ゼロの『運び屋』-最強最悪の使い魔- (世紀末ドクター)
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第一話『召喚』

 その日、ルイズは決死の覚悟で事に向かっていた。

 場面はメイジにとって生涯のパートナーとなるべき使い魔を呼び出す神聖なる儀式『サモン・サーヴァント』の最中。

 使い魔はメイジにとって、「メイジの実力を知るなら使い魔を見よ」と言われるほどに重要なものだ。

 しかし―――

 

 

(何で失敗ばかりなのよ―――ッ!?)

 

 

 先程から一向に成功する気配が無い。

 使い魔の姿など影も形も見えず、巻き起こるのは爆発ばかりという有様だ。

 

 

「おーい、ルイズ。これで一体何回目だ?」

「おい、『ゼロ』! ちゃんとサモン・サーヴァント出来るのか?」

 

 

 既に召喚を成功させ、自身の使い魔を横に控えさせた同級生らが、小バカにした様子で嘲笑う。

 サモン・サーベント。コモンマジックと呼ばれる初歩の魔法であり、二年進級への絶対条件。失敗すれば落第決定という重要な試験だ。

 ほとんどの生徒がただの一度で儀式を成功させているというのに、ルイズだけは既に何度も召喚に失敗していた。

 昼間だった時間もすでに夕刻に移り、空には月の姿が見えつつある。

 

 

「いいから黙って見てなさい……ッ! あんたたちの使い魔を全部合わせても及ばないくらい、神聖で美しく、そして強力な使い魔を召喚してみせるわ……!!」

 

 

 まるで売り言葉に買い言葉。

 野次を飛ばした生徒達の方をキッと睨みつけ、ルイズは言い放った。

 ルイズの家、ラ・ヴァリエール家はトリステインでも有数の大貴族として、幾人もの優秀なメイジを輩出してきた。

 ルイズ自身もその家名に恥じないような貴族になるべく努力を続けて来たつもりであるし、事実、実技はともかく座学の成績はトップクラスだ。

 しかし、その由緒ある血筋の三女だというのに、ルイズには実際に魔法を行使する才能というものが全くといっていいほど無かった。

 四大系統魔法はおろかコモンマジックを試してもロクに成功せず、それどころか原因不明の爆発が起こり他者の顰蹙を買ってしまう始末。

 そんな彼女に付けられた二つ名は『ゼロ』、使える魔法が一つも無いことを由来とする、不名誉極まりない名前である。

 同級生に『ゼロ』と笑われる度に、プライドの高い彼女は、はらわたが煮えくり返る思いをしたものだった。

 だからこそルイズは、この『サモン・サーヴァント』でこそは皆を見返してやろうと決心していたのだ。

 

 

(サモン・サーヴァントに成功すれば、私はもう『ゼロ』じゃない……呼ばせない……!)

 

 

 すでにここまでの失態を繰り返した以上、恥の上塗りを避けるためにも立派な使い魔を召喚しなくてはならない。

 しかし、いくらルイズの決意が固かろうと、世の中というのは決してルイズにとって都合良く出来ていない。

 

 

「あー…ミス・ヴァリエール、いい加減今日は諦めましょう。その……なんというか……時間も押していますし…。また明日、あらためて試してみるのもひとつの考えですよ」

 

 

 本当に申し訳なさそうな顔で、引率の教師であるコルベールがルイズに恐る恐るといった感じに話し掛ける。

 それがむしろ自分のことを気遣っての言葉だという事はルイズにも分かった。

 しかし、今、ここでやめてもルイズにとっては惨めさが増すだけだった。

 

 

「コルベール先生、あと一回……あと一回だけお願いしますっ!」

 

 

 今にも泣きそうな顔でルイズは懇願する。

 悲壮な決意が宿ったルイズの瞳。

 

 

「……分かりました。これで最後ですよ」

 

 

 その瞳に押されて、コルベールはルイズに対し許可を出す。

 成功は極めて難しいだろうと思いながらも、少女の頑張りを知っているからこそダメとは言えなかった。

 この時、この場にいた大部分の者がまた失敗するだろうと予想していた。ルイズの魔法の成功率は限りなくゼロに近い。それはこれまでの一年、共に学んできた彼ら自身がよく知っている。

 しかし、これまで失敗ばかりだったからと言って、この次が失敗すると決まったわけではない。

 

 

(…諦めない。絶対に)

 

 

 可能性を信じる事だけはどんな生命にも許されている事だ。

 いや、可能性のままで終わらせる訳にはいかない。次こそは必ず成功させてみせる。

 決意を胸にルイズは再び呪文を詠唱し始めた。

 

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 

 

 誇りとする、己が名を口にする。

 挫けそうな心を必死で押し込めて、ルイズは無理矢理に気持ちを奮い立たせる。

 

 

「宇宙の果てのどこかにいる、私の僕よ! 神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい―――!!」

 

 

 今まで以上に気合を入れ、もはや絶叫に近い詠唱が広場に響き渡り、ルイズは杖を振り下ろす。

 杖が振り下ろされると同時に、これまでにないほどに大きな爆発が発生し、周囲は大量の土煙に包まれる。

 しかし、ルイズが悲壮な決意をして発動させた魔法は、よりにもよって最悪の相手に届いてしまったのだが、ルイズがそのことを知るのはその数十秒後のことだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ルイズが発動させた呪文が届いた場所。

 当然、今の時点でのルイズには知る由も無いが、その場所は現地の者たちからはこう呼ばれていた。

 

 

 ―――裏新宿『無限城』、と。

 

 

 裏新宿に住むものなら、その存在を知らぬ者はいないだろう裏新宿の象徴。

 大小様々のビル群がスクラムを組むように融合したその姿はまさしくコンクリートの迷宮である。

 時系列的には世界そのものを巡っての『悪鬼の戦い(オウガバトル)』が終わった直後。そして、今まさにそのビル群の屋上の一角から下界の街並みを見下ろしている男が居た。

 黒の衣服に身を包んだ男性。その人物の名前は、赤屍蔵人。最強最悪の『運び屋』と言われ、一部には『Dr.ジャッカル』という二つ名でも知られる超一級の危険人物である。

 ついさっきまでは間久部博士と蝉丸の二人も同じ場所に居たが、既に二人とは別れた後だ。しかし、何か思うことがあるのか、赤屍は無限城の屋上に一人残って下界の街並みをじっと見つめたままでいる。

 彼が見下ろす下界の街並みは、これまでの『悪鬼の戦い(オウガバトル)』がまるで全て夢だったのかと思えるくらいにいつも通りだった。

 

 

 ――どちらが『虚ろ』で、どちらが『真実』か――

 

 

 先程の蝉丸の問い掛けに赤屍は答えなかった。

 バビロンからの支配から解放された今となっては、その問いの答えに意味は無くなったからだ。

 それに、この世界がどのようなものであろうと、自分の在り方は決して変わらない。そうであるなら尚更に意味の無い問いだと赤屍は思い直した。

 

 

「……感傷ですね。私らしくも無い」

 

 

 赤屍はそう自嘲すると、もうここに用は無いとその場を立ち去ろうとした。

 そうして、彼が踵を返したまさにその時だった。

 

 

「おやおや、これは……」

 

 

 突然、赤屍の目の前に銀色の鏡のようなものが出現したのだ。

 縦2メートル、横幅は1メートルぐらいのぴかぴか光る楕円形の物体。

 言うまでも無く、ルイズの『サモン・サーヴァント』によって作り出された召喚ゲートである。

 無論、赤屍にとっては初めて目にするモノではあったが、それが何らかの召喚ゲートであることは、一目見ただけで赤屍には分かった。

 そして、そのゲートが繋がる先がこの世界とは違う別の異世界だということ。さらに、このゲートを開いた何者かがゲートの向こう側に居るであろうことも赤屍は見抜いていた。

 そうして、赤屍がしばらく自分の前に現れた召喚ゲートを観察していると、やがてブラックホールのような強力な引力が発生した。

 どうやらこの鏡のようなものは、何が何でも自分を『向こう側』へ引きずり込みたいらしい。

 

 

「ククッ、面白い」

 

 

 恐らく赤屍がその気になれば、この程度の引力を振り払うことなど造作も無かっただろう。しかし、赤屍は敢えてそうしなかった。

 むしろ興味が引かれた。何の目的があるのかまでは分からないが、そこまでして自分を呼び出そうとする『何者か』に。

 

 

「さて…鬼が出るか蛇が出るか」

 

 

 そう呟いて赤屍が鏡を潜ったとほぼ同時に鏡は跡形もなくその場から掻き消える。

 そして、鏡が消えた時には赤屍の姿はこの無限城世界のどこからも消え去っていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

(お願い……ッ!)

 

 

 土煙が晴れていくのをルイズは祈るような気持ちで見つめる。

 そして、周囲の土煙が薄くなっていき、ようやくルイズはその中に動くものを認めた。

 

 

(成功!? どうせならタバサみたいなドラゴンとか! 空を飛べる使い魔だったらいいんだけど!)

 

 

 期待で高鳴る鼓動。

 やがて煙が完全に晴れ、ルイズが呼び出した使い魔の姿が顕わになる。

 しかし―――

 

 

「……人、間?」

 

 

 ――あれは一体何だ? 本当に人間なのか。

 その姿を目にした途端、ルイズは自分の背中がゾワリと沸き立つのを感じた。

 確かに姿こそは人の形をしている。だが、あれは人の形をしているだけの別の何かのようにルイズは感じた。

 煙の中から現れたのは全身黒ずくめの長身の男。

 歳は三十代前後だろう。端正な顔立ちをしており、髪も男性にしては異様に長い。

 手袋とシャツだけは対照的な白で飾っているが、後はネクタイも、鍔の広い帽子も裾の長いコートも全て真っ黒だ。

 そして、何より、全ての生物が持つ根源的な恐怖を形にしたような、いかにも危険な禍々しい雰囲気が全身から滲み出している。

 通常ならここで級友たちが「ゼロのルイズが平民を召喚したぞ!」とか「流石はゼロのルイズだ!」といった嘲笑の混じった野次を飛ばしているところであろう。

 だが、ルイズの呼び出した人物の危険さを無意識のうちに理解していたためか、そのような言葉は一言も出なかった。

 

 

(一体何よ、コイツ!?)

 

 

 至近距離でチーターに遭遇したカモシカは絶望的状況に全身がすくんで身動きがとれなくなるという。

 絶対に逃れられぬという絶望からパニックに陥るためといわれるが、そこに居合わせた生徒たちの状態はまさにそれであった。

 男から発せられる圧倒的な死の気配。知識よりも先に60兆の細胞が反応し、その場に居た全員が彼の発する禍々しい雰囲気に戦慄し、無意識のうちに脅えていたのだ。

 もしも、ここで野次を飛ばすような人間がいたなら、そいつにはKYを通り越してSKY(スーパー空気読めない)の称号を与えるべきである。

 

 

「あ、あなた、何者なの!?」

 

 

 60兆の細胞から発せられる生命危機を訴えるサインを意思の力でねじ伏せ、脅えを虚勢で隠しながら、ルイズは自分が呼び出した何者かに訊ねた。

 

 

「クス、はじめまして。私は赤屍蔵人という『運び屋』です」

 

 

 ハルケギニア史上において間違いなく最強―――そして、最凶の『使い魔』が召喚された瞬間であった。

 



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第二話『Dr.ジャッカル』


 ―――後にルイズは、自身が召喚した人物について次のように語っている。


「ええ、もうホント第一印象からして最悪だったわ…。だって、私なんて出会って早々いきなり殺されかけたのよ? まあ、使い魔として見れば、出鱈目に強力だったのは事実なんだけど…。正直、アレを呼び出すくらいなら、普通の平民を呼び出してた方がマシだったかもしれないわね…」


 生きてるって素晴らしい。
 アイツと一緒にいると生きた心地がしなかった。
 その人物のことがよっぽどのトラウマと化しているのか、その人物について語る時の彼女は異様に遠い目をしていたという。
 サモン・サーヴァントの儀式。いずれにせよ、その日を境に彼女の運命が大きく変わったことだけは間違いない。




 

 

「クス、はじめまして。私は赤屍蔵人という『運び屋』です」

 

 

 黒ずくめの男はそう名乗った。

 無限城世界においては、『Dr.ジャッカル』の二つ名でも知られる超一級の危険人物。

 当然、この場に赤屍のことを知っている人間など居ない。しかし、ルイズは無意識の内に理解していた。

 

 

 ―――アレはやばい、と。

 

 

 本来なら、すぐにでもこの場から逃げるべきだ。

 本能ではそれが分かっているのに、どうしても目が離せない。

 肉体が己の考えに従ってくれない。そのもどかしさを、彼女は漫然と感じていた。

 胸に抱いた恐れを押し殺しながら、ルイズは訊き返した。

 

 

「は、運び屋ですって…?」

 

「ええ。その名の通り、クライアントから依頼されたモノを運ぶのが私の仕事です」

 

 

 言いながら、赤屍と名乗ったはその手に一本のメスを取り出した。

 そして、彼は口元に小さな笑みを浮かべたまま、ルイズに歩み寄る。

 

 

「さて、一つお尋ねしたいのですが…」

 

 

 突如、男の姿が視界から掻き消える。

 

 

「えっ……」

 

 

 次の瞬間、赤屍は10メートル近くあった間合いを一瞬で詰め、彼はルイズの胸にメスを突き刺していた。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。いや、目の前で起こったそれが余りにも現実離れしていたために、それを現実だと認識するのに時間が掛かった。

 それは周りの人間にとっても同じであり、数秒ほど遅れてようやく周囲が悲鳴に包まれる。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「ヴァリエールが刺されたぁぁぁぁあ!?」

「じ、冗談だろ!?」

 

 

 余りの事態にパニックに陥る生徒達。

 生徒が呼び出した使い魔に刺されるという、学院始まって以来の緊急事態。

 

 

「ミス・ヴァリエール!!!!」

 

 

 引率の教師であるコルベールは思わず黒い男に向かって飛び出そうとした。

 しかし、次の赤屍の言葉で、彼はその行動を止めることになる。

 

 

「FREEZE! そこから一歩でも動けばこの少女の命はありませんよ? 今、このメスの切っ先は彼女の心臓大動脈からコンマ五ミリほどの位置にあります。今は出血はおろか痛みさえありませんが、貴方が一歩でも動けば大動脈が切り裂かれ彼女は即死することになります」

 

 

 ルイズは自分の胸にメスが刺さっていることを確認して、必死で逃げようと身をよじろうとした。

 しかし、ルイズもまた次の赤屍の言葉でその行動を止めざるを得なかった。

 

 

「おっと、貴女も動かない方がいい。私にその気がなくてもメスが大動脈をえぐってしまいます」

 

「そ、そんな、ううう、・・・、ひっく」

 

 

 ついに臨界点を突破し泣き出すルイズ。

 それを見て赤屍は少し困ったように苦笑いを浮かべる。

 

 

「おやおや、私としたことが子供相手にやりすぎましたね。クス、安心してください…。私の質問に答えてくれさえすれば、命まで取るつもりはありませんから」

 

 

 にっこりと極上の笑顔を浮かべる赤屍。

 しかし、どう見てもそれは、悪魔の微笑みである。

 このとき、その場に居た者達は赤屍蔵人という男から発せられる圧倒的な死の気配に怯えて呆然と突っ立っている者が殆どだった。

 そんな中、トリステイン魔法学院の教師である『炎蛇』のコルベールは、荒くなった呼吸を整えると、自分の生徒を守るべく黒ずくめの男に鋭い視線を向けた。コルベールの本能は今も最大音量で警鐘を鳴らし続けているが、彼はそれを無理やり捻じ伏せ毅然とした様子で叫んだ。

 

 

「君の質問とやらには私が答える!だから、彼女を解放したまえ!!さもなければこの『炎蛇』のコルベールが相手になる!」

 

 

 だが、やはり赤屍との間に到底埋めがたい戦力差があることは自覚しているらしく、手は震え、首には冷や汗が流れている。

 コルベールは赤屍がその気になれば学院の者全員が殺されると確信していた。

 彼は無謀と知りつつも、この場にいる人間を身を挺して守るつもりだった。

 

 

「おや、そうですか?それならこの少女はお返ししましょう」

 

 

 ルイズが泣き出してしまって質問に答えられそうになかったこともあって、赤屍は意外にもあっさりとルイズを解放した。

 解放された途端、地面に崩れ落ちそうになるルイズ。ルイズが解放された瞬間、コルベールは高速で『フライ』のスペルを唱えていた。

 コルベールは凄まじい速さでルイズに迫り、彼女が地面に倒れる寸前で抱きかかえる。そして、慣性の法則を無視するかの勢いで元の場所へと引き戻った。

 

 

「無事かね!? ミス・ヴァリエール!!」

 

 

 ルイズの肩を抱きながら軽く揺するコルベール。

 

 

「…あ、…はい、……何とか、…、生きてます……」

 

 

 過度の緊張から突然に解放された所為だろう。

 軽い虚脱状態にあるにせよ、とりあえずは無事なようだ。ルイズの無事を確認したコルベールは、ルイズを庇うように抱きかかえたまま改めて赤屍に向き直った。コルベールは杖を構え警戒を維持したまま、赤屍を見据えた。

 敵意を向けられた赤屍は、改めてコルベールを一瞥し、口元を笑みで歪めてみせる。

 

 

「クス、そんな身構えず楽にしてください。別にあなた方に危害を加えるつもりはありません。少なくとも今はまだ…ね」

 

 

 赤屍は、自分の帽子に手を当て、帽子のツバを少しだけ持ち上げるようにして挨拶する。

 その立ち振る舞い自体は、紳士的と言っても差し支えは無いだろう。しかし、如何せんその身体から滲み出る禍々し過ぎる雰囲気の所為で、腹の中に黒いものを抱えているとしか見えないのだった。

 

 

「それはそうと、何の目的で私をここに呼び出したのかを教えてくれませんか」

 

「……我々の使い魔召喚の儀のためです。我々メイジの眼となり耳となり、手となり足となる。それが使い魔です。それを呼び出すために、この儀を我々は執り行いました」

 

「なるほど。……それはつまり、あなた方の意のままに私を使い尽くすつもりだったということですか?」

 

 

 眼を細め、コルベールに問い返す赤屍。

 びくりと身を震わせ、コルベールは慌てた口調で取り繕う。

 

 

「いやいや、そんなつもりはありませんぞ!確かに使い魔は主人の僕となり、尽くすものなのですが、しかし使い魔とはメイジのパートナーでもあるのです。そ、それに言いにくいのですが、この儀で人が呼び出されるというケース自体私は見たことも聞いたこともありません。正直、どうすればいいのかは我々も迷っていまして……」

 

 

 最後の方は言いよどみ、コルベールの口の中で消えていった。

 最悪の場合、生徒含めて全員が皆殺しにされるかもしれない。そんな最悪の予感が、コルベールの脳裏に浮かぶ。

 しかし、一方、コルベールの言葉を聞いた赤屍は内心で拍子抜けしていたくらいだった。

 

 

(やれやれ…、一体どんな理由で自分は召喚されたのかと思って来てみれば、よりにもよって『使い魔』とはね)

 

 

 全く話にならないと切って捨てる事も考えなくはなかったが、よくよく考えてみれば自分がここに呼び出されたのは、半分くらいは自分の興味本位の行動から来る自業自得である。

 それを考えると、向こうの要求を一方的に突っぱねるというのもフェアではないかもしれない。

 そう考えた赤屍は自分を呼び出したであろう桃色髪の少女に視線を向ける。

 次元の壁を越えてまで赤屍蔵人を召喚するという、ある意味、途方も無い偉業を成し遂げた少女。

 パッと見た限りでは、この少女にそれが出来るだけの力量を持っているようにはとても見えなかった。

 

 

(しかし、この私を呼び出せたという事実には変わりない)

 

 

 その事実だけで、この少女が持つ可能性を期待するには十分だった。

 もしかしたら赤屍にすら知りえない『力』と『素質』を眠らせているのかもしれない。

 もし本当にそれだけの可能性を秘めているとしたなら―――

 

 

(あの二人のように、この子も私を楽しませてくれますかね?)

 

 

 ふと自身のお気に入りの好敵手のことを思い出して、赤屍はクスリと薄い笑みを浮かべた。

 あの二人と同等のレベルを求めるのは流石に酷かもしれないが、退屈しのぎにはちょうどいい。

 赤屍は未だガチガチに緊張したコルベールに声を掛けた。

 

 

「クス、そんなに緊張しないで下さい。物事には順序がある。まずはお互いの事情や情報を整理しましょう。これからのことを決めるのは、その後でも遅くない」

 

 

 まずは落ち着いて話し合いをしようと提案する赤屍。

 しかし、赤屍の発言にもコルベールは緊迫した表情を崩さない。

 コルベールは数人の生徒にルイズを医務室へ連れて行かせると、他の生徒達は自室へと戻るように指示を出す。

 そして、コルベールは指示を出した後、赤屍に自分の後をついて来るように促した。

 

 

「…ついて来て下さい」

 

「どちらへ?」

 

「この学院の最高責任者の所です」

 

 

 学院の最高責任者であるオールド・オスマンのもとへ案内される赤屍。

 そうして、赤屍とコルベールの二人が広場から立ち去った途端、広場に残っていた生徒達が一斉にざわつき始めた。

 

 

「何だったんだ、ありゃあ!?」

「ってか、ヴァリエールの奴。ちゃんと生きてるよな?」

「つ、疲れた…」

 

 

 先程までの異常な圧迫感と緊張感から解放された反動だろう。

 生徒達は口々にルイズが呼び出した赤屍蔵人という男について興奮気味に話している。

 そんな生徒達と少し離れた場所で、青髪の少女と赤髪の少女の二人も同じ話題を口にしていた。

 

 

「ヴァリエールったら最後の最後にとんでもないのを召喚しちゃったみたいねぇ…。ねえ、タバサはどう思う?」

 

「分からない。けど、相当な実力者であることは間違いない」

 

「『メイジ殺し』ってこと?」

 

「おそらく」

 

 

 キュルケの問いに答えながら、タバサは先程の男の動きを思い出していた。

 ルイズの胸にメスを突き刺すまでの赤屍の一連の動き。あの動きは、離れて見ていたタバサ達にすら全く捉えられなかった。見えたときには既にルイズが刺されていた、というのが本当の所だ。

 まるで瞬間移動としか思えないような圧倒的な速さ。あれと戦うとした場合、最悪、死んだことにすら気付けないままで殺される可能性すらある。

 実際、あの男がその気だったなら、ルイズは死んだことに気付けないままで殺されていただろう。

 

 

「それにしてもヴァリエールは大丈夫かしら? 思いっきり胸にメス突き刺されてたけど…」

 

「命そのものに別状はないと思う。出血も殆どないし、傷もとても小さかった」

 

「いや、そうじゃなくて、トラウマになっちゃうんじゃないかしら、あの子…」

 

 

 医務室へ運ばれていったルイズの精神面を案じるキュルケ。

 いくら命に別状がなかろうと、心臓のすぐ脇にメスを突き刺されて殺されかけたことには変わりない。普通に考えたらトラウマ確定の恐怖体験だろう。

 そして、キュルケの懸念通り、この日の出来事はルイズの心にトラウマとして深く刻まれることになるのだが、それはまた別の話である。

 




 ゴメンよ、ルイズさん!!(土下座)
 とりあえず彼女には、最初に赤屍さんと出会った時の銀次と同じ目にあってもらいました。しかし、心臓のすぐ脇にメスをぶっ刺されるとか想像しただけで怖すぎる。
 しかも赤屍はそれを笑顔でやってくれるわけだから、原作でも赤屍が銀次のトラウマになるのも無理ないな。


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第三話『交渉』

 生徒が人間を『使い魔』として召喚してしまい、さらにその生徒が召喚された『使い魔』に刺されるという学院始まって以来の大事件。

 ルイズが精神的な疲労のため医務室のベッドで眠っているちょうどその頃、学園長室では、赤屍、オスマン、コルベールの三人がこれからの事について話し合いを進めていた。

 赤屍が学院長室に案内されてからおよそ1時間。その頃になると赤屍は、ハルケギニアの事情・情報について大体のことは把握することが出来ていた。

 

 

「…なるほど。中々に興味深い」

 

 

 オスマン達に説明された内容を頭の中で整理する赤屍。

 この国では魔法という技術を使う人間が『貴族』と呼ばれること。

 ここトリステイン魔法学院は貴族の子弟たちが魔法を学ぶための場所であるということ。

 そして、そんな彼らに最も適した魔法を調べるために行われる儀式がある。それが『サモン・サーヴァント』である。この儀式によって、学生たちは己のパートナーとなる『使い魔』を呼び出し、契約する。ここで召喚されるのは、一般的に犬や猫、鳥などといった動物が多いが、特に素質のある者が儀式を行った場合、グリフォンやドラゴン、サラマンダーなどといった高位の幻獣が現れることもあるという。

 

 

「…おそらく君が召喚されたのは、何らかの事故によるものじゃろう。何しろ人間が召喚されるなどこの学院の歴史上でも初めてのことでの」

 

 

 オスマンは『偶然の事故』だと言うが、当の赤屍はそう思っていなかった。

 何故ならこの世には本当の意味での偶然などありえないからだ。どんな摩訶不思議に見える現象であろうと、その背後には必ず何らかの必然性が働いている。

 そのことを知っている赤屍は、確認の為にオスマンに訊ねた。

 

 

「オスマン殿。確認しますが、サモン・サーヴァントという魔法はハルケギニアのどこかにいる生物の前に『入口』を作り、自分の前へと呼び出す『出口』を開く魔法……この認識で間違っていませんか?」

 

「うむ。開かれる場所や、選ばれる対象がどうやって決まるのかについては不明じゃが、己に最も相応しい使い魔との間に一方通行の『門』を創り出すと言われておる」

 

「その『門』はハルケギニア以外の世界にも繋がるのですか? 例えば、月が一つしかない『異世界』にも」

 

「? いや、そんな話は聞いたことがない。あくまでハルケギニアの中でしか『門』は繋がらないはずじゃ」

 

 

 オスマンの答えに赤屍はやはり、と確信を強める。

 召喚される『使い魔』のレベルは術者の素質に左右される。

 それならば赤屍蔵人という最強クラスの化け物をわざわざ異世界から召喚してのけたルイズの素質とは―――

 

 

「クス、なるほど…。さしずめ、彼女はまだ磨かれてない巨大な『原石』といった所ですか」

 

 

 呟くように赤屍は言った。

 そして、呟くように言った赤屍の『原石』という言葉にコルベールが反応する。

 

 

「『原石』とは、ミス・ヴァリエールのことですか?」

 

「ええ。本人に自覚があるかどうかは分かりませんが、彼女が相当の素質を持っていることは間違いありませんよ。何しろ世界の壁を越えてまでこの私を呼び出した訳ですからね」

 

「世界の壁を超えて、ですと…?」

 

 

 オスマンとコルベールの二人にとっては余りにも突拍子もない言葉だったのだろう。二人とも半信半疑といった表情をしている。

 そんな二人の反応にクスリと苦笑すると、赤屍は語りだした。自分が、ここではない別の世界から召喚されてきたことを。そして、そこでは月が1つしかなく、表向きには魔法が存在しないということを。

 

 

「表向きには魔法が存在しない、というのは?」

 

「私の居た世界では、魔法は本当に限られた者にしか伝えられていない技術なんですよ。それこそ一般人にはその存在が知られていないくらいにね。もっとも、魔法のような特殊能力を使う人達は大勢居ますがね」

 

 

 実際、赤屍の知る限りで純粋な『魔術師』あるいは『魔法使い』と呼べるのは、マリーア・ノーチェスくらいだ。

 もっとも赤屍自身も含めて、魔法のような特殊能力を持つ連中は掃いて捨てるほど居るので、はっきり言って「魔法?だから何?」といったレベルの話でしかないのだが。

 

 

「つまり、君らの世界の魔法とはそういった特殊技能の一つという扱いでしかないわけかね?」

 

「ええ。もっともこちらの世界の住人も大部分は何の能力も持たない一般人ですし、何かの能力を持っている人間は大概が裏社会の人間です。ですから、そういった『魔法使い』や『能力者』の存在は一般には知られていないんですよ」

 

 

 自分の世界の社会事情について説明する赤屍。

 その説明にオスマンとコルベールは内心で納得していた。

 赤屍の居た世界では、『魔法使い』や『能力者』の存在は表側には知られていない。つまり、それらの存在を知っている赤屍は裏側の人間だということだ。

 …というか、こんな異常に濃い血の匂いを漂わせているような男が一般人である筈がない。

 

 

「つまり、その存在を知っている君は裏社会の人間、という訳じゃな」

 

「クス…、そうなりますね」

 

 

 オスマンの指摘に愉快そうに赤屍は微笑む。

 赤屍の『運び屋』を初めとして、赤屍の居た無限城世界には『奪還屋』『奪い屋』『護り屋』『始末屋』など数多の裏稼業が存在している。

 そして、そうした裏稼業の人間は一流どころになればどいつもこいつも化け物レベルの強さを持っており、その強さは普通の人間が銃器で武装した程度ではどうにもならないレベルに達する。

 しかし、そんな裏稼業の人間たちの中においてすら忌み嫌われるほどの男、それが赤屍蔵人という『運び屋』なのだ。

 

 

(はっきり言って、『運び屋』なんぞより『殺し屋』の方が向いてるんじゃないかの?)

 

 

 内心でオスマンはそう思ったが、口には出さない。

 しかし、口には出していなくても赤屍にはオスマンが何を考えているか分かったらしい。

 

 

「クス…、どうして『殺し屋』でなく『運び屋』なのか、と考えているでしょう?」

 

 

 赤屍のその言葉にオスマンは心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。

 口はおろか表情にも出した覚えは全くない。それにもかかわらず自分の考えていることを完璧に言い当てられた。

 まるで自分の何もかもを見透かされているような感覚。恐らくそうしたオスマンの内心の動揺すらも完全に見透かされているだろう。

 そして、赤屍はそんなオスマンの様子が可笑しいのか、クスクスと笑っている。

 

 

「だって、つまらないでしょう。紙屑のような雑魚ばかりを殺しても」

 

 

 ただ無機質に、淡々と、何でもないことのように赤屍はそう言った。

 赤屍にとっての仕事の価値とは「仕事の過程が楽しめればそれでいい」という程度のものでしかない。

 彼にとってはモノを運ぶことはオマケであって、仕事の過程で現れる強い『横取り屋』『奪い屋』などと戦うことを目的としている。

 つまり、『殺し屋』の場合はターゲットを一人殺してしまえばそれで終わりだが、『運び屋』の場合は仕事の過程で何人もの強敵と戦える可能性があり「お得」であるという訳だ。

 まるっきり殺人ジャンキーとしか言えないような赤屍の返答に、オスマンとコルベールは更に確信を強める。

 

 

 ―――ヤバイ。この男はヤバイ。

 

 

 最初に出会った時から感じていたことだったが、実際に話してみてその確信はさらに深まっていた。

 この男は人を殺すことを何とも思っていない。それどころか自分から好んで殺しに行く殺人狂だ。この世から抹殺できるなら、抹殺しておいた方がいい種類の人間である。

 しかし、問題はこの男の強さが確実に自分達を遥かに上回っているということである。実際、これまでの会話の最中もオスマンとコルベールは隙あらば赤屍を殺そうと窺っていたくらいなのだが、まるで手が出せる気がしなかった。

 もしも実際に手を出していたら、その次の瞬間には全身をバラバラにされている確信がオスマンとコルベールにはある。

 

 

「さて…、そろそろ本題に入りましょうか。アナタ方は私の処遇について一体どのように考えていますか?」

 

 

 大体の情報を聞き終えた赤屍は、ついに本題となる話題に切り込んだ。

 ついにこの話題が来たかと、オスマンとコルベールは緊張する。オスマンは内心でダラダラに冷や汗をかきながら、しかし、それを一切表に出すことなく赤屍に訊ねた。

 

 

「ふむ。貴族に対する殺人未遂の罪で、大人しく罰を受けてもらう訳にはいかんかの?」

 

 

 それはオスマンにとって一か八かの賭けだった。

 赤屍の機嫌を損ねる可能性がある危険な賭けであり、この発言の瞬間、オスマンは自らの死も覚悟していた。

 しかし、赤屍から可能な限りの譲歩を引き出すためにはこれしかない。

 

 

「君を元の世界から召喚してしまった事は、確かにこちらの落ち度じゃろう。だが、ヴァリエールを殺しかけた事については、間違いなく君の落ち度だと思うのじゃが?」

 

 

 学院側にも落ち度はあるが、赤屍の方にも落ち度がある。

 つまり、「そちら側にも落ち度がある以上は、譲れるところは譲れ」とオスマンは言っているのだ。

 あくまで表面上は毅然とした態度を保っているオスマンだが、内心は冷や汗をダラダラにかきっ放しである。

 実際、傍に控えているコルベールなどは、既に顔面を蒼白にさせているくらいだ。

 

 

「ククク…、いやはや、中々肝が据わっていますよ」

 

 

 そうしたオスマンの態度に、赤屍は感心したように笑った。

 赤屍の絶望的な強さを分かっていながら、媚びへつらうのではなく、交渉を第一に考える。

 はっきり言って、並大抵の度胸で出来ることではない。

 

 

「いいでしょう。アナタのその度胸に免じて、譲れる所はそちら側に譲りましょう」

 

 

 かくして、赤屍はルイズの『使い魔』として学院に滞在することに落ち着いた。

 そして、その際の衣食住は学院側が保障することになったが、その程度のことは仕方ない。そんなことよりも学院側の人間の安全の方がよっぽど重要だ。

 

 

 ―――ルイズの『使い魔』として学院に滞在する間、学院の人間には決して危害を加えない。

 

 

 この条件さえ呑んでくれるなら、他の条件など有って無いようなものだ。

 結果としてオスマンの一か八かの賭けは功を奏し、この一番重要な条件を呑ませることに成功する。これは間違いなくオスマンのファインプレーであろう。

 その後、契約書面を交わし、赤屍が案内役のコルベールと共に部屋から退出した途端、オスマンは全身の力が抜けてしまったかのようにソファーへ沈み込んだ。

 

 

「いやはや、寿命が10年は縮んだわ…」

 

 

 今頃になって、全身から冷や汗が滝のようにドッと吹き出していた。

 そうして、オスマンがソファにぐったりと身を預けていると、ふと学園長室のドアがノックされる。

 

 

「失礼します」

 

 

 現れたのは学院長の秘書であるミス・ロングビルだった。

 本来ならさっきの場に同席させておくべき人物であったが、最初にオスマンが隣りの部屋に退室させていた。

 それは交渉が決裂した場合に少しでも彼女に危険が及ばないようにとのオスマンの配慮であった。

 

 

「随分とお疲れの様ですね、学園長」

 

「全くじゃよ。しかし、本当に大変なのはこれからじゃろうな…」

 

 

 確かに書類契約の上では「学院側の人間に危害を加えるのは禁止」という条件を呑ませることに成功している。

 しかし、あの男がこのまま何のトラブルも起こさず、大人しくしているとはオスマンには思えなかった。

 

 

「……それにしても、先程の件は、いくらなんでも譲りすぎではありませんの?」

 

「本当にそう思うかね? ミス・ロングビル」

 

「ええ。貴族に対する殺人未遂の罪で彼を処刑してしまった方が、問題の解決手段としては手っ取り早いと思いますわ」

 

 

 さらりと物騒なことを言うロングビル。

 確かにオスマン自身もロングビルが言うようなことを全く考えない訳ではなかった。むしろそれは一番最初に考えた解決手段だ。

 実際、赤屍がルイズを殺しかけたのは事実であるし、それを口実に赤屍を処刑してしまえばルイズも使い魔の再召喚をすることが出来るようになる。

 しかし、赤屍と実際に向き合った瞬間に、オスマンはそれが不可能であることを理解していた。だからこそ、神経をすり減らしながらの交渉を臨んだのだ。

 

 

「ミス・ロングビル。君は何人のメイジを用意すれば彼を殺せると思うかね?」

 

「魔法が使えない平民が相手であれば、2~3人のメイジが居れば十分過ぎるくらいでは?」

 

「普通の平民が相手ならそれで十分じゃろう。しかし、ワシにはとてもそうは見えんかったよ」

 

 

 あくまで常識レベルに照らし合わせてのロングビルの発言をオスマンは否定した。

 オスマン自身、ハルケギニアにおいては最強クラスのメイジの一人だが、その彼を以ってしても赤屍の底はまるで推し量れない。

 赤屍から感じるむせ返りそうな程に濃密な死の気配。あの男と自分達の間には想像を絶する程の戦力差が広がっていることは確実。おそらく赤屍を殺すためには、最低でも国家レベルの武力が必要になるだろうと、オスマンは直感していた。

 もしも彼が敵にまわったら、その瞬間にトリステインは終わりかねない。抹殺することも出来なければ、敵に回すことも出来ない。それならば次善の策として、何とか味方に引き入れるしかない。

 むろん彼を味方に引き入れることにメリットが無い訳ではない。しかし、たとえ味方に引き入れたとしても、常に『裏切り』の可能性はついてまわる。裏切られた時のデメリットを考えると、ある意味、獅子身中の虫を飼っているようなものだろう。

 しかし、たとえ獅子身中の虫だと理解していても、現状ではこれしかないのだ。

 

 

(こうなったら、ミス・ヴァリエールに彼を使いこなしてもらうほかあるまい…)

 

 

 彼女にとっては酷な事になるかもしれないと、オスマンは思った。

 あの化け物を『使い魔』として制御できるだけの器量をあんな小さな少女に求めるというのだから。

 始祖ブリミルがルイズに与えた余りにも大きすぎる試練。その試練の大きさを思うとオスマンは、彼女を気の毒に思わずはいられなかった。

 オスマンは学院長室の窓から見える月を仰ぐと、盛大な溜め息を吐いたのだった。

 

 



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第四話『契約』

 目が覚めた時、ルイズは医務室のベッドの上だった。

 どうも記憶がはっきりしない。どうして自分はこんな所で寝ているんだろう。

 ぼんやりと記憶の糸を手繰る。霞が掛かったような頭の中の光景を順に思い出し、そして―――

 

 

「っ!?」

 

 

 ルイズは全てを思い出して跳び起きた。

 自分の『サモン・サーヴァント』の召喚で、黒ずくめの男が現れたこと。

 そして、その男に自分の胸にメスを突き刺されたこと。

 

 

「夢……だったのかしら?」

 

 

 思わず胸に手を当てて自分の心臓の鼓動を確認するルイズ。

 ルイズはシャツのボタンをあけて襟元を広げ自分の胸元を確認したが、刺されたような傷は全く残ってない。

 やっぱりあれは夢だったのかと安堵の溜め息を吐く。しかし、そんな彼女をどん底に突き落とす声が響いた。

 

 

「クス…わざわざ傷が残らないように刺した甲斐がありましたね」

 

 

 声がした方に視線を向けると、見覚えのある黒ずくめの男。

 これが間違いなく現実であることを認識したルイズは、ショックの余り再び気を失ったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ルイズの二度目の失神からおよそ30分後。

 二度目の失神から目を覚ましたルイズの目の前には、やはり見覚えのある黒ずくめの男がコルベールと共に立っていた。

 

 

(やっぱり、夢じゃなかったのね…)

 

 

 これが夢だったならどれほど良かったか。

 ルイズはベッドから這い出ると、赤屍をキッと睨みつける。

 しかし、当の赤屍は薄い笑みを浮かべたまま、そんなルイズの視線をさらりと受け流していた。

 赤屍は帽子のツバを少しだけ持ち上げるようにして挨拶する。

 

 

「クス、改めて自己紹介をしておきましょうか。私の名前は赤屍蔵人。『運び屋』をしています」

 

 

 初めて会った時と変わらない笑顔を浮かべる赤屍。

 その笑顔を見てルイズは、ゲンナリした様子で自分の名前を名乗った。

 

 

「……ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

 

「ふむ。それでは、ルイズさんとお呼びすることしましょう」

 

 

 どうやらこの男は、他人の心臓のすぐ傍にメスをぶっ刺した事に対して謝罪の気持ちは欠片も持っていないらしい。

 それにしても、召喚した『使い魔』にいきなり殺されかけるなどと、はっきり言って飼い犬に手を噛まれるどころの話ではない。

 

 

(…ってか、コイツ、本当に人間なの?)

