になる。そして、ごそごそと物を漁る音が私の意識を覚醒させた。

 耳を澄まして音の出所を探ると、それは愛車の方から聞こえてくる。泥棒に気づかれないよう、私はシェラフから慎重に抜け出して背後を取るように近づいた。

 泥棒は漁った食べ物を貪るのに夢中になっているようで、こちらに気づく気配はまったくない。悪い子にはお仕置きが必要だ。私は勢いよく泥棒を掴んで両腕で抱き込んだ。大声を出して暴れる泥棒を逃がさぬように、思い切り腕に力をこめる。

 

「何事ですか!?」

 

 突然の喧騒に飛び起きたブルーは驚いた様子で声を上げた。

 

「ごめん、起こしちゃったね」

「一体どうしたんですか?」

「夜中にこそこそ漁るネズミを捕まえてただけだよ」

「ネズミ……!?」

 

 ブルーは慌ててランタンを点けてこちらを照らした。そこには、私の両腕から必死に逃れようともがくジャンボの姿があった。

 

「ああ、なるほど……ネズミはネズミでも、電気ネズミですか」

 

 関心するブルーは車に近づくと、地面に放り出されたソフトチューブ容器を手に取り私に向けた。確認した後、相棒の口元に付着している赤い液体を指で掬って舐める。

 

「お味のほどは?」

「紛う方なくケチャップです」

 

 それを聞いて、相棒はぐったりと力を抜いた。もう抵抗しても意味がないと判断したのだろう。なんてったって証拠は明らかなんだからな。

 抱きかかえていたジャンボを地面に下ろして、向き合う形で私も座り込む。

 

「何か申し開くことは?」

 

 ありません、とジャンボは沈んだ頭を横に振った。ブルーに調味料が入っているケースを見てもらうと、そちらのケチャップは荒らされていなかった。となると、このケチャップは一体どこにあったものなのか。

 一向に視線を合わせないジャンボに向かって、いつもより低い声で私は言う。

 

「正直に言えば情状酌量の余地はあるぞ」

 

 何も語ろうとしない相棒に、私はポケギアを押し付けた。こちらを恐る恐る盗み見ながら、ゆっくりと文章を書いていくジャンボ。5分ほどかけて、ようやく差し出されたポケギアに書かれた共犯者の名前に私は頭を抱えた。

 

「なにしてくれちゃってんのさ、おやっさん……」

 

 あれだけ甘やかし過ぎないように口酸っぱく言っておいたのに、全然聞いてないじゃないかあの親父!

 猫可愛がりにも程があるぞ、まったく……もう、ため息しかでないよ。

 好物が目の前にあるのに、お預け状態を我慢するのは普通に考えて苦行だろう。どう考えても悪いのは、勝手に車を改造して隠し場所を作ってまでケチャップを与えたおやっさんだ。

 

「ピ~……チュ、ピカチュピ」

「罰として、来月のお小遣いは無しです」

「チャアアア!?」

「当たり前だろうが。お前、次の健康診断でまたジョーイさんから怒られるこっちの身になれよ」

 

 いくら健康状態に問題がない数値とはいえ、塩分過多なのは事実な訳でして。毎度食事についてお小言を頂いております。それでも好きなものを食べたい気持ちはわかるし、できるだけ希望に沿う様に考えて作ってはいるんだ。

 それをまあ、人の苦労を知らずに勝手に摘み食いしやがって……可愛さ余って憎さ百倍とはこのことか!

 ごめんなさい、と私の膝に縋り付いて泣く相棒を知らぬ目で、私はブルーに改めて謝罪した。

 

「気にしないでください。それに、突然のアクシデントはいい経験になりますし」

「寝る前に教えたことが、さっそく起きちゃったのは皮肉だけどね」

 

 今回はうちの相棒がやらかしたが、野生のポケモンが人間の持ち物を漁ることは多々ある。それを防ぐために、トレーナーは野宿をする際にはポケモンを必ず一匹は側に置いておくのが望ましい。

 

「パメラなんて、あれだけの大声を聞いてもぐっすりなんですよ」

 

 苦笑いをして、ブルーは自分のシェラフにくっついて寝ているバタフリーを指差した。

 昼間に捕まえた小さなキャタピーは、今日一日育て上げた結果、見事最終進化にまで漕ぎ着けることができた。

 生まれたてで体力が少ない上に急激な成長をしたのだ。疲れ果てるのも無理はないだろう。むしろ、よく頑張った方だ。

 一件解決したところで、それぞれの寝床に戻る。落ち込んだ様子のジャンボは私のシェラフに入るのを躊躇っていたようだが、もう二度と摘み食いはしないと約束させて腕の中に抱き寄せた。それを見て、隣のシェラフに入ったブルーは微笑む。

 

「なんだかんだで、やっぱり仲が良いんですね」

「まあ、大事な家族で相棒だしな」

「ピカピ~」

 

 相棒を撫でながら肯定すると、ジャンボは嬉しそうに擦り寄ってくる。打って変わってブルーの方はというと、何やら思案顔だ。どうかしたのかね?

 

「私もいつかレッドさんのようになれるでしょうか……」

「手本になれるほど出来が良いとは思えないけど」

「そんなことありませんよ! レッドさんは、私の目標なんですから!」

「こんな一介の研究者を目指したところで良いトレーナーにはなれないよ」

 

 軽くかわす私に、彼女はますます熱く語る。

 

「私、ずっと変わりたいと思っていました。トレーナーになって確かに日常は変化したけど、私自身は何も変わっていなかった。でも、レッドさんに会ってからは違うんです。

 昨日の私は、足元ばかり見ていたのが前を向いて歩けるようになりました。今日の私は、トレーナーとしてようやく一歩踏み出せた。ポケモンと一緒に、私も少しず成長している手応えを感じたんです」

 

 そう熱く語る彼女の目は活き活きとしていて、先日の曇り眼を思い出せばそれだけでも変われていると私は思う。

 確かに、今日一日だけ見ても彼女の成長は目覚ましいものを感じる。普通の女の子が半日でキャタピーをバタフリーに進化させるなんて土台無理な話だ。それを、ブルーはやってみせた。私という経験者に師事していることもあるだろう、それにしたって彼女の成長振りには目を見張るものがある。

 これが主人公補正ってやつですか。やっぱり主人公はブルーで確定? 残念だったなリーフ、チャンピオンの夢は叶いそうもないぞ。その分、雪山篭りをしなくてすむよ。やったね!

 脳内でお馬鹿な考察をしているのも知らずに、ブルーはさらに私を褒めちぎる。

 

「それもこれも、全部レッドさんのおかげです。あの時、夢を諦めなくてよかった。あんなに遠いように思えていたジム戦が、今では待ち遠しいくらい楽しみなんですから」

 

 そんなにヨイショされても何も出ないよ?

 あ、スパルタをご希望ですか。それくらいならお安い御用でっせ、喜んでやらせていただきます。

 

「じゃあご期待に応えないといけないな。明日からはさらに厳しくいこうか」

「よろしくお願いします!」

 

 そして私たちは眠りについた。

 翌朝――

 

「確かに私、言いましたけど……」

 

 地図とコンパスを両手に、木々の中で立ち尽くすブルー。

 その背後には、スクーターを運転しているジャンボと後部座席で読書をしている私。

 視線で助けを求められたので相棒共々サムズアップでニッコリ応援。

 

「ニビシティまでファイト~」

「ピッカー!」

「酷い! 酷すぎる!!」

 

 今日からはブルーが先頭に立って進路を取ってもらいます。勿論、野生ポケモンと遭遇した場合も一人で戦ってもらいます。

 大丈夫、教えたとおりに進めばちゃんと森を出れるよ。

 もしもの時は手を貸す算段をつけながら、暢気に読書に勤しむ。

 この調子なら、予定通り明日にはニビシティにつけるだろう。教え甲斐のある生徒を持つと嬉しいな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-1

ニビシティ編


 荒野を想定した巨大なバトルフィールドの挑戦者側にある観戦席。私はそこに座って、ブルーの初ジム戦を見守っていた。

 ニビシティジムは岩タイプ使いのタケシがジムリーダーだ。シングル戦で使用ポケモンは二体、入れ替え自由だが先に二体ともダウンした方が負け。

 ブルーは懸命に戦うも、タケシの一体目であるイシツブテに苦戦しており、すでにバタフリーのパメラは戦闘不能。そして今、ゼニガメのモニカもほとんど歯が立たず、虫の息な状態であった。

 フラフラと足元がおぼつかないモニカに、とどめの体当たりが当てられる。ブルーの呼びかけにも応えられず、モニカは立ち上がることができない。審判が唱えていたカウントが0になり、判定は下された。

 

「勝負あり! 勝者、ニビシティジムリーダー、タケシ!」

 

 敗北を目の当たりにして数秒固まっていたブルーだったが、すぐに我に返り「ありがとうございました!」と挨拶をしてポケモンのもとへと走った。

 バトルフィールドから下りてくるブルーを迎えるために私も席を立つ。こちらに向かって歩いてくる彼女の顔は、無理して堪えているのが一目でわかるほど痛々しかった。

 悔しいんだね。でも、それでいい。

 私は彼女の帽子の上からワシャワシャと強めに撫でて労う。

 

「お疲れ様。よく頑張ったね」

「すみません、せっかくレッドさんにたくさん教えてもらったのに……負けちゃいました」

「謝ることなんて何一つないよ。また修行して何度も挑戦すればいい。君はきっと強くなれる」

「……はいっ!」

 

 応えながら顔を上げたブルーの目尻は赤く腫れていたが、沈んだ様子もなく、向けられた瞳の奥は闘志に燃えていた。

 敗北を知らなければ勝利へ必死になることもできない。ブルーはトレーナーにとって一番必要な渇望を知ったんだ。

 うん、この子なら大丈夫。私はそう確信する。

 さて、次の挑戦者のためにさっさと部屋から出ないと。私たちは荷物を持って移動しようとしたところで、背後からかかった声に足を止めた。

 

「あれ、もしかして葵?」

 

 反応したのは、私の目の前にいたブルーだった。声の掛けられた入り口へと駆け寄るのを、私はのんびりと目で追う。

 

「翠君!」

「グリーンだっつの」

「それを言うなら、私だってブルーですよ」 

「おっと、わりぃわりぃ。お前もジム戦に来てたのかよ?」

「はい。残念ながら、負けてしまいましたけど」

 

 苦笑いをしながらブルーと会話をする相手は、ライバルことグリーンだった。トレーナー名でなく名前呼びをしているなんて、仲が良いんですね。なんて内心ニヤニヤしながらそちらを眺めていたら、ブルーに呼ばれたので二人の方へと向かう。

 

「紹介しますね。私のポケモンバトルと旅の先生で、レッドさんです」

「あ……ああー!! お前、あの時のッ!?」

「どーも。また会ったね」

「ピッカー!」

 

 相棒と共に営業スマイルで挨拶。ところで少年よ、人を指差してはいかんと習わなかったのかね? 失礼だぞ。

 仰け反ってオーバーリアクションを取る彼の指を掴んで腕を下げさせる。すぐさま手を振り払われたが、気にせず私は彼に警告した。

 

「早く上がらなくていいの? 審判がこっち見てるよ」

「ちっ、わかってるっつーの!」

 

 グリーンは私に一瞥くれると、早足でバトルフィールドへと進んでいった。その後姿に向けて、ブルーは応援の言葉をかける。

 

「せっかくだし、あの子のバトルを見ていこうか」

「いいんですか?」

「ブルーも気になってるんだろ?」

「実は、ちょっとだけ」

 

 そして私たちは並んで観戦席へと腰を下ろした。

 気になるのも勿論だが、同期のバトルを見るのは良い勉強になるだろうと、考えあっての行動でもある。

 上手なトレーナーの戦いを見るのも勉強にはなるが、自分に近いトレーナーの戦いを観戦するのは最も自分の力に繋がると私は考える。私ならこうする、ここでその技は悪い、など色々考えながら見ることができるからだ。

 ぶっちゃけ、この世界のポケモンバトルって上手い人ほどアニメみたいに、トレーナーがいちいち指示出したりすることは滅多にないんだよ。アニメ見ていた時も思ったけど、テンポ悪いじゃんね。戦場はそんなに待ってくれないのと同じ。

 ポケモンを育てるのがトレーナー。その通り、実際のバトルではポケモンの自主的な行動がほとんどで、時たまトレーナーから少々の助言が出されるくらい。例えるなら、ポケモンが野球選手でトレーナーが監督かな。

 毎年新年には、テレビ特番で各地のジムリーダーやチャンピオンがバトルするの見ることができるが、解説を聞かなければ視聴者は何が起きているのか全くわからない。だって素早さ高いうえに指示が全くない状態の戦いだよ? 目が追いついていけないから、所謂ただのヤムチャ状態。それでも凄いのは一目瞭然なので、彼らに憧れる子供たちは後を絶たない。うちの妹もその口だ。まあ、うちの場合は身近にそういう存在がいたから特にだろうけど。

 

「驚きました。レッドさんって、グリーンと知り合いだったんですね」

「オーキド研究所にトレーナーカードを受け取りにいった際、少し顔を合わせた程度だけどね」

「それにしては、やけに敵視していましたけど?」

「んー……その時にちょっとバトルして勝っちゃったんだけど、どうやらそれが彼の逆鱗に触れたみたい」

「なるほど。彼、無駄にプライド高いですもんね」

 

 今もフィールド上にいながら時折こちらを鋭い視線で伺っているグリーン。そんな彼はいったいどんな戦いを見せてくれるのか。

 前回は砂かけを使った搦め手主体のバトルだった。きっとグリーンは戦略重視のトレーナーかな。今回も事前に策を練ってきていることだろう。

 ここはひとつ、お手並み拝見といこうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-2

「これよりニビシティジムリーダータケシと、マサラタウンのグリーンによる公式バッジ戦を行います。両者、礼!」

「お願いします!」

 

 審判の号令が発せられると、グリーンは大きな声で応えて90度腰を曲げた完璧な礼を見せた。さっきの不躾な振る舞いからは考えられない礼儀正しさに呆気にとられる。あいつ、こういうところはきっちりしてんのな。無駄に顔は整ってるんだから普段からそうしたらいいのに、勿体ないやつめ。

 

「よろしく頼む。俺のポケモンはこいつからだ」

 

 タケシが取り出したモンスターボールからは、先ほどブルーが戦っていた時と同じくイシツブテが出てきた。対するグリーンも、落ち着いた様子で自らのポケモンを出す。

 

「ほう、サンドか。岩使いの俺に同じ系統でくるなんて珍しい」

「俺は常識に囚われない男なんで」

「いいね。そうこなくちゃ」

 

 挑発して余裕を見せるグリーンにタケシは笑う。お互いのポケモンが出揃ったところで、審判が開始を宣言した。

 先に行動を取ったのはサンドだ。予め指示を受けていたのだろう、イシツブテとの距離を一気に詰め腕を勢いよく振りかぶった。

 

「先手いただき!」

「避けろ、イシツブテ!」

 

 タケシの指示は間に合わず、サンドの繰り出した攻撃はイシツブテの脳天に直撃した。だが、一瞬怯んだだけですぐにサンドを振り払い後退するイシツブテ。

 さすがだ、やはり岩ポケモンは硬い。それでもサンドの攻撃は結構効いていたようで、イシツブテの頭部に罅が入っているのが見える。岩ポケモンに有効打を与えている技となると、格闘タイプかな。見る限り岩砕きか、瓦割りあたりと予想をつける。

 

「やるね。でも、勝負はこれからだ。イシツブテ、ロックカットからの体当たり!」

「っ、まずい! サンド、回避!」

 

 タケシの指示を受けたイシツブテは、先ほど受けた罅割れから表皮を落とし、岩タイプとは思えない速度でサンドに向かって走る。

 その勢いに驚いたサンドは避けるのに一瞬遅れが生じた。重量のあるイシツブテから繰り出された体当たりをもろに食らってしまう。吹き飛ばされるほど強く打ち付けられた身体をなんとか起こして、サンドはイシツブテを睨みつけた。

 

「サンド、まだやれるか?」

「ギャウ!」

「よし、作戦通りいくぞ。砂嵐!」

「させん! 転がるだ!」

 

 グリーンから指示が出されるとサンドは両手を大きく真上に広げた。腕を頭上で回転し始めると、それに合わせてフィールド上に撒き散っていた砂が動き出す。円をかくように動く砂たちは徐々に空中へと舞って行き、あっという間に肉眼で確認できるほどのストーム状へと育った。フィールドを大きく囲み、トレーナーでさえ目元を伏せるほどの大きさとなった砂嵐の中に取り残された互いのポケモン。外側からはまったく見えないが、中では一体どうなっているのだろうか。

 グリーンは何も発しない。先ほどの言葉からするに、すでに作戦とやらは始まっているのだろう。一度砂嵐を起こしてしまえば数十分はその状態を保っていられる。サンドの特性は砂隠れだ。回避力の上がったこの機に、一気に勝負へと持ち込むつもりか。

 イシツブテの転がるは砂嵐の完成に一歩遅く、サンドに届く前に私たちの前から姿が見えなくなったので、当たったのかどうかも分からず仕舞いだ。このままでは転がっていても拉致があかないのは誰の目にもわかる。タケシはイシツブテへと大声で硬くなるを指示した。いくら岩ポケモンだから砂嵐の影響がないとはいえ、何も見えない状況でも相手は何かしらの攻撃をしかけてくるだろう。それを耐える自信からくる防御姿勢か。さすがジムリーダー。

 だが、グリーンの顔は笑っていた。嫌な予感がする。

 

「ブルー、鞄で頭を抑えて伏せて」

「え?」

「いいから早く!」

「はいっ」

 

 言われた通りに行動したブルーを確認して、私も同じく自分の頭を庇いジャンボを抱えて地面に伏せる。数秒も立たないうちに、ドォン!! と大きな音が響いて爆風が襲った。フィールドの特性からか、そこかしこにばら撒かれていた石ころや砂粒が身体を打ち付けるが、予め予想していたためなんとかなった。

 落ち着いたかな、と思ったところで顔をあげる。霧のように少しだけ砂が舞ってはいたが、どうやらもう安全らしい。相棒を放すと、ブルーに声をかけて引っ張り起こす。

 

「大丈夫?」

「は、はい……びっくりしました」

「だろうね。イシツブテが自爆したんだから」

「自爆ですか!?」

 

 驚いたブルーは慌てて首をフィールドへと向ける。そこには吹き飛んで荒れたフィールドの中心で、放射模様を描きぐったりと倒れこんでいるイシツブテがいた。審判がカウントを取るまでもなく、戦闘不能なのは一目瞭然である。倒れる直前の足掻きか、はてまた堪忍袋の緒が切れたか。

 基本的にイシツブテは我慢強い性質を持っている。登山道などでは道行く人が気付かず踏んでもまったく気にしないほどへっちゃらなのだから。そのイシツブテが耐えられなくなって爆発したのだ。 相当なダメージを受けたのは間違いない。

 対するサンドの姿は見えない。審判が不審に思ってグリーンの方を見た。

 

「もう出てきていいぞ、サンド」

「……ンギャ!」

 

 地面からひょっこりと顔を出したサンド。そうか、地中に回避していたのか。

 

「すごい。あのサンド賢いんですね」

 

 ブルーは感心したように言うが、どうだろう。私は逆に考える。

 確かにサンドは特性の砂隠れで砂嵐の中では回避力があがる。レベルが高ければ自爆回避は自力で可能だろうけど、グリーンのサンドを見る限りそんな芸当が出来るとは思えない。あのタイミングでトレーナーの指示もなく、咄嗟に潜ることができるのか?

 

「イシツブテ、戦闘不能!」

 

 審判がそう告げるより早く、タケシはモンスターボールを手に取っていた。イシツブテを回収すると、今度は別のモンスターボールをグリーンに向ける。

 

「驚いた。一体どんな作戦だったのか凄く気になるな」

「種明かしはバッジを頂いてからですよ」

「なら残念だけど、自分で答えを見つけることにしよう。いけっ、サイホーン!」

 

 出てきたのは大きな体躯から威圧感を感じさせるサイホーンだ。一声嘶いてサンドを見据えるその姿は、やる気に満ちている。そのせいか、少々顔が強面になりすぎて隣のブルーが私の背中に隠れちゃってるけど。

 

「今度は、さっきのようにはいかないよ」

 

 タケシの雰囲気が一転して厳しさを増す。そして、再び審判の開始を告げる宣言が放たれた。




イシツブテについての説明を(今更)変えました。
2015/01/19


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-3

 もう一度サンドが腕を回転させると、タケシが急いで「突進!」と叫んだ。それでもサンドが砂嵐を完成させる方が早い。またもやフィールドを覆いつくされてしまったタケシは眉を顰めた。

 グリーンはこのジム戦のために、サンドを徹底的に鍛えたのだろう。ちっとも焦りを見せない彼の自信は相当なものだ。

 

「サイホーン! サンドの気配がする場所へ乱れ突きだ!」

 

 タケシは先ほどのイシツブテとは違い、今度は攻めの姿勢を見せた。指示のとおり、砂嵐の中であちこち動き回るサイホーンの影が黒くちらついて見える。さっきのイシツブテと違って体格が大きいせいか、砂嵐の中でもなんとか姿が確認できる程度だが。

 形勢は依然、グリーンが勝っている状況だ。次の手を出しあぐねているタケシに向かって、グリーンが挑発するかのように口を開く。

 

「数で攻めても無駄ですよ。そんな攻撃、当たりっこありません」

「やってみなくちゃわからないのがポケモンバトルさ」

「確かに。それでも、俺の勝利は揺るがない!」

 

 すでに勝った気でいるのだろうか、グリーンは余裕の表情でフィールドを見つめていた。

 馬鹿だなあ、相手はポケモン協会に実力を認められたジムリーダーなんだぞ。そんな相手に天狗な態度をとっていると、足元を掬われるに決まっている。

 トレーナーはバトル中にポケモンが窮地に陥った際、いかに早く反撃の糸口を見つけ出すことができるかが重要だ。タケシはじっとサイホーンを見つめながら、何か手を考えているに違いない。

 じっと俯いて黙り込むタケシが、ようやく動きだした。

 

「……えっ! あの人座っちゃいましたけど!?」

「いや、あれでいいんだよ」

 

 どういうことだ? とこちらを見上げるブルーに、私は苦笑で返す。

 タケシはその場に胡坐をかいて座っていた。きっと彼も私と同じ疑問を持っていたのだろう。

 数秒ほど考えていたようだが、何か閃いた様子を見せると突然立ち上がり「サイホーン、地震!」と叫んだ。

 また外野の私たちにまで危険が及ぶのか!? 咄嗟にジャンボを抱えて、反対の手で隣のブルーの手を掴み近くの手摺へと引っ張る。

 すぐさまゴゴゴゴッ!! と大きな地鳴りと振動がジムを襲った。轟音の中、わけもわからず手摺を掴まされたブルーは、混乱した様子で悲鳴を上げていた。

 

「キャー、キャー、キャー!!」

 

 非常にけたたましい。四方八方から聞こえる騒音で私の耳が瀕死状態である。主に隣の少女とか、腕の中の相棒とか。

 

「ピギャーッ、ピガァアア!!!」

 

 明らかに悲鳴ではない叫び声に余計頭が痛くなってくる。

 わかったわかった。お前がこれくらい平気なのはちゃんとわかってるから。頼むからおとなしくしててくれ。

 ブルーはともかく、抗議を訴える相棒は黙らせるために腕の力を強める。

 ようやく静かになったとジャンボの方を向けば、ちらっと見えた額にはうっすら血管が浮かんでいた。

 仕方ないじゃん! 私はお前を卵から育てた親なんだぞ? いくら強くなったからといって、つい手が出てジャンボを守っちゃうのはもう癖としか言いようがない。

 いつも後から「僕がシンクを守る立場でしょ!」とお説教をいただくのはわかりきっている。甘んじて受けよう、だから今この状況で暴れないでくれ。こっちはお前を抱えて手摺にしがみ付くので精一杯なんだよ!!

 数十秒続いていた揺れが収まってきたと感じたところで、またもやタケシの指示が飛ぶ。

 

「続けて地割れだ!!」

 

 なん、だと……!?

 先ほどまでの揺れとは違い、大きな破壊音と共に浮遊感を味わう。巨大な縦揺れは一瞬だったが、桁違いの威力に、バランスが取れずふらついた。

 あー……びっくりした。さすがに一撃必殺の技は巻き込まれると命の危険を感じる。遠く離れた場所でこの程度なら、至近距離でこれを食らえば一溜まりもあるまい。

 バトルフィールドの方に顔を向けると、砂嵐は消えていて中央に大きな裂け目が出来ていた。遠目からでは確認できないが、砂嵐が消えているところから察するにサンドは戦闘不能になっているのだろう。

 ちらりと審判の方を見ると、地面に片膝をついて揺れる頭を支えていた。

 おいおい岩ポケモン使いさんよぉ、豪快なのはいいが少しは周囲の安全を確認してからにしてくれや。ただでさえ砂嵐からの自爆で全身ボロボロになってるってのに、これ以上被害を増やすな! 

 私は知ってるぞ。特例を除いてジムの修繕費は毎月一定額しかでないから、残りはジムリーダーのポケットマネーなんだってことを。財布まで自爆してんじゃねえよ馬鹿野郎!!

 

「グォオオオ!!」

 

 内心で罵倒を吐き続けていたら、いつのまにかサイホーンがサンドを背負って裂け目から出てきていた。瀕死のサンド回収に「ご苦労様」とタケシはサイホーンを労う。

 そして審判にタイムを告げ、タケシはグリーンの元へと動かないサンドを運んだ。トレーナーはバトル中、定位置から動いてはいけないという決まりがある。わざわざタイムを取ったのはそのためだ。先ほどの地割れに巻き込まれたグリーンは、体格がまだ幼いせいか定位置で踏ん張るのが精一杯だったようで倒れ伏せていた。

 タケシに促され目を覚ましたグリーンは、ふらつきつつも手を借りてなんとか立ち上がる。

 

「大丈夫か?」

「平気、です……続行をお願いします」

「無理はするなよ」

 

 よく見ると、グリーンの膝はまだ笑っていた。遠目からでも気丈に振舞っているのがわかる。これが他の新米トレーナーだったら、戦意喪失して降参を選んでいるところだろう。グリーンの信念の強さを見たタケシは、満足げに自分の定位置へと戻っていった。

 グリーンはサンドをボールにしまっているし、審判も万全とまでいかない様子。まだ落ち着くまで暫くバトルの再開はなさそうだ。視線を手元に戻し、先ほどから私の腕に噛みついている相棒の頭を撫でる。

 

「ごめんごめん、悪かったって」

「ピガッ!」

「非常事態だ。許せ」

 

 フンッと目線を逸らす相棒は相当ご機嫌斜めの様子。あーこりゃ長引くな。

 ジャンボを降ろすと、彼は意気消沈しているブルーの元へ慰めに行った。床にへたり込んで呆然としている彼女の頭を心配そうに背伸びして撫でている。

 

「ピカー、ピカチュ?」

「な……何が起きたんですか、一体……」

「あのジムリーダーは、サンドが地面に潜りながら攻撃しているのを見破ったんだよ」

「それで、あの地震ですか!?」

「地震は地中にいるポケモンには特に有効な技だからね」

 

 そして、なぜ地割れで一気に決めようとしたのか。それは、サイホーンを見れば一目瞭然だった。巨大な体躯を震わせるほど激しい呼吸をしているサイホーンは見ているだけで辛そうで。

 

「……もしかして、状態異常ですか?」

「正解。サンドは毒針を使っていたんだ」

 

 砂嵐の中、穴を掘って四方八方から毒針を放っていたのだろう。

 それがイシツブテの時に見破られなかったのは、最後に使った自爆のせいだ。本来なら砂嵐が終わると同時に穴ぼこになったフィールドが現れた途端、この作戦は見破られたも同然だった。だが、イシツブテが自爆をしたおかげで、フィールドはイシツブテを中心に吹き飛んだ。地面は大きく抉られ、穴の形跡など最初から無かったかのようなクレーターの出来上がり。

 イシツブテの自爆後、サンドが都合よく地中から顔を出した時の違和感から逆に考えれば簡単にたどり着く結果だ。常に地中にいれば攻撃も当たらない。耐久戦で有利になるには状態以上が効果的だ。それをタケシは地面に腰を下ろして集中することで、地下の振動に気づいたという訳。

 岩タイプはとても硬い。その防御力を突破する攻撃力は未熟な手持ちたちからは出せない。それならどうするか。

 

「砂嵐でサンドの特性を生かしながら、慎重に地中を使って毒針で攻撃していたんだ」

 

 相手との圧倒的なレベル差を覆すには、いかに攻撃を受けず相手の体力を削るかが鍵だ。

 グリーンの作戦は非常に上手くいったと言えよう。途中で見破られはしたが、相手のサイホーンは毒状態で体力は残り僅か。

 自分が勝利する訳でもないのに、ブルーは飛び上がって喜んだ。

 

「これなら勝てますよね!?」

「さあ、どうだろう」

 

 ジムリーダーがそう簡単に勝たせてくれるとは思わない。それに、気丈を貫いてはいるがグリーンの精神はギリギリだ。

 ポケモンもトレーナーも、耐久勝負と言ったところか。サイホーンが戦闘不能になるのが早いか、グリーンが膝をつく方が早いか、はてさて。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-4

 それからほどなくして、バトルが再開された。

 グリーンの二番手にはイーブイを選出。イーブイにはサイホーンの攻撃に耐えられる体力も防御力もない。唯一誇れる素早さで耐久戦狙いといったところか。

 かわせ続ければグリーンの勝ち、一撃でもいれればタケシの勝ち。これは双方判りきっていることだろう。

 

「準備はよろしいでしょうか? それでは……始めっ!」

 

 審判の開始宣言と同時に、タケシの猛攻撃が始まった。それをイーブイも必死に回避していく。

 

「サイホーン、つのでつく攻撃!」

「電光石火でかわせっ!」

 

 掠る程度でもいい、なんとか一発当てられれば。相手の体勢を崩すことさえできれば、我武者羅に攻撃するサイホーンからはそんな気概さえ感じる。

 グリーンは相手の切羽詰った迫力に飲み込まれないよう、大声で指示を飛ばしていた。

 戦局はグリーンが有利だが、勢いがあるのはタケシだ。さすがのジムリーダーと言ったところか。

 かといって、このまま闇雲に攻撃を続けていてもジリ貧には変わりない。むしろ、毒によるタイムリミットが迫ってきている。

 何か決定打が欲しい。タケシは必ず仕掛けてくるに違いない。それがわからないグリーンでもない。

 観戦しながら自分なりに有効打を考えていると、背中を登って肩に落ち着いた重みを感じた。

 

「打って出るのはどっちだと思う?」

「チャー」

 

 相棒はグリーンを指して問いに答えた。ほお、そうきましたか。

 ブルーにも聞いてみたいところだったが、横を見ればバトルの一挙一動を見逃すまいと固唾を呑んで試合に見入っていたので止めておく。邪魔しちゃ悪いよね。

 つのでつく攻撃から体当たりに切り替えたサイホーンにだんだんと焦りが見えてきた。

 かわされた際の勢いを殺すために踏ん張る前足が、ふらついてきているのが見てわかる。自らを奮い立てるために、サイホーンが咆哮をあげた。

 

「グオオオオオオオオ!!!!」

 

 至近距離であげられた轟音に、思わずイーブイの足が竦んだ。それを見逃すタケシではない。「今だサイホーン!!」とタケシが言うが早く、サイホーンの突進がイーブイに迫る。

 

 ――しかし、その攻撃がイーブイに届くことはなかった。

 イーブイに一直線へ向かっていったサイホーンが、突然足を踏み外すと同時にグリーンが歓喜の声をあげる。

 

「――っしゃあ!」

「何っ?!」

「今だイーブイ、あくび!!」

 

 落とし穴に落ちたサイホーンは、自然と頭上を見上げてしまう。穴の一歩手前にいたイーブイを見事視界に納めてしまう位置上、あくびを逸らしてかわすこともできない。毒が回っている上瀕死に近い体力では睡魔に敵うこともできず、サイホーンの瞼は重力に逆らうことなく落ちていった。

 審判が目線でタケシを伺う。勝負は見えたも同然だった。苦しそうに眠るサイホーンを見て、タケシが降参を告げた。

 

「相棒の言うとおりだったな」

「ピカチュ」

「は……え……どういうこと、ですか……?」

 

 急展開に付いていけないブルーに説明をする。

 サンドは毒針のためだけに穴を掘っていた訳じゃなかった。地中で何層にも渡って穴を掘り進むことにより、重い岩ポケモンが飛び掛れば崩れ落ちる落とし穴を作っていたのだ。

 

「岩ポケモンは総じて重量級ばかりだ。そして、イーブイは軽量だから落とし穴の上に乗っても落ちることはない。グリーンはあの局面で落とし穴の位置とタイミングを計っていたんだ」

「す、すごい……!」

 

 うん。普通に考えて、一介の新米トレーナーにできる芸当じゃないよな。さすがはオーキド博士の孫といったところか。並大抵の努力じゃ無理な作戦である。

 ただの生意気なガキだと思っていたが、これは見解を改めなければならないようだ。

 タケシからバッヂを受け取るグリーンがこちらを振り返り、勝利の証を高らかに掲げているのを私とブルーは笑顔で見ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-5

 ハイテンションでフィールドから降りてきたグリーンは、真っ先に私へ勝利の証を見せつけてきた。

 

「どーよ! 俺様にかかればこのくらい、楽勝楽勝!!」

 

 はいはい、おめでとう。良いバトルだったことは確かだし、「ナイスファイト」とサムズアップして返す。相棒もそれに続く。ブルーは素直に「おめでとうございます!」と賞賛していた。

 

「あんなに強いジムリーダーに勝つなんてすごいです!」

「ふふん。俺はブルーと違って、ココの出来がいいからな」

 

 グリーンは頭を指差して踏ん反り返る。貶されたブルーはムッとした表情で言い返した。

 

「それは私が馬鹿だとでも言いたいのですか!」

「どうせお前のことだ。いつもの騎士道精神に則って、正々堂々真正面から突っ込んで負けた口だろう?」

 

 ブルーは敗因を言い当てられ、ぐうの音もでない。

 いやいや、グリーンの戦い方が上級すぎるだけで、ブルーはまだそのくらいでいいんだよ。徐々に経験を積んでいけば自ずと自分なりの戦い方がわかってくるはずさ。急いては事を仕損じるってね。

 彼は言い足りないのか、それともランナーズハイなのか。こちらの反応など気にもせず口を開き続けた。

 

「そこらへんを見抜いて指導するってのが師匠なんじゃないのかよ。お前あいつに騙されてるんじゃね?」

 

 グリーンの言いたいこともわかる。いや、別にやろうと思えばできるんだよ。やらないだけ。

 初心者にグリーンのごとく、細かく作戦立ててバトルさせても上手く立ち回れるはずもないし。勝てたとして、それは入れ知恵した私のおかげであって本人の勝利にはならない。

 常識的に考えてアウトでしょう。とにかく君は私を目の敵にしたいだけなんだね。まったく、若いなぁ。

 内心が表情に表れたのか、つい哀れみの視線で見てしまったようで、それが彼の琴線に引っかかったらしい。グリーンが更にブルーに突っかかっていった。

 

「大体、あいつは俺と同じ新米トレーナーなんだぜ。師匠面とか何様?」

「レッドさんの悪口を言わないで下さい!」

「俺は事実しか言ってねーし」

「グリーンこそ、レッドさんに負けたくせに!」

「なんだとーっ!?」

 

 両者いがみ合って牽制中。思わず相棒と顔を見合わせてため息を吐いた。

 夫婦喧嘩は犬も食わないって言うし、つまり二人とも仲が良いってことだね。馬に蹴られる前にお邪魔虫は退散するとしましょう。

 蚊帳の外に追いやられた私は、二人から距離を置いたベンチに座ることにした。腰を下ろし一息つくと、相棒も膝に下りてくる。

 鞄からお茶を取り出し飲んでいると、相棒が袖を引っ張ってきて二人とは反対側を指していた。お茶をジャンボにバトンタッチして、私は来訪者を迎えるために立ち上がる。

 

「騒がせてしまってすみません」

「いや、今日の挑戦者はもういないから気にしなくていい」

 

 なんとこちらに向かってきて私の横に立ったのはタケシだった。彼は疲れた素振りもなく、二人を笑って眺めている。

 あれだけのバトルをしてこの余裕ぶり。おそるべしジムリーダー、肩書きは伊達じゃない。

 

「血気盛んな年頃だからな。俺も身に覚えがある。ところで、お前さんは挑戦しないのかね?」

 

 ご指名ですか? 間違いかと確認すれば、やはり私のことだった。

 本音を言えば断固拒否なのだが、好意で言ってくれてる訳だし。母さんからの言いつけもある。せっかくの機会だ、ここは一つ挑戦してみるのも悪くはない。

 

「そうだな……じゃあ、お言葉に甘えて」

「とっておきしか残ってないが、それでもいいかい?」

「構いませんよ。むしろ、望むところです」

「ははっ、最近の若い子は強気でいいね!」

 

 ニヤリと笑うタケシに営業スマイルで返す。なんだ、いい人かと思ったら見当違いだった。昂りが冷めないからもう一戦の相手探してただけかよ。バトルジャンキーめ。

 まあ、中毒なくらい固執がないとジムリーダーなんてやってられないわな。激戦なら一回で相当の体力が奪われるバトルを、日に何度もこなしているのだから当たり前か。

 タケシに連れられてフィールドまで上がると、そこでようやく二人がこちらに気づいたようだ。階下から叫び声が聞こえる。

 

「レッドさん!?」

「お前、なにやってんだよ!」

 

 見ての通り、ジムリーダー試合だけど。

 タケシが反対側の定位置についたところで、私も気を引き締める。

 

「さて、久々に頑張るとしますか相棒?」

「チャー!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-6

「さっきのバトルでジム戦用のポケモンは出し尽くしてしまったんだ。悪いけど、今回は特別に俺の手持ちで相手させてもらっていいかな? 勿論、今からでも棄権してくれて構わない」

「問題ありません。挑戦させていただきます」

「再度確認するけど、本当にいいのかい?」

 

 すんなりと頷く私を見て、タケシは益々笑顔になっていく。

 

「今年のルーキーは見所がありそうだ。審判、特別ルールを使用させて下さい」

「では――規定に則り、ジムリーダーの公式戦用ポケモンが全て使用不可能状態と判断しました。ジムリーダーは手持ちポケモンを一体使用、挑戦者側は使用ポケモン無制限の特別ルールを許可します。ジムリーダーは予めポケモンを選出して下さい」

「俺はこいつで行かせてもらうよ!」

 

 タケシが取り出したボールを宙に放る。ポケモンが排出されたと思った途端に、視界が暗雲の下に晒された。はて、此処は屋内だったはず……。

 照明があるはずの天井を仰ぎ見れば、そこには厳つい顔でこちらを見下ろす岩山が立っていた。

 でかっ。私と相棒は、開いた口を閉じることも忘れて呆然とした。

 取り出されたボールから出てきたのは、岩蛇ポケモンと呼ばれるイワークだった。今まで山で見かけていたイワークはなんだったんだと疑いたくなるほど、そのサイズは通常を逸している。目視で10mはあるのではなかろうか。今まで広いと思っていたジムが、途端窮屈に感じるほどだ。

 いやぁ、それにしても……これだけ大きいと、さすがに迫力ありますね。前世だったら絶対縮んでた。今が女でよかったかもしれない。今だけね!

 巨体は光源を背にしているはずなのに、僅かに光沢感を感じる表皮をしていた。イワークは成長すると、身体の岩石成分が変化して黒いダイヤモンドのようになると聞いたことがある。このイワークは相当レベルが高いと見た。

 

「さあ、君の最初のポケモンは誰を選ぶ?」

 

 そうだな、と考えるよりも先に、ジャンボが肩から降りて前へ出た。それを見たタケシの眉が顰められる。

 

「ピカチュウ、だと……本気か?」

「ピッカ!」

「だ、そうです」

「おいおい、冗談はよしてくれよ」

「ピカチュピ!ピガーッ!」

「本人はやる気十分みたいなんで。気にせず始めちゃってください」

 

 納得のいかない表情のタケシだったが、挑戦者の選出ポケモンに文句などつけようがない。渋々と審判に目線で促した。

 

「それではこれより、ニビシティジムリーダータケシと、マサラタウンのレッドによる公式バッジ戦を行います。両者、礼!」

「お願いします」

「よろしく。その余裕っぷりに恥じないバトルを頼むよ」

 

 余裕って……そんなもの、ジムリーダー相手にあるわけないじゃないですかー!ヤダー!

 私は苦笑で濁して、相棒の方を見やった。こちらに視線を向けていたジャンボは、私と目が合うとウインクにサムズアップで返す。ちくしょう、頼もしいぜ!

 肝心のトレーナーである私ときたら、これから始まるジム戦に緊張しすぎてガチガチ、表情筋なんて凍ったように動かない。どうしよう母さん、教えてもらった通りの『笑ってリラックス』とかできないよ!?

 しかも、指示とか今まで碌にしてきたことがないわけでして。やっぱり指示しないと恥ずかしいよね? お前それでもトレーナーかよ、とか思われるに違いないし……。

 ここにきて今更ながら内心でテンパっていると、いつの間にか審判の合図が始まっていた。

 

「はじめ!」

「イワーク、たたきつ……何っ!?」

 

 自身の鼓動が爆音を立てているせいで、タケシが何を言っているのか全く聞き取れなかった。その分、私はこれでもかと目を見開いて一瞬の攻防を見届けることができた。

 勝負は一瞬で決まった。

 タケシの指示が飛んでいる間にも、相棒は高速移動でイワークの頭上後ろに跳び、アイアンテールの一撃で巨体を地に沈めた。

 ドシン!と大きな音を立ててフィールドにめり込んだイワークは、微動だにしない。その横にスタっと綺麗に着地を決めたジャンボが、私にVサインを向ける。相変わらずな相棒の姿に、思わずヘラっと笑ってしまった。今更ながら、緊張の糸がようやく解けたようだ。遅ぇよ自分!

