流星のロックマン Arrange The Original (悲傷)
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プロローグ.Before three years
第零話.旅立ち


 この作品は原作沿いストーリーです。見えているストーリーを面白く見せるため、オリジナル展開を入れたり、原作にあった場面をカットしてテンポを良くしたり、細かい部分を変えたりします。また、アニメ要素も少し取り込んでいます。
 しかし、原作のキャラの基盤とストーリーの大筋は極力変えない方針です。
 それでも宜しければ、この作品にお付き合いください。

 ではどうぞ、ご覧下さい。


2013/5/3 改稿


 整備された道路を走る車の音がする。そのすぐ近くで驚いた小鳥達が羽ばたく。

 都会とまでは言えないが、ちょっと大きい街だ。緑も多く、魚が泳いでいる川も流れている。すぐ近くの公園では子供達の遊ぶ声が毎日のように聞こえてくる。

 この町が好きだ。なにより、ここには自分の家族がいる。

 

「スバル、元気にしてるんだぞ?」

 

 まだ10歳に満たない我が子を抱き抱える。いつの間にこんなに重くなったのか。鍛えた自分の体なら持ち上げられないことは無い。しかし、予想以上の重量に唸ってしまった。

 それにしても、この子の髪癖の悪さはどうにかならないものか。自分以上に堅い髪質がちょっとかわいそうに見えてくる。

 

「ねぇ……やっぱり、止められないの?」

 

 自分と対照の表情をする妻に目を向ける。彼女が抱えているのと同じ物。それが己にそれが無いわけではない。少なからず存在している。けれど、それを見せるわけには行かない。今ここで見せたら、この人は立ち上がれなくなるかもしれない。そこまで弱い女を選んだつもりはない。しかし、彼女の心を支えているのは自分だ。だから、胸に渦巻く黒い靄を無理やり踏みつぶした。

 息子を降ろして、その目をまっすぐに見つめ返した。

 

「どうしても行かなきゃならないんだ」

 

 それだけで、妻は自分の気持ちを理解してくれたしい。潤んだ目を伏せて、コクリと頷いてくれた。

 

「ママ、どこか痛いの?」

「……フフ、大丈夫よ、スバル」

 

 心配そうに見上げてくる息子の頭を、優しくなでる妻の姿。

 どこの家庭でも見られる普通の光景。でも、これが自分が最も大切にしているもの。守り切きりたい、いや、守りきらなければならない物。だからこそ、心に決める。

 

「あかね」

 

 妻の名を呼ぶ。息子から手を離すと、二人揃って振り向いた。

 

「絶対に、帰ってくる」

 

 妻は自分の目をはっきりと見て頷いた。頷き返して、その隣に目を移す。

 

「父さんがいない間、母さんを頼んだぞ! スバル!!」

「うん、任せて! お母さんは僕が守るから!」

 

 多分、自分の真剣さは伝わっていない。無邪気な笑みを返してくる。でも、これで良い。この子はまだ背負わなくて良い。その小さすぎる背中には重すぎる。でも、いつかは……誰かを……

 

 母親だけじゃない

 

 友達も

 

 いずれはできるであろう”ブラザー”も

 

 いつか出会う、大切と思える女の子も

 

 全てを守ると言える男に……

 

 できれば、地球を背負えるほどの男に……

 

 「最後は大げさかな?」と顔の下で笑った。

 最後にもう一度二人の顔を見る。妻は今にも泣きだしそうだが、気丈にふるまう。もう片方は、純真な笑顔で送り出そうとしてくれていた。

 

「行ってくる!」

 

 それを忘れない。改めて誓いを立て、玄関のドアを開けた。自分達3人の集合写真を片手に……

 

 

 

 父親がドアを開けると、まぶしすぎる光が差し込む。真っ白だ。いや、そこに何かはある。けど、見えない。なぜなら、まぶしすぎるから。

 光を放っているのは外にあるお日様ではない。目の前にいる。その大きな背中は憧れだ。大好きで、尊敬している父親の物だ。

 今の彼に尊敬と言う言葉は分からないだろう。それを知るのはもう少し先だ。けど、その感情はもう宿っていた。自分にとって、一番のヒーロー。そのたくましい背中を見送った。

 いつもどおりに、毎朝繰り返していたそれが、今日は特別なのは知っている。けれど、何も不安は無い。なぜなら、彼の父はヒーローなのだから。憧れのヒーローが負ける道理などない。

 そう彼は信じていた。だから、いつもと同じだ。いつもと同じく父を見送った。

 それがこの家の、いつもの光景だった。

 

 

 

*****

 

 

 

 その年は、人類にとって歓喜に満ちた年であり、哀惜にさらされた年だった。世界最高の技術を持つ、NAXAが世界に世紀の発表を行ったからだ。

 

 地球外生命体の存在を確認した

 

 人類が宇宙に足を運べるようになって、200年。夢、幻とされていた物が現実になったのだ。そして、星河博士が発明した、”ブラザーバンドシステム”をその惑星に向かって送信し、コンタクトを取る計画が立ち上がった。

 

 『きずなプロジェクト』

 

 人類の夢を託された宇宙ステーション『きずな』は地球の軌道外に飛び出し、長い未知なる冒険へと旅立った。

 

 

 

 しかし、その数ヶ月後だった。人類の夢は簡単に砕かれた。『きずな』が消息を絶ったからだ。事故原因は不明だった。

 

 NAXAは総力を挙げ『きずな』の捜索を行った。そして、捜索開始からさらに数カ月がたったとき、世界中の人々の夢を乗せた『きずな』の一部がニホン海に落下。これを機に、NAXAは捜索を断念。キズナプロジェクトの永久凍結と、乗組員全員の殉職を発表した。

 

 

 

 その中に、星河大吾の名前が記されていたのを、少年は昨日のように覚えている。




 感想をいただければ嬉しいです。待っています。


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序章.出会い
第一話.星河スバル


2013/5/3 改稿


 そこは3年前とはあまり変わらない。ここは都会から少し離れた郊外だ。観光名所と言ったら、NAXAに引けを取らない技術力を持つ天地研究所くらい。それも、この町からちょっと離れている。自然は前よりも少なくなったかもしれない。けど、あの緑のある公園と、綺麗な川は健在だ。

 

 あの有名な宇宙飛行士であり、科学者だった彼がこのコダマタウンを見たら、変わっていないなと安堵の声を漏らすだろう。しかし、それが来ることは永遠にない。

 

 その彼が住んでいた家では、一人の男が機械をいじくっていた。その隣では、まだ若さの残る一人の女性が心配そうに覗きこんでいる。男はちょっと小太りで、帽子から覗いている髪が八方に広がっている。いじくっているのはテレビだ。壁に取り付けられたそれを慣れた手つきで分解している。

 

「これが原因だな」

 

 小さな部品を手に取り、器用に交換していく。それが終われば残りはあっという間だ。動作確認を終え、組み立て直した。

 

「修理が終わりましたよ。あかねさん」

「ありがとう、天地君」

「ハハ……これぐらいのことなら、いつでも力になりますよ」

 

 あかねと呼ばれた女性は、直してくれた男性に礼をいう。愛想の良い言葉を返し、天地は立ちあがった。

 そのとき、テレビのそばに飾られている写真が眼に入る。あの日の朝、一人の男が手にして行った物と同じだ。自分のすぐそばにいる女性が映っている。その隣に筋肉質な男性が一人。そして、二人に挟まれるように幼い少年が一人。この家に住んでいた家族3人の写真だ。

 悪気があったわけではないが、その男性を見て、表情が曇ってしまう。これは誰にも責めることはできない。相手が相手なのだから。

 

「大吾先輩が消息を絶って……もう3年になりますか……」

「……ええ、早いものね……」

 

 あかねも返事を返す。喉から絞り出したような悲しみがこもった声だ。

 

「すいません。あの時……我々に、もっと力があれば……」

 

 悔しさに満ちた低い声が上がる。当時NAXA職員であり、無力だった自分が許せなかった。尊敬する先輩を救えなかった自責の念。いつまでたっても晴れない。

 

「NAXAは、天地君達は全力を尽くしてくれたわ……あなたが責任を感じる必要は無いわ。あれは事故だったのよ」

 

 世界最高の技術力を持ち、組織としてもトップレベルのNAXAですら手に負えなかったのだ。誰にも彼を……夫をはじめとする乗組員達を救うことなどできなかった。そう、自分に言い聞かせてきた。

 少なくとも、天地やNAXAを恨むことなどできない。仲間を失って悲しみに暮れていた彼らを攻めることなど、あかねには到底できなかった。

 暗くなっていく話題を変えるように、天地は拳を開き、声の調子を元に戻した。

 

「そう言えば、お子さんは今日から5年生でしたよね?」

 

 写真の真ん中に映っている少年を見ながら思いついた話題だ。だが、それもあまり良い話題ではないことを思い出した。

 

「相変わらず、学校には行っていないのよ」

 

 そうだったと心中で自分を責めた。

 

「無理もありません。大好きだった、尊敬していた父親が眼の前からいなくなってしまったんですから」

 

 あえて、亡くしたという言葉は使わなかった。多分、今もこの家のどこかにいる少年にフォローを入れる。でも、これは本心から来るものだった。大人である自分たちですら、この事実には耐えられなかった。自分も嘘だとつぶやき、涙を流したのを覚えている。それを、当時8歳だった少年に強いることなど誰にもできない。

 

「勉強の方は、通信教育や”ナビ”のティーチャーマンのおかげで何とかなってるんだけど……機械いじりや宇宙の勉強の方を優先しているのよ。宇宙飛行士になって、父さんを探しに行くんだって……」

 

 天地は下唇を噛んだ。ひたむきな純粋さが逆に悲しかった。

 不意にドアが開く。リビングに入ってきた少年に二人の視線が集まる。後ろ髪が逆立ち、アンテナのようになっている茶色い髪の少年だった。長袖の赤いシャツの手元はリング状に広がっている。最近の服の流行だろうか? その服の真ん中あたりでは、星の形をしたペンダントが揺れている。たしか、星河大吾がつけていたものだ。父の遺品なのだろう。膝あたりまでの紺色のズボンに、左腕には青色の”トランサー”をつけている。

 ちょっと見かけない格好をしているが、比較的整っているその顔もあり、意外と似合っていた。彼はこちらに見向きもせずに、玄関へと歩みを進めていく。

 

「スバル。こっち来てご挨拶なさい」

 

 母親の声に、スバルと呼ばれた少年はビクリと立ち止まった。

 別に気づかなかったわけではない。気づかないわけが無い。ただ、関わりたくなかっただけだ。しかし、母親に呼び止められた今、無視なんてできなかった。横に立っている30前後と言ったその男に、恐る恐ると近づき、仕方なく口を開いた。

 

「星河スバルです」



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第二話.逃亡者

 ただ、逃げろと自分に言い聞かせていた。途方もない時間を、ただ駆け抜けることにのみ集中した。移動による疲労も睡魔も全てを投げ捨てた。そして、今も自分のはるか後ろにいる追跡者達への意識を完全に絶った。

 逃げる。ただそれだけを果たす。戦士としての誇りなどいらない。あるのはこの憎しみだけで良い。そして、あの男の……友人の頼みを聞く。

 本来ならあいつが使うはずだったこの道を自分が使っている。運命という言葉があるなら、これがそうなのかもしれない。だから、自分はこれを使った。行かなくてはならない。あいつの故郷に。

 そして、必ず果たす……

 

 

「よろしくな、スバル君。僕は『天地マモル』。NAXAでは、君のお父さんの後輩だったんだよ」

 

 もうおじさんと呼べる年だろう。しかし、人を和ます不思議な魅力がその笑顔に込められていた。星河大吾は誰からも慕われれる存在だったが、彼もその類だろう。性別問わず、この人と話していると誰もが笑みを返してしまいそうだ。

 

「ど、どうも……」

 

 一人だけ例外がいた。星河大吾の息子、星河スバルはおどおどと視線を天地から逸らしながら、呟くような返事を返した。

 

「フフ、緊張しているのかな?」

 

 そうではないと分かっているが、彼はそうやって笑い飛ばした。今この少年に必要なのは、説教では無いということを彼は理解していた。そんな事よりもと、彼は持って来ていた鞄に手を入れる。

 

「そうだ、今日はお土産があるんだ」

 

 とりだしたのは緑色のレンズに、白い枠でできたサングラス。まず、店頭では見かけないデザインだ。

 

「これはね、”ビジライザー”って言って……君のお父さん、大吾先輩が使っていたものなんだ」

 

 少年は少しだけ興味を示したみたいだ。視線がしっかりとビジライザーに吸い付いている。

 

「僕がNAXAを退社したときに、思い出にってもらってきたものなんだ。この前研究室の整理をしているときに出てきてね。僕よりも君が持っている方が良いと思って、持って来たんだ」

 

 そう言いながら、スバルの額にかけてくれた。天井に向かって真っすぐに立つ後ろ髪と、ビジライザーが綺麗にマッチしていた。

 

「うん、似合ってる。使い道は分からないんだけど、ファッションに使うだけでも十分だよね?」

 

 天地は笑って言っている。あかねも満足そうにそれを見ていた。スバルも左腕につけているトランサーを開く。暗くなっている画面を鏡代わりにして確かめる。確かに、悪くは無い。そう思ったときに、あかねが口を開いた。

 

「スバル、トランサーの電源が入ってないんじゃないの?」

「あ、そうだ……」

 

 スバルの左手についている機械は、携帯端末だ。皆が利き腕とは反対の手に、この機械を装着している。電源を入れると、ディスプレイに明りが灯った。

 

「トランサーの電源はいつも入れて置くようにって、言ってるでしょ。お気に入りの”バトルカード”を確認したり、”ブラザー”だって……」

「ブラザーはいないから、誰も僕の個人情報画面(パーソナルページ)を見る人なんていないよ」

 

 その言葉に、あかねは何も言わなかった。言いたいことがあるが、言えば息子を傷つけることになる。だから、言いたい事を飲み込んだ。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 踵を返すと、赤色のブーツに足を突っ込み、玄関のドアを開けた。3年間、父がこの場所を通っていない。それを意識するとドアノブが少し重く感じた。

 

「……いつもあんな感じなの。大吾さんがいなくなってから、ずっと……」

「……ところで、スバル君はどこに?」

「学校の裏山にある、展望台……毎日、あそこに行って空を眺めているみたい。……父さんが見えるかもしれないからって……」

 

 天地は黙って聞いていた。別段気を悪くしたわけではない。彼はこの程度のことで気分を損ねるような器の小さい男ではない。ただ、今のこの家族が悲しかった。尊敬していた先輩の奥さんと子供さんがだ。

 

「ダメよね? 前に進まなきゃって、分かっているのに……3年間ずっと、私達の時間は止まったままなのよ……」

 

 この二人を目に入れると、胸が痛い。返す言葉一つ、思いつけなかった。そして、そんな自分にまた情けなさを感じていた。

 

 

「あれだな!?」

 

 間違いない。あいつが言っていた通りだ。周りの星々とは違う。その青さは生命の輝きを、眼も眩まんばかりに放っていた。黒に染められたその世界において、荒っぽい自分ですらその惑星に神々しささえ感じてしまう。

 

「あれが地球か……」

 

 あそこがあいつの故郷。そして、やつの矛先にあるものだ。

 

「思い通りにはさせねぇからな……」

 

 無理やり抑え込んでいた疲労も睡魔もどこかに消えていた。

 加速する。見えた目的地に向かって。そして、その残虐さを秘めた爪を巻き込むように、拳を握った。

 

「俺は、必ず果たして見せるぜ! ……復讐をな!」



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第三話.三人組

 『原作を知らない方にも楽しんでもらいたい』その目標を立てて、この作品を書いております。
 そのため、今回は用語説明が多くなります。原作を知っている方にはちょっと読むのが辛いかもしれませんが、復習程度に考えていただければ助かります。


 インターネット。それは人類の英知の結晶だった。

 そうだったのは200年ほど前の話。時の英雄であり、優秀な科学者だった光熱斗博士の理論を元に、今はそれに代わる物が世界中に駆け廻らされていた。

 

 

 ――電波――

 

 

 有線のインターネットと違い、無線で使用できるこれは、半無限に伸ばすことができる。世界中に張り巡らされた電波は、情報ネットワークの多様化と高性能化に大きく貢献し、様々な電子機器の操作と、それぞれの専門分野をこなす疑似人格プログラム、”ナビ”の制御に使われ、世界の基盤を支えている。

 そして、その電波は地球の周りを回っている三つの人工衛星。ペガサス、レオ、ドラゴンによって管理されている。この三つが今の地球を支えていると言っても過言ではない。

 

 

 

*****

 

 

 

 公園の隅っこに設置された自動販売機が見えた。様々な冷たいジュースや暖冷に分けられたコーヒーなどが並べられている。この自動販売機も電波と繋がっており、温度のコントロールや売り上げデータの送信などに利用されている。その前を通り過ぎようとした直後に、それはビービーと嫌な音を立てた。

 

「……故障? いや、電波ウィルスだな」

 

 機械に詳しいスバルには、すぐに故障の原因が分かった。

 電波ウィルス。3年ほど前に突如出現し、この便利な電波で支えられた世界の妨げをするようになったお邪魔虫だ。

 

「バトルカード キャノン!」

 

 この時代の携帯端末、トランサーに大砲のような絵がプリントされたカードを通す。

 バトルカード。電波ウィルスを退治するために作られたデータだ。データがトランサーに読みこまれる。トランサーから電波を放ち、目の前で騒ぐ機械にさっきのデータを送信した。とたんに不快な音は止み、おとなしくなった。正常に動き出したようだ。自分の推察は正しかったらしい。

 

「さてと、展望台に行こう」

 

 辺りが順調に暗くなってきている。星がちらつき始めた空模様を見て、足を速めた。

 

 

 展望台の入口が見えてきたとき、ちょうど良い天気だとつぶやいた。雲も月も見えない。絶好の天体観測日和だ。

 

「これなら、父さんを……」

 

 淡い期待を持つが、すぐに首を横に振る。大きすぎる期待を持っても、それが裏切られたら……それがこの少年の考え方だ。さっさと入口をくぐろうとする。

 

「ちょっと待ちなさいっ!」

 

 甲高い声が静かな夜に響いた。

 

「星河スバル君ね?」

 

 聞いたことのない声に自分の名前を呼ばれた。振り返ると、妙な三人組がこっちに近づいてきていた。

 先頭に立って歩いてくるのは自分と同じくらいの年齢の女の子だ。蛇を思わせるようなきつい目をしている。それ以上に目を引くのが、その金色の髪型だ。どうやってセットしているのだろう。後ろ髪を綺麗に二つの縦ロールにしており、二つのドリルがぶら下がっているように見える。

 先ほどの気の強そうな声と口調からすると、声をかけたのはこの女の子のようだ。その両脇を二人の男の子が固めている。

 片方は……中学生ぐらいだろうか? 見上げるような身長と、負けずと飛びでたお腹に目が行く。

 逆隣には、小学校低学年の子がいる。身長からすると、多分2,3年生だろう。大きいメガネが特徴的だ。

 腰巾着っぽいその二人は見事なまでに対称的だった。そんな子分を連れた女の子は、スバルの前まで来るとどこか優雅さを感じさせる歩みを止める。近くで見ると、自分よりも少し身長が高い。この態度と最初に声をかけた時の命令口調から高圧的な女のようだ。威圧感のある目が射抜いてくる。

 

「あなたね? 私のクラスの不登校児っていうのは? 私は『白金ルナ』!。あなたのクラスの学級委員長なのよっ! こっちは同じクラスの牛島ゴン太と最小院キザマロ」

 

 なんと3人とも自分と同じ小学5年生だった。そのことに驚きながらも、目の前の学級委員長に無言で目をやる。めんどくさい。眼でそれを全力で表現してやる。

 

「おいこのやろう! 黙ってないで、何か言ったらどうなんだ!? モヤシやろう!!」

 

 ちょっと低い声でゴン太という肥満児が言う。スバルの線の細い体格と堅過ぎて治らない寝癖を、細長いモヤシとそれから生えているひょろっとした毛をかけたらしい。見かけと違って頭の回転は良いのだろうか?

 

「委員長が直々に声を掛けてくださっているのですよ!」

 

 隣のちっちゃい奴がキーキーと声を上げる。こっちは女の子と間違えそうなくらい声が高い。どこまでも対称的な子分その1とその2だ。

 

「……僕になんのようじ?」

 

 次は声も交えて表現する。めんどくさいと。

 

「明日から学校に来なさい!」

「……ハァ!?」

 

 命令された。初対面の人にだ。多分、今日一番となる大声を上げてしまう。

 

「私は何事もパーフェクトじゃなきゃ気が済まないの。その私が学級委員長を務めるクラスに欠員がいるなんて許せないの! って言うわけで、明日から学校に来なさい」

 

 無茶苦茶だ。自分勝手にもほどがある。どうやら最初の認識は間違っていたようだ。それ以上だった。いつの時代のお嬢様かと疑ってしまう。

 

「……悪いけど、僕に関わらないで」

「なんだとこのモヤシ!」

「委員長がせっかく誘ってくださっているんですよ!」

 

 この二人はそれしか言えないのだろうか? ギャーギャー騒ぐ二人をルナは抑えた。

 

「と言うわけで、明日から来なさい」

 

 こっちの言うことには一切聞く耳持たないらしい。この三人とは関わらない方が良い。なにより、本当にめんどくさい。そう判断し、無視して展望台の階段を登り始めた。

 置いてかれたルナ達は、その後姿を見送った。

 

「星河スバル……」

「一筋縄ではいかなみたいですね?」

 

 ようやく小さい方の子分、キザマロが眼鏡を上げながら別の言葉を口にした。

 

「どうするんだよ、委員長?」

 

 大きい方も、ようやく別の台詞が出た。どうやら、モーとしか言えない牛よりは知能があるようだ。

 

「とりあえず、今日は引き下がりましょう?」

 

 そのとき、最小院キザマロの眼鏡がキュピーンと光を放った。

 

「そうです! 今日学校で習った”ブラザーバンド”の宿題を送りましょう!?」

「なるほどね! ”ブラザー”に興味を持ってくれれば、あの子も友達欲しさに学校に来てくれるかもしれないわ!」

「……どういうことだ?」

 

 前言撤回。やっぱり牛島ゴン太の知能は低かった。そんなデカブツはほっといて、白金ルナは小さいほうの子分と相談を始めていた。




 ここで、しっかりと謝罪と言い訳をしておきます。

 ルナ、ゴン太、キザマロが好きで、気を悪くした方々、すいませんでした。
 いや、私はこの三人大好きですよ! けど、途中まではこの三人ギャグ担当じゃないですか? と言うわけで、文章で散々けなしました。
 途中からはかっこよくなりますよ!?


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第四話.出会い

2013/4/19改稿


 後少しだ。長い旅だった。どれぐらい駆けていただろうか。やつらはどこまで来ている?

 そんな考えが頭に浮かんでくる。それは、自分に余裕が出てきたということだろう。

 目的地となる惑星の、人工衛星のそばを通る。ペガサスの形をしたオブジェを取り付けたそれに軽く目をやり、すぐに目的地を見直した。安堵の息が漏れる。

 だが、すぐに後ろを振り返る。大丈夫だ。まだ誰も来ていない。

 ……行こう、休んでいる場合ではない。

 自分の体内に隠したそれの存在を確認し、牙をかみしめ、再び宙を駆けはじめる。青の光になったそれは、惑星の一点へと吸い込まれていった。

 

 

 階段を上がりきると、ちょっとした広場に出た。きれいに並べられた花壇には黄を主とした花々が咲いている。その隣には、年代物の機関車が一台、途中で切れたレールの上に乗っかっている。

 これは一切使用されていない。この町では空中を少し浮いて走るバスが主流だ。そのため、展示品として置かれている。

 

「……追いかけてきてないよな」

 

 奇妙な三人組をまき、ほっと一息ついた。

 

「行きたくないよ。学校なんて……」

 

 学校に行ったら……

 そう考えた時に、ピリリと左腕の青い機械がアラームを鳴らす。ディスプレイが、メールが来ていることを知らせていた。開いてみる。

 

「ゲッ!」

 

 送り主の覧に書かれているこの名前は……自分が先ほどのでかいやつ、『牛島ゴン太』程度の知能でなければ、自分の記憶は正しいことになる。言うまでもなく自分はその程度ではないことを確信し、中身を開いた。音声メールから高い声が発せられる。

 

「今日学校で”ブラザーバンド”について教わったわ。宿題も出ているの。明日までにやってきなさい。私がこの音声メールで自動で説明をし……」

 

 すぐにキャンセルキーを押して、再生されている音声を消した。冗談じゃない。あの傲慢委員長の音を聞きながら宿題なんてやっていられない。メールをすぐにゴミ箱に移動させた。無駄に容量がでかい。予想以上にかかる時間にいらだちすら感じた。

 何よりも……

 

「それぐらい知ってるよ。誰が”ブラザーバンド”を作ったと思ってるんだよ」

 

 ”ブラザー”。それはこの世界で親友の中の親友を意味する言葉だ。そして、これに類似する言葉が”ブラザーバンド”だ。信頼できる相手の呼称が”ブラザー”なら。その者と結ぶ絆が”ブラザーバンド”だ。

 これは『本当に相手を信じられる』。そういう絆を感じた者同士で結ぶものだ。一人一台持っている、互いの携帯端末、トランサーを通じてそれは結ばれる。結んだ相手はトランサーのリストに載せられ、相手の個人情報画面(パーソナルページ)を見ることだってできる。

 そうして、互いの絆を視覚化することにより、信頼をより強固なものとするのが目的だ。今は世界中で使用されている。

 

 これを作ったのは、スバルの父、星河大吾だ。彼は、電波ネットワーク理論を作った光熱斗博士のもう一つの理論をもとに、これを完成させた。だからスバルは人一倍このシステムについて詳しかった。

 しかし、彼個人にとっては無用のものだ。

 

「……ブラザーなんて……」

 

 一人が良い。あんな思いをするのなら……

 

 

 完全に辺りは夜になった。予想通りだ。月も雲もない。気温と気圧も最高と言って良いだろう。澄んだ星空のおかげで、肉眼でも遠い星を見ることができた。

 

「父さん。今日はカシオペア座が綺麗に見えるよ」

 

 今もこのどこかに父がいる。彼はそう信じていた。彼が愚かなのではない。どうしても、彼にはそう思えないのだ。

 

「今日は、天地さんって人が来たよ。ビジライザーっていうメガネを、お土産にくれたんだ」

 

 空に向かって、一人で会話をするスバル。声のトーンとその表情はずっと暗いままだ。

 

「何に使うのか分からないって言っていたけど、何に使うものなの? これをかけたら……父さんを見つけることができるかな?」

 

 額にかけたビジライザーをゆっくりとかける。耳の上にかかる圧迫感がちょっと嫌だった。眼前に広がるのは……ビジライザーのレンズ色が加わった夜の世界だ。

 

「……そんなわけないか」

 

 分かり切っていた結果に落胆する。

 

「ねぇ、父さん……今どこにいるの? 僕も……母さんも……会いたいよ、父さん。……って、またメール?」

 

 トランサーが鳴り響いていた。気乗りはしないが、嫌々と開いてみる。同時に、暗かった表情が大きく変化した。

 

「……え? 父さんのアクセスシグナル!?」

 

 目を疑ったが、間違いなかった。トランサーに表示されていたのは、父のトランサーが発する信号だった。

 

「まさか、父さん? って、なんか強くなってる!?」

 

 アラーム音がどんどん大きくなり、それに合わせて小刻みになる。最早アラームではなく警報だ。同時に表示される数値が上がって行く。あり得ない現象に頭が追いつかない。ビジライザーを取ることすら忘れ、情報を集めようとする本能が目と首をあちこちに向ける。

 

「な、なんなの!?」

 

 肝心の場所には注意が行かなかった。気づいていなかった。頭上に近づいてくる青い光に。それはまっすぐにスバルに向かってくる。気配に気づき、彼が上を仰いだときは遅かった。青が眼前を支配していた。

 

「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 声を上げるより早く、それはスバルの正面から激突した。体中に青い筋がバチバチと走る。周りが見えない。手足の感覚もない。白だ。何もない純白の空間に放り出される。頭がそれを整理する前に、体は地面にたたきつけられていた。触覚が戻っていることを確かめるより早く、聴覚が反応した。

 

「ここが……地球か……」

 

 父の声じゃない。それは聞いたことの無い、低い声だった。



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第五話.ウォーロック

2013/5/3 改稿


 体の感覚が戻っていることを確認した。手は動く、足も動く、首も動く。そっと目を開け、声がした方に動かした。

 

「う、うわあああああ!!」

 

 ドリル委員長のわがままを目の当たりにして、確かにスバルは大声を出した。その日一番の叫びだと自覚した。しかし、その宣言は撤回しなければならない。今はそれをはるかに超える声を上げて飛び上がった。

 目の前に何かいる。青と緑を基本とした謎の生物が居た。青い顔は角ばっており、犬や狼を思わせる。首から下は緑色だ。青い部分が硬そうなアーマーを連想させるのに対し、緑色の部分は静かに光り輝いており、不安定な光の塊という感じだ。

 胸は顔と同じで青く、腹の部分からは幽霊のような緑色の体になっている。幽霊と思わせた理由は、足が無く、宙に浮いているからだ。

 

「……俺が見えるのか? おかしいな、この星の人間には俺の電波の体は目に見えないはず……」

「お、オバケ!? ……ワ、ワ、なんだ!? 空に道が!?」

 

 手すりにもたれるように後ずさっていたスバルは、空に何か浮かんでいることに気づいた。オレンジ色の道だ。空に幾筋もの道が見えた。天の川ではない。もっと低いところにそれは敷かれている。傷や亀裂一つ無いその道は、何者かの手によって整備されたようにも見える。

 

「こ、これは……夢?」

 

 オバケに空に現れた道。こんな非現実的な物がこの世にあるわけがない。ビジライザーを外して、瞼を擦ってみる。すると、そこには元の世界。青い幽霊も、オレンジ色の道も、跡形も無く消えていた。

 

「き、きえた……?」

 

 ここで、少年の賢い頭はある仮説を立ててしまった。夢ではなく、ビジライザーが原因ではないか? そう思ってしまうと、試さずにはいられないのがスバルの性質だ。恐る恐るもう一度かけて見る。

 こちらをのぞきこんでいる幽霊が居た。鋭い爪のような、緑色の指を顎の下にあて、スバルをじっと観察していた。

 

「ウワッ! また出た!!」

 

 もちろん、空に敷かれた道も復活していた。さっきから、それよりも前からずっとその場にあったかのように、当たり前に存在していた。

 

「なるほどな、そのメガネは電波を見ることができるのか。俺が見えるのもそのせいか」

「そ、そんな……さっきまで、何も見えなかったのに」

「俺との接触で本来の機能を取り戻したんだろうよ」

 

 確かに、そう考えたら納得がいく。一つ問題が解けたためか、スバルも少々落ち着いてきた。

 

「き、君は誰なの?」

「俺か? 俺はウォーロックだ。『ロック』と呼んでくれ。FM星から来た宇宙人だ。まあ、俺から見ればお前らが宇宙人なわけだが」

「う、宇宙人?」

 

 確かに、地球の生物とは思えない姿だ。胡散臭いが、幽霊よりかはマシかと頭を横に振った。

 

「あのさ……どうなってるの? 電波がどうこうって……」

「俺の体は電波でできているんだ。本来なら、お前ら地球人には見えないはずなんだがな」

 

 ウォーロックっと名乗った青い宇宙人は、スバルがかけているビジライザーを指さした。

 

「その緑色のメガネのおかげだろうな。多分、それをかけると電波世界を見ることができるんだろうな。あれはウェーブロード。電波でできた道だ。あれが束になって出来上がった世界が電波世界だ」

 

 続いて、先ほどのオレンジ色を指さした。良く見ると、道はもっとたくさんあった。それは自分たちの頭上だけでなく、ここ展望台全体に張り巡らされていた。ここから、すぐそばにあるコダマ小学校や、コダマタウン全体。そして、遠くに見える天地研究所にまで伸びている。

 

「これが、今の世界を支えている、電波の世界?」

 

 今の情報社会の基盤を構成する世界が目の前にある。科学に強い興味を持つスバルにとっては、神秘的で貴重な体験だった。

 

「理解できたか、星河スバル?」

 

 落ち着いてきた気持ちがまた大きく撥ねた。

 

「なんで僕の名前を知ってるの!?」

「聞いたんだよ。宇宙で出会った地球人にな。周波数があいつとそっくりだ」

 

 あっけらかんと答えられた。

 

 グルグル。グルグルとスバルの思考が回る。

 

 自分の名前を知っている、宇宙にいる地球人。

 そんなの、一人しか思いつかなかった。

 

「もしかして、父さん!」

 

 たまらず、グイッとウォーロックに顔を近づけた。

 

「父さんは……今どこにいるの!?」

 

 彼の質問はさえぎられた。聞いたこともない大きな音にだ。

 たまらず耳をふさいだ。

 

「ちっ! もう来やがったか!」

 

 恐る恐る目を開き、ウォーロックの視線の先をみた。

 

「……えぇ!?」



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第六話.電波変換

2013/5/3 改稿


 黒い物体が動いていた。一目で分かった。広場に展示されていた機関車だ。

 さっきまであったはずのレールの上に目をやると、やっぱり機関車はいなくなっていた。疑うべくもなく、今動いているそれが、飾られていたやつだ。

 

「な、なんで? 動かないはずなのに!」

「FM星から放たれた電波ウィルスのしわざだ。あいつら、あれを町にぶち込むつもりみたいだな」

 

 嘘でしょ! と叫んだ。古い乗り物ではあるが、質量はある。それがスピードをつけて町中に突っ込んだら……簡単な物理法則だ。大惨事は免れない。

 

「と、止めなきゃ! 母さんが危ない!」

「止める方法は一つしかないぞ?」

「も、もしかして、電波ウィルスのデリート?」

「ああ」

「わ、分かった!」

「あ、おい!」

 

 手を伸ばすウォーロックに構わず、階段を飛び降りるように駆け下りた。ウィルス退治なら自信がある。今日もここに来るまでに自動販売機のウィルスを倒したのだから。機関車のそばまで行き、トランサーを構える。

 

「バトルカード、ヒートボール!」

 

 赤い球が書かれたカードを読み込み、機関車に送信した。

 

「これで……え?」

 

 これで機関車は止まる。そう確信していた。しかし、それは裏切られ、予想外の展開が起きる。機関車が大きくUターンし、先端をスバルへと向けた。

 

「う、うわっ!」

 

 慌ててまた階段を駆けのぼった。さっきと逆だ。巻き戻しだ。どうやら先ほどよりも強いウィルスがいるようだ。もしかしたら、単純に感染しているウィルスの量が多いのかもしれない。

 

「ど、どうしよう……止まんないよ……」

 

 機関車はこの段差を登れない。階段のすぐ下で獲物を見失ったかのように動いている。だが、町へと降りる階段はそこまで段差が無い。あの機関車でも降りれるかもしれない。このままだと、機関車が町に向かうのも時間の問題だ。

 

「おい、スバル!」

 

 さっきの宇宙人だ。ウォーロックがそばに来て話しかけてくる。

 

「おふくろさんを助けたいんだよな? なら、手を貸せ!」

 

 具体的な指示は無い。しかし、母親を救える方法があるのなら……それを彼が知っているのなら……

 

「ど、どうすればいいの?」

「お前の体を貸せ!」

「……え?」

「シャクな話しだが、どうやら俺ら異星人は、地球じゃあ本来の力が出ない。だから、地球人と融合する必要がある。だからだ、星河スバル。お前の体を貸せ!」

「え、えと……融合って?」

「考えている暇は無いぜ?」

 

 見ると、機関車はスバルをあきらめて、町へと方向転換しようとしていた。手段とか言っていられる状況ではないのは彼にも理解できた。

 

「や、やるよ! 僕の力が必要なら、使ってよ!」

「よく言った!」

 

 そう言った直後、ロックの体は青い光に変わり、トランサーの中に入って行った。

 

「ち、ちょ……何してんの!?」

 

 トランサーを開いてみると、ディスプレイにウォーロックの姿が映っていた。

 

「このままトランサーを頭上に掲げろ! そして、こう叫ぶんだ!」

 

 まだ何をすればいいのかよく分からない。言われた言葉もちょっと恥ずかしい。けど、状況は待ってくれない。もう一度機関車を見て、スバルはウォーロックの言うとおりにした。

 ウォーロックが入ったトランサーを、それをつけた左手を、めいいっぱい星空に突きつけた。

 

「電波変換 星河スバル オン・エア!」

 

 スバルの体を青い光が包み込んだ。体が重量を無くし、足が地面から離れるのをかろうじて察することができた。その青い光がウォーロックだということを理解するのに、時間はかからなかった。頭から足まで。文字通り全身をウォーロックの光が覆う。

 いきなり青い光が消えたと思った時には、体は投げ出されていた。しかし、すぐに地面に足がつく。今いる場所は……さっきと同じだ。

 

「……なんだ、この格好!?」

 

 ようやく彼は自分の体の違和感に気付いた。赤かった服は青一色に染まっていた。いや、もう来ていた服の名残が一切ない。あるとすれば、父の遺品である星型のペンダントが胸にエンブレムとなってくっついているくらいだ。

 鎧と言えばいいのだろうか。それとも、SF映画とかに出てくる戦闘スーツだろうか。青いタイツで身を包んでいるようにも見える。口では説明できない格好をしていた。とにかく恥ずかしいという気持ちが湧きあがってくる。

 あの宇宙人に文句を言ってやろうと、まだトランサーにいるはずのロックを見ようと、左腕を持ち上げた。

 

「う、うわあああ!!」

「うるせぇぞ!」

 

 左手の先にウォーロックの頭が付いていた。しかもそれが文句を言った。言葉を発する自分の左手に顔をしかめる。

 

「な、なにこれ!」

「いちいち大声出すな!」

 

 確かに、今日のスバルは久しぶりに叫んでばかりだ。だが、文句は言えないだろう。これだけの異常事態が続いて起きたら、叫ばない方がおかしい。宇宙人に出会っただけでも驚きなのに、そいつと融合とかしてしまっているだから。

 

「時間がない、簡単に説明するぞ!? お前は電波の体を持つ俺と融合した。だから、今のお前の体も電波だ。電波人間ってところだ。分かったな?」

 

 分かったな? と訊いたが、スバルが何かを言う前に、ウォーロックは続けて口を開く。

 

「とりあえず、今から俺達であの黒いやつの中にいるウィルスを倒すぞ?」

「えっ? 君が戦うんじゃないの?」

 

 スバルが聞いたのは体を貸すとかいう部分だけだ。

 

「バカ野郎! 俺はお前に力を貸してやるだけだ。戦うのはお前だよ!」

「ぼ、僕も戦うの!?」

「お前の体だろうが!」

 

 スバルは3年間学校に通っていない。つまり、ろくな喧嘩経験すらない。

 

「む、無理だよ! 僕なんか、何の役にも……」

「グダグダ言うな! 良いのか? おふくろさんを助けるんだろう!?」

「う……」

 

 また機関車を見た。段差のある階段を、安全に、ゆっくりと降りようとしているみたいだった。

 

「戦い方なら俺が教えてやる! 行くぜ!」

「……う、うん」

 

 もうやけくそだった。どうにでもなれと、はんば投げやりだ。

 

「……ど、どうすればいいの!?」

「あの黒いやつを制御しているコンピュータ……電脳世界ってやつがあるはずだ。そこに入るぞ?」

「え? 入るの? 機械の中に?」

 

 言葉の意味が理解できない。ハテナマークがスバルの頭上に掲げられる。

 

「ああ、今のお前は俺と同じ電波の体だからな。可能だ」

 

 スバルは夕方の自動販売機の事を思い出した。トランサーから電波でデータを送信した。おそらく、あれと同じ要領なのだろう。

 

「ど、どうやるの?」

「こうやるのさ!」

「え? わあああああ!」

 

 左腕……ウォーロックに引っ張られるように、スバルの体が細くしぼんだ。機関車の中に吸い込まれている。と、なんとか理解できた。

 それは、一瞬の出来事だった。

 また地面の感触だ。今日は何回も空中に体が浮いてるなと思い、顔を上げる。と、景色が一変していた。

 

「なに? この世界?」

 

 水色の世界の中に、浮島のようにポツンとある地面。辺りでは電気信号が生まれては消えていくような渦がいくつも確認できた。良く見ると、その世界は波を打っているように見える。色もゆっくりとではあるが変わっているようだ。

 不安定さを感じさせる。これが電波で出来上がった世界なのだろうか。だが、この世界において、自分が立っている足場だけはしっかりと形を保っていた。強く踏むと、しっかりと反発力を返してくれる。その大地の上には色々と何か物体が配置されている。これが何なのか良く分からないが、何か目的や役目があるから配置されているのだろう。

 

「前を見ろ!」

「え?」

 

 左腕にくっついているウォーロックに言われて前を向く。

 

「うわ!」

 

 びっくりして、横っ跳びにそれを避けた。ガツンとたたきつける音と、えぐられれた地面の破片が飛ぶ。見ると、黄色いヘルメットをかぶった黒い顔に、ペンギンのような足をとりつけた簡単なフォルムをした奴が、つるはしを振りおろしていた。

 

「な、なに、これ!?」

「そいつが電波ウィルスだ!」

 

 ひと際声を荒げ、ウォーロックは叫んだ。

 

「戦え! スバル!」



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第七話.初戦闘

2013/5/3 改稿


 どこか愛嬌も感じさせるそいつは鳴き声のような物を上げ、ヒョコッと一歩足を踏み出した。

 

「うひっ!」

 

 スバルは一歩引く。それを見て、寄り添いたいがように再び詰め寄ってくる。

 

「ひっ!」

 

 さっきと逆側の足を引く。またしても黄色いウィルスが近づいてくる。

 

「ひぃっ!!」

 

 一歩一歩踏み出すそれに合わせるようにスバルは足を下げていく。

 

「おい! メットリオ程度でビビるな!」

「そ、そんなこと言ったって、怖いよ……」

 

 一見かわいいとも言えるそれを指さし、怖いと言うスバルの姿はかなり滑稽だ。子犬を見て、怖いと泣きさけぶ幼い子供のそれと重ねてしまう。

 だが、彼はさっきのつるはし攻撃を忘れたわけではない。あれをいきなりされたらかわいいと感じる方が難しいかもしれない。

 そんなやり取りをウォーロックと交わしているうちに、そのメットリオがスピードを上げた。ピョンピョンと両足でジャンプし、距離を詰めてくる。左手に意識を向けていたスバルは反応が遅れる。慌てて視線を戻すと、大きく飛びあがったそいつは眼前でつるはしを振り上げていた。

 

「う、うわーーー!」

「むごっ!」

 

 後ろに下げている片手と、前に出しているもう片方の手。とっさに手を出すとしたら、どっちの手だろう? 一瞬が運命を左右するこの状況で二択を迫られたら……大半の者は前に出している方の手と応えるだろう。だからスバルも同じだった。前に出していて、なおかつ胸元に構えるようになっていたその手を出した。

 良い具合にそのパンチはメットリオに炸裂した。同時に、ウォーロックが声を上げる。そう、スバルが出したのはボクシングで言うと左ストレート。ウォーロックは顔面をいきなりたたきつけられた感じになる。綺麗なウォーロックパンチを食らい、吹き飛んだメットリオは地面にたたきつけられ、体は粒子へと分解されて跡形もなく消滅していった。おそらく、データが破壊され、バラバラになって電波の海に溶けて行ったのだろう。

 

「てめえ! いきなり何するんだ!」

「ご、ごめん!」

「ち……まあ、良い」

 

 今のは油断していた自分が悪い。力を貸すと言った以上、これぐらいは仕方ない。さっきの敵が消滅した場所に目をやると、釣られて見たスバルはあっと驚いた。

 

「や、やった! 倒した!」

「まだだ!」

「え?」

 

 ウォーロックが見ていた場所は違った。その少し隣だ。その場所で地面が盛り上がる。中からピョコンと、さっきと同じ奴が出てきた。それに続くように、周りから……もう二か所。やはり地の下からメットリオが顔をのぞかせた。

 

「ま、また出たよ? どうしよう?」

「落ち着け! いちいち慌てるな! 俺を前に出すんだ!」

「ま、前? 何?」

「あ~……まったく、こうするんだよ!」

 

 あたふたするスバルにうっとうしさを感じる。言葉より行動する方が早いと判断を下した。スバルの左手がウォーロックの意志で持ちあがる。まっすぐにのばされた手の先には新しいメットリオ達の内、一番前にいる一体がいる。

 

「食らえ!」

 

 ウォーロックの口に緑色の光が集まる。それをスバルが確認した途端、それは放たれた。光の弾丸だ。標的のメットリオを吹き飛ばし、バラバラの粒子へと変えた。

 

「す、すごい! 何これ!?」

「俺達が電波変換した時の力だ。まあ、言うなら『ロックバスター』ってところか? それより、今ので使い方は分かっただろう? やっちまえ!」

 

 説明もほどほどにして、スバルに促した。これならいける! スバルはウォーロックが付いた左手を構え、標準を合わせる。

 

「い、いっけえ!」

 

 連続して放たれたそれは残りのメットリオ達に降り注ぐ。彼らをデリートするには威力が充分すぎた。またたく間に電波の海の一部と化していった。

 

「こ、今度こそ……やったよね!?」

 

 もう戦うのはうんざり。その気持ちを表情と口調であらわにする。

 

「……いや、もうちょっと踏ん張ってもらうことになりそうだ。周りを見てみろ」

 

 左手にとりついた彼の言葉を聞き、慌てて辺りを見渡す。気配に気づいて振り返ると、真後ろから一体のメットリオが近づいてきていた。いや、一体じゃない。加えてまだ数体以上いる。とっさに左手を構えようとすると、右からボコっと音がした。こちらからもメットリオだ。しかも、まだ穴がいくつか穴を穿とうとしているのが確認できた。そして、反対側からも。数が半端ではない。20は超えようという目に囲まれる。いくら一つの個体は弱くても、これだけ数が増えると怖い。

 一体がつるはしを地面にたたきつけた。そこから生まれた衝撃が、地面を伝って波を描き、スバルに襲いかかってきた。予想外の遠距離攻撃にとっさに体が動かない。避けなきゃ! そう頭が判断したときには、もうそれに吹き飛ばされていた。

 

「うわああああ!!!」

 

 地面に背中から叩きつけられた。苦しい。背中から受けた衝撃は胸をも突き抜けた。息を吸うだけで体の中が痛い。

 

「立て! 来るぞ!」

「え、ええ!?」

 

 見ると、数体のメットリオがさっきと同じようにつるはしを振りおろそうとしていた。

 

「うわ! うわああ!!」

 

 安全圏と思っていた場所からロックバスターを撃つ。それだけで終わる予定だった。だが、今いる場所は安全では無くなった。攻撃にさらされる。またさっきの痛みが来る。しかも、今度はその数倍だ。頭を抱え、体を丸めこんだ。

それでも、相手は無慈悲に攻撃を開始した。いや、もともと感情すらないのだろう。無機質に行われたそれは数本の筋となり、スバルとウォーロックに襲いかかってくる。

 

「くそ!」

 

 今度も動いたのはウォーロックだった。自分の顔を無理やり前に出した。迫りくる波の束を前に、自分の体の緑の光を大きく広げ、硬質化した。それは六角形の盾となり、スバルとウォーロックの前に構築された。メットリオ達の攻撃はそれに遮られる。

 激しい衝撃に地面がえぐられ、轟音が響く。粉状になった地面の破片が二人を覆った。だが、二人を隠していたそれはすぐに薄れ、徐々に晴れていく。そこには無傷のスバルがうずくまっていた。

 

「……あれ? 僕は……って、なにっ!?」

「俺が盾になったんだ。有効に使えよ?」

「あ、ありがとう。けど、こんなに便利なものがあるなら、最初に言ってくれたって…」

「防げる攻撃には限界があるんだよ。それに、お前ならむやみに使って、俺を危険にさらしそうだったんでな」

 

 確かにと自覚してしまう。

 

「それより、あいつらをどうするかだな」

 

 改めて見るとやる気を削がれる数だ。

 

「ねぇ、逃げようよ……」

 

 さっきはウォーロックがシールドを張ってくれたおかげで助かった。しかし、次はどうか分からない。今更だが、命がけなのだと認識した。

 このときに初めて死の文字が浮かんだ。指が、足が、がくがくと小刻みに揺れ始めた。力が入らない。

 

「何言ってやがる、戦うんだろう?」

「嫌だよ! 怖いよ! 死にたくないよ! な、なんで僕がこんなことしなきゃ……ブアッ!」

 

 言いきる前に、自分の左手が飛んできた。顔が横に跳ぶ。今は顔しかないウォーロックが、スバルの体を使って殴ったのだ。頭に星が飛ぶ。

 

「お前の親父は、星河大吾はそんな感じじゃなかったぜ」

「……父さん?」

 

 やっぱり、この宇宙人は父さんのことを知っている。

 

「少なくとも、お前みたいに泣き言は口にしなかった。おふくろさんを助けるんじゃなかったのか?」

 

 痛い。殴られた左頬がじゃない。ウォーロックの言葉が痛かった。あの時に託された父の言葉と今日の母とのやり取りを思い出し、かみしめた。

 

「か、勝ったら……教えてよ? 父さんのこと」

 

 雰囲気が変わった。それをウォーロックは感じ取った。ゆっくりとスバルは立ち上がる。ちょっと腫れた頬が放つ熱にも、歯を食いしばった。

 

「へぇ、やればできるじゃないか。まあ、親父さんのことに関しては、考えといてやるぜ」

「約束だよ?」

 

 まだ涙は残っているけれど、距離を詰めてくる大群をしっかりと見据えた。



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第八話.初勝利

2013/4/20改稿


 まずは深呼吸だ。吸い込めるだけの空気を肺に流しこむ。その量が増えるにつれて、胸の痛みが増していく。限界まで痛くなった胸をなでおろし、全てを吐いた。渦を巻いていた脳内は幾分か落ち着きを取り戻していた。そして、もう一度奴らを見据えて、数を確認する……12体だ。

 

「ロックバスターで倒しきれるかな?」

「無理ってわけじゃないが、少し面倒だな」

 

 何か別の攻撃手段が欲しい。スバルはもう一度深呼吸を行う。焦ってはいけない。敵はまだ攻撃してくるそぶりを見せない。綺麗に行進しているだけだ。

にしても、無機質さを感じさせる表情だ。まあ、ウィルスなのだから仕方ない。

 

「……ウィルス?」

 

 そう、忘れていた。相手にしているのは電波ウィルス。今日倒した自動販売機にいたやつと同じだ。ならば……と、ごそごそと腰に手をやった。

 

「ロック、これ使えないかな?」

 

 とりだしたそれを左手の前に持って来る。

 

「こいつは……バトルカードってやつか?」

 

 どうやらある程度は知っているらしい。星河大吾から聞いたのだろうか?

 

「使えそうだな、貸せ!」

 

 貸せと言うが早いか、スバルのカードに食いついた。牙の一部が右手の指をかすめる。

 

「いったぁ!」

 

 自分の左手に噛まれるという、人類史上初であり、最後となる経験をした。全然嬉しくないが……

 一方、バトルカードを咥えたウォーロックはそれを体内に吸収した。その途端、彼の体はカードのデータを読み取り始めた。封じられていたプログラムが解放される。螺旋状に連なった無数の記号群が駆け巡る。

 体内からこみあげてくる力を抑えることなく解放した。緑と青の光がウォーロックから発せられ、一瞬で消える。しかし、そこにあった左手は、一瞬前とはまるで違っていた。

 

「うわぁ……!」

 

 先ほどのカードに描かれていた物と同じだ。小さい銃口と丸いふくらみをもったフォルム。敵が目の前にいると言うのに、それに見とれてしまった。

 

「俺達の新しい力だ! 使え!」

「う、うん! バトルカード、エアスプレッド!」

 

 姿を変えたウォーロックを眼前に構え、放った。それは先頭のメットリオに当たった。そこを中心に周りに爆発が伝わって行く。密集していたこいつらはひとたまりもなかった。悲鳴を上げて消滅していく。

 

「もう一発かましてやれ!」

「うん!」

 

 二発目、三発目、弾切れになるまで、一心に撃ち続ける。巻き込まれたメットリオ達は次々と消し飛んでいく。

 それから逃れた、生き残った三体がつるはしを地面にたたきつけた。蛇のように唸るそれが、ショックウェーブが、二人に迫る。今度は正面からだけじゃない。前方、右、左の三方向からだ。奴らが狙ったのか、偶然なのかは分からないが、綺麗な挟み打ちになっていた。ウォーロックのシールドで防げるのは前方のみ。防ぎきれない。

 だが、スバルは慌てなかった。冷静にこの状況にあったカードを選びだす。

 

「バトルカード、バリア!」

 

 右手から投げたそれに再びウォーロックが食いつく。途端に、スバルを青い球状の光が包んだ。飛んできた攻撃を代わりに吸収し、消滅する。

 

「どんどん行こうぜ!」

「う、うん! バトルカード ヒートボール!」

 

 先ほどと同じく、ウォーロックがカードを吸収する。5本の指を持つ右手に野球ボールくらいの赤い玉が握られる。それを左にいる一体に投げつける。

 

「バトルカード キャノン!」

 

 次はウォーロックの姿が角ばった、鈍重なフォルムへと変わる。大きい砲口を右側のメットリオに付きつけ、放った。二種類の爆発音が同時になる。

 両脇の二体が消えたことを気配で確認し、ウォーロックの合図で目の前の一体に駆けだした。

 まっすぐに相手に向かっていく。ぐんぐんと距離が近くなっていく。迷うことなく、相手はその武器を頭上に持ち上げる。

 

「スバル、突っ込め!」

「分かった!」

 

 今さっき会ったばかりの得体のしれない宇宙人。けど、いつの間にか、ウォーロックの言葉にはもう疑いを持たなかった。

 

「バトルカード ソード!」

 

 ウォーロックの体が大きく変化する。緑色の鋭い剣だ。左の手首から先に剣が取り付けられた形になる。

 

「俺の突進力は半端じゃないぜ? お前の力の一部になってるはずだ。たたき切っちまえ!」

 

 鉄塊が振り下ろされようとしている。それよりも早く、地面をひときわ強く蹴飛ばした。

 

「うわあぁ!」

 

 左手をがむしゃらに、けど大きくなぎ払った。最期のメットリオはピシリと綺麗な切れ目にそって割れる。二つに分かれたそれは、例外にもれず粒子に変化していった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 右、左、恐る恐ると後ろを振り返り、最後に足元、頭上と目に映る範囲を変えていく。

 

「か、勝った……?」

「……ああ、もう敵の周波数は感じない。終わったな。こいつも止まったみたいだぜ」

 

 言われて思い出した。ここは暴走した機関車のコンピュータの中だ。ウォーロックの言葉からするとそれも収まったらしい。

 

「ねえ、被害とかは……」

「町への被害はゼロだ。まだ階段を下りる途中だったみたいだぜ?」

「そっか……良かった。」

 

 誰も傷ついていない。この結果にほっと一息をついた。



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第九話.コンビ結成

2013/5/3 改稿


 戦いを終えたスバルにはまだもう一仕事残っていた。機関車を元に戻すということだ。階段の途中にこんな大きな物を置かれたら邪魔だ。なにより危ない。誰かに任せるわけにもいかず、結局スバル達が元に戻すしかなかった。

 もう仕事帰りのサラリーマンの姿すら見かけない。そんな寂しい道を、スバルは疲れた足取りで歩いて行く。

 

「ほっといても良かったんじゃないのか?」

「ダメだよ。これで誰かが怪我とかしたら、僕たちのせいだよ」

 

 仕事をやり遂げた彼の顔は少々満足そうだった。

 

「それにしても、お前って意外と格闘センスがあるじゃねぇか。気に入ったぜ。しばらくは、お前のところで世話になることにするぜ!」

 

 ウォーロックの爆弾発言で、その表情は一気に失われる。

 

「ち、ちょっと待って! 嫌だよ! それって、またあんな目にあうってことでしょう!?」

 

 今日の委員長と言い、この宇宙人と言い、自分勝手が多い。いや、自分がそうやって押されてしまう性格なのかもしれない。

 

「あ、そう? それじゃ、親父さんのことは知りたくないんだな?」

「そ、それとこれとは話が違うだろ?」

「じゃあな」

「ま、待って!」

 

 これはウォーロックの作戦勝ちだ。ずるいと言えばずるいが、賢いとも言えるだろう。

 

「……分かったよ、もう……」

「よし、世話になるぜ!」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべ、ウォーロックはピュンとトランサーの中に入って行った。

 

「俺は普段からこうやって、ここに居候させてもらうぜ。まあ、どっちにしろ、地球人には見えないんだがな」

 

 居候と言う自覚はあるらしい。返事の代わりにため息を返し、家路を急いだ。

 

 

 遅すぎる帰宅について、軽く母にしかられた後、お風呂と遅い夕食も済ませたスバルは、自分の部屋に戻った。疲れてはいたが、まだあの戦闘の興奮が残っている。寝付けない。満足に見れなかった今日の星空を、自分の天体望遠鏡で覗いていた。展望台の時とはちょっと気候が変わったらしい。少し雲がかかり、見れない部分ができていた。でも、彼にとっては充分だった。

 

「ねぇ、起きてる?」

「ああ」

 

 レンズから目を離し、そばに置いていたビジライザーをかけた。見えるようになった居候宇宙人が側にいた。いつの間にか、トランサーから出てきていたらしい。

 

「寝ないのか?」

「うん……寝付けないんだ」

「早く寝た方が良いんじゃないか? そこは宇宙人も地球人も変わらないはずだぜ」

「うん。そうだね」

 

 少しのばかりの沈黙が流れる。それをスバルが断ち切った。

 

「ねぇ、教えてよ。父さんのこと」

「そのうちな。ふぁ~あ、俺は寝るぜ? 疲れてるんだ」

 

 スバルには話していないが、あの場所から地球に来るまでの間、ウォーロックは一睡もしていない。それどころか、小休止すらしていない。それに加えて、地球人との電波変換に、電波ウィルスとの戦闘だ。疲労が溜まっていないわけが無い。

 スバルの文句の言葉も無視して、再びトランサーに戻ってしまう。こうなるとスバルにはどうしようもない。がっくりと肩を落とす。そして、改めて胸に誓う。いつか、父の話を聞くと。

 

「ふぁ、ああああ!」

 

 急に睡魔が襲ってきた。先ほどのウォーロックの言葉を思い出し、逆らうことをやめて、ベッドへと潜り込んだ。すぐに、スースーと寝息が上がる。

 その様子をトランサーからウォーロックはうかがっていた。再び中から出てきた彼は、スバルの寝顔を覗きこんだ。

 

 似ている

 

 素直な感想だった。あいつと違って、臆病で消極的だが、顔も、周波数も、堅い髪質もよく似ている。

 

 言えない

 

 あのことは、今は絶対に言えない。この少年にあれを話せば……彼は持ちこたえられない。それは、あいつとの約束を破ることになる。まあ、約束と言っても、一方的に押しつけられたような物だ。だから、あまり守る気はない。それに、自分にはやるべきことがある。

 だが……彼の願いの言葉が脳裏を過ぎる。

 

「……悪いな……」

 

 夜が生み出す影に隠され、感情は読みとれない。誰に、何に謝っているのか。それは彼にしか分からない。ただ、謝罪の一言を述べて、自身もトランサーで眠りに着いた。

 

 

 

 

 

 静かな夜だった。耳を澄ませば、川のせせらぎや木々のざわめきが聴き取れそうなほどだ。

 この夜が嵐の前の静けさだと言うことは誰も知らない。とある宇宙人を除いて、誰も知らない。

 

 

 

 だが、そんな彼すら知らない。

 

 この二人の出会いが

 

 この星のたどる運命を

 

 そして、互いの運命を大きく変えていくということを

 

 

 

 

序章.出会い(完)



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一章.何が為に
第十話.君には分からない


2013/4/20改稿


 朝だ。いつも通りのお日様が、コダマタウンの一日の始まりを祝福している。照らされる舗装された道を多数の足が踏んで行く。

 仕事に向かう会社員、制服を身にまとい、友人と談話している中学生が見える。開店の準備を始めていた店の主人が、顔見知りにお決まりのあいさつをしている。その手前には自転車に乗って学校に向かう高校生の姿も見えた。

 この中で、なにより一番目立つのは小学生達だ。疲れを最も知らない世代と言えばこの子達だろう。徹夜でレポートを仕上げたのだろうか? 眠そうな目を擦って歩いて行く大学生の隣を、鬼ごっこをしながら走り抜けていく。そして、この後も学校で遊ぶのだ。その姿は元気がそのまま形になったかのようだ。

 

 しかし、この家の少年は違った。同じ世代の子供達が最寄りの学校へと通うこの景色に加わっていない。本来はとっくに着替えているはずのパジャマのまま、ベッドにもぐりこんでいる。

 昨日はあんなことがあったため、寝るのが遅かった。だから、窓から差し込んでくる光を遮るように、布団を頭まで持ち上げる。あのピンと立った髪の毛がはみ出ているのはご愛嬌だ。だが、夜ふかししていようが、いなかろうが、結果は同じだっただろう。

 ドアをノックをする音がする。返事をする前にノブが回された。入ってきたのは母親だ。簡単な化粧と小さい鞄を手に持っている。

 

「スバル。お母さん、パートに行ってくるからね? 朝と昼のご飯はできてるから」

「……うん」

 

 眠い目を閉じながら生返事をする。これがいつものこの時間の、この家庭の絵だ。母と息子のやり取りだ。外からわずかに聞こえてくる子供達の無邪気な声。壁一枚向こうにあるその世界が、永遠に遠い物に感じる。

 

「あのね、スバル……そろそろ学校に行ってみない?」

 

 あかねは窓から見える外の景色に目を向けた。子供達の一人が意地悪をしているみたいだ。友達の帽子を取り上げて追いかけっこをしている。別の子供は公園の側に立っているお店の中を覗き込んでいる。近々開店予定のバトルカード専門ショップだ。興味津々と、数人でポスターを見てはしゃいでいる。

 

「あなたには、友達が必要だと思うの」

 

 黙っていた。布団を隠れ蓑にして、ばれないように体の向きを変え、母に背中を向ける。本人は隠しているようだが、はみ出した髪の毛の向きが変わったのですぐに分かる。それを理解したうえで、気付かないふりをして、あかねは続ける。

 

「友達ができたら、きっとあなたの世界も変わると思うの。無理はしなくていいわ。ただ……そろそろ、考えて見てほしいの」

 

 背中を向けたからって、母の言葉が小さくなるわけじゃない。だからと言って、堂々と仰向けになる度胸もない。体を丸め、母の言葉をじっと聞いていた。

 

「それじゃあ、行ってくるね」

 

 足音が遠ざかり、ドアが閉まる音がする。階段を下りる音も小さくなっていった。

 

「ごめんね、母さん……」

 

 しばらくそのまま布団の温かさにくるまっていた。しかし、一度冷めてしまった目と、もやがかかったような胸を抱えて眠る気にはなれなかった。結局、数分後には体を起こしていた。

 

 

 バス停までの道のりの途中、もう一度家を振り返る。今頃、まだベッドの中だろうか。すぐ隣を子供たちが走って行く。あの輪の中に息子がいれば……今、自分が彼に望むのはそれだけだ。晴れ渡る空の下で、友達と一緒に学校に行く。

 ただ、それだけで良いのだ。今はその時ではないのかもしれない。けれど、どうしても期待してしまう。そこまで考えて、首を軽く横に振る。

 

「……落ち込んでいる暇なんてないわ。今は私が、大吾さんの分まで、スバルを守らなきゃ」

 

 大吾との約束を思い出し、バス停へと歩みを再開した。

 

 

 太陽がそこそこ高い位置にまで来た。ちょうど、ティーチャーマンから出された今日のカリキュラムも終わった。どうやら、学校の授業よりも進んでいるらしい。

 いじくっていた機械のパーツ交換も終え、一休憩と窓まで足を運ぶ。外はずいぶん静かになっており、道を行く人の数も種類も変わっていた。

 そこから見えるのは散歩をしている老人や、犬を連れた主婦っぽいおばさん。買い物へと出かける人の姿も見える。誰かの家の前にはトラックが止まっている。郵便の配達か何かだろうか? 賑やかさは失せて、町は静かな時間を奏でていた。

 

「おい、良いのか? その学校ってトコに行かなくてよ」

 

 朝からずっと黙っていたウォーロックが口を開いた。ビジライザーをかけていないため姿は見えない。

 

「……あれ?」

 

 そう思っていると、ウォーロックが側にいた。ビジライザーはまだおでこの上だ。

 

「体の周波数を変えれば、見えるようにはなる。まぁ、ちょっと疲れるし目立つから、あまり使いたくはないんだがな」

 

 丁寧に説明してくれた。ウォーロックの気持ちを察し、おでこのそれをかけた。すっと、周波数を変え、また普通では見えない体になる。

 

「地球人の子供が、毎日行く場所なんだろ?」

 

 ここに来て調べたのか? それとも、父から聞いたのか? 少しは知っているようだった。視線を隣から窓の向こうへと戻した。緑色が混じった景色だ。

 

「学校に行ったら、友達ができるかもしれないだろ?」

「それが嫌なのか?」

 

 意外そうに尋ね返してきた。

 

「みょうだな。お前ら地球人は、友達とかブラザーとか、そういう絆ってのを大切にする生き物だと、俺は聞いたぜ?」

 

 やはり情報源は大吾らしい。

 

「そうやって、大切と思える人ができるのが嫌なんだよ。その人がいなくなる。僕は、それを想像しただけで……怖いんだ」

 

 あの日を思い出す。大好きだったたくましい背中は今も鮮明に覚えている。逆に、それがスバルの心に重くのしかかる。父親にはあの日以来一度も会えなかった。

 

「その人との絆が強くなれば強くなるほど、それを失った時の悲しみは大きくなるんだ。だったら、大切な人なんて、最初からいない方が良いよ」

「ふ~ん、そう言うものなのか?」

 

 理解できないと言った感じにウォーロックは言葉を返した。

 

「君には分からないよ」

 

 別段、なにかをこの宇宙人に期待したわけではない。だから、次の一言も何気なく口にした。

 

「ロックは大切な人を失った悲しみを知らないから、そんなコトが言えるんだよ」

 

 沈黙。ウォーロックは何も返さなかった。スバルはこの静けさを気にすることもなく、大して変化の無い景色をじっと眺めていた。

 

「そう見えるか? へっ、まあいい」

 

 昨日から今までと同じく、そっけない態度で彼はトランサーへと戻って行った。



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第十一話.ウィルス人間

2013/5/3 改稿


 世界中に張り巡らされた電波。それによって構成された道、ウェーブロード。オレンジ色のそれの上を青い影が歩いていた。

 

「昨日はゆっくり見れなかったけど……こんな世界なんだね?」

「新鮮だろ?」

 

 スバルとウォーロックだ。電波変換し、今はあの恥ずかしい青い格好をしている。この体は電波そのものだ。よって、今のスバルは、本来なら歩くことのできないこの道の上を歩いていた。

 

「それにしても……」

 

 改めて周りを見て見る。

 

「電波世界って、僕が想像していた世界とだいぶ違う……」

 

 電波は人間が作り出した『物』だ。そして、道具だ。道具は意志など持たない。ひたすら同じ動きを繰り返す機械のように、ただただ人に利用され、人に尽くすものだからだ。当然、電波世界もそのようなものだとスバルは考えていた。目の前では色々な『者』がうごめいていた。

 

「メールハコバナキャ、メールハコバナキャ」

 

 灰色で丸みを帯び、愛くるしさを含めたそいつは一見テルテルボウスを連想させる。相違点は甲のみで形成された足が付いていること、ひらひらとしたスカートではないこと、頭に一本の角が生えていることだろう。

 その小さい角は鬼の額にある暴力的なものとは程遠く、彼のかわいらしさを強調させるアクセントになっている。どうやら電波を受信するアンテナのようだ。角の頂点では微弱な電波がリングを形成していた。縦に長い円状の目は真っ白で、口は見ているだけでこちらも同じ形にしてしまいそうな笑みを含んでいる。

 彼は自分の体内に取り込んだメールデータを運んでいる様子だった。その隣を、青いトラックに目と手が付いたような奴が通りかかる。

 

「おう! あんたも運搬のお仕事かい!」

「ハイ、アナタモデスカ?」

「おうよ!まあ、こっちはコンビニの売上データだがな」

「ナラ、オモイデスネ?」

「まあな、だがおれっちの働きっぷりの見せ所よ!」

 

 そんな会話を交わしている。前者はデンパ君という存在らしく、後者は重いデータ運搬用のナビらしい。

 辺りを見ると、何体ものデンパ君が忙しく動き回り、他の種類のナビ達もせわしなく仕事をしているようだった。中には仕事をさぼっているのだろう。人間の生活を観察し、談笑しているナビや、昼寝をしているデンパ君までいる。

 だが、そいつらはすぐに仕事仲間と思われるナビに見つかり、長い時間が始まっていた。

 

「……なんか……人間世界みたい……」

 

 よく考えたらそうかもしれない。ナビ一体一体には人格がプログラムされている。彼らもまた生きていると言えるのだろう。

 

「ねぇ、もういいだろ? そろそろ作業に戻りたいんだけど」

 

 いじくっていた機械の事を思い出す。

 人間の生活を見てみたいとわがままを言う居候宇宙人に、スバルは無理やり付き合わされているのだ。

 

「ふむ、妙だな……」

「何が?」

「いや、気配がしたんだが……」

 

 ウォーロックの言葉は悲鳴でかき消された。電波世界の下に広がる人間界を見降ろすと、一台の車が暴走していた。右往左往と蛇行運転をしている。

 その近くでは、一人の男性が「俺の車が!」と叫んでいる。良く見ると、その車の座席には誰もいない。

 

「こ、故障? それとも、運転ナビの暴走かな?」

「スバル! 行くぞ!」

「え? ええ!?」

 

 スバルの疑問に回答が返ってくることは無く、昨日の機関車と同じく、二人は車の電脳世界に吸い込まれていった。

 そして、昨日と同じくあの足場に降り立った。その周りに電波の海がある。

昨日と同じだ。違うと言えば、海の色が赤いことぐらいだろう。どうやら、電脳世界ごとに色が違うらしい。観察もそこそこに、口から文句をはきだした。

 

「い、いきなりなにするんだよ?」

「こっちの台詞だ!」

「え?」

 

 低い声に顔を上げると、凶悪そうなナビが立っていた。車の操縦を担うと思われる装置から離れ、ドスドスと近づいてくる。黄土色のボディに、肩からはとげが生えている。黒いアイマスクをつけ、いかにも怪しそうだ。

 

「俺が盗んだ車に、いきなり入ってきやがって! こうしてやらぁ!」

 

 拳を作り、足を速め、その右手を容赦なく振って来た。

 

「うわ!」

 

 かろうじてそれを避ける。

 

「戦え! そいつはナビじゃねぇ!」

「じ、じゃあ、何なの!?」

 

 とりあえず、応戦するしかない。昨日の戦いを思い出し、左手を前に出す。

 

「ロックバスター!」

 

 銃声と共にそのナビではない何かが悲鳴を上げる。胸を射抜かれて宙を舞ったそいつは、そのまま地を滑っていく。

 

「くっそ、行け! サラマンダ!」

 

 起き上がった相手の左手から、赤い光線が放射状となって地面に放たれる。

その光の中で何かが徐々に形作られていく。それを、ろくに観察する暇もなく、光線は止んで中のそれをあらわにした。

 

「な、なにあれ?」

「電波ウィルスだ!」

「あれもなの!?」

 

 昨日の奴とは違う奴がそこにいた。蜥蜴みたいな姿に赤い色がつけられている。サラマンダと呼ばれたウィルスが口を開いた。

 

「シールド!」

 

