東京メリー (雨守学)
しおりを挟む

神保町の少女

東京駅は閑散としていた。

そうでなくても静かなこのカフェには、今時タブレットを操るマスターと、いつもの少女、そして、ぼんやりと外を眺める私しかいなかった。

いつもの少女は、やはりいつものように何かを書き終えると、急いで店を出るのだった。

彼女は何をいつも急いでいるのだろうか。

窓の外では、大きな道路を占領するかのように、猫が寝転んでいた。

猫が寝転ぶ。

我ながら出来のいいギャグだ。

 

カフェを出ると、足は自然と神田の方へと向いた。

「電車を使おうかしら」

そんな独り言を零すのは、なんとなく久々に、自分の声を聞きたかったからなのかもしれない。

東京に来てから数ヶ月。

新しい環境になれないせいもあって、私は未だに一人だ。

連絡を取る相手もいないし、時折テレビに向かって独り言を零したり、コンビニのお箸を断る時位しか自分の声を聞く事はない。

後は、「あの世界」に迷い込んだ時に喋るくらいだ。

 

結局電車に乗り、神田を目指した。

一駅分でも、貸しきり状態の車両なので、席に座る。

昔は東京駅も栄えていたと聞く。

電車の乗車率は100%を超え、駅員が人を電車に押し込めるのが伝統だったらしい。

「100%って、どれくらいの人数の時をいうのかしら?」

 

おかしい。

乗車してから10分以上が経過している。

電車は走り続け、見知らぬ風景が車窓から望める。

乗る電車を間違えたとか、そういう次元ではない。

懐中時計は丁度、正午を指しているのに、空の色はまるで夕方のように赤く染まっている。

「嗚呼、また迷い込んだのね」

そんな事を、また呟いた。

 

「神保町、神保町」

何故か神田ではなく、神保町に着いた。

しかし、私の知る神保町は、そこにはない。

見えるのは、禍々しいお屋敷だけ。

辺りは霧に包まれていて、電車の光を乱反射させていた。

「行かないと帰れないわよね」

この世界を創った誰かさんにそう言いながら、私は屋敷の扉に手をかけた。

 

屋敷は暗く、じめじめしていた。

その環境に似合わず、圧倒するのは、何メートルもの高さ・長さを誇る本棚。

こんなところで本を管理するなんて、このお屋敷の主はガサツな性格なのだろうか。

それにしては、本もきちんと整頓されていて、埃は一つもない。

とにかく奇妙だ。

「ここは図書館ではないわよ」

細く、けだるい声でそう言ったのは、パジャマを着た髪の長い少女だった。

「貴女がここの主?」

こういう時の私は冷静だ。

いや、そうでなければならない。

そうでなければ、この世界に飲み込まれてしまいそうだった。

「主…かどうかはといえば違うけど、まぁそういうことでいいと思うわ」

少女は咳を二つすると、ゆっくりと椅子に座った。

「私はパチュリー・ノーレッジ。貴女の名前を聞かせてちょうだい」

「私はメリー」

名前と言うのは、人を支配する力がある。

この世界に迷う時、必ず、そこにいる相手は私の名前を聞いてくる。

マエリベリー・ハーンという名を隠したのは、やはり飲み込まれない為だった。

「メリー、貴女は知っているかしら?神保町は昔、本の街だったのよ」

「えぇ、知っているわ。でも今は、スポーツの街だわ」

少女はムスッとした表情を見せた。

「私、スポーツが嫌いなの。喘息を持ってるし、何より不健康だわ」

スポーツが不健康…また新しいフレーズだ。

「私もスポーツは嫌いだけど、不健康っていうのは?」

「わざわざ体力を消耗し、精神を削るのが不健康と言っているのよ。体力を消耗せず、精神を安定させる本こそ、健康的だと思わない?」

「そうかもね。でも、本には健康の為にスポーツをやれと書いてあるけど。それって矛盾していないかしら?」

「むきゅー」

なにやら機嫌の悪そうな声を出し、少女はそのまま黙り込んでしまった。

「それより、貴女は知らない?私の元いた世界に帰る方法」

「さぁ、忘れてしまったわ。この何処かにその方法が書いてある本があったような気がするけど」

少女は目も合わせず、意地悪をするようにそう吐いた。

しまった。

機嫌を損ねる事を言うんじゃなかった。

しかし、彼女の言った事は本当だろう。

このどこかにその本があるはずだ。

この何万とある本の中の何処かに…。

 

一冊一冊をパラパラと捲って行く。

表紙や背表紙、そして中身、全て知らない言語で書かれているため、根気よく探していかなければならない。

この世界はいつも、私を簡単には帰してくれない。

こうやって、いつも苦労をさせられる。

「はぁ…」

山積みになった本の上に座る。

生涯、人は何冊の本を読むのだろう。

先ほどの少女は、この本全てを読んだのだろうか?

だとしたら、彼女は魔女か何かに違いない。

今回ばかりはお手上げ。

このまま帰れずに終わるのだろうか。

東京に来てから、ずっとこんな目にあっている。

どうせなら近代的な京都に行くんだった。

私みたいな外人は、やはり古い日本を楽しみたいという気がある。

東京はまさにそれだった。

こんな事がなければ、好きな所なんだけど。

色んな事が頭を駆け巡り、なんだか疲れて、本棚によりかかった。

目を瞑り、このまま眠ってしまおうかと思った時、本の崩れる音と、少女の叫び声が聞こえた。

 

少女の元へ駆けつけると、そこには本の山が出来ていた。

山の中から、咳こむ声が聞こえる。

「大丈夫?」

意地悪な声で、そう声をかけた。

「助けて…」

精一杯絞り込んだのだろう声が聞こえた。

「どうしましょう。そうね、帰る方法が書いてる本を探してくれたら、助けてあげるわ」

「探す、探すから、助けて」

 

少女を抱え、椅子に座らせた。

「スポーツやった方が良かったかもね」

しばらく、少女の呼吸が安定するまで待った。

 

しばらくすると、落ち着いたようで、私に感謝する前に愚痴を吐き出した。

「なんなのよあの女。帰る方法の本を探すとかいって、本棚をひっくり返したのよ。信じられないわ」

「帰る方法の本を探していた女って、私以外にもこの世界に迷い込んだ人がいるの?」

「えぇ、でも、もう帰ったみたいね」

驚いた。

私だけじゃなかったのか。

もしかして、東京にありがちな事なのだろうか。

「約束の本。その女が開いていたようね。ほら、そこに」

私は少女の指す本を手に取った。

「もうここには来ないで頂戴。私は一人で静かに本を読んでいたいの。もうあんなのごめんだわ」

 

神保町の駅には電車が止まっていたが、線路が消えていた。

私はさっきの本に挟まっていた乗車券を出した。

「大人一人」

それが合言葉だった。

乗車券は、シュルシュルと線状に解体されると、線路の形をつくり、何処までも伸びて行った。

発車のチャイムが響き渡る。

急いで電車に乗り込むと、一番端の席に座り、誰もいないのに身を縮めた。

 

「神田、神田」

電車は何事もなかったかのように神田駅で停まった。

電車を降りると、私の知っている風景がそこに広がっていた。

「帰ってこれたのね」

 

神田は、お一人様ブームと言うのがあってから、一人で遊べる街として有名になった。

「今日はお一人様サッカーでもしようかしら?」

こんな事を呟けるのも、この街にいるからだろう。

「たまにはスポーツもしないとね」

そう自分に言い聞かせ、お一人様スポーツクラブへと向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

合羽橋の河童

いつものように、東京駅のカフェでぼんやりしていた。

今日はいつもと違い、少女がいなかった。

なんとなく気がかりだったが、わざわざマスターに聞くのも気が引ける。

ふと、窓際を見ると、小さいビールの食玩が飾ってあった。

ジョッキに入ったビールは、まるで本物がそのまま小さくなったかのような、とても作りのいいものだった。

そうだ、今日は合羽橋に行こう。

あそこはまだ行った事がない。

何でも、作り物で出来た街だと聞く。

家も、店、人に至るまで、全てが作り物の街。

何一つ、本物が無い街。

変えて言うなら、偽物の街。

 

「浅草、浅草」

この前の神田みたいにならないか、正直ドキドキしたけど、何とか無事に浅草へと着いた。

ここからは歩き…なはずだけど、この前のお一人様サッカーの筋肉痛がまだ癒えない。

なんであんなにはしゃいだのだろうか。

何か乗り物はないかと辺りを見ると、一台の人力車が客待ちをしていた。

しめた。

「合羽橋までお願いします」

人力車の男は、笠を深く被っているせいか、表情が見えなかった。

そして、声も出さずに頷くだけだった。

 

浅草は外人が多くなった為に、日本文化というよりは、アメリカンな方向へとシフトして行った。

いたるところにハンバーガー屋が並んでおり、時折ケバブ屋がそこに加わった。

雷門の提燈も「Kaminari-gate」と英語で書かれていた。

 

人力車はどんどん加速して行った。

本当に人間の力かと、疑うほどに。

向かい風で、一旦視界を奪われ、また目を開ける頃、人力車が止まっている事に気がついた。

鼻は、水の匂いを。

耳は、水の音を。

そして目は、水色のレインコートを着た少女を見た。

「嗚呼、またなのね」

いつのまにか人力車の男はいなくなっていた。

 

人力車を降りると、少女は近づき、やはりこう尋ねた。

「私は河城にとり。君の名前はなんていうの?」

私もいつものように。

「私はメリー」

と、偽名で答えた。

「メリーだね。よろしくメリー」

少女は私の手を強引に掴み、そして、力強く握った。

なんて力だろう。

小柄な少女からは、想像もできない力だ。

「人間と我々河童は盟友だ。こっちにおいでよ。私の発明を見せてあげよう」

なるほど、彼女は河童だったのか。

力も強いわけだ。

そんな少女に引っ張られ、薄暗い洞窟へと入って行った。

 

中はひんやりして気持ちが良かった。

「クーラーが効いてるんだ。気持ちが良いだろう」

「河童でも自然の力には頼らないのね。クーラーがなくても涼しそうなものだけど」

「最近は温暖化も進んでるしね。人間と同じで、クーラー無しじゃいきていけんのよ」

「河童も大変なのね」

少女は私を座らせると、なにやら鉄の箱を持って来た。

「これ、ここを回すと…」

鉄の箱から、風の吹く音が流れた。

「どう?まるでクーラーの風が、自然の風のように感じるだろう?」

「感じなくはないけど。それが貴女の発明なの?」

「そうさ」

なんてくだらない発明だろう。

河童の技術とは、この程度なのか。

「盟友にとって、これはとてもくだらない発明に見えるかもね」

私は心を読まれたかと、ぎくりとした。

「でもね、我々は人間を超越した生き物なのだよ。故に、人間より繊細な心を持っている。そしてそれは、精神的な弱さにも繋がる」

「どういうことかしら?」

「そのままさ。人間は目覚ましの音で驚き、死んでしまうことがあるそうじゃないか。我々河童は、それが普通なのさ」

「臆病なだけじゃなくて?」

「そうじゃない。精神が発達しすぎているのだよ。毎年、クーラーで死ぬ河童は数万人いてね。社会問題にもなった。これはそれを解消した、素晴らしい発明なんだよ」

「クーラーで死ぬって?」

「言っただろう?精神が発達し過ぎた結果なんだ。河童は元々自然の生き物。クーラーのような不自然な風を浴び続けたら、自然の風が恋しくなって、精神が病み、死んでしまうんだ」

「だったら、クーラーを止めればいいんじゃない?」

少女は照れるようにして頭を掻いた。

「我々河童は、人間が大好きなんだ。涼しさより、人間の真似でクーラーを使う河童が多くてねぇ。人間の真似に依存した河童は、クーラーを手放す事が出来ないんだ。クーラーを手放してしまっては、それこそ精神が病み、死んでしまうのさ」

 

しばらく、少女の自慢の発明を見ていた。

中々興味深い物ばかりではあったが、その興味こそ、この世界が私を飲み込む要因となるに違いなかった。

「ねえ、貴女は、私が元の世界に戻れる方法を知っている?」

「知ってるけど、言いたくない」

少女はむっとした表情を見せた。

「何故?」

「盟友だから。離れたくないから。今日で二度目のお別れは、流石の私でも、精神が病む」

「二度目?」

「今朝早くに、盟友と同じ世界から来た女の子とも、お別れしたのさ」

まただ。

やはり東京では、この世界に迷い込む事は、良くあることなのだろう。

「その女の子は、どうやって?」

「秘密」

少女はどうしても、私を帰したくないらしい。

どうしたものか。

ふと横を見ると、裁縫セットが転がっていた。

そうだ。

河童は精神が発達している。

だとしたら、もしかしたらいけるかもしれない。

私は裁縫セットを勝手に手に取り、縫い物を始めた。

 

縫っている間、少女は何も言わず、ただその行方を見守っていた。

「出来たわ」

「それは?」

少女が見ても分からない程、酷い出来なのは自分でも分かる。

「これは私」

「盟友?これがかい?」

「そうよ。私、裁縫は苦手なのだけど、貴女の為に頑張ってみたわ」

裁縫は苦手、貴女の為に頑張った。

その言葉は、精神の発達しすぎた河童の心に刺さった様で、少女はぽろぽろと涙を流し始めた。

「これを私の為に?苦手なのに?頑張ったのかい?私の…為に?」

少女は涙混じりに、何度も何度も質問して来た。

私はそれに、優しく、そうだと答え続けた。

 

やがて、少女は泣き止んだ。

「貴女は大切な友達。でも、私は元の世界に帰らなきゃいけないの。だから、それにいっぱい貴女を思う気持ちを込めておいたわ。それがあれば、離れていても、お別れにはならないわ。私の気持ちは、ずっと貴女の傍にあるのだもの」

我ながらクサイ台詞を吐いた。

だが、それは少女にまた、多大なる感動を齎した。

「ありがとう盟友。そうだね。これがあれば、私は大丈夫。盟友にも生きる場所は必要だもんね。分かったよ。帰る方法を教えるよ」

少女は大事そうに、人形を抱いた。

 

洞窟の外には、やはり人力車しかなかった。

少女は、草を一枚毟り取ると、草笛を鳴らした。

すると、先ほどの男が、霧の中から現れ、人力車の前で立ち止まった。

「この男は鬼なんだ。力が強くて、人力車のスピードは、最高で100km/hも出るんだ」

そんなに出ても困る。

「ありがとう、盟友。私はこの日を一生忘れない。私達は、ずっと一緒だよ」

人力車に乗ると、別れを惜しむ暇もなく、すぐに走り出した。

「なるほど、鬼、ね」

後ろを振り向くと、段々と、少女が、より小さくなって行くのが見えた。

私は少し、なんとなく、寂しいと思った。

 

合羽橋では、作り物とは思えない程、精密に出来た、たくさんのマネキン人形が、街を占めていた。

人力車を降り、お金を払おうと振り向くと、もうそこには何もなかった。

 

店には、今にも匂ってきそうなスパゲティーの食玩が売っていた。

私はこういう時、感動するものだと思っていたけど、それに反して眉を顰めていた。

私はそっと、本物の人間がいないか、周りを見渡した。

そして、

「本物そっくりより、ちょっと似てないものこそ「本物の作り物」よ。心が篭ってないわ、心が」

と、一人で呟いた。

 

帰り道。

今にも潰れそうな土産屋を覗いてみた。

中には、今にも逝きそうなお婆さんが、首をユラユラ揺らし、店番をしていた。

商品の中に、河童のキーホルダーを見つけた。

「私の知っている河童より不細工ね」

どうせ聞こえないだろうお婆さんを尻目に、そんな事を言ってみる。

「でも、好きだわ。河童はやっぱりこうでなくっちゃね」

そう言って、私は河童のキーホルダーをお婆さんの元へと持って行った。

「これ、くださいな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人形町の人形師

今日はカフェには行かなかった。

どこに行くかは、もう決まっていたからだ。

 

人形町。

人形焼、からくり時計で有名な街。

昔からその姿を変えていない、東京でも珍しい街だ。

古き日本という趣は、やはり外人である私の心をがっちりと掴んだ。

「人形焼も、たくさんあるのね」

そんな、はしゃいだ事を口に出した。

 

人形焼は、昔ながらの餡子やカステラ以外にも、メロンクリームやらチョコレートやらがあった。

私はこういう時、やっぱり餡子を食べるべきなんだろうけど、残念ながら餡子は苦手。

クリーム系を食べたかったけど、ここはあえてカステラにする。

そうよ。

私は外人らしく、日本人を演じていればいいんだわ。

 

街には至る所にからくり時計が設置されている。

今の時間は12時58分。

13時丁度になると、からくり時計が動き出すらしい。

私はじっと、時計の針の行方を、人形焼をつまみながら見ていた。

「後少しかな」

私の隣でそう呟いたのは、一人の少女だった。

彼女も、おそらく、からくり時計が動くのを待っているのだろう。

私と同じ位の女の子。

ちらりと見えたその顔、どこかで見覚えがあった。

カフェの少女だ。

 

時計はもうすぐ、13時を知らせる。

私は彼女が気になってしょうがなかった。

彼女は私に気がつかないのだろうか。

声をかけたほうがいいのだろうか。

いや、そもそも、人違いかも知れない。

少しでも知っている人間とこういう場所で会うと、どうしても気になってしまう。

まぁ、だからと言って、何をするわけでもないのだけれど。

私は少女を気にしながら、からくり時計の作動を待った。

 

13時。

からくり時計からメロディーが流れる。

はずだった。

からくり時計は、扉のように身を開き、とてつもない吸引力で私を飲み込んだ。

横の少女も一緒に。

 

目を開けると、そこは森の中で、木漏れ日の中に一軒の家が見えるだけだった。

「嗚呼、またなのね」

いつもの台詞を吐くと、それに返事をする者がいた。

「また?貴女、いつも幻想郷に迷い込んでいるの?」

私は驚いて、後ろを振り向いた。

「貴女、カフェにいた子でしょ?知ってる。あそこに来るの、私と貴女だけだからさ」

初めてだ。

この世界で、私と同じ世界の住人と会うのは。

「え…あ…」

久しぶりに人間と会話する。

最近した会話は「レシートいりません」だったっけ。

「大丈夫?あー…日本語…駄目?」

「あー…だ、大丈夫…日本語…オーケー…」

何で人間との会話だとこうも駄目なんだろう。

それより、彼女は私を知っていたんだ。

じゃあ、さっきなんで声をかけなかったんだろう。

「ねぇ、貴女も幻想郷を知っているの?」

「幻想郷?」

「そ、幻想郷。私はそう呼んでるよ。この世界を」

幻想郷…か。

なるほど。

「…えぇ、幻想郷…よく迷うわ…」

「へぇ、迷うんだ。私は幻想郷の入り口を探してるんだ」

わざわざこの世界に迷い込みに行っているわけか。

物好きというか、怖いもの知らずというか。

「私は…あー…蓮見ウサ子…っていうんだ」

蓮見ウサ子?

明らかに偽名だ。

彼女も知っている。

この世界での、するべき事を。

「私はメリー」

「メリー?ふーん…メリーね…」

彼女もそれを悟ったらしく、それ以上続けなかった。

「さてと…メリーさん?この世界でのルールは知ってるよね?」

「ルールかどうかは知らないけど…帰る方法を見つける…ってことよね…?」

何とか舌が回ってきた。

「そう。んじゃ…あの怪しい家に行きますか」

 

「下がってて。私がノックする」

へぇ、心強い。

わざわざこの世界に来るだけの度胸があるわけだ。

彼女が扉をノックすると、しばらくした後、静かに扉が開いた。

「どちらさま?」

金髪の、人形のように美しい女性が、私達を出迎えた。

 

「紅茶で良かったかしら?」

私達を席に座らせると、女性は紅茶を淹れ始めた。

「私はアリス・マーガトロイド。皆はアリスって呼んでるわ。あなた達は?」

アリス…。

なるほど、あのアリスと言われれば、確かにそんな感じだ。

「私は連見ウサ子。彼女はメリーよ」

何故か私の紹介までしだした。

まぁ、助かるけど。

「ウサ子にメリーね。よろしく」

金髪の少女アリス。

彼女の声、瞳、性格、オーラ。

全てが完璧で、近くにいるだけで吸い込まれそうになる。

紅茶も美味しい。

「人形…手作り?」

彼女から気をそらす為、部屋に飾ってある大量の人形に話題をふった。

「えぇ、得意なのよ。魔法で人形を操って、身の周りの家事とかやってもらってるの」

「でも、操っているのは貴女でしょう?」

「意思を持つ人形も存在するわ。意思を持たせるには、人形に「自分は意思を持っている」と思い込ませる事が重要なの」

「なるほどね。つまり、アリスさんは意思を持つ人形が欲しい…ってわけでしょ?」

ウサ子が急に話に混じってきたとき、私は少し驚いてしまった。

そうか、ウサ子もいたのだった。

今まで、そんな事はなかったし、なんだか新鮮だ。

「そうよ」

金髪の少女は、また、吸い込まれそうになるような、輝く笑顔を見せた。

「魔法で何とかならないのかね。この前の魔女も、本に埋もれても、魔法を使わなかったし」

本に埋もれた魔女?

「それって…神保町の?」

驚いて聞き返す。

「うん。知ってるんだ」

と言う事は、彼女が、本棚をひっくり返したという。

「もしかして、パチュリーに会ったの?」

「あー…確かそんな名前だったっけ?」

「そう。彼女は私と同じ魔女仲間なのよ」

「同じ魔女でも、随分と雰囲気が違うようね」

「今は人間と同じで、色んな魔女がいるのよ。昔みたいな、よく分からない壷を掻き混ぜてる魔女なんて、もういないわ。あんなの何処から湧いたのやら。今は魔法も進歩してるから、赤子でも魔法が使えちゃうしね。お婆さんが魔女っていうのは、都市伝説みたいなものよ。そもそも、老けない魔法を使うしね」

 

それから、私達はお茶会の如く、中身の無い会話を繰り返していた。

ボーン。

大きな時計が、16時を知らせた。

随分と話し込んでしまったらしい。

「あら、もうこんな時間。今日は泊まって行く?」

私は、ちょっといいかも、なんて思ってしまった。

それほどに、ここは心地よい。

「そうしたいのは山々なんだけど、私も彼女も、帰る世界があるんだよね」

ウサ子の言葉で、私は我に返った。

本当、頼もしい女だ。

「そう。残念ね」

「さて、アリスさん。私達が帰る方法…教えてくれるよね?」

「えぇ、もちろんよ」

彼女は驚くほどあっさりしていた。

ウサ子もそれに驚いた様子で、口を半開きさせていた。

「私は皆と違って、あなた達を縛ったりしないわ。元々、私は一人が好きだし。こうして、たまにの一日だけ、誰かとお話できるだけでいいし」

「でも、さっき泊まって行くって聞いたわよね?」

ちょっと意地悪な質問だったか。

でも、早々簡単に帰してくれるなんて、明らかにおかしい。

警戒した方がいいだろう。

「社交辞令よ。あなた達も、もう何百年も生きれば分かるわ」

むしろ、もう何百年も生きないと分からないことなのだろうか。

「分かった。アリスさんを信じよう。それで、どうやって元の世界に帰れるの?」

ウサ子も、驚くほどあっさり彼女を信じたものだ。

「簡単よ。その扉から出ればいいだけ」

その扉は、私達が入ってきた扉だった。

「楽しかったわ。また、ここに来たら、今度はお菓子の一つでもごちそうするわね」

そうして、また、あの笑顔を見せた。

 

扉を出ると、すっかり暗くなった人形町に出た。

後ろを振り向くと、そこにはからくり時計が佇んでいて、通ったはずの扉は、もう無かった。

「メリーさん」

私は、その名前を呼ばれ、一瞬、まだあの世界にいると錯覚した。

ウサ子は、そんな私の錯覚など気にもせず、ペラペラと話を続けた。

「改めて、自己紹介させて。私は宇佐見蓮子。蓮子って呼んでいいわ」

「マエリベリー・ハーンよ」

「マエリベリ…」

ウサ子、いや、蓮子は少し考えた後、考えるのを止めた顔をした。

「メリーでいいね」

 

駅までの道、蓮子から質問責めを受けた。

どうやって幻想郷を知ったのか。

今まで、誰にあったのか。

その他、諸々。

「まさか私以外に、幻想郷を知ってる人間がいるとは思って無かったよ。それに、歳も同じなんてね」

蓮子は生まれも育ちも東京の江戸っ子らしい。

幻想郷の存在は最近知ったらしく、幻想郷が現れる条件に気がついたらしく、それを日々、追っているらしかった。

「私はこっちだから、またね、メリー」

そういうと、早々と去って行った。

 

アパートに着くと、ゴミ捨て場に大きな人形が捨てられているのに気がついた。

「人形が意思を持つなら、人形を捨てた人間は、罪なのかしら」

最近、周りに誰もいない事を確認してから喋る癖がついた。

「あなたはどう思うの?」

人形は喋らない。

だが、それが当然な事とは、不思議と思わなかった。

「こんにちは、私メリーちゃん。よろしくね」

急に人形が喋りだした。

私は、ついに人形が意思を持ったと、驚いた。

しかし、隣に転がっていた、容量が無いであろう乾電池を見て、私は赤面した。

「人形じゃなくて、機械だったのね」

 

今日はなんだか、充実した日だった気がする。

「宇佐見蓮子か」

自然と、彼女の名前をつぶやいた。

私は、彼女とまたカフェで会ったときに、声をかけるべきかどうかを悩んでいた。

挨拶くらいはいいかもしれない、とか、相手が話しかけるまで待とう、とか、とにかく、色んな事を考えた。

そして、部屋に一人で、誰かに聞こえるわけでも無いのに、息を吐くくらい小さな声で、こう零した。

「友達…かぁ…」

 

窓の外からは、またあの人形の自己紹介が聞こえた。

それと同時に、酔っ払いであろう男性が、呂律の回らない声で、律儀に自分の自己紹介をしているのも聞こえた。

「機械にも意思は宿るのかしら?」

疑問系でつぶやいたそれは、あのカフェで喋る為の、予行練習によるものだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巣鴨の吸血鬼

カフェの扉は、いつもより重く感じた。

入るのをやめようかとも考えた。

宇佐見蓮子。

なんとなく、彼女と会うのが恥ずかしかった。

東京で初めて出来た知り合い。

心の中で、友達になれたら、なんて考えていた。

でも、どうすればいいのかが分からない。

気軽に話しかける?