 

 

 改めてルイズはそう思わずにはいられなかった。

 最初に出会った時に感じた圧迫感と威圧感については、赤屍が意図的に抑えているのか今のところは鳴りを潜めている。

 しかし、まるで自分の常識が通用しない異邦に迷い込んだような得体の知れない雰囲気は今もそのまま感じる。正直、妖魔か亜人が人間に化けていると言われても、そのまま信じてしまいそうなくらいだ。

 目の前の存在が本当に同じ人間なのか分からない。明らかに違う存在だとルイズは思った。

 

 

「さて、ルイズさん。これからアナタの『使い魔』をやっていくことになりました。どうぞよろしく」

 

「え?」

 

 

 ルイズは一瞬、聞き間違いかと思った。

 まだ出会ったばかりだが、実際に赤屍の刃をその身に受けて、殺されかけたルイズには感覚として分かる。

 この男は他の誰かに付き従うような人間ではない。何故なら、この男は『絶対者』だからだ。自分達がどんな小細工を弄しても、この男はいつでも自分達を殺せる位置に立っている。

 そんな男がまさか自分から使い魔になると申し出てくるとは、ルイズは全く予想していなかった。

 

 

「ところで、一応聞いておきますが、意図的に狙って私を召喚した訳ではありませんよね?」

 

「そんなの当たり前よ。別に狙ってやったわけじゃないわ。狙って呼び出せるならドラゴンとかグリフォンとかを呼び出してるわよ。それと私の使い魔になるっていうなら、私の事はご主人様って……えぇと、やっぱり何でも無いです」

 

 

 自分のことをご主人様と呼ばせようとしたが、すぐに撤回するルイズ。

 あの気の強い性格のルイズがこんな低姿勢な態度をとることは珍しいのだが、実際に殺されかけたという事情を鑑みれば無理はないだろう。

 そんな怯えたルイズの様子が可笑しいのか、赤屍はクスクスと愉快そうに笑った。

 

 

「クス、それは残念でしたね。召喚されたのが、よりにもよってこの私で」

 

 

 赤屍の言葉にルイズは「全くだわ…」と内心で呟く。

 この男を使い魔にするくらいなら、どこかの普通の平民を使い魔にした方が遥かにマシな気がする。具体的には、どこぞの17歳の平凡な男子高校生とか。

 心の中で絶望的に落ち込むルイズだったが、いつまでも落ち込んでもいられない。ルイズは何とか気持ちを切り替えると、先程から疑問に思っていたことを訊ねた。

 

 

「ところで、どうして使い魔になってくれる気になったの…? はっきり言って、アンタって、誰かに従うような奴じゃないでしょ?」

 

「いえ、少しアナタに興味が沸きましたので」

 

「私に?」

 

 

 思わずキョトンとするルイズ。

 赤屍も予想していたことだが、やはり彼女自身には全く自覚はないらしい。

 

 

「わざわざ世界の壁を越えてまでこの私を召喚した。アナタに自覚はないようですが、これは並大抵の術者に出来る芸当ではないんですよ」

 

「世界の壁を越えて…? それってどういうこと…?」

 

 

 やはりルイズにとっては耳慣れない言葉だったらしい。ルイズは赤屍の言葉にキョトンとした表情を浮かべている。

 赤屍はそんなルイズの様子にクスリと笑うと、オスマンとコルベールに話した事と同じ内容を説明した。自分が、ここではない別の世界から召喚されてきたこと。

 そして、ルイズがやってのけた事が、どれだけ途方もない偉業なのかを。

 

 

「そもそも次元の壁を越えることだけでも、相当な力量が無ければ出来ないことです。私の世界でも次元や空間の壁を破ることが出来る者は何人か居ましたが、いずれも高レベルの実力者ばかりですよ」

 

 

 ましてやルイズは、最強クラスの化け物として知られる赤屍蔵人を召喚した。

 これほどの偉業を成し遂げた者が、何の素質も持っていない人間である筈が無いのだ。

 

 

「……そんなこと言われても、実感わかないわ」

 

 

 しかし、ルイズ本人にはいまいちピンと来ない様子だ。

 何しろこれまでどんな魔法を試しても原因不明の爆発が起こってしまい、どんな魔法も上手く行ったことがないのだ。

 そんな状況で「自分にとんでも無い才能が秘められている」と言われても、すぐに納得できるはずがない。

 

 

「だって、私、『ゼロ』だもの。どんな魔法を試しても起こるのは爆発ばっかりで、上手く行ったことなんて一度も無いのよ?」

 

 

 疲れたような声でルイズは言う。何というか「どうせ自分なんて…」と卑屈になっている感じだ。

 自分がどんなに優れた力を持っていると言われても、失敗の原因が判明しなければ意味がないのだ。

 しかし、当の赤屍は興味を失うどころか逆に面白そうな表情をしていた。

 

 

「ほう? どんな魔法を試しても爆発が起こると? それはますます興味深いですね」

 

 

 そんな赤屍の様子に反応したのは、ルイズではなく、傍に控えていたコルベールだった。

 別の世界からやって来たという彼なら、もしかしたら彼女の魔法が失敗する原因を突き止めることが出来るかもしれない。

 そんな期待を込めてコルベールは赤屍に訊ねる。

 

 

「ひょっとして、彼女の魔法が失敗する原因に心当たりがあるのですか?」

 

「ええ。まあ、仮説程度のものですけどね。おそらく、既存の術体系がルイズさん自身の特性に合致していない。もしくは、彼女の持つ力が強大すぎて既存の術体系では制御し切れずに暴走しているかのどちらかでしょう。もっとも実際に検証してみないことには、はっきりしたことは分かりませんがね」

 

 

 つまり、魔法の手順などを間違うなどの術者側の原因で失敗しているのではなく、使おうとする魔法そのものが最初から間違っている可能性があると赤屍は指摘した。

 魔法至上主義のハルケギニアの常識からでは、魔法自体を疑うという発想は中々出てこない。実際、これまで余り考えたこともない発想だったのか、コルベールは目を丸くしている。

 

 

「まあ、それについては後で検証して行けば良いでしょう。今はそれより、使い魔の『契約』とやらを優先したらどうですか?」

 

 

 赤屍に言われて、ルイズは「あっ」と思い出す。

 今の今まですっかり忘れていたが、契約の魔法である『コントラクト・サーヴァント』についてはまだ完了していない。

 しかし、最大の問題は肝心の契約の仕方である。

 

 

(よりによって、コイツとキス…?)

 

 

 ルイズは思わず赤屍の方をチラリと見る。

 確かに顔は美形だ。しかし、全身から滲み出る禍々しい雰囲気と、自分を殺しかけたという事実が全てを台無しにしている。

 よりにもよって自分を殺しかけた相手がファーストキスの相手だとは、こんな理不尽なことがあっていいのか。しかし、ここで契約出来なければ、自分は留年が確定してしまう。

 これまでの十数年の人生の中で恐らくは最高の苦悩に頭を抱えるルイズ。

 

 

「あの~、コルベール先生。実際に『サモン・サーヴァント』で召喚自体は成功してる訳ですし、『コントラクト・サーヴァント』は免除して欲しいんですけどー…?」

 

「ミス・ヴァリエール、貴女の気持ちは分かりますが…」

 

 

 ルイズは一縷の希望を込めてコルベールに訊ねたが、例外は認められないと彼は首を横に振った。現実は彼女にとってあまりにも非情である。

 しかし実際問題として、今後のことを考えるなら『コントラクト・サーヴァント』を免除する訳にはいかなかった。コルベールが『コントラクト・サーヴァント』を免除しなかった理由は、単に伝統であるというだけではない。もっと実利的な理由からである。

 はっきり言って『コントラクト・サーヴァント』によるルーンの束縛効果がこの男にどこまで有効かは分からないが、赤屍蔵人という危険人物を抑える為の手札は多いに越したことは無い。

 コルベールも若干気が進まないながらもルイズに契約を促す。

 

 

「えー…、それでは彼と契約の儀式を」

 

「うぅ…、分かりました…」

 

 

 シクシクと涙を流すルイズ。

 しかし、しばらくして覚悟を決めたようで、ルイズは顔を上げ赤屍に歩み寄る。

 

 

「我が名は『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 

 ルイズは契約の呪文を唱え、顔を赤屍の顔に寄せた。

 わずかの逡巡と多くの羞恥を込めたルイズの口付けは、赤屍の唇と重なった。

 それの一瞬後、ふと左手に火傷のような熱感を感じる赤屍。

 

 

「これは……」

 

 

 熱感が収まって左手の甲を見てみると、なにやら刺青のような模様が浮き出ていた。

 どうやら契約そのものは上手くいったらしい。契約が成功した事実にルイズはひとまず胸を撫で下ろした。

 

 

「……珍しいルーンだ。スケッチしてもいいですかな?」

 

「構いませんよ」 

 

 

 そして、コルベールがスケッチしている間、赤屍は左手の紋様について考えていた。

 とりあえず赤屍の感覚ではこの紋様に大した強制力は感じられない。敢えて言うなら、術者に対する好意を刷り込もうとするものを感じるが、それもそこまで強力なものではないようだ。

 おそらく赤屍が自覚している限り、そういった刷り込み効果も大して意味をなさないだろう。

 

 

(いや…、それだけではない。他にも何か―――)

 

 

 恐らくこのルーンには何か他にも能力が秘められている。

 赤屍の直感はそう告げているが、生憎と魔術や魔法については専門外である赤屍には現時点で正確なことは分からなかった。

 そうして赤屍が黙って考え込んでいると、いつの間にかスケッチを終えたコルベールがルイズと赤屍に話し掛けた。

 

 

「さて、これで『使い魔』の契約は完了です。夜も遅いですし、そろそろ二人とも自室に戻って休みなさい」

 

 

 コルベールとしては何の気なしの言葉だった。

 しかし、その言葉にルイズが「ん?」と何かに気付いたように反応する。

 何やら非常に嫌な予感がしたルイズはおずおずとした様子でコルベールに尋ねた。

 

 

「あの~、コルベール先生? ひょっとして、彼が泊まるのって私の部屋ですか?」

 

「あー…、彼が貴女の『使い魔』である以上はそういうことになりますね…」

 

 

 苦虫を噛み潰したような顔をして返答するコルベール。

 確かに『使い魔』を管理するのは主人の務めだ。その原則からすれば、ルイズの部屋に赤屍が泊まるというのが筋なのだろう。

 しかし―――

 

 

「絶っ対に嫌です!! 先生は私に死ねと!? だって、コイツ、私の心臓のすぐ脇にメスぶっ刺してくれたんですよ!? そんな自分を殺しかけた相手を常に近くに置いておくなんて、私の神経が保ちません!!!」

 

 

 ついに爆発したように捲くし立てるルイズ。

 さすがに自分を殺しかけた相手がすぐ隣りに居る状態で安眠できるほどルイズの神経は太くない。

 何とかルイズを嗜めようとするコルベールだったが、ルイズも頑として引こうとしない。

 そして、そんな二人の仲裁に入る形で赤屍が会話に割り込んだ。

 

 

「二人とも落ち着いてください。別に私は泊まる場所には頓着しませんよ。例えば、この医務室とかね」

 

 

 医務室である以上、ベッドは当たり前に常備されている。

 寝泊りするだけなら特に問題ない環境であることは間違いない。

 

 

「何よりこれでも私は医者ですから。この学院にいる間、病人・怪我人が出た時には診てあげますよ」

 

 

 結局、赤屍が泊まる場所は医務室に落ち着いた。

 そして、この日からしばらくして、赤屍には『保健室の死神』というあだ名がつけられることになる。

 魔法や秘薬に頼らない現代医学の知識と技術に基づく赤屍の診療は非常に的確であったそうなのだが、なぜ『死神』などという物騒なあだ名がつけられたかの理由についてはお察しであった。

 




※オマケ:(とある生徒が医務室を訪れた時の出来事)

「おや? まだ切開が足りませんか。えい」<ブシュ!
「ひぎゃあああああああああああ!!!!」
「マ、マルコォォォォォォォォォ!!!!」


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第五話『初授業』

 赤屍がルイズの使い魔となって一夜明けて翌朝。

 

 

「……ん」

 

 

 窓から差し込む光で、ルイズは目を覚ました。

 寝ぼけ眼をこすりつつ彼女が部屋の中を見回すと、そこはいつもと変わらない自室だ。

 とりあえず赤屍の姿がその場に無いことをひとまずは安心するルイズ。

 

 

「はぁ~…」

 

 

 ルイズは思わず大きな溜め息をついた。

 今になって思い返しても、昨日は本当に大変だった。

 呼び出した使い魔に、出会って早々いきなり胸を刺されて殺されかけた主人など、おそらく始祖が降臨して以降のハルケギニア6000年の歴史でも初であろう。

 いきなりあんな事を仕出かしてくれた人間が、いつまでも大人しく自分に従ってくれるとはとても思えない。果たして自分にあの男を『使い魔』として使いこなせるのだろうか。

 そんなことを考えていると、何だか不安で泣きそうになってきた。

 

 

(わかってる…。こんな所でへこたれるわけにはいかないわ)

 

 

 決まってしまった事はもう変えられない。ルイズはペシペシと両手で自分の頬を叩く。

 弱気になるな。弱気になったら駄目だ。とにかく今は自分に出来ることをやればいい。それすら出来ない人間に赤屍蔵人を使いこなせる器量などあるはずが無い。

 ルイズは改めて気合を入れなおすとベッドから起き上がったのだった。

 着替えを済まし、身支度を整えたルイズ。そして、彼女が部屋の外に出ると、今現在二番目くらいに見たくない顔と鉢合わせになった。

 

 

「おっはよ~、昨日は大変だったわね」

 

 

 話し掛けてきたのは赤い髪が特徴的な、胸元の大きく開いた服を着た美女。

 ルイズの同級生であるキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーだ。

 彼女のツェルプストー家と、ルイズのヴァリエール家は、国境を挟んで隣り合った伝統的に対抗しあう家柄同士であり、彼女達もその例に漏れず犬猿の仲である。

 ルイズは朝一番から嫌な物を見たという具合に返事をする。

 

 

「あんたに心配されるほど落ちぶれてないわよ。キュルケ」

 

「そ、とりあえず大丈夫そうね。ところで貴女の『使い魔』は何処にいるのかしら?」

 

「アイツなら医務室で寝泊りすることになったからここには居ないわ。何でもアイツ、医者らしいわよ」

 

「え? お医者様だったの? あの外見で?」

 

 

 ルイズの言葉が余程信じられなかったのが、キュルケは「マジで?」と唖然としたような顔をしている。

 もっともルイズにもキュルケの気持ちは良く分かる。実際、ルイズも赤屍が医者だと聞かされた時は、キュルケと同じような感想を抱いたのは確かだ。

 正直言って、あれが医者だと言われてもとても信じられない。そもそもそれ以前に、本当に自分達と同じ人間であるかすら疑わしいとルイズは感じていた。

 実際に赤屍の刃を受けたルイズだからこそ、否が応にもあの男の強さと危険さを肌で感じ取れてしまう。

 

 

「キュルケ、一応は忠告しておくわよ。アイツにだけはちょっかい出すのは止めときなさい。アイツはあなたの手に負えるような男じゃないわよ」

 

「へぇ? 手に負えないっていうのはどういう意味かしら?」

 

「色んな意味でよ。アイツ、どう考えても普通じゃないわ」

 

「そりゃ普通じゃないのは何となく分かるわよ。けど、だからこそ気になるんじゃない」

 

 

 そもそも人間が『使い魔』として召喚されたこと自体が前例の無いことだ。

 そういう意味ではキュルケでなくとも、ルイズの使い魔として召喚された人物に興味を持つのも仕方ないことだろう。しかし、たかが興味本位で下手にあの男と関わったら命に関わる。

 だが、それをどうやって上手く伝えたら良いのだろうか。ルイズが赤屍の危険さを理解出来ていると言っても、あくまでもそれは直感的な理解であって、順序立てて説明できるような論理的な理解ではない。

 一体どうやってキュルケに説明したらいいのかルイズが悩んでいると、ふとその渦中の人物がその場に現れた。

 

 

「クス、おはようございます。ルイズさん」

 

「アイエエエエエエエエエエエ!?」

 

 

 愉快すぎるルイズの叫び声が学院の寮を揺らした。

 突然に後ろから声を掛けられ、文字通り飛び上がりそうなほどに驚くルイズ。

 いくら突然だったとはいえ声を掛けられただけでここまで驚いてしまうとは、どうやらルイズの心には赤屍に対する恐怖がしっかりと刻みこまれているらしい。

 ビクビクと怯えるルイズの反応はどことなく某奪還屋の金髪の少年の方を連想させる。彼女の反応が面白いのか赤屍はクスクスと笑っている。

 

 

「クスクス…別に驚かすつもりは無かったんですがねぇ」

 

「赤屍、いきなり後ろから声を掛けるのはやめて。ホントにやめて。心臓に悪いわ」

 

 

 ルイズは必死に赤屍に頼み込む。

 その様子を傍から見ると、この場で主導権を握っているのはどう考えても赤屍である。これではどちらが主人なのか分かったものではない。

 そんな二人の様子を見ていたキュルケは朝から大きな声で笑い出した。

 

 

「あっはっは! ほんとに人間なのね! 凄いじゃない! しかも完全に主導権握られてるし!」

 

 

 明らかに馬鹿にしたキュルケの口調。

 ルイズは如何にも不機嫌そうな表情でこめかみをピクピク動かしている。

 

 

「『サモン・サーヴァント』で、人間を召喚しちゃうなんて、貴女らしいわ。流石は『ゼロ』のルイズ」

 

「う、うるさいわね」

 

「やっぱり使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ~。来なさい、フレイム」

 

 

 キュルケに呼ばれ彼女の部屋からのっそりと現れたのは虎ほどの大きさもある真紅の大トカゲ。

 尾の先端部は炎で出来ており、存在するだけでその場に熱を放っている。

 そして、その異形の生物に赤屍が興味深そうに反応した。

 

 

「ほう…。これは火蜥蜴(サラマンダー)ですかね」

 

「あら、分かる? ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんかつかないわよ?」

 

「…そりゃ良かったわね。『火』属性のあんたにはお似合いじゃない」

 

 

 ルイズは苦々しげに言った。

 彼女がそう言うのを横で聞いて、赤屍は「なるほど」と納得する。

 確かにキュルケの容姿を喩えるなら、まさに火が相応しいと感じた。

 

 

「ええ。『微熱』が私の二つ名ですもの。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわ。貴女と違ってね?」

 

 

 ふふん、と胸を張るキュルケ。そのせいで彼女の豊満な胸が、更に強調される。

 ルイズも負けじと胸を張り返すが、残念ながら両者の胸の差は大きかった。

 それでも負けず嫌いの性格のルイズは、ぎっとキュルケを睨み付けた。

 

 

「私は、あなたみたいにいちいち色気を振りまくほど、暇じゃないだけよ」

 

 

 しかし、悲しいかな、そこで言っても負け惜しみにしか聞こえない。

 キュルケは余裕ありげに笑うと赤屍の顔を見つめる。

 

 

「貴方、お名前は?」

 

「赤屍蔵人。運び屋をしていますが、親しい人からは『Dr.ジャッカル』とも呼ばれていますね」

 

「アカバネ・クロウド? 変わった名前ね」

 

「クス、そうかもしれませんね」

 

「じゃあ、お先に失礼」

 

 

 彼女は大袈裟に髪を掻き上げ、颯爽と去って行った。サラマンダーがその後を付いて行く。

 キュルケがその場を立ち去ると、溜まっていたルイズの怒りが爆発した。

 

 

「悔しー!何なのあの女!自分が火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって!ああもう!」

 

「ルイズさん、少し落ち着いて下さい」

 

 

 冷静にルイズを宥める赤屍。

 しかし、ルイズは収まらなかった。

 

 

「これが落ち着いていられるもんですか! メイジの実力を計るには使い魔を見ろって言われるぐらいなのよ! なんであの馬鹿女がサラマンダーで、私があんたなのよ!」

 

「悔しがる必要はありませんよ。メイジの実力が使い魔の実力に比例するなら、貴女は間違いなく最高のメイジです」

 

 

 そう言って、赤屍は試すような口調でルイズに訊ねる。

 

 

「貴女なら私の強さを感じ取れているはずですが?」

 

「………」

 

 

 赤屍の問いにルイズは沈黙で返した。

 だが、その沈黙が何より雄弁に語っていた。

 

 

「クス…やはり貴女は見込みがありますよ。実は相手の力量を見抜くのにも、それなりの実力が求められることですからね」

 

 

 強い者ほど相手の強さにも敏感だ。

 赤屍の強さは、圧倒的という言葉すら生温い異次元のレベルに達している。

 おそらく赤屍の本当のヤバさをルイズ以外で理解できているのは、今のこの学院ではオスマンとコルベールのみだ。

 他の生徒達も、赤屍が普通でないことは何となく理解出来てはいるだろうが、おそらくその認識はせいぜい腕の立つ『メイジ殺し』というくらいの認識でしかないだろう。

 

 

「……アンタ、本当に人間なの?」

 

 

 思わずルイズはそう訊いてしまった。

 たとえ国家レベルの武力ですら赤屍を殺せるか疑わしいことはルイズは直感的に理解している。

 まさに歩く戦略兵器。そんな異次元の強さを持つ化け物が、自分と同じ人間だとはルイズには信じられなかったからだ。

 そんなルイズの問いに赤屍は少しからかうような笑みを浮かべながら答える。

 

 

「一応、私は人間ですよ? 少しばかり人間離れしているだけのね」

 

 

 どこが少しばかりだ、とルイズはジト目で赤屍を睨み付ける。

 しかし、赤屍はルイズの視線にも全く動じない。それどころか彼女の反応を愉しんでいるようだ。

 赤屍は愉快そうにクスリと笑うと話題を切り替える。

 

 

「さて、それより準備が出来ているなら食堂の方に行った方がいいですよ? 朝食の時間が終わってしまいます」

 

「……アンタに言われるまでも無いわよ」

 

 

 ルイズは不機嫌そうに素っ気無く返すと、赤屍と共に食堂へと向かった。

 なお食堂に向かう途中、彼女は決して自分の背中を赤屍に晒そうとしなかったことを付記しておく。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ルイズと赤屍が向かった先の食堂。

 アルヴィーズの食堂と呼ばれるその食堂は学園の敷地内で一番背の高い、真ん中の本塔の中に存在している。壁際に飾ってある小人の像『アルヴィー』がその名の由来である。

 しかし、その場所に到着するなり、何故か赤屍はルイズを置いて厨房へと足を向けた。

 

 

「アンタどこ行くのよ?」

 

「いえ、私個人の食事はすでに別に用意されていますので」

 

 

 怪訝な顔で訊ねるルイズに赤屍はそう返した。

 実は、赤屍にとってここの朝食の量は多過ぎるとのことで、すでに厨房の方で別の食事を用意してもらっていたのだ。

 ここが異世界だろうと何処だろうと、全く関係なく、いつもと変わらないマイペースっぷりを発揮する赤屍である。

 

 

「それでは私は厨房の方に居ますので、ルイズさんの食事が終わったら声を掛けて下さい」

 

「あ、うん」

 

 

 そうして、赤屍はルイズを置いて厨房へと向かう。

 別々の場所で離れて食事をすることになった赤屍とルイズだが、ルイズの方は赤屍と相席でないことに内心でほっとしていたようだ。

 さすがに睡眠や食事くらいは、落ち着ける時間でなければ彼女の精神が保たないだろう。

 

 

(もっとも、それはそれで面白そうですが)

 

 

 赤屍は内心でそう思う。

 どこぞの武士の心得書には『正気にては大業ならず』という言葉もある。

 実際、赤屍自身も含めて最上位の強さを誇る連中は、どこかしら頭のオカシイ連中が多い。

 それを考えると、逆に発狂寸前まで追い詰めてみるというのも、ルイズを成長させる方法論としては有りかもしれない。

 もっとも、その果てに彼女がどんな境地に至るかまでは責任は持てないし、今の時点ではそういう方法を取るつもりはなかったが。

 

 

「ふむ…やはり食事も洋風ですね」

 

 

 食事というのはその地域の特色を非常に強く反映する。

 朝食を摂りながら文化の差異を分析していた赤屍だったが、ふと彼はハルケギニアの世界では珍しい髪色のメイドを見かけた。

 ルイズやキュルケのような明るい髪色をした者が多い中にあって、昔ながらの日本人を思わせる落ち着いた黒色の髪。

 

 

(おや…)

 

 

 磨けば光りそうな印象を受けるが、容姿自体は飛びぬけた美人という訳ではない。

 しかし、何故か赤屍は彼女のことが気になった。給仕の仕事をこなしている彼女を観察していると、ふと彼女と目が合う。

 そして、その瞬間に赤屍は感じた違和感の正体を理解する。

 

 

(右眼…ですかね)

 

 

 見た目は全くの普通に見える彼女の右眼。

 だが、赤屍はその右眼に封じられているモノを一発で見抜いた。

 無限城世界において同じ瞳を持つ者達を知っている赤屍だからこそ見抜くことが出来た。

 目が合ったメイドは社交辞令的にニッコリと微笑んでくれる。赤屍もそれに微笑み返したが、その笑みに込められた感情はそれぞれで全く違う。

 赤屍がここで浮かべた笑みは、肉食獣が獲物を前にしてする笑みと同じ種類のものである。当然、メイドの方には赤屍の内心の感情は伝わらない。世間には『知らぬが仏』という言葉もあるが、この状況にズバリ当て嵌まる言葉かもしれない。

 

 

(これはある意味、ルイズさんより面白い素材かもしれませんね)

 

 

 赤屍の脳裏に浮かぶのは、呪術王、黒鳥院夜半、来栖柾など、そうそうたる実力者たちの顔ぶれだ。

 誰も彼もが常軌を逸した化け物じみた強さの持ち主だったが、彼らの瞳には共通する特徴が一つある。それこそが『聖痕』と呼ばれる刻印だ。

 何故、このメイドの右眼に彼らと同じものが封印されているのか、一体誰が彼女の右眼を封印したのかは分からない。分からないが、確かなことが一つある。

 それはつまり、赤屍にとっての愉しみがまた一つ増えた、ということである。そして、この場合の赤屍にとっての「面白い」とは、「自分の強敵と成り得る可能性を持っている」という意味に他ならない。

 本人の知らない内に赤屍に興味を持たれてしまったシエスタ。全く以ってご愁傷様としか言いようがない。

 もっとも、それは現在、離れて食事を摂っているルイズにとっても全く同じことが言える。

 

 

(はぁ~…、何だって『ゼロ』の私があんなのを召喚しちゃったんだろう…)

 

(いやはや、なかなか面白そうな人材が揃ってますよ、ここは)

 

 

 一方は、ゲンナリとした将来への不安。もう一方は、ワクワクした将来への期待。

 少し離れて食事を摂っているルイズと赤屍は、お互いに全く正反対の感情を胸に抱いていたのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そうして食事を終えた後、ルイズと赤屍は授業を受けるべく合流して教室へ向かった。

 教室に着いたルイズは適当な席に座り、赤屍は彼女から少し離れた席に控えている。

 教室には他の生徒の使い魔たちがたくさんおり、フクロウや猫などといった一般的な動物から巨大モグラまで、赤屍が見たことも無い生き物も多かった。

 そして、そんな中にあって赤屍の存在は一際異彩を放っている。今も生徒達は赤屍の方を見て、ヒソヒソと噂話をしているくらいだ。

 殆どは物珍しさから来る好奇の視線だったが、ふと赤屍は自分に向けられるいくつかの視線の中でかなり強い警戒感を含んだものを見つける。

 その視線の元を探ると今朝出会ったキュルケの隣りの席に小柄な青髪の少女が居た。

 その少女だけは、赤屍に対して特別強い警戒の眼差しを送ってきている。

 

 

(…この子もそれなりに見込みがありそうですね)

 

 

 赤屍は内心でそう評価を下す。

 そのうち、扉が開き教壇の上に紫のローブを着た中年の女性が現れた。

 

 

「皆さん、春の使い魔召喚は大成功のようですわね。この『赤土』のシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 

 満足そうに生徒と使い魔を眺めるシュヴルーズ。

 しかし、その視線が赤屍と合うと、その笑みが明らかに引きつった。

 すでに彼女含めた教員には「出来るだけ赤屍を刺激しないよう細心の注意を払うように」という旨がオスマンから伝えられている。

 普段の彼女なら「おやおや。変わった使い魔を召喚したのですね?」などと惚けた声で言っている所だったろうが、オスマンから言われていたこともあり、今回の彼女の口からはそのような言葉は出なかった。

 

 

「ごほんっ! えー、では皆さん。授業を始めます」

 

 

 わざとらしい誤魔化すような咳払いをした後、シュブルーズは授業を開始する。

 まず『火』『水』『土』『風』の魔法の四大系統。失われた系統である『虚無』。そして、それら魔法と生活との密接な繋がりなどが説明される。

 それらの魔法の系統は組み合わせる事が可能であり、組み合すことが出来る数によって『ドット』『ライン』『トライアングル』『スクウェア』というランクに分けられている事も話される。

 魔法や魔術については専門外である赤屍であったが、むしろ専門外であるからこそ興味深くこの講義を聞いていた。

 

 

「さて、では一通り説明が終わったところで――ミス・ヴァリエール、この石を錬金してみてください」

 

 

 この指名に、教室の生徒達の間でどよめきが起こった。

 何事だろうと訝しげに見たところに、キュルケが真っ青な顔をしながら手をあげた。

 

 

「ミセス・シュヴルーズ。それはやめたほうがいいと思います。あの…危険です」

 

 

 その言葉を聞いて、今度はルイズがムッとした顔で、負けまいといった感じで立ち上がった。

 

 

「私、やります」

 

「ルイズ、やめて」

 

 

 キュルケの制止も聞かず、ルイズは大股で歩み寄ると、石の前に立ちサッと杖を取り出した。

 それと同時に生徒たちは机の下に潜り込むなどして何らかの防御態勢を取っている。そんな光景を見た赤屍は、ふとルイズが言っていたことを思い出した。

 

 

(そう言えば、どんな魔法でも『爆発』が起こると言ってましたね)

 

 

 ちょうどいい、と赤屍は思った。彼女の持つ素質を見極める為にも、手っ取り早く『爆発』とやらを見せて貰おう。

 そう考えた赤屍は、ルイズが錬金の魔法を唱えるのを黙って見ていた。ルイズが呪文を唱え始めると杖の先にある石に力の流れが集まっていく。

 その力の流れを認識した瞬間、赤屍の表情が変わる。

 

 

(まさか、ここまでとは…)

 

 

 かつての無限城の『雷帝』を思い出させる程に桁外れのエネルギー。

 そのエネルギーは雷帝が操るプラズマのように目に見える分かりやすい形をしていなかったが、恐らく総量的には全く引けをとっていない。

 

 

 ―――瞬間、収束されていた力が爆発となって解放された。

 

 

 教壇が爆発を起こし、爆風をもろに受けたシュヴルーズが黒板に叩きつけられる。

 その爆風は赤屍の方にも及ぶが、机や椅子が軽く吹き飛ぶ程度でそれほどでもなかった。

 しかし、使い魔の生物達それぞれがギャーギャーと悲鳴らしき声を上げ、教室は地獄絵図と化している。

 やがて煙が晴れるとそこには、服装は少し傷ついてはいるものの、無事なルイズが立っていた。

 

 

「ちょ、ちょっと失敗したみたいね」

 

 

 その言葉を皮切りに罵声が飛ぶ。

 

 

「なにがちょっとだ!」

「いつだって魔法の成功率、ゼロじゃないか!」

「だから言ったんだ!ゼロのルイズにやらせるといつもこうだ!」

 

 

 それらの罵声から赤屍は、なるほどと理解する。

 彼らにとっての〝ゼロ〟とはそういうことか。しかし、赤屍からしてみれば彼女の素質はゼロどころではない。

 あくまで単純に考えての話だが、彼女は無限城の『雷帝』に匹敵できる可能性を秘めているのだから。

 

 

(やはり、私を召喚できただけのことはありますよ。貴女は)

 

 

 強敵と戦うことを何よりの愉しみにしている赤屍にとって、自分にとっての強敵となり得る存在の出現はむしろ望むところでしかない。

 赤屍を召喚してのけたルイズ。今朝、食堂で出会った黒髪のメイド。そして、青髪の少女。これから彼女達がどんな成長をするかはまだ分からないが、どうやら中々面白いことになりそうだと、赤屍は思った。

 赤屍は煤と埃塗れになっているルイズの方を見ながら、嬉しそうに小さく笑ったのだった。

 




シエスタ強化フラグ。
しかし、ゼロ魔の二次SSでのシエスタの隔世遺伝率はホント異常ですな。


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第六話『決闘騒ぎ』

 ―――あの時の事件に居合わせた生徒の一人は後にこう語っている。


「やっぱりさぁ…。世の中には絶対ケンカを売っちゃいけない相手ってのは居るんだよ。正直、ギーシュのことは気の毒だったけど仕方ないよね…」


 相手の強さを見抜く才能は、時として魔法の才能よりも遥かに重要になり得る。
 それがギーシュと赤屍の決闘騒ぎという事件を通して、学院の生徒全員が学んだ教訓であった。




 

 教室で炸裂したルイズの爆発魔法。

 その爆発魔法の余波をもろに受けたミセス・シュヴルーズが気絶してしまったので、当然講義は中止となった。

 そして、己の不始末ということで教室の片づけを命じられたルイズ。赤屍もまた彼女の掃除を黙々と手伝っている。

 それにしても、あの赤屍が箒でせっせと床を掃除をしている光景は若干シュールである。おそらく美堂蛮あたりがこの光景を見たら、指を差してゲラゲラ笑っているかもしれない。

 黙々と掃除を続けていたルイズだったが、ふと彼女はその手を止めた。

 

 

「…分かったでしょ」

 

「何がです?」

 

「私の二つ名の理由よ」

 

 

 黙々と汚れた教室内を掃除を続ける赤屍へ、ルイズは疲れたように言った。

 魔法の成功確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ。クラスメートには、いつもその不名誉な二つ名で呼ばれ、笑われてきた。

 土系統の初歩である『錬金』の魔法。人によっては学院に入学する前であっても出来る簡単な魔法。それでも、やっぱりうまくいかなかった。

 金属に変わるはずだった石は派手に爆発し、教室はめちゃくちゃになってしまった。

 

 

「アンタは私に才能があるなんて言うけど、本当にそうなの? ちゃんと勉強してるし、たくさん練習したわ。でも、爆発させてばっかり!」

 

 

 ルイズは未だ黙ったままの赤屍の前までやって来ると、叫ぶように言い放った。

 

 

「どうせあんたも本当はバカにしてるんでしょ!? 貴族のくせに、できそこないだって! 魔法の使えない、落ちこぼれだって!」

 

 

 だが、そんなルイズに対して赤屍は、やれやれと苦笑する。

 そして、赤屍が彼女に返した言葉はよりにもよってこうだった。

 

 

「ククッ…何を言い出すかと思えば、そんなくだらないことですか」

 

「く、くだらない?」

 

「ええ。本当にくだらないですよ。他人からの評価ばかり気にしているから、自分の本当の可能性と本質に気付かない」

 

 

 赤屍はバッサリと斬り捨てるように言った。

 本当の変化とは、常識や想像の枠に収まり切ったままでは出来ない。

 赤屍に言わせればこの学院の生徒も教師も全員がそれが出来ないボンクラだった。

 

 

「先程の貴女の『爆発』を見て確信しましたよ。貴女の魔法が爆発する原因は、貴女の持つ力が大きすぎる所為で、既存の術式では制御できずに暴走しているからです」

 

 

 言いながら、赤屍はかつての無限城の『雷帝』のことを思い出していた。

 自分のお気に入りの好敵手である天野銀次という少年の怒りの感情が高まった時や、彼が命の危機に陥った時に現れていたもう一つの人格。

 文字通り無限のエネルギーを内包し、物理法則すらも無視した圧倒的な攻撃力と回復力を持つ最強クラスの怪物。そして、赤屍の見立てではルイズが持つ力はその怪物に匹敵できる可能性を秘めている。

 はっきりと爆発の原因を告げられたルイズは、まるで縋るように赤屍に訊き返した。

 

 

「そ、それって本当?」

 

「本当ですよ。けれど、それは貴女にとって逆に残酷なことかもしれませんがね」

 

 

 強過ぎる力というのは、時に諸刃の剣となる。

 望む望まないに関わらず、強大な力を持ってしまった者は、いつか必ず大きな流れの中に巻き込まれることになるからだ。赤屍はそのことを誰よりも知っている。

 しかし、そのことを知らないルイズにしてみれば、残酷なことかもしれない、という赤屍の言葉に首を傾げるしかない。

 

 

「残酷なこと? それってどういう意味…?」

 

「さて、どういう意味でしょうね? 今は分からなくても、きっとそのうち分かりますよ」

 

 

 ルイズに訊かれた赤屍は敢えて答えをはぐらかした。

 しかし、ルイズの方はそれで納得するはずがない。ルイズはジト目で睨みつつ赤屍を問い詰める。

 

 

「アンタ、ふざけてるの?」

 

「クス…、そうですね。それではヒントでも出しましょうか」

 

 

 ルイズにジト目で睨まれ、赤屍はクスリと笑った。

 そして、彼は『スパイダーマン』というアメリカンコミックのテーマから引用した言葉を口にすることにした。

 

 

「With great power comes great responsibility.(大いなる力には、大いなる責任が伴う)」

 

 

 そう言い残すと、赤屍は教室を後にした。

 赤屍からヒントとして出された言葉の意味自体は、『サモン・サーヴァント』の言語翻訳機能によりルイズにも伝わっている。

 だが、どうして赤屍がこんな言葉を口にしたのかルイズには分からない。教室に残されたルイズは呆然としたまま、そこから動けずにいた。

 結局、ルイズが赤屍の言葉の本当の意味を知るのは、それからずっと後になってからだった。

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 ルイズを残して教室を立ち去った後、赤屍はあてもなく学院の中をブラブラと歩いていた。

 特に行き先はない。途中、様々な人や使い魔とすれ違う。皆一様にして同じ服やマントを身にまとい、時たま変な目でこちらを見てくるときもある。

 だが、いずれも赤屍の興味を引くような実力者たちとは程遠い。

 

 

(メイジと平民の間には絶対的な力の差があると聞きましたが、どれもこれも紙屑のような雑魚ばかりですね…)

 

 

 赤屍は内心でそう評価を下す。

 この世界の戦闘レベルの標準がどの程度なのかは詳しくは知らない。

 今の時点で赤屍がルイズ以外に目を付けているのは、青い髪の少女と黒髪のメイドの二人。

 

 

(時間も空いたことですし、少し探してみましょうか)

 

 

 そう思いついた赤屍は、とりあえず青い髪の少女と黒髪のメイドの二人を探して学院の中を探索し始めた。

 そして、しばらく学院の中をうろついていると、黒髪のメイドとは食堂に顔を出したら意外にもあっさりと遭遇できた。

 だが、どうも先程から雲行きが怪しい。

 

 

「メイド君、君が軽率に瓶なんかを拾い上げるおかげで、二人のレディの名誉が傷ついたじゃないか。どうしてくれるんだね?」

 

「え……も、申し訳ありませんっ!」

 

 

 近くの生徒に事情を聞いてみると、黒髪のメイドが彼――ギーシュの落とした香水を拾ったために彼の二股がバレてしまい、彼は二人の女生徒から平手打ちと絶交宣言を受けてしまった。

 黒髪のメイド――シエスタはその事でギーシュから八つ当たりを受けているらしい。

 だが、何故あのシエスタというメイドはあんなにも彼を恐れているのか。

 正直、赤屍からすれば今の状況が不思議で不思議で仕方ない。

 

 

(彼女が恐れるような相手ですか?)

 

 

 右目に『聖痕』を宿したメイド。

 本来的にはシエスタの方がギーシュよりも遥かに強いはずだ。

 普通、自分より圧倒的に格下の相手を恐れる理由などない。

 

 

(…ということは、彼女自身は自分の力について、まだ何も知らないでいるということでしょうかね?)

 

 

 実際、赤屍の予想は当たっている。

 彼女は『聖痕』を持ってはいても、まだ覚醒させてはいない。

 もしも、覚醒させていたなら、そもそもこんな学院でメイドとして働いてなどいないだろう。

 今の彼女は普通の一般人となんら変わらない。そうである以上、平民である彼女が貴族の男を恐れるのは当然であった。

 この世界での貴族と平民の身分差は歴然としており、最悪の場合、日本の武士の「切捨御免」や「無礼討ち」のようなことにまで発展することもあるという。

 赤屍からすれば、将来有望な人間の未来がこんな形で閉ざされるのは本意ではない。

 だから、赤屍は目の前の揉め事に介入することにした。

 赤屍はメイドの背後に立ち、声を掛ける。

 

 

「貴女が頭を下げる必要なんてありませんよ」

 

「え……?」

 

 

 完全な打算ありきの赤屍の行動。

 乙女のピンチに颯爽と現れる王子様、なんて上等なものでは断じてない。

 

 

「もともと、貴方が二股をかけたのが悪いのでは? それを、親切にも小瓶を拾い上げた彼女が悪いというのは無理があり過ぎます。勘違いも大概にしておきなさい」

 

 

 赤屍の正論に、ギーシュはグウの音も出ない。

 取り巻きたちも笑って「そうだ、そうだ!」と口々にはやし立てる。

 

 

「い、いいかね? 僕は彼女が香水の瓶を拾った時に、知らないフリをしたんだ。話を合わせるぐらいの機転があっても―――」

 

「それは屁理屈というものですよ。貴族の機転というのは自分の非を認めず、下の者に八つ当たりすることなのですか?」

 

 

 ギーシュの目が光る。

 

 

「どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

 

「だったらどうします?」

 

 

 ギーシュは改めて赤屍を見る。

 召喚されて早々ルイズを殺し掛けた男。

 はっきり言って、この男が普通でないことはギーシュにも分かる。

 だが、それが『一体どのように普通でないのか』を彼は全く理解できていなかった。

 

 

(ルイズの時は所詮、不意打ちみたいな形での奇襲だった。真っ向からの戦いなら、貴族が平民に負ける訳がない…!)