 危険を感じ、スバルは左手の肘を相手に向けシールドを展開した。その直後に炎の柱が二人を包み込んだ。シールドの上からでも感じる熱に身の毛がよだつ。ウィルスの口から放たれたそれが途切れ、スバルも腕を下ろした。

 

「あ、あぶなかっ……」

「らあ!!」

「ぐあ!」

 

 隙を狙われた。細かい光の粒がスバルとウォーロックを打ち抜く。ウィルスを召喚したそいつの左手には、ガトリングのような銃が取り付けられていた。

 してやったりと笑いながら、左手は光を放ち、銃から手に戻る。しかし、二人との距離は遠い。つまり、態勢を立て直すチャンスだ。

 

「バトルカード アイスメテオ!」

 

 手をかざし、相手に振り下ろすように下げる。頭上に複数個の氷塊が姿を現し、隕石となって一体と一匹に降り注ぐ。

 頭を抱えるそいつの隣で、召喚されたウィルスは消滅していった。

 

「よっしゃ!」

「属性勝ちだね?」

 

 歓喜するロックに対し、スバルは冷静に分析していた。ウィルスが持つ四属性に対応した攻撃だ。

 

 水>火>木>雷>水

 

 この法則はどれだけ強いウィルスでも逃れられない。無属性も含めれば五属性だが、無属性はどの属性の効果も受けない。

 それを熟知していたスバルは、さっきの火属性のウィルスに、水属性のアイスメテオで対抗したのだ。その効果がもたらす威力と結果はみての通りだ。

 

「ロック、あいつ何なの?」

 

 攻撃を受けてよろけている、正体不明のそいつを指さす。

 

「ウィルスと電波変換した人間。いわば、ジャミンガーって奴だ。今の俺達と同じだ」

「……え? ……人間なの?」

 

 戦っている相手が人間。その事実がスバルの胸を大きく揺らす。自分は、人を傷付けている。ウィルスを消滅させるほどの攻撃を相手にしていたのだ。

 

「このくそガキが!!」

 

 両手を握り拳にして襲いかかってくる。右、左、右……二つの手が交互に降ってくる。

 

「うわ、わ、わぁ!」

 

 大ぶりだ。軌道は簡単に読める。その途中に腕を出し、振り払うように捌く。しかし、体格差が作り出す重い拳は、少しずつスバルの腕を浸食していく。

ビリビリと、痛みが腕の動きを鈍くしていく。

 このままでは生殺しだ。だが、スバルは反撃ができない。もしかしたら、それで人の命を奪ってしまうかもしれない。

 そう思うと、何もできない。ただ、攻撃をしのぐしかできなかった。

 

「調子に……のんなぁ!」

 

 不意にスバルの左手が持ち上がり、ジャミンガーの顎を打ち抜いた。体が垂直に浮く。その間に相手とは逆方向に自分の体を跳躍した。

 

「あいつの意識は、ほとんどウィルスに乗っ取られている。倒しても人間は無事だ」

「そ、そうなの?」

「ああ、だから遠慮はするな! 思いっきりぶちかませ!!」

「う、うん!」

 

 父のことはなかなか話してくれないが、彼は昨日のバトルでいい加減な事を言わなかった。彼の言葉を信じ、意を固めた。

 

「逃げんな~!」

 

 ウィルス人間、ジャミンガーはまた起き上がり、右手を大きく振りかぶって突っ込んできた。

 

「バトルカード スタンナックル!」

 

 スバルの右手が大きく変化し、黄色の巨大な拳になる。

 

「げぇ!」

 

 予想外の巨拳に驚くジャミンガーに、スバルは容赦なく右手を振り切った。



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第十二話.ウォーロックの目的

2013/5/3 改稿


 ぐったりとした顔をして、スバルは歩いていた。もう少ししたら町はオレンジ色に染まるだろう。普段はその時間に展望台に向かうのだが、足は家へと向けられていた。

 ウィルスに取りつかれた人間、ジャミンガーは無事に倒した。それにより、とりついていたウィルスは無事にデリートされ、後には生身の人間だけが倒れていた。電脳世界に放り出されたその男をどうしようかと悩むスバルに、ウォーロックはほっとけと鼻を鳴らした。

 説明によると、時間がたつと勝手に人間世界に戻るらしい。一応気になって見守っていたが、ウォーロックの言うとおりだった。

 しかし、彼が車を盗もうとしていたのは事実。事件の容疑者として、駆け付けたサテラポリスに連行されて行った。

 

「それにしても、変わった頭をした人だったな。頭につけていた、アンテナみたいなもの……なんだったんだろう?」

「……お前も人のことは言えないだろ?」

 

 鶏冠のようなスバルの髪を指差して言う。

 

「これは寝癖だよ。堅くって、どうやっても治らないんだよ」

「寝癖だったのか!?」

 

 すさまじすぎる寝癖にロックはちょっと驚いたみたいだった。

 

「ところで、ロック。さっきはウィルスだけが消えたけど……僕達が負けたら、君だけが消えちゃうの?」

 

 心配そうにスバルはトランサーの中の住人を覗き込んだ。

 

「いや、その時はお前も消える」

 

 ほっとしていいのか、緊張すればいいのか分からない答えだった。何とも言えない表情を返す。

 

「さっきの奴は、意識のほとんどをウィルスが支配していたからな。人間は無事だった。だが、俺らの場合は、互いの意識がしっかりとある。やられたら二人ともお陀仏だ」

「……へぇ……」

 

 どういう理論なのかと問おうとしたが、止めた。多分、理解できない範囲のことだろう。

 

「ねぇ、そういえばロックはなんでこの地球に来たの?」

 

 今更の疑問が浮かび上がった。昨日は色々ありすぎた上に、父のことが気がかかりだったため、そこまで気が回らなかったのだ。

  少し黙ったのち、ウォーロックは話し始めた。流石にこれについて口を閉ざすのは止めたようだ。

 

「俺は、俺が住んでいたFM星を裏切ったんだ。そして、地球まで逃げて来たわけだ」

「どうしてそんなコトしたの? なんで地球に?」

 

 ウォーロックは目と口を閉じ、スバルの視線から顔を反らした。しばらくだんまりを決め込んでいたが、スバルの視線に堪えかね、向き直った。

 

「裏切ったのは、FM星王が憎いからだ。あいつをこの手で引き裂いてやりたくてな。俺の目的は奴らへの……FM星の奴らへの復讐だ。だが、今は無理だ。だから、ここまで逃げて来た」

 

 あれ? とスバルは思った。何か胸に引っ掛かる。さっきから、彼の言葉のどこかに……

 しかし、別の疑問に気が向いてしまい、流してしまった。

 

「逃亡って……もしかして、追われてるの?」

「おう!」

「ち、ちょっと待ってよ!」

 

 久々にふざけるなとスバルは怒鳴りたくなった。偶々そこに現れたウィルスを退治するぐらいならともかく、敵が意図的に自分達に襲いかかってくるというのだ。偶然遭遇するのと、標的にされるのとでは違いが大きすぎる。

 

「な、なんで僕がそんなことに巻き込まれなきゃいけないんだよ!? ヤだよ! トランサーから出て行ってよ!!」

「どの道同じだぜ? FM星は地球を滅ぼそうとしているんだからな」

 

 チクタクと時計の針が鳴り響く。学校帰りの小学生達が目の前を駆け抜け、部活を早めに切り上げた中学生が自転車に乗って帰って行く。脇を、大型のトラックが走り抜けた。

 

「えええええええっ!?」

 

 たった二つの文章の意味を理解するのに、スバルの良質な脳がフル回転した。文章は簡単だが、現実として受け入れられなかったのだ。

 

「ち、地球を滅ぼすだって!?」

「何を滅ぼすのかしら?」

 

 危険信号が体を駆け廻った。自分の脳が鈍っていたわけでも、故障したわけでもないことにちょっと安心した。

 嫌そうな表情を隠そうともせずに、声の方向に顔を向けると、無意識に大きなため息が出た。昨日の三人組だ。学級委員長のルナが、でかい子分のゴン太と、小さい子分のキザマロを連れている。

 

「学校にも来ないで、一人でゲームでもしていたのかしら?」

 

 どうやら、都合の良いように誤解してくれたようだ。さりげなくスバルはトランサーを閉じて、ロックの身を隠した。踵を返し、止めていた足をまた動かす。この人達は無視する。昨日のやり取りでそう決めたのだ。

 

「ちょっと、何無視しているんです!?」

 

 キザマロが高い声を上げる。足の速度は緩めない。むしろ速める。

 

「ゴン太!」

 

 続いて甲高い声が上がり、どすどすと重い足音が近づいてきた。振り返ろうとすると、それより早く体が斜めに突き飛ばされ、体の左側が持ち上げられた。太い腕が襟を掴んでいる。

 

「おい、モヤシ! 委員長を無視するって、どういうつもりだ!?」

「……………………」

「黙ってんじゃねぇよ!」

 

 スバルが黙秘をしている内に、ルナとキザマロも追いつき、やり取りを嫌な笑みで眺めている。しかし、スバルは相変わらず顔をそむけて黙したままだ。ウォーロックがひそひそとスバルに声をかける。

 

「なんでやり返さねぇんだ?」

「ほっといたら良いんだよ。こんな奴ら」

 

 これではいじめられっ子だ。トランサーの中でぎりぎりと音がたつ。ウォーロックの機嫌が悪いようだ。

 それはゴン太も同じだった。腕を大きく動かし、顔を近づける。

 

「無視してんじゃねぇぞ! モヤシいためにして食ってやろうか!?」

 

 無視。スバルの目は明後日を見ている。

 

「この! モ……」

「っち!」

「きゃあ!」

 

 ルナの悲鳴が上がる。キザマロの眼鏡の下では、大きく目が見開かれていた。その先では、自分の3倍近くの体重があるであろうゴン太が倒れている。

 

「モヤシ……いため……て……」

 

 大の字になり、意識から解放されたように目がうろうろしている。それを見下ろすように、左拳を高く上げたスバルが立っていた。なぜか、一番驚いた顔をしている。

 

「ご、ごめん!」

 

 後ろから二つの声が聞こえる。それに振り返らずにただ地面を蹴ることに集中した。

 

 

 息が切れそうになったところで、ようやく立ち止まった。後ろを確認してみる。どうやらあいつらは追いかけていないようだ。

 

「なんてことするんだよ! ロック!」

「お前が悪いんだよ! 一方的にやられるなんざ、かっこ悪いだろうが!」

「ほっといたら良いって言ったじゃないか」

「へっ、知らねぇな! 俺のいたFM星では、自分の身は自分で守るもんなんだよ!」

「僕は僕の方法で守ろうとしていたんだよ」

「あれで状況が良くなるわけねえだろ! 戦わなきゃ何にも守れねえぞ!」

 

 さっきのアッパーはウォーロックの物だ。ジャミンガーと戦っているときにやったものと同じだ。

 大人しいスバルには彼の乱暴さが理解できない。頭が痛くなる。話すと余計に痛くなりそうだ。口論をそこそこに終わらせる。

 

「……もういいよ……ところで、さっきの話の続きだけど、本当なの?」

「さっき? ……ああ、FM星人が地球を滅ぼそうとしているって話か?」

 

 あり得ない単語が平然と返ってくる。聞き間違いじゃなかったのだったとまた脳が悲痛に悶えた。

 

「今、FM星から地球破壊計画の刺客達が向かって来ているはずだ。同時に、裏切り者の俺を始末するためにな」

「……ねぇ、もしかして……僕に戦えっていうつもり?」

「ああ。ついでに復讐も手伝ってくれ。よろしくな、相棒!」

「ヤだよ! そんな恐いこと! それに、僕はロックの相棒になった覚えなんてないよ……」

「じゃあ、親父さんのことは知らなくても良いんだな?」

「……はぁ……」

 

 大きくため息をついて、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしった。しかし、この程度で彼の立派な寝癖は形を崩さない。

 もう、考えるのを止めることにした。今日も非日常的なことがありすぎて、頭が疲れてしまっている。

 でも、これだけは忘れなかった。

 

「今度、牛島さんに謝らないと……」

 

 マジマジとトランサーの先にある手のひらを眺めた。

 

 

 一日の終わりの予鈴。晴れの日に限り、それを太陽が人々に知らせてくれる。白かった雲は橙色に染まり、そばでは黒い翼が空に模様をつけている。いつの時代でも、この国の、この光景は変わらない。少なくとも、このコダマタウンではそうだ。この景色の元、それぞれが自宅への道を歩いて行く。

 ここに3人、帰宅を中断している者達がいる。

 

「どういうことかしら?」

 

 赤黒いオーラが炎と化し、その二本の金色の束を持ち上げている。ちょうど頭から飛び出たそれは角と錯覚してしまいそうだ。

 

「め、めんぼくない……」

 

 肩をすくめ、目の前の、自分より小さな鬼を見れないでる。いや、オーラの大きさを身長にカウントするならば、相手の方がでかい。彼の大きい体は幾分か小さく縮こまる。

 それでも、それの半分くらいの大きさしかないもう一人は、グンと距離を置いて、少女の後ろで小さい体をさらに小さくしている。

 

「ゴン太! アナタの、その大きな体は何!? ただの飾りなの!?」

 

 返事の代わりにびくりと首を肩にうずめた。

 

「喧嘩もろくにできないんだったら、アナタは私のために何が出来るって言うの? 『モヤイクレープ食べに行きたい』だなんて言っている場合かしら?」

 

 今日、ゴン太が学校に持ってきた雑誌をペラペラとチラつかせる。最新グルメ10000件なんて文字が見える。

 

「あんな、もやしか青ネギみたいな子に負けるなんて、アナタに何の取り柄があるのかしら? 私がいなかったら、乱暴なだけの嫌われ者なのよ!? 分かってるの!?」

「う、うん……」

「今度あんな醜態をさらしたら、ブラザーを切るからね?」

「そ、そんな!」

「帰るわよ、キザマロ!」

「は、はいぃ!」

 

 ゴン太を置き去りにし、ルナはキザマロを連れて展望台の広場から去って行った。途中でキザマロが足を止めたのだが、二人がそれに気づくことは無かった。

 立ち去って行く二種類の足音を背中に受け、ただ茫然とゴン太は立ち尽くしていた。

 

 

 夕方と夜の間。今はそんな時間だ。あれからずっとゴン太はここで立っていた。展望台から見えるのは空だけではない。視線を下げれば町々が見下ろせれる。もう、黒い鳥の姿も鳴き声もない。夜に活動する虫達が起き出したのだろう。その声が代わりに、ひっそりと空気を震わせる。でも、それに耳を傾ける気にはなれない。

 大きなため息を吐き、手すりにもたれかかる。ギシリと鈍い悲鳴が上がるが、さびてもいない限りは大丈夫だろう。

 

「俺があんなもやしに負けちまうなんて……もし、委員長に必要とされなくなっちまったら……また、一人ぼっちになっちまう……」

 

 委員長のわがままに連れまわされることが多いが、別段嫌じゃなかった。乱暴者と称され、皆に避けられ、一人でいたころより、よっぽど良い。キザマロを含めた三人で遊びに行き、笑っていられた今日の時間が懐かしいと思えてしまう。

 グスリという音を聞いている者は誰もいなかった。

 

 

「言い過ぎたかしら……ゴン太、落ち込んでないかしら?」

 

 展望台からの帰路の途中、ルナがぼそりと口にした。

 

「委員長?」

「べ、別に心配しているわけじゃないわよ! あんなやつの心配なんてするわけないじゃない! ただ……私が心配してあげなかったら、誰が心配してあげるのよ? だから、仕方なく心配してあげているのよ!」

 

 結局心配している。しかし、さっきの怒りを思い出し、キザマロは口を紡いだ。代わりに、トランサーを使って何かを探し、ルナに見せる。二人のやり取りはその場でしばらく続いた。



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第十三話.夜の始まり

2013/5/3 改稿


 ひどいありさまだな。素直な感想と共に、大きく息を吐きだした。頭をかくと、髪の間から生える白いアンテナがぐらぐらと揺れる。一応言っておくと、これはヘッドギアのパーツであり、本当に頭皮から生えているわけではない。

 その男の目の前には今は使われていないポストだったものがある。今はただの鉄クズだ。足は大きく湾曲し、体は半分からひしゃげ、残り半分はごろりと地に転がり落ちている。

 その周りを彼の部下と思わしき者達が右へ左へとそれぞれの作業をしている。

 

「警部、科学捜査班からの報告が来ました」

 

 現場に新しく部下が駆けよってくる。トランサーの電波を使い、データを渡される。それに目を通す。

 

「やはりな」

「何か分かりましたか?」

「このポストだが、素手で壊されておる」

 

 部下は目を見開いた。あり得ないと。しかし、刑事は首を横に振る。

 

「この壊れ方は道具や機械で壊したのとは違う。様々な角度から力を加えられている。跡形も様々だ」

 

 ただの事故なら、力は一方向からしか加わらない。道具を使えば、跡形は統一されるだろう。複数の道具を使っても、似たような跡形がいくつか残るはず。しかし、へこんだ場所に、統一性が一切見当たらなかった。

 

「それに、この断面……力任せだな」

 

 ポストの本体ともいえる、二つになってしまった箱を指差す。断面はギザギザとしており、鉄がひん曲がっている。紙をびりっと引き裂いたような形だ。

 

「無理やり二つに開いたってところだろう」

 

 警部は障子をあけるようなしぐさを両手でやって見せた。

 

「でも、これができるなんて……」

「ああ、よほどの大男だ。それを踏まえて断言できる。人間の力ではない」

「な、何かの間違いでは?」

「サテラポリスの科学捜査班はNAXAにも引けは取らん。事実だ」

「なら、どう捜査するのです? この一連の事件」

 

 トランサー内の写真をいくつか開き、部下に見せた。

 

「もう一週間ほど続いているこの『無差別破壊事件』だが……破壊されたものは全てが赤いものだ。これが唯一の共通点だ。今はこれしか手掛かりがない。これを中心にして調べていくぞ」

 

 敬礼を返す部下に行けと促し、サテラポリスの刑事は再び部下達への指示に回った。

 

 

 夕陽の光を浴びるそれらから目が離せなかった。頭を太い両手で挟み、ぶんぶんと横に振る。スクッと立ち上がり、近くにあった四角い物に近づいた。中身をひっくり返し、代わりにさっきの物々を放り込んだ。そして、中身だったものを上に重ねるように詰めていく。

 散らかっている部屋が片付いたわけではない。しかし、彼はそれだけの作業で一息ついた。続きをやろうとはしない。どの道、作業を続けていても中断していた。

 彼のトランサーが鳴りだしたからだ。音声メールが、「遅刻よ」と文句を言ってくる。

 玄関を出て、重い体を懸命に前に出す。

 

「俺は……委員長の役に立つんだ!」

 

 

 辺りはもう暗い。ちょうど星が綺麗に見える時間だろう。しかし、この宇宙大好き少年は展望台を後にしていた。いつもよりは早い時間だ。けれど、これぐらいが良い。今はちょうど公園の中を歩いているところだ。

 

「ちょっと早いけど、別に良いよね? 母さんが心配しちゃうし……『無差別破壊事件』って物騒な話もあるし」

「俺は物騒大歓迎だぜ!」

「や、止めてよ。ただでさえ、FM星人のせいで、めんどくさいコトになっているのに」

「おい、俺のことか? 別の奴らか?」

「……どうだろうね……」

 

 今日も父のことは教えてはもらえなかった。なので、こっちもスルーしてやった。

 

「ところでよ、この事件なんだが……俺達で解決しないか?」

「い、嫌だよ。僕には関係ないだろ? それに、僕達が何もしなくたって、サテラポリスが解決してくれるよ」

 

 他人と関わりを持たない彼らしい意見だろう。今日も捜査していた、アンテナ刑事を思い出しながら口にした。

 サテラポリスは今の時代の特殊警察だ。エリートのみで構成されている。だから、この事件も彼らがさっさと解決してくれるだろう。

 

「少なくとも、僕みたいな子供が出しゃばる必要はないよ」

「誰が子供ですって?」

「ゲッ!!」

 

 もはやおなじみとなった反応を返した。相手はもちろん、学級委員長のルナだ。今日も綺麗な二本のドリルをぶら下げている。横にキザマロを連れて公園の敷地内に入ってくる。

 

「……なんのよう? 白金さん……最小院さんも……」

 

 不愉快感を前面に出してやる。

 

「別に、アナタに用事は無いわ。私たちが用があるのは、『無差別破壊事件』の犯人よ!」

「……犯人?」

 

 スバルの質問に、待ってましたとキザマロの眼鏡が光る。

 

「ムフフ、僕の発案なんです。委員長がこの事件を見事に解決すれば……」

「次期生徒会長は私のものよ! この私……白金ルナがコダマ小学校の頂点に君臨するのよ!」

「流石、委員長! 次期生徒会長は委員長しかいません!」

「当然よ!」

 

 今更ながら、自分を学校に来させようとしている本当の理由も明らかになった。冷めた目を彼らから反らす……と、もう一人のルナトリオのメンバーが近づいてきていた。

 

「遅刻よ、ゴン太! 今まで何していたのよ?」

 

 不満を漏らす友人達に「すまねぇ」とだけ謝り、憎悪で満たされた目をスバルに向けた。ルナとキザマロは気づいていないようだった。

 

「アナタも来る? 仲間に入れてあげるわよ?」

「遠慮しておくよ」

 

 そっけなくそう答え、ゴン太の前にたつと、頭を下げた。

 

「牛島さん、この前は殴ってごめん」

 

 心からの謝罪を言い残し、家路へと走り出した。

 

「……本当に手ごわいわね。休み明けも彼の家に行かなきゃならないわ」

「そうですね? 休み中はヤシ……」

「ちょっと、キザマロ!」

「あ、すいません!」

 

 二人はゴン太に目をやり、ゴニョゴニョと話を収束させる。もう一人の友人には会話に参加する時間すら与えてくれないらしい。

 

「委員長、キザマロ、何を話して……」

「アナタは知らなくて良いのよ。それより、遅れて来た分しっかりと働きなさい」

 

 ぴしゃりと言い切られ、口もはさませてくれない。キザマロに無言の視線を向けると、プイッと視線を反らされた。

 

「さ、行くわよ!」

「はい!」

 

 二人はスタスタと歩いて行く。けど、それを追いかける気になれなかった。

 

 足が酷く重い。

 

 開いた距離が遠い。空しいくらいに……

 

 

 ウォーロックが口を開いたのは、公園を出てから角を二つほど曲がったところだった。

 

「怪しいな」

「え? 何が?」

「あのゴン太って奴だ」

「牛島さんが、どうかしたの?」

 

 意味が分からない。ますます顔をしかめる。

 

「俺達……電波生命体は地球では本来の力が出せない。それは覚えているか?」

「うん。だから僕と電波変換する必要があるんだよね?」

「そうだ……俺らの場合は違うが、FM星人は人の孤独の周波数につけ込むんだ」

「つけ込む?」

「考えても見ろ。命がけで戦うために、『ただで体を貸してくれ』と言われて、承諾する奴がいるか?」

 

 首を横に振った。自分も父の情報をもらえることを条件にウォーロックのわがままを聞いている。こっちの条件を飲んでくれる様子は見えないが……

 

「そして、体を借りるにしても、相手の意識を奪って自分の傀儡にしてしまった方がやりやすい」

 

 ウィルス人間、ジャミンガーを思い出した。あれの意志は、ほとんどウィルスのものだった。自分達と違い、行動に迷いが見られなかった。確かに、効率が良いと言える。

 

「一番簡単な方法が……孤独や悩みを持つ人間につけ込むのさ。孤独を持った奴、悩みを抱えて誰にも相談できない奴。そういう奴の心は驚くほどにもろい。触れただけでぶっ壊れちまいそうなぐらいにな」

「……その心が壊れたら、どうなるの?」

「暴走する。理性も制御もあったもんじゃねぇ。心を抑えることができなくなった人間は、とりついたFM星人の操り人形だ。言われるがままに破壊して、地球人を傷つけるだろうな」

 

 ごくりと喉を唾が伝った。気付くと背中が濡れていた。

 

「それで、なんで牛島さんが?」

「ああ、あいつから孤独の周波数を感じた。もしかしたら……」

 

 叫び声が聞こえた。夜を引き裂くような、少女の悲鳴だ。背中から受けたそれに振り返る。

 

「……え?」

「公園だ! 嫌な予感が当たっちまったか!?」

「え、えと……!」

「行くぞ!」

 

 ウォーロックが走り出す。トランサーの中に入ったまま。よって、スバルは左手に引っ張られるように走るしかない。

 一つ、二つ、角を曲がると公園が見えてくる。街灯とは違う何かがその場で赤い光を放っている。

 

「ちっ、やっぱりか!」

 

 彼の舌打ちにまさかとスバルは息をのんだ。

 

「ま、待って! こ、心の準備が……」

 

 言い終わる前に入口についてしまった。

 

「あ……ああ……」

 

 光の発信源を見て、スバルは愕然とした。そこには赤が広がっていた。

 炎だ。砂利で満たされているはずの公園に広がり、火の海が出来上がっていた。その一か所、まだ炎が少ない一部分で、やはりルナとキザマロがいた。

 二人の視線の先を見て、さらに驚愕は絶望に変わる。

 

「化け物……」

 

 巨人がいた。三メートルはあろうと言う巨体の両肩には鋼鉄の円盤が取り付けられ、そこからは太い胴体と同じぐらいの幅を持つドラム缶のような腕が生えている。

 なにより目を引くのはその頭だ。闘牛を思わせる鋭い二本の角が君臨していた。

 

「ブルルルオォォォォッ!!」

 

 雄たけびと共に背中と肩付近から噴き出ていた炎が出力を上げる。うねり、のたうちまわる蛇のようにその炎を広げていく。

 地獄絵図。少年の眼前にはそれが築かれていた。

 

「……あれ?」

 

 ゴン太がいない。このあり得ない状況。しかし、すぐに結論が出される。さっきのウォーロックの言葉を聞いた後だから。

 

「……ま、まさか……ロック?」

「ああ……うれしくねぇが、大当たりだったみたいだぜ」

 

 口調から歯を食いしばる様が容易に伝わってきた。そして、彼女がそれを肯定した。

 

「なんで……ゴン太が化け物に……」

「ブルルッ! それをお前が言うのか?」

 

 二人の前に炎とは違う、別の赤が突然現れる。まるで最初からそこにいたかのように。

 

「ヒィ!」

「だ、誰なの!?」

 

 暴走しているゴン太に似ている。大きな角を始め牛のような容姿だ。違う点といえば、幽霊のような足をしていることと、腕があることだ。

 おびえるキザマロをよそに、果敢にその何かにルナは聞き返している。

 

「オレ様はあいつの味方だよ。ブルルルッ!」

 

 

 

「ロック、あれは……」

「ああ、あいつはオックス。牡牛座のFM星人だ!」



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第十四話.炎渦の中で

2013/5/3 改稿


 ゴン太は夜になるまでその場所にいた。大きく膨らんだその頬からはしょっぱい雫がぽたぽたと垂れている。

 

「俺が、もっと強かったら良かったのかな? そうしたら、一人にならずに済んだのかな?」

「ブルルルッ……力を貸してやろうか?」

「……え?」

 

 振り返ると、不気味さを含んだ赤い光が後ろに立っていた。

 

「ヒッ! な、なんだよ?」

「オレ様はお前の味方だ。強くなりたいんだろう? だったら、オレ様がお前の力になるぞ」

「ち、力を貸す……? ど、どうやって?」

「オレ様を受け入れろ……お前に恥をかかせたやつを痛い目に合わせて、委員長というやつに、力を示してやれ」

 

 こんな正体不明なヤツの、胡散臭い言葉。誰も信じない。いくら良い意味で単純なゴン太でも、さすがに信じない。

 けれど、それは普段の彼ならばの話。孤独でもろくなった彼の心は、迷ったあげく屈してしまう。

 

「俺……一人は嫌だ……」

 

 それが、一週間前の話。ゴン太がルナにブラザーを切ると言われた、あの日の出来事……

 

 

 野太い雄たけびが上がる。それは大きく空気を押しのけ、振動を起こし、公園の木々を揺らす。その様を、赤いFM星人、オックスはご機嫌な様子で観賞していた。

 

「ブルルルッ! さあ、ゴン太! 思いっきり暴れろ! お前の力を見せつけてやれ!!」

 

 化け物になったゴン太を煽るオックス。怯えて動けないキザマロの隣で、ルナは震える足で立ち上がった。

 

「あ、あんたがゴン太を! 許せない……私達のゴン太を返しなさい!」

「良く言うぜ! あいつがああなった原因はお前だよ!」

「……え?」

 

 闘牛をも退けそうなルナの気迫が珍しく止まる。

 

「ど、どういうことよ?」

「うるさいやつだ、黙っていな!」

 

 オックスの体から、唐突に強烈な光が放たれた。

 

「キャアァァ!」

「うわあ!」

 

 それに意識を奪われ、二人は糸が切れたかのようにその場に倒れた。

 

「さあ、ゴン太! いや、オックス・ファイア!! 全部壊せ! 全部焼け!! そうすれば、委員長もお前の力を認めるぞ!!」

「ブルルオオオォォォォッ!!」

 

 先ほど以上の蛮声。二輪車お断りの看板を掲げる公園の出入り口。そんな遠いところにいるスバルの元にまで圧力が届いてくる。服もズボンも後方へと引っ張られる。立つのがやっとだ。飛ばされそうになるビジライザーを慌てて押さえつける。

 

「スバル!」

「う……うぅ……」

 

 もう一度、炎の中心にたたずむ彼を見る。やはり大きい。自分の倍くらいありそうだ。

 

「言っただろ? あいつらは地球を破壊しようとしている。奴を倒すしかねぇぞ!?」

「……ぼ、僕しか、いないんだよね?」

 

 トランサーの中にいる彼と目を合わす。

 

「いや、『俺とお前』……二人しかいない」

「二人……」

 

 数秒目を閉じた後、こくりとうなずいた。もう一度相手を見る。オックス・ファイアは興奮しているようだ。いつ破壊活動を始めてもおかしくない。

 怯えが抜けない目で相手を見据え、トランサーを高く持ち上げた。

 

「電波変換 星河スバル オン・エア!」

 

 青に緑を交えた光が螺旋を描き、スバルを包みこんだ。

 

「手始めに、この町を火の海にしちまえ!」

「さ、させないよ!」

「ん?」

 

 声に振り返ったオックスが体を大きく仰け反らせる。そのすぐそばを凝縮された緑の光が通り過ぎて行った。飛んできた方向には、左手を構えている少年がいた。その手にいる顔には見覚えがある。

 

「ウォーロック! キサマから来てくれたのか、手間が省けたぜ!」

「オマエが最初か?」

「そうだ! だが、オレ様がこの星に着いたのは一週間くらい前だ。今頃もう何人か来ているはずだぜ? キサマに勝ち目はない。さあ、”アンドロメダの鍵”を返してもらうぜ!」

「誰が渡すか!」

 

 顔見知りらしい二人のやり取りを黙って見ていた。しかし、交じられていた、とある単語が気になった。

 

「ロック、”アンドロメダの鍵”って?」

「今は気にするな、来るぞ!」

「ゴン太! こいつらはお前が委員長に認めてもらうのを邪魔したいらしいぜ。ねじ伏せてやれ!」

 

 オックスは赤い光に代わり、ゴン太……オックス・ファイアの体内に入って行く。

 

「ブルルッ、お前も邪魔するのか!?」

「っ! ウォーロック、倒しても牛島さんは……」

「大丈夫だ! 消えるのはオックスだけだ。ためらうなよ!」

「う、うん!」

 

 身構え、臨戦態勢に入る。歯を食いしばり、恐怖を体内に閉じ込めた。目の前の悲惨な現状に背中を押され、体の震えも止まった。

 

「ファイアブレス!」

 

 ガスマスクのような口から吐きだされる炎の柱。空気を焼き焦がす業炎を前に、スバルは上方に大きく跳躍した。

 

「バトルカード ガトリング!」

 

 宙を舞いながら、ウォーロックの体を変形させる。4つの銃口を持ったそれは体を回転させ、次々と弾丸を放っていく。しかし、堅い装甲がそれを阻み、キンキンと空しくはじき返した。

 

「いまだ、タックルをかませ!」

「ブルォオ!!」

 

 オックスの合図で、オックス・ファイアが肩を突きだして飛びこんでくる。まだ空中に身を残しているスバル達はよけられない。

 

「えっと……これだ! バトルカード パワーボム 3枚!」

「え? おい!?」

 

 反論の間を許さず、3枚のカードを無理やり押しこんだ。左手も右手と同じく5本の指を備えた、元の形へと解放される。手元に召喚された緑の弾を掴み、交互に全力で振るった。

 耳を張り裂く三つの爆発がオックスを巻き込む。勢いを殺された突進はスバルの着地と退避を許してしまう。しかし、回避は許さなかった。逃げ遅れた右足を巻き込む。

 スバルがシーソーに叩きつけられるには充分だった。木片が空を飛び、鉄製の部品がスバルへのダメージをさらに大きくした。背中を突き刺すダメージがスバルの動きを鈍らせる。

 それを逃さない。即座に追撃の炎を吐く。倒れるスバルの周辺にあるもの、全てを灰に変えるかのごとく炎が爆散する。勝った。敵をたたきのめした快感が、一人と一体の口元を緩める。

 直後に緑の壁が炎を突き破り、その後ろにいるスバルがカードを取り出した。盾を収めたウォーロックがそれを受け取る。

 

「バトルカード ワイドソード!」

「ぐう!」

 

 オックス・ファイアがとっさに放った拳をかわし、すれ違う。胸元から肩にかけてぱっくりと割れたような傷が付く。

 着地したスバルは前のめりに倒れた。拳は当たっていない。右足が先ほどのタックルの強さを訴える。すぐに逃げようと振り返るが遅かった。頭の角を前に出し、距離を詰めてきていた。

 動けと脳が言う前に、体は動かされていた。鉄棒をなぎ倒し、ブランコの柱を大きく歪ませようやく停止する。指一つ動かせない痛みが全身に走る。

 触覚以外の感覚器官が伝えるのは、勝ち誇ったような雄たけびだけだった。



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第十五話.ロックマン

2013/5/3 改稿


「ブルルルッ! でかさってのは強さだ! 誰も立てねえ! 誰も避けれねえ! 誰も勝てねえんだよ!!」

 

 オックス・ファイアの勝利の雄叫び。スバルはそれにあらがう事もできず、横たわっていた。

 

「つ、強い……勝てないよ」

 

 指が動かない。けど、体の問題じゃない。心だ。容赦ない死を与えてくる相手への恐れだ。

 

「立て、スバル! 俺達しかいねぇんだぞ!? あいつを倒せるのは!!」

 

 怖い。死にたくない。逃げたい。何で僕が?

 もともと、父親のことを教えてもらいたいから彼と組んでいるだけだ。なのに、その見返りも得られずにこんな目に合っている。

 心が折れて行く。ウォーロックが何かを言っている。けど、それも聞こえない。もう、死んだふりでもしていよう。そう、このまま目を閉じて……

 細くなっていた目がめいいっぱい開かれた。視界の隅に合ったそれに照準を合わせる。敷地内に横たわるルナとキザマロに。そして、それのすぐそばまで迫っている火に。

 きしむ腕、悲鳴を上げる右足、それら全ての節々の叫びに逆らった。一回、二回と地を蹴飛ばして近づいて行く。雄叫びが消えた。気付かれた? それを確かめる気も起こらない。二人の後ろに目を引きつけられたから。火を纏わされた木が倒れ込もうとしている。

 炎が与えてくる熱を無視し、飛びこみ、二人を抱える。一息つくこともなく、火の壁を飛び越えた。ガラガラという音が後ろから聞こえてくる。

 

「あ、危なかった……」

 

 まだ火が回っていない場所。BIGWAVEと看板を掲げた店の裏に二人を下ろし、オックスの前に躍り出る。そのまま、二人と店から離れ、相手の意識をこちらに向ければ、彼女達が巻き込まれることは無いはずだ。

 

「ブルルル……なんで立ち上がるんだよ!」

 

 さっきまでとは違い、悔しそうなゴン太の声だった。

 

「俺は委員長に強いところ見せなきゃいけないんだ! そうしなきゃ、委員長に必要とされないんだ! もう、負けられないんだよ!! ブルオオッ!!」

 

 ようやく、ゴン太がオックスに取りつかれ、操られていた理由がスバルには分かった。

 

「まさか、牛島さん……僕があの時、君を殴ったから……」

 

 厳密に言えばウォーロックなのだが……今は殴った張本人の顔がある左手をまじまじと持ち上げる。あのときの感触がこみ上げてくる。

 

「ロック……僕、牛島さんと、あの二人を助けたい!」

「……ああ!」

 

 きしむ左腕をもう一度持ち上げる。肘辺りが砕けているかもしれない。

 

「つぶれろ! つぶれろよ!! 消えちまえよ!!!」

 

 再び肩を先頭にして走り込んでくる。直線的な動きだ。単調なその動きを見切り、充分すぎる余裕を持って避ける。何も無くなった場所を、空気を押すだけの音が通り過ぎる。

 左足を食い込ませるように地に叩きつけ、盛大に砂を舞い上げて、ようやく立ち止まる。

 

「なら、燃えちまえ!」

 

 火炎放射機なぞ軽く凌駕する火が噴出される。これもまっすぐだ。横に飛ぶだけで軽く避けられた。

 

「だ、大丈夫……避けれる」

 

 戦えない相手じゃない。それを認識し、すこしずつ冷静になって行く。

 相手のタックルは、スピードはあるが、避けられないことは無い。火も同じだ。先日のウィルス戦の炎が少し大きなった程度。もしかしたら、ウォーロックのシールドで防げるかもしれない。

 

「……火?」

 

 あの時倒したウィルスは火属性だった。FM星人が作り出したウィルスに効くのならば……

 

「ロック、属性効果は効くかな?」

「俺も分からねえ……だが、試しみてみる価値はありそうだな」

 

 バトルカードを取り出そうと腰に手を回す。

 

「ブルルオオオオオ! なら、最強の技で倒してやる!!」

 

 角を前に突き出し、肩と背中のバーナーを全開にする。不快な機械音が鳴り響いた後、火柱が噴き出す。共に放たれる高熱は大気を揺るがし、あらゆる物の形を崩していく。

 

「オックスタックル!!!」

 

 轟音。走り出したその一瞬が大気を弾いた音。戦闘機をも思わせるその速度で巨体を突っ込ませてくる。

 スバルは動かない。迫ってくる炎の巨人を正面に、じっと構えたまま。だが、その目に怯えは無かった。

 

「バトルカード アイスステージ!」

 

 スバルの足先から、砂利で敷き詰められていた公園が、水色の澄んだ氷の大地へと変化していく。まっすぐ突き進んでいたオックスもその中に足を踏み入れる。

 

「ブルオオオ!!?」

 

 頭を突き出し、前へと重心を傾けていたオックスが転倒するのは当然だった。自慢の角を皮切りに、多大な質量を秘めた体が氷面をえぐるように滑る。

 

「く、クソ! ファイアブレス!!」

「うわ!」

 

 マグマに突き落とされたような熱さが全身に回り、空へと舞い上げられる。しかし、右手だけは庇っていた。

 

「バトルカード ワイドウェーブ!」

 

 水色の三日月がオックス・ファイアの頭上から迫りくる。それほど速くない。さっきの彼が戦闘機なら、これはせいぜい鳥が滑空している程度だ。

 しかし、スバルとゴン太では決定的な違いがあった。横に大きく翼を広げて飛んでくるそれをかわすのは、彼には無理だった。

 

「グオッ!!」

「はっ! でかい図体って言うのも考え物だな、オックス!?」

 

 四属性の法則からはFM星人も逃れられなかった。火と水の上下関係がオックス・ファイアの体を深く傷つける。

 加えて、足場が彼の敵に回った。当てられた水が急激に冷やされ、拘束する衣と化した。

 

「こいつで決めるぜ!」

「うん! バトルカード アイスバースト!」

 

 左手が丸い大砲へと変わった。中にはファンが取り付けられている。それが回転し、広がっていた氷の足場を吸い込んでいく。

 ウォーロックへと溜められていくそれは水のエネルギーだ。吸い込む量に比例して、大きくなる力は徐々に振動を起こし、腕に、足に伝わってくる。

 

「くっ……も、もう少しだ。踏ん張れ!」

「う、うん……!」

「ブ! ブルオオッ!!」

 

 太い腕が氷を割ってはい出てくる。亀裂は大きくなり、氷の衣を打ち砕いた。見ていることしかできなかった相手を見据え、大きく息を吸い込み、特大のそれをお見舞いした。

 

「ファイアブレス!!」

 

 今までより一回り太くなった炎柱が、渦を描くように迫りくる。二人に達しようかというとき、準備が整った。

 

「いっけえええっ!!」

 

 限界まで溜められた力を、二人は惜しみなく放った。巨大化した青い弾丸はまるで水の太陽だ。その威力は射線上の火の海をかき消し、炎を押し返して行く。しかし、なおもその輝きは緩む様を見せない。

 そのまま、オックス・ファイアを飲み込んだ。

 

「グオオオオォォッ!?」

 

 肩の円盤が、太い足が、柱のような腕が、大きな図体が、全てが浸食されるように消えていく。

 

「こ、これで終わったと思うなよ!?」

 

 それは、ゴン太の声ではなく、オックスの物だった。

 

「お、オレ様を倒しても、まだ……終わりじゃねえぞ! 忘れるなよ! まだ、な、何人もの……追手が、来ているこ、とを! まだまだ、どんどん……どんどん、く、来るぞ!? ウォーロック! キサマが、や、やられるのも、時間の、も、も、もんだ……グオオォォオオッ!!!」

 

 オックスを飲み込んだアイスバーストが弾け、残った炎をかき消していく。そして、その後には……ぐったりとしたゴン太が倒れていた。

 

 

 焼け野原となったそこに横たわる彼を、スバルはよいしょと持ち上げる。普段なら絶対に無理なことを行いながら、避難させた二人の元に行く。まだ意識は戻っていないようだ。

 静かだったはずの夜はどんどん賑やかになって行く。あれだけ騒いだのだ。近所の住人達が来ていないことが不思議なくらいだ。おそらく、火の恐怖が彼らを近づけさせなかったのだろうが、それが収まった今、こうなるのは当然だ。フェンスの向こうに人影が見え始め、徐々にサイレンの音が近づいてくる。

 自身と3人の身を考え、かなり無茶な持ち方をしながらウェーブロードへと移動した。

 

 

 人気の少ない場所を見つけ、その場に3人を下ろし、腕を軽く振る。

 

「このままでも大丈夫かな?」

「どうだろうな。まあ、いいんじゃねえか」

 

 3人を壁際に並ばせ、電波の道へと戻ろうとした時だった。

 

「ゴ……ン太……」

 

 ルナが目を覚ました。いや、意識が戻ったと言うぐらいだ。薄く開いたそれは、まだ焦点が合っていない。

 

「大丈夫だよ、白金さん。牛島さんは僕が助けておいたから。最小院さんも横にいるよ」

 

 穏やかさと包容力を交えた声で話しかける。斜めに下がった目があいまいに向けられた。

 

「あなた……だれ?」

「え? ……えっと……」

 

 左手の相棒と目を合わせ、適当に応えた。

 

「ロックマン」

「ロック……マン……?」

 

 これ以上は持たなかったのだろう、深い眠りへと落ちて行った。



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第十六話.居場所

2013/5/3 改稿


 公園に集まった人々の数がさらに増え、報道陣まで駆け付けたころ、事件を起こした張本人はようやくその目を開いた。二人の友人の顔が自分を覗き込んでいた。

 

「うぅ~ん……あれ? ……委員長? キザマロ?」

 

 ぼんやりとした目はすぐに限界に開かれた。夜とは思えないざわめきを感じたからだ。

 

「あれ……あれ!? も、もしかして……」

「ゴン太、アナタ……ゴン太よね?」

「ゴン太君?」

 

 疑問を含んだ二人の目。ぞっと背筋に汗が走る。

 

「委員長、今日……何が壊れた?」

「え? 何って……」

「公園が丸焼けに……」

 

 キザマロの口をルナが慌てて抑える。だが、遅かった。ゴン太の仮説が確信に変わった。

 

「ごめん! 委員長、キザマロ! やっぱり、俺が犯人なんだ!!」

「え?」

 

 頭を抱えて、その場に膝を突くゴン太に、二人は唖然と固まってしまう。

 

「『無差別破壊事件』……あれの犯人は俺だ!」

「……ゴン太?」

「俺……最近、夜になるとなんだか出掛けたくなって……それで、赤い物を見ると、頭の中も真っ赤になって……気づいたら、部屋の布団で寝てて、朝になってるんだ! その横に、赤いレンガとか、ポストの破片とか、落ちているんだ! 俺、怖かったんだ!」

 

 堤を切られたダムが水を吐き出すように、ひっきりなしにしゃべりたてた。驚きながらも、ルナはゴン太の言葉を受け止めていた。

 

「……自分が犯人なのかもしれないって事が……怖かったのね? なんで相談してくれなかったのよ!?」

「俺だって、委員長とキザマロに相談したかった……けれど、そんなことしたら、委員長にブラザーを切られちまうと思って……」

「あ……」

 

 彼が本当に怖かったのはそこだ。委員長にブラザーを切られれば、キザマロも従うだろう。

 一人になる。それが怖かったのだ。委員長のブラザーでいること。それが彼にとってどれだけ大きいことなのか。あの赤い牛の幽霊が言っていた言葉を、今更になって思い知らされた。

 

「でも……本当にごめん。俺には、委員長達のブラザーでいる資格なんてないや……」

「……あ!?」

「え?」

 

 ゴン太がトランサーを操作したと思うと、嫌な音が鳴った。二人が自分の物を開いてみると、ブラザーのリストから、ゴン太の顔が消えていた。

 

「ゴン太!?」

「ゴン太君……?」

「俺……自首してくるよ。犯罪者がブラザーだったら、生徒会長になれないだろ? 委員長、キザマロ、今まで俺なんかのブラザーでいてくれて、ありがとう……」

 

 立ち尽くす二人を置いて、公園へと歩き出した。足に迷いはなく、けど重く、引きずるように。

 

「待ちなさい!」

 

 それをルナの声が止めた。

 

「ゴン太、誰に断って私のブラザー止めてんの!?」

「………………え?」

 

 本気で怒ったルナの顔があった。以前の展望台以上だ。けど、そこには哀愁も含まれている。あの赤いオーラは影も形もない。

 

「だ、だって……」

「だいたい、アナタが自首したところで、誰が信じてくれるというのかしら?『ポストを壊したのは俺です!』とでも言うの? 公園も、色々と物が壊れているけれど、それも『俺の仕業です』と言うの? 断言するわ! 絶対に信じてもらえないわよ? 門前払いされてしまうわ」

「う、う~ん……」

 

 ルナの言うことは最もというものだろう。公園の放火くらいならともかく、あのあり得ない形に壊れた遊具はとても説明できない。

 しかも、11歳の小学生が壊したなど、サテラポリスは信じないだろう。

 

「じゃあ……どうすればいいんだろ?」

「壊した物を直しますか?」

「それこそ、サテラポリスの迷惑よ。重要な捜査資料ですもの」

 

 確かにとキザマロは頭を抱える。もう一度、キッとゴン太を睨みつける。しかし、びくりと俯くゴン太の腕に優しく手を置いた。

 

「ゴン太、今回アナタが起こした事件は、アナタや私たちでは償いきれないわ。年齢的にも法律的にもね。だから、アナタは別の場所で少しずつ罪を償いなさい! 私のブラザーとして、私を生徒会長にするために尽力なさい! そして、コダマ小学校を……ひいてはコダマタウンのために貢献するのよ! そうやって、ちょっとずつ、ちょっとずつで良いわ。時間をかけて償って行きましょう! 私が側にいて、力になってあげるから!! 分かった!?」

 

 多分、半分も分かっていない。けど、これだけは分かった。ルナは、ゴン太にこれまで通り側にいろということだ。無論、ブラザーとして。

 

「委員長……」

「ぼ、僕も!」

 

 キザマロが、思い切ったような声を出す。

 

「僕もご一緒します! 僕だって、これからもゴン太君のブラザーで居たいんですから!」

「キザマロ……」

「さあ! 分かったら、さっさとトランサーを出しなさい!」

「は、はいぃ!!」

 

 電波の光を通じてピピッという音が鳴る。それをもう一度繰り返す。ただの機械音だ。しかし、それが与えてくれるものは温かみだ。ディスプレイに表示される二人の顔を見て、頬が緩む。

 

「それと……これ……」

 

 そっぽを向き、ルナが一枚の紙切れを突きだす。受け取ったそれには、ボウリングと表記されている。

 

「ヤシブタウンにボウリング場ができたの。それの無料券よ」

「すいません、ゴン太君を驚かせようと思って、委員長と内緒にしていたんです」

 

 先日、ゴン太を強く叱った後、キザマロの発案で手に入れたものだ。合流した直後、二人がゴン太を会話に挟ませなかったのはこれを隠すため。

 頭の回転が悪いゴン太だが、そのチケットの裏の地図を眺めてようやく気付いた。この近くには、自分が行きたいと言っていた、『モヤイクレープ』という店がある。それを二人に話したのは、委員長に怒られたあの日だ。怒られているときに、ルナがちらつかせていた雑誌が脳裏によぎる。

 

「ゴン太、分かっているわね? アナタが、私のブラザーを止めていいのは、私が命令した時だけよ!?」

「は、はいいっ!」

「ま、そんなこと、絶対にないでしょうけれどね」

「い、いびんじょう……」

 

 委員長と言おうとしたのだろうが、声になっていない。目からこぼれおちるそれが邪魔してくる。

 

「さ、帰るわよ。明日はボウリングして楽しむんですから!」

「いびんじょう! ぼれ、いっじょうづいでぐよ!」

「僕も、一生付いて行きます! ウワーン!!」

「ちょ、なに抱きついているのよ! 離れなさいよ!!」

 

 泣きだすブラザー二人に怒鳴りながらも、どこか楽しそうだった。

 

 

「心のよりどころ。自分の居場所。自分を認めてくれる場所。それを失いたくない。だが、力を誇示することでしか、自分を認めてもらう方法が分からなかったんだな」

「……そうなんだろうね」

 

 3人の様子を、ウェーブロードから見下ろしていた。

 

「人間は弱いな。誰かがいなけりゃ、何もできねぇ。だが、俺達電波生命体も、人間がいなけりゃ、脆弱な存在にすぎない。自分の居場所を求める気持ちは、変わらねえのかもな」

 

 ゴン太がその最たる存在だ。ウォーロックの目にはそう映った。彼からはもうあの孤独の周波数は感じられない。友人が言っていた言葉を思い出していた。

 

「それじゃあ、ダメだよ」

「……あ?」

 

 冷たい空気が発せられた。

 

「誰かに自分の居場所を求めるからダメなんだよ。その人がいなくなったら、悲しい思いをするんだ。牛島さんみたいにね。……人と交わるから、守らなきゃならないモノが生まれるんだ……そんなモノ、はじめからなかったら苦しまなくてすむのに……」

 

 眼下で、いまだに騒ぐ3人から目を離し、スバルは立ち上がった。

 

「さあ、帰ろう。母さんが心配してるだろうし」

「……そうだな」

 

 

 公園での騒ぎは大分収まったようだ。もそもそとベッドへと入って行く。まだ体のあちこちが痛いが、多分大丈夫だろう。

 

「オイ、スバル」

「なに?」

 

 早く寝たいのにとビジライザーを手に取る。

 

「お前は何のために戦っているんだ?」

「何って……父さんの情報をもらうためだよ。君が話してくれないだけで……」

「俺の質問が悪かったな。お前は、なんで他人のために戦おうとするんだ?」

「……他人?」

 

 スバルが大きく首をかしげる。

 

「オックスと闘っているときだ。お前、一度戦うのを止めようとしただろ?」

 

 角に吹き飛ばされ、ブランコにたたきつけられた時だ。スバルも思い出す。あの時は、ウォーロックの言葉すら耳に入らなかった。しかし、火の海の中にいる二人を見ると、自然と体が動いた。

 

「あれは、二人が危なかったから……」

「そこだ」

 

 ウォーロックの指がピンとさされる

 

「あの時、お前は自分の身をなげうってでも、他人を助けようとした。あいつらのこと、嫌いなんだろ? その後の戦う理由も、ゴン太を助けるためだった。お前を殴ろうとした奴だぞ?」

「……殴ったのは君だけどね?」

 

 皮肉を込めて返してやる。そもそも、騒動の原因はこいつの乱暴さなのだから。

 しかし、すぐに考え込む。ウォーロックの言うとおり、自分は彼らを嫌っていたはずだ。けど、戦うときは彼らを必至でかばっていた。

 

「機関車の時も、おふくろさんを助けるためだったよな? まあ、そっちは分からないこともない。だが、今回はそれとは違う気がしたんだ……」

 

 ウォーロックの言葉にますます頭を抱える。

 

「僕にも分からないや……ほっとけなかったから……かな?」

「……そうか……」

「ふぁあああ……もう寝るね?」

「ああ」

「お休み」

 

 こてりと夢の中へと落ちて行った。

 

「地球人っていうのは、よく分からねえ生き物だな……」

 

 スバルを尻目に、窓の外を眺める。公園の入口ではまだ人がいるが、数えるほどだ。おそらく、サテラポリスという連中だろう。あの刑事のアンテナの光が見えた。ヤジウマは帰ったらしい。時間は待ってくれない。明日に備えて家に戻ったのだろう。

 もう一度公園を見る。オックスと闘った場所だ。奴の言葉を思い出す。もう、何人かの追手が地球に来ている。

 

「俺も次に備えるか……」

 

 彼もまた、トランサーで眠りへと付いた。

 

 

 

第一章.何が為に(完)



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二章.信用と疑惑の狭間で
第十七話.来襲


2013/5/3 改稿


 スバル達が住むコダマタウンにお情け程度の明りが灯り始める。辺りは暗く、街灯と家から漏れる光が町に静かな夜を奏でている。それとは対照的に、闇に逆らう町がある。

 その名はヤシブタウン。コダマタウンが郊外だとすると、ここは大都会に分類される。若い男女の隣をスーツ姿の男性がすれ違い、そのわきの道路では

クラックションを鳴らして車が通り過ぎる。あるビルの大スクリーンの中では、ピンク色の服を着た少女が堂々と歌っており、道行く人々がそれに耳を傾ける。

 色とりどりのネオンで化粧を施されたこの場所で、集った者達は夜の時間を、思い思いに楽しんでいる。これが、闇のない街だ。

 まぶしすぎるその光景を見下ろしている影が一つ。この街の広大さに比べてはるかに小さいそれは、景色の一部に紛れていた。一見、水色のU字型をした弦楽器だ。竪琴と言う物に分類されるだろう。頭の両端からわき出ているピンク色のオーラが、ただの楽器ではないことを示していた。そのオーラが控え目なボディの色と相まって、一見ピンク色というイメージが当てはまる。

 この淡い雰囲気を醸し出すそれは生命体だ。それを示すように、その体の最も面積の広い、湾曲した場所には細長いつりあがった目と、少し小さめな口がある。顔立ちからはどこか女性を思わせる。

 

「おしゃれな街ね。こういうの、嫌いじゃないわ」

 

 先ほどとは違う小さな、しかし、ここから一番よく見えるスクリーンに目を向ける。少女が歌っている曲のリズムに合わせるように、体を揺らしている。

多分踊っているのだろう。即興で作ったようで動きは少ないが、リズムは寸分も違っていなかった。

 

「なにを遊んでいるだい?」

 

 かけられた声にムスッと頬をふくらました。

 

「ちょっと! 女の時間を奪うなんて、デリカシーが無いと思わないのかしら? エセ紳士さん?」

「フフフ、心外だな」

 

 視界を覆わんばかりの大きな翼を広げ、声の主が姿を現した。その二つの翼は白に青を少しばかり混ぜたような色をしている。白いボディからは翼と同じ色をした長い首が生えている。その先に、体と同じ色の頭と対称的に真っ黒な鋭い(くちばし)

 見るからに白鳥を連想する姿だ。しかし、その目に静穏さは無く、鋭く冷酷な赤色が秘められていた。並び立つ二人の姿はどう見ても地球の生物とはかけ離れていた。

 

「任務を放棄して遊んでいる君に、逆に怒られるなんてね?」

「エセ紳士っていうところは否定しないのね?」

「フフフ。本物の紳士なら、地球を滅ぼそうとなんてしないさ」

 

 そう、彼らはFM星人。先日、スバルとウォーロックに倒されたオックスの仲間だ。

 

「そうそう、その話。オックスったら、もうやられてしまったのね?」

「先日の公園の事件、君も知っていたんだね?」

 

 エセ紳士ながら物腰丁寧な口調で白鳥が話す。しかし、どこか冷たい雰囲気を醸し出していた。

 

「ポロロン、仕事熱心なことね」

「さぼり魔の君には、彼の爪……いや、角の破片データでも飲ませてあげたいよ」

「止めなさいよ! 牛臭くなるじゃない!!」

「死んだ仲間にずいぶんな言い草だね」

「仲間? クスクスクス! やめてよ。アナタ達とは偶々同じ任務に当てられただけの仲よ。そもそも、孤独を愛する私たちFM星人に、仲間なんて言葉は似合わないわ」

「フフフ、それもそうだ」

 

 仲間と言う言葉に、女のFM星人は口角を上げた。

 任務とはいえど、個々が好き勝手に動いているだけだ。彼らの間には、仲間意識など無いに等しい。

 

「……やっぱり、ウォーロックに倒されたのかしら?」

「それしかないだろうね。僕ら以外のFM星人が来ていて、そいつが裏切ったりしていない限り」

「それは無いと思うわ。アナタ達二人の次に私が派遣されたのよ。そして、オックスが負けたのは私がこの星に来た日よ? 半日じゃ流石に準備ができないわよ」

「君は三日も前に到着していたのかい? 今まで何をしていたんだい?」

 

 白鳥は呆れたように竪琴に話しかけた。

 

「ポロロン。遊んでいたわけじゃないわよ?」

 

 「嘘だよね?」と言いたかったが、流しておいた。

 

「単純な戦闘能力だけをみたら、私はウォーロックには勝てないわ。だから、周波数が合う上に、孤独の周波数を発している人間を探していたのよ」

 

 FM星人がとりつく人間は誰でも良いわけでは無い。己と相性が合い、心満たされない者を懐柔する必要がある。そのため、白鳥似のFM星人は地球に到着していながらも、未だに任務を開始することができないでいた。そして、それぞれがバラバラに動いている一番の理由でもある。

 

「じゃあ、さっきのダンスはなんだったんだい?」

「地球破壊計画のために、人間を研究しているのよ。音楽は人の心を支配するもの。私の得意分野よ」

「遊んでいたことに対して、綺麗に言い訳したね?」

「あら? 何のことかしら? ポロロン!」

 

 白鳥はそれ以上は何も言わず、呆れたように肩をすくめた。もとより、この場で彼女の怠慢を追及するつもりはない。

 

「まあ、良いけど……職務怠慢で王に怒られたくなかったら、任務を遂行した方が良いよ?」

「あら、告げ口する気かしら? 陰湿な男は嫌われるわよ」

「まさか、そんなことしやしないよ。僕は僕が立てた手柄を主張するだけだ。だから、君の手柄はゼロになるかもね?」

 

 スッと姿が消える。周波数も感じないことを確認し、ごろんとその場で寝そべった。

 

「あ~あ~……地球破壊計画とか、正直どうでもいいのよね~」

 

 彼女が三日間さぼっていた本当の理由だ。訳の分からない理由で、遠い星に出張して来いなんて言われたのだ。気分屋な彼女には憂鬱でしかない。しかも、来てみればその星は自分たちの星とは比べにものにならないくらい美しい。人間の多い場所を覗いてみると、好奇心を掻きたてる物が至る所にある。

 もう任務なんてどうでも良い。しかし、王からお怒りを食らうとなると、話は別だ。

 

「はぁ……やっぱりやるしかないわよね。気が乗らないわ……」

 

 体を起こし、もう一度スクリーンを見る。さっきとは別の曲が流れてくる。

 

「……あら、この娘……」

 

 ずっと画面に映っているピンク色の服を着た少女をじっと見る。けど、耳を傾けているわけではないらしい。

 

「ポロロン、やっぱり私、この星が好きかも……楽しくなりそうだわ……」

 

 

「暇だ!」

「……そう」

 

 ところも時間も変わり、ここはコダマタウン。まだ空は明るいが、スバルは展望台に来ていた。今日は昼から月が見える日だ。それを観察しに来ている。

 

「オイ、スバル。この数日、お前の行動をしっかりと分析させてもらったぜ。お前、昼間は家で勉強して、機械をいじくって、夜は展望台で空を観察する。それの繰り返しじゃねぇか!?」

「僕の勝手でしょ。宇宙とか、空を見るのが好きだし」

「俺は暇なんだよ! 宇宙も空も面白くねえ!!」

「知らないよ。居候のくせに」

 

 宇宙からの来訪者にとって、スバルの趣味は退屈すぎた。ウォーロックは我がままで怒鳴り、スバルは冷めた態度でスルーする。最近、二人の間ではこんなやり取りが多い。

 

「僕が勉強している横で、テレビ見させてあげてるんだから、感謝してよ」

「テレビだけじゃつまらねぇ! 俺は外に出て刺激が欲しいんだ!!」

「だったら、勝手に暴れたら? ウェーブロードにも電波ウィルスはいるんだから」

「ウィルス退治がしたいんじゃねぇ。外に出かけたいんだよ! お、そうだ! 明日から学校に行こうぜ!?」

「ヤだよ。君もドリル頭になったの?」

「俺をあんな面倒な女と一緒にするな!」

「充分面倒だよ。だいたい、父さんの事はいつになったら教えてくれるの?」

「そのうちな」

「またそれだよ」

 

 これでもう三日ははぐらかされている。

 

「そんなことより、FM星人の襲来に備えな。今にも空から降ってくるかもしれねぇぜ?」

「そんなまさか……それに、FM星人達が地球を滅ぼそうとしているというコトが、まだ僕には信じられないよ」

「この前、あんな目に合ったばかりだぞ。それでもまだ信じられないか?」

 

 空ではなく、コダマタウンの模様に目をやった。緑が多いこの町に、一か所だけ異端な場所がある。住民たちの憩いの場所だった公園だ。真黒に焼け焦げたその場所では、もう復旧作業が始まっている。

 あの場所は、事件現場として重要参考資料になるはずだった。しかし、サテラポリスは壊れた遊具などを回収してその場を治めることにした。表向けはただの火事と言うことにし、異常な形に壊れた物が人目に付く前に撤去したのだ。

 こうして、住民の不安を抑えることにしたのである。彼らの判断は功を制したようで、町に流れていた一時の不安は、もうかなり薄れていた。温和な町と言えば聞こえは良いが、平和ボケしているとも言えるかもしれない。

 こんな裏の事情があったということを、スバルは知らない。町の様子に少々疑問を感じたが興味が無かったため、追求しようとも思わなかった。

 公園は、後一週間もすれば子供達の遊び場に戻るだろう。そのころには、あのカードショップも開店するはずだ。町の話題はどちらかと言うと、そっちの方が多い。もとの賑わいが来る日も近いだろう。

 

「確かに、あれはすごく怖かったよ? けど、公園が一つ壊れただけじゃないか。あれじゃあ、地球どころか、このニホンを壊すことも難しいよ?」

「……AM星っていう星があった……」

「……ロック?」

 

 まじめな時の口調だった。さっきまでとは違う空気が流れる。

 

「FM星の隣に存在している兄弟星だ。FM星と同じく、電波生命体が住んでいた」

「ロックや、この前のオックスみたいな?」

「ああ、俺が見ている目の前で……潰された」

「潰された?」

「AM星そのものは今も存在しているんだが、もう星としては死んじまっている。誰も住めなくなっちまったんだ。そんな実績と、それを成し遂げるだけの力を、奴らは持っている。油断しない方が良いぜ?」

 

 あまり実感の湧かない話だが、いつにない真剣なウォーロックの目と言葉に疑いが持てなかった。

 こくりとうなずき、先ほどの警戒しろという言葉を思い出し、上を仰いだ。

 

「……あれ?」

 

 はるか上空に何かが見える。白が大きく広がっている。それの真ん中には、青っぽい縦棒がとりついている。

 

「なにあれ? ……鳥?」

 

 白いのは翼だった。よく見ると、それは上下に大きく動き、体を空に持ち上げようとしているように見える。

 珍しいそれに、見入るように観察していると……右、左と揺れ始め、段々振れ幅が大きくなっていく。応じて、高度も段々下がってくる。

 

「なんか、危なくない? ……って、うわあ!」

 

 ドシンと地面が揺れるのではないかと思うほどの音が鳴り、思わず目をつぶった。危険に気付いた時には、それは空での支配権を完全に失い、まっ逆さまに、この展望台に落ちて来た。

 

「な、なに? 今の……」

「気をつけろ、スバル!」

 

 ぎょっとして、トランサーを見る。

 

「え? まさか……」

「俺の知っているFM星人に似ていた。もし、あいつだったら……かなり面倒だぞ」

「う、うぅ……」

 

 こう聞かされて、ボーっと突っ立っている気にはなれない。恐いが、FM星人が落ちたと思われる、広場へと駆けだした。

 生い茂っていた花々の一部が押しつぶされている。中に誰かいる。スバルは側にあった、何かを閉まっているロッカーの陰に身を隠した。

 

「……イ、イテテテ……」

 

 落ちて来た主が身を起こした。

 人間では無い。確信には充分だった。一見、ただのやせ細った男性だ。しかし、人では無い証拠がある。そこに目を向ける。

 太陽に照らされ、白を放つ大翼が彼の背中から生えていた。



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第十八話.信用

2013/5/3 改稿


 僕はできる限り、呼吸をゆっくりと吐いた。これが、多分一番呼吸音を落とせる方法だと思ったんだ。ロッカーは思ったよりも薄い鉄板で作られているみたいで、ちょっと体重をかけるとガコンと音が鳴ってしまいそうで怖い。ビジライザーが邪魔で、うまく覗けない。仕方ないから、一度それを外して、ポケットに突っ込む。

 もう一度、落ちて来た鳥人間を観察する。茫然とたたずんでいる。ロックも警戒しているみたいだ。緊張が左手から伝わってくる。いつでも電波変換できるように、トランサーをギュッと握りしめる。

 ちょっとだけ、心が落ち着く……なんでだろうね? 観察を再開するよ……って、動いた! 花畑から出てきて、翼を……

 

「え?」

 

 スバルが見ている目の前で、観察対象は翼を取り外した。よく見ると、翼は彼の背中から生えているのではなく、『翼を取り付けた機械』を背負っていただけだった。深い溜息と共に、それをそっと地面に置く。

 

「なんで安定しないんだ? すぐに落ちてしまう。最低でも、ここからアマケンに行けるぐらいの飛行距離は欲しいのに……。何が悪いんだ? 翼の動きはほぼ完ぺきに再現しているはずなのに……」

 

 ブツブツと何かを呟いている。年齢は二十代半ばぐらいだろうが、それにしては少々声が高い印象を受ける。

 

「なんだよ。ただの地球人か……紛らわしいな」

「普通? ……の人、みたいだね?」

 

 少し失礼な言葉が出そうになり、それをごまかす。

 男は目元に大きなクマを持った彼は高い身長と、スバル以上に細い体のせいで、非常に貧弱そうに見える。よく見ると、彼の青い服装はどこか見覚えがある。どこかの制服のようだ。彼の左胸には文字が刺しゅうされている。

 

「AMAKEN?」

 

 聞き覚えがある単語に思わず声が漏れた。

 

「だ、誰ですか!?」

 

 気付かれ、目が合ってしまった。何か悪い気がして、物陰から身を出す。

 

「い、いや、えっと……珍しい物を見て……それ、なんですか?」

「っひ!?」

「ひ?」

「うあああ!!」

 

 翼が生えた機械を指さすと、半狂乱のような悲鳴を上げて取り出した袋に放り込んだ。それを必死に抱きこむ。ただ、見たことのない機械を指差しただけなのに涙目になっている。

 

「み、見ないでください!」

「……え?」

「こ、これは誰にも見られたくないんです! お、お願いですから、今見たものは、わ、忘れてください!」

 

 コンビを組んでから初めて二人は同じことを感じた。変わった人だと。とりあえず、あまり深く追求しないほうが良さそうだ。

 

「えっと……スイマセン」

「あ……い、いえ、こちらこそ……お、お騒がせして、スイマセンでした」

 

 長身の男は、自分が謝罪していないことに気づき、すっくと立ち上がって頭を下げた。細身と思っていたが、予想以上だ。爪楊枝が折れたら、ちょうどこんな感じだろう。

 

「スバル、こいつは何をしていたんだ?」

 

 ひそひそとロックが話しかけてくる。この長身の男が何をしていたのか気になるらしい。スバルも気になっていたところだ。見られたくないと言っている物を見るわけではないので、訊いてみても良いかと思い、尋ねてみた。

 

「あの……」

「は、はい?」

 

 スバルは人と話すのが苦手だ。そんな彼が初対面の人に質問する。かなりハードルが高い内容だ。オドオドと視線を逸らしながら、言葉を搾り出した。

 

「……何をしていたのかなって……」

「え、えっと……じ、実験です。こ、この展望台……ひ、昼間なら、人がいないと思っていたんですが……」

 

 スバルの質問に、長身の男も視線を逸らしながら答える。少年と大人が目を逸らしながら、たどたどしい会話をしている。ちょっと見慣れない光景だった。

 ただ、実験と言う言葉に科学が大好きなスバルは興味を示してしまった。

 

「……実験? どんな実験なの?」

「あ、あの……それ以上は聞かないでください?」

「え?」

「い、いやなんです。他人に、自分の発明とか実験とか知られるのって……」

 

 どうやら、彼は科学者か発明家らしい。相手が嫌がっているのだ。スバルもこれ以上踏み込むことはやめた。ウォーロックも興味がなくなったらしく、静かになっている。

 

「お~い、宇田海(うたがい)く~ん!」

 

 のんびりとした低い声が、その場に入り込んできた。声の大きさからすると、おじさんのものだ。振り返ると、小太りの男性が階段を上がってきたところだった。

 

「あ、天地さん?」

「あれ、スバル君じゃないか?」

 

 先日、ビジライザーをくれた、天地だった。元NAXA職員で、スバルの父親の後輩だ。階段を上りきり、笑顔を絶やさずにこっちに歩いてくるのが見えた。

 

「天地さんは……この子と知り合いですか?」

「ああ、大吾先輩の息子さんだ。二人とも、顔見知りかい?」

「い、いえ……今会ったところです」

 

 言葉を詰まらせるように話す長身の男に対し、天地は気軽に返す。宇田海と呼ばれた彼は今も何かに怯えたように背中を丸めている。

 

「そうそう、調査資料がそろったから、そろそろ戻ろうと思うんだが……」

「わ、私、先に車に戻っています! お邪魔でしょうから!!」

 

 さっきの謎の機械を抱え、一目散に走り出す。あっという間に姿が見えなくなった。意外と足が速いらしい。

 

「……なんだったんだろう、あの人……」

「すまないね、宇田海君は人と話すのが苦手でね。ちょっと疑り深いけど、良い奴だよ」

「……そうですか……」

「彼は僕の助手でね。アマケンの優秀なスタッフなんだよ。僕と同じ、元NAXA職員なんだ」

「……ヘェ……」

 

 興味ないため、適当に返す。今更に、先ほどのAMAKENと言う文字の意味を思い出した。

 天地が運営している天地研究所のことだ。ちょっと田舎気味な、ここコダマタウンの数少ない観光名所だ。

 

「それにしても、スバル君も元気そうで何よりだ。学校には行けるようになったかな?」

 

 嫌な話題を振られ、無視を決め込んだ。

 