 ジムリーダー相手に一撃必殺。これには審判も驚きを隠せないようで、判定が下されるまで時間を要した。どうみてもイワークが戦闘不能には変わりなかったので、結果として私は無事にバッヂをいただける事となった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

06-7

 手の平で光るグレーバッジに、自分で手に入れたものなのだという実感が沸かない。

 ぶっちゃけ私、何もしてないよね。本当に私が貰ってしまっていいのだろうか。ジャンボが持ってる方が相応しいのでは?

 そんな悶々とした思考をしながらフィールドを下りると、待ち構えていた二人が詰め寄せてきた。

 

「すごいですレッドさん!!」

「あれくらいでいい気になんなよ!!」

「あんなに強いジムリーダーを一瞬で倒してしまうなんて!!」

「俺だって勝ったことには変わりないんだからな!!」

 

 同時に喋るな。私は聖徳太子じゃない。

 大声で白熱する二人の主張など聞き取れるはずもなく、私は暫くスルーして燃え草が無くなるのを待った。が、それも失策に終わる。またもやタケシがこちらにやって来たからだ。二人はさらにヒートアップ、本末転倒である。

 しかし、はしゃぎ立てる二人をやんわりと宥めて私に向かい合うタケシ。さすがの貫禄である。大人の対応って奴ですな。

 

「いや~まいった!軽く揉んでやるつもりが、逆に揉まれていたとはな!!」

「大げさですよ」

 

 手を差し出されたので、躊躇うことなく握り返す。ジムリーダーからの握手なんて光栄なこと、拒否できるはずもない。二人からの視線が痛いが、無視することにした。片方は明らかに嫉妬なのがバレバレで、余計に背中が痒い。

 

「謙遜するな。力量差は今ので一目瞭然だ」

「それこそ買いかぶりすぎです。自分は修行中の身ですから」

「ほう、まだ上を目指すというのか?」

 

 んなはずなかろうに。適当に返した答えに食いつかれても、どうしようもない。体裁ってやつですよ。仕方がないので、またもや苦笑いでその場を凌ぐ。便利だなこれ。

 

「君ならチャンピオンも夢じゃない。ぜひ他のジムにも挑戦して、リーグに出てくれよ」

 

 最後にタケシは太鼓判を押して戻っていった。それを恨みの篭った視線で私は見送った。

 くそがぁああ!! 置き土産に盛大な死亡フラグ残していきやがって糸目野郎!!

 主人公にはなりたくないとこっちは必死なんだよ、いい加減にしてくれ!!

 タケシの後姿に怨念を送っていたが、審判に退室を促され、沈黙を貫いていた二人を引っ張り私たちはジムを後にした。

 

 

 ジムの外に出たことで、ようやく肩の力が抜けた。大きく深呼吸して一伸びし、強張った体を解す。ふぅ、と一息ついて背後の二人を振り返ると、見事な落差がそこにあった。歯軋りが聞こえそうなほど般若な顔をしているグリーンと、天女のような微笑を浮かべるブルー。

 とりあえず「お疲れ様」と声をかけると、グリーンの手が喉元に迫ってきたので軽く回避する。襟首を掴みたかったのかな? やんちゃな年頃なのはわかるが、喧嘩は売る相手を見定めようね。

 彼は思いっきり舌打ちして大声で私に怒鳴りつけてきた。

 

「ジムリーダーに認められたからっていい気になんなよ!! お前より先にジムを制覇して、俺がチャンピオンになるんだからな!!」

 

 わめき散らして、足早にその場を去っていくグリーン。え、これってライバル宣言? そんな馬鹿な。私主人公ジャナイヨ。きっとあれは負け犬の遠吠えだ、そうに違いない。

 現実逃避する私に今度はブルーが話しかけてきた。

 

「レッドさん。ジム戦勝利おめでとうございます」

「ありがとう。ブルーもお疲れ様」

「レッドさんは、これからお月見山に向かうんですよね?」

「うん。今から麓のポケモンセンターに向かえば、夜には間に合うだろうし。ブルーはどうするの?」

「私は目標通り、まずバッジを手に入れたいと思います。そのために、暫くここで修行しようかと」

「そっか……じゃあ、ここでお別れだね」

 

 彼女との旅はニビシティまでの約束だった。その後の進路が別れても、何ら仕方がないことだ。

 それでも、数日一緒にいた仲間との別れはやっぱり寂しいものだ。

 皆それぞれ、夢がある。そのために進んでいるんだ。別れは必然的にやってくるもの。

 道は違えど仲間だったことに変わりはない。私は、ブルーに手を差し出した。

 

「短い間だったけど、楽しかったよ。ジム戦頑張ってね」

「はい! 私、絶対に強くなってみせます!」

 

 お互いにしっかりと握り締める。ジャンボもブルーにぎゅっと抱きついて、別れの挨拶とした。

 

「今まで本当にありがとうございました。お元気で」

「うん。またどこかで会おう」

 

 最後に、何かあったら遠慮なく連絡してと伝えて、私たちはその場で別れた。

 出会いがあれば、別れがある。その逆も然り。大丈夫、旅をしていればまた会えるさ。

 私はジャンボを肩に乗せて、オートスクーターに跨った。目指すはお月見山。そこでもきっと新しい出会いが待っている、そんな気がした。




【グリーン】
本名:大木戸 翠(おおきど みどり)
年齢:10歳
身長:143cm
性別:男
アレコレ:地元の同年代の中ではガキ大将。祖父の栄光から付いてくる肩書きを鬱陶しいと思いつつも、大好きな家族に恥をかかすわけにはいかないと影ながら努力する負けん気の持ち主。性格は意地っ張りで負けず嫌い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07-1

オツキミ山編


「おー、明るい……目が眩しいなー」

「チャー……」

 

 洞窟から出た瞬間、降り注ぐ陽光に視覚の明暗が調整できず、思わずその場で蹈鞴を踏んだ。すぐに慣れると、目の前に建つ一軒の茶屋にまで足を運ぶ。

 朝からお月見山に登り始めた私たちは、ようやく中間地点と言われる山腹の茶屋にまで到達することができた。現在時刻は午後三時過ぎ。おやつの時間には丁度いい頃合だ。

 店の横にスクーターを止めて、「すいませーん!」と一声かけて店内を覘けば「はーい!」といった元気な返事が返ってきた。相棒はすでに店先に置いてあった長椅子の上で転がっている為、私もその横に腰を下ろす。すぐに軽快な音をたてながら、若い娘さんがペンと伝票を手にこちらへやってきた。

 

「お待たせしました! いらっしゃいませ、何にいたしましょう?」

「甘いものってありますか?」

「今日は三色団子と柏餅がありますよ」

「じゃあ三つずつ下さい。あとお茶を二つ」

「かしこまりました。熱いお茶でよかったですか?」

「ピッカ!」

「はい、では少々お待ちくださいね」

 

 笑顔で娘さんは店の中へと戻っていった。柏餅、と聞いて思い出す。そういえば今日はこどもの日だ。何気なく頼んだが、端午の節句に柏餅が食べられるとは運がいい。そのことを相棒に伝えようと横を見れば、開放感溢れる大の字で仰向けになっていた。おいこら、さっきより酷くなってるぞ。

 仕方なく、疲れきって全く動かないジャンボを膝の上に持ってくる。お前なあ、いくら疲れてても外なんだからもう少しきちんとしてくれよ。

 

「ジャンボ、お行儀悪いよ」

「ピー……」

 

 体重をこちらに預けて首を上に向ける相棒の顔は、瞼が半分ほど閉じきっていた。なぜこれほどにまで彼は疲労困憊なのか。それは、山を登る上でジャンボの役割が非常に重要だからだ。

 ハナダシティにも繋がっているこのお月見山は、他の山と比べれば資源が豊富なのも相まって人の出入りが頻繁にある。昨今では洞窟内の整備が進み、とても登りやすい構造となっているが歩きやすいというだけだ。当然野生のポケモンは現れるし、全ての道が安全という訳ではない。いくら人の手が入ろうとも、何が起きるかわからない危険が登山には付きものだ。

 オートスクーターは速度も出ないし、段差のある場所だと浮遊の操作を慎重にならざるを得ない。そこでジャンボの出番だ。常に先行して周囲を探り、段差があれば事前に教えてもらうなど、常時気を張って動きっぱなしの重労働になる訳だ。

 お疲れ様と労わりながら、だれている相棒の柔らかい肩を揉んでみる。うん、全然こってないんですけど。むしろ筋肉どこにあるの? それでも相棒の顔を覗き込めば至福の表情をしていた。お前まだ若いんだからさ、おっさんみたいになるなよ。一応、柏餅はお前の成長を願って食べるんだからな?

 

「はーい、お待たせしましたー!」

 

 先程と同じ店員の娘さんが、注文した量より多い団子をお盆に乗せて持ってきた。指摘すれば、今日はお客さんが少ないからオマケしてくれたようで。ありがとうございます!

 

「お茶とお団子どっちから欲しい?」

「チャ!」

「ほい、お茶」

 

 湯のみを手渡せば、きちんと両手で持って啜るピカチュウに店員の娘さんは驚いた様子を見せた。

 

「その子、すごく人間慣れしてるんですね」

「よく言われます。でも、卵から育てればきっとこうなりますよ」

「へぇー……私も可愛いポケモンを卵から育ててみたいなあ」 

「ただし、生まれたてはどのポケモンでも一番手がかかりますから根気が必要です」

「やっぱり育てるってのは大変なことですよね……」

 

 普通にポケモンらしく育てるならば、その手の関連書もたくさんあるし専門家だっている。一番手っ取り早いのは、ポケモンセンターに行ってジョーイさんに聞いたりとかね。

 でも、ポケモンを人間らしく育てるのは全く別問題。それぞれの種別に育児法なんかある訳がない。うちの場合は偶然だ。なぜか私が勘違いしてジャンボを人間らしく育ててしまった上に、ジャンボも人間らしく育つのに一切抵抗も不満もなかったのだから。今では箸だって使えます。地味に凄いでしょ?

 

「欲しいポケモンでもいましたか?」

「えと……実は、私ここに勤めているのもピッピが出るって噂を聞いたからでして」

 

 なるほど。カントー地方で可愛いポケモンといえば、ピッピとプリンが大多数の女子の人気を占めるツートップだ。プリンの分布は判明しているので持っている子は多いが、ピッピは生息地こそわかっていても滅多に人前に姿を現すことはない。故に希少なポケモンとされている。

 

「満月の夜に、山頂で踊るピッピの姿を見たという人は何人かいました。でも、それだけです。実際にピッピを捕まえた人は聞いたことがありません。私が知らないだけかもしれないんですけどね。私自身は弱いポケモントレーナーなので、ここで修行がてら住み込みで働かせてもらっているという訳です」

 

 成果は、聞かずもがな。娘さんのレベルでは山頂にまで行き着けないのだとか。

 他にもたくさんの話を聞いた。山頂に向かえば向かうほど開拓されておらず化石の宝庫になっているだとか。最近はなにやら怪しい人たちが山の中をうろついているとか。山頂にたどり着けないのは迷路のように横穴が広がっているからとか。

 

「あ、私ったらすみません。お客さんにこんなベラベラと話し込んじゃって」

「いいえ。すごく有益な情報ばかりで有難かったです」

「そう言ってもらえるとこちらも助かります」

 

 そそくさと店内へ戻っていく娘さんに手を振って、さてお団子でも食べようかとお盆に手を伸ばせば、そこには空になった皿があるのみ。

 

「ジャンボ、お前……」

「チャプッ」

 

 犯人をにらみつければ、見せ付けるかのようにゲップをして寛ぐ姿を見せつける始末。

 許さん。許さんぞぉ……!




この小説では、月曜夜というゲームのイベント発生時刻とは違った進行になっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07-2

 気分は炭鉱夫なのに、口ずさめば「ハイホ~ハイホ~」が出てくる。なぜだろう。ふと作業の手を止めて考えるも、自分で自分がわからない。

 ま、いっか。自問自答は頭の隅に追いやって、一心不乱にピッケルを振り続ける。

 ガキン! と小気味好い音を立てて、壁の岩がボロボロと崩れ落ちていく。足元にこぼれてきた岩を踏まないように、繰り返し続けていたら背後からドカーンやらバコーンと騒音が響いてきた。この音も何度目だろうか。ピッケルを肩に担いで、反転して相棒の待つスクーターへと戻る。見計らったように差し出された水をいっき飲みして一息ついた。

 

「ぷはぁ~、生き返る。サンキューな」

「ピカチュ」

「ちょっと休憩するから、ジャンボは一応向こうを見てきて」

「チャー」

 

 相棒が音のする方へ向かうと、私はスクーターから折りたたみ椅子を取り出して座る。夕方頃から掘り続けてもう二時間は経っただろうか。足腰と肩がパンパンに張るくらいには頑張ったと思う。その間に取れた化石と思わしき岩は数十個。果たしてこの中に本物がどれだけあるのやら。物思いに耽っていたら、いつの間にかジャンボが戻ってきて、先ほど掘った岩を拾ってくれていた。何も言わないということは異常がない証拠。

 私が一人で掘っている間、ジャンボはすぐ近くでスクーターと一緒に待機。その少し向こうに、野生ポケモンがこちらに来ないよう手持ちの二匹、カメックスのカロッサとフシギバナのバーナードを配置してある。先ほどの騒音は、二匹が野生ポケモンを撃退した音だ。二匹のレベルなら問題ないと踏んではいるが、念のために傷薬をリュックにつめたジャンボが定期的に様子を見に行ってくれている。本当にできた子だよお前は。

 5分ほど休憩して、再びピッケルを手に立ち上がる。さて、もう一踏ん張りしますか。

 

「レッド、いっきまーす」

「ピッカー!」

 

 力なく宣言すれば、相棒は元気に応援してくれた。

 

 

 

 

 

 えっさ、ほいさ、父さん、バカやろー。

 うーん……掛け声のバリエーションがいまいち。

 わっせ、わっせ、バルス! ぐぅ~。

 あ、呪文唱えたら腹の虫が鳴いちゃったよ。

 それは相棒も同じだったようで、後ろから荷物を漁る音がした。ジャンボがおやつを出しているのだろう。想定どおり間食の許可を強請る声が聞こえてきたので、振り返らずに答えた。

 

「食べすぎ注意。あと、絶対に私の分も残しておいてよ」

「ピカー!」

「ピー!」

 

 あれ、なんか今声が二人分聞こえてきたような……気のせいか。きっと疲れてるんだ、そうに違いない。よし、これで最後にしよう!

 ピッケルを思い切り振りかぶって力強く壁に打ちつければ、なぜか天井から岩が降ってきた。慌てて回避するが、落ちてきた岩は結構な大きさで当たれば軽い怪我ではすまされないほど。しかし、その岩をよくみればただの凹凸とは違った模様がある。こ、これはもしや化石の可能性が高いのでは?!

 

「ジャンボ見て見て、落ちてきた岩……が……あれ?」

 

 興奮しながら背後を振り返れば、そこには黄色い存在ともう一匹、見慣れぬピンク色の存在が仲良く揃って携帯食を齧っていた。これは夢?

 突然のことに呆けてしまったが、またもや鳴った自分の空腹音で我に返る。腕時計で時間を確認すれば、おやまあもうこんな時間。そうだ晩御飯にしよう。

 

「君も食べてく?」

「ピィ!」

 

 頭を撫でながら問いかければ、ピッピが人懐っこい笑顔で応えてくれた。あ、これ本物だわ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07-3

 おかしい。私の目はいつから狂ってしまったのだろうか。

 最初は一匹だった。調理中、やけに賑やかだなと相棒達を見れば、うちの子たちに群がるピッピが所々に見えて「ん?」と首を傾げたが、その時は特に気にしなかった。晩御飯を作り終えた時点で数えてみれば、両手じゃ数え切れないくらいに。そして現在。数えるのも馬鹿馬鹿しいほどピンク一色です。

 どう見ても増えてるよ。なんだってこんなに増殖したし。結局晩御飯は追加で多めに用意して、予備の紙皿をほとんど使い切ることとなった。

 今は食後のお茶を啜ってはいるものの、頭上に座するピィのおかげで常に頭があっちにフラフラこっちにフラフラ。まともに飲めやしねえ。降ろそうにも私を囲むようにピッピとピィがじゃれ付いてきているので、どこにも置き場がない。なんてこったい。

 仕方がない、強行突破だ。私は注目を集めるように大きく手を打った。

 

「はーい、撤収ー。片付けるから皆ちょっと離れてねー。ジャンボ、手伝いはいいから誘導よろしく」

「チャー……」

 

 頭の上からピィを降ろしてジャンボに手渡す。頑張れ人気者! 

 うちのメンバーからも哀れみの視線をもらったジャンボは、トボトボと大勢のピンク色を引き連れて奥へと向かっていった。手にはピッピが持ってきた木の枝を持って、それを旗代わりに振ればとある海鮮一家の行進のような図ができあがり。頼れる兄貴分は辛いね。

 私は今のうちに片付けをしなければ。いつもは相棒が率先してやってくれることを、今回はリザードンが手伝ってくれた。さすが二番目に付き合いが長いだけあるね。

 ヒトカゲの頃から人懐っこい彼女は、私とジャンボの生活をよく見ていた。まだ小さかった頃は何でもジャンボの真似をしたがった記憶がある。大きく育った今では中々機会がないが、たまに私が手伝いを頼めば喜んで引き受けてくれるとても良い子だ。

 それほど時間をかけず終わったことに「ありがとう」とお礼を告げて、皆をモンスターボールの中に戻した。さて、ジャンボたちはどこまで行ったのかな?

 スクーターに跨って相棒とピッピたちが向かった方へ進めば、甲高い悲鳴が複数聞こえてきた。人間のものじゃない、きっとピッピたちだ。

 私はバーナードを出してスクーターを任せると、声のした方へ駆け出す。思ったより距離は離れていなかったようで、すぐに現場に着くことができた。黒ずくめの男が二人、嫌がるピッピを抱えてモンスターボールに入れようとしているところに出くわした私は「何してるんだ!」と叫ぶ。

 男たちの手が止まり、視線がこちらを向いた。ギリギリセーフってところかな。ジャンボや他のピッピたちの姿が見えないってことは、皆を逃がしているに違いない。

 

「邪魔すんなよな。このピッピは俺たちが先に見つけたんだ」

「あ、そういえばお前。確かさっき何か掘ってた奴だろ」

「へー、掘り出し物でもあったのかよ。だったら荷物を寄こしな。そうしたら何も危害は加えないぜ」

 

 うわー……こいつら典型的な悪役だ。見てて痛い。って、冷静に分析している暇じゃなかった。

 

「断る。お前たちこそ、そのピッピを放してさっさと立ち去れ」

「なんだと!?」

「俺たちが誰だかわかって言ってんのか餓鬼!!」

「忠告はしたぞ。それでも従わないのなら、こちらにも手がある」

 

 男たちの背後を見て、私は一度頷く。

 

「舐めやがってこの野郎……!」

「どうやら痛い目を見ないとわからないようだな!!」

 

 男の一人がこちらに向かってきた。手にはキラリと光る刃物を持っている。おいおい、子供に向かって凶器出すとか頭おかしいんじゃないの?

 これが普通の子供ならビビっておしまいだろう。残念、生憎と私は普通の子供生活を送りたくてもできなかった口だ。

 相手が近づきナイフを振りかぶる瞬間に懐に入り込み、凶器を振り下ろす腕を掴んで反転、力を利用して投げつける。男は見事な一回転をしてその場に叩きつけられた。頭から落としはしなかったが、それでも反動で大分跳ねたということは相当なダメージだろう。ここの地面はゴツゴツしてるし、山だから相当硬いしね。案の定、男の顔を見れば目が虚ろで口元がピクピクと痙攣していた。自業自得です。

 先ほどピッピを抱えていたもう一人の男を見れば、そいつはビクっと脅えて一歩後ずさった。なんだ、こけおどしじゃないか。偉そうな口叩いておいてその程度かよ。

 

「痛い目が、なんだって?」

「ひぃっ……!」

「こっちとしてはピッピも取り返せたし、この伸びてる男を持っていってくれれば後は構わないんだけど」

「は……え、嘘いつの間に!?」

 

 男が手元を見れば、さも今気づいたとばかりに指が空を切っていた。慌てて周囲を見渡すもピッピの姿はどこにも見えず、もう一度私に視線を合わせてきた男はそこで唖然とした。うん、私の足元に黄色とピンク色が増えてればそうなるよね。

 私が最初の男を伸している間に戻ってきたジャンボがピッピを奪還。そして今、ジャンボはのん気にポケギアで文章を打って私に見せていた。

 

「何々……ほぉ、こいつら最近山をうろちょろしてて、他の人たちに迷惑かけたりピッピを狙ってたりしてる悪い奴らで……自分たちのことをロケット団とか抜かしてる?」

「そ、そうだ! 俺たちはロケット団なんだぞ! 歯向かっていいと思って――」

 

 最後まで言わせねぇよ。いきなり飛び出してきた私に、咄嗟に殴りかかろうとした男の腕を片腕で捌き、流れる動作でもう一方の腕を使い相手の首にかけて回転させる。下半身から地面に落ちて呆然とする男の腕を捻り、さらに動けなくした。

 すかさずジャンボが寄ってきて、何も言わずとも鞄からロープを取り出し男を拘束し始める。向こうで転がっている男にも同じようにして、バーナードの眠り粉を薄めた薬品を振り掛ければ一丁上がり。

 

「お疲れさん。ナイス連携プレイ」

「ピッカ!」

「他のピッピたちは?」

 

 聞けば、ある程度距離を稼いだらすぐに戻ったので詳しくはわからないとか。ピッピたちを逃がした後、最悪捕まえられたピッピのボールを取り返せばいいと急いで戻ってきてみれば、私が間に合ったというわけだ。

 なんとか一件落着。あとはこのピッピだけだ。一人で帰すのも心配だから送り届けてあげよう。他のピッピたちが無事かも気になるしね。

 

「送って行きたいんだけど、帰り道わかる?」

「ピィ……」

 

 怯えながらも、ピッピは頷いてくれた。ジャンボがよしよしと撫でてあげている。そっちは任せて、私はポケギアを取り出すも電波はゼロ。まごうことなき県外です。ため息をつく私に、ジャンボが何事かと首を傾げた。

 

「いや、ジュンサーさんに通報しないといけないんだけど……ここじゃ電波入らないからさ」

「チャー……」

 

 この転がってる男たち、どうしようね。二人して頭を抱えるも良い案は浮かばない。とりあえず、ピッピを送っていくことにした。男たちの見張りにはバーナードを置いていく。さっきから面倒事ばかりおしつけてごめんね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

07-4

 ピッピに案内されること30分。一体今どこにいるのか皆目見当もつきません。入り組んだ横穴を通ってきたおかげで、現在地が全くわからない。

 先頭を行くピッピの後ろで、私とジャンボは何度視線で会話をしただろうか。本当にこの道であってるの? 迷ってないよね? 大丈夫? 怖くて聞けないよ……。最悪、カビゴンの破壊光線で縦穴開けて、リザードンで脱出するしかないか。スクーターは犠牲になったのだ……無念!

 更に不安に駆られること10分、そこでようやく道がなだらかな坂になっていることに気がついた。

 

「これってもしかして、頂上に向かってるの?」

「ピィ!」

 

 肯定されても正直複雑な気持ちにしかならないよ。

 なぜなら――

 

「ようこそ前人未到の地、ここはお月見山の山頂でございます……てか?」

「ピカピ……」

「ははっ、どうしようジャンボ……」

 

 思わぬ形で到達してしまったが、着いたからには職業上色々としなければならないのが研究員たる勤めでして……。

 くそっ、仕事増えた!!

 嘆いていても仕方がない。スクーターを持ってきていてよかった。道具はあるし、ある程度の記録は取れると願いたい。これはすごいお土産になりそうな予感。

 考えているうちに、あっという間に頂上へと出る穴に辿り着いてしまった。時刻は夜だというのに、穴からは僅かな光が漏れている。不思議に思いながら潜れば、そこには幻想の世界が広がっていた。

 

「すげえ……!」

「ピッカチュー!」

 

 眼前に広がる湖には巨大な満月が浮かんでいる。火山湖に映った満月は光り輝いていて、水面が揺らいでいなければ本物の月と間違えてしまうほど。その周囲をピッピたちが楽しそうに飛び回っていた。

 しばしその光景に酔いしれていると、足元にいたピッピが光を纏いだした。急な出来事に驚いたが、ピッピ自身はなんともなさそうにしているので見守っていると、背中の小さな羽根が透明になり大きく広がっていく。

 そして、助走も何もなしにふわっと飛び上がりピッピの群れに混ざっていった。

 アンビリーバボー……はっ、しまった今の録画しておくべきだった!!

 仕事を思い出したおかげでようやく我に帰ることができたのはなんだか癪だが、とりあえず周辺調査のために私はその場から動き出した。

 休火山の窪みにできた湖のおかげか、少数だが植物が生息している。ピッピ以外のポケモンが見られないことから、ここは隠された生息地なのだろう。

 そうだ、すっかり忘れていた。私はポケットからポケギアを取り出す。よし、洞窟を抜けたおかげで電波が立っている。私は警察ではなく、とある人物へ電話をかけた。

 

『はい、もしもし』

「もしもし、増田ジュンサーですか?」

『こんばんわシンク君。こんな夜更けに電話してきたってことは、何かあったのかな?』

「夜分遅くにすみません。今お月見山にいるのですが、怪しい二人組みに襲い掛かられまして」

『詳しく聞こう』

「はい。男たちは黒ずくめの格好をしていて、自分たちをロケット団と名乗っていました。堂々とした出で立ちだったんで、他にも複数潜り込んでいるかも。最悪、お月見山全体にいるかもしれません。包囲網を張った方がいいと思います」

『その口ぶりだと、無事に撃退したみたいだね。あんまり危ないことをしてはいけないよ』

「すみません。二人組みはロープで拘束して転がしてあります」

『了解。すぐに向かわせてもらうよ。今どの辺りにいるの?』

「どこと言われれば答えられますが、行き方はどうにも説明し辛く……」

 

 事のあらましを説明すれば当然驚かれたが、バーナードを置いてきているので問題なく二人組みを引き取ってもらえることとなった。その際に、バーナードを回収してもらうことも頼んでおく。だって此処から案内無しで元の場所に帰れないよ。きっと横穴に詳しいピッピたちのことだ。帰りは外まで直通の穴があると信じたい。

 何事もなく通話を終えて、改めて探索を開始する。湖の周りを辿るように歩いていると、大勢のピィたちがこちらに向かってきているのが見えた。

 しゃがんで待ち構えると、騒がしい声と共に駆け寄ってくる小さなピィたちに癒される。無事でよかった。怪我はなさそうだと一匹ずつ念入りに見渡せば、一匹だけ遅れてやってきた子がきた。さっき私の頭に乗ってた子かな?

 そのピィは手に持っていた石を私に差し出した。え、これってまさか……。

 

「月の石、だったりする……?」

「ピィ!」

 

 元気なお返事をありがとう。うん、ちょっと今日は色々と現実離れし過ぎてて、正直何が何だがよくわからないよ。

 こんな漫画やゲームみたいなこと、日常生活でありえるはずが……まさか。

 

「こ、これが主人公フラグとでもいうのか……!?」

 

 恐るべし、レッドの名が持つ魔力。

 いきなり驚愕した私を見てピィたちが不思議がる。ああ、怖がらせてごめん、何ともないよ大丈夫。そう、大丈夫……きっと大丈夫……きっとダイジョーブゥー……。

 病気でもないのにとてつもない絶望感に苛まれた。いかん、混乱を避けるためにも余計な思考は切り離せ。今は職務に殉ずるんだ。私は研究マッシーン日下部真紅、今から記録を開始します。

 馬鹿なこと言ってるって? そうでもしなきゃ真面目に調査なんかやってられねーんだよ、こんちきしょーめ!!

 

 

 

 

 

 それからのことは、とにかく夢のようなことばかりでいまいち判断し辛いものとなった。

 空を見たら相棒が宙を飛んでいたり、幻聴なのか音楽が聞こえたり、何か変な物を見たような気もする。

 確かに覚えていることと言えば、記録を一段落終えて座り込んで休憩していたら、またピィたちが寄ってきて眠りだしてしまったことぐらいか。何故かって? デジカメで何枚も撮るくらい寝顔が可愛かったんだよ。

 問題はその後だ。全く記憶がない。またまた、そんなはずがないだろうって?

 ところがどっこい。いつの間に眠ってしまったのか、起きたらそこは山頂ではなく、ハナダシティ側のお月見山入り口横でした。

 ご丁寧にも、私と相棒にスクーターを含めた荷物全部がきちんと存在していた。唯一昨夜と違うところといったら、ピッピたちの姿がないことか。

 当然、そんなところにまで移動した覚えはとくとございません。いっつあーみらくるー。ははは……乾いた笑いしか出てこないよ。

 とにかく、しっかりと手元に残っている記録が昨夜のことを証明しているのは間違いないことで。

 

「……行きますか」

「チャー……」

 

 この世界にはまだまだ不思議が溢れていると再確認した私たちは、進路をハナダシティへと向け歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

08

ハナダシティ編


 目の前の巨大プールで緩やかに繰り広げられるジム戦を、私は監視台の上で寛ぎながら眺めていた。

 指示? ああ、うん今回はやってみようかなって思ってたよ。すぐに諦めたけど。

 出そうにも展開に追いついていけませんでした。皆頑張ってるし、私がすることは応援とアフターケアで十分じゃないかなって思う。

 

「ちょーっと挑戦者! 見てないで少しは真面目に戦いなさいよ!!」

「すんません、無理っス」

「はぁあああ!? アンタ何でうちに挑戦しにきたわけ!?」

 

 ぶっちゃけ成り行きです。黙る私を見て、更にジムリーダーのカスミがギャーギャー喚くが聞く耳持たず。

 こんなことになったのも、すべては父親が悪い。なんもかんも親父のせい。あー思い出したらまた腹が立ってきた!

 思い返せば、話は昨日の夜に戻る。お月見山から無事にハナダシティへと到着した私たちは、一直線にポケモンセンターへ向かった。そこで真っ先に大学に置いてある自分のボックスを開けておかなかったのが、今思えば口惜しい痛恨のミスだった。

 私は到着したことと、お月見山であったことを上司たる父親に電話で報告した。

 

「化石らしきものは見つけたよ。出ると思わなかった月の石も」

『マジで!? ちょ、見たい見たい! 持ってきて!!』

「もー、ロケット団とか出てきて大変だったんだからね。てか、父さん今どこにいるのさ?」

『ナナシマ』

「遠っ」

『丁度一ヶ月後に、クチバ湾港でサントアンヌ号の船上パーティに招待されてるからさ。勿論、研究室名義でね。そこで待ち合わせしよ』

「私、招待状持ってないんだけど」

『マサキが行きたくないって言ってたからチケット貰えばいいよ』

「取りに行けと?」

『近いからいいじゃん。ガンバ!』

「そういやさ、ニビシティでジムバッヂ取ったよ」

『お、やったね! おめでとうさん』

「ありがとさんさん」

『今はハナダシティだっけ?』

「うん、そうだよ」

『今回も忘れずに取りに行きなさいよ』

「えー、もう面倒くさい。いいじゃん、また今度で」

『そんなこと言う子にはバーナードを返してあげません』

「はぁ!? ちょ、嘘だろ!!」

『残念でした~! もうボックスにロックかけちゃったもんねー!』

「んの、クソ親父ぃいいい!!」

『シンク、口調がお下品』

「知るかボケッ!!」

 

 そこで電話を叩き切った後、急いで自分のボックスを確かめたら父親の言ったとおり、大学側からロックがかけられていた。ああ、バーナードぉ……。

 悲しみに咽び泣く私に、相棒が遠慮がちに見せてきたポケギアがトドメを刺した。

 

《From:パパ

 Title:シンクに伝言よろしく♪

 Message:ブルーバッヂゲットしてきたらちゃんと返してあげるから安心してね! それまでバーナードはちゃ~んとお世話してあげるよん。ファイト~☆ミ》

 

 無意識にポケギアを真っ二つに折ろうとしたところを、ジャンボが電気ショックで止めてくれなければ危ないところだった。主に私の財布が修理費で大打撃。いや、真っ二つなら間違いなく買い替えだから余計な出費をするはめに。あっぶねー。

 とりあえず、親父はボコる。そして早急にバーナードを奪還せねば。

 そんなこんなで、人質? ポケ質? を取られた私は、翌朝一でハナダジムに走る結果になりましたとさ。幸い午前中の予約は一人も入っていなくて、飛び込みだが挑戦を受けてくれることになった。

 

 回想終了。今は巨大プールのバトルフィールドにて、2対2のダブルバトル中だったりします。ジムリーダーのポケモンは、スターミーとアズマオウ。対するこちらは、ラプラスとピカチュウ。相性で選んだ訳ではありません。というか、また選ぶ前に勝手に出てきちゃったからさ……。

 うん、メルシュは久々に思いっきり泳ぎたかったんだよね。最近泳がせてなかったからな、ごめん。ボールから飛び出し嬉々としてプールで泳ぎだしたメルを、相棒が心配して追いかけていったところで選出が自動で終了。トレーナーの出番はどこにもありません。いいんだ、これが私の通常営業なんだ。だってこれからもそんな気がする。

 現在の戦況は……なんといいますか、非常に申し訳ない。メルが背中にジャンボを乗せて、歌いながらプールを泳いでいます。勿論相手は攻撃してきているのだけど、すいすいと泳いでかわしちゃってるから当たっていないんだ。あ、ついにアズマオウが眠っちゃったよ。スターミーなんかは十万ボルトやサイコキネシスとか、結構珍しい技を当てようとしてきたのだけど、ジャンボが光の壁で全部相殺しちゃってるし。傍目から見ても全く試合になっていないのだ。

 全く指示を出さないトレーナーに、プールで遊んでいるような挑戦者ポケモンたち。私がそんな奴らとバトルしたら間違いなく発狂する自信がある。怒るカスミの反応は正しい。本当にごめんなさい。でも私にはどうしようもできないんだ。許せ!

 時折ジャンボがこちらをチラリと見てくるのには、手を振って返している。そんなに心配そうな目で見なくても一人で大丈夫だってー。ただ座ってるだけだから、結構楽なもんだよ。願わくば、早く終ってくれると嬉しいがな。

 そんなジャンボの手には、黄色のサーフボードが抱えられていた。あれ、いつの間に作ったんだろう?

 

「スターミー! いい加減にあいつらなんとかしちゃって!」

「ヘアッ!」

 

 おいおい無茶振りもいいとこな指示だな。空中で回転し始めたスターミーが、勢いをつけてメルに向かっていく。それを避けようとしたメルが、眠りながら浮かんでいたアズマオウに気づかずぶつかり倒れてしまう。意図せずのしかかりが発動したようだ。仰向けに浮かび全く動かなくなったアズマオウに、メルが心配そうにつんつんと小突いている。どうしちゃったの? みたいな顔してるけど、それお前がやったんだぜ。

 そういえばジャンボの姿が見えない。先ほどメルが転倒した拍子に、プールに落ちてしまったのか。どこだろうと探していたら、突然水面から弾丸のようにジャンボが飛び出してきた。サーフボードを足元に、水面下から一気に高波で空中へと自身を押し上げて宙にいたスターミーの背後を取った。その右拳からは目を焼くほどの光電が発せられている。ジャンボの必殺右ストレート、通称雷パンチがスターミーに炸裂した。

 

「ヂュウウウ!!」

「△×●□ーー!!!!」

 

 閃光の後、フラフラと落下していくスターミーを足蹴りにして、ジャンボは先に水面に落ちていたサーフボードに着地した。それを操りメルのもとまで行き、諭して今度は私の方へと戻ってくる。……あれ、終わったの?

 審判もジムリーダーも、何も発しない。これでは降りて二匹の傍に行くこともできない。どうすればいいのさ。暫く待っていると、ようやくカスミが反応を示した。唇が戦慄き、怒号がジム内に響き渡る。

 

「………………な、何よそれぇえええ!?」

「と、言いますと?」

「何でピカチュウが波乗り使ってんのよ!! おかしいじゃない!?」

「そんなピカチュウがいてもいいじゃないですか」

「別に悪くはないわよ!! ちょっと驚いただけで……あーもうっ! いいわ、アタシの負けよ! アンタの勝ちを認めてあげる!!」

「はぁ。どうも」

「ほんっとやる気ないわねアンタ!!」

 

 こればっかりは性分なんです。よし、無事に判定も出たことだし。いそいそと監視台から降りれば、待ってくれていたジャンボの前に座り視線を合わせる。お待たせー。

 すると、『一人でよくできました』と笑顔に書いてある相棒から頭を撫でられた。あれ、立場逆じゃね? アフターケアされてる側になっちゃってるよ私。

 とにもかくにも、これでブルーバッヂをゲットだぜ。待ってろよバーナード、すぐに迎えに行くからな!!




この小説は、番外編の技考察と一部リンクしています。

【メルシュ】
種族:ラプラス
性別:♀
アレコレ:メルと縮めて呼ばれることが多い。のうてんきな性格。フシギバナと仲が良く、昼寝をする時はいつもくっついている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09-1

 取り越し苦労もなくブルーバッヂを手に入れて、電話で父親に「今すぐバーナード返せやゴルァ!!」と特攻をかけたところでようやく本調子が戻ってきた。

 可及的速やかに送られてきたバーナードにどこも異常がないか念入りに調べて、無事の再会を喜べば相棒から特大の溜息をいただきました。なにさその顔は。え、疲れた? ジム戦だったもんね、お疲れ様。

 素直に労われば、それはもう般若の顔で凄まれました。私が何したよ?

 そして翌日。まだ昨日の状態を引き摺ったままの相棒を連れて、私はマサキが住むハナダシティの外れにある岬小屋を目指していた。

 今日はいつもより人の往来も多く、賑わっているようで。周囲を見れば、屋台がちらほらと立っている。物珍しく歩いていると、道中でクレープ屋さんを見つけた。私は相棒を抱えて屋台に近づく。

 

「ジャンボ、何がいい?」

「…………チャー、ピカ」

 

 見え透いたご機嫌取りだったが、相棒は「しょうがないなぁ」という様な顔をして選んでくれた。そんな寛大な心を持つお前が大好きだ!