 

 

 魔法を使う貴族に、平民は絶対に勝てない。

 その絶対の常識が赤屍の前では全く役に立たない。

 そのことを理解できなかったことが、彼の最大の不幸であり、だからこそ彼は最強最悪の相手に喧嘩を売ってしまったのだった。

 

 

「よかろう『決闘』だ! 君に貴族としての礼儀を教えてやろう!」

 

 

 

  ◆

 

 

 

 

 一方その頃、学院の教師であるコルベールはルイズが召喚した男―――赤屍の左手の甲に表れたルーンについて調べていた。

 閲覧に許可が必要な『フェニアのライブラリー』の本棚にある書物を隅々まで調べていると、やがて彼はとある一冊の本に行き当たった。その本のページを何気なくパラパラと捲る。すると、あるページで彼の目は釘付けになった。

 そのページは、始祖ブリミルが操ったとされる四体の使い魔の記述だった。そして、そのページに記された『ガンダールヴ』の紋章。それは間違いなく、赤屍の左手に刻まれたルーンそのものだった。

 

 

「こうしては居られない! す、すぐに学院長に報告を!」

 

 

 彼はその本を抱えたまま、学院長室へと走り出した。

 年甲斐も無く学院の廊下を全力疾走するコルベール。途中ですれ違った生徒達がポカンとした顔をして見ていたが、彼はそんなことを気に留める余裕は無かった。

 そして、彼は学院長室の扉をぶち破るかの勢いで、学院長室に飛び込んだのだった。

 

 

「オールド・オスマン! 一大事ですぞ!」

 

 

 コルベールが学院長室の扉を開けた瞬間、彼の目に入ってきたのは例によってセクハラの制裁でロングビルに吹っ飛ばされているオスマンだった。

 余りにもいつも通りの光景にコルベールは呆れ果てた顔をする。

 

 

「またセクハラですか……オールド・オスマン」

 

「な、なんじゃね……コルベール君。やかましいのぉ」

 

 

 殴られた頭を摩りながらオスマンは席に戻り、コルベールと向かい合う。

 

 

「これを見てください」

 

 

 そうして、コルベールは先程の書物のページと、赤屍の左手のルーンをスケッチした紙をオスマンに示した。

 それを目にした途端、オスマンの眼光は鋭くなり、彼はロングビルを退室させる。ロングビルの足音が遠のいて行ったのを確認したオスマンはコルベールに続きを促した。

 

 

「詳しく説明するんじゃ、コルベール君」

 

 

 コルベールは図書館で調べたことを説明した。

 大体の事を理解した学園長オスマンは困った風に呟く。

 

 

「…なるほど。始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」

 

「そうです! 彼の左手のルーンは、この書物に記されたガンダールヴのルーンと同じです!」

 

 

 伝説の使い魔『ガンダールヴ』とは、始祖ブリミルに仕えたとされる四体の使い魔の内の一体だ。

 神の左手、神の盾とも呼ばれ、その力はまさに一騎当千。あらゆる武器を使いこなし、詠唱中のブリミルを守り切ったと伝えられる。

 もしも、本当にあの男が伝説に伝えられる『ガンダールヴ』だとしたら―――

 

 

(まさか、ミス・ヴァリエールの系統は……)

 

 

 オスマンの脳裏に伝説の系統の名が浮かぶ。

 確かに、赤屍のような出鱈目に強力な存在を呼び出せる系統があるとしたら、もはや『虚無』くらいしかないだろう。

 彼は黙ったまま考え込んでいたが、ふと扉がノックされる音にその思考は中断された。

 

 

「失礼します。オールド・オスマン」

 

「どうかしたのかね? ミス・ロングビル」

 

「ヴェストリ広場で、決闘をしようとしている生徒がいるようです。大騒ぎになっており、止めに入ろうとしている教師がいますが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

 

「まったく、暇を持て余した貴族ほど、たちの悪い生き物はおらんわい。それで、誰が暴れておるんじゃね?」

 

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」

 

「あのグラモンとこのバカ息子か。オヤジに輪をかけて女好きじゃからの、どうせ女の子の取り合いじゃろう。まったく、あの親子は。それで相手は誰じゃね?」

 

「それが、メイジではありません。先日、ミス・ヴァリエールに召喚されたの使い魔の平民のようです。教師たちは『眠りの鐘』の使用許可を求めていますが…」

 

 

 ロングビルの言葉を聞いた瞬間、コルベールとオスマンの顔は明らかに引き攣った。

 あの男にケンカを売るなど、自殺行為以外の何物でもない。生徒の安全を考えるなら、直ぐにでも『眠りの鐘』を使うべきだ。

 コルベールは顔面を蒼白にさせてオスマンに提言する。

 

 

「オ、オールド・オスマン! す、すぐに『眠りの鐘』を使いましょう! 危険過ぎます!」

 

「……いや、今はまだ使わん」

 

 

 しかし、オスマンは敢えて使用許可を出さなかった。

 当然、コルベールはそれに反発する。

 

 

「な、何故ですか!? 学院長なら彼の危険さを分かっている筈でしょう!? 早く止めなければ、最悪ギーシュ君が殺されてしまいます!!」

 

「そんなことは分かっておる!!」

 

 

 突如、学院長室にオスマンの怒号が轟いた。

 普段の彼からは想像も出来ないような怒号にコルベールとロングビルの二人は思わずビクリと肩を震わせる。

 有無を言わせないオスマンの迫力にコルベールとロングビルは押し黙るしかない。

 

 

「無論、危ないと思ったら即座に『眠りの鐘』を使う。じゃが、彼の本当の力を見極める為にも彼の戦う姿を一度見ておきたいのじゃ…」

 

 

 そう言って、オスマンは杖を振るう。

 オスマンの遠見の魔法によって、壁にかけられた大きな鏡に別の光景が映し出される。

 鏡の向こうに映った『ヴェストリ広場』では、今まさに赤屍とギーシュの決闘が始まろうとしていた。

 

 

 

 

   ◆

 

 

 

 

 ヴェストリ広場は、魔法学院の『風』と『火』の塔の間にある、中庭にある。

 今、その広場は決闘の噂を聞きつけた生徒たちで、溢れかえっていた。

 

 

「諸君!決闘だ!」

 

 

 ギーシュが薔薇の造花を掲げると、『うおーッ!』と生徒たちの歓声が巻き起こった。

 

 

「ギーシュが決闘するぞ!相手はルイズの使い魔だ!」

 

 

 決闘の発端は、ギーシュの二股がバレてしまい、そのことでメイドのシエスタに八つ当たりしていたのを赤屍が咎めたの切っ掛けだ。

 普通なら魔法の使えない者がメイジに挑むなど無謀としか言いようが無いが、この場面に限って言うならまるで事情が異なる。

 もしもこの光景を無限城世界の裏稼業の人間が見たら、ギーシュの余りの無謀に呆れ果てているだろう。

 

 

「これよりこのギーシュ・ド・グラモンとルイズの使い魔君との決闘を始める。よく逃げなかったね。感激するよ」

 

 

 彼我の力量差を全く読めていないギーシュの発言。

 何となくだがこの少年からは、『卍一族』の連中と同じ匂いがする。

 赤屍がギーシュの芝居がかった振る舞いを冷めた視線で見ていると、ルイズが慌てた様子で広場に現れる。

 

 

「ちょっと赤屍、何やってんのよ!?」

 

「見ての通りですが?」

 

 

 素っ気無く答える赤屍。

 表面上には怒っているようには見えなかったが、赤屍の表情からはいつもの笑顔が消えていた。

 もしかしたら、余りに空気の読めないギーシュの傲慢な態度に内心では少しイライラ来ているのかもしれない。

 確かに、学院長と赤屍は、初日の交渉の際、「ルイズの使い魔として居る間は、この学院の人間に危害は加えない」という契約を結んでいる。

 しかし、向こうから仕掛けてきた相手に対しての反撃に関しては、流石に契約範囲外だ。

 

 

(こ、これは本当にヤバいわ。ギーシュ、殺されるかも…)

 

 

 最悪の予感がルイズの脳裏によぎる。

 ルイズは長い髪を揺らして、ギーシュを怒鳴りつけた。

 

 

「決闘は禁止されてるでしょ!」

 

「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘は禁止されてない」

 

「そうじゃない! 貴方、本当に死ぬわよ!?」

 

 

 ルイズは必死に止めようとするが、もう遅い。

 彼女のどんな説得も今のギーシュにとっては火に油を注ぐ結果にならない。

 もはやルイズの説得は通じないと判断した赤屍は、目の前のルイズの肩を押しのけて前に出た。

 

 

「やるなら、さっさとやりましょう。時間の無駄です」

 

「ふんっ、いいだろう。……では、始めようか!」

 

 

 ギーシュが薔薇の造花を振ると花びらが地面に落ちる。

 花びらが一枚落ちた瞬間、その花びらは鎧を纏った女騎士の人形へと姿を変えた。

 

 

「僕の二つ名は『青銅』のギーシュ。君の相手は僕の青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手しよう」

 

 

 ワルキューレと呼ばれた青銅の人形は、棒立ちに見えた赤屍に突進した。

 ワルキューレの拳が迫るが、まだ赤屍は構えてすらいない。ワルキューレの拳が当たると確信したギーシュは勝ち誇った顔でにやりと笑った。

 しかし、結果的にはワルキューレの拳は赤屍にかすりもしなかった。

 

 

 ――スパァン!

 

 

 爽快な音が響いた途端、目の前のワルキューレが一瞬にしてバラバラに切り裂かれていた。

 

 

「なっ……」

 

 

 突然の出来事に唖然とするギーシュ。そして、ギャラリー達。

 

 

「な、何が起こったんだ……?」

「ま、まさか今の瞬間に切り刻んだのか?」

 

 

 その場の誰もが、赤屍の神速の斬撃を捉えることは出来なかった。

 常人には予備動作すら見えない。そして、音すらも遥か置き去りにする神速の斬撃。

 バラバラに切り裂かれ、ゴトゴトと地に落ちるワルキューレの残骸に広場にいるギャラリー達が凍りつく。

 

 

「ち、調子に乗るなよ! ワルキューレ!」

 

 

 焦ったギーシュは残った花びらを全て落とし、さらに六体のワルキューレを作り出す。

 今度はそれぞれ槍や大剣、メイスなどといった武装を備えていたが、そんなものは赤屍にとっては何の意味も無い。

 周りを取り囲むようにして赤屍に襲い掛かるが、赤屍にとっては余りにも遅い。同じ操り人形ならMAKUBEXの操る『ワイヤードール』の方が遥かに速いし、ずっと高度な戦いが出来る。

 

 

「やれやれ…」

 

 

 既にギーシュに見切りを付けた赤屍は全てを終わらせるべく踏み出した。

 赤屍は襲い来るワルキューレの間をすり抜けると同時に、全てのワルキューレをバラバラに解体していた。

 

 

「え…あ……」

 

 

 目の前で起こった現実を受け止められないギーシュ。

 ここに来てようやくギーシュは自分がどんな相手にケンカを売ったのかを思い知っていた。

 脳裏に浮かぶのは畏敬、恐懼。恐怖のあまり呼吸が止まる。指先一つ動かすことも、目を逸らすことも、そして呼吸さえも許さない。

 全てのワルキューレを斬り捨てた赤屍は、ゆっくりとギーシュに歩み寄る。ギーシュは思わず後退りするが、どこにも逃げる場所などない。

 自分は貴族だから殺されるはずが無い、という無意識の甘えが一発で吹き飛んだ。このまま行けば自分は確実に殺されるのだと、今更ながらギーシュは理解する。

 しかし、ギーシュとの距離があと数歩というところで、何故か赤屍はその歩みを止めた。赤屍はしばらくギーシュを冷めた視線で見つめていたが、やがて呆れたような溜め息を吐いて言った。

 

 

「……やれやれ。まだお気付きにならないのですか?」

 

「な、何のことだい?」

 

 

 赤屍の言葉の意味が分からずギーシュは訊き返した。

 そんなギーシュに赤屍はもう一度大きな溜め息を吐く。

 

 

「分からないなら、分からないで構いませんよ。決闘はもう終わりです。それと、あのメイドに謝罪するならお早めにお願いします。できれば30分以内にね」

 

「あ、ああ。決闘は僕の負けだ。わ、悪かった。あのメイドにも謝るよ」

 

 

 そして、赤屍はその場から踵を返す。

 赤屍が立ち去った途端、ギーシュはその場にヘナヘナと座り込んだのだった。

 

 

「……た、助かった?」

 

 

 命が助かったという安堵から腰が抜けてしまい、その場から動けないギーシュ。

 実は全く助かってなどいなかったのだが、彼らがそれを知るのは、それからおよそ30分後のことだった。

 

 

 

 

   ◆

 

 

 

 

 決闘が終わってしばらくした後、ルイズは赤屍の居る医務室を訪れていた。

 その理由は主に赤屍に対して文句を言うためだ。ルイズはコメカミの血管をピキピキさせながら赤屍を非難する。

 

 

「アンタねえ! 私に無断で決闘なんて勝手なことしてんじゃないわよ!?」

 

「フム…、確かに少し軽率だったかもしれませんね。ですが、先に喧嘩を売ってきたのは向こうですよ?」

 

 

 自分は火の粉を払っただけだと主張する赤屍。

 確かに、今回の決闘の発端はどう考えてもギーシュに非がある。それが分かっているだけにルイズも余り強くは言えない。

 はっきり言って、ギーシュが殺されずに済んだだけも儲け物である。

 

 

「ま、まあ、終わったことは仕方ないわ。とりあえず、ギーシュを殺さないでくれたのは助かったわ」

 

 

 もしも、あそこで赤屍がギーシュを殺していれば、大問題というレベルでは済まなかった。赤屍の一応の主人という立場にあるルイズも何らかの責任を取らされることは確実だったろう。

 しかし、この次に赤屍の口から出た言葉は、そんなルイズの予想を完全に超えたものだった。

 

 

「何を言ってるんです? もうとっくに死んでますよ、彼」

 

「え?」 

 

 

 赤屍の言葉に、思わず間抜けな声を出してしまうルイズ。

 最初、赤屍が何のことを言っているのか分からなかったが、ルイズはすぐにその言葉の意味を理解することになる。

 

 

 ―――ギーシュが突然、全身をバラバラにさせて絶命したという知らせが学院中を駆け巡ったのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

 

   ◆

 

 

 

 

 ギーシュが突然、全身をバラバラにさせて絶命したという大事件。当然、学院はその大事件に騒然となった。

 どう見ても他殺。それも全身をバラバラにされて殺されるという残虐極まりない殺人。当然、真っ先に疑われるのは、直前の決闘騒ぎの相手であった赤屍だ。

 しかし、事情聴取の際、赤屍は事も無げにこう言い放った。

 

 

「誰か私がギーシュ君を斬ったところを見たんですか? 誰も私が斬ったところは見ていない。ましてや彼が血を吹いて倒れたのは決闘が終わってから30分後です。その間、私は彼に一度も接触していません。普通に考えたら、彼が血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た者を犯人として疑うべきではないですか?」

 

 

 決闘が終わってからギーシュが血を吹いて倒れるまでの間、ギーシュは普通に歩いていたし、普通に会話もしていた。そして、その間、赤屍はギーシュに一度として接触していない。つまり、常識で考えたなら、その間の赤屍のアリバイは完璧に証明されてしまうのだ。常識の範囲で考えるなら、ギーシュが血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た者が犯人として疑われることになる。

 そして、ギーシュが血を吹いて倒れた時に彼の傍に居た人物とはマリコルヌであった。

 

 

「ぼ、僕はやってない! 本当だって!! あんな異常な殺人、僕には逆立ちしたって出来やしない!!」

 

 

 マリコルヌが必死に無実を訴える。

 もちろん、学院の生徒や教師達は、マリコルヌにあんな殺人が出来るとは考えていない。

 学院の人間はギーシュを殺した『本当の犯人』を知っていたが、残念ながらそれを証明する術を持たなかった。

 

 

「僕はやってないんだよーー!!!」

 

 

 衛兵に重要参考人として連れて行かれるマリコルヌ。

 結局、ドットメイジである彼にはあの犯行は不可能ということで釈放されることになるのだが、それはまだしばらく先のことであった。

 ちなみに、この時の彼の経験を元にした『それでもボクはやってない』というタイトルの小説が後にトリステインの貴族の間でヒットするのだが、それはまた別の話である。

 

 



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第七話『決闘騒ぎの後』

 ギーシュが全身をバラバラにさせて死亡するという大事件。

 当然、学院中がその前代未聞の事件に騒然となった。翌日になっても学院はその事件の話題で持ち切りになっており、学院長室ではオスマンとコルベールが揃って頭を抱えていた。

 決闘が終わった時点ではギーシュは普通に生きていた。それがまさか決闘が終わってから30分後に時間差で死亡するなどと、オスマンも想像すらしていなかった。

 

 

「オールド・オスマン…、もしも我々が最初から『眠りの鐘』を使っていれば彼は死なずに済んだんでしょうか…?」

 

「……その判断を下したのはワシじゃよ。全ての責任はワシにある」

 

 

 何かに疲れたようなコルベールとオスマンの声。

 もしも最初から『眠りの鐘』を使っておけば、或いはこんな事態にはなっていなかったのだろうか。そんな後悔が後から後から押し寄せる。

 しかし、赤屍蔵人という男の危険性を学院中に周知させる為にはあの決闘騒ぎは逆に都合が良かったとも言える。

 

 

 ――ドットメイジ程度なら本当の意味で気付く前に殺せる――

 

 

 常識を超えた殺人スキルの持ち主。

 この事件を切っ掛けに赤屍の実力と危険性はすでに学院中に知れ渡っていた。

 恐らく赤屍に迂闊にケンカを売るような者は、この学院には今後一人たりとも現れないだろう。

 オスマンが敢えて『眠りの鐘』を使わなかった理由には、そういった見せしめ的な狙いも無かったとは言えない。

 

 

(生徒を守るべき教師としては失格じゃな、ワシは……)

 

 

 内心でオスマンはそう自嘲した。

 いずれにせよ生徒の一人が死亡したことは間違いない。

 関係各所への事情説明や調整など、学院の責任者としてやらなければならないことは山ほどある。

 これから処理しなければならないであろう膨大な仕事にオスマンが憂鬱な気分になっていると、不意に学院長室の扉がノックされる音が聞こえてきた。

 

 

「失礼しますよ、学院長」

 

 

 姿を現したのは学院中の話題を独占している人物、赤屍蔵人だった。

 生徒の一人を殺しておきながら赤屍の様子は何も変わった様子がない。おそらくこの男はギーシュを殺したことに対する罪の意識など欠片も持ち合わせていない。

 思わずその場から立ち上がり、赤屍に食って掛かりそうになるコルベール。しかし、オスマンは片手を挙げてコルベールを制した。

 

 

「……落ち着きたまえ。たとえ君でも彼には勝てんよ」

 

「し、しかし!」

 

「君の気持ちは分かる。じゃが、ここは堪えたまえ」

 

 

 コルベールと対照的にオスマンは氷のような冷静さを保っていた。

 学院の責任者という立場にいる自分がここで冷静さを失えば全てが終わりだ。

 オスマンはまるで崖っぷちの戦場に赴く兵士のような心境で赤屍に訊ねる。

 

 

「ミスタ、何か用かね?」

 

「ええ。お話したいことが幾つかありまして」

 

 

 そう言って、赤屍は話を切り出した。

 

 

「まずはルイズさんのことです。実際に彼女の『爆発』を見せて貰ったことで確信しましたよ。彼女の持つ力は強力過ぎます。あれは生半可な術式でコントロール出来る代物ではありません」

 

「それは本当かね? そうだとしたら、やはり間違いなさそうじゃの…」

 

 

 赤屍の話にオスマンは眼光を鋭くさせる。

 彼の左手に刻まれた『ガンダールヴ』のルーンと併せて考えるなら、ルイズの系統はもはや確定的かもしれない。

 オスマンは話すべきか一瞬迷ったが、ここは下手に誤魔化すよりも正確な情報を与えたほうが今後のためだろう。そう判断して、話し始める。

 

 

「……まず君の左手に刻まれたルーンじゃが、ただの使い魔のルーンではなく、ガンダールヴという特別な使い魔に刻まれたルーンなのじゃ」

 

「ガンダールヴ、とは?」

 

「始祖ブリミルに仕えたという伝説の使い魔の一体じゃよ。ありとあらゆる『武器』使いこなし、その強さは千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持っていたそうじゃ」

 

 

 オスマンは自分が知っている範囲のことを赤屍に語った。

 そして、オスマンの話の内容は核心部分へと移って行く。

 

 

「彼女は『始祖』と呼ばれる存在が使役した使い魔を呼び出した。つまり、彼女は始祖と同じ力を持ち得るということじゃ。ほぼ間違いなく彼女の系統は、失われしペンタゴンの一角『虚無』じゃろう」

 

「『虚無』ですか……。土・水・火・風の四大系統に属さない、すでに失伝している伝説の系統、でしたかね?」

 

 

 オスマンの話から赤屍はシュヴルーズの授業で教えられた内容を思い出していた。

 始祖ブリミルが扱えたとされる伝説の系統。だが、それはすでに失われた系統であり、もはや伝説の中にしか残っていない。

 

 

「おそらく虚無の魔法を教えられるのは、虚無のメイジのみじゃろう。しかし、虚無の使い手などハルケギニア中を探しても見つかりはせん」

 

「ふむ。それではこの先、ルイズさんが虚無系統の魔法を使えるようになる見込みは無いということですか?」

 

「いや、それは早計じゃ。始祖ブリミルも自分の魔法を後世に残そうとしたはずじゃからの。もしかすると始祖ゆかりの秘宝にならば、なんらかのヒントが隠されておるかもしれん」

 

 

 オスマンは赤屍にそう語った。

 しかし、現状でルイズが虚無魔法を扱えるようになる可能性は限りなく低いと言える。

 何故なら始祖の伝説そのものは広く伝わっているが、残っている始祖の秘宝は贋作だらけで、現存する本物の秘宝は驚くほどに少ないからだ。

 流石に王家に伝わるような秘宝なら本物である可能性は高いが、そんな国宝級の代物をおいそれと持ち出すわけにはいかない。

 

 

「それと、ここで話したことは他言無用にお願いしたい。もしこんな話が王宮にでも漏れたら大変じゃ。暇を持て余した宮廷雀どもが、戦がしたいと鳴き出しかねん」

 

 

 ルイズの系統や、ガンダールヴのことは内密にしてくれと頼むオスマン。だが、赤屍にとって戦乱と殺戮はむしろ望むところでしかないだろう。

 最悪の場合、この男が自ら率先して王宮に売り込みに行くのではないかとオスマンは危惧していた。

 しかし―――

 

 

「分かりました」

 

 

 意外なことに赤屍はあっさり引き下がった。

 オスマンは余りに意外な赤屍の反応に拍子抜けしてしまったくらいだ。

 

 

「……意外じゃよ。そんなにあっさり引き下がるとはの」

 

「クス、簡単ですよ。私はあくまで『運び屋』ですから。仕事の見返りに報酬を貰う―――雇用というのはある種のギブ&テイクの関係です。そういうギブ&テイクの関係なら問題ないんですが、そういう欲望に塗れた権力者は、下の者を一方的に利用することしか考えてませんからね。私は一方的に利用されるだけというのは嫌いなんですよ」

 

 

 意外そうな表情を浮かべているオスマンに赤屍は苦笑して言った。

 実際、私欲を満たすことしか頭にない権力者は、赤屍にとっても余り好きな人種ではない。そういう連中は大抵の場合、下の者を一方的に利用することしか考えていないからだ。

 これまで赤屍に仕事の依頼をしてきた者の中にもそういう連中は数多く居たが、そういう連中の多くは依頼を成功させた赤屍への報酬をケチったり、口封じのために依頼を成功させた赤屍を殺そうとしたりで、どいつもこいつも碌なことをしない。

 もっとも、そのような一方的な契約違反をやらかした者は全員が赤屍に殺されていることは言うまでもないが。

 

 

「ですから、学院長――」

 

 

 そこで赤屍は言葉を切る

 そして、赤屍はオスマンの心配を完全に見透かした上で言った。

 

 

「――とりあえずは安心していいですよ? 少なくとも、私が自分から争いの種を蒔くことはありませんから。わざわざそんなことをしなくても、いずれ厄介事は向こうからやってきます」

 

「………」

 

 

 赤屍の言葉にオスマンは押し黙った。

 オスマンも普段の漂々とした態度からは想像もつかないほど、過酷な人生を歩んだ人間である。

 だから、赤屍の言葉の意味も理解できる。強大な力を持ってしまった者は、いつか必ず大きな流れの中に巻き込まれる。ルイズや赤屍が持つ力は、そういう種類の力なのだろう。

 そのままオスマンが押し黙ったままでいると、ふと赤屍は別の話題を切り出してきた。

 

 

「ところで、学院長。一つお尋ねしたいのですが、『聖痕(ステイグマ)』という言葉に心当たりはありますか?」

 

「? 何じゃね、それは?」

 

「どうやら知らないようですね。それが確認できただけで十分です」

 

 

 そう最後に言い残し、赤屍は学院長室を後にする。

 教師二人は赤屍が学院長室から出て行くのを黙って見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 赤屍が学院長室でオスマンと話をしている頃、ルイズは真っ白に燃え尽きていた。

 ルイズの座る対面の席にはキュルケが居たが、現在、ルイズのヤケ酒に付き合わされる形になっている。

 

 

「マスター……ワイン、お代わり」

 

「誰がマスターよ…」

 

 

 どうやら朝から飲み続けているらしく、キュルケがルイズの様子を確認しに部屋を訪れた時には既にルイズは完全に酔っ払いと化していた。

 それにしてもテーブルに突っ伏したルイズの口から魂のようなモノが半分抜け出ているように見えるのはキュルケの気のせいだろうか。

 だが、今の状況を考えればルイズがこうなってしまうのも無理はない。

 

 

「うぅ…ひっく…だってだって! ギーシュを殺したのってどう考えても赤屍じゃないのよ~! 私がアイツを召喚しちゃったばっかりに……」

 

 

 ギーシュを殺したのが赤屍だというのは学院の生徒の間では殆ど公然の秘密となっている。

 建て前の上ではマリコルヌが容疑者扱いされているが、あのようなバラバラ殺人をマリコルヌが行う理由もなければ動機も無い。

 つまり、あの男はギーシュをあっさり殺してのけて、あまつさえ無実のマリコルヌにその罪を擦り付けているということだ

 キュルケは手に持ったグラスを弄びながら呟くように言った

 

 

「まあ、ギーシュの両親には二度と顔向け出来ないわよねぇ…」 

 

 

 キュルケの言葉に「うわーん!」と大泣きするルイズ。

 その悲哀たるや普段は敵対しているはずのキュルケですら同情してしまう程だった。

 そうしてキュルケが「よしよし」とルイズの頭を撫でて慰めていると、やがて「Zzz…」という寝息が聞こえてきた。

 

 

「やっと潰れたみたいね…」

 

 

 部屋の中には空になったワインの瓶が四本も転がっている。この少女、明らかに飲み過ぎである。

 だが、これだけの事件を起こされれば、ルイズでなくともお酒に逃げたくなるのは当然だろう。

 

 

「……全く世話を焼かせるわね。この子も」

 

 

 キュルケは酔い潰れたルイズを抱きかかえ、ベッドに移動させる。

 ライバルの情けない姿を見るのはキュルケとしても本意ではない。自分のライバルを名乗るのであれば、いつも自信満々で華麗に振る舞っていて欲しいと思ってしまう。

 しばらくの間、キュルケが寝息をたてるルイズの顔を眺めていると、ふと部屋の扉がノックされる音が響いた。

 

 

「失礼しますよ」

 

 

 現れたのは全ての元凶である黒ずくめの男だった。

 部屋に入った赤屍はすぐにルイズが酔い潰れて眠っていることに気付く。

 

 

「おや、ルイズさんはお休み中でしたか」

 

 

 まるで他人事のように言う赤屍。

 しかし、一体誰の所為でルイズがこんな状態になっていると思っているのか。

 キュルケは内心で溜息を漏らすと、少し皮肉気に赤屍に言う。

 

 

「この子がこんな風になってるのは、どこかの誰かさんの所為なんだけどね?」

 

「クス…、それはそれは、困った人も居たものです」

 

 

 内心で「そりゃアンタのことよ」と呆れながらキュルケは赤屍のことを改めて観察する。

 今更ながらこの男、メイジを殺害しておいて迷いや戸惑いといったものが全く無い。まるでそれが日常であるかのように平然としている。

 

 

(もう『メイジ殺し』ってレベルすら超えてるわね…)

 

 

 キュルケは赤屍のことを観察しながら、そう思った。

 魔法を使える者と使えぬ者。このハルケギニアの常識では両者には絶対的な差が存在している。

 たとえ『メイジ殺し』と呼ばれる者であっても、正面からの戦いでトライアングルやスクウェアレベルのメイジが相手となれば分が悪いのが普通だ。

 だが、この男にそんな常識は通用しない。キュルケはギーシュとの決闘の様子を見て、そのことを確信していた。実際、自分がこの男と戦う場合を想像してもまるで勝てるヴィジョンが浮かばない。

 明らかにハルケギニアの常識から外れた異質な存在だとキュルケは感じた。

 

 

「まあ、今回の事はギーシュの自業自得だしねぇ…。でも、今後はあまり騒ぎは起こさないで貰えるかしら? 今回みたいな騒ぎを何度も起こされたら、たぶんその子の精神が潰れちゃうし…」

 

「クス…、分かってますよ。向こうから仕掛けてこない限り、基本的に私からは何もしません」

 

「ホントに頼むわよ? この子のこと」

 

 

 キュルケは念を押して赤屍に言った。

 彼女自身、何だかんだでルイズのことを心配しているのだ。そうでなければ、わざわざルイズの様子を見に来たりしない。

 自他共に認める犬猿の仲であっても、実際には認めるべきところはキチンと認めている。無限城世界にも美堂蛮と冬木士度という顔を合わせる度に「猿マワシ」「蛇ヤロー」などと罵倒し合う犬猿の仲の二人が居るが、ルイズとキュルケの二人の関係はそれに似ていた。

 

 

「ところで貴方、この子に用があったんじゃないの?」

 

「ええ。そのつもりだったんですがね。見たところ完全に酔い潰れていらっしゃいますし、少し待たせてもらいますよ」

 

 

 そう言って赤屍は部屋の椅子に腰を下ろした。

 どうやらルイズが目を覚ますまで待つつもりのようだ。

 

 

「いいの? 多分その子、数時間は起きないと思うけど」

 

「別に構いませんよ。ちょうどメスの手入れをしたいと思っていたところです」

 

「ふーん…。ま、私もちょっと飲みすぎちゃったわ。私はもう部屋に戻るから、その子のことよろしく頼むわね。ドクター?」

 

 

 そう言い残して、キュルケは部屋から出て行った。

 赤屍はポケットから小さい砥石を取り出すと、手持ちのメスを砥ぎだした。シャリシャリと刃物を研ぐ音が部屋の中に響く。

 やや薄暗い部屋で薄い笑みを浮かべたまま、刃物を研ぐ黒ずくめの男。傍から見たその姿はどう考えても軽くホラーである。

 それから数時間後、ルイズが目を覚ましてメスを研いでいる赤屍の姿を見たとき、彼女の悲鳴が学院の寮に響き渡ったことは言うまでも無い。

 

 

「アイエエエエエエエエエエエ!?」

 

 

 少しの間、「アカバネ!?アカバネナンデ!?」「コワイ!」「ゴボボーッ!」などと混乱していたルイズだったが、すぐに落ち着きを取り戻した。

 ちなみにこうしたルイズの愉快な悲鳴が学院に木霊するのは、今後の学院では半ば日常茶飯事な出来事と化していくのだが、それは余談である。

 

 

「クス、ようやく落ち着いてくれたようで」

 

「赤屍ぇぇぇぇ! アンタねえ!私を怖がらせる為にわざとやってんの!? わざとやってんでしょ!!」

 

 

 ルイズは怒りを爆発させて赤屍に詰め寄る。

 しかし、赤屍の方は打てば響く太鼓のようなルイズの反応を愉しんでいるという感じだ。

 もはや「銀次弄り」ならぬ「ルイズ弄り」のターゲットに認定されてしまったようで、完全にご愁傷様である。

 

 

「それよりルイズさん。随分と飲んでいたようですが体調は大丈夫ですか?」

 

 

 赤屍に言われ、ルイズは自分がヤケ酒をしていた事を思い出す。

 赤屍への怒りが冷めていくと同時に、彼女は凄まじい頭痛と嘔気を自覚した。

 

 

「うぅ…気持ち悪い…うっぷ、死にそう…」

 

 

 思わずベッドにうつ伏せに倒れこむルイズ。どこからどう見ても完全な悪酔い状態である。

 赤屍はあらかじめ用意していた嘔吐用のバケツをルイズに手渡した。それに加えて、水分補給の為の水とコップも用意している辺り無駄に準備がいい。

 

 

「あ、ありがと。うっぷ…オロロロロロロ~」

 

「クス、これが所謂『ゲロイン』という奴ですかね?」

 

「だ、誰の所為でこうなってると…!うっ! オロロロロロロ~」

 

 

 もはやルイズは乙女としてどうか?という状態になっていた。

 だが、この場合は仕方がない。ヒロインだって人間なのだ。落ち込むことだってあれば、ヤケ酒を飲むこともあれば、ゲロを吐くことだってあるだろう。

 そうして、乙女にあるまじき醜態を晒しながら、ようやく嘔吐が治まった頃にはすでに夕食が始まるような時刻になっていた。

 

 

「ルイズさん、そろそろ夕食の時間のようですが食べられますか?」

 

「今は無理…」

 

 

 ルイズはぐったりとベッドに横になったまま、消え入りそうな小さな声で返事をする。何とか嘔吐だけは治まったが、体調は依然として最悪だった。

 一般に悪酔いや二日酔いと呼ばれる症状はアルコールの中間代謝産物であるアセトアルデヒドの毒性と脱水によって引き起こされると言われている。

 したがって二日酔いの対処法としては、水分を補給することがまず第一であり、また肝臓でのアルコール分解には糖分が必要であるため糖分をとることも有効となるのだが、それを知っている赤屍の対応は完璧だった。

 

 

「それでは水分補給には、これを飲むようにして下さい。砂糖と塩、オレンジ果汁を混ぜて作った自作の経口補水液ですので、ただの水を飲むよりは効果的でしょう」

 

 

 そう言って、赤屍は自作の経口補水液の入った水差しを部屋のテーブルに置いた

 どうやらルイズがゲロイン化している時、赤屍はこれを作っていたらしい。

 

 

「それではルイズさん。本当は貴女に相談したいことがあったんですが、今は体調が優れないようですので、また明日、改めて顔を出すことにしますよ」

 

 

 そう言って赤屍はルイズの部屋を立ち去り、食堂に向かった

 後に残されたルイズはもう二度とこんな無茶な酒の飲み方はしないと固く心に誓ったのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ベッドに横になっているルイズを差し置いて赤屍が食事を済ました頃、おずおずといった感じで赤屍に近づく女性が居た。

 ギーシュと赤屍が決闘をする切っ掛けにもなったメイドであるシエスタだった。

 

 

「あの…昨日はその…助けて頂いてありがとう御座いました…。でも、すいません。私なんかを助けるために大変な事になってしまって…」

 

 

 心底申し訳なさそうに頭を下げるシエスタだったが、ギーシュを殺したことに関しては赤屍は全く気にしていない。

 実のことを言えば、赤屍が気になっていたのはギーシュなどよりもシエスタの方である。このメイドは赤屍の興味を引くだけのものを持っていた。

 相手の気配からその相手の強さを推し量るという能力は、一般に自分の実力が上がるに従ってその精度が上がっていく。当然、赤屍クラスの実力者なら相当な精度で相手の実力を見抜くことが出来る。だからこそ、赤屍は見抜いていた。恐らくはシエスタ本人にすらも知らされていない彼女の右眼に刻まれた秘密を。

 

 

「貴女が気にする事ではありませんよ。私に言わせれば、ギーシュ君よりも貴女の方がよほど面白い素材です」

 

 

 そうでなければわざわざ助けたりしない。

 恐らく彼女は生まれてすぐ右眼に封印を施されている。

 一体誰が彼女の右眼の『聖痕(ステイグマ)』に封印を施したのかは知らないが、もしも封印が解けていればそこらのメイジなど全く相手にならないだろう。それくらいの潜在能力は確実にある。

 しかし、そのことを自覚していないシエスタからしてみれば赤屍の言葉に首を傾げるしかない。

 

 

「? 私、そんなに面白いですか?」

 

「ええ。とてもね」

 

 

 そう言って、赤屍はシエスタに微笑みかけた。

 この場合の赤屍にとっての「面白い」とは、「自分の強敵と成り得る可能性を持っている」という意味なのだが、それを知らないシエスタは赤屍の言葉を額縁通りに受け取った。

 赤屍がシエスタを助けた理由は、自分の強敵と成り得る見込みがあったからであり、決してただの善意だけの行動ではない。だが、結果的に赤屍に助けられたの事実であり、シエスタは純粋に赤屍に感謝しているようだった。

 

 

「それはそうと、赤屍さんのこと学院の平民の間でも噂になってますよ」

 

「どんな噂ですか?」

 

「えっと、『ダークヒーロー』みたいなメイジ殺しだって」

 

 

 この時点での学院の貴族の間では、自分達の優位性を脅かす存在として赤屍は恐怖の対象でしかなかった。

 しかし、シエスタを含めた学院の平民の間では、実はそれほど評判は悪くなかったりする。実際、今の時点で赤屍は平民に対しては一切の危害は加えておらず、傲慢な貴族の鼻っ柱をへし折ってくれた男ということで、赤屍のことを『ダークヒーロー』として憧れを抱く平民もいくらか居たようである。

 

 

「クス…、私が『ダークヒーロー』ですか」

 

 

 シエスタの話を聞いた赤屍は愉快そうに笑った。

 赤屍自身、自分が「人格者としての主人公像」とは程遠いことは自覚している。そういう意味では、赤屍のことを的確に表現した言葉かもしれない。

 他人からどう評価されようが赤屍にとってはどうでもいいことだが、中々面白い評価である。

 

 

「ところで、赤屍さんはお医者様なんですよね?」

 

「まあ、一応ね。普段は医務室に居ますので、怪我人や病人が出た時には連れて来てください。無料で診てあげますよ」

 

「無料で!? 本当ですか!? な、何だか悪いです。こっちばかりお世話になってるみたいで…」

 

「クス…、困った時はお互い様ですよ。何より私が好きでやっていることです」

 

「あ、ありがとうございます! みんな助かります!」

 

 

 赤屍の言葉に真っ白な笑みをシエスタは返した。

 これ以降、学院の平民の間では赤屍は秘薬や魔法に頼らない医術を駆使する名医としても知れ渡っていく。

 ちなみに料理長のマルトーも赤屍の治療を受けた一人で、カイロプラティックの施術で持病の腰痛をわずか五秒で治療されたらしい。

 なお赤屍がマルトーの腰痛に対して行った施術の際、彼の身体からは「ゴキゴキ!」「ベキャ!」「ゴリッ!」などというおよそ人体から鳴ってはならない種類の音が聞こえていたのは余談である。

 



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第八話『トリスタニアにて』

 ――学院の料理長であるマルトーは後にこう語っている。


「ドクターのことかい? まあ、確かに貴族の連中は随分恐れてたみたいだが、こっちから何かしない限り俺たち平民にとっては基本的に無害だったな。
 誰が相手でも丁寧に対応するし、医者としての腕は確かだったよ。俺の腰痛もドクターに治して貰ったんだぜ? けど、どんな治療を受けたのか何故か全く記憶に残ってないんだよなぁ…」


 マルトーのこの言葉から分かるように、平民の間での赤屍の評判は実はそれほど悪くなかったと言われている。
 平民に対するメイジの優位性を根本から覆す存在として、赤屍のことを『ダークヒーロー』として憧れる平民も幾らか居たらしい。
 それに加えて現代医学の知識に基づく赤屍の診療は極めて的確だったらしく、赤屍の医者としての評判もそれなりだったと記録には伝えられている。
 しかし、赤屍が診療を行う時、何故か必ず断末魔のような悲鳴が聞こえていたという証言もあり、彼が一体どんな医術を駆使していたのかは今をもって完全に謎に包まれている。




 ルイズが生涯において最悪の悪酔いから回復してから翌日。

 その日は虚無の曜日と呼ばれる休日であり、赤屍とルイズはトリステインの王都トリスタニアに出掛けていた。

 彼ら二人がトリスタニアにまで出掛けることになった発端は赤屍が持ち掛けてきた相談である。

 

 

「街の様子を見てみたいですって?」

 

「ええ。折角異世界にまで来たわけですし、少し観光でもしてみようかと」

 

 

 このハルケギニアの社会事情や文明レベルについては、この学院での話を聞いて大体のことは把握している。

 だが、百聞は一見に如かずという言葉もあるように、見ると聞くとではやはり大きな差がある。その辺りのことを確認するためにも、実際に人々が生活する様子を確認しておきたかった。

 それに加えて、赤屍の替えの服を調達する必要もあったため、彼らはこの休日を利用して街まで出掛けていたのだった。

 二時間ほど馬に揺られた後、二人はトリスタニアの街に到着した。

 

 

「…ふむ。思ったよりもこじんまりとした印象ですね」

 

「何よ、トリステインが田舎だって言いたいの?」

 

「いいえ? 風情があって中々良い街だと思いますよ」

 

 