「やっぱり、そんな直ぐには行けないか……よし! 今度の土曜日、僕の研究所に遊びに来ないかい?」

「え……いや……」

 

 三十歳前後なのに、無邪気さを感じさせる笑み。脅されているわけでもないし、悪意など一切込められていないのに、なぜかものすごく断りにくいオーラが出ている。

 

「宇宙について深く研究しているんだ。『疑似宇宙空間』っていう施設もある。うちの目玉展示物でね、宇宙服を着て、無重力を体験できるんだ。面白いよ! きっと君も楽しめると思うんだ! それに、見せたいものもあるんだ!!」

 

 スバルの興味を熟知しているのか、的確なところを突いてくる。天地の人懐っこさと言葉だくみさ。スバルの嫌とは言えない気の弱さと宇宙へのあこがれ。断りきれる要素などまるで無い。行きますと口が動いてしまった。

 

「決まりだな! じゃあ、楽しみにしているよ?」

 

 スバルに一番の笑みを見せて、天地は展望台を後にした。後には、重いオーラを発するスバルが取り残された。なぜか体が重く感じる。

 

「ねぇ、ロック……電波変換したら、あっという間に家に帰れるよね?」

「電波変換は道具じゃねぇ。って言うわけで却下だ」

「……ケチ!」

 

 だから気付かなかった。物陰から発せられる、眼鏡の光に。

 

 

 天地はトランサーにナビカードを挿入し、車内のモニターに転送する。と、車が動きだした。車の運転専門のナビが、人間に代わって操作している。自動走行という奴だ。今はこれが主流。

 一応、天地がいつでもマニュアル操作できるようにハンドルを握っているが、彼が運転することはまずない。その助手席には先ほどの宇田海が座っており、渡された資料に目を通している。

 

「こ、これが、この前の公園で起きた事件の捜査資料ですか?」

「ああ、信じられないくらいのZ波が検出されたよ」

「……た、確かに……」

 

 ぱらりと次の資料に目を移す。

 

「サテラポリスの依頼で、これを調べることになっているんだ。君にも手伝ってもらうけど、良いかい?」

「……はい……」

「……あ、しまった。君には別に頼みたい仕事があったんだ」

 

 ハンドルから両手を離し、頭をかいた。別に危ない行動ではない。自動走行なのだから。

 

「施設の『疑似宇宙空間』なんだが……やはり、雰囲気よりも、安全面を優先させようと思うんだ。今のあの施設……稼働したら、重力どころか酸素が無いだろ? 何かの拍子でマスクが取れたりしたら、大惨事になる。だから、酸素を供給する装置を作って欲しいんだ。できれば……土曜日までに」

「……わ、分かりました」

「ありがとう。助かるよ」

 

 宇田海は資料を戻し、トランサーを開いた。自分の研究資料をいじくっているようだ。『フライングジャケット』という項目の他に、『酸素供給装置』を新たに作成する。それが終われば、すぐに参考資料の検索を始めている。まじめで仕事熱心な事がうかがえる。

 

「……なぁ、宇田海君」

「な、なんですか?」

「突然なんだが、僕とブラザーを結ばないかい?」

「……え?」

 

 驚いた顔で天地を見た。いつも通りの、優しそうな顔で天地も振り返る。前方不注意かもしれないが、これもナビが運転しているので問題ない。

 

「知り合ってからずいぶんたつのに、僕達はお互いのことをほとんど知らないだろ?」

「わ、私は……別に……」

「お互いを知ることは大事だと、僕は思うんだ。そこから信用が生まれて、普通じゃできないことだってできるようになる」

「…………」

 

 宇田海は何も話さず、ただ沈黙を保っている。トランサーのブラザー一覧を開く。スバルの物と同じく、そこには誰の顔も名前もない。

 思い出したくない記憶が脳裏をよぎる。

 

「ぶ、ブラザーなんて……信用できるから結ぶものでしょう? あ、天地さんの理論から言うと、手順が逆ですよ?」

「良いじゃないか、逆でも。相手を知ること、相手を信用することから始めるブラザーだって、あっても良いと思うんだ。人は相手の全てを知れないし、自分で自分に気づけないこともある。何年もブラザーをしていて、初めて互いに気づけることがあるなんて良くある話しだよ。今結ぶのも、後から結ぶのも大差ないはずさ。そこから、互いを互いに知って行けばいい」

 

 宇田海は何も返さなかった。長めの髪が眼のクマまで隠しているため、表情が見えない。

 早かったかなと天地は前方に目を戻した。しかし、それはすぐに横に向く。

 

「……い、良いですよ?」

「お、本当かい!?」

「……ええ……ブラザーを結んでください」

 

 おどおどする宇田海に、人を惹きこむような笑みを返した。

 

 

 AMAKENと書かれた表札が掲げられている。その門を一台の車が通り過ぎる。

駐車すると、中から二人の男が出てくる。小太りの男と。対称的にやせ細った男だ。すぐ近くの建物へと入って行く。

 その様子を、屋上から見下ろしていた。

 

「……フフフ……」

 

 白い鳥のような、しかし、明らかにそれでは無い何かが、鋭く赤い目を細めた。



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第十九話.企み

2013/5/3 改稿


 天地研究所にも深夜と呼ぶ時間がやってきた。ほとんどの部屋は明かりが消され、真っ暗だ。

 しかし、この部屋は違った。天地の研究室だ。天地の助手である宇田海が作業をしている。パソコンと、あの翼の生えた機械を接続し、ディスプレイに表示される文字列を真剣に睨んでいる。

 

「……プログラムには異常なし……やっぱり、原因は機構のほうか……」

 

 パソコンから外した機械を丁寧に壁のフックにかける。本当はばらして故障が無いか確認したいが、流石にもう時間が遅い。天地から頼まれた仕事もある。

 帰る準備を終え、もう一度先ほどの機械に目を移す。

 

「『フライングジャケット』……私の研究成果で発明品。だれにも渡さない……」

 

 そこまで言って、トランサーを開いた。ブラザーの欄には上司の顔がある。

 

「天地さんなら……大丈夫。この人は、あの人とは違う。この人なら、私を裏切ったりなんてしない……」

 

 ブラザーバンドは、あらゆる個人情報を共有する。彼の研究成果を見ることだって、今の天地には可能になる。疑惑とわずかな希望を混ぜた目で、トランサーの中の上司を見ていた。

 そんな彼の後ろに、青白い靄がかかる。それはすぐに鳥へと形を整える。

 

「おや、結んでしまったのかい?」

 

 背後からかかる声に振り返る。赤い目をした白鳥。先日、ヤシブタウンに姿を現したやつだ。

 

「あ……キグナス……」

 

 驚いた様子もなく、宇田海はおどおどと話しかける。

 

「言ったはずだよ? 『誰も信用しちゃいけない』って」

「で、ですが……天地さんは……私と同じ、元NAXA職員で、もう数年間一緒に仕事をしている方なんです。わ、私のことを色々と信用してくれているし……私も、その……信用した方がって……」

「君は、友達の僕と、人を裏切る上司……どっちを信用するんだい?」

「い、いえ! 裏切った上司は前の職場の……NAXAにいた時の上司です……天地さんは……それに、君と出会ったのだって、数日前ですよ?」

 

 キグナスは小さく舌打ちした。この男が発する周波数から孤独を感じ、近づいたまでは良い。しかし、予想以上に人を信用しないこの男にいらだちを感じていた。話術に自信のある自分だが、今回ほど苦戦したことは無い。

 しかし、電波変換するには、相性も大切だ。他に探してみたものの、適任者はなかなか見つからず、先にあのさぼり女と遭遇したほどだ。任務のために、どうしても、目の前の男を懐柔する必要があった。

 

「また、昔を繰り返すのかい?」

「ひ、ひぃっ!?」

 

 宇田海のトラウマを付いた。やはり、これが一番手っ取り早そうだ。

 

「君は、前の仕事場で上司とブラザーバンドを結んだ。けど、その上司が狙っていたのは、君のパーソナルページに記されていた研究データ。研究成果を奪われて……裏切られたんだよね?」

 

 宇田海の手が震える。やはり、大きな心の傷になっているらしい。

 

「……天地さんは違います……あの人なら……」

「なぜ他人を信用するんだい? この世の本質は裏切りだよ。君はその時に痛感したはずだ。その天地っていう人だって……」

「っ! 帰って……ください……」

「…………」

「あの人は……きっと違います……あの人なら、きっと裏切らない……」

「分かったよ。僕が悪かった」

 

 今は無理だと判断した。しかし、仕込みは忘れない。

 

「ただ、僕は君の事を友達だと思っているし、君のことを一番よく理解してあげれるつもりだ。何か困ったことがあったら僕を呼んで。いつでも力になるよ? 君のためならね……」

 

 周波数を調整し、スッと彼の前から姿を消した。

 

「キグナス……すいません……け、けど、友達もいない私に優しくしてくれた天地さんを……私は信用してみたいんです……」

 

 

 天地研究所から一台の車が走り去って行く。宇田海が帰宅した証拠だ。今この建物に残っているのは警備員ぐらいだろう。その屋上で、キグナスは頭を落としていた。

 

「やれやれ、いつになったら任務につけるのやら……君もこれから大変だね?」

 

 後ろを振り返ると、そこから声が返ってきた。とても低く、威厳を感じさせる。

 

「気付いていたのか」

「君の周波数は特殊だからね。姿を現したらどうだい?」

「声が聞こえるんだ。必要ない」

 

 キグナスの要求にはまるで応じる気が無いようだ。

 

「フフ、まあ良いか。これで、今地球に来ているのは三人だね」

「じきにリブラとオヒュカスが来る」

「あの二人を? 流石は星王様。容赦が無いな……いや、君を派遣している時点で、本気と言うことか……」

 

 キグナスは一人冷たい笑い声を上げた。これから地球人へ襲いかかる事態を考えると、残虐な遺伝子が騒ぐのだろう。

 

「じゃあ、彼らが来る前に手柄を立てておかなきゃ。君も良い傀儡が見つかると良いね?」

「貴様と一緒にするな」

「え……? 君は、いつここに来たんだい?」

「昨日だ。貴様も屑なりに、せいぜいあがくんだな」

 

 周波数が消える。それを感じ、くちばしを硬く閉じた。

 

「……大丈夫だ、焦ることは無い。あれさえ取り返せば……”アンドロメダの鍵”!」

 

 

 憂鬱。今のスバルにはこれしかなかった。約束の土曜日、スバルはアマケン行きのバスを待っているところだ。

 

「いやなら止めりゃあ良いじゃねぇか?」

「約束を破るわけにもいかないでしょ」

 

 人嫌いな彼だが、こういうところは妙に律儀だ。生来の優しい性格が彼をそうさせているのかもしれない。そうしている内にお目当ての物が来る。

 彼が乗りこむと、さっそうとバスは地面よりわずか上を走り出した。

 そして、物陰からその様子を見守っていた大中小の影……

 

「……計画通り……」

 

 3人の目がキュピーンと光を放った。

 

 

 走り去って行くバスを背にして、スバルは感嘆の声をあげた。初めて来たその場所は、彼が想像していた以上の物だった。

 汚れなどほとんどない白い壁が、小さい飛行場を思わせる広い敷地を囲っている。門をくぐってまず目につくのが、巨大なロケットだ。周りには、巨大なアンテナが数え切れないほど設置されている。一つ一つの直径は、大の大人が両腕を広げた物よりも大きい。隣には6,7階ほどのビルが建っている。一つの階に何部屋あるのか数えるのが億劫になりそうだ。

 

「やぁ、よく来たね?」

 

 アンテナの一つ、そのすぐ近くに天地はいた。職員との会話を終え、こちらに近づいて来る。

 いつもと同じく、青い制服とキャップだ。門前に掲げている看板と同じ模様柄、『AMAKEN』の刺繍がどちらにも施されている。

 

「来てくれてうれしいよ」

「……こんにちは……」

「さあ、今日は僕が研究所を案内してあげるよ!」

 

 明るくふるまう天地と違い、相変わらずスバルのテンションは低い。しかし、やはり宇宙に関する施設が近くにあるためか、少々顔は明るくなっていた。

 

「まずはこれだ! 君に見せたかったものだよ。アマケンのシンボルなんだ」

 

 先ほどの大きなロケットに近づく。見上げた首が痛くなりそうだ。

 

「これは、アマケンタワー。本物のロケットを利用したアンテナなんだ」

「……あ、アンテナ?」

「そうだよ、ロケットの通信機能を利用していてね。宇宙に通信を送っているんだ」

 

 天地の大きな手が後ろから両肩に置かれる。

 

「実は言うとね……この通信は、大吾先輩に向けて送っているんだ」

「……え?」

 

 耳を疑った。スバルは天地を振り返った。先ほどの物とは違い、目は落ち着きとわずかな輝きを秘め、アマケンタワーを見上げていた。

 

「僕は信じない。あきらめないよ。君のお父さんは絶対に生きている。何年かかっても、探しだしてみせる!」

 

 それは自分と同じ志だった。肩が少し痛い。無意識に力が入っているようだった。しかし、それが嫌だとは思えない。むしろ、頼もしく、暖かかいとさえ感じていた。なにより、見上げた天地の目には、星があった。希望と信念に満ちた者が放てる。力強い輝きだ。それが、彼の不思議な魅力の秘密なのかもしれない。

 そして、一人、ウォーロックだけは沈黙を保っていることには気づかなかった。

 

「さぁ、気を取り直して次に行こうか?」

「……うん」

 

 天地に振り返った時、視界の端に嫌な物がちらついた。

 

「…………え?」

 

 気のせいだ。振り向くな。逃げろ。そんな文字群が頭の中を走る。しかし、理性は本来、本能を抑えるためにある。よって、スバルの首は90度回ることになる。金色の縦ロールがまっすぐ近づいてくるのを認識し、自分の理性を恨むことになる。

 

「あら~スバル君じゃない! 奇遇ね~?」

 

 ご存じ、委員長トリオである。ゴン太とキザマロがしっかりと横についており、綺麗な大中小となって並んでいる。

 

「おや、スバル君の友達かい?」

 

 違うと言う前に、ゴン太が後ろから羽交い絞めにする。

 

「今日こそ逃がさねえぞ?」

 

 太い腕が首と口を塞ぎ、言葉が出せない。

 

「スバル君、ここに来るなら一言声をかけてください。僕ら友達じゃないですか?」

 

 モゴモゴと言う呻きも、キザマロのナイスな演技で消されてしまう。そのおかげで、ゴン太の口封じがじゃれているだけのように見えたらしい。天地は笑いながら三人のやり取りを見ている。

 

「はじめまして、おじさま。私は白金ルナ。スバル君のクラスの学級委員長です」

「やあ、ご丁寧にどうも。そうか、学級委員長なのか? スバル君の事を頼んだよ?」

「はい! 任せてください。スバル君のこと、ほっとけませんから!」

「ははは、頼もしいな」

 

 止めにルナの猫かぶりだ。優しい女の子オーラがキラキラと散りばめられている。スバルが反論する空気ではなくなってしまった。

 

「なんだ、ちゃんと友達がいるじゃないか~。よかった、安心したよ。よし、今日は君たち四人を案内しよう!」

「本当ですか!?」

「ばんざーいです!」

「うまい物でるかな?」

 

 ルナに苦い顔をさせるゴン太の発言にも、天地は元気で結構と大口で笑い返した。

 そんなすぐそばで、スバルは再び肩をがっくりとさせている。今日の朝以上だ。

 

「なんで皆僕をほっといてくれないんだ……」

「ククク、もてる男は辛いね~?」

 

 地球に来て、冷やかしというものを覚えたようだ。もう絶対にテレビは見せないと誓いを立てた。



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第二十話.この世の本質

2013/5/3 改稿


 天地研究所。通称アマケン。元NAXA職員だった天地が立てた研究所だ。高い技術力と、豊富な研究成果で、NAXAとの共同プロジェクトを手掛けたり、サテラポリスから捜査協力を依頼されるほどだ。

 そんな研究所が、観光客相手に作った展示品。好奇心旺盛なこの年頃の子供達を夢中にさせる。無料で招待してもらったスバル達4人は一つ一つを丁寧に見て回る。

 

「おお、すげぇぞこれ!」

「うわあ……感激です!」

 

 ゴン太とキザマロは目の前で動く何かに興味津々と行った感じだ。行儀が良いとは言えないだろうが、目の前の展示品は子供心をこれでもかとくすぐる。

 

「おい、スバル! お前も見てみろよ!」

「う、うん」

 

 首根っこを掴み、小柄なスバルをひょいと片手で持ち上げる。

 

「あれ? もしかして、スバル君は、あまり興味がないのですか?」

「いや……宇宙は……好きだよ?」

「お、そうなのか?」

「じゃあ、あっちのあれ! 書いている内容分かりますか?」

「う……うん、これは……」

 

 男二人に挟まれ、ゆっくりする暇もなく次々と連れ回される。大好きな宇宙について二人に解説するものの、めんどくささが先に来てちょっと憂鬱そうだった。

 ちなみに勤勉なルナは、男二人のテンションについて行けず、一人で見て回っている。しかし、三人が必ず視界に入るように移動する速度は合わせている。いざというときは注意するつもりだろう。この辺が、彼女の責任感の強さを表している。

 そんな四人の様子を、天地は少し離れたところで見守っていた。

 

「これは? これはどういう意味ですか!?」

 

 キザマロも知識を吸収するのが好きな少年のようだ。次から次へと、興奮を隠しきれないように質問してくる。スバルもだいぶ慣れたようで、先ほどよりも丁寧に答えてあげていた。

 しかし、ゴン太だけは二人から距離を置いた。お腹が減ったのだろう。興味が薄れてしまったようでいる。

 

「腹減ったな……」

 

 ポケットに手を突っ込んで、お菓子を取り出した。それを口に放り込もうとした時だった。

 

「ちょ、ちょっと!」

「え?」

 

 一人の職員が駆けつけ、ゴン太に注意を促した。

 

「こ、ここは飲食禁止です。お菓子をしまってください」

「ゴン太、どうかしたの?」

 

 ルナが騒ぎを聞きつけ、駆け寄ってきた。

 

「お、宇田海君じゃないか。どうかしたのかい?」

 

 騒ぎを聞きつけ、天地が駆けつけてくる。スバルとキザマロも後に続く。

 

「こ、この子が、お菓子を食べようとして……」

「ゴン太、あんたが悪いわ!」

「……ごめんなさい」

 

 駆けつけた時には、ゴン太が素直に謝罪しており、お菓子をしまっていた。ゴン太に注意をした長身の職員に、スバルは見覚えがあった。

 

「……あ、宇田海さん」

「え? あ、ああ……えっと……スバル君でしたか?」

「あら? スバル君、知り合いなの?」

 

 ルナが尋ねてくる。どう返事をしたら良いか分からず、スバルは返答に困ってしまった。

 

「ちょうどいい、皆にも紹介しておくよ。彼は宇田海君。僕の助手だ」

 

 天地に紹介され、宇田海は高いところにある頭を気持ち程度に下げた。

 

「助手と言うことは、すごい発明とかしているのですか?」

 

 キザマロの言葉にぎくりと反応する。体が縦に大きいのですぐに分かる。

 

「あ、あの……僕はこの辺で……他にも仕事ありますし……」

「そうかい? ありがとう」

「い、いえ……そ、それと、この前頼まれた『酸素供給装置』の取り付けが終わりました。実験結果は上場です。実用には充分だと思います」

「なら、今日から使えるね?」

「……ご、誤作動が起きる可能性が、あるかもしれません。な、何度か実験して、安全性を確かめたほうが良いかもしれません……」

「ふむ……なら、まだ稼働はさせないでくれ。今日の夜にでも、また実験してみよう」

「は、はい……それでは……」

 

 スバル達には分からないが、どうやら仕事の話らしい。簡単な報告を済ませ、宇田海は近くの装置の点検へと向かって行った。

 

「所長さん、俺腹減った……」

「ハハハ、元気が良いな。でも、食堂は十一時からだから、後三十分後だね?」

 

 三十分。食いしん坊なゴン太には途方もない時間だ。絶食しろと言われているようなものだ。

 

「ええ!? そんな~!」

「ゴン太! 所長さんが、せっかく案内してくださっているのよ! 失礼でしょ!?」

「う、うう……」

 

 小学生の失礼などかわいいもの。天地はそう思っているのだろう。素直なゴン太とお説教をするルナのやり取りを見て、豪快に笑っていた。

 

「すまないね、もうちょっと待ってくれよ?」

 

 天地の優しい対応を見ても腹は膨れない。食事を愛するゴン太は、胃袋の訴えを受けて涙目だ。

 

「……そうだ! 後で僕の研究室を見せてあげよう!」

「ほ、本当ですか!?」

 

 声をあげたのはキザマロだ。ゴン太は「そんな事よりも」と言いかけ、ルナに足を踏まれた。スバルも興味があるようで、天地が次に何をい出すのか気になっている様子だった。

 それを聞いているのがもう一人。すぐ近くで作業をしていた宇田海だ。

 

「ああ、最新の研究成果もあるんだ。特別に見せてあげるよ」

 

 手が止まる。助手である宇田海の研究成果は、天地の研究室に保管されている。まさかという疑惑が心臓を直接掴まれたかのような痛みを与える。

 色々な意味ではしゃぐ、賑やかな小学生四人を引き連れ、天地は得意げにその場を後にした。

 

「だ、大丈夫だ……天地さんは違う……はず……」

 

 

 十一時になり、ゴン太が吠え、ルナが唸り、食事の時間となる。それぞれの食事を終えた時、天地がここのお土産名物を持って来てくれた。流星饅頭というそれを、もちろんゴン太が口に頬張る。しかし、スバルにはちょっと手が伸びなかった。

 

「あら? スバル君は甘いのが苦手なのかしら?」

「……嫌いじゃないけれど……カレー食べた後だから……」

 

 白いトレーの脇には、大嫌いなニンジンがしっかりと避けられている。

 

「おいしいですよ?」

「ぶわなぎゃぞんだじょ!」

「ゴン太、食べながらしゃべるのはやめなさい!」

「ちなみに、僕の解析では、今のゴン太君は『食わなきゃ損だぞ』と翻訳されます」

「いつも通りの解説、ありがとうキザマロ」

 

 スムーズな3人のやり取りだ。

 

「キザマロ君は、ゴン太君の解説役なんだね?」

「はい。分析と調査ならお任せください」

 

 小さい胸をグンッと張ってみせた。体は小さいが、情報収集力と解析能力は高い。ゴン太とは対称的な面でルナ学級委員長を補佐するのが彼の役目だ。

 しかし、今の微細な変化には流石に解析できていなかったようだ。

 

「と、言うわけで、水を汲んできますね?」

 

 横目で隣の巨漢を見ると、その数秒後にゴン太の顔が青くなる。どうやら、喉に詰まらせたらしい。

 

「私も行くわ。スバル君もいる?」

「あ、ありがとう。委員長さん……」

「委員長で良いわ」

「あ……なら……委員長……」

 

 それに気付いているのかいないのか、天地は四人のやり取りをただじっと見守っていた。彼の顔から笑みが消えることはなった。

 

 

 食事を終えて、天地の研究室へと足を踏み入れる。大小の大きな装置が並べられ、機械の部品やスパナなどが床に置かれている。どうやら、片付けもそこそこに作業を進めているらしい。研究者の忙しさを物語っていた。大きなモニターが設置され、その周りにもパソコンなどの機械が並んでいる。本棚には難しそうな本が並べられており、中にはアメロッパ語で書かれているものもある。

 その向かいの壁には、なにかの設計図が貼られている。隣には、宇田海の発明品、『フライングジャケット』が掛けられていた。

 装置を見て、訳が分からないと言う顔をしているゴン太のそばをスバルは通り抜ける。その時、巨大モニターの脇にある一枚の絵に目が止まった。

 

「あの……これ……?」

「それかい? 僕が三日徹夜した時に見えたんだ! 妖精か何かかな? それを描いたんだけど、結構かわいいだろう?」

「そ、そうですね……」

 

 トランサー内でも、ウォーロックが笑いをこらえているのが分かった。カタカタとちょっと動いている。スバルもあいまいな笑みを浮かべながら、ビジライザーをかける。描かれた自分の姿を見て、楽しそうに笑っているデンパ君達がいた。

 そんな様子を、宇田海は大きな装置の隙間から見ていた。作業から戻ったら、偶然この場と遭遇したのだ。疑ってはいけない。天地を信じる。そう決めたはずなのに、いざとなると、足が動かなかった。聞き耳を立て、こそこそと隠れてしまっている。

 

「あれ・んで・か?」

 

 キザマロが壁の一面を指差している。どうやら、何かについて質問しているようだった。壁の位置を見てぎょっとする。装置の隙間からでは見えないが、そこは、自分の発明品がある場所だ。おそらく、キザマロは自分の装置について質問している。

 

「そ・・、最新・発・品で……、」

 

 おそらく、『最新の発明品』と言っている。自分の発明品も最新のものだ。目を少し横に動かす。目元は見れないが、天地の鼻の途中から腰辺りまでが見えた。すこしずつ、彼の目に疑惑が含まれ始める。

 

「『・ケット』だよ」

 

 『ジャケット』。確信した。自分の発明品だ。心音がどんどん大きくなっているのが分かった。頬を伝う汗が冷たく感じる。

 

「僕の発・品・よ」

 

 身を引き裂かれるような言葉だった。天地は、彼の目の前で断言したのだ。

ジャケットは自分の発明品だと。自慢げに話す天地の口が、悪意に満ちているように見えた。少なくとも、今の宇田海には悪そのものだった。

 

 

「お、同じです……これじゃあ、あの時と同じです……」

 

 屋上で一人、宇田海は空を見上げていた。そこに映るのは、以前の上司に裏切られた日のこと。そして、先ほどの出来事。

 先日、自分にブラザーバンドを結ぼうといってくれた天地に向かって、宇田海は力のない声で訴える。

 

「『信用している』と言ってくれたじゃないですか……? ブラザーになろうと、笑ってくれたじゃないですか……? だから、私も信用しようとしたのに……」

 

 記憶の天地から答えは返ってこない。彼の悲しみだけが、ただ広い世界に無情に吸い込まれ、消えていく。

 

「だから言っただろう? 『誰も信用なんてしちゃいけない』って」

 

 見計らったように、そいつは再びその場に現れた。

 

「これで分かっただろう? 裏切りこそがこの世の本質なんだよ」

「……キグナス……すいません、私が間違っていました……」

 

 ほくそ笑んだ。あの疑い深い彼はもうどこにもいない。もう誰も信用できない。できるのは、友人だと言い聞かせて来たこの得体のしれない異星人のみ。

 ようやく機会が来た。

 

「あの天地と言う上司に……君を裏切った奴に、罰を与えてやろう?」

「私が……天地さんに……罰を?」

「フフフ、心配はいらないよ。さあ、宇田海。僕を受け入れるんだ!」

 

 雄大に両翼を広げると、宇田海は恐る恐ると両手を小さめに広げた。キグナスの体が白の塊に変わり、宇田海の中へと吸い込まれていった。

 

 

 宇田海の中。心を司る場所。一心同体となったキグナスは、そこに侵入した。

 ゆらゆらと歪み、形を変え続け、いつ崩れてもおかしくないその不安定な世界は、人の心そのものだ。今、この世界の色は黒と紫が混ざったようなものだ。常に配合の比率が変わっているようで、色彩に変化が出ている。

 

 

 イヤダ……ウラギリナンテ……ダレモシンヨウデキマセン……

 

 

 中央に、周りと呼応するように色を変える小さな球体が一つ。いや、これに合わせて、周りが変わっている。そこから声は上がっていた。宇田海の心理そのものだ。小さいそれは、体の持ち主の心そのもの。ガラスの用に脆そうだ。

 

「大丈夫だよ。君は、ただ僕の言うことを聞いていれば良いんだ……フフ」

 

 それを前にして、キグナスの目が鋭くなり……躊躇なくそれを破壊した。赤黒い破片が飛び散り、霧散した。

 

「フフ……フハハハハ!!」

 

 心を破壊され、自我の制御を失えば、もはや人間ではない。FM星人の傀儡にすぎない。

 憎しみは憎悪へ。憎悪は復讐へ。宇田海を導く。陥れる。

 

 

「大丈夫だよ。僕は君の理解者だ。僕にまかしておくんだ」

 

 感情の見えない不気味な目で、宇田海はただ一度、首を大きく縦に振った。



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第二十一話.本当の来襲

2013/5/3 改稿


 アマケンのシンボルがロケット型のアンテナなら、目玉施設は疑似宇宙空間と言える。

本物の宇宙服を着て、重力も酸素も無い真っ暗な空間を浮遊するツアーだ。そこに、スバル達はいる。

 案内役のミトレと言う名の女性スタッフに連れられ、展示品となっている惑星の模型を見て回る。

 

「さて、ここで問題! この土星のワッカは何でできているのでしょうか!?」

「ハイハイ! 大きいドーナッツ!」

 

 爆笑が起きる。スバル以外のお客さん達が、ゴン太の可愛らしいとは言い切れない回答に笑っていた。その横で、ルナが困った顔をし、キザマロが苦笑いをする。いつものトリオの光景だ。

 代わりにと指差されたのはスバルだ。周りの目が一斉に向けられる。大勢の人の前にさらけ出されるなど、不慣れな事だ。

 

「え、えと……塵や氷が集まっていて、それが輪のように見えています……だったかな?」

 

 宇宙大好き少年のスバルには簡単すぎる問題だったが、たどたどしく答えた。

 

「お見事! 大正解です!」

 

 途端に称賛の声が上がり、簡単な拍手が起こる。

 

「やるじゃないの!」

「流石ですね?」

「見直したぜ!」

 

 ルナ達も次々とスバルを褒めていく。別段、悪い気持ちはしなかった。説明を終えて、次の惑星へと案内される。スバルも付いていき、移動するわけだが、肩に置かれた天地の手に首を曲げた。

 

「どうだい、楽しいかい?」

「……え? そ、そうかな……?」

「ふふ、大分良い笑顔になったよ?」

 

 天地とは正直言ってあまり自分とは関係の無い人だ。父親の後輩だったらしいが、ただそれだけだ。

 家族ではない赤の他人。ただのおせっかいなおじさんだ。

 でも、それは最初の話だ。今は違う。悪意の欠片も無い笑い顔を見ると、照れくささが出てしまった。そうしている内に、次の展示品に追いついた。

 

「さて、次は……」

「私がショーを見せてあげますよ?」

「……え?」

 

 和やかな雰囲気はたったの一言でかき消された。ざわめきが参加者達に広がり、きょろきょろとあたりを見回す。パニックにならないよう、ミトレは制止しようとするが、遅かった。一人が指差した先を見て、彼女の思考までもが停止してしまったからだ。

 皆がその一点に釘づけにされ、息を飲み込んだ。

 

「宇田海君!?」

 

 この部屋の中央に設置されている投影装置。疑似宇宙空間をより宇宙に似せるための役割を果足している丸い球体だ。球体を支えるように、ディプレイと操作パネルが取り付けられている。それの一番上に天地の助手の宇田海が立っていた。

 それだけならまだ普通の光景だ。しかし、常識から逸脱した彼の姿が、怖れを放っていた。この空間で、宇宙服を着ずに生きていられる人間などいないのだから。

 

「宇宙服は!? なぜ無事なんだい!?」

 

 落ち着けと自分に言い聞かせていた。しかし、自分の意識はなかなか思い通りに行かない。生気を感じさせない、その代わりに憎しみのみが込められたその目は、人の物とは思えない。それが、天地の精神を不安定にさせる。

 

「そんな物いりませんよ。私はアナタのおかげで生まれ変われたんですから。アナタに裏切られたおかげでね?」

 

 宇田海から天地へ視線が移された。ツアー参加者達が所長を指差し、ひそひそと疑惑を口にしている。

 

「裏切った? 生まれ変わった?」

「裏切りは心当たりがあるでしょう? そして……生まれ変わった私を見せてあげます!」

 

 宇田海の細長い左手がまっすぐに上に掲げられる。

 

「電波変換 宇田海(うたがい)深佑(しんすけ) オン・エア!」

 

 まばゆい白い光が宇田海の全身から発せられた。

 

「で、電波変換だって……!?」

「スバル、おいでなすったぜ!」

 

 スバルの目の前で起きた現象。自分とウォーロックとの間で行われている物と同じだ。

 光が収まった時、中から現れたのは……怪人だった。青色がメインとなった服装に、頭には白鳥の頭を模したかぶり物。なにより、背中には白い翼が大きく広げられていた。

 鳥人間。おそらく、彼を見たときに誰もが持つ印象だろう。

 

「キグナス・ウィング。僕の新しい名前です」

 

 次々と起こるあり得ない現象。混乱に陥ったツアー客達が我先にと出入り口のあった地球の模型に殺到していく。案内役もあたふたとするばかりだ。

 しかし、鍵がかかっているらしく、押せど引けども開く気配が無い。ルナの指示で、ひと際質量のあるゴン太がやってみるが、びくともしない。

 そんな彼らをよそに、天地は宇田海だった人物と向き合う。

 

「宇田海君? その格好は?」

「言ったはずです。僕は生まれ変わったんです。その力を見せてあげます。いきなさい、シタッパー!」

 

 キグナス・ウィングが両手を上に仰ぐと、どこからともなく、黄色のひよ子のような鳥達が現れる。数は十は下らない。悲鳴を上げる観客達へと襲いかかって行く。

 ルナが両手をめいいっぱい前につき出す。それがシタッパーを押し返すはずだった。手をすり抜け、体を通り抜け、途中で消えてしまった。

 他の客達も同じだ、次々とひよ子達に襲われるものの、人体に危害を加えることなく姿を消していく。

 そして、天地とスバルにも。

 

「宇田海君、何をしたんだい?」

「あまり騒がない方が良いですよ? あっという間に……無くなりますから?」

 

 ざわめく客達をよそに、冷静に対処しようとする天地だからこそ分かった。気づけた。彼の責任感が肺から一気に空気を吐きだす。

 

「皆さん! 呼吸を落ちつけて! 体を動かさず、浅く呼吸してください!」

「ばかやろう! 落ち着いてなんていられ……」

「酸素が無くなります!」

 

 反論しようとした若い男性客を声で押さえつける。

 

「彼は、私たちの酸素ボンベに細工をしたんです! どういう理屈かは分かりません。しかし、その可能性が高い」

 

 天地はキグナス・ウィングに視線を移した。キグナス・ウィングは不敵な笑いを浮かべ、気持ち程度の拍手を返した。

 

「正解です。さすが、人を騙すだけあって、心を読むのが得意ですね」

 

 その言葉に、また一同はパニックに陥る。司令塔を失ったアリ達がバラバラになるように、逃げまどうように。しかし、またも天地が大きく叫ぶ。今度は案内をしていたミトレも止め、ルナもゴン太とキザマロに指示を出し、それを手伝おうとする。

 

「大丈夫です! 異常を感じた外のスタッフ達が救援に来てくれるはずです。今は、私の言うとおりに呼吸をしてください」

「天地さん、あなたは甘いですね。それでどれだけ持ちますか? 皆ここで窒息死すると言う運命に変わりはありませんよ?」

 

 不安を煽る。それに、天地とさっきのスタッフが冷静に対処していく。

 

「皆さん、落ちつ……うぅ……」

「所長?」

 

 天地の様子に、ルナが気付き、そばへ寄る。

 

「……いい人のふりをして、大声を出すからそんなことになるんだ。もう酸素が無くなってしまいましたね」

 

 キグナスの言うとおり、天地は青白い顔をし、目を見開いていた。呼吸が段々浅く、早くなっていく。

 

「皆さん! 落ち……着いて……ください……。僕、みたい……なり、たく……」

「所長さん、もうしゃべらないでください」

 

 天地の声が聞こえなくなる。ハァハァと言うか細い呼吸音だけだ。それをみて、ようやくツアー客達の混乱が収まり始めた。自分に襲いかかる顛末をみて、汗が冷えたのだろう。結果的に、皆を落ちつける形となった。

 その様に満足したのか、キグナスの体が白い光に変わり、投影装置へと入って行く。暗くなっていたディスプレイが光ると、中にはキグナス・ウィングの顔が浮かび上がる。

 

「僕はここからゆっくりと眺めさせていただきます。皆さんが苦しみ、もだえる様子を。さあ、天地さん、踊ってください。死のダンスを」

 

 静かに響く、背筋が凍りそうな声。自分達の命を握っていると語っていた。

 

「宇田海、君……なぜ? 僕が裏、切った……って?」

「まだごまかすつもりですか?」

「は、話して、くれ! きっと、誤解、だ……」

「そうやって……そうやって、心配するふりをして私を騙すんです……もう、騙されない!」

 

 それでも、決死の思いで訴えかける天地の言葉。しかし、キグナスに……宇田海には届かない。

 一連の流れを、スバルは展示されている惑星の一つの裏から見ていた。ウォーロックの手には大きなタンコブをつけたシタッパーが握られている。

 

「スバル、やるしかねぇぞ?」

「……ぼ、僕がやるの?」

「シタッパーを消滅させるには、キグナスを倒すしかない」

「……こ、恐いよ……」

「状況を良く見てみろ」

 

 天地が苦しそうにしている。いずれ、ここにいる皆もそうなる。そして、逃げたとしても、あのFM星人がウォーロックを狙っている限り、いずれは戦うことになる。

 

「なんで、僕ばっかりこんな目に……」

「行くぜ!」

「……」

 

 天地をもう一度見る。女性スタッフとルナが心配そうに覗きこんでいる。どうやら、かなり危険らしい。

 頭を振って、左手を持ち上げた。

 

「電波変換 星河スバル オン・エア!」

 

 一着の宇宙服が、展示品の影に隠れて漂っている。中身が無いそれの存在には、誰も気づかなかった。



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第二十二話.白鳥舞

 投影装置の電脳に広がる空間。外の展示品である惑星を模した、大小の丸い物体が浮いている。その中の一つの上に、そいつはいた。

 キグナス・ウィング。天地に裏切られた宇田海が、FM星人のキグナスと電波変換した姿だ。空に写されたモニター、そこには酸素を求めて苦しんでいる天地が映し出されている。

 ルナと、案内役をしていたスタッフが心配そうに覗きこんでいるが、気休めでしかない。二人に、天地を助けることなどできないのだから。酸素を分けようにも、シタッパー達が酸素ボンベの本来の役割を阻害している。

 なにより、自分たちとて、いつ彼のようになるのか分からない。どうにもならない。

 彼を救う方法は外で救出活動をしてくれているであろう、アマケンスタッフに善戦を期待するか、ここにいる一組が行動するかだ。

 

「宇田海さん!」

「誰です?」

 

 悲痛を含めたスバルに宇田海が振り返る。スバルだとは気づいていないようだ。バイザーが付いたヘルメットを被っているからだろう。なにより、自分以外に電波変換ができる人物がこの場にいるなど、まず考えない。宇田海の隣にキグナスが姿を現す。

 

「ウォーロック、君かい?」

「ああ、こっちから来てやったぜ!?」

「フフフ、僕も運が向いてきたな。君を倒せば……”アンドロメダの鍵”が手に入る! 一番手柄だ!!」

 

 昨日までの事が嘘のようだ。これなら、自分を屑呼ばわりした『あいつ』の鼻を明かすこともできる。堪え切れない笑いを、静かに漏らす。

 

「宇田海、あいつは邪魔ものだ! 排除するよ!?」

「分かりました」

 

 キグナスが体に戻ると、宇田海……キグナス・ウィングが大きな翼を広げ、空に舞う。

 

「スバル、迷うなよ?」

「……う、うん」

 

 唇をかみ締め、全神経を、空中に浮かぶそいつに向けた。今、純白の翼を広げたところだ。

 

「キグナスフェザー!」

 

 翼をこちらに向け、3,4枚の羽を飛ばしてくる。スバルは大きく空に飛びあがり、惑星の一つに飛び乗る形で回避する。さっきまでいた場所からは爆音が響く。見ると、着弾点の床はえぐれ、その威力を物語っていた。

 

「ロックバスター!」

 

 ウォーロックの口から発せられる光弾。キグナスは少し飛ぶ速度を上げて、綺麗に避けた。白鳥が舞うかのように、足場の無い世界を、縦横無尽に駆け巡る。

 

「速い!?」

「まだまだです!」

 

 再び羽が飛んでくる。キグナスから隠れるように、惑星の向こう側へと飛び降りた。

 

「バトルカード ホタルゲリ」

 

 足場にしていた惑星を蹴り飛ばす。羽は球体を粉々に破壊した。崩れ行く星の向こうから複数のミサイルが飛び出してくる。ロックオン機能を持ったレーダーミサイルは、高速で飛ぶキグナス・ウィングを追いかけてくる。

 

「厄介なバトルカードを……」

 

 回避に徹する。だから気付かない。スバルの本当の狙いに。

 

「ぐぅ!」

 

 数発の弾丸が腹と翼に突き刺さった。

 バルカンシード。無数の弾丸を放つ代わりに、射撃精度の低いそれは牽制程度の物だった。しかし、運よく数発が命中した。一瞬の減速がミサイルの追従を許してしまう。

 

「くそ!」

 

 追いつかれる寸前で、翼をミサイル達に向ける。直後に、幾つもの爆発が襲う。

 

「や、やった!?」

「……いや、まだだ!」

 

 爆発から白い翼が飛び出した。思った以上に傷はついていない。

 爆発からは見え無かったが、彼はミサイルに向けた翼から羽を打ち込んだのだ。自分の体に当たる前に爆発したため、受けたダメージは爆風だけだ。白い体のあちこちに少し焼け焦げた跡があるが、大したものではないらしい。

 

「ワタリドリ!」

 

 黒と白のシタッパー数体を放ってきた。三方向から襲いかかってくる。バスターを打ち込み、一体一体を撃ち落とす。しかし、黒だけが弾丸を跳ね返した。

 やむを得ず、左から迫るそれを避けるため、右に体を持っていく。後ろにある模型の影から現れたキグナス・ウィングが笑みを浮かべる。刃のように尖った翼を広げ、風を切るようにスバルに突っ込んだ。重さは無いが、スピードはある。加えて大剣と化した翼が背中に食い込む。

 

「うわああ!」

 

 車にはねられたらこんな感じなのだろう。世界は上下左右を失い、重力を感じさせない。体を止めたのは惑星の模型だ。破壊しながら、地の上に叩きつけられた。

 熱い。そう感じた背中からぬるりという感触が伝わってくる。斬られると、痛いではなく熱い。そう感じるのかと、一生に一度でもしたくない学習だった。

 身を起こすと、相手は再び空から羽を撃って来ていた。

 

「バトルカード クラウドシュート!」

 

 スバルの周りに雷をまとった雲が数個現れる。キグナスに向けて腕を振ると、その方角へと飛んでいく。羽とぶつかり合い、それらは溜めていた雷を放出していく。

 黄色い大量の筋が重なり、まるで壁のようにキグナスの前に立ちふさがる。その眩しさに、本能的に手で視界を塞ごうとしてしまう。

 戦闘においては自殺行為だ。

 

「ゴーストパルス!」

 

 リング状の光線が空に放たれる。

 

「が、ガアアアア!」

 

 脳がひっかきまわされたように痛い。バランスを崩し、翼をもがれたかのようにまっすぐに落ちて行く。

 

「ロングソード!」

 

 ウォーロックが、長剣へと形を変える。地に落ち、起き上がったキグナス・ウィングは長い手で殴りかかる。

 しかし、まだ足元がふらついている。リーチ差を消した剣が腕と腹を切りつける。

 

「くっそ!」

「スバル、もっとだ!」

 

 地面に降りている今が好機。これでもかと左手の剣を叩きこむ。翼を盾代わりにし、拳で反撃する。耳元を過ぎる拳の風切り音に毛押されながらも、手は休めない。

 

 

 苦しむ天地を支えていたルナは、異変に気付いた。先ほどから宇田海が何も言ってこないのだ。天地を侮辱する言葉どころか、あの笑い声すら聞こえない。

 

「あ、あれは……」

 

 モニターに目を向けて、ようやく闘っている者の存在を確認した。

 

「……ロックマン様? 夢じゃなかったの!?」

 

 怪人と化した宇田海と懸命に斬り合っている青い少年の姿があった。少年と感じた理由は体格差だ。背の高い宇田海だが、それと比べても、ロックマンの身長は大人とは言えない。

 

「ロック……マン?」

 

 天地が聞き返す。もう目も開けていられないのだろう。額には汗が湧きあがっている。

 

「宇田、海君と……闘っ、てい……るのか?」

「ええ、そうみたいです。私達を、助けようとしてくれているのかしら?」

 

 天地はかろうじて開いた目から、画面を見る。小さい体で、宇田海に立ち向かっている。

 

「こうして、は……いら、れない……よな……」

「天地さん!?」

「所長!?」

 

 ルナとミトレの手を離れ、天地は体を前に傾けた。まるで漂うように、装置へと向かって行く。

 

「ま、待って……」

 

 追いかけようとして、ルナは違和感に気付いた。

 

「……あら?」

 

 視界が……暗くなって行く……



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第二十三話.白鳥堕

 肩から体を捻るように振るった左手の剣は、翼に受け流される。まっすぐに突き出されてくる左手を右手で払い飛ばす。もう一度斬りかかろうとした時、視界が何かに塞がれた。長い脚を活かした蹴りがスバルの顔面に食い込んだ。

倒れそうになる体を、かろうじて持ちこたえ直す。

 

「あれ……どこ?」

「後ろだ! スバル!!」

 

 振り返れば、そこにキグナスの青白い顔があった。細く長い腕がスバルの肘裏を下から救い上げ、空へと跳躍する。この状態では満足に拳を振るうこともできない。ばたつかせた足で空気をかき乱す。

 

「は、離してよ!」

「良いでしょう。すぐに離してあげます」

 

 スバルを抱えたまま、頭を下にして、地面へと真っ逆さまに落ちていく。地面に触れるぎりぎりでスバルを足蹴にした。

 頭から地面にたたきつけ、すぐさま空へと舞い戻る。立ちこめる土埃の中に、マシンガンのように羽の弾丸を放った。煙はさらに大きくなる。木星を模した惑星の上……最も高いところにある足場だ。

 それにすたりと降り立つと、煙はここまで立ち上って来ていた。流石に生きてはいないはずだ。

 

「キグナス、君の敵は倒しましたよ?」

「ありがとう。ところで、モニターを見てみるといいよ」

 

 ”アンドロメダの鍵”が気になるが、後でゆっくり回収すればいいだろう。キグナスのいうとおり視線を移すと、先ほどと違ってかなりの人数が酸欠に陥っているらしい。足を曲げ、手を伸ばし、首を抑え、もだえている。

 

「天地さん、いかがです? 死のダンスは楽しいですか?」

「な、なんで……」

「おや? まだ生きていましたか?」

 

 晴れて行く土煙から、シールドを頭上に掲げたスバルとウォーロックが姿を現す。しかし、頭を強く打った影響だろう。地にうずくまり、立つことすらできない様子だった。

 

「なんで、天地さんにこんな酷いことをするの?」

「酷い? 酷いのはあの人の方です」

 

 キグナス・ウィングは冷たい目で、正体の知れないキグナスの敵を見下ろす。

 

「あの人は、私を裏切ったんです。あの人は笑顔で人を騙すんだ」

「騙した? 天地さんが?」

「ええ……私が、私がどれだけ苦労して研究をしていたのか……知っているはずなのに、それなのに……あの人はそれを自分のものにしたんだ」

 

 そんなわけがない。戯言を払うように、首を振る。

 

「そ、そんな! 天地さんはそんな人じゃ……」

「あなたが天地さんの何を知っているんです?」

「っ!?」

 

 今度は何も言い返せなかった。自分は天地の何を知っている?

 父親の後輩。ビジライザーをくれた人。元NAXA職員。天地研究所の所長。宇宙について研究している。30前後のおじさん。

 知っていることなんて、これぐらいだ。天地のことは何も知らない。まともに会話したのだって、今日が初めてだ。いや、会話とすら言えないだろう。天地の言葉に適当に相槌をうっただけだ。

 

「何も知らないじゃないですか……この世の本質は裏切りなんです! あの人だって、天地さんだって例外じゃない。それも知らないくせに……あなたには、天地さんのことも、裏切られた私の気持ちも、何も分からないのですよ!」

 

 彼の憎悪が形になったかのように、翼が大きく広げられる。直線の軌道を描き、スバルに突っ込んでいく。

 

「スバル! スバル!!」

「……え? あっ、ああ!!」

 

 ウォーロックの声に気づいて前を見た時にはもう遅い。刃となった翼が眼前に迫っていた。

 

 

 

「バトルカード バリア!」

 

 

 

 翼が止まった。それは青い障壁に進行を阻まれ、再び空へと戻って行く。

 

「なにが起こったんです?」

 

 あの青い少年が何かをした形跡はない。なにより、突然展開した『バリア』に相手も驚いている。

 

「誰が……?」

『ロックマン!』

「……え?」

 

 聞き覚えのある声。記憶に当てはめる作業はすぐに終わる。しかし、この答えはあり得ない。

 

『ロックマン、聞こえて、いるかい? ロック、マン?』

 

 今度は声のする方向も分かった。キグナス・ウィングも顔を向ける。モニターに一人の男性の姿が映っている。

 

「天地さん!?」

 

 

「君……ロックマンって、言う、んだろ?」

 

 宇宙服の外側に取り付けられたトランサーには、『バリア』のバトルカードが組み込まれていた。電脳世界にいるロックマンにデータを転送したのだ。

 

「すま、ない……僕、らの命……君に、託したい」

 

 別のカードを取り出し、転送する。

 

 

「スバル、これは……?」

「バトルカードのリカバリーだよ」

 

 ロックマンの体の傷が治って行く。斬られた背中も元通りに。頭に来ていたダメージも嘘のように消えて行った。

 

『頼、む……助けて……くれ……』

 

 もう、意識がほとんどないのだろう。目は開いているのかも分からない。

 

「……この期に及んで、命乞いですか? 天地さん?」

 

 けど、開いているとスバルは確信した。天地の目に星があったからだ。

大吾を見つける。そう語ってくれた時の物が消えていなかった。

 

『う、宇田海……を……』

「え?」

 

 

「宇田海君を……助けてやって……くれ……!」

 

 それが彼の限界だった。ぐったりとして動かなくなる。

 

 

 モニターの向こうで漂う天地を見て、ロックマンも、キグナス・ウィングも立ち尽くしていた。

 

「天地さん……なぜです……なぜこの期に及んで?」

「……やっぱり……」

「な、何がです?」

 

 立っている惑星から、振り返るように見下ろす。

 

「天地さんは……あなたを裏切るような人じゃない!」

「だ、黙ってください!」

 

 羽の弾丸を放つ。しかし、さっきまでの勢いはどこにもない。スバルが右手で振るうだけで簡単に撃ち落とされた。

 

「宇田海さん……いや、キグナス・ウィング。僕はお前を倒す。そして、宇田海さん。あなたを……助けます!」

 

 ゆっくりと、スバルの目が開かれる。天地の星がスバルに宿っていた。小さな体から発する大きな志。目には見えないそれを感じ取り、宇田海の心が揺れ動く。

 

「な、なにを……言ってるんです?」

「ダメだよ、宇田海……」

 

 キグナスが宇田海を落ちつけようとする。傀儡として保つために。こういうときに、冷静に思考できるのがキグナスの強みだ。

 

「だって、天地さんは……」

「あれも演技さ。良い人のふりをしているだけだよ。あの……ロックマンとか言う奴を利用して、君を倒させて、自分が助かるためにね」

「そ、そうなのですか?」

 

 再び、天地に疑いを持ち始めてた様子を見て、キグナスはほくそ笑んだ。

 

「そうだよ……それに、研究成果。あれを奪われても良いのかい?」

「……私の、フライングジャケット……」

「あれを自分のものだと言ったのは事実だよ?」

「そ……そうでした……あれは……間違いないんだ……」

 

 人の心はなんてもろいのだろう。そう思いながら、キグナスはロックマンと向き直る。

 

「さあ、闘うよ。君の研究成果を守るためにね!」

「あれは……あれは私の物だ!!」

 

 飛びあがり、キグナスフェザーを放った。

 

「ロックバスター」

 

 連続して放った弾丸と相撃ちになり、空中でバラバラになって行く。

 

「ワタリドリ」

「バトルカード シンクロフック!」

 

 右手を覆ったグローブを一匹に叩きつけると、衝撃が共鳴し、全てのシッタパー達をたたき落とした。側面から近づいて来ていた、キグナス・ウィングにバスターを浴びせる。

 掠める弾丸を無視して、翼で斬りかかる。

 

「ベルセルクソード!」

 

 『ソード』よりも、刃渡りが少し短い剣が形成される。その分小回りのきく刃で白い大剣を受け流し、脇腹へと突き出した。ロックマンの腕を手で払い、飛びあがる。繰り出される蹴りを、小柄な体を大地に近づけてくぐり、軸となっていた足を切り払った。たまらず空へと飛びあがり、羽を放つ。身を起こす間もなく背中に熱が走る。手をついた途端に空中へと連れ去られた。さっき頭から突き落とされたときと同じ体勢だ。

 

「これではあなたは何もできません! この技で終わりです!!」

 

 背中を仰け反るように空中で反回転する。頭を下にした二人が真っ逆さまに落ちて行く。体の自由を奪われるロックマン。しかし、キグナスには翼がある。直前で退避すればいいだけの話だ。

 

「ロック!」

「おう!」

「……え?」

 

 ウォーロックの口元に何かある。薄い、二枚の四角い物。持ち上げられる直前にスバルから受け取り、今まで咥えていたのだ。キグナスが気付いた直後にはそれを飲み込んでいた。

 同時に、スバルの右手とウォーロックの口がキグナス・ウィングを捕らえる。

 

「バトルカード タイフーンダンス!」

 

 ロックマンの体が回転を始める。しがみついているキグナス・ウィングもだ。彼の翼の空気抵抗など物ともしない。二人の体は渦を作り出し、一つの塊となる。キグナス・ウィングが作り出した速度をさらに上げ、小さい台風となり、地面に激突した。

 木の実を割った際に中身が二つに飛び散るように、空中に放り出される。漂う一つの惑星に衝突し、翼から地面に落とされた。

 

「な、なんて無茶をするんです……」

 

 動けない。頭を強く打ったせいだろう。体がしびれている。翼もろくに動かせない。だが、それは相手も同じだ。向こうも、動く気配は無い。追撃も無いだろう。

 しかし、何かが引っかかる。違和感の元を探って行く。それは相手が教えてくれた。

 

「ジェッ、ト……アタック!」

 

 左手が鋭い体つきをした、鳥のような姿へと変わる。そこから噴出されるバーナーがロックマンの体を持ち上げる。

 ウォーロックが咥えていたカードは二枚。もう一回攻撃があると言うことだ。そして、このカードには使い手の意志や力は関係ない。ただ勢いに任せて突っ込むだけなのだから。力が関係ないのは、威力が強すぎて制御できないから。大気を斬り裂くその姿はまるでライフルの弾丸。

 

「や、やめろおおおお!!」

 

 宇田海の声でキグナスが叫ぶ。

 

「止めないよ……僕は、約束したんだ……天地さんに!」

「あ、あああああ!?」

「あなたを……助けるって!!」

 

 捨て身の体当たりが突き刺さり、背後の惑星をも粉砕した。大空へと舞い上げられた体から、折れた翼が広げられることはなく、平行な大地の上へと横たわった。



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第二十四話.本当のこの世の本質

2013/5/3 改稿


 地に伏せた相手を見降ろした。彼のシンボルだった翼は折れ曲がっており、もう飛ぶことはできなさそうだ。うめき声を上げ、床に爪を立てている。まだ息がある様子だった。少なくとも、宇田海との電波変換は解けない。

 

『宇田海君……』

 

 モニターを見ると、天地が顔を覗かせていた。ルナに支えられ、深呼吸を繰り返している。

 

「く、シタッパーの統制が……?」

 

 どうやら、彼が倒れたことで部下達も消滅したらしい。モニターの向こうでは他の客達も息を吹き返し始めていた。

 

『宇田海君。なんでこんなことをしたんだい?』

「……なんで?」

 

 力尽きたはず、もう立てないはず。

 

「分かっているですよ? 天地さん……あなたは……」

 

 にもかかわらず、徐々に拳が作られる。胸から湧き上がってくる。

 

「私の研究成果を自分の物にしたじゃないですか!?」

『……え?』

 

 

『あれは、私の研究成果です!』

「ま、待ってくれ! 宇田海君!! 誤解だ!!」

 

 投影装置のディスプレイに映る、怪人と化した宇田海に否定を示す。

 

「僕は、誰かの研究成果を奪うなんて、そんな酷いことはしない! 誓っても良い!」

『嘘です! 私は見たんですよ! あなたが子供達に私の『フライングジャケット』を、自分の発明だと自慢しているところを!』

「誤解よ!」

 

 まだふらつているルナが話に割って入り、必至に叫ぶ。

 

「天地さんは、ジャケットはあなたの発明品だって言っていたわよ!?」

『見え透いた嘘をつかないでください! そこの眼鏡の少年が訊いていたじゃないですか!?』

「ぼ、僕が訊いたのは……」

 

 指差されたキザマロはたどたどしくも、はっきりと答えた。

 

()ケットの設計図ですよ!?」

『……え?』

 

 脳内にこだまする少年の言葉を反復し、目を見開いていた。

 

 

 スバル達が天地の研究室を見学させてもらい、宇田海が装置の隙間から様子を観察していた時のこと。キザマロがおもむろに壁に掛っているあるものを指差した。

 

「それは最新の研究成果で、『ロケット』だよ? 僕の発明品だ」

「これが、ロケットの設計図ですか?」

 

 めいいっぱい広げて張り付けられているそれに見入っていた。背伸びして、小さい自分との距離を少しでも詰めようとしている。それを見て、天地はちょっと大きめのお腹を膨らませてふんぞり返る。

 パタリとしまったドアの音には誰も気付かなかった。

 

「あれ? これは何ですか?」

 

 すぐ隣に掛けられている、翼の生えた四角い機械に目を移す。

 

「ああ、これは僕の発明品じゃないんだ。さっきの宇田海君の発明品だよ?」

「へ~、どんなものなんですか?」

 

 申し訳なさそうに帽子越しに頭をかいた。

 

「すまないね。僕のじゃないから詳しくは言えないんだ。ただ、すごいってことは断言できるよ? よくできている。僕も、うかうかしていられないな」

 

 より一層お腹をふくらまして見せた。

 

 

 ゆっくりと首を振った。

 

「嘘です……そんなこと……」

『よくできている』って褒めていましたよ!?」

「嘘です……そんなの嘘です!!」

 

 

『嘘に決まっています! そうか、君達もグルなんですね!? 天地さんと一緒に、私を騙そうとしているんですね!? 騙されません! もう、絶対に騙されませんよ!!』

 

 人は他人を疑えばどこまでも疑うことになる。それは全てを知る事のできない人の(さが)なのかもしれない。

 

 

 底知れず人を信じようとしないその後ろ姿から、スバルは目を反らせなかった。

 

「宇田海さん……」

「はっ、こいつは重症だな?」

「フフフ、どうやっても無理だよ」

 

 キグナスが自慢げにキグナス・ウィングから姿を現す。おそらく負け惜しみだろう。しかし、いつでも逃げ出すための注意は怠らない。

 

「この世の本質は裏切りなんだよ。人を信じる方がバカなんだ。あの天地とか言う男はこいつを説得しようとしているみたいだけど、無駄だよ。そういう意味では僕の勝ちだね?」

「っ!!」

 

 左手を突きだし、照準を合わせる。しかし一向に打とうとしない。

 

「スバル、なんで撃たないんだ?」

「……撃ったら、確かにキグナスは倒せるよ? けど、宇田海さんは?」

「知るかよ。あんな奴」

 

 スバルの意志を無視し、光を溜め始めた。

 

「ダメだよ!」

 

 とっさにウォーロックの口を押さえつけ、左手を下に向ける。

 

「……僕は、宇田海さんに……天地さんと分かり合ってほしい」

「……ちっ! お前は本当に甘いぜ」

「フフフ、無駄な努力だよ」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべるキグナスを、ただ歯ぎしりをして睨みつけることしかできなかった。

 

 

「どうやったら、信じてくれるんだい?」

『……天地さん。あなたは私を信用していますか?』

 

 俯き何かを考えている。表情は見えない。

 

「当たり前だ。信用している」

『なら……ヘルメットを脱いでください』

「……え?」

 

 面を上げると、ニンマリとした笑みが張り付けられていた。

 

『実は、最初から酸素供給装置を動かしています。天地さんに頼まれたあの装置です』

「……あれか……」

 

 うなずく天地にミトレが質問を投げかけるので、丁寧に答えた。それでも彼女の疑惑は晴れない。ツアー客達もざわざわと騒ぎ出した。

 

「で、でも! それが本当に実用段階でも……本当に作動しているのかも分からないんですよ? 第一、私達を殺そうとしていたのに、なんでそんな……」

『ほら、やっぱり。信用できないでしょ。これが人なんです。裏切りこそがこの世の本質だから人は疑うんです! 他人なんて信用できない。信用したら、バカみたいな目に会うんです!!』

 

 しまったとミトレは唇を噛みしめた。

 

「だっ……だって!」

「……ヘルメットを……取れば良いんだね?」

 

 ざわめきをかき消すほどの、落ち着いた静かな言葉だった。

 

 

「ええ、そうです。たったそれだけのことです」

『……分かった』

 

 天地の返答に動揺していたのはスバルも同じだった。

 

「フフフ! ハハハハハ! なんて愚かな人間なんだ!!」

「う、うるさい!」

「ハハハ!! 見ているといいよ、ウォーロックに取りつかれている愚かな地球人! できるわけがないんだよ!? 虚言、疑惑、不信、裏切り……人間の醜さが見られるよ!? ハハハハハ!!」

 

 右拳をぎりぎりと握る。骨が軋むほどに。もう一度、モニター向こうの様子を見る。

 

「天地さん……」

 

 

 ルナ達も、ミトレも、ツアー客も、全ての目が天地に向けられる。興味と疑惑と心配が込められているそれを受け、天地は宇田海の目を見つめ返していた。

 

『さあ、取ってください。できるものならね。どうせ、できるわけが……!!?』

 

 天地の両腕が上がる。皆が息を飲む前で、ゆっくりと、耳元に手を運ぶ。DVDのスローモーションのように、ルナはそれを見ていた。天地に手を伸ばそうとする。早く動かない。天地よりも遅いくらいに。手はヘルメットを挟み、上へと持ちあがる。動きに合わせて届けられる衣服の摩擦音。

 一瞬遅れて、ルナの口が開く。

 ためらいを知らない腕が伸ばしきられる。肌が、漆黒の世界にさらされた。

つんざくような悲鳴が、空間に響き渡った。

 

「……ふぅ……」

「あ……あら?」

 

 大声をあげたルナの目がぱちぱちと開閉させる。

 

「確かに酸素だ。ただ、薄いな。改良の余地がありそうだね」

「しょ、所長……」

 

 安堵の声がミトレと周りから漏れた。

 

「あ、ああ……」

「良かったです」

「ちびりそうだったぜ……」

 

 ルナ達も同じだった。ぐったりと肩と首を落とす。

 

『……なぜです?』

 

 一人、違う反応を返している者に視線が集まる。彼の目が己の心中を語っていた。

 

『なぜ……なんです? もし……もし、僕が嘘をついていたら……酸素が無かったら……真空だったら……どうするつもりだったんです?』

「その時はその時だよ。それに、僕は言ったはずだよ? 君を信用しているって」

 

 呆然とする宇田海に、天地は平然と答えた。いつもの笑みに戻っている。

 

『たった……それだけのことで……』

「それに、君は科学技術や発明が大好きな人だからね? 自分が作ったものを、人を殺す為に利用するとは思えなかったんだ」

 

 

 ただ、黙って聞いていることしかできなかった。

 

『何度でも言うよ? 僕は君を信用している。だから、君も僕を信用してくれ。って、クサイかな、この台詞? ハハハ』

 

 スバルとウォーロックも同じだ。キグナスですら、声を潰されていた。

 

『……宇田海君。なんで、この世の中にブラザーバンドがあるか、知っているかい?』

「そ、そんなの……便利だからに決まっています!」

 

 目を閉じ、優しく首を振った。

 

『違うよ。ブラザーバンドがこの世に必要とされる理由。それはね……』

 

 

 

―繋がりこそが、この世の本質だからだよ―

 

 

 

「……っ!?」

 

 言葉が出なかった。

 

『宇田海君、君の過去に何があったのか僕は知っている。だから、君が世の中に絶望してしまうのも理解できる』

「あ、ああ……」

「あんなの信じちゃ駄目だ。また君を騙すつもりだ!」

 

 天地の言葉に頭を抱え込む。キグナスの口調が変わる。しかし、それに気は行かない。

 

『けどね、それがこの世の全てだなんて思わないでほしいんだ』

「違う! 裏切りこそがこの世の本質だ! それが全てだ!」

 

 天地の目はずらされることなく、こちらに向けられていた。キグナスの言葉も、何も耳に入らない。

 

『もっと、目を凝らすんだ』

「凝らすな! また、惑わされるぞ!?」

『そうすれば、見えてくるはずだよ。裏切りとは全く違う、この世界の明るい部分が……!』

「止めろ! それ以上しゃべるな!」

 

 がくがくと震えてくる口が抑えられなかった。

 

『この世界は、そんな悪い物じゃない! 君も、きっとそう思える! だから……』

「宇田海! 僕を、僕を信じるんだ!!」

「うううう……」

 

 

 

『僕の言葉を信じるんだ! 宇田海君!!』

 

 

 

「うああああああああああああああ!!!!」

 

 体が崩れて行く。白い影が体から浮き上がり、徐々に鳥のような姿へと変わっていく。キグナス・ウィングが白い光を放った。

 途端に、体が宇田海とキグナスの二つに分裂する。宇田海は膝を崩すように前に倒れ、キグナスは空へと放り出された。

 

「ば、バカな!?」

 

 ありえない。脆弱な地球人がFM星人を退けるなど。

 

「そ、そんな……こんなことが……?」

「よそ見している場合か!?」

「はっ!?」

 

 茫然としていたキグナスが振り返ると、既にウォーロックの頭がこちらに向けられていた。待ってましたとばかりに、二人はめいいっぱいに凝縮した光弾をお見舞いした。

 緑色の光の塊が、眼前に迫り来る。

 

「ギャーーーーー!!!」

 

 撃ち抜かれた場所から粒子へと変わって行く。キグナスの体はバラバラになり、消滅していった。

 

「へっ、ざまあみやがれ!」

 

 スバルもふぅと一息をつき、うつぶせに倒れている宇田海を見た。

 

『宇田海君! 大丈夫かい!?』

『宇田海君!?』

 

 天地と、側にいたミトレが懸命に呼び掛けてくる。騒ぎが大きくなる前に、ロックマンもその場を後にした。

 早くスバルとウォーロックに戻り、皆と合流しなければならない。空っぽになっている宇宙服が見つかる前に。

 

 

それから数時間後。

 

「ええっ!? わ、私がそんなことを!?」

 

 医務室へと運ばれた宇田海は目を覚ました。以前、スバル達が車の電脳世界で闘ったジャミンガーと同じく、自然と現実世界に戻ることができた。

 しかし、記憶のあちこちが飛んでしまっているらしい。天地達からの質問を信じられないという目で聞いているほどだ。

 

「そうか、覚えてないか……」

「覚えていないで済むか!?」

 

 肩幅の広いスタッフが宇田海に掴みかかる。天地は許してもこの男は納得していないようだった。尊敬する天地を危険な目にあわせたのだから当然だ。

 他にも似たような反応を示す者もいれば、天地の気を汲んだ者もいる。今、宇田海に手を上げようとしたこの男を必死に取り押さえようとしている二人、ミトレと医務室専門の男性スタッフがそうだ。

 結局、もうしばらく休んでもらうことにし、天地は部屋を後にした。

 

「天地さん……」

「なんだい?」

「ぜ、全然記憶が無いのですが……この言葉だけは覚えています……」

 

 

 夕方といえば人々が自宅へと帰り始める時間だ。都会はそうでもないらしいがこの町ではそうだ。よって、スバル達もこの場所を去るところだ。

 

「おじさま、今日はありがとうございました」

 

 ルナにならって、ゴン太とキザマロも頭を下げる。

 

「いや、すまなかったね? あんなことになってしまって……」

「そんなことないですよ! 色々勉強になりました!」

「そう! 満足満足! 流星饅頭最高!!」

 

 がっくりと二人はため息をついた。

 

「ゴン太らしいわね?」

「らしいですね?」

「ハハハハ」

 

 そんな四人の様子を、スバルは数歩離れた場所で黙って見ていた。

 

「それじゃあ、また遊びにおいで」

「はい! それでは」

 

 ルナを先頭に、トリオがいつものフォーメーションで歩き出す。それを見送りながら、天地はスバルの肩に手を置いた。

 

「繋がりこそ、この世の本質」

 

 宇田海に言ったことと同じ言葉だ。

 

「実はね、これはある人に教わった言葉なんだ。誰だと思う?」

「……さあ?」

 

 見当もつかないと返す。

 

「NAXA時代の僕の先輩。僕が一番尊敬している人さ」

 

 視線はスバルではなく別の物を見ている。たどって行くと、アマケンシンボルのアマケンタワーが視界の中央に入った。

 

「っ! まさか……」

 

 察したスバルにこくりと頷いた。

 

「そう、君のお父さんだよ」

 

 先ほどまで天地が見ていたアンテナを見た。

 

「どうだろう? 君の心にも届くと良いけど……」

 

 今も父親を探してくれているそれは日を浴び、オレンジ色に照らされていた。父が残してくれた言葉。天地を介して伝えられたこの言葉。スバルはただ聞き流して良いとは思えなかった。

 

「父さん……僕は……」

 

 それ以上は続かなかった。ゴン太の太い声がする。

 

「おーい!」

「何してるんですか?」

「おいて行くわよ!?」

 

 振り返ると、ルナとキザマロも含め、三人が手を振っている。

 

「じゃあ、天地さん! さようなら!」

「ああ、母さんによろしくね?」

 

 お別れの言葉を言って、慌てて走り出した。

 

「ちょっと、待ってよ!」

 

 

 

 

 あれ? なんでだろう? なんでこんな事を言ったんだろう? それに……足がいつもよりも、軽いや



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第二十五話.ブラザーと

2013/4/21改稿


 深夜と言えるこの時間は車が走ることすらない。それだけコダマタウンは静かな町だ。天地研究所も同じだ。ただ、今日は騒動が騒動だっただけに、施設内のいたるところに明りが灯っていた。

 その屋上でうごめく影が一つ。

 

「フン、屑ごときが手柄を焦ってしくじったか」

 

 キグナスの周波数がここで消されたことを確認していた。この威厳のある声は以前にもこの場所でキグナスと談話していた物と同じだ。

 

「なんだ? 誰かやられたのか?」

「我々が来たのダ。バランスはむしろ我々に傾くと思うガ?」

 

 別の声が二つ聞こえて来る。驚いた様子もなく二人に振り返った。

 一人は女性を思わせる体系をしており、長いウェーブのかかった髪を揺らしている。

 もう一人は生命体とは思えない姿だった。天秤のようなフォルムをしており、両手には皿をくくりつけた糸を垂れ下げていた。

 

「オヒュカスとリブラか。今更来たのか、屑が」

「何だと!?」

 

 オヒュカスと呼ばれた女性のFM星人が前に出る。しかし、リブラの右手が進路を妨げる。

 

「よせ、仲間割れをシテもこちらのバランスが悪くなるダケダ」

「くっ!」

「フン」

 

 悔しがるオヒュカスと止めるリブラを鼻であざ笑った。

 

「ところで、今まで誰かやられたノカ?」

「オックスとキグナスだ。ハープは行方不明」

「雑魚が。ウォーロックごときに負けるとは、男のくせに使えない奴らだ」

 

 彼らもキグナス達と同じだ。死んだ仲間に対して思い入れは無いらしい。

 