 お許しを貰えたことで、私は気分よく屋台でクレープの皮を作っているおにいさんに声をかけた。

 

「すみませーん、チョコバナナとブルーベリー下さい!」

「はいはい。ちょっと待っててね~」

 

 クレープを待っている間にふと視線を彷徨わせれば、屋台横の壁に貼り付けられていたチラシが目に付いた。それを何気なく読み上げる。

 

「毎月開催、ポケモンバトル五人抜きイベント……?」

「知らなかったのかい? この道を真っ直ぐ進むとゴールデンブリッジって橋があって、そこでやってるんだ」

「ピカー?」

「君もポケモン連れてるなら挑戦してみなよ。参加は無料だし、五人抜きできれば景品も出るみたいだから」

 

 言いながら渡されたクレープを相棒が受け取り、お礼を言ってお金を払った。会計を済ませて私のクレープを貰おうとジャンボの方を見れば、リュックの側面に付けていた自分のポケギアで写真を撮っている。最近の相棒は何かあればすぐにこれだ。お前はどこの女子高生かと問いたい。

 店から離れて、食べ歩きながら先ほどのイベントについて考える。ゴールデンブリッジ……確か、金玉橋のことだっけ。記憶が曖昧すぎて断定はできないが、ロケット団が関わっていたはず。これは面倒くさいことになりそうだ。

 ちらりと見るだけにして、問題がありそうなら通報しよう。そう決めて足を向かえば、イベント会場である橋が見えてきた。かなりの人が集まっているようで、遠目からではまったく様子が伺えない。仕方なく人込みを掻き分け橋の入り口にまで来てみれば、そこには見覚えのある人影が橋の上でポケモンバトルを行っていた。

 

「プリン、往復ビンタ!」

「マンキー、ひっかくだ!」

 

 互いに近接攻撃を仕掛け、キャットファイトに突入した己のポケモンを固唾を呑んで見守るトレーターたち。暫し膠着状態が続いたが、甲高い声を上げたマンキーがその場に倒れて勝敗は決した。喜ぶ挑戦者に向かって走る相棒の後を私も追いかける。

 

「やったー五人抜きー!」

「チャー!」

「えっ、ジャンボ!?」

「おめでとうリーフ。こんなに強くなっていたなんて驚いたよ」

 

 飛び掛ったジャンボを受け止めて驚いている挑戦者は、我が妹のリーフこと万葉(かずは)だった。

 そういえばトキワで別れた時に、こっちのお祖母ちゃん家に行くって言ってたっけ。賞賛の言葉を送りはしたものの、内心では「やっかいな事に巻き込まれてんじゃねーよバーロー!」と非難の嵐だ。恐らくイベントを勝ち抜いたリーフには、なにかしらの出来事が待ち受けているに違いない。さーて、どう切り抜けるべきか。

 再開を喜んだのもつかの間、すぐにスタッフが寄ってきて「五人抜きおめでとうございます!」とリーフに花の首飾りをかけた。

 

「では、景品をお渡しいたしますのでこちらへどうぞ」

「はい!」

「それでは、次の挑戦者はいらっしゃいませんかー!?」

 

 先ほど以上に場が歓声で包まれる。今まさに勝ち抜いた挑戦者を見て、我こそはと挙って名乗りをあげる者の多いこと。

 司会らしき人に案内された裏手へ行こうとするリーフに付いて私も向かう。すると、別のスタッフが寄ってきて私の前を遮った。

 

「ちょっと君、困るよー。ここから先は、一応関係者のみの立ち入りになってるんだから」

「あ、すみません! 私の連れなんです」

「ご家族の方ですか?」

「姉です」

 

 スタッフはリーフの弁護に渋々ながらも道を譲ったが、私にはそうは見えなかった。最後、ちらりとこちらを見たスタッフの視線はしっかりと相棒を見据えていた。狙いが何かなんてすぐにわかった様なものである。

 二人して橋の向こう側に設置されたテントの中に入ると、ガタっという音と共に出入り口を塞がれた。テントの材質とはまったく違う木製の壁からして、外から板で閉じ込められたのだとわかる。私は咄嗟に相棒を後ろに隠す。

 何かあると構えていた私と違い、リーフは突然の事態に驚いて大声をあげた。

 

「いきなり何ですか!?」

「まあ、落ち着いてください。我々は景品をお渡しするだけですよ。その前に少し、お話はしますけどね」

 

 テントの奥、机に腰掛けていたリーダーらしき男が下種な笑いと共に告げる。その後方、控えるように立っている男が二人。合計三人か。まともにやり合うより強行突破する方が早いな。

 頭の中で算段をつけている内にも、男はこちらのことなど気にもせずペラペラと喋り続けた。

 

「我々はただのイベントスタッフではありません。その正体は、あなた方も一度は耳に挟んだことがあるでしょう、闇夜に暗躍するロケット団。そしてこのイベントの本当の趣旨は、強いトレーナーの勧誘です。ここまでお聞かせすればもうお分かりでしょう? 君は選ばれたのです。さあ、我々の仲間になりなさい!」

 

 絶対の自信を持って言ったのだろうが、ドヤ顔されても正直気持ち悪いだけだ。横にいるリーフを見れば、私と同じでどん引いている。ったく、良い歳した大人がいつまでも悪ぶってんじゃねーよ。

 

「素直に従えば、ご家族は無事に帰してあげましょう。ただし、身代金代わりにポケモンは置いていってもらいますがね」

 

 なおも続ける有頂天男にリーフが私の顔色を伺うが、問題ないと意味を込めて笑って応える。

 私はアルディナをボールから取り出して、後ろにいたジャンボを呼び寄せた。すると、おとなしく手渡すとでも思ったのか、取り巻きの男共が寄ってきてジャンボを奪う。一切抵抗せず渡してしまった形になる私に、妹が怒声を上げるが今は気にしない。

 

「ピカチュウにリザードンまで! 君のご家族は随分と珍しいポケモンをお持ちのようだ」

「お気に召したようでなにより。それじゃあ、こちらはどうだろう?」

 

 私の言葉に合わせて、ジャンボが自分のポケギアを操作した。

 

『我々はただのイベントスタッフではありません。その正体は――』

「馬鹿なっ!」

「いつの間に!?」

 

 驚いた男共がジャンボからポケギアを取り上げようと動くが、相棒は難なく拘束から抜け出してこちら側へ戻ってくる。

 日々野外活動をしていると、何かと犯罪現場に出くわすことがあってだね。こういう場数だけは無駄に踏んでいるものだから、相棒も私も対処はこ慣れたものだ。

 最後に、ジャンボが男たちを写真でパシャリ。これで証拠はバッチリだ。相棒のことだ、きっと録音データとこの件については、とっくに懇意にしている増田ジュンサー宛てに送信済みだろう。すぐにこちらに向かってくれていると私は信頼している。

 目的だった景品も貰えなさそうだし、そろそろお暇するとしましょうか。私はリーフの腰を引き寄せて、男たちに言い放った。

 

「じゃあなオッサンたち。これを機に、真っ当に働くことをお勧めするぜ」

「逃がすと思うか!」

 

 掴みかかってきた男たちには、アルディナが羽ばたいた風で相手を転がした。その隙に、私はリーフを抱いてアルディナの背中に飛び乗る。相棒はとっくに首元に座っていた。そしてドンと力強くアルディナは足を蹴り上げる。先ほどの羽ばたきから飛翔準備に入っていたため、すぐに浮上することが出来た。天井には都合よく穴などないため、強行突破で突き破る。バキィ!! という破壊音と共に降ってくるテントの破片から、妹を守るように身を寄せて頭を下げた。ほとんど直角に近い急上昇を行っていたのは最初の数秒で、すぐに辛い体制と風圧から解放されて安定した飛行に移った。

 

「ふぅ~……皆、おつかれさーん」

「グォオオオ!!」

「ピッカー!」

 

 仲間たちからの返事は元気そのもの。うん、問題ないね。そして返事のなかった隣の妹を覗き込めば、一点を凝視したまま全く動かない放心状態でした。

 

「あれ、リーフ? おーい。万葉ー? まじで大丈夫?」

「…………いきなりすぎて、何がなんだか……」

「私も最近そんな経験したばっかりだから、気持ちすっげーわかるわ」

 

 うんうんと頷けば、物凄く白い目で見られました。何その嘘くせぇって顔は。いやマジ本当だってば、妹よ信じておくれ。

 

「ところで何処に向かってるの?」

「マサキの小屋。今ハナダシティに戻っても狙われるだけだからね」

 

 そして私がリーフに付きっきりな分、何から何まで相棒がやってくれています。進路の指示とか、今もポケギアを触っていることからして増田ジュンサーとやり取りしているのだろう。

 

「ジャンボ、ジュンサー何か言ってた?」

「チャー」

 

 相棒が私に向けてポケギアを見せてくる。一度私の方からも連絡してほしいとの事だ。アルディナを掴む右手にリーフを抱える左手と、現在どちらも塞がっているため連絡は着陸してからになりそうかな。

 ジャンボにそう伝えてもらえば、私はようやく肩の荷が下りた気分になった。連動して、腹の底から吐き出すほど長いため息が出てくる。とりあえず、何とかなったかな。

 チラリと相棒に目線をやれば、それに気づいたジャンボがこちらを見ながらVサインをする。正義の勝利ってか? それに釣られて、私も口元を綻ばせた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09-2

突然のシリアス警報。おかしいな、プロットにこんな部分無かったはずなのに。


「――はい、はい。わかりました。今回も色々とありがとうございました。それでは」

 

 通話を終えたポケギアを耳から離し、腕を頭上に上げて大きく伸びをした。長電話で固定された姿勢のせいか、随分と体が凝り固まっていたようだ。そのタイミングを計ったかのように背中に忍び寄る腕を、難なく捕らえて捻り上げる。

 

「いでででで!! ちょ、ちょっとしたお茶目やんか!? 堪忍してーなっ!!」

「悪意ある行動をお茶目とは呼ばない」

「わかった、わかったで!! いい加減、離してくれへん!?」

 

 人が無防備な姿を晒せばすぐにこれか。まったく、この人はどれだけ歳を重ねても根本的なところは成長しないのだな。

 私の目の前で腕を摩りながら涙目になっている男性は曽根崎 征紀。若くしてポケモン転送システムを開発した天才科学者だ。著名な各界人から多数のお誘いを受けるほどの異彩を放つ彼だが、彼自身は個人を好みこの小屋で一人研究を続けている。

 そんなマサキは別名、ポケモンマニアとも呼ばれているほどの珍しいポケモン好きだ。私との出会いも、うちのジャンボの物珍しさが彼の耳に届いてしまったのが由縁で長いこと友人関係が続いている。

 

「ジュンサーさんは何て?」

「ハナダシティの方は一段落して落ち着いたから、もう戻ってきても大丈夫だって。しばらく街中やポケモンセンターにも警備の人が配置されるそうだし」

「なら妹ちゃんは夜になる前に戻してあげた方がええな」

 

 昼間の件からすでに数時間経ち、現在時刻は日も沈み始めた夕刻。

 あの後すぐにマサキの小屋に辿り着いた私たちは事情を説明して彼に匿ってもらっていた。万が一追っ手がかかっていた場合を見越しての選択だ。

 マサキの小屋は辺鄙な所に建っている。その周囲は一見何もないように見えて、凶悪な防衛手段によって塗り固められている強固な城塞だ。マサキが若くして公明な研究者であることを妬んでやってくる愚か者用に対策したと聞いている。当初それを聞いたときはやり過ぎと非難したが、今この状況においてこれほど安心する場所もあるまい。

 最悪ここで妹と共に夜を明かす心積もりでいたが、私はともかくマサキとあまり面識のない妹にとっては、此処よりも祖父母の家の方がずっと気楽に過ごせるだろう。帰りの遅いことを心配しているだろうし、なるべく早く返してあげたいと思っていたところだった。

 増田ジュンサーからかかってきた電話のために外に出た私だったが、前回もロケット団に関わったことから随分と長いこと話し込んでしまったようだ。いつまでも戻ってこない私を心配してマサキがやってきた、というところか。

 

「おたくの相棒は妹ちゃんに付きっ切りやけど。随分と心配性なんやね。ほんとに見てておもろいわ」

「まだまだ語りつくせないほど魅力はたっぷり詰まってるぞ」

「くれへん?」

「嫌や」

「口調うつってもーた!?」

 

 室内へと移動しながらの会話は、年齢差を感じない砕けた気安いもの。お互い結構な偏屈者だからか、こんなに気兼ねない友人は滅多にいない。その数少ない内に入る互いを大事にして続いた関係である。

 

「カズはまだ緊張してんの?」

「しゃーないやろ、見知らぬ年上男性の家やで。しかも、お父はんの知り合いともなれば粗相しないよう縮こまるのも無理ないわ」

「お前に真っ当な感性があったとは驚きだな」

「それくらいもわからんほど子供らしさっちゅーもんがお前さんには欠けとるんやさかい。もっと自覚せーや、姉ちゃんなんやろ? 妹守らんでどないすんねん」

「わかってる。すまない、迷惑をかけた」

「素直に謝るとか気持ち悪すぎて雪が降りそうや」

「お望みならうちの子で吹雪を降らせてあげよう。そして凍るがいい」

「遠慮しときますー」

 

 会話の中でこんな悪態を自然につくほど、私たちには遠慮というものがない。そして、それが普通となってしまったことをすっかり失念していた私は、妹の目から見てマサキがどう映るのかを見落としていた。到着してすぐ、マサキに対してため口をきく私にリーフが怒るのも当然だった。理由を説明して納得はしたものの、私たちに付いていけないリーフが一人疎外感を感じてしまうのもまた仕方がないことだった。そして、あんな事件があってもケロリとした顔をしている私と違い、妹は普通の歳相応の女の子だ。混乱していたあの時と違い、落ち着いた今となってようやく自分の身に起きたことを理解したのだろう。ここに来て暫くして、彼女の目から涙が零れるまで気がつかなかった私はマサキの言うとおり姉失格だ。

 己の愚かさを嘆かずにはいられなかったが、それよりも妹が優先だ。万葉の待つリビングにまで行き、ハナダシティに戻れることを私は妹に伝えた。暗くなる前に行きなさいとアルディラを貸せば、リーフが私の手を握り不安な目でこちらを見る。

 

「シンは? シンも一緒に戻らないの?」

「私の目的地は元々ここに来ることだったんだよ」

「せや。姉ちゃんは暫くここでワイの研究の手伝いのために滞在してもらうことになっとんねん」

 

 初耳だぞ!? と驚いてマサキの方を睨むが、笑って誤魔化される。この場を乗り切ったらタダじゃすまさんからな!!

 マサキの言葉に、万葉はシュンと項垂れるも納得してくれた。

 

「そっか、お仕事なら仕方ないよね」

「ああ……ごめんな、あんなことがあったのに側にいられなくて」

「ううん、大丈夫。私だってあれくらい、乗り越えられるようにならなくちゃ。早くシンに追いつきたいもん!」

 

 今出来る精一杯の笑顔を万葉は見せてくれた。私を安心させたいのだろう妹の心遣いに、そんな顔をさせたい訳じゃないのにと葛藤を抱かずにはいられない。せめて何か私にできることがあるのなら。考えてもやはりこれだと思うものが浮かばない。せめてもの行いとして、出発前に万葉を潰さない程度に加減して強く抱きしめた。想いが伝わるように、妹の存在を今一度この胸に刻み込むように。

 空をゆく私とは全く似つかない妹の後ろ姿に思う。本当に私は彼女と時同じくして生まれた半身なのだろうか。そもそも、記憶など持って生まれるべきではなかったのだ。この身を苛む()の存在なんて――

 

「こーら!」

「あでっ」

 

 深層にまで潜っていた意識が痛覚によって引き戻される。下手人を見れば、眉を吊り上げてこちらを見据えていた。なぜだ、私のほうが被害者なのに。

 

「どこまでトリップしてたんのは知らんが、あんま深く考えなさんな」

 

 そう言いながら、マサキは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。帽子は家の中に置きっ放しだから、髪の毛を乱雑にかき回されるなんて滅多にないことに私は困惑してしまう。

 

「お前さんはワイと同じで異質さかい、他人との差を忘れることも意識することもしゃーないんよ」

「……そんなこと、今更だよ」

「せやな。おっし、今日は鍋や! 美味い鶏団子作ったるで期待しとき!」

「ピッカ!」

「ジャンボも鶏団子好きやもんな。ぎょーさんお手伝いしてくれや」

「チャー!」

「おお、自分やる気満々やないか!」

 

 気を使ってくれたのだろう、友人は相棒と共に家の中へと戻っていった。

 マサキは私と似ている。故に、出会ってすぐに自分と同じような境遇の私たちに気がついたのだ。誰とも決定的に違う、そして理解されない部分をもった自分が一生背負っていく孤独感。話して楽になることもあるだろう、それでも持って生まれたものは変えようがない。皆と一緒がよかった。こんな自分は嫌だ。いくらそう思っても生きている限り背負っていかなければならない運命に、どれほど神を呪ったことか。

 そんな私たちに救いの手を差し伸べてくれたのがマサキだった。

 彼は感情に関しても天才であった。最終的に行き着くところは皆、妥協案を考えることなのだよ。そう彼が諭してくれなければ、私はどれほど相棒を泣き悲しませ続けることとなっただろうか。

 マサキは言う。自分の楽しいこと、興味のあることを目一杯しよう。そうすることで、己の不幸をかき消すことにした。「臭いものには蓋をするっつーわけや」そうおどけて言った彼の顔を今でもよく覚えている。

 そうだ、私もあの時誓ったはずだ。この記憶がある意味を探そうと。この記憶で後悔をするなら、それ以上にこの記憶で幸福になることをすればいいと。もって生まれたことを活用しなくては意味がないと、彼も言っていた。

 頭で理解できても、感情の波が治まらない時もある。誰にも迷惑はかけたくない。自分自身の問題は自分にしかわからない。いくら他人から共感の言葉を得ても、それは本当の共感ではない。マサキが一人でいる意味が、なんとなくわかった気がした。

 

 私は暫くの間、一人で外に佇み空を見上げていた。頬を伝う一筋の放物線にも気づくことなく、相棒が呼びにくるまでただただ顔色を変えていく空を眺めていた。




作中にて、終わりがけに「私たち」と表現した部分は合っています。誤字ではありません。
次回からは通常のギャグ風味に戻ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

09-3

 カタタタ―― カタタタ――

 

 荒々しくキーボードを打ち付ける音が室内に響く。机上に散らばる資料と画面を視線でいったりきたり、忙しなく動く眼球が疲労を訴えるも休息は認められない。刻一刻と過ぎていく時間との勝負に、あと少し、もう少しだと己を励ましながら追い込みをかける。

 

 ガダダダ―― ガダンッ!!

 

 最後の一文を無駄に勢いつけて打ちこんだところでフィニッシュ。すかさず時間を確認。夏でもないのに手汗の滲んだ拳を振り上げて、私は勝利の雄叫びを上げた。

 

「よっしゃあああああ! 終わったぁーーー!」

「ほな、次はこっちよろしゅう」

 

 目の前に突きつけられたのは、隣から伸びてきた手に握られた新しい書類。余韻に浸る間もなく、無慈悲にも与えられた次の仕事に、私の体は文字通り崩れ落ちた。もう嫌だ、動きたくない。

 無理だよ。終わりっこない。どうやったらこの膨大な資料を纏め上げて今日中に完成させることができるのか。お願い誰かセレビィ連れてきて。

 先日、ロケット団から逃げるために此処へ逃げ込んだ私たちは、万葉をハナダシティに帰した後の夕餉の席にて、マサキから告げられた滞在条件に有無を言わさぬ状況も相俟って従うこととなった。その理由は、私とジャンボの特徴と合致する情報がネットで溢れかえっていたからだ。そこまで探すということは、報復でもするつもりなのか、とにかく私を重要人物と捉えているのは確かだろう。犯人はわかりきっていたが、こちらからあえて何かするつもりは特にない。現実問題、組織集団相手に子供一人で何ができるっていうのさ。ある程度騒ぎが落ち着くまで私たちは安全が保証されている此処、マサキの家でお世話になることになった。その対価として、マサキの仕事を手伝うという労働条件を飲むこととなった訳だが。

 正直ここまで扱き使われるとは思わなかった。夕食の後から早速仕事は始まり、簡単な資料整理だと高を括ればどんどん積み上げられる書類の山に冷や汗が流れた。寝る間も惜しんで終わらせれば、今度は期限の迫った仕事があるとその一部をポンと丸投げされて。やっと今終わらせたと思ったらこの仕打ちだ。

 床に転がったまま現実逃避する私を、隣の机で作業しているマサキが急かすように足でつつく。

 

「いつまでカーペットと見つめあっとるん。こっちも時間ないねん、はよ座って仕事せい」

「私とこいつは相思相愛なんだよ。邪魔するマサキはギャロップに蹴られる運命」

「自分頭のネジどっかに落としてきたやろ? おーい、ジャンボー! お前の相方が故障しとるでー!」

 

 マサキからヘルプ要請のかかった相棒はすぐにやってきた。頭に三角巾、口元にはマスクをつけたエプロン姿で。うちの子はいつのまに大沢家政婦紹介所に就職していたのか。

 おかしいな、昨夜見たときはいつも通り自前の毛皮ジャケットだったはず。人はそれをマッ裸という。裸で羞恥を覚える概念はないらしいので気にしない様だけど。

 ジャンボは芋虫状態になった私を見てため息をつくと、背中に乗ってきて微弱な電気を流し込みながら指圧を始めた。

 

「あ゛~……生き返るぅ~……」

「ええなそれ。ジャンボ、次ワイにも頼んます」

「チャー」

 

 今まで気を張っていた全身の力が抜けていく。疲れきった体に与えられる緩やかな刺激に脳が蕩けてしまいそうだ。いや、すでに体は溶けているのかも。一昨日からまともに寝ていないせいで、一度下がってしまった瞼はうんともすんとも言わない。もうゴールしていいよね?

 返事はノーと言わんばかりに止めの一撃をくれた相棒は、私をしっかりとイスに座らせて作業を開始させるまできっちりと仕上げていきました。お前はどこのオカンじゃ。

 隣から聞こえるオッサン臭いだらけ声を無視して仕事に取り掛かれば、あとは集中するのみ。リミットまであと五時間もない、まさに今が正念場だ。再び画面に噛り付くように作業を進める。

 次第に周囲の音は消えていき、自分だけの世界に入り込む。この感覚は久々だな、去年の冬以来だろうか。主に研究室からヘルプで呼ばれて行くと大抵はこんな感じだ。どこも締め切り直前まで仕事貯めてるんじゃねえよ!!

 

「ピカピー」

 

 ジャンボの呼び声に、切りのいいところで指を止める。ディスプレイの時計を見ると、もう一時間も経っているではないか。だから終わらないって!

 顔を向ければ、クッキーを手に持ったジャンボが待ち構えていた。疲労した脳が糖分を求める本能に従い、クッキーに噛り付く。うん、美味しい。

 

「既製品ぽくない味だね。手作り?」

「チャー」

「良くできてる。また腕上げたね」

「ピッカチュ!」

 

 エヘンと胸を張る相棒に飲み物を強請れば、ちゃんと用意済みだったようですぐにコーヒーが出てきた。もうどこに嫁に出しても恥ずかしくないな。うちの子、雄だけど。

 ジャンボは甘いもの好きが高じてお菓子作りが得意だ。料理はあまり好かないと本人は言うが、手先が器用なので繊細さが求められるお菓子作りは私よりも遥かに上手な腕前を持つ。

 ひと時の休息を味わいつつ、そういえば隣で作業しているはずのマサキが見えないと気づく。トイレかなと相棒に訊ねれば、カタンと開かれる扉の向こうに噂のご本人が登場。扉から一直線に私へと迫りくる彼は、その勢いで綺麗な土下座をかました。いきなりどうした!?

 

「シンクはん、息子さんを嫁に下さい!!」

「やらん」

「そこをなんとか!!」

「却下」

「後生やでーっ!」

「落ち着け。いきなりどうしたよ?」

 

 問えば、顔を上げたマサキが興奮しながら語りだした。用を足しに部屋を出た瞬間、傍目からわかるほど家の中が綺麗に掃除されていたこと。微かに漂う甘い匂いに釣られて行けば、台所でクッキーを焼くジャンボを見て驚いたこと。更にそれが大層美味で感動したとか。

 

「しかも小さい頃お袋が焼いてくれた味に似とんねん。もうこれは求婚するしかないと思ってな」

「馬鹿かお前は」

「男は胃袋捕まれたらオシマイやねん!」

「ピィー……」

「気にすんな、ジャンボは何も悪くない」

 

 賞味期限の近かった卵を片付ける目的あっての行動に、誰がお前を責められようか。先ほどのマサキに驚いて私の背後に逃げた相棒が、またしても申し訳なさそうな声をあげる。だからお前のせいじゃないって。

 人のことネジが抜けたとか言うくせに、自分はどうなんだよまったく。嫁とか考えるんじゃなかった。タイムリーすぎて笑えない。フラグ立てた私にも責任がありそうだ、すまんジャンボ。

 目の前で真剣に頼み込む愚かな大人に制裁を加えるべきかと、腕を振るう前に相棒が自ら出てきてマサキに両手を合わせてお辞儀のポーズ、つまりお断りを入れていた。

 

「なんでなん! なんでそないにお断りまでスマートに出来るんや!? 余計に欲しくなってまうがな!!」

「うちの子どこ行っても人気者だからさー。振った男の数とか一々数え切れない、みたいな? その手の経験値は高くてよ」

「くそう、相手が高嶺の花すぎた!!」

 

 親としては鼻が高くて嬉しい反面、魔の手から守るのも一苦労なんですけどね。そこは愛でカバー。

 悔し泣きをするマサキをジャンボがよしよしと撫でて慰めてるけど、それ逆効果だから。余計に欲しがられるに決まってる。ほら、マサキがジャンボを抱きしめて「離さへんでーっ!」とか抜かしてるし。言わんこっちゃない。

 見苦しいおっさんから相棒を取り戻して膝上に置く。いつも感じるふかふかの手触りがエプロンに阻害されているため、僅かな違和感を覚える。

 

「そういえば、このエプロンどうしたの。まさか、マサキがジャンボのために……?」

「そこまで用意周到とちゃうわ」

「ピピ!」

「まじか。いつの間に持たせたんだ」

「……シンク、ワイにはわからんで翻訳してくれへん?」

「犯人は母」

「お礼の電話入れてきてもええ?」

「ついでに、余計なもの仕込むなって言っといて」

 

 実家の番号を適当な紙に書いて渡せば、上機嫌でマサキは部屋を出て行った。掃除ひとつでそこまで舞い上がるのか。

 この家は少々特殊な構造のせいで、ポケギアの電波は室内に届かない。固定電話を使うか、外に出てポケギアを使うしかないのだ。不便だがこれも防衛のため、慣れれば問題ない。

 ちなみに私のポケギアは、この部屋に缶詰になっている間ずっとジャンボに預けておいてある。時々外に出てメールを受信してもらうためだ。急ぎの用件があるといけないからね。コーヒーを飲む片手間に、思い出したついでにポケギアを返してもらってチェックする。相棒もイスを隣に持ってきて、同じ机に本を広げながらココアを飲んでいた。

 ロケット団のことがあったからか、家族からやたらとメールが入ってきている。いちいち返事をするのも面倒くさいので、内容にだけ目を通して返信はジャンボに任せよう。

 のんびりと過ごしていたら、あっという間にマサキが戻ってきた。随分早かったね。

 

「シンクのおっかさんにエプロン着てるジャンボの写メ送ってくれ言われたわ」

 

 言うが早く、私は相棒のエプロンを脱がし始める。私のいきなりの行動に「チャー! チャー!」と相棒は声を上げて抵抗するが、お前その声音は楽しんでやってるだろ。お代官様ごっこじゃねーんだぞコラ。

 

「ワイ、今ならジャンボの翻訳できるで」

「言ってみろよ」

「チャー、ピカピチャッチャー!」

「キャー、シンクのエッチー!」

 

 ドヤ顔で言うマサキに思わず足が出た。両手は相棒にかかりっきりだったからしょうがないよね。床で悶絶する馬鹿は放っておいて、私は無事に相棒からエプロンを取り上げることに成功した。心底残念がるジャンボに、しっかりと釘を刺していくことも忘れない。

 

「あのなあ……ノリがいいのも分かるけど、こういう事は程ほどにしておかないとお前は何でも請け負っちゃうんだから。もう少し自分を大事にしなさい。わかったか?」

「ピ~……」

 

 むすーっとした顔で視線を逸らすジャンボの顔を両手で挟みこんで念を押しておく。

 

「わ、か、り、ま、し、た、か?」

「ビッ、ビィッガヂュー!」

「よろしい」

 

 しっかりと返事をしたことで両手から解放してあげる。楽しいのもわかるけど、私はお前をアイドルにしたい訳じゃないんだからな。研究室ではすでにそんな扱いだけど。

 昔に一度、母が勝手にジャンボの写真を雑誌に送って賞を取って来た事がある。専属モデルをやらないかと誘われて私が猛反対をしたことを母親は今でも悔やみ、虎視眈々とリベンジを狙っていることを私は妹経由で知っている。絶対阻止!

 涙目で頬を擦る相棒を横目に、私はディスプレイへと向き直る。さて、ぼちぼち作業に戻るとしますか。丁度キーボードに指を置こうとしたところで、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 

「ピカチュ?」

「あ、そういやさっき電話でこっちに荷物送ったって言うとったわ」

 

 思い出したように言うマサキが、どっこらしょと掛け声をつけて立ち上がる。

 もしかしなくても母さんからだよね。嫌な予感しか感じない。一番に玄関へと駆けていったジャンボをマサキがふらふらと追いかけていく。そこまで痛くした覚えはないんだがな。

 5分とかからず、閉じられた扉が音を立てた。開けに行くと、ジャンボが頭上に大きな荷物を抱えて立っている。受け取れば、見かけに反してそこまで重くない。中身の想像はし難いが、とにかく邪魔にならないスペースに置いていく。

 おかしい。何がって、母さんが荷物を送ってきたこと自体がまずおかしい。うちの家族は皆抜きん出て変わり者だが、その中でも色々な意味で頂点に君臨する母親の行動は人一倍やっかいな事この上ない。ぶっちゃけ、箱の中身が凄く怖いんだ。

 私が此処にいることを知るのはリーフに聞いたなら分かるとして、早くても一昨日。予め荷物が用意されていたと考えても早すぎる。

 遅れて戻ってきたマサキが、送り主は祖父母だと教えてくれた。中継地点があった訳ですか、なるほどねー!

 揃ったところで、いざ御開帳といきたくても手が意に反して伸びない。中々開けようとしない私に気づいたマサキが、ジャンボにいらぬ告げ口をする。

 

「ジャンボ、これ宛名がお前との連名になっとるで開けちゃえ」

「チャー!」

「なぬっ!?」

 

 取られてたまるかと行動するも一歩遅く、見事な速さで相棒は箱を奪取して隅の方で開け始めた。

 いいや、ここで開けなくてもいずれは見なければいけないんだ。現実を受け入れるしかない。

 腹を据えて渋々と相棒の側まで向かえば、先に中身を見たのだろう二人から歓声が上がった。え、何? 何が入ってたの!?

 慌てて覗きに行けば、私の口からも悲鳴が飛び出した。

 

「何じゃこりゃあああああ!?」

 

 相棒が箱から取り出したそれは、見事な光沢を放つ素材で鮮やかな発色を見せ、シンプルながら所々に意匠を施された高級品だと一目でわかった。

 他にも付属の品々が多数入っていて、全てを合わせれば――

 

「完璧なパーティー用のドレスコードやな」

 

 マサキの言葉にガクリと膝を落とす。見れば化粧道具や靴、装飾品まで全て一式揃っている有様。

 

「ご丁寧にも鬘まで用意されてるっちゅーことは……」

「言うな! それ以上私を追い詰めるのはやめろ!!」

「せやかて、お宅の相棒はすでにアップを始めとる様やけど?」

 

 マサキの示した方を見れば、私が座っていたイスに乗って鼻歌を歌いながらコピー用紙に何やら書いているジャンボがいた。背後から覗きこめば、ご機嫌な様子で先程の衣装を着た女性の絵があった。何通りも髪型があり、それに合わせた化粧についても書かれている。もしかしなくても、それって……。

 頭を振って視線を逸らせば、今度はマサキが笑顔で手招きする。

 

「いやー、すっかり忘れてたわ。堪忍な、これ招待状」

 

 手渡された封筒には、しっかりとサントアンヌ号のロゴが入っていた。こんなイベントだったっけ、と思い出すも詳細な記憶はすでに時の彼方だ。

 確かにゲームでも豪華客船と銘打ってたし、父さんもパーティとか言ってた気がするけど。なんで私がわざわざそんな格好をしなくちゃいけないのさ!?

 

「今から辞退は……」

「もう主催者側に連絡いれてもろてん。諦めい」

 

 楽しくなってきたと言わんばかりの顔を隠そうともしないマサキとは対に、私は絶望の底へと沈んでいく。

 

「…………ああ、そうだ。連名ってことは、これをジャンボが着る可能性もあるわけじゃん。鬘まであるんだからさ、完璧な女装ができるんじゃない?」

「シンク、それ誤魔化しきれてへん。ただの答えや」

「嘘だぁあああ!!」

 

 最後の可能性にまで見放された。ああ勿論、どう考えても無理があるってわかってたさ。それでも一抹の希望にかけてもいいじゃないか!

 遣る瀬無い気持ちを拳に乗せて、床をバンバンと叩きつける。お祭り気分の周囲に孤立して一人お通夜気分の私。くそう、これだから母さん絡みの件は碌な事がないんだ!!

 項垂れる私の肩にマサキが手を置く。

 

「パーティまで大分日にちがあるし、それまでは気楽に過ごしぃや」

「マサキ……!」

「とりあえず、今は時間押しとるし仕事しよか」

「……はい」

 

 それからの私は、無心でキーボードを叩き続ける機械と化したとはマサキの談だ。ジャンボは浮かれて家事を率先して行ってくれたとか。どんな喜び様だよ。

 

「いや~、優秀な助手が二人も飛び込んでくるなんて。日頃の行いが善い証拠やな!」

 

 嘘こけ。




【マサキ】
本名:曽根崎 征紀(そねざき まさき)
年齢:28歳
身長:171cm
性別:男
アレコレ:レッドとは5年前に父親を通じて紹介される。現在では歳の差関係なく親友の間柄。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10

クチバシティ編

今回はゲームにもあった汚いシーンのため、一部文章の中に嘔吐表現があります。
一応内容は軽く書いていますが、嫌悪感を抱く方は読む前にブラウザバックをお願いいたします。


 太陽が水平へと沈みかかる夕暮れ時、私はクチバ湾港にあるフェリーターミナルへと足を運んでいた。

 さすがポケモン協会主催のパーティなだけあって、この場に集まっている人たちを見る限りでも豪奢であると言えよう。

 開場してまもない時間だからか、受付はどこも空いている。私は一番手近な受付に向かうと、スタッフに招待状を見せた。

 

「曽根崎征紀様代理の、日下部真紅様でございますね。承っております。それでは、こちらに必要事項のご記入をお願いいたします」

 

 渡された用紙は三枚あった。最初の一枚は正規参加者であるマサキ用、次は代理参加である私自身が書くもの、最後の一枚はポケモンを同伴参加する際に必要な手続きの為だ。

 主催者によるが、ゲストのポケモン持込は犯罪防止を兼ねて禁止しているところが多い。今回のパーティはポケモン協会が主催なだけあって、事前申請さえすれば持込は可能のようだ。これもマサキが手配してくれたのだろう。ありがたや、ありがたや。

 ロビーのソファーに腰掛けて、もらった筆記用具と用紙を机に広げる。横に座った相棒に3枚目を渡して共同作業をすれば、あっという間に視線が背中に刺さってくる。

 はいはい、どうせうちの子が珍しいんでしょうが。こういう場なのだから皆さんもう少し弁えましょうねー。あからさまに不躾なのはどうかと思いますよ。

 私が2枚目に手を延ばそうとしたところで、相棒から声をかけられる。隣を見れば、書き終わった用紙を片手に持った相棒が、とある一文を指していた。

 そこには『お連れのポケモン様にはお手数ですが写真を取らせていただきます。その後、パーティ会場内で身に着けていただくネックストラップを作成いたします。少々お時間をいただく事をご了承ください』と書いてある。

 なるほどね。迷うことなくGOサインを出せば、一筆したためた相棒が用紙を持って受付へと歩いていく。きっと「写真お願いします」とか書いてあるんだろうな。教育の甲斐があったってもんだよ。

 私も急いで書き終えて受付に行き、荷物チェックを終わらせる。途中でこちらに戻ってきた相棒と一緒にボディチェックをして、ようやく手続きは完了した。

 もうこれだけで疲れたよ。帰りたいと願いを込めて相棒を見れば、呆れた表情でサムズアップされる。なにその投げやり感。

 

 

 

 案内された船内会場へ辿りついた私たちがまずしたこと、それは研究室のメンバーと合流することだった。待ち合わせ場所など決めてもいないし、こんな場でポケギアを使う訳にもいかない。

 コツコツと普段からは聞き慣れない足音を響かせて、私は人が集う船上ラウンジをあても無く進んでいた。その足取りは重く、本人の意向に沿ったかのように気が乗らないことを如実に現している。

 頭部はウィッグとコサージュにより、重さに違和感を感じて頭がフラフラするし、素足なんて晒す事自体が滅多にないせいか、足元が心許ない上にスカートのヒラヒラが気になって仕方がない。

 スタイリスト基、ジャンボによれば《清楚且つ大人っぽさを感じさせるようなフェミニン》をイメージをしてコーディネートしたらしい。そんな本日の服装はこちら。

 素材はウエディングドレスサテンのAラインワンピース、色は落ち着いたネイビーで裾は4段ティアード、丈は膝上やや短め。腰を締めるようなリボンが巻かれており、側部には頭部と同じコサージュが反対側に付けられている。ベージュ色のボレロを羽織っているので見難いが、背中部分にある編み上げがワンポイント。髪型はあまり派手過ぎないようにと注文したはずが王道のハーフアップ。これでも譲歩したと相棒に訴えられて渋々私が折れる結果になったが、十分な派手さだと私は思う。

 どこからどう見ても女の子な格好に仕上がった私を見たマサキの感想がこちら。

 

「ええんとちゃうか。コンセプトから言わせてもらうなら、元々タッパもあるし細いから大人っぽく見えはるけど、子供特有の丸みは年齢積まへんと取れねんからな。ぱっと見14歳ってところか」

 

 女兄弟もいるマサキが言うのだからその通りなのだろう。それでも4歳上乗せか。げんなりする私とは反対に、目標16歳を掲げていたにも関わらず相棒は浮かれていたのが癪に障るが。

 ナチュラルメイクを施され、黙っていれば紛うことなき美少女に変身した私だが、いかんせん中身に問題がありすぎる。

 それなりの場、それ相応の振る舞いがあると指摘したマサキにより、教育的指導が入った。

 完璧な猫を被るために開催前日から口調の練習、マナーの確認などを体に叩き込まれたが、所詮は付け焼刃。いつ化けの皮が剥がれるか気が気じゃない。

 恐る恐るこの場に挑んだ訳だが、入場は何事もなく終えることができた。まずは第一関門クリア。さーて、お次は渡すもの渡してとっととおさらばだ!

 皆は騒がしいところが嫌いだと目星をつけて、人気の少ない甲板に来てみたものの。地道に歩き回っていたが、そこにいたのはものの見事にスタッフばかりで。参加ゲストは全くと言っていいほど姿が見えなかった。

 よくよく考えれば当然のこと。夕暮れに伴って気温の下がり始めた港風は、大層冷たく肌を打ち付けている。つまり、寒い。

 

「そりゃ船内があれだけ込み合う訳だー……」

「チャー……」

「……しゃーねー、戻るか」

「……ピカチュ」

 

 無駄足を踏んだ結果に揃って肩を落とした。さらに沈んだ足取りで船内へと向かう途中、手摺にもたれ掛かるように蹲る男性が目につく。

 一度気になるとさすがに無視して行くのも憚れる。そのまま素通りできるはずもなく、私たちは男性へと足を向けた。

 

「あの、大丈夫ですか? どこか具合が悪いのですか?」

「…………き、気持ち悪い……」

「動けますか?」

 

 首を振って否定する男性の背中をジャンボが摩っているのを見て、ふいに頭を過ぎるものがあったあった。

 あれ、この展開どこかで見覚えが――ぁあーーー!?

 やっべ、これ絶対やばいぞ!!

 私は急いで周囲を見渡す。すると、まさに今ちょうど甲板へ出てきた人影を見つけた。遠目で誰かもわからぬ人へと大声を張り上げる。

 

「すみません、大至急医務員さんかスタッフの方を呼んできてください!! この人、嘔吐しそうなんです!!」

「え、は……俺?」

「早くっ!!」

「わ、わかった!」

 

 走り去っていった後姿を確認して、私は急いで鞄の中からビニール袋を取り出した。

 なんでそんな物持っていたかって? 月の石を包んでいた袋だよ! 

 一先ず月の石はハンカチで包んでおくとして、私はビニール袋を男性に手渡す。

 万が一のためにと用意した袋だったが、その出番はすぐにやってきた。

 袋の中へ顔を突っ込んだ男性が表現したくない音を立てる。臭気にこみ上げてくるものを必死に押し殺しながら、ジャンボに代わって背中を摩った。

 その相棒はといえば、現在少し離れたところで私の鞄を持って待機中。人間よりも鼻が利く分、彼には相当なダメージなのだろう。

 耐えろ私、しっかりするんだ。夏場締め切り間近の男臭さが詰まった研究室だってこれに負けてないぞ。

 なんとか介抱すること数分、どたどたと大きな足音を立てて数人がこちらに向かって走り寄ってきた。

 

「お待たせしましたお客様、後は私たちにお任せください!」

「船長! 無事ですか!?」

 

 医務員らしきスタッフに抱えられて運ばれていく船長を見送って、私はその場に残った他のスタッフから謝罪を受けた。

 どうやら朝から具合を悪くしていた船長は、潮風に当たってリフレッシュしてくると言って出て行ったままここで蹲っていたようだ。「そうなんですかー」と適当に聞いていたが、内心は「やっぱりこうなったかー」と思わずにはいられない。

 あの男性が船長だとは知らなかったが、気持ち悪いと体調不良を訴えかけられた途端、ここがサントアンヌ号だということで思い当たる節があった。本当によくぞ咄嗟に記憶を引き出せたもんだと自分を褒めたい。ゲーム知識だと船長って確か、船内の自室でゴミ箱に向かってリバースしてなかったっけ。しかも理由は船酔いとかだったような……。

 必死に頭を下げるスタッフに気にしないでくださいと答えたが、名前を控えられたので後日何かあるかもしれない。マサキの名前で来てるんだし、私には関係ないよな。一応のため下の名前は伏せて苗字だけ名乗っておいたし。

 

「本当にご迷惑をお掛けいたしまして、すみませんでした」

「人間誰しも不調になる時だってありますよ」

「お気遣いありがとうございます。そちらのお客様も、ありがとうございました」

 

 そういえばいたっけ、と自分で顎に使っておきながら忘れていたもう一人へと視線を向ければ、信じたくない顔がそこにいた。

 

「いや、俺は偶然通りかかっただけで……」

 

 謙虚に否定する少年は困ったように笑いながら頬をかいた。

 見慣れぬフォーマルな格好と、いつもならツンツンと跳ねた髪を若干落ち着かせているせいか、咄嗟に判別できなかったのが私のミスか。

 

「お客様のお名前もお伺いしてよろしいでしょうか?」

「ええと、……大木戸翠です」

 

 そういえばあったね、ライバルイベント!!

 だからって現実でもタイミングよく現れるんじゃないよ!!

 

「大木戸様。もしや、あの大木戸博士のお孫様でしょうか?」

「……はい。祖父の代理で出席させていただきました」

 

 目の前で交わされる会話を尻目に、私の脳内では警報が打ち鳴らされていた。エマージェンシー! 敵に気づかれる前に戦線離脱せよ!!

 現段階では私がレッドだとバレてないはず……バレてないよね?

 これ以上何かあると嫌なので、私はそそくさとその場を抜け出した。少し早足に船内へと向かう。急いで人ごみに紛れてしまおうと人波に向かって駆け足すれば、背後からぐいっと腕を取られて踏鞴を踏むはめに。今度はなんだ!?

 必死に表情を取り繕って後ろを振り向けば、先ほど逃げ出した原因が私の腕を掴んでいた。ギャアアア!!

 

「あっ、その、……いきなりすみません!」

「……何か御用でしょうか」

「えと……知り合いに似ていたもので、つい……」

 

 バレバレかー!? やばい、今絶対心拍数が物凄い数値になってる。服が汗でびっしょり顔も熱いようひゃあああ!!

 明らかに挙動不審だよ私。こんな時こそ落ち着け、今の私はご令嬢、そうガラスの仮面を被るんだ!

 小さくスーハーと呼吸して一拍置く。自然に見えるよう笑顔を貼り付けて、グリーンと向かい合った。

 

「先ほどはお礼もせずにすみません。スタッフの方を呼んでくださりありがとうございました」

「いえっ、あれは緊急事態でしたし!」

 

 慌てて否定するグリーンの顔もよく見れば赤い。おいちょっと待てよ。お前さっき知り合いに似てるって言ったよな。

 誰にだよ。さすがにレッドとは似ても似つかないだろ。まさか万葉か? つまりうちの妹に惚の字ってこと?