でも、他人行儀で答えられたら…。

そもそも、一回会っただけの相手に、いきなり話し掛けられたら、ひかれるかも知れない。

色んな事が頭を駆け巡った。

そして、辿り着いたのは、失敗しても、どうせまた一人になるだけだ、という事だった。

 

カフェの扉についている鐘の音を、待ち侘びたと言わんばかりにかき消したのは、宇佐見蓮子だった。

「メリー!遅いよ!こっちこっち!」

カフェは色んな物でごった返しているはずなのに、彼女の声は、何処にも吸収されずに、そのまま反響しているかのようだった。

マスターは眉一つ動かさず、いつものようにタブレットを操作している。

うるさいわね。

なんて、言ってみたかったが、そんな勇気が私には無い。

ただただ、彼女のいう通り、彼女の向かい席に座るだけだった。

「ずっと待ってたんだよメリー!なんでここ数日来なかったのさ!」

「え…大学が…あったから…」

意外な質問だった。

何で来なかった?

ずっと私を待っていた?

その全てが、予想外だった。

私は、もっと、マイナスというか、そんな予想だったのに。

「大学?どこ?」

「東京大学…」

「うっそ!一緒じゃん!なんだよ~」

 

しばらく、私達はお互いの事を話した。

最初は戸惑ったけど、蓮子が私を強引に引っ張ってくれたお陰で、平生を取り戻していった。

「なるほどね。メリーの事、よく分かったよ」

「そんな事知ってどうするの?」

言った後、しまった、と思った。

自分でも分かる。

今のは棘のある一言だと。

そんな事知ってどうする?

意味があるから聞いているのに、まるで「無意味な質問」と言っているようなものだ。

そういうつもりはないのだけど。

嗚呼、何故私は、こうも言葉を選べないんだろう。

涼しい店内な筈なのに、急に顔が熱くなり、手の中には、じんわりとした汗があった。

それを、より一層強く握った。

「知るさ!だって、メリーは私の友達になるんだからね。友達の事を知っていない友達なんていないよ」

「と、友達?」

「あ~…フレンド!フレンドだよ」

この時、私は知った。

宇佐見蓮子という女は、私の予想を超えて行く存在なのだと。

…いや、或いは、私の思想が日本人と違うからなのかもしれないけど。

「…メリーは嫌?私と友達になるの」

マスターがタブレットを操る手を止めた。

私も、その時だけ、息をするのを忘れた。

友達になるならないというより、急に彼女が弱々しくなった事に、驚いていた。

うつむき、下唇を噛んでいる。

誰がどう見ても、落ち込んでいた。

「嫌ではないけど…」

「本当?やったー!じゃあ、連絡先教えてね」

気のせいだったのかもしれない。

 

机の上に大きく広げたのは、東京の地図だった。

「今日はここに幻想郷が現れる」

「巣鴨?でも、何故分かるの?」

「ふふふ。これさ」

そう言うと、一本の鉛筆を取り出した。

「これを、こう!」

鉛筆を少し高い位置から落とすと、いい音を鳴らしながら、芯が、ある場所を指した。

「巣鴨…」

「何度やっても同じ結果が出るんだよね。不思議でしょ?」

「幻想郷が現れる条件って、これ?」

「そうだよ」

条件でも何でもない。

しかし、蓮子はこれで何度も幻想郷を見つけている。

不思議だ。

まるで、最初から決まっていたような。

言うならば、運命。

「私はこうして見つけてきたけど、メリーは相当、運がいいよね」

私からしてみれば、運は悪い方なのだけど。

「よし、それじゃあさ、巣鴨に行こうよ」

「え?私も行くの?」

正直、あの世界は好かない。

私を飲み込もうとする、あの世界。

「友達でしょ?二人で行けば怖くないしね」

友達がそういうものなら、今後は苦労しそうだ。

けど、そう言われちゃうと、なんだか断れない。

「ほら、行こう?」

蓮子は強引に私の手を引っ張り、席を立った。

 

電車の中、蓮子はずっと、途絶えなく話をしていた。

「ねえねえ、折角友達になったんだしさ、これからは大学でも一緒にお昼食べたりしようよ。メリーはお弁当派?学食派?」

「お弁当派…かしら。お昼なんて、普段は食べないわ」

「駄目だよ食べないと!これからの活動は体力勝負だからさ」

「活動って?」

「幻想郷を巡る活動だよ」

定例化するつもりなのか。

私も蓮子と同じで、わざわざあの世界に足を踏み入れる事になるのか。

でも、なんだか嬉しかった。

彼女は強引だけど、私はそうでもされない限り、こうして彼女といる事は出来なかっただろう。

友達。

日本での、初めての友達。

私は、少し、浮かれていた。

 

豊島区、巣鴨。

昔は老人の街として栄えたこの場所。

そこに目をつけたのは、ギャンブル業界だった。

老後、やる事のなくなった老人達は、悉くギャンブルにはまっていった。

そうして行くうちに、いつの間にか巣鴨は、ラスベガスも驚くほどのギャンブルの街として栄えた。

 

「カジノなどもあるのね」

「巣鴨は初めてだっけ?」

「えぇ、危ない街だと思って、近づかなかったのよ」

裏カジノなどもあると聞く。

確かに、街を見渡すと、マフィアのような人達や、高そうな車がずらりと並んでいる。

老人の面影は、一つもない。

「さて、何処に入り口があるのやら」

「いつもはどうしているの?」

「勘だよ、勘。それっぽいのがあったら、そこに行くのさ」

勘。

彼女らしい、と思った。

「むむむ、電撃が走ったよ。このカジノが怪しいね」

そのカジノの前には、黒服の、厳つい黒人が立っていた。

「あれって、私達が入っていいようなところじゃないんじゃないかしら」

「大丈夫でしょ。さ、行くよ」

心強くはあるけど、危ない感じもする。

まあ、彼女が失敗したら、私は他人の振りをしよう。

…ちょっと酷いかしら?

 

「ヘイヘイ、ナイスガイ。カジノ、オーケー?」

私は少し、蓮子から距離を置いた。

「NO」

黒服の男は、短く、そして、突き放す様にそういった。

「ダイジョウブよ。ほら、マネーあるある。冷かしノー」

そう言うと、蓮子は札束を取り出した。

私も、男も、それに驚き、固まった。

「オーケー?」

「NO」

だが、男の答えは変わらない。

簡単にはいかなそうだ。

それより、その大金は何処から?

「チップ、チップ、オーケー?」

札束からいくらか抜き取り、男に渡した。

買収か。

こんなに警備の堅いカジノ。

そんなことで通るわけがない。

「OK」

 

「あの大金はどこから出てきたのよ」

「バイトして貯めたんだ。私の全財産がこれ。あいつら、ちょっと金見せれば、イチコロだと思って」

全く、心強い。

策略家なのか、ただの怖いもの知らずなのか。

「まあ、何はともあれ、入ってみようよ」

扉に手をかけた時、嫌な予感がした。

この先に、あの世界がある。

なんとなく、そんな気がした。

嫌な予感、か。

これから、あの世界をわざわざ探そうと言うのに、嫌な予感とは。

やはり、浮かれていても、嫌なものは嫌なのだ。

躊躇していると、蓮子が後ろから扉を押した。

 

扉の先には、カジノが広がっているはずだった。

しかし、そこには、大きな広間に、大きな椅子。

そして、そこに座る少女がいた。

「どうやら、アタリのようだね」

私はハズレと言いたい。

「ようこそ。メリーにウサ子」

驚いた。

少女は、最初から私達の名前を知っている。

「私はレミリア・スカーレット。パチェがお世話になったわね」

「パチェ?」

「パチュリーの事よ」

あの魔女と知り合いなのか。

確かに、なんとなく服装が似ている気がする。

「メリーにウサ子。あなた達がここに来たのは、運命によるものなのよ」

「運命ねえ」

蓮子は、信じられない、と言うような声を出した。

「私はあなた達が来るのを知っていた。運命によって、そう決まっていたのだから」

「そして、ここから出る事も、運命で決まってるって?」

「フフフ、どうだったかな」

少女は不敵な笑みを浮かべた。

「それで、何がお望みなのかしら?どうしたら私達を帰してくれるの?」

「お前達の血よ」

少女がニタリと笑うと、鋭い犬歯が光った。

「吸血鬼なの?」

「そうよ。だから、あなた達の血をいただく」

あまりにもリスクがでか過ぎる。

しかし、それしか帰る方法がないなら…。

「なんてね。冗談よ。これから私とゲームをしてもらう。それに勝ったら、帰してやるわ」

「ゲーム?」

「これよ」

少女は、隣にある布のかかった台を指した。

布を剥ぐと、カジノのルーレットがあった。

「3回勝負よ。3回の内、指定した数字、または色が合えば、それでポイントする。合計のポイントが高いほうが勝ち。簡単でしょう?指定した数字が合えば3ポイント、色だけが合えば1ポイント。そして、0または00を指定して当たれば10ポイント」

「なるほどね」

「それで、もし私達が負けたらどうなるの?」

「その時は、私の奴隷になってもらう。一生ね」

一生、奴隷…。

「どうするの蓮…ウサ子。負けたら終わりよ?」

「大丈夫でしょ。負けないよ、多分。受けるわ!その勝負!」

蓮子は勝手に承諾してしまった。

負ければ一生、奴隷。

だけど、どうせ、受けなければ出られない。

「フフフ、それじゃあ始めましょう。運命のゲームをね」

私は、もしもの時のために、奴隷とはどんな事をするのかを考えていた。

 

「まずは私から。そうね、赤の1にしようかしら?」

そう言うと、少女は、回っているルーレットに玉を投げた。

玉はしばらくルーレットの淵を周回し、重力に逆らえなくなった頃に、数字の書かれた盤面へ、カラコロ音を鳴らしながら、転がり始めた。

「頼む!外れて!」

そう言いながら、蓮子は目を瞑り祈り始めた。

私はイカサマがないか、少女と玉の行方を交互に見ていた。

やがて、玉は止まり、ルーレットも回転を弱めていった。

「あ」

数字が確認出来た。

その数字は…。

「フフフ、どうやら運命は、私を勝たせる方に向かっているようね」

1だった。

私は青ざめた。

馬鹿な。

「これで私は3ポイント。さて、次はあなた達の番よ」

「ふ、ふん!まだ始まったばかりよ!私達も3ポイント取るよ!メリー!」

「そ、そうね…」

私は既に、なんだか負ける気がしてならなかった。

 

玉が走る。

私達が選んだのは、赤の7。

「頼む!当たって!」

さっきとは逆の事を言いながら、蓮子は、また同じく目を瞑り祈った。

私もさっきと同じく、じっと玉の行方を見守っていた。

部屋はとても大きいくせに、ルーレットの回る音と、玉の転がる音だけしか聞こえなかった。

集中しているからというのもあるけれど。

カラコロ。

玉が指したのは、黒の2だった。

 

第2ゲーム。

私は焦っていた。

ルーレットや玉の音より、自分の心臓の音ばかりが、うるさく、私をさらに焦らせた。

蓮子は「まだ挽回できる」というような顔をし、祈る事も忘れ、玉の行方を見守っている。

カラコロ。

黒の35。

少女が指定した数字だった。

「そんな…」

「フフフ、これで確定だな。この勝負、私が勝つように、運命は出来ている!」

おかしい。

こんな事、あり得ない。

イカサマ?

それとも、本当に運命というものが、あるのだろうか。

「どうした?あなた達の番よ」

私も蓮子も、この時ばかりは、すぐに玉を投げられなかった。

そこはかとない絶望が、私達を襲った。

「赤の…」

そこまで言って、蓮子の言葉が止まる。

そして、眉の下がった、不安に襲われているのが一目で分かるくらい焦燥した顔を、私に見せた。

「メリー…何番がいいかな…?あ…赤じゃなくて…黒がいいかな…?」

強気で、怖いもの知らずの彼女は、そこになかった。

私はこの時、色や番号どころか、この勝負の事を忘れるくらい、彼女に夢中になっていた。

そんな顔もするのね。

なんだか、安心している自分がいた。

どこかで彼女を疑ってたのだ。

弱さのない彼女が、純粋であるのか、悪党であるのか。

悪党は、弱さを隠し、強者を演じ、人を虜にしていく。

そして、利用し、傷つける。

私は、傷つくのが嫌で、今まで他人と関わろうとしなかった。

そこに近づいてきた蓮子も、やはり疑っていたのだった。

 

「赤の9」

私は数字を指定し、玉を投げた。

「諦めた顔をしているわ。それもそうよね。私が勝つ運命だもの」

「まだ諦めてないわ。奴隷になんてならない。絶対帰るわ」

そう言って、蓮子を見た。

「そんな顔、貴女には似合わないわ。運命ってのがあるなら、私達側に引き寄せてやりましょう。諦めたら、寄るものも逃げて行くというもんだわ」

「メリー…。うん、そうだね。よし、全力で運命を引き寄せよう!私、親戚のところで漁を手伝った事あるから、引き寄せには自信あるし」

「うふふ」

私は、その時、初めて、心からの笑顔を、彼女に見せた。

 

玉は走り続ける。

このまま、永遠に走り続けるのではないかというほど、力強く。

だが、永遠なんてものはない。

やがて、玉は落ち、盤面を転がり始めた。

赤、黒、赤、黒。

いつ止まってもおかしくない。

「頼む!」

そう言って、蓮子は網を引くようなモーションを見せた。

それがおかしくて、また笑ってしまった。

ちょっと蓮子に目をやり、視線を戻すと、既に玉は止まっていた。

かろうじて、赤に入っているのは見える。

ルーレットの回転が弱くなるに連れ、その数字があらわになった。

「あ!」

「赤の9!赤の9よ!」

東京に来てから数ヶ月、こんなにも大きな声ではしゃいだ事はなかった。

「やった!やった!メリー!やった!」

「3ポイントよ!3ポイント!」

私と蓮子は手を合わせ、ウサギでもこんなに跳ねない、というほど跳ねた。

「やるわね。でも、これで私は6ポイント。あなた達は3ポイント。次のゲームで私が0ポイント、あなた達が3ポイントだとしても、同点になるだけよ。その場合、どちらかが勝つまで延長する事になるわ」

そうだ。

次のゲームで、もし少女が3ポイント、もしくは1ポイントでも取ろうものなら、私達は10ポイントを狙わなければならない。

それだけは避けたい。

「フフフ、中々いい勝負になってるわね。さて、私は黒の20を選ぶわ」

少女が玉を投げる。

蓮子は相変わらず、網を引いている。

私も網を引こうか悩んだが、非力なので止めた。

 

いくらなんでも、3回連続で数字を当てるのは難しい。

1回当てるだけでも、本当は苦労するものなのだ。

しかし、この世界で、確立だとか、科学だとかが通用するものなのだろうか。

科学の発展には、宗教的なものが絡んでいると、昔、考えた事がある。

私達の世界では、科学が信じられてきた。

宗教で言うところの信仰。

科学という宗教を信仰する事を選んだから、科学が発達した…という考えだ。

今は、猿が進化して人間となったと言われているが、昔は、神が人をつくったという考えが正しいとされてきた。

人はそれを、科学が発達した為に、事実が明らかになったとしている。

だが、科学の真実とは、全てが見てきたものではなく、過去の燃え尽きた焚き木を見て、そこにあった火を想像するのと同じで、真実性はないのだ。

おそらくは事実に近いものではあろう。

それを見抜いた人間によって、今の科学はここまで発展した。

もし、それを見抜けなかったら、今でも神が人をつくったというのが真実として発展して行っただろう。

故に、真実とは、科学が全てではない。

この世界も同じだ。

科学が通用するとは限らない。

魔法が使えるとか、河童がいるとか、吸血鬼がいるとか、私達から見たら無茶苦茶な世界だ。

この世界では、おそらく、科学の信仰はほとんどない。

それだけは、確かそうだ。

 

やがて、玉が止まる。

その色を見た時、私は絶望したが、さらに、追い込むように、数字は20を指していた。

「アハハ!残念ね。色どころか、数字までもが揃うなんて。これもやはり運命なのね」

眩暈がしてきた。

少女の笑う声にエコーが掛かり、私の中で何度も何度も反響した。

すがるように蓮子を見た。

私は、今にも泣き出しそうな顔をしていたと思う。

しかし、それに反して、蓮子は冷静だった。

凛とした顔で、まっすぐ、私を見た。

「まだ負けてないよ、メリー」

「で、でも…」

「大丈夫!私に任せてよ!」

この時の彼女の顔は、何よりも輝いて見え、私を慰めるには十分すぎるくらいだった。

「00を選ぶよ」

「フフフ、もう諦めたら?奴隷の練習をする時間も必要でしょう」

「奴隷にはならないよ。メリーと一緒に、元の世界に帰るから!」

そう言って、玉を投げた。

「奴隷も悪くないわよ。私は嫌だけれどね」

「私だってそうさ」

玉が走るのを見て、私は網を引いた。

 

盤面に玉が転がる。

終わりが近い。

私と蓮子は網を引き、少女はじっと、玉の行方を眺めていた。

カラコロ。

玉が止まった。

まだルーレットは回っているが、もう、そこで結果が分かった。

赤だった。

00は緑だ。

負けた。

少女はニタリと笑い、こちらを見た。

私達は、ただただ、ルーレットの回転が弱まるのを、眺めることしか出来なかった。

「あなた達の負けね。やはり、運命は私に味方しているわ」

「うぅ」

蓮子が膝から崩れて、床に伏せてしまった。

私は、まだ回っているルーレットから、目を離せずにいた。

「約束通り、奴隷になってもらうわ。大丈夫よ。すぐに慣れるから」

そう言って、鋭い犬歯を見せ、また笑った。

そんなことより、私はまだ信じられなかった。

まだ、終わっていない気がして、ルーレットが止まるのを待っていた。

コロ。

その音は、少女の耳、そして、蓮子にも聞こえていたようで、一瞬、耳鳴りがうるさいくらい、静寂に包まれた。

「何の音…」

少女はルーレットを見た。

「な!」

その表情を見た蓮子も、立ち上がり、ルーレットの中身を見た。

「え!」

玉は、数字の00に入っていた。

「馬鹿な。さっき見た時は赤だったはず!」

そう。

それは間違いない。

「ど、どうして…」

蓮子も驚いた様子だ。

私も驚いていた。

だが、それは、蓮子とも少女とも違うものだった。

指だ。

何もない空間から、指が現れたのだ。

その指は、ひょいと玉を掴むと、00に中に落としたのだった。

そして、私の指には、その玉を掴んだ、感覚があった。

「どうして…」

少女は何度も何度も、目を擦り、玉を見た。

それでも、玉は00にある。

蓮子は、しばらく唖然としていたが、少女の様子を確認した後、平生を取り戻したのか、はたまた演技なのか、いつもの顔を晒した。

「私達の勝ちだ!」

そう騒ぎ出した。

私もはっとして、それに便乗して騒いだ。

少女は、力の抜けたように、深く椅子に座りこんだ。

 

散々騒いだ後、少女が口を開いた。

「信じられない。運命は、確実に私が勝つ方に向いていたはずなのに」

「手繰り寄せた結果だよ!ね、メリー!」

「う、うん。そうね」

「負けたよ。だが、楽しかった。こんな勝負、久々だ。後ろの扉の鍵を空けておいた。そこから元の世界に帰れる」

そう言って、扉を指した。

 

扉を出ると、とてつもない騒音が私達の体を叩いた。

「元に戻れたのね」

「はぁ、疲れた。最後の最後で勝ててよかったよ。でも、確かに赤だった気がするんだけどなぁ」

あの指の話は、何故かしないほうがいいような気がして、私は黙っていた。

「Win?」

先ほどの黒人が、私達に近づき、そう言った。

「イエスイエス!ウィンウィン!」

蓮子が元気良く答えると、黒人は親指と人差し指を擦り、何かをせがむ様にこっちを見た。

「ん?」

「チップって事じゃないかしら?」

「Yes」

黒人はサングラス越しにでも分かるほど、輝く笑顔を見せた。

蓮子は、しょうがない、と言うような顔を見せた。

「ノー!」

 

「今日は凄くスリルのある冒険だったね」

「そうね。でも、もうゴメンだわ」

電車にはやはり私達しかいなかった。

この電車も、あと数年で廃止されるらしい。

今は、リニアモーターカーの方が、便利でエコだ。

「でも、今日一番の収穫は、メリーの笑顔を見れたことかな」

「へ?」

自分でも間抜けな声を出したと思った。

「結構可愛い顔してるよねぇ」

この時、蓮子が自分をからかっているんだと分かった。

それがなんだか、嬉しかった。

「蓮子だって、あの不安な顔、結構可愛かったわよ?」

そう言って、お互いに笑いあった。

こんな当たり前のような事が、ただただ、私にとっては嬉しくて、大切に思えた。

 

蓮子と途中で別れ、私は一人、夕焼けの中を歩いた。

こうして、一人であることが寂しいと思えたのは、初めてかもしれない。

 

部屋に着くと、すぐにベッドに寝転んだ。

今日は疲れた。

絶望し、狂喜し…。

そして、友達も出来た。

色んな事があった。

私は、手を上へと伸ばした。

「あの指は、私のものだった」

玉を掴む感触。

指から離れる感触。

全て、覚えている。

まあ、勝てたからいいのだけど。

考えて分かる事でもない。

あの世界は、私達が理解できるほど、私達向けに出来てはいない。

それにしても、あのゲーム。

確立が適用されないような世界じゃ、ギャンブルなんて退屈なんじゃないかしら?

「絶対的な世界なんて、つまらないわ。科学も宗教も、あいまいだからこそ、面白いんじゃない。この東京のように、刺激的なら尚更ね」

そう言って、また、あの世界を創った誰かさんに論した。

刺激的なのが面白い。

そんな考えも、あの宇佐見蓮子が一緒にいるからこそ、言える事なのかもしれないけど。

「次は何処に行くのかしら」

私は、蓮子の連絡先を眺め、しばらく浮かれた気分になって、ベッドを転がっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上野の夜雀

こんなにも、大学に行く事が楽しみになるとは、想像もつかなかった。

蓮子から貰ったメール。

「UTで待ってるからね!」

UTとは、大学の中にあるカフェの名前だ。

一人で行った事がないから、それも楽しみなのだけど、何よりも、大学に友達がいるという事が、私をこんなにもはしゃがせている。

約束まではまだ時間があった。

「上野公園でも歩いてみようかしら」

 

上野公園。

その貴重な自然などを保護する為に、数年前から入場料を取るようになった。

公園と動物園は、その為に合併し、公園の入場料を払うだけで動物も見る事が出来るようになった。

上野公園でしか見れない動物をあげると、絶滅危惧種に指定されている鳩と雀などがある。

特に雀は人気で、列を成しているほどだ。

今の時間だったら空いているかも知れない。

どれ、話題ついでに見に行ってみよう。

話題ついで。

「どれだけはしゃいでるのかしら。私ったら」

そんな自分に赤面する事もなく、むしろ、誇らしげだった。

 

雀のブースは人で混み合ってはいたが、雀を見るのに障害にはならなかった。

「わあ」

思わず声が出た。

生の雀が動いている。

あんなにも小刻みに首を振りながら。

そして、想像以上に小さい。

しばらく、じっと眺めていた。

子供のように、はしゃいで、ガラスにべったりしながら。

すると、雀がこちらを向いたまま、動かなくなった。

吸い込まれそうな黒色の小さな瞳。

かわいい。

そう思った瞬間だった。

雀を中心に、その周りがだんだんと真っ暗になっていった。

私は閃輝暗点を疑い、片頭痛を瞬時に思ったが、その症状とは微妙に違う。

だんだんと狭くなる視界。

やがて、目を瞑ったように暗くなる。

嫌な予感がした。

 

誰かの歌声が聞こえる。

いつの間にか目を瞑っていたらしく、私はゆっくりと、恐る恐る、目を開けた。

「こんにちは。私はミスティア・ローレライ。貴女の名前を聞かせて頂戴な」

雀人間?