「力のオックス、スピードのキグナス。バランスの悪いモノの末路ダ」

「屑が屑の話をするな。耳障りだ」

「っ!」

 

 耐えきれず掴みかかろうとするが、またしてもリブラが割って入る。

 

「おちつケ、オヒュカス」

「しかし、リブラ!」

「結果で見せつければ良かロウ?」

「くぅ……なるほど、我々がこいつ以上に手柄を立てれば良いというわけか?」

 

 二人の会話聞き、挑発を続ける本人は見下したように見ている。

 

「できるものならな」

 

 リブラはこの中で唯一笑っていた。これで、バランス良く事が運ぶはずだからだ。

 

「良いだろう、やってやろうとも……」

「もうじキ、我々以外にも増援が来ル。……地球人どもに恐怖と死ヲ……!」

 

 紫と茶の光に変わり、オヒュカスとリブラはウェーブロードへと消えて行った。この惑星のどこかにいる裏切り者を探すために。そして、そいつが持つ”アンドロメダの鍵”を奪い返すために……

 

「せいぜい足掻くが良い……ウォーロック……」

 

 残ったもう一人はやつがいるであろう町を見据え、その場を後にした。

 

 

 日が変わり、スバルはまたアマケンを訪れていた。側では天地が今か今かと何かを待っている。

 

「あ、見えた」

 

 スバルが双眼鏡から目を離す。ゆっくりと、しかし、雄大に広げる翼が見える。それを背負っているのは宇田海だ。『フライングジャケット』を巧みに操り、アマケンの敷地内へと羽ばたいてきている。

 

「コダマタウンの展望台から飛び立って、約十分。予定通りだな?」

 

 天地がトランサーの時刻を確認していると、悲鳴が上がった。見上げると、横風に煽られてバランスを崩しそうになっていた。懸命に体勢を整えようとしているが、一度崩れた物はなかなか治らない。宇田海の怯える様がここからでも確認できた。

 

「宇田海君! 自分を、僕達を信じるんだ!!」

 

 天地の言葉が聞こえる。吹きつけてくる風を睨みつけ、体から余分な力を抜く。ただ身を任せる。

 自分と天地が作った機構もプログラムも完璧のはずだ。ただ、この『フライングジャケット』に全てを委ねれば良い。

 宇田海が掛けてしまっていた力が無くなったため、翼が風の強さを、機械が正常な体勢を計測し、本来の機能を果たしていく。体はしばらく揺れ動き、少しずつ振れ幅は小さくなり、安定を取り戻した。

 安堵の声を漏らすスバルに、天地は背中を軽く叩いてくれた。後はあっという間だ。宇田海は目標の高度と場所まで飛んだ後、高度を下げる。赤で描かれた円の中に、ゆっくりと着地を遂げた。

 

「やったな、宇田海君!」

 

 天地が駆け寄り、宇田海の首に手を回す。実験が成功した証だ。

 

「あ、ありがとうございます。天地さんの言うとおり、翼を大きくしたらずっと良くなりました。空中でも安定できるし、長距離飛行まできるようになりました」

 

 人は空を飛べる。飛行機と言うものを使って。最近はスカイボードと言う物も開発されている。

 しかし『鳥のように飛ぶ』という、この人類の長年の夢を、宇田海達は本当の意味で実現させたのだ。

 

「あ、あの……ありがとうございました。僕一人だったら……こんなすごい発明品、できませんでした」

 

 深々と頭を下げる宇田海に、天地は肩に手を置いた。

 

「本当に大切なのは、たくさんの成果を上げることじゃない。より良い人間関係を築くことだよ。このブラザーから、一歩ずつ進めて行こう」

 

 トランサーを見せつけるように、左手で小さくガッツポーズをとる。宇田海はゆっくりとうなずいた。

 

「さあ! 今日は飲みに行くぞ!」

「で、でも、天地さん。大丈夫ですか? また体重増えますよ?」

「げっ! な、なんで知ってるんだい!?」

「え……いや、まあ……その……あれです……ブラザー……ですから。天地さんの……パーソナルページの日記……見れますから」

 

 どうやら、天地は自分の体重を日記として記していたらしい。帽子ごしに頭を挟んでいる。

 

「まあ、良いや! 飲むぞ!!」

「……はい!」

 

 その時、スバルははっきりと目にした。宇田海は笑っていた。

 

 

 この『フライングジャケット』で宇田海が大きな賞を取るのは、もう少し先の話である。

 

 

 夜、スバルは部屋のベランダで春を含んだ風を受けながら空を眺めていた。ビジライザーは掛けていないが、ウォーロックは隣にいるらしい。

 

「宇田海さん、楽しそうだったね?」

「ああ、あんな奴でも笑うんだな? ブラザーの力ってやつなのか?」

「……さあね?」

 

 天地と笑っていた宇田海を思い出す。展望台で会った時の彼とは大違いだった。

 

「うらやましいのか?」

「え?」

「宇田海がだ」

「……別に……」

 

 ウォーロックの言葉を否定した。

 

「笑いたくないのか?」

「……え?」

「俺は、お前が笑ったところを見たことがないぜ」

 

 何も見えない隣から目を反らした。確かに笑った記憶が無い。あの日からずっと。

 機械をいじくったり、宇宙の本を手に入れたりして笑った事はある。しかし、ルナ達や天地達のような笑い方とは違う気がした。

 

「大吾とは大違いだぜ?」

「……父さん……」

 

 大好きだった父親の笑顔を思い出す。太陽と見間違えそうなほどの、暖かく明るい笑みだった。

 今思えば天地の笑い方にも似たようなものがあった。もしかしたら、大吾から譲り受けたものなのかもしれない。

 そして、それは徐々に宇田海にもうつりつつある。

 

 

 

―繋がりこそこの世の本質―

 

 

 

 天地から伝えられた父の言葉。歯をくいしばるように、空を見上げる。

 

「父さん……繋がりがあれば、笑えるの?」

 

 その時だった。一筋の青い光が駆けた。

 

「流れ星……」

「流星って言うんじゃないのか?」

「天文学上はね。今の場合は流れ星かな?」

 

 訳が分からないとウォーロックは首をかしげた。

 

「まあ、べつに良いけどよ……そういえば、あれを見たら何か願い事が叶うらしいな?」

「迷信だよ。叶ったことなんてないんだから」

「……そうか……」

 

 何を願ってきたのかは聞かなかった。

 

「いつもとは別のことを願ってみたらどうだ?」

「別のこと? ……う~ん……」

 

 浮かんだのは、さっきと同じだった。騒ぎを起こしたゴン太を受け入れて笑っていたルナ達。実験の成功を共に喜びあう天地と宇田海。そして、三年間一切薄れない父の笑顔。

 それを生み出すのが繋がりなら……絆の力だと言うのなら……

 

「ブラザー……?」

 

 もう、あの青い流れ星は見えない。広げられた黒い空をただ見上げていた。

 ふと視線を感じてビジライザーをかけて見る。ポカンと口を開けたウォーロックがいた。

 

「……なに?」

「お前、ブラザーはいらないんじゃなかったのか?」

「え? 僕そんなこと言った?」

 

 思わず呟いたらしい。自覚が無いようだ。

 

「い、今の無しだよ! ……嫌だよ……ブラザーなんて……」

 

 慌てて取り繕い、また表情を暗く戻した。空には緑がかかり、オレンジ色の道が加わっていた。星空を見るには邪魔でしかない。外して、いつも見ている空に戻す。しかし、お望み通り広げられた大好きな世界は、ただ胸をすり抜けていくだけだった。

 

 

 この場所、この時間にはいつもスバルがいる。しかし、今日の展望台は違った。一つの影がこの町のいつもの空を見上げている。自分が住んでいる町とは違う。こんなにたくさんの星が見える空は見たことが無かった。被っていたフードが重力に従って頭から滑り落ち、短く切りそろえた髪がふわりと風に靡いた。首筋を撫でる、春に限り感じられるその心地良さに笑みをこぼす。

 

「……あ……」

 

 流れ星だ。青い流れ星が彼女が見上げる漆黒の世界を駆け抜けた。

 

「ねえ、青い流星さん……」

 

 誰もが知っている噂。

 

「もし、本当に……あなたが願いを叶えてくれるなら……」

 

 それが本当ならば……

 

「私の望むことは一つ……」

 

 暖かい風が吹いてくる。共に奏でられる木々のざわめきと共に、彼女を包み込む。

 

「お願い……」

 

 

 

 

 

 

 

……助けて……

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章.信用と疑惑の狭間で(完)



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三章.響き合う
第二十六話.夢


2013/5/3 改稿


「辛いのは分かる。けれど、そろそろ来ないかい?」

 

 いつもそうだ。大人たちはこう言ってくる。今は笑っているが、この前はずいぶんと高圧的だった。

 

「黙っていたら分からないよ? 学校に来ないかい?」

 

 席を立ち、二階へと駆けこんだ。大人たちの声がする。自分を叱責する声が鳴りやまない。ベッドにくるまっても、下の部屋から聞こえてくる。

 

「僕の気持ちも知らないくせに……」

 

 蹴飛ばすように布団からはい出ると、ベランダへと出た。窓の下へと目を向ける。

 あまり高くない。室外機に足をかけ、身を乗り出す。母が作り上げた、色彩豊かな花畑が真下に見える。それらを囲うレンガ造りの花壇。そこにうまく落ちれば……

 ぞっと背中を走る悪寒。足がすくみ、転げるようにベランダへと戻った。今日も苦しみからは逃れられなかった。窓の鍵を閉めてもそれは薄れない。

 階段を上がってくる音がする。逃げるように、布団の中へともぐりこんだ。教師と名乗る大人たちを帰した母親が、部屋へと入ってくる。

 そっと外を覗き見る。つま先から膝、腰へと徐々に視線を上げていく。母は怒っても、悲しんでもいなかった。緩めた頬と目。隠れるように布団を抱きしめた。

 

「スバル……」

 

 布団の下は暖かい。

 

「……良いのよ?」

 

 それを通り越し、包み込んでくるような、言葉だった。こみあげてくる嗚咽を抑えられなかった。布団越しに背中を撫でてくれる。もう止まらない。流れ落ちるそれは止まらない。そのまま泣き疲れ、眠りへと落ちていった。

 

 

 白。一面がそれで満たされた世界を歩いていた。道があるのかすら分からない。なぜ歩いているのかも分からない。しばらく歩くと、緑色が見えた。

そこに向かっていく。

 誰かいる。オレンジ色の半袖シャツに、膝までの半ズボン。鍛えられた筋肉質な体。そばまで来ると、その男性は振り返った。

 

「スバル!」

「父さん!」

 

 大好きな父の元まで無邪気に駆け寄ると、隣に座り込む。腰掛けた草むらはふわふわとスバルを出迎えてくれる。

 

「スバルは今年で何歳になるんだ?」

「八歳だよ!」

「小学二年生か。ハハ、大きくなったな!?」

「うん!」

 

 大きい手のひらで、小さい頭を鷲掴みにするように、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた。どこにでもある父親の愛情表現が、少年には何よりもうれしい。宇宙の本や天体望遠鏡をもらうことなんかよりも、ずっと。

 

「大きくなったスバルに、大切なことを教えてやるぞ? 父さんの新しい研究についてだ!」

「何? 何っ!?」

「それはな……」

 

 人差し指を立て、自慢げに話しだす。

 

「ブラザーだ!」

 

 ニッと向きだした歯が、白く光った。

 

「ぶらざー?」

 

 ヒョコと首をかしげて見せる。

 

「そう、ブラザー。これはな、人と人の絆を強くする物なんだ」

 

 今度は逆方向に首をかしげる。

 

「ハハハ! スバルにはちょっと早かったかな?」

 

 肩に太い腕が回される。重すぎて、背中が曲がってしまうが、これが大好きだった。この逞しい腕に、頬をこすり付けるように傾ける。

 

「ただ、これだけは覚えておいてほしい……」

 

 

 

―一人じゃ解決できない問題も誰かと繋がれば乗り越えられる―

 

―誰かが自分を強くしてくれるし、自分も誰かの力になれる―

 

―そうやってできていった絆はどんなものよりも勇気をくれるんだよ―

 

 

 

 やっぱり、この少年には分からない。まだ幼すぎた。けど、それでも分かる。父の笑みと言葉から……

 

 

 

 

 ガツンと鈍い音が響いた。

 

「アイツツツ……」

 

 赤くなった額を押さえつける。ベッドから転げ落ちたみたいだ。きょろきょろと辺りを見る。いつもの自分の部屋だ。満点の青空を迎えた土曜日の朝だ。

 

「……全部夢か……」

 

 共に落ちていた布団を戻し、腰かけた。思い浮かぶのはあの時自分を救ってくれた母の言葉と、それ以前に見た父の笑顔。

 

「ブラザー……か……」

 

 夢に出て来た父の言葉は、幼い頃の記憶だ。ずっと忘れていたようなことが、今更になって鮮明に思い出される。

 

「父さん……」

 

 昨日の青い流れ星を思い出した。あんな事を願ったからだろうか?

 

「父さんが……僕にブラザーを作れとでも言っているのかな?」

 

 どこまで行っても、憶測は憶測にすぎない。気持ちを切り替えて、服を着替え始めた。

 

 

 車を止めトランサーを開いた。

 

「ムゥ……やはり”ゼット波”が高いな……怪しい……」

 

 頭のアンテナをかきむしり、表示される数値を眺めて歩き出した。

 

 

 着替え終わり、トランサーに居ついた異星人を起こす。覗き込むと、あの居候がいない。

 

「あれ? どこにいっちゃったのかな?」

 

 ビジライザーをかけて見るが、やっぱりいない。見えるのはウェーブロードと……近づいてくるティーチャーマンとデンパ君だ。

 

「ねぇ、ロックを見なかった?」

「ウォーロックサンデスガ、ケサハヤクデテイキマシタヨ?」

「なんでも……『孤独の周波数を感じたから調べてくる。すぐに戻る。と、スバルに伝えておいてくれ』だそうです」

 

 ビジライザーを手に入れてからは、この家に住みついているデンパ君やナビ達とは顔見知りだ。

 

「……何やってるんだろ?」

「スバルさん、今日の授業始めますか?」

「……ううん、後にするよ」

 

 いつも勉強を教えてくれている教育専門ナビの提案を拒否し、玄関へと降りて行く。

 

「僕と電波変換できないときに、FM星人に見つかったらどうするつもりなんだよ。まったく、世話のかかる宇宙人だな」

 

 独り言をぼやきながらドアのカギを開ける。

 

「ごようだ~!」

「……うわあ!?」

 

 途端に扉が外側から開かれた。突然の出来事に驚くスバルの脇を通り過ぎ、一人の男がずかずかと中に入ってくる。

 

「何だ、このゼット波の数値は!? なぜ、このウチだけ異常なのだ!? ムゥ……じっくりと調査する必要あり……この町に、一体何が起ころうとしているのだ!?」

 

 トランサーを触りながら、きょろきょろと勝手に家の中を見回す男。ありえないほど異常な行動を取るおっさんの背中から目が離せない。事態を把握することができない。

 

「け、警部!」

「入っちゃダメですよ!」

 

 別の、まだ若そうな二人の男性が玄関の外で突っ立っている。警部と呼ばれた男を見る。

 ベージュ色のスーツに、頭にはヘッドギアとそのパーツのアンテナが髪から飛び出している。

 先日からこの辺りで調査をしているサテラポリスの刑事だと言うことにようやく気付いた。しかし、言うべきことは言わなくてはならない。

 

「あ、あの、勝手にウチに入らないでください……」

「あ……ああ! すまない! 本官は周りが見えなくなる性質(たち)でな。警戒しないでおくれ?」

 

 スバルは彼を何度も見かけていたので、彼を不審人物と思うことは無い。変質者と思っていてもだ。

 別の家だったら大変だっただろう。顔もちょっと怖いので公園で遊んでいる小さい子とかを泣かさないことを祈るばかりだ。

 

「気をつけてくださいよ。警部?」

「さっきも、公園で小さな女の子を泣かせて母親に怒られましたからね?」

「ええい! しゃべっていないで、さっさと調査に行け!!」

 

 もうやらかしていた。部下二人に指示を出し、冷たい眼差しを向けるスバルに向き直った。

 

「失礼! 本官は五陽田(ごようだ)ヘイジ。サテラポリスの刑事だ」

「あ……はい」

 

 町で何度も見かけているので顔は知っている。

 

「ところで、星河スバル君」

「え? な、なんで僕の名前を?」

「本官はサテラポリス。住民の名簿は既に町の方から貰っているよ」

 

 ちらりと自分のトランサーに目をやった。どうやら、調査データは全てそこに入っているらしい。

 

「調査のために、事情聴取に協力してほしいんだが……良いかね?」

「あ……はい」

 

 ずいっと顔を近づけてくる。断れるものも断れない。

 

「最近、体に異常を感じたことは無いかね?」

 

 『宇宙人と融合して、電波の体になってます』なんて言えない。首を横に振る。

 

「怪物の様なものを見たことないかね?」

 

 『毎日宇宙人と顔合わせてます』もちろん言えない。同じように首を振る。

 

「ちょっと、トランサーを失礼」

「え? うわ!?」

 

 有無を言わさず左手を持ち上げられた。中の情報を検索される。

 

「フム……ゼット波が高いな。何か変な使い方をしたとか、故障したとかは無いかね?」

「あ、ありません」

 

 トランサーで宇宙人が居候している事実を伏せて、知らないと通しておいた。

 

「そうかね……」

「あの、ゼット波って?」

「ゼット波は宇宙から来た電波のことだ。調査中ゆえ、まだ断言できないが……人体に悪影響を及ぼす可能性がある。体に異常を感じたら、すぐに本官達に連絡をいれるんだよ。それじゃ、ご協力ありがとう!」

 

 最期はずいぶんとかしこまった敬礼をし、丁寧にドアを閉めて出て行った。どうやら本性はまじめな人らしい。過ぎ去った嵐の余韻でその場から動けない。しばらくしてウォーロックのことを思い出し、慌てて外に飛び出した。

 

 

 その場所に来て辺りをうかがう。誰一人としてこの場には居ないようだ。

 

「うん、やっぱりここがいいな」

 

 背負っていた黄色いギターを降ろし、首からかける。

 

「昨日、偶然見つけたけど……この場所、最高かも」

 

 赤紫色の前髪をそっと揺らしてくるからっとした風に微笑み、右手に持ったピックで弦を弾いた。

 

 

 

 偶然なのか……それとも……



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第二十七話.巡り逢う運命

2013/5/3 改稿


 ビジライザーをかけ、町の中を見渡してみたもののお目当ての宇宙人は見つからない。ふと思いついたのはコダマタウンで最も高い場所、さびれた展望台だ。町全体を見下ろせるあの場所からならば見つけられるかもしれない。

 思いつくと、スバルの行動は早かった。足早に目的地へ向かう。

 

 

 

 この思いつきは……偶然なのか、運命なのか……

 

 

 

 

 土曜日の朝。もともと人がほとんど来ないような場所だ。こんな時間に展望台に人陰など無い。

 一応ビジライザーをかけてみるが、やはり見つからない。顔をしかめていると、鼓膜に違和感が訴えかけられる。誰もいないはず。にもかかわらず、聞こえてくる。

 

「音楽?」

 

 音楽に興味のないスバルでも、それには心惹かれるものがあった。一歩一歩、展望台の階段を上っていく。いつも登っているこれはいつもと違う雰囲気を醸し出しており、毎日のように見慣れた石の塊を慎重に踏んでいく。耳に届けられる音楽は段々と大きく、鮮明になっていく。音源に近づいていることを確かめながら階段を登りきった。

 そこにその少女はいた。

 ピンク色のパーカーに、黄緑色の短いズボン。被ったフードの頭には二つのお団子の様なアクセント。その下からはみ出して風に揺れる赤紫色の髪。そっと目を閉じ、黄色いギターをピックで奏でている。

 発せれた音達は束となり、群れとなり、一つの曲として生み出されていく。ただそれだけのことなのに、周りには光が散りばめられている。その一つ一つが輝きを放ち、暖い空気をまとう。照らしつける太陽のもと、取り巻く雰囲気が歌の世界を作り出し、彼女の周りだけが幻想的な世界へと変わっているようだ。

 幾つもの星を観察した。幾種類の空を見上げた。そのどれよりも美しく、光り輝いている。

 ただ、その様に見入っていた。

 閉じられた瞼が静かに開かれ、目が合った。

 

 エメラルドグリーン。

 

 宝石のように透き通る碧。星を秘めた煌き。コンタクトとは違う、彼女自身の瞳の色。吸い込まれる。

 

「そんなところにいないで、こっちにおいでよ?」

 

 高く、澄み渡ったかわいらしい声だった。どんな強風や轟音が紛れてきても物ともせずに響き渡りそうな声。耳だけではなく、胸にメッセージを送ってくる。

 言われるがままに彼女のそばまで行くと、目で近くのベンチに座るよう促された。彼女自身は立ったままギターを弾いている。

 年齢は自分と同じくらい。背丈は……少しだけ自分が勝っている事を確認し、拳だけでガッツポーズをとった。

 

「いつもこの時間に、ここにいるの?」

「いや……今日は別の用事でね?」

「そうなんだ? びっくりしたよ。この時間だと、ここに人はいないと思ってたから」

「はは、いつも誰もいないよ?」

「そうなんだ? ……ごめんね、もうちょっとで終わるから」

「そんな、気にしないで。この曲、もうちょっと聞いていたいし……」

 

 本心だった。音楽なんてろくに聞かないが、彼女が奏でるこの曲は別だ。さっきの雰囲気に自分も加わっている。胸が高鳴る。

 

「そう!? 良かった! この曲ね、今作っている途中なんだ」

「自分で作っているの!? まるでプロだね?」

 

 少女はちょっと驚いた顔をしたが、すぐにクスクスと笑い出した。

 

「そうだね? 私、プロになれるかな?」

「絶対なれるよ! そしたら、僕、君のファンになるよ?」

「ほんと? ありがと。そのときはよろしくね? フフフ……」

 

 スバルの言葉に、少女は心底面白そうに笑っていた。

 

「……歌が好きなんだね?」

「うん、大好きよ! だって、歌は私とママとの繋がり……絆なんだもん」

「お母さん?」

「そうよ。私の歌はママのためにあるの」

 

 目を閉じ、空を仰いだ。

 

「ママ……気に入ってくれる? フフフ」

 

 楽しそうだった。ただ細くしなやかな指で、自在に世界を操っている少女をボーっと見つめていた。ずっとこうして聞いていたい。全身に届けられる空気の振動は余計な力を吸い取ってくれる。

 人だけではない。感情など持ち合わせていない木々や虫に安らぎを与え、生まれては消えていく風に命を吹き込む。万物を癒し、力を与えてくれる音色に体を預けていた。

 はっと目を見開いた。気付づくと曲が終わっていた。ギターを背負い、こちらに顔を向ける。

 

「お話しできて楽しかったわ。じゃあね?」

 

 最期にとびっきりの笑顔と共に展望台を後にした。

 お別れの言葉を言うことも忘れて背中を見送っていた。ギターの頭までもが、階段の向こうへと消えても動けない。脳が動くと言う信号を忘れてしまったかのように、瞬きすらしなかった。

 しばらくして立ち上がり、彼女から解放された世界を見渡す。いつも見てきた世界だった。いつも通りの寂しい展望台だ。あの神秘的で幻想的で、夢のような世界は跡形も無くなっていた。

 ざわざわとあの世界を求める声がする。名残惜しそうに宙を舞っている花びらに心を重ねてしまう。天界から舞い降りた天使を送り出したような世界でぼそりとつぶやいた。

 

「……あの子、何者だったんだろう?」

 

 顔がカイロを貼られたように熱い。ずっと座っていただけなのに心音が早い。あの世界は本当に夢だったのだろうか?

 違う。甘い香りがかすかに鼻をくすぐっている。あの世界のほんの一部分。

まだ、この空しい世界を漂ってくれている。

 気を落ち着かせるため、夢ではなかったことを記憶に刻むため、深呼吸をつこうと息を大きく吸い込む。

 

「青春ってやつか?」

「わあ!!??」

 

 突然投げかけられた声に飛び上がった。おかげで先ほど以上に心拍数が上がってしまった。

 動揺する手でビジライザーをかけると、探していたウォーロックがいた。ニヤニヤと意地悪そうな目でスバルを見ている。

 

「ロック! い、いつの間に!?」

「お前がこの展望台に入ってきてすぐだ。一部始終見させてもらったぜ?」

「えっ!?」

 

 心臓がびくりと強く鼓動した。

 

「あの女とのやり取り……全部な?」

「ミ、ミテタノ?」

 

 デンパ君のようなしゃべり方になっている。見られて恥ずかしい物ではないはず。スバルの主張に反して、顔がどんどん赤くなっていく。

 

「これが、お前ぐらいの年の地球人がする、青春ってやつなんだろ?」

「ち、違うよ!?」

「誤魔化すなよ、一目惚れしてやがったくせに」

「し、しししっ、してない! そ、そんなことしてないよ!?」

 

 首を激しく左右に振りながら全力否定するスバルを見て、ゲラゲラと笑いたてる。いつになく必至な様が面白いらしい。

 

「かぁ~! スバルが青春デビューか~? ククク……で、あの女はお前の知り合いってわけじゃあ無いんだよな? ……って、おい?」

 

 返ってこない返事に振り返ると、スバルがドスドスと足音を立てて立ち去っていた。

 

「オイ、待てよスバル!?」

 

 慌てて追いかけると、キッと睨みつけられた。

 

「今度あんな冷やかししたら、テレビ見せないからね!?」

「わ、分かったよ……」

 

 いつものスバルじゃない。初めて見た相棒の殺気に気圧され、引き下がった。

 

「それに……」

 

 トランサーに戻るウォーロックを見届け、かけていたそれを額に戻した。

 

「どうせ、もう会うこともないよ……」

 

 ため息を吐きだす。肺の中も、さっきの光景も全て。

 

「なんだ? 恋しいのか?」

「…………」

「あ、いや、からかってるわけじゃない。怒るんじゃないぜ?」

「怒ってないよ……」

「……じゃあ、なんで顔が赤いんだ?」

「う、うるさいよ!?」

「?」

 

 

 

 

 偶然ではなく、運命。それを知るのはそう遠くない話。



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第二十八話.震える手

2013/5/3 改稿


 真っ赤だった顔は今は真っ青だ。目の前にいる少女の服と同じだ。

 

「乙女のトランサーを見たのよ! 調査だって言って! 信じられないわ!!」

 

 コダマ小学校、5-A組の学級委員長、ルナである。五陽田刑事に対する不満を惜しみなく並べていく。トランサーは個人情報の塊だ。勝手に見られて嬉しい物ではない。

 お供のゴン太とキザマロも同じ目にあったのだろう。不機嫌そうな顔をしている。だが、それ以上に怖れが勝った表情をし、数歩距離をおいている。

 

「そういうわけで、アナタなんかにかまっている暇はないの! 行くわよ!」

 

 展望台を出た直後に遭遇した時は不幸だと思ったが、それほどでも無かったらしい。上下に激しく揺れる髪の毛を見送った。

 

「どうするキザマロ?」

「明日はライブですし……早く帰りたいです」

「体力残しておきたいよな?」

「……逃げますか?」

 

 耳を疑った。二人が委員長に対して恐怖しているのは、普段の様子から察してはいた。それにも関わらず、機嫌を損ねるような行動を自らとると言うのだ。命知らず過ぎる。

 

「明日、何かあるの?」

「何かあるってもんじゃないぜ!?」

「あの(ひびき)ミソラちゃんの生ライブですよ!」

「しかも、このコダマタウンでやるんだぜ!」

「もう、ビッグニュースですよ! 学校ではこの話題で持ちきりです!」

 

 アマケンの時とは比べ物にならないほど興奮して説明してくる二人。あの時とは立場が逆だ。

 

「響ミソラ? 有名人なの?」

 

 この質問がいけなかった。数メートルほど後ろに飛びのいた二人。人を見る目ではない、物を見る目をしている。開いた距離の分だけ目の前の物を傷つける。

 

「知らねえのかよ!」

 

 今度は挟み込むように眼前まで迫ってくる。鼻をふくらませ、荒い息を吹きかけてくる。ゴン太など牛そのものだ。オックス・ファイアになっていた時以上だ。生温かい空気に挟まれて身の毛がよだつ。今の二人ならFM星人すら追い返しそうだ。

 

「響ミソラ! 今や国民的人気歌手ですよ!?」

 

 熱の入った二人の説明が始まった。まずいと直感が告げてきた。これは小一時間続くウンチク話しに入る前兆だ。逃げ出す口実を探す間に、二人がトランサーからのルナの声に飛びあがった。

 

「キザマロ、俺達ブラザーだよな?」

「ええ、もちろんです! 危ない橋を渡るときは一緒です!」

 

 彼らにとって、ルナとは獅子よりも恐ろしい存在らしい。がしりと暑苦しい友情の握手を交わすと、一目散に地平線の向こうへと消えて行った。決死の逃走とは、彼らのことを言うのだろう。

 哀れと言う単語をぼそりと吐きだした。

 

「……で、五陽田ってのは?」

「サテラポリスの刑事さんだよ。アンテナ刑事さん」

「ああ、あいつか」

「ゼット波って言うのを調べてるんだって」

「それは俺やFM星人……電波体から発せられている電磁波だな」

 

 やっぱりと頷いた。今朝のやり取りを詳しく話した。

 

「このままだと、動きにくくなるな……よし、消すぜ!」

 

 

 スバルは激しく後悔していた。この宇宙人と組んでから、悔んだことなどいくらでもある。しかし、今ほど後悔したことは無い。

 

「ロックバスターを生身の人間に打ち込むなんて……」

 

 ロックマンとなったスバルの前には、シューっと煙を上げて倒れている五陽田がいた。サテラポリスはエリート集団。彼も例外ではないだろう。しかし、それに似つかわしくない間抜けな顔になっている。

 アングリと閉まらない顎には、巻くようになった舌。短い髪はアフロのようにぼさぼさに焦げ、瞼を退けるように開かれた目はそれぞれが別のものを映している。あの部下を泣かせていた迫力のあった面構えはどこにもない。

 

「手加減しただろ?」

「そういう問題かな?」

「いいじゃねぇか。お前のデータも消しといたんだからよ?」

 

 トランサーの中にあった捜査データは既に消してある。要注意人物としてスバルの名前が記されてあったが、その項目も今は純白だ。それ以外の全ても同じ真っ白だ。彼の携帯端末はうんともすんとも言わない、ただの金属の塊に過ぎない。

 目覚める前に、こそこそとその場を後にした。

 

 

 スバル達が無事に逃げ去り、目覚めた五陽田が涙ながらに喚き叫び、部下達に慰められる。そんな日が沈みかけたころに一つの影がコダマタウンに降り立った。

 水色のボディに、ピンク色のオーラ。弦楽器のような容姿だ。貼りついた目と口は疲れを訴えていたが、町の風景を見渡して不満を描きだす。あの大都会に比べれば、ここは田舎と言っても良いかもしれない。

 

「さてと……後は機会を見て近づくだけね……ポロロン」

 

 

 ギターを手に取る。数回弦を弾いてみると、よくチューニングされた音がなる。窓からは日差しが差し込んでくる。春に似つかわしい、ポカポカとした陽気が部屋に満ちてくる。身に沁み込む空気を受け、手に持っているそれの頭を見る。

 この楽器はトランサー機能を兼ね備えている。約束までの時間を宣告する、ディスプレイに描かれた数字。歪む。直線を並べただけの画面が濡れていく。

 

「……もう嫌……嫌だよ……ママ……」

 

 

 翌朝のスバルは珍しく早起きをした。と言っても、トランサーの住人は二桁になった数字を見て不満そうだ。

 カードショップ、BIGWABEの看板が見えてくる。壊れた公園は既に解放されており、それと同日にこの店は開店した。先日に起きた公園の火事。憩いの場所を失い、落ち込んでいたコダマタウンの人達のためにと数日予定を早めてくれたらしい。

 子供達の好奇心を誘う豊富な品ぞろえと、最新知識にあまり詳しくないご老人にも丁寧に説明してくれる店長さんの人柄がこの店の売りだ。おかげで大人気になっており、公園と共にこの町の名物になりつつある。

 無論、今一番の話題は響ミソラのライブだが。

 

「やあ、スバル君。いつもありがとう(てき)な?」

「……いえ……」

 

 店長の『南国(なんごく) ケン』がさわやかに迎えてくれる。金色に染めた髪と、焼けた肌に赤色のレンズをはめたサングラス。店の模様には、サーフィンのボードや南の島を思わせる植物。どうやら本物の様だ。植物特有の爽やかな香りがツンと鼻を突く。

 言うまでもなく、彼はサーファーだ。見るからに遊んでそうな容貌だが、先ほども言った通り人の良い店長さんだ。平日のお昼ごろにも訪れるスバルの事情はだいたい察してくれているようで、追及はしないでくれている。ちなみに、『的』は彼のユニークな口癖だ。

 

「そう言えば、町がなんか騒がしい的じゃない?」

「どうせライブでしょ?」

「いや、なんか様子がおかしい的な?」

 

 窓の外を見て見ると、右往左往と人が行きかっている。すぐに興味を無くし、棚の商品へと目を通し、欲しかったカードをレジへと持っていく。と、ドアがバンと開かれた。

 

「スバル!」

 

 入ってきたのはあの二人だ。ぜぇぜぇと荒い呼吸をしている。

 

「いらっしゃい……的じゃないみたい的な?」

「……どうしたの?」

 

 キョトンとするスバルにゴン太が掴みかかり、切れる呼吸を押しのけて言葉を吐いた。

 

「ミソラちゃんが失踪しちまったんだ!!」

 

 脳に与えられた情報はたったの一文だ。聞き取れなかったわけではない。長距離を全力疾走したような呼吸をしているが、彼の発音はハッキリとしていた。スバルも聴覚に異常があるわけではない。一言一句逃さずに捕らえている。一行の文章を受け入れて事態の重大さを理解するという作業は、少年には難しすぎた。

 あり得ないような事件だからだ。

 どうせ嘘でしょ? ドッキリでしょ? 興味ないアイドルなんかで騙されないよ? そう返そうかと考えるのが普通だ。

 しかし、できなかった。良く見るとゴン太の目が血走っている。視線を斜めに下ろすと、キザマロも同じだ。

 一歩足を引いた。昨日がFM星人を追い払えるならば、今は倒せるだろう。それぐらい恐ろしい雰囲気を放っている。

 数秒の沈黙の後、南国が店に設置してあるテレビのチャンネルを変えようとする。それより早く、緊急ニュースが割り込んだ。ゴン太の言葉を裏付けている。

 

「今朝早く、ホテルから失踪しちゃったんです!」

「うおおお! ミソラちゃん!!」

「うわあああ!!」

 

 目から血の涙が噴水のように噴き出る。さらにスバルは二歩引く。

 

「……で、何?」

「探してるんだよ、俺達!」

 

 開いた三歩分の距離を一気に詰めてくる。今は零歩分だ。むさい。

 

「僕ら、ミソラちゃんファンクラブの会員で、情報を共有して探してるんです!」

「スバル! お前も協力しろ!」

「見つけたら、僕らに連絡をください! 赤紫色の髪をしています!!」

「うおおおおおお!!」

「ミソラちゃ~~~~~ん!!!」

 

 スポーツカーの最高速度を思わせるスタートダッシュで、掃除の時に掃い切れなかったわずかばかりの塵埃を舞い上げ、BIGWAVEから立ち去って行った。

後には事態とテンションについて行けないスバルと南国が残された。

 

「えっと……僕の分まで頑張って……的な?」

「……南国さんもファン?」

「彼らほどじゃ、無いけれど的な?」

 

 そして、あの二人とは今以上に距離を置くことを誓った。

 

 

 外に出ると、南国の言うとおりだった。老若男女問わず、ミソラの名を叫びながら町中を詮索している。

 コダマタウンは異常事態だ。いつもは杖をついている老人が声を張り上げて走り回っているほどだ。警察も出ているが、民間人の協力者の方が多い。中にはサテラポリスまでいる。しかし、すぐに駆けつけた五陽田警部にどなり散らされていた。おそらく、彼らもファンなのだろう。任務をさぼって、こちらを優先していたらしい。

 町の雰囲気に当てられて興奮気味に吠えている犬の側を駆け抜け、スバルはとある場所へと足先を向ける。

 

「おい、協力するのか?」

「ううん……ちょっと心当たりがあるんだ」

 

 キザマロが言った事が頭から離れない。ロックとのやり取りをしている間に、あの歌声を聴いた場所へとつく。階段を一段飛ばしで駆けあがり、少し前に機関車が暴れた広場に足を踏み入れた。ここには、誰もいない。もともと、ここに来る人なんてほとんどいない。額を拭い、きょろきょろとあたりを見渡す。

 

「なんでそんな必死になるんだ?」

「そんなの分からないよ。それより、探すの手伝ってよ!」

「……なら、一番上、見晴らし台に誰かいるぜ? 周波数を感じる」

 

 整っていない息を無視して走り出した。さっきよりも一段一段の差が大きい。その分足を大きく開く必要があるが、これも二段ずつ踏みつけて行く。それにつれて、微かに何かが聞こえて来た。足を止め、余計な雑音を排除した。

 

「……グ、エ……ス」

 

 聞き覚えのある声。忘れられない声だ。また昇り始める。今度はゆっくりとだ。一段一段がいつもと昨日とも違う。立ち入ることを拒むようなジャッリとした感触。それを踏み越えていく。

 別世界を見せてくれたあの場所。そこに昨日の少女がいた。空しくさびれた空間にぽつりと佇んでいる。世界を変える力を持った魔法の杖が、背中にあることすら忘れたかのようだ。その力が使えないと言うのが正しい。

 

「エグ、グス……ウッ、ウウ……ヒック、エッエッ……」

 

 自分を抱きしめるように二の腕を掴み、俯き嗚咽を漏らしていた。頬と鼻を伝った涙がポタポタと足元で弾かれている。

 

「あの……」

「ふぇ!?」

 

 少女の顔が上げられた。女の子にまるで興味の無かったスバルを魅了して止まなかった昨日の澄んだ綺麗な瞳は今は涙で汚されていた。月の無い夜にここぞとばかりに輝く星々が恥ずかしくなるほどの、本物の宝石なぞ石ころにすぎないと思わせる美しさを秘めた輝きは一切無かった。

 

「響ミソラ……ちゃん。だよね?」

 

 人間関係を絶ってきたスバルですら気付く。知っている。めったに御目にかかれない色だと言うことを。春の甘い香りを届ける日差しの下で、赤紫色の髪が風に流されていた。

 昨日の赤い少年だ。この癖っ毛のある茶色い髪と白と緑のサングラスが特徴的だったからすぐに分かった。

 一昨日に助けを求めた流れ星は青かった。目の前に居るのは真っ赤な男の子だ。

 けど、そんなことどうでも良い。

 

「お願い……」

 

 この願いを叶えてくれるなら……

 

「……助けて……」

 

 枯れそうになっていた声でかろうじて意志を伝え、涙でびしょぬれになった震える手で彼の胸を掴んだ。

 

 

 冷たかった。服越しに氷を当てられたかのように胸に浸透してくる。昨日の彼女はどこにもいない。ピンク色の歌の妖精はどこにもいない。

 歯をギリッと食いしばる。気づけばその手を取っていた。光を失った翡翠の目に自身の顔が映る。

 

「僕に……ついて来て!」

 

 少し、本当に少しだけ、翠に染まった自分の周りに光が灯った。それを確認して走り出した。握っている手が付いてこれるように、速すぎず、遅すぎないように。彼女も力の限り握り返してくる。さっき胸を掴んでいた時とは大違いだ。

 別にヒーローぶる気は無い。ただ、彼女を放ってはおけなかった。昨日出会ったばかり。互いに何も知らない存在なのに。今のスバルの願いはただ一つだけだ。

 伝わってくる温もりをもう一度確かめ、彼女が痛がらない程度に力を加えた。



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第二十九話.無力

2013/5/3 改稿


 ゼット波の解析。サテラポリスから受けたこの依頼が今のアマケンの急務だ。

 その作業中に呼び出しを受けた天地は、宇田海に指示を出して部屋を後にした。

 

 訪ねて来たお客様は顔見知りの少年だった。意外な来客から聞かされた内容は、『一晩この子を匿って欲しい』だ。横にいる女の子に見覚えがあったものの、大して気にせず承諾した。何か訳があることを察し、自分が力になれるのならと言う簡単で天地らしい理由だった。お礼と共に笑っているが、少女の顔が暗かったのを彼は見逃さなかった。

 

「そうだスバル君! いい機会だから、二人でブラザーを結んだらどうだい?」

 

 空気を消すように話題を変えて見る。女の子の方は乗り気だ。彼女のギターはトランサーを内蔵しているらしい。ブラザーを結ぶ時も、少女にとっては少し重たいこの楽器をわざわざ使わなくてはならない。ちょっと不便そうだが、背負っていたギターに徐に手をかける。

 しかし、スバルは首を横に振った。

 

「ごめんなさい。僕は……まだ、ブラザーを受け入れられません」

 

 やはり三年間塞いできた心の壁は堅い。簡単には壊せないし、無理して壊そうとする必要も無い。笑って流しておいた。

 その直後に研究所の方から呼び声がかかり、部屋を後にした。

 

 

 二人は研究室を出て屋上に来ていた。ミソラに誘われて、この場について来ている。

 

「スバル君って言うんだね?」

「え?」

「ごめんね。助けてもらったのに名前も知らなくて」

「いや、気にしないで。僕が名乗ってなかったから……星河スバルだよ」

「フフ、改めて……響ミソラです。よろしくね? 星河君?」

「うん、よろしく。スバルで良いよ?」

 

 昨日少し話したと言えど、初対面と言っても良い。それにも関わらず言葉が自然と繋がって出てくる。知らなかったとはいえど大スターと二人で話をしている。

 落ち着かない。全国の男の子を惹きつける容姿を眼前にして、心拍数の上昇を自覚していた。

 

「色々、お世話になっちゃったね?」

「良いよ。僕が好きでやったことだから」

 

 お礼を述べるミソラを見て顔が熱くなる。トランサーがカタカタと揺れている。ムッとして、コツンと軽く叩くと大人しくなった。

 

「何してるの?」

「ちょっと調子が悪かったみたいなんだ! ……歌、本当に好きなんだね?」

「うん、大好きよ!」

「お母さんとの絆なんだよね?」

「そうだよ。私とママの『歌の絆』なんだ」

 

 天気の良い空を仰ぎ、翡翠色の目に青と白の世界を送り込んだ。

 

「私ね、物心ついたころからパパが居なかったの。ママも体が弱くて、ずっと病院のベッドの上。だから、ほとんど一人暮らしだったんだ」

「……寂しくなかったの?」

「うん! だって、病院に行ったら毎日ママが笑顔で迎えてくれるの。それが大好きだったわ」

 

 言われなくとも分かる。楽しそうに話す彼女の表情がそれを語ってくれている。

 

「ただ、ママが寂しそうだったの。病院の窓から見える小さい世界。そこだけがママの世界だったの。だからね、私考えたんだ。ママが寂しくならなくなる方法。ママを笑わせて上げる方法……」

 

 本当に寂しいのはミソラのはずだ。その言葉をそっと胸にしまった。

 

「それでね、歌を作ることにしたの。私もママも、歌は大好きだったから。私が外で見て聞いて来たこと……大きなことも、些細なことも、全部歌にして、毎日のように作って歌ったの。ママ……とても喜んでくれたんだ……」

「お母さんも、幸せだったんだね?」

「うん!」

 

 ミソラに釣られるように自然と顔が綻んでいた。

 

「そんな時に、アイドルオーディションがあったの……」

 

 

「出て見ない? あなたには才能があるはずよ」

「私がアイドルになったら、ママは嬉しい?」

「ええ、あなたの歌は、人を元気づけてくれる力があるわ。ミソラの歌が、母さん以外の人にも届くと、嬉しいわ」

 

 

「ママを喜ばせてあげたかった。ママが、大好きだから!」

 

 背負っていたギターを見せつけるように抱える。

 

「これもね、その時にママが買ってくれたの! 『これで、オーディション頑張って』って! 私、必死に練習したの! 毎日毎日……母さんも応援してくれて……おかげで合格できたの! もう……最高だった! お母さんも、手を挙げて喜んでくれたの!」

 

 昨日の展望台で見せたのが彼女の笑顔だと思っていた。

 違った。あの時のものなぞ、今の彼女の前では霞む。目に宿った光は瞳色に輝いている。

 彼女の最高の笑顔。今初めてそれを目の当たりにしていた。

 

「もっと、ママを笑顔にさせてあげたかった。だから、舞台の上で思い切り歌ったわ! 少しずつだけど、ファンが増えて……私の歌を聞いて喜んでくれる人が増えて……その度に、ママは笑ってくれたの! もう嬉しくって、もっともっと……たっくさん歌ったんだ! ママのために!」

「ミソラちゃんのお母さんは幸せ者だね?」

「うん。だから、きっと……天国にいるよ?」

 

 聞き違いかと思い、目と口を開いた。何かの例えかと思考を巡らせる。

 ミソラの瞳が語っていた。エメラルドは灰を被せられたかのように染まり、もう光は無く、影しかない。

 出される答えはやはり一つだ。

 

「……お母さんは……?」

「うん。三ヶ月前に……」

 

 母に買って貰ったギターをギュッと抱き締めた。

 

「それからなんだ……私、歌う理由が無くなっちゃった……」

 

 ギターを背中に戻して手すりへと歩み寄る。少し向こうに見えるコダマタウン、眼下に広がるアマケンの敷地。人々の生活が育まれる美しい場所。見る角度をわずかに変えれば全く違うものが見える多彩な世界は、今のミソラには無機質な白黒の世界にしか見えないのだろう。

 眉ひとつ動かすことも無くそれを見下ろしていた。

 

「でも、マネージャーは金のために歌えって言うし。ファンの人達も今以上の歌を私に求めてくる……」

 

 眼下の光景に比べれば、単純な色合いしか見せない世界を見上げる。

 

「私……もう、歌いたくない……」

 

 それを見ていることしかできなかった。自分と大して差の無い身長。けれど背中は遥かに小さい。今までどれだけの重いものをそこに背負って来たのだろう。

 事務所からは利益を上げることを求められ、ファン達からは成果を求められ、学校にも行けずに全国を連れ回され、商品として晒しものにされる。

 11歳の少女が担うようなことではない。

 大人ですら苦悩し、挫折し、去って行く世界。そんな残酷な場所で彼女がめげずに努力を続けられたのは母親がいたから。この世で最も大きな存在があったから。

 唯一の肉親と言う掛け替えのない心のよりどころを失ってしまった少女。虚無の空間へと放り出された彼女に耐えられるわけが無かった。

 

「あのさ……そんなこと言ったら、お母さんが……」

 

 近寄り、ミソラの肩に手を伸ばす。

 

「っ!」

 

 それ以上は言葉が出なかった。彼女の体温を感じる場所まで指先が来ている。もう一度小さい背中を見て、地に落とした。留めた手はしばらく行き先に迷った後に元の鞘へと戻った。

 互いに何も話さない。言葉一つ、足音一つ発さなかった。春の中ごろと思わせない、肌を震わせる風だけがその場を賑していた。

 ドンドンという音が突然割り込んでくる。静寂な世界を踏みにじるかのようだ。

 

「ちょっと、困りますよ!」

 

 天地の声だ。近づいてくる足音は二つ。二人の視線の先で、音源となっていた屋上の出入り口がバンと開かれた。

 

「ここにいたのか!」

 

 カエルのような男が出て来た。止めようと追いかけて来た天地と比較しても、負けず劣らずお腹が出ている。

 

「大変なことをしてくれたな! おかげでライブは中止! どれだけ損害が出たと思っているんだ!」

 

 スーツ姿と口調からするとマネージャーらしい。ミソラの身の心配ではなく、金の話をしていることから低質な人間であることはよく分かった。

 

「嫌! 私、歌いたくない!」

 

 手すりに沿って後ずさるミソラに、汚れた心の持ち主が詰めかける。

 

「ちょっと、その子が嫌がっているじゃないか!!」

「うるせぇ! 俺はこの子の保護者だ! 他人は口出すな!」

 

 天地の制止の声にも耳を貸さない。

 繰り広げられる眼前の状況。何をすれば良いのか、しなければならないのか分かっている。けど、頭と違って体が動かなかい。

 

「歌え! 金を取り戻すんだ!」

「離して! 嫌っ!」

 

 掴まれる手を払おうとするミソラは、スバルの11年において聞いたことのない叫び声を上げる。

 ミソラの目元で雫が光った。

 それを見て、スバルの思考は無くなっていた。

 

「止めろ!」

 

 太い腕に飛びかかる。視界が大きく横に飛んだ。ミソラの悲鳴。全身が強く叩きつけられる。遅れて左頬が熱いと訴えてくる。天地がそばに駆け寄ってくるのを気配で感じた。

 

「アンタ、子供に何しているんだ!?」

 

 殴られたのだと、ようやく理解した。

 

「そいつがミソラを匿ったのが問題だ! このガキ! ヒーロー気取りか?」

 

 直も右手を振り上げ、掴みかかろうとしてくる。

 天地が必死に止めようとスバルとの間に割って入る。喧嘩なんてしたことなさそうだが、拳を固めている。

 

「止めて! 歌うから!」

 

 一色即発しそうな場をミソラの一声が収めた。

 

「歌うから……スバル君に手を出さないで……ぅ、エッ……エグッ……」

 

 泣きじゃくるミソラに、ぶっきらぼうにただ「早くしやがれ」とだけ吐きつけ、マネージャーは階段を下りて行った。

 後に続くように、目元を濡れた手で抑えながら歩き出す。

 

「ごめんね、スバル君。こんな目に会わせちゃって……それに……」

 

 

 

――あんな難しい話をされても、分からなかったよね?――

 

 

 

 ミソラの詫びの言葉が心臓に直接叩きつけられたかのようにスバルに重くのしかかる。

 

「ただね……誰かに聞いてほしかったの……」

 

 背中にかけられる詫びの言葉。ただ、石になり済ました。ごつごつとした足場から伝えられるひんやりとした感触も、肩に置いてくれている天地の手の温かさも、ミソラの悲愴な謝罪も、全てを無機質に受け流す。首一つ向けてやることも、声一つ上げることもしなかった。赤くはれ上がった頬を抑えることにだけ意識を固めた。

 

「助けてくれて、ありがと……嬉しかったわ。さよなら……」

 

 遠ざかって行く足音が、ひしひしとスバルの胸を打った。

 

 

 アマケンの医務室で手当てを受けていた。専門スタッフの処置のおかげで、頬の痛みと腫れはほぼ収まった。

 

「ごめんよ、スバル君。力になれなくて」

「……いえ……」

 

 最期に、薬を塗ってある湿布を貼ってもらう。ツンと鼻を刺すが、ひんやりとした布切れは頬の熱と痛みは和らげてくれる。

 天地の謝罪の言葉を背にしてアマケンを後にした。

 

 

 バスが宙を蹴る。

 目的地に向かって走り出した鉄箱の中に人が動く気配は無い。ナビが自動走行しているためスバル以外は誰もいない。

 密閉された狭いはずの空間は壁が遠く感じるほどがらりとしていた。

 

「なんで……何も言ってやらなかったんだ?」

 

 他に居るとしたら、トランサーに住みこんでいる宇宙人ぐらいだ。

 

「僕が……何を言えるっていうの?」

 

 スバルの目を覗きこんだ。濁った茶色は何も映してはいなかった。

 

「『そんなこと言ったら、母さんが悲しむ?』」

「そう言うもんなんじゃ……」

 

 

「母さんを悲しませているのは僕の方だ!!!」

 

 

 スバルの叫び声は広くて狭い世界を満たし、ウォーロックの言葉を遮った。

 

「何も言えない……何も言えなかったんだよ!」

 

 肩が、手が……声が震えていた。

 

「ミソラちゃんは、お母さんを喜ばすために必至で頑張って来た。僕は? 僕は何かした? 学校にも行かず、悲しませてばかりだ!」

 

 スバルの悲しみを秘めた声は何度も聞いてきた。

 

「『母さんを悲しませないために、頑張れ』って言うの?」

 

 けれど、違う。今までとは違う。異星人でも分かってしまった。それを見てしまったから。

 

「僕に当てはまることだよ。僕が言われるようなことだよ!」

 

 胸に当てられた冷たさを、握り返してくれた感触を、屋上でのやり取りが鮮明に思い出される。

 

「僕には、何も言うことが無かったんだよ!」

 

 

――あんな難しい話をされても、分からなかったよね?――

 

 

 あと少し肘を伸ばす。それだけで届く。それだけで、彼女の肩に手を置いてあげることができた。そのわずか先にある肩が、まるで別次元のものの様。

 

「……ヒーロー気取りだっただけだ……」

 

 手を伸ばす権利すら、自分には無かった。

 

「僕は……」

 

 抑えきれない悔しさが、頬を伝っていく。

 

「無力だ……」

 

 ポタポタと、雫となってウォーロックの上へと落ちていく。画面の向こうで弾ける涙を、ウォーロックはただじっと見つめていた。



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第三十話.歌の暴走

2013/5/3 改稿


 コダマタウンの騒ぎはより一層激しくなり、熱気は満ちるのではなく暴走していた。

 響ミソラを無事に保護したと言う発表がなされた後に、コンサートのスタッフ達が町中を忙しく探しているからだ。

 ミソラがまた行方不明になったか、まだ見つかっていないかのどちらかだ。マネージャーの金田自らが汗だくになって走っているのが証拠だ。

 

 

 持ち主の上下運動に合わせて、背負った楽器はガタガタと背中を打ち付ける。足場を踏み損ね、とっさに手を突く。この一瞬の減速も惜しむように足を動かす。

 隙をつき、再び逃げ出したアイドルは展望台の階段を駆け上がっていた。

 人が来ない場所。土地勘の無い彼女には、逃げ場所がここしか思いつかなかった。広場への傾斜の緩い階段を登りきる。

 心臓が痛い。肺が酸素を求めて上下する。

 熱の入った声が微かに、だが複数聞こえる。唯一の逃げ場所である、この場所の出入り口付近にファン達が詰め掛けていた。どうやら、駆けこむところを見られてしまったらしい。まだこちらに気づいていないようだが、既に何人かが探しに来ている。

 棒になった足を無理やり運ぶ。スバルと出会った一番高い場所まで来て、物陰から広場を見下ろした。自分の名を呼び、探しているのが見える。逃げようにも、彼らが塞いだ階段以外に逃げ道は無い。彼らに見つかり、マネージャーの元へ戻されるのも時間の問題だ。

 

「やだ……もう、やだよ……」

 

 一昨日の青い流れ星は、願いなんて叶えてくれなかった。

 あの少年に助けを求めるのは間違いだった。逆に巻き込み、怪我をさせてしまっただけだ。

 誰も助けてくれない。

 屋上の時から止むことなく流れる涙を拭い、奥から来るズキズキとする痛みに頭を押さえる。

 こつんと背中のギターが何かに引っ掛かる。それは転落防止用の手すり。鉄でできており、大の大人すら受け止めてくれそうに高くて頑丈そうだ。しかし、少女に乗り越えられない事は無い。身を乗り出し、下を見ると……眩暈がする。

 背けるように空を仰ぐ。どこまでも広がる水色は、吸い込まれそうなほどに美しい。

 

「ママ……」

 

 もう一度手すりに触れる。春なのに氷のように冷たい。手放したくなるそれを力一杯に握る。反動をつけ、地面を大きく蹴飛ばした。勢いのまま片足を振り上げる。

 

「……え?」

 

 体が前に進まない。誰かが肩を押し返している。今進もうとしている先は空中だ。抵抗も障害物も無い、翼をもつ者だけが自由を許される世界だ。にもかかわらず、そこに誰かいる。

 被ったフードで狭まった視界を少しずつずらす。白い棒のような手を生やした、水色の弦楽器がいた。

 

「きゃあ!」

 

 悲鳴を上げ、飛びのくように手すりから転げ落ちた。

 

「ポロロン。だめよ、こんなことしちゃ」

 

 楽器には必要の無い口を動かし、綺麗に並べられた鉄の棒達をすり抜け、ミソラの前まで近づいてくる。

 ハートマークのリボンのようなものをつけ、釣りあがった目でにっこりと笑いかける。

 

「誰!? 何!??」

 

 もちろん混乱している。こう言う時に、相手を落ちつかせる答え方。彼女独特の笑い声を上げる。

 

「ポロロン、私はハープ。あなたの味方よ?」

「味方?」

 

 簡単に警戒を緩めた。孤独とは、それほどまでに人の心を弱くし、助けを求める。指し延ばされた手を疑うことなぞ無いに等しい。

 

「全く、酷いわよね? あなたの歌を売り物にしようだなんて! あのマネージャーも、ファンも……あなたの気持ちなんて知りもしないで!」

「わ、私の気持ち……分かるの?」

「分かるわよ! あなたと同じ、音楽を愛する者ですもの!」

 

 最後のは事実だ。だが、ミソラについてはかなり調べている。好み、経歴……家族構成。裏表の無いミソラだからこそハープに全て筒抜けだ。

 

「私……もう、歌いたくないの……私の歌は、ママのためだけにあるの!」

 

 しかも、自分から話してしまった。助けを求める心がそうさせてしまう。

 

「そう、辛かったのね? もう、大丈夫よ、私があなたに力を貸してあげるから」

 

 背中を摩り、すすり泣く涙を拭ってあげる。取り入るには最適の方法だ。

 

「一緒にこらしめて上げましょう?」

 

 突然トーンの下がった声に、ゾッと背筋が冷たくなった。

 

「……こらしめる?」

「そうよ、あなたの歌には力があるわ」

「でも、私……」

 

 どこまで行っても心優しい少女だ。誰かを傷付けるなんて考えられない。

 

「戦わなきゃ、何も守れないわよ? あなたとお母さんの歌も!」

「ママ……」

「これ以上、大切な歌を汚されていいの?」

 

 良い訳が無い。けれど、その代わりに誰かを傷付け無ければならない。開いた手を見つめ、唇を噛み締める。

 何かに気が付くように、振り返るように立ちあがった。手を素早く背に回してハープを隠す。

 荒い呼吸をしているマネージャーの金田が階段を上りきったところだった。

 

「見つけたぞ! さあ来い! 歌え! 金がいるんだよ!」

 

 醜い塊を睨みつけた。

 

「こんな奴に、あなたの歌を汚されるの?」

 

 ハープがその背中に囁く。

 

「何してる! さっさと来い! お前には逃げ場も選択肢もないんだよ!」

「大丈夫よ。私が力を貸してあげるから?」

 

 ミソラに、語りかける。

 

「歌え! 歌っていれば良いんだ! 金になるんだよ!」

「こらしめてあげましょ?」

 

 心に……響くように……

 

「お前の歌はうちの商品なんだよ!」

「違う!」

 

 どちらを選ぶか?

 

 簡単すぎる問題だ。思いを口に叫んでいた。

 

「私の歌は、商品なんかじゃない!」

 

 怒りをみせる金田と違い、ハープはポロロンとほほ笑んだ。

 

「私を受け入れて?」

 

 頷いたのを確認し、ミソラの中へと入って行った。

 

 

 やはり、この女の子を選んだのは正解だった。一つの存在となり、ミソラの心の空間へと体が流れていくのを感じる。周波数が合い、孤独を抱え、おまけに歌が好き。これ以上、傀儡にするのに最適な者はこの星に存在しない。

 そう断言できる確信があった。

 体を伝う流れが止まり、閉じていた目を開けた。

 

「っ!?」

 

 細い目が丸くなるほど見開き、口を両手で覆った。おぞましい光景が飛び込んできたからだ。

 この場の色は持ち主の心境を如実に表す。生命を感じさせない血のような赤と、心を食らう闇の様な黒が波を描き、うねる。主の鼓動音と共に空間を大きく歪ませ、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。

 

 

 タスケテ

 

 

 声が上がる。中央にある球体からだ。

 

 

 タスケテ タスケテ

 

 

 呼応するように、隣から聞こえてくる。振り向くが何もない。次は逆から、後ろから、頭上から聞こえてくる。波は凹凸をより大きくし、ぐにゃぐにゃと揺れ動く。

 

 

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 

 

 心音と反響するように徐々に広がっていく。悲痛な叫びは広がり世界は不安定に回って行く。

 

 

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ タスケテ

 

 

 空間を満たす全てが叫んでいた。遮るようにハープは頭を抱えこむ。

 本当に11歳の女の子の心なのだろうか? どれほどの悩みを抱えて苦しんできたのだろう? まだ幼く、大人の世界に踏み込み、取り残されてしまった彼女だからこそ、これほどまでの孤独を発しているのかもしれない。

 そうでなければ、さっきの様な行動はできない。

 

「関係ないわ! 私は任務を果たすだけよ!!」

 

 いつの間に噴き出ていた汗をふき取り、その球体を手に取った。

 

 

 タスケテ タスケテ ママ ママ

 

 

 直接腕に伝わってくるミソラの助けを、母を求める声。

 

「これを壊せば……この子は……」

 

 孤独な心はガラスのように脆い。それ以上だ。固体と言うよりは液体。解けだした雪玉がかろうじて球状を保っているかのようだ。少し力を加えれば、すぐに瓦解する。

 

 ママ ママ タスケテ ママ

 

「……ポロロン」

 

 

「電波変換 響ミソラ オン・エア!」

 

 ピンクと水色の光が包み込む。体が宙に浮き、色とりどりの様々な音符が無数に羅列してミソラを駆け抜ける。背負っていたギターは水色へと染められ、先端に小さい目と口が描かれる。

 光がはじけ飛んだ。

 足にはピンク色の装甲。胸には大きいハートマークが取り付けられ、首には白いスカーフを巻いている。赤紫色だった髪は金に変わり、水色のバイザーを取り付けた被りものには白い突起が耳のように取り付けられていた。背中には、水色になったギターを背負っている。

 異様な光景にたじろぐマネージャーに、ギターを構えた。

 

「さぁ、ハープ・ノート! あなたの歌を汚す者を、こらしめてやるのよ!!」

「……うん……」

 

 ギターと一体化したハープを背中から降ろし、弦を強く弾いた。

 

「パルスソング!」

 

 撃ちだされた音が赤い音符へと形を変える。漂うと言うには早い、流れるような速度で送られる。

 近づいてくる音符に戸惑いを感じ、逃げようと考える前にそれは金田の大きなお腹に接触する。

 カエルが潰れるような悲鳴が上がった。

 ハープノートの開いた瞳孔。その先に倒れれた塊はビクビクと上下に振動している。息をしているので死んではいないだろう。

 目を反らしたくなるような惨劇を瞬き一つせずに見つめていた。天体観測を趣味とするスバルが、星より美しいと感じた瞳の輝きは跡形も無くなっていた。

 満足そうに浮かべた笑みと感情が読めない瞳は、広場で騒いでいるミソラのファン達へと向けられる。

 

「さあ、今度はあの子たちよ? あなたとお母さんの歌を守りましょう?」

「……うん!」

 

 言われるがままに、反動もつけずに軽く地面を蹴る。糸で釣り上げられているように、重力を感じさせないふわりとした跳躍。蠢くファン達の頭上を軽く飛び越え、広場の階段の入口へと降り立った。

 広場には二つの階段がある。一つはスバルとミソラが出会った見晴らし台へと続く階段。もう一つは、この展望台唯一の出入り口へと降りて行く階段。

 ハープ・ノートが塞いだのは後者の方だ。

 今のミソラはハープ・ノート。自身の周波数を意図的に変化させない限り、人間には見えない電波の体だ。それゆえ、追いかけているアイドルが目の前にいることにすら、たった一つしかない逃げ道を奪われたことにすら、ファン達は気づいていない。

 今も鼻の下を伸ばし、ミソラの名を叫ぶ彼らにクスリと微笑んだ。

 

 歌っているときの明るさも

 

 何も知らなかったスバルをからかった時の楽しさも

 

 アイドルとして培ってきた作り笑いも

 

 母の話をした時の無邪気さも

 

 

 ハープ・ノートが浮かべた笑みには、一切無かった。

 

「パルスソング!」

 

 

 抱えているそれを見やる。

 

 タスケテ ママ タスケテヨ ママ ママ

 

「大丈夫よね? 心を壊したからって強くなるわけじゃないし」

 

 しかし、今体を動かしているミソラは戦闘の素人だ。もし、ウォーロックと出会ったら……勝てるとは思えない。その時は、戦闘経験のある自分が彼女の体を乗っ取るしかない。

 ミソラの心を壊すことによって。

 

「今はこれで良いわ。ちょっと人間を攻撃するだけ。仕事してましたってごまかす程度で良いんですもの……別に壊す必要なんてないわ。それだけよね?」

 

 絞り出したごまかしの答えに自分を納得させた。ポロロンと笑えないことに気付けぬまま。



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第三十一話.歌の襲撃

2013/5/3 改稿


 左手についた機械を見て目を擦った。アンテナが付いたヘッドパーツを取って頭をかく。表示されている数値がグングンと上昇していく。

 

「何か異変でも起きたのか?」

 

 トランサーの向こうから部下が何かを伝えようとしている。混乱しているようだ。何を言っているのか分からない。聞き返す前に悲鳴が上がり、通信が途絶えた。応答を呼び掛けても、帰ってくるのはノイズの様な雑音だけだ。

 

「ゼット波が上昇している。何かが近づい……」

 

 言い切る前に楽器を演奏するような音が体を突き抜けた。

 

 

 コダマタウンにつくとすぐにあの二人に捕まった。相変わらず目が血走っている。ここまで来ると嫌悪感すら感じてしまう。大きい方がミソラと一緒にいたかと聞いてくる。小さい方が『自分とミソラ似の少女が展望台から出てくる』のを見たらしい。危機迫った今までの二人を思い出し、否定しておいた。

 

「まあ、そうだよな~。こんな奴がミソラちゃんと知り合いなわけないよな?」

「マネージャーさんに、『ミソラちゃんに似た女の子が、アマケン行きのバスに乗った』なんて言って、迷惑でしたかね?」

 

 自分そっちのけで勝手なことを言う二人。

 キザマロを睨みつけるが、すぐに止めた。殴られることしかできなかった自分を思い出したからだ。

 

「ミソラちゃんのライブ、見たかったな……」

「今や大スターですからね? こんな小さな町じゃあ、やる気にもならなかったんでしょう?」

 

 抑えたそれはすぐに噴火する。

 

「ミソラちゃんはそんな子じゃない!」

 

 ミソラが今までどんな気持ちで歌って来たのか。それを知らずに吐いた言葉が許せなかった。驚いている二人を睨みつけた。

 

「何も知らない癖に……あの子の気持ちも知らないで、そんなこと言うなよ!」

「じゃあ、お前が何を知ってるんだよ?」

「っ!?」

 

 何を知っているんだろう?

 

「昨日まで、ミソラちゃんの名前すら知らなかったじゃないですか?」

 

 彼女に出会ったのは昨日だ。今日一緒にいた時間は、半日にも満たない。言葉を交わした時間はもっと短い。一時間、いや三十分もあっただろうか?