 双子とはいえ二卵性で誰しもが似てないと断言するくらいの私たちだぞ。今度あいつに会ったらそれとなく聞いてみよう。

 しっかりと心のメモに記入して、私はこの場を脱出すべく切り出した。

 

「申し訳ありませんが、連れを待たせているので私これにて失礼いたします」

 

 はっきりと宣言すればグリーンも追い縋るような真似はせず、今度こそ私は人ごみの中へとその身を隠すことができた。

 適当に人波を割り進んだあたりで突然の方向転換、壁側へとずんずん歩いていく。この会場はご丁寧にも壁に沿った位置にソファーが置いてある。なるべく周囲に人のいない場所を選んで腰掛ければ、どっと疲れが押し寄せてきたように身体が重く感じる。

 はぁーとため息をついて、私はぽつりと零した。

 

「……お待たせジャンボ。もう出てきていいよー」

 

 ぴょんと目の前の人波から飛び出してきた相棒を受け止める。ぎゅうっと胸にかき抱けばこれほど癒される存在もいない。お疲れとお互いに背を叩き合い労う。

 実はグリーンがスタッフと一緒に船上へと走ってきた時からジャンボは身を隠していた。レッドの近くには常に規格外のピカチュウがいる、これは当然の認識だろう。私の正体をバラさないためにも、彼は咄嗟の判断で行動してくれた。本当に頭の良いパートナーでよかったと心から感謝。

 鞄を受け取って、さてもう一度メンバーを探すかと立ち上がれば腕の中にいる相棒が正面を指す。

 

「もしかして、追いかけてきてる途中で見つけた?」

「ピッカー!」

「でかした相棒」

 

 目的地が判っているなら人波も幾分かは乗り越えやすい。流されないように下半身に力を入れて、ぐいぐいと押し進めば段々と聞き覚えのある声が耳に届く。間違いない、彼らだ。

 

「副室長! 皆!」

「あんれ、シンクじゃん。それにジャンボも」

「ピッカチュ!」

「おっひさー。お前も参加してたんだ?」

「なんだぁ、珍しくめかしこんでるぞ」

「見ない内にまた背伸びたか? って、お前それヒールかよ。今身長いくつ?」

「この前健康診断行ったら155cmだった。ヒール込みで大体160cmくらいかな」

「にょきにょき伸びやがってコノヤロー」

「ジャンボはちょっと太ったか?」

「確かに。ぷにぷに度上がってんな」

「ピギャッ?!」

 

 ようやく会えたと一息つく間もなく揉みくちゃにされる私たち。久々の再会だってのに相変わらず容赦がない。

 肝心の父親は姿が見えなかったが、どうやら主催者に挨拶に行っているらしくまだ当分かかるそうだ。本当はとっとと渡す物を置いて帰りたかったが、また暫く彼らとも会えないし少しくらいは、と輪に混ざらせていただくことにした。

 研究室の中では一番年下な私たちは、自分で言うのも何だが相当可愛がられているのだと思う。勿論、仕事をするにあたって甘えは不要。研究期限の追い込みともなれば修羅の人と化するので話は別だが、普段接することに関してはまだ私が子供だということで何かと世話を焼いてくれている。

 待っている間に飲み物や食事を貰い、これまでしてきた旅の話をすれば、けらけらと笑ってくれる。

 

「聞いたぞ。また事件に首突っ込んだらしいじゃねえか」

「お前のことだから心配いらねえとわかっちゃいるがな。あんまし危ないことはするなよ」

「そうだぞ。室長以上に俺らが気にしてるんだからな」

「そんな皆にプレゼント。偶然にもお月見山の頂上に辿りついてしまったシンクさんが必死に取ったレポートがこちら」

「なんだって!?」

「おいおいマジかよ!!」

「記録媒体で纏めてあるから、研究室に戻ったら解析よろしく」

「うぉおおお誰か俺にパソコンをー--!!」

「よっしゃ、お前これからもどんどん冒険してこい!!」

「ちょっとやそっとの危険は付き物だ!!」

「おいおい、さっきと意見が180度違いやしませんかね? 私の心配はどこ行ったよ薄情者共」

「うるせえ俺たちゃ生粋の研究者だ!」

「そーだそーだ! よくやったぞシンク!」

 

 盛り上がるメンバーから順々に賛辞の言葉を受けるが、皆揃って頭をわしゃわしゃと撫でていくので地味に痛い。せっかくセットしたのに、とジャンボが怒って抗議するも、ハイテンション状態の彼らには全く届いていないようだ。どんまいジャンボ。

 そこに、「おーい!」と少し離れたところから父親の声がした。全員の視線がそちらに向かう中、私だけが悲鳴を上げそうになる。何故なら父親の横に、またもや見たくもない顔がいたからだ。

 

「私帰るね」

「って、おい待てよシンク! 月の石は!?」

 

 副室長からの指摘に、私は鞄の中から石を掴んで狙いを父親に定める。他の人を巻き込まないよう、人が重ならない一瞬を狙って思いっきり投球。それは標的の頬に見事どストライクした。

 これにて任務完了である。もう私がこの場にいる必要はない。ないったら無い!

 周囲が唖然とする中、私は急いでその場から走り去った。野外でフィールドワークに勤しむ足の早さは伊達じゃないのさ。

 三十六計逃げるに如かず。敵前逃亡も立派な作戦である。

 その後、私が去ってからグリーンと父親が何を話していたのかは知る由も無かった。




「あいたたた……」
「大丈夫ですか日下部さん!?」
「いやあ、まいったねえ。紹介する前に逃げられちゃったよ」
「もしかして、今走り去って行ったのが」
「ああ、君とは6年ぶりになるのかな。昔、といっても少しの間だったけど。君とうちの娘は一緒に遊んでいたんだ。って、もう覚えてないかな」
「……覚えてますよ。俺の、初恋でしたから」
「へぇ~! ちなみに娘っぽいのと娘もどきと普通の娘で言うとどれ?」
「え!? ふ、普通だと思いますけど……」
「そっかー。うん、わかったー」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11-1

クチバシティ編


「うおりゃあああ!!」

 

 青年と呼べる体格の男性が、勢いよく声を張り上げて真正面から挑んでくる。力を溜めるように引いた右拳を見て、私は一歩前に踏み出した。

 振り上げられた右拳をいなす様に、こちらも右腕を伸ばす。交差する腕を掬うように、身体ごと斜めに動かせば相手の腕が落ちてくる。

 良い流れだ。自然と口角が上がる。

 そのまま相手の側面に位置どった私は、掴んだ右腕を勢いに乗せたまま振り上げて、背後を取るように身体を捻りながら弧を描く。すると相手の男性は見事な一回転で床に叩きつけられた。

 

「もらったぁああ!!」

 

 息つく暇もなく右後方から発せたれた声に、内心で「どこがだよ」と冷静な突っ込みを入れつつ、急いで迎撃体勢に入る。

 突き出す形で出されたパンチを一歩横にずれる形でかわす。その際に相手の手首部分を両腕で掴み手前に引っぱる。向こうの押し出す力にこちらの引く力が加わり、突然の衝撃に驚いた相手は前のめりに体勢を傾けた。そのタイミングで力を殺さず、流れのまま腕を捻り上げるように持ち上げる。後は片膝を付くぐらい腕を下へ向けて振れば、くるりと男の姿が宙を舞う。

 ドシンと派手な音を立てて相手は頭から転がり落ちた。しまった、雑に投げちゃったかも。

 ぴくりとも動かない男の様子を見るために屈みこもうとした、その時。

 

「……っ?!」

 

 それは咄嗟の判断だった。私は嫌な予感と同時に一歩引いて、軸足で回るように身体を回転させる。が、巨漢が接近する方が早かった。

 焦る必要はない。落ち着いて対処すれば十分いける。

 背後から両手を塞ぐようにやってきた相手には、逆にこちらから後ろ手でそれぞれの腕を掴んでおく。そのまま腕を、両手を前に突き出すように動かして、相手の身体ごと引き寄せると同時に、体勢をやや右斜めに構えておく。相手の肩甲骨あたりめがけて右肩を突き上げ、姿勢を崩して浮き上がった瞬間を狙い右上腕を掴み上げて前方に放り投げる。

 でかい図体なだけあって、ずしんと身体に響く重量に負けないよう声を張り上げた。

 

「せいっ!!」

 

 踏ん張る力を掛け声に込めたおかげで、今度は綺麗に投げることができた。簡単に言うと一本背負いである。よしよし、上出来かな。

 外野からの「勝負あり!」という言葉に、私は緊張を解いた。

 目の前で仰向けに倒れた男性に向けて手を差し出す。一言お礼を言えば、こちらこそと彼は手を握り返してくれた。そのまま引っ張って立ち上がらせると、驚いた顔をされる。そこいらの同年代女子をはるかに上回る筋力ですが何か?

 周囲を見渡せば、先ほど投げた2人が互いに肩を貸して立ち上がっていた。大丈夫ですかと声をかけながら近づけば苦笑いで応えられる。

 特に二人目の雑に投げてしまった人が心配だった。ふらつく頭を抱えながら立っているところを見るに、相当なダメージではなかろうか。受身も取れていなかった気がするし。

 お節介だが、自分がやらかしておいて見知らぬ振りはできない。私は男性に声をかけた。

 

「すみません。もしかして、頭の中が揺れていたりします?」

「あー、うん。そんな感じかも……」

 

 それは不味い。思いっきり回してしまったから三半規管に影響が出ているかもしれない。念のため医者に見せたほうがいいと言えば、彼は少し休んでいれば平気だからとベンチに向かって行ってしまった。

 他の二人も同じような感じで、顔色を悪くしながらも必死に表情を取り繕っていた。無理して虚勢を張ることもないのに。それとも、こんな子供に負かされたのがプライドにでも障ったのだろうか。

 どちらにせよ、今の私にはどうでもいいことだった。

 先ほどの三人が視界から消えた途端に、またもや名状しがたい衝動が沸きあがってくる。

 

「さて、他に挑戦したい人はいませんか?」

 

 再発したその熱に突き動かされる様、私は室内を見渡すように向けて公言する。縦横に広がるこの部屋には、足元にマットレスが敷いてある以外に何もない。

 この場は私を中心に半径5m程間隔を空けて、数十名の青少年男子が円形に集っていた。彼らは皆ひそひそと声を潜めながら相談している様子を見せるばかりで、一向に名乗り出る者はいない。

 そりゃそうだ。三人でかかっても返り討ちにされたくらいだもんな。

 ただ待っているのも退屈なので、相手がいないのならと輪を抜け出た私は荷物番をしているジャンボのもとへと向かう。

 少し離れた先にあるベンチでポケギアを弄りながら待っていた相棒に声をかければ、タオルと飲み物を渡された。ありがたくいただいて、まずは水分から補給させてもらう。350mlのペットボトルを一気飲みして、口の端から零れた雫を乱雑にふき取った。

 

「あー……ちっとも気が治まんねー」

 

 ぽつりと呟けば、相棒にため息をつかれる。さらに私を指さしてから、両手で頭上に指を突き立てるポーズをとった。それは、鬼のような顔をしてるとでも言いたいのか?

 ギロリと視線で応えれば「チャ~!」とわざとらしい声をあげてジャンボは逃げていった。触らぬ神に祟りなし、てか?

 ふんだ、勝手にしろ。私は今猛烈にイラついているんだ!

 どかりとベンチに腰を下ろして、タオルを頭に被ったまま上を向く。目を閉じて気を落ち着かせようと試みるが、身体の節々にいらない力が入った。

 だめだ、まずは感情の整理からしていこう。私はここ最近にあった出来事を順を追って振り返ってみた。

 

 

 ◇

 

 

 思い起こせば、バーナードを取られた時からストレスを感じていたのかもしれない。

 立て続けにロケット団の事件にあえば、今度はマサキの研究を手伝わされ、行きたくもないパーティのために無理やりマナーや仕草を覚えさせられた挙句の女装。いや、正確に言えば女装という言葉の使い方もおかしいのだが。私の心情を表すならば女装という表現が的確なのだ。お察しいただけるとありがたい。

 そこまではまだ平気だった。むしろ修羅場の研究室勤務に比べれば余裕なくらい。

 問題なのは先日のサントアンヌ号の件。思い出したくもないが、グリーンと鉢合わすというトラブルが発生した。幸い、相棒による完璧な変装を施されていたおかげで、中身がレッドこと私だとは考えつくまい。

 しかしだ。ここからが大問題。

 あの場から一目散に逃げだした私だったが、思い返してみればグリーンの隣にはあいつがいなかったか?

 そう、我が家の汚点筆頭とも言える存在。目の上のたんこぶ。大黒柱のくせして家庭内権力図のカーストに位置する男、私たちの父親こと日下部 茂だ。

 いつもいつも余計なことばかりしては、その度に母から折檻を受けているというのに、あの父親は問題ばかり起こしては怒られの繰り返し。なまじ本人に悪気がないのがいけない。これは性格的な問題だからなのか、世間一般では優秀な部類に入るはずの父だがこういった類はとんと学習能力が働かない。研究者を名乗っているのが恥ずかしくなる頭の出来ではなかろうか、と実の娘でさえ思うのだ。

 そもそも私は常日頃から女装している姿を他人に知られたくないと口煩く言っている。それを、あの父親が年頃の娘を思って配慮なぞできるはずもなく。グリーンに私のことを聞かれたら素直に喋ってしまったことだろう。いい歳した大人なんだから空気ぐらい読みやがれってんだ! 

 あああ本当にむかつくううう!! つか、グリーンと顔合わせたくねえええええ!!

 なんなの親父、馬鹿なの? つける薬がないならいっそ、ジャンボの爪の垢を煎じて飲ませてやろうか!?

 

 そんな思いで煮え滾った怒りが限界を突破したため、様子を見兼ねた相棒に連れてこられたのが此処、クチバジムだ。

 ジムといっても表のポケモンジムではない。このジムはジムリーダーが副業としてスポーツジムのインストラクターをしているので、同じ館内にジムが二つ存在する複合施設となっている。私たちが来ているのは通称、裏の方のジムと呼ばれるスポーツジムの方だ。

 朝からずっと体を動かしてストレス発散に勤めていたが、これが中々落ち着かない。いつもなら思いっきり暴れて一時間もたてばすっきりするはずが、今回に限って難航する一方で。

 サンドバックに打ち付ける力がどんどん増していくばかりだった私だが、途中で思わぬ人物から声を掛けられた。

 

「こんなところで会うなんて奇遇だな、シンク」

「増田ジュンサーこそ。今日はお休みですか?」

「休日返上で部下の指導だよ」

 

 苦笑しながら背後を指差した増田ジュンサーと同じく、身軽な格好をした男性が数十人並んでいた。

 これまた随分と若い面構えですこと。増田ジュンサーも十分若手の部類に入るが、この人たちはまだ十代半ばくらいではなかろうか。緊張した様子でジュンサーからの指示を待つ姿から、きっと今年入ったばかりの新人さんだろうと当たりをつける。

 何を思ったのか、ちょうどいいとばかりにジュンサーが私と新人たちの手合わせを提案する。

 

「私はいいですけど、今日はむしゃくしゃしてるんで手加減できませんよ」

「それはいい訓練になりそうだ」

 

 人当たりの良い笑顔を向ける増田ジュンサーだが、そのお腹が真っ黒であることは長年の付き合いで重々承知している。

 その後、私との手合わせを説明しているのを後ろから見ていたのだが。黙って聞いていた新人たちだが「こんな小さな子とですか?」と顔に書いてあるのを見てジュンサーは始終にこやか、基い内心でニヤニヤしているのだ。大人って怖いね。

 可哀想だが、こっちもストレス発散目的で来ているんで。遠慮なくいかせてもらいますと挑んだ試合が両手の数を超えたところで、現在のベンチタイムである。

 

 あー……だめだ。もう今日は疲れたし、これ以上やっても意味がなさそうだ。朝よりはマシになったことだし、宿に戻って不貞寝でもしようかな。

 顔に被せていたタオルを取り払って相棒の姿を探す。見れば腕立て伏せをしている増田ジュンサーの背中に座って重し役をしていた。呼ぶのは邪魔になりそうだったので、こちらから赴く。いち早く気づいた相棒がこちらを見た。

 

「ピ?」

「もういいや。帰って寝る」

「チャー」

「あれ、もう行くのかい?」

 

 動きを止めた増田ジュンサーが起き上がる前にジャンボを持ち上げて回収する。

 タオルで汗を拭いながら座り込んだジュンサーに合わせて、私も向かい合った。

 

「さっきは急にお願いして悪かったね。後輩たちにはとてもいい刺激になったよ。ありがとう」

「いいえ、いつもお世話になってるのはこちらですし。これぐらいでしたらお安い御用です」

 

 むしろ、ぼっこぼこにした新人さんのプライドの方が心配です。そう言えば、またもや増田ジュンサーはとびっきりの笑顔を浮かべる。

 

「最近は犯罪事件が多発しているから、新人たちもいつ出動するかわかったもんじゃない。本来なら新人をすぐに実践投入するのはお門違いなんだけど、緊急事態だってありえる。勿論そのための訓練もしているし、僕たちも必死に教育してるけど――いるんだよねえ、まだ訓練校気分でいる子が」

「それはつまり……」

「現場のイロハもわからないのにワクワクされちゃあ、こっちの精神が先に磨り減っちゃうよね」

 

 あはは、と豪快に笑うジュンサーの顔は笑っているのに笑ってない。きっとこの人、今日私と会わなければ部下の人たちを一人で教育的指導という名のフルボッコにするつもりだったんだ。絶対そうに違いない!

 哀れ新人たちよ。これを機に心を入れ替えることだな。じゃないといつか身を滅ぼすぞ。

 私は心の中で合掌した。南ー無ー。

 

「でも休日なのに、部下を勝手に連れ回したりなんかして大丈夫なんですか?」

「そこは抜かりなく。強力な後ろ盾がついてるからね」

「ピカ?」

 

 首を傾げる私たちの背後からバタン!! と大きな扉を開ける音がする。振り返るとそこには、迷彩柄のトレーニングウェアを着た巨漢がいた。短く逆立った金髪にサングラスと割れ顎が特徴的で、一見してヤのつく職種の人だと間違えかねない威圧感を放つ。はち切れんばかりの上腕二頭筋を惜し気もなく晒しながら、デカい図体がずんずんとこちらにやってくる。

 徐に増田ジュンサーの傍にまで近づいたと思えば、通常の二倍はあるだろう手でジュンサーの背中をバシバシと叩いた。

 

「よぉー! ひっさしぶりじゃねぇか、元気にしてたか!? ワッハハハ!!」

「お久しぶりです。少佐もお変わりなさそうで」

「ったりめーよぉ! ところで、その嬢ちゃんが例の子かぁ?」

「はい。将来有望なんですよ」

「ほぉ~。そいつぁ、ちと興味が湧くなぁ」

 

 突如話題をこちらに向けられて、しげしげと眺められる視線に戸惑う私。

 

「うちの若いもんを全員のしちまうとは、見かけによらずやるじゃねえか」

「はあ……どうも」

「おっと、申し遅れてすまねぇ。俺はここのジムリーダーのマチスってもんだ。よろしくな!」

 

 サングラス越しだが、ニカっと笑うその姿はとてもじゃないがポケモンで戦うよりも自分で戦う方がはるかに似合う――ゴホン、他のジムリーダーとはまったく異なったタイプの人だという印象を受けた。

 こちらもトレーナーカードを出して名乗りだす。

 

「レッドと申します。ジムリーダーの方だったのですね。増田ジュンサーとお知り合いなようだったので、てっきり警察関係のお仕事をされているのかと思っていました」

「ああ、俺は元海兵隊だからな。そんでもって、こいつの古巣の上司ってやつだ」

「えっ、じゃあ増田ジュンサーって元は軍人さんだったのですか?!」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてませんよ!」

 

 まあ細かいことは気にしない、そう豪快に笑って誤魔化す二人の顔はよく見ればそっくりで、長い付き合いだというのがわかった。

 道理で増田ジュンサーが同期の中で頭ひとつ分ずばぬけているはずだ。経験もレベルも段違いってことね。

 そっか、だから増田ジュンサーの使用しているポケモンがエレブーなんだ。聞けば、そういうこと、と肯定される。

 

「そういう嬢ちゃんも電気タイプ持ってんじゃねえか」

 

 しかもでけぇ! とジャンボを撫でるマチスの顔はとても嬉しそうだ。懐かしいなぁ、と零すジムリーダーは腰のボールに手を掛けながら言う。

 

「俺も昔っからの連れがいてな。出てこいよ!」

 

 開閉スイッチが押されると同時に、赤い光が形作っていくその姿はどことなく相棒に似ていた。それもそのはず。出てきたのはピカチュウの進化系であるライチュウだった。

 姿を現したライチュウは真っ先にマチスを見上げ、拳を振り上げてあいさつをした。そしてすぐに視線を相棒へと向ける。

 知ってるか? ピカチュウって元は森に住んでるポケモンだからか、同種の縄張り意識がめちゃくちゃ激しいんだ。目が合えば文字通り火花を散らし、電光石火の勢いでゴングが鳴る、そんな野生の法則。

 なのに何で今ここで出しちゃうかなー!?

 うちのジャンボは基本的に温和な性格をしている。が、それは同種の雄を除く場合のみだ。過去に他のピカチュウと少々揉め事を起こしてから、相棒は同種に対し好んで近づかなくなった。

 雌は別だけどね。ほら、うちの子紳士だからさ! 女子供には絶対に手をあげません。

 お互いに人間がいる場だからだろうか、すぐに飛び掛ったりはしなかった。しかし表面上は取り繕っているものの、先ほどからすごい殺気を感じます。あと空気がピリピリしてる。まじで。

 自然と二匹は互いに詰め寄っていって、どんどん眉間の皺が深くなる。つまり、ガン飛ばしあってる訳なのだが……どうすっかなーこの状況。

 今すぐ相棒の首根っこ掴んでトンズラしたいのは山々だが、そうもいくまい。下手に手を出すと巻き込まれてこっちが危ないし。

 考えていると突然、前後左右から圧迫感を感じた。咄嗟に退路を探すも逃げ場はない。それなら――

 

 私は屈んで正面の相手の右足を両腕で抱えるように掴んだ。って、この足太っ! なにこれ西瓜より大きいんじゃない!?

 驚いている暇はない。すぐに思考を切り替えて右足を相手の両足の間に通し、振り払うように勢いづけて相手の左足の後ろに持っていく。うまく足払いがかかった相手は体勢を崩した。さらに後押しするよう肩で押して相手に尻餅を付けさせる。

 と、普通の相手ならここで倒れこむのだが、生憎と目の前の男は違った。浮いた足はしっかりとその巨体を支えていて、膝をつくこともなく巨大な壁として私の前に立っている。

 なんとなく、一般人が相撲選手に向かって必死に押し出しをしている図が目に浮かぶ。うん、すごく無駄だよね。今ならそれが理解できる気がするよ。

 どうやったって目の前の壁は壊されない。ならばと私は全身の力を抜いた。

 

「降参です、参りました」

「良い線いってるぜ嬢ちゃん。トレーナーやめて軍人なんかどうよ?」

「スカウトなら随分前にお断りしているので」

「惜しいなぁ。お前さんなら絶対に上にいけるぜ」

 

 バンバンと肩を叩くマチスの腕の中から抜け出して、私は背後の増田ジュンサーを見た。

 

「で、これは一体何だったんですかね?」

「シンク君にもちょっとした警告だよ。いくら強いからって、危険なことには変わりないんだから。これから先、いつどこで何が起こるかはわからない、ってね」

「なるほど。それで先ほどはわざわざあんな話を」

「ヒントはちゃんとあげてたでしょ?」

「分かり辛いにも程があります」

「あはは~!」

 

 確かに、増田ジュンサーが心配してくれる通り私はまだ10歳になったばかりの子供だ。大人と張り合える技術を持っていても、力そのものは圧倒的に劣っている。マチスのような巨体を相手にするとなると勝利は難しい。

 私は自分が守られる女であることを嫌っている。だから基本戦術は《捕まえられる前に倒してしまえ》だ。

 正直、最近の私は粋がっていたと思う。今回も倒せると踏んで立ち向かったが、本当は十分に走って逃げ出す時間の余裕があった。

 

「今回のようなパターンはどうすればよかったか、わかるかい?」

「………………すぐに逃走、または周囲に助けを求める、ですか」

「正解!」

 

 にっこりと笑ってジュンサーは私の頭を撫でる。

 いつもなら子ども扱いに腹立たしさを感じるところだが、今回ばかりは完敗だ。

 実践してみてわかる弱さというものもある。私はマチスのような大柄な相手に対しての有効打がなかった。それは紛れもない事実。しっかりと受け止めなければならない、自分がちっぽけで弱い子供なのだということを。

 増田ジュンサーにはいつもお世話になっている。そして同時に心配もされていた。部下の人たちと同じく、調子にのったガキに灸をすえる目的だったのだろう。そう考えると若干腹が立たないでもないが、大人は心配するのが仕事と理解している身としては、ここは甘んじて受けておくことにしよう。

 ジュンサーに頭を下げて、マチスにもきちんとした礼をする。

 

「ご指導ありがとうございました」

「俺は元部下から聞いた面白い奴をからかって遊んでただけだぜ?」

 

 なんてことないように言うマチスに肩の力が抜ける。こういう大人の男性に少年は憧れるんだろうな。ちくしょー、かっこいい。マッチョは嫌だけど。

 

「それよか、嬢ちゃんはポケモントレーナーなんだろ?」

 

 その問いかけに是と答えれば、マチスは「挑戦待ってるぜ」と告げて部屋から出て行った。

 増田ジュンサーも「お疲れ様」と一緒に後にする。追いかけて出て行くライチュウが、わざわざ振り返りジャンボを見て笑っていった。

 それを見届けると、一気に疲れが全身へとのしかかってきた気がする。あー……つっかれたー。色々な意味で、主に精神的に。

 

「ジャンボ、つき合わせて悪かったな。今日はもうポケセンに帰……」

 

 振り返るとそこには、尻尾を地面にビシビシ叩きつける相棒の姿が。

 あ、これキレてる。完全にキレちゃってるよ、やべえ。

 さっき完璧に挑発されてたもんな。気持ちはわからないでもないよ。でもちょっと落ち着こう?

 ピカチュウの尻尾は犬のような感情が篭って動くものではない。はっきり言って攻撃用だ。武器といっても過言ではない尻尾を叩きつける場合、それは怒っているという意思表示である。

 この状態のジャンボの半径2m以内は危険区域だ。8年も一緒に暮らしてきた私がいうのだから間違いない。

 おそるおそる近寄って、安全領域ぎりぎりでぴたりと止まり口を開く。

 

「……ジム、挑戦していきますか?」

「チャァアアアア!!!」

 

 咆哮と稲妻の気合十分な返事に私は一歩どころか数歩後ずさる。

 やったるわーーー!! と相手を殺しかねない勢いの相棒をどーどーと宥めること30分。

 ようやくクールダウンした相棒を連れて、私は表のジムへと移動を開始した。




番外編やオマケ小話を読んでいる方はもうすでにおわかりでしょうが、作中でシンクが述べていた「父親がグリーンに女装をバラした」事実はございません。
むしろ初恋と聞いて「普通の娘」に関する話ばかりしていました。
つまり、勝手にシンクが勘違いしているだけなんです(笑)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11-2

 施設内は一階にある正面玄関で繋がっており、スポーツジムからポケモンジムへ移動となると一度ロビーに戻る必要がある。

 相棒と一緒に来た道を辿り、入口に併設されている受付でジム戦の申し込みをしたら、なんとスタッフの方から「すでに承っていますので、中へどうぞ」の言葉が返ってきた。

 おいおい、あのオッサン私が来なかった場合はどうするつもりだったんだ。まあ結局は挑戦しに来たからいいんだろうけど。

 

 

 ◇

 

 

「待ってたぜ嬢ちゃん」

 

 ジムへ一歩踏み入れば、まるで来るのを予想していたかのように声を掛けられた。

 マチスが顎でクイっと指し示した方を見れば、そこには先ほど別れた増田ジュンサーが後輩たちにポケモンバトルの指導をしていた。三対一という不利な状況をものともせずに戦うジュンサーの顔は生き生きとしている。あらま本性丸出しですね。

 

「あっちが終わるまで待つか?」

「いえ、ジムの挑戦をしたらすぐに帰ります」

 

 増田ジュンサーには悪いが、私は一瞥するだけでマチスに向かい合った。

 バトル中でなければ一言くらい挨拶するのだけど、今回は時間がない。相棒という名の時限爆弾を何とかするほうが先だ。ジュンサーにはあとでお詫びのメールを入れておこう。

 

 ついて来いと言われた通りに、マチスの後ろを挙動不審な私が追いかける。頑丈な扉の前にまで連れてこられると、彼はポケットから一つのカードを取り出してロックを開けた。中には入ろうとせず、「先にリングへ上がっててくれ」と言い残してマチスはどこかへ行ってしまう。

 言葉通り、部屋の中へ入ればそこにはボクシングリングのような舞台が存在した。少し違うのは、正方形の上に斜めにした正方形を乗せた八角形だということか。飛び出た三角部分はバトルフィールドよりも数段高くなっている。それぞれトレーナーの定位置が対面にある他は審判用と観客席になっているようだ。

 備え付けられた階段を登って定位置につけば、リングどころか部屋内が一望できた。待っているのも暇でなんとなく視線を泳がせていたら、そこで私はとんでもないものを見つけてしまう。

 

「ピカピ?」

「…………」

「ピカー?」

「…………」

 

 絶句しながらソレに釘付けな私を見て、不審に思ったジャンボが声をかける。それでも全く反応を見せない私に、相棒は次第に足をつんつんと突きだす。別に足が痺れてる訳じゃないからね。

 暫くしてやってきたマチスが、硬直したまま動かない私を見て怪訝な声をあげた。

 

「待たせたな……って、どうした嬢ちゃん? ゴミ箱になんかあったか?」

「いえ、ちょっと……」

 

 昔のトラウマが。

 こみ上げる怒りをなんとか押し込み、記憶の彼方へと葬り去る。

 頭を数回振って必死に意識を切り替えた。いかんいかん、目の前に集中!

 リングまで上がってきたマチスとは対面する形の反対側になる。

 ちらりと右側を見れば審判が定位置に着いていた。どうやら先ほど席を外したのは、審判を呼びに行くためだったらしい。

 いや、それだけではない。マチスは審判だけでなく、余計なものまで連れてきてしまったようだが。

 私は向かって反対側に顔を向けた。観客席では見知った顔がこちらに手を振っている。他にも私が投げ飛ばした覚えのある人がちらほらと見えた。

 試合前なのに戦意喪失しそうだよ。いやまあ、私はいつも通り何もしないんですけどね。むしろ今回は手を出したら絶対怒られそうだし。

 

「うちのジムはシングルで3対3の入れ替え自由がルールだ。OK?」

「わかりました」

「Good! 最初の一匹を選出してくれ」

 

 悩むまでもない。すでにやる気満々だった相棒は、私が告げるよりも早く、自らバトルフィールドに下りていく。

 

「ほお、俺の専門が電気タイプと知っていてピカチュウで挑むか。見上げた根性だぜ」

 

 おたくのライチュウに焚きつけられたせいなんですけどね!!

 内心で罵倒する私と違って、ジャンボは見たこともないようなヤンキー面で思いっきり中指を立てていた。そんな顔初めて見たわ……。

 間を置かずに、ボンっと音を立ててマチスの腰についたモンスターボールからライチュウが出てくる。ありゃ、見事に挑発で釣れちゃったな。

 こっちとしてはジャンボの思惑通りなのだが。相手側からすればジム戦用のポケモンがあるのだから、勝手に出てきてもらってはたまったもんじゃないだろう。思ったとおり、マチスが頭を抱えている。

 なんか申し訳ない気分になってきた。

 

「Ah……嬢ちゃん、特別ルールって知ってるか?」

「ニビジムで一度経験していますので問題ありません」

「ほぉ、そいつぁ好都合。で、勝敗は?」

「彼の勝利です」

 

 私はジャンボを指差して言う。すると、マチスの表情は面白いくらいに変化した。

 

「久々に楽しいバトルになりそうだ。審判、ルール変更で頼む!」

 

 急なルール変更だったが、審判はすんなりと対応してくれた。

 以前のニビジム戦はジムリーダーのポケモンが全て使用できない状態だったけど、今回のようなパターンはいいのだろうか。

 不思議に思って観客席を向けば、増田ジュンサーが口パクで教えてくれた。

 

『い・つ・も・の・こ・と』

 

 ああ、そうなんですか。

 そういえば師匠が言ってたなあ。実力も指導力もあるのに、自分勝手な問題行動が多くて中々昇進できない人がいるって。ここのジムリーダーのことだったんだ。

 後が詰まってるのに上にいかないものだから困っているとか何とか。協会側の事情はともかくとして、一生現役を掲げている人というのは結構多い。ここのジムリーダーもおそらくそうだ。うちの師匠も大概人のこと言えないけど。

 

「それではこれより、クチバシティジムリーダーマチスと、マサラタウンのレッドによる公式バッジ戦を行います。両者、礼!」

「お願いします」

「よろしく頼むぜ、嬢ちゃん」

 

 形式的な礼を済ました私たちは、すぐさま懐に手を入れた。どちらも取り出したものは全く同じ、どこにでもある普通のサングラスだ。

 お互いに装着したタイミングで審判の号令が下る。

 

「はじめ!」

 

 瞬間、部屋全体が真っ白い空間へと化した。それは強烈な閃光によって視界が埋め尽くされた証。

 何も見えず、ひたすら小さな獣たちが発する放電音と怒声が響く中、私はただ呆れていた。

 開幕と同時に彼らが発した技は十万ボルト。電気タイプにその効果はほとんどと言っていいほど意味はない。ならば何故彼らはそれを選んだか?

 真面目に言えばピカチュウの生態系から始まり、縄張り争いのルールにまでこと細かく説明せねばならないのだが。

 まあぶっちゃけ一言で例えるなら――どっちのナニがでかいか、みたいな意味合いだろう。

 非常にくだらない。でもね、男の子にもプライドってものがあるんだ。

 その点は良い。むしろもっとやれ。

 ならば何に呆れているのか? アンサー、対面席で豪快に笑い声をあげるジムリーダーにです。随分と楽しそうだなぁオイ!

 お互い顔が見えない状況でよかったよ、滅多に動かない私の表情筋がピクピクしてやがるぜ。

 

「わりぃな嬢ちゃん、こいつはまともなジム戦になりゃしねえわ!!」

「想定の範囲内ですのでお構いなく」

「なんなら後からやり直してやるから安心してくれや」

「いえ、この一回で十分ですので」

「ほぉ。その発言は挑発と取るぜ?」

 

 別に絶対勝てるとかそういうつもりで言ったんじゃないんですけどぉおおお!!!!

 発言に不穏な気配が混ざってます! なにこのジム戦、トレーナー同士でもリアルファイトに突入!? いや実際組み手はしましたけど!!

 とにもかくにも、早く帰りたいです。ジャンボさん割と本気で頑張って下さいお願いします。




バトルフィールドの形はオレンジバッジを思い浮かべていただけたら一発かと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11-3

 あれから数分経った。

 室内の風景は元に戻り、視界も良好。バトルも恙無く継続中である。

 電気技を出したのは最初の一度だけ。お互いに最大まで10万ボルトを出し尽くした後は、自然に格闘戦へとシフトしていった。

 

「チャアアアアアッ!!」

「ゥラアアアアイッ!!」

 

 二匹が雄叫びを上げながら飛び上がる。両者共に右足を突き出す体勢が意味する技はメガトンキックだ。

 空中で互いの足裏が合わさり、パァン!と割れるような音をたてて後方に飛び下がる。

 二匹は地に足が着いた途端に電光石火の勢いで距離を詰めた。突っ込むと思いきや、すれ違う形で交差したそれぞれが仕掛ける。

 ジャンボは尻尾で足元を掬うように動かしたが、相手のライチュウの尻尾がジャンボに巻きつく方が早かった。リーチの長さにより先手を取れたライチュウが、走る勢いを利用して拘束したジャンボを放り投げる。

 壁にめり込むようにぶつかり落ちたジャンボだったが、すぐにその場から跳ね上がる。追撃のため詰め寄っていたライチュウの尻尾に叩きつけられるのを回避したのだ。今度はジャンボがその尻尾を掴んでスイング。先ほどのお返しとばかりに、自分が放り投げられた壁へとライチュウをぶん投げた。凹みどころではなく、大破した壁からライチュウが崩れ落ちる。

 ゆらりと立ち上がるライチュウだったが、それも一瞬で姿が消えてしまう。同じくフィールドを見ればジャンボの姿も見えない。

 声や音から彼らが高速で打ち合っているのはわかるが、早すぎて最早目で追い付けないのだ。フィールドには黄色い残像と飛び交う雷光が彼らの軌跡となって残るのみ。

 その様子に、観客のざわめく声が聞こえる。

 

「すげぇ……!!」

「どうなってるんだ!?」

「俺には何がなんだか……」

 

 つまりヤムチャ状態なんですね。わかります。

 安心しろ、私にもまったく見えない! 自分のポケモンなのに、何が起こってるとか全く把握できていないから!

 

 正直ジャンボがあんなに強くなってたとは思いもしなかったです。

 そりゃあ、うちの相棒が結構強いのは知ってたよ。身内の欲目も入ってたと思うけど、まさかここまでとはね。道理でニビジムとハナダジムを軽くあしらえちゃう訳だよ。

 うーん……トレーナーの能力とポケモンの能力が激しく釣り合い取れていないんだが。

 私は眼下の攻防の見て思う。その勢いは凄まじく、時々止まったり減速したりして姿が見える二匹の表情はなんと笑顔だ。それもとびっきり怖いやつ。

 

「Uh-huh。嬢ちゃんのピカチュウと俺のライチュウ、結構な似たもの同士じゃねえか?」

 

 マチスの問いかけには全面的に同意する。

 そもそも体格も互角だし、戦闘スタイルも近似しているのだ。

 格闘戦でわかったが、これはお互いの親である私たち人間の個性がよく現れている。ライチュウはおそらくマチスの軍隊格闘技、ジャンボは私がよく使う合気道と柔道を駆使して戦う。

 ここまで似通ってくると、突出した技や能力、身体技能がないと決め手に欠ける。バトルが延々長続きして耐久戦になるだけだ。

 しかし現状は互角の戦闘に見えて、実はそうでもない。

 ライチュウには鞭のように長く撓る尻尾と、柔軟なバネと脚力を持つ強い足がある。そしてそれを活かす戦い方をしているが、うちのジャンボも負けじと得意なカウンターでしがみ付いていっている。

 勝敗そっちのけで楽しんじゃってる本人たちが気づいているのかはわからないが、ピカチュウが不利な状況に持ち込まれるとまずい。

 背中に冷や汗が流れた刹那、ドゴン! という破壊音を立てて足元が揺れた。視線をフィールドに移せば、バトル用に作られた強固な壁が見るも無残な瓦礫と化している。

 

「いいぞライチュウ、どんどんやれー!」

「リーダー! これ以上続けるとフィールドどころか、ジム全体にまで被害が及びます!」

「うるせえ、戦いに水を差すんじゃねえ!!」

「また奥さんから給料のことでドヤされますよ!!」

「チッ、しゃーねえなー……ライチュウ、遊びはそこまでだ。これ以上ジムを壊す前に終わらせろ!」

 

 どうやらカカア天下らしい。

 審判に窘められたマチスが渋々ながら指示を出す。それに「ヂァア!」と闘志の篭った返事をしたライチュウが、ジャンボに向かって高速移動。懐に入り込んだところで伏せるように一回転をして、長い尻尾を利用する形で足払いをかけた。

 尻尾の範囲が広く、前後左右に逃げ場のないジャンボは必然的に上に逃げるしかない。飛び上がったところを狙って、伏せた上体のライチュウが自慢の脚力で地を蹴り上げる。それは見事ジャンボの腹を捉えて、頭突きとなった。

 ドサリと床に落ちたジャンボが腹を押さえながら咽ぶ。思わず私は叫んだ。

 

「ジャンボっ、大丈夫か!?」

「……ピッ」

 

 口から血溜まりを吐き出したジャンボが、キッとした目でこちらを見る。すぐに間を置かずに詰めてきた相手に対応しはじめた相棒の姿に、少し安心した。

 心配無用、むしろ邪魔と言わんばかりのあの眼。どうやら問題はないらしい。私は今まで焦っていた心が落ち着いていくのを感じた。

 

「どうした嬢ちゃん、もう諦めんのか!?」

 

 私の雰囲気を察したのだろうか。マチスが怒声を上げるが、私は静かに首を横に振ることで答えた。

 

「だったらこの防戦一方を何とかしてみるんだな!」

 

 確かに、腹に一撃をもらってから相棒はずっとライチュウから逃げ続けている。弱っているジャンボに止めをさそうと、追いかける形で高速移動の鬼ごっこ状態だ。

 またもや猛スピードで行われている回避劇だが、それもジャンボが相手の背後を取ろうと飛び上がった時に戦局は動いた。

 

「今だ!」

 

 マチスが言うが早く、ライチュウは高速移動で相棒の背後に回る。

 ピカチュウとライチュウの差、それは脚力の違いからくる空中戦。先ほどもしかり、またもや飛び上がった瞬間を狙って相手のライチュウは攻撃をしかけてくる。

 体を捻り、尻尾に勢いをつけてジャンボを叩きつけようとするが――尻尾は空を斬った。

 

「ラァ!?」

 

 床に落り立った後も周囲を必死に見渡すライチュウだったが、ジャンボの姿はどこにも見えない。

 

「どうなってやがる!」

「まさか試合放棄か!?」

 

 観客の方は見事に混乱していて騒がしい。が、目の前のジムリーダーは落ち着いていた。むしろ、私の方を見て探っている様子だ。

 さすがベテランジムリーダーなだけあるな。私はニコリと笑い返して、上を指す。

 マチスが顔を上げるよりも早く、弾丸のように降ってきた何かがフィールドに落ちてくる。いや、激突したと表現した方が的確か。

 轟音と共にジムを揺らしたそれは、コンクリートの風塵を巻き起こす。

 誰もが見守る中、出てきたのは抉れた床に埋まったライチュウの横でガッツポーズを上げる相棒の姿だった。

 

「…………しょ、勝者! マサラタウンのレッドーっ!!」

 

 静まり返る中、響き渡る審判の判定に、一斉に歓声が湧き上がる。

 私はトレーナーポジションから真下のフィールドへと飛び降りた。相棒に駆け寄り、ボロボロになった身体をそっと腕の中に抱き込む。

 

「お疲れ様。よく頑張ったね」

「チャー……」

 

 くてっと私の肩に頭を乗せて、瞼を閉じるジャンボの頭を撫でる。

 まったく、ここまでムキにならなくてもいいものを。呆れた顔で相棒を見れば、あいつの鼻っ面を折ってやったぜと満足気だ。お見事なり。

 

 本来なら能力差の出る空中戦だが、うちのジャンボに限っては秘策がある。

 つい最近習得したばかりだが、空を飛びまわることが出来るのだ。勿論、ピカチュウに羽があるはずもなく、高速移動の延長のようなものになるのだが。

 それを生かすため、一度相手を空中戦へと誘い込み、有効と見せておいて二度目はこちらがとっておきをかます。

 実戦で、しかもこんな大舞台でこの技を使うとは思っても見なかったが。上手く行ったようで何よりだ。

 結果的にバッチは手に入ったのだから、私としては万々歳である。これは何かご褒美を考えないとな。

 

「すげえじゃねえか嬢ちゃん!!」

 

 興奮冷めやらぬといった表情でマチスが近寄ってきた。

 差し出された手を握り返して、対戦のお礼を言えば物凄い笑顔で背中をバシバシと叩かれる。

 

「最後のありゃあ一体どんな手品を使ったんだ? いきなり消えたと思ったら空から降ってきたぞ!」

「えーと……」

 

 私は相棒を抱える手とは反対の指で頬をかいた。なんと説明すればよいのやら……。

 うまい説明も適当な言い訳も思いつかない。こんな時こそ秘技・質問返し!