「私はメリー」

落ち着いて、そう答えた。

空には満天の星。

月はいつも見ている以上に大きく、肉眼でもクレーターが確認できるほどだった。

風が吹くたびにざわつく木々。

ここは森の中のようだ。

「メリー。今日は私の歌を聴きに、ようこそ」

「別にそのつもりはなかったのだけど」

嗚呼、何で今日は一人なんだろう。

どうせなら、蓮子と一緒に来たかった。

「なら、是非聴いて行くといいわ。どうせ、貴女は元の世界には帰れないのだから」

「元の世界には帰れない?」

「そう。私の歌を聴き続け、私の歌しか聞こえないようにするのだから」

厄介なパターンかもしれない。

この前のような、ゲームでなければいいのだけれど。

「おほん。それでは早速聴いてもらおうかな」

そう言うと、少女は手でマイクの形をつくり、歌い始めた。

 

少女の歌は、幽かものであったが、どこまでもどこまでも、遠くへ聞こえるかのような、不思議なものだった。

この歌を聴き終えれば、私は帰れるのだろうか。

いや、先ほどの言葉の通り、何かあるに違いない。

「どう?私の歌、素敵でしょう?」

「そうね」

「続きまして…」

 

この世界が夜の設定のせいか、段々と意識がぼんやりとしてきた。

それに追い討ちをかけるように、幽かな少女の歌声が、私をそれへと誘っていく。

意識を保とうと、舌を噛んでみたり、足を抓ったりした。

「そろそろ、きつくなってきたんじゃない?」

その少女の声が、不思議な事に、何度も何度も、私の中で反響しだした。

そして、上野公園で雀を見たときと同じように、段々と視界が狭くなっていった。

「私の歌声には、人間を鳥目にする力があるの」

少女の声だけが、私の耳に響く。

それ以外の、木々のざわめき、自分のする呼吸すら、何も聞こえない。

私はとたんに恐ろしくなり、少女の声とは逆方向に走り出した。

「痛っ」

視界がどんどんと狭くなって行く。

1メートル先の木も見えなくなるほどに。

「もう私の歌しか聞こえない。私の歌に依存するしかない」

少女は木にぶつかって倒れている私の手を掴んだ。

「汗が凄いよ。拭いてあげるわ」

その声、そして、汗を拭く感覚。

気がつくと、私は少女の手を強く握っていた。

この手を放してしまったら、私はずっと、暗闇の中で一人、どうしようもなく、取り残されてしまうのだから。

暗闇の恐怖。

いつか、親に怒られて閉じ込められたクローゼットの中。

暗く、狭く、退屈で、出られない恐怖が、幼い私を襲った。

あの時の教育は成功していたんだと、少女の手を掴みながら思った。

 

それからずっと、少女の歌を聴いていた。

先ほどとは違い、少女の歌は、私に安心感を与えるものとなった。

少女が歌を止めると、不安になる。

 

-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-

-現し世は、崩れゆく砂の上に-

-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-

-白日は、沈みゆく街に-

-幻か、砂上の楼閣なのか-

-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-

-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-

-現し世は、血の気ない石の上に-

-空夢の、古の美しき都のお伽を-

-白日は、穢れゆく街に-

 

少女の歌は、私の心の奥深くに眠る何かを、呼び醒ますような感じがした。

そして、ゆっくり目を瞑り、私は眠りについた。

 

東京のビルが、サラサラと砂となり、崩れて行く。

そして、その砂は、何もないはずの空間に入った亀裂へと、吸い込まれていった。

時折、砂が私の体を叩く。

それを防ぐ為に、いつの間にか持っていた傘を差した。

東京が、砂と化して行く。

「それでいいの?」

背後で声がした。

しかし、私は何故か、後ろを振り向いてはいけない気がして、その声に集中していた。

「彼女が待ってるわ。貴女には、帰る場所がある。まだ、ここに来るには早すぎる」

私はふと、蓮子の事を思い出した。

「蓮子…」

「何れ、またここに来る事になるわ。その時まで、今という時を楽しみなさい。後悔しないように」

そういうと、背後から私の両目を手で隠した。

 

「きゃ!」

目覚めて最初に聴いたのは、少女の叫び声だった。

「大丈夫ですか?」

視界は晴れていた。

自分の呼吸する音も聞こえ、遠くには満天の星空。

そして、手を差し伸べる、また別の少女。

「貴女も東京の人間ですね。驚きました。私以外でこの世界に来れる人が居るなんて」

どうやら、この少女も私と同じ世界から来た人間のようだ。

蓮子以外にも居たのか。

「貴女誰よ。いきなり襲いかかってくるなんてぇ」

雀の少女は泣き出しそうな声で、そう少女に尋ねた。

「私の名は姫草ユリ子」

姫草ユリ子。

偽名だとすぐに分かった。

それが、彼女が東京の人間だからという事だけではなく、夢野久作「少女地獄」の中にある「何でも無い」という作品の登場人物の名であったからだった。

その登場人物も、偽名だった。

「姫草ユリ子…。貴女が妖怪を退治しているという!?」

「大人しく帰さないと、貴女を退治しますよ!」

なんという心強さ。

妖怪を退治?

いやはや、ハッタリで乗り切る蓮子と違って、本当に強いらしい。

「ひいい。お助けお助け。大人しく帰しますから」

雀の少女はそう言うと、祈るように懇願した。

「それでは、出口を教えてくれますね」

 

雀の少女が指した出口を出ると、そこは弁天堂の扉だったようで、外に出て後ろを振り向くと、いつものように入れなくなっていた。

「お怪我はありませんか?」

突然の声に驚き、息を飲んだ。

隣を見ると、先ほどの少女が居た。

「あの」

「あ…」

しばらく、何もいえず、お互い固まっていた。

「あの、どうやってあの世界を?」

「えと…」

折角、蓮子とあんなに話せるようになったのに、やっぱり私はコミュニケーションに疎いままだった。

「あ、申し送れました。私の名前は東風谷早苗です」

「マエリベリー・ハーン。皆、メリーって呼ぶわ」

自己紹介だけは慣れている。

「メリーさん。あの世界、どうやって?」

その時、私の携帯が鳴った。

「メリー!なにやってるの!まだ!?」

「え…もうそんな時間…」

「もう待ちきれないよぉ。ケーキ、メリーの分も食べちゃうよ!」

「ご、ごめん…。今、上野公園だから…」

「待ってるよ!」

いつもまにそんな時間になっていたのか。

急がないと。

「お急ぎですか?」

「うん…ごめんなさい…」

「だったら、またゆっくりお話しましょう。これ、私の連絡先です。絶対連絡ください」

そう言って、早苗さんは私に連絡先を渡した。

「絶対ですよ」

 

「メリー!こっちこっち!」

「あのカフェと違うんだから、あまり大きな声だしちゃだめよ」

「その前に、蓮子さんに言う事あるんじゃない?日本人の大切な礼儀がさぁ」

「ああ、またあの世界に迷い込んでしまったのよ。上野公園で」

「そうじゃなくて…え?」

「そこでね、早苗さんっていう同い年くらいの女の子に会ったの。あの世界の住人じゃなくて、東京の人間よ?その早苗さんに助けられて、無事に戻ってこれたのよ」

「ていうことは、私達以外にも幻想郷に迷い込む人間がいたって事?」

「ええ、連絡先も貰ったわ」

「私達以外にも…かぁ」

蓮子は少し考えた後、我に返ったようにして、私を見た。

「というか、メリーずるいよ!私も一緒に行きたかったのに!」

「私だって好きで行った訳じゃないわ」

「私の研究だと、幻想郷が現れるのは一日に一回だけ…。今日はもうでないよ…」

ケーキを食べながら、蓮子はしょんぼりしてしまった。

お皿が二つ。

おそらく、一つは既に食べてしまって、今食べているのは、電話で言っていた私の分だろう。

「仕方ないわ。明日もあるんだし、それでいいじゃない」

「明日は一緒に大学に行くから!上野公園で待ち合わせ!いいね!」

「分かったわ。分かったから、あまり大声出さないで」

 

カフェでしばらく話した後、キャンパス内を二人して歩いた。

誰かと肩を並べて歩くキャンパスは、天気のせいもあってか、とても輝いて見えた。

「恥ずかしい話だけど、私さぁ、まだ大学で友達できた事ないんだよね」

意外だった。

蓮子だったら、すぐにでも友達が出来そうなものだけど。

「つまんないやつばかりだし、皆遊びに大学に来てるっぽいんだ。こんなにも資料があるのに、誰もそれを活用しようとしない。学生の本質は勉強であるのにね」

私も同じ考えだった。

でも、どうしてこうも変な巡りあわせでしか、彼女と会う事が出来なかったのだろう。

「メリーはなんか他の奴らとは違うよね。賢いし、一緒にいて楽しいもん」

私も、なんて、言うのが少し恥ずかしくて、口を紡いだ。

「それにしても、私達以外にもいたなんてね。幻想郷を知ってる人が」

「東風谷早苗さんって言うのよ。なんだか彼女、妖怪退治をする人間として、幻想郷で有名らしいわ」

「妖怪退治?もしかして、「お前は蛙だ」とか言って聞かせるとか?」

「物理的な方だと思うのだけど」

 

それから、お互いの学科が違う為、一緒に帰る約束だけして、別れた。

東風谷早苗。

彼女はあの世界が何かを知っている可能性が高い。

あの世界でも名が通っているし。

私は携帯を取り出すと、早苗さんにメッセージを送った。

返事はすぐに返ってきて、講堂に着くまで、ずっと連絡を取り合った。

「仲良くなれるかしら」

そんな事を、騒がしいキャンパスの中で一人、つぶやいた。

最近、私の中で何かが変わろうとしている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

谷中の不死鳥

「谷中かぁ。わざわざ谷中に住むなんて、変わり者なんじゃない?早苗さんって人は」

「幻想郷に迷い込む人間は、変わり者しかいないんじゃないかしら?」

「確かに、メリーは変わり者だよね」

「貴女ほどじゃないわ」

東風谷早苗。

彼女が住んでいるという谷中に、今、私達はいる。

台東区谷中。

昔から不思議な雰囲気が漂う街として、東京の人に愛されてきた。

谷中銀座が一番有名だが、不思議と言われる所以は、そこにはない。

谷中銀座を取り囲む住宅地、それこそが不思議なのである。

「しかし、本当に彼女の家に辿り着けるのかなぁ?だって、地図もないんだよ?」

「地図があっても、役に立たないらしいわ。現に、東京の谷中だけよ?地図が空白になっているの」

「辿り着くには、『強く願うこと』ねぇ…」

蓮子は、信じられない、というような顔をした。

本当に分かりやすい。

そう。

谷中の不思議というのは、地図が役に立たないこと。

同じように歩いても、歩く人間によって、辿り着く場所が全く変わってくる。

行きたい場所を強く願うことで、その場所に辿り着くらしい。

どういう訳かは、解明されていない。

谷中の別名は『幻の街』。

郵便局員には、願うだけで着くので、人気らしい。

「とにかく、行くわよ」

「大丈夫かなぁ」

 

谷中銀座を抜けて、住宅地へ入った。

何の変哲もない家がずらりと並んでいる。

人影はない。

ただ、ちゃんと人が住んでいるらしかった。

「不気味なほど静かだね。さっきまで吹いていた風も、何処にいったんだろう。音もないよ」

「でも、不思議なくらい違和感がないわね。ただただ、住宅地を歩いてるって感じ」

道は途中で分かれる事もなく、進むか引き返すかしか、方法がない。

何かに導かれるように進む。

この先に、早苗さんの家があるはず。

だけど、どうも不気味で、私は時々、幻想郷の事を思っていた。

こんな不思議な場所に、あの世界の入り口があっても、おかしくはない。

そう、思っていた。

 

「…」

私達は言葉を失っていた。

それほどに、あまりにも突然だった。

今までは、何か前触れがあった。

こうも、突然現れるとは。

「竹林…」

風が、笹の葉を揺らす。

私ははっとして、蓮子を見た。

どうせ、またワクワクした顔を見せるに違いない。

「ご、ごめんなさい…」

青ざめていた。

しまった、というような、そんな顔。

「れ、蓮子…?」

「ごめんなさい…メリー…まさか…本当に現れるなんて思ってなくて…」

何を彼女は謝っているのだろう。

まさか本当に現れるなんて?

幻想郷の事なのは分かるけど。

「もしかして…最初から幻想郷が現れるのを知ってたの?」

「そうじゃなくて…思ってしまったんだ…」

「何を?」

「もしかしたら…幻想郷が現れるかもって…。谷中は…願った場所に着くっていうんでしょう?だから…」

私は唖然とした。

そして、少し考えた後、彼女を慰める言葉を見つけた。

「だったら、何故、私もいると思う?」

「へ?あ…」

「そういう事よ」

 

しばらく竹林を歩いていた。

何処まで歩いても、同じような景色が広がる。

まるで、同じところをグルグルまわっているような。

「しかし、メリーもやっと幻想郷巡りを楽しむようになったんだね。蓮子さんは嬉しいよ」

別に楽しんではいないけど。

ただ、そんな雰囲気だっただけで。

でも、どうせ迷うなら、蓮子と一緒で良かった。

彼女もまた、あの住宅地に、不思議と幻想郷を思ったのだろう。

「メリーもノってきたところでさ、この活動をサークルとして始めようと思うんだ」

「サークル?」

「そう。もしかしたら、早苗さんのような、私達以外に、この幻想郷に迷い込んでいる人がいるかもしれないでしょう?」

「いるかしら…。しかも、東京大学で」

「東京大学は変人が多いから大丈夫でしょ」

変人…。

学生の本分を全うしている私達が変人…。

まあ、確かに、遊んでいる人達が8割いるあの大学で、8割の学生が、学生の本分を唱えれば、私達が変人になる事は相違ないのだろうけど。

「サークルの名前も、実は考えてあるんだ」

「へえ、随分と準備がいいのね」

「昨日、寝ないで考えたんだ。その名も…」

「秘封倶楽部」

 

蓮子の野望を聞いている内に、私達はとうとう疲れて、人の座るのに丁度良い岩に、座りこんでしまった。

「全く誰にも会わないね。いつもはすぐにでも誰かが現れるのにさ」

ふと、空を見ると、そこには、不気味な月が、浮かんでいた。

「ねえ、あの月、なんだか変じゃない?」

「本当だ。なんだか不気味だね」

私は、あの日聴いた、雀少女の歌を、思い出していた。

「夢違え…幻の…朝靄の世界の記憶を…」

「なにそれ、何かの詩?」

「早苗さんと初めて会ったあの世界で、雀の少女が、歌っていたのよ」

「へえ、全部歌える?」

「えぇ、散々聴かされていたから」

「聴かせてよ。暇だしさぁ」

「嫌よ。恥ずかしいわ」

「誰も聴いてないって。私だけだからさぁ。お願い!」

「仕方ないわね」

 

-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-

-現し世は、崩れゆく砂の上に-

-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-

-白日は、沈みゆく街に-

-幻か、砂上の楼閣なのか-

-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-

-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-

-現し世は、血の気ない石の上に-

-空夢の、古の美しき都のお伽を-

-白日は、穢れゆく街に-

 

歌い終わると、蓮子は何も言わず、ただ、何かを考えていた。

「何か言ってよ。ああ、やっぱり歌なんか歌うんじゃなかったわ」

「ねえ、その歌さ、昔、何かで流れていなかった?」

「なにかって?」

「例えば、テレビとか、色々」

「さあ、そもそも、私は最近日本に来たから、分からないわ」

「ああ、そっか」

蓮子はやはり、何か引っかかるようで、ずっとブツブツ呟いていた。

「夢違え…夢違え…」

その時だった、私達の真上を、まるで太陽が差したかのように、強く光る何かが通った。

 

それは、火花を散らしながら、ゆっくりと、空を飛んでいた。

まるで、フェニックス。

身を焦がしながら、空を飛ぶ、不死鳥。

それが、ゆっくりと、空を焼きながら、私達の元へと降りてきた。

不思議と、熱くはない。

炎の中心には、小柄な人影が見えた。

 

やがて、炎は弱まり、完全に消えた頃、白髪を長く持った、一人の少女が、そこに立っていた。

「私は藤原妹紅。あんた達の名前は?」

「え…宇佐…じゃなくて…蓮見ウサ子…」

突然の事に、動揺を隠せない蓮子を後目に、私は一人、安堵していた。

「私はメリー」

幻想郷を脱出できるキーマンが…いや、キーウーマンが、やっと現れた。

「ウサ子にメリー。あんた達、迷ってしまったんだろう。私が案内してやる。ついてきな」

蓮子と私は目を合わせ、お互いの意思を確認し、少女の後を追った。

 

竹林をズンズン進んで行く。

少女はこの間、一言も喋らなかった。

このまま帰してくれるような世界ではないだろう。

「何処に向かっているのかしら、藤原さん」

「出口だよ」

「出口って、私達の元いた世界の事を言うのかしら?」

「そうだよ」

返事は、あまりにもあっさりしすぎていた。

「あら、何かゲームでもやらされるのかと思ってたわ」

「私は不死身だ。だから、あいつらが生きようと努力する事を、私はしなくてもいいのさ。むしろ、滅ぶ事を望んでいる」

「生きようと努力する?あのゲームとかは、そういう意味が含まれているって事?」

「この竹林も、それを助長するステージの一部だ」

それを期に、少女は、一言も喋らなくなってしまった。

 

やがて、開けた場所に出た。

そこに、一つの扉が、あのドラえもんの何処でもドアのように、佇んでいた。

少女は、それを指すと、また竹林に入ろうとした。

「待ってよ、藤原さん」

それを止めたのは、蓮子だった。

「一つ聞きたい。この世界が、私達を帰そうとしないのは、どういう意味があるの?」

少女はこちらを見もせず、静かに答えた。

「意味などない。あんた達が本能的に子孫を繁栄させようとするように、私達にもそういう生存本能というものがあるだけだ」

「その生存本能に、何故私達が必要なの?」

「男と女…お互いがお互いを必要としているのと同じだ。夢には現が必要なんだ」

そう言うと、少女は竹林に消えていった。

 

扉を出ると、そこは、誰かの家の玄関を出たところだった。

「不味いわ蓮子。不法侵入になってしまったわ」

「この場合、どういうアリバイが必要なんだろうね」

そんな事を話していると、玄関のドアが開いた。

「あれ、メリーさん。いつの間に着いていたのですね」

「メリー、もしかして…」

「どうやら、本当のようね。谷中の不思議は」

 

早苗さんの家にあがり、早速、色んな話をした。

蓮子は、初対面とは思えないほど、早苗さんとペラペラ話していた。

「そっか。早苗さんは長野県に住んでいたんだ」

「はい。東京の大学に行きたくて、こっちに引っ越してきたんです」

「大学は何処?」

「東京大学です」

 

それから、幻想郷の話を、早苗さんから聞いた。

どうやら彼女も、東京に来てから、幻想郷に迷い込むようになったらしい。

しかし、私達とは、大きく違う点があった。

「あの世界に行くと、何故か、不思議な力を使えるようになって、その力で妖怪を退治していたんです。元の世界に帰る為に」

「不思議な力って?」

「光の玉を操る事ができるんです。他にも、クリスタルみたいな形をしたものとか…」

「それで殴るとか?」

「飛ばすんです。そして、操って相手に当てる…」

「シューティングみたいだね」

「シューティング…確かにそうですね」

「それでも、私達みたいにゲームをやらされたりするよりいいわ」

「私は嫌だな。シューティングって苦手だから」

東風谷早苗。

何故、彼女だけ、不思議な力を使えるんだろう。

「あ…」

「どうしたの?メリー」

「いえ、なんでもないの」

彼女だけじゃない。

私もだった。

あのカジノでの勝負。

私は、何か不思議な力を使って、玉を掴んだ。

紛れもない、私も指で。

あの力も、この早苗さんの言うような、不思議な力に関係しているのだろうか。

 

「それじゃあ、早苗さん。また大学で会おうね」

「はい。また」

早苗さんの家を後にし、私達は谷中銀座を願った。

 

谷中銀座には、あっさり着いてしまった。

「本当に不思議な街だったね」

「えぇ」

夕日が私達を、街を紅く染めて行く。

真上の空は、夜と夕の間をつくっていて、まるで夜が、段々と、この街を呑み込んで行くような錯覚を受けた。

それが、とても怖くて、私は不安な気持ちでいっぱいになった。

人間の最大の敵は、自らがつくりだした恐怖にあり、人間が闇を恐れるのは、闇の中に、自らのつくりだした恐怖が潜んでいるのを、知っているからだ。

そして、その恐怖が、闇が、段々と、世界を呑み込んで行くのを、私は感じていた。

足元が、砂を踏んだように、沈んで行くような、そんな感覚も、含めながら。

「メリー、メリー」

蓮子の呼びかけに、私ははっとした。

「大丈夫?顔色悪いよ?」

「うん、大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけ」

「そう?じゃあさ、家に来ない?近いからさ、休憩していきなよ」

「いいの?」

「もちろん。そうと決まったら、お酒も買わないとね」

蓮子はそう言うと、私の手を掴んだ。

「行こう!」

夕日に照らされた彼女の顔は、そんな私の恐怖を晴らして行った。

「えぇ」

そんな私の笑顔も、また、彼女の不安を拭えたら、なんて、そんな想いを、掴んだ手の中に、一緒に握りながら、二つの影は、闇の深い方へと、進んで行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

哲学堂の覚

「では、第一回秘封倶楽部の活動を始めます!」

「わー」

哲学堂公園。

お化け博士などと呼ばれた哲学者の井上円了が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った四聖堂を建設したのが、この公園のはじまりらしい。

今はもう、半分がどこかの寺に買われていて、墓場と化している。

「私、こういうクラブ活動って初めてだから、なんだか緊張しちゃいます」

蓮子、早苗さん、そして私。

秘封倶楽部は、結局、この三人しか集まらなかった。

「今回はこの哲学堂公園に幻想郷が現れるはず」

「早苗さんがいるし、頼りになるわ」

「あまり期待されても…」

「大丈夫。いざとなったら、蓮子さんも空手を習ってたからさ。こう、シュバッとね」

「初耳だわ」

騒がしくしていると、管理人らしき人に睨まれたので、私達はソソクサと公園の中へ入っていった。

 

「お墓ばかりだねぇ」

「そうですね。あ、東京だと、やっぱり電子線香なんですね。長野だとまだ普通の線香を使ってますよ」

電子線香。

東京では、線香の匂いが不快だとして、線香は電子化された。

「風情もあったもんじゃないわ」

「いいじゃん。いかにも「東京!」って感じでさ。進化してんだか退化してんだか、よく分からないのが東京って奴よ」

「流石、江戸っ子は分かってるわね」

「江戸っ子ってなんですか?」

「嘘!?江戸っ子知らないの?」

「江戸っ子って言うのは、江戸で生まれて、江戸で育った人の事を言うのよ」

「東京っ子では駄目なんですか?」

「東京っ子…なんだか現代の子供みたいな言い方だね」

「蓮子の場合は江戸っ子の方がしっくり来るわ」

「どういう意味、それ」

 

しばらくすると、やっとそれらしきものが見えてきた。

「なんだかヘンテコな建物」

「六賢台って書いてありますね」

「こっちには井上円了について書かれているわ」

「私、井上円了を、実は尊敬してるんだよねぇ」

井上円了を尊敬。

哲学、妖怪学の彼を尊敬?

物理学を専攻している彼女が?

「迷信などの正体を、四つの「怪」に分けたんだ。それによって、科学の発展に貢献した人が井上円了。簡単に説明すると、そんな感じ」

「本当に簡単ね。よく分からないわ」

「つまり、迷信の正体を暴いた人ってこと。怪奇現象ではなく、自然現象だ…とか」

「なるほど。では、ある意味では、この人が妖怪を退治してしまったのかもしれませんね」

「それ、面白い考えね。早苗さん」

蓮子は少し考えた後、答えが出ないような顔をした。

「え?どういうこと?」

 

哲学堂公園内を歩いて一時間は経った頃、私達は疲れて、ベンチで休憩する事にした。

「よかったら、お茶でも飲みますか?」

そう言うと、早苗さんは水筒を取り出した。

今時、水筒を持ち歩いている人がいるなんて。

「経済的だね」

「蓮子…貴女、現金な女ねぇ」

 

休憩中、私達は他愛のない話で盛り上がっていた。

私は、ふとした拍子に、楽しいと思っていた。

これが、友達。

そうだ。

これが普通なのだ。

ヘンテコな倶楽部でもいい。

なんでもなく、ただただ、他愛のない話に、花を咲かせる。

それが普通。

今までの私は、その普通ができなくて、学生の本分を全うする事で、それをしなくてもいいと考えていた。

でも、違うのだ。

学生の本分と、この普通は。

学生であろうが、社会人であろうが、なんであろうが、人間として、する事なのだ。

何にも代わりは出来ない、ただそれだけの為のもの。

「メリー?どうしたの?なんだか嬉しそうだね」

「なんでもないわ」

他人にもそれが分かってしまうのが恥ずかしくて、急いで顔を整えた。

でも、それが出来るのも、また、嬉しくて、静かに口を緩めた。

「それにしても、何も起きませんね。そろそろ、幻想郷が現れてもおかしくないのですけど」

「そうだね。何か条件でもあるのかね」

そうだった。

この活動は幻想郷を探すのが目的だった。

すっかり忘れてしまっていた。

それほどに、酔っていた。

この、普通に。

 

「私、ちょっとトイレに行ってくるわ」

「ん、じゃあ、メリーがトイレから戻ってきたら、また探索を始めますか」

「そうですね」

 

トイレはとても綺麗だった。

とても公園の中にあるものだとは思えないほどに。

トイレに来たのは、催したからではなく、顔をちゃんと整える為だった。

「はぁ、あまり笑う事がないから、顔の筋肉がずっと痙攣しているわ」

眉間がピクピクと痙攣している。

これでは、なんだか怒っているようだ。

「早くおさまらないかしら」

そう言った時、後ろの個室が静かに、少しだけ開いた。

私はびっくりしたと言うより、今の独り言を聞かれた事に、赤面していた。

人が入っているとは思わなかった。

そんな気配もなかった。

色んな思考がグルグルと巡っていた。

しかし、個室からは誰も出てこない。

それどころか、人の気配すらない。

もしかして、扉が勝手に、何かの現象で開いただけなのかしら。

そっと、扉に近づく。

中を覗こうとした時だった。

私の手を強く、掴む手。

そして、私を個室の中へ引っ張り込んだ。

 

気が付いたとき、私は、とても高価そうな椅子に、座っていた。

「こんにちは。私の名前は古明地こいし。貴女の名前を教えて」

向かいの椅子に座る少女。

体を周回する、細い管。

大きな帽子。

吸い込まれそうな瞳。

「私はメリーよ」

名前を言う事で、平生を保った。

嗚呼、何故、私一人なのだろう。

蓮子は?

早苗さんは?