 

「お前こそ、ミソラちゃんのこと何も知らねえだろうが。口出しするな!」

「いるんですよね、やたら物知り顔の、ヒーロー気取りの、にわかファンって……」

 

 言い返せなかった。ここでも、ミソラを庇うことができない。

 

 無力

 

 ただ、言われるがままに口を閉ざすしかなかった。

 

「それより、なんか騒がしいですね?」

「ミソラちゃんが見つかったのかな? 行ってみようぜ!?」

 

 走り出す二人に、止めろよとも言えず、踵を返した。

 

「良いのか?」

「僕には……何も言える権利が無いよ……」

 

 バスの中でのやり取りを思い出し、ウォーロックもそれ以上は何も言わなかった。

 5,6歩歩いた時、背後からさっきの二人の叫び声が聞こえて来た。ただの叫び声ではない。痛みに苦しむようなものだ。

 

「え?」

「ビジライザーをかけろ!」

 

 条件反射だ。すぐに額のそれを下ろして振り返った。

 さっきまで話していた二人がぐったりと倒れている。そのすぐ近くには、ピンク色の少女。

 

「……嘘だ……」

 

 認めたくない。小刻みに首を横に振る。

 走り出す。

 姿は変わってしまったが、見間違えるわけが無い。

 

「ミソラちゃん!?」

 

 掛けられた声に、ミソラは振り返った。さっき別れたばかりの少年だ。この町に戻って来ていたらしい。

 

「スバル君……」

 

 姿が変わった自分を、すぐに見つけてくれた。

 今日の朝と同じだ。

 震えて、泣いていた自分を見つけてくれたあの時と同じだ。彼はすぐに自分のもとへと駆けつけてくれる。

 自然と足が彼に向く。

 

「止めるんだ! こんなこと!」

 

 足を止めた。

 自分を咎める言葉。

 否定する言葉。

 

「来ないで!」

 

 彼も皆と同じだ。

 詰められなかった距離は、まるで互いの心の様。

 これ以上は詰められない。

 近いようで、遠い。

 

「君は傷付けたくないんだ……だから、来ないで?」

 

 手に持ったギターを握りしめ、ウェーブロードへと跳躍した。

 

「私とママの歌を汚す奴ら……皆、消えちゃえ!」

 

 

 町の方から悲鳴とギターを弾く音が聞こえてくる。無差別に襲いだしたのだろう。

 

「あれはハープと電波変換したな。……相性は抜群ってか? クソ、行くぞ!?」

「……」

「……おい?」

 

 返事が無い。上を仰ぐウォーロックと対称的に俯いていた。

 

「僕には……何もできないよ?」

「あ?」

「ミソラちゃんを、助けられなかった僕には、何もできないよ」

 

 アマケンでの出来事が、一つ一つ甦る。

 

「僕は……ミソラちゃんに何もしてあげられないよ。戦ったって……」

「うるせえ!」

 

 自分の左手が飛んで来た。ジンジンとなる鼻を押さえる。

 

「だったら、このまま見過ごすのか? あいつの暴走を見なかったことにするのか?」

「それは……」

 

 トランサーの中から出て来たウォーロックを見るため、ずれたビジライザーをかけ直す。

 

「少なくとも、お前はそういう奴じゃないはずだぜ?」

「……ロック……」

「考えるのは後にしろ! このままじゃ、被害が増えるぞ?」

 

 音は大分遠くなっている。しかし、襲撃が終わっていないことに他ならない。

 

「行くぞ!?」

 

 トランサーに戻り、こっちを睨むように見ている。耳元まで上げる。それ以上は上がらない。

 

「ミソラを救いたいのか!? そうじゃねえのか!? はっきりしやがれ!!」

「っ!?」

 

 答えはとても簡単で、単純だ。思いのまま左手を突き上げた。

 

「電波変換 星河スバル オン・エア!」

 

 

 道行く人が、次々と倒れる怪奇現象。大スターを追いかけていた時の雰囲気はもうどこにもない。

 目に見えぬ恐怖から逃げ惑う人々に、容赦なく音を浴びせる。苦悶の表情を見て、次なる標的へと弦を引く。

 

「ミソラちゃん!!」

「……スバル君?」

 

 ミソラが今いる場所は、人間にはこれないはずの空の道だ。にもかかわらず、声がした方にスバルがいた。その姿は青く、先ほどとは大きく違っていた。まるで昨日の流星の様。

 

「君も電波変換出来たんだ……」

「もう、止めようよ!?」

「……またそれ? 嫌だよ……私は、闘うって決めたの!」

 

 

 ミソラの心を抱きかかえる手に力を込める。壊れない程度に。けど、いつでも壊せるように。自分にできるのかと言う疑問を隠すように話しかける。

 

「まさか、もう出会っちゃうなんて……ついてないわ。お久しぶりね、ウォーロック」

「FM星王の命令か?」

「気は進まないけど、任務ですからね」

 

 

 変わらないなとため息をついた。FM星にいたころから、この女はいい加減な様な、気分屋の様な……こんな感じだ。

 

「……狙いは俺が持っている鍵か?」

「”アンドロメダの鍵”ね? やめとくわ。か弱いミソラに、荒っぽいあなたの相手をさせるのは、気が引けるしね? あなたには手を出さないから、見逃してよね?」

「俺も女相手に本気を出す趣味は無い。地球人がどうなろうが知ったことじゃねぇ」

「あら、優しいのね? なら……」

「だがな……そうは行かねえみたいだぜ?」

 

 ちらりと、立ち上がった相棒に目を向けた。

 

 

 何ができるか分からない。けど、対峙すれば何かあるかもしれない。そう考え、ウォーロックに励まされるがままにここへ来た。

 まだ、答えは出ない。

 眼下では、年齢性別関係なく町の人々が倒れている。駆けつけた警察とサテラポリスが救出作業に入っているが、彼らも怯えているようだ。指揮系統も狂ってしまっているのだろう。機敏な動きとは言えない。

 

「僕は……君にこんなことしてほしくないんだ! だから……」

「分かったわ」

 

 伝わった。

 綻ぶ顔を上げる。

 

「パルスソング!」

 

 ウェーブロードに尻もちをついた。威力は大したことは無い。オックス・ファイアのブレスや、キグナス・ウィングの羽弾よりは低い。しかし、手足がしびれる。音波が衝撃へと変わり、内側から体中を駆け抜ける。

 

「君も、結局は他の人と同じなんだね?」

「……ミソラちゃん?」

 

 見上げた彼女は、今までは全く違う存在に見えた。展望台やアマケンの屋上で話した、響ミソラはもういない。

 

「私は、私とママの歌の絆を守る! そのためだったら、君にだって容赦しないわ!」

 

 それはミソラの宣戦布告。



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第三十二話.無響

2013/5/3 改稿


 可愛らしいフォルムだ。赤い音符は丸みを帯びており、幼い少年少女達に音楽の愛らしさを伝え、心を潤すだろう。愛でたくなるそれは綺麗なオレンジ色の上へと降り立つ。

 爆散する。

 立ち上がる煙から青い影が飛び出す。少し巻き込まれたのだろう。被ったヘルメットに黒い汚れが付いている。

 構えたギターから新たに飛ばされた青い音符を、隣のウェーブロードへと飛び移ってかわす。続いて飛んでくるカラフルな音符達を撃ち落とす。赤、青、黄、紫など、色とりどりのそれらは速度はある。これらの攻撃の元となっているのが音だからだろう。音速に至っていないのが救いだ。それに加え、一発の威力は低い上に的としては大きい。攻撃を退けるのは簡単だ。それでも、ハープ・ノートへは弾が届かない。次々に打ち出される音符達に阻まれる。

 撃ち勝てると踏み、ハープ・ノートは音符の量をさらに増やす。

 ロックマンはバトルカードを取り出し、ウォーロックをガトリングへと変化させる。4つの銃口から放たれる弾丸が、壁となって迫っていた音達を砕いて行く。

 ハープ・ノートのパルスソングもこの速度には敵わない。さっと身をかがめるが、彼女には一発も当たらなかった。足元に着弾する。

 

「おい、なんで攻撃しないんだ!?」

「ミソラちゃんには、これ以上傷ついてほしくないんだよ!」

「馬鹿野郎! そんなことで勝てるわけねえだろ!!」

 

 スバルの甘さに舌を打った。文句はそれだけで終わる。次の音符攻撃が繰り出されたからだ。

 

「君だって皆と同じだわ! 私を助けてなんてくれないんでしょ!?」

 

 応戦するうちに、ハープ・ノートが同じウェーブロードへと移動してくる。ロックマンの側面へとギターの頭を向ける。

 

「マシンガンストリング!」

 

 5本の弦が束となり、弾丸のように打ちだされる。

 全ての音符を撃ち落とした時は遅かった。弦が胸に突き刺さる。すかさず、ハープ・ノートはギターの弦をしゃにむにに弾く。

 音符として間接的に飛ばしていたのとは違う。振動と衝撃が直接伝わってくる。無論、その分威力も高い。ロックマンの骨や内臓にまで振動が伝わってくる。しびれる手で弦を掴んで振り解くと、ガクリと膝が折れる。

 

「僕は……君を助けたいんだ……」

「君の助けなんていらない! 優しそうな顔して結局助けてくれない! スバル君のやっていることは、偽善って言うんだよ!?」

 

 お互いに、苦悶に顔が歪む。

 

「僕が……中途半端に優しくしたのが、いけなかったの? 君の力になりたかっただけなんだ……」

「だから、いらないよ!」

 

 打ち出されるパルスソングの群れをシールドで防ぎ、距離を詰める。次々と飛ばされてくる音符にウォーロックは歯を食いしばった。

 

「くっ、限界だ!」

「っ! バトルカード モジャランス」

 

 竹槍を両手に持ち、長いリーチでハープ・ノートの足元をすくう。バランスを崩した彼女に、切っ先を突きつける。

 

「君の負けだよ! お願い、もう止めよう!」

「嫌っ! パルスソング!」

 

 止む負えず後方へと低く飛ぶ。撃ち落とすが、一瞬の出遅れが響いた。音符の大群に押されつつある。

 

「チェインバブル」

 

 水泡を打ち込んだ。先頭の音符を包み込むと、連鎖するように後方の音符達を一つ一つ泡に閉じ込めていく。このまま最後尾にいるハープ・ノートにまで届くはず。

 新たな音符群が頭上から降り注ぐ。

 弧を描くように跳ぶハープ・ノートの姿を確認し、新たなカードを取り出す。

 

「テイルバーナー!」

 

 オックス・ファイアが使ってきたもの程の威力は無いが、火炎放射を放つ。炎に飛びこんで来たそれらを消していく。

 ハープ・ノートは少し上にあるウェーブロードに降り立ち、直もパルスソングを打ち出してくる。

 今度は完全に出遅れた。回避のために別のウェーブロードへと飛び移る。

 

「ショックノート!」

 

 スバルの進行方向にピンク色の箱が一つ召喚される。コンポと呼ばれるそれから白い音弾が放たれ、元の場所へと押し戻す。この音も衝撃へと変わり、動きを束縛する。

 ハープの合図で、今が攻め時と弦を弾く手を早め、連なるように音符達が打ち出される。

 ウォーロックがシールドを張るが、防ぎきれない。

 爆音と衝撃が上がる。

 詰めは念入りに。ウェーブロードごと破壊するつもりで音を繰り出し続けた。

 

 

 ほっと一息をついていた。戦闘の素人と思っていたミソラだが、ハープ・ノートとなった自分の力をもう把握しているようだった。

 

「これなら……壊す必要は無さそうね?」

 

 タスケテと訴えるミソラの心を大事そうに抱える。

 

 

 煙と音符をかき消すように巨大なハンマーが振るわれた。使用者の二倍はあるジャンボハンマーは攻撃だけではなく、防御にも使えるらしい。放った攻撃をことごとくかき消した。

 

「スバル、これで分かっただろ? あの女は本気だ。やらなきゃやられるぞ!?」

「でも……それでも、僕はミソラちゃんを傷つけたくない!」

「いい加減にしやがれ!」

 

 一方的に消耗している。体のあちこちに傷を負っているロックマンに対し、ハープ・ノートはほぼ無傷だ。やられるのも時間の問題。

 いらだちが募る。

 

「お願いだよ。ロック……今回は違うんだ……」

「何がだ?」

「オックス・ファイアを倒したのも、キグナス・ウィングを倒したのも、僕……僕達だよ」

「当たり前だろうが! それがなんだ!?」

「けど、オックスに取りつかれたゴン太君を助けたのは? キグナスに惑わされた宇田海さんを説得したのは?」

 

 傲慢だが、根は友人思いな学級委員長。

 心底お人好しの所長さん。

 

「僕は、誰も救っていない……誰も助けられていないんだ!」

 

 敵を倒しただけ。暴走した本人を救ったのは別の人物だ。

 

「僕は……本当に無力だ。何もできない……今回だけじゃない、今まで何もできていなかったんだよ! 一番大切なことを、誰かに任せきりにしてきたんだ……」

 

 バトルカードで召喚した武器を消し、ハープ・ノートを見上げる。

 ウォーロックは黙ったままだ。

 

「でも、彼女を救えるのは誰? ミソラちゃんのお母さんは、もういないんだよ?」

 

 心の支えであったミソラの母親はもうこの世にいない。

 頼れる者もいない。

 だからFM星人に取りつかれ、今のような状況に陥っている。

 そんな彼女を誰が助けられるというのか?

 

「……じゃあ、お前が救うのか? そんなことできるのか?」

「分からないよ!!」

 

 胸に渦巻くものを吐き出すように叫んだ。

 

「だけど……助けになりたいんだ! あの子の気持ち、分かるから! だから、お願いだよロック! 僕のやり方に付き合って!!」

 

 やっと……あの時に、展望台で震えていたミソラの手を握った訳を理解した。

 

「ちっ! 仕方ねぇ……けどな、いよいよヤバいと言う時は……俺も好きにやらせてもらうぜ?」

 

 頷き、ハープ・ノートと同じウェーブロードへと降り立った。

 

「ミソラちゃん……僕があの時、ブラザーを結んだら……君を救えたの?」

 

 天地の提案。あれを受け入れていたら……

 

 パルスソングが飛んでくる。

 対してバトルカードのモエリングを放つ。炎を纏った車輪は攻撃を破壊しつつウェーブロード上を転がっていく。

 それを弾きとばすように放たれる弦の束。

 脇腹をかすめるそれに見向きもせず、続いて飛んでくる音符の群れにバスターを撃ち込んで行く。

 

「僕があの時! ……君に何か声をかけてあげていれば、こんなことにはならなかったの !?」

 

 屋上で話を聞いた時、少し手を伸ばしていたら。肩に手を置いて上げていれば……

 

 全て撃ち落とした直後、頭上からの攻撃に身を伏せた。

 召喚したコンポの上に乗り、パルスソングとショックノートの二重攻撃を放っていた。

 モアイフォールのバトルカードをウォーロックに渡す。

 ハープ・ノートの頭上に、モアイ像の様な顔を象った丸い岩が召喚される。コンポから降り、軽々とウェーブロードへと着地する。

 巨石に押しつぶされたコンポが爆発する。

 

「どうやったら、君を助けてあげることができたの!?」

 

 引きずり下ろしたところにグラビティステージを使用した。

 ハープ・ノートの足がウェーブロードから離れない。これで、しばらくは動けない。

 

「答えてよ!? ミソラちゃん!!」

 

 届かない、目の前にいるのに、言葉を伝えられるのに。

 

「私には何もいらない。スバル君もいらない! 私には、ママとの『歌の絆』があればそれでいいの!」

 

 心は届かない。

 足は動かせずとも攻撃はできる。ショックノートが放たれる。

 正面から来るそれを回避すると、後ろからの衝撃に撃ち抜かれた。振り返ると、そちらにもコンポがある。

 

「一つしか召喚できないと思っていた?」

 

 両脇から挟み込むように移動したコンポから弾きだされる音弾。痺れる体を無理に動かして正面に飛ぶと、またしてもマシンガンストリングに捕まる。弦から伝えられる衝撃と、再度放たれるショックノートが襲う。

 もうもうと立ち上る煙を見て、コンポと弦を一旦戻す。

 晴れゆく灰色の世界の中ではロックマンが倒れ込んでいた。

 

「僕じゃあ……君を、助けてあげられないの?」



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第三十三話.響応

2013/5/3 改稿


 満身創痍。

 倒れたスバルを4つの文字で表すならば、これがふさわしい。

 

「僕は……君を助けたいんだ……僕は……」

 

 それでもミソラを案じる思いは変わらない。

 

「ウォーロック、良いの? やられちゃうわよ? その子の心を壊して乗っ取っちゃったら?」

 

 左手のウォーロックを覗き込んだ。一体化している今、彼にはスバルの体を操ることもできる。今まで戦った二人から可能性は充分にあった。

 

「バカかお前? 最初に約束しただろう? 俺が貸すのは力だけだ。乗っ取ったりなんかしねえって。それより、さっさと立て! 助けるんだろう?」

 

 鼻で笑って見せる相棒の励みに答え、立ち上がった。

 

 

 ハープは歯を食いしばった。

 ミソラは優しすぎる女の子だ。その証拠に、彼女が襲った人間達は誰一人と絶命に至っていない。本気で音符攻撃を放っていれば、生身の肉体など跡形も残らないにも関わらずだ。「消えちゃえ」と言いながらも、ミソラはそんな残酷なことは望んでいない。

 同様に、スバルにも全力で攻撃できないでいる。

 さっきの誘惑にのせられ、ウォーロックがスバルの心を乗っ取れば……

 意識が完全に乗っ取られた彼らを倒せば、消滅するのはウォーロックだけだ。スバルは助かる。それをミソラに説明すれば、全力で攻撃してもらえると考えていた。

 体を乗っ取ったウォーロックが相手になれば、こちらも被害を受けるだろう。しかし、いくら戦闘能力で劣る自分達でも、ぼろぼろになった今の相手に負ける要素は無い。

 

「お願いだから……使わせないでよ」

 

 最後の手段を抱きしめた。

 

 

 腕や足が痺れている。体内から悲痛の声が上げられる。音という特性が体の内部にまでダメージを伝えてくる。

 それ以上に心が痛い。

 

 伝わらない

 

 助けられない

 

 無力さを自己嫌悪する

 

 ヒーローになりたいわけではない

 

 かっこ悪くても良い、ただ目の前の少女の力になりたい

 だから、立ち上がらなければならない。

 彼女と向き合わなければならない。

 相棒の言葉を胸に、折れそうになる心を奮い立たせる。

 

「力に、なりたいんだ」

「……なんで、そこまでするの?」

「君の気持ち……分かるから……」

「君に! 私の何が分かるって言うのよ!?」

 

 ギターを銃のように構え弦を放ち、ロックマンの体を貫く。

 途端に煙が上がり、青い体は茶色い物へと変わっていた。

 

「ヘンゲノジュツ!?」

 

 バトルカードの一種だ。自分の体をとっさに茶色いぬいぐるみと入れ替え、その隙をつき相手へ攻撃するものだ。

 気が付いた時にはスバルが目の前にいた。

 両手を掴まれ、ギターごと上へと持ち上げられる。

 

「これで君の攻撃手段は封じたよ?」

「ミソラ、私ごと叩きつけなさい!」

 

 ギターと一体化したハープが叫ぶ。

 頭を殴りつけようとするが、腕が下がらない。

 

「僕だって男だ! 女の子に力で負けるつもりはないよ!?」

「なら、これでどう?」

 

 コンポが召喚される。二人の両脇にだ。

 しかし、今二人は接近している。このままショックノートを撃ち込めば、ミソラもただでは済まない。

 

「私は耐えられるけれど、怪我だらけの君には無理だよね? 今まで威力を抑えていたけれど……本気で行くよ!」

 

 これが決まれば終わり。

 直前で相手が手を離せば仕切り直しだ。

 

「ショックノート!」

 

 掛け声とともに、白い音符が放たれる。今まで以上の速度と大きさを誇るそれが、二人に襲いかかる。

 手の緩みを感じ、笑みを浮かべた。手を離した。これで仕切り直し。

 後方に下がろうとする。

 

「え?」

 

 それより早く、体が後ろに飛んだ。

 

 彼の両手が自分を突き飛ばしていた

 

 踏ん張るように地に足をつけている

 

 二つの白に挟まれようとしている今も怯えは無く、ミソラの目を捕らえていた

 

 爆音と爆音がぶつかり合う。同じ高さと大きさを持った音は、共鳴現象を起こした。振動は互いの存在を相乗し、威力を跳ね上げる。

 自分の場所にまで届いてくる爆風に思わず目をつぶった。

 パラパラと降りかかるオレンジ色の水晶達はウェーブロードの破片。その向こうには、ロックマンがかろうじて立っていた。ヘルメットにはヒビが走り、バイザーは一部が欠けている。左手はだらりと下がり、ひざは曲がり、いつ倒れてもおかしくは無い。ウォーロックの頬にも焼け焦げたような傷跡が付いている。

 

「なんで……私を庇ったの?」

「言ったはずだよ? 君には……これ以上傷ついてほしくないんだ。そして、君を助けたい……君の力になりたいんだ……」

 

 スバルの言葉がズキリとミソラに突き刺さる。

 意地を張るように、胸に入ろうとしてくるものを塞ぐように言葉を吐きだす。

 

「偽善者ぶらないでよ! 君には分からないよ、私の気持ちなんて……」

 

 分かるわけが無い。

 他人の気持ちを知れる人間などいないのだから。自分にしか分からない。

 

 

 ミソラの気持ちは分かっている。

 

「分かるよ! 僕だって……」

 

 救えるかなんて分からない

 

 何をすればいいのかも、今になっても分からない

 

 だから、震える唇を必死で抑え、ただ自分の気持ちを叫んだ。

 

 

「父さんがいないんだ!!」

 

 

「……え?」

 

 肩で息をしている。空気を求めるように、限界にまで開かれるスバルの口元には赤い筋が伝っている。今攻撃をすれば、勝てる。

 なのに、できない。

 スバルの声に聞き入ってしまったから。

 

「僕も……父さんがいないんだ。三年前に……居なくなっちゃったんだ! だから……大切な人を、失う辛さも……嫌なことを……無理やり、やらされようとする辛さも……分かるんだ」

 

 震えてくる。

 スバルの全身がだ。

 三年間スバルを拘束し、捕らえて離さない闇。

 スバル自身も振り切れず、いつしかあらがうことすらしなくなった現実に今改めて向き合う。

 それが彼女の手を取った理由であり、今を救える唯一思いついた手段。

 自分の心の傷口をえぐり、言葉を紡いでいく。

 

「……僕も、色々と……辛い目に合ったんだ。僕の場合は……学校に行くことだったけれど……誰か親しい人ができてしまって、その人が、父さん……みたいに……居なく……なったらって。そう思うと……怖くて……怖くて仕方ないんだ!」

 

 今でも一番思い出したくない思い出だ。

 母から伝えられた父の行方。

 目の前からいなくなってしまった大好きな背中。

 絶望と喪失感。

 光を奪われ、暗闇に落とされ、何も見えなくなった。

 あんな思いは、二度としたくない。

 

「それで、誰かと関わるのが……すごく怖くなって……学校にも行けなくなって……学校の先生とかが、僕を学校に……校させようとしてきて……それが本当に嫌で、生きることが辛くなって……逃げ出したいって……し、死んでしまいたい……そう思った事もある」

 

 一昨日の夢を思い出す。

 学校に来いと言う教師達。

 それが嫌で、二階から身を乗り出し、花壇へと……

 思い出しただけで全身が冷たくなる。

 瞼を全力で閉じる。現実を阻む最高の行為。

 自分を戒めるように左手の二の腕を、悲鳴が上がる程掴む。

 今引いてはいけない。

 

 彼女のために

 

 閉じたくなる目を無理やり開き、未だに座り込んだままの彼女の瞳に向き合う。

 

「けれど、そんな時……僕を救ってくれたのは……母さんの一言だったんだ」

 

 今でも覚えている。

 泣きじゃくる自分の背中をなでてくれた手の温もりも一緒に……

 三年間、あれが自分の支えだったから。

 

 

 

――学校なんて、行かなくていいのよ――

 

――いつか、自分から行きたいと思えるようになったときに行けばいいんだから――

 

 

 

「たったそれだけのことだったけれど、僕にはとてもうれしかったんだ! それが無かったら……きっと僕は……自分を傷付けていた」

 

 スバルの言葉が胸に響く。

 展望台から身を乗り出した自分を思い出していた。

 

「……だから、母さんを失った悲しみも……歌を歌いたくないって言う……君の気持ちも……分かるよ……」

 

 異星人の二人は、ただじっと成り行きを見守っていた。

 ウォーロックはスバルとの約束のために。

 ハープは聞きながらも両手に抱えた心を眺めていた。

 

「……僕は……君の……力になりたいんだ!」

 

 何も言えない。

 スバルを見れなくなってくる。

 

「歌わなくって良いんだよ? 歌いたくなったら、また歌おうよ? 今度は、君と……君の母さんとの絆の歌を、愛してくれているファンの人達のために」

 

 目頭が熱くなってくる。

 視界がぼやけてくる。

 

「だから……もう……自分と、自分と母さんとの絆の歌を……傷付け、ない……で……」

 

 右足から力を抜いたかのように、体が大きく斜めに傾き、青白く光った。

 赤い服と藍色の半ズボンの少年が金色のペンダントを揺らす。

 

「っ!?」

 

 姿が変わると同時に、倒れるという現象は電波の道をすり抜けて終わる。力なく閉じられた目。彼の手は重力に逆らうそぶりも見せない。

 人形が投げ捨てられたかのように、地面へと向かって行く。

 

「いやあああああああああ!!!!」

 

 駆けた。

 ウェーブロードから飛び降りるミソラの目の前で、スバルは風を切りながら真っ逆さまに落ちていく。

 

「届いて! お願い!!」

 

 限界にまで、腕をちぎる思いで手を伸ばす。

 

 届かない

 

 眼前にいる彼が遠い

 

 あと少しなのに届かない

 

 地面が無情に迫ってくる。

 

「ミソラ、蹴りなさい!」

 

 考えなかった。ハープに言われるがままに足を延ばす。堅い感触があり、それを蹴飛ばした。

タイミングを合わせてハープが召喚したコンポだ。

 勢いを増し、スバルに並ぶ。

 正面から抱き締めるようにスバルを抱え込み、地面にふわりと着地した。

 そこは、偶然か運命か、あの展望台。

 ぐったりとする彼を堅い灰色の上へと寝かせる。

 横にしたスバルの目は開かない。

 

「ごめん……ごめんね……スバル君……」

 

 スバルの頭を抱きしめていた。いつの間にか流していた涙が、彼の頬へと落ちる。

 体が弾け、ピンクの粒子が渦を巻きあげる。

 電波変換を解かれたミソラと、意識を取り戻さないスバルを包み込む。

 一瞬の絵が消えた時、少し離れた場所にハープが姿を現していた。

 彼女の瞳には、肩を震わせる背中と華奢な腕に支えられる少年がいた。

 二人を隠すように瞼を下ろした。

 

「私達……いえ、私の負けね……」



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第三十四話.歌の絆

2013/5/3 改稿


 鳴り響くサイレンはコダマタウンのあちこちから聞こえてくる。

 おそらく、病院に搬送し切れないのだろう。乗用車から医師達が降りてくる。こちらに出向いて、被害者達を見ているらしい。幸いにも大怪我をした者はいないようで、軽い脳震盪程度ですんだようだ。入院しなければならないような者は、頭の打ち所が悪かったミソラのマネージャーだと名乗る男を除いて、今のところは出ていない。

 その騒がしさが少年の目を覚まさせる。

 

「……う、うん……あ……ミソラちゃん?」

「良かった……気が付いたみたいね」

「……ここは?」

「展望台よ」

「そっか……」

 

 ようやく視点が合ってくると、ミソラが心配そうに上から覗きこんでいるのが分かった。上と言っても、空に向かう上ではない。寝転んだ自身の頭がある方向の上だ。そっちに目をやると、ミソラが来ているパーカーのピンク色の生地が見える。それ以外は見えない。

 横を確認しようとすると、柔らかい感触に当たる。押しつけた頬を温もりがふわりと包み込んでくる。気持ちよさに目を細め、再び眠りへと誘なってくる。狭まってくる視界がきめ細かい白い物を確認した。

 

「って、うわ!」

 

 ガバリと飛び起きた。自身の頭があった場所はミソラの足の上だと気づいたからだ。膝枕と言うやつだ。

 当の本人はスバルの動揺する理由が分かっていないらしい。あたふたするスバルに謝罪した。

 

「ごめんね?」

「え?」

「こんな騒ぎを起こしちゃって……スバル君に怪我させたりして……」

「……気にしないで。言ったでしょ? 君の力になりたいって」

「……ありがと」

 

 以前もこの場所で見せてくれた笑顔をだった。

 もっと見ていたいはずなのに、ミソラを視界の隅へと追いやってしまう。

 

「あ!? 君に取りついていたFM星人は!!?」

 

 途端に曇るミソラの視線が示す先に、ウォーロックとハープが居た。手すりのそばで何かを話している。

 

「なんで、止めを刺さないの?」

「言っただろ。女相手に本気を出す趣味は無い」

「……はぁ……任務失敗ね……」

 

 ミソラは黙ってハープを見ていた。

 両手を絡めるように合わせていたミソラの手。堅く繋がったそれを解くように、スバルは片方の手を握る。目を合わせると、彼女も頷いた。

 逃げてはならない存在に足を向ける。

 近づいてくるスバルとミソラに気付き、ハープが振り返った。

 

「安心しなさい、もうあなたには近づかないわ。さようなら」

 

 立ち去ろうとするハープに手を伸ばす。声は出ない。喉が麻痺したように。難しい歌う時でも簡単に出るのに、単純な言葉がつっかかって出てこない。

 変わりに口を開いたのはウォーロックだった。

 

「待て」

「あいた! 痛いじゃない!」

 

 逃げるようにその場を去ろうとするハープの頭を掴む。

 

「何で最期にミソラを操らなかった?」

 

 電波変換が解けた直後、ミソラの心を破壊して乗っ取ってしまえば、スバルを失ったウォーロックになす術は無かった。

 しかし、彼女が取った行動は逆だ。

 

「ミソラちゃんの心を壊すのが嫌だったの?」

「……もう、どうだっていいでしょ?」

 

 スバルに図星を突かれた。

 気まずそうにミソラを見て、ウォーロックの手を振りほどき、再びウェーブロードへ上がろうとする。

 

「ハープはこれからどうするの?」

 

 また足が止まる。どうしても、ミソラとは話したくないようで沈黙を保っている。

 何も答えてくれないハープの態度に、ミソラが下唇をギュッと噛むと、手を強く握られた。スバルの目はハープへと向いているが、意識はこっちに向いている。励ましてくれる彼の手を握り返す。

 そんな二人を横目で確認し、ようやく観念した。

 

「……任務はもうどうだっていいし。この星で、一人でのんびり暮らすわ」

「一人なの? 他の人達は?」

「他のFM星人に見つかったら、ウォーロックみたいに狙われるはずだわ。あいつらはみ~んな働き者だからね?」

 

 自分と同じだ。

 周りに怯え、隠れるように暮らす日々を送ることになる。

 のんびりなんてできる訳がない。

 

「じゃあ、私と一緒にいようよ?」

 

 誰も声が出せなかった。ミソラの発言の意味をそれぞれの知識と言う名の辞書に当てはめる。それだけの行為がとても長い。三人の答えが「え?」という一文字になって重なる。

 

「ミソラちゃん?」

「女、本気か?」

「うん!」

 

 男二人の反応に笑って返し、未だにキョトンと目を見開いているハープへと駆けよる。

 

「ミソラ? 私はアナタを……」

「根っからの悪人なら、最初に私の心を壊していたでしょ? スバル君を助けるのにも協力してくれたし、あなたは悪い人じゃないわ。それに、音楽を愛する人に悪い人なんかいないんだから!」

 

 ギュッとハープを抱きしめる。ぬいぐるみを抱きしめる無邪気な子供のようだ。

 

「音楽好き同士で、仲良くなれそうだしね!?」

「えっと……」

 

 返答に困っている。

 しかし、汚れの一切無いミソラの笑みには敵わない。

 

「なら、お言葉に甘えようかしら?」

「やった! よろしくね、ハープ!」

「ええ、ミソラ! ポロロン!」

 

 キャッキャッと手を取り合っている。打ち解け合っている。

 そんな二人をスバルとウォーロックは見守っていた。

 近づけない。

 女の子が放つ特有のオーラがバリアのように張られている。

 

「ねぇ、女の子ってあんなにすぐ仲良くなれるものなの?」

「俺に聞くな」

「って言うか、これで良いのかな?」

 

 さっきまで敵だったハープを見る。が、すぐにその考えは変わる。

 ミソラを見たからだ。

 笑っている。自分の前で見せてくれたものとはまた違ったものだ。仲間を、友人を得たそれは、ゴン太や宇田海が見せたものと似ている。

 やっぱり、自分はルナや天地の様にはいかなかった。けれど、それをハープが代わりになしてくれるのなら……

 この結果で良いと確信できた。

 

「って言うわけで、私とハープも戦うね?」

「……今なんて?」

 

 ハープと肩を寄せ合って宣言するミソラにスバルは5本の指と手のひらを向ける。

 

「スバル君とロック君は、FM星人から地球を守っているんでしょ?」

「守ってるって言うか……ロック?」

 

 戸惑うにスバルを無視し、ウォーロックはそっぽを向いている。スバルが寝ている間に、色々と都合が良いようにしゃべったらしい。

 

「地球の危機なんて、ほっとけないよ! 戦えるのは、スバル君達と私達だけなんでしょ? だったら、戦うよ!? スバル君にも助けてもらったし、今度は私の番なんだから!」

 

 燃える闘志の中でガッツポーズをして見せる。

 

「それに……こんなことしちゃったからね?」

 

 コダマタウンを見下ろす。

 救出作業は大分進んだようで、サテラポリスが救急隊の仕事を手伝っている。目覚めた五陽田警部が指揮を取っているようだ。

 

「ミソラ、これは私のせいよ?」

「連帯責任ってことにしとこ?」

「……そうね。分かったわ」

 

 断るのは遠慮ではない。彼女の決意を否定する事だ。

 

「なら……よろしくね?」

「うん、よろしくね!?」

 

 地球に襲い来るFM星人を撃退してきた二人にとって初めての味方。祝福するように傾いた日が4人を照らす。

 

「それとね、スバル君。私、決めたよ……」

「なにを?」

「一番大事なこと。スバル君に言われて、決心がついたわ」

 

 今回の騒動の一番の元凶。

 11年間のミソラの人生。その中で一番大きい決意を下した。

 

 

 その日は歓喜と悲愴が満ちていた。

 この場だけは春の爽やかさではなく、むわっとした熱気と湿気で満たされている。展望台の出入り口にかけられた看板が響ミソラの引退ライブを宣伝している。涙ながらに応援する委員長の腰巾着二人が違和感無く雰囲気に溶け込んでいた。

 その中で、一人だけついて行けていないのがスバルだ。乾かない汗にハンカチを当てて、ギュッと絞る。拒絶するように降り注ぐ水を弾く広場の土を踏みつけ、舞台となっている見晴らし台を見上げる。

 ミソラが最期の曲を歌うところだ。

 

 今日で終わりだ。目的を無くし、嫌々続けていた歌手活動もこれで終わる。無理やり出していた歌声も、今日から自分と母のためだけに使えば良い。

 そう思うと、ほっと笑みがこぼれた。気付かれる前に、さっとファン達に向ける作り笑いへと変える。

 

「皆、今日はありがとう。そして……今までありがとう。次の歌を最後に、私は引退します」

 

 歓喜が無くなり、その分だけ悲愴が増えた。

 泣きわめく会場を見下ろし、最期の曲名を口にした。

 

「グッナイママ」

 

 ギターを持ち直す。弾いた音が静まり返った会場を包み込む。連なり、空気を作り出していく。病弱だった母のために作った子守唄。それをアレンジした曲。スバルと出会った時に歌っていた曲。それは集まった一人一人に温もりを与えていく。

 

 一人のファンがリズムに合わせて手を振りだす。同じように隣の女性が、それを見ていた老人が真似をする。

 気づけば、波が出来上がっていた。

 会場の大きなうねりは、ミソラへと向けられる。

 

 自分が傷付けた人達だ。事件の犯人を知らないとはいえ、自分を応援してくれている表情を見ていく。顔のパーツは違うが、皆同じだ。歌を聞き、笑みを送ってくる。

 

 

――あなたの歌は、人を元気づけてくれる力があるわ――

 

――ミソラの歌が、母さん以外の人にも届くと、嬉しいわ――

 

 

 バカだ。

 大好きだった母の思いを忘れていた。

 ようやく思い出した。静かに大きく盛り上がるファン達。

 湧き上がる。

 向けられるこの期待に応えたいと言う思い。無理やり行っていた喉の動きが自然になる。清らかな小川のように声が流れてくる。一度は逃げ出した舞台の上で思いのままに飛び跳ねたくなる衝動を抑える。

 自身のリズムが最高潮に達しようとする。

 そこで指の動きを止めた。曲が終わった証だ。拍手の中でギターを下ろす。

 

 熱い雫が頬を伝った。

 

「ごめんね、皆……」

 

 拍手が収束していく。

 皆と共に、泣いているミソラに戸惑いながらもスバルは耳を傾けていた。

 

「私……バカだった……気付けなかったの。ママが居なくなって、一人だと思ってた。こんなに……こんなに私を応援してくれる人がいる……皆がいる。今、やっと気づけたの……」

 

 会場を埋め尽くす目を見つめ返す。

 

「私が弱かったせいで、皆にたくさん迷惑かけちゃったよね? 本当に……ごめんなさい。私は今日で引退します。けど、それは今までの弱かった私からの卒業です」

 

 ギターについたマイクを下ろして涙を拭う。

 

「戻ってくるから……」

 

 震える唇をもう一度開いた。

 

「私……きっと! 戻ってくるから! 私、もっと歌いたい! また、皆の前で歌いたい! だって私、やっぱり歌が大好きだから!」

 

 無我夢中で叫ぶミソラの思い。

 着飾らず、まっすぐ打ち明けた言葉。

 

「だから……その時は、また応援してください!」

 

 それにファン達もまっすぐに応えた。

 応援を誓う声が飛び交い、拍手が鳴る。

 展望台を揺るがす喝采の中を、ミソラは止まらぬ涙を残して後にした。

 それでも舞台から去った少女に向ける思いは、一向に収まる気配を見せなかった。



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第三十五話.初めてのブラザー

 個人的に、ゲーム版流星のロックマンの神シーンだと思っているシーンです。感動できるか分かりませんが、是非ご覧ください!!

2013/5/3 改稿


 コダマタウンの一大イベントが終わった。静けさを取り戻した、会場だった展望台でスバルとミソラは共に眼下の光景を見下ろしていた。家族や友人へ、今日味わった感動を自慢しようと家路につく者達が見える。

 

「色々とありがとう」

「僕は何もしてないよ。それより歌は良いの?」

「良いの。ただがむしゃらに歌っても駄目だって分かったから。何のために歌うのか、もう一度考え直して……答えを出してからまた歌いたいの」

 

 強い子だなと感じた。

 もう前を向いている。追い詰められ、挫折したミソラはもういない。手すりから身を乗り出し、風を受けて微笑んでいる姿を素直に美しいと感じた。

 

「これから大丈夫?」

「大丈夫だって!」

 

 元気いっぱいにウィンクして見せる。

 

「決めたんだよ、強くなるって! これからはなんだって一人で頑張って行くんだから!」

「……そっか」

「そう、一人で……」

 

 気付いた。

 見落としてしまいそうな小さな光をスバルは見逃さなかった。

 

「ミソラちゃん!?」

 

 スバルの手が示す場所に手をやる。

 ピチャリとした感触。

 指先が濡れていた。

 

「あれ? おっかしいな~? なんで……なんで……」

 

 陽気に振舞おうとする言葉と違い、声は萎んでいく。

 

「あ……あ……」

 

 今更湧いてきた感情は止まらない。

 ブレーキの効かない車のように。

 

 

「うわあぁぁぁぁぁん!!」

 

 

 溢れた。

 ミソラの思いがそのまま形になって、ミソラの熱を奪っていく。

 

「なん、で……ウッウウ……私……頑張ら、なきゃ……頑張らなきゃ、いけないのに……ッウ、グス……な、んで? ……ヒグッ、アッ、アゥゥ……」

 

 一人という言葉を理解していた。しかし、今になってようやく孤独を理解した。今のミソラには母も、ファンも、歌すら無い。本当の意味での一人ぼっち。

 今初めてミソラの心は孤独を理解した。

 押しつぶす。

 孤独と喪失感。それらが(いざな)う不安。

 ミソラの小さくて華奢な体を押しつぶす。

 

 

 自分を責めた

 

 強くなんてない

 

 元気なわけがない

 

 平気でいられるわけがない

 

 誤認していた自分自身を殴りつけたかった

 

 俯くミソラに手を伸ばし、声をかけようとする。

 

 

「あ……」

 

 なんて言えばいいんだろう?

 

 

 手を止めた。伸ばそうとした手を途中で戻し、半歩踏み出した足を下げる。

 

 何も変わって無い。

 

 結局、自分は何もしてあげられない。

 アマケンの屋上の時と同じだ。何も声をかけられない。触れてあげることができない。一歩にも満たない距離を進むことすらできない。

 弱い自分をさらけ出して、説得した気になって、彼女が踏み出した姿を見て自分も強くなったと誤解していたにすぎなかった。

 彼女の泣きじゃくる姿を見ていることしかできない。

 

「励ましてやれよ?」

「ロック?」

「お前が望んでいたことだろ?」

 

 トランサーから語りかけるウォーロックの言葉受けて、もう一度ミソラを見る。ハープが側に出てきているが、慰めの言葉が見つからないのだろう。背中を(さす)ることしかできない。

 たくさんの本を読んだ。

 宇宙の知識を詰め込んだ。

 11年間で得られたあらゆる文字を検索する。

 けど、何も引っかからない。

 

 一人だけど頑張れ?

 応援するよ?

 

 無責任な言葉だ。

 無力と言う単語が心臓を握りつぶす。

 もう一度、頭をひっくり返して情報の大河に足を踏み入れる。

 見つからない。

 どんな立派な言葉を探しても、彼女の力になれそうな言葉は見つからない。

 あきらめまいと歯を食いしばる。

 

 

――ブラザーだ――

 

 

 その中で見つけた小さな石。

 

――これはな、人の絆を強くする物なんだ――

 

 拾い上げたそれは夜空に浮かぶ星の様に小さく、何よりも輝いていた。

 

「……父さん……」

 

 

 

――一人じゃ解決できない問題も誰かと繋がれば乗り越えられる――

 

――誰かが自分を強くしてくれるし、自分も誰かの力になれる――

 

――そうやってできていった絆はどんなものよりも勇気をくれるんだよ――

 

 

 

 夢にも出て来た、父に教わった言葉。

 ミソラの足元に滴り落ちる雫から視線を上げる。両手を握るようにして目を覆い隠している。その隙間からは(なお)も涙が流れている。

 

「僕にできる?」

 

 たった一言で、この子の涙を止めることができるのなら。

 

――一人じゃ解決できない問題も誰かと繋がれば乗り越えられる――

 

 

 乗り越えられる? 僕も? 彼女も?

 

 

――誰かが自分を強くしてくれるし、自分も誰かの力になれる――

 

 

 僕でも、この子の……力になれる?

 

 

――そうやってできていった絆はどんなものよりも勇気をくれるんだよ――

 

 

 この子の生きる勇気になれる?

 

 

――どんなものよりも勇気をくれるんだよ――

 

 

「でも……」

 

 それは誰かと繋がると言うこと

 

 親しい大切な人ができると言うこと

 

 絆を持つと言うこと

 

 

 得られた絆を失うかもしれないと言うこと

 

 

 父を失った時のように

 

 

――勇気をくれるんだよ――

 

 

「怖い……」

 

 手足がブルブルと震えてくる。

 父を失った時に学んだはずだ。

 失うことの恐ろしさを。

 

 

――勇気を――

 

 

 胸に刻まれた深い傷が悲鳴を上げてくる。

 ギュッと瞼を閉じ、痛む胸を力の入らない指で掴む。

 

「怖いよ……父さん」

 

 

 

――勇気を出せ!スバル!!――

 

 

 

「っ!!」

 

 はっきりと聞こえた。

 夢には無かった父の声。

 

 星を握りしめた

 

「僕は……」

 

 足を持ち上げた。

 重い。

 今ままに感じたことのないずっしりとした重さだった。

 けど、引きずろうとは思わない。

 地から離し、前へと突き出した。

 伸ばした手はゆっくりと、しかし行き先に迷うことなく肩へと向かう。折れてしまいそうな薄い肩を、めいいっぱいに広げた手で覆うように掴んだ。

 覗き込んでくる碧色の瞳。嗚咽は止まっていないが、驚いたように見つめてくる。その先で、スバルの震える唇が動く。

 

「ぼ……僕の……」

 

 今度は吸い込まれない。

 一度目をつぶり、震える自身の体を食いしばる。手から伝わる柔らかい生地の感触と、その下から伝わってくる鉄のように冷たい体温。

 辛いのは、自分だけじゃない。

 

 

 

 勇気を……ください

 

 

 

 もう片方の手で父の形見のペンダントを握りしめ、閉じていた瞼を今までにないほど力強く開き、ミソラの瞳を見た。

 そこに映る自分の顔は自分でも嫌になるほど情けない。今にも泣き出しそうだ。

 かっこ悪い。

 でも、それでいい。かっこ悪くても良い。

 ただ、この一言を言えるのなら……

 

 震える唇で、ミソラに思いの限りの言葉を伝えた。

 

 

 

 

 

「僕の、ブラザーになってください!」

 

 

 

 

 

 ミソラを見つめる

 

 後ろの木々

 隣にいるハープ

 肩に置いた自分の手

 縞模様のミソラの袖

 見えない

 

 拭ってあげたい涙にまみれた瞳だけを見る

 

 それが細められた

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トランサーのブラザー一覧を開く。誰一人としてそこには記されていない。生涯無縁と思っていた新規登録の項目を選ぶ。

 

「じゃあ、行くよ?」

 

 こくりと頷き、スバルの左手へトランサーの機能を持ったギターを向ける。

 

 ピピッと言う音がなり、表示されていた文字が変わる。

 

 画面を確認するとミソラがいた。

 

「よろしくね、スバル君」

「うん。よろしく」

 

 ミソラの涙は無くなっていた。目を閉じ、ギターを両手で抱きしめる。

 

「温かいんだね? ブラザーって……」

「大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ? だって、私達繋がっているから! 広い世界の中で私は一人じゃないって確信が持てるから!」

 

 そこにあったのは新しいものだった。

 楽しさ、悲しみ、そのどれとも違う。

 力の籠った目を開いた。

 

「私、新しい一歩を踏み出せる気がする。ううん、絶対に踏み出せる! 私もスバル君も新しい自分になれるはずだよ?」

 

 町を見下ろせる場所まで行き、手に持っていたギターを構える。

 演奏が始まる。

 今日聞いたものとは違う、始めて聞く曲だった。

 そよそよと耳をくすぐるだけの風に力強さを与えていく。

 耳を澄ます暇もなく、ミソラは曲を終了させた。

 

 

「また新しい曲?」

「うん! 今の気持ちを曲にしたの! テーマはスバル君だよ!」

「ぼ、僕~?」

 

 照れくさくなり、頬に爪を立てた。

 

「もちろんまだ未完成だよ? 出来上がったら一番に聞かせてあげるね!?」

 

 にっこりと笑って見せた。

 彼女は何度も笑顔を向けてくれた。始めて会った時も、母の話をしてくれた時も、舞台の上でもだ。

 そのどれよりも、今のミソラは一段と輝いていた。

 

 心臓がこれでもかと血液を送り出す。

 頭が沸騰したように熱くなる。

 ミソラも、その周りの物も赤で塗りつぶされる。

 目は一点にとどまらず、それぞれが別の方向へ向けられ、グルグルと動き回る。

 口がからからに渇く。

 飲み込もうとした唾がつっかかる。

 肺がまともに機能してくれない。

 パクパクと口を開いても酸素が取り入れられない。

 呼吸が速くなる。

 

「どうしたの?」

「ふぇ!? あ、なななな何でもないよ!?」

「?」

 

 挙動不審なスバルに何も気づいていな様子だった。

 スバルは大きく息を吸い込む。高鳴る心臓は収まらず、言葉にできない感情が湧きあがる。

 

 この空気を読まずに、割って入ったのがあの男である。

 

「ごようだ~! ゼット波大量感知! どこだ~!?」

 

 桃色だった世界があっという間にむさくなる。

 見下ろした広場で五陽田刑事がアンテナをぐらぐらと揺らしていた。FM星人を相棒に持つ二人は急いで逃げなければならない。しかし、この展望台の出入り口は一つ。逃げ道も一つだ。その進路上に居座っている。

 様々な意味で邪魔だ。

 

「行くよ、ハープ!」

「ええ!」

 

 ギターを五陽田に向けて構えると、中にいるハープに合図を送る。

 

「え?」

「おい……」

「パルスソング!」

 

 中年親父はひでぶっと叫び、横たえた体から煙をたち上げ始めた。

 

「やったね?」

 

 惨劇を背景にミソラは満面のブイサインを向けてくる。

 スバルも同じく返しておくが、同じと呼べるか微妙なラインだ。ヒクつく指でかろうじてVを形作る。

 

「ロック……ブラザーってこんなに効果あるものなの?」

「俺に聞くな」

 

 広場が騒がしくなってくる。駆けつけてくる数人の影は五陽田の部下達のものだ。

 

「……あれは無理だね……」

「逃げようか、ミソラちゃん?」

「うん!」

 

 差し出されたスバルの手を取り、合言葉を叫ぶ。

 

「電波変換 星河スバル!」

「響ミソラ!」

 

 

 オン・エア!

 

 

 二人の声が重なり、響き渡る。

 青とピンクが寄り添うように空へと飛んでいく。良く見ると、青がちょっとだけ先行している。

 倒れた五陽田と、彼に駆け寄るサテラポリス達がグングンと小さくなっていく。彼らにいたずらっぽく笑い、スバルの手と重ねられた自分の手を見つめた。

 

 強く握りしめ、引っ張ってくれる彼の手を、優しく……けれど力強く握り返した。




 このシーン無くして、スバルの成長は無かったと私は考えています。だから、名シーンではなく、神シーンと銘打ちました。


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第三十六話.絆、響き合う

2013/5/3 改稿


 望遠鏡から目を離して戸棚の上に置いたトランサーを見る。寝るには良い時間だ。ウォーロックにテレビを消すように促すと、しぶしぶと消して戻ってくる。何か良い番組があったのかと尋ねながらトランサーの別のページを開いた。そこには、一人の女の子が映っている。

 

「うれしいのか?」

「……複雑かな? でも、後悔はしてないよ?」

「……そうか」

 

 涙を止め、笑ってくれたミソラを思い出す。ミソラを救ったのは自分だ。誇って良いことだと思うと、自然と笑みが零れた。あの時、勇気と手段をくれたのは……

 

「僕も、少しは強くなれたのかな? 父さん」

 

 側に置いてあった父の形見のペンダントにそっと触れる。

 

「え?」

 

 手の隙間から黄色が溢れてくる。さっと手を引っ込めると、星を象ったペンダントが光り輝いていた。意志を持つかのように宙に浮き始める。

 

「な、なに?」

「スバル、こいつは!?」

「僕も知らないよ!」

 

 恐る恐ると、宙を漂うそれに手を伸ばす。ふっとペンダントの光が消え、糸が切れたかのように落ちる。とっさにそれを掴み取り、マジマジと見つめた。

 いつものペンダントだ。

 

「なんだったんだろう、今の……?」

 

 ウォーロックに視線を送るが、彼も首をかしげるだけだった。

 

 

 週明けの初日。二人は朝早くから家を空け、ロックマンとなってウェーブロードの端に腰かけていた。

眼前に広がるのは学校だ。しかし、スバルが在籍しているコダマ小学校ではない。もちろん、これからここの校門をくぐるわけでもない。今日からこの小学校に復学をする人がいる。それを見届けに来ただけだ。ウォーロックがその人物に気づいて、スバルに声をかけた。

 来た。

 あの子だ。昨日のメールで言っていた通りだ。身構えるように立ち上がる。敵が来たわけでもないし、彼女が側に来たわけでもない。電波体になっている自分に気づくわけもなく、足の下を通り過ぎていく。そもそも、彼女に気づかれないために電波変換しているのだ。

 心配になって来たのは良いものの、直接顔を合わせると彼女にとっても迷惑になりかねない上に、余計な気を使わせてしまうからだ。彼女が向かう先は、スバルが見ていた校舎だ。少女にとっては大変な挑戦がこれから始まる。そう思うと、彼も座ってのんびりしているなんてできなかった。彼女を取り囲む人々の動きとざわめきに煮えくりかえるものを感じつつ、それを拳にして紛らわす。

 

 見せものだ。

 まるで動物園にやってきたパンダだ。そっくりなお団子がついたフードを被り、黄色いギターを背負った姿。アイドルとして活動していた時と同じ格好だ。話題のあの子だと言うことは素人ですら、一目で分かる。それに加えて、ご丁寧にマスコミが駆け付けている。アイドルを辞めたあの大人気歌手が復学するとか、お昼のニュースにもならないような取材をしに来ているらしい。彼らの程度の低さに呆れかえりそうだ。学校へと向かう者達だけでなく、会社に遅刻する事を伝えたサラリーマン達がトランサーを開いて写真を取っている。

 それを視界から拒絶し、タンタンと歩みを進める。

 集中する視線。指差すヤジウマ達。現役だったころとは違う、非難と中傷も含んだ人込みを分け、校門へとたどり着いた。中には風紀を取り締まる教職員がいるが、彼もファンなのだろう。仕事よりも己の好奇心を優先しているようだ。

 誰もいない。

 自分に味方をしてくれる者は誰もいない。物として、アイドルとして、壁一枚向こうから眺める奴しかいない。醸し出される空気が肺を冷たくする。徐々に足が重くなり、校門を前にして立ち止まる。

 それを、先日パートナーとなった相棒は見逃さなかった。ギターの中から、トランサーを開くように促す。

 言われるがままに、ギターを下ろし、ディスプレイを見る。

 ブラザーの写真が映っていた。無表情で、ムスッとしている。笑いかけてくれるわけでもないし、声をかけてくれるわけでもない。ただ、彼を見ているだけで良かった。朝起きてからずっと笑わなかった彼女の足取りが軽くなる。

 それを見て、FM星人はディスプレイ内で笑い返して見せた。

 

 校舎に消えていく姿を見届け、彼は背を向けた。彼女ならばもう大丈夫だろう。そして、もうひとつの理由が彼をそうさせた。

 

 

「学校に入る時にね、スバル君の事を思い出したの。そしたら、怖くなくなったんだよ」

 

「ほんと? 良かった。僕でも力になれたんだね? 学校はどう?」

 

「久々の学校生活で忘れてることばっかりだよ。給食があるの忘れて、お弁当持って行って行っちゃった」

 

「アハハ、やっちゃったね? それは晩御飯にしたの?」

 

「ううん。両方食べたよ?」

 

「よく入ったね?」

 

「まあね? 授業も一年遅れだから、さっぱりわかんないよ~」

 

「何が苦手なの? メール越しだけど、教えてあげられるよ?」

 

「スバル君は勉強できるの?」

 

「自宅で勉強してるよ」

 

「そうなんだ! すごい! 私、外国語は得意なの。曲に使うからね。国語もまあまあかな? 苦手なのは算数だね? 全然分かんないよ!」

 

「算数は積み重ねだからね。無理もないよ」

 

「じゃあ、今日の宿題代わりにやって!」

 

「それはダメだよ。自分でやらなきゃ」

 

「きゃは! だよね? 

 私ね、スバル君とブラザーになれたことで少し強くなれた気がするの。これから色々大変だと思う。でも、逃げずに、前を向いて歩こうと思うの。お互いに頑張って行こう!」

 

「うん。頑張ろうね」

 

「やった! スバル君と一緒なら私も怖くないよ!

 じゃあ、私はそろそろ宿題するね?」

 

「うん。じゃあ、お休み」

 

「お休み」

 

 パタンとトランサーを閉じた。文章メールはこれで終わりだ。

 

「ミソラの奴、これからも学校に行くんだな?」

「そうだね」

 

 トランサーから出ていた相棒に応える。しかし、スバルの目は一向に動く気配を見せない。頬を緩め、再び開いたトランサーのブラザー一覧に映っているミソラの顔をじっと見ている。以前言っていた、複雑な気持ちは嬉しいに変わったみたいだ。

 

「ところで、スバル」

「なに?」

「俺は最近、刑事ドラマにはまっているんだが……」

「刑事ドラマ? それがどうしたの?」

「今日、お前がとった行動って、ストーカーって言うんじゃないのか?」

 

 今日の行動を振り返る。

 ミソラに何も告げずに、見つからないように注意を払い、行動をずっと観察する。

 犯罪行為そのものだ。

 スバルの顔がサーッと青くなる。

 

「ち、違うよ! あれは……ミソラちゃんが心配だったから!」

「犯人の変態野郎は大抵そう言ってるぜ? それに、今まで他の奴らには、そんなことしなかっただろうが?」

「そ、それは……ミソラちゃんは、ブラザーだし! か弱い女の子だし……」

「電波変換できるぜ?」

「いや、だから……その……」

「ああ、やっぱりあれか?」

 

 ぱちりと指を鳴らした。その後の発言が止めだった。

 

「惚れたのか?」

 

 消えかかっているろうそくの様な、ゆらゆらと揺らいでいた火に、大量の油を流し込んでしまった。

 

「ロックー!!!!」

 

 獣のような吠え声。歯をむき出し、立ち上がっている髪がさらに逆立ち、両手を拳骨に固めている。異星人に目の錯覚というものが無いと仮定すると、今のスバルは炎を纏っている。

 危険を身に知らせる野生の本能に従い、ウォーロックはさっと寝床に逃げ込んだ。

 

「悪い、ほんとすまねえ!」

「まったく……」

 

 ウォーロックの素直な謝罪を受け、怒りの矛を鞘に収めた。ふぅと大きく息をついてベランダへと身を乗り出した。

 地球人の少年に怒られた異星人もトランサーからスッと抜け出して、そろそろと後ろに続く。てっきり星空を見上げると思っていたが、スバルが見ているのは町の風景だ。彼の目はほんのりと光る町の灯も、店のシャッターを下ろす南国の姿も、ここからでも見える展望台も捕らえてはいなかった。茶色い瞳が捕らえているのかここからでは見えないとあるものだとウォーロックは気付いた。

 

「行きたいのか?」

「え?」

「学校だ」

 

 あり得ない答えを出した相棒におどけるように返した。

 

「まさか」

「……嘘だな」

 

 スバルは意外そうに、ウォーロックがいるであろう何もない窓のそばを見る。

 

「お前は本当に興味が無いのなら、見向きもしないはずだぜ?」

 

 見抜かれていた。

 

「……そうだね……けど、行きたいってわけじゃないんだ……」

 

 もう一度さっきの方角に視線を移す。

 

「ミソラちゃんはもう学校に行き始めているんだよね……」

 

 先ほど(おこな)った、ミソラとのメールを思い出す。

 

 

 強くなれた

 

 逃げずに

 

 前を向いて

 

 怖くない

 

 頑張ろう

 

 一つ一つの言葉が、痛かった。鋭利な針を心臓に突き刺される気分だった。顔も声も使わない文章メールだから『頑張ろうね』なんて誤魔化せた。

 自分の顔を掴み、歪ませ、見えない校舎に目をやる。

 

「学校……か……」

 

 

 

 

第三章.響き合う(完)




 スバルはミソラから絆の強さと大切さを教えてもらい、ミソラはスバルのおかげで孤独から救ってもらう。そして、二人は互いに強くなっていく。この二人の関係が大好きです!


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四章.守者戦拓
第三十七話.三つの影


 四章のタイトルは誤字ではありません。

2013/5/3 改稿


 箸で裂き分けた一部分を摘まんで口に放り込むと、肉の旨味がいっぱいに広がる。母が作ってくれたハンバーグは素晴らしい。シェフも頭を下げて教えを請いたくなるレベルだと少年は素直な感想を漏らした。しかし、その隣にあるオレンジ色の塊は別だ。彼は一切手をつけない。自慢である母から注意を受け、憎き存在を睨みつけた後、嫌々と手を伸ばす。細い箸先から逃げるように転がる。食べてやると言うのにこの態度。いらっとするが、何とか捕らえて無理やり放り込んだ。

 それを見て、ようやく母も口角を上げた。

 

「今日、学校に行ってきたの。担任の育田(いくた)先生とお話しをしてきたわ」

 

 ぴたりと顎の動作が止まる。

 

「優しそうな先生だったわ……ちょっと変わっていたけれどね?」

 

 付け足した一文より、口内に染み込んでくる苦味とわざわざ学校に行った理由が気になった。

 

「一度、会ってみない?」

 

 歪めていた顔をさらに歪める。やはり、母は学校に行って欲しいらしい。

 

「スバルが良ければだけれど?」

 

 だが、息子の気持ちは分かってくれている。流石は一児の母親だ。

 そんな母親の鏡ともいえるあかねに、返事を返せなかった。ニンジンの醜い主張を噛み締めた。

 

 

 真っ白な天井を見上げ、背もたれに体を預けた。大きな体を支え切ろうと椅子のうめき声が上がる。聞きなれたその音から減量を改めて決意しつつ、天地は当時を振り返っていた。

 天地が思い出していたのはNAXA時代の出来事だ。当時NAXAが手掛けていた大プロジェクトに、末端ではあるが天地も参加していた。大吾が行方不明になる直前に入った通信の内容を思い出す。

 

「FM星人か……」

 

 大吾達は相手側の惑星との通信に成功した事と、彼らがFM星人だと名乗ったと報告してきた。しかし、その直後に宇宙ステーション『キズナ』は行方不明となってしまった。世間にFM星人という呼称を発表する雰囲気も暇も無く、この名前は当時にプロジェクトに関わっていた者達のみが知る内容となってしまった。そのため、天地と同じ元NAXA職員とは言えど、当時は新人社員でプロジェクトに関わっていなかった宇田海はこの言葉を知らない。知っていれば、キグナスに取りつかれることも無かったかもしれないが……

 背もたれの反動を利用して身を起こし、机の書類に目を通す。椅子がほっとしたような鈍い音を立てた。

 

「ゼット波……ねぇ……」

 

 自分達の分析結果では、このゼット波という電波は地球のものではないと判断した。つまりは、宇宙から来たものだと判断できる。

 FM星人もゼット波も地球外のものだ。

 

「……まさかね?」

 

 根拠が無いよなと仮説を否定した。それよりもと仕事を一旦横に置き、気分転換がてらに少年から預かった物を手に取った。約束通り、早めにこれを詳しく調べなければならない。

 ゼット波は専用の検査機器を用いなければ検出することはできない。天地が気付かなかったのは仕方の無いことだと言える。このペンダントから大量のゼット波が放出されていることに。

 

 

 ごろりとベッドに身を投げ出す。

 戸棚の上に並べられた日用品と共に並べられている、普段から身につけているアクセサリーへと目を移す。

 宇宙人が居候している携帯端末の青いトランサー。

 天地から譲り受けた父の形見のビジライザー。

 今日はこの二つだけだ。いつもはその隣にもう一つある。同じく父の形見である流れ星を象ったペンダント。今日はそれが無い。

 ミソラとブラザーバンドを結んだ日、ペンダントは謎の光を放った。自分で調べてみても分からなかったため、天地に預けて調べてもらっている。

 

「それにしても、あのペンダントの正体が気になるぜ……」

「もうじき天地さんから連絡がくるよ。電波変換にも影響は無いし、気にしなくて良いと思うよ?」

 

 ウォーロックと融合したとき、ペンダントは胸の模様と化している。天地に預けた後に、試しに電波変換を行ってみたが胸に模様は残ったままだった。ウォーロック曰く、電波体である彼の体内に残っていた残留データと言うものの影響らしい。

 

「とりあえず寝ちまうか?」

「待って」

 

 トランサーを手に取ってみると、メールが一件入っていた。お風呂に入っている間に来たらしい。開くとミソラの顔と文章が映し出される。

 

「ミソラちゃんとメールしてから」

 

 言い切るが早いか送られてきたメールへの返信を書き始める。

 ウォーロックの目から見ても分かる。ミソラからメールが送られてくると、スバルは毎回嬉しそうに返事を書くのだ。呆れた異星人がボソリと感想を口にした。

 

「ったく、お前ら毎晩メールしてるよな。恋人かよ?」

 

 少年の怒号と、異星人の悲鳴と謝罪が部屋から漏れた。スバルの顔が真っ赤だったのは想像するに容易い。

 

 

 夜の無い街、ヤシブタウン。

 天に向かって立ち並ぶビル群には会社や商店が詰められており、町の活気を賑すのに一役買っている。

 それよりはるか上空に奴らはいた。

 

「ハープは暴れた後に行方不明か……」

「アイツはバランス以前の問題ダ」

 

 紫色の女性に茶色い天秤が返答を返す。

 二人のやり取りに興味を示すこともなく、黄色い影は町を見下ろしていた。

 

「また屑が追加されるらしいが、手下も増やすか」

 

 黄色い影は二人を置き去りにするようにウェーブロード向こうへと消えていった。

 二人がふぅと息を吐く。

 

「……あいつといると息が詰まる」

「FM星王様の右腕……我々ですら歯がにかけぬカ」

「早く傀儡を見つけねば……」

 

 女性のFM星人、オヒュカスが長い髪を揺らす。焦っている様が丸わかりだ。

 

「相性の会う人間が見つからんカ?」

「いや、何人か候補はいるのだが……孤独が足りぬのだ。今度はここで探してみようと思っていたところだ。ではな」

 

 大都会へと飛び出し、ネオンの光の中に溶け込んで行く紫の光を見送った。

 

「さて、私も動くカ」

 

 

 一面真っ白だ。ミソラと出会う直前に見た、大吾と会った夢と同じだ。

 

「って、また夢!?」

 

 上下左右が分からない空間を漂いながらスバルは叫んでいた。

 

「おいおい、ここが夢の中だって言うのか?」

「そうだよ……って、あれ?」

「ん?」

 

 隣を見ると、ビジライザーをかけていないのにウォーロックが見えた。周波数を変えて肉眼でも見えるようにしているのかと思ったが違う。自分を見ているスバルに彼自身が驚いているからだ。

 

「夢……だよね?」

「俺に聞くな! だが、そうなんだろうな?」

 

 夢でなければ説明できない世界だ。

 だが、説明できないこともある。

 

「なんでウォーロックが一緒にいるの?」

「だから、俺に聞くな!」

 

 二人同時に一つの夢を見るなどあり得ない。

 

「我々が呼んだのだ」

 

 白い世界の奥から響いてくる声が二人を包む。

 いつでも電波変換を行えるよう、互いに身を寄せ合う。

 

「警戒することは無い」

 

 さっきとは別の声だ。

 どうやら相手は複数いるらしい。

 

「姿も見せよう」

 

 三つ目の声と共に、三つの影がスバルとウォーロックの前に姿を現した。

 自分達よりはるかに大きいそれを見上げる。黒い影がかかっており、はっきりとその姿を見ることはできない。しかし、ある程度の輪郭を確認することはできた。一人一人、輪郭のように纏っているオーラの色が違う。

 

 一人は青い天馬のような姿。

 

 一人は赤い獅子の様な姿。

 

 一人は緑色をした竜の様な姿。

 

 声色に違わぬ、威風堂々としたその姿にスバルはたじろいだ。

 

「な、なんなの?」

「我々の正体はまたの機会に話すとしよう」

 

 左に立っている赤い影が言う。

 

「それよりも、我々は、お前たちに伝えなければならぬことがある」

 

 右側の緑の影が言う。

 

「スバル、ウォーロック、今この星には脅威が迫っている。知っているな?」

 

 中央の青い影の言葉に二人は頷いた。ウォーロックが言っていたことだ。脅威とは地球に攻め込もうとしているFM星人達の事だ。

 

「それを救えるのはお前達。道を切り開くのは絆の力」

「運命に選ばれた戦士よ。絆を恐れるな。絆を信じよ」

「自らの手で未来を選ぶのだ」

 

 先ほどと同じ順で言葉を伝えてくる。

 

「絆? 父さんと同じことを……」

「おい、お前ら……」

 

 そのとき、世界が弾けた。

 

 

 ガバリと身を起こした。手に伝わるのはベッドが押し返してくる反力。足から伝わる温もりは布団から与えれらたもの。

 見渡す。

 日用品が並べられた戸棚。ビジライザーとトランサーもある。白い世界はどこにもない。

 トランサーを飛びつくように開く。

 

「ロック!?」

「お前も見たのか!?」

「うん、じゃあ?」

「ああ、夢じゃない!」

 

 二人は三つの影が言った言葉を思い出す。

 

「運命に選ばれた戦士?」

「絆の力を信じろ……か……」

 

 窓の向こうは、灰色の雲で敷き詰められていた。




 今章から、オリジナル展開が多くなります。原作とは違う点が多数あるので、楽しみにしてください。
 アニメ要素も取り込む予定です。


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第三十八話.幻想のヒーロー

2013/5/3 改稿


 時計が夕方頃を知らせてくる時間に、スバルはコダマタウンの地を蹴っていた。展望台と学校の目の前にあるバス停へと向かうためだ。

 つい先ほど天地から連絡があった。ペンダントの正体が分かったとのことだった。

 天気予報が言っていた通り、今朝と違ってもう雲は無く、青い空が見えた。バス停を目前にした横断歩道に立ち止まったところで、肩に手がおかれた。振り返ると無表情だった顔をしかめた。

 

「アナタ、いつになったら学校に来るつもりよ?」

「行かないって言っただろ?」

 

 理由は青い服を着た金のドリルがあったからだ。自分のクラスの学級委員長、ルナに毎度お馴染みの返答を返す。

 

「いい加減に来なさいよ!」

「いい加減に僕にかかわらないでよ!」

 

 平行線な意見のやり取りだ。

 

「なによ、もやしか青ネギか……ゴボウみたいにひょろっとしているくせに、変なところで頑固なのね?」

 

 なぜ自分はこんなに野菜に例えられるのだろうか。そんなに貧弱そうなのだろうか。

 そんな疑問よりもルナの言葉にカチンと来た。眉と頬がピクリと釣りあがったのを自覚した。なんとかギャフンと言わせたい。思考を巡らせ、ピンと閃いた言葉を口にした。

 

「僕が野菜なら、君は衛星女だね?」

「衛星? 人工衛星のこと?」

 

 左手についた赤いトランサーを掲げて見せる。この行為で大抵の人は察しがつく。

 誰もが持っている携帯端末、トランサーは最も有名な三つの人工衛星によって管理されている。ちなみに、それぞれがペガサス、レオ、ドラゴンと命名されている。

 

「衛星って言うのは、一つの惑星の周りを回っている星のこと。地球の場合は月だね?