 

「どうやったんだと思います?」

「そりゃあ、空から落ちてきたんだからそこまで上ったか跳んだかしか考えられねえけど」

「じゃあそういうことで」

「What!?」

 

 「あの状況でどうやったらできるんだ!?」とか煩いけど何も聞こえない振り。できるものは仕方ないじゃんか。うちの相棒は凄いのです。

 そのままマチスと二人してフィールドを出たら、大勢の観客に待ち構えられていて驚いた。こ、これが出待ちってやつですか!?

 口々に賞賛の言葉をいただくが、それに一々返していたら切りがない。困ったときの増田ジュンサーとばかりに視線で縋れば、仕方ないなあという顔でその場を諌めてくれた。

 

「まあでも、部下が騒ぐのもわかるよ。少佐に勝ってしまうなんて、それもジム用ポケモンじゃなくて手持ちをだ。本当におめでとう」

「Hey、増田の言う通りだ。俺のライチュウをここまでコテンパンにするなんて、中々できるもんじゃねえぜ。どうだ、うちのジムにこないか?」

 

 マチスの言葉に、ジャンボが飛び上がって腕の中から逃げ出す。私の前で降り立って守るように「シャアアア!!」と威嚇する姿を見て、マチスと視線を合わせながら互いに苦笑いを浮かべる。

 

「ダメっぽいです」

「残念だ。心変わりしたらいつでもこいよ。歓迎するぜ!」

 

 最後までフンッと鼻息荒くマチスを睨みつけた相棒を抱き上げて、私はクチバジムを後にした。




この小説は、番外編の技考察②と一部リンクしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12-1

タマムシシティ編


 タマムシ大学、ポケモン学部の一室にて。

 窓から差し込む朝日によって、手元の書類を確認していた目が霞む。ぼやけた視界を治そうと目尻を擦れば、僅かな痛みに生理的な涙が零れた。咄嗟に目薬を差そうと机上を見渡すも、目当ての物は見つからず仕舞いで。

 5日5晩まともに寝ていない頭は正常に回らず、私は些細な出来事で駄々をこねる子供の様な大声を上げた。

 

「あーっもう! ジャンボー!!」

「ピーカチュー」

 

 「ちょっと待ってー」のニュアンスで遠くから返事が聞こえた。ったく、誰だうちの子を拘束している不届き者は!

 痛みを押さえつける様に、目元を手で押さえながら椅子の背に凭れ掛かる。自然と顔が上を向くが、ため息しかでない。

 あー……ほんと、何やってんだろ私。

 苛々しながら相棒を待てば、軽い衝撃と共に膝上に感じる重み。反射的にガバリと抱きつけば、相棒がよしよしと頭を撫でてくれる。

 情けない声を上げながら相棒の名前を呼ぶ私に、彼は「どうしたの?」と優しげな顔を向けた。

 

「目が痛い。目薬ほぢい」

「チャー……」

「俺の分もー!」

 

 向かい側から入った横槍に続いて、あちこちから我もと波紋が広がった。

 先ほどまで作業に集中して静かだった室内が、一斉にざわざわと騒がしくなる。それも一旦口を開けばあっという間に、要望を上げる声が状況の不満を訴えるものへと変化していく。どうやら皆、抑圧していたものがこの弾みに飛び出してしまったようだ。

 

「朝日が目に痛いっス先輩」

「馬鹿言え、俺なんか徹夜4日目だ。ユンケルもマムシも効かん」

「甘いな。俺なんてちまちま寝たのを除けば今日で6徹目だぞ……」

「もうだめだ、間に合いっこない……終わった……」

「諦めんな。まだ希望はある……と思いたい」

「俺、締め切り空けたら結婚するんだ……」

「馬鹿野郎、死亡フラグ立てんるんじゃない!」

「すいません、ガチっす」

「おい誰かマルマイン持って来い」

「リア充爆発させろ」

 

 数分前とは打って変わって騒がしくなった空間に、私は苛立ちを隠せなかった。

 眼球疲労に睡眠不足、凝り固まった筋肉からくる節々の痛み。体中にサロンパスを貼ってなんとか姿勢を保っているくらいなのだ。疲労困憊と言っても過言ではない。

 

 お前らは女か。姦しいのか。そんなにギャースカ騒ぐなら股の間にぶら下ってるモノちょん切るぞコラ。

 

 急降下する機嫌の正体は空腹に加えて、今の喧騒が耳から直接脳内へ響くように打ちつける頭痛のせいだ。野郎共いいから黙って仕事しろ。

 増える一方な眉間の皺をぐりぐりと揉むジャンボが唯一の癒しと言ってもいい。

 ふつふつとした怒りを押さえ込んで、名残惜しくも相棒を解放する。持ってきてくれた目薬を早速させば、沁みる痛みにくぐもった声が出た。やり過ごして再び目を開くと、相棒がポケギアを差し出しているではないか。なになに、と覗き込めば『おつかい頼まれたついでに朝ごはん買ってくるね』とのこと。

 お前が女神だったか。愛してるぜジャンボ!

 愛用のリュックを提げた相棒を見送り、再び画面に向き合った私は泣き喚く腹の虫にコーヒーを流し込むことで誤魔化した。

 

 研究室での修羅場は珍しいことではない。それは問題ないという意味ではなく、頻繁に発生する事に対する諦めと慣れである。

 例の如くスギモリ副室長からヘルプの電話で駆り出された私は、すぐさまタマムシシティへと飛んだ。

 しかし現場には見慣れた父親の姿は見えず、まさかと副室長を見れば青い顔でくしゃくしゃになったメモを見せてきた。

 

 《プレゼンに使う写真が足りないから撮ってきます。期日までには戻るから。後はまかせた。じゃ!》

 

 瞬間グシャっと握りつぶした紙が更に酷いことになったが、きっと皆も同じ反応だったのだろう。

 あんのクソ親父めがぁあああ!!! と叫んだところで皆からは同意しか返ってこない。

 そう、奴が起こす逃亡劇こそが毎度起きる修羅場の原因だったりする。だからこそ、娘である私がフォローに回るのも必然なことで。

 ここに就職決めたの早まったかもしれない、なんて今まで何度思ったか……!!

 

 なんて思い出していたのは夢の中だったようで。

 私はいつの間に寝落ちしていたのか、室内に響くチャイムの音によりハッと意識を取り戻した。

 どうやら船を漕いでいたようで、もう少しでカップにぶつかる直前にまで顔の位置が下がっていた。やっべ、危ないところだった。画面を見ればジャンボが出て行った時から全く進んでいない。こっちも別の意味で危ないぞ……!!

 とにかく、私は誰も出ようとしないチャイムに出るため席を立った。扉横のインターフォンを弄れば予想通りの顔が映り、「おかえりー」と一声かけてすぐさまロックを解除する。

 いつも通りの流れる動作。しかし、どこか違和感を感じた。はて……そういえば先程の画面に映る黄色の後ろに誰か立っていたような……?

 とりあえず相棒を迎え入れるべく扉を開けば、大きな紙袋を持ったジャンボがゆっくりと、落とさないよう慎重に部屋へ入っていく。そしてやはり見間違いではなかったらしい。扉の向こうに立っていた和服美女がニコリと笑って「こんにちは」と挨拶をした。状況が飲み込めないがとりあえず挨拶を返しておく。

 誰のお客さんだ? 疑問に思うよりも先に、室内から悲鳴じみた声が上がった。

 

「……つ、躑躅森さん!?」

「うっそマジで!」

「ぉひょっ?」

「寝不足すぎてついに幻覚が見えはじめたか!?」

 

 背後からガタタッという椅子の音が聞こえると同時に「ぐはっ!」という三流悪役のような断末魔が上がる。振り返れば、こちらへ群れようとした男共をジャンボが一撃で昏倒、一掃したらしい。まったくもう、と呆れた表情のジャンボが手をパンパンと払いながら溜め息を吐いている。さすがだぜ相棒。

 お見苦しいところをお見せして、と謝罪すれば気にしないと笑って流してくれた和服美女の胸には『躑躅森(つつじもり)』とネームプレートがついていた。上品そうな雰囲気で一見おしとやかに見える女性だが、意外と気安そうでほっとした。お偉いさんとか堅苦しいのは苦手なんだよね。

 

「朝っぱらから煩くてすみません。皆限界超えちゃってて、変な方向にハイになってるというか……」

「大丈夫ですの?」

 

 生きる屍化は我が研究室にて恒例の朝行事です。なんて評価の下がることを言える筈もなく、真実は心の内に留めて「毎度のことですのでお気になさらず」とだけ返しておく。

 いつまでも立ち話はなんなので室内へ招き入れると、ジャンボが応接ソファのところで手を振っていたので案内する。すぐさまコーヒーを入れて持ってきてくれた相棒に、躑躅森さんは驚くことなく「あら、いただいてよろしいのですの?」「ピッ!」「うふふ、ありがとうございます」なんて会話をしちゃってる。

 なんだろう、娘が突然知らない男友達を家に連れてきた気分になった。お父さんちょっと戸惑っちゃうなあ……役どころの性別が完全に逆だけど。

 

「あなたがこの子のトレーナーさん?」

 

 肯定すれば、先ほどの手荷物がいっぱいだったジャンボを見かねて研究室まで着いてきてくれたらしい。

 おそらくカードキーを差し込む時に手間取ったのだろうと推測する。うちの大学は場所によって入室するのに権限が必要だ。よって入室を許された範囲のカードキーが個人に配布される。ジャンボは私と同じものを持っていて、この研究室にくるまでカードキーを使用する場所が三箇所ある。両手にいっぱいの荷物を危なっかしく持ったまま移動するジャンボを見かねて、親切心で彼女は着いてきてくれたようだ。

 相棒がお世話になったことには違いない。私がお礼を言うと、ジャンボも同じく頭を下げた。さらに先ほどパン屋で買ってきたのだろう、ラスクまでお茶請けに出している。

 初対面なのに随分と好意的な反応を示す相棒に私の方が内心驚く。社交的な性格をしているとはいえ、そこまで警戒心を解くようなことはないのだが。

 されるがまま撫でられているジャンボを不思議に思って見るが、どこにも異常はない。ふむ、と考え込む私に向けて、躑躅森さんがふわりと花が咲いたように笑う。

 

「さっきのお礼かしら。この子、優しくて賢いのね」

 

 褒められて悪い気はしない。「自慢の相棒です」と答えれば、ジャンボがえへんと胸を張る。その姿に私たちは視線を合わせると互いに微笑んだ。

 

「学内で見かけない珍しいピカチュウがいたので、つい声をかけてしまいましたの」

「自分は派遣調査員なので、普段は外に出ていることが多いんです」

「随分とお若くお見受けいたしますが、こちらの研究所の方だったのですね」

「所属はしていますが、まだ正規ではありません。扱いで言えばお手伝いのようなものです」

「それでも、その歳で立派に研究職に就いていらっしゃるのは素晴らしいですわ」

「大したことないですよ。父がここの室長で、昔から手伝いをする内にいつの間にかって感じです」

「室長って……」

 

 驚く彼女が私の胸元を見る。ああ、そっか。暫く研究室に篭りっぱなしだったから、ネームプレートを外していたんだっけ。

 

「日下部真紅といいます。こっちのピカチュウはジャンボです」

「ピッカ!」

「まあ、日下部教授のお身内さんでしたのね!」

「ご存知で?」

「ええ、その……クサカベ教授は、ある意味有名でして……」

 

 どれだけ悪評流されてんだよ父さんッ!!

 躑躅森さんはハっと気づいたように慌てて私に頭を下げた。

 

「私ったら名乗りもせずご馳走になってしまって申し訳ありません。タマムシ大学植物学部講師を勤めております、躑躅森 恵梨華と申します」

「講師の方だったのですか」

「あら、意外でして?」

「すみません、随分とお若く見えたので」

「ふふふ、嬉しいですわ」

 

 上機嫌な躑躅森さんがコーヒーを飲む。その空いた間に、何かが引っかかった。タマムシ……植物……ん?

 

「………………躑躅森、エリカ、さん?」

「はい。何でしょう?」

「失礼ですが……もしかして、タマムシジムの?」

 

 彼女はクスリと笑うと、佇まいを正して先ほどとは全く違った印象で口を開いた。

 

「改めまして。タマムシジム、ジムリーダーのエリカでございます。どうぞよしなに」

 

 ふんわりとした雰囲気から一転、まさに隠されていた花の棘のように攻撃的な瞳でエリカさんは正体を明かした。

 いや、ただ単に私が気づかなかっただけか。道理でジャンボが彼女に対して無警戒なのかがようやく理解できた。

 一部の花から取れる「あまいミツ」が僅かだが彼女から香っていた。人間にはただの香水と遜色ないものの、ポケモンにとっては大きな効果を発揮する。推測だが、相棒はそれに当たってしまったようだ。

 黙りこむ私に「意外でしたか?」と元の柔らかい雰囲気に戻った彼女が小首を傾げる。

 

「お恥ずかしながら、名乗るのもおこがましい程のジムリーダーでして……」

 

 自分を卑下する彼女に、背後で倒れていたゾンビたちが「そんなことありませんよ!!」と援軍に立ち上がった。

 

「エリカさんは素晴らしいお人っス!!」

「そうですじゃ!」

「大学教授に加え華道、茶道、合気道の師範代を務めるエリカ女史は、まさにスーパーウーマンなのです!」

 

 復活した男共が拳を握って高らかに主張するが、された当の本人が引いていることにまったく気づいていない。だからモテないんだよ、と白い目で相棒共々哀れみの視線を送る。

 と、そこで真面目に作業をしていた副室長が思い出したように口を挟んできた。

 

「そういやお前、今トレーナーやってんだろ?」

「一応ね」

「エリカさんには挑戦しないのか?」

「まあ、あなた挑戦者ですの?!」

 

 いきなり立ち上がった彼女は目を輝かせてこちらを見つめる。その勢いに驚いて適当に返事をしてしまったのが私の運の尽きだった。

 

「ええと……じゃあ、はい……」

「大歓迎ですわ! いつジムにいらしてくださるの?!」

「ひ、昼過ぎからなら……」

「お昼過ぎですね!! お待ちしておりますわ!!!!」

 

 対面に座る私にずずいっと顔を迫らせ、もはや脅迫の勢いで約束を取り付けられた。「挑戦者なんて何ヶ月ぶりかしら、バトルも久々でとても楽しみです!!」なんて言いながら手をがっちり掴んでブンブン回し、何度も約束を強調して笑顔で研究室を出て行ったエリカに私は暫く呆然としてしまう。

 ようやく硬直から戻ったところで、私は背後のゾンビーズに向かって声をかける。

 

「……あの人のジムって人気ないの?」

「馬鹿言え、エリカさんはアイドルが裸足で逃げ出す程の人気者だ」

「人気者すぎてあの人の受け持ってる講義とお稽古事はいつも定員オーバーで高倍率なんだぞ」

「でも本業はジムリーダーなんでしょ?」

「それがなあ……」

「エリカさん自身はジムリーダーの仕事に誇りを持ってるし挑戦者大歓迎なんだけど」

「なまじあの人ハイスペックすぎるから、他所にひっぱりだこなんだよ」

「おまけにミーハーなファンは、ジム戦だと一緒にいれる時間があっという間だからって理由でお稽古事の方に人が殺到して、エリカさんはジム運営どころじゃなくなってるってワケ」

「……苦労してんだなあ」

 

 とりあえず、昼過ぎまでに仕事を終わらせないと。

 突如決まったジム戦の予定に自分で自分の首を絞めてしまったと後から気づく体たらく。

 寝不足の頭で考えるほうが間違ってるんだよね、うん。自業自得!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12-2

「本来ならば、使用ポケモン4体のダブルバトルが当ジムのルールなのですが……」

 

 そう語る審判の視線が、反対側に位置するトレーナーポジションへと向けられる。そこには本来立っているはずの人物は()らず、空席のままだ。

 腕時計を見れば、ジムに足を踏み入れてから既に30分も経過している。受付を済ませて待ち時間を入れれば、軽く二時間は待っただろうか。

 

 バトルフィールドに入るまでは、ロビーのソファに座っていられたからまだよかった。しかし、さすがに何もしないまま呆然と突っ立っているだけは、寝不足の体に堪えるというもの。

 その間に仮眠を取ればいいだろって? 実はちょっとしたアクシデントがあってね……。

 抑え切れなかった欠伸を掌で隠しながらやり過ごす私に、ビクっと大袈裟なくらい反応するジャンボ。何があったかは、まあ割愛させて頂く。

 

 前回のクチバジムがボクシングリングのような形状だとすれば、ここタマムシジムは植物園そのものだ。ガラス天井から降り注ぐ日光を浴びた様々な植物が、所狭しと己の体を主張している。細い通路以外は見事なまでに緑一色だ。

 うん、緑色って目に優しいよね。ちょうどお昼過ぎで満腹だし、この場所って凄くぽかぽかして暖かいんだ。

 ふらふらと頭が揺れそうになるのを、脚に力を込めて必死に耐える。目は虚ろで、気を抜けばすぐにでも瞼が落ちてしまいそうになるのを懸命に凌ぐ。

 エリカさんの方から取りつけた約束だというのに、一体どうなっているのだろう。私は審判に「あと10分だけ待って、来ない場合は棄権します」と告げた。本音を言えば今すぐにでも帰って寝たいのだが、一応顔が割れているからな。体裁は大事。

 

 船を漕ぎそうになる度に、背中に張り付いているジャンボが後ろからビンタを飛ばす。容赦のないビンタを何度繰り返したかは記憶が定かではないが、いつの間にやら周囲がざわつき始めたと感じた頃にバン! と強く扉が開いた音がした。

 その音にハっと焦点が合わさり意識がはっきりしてきたと思いきや、先ほどまでの審判と二人きりだった空間がいつの間にやら大勢の人によって人口密度が異様に上がっているではないか。私が落ちていた数分の間に一体何が起きたというのだ。呆気に取られたまま立ち尽くしていれば、対面側に息を切らしたエリカが走りこんできた。

 

「遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした!」

 

 深々く腰を折り曲げて謝罪する彼女の姿に、私は半覚醒ながら慌てて顔を上げさせる。口がうまく回らなくてしどろもどろになっちゃったような気もしたけど、エリカが顔を上げてくれたのでなんとか言えたのだろう。

 

「遅刻をした身で大変恐縮なのですが、あまり時間が取れない為……今回は特別ルールを適応させていただけないでしょうか?」

 

 またもやペコペコと頭を下げてこちらの様子を伺う姿に、正直私はどうでもよくなっていた。

 周囲から聞こえてくるざわめきの中から察するに、エリカの遅刻の原因は、珍しくジムへと姿を現したことにより押しかけたファンによるものらしい。なんて傍迷惑な。どうやらこの後にはジムで生け花教室の予定が詰まっているらしく、着物を着た生徒さんらしき人たちが話している。

 エリカに頭を下げさせた私に対する悪口もちらほらと耳に入ってくるし、それに対して背後から放たれるジャンボの殺気が怖いのなんの。

 このバトルフィールドは吹き抜けの二階建てで、二階部分が客席になっている。そこにびっしりと埋め尽くされた大勢の観客からするに、エリカの人気ぶりを改めて認識した。ほんと、苦労してるんだね。

 マチスの時と同じく、再度場を設けるので今回のチャレンジを取りやめても問題ないと言われるが、私は「構いません」の一言で開始を促した。

 正直に言えば、不躾に向けられる視線にうんざりしているのと、どう足掻いても眠気が取れないのでさっさと終わらせたいんだ。もうそれしか今の私の頭の中にはない。

 審判からの前口上を虚ろな感覚で済ませて、ぼんやりと誰で挑もうかボールに指を滑らそうとした途端、目の前に壁ができた。

 

「ゴン!」

 

 愛称を職人と呼ばれているうちのカビゴンは、両拳を交差させた状態から押忍! と言わんばかりに頭を下げた。おや、珍しい。

 野生の自由奔放なカビゴンと違い、見ての通りとても礼儀正しい彼が勝手に出てきた理由とは何か。すぐに察した相棒が、エリカの後方に聳える一本の木を指差した。

 

「……ああ、そういうことか」

「ピカー」

 

 ジャンボの呆れたような一言に反応して、職人が恥ずかしげに頭を掻いた。

 彼とはゴンベの頃に旅の途中で出会い、ジャンボに舎弟入りして私の手持ちとなった経緯を持つ。そして当初から非常に小柄な体躯で、進化した今でも身長は標準を下回り、体重に至っては半分以下である。当に動けるデブ、筋肉の塊、厚い脂肪なんてなかったんや。

 やる気満々に四股を踏む職人のために、私はキレイハナを出した相手へ視線を戻した。

 

「エリカさん、勝ったらひとつお願いを聞いてもらえませんか?」

「ものにもよりますが、それでもよろしければ」

「ありがとうございます」

 

 たぶん大丈夫だろう、そんな難しいことではないし。そう軽く考えていたことが、後々えらい目にあうなんて。私はこの時、微塵も感じていなかった。ただ、はよ終われとしか考えていなかったんだ。

 私は勿論、エリカも己の勝利を確信していたのだろう。時間短縮のために通常ルールよりも総ポケモン数が多くなることがある特別ルールを選んだということは、自分の手持ちにそれだけの自信があったということ。自慢の一匹で速攻6タテ余裕だと考えていたのでしょうな。

 

「それではこれより、タマムシシティジムリーダーエリカと、マサラタウンのレッドによる公式バッジ戦を行います。両者、礼!」

「……お願いします」

「こちらこそ、精一杯努めさせていただきます」

 

 これぞお手本と言える、きっちり45度腰を曲げた礼を見せたエリカの表情が、空気が、すぅっと変わっていく。文字通り飲み込まれそうな笑みを湛えた彼女に、観客の誰もが釘付けになる。

 それを私はぼんやりと、雰囲気が変わったな程度にしか思わなかった。反対に、対峙する職人はしっかりと臨戦状態に入っており、審判からの合図を今か今かと待ち構えていた。




【職人】
種族:カビゴン
性別:♂
性格:真面目
アレコレ:ゴンベの頃に出会いジャンボに弟子入りする形でパーティin。本来の名付けた名前は「ワーグナー」だったが、真面目な性格に「ワークマン」と揶揄したのが発端で「職人」と呼ばれるようになった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12-3

お待たせしました。バトルってだけで筆が進まない……。


 審判の合図と共に、花びらを舞い上がらせ踊りだしたキレイバナ。対して職人は真っ向から駆け出し、その巨体からは信じられない速度で距離を詰めた。いくら標準のカビゴンよりも小柄とはいえ、小さなキレイハナにとっては遥かに上回る体躯だ。キレイハナは正面から迫り来る恐怖に、浮かべた花びらで自身を守るように展開させるも、圧倒的体格差により諸共吹き飛ばされる。

 バシン! という衝撃音と同時に、キレイハナがフィールド後方へ跳ね飛んだ。一方、反動ダメージをものともせずその場で踏ん張り、背を反らす職人の口元へ冷気が集う。腹に力を込めて照準をキレイハナへと向けられた冷線が轟音と共に弾け、着弾と同時に室内が急激に冷却される。ドライアイスのようなものが辺りを漂い、視界が埋まった。

 キレイハナがどうなったかはわからない。だが審判の判定もトレーナー(エリカ)の指示も聞こえないということは、そういうことなのだろう。

 

「油断するなよ」

「ゴンッ!」

 

 承知とばかりに答えた職人が、腰を落とし構えを取る。

 程なく霧は上空から降り注ぐ陽光により離散していった。並びに気温も元通りどころか、肌が焼ける程の温度にまで上昇している。これは、もしや……?

 そして姿を現した相手の手元には、光輝くエネルギーが今か今かと膨張していた。その意味することは――

 

「ッ、避けろ!!」

「ソーラービーム!!」

 

 判断が遅れ指示はギリギリとなってしまったが、間一髪で職人の真横を光エネルギーが通過していった。

 しかし、それも読んでいたのだろう。

 

「今です!!」

 

 エリカの指示にキレイハナが拳を地面へ打ち込むと、受身で回避した職人の足元で草が蠢き絡みつく。足を掬われた職人の体は勢いよく地面へと叩きつけられ――はしなかった。

 とっさの判断だろう、彼は横転する直前に足を蔓から抜き、そのまま転がるに技を繋げた。戸惑うキレイハナへと直進していき、暴走車さながらの勢いで何度も撥ねていく。

 二度、三度と攻撃を食らっていたキレイハナだが、エリカから飛んだ「守りなさい!」という指示に冷静さを取り戻し、両手を前に出し守りの結界を広げた。それに弾き返された職人の転がるが解除され、体勢を立て直す間に今度はキレイハナから蔓の鞭が飛んでくる。それをかわし、時にいなしながら距離を詰める職人に対し、近づけまいと合間に葉っぱカッターを挟み牽制しつつダメージを稼いでいくキレイハナ。じりじりとした攻防に口出しする要素はなく、見守る私にエリカが声をかける。

 

「まさか草結びをあんな形で避けるだなんて、驚きですわ!」

「エリカさんこそ、うちの子の冷凍ビームをどうやって避けたんです?」

「ふふ、ジムリーダーは伊達ではありませんのよ」

 

 現状は近づかれるのを嫌うキレイバナに、通常ではあり得ない素早さで有利かつパワー体格諸々優勢的な要素が多いカビゴン。攻撃を与えてはいても、ジリ貧なのはあちらか。

 正直、開幕ぶっぱでKOだと思ったのだが、予想以上にテクニカルな動きを見せるジムリーダー側に私も舌を巻くばかりだ。

 これはもしや、揺さぶりでもかけている? いやいや、深読みのしすぎか。……だめだ、頭が働かない。どうにも何か隠しているように見えて怖いんだよな。

 一癖も二癖もありそうな笑顔を向けられて、どうしたらいいのかわからず私は引きつった笑みを浮かべた。ハハッ、もうどうにでもなれ。職人、あとは頼んだ。

 縋る思いで視線を投げかければ、こちらを見た職人が頷いて応えた。おおう、どう解釈したのかはしらんがお前を信じるよ……!

 神頼みならぬ、ポケモン頼りとばかりにジッと見つめれば、彼は今までの慎重さを捨ててキレイハナへと飛び掛った。

 

 ええええそれは不味いでしょーーー!?

 いやこれってつまり私のせい? GOサイン出しちゃった感じ?

 うわあああすんません、つか職人大丈夫か!?

 

 内心大慌てな私の心配は当たって、一気に距離を詰めた隙を狙った攻撃がカビゴンに襲い掛かった。地面に忍ばせていたのだろう、蔓が職人へと一斉に向かい纏わりついた。

 身動きのとれなくなった相手に当てるのは当然、大技である。

 

「リーフストーム!!」

 

 キレイハナを中心に轟々と木の葉の渦が巻き上がり、竜巻のように上空へと舞い上げられフィールドを埋め尽くす。

 凄まじい木の葉の乱舞に目を開けていることができず、片腕で目元を覆うように防ぐ。

 回避を封じられ、無防備の状態で木の葉の乱舞を受けきることができるのか。

 風と葉の擦れ合う音ばかりが響き、どれだけ耳を澄ましても一番気にかかった音は聞こえなかった。私は僅かだが、口元を緩ませた。

 次第に大人しくなった風模様に、目を開ければ緑の幕が上がる直前で。ぜえぜえと肩で息をするキレイハナが、巨体を押さえつけていた蔓を解いていく。支えを失った身体はそのまま前へと倒れかかる。

 

 ドシン、と音が響いた。

 

 それはカビゴンが――左足で地面を踏み込んだ音だった。

 

「ギガインパクト!」

 

 捻り出す様に眼前へ繰り出した右手から放たれる衝撃に、ドゴォオオン!!とフィールドを巻き込んでキレイハナは文字通り押しつぶされた。頭上から倒れこむように崩れ落ちてきた巨体に逃げ場などなく、さらにその右手から放たれた威力に成す術もなく地へと沈んだのだ。

 審判が急いで駆けつけ、キレイハナの様子を伺う。

 

「勝負あり! マサラタウンのレッドっ!!」

 

 勝敗宣言と同時に、エリカが審判に抱えられた自分のポケモンの下へと駆け寄る。

 私はふう、と一息ついて、こちらへふらつきながらも歩いて戻ってきた職人の頭を優しく撫でた。

 

「お疲れ様。最後はよく耐えたな」

「ゴ、ン……」

 

 あ。やばい。これはギリギリだ。

 そう思った瞬間に、職人の目尻に涙が浮かぶ。

 私の背中から職人の肩へと移動したジャンボが慰めるも、両手を覆い嗚咽を漏らす姿にゴンベの頃を思い出す。

 彼は存外臆病で、訓練やバトルで我慢の限界を迎えると決壊したように泣き出してしまうのだ。成長した今では滅多な事では泣かないのだが、今回はそれほど必死だったということ。

 終盤なんかは危ない場面でいつ泣き出すか冷や冷やしたものだが、最後までやりきった職人に約束の物をあげなければなるまい。最悪、もらえなくても何かしら別のご褒美を考えよう。

 

 程なくしてこちらへと向かってきたエリカさんに、一礼と共にバトルの感謝を告げる。キレイハナの容態を聞けば、心配ないとの言葉にほっと胸を撫で下ろした。本当はすごく気がかりだったんだけど、勝っちゃった上に相手は年上でジムリーダーだから、どう対処していいものかわからなかったのだ。不快にさせたくないし、かといってやはり相手のポケモンを瀕死間際にさせた自覚はあるしで。

 やはり謝罪は必要だろうか、と口を開きかけたところでエリカさんに先手を取られる。バッチを手渡されて、お決まりのジムリーダー公認の言葉を頂いた。見透かされちゃったかな。仕方がないので、「ありがとうございました」の言葉に全てを込めた。

 

「久々に本気で熱くなるバトルをさせていただきました。こちらこそ、ありがとうございます。とても楽しかったですわ」

 

 笑顔で手を差し出す彼女に、私もありがたく手を握らせていただいた。

 

「そういえば、約束でしたわね。お願いとはなんでしょうか?」

「実は……」

 

 私は彼女を指差す。正確にはその背後、ジムリーダー側のトレーナーポジション後方をだ。

 そこには職人が愛して止まないモモンの木が実をつけていた。

 あの子、免疫体質なのは絶対モモンの実の食べすぎなんじゃないかってくらいに好物なんだよね。

 

「すみません、どうしても欲しくて」

 

 困った様に笑えば、なぜか顔を赤くしたエリカが焦ったように取り乱し始めた。

 はて、どうしたのだろうか? やっぱり植物園の物をもらうのは不味かったのだろうか。

 不思議に見ていたら、ジャンボがこちらを見て特大の溜め息をついていた。なんだよ、どうせ眠くて頭がまともに働きやしないんだ。もう失敗しても気にしない。

 「だめですか?」と首を傾げれば、さらに慌てるエリカさん。そんなにだめなら仕方ないと諦めれば、審判が「欲しいものって、これのことですか?」とモモンの実を持ってきてくれた。

 なぜか硬直するエリカさんに、審判が苦笑いしつつも許可をくれたので私たちはジムを後にした。

 あー……疲れた。さっさと帰って寝よう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-1

「……はィ?」

「だから、戦力外通告」

 

副室長から告げられた言葉に呆然とする私に向けて、クイっと親指で指された机上へと視線を投げる。そこには積み上げられた数十の封筒があった。中には紙を折っただけの簡素な物もある。

 

「どれもお前宛だ」

 

 事外に読んでみろとのお達しだ。私は手近にあった一枚を取って見る。

 そこには、この研究室に帽子を被った男の子がいるか、と尋ねる文章があった。他のを見ても、大体が私のことについてばかりなので、副室長の言っていた私宛(・・)というのは間違いないらしい。例外で、お宅の若い研究員目当ての人が受付に殺到して迷惑です、等々警告文もちらほら。

 つまり、これは……あれか。やっぱりタマムシジムで私は何かやらかしたのか。眠くてあの時のことをほとんど覚えていない私としては、事態が全くと言っていいほど飲み込めていないのだが。

 相棒を見れば首をふるばかりで、この件については反論の余地が無いらしい。なんてこった。

 

「お前ら当分、謹慎な」

 

 額に青筋を浮かべながらニッコリと裁断を下す副室長様。

 「このくそ忙しい時になんで厄介ごと引っ掛けてくっかなー。あれか、血筋か」そう零す上司に何も言えず、私は粛々と処分を受け入れるしかなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 大学を出て自宅――タマムシシティ滞在の際は父方の祖父母が経営している喫茶店兼住居に居候させてもらっている――に戻る途中、ポケットに入っているポケギアが震えた。

 私は周囲を警戒しながらポケギアの画面を見て、珍しい名前に心が躍った。人気のない路地に入り、人影がないことを確認して通話に出る。

 

『もしもし、シンク?』

「ああリリス、久しぶり」

『ご依頼の()を確保したよー。どうしたらいいかな?』

 

 いつもすまんね、と返した電話の相手は数少ない友達の一人だ。それも、私にしては比較的歳の近い昔馴染みでもある。

 リリス=フレイル。名前の通り外国人で、イッシュ地方出身のポケモントレーナーだ。しかし流暢な日本語を話せる程こちらで過ごしてきた年数は長く、今ではイッシュ地方よりもカントー地方育ちといっても過言ではない。彼女は私と同じく大学の派遣調査員で、妹と二人で外部調査班を担当している。それも我が研究室が大変ご贔屓にしている外部班だ。理由は彼女の発言通り、毎度脱走するうちの厄介者を捕獲してもらうため。今回も逃走が発覚した時点で副室長から彼女たちに依頼がいっていたのだろう。いつも仕事が速くて助かっている。

 

『研究室の方にも掛けてみたんだけど、繋がらなくて。こっちに掛けちゃったけど、よかったかな?』

「すまん。実は私も今、出禁状態なんだ」

『なーに? ついにジャンボが大爆発でもしたの?』

「ねずみポケモンに無茶言うな」

 

 副室長なら常に爆弾抱えているようなものだけど。いや、ジャンボなら……いつか有り得る日がくるのか?

 相棒の将来が一瞬不安になるも、頭を振って誤魔化す。うちの子は非行に走ったりなんかしない。しないったらしない!

 そんなことよりも、通話の後ろから聞こえてくるドカーンやらバコーンなどの、BGMにしては騒々しい物音が私としては気になるところだ。

 

「むしろそっちの方が爆発してるみたいだけど?」

『あー、ねぇ? ほら、リアちゃんも一緒だから』

「なーる……」

 

 聞こえもしないのに「離せー!」「いい加減お縄につきなさーい!」などのやり取りが目に浮かぶようだ。きっとリリスの妹とうちの愚父が逃亡をかけて戦っているのだろう。ほんと迷惑かけてすまん。

 

『パッパさんもどうして覚えないんだろうねー。私はともかく、リアちゃんの追跡能力って言ったら巡航ミサイルなんかの比じゃない事くらい、わかってると思うんだけど……』

 

 呆れた物言いで人の父親のことをサラっと渾名で呼ぶあたり、数え切れないほどお世話になっているのがお分かりいただけるだろう。しかし私としては、僻地に逃亡する度に難なく捕獲する君の妹の、人外級の能力にこそ突っ込みを入れたい。まあ、ジャンボと生身で張り合えるくらいの時点でおかしいんだけどさ。長い付き合いの内にもう慣れたけどね。

 

「あの人は母親の胎の中に学習装置を忘れてきた真性だから。そのまま一回爆発した方がいいんじゃないかな」

『それ、娘が言っちゃっていいの?』

 

 『まぁ、賛成だけど』と零したリリスの言葉に、互いに笑いあう。ああ、懐かしいな。

 

『そうそう、シンクもトレーナーになったんだって? おめでとう!』

「ありがとう。これからはリリスの事も、ホワイト先輩って呼ばなきゃいけないな」

『またそういう水臭い事言う~。私はレッドなんて呼ばないよ?』

「いや、呼んでよ。少なくとも公式の場とかさ」

『どうかなー。考えとく』

 

 そこでまた後ろから『おねーちゃーん! 誰と喋ってんの? シンク? シンクなの!?』と大声が近づいてくる。反対にリリスが慌てた様子で『ああリアちゃん、そんなに引っ張ったらパッパさん千切れちゃう……』などと穏やかだが物騒な声を残して遠ざかっていった。

 何? 父さん千切れるの? いいぞ、もっとやれ。

 

『シンク、シンク! ひっさしぶりじゃん! 元気してるー?』

 

 先ほどと打って変わって、元気の塊の様な第一声が鼓膜を殴打した。リリスの双子の妹である、イリアル=フレイル――愛称はリア――だ。

 彼女こそが外部班随一の成績を誇る、私が人外級と表した様々な高能力を持ち、うちの愚父を唯一探し出せる人物である。私の知る中での人類最強だ。

 私は彼女たちと一時期、同じ師に師事していた事があり、有体に言えば彼女たちは私の姉弟子に当たる。といってもリリスと私は一般人レベルで、リアだけが師も認める程の超人なのだ。

 力とは裏腹に頭の出来はいまいちのようで。常に姉のフォローがないと突っ走る性格や、お姉ちゃん大好きっ子なのも合わさって、リアの方は正式な研究員ではないのだがサバイバルに弱い姉のお手伝いを買って出ている。

 リリスと双子という事は私よりも年上なのだが、その言動から常に妹扱いをされる少々可愛そうな子でもある。本人が嫌がっていないので問題はないのだが、いつか大人になった時の事を考えると頭の痛い話だと、リリスと二人で悩んだこともあったな。

 

「ああ、元気だよリア。その調子でブチっといけ」

『おっけー! 納品の時にはベトベターかなんかでくっつけとくから』

「いらねーなぁ、ヘドロで再結合した父親なんて」

 

 軽いジョークで挨拶を交わす。これも私たちのお約束だ。変わらないやり取りに自然と口角が上がる。本当に久しぶりだとはしゃぐ彼女に、落ち着けと言うのすらノスタルジックな気持ちになる。

 

『ジャンボにもずっと会ってないなぁ。ジャンボに代わってよ!』

「悪い、今はちょっと無理」

『何? 爆発したの?』

 

 そのネタいつまで引っ張んのさ。まったく、この姉妹は。

 

「諸事情で側を離れてるんだ。ごめんな」

『ふーん、なんかそっちも大変そうだねぇ』

「ああ、由々しき事態さ」

 

 茶目っ気を込めて誇大表現したのがいけなかったのか、焦った様に心配するリアに私は失敗したと内心舌打ちをした。良くも悪くも真っ直ぐな性格の彼女だ。誤魔化すのは悪化するだけと経験上理解している。最悪、こっちに飛んでこないとも言えない。

 なんてったって、理由が理由だからな。ジャンボが私の側にいないのも、それが関係しているとはいえ、別段深刻な問題ではないのだが。仕方あるまい、正直に話してしまおう。

 

「人生初のストーカー軍団に困ってる。何かいい案ないか?」

 

 一拍置いて、リアが噴出した。器官に入ったのだろう、思い切り咽ている。『は? 軍団!?』と混乱しているようで、しばらく時間を置いた。落ち着いたところで、恐る恐る声を掛けられる。

 

『け、警察は……?』

「知り合いがいるから大事にしたくない」

 

 事件という程でもないし。つか、普通にストーカーされたとか恥ずかしいから。

 どうやら先日のジム戦で恨みを買ったらしく、如何様に私が学内にいることを知ったのかはわからないが、大学を中心に人の視線を感じる生活が増えていった。しかもどうやら同一犯ではないらしく、被害を見るからに犯行は複数の手口が考えられた。それが悪化したのがここ3日ほど。

 締め切りに向けていざ追い込みとなるこのタイミングで、だ。睡眠も禄に取れない上での私の精神的ダメージは、計り知れないものであるとだけ名言しておく。

 好意的なものと悪意的なもの、二種類のものが混在していたのは謎だが、幼稚なものから危ないものまでより取り見取り。一生の内に体験することのない出来事を味わったとだけ言わせてもらおう。それでも何とかなっているのは、昔取った杵柄のおかげだ。修行していてよかったと、これほどまでに思ったことはない。

 そんな訳で、増田ジュンサーという知人がいる私としてはなるべく迅速かつ穏便に解決したいところでして。

 

『まぁー……そんなの張り倒しちゃえばいいじゃん?』

 

 正反対のお言葉をいただきました。うん、君に難しいことを求めようとした私が間違いだったね、ごめんよ。

 しかもリアの場合は《死なない程度に》が付く。生きていれば問題ない、と豪語する彼女は《和解:物理》で済ます強硬派だからだ。

 

「相変わらずゴリ押しだな……そんなんで人生苦労しないか?」

『してるよー毎日毎日。ぼーくらはなんちゃら、って?』

「焼いてやれよ、面倒事サンド。美味しく頂けたら尚良し」

『んだねー。あっ、しまった逃げた! 待てー!』

 

 ドップラー効果でリアの声が消えていったと同時に「ゴン!」という衝撃音が耳に響いた。あいつ、ポケギアが落ちる前に走り去っていったぞ……。

 暫く何も聞こえないまま、通話を切ってもいいものか悩んでいたら『あーあー、逃げたらもっとひどい事になるのに……パッパさんドMなのかな』という声が聞こえてきた。「おーい」と投げかければ、気が付いたリリスが通話口に出てくれた。

 

『騒がしくてごめんね、シンク』

「いいや、むしろこっちこそ世話になってばかりで悪いな」

『ふふ、どういたしまして。じゃあ、後でパッパさんは研究室にクール便で送っておくね』

「氷漬けとかあの人には最高のご褒美じゃないか」

『冗談からまさかの真相発覚!?』

 

 余談だが、うちの家族は総じてどこかしら変態的な部分を持つが、その中でも父親は二番目に酷い。

 私は前世絡みで所詮言うところの男がダメな部類だし、母さんは父さんと結婚した時点でお分かりだろう。カズだけは例外で、唯一の常識人であり真っ当な人間だ。

 

『新しく依頼された事もあるし、またどこかで会えるといいね』

「そうだな。いつかみたいに、またかっこよく助けに来てくれるって信じてる」

『あれはっ、……シンクがいつも無茶ばっかりしてるからでしょ!』

「ははっ、すまんすまん」

『ストーカーのこと、ちゃんと警察とかに相談しなきゃダメだよ? 一応シンクも女の子なんだから』

「心配御無用。ただの女の子じゃないって事は、リリスとリアが一番よく知ってるだろ?」

『それでも、だよ! じゃーね!』

 

 耳元から離したポケギアを見れば、その通話時間に驚く。随分と長いこと話していたのだなとわかり、こんなにプライベートで人と喋ったのはどれだけぶりだろうかと考える。やはり気兼ねない友達とはいいものだ。

 大切な友達からのご忠告通り、その内に警察へと足を運ぶことにしよう。そう決意して路地から大通りに戻った私の前に黄色が振ってきた。

 

「ピッ!」

 

 相棒はとある場所を指して一言残し、すぐに姿を消した。他の人から見たら目を疑う一瞬の出来事だろう。私はわざわざ知らせてくれたジャンボの示されるまま、反対沿いにある黒いワンボックスカーの方へ足を進めた。

 近づくにつれ、車体に凭れ掛かるように立ちながら、苛立ちを浮かべた顔で煙草を吸う成人男性の姿が見えてくる。見知ったその姿に向けて、私は気軽に声をかけた。

 

「こんにちは、増田ジュ……!?」

 

 言い終わらないうちに腕が伸びてきた。咄嗟に反応するも、口を塞がれた上に力ずくで車体の中に引きずり込まれてしまう。混乱する頭を落ち着かせて、私は相手を睨んだ。

 私を押さえつけながら運転席の男に「出せ!」と指示を出す男は間違いなく見知った顔だ。他人の空似などではない。

 走り出した車にようやく吊り上げていた眉を下ろし、安堵の息を吐いた目の前の男がゆっくりと私の拘束を解いた。それでも私は警戒を解かず、相手を睨みつける。

 

「すまない、シンク君。突然このようなことをしてしまったのには理由があるのだが……」

 

 そう告げる顔は今度こそ私のよく知る増田ジュンサーだった。

 

「まずはフロントガラスに張り付いている、君の相棒を何とかしてくれないか……?」

 

 どうやら事情があるらしい。私はため息を一つ吐いて、鬼の形相でこちらを睨んでいる相棒を安心させるために窓を開けた。




ジャンボが姿を消す理由=サントアンヌ号の時と同じです。目立つんだから仕方ないよね!