 お世辞でも何でもなく本心から赤屍は言った。

 赤屍が暮らしていた裏新宿のコンクリートの街並みと違って、トリスタニアの街並みは白い石造りの建物が目立っている。

 赤屍の見立てでは、このトリステインの文明のレベルは地球での中世~近世ヨーロッパと同じくらいだろう。もちろん赤屍の出身地である日本の東京と比べれば規模の違いは歴然だ。

 しかし、魔法が生活の中に息づくファンタジーの世界としては、こういった街並みの方が風情がある気がする。

 

 

「私が住んでいた街は規模こそ桁違いですが、少し無機質過ぎますからね。個人的には、こういった歴史情緒のある街は好きですよ」

 

「ふふん。何せ始祖に連なる由緒ある国の王都だもの。ゲルマニアみたいな野蛮な国とは伝統が違うわ」

 

 

 自分の祖国の街を褒められて悪い気はしないのか、えっへんと胸を張るルイズ。

 気位とプライドが非常に高い上、短気で癇癪持ちで気難し屋。赤屍に対してビクビク脅えている時の彼女の様子は銀次を彷彿とさせるが、普段の彼女の素の性格で言えば美堂蛮の方に近いかもしれない。

 自分のお気に入りの好敵手二人のことを思い出して、赤屍はクスリと笑った。しかし、赤屍の笑った理由が分からずにルイズは赤屍の方へ怪訝そうな視線を向ける。

 ルイズに視線で問いかけられた赤屍は、軽く苦笑してから言った。

 

 

「クス…、いえ、少し知り合いの好敵手のことを思い出しましてね」

 

「好敵手って……そいつもアンタ並みに強いってこと?」

 

「ええ。私が知る中で一番の好敵手です。私ですら勝てるかどうか分からない程のね。実際、彼ら二人には一度も勝てたことがありませんから」

 

 

 ルイズは赤屍の言葉に酷く驚いた顔をした。

 赤屍ですら勝てるかどうか分からない人間。それどころか赤屍を負かした人間がいるという事実がルイズには信じられなかった。

 ルイズは恐る恐るといった様子で赤屍に訊ねる。

 

 

「ひょっとして、アンタの世界ってアンタ以上の化け物がゴロゴロ居るの?」

 

「まさか。私と同等のレベルとなると世界中を探し巡ったとしても、せいぜい片手で数えられる程度しか居ませんよ」

 

「そ、そりゃそうよね」

 

 

 赤屍の返答を聞いた彼女の口調に、どこかほっとしたものがあるのは咎められまい。

 ハルケギニアとは別の世界のことだと分かっているのに、思わずルイズは胸を撫で下ろしてしまっていた。

 実際、赤屍のような狂った強さの化け物が何人も何人も居たら堪ったものではない。一体どれだけ殺伐とした世界なのだ。

 もっとも赤屍の発言の裏を返せば、赤屍と同レベルの実力者が少なくとも数人程度は居るということであり、それはそれで既に十分過ぎるほど殺伐としている気がする。

 

 

「それより早く行きましょうか。道案内はお任せしますよ」

 

「え、ええ。分かってるわ」

 

 

 そう言って、ルイズと赤屍は街の通りを歩き出した。

 二人はブルドンネ街の大通りから脇道の路地に入って目的の店に向かったのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 それから数時間後、いくつかの店を回り必要な物を揃えた二人は、街のあちこちを見学していた。

 現在、彼らが散策している裏通りのチクトンネ街は、多数の酒場や賭博場などが軒を連ねており、まるでオモチャ箱を引っ繰り返したような雑多な印象を受ける。

 流石に無限城エリアほどの危険地帯ではない様だが、赤屍はルイズが意外にも治安の悪そうな界隈まで足を伸ばしているのを知って少し驚いた。

 

 

「少し治安が悪そうな場所ですが、よく来るんですか?」

 

「私も滅多に来ないんだけどね。秘薬の材料とかを売っている店がこの近くなのよ。私は水の秘薬ぐらいしか買ったこと無いけど」

 

 

 その答えに赤屍はなるほどと納得する。

 一般に表の世界よりも、裏の世界の方がお金も人も多く集まる。

 表立っては流通が禁止されているような秘薬などは、こういった裏路地にあるようなちょっと危ない店で手に入れるのだそうだ。

 特にルイズの同期であるモンモランシーなどは比較的そういう店を利用することも多いらしい。

 

 

「ふむ…。そういった裏社会の事情というのは、どこの世界でも余り変わらないですねえ」

 

 

 ルイズから話を聞いた赤屍は呟くように言った。

 赤屍の知る裏新宿も治安の悪さでは大概だが、逆に一般には絶対に手に入れられない物が手に入ることも多い。

 無限城の特産品である『無重力合金』や、呪術師が精製して販売している『ブードゥードラッグ』などはその一例だろうか。

 

 

「ここがその秘薬屋よ。見学してく?」

 

 

 そういってルイズが足を止めた。

 しかし、赤屍は何故かその隣の店の方に注視していた。

 

 

「? 武器屋に何か用事あるの?」

 

 

 そのとき、赤屍は何か異質な気配をその武器屋から感知していた。

 思わず赤屍は、ルイズの存在も忘れてその店へと足を踏み入れていた。

 入った店の中は薄暗く、壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられている。

 二人が店内に入ると、厳つい風貌をした五十くらいの店主が顔を出した。

 

 

「ん? 貴族様が何の用ですかい?」

 

「一応、客……だと思うわ、たぶん。アイツがだけど」

 

 

 そう言って赤屍の方を指差すルイズ。

 店主は意外そうに思いながらも、ルイズに訊ねた。

 

 

「貴族様が武器とはどういう風の吹き回しかと思いましたが……、従者に持たせる剣をお探しで?」

 

 

 だが、赤屍は店主の言葉を無視して、最初からただ一点にだけ集中していた。

 そこにあったのは雑多に積み上げられた剣の山である。長さも種類もばらばらの剣が、ろくに手入れもされていない状態で積み上がっている。

 赤屍がその積み上げられた剣の山を見つめていると、それに答えるような声が店内に響いた。

 

 

「ん? 誰だ、俺のこと見てる奴は」

 

 

 その声はどう考えても剣の山の中から聞こえた。先程、赤屍が感じた異質な気配もそこから感じる。

 赤屍は剣の山を少し崩して整理すると、全く迷うことなくその中の一振りを手に取った。

 

 

「クス…貴方ですか。喋っていたのは」

 

「…!? おう。お前さん、桁外れに強えな。しかも『使い手』と来てやがる。こりゃおでれーたぜ」

 

 

 錆びだらけの喋る片刃の長剣。

 全体的に錆付いているが、造り自体はしっかりしている。錆びさえ落とせばそれなりに使える剣だろう。

 

 

「それって、インテリジェンスソード?」

 

「そうでさ、若奥様。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。一体、どこの魔術師が始めたんでしょうねえ。剣を喋らせるなんて……『デルフリンガー』って言うんですがね。とにかく、こいつはやたらと口は悪いわ、客に喧嘩を売るわで困ってまして……」

 

 

 店主は恐縮して言った。

 それにしても、意思を持った喋る剣とは中々に珍しい。

 しかも、デルフリンガーという名前の付いたこの錆びた剣は、何者かの魔法によって知能を持つに至ったと言う。

 

 

「ルイズさん。こういった無機物に意思を吹き込む魔法などというモノはあるんですか?」

 

「いいえ。今の系統魔法じゃ再現出来ないわ。先住魔法っていう別の種類の魔法で動いてるって言われてるんだけど……」

 

「先住魔法とは?」

 

「えっと…始祖ブリミルが降臨する前のハルケギニアで用いられてた魔法の体系の総称よ。今じゃエルフとかの人間以外の種族の使う魔法の代名詞になってるけど」

 

 

 赤屍に訊かれ、ルイズは自分の知っていることを説明した。

 始祖ブリミルが降臨する以前のハルケギニアでは、先住魔法と呼ばれる別の体系の魔法が広く使われていたのだという。

 しかし、始祖ブリミルがハルケギニアに四系統魔法を伝え広めてからは徐々に駆逐され、今ではエルフなどの人間以外の一部種族が使える程度で、人間の世界では先住の魔法によって作られたマジックアイテムや秘薬の原料などがわずかに残っているのみである。

 先住魔法は基本的にエルフなどの亜人たちが使う魔法で、自然界に存在する精霊の力を借りることで効果を発揮する魔法であると言われている。自然の力を借りる魔法であるため、人の意志によって発動される四系統魔法より強力な威力を持つのが特徴だ。

 だが、そこまで聞いて、赤屍にはいくつかの疑問が浮かんでいた。

 

 

「何故、人間社会の中では先住魔法は廃れてしまったんですか? 今の話を聞く限り、先住魔法の方が系統魔法よりもずっと強力なようですが」

 

「え?」

 

 

 赤屍としては至極当然な疑問だったが、ルイズにとっては余り深く考えたことが無い疑問だったらしい。

 答えに詰まってしまったルイズの代わりに錆びた剣が赤屍の疑問に答える。

 

 

「人間が扱う魔法としちゃ四系統魔法の方が汎用性が高かったんだよ。エルフの使う精霊魔法は周囲の精霊と契約する必要があるからな。自然と対立してきた人間と、自然と共生してきたエルフとじゃ、どっちが精霊と仲良くできるかは自明だろ? 根本的に人間には不向きな魔法なんだよ」

 

「なるほど。物知りですね、デルフリンガー君」

 

「まあな! なんつっても、俺っち6000年は生きてるからな!」

 

 

 鍔元をカチカチと鳴らしてデルフリンガーは上機嫌そうに答えた。

 もしもこの剣が擬人化されていたなら、エッヘンという感じに胸を張っていそうだ。

 

 

「ほう…、6000年とは凄い」

 

 

 赤屍は本心で感心していた。

 本当にそれだけの年月を経ているとしたら、武器としての価値は怪しいとしても、歴史的な価値は十分ありそうだ。

 何故ならこの剣は、歴史上の事件を見て、歴史上の人物に会い、全てを知識としてではなく体験として知っている可能性があるのだ。

 

 

「そういえば始祖とやらがこの世界に現れたのも6000年前と聞いていますが、貴方はその時代の剣ということですか?」

 

「始祖? ああ、ブリミルか。会った事もあるぜ」

 

 

 とんでもない爆弾発言をさらりとかますデルフリンガー。

 始祖ブリミルと言えば、ハルケギニアの人間社会においては神と同等の存在として崇拝される存在である。そんな存在に会ったことがあるなどと言われても、俄かには信じられないだろう。

 実際、ルイズなどは「どうせ騙りなんじゃないの?」と疑いの目を向けているくらいだ。

 

 

「お願いだ!この俺、デルフリンガー様を買ってくれ!おめえが買わなきゃ、このしがない武器屋で一生を終えることになっちまう!」

 

 

 ルイズの疑惑の視線を無視し、ここぞとばかりに赤屍に自分を売り込むデルフリンガー。

 しかし、当の赤屍はデルフリンガーに対して武器としての価値は全く見出してはいなかった。

 何せこの男は、自分が扱うための武器なら自分の血液からいくらでも作り出せるのだ。

 

 

「…ふむ」

 

 

 赤屍は少し考える素振りを見せる。別に彼自身には新しい武器は必要ない。

 だが、本当にこの剣が始祖の時代に作られた剣で、始祖に近しいところにあった剣であったのなら、既に失われたという『虚無』の魔法への手掛かりになるかもしれない。

 ルイズの魔法の系統が虚無と推測される以上は、買っておいて損はないだろう。

 赤屍は少し考えた後、ルイズに言った。

 

 

「ルイズさん、出来たらこの剣を買って欲しいのですが」

 

「え~っ、こんな錆びた剣を? 第一、アンタ、剣なんて必要ないくらいに強いじゃない」

 

「ええ。まあ、確かに武器としての価値は微妙だと思いますが、本当に始祖の時代の剣なら歴史的には非常に貴重ですし」

 

 

 どうせ買うならもっと見栄えのいい剣がいいと考えルイズは難色を示したが、結局、赤屍に押し切られる形で買うことになった。 

 デルフリンガーは買われるのがよほど嬉しいのか鍔元をカチカチと鳴らしてはしゃいでいる。

 

 

「おおっ、そうかい! よろしくな、相棒!」

 

 

 性格的には問題が有っても、使い手としては歴代の中でも間違いなく最強。

 そんな最強の使い手に買ってもらえることになってデルフリンガーは喜色満面な様子である。

 どうやら剣であるデルフリンガーにとっては、赤屍の強さこそが重要であって、赤屍の性格については余り問題ではないらしい。

 一方、赤屍の性格の悪さに頭を悩ませているルイズは「剣は気楽でいいわね…」などと溜め息を吐くと店主に値段を訊いた。

 

 

「で、いくら?」

 

「へぇ、こいつなら新金貨で100で結構でさぁ」

 

「安いじゃない」

 

「こっちにしてみりゃ、厄介払いみたいなもんでさあ。こいつがいると商売の邪魔ばっかりさせられますから」

 

 

 ルイズから財布を取り出すと、言ったとおりの金額を取り出す。

 代金を受け取った店主はカウンターの下から取り出した鞘にデルフリンガーを納めると赤屍に手渡した。

 

 

「毎度。こいつがどうしても煩いと思ったら、こうやって鞘に入れて下せえ。そうすれば大人しくなりまさあ」

 

「さ、行くわよ」

 

 

 こうして、デルフリンガーを受け取った二人は武器屋を後にした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そして、店を出てしばらくするとルイズが話しかけてきた。

 

 

「ねえ、何でこんなボロ剣にしたの? どうせ買うんだったらもっと別の剣にすれば良かったのに…」

 

「ボロ剣とはなんでい、娘っ子! 俺はデルフリンガー様だ!」

 

 

 ボロ剣と言われたことに、カタカタと文句を言うデルフリンガー。

 しかし、一方の赤屍は武器としての価値よりも、歴史的な証拠・証人としての価値の方を重視しているのだから、ルイズの言葉はある意味、的外れである。

 

 

「クス…、私にとってこの剣の武器としての価値が低いことは特に問題ありませんよ。私がこの剣を手に入れたいと思った理由は、この剣の歴史的な価値を見込んでのことです。いずれにしろこの剣が相当に古いものであることは事実ですし、実際、この剣はエルフなどの人間以外の種族が使うという先住魔法について、ルイズさんよりも詳しく知っていた。ひょっとしたら、既に失われたという『虚無』の魔法についても知っているかもしれませんよ?」

 

「『虚無』って…伝説の系統じゃない。そんなのに興味があるの?」

 

 

 どうして赤屍がそんな物に興味を持つのか分からずに、ルイズは訝しげに赤屍を見つめる。

 その視線を受けた赤屍は少し考える素振りを見せた後、口を開いた。

 

 

「ふむ…。学院長には他言無用と言われてはいましたが、本人にならば話しても良いでしょう」

 

「何をよ?」

 

「貴女の魔法の系統が『虚無』だという事です」

 

「はぁ?」

 

 

 赤屍の発言に思わず唖然とするルイズ。

 ルイズは「何ふざけたこと言ってるのよ、アンタ」とでも言いたげに目を細めている。

 

 

「クス…信じる信じないは、貴女の自由ですよ。ですが、私と学院長はその可能性が高いと考えています。この剣を買うと決めた理由も『虚無』の魔法の手掛かりを得る為です」

 

 

 赤屍は本気で言っていたが、ルイズにとっては余りにも突拍子も無い話だった。

 いきなり自分の魔法の系統が『虚無』だと言われても「はいそうですか」と信じられる方がどうかしている。

 ルイズは呆れたような溜め息を吐いて赤屍に言った。

 

 

「アンタねえ…、『虚無』ってのは伝説の系統なのよ? 仮に百歩譲って私がそうだったとしても、どうしてアンタがそこまでするのよ?」

 

 

 ルイズは赤屍に訊いた。

 はっきり言って、この男は純粋な善意で他の誰かを助けるというようなことはしない。

 そんな男が、どうしてルイズの使い魔などという立場に甘んじ、ルイズが自分の系統に目覚める為の手助けみたいなことをしているのか。

 ルイズがそのことを訊ねると、赤屍は愉快そうに答えた。

 

 

「クス…そんなの決まってますよ。いつか虚無のメイジとして成長した貴女と戦うためです」

 

「はぁッ!?」

 

 

 ま る で 意 味 が 分 か ら な い 。

 余りにも理解不能な赤屍の発言にルイズは驚愕と脅えの入り混じった表情を浮かべている。

 そして、思考停止する寸前の状態のルイズをさらにどん底に突き落とすような言葉を続けた。

 

 

「貴女は強くなる。強くなれる可能性を秘めている。私の見立てでは、あの無限城の『雷帝』に匹敵出来るくらいにね。ですから――」

 

 

 そこで赤屍は一度言葉を切った。

 

 

「だ、だから?」

 

 

 猛烈に嫌な予感がするが、聞かない訳にはいかない。ルイズは引き攣った顔で続きを促した。

 そして、赤屍は一呼吸置いた後、にっこりと極上の笑顔を浮かべて続きの言葉を口にする。

 

 

「もしも貴女がそこまで強くなれたら、その時は是非、私と戦ってください。そのときを私は楽しみに待ってますから♪」

 

 

 赤屍からそう言い渡されたルイズの雰囲気は、まさしく「どう足掻いても絶望」な状態である。

 ルイズは自分が虚無のメイジとして大成した場合に、自分の身に降りかかる最悪の災いを知ってしまったせいで顔色が青くなっている。

 

 

(…や、やばいわ。ひょっとして私、詰んでる?)

 

 

 どうやら赤屍にとって、自分という存在は彼がいつか戦いたい標的の一人という認識らしい。

 もしもここに某奪還屋の金髪の少年の方が居たら、おそらくルイズと心からの友人になれるだろう。赤屍さんの標的に認定された仲間的な意味で。

 はっきり言って、メイジとして大成しようが大成しまいが、赤屍を使い魔にした時点で自分の運命は状況的に詰んでいるような気がする。その日、ルイズは自分が間違いなく『最悪』の使い魔を召喚してしまったのだと改めて思い知ったのだった。

 

 




あとがき:

 以前、Arcadiaにこの回を載せてたときに「ルイズに強烈な生存フラグと死亡フラグが同時に立っている」という感想コメントをいただいたことがありますが、まさにズバリですね。
 赤屍に対して、敵なんだか味方なんだかよく分からないという評価もよく見かけますが、どう考えても最初から最後まで敵だと考えてた方が良いと自分は思いますw


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第九話『タバサの冒険』

 北花壇警護騎士団。

 ハルケギニアの大国ガリア、その国を支配するガリア王家の汚れ仕事をまとめて引き受けている組織である。

 表沙汰に出来ないような国内外のトラブルを処理する為に存在し、その性質ゆえか騎士団の存在自体が表に出る事は無い。

 お互い顔も知らず、他の騎士団とも比べれば格段に危険な目にあいながら、地位や名誉とは無縁な闇の騎士達。それが北花壇警護騎士団であり、タバサはその七番目の騎士という立場にある。

 タバサの持つ『シュバリエ』の称号はこれまでにそれら数多くの任務をこなして来たからこそのものだ。そして、使い魔召喚の儀式から数日たったある日、タバサは今度もまた使い魔の風竜・シルフィードとともに任務へと呼び出されていた。

 そして、今回の任務においてタバサは自分の価値観を根底から覆すような本物の『化け物』に出会うことになるのだが、今のタバサにはそんなことを知る由もなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ガリアの首都リュティス。

 その郊外に築かれた壮麗なる宮殿ヴェルサルテイルの一角に、薄桃色の壁で覆われた小宮殿があった。

 プチ・トロワと呼ばれるその小宮殿の奥にある一室。そこに訪れたタバサを、部屋の主は椅子に腰かけたままフンと鼻を鳴らして出迎えた。

 腰まで伸ばした青髪と鋭さを持った碧眼の少女。現ガリア王ジョゼフ一世の娘、イザベラ・ド・ガリア王女である。血縁上、彼女はタバサの従姉であったが、すでに二人の間のそういった暖かな繋がりなど途絶えて久しい。

 彼女は王女にしてガリア王国暗部組織の一つである北花壇騎士団の団長であり、その北花壇騎士団団員であるタバサの上司でもあったからだ。

 だが、今日、タバサが訪れた執務室にはイザベラの他にもう一人、タバサの知らない少年が控えていた。

 

 

(…誰?)

 

 

 少年は腕を組んだ姿勢のまま、部屋の壁に背中を預けて立っていた。

 歳の頃はタバサよりも少し上といった所だろう。逆立った金色の短い髪に、険しく射るような金色の瞳。

 マントを着けてはいないということは貴族ではないかもしれない。だが、イザベラの従者というような雰囲気でもない。

 少年の気配。威圧感。彼の佇まいから感じるそれら全てが明らかに常人のそれではなかったからだ。

 

 

(この感じは…)

 

 

 少年の持つ気配にタバサは覚えがあった。

 

 

(ドクターと同じ?)

 

 

 もちろんタイプは違う。だが、初めて赤屍に出会った時と同じような底の知れない凄みを少年は放っていた。

 タバサは身体が麻痺してしまったように固まって、瞬きすらできずに、どうしてもその少年から目を離せないでいる。

 

 

「おい人形姫。いつまでソイツのことを見てんだい」

 

 

 少しの間、我を忘れていたタバサだったが、不意に呆れたようなイザベラの声が耳に飛び込んできた。

 答えてくれるとは余り期待してはいなかったが、駄目元でタバサはイザベラに訊ねる。

 

 

「彼は誰?」

 

「お父様の『使い魔』さ」

 

「使い魔…?」

 

 

 思わずタバサは少年をもう一度見た。

 タバサの知っている限りではジョゼフは魔法を使えなかったはずだ。その彼が人間の使い魔を呼び出したというのか。魔法を使えないはずの者が召喚した使い魔という共通点から、否が応にもタバサの頭の中に、ヴァリエール嬢が召喚した黒い男のことが思い浮かぶ。

 

 

(この少年も…強い。きっと間違いなく)

 

 

 少年から感じる強さの気配。

 その気の大きさが、彼が間違いなく強いとタバサに教えてくれる。

 だが、それが一体どれほどの強さなのか、この時点でのタバサは全く理解していなかったと言うしかない。

 イザベラは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、手元の書類をタバサへ向かって投げて寄越した。

 

 

「今回の任務はジョゼフ王からの勅命だよ。ソイツと協力して、武装盗賊団『バグダッド』の殲滅任務に当たれ、だとさ」

 

 

 つまり、ここに控えている金髪の少年は今回の任務の協力者ということか。

 だが、ジョゼフ王はどんなつもりでこの少年を協力者として寄越したというのだろうか。

 タバサが投げられた命令書を受け取ると、少年は背中を預けていた壁から離れてタバサの方を見た。

 

 

「……命令書は受け取ったな? なら、さっさと行くぞ」

 

 

 恐ろしく抑揚のない冷たい声。

 彼はタバサに「ついて来い」と顎で促すと、部屋の外へと出て行く。

 有無を言わせない少年の行動に少し戸惑ったが、タバサとしてはそれについて行くしかない。

 タバサが少年の後を追って部屋を出て行った後、執務室にはただ一人イザベラだけが残される。

 

 

「全く、お父様も人が悪いわ…。アイツの強さを知ったら、あの子、心が折れちゃうんじゃないかしらねぇ…。」

 

 

 ジョゼフ王が今回の任務を下した理由。

 その理由を理解しているイザベラは、ふぅと大きく息を吐いて椅子に背中を預けさせた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 武装盗賊団『バグダッド』。

 その名前、というより悪名はタバサとてよく知っている。

 ガリア地方を中心に活動する犯罪組織の中では最大勢力の一つで、その悪名はガリア中に知れ渡っている。

 団員の総数は五百人にも及ぶと言われ、構成員は平民のみでなく貴族崩れのメイジも複数存在する。普通に考えたら、そのような組織を殲滅する任務をたった二人で行うなどふざけている。

 だが、タバサは知らない。ジョゼフの使い魔だというこの少年にとって、そんな数百人程度の武装集団など単なる有象無象でしかないことを。

 

 

「貴方の名前は?」

 

「俺に本当の名前はない。だが、イザベラとジョゼフは俺のことをトール(Thor)と呼んでいる。必要ならそう呼べ」

 

 

 風竜に乗って目的地へ向かう道中、タバサは少年にいくつかの質問をしてみた。

 少年は基本的に寡黙だったが、タバサが訊いたことには最低限の返答はしてくれた。

 自分も余り他人のことを言えたものではないが、無表情で淡々と訊かれたことにだけ答える様子は人形のようだと思った。

 

 

「イザベラは貴方がジョゼフの使い魔だと言った。それってどういう意味?」

 

「そのままの意味だ。ジョゼフが『サモン・サーヴァント』の儀式で呼び出したのがこの俺だった」

 

 

 どうやらこの少年がジョゼフに呼び出されたというのは本当らしい。

 しばらくの間、タバサが質問し少年がそれに答えるというやり取りが続いていた。

 

 

「それなら―――」

 

 

 そして、いくつかの質問をした後、タバサは訊いた。

 いつか自分が復讐のためにジョゼフへ挑むとき、この少年が自分の敵として立ち塞がるのかを。

 

 

「―――貴方は、私の敵?」

 

 

 その質問に少年は一瞬だけタバサの方をチラリと見る。

 そして、彼は視線を合わせることすらなく、やはり無機質に答えた。

 

 

「お前がジョゼフへの復讐を諦めない限りはな」

 

「…そう」

 

 

 それっきりタバサと少年の間の会話は途切れる。

 もっともタバサ自身、将来的に自分の敵として立ち塞がると公言しているような者と馴れ合うようなつもりもない。

 そうして、1時間ほど風竜の背に乗っていると、やがて目的地付近の上空へと到着した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ザグロス山脈。

 その山脈はガリア地方の南東300リーグほど離れた地点に位置する。

 そして、その山脈の麓にある岩砦の跡に目的の盗賊団の根城があると目されている。

 敵の索敵に引っ掛からないように高々度から地上を窺うタバサ。根城と目される岩砦は荒野の開けたところに築かれており、このまま砦の近くに降下すれば直ぐに見つかってしまうだろう。

 しかし―――

 

 

「このまま地上に降りろ」

 

 

 少年は何の迷いもなくそう言ってのけた。

 思わずタバサは少年の正気を疑った。普通に考えたら明らかに無謀だし、賢い方法ではない。

 普通に考えたら、メイジも含めた五百人近いという武装集団に正面から挑むには、軍隊規模の戦力を揃えなければ無理だろう。

 

 

「本気?」

 

「当たり前だ。正面から叩き潰す」

 

 

 思わずタバサは訊き返すが、尚も少年は譲らない。

 タバサは視線を強めながら少年に言った。

 

 

「賢いやり方じゃない」

 

「賢いやり方じゃないのは事実だな」

 

「だったら……」

 

「本来なら俺があの砦を丸ごと消し飛ばせば一番早い」

 

「え?」

 

 

 タバサは一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。

 砦を丸ごと消し飛ばす? この少年はいったい何を言っているのか。

 たとえ、スクウェアのメイジの火力でも、眼下の砦を丸ごと消し飛ばすなんて真似は不可能だ。

 王家に伝わると言われるヘクサゴン・スペルでもあの砦を一撃で消し飛ばすのは難しいだろう。

 

 

「だが、今回はジョゼフからこう言われている。お前に見せつけるように盗賊を敢えて一人ずつ駆除しろ、とな。だから、今回の任務ではお前は何もする必要はない。俺が連中を駆除するのを黙って見ているだけでいい」

 

 

 そう言って、少年は風竜の背中から飛び降りた。

 フライも使えない人間が高度300メイルの高さから飛び降りて、無事で済むはずがない。

 タバサが慌てて下を覗き込めば、あっという間に小さくなっていく少年の姿があった。

 

 

「追って!」

 

 

 すぐにシルフィードに追うように指示を飛ばすタバサ。

 しかし、少年が自由落下を開始してからすでに三秒。少年はすでに50メイルは下に落下している。

 重力に従って自由落下する少年に対して、空気の流れに沿って滑空するシルフィードが間に合う訳がない。

 だが、少年が地面に激突すると思った直前、タバサは信じられないものを見た。

 

 

「ッ!?」

 

 

 地面に衝突する直前で、何かが光った。

 少年から放たれた青白い光による衝撃と着地の衝撃。

 着地の瞬間、閃光と轟音が炸裂し、大量の土煙が巻き上がるが、それは少し離れていたタバサの目にはまるで特大の雷が落ちたかのように見えた。

 

 

「な、なんだ!?」

 

「敵襲か!?」

 

 

 当然、砦に中に居た盗賊たちに気付かれた。

 すぐに武器を携えた幾人の盗賊たちが砦から現れる。

 少年が着地した地点はまだ大量の土煙に覆われており、詳細は分からない。

 だが、やがて煙が完全に晴れ、少年の姿が顕わになった時、タバサは自分の背筋が凍りついたのを自覚した。

 

 

(ありえない…)

 

 

 上空から少し遠めに見ながら、タバサは思わず自分の目を疑った。

 土煙の中から現れた少年は、青白い電光をその身に纏っていた。バチバチと音を鳴らす雷が全身を帯電させ、凄まじい殺気を全身に漲らせている。

 もしもこの場に無限城の住人が居たならば、その少年の正体を一目で看破しただろう。

 

 ―――無限城の『雷帝』、と。

 

 それはかつて天野銀次という少年の"影"として存在していた裏の人格だった。

 文字通り無限のエネルギーを内包し、物理法則すらも無視した圧倒的な攻撃力と回復力を持つ最強クラスの怪物。

 呪術王と刺し違えたことで一度はこの世から消滅したはずの怪物は、ジョゼフの『サモン・サーヴァント』によって、ハルケギニアという世界に再び降臨していた。

 

 

「な、何だテメェは!!」

 

 

 突然現れた雷を纏った少年に向かって、近くにいた男が武器を構える。

 しかし、少年は興味無さげに男を一瞥すると、右手をその男に向けた。そして、次の瞬間、少年の右手から青白い閃光が放たれる。

 風系統の魔法であるライトニング・クラウド。いや、本物の雷すら遥かに上回る青白い雷光。彼の放った雷撃で、その男は消し炭に変えられていた。

 

 

「何だ、コイツ!? メイジか!?」

 

「こ、このくそ野郎がぁっ!!」

 

「野郎、ぶっ殺してやらぁ!」 

 

 

 一斉に襲い掛かるが、彼らの攻撃は少年に対して一切の効果が無かった。

 少年の纏う雷は文字通りの鎧だった。たとえ攻撃が当たっても彼の纏った雷の鎧に阻まれ傷一つつけられない。

 それどころか全身を帯電させた少年に攻撃を介して触れただけで、感電して即死する。

 

 

「ひ、ひいぃぃぃぃっ!!?」

 

「な、何だよ! コイツ!?」

 

 

 悲鳴と怒声が響きわたる中、少年は次々と向かって来るならず者を黒焦げの死体に変えていった。

 少年が無造作に振るう拳の一撃。その一撃を受けた場所は例外なく消し飛んだ。頭部に打ち込めば首から上が消し飛び、胸部に打ち込めば心臓のある位置が丸ごと消し飛ぶ。

 しかも死体をすべて黒焦げにするというオマケ付きでだ。

 

 

「あ、ありえねえ!?」

 

「強すぎる!!!」

 

 

 もはやその場は、戦いというよりも一方的な蹂躙と化している。それほどまでに少年の強さは出鱈目だった。

 盗賊の中にはメイジも存在していたが、それすらも彼の前には何の意味もない。フレイム・ボール、エア・カッターなどの魔法が少年に襲い掛かるが、少年はそれを避けない。

 そもそも避ける必要がない。それらの魔法は彼の雷の鎧の前に容易く霧散して、全て掻き消されてしまうからだ。

 

 

「おいおい。何の騒ぎだぁ?」

 

「お、お頭!」

 

 

 少年が五十体ほどの死体を作り出したところで、盗賊団のリーダーである男が砦の外に顔を出した。

 リーダーである男は、遠巻きに自分の根城に襲撃してきた少年の姿を見る。こちらの攻撃は雷の鎧に全て阻まれ、少年の放つ一撃は掠りでもしたら黒焦げにされて即死が確定する。

 無表情に淡々と、ひたすらに殺し続ける少年の姿は、まさしく死神のそれであった。

 

 

「いや…マジでやっべえな、アレ。一対一(タイマン)なら絶対勝てねえわ」

 

 

 少年の戦いぶりを見た男は感心したように言った。

 ならず者の集団とはいえ、さすがにこれだけの組織をまとめ上げている人物だけあって、胆の据わり方は中々である。

 

 

「テメエら、奴に迂闊に近付くんじゃねえぞ! ボウガンとか銃とかの遠距離武器を持ってこい!! あと魔法が使える団員は全員呼び出せ!!」

 

 

 近接武器での攻撃では無理だと判断し、遠距離での攻撃に切り替えるように指示を出す。

 実際、その指示は的確であり、盗賊団のリーダーである男は戦場での指揮官としても優秀なようだった。

 

 

「よし、準備はできたな? 撃って撃って撃ちまくれ!!」

 

 

 銃、弓矢、ボウガンなどの遠距離武器を片っ端から持ち出して、少年に向けて撃ちまくる。無論、魔法が使えるメイジは遠距離から精神力が続く限りありったけの魔法を叩き込んだ。

 数十秒間もの長い時間、延々と攻撃が撃ち込まれ、少年の居た場所は大量の土煙に覆われる。それは完全な飽和攻撃であり、この攻撃をすべて受けて生きていられる者など常識で考えたら存在するはずがない。

 

 

「…やったか?」

 

 

 余計なフラグを立てつつ、土煙が晴れていくのを見つめる盗賊たち。

 しかし、土煙が晴れて現れたのは無傷の少年が口元に薄い笑みを浮かべて立っている姿だった。

 

 

「ば、化け物だ!」

 

「か、勝てるわけねえ!!」

 

 

 あれだけの飽和攻撃を真正面から受けて、尚も無傷で佇む化け物。

 そんな恐怖の化け物を前にして、幾人の盗賊たちはパニックに陥っている。

 

 

「あ~あ…、こりゃ駄目だ。今ので倒せないんじゃもう逃げるしかねえな」

 

 

 盗賊団のリーダーは少年を遠目に見ながら呟いた。

 こちらの最大火力が通じなかった時点で、こちらの勝ち目はもはや無い。リーダーである男は即座に砦を放棄しての撤退を決断する。

 ここで撤退の決断を下せるという事実は、間違いなく彼の優秀さを示していた。

 

 

「全員、撤退し…ごひゅっ!?」

 

 

 しかし、彼が撤退の号令を掛けようとした所で、彼の首から上が消し飛んだ。

 

 

「お、お頭ぁ!?」

 

 

 リーダーの傍に控えていた盗賊は息を呑んだ。

 その速さはまさに迅雷。数十メイルは離れていたはずの場所からあっという間にここまで接近し、リーダーである男の首を吹き飛ばしていた。

 絶対的な防御力に、文字通りの必殺の攻撃力。そして、もはや瞬間移動としか思えない移動速度。それらのあらゆる面が常識から逸脱していた。

 

 

「ひ、ひいぃぃぃぃっ!!?」

 

「に、逃げろぉぉぉぉ!!!」

 

 

 もはや恥も外聞もなく、我先にと背を向けて逃げ出していく盗賊たち。

 だが、残念ながらこの雷の少年はそれを許してはくれなかった。

 

 

「生憎だが一人も逃がさん。ジョゼフからそう言われている」

 

 

 少年は右手を空に振り上げ、そこから大きく振り下ろした。

 その瞬間、いくつもの雷が逃げようとした盗賊たちの頭上に落ちた。もちろん落雷に打たれた盗賊は全員が即死である。

 そして、それは逃げようとした盗賊達にだけピンポイントで落雷を降らせたのは明らかだった。

 

 

「ひいぃぃぃぃっ!!?」

 

「た、助けてくれ!!」

 

「ひい!殺さないでぇ!!」

 

 

 その後はもう単純な殲滅戦だった。

 わずか5分足らずの時間で、その場に居た盗賊の全員一人残らず消し炭にされていった。

 たった一人の少年が数百人の盗賊を一方的に殺していく光景を遠目に見ながら、タバサは戦慄せざるを得なかった。

 その場にはすでに数百もの焼け焦げた死体が打ち捨てられ、死体の山が築かれている。

 

 

「さて…、そろそろ仕上げだな。最初からこうしてれば面倒が無かったんだが…」

 

 

 視界に映る範囲の盗賊を全員殺したが、まだ何人かは砦の物陰に息をひそめて隠れていた。

 だが、少年はそれらの隠れている者達すら見逃す気はなかった。彼は砦の中央にまで移動すると、そこで特大の雷を放つ。

 身体から放たれた雷は幾重にも重なり合い、巨大な龍のような姿を形作って天から砦へと襲い掛かった。

 

 

(そんな馬鹿な…)

 

 

 タバサはそこで自分が見た光景が現実のものと信じられなかった。

 少年の放った雷は砦を跡形もなく粉砕し尽くし、辺りは一瞬で瓦礫の山と化していた。

 タバサがクレーターとなった落雷の地点を見ると、高熱によって溶かされた地面が溶けたガラスのような輝きを放っていて、今も蒸気が上がっている。

 もはや歩く戦略兵器としか言いようがない異次元の戦闘力。その異次元の強さを見せつけられたタバサは、ここでようやく今回の任務の意図を理解する。

 

 

 

『本来なら俺があの砦を丸ごと消し飛ばせば一番早い』

 

『今回はジョゼフからこう言われている。お前に見せつけるように盗賊を敢えて一人ずつ駆除しろ、とな』

 

 

 

 少年が盗賊たちを襲撃する直前に言った言葉。

 最初から砦ごと消し飛ばすことが出来たはずなのに、敢えて見せつけるように一人ずつ殺していった理由。

 最早、その理由は一つしか思い浮かばない。タバサは恐怖に身体を震わせながら地上に居る少年を見ていたが、少年はふっと肩の力を抜くように纏っていた雷を消した。

 そうして、身に纏っていた雷を消した少年は、上空に居るタバサの方へと目を向ける。少年と目が合い、思わず身を竦めてしまうタバサだったが、ふと少年の唇が動いているのに気づく。声は届かなかったが、唇の動きから「来い」と言っているのがはっきり分かった。

 タバサは恐怖に震える身体を無理やり抑えて、少年の近くにシルフィードを降ろさせた。

 

 

「…その様子なら、ジョゼフが今回の任務を命じた理由を理解出来たみたいだな」

 

 

 少年はタバサを見て鼻で哂うように言った。

 最初に出会った時から、この少年が強いのは分かっていたつもりだった。

 だが、まさかここまで出鱈目に強いとは流石のタバサも想像すらしていなかった。

 余りにも強力で、冷酷な殺戮者を前にして、タバサは声を出すことすら出来ない。ただ、少年の前に立っていることだけで精一杯だった。

 恐怖に身を竦ませ、一言も喋れないでいるタバサを見て、少年は無感情に淡々と告げる。

 

 

「…ジョゼフから伝言を預かっている。『お前が私への復讐を諦めないでいられるか愉しみにしている』だそうだ」

 

 

 その伝言を伝えられた瞬間、タバサは足元から崩れそうになる感覚に襲われた。

 やはり間違いない。今回の任務の意図は、この少年の絶望的な強さを自分に見せつける為だったのだと、タバサは確信を強める。

 もしもタバサがジョゼフへの復讐を諦めないなら、いつかこの少年が敵として立ち塞がる。そんな絶望的な未来を分かった上で、それでもなお復讐のために立ち向かって行けるかどうか。ジョゼフはそれを試そうとしている。

 

 

「さて…、これで俺の任務も終わりだ。お前が復讐を諦めるかどうかは俺にとってはどちらでもいい。だが、挑んでくるなら俺は容赦しない。俺を相手にして勝てる自信があるなら、いつでも戦いを挑んで来い」

 

 

 最後にそう言い残し、ジョセフの使い魔と名乗った少年は踵を返した。

 そして、少年が立ち去った後、その場所にはタバサとシルフィードだけが残される。だが、残された彼女は足が震え、その場から一歩も動けないままでいた。

 500人は居たはずの敵をあっという間に滅ぼした次元の違う戦闘力。それは彼本来の実力のほんの一端に過ぎないものでしかなかったが、タバサの背筋を凍らせるには十分だった。

 アレはもう実力の差が大きいとか、戦えるとかそういうレベルじゃない。あいつの前では、自分は一方的に蹂躙されるだけの存在でしかない。

 

 

(どうしたらいい? 一体どうしたら…! アレはもう私一人の手に負えるレベルじゃない…!)