 君の名前はアメロッパ語で月でしょ? 僕の周りをいつもつけまわしているストーカーの君にはふさわしいと思うよ? 衛星女さん?」

 

 「ミソラのストーカーのお前が言うな」という突っ込みは無視した。あれは不可抗力だ。スバルの閃きは抜群だった。悔しそうなうめき声と共に、二つの縦ロールが持ち上がっている。

 

「誰がアナタなんかの衛星になるもんですか!!」

「委員長!」

「落ち着きましょう!」

 

 言うまでもないが、お供二人も一緒だ。ずっとルナの後ろに立っており、二人のやり取りを見守っていた。慌てて委員長を押さえつけ、ゴニョゴニョと耳打ちしている。また何かを企んでいるらしい。

 咳払いをすると、いつもの高貴さを感じさせる女性の雰囲気に戻した。

 

「今度、学芸会があるの。私達のクラスは劇をするのよ。それにあなたも出てもらうわ」

「委員長が脚本、監督、主演を勤める一大イベントなんです!」

「皆の評判も良いんだぜ! これはコダマ小学校の歴史に刻まれるぜ!?」

「だから、学校には行かないって! しつこいよ!」

 

 ルナの眉がピクリと動く。ゴン太とキザマロが肩に手を置くと、ふーっと息を吐き出した。

 

「そうはいかないわ! あなたには大事な役をやってもらうつもりなんですから!」

「知らないよ! 勝手に決めないでよね!」

「どうしても出てもらわないと困るの。ちょっと舞台を見て行きなさいよ? あなたも出てみたいと思うはずよ?」

 

 すぐそばにある学校の校門を親指で指して見せる。バス停とコダマ小学校の校門は目と鼻の先だ。

 

「出ないってば!」

「学校はすぐそこよ? 放課後だし、誰もいないわよ?」

「嫌だって言ってるだろ!」

「大事な大事~な役なの! 一目見て行きなさいよ!!」

 

 どうやら引き下がる気が無いらしい。バスが車でもう少々時間がある。その間、ずっと言われ続けるのもいやだし、本来の目的が果たせれそうになり。

 とうとう、スバルが折れた。

 

 

 校門の前まで来る。眼前に広げられているグランドには、放課後に残って遊んでいる生徒達がちらほらと見える。人を避けて来たスバルはこのまま引き返そうかと考えてしまう。しかし、首を縦に振ってしまってからずっとスバルの後ろに控えているゴン太とキザマロがそれを許さない。仕方なく、ゆらゆらと振動しているドリルを追いかける。まるで、観念した囚人が連行されて行く様だ。そんな風変りな四人に集まる注目。ただ空気になりすまして受け流し、校舎の中に入る。入口である玄関の風景は三年前と少し変わっている様子だった。

 観察していると一人の男性が通りかかった。彼は四人を見つけると近づき、気安く話しかけてきた。

 

「委員長達じゃないか。どうした?」

「先生!」

育田(いくた)先生!」

 

 ゴン太の台詞に聞き覚えがあった。ご丁寧にキザマロの高い声が答えを導いてくれた。

 

「僕達の担任、育田(いくた)道徳(みちのり)先生です」

 

 ルナの相手をしている肌黒い男を観察する。

 まず真っ先に、髪が爆発したかのようなモジャモジャのアフロヘッドに目が行く。糸の様な細い目と対照的にずんぐりとした大きな体には研究者が身につけるような白衣を纏っている。ロープが首にかけられており、両端にはフラスコが括りつけられている。二つのガラス容器の中には、黒と白の液体が大きな体に合わせて波を打っていた。

 

「スバル、フラスコの中身が何か分かるか?」

 

 ゴン太に分からないと首を横に振ると、キザマロが解説した。

 

「コーヒーとミルクだそうですよ。あれで、いつでもカフェオレを飲むことができるらしいです!」

 

 なら、カフェオレを水筒に入れておけばいい。酸化していそうな黒い液体と、腐りそうで怖い白い液体を観察していると、それが近づいて来た。

 

「君がスバル君か。昨日お母さんとお話しをしたんだよ」

 

 母が言っていた言葉を思い出す。人の良い先生だと言っていた。確かに、顎鬚までパーマになったようなその顔は抱擁感が漂っていた。

 

「スバル君は、遂に学校に来てくれると言ってくれました! この私のおかげで!!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 劇のセットを見るだけの約束でしょ!?」

 

 あり得ない単語を平然と吐くルナを咎める。これを先生が本気にして、毎日登校するはめになっては困る。

 特に二文目を強調して言う委員長とスバルの様子に教師は察してくれたらしい。

 

「なるほど、読めたぞ。委員長、君が無理やり連れて来たんだな?」

「ち、違いますよ! 私はスバル君のためにって……ほっとけなかったから……」

 

 優しい女の子を意識させる桃色のオーラを被るルナを見て、子供3人、大人1人、異星人1人は嘘だと確信していた。

 子供達と同じ目をしていた育田がスバルの肩に手を置く。

 

「学校なんて無理してくること無いよ?」

「……え?」

 

 今度は別の4人が同じ声をあげた。異星人は子供4人の反応の意味が分かっていないらしい。

 教師としてあり得ない、あってはならない発言に目を丸くする子供達に育田は笑って言う。しかし、細い目の奥にある瞳の光は真剣そのものだ。

 

「人生にはね、学校で学ぶ公式なんかよりもよっぽど大切なことがたくさんある。学校はね、それを学ぶための一つの手段に過ぎないんだよ? 今のスバル君は学校よりも大切な何かを抱えているんだろう。それが解決した時……彼が本当に学校に行きたいと思う時。我々はその時を待っていよう?」

 

 本当の教師と言うのは彼の様な人を言うのだろう。

 公式を教えることなぞ誰にでもできる。時間はかかるかもしれないが、教師がいなくとも教科書があれば一人でもできる。

 しかし、子供と教科書だけでは学べないことがこの世には数え切れないほどある。同じく、大人だけでは学べないことも星の数以上にある。だからこそ、子供達よりも長い時間を生きている育田が学んできたこと、育田にしか伝えられない事を伝えようとしている。そして、それを通じて子供たちから学べることを学ぶ。それが育田道徳の教師としての姿勢だ。

 スバルにはそこまで分からなかった。しかし、今まで何度か自宅を訪ねて来た教師達とは全く違う人種なのだと言うことは理解できた。

 

「さて、私はそろそろ失礼するよ? 子供達と遊んであげる約束があるからね?」

「先生の子供って確か……6人兄弟だったっけ?」

「違うよ、7人だ!」

 

 ゴン太の質問に対して、自慢げに両手で七本の指を広げてみせる。

 

「本当に子供好きですよね?」

「子供は宝だよ! 子供を守るためなら私は命だって惜しまない。もちろん、君達生徒もね?」

 

 ポンとスバルの両肩に、毛むくじゃらの手を置いた。

 

「スバル君、何か相談したいことがあったら、いつでも私のところに相談に来てくれよ?」

「え……あの……」

 

 肩に置かれた手と育田の髭だらけの顔を交互に見やる。その動作で人生経験の多い育田はすぐに胸中を察してくれた。

 

「初対面の私に相談するのはちょっと気が引けるかな?」

「その……」

 

 的のど真ん中を縫い針で射抜いたかのような正確さだった。見透かされた心を隠すように俯いてしまうスバルの肩に、育田は両手を置いて腰を落とす。

 自分の目線まで降りて来た細長い目を窺うように見上げた。

 

「気にしなくて良いんだぞ。何か新しいことをするときは皆戸惑うものだ。けれどな、ちょっとの勇気で良いんだ。ちょっと勇気を出して一歩前に進むんだ。そうするとな、意外とすんなりと身になじんだりするものなんだ。だから、困ったことがあったら私に相談しなさい。分かったね?」

「…………はい」

 

 ニッとした毒気の無い笑みはスバルを心洗われたかのような気持ちにさせる。

 スバルの返事に満足したのか、子供達と過ごす時間を楽しみにしているのか。おそらく両方だろう。鼻歌を交えた軽い足取りで廊下の向こうへと消えて行く育田をスバル達は見送った。その途中、本当にフラスコからカフェオレを作って飲んでいるのが見えた。子供達の前でお腹を下さないか心配だ。

 

「先生はああ言っていたけれど、やっぱり学校には来るべきだと思うわ」

 

 途端にスバルは表情をムッと変化させる。育田の言葉を全面的に否定する台詞だからだ。

 

「だって、皆が揃わない教室なんて寂しいじゃない。先生だって、本当はそう思っているはずだわ」

 

 そこは否定できなかった。あれだけ子供を愛している男だ。スバルが学校に来てくれたら泣いて喜んでくれるだろう。

 

「先生が出席取る時、毎回お前の名前を呼ぶんだぜ?」

「君が帰ってくるのを誰よりも待っているんですよ?」

 

 一つだけ空いた席を、糸の様な目をさらに細くして寂しそうに見ている様が想像できる。

 チクリと胸が痛くなった。

 

 

 スバルのクラスメイト達は今日も体育館で練習していたらしい。舞台のセットがそのまま残されていた。町中を模した背景が用意されており、角が生えた赤いお面が床に転がっている。それと共に並べられた青色のお面を手にとった。こっちにも視界を確保するための穴が空けられている。それを見て非常に嫌な予感がした。

 

「これって……?」

「フフフ、あなたも気に入ったかしら? 今回の舞台の名前は……」

 

 脚本、監督、主演、学級委員長を兼ねているルナは声高らかに宣言した。

 

「『ロックマンVS牛男』よ!」

「ロックマン!?」

 

 嫌な予感的中。ウォーロックと電波変換したスバルの仮名が題名に入っている。そう、スバルが手に取ったお面は、ロックマンを真似たものだ。隣のお面は、スバルが公園で戦ったオックス・ファイアをモデルにしたものだ。

 

「あら? 知ってるの?」

 

 全力で首を右へ左へと往復させる。

 

「ロックマンってのは、ピンチの時に現れる謎の存在なんだぜ!」

「僕達も助けられましたからね?」

「今でも覚えてるわ! 私達は二度も助けられたのだから!」

 

 ルナが描いた劇はロックマンとオックス・ファイアの戦いを再現したものだった。ちなみに、背景が公園ではなく町中なのはルナの配慮だ。コダマタウンの人達にとってはあまり良い思い出ではないため、戦いの舞台は町中に変えたらしい。町を襲った牛男をロックマンが倒すというシナリオなのだろう。

 大人しいスバルにしては珍しくチッと舌打ちした。覚えていやがった。それだけ嫌な事態だ。好ましくない事態だ。目立つのが苦手なスバルには絶対に避けたいシナリオだった。

 

「あ、あのさ~君達の架空上の存在かなんかじゃ……」

「皆そう言うわ。けど、アナタと仲良さそうな天地さんも絶対にいるって言っていたわよ?」

 

 今度はゲッと声が漏れた。まだ覚えている人がいた。しかも人望の厚い天地だった。よく考えてみると、天地はキグナス・ウィングと闘っているロックマンに話しかけてきた。そんな彼が覚えていないわけが無い。今回ばかりは、脳裏に甦る彼の笑みが憎らしく思える。

 

「颯爽と現れ、怪人を倒し、華麗に去っていく! ああ、愛しのロックマン様! 素敵ですわ!」

 

 美女に好意を寄せられて嫌な気分になる男はいない。ましてやルナ程の美人ならば大抵の男が手を上げて喜ぶだろう。ただ、残念ながらスバルには良い気分とは言えなかった。

 どうやら、ルナの中ではロックマンはアイドルか何からしい。

 

「あの方は……そう! まさにヒーロー!」

「ヒ、ヒーロー!?」

 

 違った。もっと幻想的なものだった。意外とロマンチストなのかもしれない。

 

「アナタ、さっきからずいぶん挙動不審ね?」

「え? いや、そんなことは……」

「もしかしてあなた、ロックマン様……」

 

 ギクリと心臓が飛びあがった。

 

「ロックマン様のファンになったのね!? 良いのよ! 照れなくても! あなたとはまるで対照的な存在ですものね?」

 

 どうやら、もやしとヒーローを重ねる事は出来なかったらしい。再びカチンときたが、嫌味が含まれている委員長の言葉は受け流しておくことにした。とりあえず、自分が注目されることは無い。一応ホッとしておくことにした。

 

 左手が引っ張られた。

 両足が床から浮き、後ろに倒れ込んだ。床に鈍重な物がめり込み、脆い物が砕け散る不快な音。一瞬遅れて3つの悲鳴が広い閉ざされた世界にこだまする。

 音と共に破片が舞い、ガラスと木が混じったゴミ屑に手をかざして目を守る。

 

 一瞬の出来事だった。

 

 スバルが恐る恐る手を下ろすと、さっきまでいた場所を黒い物体が突き破っていた。

 照明だ。

 舞台の上から吊り下げられ、劇を盛り上げるために使われる大がかりな機械だ。その分重量がある。落ちてくる高さを考慮すると、当たれば大けが程度では済まない。凶器と化したそれは自身と床を破壊し、横たわっていた。

 

「な、なんですか!?」

「まるで、スバルを狙ったような…………」

 

 ウォーロックが引っ張ってくれなければ、今頃横たわっていた面子の中にスバルも含まれていただろう。

 命の恩人が頭上のウェーブロードを見るように促す。ビジライザーを下ろすと、体育館内のウェーブロードに誰かいる。不敵な笑みを浮かべ、電波の道を伝いながら壁をすり抜け、外へと出て行った。

 

「ごめん、ちょっとトイレに……」

 

 ルナ達から逃れるために、ありきたりな嘘をついて後を追いかけた。

 

 

 体育館を出て、すぐにトランサーを開く。

 

「ロック」

「ん?」

「ありがとう」

「ああ、気にすんな」

 

 人目のつかない場所を探す。と言っても、もう時間が放課後なため校舎内にはほとんど人がいない。監視カメラの死角となっている場所を探す。

 

「しかし、お前がヒーローか……ククク……」

「止めてよ、笑わないでよ……嫌だよ、ヒーローなんて……」

 

 ちょうど良さそうな場所を見つけ、左手を天井にかざした。ロックマンへと変身し、ウェーブロードへと昇る。

 相手は校舎の壁際にいた。こっちに来いと言うように、先ほどと同じく壁をすり抜けていく。

 後を追いかけて外へ出ると、そこは校庭だった。整備されたグランドの上空に広がるウェーブロードに出て、今まで日光の影に隠れていた相手の姿をようやく視認できた。

 

「なんだ、お前か……」

 

 どうやら、またもやウォーロックの知り合いらしい。つまり、FM星人だ。

 小柄で赤いそいつはハサミとなった片方の手を突きつけた。

 

「オレっちの名はキャンサー・バブル! 裏切り者のウォーロック! アンドロメダの鍵をいただくチョキ!」




 原作ではストーリーに絡まなかったキャンサー・バブルの登場です。
 ちなみに、キャンサー・バブルのしゃべり方ですが、アニメでは「オイラ……プク」ですが、ゲームでは「オレっち……チョキ」です。紛らわしい……


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第三十九話.水蟹との戯れ

 綺麗に整列した机達に囲まれ、育田は一人の男と対面していた。

 

「学習電波の導入には反対かね?」

「反対です! あれは体に悪影響を及ぼすと聞いています。まだ体ができあがっていない子供なんですよ! それに、私は子供達を勉強しか出来ない人間になんてしたくない!!」

 

 瞳が見えないほど細い目をまっすぐに校長に向け、ひるまず反論した。

 コダマ小学校を進学校にするというこの校長の方針を好きになれなかった。勉強ばかりしてもろくな大人になれないのは彼の持論であり、真実だ。有名大学を卒業したにも関わらず、無能な政治家達がたくさんいるのが証拠だ。

 育田は大切な生徒達をあんな愚かな存在にしたくなかった。だから、学校のカリキュラムを無視した授業を行っている。

 

「教師を辞めたく無かったら、私に従いたまえ」

 

 それだけ言い残し、校長は職員室から出て行った。

 ぽつりと残された育田に冷ややかな視線が浴びせられる。他の教師達だ。どうやら、今の時代に育田の様な教師は希少な存在らしい。少数派は叩かれる。いつの時代でもそうだ。

 自分の机に戻り、写真立てを手に取る。そこには幾つもの写真が並べられている。

 この学校を卒業した、育田が送り出した子供達。

 そして、7人の我が子。

 一人一人の違う顔をなぞって行く。

 

 

 グランドの上空で二つの影が向き合っていた。

 一人はスバルとウォーロックが電波変換したロックマン。

 もう一人は蟹だ。蟹の姿を象ったような頭と、2、3頭身ほどしかない小さい体。手は蟹特有のハサミになっている。

 

「キャンサー、お前、ガキにでもとりついたか?」

 

 キャンサー・バブルと名乗った赤い電波人間の隣に、蟹の幽霊の様な電波体が姿をあらわにする。

 

「おいらは千代吉(ちよきち)が気にいったプク! 千代吉に力を貸すプク!」

 

 敵意を向けるウォーロックに対して陽気な態度で答えて来た。どうやら緊張感とは無縁のFM星人らしい。

 

「と言うわけで! この挟見(はさみ)千代吉に”アンドロメダの鍵”を渡すチョキ!」

 

 ハサミを向けてくるキャンサー・バブルを無視して、良い機会だとウォーロックに話しかけた。

 

「前から訊きたかったんだけれど、”アンドロメダの鍵”ってそんなに大切なの?」

「……とにかく黙ってアイツの相手をしてやれ。キャンサーは害の無い馬鹿だ。さっさと終わらせるぞ?」

 

 確かにと頷きそうになるほど当てはまってはいるが、ものすごく失礼なので突っ込まないことにしておいた。「無視するなチョキ」と叫んでいる相手にウォーロックの口を向けてバスターを放った。緑色のエネルギー弾が地団太を踏んでいたキャンサー・バブルの顔面に食い込み、大きい顔の表面を湾曲させる。

 

「こ、こら! いきなりなんて卑怯チョキ!」

 

 さっき照明を落としたことを忘れているのか、心底悪いと思っていないのか。どちらにしろ性質(たち)が悪い。

 

「拘束するチョキ! バブルポップ!」

 

 両手のハサミをパクリと開き、中から数発の泡を飛ばしてきた。

 拘束という言葉から、ハープ・ノートと戦った時にロックマンが使ったチェインバブルと似た性質なのだと予測できた。捕まれば泡の牢獄に閉じ込められ、身動きが取れなくなるだろう。幸にも、泡の動きはそれほど速くない。バスターを乱発するだけで簡単に撃ち落とした。

 

「わ~ん! 撃ち落とすなチョキ!」

 

 戦いの最中に泣きだした。いじめているみたいで気分がよく無い。

 

「泡に閉じ込めて、このブーメランカッターでチョキチョキにしてやるはずだったのに!」

 

 大きなハサミとなっている両手を高く掲げて、短い両足をウェーブロードに叩きつけている。

 

「なるほど、ブーメランか。気をつけないと……」

 

 スバルがボソリと言った言葉に、相手はギクリと身をこわばらせた。顔には隠そうともしていない焦りが現れていた。

 

「な、なんでオレっちの技を知っているチョキ!?」

「千代吉、気をつけるプク! こいつ、エスパーかも知れないプク!」

 

 横に出て来たキャンサーも心底焦っている様子だった。二人は全身に冷や汗を浮かべ、得体のしれない存在を見るような目をしている。どうやら、キャンサーも挟見千代吉も、決して賢いとは言えないらしい。相手にするのが色々な意味で辛くなってくる。頭が痛い。

 

「ばれているなら使う必要はないチョキ! 最強の技、ダイダルウェーブ!」

 

 二つのハサミを、絨毯をめくり上げるように下から上へと持ち上げる。途端に大量の水が生まれて持ち上がり、ロックマンに襲いかかる。ロックマンの視界も、キャンサー・バブルの視界も水壁で満たされる。

 

「今プクよ!」

「フフフ、見えないところからの攻撃を食らうが良いチョキ! ブーメランカッター!」

 

 両手のハサミが腕からプツリと切り離され、クルクルと回転を始める。徐々に回転速度を上げ、コマの用に回り出す。

 

「行け! 挟み撃ちにしてやるチョキ!」

 

 ハサミの無くなった腕を見えないロックマンへと向けると、二つのカッターが空を駆けだした。今もロックマンへと迫って行く水の壁を突き破っていく。

 キャンサー・バブルには未来が見えた。悲鳴と共に倒れるロックマンと、勝ちどきを上げる自分の姿だ。

 

「ファイアバズーカ!」

 

 しかし、それは爆音によってかき消される。

 ダイダルウェーブの正面に大穴が開けられている。そこから青い影が飛び出した。ウォーロックの姿は岩の様な大砲に変わっている。バトルカードのファイアバズーカだ。破壊力抜群の大砲で水の壁を瓦解させたのだ。

 一応解説しておくと、キャンサー・バブルが逐一攻撃目的を解説してくれたため、挟み撃ちになる前にダイダルウェーブを突破してきたのである。

 それにも気付かずに信じられないと目を大きく開いてたじろぐキャンサー・バブルに向けて、新たなバトルカードを繰り出した。

 

「ホタルゲリ!」

 

 光をまとった足が見開いた大きな目に叩き込まれる。人は突然目に光を射し込まれると、一時的にではあるが視力を失う。それは電波生命体でも変わらない。

 

「ど、どこチョキ! 敵はどこチョキ!?」

 

 彼は忘れてしまっている。最後に行った自分の攻撃の特性を。彼が放ったのはハサミでできたカッターだ。そして、ブーメランだ。戻ってくる。多大な質量の水を突き破った二つの刃は衰えとは無縁の速度で戻ってくる。視界の無い彼に受け止めることなど不可能だった。自分の両手に、彼曰くチョキチョキに切り刻まれ、間抜けな悲鳴と共にウェーブロードの上を滑って行く。

 

「な、何するチョキか! お前ら!」

 

 頭に乗っかった自分が放ったハサミに怒鳴りながら腕につけて行く。二つ目のハサミをつけようとしゃがんだところで、ブンと黄色く鋭い物が鼻先に突きつけられた。

 ロックマンが向けるのはライメイザン。雷属性の剣だ。水属性のキャンサー・バブルには、さっきのホタルゲリと同じく弱点となる武器だ。

 

「キャンサー・バブル。君は電波体で戦うのは初めてだね?」

「ギクリ!」

 

 口でギクリと言う奴を初めて見たと、冷ややかな目で訴える。

 

「み、見逃して欲しいチョキ! オレっちが悪かったチョキ!」

「キャンサー、てめえは俺達の敵じゃねえ! 失せろ!」

 

 スバルの代わりに答えたのはウォーロックだ。倒せる敵を見逃すと言うウォーロックらしかぬ行為だった。多分、害の無い馬鹿と言うのが理由だろう。

 

「あ、ありがとうチョキ!」

「お、おいらも任務は辞めるでプク。地球で千代吉と暮らすプクよ」

 

 キャンサー・バブルが立ち上がり、中にいるキャンサーもお礼を述べた。大きい二つの目を細め、ドでかい口でにこりと笑って見せる。本当に害のない存在らしい。

 無邪気とも言える笑みに笑い返した。

 

「……え?」

 

 ロックマンは視覚が伝えてくる情報について行けなかった。目の前のキャンサー・バブルは閉じていた目を限界以上に見開いていた。横に広い顔の真ん中から黄色い柱が突き出ており、口にも少し届いている。自分のライメイザンに少し似ているが違う。ロックマンの左手の剣先は地に向けられており彼を貫いてはいない。

 

「使えないなお前は」

「な……んで、ロック、マンと……戦っ、たら、友達に……なって、くれるって……」

「嘘に決まってんだろ」

 

 涙まみれの訴えを当然のごとく切り捨てた。絶望に歪むキャンサー・バブルを剣ごと持ち上げる。

 

「殺す価値もねえ。失せろ」

 

 無造作に払った剣先からキャンサー・バブルを放り投げる。

 ウェーブロードからグランドへと投げ出され、埋もれるように横たわった。赤と白が渦巻く光と共に電波変換が解け、一人の紫色の服を着た少年・・・挟見千代吉へと姿を戻す。

 その隣でキャンサーが千代吉の名を叫んでいる。この男の言葉が嘘ではないとするならば、千代吉もキャンサーも命に別状は無いだろう。

 

「なんてひどいことを……」

 

 二人の会話からだいたいの事情は察することはできた。

 友人を求めている千代吉に甘い言葉を呟いてそそのかし、ロックマンにけしかけ、用が無くなれば何の躊躇もなく切り捨てる。信じる方も信じる方だが、千代吉の年齢を考慮すると騙されるなと責めることはかわいそうだ。なにより、疑うことを知らない年の子を平気で騙すなど、人として許されない非道な行為だ。

 ギリッと歯を食いしばり、スバルは目の前の男に敵意のまなざしを送った。

 

「君、何者なの?」

「スバル、構えろ!」

 

 相手の周波数を探っていたウォーロックがスバルに注意を促す。

 ウォーロックがここまで警戒したことは無い。それを知っている相棒はすぐさま電気を纏った剣を構えた。

 

「……知り合い!?」

「いや、初めて会う。だが……この周波数は知っているぜ」

 

 今のウォーロックに顔があれば、おそらく見たことのない表情を見せていただろう。緊張が左手から伝わってくる。

 

「屑でも俺のことを知っていたか」

 

 相手の体から黄色い光が形となって浮かび上がる。電気の塊の様な体に、黒い仮面が一つだ。

 

「知らねえ訳がねえだろう……」

 

 次に電波変換した人間の姿をもう一度確認する。

 黒い電波人間だ。

 オレンジ色をした短めの髪と黄色い角が生えたヘルメット。何もつけていない身軽な左手と違い、右手には肩から腕先までを角と同じ色の装甲で固めている。

 

「何者かって? 俺は……ヒカル。そして相棒は……」

 

 冷や汗を流すスバルに、黒い仮面の主が冷たい声で答えた。

 

「ジェミニ……FM星王の右腕だ」



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第四十話.黒雷との辛闘

 キャンサー・バブルを刺したものとは別の、同じ形をした剣を右手に構えて相手はスバルに名乗った。

 

「俺はヒカル。今の名前は……そうだな、ジェミニ・ブラックとでも名乗っておこうか」

 

 腰を落として臨戦態勢を整えるロックマンと対称的に、ジェミニ・ブラックは剣を下ろして悠然と立っている。

 

「ロック、ジェミニって?」

「落ちついて聞けよ?」

 

 ウォーロックの忠告。取り乱さぬよう、緊張を飲み込むように生唾を喉に流し込んだ。

 

「雷神の異名をとった、FM星王の右腕だ」

「ら、雷神……?」

「気を抜くな! それだけの実力があるってことだ!!」

 

 それだけと言われてもFM星の実力者達の上限が分からないため検討が付かない。しかし、今まで戦って来た強敵達以上の実力者であり、その分気を引き締めなければならないことは確かだ。動きを見定めるため、どちらの足を前に出すのかすら見逃さぬよう、目を凝らした。

 

「自己紹介は終わりで良いよな? なら、行くぜ?」

 

 視界が黒い。

 目を閉じたからではない。瞬き一つせぬように神経を研ぎ澄ませていた。視界が塞がれると言うことは無い。この黒は真っ暗ではない。光もある。

 ハッと左手を振り上げた。

 ガキリと剣に食い込む圧力、陽気に跳ねる黄色い閃光。押されるがままに体勢を崩されて片膝をつき、右手を添えて押し返す。

 目の前に迫っていたジェミニ・ブラックが右腕を振りおろしていた。相手は右手一本で、スバルの両腕と均衡している。ライメイザンを展開していなかったら、こちらの腕が持ってかれていた。

 

「そ、そんな……」

 

 見えなかった。

 スバルの神経の隙間を潜り抜けて来たかのように、最初からその場にいたかのように、気づけば目の前にいた。

 

「おいおい、オックス達はこの程度の奴にやられたのかよ?」

 

 左手と体重を加えれば押しきれるにもかかわらず、もて遊ぶように剣を振りあげ、再び右手を振り下ろす。体を踏み潰すかの様な圧力が、二度、三度と繰り返される。受け流すこともできず、剣で受け止めて耐え続けることしかできない。

 大きく剣を振り上げた時に相手の片足を蹴飛ばした。ジェミニ・ブラックがバランスを崩した一瞬の隙を突き、後方へと素早く退く。

 新たなバトルカードを取り出し、楽しそうな笑みを浮かべる黒い相手を睨みつける。

 ロックマンが次にどんな攻撃をしてくるのか気になるのだろう。追撃もせずに剣をしまい、もう片方の手を腰に当てて観察していた。

 

「プラスキャノン!」

 

 キャンサー・バブルの大津波を打ち破ったファイアバズーカに引けを取らない威力を持った大砲を放った。

 

「そんなもんかよ!」

 

 装甲に纏われた右手にバチバチとエネルギーが滞留する。掌へと収束し、塊となった雷をはりてのように突き出す。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 生み出された雷の柱はまさにレーザー。放った弾丸をかき消し、スバルを巻き込み、勢いのままに押し流した。

 続けざまに、身軽な左腕をロックマンがバスターを放つ時と同じように構える。

 

「ロケットナックル!」

 

 銃口のない腕から解き放たれた弾丸は自分の手だ。手首から切り離され、自由になったそれは意識を持っているかのように飛びまわる。5本の指を折りたたみ、拳へと姿を変えた手が迫りくる。

 

「バトルカード ジャンクキューブ」

 

 無機質な立方体を前方に召喚し、拳の弾丸を防ぐ。

 一息ついた直後に違和感を感じる。このジャンクキューブという物体はただの立方体の塊ではない。センサを内蔵しており、前方にいる相手に向かって飛んでいくトラップのような役割も兼ね備えている。なのにその場から動かない。

 死角となっていたキューブの向こうからジェミニ・ブラックが飛び出してきた。右手に雷の剣を生成している。彼がいたのは前方ではなく、前方の斜め上。キューブが召喚された直後に、センサの感知範囲外に跳躍していた。

 

「ブレイブソード!」

 

 切断と破壊の両方を兼ね備えた重剣で、相手のエレキソードに対抗する。力では押し返せないため、剣を斜めに立てて打ち払う。そのまま切り上げるように脇下を狙う。

 ジェミニ・ブラックの右手がロックマンの左手首をつかんで攻撃を止め、左足を振り上げる。狙うはロックマンの顔面だ。

 素早くしゃがんでかわし、その下を潜り抜ける。次の攻撃へと考えた時に背中に激痛が走った。ジェミニ・ブラックのかかとがロックマンの背中にめり込んでいた。ハイキックからかかと落としへと器用に変化させたらしい。一瞬ひるむが、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。地を蹴って相手の懐に潜り込み、体当たりをかます。

 流石に片足を上げている状態ではジェミニ・ブラックも体制を保つことはできない。ロックマンの体当たりに合わせて右足を振り上げてバク転し、勢いと衝撃を和らげる。綺麗に両足を地面につけ、着地ざまに右手のエレキソードを振り払う。

 スバルの左手が、彼の意識とは無関係に動いた。ブレイブソードの姿を保ったウォーロックがエレキソードを受け止める。なぎ払うような攻撃に流され、よろめく。続けざまに飛んでくる剣が肩をかすめた。それを無視して剣を突き出す。

 さっと後ろに飛びのいた。空を突き刺したロックマンの剣をかち上げ、左手を高く上げるロックマンの脇腹を蹴飛ばした。

 肋骨が嫌な音を立てた。折れてしまっているのならば、せめて一本であってほしいと願いながらジェミニ・ブラックからは目を離さない。自分を蹴飛ばした足に剣を切り払う。

 足を狙ってくるのは計算通りだった。素早く引いてロックマンとの距離を詰める。目の前にいるロックマンは背中を向けていた。

 空を切った剣の重量に任せて、スピードを加速させるように体を回転させる。勢いと威力を増した剣をジェミニ・ブラックに叩きつけるように払う。左手が激痛を伝えて来た。ジェミニ・ブラックの手刀がロックマンの手首から肘までの間、剣と化していない無防備な部分を捕らえていた。痛みにもだえるように脇を絞める。

 左足を軸にして右足を遠心力に任せて振る。ズシリという重い感触を確かめて思いきり蹴飛ばした。ウェーブロードを転がるロックマンに向かって大きく跳躍し、エレキソードを展開する。

 頭上から迫ってくるジェミニ・ブラックを見据え、ズキズキとする背中を無理やり伸ばして構える。体重、重力、全身のバネを利用した一撃を掻い潜る。背後では破壊音が爆ぜ、黒い煙がウェーブロードを走る。立ち上る煙の中に剣を振り下ろす。不意を突いたつもりだが、奴の雷の剣はびくともしない。体重を前にかけて必死に押し返すが、相手は涼しい表情を返すだけだ。

 

「これが限界かよ?」

「く……そ!」

 

 押しつけられていた剣が少し引いた。相手はまだロックマンの足掻きを見たいらしい。怒りを煽る笑みは今も絶えていない。

 ジェミニ・ブラックが油断している今が好機。胴をめがけて横になぎ払う。体の中心、故に最も避けにくく、攻撃を当てるには最適の場所だ。かするぐらいはすると踏んでいた。そんなスバルの期待を裏切り、剣と化したウォーロックが伝えて来た感触は空だ。渾身の一撃は空を切る空しい一薙ぎと化した。

 いない。

 射程内にいたはずのジェミニ・ブラックがいない。

 探そうとする前に頭が上へと跳ねあげられた。同時に顎を砕くような鈍い音と激痛。背中は自分がウェーブロードの上に倒れたと伝えてくる。唇からにじみ出てくる鉄の味を噛み締めながら、ぐらぐらと歪む視界を上げる。今も変わらずにある相手を見下したような笑みを携え、ジェミニ・ブラックが悠然と立っていた。違う点があるとすれば、殴りつけたくなる笑みが2,3個あるように見えることぐらいだろう。その分、スバルの痛恨の念を増長させる。

 今のジェミニ・ブラックの行動はトリックでも何でもない。スバルが剣を振るより早くしゃがんで避け、そのまま懐に潜り込んで顎をかち上げた。ただそれだけの作業だ。ボクサーが試合で見せるアッパーカットと同じだ。

 

「バルカンシード!」

 

 スバルはウォーロックにカードを渡し、バルカンシードを放つ。定まらない標準と、目にもとまらぬ速さで連射される無数の弾丸。前者は軌道を予測させぬ上に攻撃領域を広げ、後者は身の危険を察知すると言う作業を起こさせない。この二つが合わさり、相手に避けるという選択肢を許さない。しかも、相手の雷属性に有利な木属性だ。ジェミニ・ブラックにとっては厄介な攻撃だ。

 しかし、ジェミニ・ブラックの涼しい顔を歪ますことはできなかった。彼はロックマンから大きく距離を取る。バルカンシードは射撃武器でありながら、接近戦でこそ威力を発揮するカードだ。敵との距離が近ければ雨となった銃弾が相手をハチの巣にする。しかし、距離を取られれば、ばらまくように放たれた弾丸達のほとんどは標的がいる方向とはまるで違う方向へと飛んでいってしまう。ジェミニ・ブラックはそれを熟知していた。実際に彼のもとへと届けられた攻撃は数発だ。それでも、人の目では追えない速度を誇る弾を右手で受け止める。ロックマンが弾切れとなった銃を下ろすと、ジェミニ・ブラックが肩をすくめながら右拳を開いた。運よく飛びこんだ黒い塊達がウェーブロードへとパラパラと落ちて行く。

 驚愕するウォーロックに対し、スバルは冷静だった。攻撃は防がれたが、距離を取ることはできた。ならば遠距離で真価を発揮する武器を使えば良い。

 

「バトルカード グランドウェーブ!」

 

 スバルが初めて戦った電波ウィルス、メットリオ達が使って来た技だ。地表を走る衝撃波は追尾性を持っており、まっすぐにジェミニ・ブラックへと向かっていく。だが、逆に言えばこれは空を飛ぶものへの攻撃には向いていない。キグナス・ウィングと違い、翼の無いジェミニ・ブラックは空を飛ぶことはできない。しかし、跳ぶことはできる。別のウェーブロードへと跳躍する。

 それがロックマンの真の狙いだった。

 

「バトルカード マジクリスタル!」

 

 宙に浮いた彼に自由は無い。進行方向上にマジクリスタルを召喚する。ジェミニ・ブラックの前に突然現れた水晶は絶えることなく炎の塊を浴びせていく。

 ジェミニ・ブラックが取った行動は体をひねることだ。わずかしか変えることのできない姿勢を絶妙に操り、炎の群れを避けて行く。まるで空で踊っているかのようだ。炎を掻い潜り、赤い水晶に手をかけ、新たな足場として軽々と飛び越えた。これでは、相手に足場を与えてしまったも同然だった。

 

「ご苦労だったな」

 

 文字通り、ロックマンを見下す。スバルもウォーロックと同じく、歯ぎしりと共にヒカルとその隣に出て来たジェミニを睨みつけた。

 

「ヒカル、そろそろお遊びはおしまいにしてやれ」

「ククク……そうだな、これ以上遊んでやっても楽しめそうにないしな」

 

 遊んでやっている。控え目なスバルですら煮えくりかえるような怒りを感じた。ウォーロックに至っては完全に頭に血が上ってしまっている。スバルが渡した新たなバトルカードを乱暴に飲み込んだ。

 

「ガトリング!」

 

 バルカンシードと同じく連射性能を持つ銃だ。連射性能は低くなってしまうが、銃弾が描く軌道はまっすぐだ。狙った通りの場所へと攻撃を行うことができるため、これでジェミニ・ブラックに攻撃できるはずだ。

 しかし、それはロックマンが狙うことができればの話だ。狙えなかった。より正確に言えばロックマンの反射神経が、ジェミニ・ブラックについて行くことができなかったと言う方が正しい。飛びかかってくる弾丸を、右に左にと飛んで避けつつ、少しずつ距離を詰めてくる。ロックマンがその動きに泳がされているようなものだ。

 

「タイボクザン!」

「エレキソード!」

 

 当てることができないことと接近される事を確信し、素早くタイボクザンのカードを使う。ロックマンの草属性の剣が、ジェミニ・ブラックの雷属性の剣を迎え撃つ。属性の有利は単純な筋力差を埋めてはくれないらしい。深緑の剣は押し切られそうになり、右手を添えてグッとつま先に力を入れる。

 

「よそ見してて良いのか?」

 

 ジェミニ・ブラックが御留守になっている自分の左手を持ち上げて見せる。

 手が無い。

 ロックマンがしまったと思った時には遅かった。雷に打たれたかのような衝撃が走る。背中に食い込んだジェミニ・ブラックの左拳は電気を纏っていた。

 そのままロックマンの足をつかみ、力の限りに連れ回す。ウェーブロードに、時には校舎に、痺れて指一つ動かせない体を好き放題に打ち付ける。視界が目まぐるしく変わっていく。グランドのサッカーゴール、校庭の隅に沿って植えられた樹木、入り乱れるウェーブロード、教室の窓と、その向こうの机と椅子達、校舎のシンボルとも言える大時計、敷地外にある家々、体に激痛が走る度に、それらが右へ左へと移動して行く。

 目に映る光景は、ジェミニ・ブラックの爆笑のように渦巻く。

 おもちゃだ。子供に振り回されて遊ばれているお人形だ。玩具と化したロックマンは止めに自らが召喚したジャンクキューブに頭から叩きつけられる。

 

「はい、ゲームオーバー」

 

 切り離されたままの左手がぐったりとしたスバルの首を掴み上げる。

 右手にチャージされるエネルギー。

 ウォーロックもダメージを受けているのだろう。処刑を宣告する様を目で捕らえても、スバルと同じく動く気配を見せない。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 バリバリと大気すら破壊するエネルギーは、横に降り注ぐ雷となる。迫りくる雷撃を、ロックマンは力のない目でただ茫然と見つめていた。

 凝縮していたエネルギーが分散して行く様子を見送り、敵がいた場所に目を落とした。そこには何もなかった。ロックマンの姿も”アンドロメダの鍵”もない。戻って来た左手がバシリと手に戻ると、不機嫌そうに舌打ちした。

 

「電波変換が解けやがったか」

 

 ウェーブロードのすぐ下にスバルの姿があった。赤い服を着ている生身の状態だ。

 力尽き、強制的に解除された電波変換によって、電波でできているジェミニ・ブラックの左手とウェーブロードをすり抜けたのである。

 戦っている間に、いつの間にか屋上へと移動していたらしい。屋上に設けられた花壇に生えている草木の上にぐったりと横たわっている。様子を観察していたヒカルの横に、ジェミニが姿を現す。

 

「興ざめだな。まあ良い、屑を始末するぞ?」

「ああ」

 

 電波の道から飛び降りようと立ち上がる。

 頭を押さえた。ダメージなど一切食らっていないのに、苦悶の表情だ。

 

「時間切れか?」

「ああ……くそ! 肝心な時に……」

「仕方ない。あいつ程度ならいつでも倒せる。今回は引くぞ?」

 

 ジェミニに頷くと、ヒカルは歯ぎしりと共にその場を後にした。

 

 

 背中がむずむずと痒い。チクリとする痛みもある。真っ暗な世界に声が差し込んでくる。導かれるように、目を開いた。

 今朝見た時よりも青く、校門をくぐった時よりも近くなった世界に、淡い緑色が線となって波打っている。

 声は真上からではなく、少し右から聞こえてくる。ガサガサと首筋を擦れる感触に構わず、そちらに目を向ける。琥珀色の瞳が覗き込んでいた。紫色の髪飾りと、同じような色をした服装。

 

「スバル君、大丈夫?」

「う、うん」

 

 女の子と見間違えそうな端正な顔立ちだ。しかし、声と掴んでくれた手には発展途上ではあるが、まぎれもない男特有の逞しさがあった。スバルは屋上に設けられた花壇から這い出てお礼を言う。

 

「ありがとう」

「今日はいい天気だね?」

「……え?」

「こんな綺麗で……美しい天気が毎日のように訪れれば、皆が幸せになれる。そうは思わないかい?」

 

 何の前触れもなく天気の話題を振られた。戸惑いながらも、彼につられて確かめるように見上げてみる。彼の言うとおり良い天気だ。今朝とは大違いだ。確かにこんな天気が毎日続けば心は明るくなるだろう。

 

「あ、あれ? さっき僕の名前……」

「うん。生徒名簿で君の写真を何度か見たからね。すぐに分かったよ。僕は双葉(ふたば)ツカサ。君と同じ5-A組だよ。よろしくね?」

「そ、そうなんだ……よろしく、双葉君」

「ツカサで良いよ」

「え、でも失礼じゃ……」

 

 初対面の人を呼び捨てする。そんななれなれしい態度をとるなど、人付き合いに積極的でないスバルには難しい話だ。

 遠慮する人見知りなスバルに、愛らしい笑みを向ける。

 

「呼び方は大事だよ? 呼び方次第で相手と親密になれたりすることもある。だから……」

 

 ツカサは目でスバルに要求を促してくる。

 

「……ツ、ツカサ…………君……」

「フフフ……」

 

 そっと目を細める。たったこれだけの行為で、大抵の女の子はツカサに胸を高鳴らせてしまうだろう。

 

「僕達の担任の育田先生はね、出席を取る時に君の名前を必ず呼ぶんだ」

 

 さっきゴン太から聞いた言葉だ。どうやら、本当らしい。スバルが5年生に進級してから約一月の間、育田は欠かさずに『星河スバル』と呼んでくれていたようだ。

 

「もちろん、返事は返ってこない。その度に僕は想像したんだ。スバル君ってどんな子なんだろうって? 良かった。思っていた通り、良い人そうだ」

「そ、そんなことないよ」

 

 初めて言われた言葉だ。しかも会ったばかりの人にだ。ミソラと会った時とは別の意味で照れてしまう。

 

「フフフ、君はさっきから控え目だね? でも、僕はそんな君が嫌いじゃないよ?」

 

 人の心に染み込んでくるような声と話し方にスバルは動揺してしまう。おまけに彼の女の子の様な顔つきは、甘い空気を醸し出す。

 

「これは予感だけど、君が学校に来てくれれば、もっと学校が楽しいものになりそうな気がする。僕らは気の合う友達になれるかもしれない」

「友……達……?」

 

 思ってもみなかった単語だ。ずっと拒絶し、無視してきた言葉だ。

 目の前に現れた双葉ツカサは平然と困惑するスバルに宣言する。

 

「じゃあね、君とはまた会いたいな。スバル君」

 

 出会いが突然なら別れも突然。ツカサは屋上のエレベーターに乗り込んだ。

 狭くなって行く紫色の背中をぽかんとした表情で見送っていた。

 

「……ツカサ君……不思議な子だな……」

「スバル、なんなんだあいつ?」

 

 トランサーを開くとロックも疑問を含んだ表情をしていた。この星に来てわずかな時間しか過ごしていない彼にとっても、ツカサと言う存在は疑問に思う存在らしい。

 

「あ、ヒカルとジェミニは!?」

「大丈夫だ。もう気配は無い」

 

 ビジライザーでウェーブロードを見上げるスバルを、ウォーロックは落ちつかせた。

 

「次は……勝てるかな?」

「……さあな……」

 

 晴れ渡る空と違い、スバルの心には今朝の様な暗雲が立ち込めていた。



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第四十一話.三賢者

2013/5/3 改稿


 ツカサと別れ、ずっと体育館で待たせていた委員長に怒鳴られ、ようやく学校を後にしたスバルはアマケン行きのバスに乗り込んだ。

 

 天地が調査した結果、父の形見だったペンダントは通信機能を持っていることが分かった。突然その機能が起動した原因はブラザーバンドだ。ペンダントのすぐ近くでブラザーバンドを結んだ時、つまり持ち主が誰かとブラザーを結んだ時、通信機能が起動するようにプログラムされていたらしい。よって、スバルがミソラとブラザーを結んだ日の夜にペンダントは光ったのである。しかし、劣化しているためか通信機能が思うように電波を受信してくれていない。

 以上が天地の調査結果だった。それ以上の細かい内容はNAXAに引けを取らない優秀な科学者である彼でも分からなかった。

 

 

 コダマタウンに戻ったスバルが訪れた場所はまたしても展望台だ。今は広場へ続く階段を一段一段昇っている。電波の通り道であるウェーブロードは地上よりも空に多く展開している。高い場所でペンダントを掲げれば、通信状態が改善されると考えたのだ。

 

「試してみるんだな?」

「うん」

 

 うす暗く、脇に並んだ木々のトンネルを潜り抜ける。わずかな光に照らされ、なされるがままに上下に揺れるペンダント手に取る。

 

「父さんは、これを僕に残して行ってくれた。きっと、僕がブラザーを結ぶって信じてくれていたんだ。そして、その時に何かを伝えようとしてくれた。そんな気がするんだ」

 

 広場を通り過ぎ、ウォーロックやミソラと会った見晴らし台へと階段を踏みつけた。胸元の違和感がスバルの足を止めた。服越しに擦れていた感触が無い。本来ならば頭上から降り注ぐはずの光が視界の下から来る。俯くと、ペンダントはうっすらと光を放ち宙に浮いていた。通信機能が作動している証拠だ。スバルの考えが正しかった事を物語っていた。

 グンと膝に反動をつけて、飛び上がるように踏み場を飛び越えた。二段ずつ上へと上がって行くスバルと相成り、放たれる輝きは濃さを増し、手中にあるペンダントは浮力を上げて行く。

 

「おい、みょうだぞ!」

「何が!?」

 

 ウォーロックの説明が返ってくる前に気付いた。

 

 揺れる。

 大気がだ。

 

 風ではない、空気だけが地震を起こしているかのように徐々に大きくなって行く。深い緑の葉が耐えきれずにパラパラと落ちてくる。

 

「電波だ! 何かとんでもねぇもんが近づいてきやがる! スバル、そいつを壊して引き返せ!」

 

 怯えていた。あのウォーロックがだ。ジェミニと対峙した時は警戒していたが、今度は違う。完全に気圧されていた。乱暴でガサツではあるがどんな危険にも自ら喜んで飛びこみ、敵を前にすれば勇み突き進むあのウォーロックがだ。目に見えぬ相手に逃げることを選択した。

 

「嫌だ!」

「何!?」

 

 いつも消極的なスバルが相棒の意見を強く拒絶した。

 

「お前、この状況が分からねぇのか!?」

「これは、父さんの形見なんだ! 唯一の手がかりなんだ!!」

「馬鹿野郎! そんなこと言っている場合か!」

「それでも嫌だ!」

 

 ミソラの事でからかい、スバルが不機嫌になって文句を言ってきたことはある。しかし、今回は違う。スバルは、ウォーロックの発言や態度、全てを否定した。

 短気なウォーロックが掴みかかろうと、トランサーから出ようとする。

 

「父さんの事何も教えてくれないくせに、口を挟まないでよ!」

「っ!」

 

 ウォーロックに今までにない怒鳴り声を浴びせ、足を大きく踏み出した。昇る度に振動は大きくなり、スバルの細い体に重圧をかける。転げ落とそうとする力に対し、鉄でできた階段に足を食い込ませるように踏みつける。歯が悲鳴をあげるほど顎を噛み締め、ポツポツと星が浮かぶ世界を見上げる。たった十数段先にあるはずなのに、恐ろしく遠くにあるようにすら感じる。茶色に灰色の雲が映った瞳には相棒と違って怖れは無かった。一段一段足を踏み出して行く。無情にも、スバルの行動に比例して光は強くなり、拒絶するかのような力も増して行く。それでも意志と歩みは変わらない。対抗するように父を求める思いも強くなる。少年の背中を押していく。

 

「父さん、僕は……」

 

 最期の一歩を踏み出し、ペンダントを首から外す。

 

「ここにいるよ!」

 

 力の限りに握った右手を太陽の見えない空へと突き上げた。

 少年の強い思いに応えるように拳から漏れる光は己の存在を強くし、寂れた世界を眩いばかりに照らしつけた。

 

 空気の地震は止み、握ったペンダントが光を閉じた。眩しくて閉じていた目をそっと開くと、限界まで見開いた。目が捕らえたのは三つの巨大な光だ。赤、青、緑と順番に並んでいる。

 

「こいつら……電波体か! お前らがさっきの原因か!?」

 

 光ではないとウォーロックが丁寧に説明してくれた。ビジライザーをかけていないのに見えているため、相棒の説明があるまで気付けなかった。

 大きすぎる彼らを見上げてみる。青は天馬、赤は獅子、緑は竜を思わせる姿だ。そこでようやく二人は気付いた。

 夢に出て来た奴らだ。

 

「やっと、会うことができたな。星河スバル、ウォーロック」

 

 中央の青い天馬が、三人を代表するように話しかけて来た。

 

「我々は、三つのサテライトを管理する者だ。私はサテライトペガサスの管理者、ペガサス・マジック」

「サテライトレオの管理者、レオ・キングダムだ」

「同じく、サテライトドラゴンの管理者、ドラゴン・スカイ」

 

 青い電波体に続き、赤と緑が続いて自分の名を告げる。

 相手の名乗りを聞いてスバルはますます混乱していた。

 ペガサス、レオ、ドラゴンという三つのサテライトは、トランサーの通信網の要となっている三つの人工衛星のことである。彼らはそれらの管理者だと言う。

 なぜ、ウォーロックと同じ電波体である彼らがそんな事をしているのか。そもそも、なぜ自分達の名を知っているのか。ただ、先ほどのペガサス・マジックの口ぶりからすると、かなり前からスバルとウォーロックの事を知っている様子だった。

 

「まさかお前ら、AM三賢者か!?」

 

 思い出したように言うウォーロックの言葉に、三賢者と呼ばれた三人の電波体はこくりと頷き肯定した。

 スバルはAMと言う言葉に聞き覚えがあった。展望台で実験をしていた宇田海に会う直前に、この場所でウォーロックが説明してくれた内容を思い出した。

 AM星だ。

 ウォーロックが来たというFM星の兄弟星で、同じく電波生命体が住んでいた惑星だ。しかし、FM星からの攻撃を受けて今は生命の存在しない星になっていると言う。

 

「AM星の人達?」

「ああ、こいつらは豊富な知識と強大な力でFM星にまで名をとどろかせていた存在だ。まさか……生きていたとはな……」

 

 電波生命体の中でもとりわけ有名な存在らしい。それに納得した。三賢者と名乗った彼らから発せられるオーラはウォーロックが持つ物とは比べ物にならなかった。

 

「FM星とAM星が戦争になる前に、行方を晦ましたと聞いていたが、まさか、地球に来ていたとはな……」

「そうだ……あのおそるべき兵器が投下される前にな……」

「恐るべき兵器?」

 

 レオ・キングダムの言葉にスバルは首をかしげた。答えたのは、ウォーロックだ。

 

「アンドロメダ……だ……」

「え?」

 

 出てきた言葉は、ウォーロックが持っているというカギの名前。スバルは目を見開いた。

 

「アンドロメダ……って……」

「そうだ、俺が持っているカギだ。これは、あいつらの最終兵器、アンドロメダを起動させるカギだ」

「そ、そんなモノを……」

 

 スバルは首をぎこちなく横に振る。今までの話の内容からすると、AM星はアンドロメダという兵器によって、死の星に変えられたと言うことになる。星一つ潰す力を奴らが持っていると、ウォーロックは以前言っていた。そういうことだったのかと、ようやく理解した。これは、何があっても守りきらなくてはならない。

 

「さて、本題に入ろうか。星河大吾の息子よ」

 

 彼らがその場に立っている。それだけでスバルの足はすくみそうになっている。それでも、彼らに向き合う。父に関する情報かもしれないからだ。

 

「僕達だけじゃなく、父さんの事も知ってるんだね?」

 

 やはり、父のことを知っている様子だった。しかし、現実はスバルの予想を超えていた。

 

「知っているとも。おそらく、お前以上にな」



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第四十二話.父の秘密

2013/5/3 改稿


 展望台でスバルとウォーロックは三つの巨大な影と向き合っていた。三人の電波体に疑問を投げかける。

 

「なんで僕達のことを知ってるの? 夢に出て来たのもあなた達なの?」

 

 聞かなければならないことはまだまだたくさんある。三賢者と呼ばれた彼らに一番の疑問を投げかけた。

 

「あなた達はこのペンダントと何の関係があるの? 父さんのことをどれだけ知ってるの!? それに……なんで僕達の前に現れたの!?」

 

 父の形見のペンダントが光り、この三賢者が現れた。天地が言っていた通信機能が彼らを呼び寄せたとしか考えられない。そして、スバルとウォーロックの夢に出て話しかけて来た。

 最初から二人を知っていたかのようにだ。

 

「先に二つ目の質問に答えておこう。あれは夢ではなく、意識だ」

「お前達の意識に話しかけたのだ。今のように、我々の意識だけをお前達の意識へと飛ばしてな」

 

 レオ・キングダムとドラゴン・スカイが答えた。どうやら、目の前の三人はこの場所にいるのではなく、それぞれのサテライトから意識だけをこの場所へと飛ばしているらしい。

 

「次に……我々と星河大吾との関係について話さねばならぬな」

 

 ペガサス・マジックの答えに、スバルが一歩足を前に踏み出した。その目は相手を睨むかのようだ。

 

「我々は、星河大吾と共にブラザーバンドを作った者だ」

「……え? 父さんと!?」

 

 父が発明したブラザーバンド。その開発の手助けをしたと彼らは言う。

 

「星河大吾、誰よりも絆を大切にする男だった」

「我々は持てる知識と力を、彼の理想に役立てることにした」

「そのビジライザーとペンダントは、大吾が我々と連絡を取る時に使っていたものだ」

 

 ペガサス・マジック、レオ・キングダム、ドラゴン・スカイは思いだすように言葉を紡ぎ出した。

 スバルはビジライザーとペンダントにそっと触れた。ようやく、天地ですら分からないと言っていた、それぞれの本来の用途が判明した。

 これで、三つ目と四つ目のスバルの疑問が晴れた。同時に、一つ目の質問の一部が分かった。

 

「父さんから僕のことを聞いていたんだね?」

 

 スバルが一番初めにした質問、『なぜ自分達を知っているのか』。

 察したスバルに三賢者は頷いた。

 

「それに、時たまにではあるがお前の様子は観察させてもらっていた」

「ウォーロックよ。お前がペガサスのサテライトに近づいたときから、お前をも観察させてもらった」

「星河スバルと出会い、行動を共にするようになるまでも、それ以降もな」

 

 ウォーロックは地球に来た時を思い出した。確かに、ペガサスのオブジェが付いた人工衛星の側を通過した。

 これで、完全に一つ目の疑問が解決した。残るは、五つ目の質問のみだ。

 

「もう一度聞くよ? なんで、僕達の前に現れたの?」

「お前達の意識に現れた時に話さなかったか?」

 

 ペガサス・マジックの答えに、二人は記憶をたどって行く。

 

「この星に脅威が迫っている?」

「絆の力がこの星を救う……だったか?」

 

 覚えてくれていた二人に、ペガサス・マジックは頷いた。

 

「我々は、戦いの準備をしに来た。もうじき訪れるであろう、決戦の時に向けてな」

 

 ドラゴン・スカイの言葉に、なんで今更という疑問が湧いた。準備をするならば、早く始めるに越したことは無いからだ。

 スバルが疑問を口にすると、レオ・キングダムが答えた。

 

「星河スバル、お前が大吾の意志を継ぎ、絆の大切さを知ったからだ。そのペンダントが我々に知らせてくれたのだ」

「絆の大切さ……ブラザーバンドのこと?」

 

 スバルはミソラとブラザーバンドを結び、絆の温かさを知った。彼女を助けるつもりでブラザーになったが、同時に自分に自信が付いた。星を見て寝るだけだった夜の時間に、メールという新たな楽しみも貰った。全て、ミソラと繋いだ絆がもたらしてくれたものだ。

 

「我々は待っていたのだ。お前にブラザーができるのを」

「人は守るものができた時、初めて本当の強さを手にすることができる」

「お前が、守りたいと思える大切な存在ができるのを、我々はずっと待っていたのだ」

 

 大切な存在と言われ、自分に向けてくれたミソラの笑顔が脳裏をよぎった。慌てて振り払い、顔の熱も下げる。

 

「大いなる脅威、FM星人達の魔の手が迫っている」

「それが舞い降りた時、お前の大切な人々は失われる」

「育んできた絆も、生まれたばかりの絆も、ことごとく切り裂かれるであろう」

 

 言われて想像してみる。母親やミソラがいなくなった世界。

 

「い、嫌だよ! そんなの!!」

 

 スバルに受け入れられるわけが無かった。

 

「お前たちは、その脅威に立ち向かわなければならない」

「……なんで僕とロックが!?」

 

 ドラゴン・スカイの言葉に動揺するスバルに、レオ・キングダムが代わりに答えた。

 

「これも星の運命だ。お前が星河大吾の息子として生まれた時から、すでに決まっていたのかもしれぬ」

 

 レオ・キングダムの言うとおりかもしれない。三賢者と協力し、ブラザーバンドを作り出した偉大な男の息子として生まれ、彼が愛用していたビジライザーとペンダントを受け継ぎ、異星人であるウォーロックと出会い、彼と共に戦う力を手に入れた。これはスバルの運命であり、彼が成し遂げなければならない役目だ。

 

「情けない話ではあるが、我々ではこの脅威に打ち勝つことは出来ぬ。お前達が融合した力、すなわちロックマンの力が必要だ」

「そして、お前達が脅威に立ち向かう術として、我々は力を授けに来た。ようやく、お前たちにこれを受け入れる準備ができたからだ」

「受け入れるには絆の大切さ……すなわち、ブラザーの精神を知る必要があったのだ」

 

 体が冷たくなるのを感じた。スバルの目の前にいる三つの電波体。ウォーロックや今まで会って来たFM星人達なぞ軽く捻り潰してしまいそうな存在だ。言葉を間違えて捕らえていなければ、彼らの体から溢れんばかりに滲み出てくる力を分けてくれると言うことらしい。

 

「ブラザーの精神を持った電波人間なら、もう一人、ハープ・ノートって奴がいるぜ? そいつにもお前らの力ってやつを与えりゃあ、戦力になるんじゃねえのか?」

 

 ウォーロックに言われて初めてスバルは気づいた。ミソラとハープも共に闘うと言ってくれている。伝えた方が良いかもしれない。

 しかし、二人の期待に対し、三賢者は首を横に振った。

 

「あのハープというFM星人では、我々の力を受け入れることは出来ぬ」

 

 ペガサス・マジックの返答に、スバルは肩を落とした。

 

「我々と周波数が違いすぎるのだ。その点、ウォーロック、お前の周波数ならば受け入れられる」

「ウォーロックよ、我々の力を受け入れるのだ。その力は、ロックマンとなった時、星河スバルの心が引きだす」

 

 ペガサス・マジックとドラゴン・スカイの言葉を聞き、スバルはウォーロックを見た。相変わらず人相が悪くて、今の表情が読みとれない。乱暴者で好戦的な彼ならば、大きな力を手に入れられると聞けば、喜んで受け入れるだろう。彼はFM星王に復讐をしたいとも言っていた。二つ返事をするとスバルは読んでいた。しかし、その読みは外れる。

 

「お前らAM星人は、故郷を奪ったFM星人が憎いはずだぜ? なぜ仇であるはずの俺に力を貸すと言うんだ?」

 

 ウォーロックにはそこが疑問だったらしい。FM星を裏切ったと言えど、仇であることには変わりないからだ。

 

「ならば逆に訊こう」

「お前はなぜ、FM星を裏切った?」

 

 レオ・キングダムとドラゴン・スカイが逆に質問してきた。

 返答に困っているウォーロックを見て、スバルにも疑問が浮かんだ。この二人の電波体の言うとおりだ。ウォーロックはFM星の王を憎んでいる、復讐すると言っていた。しかし、その理由を口にした事は無い。彼の行動理由の根幹を、スバルはまだ知らなかった。

 ウォーロックの答えに耳を傾けるが、それが述べられることは無かった。

 

「ケッ! そんなの俺の勝手だろう?」

「ならば、我々も好きにさせてもらうぞ?」

「……チッ! 好きにしやがれ!」

 

 結局、ウォーロックが理由を話すことはなかった。

 

「今こそ、お前たちに我々の力……『スターフォース』を授けよう」

 

 三賢者の体が光る。ペガサス・マジックからは青、レオ・キングダムからは赤、ドラゴン・スカイからは緑の光が八方に放たれる。それらは徐々に彼らの眼前へと収束し塊となる。スバルの手に収まるのではないかともうほど小さい。しかし、スバルの顔に当てられる三つの光は、目を覆いたくなるほど眩い。秘められている力の大きさを物語っている。

 

「受け取るがいい」

 

 ペガサス・マジックの言葉が合図だった。彼らの力、スターフォースは光に見とれていたウォーロックの体にふわふわと近づき、胸からゆっくりと浸透していく。

 

「……って、おい? なんともねえぞ?」

 

 胸をさすり、自分の体の具合を確かめていたウォーロックが拍子ぬけたように三賢者に疑問を投げかけた。スバルも同じだ。ウォーロックが力を得て歓喜するのかと思っていたからだ。全く違う反応を示す相棒を見て、ウォーロックと同じ目を彼らに向ける。

 

「言ったはずだ。力を引き出すのは思いだ」

「星河スバル、お前が誰かを守りたいと思った時、スターフォースは発動する」

「ウォーロックに力は宿った。その力をものにできるのかは、お前達しだいだ」

 

 気を取り直してウォーロックを見ると、鋭い爪が付いた両手に目を落としていた。三賢者の言葉を疑っているようで、閉じたり開いたりして力を確認している様子だった。

 

「では、我々はこれで失礼する」

「再びお前達の成長を見守らせてもらおう」

「星河スバル、ウォーロック、健闘を祈る」

 

 言い終わるが早いか、辺りが一瞬で白に染められた。しかし、その白もすぐに消滅した。三つの電波体と共にだ。

 

「消えた?」

 

 辺りを見回し、頭上へと視線を移す。視界に映ったのは寂れた展望台、どこまでも続く星空だけだ。夢を見ていた気分だった。全く知らなかった父の秘密は、スバルのまだ幼さの残る心には唐突過ぎた。ぐったりとした疲労も突然襲ってくる。

 ウォーロックも同じようなものだった。AM星で最も名のある電波体が生き残っており、地球に来ていたという事実にだ。そして、彼らは自分の正体を知っていた。体に収まった三つの力を探してみるが、どこにも見当たらない。騙されたような気分でトランサーに戻ると、慌ててスバルに重要事項を伝えた。

 ウォーロックに言われるがままに、スバルはトランサーを開いた。表示される数字を見て、一瞬で顔が真っ青になる。さっと踵を返し、転げ落ちるように階段を駆け下りた。家に帰れば、般若と化した母が待っていることは必至だった。



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第四十三話.迷い

2013/5/6 改稿


 とろみのある茶色い液体がポコポコと泡を吹く。かき混ぜていたおたまを手放し、ガスを切って火を止めた。

 家に帰ると母のあかねはおらず、今日の昼ごろのやり取りを思い出した。急なパートが入ったため、夜はいないと言うことだ。

 作ってくれていたカレーを温めなおして一人で夕食につく。だだっ広いリビングの中でスバルが発する音が響く。そこに混じるのは電子音だ。ウォーロックがスバルの部屋に置いてあるテレビとは比較にならない大画面でお気に入りの刑事ドラマを見ている。

 ビジライザーをかければ、テレビの前で浮遊している彼が見えるだろう。そして、始まったドラマが気になると同時に、別のことを気にしている様が確認できた。いつもよりも音量が小さいことにきづきもせず、スバルはスプーンを手に取った。

 ニンジンがたくさん入った母のカレーだが、スバルはしっかりとそれを除けてよそっている。それでも不法侵入してきたオレンジ色の容疑者達が時々出てくる。見なかったことにして、それをトレーの端に追いやる。後でこっそりと鍋に戻すのが彼の手段だ。邪魔ものがいなくなった白と茶色の混合物を口に運ぶ。奏でられるハーモニーには苦味が一切無く、こっちの方が良いと満悦に噛み砕く。このニンジン抜きカレーなら朝昼夜に出されても文句も不満も一切ない。

 しかし、今日はその表情に曇りがあった。顎の動きを止めず、母の味のする料理を噛み締めながら、向かいの席へと視線を移す。昨夜の母の言葉が耳に残る。

 

 

――そろそろ、学校に行ってみない?――

 

――あなたには友達が必要だと思うの――

 

――優しそうな先生だったわ――

 

――一度、会ってみない?――

 

 

 スプーンを突っ込むと、またもや奴らが引っかかって来た。手に持った金属は、食器から手錠へと役目を変えて先ほど取り出した奴の元へと連行する。すぐに本来の役割へと戻して口に運ぶ。玉ねぎの甘味が程良い。

 なのに、どうしてもあの事が頭から離れない。

 

 

――あなたには大事な役をやってもらうつもりなんだから――

 

――皆が揃わない教室なんて寂しいじゃない――

 

 

――先生が出席取る時、毎回お前の名前を呼ぶんだぜ?――

 

 

――君が帰ってくるのを、誰よりも待っているんですよ?――

 

 

 いつの間にか止めていたスプーンを動かし、再びカレーの中へと突っ込んでいく。その様子を、ウォーロックはテレビを見ながらも窺っていた。

 今度はカレー色に染められた白米と共にジャガイモがくっついてきた。それを放り込む。

 

 

――何か相談したいことがあったら、いつでも私のところに相談に来てくれよ?――

 

 

 細かく砕いたもの達をごくりと飲み込んだ。美味しい。なのにスバルの表情は晴れず、スプーンを持った右手が動かない。

 

 

――これは予感だけど、君が学校に来てくれれば、もっと学校が楽しい物になりそうな気がする――

 

――僕らは、気の合う友達になれるかもしれない――

 

 

 カチャリとスプーンを置いた。まだ半分以上残っているのにそれ以上は手が動かなかった。本来ならば、目の前の量をに加えて、さらに半皿ほどおかわりをするところなのだが、育ち盛りの胃袋は何も寄せ付けないと訴えていた。

 

 

 自分でよそった分を残すのは母に失礼だと考え、無理やり胃袋に押し込んだスバルは洗面台に立っていた。スポンジに適当な量の洗剤をかけてスプーンに絡ませる。汚れを落とされた銀色の光沢はさらに磨きを増していく。それを確認したところ自分の顔が映った。歪んだ鏡とにらめっこだ。

 

 

――温かいんだね?ブラザーって――

 

 

 蛇口をから水を流して泡と汚れを落とす。スバルが使ったスプーンは傷一つついていない新品の様なつやを出す。手についていた洗剤も共に洗い流し、スプーンを乾燥棚の上へと置く。

 

 

――大丈夫だよ? だって、私達繋がっているから!――

 

――広い世界の中で私は一人じゃないって確信が持てるから!――

 

 

 再び洗剤を吸い込んだスポンジを手に取って、大きい皿へと手を伸ばす。

 

 

――私、新しい一歩を踏み出せる気がする。ううん、絶対に踏み出せる――

 

 

 ゴシゴシと皿を擦る音だけが響く。

 

 

――私もスバル君も新しい自分になれるはずだよ?――

 

 

 手を止めた。母親、ルナ、ゴン太、キザマロ、育田先生、ツカサ君、そしてミソラの言葉が次々と浮かんでくる。

 

「学校のことか?」

 

 姿は見えないがウォーロックの声がキッチンの入口付近から聞こえてくる。どうやら、ドラマは終わったらしい。

 

「なんでそう思うの?」

「なんとなくだ」

 

 説明すると長くなるので誤魔化しておいた。本当は察しがついている。ミソラとブラザーを結んでからスバルは学校を気にし始めた。ルナ達の誘いを散々断っていたのにも関わらずだ。その三人に連れられ、今日久々に校内に足を踏み入れた。そこで出会った二人の人物、育田道徳と双葉ツカサ。この新しい出会いもスバルにとっては悪いものではないと言えた。そして、一番大きな要因がずっと一緒に過ごしていた母だろう。責任感の強いスバルが学校を意識しないわけが無かった。

 なにより、ウォーロックも彼の相棒となってもうすぐ一ヶ月だ。

 

「分かってるんだ……けど、けど……」

 

 スバルの言葉は続かない。手も止まったままだ。茶色と、無数の白い泡を生み出す液体が溶け合い、混ざり合う。

 

「ミソラに会ってみたらどうだ?」

「……なんでミソラちゃんなの?」

 

 鼻で笑う音が聞こえて来たので、ムッと眉を寄せた。またからかわれるのかと思ったからだ。だが、ウォーロックが言った言葉と口調はまるで違っていた。

 

「お前らブラザーなんだろ? ブラザーは悲しいことも、苦しいことも分かち合えるんだろ?」

 

 父親の言葉だ。スバルの父親について、相変わらず一切話してくれないこの異星人は大吾からブラザーの内容を教えてもらうほど親密だったことが窺えた。

 それでもためらうスバルにウォーロックは尋ねた。

 

「このままで答えが出るのか?」

 

 出す自信など無い。結局、しぶしぶとウォーロックの提案を了承した。代わりにメールを送ると言うウォーロックがトランサーに入ったのを確認し、スバルは洗い物を再開した。

 

 トランサーを見なかったため、彼は気付かなかった。ドラマが終わるには時間が早すぎると言うことに。



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第四十四話.絆を胸に

2013/5/3 改稿


 洗い物を済ませた直後にメールに返信が入った。すぐに電波変換して来てくれるということだった。

 家に呼ぼうとしたが、『スバルの親の許可なく勝手にお邪魔するのは気が引ける』というミソラの気持ちをくみ取り、別の場所で落ちあうことになった。とは言っても、二人が出会って過ごした時間は短い。互いに知っている場所は少ない。結局、いつもスバルが行っている展望台の見晴らし台が待ち合わせ場所となった。自分の行動範囲の狭さを今更ながらに自覚した。

 

 

 展望台の手すりから身を乗り出していた。だが、彼の視線が向かう先は上ではなく下だ。茶色い瞳に映っているのは光が乏しくなった角ばった建造物だ。今は側面から見ているが、正面から見ると中央に位置する場所に大きな丸が取り付けられている。それが刻む時間をただ眺めていた。

 背後に気配を感じて振り向いた。ピンク色の光が渦巻き、ハープ・ノートがミソラへと戻るところだった。

 

「やあ! スバル君!」

「ミソラちゃん……ごめんね。いきなり呼び出して?」

「ううん、気にしないで」

 

 気にしないでと言っていたが、ミソラがまっすぐにスバルを見ようとしない。夜に急に呼び出したため、怒らせてしまったのかと困惑してしまう。

 

「あの……ほんとごめんね? こんな時間に……」

「ううん。そこは別に良いの。ただ……あんな文章送ってくるんだもん。びっくりしたよ」

 

 ミソラの言う内容に見当がつかない。それもそのはずだ。ミソラにメールを送ったのはウォーロックなのだから。確かめるためにメールの送信履歴を見ようとトランサーを開いた。すると、中にいるウォーロックがご丁寧にその文章を開いてくれていた。

 

「会いたい……君に会いたい! 今すぐに!」

 

 情熱的すぎる文章が飛び込んできた。瞼が限界まで開かれて、頬肉がぴくぴくと痙攣する。そんなスバルを見て、ウォーロックはいたずらが成功した子供の様な表情を浮かべていた。

 

「ロック!!」

「ギャハハハハ!!」

 

 トランサーから飛びだしてきた異星人を見るためにビジライザーをかける。緑でコーティングされた闇色の世界で意地悪な笑が浮かび上がる。

 

「どこでこんな台詞覚えたんだよ!?」

「ククク、少し前のドラマでやってたぜ?」

「だからって、こんなことに使わないでよ!!」

「そう言うなよ? 元気になったじゃねえか?」

 

 言われて気づく。さっきまでの自分ならこんな大声は出さなかった。あっけにとられれるスバルを放っておき、ウォーロックは展望台を後にした。

 その間にハープがそっとその場を離れ、スバルとミソラを二人っきりにしたのには気づかなかった。

 

「フフフ、元気そうだね?」

 

 ウォーロックとにこやかなやり取りをするスバルを見て、ミソラはほっとした。

 ミソラの言葉に、スバルは適当に頷いた。本当は元気ではない。だからブラザーのミソラに会いたかった。

 それだけではないと言うことには、スバル自身はまだ気づいていない。

 

 

 二人はどちらともなく話を始めた。展望台の手すりに寄りかかり、星明りを眩ませる月光の無い暗闇の中で。

 ミソラは学校に行き始めたのだが、あまりうまくいっていない様子だった。学校に行っても周りを囲む者達はファンばかりだ。自分を小学5年生と扱ってくれる友人はいなかった。アイドルになる前にいた友人達も様変わりしてしまい、他の皆と一緒だった。教師達までもが同じだ。教師と生徒ではなく、ファンとアイドルという構図の付き合いとなっている。

 彼女は学校一の人気者だ。しかし、裏を返せば孤立してしまっている。それでも、遅れてしまった学業を取り戻すために学校へ通い、音楽の勉強を一からやり直すために通信教育を受けているらしい。音楽専門学校に通うことも考えたが、学校とは別の形で孤立することが目に見えたため止めることにした。夢を追いかける少女達の中に元大スターが入ってきたら、陰湿ないじめが始まるのは分かりきっている。わざわざ、そんな低質な人間達と付き合う必要などない。

 

「寂しくない?」

「全然! だって……」

 

 細い首の上についた顔を左右に振って、ギターのディスプレイを開いた。ブラザー一覧にスバルがいた。

 

「言ったでしょ? 広い世界で私は一人じゃないって思えるの。私達はいつでも繋がっている……スバル君がいてくれるから、私は頑張れるの!」

 

 強い子だと改めて認識した。同時に自己嫌悪した。ミソラに比べて自分はどうなのだろう?