【ホワイト】
本名:リリス=フレイル
年齢:13歳
身長:142cm

【ブラック】
本名:イリアル=フレイル
年齢:13歳
身長:142cm

アレコレ:イッシュ地方ヒウンシティ生まれの一卵性双生児。完全コピーというほどそっくりさん。
タマムシ大学特別生態調査研究室所属の広域外部調査担当者。
シンクと同じ時期、同じ師匠に師事していた過去があり、姉妹弟子である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-2

  白昼堂々、タマムシシティのど真ん中で起きた少女誘拐事件。怪しげな男の手によりワンボックスカーの後部座席へ詰め込まれた私は、それから数奇な運命を辿り、気付けば誰も知らないような南国のどこかへと向かう船の隠された小部屋で震えているのだった……。

 ――というような事はなく、彼は正義のお巡りさん、増田ジュンサーである。しかしながら、私第一が信条のジャンボさんのつぶらな瞳には上記のような状況に映じたようで、まぁ機嫌が荒れること甚だしい。これには増田ジュンサーも予想外だったようで。見慣れた紺色の警察制服姿ではなく、ゆったりとしたシャツにジーパンというカジャルスタイルな増田ジュンサーが、目の前で必死に頭を下げている。対する私は、未だ威嚇を続ける相棒を戒める意味でも膝上に乗せて抱きかかえている状況だ。

 

「突然こんな事をしてすまなかったね。ジャンボも、その……なんだ、どうか誤解しないで欲しい」

「いえ、大丈夫です。ほらお前も、いつまでもガン飛ばさない」

 

 私もなんだか申し訳なくなって謝り返しつつ、野生の怒りを取り戻して歯をむき出しにする相棒の頭を軽く叩く。恨みがましい視線はこちらにも向いたが、何、気にすることはない。こいつも大概、心配性が過ぎるんだ。走行するワンボックスカーの平らなフロントガラスに張り付くというハリウッドのスタントマンも真っ青のスーパーアクションを体当たりでやってのけ、そのまま運転席ごとぶち破らん勢いだったほど。むしろジャンボの方が無茶苦茶をしてると思うのは私だけ?

 何とかひっぺがした相棒を開けた窓から抱き寄せ、しばらく宥めてみたものの、この有り様である。私を案ずるのはわかるが、いつまでも付き合えん。完全に斜めになってしまった相棒をとりあえずスルーして、増田ジュンサーに向き直る。バツが悪そうに苦笑いしながら、私達の横ですっかり所在なさ気な様子だ。

 

「いやぁ、詳しくは言えないが、お察しの通り“仕事中”でね。あそこで君達に色々喋られると、まぁ都合が悪かったもんだからさ。少し強引な手段を取らせてもらった次第だよ」

「わかってます。私も迂闊でしたかね、あんなとこでこんな真っ昼間から油を売っているはずがないのに」

「いや、いいんだ。相変わらず話が早くて助かるよ」

 

 アバウトだが和解をしたことにより、ギスギスとした空気に包まれていた車内がようやくまともに呼吸しやすくなる。

 

「それで、私達はどうすれば?」

「……どう、とは?」

 

 あ、ナイショの笑顔。

 いい加減、三十も過ぎた中年のおじさまがこんな無邪気な笑顔しちゃっていいのか。それとも一生青春とかいう恥ずかしい四文字熟語の標語を胸に秘める少年ダンディなの? その様子じゃまだまだ当分は独身だね、増田ボーイ。

 

「さて、どこで降ろそうか」

 

 一切合切の事情を地平の彼方に押しやり、何事もなかったかのように白々と提案する姿はいっそ天晴れとでも言えよう。

 本当は自宅に戻って、数日ぶりの睡眠を心ゆくまで貪り尽くしたいというのが本音だけれど、それでは走ってきた方角と同じだ。あの場所から離れざるを得なかった事情があるのだろうから、当然来た道を戻ってはくれないだろう。ならばこの方向から最も近い場所で、尚且つ眠れる場所と言えば……。

 

「……じゃあ、ポケモンセンターまでお願いします」

「了解」

 

 この際、お布団がほしいなんて贅沢は言っていられない。いいさ、ポケモンセンターの仮眠施設だって捨てたもんじゃない。野宿がカプセルベッドに変わったと思えば万々歳じゃないか。ははは、ハハハ……。

 

「ジャンボ、人生ってうまくいかないね」

「ピッカチュ」

 

 そりゃあそうじゃ、って? なんだ、自業自得ってか? こっちはいつもいつでもホンキで生きてんだ、ちくしょう! 快眠にさよならバイバイ!

 そんな私の魂の嘆きも知らん顔。うっかりしていた私が悪いとは言え、冷たい奴だ。まぁおかげで溜飲を下げたらしい相棒はようやく機嫌を立て直し、私の膝元でドライブの揺るぎに身を預けていた。

 それから数分くらいでポケモンセンターの近くに到着し、私達はようやく解放された。

 

「それじゃあ、僕はこのまま仕事に戻るよ。今日は本当にすまなかった。また今度、改めてお詫びをさせてくれ」

「はい。どうもお邪魔さまでした」

「それじゃ、またね」

 

 挨拶もそこそこに慌ただしく走り去る車の後ろ姿を、ぼんやりとした頭で見送る。ああ、もう本当に眠すぎて何も考えられない。マジで路上にぶっ倒れそうな勢いだ。この際、カプセルベッドでもなんでもいい。とにかく私に睡眠をくれ、おーまいがー。もはやバラバラに分裂した思考をうまく纏められないまま、踵を返したその時だ。

 目の前に、顔が現れた。

 なんだ、こいつは。

 

「やたらとでかいピカチュウに、赤い帽子の小僧……こいつだ、間違いない!」

 

 ちけぇ、でけぇ、うぜぇ。見覚えないぞ、こんな奴。誰なんだ、お前は。

 その反射的な疑問を口にすることさえ遅れるほど、脳の稼働率は低下していた。のろのろと流れた疑問がようやく吐き出せそうになったと思ったら、そのでかい顔はいきなり大声で往来に向かってがなり立てた。

 

「こいつがエリカさんに勝ちやがったレッドだ! おーい、レッドがいたぞーっ!」

「レッドさん!? きゃーっ、みんなこっちよーっ!」

 

 野太い声の後に、何故か黄色い声も混ざる。驚いた私が三割ほどの覚醒を引き戻す頃には、既に時遅し。騒ぎ立てる見知らぬ連中のせいで、あっという間に私は黒山の人だかりに囲まれてしまっていた。

 ああ、すっかり忘れてた。そう言えば逃亡中の身だったっけ。睡眠欲に負けた頭は、一体何の為に相棒を斥候に出していたのかさえ忘れ去ってしまっていたようだ。

 

「おいおい、マジですか……。ジャンボ、水泡に帰すってのはこういうことだな」

「ピカピー……」

 

 ジャンボもやれやれ、と言わんばかりに首を振る。ごめんね、お前の努力は今、全部無駄になっちゃったよ。

 そんな中、人混みからやたらと図体のでかい男が一人、ずいと前へ出てきた。こいつは……さっきのデカ顔か。

 

「おうっ! てめー、よくもエリカさんを負かせやがったな! どんな汚ねぇ手を使ったかしらねーが、俺はそうはいかねぇぞ! 今ここで勝負しやがれ!」

 

 うわぁ、アツい、アホっぽい、アゴ長い。トリプルAだな。

 

「勝負……? こんな往来でバトルなんてできませんよ」

「ちげーよ! てめーと、俺の、一騎打ちだ! これならズルできねえだろ! てめーをここでブチのめし、エリカさんに勝利を捧げてやる!」

 

 何言ってんだ、こいつ。お巡りさーん、ここでーす……って、さっき別れたのがそうじゃん!ああ、増田ジュンサーお願い戻ってきて。

 このやたらとアゴと髪の長いゴリラ面、口角から泡を飛ばしながらとんでもない要求をしてくる。犬も歩けばなんとやら。こんな棒、当たったからってどうしろってんだ。っていうか……。

 

「あの、まずあなた誰ですか?」

 

 名前も知らない奴の喧嘩なんて買わない。ビーバップなんちゃらじゃあるまいし、ストリートファイトって柄じゃないし。まぁ知ってたって買わないけど。

 するとアゴ長ゴリラは無駄に太い右腕の袖をまくり上げ、ハートと可愛らしい書体で上腕に刻まれた刺繍を見せつけてきた。

 

「俺ぁ、エリカさんスーパーウルトラ元祖親衛隊隊長、ジンってんだ! てめーがひょっこり現れるずっ……と前から親衛隊やってんだよ! 文句あっか!?」

 

 いや、ないよ。断じてないよ。親衛隊とか、あんた暇なの? そんで「ずっ……と」って、めっちゃタメたな。そんだけ片思いが長いってことか。他にもツッコミどころ満載だけど、とてもツッコミきれないし、相手にするのも面倒だから深く考えるのはやめておこう。

 

「とにかく、そこを退いてください。あなたと戦う気なんてないし、彼女に勝ったのも試合のルールを遵守した正当な結果ですから」

「かっ、彼女だぁ!? てめー、エラソーに呼ぶんじゃねぇ! 様をつけろ、様を!」

 

 私は心底迷惑そうな表情を浮かべつつ、なおも騒ぐアゴ長ゴリラの横を通り抜けようとした。

 しかし、ゴリラと言えど眠気で鈍化した私の動きを見逃すはずもなく、「逃がさねーよ!」と叫ぶトリプルAにあっさりと行く手を立ちはだかられてしまった。

 

「てめーはここで俺にブチのめされんだよ。泣いても謝っても、おせーんだぜ」

 

 なんて言うんだろう、この絶妙というか、希少というか、今時こんな三下感丸出しの雑魚モブキャラって。漫画にだってもう出てこないよ、こんな人。

 そんなこんなとモタモタしているうちに、人だかりはどんどん大きくなってゆく。どうやらこのゴリラ、本当に強いのかどうかはさておき、恐れられているのは確かなようだ。仮にも十歳と大人、良識のある人間なら誰もが止めるシチュエーションだと思うんだが、誰一人仲裁に入ろうとしない。ノンキに写メを撮ったりしている不埒者の姿も見えるが、大方は好奇と冷やかしの野次馬ばかりだ。

 ジャンボも判断に迷っている表情だ。こいつの脅威度が実際、未知数というのもある。それ以上に、例え本当にこいつが手を出してきたところで、ポケモンであるジャンボは反撃することができない。トレーナーのポケモンが人を攻撃することは重罪だ。状況にもよるが、最悪の場合、矯正施設送りとなり、トレーナーとポケモンは離れ離れにされてしまう。

 だが、もしこいつが暴挙に打って出た場合、ジャンボは間違いなく反撃するだろう。どっちかと言えば、私の懸念はその方が大きい。とは言え、ならばとこの男の口車に乗せられるまま殴り合いをすると言うのも、実にバカバカしい。

 あー、なんかこっちもイライラしてきた。なんでこんな奴の為にこんなに時間を取られて、あまつさえ写メられなきゃいけないんだ。いい加減、誰か止めてくれよ。だから都会は嫌なんだ。変な奴ばっかり集まってくる。

 苛立ちと眠気でぼやけた目を巡らせ、なんとか活路はないものかと考える。何か、誰か、どこか――。

 すると、人垣の中に見知った天使が現れた。

 

「レ、レッドさん……? どうしたんですか!?」

 

 人壁を潜り抜けてきたのだろう、上半身だけ姿を見せた少女の声は息を切らせていた。

 ジャンボが私の腕から飛び降りて、天使目掛けて走り出す。彼女は慣れた仕草で相棒を迎え入れた。約1ヶ月前、数日だが共に旅をした時と変わらない様子で――ブルー!? なんでここに……いや、これはないすたいみんっ!

 

「はいはいちょっとどけてねー、彼女が待ってるから!」

 

 ドサクサに紛れて逃れようと、ブルーの方へ駆け寄る。

 だが、ゴリラはまたしても無駄にでかい声で大仰に反応した。

 

「あ゛ぁん、彼女だとぉ!? ますます許せねえっ! 」

 

 周囲からも「リア充は死ね!!」と野次が飛ぶ。なんかデジャヴなセリフだな。

 もしかしなくてもモテないんだろうな。きっと、彼女って言葉そのものがNGワードなんだ。

 いい加減この状況に付き合いきれなくなった私が、目の前の男を無視してブルーの手を掴もうとした時だった。

 

「だから……逃がさねえってんだろっ!」

 

 ゴリラはブルーを押し退けるようにして、私との間に割って入った。

 

「きゃっ! い、いたた……」

 

 図体のでかいゴリラに跳ね飛ばされたブルーはもんどりを打ち、地面に転がった。

 それを見た瞬間に私の眠気は全て吹き飛び、血液の温度が一気に最高度まで上昇した。生煮えだった苛立ちも瞬時に怒髪へと煮詰められ、みるみるうちに拳に力が湧き上がる。

 

「……一対一の勝負です。文句はありませんね?」

「おうっ、ようやくやる気になりやがっ……」

 

 御託を並べ終わるのを待たず、私は大きく身体を旋回させる。そして遠心力の慣性によって加速された右の足先に体重を乗せ、ゴリラの顔面を思い切り蹴り飛ばした。面白いくらい無様にクリティカルヒットを食らったゴリラはよろめきはしたものの、しかし体重差のせいで倒れはしなかった。

 

「クソッ、ふざけやがって!」

 

 それからすぐに反撃に転じたゴリラは、その巨体からは存外なほど素早い右の拳打を繰り出してきた。

 だが私は慌てず拳打が伸びきる前に、右斜め前に向かって大きくステップを踏む。私の真横を派手に空振る腕を見送り、さらに驚きと焦りに染まったアゴ長を嘲笑って、背後を取った。すかさず差し出た左足を踏み込み、返って来た制動力をバネに右足を蹴り上げ、真っ直ぐにゴリラの腰へ後ろ蹴りを叩き込む。

 死角からの攻撃に今度こそバランスを崩し、ゴリラは地面へ盛大に倒れ込んだ。

 

「ク、クッソ……! こんの、クソガキがっ……!」

 

 ゴリラは咳き込みながら、ずるずると起き上がろうとする。

 私はその腕を蹴り払い、再び倒れた顔面目掛けて思い切り蹴り足を振り上げた。

 

「ちょっ、まっ! やっ、やめ……!」

 

 瞬間、振り抜いた足を、恐怖に染まって制止を求める鼻先数センチのところで止める。

 

「その鬱陶しいアゴを整形されたくなきゃ、ブルーに謝れ。そして、二度と私に関わるな」

 

 そのまま、ゴリラの目の前で強く地面を踏みしめる。これくらい脅かしておけばもう絡んでこないだろう。

 立ち上がったゴリラはブルーにペコペコと頭を下げ、そのまま人混みを掻き分けてそそくさと消えていった。

 周囲にいた人集りも、ゴリラが逃げると同時にそそくさと散開していく。今度こそブルーの手を取った私は、彼女を立ち上がらせると胸元に引き寄せた。

 

「さあ、行こうか」

「え、え? 行くってどこに……」

 

 途惑うブルーには悪いが、一部の人たち対策に利用させてもらう。見せつけるように肩を組んで、私たちはその場を離れた。




次の更新は来週、9/15(月)になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-3

 人目を逸らせられるならばどこでもよかったので、向かった先はそう遠くない。降ろされた場所からすぐ、と言うかポケモンセンター前から見て丁度反対側にある、タマムシシティアミューズメントパークというゲームセンターに入った。五階建てのでかい箱型店舗であるこのゲームセンターはタマムシシティの中でもとりわけ大きく、休日なら子供やカップルでごった返す。

 足を踏み入れてまず感じたのは見渡す限りの広い店内、すし詰めにされたかのような高い人口密度から発せられる熱気、そこかしこに設置されたゲーム機の耳をつんざく轟音の嵐。パチンコ屋以上の音量に、相棒なぞ反射的に私へ飛びついてきた。よしよしと抱きしめてやると、自分の耳を両手で塞いでイヤイヤのポーズ。ブルーが心配そうに様子を見てきたので、慣れるまでの辛抱と言えばなんとも言い難い顔をされた。

 いやね、ぶっちゃけジャンボがボールに入れば万事解決なんですよ。こいつが自分で常時、外にいたいというから好きにさせているのであって、私が無理をさせている訳ではございません。まったく、変なところで頑固なのは誰に似たんだか。

 駄々っ子を宥めすかしながら、とにかく奥へとひたすらに突き進む。誰かが後をつけているかもしれない可能性を、この人混みで無くしてしまいたいからだ。一人と一匹を連れて、ひたすらに店内をぐるぐると歩き回る。途中で何度かエレベーターも使い、階を行き来して念入りに。

 途中で見つけた催し物会場らしき場所では、カードイベントが行われていた。打って付けと言わんばかりに嬉々として人山に飛び込んだのは、人生初めてだと思う。小さなお友達から大きなお友達まで、てんでに騒がしい歓声の中で私は背後に目を配る。よし、もう誰も居ないな。人山を抜けたところで目に付いた階段脇のベンチで、ようやく足を止めた。

 後ろを歩くブルーの肩は大きく上下している。お疲れと告げてベンチを指せば、彼女は破顔しつつ腰を下ろした。その横にジャンボも添えて、私は近くに設置してあった自販機でジュースを三本購入してそれぞれに配る。代金を払おうとするブルーには無理やり押し付けた。困惑しつつも文句一つ言うことなく付いてきてくれた彼女に、僅かばかりの心づけだ。

 ようやく一息つけたところで、私たちは互いの顔を見合わせて自然と笑った。

 

「久しぶり、ブルー。元気にしてた?」

「はい。レッドさんも、相変わらずの様子で」

「どういう意味?」

「だって、私を助けてくれた時とか、ニビでも大変そうでしたし」

「……まあ、退屈しない生活を送っている自覚はあるよ」

 

 トラブルメーカーなのは認めたくないが、アクシデントが日常茶飯事になっている辺り、私の感性はすでに麻痺しているのかもしれない。

 苦笑を肯定と見なしたブルーは、巻き込まれたことについて何も言わない。否、受け入れているように見える。お人よしにも程があるだろ。理由くらい聞いてもいいんだぞ。

 

「何も聞かないなら、今日は一日私の彼女ってことになるよ?」

「ブぼゎッ!!」

 

 タイミング悪く口にジュースの缶を傾けている所だったようで、ブルーの口元が噴水になってしまった。咄嗟に動いたジャンボが缶をキャッチ、私は咽るブルーにハンカチを渡して背中をさすった。

 周囲に飛び散った水滴を相棒がティッシュで拭いているが、その視線は間違いなく私を責めている。狙ってやった訳じゃないからな、断じて違うから!!

 

「大丈夫?」

「す、すみませ……っ」

 

 急に変なことを言い出す私が悪い。その結果、恥ずかしい思いをさせてしまった彼女の顔は真っ赤だ。大丈夫、私は気にしてないよ。だからそんなに謝らないで、むしろこっちがごめんなさい!

 落ち着いたところで、その場に居辛そうにしていたブルーを促して遊ぶことにした。目立つことを避けるつもりで、ある程度時間を潰したら出て行く予定だったけど、せっかく来たんだから少しくらい遊ばないと勿体無いよな。いっそ開き直るのも手か。

 

「今更だけど、デートってことでいいかな?」

「ひゃい!?」

 

 近づいて耳元で訊ねれば、飛び上がって驚いた表情でこちらを見るブルー。その顔がみるみる内に赤く染まるのを見て、さっきの失態を思い出した私は顔を手で覆った。オーマイガー、またやってしまったのか。

 

「ごめん。巻き込んだ上に図々しかったよね」

「いいいえそんなことないですちょっとびっくりしただけでっそそそんな滅相も無い!!」

 

 よかった、一緒に遊んで大丈夫みたい。

 一息で言い切った上に首をぶんぶんと横に振る必死な姿をとりあえず落ち着かせて、私は彼女の手を取った。エスコートなんて大層なものはできないが、少しは彼氏に見えるように頑張ろう。

 何故かジャンボがずっと白い目で見てくるので、こちらにもご機嫌取りのつもりでお小遣いを渡す。すぐさまクレーンゲームへと走っていったあたりがチョロイぜ相棒。

 その背中に「消え物以外は取るんじゃないぞ」と飛ばせば、元気な返事が返ってきた。さて、それじゃあ私たちも遊ぶとしますか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ピッ、カピッ、カチュー♪」

 

 鼻歌までするほどご機嫌な相棒の腕の中には、大きな袋が抱えられていた。その中にはクレーンゲームで彼が勝ち取った戦利品が山盛りとなっている。大半が菓子であるところから私の苦労をお察しいただきたい。

 基本的にクレーンゲームで取れる菓子類は店で買う物よりも損をすることが多いのだが、うちの子に限りそうではない。

 なぜなら、百発百中なのだから。

 悉く大きな詰め合わせ系を狙っては一発で取るため、調子に乗った結果がこの嵩張る荷物の山である。ちなみにジャンボだけじゃ持てないので私まで荷物係りだ。彼氏役としては間違っちゃいないだろうが、相手がジャンボに摩り替わってるのは何故だ?

 ほんとにねー、もうどこでこんな特技磨いたのか不思議で仕方ないんだけど。四六時中一緒にいるから変な遊びはしていないはずなのに……やはり育て方に問題があったのか。今度、育児書買おう。

 楽しそうに並んで歩くジャンボとブルーには悪いが、徹夜明けの身体ではしゃいだ代償に、私はいつになく消耗していた。彼らには悪いが、断りを入れて少々休ませてもらう。

 

「ちょっと休憩しよう」

 

 それならばと相棒が指したのは、フードコートの手前側に見えるワッフルの屋台だ。何やら甘い良い匂いが漂っていると思ったら、これだったのか。都合よく広々としたイートインスペースもある。私は荷物番を買って出て、一足先に腰掛けた。

 自然と口から疲労の篭った溜息が出てしまうことに、そんな年でもないと虚しくなる。まだ十代入りたてのはずなのにな……。

 しみじみと思うのは、先程とったプリクラについて。写真すら好んで写らないのに、せっかくだからと多数決で負けて渋々カメラの前に立ちはしたが、何をすればいいのか全くわからないまま撮影は終わった。反対に、女子チームの凄さといったら。

 ブルーはさすが年頃の女の子といった感じで可愛いいといえるものだった。ジャンボは……おまえ、そのポーズは波紋でも生むのか? 撮った後のお絵かきなんて私にはわからない世界だったから、おとなしく出来上がるまで待機。正直何が楽しいのかはまったくわからなかったが、彼らが満足したならそれでいいや。

 若い子の楽しさは年寄りにはわからん……ああ、世代の違いってこういうことね。おいちゃん疲れたよ。これが逆ジェネレーションギャップか。

 

「戻りましたー」

「チュー!」

 

 それぞれがトレーを持って席に着く。ブルーが生クリームと苺が挟まれたワッフルで、ジャンボがチョコソースのかかったバナナ入り。ジャンボに向けて口を開ければ、何も言わずとも相棒は一口分を食べさせてくれた。うん、美味しい。この甘さは初めて食べた。なんだろう?

 不思議に思えば、察した相棒がレシートを見せてくれた。そこには《当店限定、キレイハナの甘い蜜をお好きなだけかけてお召し上がりください》と記載されている。なるほど、さすが草ポケモンジムのお膝元なだけあるな。ワッフルにかかった黄金色の蜜の正体に納得した私は、自分もと席を立つ。

 

「買ってくる前にお手洗い寄って来るから、ゆっくり食べてて」

「わかりました」

「ピッカー」

 

 荷物を置いてウエストポーチだけを着けたまま、案内板の示す通りに飲食エリアの奥へと進んでいく。やはりイベントのおかげか、ゲームコーナーまでとはいかないが、こちらも結構な込み具合を見せていた。人気チェーン店などは店の外にまで行列ができている。それは例外を見せず、人並みを掻い潜り目的地まで行けば案の定、この階のトイレまで満員御礼状態だ。私は仕方なく他の階まで足を運ぶことにした。

 下に進めばゲームコーナーやイベント会場に近い分、人口も多いだろう。ならば上にいくしかない。そう当たりをつけて上階に向かえば、そこは見事に誰も使用していない様子。ビンゴ!

 なるべく人目のない方がやっぱり入りやすいよね。私なんて尚更、この格好で女性用の場所に入る時は怪訝な顔をされることが多いし。ついてないから! 変態じゃないから!

 ささっと済ませて階段に向かったところで、上がってきた女性とぶつかりそうになったのを横にずれることで回避。向こうもたたらを踏んだみたいで、仰け反って後ろに倒れそうになるのを咄嗟に手を引くことで事なきを得る。

 

「わわっ、すみません!」

「いえ、こちらこそ引っ張ってしまって。怪我はありませんか?」

「はい、大丈夫です。急いでいて不注意を……ん?」

 

 こちらを見た女性の顔が急に険しくなる。え、私何かしたか? それともどこかおかしい?

 しまった。もしかしてこの人、おっかけの人か!?

 ヤバイと感じる前に、目の前の女性が声を上げる方が早かった。

 

「ようやく見つけたー! もうっ、どこにいってたの? 時間がないよ、急いで!!」

 

 言いながら腕を捕まれて、ぐいぐいと引っ張られる。身に覚えはないが……はて、私は何か時間に追われるような事柄があっただろうか。

 疑問符を浮かべながらも、そのまま連れられて行った私はご覧の通り、女性に弱い。ここで何故振り払わなかったのか、率直に人違いと名乗らなかったのか。後々後悔することになるのだが、処理能力の落ちたその時の私にはこれっぽっちも大危機を感じ取ることができていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-4

 強引に引っ張られて足早に歩くうち、お姉さんは黒のパンツスーツ姿で、耳にはインカムを着けているのが目に入った。察するに、このゲームセンターのスタッフというところだろう。黒髪ぱっつんのボブカット、そして可愛らしい童顔にはどこかあどけなさの残る、焦った表情がありありと浮かぶ。そんな見覚えのないお姉さんに手を引かれ、店の奥へ奥へと進んでゆく。

 イベントの最中であるためか客足のまばらなメダルコーナーや麻雀・レトロゲームなどのコーナーをすり抜け、お姉さんが手をかけたのは最も奥で固く閉じられている『STAFF ONLY』という赤文字が掲げられた扉だった。

 何故だ? 私、何か悪い事したっけ? もしかしてカワイイ女の子とデートしてたから? あ、私が女だって事がバレて、だから女の子とデートしてるってのがマズくて……あれ、何考えてんだ、私?

 眠気と疲労感が満たされた頭脳はギチギチと歪な不協和音を立てるばかりで、明快な回答を一つも導き出せない。そうこうとしているうちに長く暗い廊下を突き進み、最奥で再び扉が現れた。扉には何も掲げられておらず、カードキーでロックされている。何故か監視カメラもあるし、ゲームセンターの扉にしてはここだけイヤに厳重だ。しかも、スタッフ専用のスペースで。

 

「え……っと、この扉の鍵は~……?」

 

 なんだか見ているこちらが緊張してしまいそうな慌てぶりで、わたわたとポケットを探しまわる。見た目通り、どうもどこか頼りなく、抜けた印象の人だ。ようやく胸ポケットから見つけ出したカードキーは真っ黒で、何も書かれていなかった。

 そして開いた扉の先には、私の眠気が一瞬で醒めるような光景が続いていた。

 扉の手前までは薄暗く、むき出しのコンクリートで囲まれた廊下が、眩しいほどの瀟洒な照明と、いかにも高級そうで繊細な彫刻の施された木製の壁に絵画、そしてチリ一つないレッドカーペットで彩られた空間に繋がっていたのだ。

 なんだ、ここは? どう見てもゲームセンターなんかじゃないぞ。まるでどっかの高級ホテルみたいじゃないか。

 扉を入ってすぐのところには受付のようなどっしりとしたカウンターがあり、そこにもお姉さんと同じような黒服姿の男がイラ立った様子で立っていた。そして私達を見るなり――と言うよりお姉さんに向かって、声を荒らげる。

 

「おい、遅いぞ! エキシビションマッチまであと十分もないじゃないか!」

「ご、ごめんなさい! どうやらこの子がちょっと迷ってたみたいで……」

「あー、もういいっ! ボディチェックするから、そこをどけっ!」

 

 カウンターを出た男はお姉さんを押し退けるようにして私に近づき、乱暴に身体を弄りながら金属探知機を当て回す。不躾で粗野な扱いに反論する間もなく、男は顎だけで奥のエレベーターに行くよう指図してきた。

 

「ご、ごめんね、もうちょっと私が早く見つけてあげられればよかったね……」

 

 何故かお姉さんの方が申し訳なさそうに謝るので、私もそれ以上追求することはせず、とりあえず指示に従う。

 そして乗り込んだエレベーターの中でようやく少し落ち着きを取り戻したらしいところを見計らい、まずは状況を確認した。

 

「あの……これは何ですか? 今、どこに向かっているんですか?」

「もちろん、エキシビションマッチの会場だよ。ここまでちょっと複雑だから、戻ってくるまでに道順がわからなくなっちゃったんでしょ?」

 

 お姉さんはニコニコと笑いながら、優しく答えてくれる。なるほど、どうやらそのエキシビションマッチに出場する誰かと間違われているらしい。また、下降するエレベーターの中で、私はあることを思い出した。

 タマムシのゲームコーナーの地下って……ロケット団のアジトか何かじゃなかったか!? マズイ、それはめちゃくちゃマズイぞ。ゲームのようにおちゃらけていてどこか憎めないスットコドッコイ団とは違い、こちらでは本物のマフィアなのだ。しかもオツキミ山の件やゴールデンブリッジの件なんかで、目を付けられている恐れがある。とても私一人でどうにかなるレベルではない。ここの扉だけ妙に警戒感の強さが際立っていた理由に、嫌な予感が過る。

 となれば、この柔和でいかにも天然そうなお姉さんとて、ロケット団員かもしれない。そう思うと俄に冷たい緊張が走ってきて、手の平に知らず汗が滲んでくる。

 するとお姉さんは私の様子を感じ取ったらしく「あれ、もう緊張してるの? 大丈夫、キミなら勝てるよ!」などと言いながら上手い具合に試合への緊張と誤解して、またニコリと微笑んでくれた。うーむ、この人を見る限り、ロケット団とは最も縁遠い感じなんだけどなぁ……。

 けれどエレベーターが到着のベルを鳴らし、扉が開くとそこはもう別世界だった。

 四方で交差する長く大きなエスカレーターで繋がれた吹き抜けのテラスが中央に開かれたホールを囲み、綺羅びやかな電飾がこれでもかとそこかしこを趣味悪く着飾っている。

 天井までの高さは、目測でも三階建て分くらいはある。あれ、ここ地下だよな……?

 広く高い天井を埋め尽くすシャンデリア。回るルーレットボード。飛び交う色とりどりのチップに喜怒哀楽を爆発させる男に、冷笑を湛えるディーラー、その手元で踊るカード。

 馬鹿でかいスロットマシンが耳を劈くような電子音を上げたかと思えば、遠くの方ではコインのジャラジャラとした音が絶えず響いている。

 ドラマや映画なんかでしか見たことはなかったけれど、ここがカジノである事は私にもすぐにわかった。

 だが……ここがカジノだとすると、私の知識とは明らかに食い違ってくる。どちらにせよ違法な場所である事は明白であるものの、ロケット団との関連性はあるのだろうか?

 確かな事はわからないまま、導かれるままに中へと進む。行き先は中央のホールだった。その上にはこれまた無駄にでかいモニターが四方に向けられていて、誰かのバトル風景を流している。

 私の手を引くお姉さんが視線に気付き、にこやかに教えてくれた。

 

「今流れているのは過去の勝った人たちのエキシビジョンマッチよ。今日のバトルで勝てたら、君もあそこに映るようになるね」

 

 このブレの無さ、天然恐るべし。もっとも、悪い人でないことはよく伝わってくる。だからこそ始末におえないってのもあるけど。

 それにしても、妙なカジノだ。カジノには初めて来たから他の場所と比較ができるわけじゃないけど、場内を見回っている黒服達が全員武装している。

 身のこなしも素人のそれじゃない。何か護身術、ないしは武道経験者って感じで隙がない。カジノってこういうところなのか?

 そもそも、カードゲーム大会を開くような普通のゲームセンターの地下に賭博施設があるっていうのも怪しい。それに、増田ジュンサーの"お仕事"もこの近くだった。

 ゲーム知識や天然のお姉さんに惑わされてすっかり判断が遅れてしまったけれど、点と点とを繋いで見えるのは――やはりここが、ロケット団の運営する違法カジノである恐れがあるってこと。

 しかもそんなところにうっかり一人で飛び込んでしまった重大さ。迂闊とか、うっかりとか、そんな話じゃ済まないよ。いつも油断大敵とか言っておいてこの様である。我ながら情けない。

 ここが違法カジノだとしたら、私は本当に命の危険がある。ロケット団にはもう顔がバレている。過去に彼らの活動を阻害したことから考えれば、私は排除すべき対象だろう。

 マフィア対子供一人。考えるまでもない。

 とにかく、相棒に連絡しよう。不幸中の幸い、隣にいるのは見るからに屈強そうな黒服ではなく、天然のひ弱なお姉さんだ。

 繋がれた手とは逆、左手をポケットの中にするりと忍ばせ、中でポケギアを開く。

 ポケギアには旅をするトレーナーの身に危険が迫った時の為、本体側面に『緊急連絡スイッチ』というものが装着されている。これを押すと、予め指定した相手に指定した動作を実行できる。

 私の場合はジャンボのポケギアに『緊急事態発生。増田ジュンサーに至急連絡を』というメッセージとGPS情報を送信し、通話と録音が常時オンになる。もちろん本体を見られても通話状態とはわからないよう、バックグラウンドモードなのでご安心。

 メッセージさえ見てくれれば、あとは相棒がきっとなんとかしてくれる。まぁ「また一人で勝手に動いて」ってめっちゃ怒られるんだろうけど……背に腹は代えられない。連絡しなくても怒られるんだろうし、どっちにしろ怒られるんだ。しゃーない。

 さて、ここからやるべきことは状況の伝達、そしてここがカジノってことの証拠集め、あとは……時間稼ぎか。

 わざとらしく声を張り上げて「すみません!」と尋ねれば、怯える子に接するように「なぁに?」と振り返ってくれた。ここまで勘違いしてくれるなら結構、こちらも存分に利用させていただこう。

 いかにもこれから何が始まるのかわからないといった風を装い、とってつけたような子供らしさを全面に押し出してシナを作る。

 

「あの、これから始まるエキシビジョンマッチについて教えてくださいっ!」

 

 自分でやっておいて何だが、鳥肌が立ちそうだ。心配そうな目で見るお姉さんに、こんな子供だましで通用するかと一瞬不安になったが、彼女は安心させるように笑ってくれた。

 

「君がこれから参加するエキシビジョンマッチは、3対3のシングルバトル。専用のフィールドに転送されるから、そこで戦うんだよ。それ以上はごめんね、お姉さんもバトルには詳しくないからあんまりわかんないんだ」

 

 言いながら、てへっと可愛らしく笑うお姉さん。うーん、なんか上手く誤魔化されたような気もするな……。

 やっぱりこんな狭い場所でバトルは無理か。でも転送ってことは、テレポーター? なにそれ、そんな超高級な希少品あったの?