「誰を探しているの?私はここよ」

「私と貴女だけ?ここにいるのは」

「そうよ。お姉ちゃんもいないわ。何故か知らないけれど」

途端に、私の鼓動は、とても早く、とても大きく鳴った。

「メリー、お話しましょう?」

「え、えぇ」

駄目だ。

私一人で、また、あの雀の時のようになってしまう。

汗が吹き出る。

肩に力が入る。

唾の飲み方を、息のしかたを忘れる。

「大丈夫?凄い汗だわ」

少女が近づく。

高貴な靴音が響く。

この空間に、私の、中に。

「ねえ、どうしたの?」

少女は、本当に分からないと言うような顔をして、私を見つめた。

「怖いの」

自分でも驚くほど、正直な答えが、口から出た。

「怖いの?何で?」

「だって、貴女が何をするのか、私が、この世界を出られるのか、分からなくて、怖いの」

少女は唖然として、また私を見た。

「それは、メリーがメリーを怖がっている証拠だよ。私は怖くないもん。メリー一人が、怖がっているんだよ」

めちゃくちゃな理論だ。

「この世界には、怖いものなんかないよ。恐怖は、自分の心が生み出した弱さなの」

「弱さ?」

「そうだよ。怖く無いと思えば、怖くない。なんでもないの。なんでもない。メリーが私を怖いのも、なんでもない。私は怖くないよ。何もしないよ」

「本当?」

「うん。だから、お話しよう?」

 

少女の話は本当なのだろうか。

私は不安だったが、今は、信じてみてもよさそうだ。

というよりも、それしかない。

「ねえメリー、貴女は人の心を読めたらって思った事ある?」

「あるわ」

「何で?」

「他人は何を考えているのか分からないわ。だから、それを知れれば、きっとお互いが分かり合えると思うから」

「本当にそうかな」

少女は顔を伏せ、足をぶらぶらと、退屈そうに揺らした。

「もし、人の心が読めたのなら、それはとても悲しい事なんだと思うよ」

「どうして?」

「だって、人を慰めるのは、いつだって、相手を傷つけないようにつく、嘘だから」

嘘。

「心が読めるって事は、相手の嘘を見抜けるって事だよ。関係を崩したくないから嘘をつく。本当は、もっと厳しい事を言いたいけど、嘘をつく。それが、全て、見抜けるんだよ?」

大学の抗議で、嘘がいいものかどうか、議論した事がある。

ついていい嘘。

いけない嘘。

それらは存在するのか。

その時の答えは「嘘をついたものが決める」だった。

「確かに、それは悲しいかも知れないわね」

「うん」

少女は、悲しそうな顔をして、しばらく黙ってしまった。

 

私は考えていた。

この世界から、どうやって出られるのだろう、と。

何か条件があるはずだ。

人形町のように、話だけで終わればいいけど。

「あのね」

少女は急に、また話を始めた。

「私のお姉ちゃん、心が読めるの」

それはまた唐突な話だ。

「私も、昔は読めたの。今は、やめちゃったけど」

「何故、やめてしまったの?」

「嘘が、辛かったの」

やっと分かった気がする。

何故、彼女が悲しいと言ったのか。

何故、あんな顔をしたのか。

「こいしは、お姉ちゃんを心配しているの?」

少女は、はっとしたように顔を上げた。

「何で分かったの?」

「私は探偵なの。だから、ちょっと推理してみただけだわ」

嘘だ。

ちょっとした、反抗だ。

「そうなの?ちょうどいいわ。探偵メリー、お姉ちゃんの心を推理して」

少女は真剣だった。

嘘もここまで信じられると、こっちもそれらしく成りきれそうだ。

 

「あんなに悲しい思いをしたのに、何でお姉ちゃんは、心を読むのをやめないんだろうって」

「貴女は聞いてみたの?お姉ちゃんに」

「うん。ただ一言、貴女が辛いだろうからって」

辛い?

どういう事だろうか。

「他には何か言ってなかった?」

「ううん。それだけ」

参った。

おそらく、本物の探偵でも、この難事件は解けないだろう。

なんせ、そのお姉ちゃんがいないのだから。

アガサ・クリスティの「And Then There Were None」のような、犯人の見つからない事件のようだ。

「心を読めることより、読めないほうが嫌なのかしら?いや、こいしが辛いと思うような真相なのよね?」

そう、独り言をぶつぶつと呟き始めた。

少女はそれを、じっと、大人しく見ていた。

 

分からない。

全く分からない。

こんなに、少ない素材で、どう推理しろと言うのだ。

「メリー、分かった?」

おそらく、この答えこそ、ここを出る為のキーになるのだろう。

困った。

相手に悪意がない分、さらにたちが悪い。

「ねえ、こいし。貴女はどう思うの」

「私も分からない。だから、メリーに聞いてるんだよ」

そりゃそうだ。

何を聞いているんだ、私は。

考えるんだ。

もし、私が心を読めたら。

「心が…読めたら…」

気がついた。

お姉ちゃんがいなくても、心が読めたものがいるじゃない。

「こいし。貴女が心を読めた時、何か、嬉しかった事はある?悲しい事以外に、何か、思った事はある?」

「あまり思い出したくない…」

「お姉ちゃんの気持ちを知りたいんでしょう?必要なことよ」

「…分かった。思い出すから、ちょっと待って」

 

「私が嬉しかったのは、お姉ちゃんが、心の底から、私を愛してくれた事。お姉ちゃんはいつも、私に声をかけないで、心で話してくれたの」

「テレパシーみたいなものね」

「心の底から話しかけてくれて、嬉しかった」

少女は、本当に嬉しそうに、微笑んだ。

「お姉ちゃんと声で話した事はある?」

「あまりない。だって、心で会話出来るんだもん」

それはそうかもしれない。

だけど、何か引っかかる。

声。

心。

純粋。

愛。

思いやり。

嘘。

嘘。

「嘘…」

「え?」

そうだ。

嘘。

「ねえこいし。お姉ちゃんは、貴女が何故心を読まなくなったのか知っているの?」

「うん。嘘が嫌だからって、私が言ったんだよ」

そうか。

なんとなく、分かったかもしれない。

そうであれば、私は、彼女に謝らなければならない。

 

「ごめんなさい、こいし。貴女に謝らないといけないわ」

「どうしたの?」

「私、嘘ついたの。本当は、探偵なんかじゃないわ」

少女は、きゅっと、唇を噛んだ。

「どうして、嘘をついたの?」

「私は、この世界を出たかった。だから、話を合わせるために、嘘をついたの」

少女は、悲しい顔をして、うつむいてしまった。

「でも、聞いて。私は探偵ではないけど、貴女のお姉ちゃんの心が分かったわ」

「それも、嘘でしょ?」

「嘘ではないわ。私の中で、ハッキリとした答えよ。聞いてくれる?」

「…うん」

「貴女のお姉ちゃんは、嘘から貴女を守ろうとしたのよ」

「私を…?」

「そう。貴女は嘘が嫌い。それを知っていた貴女のお姉ちゃんは、貴女を嘘から守る為に、心を読み続けるの。貴女を、絶望させない為に」

そうだ。

少女の話から、お姉ちゃんは優しい。

故に、彼女を守る為という線は十分にある。

「それ、本当?」

「えぇ、絶対そうよ」

「どうして、そう言いきれるの?」

「そうで、あって欲しいから」

少女は、はっとして、私を見た。

「嘘が悪いかどうかを判断するのは、嘘をついた本人よ。じゃあ、それを信じるのは誰?」

「…私だ」

「そう。貴女自身。心を読めない人同士が話をするときはね、全てが嘘になるの。だって、真実が分からないから。だから、相手を信じる力が必要。嘘を本当にするのは、貴女自身なの。傷つく嘘も、貴女がつくりだしただけ。最初に、貴女、言ってたじゃない。恐怖は、自分自身が生み出したものだって。それと、何が違うのかしら?」

少女は、なにか気がついた顔をした。

「私のこの推理も、本当かどうか分からないから、嘘になるかもしれない。でも、そうであってほしい、そうであれば、貴女が救われるかも知れない。そう思って、私は貴女に伝えたの。貴女を想った…嘘なの」

「嘘…」

「嘘も…悪いものばかりではない。そう思えば、嘘も、心地いいものよ?」

私は少女が愛おしくなって、気がつくと、近づいて、手をとっていた。

「メリー…」

少女の目から、涙が零れた。

それを見ていた私の視界も、ゆがんでいった。

 

「ありがとう、メリー」

涙を拭いてあげると、少女は微笑んだ。

「私、嬉しかった。貴女の嘘、信じてみようって思った」

「そう。それは良かったわ」

「もう嘘じゃないよ。メリーは探偵で、素晴らしい推理を見せてくれた」

我ながら都合のいい推理だったかもしれない。

でも、私は、そうであってほしかったのだ。

その気持ちが、少女に届いてくれて、本当に良かった。

「元の世界に帰りたいんでしょう?あそこの扉を出て、まっすぐ行ったところの扉が出口だよ」

「ありがとう。こいし」

「ううん。また会えるといいな。ありがとう。メリー」

少女は手を差し伸べた。

その小さな手を、私は、記憶に刻み込むように、しっかりと、握った。

 

扉を出てまっすぐ進む。

長い長い廊下だ。

ステンドグラスの窓から、虹色の光が零れ、廊下と私を照らした。

私はこの光景を、一生忘れる事はないだろう。

あの少女の事も。

ただ、一つ気がかりなのは、本当に、あのお姉ちゃんは、何を考えていたのだろう、という事だ。

もし、別の考えであったのなら、私は、少女の大変な事をしてしまったのかもしれない。

そんな不安を抱えながら、長い廊下をひたすら歩いた。

 

やっとの事で扉の前に着き、手をかけようとした。

その時だった。

「メリーさん」

後ろを振り向くと、そこには、こいしによく似た少女が、一人佇んでいた。

「ありがとう。メリーさん。妹を…救ってくれて…」

そう言うと、深く、お辞儀をした。

私の不安は、その時、全て吹き飛んだ。

「私こそありがとう。貴女のお陰で、私も救われたわ」

体が軽くなったせいか、扉は勢い良く開いた。

 

扉は六賢台のものだったようで、例のごとく、再度入れないようになっていた。

「疲れたわ。哲学チックな話は」

空はすっかり夕焼けになっていた。

「あ、秘封倶楽部」

すっかり幻想郷に浸かっていたようだ。

でも、今まで以上に、充実していたと言うか、幻想郷も、悪くないなと、思ってしまった。

 

「心配したよぉ~…メリ~…」

蓮子は私を見つけると、すぐに私を抱きかかえた。

「無事ですか?メリーさん…」

「何とかね」

「幻想郷に…行っていたんですか…?」

「えぇ…トイレで…」

「怪我はない?メリ~…」

「心配しすぎよ蓮子。どうしたっていうのよ?」

「実は蓮子さん、メリーさん一人じゃ心配だって、ずっと心配していたんですよ。幻想郷の入り口を探し続けたり…大変でした…」

「だって…メリーは弱いから…」

「あら、大丈夫よ。今回だって私一人で解決したんだし。聞かせてあげるわ。私の武勇伝」

そう言って、自分でも驚くほどペラペラと、武勇伝を語った。

 

帰り道。

電車の中で、疲れたのか、蓮子は私の肩で寝息を立てていた。

「蓮子さん、本当にメリーさんが好きなんですね」

私はその言葉を返せなかった。

その好きが、一種類のはずなのに、何故か、二種類に感じて、恥ずかしかったからだ。

電車には私達以外、誰も乗っていなかった。

車窓から零れる夕日が、私達三人を照らす。

「なんだか、青春ですね」

「青春ね」

なんだかおかしくて、二人して笑った。

その笑い声を聞いて、蓮子が起きてしまった。

「んー何?二人で何話してるの?私も…ふわあ…まぜてー」

 

「それじゃあ。またね」

早苗さんと途中の駅で、蓮子とはバス停で別れた。

今日は楽しかった。

色々、楽しかった。

幻想郷も、楽しめた。

「あ」

気がつくと、私は鼻歌なんかを歌っていた。

「うふふ。おかしいわ」

でも、恥ずかしくない。

嬉しい。

嬉しい。

全てが輝いて見える。

空に輝く星も、いつもより綺麗だ。

「恐怖も幸せも、与えられるものじゃないのね。自分で、自分自身が、つくるもの」

私が楽しいと思えば、楽しい。

嬉しいと思えば、嬉しい。

簡単だけど、なかなか気がつけない。

「気がつかせてありがとう。こいし、お姉ちゃん」

 

帰りのコンビニでアイスとプリンを買おう。

でも、最近、体重が少しばかり増えた。

これも、蓮子と美味しいケーキを食べてばかりだからだろう。

まあ、でも、太らないと思えば、太らないでしょう。

きっと。

「なんてね。うふふ」

下手糞なスキップをしながら、コンビニへと入っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

綾瀬の閻魔

「見て見て!あれって、ジンベイザメじゃない?」

「なんで川にジンベイザメがいるのよ」

「東京湾に繋がっているから…ですかね?」

秘封倶楽部の活動も、お茶会などを除いて2回目となった。

今回は、足立区の綾瀬。

元々は隣の駅にある葛飾区の亀有の方が有名だったのだけど、この綾瀬川が綺麗になって、自然の水族館のようになってからは、観光客が綾瀬に集中した。

しかし、綾瀬というのは、実はもう一つの顔を持っている。

それが…。

「あの遠くに見えるのが東京拘置所?」

「うん。あれがあるせいで、綾瀬は「法の御膝元」と言われるようになったんだよね。こんなにも綺麗な川があるのにだよ?」

「法によって守られたから綺麗になった…って、ここには書いてありますね」

「何がだよ~。裁判所をバンバン作ったのは、川が綺麗になってからじゃん、ね!」

平成時代、インターネットを利用した犯罪が急増した。

また、法を抜けた「危険ドラッグ(脱法ハーブ)」なる依存薬物などの取引も増え、犯罪を法で裁くのは難しくなった。

それに伴い、裁判所、拘置所などの定員が限界に達し、ますます国は頭を悩ませる事態となった。

そこで提案されたのが、「「法のお膝下」の街を作ろう」というものだった。

街一つを裁判所と拘置所などで埋め尽くし、回転を良くしようというのだ。

東京でも最大の拘置所だった東京拘置所の、近くにある綾瀬が、そこに選ばれた。

「見てよ、こんな綺麗な景色に不釣合いだよ。警察官がたくさんいるのはさぁ」

「まぁ、そうだけれど。でも、安全と言う点では、悪く無いと思うわ」

「平成と違うんだからさ、そんな、犯罪なんて滅多に起きないよ」

「今の東京は日本で一番治安がいいですからね。長野なんて、毎日犯罪のニュースですよ」

観光地と言っても、風紀の為に飲食店などは全くない。

綾瀬に来た人は口を揃えてこう言う。

「一回来れば満足な街だ」

私達は何も出来ず、ただただ、川を眺めるだけだった。

 

「何も起きないね」

「そうですね。でも、油断は出来ませんよ。前みたいにメリーさんだけ連れていかれてしまうかもしれませんから」

それは困る。

確かに前回は気分よく終わった。

でも、よくよく考えたら、あんなのは滅多にない。

運が良かっただけだ。

次こそは、早苗さんを頼りたい。

「移動しようか。何かあるかも知れないし」

 

「駅前も何もないね」

時間は11時。

それを知らせるように、からくり人形がカタカタと音をたてながら動き出した。

猟銃を持った人形が、クルクルと回る。

私達はそれを、じっと見ていた。

それほどに、何もなかった。

「とって付けたような、愉快な人形ね」

「いくらなんでも堅すぎでしょ。この街のお頭はさぁ」

「飲食店もないんですね。本屋はあるけど、きっと辞書とかなんでしょうね」

「そりゃユーモアがあるわ。きっと笑いどころは「赤貝」の所だろうね」

「「新明解国語辞典」ですか?」

「お、知ってるねぇ」

「「肉が赤くてうまい」」

そう、合わせて言うと、二人はケラケラと笑い出した。

私は、なんだか、取り残された気がして、一人、手を揉んでいた。

 

何もないまま、時間だけが過ぎて行く。

私達の口は、無気力に閉じたまま、しばらく、開く事はなかった。

 

「そろそろ帰ろうか」

待ってましたと言わんばかりに、早苗さんと私の口が開いた。

「そうね。何もないようだし、今回はハズレかしらね」

「仕方ないですね。こういう日もありますよ」

珍しく、蓮子のアレが外れた。

そう、思っていた。

 

どこか遠くで、銃声を聞いた。

 

「これより、外来の人間である貴女の、魂の裁断を始めます」

映画の中でしか、見た事がなかった。

まさか、今の時代、こんな古臭い法廷があるなんて。

「私は、貴女の魂の裁断をします、四季映姫です」

「私はメリー」

私と、この少女以外、誰もいない。

嗚呼、何故。

何故、私は、一人なの。

三人も、いたのに。

何故、私だけ。

「メリー。貴女の死因を、貴女は知っていますか?」

私の死因?

「私は死んでいないわ」

「では、貴女の死因を述べます」

死んでないってば。

「貴女の死因は、猟銃に撃たれた事です」

「猟銃…?」

「場所は東京の足立区…綾瀬駅…」

そんな馬鹿な。

「ちょっと待ってよ。ここは幻想郷じゃないの?」

「な…!幻想郷…!?」

そうか。

幻想郷は蓮子が勝手に呼んでいるだけだった。

「つまり、私のいた世界とは別の世界でしょ?」

「…えぇ、死後の世界ですね」

死後の世界。

「つまり…私は死んだってこと?」

「さっきからそう言っているではありませんか」

幻想郷ではない。

私は、本当に死んだのだ。

何故?

猟銃?

馬鹿な。

あの時、私は蓮子と早苗さんとで、帰ろうとして、駅にいて、それから。

「遠くで…銃声を…聞いた…」

「思い出しましたか」

「で、でも…何故…」

「どんなことであり…貴女は死んでしまった…。それに変わりはないのです」

眩暈がする。

まるで海からあがった時のように、揺れているはずのない床で、一人、波にのまれている。

「さて、状況も分かったところで、貴女の魂を裁断いたします」

裁断…。

少女は閻魔か何かなのだろうか。

「裁断って…何をするのよ」

「貴女の魂が、貴女の元いた世界に帰れるかどうかの裁断です」

「帰る事が出来るの?」

「それは裁断しだいです。ちなみに、今までに、元いた世界に帰れた魂は、たったの二つです」

たった二つ。

それが希望なのか、絶望なのか、今の私には、よく分からなかった。

とにかく、帰れる可能性が零ではないらしい。

「それでは始めましょう…。魂の裁断を…」

 

少女は、淡々と私の人生について話し出した。

生まれた場所から、通った学校、初めておねしょをした時期まで細々と。

「そして、今、貴女はここにいる。それでよろしいですね」

「えぇ」

一つ。

少女がそこまで知っているのはいい。

しかし、何故、私の名を知らないのだろう。

「いくつか質問があります。その答えによって、貴女が帰れるかどうか決まります。質問に答えられない場合、それで終了となり、貴女は帰れません」

今回は質問か。

ゲームでないのは救いだけど、こういうのが一番厄介だったりする。

「それでは最初の質問です」

 

質問の内容はいたって簡単だった。

好きな食べ物とか、趣味とか、そんなのばかり。

正直に答えてしまえばいいのだろうか。

嘘つきかどうかを試している?

どちらにせよ、正直に答えやすい質問で良かった。

「よろしい。では、最後の質問と参りましょう」

やっと終わる。

でも、なんだか嫌な予感がした。

「貴女の、本当の名前は?」

 

質問から数秒。

私は酷い耳鳴りに襲われていた。

おそらく、この少女も同じだろう。

それほどに、静かで、少女も、私の発する声を、一言も逃さないよう、集中していた。

何故だ。

何故、少女は私の名を聞いてきたのだろう。

ここで、正直に言ってもいい。

もしかしたら、メリー、と、嘘をついた事を、正直に言わせる質問なのかもしれない。

正直者は帰そう、という、魂胆なのかも。

でも、なにか気がかりだ。

「質問に答える事が出来ないのですか?」

私の本能が、私の口を閉じている。

メリー、とも、マエリベリー・ハーン、とも、言えない。

言ってはいけない。

しかし、言わなくては。

答えられなければ、帰れない。

「貴女は、私の名前を知っているの?」

これだけは、簡単に出てくれた。

ただ、名前だけは、やはり、出てきてくれない。

「質問しているのは私です」

「もしかして、私の名前を知らないの?」

少女は、おそらく自分でも気がついていないであろう、眉毛をぴくりと、動かした。

「知らないのね」

「早く質問に答えなければ、終了にしますよ」

私はこの時、ここが死後の世界ではなく、幻想郷だと確信した。

それが理論とかではなく、もっと、訳の分からない何かによるものだった。

「私の名前はメリー」

「それは嘘です」

少女はすかさず、そう言った。

「本当よ」

「嘘です。私は、確かに貴女の名前を知りません。ですが、それが嘘なのは分かります」

「どうして?」

「それは、貴女が貴女であるからです」

私が私であるから?

どういうことだろう?

「もし、貴女がメリーという名であるならば、この裁断は、貴女が最初に名前を言った時点で終わっているのです。それが、証拠です!」

小さい体からは想像もできないくらい、力強く響く声。

しかし、その中身は、意味不明な理論で構成されていた。

少女の言い分だと、私が本名を言っていれば、そこで裁断は終了していたらしい。

つまり、この裁断の目的は、私に本名を言わせる事。

その可能性が高い。

だが、どうやって私の本名を、正しいと判断するのだろう?

少女は言った。

貴女が貴女であるから、と。

本名を言うと、私が私でなくなる?

だとすれば。

「私はメリー」

この一点張りだ。

「往生際の悪い人です。本名を言うまで、永遠に質問を続けます」

さっきと言っている事が違う。

やはり、本名を聞きだすことが目的。

私の本名が、何故、必要なのかは分からない。

ただ、今までも、そうだったのかもしれない。

この世界でやる事は、この世界を出る事ではなく、名前を、守る事だったのだ。

そう考えた瞬間だった。

後ろの扉が、勢いよく、開いたのは。

 

「メリー!」

それは紛れもなく、蓮子の声だった。

「なんですか貴女は!?どこから…」

少女は、本当に驚いた顔をしていた。

「メリー、助けに来たよ」

「蓮…ウサ子!」

蓮子は私を抱きしめると、後ろへと匿った。

「やいやい!このウサ子様が来たからには、もう容赦しないよ!通信空手だってやってるんだからね!」

通信だったのか。

なんて、冷静な突込みをいれられるほどに、私は安堵していた。

蓮子の背中が、より大きく見えた。

「まあいいでしょう。こちらも手間が省けました」

「手間が省けた?なんの手間だい?」

「貴女にも質問します。貴女の本名は?」

「私は蓮見ウサ子!」

「嘘です。何も起きない以上、貴女は蓮見ウサ子ではありません」

「どういうことだ!」

私は後ろから、静かに、蓮子に説明した。

 

あれから、何時間と経っただろう。

少女は私達を、じっと睨んだままだった。

蓮子も、本名を言ってはいけないと分かってくれた。

少女は聞くまで帰さないと言った。

蓮子が来てくれたのは心強い。

しかし、何も出来ない。

解決方法がない。

どちらかが折れるまで、この状況は続くだろう。

「今までで一番厄介だね。どうしようか」

「相手が折れるまで待つしかないかしら」

「いや、折れそうもないよ。私達から目を放そうともしないもん。私がさっき開けた扉も、ビクともしない」

「じゃあ、どうすれば」

少女は、瞬きすらしていないんじゃないかと言うくらいに、強く、強く、私達を見ている。

その瞳を見続けていると、こっちが折れそうな気がして、時々、私達はお互いに目を向けた。

「何をやっても無駄です。あなた達が本名を言わない限り、ここから出る事は出来ない。それはもう決まっているのです。それ以外に方法はありません」

「は!それがハッタリだってバレバレなんだよ!」

「ハッタリではありません。私のこの余裕を見ても、まだそう言えますか?」

少女の言っている事は、本当に思えた。

本当に、名前を言わない限り、ここからは出られないだろう。

しかし、本名を言ってしまったら、私が私でなくなる。

「メリー」

「なに?」

「私が行く」

「え?なにが?どこに行くのよ?」

蓮子は少女の前に立つと、大きく息を吸った。

嫌な予感がした。

「私の名前は…宇佐見蓮子だ!」

 

 

「…先生の、総回診です」

 

 

目が覚めると、二灯の蛍光灯が、最初に映った。

「痛っ」

左腕を見ると、そこには包帯が巻かれていて、その下には点滴のチューブが刺さっていた。

「病院?」

ベッドの隣にソファーが置いてあり、そこには蓮子が眠っていた。

そうだ。

私は、蓮子のお陰で、救われたのだ。

 

あの時。

蓮子は大きな声で本名を晒した。

しかし、それでも何も起こらなかった。

少女は、蓮子が登場した時よりも、倍くらい驚いていた。

その筈だ。

後ろの扉が開いたのだ。

蓮子は、私の手を引き、その扉に向かった。

しかし、私だけ、何かやわらかい壁のようなもので弾き返された。

蓮子だけが、扉の向こうへと帰ってしまったのだ。

少女は、まあいい、というような顔をし、また私に本名を求めた。

蓮子の勇気に、私も本名を晒した。

それも、何も起きなかった。

とうとう少女は、その場にへたり込み、動かなくなった。

私はそのまま、扉の方へと向かい、今、このベッドから起きたのだった。

 

本名を晒しても、問題はなかった。

あそこは、本当に幻想郷だったのだろうか。

いや、幻想郷で本名を晒しても、問題はなかったのだろうか。

少女の言った事は、嘘だったのだろうか。

それとも、何もかもが、夢だったのだろうか。

色んな事が頭の中をグルグルと巡った。

そのグルグルという音まで、聞こえるほどに。

いや、この音は、私のお腹の音だった。

「メリーさん!」

病室で大声を出したせいで、隣のベッドから舌打ちが聞こえた。

それに謝っているのは、早苗さんだった。

「良かった。目を覚ましたのですね」

その声に、蓮子も起きた。

「メリー!?良かった!無事だったんだね!」

隣のベッドの人がナースコールを押したようで、駆けつけた看護婦によって、私達はこっぴどく叱られた。

 