 

 

 あの少年が自分の敵として立ち塞がる。

 その余りにも絶望的な状況を想像しただけで身体が震える。眩暈がする。頭が痛い。吐きそうだ。

 膝から崩れ落ち地面に倒れそうになる寸前で、シルフィードに支えられる。だが、そのシルフィードですら恐怖のあまり身体を震えさせていた。

 シルフィードに支えられながら、ただただ恐怖に身を震わせることしか今のタバサには出来なかった。

 

 




あとがき:

 とりあえずガリアの王様には『真・雷帝』を召喚してもらいました。残りの『虚無の使い魔』も奪還屋のキャラクターにする予定です。
 ガリア側の勢力に雷帝を組み込んだ以上、将来的に原作本編では描かれなかった赤屍 VS 真・雷帝のバトルとか描けたら良いな~、とか考えてます。
 けど、この二人が本気で戦ったら、その余波だけでトリステイン程度の国は丸ごと消し飛びそうだな…(汗


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第十話『フーケの襲撃』

 ギーシュが死んでから数日、トリステイン魔法学院は未だ混乱の渦中にあった。

 教師達は事件の対応に追われ、特に学院長であるオスマンなどは関係各所への事情説明の為に寝る間もないほどの忙しさであったと言われている。

 しかし、そうした混乱に乗じて学院の宝物庫のお宝を盗み出そうと画策する者が居た。

 

 

「チッ……やっぱりこの固定化がやっかいだね」

 

 

 時刻は真夜中。そこに居るのは、最近のトリステインを騒がしている『土くれ』の二つ名を持つフーケという盗賊だ。

 フーケは盗みに入るための下調べのため、宝物庫の外壁を調べていた。しかし、固定化のかけられた外壁は並大抵のことでは、突破できそうに無い。

 少なくとも今の状態で行き当たりばったりに壁を壊そうと試みても、成功する可能性は低いだろう。

 

 

「こりゃあ、もう少し下調べをしてから手を考えようかね。お宝がここにあるのは分かってるんだし」

 

 

 フーケはそう呟くと、その場から姿を消した。

 そして、怪盗フーケによって学院の宝物庫が襲撃されるという事件が起こるのはその翌日の夜のことだった。

 

 

 

 

 

 

 赤屍とルイズがトリスタニアでの買い物を終えて学院に戻って翌日。

 怪盗フーケが学院の宝物庫を襲撃するための情報を集めている頃、ルイズは既に赤屍の居場所となった医務室でデルフリンガーと赤屍の会話に混ざっていた。

 

 

「ほう…、では貴方は始祖の使い魔『ガンダールヴ』の使っていた剣だったと?」

 

「ああ。けど、当時のことは殆ど覚えてねえんだよ。なにせ6000年も昔の事だからな…」

 

 

 カタカタと鍔元を鳴らして赤屍の質問に答えるデルフリンガー。

 正直、ルイズとしては余り信じていなかったのだが、どうやら本当にこの剣は当たりだったらしい。

 しかしながら、6000年という年月は伊達ではなかったようで、肝心の『虚無』の魔法について赤屍が訊ねても「忘れた」「思い出せねえ…」などと殆ど役に立たない状態であった。

 デルフリンガーの記憶が当てにならないことに赤屍は少なからず落胆したようだったが、それならばと『虚無』の魔法に辿り着く為の他の手掛かりに心当たりが無いかどうか赤屍は訊ねた。

 

 

「ふむ。それでは『虚無』の魔法に辿り着く為の別の手掛かりに心当たりはありませんか?」

 

「うーん、…いや、待てよ? 確かブリミルの奴、自分の『虚無』の呪文を何かの書物だかオルゴールだかに残してたような気がするな…」

 

 

 デルフリンガーの話を聞いたところ、少なくとも始祖ブリミルが自分の虚無の呪文を後世に伝える為に、何らかのヒントを残したのは間違いないらしい。

 しかし、それが何処にあるかはデルフリンガーも知らないという。しかもそれは単に手に入れただけは無意味な代物であり、解読のためには何らかの鍵が必要になるそうだ。

 おそらく本当の資格のある者にしか扱えないようにするための措置なのだろう。

 

 

「…まあ、仕方ありませんね。何が切っ掛けになるか分かりませんし、気長にやりましょうか」

 

「悪りいな、相棒。極力、俺っちも思い出すようにしてみるからよ。娘っ子もそれでいいだろ?」

 

「え゛!? う、うん」

 

 

 いきなり話を振られたルイズだが、正直、それが良いのか悪いのかルイズにも分からない。

 デルフリンガーと赤屍の会話に同席して隣で話を聞いていたルイズだったが、彼女は内心で頭を抱えていた。

 

 

(あ゛~~~~~っ!!!! もうホントにどうしたらいいのよ、この状況っ!?)

 

 

 色々なことが立て続けに起こり過ぎて、もうルイズにもどうしたらいいのか分からない。

 赤屍と関わってからのここ数日のことを改めて振り返ってみると、本当に碌なことがない。

 出会って早々いきなり殺され掛けるわ、同級生のギーシュを殺してのけるわ、この男、どう考えても好き勝手にやり過ぎである。

 さらに極め付けが先日、赤屍から言われた死刑宣告のような『期待と激励』の言葉だった。

 

 

 ―――もしも貴女がそこまで強くなれたら、その時は是非、私と戦ってください。

 

 

 その言葉が何よりも重くルイズに圧し掛かる。

 もちろんルイズだって、さすがヴァりエール家の三女だと言われるような立派なメイジに成長したい。

 以前、ルイズはこのままメイジとして成長できないままなら、死んだ方がマシだと思ったこともあった。

 だが、メイジとして成長できた場合においてすら、赤屍とのバトルという最悪の災いが降りかかる可能性があるのである。

 

 

(どう考えても詰んでるじゃないのよ、これぇぇええええ!?)

 

 

 もはや単純に考えてルイズが生き残る方法は一つしかない。

 赤屍と戦っても殺されないほどの強さを身に着ける。つまり、単純に赤屍よりも強くなるしかない。

 だが、いったいどれだけ強くなれば、それだけの領域に至れるのかルイズには想像すらつかない。その余りにも遠く、険し過ぎる道のりに絶望しそうになっていたルイズだったが、ふと医務室の扉がノックされた。

 ガチャリと開かれた扉から現れたのは青髪の小柄の少女。後ろには赤い髪の少女が控えている。

 

 

「…あれ? タバサとキュルケじゃない。こんなところに何しにきたの?」

 

 

 予想外の来客だった。

 赤屍の住処という名の魔界と化した医務室に好んで訪れる人間など今の学院にはいない。

 見たところ怪我や病気という訳でもなさそうなのに、一体何の用があるのだろうかとルイズは不思議に思った。

 ルイズが不思議そうな視線をキュルケとタバサに向けると、キュルケが少し決まりが悪そうな態度で答えた。

 

 

「いや~、私は止めたんだけど、タバサがどうしてもそこの彼に相談したいことがあるらしくてね?」

 

「相談したいこと? タバサが赤屍に?」

 

 

 ルイズはタバサの方を見るが、彼女は相変わらずの無表情。

 こんな危険人物に一体どんな相談があるのかと不思議に思ったルイズだったが、タバサの方はそんなルイズの視線に構わず赤屍に話し掛けた。

 

 

「聞きたいことがある」

 

「何ですか?」

 

「…ガリアに帰った時に『化け物』に会った。まず、その人物に心当りがないかどうか教えて欲しい」

 

 

 そして、タバサは先日の任務で出会った『雷の少年』のことについて話した。

 その身に雷を纏い、さらに落雷すらも自由自在に操る超常の存在。数百人規模の武装盗賊団をあっという間に殲滅し、あまつさえ盗賊団の根城である砦を丸ごと瓦礫の山に変える異次元の強さの怪物。

 タバサは先日の任務で見たことをそのまま語った。だが、常識のレベルで考えてそんな冗談のような化け物の存在など信じられる方がおかしい。

 実際、キュルケなどはタバサの話を聞いても半信半疑という様子である。

 

 

「ねえ、タバサ? 親友のことを疑う訳じゃないんだけど、ホントに居たのそんな奴? どこのワンマンアーミーよ?」

 

「ホントに居たの! 信じて!」

 

 

 タバサにしては珍しく、声を強くして訴える。

 よほど怖い思いをしたのか、タバサは泣きそうな顔をしている。

 ルイズも普通ならタバサの話の内容をあり得ないと思う所だが、実はルイズ自身はタバサの話をキュルケほど疑っていなかった。

 その理由は、ルイズが『使い魔』として召喚した隣りの男の存在である。すでに赤屍の異次元の強さを理解しているルイズは、「そんな化け物が存在するはずがない」と頭ごなしに否定することが出来なかったからだ。

 しかし、どうしてタバサは赤屍にこんな話を持ってきたのだろうか。普通に考えたなら、タバサが会ったという少年のことを知っているかもしれないと考えたからだろう。だが、どうして赤屍ならその少年のことを知っているかもしれないと考えたのだろうか。

 そして、そうした疑問を抱いていたのは赤屍も同じだったらしい。

 

 

「まず、どうして私ならその少年のことを知っていると思ったのか、その理由を聞かせて貰っても?」

 

「…彼に会った時、何となく貴方と同じものを感じた。だから、もしかしたら貴方なら何か知ってるんじゃないかと思った。それが理由」

 

「なるほど。それでは、その少年の名前はご存知ですか?」

 

「…トール。でも、彼は『本当の自分の名前は無い』とも言っていた」

 

 

 タバサが出会ったという雷の少年。

 赤屍は少年に関してタバサにいくつかの質問をした後、いきなり愉快そうに笑い出した。

 いきなり笑い出した赤屍に不審な目を向けるルイズ達だったが、赤屍はそんな彼女たちの視線に構わず笑い続けている。

 

 

「ククッ…もしもその人物が本当に私の知っている『彼』なら、面白いことになりそうですね」

 

 

 明らかに何かを知っている赤屍の口振り。

 まさか本当に知っているとは考えていなかったのか、タバサは少し驚いた様子で聞き返す。

 

 

「彼の正体に心当たりがあるの?」

 

「ええ。私の居た世界において『雷帝』と呼ばれた人物です。間違いなく最強レベルの実力者ですよ。特に『無限城』の中でなら、私よりも強いかもしれませんね」

 

 

 赤屍はあっさりと答えた。

 だが、その赤屍の「自分より強いかもしれない」という言葉にルイズは酷く驚いた反応をした。

 確か、赤屍は自分と同等の強さを持つ者は片手で数えられる程度しかいないと言っていたはずだ。

 つまり、タバサが出会ったという少年は、その片手で数えられる内の一人ということか。

 

 

「…っていうか、貴方の世界ってどういうこと?」

 

 

 キュルケが赤屍の言葉に反応する。

 そう言えば、赤屍が異世界からやって来たということを知っているのはこの中ではルイズのみである。

 やはりルイズ以外の二人とっては耳慣れない言葉だったらしく、タバサとキュルケの二人は赤屍の言葉にキョトンとした表情を浮かべている。

 

 

「ふむ…そう言えば貴女方には話していませんでしたね」

 

 

 別にわざわざ隠す意味も無いので赤屍は自分の事情についてキュルケたちにも説明した。

 自分が、ここではない別の世界から召喚されてきたこと。そして、そこでは月が1つしかなく、表向きには魔法が存在しないということ。

 キュルケは興味深そうに話を聞いていたが、やがて話を聞き終わると納得したように言った。

 

 

「へえ~、最初から普通の人とは毛並みが違うとは思ってたけど、まさか異世界からやって来ただなんてね」

 

「それじゃあ、あの少年も貴方の世界からの出身者なの?」

 

「クス…もしもその人物が本当に『雷帝』ならね。まあ十中八九、間違いないと思いますが」

 

 

 嬉しそうな笑みを浮かべてタバサの問いに答える赤屍。

 赤屍の様子からすると、やはり彼はタバサの語った雷の少年の正体についてほぼ確信しているらしい。

 そして、赤屍と同じ世界からやって来たという言葉を聞いて、ルイズはふと一つの疑問に思い当っていた。

 その疑問とは、つまり、その少年は一体どうやってこちら側の世界にやって来たのか、ということだった。

 もちろんその少年が自分の意思でこちら側の世界にやって来た可能性もゼロではないだろう。だが、ルイズはなんとなく確信した。確信できてしまった。

 

 

 ―――間違いなく、そいつを呼び出した人間が居る。ルイズが赤屍を呼び出したのと同じように。

 

 

 その確信に思い当った瞬間、ルイズは背中に寒いものを感じさるを得なかった。

 今回、タバサが受けた任務はガリア王家からの勅命だという。その任務の協力者として少年が派遣されてきた以上、ガリア王家に近しい地位の人物がその少年の『主人』であることは明白である。

 そして、その少年がガリア王家からの任務を引き受けているということは、今のところ、その少年は『使い魔』としてある程度のコントロール下に置かれている、ということを意味する。

 だが、そんな赤屍と同等レベルの強さを持つような相手が、そう簡単に誰かに付き従うとはとてもルイズには思えなかった。もしも、その人物が何かの切っ掛けで暴れ出すようなことでもあれば、一体どれだけの被害が出るのか想像するだけで恐ろしい。

 ルイズは自分の声が震えそうになるのを抑えながら、赤屍に訊ねる。

 

 

「…ねえ、赤屍。そいつって、本当に誰かに従うような奴なの? まさかと思うけど、そいつもアンタと同じ殺人狂だったりするんじゃ…」

 

 

 その問いだけで赤屍はルイズがどんなことを心配しているのか察したらしい。

 赤屍は少し考える素振りを見せた後、ルイズに返答した。

 

 

「いえ、彼は自分の敵と判断した相手には一切の容赦はしませんが、自分から好き好んで殺すようなことはしません。そういう意味では私よりも安全ですよ。

 けれど、彼の場合、他の誰かに無条件の忠誠を誓うということは絶対にあり得ないでしょう。おそらくガリア王家の賓客として遇されている…というのが妥当な所でしょうね」

 

 

 とりあえず赤屍の話を聞く限り、その『雷帝』という少年は、赤屍のような殺人ジャンキーという訳ではないらしい。

 だが、正直に言って、危険度レベルではそんなことは誤差の範囲でしかないだろう。今のところは『使い魔』として、どうにかコントロール下に置かれているようだが、それがいつまで続くかは怪しいところだ。

 規格外すぎる爆弾を二つも抱え込んでしまったハルケギニアの未来を割と真剣にルイズは心配し始めていた。

 しかし、一方の赤屍の表情はと言えば、ニコニコと心の底から上機嫌な様子である。

 

 

(どうせコイツ、強敵と戦えるチャンスが増えて嬉しいとか思ってるんだろうなぁ…)

 

 

 そんな赤屍を見てルイズはげんなりとした様子で溜め息を吐く。

 そして、未だ嬉しそうに微笑んでいる赤屍に、今度はタバサが話し掛けた。

 

 

「お願い。知っている限りの彼の情報を教えて」

 

「教えるのは構いませんが…、まさか彼と戦うつもりですか?」

 

「戦いが避けられるならそうする。けど、私の目的を果たすためには、彼と戦わなければならなくなる可能性が高い」

 

「ふむ…気になることは幾つかありますが…」

 

 

 実際、赤屍でなくとも、タバサの話の中に気になる事は幾つかある。

 大まかには以下の二つだ。一体誰が『雷帝』を召喚したのかという点。そして、タバサの目的とは一体何なのかという点である。

 しかし、敢えて赤屍はそれらを追及するようなことはしなかった。追及しても答えてくれないと思ったのか、あるいは単純にそれ程興味が無いだけだったのかもしれないが。

 おそらく今回、タバサが話を聞きに来たのは、赤屍の情報から『雷帝』の弱点でも掴めればと期待していたのだろう。

 だが、赤屍はそうした彼女の淡い期待を砕く事実を淡々と告げた。

 

 

「言っておきますが、『雷帝』に弱点なんてありませんよ。彼は戦術論とか理屈で勝てるような相手ではありません。彼に勝つには、単純に彼より強くなるしかない。『雷帝』とはそういう相手です」

 

 

 実際、赤屍が知る限りで『雷帝』に弱点なんてものは無い。…というか、赤屍や雷帝クラスの領域になれば、弱点や戦術なんてものは関係なくなる。

 理不尽な相手に理屈など通用しない。理不尽を捻じ伏せるには、それ以上の理不尽で捻じ伏せる以外には方法は無いからだ。

 

 

「…私が彼に勝てると思う?」

 

「無理ですね。今の貴女では『雷帝』には到底及びません。勝てる可能性は完全なゼロです」

 

 

 タバサが勝てるかどうかという質問に対して、赤屍はばっさり不可能と断言した。

 実際、今のタバサでは雷帝の足元の影すら踏むことが出来ない。あれとまともに戦える人間。僅かにでも勝てる可能性のある人間など、無限城世界においてすら数人しか居ないだろう。

 しかし、その次に赤屍はタバサ本人にすら信じられないような事を口にした。

 

 

「ですが、貴女なら将来的には可能性が完全なゼロという訳でも無いでしょう。…ふむ、いい機会ですし、少し実験してみましょうか」

 

 

 そう言って、赤屍は改めてタバサとキュルケ、そしてルイズの三人の方を見る。

 

 

「今日の夜に中庭に来てください。貴女達さえよければ、少しだけレクチャーしてあげましょう。貴女達の持つ才能がどれだけのものかをね」

 

 

 どうしますか?

 そう、瞳で語りかけてくる赤屍に、全員が黙って頷いた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そうして、夕刻になり赤屍に呼ばれた一同は中庭に集まった。

 メンバーはルイズ、タバサ、キュルケの三人。そして、何故かメイドも一人居る。

 ハルケギニア人としては珍しい黒い髪と瞳のメイドの少女。ギーシュと赤屍が決闘する切っ掛けにもなった人物。確か、シエスタという名前だったはずだ。

 

 

「っていうか、何でメイドまで居るの?」

 

「えっと…、私もドクターに呼ばれて来たんですけど…」

 

 

 貴族の中に一人だけ混じる平民。

 シエスタは周囲を貴族に囲まれてオドオドと恐縮した様子である。

 どうやら彼女も赤屍に声を掛けられたらしいが、一体何のつもりで赤屍はこんな平民のメイドを呼んだのだろうか。

 シエスタを含めた全員が疑問に思いつつも待っていると、やがて赤屍がその場に現れた。

 

 

「おや、少しお待たせしてしまったようですね」

 

 

 少しの時間とはいえ、女性陣を待たせてしまったことを軽く謝罪する赤屍。

 ルイズは現れた赤屍に早速訊ねた。

 

 

「このメイドはアンタが呼んだの?」

 

「ええ。彼女は私が呼びました」

 

「何で?」

 

「クス…、今回の実験をするにあたって、彼女が一番簡単に目覚めてくれそうだったのでね」

 

 

 ルイズの質問に答えた赤屍は、その場に集まった全員をざっと見渡す。

 そして、赤屍はルイズたち全員に向けて言った。

 

 

「さて…、まずは皆さんにこれを差し上げましょう。お待たしてしまったお詫びです」

 

 

 そういって赤屍はコートのポケットから何か丸いものを4つ取り出した。

 白っぽい半透明の紙に両端をねじって包装してある。それはどこからどう見ても飴玉だった。

 

 

「飴玉?」

 

「ええ、どうぞ遠慮なさらずに」

 

 

 そう言って、全員に飴玉を手渡す赤屍。

 ルイズなどは少し不審に思わないでもなかったが、まさか毒などが入っている訳もないだろう。

 わざわざ赤屍がそんなことをする意味はないし、毒殺などという間接的な殺し方は赤屍の趣味ではないはずだ。

 もしも本当に赤屍が殺しに来るとしたら、もっと直接的・物理的に殺しに来るはずだからだ。

 

 

「あ、この飴、すごく美味しいです」

 

 

 飴を食べたシエスタの反応。

 どうやら毒などではないようだが、流石にもう少し警戒してもいい場面だった気がする。

 シエスタの場合、貴族に絡まれていた場面を結果的に赤屍に助けられたということもあり、シエスタ自身の赤屍に対する警戒はルイズに比べてかなり薄かったようだ。

 しかし、赤屍の本性を知っているルイズは赤屍を不審と警戒の混じった目で見ながら言った。

 

 

「…一応聞くけど、毒とかヤバイ薬が入ってるんじゃないわよね?」

 

「どちらかと言えば薬ですね。まあ、危険なものではありませんが」

 

 

 サラリととんでもない爆弾発言をかます赤屍。

 余りにも平然と言ってのけたので危うくスルーしそうになったが、ルイズは慌ててて突っ込む。

 

 

「…って、やっぱり何か入ってるんじゃない! どうすんのよ!? このメイド、もう食べちゃったわよ!?」

 

 

 ギャーギャーと喚くルイズ。

 しかし、赤屍は謝るどころかこれ幸いとばかりにとんでもないことをルイズに対して仕出かした。

 

 

「おっと、手が滑りました(棒読み)」

 

「むぐッ!?」

 

 

 何と赤屍はルイズの口の中に飴玉を投げ入れたのだ。

 ルイズが口を開けた瞬間に完璧なタイミングで投げられたそれは見事に彼女の口の中に吸い込まれ、ゴクン、という音が喉で鳴った。

 

 

「おええええええええ! い、今のって、まさか!?」

 

 

 自分が赤屍の飴を食べてしまったことを自覚して、顔面を蒼白にさせるルイズ。

 今更ながらこの男、時々どえらいことを事をさらりとやらかすから本当に始末に負えない。

 さすがに毒とまではルイズも思わないが、得体の知れない薬をいきなり飲まされるハメになって当然ルイズは烈火のごとく怒りを爆発させる。

 

 

「赤屍ぇぇぇ!! アンタ、マジで一体何してくれてんのよぉぉぉ!?」

 

「ルイズさん、落ち着いてください。害のあるものではないと言ったでしょう?」

 

 

 赤屍はそう言うが、無論、納得できるわけがない。

 未だに納得する様子のないルイズに赤屍は苦笑しつつ説明した。

 

 

「これは以前、ある知り合いから頂いたものでしてね。普通の人間にはただの飴でしかありませんが、とある一定の素質を持つ者にとってはある種のレベルアップアイテムとして働きます。まあ、簡単に言えば自分の潜在能力を引き出してくれるアイテムです」

 

 

 無論、ここで赤屍が言う知り合いとは間久部博士のことである。

 以前に間久部博士から依頼された仕事の報酬として貰っていたアイテムであるが、ここぞとばかりに赤屍は投入する。

 気紛れ屋、掴み所のない男などと称される赤屍であるが、実は彼の行動はある意味では一貫している。一見遠回りに見えても、赤屍の行動のベクトルは、最終的に自分が強者と戦うことに向けられているからだ。

 今回のルイズ達への『レクチャー』もそうした行動の一環であると言える。つまり、今回のレクチャーに呼ばれているということは、「強者の素質あり」と赤屍に認められているということなのだが、それが名誉なことなのか迷惑なことなのかは正直言って微妙である。

 あるいは蛮と銀次の二人、およびルイズならば「迷惑以外の何物でもねえよ(ないわよ)!」と即答するかもしれないが。

 

 

「…つまり、その薬を飲めば『力』を手に入れられるということ?」

 

「いえ、この薬が与えられるのはせいぜい切っ掛け程度です。どこまで伸びるかは、結局、その人次第としか言えません」

 

 

 タバサの問いにも、赤屍はあくまでも突き放すような口調を保ったままだ。

 千尋の谷に突き落とし、それで這い上がってこれない者は容赦なく切り捨てる。もはや赤屍の行う戦闘指南とは「指導」というよりも「選別」と言った方が適切であると言える。

 実際、これまでも期待外れだった者に対しては、赤屍は失望を隠しもせずに斬り捨てて来た。それは恐らくルイズ達が相手であっても変わらないだろう。

 

 

「さて、今の時点では飴を食べたのはルイズさんとシエスタさんだけですが……」

 

 

 そうして、赤屍はシエスタの方へと体を向ける。

 じっとりと相手を物色するような、ねっとりとした赤屍の視線。

 しかし、当のシエスタの方はイマイチ今の状況を理解していないらしく、キョトンとした様子だ。

 赤屍はそうした彼女の戸惑いに全く構わずにシエスタに話し掛けた。

 

 

「実際に試す前に少し質問しておきましょうか。貴女の右目には『特別な力』が宿っている。これまでにそれを自覚したことはありますか?」

 

「え? わ、私なんてただの平民ですよ。そんな『特別な力』があるなんて……」

 

 

 赤屍の言葉にシエスタはそんなの恐れ多いと言わんばかりに首を振る。

 しかし、すでにシエスタの右目の正体について確信を得ている赤屍はさらに突っ込んだ質問をした。

 

 

「クス…なるほど。それでは、貴女のご両親、あるいはご祖父母の中に特別な出自を持つ人物はいらっしゃいますか?」

 

「特別な出自…、ですか?」

 

「ええ、何か心当たりはありませんか?」

 

 

 赤屍に問われたシエスタは少し考える素振りを見せる。

 思い当ることはあるにはあるが、話して良いものかどうか逡巡しているという感じだ。

 少し考えた後、シエスタは話すことにした。

 

 

「…赤屍さんの期待通りの答えかは分かりませんけど、もしかしたら私の曽祖父がそうかもしれないです」

 

 

 そうして、シエスタは自分の曽祖父のことを話し出した

 何でもシエスタの曽祖父今から60年ほど前にシエスタの故郷にふらりと現れたらしい。

 そして、ふらりと現れたその人物は、見たことも聞いたこともない特別な武術を操る達人だった。

 

 

「特別な武術?」

 

「ええ、絃を自由自在に操って戦う武術です。けれど、曽祖父は決して自分の武術を他人に教えようとはしなかった。何故か私だけは一度だけ全ての技を見せて貰ったことがありますけど、本格的に技を教えて貰ったことは一度もありません」

 

 

 そう言ってシエスタは懐から鈴を取り出した。

 その鈴は曽祖父から譲られた形見らしいが、変わっていることと言えば中に琴糸が仕込まれているという一点のみである。

 一見ではそれがとても武器として使えるようには見えないが、シエスタの曽祖父はそれを文字通りの必殺の武器として操ったという。

 何でもタルブ村がオークの集団に襲われたときなど、たった一人でオークの群れを全滅させたこともあるらしい。

 

 絃を武器として操る武術。

 

 普通なら荒唐無稽な与太話と考えるところだが、赤屍にはその武術に心当たりがあった。

 無限城世界において、古流術派の一つとして伝えられる『風鳥院流絃術』。宗家・分派を合わせれば二十七派あると言われる流派だが、その流派の使い手には黒鳥院夜半、風鳥院花月、東風院祭蔵など、無限城世界においても上位陣の実力者が名前を連ねている。

 赤屍は、まさかと思いながらもシエスタに訊ねる。

 

 

「曽祖父の名前を教えて頂いても?」

 

「曽祖父の名前は…」

 

 

 そうして、シエスタの口から出た名前を聞いた瞬間、赤屍の表情が変わる。

 それは『雷帝』と同様、本来ならばこのハルケギニアに存在するはずのない人物の名前だったからだ。

 

 ―――東風院祭蔵―――

 

 東風鳥院絃術の使い手であり、かつての無限城下層階の最大勢力『風雅』の元幹部メンバー。

 雷帝や呪術王、黒鳥院夜半などの最上位の実力者達には劣るものの、その実力・素質は無限城世界でもかなりの上位に位置していた。

 何しろ『聖痕』を刻んだ風鳥院花月とほぼ互角の戦いを繰り広げることが出来る実力者であったのだから。

 

 

「…なるほど。一体誰が貴女の右眼の『それ』を封印したのかと思っていましたが、彼ならば納得ですね」

 

 

 ルイズ達を置き去りして一人で納得した様子の赤屍。

 そして、赤屍はニヤリと嬉しそうな笑みを浮かべてシエスタに言った。

 

 

「…ですが、残念ながら封印は不完全。流石の彼も封印術などといった類の術は不得手だったようですね」

 

 

 そう言って、赤屍は一歩、シエスタの方に歩み出る。

 そして、赤屍が一歩踏み出したその瞬間、ゾクリと背中が震え上がるのをルイズは感じた。

 

 

(ヤ、ヤバい…!この感じは―――!)

 

 

 瞬間、赤屍の全身から発せられる禍々しい気配。

 この凄まじくヤバい感じは、初めて赤屍に会ったときに感じた禍々しい気配と同質のものだった。

 

 

「貴女が『本物』ならこの程度では殺されはしないでしょう」

 

 

 そう言って赤屍はどこからか一本のメスを取り出す。

 そして、そこからの出来事は間違いなく一瞬だった筈だ。

 だが、そのコンマ一秒にも満たない薄く細い時間の中で起こったことの全てがルイズにはスローモーションで見えた。

 

 

(んなっ!?)

 

 

 あろうことか赤屍は、取り出したメスをシエスタに向けて投擲したのである。

 それも半端な速度ではない。おそらくギーシュを殺してのけた時と同じように、常人には投擲の予備動作すら視認できない神速の動き。

 その速さで繰り出されたメスがシエスタの右目に向かって飛来していくのが見えた。

 

 

(何てことしてんのよ、コイツーーー!?)

 

 

 心の中で絶叫を上げるルイズだが、もはやどうすることも出来ない。

 こんな至近距離からこんな速度でメスを撃ち込まれたら、もはや常人にはどうすることもできない。…というかそれ以前に、この時点でシエスタは自分に向けてメスが投擲されたことなど一切認識出来ていない様子だった。

 だから、そこからシエスタが見せた一連の動きは、全て彼女の無意識の内に繰り出されたということになる。

 投擲されたメスがシエスタの右目に迫り、もう駄目だとルイズが絶望したまさにその時だった。

 

 

(えっ――!?)

 

 

 投擲されたメスがシエスタの右目に命中する直前。

 突然、シエスタの右目に十字架のような刻印が浮かび上がるのをルイズは見た。そして、それと同時に、シエスタは動いた。

 彼女は飛来するメスが当たる寸前で首をいなして避ける。さらにシエスタは飛来するメスを空中で掴み取り、赤屍の懐に一足で飛び込むと、そのまま流れるような動作で手にしたメスを赤屍の心臓へ向けて突きこんだ。

 それらの全ての動きが文字通りの一瞬、コンマ1秒にも満たない時間の内に行われた。常人なら反応すら出来ずにそのまま心臓を串刺しにされて終わりのはずだが、生憎、この男は常人ではない。

 赤屍はメスを持ったシエスタの手首を横合いから掴み取ることで、彼女の動きを止めていた。

 

 

「クス…やはり、私が見込んだだけのことはありましたね」

 

 

 シエスタの手首を掴んだまま赤屍は嬉しそうにニヤリと笑う。

 この場で全ての事情を把握しているのは赤屍しかいない。タバサ、キュルケだけでなく、シエスタ本人ですらが驚愕に目を見開いたまま動けないでいる。

 今の瞬間に何が起こったのか、自分が何をしたのかすら分からないという様子だった。

 

 

「…え? い、今、私…」

 

 

 シエスタが無意識の内に繰り出した一連の動き。

 だが、今のはどう考えても普通の人間に可能な動きではない。

 彼女は今の一瞬で、赤屍の投擲したメスを避けると同時に掴み取り、さらにそれを赤屍の心臓へ突き立てようとした。

 自分が一体何をしたのかを遅まきながらに理解したシエスタは、肩を小刻みに震わせ始める。彼女の常識の範囲を超えた出来事であり、彼女が混乱と動揺の極みにあるのは傍目に見ても明らかだった。 

 

 

「ち、ちょっと! い、今の何よ!? あんなのただのメイドに出来る動きじゃないわよ!」

 

 

 人間の限界を遥かに超えたシエスタの動きを傍で見せられたルイズはシエスタと赤屍の二人に詰め寄る。

 だが、同じように見ていたはずのキュルケとタバサは、ルイズのことをひどく驚いたような顔で見ていた

 

 

「…って言うか、ルイズ。貴女、今のメイドの動きが見えたの? 私にはあのメイドが瞬間移動したようにしか見えなかったわよ?」

 

「へ?」

 

 

 キュルケに言われてルイズはようやく気付いた。

 よくよく考えてみれば、シエスタが繰り出したさっきの動きは、人間の動体視力で視認できる限界を超えている。

 しかし、ルイズは先ほどのシエスタの動きの全てを捉えた。彼女の右目に十字架のような刻印が浮かび上がる様子すら鮮明に捉えること出来ていた。

 少し前のルイズになら絶対に見えないものが、今のルイズには見えていた。しかし、いったい何が原因でそんなことが出来るようになったのかルイズにも分からない。

 もしかしたら本当に先ほど食べた飴のお蔭なのかもしれない。

 

 

「クククッ…今のが『聖痕』を刻んだ者の力です。この程度ではまだまだですが、今の時点では及第点といったところでしょうかね。そして、今のシエスタさんの動きが視えたということは、やはり貴女の素質も中々の物ですよ、ルイズさん」

 

 

 そう言って、赤屍はルイズとシエスタの二人に微笑みかける。

 赤屍は心底嬉しそうな笑みを浮かべて、シエスタの頬を撫でる。彼女の右の瞳には十字架のような刻印が刻まれたままだ。

 

 

「な、んですか」

 

 

 ようやく絞り出した彼女の声は震えていた。

 自分の理解の及ばない事態に陥ったことに対する不安や恐怖がごちゃ混ぜになったような感じだ。

 そして、赤屍はそうした彼女の混乱を完全に見透かした上で言った。

 

 

「さて、シエスタさん。貴女、その右目の秘密について知りたいですか? もしも貴女が知りたいなら、教えてあげましょう」

 

 

 どうしますか?

 そう、瞳で語りかける赤屍。

 まるで悪魔に魅入られたかのように、有無を言わせずに相手に頷かせてしまうような赤屍の微笑み。

 

 

「わ、私は…」

 

 

 そうして、シエスタが頷いてしまいそうになる直前、突然の轟音が響いた。

 

 

 ―――ズガァァァァァン!

 

 

 一体何事かと音のした方向へと視線を向けるルイズ達。

 ルイズの目に飛び込んできた光景は、全長30メイルはあろうという巨大なゴーレムが、学院の宝物庫のあるあたりの外壁を殴っている姿だった。

 

 

 

 



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第十一話『捜索隊、結成』

 全長30メイルはあろうという巨大なゴーレム。

 そのゴーレムが学院の宝物庫のあるあたりの外壁を殴っている姿を認めた赤屍たち。

 

 

「ほう…」

 

「なななななな、な、何よ、あれ!?」

 

「ま、まさか怪盗フーケのゴーレム!?」

 

 

 土くれのフーケと言えば、最近トリステインで話題になっているメイジの盗賊のことだ。

 貴族の所有する宝やマジックアイテムを専門に狙い、大胆かつ鮮やかな手口で標的を盗み出すことで知られている。

 そして、その怪盗がここに現れたのだとすれば、狙いは魔法学院本塔にある宝物庫に決まっている。

 

 

「『土くれ』がここに来たってことは……!」

 

 

 真っ先にルイズが中庭へ向かって駆け出した。

 そして、広場に辿り着いたルイズが見上げるとゴーレムの肩の部分に人影が見えた。

 暗がりで良く見えないが、おそらくあの人影がフーケだろう。

 

 

「覚悟しなさい盗賊!フレイム・ボール!」

 

 

 ゴーレムの肩の部分の人影に狙いを定めて魔法を放つ。

 本来なら火球を飛ばす魔法のはずだが、ルイズの魔法は当然のごとく爆発を起こす。

 

 

 ―――ズガァァァァァン!

 

 

 ルイズの放った爆発魔法はゴーレムの肩の部分の人影には命中せず、本塔の外壁に直撃した。

 しかし、爆発の威力がこれまでと比べても明らかにおかしい。固定化の掛かった本塔の外壁に亀裂を入れるどころか、外壁を丸ごと消し飛ばしていた。

 その余りの威力に唖然とするキュルケとタバサ。むしろ魔法を放ったルイズ本人が一番驚いた顔をしている。

 

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 

 思わずルイズが驚きの声を上げてしまうのも無理はない。

 もしも普通の人間が今の爆発に巻き込まれていたなら、間違いなく全身が粉々になって即死していた。今の爆発はそう確信できるだけの威力があった。

 単純な威力だけなら最早スクウェアスペルの魔法と比べても遜色はあるまい。

 

 

「おや、やはり爆発の威力も底上げされているようですね」

 

 

 ルイズの放った爆発魔法の威力を確認した赤屍はそう言った。

 どうやらこれは本当に赤屍に食べさせられた飴で能力が底上げされた結果らしい。

 

 

「そ、それよりフーケが!」

 

 

 ルイズの爆発魔法によって盛大に大穴が開いた宝物庫の外壁。

 ゴーレムの肩に乗っていた人影は一瞬驚いた反応をみせたが、すぐに気を取り直してルイズの爆発魔法によって開いた大穴から宝物庫の中に侵入する。

 宝物庫の中にはたくさんのお宝――<マジック・アイテム>が納められていたが、フーケはそれらには目もくれずにとある小さめの宝箱を選び取った。

 そして、去り際に自前の杖をさっと一振りして宝物庫の内壁に文字を刻む。

 

 

『戦女神の鈴、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

 

 

 最後にそのメッセージを残したフーケは闇夜の中へと消えていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ―――翌朝のトリステイン魔法学院は大騒ぎとなっていた。

 それもそのはずで、魔法学院で厳重に保管されていた秘宝『戦女神の鈴』が盗まれてしまったからだ。

 しかし、『ルイズ殺人未遂事件』『ギーシュバラバラ殺害事件』に引き続いてこんな事件が起こるなどと、最早呪われているとしか思えない事件の発生率である。

 事件の現場となった宝物庫には学院の教師たちが集められていたが、彼らは責任の所在と今後の対策について、議論とは名ばかりの自己保身や責難に明け暮れているだけだった。

 

 

「当直のものは何をしていたのだ!」

 

「衛兵など当てにならぬ!今後はこのようなことが無いよう国軍に警護をまかせるべきではないか」

 

「当直を行っていなかったミセス・シュヴルーズには損失の弁償を…」

 

「そんな!私だけじゃなく他の方々も満足に当直なんてなさっていなかったでしょう!」

 

 

 このような責任の擦り付け合いな状態がかれこれ三時間は続いていた。

 しばらくの間、そのやり取りを見守っていたオスマンであったが、流石に業を煮やして教師たちを一喝する。

 

 

「静まらぬか。皆の者」

 

 

 そもそもまともに当直していた者はコルベールの他は誰も居ない。…であるならば、この責任はコルベールを除く教師全員にある。

 その事実を述べると教師達は誰も反論できなくなり、俯いてしまった。

 

 

「それで、犯行現場を見ていたのは誰だね?」

 

「この五人です」

 

 

 コルベールがさっと進み出て、ルイズ達を指差した。

 ルイズ・キュルケ・タバサの三人に加えて、赤屍・シエスタの二人も目撃者として呼び出されている。

 

 

「ほほう……君たちかね。詳しく説明してもらえんかの?」

 

 

 そこでルイズが前へ出て、昨晩のことを手早くオスマンに報告を行った。

 ちなみに宝物庫の外壁を消し飛ばした直接の原因はルイズの爆発魔法だったが、敢えてそこには言及していない。

 

 

「ふむ。巨大なゴーレムで外壁を破壊して、まんまと宝物を盗み出していった、という訳か」

 

「ええ! 外壁を破壊したのは間違いなくフーケのゴーレムです!」

 

 

 敢えて強調して答えるルイズ。

 明らかに全ての責任をフーケに擦り付ける気満々である。

 キュルケとタバサが少しだけ白い目でルイズを見ているような気がするが、きっと気のせいである。

 学院長は、宝物庫の壁に開けられた大穴に目をやった後、呟くように言った。

 

 

「固定化の掛かった外壁をここまで破壊するとは、ひょっとすると噂以上に実力のあるメイジなのかもしれんのぉ…」

 

 

 意図していない所で実力を過大評価される怪盗フーケである。

 そうして、襲撃当時の状況について詳しい説明(※一部に若干の改変あり)を受けたオスマンは、深々とため息をついた。

 

 

「しかし、困ったのう…。後を追おうにも、手掛かり無しという訳か」

 

 

 立派な白髭を撫でつけながら唸るオスマン。

 その時、ふと自分の秘書がいないことに気付いたオスマンはコルベールに訊ねる。

 

 

「時に、ミス・ロングビルはどうしたのね?」

 

「それがその……今朝から姿が見えませんで」

 

「この非常時に……、何処に行ったのじゃ」

 

 

 そうして噂をしていた所へ、ミス・ロングビルが現れる。

 まさに『噂をすれば影がさす』という諺を実証するかのような見計らったタイミングだった。

 

 

「ミス・ロングビル! 何処へ行っていたのですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

 

「調査?」

 

「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこの通り。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査を開始したのですわ」

 

 

 ロングビルの迅速過ぎる仕事振りに感嘆の声を漏らす学院長。

 

 

「仕事が早いのう、ミス。で……結果は?」

 

「はい。フーケの居所がわかりました」

 

「な、なんですと!」

 

 

 コルベールを筆頭に、集まっていた教師達のどよめきの声が漏れた。

 ミス・ロングビルは懐からメモ書きのようなものを取り出してそれを読み上げる。

 

 

「はい、近隣の農民たちから聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒づくめのローブの男を見たそうです。おそらくですが、そのローブを着た男がフーケで、廃屋は彼の隠れ家なのではないかと判断しました。ですので、こうして急ぎお知らせをと」

 

 

 それまで後ろに控えていたルイズが叫んだ。

 

 

「黒ずくめのローブ!? それはフーケです、間違いありません!!」

 

 

 オスマンは、目に鋭い光を宿し、ロングビルに尋ねた。

 

 

「そこは、近いのかね?」

 

「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」

 

「………」

 

 

 そして、赤屍は教師陣のそれらのやり取りを冷ややかに見ている。

 赤屍が胸中に抱いていた疑惑は、すでにこの時、完全な確信に変わっていた。

 

 

「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 

 

 コルベールが叫んだが、オスマンが目を見開き、年寄りとは思えぬ迫力で怒鳴る。

 

 

「――馬鹿者! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! 身に掛かる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! この件は、魔法学院の問題じゃ! 当然、我らの手で解決する!!」

 

 