 

 次にスバルが自分の話を始めた。ルナ達に絡まれ、学校に連行された話をした。

 ちなみに、ルナ達については毎晩行っているメールで話をしているのでミソラも知っている。スバルに学校に来いと言ってくる三人組としてだ。

 担任の先生が変わっていはいるが良い人そうだと言うこと、ツカサという不思議な少年に出会ったことを話した。

 

 ただ、ジェミニ・ブラックに襲われたことと、スターフォースについては話さなかった。本当は話した方が良いのだろうが、そうしようとは思えなかった。

 スバルが強敵との戦いに敗れたことを話せば彼女はスバルの身を案じるだろう。ミソラに余計な心配はかけさせたくなかった。

 スターフォースについては父のことやサテライトのことから話さねばならない。時間がかかるため、別の機会に話すことにした。

 

 今スバルが話したいのはそこでは無い。聞いてほしいのは今日久々に学校に行ったことと、そこで得たものだ。

 ミソラはスバルの話をずっと聞いていた。ときおり頷き、質問し、笑いあった。

 

「僕のこと、ヒーローって言うんだよ? 笑っちゃうよね? いつも、モヤシ呼ばわりしているくせに」

 

 ミソラはクスクスと笑って返す。

 

「僕は……ただの、学校にも行けない弱い人間だよ……」

「スバル君は、ヒーローだよ?」

 

 ミソラの言葉にスバルはポカンと口をあけて振り返った。

 

「私を助けてくれたじゃない。少なくとも、私にとってスバル君はヒーローなんだから」

「じょ、冗談……」

「冗談なんて言ってると思う?」

 

 月の無い夜にも関わらず眩い光を放つ瞳を見つめた。美しさと強い意志を持った目は微塵も曇っていない。

 ずっと見ていたくなる、魅了される華やかさから目を背けた。このままでは石のように動けなくなってしまいそうだからだ。

 

「行きたいんだね?」

「え?」

「学校」

 

 スバル自身ですら気付けない、胸の奥につっかかっている本当の気持ちをミソラは見つけていた。驚くスバルにミソラはさも当然と返した。

 

「だって、ずっと学校の話をしているから。空だって見てないし。スバル君は、星空を眺めるのが好きなんでしょ?」

 

 天体マニア達が泣いて喜ぶような夜空を見上げた。ミソラにはそこまで価値のあるものだとは分からない。せいぜい新曲の題材にちょうど良いと思うぐらいだ。

 しかし、宇宙好きのスバルならば展望台に設置されている古びた望遠鏡に飛び付き、そこから梃子(てこ)でも動かなくなるだろう。

 そんなスバルの目は美しい空ではなく、黒い世界に溶けてしまいそうな校舎に向いている。ミソラの言葉に何も言えなくなった。再び手すりに乗り出し、コダマ小学校を見下ろす。

 ミソラは側に立ち、スバルが次の言葉を発するのをじっと待っていた。

 

「……分かってるんだ……」

 

 唐突にスバルが口を開いた。

 

「分かってるんだよ!」

 

 それは叫び声に変わり、色のない世界へと溶けていく。

 

「このままじゃいけない! そんなこと、分かってるんだ! ずっと、ずっと昔から!! でも……僕は……僕は……」

 

 すぐに声は収束していく。対称的にスバルの気持ちは高鳴り、渦巻き、形を無くしていく。霧散し、制御方法が分からなくなり、暴走へと変わり行く。

 

「怖いんだね?」

 

 そんなスバルを、ミソラはたったの一言で止めた。

 

「また、誰かと繋がりを持っちゃうのが怖いんだよね?」

 

 こくりとミソラに頷いた。潤んでいた瞳が見えないように背を向けて、額を掻くふりをしてそっと拭う。多分、今声を上げたら涙声だろう。唇を固く結んだ。こんなカッコ悪い自分を見せたくないと言う、思春期の少年らしさがスバルをそうさせた。

 隠せていないことを指摘せずにミソラは続けた。

 

「スバル君、あなたがブラザーになってくれて……私、怖いを乗り越えられたよ? スバル君との繋がりが、ブラザーバンドがあったから、私は新しい自分になる勇気を貰ったよ」

 

 背負っているギターをそっと擦り、見晴らし台のある一点へと目を向けた。スバルがブラザーになってくれと言ってくれた場所だ。そこで泣いていた自分の肩に手を置き、たった一言を言うだけなのに怖がり、それでも勇気を持って言ってくれた。あの一言と温もりは今でも衰えずに残っている。

 両手を重ねて自分の胸に置き、もう一度確かめるように目を閉じる。

 

「だから、恐がらないで? 私との繋がりがスバル君に勇気をくれるはずだから。学校に行ったら、きっと新しい繋がりがスバル君を強くしてくれるよ?」

 

 ミソラは学校ではうまくいっていない。彼女の経歴が人間関係を狂わせるからだ。

 しかし、スバルは違う。彼にはもう味方となってくれる人がいる。目を閉じれば浮かんでくる。

 

 ルナが仁王立ちして、しかし笑いながら待っている。その両隣りにゴン太とキザマロが同じように立っている。その隣にはツカサがいる。彼ら4人を抱えるように、後ろに育田先生がいる。

 

 

 

「それにね、できないことならだれも期待したりなんてしないよ? 皆、スバル君ならできるって信じているから、やればできるって信じているから、期待しているんだよ?」

 

 

 

 後ろを振り返る。あかねと天地が笑みを送ってくれている。スバルを送り出そうとしてくれているかのように。

 

 

 

「だから……勇気を持って! 学校に行き始めた時は確かに辛いかもしれない。でも……」

 

 ふと手の感触に瞼を開いた。ミソラの左手がスバルの左手を握っていた。そして、ミソラは右手をスバルのトランサーへと乗せる。

 

「私の心は側にあるよ? 一人じゃないから」

 

 翡翠色の瞳に見つめられ、俯くように目を閉じた。その分、しっかりと伝わってくる。ミソラの手の温もりが。それを分けてもらったのか、いつもよりも優しく感じる風がスバルの頬と世界を撫でた。

 そっと重い瞼を持ち上げた。

 

「分かってたんだ」

 

 さっきと同じだ。しかし、ミソラは違うと感じていた。スバルの言葉に静かだが力強い意志が込められていたからだ。

 

「分かっていたんだ。自分が何をしなくちゃいけないかなんて。でも、怖かった」

 

 ミソラに向き直る。正面から彼女を、目を反らすことなく見つめた。

 

「だから、ミソラちゃんに背中を押して欲しかったんだ。ただそれだけだったんだ。今、やっと気づけたよ」

 

 勇気をくれた少女にスバルは微笑む。

 

「僕……決めたよ」

 

 彼の強い瞳を祝福するように、ミソラもにっこりと頬を緩めた。

 

「行くよ……学校に……」




 原作では、寝付けないスバルがあかね、ルナ、育田、ツカサ、ミソラから言われた言葉を思い出し、学校へ行くことを決意します。
 それも良いのですが、この小説ではウォーロックとミソラに直接背中を押してもらいました。
 心の傷を少しずつ癒して貰ったスバルが、絆に背中を押されて、勇気の一歩を踏み出す。感動のシーンですよね?


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第四十五話.三年ぶりの登校

2013/6/8 改稿

勉強に関する設定変更


 教科書とノート、それに筆記用具。これらが勉強に必須と言われていたのは大昔の話だ。歴史の授業で習ったことを思い出すと、今はなんて便利なのだろうと科学の力に感嘆の声が漏れる。

 教科書は電子書籍となってトランサーに登録されている。ノートと筆記用具の代わりに、タッチパネルとタッチペンが当たり前だ。紙の書籍もあるが、小学生の勉強道具はこれで全部だ。今はランドセルなんて誰も背負っていない。そんな大層な物なんて必要ないのだ。持っていく物なんて、せいぜい体操着や水着ぐらいだ。手ぶらで学校に行く生徒も珍しく無い。

 スバルがする事といえば、ほんのわずかなことだった。学校から送られてきたメールのファイルを開けて、教科書のデータを取り込み終わったら、毎日の勉強で使っていたタッチペンが壊れていないことを確かめる。時間割票を開いてみると、明日は体育の授業がないらしい。どうやら、忘れ物はなさそうだ。

 ちょうどその時、トランサーの居候がメールの着信を告げた。

 

「明日だね? 大丈夫?」

 

「大丈夫だよ! ミソラちゃんが側にいてくれるんでしょ?」

 

「なんか恥ずかしいな。うん。いつだって、私の心はスバル君の側にあるよ?」

 

「だから、何も怖くないよ」

 

「そっか、良かった」

 

 その後もしばらくメールを続け、スバルはベッドへと潜り込んだ。そして、ようやくウォーロックも瞼を擦りながら眠りへと戻って行った。

 

 

 翌朝は晴天だった。春にしては濃い青がコダマタウンを包んでいる。その空の下で、人々は家を後にしてそれぞれの場所へと足を向ける。

 小学生達が向かう場所は皆一緒だ。コダマタウンの小学校、コダマ小学校である。お日様に笑い返しながら登校していく子供達の中に、今日から新しく混じる少年がいる。厳密に言えば、新しく混じるのではなく、戻るのである。

 

「本当に大丈夫?」

 

 朝食を済ませて赤いブーツに足を突っ込ませようとしている、いつもより(はる)かに早起きした息子にあかねは声をかけた。学校に通ってほしいと言う気持ちは本心だ。しかし、いざこの時が来ると期待よりも不安が強くなってくる。これが母親という生き物なのだろう。

 

「大丈夫だよ。心配しないで?」

 

 母とは対照的な表情を返し、スバルはドアノブに手をかける。

 鉄一枚の向こうから聞こえてくるのは外の世界。ついこの間、異星人と出会うと言う衝撃的な経験の翌日、母の期待を布団にくるまりながら背中で流した日。自分は窓の向こうを別世界として見ていた。そこに加わらなければならないと分かっていても、その現実から逃げ続けていた。

 逃げることを止め、少年は開けなれたはずのドアを重々しく押しのけた。目に飛び込んでくる白い光が視界を阻んでくる。

 それを払いのけ、一歩を踏み出した。

 

 

 登校の最中はずっと下を見ていた。人が多すぎるからだ。そして、皆と同じ場所に足を向けている。

 ただそれだけのことが怖かった。

 その分、周りとの距離が近くなっているようで、誰かと関わりを持ってしまいそうで、繋がりができてしまいそうで……

 杞憂だ。

 分かっている。人は自分が思っているほど自分に興味など持っていない。びくびく歩いているスバルなぞ、視界の隅に映る背景の一部にすぎない。それでも誰かの肩が近くにあることがスバルには怖かった。

 昨日のミソラのメールを開いた。そこに書かれている文字を読む。

 

――いつだって、私の心はスバル君の側にあるよ――

 

 充分だった。スバルは前を向き、胸を張って見えて来た校門へと歩み始めた。

 

 

 職員室の前で育田が出迎えてくれた。彼が言うには、あかねが復学手続きをした次の日に、学級委員長のルナと共にスバルの復学をクラスに知らせてくれているらしい。

 

「皆喜んでいたぞ? お前が来るこの日を楽しみにしてたんだ」

 

 辛かった。育田の励ましの言葉はスバルの胸を圧迫した。

 

 

 クラスの面子とは会った事などない。知っているのは四人だけだ。知らない人間達の輪の中へ入る。内気なスバルにとっては試練だ。飢えた肉食獣達が(たむろ)する檻の中に放り込まれる様な気分だ。

 檻の入口の前に立っていた。育田の低くて大きな声がドアから漏れてくる。それ以外は何も聞こえない。

 

 気の強いルナ

 

 声変わりを迎えつつあるゴン太

 

 甲高い声のキザマロ

 

 先日までうっとおしいだけだったはずの三人の声を、耳が恋しいと訴えていた。

 

「よし、入ってくれ!」

 

 ビクリと背を伸ばした。途端に速まる鼓動と呼吸。前に出さなくてはならないはずの足が動かない。

 右手で胸を抑える。

 そこにあるピンク色の温かい光を確認する。

 

 スッと、胸の鼓動が収まり、大きく息を吸い込む。

 

 引き戸に手をかけ、ガラリと軽い音を鳴らした。一斉に向けられる好奇の視線を感じつつ、視線を床へと逃がしながら育田の隣まで足早に進んで正面を向く。

 教室全体が見渡せるその場所でじっと下をうつむいていた。チラリと一瞬間だけ教室を見た。全ての目がスバルを見ていた。同時にルナ、ゴン太、キザマロの見慣れてしまった顔が確認できた。少し落ち着いたものの、やはり顔を上げる事が出来ない。

 心が邪魔して、礼儀の基本ができない。

 

「休学していた星河スバル君だ。今日から復学することになった」

 

 つい口を滑らして言ってしまいそうな、『新しい仲間』という単語を使わなかった。育田なりの気遣いだ。戻るという意味を含んだ言葉をさりげなく混ぜて5-A組の面々に紹介した。

 スバルはぺこりと頭を下げる。視線は下げられ、先頭で座っているルナの足先すら見えない。教室がざわめく。話題は自分だと分かっている。耳を塞ぐわけにもいかず、全ての神経を自分の爪先を見ることに集中させて気を紛らわす。

 育田が一言で教室を静かにさせた。鶴の一声とはまさにこのことだろう。

 促され、静まり返った教室の真ん中を通って指定された自分の座席へと向かう。一番後ろの席だった。席についた時、隣の少年が声をかけて来た。本来ならばどう対応すれか分からずに戸惑うところなのだが、この声に対しては違った。

 

「……ツカサ君?」

 

 数日前に屋上で出会った緑色の髪と紫色の服装が似合う少年、双葉ツカサだった。

 

「まさか、こんなに早く君と一緒に居られる時が来るとは思わなかったよ。しかも、こんなに近くでね?」

「隣同士だね? よろしくね?」

「うん、よろしく」

 

 不思議だ。ミソラの時もそうだが、ツカサが相手だとすんなりと言葉が出た。

 その様なやり取りをしている内に育田が一時間目の授業を始めた。確か、一時間目は算数だ。トランサーを操作して、算数のファイルを開く。机と一体化した電子パネルに教科書データが表示される。ここに、これから数式や大事なポイントを書き込んでいくのだ。

 

「先生、授業よりも面白い話して!」

 

 ゴン太の発言にスバルは笑いそうになった。授業時間に授業をしないなんて考えられない。そんな教師など居る訳がない。

 

「そうだな、今日は星河も来たことだし……特別だぞ? よ~し、教科書しまえ~」

 

 居た。しまりは無いがおおらかな声で教師なのかと疑いたくなる指示を出し、ブラックボードと呼ばれる電光版のデータを消した。

 他の生徒達も同じように机の電子パネルから画像を消していく。動揺しているのはスバルだけだ。

 

「育田先生の授業はね、ほとんど教科書を使わないんだ」

 

 ポカンとするスバルにツカサが優しく教えてくれた。

 信じられなかった。学校に通っていなかったスバルの三年間は教科書や本とのにらめっこだった。電子書籍や本に書かれている内容を知識にする作業がスバルの学業だったからだ。

 しかし、育田先生の授業は違うとツカサは言う。

 

「ははは、星河にとっては初めての授業になるな」

 

 育田がスバルの様子に気づいたのだろう。笑みを含んだ教室中の視線がスバルに注がれる。

 

「勉強ばかりしていてもろくな大人にはなれないぞ? 教科書なんかよりも大切なことを教えてやるぞ?」

 

 本に書かれている文字よりも大切な物などあるものか。事実、試験では教科書に書かれていることをどれだけ吸収したのかを問われ、受験ではそれが数字化されて人生が左右されるのだ。

 スバルは持論を掲げて反論したかったが、雰囲気に呑まれて机の上を片付けた。

 

「今日は……そうだな、ブラザーバンドについて話そう」

 

 スバルにとって、未知の授業が始まった。

 

 

 休み時間、スバルは廊下の片隅でポツリと立っていた。お手洗いに向かったり、廊下でおしゃべりをしている人の波から少し距離を置いていた。誰にも知られたくない秘密と会話するためだ。

 

「学校っておもしろいじゃねぇか?」

「ロックがそう言うなんて思わなかったよ」

「お前はどうなんだ?」

「育田先生だよね? 面白かったよ」

 

 育田の授業は地球人だけでなく、異星人にも好まれたらしい。事実、一時間目の授業が終わった時、スバルの胸は言葉にできぬもので満たされていた。

 スバルは人並み以上にブラザーというものを知っている。父の発明品だからだ。しかし、それは文章としてしか知らない。

 育田が話してくれたのはそれによって得られた彼の体験談だった。感動、笑い、悲しみを織り交ぜたあの話は自分にはできないし、今日から寂しくなると言っていたティーチャーマンもしてくれたことは無かった。

 母の言っていた言葉を思い出し、やはり良い先生だと認識を改めた。

 

 

 二時間目からは流石に普通の授業だった。国語の授業を終えて復習していると、その作業を邪魔するように大きい声が聞こえて来た。スバルから少し離れた場所では委員長トリオが何やら談義をしている様子だった。

 教室の後ろには学芸会で行うと言っていた劇のセットが置いてある。監督であるルナはそれを見ながら劇について何か考えている様子だった。そんなルナの思考を妨げるようにゴン太が空腹を訴え始めた。まだ給食までは時間がたっぷりとある。

 スバルは興味ないため会話の隅々まで聞いていたわけではない。しかし、ルナがゴン太の我がままにある決定を下したというのは理解できた。理解できた理由は二人の声がでかいからだ。キザマロの高いが細い声がかき消されそうなほどにだ。聞いていたと言うよりは、聞こえていたという方が正しい。三人のいつものテンションに鼻で笑いそうになった時、ポンと肩に手がおかれた。顔を上げると細くて白い指が見えた。

 

「今から購買に行くんだけれど、アナタも来る?」

 

 どうやらパンを買う予定らしい。しばらく思考した後、こくりと頷いた。

 

 

 購買に着くとゴン太が雄たけびを上げるのは容易に想像がついていた。しかし、むせび泣くとは思ってはいなかった。両手を地につけて大きく項垂れているゴン太の周りには黒い線が行く筋も連なっているようにも見える。

 

「ごめんね~。焼きそばパンはちょうど売り切れたのよ」

 

 売店に座っている老婦人がキザマロに背中をさすってもらっているゴン太に、丁寧に説明してくれている。吹けば飛んでいきそうなおばあちゃんを見て、口の悪いウォーロックは素直すぎる感想を漏らした。

 

「なんだ、梅干しみてえなばあさんだな?」

 

 あまりにも失礼すぎるウォーロックの発言に、スバルはちょっと強めの拳骨をトランサーに当てておいた。

 売店のおばちゃんならず、おばあちゃんが視線を移す先には、丸テーブルの隣に用意された、ちょっとオシャレな白い椅子がある。それに座っている一人の男性がむしゃむしゃと最期の焼きそばパンをほおばっていた。売店のおばあちゃんと同じく、しわしわのおじいちゃんだ。

 涙を込めた恨めしそうな眼で見てくるゴン太に、そのおじいちゃんはニンマリと笑って見せる。早いもの勝ちと言うこの世の法則を教えてくれる、ありがたい授業だった。

 

「焼きそばパン以外じゃダメなの?」

 

 スバルの質問に答えたのは、この世の終わりという顔で未だにうつ伏せているゴン太ではなく、呆れた表情をしたルナだ。

 

「コダマ小学校の焼きそばパンは別格なのよ。学外から出前の注文が来るほどにね? ちなみに、そこのおじいさんは出前の常連さんよ?」

 

 学校が出前なんてして良いのだろうか? 杖を片手に持っているおじいちゃんとは言えど、部外者が学内に入っていいのだろうか? 問いたかったが、止めておいた。

 そんな事よりもとルナは売店から見える様々な学校の施設を指差し、一つ一つを詳しく説明してくれた。彼女の厚意を素直に受け取っておいた。

 

 

 ゴン太のテンションが低いままに理科の授業が終わった。スバルはちょうど電子パネルの画像を消そうとしたところだ。

 

「スバル君、ちょっといいですか?」

 

 キザマロが話しかけて来た。トランサーには理科の教材データが映っている。

 

「確か、宇宙について詳しかったですよね? 理科って得意でしょうか?」

「……苦手じゃないけど?」

 

 どうやら分からないところがあり、スバルの解説が欲しいらしい。画像を消すのを止めて、丁寧な説明を始める。その様子に気付いた別の生徒が覗きこんでくる。しばらく解説を続けていると数人に囲まれていることに気付いた。学校に来てなかったにも関わらず、勉強のできるスバルに尊敬の眼差しが送られてくる。

 

「なんでスバル君って勉強できるの?」

「そ、その……家でやってたから」

「うわ、すっげえ! 俺だったらゲームしてるよ!」

 

 女の子の質問に答えると、男の子がぼやく。彼らの目に込められた尊敬の念が強くなる。

 クラスメイトに囲まれてしどろもどろするスバルを、ツカサは教室の端からじっと見つめていた。

 

 

 ルナから給食の指導を受けていた。どっちから並ぶとか、牛乳は一本までとか細かいところまでもだ。ちょっとうんざりしたが今回もルナに感謝した。

 久しぶりで慣れない給食を終えたスバルの元にゴン太が近づいてくる。

 

「スバル、ドッジボールやろうぜ!」

 

 脇にボールを挟み、キザマロを含めた数人のクラスメイトを引き連れている。

 

「いや……あの……」

 

 ゴン太の後ろから幾つもの視線が発せられる。

 スバルへと集中するそれらから逃れるようにその場から駆け出した。背中に浴びせられる幾つもの声がスバルの足を早めた。



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第四十六話.縮まる距離

 今回は、原作には無いオリジナル設定が出ます。内容は公式でも全く触れていない部分です。

2013/5/3 改稿


「なんで逃げるんだ?」

 

 屋上に来ると誰もいないことを確認したウォーロックが話しかけて来た。

 

「嫌なんだよ……」

 

 スバルは今まで極力他人とのかかわりを避けて来た。押し込まれたように人が行き交う学校という環境は、彼にとって居心地が良いとは言えなかった。それに加えてクラスメイト達が自分に関わろうとしてくる。体験が乏しければ耐性も無い。ずかずかと自分の領域に踏み込まれるのが嫌だった。

 クラスメイト達に悪意は無い。むしろ親切だろう。しかし、スバルには辛いことでしかない。彼らの好意は刺々しい塊であり、スバルの風船の様に繊細な心を傷付ける。

 

「ダメだな、僕は……何しに学校に来てるんだよ……」

 

 

――友人ができれば――

 

 

 母の言葉が痛い。今朝、母親に言ったことが軽率だったと自身を咎めた。

 

「やあ」

 

 それでも、すんなりと心に入ってくる者がいる。双葉ツカサの笑みは不思議と刺を感じさせず、スバルの領域へと入ってくる。

 

「怖いの?」

「……え?」

 

 図星だ。心を見抜かれていた。

 

「うん……皆とどう距離を取ればいいのか、分からなくてね」

「皆そうだよ? 少しずつお互いの距離を測って行くんだ。僕はできれば君とは近い距離に居たいよ」

「そ、そう……」

 

 相変わらずちょっと恥ずかしい台詞を平然と吐くツカサに動揺する。しかし、彼とは距離を取ろうとは思えなかった。どこか惹かれるものを彼に感じる。

 

「君は、委員長達とは仲が良いんだね?」

「え? 別に……仲良くは……」

「委員長達、いつも教室の隅で騒いでいたよ? 『星河スバルを何としても登校させる!』って。友達なのかと思っていたんだけれど?」

 

 どうやらあの三人は普段からあのテンションらしい。今日の午前中も賑やかを通り越して騒がしかった。あの賑わいと共にスバルの名前が飛び交っていたのかと思うと、恥ずかしいと感じてしまった。

 

「よっぽど、生徒会長になりたいんだね?」

「そうなの? 僕はまた委員長のお人好しが出てるなって思ったんだけれど?」

 

 耳を疑った。確かに根は優しい少女だろうがお人好しとは思えなかった。アマケンの所長さんとは雲泥の差があるように感じる。

 

「ゴン太君とキザマロ君の仲が良いのは知ってるよね?」

 

 唐突に話題を変えられて戸惑うが、素直に首を縦に振った。

 

「ゴン太君は体が大きくて暴れん坊でね? 皆から距離を置かれていたんだ。キザマロ君は逆。本の虫ってやつで……いつも図書室で、一人で座っている人だったんだ」

 

 想像してみる。二人のイメージにピッタリだ。比較的容易な作業だった。

 

「ゴン太君はキザマロ君をいじめていたんだよ」

 

 今度は無理だった。ミソラのコンサートのために命綱無しの綱渡りを共にしたあの二人がそんな関係だったとは想像できなかった。

 

「毎日それを繰り返すゴン太君を見てね、委員長がこう言ったんだ」

 

 

――ゴン太! キザマロと友達になりたいのならそう言えばいいじゃない!!――

 

 

「ってね?」

 

 訳が分からないと表情を返すと、ツカサはクスリと笑いながら解説してくれた。

 

「つまりね? ゴン太君は、自分と同じく友達がいないキザマロ君と仲良くなりたかったんだよ。ただ、どうすればいいか分からなくて、構ってほしいからちょっかい出していたんだよ」

「あ……そういうもの……なんだ?」

 

 結局スバルには理解しがたい内容だった。

 

「それからなんだ。あの三人が一緒に行動するようになったのって。委員長はああ見えて世話焼きで、誰かを大切に思える人なんだよ? だから、スバル君を学校に誘ったのは、君に学校の楽しさを伝えたかったからじゃないかな?」

 

 否定できなかった。確かにそうかもしれない。

 

「人なんてそんなものだよ? ゴン太君とキザマロ君の今の距離感だって、長い時間をかけて作ってきたんだ。スバル君も、皆との距離感は少しずつ掴んで行ったらいい。だからさ……」

 

 ツカサの言葉が途切れた。エレベータが屋上への到着を伝えたからだ。

 

「なんだ、こんなところに居たのかよ?」

「探しましたよ~」

 

 話題に上がっていたゴン太とキザマロだ。本当に元いじめっ子と元いじめられっ子なのだろうかと疑いたくなる。お互いが隣に立っていることが当たり前のように振舞っている。

 

「スバル、ドッジボールやろうぜ!」

「楽しいですよ? ツカサ君もやりましょう?」

 

 返答に困るスバルをおいて、ツカサは二人に歩み寄りながら振り返る。

 

「行こうか?」

 

 怖い。

 皆とどう距離を取ればいいのか分からない。

 ただ、今は……

 

「……うん」

 

 一歩、足を前に踏み出した。 

 

 

 放課後は学芸会に向けた劇の練習だ。今はメインシーン、ロックマンが牛男と対峙する場面だ。ルナ、ツカサ、ゴン太の三人が舞台の上で向き合っている。

 

「ロックマンの役は、ツカサなんだな?」

「そうみたいだね? ……それにしても本格的だな」

「そうなのか?」

 

 舞台の成り行きを見守る生徒達の輪から離れ、スバルはウォーロックと会話をしていた。余分な照明の明りは消され、うす暗くなった舞台にいる三人にスポットライトが当てられる。ライトをあてるタイミングが遅いとルナは操作していたキザマロに注意を促す。

 

「スバル君は何の役なの?」

 

 男の子が近づいて話しかけてくる。名前が思い出せない事を隠し、心中で謝罪しながらまだ知らないと答えた。

 その成り行きを見ていた女の子が気を利かせてルナの名を呼び、スバルの役を尋ねてくれた。

 

 

「やっぱり、ぴったりだわ!」

 

 自分が行った配役の芸術的な美しさに、ルナは自画自賛した。

 スバルは真逆の表情を返す。他のクラスの面々が送ってくれる同情の視線が痛かった。両手に持った木の枝を模した段ボールを放り出したくなる気に狩られる。

 スバルの役は背景の木だ。いわゆる、『席が足らないので用意した役』だ。先日のルナの『大事な役』という言葉を思い出し、騙されたのだと気付く。

 縦ロールの隙間から小さく見えるゴン太とキザマロと目が合う。謝罪のかけらも無い、明るい笑みは『ま、許せ』と返事をしていた。クラスメイト達の端っこの方に視線を反らすと、ツカサが目に入った。『これのどこが友達思いだ?』と目で訴えると、苦笑いを返してくる。口元に当てた手の下でクスクスと笑みがこぼれているのをスバルは見逃さなかった。

 でも、左手でガタガタと爆笑している異星人が一番むかついた。

 

 

 劇の練習が終わり、棒になりかけた両腕をぶらぶらと揺らして血流を促進させる。

 

「お疲れ様だな」

「ロックが言うと嫌味に聞こえるんだけど?」

 

 ゲラゲラと笑っているトランサーの中にいる住人に皮肉った答えを返す。エレベータで一階に下り、ちょうど職員室の前を歩いている。前方の壁に埋まっていた引き戸ががらりと開くと、モジャモジャとした塊が顔をのぞかせた。

 

「育田先生」

「お、星河。今帰りか?」

 

 担任の育田だ。教員達も帰り始める時間だと言うのに鞄一つ身につけていない。どうやらまだ仕事が残っているらしい。労働者の忙しさが垣間見える。

 

「学校はどうだ?」

 

 目を細めてスバルを見ている。元々糸のように細いため、大した変化は見れない。だが、育田が心底自分を心配してくれているというのはスバルでも分かった。先日の育田の言葉に嘘偽りは無いようだ。

 

「まだ分かりません。けど……家では絶対にできない体験だったと思います」

 

 細い目が垂れさがり、合わせてどっしりとした胸も下がった。逆に釣り上がったのは口の両端だ。大人の包容力をたっぷりと含んだ笑みだ。

 

「どうだ? 勇気を出してみて良かったか?」

 

 育田に初めて会った時のことを思い出す。相談してほしいと言ったスバルに彼はこう言ってくれた。『ちょっとの勇気で良い。ちょっとの勇気で一歩前に進むんだ』と。

 今日の自分を振り返ると、自然と答えが出た。

 

 

「じゃあ、学校は楽しかったんだ?」

 

「育田先生の授業はね? 後は得られるものはあったけれど、『楽しい?』って訊かれたら返事に困るな。劇の役なんて最悪だったよ」

 

「あはは。木の役は災難だったね?」

 

 夜はいつもどおり、ミソラとメールをしていた。返信のために文字を打ち込んで行く。

 

「君との繋がりがあったから学校に行けたよ? ツカサ君っていう人とも友達になれそうだし」

 

「ほんと? 良かった。委員長さん達やツカサ君とブラザーになれたら良いね?」

 

「ブラザーは考えていなかったな。頑張ってみるよ」

 

 しばらくしてメールのやり取りは終わった。すぐに机に向かい、ティーチャーマンがチェックしてくれていた宿題を受け取る。どうやら間違いは無かったらしい。明日の時間割を確認し、体操着がいらないことを確かめる。

 ドラマを見ていたウォーロックはその様子を尻目に、微かに口元を緩めた。




 ゴン太とキザマロの関係は私の想像です。「三人の出会いってこんな感じかな?」と想像していたので、この小説に取り入れてみました。


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第四十七話.学び舎の悲劇

2013/5/3 改稿


「行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 今日も登校するスバルを見送り、あかねは食器を片づけ始めた。

 ほっとしたような、肩すかしをくらったかのような、複雑な気分だ。復学したスバルがいじめられたり、やはり学校が嫌になってしまい、すぐに学校へ行かなくなるのではないかと気がかりだった。

 しかし、彼の行動からはそんな様子はうかがえない。嘘をついていたり、隠したりしている風にも見えない。

 一度学校に問い合わせようかと考えてすぐに止めた。それは息子を信用していないことになる。まだ学校に復帰したばかりで悩むべき事に気づいてすらいないのかもしれない。しばらくすれば悩みが出るはずだ。その時に、母として接してあげれば良い。

 洗い物を済ませ、パートへと向かう準備をするため、化粧台のある部屋へと足を向けた。

 

 

 暗雲だ。今日の天気はスバルの胸中を如実に表してくれている。大勢の人達の中に居ることは未だになれない。周囲の生徒達を気にして、どうしても足先に視線を落としてしまう。

 視線がトンと上に跳ね上がる。背中を叩かれたからだ。振り返るとルナが立っていた。

 

「朝から元気無いわね?」

「ほっといてよ」

 

 無視するように下に向き直るスバルの隣にルナが並び立つ。共に登校する気のようだ。以前から何度も話をしたりしたからだろうか? 不思議と嫌では無かった。

 

「今日で三日目ね? 学校はどう?」

「……嫌では無いかな?」

 

 登校することも、クラスの面子と顔を合わせることも辛い。しかし、育田の授業や昼休みにやるドッジボール、隣の席にいるツカサと話すのは楽しい。充実した時間だと言える。だからあいまいな返事をした。

 ルナにとっては充分な回答だった。本当は楽しいと言ってほしかったのだが、今はこれで良い。今は休まずに学校に来てもらい続けることが大事だ。5-A組の楽しさはこれから時間をかけて知ってもらえば良いのだから。

 

「そう、良かったわ。楽しいでしょ? 先生の授業とか」

「……まあね……クラスの皆も悪い人じゃないし」

「良いクラスでしょ? 私が学級委員長をしてるんですもの!」

 

 グンと胸を張り、鼻を高く持ち上げる。ハハハと笑って返すスバルが無表情だったことには気付かなかった。

 つまり、ウォーロックだけだ。いつの間にかスバルが顔を上げて登校していることに気付いたのは。

 

「ところで、スバル君。劇でやっているロックマン様は信じる?」

「え……いや、どうかな?」

 

 実在するとは言いたくなかった。自分で自分をヒーローと認めてしまいそうでむず痒い気がしたからだ。

 だからこう答えてしまった。

 

「委員長達が妄想したヒーローでしょ?」

 

 

 教室の前まで来るとスバルはルナに気づかれない程度に息を吐いた。ここに来るまでに聞かされたのはロックマンの武勇伝、いや、ロックマン”様”の武勇伝だ。あること無いことが継ぎ足されたそれに散々付き合わされたのだが、それももうすぐ終わりだ。

 

「というわけで、ロックマン様はピンチの時に現れるヒーローなのよ! 絶対に皆を守ってくれるんだから!」

「……ヘェ……」

「放課後にまた聞かせてあげるわ!」

 

 今日は劇の練習を休んで先に帰るという予定を立てた。いや、明日からもそうしよう。どうせ手が()る様な痛みを味わうだけなのだから。

 ルナが教室の戸を開けて一歩中に入った。

 

「遅いぞ、お前達」

「え?」

 

 ルナに続いてスバルも固まった。

 担任の育田先生が教卓の側に立っていた。まだ一時間目が始まるまで大分時間がある。普段なら育田はまだ職員室にいる時間である。そして、遅刻したわけでもないのに二人を咎める言葉が告げられた。

 スバルが教室を見渡すと、もう他の生徒達は来ており全員席についていた。一言もしゃべらずに背筋をぴんと伸ばしている。

 育田に促されるがままにスバルとルナは自分の席についた。

 座りながら隣のツカサに尋ねる。

 

「どうしたの?」

「僕もよく分からないんだ。教室についたら君たちと同じ、このありさまだよ」

 

 会話を続けようとすると育田の声が遮って来た。

 

「お前達も知っての通り、このクラスは授業が遅れている。よって、これから授業を早めに始める事にする。それと、このクラスも学習電波を導入することにした」

 

 ざわざわと教室が騒ぎ始めた。

 学習電波の導入は他のクラスですでに行われていたため、皆が存在を知っていた。しかし、育田は学習電波の導入に猛反対していた。体に悪影響を及ぼすと言う説があるからだ。その方針を今日になって突然変更すると言うのだ。不思議に思わないわけがない。

 

「あの、先生……」

 

 質問しようとルナが立ちあがろうとする。

 

「質問は受け付けない」

 

 ルナを初め、誰も質問の手を上げなかった。今までに聞いたことが無いほど、育田の言葉と態度が冷たかったからだ。

 シンと静まりかえる生徒達の無言の承諾を受け取り、育田が教卓のスイッチを押す。

 スバルの頭がかき混ぜられた。何かが入ってくる感覚だ。算数の公式や、漢字、様々な知識が電波となって、電気信号となってスバルの脳に入ってくる。与えられた知識を言葉にし、ブツブツと呟き始めた。

 他の生徒達も同じだ。眼は半開きになり、焦点が合っていない。心がそこに無いかのように、ただ送られてきた信号を口にしている。

 まるで、並べられた人形達があらかじめプログラムされた言葉を発しているような光景に、ウォーロックはぞっとした。もうこの教室の生徒達は人では無くロボットだ。人を抜け殻のようにする学習電波はウォーロックに嫌悪感を抱かせる。

 異星人ですら異常だと分かる教室の雰囲気に満面の笑みを浮かべ、育田は教室を後にした。

 

「スバル! おい、スバル!!」

 

 隣に座っているツカサも意識を保っていないことを確認し、ウォーロックはスバルの意識を戻させようと話しかける。しかし、スバルは地理に関する単語をつぶやくだけだ。

 

「ちっ、聞こえていたら、歯を食い縛れ!」

 

 聞こえていないと分かっていながらも、一言忠告を述べてウォーロックが自由に動かせるスバルの左手を拳にする。それはスバルの頬へと撃ち込まれ、勢いのままに椅子から飛びだした。

 

「イターーー!!」

 

 ウォーロックの作戦成功率は50%と言ったところだろう。人形になっていたスバルを人間に戻すと言う作業は完璧だった。過剰なくらいだ。

 しかし、誤算があった。殴りつける際、スバルの綺麗な顔の輪郭が崩れないように配慮して威力を調整したのだが考慮するべき要素を見逃していた。左から殴られたスバルは右に吹っ飛ぶ。その飛距離を計算していなかった。

 

「アイタタタ……どうしたの? スバル君?」

 

 隣に座っていたツカサを巻き込んでしまった。彼も魂を取り戻して立ちあがる。

 ツカサの上から退きながら、トランサーをさりげなく撫でる。ツカサの前でウォーロックと会話をするわけにはいかない。精いっぱいの感謝の表現だった。

 ウォーロックもそれを察し、黙って二人の成り行きを見守っていた。

 ツカサに手を差しのべながらスバルは教室を見渡す。二人以外の5-A組生徒達は相変わらず不気味な人形になることを強いられていた。

 その直後に、強く床に頭を打ちつけたのとは別の理由で、頭痛がした。学習電波だと気づくのに時間はいらなかった。よく見ると、皆も激痛に耐えるように表情を歪めている。この電波が人体に有害だと言うことは一目瞭然だった。

 頭を押さえ、涙を滲ませながらツカサはスバルに問いかける。

 

「スバル君、どうしよう?」

「決まってるよ。職員室へ行こう? こんなのおかしいよ!」

 

 スバルは学校に通い始めたばかりだ。学校と言うのがどんなものかはまだ具体的に言えない。しかし、この状況が学校の普通だとは思えないし、あってはならないと断言できた。

 戸を開き、廊下へと飛び出す。それでも頭痛は止まない。直も頭を押さえ込んでいるツカサの隣で、スバルはビジライザーをかけてみる。相棒がささやいた通り、学習電波は廊下にまで流れていた。教科書の形をした電波が飛び交っている。廊下の隅では見回りの教師が頭を押さえて座り込んでいる。もしかしたら、5-A組がある二階だけではなく、学校全体にこの有害な電波が流されているのかもしれない。

 ふらつきそうになる足取りで二人は廊下を進み、職員室へと足を向ける。

 

「お前達、何をしている?」

「先生!?」

 

 一つ目の角をまがったところで育田に見つかった。彼だけは暴力的に降り注ぐ電波の中で平然と立っていた。

 

「学習電波が弱いのか? 放送室で操作する必要があるな。お前達、教室に戻れ。さっさと勉強しろ」

 

 苦悶の表情を浮かべ、助けを求める生徒二人に吐いた暴言。スバルには受け入れられなかった。

 

「先生、なんで!?」

「勉強ばかりしてもろくな大人になれないって、教えてくれたのは先生ですよ!?」

 

 ツカサも同じだ。育田に疑問を投げかけた。

 

「うるさい。子供は勉強だけをしていれば良いんだ」

 

 戸惑った。育田の言葉とは思えなかった。昨日までと正反対だ。彼は生徒に勉強を強いることなど無いし、うるさいなどと生徒の意見を理由無く退けるわけがない。

 言葉を失い、茫然と担任教師の釣り上がった細い目を見つめていた。

 

「そんな……育田先生、なんでそんなこと……」

「良いから勉強しろ、勉強を!!」

 

 いつまでも動こうとしない生徒に苛立って来たのだろう。僅かばかりに開いた目には優しさなど微塵の欠片も無く、憤怒の念だけが込められていく。同調するように、言葉がより激しく単調になって行く。

 

「勉強しろ! 勉強、勉強だ! 勉強していれば良いんだ!! 子供は勉強しろ!! 勉強だ!! 子供は勉強!! 勉強しろ!! 勉強しろ!!勉強しろ!! 勉強!! 勉強!! 勉強!! 勉キョウ!! ベン強!! ベンキョウ!!」

 

 発する言葉は単調な物から単語へと変わり、相成るように声を張り上げた。

 

「ベンキョウ~!!!」

 

 最期は悲鳴のようだった。それと同時に茶色い光が辺りを包み込んだ。

 目を閉じるツカサの隣で、光が育田から発せられたのをスバルとウォーロックは見逃さなかった。

 

 光が収まり、眼前に出来上がった光景を見て、スバルは絶句した。広がる光景を夢だと決めつけ、現実逃避したかった。しかし、スバルの前に、5-A組担任教師の育田道徳はもう居なかった。

 足が無い代わりにずんぐりとした、太くて縦に長い体。その体を囲うように赤いリングが三本点滅しながら浮いており、腹辺りで留まっている。両腕は関節の無い棒のようになっており、間接の代わりに先端には糸が三本垂れさがっている。垂れさがった糸は二つのお皿のような器を支えており、右手には水が、左手には火が渦巻いている。

 人間とはかけ離れたその姿はFM星人に取りつかれ、電波変換した証だった。



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第四十八話.学び舎の逃劇

2013/5/3 改稿


 学校とは学び舎だ。子供達が教育を受けるための施設だ。そのため、高い安全性を兼ね備えていながらも、各部屋は比較的質素な造りをしている。

 その中で最も上質な部屋と言えば、この学校で最も高い地位につく者の部屋だ。一教師であり、個人の部屋など当てがわれるはずの無い育田は今この部屋にいる。廊下で偶然帰宅するところだったスバルとはち合わせる直前に、部屋の持ち主に呼び出されたからだ。理由は、またカリキュラムから外れた授業を行ったから。

 ねちねちと説教をする校長に対し、育田は引き下がらなかった。今日は登校拒否をしていた生徒が来たのだ。その子には学校で公式以外のことを学んでほしかった。そのためには自分の授業が最適だと考えたからだ。育田の持論は正しい。その証拠に少年も楽しそうに授業を受けてくれた。

 この育田の判断を咎めるのは間違っている。

 そう一概に言いきって良いのかは微妙だった。育田のクラスだけがカリキュラムから遅れている。勉強ばかりしていてはダメだが、勉強をしなくても良い理由にはならない。そのため、育田も引き下がりはしないものの、強く抗議することができないでいた。

 そんな育田に校長はうんざりとした顔でとある紙を渡した。それを見て青ざめる育田にニンマリとほくそ笑んだ。

 

 

 パタリと校長室のドアを閉め、渡された紙の一番上に書かれた文字を見る。何度見ても変わるわけがない。だが、現実としてつきつけられたこの三文字は育田の大きな肩に重くのしかかる。育田の細い目の下にある瞳に『退職願』の文字が映る。

 校長はわざわざこの書類を作ってくれたらしい。育田の職歴に傷をつけないようにと彼なりの配慮なのかもしれないが、陰湿なことこの上ない行為だ。

 日は沈みかけている。子供達の姿は校舎の外にはちらほらと見えるが中には見当たらない。夕陽色に染まる白い壁に囲まれた世界が痛々しく映り、カツカツと育田のサンダルの音だけが大きく空しく響く。教師という職に誇りを持って生きて来た育田にとってあまりにも大きすぎる選択肢だった。

 

 親として子供を取り、人体に有害な可能性のある学習電波を使った教育を生徒達に施すか

 

 教師として生徒を取り、子供達と妻と共に路頭に迷う過酷な運命を背負わすか

 

 誰よりも子供を愛する彼がどちらかを切り捨てるなどできない。選べるわけがない。選ばなければならない。

 これを誰かに相談することもできない。

 

 妻に心配をかける訳にもいかない。教師の間で孤立している彼に、相談できる教師仲間はいない。子供や生徒など論外だ。

 

 一家の大黒柱として、教師として、大人としての責任感が彼を悩ませ、追い詰める。

 

 

 頭を抱え、苦悩の表情浮かべて苦しむ育田の背後にゆらりと影が現れた。それは徐々に茶色い天秤の姿を形づくり、残酷な笑みを浮かべた。

 

 

 焦げ茶色の光が収まり、恐る恐ると腕を下ろした。目に映った光景を夢かと疑い、限界にまで瞼を開いた。

 そこに、育田先生は居なかった。代わりにずんぐりとした物体が、天秤の様になった上半身をぐらぐらと揺らしていた。いや、物体ではない、生命体だ。この二メートルはあろうかと言う体の一番天辺(てっぺん)、比較的細くて小さい場所にカクカクと動く四角い口と、白い部分がかろうじて見える程度の細い二つの目がある。その目が自分達を捕らえて離さなかった。

 明らかに人間では無いその姿に足がすくむ。現状を理解することに全力を注ぎ、脳が四肢に信号を送らない。代わりに片腕が信号を脳に伝えた。掴まれ、引っ張られたと理解し、バランスを立て直そうと釣られるように足が動いた。結果的に功を制したと言えるかもしれない。茶色い巨大な化け物から離れることができたのだから。

 現実を受け入れきれない頭を全力で動かし、腕を引っ張ってくれる友人に訪ねた。

 

「スバル君! あれは!? 育田先生は!?」

 

 その質問に答えたのはさっきの化け物だ。

 

「双葉、星河、廊下を走るな! 子供は大人しく教室で勉強していろ!」

 

 廊下を走る二人を叱る、聞きなれたその声は大好きな自分達の担任教師のものだった。

 

「な……なんで? なんで育田先生があんな風になったの? ねえ、スバル君!?」」

「ツカサ君、黙って付いて来て!」

 

 振り返りながらもスバルはツカサの腕を引っ張りながら走る。学校に来てはビクビクとしていた暗い面影は一切無い。異常事態に対して、冷静かつ勇敢に対処するスバルの様子にさらに混乱する。なぜ自分と違って動揺しないのかと尋ねようとすると、振り返っていたスバルの瞳が大きく広げられた。グイッと腕が先ほどまで以上に引っ張られる。対応できず、スバルと共に前のめりに倒れこんでしまう。ツカサの背の上を、間近でストーブに当てられたとき以上の熱が通り過ぎた。何事かと頭の角度を変えて、飛んで行った物の正体を確かめる。

 赤い塊だった。炎だと気付いた時には、それは廊下の突き当たりの壁に当たって弾け飛んだ。狭い廊下に反響する爆音と閃光に顔を伏せる。地震を思わせる振動が校舎の一角を揺るがす。

 ビリビリと伝わってくる足場の揺れ。それから逃げろと本能が告げてくる。しかし、非現実過ぎる事態に恐怖が触発され、指一つ動かせない。そんなツカサの体が上へと引っ張られる。スバルの手が服の首筋を掴んでいた。勇気づけられるように立ち上がると正面に広がる光景が嫌でも目に飛び込んできた。壁は吹き飛び、突き当たりではなくなり、外の世界が顔を覗かせていた。今もなお炎が広がっている。

 炎が飛んできた方向を見ると、育田だったものがいた。『渦巻く火を乗せた皿』となった左手を高く上げていた。どうやら彼が二人を火だるまにしようとしたらしい。ツカサの胸に言い知れぬ恐怖と絶望感が込み上がる。姿は変わってしまってもあの化け物は育田だ。自分達の先生だ。大好きな担任教師が自分たちに暴力を振るった。少しでも手元が狂えば、その幼い命を摘み取ってしまいそうな規模のものをだ。ゆっくりと近づいてくる巨体を茫然と見つめていると、スバルが急ぐように促してきた。

 今は彼に付いて行く。

 この状況下を理解し切れない彼は、今度は友人の言う通りに一言も発さずに走り出した。火が回っていないわずかなスペースを通り、熱気と灰が渦巻く廊下を駆け抜けた。

 

 

 この学校で別の階層へと移動する手段は二つある。一つはエレベーターだ。全校生徒が毎日のように利用している。もう一つは非常用階段だ。どれだけ機械が便利になっても、人間が一番信じられるのは自分の足なのだろう。動かないエレベーターを使うことを諦めた二人は、非常用階段と書かれた緑色の看板の下につき、ドアノブを回す。しかし、伝わってくるのはガシャンと言う重い音と感触だった。二人の少年の僅かな希望を摘み取って行く。

 

「そんな……なんで?」

「システムにハッキングされたのかな?」

 

 どこにでもいる普通の小学生であるツカサには分からないが、機械好きのスバルには大よその見当がついたらしい。内容を尋ねる前に嫌な足音が廊下に響いた。

 育田だ。今や二人にとって恐怖の象徴となった彼が近づいてきている。姿は見えないが、すぐそばの廊下の曲がり角の向こうから近づいてきているのは疑い用が無かった。

 最期の逃げ道を閉ざされ、どうしようもなくなったツカサが怖れと共に数歩後ずさる。すると、そのまま体が横へと引っ張られた。ちょうどT字路の用になっている場所を見つけ、その曲がり角の影に隠れる。

 スバルがこっそりと覗くと、茶色い化け物が二人を探しているのが見えた。気付かれる前にツカサを連れて逃走を再開する。

 

 

「エレベータも階段もダメだったよ? どうしよう?」

「……ツカサ君、運動には自信ある?」

 

 不安に狩られるツカサに、スバルは急な質問をした。まるで談話するかのようにだ。

 

「苦手ではないよ?」

「……ツカサ君、学校の外に出てサテラポリスに通報して。五陽田さんって言う人を頼ればすぐに来てくれるから」

 

 スバルは人差し指を頭の上で立てて、アンテナをイメージしてみせる。最近コダマタウンで見かけるようになった、あの騒がしい刑事の事だと理解した。ツカサはあの男を詳しく知らないが、目の前の友人の話を聞く限り、そこそこ頼りになる存在らしいと推測した。流石はサテラポリスと言うところなのかもしれない。

 

「でも、どうやって外へ? 一階に降りることもできないんだよ?」

 

 ツカサ達が居る階は二階だ。そこから降りる方法が無い今、彼らは閉じ込められてしまったも同然だ。学習電波のせいで人形と化した生徒や教員達と共に、化け物が徘徊するこの校舎にだ。

 不安と恐怖に支配された表情をするツカサの目の前で、スバルは廊下の窓に手をかけた。開こうと必至の様だが、電子ロックがかかっているのだろう。スバル程度の細い腕ではまるで動こうともせずに、窓は頑固に居座っている。

 

「まさかそこから!? 危ないよ!」

 

 脱出する一つの方法として、窓から飛び降りると言う方法もあるだろう。しかし、先ほども言った通りここは二階だ。命にかかわることは無いだろうが、危険である事実に違いはない。

 

「違うよ? あの水道パイプを伝って降りるんだよ」

 

 窓のすぐそばには、屋上やベランダに溜まった水を下層へと流すプラスチック製の灰色のパイプが見えた。長年の酷使と雨風に当てられたせいだろう。ところどころ塗装が禿げている。留め金となっている金具が錆びたり、劣化していないか不安になってくる。しかし、窓が開かないのでは触れることもできない。

 

「仕方ない……か。ツカサ君、僕が囮になるからお願いするね?」

「え? どうするの?」

 

 未だに状況と作戦が理解できないツカサを、廊下の脇に設置してある掃除箱の中へと押しやる。窓のそばに立つスバルから見ると、ツカサの姿はまるで見えない。

 

「こうするんだよ……えい!」

 

 スバルは掃除箱から数歩離れた場所に設置してある真っ赤な消火器を手に取り、両手で頭上へと持ち上げる。普段の大人しいスバルとは思えない雄々しい光景だった。掃除箱の隙間から覗いていたツカサがまさかと思った直後、そのまさかが現実になった。

 スバルは大きく背中を反り返し、後ろに倒れない程度に足を上げる。反動をつけて、消火器で窓をたたき壊した。ガシャンという鈍くて爽快な音と共に、窓は空中へと放り出される。数秒後に、耳に残る嫌な破壊音が響いた。

 直後に、廊下の角から飛びだしてきた育田がスバルの前へと現れる。

 

「ここにいたか!」

 

 一目散に駆けだすスバルが視界から消え、それを追いかける怪物となった育田が反対側から近づいてくる。

 育田が近づいてくると、掃除箱の中でギュッと身を強張らせてより体を小さく(すぼ)めようとする。育田は隠れているツカサには全く気付かず、スバルの後を追いかけて行った。廊下の向こうにある角を曲がって、二人が消えたことを確認し、臭かった掃除箱からゆっくりと慎重に身を出した。

 ツカサは窓が無くなった場所へと駆けよる。下を見ると、粉々になったガラスと、悲しいほどに歪んだ銀色のフレームが目に飛び込んできた。側にはちょっとへこんだ消火器が無残に転がっている。こんな行為を顔色一つ変えずに行ったスバルは意外と暴れ者なのかと疑ってしまった。

 改めて外にある水道パイプを見ると、脆そうと言う感想が出てしまった。こんなものに命を預けるなどあり得ない。普段ならば誰もがそう思い、実行には移さないだろう。しかし、今は普段では無い。スバルはそれ以上に危険な目にあい、ツカサの行動に賭けている。そう思うと、ツカサの行動に迷いが無くなった。窓から身を乗り出し、(すく)みそうになる足を金具の上にかける。

 

「待ってて、スバル君!」

 

 

 ツカサが無事に逃げたのかと心配になってくる。様子を見に戻りたいがそれは一番やってはいけない行為だ。それでは囮となった意味がない。今はドッチボールで目立った活躍を見せないツカサの運動神経を信じるしかない。

 

「それにしても、お前大胆だな? 窓ぶっ壊すなんてよ」

「ああでもしなきゃ、ツカサ君が逃げられないでしょ?」

 

 「お前らしいな」とフンと鼻を鳴らし、トランサーからひょいと顔を出してスバルの後ろを窺う。ちょうど育田が角を曲がろうとしているところだった。

 

「まずいな。あの目は完全に取り憑かれていやがる。相手はリブラか……めんどくさい奴が来やがったぜ」

「強敵?」

 

 (しか)めっ面をするウォーロックに対し、スバルは緊迫した声をかける。

 

「まあな。リブラは天秤座のFM星人だ。火と水の二つの属性を自在に操れる」

「……だったら、大丈夫だよ、ロック」

「……お?」

 

 予想外のスバルの返事に素っ頓狂な声を漏らした。

 

「電波変換した僕達は無属性だよ。四属性の上下関係の枠から外れてるんだ。大した問題じゃないよ」

「……おお」

 

 頼もしい相棒の言葉に頷きながらもウォーロックはボソリと呟いた。

 

「それだけでFM星の戦士になれたら苦労しないぜ……」

 

 

 スバルが角を曲がり、また姿が見えなくなる。

 

「さア、追いかけロ」

「ああ!」

 

 リブラに返答をし、傀儡人形になり下がった育田が愛する生徒を追いかけ、角を曲がろうとする。

 

「ロックバスター!」

 

 肩が打ち抜かれた。痛みで歪ませる育田の顔面に赤い光を放つ剣が叩き込まれた。更なる激痛が頭から全身に走って行く。

 不意打ちが決まったと炎の剣、リュウエンザンを収めた時だった。

 

「避けろ!」

 

 ウォーロックの言葉を受けてとっさに育田から離れるように飛んだ直後、懐に重量感のある物体が叩き込まれた。それは皿のような器となった育田の右手だった。肺から空気が追い出され、スバルの軽い体は耐えられずに宙を舞う。校舎の内と外の空気を遮断している窓ガラスに向かって飛ばされるロックマン。ガラスを粉々に砕く直前、ウォーロックがロックマンの周波数を変え、窓ガラスをすり抜けた。よって、校庭の上空へと身を放り出す形になる。勢いに任せたまま体を宙に舞わせ、近くにあったウェーブロードへと足をのばした。

 追いかけるように、リブラに取り憑かれた育田もウェーブロードへと移動してくる。感情が読み取り辛い、無機質さを感じさせる表情には亀裂が入っていた。先ほどの一撃は効いていなかったわけではないらしい。肩にも焼けたような跡がちゃんと付いていた。

 彼の隣に天秤の形をしたオーラが現れる。今までの経験から、あれがリブラなのだと言うことをスバルは察した。

 

「誇り高きFM星の戦士、ウォーロック。忠誠と裏切りの天秤が測れぬ愚か者ヨ。不意打ちに走るとは、遂に作戦と卑怯のバランスも測れなくなったカ?」

「はっ、バランスバランスうるせえんだよ。相変わらず細かいやろうだぜ」

「リブラ、先生を元に戻せ!」

 

 二人のやり取りを邪魔するように、リブラと呼ばれた天秤座のFM星人に向かってスバルは叫んだ。緑色のエネルギーがスバルの怒りとなってウォーロックの口に溜まり始める。

 対してリブラは虫けらでも見下すかのような笑みを返した。

 

「ならば選べ。大人しく”アンドロメダの鍵”を渡すカ。推し量れぬ力量差を分かった上で、このリブラ・バランスに挑むカダ!」

「お前を倒す!」

 

 迷う理由なんてない。リブラが言う鍵の役目にすら気にも留めず、スバルはその手に溜めた怒りを放った。



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第四十九話.豪炎と大水

 放たれたエネルギー弾はスバルの憎しみを背負って、リブラ・バランスへと襲いかかる。光速で迫り来るそれにリブラ・バランスは落ち着いて左手を前へと突き出す。

 

「フレイムウェイト!」

 

 育田の声と共に、左手の皿の上で渦巻いていた炎が激しく渦巻き、燃え上がる。それは人一人軽く飲み込んでしまいそうな巨大な火の球体と化し、放たれた。ロックマンが撃ったバスターと正面からぶつかる。火は光の弾丸を飲み込み、尚も前進を続ける。目で追える程度の速度だが、決して遅くはない。

 渾身のロックバスターを無効化され、慌ててウェーブロードを蹴飛ばして後ろへと跳び、安全圏へと避難する。改めて着地した場所から数歩手前でリブラ・バランスが放ったフレイムウェイトが着弾した。校舎の周りに植えられた木々を揺らす程の爆音が響き、共に広がる炎と高熱がスバルを押し流した。オックス・ファイアのファイアブレスに引けを取らない火の大群がスバルの身を焦がす。

 同時にウェーブロードから放り出され、少し下にあった別のウェーブロードに運良く落下した。予想以上の攻撃範囲と威力に身を悶えさせる。

 

「な……なに、今の……」

「リブラのやつ、これだけの炎が使えるのか!?」

 

 ウォーロックの属性が”木”ではなく”無”で良かったと心から感謝しつつ身を起こす。上空にいるリブラ・バランスを観察する。リブラ・バランスの太い胴体を囲う三つの点滅しているリングは赤色だ。

 

「アクアウェイト!」

 

 次にリブラ・バランスは右手の皿にあった水を用いた。水は先ほどの火と同じように量を増し、水の大砲となってロックマンの頭上から放たれる。

 右に大きく跳躍して地に足をつけると、もう一度電波の大地を蹴飛ばした。先ほどの攻撃範囲を恐れたからだ。後方で大質量の水が爆発した音が響き、同時にスバルの背中が冷と痛の二つの感覚を訴えて来た。どうやらこれでもリブラ・バランスの攻撃範囲からは逃れられないらしい。しかし、威力が最も高い爆心地の中央から距離をおけたおかげだろう。先ほどのフレイムウェイトを食らった時ほどの威力は感じられなかった。横たわりながら相手を見据える。次は左手をかざし、火を用いるところだった。

 その姿に違和感を感じる。よく見ると、リブラ・バランスの体を囲んでいた三つのリングが赤色から青色へと変わっていた。それに気づいた直後、それは再び赤色へと変わる。同時に火の大砲が飛んでくる。

 

「ワイドウェーブ!」

 

 ウォーロックの姿が口幅の広い長方形の銃口へと変化する。そこから放たれた三日月の姿を象った水は空中で火とぶつかり合い、互いの存在を水蒸気へと変えてしまう。水蒸気はすぐに煙へと変わり、その場所の天候を霧にする。リブラ・バランスの視界を白が支配し、明るいオレンジ色のウェーブロードまでも見えなくなっていく。その中でも、青いロックマンの姿は目立つ。この霧を晴らすことも兼ねて、もう一度火を放とうとしたところだった。霧の向こうから飛び出してきた見覚えのある三日月に体が打ち抜かれた。

 

「ぐう!?」

 

 先ほどロックマンが使って来たワイドウェーブだ。二回連続で放って来たらしい。リブラ・バランスの苦痛の声を聞き、スバルは自分の仮説が正しかったことを確信した。

 

「やっぱり、直前に使った属性に変わるんだ」

「リブラの奴、二つの属性を操れるだけじゃなかったのか」

 

 リブラは火と水の二つの属性攻撃を使用することができる。同時に、自分の属性も変化させることができる。これは二つの弱点を持ってしまっていることに他ならない。

 

「行ける! もう一発!」

 

 晴れゆく霧の向こうで悶えているリブラ・バランスを確認し、三たびワイドウェーブを撃ち込んだ。避ける様子も見えず、攻撃が当たる。しかし、さっきの悲鳴が上がらない。不思議に思って観察していると、水を被ったリブラ・バランスは平気な表情をしていた。体のリングの色は青色へと変わっている。属性を水に変えた証拠だった。

 相手が二つの属性を持っていても、その時の弱点属性に合わせて攻撃しなければ大きな効果は見込めない。リブラも自身の弱点を熟知していると言うことだろう。唯一の救いは水属性の攻撃を水属性の敵に当ててしまっても、威力が無効化されるわけではないと言うことだ。そのため、リブラ・バランスもダメージを受けている。だが、このまま遠距離戦を続けるのは危険だった。

 

「アクアウェイト」

「ファイアバズーカ!」

 

 火山岩を思わせる質量感のある火の弾が水の球を迎え撃つ。先ほどと同じく爆音と共に煙が発生する。その向こうにいるリブラ・バランスに雷属性の攻撃をお見舞いしようと、「プラズマガン」のバトルカードを取り出そうとした時だった。目の前に水色の塊が現れた。先ほどの物より一回り小さいが、ロックマンにダメージを与えるには充分すぎる威力だった。ウェーブロードから押し流されそうになり、縁を掴んでぶら下がる。

 

「な、なんで?」

「威力が違いすぎたんだ。リブラの野郎、半端ねえパワーだ」

 

 ウォーロックもようやく理解した。リブラ・バランスの一番の強みは二つの属性を操れることではない。尋常ではない遠距離攻撃の威力だった。彼の炎はロックバスターは軽く飲み込み、水においてはキャンサー・バブルの技を穿いたファイアバズーカでも対抗できない。

 全身を伝う水を飛ばしながらロックマンはリブラ・バランスがいるウェーブロードへと戻る。遠距離攻撃では分が悪すぎると分かった今、距離を置く必要はない。懐に潜り込むだけだ。

 

 

「ライメイザン!」

 

 今のリブラ・バランスは水属性だ。雷の剣を備えて飛びだした。

 

 

「フレイムウェイト!」

 

 無論、わざわざ弱点属性でいる理由は無い。すぐに火属性へと変えて対抗する。それはロックマンの予想通りだった。

 

「スイゲツザン!」

 

 炎の大砲をしゃがんで避けつつライメイザンを使わずに収め、水属性の剣へと変える。後方で起きる爆発は空気を弾きとばし、一瞬の炎を纏った豪風を巻き起こす。体を熱で焼かれながらも風圧を利用して前に踏み出す。

 この突然の加速にはリブラ・バランスもついてこれないはず。爆風に吹き飛ばされるように接近し、左手を力任せに振り下ろした。水の刃が相手を捕らえたことを伝えてきた。宙で身をよじり、振り返りながらウェーブロードに両足をつける。そのロックマンの表情は苦い思いで満たされていた。

 リブラのリングは青く変色していた。あの一瞬の間に属性を変化させたらしい。

 

「その程度で私の虚をついたつもりカ?」

 

 嘲笑う感情が籠った声だった。リブラ・バランスになっている育田のものではなく、彼の中にいるリブラのものだ。

 

「畜生、スバル! もう一度……」

「必要無イ!」

 

 鈍重な体が目の前にあった。しまったとスバルとウォーロックは後悔した。リブラ・バランスはその大きな体に瞬発力も兼ね備えていた。見かけで判断していた自分達を咎めてももう遅い。リブラ・バランスの左手の皿がロックマンの脇に放たれる。

 

「リブラスイング!」

 

 体を回転させ、長い手の先についた器は遠心力のままに振り回されてロックマンを大きく弾きとばす。脇と言うのは人体の外側にある急所の一つだ。リブラスイングはスバルの肺から空気を追い出し、生体活動を妨げる激痛を与える。

 困難になった息を吸い込みながらもリブラ・バランスの動きを見逃すまいと首を動かす。素早く踏み込み、目の前まで迫ってくる敵が見えた。

 遠距離攻撃に持ち込めば有利なのは向こうだ。にも拘わらず距離を詰めてくる。これは止めを刺す大技の証だ。スバルの予感を裏切らず、リブラ・バランスの器となっている両手から粒子が溢れだし、形を崩して行く。頭上で両手を重ね、多量の粒子を合わせる。粒子群は収束し、硬質観のある黒光りした鉄塊へと姿を変えた。この一連の作業はコンマ単位の時間内で終了した。

 

「ヘビーウェイト!」

 

 容赦なく振り下ろされるそれを避けようともがくも、足は思うように動いてくれなかった。背骨を粉々に砕くような一撃を食らってしまった。その破壊力はスバルの体を突き抜け、ウェーブロードを粉々に砕き、スバルをグランドにまで叩き落とした。

 地面に横たわるスバルの頭上からオレンジ色の破片がパラパラと降り注ぐ。立ち込めるかわいた砂埃の中で、軋む背中を伸ばしながら立ち上がり、辺りを見渡す。誰もいない。どうやら、この時間はグランドを使った授業をしているクラスはない様子だった。それが幸いだったと胸をなでおろしながら上空を見上げる。リブラ・バランスが右手からアクアウェイトを放つところだった。

 電波体とは言えど、重力には逆らえない。つまり、戦闘においては相手の上を取った方が有利だ。同じ土俵に立つためにウェーブロードへと飛びあがる。背後から聞こえてくる水の破裂音を尻目に、ウェーブロードからウェーブロードへと飛び跳ねて昇って行く。

 それを妨げようとリブラ・バランスはと火と水を交互に撃ち込む。しかし、今のロックマンは前後左右の二次元的な動きから、上下も加わった三次元の動きに変わっている。命中させるのは至難の技だ。爆風を利用して攻撃を与えようと、ロックマンの着地点付近に先回りさせるようにフレイムウェイトを放った。

 

「ロック!」

「おう!」

 

 スバルは右手に持ったカードをウォーロックに渡す。ジェットアタックのカードだ。スバルの左手が鳥のような姿へと変わり、噴き出すバーナーがスバルの動きを放射的な物から直線的な物へと変える。一番変わったのは進行方向だ。フレイムウェイトの爆風から離れるようにロックマンの体が動く。

 そして、このカードを使った理由は避けるためだけでは無い。もうひとつ目的がある。ある程度昇って来ていたロックマンはリブラ・バランスとの距離をかなり詰めていた。この距離はジェットアタックの射程範囲だ。自身の体を弾丸へと変えて相手に捨て身の突撃を行う。

 空気を切り裂いてくるロックマンに多大な火をお見舞いする。しかし、ジェットアタックの鋭い切っ先に切り裂かれ、無残に二つへと分けられてしまった。勢いを衰えさせることも叶わず、その弾丸を体でまともに受け止めてしまった。リブラ・バランスが大きく湾曲する。

 だが、スバルは一つのミスを犯してしまう。火の中に飛び込んだのだ。バイザーがあるとは言えど、熱気は遮れない。眼球に浴びせられる熱気を拒絶しようと本能が目を閉ざさせてしまった。だから一瞬だけ遅れてしまった。大ダメージを受けたリブラ・バランスがすぐに体制を立て直していることに気付くのに。

 ウォーロックが避けろと大きく叫んだ。反射的に後ろに飛びのいたスバルが目を開いた時には、そこにリブラの水を纏った手があった。リブラスイングを鳩尾(みぞおち)に受け、地から足を離していたスバルが踏ん張るのは不可能だ。リブラ・バランスの質量と力の分だけ宙を飛ぶ。その背後にあるものに気付いたウォーロックはロックマンの体の周波数を変化させる。校舎の壁をすり抜け、校舎内のウェーブロードに背中をこすりつけるように滑って行った。




 流ロクボスキャラの中で、二番目に弱いと思っているリブラ・バランスをどう強く見せようか散々悩みました。むずい!!

 え? ちなみに誰が一番弱いと思っているのかって? ……ハープ・ノry


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第五十話.覚醒、スターフォース

 ネットワークを支えている電波は世界のあらゆるところにまで張りめぐらされている。屋外はもちろん、山に穿たれたトンネルの中や、大勢のサラリーマン達が利用する地下鉄にも。子供たちが勉強する学校の校舎の中にある教室にも電波の道ウェーブロードは存在する。

 リブラ・バランスの攻撃で吹き飛ばされたロックマンは殴られた腹部を抑えながらよろよろと立ちあがる。ふと下を見ると、見慣れた金色が見えた。

 

「委員長?」

 

 半透明なオレンジ色のウェーブロードの向こうではルナが座っていた。どうやら今も学習電波による強制的な教育を施されている様子だった。

 ロックマンは真下にいるルナから目をどかし、周りを見る。ゴン太とキザマロもいた。スバルとツカサがいない教室、5-A組だ。どうやら巡り巡って戻って来てしまったらしい。

 

「まずいな。早く移動しようぜ?」

 

 ウォーロックの言葉に頷いた。もし、ここまでリブラ・バランスが追いかけてきて戦闘になれば、クラスの皆を巻き込むことになる。ふらつく足を動かそうとする。

 

「スバル、上だ!」

 

 ふと上を仰ぐ。天井から茶色い塊が両手を頭上に掲げて飛び出してきた。その手は暴力さを感じさせる黒い塊へと変わっていた。リブラ・バランスだ。どうやら上の階から周波数を変えてすり抜けて来たらしい。

 

「ヘビーウェイト!」

 

 リブラ・バランスの奇襲攻撃は成功した。ロックマンはとっさに両手で頭上からの攻撃を受け止める。しかし、重力、質量、腕力。三つの力を最大限に生かした攻撃をスバルが軽々と受け止めることなどできない。多大な圧力がロックマンをウェーブロードへと押しつける。それでも、押しつぶされまいと全身を伸ばそうと、悲鳴を上げそうな体で錘を必死に押し返そうとする。

 

「スバル、いったん引くぞ?」

 

 鼻先を錘に押し付けられながらウォーロックが苦しそうに喚いた。

 

「ダ、ダメだよ」

「なに言って……!」

「下を見てよ……」

「……そう言うことか。お前らしい理由だぜ、畜生!」

 

 ロックマンの真下にいるのはルナだ。そして、ロックマンが支えているのはリブラ・バランスのヘビーウェイトだ。この攻撃は軽々とウェーブロードを砕いていしまう。もし、ロックマンがここで引けば、ルナの命は無いだろう。ルナに逃げてもらえば一番良いのだが、残念ながら今の彼女は学習電波の力で人形になっている。頭上で行われている激戦と真逆に、ただブツブツと与えられた知識を静かに口にしている。

 

「先生……なんで? 委員長は育田先生の生徒だよ? なんでこんなことするの? 生徒は……子供は宝じゃなかったの?」

 

 育田に初めて会った時、彼は言ってくれた。子供は宝だと、自分は子供を守るためならば命も惜しまない。そう高々と宣言してくれた。

 育田はロックマンの正体を知らない。当然、今自分が押しつぶそうとしているのは自分の生徒のスバルだとも知らない。だから、自分がスバルに言った言葉をロックマンが知っていることに疑問を抱くはずだ。しかし、育田はそんなことよりも以前に自分が言った言葉に揺らいでしまった。

 

「ああ、言ったさ……」

 

 育田の声だった。今までの攻撃的な激しいものと違い、静かで悲愴感を含んだものだった。

 

「私は子供が大好きだし、大切に思っている。しかし、自分の子供達と生徒達。どちらを取るかと問われれば、私は自分の子供達を選ぶ。クビになり、子供達を路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」

「……クビ?」

 

 職を追われると言う意味だ。理想の教師を形にしたような育田がそのような目にあうなど、スバルには考えられなかった。しかし、まだ子供のスバルには分からない事情が大人の世界にはたくさんある。それに逆らえなかった育田のなれの姿がリブラ・バランスだ。

 

「知らなかった……けど、本当にそう思っているの? 先生は、そのためなら自分の生徒がどんな苦しい目にあっても良いって言うの?」

 

 スバルは眼下のルナにもう一度目をやり、リブラ・バランスとなった育田に問いかけた。リブラ・バランスの目が大きく泳いだ後、同じくルナに視線を移した。

 

「……そ、それは……」

「育田、決めただろウ?」

 

 落ちついたリブラの声が育田の渦巻く胸中を抑え込んだ。

 

「戦うト……子供と職を守るためになんだってするト。そう誓ったんだろウ? 『長いものには巻かれロ』。弱者が強者に従うは必然。バランス良く割り切って生き残る者が賢い生き方ヨ」

「そ、そうだ! 私は……戦わなくてはならないんだ! 大切なもののために……迷ってなどいられないんだ!」

 

 スバルの言葉は届かなかった。グッと頭上から圧力がかけられる。リブラ・バランスの目にルナが映っていないわけがない。どうやら生徒ごとロックマンを押しつぶす気のようだ。

 

「迷わない……仕方がない。仕方ないんだ! 私は親として子供達を守らなければならないんだ!」

 

 手に掛る重量はさらに増してくる。ウォーロックも苦しそうにスバルと同じく表情を歪める。腕がギシギシと悲鳴を上げる。スバルには支えきれない事実が付きつけられ、それがスバルの膝を徐々にくの字へと曲げていく。

 敗北の二文字がスバルを駆け巡る。

 

「……助けて……」

 

 それをかき消すように、微かに言葉が聞こえた。

 

「委員長?」

 

 圧力のままに閉ざされていた目をうっすらと開いき、足場の下でうめき声を上げた少女を見た。

 

「助けて……ロックマン様……」

 

 ルナだった。電波変換したスバルの名を呼んでいた。

 

「ごめん、委員長……僕は……」

 

 

――まさにヒーロー!――

 

 

 スバルの脳裏を過ったのは、無理やり学校に連れてこられた時の出来事。学芸会で行う劇のセットを見せつけられた時のこと。彼女が言った言葉だ。

 

「僕は……違う……」

 

 リブラ・バランスへと視線をずらす。リブラに取りつかれた育田の目はロックマンを倒す事しか映っていなかった。

 

 

――というわけで、ロックマン様はピンチの時に現れるヒーローなのよ!――

 

 

「違うよ……僕は、ヒーローなんかじゃ……」

 

 

 自分ではこの強敵に勝てない。悟ってしまった現実に、歯を噛み締める。

 

 

――絶対に皆を守ってくれるんだから!――

 

 

 スバルの胸に一つの言葉が突き刺さった。

 

 

――守ってくれるんだから――

 

 

 僕が……守る?