 テレポーターとは正式名称を「全物質相転移送装置」というシロモノで、簡単に言えばポケモンの技であるテレポートを擬似的に再現することで、様々な物質を遠くに運ぶことのできる最先端のハイテク装置だ。今日のトレーナーボックスシステムを支える基幹技術でもあり、遠方に一瞬で荷物を送る革命的な手段でもある。とは言えまだまだ機械そのものがとんでもなく高価なので、こんなものを常設しているのは我らがタマムシ大学かシルフカンパニー、ポケモン協会直轄の施設くらいだ。ちなみに開発者はマサキで、これをリリースした頃に親父を通じて彼と知り合ったのが馴れ初めである。

 何にせよテレポーターを設置できるほどの資金力がある組織が運営するカジノとなれば、私の推察はいよいよ悪い方へと固まってくる。こうなった以上は、もうロケット団という最悪の敵陣のど真ん中にたった一人で巻き込まれてしまったという事を、重く受け止めざるを得ないだろう。

 このまま引っ張られているだけじゃダメだ。とにかく少しでもいい、何か情報を集めないと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-5

 交差した剣が金貨を貫き月桂樹が取り囲む、巨大なエンブレムが中央ホールの床に描かれていた。それを囲むように柵が巡らされている。よくよく見れば、そこかしこに配置されている黒服や、私の横に立つお姉さんの胸元にも同じエンブレムをあしらったバッチが付けられていた。これ、上のゲーセンのエンブレムと同じじゃないか。ということは、上もこっちの運営と思いっきり繋がっているってことだな。

 ホールの手前辺りで、派手な服を着たノリの軽そうな男がそわそわしながら立っていた。お姉さんはその男に近づき、ぺこりと頭を下げる。

 

「遅れて申し訳ありません! 選手の伊藤くんを連れてきました!」

「来たか! よかった、このまま試合が中止になるかと思ったよ……。伊藤くん、時間を守らないとダメじゃないか」

「えーと……すみません」

 

 私が間違われているのは、どうやら男子らしい。時間を守ってない“伊藤くん”とやらの代わりに注意されてしまったのは癪だが、ひとまずはおとなしく謝る姿勢をとる。するとお姉さんが間に入り、やんわりと弁護してくれた。

 

「伊藤くんも今回が初めてですから、ここに来るまで迷っちゃったみたいなんです。そうだよね、伊藤くん?」

「は、はい、そうなんです。上でちょっと時間潰してたら、地下に行く為のエレベーターがどこにあるのか、わからなくなっちゃって……」

 

 よし。偶然だけど会話の流れで、ここが地下だってことが言えたぞ。通話の内容は録音されているから、これでジャンボが増田ジュンサーに伝えてくれさえすれば、突入の手がかりになるかもしれない。

 そう思うと、他にも色々手がかりになりそうな情報を引き出しておいた方がいいような気がしてきた。幸い、相手は無警戒なお姉さんだ。なんとか接触の時間を増やして、子供の立場から会話を誘導できないだろうか。

 そんなことをぼんやり考えながらしおらしくして見せると、男は苦笑しながら頷いてくれた。

 

「ちょっと隠れた場所にあるからね、仕方ないか。今は代替のノーベットマッチを挟んでいるから、これが終わったら君の出番だ。あと十分くらいで終わるかな。それまでは、おとなしくこの辺で待っててね。念の為、君も伊藤くんに付き添っていてくれ」

「はい、わかりました」

 

 お姉さんはまた軽くお辞儀をして答える。男はいたずらっぽく笑いながらそう言いつけると、インカムで呼ばれたらしく、何事かを喋り返しながらどこかへ去っていった。

 

「じゃあちょっと退屈かもしれないけど……お姉さんと一緒にお喋りでもしながら、ちょっとだけ待とうか」

「わかりました」

 

 今のところ状況は好転していると言える。先程の男は消えて周辺にボーイもいない中、あと十分という猶予でお姉さんと二人きり。まさに渡りに船だ。この隙を逃す手はない。

 とは言え、具体的にどんな情報を引き出すべきなのだろうか。増田ジュンサーが私服でこの近辺の“お仕事”をしていたのだから、ある程度の情報は掴んでいるのか。私は警察じゃないし、内部の事情まではわからない。捜査方針がどんな風なのかだって知るはずもない。

 とすれば、これは山勘の賭けだ。ないよりはマシ程度と言うことで、やるだけやってみよう。会話は全て録音されている。例え重複した情報だったとしても、物的証拠として残せるのは意味があるはずだ。

 まずはここが本当にカジノかどうか、つまり“違法な賭博場”なのか聞いてみよう。それを導く為に使えそうな質問は……。

 あ、もしかしてこういうの、誘導尋問って言うのかな?

 

「ねぇお姉さん、あそこの人達って何してるの? なんか、すごいたくさんお金出してるけど……」

 

 ……まぁ、私はプロのネゴシエイターとかアナライザーとかじゃないし。ベタとか言わない。気にしない。あれれーとか言わないし!

 こんなベタベタな質問だが、お姉さんは怪しむでもなく、にこやかに答えてくれた。

 

「皆ね、いろんなゲームでお金を使って遊んでるんだよ。負けるとなくなっちゃうけど、勝つとたくさん貰えるの」

「へー、そうなんですねー……」

 

 おいおい、こんな幼稚回答をするって……私は一体何歳に見られているんだ? 外見だけで言えばありえないだろう……あれか、伊藤君とやらの年齢で対応されているのか。どう考えたって中身と外見がつり合わないだろう! 内心のツッコミに口元が引くつくのを必死に抑える。

 とにかく、ここまでストレートな質問をしてもイケるなら、あまり深く考える方がむしろまずいのかもしれない。策士策に溺れるってやつ。下手に裏をかくより、正面から仕掛ける王道をいってみよう。

 

「それにしても、ゲームセンターの地下にこんな場所があるなんてすごいですね! こんなに広くていろんなゲームがあって」

「そうだよね、私も初めて来た時は驚いちゃった! 地下なのに三階建てだもんねぇ。ここ、お客さんが200人も入れるらしいよ。今日はエキシビジョンマッチがあるから、多分満員に近いんじゃないかな」

「200人も!? でも、地震とか起きたら怖くないですか? エレベーターって一つしかなかったですよね?」

「だーいじょうぶ! 実はあのエレベーター以外にも入り口は3つあってね、非常口もそれぞれの階に2つずつちゃんとあるの。その時は私達が誘導するし、安心だよ!」

「このゲームセンターの他に3つも?」

「うん、そっちのことは本当はナイショなんだけどね……」

 

 う、さすがにそれは教えないか。いや、質問を深めすぎたか?

 一瞬だけ緊張が走ったが、お姉さんは耳元でこっそりと囁いてくれた。

 

「実はね……お客さんそれぞれに入れる入り口は決まっているの。伊藤くんはここの入り口って決まっているから、私が上に迎えに行ったんだよ」

 

 ってことは、他の入り口に決まってたらこの天然のお姉さんは来なかったということか。なんという当たりを引いたんだ。

 

「じゃあ、他の入り口はどこにあるの?」

「タマムシデパートの<パールル宝石>っていうお店と、西前大通りにある<ブティック・キュウコン>、それと大学前通りの<ハーシェ>の奥に出入口と非常口が繋がってるんだ。あと、街の中でこのエンブレムの刻まれたモニュメントを見たことあるかな? あれは上のゲームセンターが街の景観を良くする為に寄付したものなんだけど、他3つの非常口はあの下に繋がってるんだ。もしもの時は私達がその中から迷わず一番近い出口に案内するよ!」

 

 ポロリってレベルじゃねーぞ!! 守秘義務どこいったよ、人事担当は何やってんだ!? 私は頬まで引きつりそうになるのを必死で抑えて笑顔を維持した。

 

「へ、へぇーそうなんだ……お姉さんもすごいんですね!」

「えへへ、そうでもないよー」

 

 これは……いくら子供相手だからって、大丈夫かお姉さん。地震よりお姉さんの方が心配だよ。

 けど、おかげで全容がなんとなく掴めてきた。ここは間違いなく賭博場で、地下三階建て構造の大規模な場所。200人は収容可能で、入口と出口を合計した導線は十経路。はっきりとした位置もわかったし、これなら適度に分散できるから、満員に近いらしい今でも突入は可能だろう。

 ちょうどそこで、あの男が戻ってきた。聞くべきことは聞いたし、あとは適当に時間を稼いで、頃合いを見計らって逃げよう。

 

「おっ、ちゃんと待っててくれたね。もう試合が始まるけど、準備はいいかい?」

 

 ちょうどいい、このエキシビジョンマッチとやらをできるだけ引き延ばすように戦えばそれなりに時間を稼げるだろう。

 

「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」

「じゃあ伊藤くん、頑張ってね!」

 

 お姉さんの涼やかな応援を背中に見送って、男と共に中央ホールの柵の中へ進んでゆく。すると場内の電気がストンと落ちて、真っ暗になった。いかにも“イッツ・ショータイム”って感じだな。

 

『皆様、大変お待たせいたしました! 本日のメインイベント、エキシビジョンマッチをこれより開始いたしますッ!』

 

 横にいた男の高らかな宣言と共に歓声と拍手が沸き起こり、ずしんと足元が揺れた。何事かと周りを見回せば、派手な音楽や照明が場内を踊り始め、エンブレムを象った足場がぐんぐんと迫り上がっているところだった。こんな金の掛かった仕掛けを用意しているとは恐れ入った。道理で周りのゴテゴテした内装に比べて真ん中がガランとし過ぎている訳だ。吹き抜けの中央を貫くようにして上がる足場は、確かにメインイベントのステージにぴったりと言える。

 ステージの上昇が止まり、照明と音楽が落ち着いた。見た目通りノリの軽い男の手振り身振りが私の周りでちょろちょろと動いて、イベントは進行する。

 

『さて、それではバトルの前に、本日の挑戦者をご紹介しましょう! なんと今回の挑戦者は史上最年少、11歳の少年トレーナー! クチバシティより電撃参戦、伊藤海史くんでーす!』

 

 そうか、私は11歳だったのか。それにしちゃあのお姉さん、子供扱いし過ぎだろ……。

 

『そしてッ! なんと本日はもう一人、スペシャルゲストが来場しております!』

 

 なんだスペシャルゲストって……対戦者か?

 すると目の前にスポットライトが集まり、スモークが盛大に吹き出した。狭いステージの上、逃げ場のない私は濛々と煙る中で咽せながら、両手で顔を覆い隠す。ばっきゃろー、こういうことは事前に一言教えとけってんだ!

 不躾なサプライズにイライラしていると、スモークを振り払うようにして突然、目の前に仮面の男が現れた。音も、気配すらも感じなかった。

 私が目の前の出来事を見逃すことなんてない。こいつ……まさかテレポートでもしたっていうのか?

 司会の男は私の驚きに構うことなく、会場の雰囲気を更に盛り立てていく。

 

『こちらが本日のスペシャルゲスト! 当ホールマスター、ミスターレイドォオオオ!!』

 

 仮面の男が軽く手を挙げるだけで、私の時よりも一層大きな喝采が送られる。レイドだなんてあからさまな偽名に、記号としては効果的なあの仮面。目の前におそらく最重要人物がいるというのに、確かなことは何一つわからない。

 言い知れぬ疑念に駆られていると、仮面の男は私の方を少し見下ろし――笑ったように見えた。

 それを確かめられないうちに仮面の男は観客の方へ振り返り、大仰なお辞儀をしながら朗々と喋り始めた。

 

『皆様、本日は当ホールにご来場頂きまして、誠にありがとうございます。本日は恥ずかしながら、ホールマスターである私が今回のゲームマスターを務めさせていただきます。ところで皆様、遊戯とは何でしょう? 遊戯とは、即ち心の余裕であり、生きる歓びでもあり、遊楽の粋であります』

 

 仮面の男の声は低く響き渡り、魔力でも宿しているかのような求心力で観客の耳を引いていく。あれほど騒々しかった場内は、いつの間にか水を打ったように静まり返り、私でさえ目を奪われてしまっていた。

 誰の反論も同意もない中、男は静寂を破るただ一人の主張者として滔々と語り続ける。

 

『歓び、怒り、哀しみ……それらが真実であるからこそ、愉しい。それらが自由であるからこそ、生きている。首輪で縛られた犬が楽しそうでしょうか。鳥籠に囚われた小鳥は自由でしょうか。では、我々の枷とは、檻とは? 当ホールは、そういった無粋なものの一切を排していると自負しております。皆様、遊びましょう。楽しみましょう。限りない高みへ、感情の赴くままに』

 

 レイドはすっと人指を天へ向けた。その指先に視線が集まる。

 

『グランドハイレートデイ。月に一度だけ、掛かるチャンスの全てが解き放たれる日です。全てを得るか、失うか、皆様のたった一賭(ワンベット)に懸かっています。何、それも一興、これも一興。今日この日の一切は、遊戯です。例え失おうとも、それはお遊びのこと。もし何かを得たとしても、まさに蜃気楼。この陽炎の一時、どうかお楽しみ頂けましたら、手前共にとってこれ以上の喜びはございません』

 

 最後に、深く頭を垂れて。

 それから誰からともなく、割れんばかりの大喝采が巻き起こった。

 ここの連中は一人残らず、誰も彼も――このたった一人の男に惑わされている。

 男の言うことは一見、正しいようにも思える。思い切りが良くて、普段なら空気を読んで言えない種類のことだ。誰もが心の中に押し隠し、密やかにしておくようなことだ。それを解放させることが、このホールの目的らしい。

 しかし、賭博は犯罪だ。全てを得る、なんて大層なことを言っていたが、実際客の方が儲かる道理なんてあるはずがない。ああいう大言壮語で人を騙し、すかし、脆い部分につけこんで搾り取る。騙される方だって悪いかもしれない。けれど、まず第一に人を騙すことに何の抵抗もなく、ああやって息をするように嘘を吐く方こそ、罰せられなければならない。

 敵は見えた。あのレイドとか言う仮面の男こそ、諸悪の根源だ。残念ながら、それを伝える術はもうない。だからここからやるべきは可能な限り時間を稼ぎ、あわよくばこの男の足を止めることだ。逃しはしない。絶対に逮捕させてやる。

 拍手が一段落したところで、また司会の男がイベントを進め始めた。

 

『それではいよいよエキシビジョンマッチを開始いたします! 伊藤くん、ステージ中央のテレポーターへどうぞ!』

 

 見れば、いつの間にかステージの中央が僅かに光っていた。派手なエンブレムに気を取られていたけど、どうやらオリジナルデザインのものを床に直接設置しているようだ。さすが裏カジノ、本当に金が掛かっているな。言われるままに、その上へ歩みを進める。

 

『では伊藤くん、グッドラック!』

 

 やかましい司会の掛け声と共に私の体は奇妙な浮遊感に引っ張られ、放り投げられるような感覚と共に視界が消失した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-6

 ぐらりと揺れる偏頭痛のような感覚が醒めやれば、私はもう別の場所へと転移していた。

 どうやら室内の公式戦ルールフィールドらしい。眩しいほどの照明に照らされて、障害物のない乾いた地面が広がっている。テレポーターとフィールドは柵で仕切られていて、そのままトレーナーボックスになっている。

 しかし観戦席はなく、代わりに馬鹿でかいディスプレイが両側に掲げられている。そこには挑戦者・伊藤海史――つまり私がすり替わった少年の情報が表示されている。

 ただ、相手側のトレーナーボックスに人影は見えない。きょろきょろ辺りを見回していると、スピーカーからあの司会のおちゃらけた声が響いた。

 

『さぁ、それではいよいよ、試合開始です! 伊藤くん、準備はいいかなーっ!?』

 

 こちらから向こうの様子がどうなっているのかはわからないが、私はとりあえず曖昧に頷いた。まぁ賭け試合なのだから、向こうからは丸見えだろう。案の定、私が正面に向き直ると、どこからともなくモンスターボールが打ち出されてきて、フィールドにガルーラが現れた。

 さて、こうまで巻き込まれてしまったんじゃ仕方ない。やるだけやり切らないと、逆に怪しまれてしまう。救援の増田ジュンサー達が来るまでは、なんとか時間を稼いでおかないと。敵地のど真ん中、孤立無援。この上ない主人公フラグに心が折れそうです。

 と、大人しく折れてる場合じゃない。一匹目は誰で行こうか。

 ぶっちゃけ、ここまでの道程で既に手持ちの半分はバレてる。特に目立つジャンボがいないのは幸いだけど、残り五匹のうちでも顔バレしているアルディナとバーナードは出せない。消去法に則れば、使えるのはカロッサ、メルシュ、職人だけ。三匹中二匹水ポケかよ。バランス悪いな。

 まぁ、ここにきて四の五の言っても始まらない。私の選んだ一番槍は――

 

「カロッサ、頼んだぞ!」

 

 私の声に応じ、カロッサは頼もしく飛び出してくれた。

 ここは地面のフィールドだ。水辺じゃない場所では、メルシュはとことん不利。できれば職人とカロッサの二匹で、三匹とも処理してしまいたい。

 

『それでは両者のポケモンが出揃ったところで……エキシビジョンマッチ、スタートォ!』

 

 耳障りな司会の掛け声と共に、ガルーラは真っ直ぐに突進してきた。トレーナーがいないのに、自分の判断で勝手に動いている。その様子から見ても、トレーナーの指示がない独立戦闘(スタンド・アローン)に慣れていることがわかる。相手の経験値はかなり高そうだ。

 だけど、場数ならカロッサだって伊達じゃない。トップ独走のジャンボを除けば、間違いなくメンバーの中で1、2を争う実力の持ち主だ。

 ガルーラは鈍重そうな巨体とは裏腹に、凄まじい脚力で一気に距離を詰めてくる。右手が輝き、腰の後ろまで思い切り引かれていく。メガトンパンチの体勢だ。

 

「カロッサ、焦るなよ」

「ガメ!」

 

 対するカロッサは低く腰を落とし、広めに足を開いて構えを取る。カロッサは唯一、見よう見まねで私の柔術や合気道を覚えてしまったヤツだ。元々バリエーションに富むポケモンの技や高い身体能力に、理に適った人間の武術が合わさったらどうなるか。

 それは大変危険で合理的な、肉体兵器の完成である。

 

「ガメッ!」

 

 胴体の真ん中に目掛けて打ち込まれた重い一撃を軽やかにいなし、そのままくるりと身体を翻す。その途中、僅かにカロッサの尻尾が輝くのが見えた。そして次の瞬間、盛大な水飛沫とともにガルーラは大きくふっ飛ばされた。

 メガトンパンチを避けつつ、その懐から回避動作を繋いでのアクアテール。さすが頭脳派。我が子ながら、惚れ惚れする美しいコンボだ。でもドヤ顔してるから褒めてはやらん。

 しかし、やはり一撃では闘志の衰えないらしいガルーラはすぐさま立ち上がった。

 

「ガルルルルッ!」

 

 どうやらこの流れで学習したらしく、今度は無闇に突っ込んでこない。ゆっくりと距離を取りつつ唸り、身体に力を込めていく。そしてガルーラの身体からバチバチと弾ける不穏な音が響いて――。

 

「な……まさか!?」

 

 私は驚き、咄嗟に腕で目を庇った。不意を突かれたので、懐に手を突っ込む余裕はなかったのだ。

 ガルーラから生じた強烈な閃光と雷撃音がフィールドを席巻する。ノーマルタイプにも関わらずガルーラが放ったのは、紛うことなく十万ボルトだ。水タイプであり、下手に距離を詰めても危険な相手。そう学習したガルーラは、相性的にも戦術的にも最も効果的な技を選択したと言える。

 不意を突かれたのはカロッサも同じだったらしい。辛うじて頭は甲羅の中に引っ込めたようだが、モロに直撃を食らってしまった。

 

「カロッサ、大丈夫か!?」

 

 閃光も醒めやらぬうちに、私は思わずカロッサに駆け寄りそうになる。だが、カロッサはそれを制しつつ、ゆっくりと甲羅の中から頭を出してニヤリと笑った。まだまだこんなの余裕。そのように目は告げている。

 だが状況は少々、こちらの分が悪い。ガルーラはすっかり警戒しており、一定の距離を保ったままカロッサの様子を注意深く窺っている。もう初手のように突っ込む愚は犯さないだろう。

 十万ボルトという武器がある以上、中遠距離で技の撃ち合いになれば相性的に削り負けるのは明白だ。となれば積極的に距離を詰めるか、なんとかして相手を撹乱するかの手を考えたいところだが……。

 一人心配する私を他所に、カロッサは不敵な笑みを崩さない。敵方のガルーラ同様、やはり距離の均衡を保ったまま、慎重にその出方を測る。

 先に動いたのはガルーラだった。

 開いた距離を崩さないまま、十万ボルトを放つ。カロッサはそれらを何とか避けつつ、水鉄砲で懸命に応戦する。だが、やはり相性の壁がどこまでも立ちはだかる。水を駆ける電気の性質をそのままに、撃ち出された水弾を丸っきり貫通して電撃が襲い来る。実際には応戦とも呼べない、極めて一方的な消耗戦だ。

 隙を突いて距離を縮めようにも、電撃の届く範囲全てにガルーラの腕が届いているのと同じなのだ。フィールド全域を覆う攻撃範囲で振り回される雷神の大腕には、死角も隙もない。

 ならば、と私はもう一つの戦術を選択する。

 

「交代……するしかないか」

 

 ここを無理にカロッサで押し通す必要はない。まだ一匹目、貴重な戦力を失うわけにもいかない。こちらは実質二匹しか使えない上、まだ相手は三匹共に健在なのだ。同じ十万ボルトでも、ノーマルタイプかつ耐久力に優れる職人ならまだ勝機は見える。

 

「カロッサ、一回退がってくれ! 職人と交代するぞ!」

 

 手摺越しに、フィールドに向けて思い切り叫んだ。しかし、カロッサは一向に退がろうとしない。

 

「おいカロッサ、聞こえないのか!? 交代だ、職人と交代だってば!」

 

 ポケモンの方からキチンと退がってくれないと、交代はできない。逆戻レーザーを使用してボールにポケモンを戻す瞬間を利用し、不正に技を避ける事を防止するためだ。

 ボールの逆戻レーザーの有効射程は、公式戦ルールのフィールドならその全域をカバーするくらいはある。一時期これを利用し、あまりにも高い頻度で交代を装って相手の技を避ける輩が続出したのだ。それはトレーナーの過剰介入による公平なバトルメイクを阻害する行為として、今ではれっきとした公式戦ルールとして禁止されている。

 交代が認められる範囲は、フィールド中央の<センターライン>とトレーナーボックスの中間に設定される<エンドクォーターライン>から手前側のフィールドだけだ。そこまで退がらない限り交代とは認められず、不正交代の場合はジム戦なら挑戦権を失って強制投了、通常のバトルでも該当ポケモンは使用できなくなる。

 だから交代にもポケモンとの協調性だったり連携の練習だったりが必要で、これができないのは初心者中の初心者ということになってしまう。カロッサと私が今更このステップで躓くとは考えられない。バトルに夢中で、私の指示が聞こえていないということもないだろう。

 つまりあいつは、私の指示をあえて無視している。

 

「……くそ、ほんとに強情なやつ!」

 

 思わず舌打ちをする。こいつの性格をすっかり忘れていた。うちのメンバーの中で、最も負けず嫌いなのだ。

 無鉄砲にして強情、無謀にして不退転。一度闘争心に火が点いたなら、不利だろうがなんだろうが決して諦めない。それは勝利という結果に拘って視界を曇らせる愚か者というより、意地でも自分が諦めることを許せないという不器用者だ。

 自分の中にまだ撤退する理由が見つからない。だから退がれと言われても退がらない。まだできることがある。まだ戦うことができる。

 だから――退がらない。

 

「まったく……一体、誰に似たのやら」

 

 一瞬、もしここにいたのならきっと私を指差しながらやれやれと肩を落としていたであろう、相棒の姿が目に浮かんだ。ふんだ、往生際が悪いのは昔っからの質だい。それをあいつが勝手に真似しちゃったんだ。そこまで見よう見まねにしなくったっていいのにさ!

 私の雑な育成法に遅い後悔を感じる間もなく、いよいよ状況は本格的に膠着しつつあった。カロッサはガルーラが張る電撃の弾幕を突破できない。こぼれ球が可動範囲を狭め、時たま直撃を狙った危険な一撃がそれに混ざる。未だ決定打を貰っていないのが奇跡とさえ言えよう。

 あのガルーラの練度は只者じゃない。仮にジム戦で出てきたとしても、何ら遜色ないほどだ。まさか地下カジノの余興でこんな手練が出てくるとは思わなかった。

 いや、これが賭け試合だからこそ向こうは利益のため、その時に応じて勝敗を操作する必要があるのか。誰にとっても半丁博打にしかならないポケモンバトルの行方を決め、それでいて見せ物として面白くなる様にわざとらしい接戦を演じられる。そんな器用な真似ができるジムクラスのポケモンをわざわざ用意するとは、ほとほと頭が下がる。

 ふとディスプレイを見れば、観客のベットは私の方に多く集まっていることがわかった。

 

「なるほどね……。連中のシナリオとしては、今日は私が負けなきゃいけないってことか」

 

 何かを目指すでもなく、何かを守るでもなく、ただただ純粋に営利目的のためだけに開催される闇試合。別に誰の正義を代弁する気はないけど、癪に障る話だ。真面目にポケモンに向き合う全てのトレーナーをバカにしている。

 あのガルーラが強いのは見せかけだけだ。信念も、目的も、何もない。ならば負ける道理はないし、それは絶対に許せないことだ。

 前言撤回。こんなところで退いてたまるかってんだ!

 

「行くぞ、カロッサ!」

 

 カロッサはようやく待ちわびた言葉を言われたとばかりに、深く頷いてくれた。あいつはずっと戦術とか相性のことなんて事はどうでもよくて、私が信じるのを待ってたんだな。やれやれ、これじゃどっちがトレーナーなんだか。

 相手が大した目的もなく、ただ言われるがままに勝利を掴むために相性のいい技を乱発しているだけなら、どこかに穴があるはずだ。

 まずは、その突破口を見つけてやる!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-7

 ノーマルタイプの放つ十万ボルトという技は実際、タイプが一致する電気タイプの放つそれとは威力が段違いの上、過剰に体力を消耗する。相性の壁こそ如何ともし難い現実ではあるものの、逆に考えればこちらが不利なのはその一点だけだ。膠着が均衡へと移り変わり、相手の体力が消耗した時、突破の一条は見える。

 だが相手のトレーナーボックスに、人影はない。にも関わらず、あのガルーラはたった一撃の肉弾戦でカロッサの技量を推し量り、尚且つその脅威から外れる安全な距離を取った上で、弱点の相性まで突いてくるのだ。何らかの手段で誰かが指示を与えているという事も考慮外ではないが、もしあの戦術を独断で選択しているのなら、これは素直に驚愕すべきレベルに達していると見るべきである。

 だとすれば、己が疲れ果てるまで技を撃ちまくる、という短絡的な決着を期待するのはあまりに楽観的過ぎる。そうなる前に何か別の策を取るはずだ。

 

「でもそれじゃ、どっちにしたって出たとこ勝負だ……。手の内が読めないままじゃ、どうにも……」

 

 フィールドの支配を奪われ、攻守のリードを奪われ、なのにこちらは何一つ、確たるものがない。

 焦りと不安で頭をいっぱいにしていると、カロッサが怒ったような瞳でこちらを一瞬だけ見遣った。

 わかる、わかるよ、お前の根性論の方がわかりやすいしカッコイイよ。でもさだってさ、お前だって今んとこ困ってるじゃん? これってやっぱトレーナーの私がしっかりしなきゃだめじゃん? だから色々考えるじゃん? わかってくれよ、小手先でなんとかしようって魂胆じゃないんだ。

 親の心子知らず。その大きな背中からはどこか、子供っぽい癇癪が感じられる。ほんとに、そんだけデカくなっても中身はゼニガメだった頃と何も変わっちゃいないんだよな……。

 

「ガァメッ!」

 

 うおっ、どうしたカロッサ! なんでイキナリ後ろ向いてんだ!?

 三発立て続けに飛んできた電撃を重たい身体ながら上手に避けたと思ったら、突然踵を返したのだ。すわ、ここで交代かと咄嗟にボールを握り締めたが、そうではなかった。背中のキャノンを地面に向け、水色の光が溢れだして――。

 

 体重92.3キロの巨体が、爆音と共に宙を飛んだ。

 

 これには相手のガルーラも、そしてトレーナーの私でさえ、ぶったまげて唖然としてしまった。

 あの技、もしかしてアクアジェットか!? 随分前からちっとも使わなくなったから、すっかり忘れてた!

 その昔、まだゼニガメだった頃からカメックスに進化する少し前までは、アクアジェットで宙を飛び、フィールドを所狭しと駆け回っていた。素早さという言葉とは無縁なカメという宿命を物ともせず、相手の意表を突いてはキツイ一撃を見舞うテクニカルハードパンチャーだったよね。

 そうだよ、あいつカメックスに進化してから大艦巨砲主義にでも目覚めやがったのか、うちのメンバーが得意としている(っていうかジャンボの教えの偏った影響で覚えたであろう)高機動戦闘を捨てたんだ。多分、あのキャノンの使い心地がよっぽど気に入ったんだろう。甲羅も分厚くなって動きづらくなったことだし、自分なりに戦闘スタイルを変えたのだと思って気にしていなかった。

 けれど、あいつは忘れたわけじゃなかったのだ。宙の飛び方も、ジャンボの教えも。

 さながら潜水艦がタンクから海水を一気に吐き出して浮上するエマージェンシーブローよろしく、盛大な水飛沫を残した急仰角で一気に雷撃の弾幕を飛び越えてゆく。更に下を向いたキャノンから、ガルーラの頭上に向かって水鉄砲が――いや、もうもうと湯気が立っている。水鉄砲じゃない、あれは熱湯か!

 顔面からしたたかに熱湯を被ったガルーラはもんどりを打ち、そこらを転げ回る。もしかしたら、火傷を負ったかもしれない。いくら負けられない戦いとはいえ、あいつ結構えげつないことするな……。

 しかもなんか、いかにも「してやったり」っていうドヤ顔までしてやがる。ほんとヤな奴だな、お前……。

 だが熱湯による熱い一撃は火傷だけではなく、どうやらガルーラの冷静な思考回路をも一気にヒートアップさせる効果があったようだ。怒り狂ったガルーラは電撃を止め、足音荒くカロッサに向かって距離を詰めていく。

 白兵戦になれば俄然、体術に心得のあるカロッサにチャンスが生まれるはずだ。少なくとも、電撃で削り負ける事態は回避できた。

 だが、怒らせたポケモンと言うのは怖いものだ。彼らはいくら人のそばで暮らしても、野生的と言おうか、本能的と言おうか、とかくそう言った生物の根源たる部分を失うことはない。つまり彼らが本気で怒る時とは即ち、この人間社会において必要な自制心を全てかなぐり捨てる瞬間に他ならない。

 今しも、ガルーラは獰猛な唸り声を上げながら、その大きな拳をカロッサに叩き込むところだった。工夫のない一撃、私はてっきりそれを受け流し、先程の流れるような反撃をまた見せてくれるのだと思った。

 だが予想に反し、カロッサは咄嗟にその場で踏ん張り、真正面から防御の姿勢を取った。拳は迷いなくガードに回ったカロッサの腕を叩き、続く二撃目もほとんど同じ場所に叩き込まれる。

 そこからガルーラの乱撃が始まった。次第に勢いを増してゆく拳の速度と重みが、防御するカロッサを殴る生々しい重低音を響かせる。速度が、重みが、どんどん増してゆく。ただの拳打ではない。

 

「あれは……グロウパンチか? だとしたら、このまま防御し続けるのはまずいな……」

 

 グロウパンチは、打ち込めば打ち込むほど威力の上がる変わった技だ。込めた力は拳をより硬く、より速くする。一撃でも当たれば最後、そのまま相手が倒れるまでタコ殴りにするのだ。いくらカロッサの防御力が優れていようとも、威力が高まり続けるあの技をいつまでも受け続けることはできない。

 それでも、カロッサの瞳の奥にはまだ――あのドヤ顔の余韻が残っていた。今更ながら、本当に図太く育ったものだと感心する。

 臆することなく不利な状況に、あるいは過酷な状況に飛び込み、持ち前の頑丈さを武器にして、僅かな隙を付け狙う。豪胆なようでいて緻密。粗雑なようでいて狡猾。傍目にはもはやサンドバッグと化したカロッサは、しかし虎視眈々と何かを待っている。

 

「ガルルルルルッ!」

 

 不敵な表情を浮かべたまま、防御一辺のカロッサについに業を煮やしたのか、ガルーラが大きく右の拳を振り抜いた時だった。

 カロッサはそれを左肘で、外側へいなすようにして弾き飛ばした。不意に身体の軸をズラされたガルーラは続く左の拳に力を乗せきれず、カロッサに完全に受け止められてしまった。今、カロッサの左手は完全にフリーだ。

 大きく開いた左の掌底に青い光が集まる。そして水飛沫が迸り、無防備になったガルーラの胸元へと真っ直ぐに叩き込んだ。刹那、耳の奥を刺すような甲高い音を響かせながら、ガルーラの巨体が吹き飛ばされた。その後には、幾重もの輪状に輝く青い光を残して。

 水の波導――本来なら超高速で振動した水を相手にぶつける技だが、カロッサは掌底に纏わせて直に叩き込むことで威力を倍加させている。ただでさえ強力なインファイターであるカロッサの一撃に、波導のエネルギーが乗算された時の威力たるや、分厚い鉄板さえ叩き折るほどだ。

 さすがのガルーラも、すぐには立ち上がれない。ふらついているところを見ると、振動の衝撃で脳を揺らされでもしたか。ともあれ、動きが止まったところをダメ押しを言わんばかりに、キャノンの狙いを定める。

 

「ガァメエエェェェッ!」

 

 腹から響く気合と共に放たれたのは、ハイドロポンプ。大質量の水弾が発射され、ふらつくガルーラに直撃する。再び吹き飛ばされたガルーラは苦悶の声を上げるものの、もう立ち上がりそうになかった。

 するとスピーカーから、またあの騒々しい司会がぎゃんぎゃんと騒ぐ声が響いた。

 

『試合ッ! 終了――――――ッ! 第一セットは伊藤くんのカメックスが勝利だぁ! 白熱した試合展開に、会場の盛り上がりも最高潮ですっ! それでは続いて、第二セットのポケモンが登場だ――っ!』

 

 ガルーラが戻されて、次のボールが打ち出されてくる。出てきたのはペルシアンだ。もしかして、あっちの三匹はノーマルタイプで統一されてるのか? 弱点がなくてやりづらいな。

 

『さて伊藤くん、ポケモンの交代は大丈夫かなっ? 準備ができたら右手を挙げてくれっ!』

 

 どうでもいいけど、あいつはなんでこんなに馴れ馴れしいんだろ。RPGで突然出てくる進行用のキャラみたいだな、お前。

 

「カロッサ、職人と交代するか?」

「ガーメッ」

 

 私の提案に、カロッサはふるふると首を横に振る。ああそう、もうやれるとこまでやりたいってことね。完全に闘争心に火が入ってるな、こりゃ。

 まぁ一匹倒せたことで戦力差は伯仲した。このままカロッサで二匹目も体力を削るか、あわよく倒せれば逆転だ。ここはこいつの意志を尊重し、素直に乗っかるのもいいだろう。

 

「わかったよ。次もよろしく頼む」

「ガメッ!」

 

 任せなさい、と大きく頷いてドンと胸を叩く。ここだけ見れば頼れる良い奴なんだけどな。そのドヤ顔がな、無性にムカつくんだよな。

 私に褒める素振りがないことを悟ると、どこか残念そうにすごすごとセンターサークルへ戻ってゆく。そうだカロッサよ、そうやって一つ一つ学んで大きくなって、いつかドヤ顔をやめられれば褒めてあげよう。性格的に無理そうだけど。

 うっかり笑い出しそうになる我が子の哀愁を噛み殺しつつ、私は右手を挙げた。すると司会が嬉々とした声で、第二戦の始まりを告げる。

 

『さあっ、伊藤くんの準備も万端のようです! それでは第二セット、スタートォ!』

 

 開始の合図と共に、カロッサは勢いよく一歩を踏みだそうとした。だが、私達はそこで信じられない光景を目の当たりにした。

 相手のペルシアンが忽然と――消えたのだ。




【カロッサ】
種族:カメックス
性別:♀
性格:高飛車お転婆おっちょこちょい……一言で言うとお嬢様
アレコレ:360°水のかめはめ波出し放題。ドヤ顔で調子に乗る。実は頭脳派インファイター。性格に一部難有りで、タッグを組む時はいつもアルディナが面倒を見ている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-8

 私は一瞬、試合放棄したのかと思った。開始の直前、カロッサと喋っていて目を離したほんの少しの隙にいなくなったのだから。だが無論、そうではないことをすぐに思い知らされる。

 乾いたフィールドを駆ける軽い音が僅かに聞こえる。姿は見えないまま、その音はどんどん近づいてくる。カロッサも困惑したように防御の姿勢を取りながら、周囲を注意深く見回す。しかし……。

 

「ガグウウッ!」

 

 見えない何かに切り裂かれ、カロッサの両腕から鮮血が迸る。咄嗟に反撃のつもりでガードを崩したところへ、さらに素早い斬撃が叩き込まれる。それを防ごうと腕を戻したところで背後や脇の隙を突かれ、もっと追撃を浴びる悪循環だ。試合が始まってまだ一分も経たないと言うのに、カロッサは手も足も出せないまま、ズタズタに引き裂かれてしまった。

 相手は逃げたわけでも、消えたわけでもない。タイプの相性とはまた別の相性――こちらがパワーと防御力に優れた力技タイプだとするなら、敵は圧倒的なスピードで相手を翻弄する技巧タイプだ。これもまた、カロッサにとっては相性の最悪な相手と言えるだろう。

 カロッサがダメージに耐え切れず膝をついたところで、ようやくペルシアンは再び姿を表した。こちらを見下したように笑い、尊大な態度で爪を舐める仕草をする。くそ、完全にナメられてるな。

 だが、あのペルシアンのスピードは常軌を逸している。情けない話、相棒を見慣れている私ですら全く見失ってしまうほどだ。ジャンボほど速いかどうかはわからないが、少なくとも鈍重なカロッサや職人がとても追いつけるとは思えない。いや、他のメンツだって多分ムリだ。同じ土俵で戦えば、間違いなく分が悪い。とは言え、これは相手の身体能力によるスタイル、つまりは混じりっけなしの直球勝負だ。

 

「くそっ、なんて高レベルな奴ばかり揃ってるんだ。あれが相手じゃ職人に交代したって意味が無いぞ……」

 

 職人の冷凍ビームで凍らせることも考えたが、当たらなければ意味が無い。今は姿が消えるほど速い高速移動から繰り出される斬撃から身を守る手段も、攻撃を当てる手段もない。攻守共にあのスピードの前では、とても追いつけない。

 対策なんて――何も思いつかない。

 闘争心が燃え上がったままのカロッサは果敢に体勢を立て直し、懸命に水鉄砲を撃ち返すが掠りもしない。ペルシアンは毛繕いまでしながら、悠々と避ける。水鉄砲の弾速だって決して遅くはないはずなのに、発射を見届けてから避けているようにさえ見える。やはり普通に攻撃したんじゃダメだ。だからと言って、近付くのはもっと危険だ。カロッサが一瞬とはいえ膝を折るほどの攻撃力も兼ね備えている。得意なインファイトに持ち込めば勝てる、という甘く安い考えは通らないだろう。

 闇雲に撃っても当たらないことを悟ったか、カロッサはアクアジェットで思い切り後方に下がり、大きく距離を取った。なるほど、距離を稼げば如何に素早くとも、遠距離攻撃が可能な方が有利なはずだ。カロッサは腰を低く落とし、キャノンの狙いを引き絞る。

 だが、有効と思えたその策さえ、ペルシアンの圧倒的なスピードの前では無意味だった。

 ほんの僅かに、フィールドの地面が蹴立てられるのは見える。その軌跡を追い、予測も含めた地点へ向けて水鉄砲を撃ち込むが、着弾するより透明な足が迫る方が速い。それでも左右へ激しく振れる照準を合わせ、何度も、何発も撃ち込む。

 すると、今しも至近弾を避けたかに見えたペルシアンの歩調が一瞬、乱れた。そのままカロッサの目の前に現れ、鋭い爪を振りかざす。その距離感は、明らかに効果的な間合いを外していた。

 リーチでは劣るものの、一撃さえかわせれば踏み込める。ど突き合いになれば体術で勝るカロッサの本領発揮だ。このまま水の波導を叩き込められれば、大きなダメージも期待できる。カロッサの右腕には既に、水色の光が迸っていた。

 だが、何かがおかしい。あのペルシアンとて、自分の間合いをそうそう見誤るだろうか?

 相手に捉えれないほどの速度で動き回り、その合間に攻撃を繰り出す事こそが最大の武器。即ち、間合いを失うというのは、自らが握る刀の長さを忘れた侍のようなものだ。

 もしも、ペルシアンにとっての間合いが"一つ"でないなら――!

 

「ガッ!?」

 

 私の思考が追いつくより先に、焦りの入り混じった悲鳴が聞こえた。

 カウンターの姿勢を取っていたはずのカロッサは、大きく体勢を崩して後ろに退がらされていた。動揺しているのか、次の動きが繋がらない。そのまま二歩三歩と、じりじり後退る。しまった、やはりあれは誘いだったか!

 猫騙し――相手を必ず怯ませる技だ。ペルシアンは間合いを外したのではない。むしろ全く逆で、間合いを外されていたのはカロッサの方だった。キャノンを構え直すには近過ぎ、踏み込んで殴るにも遠過ぎる。それはおよそ、二歩半分ほどの距離。

 そしてペルシアンの額が赤く光り輝き、光は大きく膨らみ――その絶妙な射程から、パワージェムを数発発射した。

 もはや風に流される柳のように、全ての支えも守りも失ったカロッサに全弾が命中し、大きな爆発音と共に土煙を上げながらごろごろと吹き飛ばされた。

 

「カロッサッ!?」

 

 思わず大声で名を呼ぶ。瞬時にボールを握り締めるが、ギリギリでラインの向こう側だ。歯痒い気持ちを噛み殺し、反応を伺う。

 ガルーラ戦のダメージも決して軽いものではなかったはずだ。それに加えて開幕直後からの蓄積にこの一撃、さすがに立ち上がるのはもう無理か?

 砂埃が晴れ、フィールドの様子が詳らかになる。すると、カロッサは甲羅の中から頭と四肢を伸ばしているところだった。あの一瞬で、どうやら緊急防御が間に合ったらしい。亀のくせに恐るべき反射神経である。

 

「ガァメェッ!」

 

 力強い一声を上げつつ、フィールドを踏み締めながら立ち上がった。全く、呆れ返るほど頑丈な奴だな。すげーよ、お前は。

 ペルシアンはその様子に対し、不服そうに低い唸り声を上げる。どうやら、今のがあいつの決め球だったらしいな。仕留め切れなくて、イライラしているのだろう。

 渾身の一撃を防いだのは重畳だが、それでも劣勢なのは変わっていない。このまま徒らに試合が長引いては、カロッサの体力も保つまい。しかし、近・遠距離における戦術は双方とも有効ではなかった。撹乱からカウンターを狙っても、猫騙しや他のフェイントでパワージェムの有効射程を保とうとするだろう。そうなれば展開がさっきと同じだ。先の見えない消耗戦。相性の優劣はなくとも、カロッサは既にかなり体力を消耗している。畢竟、削り負けるのは考えるまでもない。

 加えて、こちらの攻撃を当てる方策は今のところ、全くないのだ。あの驚異的なスピードを捉えるには、正攻法で攻めるのは無意味だ。交代要員にジャンボかアルディナという選択肢があれば迷いもないが、現状許されるのは職人かメルシュ。どちらも練度がカロッサよりは低く、スピードで勝ることもない為、これ以上の善戦を期待するのは望みが薄い。

 

「くそっ、どうしたら……!」

 

 考えろ、考えろ、考えろ! さっきだってあいつは相性の問題を引っくり返したじゃないか! トレーナーの私が先に諦めるもんか! 何か、何かあるはずだ!