 オスマンは一喝の後、咳払いをすると改めてその場の全員を見渡す。

 

 

「では、捜索隊を編成する。我こそはと思う者は、杖を掲げよ」

 

 

 しかし、教師陣は誰も杖を上げない。

 皆、この強固な宝物庫を破るような使い手を相手にする危険を冒したくないのだ。

 

 

「おらんのか? ほれ、どうした! 貴族の威信にかけて汚名を雪ごうという者はおらんのか!?」

 

 

 そうして、しばらく無言の時間が流れ、やがて挙げられた杖が一つあった。

 だが、残念なことにそれは教師達からではない。

 その杖を掲げた人物とは―――

 

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 

 シュヴルーズが、驚愕の声を上げる。

 他の教師達も同様に驚愕の表情でルイズに注目していた。

 

 

「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」

 

「誰も掲げないじゃないですか」

 

 

 ルイズの指摘に、教師陣もバツが悪そうに視線を逸らす。

 そして、ルイズが杖を掲げるのを見て、キュルケも杖を掲げる。

 

 

「ミス・ツェルプストー! 君まで!」

 

「ふん、ヴァリエールには負けられませんわ」

 

 

 続いて、タバサも杖を掲げる。

 それを見て、キュルケが声を掛ける。

 

 

「タバサ、あんたはいいのよ。関係ないんだから」

 

「心配」

 

 

 そんな彼女たちの様子を見ていたオスマンの表情が緩む

 オスマンは小さく笑って、少女たちに向かって言った。

 

 

「そうか。では、彼女達に頼むとしよう」

 

「そんな! わたくしは反対ですわ! 生徒たちを、そんな危険に晒すだなんて!」

 

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ」

 

 

 オスマンがそう言って視線を向けると、シュヴルーズは再び困ったように俯き、視線を逸らした。

 オスマンはそんな彼女の様子に溜め息を吐くと、その場の全員に話した。

 

 

「彼女らは一度賊を見ておる。それにミス・タバサはシュバリエの称号を持つ優秀なメイジじゃ。ミス・ツェルプストーもゲルマニアの高名なメイジの家系として優秀なトライアングルメイジじゃ」

 

 

 シュバリエとは国が貴族へ与える爵位の一つだが、実戦能力等の実力によって与えられるものであり、優秀なメイジの証でもある。

 そして、最後にオスマンはルイズに目を向けたが、そこで少し言葉を濁す。

 

 

「ミス・ヴァリエールは……その、数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジと聞いておるが? しかもその使い魔は!」

 

 

 何とかルイズを褒めることに成功したオスマンが、声を上げて赤屍に目を向ける。

 その場の全員の視線が赤屍に集まった。

 

 

「「「………」」」

 

 

 ほんの数日前のギーシュがバラバラになって死亡した事件を思い出す教師一同。

 斬ってから傷が開いて死亡するまで30分の時間差を設けるという常識外れの方法で、無理矢理にその容疑者から外れた男。

 どちらかというと教師達はルイズ、キュルケ、タバサの三人より赤屍一人にビビっている。

 

 

「皆も知っておるはずじゃが、ミス・ヴァリエールの使い魔……ミスタ・アカバネはそこらのメイジなど問題にならん凄腕の『メイジ殺し』じゃ」

 

 

 オスマンは集まった教師たちを見回して言った。

 

 

「この面子に勝てるという者がいるならば、一歩前に出たまえ」

 

 

 オスマンの威厳のある声で言った言葉に、反応する者は誰もいなかった。

 オスマンは、赤屍を含む四人に向き直ると、朗々と告げた。

 

 

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 

 

 ルイズとタバサとキュルケの三人は、真顔になって直立し、唱和した。

 

 

「「「杖に賭けて!」」」

 

 

 気合の乗った言葉を返すルイズとタバサとキュルケの三人。

 そして、ルイズの付き添いという形でいつの間にか捜索隊のメンバーとして抜擢されている赤屍であった。

 はっきり言って、赤屍自身はフーケなどどうでも良かったのだが、ルイズ達が首を突っ込むというなら話は別である。

 赤屍が考えていることはただ一つ。どうしたら今回の事件を自分好みに引っ掻き回すことが出来るか。赤屍はただそれだけを考えていた。

 そして、それまで沈黙を守っていた赤屍が質問のために挙手をする。

 

 

「いくつか質問をよろしいでしょうか?」

 

「な、何じゃね?」

 

「今回のことは『戦女神の鈴』と『フーケ』という盗賊をここまで運んでくるという仕事を私に依頼するということでよろしいですか?」

 

「う、うむ、そう捉えてくれて差し支えない」

 

「分かりました。それでは確認したいことが一つあります。ある意味、一番重要なことなのですが…」

 

「重要なこと?」

 

「"DEAD or ALIVE" …つまり、生死問わずでよろしいですか?」

 

 

 その発言の瞬間、その場の全員の顔が明らかに引き攣った。

 ひょっとすると室内の温度が2~3度くらい下がったのではあるまいか。

 オスマンは冷や汗をタラリと流しながら赤屍に返答する。

 

 

「ま、まあ、なるべく殺さない方が良いんじゃがな…」

 

「クス、なるべくですね♥」

 

 

 語尾にハートマークが付くほどに弾んだ声で空恐ろしいことをのたまう赤屍。

 全く以って嫌な予感しかしない。

 

 

「ところで学院長、『戦女神の鈴』とはどういった秘宝なんです? 見た目だけでも教えておいて貰いたいのですが」

 

「う、うむ、見た目は本当にただの鈴じゃよ。変わっている所と言えば、中に糸が仕込まれているということくらいじゃの」

 

 

 中に糸が仕込まれた鈴。

 その言葉に赤屍、ルイズ、キュルケ、タバサの四人ともが反応する。

 これまでずっと後ろで控えていただけだったシエスタも「あれ?」と怪訝な表情をしている。

 全員が学院長が言ったものと非常によく似たものに覚えがあったからだ。…というか、それと非常に似たものをシエスタは今も所持している。

 赤屍は少し考える素振りを見せた後、シエスタに言った。

 

 

「シエスタさん、出来れば貴女にも今回の捜索に同行して頂きたいのですが」

 

「「「「ちょっ!?」」」」

 

 

 まさかの赤屍の発言に驚くルイズ達。

 

 

「何考えてるの! シエスタはメイドなのよ?」

 

「ええ、それは分かってますが、私に良い考えがあります。彼女も目撃者の一人ですし、確実に盗賊を捕まえるためには彼女の力が必要なんですよ」

 

 

 本当にこの男は一体何を考えているのか。

 その場の全員がそう思ったが、誰も赤屍に口出しできない。

 シエスタ本人も同行することに少し難色を示したが、結局、赤屍に押し切られて同行することになった。

 

 ―――無限城世界における古流術派、『風鳥院流絃術』―――

 

 そして、今回のフーケ捜索隊のメンバーである彼女らは、その神業を目撃することになる。

 

 

 

 



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第十二話『風鳥院流絃術』

 怪盗フーケ捜索隊のメンバーに選抜されたルイズ達。

 現在、彼女らは荷車に似た馬車に揺られ、フーケの隠れ家に向かっている。

 そんな中、キュルケが馬車の手綱を握るロングビルに話しかける。

 

 

「ミス・ロングビル。どうして御者を自分で? 手綱なんて付き人にやらせればいいじゃないですか」

 

 

 肩越しに少しだけ顔をこちらに向けながら、ロングビルは答えてきた。

 

「……いいのですよ。私は、貴族の名を無くした者ですから」

 

「だって、あなたはオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

 

「ええ。……でも、オスマン氏は貴族や平民だということに、あまり拘らないお方ですから」

 

「差し支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 

 

 キュルケが興味津々といった様子でロングビルに詰め寄る。

 そして、それを見とがめたルイズが、キュルケの肩をつかんで押し戻した。

 

 

「何よ、ヴァリエール」

 

「よしなさいよ。昔のことを根掘り葉掘り聞くなんて」

 

「暇だからおしゃべりしようと思っただけじゃないの」

 

「あんたのお国じゃどうか知らないけど、聞かれたくないことを無理やり聞き出そうとするのは、トリステインじゃ恥ずべきことなのよ」

 

 

 いつもと同じ様ないがみ合いを続けるキュルケとルイズ。

 赤屍はそんな彼女たちの様子を無視して、じっと目を閉じて何事かを考えているようだった。

 そして、そんな赤屍におずおずと遠慮がちにシエスタが話し掛ける。

 

 

「あの~どうして私まで…?」

 

 

 どうしてメイドである自分まで連れて来られたのかさっぱり分からない。

 シエスタが赤屍に訊ねると、彼は小さく笑った。

 

 

「クス、いえ、貴女の右眼の秘密を手っ取り早く教えてあげようと思いましてね。それに今回盗まれた秘宝とやらが私の知っている物と同じであるなら、捜索隊のメンバーとして貴女以上の適任はありませんよ。貴女が祭蔵君の子孫であるなら尚更ね」

 

 

 明らかに赤屍はシエスタの右眼の『聖痕』の刻印について知っている。

 盗まれた秘宝の正体はおろか、シエスタの曽祖父のことすら知っている言い方である。

 まるで何もかもを見通しているかのような赤屍の物言いに当然ながらシエスタは訊き返した。

 

 

「まさか、ひいおじいさんのことを知っているんですか?」

 

「ええ。しかし、まさかこんな世界に来て、祭蔵君の縁者と出会うとは思いませんでしたよ。こういうのをハルケギニア風に言うなら『始祖の導き』という奴かもしれませんね?」

 

 

 上機嫌そうに微笑む赤屍。

 一方、ルイズ達は赤屍の発言に少し驚いた反応を見せる。

 赤屍はハルケギニアとは違う、別の異世界から召喚されたと言っていたはずだ。…ということはシエスタの曽祖父も赤屍と同じ世界の出身者だということか。

 赤屍はルイズ達の驚きを気にせずに話を続ける。

 

 

「すでにルイズさん達には話していることですが、私の故郷はこの世界とは別の異世界です。そこでは月が一つしかなく、魔法などの何らかの特殊な技能を持つ者は基本的に一般人の目に触れない裏社会の住人として暮らしている。そして、祭蔵君もそんな裏社会の住人の一人だった。彼の操った武術は、私の居た世界ではこう呼ばれていましたよ。『風鳥院流絃術』と、ね」

 

 

 赤屍の話を聞いたシエスタは目を丸くさせた。

 たった今、赤屍が口にした流派の名前。その流派の名前はシエスタの家族以外の誰も知らないはずのモノだ。

 自分の家族以外の誰も知らないその流派の名前を赤屍が知っているということは、つまり―――

 

 

「まさか、本当に…? 月が一つしかない異世界から…?」

 

 

 全てを偶然と片付けるには余りにも話が出来過ぎている。

 未だに半信半疑という様子のシエスタに赤屍は、口の端に小さな笑みを浮かべて言った。

 

 

「クス…、私や祭蔵君が異世界からやって来たという話を信じる信じないは貴女の自由です。それに同じ世界からやって来たと言っても、祭蔵君と私が飛ばされた時間軸はこちらの世界では数十年の誤差があるみたいですしね」

 

 

 赤屍にとっては隠す意味もないので、彼はあっさりと自分の出自を暴露する。

 とても驚いた様子のシエスタだったが、自分と自分の家族以外は誰も知らないはずの曽祖父の武術の名前を言われた以上、信じるしかなかった。

 少なくとも赤屍にシエスタの曽祖父との面識があるのは間違いないらしい。

 

 

「…何て言うか、こんな運命的なことってあるんですね」

 

 

 シエスタの言葉に「そうですね」と頷く赤屍。

 そして、シエスタは赤屍に向かって言った。

 

 

「良ければひいおじいちゃんのことをもっと教えてくれませんか? 赤屍さんの世界でのひいおじいさんのこと」

 

「ええ、もちろん構いませんよ。私の知っている範囲で良ければね」

 

 

 タバサを除き、馬車の荷台で適当な雑談を続ける面々。

 やがて一行を乗せた馬車は、深い森に入っていった。ここから先へは馬車では進めないため、徒歩で進むことになる。

 薄暗い森の奥へと小道を通ってしばらく進んでいくと、一行は開けた場所へと出た。 どうやら森の中の空き地のようであり、その中にぽつんと建っている廃屋が確かにあった。

 

 

「私が聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 

 

 茂みに身を隠したまま、ロングビルはそう言う。

 身を隠して様子を伺うが、人が出てくる気配はない。

 

 

「わたくしが、周囲の偵察を行います。その間に、皆さんで小屋の方を調べていただけますか」

 

 

 彼女は森の奥へと姿を消して行った。

 遠ざかる背中を眺めていた 赤屍は彼女の姿が森に消えると、視線を傍らに並ぶルイズ達に向ける。

 

 

「さて、これからあの小屋を調べる訳ですが……」

 

「一体何よ、赤屍」

 

「行動するにあたって、最も注意すべき事は何か分かりますか? ルイズさん」

 

「敵の迎撃、あるいは仕掛けられた罠でしょう」

 

「上出来です」

 

 

 そこから、全員で作戦会議を行う。

 タバサが地面に枝で図を書き、作戦を説明する。

 まず、偵察と囮を兼ねて誰か一人が小屋に近づき、中の様子を探る。

 中にフーケがいた場合、これを挑発して外に誘き出す。土のゴーレムを得手とするフーケならば、必ず土のある外に出てくるはずだ。そこを、待ち伏せていた他のメンバーの魔法で一気に撃破する。

 いない場合は、周囲を警戒しつつこの場所まで戻る。そして、改めて小屋に近づき、今度は中に侵入し目標物の『戦女神の鈴』を捜索する。あれば、警戒しつつそのまま確保。なければ速やかに外に出て、仲間に合図する。

 これが、タバサが立てた作戦であった。

 

 

「では、偵察と囮の役は、私がやりましょう」

 

 

 そう言って、赤屍はまるで散歩に行くかのような気安さで廃屋へと向かって行った。

 その後、赤屍が廃屋の偵察を行い、フーケがいない上に何も罠がないことも確認するとルイズ達も中へと入っていく。ただし、シエスタだけは廃屋の外で留守番である。

 何か手がかりがないものか、ほこりだらけの廃屋内を調べ始める三人。

 

 

「これが、〝戦女神の鈴〟?」

 

 

 やがてタバサが埃だらけチェストの中から小さな宝箱を見つけ出した。

 そして、その宝箱を開けると、そこには間違いなく鈴が入っている。

 

 

「あっけないわねー」

 

 

 キュルケが拍子抜けしたように声を上げる。

 しかし、改めて鈴を見ると、何から何までシエスタの曽祖父の形見だという鈴とそっくりだ。

 

 

「クス…やはりね」

 

 

 鈴を見た赤屍は「予想通り」といった風に言った。

 赤屍の予想通り、それは間違いなく風鳥院流の術師が戦闘に用いる鈴だった。

 一人で納得した様子の赤屍だったが、一方のルイズ達は赤屍の納得の理由が分からずに怪訝そうな視線を向ける。

 

 

「やはりって…、アンタ、本当にこの鈴の正体について知ってるの?」

 

「ええ。私の居た世界のとある古流術派の使い手が武器として用いる代物です。シエスタさんが持っているものと同じですよ」

 

「これが武器なの?」

 

 

 シエスタも言っていたが、これを武器として操るとは一体どういうことなのか。

 不思議そうな表情を見せるルイズ達だったが、赤屍はそんな彼女たちの反応にクスリと愉快そうに笑った。

 

 

「さて、私の読み通りなら、そろそろでしょうかね?」

 

「何がよ?」

 

「ミス・ロングビル…いえ、怪盗フーケが仕掛けてくるタイミングですよ。私の読み通りなら、そろそろシエスタさんを人質として確保しようと行動を起こしている頃でしょうね」

 

「はい?」

 

 

 ミス・ロングビル=怪盗フーケという事実をさらりと暴露する赤屍。

 その唐突な暴露にルイズだけでなく、タバサとキュルケですら唖然とした顔をしている。

 一瞬、呆けた反応をしていた三人だったが、すぐに我に返ったルイズが赤屍に突っ込みを入れる。

 

 

「ち、ちょっと!? ミス・ロングビルが怪盗フーケってどういうことよ!? それにあのメイドを人質にって…、えええええええ!?」

 

 

 爆発したように捲し立てるルイズ。

 ルイズは赤屍に問い詰めるが、赤屍はどこ吹く風といった様子で全く意に介していないようだった。

 そして、そんな赤屍にタバサが訊いた。

 

 

「彼女がフーケだという根拠は?」

 

「簡単なことです。彼女が最初に持ってきたフーケの情報には穴があり過ぎる」

 

 

 そう言って、赤屍はロングビルが持ってきた情報の不自然な点を指摘する。

 彼女は学院近在の農民から聞き込みを行い、近くの森の中にある廃屋へと入っていった黒ずくめのローブ姿の人間を見たという情報を得たらしい。

 だが、何故、その黒ずくめの正体がフーケだと断定できるのか。それに馬でも片道四時間はかかってしまうような場所まで行って調査をし、情報を仕入れて帰ってくるというのには無理がある。学院へ帰ってくるだけでも昼過ぎにはなるはずだ。

 赤屍の話を聞いたキュルケが訊ねる。

 

 

「それじゃあ、貴方は最初からロングビルがフーケだと気付いてたの?」

 

「クス…、そうなりますね」

 

「で、でも! だったら何で、ロングビルは学院に戻って来たの!? 彼女がフーケっだって言うなら、宝を手に入れたら学院に戻ってくる意味なんて無いじゃない!?」

 

「確かにルイズさんの言う通りですね。それなのに戻ってきたということは、恐らく秘宝の使い方が分からない。だったら、実際に誰かに使わせてみよう。恐らくそんな所だったんでしょう。この私が捜索隊のメンバーに抜擢されるまでは、ね」

 

「? どういうこと? アンタが捜索隊のメンバーに抜擢されるまでは、って」

 

「恐らくフーケは捜索には学院の教師が来ると踏んでいたはずです。しかし、捜索隊のメンバーとして派遣されたのは、よりによってこの私。さあ、ここで問題です。真っ向からの戦闘では絶対に勝てそうにない相手が追っ手として差し向けられそうになっています。怪盗フーケの立場になって、次の選択肢から選びなさい」

 

 

 そう言って、赤屍は以下の3つの選択肢を提示した。

 

 1.稀代の美人怪盗フーケは赤屍すらも出し抜く必勝の策を突然思い付く。

 2.誰かを人質に取り交渉する。

 3.命が大事。戦女神の鈴は諦める。

 

 ルイズにしてみれば1番の選択肢はそもそも論外だ。

 もしもルイズがフーケの立場なら、迷いなく3番の選択肢を選ぶ所である。

 だが、どうしても諦められないなら、僅かな可能性に賭けて2番の選択肢を選ぶのもありかもしれない。

 そして、そこまで考えて、ルイズは赤屍があのメイドを今回の捜索隊に同行させた理由を理解する。

 

 

「ア、アンタ、まさか!?」

 

 

 ルイズは赤屍の余りのえげつなさに顔を引き攣らせていた。

 人質相手の選択において、下手に魔法が使える者は抵抗される恐れもあるし人質には選びづらい。その点、魔法が使えない平民なら人質としても扱いやすい。ルイズがフーケの立場なら、間違いなくそう考える。

 つまり、この男、あのメイドをフーケを炙り出すための囮役にするつもりで連れて来たということだ。

 当然、ドン引きのルイズ達であったが、赤屍は事も無げにこう言い放つ。

 

 

「まあ、確かにシエスタさんには少し悪いと思いましたけどね。言っておきますが、今の時点ではシエスタさんが一番強いですよ? アナタ達の誰よりね」

 

 

 赤屍がそう言った時だった。

 

 

「キャァァァァァァァァ!?」

 

 

 突然、廃屋の外から若い女性の悲鳴が聞こえてきた。

 間違いなく、シエスタの悲鳴だった。

 

 

「悲鳴!?」

 

「まさかフーケ!?」

 

「早く外へ!」

 

 

 バタバタと廃屋の外へ飛び出す捜索隊のメンバー。

 そして、彼らが外に出た時、そこには黒のローブを纏った人物に羽交い絞めにされたシエスタが居た。

 首元には杖が突き付けられ、普通の平民であれば完全に『詰み』の状態である。人質を取られている以上、ルイズ達も迂闊に動くことは普通は出来ない。

 しかし、この状況を誘導した張本人である赤屍は、本当に何食わぬ顔で黒のローブを纏った人物に話し掛けた。

 

 

「シエスタさんを人質にとってどうするつもりですか? フーケさん…いえ、ミス・ロングビル」

 

「何だ。ばれてたのかい。だったら、こんな物を被ってる意味は無いね」

 

 

 そう言って、彼女は被っていたフードを脱ぎ捨てた。

 フードの下に隠れていた顔が顕わになり、ルイズ達は息を呑む。

 現れた顔は間違いなく、学院長の秘書であるロングビルのそれだった。

 

 

「ミス・ロングビルがフーケだったなんて…!」

 

 

 歯噛みするような声でルイズが言う。

 フーケはそんな彼女たちを嘲笑うかのような表情で言った。

 

 

「さて…、どうやら馬車での話を聞いた限り、アンタはその鈴の使い方を知ってるみたいだけど、それを教えてくれないかい? さもないと―――」

 

 

 このメイドの命は無い。

 そう告げようとしたフーケだったが、赤屍はそんな彼女の滑稽さを鼻で哂った。

 

 

「ククッ、さもないと――? これはこれは面白いことを仰いますね。私の目から見ると、追い詰められているのはどう見ても貴女の方なんですがねえ?」

 

 

 赤屍にしてみれば、今のシエスタはフーケよりも遥かに強い。

 彼女がその力を発揮すれば、今の状況などそれこそどうにでもなる。

 自分よりも遥かに強い相手を人質にとったつもりでいるフーケの滑稽さを赤屍は哂っていたのだった。

 シエスタの右眼に宿る『聖痕』の刻印。無限城世界にも同じ刻印を宿す者は何人か居た。だが、生まれながらに『聖痕』を宿していた人間となると、赤屍の知る中でも黒鳥院夜半くらいのものだ。

 学ばずとも見ただけで全ての風鳥院の技を会得する真の天才。黒鳥院夜半の『聖痕』は、その悪魔に愛されたかのような異常な“才”の証として刻まれたものだった。そして、シエスタは一度だけ曽祖父の全ての技を見せて貰ったことがあるという。

 もしも、シエスタの瞳に刻まれている『聖痕』が彼と同質のものであるのなら、今の彼女もまた風鳥院流の全ての技が使えても不思議は無い。

 赤屍は帽子のツバを持ち上げながら、シエスタに微笑み掛ける。

 

 

「シエスタさん、貴女の右眼のそれは誰にでも宿る物ではない。メイジだとか平民だとか、そんな括りを遥かに超えた真に選ばれた者の証しです。事実、昨晩の貴女は既にその片鱗を発揮している」

 

「な、何を言って…?」

 

 

 赤屍の言葉に困惑するフーケ。

 そんなフーケを一切無視して、赤屍はシエスタだけを見つめていた。

 口元を残酷に歪ませた赤屍の微笑み。その危険な迫力を秘めた笑みにシエスタは魅入っていた。

 背後から羽交い絞めにされている状況にも関わらず、どうしても目が離せない。赤屍から発せられる殺気にも似た禍々しい気配が、自分の身体の奥底に眠る何かと共鳴しているような感覚を感じていた。

 森に吹く穏やかな風が、嵐の前の静けさを彷彿とさせる。何かが始まる。いや、それは既に始まっていたのか。

 

 

 ―――彼女を中心にして、微弱な風が起こり始めた。

 

 

 魔法の使えない平民は貴族には勝てないという刷り込まれた固定観念。

 今の彼女はその固定観念が枷となって、実力を発揮できていないだけだ。

 既に『聖痕』そのものは開眼している。だから、後はほんの少し背中を押してやるだけでいい。

 

 

「既に自覚している筈です。貴女の内なる力の胎動を」

 

 

 赤屍の言葉はまるで催眠術師の言霊のようにシエスタの脳髄と身体を支配していく。

 それと同時に彼女の内に存在する『何か』の「暴れさせろ」「外に出せ」という叫びが強くなる。

 

 

「その力を自然なままに解放しなさい。そうすれば―――」

 

 

 彼女の内に眠る闘争本能と殺戮本能。

 赤屍の言葉に呼応して、それらの疼きがどんどん強くなっていく。

 

 

「貴女なら使えますよ。祭蔵君と同じ業を―――」

 

 

 赤屍がそう言った時だった。

 瞬間、シエスタはフーケに後頭部で頭突きを喰らわしていた。

 

 

「がっ!?」

 

 

 鼻っ柱を思いっきり強打され、一瞬、フーケが怯んだ。

 その隙にフーケの右腕を肩に担ぎ、そこから相手の股下に飛び込むような低い体勢から背負い投げた。

 柔道で言う所の一本背負投げを喰らい地面に叩き付けられるフーケだが、杖は決して離さない。本来なら相手を投げた後、関節技・絞め技などの固め技に移行しているところだが、突如地面が盛り上がり、巨大な土の手となって襲い掛かって来たことで、シエスタは一旦追撃の手を緩めざるを得なかった。

 

 

 ―――土系統のドットスペル『アース・ハンド』―――

 

 

 フーケは地面に叩き付けられながらも魔法を発動させていた。

 シエスタはその場から飛び退くことで土の拳を避ける。そして、シエスタが大きく距離をとって離れた瞬間、フーケは素早く起き上がり即座に戦闘態勢を整えた。

 

 

「こ、このぉ! ただのメイドの分際で!」

 

 

 鼻血をボタボタと垂らしながらも杖を構えなおすフーケ。

 そして、フーケが杖を一振りすると地面が盛り上がり、たちまちに巨大なゴーレムが生成された。

 フーケは生成したゴーレムの肩の部分から、シエスタを鬼のような形相で見下ろしている。完全に頭に血が上っているフーケ。

 それに対して、シエスタは氷のような冷静さを保ったままだ。彼女は懐から取り出した鈴を中指と人差し指に挟んだ状態で構えている。

 だが、まさかその状態の彼女を見て、既に必殺の武器を構えているなどと一体誰が想像できようか。

 シエスタに向かって巨大ゴーレムの拳が容赦なく振り下ろされる。

 

 

「ッ…!!」

 

 

 ペチャンコに潰されたメイドの姿を想像して思わず目を背けそうになるルイズ達。

 しかし、ルイズ達は信じられない光景を目の当たりにする。なんと、ゴーレムの攻撃はシエスタに届く直前で止まっていた。

 

 

「うっそ!?」

 

「ゴーレムの攻撃が届いてない!?」

 

 

 ルイズ達だけでなく、フーケも信じられないという風な顔をしている。

 どうしてゴーレムの攻撃が止まったのか。その理由はシエスタが張り巡らせた3本の絃によるものだった。

 信じがたいことだが、たった3本の絃がゴーレムの拳を絡め取っていた。

 

 

「あれは…」

 

「…銀色の糸?」

 

 

 銀色の輝きを放つ細い糸。

 ここでようやくルイズ、キュルケ、タバサの三人もシエスタが操る絃の存在に気付く。

 だが、あんな細い絃で巨大ゴーレムの攻撃を受け止めるなんて、実際に目で見ているのにとても信じられない。

 風鳥院流絃術「守の巻」第拾参番の六、『鼎絃の楯』。たった3本の絃で相手の攻撃を受け流す技であり、紛れも無い神業である。

 

 

「チッ! それなら!」

 

 

 それなら反対の拳を打ち込もうと、フーケはゴーレムに指令を送る。

 しかし、反対の腕を振り下ろそうとしたタイミングに合わせて、シエスタは絃で受け流した力をそのまま相手に返した。

 

 

「んなっ!?」

 

 

 絶妙なタイミングで力を返されたゴーレムはまるで合気道の投げでも喰らったかのように、大きくバランスを崩して地面に倒れる。

 ゴーレムは地響きを立てて地面に倒れるが、そこに乗っていたフーケは辛うじて受け身をとって地面に着地した。

 だが、地面に着地して、改めてシエスタと対峙したフーケは思わず息を呑んだ。

 

 

 爛々と輝く異形の右眼。

 

 

 瞳の模様自体はさっきまでと変わらない。

 だが、彼女の瞳に宿る殺意の色。その色の濃さがさっきまでとまるで違う。

 それどころか、全身から放たれる雰囲気すらが普段の彼女とは一変していた。

 動くまでも無く、全ての気配、気質、挙動、気迫、呼吸までもが必殺を以ってしてフーケを捉えているのが分かる。

 

 

「な、何なんだよ、アンタは!?」

 

 

 予想外の事態に軽いパニックに陥るフーケ。

 ルイズ、キュルケ、タバサの3人も状況について行けずに愕然としており、赤屍だけが興味深そうな顔で状況を見ている。

 半狂乱になりながらフーケがスペルを唱えて杖を振ると、いくつもの岩の礫が弾丸となってシエスタに襲い掛かった。

 だが、それらの岩の礫はシエスタが張り巡らせた無数の絃に全て弾かれる。

 

 

「―――!」

 

 

 もはや言葉も無い。

 シエスタがオーケストラの指揮者のように腕を振ると、銀色に輝く絃がまるでそれ自体が意思を持っているかのように繰り出される。

 そして、彼女が絃を自由自在に操るその光景は、魔法以上に幻想的で―――美しかった。

 放たれた魔法の全てを難なく捌き、シエスタは冷たい視線をフーケへ向ける。

 

 

「え、あ…」

 

 

 まるで赤屍を思わせる、残酷な冷たい視線。

 その視線に言いようの無い恐怖を感じたフーケは、たじろぎ、一歩後ずさりする。

 だが、二歩目を下がろうとしたところで、フーケは異変に気付いた。

 

 

(う、動けないッ!?)

 

 

 身体がピクリとも動かせない。

 一体何事かと目を凝らすと、すでにフーケは張り巡らされた無数の絃に全身の自由を奪われていた。

 それでも無理をして動こうとしたフーケにシエスタから声がかかる。

 

 

「風鳥院流絃術『絃呪縛』。無理に動こうとしない方が賢明ですよ、フーケさん? 下手をすると全身がバラバラに切断されますから」

 

 

 底冷えのするような抑揚のない声。

 その言葉にフーケは無理に動くのをやめざるを得なかった。

 異形の右眼を宿したメイドは、中指と人差し指に鈴を挟んだままフーケに歩み寄る。

 リンッと、鈴の音を響かせてシエスタは絃を放つ。

 

 

 スパンッ!

 

 

 シエスタの飛ばした絃に切断されるフーケの杖。

 メイジとしての武器を破壊され、これで完全にフーケの詰みである。抵抗する手段を失ったフーケは力無く項垂れてしまう。

 風鳥院流の絶技を初めて目にしたルイズ達は、驚きのあまり、未だに絶句したままだ。

 

 

 パチパチパチ…

 

 

 ルイズ達が絶句している中、赤屍が拍手でシエスタの戦いを讃える。

 

 

「お見事でしたよ、シエスタさん。流石は、風鳥院流絃術―――いえ、祭蔵君の子孫です」

 

 

 赤屍の声の方に振り返るシエスタ。

 ついさっきまでは『聖痕』を持っていただけだった。

 だが、『聖痕』を本当に覚醒させた今の彼女はまるで別人と化していた。

 全身から滲み出る得体の知れない気配。その変貌を見て取った赤屍は、シエスタに言った。

 

 

「クス…、どうやら『聖痕』の力もだいぶ馴染んできたようですね?」

 

「ええ。ですが、貴方に比べたらまだまだですよ」

 

 

 右眼の『聖痕』がシエスタに教えてくれていた。今の自分の強さ。そして、赤屍の桁外れの強さを。

 今の彼女は、赤屍以外の相手になら無敵だった。少なくとも、学院にいるメイジ程度ならば瞬殺出来るだろう。

 シエスタは鈴を懐にしまわず、左耳の近くの髪に括り付けてから、赤屍に訊いた。

 

 

「聞かせて貰っていいですか」

 

「何なりと」

 

「どうしてこの力を目覚めさせてくれたんですか」

 

「私の趣味ですね。貴女のような者を見ると、ついつい試したくなるんですよ。その『力』がどれくらいのものなのか」

 

 

 はっきり自分の趣味だと断言する赤屍。

 いかにも赤屍らしい物言いに、傍で聞いていたルイズなどは呆れそうになる。

 しかし、それにしても、とルイズは思う。

 

 

(さっきのが―――魔法の使えない、平民の使う武術(わざ)だっていうの!?)

 

 

 たった今、シエスタが見せた『風鳥院流絃術』の神業。

 どう考えても、今のシエスタはそこらのメイジよりも圧倒的に強い。

 シエスタのインパクトが強過ぎて、怪盗フーケがロングビルであったことなど、今となっては完全に頭の中から消えている。

 ルイズ達が驚きのあまり、思考停止寸前な状態に陥っていると、赤屍が言った。

 

 

「さて…、フーケさんも捕まえましたし、そろそろ学院に帰りましょうか? それぞれ色々聞きたいことはあるでしょうが、話はその後でも良いでしょう」

 

 

 かくして怪盗フーケの学院襲撃事件は解決された。

 秘宝を取り戻し、怪盗フーケを捕縛した一行は、学院への帰途についたのだった。

 

 

 

 

 




 ちょっとシエスタを強く設定し過ぎたかも?
 生まれながらの『聖痕』持ちということは、単純に考えて、シエスタの最終的な強さは黒鳥院夜半と同じレベルに達する可能性が…。このシエスタは、数あるゼロ魔SSの中でも最強かもしれん。


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第十三話『フリッグの舞踏会』

「ミス・ロングビルがフーケだったとはのぅ…」

 

 

 トリステイン魔法学院、学院長室。

 オスマン、コルベール、そしてフーケを捕らえた五人。

 報告を聞いたオスマンは事件の解決を喜ぶ一方で、手放しに喜ぶ気にはなれない。

 

 

(それにしてもあのメイド、出発前とまるで雰囲気が違うんじゃが…。…というか、このメイド、間違いなくワシより強いぞ!?)

 

 

 何でもルイズ達の話ではフーケを捕らえたのは実質的にシエスタ一人の力であったという。

 普通なら魔法の使えない平民がメイジの盗賊を捕らえるなど考えられないが、今のシエスタならと、オスマンには納得できてしまう。

 メイドが放つオーラとでも言うべき雰囲気。学院に戻って来てからの彼女はその雰囲気が別人のように一変していたからだ。

 

 

「ふーむ、風鳥院流絃術か。…ということは、あの『鈴』の本来の持ち主も同じ流派の使い手だったんじゃろうなぁ…」

 

 

 報告を聞いたオスマンは呟くように言った。

 オスマンの言葉を聞いた赤屍は、ずっと気になっていったことをオスマンに訊ねてみる。

 

 

「オールド・オスマン、『戦女神の鈴』はどこで手に入れた物なのです?」

 

「三十年前のことじゃ…。ある森でワイバーンの大群に襲われての…。精神力も尽きてもう駄目かと思った時に、突然周りが濃い霧に包まれたんじゃ…」

 

 

 オスマンはかつて自分を助けてくれた恩人のことを語り出した。

 彼がワイバーンの群れに襲われたとき、霧の中から現れた一人の少女のことを。

 森の中に現れたその少女は、髪に飾り付けていた鈴の中からキラキラ光る絃を繰り出し、あっさりとその群れを壊滅させてしまったらしい。

 その絶大な威力を秘めたマジックアイテムに興味を引かれたオスマンは、助けられた礼をすると、是非その鈴を見せてほしいと少女に懇願したのだという。

 可笑しそうに目を細めたその少女は、こんなものでよければ、とその鈴を渡した。オスマンが手渡された鈴をうんうんと唸りながら見ていると、またしても濃霧が立ちこめはじめたのだという。

 そして、その霧が晴れた時には、いつの間にかその少女は消え去っていたそうだ。オスマンはその少女が残した鈴を『戦女神の鈴』と命名し、今まで大事に保管していたらしい。

 

 

「しっかし、あの鈴が本当にただの鈴じゃったとは…。あの時に見た銀色の絃の技が魔法とは無関係の技術だとは、今思い返しても信じられんわ」

 

 

 オスマンがそう感じるのも無理はない。

 実際、風鳥院流絃術の神業は傍目には魔法にしか見えないレベルに極まっている。

 アレが純粋な技術で繰り出される技だとは、事前知識が無ければとても信じられまい。

 

 

「それにしても、あの子、胸は小さそうじゃったが綺麗じゃったの~。将来はきっとスゴイ美人になるに違いないわい」

 

 

 かつての恩人のことを思い出しながら、シミジミとした様子で言うオスマン。

 だが、ここまでの話を聞いて、オスマンの恩人だという少女に関して、ある人物に思い当たっていた。

 赤屍はまさかとは思いながらもオスマンに訊いてみることにする。

 

 

「…その恩人の名前はご存知ですか?」

 

「んー……確かふーちょー……? ああそうじゃ、フウチョウイン=カヅキと名乗っておった!」

 

 

 赤屍の中の疑惑が確信に変わる。

 オスマンの恩人だという人物とは間違いなく元『VOLTS』四天王の一人、風鳥院花月だ。

 VOLTS結成以前、花月は単身で無限城のベルトラインに侵入したことがある。花月がこの世界に迷い込んだのは、おそらくその時だろう。

 ベルトラインは様々な次元と時間軸が混在した非常に不安定な状態になっているため、そのときに何らかの要因が重なってこの世界に迷いこんでしまったのだろうと赤屍は予想した。

 それにしてもオスマンが花月を完全に女性だと勘違いしているあたり、彼の『女性らしさ』は相変わらず常軌を逸したレベルである。

 オスマンの答えを聞いた赤屍は半ば独り言のように呟いた。

 

 

「まさか本当に花月君だったとは…」

 

「ひょっとして知っておるのかの?」

 

「ええ、良く知ってますよ。私のいた世界では『絃の花月』という通り名で知られる超一流の使い手です」

 

「そんなに有名な使い手だったのかね?」

 

「そうですね。私が知る中でも相当上位の実力の持ち主でしたよ。そして、シエスタさんの曽祖父である祭蔵君の戦友でもあります」

 

 

 その言葉にシエスタが反応する。

 

 

「お爺ちゃんの戦友、ですか…?」

 

「風鳥院花月―――シエスタさんの曽祖父である祭蔵君が所属したグループ『風雅』のリーダーです。彼もまた貴女と同じ風鳥院流の使い手でしたよ」

 

 

 そう言って、赤屍は自分の知っている花月のことを語った。

 おそらく祭蔵にとって一番の戦友であり、赤屍が知る中においても最も美しい風鳥院流の技を使う人物。そして、シエスタの使う技の『本当の手本』になっているであろう人物である。

 だが、赤屍の言った『本当の手本』という言葉の意味が分からずにシエスタは首を傾げる。

 

 

「…? 『本当の手本』というのは、どういう意味ですか?」

 

「そのままの意味ですよ。シエスタさんの技は『駿』と形容される祭蔵君の東風鳥院流というよりも、『麗』と形容される風鳥院流の宗家―――花月君を彷彿とさせるものです」

 

 

 推測ではあるが、シエスタの『聖痕』を封印したのは間違いなく祭蔵だろう。

 彼女の持つ『聖痕』は争いの才能の最たるものであり、あるいはその力を発揮させることなく眠らせたままの方がずっと幸せなことだと思ったのかもしれない。

 彼はきっとそう考えて、彼女の『聖痕』を封印した。しかし、その一方で彼は、争いに巻き込まれたときの為の戦う術も彼女に残している。

 

 

「アナタを見ていると、祭蔵君の複雑な心情が少しだけ分かる気がしますよ。本来の祭蔵君なら、絃の基点に使っていたのも『鈴』ではなく『羽』のはずですからね」

 

 

 彼が自分の技ではなく、花月の技をシエスタに残した理由。

 それはもしかしたら、女性ならそれに相応しい技を残してやりたいとする彼女への不器用な愛情の証だったのかもしれない。あるいは、かつての戦友たちへの郷愁や追憶を込めての行動だったのか。

 赤屍の話を聞いたシエスタは自分の髪に括り付けている鈴―――自分の曽祖父である祭蔵が残した鈴に手を触れたまま何かに想いを馳せているようだった。

 オスマンはそんなシエスタと赤屍の二人を一瞥すると、ルイズ達へ声を掛けた。

 

 

「さて、諸君らの尽力により、見事『土くれのフーケ』を捕縛し、『戦女神の鈴』を取り戻すことに成功した。学院の名誉は守られ、盗賊は牢獄へと送られる。一件落着じゃ」

 

 

 満面の笑顔で三人の生徒を褒め称える。

 

 

「君達三人に〝シュヴァリエ〟の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。 ミス・タバサはすでにシュヴァリエの爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請をしておいたぞ」

 

 

 自分がただのゼロのルイズではないという確かな証。

 しかし、ルイズのその顔色は冴えなかった。

 

 

「んん?ミス・ヴァリエール、どうしたのかね、何か悩みでもあるのかね?」

 

「オールド・オスマン。あの、三人とは? シエスタには何もないのでしょうか? 今回、フーケを倒したのは彼女です」

 

 

 はっきり言って、今回フーケを捕まえたのはシエスタ一人の力であると言って良い。

 しかし、オスマンは申し訳なさそうにシエスタの顔を見て答えた。

 

 

「残念ながら、彼女は貴族ではない」

 

「で、でも!」

 

 