病院にいる経緯はこうだ。

綾瀬駅にて、私は犯人不明の猟銃で腕を撃たれ、気絶。

幸い、かすり傷で済んだが、一週間、目を覚まさなかった。

原因は不明。

蓮子はそれを、幻想郷に迷い込んでいると特定した。

一週間、幻想郷の発生がこの病院に集中していたからだ。

それから蓮子は私に付きっきりになり、無事、幻想郷へと辿り着いたのだった。

「そうすると、メリーさんはやはり幻想郷に?」

「そのようね。でも、蓮子に助けられたわ。ありがとう」

「まあ蓮子さんにかかればこんなもんよ」

そういうと、蓮子はカラカラと笑った。

蓮子はあの時、自らを犠牲にして、私を助けたのだ。

私は、ちょっとした罪悪感に駆られた。

それを感じ取ったのか、蓮子はそのまま笑いながら。

「早く退院して、また活動を再開させようよ」

と言った。

私は知っている。

こういう時、なんて返せばいいのかを。

「懲りないわね」

そう、笑って返すのだ。

それを知っている事が、実戦出来た事が嬉しくて、クスクスと、隣に迷惑のかからないように笑った。

 

先生によれば、ちょっとしたリハビリが済んだ後に、退院出来るらしい。

蓮子と早苗さんは、また明日、大学の帰りによってくれるそうで、今日は帰っていった。

「早く大学に行きたいな」

窓から見える夕日が、ビル群に沈んで行く。

私は、不思議と、それが、とても、珍しく感じ、ずっと、眺めていた。

 

-白日は、沈みゆく街に-

 

そんな、あの歌のフレーズを、頭に浮かべながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

東京蓮子~カフェでの考察~

東京メリーの蓮子視点です


メリーとの面会が終わり、私達は夕暮れの中を歩いていた。

「メリー、順調そうで良かった」

「そうですね。この分だと、後2・3日すれば退院じゃないですか?」

「それにしても…どうして名前を言っても何も起きなかったんだろう」

「幻想郷の話ですか?」

「うん。早苗さん、これから空いてる?東京駅のカフェに行かない?幻想郷について話そう」

「いいですよ」

 

カフェには、いつものマスターがいた。

やはり、客はいない。

「私、ココア」

「あ、じゃあ…私は…」

メニューをパラパラ捲る早苗さんを待ちながら、私は考えていた。

どうして、名前を言っても無事だったのだろうか。

名前を言ってしまっては、幻想に飲み込まれてしまう。

飲み込まれてしまう。

「飲み込まれてしまう…?」

「え?何がですか?」

いつの間にか注文を済ませた早苗さんは、私の独り言に返事をした。

「あ、いやね?さっきの話なんだけど、私達が幻想郷に行くとき、名前を隠すでしょう?」

「えぇ、幻想に飲みこまれない為に…ですよね?」

「早苗さんは、それを何処で知ったのさ?」

「え?」

やはりそうだ。

「ほら、私もそうなんだよ。いつの間にか知っていたんだ」

「あれ?そう言われると…なんでだろう…?本能的に…かしら…?」

「だとして、メリー、私、早苗さんが、偶然にもそうなるとは思えないよ」

「幻想郷に行った人間は…必ずそう思うように…なっているのでしょうか…?」

「そうなると、怖いね。幻想郷において、私達は既に、何かしらの支配を受けている事になる」

マスターが何も言わずに、そっと、注文の品を置いた。

私達は、それに手をつける暇も無いくらい、議論に集中していた。

マスターもそれを察したのだろう。

見るからに熱そうなココアが、それを語っている。

「でも、無事だったんですよね?名前を言っても…」

「そこなんだ。幻想郷で、名前を隠す事を強いられたのなら、何故、名前を言っても大丈夫だったのか…」

「蓮子さんの話だと、相手は名前を引き出そうとしたんですよね?」

「うん。よくよく考えれば、今まで出会った者たちも、最初に名前を聞いてくる辺り、名前が欲しかったのかも知れない…」

「そして、この前の事件で、名前を言ったのだけれど、違うと言われた…と…」

「あ~!なんだかよく分からなくなってきた!」

そう言って、近くにあった角砂糖を、ココアへ大量に入れた。

「れ、蓮子さん…そんなにいれるんですか?と言うか、ココアに砂糖…」

「糖分は必要だよ。疲れに効くんだ」

「そ、そうですか…」

「あっつ!」

 

窓の外は、少しずつ暗くなっていった。

それでも、このカフェの雰囲気と、客の数だけは変わらないから、つい時間を忘れてしまう。

「名前か~…」

「名前ですね~…」

私達の議論も、そこで終わり、呪文のように、それを繰り返していた。

「あの幻想郷は、常識が通用しないですから、常識外の発想が必要なのかもしれませんね」

「とんでもない発想が必要という訳か…」

「例えば…メリーさんも蓮子さんも、実は、名前が違うとか」

「宇佐見蓮子でも、蓮見ウサ子でも無いという事?」

「幻想郷においての名前があるとか…。実はメリーさんも蓮子さんも、幻想郷の人間だったとか…」

「…確かに、常識を逸脱した発想だね」

「こっちの世界の事が嘘で、あっちが本当…なんて…」

「SFの展開みたいだね」

「もはや、幻想郷が現れていると言う事に疑問を持たなければいけないような気もします。当たり前で考えていては、それこそ飲み込まれてしまいますよ」

「確かに…」

ココアは、ちゃんと混ぜて無かったせいで、最後の方は、ジャリジャリと、砂糖を噛む結果となった。

「そう言えば、谷中で迷ったとき、変な事を聞いたなぁ」

「変な事?」

「そう。私達を帰さない理由を聞いた時の話。相手は「生存本能だ」って…」

「生存本能…ですか…」

「私達が本能的に遺伝子を残そうとしているのと同じで、彼女達にも、そういうのがあって、それが私達を残す事にある…のかな…?」

「名前…生存本能…。つまり、名前も必要で、私達も必要であり…それが生存に繋がる…ということですね…?」

「…なんか、ちょっとだけ見えてきた気がする」

「凄いですね。なんだか、探偵になった気分ですよ」

「楽しんじゃいけないんだろうけどね」

その時、普段鳴らない筈の振り子時計が、ボーンという大きな音を立てて鳴った。

「な、なに!?」

「まさか…幻想郷…!?」

すると、マスターが、私達のコップを片付けだした。

「あぁ…閉店時間だ…」

 

空はすっかり夜の色だった。

それなのに、東京駅は街灯も録に点灯していなく、月明かりの中を歩く事になった。

「遅くなってゴメンね」

「いえ、私も、踏み込んだ話が出来てよかったです」

「そっか」

「明日も大学で会いましょう」

「うん」

 

部屋は相変わらず散らかっていた。

足でスペースをつくると、そこに座り、今日の事を考えた。

生存本能…名前…私達…。

幻想郷は、私達を、あの世界の住人に仕立て上げようとしているのだろうか。

それとも、早苗さんの言う通り、私達は元々、幻想郷の人間で、元に戻そうとしているだけなのか…。

「まさか」

そんな事はあり得ない。

そう思ったが、完全にそう思えない自分がいて、一人、零した。

メリーは、どう考えているのだろうか。

もしかして、何か、私達の考えもつかない事を考えているのかも知れない。

おそらく、私達の中で、一番、頭の回転は速いだろう。

ああ、メリーの考えを聞きたくなってきた。

メリーと議論をしたい。

会話したいけど、電話は駄目だし、ネットも駄目だ。

そもそも、もう寝てるかもしれないし、相手は病人だし、隣のベッドの人はめちゃくちゃ怖かったし…。

「ああ、モヤモヤする~!」

いつもなら、こんなに悩まずに、自分の考えを何回も何回も疑い、答えを出してきた。

それよりも、遥かに、優れた方法が、メリーに相談することに、今はなった。

メリーと出会ってから、色んな事が変わった気がする。

早苗さんとも出会えたし、何よりも、一人でいる時間が少なくなった。

一人でいるときは、寂しいと、思うようにもなった。

「はぁ…」

いつもは、思想の波が大きな音を立てて、何度も何度も打ちつけてくるのに、今日に限っては、静かで、穏やかだった。

「早く退院しろよな~…メリー…」

この穏やかな波は、やはり私にとっては退屈なもので、いつの間にか、私は、眠りについていた。

 

次の日、私は遅刻した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

消えた早苗

夢を見た。

何処か、懐かしい夢。

「----じゃない。何しに来たのよ」

誰?

少女?

答えられずに、じっとしていると、少女は呆れたように、私の顔を覗きこんだ。

「----?」

誰かは知らないけれど、やっぱり、懐かしい感じだった。

そう、昔から知っている、友達みたいな感じ。

「まあいいわ。お茶は出さないわよ」

私は、いつの間にか手に持っていた傘を縁側に掛けて、茶の間へと移動した。

茶の間にある卓袱台には、せんべいが置いてあって、何故か私は、それを食べなきゃいけない気がして、躊躇なく口へと運んだ。

「あ、こら!」

少女が怒る。

私の口元が、自然と緩む。

なんだろう。

この感じ。

春の中にいるような、温かくて、懐かしくて、涙が出そうになる。

「----、お茶をいれてくれないかしら?」

「だから、出さないって」

私は知っている。

この景色を。

この少女を。

この世界を。

「ああ、そうなのね」

「何がよ?」

「いや、なんでもないわ。ただ、永い永い、夢を見ていてね」

「夢?」

「ええ、暗くて、寒くて、怖い夢。その中で、自分は小さくて、今にも踏み潰されそうになってた」

寝ぼけていたのかもしれない。

だって、可笑しいわ。

こっちが、夢だなんて。

「本当に、永い夢だったわ」

「本当に夢かしら?」

「え?」

少女が、悲しげに、だけど、どこか嬉しそうに、笑った。

「私が待っているわ」

「貴女が?何処で?」

「私の知らない、何処か。目を開けて見る、夢の世界よ」

「なら、ここは?」

「貴女にとって、ここは目を瞑って見る、夢の世界。そう、夢」

「夢…」

「マエリベリ・ハーン」

「あ…」

「貴女の本当の名よ。----なんかじゃないわ」

この世界が、急に暗くなった気がした。

「さあ、夢から醒める時よ…」

そう言って、少女は、私の両目を手で隠した。

 

「メリー!メリーってば!」

「う…ん…?」

「もう、退院したばかりなのは分かるけど、私が話しているときに寝ないでよね!」

「…ああ、ごめんなさい。つい」

「もう…」

東京のカフェ。

退院したばかりの私を、蓮子はすぐに、ここに連れ出した。

「でね、早苗さんと話したんだけどさ、早苗さんにこう言われたのよ。「実はメリーさんも蓮子さんも、幻想郷の人間だったとか…」ってさ。面白い考えかただと思わない?」

「それはまた、とんだ発想ね」

「私もそう思ったんだけどね。それで、メリーはどう考えてるんだって思ってさぁ」

「それで、退院したばかりの私をここに?」

「そう!」

「はあ…退院してすぐに、秘封倶楽部の活動とはね…」

「病院で退屈だったでしょ?だから、すぐにでも楽しませてあげないと、ってね」

「楽しみたいのは、貴女でしょう?」

「てへへ」

「まあ、珍しく奢ってくれるらしいし、いいけれどね」

なんて、本当は嬉しかった。

今すぐにでも、蓮子とどこかに行きたかった。

退屈な病院。

蓮子と出会う前は、やるべき事をしなくていいから、いい機会だと、病院でノウノウとしていたはずだった。

それが、今となっては…。

「あまり高いのは頼まないでね…?今月ピンチでさ…」

「巣鴨で奮発したからよ…」

それに、私はどうしても、あの世界の事が気になって仕方がないのだ。

何故だかは分からない。

けれど、そこに、何か、大切なものがある気がする。

私が求めるべき、何か。

「話を戻すけど、メリーはどう考えてるのさ?」

「そうね…。早苗さんの言うように、私達があの世界の住人ということならば…私達が迷い事にも、何か、本能的な意味があるのではないかと思うわ」

「本能的?」

「えぇ、実は私…何故だか分からないけれど、あの世界に、何か大切なものがある気がするの」

「大切なもの…」

「蓮子はどう?」

「うーん…私は何も感じないけれど…」

「早苗さんにも聞いてみたいわ。早苗さんは?」

「今日は用事があるみたい。明日は空いているみたいだから、また幻想郷でも探す?」

「いや、まだそんな元気はないわ。どこか静かな場所で話しましょう」

「なら、またここにする?」

「早苗さんさえよければね」

今日は、その辺りで話を切り上げて、家路についた。

蓮子には早苗さんに連絡を取ってもらうことで話をして、私は家について、すぐに眠ってしまった。

 

「ん…」

目が覚めると、空はすっかり暗くなっていた。

時間を確認する為に、電話を見ると、とんでもない着信数と、メールの数が。

全て蓮子のものだった。

何かあったのだろうか。

リダイヤルすると、コールの鳴る前にすぐ、蓮子が出た。

『あ、やっと出た。もしもし』

「蓮子、どうしたのよ?」

『あれ?メリー?ん?あれ?』

「どうしたのよ?こんなに着信してきて…」

『ん?メリー、早苗さんと一緒にいるの?』

「え?居ないけど…」

『え?じゃあ、何でメリーが早苗さんの番号に?』

「え?」

『だって、あれ?登録し間違えたかな?いや、そんな事ないよね…。ん?』

電話を離したのか、蓮子の声が遠くなった。

「蓮子?」

その時、もう一台の電話が鳴った。

もう一台の、電話が。

「…え?」

部屋の明かりを点ける。

そこには、間違えなく、私の電話があった。

なら、今、蓮子と話している、この電話は…?

 

すぐに拾ったタクシーの中、私は震えていた。

早く、早く蓮子に会いたい。

怖い。

何が起きているのか、全く分からない。

どうして、どうして私が。

 

「メリー!」

「蓮子…!」

私はすぐに、蓮子の胸の中に飛び込んだ。

「メリー…」

震える私を、蓮子は落ち着かせるように、背中を優しく叩き、なだめた。

「とにかく、家に入ろう…?温かいココアを入れてるからさ」

「うん…」

 

「落ち着いた?」

「えぇ…」

ココアは激甘だった。

ジャリジャリするし。

でも、そのお陰で落ち着いた。

「持ってきた?」

私は黙って、電話を机の上に置いた。

「…確かに早苗さんの電話だね」

「もう…私…何がなんだか…。どうして早苗さんの電話が…私の手元にあるのか…」

「…病院で早苗さんが忘れたのを、持ってきたとか?」

「それはないわ…。だって、私が退院する前…蓮子は早苗さんと連絡を取ってたんでしょう?今日、用事があるって知ったのも、連絡を取ったからでしょう?」

「確かに…。用事があるって連絡をしたのも今日…。だから早苗さんはメリーの退院に同行できなかったわけだし…」

「早苗さんと会っていないのに、どうやって電話を持ち出す事が出来るのよ…!」

「落ち着いて。大丈夫…大丈夫…」

そういうと、優しく、蓮子は私の手を、握った。

「ふぅ…ふぅ…」

「大丈夫…」

「…ごめんなさい」

「今日は…深い事をあまり考えないようにしよう?大丈夫だよ。もしかしたら、何か手違いがあったのかも。明日、早苗さんの家に行こう?」

「えぇ…」

「大丈夫だって!そうだ、この前面白い映画を借りてきたんだ、一緒に観ようよ!」

「うん…」

映画の内容は、全く頭に入ってこなかった。

怖くて怖くて、たまらない。

その恐怖は、いつの間にかあった早苗さんの電話に対してもあるけれど、どこか、得体の知れないものだった。

そんな私の気持ちを察してか、映画を観ている間、ずっと、蓮子は私の手を、握っていてくれた。

その温もりは、やがて私を安心させ、私は、眠りについた。

 

「本当に大丈夫?怖いなら、無理して来なくても大丈夫だよ?」

「ううん…。一人で居るほうが怖いから…」

「そっか…。よし!じゃあ、早苗さんの所に行きますか!」

 

谷中。

相変わらず、一本道が続く。

不気味なほど静かで、今の状態で、一人でここに来てしまったら、発狂してしまうだろう。

「行こう」

自然と、蓮子の手が、私の手を握った。

頼もしい。

この手を握っていれば、何処へでも行ける気がした。

それほどに、勇気が湧いた。

 

「着いた」

前回とは違い、簡単に早苗さんの家に着いた。

しかし、チャイムを鳴らしても、返事はなかった。

「留守なのかな?」

身勝手な蓮子は、ドアノブに手をかけた。

「ちょ、ちょっと、非常識じゃないかしら?」

「ん、空いてるよ」

「え?」

扉が開いた。

「玄関の明かりが点いてる…。なんだ、いるんだね。早苗さ~ん」

返事はない。

「出掛けてるにしては…無用心だし…玄関の明かりを消し忘れてるって…」

「谷中だからじゃないかな?ほら、早苗さんの家に辿り着こうとしなければ、ここに人が来るなんてことは滅多にないし」

「にしても…」

「きっと、すぐ帰ってくるよ。ちょっと待たせてもらおうよ」

「えぇ…」

嫌な予感がした。

その予感は的中したようで、夜中になっても、早苗さんが帰ってくる事はなかった。

「…明日は大学があるから、そっちに来るかも」

「蓮子、私…何だか怖いわ…」

「だ、大丈夫だよ…。多分…」

その日は、何とか納得して、早苗さんの家をあとにした。

「メリー、大丈夫?そうだ、しばらく家に泊まりなよ。一緒にメリーの家に行って、必要な物を取りに行こう?」

「いいの?」

「もちろん!その代わり、料理、教えて?」

「教えても自分じゃ、やらないでしょう?私が全部やるわ」

「本当?助かるよ~」

そんな和気藹々にやりながら、私達は不安を消し去った。

 

次の日、早苗さんは大学に来なかった。

その次の日も、その次の日も…。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ほにゃらら様とほにゃららの巫女

「早苗さん、今日も来なかったね」

あれから何度も、早苗さんの家に行ってみた。

だけれど、誰かが帰った形跡もなかった。

「ねぇ…やっぱり…幻想郷かしら…」

「…かも知れないね」

「蓮子…もうやめましょう…?私、怖いわ…」

幻想郷で恐れられていた彼女が、幻想郷に連れ去られてしまったのなら、私達が連れ去られるのも時間の問題だ。

「貴女は幻想郷を探す力がある…。だから、その力で避けながら生活するのよ…」

「でも、そんな生活をいつまでも続けられないよ…」

「そうだけど…」

「とにかく、早苗さんが本当に幻想郷に連れ去られたのか…調べる必要がある…」

「どうやって…」

「幻想郷に行く…」

「それで連れ去られたらどうするのよ…!」

「だけど、放っておけないよ。もし…助ける事が出来るなら…助けたいし…」

蓮子のこの言葉を聞いた時、私は、とんでもない、酷い事を言いそうになった。

『どうして早苗さんを助けに危険を冒さないといけないの?』

私は酷い人間だ。

だけれど、そうは思っていても、私は、やっぱり、酷いその思想が、根強く、揺ぎ無いものだと、感じた。

「早苗さんは助けたい…でも…もう…幻想郷に行くのは嫌…。怖い…」

「メリー…」

「ごめんなさい…蓮子…」

「…分かった。なら、私一人で行くよ」

「え?」

「私がいなくなったら、幻想郷のせいだと思っていいよ」

「ま、待ってよ…!行っちゃ駄目よ…!どうしてそこまでして…!」

「友達だからだよ!」

「友達…」

「…私には…メリーと早苗さんしか…友達がいない…。私にとって…大事な一人だから…」

「蓮子…」

そうだ。

私も、同じだ。

私には、蓮子と早苗さんしかいない。

その蓮子が、早苗さんを助けようとしている。

もし、蓮子がいなくなってしまったら、私は、また、一人だ。

「…分かった。私も行く…」

「え?」

「私も…早苗さんを助けたい…!私にとっても…大事な一人だもの…!」

「メリー…」

「ただ…約束して…」

「なに?」

「絶対…無茶はしないで…。危ないと思ったら…すぐに逃げるのよ…」

「分かってるよ。メリーを一人にはさせない」

『貴女を一人にはさせないわ。私も、きっと貴女を見つけて、また一緒に---』

「え?」

「ん?何かおかしいこといったかな?」

「…いえ、なんでもないわ」

なんだろう。

デジャヴ。

どこかで、似たような台詞を聞いたような…。

「そしたら、幻想郷を探そう。地図を出すね」

蓮子は、開いた地図に鉛筆を落とした。

「…ここって」

鉛筆は、何も書かれていないところを指した。

 

「まさか…ここだなんてね…」

「谷中…」

何かとお世話になるこの谷中。

やはり、ここは不思議だ。

「メリー…幻想郷を思って進むんだよ…」

「分かってるわ…」

蓮子が私の手を握る。

私は、それを、強く、握り返した。

 

また、突然だった。

だけれど、今度は、竹林ではない。

長く、永く、続く階段。

終わりの見えない、階段。

そこに、揺ら揺らと漂う、魂のようなもの。

「こ、これが…魂ってやつ?」

蓮子の声が震える。

周囲は暗い。

なのに、階段だけは、不気味なくらい、よく見えた。

「死んでしまったら、こんな感じなのかしらね」

お互いを落ち着かせるように、思った事を全て声に出した。

恐怖のせいか、魂のせいか、少し、肌寒い。

「…登るしかなさそうだね」

「そうね…」

手を握りあい、一歩、また一歩と、階段を登っていった。

 

ふと、懐中時計を覗くと、軽く一時間は経っていた。

驚いた。

体感的には、まだ10分も経っていない。

それほどに、疲れもない。

不思議だ。

「夢違え…夢違え…」

そのフレーズを、蓮子は繰り返し、歌い始めた。

「急にどうしたのよ?」

「いや…なんだろう…。このフレーズがさ、頭から離れないんだよね」

「その先は?」

「「夢違え」だけなんだよね…夢違え…夢違え…」

「そんなことより、もう一時間も経ってるのよ。気がついていた?」

「え!?そんなに?私的にはまだ10分くらいしか…」

「待っていたぞ…」

知らない声。

待っていた?

「宇佐見蓮子…」

蓮子の名を呼び、睨む女性。

背後には、揺ら揺らと、狐の尻尾のようなものが…1・2・3…9本。

「私は八雲藍…。宇佐見蓮子…----様を返せ…!」

ほにゃらら様?

なんだろう。

よく聞こえない。

「誰を返せって?それより、貴女?早…姫草ユリ子を攫ったのは…」

「東風谷早苗の事だろう?そうだ、私が攫った。宇佐見蓮子…お前を炙り出すためにだ…!」

「私を…?」

その時、女が私を見て、悲しそうな顔をした。

「----様…人間の姿になられて…ああ…おいたわしや…」

「…誰かと勘違いしてるんじゃない?彼女はほにゃらら様じゃなくて、メリー。マエリベリ・ハーンよ」

「黙れ…!宇佐見蓮子…全ては貴様の仕業だ…!----様を返せ…!さもなくば…東風谷早苗の命はないぞ…!」

女の背後には、ぐったりとした早苗さんが倒れこんでいた。

「早苗さん…!」

「安心しろ…生かしてある…。さあ…元に戻せ…!全てを…!この世界を…!」

女が何を言っているのか分からなかった。

だけど、強く蓮子を非難しているところを見ると、もしかして、蓮子が何か知っているのか。

「だから…!誰かと勘違いしてるって!私はほにゃらら様とやらを知らないし、この世界の事だって知らない!」

「…どうしてもシラをきるつもりか。なら…仕方がないな…」

そう言って、女は、光る弾のようなものを手から出現させると、高速で蓮子に放り投げた。

「おわ!?」

「蓮子!」

「次は当てるぞ…」

あれが早苗さんの言っていた「力」。

早苗さん以外でも使えるのか。

だとしたら、危険だ。

「蓮子!逃げるわよ!」

「うん!」

「逃がすか…!」

無我夢中で階段を駆け降りた。

女は、当たるか当たらないかというところを狙ってきた。

もしかしたら、私には当てる事が出来ないのかも知れない。

私はほにゃらら様だと、女は言っていたから。

だとしたら…。

「メリー!?」

「蓮子…私の後ろへ…」

「そんな、危ないよメリー!」

「大丈夫…。あいつは私を撃てない…。そうでしょう…?」

「くっ…どいてください!」

「ほらね」

「メリー…」

「任せなさい!」

「初めて頼りになると思ったよ」

「そんなに普段の私って頼りないかしら…」

「----様…」

「早苗さんを…返して…!」

初めて、誰かを本気で睨んだ気がする。

今の私には、守れる。

早苗さんを、蓮子を。

「…仕方ない。お許しください…----様」

「え?」

小さい光の玉が、私の体に叩きつけられた。

まるで、小さな爆発が、間近で起こったかのような衝撃。

蓮子を下敷きに、階段を転げ落ち、やがて止まった。

「痛…」

「蓮子!大丈夫…!?」

「ちょっと…大丈夫じゃ…ないかも…」

その隙に、女は蓮子の首を取り、締め上げた。

「蓮子…!」

「うぁ…がはっ…!」

「元に戻せ…!宇佐見蓮子…いや…----の巫女!」

「蓮子を放して…!」

私は、精一杯の力を込めて、タックルをかましたけれど、女は驚くほど堅く、びくともしなかった。

「お前さえいなければ…!」

「あ…が…ぁ…!」

「蓮子…!」

「言え…!お前の名を…!言え…!」

「もうやめて…!私達は何も知らないの…!本当に…知らないのよ…!」

「----様、何れ思い出します…。私達と過ごした、あの日々を…」

「だから、何も知らないんだって…!」

「----様!」

「やめて…!」

その時、蓮子の動きが止まった。

「え…」

「…ッチ、気絶したか」

「れ…蓮子ぉ…!」

「だが…これで楽になった…。----様、貴女にも来てもらいますよ。思い出すまで…向こうの世界に帰る事はさせません…」

「そんな…」

「さあ…」

女が私の手を掴む。

「やめて…!放して…!」

「今だけです…!苦しいのは今だけ…。すぐに思い出します…」

「いや…!誰か…助け…」

瞬間だった。

女の手に、大量のお札のようなものが、纏わりついた。

「な…!」

女は咄嗟に私の手、そして、蓮子を放した。

「蓮子…!」

近づき、抱えようとしたとき、重力に逆らうかのように、蓮子が浮き、そして、飛んだ。

「…やっと本性を現したな」

蓮子は、見た事もない表情をしていた。

威圧感。

何者も寄せ付けないような、そんな目をしている。

蓮子にあんな顔ができたのか。

「----の巫女…」

「八雲藍…。邪魔はさせない…」

蓮子がお札を大量に撒くと、お札は、まるで命を持ったかのように、勢いをつけ、女へと向かった。

「くっ…!」

女が飛ぶ。

それを、お札は何処までも追った。

私は、硬直していた。

何が起こっているのか、全く分からなかった。

どうして、飛んでいるのだろうか。

どうして、あんな表情なのか。

どうして、戦えているのだろうか。

「メリー…帰るわよ」

いつの間に早苗さんを抱えている蓮子は、私の手を取った。

「逃がすか…!」

お札を剥がしながら、女が私達を睨む。

蓮子が何か呟くと、女が結界のようなもので囲まれた。

「貴女はそこで大人しくしていなさい…」

「くそ…!返せ…!----様を返せ…!」

お札が蓮子の右手で、何かの人形のような形となった。

左手にもまた、お札が降りたかと思うと、そのまま燃えた。

「あらちをのかるやのさきにたつ鹿もちがへをすればちがふとぞきく」

そう三回呟くと、右手の人形を、左手の火で燃やした。

 