 

「フシャアアアアアッ!」

 

 だが切り札を破られたらしいペルシアンにも、もう余裕がない。再び高速移動で猛然と迫り、四方八方からカロッサを切り刻む。

 カロッサは再び、防御一辺の姿勢を強いられることになった。頼みの綱だったであろうアクアジェットによる奇襲も通じないとわかった今、あいつにとっても打つ手がない。

 

「ガメエッ!」

 

 するとカロッサは何を思ったか強引に両腕で斬撃を振り払い、またしてもアクアジェットで大きく後退した。当然、高速移動中のペルシアンから逃れる事は適わない。一瞬で追いつかれ、爪の旋風に巻き込まれる。

 だが、私にはその行動の意味がすぐにわかった。

 

「カロッサ、お前……」

 

 攻撃から逃れる為ではない。エンドクォーターラインを越える為――私がいつでも交代できるように退がったのだ。

 ここまで張り通した意地を曲げた。曲げて今、カロッサは私をじっと見つめている。

 まだ、諦めてはいない。それでも、私を信じている。この状況を打ち破る方法を。あの鼻持ちならない連中に一泡吹かせる方法を。

 その為の手段がきっと、他の誰かに頼る事ではなく、他の誰かを守る事でも叶えられる事を。

 

「……十秒だ。十秒、耐えてくれ」

 

 私は瞼を閉じ、目を伏せた。

 信じてくれるのなら、応えなければならない。ましてそれが、我が子にも等しい自分のポケモンのものなら。

 私の頼みにカロッサは深く頷き、少しだけ、笑ってくれた。

 高速移動を繋ぎ、死角から鋭い爪で襲い来る。その動きはまるで暗殺者のようで、下手に防御を崩せば致命傷を負いかねない。防戦一方に追い込まれたカロッサは、その場から動く事もできない。どうにかしてあいつの足を止めないとジリ貧だ。迫る刻限に嫌な緊張感が胃を鷲掴みにして、キリキリと痛む。

 

「足……足か。どうしたら……」

 

 暗殺者――忍者。私はふと、ペルシアンの戦い方に、自分の感覚を当てはめてみた。

 素早い動きで翻弄し、相手の死角に忍び、一撃を見舞う。その時、どうしたらその足は止まってしまう? 地面という広いフィールドがどうなったら、その足を止めてしまうだろう?

 何も、直接攻撃を当てるだけが攻撃じゃない。

 状況が、環境が、瞬間が、全てが武器になる。

 師匠に教えられた言葉が、脳裏を掠める。

 

 ――よく視ろ。よく視る(・・・・)んだ。見えるばかりが全てではない。目先ばかり見るな。見えぬものを(・・・・・・)視るからこそ(・・・・・・)我らは一歩を(・・・・・・)先んじる(・・・・)のだ。

 

 師匠を追い、暗くなった森を駆け抜ける中で、その背中を追う事ばかりに囚われた私が足を掬われた存在。

 そうだ、あの時、私の足を払ったのは――。

 その時、天啓とも言える閃きが私を貫いた。

 

「カロッサ、雨乞いだ!」

 

 どうやらカロッサも私の一言だけで、指示の意味を理解したらしい。縦横無尽に駆け回るペルシアンに対し、命中を期待しない水鉄砲を何度か撃ち込む。案の定、ペルシアンは大きく後退し、距離を取って再度、攻め込む姿勢を取った。

 だが、カロッサにとってはその僅かな隙だけで十分だった。両肩のキャノンから直上に向け、霧状の砲撃を放つ。まもなくそれは室内の限られた空間でむくむくと成長し、発達した暗雲に変わった。そして室内の温度を急激に引き下げながら、猛然と雨を降らせ始める。

 本来ならば雨乞いは特性上、水を受けて活動が活発になる水タイプのポケモンが自身を強化する為の技だ。だが、今回はその効果は二の次で、もう一つの副次的な効果の方が本命だ。

 大雨を受けたフィールドはあっという間にぬかるみ、乾いた地面は沼のような湿地になった。この状況下においての高速移動は足を滑らせ、転倒の恐れが飛躍的に高まる。例え転ばなかったとしても、泥に食い込みやすい肉球を持つペルシアンでは踏ん張りが利かない。どちらにせよ動きは鈍るので、さっきのように撹乱しながら動き回る事は不可能だ。

 そして本来の効果、水タイプの能力向上効果に伴い、カロッサの技は連射が可能となった。

 

「ガメッ!」

 

 短い間隔で、水鉄砲を一気に十連射する。ペルシアンは足場の悪い中で必死に左右へ身を振って回避を試みるが、泥に足を取られ、水たまりに滑らせ、ほぼ全ての弾丸の直撃を受けた。水鉄砲と言うと大した技じゃないように聞こえるけど、こいつのは木をへし折るくらいの威力がある。見た目以上にダメージは大きいだろう。

 加えて、この急激な温度低下もダメージを被る要因になるだろう。雲から雨を降らせるには、空気をかなり冷やす必要がある。普通、空に浮かんでいる雲なら-20℃~-50℃くらいだ。カロッサは霧状の水と共に、冷凍ビームに匹敵する冷気のエネルギーを発射しているので、室内でもこうして雲が形成され、雨が降る。

 さすがに本当の雲の温度までは下がってないだろうが、それでも多分0℃くらいか、ちょっと下回るくらいだろう。無論、屋外なら空気の流れもあるからきっとここまで寒くは感じない。室内という限定されたフィールドが生んだ結果だ。こんな温度の環境でびしょ濡れになり、更に水の打撃を食らったとなれば、ただではすまない。

 ふらついたペルシアンは恨みがましそうに何度か立ち上がろうとしたが、見る間に震えが大きくなり、ついに泥の中へ倒れ伏した。

 

『試合終了――――ッ! これはすごい展開だ! 伊藤くんのカメックスが、まさかの二連勝ッ! 久しく見ていなかったこの熱い展開に、観客もますますヒートアップだ! さぁ、いよいよ運命の最終戦! これまで数々の猛者を屠ってきた暴れ牛……こいつの登場だぁ――ッ!』

 

 ペルシアンが戻され、最後のボールが打ち出されてくる。

 出てきたのは、標準体型の倍はあるだろうかというほど屈強なケンタロスだった。くそ、また厄介な相手が出てきたな。

 こいつの全身を覆う分厚い筋肉は温度の変化に強く、少々寒い程度で活動は鈍らない。そして雨季のぬかるんだ大地を走破する頑丈な蹄と屈強な脚力の前では、この程度の悪路はなんでもない。つまり、もう環境条件が味方になる事はないだろう。

 

「ふーん、いかにもラスボスでございって感じだな。カロッサ、交代は?」

 

 カロッサは何も言わず、振り返りもしないまま、ゆっくりとセンターサークルに戻った。やれやれ、つくづく強情な奴め。

 私は耳障りな司会の声に促される前に、黙って右手を挙げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-9

やっぱり間に合わなかったよ……orz
遅れてごめんなさい!


『それではラストセット、スタートォ!』

 

 開幕と同時にケンタロスは前足を高く振り上げながら、フィールドに響き渡る一声を吠え散らす。

 そして前足を振り下ろし地面に叩き付けた瞬間、大きな揺れが襲ってきた。建物全体がギシギシと軋み、私もカロッサも思わず転びそうになる。地震――だが、衝撃のダメージがない。不発か?

 いや、揺れるフィールドの上を、凄まじい蹄鉄の音が迫ってくる。この地震は攻撃じゃない、撹乱だ!

 揺れでバランスを崩したカロッサに向かい、ケンタロスが尻尾で自分を鞭打ちながら真っ直ぐに突進してくる。

 

「カロッサ、飛べ!」

 

 カロッサは私の言葉に即座に反応し、アクアジェットで揺れの届かない空中へ逃れた。のみならず、空中で水圧を利用して強引に身体を捻り照準を合わせ、空対地の水鉄砲で応射する。無茶な射撃姿勢にもかかわらず弾丸は吸い込まれるように命中し、盛大な水飛沫を上げた。蹄を引きずりながらゴリゴリと地面を引き裂き、ケンタロスは乱暴に停止する。

 だが、一度鼻息を荒く吐き出しただけですぐに方向転換し、カロッサの方を睨んだ。ダメージはまるで与えていない様子だ。見た目からしてガタイが違うとは思っていたが、恐るべき防御力である。離れた位置に着地したカロッサも、少し動揺しているように見える。

 

「ブモオオオオオオオオッ!」

 

 荒々しく怒り狂った闘牛と化したケンタロスは蹄を打ち鳴らし、またカロッサ目掛けて突進していく。真っ直ぐに突っ込むケンタロスに対し、攻撃を加える事は容易い。だが、全くダメージにならない。攻撃の当たらないペルシアンとはまた違った意味の不利。まさかパワータイプのカロッサが出るバトルで、攻撃力の不足が原因になるとは……。

 降りしきる雨の効果は健在であり、先程から水鉄砲と熱湯を織り交ぜながら連射して、全弾を当てている。なのに、ケンタロスの動きが鈍る様子はない。真っ直ぐにしか進まない突進はアクアジェットで避けているものの、それも際どい状態だ。

 

「また手詰まりか……? いや、あの電気技が使えるガルーラにだって、消えるペルシアンにだって勝ったんだ」

 

 必ず、何かあるはずだ。

 越えられないと思った電撃の弾幕を飛び越え、消える高速移動の足元を払った。暴走する戦車のようなあれを止める手段だって、何かあるはずだ。

 そうだ、泥濘では止まらずとも、凍結したらどうだ? フィールド全面が水浸しの今なら。

 

「カロッサ、フィールドに向かって冷凍ビームだ!」

 

 カロッサは突進をかわしつつ、キャノンを低く構えて冷凍ビームを広域に発射した。水浸しのフィールドはすぐに凍て付き、水が溜まっていたところは全て氷の張り巡る最悪の悪路と化した。転倒とはいかないまでも、これならかなり機動力を削げるんじゃないか?

 だが期待は裏切られ、ケンタロスは凍ったフィールドを頑丈な蹄で叩き割りながら、全く速度を抑える事なくフィールドを駆ける。

 くそ、氷漬けの路面でさえあの脚力の前じゃ意味なしか! となれば、もはや正攻法でなんとか突き崩すしかない。しかし、攻撃はこちらとて先程から何十発と加えている。それがダメージはおろか、足止めの効果さえ与えていないだけで。

 そもそも、戦車に対して拳銃で勝てるはずがない。その分厚い装甲を打ち破るのなら、もっと強い攻撃手段が必要だ。あのとてつもない体重から繰り出される突進の威力を考えれば、白兵戦に持ち込むのは愚策。遠距離技として水鉄砲も熱湯も通じないのなら、残るは水の波導か、ハイドロポンプくらいか。

 とは言えあのケンタロス、ペルシアンほどではないにしろ、かなりの速力だ。当たりにくいハイドロポンプが簡単に当たるほど鈍い相手ではない。ここは水の波導を離れたところから当てて、振動で混乱を誘うか……。

 

「ガメェッ!」

 

 と、戦術を決めかねていると、カロッサは突然ケンタロスに向かって走りだした。

 ちょっ、待て待て! まさかここでど突き合いか!?

 

「落ち着け、カロッ……!」

 

 私が諌めようとした瞬間、カロッサが凄まじい勢いで加速した。

 あれは……背中からアクアジェットが吹き出してるのか!? なんだそりゃ!

 よくよく見れば、尻尾の穴の両側辺りがキャノンの開閉口のように迫り上がって開いており、そこからアクアジェットを噴射して加速しているようだ。なんというアクセラレーション。これは間違いなく某連邦の白い悪魔だ。ビームやらサーベルやらを振り回して活躍する、宇宙世紀的なロマンを感じる。

 ケンタロスまでの距離を一気に詰め、その拳に水色の光を瞬かせた。なるほど、走り出す前に距離を詰めれば突進を恐れる必要はない。アクアジェットの新しい活用法を見出したか。

 

「ガアアメエエエエッ!」

 

 咆哮に乗せた気合と共に、額のど真ん中に水の波導を纏った肘打ちを叩き込む。加速と波導の威力を乗算したあの一撃、まず間違いなく致命的なダメージを負うかと思われた。だが――

 

「ブモオッ!」

 

 あの重い一撃を食らいながらケンタロスは角を振り回し、逆に決して軽くないカロッサを弾き飛ばした。とてもダメージを与えたようには見えない。

 マジかよ……どんな耐久力してんだ、あのケンタロス。

 会心の一撃を見舞ったであろうカロッサは驚愕をその顔に張り付かせつつ、すぐさま体勢を立て直し、再びアクアジェットで距離を取った。しかし、後を追うようにしてケンタロスの突撃が始まっる。カロッサは更に甲羅の横側を開き、横向きのアクアジェットで大きく軌道を逸し、なんとか身を躱す。あいつ、あんなにどこからでもアクアジェットを出せるのか……器用なやつめ。

 だが、あまり細かい制動ができるわけではないらしい。フィールドを突撃姿勢のまま駆け巡るケンタロスを、ひどく大味な急制動のアクアジェットでなんとか躱すというだけだ。その回避行動も次第にアウトラインへと追い詰められ、徐々に逃げ場が失われてゆく。

 そしてついにカロッサは、右サイドのアウトライン際まで追い詰められてしまった。

 どうする。上に逃げるように指示してみるか? それでも、アクアジェットのジャンプで飛べる範囲には限界がある。ラインアウトしないようにフィールドの中心を目指して位置取りを戻したいところだが、着地を狙われてあの突進を食らう事になるだろう。と言って、地上ではこれ以上逃げる余地がない。

 そうだ、仮に場外判定だとしても、十秒以内にフィールドへ戻れば負けにはならない。なら、あえてラインを割ってみようか?

 いや、ダメだ。そうなればライン際を意地でも守りに来るだろう。あのケンタロスはただ猪突猛進なだけではない。カロッサの回避地点を予測しつつ咄嗟に方向転換する計算能力があるし、何よりそのせいでここまで追い詰められたのだ。攻撃を当てるばかりが攻撃ではない事を明確に認識した上で、更に直撃すれば致命的なダメージを与える攻撃を繰り返している。決してワンパターンに走り回っているのではない。自らの特性をも理解した上で、あえて突進という一つの技に絞り込んでいるのだ。

 ならば、あれは最終的には必ず突っ込んでくる――?

 私は、賭けに出る事にした。

 

「カロッサ、その場でふんばれ!」

 

 私の指示にカロッサは頷き、低く腰を落とした。この体勢なら、位置取りなら、そして雨なら。

 ケンタロスが獰猛な声を上げ、突っ込んでくる。愚直なほど真っ直ぐに、決して揺るがぬ自信と共に。

 彼我の距離が詰まる。破滅的な蹄鉄の音が泥を蹴立て、ビートを刻む。もう少し、もう少し、もう少し――!

 

「今だ、ハイドロポンプッ!」

 

 号令に反応し、カロッサは水の大弾を二発、三発と見舞った。ケンタロスは真正面からそれを食らい、大きく吹き飛ばされた。

 回避の余地がないのは、つまり向こうも同じ事だ。ルールを意識するからこそ生まれた隙。ラインアウトを狙って突進をするのならその瞬間、間違いなくケンタロスにも回避の余地はなくなり、攻撃の一点がこちらにとって必中の一点に転換する。もしガルーラのように飛び道具を使われたり、ペルシアンのように搦め手で攻めてくる相手では成立しなかっただろう。

 ともあれ、ハイドロポンプの直撃を食らったのだ。これならさすがにダメージを……。

 

 だが、私の淡い期待は、またしても見事に裏切られた。

 

「ブモォ……!」

 

 足音荒くフィールドを踏み締め、力強く身体を立て直す。ブルブルと身を振るい、泥を振り落とす姿に疲労の文字は無い。

 

「嘘だろ……ハイドロポンプでもダメなのか……?」

 

 さすがにノーダメージと言う事はなさそうだ。ほんの少し、呼吸が乱れているように感じられる。だが、それだけだ。

 水鉄砲や熱湯を何十発と食らって、頭に水の波導を帯びた必殺の一撃を食らって、至近距離からのハイドロポンプを何発も食らって、やっとそれだけ。

 絶望的なレベル差――その一言で片付けてはならない圧倒的な何かが、断絶した崖のように茫漠と私達の間に開いている。

 

「ブガアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 しかも、今度こそ本気であの暴れ牛を怒らせてしまったらしい。眼の色はますます血走り、己を鞭打つ尻尾の勢いも更に増してゆく。ビシビシと鞭を連打し、空中に浮かぶ雲に向かって大きく吠え猛った。

 

「ブモ――――――――ッ!」

 

 すると雨が止み、雲が晴れて、どんどん温度が上昇してゆく。見る間に雨雲は霧散し、肌を焼くほどの日差しが現れる。

 まさか、ここにきて日本晴れか!? まずい、雨の天候を変えられたら技の連射が利かない!

 すっかり晴れ渡った日射の元、視線をカロッサに戻したケンタロスの身体から、次第に何かが弾ける不穏な音が連なってゆく。この音は――。

 

「ブガアッ!」

 

 地面を蹴り、再び突進を開始する。その身体に青白い電撃を纏いながら、雷鳴のような音を鳴り響かせ、真っ直ぐに。

 ワイルドボルト――あれも突進技の内というわけか!

 カロッサは慌ててアクアジェットを繰り出し、なんとかライン際を抜け出す。だが、連射が利かなくなってしまったが為に回避先の候補は限りなく絞られてしまい、ついにケンタロスの捉えられる範囲に逃げこむ形となってしまった。

 ダメだ、直撃する!

 

「ガアアアッ!」

 

 土手っ腹に強かに角を叩きこまれ、更に雨で濡れた全身に余すことなく電撃が走り抜ける。防御する事もできないまま、カロッサは敵陣側の場外まで不自然な体勢で吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。

 握り締めたボールから、警告音が鳴り響く。見れば、ディスプレイに危険を示す赤字が点滅していた。

 

『警告――<E-401>』

 

 400系メッセージ――これはポケモンに、重大な異常が発生した時の警告表示だ。

 ディスプレイをタッチして、詳細を表示する。

 

『バイタルサイン異常衰萎』

『モニターポケモンのダメージが許容値を超過しています』

『速やかにボールへポケモンを戻し、お近くのポケモンセンターで適切な診断・処置を受けてください』

 

 私は思わず叫んだ。

 

「なっ!?くそっ……あいつ、やっぱりとっくに瀕死状態なんじゃないか!」

 

 瀕死状態とは、ポケモンの体力が著しく低下した状態を指す。それはゲームと変わらない。ただしゲームと違い、彼らは瀕死状態だからと言って、必ずしも倒れ伏すとは限らない。

 特に野生の本能――つまり闘争心が衰えていない時などは、限界を超えても戦い続ける。それは主に野生ポケモンに見られる兆候で、本能的な性格として全てのポケモンに共通することだ。故にトレーナーがポケモンと共に戦う事を目指すのなら、そのダメージコントロールの事も教え、身体の限界が来たなら諦めさせなければいけない。

 今の時代、ボールには<ポケセーバー>という生命維持装置が搭載されているし、このように警告音とメッセージも出す。例えトレーナーが未熟でも、血が上って冷静さを失っていようとも、これが鳴ったら即終了のゴングだとわかるようになっている。ボールにさえ戻せば滅多な事は起きない。ただ、このまま戦い続ければ滅多な事になる。

 自制の効かなくなったポケモンは――死ぬまで戦い続けるのだ。

 

「やめろ、カロッサ! もういい、もういいんだ! 早く交代しろ! じゃないと、お前の命が……!」

 

 もはや、ルールを無視してでも戻そうかと思った。あいつの頑張りは尊重してやりたい。フィールドにさえ戻れば、まだ戦う事はできる。だが、こんなところで命を落としてまで意地を張らせるような事だろうか?

 ダメトレーナーと罵られてもいい。カロッサに嫌われてもいい。どちらにしても、あいつが死ぬよりマシだ。

 そうしていよいよ最後の采配を下そうとボールのハットスイッチに指を伸ばしかけた時、ケンタロスが倒れたカロッサに向けて再び走り始めた。

 なんでだよ!? カロッサはまだ場外じゃないか!

 

「追撃なんて……!」

 

 そこで私は今更ながらに気付いた。このフィールドには審判が一人もいない事に。

 もし公式戦ルールが本当に適用されているのなら、初めから第三条の審判員規則違反だ。そしてカロッサが場外に弾き飛ばされてそろそろ十秒が過ぎる頃だが、試合が停止される様子もない。

 審判員も、場外判定もないのなら、今ここに公式戦ルールなんてそもそも、ないんじゃないか――?

 ここに来る前から、ずっと試合内容についてはボカされ続けてきた。誰とどう戦うかもわからないまま転送され、何の前触れもなく始められた。本当なら11歳の、おそらくは何も知らない子供が挑むバトルにしては、あまりに状況が物騒過ぎる。そして一戦目から異常な戦闘能力を持つポケモンが投入されてきた時点で、元々プレイヤー側に負けを仕込む為だけに用意された試合なのだろうと推測はしていた。

 だがこれまでの状況を統合して類推する限り、実態はもっと悪質だ。あちらの本意としては、あの一匹目で大人しく負けておけ、と言う事だったのだろう。ガルーラはそのリードをする為に投入された、ジムで言うところの、わざと相手に負けの意味を味わわせる為の“指導ポケモン”としての役割だったのだ。どこまでも挑戦者に勝ちを譲る余地など一分もない、全ては予定調和の為の設定というわけである。

 だとすれば、ここまで何度も交代を躊躇った意味や、さっき命懸けで守ったライン際の攻防など、まるでこちらが道化でしかない。ルールが適用されていないのなら、律儀にラインを守る必要なんてどこにもなかったのだ。

 なんて汚い連中だろう。こちらに条件が提示されていない以上、あちらのさじ加減で勝手にルールを持ち出したり、なかった事にしたり、どうにでもできるイカサマ前提のバトルメイク設定だ。しかも普通のバトルでは当たり前に考えて然るべきの常識がことごとく無視され、下手をすればどちらかのポケモンが死亡する事だって起こり得る。これが意図的に仕組まれていると捉える以外に、どう捉えろと言うのか。

 結局、これは最初から正々堂々の勝負に見せかけた薄汚い出来レースであり、理不尽なデスマッチを興行して客から金を搾り取る、どす黒い悪意とエゴだけで進行する最悪のイベントと言うことだ。

 

 ああ、もう限界だ。ここまで来て、ルールなんか知った事か!

 

「戻れ、カロッサ!」

 

 私はボールのハットスイッチを作動させ、逆戻レーザーを照射した。

 だが、カロッサは倒れたままそれを振り払い、なおもフィールドに居座る。何度射ってもダメだ。

 マーカーを打刻されたポケモンは、自分の意思で逆戻レーザーを拒絶する事が可能である。これはポケモンの自由意志を守る為、またはその身を自分で守る為、標準的な安全装置として自ら逃げ出せる仕組みだ。

 だが、ボールの中は基本的に外敵や環境の脅威から離れた安全な領域であり、ポケセーバーの存在も含めて非常に快適な空間である。ましてや死ぬほどの傷を負ったポケモンなら尚更、自分から戻りたくなるくらいのはずだ。それなのに。

 

「バカッ! なんで戻らないんだ!? こんな下らないところで、命を懸ける必要なんてないだろうが!!」

 

 私の叫び声などまるで聞こえていないかのように、カロッサは倒れ伏した体勢からアクアジェットで強引に体勢を立て直し、ケンタロスの追撃を何とか躱した。

 私はもう、どうしていいか判らなくなってしまった。

 あいつが何の為にこんな無茶をするのか。一体、何と戦っているのか。

 命を懸けてでも、この戦いに勝ちたい理由。まさか、この罠だらけのバトルに憤っているわけではないだろう。それは私の都合だ。それにあいつは今まで熱くなる事はあっても、冷静さを欠いた事は一度もない。そのように見せかけて、実際はすこぶる頭の切れる奴だ。

 ならば、一体何を望んでいる? とっくに引き際を飛び越えて危険な領域にいる事を知りながら、何に拘っている?

 いくら防御に優れたカロッサと言えど、そう何度もあの高レベルなパーティの攻撃に耐えられるはずはない。そもそもガルーラとペルシアンから続いている戦いなのだ。蓄積されたダメージは、もうとっくに限界を超えているはずだろう。

 それでも、カロッサは下がろうとしない。昔から負けず嫌いなやつなのだ。力尽きて倒れ伏しても、まだ諦めない。ただ往生際が悪いのとは違う。他の誰よりも、あの甲羅のように決意が固いのだ。

 ふらつきながら立ち上がる。ボロボロになった身体を引きずり、闘志が萎えない瞳をきつく絞って、痛みで無様に膝が笑おうとも。

 

「……もういい、好きにしろ。ただし、絶対に死ぬんじゃないぞ!!」

 

 私だってそんないたいけな努力を見せつけられたら、黙って見守るしかない。

 転んでも、怪我をしても、中々立ち上がれなくても、手を差し伸べてはいけない。何も言わず、自分の力で成し遂げるまで全てを見届ける。もどかしいけれど、カロッサはそう求めている。ならば、任せるより他に無い。

 いいさ、それならとことんやってやれ。目の前のそいつもぶっ飛ばして、カジノの奴らの度肝を抜く三連勝を飾ってみせろ。そしたら今度こそ、目一杯褒めてやる。

 

 カロッサは動きを止めた。構えも崩し、自然体の形になる。傍から見れば、それは諦めて棒立ちしているようにも見える。やぶれかぶれになったようにも見える。

 だが、その目には確固たる決意が宿っていた。駆け回るケンタロスの動きをつぶさに数えて、今か今かとそのタイミングを図っているのだ。

 荒々しい足音は曲線を描き、ついにカロッサへの再突撃のコースを取った。ど真ん中、ど真ん前。男気さえ感じられる直球勝負に、カロッサは逃げも避けもせず、自然体のまま迎え撃つ――かと思われた。

 ケンタロスの角が真正面にカロッサを捉え、その駆け足を打ち立て始めたその時、カロッサもまたそれに相対するように勢い良く前へと飛び出した。ただ、その姿勢はあり得ないほど前のめりで、突進にしてはあまりに低すぎる体勢だ。あれでは当たったとしても力は乗らず、ほんの少しでもバランスを崩せばそのまま転倒し、頭からモロに踏み付けられてしまうだろう。

 それでもカロッサはその不自然な体勢のまま、迷いなく踏み込んでいく。殺人的な威力で突っ込むケンタロスの正面に、真っ向から相対する。その距離は一秒を数えないほどで縮まり、私はその瞬間をただじっと見つめる。

 両者はフィールドの中心で激突した。ケンタロスの最高の威力を持った突進による角がカロッサの右肩を貫き、気味の悪い破裂音が場内に響き渡る。だが、カロッサは笑っていた。

 前のめりに傾かせた体重をそのまま前に崩し、右手を地面についた。割れた甲羅を引きずり、転がるような勢いで角をいなして、ケンタロスの首の下に潜り込む。そして、右肩のキャノンを展開した。

 

「ガァメエエエエェェェェェッ!」

 

 刹那、カロッサの巨体と豪脚を押し戻すほどの膨大な質量の水が発射され、ケンタロスの重い身体が木の葉のように軽く、高々と舞い上がった。顎下をコンクリートや岩盤さえぶち抜く水圧で打ちのめされ、為す術なくそのままフィールドに叩きつけられた。あれほど盛んに勇んでいたケンタロスは完全に動かなくなり、カロッサはこちらに向かって満面の笑みを作って見せた。

 

「……よくやったな。ほんとに、お前はすごいよ。よく頑張った、お疲れさん」

「ガ、メ……」

 

 満身創痍のまま、それでもカロッサは満足そうに笑っている。まったく、こいつはこういうやつだから仕方ない。

 私は静かに崩折れたカロッサを、今度こそボールに戻した。

 

『警告――<E-102><E-303><E-405>』

『モニターポケモンを確認しました』

『バッテリーモード、省電力モードより生命維持モードへ切り替えます』

『ポケセーバー、救急モードアクティブ』

『出血状態につき、セルフリカバリーチューニングモードで止血中です。トレーナーは速やかにポケモンセンターへ向かってください』

『自動排出機構、一時ロック』

 

 ボールのディスプレイにアナウンスが表示され、カチッというロック音がした。ボールにさえ戻ってくれれば、とりあえずは大丈夫だ。あとはポケモンセンターに行けば回復できる。ちなみに割れた甲羅もしばらく時間を置けば脱皮を繰り返して、ちゃんと元に戻りますのでご心配なく。

 しかし、あの土壇場でまさかハイドロカノンなんて大技が見れるとは思わなかった。最強の威力を誇るものの、隙と技の反動があまりに大きく、実用性は極めて低い。カロッサはずっとこの技を撃ち込むタイミングを図っていたのだろう。遠くから撃ったのでは当たらず、不用意に近付けばその隙を突かれて発射できない。だからこそ耐えに耐え、あっちから近づいてくるのを待ち続けていたのだ。

 とは言え、自分の身体を犠牲にしてまでゼロ距離の勝負を挑むなんて、勝負師なのか策士なのか。まったく、困ったやつだ。こういう無茶は見てるこっちの心臓に悪い。今度、厳しく叱ってやらないとな。それと同じくらい、褒めてもあげるつもりだ。

 

『しっ……試合、終了――――――ッ!? これは前代未聞の展開ッ! ワタクシ、俄には信じられませんッ! 伊藤くんのカメックスが、まさかの全戦全勝だァ――――ッ! 当ホールが誇る精鋭チームを次々と下し、勝利を手にしたのは伊藤くん、そしてトレーナーベットのプレイヤー達だぞッ! おめでとう、伊藤くん! おめでとう、トレーナーベッター! それでは伊藤くん、こちらのステージに戻ってきてくれッ!』

 

 司会の終了を告げるわざとらしい宣言が響くとテレポーターが作動し、光り始めた。多分、エキシビションマッチとやらはこれで終了なんだろう。

 私は再び訪れた頭痛感を伴う酩酊に身を預け、またカジノのホールへと転移した。




【モンスターボール】

正式名称は「九〇式特性生物捕獲器丙型」だが、81年の再発売の時に公募によって付けられた
「モンスターボール」という名称が製品名として採用され、以降はこちらの方が一般化している。
または、単に「ボール」とも言われる。
ただし社内、特に開発部の間では昔からの習わしで、ロールアウト時に設定される号数と型式による呼ぶ方が定着している。
(モンスターボールは現在四号機であるため「丙型四号」と呼ばれている)

ポケモンの捕獲器としては安全性・堅牢性・捕獲性能のどれを取ってもトップクラスの製品であり、シルフカンパニーの高い技術力を証明する最たるものであると同時に、他社類似品の追随を許さない。様々な種類のボールがある中で、全てのポケモンに対し比較的高い捕獲性能を有する。
このボールの前身であるシルフボールの初期型が発売された40年前から現在に至るまで、ボール製品に関してはトップシェアの座を譲ったことはない。

またこのボールは政府(正確には特生省)の認可が降りた「政府公認捕獲器」とされるものであり、販売や購入における助成金が国家予算として編成されているため、トレーナーや販売業者は非常に安価な値段で購入・仕入れが可能となっている。
(ちなみに助成金がなくシルフ側の希望小売価格で購入する場合、一個15000円(税別)である)



○諸元

型式番号 SCCS-90-A4(SilphCompanyCatcherSystem90年式A型4号)

直径 約80mm

重量 約221g

材質 ニアポケメタル778-γ、ステンレス

価格 200円(政府定価)

連続使用時間 250時間(省電力モード時)

法定検査時期 6~7月、11~12月の年2回

推奨交換期間 2年周期

最大耐用年数 5年



○搭載機能一覧

ボールマネージャー Ver6.57

新式捕獲波発生装置三号丙型

TIDAKS Ver4.03(トレーナーID管理・打刻システム)

逆戻レーザー(特性生物電子変換光線銃)

ポケセーバー二号(非常救急救命機能付き生命維持装置)

ミラージュヴィジョン(筐体情報表示ディスプレイ)

自動排出機構

捕獲制御機構

TBLS Ver1.00(トレーナーボックスリンクシステム)



○表示情報一覧

100系(軽度、または重要度の低い筐体情報)

E-101 バッテリー残量減少(60%未満)
E-102 ハッチロック中
E-103 法定検査期間の超過(1ヶ月以内)
E-104 TIDAKS弾切れ
E-105 ポケセーバー作動中(セーフモード)

200系(軽度、または重要度の低いモニターポケモン情報)

E-201 空腹状態
E-202 不満状態
E-203 睡眠状態
E-204 軽微な状態異常
E-205 上記以外の体調不良

300系(重要度の高い筐体情報)

E-301 バッテリー残量低下(30%未満)
E-302 法定検査期間の超過(2ヶ月以上)
E-303 ポケセーバー作動中(救急モード)
E-304 内圧異常(緊急排出)

400系(重要度の高いモニターポケモン情報)

E-401 瀕死状態
E-402 毒傷状態
E-403 火傷状態
E-404 凍傷状態
E-405 出血状態
E-406 骨折状態
E-407 モニタリング不能

500系(緊急の対処または修理を要する情報)

E-501 ハットスイッチ異常
E-502 筐体損傷
E-503 ポケセーバー動作不良
E-504 逆戻レーザー動作不良
E-505 自動排出機構動作不良の為、使用不可
E-506 捕獲制御機構動作不良の為、使用不可
E-507 TBLSリンク切れ

600系(原因不明、要修理)

E-600 使用不能


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13-10

 会場に戻ると割れんばかりの拍手が巻き起こっていて、まるで英雄の帰還を称えるかのような大仰な出迎えだった。

 何やら興奮しているらしい司会があれこれと騒ぐ中、仮面の男が周りの雰囲気から切り取られたかのような静寂を纏い、ゆっくりと壇上に上がってくる。小包を抱えているところを見ると、どうやらあれが賞品らしい。

 中身なんて気にする余裕もなく、私はひたすら顔を見られまいと俯き、帽子の庇に隠れるように目を伏せた。

 

「それでは勝者、伊藤海司君にホールマスターから賞品の贈呈です!」

 

 男の表情は動かない。無表情のままに、緩やかな動きで小包を差し出してくる。

 

「おめでとう、君は本当に面白い役者だった。年甲斐もなく、久々に興奮してしまったよ」

 

 なんだろう。何故こいつは、こんなにも私を見ている? いや、状況的にはおかしくない。私はこのイベントに勝ち、主催者である彼はただその景品を渡すと言うだけのこと。だと言うのに、その視線はどうしても、私を――私の奥底を見透かしているかのような、それを観てほくそ笑んでいるかのような。

 震える手つきで受け取ろうと腕を伸ばした刹那、男はぐいと顔を近づけ、耳元で囁いた。

 

「その高貴な戦い振り、このまま埋もれていくのは実に惜しい。なぁ――レッド君」

 

 こいつ――なんで私の名前を!?

 私は戦慄し、ほとんど反射的に一歩身動いだ。その驚きをまるで予見していたとでも言うように、仮面の男は静かに笑う。しまった、これじゃ全部バラしてるのと同じじゃないか。慌てて目を逸らし、下手とは知りつつ無理矢理に誤魔化す。

 

「……レッドって、誰のことですか? 僕は伊藤海司です。人違いだと思いますよ」

「おや、舞台を降りたら随分な三文芝居じゃないか。まさか、気付かれていないつもりだったかね? まぁ、それも間違いではない。私以外は確かに、上手く騙せているとも。ああ、しかし協会には顔馴染みがいてね。君の事は調べてもらったらすぐにわかったよ。何もかも、ね」

 

 背骨が一瞬にして凍りついた鉄棒のように硬くなり、冷え切る。

 てっきり上手く切り抜き遂せたものだとばかり思っていた。今になってみれば、なんて子供じみた考えだったんだろう。そんなわけじゃないじゃないか。仮にも相手はこの国で最大規模のマフィアだと言うのに。協会にだって、警察にだって、もっと他の組織にだって黒い繋がりがあっても、おかしな話ではない。

 相棒に連絡した時点で、安心し過ぎていた。ロケット団による黒い圧力の存在まで気が回らなかった。いくらジャンボが駆け回ったとして、もしそこで警察が動かなければそれっきりだ。誰一人、助けなんて来やしない。

 もう喝采や賞賛の声なんて聞こえない。ただ目の前の男が何故私を泳がせているのか、その計り知れない真意ばかりが私の脳髄を突き刺してくる。

 

「残念だ。我々は君如きを知るのに足る理由があると言うのに、立場というものが邪魔をするよ」

「……仰っている意味がよくわかりません」

「今回のゲーム()楽しんで頂けたろう? これも我々の貴重な遊びだったのだが、仕方あるまい。また次の遊びを作るとしよう」

 

 どうする? ――逃げるか。

 どうやって? ――この衆人環視の中から全く構造を知らない建物の、しかも地下から?

 倒せるか? ――武装した黒服は場内にいるだけで二十人はいる。素手で勝てる見込みなんてない。

 どうにも――ならない。

 

 一人、押し寄せる絶望感に苛まれる中、仮面の男はつまらなさそうに言い捨てる。

 

「今一つ、残念なのは……私には時間が残されていないことか」

 

 それが言い終わるのとほとんど同時に、どこからともなく警官隊が雪崩れ込んできた。場内は一瞬で騒然となり、怒号と悲鳴が飛び交う戦場と化す。

 目眩く逮捕劇の中、男は背を向け、仮面を脱ぎ捨てた。そして肩越しにほんの少しだけ私を眇め見ながら、狡猾な笑みを浮かべた。

 

「では、私はそろそろ失礼するとしよう。次は君を知る――いや、相対する機会が得られることを願うよ。さようなら、勇ましいお嬢さん(・・・・)

 

 そして右腕の端末を操作すると、男は消えた。おそらく、あれもテレポーターだったのだろう。

 目の前に対峙する者がいなくなっても、鼓動は早鐘を打ったまま、私はホールのど真ん中で立ち尽くしていた。エキシビジョンマッチを見るための特等席は今や、この壮絶な逮捕劇を望む最前席だ。そこで人々が争う様を、まんじりともせず見る。

 それぞれてんでに抵抗する群像が他人事のように、その中ではあの剽軽な司会や、天然で優しそうだったお姉さんも取り捕まっているのが映っていてさえ、思考は停止していた。決して、他人の他所事などではない。ここにいる私とて同じ賭博の嫌疑がかかる立派な容疑者の一人だ。逃げるなり弁明するなりしなければならない。それでも、私はたった一歩さえ、動くことができなかった。

 言い様のない焦燥と衝撃に頭を占拠されて判断力を失っていたその時、後ろから聞き慣れた声が届いた。

 

「ピカピー!」

 

 見慣れた黄色い姿が荒れ狂う人並みの間を稲妻のように駆け抜け、真っ直ぐに胸の中に飛び込んできた。

 その衝撃で私は床に尻餅をついたが、同時に感じる温もりで一気に緊張の糸が解ける。心配と怒りで悲痛な唸り声を上げる相棒の視線に心痛を感じつつも、掌からしんしんと伝わってくる柔らかな感触で、私はようやく現実感を取り戻した。

 ジャンボの後を追ってきたらしい増田ジュンサーも手を差し伸べ、力強く私を引っ張りあげてくれた。

 

「怪我はないか!?」

「だ……大丈夫です、ありがとうございます」

「まったく、君は無理無茶にも限度があるぞ! どうだ、走れるか!?」

「はい、なんとか……」

「よし、すぐに出るぞ! 君は僕が個人的に内偵調査を頼んだ民間の協力者だ! この事件については何も知らないし、施設の内容だって知らない、いいね!?」

 

 見たこともない剣幕でがなり立てる増田ジュンサーに手を引かれ、頷くか頷かないかのうちに人並みを掻き分けて走った。その後ろから相棒が周囲を警戒しつつ、素早くついてくる。

 そこからはあっという間の出来事だった。

 無心に走った私は導かれるままにエレベーターで地上へ上り、混乱でどよめく客達を押し退けるようにして店内を駆け抜け、外へ出た。時間としてはきっと一時間も経っていないはずなのに、まるで何十年ぶりに地下から這い出したディグダのような気分だ。

 そのまま増田ジュンサーの部下らしい人に引き渡され、パトカーの後部座席でようやく人心地を取り戻した。そこで初めて汗で全身がぐっしょりと濡れていることに気付き、思った以上に緊張していたのだと知った。

 閉め切られた車内は程よく周囲の音を遮り、先程までの大騒ぎがもう遠く感じられる。座席で隣り合って座る相棒がこちらを覗き込み、心配そうな視線を投げかける。

 

「大丈夫だよ、大丈夫……」

 

 口ではそう言い繕いつつ、頭の中ではまだあの男の仮面姿と、低く響く声で囁かれた言葉がぐるぐる回っていた。

 

 ――相対する機会が得られることを願うよ。

 

 いつか、いや、きっとそんなに遠くない未来に、あの男は私と戦うことを予言した。いつでも殺せる状況において、全てを知り尽くした相手を眺め、それでいてなお正面からの対戦を望む。それは、トレーナーが持つ正々堂々だとか、バトルの挟持だとか、そういう清々しい誠心さから産まれてくるものじゃない。

 仮面の奥底に見えた暗い光。底なしの沼が望んでいたのは、真正面から完全に、完璧に己の力を見せつけ、陵辱した上で、叩き伏せること。前後も礼儀も知らない無作為な暴力とは訳が違うし、柔で制せる愚かな剛でもない。ただ目の前の敵を一直線に殺す銃弾と同じ性質のもの。あるいは暗殺者で言えば、相手の首元で振るう直前の刃と同じか。

 殺意――。

 彼が何故、そこまでの感情を私に向けたのかはわからない。けれどあれが絶対的な不可避なのは確かで、何かの間違いであることも、冗談であることでもない。

 いつか、きっとそんなに遠くない未来。あの男と斬り結ぶ視線があるのだとしたら。

 その時、私は果たして、生きているのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。