 実績にはそれに見合う褒賞があって然るべきだ。

 食い下がろうとするルイズであったが、シエスタ本人はそんなものにはもはや興味が無かった。

 

 

「私は構いませんよ、ミス・ヴァリエール」

 

「ほれ、彼女もこう言っておるしのぅ。さすがに爵位は無理じゃが、ワシのポケットマネーから彼女への報奨金を出そう。これならどうじゃ?」

 

「いえ、報奨金も要りません。その代わりと言ってはなんですが、出来たらあの『鈴』を譲っていただけませんか」

 

 

 シエスタに言われたオスマンは「ふむ」と顎に手を当てて考える。

 赤屍たちの話を聞くに『戦女神の鈴』そのものはマジックアイテムでも何でも無いただの鈴なのだという。

 オスマンにとっては恩人の残した大切な品ではあったが、それ以上の意味はない。それに赤屍の話が本当ならば、オスマンを助けてくれた恩人はシエスタの曽祖父の戦友なのだという。

 それならば、この鈴を持つに一番相応しいと言えるのは―――

 

 

「確かにキミが持つのが一番相応しいかもしれん。もしも、恩人である彼女に会えたら、キミの手から返してやってくれ」

 

「ええ、必ず―――」

 

 

 そう言って、シエスタは『戦女神の鈴』の入った小箱をオスマンから受け取った。

 そして、シエスタに『戦女神の鈴』を手渡したオスマンは、その場に居るメンバーに改めて向き直ると、朗々と告げる。

 

 

「さて、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。盗賊も捕縛され、秘宝も戻って来た。よって、予定通り執り行う」

 

 

 赤屍が召喚されてから『ルイズ殺害未遂事件』『ギーシュバラバラ殺人事件』『フーケ襲撃事件』などと立て続けに事件が起こり、舞踏会の開催は自粛するという案もあったのだが、オスマンは敢えて予定通り行うことにした。

 むしろ、こんな時だからこそ楽しめるイベントを、と考えたのかもしれない。

 

 

「今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ?」

 

 

 オスマンがパンパンと手を打つ。

 それを解散の合図として赤屍を除いたメンバーは一礼するとドアに向かった。

 だが、その場を動こうとしない赤屍にルイズ達は不思議に思い、立ち止まって振り返る。

 

 

「皆さんは先に行ってください。私は学院長と少しだけお話がありますので」

 

 

 ルイズは少し不思議そうな顔で見つめていたが、赤屍の言葉に頷き、学院長室を後にした。

 それを確認して、赤屍はオスマンに向き直った。

 

 

「……して、ワシに話とは、何じゃね?」

 

「いえ、別にそれほど大したことではないんですが、一応、勘違いは正しておいた方が良いと思いまして」

 

「勘違い?」

 

 

 一体何のことかさっぱり分からないオスマン。

 そして、そんな彼に対して、赤屍は驚愕の真実を伝えた。

 

 

「学院長、貴方は花月君のことを女性と勘違いしてらっしゃるようですが、彼は男ですよ」

 

「……は?」

 

 

 真実を伝えられた瞬間、オスマンの時間が止まった。

 数秒ほどの思考停止の後、我に返ったオスマンは慌てたように反論する。

 

 

「いやいやいや、それはないじゃろ!? どう見ても女の子にしか見えんかったぞい!?」

 

 

 オスマンが信じられないのも無理はない。

 しかし、真実とは時に非常に残酷な顔を見せる。

 実際、無限城世界においても、その下手な女性よりも美しい花月の容姿は何人もの男性を地獄に叩き落としていたりする。

 どう見ても女性にしか見えず、多くの男性がその事実を知らずに悶え、ハアハアし、そして、真実を知って絶望へと堕ちて行った。

 オスマンもその例外ではなく、自分の恩人である花月が男性だという事実がよほどショックだったのか、ブツブツと何やら譫言を呟き続けている。

 そんなオスマンをしり目に、赤屍は少しだけ憐みが混じった様子で言った。

 

 

「やれやれ…相変わらず、花月君も罪作りな方だ」

 

 

 そう言って、赤屍は今度こそ部屋から退室する。

 未だにショックから立ち直れないでいるオスマンであったが、しばらくして立ち直った後の彼は「ついてる?だからどうした!!」「私は一向に構わんッッ!!」「だがそれがいい!!」と、完全に道を踏み外し、ある意味、勇者としての道を歩むことになったのは余談である。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そして、『フリッグの舞踏会』へと場面は移る。

 会場であるアルヴィーズの食堂二階のホール。そこでは煌びやかに着飾った生徒や教師達が、豪華な料理盛られたテーブルの周りで歓談している。

 本来、この舞踏会は貴族の子弟達による将来のささやかな予行演習という側面がある。だが、この舞踏会はいつもと少々様子が異なっていた。

 土くれのフーケが、学院に現れたという話は、既に学院中に広まっていた。そして、フーケが学生のメイジ三人を含めた捜索隊によって撃退されたという話も。だから、今回の舞踏会はどちらかというと、祝勝会という色合いの強いものであった。

 しかし、その主賓……つまりはフーケを撃退したはずの学生メイジ達の顔は、ちっとも晴れやかではない。黒いパーティードレスを着たタバサは、ただ黙々とテーブルの上の料理と格闘している。 だが、タバサが無口なのはいつものことなので、 誰もそんなに気には留めない。

 問題はキュルケとルイズであった。二人とも憂鬱な顔をして壁にもたれ掛かり、ただぼんやりとパーティーの様子を眺めているだけだ。

 

 

「キュルケ、アンタは踊らないの? いつものアンタなら、それこそ取っ替え引っ替えで男達の相手をしてるじゃない」

 

「なんていうか、気分じゃないのよねぇ…」

 

 

 少し間隔を開けて隣同士に立ったまま、言葉を交わすルイズとキュルケ。

 彼女らの気が晴れない理由は、彼女ら本人にも分かっていた。今、この場に本当の主役となるべき人物の姿が無いからだ。

 今回の事件でフーケを倒したのは実質的にメイドのシエスタ一人の力だった。しかし、彼女自身は平民のメイドであるために、ルイズ達が表向きの盗賊退治の立役者扱いされてしまっている。

 はっきり言って、今のルイズ達はシエスタの成果を横取りしているようなものだ。

 これではルイズ達が素直に喜べるはずもなかった。

 

 

「しっかし、ホントとんでもなかったわよねえ…。あのメイドの『風鳥院流絃術』だっけ?」

 

 

 思い出しながらキュルケが言う。

 シエスタの操る風鳥院流絃術。彼女の見せた技の美しさと凄まじさは、ルイズ達の目に強烈に焼き付いていた。

 最低でもトライアングルのメイジであるフーケを苦も無く一蹴した戦闘力。

 確かに凄かった。とても平民とは思えない強さだ。

 しかし―――

 

 

「だけど、あれでも赤屍に言わせると『まだまだ』らしいわよ…」

 

「あれで『まだまだ』ってホントどんだけよ?」

 

 

 ルイズの返答にキュルケの顔が少し引き攣る。

 ルイズとしてもキュルケの気持ちは良く分かるが、実際、赤屍の言うことは当たっている。赤屍を基準にすれば、今のシエスタですら赤子同然の力量でしかないだろう。

 そして、その力量差はシエスタも自覚しているようで、馬車で学院に戻る時、シエスタが赤屍に向ける視線にはむしろ敬意すら篭っていたくらいだ。

 

 

「そう言えば、彼も居ないみたいだけど、何処に居るのかしら?」

 

「私が知る訳ないでしょ。まったく、アイツときたらホント好き勝手に…ブツブツ」

 

 

 赤屍のフリーダム具合にブツブツと愚痴をこぼしながらルイズはワインを呷る。

 キュルケはそれを見て「ふっ」と小さく笑い、ルイズと共にハープの精の音色に耳を傾ける事にした。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ――ちょうどその頃。

 

 ルイズが赤屍に対しての愚痴をこぼしながらワインを呷っている頃、盗賊退治の本来の主役であるべき人物の姿は学院の中庭にあった。

 シエスタが中庭に一人で佇んだまま夜空に浮かぶ月を眺めていると、不意に背後から誰かの足音が響く。

 その音に振り返ると、そこにはシエスタも知る黒い男が立っていた。

 

 

「お月見ですか? シエスタさん」

 

「ええ、少し一人で考えたいことがありまして」

 

 

 赤屍の問いに返事をすると、シエスタは再び赤屍に背を向ける。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 それっきり、沈黙が夜の宵闇を支配する。

 しばらくの間お互いに無言でいたが、ふと赤屍が口を開いた。

 

 

「見慣れるとそう悪くはないですね」

 

「え?」

 

 

 何のことか分からないシエスタ。

 そして、赤屍は空に浮かぶ二つの月を見つめたままで言った。

 

 

「月が二つあるというのも、中々に悪くない」

 

 

 赤屍の言葉にシエスタは思い出す。

 そういえば、彼は月が一つしか無い世界からやって来たと言っていた。

 そして、赤屍の話が本当ならば、シエスタの曽祖父も彼と同じ世界からの出身者であると言う。

 

 

 ――月が一つしかない世界――

 

 

 正直、シエスタには想像もつかないが、本当にそうだとしたら自分の『風鳥院流絃術』と『聖痕』も、その月が一つしかない世界がルーツだということだろう。

 曽祖父が自分に残した『風鳥院流絃術』の技と、自分の右眼に宿る『聖痕』の力。その技と力の凄まじさをシエスタは自覚できている。その気になれば、この学院のメイジ全員と同時に戦ったとしても、今のシエスタは勝てる自信があった。

 はっきり言って、一介の平民が持つには余りに過ぎた『力』なのかもしれない。

 

 

(どうして―――)

 

 

 シエスタには分からなかった。

 自分にこれ程の『力』がある理由と意味。これが何の為に使うべき『力』で、何処に向かう『力』なのか。

 あるいは、隣りに立つこの男ならば、それらを知っているのだろうか?

 今のシエスタよりも遥かに強いこの男ならば―――

 

 

「赤屍さんは…」

 

 

 視線を合わせないままに赤屍に声を掛ける。

 人外という言葉すら生温い異次元の強さを持つ男。

 そんな強さを持つこの男が、自らの『強さ』と『力』についてどのように考えているのかをシエスタは聞いてみたくなった。

 

 

「赤屍さんは、自分の『力』が怖くなったりはしないんですか?」

 

 

 どこか不安が混じったようなシエスタの声。

 しかし、そんな彼女の問いに対する赤屍の答えは、よりにもよってこうだった。

 

 

「いえ、別に? そんなこと考えたことも無かったですね」

 

 

 至極あっさりと。本当に平然と赤屍は言ってのけた。

 余りにも平然と言ってのけた所為で、シエスタは思わず唖然としてしまったくらいだ。

 はっきり言って、質問する相手を致命的に間違ったという気がしないでもない。

 そして、そんな彼女の様子に苦笑しながら赤屍は言った。

 

 

「どうやら自分の『力』の在り様について悩んでいるようですが、私に言わせればそんなことは全くの無意味です。だって、私なんて自分が好きなこと、面白そうだと思ったことをやってるだけですよ?」

 

 

 強い力を持っているからと言って、それを誰かの為に使わなければならないという決まりはない。

 赤屍はそう考えていたし、その力をどのように使うかは本人の自由だと思っていた。あるいは奪還屋の二人ならばまた違う意見なのかもしれないが、少なくとも赤屍にとってはそうだった。

 

 

「私の場合は、そういう『力』の理由や使い道には興味はなくて、ただ己の力の限界を知りたかった。だから、それこそ色々な強者と戦って来ましたよ。いつか自分の限界の力を引き出してくれる強者に巡り合うためにね。私が『運び屋』なんてモノをやっているのも、まあ、その一環でしたね」

 

 

 本当に何でもない事のようにサラリと流す赤屍。

 実際、赤屍にとっては戦う理由などはどうでも良い。好き勝手にやっていたら、いつの間にかこんな所にまで辿り着いていた。

 しかし、そんな風に好き勝手にやっていても自分はあの奪還屋の二人組―――最高最強の好敵手に巡り合うことが出来たのだから、結局は「なるようになる」ということかもしれない。

 だから、シエスタがこれからどういう選択をするかは完全に彼女次第でしかない。

 赤屍はシエスタにそう話したが、彼女はなおも不安そうだ。

 

 

「で、でも、もしも、この『力』が暴走するようなことがあったら…」

 

 

 縋るようなシエスタの声。

 しかし、そんな彼女に対して赤屍は断言する。

 

 

「クス…貴女がそんなことを心配は必要ありませんよ」

 

 

 赤屍は本当に心配など欠片もしていない様子である。

 だが、そこまで言い切れる理由がシエスタには分からない。

 シエスタがその理由を視線で訊ねると、赤屍は薄っすらとした笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「仮に、そんなことがあったとしたら、貴女を殺してでも私が止めてあげますので」

 

 

 少し冗談めかしたような赤屍の台詞。

 余りにも予想外の台詞を言われたためか、シエスタはまたしてもポカンとした表情をして動きを止めてしまう。

 数秒ほど動きを止めていたシエスタだったが、何かがツボにはまったのか突然にプッと息を吹き出した。

 彼女は口元を押さえたまま、ふるふると肩を震わせている。

 

 

「…冗談じゃなくて、8割くらいは本気で言ってますよ?」

 

「ふふっ、ええ、分かってます」

 

 

 笑いながらシエスタは答える。

 もしも、本当にそんな状況が来たとしたら、この男は迷いなくシエスタを殺すだろう。

 しかし、シエスタにとってはそれで良かった。暴走したまま、どこまでも堕ちて行くことの方が、シエスタには怖かった。

 どんな形であれ、自分が暴走した時のストッパーとしての役割をこの男は引き受けてくれるというのだ。それだけでシエスタの不安は随分と軽くなった。

 

 

「じゃあ、私も赤屍さんと約束を」

 

 

 そう言って、シエスタは赤屍に約束を持ち掛けた。

 

 

「私が暴走したら、赤屍さんが私を止めてください。だから逆に――」

 

 

 そこで言葉を一度切った。

 

 

「逆に?」

 

 

 続きを促す赤屍。

 そして、彼女は一呼吸置いた後、続きの言葉を口にした。

 

 

「もしも赤屍さんが何かで暴走したら、私が貴方を止めます。たとえ、貴方を殺してでも」

 

「今の貴女の『力』では、天地がひっくりかえっても私は殺せませんよ?」

 

「そうですね。だから、これから強くなります。貴方を殺せるところまで」

 

 

 強い意思の宿ったシエスタの言葉だった。

 それはきっと、彼女の『力』から逃げずに向き合おうとする覚悟が形になった言葉だったに違いない。

 彼女の言葉を聞いた赤屍は心の底から嬉しそうな笑みを浮かべながら言った。

 

 

「クス…それは楽しみだ。それでは、私は貴女がそこまで強くなるのを楽しみに待つことにしますよ」

 

「ええ、期待していて下さい」

 

 

 そう言って、シエスタと赤屍の二人は月へと目を向けた。

 風も吹いていない夜の静寂の中、月と星々の光だけが二人を照らしている。

 幻想的と言うに相応しい美しい夜空だったが、実はその日の夜、すすり泣くような声がどこからか響いていたという。

 

 

「俺の…出番…」

 

 

 哀れ、デルフリンガーであった。

 

 

 



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第十四話『保健室の死神』

 怪盗フーケ襲撃の事件から既に、二週間もの時が過ぎていた。

 あの事件が起きてから、学院で目に見えて大きく変わったことが幾つかあった。

 中でも最も大きく変わったのはメイドのシエスタのことであり、あの事件を境にして彼女の雰囲気は一変し、学院でも一際、異彩を放つメイドとして知られるようになっていた。

 

 

 ――まるで十字架のような刻印が刻まれた異形の右眼――

 

 

 しかし、変わったのはその異様な迫力を持つ右眼だけではない。

 彼女が左耳の近くの髪に飾り付けるようになった鈴。そして、その鈴の中に仕込んだ絃を操る技を彼女は日常的に使うようになっていた。

 たとえばテーブルに置かれた食器なども、距離の離れたその場から一歩も動かずに絃を飛ばして回収する。

 

 

「「「……!?」」」

 

 

 もはや傍目には魔法としか思えないような風鳥院の技術の数々。

 そうした絃を使ったシエスタの技を初めて見た学院の人間が貴族も平民も含めて、驚愕のあまり絶句していたのは記憶に新しい。

 そして、今も―――

 

 

「きゃっ!」

 

 

 偶然、近くを歩ていた他の使用人が躓いて倒れそうになる。

 その瞬間、リンッと鈴の音を響かせて放たれた絃が転倒しそうになった使用人を支えていた。

 しかも、使用人が運んでいた荷物まで地面に落ちないように支えているという手の込みようである。

 

 

「大丈夫?」

 

「あっはい…」

 

 

 シエスタに助けられた使用人の顔が何故か赤い。

 右眼の『聖痕』を開眼させてからの彼女は、一部の同僚のメイドたちからも憧れの入り混じったような目でみられることが多くなった。

 風鳥院の技を使い始めた影響によるものか、今の彼女は普段の何気ない動作すらどこか洗練された流麗さと気品を帯びている。

 

 

(しかも、あれで、そこらのメイジよりも圧倒的に強いのよねぇ…)

 

 

 仕事をしているシエスタのことを食堂にあるテラス席から遠目に眺めながらルイズは思い出していた。

 フーケ騒動の際、シエスタの操る『風鳥院流絃術』の本当の力を見たのは、ルイズを含めて僅か数人だ。

 今思い返しても、とても平民とは思えない圧倒的な強さだったが、あの強さでも赤屍に言わせると『まだまだ及第点』でしかないという。

 

 

(どんだけよ!? いや、本当にマジで!)

 

 

 赤屍に飲まされた『飴玉』のおかげで、ルイズ自身にも『爆発魔法』の威力が上昇するなどの変化はあった。

 だが、それでもシエスタの方が間違いなく強い。…というか、オスマンを含めてこの学院のどのメイジよりもシエスタの方が強いのではないだろうか?

 しかし、そんなシエスタであっても、戦闘力という面では赤屍の足元にすら及んでいないのだ。今さらながら、赤屍の桁違いの強さと厄介さにルイズは頭を抱えたくなる。

 赤屍に対抗できる者が居ないということは、事実上、赤屍のストッパーが存在しないということだ。今でこそ赤屍はルイズの『使い魔』ということである程度は大人しくしているが、もしも赤屍が何かの拍子に暴れだせば一体どれだけの被害が出るのか想像するだけで恐ろしい。

 超ド級の爆弾を抱え込んでしまった自分の未来―――引いては、トリステインの未来を本気で心配し始めていたルイズだった。

 

 

「ぬがぁぁあぁぁあああぁああああああ!!!」

 

 

 溜まったストレスを爆発させるように突然、その場で叫び声を上げるルイズ。

 淑女としてあるまじき奇行に周りの生徒たちから大注目を浴びるが、そんなことは赤屍蔵人という最大の厄介事に比べたら大した問題ではない。

 

 

「うるせえなぁ…娘っ子」

 

「分かってるわよ、この駄剣!」

 

 

 思わずルイズはデルフリンガーに怒鳴りつける。

 赤屍の希望で購入したボロ剣であるが、当の赤屍はこの剣をほとんど使おうとせず、ルイズに預けっぱなしであった。

 赤屍にしてみれば、ルイズの属性だと推測される『虚無』の魔法への手掛かりとなるかもしれないということで手に入れた物なので、ルイズに持たせるのは理には適っている。

 貴族にもかかわらず剣を持ち歩く彼女を揶揄するクラスメイトも居たが、その時はルイズの強化された爆発魔法が容赦なく襲い掛かり、やがて誰もその事に触れなくなった。

 自分への揶揄が無くなったこと自体は素直に歓迎することではあるかもしれないが、ルイズにはとても手放しで喜ぶ気にはなれない。

 

 

「あー!もう! ホントに何て奴なのよ!? 確かに出鱈目に強いけど、味方にしても厄介じゃない!!」

 

 

 敵味方に関わらず、厄介極まりない男。

 赤屍蔵人という人物に関して、敵なんだか味方なんだかよく分からないという評価も無限城世界においてはよく聞かれる。

 だが、どう考えても、最初から最後まで敵だと思っていた方がいいとルイズは感じていた。はっきり言って、いつ寝首を掻かれるか分かったものではない。

 

 

「まあなぁ…。確かにアイツ、とんでもねえ気紛れ屋だもんなぁ…」

 

 

 シミジミとした様子でデルフリンガーもルイズに同意する。

 まだ短い付き合いでしかないが、デルフリンガーの方も赤屍の厄介さは十分に実感できていた。

 武器であるデルフリンガーにとっては目立った実害はないもの、傍目に見ているだけでそれが分かる。

 

 

「俺っちとしては、もっとアイツに使って貰いたいんだけどな。けど、お前さんも筋はかなり良いからな。俺っちとしては現状にそこまで不満は無いぜ」

 

 

 デルフリンガーをルイズに預けっぱなしにしている赤屍であったが、「どうせなら」とルイズに剣術の稽古の手解きをデルフ本人にさせていた。

 その結果、いつの間にかルイズは自らの理想とは程遠い戦闘スタイルを完成させていた。近距離ではデルフリンガーによる斬撃。中・遠距離では失敗魔法による遠隔爆破。

 それが今の彼女の対人戦の戦闘スタイルであり、もはや今となってはデルフリンガーはルイズの専用武器である。

 

 

「私としては、もっとちゃんとした魔法が使いたいんだけどね…!!」

 

 

 不本意極まりない現状にルイズはイライラした態度を隠しもしない。

 そんな彼女の様子にデルフリンガーは鍔をカチカチと鳴らしている。どうやら笑いを堪えてるようだ。

 

 

「ククッ、まあ、良いじゃねーの。何だかんだで前よりずっと強くなれたことには、変わりねえんだからよ」

 

「手段を選んでいられないのよ、私は!!」

 

 

 貴族としては邪道かもしれない。

 だが、今のルイズは早急に強さを身につける必要があった。

 無論、その理由とは赤屍蔵人という人物から自分の身を守るためである。

 

 

 ――もしも貴女がそこまで強くなれたら、その時は是非、私と戦ってください――

 

 

 つい最近、赤屍から言われた『期待と激励』の言葉がルイズの脳裏によみがえる。

 以前、ルイズはこのままメイジとして成長できないままなら、死んだ方がマシだと思ったこともあった。

 だが、メイジとして成長できた場合においてすら、赤屍とのバトルという最悪の災いが降りかかる可能性があるのである。

 これを乗り越える方法はただ一つ。そして、そのただ一つの方法とは、赤屍と戦っても殺されないほどの強さを身に着けるしかない。

 そのためなら、ルイズは使えるものは何であろうと使う気でいた。彼女がデルフリンガーを使うようになったのもその一環だ。

 

 

「しかし、あれだね。『使い魔』に命を狙われてる『主人』なんて、俺っちも初めて見たぜ」

 

 

 デルフリンガーはそう言うが、そんなのルイズだって初めてだ。

 …というか、こんなとんでもない『使い魔』が召喚されたのは、始祖が降臨して以来のハルケギニアでもおそらく初だろう。

 もしも、これが始祖の導きだというなら、ルイズは始祖ブリミルへの信仰を捨てることに何の躊躇いも持たない。

 

 

(ホントに恨むわよ、始祖ブリミル―――!)

 

 

 仮に呼び出したのが始祖ブリミル本人であったとしても、あの男を『使い魔』として使いこなすのは絶対に不可能だとルイズは思う。

 ルイズは心の中で、もはや何度目になるか分からない不敬全開の呪詛を吐いたのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 どれだけ悪夢のような現実に苛まれようと、使い魔に理不尽な怒りを抱こうと、時間だけは平等に流れる。

 講義が始まる時間になり、今日もいつもの様に講義が行われる。ときどき赤屍も講義に顔を出しているが、今回の講義においては赤屍はいない。

 

 

「最強の系統を知っているかね? ミス・ツェルプストー」

 

 

 教卓に立っているのは、ギトーという名の教師。

 風のスクウェア・メイジだけあって、メイジとしての実力は確かにそれなりに高い。

 しかし、彼は非常に偏った『風系統至上主義』でもある為、学院内に於ける人気はそれほど高くない。

 

 

「『虚無』じゃないんですか?」

 

「伝説の話をしている訳ではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

 

 

 キュルケの答えに、ギトーはどこか引っかかる物言いで返す。

 キュルケは、内心カチンときた。

 

 

「『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 

「ほほう。どうしてそう思うのかね?」

 

 

 互いに、挑発的な物言いと笑みで相手を煽っている。

 そのやり取りに生徒の多くは冷や汗をかく。

 

 

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」

 

「残念ながらそうではない」

 

 

 ギトーは脇に差していた杖を引き抜き、キュルケに向かって言い放つ。

 

 

「試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけてみたまえ」

 

「……火傷じゃすみませんわよ?」

 

 

 どこまでも相手を煽り、小馬鹿にするような態度のギトーに、キュルケは杖を抜きながら目を細める。

 

 

「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りでないならね」

 

 

 ギトーの言葉に、キュルケから笑みが消える。

 杖を構え、呪文を詠唱する。杖の先に小さな炎の球が浮かび、キュルケの更なる詠唱でそれは直径一メイル程の大火球となる。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 

 

「「「…は?」」」

 

 

 その驚きはギトーを含めたその場の生徒全員のものだった。

 キュルケの作り出した火球は、まるで生きているかのように揺らめき、形を変えた。

 火球の形に閉じ込めきれずに外へ溢れ出る炎は翼へ。もはや炎という形を捨て、鋭い眼光と敵を貫く嘴へとその姿を変えて行く。

 現れたのは、全てを焼き尽くす圧倒的な力と、見る者を魅了する優雅さと、そして美しさをも兼ね備えた炎の巨鳥。

 それはまるで、どこぞの大魔王のメラゾーマそのものの威容であった。

 

 

「な、なんだそれはッ!? そんな『火』の魔法、私は知らない! 知らないぞ!?」

 

 

 キュルケの生み出した炎の巨鳥が内包する圧倒的な力。

 その力を目の当たりにしたギトーの表情は愕然、という形容が相応しいものになっている。

 なまじメイジとしての力量が高いからこそ理解できてしまうのだろう。キュルケの生み出した炎の鳥が持つ絶大な威力を。

 以前、赤屍に飴玉の形をした『得体の知れない薬』を飲まされて以来、キュルケ・タバサ・ルイズの3人の基礎能力は軒並み上昇していた。

 今回のキュルケが見せた炎の鳥の魔法も、それを切っ掛けに編み出された魔法だった。

 

 

「みんなは机の下にでも隠れてた方が良いわよ?」

 

 

 杖の先に炎の鳥を侍らせながら周囲に注意を促すキュルケ。

 驚きの余りフリーズしていた周囲の生徒達が、巻き添えを恐れ慌てて机の下に避難する中、ギトーは「学生ごときに引いて堪るか」と何とか意地で踏み止まる。

 だが、もはや、キュルケの放つであろう炎の鳥を迎え撃とうとするような余裕など無い。つまりは、先手必勝。ギトーは己の最も信頼する『風』の呪文をキュルケへと向けて放つ。

 あの炎の鳥が解き放たれる前に届け。撃たせるな。それが今のギトーの心を占めているものだ。

 しかし、キュルケは慌てることもなく呪文を詠唱し、杖を剣のように振った。

 キュルケの杖が振られたのを合図として、一羽の巨鳥が飛び立つ。

 

 

 ―――クェェェェ!!!

 

 

 その鳥が飛び立つ瞬間、その場の全員がその鳴き声を聞いた気がした。

 解放された不死鳥は、ギトーが放った烈風を容易く掻き消し、尚も止まることなく、どこまでも優雅にギトーへと直進する。

 

 

「う、うわああああああああああ!!!?」

 

 

 まともに喰らえば灰も残らないのではないかという圧倒的な熱量の塊が迫り、ギトーは絶叫を上げる。

 なす術もなく襲い来る炎の鳥に飲み込まれ、教壇ごと吹き飛ばされるギトー。そのまま放っておけば確実に焼け死んでいただろう。

 だが、キュルケがパチンと指を鳴らした途端、炎は一瞬で消え去り、後にはちょっと前まで教壇だった残骸と少し前までギトーだった黒焦げの半死人が転がっていただけだった。

 見たことも聞いたこともないキュルケの魔法を目の当たりにしたルイズとタバサを除いた周囲の生徒たちは、いまだに絶句したままだ。

 そんな中、キュルケはたおやかな足取りでギトーの方に歩み寄ると、勝ち誇った顔でこう言ってのけた。

 

 

「あらあら、何やら風の魔法を自慢しようとなさったみたいですけれど。ご自慢の黒髪がわたくしの情熱に焼かれたという証明になっただけでしたわね、ミスタ・ギトー?」

 

 

 キュルケのその言葉を不謹慎だと諫める生徒など勿論いない。

 次の瞬間、あれほど静かだった教室には盛大な歓声が巻き起こっていた。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「すっげええええええ!! なんだ今の魔法!?」

 

「『炎の鳥』の魔法!? 一体どうやるんだ!?」

 

 

 見たことも聞いたこともないキュルケの魔法に興奮した様子で口々に騒ぐ生徒たち。

 キュルケは悠然と手を振って観客達の祝福に応えた後、ギトーにさらに追い打ちの言葉をかける。

 

 

「でも、あんな種火程度で死なれては栄えあるツェルプストー家に要らぬ汚名がついて回りますわね。もし宜しければ『疾風』のギトー先生にどなたか『治癒』を!」

 

 

 言いながら、燃えるような赤い髪をかき上げるキュルケの様子はまさに王者のような風格と優雅さを持っていた。

 皮肉たっぷりのキュルケの言葉に笑みを噛み殺しきれない数人の生徒が、ギトーに近付くと『治癒』にかかる。

 そんな生徒達の歓声に満ちた教室の扉がガラリと開いて、緊張した面持ちのミスタ・コルベールが現れた。

 

 

「あやややや! 失礼しますぞ!」

 

 

 頭に馬鹿でかいロールが左右に三つずつ付いた金髪のカツラを被り、ローブの胸にはレースの飾りや刺繍やら、他にも色々とありとあらゆる飾りを付けていた。

 本人はめかし込んでいたつもりだったのだろうが、結果的に生徒達の爆笑を誘う結果となった。

 

 

「何を笑っているのです! ミスタ・ギトー……」

 

 

 時ならぬ爆笑に気分を害したコルベールは授業の受け持ちであるギトーの名を呼ぶが、ギトーは数人の生徒達に囲まれて『治癒』の魔法をかけられているところだった。

 

 

「な、何があったのですか!? まさか、またミス・ヴァリエールが!?」

 

 

 教室に来てみれば教師が黒焦げになって死に掛けている。

 そこから導き出される結論としては、非常に妥当なものとも言えたが、濡れ衣を着せられたルイズとしては堪ったものではない。

 

 

「ミスタ・コルベール、それは一体どういう意味ですかッ!?」

 

 

 案の定、プンスカと怒ったルイズが食って掛かる。

 ルイズの反応を見る限り、どうやらこれは彼女の仕業という訳ではないらしい。

 真っ先にルイズを犯人と連想してしまい、少しバツが悪そうな顔をしたコルベールに、キュルケは自分から名乗り出た。

 

 

「いいえ、ミスタ・コルベール。ミスタ・コルベールも御存知の『疾風』のギトー様は、御自分の風の魔法を自慢しようとしたのですけれど、わたくしの情熱を込めた火の魅力にすっかり骨抜きになったところですの」

 

 

 キュルケの楽しげな説明に、コルベールは眉間に手をやった。

 

 

(……生きてるようだし良しとするか。彼もこれに懲りて、少しでも尊大な性格が直ればいい)

 

 

 コルベールもギトーには含むところが多少はあったようで、彼に同情の念を抱くことも無かった。

 

 

「だが、ミス・ツェルプストー、後で詳しい事情を聞かせてもらうから学院長室に来るように。曲がりなりにも教師をあのようにしたのだから、何らかの罰は受けてもらわねばならないからね」

 

 

 はーい、と悪びれた様子も無く笑っているキュルケに多少の頭痛を覚えながらも、ここに来た当初の目的を果たすべく口を開いた。

 

 

「……おっほん。えー、今日の授業はすべて中止であります!」

 

 

 重々しい調子で告げられたコルベールの言葉に、教室から先程のそれにも勝るとも劣らない歓声が巻き起こる。

 その歓声を、両手を上げて抑え、コルベールは言葉を続ける。

 

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 

 

 もったいぶろうとのけぞり気味に胸を張ったコルベールの頭から、ぼとりと馬鹿でかいカツラが滑って床に落ちた。

 ただでさえ空気が暖まっている教室と、箸が転がってもおかしい年頃の生徒達の笑みを留めることは出来はしない。

 そこから更に一番前に座っていたタバサが、コルベールのハゲ頭を指差してとどめの一撃を呟いた。

 

 

「滑落注意」

 

 

 コルベールの禿げた頭を指差してのタバサの言葉に、教室中が爆笑に包まれた。

 

 

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童どもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族は可笑しい時は下を向いてこっそりと笑うものですぞ! これでは王室に教育の成果が疑われる!」

 

 

 生徒達の行儀云々より、自分でも密かに気にしている頭の事で恥をかいた事が、コルベールとしては大きかったに違いない。

 そのコルベールの剣幕に、生徒達もとりあえず静まった。コルベールは、気を取り直すように咳払いをする。

 

 

「えーおほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 

「姫様が……?」

 

 

 コルベールの言葉に、ルイズが呟く。

 周囲の生徒達も、思ってもいなかった事態にざわついている。

 授業が中止になる上に、まさか王女殿下の姿を見ることも出来るとなれば、貴族子弟を高揚させるには十分だった。

 

 

「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。その為に本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 

 

 コルベールの指示を受け、生徒達は一様に緊張した面持ちになると、一斉に頷いた。

 ミスタ・コルベールは満足げに頷くと、声を張って生徒たちに告げる。

 

 

「諸君らが立派な貴族に成長したことを姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! お覚えがよろしくなるよう、しっかりと杖を磨いておきなさい! 宜しいですかな!」

 

 

 そして、コルベールは他の教室にもこの旨を連絡すべく教室を早足に出て行く。

 だが、あまりにも慌てていたので、コルベールは落ちたカツラを忘れてしまっていた。無論、悪戯盛りの生徒達がこんな絶好のチャンスを見逃すはずも無い。

 保健室へ運ばれたギトーが目を覚まし、自身へと仕掛けられた極めつけの悪戯に気付いたのはそれから数時間後のことだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 保健室へと運ばれたギトーが数時間後に目を覚ました時、彼は気付いた。

 

 

「ん? これは……」

 

 

 チリチリに燃えてしまった自身の髪の毛は、まあ仕方がない。

 あれだけの炎の直撃を受けて無事で済むとはギトー本人も思っていなかったし、これくらいで済んだのはむしろ僥倖だろう。

 だが、彼を本当に激昂させたのは、そんなことではなかった。目が覚めた時の彼は、馬鹿でかいロールのついたカツラを被せられ、さらに御丁寧なことに教室にいた生徒達の署名がずらりと並んだ手紙が添えられていた。

 そして、その署名入りの羊皮紙に書かれた文言はこうだった。

 

 

「我ら生徒一同が敬愛する『疾風』のミスタ・ギトーへ。しばらく不自由でしょうから、そのカツラを進呈いたします」

 

 

 生徒達の署名がずらりと並んだ手紙と悪趣味なカツラ。

 

 

「あんの、クソガキどもがぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁああああ!!!!」

 

 

 哀れ、手紙と悪趣味なカツラは激昂したギトーの風の刃でズタズタに切り裂かれることになったのだった。

 正直、ギトーからすれば至極当然な怒りであったと思われるが、怒りを爆発させた場所が悪かった。彼が騒いだのは、よりによって保健室。

 つまり―――

 

 

「保健室ではお静かに…」

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 結局、ギトーは『保健室の死神』こと、赤屍の手によって、もう一度、強制的に眠らせられることになったのだった。

 

 

 




※オマケ:(とある生徒がギトーを保健室へ運んだ時のやり取り)

赤屍「おや、新しい実験d…ゲフンゲフン、いえ、患者さんですか」
生徒「(今、コイツ、『実験台』って言おうとしなかった!?)」



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第十五話『トリステインの王女』

 コルベールの指示により、その日の授業が中断された後、ついにその時がやって来た。

 王女の出迎えの為に、学院の門のところではすでに学院中の生徒達が集まり、列をつくっている。その中に、ルイズとその脇に控える様に赤屍の姿もあった。

 

 

「いい? 絶対に余計なことするんじゃないわよ! 姫様に何かあったら絶対に許さないんだからね!?」

 

「クス…分かってますよ。別に、私にこの国の王族をどうこうする気はありませんので」

 

「ホントでしょうね!? ホントに頼むわよ!?」

 

 

 ルイズは殊更に念を押して赤屍に言いつける。

 言うまでもないが、ルイズと赤屍の間には『主人』と『使い魔』の絆など存在しない。

 今さらのことながら、ルイズが赤屍のことをどう思っているかよく分かるやり取りであった。

 魔法学院の正門をくぐり、王女の一行が現れると、整列した生徒達が一斉に杖を掲げる。

 

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおな~~~り~~~ッ!」

 

 

 衛士の声で、馬車の扉が開く。

 最初に姿を見せたのは、王女ではなく痩せぎすの老人だった。王国 の枢機卿、マザリーニである。

 生徒がそろってげんなりした顔になるのも意に介さず、マザリーニは馬車を降りると脇によけ、続いて下車する人物の手を取った。

 今度こそ、降りてきたのはアンリエッタ王女。生徒だけでなく一部の教師からも歓声が上がり、それに応えてアンリエッタが手を振った。

 王族が持つ気品、優雅さ溢れる仕草である。

 しかし―――

 

 

(所詮は、客寄せパンダというところですか…)

 

 

 赤屍はアンリエッタのことをそう評した。

 王女には確かに素晴らしい華がある。清楚で可憐な、という形容詞がこれほど似合う人物も中々存在するまい。

 しかし逆に言えば、それは政治に関する汚さとは無縁という事でもある。欲望渦巻く国同士の政治の場は、例えるなら飢えたハイエナの群れの中だ。そんな場所に生まれたての子鹿を放り込めば、瞬く間に骨だけの無惨な姿にされてしまう。

 アンリエッタは、腹黒い国家元首の相手をするには綺麗すぎるのだ。

 

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」

 

 

 ルイズと赤屍の近くにいたキュルケが、つまらなさそうに眉を顰めた。

 赤屍の審美眼的には、そもそも両者ともタイプの違う美人であるため単純な比較は難しい。

 だが、どちらがより万人受けするかで判断するなら―――

 

 

「いえ、単純に考えるならば、王女である彼女の方が美人でしょうね」

 

 

 古来より、権力の使途というのは変わらない。

 王家や貴族は美男美女を代々優先的に選り好み出来るから、得てして美貌にも恵まれるものである。

 実際、魔法学院の生徒達もおおよそは美男美女で構成されている。

 

 

「あら? ドクターはああいう女性がタイプなのかしら?」

 

「いえ、確かに美人であることは認めますが、私の好みとは異なりますよ。はっきり言って、見た目が良いだけの女性などに興味はありません」

 

 

 外見だけの女性に興味は無いと赤屍は言い切った。

 聞きようによっては、王女のことを『見た目だけの女』と侮辱しているようにも聞こえる赤屍の物言いである。

 普段ならこの辺りでルイズが「何よ、姫様が見た目だけの女だって言うつもり? 姫様への侮辱は許さないわよ!」などと怒鳴っているはずだが、珍しくルイズの反応は無かった。

 首を傾げながら赤屍がルイズの方を見やると、彼女は随分と熱心に王女を見つめており、横にいる赤屍とキュルケのやり取りすら耳に入っていないようだった。

 

 

「何だか、アナタの女性の好みってすっごく興味あるんだけど…。差し支えなければ教えてくれる?」

 

 

 何というか、赤屍の好みのタイプの女性というのが謎過ぎる。

 そもそもの話として、この殺人狂が他の異性と男女の付き合いをしているところが全く想像できない。

 いや、確かに顔は美形だし、性格さえまともなら確かに女性にもモテるだろうとキュルケも思うのだが。

 キュルケに問われた赤屍は、少し考える素振りをみせた後、こう答えた。

 

 

「好みのタイプは自立した女性ですね。寄り掛かってくるだけの女性は鬱陶しいだけですから」

 

 

 もっと言うなら、自分と対等に戦える実力者であるならば最高だと赤屍は付け加える。

 だが、実際問題として、赤屍と対等に戦える女など、この世のどこを探しても存在するまい。

 …というか、そんな奴が存在したとしたら、男女の関係になる以前に、喜々として殺し合いを望むに決まっている。

 もっとも赤屍自身もそうした自分の性分は分かっているようで、少し冗談めかして次のように言った。

 

 

「所詮、私のことを理解できるのは、私だけでしょう。もしも、どこか別のセカイに女として生まれた私が存在したとするなら、その女性が理想のタイプといったところでしょうかね」

 

 

 赤屍の返答を聞いたキュルケは、何とも呆れ果てたような表情をしている。

 

 

「何て言うか、ある意味、理想が高過ぎるんじゃない…?」

 

「クス…そうかもしれません」

 

 

 キュルケの苦言に、赤屍も若干の苦笑混じりでそう返した。

 そうこうしている内に、アンリエッタはオスマンに出迎えられ、学院内に案内されて行った。

 それを見届けて、周囲の生徒達も各々解散していき、騒ぎはあっという間に終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 そして、その日の夜……。

 食事も終えて後は寝るだけ、という頃合である。

 自室でくつろいでいたルイズであったが、不意に聞こえたノックの音に現実に引き戻される。

 

 

「む?」

 

 

 初めに長く二回、続けて短いノックが三回。

 立ち上がったルイズがドアを開けると、そこに立っていたのは黒いローブにフードをすっぽりと被った少女だった。

 少女は注意深く周囲を伺ってから素早く部屋の中に入ると、後ろ手でドアを閉めた。

 

 

「……あなたは?」

 

 

 ルイズの誰何の声に、黒ずくめの少女は口元に指を立てる。

 静かにしろと言いたいらしい。こんな夜更けに突然押し掛けてきて、なんて図々しいとルイズは眉を顰めた。挙げ句、このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに命令するとは。赤屍がやってきて以来、過大なストレスに苛まれている自分の貴重な平穏な時間を奪った罪は重い。

 心の底で徐々に敵意を抱き始めているルイズをよそに、 真っ黒な頭巾の少女は、同じく真っ黒なマントの隙間から、杖を取り出した。

 アメリカでは、ポケットや胸に手を入れたからという理由で、銃で撃ち殺したとしても正当防衛として認められる。

 つまり、この場合は、ルイズの目前で杖を抜くという暴挙をやらかしたこの女が悪い。

 

 

 ―――杖を抜くという相手の動作を、暗殺者の敵性行動とみなしたルイズの行動は迅速だった。

 

 

 頭巾の少女がルーンを呟こうとする前に、ルイズは少女の口元を押さえた。

 反射的に悲鳴を上げようとした少女だったが、それは苦痛の喘ぎ声に取って代わられた。

 杖を持つ少女の手首が、ルイズによって鷲掴みにされたのだ。ギリギリと万力のような力で締め付けられて、少女は杖を取り落としてしまう。

 それを足で部屋の隅へ蹴り飛ばし、ルイズは更に少女の足を払う。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

 強烈な足払いが炸裂し、少女の体がルイズの部屋の床へと転がり込んだ。

 少女が床へ叩き付けられると同時にルイズは少女に踊り掛かり馬乗りになった。これで抵抗らしい抵抗もできまい。

 ルイズは杖を取り出して頭巾の少女に突きつけた。

 

 

「私を消そうなんていい度胸ね。どこの手のものかしら? ゲルマニア? ガリア? それともトリステインの低級貴族?」

 

 

 杖で少女の頬をグリグリしながら、ルイズは歌うように尋問を始める。

 少女は小さく「ひっ……」と悲鳴を上げた。暗殺者のくせに、まるで生娘みたいな声を出す奴だと、ルイズは思った。

 赤屍を『使い魔』にして以来、何だかんだで影響されているのか思考と行動が明らかに過激になっているルイズである。

 

 

「ほら、キリキリ吐きなさい。言わなきゃ三秒ごとにあんたの体を少しずつ吹き飛ばすわよ? まずはその綺麗な指からね」

 

 

 少女の指に狙いを定め、ルイズは杖を振りあげた。

 最早ノックの合図のことなど、すっかり忘れているようである。

 

 

「ひと~つ……ふた~つ………みっ」

「ル……ルイズ!? あなたルイズでしょう!?」

 

 

 ようやく自分の置かれた状況を理解できたのか、少女は慌てた様子でルイズの名を呼んだ。

 少女の鈴を転がしたような声に覚えがあるのか、タイムリミット寸前でルイズの体がピタリと止まった。

 振り下ろしかけた杖をそのままに、ルイズは恐る恐る少女の頭巾を取った。何と、頭巾の下から現れたのは昼間顔を見たばかりの、アンリエッタ王女であった。

 すらりとした気品のある顔立ち。きらきらと輝く栗色の髪。ハルケギニアの一輪の華とまで呼ばれる美貌の持ち主であるが、その美貌を引き立たせるはずの彼女のブルーの瞳は、今は死への恐怖と不安で揺れている。

 思わず「うっ」と息をのみ、顔面から血の気が引いていくルイズ。 ひょっとして自分は凄まじくマズいことをしてしまったのではなかろうか?