瞬きをして、目を開けると、そこには早苗さんの家があった。

「え?」

「帰ってきたのよ」

蓮子は早苗さんを抱え、家の中へと入っていった。

私は、何がなんだか分からず、そこで立っていることしかできなかった。

 

しばらくすると、蓮子が早苗さんの家から出てきた。

「早苗は一晩も寝れば大丈夫そうね」

蓮子の目は、やはり鋭かった。

私は、蓮子が蓮子でない気がして、少し、身構えていた。

蓮子が、じっと、私の目を見る。

「メリー…か…」

そう言うと、蓮子はその場で倒れた。

「蓮子!?」

当然だった。

階段から転げ落ち、気絶させられ、あんな戦いをさせられたのだ。

あんな戦い…。

そうだ…。

蓮子は、どうしてあんな力を使えたのだろうか。

もしかして、私や早苗さんと同じで、変な力を使えるようになったのだろうか。

「うぅん…」

「蓮子!」

「…メリー?あれ?ここは…?」

「え?」

 

早苗さんが目覚めるまで、傍で様子を見ようと言う事になった。

「ねえ蓮子…本当に覚えてないの…?」

「うん。というか、本当に私だった?それ…」

蓮子は首を絞められた辺りから記憶がないらしい。

「でもなんだろう…。体の節々が痛いんだよね…。筋肉痛みたいにさ…」

「そりゃ…あんな動きしたら…」

「そんなに動いてた?」

「えぇ、凄かったわ…」

「そうなんだ…」

蓮子も私も、怖い思いをしたのにも関わらず、落ち着いていた。

まるで夢。

怖い夢を見た後のような、落ち着き。

「でも…良かった…。早苗さんが無事で…」

「やっぱり幻想郷の仕業だったのね…」

蓮子が、私の手を握った。

「メリー…。メリーも無事で良かった…」

そして、私を抱きしめた。

「ちょ、ちょっと蓮子?」

「メリー…」

「どうしたのよ?そんなに怖かったの?」

「うん…。なんだろう…。メリーを失うのが、ただただ怖かった…」

「蓮子…」

蓮子の目は、先ほどとは違い、いつもの目をしていた。

キラキラとした、澄んだ瞳。

その目が、近づいたと同時に、私は、唇に、やわらかいものを感じた。

それが何かは、すぐに分かった。

「れ、蓮…子…?」

「…わ…わわわわわ!私ったら…何してるんだろうね…!えと…その…ごごご、ごめんなさい!」

焦る蓮子。

焦りたいのはこっちだ。

いくら近かったからといって…その…。

「ど、どうかしてたよ!まだパニックになってるのかも…。か、顔洗ってくるね!」

そう言って、洗面所へ向かって行った。

そうか。

蓮子はまだパニックになっているんだ。

精神的に不安定で、あんなことをしてしまったんだ。

自分に言い聞かせる。

それでも、動悸は止まらない。

何にドキドキしてるんだ。

女の子同士で。

「…私も精神的に不安定になってるんだわ」

自分にも、そう、言い聞かせるように、零した。

 

「じゃあ、寝ようか」

「えぇ」

早苗さんは、まだ目を覚まさなかった。

万が一の事を考えて、早苗さんの家に泊まらせてもらう事にした。

「今日は大変だったね」

「そうね」

「でも、早苗さんを救えた。もしメリーが一緒に来てくれなかったら、こうは行かなかったと思う。ありがとうね」

「照れくさいわ。それに、実際救ったのは貴女じゃない」

「そうかもしれないけどさ。でも、感謝してる」

「私もよ」

「なんか、この感じ、懐かしいな」

「え?」

「いや、なんと言うか、私達って、昔から、こうして一緒にいた気がするんだ」

「確かに、私もそんな気がするわ」

「案外、早苗さんの説はあってたりしてね。幻想郷で、こうして過ごしてたのかも」

「嫌よ、そんなの」

「冗談だよ。お休み」

「お休み」

谷中は、自宅と違って静かだった。

早苗さんの寝息が聞こえるくらいだ。

今日の事は、色々謎が残る。

だけれど、今それを考えるほど、頭は回転していない。

やがて意識は、夢か現か分からない世界へと、落ちていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神楽坂の毘沙門天

「帰らなきゃ」

どこに?

「私のいるべき場所に」

だから、それは何処?

「楽園よ」

楽園?

「そう。全てのものが、そこに辿り着く」

…死後の世界のことかしら?

「ある意味では正しいわね」

そんなところに、私はいたの?

「えぇ、だから、帰りましょう?」

伸ばされた手を掴もうとしたとき、強い光が、私の目を潰した。

 

「うぅん…」

「メリー、朝だよ」

青い空、そして、黒い蓮子。

「今日もいい天気だね。さ、起きた起きた」

「うぅん…あ…早苗さんは!?」

「それは…」

「ん…」

私達の声がうるさかったのか、はたまた太陽の光に焼かれたからか、早苗さんは目を覚ました。

「ここは…」

「早苗さん!」

「良かった…目を覚ましたのね…」

「蓮子さんにメリーさん…?」

 

「そうだったのですか…」

「それで…早苗さんはどうして連れ去られてしまったの?」

「…覚えていません」

「え?」

「気がついたら…あの世界にいて…目の前にあの女がいました…」

「それで?」

「勝負を挑まれたので戦いました。もう少しで勝てるところだったんです!でも…名前がバレてしまって…」

「名前…?」

「携帯電話を奪われてしまったのです…。そこから名前を…。名前がばれた時…私の体は動かなくなって…それから…」

携帯電話…。

「メリー…」

「えぇ…」

「早苗さん…その携帯電話を女はどうしていた?」

「えと…空間の切れ目…?のような所に投げ入れてしまいました…」

「…なるほどね。謎は解けたね…」

「その女が私に携帯電話を…。ということは…向こうの世界からでも…こちらに干渉出来るという事になるわね…」

「だとして、どうして直接じゃなくて、こんな…。それに…どうしてメリーなのかしら…」

「それは…メリーさんがあの世界の住人だからです…」

「え…」

「どういうこと…?」

「蓮子さん…貴女もです…。名前を奪われたとき…お二人の姿が浮かびました…。でも…私の知っているお二人ではなかった。それでも…あの二人は…確かにお二人だったんです…!そして…そのお二人は、----神社でお茶を…」

「お、落ち着いてよ…。私達だけど私達じゃないって…」

「…姿が違うんです。でも…それがお二人だという確信があった…。今だって…」

 

早苗さんには落ち着く時間が必要だという判断の下、私達は早苗さんの家をあとにした。

「…なんだか、大変な事になっちゃったね」

「えぇ…」

早苗さんの言う、私達ではない私達。

私は私のはず…。

ずっと、あの女の勘違いだと思っていた。

でも…。

「メリー…」

蓮子が私の手を握った。

「蓮子?」

「あのさ…。もう…やめにしよう…?」

「え?何を…?」

「あの世界に行く事…」

その時の蓮子の目は、あのカフェで見た落ち込んだ時のものと、同じだった。

「私の力を使えば…幻想郷を回避できる…」

「でも…貴女、言っていたじゃない。いつまでもそんな生活は出来ないって…」

「一緒に行動すればいいんでしょ…?メリーと一緒に住む…」

「え?」

「これ以上…メリーをあの世界に行かせたくない…」

「確かに…あの世界は危険だけれど…」

蓮子の様子が、どこかおかしい。

…いや、私も、どこかおかしい。

どうしてだろう。

蓮子のこの提案は、私が望んでいた事…。

あの世界にはもう行きたくなかったはず。

なのに、なのにどうして、私は…。

「…大丈夫よ。そんなに心配しなくても」

そう言って、蓮子の手を放した。

「メリー…」

「いつもの元気はどうしたのよ?早苗さんを助けに行くと決心した時みたいな元気は?」

「…」

「ほら、帰りましょう?私、しばらく家を空けてたから、帰って色々やらないと…」

その時、蓮子の匂いが、私を包み込んだ。

「ダメ…!」

背中を通して、蓮子の震える姿が見える。

「蓮子…?」

細い蓮子の体が、私をしっかりと抱きしめている。

「痛いわ…」

「せっかく…」

「?」

「せっかく…こうして…幸せに暮らせているのに…。やっと…同じ立場になれたのに…」

同じ立場…?

「蓮子…貴女…泣いているの…?」

返事はない。

ただ、鼻をすするのだけは聞こえる。

「…あのカフェに行きましょう?私達も…落ち着かないといけないようね…」

そう言って、蓮子を宥めた。

 

「落ち着いた?」

蓮子は、いつものコーヒーを頼まず、グリーンティーを頼んだ。

初めて日本人らしさを見せたわね。

「落ち着きはしたさ…。でも…メリーを幻想郷に行かせたくない気持ちに、変わりはないよ…」

「蓮子…」

どうすれば彼女が納得するのかが分からない。

おそらく、蓮子も同じ気持ちだろう。

お互いに、妥協できる解決点が見つからないのだ。

…妥協?

…ダメだ、私はまだ疲れている。

どうしても、幻想郷を避けるようにする生活をしようという気持ちが、何故か起きない。

『帰らなきゃ』

「帰らなきゃ…」

「え…?」

「…あ、えと…家に…帰らなきゃ…って…」

咄嗟に嘘をついた。

だけれど、何故嘘をついたのかも、分からない。

「私、相当疲れてるみたい…。蓮子の提案も検討しておくから…今日は解散にしましょう…?」

「…分かった。でも、待って」

そう言うと、蓮子は地図を広げた。

「今日の幻想郷の位置を調べる。帰り道に幻想郷があったら…大変だからさ…」

鉛筆の渇いた音が、カフェに響いた。

「…神楽坂」

「帰り道とは間逆だね。大丈夫そうだ」

「そうね。じゃあ、今日はこれで…」

「メリー」

「なに?」

「…私達は、この世界で生まれて、この世界で育った。幻想郷などではなく…この世界でね…。それを…忘れないで…」

蓮子の目が、私を睨みつける。

どこか脅迫めいた、そんな目。

「そんなの当然でしょ?」

そう言って、カフェを出た。

蓮子が私の背中を睨んでいるのが分かる。

いや、私の思い込みかもしれない。

自分だけが知っている事実を、あたかも、他人も知っているかのような、そんな気持ち。

蓮子の気持ちを裏切ると言うのは、こうも、私を自意識過剰にするものなのね。

「罪を犯した人間は、こんな気持ちなのかしら?」

 

新宿区神楽坂。

坂が多すぎて、高齢化社会には合わないと、平坦ばかりにされてしまった街。

「随分と歩きやすい街だこと」

一本道を飯田橋方向へ歩く。

この道は、時間帯によって、一方通行の向きが変わる。

お昼前の今は、飯田橋方向へと、車が走っていた。

「ここね」

なんとなくだけど、分かる。

ここに、幻想郷への入り口がある。

善国寺。

神楽坂の毘沙門天として有名なお寺だ。

本堂の左右には、神社の狛犬のように、阿吽一対の狛虎像が置かれている。

その虎が、私を睨む。

そして、むくりと立ち上がると、二体とも、私に被いかかり、視界を暗くさせた。

 

風。

霧。

それも、とても湿った霧。

服が徐々に濡れてゆく。

ギギギという、木がきしむ様な音。

どうやら、木でできた船に、私は乗っているらしい。

「聖輦船といったかしら」

ふと、零れた言葉。

「…せいれんせん?」

全く知らない言葉。

だけど、誰でもない、私が発した言葉。

『帰らなきゃ』

「…帰らなきゃ」

「それは、どちらの事を言っているのですか?」

声のする方を向く。

その時、霧が晴れた。

青い空。

その中に、寅柄の服を着た女性。

「私は寅丸星。貴女の名前は?」

「メリー。なるほどね。貴女だったら、神楽坂に相応しいわね」

「え?」

「え?」

神楽坂に相応しい…?

自分の言葉だけれど、どうしてだろう。

何故、彼女が、神楽坂と…毘沙門天と関連していると、思ったのだろう。

「…なるほど」

彼女が、ゆっくりと、私の方へと、歩み寄る。

不安定な船の上を、いとも簡単に。

「…というか、この船…飛んでないかしら?」

遠くの景色が、何故か下に見える。

「広い幻想郷を飛ぶ船なのです。懐かしい景色でしょう」

「…えぇ」

本当に、懐かしい。

暖かな風、匂い、そして、遠くに見える、紅魔館、人里、竹林…それから…。

「…どう言う事かしら?」

知らない記憶。

だけれど、確かな記憶。

夢で見た?

デジャヴ?

いや、そんな曖昧なものではない。

もっと、ハッキリとした記憶…。

「私は…誰…?」

マエリベリ・ハーン。

その名前が、段々と、自分のものではない気がしてきた。

これが、のみこまれるという事なのだろうか。

『帰らなきゃ』

「貴女は…何を求めて、神楽坂に来たのですか…?」

『帰らなきゃ』

「私は…帰らなきゃって…」

「何処に?」

「分からないけど…でも…」

「…とある妖怪が、児童向けにつくった詩があります。この世界に迷い込んだ、少女の、御伽噺です」

 

-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-

-現し世は、崩れゆく砂の上に-

-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-

-白日は、沈みゆく街に-

-幻か、砂上の楼閣なのか-

-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-

-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-

-現し世は、血の気ない石の上に-

-空夢の、古の美しき都のお伽を-

-白日は、穢れゆく街に-

 

「夢…違え…」

「貴女は、この主人公にされてしまったのです」

「え…?」

「御伽噺の世界から、貴女は、今、帰ってきた」

「御伽噺の…世界…?」

「そうです。しかし、貴女はまだ完全ではない」

「どういう意味…?」

「名前を取り戻していない。御伽噺を終わらせるには、御伽噺の世界を完結させなければならないのです」

東京が、御伽噺の世界。

そして、その物語は、まだ終わってなくて、私は、それを完成させなければならない。

「…馬鹿げているわ」

そう零してはみたものの、今の私には、どうも、東京の景色が、色褪せて思えた。

「名前を取り戻すのです」

「私の名前って…なんなのよ…。それに…誰から名前を取り戻せって言うのよ…」

「貴女を御伽噺に閉じ込めた犯人からです」

「それは…一体…」

「----の巫女。御伽噺での名前は…」

 

神楽坂は、紅く染まっていた。

一方通行が、早稲田方向に変わっている。

「御伽噺の世界…ね…」

空間の亀裂から、日傘を取り出した。

相変わらず、歩きやすい街。

でも、御伽噺にしては、退屈な街。

遠くの空を見上げると、そこに、飛行船が飛んでいた。

「SFって言ったほうが、しっくりくるわね」

 

-夢違え、幻の朝靄の世界の記憶を-

-現し世は、崩れゆく砂の上に-

-空夢の、古の幽玄の世界の歴史を-

-白日は、沈みゆく街に-

-幻か、砂上の楼閣なのか-

-夜明け迄、この夢、胡蝶の夢-

-夢違え、幻の紅の屋敷の異彩を-

-現し世は、血の気ない石の上に-

-空夢の、古の美しき都のお伽を-

-白日は、穢れゆく街に-

 

「あらちをのかるやのさきにたつ鹿もちがへをすればちがふとぞきく」

そう零した後に、一人、笑った。

「なんてね。さて…」

 

『帰らなきゃ』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

御伽噺の世界

すっかり客足の遠退いたスカイツリー。

遠くには、その要因を作った、1000mのタワーが見える。

「私、東京に住んでたけれど、スカイツリーに登ったの始めてだよ」

そういうと、蓮子は、お婆さん一人の売店へと走っていった。

「早苗さんに何か買ってってあげようよ。ほら、これなんかいいんじゃない?」

埃を被った商品達。

後何百年もすれば、この物達も、きっと、付喪神として活躍するだろう。

幻想へと、歩み出すだろう。

「メリー?」

「ねえ、蓮子」

「なに?」

「今日、幻想郷が現われるのって、どこ?」

「…どうしてそんな事聞くの?」

「知っているんでしょう? 現われる場所」

「知ってたとして、メリーには教えない」

「どうして?」

「神楽坂……行ったでしょう?」

「……あら」

「貴女を幻想郷には連れて行かない」

「困ったわね……」

手に持っていた日傘に凭れかかった。

「貴女の名前は私が握っている」

「貴女も……『思い出した』のね……」

「違うわ。私も貴女も、最初からいたのよ。そして、ずっと見ていた。この世界、この生活。体験していたのよ。マエリベリー・ハーン……そして、宇佐見蓮子として……」

「どういう意味?」

「私は幻想郷を崩壊させ、貴女と私の名前をこの世界に封じた。名前を封じられた私達は、名前を封印したこの世界に閉じ込められた。ここまではいいかしら?」

「名前の支配権を持っているのは、この世界という訳ね」

「そして、私達の魂は、弱く、二人の人間へと宿った。それがこの体の持ち主……宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン」

「私に何の恨みがあって、この御伽噺の世界に? そして、どうして貴女まで?」

「それは言えないわ」

「そう……。どちらにせよ……私は必ず幻想郷に帰る。----、名前を返しなさい」

日傘を目の前で突き立てられていても、----は眉一つ動かさなかった。

「無駄よ。貴女はもう、幻想郷へは行けない」

「何を考えているの?」

「幻想郷で「マエリベリー・ハーン」そして「宇佐見蓮子」と名乗ってしまった今だからこそ、私達はこうして表に出る事ができている。でも、完全に支配されたわけではない。彼女達の意識に、私達が完全にのまれるのも時間の問題よ」

「そうなれば、私達は消えてしまう。貴女だって……」

「そうね」

「何が狙いなのよ……! どうして……!」

「別に貴女が憎いわけじゃない。むしろ、その逆よ」

「どういう……」

「時間ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に影に隠れたスカイツリー。

節電の為か、薄暗い。

「いつの間に寝ちゃったのね」

隣で蓮子が寝息をたてている。

「蓮子、起きて」

「うーん……あれ……? 寝ちゃってた?」

「そのようね」

「ここ……あ、そうか。スカイツリーか」

「寝ぼけてるわよ。さ、もう帰りましょう?」

「そうだね」

「あら……?」

「どうしたの?」

「こんな傘……持ってたかしら?」

「何言ってるのさ。最初から持ってたよ。日傘でしょ?」

「……そうだったわね。そうね」

「メリーも寝ぼけてるね」

「えぇ、駄目ね。最近、ぼんやりしちゃうのよ」

「私もなんだよね。湧かしたお湯を何も使わず捨てちゃうとかさ」

「それはないわ」

 

あれから幻想郷には行っていない。

秘封倶楽部の活動は、単なる東京観光となっている。

「幻想郷を避け続けるのって、案外楽だね」

「そうね」

「明日はどこに行こうか」

「そうねぇ……」

平和な日々。

早苗さんも元気そうだけれど、なんだか引っかかる。

時折、自分が自分でない気がする。

自分で決めたはずなのに、何を目的に外出したのか忘れたり。

この日傘だってそう。

どうしてこんなのを持っているのか。

単なる物忘れかしら。

それとも……。

「メリー?」

「ん?」

「どうしたの? 悩み事?」

「ううん。何でもないわ。それより、明日どうするか決めましょう? 東京駅のカフェ、まだ開いてるようだったら、そこで考えましょう?」

「うん」

 

「あら? 今日はグリーンティーじゃないのね」

「え? 蓮子さんはいつもコーヒーだけど?」

「え? そうだったかしら?」

「やだなメリー。忘れっぽいにもほどがあるよ」

「うーん……でも……ほら、神楽坂に行くなって話をした時に……」

「なにその話?」

「え? だから、幻想郷に行くなって、蓮子が言った時よ」

「……ちょっと待って」

「?」

「あのさ……幻想郷に行くなって……私が言ったんだよね……?」

「え、えぇ……」

「それって……どうしてだっけ……?」

「だから……貴女が私を幻想郷には連れて行きたくないって……」

「……確かに私は幻想郷に行っちゃダメだって……思ってた……。でも……それがメリーを守るためだっていうのは……今……初めて知った……」

「何を言って……」

「私、幻想郷に行っちゃダメって……私が言ったことも……知ってる……。でも、どうしてだかわからない……。言った状況も思い出せない……」

「蓮子……?」

「メリー……」

蓮子は震えていた。

「蓮子……」

「どうして……」

「……やっぱり……幻想郷の仕業かもしれないわ」

「え?」

「私もあれから変なの。今日だってそう。こんな日傘、どこで買ったのかも分からないし、どうして持ってるのかも分からない。ねぇ、これって……名前の件と似てないかしら……? 幻想郷で名前を言ってはいけないという知らないルールに支配されていた時と……」

「!」

「あの狐女の時に見た、空を飛ぶ貴女……。そして、早苗さんの言う、私たちとは違う、----神社でお茶を飲む私たち……。もしかしたら、あの一件で、私たちの中に、早苗さんの言う「私たちとは違う私たち」が入り込んでしまったのかもしれないわ……」

「そんなバカな……」

「そう考えると、この件も納得いくわ。私たちは、支配されたのよ」

「メリー、どうする……? このままだと……私たち……」

「段々と支配されるかもしれないわ……。もしくは、幻想郷を離れていれば、支配も薄れるかもしれない……」

「どちらにせよ……どうしようもできないね……」

その時、カフェの扉が開いた。

普段、お客さんなんて来ないから、私と蓮子は身を跳ねて驚いた。

「やっぱりここにいた」

聞き覚えのある声。

「早苗さん……?」

「蓮子さん……メリーさん……」

「奇遇ね。早苗さんもこのカフェを気に入ったの?」

「いえ、お二人がここにいると思って……」

「そりゃまたどうしたの? 携帯で連絡してくれれば……」

「違うんです。分かったんです。お二人がここにいること……。私は確かめに来たのです。お二人が本当にここにいるのかを……」

「……どういうこと?」

「……あの日から、お二人がどこにいるのか、何故だかわかるようになったんです。今だって……」

「……メリー」

「早苗さん、詳しく聞かせてくれないかしら?」

 

早苗さんが言うには、私たちがどこで何をしているのか、頭の中に浮かぶらしい。

でも、頭に浮かんだ私たちは、普段の姿とは違うようだ。

けれど……。

「確かにお二人なんです……」

「この前と一緒か……」

「そうです! 前に話したお二人と同じです……」

「頭の中では「私たちとは違う私たち」がいて、実際にいるのは私たち……ね……」

「もう訳がわからないよ!」

「……やっぱり、お二人は幻想郷に何らかの関係があります。それに……私は未だに信じています。幻想郷で見たお二人の姿……。お二人は……幻想郷の住人です……」

「……」

しばらくの沈黙が続いた。

私たちの中にいる誰か。

きっと、それが幻想郷の住人とやら。

私たちは普通に生まれ、普通に生活してきた。

私たちは私たちのはず。

「……頭が痛くなってきたわ」

「メリーさん……蓮子さん……もう一度、幻想郷に行ってみませんか?」

「え!?」

「もし……本当にお二人が幻想郷の住人であったのなら、帰るべきです」

『帰らなきゃ』

「帰らなきゃ……」

「メリー……?」

「え?」

「今……」

「……どうなってるのよ」

頭を抱えた。

今のは自分の意志で発言したわけではない。

無意識。

いや、自分の中にいる誰かが言った……とでもいうのだろうか。

「どちらにせよ、このままではいけません。幻想郷へ行きましょう」

早苗さんの言葉には、どこか安心できるものがあった。

「……そうはさせない」

「!」

蓮子の言葉だった。

「蓮子……?」

「え?」

「……貴女もなのね」

「……」

蓮子はただ、うつむくだけだった。

彼女の頭でも、もう、何が何だか分からない、といった感じだろう。

「幻想郷へ行きましょう」

「……帰らなきゃ」

「……行かせない」

「帰らなきゃ」

「行かせない」

「帰るわ」

「行かせない……!」

その時だった。

足が、ズブズブと、砂に沈むような感覚に襲われた。

世界が反転する。

足元には砂。

その砂が、舞い上がる。

咄嗟に目をつむる。

重力が反転する。

髪が舞い上がる。

だけれど、帽子は飛ばない。

世界が回る。

私を中心に。

正確には、私の顔を中心に?

いや、回っているのは私の顔?

目?

鼻?

口?

口に砂が入る。

凄い風。

体の下から、砂と一緒に吹き付ける。

これは夢?

夢?

ああ、夢?

だったら、目を開けなければ。

でも、風が、砂が。

苦しい。

夢なのに?

夢だから?

これは夢?

これは、夢?

現実は?

安らぎは?

楽園は?