 

 

(し、しまったぁぁぁああああぁあ!! ドジこいたぁぁあああ!!!)

 

 

 言い知れぬ後悔の念に苛まれながら、ルイズは王女から飛びのいて慌てて膝をついた。

 昼間、赤屍に対して「姫様に何かしでかしたら許さない」などと言っておきながら、何というザマだろうか。

 

 

「ひ、姫殿下!!」

 

 

 アンリエッタはヨロヨロと立ち上がり、スカートに付いた埃を払って下手な作り笑いをした。

 

 

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ……」

 

 

 気品たっぷりの立ち振る舞いだったが、彼女の声は未だ少しだけ震えていた。

 それからのルイズはただもう只管の平謝りだった。膝をついては謝り、部屋の隅に蹴り転がした王女の杖を拾ってきては謝り……。

 次から次へと飛び出す謝罪の言葉に、謝られることに慣れているはずのアンリエッタすら思わずたじろいでしまうほどだった。

 突然、杖を取り出した自分も悪かったのだと、アンリエッタはルイズを不問に付した。改めて『ディティクト・マジック』をかけて、部屋を調べた後、アンリエッタは感極まった表情を浮かべてルイズを抱きしめた。

 

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

「……恐れながら姫殿下、なぜこのような所へ」

 

 

 ルイズは畏まった声で言った。

 

 

「ああルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい言葉遣いはやめてちょうだい、私達はお友達じゃないの!」

 

 

 王女のその言葉に、ルイズもまたアンリエッタを強く抱きしめ返した。

 

 

「ああ、なんて勿体無いお言葉! 姫殿下にそのようなお言葉を掛けてもらえるだなんて!」

 

 

 普段の高飛車さは欠片も見せないほどのかしこまった口調で受け答えするルイズ。

 それからしばらく二人の思い出話に花が咲く。蝶を追って泥まみれになっただの、菓子を取り合って掴み合いの喧嘩だの、ドレスを取り合って気絶するほどの蹴りがお腹に入っただの、美少女二人の十年前はなかなかバイオレンスだったらしい。

 

 

「ああ、おかしい。そうよルイズ、わたくしこんなにおなかが痛くなるほど笑ったのは一体いつぶりのことだったかしら。貴女が変わりなくわたくしのルイズでいてくれて本当に嬉しいわ」

 

 

 超のつく美少女が二人固く抱きしめあう光景。

 そして、話の腰が折れたタイミングを見計らって、第三者の声が響いた。

 

 

「ルイズさん、王女殿下とはどういう間柄なんです?」

 

「ア、アンタ、いつからそこに!?」

 

 

 声の主は赤屍だった。

 気が付くと、いつの間にか赤屍がルイズの部屋のドアの前に立っていた。

 

 

「ルイズさんが王女殿下に馬乗りになって、尋問を始めようとしていた辺りからですね」

 

 

 つまり、ほとんど最初からじゃねえか!

 この男に期待するだけ無駄かもしれないが、見ていたんだったら流石に止めて欲しかった。

 恨みがましい視線で赤屍を睨みつけるルイズだが、当の赤屍はクスクスと笑いながらその視線を軽く受け流している。

 アンリエッタは、そんなルイズと赤屍を交互に見る。やがて、何かに思い当たったのか、アンリエッタは頬を赤らめた。

 

 

「あ、あらルイズ、ごめんなさい。お邪魔だったみたいね、わたくしったら」

 

「お邪魔? どうして?」

 

「そちらにいらっしゃる素敵な紳士様、あなたの恋人なのでしょう? 羨ましいわ、いつの間にこんな素敵な殿方と恋仲になったの、ルイズ」

 

 

 恋人と言われて、ルイズの思考が『固定化』の魔法をかけられたように停止した。

 アンリエッタは、ほんのり上気した頬に両手を添えチラチラと赤屍に視線をやっている。

 数秒の間、思考停止していたルイズだったが、何とか再起動を果たし、アンリエッタに申し立てる。

 

 

「あの、それ、私の『使い魔』なんですけど……」

 

 

 言われて、アンリエッタはキョトンとした。

 ルイズと赤屍を、交互に見るアンリエッタ。

 ルイズに『それ』呼ばわりされて、赤屍は肩をすくめる。

 

 

「人にしか見えませんが……」

 

「とんでもなく人間離れしていますが、一応、人間…なんでしょうか? と、とにかく私の恋人などではありません!」

 

 

 こんな殺人狂と恋人などと、全く冗談ではない。

 顔を真っ赤にして捲し立てるルイズに、アンリエッタはどこか納得したような顔をした。

 

 

「そうよね、ルイズ・フランソワーズ。あなたって、昔から何処か変わっていたけれど、相変わらずね」

 

 

 アンリエッタの天然な発言に対して、ルイズは最大限の作り笑いを返した。

 頬の筋肉がピクピクしたが、最大限の努力をしたつもりだ。必死に笑おうとして、傍から見たらワザと変な顔をしているようにしか思えない顔つきになっているルイズ。

 しかし、アンリエッタは憂いの帯びた溜め息を吐くだけであった。

 

 

「子供の頃は毎日が楽しかったわ……何の悩みとも無関係で。出来ればあの何も分別のなかった頃に戻りたいわ」

 

 

 深い憂いばかりで紡がれた言葉が、薔薇の色で彩られた唇から漏れた。

 

 

「一体どうしたのです、姫様。御様子が尋常ではありませんが……」

 

 

 ルイズの問い掛けがきっかけとなったのか、アンリエッタは決心したように頷いた。

 

 

「結婚するのよ。わたくし」

 

「それは……おめでとうございます」

 

 

 アンリエッタ王女の声に、悲しいものをルイズも感じたのか、沈んだ声だった。

 望まぬ結婚なのだろうということが察せられた。

 

 

「ご無礼を承知でお尋ねします。姫さまが嫁がれる幸運なお相手とは?」

 

 

 アンリエッタは小さな溜め息と共に答えた。

 

 

「ゲルマニアの皇帝です」

 

「ゲルマニアですって!」

 

 

 ゲルマニア嫌いなルイズは、驚いた声を上げた。

 どこぞの赤毛の巨乳女が頭の片隅をチラチラと横切る。

 

 

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

 

「そうよ。でも、仕方が無いの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 

 アンリエッタは、アルビオンの内乱に端を発する今のハルケギニアの政治情勢をルイズに説明した。

 アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、いずれ反乱軍が勝利するのも時間の問題。そうしたら今度はこのトリステインに攻め込んでくるかもしれない。

 そうならない内に、ゲルマニアと同盟を結んで戦力を強化する手段に出たのだという。

 そして、彼女は最後にこう付け加えた。

 

 

「王室に生まれた時から、好きな相手と結婚するなんて、諦めていますわ」

 

「姫様……」

 

 

 言葉とは裏腹に、アンリエッタが浮かべたのはやはり寂しげな笑顔だった。

 しかし、アンリエッタを本当に悩ましているのはそこではない。本題はここからだった。

 当然、アルビオンの反乱軍はトリステインとゲルマニアの同盟を望まない。二国間の同盟を出来る限り妨害してくるのは目に見えている。

 

 

「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 

 アンリエッタは、呟いた。

 

 

「……したがって、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

 

「妨げになるもの……そんなものが?」

 

 

 ルイズはごくっと唾をのんだ。

 アンリエッタが青ざめた顔をしているのに気づいたからだ。

 俯き、唇を噛むアンリエッタの様子を見れば誰にでも容易に想像がつく。

 

 

「おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください……」

 

 

 アンリエッタは、顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。

 その芝居がかった仕草に、赤屍は少し呆れた様子だった。余りにも大袈裟すぎやしないか。

 いちいち大袈裟に芝居がかった仕草をする王女に、赤屍は不快を感じていた。

 

 

「言って! 姫様! 姫様のご婚姻をさまたげる材料とは一体何なのですか!?」

 

 

 しかし、一方のルイズはアンリエッタに引っ張られたのだろうか、興奮した様子で捲くし立てる。

 両手を覆ったまま、アンリエッタ王女は苦しそうに呟いた。

 

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

 

「手紙?」

 

 

 手紙の内容について、アンリエッタは答えようとはしなかった。

 だが、アルビオンのウェールズ皇太子が所有しているというそれがアルビオンの貴族の手に渡り、さらにゲルマニアに届けられでもしたら、アンリエッタの婚姻も同盟も反故にされかねない内容らしい。

 

 

「ああ、破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!そうなったら破滅です! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 

 ルイズは息をのんだ。

 

 

「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」

 

「わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 戦乱の地にあなたを行かせるなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

 

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが竜のアギトの中だろうが、姫様の御為ならば何処なりとも向かいますわ!」

 

 

 そして、ルイズは、再び臣下の礼をとるべく膝をつき、恭しく頭を下げた。

 

 

「姫様とトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家三女たるルイズ・フランソワーズが見過ごすわけには参りません。是非、このわたくしめにこの一件をお任せくださいますよう」

 

「ああ、ルイズ! わたくしのルイズ! このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! あなたこそ真のお友達だわ!」

 

「何を仰います姫様!私の忠誠はあの頃からなんら変わりませんわ!」

 

 

 ルイズの両手がアンリエッタの手を強く包み込むように握り締めると、アンリエッタのブルーの両眼から真珠のような涙が次々と零れ落ちていった。

 

 

「姫様!このルイズ、いつまでも姫様のお友達で忠実な臣下で御座います!永久に誓った忠誠を忘れることなど、例え天地がひっくり返ろうと有り得ませんわ!」

 

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました、わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れることはないでしょう!わたくしのルイズ・フランソワーズ!」

 

 

 二人は、完全に自分の言葉に酔っている。

 感極まった二人は涙に濡れながら固く抱きしめあった。

 しかし、一方の赤屍は冷めた表情のままで、二人を冷ややかに見下している。

 己の不幸に酔い、同情を誘うような言い方で頼み込むアンリエッタの様子は酷く滑稽に思えた。

 

 

「ルイズさん、友情を確認し合ってるところ、水を差すようですいませんが…」

 

「なによ」

 

「戦争をしているところに行く訳ですが、それなりに危険だという事は理解してますよね?」

 

「んなこと判ってるわよ。でもね、私がやらなくちゃいけないことだってあるわ!危険だからって部屋の隅で震えてたら、このトリステインが危険に晒されるのよ!」

 

 

 凛とした態度で言い切るルイズの言葉には、迷いが無い。

 

 

「アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜し出し、手紙を取り戻せばよいのですね?」

 

 

 ルイズの言葉に、アンリエッタは静かに頷いた。

 

 

「ええ、その通りです。『土くれ』のフーケを捕まえた貴方達なら、きっとこの困難な任務も成し遂げることが出来るでしょう」

 

「一命にかけても。急ぎの任務なのですか?」

 

「ありがとう、ルイズ。アルビオンの貴族達は既に王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞きます。もしやすれば明日にでも敗北するかもしれません……」

 

 

 ルイズは真剣な顔で、アンリエッタに頷いて見せた。

 

 

「では、明日の早朝。ここを出発致します」

 

 

 ルイズの返事を聞いたアンリエッタはルイズから、赤屍に視線を移した。

 だが、今の赤屍は、何の感情の揺らぎも見せずにアンリエッタを見つめていた。

 

 

「頼もしい使い魔さん」

 

「なんでしょうか」

 

 

 アンリエッタのたおやかな微笑みに、赤屍は静かに言葉を返した。

 

 

「わたくしの大切なお友達を、これからも宜しくお願いしますね」

 

 

 す、と、左手を差し出すのに、ルイズは驚いたような声を上げた。

 

 

「いけません殿下! そんな、使い魔に手を許すだなんて!」

 

「いいのですルイズ。忠誠には報いるところがなければいけません」

 

 

 確かに王族が平民に手を許す、ということは破格の褒美と称してもいい。

 何の躊躇いもなく平民に左手を差し出す王女は『貴族平民の区別なく分け隔てなく接する慈悲深い王女』と呼ばれるに相応しいのかもしれない。

 しかし、赤屍の目から見た彼女は、幼馴染との友情を餌にして友人を死地へと追いやろうとする悲劇のヒロイン気取りの卑怯者としか思えなかった。

 最早、赤屍は、王女に対して何の興味も抱いていない。だが、今回のことは赤屍にとっても、ある意味チャンスでもあった。

 

 

「アンリエッタ王女、一つお聞きします。つまり、それは『運び屋』である私に仕事を依頼するということでよろしいので?」

 

「『運び屋』…?」

 

 

 聞きなれない言葉にアンリエッタが怪訝な顔をする。

 そんなアンリエッタに赤屍が説明した。

 

 

「ええ、その名の通りクライアントに依頼されたモノを運ぶのが私の仕事です」

 

 

 今回の任務をルイズが引き受けることは別に構わない。

 だが、その任務に自分を同行させるつもりなら、改めて『運び屋』としての自分に依頼しろと赤屍は言った。当然、依頼は無料などではない。

 しかし―――

 

 

「申し訳ありませんが、これは表に出せない秘密の任務です。アナタが望むような十分な報酬が用意できないかもしれません…」

 

「いえ、金銭的な報酬は要りません。その代わり、トリステイン王家に伝わるという『始祖の祈祷書』を少しの間で構わないので貸してくれませんか」

 

 

 トリステイン王家に伝わる始祖の秘宝の一つ。

 赤屍が報酬として要求したモノは意外なものだった。

 

 

「『始祖の祈祷書』の貸し出しですか? 王家の私が言うのもなんですが、そんな程度のことが報酬で良いのですか?」

 

 

 アンリエッタ自身、王家に伝わる『始祖の祈祷書』を見たことはある。

 だが、およそ三百ページぐらいに渡るその本は、ひたすら真っ白なページが続くだけのもので、アンリエッタ自身もその祈祷書は偽物だろうと思っているくらいだ。

 

 

「貸し出す程度なら、わたくしの権限でも何とかなると思いますが…」

 

「クス…それなら決まりですね」

 

 

 赤屍の狙い通りである。

 アンリエッタは、どうして赤屍がそんなものを要求するのか分からずにキョトンとした様子だったが、赤屍の考えを理解できたルイズは顔を引き攣らせている。

 現在は失伝してしまった虚無系統の魔法への手掛かり。以前、どうしてそんなものを探しているのかとルイズが訊ねたとき、赤屍は「虚無のメイジとして成長したルイズと戦うため」だと答えた。

 しかし、メイジとして成長すればするだけ、逆に死の危険が近づくとは、一体どんな理不尽だろうか。

 だが、今回の任務に限って言うなら、赤屍が同行することは非常に心強い。

 

 

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます。アルビオンの貴族達は貴方がたの目的を知れば、ありとあらゆる手を使って妨害をかけてくるでしょう」

 

 

 アンリエッタは机に座ると、羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。

 そして、自分の書いた文章をもう一度読み直し、幾許かの躊躇いの後、悲しそうな顔をして呟く。

 

 

「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、『この一文を書かざるを得ない』のです……。自分の気持ちに、嘘をつく事はできないのです……」

 

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたような表情だった。

 赤屍は、ウェールズが持っているという手紙の内容と、アンリエッタが最後に書き加えた『一文』の内容を察した。それは王族の義務を背負う者としてあるまじき行為かもしれないが、赤屍は何も言わなかった。

 アンリエッタは書き上げた手紙を丸めると、取り出した杖を振る。すると手紙に封蝋がなされ、花押が押される。正式な書状となった手紙を、ルイズに手渡した。

 

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう」

 

 

 そして、王女は右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡す。

 

 

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら売り払って路銀にあててください」

 

 

 ルイズは、深く頭を下げた。

 

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹きすさぶ風からあなたがたを守りますように」

 

 

 アンリエッタは静かな祈りを捧げた。

 

 

 



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第十六話『港町ラ・ロシェール』

 

 早朝、ルイズは馬に鞍をつけ準備をしていた。

 これから彼らが向かう先は、王党派と貴族派が戦争をしている只中のアルビオン。

 そして、出立の準備をしているルイズの傍らで、ふと何気なく赤屍が言った。

 

 

「しかし、空に浮かぶ大陸とは、まさにファンタジーそのものですねぇ。実際に見るのが少し楽しみですよ」

 

「アンタの世界には、アルビオンみたいな浮遊大陸は無いの?」

 

「ええ、浮遊大陸なんてものは私の世界には存在しません。…いえ、一つだけ例外がありましたね」

 

「例外?」

 

 

 例外とは一体どういう意味だろうか。

 視線で問い返された赤屍は、ルイズにとっては全く意味不明なことを言った。

 

 

「あるいは『無限城』の中でなら、空に浮かぶ大陸なんてのもあり得るかもしれません」

 

 

 これまでにも赤屍がときどき口にしていた『無限城』というキーワード。

 恐らくは赤屍の出身世界での地名なのだろうが、「城の中に大陸が存在する」とは一体どういうことなのだろう。

 ルイズの常識の範囲で考えるならば、どう考えても普通は逆のはずである。

 

 

「っていうか、城の中に大陸があるって、まるで意味が分かんないんだけど…」

 

「クス…まあ、そうでしょうね」

 

 

 若干の苦笑まじりに赤屍は『無限城』についてルイズに説明する。

 無限城の中ではあらゆる次元と不規則な時間の流れが混在し、それ自体が無数のセカイを内包する特殊な空間となっている。

 それが特に顕著なのが『ベルトライン』と呼ばれる無限城の中層階であり、花畑から海へといったように周囲の光景が短期間に次々と切り替わるなど、そこでは一切の常識が通用しなくなる。

 実際にあるかどうかは赤屍も知らないが、無限城の中でならやろうと思えば、浮遊大陸の一つや二つは創れるだろう。

 赤屍が話す『無限城』の余りの出鱈目さ加減にルイズも驚かざるを得ない。

 

 

「どんな出鱈目よ、それ!?」

 

「まあ、ルイズさんの気持ちも分かりますよ。ですが、そういう場所だから、と言うしかありませんねぇ」

 

 

 さらに言うならば、無限城の存在そのものが赤屍のいたセカイの成り立ちの根幹をなす存在でもあった。

 そのことはルイズにも話してないが、おそらくは―――

 

 

「恐らく、このセカイの成り立ちも『無限城』と全く無関係という訳ではないんでしょうがね」

 

 

 不意に赤屍が呟くように言った。

 実を言えば赤屍は、この『ハルケギニア世界』と『無限城世界』の関係性について、限りなく正解に近いところにまで既に自力で辿り着いていた。

 だが、そんなことを知る訳もないルイズにしてみれば、赤屍の言葉に首を傾げるしかない。

 

 

「それって、どういう意味…?」

 

「さて…どうせ知ったところで意味はありませんよ。少なくとも今の時点ではね」

 

 

 ルイズの質問にも赤屍は曖昧にはぐらかした。

 何もかも見通していながら、敢えて答えを言わない狂言回しのような赤屍の物言い。

 ルイズは「一体何のことを言ってんのよ、アンタ」とでも言いたげにジト目で赤屍を睨んでいる。

 ジト目で睨まれた赤屍は肩を竦めると、話題を切り替えることにした。

 

 

「それはそうと、こちらに近付いてくる男性はルイズさんのお知り合いですか?」

 

「え?」

 

 

 すると、朝もやの中から一人の長身の貴族が現れた。

 精悍な顔立ちの若い男で、羽帽子に長い口髭が凛々しい。

 貴族の証である黒いマントの胸の部分にグリフォンの形をあしらった刺繍を施し、まるで剣のような銀色に光る魔法の杖を腰に刺している。

 現れた貴族の男はルイズと赤屍の近くまで歩み寄ると、帽子を取って一礼した。

 

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下より、君達に同行することを命じられてね。君達だけではやはり心もと無いらしい。かといって、隠密の任務であるゆえ、一部隊つけるわけにもいかない。そこで、僕が指名されたってワケだ」

 

「ワルドさま……」

 

 

 ルイズが、微かに震える声で言った。

 どうやらルイズの反応を見る限り、ルイズとは旧知の仲らしい。

 …というか、彼らの話によると、二人は婚約者どうしなのだという。

 

 

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 

 ワルドは人なつっこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱き上げた。

 

 

「お久しぶりでございます」

 

 

 親同士が取り決めた婚約ではあったが、幼いルイズにとって優しく強いワルドは憧れの人だった。

 ワルドの両親が相次いで亡くなり、彼が魔法衛士隊に入隊してからは、会う機会もなくすっかり忘れていたのだった。

 それに加えて、最近はとんでもない厄介事を抱え込んでしまったのだから、なおさら思い出す余裕など無かった。

 

 

「ミスタ・ワルド、同行するものを紹介します。『使い魔』の赤屍蔵人です」

 

 

 ルイズは赤屍のことを指さして紹介した。

 ワルドは少し傷ついたような顔をしたが、直ぐに真面目な顔つきになると、赤屍に近寄った。

 

 

「君がルイズの『使い魔』かい? まさか人とは思わなかったな」

 

 

 果たして、この男を本当に人間と呼んでいいのだろうか?

 赤屍のことを人間と言ったワルドの言葉に、ルイズは何とも微妙な表情をしている。

 

 

「僕の婚約者がお世話になっているよ」

 

「いえいえ、別に私自身は大したことはしていませんよ」

 

 

 ルイズとしては、むしろこれまで迷惑しか掛けられていない気がする。

 召喚されて以来のこれまでの赤屍の言動を思い出したルイズは心底ゲンナリした様子で溜め息を吐く。

 そんなルイズの心情など全く気にせずに、ワルドのことを冷静に観察していた。

 

 

(この世界での標準から考えれば、彼も一流のレベルなんでしょうがねぇ…)

 

 

 赤屍の見立てではワルドの戦闘力は、この世界での標準から考えれば十分に一流のレベルだ。

 だが、本来の赤屍の実力から比較すれば、全くの不足としか言いようがない。そして、不幸なことにワルドの方は赤屍との間に広がっている途方もない実力差には気付いていなかった。

 

 

「時間だ。そろそろ出発するとしよう」

 

 

 ワルドが口笛を吹くと、朝もやの中からグリフォンが現れた。

 鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている。

 ワルドはひらりとグリフォンに跨ると、ルイズに手招きした。

 

 

「おいで、僕のルイズ」

 

 

 ルイズはしばらくモジモジしていたが、ワルドに抱きかかえられ、グリフォンに跨った。

 ワルドは手綱を握り、杖を掲げて叫んだ。

 

 

「では諸君!出発だ!」

 

 

 グリフォンが駆け出し、赤屍も後に続く。

 赤屍の乗馬の経験はそれほど多いわけではなかったが、赤屍がひと睨みすると、馬は怯えた様子で素直に従った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 港町ラ・ロシェール。

 ラ・ロシェールは、白の国アルビオンヘの玄関口として設けられた港街である。

 峡谷の間に築かれた街なので、昼間でもなお薄暗い。人口は三百にも満たぬ程度だが、ふたつの大陸を行き来する人々が大勢おり、住人の十倍以上の人間が街中を闊歩している。

 ルイズ達は途中の駅で馬を何度も替え、その日の夜にはラ・ロシェールの手前まで辿り着いた。

 そして―――

 

 

「敵襲だ!!」

 

 

 そのワルドの一声を合図にしたかのように松明と矢が大量に飛んできた。

 

 

「大丈夫か!」

 

 

 グリフォンに跨るワルドが杖を掲げ、小型の竜巻を発生させると矢を全て明後日の方へと弾いていた。

 馬を止めた赤屍は、呑気な様子で矢の飛んできた崖の方を見上げる。

 

 

「メイジなら魔法を使って来るでしょうし、傭兵崩れの物盗りといったところですかねぇ」

 

 

 弓矢や投石など、飛んできた攻撃の種類から赤屍はそう判断する。

 攻撃の範囲と数から推測するに、おそらく人数は多くても30人程度と言ったところだろう。

 

 

「ファイヤー・ボール!」

 

 

 赤屍が観察していると、ルイズがグリフォンの上で杖を振るい、崖の上に爆発を起こしていた。

 男達の悲鳴が上がり、何人かがその爆風に吹き飛ばされているのが見える。

 

 

「クス…今のルイズさんなら本気で力を込めたら、あの崖ごと木っ端微塵に出来るでしょうに…。随分とお優しいことだ」

 

「アンタみたいな殺人狂と一緒にしないでくれる!?」

 

 

 赤屍の言葉に反発するルイズ。

 今のルイズからしてみれば、かなり手加減された爆発魔法であり、どうやら死人までは出ていないようだ。

 だが、手加減されていながら明らかに威力のおかしいルイズの爆発魔法を見たワルドは驚愕の余り唖然とした顔をしている。

 しかし、それでも射掛けられた矢を風の魔法で咄嗟に逸らすことが出来るあたり、魔法衛士隊の隊長という肩書は伊達ではないということだろう。

 ワルドが気を取り直して身構えたその時、上空の方からバサバサと重みのある羽音が聞こえてきた。

 

 

「この音は…」

 

 

 上空に浮かぶ竜から放たれた風と炎の魔法。崖の上からまた男達の悲鳴が聞こえてくる。

 男達は反撃として空に向けて矢を放ち始めるが、それは上空を飛んでいる竜らしき影には当たらない。

 どうやらワルドの時と同じく矢は風の魔法で逸らされているらしい。最終的にその竜から放たれた竜巻と火球によって、男達は次々と吹き飛ばされ、崖の上から転げ落ちてきていた。

 

 

「風の呪文じゃないか」

 

 

 ワルドが呟くと、上空から一匹の竜が降りてくる。

 

 

「シルフィード!?」

 

 

 ルイズが驚いた声をあげる。確かにそれはタバサの使い魔、シルフィードであった。

 地面に降りてくると、その主人であるタバサと……もう一人はどうやらキュルケのようだ。

 

 

「お待たせ」

 

「お待たせ、じゃないわよ! 何しにきたのよ!」

 

 

 ルイズはグリフォンから飛び降りると、キュルケに怒鳴りかかる。

 

 

「何よ。せっかく助けてあげたのに。朝方、あなた達が馬に乗って出かけようとしてるんだから、気になって着いてきたのよ。感謝しなさいよね。あなた達を襲った連中を片付けてあげたんだから」

 

 

 キュルケが腕を組んでつまらなそうに答えるとルイズも不満そうに顔を歪めていた。

 そんな非難の混じったルイズの視線を軽く受け流し、キュルケはワルドに艶のある視線を送る。

 

 

「ダンディなあなたに興味があったしね」

 

「それは光栄だ。しかし残念ながら、僕は君の求愛を受ける事はできないな」

 

「あら、どうして?」

 

 

 にべもないワルドの返答に、キュルケは若干眉をひそめた。

 それでも持ち前の気質故か、すぐにまた艶やかな流し目に戻って理由を尋ねる。

 ワルドはキュルケを拒絶するように左手で押しやる。

 

 

「婚約者が誤解するといけないので、これ以上近づかないでくれたまえ」

 

 

 そう言ってルイズを見るワルド。

 見つめられたルイズの頬が染まった。

 

 

「なあに? あんたの婚約者だったの?」

 

 

 キュルケはつまらなそうに言った。

 曰く、朝方窓から見てたらルイズ達が出かけるのが見えたため、タバサに頼んでシルフィードで送ってきてもらったそうだ。

 だが、キュルケの性格から言って、大部分の理由は興味本位からであることは間違いないだろう。

 ルイズはこめかみに手を当てながら、呆れた様子で言う。

 

 

「ツェルプストー。あのねえ、これはお忍びなのよ?」

 

「お忍び? だったら、そう言いなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない」

 

「それを言ったら『お忍び』の意味が無いでしょうが!?」

 

 

 ウガーッと怒鳴るルイズ。

 そんな漫才のようなやり取りをする彼女達を余所に、赤屍はまだ意識のある賊に尋問してみることにする。

 赤屍はメスを手の上で弄びながら賊どもにと訊ねた。

 

 

「さて、アナタ方の目的を教えていただけますか?」

 

「ひ、ひいッ! 俺たちゃただの物盗りで……」

 

 

 本当にそうなのだろうか。赤屍は訝しげに倒れ伏す男達を見つめる。

 あれが本当に野盗であるならば、その標的は力のない平民の旅人を襲うはずだ。

 ましてや、この野盗達も平民である以上、ワルドのような腕利きのメイジが存在する一団を襲うというのは不自然に思える。

 

 

「ワルド子爵、彼らはただの物盗りだと言っていますが?」

 

「ああ、聞いている。……そうだな。捨て置こう」

 

「…よろしいので?」

 

「ああ、それに今は時間が惜しい」

 

 

 そう言って、ワルドはグリフォンに跨る。

 ワルドはルイズと一緒にグリフォンに跨り、それに遅れて赤屍も馬に乗る。

 結局、そのまま付いていくことになったキュルケとタバサと共に、ルイズ達はラ・ロシェールの街へと行くこととなった。

 その後は何事もなくラ・ロシェールに到着した一行だったが、街並みを一望した赤屍から感心の声が上がる。

 

 

「ほう…」

 

 

 狭い山道を挟むようにして立ち並ぶ数多くの旅籠や商店。全て立派な石造りの建物だ。

 一見するとトリスタニアによくある石造りの建造物のようだったが、よく目をこらしてみると、一軒一軒が全て同じ一枚岩から削り出されたもの――つまり、彫刻であることがわかった。

 

 

「町全体が芸術品とでも言ったところですかねぇ」

 

 

 赤屍は手放しで称賛する。

 まさに『土』系統のスクウェアメイジ達の巧みの技であった。

 一行はラ・ローシェルで一番上等な『女神の杵』という宿に入った。

 

 

「今日は宿で一泊しよう。明日、朝一番の便でアルビオンに渡る」

 

 

 宿に入った一行は、その一階の酒場でこの後どうするかと話し合っていた。

 別にアルビオンへ行ってどうする、といった話ではない。予定よりもかなり早くラ・ロシェールに到着したので、街の見物にでも出掛けてみようかという算段である。

 そこへ『桟橋』へ一人、乗船の交渉へ行っていたワルドが帰ってくる。

 ワルドは席につくと困ったように、話を切り出した。

 

 

「アルビオンに渡る船は明後日にならないと、出ないそうだ」

 

「ええ!? 急ぎの任務なのに……」

 

「ふむ、なぜ船は明後日にならないと出ないのです?」

 

 

 赤屍の疑問に応えてワルド。

 

 

「明日の夜は月が重なるだろう?『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最も、ラ・ロシェールに近づく」

 

 

 月夜に関係して距離を変える浮遊する陸地。

 燃料になる〝風石〟を可能な限り節約するためほぼ全てのフネがその日に発着するため、明後日にならないと船は出ない。

 仕方ないからそれまでの間この街で時間を潰す事となり、早速ではあるが宿の部屋割りがワルドによって決定され鍵を渡された。

 赤屍は個室。キュルケとタバサが同室。そして、ルイズとワルドが同室。

 まあ、婚約者だから当然ではあるが……ルイズはかなり動揺。

 

 

「そ、そんな、駄目よ! まだ、わたしたち結婚してるわけじゃないじゃない!」

 

「大事な話があるんだ。二人きりで話したい」

 

 

 そんなワルドの提案にルイズがハッとしながら反論するが、ワルドに優しく肩を叩かれてルイズも顔を赤くして詰まってしまう。

 やがて、夕食を済ませた一行はワルドが割り当てて決めた部屋へと向かう。ルイズとワルドの部屋は女神の杵亭でも上等な部屋であるらしく、レースの飾りと天蓋が付いたの大きなベッドがあったりと立派な造りだった。

 

 

「君も一杯、どうだい?」

 

 

 テーブルに座ったワルドはワインをグラスに注ぐと、ルイズを促す。

 言われたままにルイズはテーブルにつき、ワルドがもう一つのグラスにワインを満たすと、自分のグラスを掲げた。

 

 

「二人に」

 

 

 恥ずかしそうに俯きつつ、ルイズはグラスを合わせる。

 グラスが触れ合う音が静かに響いた。

 

 

「姫殿下の手紙、きちんと持っているね?」

 

 

 もちろんだ。ルイズは頷きつつ、ポケットの上から封筒を押さえた。

 そういえば、ウェールズから返して欲しいという手紙の内容は何なのだろうか。

 何となく予想はつくのだが、それはまだ自分の推測に過ぎない。やはり、本人と会わなければ分からないだろう。

 

 

「ところで、大事な話って何?」

 

 

 ルイズが本題を促すと、ワルドは急に遠くを見るような目になって言う。

 

 

「覚えているかい? あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」

 

「あの、池に浮かんだ小船?」

 

 

 ワルドは頷いた。

 幼い頃、魔法の才能がある姉達と比べられて〝出来が悪い〟などと言われて両親に怒られたこと。

 そして、いつもその後には実家の屋敷の中庭の小船で、まるで捨てられた子猫のようにうずくまりながら泣いていたこと……。

 楽しそうに語り続けるワルドと、恥ずかしそうに俯くルイズ。二人は昔話を、まるで昨日のことのように思い返しながら語り合っていた。

 

 

「でも僕は、それは間違いだと思っていたんだ。君は確かに昔は不器用だったかもしれない。だけど、今は違う。そうだろう?」

 

「それは……」

 

「さっきだって、見せてくれたじゃないか。君の魔法を」

 

 

 つい先ほど、野盗達を吹き飛ばした魔法。

 本当はあれも失敗の一つに過ぎないものだった。

 

 

「あ、あ、あれはね……その……」

 

「ははは。恥ずかしがることはないよ。君はあの爆発を、まるで自分の手足のように操っていたじゃないか。他のメイジが使う魔法とは勝手は違うようだが、それを自分の物として扱うというのは普通は思いつかない発想だよ。それができる君は、やはり隠れた才能があったんだ」

 

 

 ワルドはルイズのことを褒め称えてくる。

 ルイズとしては手段を選んでいられないから仕方なく使い始めたもので、ワルドに褒められても手放しで喜ぶ気にはなれない。

 もっとも赤屍が現れなければ、あの失敗をこのような形で活かそうと考えなかったのは確かだろうが。

 

 

「そして、君には他の者にはない才能以外に隠れた力もある。それが僕には分かるんだ」

 

 

 いつかの赤屍と似たようなことを言うワルド。

 実際に赤屍にその潜在能力の一部を引き出された今、その言葉も全くの的外れでないことはルイズにも実感として分かる。

 確かにルイズも力を付け始めた。だが、その力も赤屍と比べたら自分の力など軽く吹けば飛ぶ程度のものでしかない。

 

 

「君の使い魔……ミスタ・アカバネ。彼だって只者ではない」

 

「そんなこと、嫌ってほど分かってるわ。アイツ人間辞めてるもの」

 

 

 ついつい返答がぶっきらぼうなものになってしまわずにはいられなかった。

 内心後悔しているルイズに、ワルドは首を横に振って見せた。

 

 

「違う、そういう意味じゃない。彼の左手のルーンを見て、思い出したんだ。あれは始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔ガンダールヴの印だ」

 

 

 ワルドの目が、鷹のように鋭く光る。

 

 

「……伝説の使い魔?」

 

 

 今一理解できないといった具合にルイズが聞き返す。

 

 

「そう。それは誰もが持てる使い魔ではない。つまり君はそれだけの力を持ったメイジなんだよ。ルイズ、君はきっと、偉大なメイジとなるだろう。……そう、始祖ブリミルのように歴史に名を残すような、素晴らしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」

 

 

 やけに熱がかかった口調でワルドは語り、ルイズを見つめる。

 真面目な顔をして伝説の話をするワルドに、ルイズは段々ついていけなくなった。

 ブリミルが使役したとワルドは言うが、例え事実であっても、それは六千年も前の話なのだ。

 そんなものが現代に甦りましたと言われてすぐに信じ込むほど、ルイズは信心深くはなかった。

 

 

「眉唾物ね。はいそうですかと鵜呑みにできない話なのは、あなたもわかってると思うけど」

 

「僕は至って真面目だ。以前王立図書館の文献で見たんだ」

 

 

 間断無く断言してきたワルドに、ルイズは言葉に窮する形となった。

 気圧された、と言ってもよいだろう。それくらい、今のワルドは野心に満ちた目をしていた。

 

 

「確かにアイツが凄いのは認めるけど…。でも、それはただ単にアイツが凄いのであって、アイツが『ガンダールヴ』だから、って訳じゃないんじゃないの?」

 

 

 間違いなく、赤屍の強さは『伝説』とは無関係だ。

 赤屍が伝説の使い魔? 何を馬鹿な。あの男がたかが伝説程度で済むものか。

 仮に6000年前のガンダールヴが当時の強さのままで蘇ったとしても、赤屍には絶対に勝てないという確信がルイズにはある。

 今はルイズの使い魔という立場に甘んじてはいるものの、本来ならば他の誰かに付き従うような相手ではない。

 

 

 ――もしも貴女がそこまで強くなれたら、その時は是非、私と戦ってください――

 

 

 主人であるルイズですら、ある意味で自分の命を狙われているのだ。

 はっきり言って、あの男を『使い魔』として使いこなしたり、利用したりすることは他の誰にも不可能。

 だから、ルイズはワルドにも念を押して忠告しておくことにする。

 

 

「ワルド、くれぐれもアイツに迂闊なことしないでね? アイツだけはホントに手に負えないから…」

 

 

 だが、そのルイズの言葉に、ワルドは我が意を得たりとばかりに微笑んだ。

 

 

「キミが心配するような無茶はしないさ。けど、僕は確かめたいんだ。この目でね」

 



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