目を開けろ。

夢から醒めろ。

元に戻れ。

『お帰り』

その言葉を聞いたとき、背中が熱くなった。

何かに包まれている。

ふわりとした何か。

 

目を醒ませ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻想郷の少女たち

蓮子視点の話です


私が星なら、貴女はそれを包んでくれる大きな空。

空と星は、一緒になれない。

一緒に見えて、ずっと、遠い存在。

私は、貴女と、ずっと、一緒になりたかった。

 

私が星なら、貴女の空に落ちるだろう。

天文学的な数字の海を、何年もかけて。

だけれど、そんな膨大な海を渡る間に、私は死んでしまうだろう。

 

貴女が星ならば、ぐっと、近づくことが出来るのに。

私が空なら、貴女と同じであれるのに。

貴女が私なら。

私が貴女なら。

空である貴女と、星である私が、もっと、近く、似たような存在ならば。

同じ空を見れたなら、同じ星を見れたなら。

同じように生きて、同じように死ねるなら。

 

貴女が、人間であったなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付くと、縁側に座っていた。

冷えた湯呑と、齧ってある煎餅。

揺れる髪。

束ねた髪。

「……え?」

束ねた髪……?

そういえば、帽子は?

「というか……どこよここ……?」

立ち上がる時、気が付いた。

赤い服を着ている。

袖が服と別になっていて、腋が露出している。

「……?」

歩むたびにきしむ床。

和風な作りの家。

縁側の向こうには、遠く、山々が見える。

「よう、----。起きたのか」

声の方を向くと、魔女のような帽子を被った少女が立っていた。

「あれ……----……」

ほにゃららとは、私の事だろうか?

「あー……そういうことか。だとしたら、名前を聞かなきゃな。私は霧雨魔理沙。お前は?」

「蓮見ウサ子」

「……やっぱりそうか」

少女は何か考えた後、縁側に座った。

「座れよ」

少女の言う通り、座る。

ここは、幻想郷なのか。

でも、この格好は一体……。

「ウサ子、お前はいつここに来た?」

「いつって言われても……今、気が付いたらここにいたんだよね。ねぇ、ここは幻想郷なんでしょ?」

「ああ、そうだ」

そういうと、少女は煎餅を齧った。

「……あ! そうだ……私、あのカフェで二人と話してて……それから……」

「それから?」

「……気が付いたら、ここに」

「なるほどね。だが奇妙だ。どうしてお前が----の姿なんだ?」

「そのほにゃららって誰?」

「私の……まあ、友達みたいな感じ?」

そういうと、少女は照れたのか、頬を掻いた。

「それと……」

そこまで言うと、少女は黙り込んでしまった。

「それとなによ」

「ウサ子」

「ん?」

少女が箒に跨る。

「乗れ」

「え?」

「乗れって」

「……それに?」

「そうだが?」

「……」

「……言いたいことは分かる。分かるけど、乗れよ」

箒に跨る。

凄く恥ずかしい。

「……これでいい?」

「しっかり掴まれよ?」

「え?」

瞬間、物凄い勢いで箒が飛び出した。

咄嗟に箒を掴んだけれど、今にも落ちでしまいそうだ。

「ちょちょちょ……!」

箒は容赦なく加速し、やがて雲を突き抜けた。

「スピード……! スピード緩めて……! 手が……握力が限界……!」

「ほいよ」

箒は徐々にスピードを落としていった。

「うぅ……何なのよもう……」

「大丈夫か?」

「大丈夫なわけないよ! なんだってこんな……」

下を見ると、雲が流れているのが見えた。

その隙間から、とても小さな集落のようなものが見える。

「ヒッ……!」

咄嗟に少女の肩にしがみつく。

「高いところは苦手か?」

「苦手じゃないけど……さすがにこの高さは……。それに……安全装置もなにもないし……」

「安全装置?」

こんな貧弱な箒一本でこんな高いところに来たのか。

これにはライト兄弟もびっくりだろう。

「貴女、魔法使いか何か?」

「人間の魔法使いだぜ」

「人間の魔法使い……?」

「ひみつのアッコちゃん的な感じよ」

「……なにそれ?」

「お前、向こうの世界から来たのに知らないのかよ?」

 

しばらく上空を飛んでいた。

その間、少女は何も言わなかった。

「ねえ、景色を見せてくれるのは嬉しいけど、説明ぐらいしたらどうなのさ?」

「説明も何も、何か感じないのか?」

「何も?」

「……っかしいな」

私が景色を見ると、何か起きるのだろうか。

「そういえば……貴女、メリーって知らない? 貴女のような金髪の女の子なんだけど……」

「メリー……? 名前は知ってるが、見たことはないな」

「名前を?」

「アリスが教えてくれたんだ。蓮見ウサ子、メリー」

アリス。

人形町のアリスか。

私とメリーが初めてコンタクトを取った、あの。

「魔法使い仲間なんだね」

「まあ、そんなところか?」

「じゃあ、早……姫草ユリ子は?」

「ああ、知ってるよ。東風谷早苗の事だろう?」

「本名を知ってるの!?」

「ああ、東風谷早苗……そいつが今回の異変のカギとなるかもしれん」

「え?」

箒は下降を始めた。

霧のかかった湖の上。

ひんやりとしていて、少し肌寒い。

その向こうには、紅い屋敷が見える。

「あ! あの屋敷は……」

「お、何か思い出したか?」

「神保町の……。パチュリーとかいう魔法使いがいる……」

「神保町……?」

あの列車は見えない。

この世界は幻想郷。

だけれど、どうも変だ。

私たちが迷い込んでいた幻想郷とは、少しだけ違う。

現に、この格好は一体。

「メリー……か……。そうだ! もしかしたら、お前の言うメリーがいるかもしれん」

「本当!? どこどこ?」

「マヨイガだ」

「え!?」

 

しばらくすると、人っ子一人いない集落のような場所に出た。

なるほど、マヨイガだ。

「えーっと……確かこの辺り……」

その時だった。

「うお!?」

少女の叫びと同時に、箒が横にスライドした。

首がむち打ちみたいに痛くなる。

「痛っ……! なに急に!? 安全運転で頼むよ!」

「宇佐見蓮子……」

聞き覚えのある声だった。

鳥肌が立つ。

「狐か。血相変えてどうした?」

谷中で私たちを襲った、あの狐女が、そこにいた。

「霧雨魔理沙、宇佐見蓮子を渡せ……!」

「宇佐見蓮子……? こいつの事か?」

狐女の目は、怒りに満ちていた。

「お前、本名は宇佐見蓮子って言うのか?」

もう本名がバレてる以上、隠す必要もないだろう。

「う、うん……」

「……なるほど、宇佐見……ね……。おい、狐。お前はどうしてこいつが宇佐見蓮子だと思ったんだ? ----の姿をしているのにさ」

「----様がマエリベリー・ハーンとして目覚められたのだ。つまり、お前もそうだと思ってな」

メリーが?

ということは、ここにメリーがいるということ?

「マエリ……なんだって?」

「メリーの事よ! 貴女、メリーをどうしたのよ!?」

「安心しろ……。----様には申し訳ないが、心がマエリベリー・ハーンである以上、動かないように軟禁している」

「そんな……」

「霧雨魔理沙……そいつをこっちに寄越せ。それでこの異変は解決だ」

「ならば、一つ約束してもらおうか。名前を取り返したとして、----を殺さないと誓えるか?」

「----は異変の首謀者だ……。異変の首謀者を痛い目にあわせるのは、お前たちがいつもやっていることではないか」

「交渉決裂だな。蓮子、しっかりつかまっておけよ」

「え?」

また箒が急加速した。

あの狐女に向かっている。

「馬鹿が……。宇佐見蓮子を渡せ……!」

狐女は例のごとく光の玉を何発も発射した。

結局のところ、あれはいったい何なのか。

「一発で決めてやるぜ」

少女は小さな八卦炉を取り出した。

「マスタースパークだぜ!」

少女が叫ぶと、八卦炉からまばゆい光とともに、巨大なレーザービームのようなものが発射された。

その光は、狐女の光る玉をかき消し、狐女の体を焼いた。

「ぐああああああ……!」

狐女の生々しい叫び声が響く。

やがてレーザービームが終わり、辺りには焼けこげる匂いが充満していた。

「最大火力だぜ」

「す、凄い……」

「へへへ、だろ?」

「く、くそ……」

狐女はボロボロになっていた。

「狐、----を出せ。お前がやらなくても、私がこの異変を解決してやるよ。私はその道のプロだからな」

「黙れ……! ----の肩を持つお前の事など……!」

「もう一発欲しいか? 言わなきゃ撃つ! いや、撃つと言うか? ああ?」

少女はまた、八卦炉を構えた。

「人間の分際で……!」

「お、まだやるのか。いいぜ、死んじまっても文句言うなよ? 死人に口なしなんだからよぉ!」

「やめなさい」

また、聞き覚えのある声。

「早苗さん……?」

「早苗? 東風谷早苗の事か?」

「蓮子さんですね? 良かった……無事でしたか…」

早苗さん……なんだけど、早苗さんも格好が違う。

私の緑バージョンみたいな服装をしている。

空を飛んでる。

空を、飛んでる。

「さ、早苗さん……空……空、飛んでるよ……?」

「えぇ」

「えぇって……」

「それは後にしましょう。今は……」

そう言って、狐女の方を見た。

「八雲藍……メリーさんを返してください……」

「東風谷早苗……!」

「安心してください。私はこの魔女の味方でも、貴女の味方でもありません。ただ、蓮子さんとメリーさん……私の友達を返してほしいだけなのです」

「早苗さん……」

「ふん……!唯一の部外者であるお前など信用できるか……!」

「そうとも言い切れないのです」

「なに……?」

「貴女に名前を支配されてから、私は蓮子さんとメリーさんが何をしているのか分かるようになりました」

「あのカフェに来たのも……」

「えぇ、それと……私の中で、誰かが囁くようになったんです」

誰か……。

まさか、早苗さんも私たちと同じように、誰かが……。

「蓮子さん、そして、メリーさん……お二人を……幻想郷に帰せと……」

「私たちを……幻想郷に……?」

「本能か……」

少女はそういうと、帽子を深くかぶった。

「私の中に誰かいるのか、もしくは、名前を奪われた為に幻想郷の本能を植え付けられたのかは知りません。ですが、私自身、私の知らない誰かになってしまう気がして怖いのです。だから、私も早く解決したいのです。そのほにゃらら……蓮子さんの中にいる誰かが名前を奪ったというのなら、その人が知っているはずです。この全てを終わらせる手段を……」

狐女は黙ったまま、じっと早苗さんを見ている。

「蓮子さんもメリーさんも助けたい。そして、私自身も……。なので、決して部外者ではないのです」

「……お前にできるのか?」

狐女は、静かに、だが、怒りを含めながらそう言った。

「少なくとも、お二人よりは穏便に解決出来るでしょう。どちらも、どちらかには渡したくないでしょうから」

「私はいいぜ。----が無事ならそれで」

少女はニヤリと笑った。

「……いいだろう。だが、----様がどうするかは別だ。覚悟しておけ……」

「交渉成立ですね。では、メリーさんのところへ案内してください。それと、蓮子さんはこちらで預かります」

そういうと、早苗さんは私を抱きかかえた。

「さ、早苗さん……」

「お怪我はありませんか?」

「うん! それにしても、凄いね。早苗さんの力は本当だったんだね。蓮子さん、早苗さんの事見直したよ」

「今までどんな風に思ってたんですか?」

 

私たちは狐女の後を追った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

友達

目を覚ますと、私は布団に寝ていた。

「ここは……」

目を擦った手。

「……え?」

手袋をしている。

日焼け用の手袋のように、少し長い。

「何よこれ……」

服装も、いつも着ているものとは少しだけ違う。

似てはいるんだけれども。

「お目覚めですか、----様」

聞き覚えのある声。

「狐女……!? どうして貴女が……!」

狐女はじっと、私を見ている。

あの瞳。

恐怖がよみがえる。

「……まだ、記憶がお戻りになっておられないようですね」

ここは幻想郷だ。

でも、どうして……。

私たちはカフェにいて……それで……。

「----様、もう少しのご辛抱です。少しの間、ここに居てください」

そう言うと、狐女は結界のようなもので私を囲んだ。

「宇佐見蓮子を探さなければ……」

「え?」

狐女の体がふわりと浮く。

それと同時に障子が勢いよく開いた。

土の匂いが辺りを包む。

結界の中にいるのに、匂いは通すのね。

「待ってよ!」

結界は冷たくて硬かった。

何度叩こうが、歪みもしない。

そうしている内に、狐女は外へと飛び出し、同時に障子も勢いよく閉まった。

「……また、一人」

どうして私はいつもいつも一人なんだろう。

「蓮子……早苗さん……」

膝を抱え、小さく縮こまる。

弱い自分。

助けを求める事しか、私には出来ない。

「貴女は弱い」

「え?」

顔をあげると、そこには私がいた。

「貴女は弱い」

「……そんなの分かってるわよ」

「どうして強くあろうとしないの?」

「お一人様サッカーだってやったわ。努力はしたつもりよ……」

「本当にそうかしら?」

「そうよ……」

「でも、貴女は弱いままだわ。努力って言葉はね、結果を出した人間だけが言える言葉なのよ。貴女は結果も出してないのに努力を語るというの?」

「……うるさい」

「貴女はいつもそう。そうやって逃げるの。友達が出来なかった時だってそう。学生の本分なんて言って、本当はコミュニケーションが取れないだけ」

「……」

「いつかは自分を理解してくれる人が出来る。そう信じて、ずっと、生きてきた」

「……それの何が悪いのよ。悪いと決めつけているのは貴女でしょう……!?」

「そう、私。その私は、誰かしら? ねえ、メリー?」

「……私でしょ!? 何……!? 何なのよ!? どうして……? どうして私は私を責めるのよ!? 私の幸せを妨げるの!?」

「不幸だからよ。貴女が弱いからよ」

「不幸……?」

「そう。逃げて逃げて「生き方は人それぞれ」、「幸福と思えば幸福」、そう信じてきた貴女は、自分の目から見ても不幸だった」

「そんなこと……」

「蓮子と早苗さんを見て、貴女はこう思ったはずよ。「彼女たちのようになれたのなら」って」

蓮子のように、積極的で、頼れる存在になれたなら。

早苗さんのように、謙虚で、誰からも好かれるような存在になれたなら。

幾度となく、妄想した。

理想の自分。

幸福に包まれた、自分。

「今の貴女は誰にもなれない。弱い弱い女の子。蓮子と早苗さんがいなければ、何も出来ない」

「……」

私は、弱い。

この先もずっと。

「で? どうするの?」

「え?」

「このまま、弱いままでいいの?」

「いい訳ないじゃない……。でも、どうすればいいのか分からないのよ……」

「私が変わってあげようか?」

「貴女が……? でも、貴女は私じゃない。私がどうしようもできないのなら、貴女にだって……」

「私は貴女だけど、貴女じゃない。貴女の中に眠っている、本当の貴女よ」

「本当の私……?」

「そう。だから、ちょっとだけ体を貸してちょうだい……?」

私の手が、私を抱こうとした。

私の目が、私を見つめる。

その瞳に映る、謎の女性。

私に似ている、私ではない誰か。

なら、私は誰?

私の手が私を包み込もうとしたその時だった。

 

「メリー!」

 

誰かの声。

「蓮子……?」

顔を上げると、そこには赤い服を着た巫女がいた。

「メリー……だよね?」

蓮子だ。

姿は違うけど、蓮子だ。

何故か分からないけれど、蓮子だと確信できた。

「蓮子……!」

結界が解ける。

「メリー……よかった……。無事だったんだね……」

蓮子の温もりが私を包む。

「蓮子……蓮子……」

「よしよし……もう大丈夫だよ。早苗さんが助けてくれたんだ」

蓮子の後ろには、巫女のような恰好をした早苗さんと、魔法使いみたいな白黒の服を着た少女、そして、狐女がいた。

「早苗さん、ありがとう……」

「いえ、それよりも、メリーさん……貴女のその姿……」

「あ……そうよ! 私の姿……というか、蓮子もその姿……一体……」

「どういう訳かは分かりませんが、お二人とも、「幻想郷のお二人」の姿になっているようです」

「幻想郷の私たち……?」

蓮子も聞かされてないのか、そう返した。

「そうだ、蓮子、お前が----で」

「マエリベリー・ハーン……貴女が----様だ」

ほにゃららと、ほにゃらら様。

蓮子と私が……?

本当に、私たちはこの世界の……。

「メリーさん、蓮子さん、私たちは貴女方の……幻想郷の名前を取り戻さなくてはなりません」

「!」

「それが、きっと、この異変の全てに繋がっているはずなのです」

「でも、どうやって……」

「それには、まず、貴女方にお話を聞かせて貰わないといけません。どのようにして、こうなったのかを……」

そう言って、早苗さんは魔女と狐女を見た。

「いいぜ。私が説明しよう」

魔女は語り始めた。

 

ごく普通の日だった。

空も晴れていたし、本当に普通の日だった。

お昼を過ぎた辺りだったかな。

私たちの頭の中に、何かが語り掛けてきたんだ。

『名前を求めよ』

ってな。

それからだった。

幻想郷から、いろんなものが消えたり、現れたりを繰り返したのは。

紅魔館……紅い大きな屋敷なんかも、まるっと消えちまったこともある。

そして、段々と、私たちの頭の中に語り掛ける声が、明確に、そして、当たり前だと言わんばかりに大きくなっていき、やがて、私たちはそれを幻想郷の声……私たちのするべき本能の声だと理解した。

『名前を求めよ』

『幻想郷を元に戻せ』

----が名前を外の世界に封印したことも、本能が知っていた。

だから、お前たちを襲ったいろいろな不幸も、本能によるものだったんだ。

男が女を求めるように。

女が男を求めるように。

どうしてもお前たちが欲しかったのさ。

幻想郷を元に戻すために。

名前を持っているであろう、お前たちがな。

だが、少し違ったようだ。

お前たちは名前を持っていなかった。

お前たちが持っていたのは、----と----の魂だ。

この異変が起きてから、----と----は魂が抜けたように眠ってしまっていた。

その魂は外の世界に封じ込められ、お前たちの中に宿ったんだ。

名前は、それを解放するためのカギなんだ。

……いや、おそらくそうだ。

私にも分からん。

だが、本能がそう言っている。

赤子の作り方を知らないやつが、性に目覚めるのと一緒だ。

確信はないが、関連はしている。

お前たちを例えると、鍵穴で、名前を持っているやつが鍵なんだ。

今、鍵穴は揃った。

残りは鍵だけだ。

 

「ここまではいいか?」

「……なんだか、本能ってだけで、あなた達も分かっていないのね」

「しょうがねえだろ。学校で習ってないんだ」

幻想郷にも学校があるのね。

「……今の話だと、幻想郷に迷い込んで求められるのは、名前を持っているか魂を持っている者だけになりますが……」

「ああ、そうだな。だからこそ」

魔女は早苗をじっと見た。

「お前が持ってるんじゃないか? 東風谷早苗」

場が凍り付いた。

誰もが、予想もしていなかったというような顔をしている。

狐女ですら。

早苗さんですら。

「蓮子とメリーが名前を聞かれていたのは魂を持っていたからだった。なら、何故お前も名前を聞かれていたんだ?」

「……私が?」

確かにそうだ。

どうして早苗さんが関係しているんだろう。

私たちはこの通りだったからだけれど。

「東風谷早苗、----はお前に封印したんだ。名前をな」

「そ、そんな……だって、どうしてそんな事……」

「……そうか」

狐女が、そう零した。

「東風谷早苗……お前は幻想郷に関係する人間なのではないか?」

「え……幻想郷の……?」

「その力……そして、お前の言う宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンを幻想郷に帰せという本能の声……。それは、お前が幻想郷に関係しているということではないか?」

「早苗さんが……幻想郷に?」

「でも、それは貴女に名前を支配されたからであって……」

「だが、その前から使えたんだろ? 妖怪どもがそう言ってたぜ? 姫草ユリ子と名乗ってた頃も使えていた」

「いや……そうとは言い切れないよ」

そう切ったのは蓮子だった。

「単に名前を封印されたからということもある」

「……確かにそうか」

「だけれど、早苗さんが持っているのは間違いなさそうね」

また、場が静まる。

早苗さんが持っていたとして、どうやって元に戻せるのか分からなかったからだ。

「どうすれば……」

瞬間、狐女が蓮子の首を絞めた。

「な……!?」

「蓮子!」

「う…ぁ…が……なに……を……」

「おい! それ以上すると撃つぜ!?」

少女が小さな八卦炉を構えた。

あれから何か出るのだろうか?

「名前を封印した本人に出てきてもらった方が、やはり早いんだ」

「どういうことだ!?」

「以前、宇佐見蓮子と対峙した時、気絶した後に----が出てきた」

対峙した時。

そうだ、早苗さんを取り戻しに言った時。

蓮子が気絶して、それから蓮子がめちゃくちゃしたあの……。

「あの時の蓮子は……そのほにゃららだったというの……?」

「ああ」

こう話している間にも、蓮子の首は徐々に絞めつけられてゆく。

確かに、こうすればほにゃららというのが出てくるかもしれない。

でも……。

「が……ぁ……」

「蓮子……」

私は弱い。

どうすればいいか分からない。

いつもいつも、見ているだけ。

さっきだって、蓮子や早苗さんが来てくれなかったら、私の知らない私に飲み込まれていただろう。

無意識に早苗さんを見ていた。

早苗さんは、自分の事で頭がいっぱいなのか、オロオロとしている。

誰も助けてくれない。

私は、誰も助けることが出来ない。

「メ……リー……」

蓮子が私の方を見た。

どうして、私を見ているの?

どうして、私の名を呼んだの?

私は何も出来ないのよ?

どうして。

「大……丈夫……。私は……が……大丈夫……だから……」

はっとした。

蓮子は、不安そうな私を励まそうとしてくれたんだ。

自分がそんな状況で、どうして私の事を心配できるんだろう。

『友達だからだよ!』

自ら危険を冒してまで、早苗さんを救おうとした理由を蓮子はそう言った。

そうか。

蓮子は、自分以上に友達を大切にしようと考える人間だった。

だから、今も。

……なんて馬鹿なんだろう。

自分が危険な目にあって、死ぬかもしれない状況であろうと、そうやっていられるなんて。

なんて馬鹿なんだろう。

そんな馬鹿と友達で、大切な人だと思っていて、一緒にいる私は、もっと馬鹿なのかもしれない。

大切な友達を、ただ見ているだけの、馬鹿野郎。

馬鹿野郎……。

馬鹿野郎。

「バカヤロウ!」

そう叫び、狐女の手に噛みついた。

なんて馬鹿な行動。

まるで犬のよう。

必死で、羞恥心も忘れ、これからどうするかも無計画で……。

でも、蓮子がそんな馬鹿なら、私は蓮子の為に生きようと思った。

蓮子が私を見るならば、私も蓮子を見ようと思った。

蓮子が馬鹿なら、私も馬鹿でいい。

バカヤロウでいい。

「メ、メリーさん……」

皆、唖然としている。

そりゃそうよね。

こんなはしたないことをしているのだもの。

でも、いいの。

「うぅぅ……」

こんなに必死になったの、初めてかもしれない。

今まで、自分自身の事ですら、こんなに頑張って来れなかった。

「この……! 離せ!」

狐女が私を振りほどこうとする。

顎が痛い。

歯が抜けてしまいそう。

頭を何度も振られるから、頭痛がする。

「うぅぅ!」

蓮子、今、やっと貴女を理解できた。

貴女がどうして、そこまで必死になって友達を救おうとしたのか。

自分を捨ててまで、大切にしたいものがある気持ち。

それが貴女の強さだったのね。

「メ……リー……」

私は、貴女のようになれたのかな。

貴女のように、強くなれたのかな。

「くっ……」

観念したのか、狐女は蓮子を放した。

私も狐女から離れる。

「うぅ……」

「蓮子……!」

「メリー……」

「蓮子……」

蓮子の体を抱きしめる。

なんて小さいんだろう。

こんな小さな体で、あんなにも大きな行動を起こしていたなんて。

「メリー……どうして……」

「友達だからよ……。友達が苦しんでいるのに、助けないでどうするのって、貴女の言葉よ……?」

「だからって……無茶したね……」

蓮子の指が私の口を拭いた。

どうやら、狐女の血がついていたらしい。

「それも貴女と同じよ……」

「……私って、馬鹿だったんだなぁ」

「やっと気が付いたの?」

「……うん、本当に馬鹿だったわ」

蓮子が立ち上がった。

いや、蓮子じゃない。

「蓮子……?」

「本当に馬鹿だったわ……。そう考えている今の私も、きっと馬鹿なんだわ」

「……貴女、誰? 蓮子じゃないわよね?」

「あ? 何言ってんだお前……」

蓮子……赤の巫女は、早苗さんの前に立った。

「もういいわ。さあ、名前を返しなさい」

赤の巫女は手を差し伸べた。

早苗さんはどうしていいのか分からないといった様子。

「洩矢の血を継ぐ者よ。我に名前を還し給え」

その瞬間、私たちは光に包まれた。

そして、後ろへと吹き飛んだ。

何かに後頭部をぶつけたのか、私はそのまま気を失った。

最後に見えた光景。

それは、私の後ろ姿によく似た、誰かの背中だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヒヤシンス

「これは夢だ」

そう気が付くことがある。

これも、そう、その一つ。

「メリー」

「蓮子?」

「ここは……?」

「夢の中……ね」

「……やっぱり?」

「そういう貴女は、私の夢の産物でしょう?」

「メリーにも同じことが言えるでしょ」

「まさか、同じ夢を見てるなんてないわよね?」

「なら、現実に戻った時の合言葉を決めておかない? 確認のためにさ」

「いいわね。何にする?」

「そうね。ここに咲いている「ヒヤシンス」なんてどう?」

「それにしましょう。それにしても、どうしてこんなところにヒヤシンスが咲いているのかしら? 土もないのに」

「夢だからじゃないかな? 床もなんだかよく分からないものでできているし」

「ヒヤシンスねぇ……。フロイトはどう見るのかしら? 私たちの夢を……」

そう言った時、その花を摘む者がいた。

赤い服を着た、巫女のような少女。

「貴女……」

瞬間、世界が光に包まれた。

 

「夢って、いつだって、急に場面が変わるよね」

「あ、それ分かるわ」

「そうそう。うつ伏せで寝るとヤらしい夢を見るんだって」

「なら、私たちはうつ伏せ以外で寝ていると考えられるわね」

「夢の中で現実を考察するってのは、なんだかおかしいね」

「本当」

そう笑う私たちの前にはブラウン管のテレビが置いてあった。

「こんなの博物館でしか見たことないよ」

「どうやって使うのかしら?」

「あ、電源って書いてあるよ。ここを押すのかな?」

電源ボタンを押すと、キーンっという音と共に、ノイズ音が私たちの耳をついた。

そして、ノイズが徐々に大きくなり、画面には砂嵐にような映像がゆっくりと映し出された。

「なにこれ?」

「さあ……」

砂嵐の映像をじっと見ていると、砂嵐の中に二人の女性が映っているのに気が付いた。

「んん……?」

「これって……。この二人って……」

女性二人の会話が、砂嵐をかき消すように、段々と大きくなる。

『こんな日が、ずっと続けばいいのにって思うわ』

『ずっと……ねぇ……』

『とはいえ、貴女は人間だから、いつか死んでしまうのでしょうね』

『私が死んだら、悲しい?』

『どうかしら? 幾度となく友人を亡くしてきたけれど、もう名前も覚えてないのよね』

『薄情な奴ね』

『それほど長く生きてきたというものですわ。それに、私は妖怪。薄情な存在よ』

『なら、私を食ってしまわないの?』

『貴女は小骨が多そうだからね』

『ちょっと』

『なに? 食べてほしいの?』

『ふん……』

『でも、そうね……。私は、貴女だけは忘れないと思うわ』

『え?』

『忘れたくても、忘れられないほど強烈な人間。そうでしょう?』

『悪かったわね』

『こんなちっぽけな日常や、他愛のない会話。それらさえも、幾度となく、私を苦しめる時が、いつか来る……』

『紫……』

『どうして人間は、こうも妖怪を苦しめるのかしら?』

『……』

『霊夢、貴女が人間の心を持った、妖怪であれば良かったのに。私と同じように、ずっと、この場所で、笑いあえる存在だったらいいのに……』

『……』

『……なんてね。そろそろ家に帰るわ。また、明日ね』

『えぇ……』

その言葉を最後に、また砂嵐の中に消えていった。

「今の二人って、幻想郷での私たちの……」

「紫と霊夢……って言ってたね」

きっと蓮子も同じだろう。

今の映像を見ているとき、心の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。

「……今の話から見るに、紫が妖怪で、霊夢が人間。二人はそんな存在だから、共に生きることが出来ないことを嘆いている……ってところかな? この事から見えてくる私たちの真相心理とは?」

「夢診断ね」

「あの映像の登場人物を私たちに当てはめると、メリーが紫で、私が霊夢ってことになるのかな? 幻想郷での私たちを考えると」

「つまり、あの映像は紫と霊夢の物語ではなくて、私と蓮子の物語で、あの二人は化身に過ぎないってこと?」

「おそらくはね」

「じゃあ、私が妖怪で、貴女が人間ってわけ? なんだか嫌だわ」

「仕方ないでしょ。そうなると、とりあえずメリーの心理としては、私を失いたくないというものがあるのかな?」

「え?」

「どう? 私を失いたくないって思ったことある?」

そりゃ、何度だってある。

蓮子がいなくなってしまったら、私はまた……。

「メリー?」

なんて答えようか迷ってた時、また映像が映し出された。

霊夢が「八雲紫」と書かれた札を持っている。

『博麗霊夢……! ----様の名前を返せ……!』

叫んでいるのは狐女だ。

その足元で、紫が眠っている。

『----様がいなければ、幻想郷は管理者を失い、いずれ崩壊する……! それが分かっての事か!』

『えぇ』

『博麗霊夢……!』

狐女の毛が逆立つ。

それに反し、霊夢は冷静だ。

『邪魔よ』

瞬間、狐女は結界のようなもので拘束された。

『----……』

霊夢は紫に近づくと、そっと、口づけをした。

『貴女を一人にはさせないわ。私も、きっと貴女を見つけて、また一緒に……』

そして、「博麗霊夢」と書かれた札と、「八雲紫」と書かれた札を宙に放る。

『幻想の血を継ぐ者へ……』

二枚の札は、光となって空を目指す。

やがて、光が見えなくなった頃、霊夢と紫は体を重ねるようにして、眠りについた。

そこでまた砂嵐。

「……ねえ、もしかして、これって深層心理じゃなくて……」

「私たちの中に二人が入ってきた真実……なのかもね」

「もしそうだとして、どういうことよ? どうして私たちがそれを夢で見れるの? そして、どうして霊夢はあんなことをしたのかしら?」

「夢で見れるのはよく分からないけれど、霊夢の件に関しては、ちょっとだけ分かった気がする」

「聞きましょう?」

「まず第一に、霊夢は人間で、紫は妖怪。紫は寿命の事で、共に生きれない事を悩んでいた」

「うんうん」

「第二に、霊夢も同じことを考えていたと仮定する」

「ん? う、うん……。仮定……ううん……」

「まあ、これは後で繋がってくるからさ、とりあえず、ね?」

「はあ……」

「第三、霊夢は妖怪になれない」

「うん」

「じゃあ逆に、紫が人間になることはできたか?」

「妖怪が人間に? どうなのかしら?」

「おそらくは出来ない。だけれど、こう考えたらどうかしら?」

「?」

「私たちになって、私たちの世界で、人間として過ごす」

「!」

「魔法使いの女の子……魔理沙だっけ。魔理沙が言ってたじゃない? 私たち二人の中に、紫と霊夢の魂が入ったって」

「……つまり、こう言いたいわけ? その方法に霊夢が気が付いて、名前を封印し、魂を私たちの中に封印した」

「その通り。そう考えれば、さっきの仮定もしっかりはまってくる」

「でも、そんな事したって、私たちは私たちだし、たまたま蓮子と私が会ったからいいものの……」

「偶然が重なったのか、もしかしたら、幻想郷の住人は本能的に名前を求めるっていうのに、私たち二人が反応して、お互いに求め合ってたのかもしれないね。幻想郷の住人である紫と霊夢の魂を持っていたから」

「そ、そんなこと……」

「それを霊夢が分かっていたのなら、私たちが会うことは必然だったと言わざるを得ない。確かに変だよね。幻想郷に行ける人間が、たまたま、あのカフェで偶然、出会ってしまうなんてのは」

「そうだけど……」

私はあまり認めたくなかった。

蓮子の言うことがあってたとしたら、私たちが仲良くなった理由も、何もかもが仕組まれたものになってしまう。

そうなったら、この全てが終わった時、私と蓮子の関係はどうなってしまうのだろう。

そう考えて、怖くなって、悲しくなって、それらを否定したくなったのだ。

「ちょっと待って……。だとして、どうして霊夢は早苗さんに名前を封印したのよ?」

「え?」

「だって、早苗さんは幻想郷に関わる人間なのかもしれないんでしょう? さっきの映像だって、「幻想の血を継ぐ者へ……」って言ってたし……」

「うん」

「もしそうなら、早苗さんは本能で私たちを求めて、私たちと出会ってしまう。現に、そうなってる」

「うんうん」

「私が霊夢なら……そんなことはしないわ。だって、魔理沙の言うように、鍵穴と鍵が揃っちゃうじゃない。そしたら、全てが台無しになるわ」

「確かに……! でも、名前を封印するのに、幻想郷に関わる人間じゃなきゃいけなかったのかもよ?」

「そうだとしても、私たちが眠る直前の事、貴女は覚えている?」

「いや……ちょっと覚えてない……」

「霊夢が出てきて、名前を解放したのよ」

「そうなの? だからか、紫と霊夢の名前を言えるの」

「私はその衝撃みたいのにふっとばされて、気絶したみたい」

「もしかしたら死んじゃってるかもよ?」

「ちょっと」

「どちらにせよ。そうだとしたら、ますます謎だね。どうして霊夢は名前を解放したのか……」

「……もしかして、意図的に早苗さんに封印した……とか?」

「え?」

その時、私の視界が光に包まれ、それが眩しくて目を瞑った。

 

「……」

寝ぼけ眼を擦る。

後頭部が物凄く冷たい。

起き上がり見てみると、そこには氷枕があった。

「痛い……」

後頭部をさすると、コブが出来ていた。

なるほど、誰かが寝かせてくれていたのか。

「メリー?」

隣を見ると、蓮子がいた。

ちょうど起きたところのようで、彼女も寝ぼけ眼を擦っていた。

蓮子は蓮子だった。

あ、いや……霊夢ではないってことよ?

「蓮子、貴女、元に戻ったのね!」

「メリーも! 戻ってるよ!」

だけど、部屋は眠る前のあの部屋だった。

「まだ幻想郷にいるみたいね」

「そのようだね」

しばらくの沈黙のち、私は思い出したように蓮子を見た。

蓮子も同じようだった。

 

「「ヒヤシンス!」」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



あとがきに続編の話があります。


「ヒヤシンス?」

障子が静かに開くと、早苗さんが桶を持って入ってきた。

姿は巫女のような格好のままだ。

「お目覚めになられたのですね」

「早苗さん」

「メリーさん、頭はもう大丈夫ですか?」

「ちょっと痛いわ……」

「早苗さん、あれからどうなったの?」

「お二人の姿が戻っているので察しているかもしれませんが、幻想郷でのメリーさんと蓮子さんも、この世界での姿と魂を取り戻しました。私が持っていた名前を解放して……」

「じゃあ、やっぱり早苗さんが?」

「そのようです……」

「でも、どうして……」

「どうやら、私の遠いご先祖様に神様がいたそうです」

「え?」

「か、神様?」

「そして、その神様は……この幻想郷にいるそうなのです」

「えぇ……? で、でも……神様って……」

蓮子が信じられないというような顔で私を見た。

私だって信じられないわよ。

そもそも、神様が人間の子を産むの?

「えーっと、つまり、早苗さんは幻想郷の血を継ぐ者で間違いなかった……という訳ね?」

「はい。私も信じられませんが……」

「その神様には?」

「向こうが会うことを拒んでいるようです。なんでも、住んでいる時間が違うとか何とかで……」

「時間?」

「えぇ……。私にもよく分からないのですが……」

「時を超える神様なのかな? それとも、この幻想郷と私たちの住む世界の時間が違うとか……?」

蓮子はブツブツ言いながら考え始めた。

本当、この手の話、好きねぇ。

「それより早苗さん。幻想郷での私たちはどこに?」

「それなんですが……」

「?」

 

居間に出ると、私にそっくりな女性と、狐女が座っていた。

「起きたのね」

「貴女が……幻想郷での私……」

「もう私は私よ。貴女も貴女。貴女と私はもうお互いに違う存在」

「……」

「私の名は八雲紫。まずは謝らせて頂戴。メリー、蓮子、そして早苗。悪かったわ……」

そういうと、紫と狐女は頭を下げた。

「八雲紫……」

蓮子の方を見ると、やはりという顔をしていた。

「じゃあ、もう一人の名前は博麗霊夢?」

「え?」

私たちは夢で見たことをすべて話した。

皆、驚いた顔をした。

「驚きだわ……。そうよ。すべてその通り……」

「やっぱり、あの夢は、この事件の真相を見せてたんだ……」

「そのようね……」

「しかし、何故そのような夢を見たんでしょうか……」

「うーん……。しかも、メリーと一緒だったしね」

「ヒヤシンスね」

「うん、ヒヤシンス」

「?」

「で、その霊夢はどこに?」

「……今は結界の中で大人しくしているわ。これだけの異変を起こしたのだもの。それなりの処分を考えないといけないわ……」

「それなりの処分って……?」

紫は黙ったままだ。

「もしかして……殺しちゃう……とか……?」

「……そうなるかもしれないわね」

「そんな……」

何故か蓮子が悲しそうな顔をした。

「蓮子、どうして貴女がそんな顔をするのよ?」

「……分からない。けど、魂が入ってたからかな……霊夢の気持ちが……少し分かる気がするんだ……」

「霊夢の気持ち?」

「きっと、霊夢は紫の中にずっと残っていたかったんだと思う」

「私の中に……?」

「うん。紫は妖怪だから、長く生きていれば、いずれは霊夢の事を忘れちゃう。それって、辛いことだと思うんだ……。それに、もし覚えていたとしても、霊夢は紫を慰めることが出来ない。紫にとって霊夢は大切な人なんでしょ? だったら、失った時の悲しみは深いと思う……。分かるでしょ?」

「……もし霊夢を失ったら……辛いでしょうね……。ずっと考えないようにしてきたことだけどね……」

「だから、霊夢はあんなことをしてしまった。私だって、友達が同じような目に合うなら、なんとかして変えたいと思う」

「蓮子……」

「蓮子さん……」

「やり方を間違っただけで、霊夢に悪気はないんだよ……! だから……」

「本当に悪気があるかどうかは、本人が説明していたよ」

障子を開けて入ってきたのは、魔理沙だった。

「あいつの様子を見てきた。やっぱり言うことは一言だけだった」

「?」

「『私がすべて悪い。幻想郷が崩壊しようと関係がなかった。』ってな……。あいつは悪いと思ってやったんだ……。そんなことする奴じゃないし、信じられないが……」

「そんな……」

「本人がそう言っている以上……もうどうしようもねえ……。私だって辛いが……今回の異変は笑って見過ごせないぜ」

一気に空気が重くなった。

本当は皆、霊夢に悪気が無いでほしかったのだろう。

なんとなく分かる。

霊夢は、この幻想郷の世界では、きっと好かれていたのだろうと。

それが、紫が処分を躊躇している原因なのだろうと。

狐女が強く言わない原因なのだろうと。

しかし、一つだけ解決していないことがある。

それは、どうして早苗さんに封印したんだろうということだ。

「一つ聞いていいかしら?」

「?」

「霊夢は早苗さんに封印した理由を何か言ってなかった?」

「いや、たまたまだって言ってたな」

「たまたま……。じゃあ、封印できるのなら誰でも良かったって事?」

「そうなるな。それがどうした?」

たまたま?

たまたま幻想郷の血を継ぐ人間に封印しちゃったってわけ?

でも、霊夢は早苗さんが名前を持っていて、幻想郷の血を継いでいることを知っていた。

なら、たまたまって?

もし、それが嘘で、わざと早苗さんに封印したのだとしたら?

早苗さんが私たちを発見して、名前を取り戻すことを知っていたら?

「……」

「メリー……?」

なんとなく分かった気がする。

霊夢がこの幻想郷で愛されるような存在で、魔理沙の言うように、こんなことするような人間でなければだけど。

「霊夢に会わせてくれないかしら?」

「いいけれど……どうしたの?」

「霊夢を救ってあげるわ」

 

部屋は結界で大きく囲まれていた。

その中で、霊夢は膝を抱えていた。

「博麗霊夢……」

「……マエリベリー・ハーン?」

顔を上げた霊夢の顔はやつれていた。

「何しに来たのよ……? 他の奴らは?」

「私一人で来たのよ。どうしても聞きたいことがあってね」

「……聞いたの? 私のしたこと……」

「えぇ。貴女、紫が好きなのね」

「……」

「だから、あんなことをしてまで、ずっと紫と一緒に居ようとした」

「笑えるでしょ……?」

「そうね。笑っちゃうわ」

「……」

「そんなことしても、貴女と紫が一緒になるって事ではないし、貴女は自分の正義に嘘をつけない人間だもの」

「どういう意味よ……」

「そのままの意味よ。貴女はこの幻想郷という世界を愛していたし、貴女も愛されていた。違う?」

「さぁね……」

「そんな貴女が、幻想郷を崩壊させるほどの異変を起こせるとは、私は思えないのよ」

「でも、私は起こしたわ……」

「でも、まだここにあるし、もう大丈夫でしょう?」

「……さっきから何が言いたいの?」

「どうして早苗さんに名前を封印したの?」

「!」

「貴女が答えないなら、私の考えを言うわ。私は名探偵なんだから、当てちゃうわよ?」

「……」

「貴女は幻想郷を愛していた。貴女が愛されているのがその証拠。だから貴女は早苗さんに名前を封印したのよね?」

「……」

「幻想郷の血を継ぐ早苗さんなら、いずれ私たちを見つけて、魂の封印を解いてくれる。幻想郷が崩壊しても、元に戻るように仕向けたのよ、貴女は」

「ふん……。どうしてそんなことする必要があるのよ?」

「紫に気持ちを知ってほしかったから」

「!」

「私も不器用だから分かるわ。気持ちを伝えることって難しいわよね。貴女もそうなんでしょう? 紫が好きってことを……貴女は気づいてほしかったんでしょう?」

霊夢は今にも泣きそうな顔をしていた。

きっと、彼女は孤独だったんだろう。

自分に正直になれなくて、誰にも相談できなくて、ずっと、苦しんでいたんだろう。

分かる。

私にも、分かる。

「貴女の気持ち、痛いほど分かるわ。辛かったんでしょう……? だから今も、そうやって自分一人で抱えようとしているんでしょう?」

結界に近づく。

なんて冷たい壁なんだろう。

なんて固い壁なんだろう。

この壁が霊夢を苦しめ続けてきたんだろう。

「もういいのよ。貴女は一人じゃない。貴女には皆がいる。貴女が苦しんでいる時には、誰かが慰めてくれる。貴女には、そういう存在がたくさんいるでしょう? 私も孤独だったけれど、蓮子と出会って、早苗さんと出会って、考え方が変わったの……!」

そう。

私は変わった。

それもこれも、全ては……。

「貴女のお蔭で……私はそれを知れた……! 蓮子と早苗さんに出会えた……! そして、貴女とも……」

自然と涙が零れてくる。

それを見ていた霊夢の頬にも、涙が伝う。

「それでも……それでも私は……!」

その時、結界が消えた。

振り向くと、皆が立っていた。

「霊夢……」

「紫……」

「話は聞いたわ。確かに貴女のしたことは許されることじゃない……」

「……」

「でも、私たちはまた、こうしてここにいる。私も、そして、貴女も」

「紫……」

紫は霊夢に近付くと、そっと抱きしめた。

「貴女の気持ちに気が付けなかった私も悪かったわ……。ごめんなさい……」

霊夢の涙がボロボロと畳に落ちてゆく。

一体、どれだけの間、溜め込んでいたのだろうか。

「ごめんなさい紫……ごめんなさい……ごめんなさい……」

紫の腕の中で、ずっと、ずっと泣いていた。

もう、霊夢が一人で悩むことはないだろう。

彼女も私と同じように、新しい一歩を踏み出すのだろう。

私と同じように、仲間たちと共に。

私たちの役目は終わった。

それを主張するかのように、体が段々と薄くなって行く。

「わわわ、なにこれ!?」

「蓮子さん! 体が透けてますよ!」

「そういう早苗さんだって! メリーも!」

「どうやら、終わったようね」

「行ってしまうのね……」

「紫……」

「ありがとうメリー。蓮子と早苗も……」

そうだ。

まだ言ってないことがあった。

「霊夢」

「……」

「ありがとう。蓮子と早苗さんに会わせてくれて。心から感謝するわ」

「メリー……」

最後に見えたのは、霊夢の笑った顔だった。

なんだ、可愛い顔出来るじゃない。

そんなことを口に出そうとした時、私の目の前は真っ暗になった。

 

ボーン。

大きな音で目が覚めた。

コーヒーの香り。

ここは東京駅のカフェだ。

「ううん……ここは……」

蓮子と早苗さんもいる。

「あれ……? 私たち……」

「どうやら戻って来れたようね」

「そうか……。なんだか、長い夢を見ていたようだね……」

「ぼんやりしてますよね。本当に夢だったんじゃないかって思います」

「……夢だったのかもしれないわよ?」

「……あ」

「「「ヒヤシンス!」」」

 

カフェは閉店時間らしかった。

窓の外はもうすっかり夜だ。

「ごめんなさいマスター。寝てしまって」

マスターは顔色一つ変えず、会計を済ませた。

そして、お釣りと一緒に、手紙のようなものを一緒に渡してきた。

「ンフフ」

そんな不気味な笑いをすると、私たちを追い払うように店を閉めた。

「マスターに何貰ったの?」

「手紙みたいね」

「手紙?」

手紙を開いて驚いた。

紫からだった。

 

『メリー、蓮子、早苗。

 本当にありがとう。

 あれから霊夢は閻魔のところで善行を積んでいるわ。

 善行を積み終わったとき、また戻ってくるそうよ。

 私はそれを待ち続けることにしました。

 今度は、霊夢との短い時間を大切に生きることにしたわ。

 いずれはお別れしなきゃいけないこともあるでしょう。

 それでも、今を大切に生きようと思います。

 改めてありがとう。

 私たちはどこにでもある幻想。

 またどこかで会うこともあるでしょう。

 その時は、霊夢と一緒に歓迎するわ。

 その時が来るのを楽しみにしています。

 

 PS.

あなた達は「幻想」を知った。

 これからは身近にある「幻想」を知ることになるでしょう。

 井上円了が科学世紀の目から守った、不思議な不思議な「幻想」をね。』

 

「紫……」

「どうしてこの手紙をマスターが持ってたんだろう?」

「!」

「マスターに聞いてみ……」

カフェの方を振り向くと、そこは空き地になっていた。

 

全て終わった。

あれから蓮子の幻想郷を探すことが出来る能力も消え、鉛筆はどこか適当なところに転がっていった。

秘封倶楽部の活動も、お茶会がめっきり多くなった。

ただ、私は不安だった。

霊夢にもって齎されたこの関係。

異変が終わった今、私たちのこの関係は、ずっと続くのだろうか。

そんな不安が、ずっと、心に重く圧し掛かっていた。

そんな不安を煽るように、早苗さんが長野に帰ることが決定した。

 

「そっか……」

「せっかく友達になれたのに、残念です……」

「しかし、早苗さんって諏訪大社の人だったんだね」

「えぇ、勉強のために東京へ来たんですが、両親が帰って来いと……。本格的に、私に運営とかいろいろ継がせたいんだと思います。父の具合もあまりよくないようだし……」

「寂しくなるね……」

「離れていても友達よ。私たちも長野に遊びに行くわ。その時は案内して頂戴」

「はい。短い間でしたが、東京で友達が出来て嬉しかったです。ありがとう。メリーさん、蓮子さん」

 

数か月後、早苗さんは長野に帰った。

見送りを済ませ、私たちは夕焼けの中を歩いていた。

「また二人になっちゃったね……」

「そうね……」

「そうだ。夏休みになったら長野に行こうよ! よーし、今からお金を貯めて~」

「……」

「……メリー?」

「ねえ、蓮子……」

「ん?」

「私、早苗さんが帰ってしまったのは、幻想郷の異変が終わったからじゃないかって思うの……」

「え……?」

「元々、私たちは異変によって出会った。それが終わった今……私たちは……離れ離れになってしまうんじゃないかって……」

「……」

「早苗さんが帰ってしまうと知った時、私……怖かった……。蓮子も……どこかに行っちゃうんじゃないかって……」

「メリー……」

また一人になるのは嫌だった。

今なら分かる。

これは紫の気持ちに似ている。

霊夢を失うことが決まっている、あの気持ちに。

「いずれはそうなるかもしれないね」

「……」

「でも、紫も言ってたじゃん。それでも大切な時間を共に生きるって。少なくとも、今、私はここにいるし、私から離れることはしないよ」

「蓮子……」

「もしメリーが外国に帰らなきゃいけなくなったら、蓮子さんもついていくよ! そうだ! その為のお金も貯めよう! あと……あ……英語かぁ……。あまり得意じゃないんだよね……。英会話教室のお金も貯めなきゃかぁ……こりゃ大変だ」

「……ふふっ」

そっか。

そうよね。

「あれ……? おかしなこと言ってるかな……?」

分かってたことじゃない。

そうよ。

私は蓮子を親友だと思ってる。

蓮子もそう思っている。

分かってたことじゃない。

蓮子の言うように、私が外国に行くなら、蓮子も来るし、私も同じようにする。

「そうよね。ごめんなさい。いらぬ心配をしてたって、今気が付いたわ」

「メリー」

蓮子が私の手を握る。

「ずっと一緒にいてくれますか?」

蓮子の敬語。

なんだかプロポーズみたいで、恥ずかしいわ。

蓮子もそれに気が付いたのか、恥ずかしそうに下を向いた。

「よろしくお願いします」

私もなんだか堅苦しくなってしまった。

それが可笑しくて、二人して笑いあった。

「これからもよろしくね、メリー」

「こちらこそ、蓮子」

背中で太陽が沈むのを感じた。

夜が来る。

でも、もう寂しくない。

私が横を向けば、そこに蓮子がいる。

蓮子が横を向けば、私がいる。

それだけで、何も怖くない。

夜の深い方へ、私たち二人は手を繋ぎながら、笑いながら歩いてゆく。

 

「明日は何する?」

「そうね。こんなのはどうかしら?」

 

もう、東京メリーだなんて呼ばないで。

これからは……。

 

-終-




お疲れ様です。
長々と読んでいただき、ありがとうございます。
自分でもこんなに長く書いた話は初めてです。
兎にも角にも、完結できて良かった……と、思ったのですが、実はまだまだ続きます。
最後の文にもありますが、今度は「東京メリー」ではなく、また違ったタイトルでスタートします。
今まではメリーの孤独から始まってましたが、今度は横に蓮子がいますのでね。
話としては「東京メリー」の続編となります。
まだまだ見るよ! っていう人が居てくれると嬉しいです。
続編は結構自信があるので、しっかりとプロットを組んだ上で、書きたいと思います。
次回もお会いできたらと嬉しいです。
では、次回作のあらすじ的なものを最後に書いて終わりたいと思います。




「紫の手紙のPSにあったのって……もしかしてこれの事?」
「そのようね……」

「ここは井上円了によって隔離された世界。「真怪」の世界」

「君たちも井上教の信者かね?」

「宇佐見菫子を知ってるか?」

「宇佐見菫子を知ってるか?」

「宇佐見菫子を知ってるか?」


「宇佐見菫子を知ってるか?」



『東京秘封倶楽部(仮)』

see you the next story


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。