 

 ウェーブロードの下で座り込んでいるルナをもう一度見る。今度はちゃんと瞼を開いてだ。その先で、教室の明りによって照らされる物があった。それはポタポタと小さい塊となって落ちていく。

 ドクンと胸が強く訴えた。答えるように呟いた。

 

「……守りたい……!」

 

 こんな自分をヒーローと呼んでくれるなら。

 

「……僕は……」

 

 薄れ行く意識。その中でも、涙ながらに少女が必死に助けを求めてくれるのが自分だと言うのなら。

 

「僕は……この子を、守ってあげたい!」

 

 思いの丈のままに叫んだ。途端に左手のウォーロックが眩いばかりの光を放った。スバルの言葉と思いに応えるようにだ。白光はスバルを包み込む。

 

「ようやく気付いたか?」

「……え?」

 

 光の中でスバルは会合した。三つの影がロックマンとなったスバルを取り囲んでいる。

 

「誰かを守りたい」

 

 赤い電波体。レオ・キングダムが言う。

 

「他人を思いやる強い心」

 

 緑の電波体。ドラゴン・スカイが続く。

 

「それが、真の強さ」

 

 青い電波体。ペガサス・マジックが紡いだ。

 

「己しか案じぬ思いは、醜く、そして脆い」

「対し、誰かのために戦いたいと言う、勇ましいお前の思い」

「それが、絆がもたらす力だ!」

 

 先ほどと同じ順で、スバルに言葉を投げかける。次々と違う方向から掛けられる言葉は、スバルを覆って行く。

 

「守る……力?」

 

 高鳴る鼓動を感じ、胸に手を当てた。その場所から青い光が姿を現し、徐々に強さを増して行く。

 

「さあ、星河スバル! 力を解放せよ!」

「これが、絆を持つお前だけが引き出せる力、スターフォースだ!」

 

 レオ・キングダムとドラゴン・スカイの言葉を受け、手に持った光を掲げて呟いた。

 

「……スターフォース……」

 

 そんなスバルにペガサス・マジックが教える。

 

「スターフォースを使いたいときは、こう唱えるのだ……」

 

 手の中の光を力の限りに握りしめ、叫んだ。

 

 

「スターブレイク!」

 

 リブラは自分の神経を疑った。自分と電波変換し、リブラ・バランスとなった育田の両手の下で、ロックマンはもう虫の息だ。発していた戦闘周波数もドンドン小さくなっていく、消えかけている命の灯そのものだった。後は羽虫のようにプチリと踏みつぶすだけだった。

 だが、現状は違った。上がって行く。零へと向かっていた戦闘周波数が上がって行く。それは元の数値へと達するに留まらず、軽く飛び越えていく。ロックマンの体から発せられる水色の光と共に大きくなっていく。

 溢れてくる。力がだ。滾る力にウォーロックは吠え、スバルも唸り声を上げる。両手に押し付けられていた力が嘘のように軽くなっていく。全身を血液と共に駆け抜ける熱さに励まされ、スバルは曲げられていた両手足を伸ばしきり、リブラ・バランスのヘビーウェイトを押しのけた。

 

「ば、馬鹿な!?」

 

 力負けしたことが信じられないのだろう。収束していく水色の光と、その中心で佇む主を、現実を受け入れられぬ目で見ていた。

 光がロックマンに吸い込まれるように消えた、ロックマンの姿は変わっていた。群青色だった体は、澄んだ水色と変わっていた。丸みを帯びていたヘルメットはやや角ばり、耳の部分には飾りのような羽がつけられていた。左手のウォーロックの顔も長細く変化している。なにより目を引くのはその背中だ。美しさを感じさせる純白の翼をばさりと広げて見せた。

 

「ロックマン・アイスペガサス!」

 

 AM三賢者の一人、ペガサス・マジックの力を解放したロックマンの姿だ。赤いバイザーの下にある茶色い瞳は、眼下で涙を流しているルナへと向けられる。

 

「委員長、君は僕が守るよ!」

 

 守りたい。今はこの子のヒーローとして、ルナの思いに応えてスバルは叫んだ。

 

「調子に乗るなヨ?」

 

 リブラは突然の力に意表をつかれたものの、すぐに体勢を立て直した。理由は分からないが、相手は明らかに強くなっている。自分のパワーを押し返せるほどに。ならば余裕なんて無い。強くなった原因などどうでもいい。決着をつけるのが最善の方法だと判断した。

 

「フレイムウェイト!」

「させない!」

 

 左手から火を放とうとした直後、的が消えた。気付けば、リブラ・バランスの左手が上へと打ち上げられていた。下を向くと、ロックマン・アイスペガサスが右拳を天に向かって振り切っていた。

 

「教室で、そんな危ないもの使わせない!」

 

 リブラ・バランスの強力な炎を放てば、教室はあっという間に火の海だ。だからスバルは攻撃を未然に封じたのである。

 遠距離戦は無理だと即断した。ならば、近距離で攻撃するしかない。リブラ・バランスにとって苦い決断だった。彼は近距離で戦うことはできるが、決して得意ではない。その皿の様な手で殴ることしかできないのだから。相手にそれを悟らせないために、一度自ら切り込みはしたが、懐に潜り込まれるのは一番嫌な行為だ。

 ロックマン・アイスペガサスは今までの戦闘でそれを悟ったのか、接近戦に持ち込もうと素早く踏み込んで胴体に蹴りをかました。

 

「ははっ! 流石だぜ! すげえ力だ!」

 

 大きい体をくの字に曲げるリブラ・バランスを見て、ウォーロックはスバルが引きだした強大な力に、快感の声を上げる。

 表情に乏しい顔を、苦痛に歪めながら、右手をロックマン・アイスペガサスに振り下ろした。ガシャンと手がウェーブロードを叩きつけた。もうそこに敵はいなかった。大きく距離を取り、左手を構えているのが見える。

 

「アイススラッシュ!」

 

 ウォーロックの口から放たれたのは氷の弾丸だ。バトルカードの力では無い。スターフォースを解放したロックマン・アイスペガサス自身の力だ。それに対抗するようにリブラ・バランスは左手からフレイムウェイトを撃ち出した。氷の弾丸と、火の大砲が二人の射線上でぶつかり合う。火は氷を蒸発させ、大きくしぼんだ。

 リブラ・バランスは目を見開いた。打ち勝った炎はウェーブロードの坂道と触れあい、お情け程度の爆発を起こして、ウェーブロードの上でのたうちまわっている。つまり、ロックマン・アイスペガサスが消えたと言うことだ。

 白い靄が視界を狭める。グランドの上空で戦っている時とは違い、教室と言う密閉された空間では霧が立ち込める。完全に見失った。

 

「どこだ!?」

「ここだよ!!」

 

 ロックマンの声が聞こえたのは上だ。仰ぐと、天井からアイスペガサスへと変身したロックマンが飛び出してきた。先ほどリブラ・バランスが仕掛けた奇襲と同じだ。

 飛び出したロックマンは背中を大きく仰け反らせ、体から水色の粒子を溢れさせ、両手を高く上げている。立ち上る水色の粒子と共鳴するように、リブラ・バランスの足元に魔法陣が描かれる。

 

「スターフォースビックバン!」

 

 大技の前兆だと察したリブラ・バランスが退避するより早く、スバルは両手を振り下ろした。

 

「マジシャンズフリーズ!」

 

 スバルの掛け声と共に、魔法陣から巨大な氷が姿を現す。それは魔法陣の上にいたリブラ・バランスを飲み込んでいく。

 

「こ、こんなことガァ!?」

 

 リブラ・バランスではなく、リブラが叫んだ。豊富な水のエネルギーで構成された氷に襲われた彼はそれ以上口を開けなかった。

 スタリとウェーブロードに両足を置き、スターフォースを解除した。群青色をした、普段のロックマンへと戻る。

 

「へへっ、すげえじゃねえか、このスターフォースって力はよお!」

 

 FM星でもそこそこ名の通ったリブラを倒したことに、ウォーロックはご機嫌な様子だった。三賢者から貰った力に浮かれてご機嫌な様子だ。

 

「うん。そうだね……」

 

 スバルは対照的に浮かない表情をしていた。氷の大群の中に閉じ込められて、身動き一つ取らなくなったリブラ・バランスをじっと見ている。

 その様子を見て、ウォーロックも止めをさせと言えなくなってしまった。ただ、スバルの動向を見守ることにした。

 スバルが考えていたのは育田のことだ。三年ぶりに校門を潜ったあの日、母の言う通り人の良い先生だとスバルは思った。訴えかけるように、氷の牢獄の中で動かないリブラ・バランスへと近づく。

 

「先生が担任だったから、僕は学校に行こうって思えたんだよ?」

 

 本当に良い先生だった。初対面で無愛想なスバルに優しく接してくれた。未体験の授業をしてくれた。

 

「また、楽しい話をしてよ? 僕が困ったら、相談に乗ってくれるんでしょ?」

 

 ただ、その優しい表情で話しかけてくれる。それだけでスバルは……

 

「ねぇ……お願いだよ、先生……元に……あの時の、優しい先生に戻ってよ……」

 

 氷に手を当てると、そのままスバルの足ががくりと折れた。疲れたからではない。ただ、この姿になってしまった育田を見るのが辛かった。その現実を受け入れるのが悲しかった。

 激痛が走った。スバルは頭を押さえてうずくまる。ウォーロックも同じだ。目をギュッとつぶり、不快感に苦い顔をした。二人の錯覚では無いことは、教室にいる面々が証明してくれた。呟く単語の数は多く、複雑になり、スバルと同じく脳が叫んでくる悲痛に任せた表情をしている。

 

「ロック、これは!?」

「ああ、学習電波が強くなりやがった!」

 

 校舎を襲っていた学習電波はその狂暴さを増していた。

 

「なんで? 育田先生が学習電波を操ってたんじゃ……?」

「スバル、放送室だ!」

 

 ウォーロックは思い出していた。廊下の角で、ツカサと共に育田と出くわしてしまった時、育田は電波変換する直前に口にしていた。学習電波を強くするために『放送室で操作する』と。スバルも言われて気付いたようだった。そして、一つの可能性が生まれた。

 

「まだ、敵がいるってこと?」

「ああ、その可能性が高いな! 行くぞ!?」

「うん!!」

 

 ウォーロックに促され、スバルはウェーブロードを走り出した。

 そんな中で、ウォーロックはリブラ・バランスに目をやった。疑問だった。スターフォースを発動しているときの力はすさまじかった。スターフォースビックバンはその時にのみ使える大技だ。それが、あの程度の威力なのだろうか?

 ロックマンが去った後には、氷の柱に閉じ込められたリブラ・バランスが残された。彫刻のように瞬き一つしない。

 彼の足もとから聞こえてくる。

 

「止めてよ、先生……」

「育田先生、助けてよ」

「止めて……勉強するから……」

 

 呟く単語の数が増えた中、シクシクと涙を流す者。鼻を鳴らす者。それぞれが違った反応を見せるが、皆の思いは同じだった。

 嘆きと涙で満たされて行く教室の中にあっても、電波の道に取り残された彼は表情一つ変えずに人形のように身動き一つしなかった。



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第五十一話.招かれざる客

2013/5/3 改稿


 ウェーブロードを伝って廊下に飛び出し、放送室へと向かう。途中、デンパくんやナビが何体もふらついていたり、倒れているのを目撃し、改めてこの学習電波の有害さを確認した。

 

「電波世界の人達までこんな風になるなんて……」

「この学習電波って奴は、ロクなもんじゃねえな。こんな授業受けるくらいなら、育田の話の方がよっぽど楽しいぜ?」

 

 勉強なんて一切していないウォーロックもスバルの意見に素直に頷いた。

 二人は放送室のドアをすり抜け、部屋の中に設置されている機械へと駆けよる。これが学習電波の発生源だと確かめ、電脳世界へと入り込んだ。

 

 

 学習電波は物騒な上に、容量がとてつもなく大きいのだろう。放送室の電脳内は教科書を模した電子データが建築物の用に建ち並んでいる。一つ一つが三階建ての家のようだ。しかも、データ整理がずさんらしい。まるで、教科書に囲まれた迷路だ。この電脳内で働いているデンパくん達も、迷路のせいで作業が滞っている様子だった。彼らも学習電波の影響で良好な状態とは言えない。可愛らしい表情を歪めている。

 そんな迷路を潜り抜けると開けた空間に出た。学習データである馬鹿でかい教科書が無秩序に立ち並んでいる。そのさらに奥を見ると、見上げるような巨大モニターが浮かんでいる。それは幾つもの小さい長方形に切られ、学校のあらゆる場所を映している。中には5-A組の様子も見える。やはり、ルナ達が涙を流す人形にされていた。

 そのモニターの前には操作用の機械が設置されている。おそらく、機械を操作するプログラムデータだ。大きさは、人が3,4人並んで座れそうなテーブル程だ。

 先ほどまでその機械を操作していたのだろう。機械の前に立ち、モニターを眺めている影が一つ。こちらに背を向けているため、顔は見えない。しかし、ロックマンには、それが誰なのか分かった。

 

「学習電波を止めろ! ヒカル!」

 

 全身が黒で塗りつぶされている相手が振り返ると、額には一本の角があることが見える。右手には重厚な黄色い装甲。以前、ロックマンに敗北を与えたジェミニ・ブラックだった。

 

「ククク、面白いだろ?」

「何が面白いんだよ!?」

 

 画面向こうの悲惨な世界を蹂躙する笑みにスバルは激怒した。ルナ達がどれだけ苦しんでいるのか分からない。いや、分かった上で楽しんでいるこの男が許せなかった。

 

「なんで……なんでこんなに酷いことができるの?」

「好きなんだよ。こんな風に誰かが苦しむ姿を見るのがな」

 

 ヒカルの感覚はスバルとは対極に位置するらしい。言葉の通じる相手ではないとスバルは悟った。

 

「ちなみに、お前が逃がそうとしたお友達はご覧のとおりだ」

 

 モニターの一つが今まで映していた場所とは別の場所を映す。そこには、草むらの上で横たわっている緑色の髪の少年が見えた。間違いない、ツカサだ。

 

「ツカサ君!?」

「お友だちにずいぶんと無茶をさせるよな? 途中で足滑らせてこのありさまだぜ? 馬鹿な野郎だ」

 

 ツカサは勇気を出して、スバルと学校の皆を助けるために危険を承知の上で行動してくれた。そんな優しいツカサを馬鹿にするヒカルが許せなかった。

 

「すぐに学習電波を止めるんだ!」

 

 学習電波を止め、すぐに医療の知識があるものにツカサを見せる。スバルは即決した。

 

「俺を止めたきゃ、分かるよな?」

 

 ヒカルの言葉に、スバルは頷いた。

 以前の敗北から未だに力の差を分かっていないロックマンが滑稽なのだろう。ジェミニ・ブラックは「ククク」と笑って見せた。

 ジェミニ・ブラックに電波変換しているヒカルの隣に、ジェミニが姿を現す。黒い仮面が相手を見下すような笑みを見せる。どうやら、わざわざ相手をコケにするためだけに出て来たらしい。

 

「屑は勝算を測ることもできねぇのか?」

「ケッ、お生憎様。こっちはさっき、すげえ力を手に入れたばかりでな。負ける気がこれっぽちも起きねえんだよ!」

 

 スバルに目を合わせると、ウォーロックの考えを分かっていると言うように頷いた。

 

「フン、なら少しは遊べそうだな?」

「ああ、ちょっと屑をもて遊んでやれ」

 

 それが開戦の合図だった。ジェミニ・ブラックは右手にエレキソードを展開し、一直線にロックマンへと向かってくる。

 前回の敗北から学んでいる。ジェミニ・ブラックの強さを。先ほどの戦闘による疲れとダメージまで残っている。そして、今はルナやツカサ達を助けるために一刻の猶予も許されない。だから、二人は決めていた。最初から全力で行くと。

 

「見せてやれ!」

「うん!」

 

 頷き、両手を大きく交差した。

 

「スターブレイク!」

 

 掛け声と共に交差していた両手を開くと、緑の光がロックマンから発せられる。

 突然の発光に少々たじろぐものの、ジェミニ・ブラックはこの程度では怯まない。足を止めずに距離を詰める。

 緑の光の中央から影が飛び出した。

 

「グリーンドラゴン!」

 

 全身が緑色となったロックマンだ。ヘルメットには二本の竜の角が後方に向かって生え、両肩には鱗の様な装甲、右手の甲からは二本の爪が装着されている。左手のウォーロックの鼻先には金色の髭が生えており、竜を思わせる。

 AM三賢者の一人、ドラゴン・スカイの力を引き出したロックマンの姿だ。

 

「バトルカード、タイボクザン!」

 

 左手に草の力を秘めた剣を生み出す。

 

「前にそれでやられたのを忘れちまったか!?」

 

 ジェミニ・ブラックが駆けて来た勢いのままにエレキソードを振り下ろした。対するようにロックマン・グリーンドラゴンもタイボクザンで迎え撃つ。黄と緑の閃光が駆けた。

 

「なんだと?」

 

 ジェミニ・ブラックが驚いた分だけ瞼を持ち上げた。今、エレキソードとタイボクザンはお互いの目の前で立ち止まっている。このように均衡する状態は以前に何回もあった。だが、前回とは様子が違う。以前のロックマンは、ジェミニ・ブラックの片手に両手で対応してようやく互角だった。だが、今は片方だけだ。ジェミニ・ブラックの右手に、ロックマン・グリーンドラゴンの左手だけで対応している。

 

「これが、お前らの新しい力か?」

「そうだ! やってやれ、スバル!」

 

 ジェミニの言葉にウォーロックが答え、スバルは左手により一層力を込めた。途端にエレキソードが持ち上がり、ジェミニ・ブラックが後方に退く形となる。

 

「なに!?」

 

 予想以上の力に動揺するジェミニ・ブラックにスバルは剣をしまい、ウォーロックの頭を向ける。

 

「ウッディシュート!」

 

 ロックマン・アイスペガサスの時の力がアイススラッシュなら、ロックマン・グリーンドラゴンの力はこれだ。十枚の新緑の葉が刃の弾丸となってジェミニ・ブラックに降り注ぐ。

 広がるように撃ち出されたそれを全力で回避しようとするが、数枚がジェミニ・ブラックの背中を傷付ける。

 それだけで充分だった。ジェミニ・ブラックは理解した。以前のロックマンでは無いと。

 

「ジェミニサン……」

 

 右手に雷のエネルギーを溜め、ロックマンへと向き直る。彼の視界に飛び込んできた。黒い塊だ。その形状は弾丸だ。ジェミニ・ブラックが技を放つより早く、それは彼の体に着弾した。黒煙がジェミニ・ブラックを包み込む。

 

「前に食らわせれなかったからな。いてえだろ?」

 

 前にジェミニサンダーでかき消してやった『プラスキャノン』だった。ズキズキと焼け焦げた左肩を右手で抑えて立ち上がる。

 再びタイボクザンを装備したロックマンが向かってくる。その少し後ろを見てほくそ笑んだ。先ほどの攻撃を受けた時、爆炎に紛れて飛ばした自分の左手が見えた。ジェミニ・ブラックの技、ロケットナックルだ。それと挟み撃ちするように、エレキソードで斬りかかった。

 雷を掴んだ拳がロックマン・グリーンドラゴンの背中を捕らえた。途端に白い煙がロックマンを覆い、そこに飛びこんでしまったジェミニ・ブラックの視界を奪った。見えない相手に剣を振るが、何もとらえなかった。直後に背中を鋭い斬撃が襲った。地に倒れつつ背後を確認すると、ヘンゲノジュツを駆使して後ろに回っていたロックマンがいた。

 行けると確信した。あの手も足も出せなかったジェミニ・ブラックを追い詰めている。このスターフォースの力の凄まじさに四肢が震えてくる。抑え込むように新たなバトルカードをウォーロックに渡す。その時に彼と目が合う。彼も興奮を抑えきれない様子だ。目と口が笑っていた。

 

「バトルカード、ポイズンナックル!」

 

 右手を毒々しい紫色の拳へと変化させ、倒れているジェミニ・ブラックに向けて、左足から踏み込んで大きく右拳を振りかぶった。

 左足が地面から離れた。支えが無くなり、標的よりはるか手前、自分の左足が置いてあった場所を殴りつけていた。左足の変わりに右手を使い、右足と二つの支柱で体を支えている不安定な状態だ。殴りつけようとした時の加速を抑えきれず、横に倒れそうになる。

 

「調子に乗るな!」

 

 スバルの顔面に黒い脚が突き刺さる。ロックマンの左足を払ったジェミニ・ブラックの足が

、今度はロックマンの顔を怒りに任せて蹴飛ばしていた。崩された体勢からそれにあらがうことはできず、転がって行く。バイザーに入ったヒビが威力を物語る。

 

「お遊びは終わりだ!」

 

 以前圧勝した相手に、ここまで痛めつけられたのが悔しいのだろう。負け惜しみの様な台詞と共にエレキソードを振り下ろしてきた。

 対し、素早くブレイブソードで応戦する。スターフォースの力に加えて、重みのある剣を使っている。今回は押し負ける要素が無い。爪先に力を込めて体重をかける。しかし、それは容易く受け流された。斜めにしたエレキソードの上を滑って行く。しまったと後悔した直後にエレキソードの一閃が右横腹から左胸に向かって駆け抜けた。一瞬遅れてやってくる残虐な痛み。

 それでもあきらめまいと、背後に回ったジェミニ・ブラックに斬りかかる。相手も同じ構えだった。鏡のように向かい合い、左手と右手が交差する。二度、三度と撃ち会う度に、力量差が出て来た。力は互角だ。ただ、早い。ジェミニ・ブラックの方が早い。一撃を放った後に、次の一撃へと移行する動きが早い。ブレイブソードを選んでしまった事を後悔しても遅かった。少しずつ、少しずつ、ロックマンの剣が振りきれぬままにエレキソードを迎え撃つ形になる。振り切っていない剣と、振り切った剣。どちらの威力が高いのかは考えるまでもない。そのため、ロックマンは剣を振る時間を稼ごうと、徐々に退いて行く。ドンとロックマンの後退を止める力が加わった。教科書の形をした、家ほどの大きさのあるデータだ。ロックマンの動きを制限する壁となっていた。

 ここぞとばかりにジェミニ・ブラックはエレキソードを打ち付けた。背中が伸びきってしまったロックマンは、ジェミニ・ブラックの体重をかけた剣を、腕だけで支えるしかない。右手で左手の剣を押すが、やはりびくともしない。

 

「はっ! いくら力が強くても、使い方がなっちゃいないな」

 

 ジェミニ・ブラックの挑発だ。分かっていても、どうしようもない。ギリギリとエレキソードが鼻先に近づいてくる。拒もうと、より一層力を加える。その瞬間、圧力が無くなった。勢い余って両手を開いてしまったロックマンは無防備という言葉そのままだ。

 タイミングを測り、剣を引いてしゃがんだジェミニ・ブラックの剣が、ロックマンの体を下から切り上げた。ロックマンが痛恨の一撃を受けて倒れ込んだところ、脇腹から強く蹴りあげられた。サッカーボールのように、地面を転がって行く。薄れる意識の中、ウォーロックの声が聞こえる。かろうじて聞き取れた言葉は、ビックバンだった。

 

「スターフォースビックバン……」

 

 全身を襲う激痛と疲労。それでも、懸命に相手を見据えて立ち上がり、両手を広げる。ロックマン・グリーンドラゴンを包むように、無数の緑の葉が舞いを始める。その舞は規則正しく、一枚一枚が等間隔に並び、渦を巻くように同じ方向に進んで行く。中央に立っているスバルも片足を軸に回転し、徐々に速度を増していく。それに呼応し、葉の動きも苛烈になって行く。

 ロックマンの切り札だと、ジェミニ・ブラックも悟った。対抗するように、右手に電気のエネルギーを集める。

 先に準備ができたのはロックマンだった。

 

「エレメンタルサイクロン!」

 

 新緑の渦がロックマンから解き放たれた。自然の力を暴力へと変換した姿が、ジェミニ・ブラックへと向かって行く。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 同じく、切り札とも言えるジェミニサンダーを放った。黄色い閃光が迎え撃つ。二人の切り札がぶつかり合う。

 勝負は一瞬で決着がついた。ジェミニサンダーはエレメンタルサイクロンを穿ち、葉の群れを霧散させ、茫然としているロックマンを飲み込んだ。

 負傷した肩を押さえながら、しかし悠々とジェミニ・ブラックは歩み寄る。黒煙が晴れる中、教科書の壁にもたれるように倒れているロックマン・グリーンドラゴンが見えた。すぐに緑の光を放ち、スターフォースの力が解けてしまったロックマンへと戻る。

 

「言ったろうが? 使い方がなっちゃいないってな……」

 

 体が動かない。ぐったりとした目でスバルとウォーロックは、ヒカルとジェミニを見上げた。右手に生成されるエレキソード。自分たちの命を奪う剣が明るく、残酷に輝いていた。

 ジェミニ・ブラックの体が、黒煙が混ざった赤と共に横に吹き飛ぶ。ロックマンが力の無い目で、起き上がったジェミニの視線の先を見る。ゆっくりと、二人に近づいてくる巨大な影が一つ。

 

「どういうつもりだ? 手柄を横取りする気か? リブラ!?」

「今はリブラ・バランスだ」

 

 リブラ・バランスだった。ロックマン・アイスペガサスが放った、マジシャンフリーズが溶けてしまったのだろう。体のあちこちから水滴を垂らしているのが見えた。

 ジェミニ・ブラックは今にも掴みかかりそうに歯ぎしりを浮かべた。リブラ・バランスは

一度は敗北したくせに、手柄を横取りするためにフレイムウェイトをお見舞いしてきたのだ。怒りを覚えないわけがない。「手柄は私の物だ」とか「手柄をバランスよく分けよう」などとほざいてくるのだろう。そんな気は毛頭ないと言い返す気でいた。しかし、リブラ・バランスの言葉に手柄を要求する言葉は無かった。

 

「学習電波は止めさせてもらったよ」

「……え?」

「……なんだと?」

 

 どうやら、二人が戦っている間に学習電波を止めたらしい。

 ロックマンとジェミニ・ブラックは唖然とした。学習電波を放出していたのはリブラ・バランスだ。彼が止める理由が無い。

 

「何のつもりだ?」

 

 お楽しみを邪魔され、指が自然と内側へと曲げられる。火傷の痛みが憤怒の念を助長する。

 

「子供達を……私の生徒達を守るためだ」

 

 その怒りがふっと吹き飛んだ。心が晴れたのではない。全くの予想外な発言に、思考が混乱し、怒りを感じる余裕が無くなったからだ。

 現状を理解しようとしているヒカルとは違い、スバルはまさかと察した。今の言葉はリブラ・バランスが言っていた言葉では無い。

 

「せ……先生……なの?」

 

 天秤に似ているせいで、無機質さを感じさせる体だ。だが、その中で唯一、最も生命を感じさせる場所。大きな図体と比べると、遥かに小さいその目の奥では、男の静かな決意が秘められていた。



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第五十二話.快晴と暗雲

2013/5/3 改稿


 ジェミニ・ブラックはリブラ・バランスを信じられない目で見ていた。その隣にジェミニが姿をあらわにする。

 

「リブラ。逆に飲み込まれたか?」

 

 ジェミニの言葉はロックマンにも届いていた。スバルと同じく、リブラ・バランスの行動に驚いていたウォーロックが察し、スバルに解説した。

 

「育田の奴、リブラの精神を逆に乗っ取りやがったみてえだ」

「そんなこと、できるの?」

 

 ウォーロックは首を横に振った。彼が言うには、ロックマン・アイスペガサスの攻撃でリブラが弱ったため、一度は乗っ取られた育田の精神が元に戻ったらしい。今は育田がリブラを乗っ取っている、不安定な状態だ。

 それを理解したジェミニは舌打ちした。戦闘の素人が他人の勝利を邪魔をするだけでなく、二度と学習電波を操作できぬようにと立ちはだかっているのだ。腹立たしいことこの上なかった。

 

「ちっ、屑が……ヒカル、消しちまえ」

「良いんだな?」

「ああ、いても足手まといなだけだ」

 

 ジェミニ・ブラックは立ち上がり、左拳を前に突き出した。

 

「ロケットナックル!」

「フレイムウェイト!」

 

 左手から飛ばされた拳に、火の玉を打ち出した。拳と火が弾け飛ぶ。爆炎に紛れてエレキソードで斬りかかった。

 

「学習電波を使ったのはてめえだろうが! 今更なんだってんだ!」

 

 戦いは無情だ。経験が実力となってリブラ・バランスに突きつけられた。防衛本能が突き出した右手に容赦のない切り傷がつけられる。

 

「ああ、そうさ! 私が犯してしまった過ちだ!」

 

 それでも、戦闘の素人は必死に、慣れない体で約20年ぶりに拳を振り回す。

 

「だからこそ、今度は償う! これ以上、私の生徒を傷付けさせない!」

 

 エレキソードが胴をかすめて行くのを、ロックマンは離れた場所で見ていた。無謀に、けれど懸命に立ち向かうリブラ・バランスの姿を見て、瓦礫となった学習データに手をかけて両足を激励する。

 

「私は教師だ! 子供達も、生徒達も、両方守る!」

 

 左手の皿が大きく空をなでる。隙だらけになった左脇腹にエレキソードを突き立て、抜くと同時に傷ついた場所をえぐるように蹴りを入れる。リブラ・バランスが激痛に耐えれずに、顔を地に埋めるように倒れる。絶命にひんするような悲鳴がヒカルとジェミニの加虐心をくすぐる。

 

「こんな目に合っても、まだガキを守るとか言うのか? 負け犬らしく尻尾巻いて逃げたらどうだ? 教師の職が惜しいあまりに、世間体に囚われた時みたいにな?」

 

 もちろん逃がすつもりなどない。命乞いをした直後に笑って止めを刺すつもりだ。今のリブラ・バランスはどんな表情をしているのだろうか? 命の危機を前にし、怯えているのだろうか? それとも、涙を流しているのだろうか? ジェミニ・ブラックにとって、他人はおもちゃだ。自分の醜い欲望を満たすための道具でしかない。だから、足元に転がっているちょっと大きいお人形の頭を掴み、乱暴に顔を向けさせた。

 

「……なんだよ……おい?」

 

 期待外れも良いところだった。その目には怯えに類する物の一切が無かった。

 迷いも怯えもない。ただ、悔やんでいた。数日前、学校に訪れたスバルと初めて会った時のことを思い出しながら、自分を責めていた。

 

「大切なのは、私が世間に適応することじゃない! 選んだ道を貫き通す思い、守りたい物を守りきると言う覚悟、勇気だ!」

 

 ロックマンは頬を緩めた。先ほどまでの激痛を忘れてしまうほどに嬉しかった。

 

「誰の子供だろうと関係あるか! 私は……私は教師だ! 私は……命に変えても、あの子たちを守る!」

 

 リブラ・バランスの体から鋭利な物体が飛び出した。静寂な世界に響く残虐な音色が、ロックマンの耳に届けられる。

 

「ジェミ……ニ……や……止め…………ロ」

「今更目覚めたのかよ、リブラ?」

 

 ヒカルではなくジェミニが、育田ではなくリブラに問うた。

 

「わ……私は……きょ……うし!」

「やめ……ロ……まダ……た……かえ……」

 

 リブラ・バランスを観察していたジェミニがあざ笑うように言葉を吐いた。そして、手を止めていたヒカルに一言告げた。

 

「……いや、混濁してるってところか?」

「やるのか?」

「消せ」

 

 剣を引き抜いて収め、代わりに帯電させたエネルギーを、風通りの良くなった茶色い胴体へと叩きつける。左手から放たれた黄金色の世界が、リブラ・バランスを飲み込んだ。

 吠えた。地を全力で蹴飛ばし、リブラ・バランスを消し飛ばしたジェミニ・ブラックへと駆けだす。相手も気付きエレキソードを振り上げた。ウォーロックに言われ、力を解放する。

 

「スターブレイク!」

 

 今度は赤だ。ロックマンの体が太陽のごとく輝く。

 

「ロックマン・ファイアレオ!」

 

 肩には獅子の鬣を思わせる装甲、バイザーよりもひと際濃い赤色のヘルメット。ウォーロックには獅子の耳を思わせる装飾がつけられている。

 すぐにバトルカードのタイボクザンを使う。相手は剣を弾くように撃ちつける。応じるようにこちらも間合いを取る。互いに最も剣を効率よく振れる間合いを探すように、火花が生まれる度に二人の足が地の上でステップを踏む。

 

「守るんだ……」

 

 激しくなる剣劇と相をなすように、スバルの胸が激しく鼓動する。

 

「僕が守るんだ! 委員長も、ゴン太も、キザマロも、ツカサ君も、先生も! 僕が……僕が守るんだ!」

 

 舞い散る黄と緑の火の粉の向こうで、馬鹿にしたような笑みがロックマンを捕らえる。それでも、叫ばないとどうにかなってしまいそうで、ただ負け犬のように吠えた。

 それでも、ジェミニ・ブラックがまだ上だった。最初に会心の一撃を振ったのは彼だった。ロックマン・ファイアレオの胸元に大きく傷をつける。悶える様に満足せず、更に一撃を加える。しかし、次の一撃のほとんどはタイボクザンに阻まれ、後退させるだけに終わってしまった。

 

「ロック!?」

「行けるぜ!」

「うん。スターフォースビックバン!」

 

 スバルが右手でウォーロックの口を抑えるようにして、左肘を引く。その両手からは溢れんばかりの深紅が輝いていた。

 ジェミニ・ブラックは対するように、黄金の光を蓄えた、冷徹な右手を引く。

 

「屑なだけでなく、吠えることしかできない負け犬。とんだ貧乏くじを引いたな?」

「そうでもねえぜ? まあ、口じゃあれだ。見せてやるぜ!!」

 

 相手を見下すためだけに出て来たジェミニに、ウォーロックは鼻で笑って返した。口からあふれ出すエネルギーを収束させ、スバルの合図と共に全力で放った。

 

「アトミックブレイザー!」

 

 全てを飲み尽くす烈火の巨柱。撃った本人さえをも吹き飛すがごとく、大気と地を食らって行く。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 エレメンタルサイクロンを打ち破ったジェミニ・ブラックの切り札だ。神々しい槍となり、切っ先は雷光の勢いでロックマンの命を摘み取ろうとする。

 二人の奥義がぶつかり合う。膨大なエネルギーは互いの存在を否定し、食らい合う。槍が赤を切り裂き、業火が黄を飲み込む。そのたびに、世界の色彩配合が黄へ、赤へと変わる。。

 

「な……なんでだ……?」

 

 この技でエレメンタルサイクロンを打ち破ったのだ。ロックマン・グリーンドラゴンの奥義を一瞬で消してやったのだ。なのに、なぜ同じ技で返せない? 違う点と言えば属性ぐらいだ。

 

「守って見せる……」

 

 ようやくジェミニ・ブラックは気付いた。ロックマンの力がどこから出ているのか。

 駆け廻る。ロックマンの自慢話をするルナ。幸せそうに給食を食べるゴン太。楽しそうに情報誌を広げるキザマロ。快く忘れ物を貸してくれるツカサ。子供達に蔓延の笑みを向けてくれる育田。皆の笑顔がスバルの脳裏を駆け廻る。

 

「僕が……守る!」

 

 紅蓮の炎が勢いを増す。ウォーロックの口先から広がる炎はその身を更に大きくする。抉れる床と、舞い上がるデータの破片が稲妻の群体を押して行く。その速度を増していく。

 

「僕が、皆を守るんだあぁ!!」

 

 赤い壁となって迫ってくる光。撃ち負けたのだと理解した時は遅かった。

 

「ぐ……が、あああああ!!!」

 

 ただ身を焼かれるしか無かった。

 ウォーロックの口から火が途絶え、すぐに全ての炎がただの熱となって空気に溶けていく。何も無くなっていた。ジェミニ・ブラックの姿も、リブラ・バランスの姿も、この世界には無かった。広がる現実がスバルの体から力を奪う。ロックマンへと戻り、がくりと膝をついた。絶大な力をものにしたことよりも、強敵に引導を渡してやったことよりも、ただ身を震わせる悲しみだけが全身を走る。

 

「先生……」

 

 ウォーロックも何も言わない。ただ、涙を堪えて地を見るスバルの代わりに、辺りを見渡した。途端に声を上げる。

 

「スバル! あれを見ろ!」

 

 顔を上げ、ウォーロックが目で指す方角を見る。相変わらず我が物顔で立ち並ぶ大きすぎる教科書の向こうに、黒い影が横たわっている。力はもう使いきったはず。だが、ふらつく足で、僅かばかりの期待を胸に歩み寄る。徐々に輪郭がはっきりとしてくる。少しずつ期待が膨らむ。歩みが段々と早くなり、駆け足となる。

 靴下の代わりにサンダルを履いた足と、青いジャージのズボン。焼け焦げてはいるが白い上着に、元からぼさぼさだったアフロの髪。見間違いようがなかった。それでも、胸に抱いた希望が、嘘では無いと確かめるために、駆け寄って顔を覗き見る。育田だ。体のあちこちに火傷を負っているが、息がある。

 胸をなでおろし、安堵の言葉を吐いた。

 

「良かった……先生……」

 

 育田は眠っている様子だった。気絶していると言う方が正しいかもしれない。しかし、安定した呼吸を繰り返している。

 

「育田が無事で良かったな? スバル?」

「うん。……ありがとう、先生。先生が、僕に力をくれたんだよ?」

「馬鹿か?」

 

 割って入ってきた、スバルの思いをブチ壊す声。ゾッとして、立ち上がりながら振り返る。ウォーロックもバスターをチャージし、臨戦態勢だ。ジェミニ・ブラックがそこにいた。ただ、体のいたる場所が焦げており、自身の黒色とは別の黒が体に斑点を作っていた。

 

「『先生がいてくれたから、僕も頑張れた』とでも言うのかよ? 馬鹿じゃねえか?」

「……他に、何があるって言うの?」

 

 スバルはヒカルに質問した。ただ、ウォーロックと同じように、いつでも戦えるように構えは解かない。

 ジェミニ・ブラックは静かに応えた。

 

「怒りだ」

 

 呟くような小さな声だ。にも拘わらず、重くのしかかってくるようだった。

 

「そして、憎しみだ」

 

 スバルの背に冷たい汗が走る。何も言い返せない。ジェミニ・ブラックの言葉を否定できなかった。つまり、それは肯定。スバルが意識のどこかで自覚していたと言うこと。

 

「絆は力だとか、ブラザーバンドとか言ってるが、それは嘘だ。人間は……醜い。俺みたいにな?」

「ちっ、違う!」

 

 ジェミニ・ブラックの言葉を否定したかった。

 ミソラとブラザーバンドを結んでスバルは強くなれたし、学校に登校できた。ルナの涙があったから、スターフォースの力を引き出せた。絆は力だ。父の言う通り、人を強くしてくれる。

 そして、全ての人がヒカルのような醜い存在だなんて認められない。認めてはならない。使命感に駆られるように叫んだ。

 

「皆を、お前なんかと一緒にするな!」

「すぐに分かるさ。俺とお前どっちが正しいのか……な?」

 

 ニンマリとどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべると、そんなヒカルの隣にジェミニが姿を現す。

 

「今日は引く。屑が調子に乗るなよ?」

 

 途端に、ジェミニは目がくらむような光を放つ。

 手で目を庇うスバル。ウォーロックも目をつぶってしまう。二人が目を開くと、そこにヒカルとジェミニの姿は無かった。

 

 

 放送室の電脳から出たジェミニ・ブラックは、ウェーブロードを通って校舎の外に向かった。学習電波が解けて少々時間が立ってしまったせいだろう。あらゆる教室から生徒達が廊下に飛び出し、混乱した教師達が対応に追われていた。中には気分を悪くしたのだろう。保健室へと運ばれている子の姿も見える。誰にも見つからない場所を考えると、校舎の裏庭ぐらいだった。外に出ると、そこは肌をほんのりと気持ち良く焼いてくれる世界だった。いつの間にか雲は立ち去ったらしい。見上げるればサンサンと輝く太陽だけがそこにあった。鬱陶しそうに顔を背けて、目的地へと足を運び、ヒカルは電波変換を解いた。

 

「くそっ! なんで俺があんな奴に!」

 

 悔しさに任せて拳を校舎に叩きつけた。今にも荒れ狂いそうなヒカルを、トランサーから出て来たジェミニが抑える。しかし、彼も相当頭にきている様子だった。雷神と呼ばれ、FM星王の右腕というプライドが傷付けられたのだ。怒りはヒカル以上のものだった。

 

「抑えろ……今は体勢を整えて、後でゆっくりと始末してやろう」

「ああ……だが、分かってるよな?」

 

 鋭い眼光の標的が、壁からジェミニへと替わる。

 

「ああ、分かってるぜ……ただ殺すだけじゃない。屑が出しゃばった罰だ」

「俺達が受けた悔しさと憎しみ……両方たっぷりと味あわせてやる!」

 

 次第に、表情は怒りから笑みへと変わる。

 

「その時は、存分にやってくれよ?」

「言われるまでもねえぜ? ……ククク……ハハハハハハハ!!」

 

 ヒカルの怒りと憎しみは狂喜となり、青空へと轟いて行った。



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第五十三話.学校の権力者

 今回、原作には無い設定を追加しています。最初の方で、ウォーロックが説明しています。

 ……なんだかんだ言って、オリジナル設定が増えてきてる気がする……


 コダマ小学校の事件は収束を迎えつつあった。外傷を負ったものがほとんどいなかったため、しばらくすればほとんどの者が平然とした顔で教室へと戻って行く。そんな平穏を取り戻しつつある中で、一台の白い車が駆けつけていた。大きめの車に、大柄な男が運ばれて行く。担架に乗せられてだ。それを見て、キザマロに大きなお腹を押さえつけられながらにゴン太が泣き叫ぶ。

 

「先生~!」

 

 運ばれて行くのは育田だ。放送室で倒れているところを発見された時には、全身のいたるところに火傷を負っており、病院へと向かうところだ。

 ゴン太を皮切りに、涙を流しながら走りだそうとする、5-A組をはじめとする生徒達。それをルナが持ち前の貫録で押さえつける。しかし、そんな彼女の様子はいつもと比べるとしおらしい。本当はルナだって育田の元へと駆けだしたい。だが、教師がいない今こそ、委員長である彼女が踏ん張らなければならない。責任感の強い彼女は、健気に役目を果たそうと歯を食いしばっていた。

 少し離れた、人気(ひとけ)の少ない場所でスバルはトランサーにまくしたてていた。

 

「どういうことなの? なんで!? なんで先生があんな重症なの!!?」

「落ち着け。スバル」

「落ち着いてなんていられないよ! なんで先生だけなの!? 今まで……ゴン太も、宇田海さんも、千代吉って子だって、何ともなかったじゃないか!」

 

 スバルには疑問でならなかった。今までスバルが倒した三体の電波人間達は、倒したとしても、取り憑かれていた人間は無事だった。ゴン太も宇田海も気を失ってはいたが、大きな怪我は無かった。

 しかし、今回だけは違った。

 

「良いか、スバル? 前にジャミンガーと闘った後に言ったよな? 『俺達は互いの意識がしっかりとあるから、やられたら互いの存在が消える』とな?」

「分かってるよ! だから何?」

 

 「だから落ち着け」とウォーロックはトランサーの中で両手をプラプラと振る。

 

「俺達とは逆に、とりついているウィルスやFM星人の意識が強ければ、消えるのはそいつらだけだ。だからだ、ジャミンガーの時はウィルスだけが消えて人間は無事。オックス・ファイアの時は、オックスだけが消えて、ゴン太は無事。ここまで言えば、分かるんじゃないか?」

 

 スバルにはだいたいでは分かってしまった。

 

「とりつかれている人間の意識が強かったら、その分ダメージを受けるの?」

「まあ、そんなところだな。お前だって、戦った後は多少体が痛かったことがあっただろう?」

 

 オックス・ファイアと戦った後のことを思い出す。寝る直前まで体のあちこちに痛みが残っていたことはまだ記憶に新しい。

 

「今回、リブラ・バランスが消される直前、リブラと育田が互いの意識を奪い合ってたからな。ちょくらダメージ貰っちまったんだろうな」

 

 一応は納得した。しかし、現実を受け入れらない。落としていた視線は拡散してきたサイレンによって振り向かさせられる。育田を乗せた救急車が校門を出るところだった。

 

「で、キャンサーに取りつかれてた千代吉だったか? あいつらは俺たちと同じで人間の意識がちゃんとあった訳だが……あの時は、止めを刺されていなかったからな。気絶程度ですんだんだろうよ?」

 

 もう、スバルは聞いていなかった。ウォーロックの「宇田海は……まあ、あいつがキグナスを追い出した後だからな。これは今回の話とは関係ないか」は独り言で終わっている。ただ、スバルは街並みへと消えていくランプの光を見送っていた。

 

 

「では、本官はこれにて」

「はい。また後日」

 

 サテラポリスの五陽田警部を玄関先で見送り、スッと踵を返した。これで問題は無い。学習電波暴走事件の真相は謎のままだが、育田の操作ミスと言うことで、話はとりあえずと言う形で落ち着きそうだった。後は責任を感じた育田が、病院から送って来たこの辞表届けに自分がハンコを押すだけだ。

 危険性ゆえ、学習電波は無くなってしまった。しかし、これでようやくコダマ小学校を進学校へと変える一歩が踏み出せる。

 保護者が学校選ぶ時に、重要視するのは成績だ。成績を上げなければ、子供達を他校にとられてしまう。この小学校の将来を考慮すれば、この方針が最も正しいはずだ。

 コダマ小学校をより良いものにする。自分の仕事はこれからだと確信していた。

 

「校長先生」

 

 玄関沿いの廊下に足をふみれいると、ふいに声がかけられた。振り向いてギョッとする。確か、目の前にいる少女は5-A組の学級委員長だ。「今は授業中だよ、学級委員長が代理の先生を困らせちゃいけないよ?」と教師らしい言葉を吐きたかった。だが、言えなった。なぜなら、彼女の後ろにずらりと生徒達が並んでいたからだ。多分、5-A組の生徒たちだろう。だが、一クラス分より人数が多い。中には明らかに低学年の子がいる。それも複数だ。20、30では収まらない数だ。

 子供集団の先頭に立っていたルナがずいっと一歩前に踏み出す。それに合わせるように、視界を覆いつつくす大群が前に出る。そろっているわけでもないし、足音もバラバラだ。だが威圧感だけは素晴らしかった。大人一人の足を一歩下げるには充分すぎた。

 ルナがスッと横にずれる。それを合図にしてルナの後ろに立っていた、ゴン太とキザマロを始めとする数人が持っていた紙をひろげた。廊下の端から端まで届き、一番大きいゴン太が背伸びをしても広げきれない高さを持った一枚の紙だった。ノートの切れ端をセロハンテープで繋いであるので、正確には一枚では無い。その紙群は色とりどりの文字で埋め尽くされていた。

 

「育田先生を免職にすると聞きました。育田先生を教師のままでいさせてください。これは、育田先生の復帰をお願いする署名です」

 

 書いてあるのは生徒達の名前だった。綺麗な黒い文字、赤で書かれている文字、一文字一文字違う色で書かれている文字、それぞれの性格が出ていた。中には、漢字では無くひらがなだけで書かれている名前もある。どうやら、まだ自分の名前を漢字で書けない年の子まで参加しているらしい。個性を主張する一つ一つの文字と、べたべたに貼られたセロハンテープが、少年少女たちの賢明さを物語っていた。

 これは校長も舌を巻くしかなかった。文字の数は半端ではない。おそらく、参加したのは全校生徒と言っても過言ではないだろう。

 だが、ここで引き下がる校長では無かった。

 

「し、しかしね~。ここに育田先生の辞表届けもあるんだよ?」

 

 ようやく邪魔者を追い出せたのだ。子供ごときに計画を邪魔されてたまるものか。なにより、どれだけあがこうが所詮は子供だ。大人には逆らえない。立場でも力でも子供は大人に勝てない。

 加えて、何人もの教師達が校長の味方だ。そこまで思考を巡らせていると、生徒達の後ろから数人の教師がやってくるのが見えた。援軍が来たとほっと胸をなでおろす。

 

「まあ、君たちの言い分も分かるが……」

「なら、私達の言い分もにもご理解を」

 

 反対してきた声は、小学生のしゃべり方でも声でも無かった。「え?」と声の方を向くと、生徒達をかき分けて、先ほどの教師達が前へと出て来た。

 

「今まであなたの権力に怯えて言えませんでしたが、僕は育田先生を尊敬しています」

「私もです。あんな教師になりたいって思ってました」

「……教師仲間からいじめを受けるのが怖くて……今までずっと見ないふりをしていました。けど、今回ばかりは引けません!」

 

 若い男性教師に続いて女性教師と気の弱そうな中年の教師が講義を申し立てて来た。校長は頬をヒクつかせながら、ちょっと髪が白くなってしまった老齢の教師を見た。

 

「私もこの年になって、本当の教師とは何なのかを育田君から教わりました。子供達には彼が必要だと思います」

 

 それでも、ここで退いてはなるものかと言葉を探す。そうだ、教師が敵に回ったと言ってもほんの数人だ。ほとんどの教師は自分の味方だ。なにより、故意では無いとは言えど、事件を起こしてしまった教師を置いておくなど、学校の最高責任者として承認できない。責任と言う名の権力を振りかざす事を決めた。

 

「オオゴエ校長先生。そこまでですよ」

 

 渋っていた校長が背後からの声に、飛び上がるように振り返った。集団の最後尾にいるスバルにもはっきりと見えるほど跳躍していた。校長が振り返った時に、天体観測で鍛えられたスバルの目は声の主を捕らえていた。

 

「……あれ? 売店のおばちゃん?」

 

 先日、ウォーロックに梅干し呼ばわりされた売店のおばちゃんだ。しわしわの顔で、よれよれと足を運びながら近づいてくる。

 

「これだけ、かわいい生徒達に親しまれて、先生達からも尊敬されている。そんな育田先生は、コダマ小学校には無くてはならない人材ですよ?」

 

 おっとりとした口調で、物腰柔らかく、しかし強い主張込めた言葉だった。そのおばちゃんの一言で、とうとう校長も折れた。腰をがくりと90度曲げた。

 

「分かりました」

 

 歓声が舞い、飛び交う。育田の復帰を祝い、吠える。ゴン太なんか号泣だ。キザマロを腕に抱えて潰してしまいそうだ。ルナも今ばかりは普段の威厳を忘れて皆と喜びを分かち合っていた。

 

「やったね!? スバル君!!」

「う、うん……」

 

 普段はスバルと同じで大人しいツカサも大喜びだった。彼はあの事件で足をくじいてしまい、ギブスに松葉杖という姿だ。そのため集団の中に入れず、後方に下がるしかなかった。スバルは、そんな彼を不憫に思い、側についていたのである。それに、集団の中に身を置くのが嫌だったのでちょうど良かった。

 

「どうしたの?」

「いや……こう言うのなれてなくて……」

 

 共に喜びを分かち合う皆の姿を見て、スバルは左頬をポリポリと書いた。ウォーロックがトランサーから「ツカサに抱きつけ」とからかってくる。そんな趣味は、断じて無いと小声で反論しておいた。

 

「おーおー、今日は賑やかじゃのう?」

 

 杖と石造りの床がぶつかり合う音がこっそりと鳴り響く。スバルとツカサの元に、一人の老人が杖をつきながら近づいてきた。スバルは気付いた。ウォーロックが売店のおばちゃんを梅干し呼ばわりした時、そのおばちゃんと談笑しながら焼きそばパンを食べていたおじいちゃんだ。どうやら、今日もおばちゃんと焼きそばパンに会いに来たらしい。

 ツカサが丁寧に説明しようとすると、おじいちゃんは杖をついていない方の手で制止した。どうやら、最初の方から見ていたらしく、状況は把握しているらしい。

 そこで、スバルは質問してみる。(いま)だに騒いでいる生徒の群れの向こうで佇んでいるおばあちゃんを、失礼と思いながらも指差す。

 

「おお、カオリさんのことじゃな?」

 

 どうやら、おばあちゃんはカオリと言う名前らしい。

 

「あの人は、クルスガワ カオリさん。この学校の理事長じゃよ」

「……理事長?」

 

 理事長などという役職など聞いたことがない。スバルとツカサはそろって首を傾げる。そんな二人に、おじいちゃんは笑いながら教えてくれた。

 

「校長先生より偉いんじゃよ」

「ええっ?」

「あのおばあちゃんが!?」

 

 傾げていた首がざっとおばあちゃんならず、理事長へと向けられる。

 

「子供達を間近で見守りたいと言うてな。普段は売店のおばちゃんをやっとるんじゃ」

 

 スバルとツカサの動作と、アングリとした表情が可愛らしいのだろう。ホッホッホッとおじいちゃんは笑っている。騒ぎに紛れて、こっそりとウォーロックが耳打ちする。

 

「地球人って、見かけによらねぇんだな?」

「うん……そうだね……」 

 

 

 数日後、無事に退院した育田が学校に戻り、いつも通りの5-A組の授業が行われた。包容感のある育田の声や、生徒たちの笑い声が聞こえる。その教室の前に一つの影が通る。教室の様子を確認すると、にっこりとしわだらけの顔をさらにしわくちゃにした。

 

「さてと、焼きそばパンの用意でもしますか」

 

 

 授業が終わり、劇の練習へと向かうクラスの面々。

 

「さあ、スバル。拷問の時間だぜ?」

「止めてよ、ロック。笑えないから」

 

 今日も木の役をやらされるのかと思うと憂鬱なこと極まりない。スバルも嫌々ながら皆の後に続こうとする。

 

「星河」

 

 すると、育田に呼び止められた。何か用事があるのかと、近づく。

 

「星河……その……」

 

 物言いにくそうに、育田はアフロ髪の中に手を突っ込んだ。多分頭をかいている。

 

「事件のことなんだが……」

 

 バッとその場から逃げ出したくなった。ウォーロックが言うには、リブラ・バランスになっていた間、一時ではあるが意識を保っていた。ロックマンの正体にきづいた可能性が高い。

 

「先生、全然覚えていないんだ」

 

 ほぅと、安心したのをばれないように、小さく息を吐いた。

 

「青い服を着た人と、黒い服を着た人がいたような気はするんだけれどな?」

 

 再びギクリと体が強張る。

 

「まあ、そんなことは置いといてだな……星河」

 

 どうやら大丈夫らしい。脅かさないで欲しいと表情の下で訴えた。

 

「先生な、なんだかお前に助けられたような気がするんだ」

 

 育田は教室の天井を仰いでいた。記憶が語っているのだろうか? ちょうど、ルナの席の上あたり。スバルがマジシャンフリーズでリブラ・バランスを氷漬けにした場所だ。

 スバルは思い出した。あの時、自分が育田に言った言葉を。

 

「だから……変と思うかもしれないが、言わせてくれ」

 

 育田は腰をかがめ、スバルの肩に手を置いた。

 

「お前のおかげで、勇気をもらえたよ。ありがとう」

 

 

 再びこのクラスに起きてしまったトラブルに、ルナは頭を抱えていた。

 

「ごめんね。委員長」

「こればかりは仕方ないわ。怪我が治ってないんじゃね……」

 

 項垂(うなだ)れながらツカサの足についているギブスを見る。明日は学芸会当日、劇本番だ。にも関わらず、ツカサの足は完治していない。ツカサは主人公のロックマン役だ。これはあまりにも致命的だ。どうしようかと唸るルナにツカサが提案を持ちかけた。

 

「そうだ。僕の代役に、スバル君はどうかな?」

 

 一斉にクラスの視線がスバルに集まる。

 

「……え? 僕っ!!?」

 

 きょろきょろと全ての視線を窺うスバル。クラス中の目がスバルに期待の眼差しを送っていた。そんな目立つ役なんて御免こうむりたい。だが、スバルの反対の言は、ルナの大きな声がかき消した。

 

「なるほど。名案ね! どうせ、木の役なんていらなかったわけですし」

 

 ツカサの意見があっさりと追ってしまった。これは納得がいかない。スバルが意見しようとすると、ピリッとした殺気に射抜かれた。その源はルナの鋭い双眼だ。戦闘とは違う質の威圧感に、学校のヒーローは黙らされてしまった。

 復学してきたばかりのスバルには、委員長のルナの権力に逆らう術などあるわけがなかった。




 追加設定ですが、人間側の意識が強ければ強いほど、ダメージや怪我の影響を受けてしまうと思っていて下さい。

 ちなみに、学校の理事長さん設定は原作改変です。原作では、引退した元理事長さんという設定ですが、こっちでは現役です。いやね、あの校長を説得して、丸く収める立ち位置の人がほしかったんですよ。


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第五十四話.実際のヒーロー

 大爆笑だ。もう笑わずにはいられない。九年という短い人生では、我慢の経験がまだまだ乏しいらしい。

 

「お、お前がロックマン役かよ! ギャハハハハ!」

 

 スバルはがっくりと項垂れている。額のお面が瞼を擦り、うっとうしさが増す。そんなスバルを指差して、千代吉は抑えようともしない喜の感情で顔を歪ませている。だが、ここは年上として我慢し、ちょっぴり大人な振る舞いをみせておいた。千代吉はつい先日病院から退院したばかりなのだから。

 原因は学習電波ではなく、以前ジェミニ・ブラックに刺されたときのダメージだ。やはり、キャンサーに心を取られていたわけではないため、ある程度のダメージを受けてしまったらしい。だが、今の彼はそんなことがあったなど思わせないほど元気そうだった。腹を抱えてピョンピョン跳ねまわっているのが良い証拠だ。どうやら、彼の身の心配はいらないらしい。

 そんな二人の隣では、ウォーロックをからかった、ちょっとお(つむ)の弱いキャンサーが八つ裂きにされている。心配するならむしろこっちの方だろう。

 

「ところで、キャンサーは大丈夫なの? また、FM星人側に味方するってことは無いの?」

「ああ、心配いらないチョキよ」

 

 キャンサーの悲鳴が大きくなった。千代吉はちょっと心配そうな顔をしたが、スバルと話を続ける。

 

「キャンサーは俺っちの友達になってくれるって言ってくれたチョキ。もう、悪いことはしないはずだし、俺っちがさせないチョキよ」

 

 むしろ悪いことをしたのは千代吉の方である。友達が欲しいと言う理由で、照明を落とすなどと言う、いたずらの範囲では収まらないことを平気でしでかしたのだから。

 だが、頭は良くないが、悪人ではないキャンサーに懐かれるあたり、根は悪い子では無いのだろう。求めていた友達が側にいてくれるのなら、あんな気の迷いは起こさないはずだ。今は、ウォーロックの気が収まるのを祈るだけだ。キャンサーが更に大きな悲鳴を上げる。もうちょっと時間がかかりそうだ。

 流石にかわいそうになって来たので、スバルはウォーロックを呼んだ。話も一段落したので、千代吉とぼろぼろで涙目になっているキャンサーにお別れを告げ、舞台裏へと走りだした。

 

 

 体育館には生徒達が所狭しと敷き詰められている。皆、劇の内容を楽しみにしている様子だった。幕の隙間から覗き見をしたルナが、舞台裏へと戻ってくる。流石に緊張しているのだろう。生唾をごくりと飲み込み、クラスに激を飛ばした。

 

「良いかしら、皆? 今までの私達の練習成果をみせるのよ!」

 

 十人十色の声が返ってくる。しかし、その言に含まれている内容と意志は皆同じだ。クラス全体がしっかりまとまっていることから、ルナのリーダーシップの高さが窺えた。

 緊張の中でも、闘志を滾らせている面々の中で、スバルだけが顔面真っ青だった。お面のせいではない。緊張しているからだ。がくがくと身を震わせている様は、生まれたばかりのか弱い小鳥を思わせる。これが全校生徒職員を救ったヒーローなのだから笑いものだ。事実、ウォーロックは呆れたように笑っている。

 

「ごめんね、スバル君。僕が君を推したせいで……」

「え? い、いや、気にしないで。それに、ツカサ君が推さなくても、多分僕になってたよ。いらない役だったわけだし」

「ははは……かもね?」

 

 無理に笑って見せるスバルにツカサも苦笑した。

 

「それにね。ツカサ君に推してもらって良かったって思ってるよ?」

「え?」

 

 大きい目をぱちくりとさせるツカサに、スバルは今度こそ笑って、しかし強い目で応えた。

 

「仕方ないからって理由で僕が選ばれてたら、多分、嫌々この役をやっていたと思うんだ。けれど、ツカサ君が僕を選んでくれた。だから、ツカサ君の分まで頑張ろうって思えるんだ。僕、頑張るよ!」

 

 ツカサの琥珀色の目が優しく細められた。

 そんな二人の元に、ルナが駆けよって来た。髪の毛が忙しそうに跳ねている。

 

「スバル君、台詞に一個追加よ!」

「え!? 本番前に!?」

「アラ? 何か文句があるのかしら!?」

 

 スバルの抗議はルナの一にらみで無かったことにされる。スバルもようやく理解した。ゴン太とキザマロが、ルナを慕いながらもどこか怯えている理由がだ。様子を見ていたツカサと目を合わせると、彼はスバルの胸中を察してくれたらしい。力無く笑って返してきた。

 緊張と練習不足による不安に押しつぶされそうになっているスバルを無視して、ルナは台本を広げた。それを見て、スバルはぎょっと表情を固めた。

 

 

「助けて―!」

 

 劇本番。今は舞台のクライマックスだ。ヒロイン役のルナが牛男役のゴン太に襲われているところだ。

 

「そこまでだ!」

 

 その台詞を合図にキザマロがライトを照らす。タイミングはばっちりだ。キザマロに賛辞の言葉を送りたい気持ちに駆られながら、ルナは牛男とは逆方向に振り返る。スポットライトの向こうから、ロックマン役のスバルが駆けだしてくるはずだ。

 飛び出してきたのは、青い影だった。

 

「え?」

 

 目を疑った。全神経がルナの金色の瞳へと送られる。現れたのはスバルじゃない。ロックマンだ。本物だ。舞台の床を蹴り、ルナの元へと駆けてくる。

 

「ロックマン様……」

「僕はロックマン!」

「……あら?」

 

 一度目をぱちくりとさせると、世界が変わっていた。目の前にいたのはロックマンじゃない。ロックマンのお面をつけたスバルだ。

 自分で自分に呆れかえった。もやしとヒーローを見間違えるなんて、どうかしている。だが、ルナは自分の異変に気づいていた。

 スバルはルナの前に躍り出て、牛男から庇うように、ルナの前に立つ。

 

「君は僕が守るよ」

 

 追加した台詞だ。学習電波暴走事件で微かに聞こえたあの言葉だ。スバルがやっているのは演技だ。一連の動きも口にした台詞も、全てがルナに言われたからやっていることだ。ただそれだけだ。

 

「……なんで……?」

 

 高鳴る鼓動と熱くなる頬。ルナはスバルの後ろ姿を呆けたように見つめていた。

 

 

 学芸会は学校のイベントであり、ちょっとしたお祭りだ。それが終わった今も、5-A組はお祭り騒ぎだった。劇の受けが予想以上に良かったからだ。ツカサが負傷してしまうというトラブルを乗り越え、クラス一丸となってやり遂げた満足感と達成感が一つの教室を満たしていた。育田は特別だぞと言い、皆にジュースを一本ごちそうしてくれたのも理由だろう。購買でいつでも買えるジュースだが、喜びを分かち合って飲むそれは格別だった。

 だが、スバルにはどうも微妙だった。なぜなら、今、スバルの顔はゴン太の大きなお腹に埋めれている。正面からではなく、側面からだ。太い腕に羽交い絞めにされている状態だ。いじめられているのではない。ゴン太なりに今日のヒーローを祝福しているのだ。ほぼ、ぶっつけ本番だったにも関わらず、スバルは立派に役をこなしてくれたのだ。そんなスバルは、今は5-A組のヒーローだ。悪乗りしたクラスの皆がスバルをもみくちゃにして行く。

 しばらくして解放され、よろよろと皆の輪から離れた。細い体であの集団のど真ん中にいたのだ。疲れないわけがない。教室の端へと寄せられた机と椅子の中から、適当な椅子を選び、どかりと腰かけた。

 

「スバル君」

 

 皆と楽しんではいたが、羽目は外していなかったルナがスバルに声をかけた。どこまでも真面目で責任感の強い女の子だと改めて思いながら、スバルは疲れはてた表情で迎える。

 

「なに?」

「そ、その……」

 

 いつもと違ってはっきりものを言わないルナを疑問に思ったのだろう。能天気にスバルは首を傾げる。そんなスバルに少しいらつきながらも、ルナははっきりとした滑舌で言った。

 

「げ、劇をしている時のあなた、まあまあかっこよかったわよ?」

 

 言いきったは言いが、恥ずかしかったのだろう。それを隠すように、いつもの刺々しい態度に素早く変える。

 

「まっ、ロックマン様には遠く及ばないけれどね?」

 

 ウォーロックはケラケラと笑っている。目の前にいる本人の正体を知らないルナがたまらなく面白いからだ。スバルはルナの気持ちに全く気付かず、罪深い台詞を吐いた。

 

「……そう? ありがとう」

 

 スバルからすると素直なお礼だ。だが、ルナの乙女心から見ればあまりにも素っ気ない。頬を膨らませると、フンと鼻で荒い息を吐いて輪の中へと戻って行った。

 

「何怒ってるんだろう?」

 

 今度は逆方向に首を傾げた。ウォーロックも同じだ。女と言う生き物が時折見せる意味不明な態度に首を捻っている。

 そんなスバルの肩に重力がかかる。見上げると、育田が笑って立っていた。

 

「星河、よく頑張ったな?」

 

 多分、劇の事を褒めてくれているのだろう。育田の顔は下ではなく前に向いていた。スバルも見ると、ルナ達が飽くことなく騒いでいる。スバルと違って、疲れと言う言葉を知らないらしい。

 そんな雰囲気に触れ、フゥと息を吐いた。

 

「先生」

「ん?」

「僕……学校に来て良かったです」

 

 少し穏やかな顔つきになったスバルを見て、育田はにっと白い歯をむき出した。

 

 

「じゃあ、劇は大成功だったんだね?」

「うん。もう緊張したよ。ミソラちゃんは劇なんかとは比較にならないくらい、すごい舞台で歌って来たんだよね? すごいよ」

 

 スバルは素直に画面向こうのミソラを称えた。

 

「へっへ~ん。私のすごさを思い知ったか~?」

 

 無邪気に胸を張って見せる。最近はメールしか話していなかったが、どうやら元気そうだ。

 

「まあ、劇が成功するのは当たり前だよね? 本物がやってるんだもんね? よっ、ヒーロー!」

「ははは、止めてよ。恥ずかしいよ」

「止めないよ~だ。この前言った通り、恥ずかしい二つ名もつけてあげるもんね~だ」

「あれ本気だったの?」

「もちろん!」

 

 先日のメールを思い出し、スバルは頭を抱えた。

 

「まあ、スバル君が学校で上手くやっているようでなにより。私も安心したよ」

「まったく、ミソラちゃんは僕の保護者さんですか?」

 

 偉そうにしているミソラに笑って答えた。本当は心底心配してくれているのだと分かっているから、こんな風に笑える。

 

「本当にありがとう、ミソラちゃん。僕、学校に行って良かったよ。これからも何とかやっていけそうだよ」

「うふふ、私も何とかやってるよ? お互いに頑張ろうね?」

「うん。頑張ろう!」

「それじゃあね?」

「うん、またね?」

 

 それを最後にスバルは電話を切った。トランサーの画面で手を振っていたミソラがいなくなり、画面が暗くなる。

 

「ミソラちゃんも頑張ってるんだね」

「だな」

「……よし! 明日の準備しよう」

「明日休みだぜ?」

「え……あ、ホントだ」

 

 カレンダーを表示させると、確かに明日は休日だった。

 

「そっか、学校はまた今度か」

 

 「ちぇ」と頬を膨らませるスバル。そんな彼を、ウォーロックは穏やかな笑みで見守っていた。

 

 

 

四章.守者戦拓(完)



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断章.二人の戦い
第五十五話.ミソラの贖罪


 今章は原作に無かったオリジナルストーリーです。アニメ要素、3の要素がちょいちょいと入ってきます。


「さっき、ニュース見たよ!? またコダマタウンで事件があったの!?」

「うん。そうなんだ。でも、大丈夫だよ? ちゃんと解決したから。学校も明日から普段通りにあるし」

「スバル君は大丈夫なの?」

「大丈夫! 怪我一つないよ?」

「なら良かった」

 

 その言葉を聞いて、やっとミソラは安心した。どうやら、スバルとウォーロックは無事らしい。画面に映っているスバルは元気そうだった。以前に比べると表情も明るくなった気がする。

 ニュースを見たミソラは慌ててスバルに電話を掛けたのである。直前までは生きた心地がしなかったが、それも安堵の一息と共に出て行った。

 直後に女性の声が画面向こうから聞こえて来た。口調と話の内容から、スバルの母が夕食ができたことを伝えているらしい。

 

「ごめん、ミソラちゃん。今から晩御飯」

「ううん、気にしないで。私も途中だったから。それじゃね?」

「うん。じゃあね?」

 

 電話を切って、壁にギターを立てかける。

 

「ごめんね。スバル君」

 

 トランサーの通信は切ってある。だからスバルに聞こえることはない。だが、ミソラは一度ぺこりとギターに頭を下げた。

 

「今日、スバル君は敵と戦ったばっかり。おまけに明日も学校に行くんだよね? だけど、私は学校をさぼります。けどね、友達に会いに行くからなの。だから、許してね?」

 

 話の流れから、さぼるなんて言い出せなかった。少々罪悪感が残る。そんなミソラにフワフワと近づいてくる水色の影が一つ。

 

「ミソラ、もうお風呂に入っちゃったら? 明日は早めに起きるんでしょ?」

「そうだね、入ってくる!」

 

 先日、ミソラのパートナーとなったFM星人のハープである。地球人の生活習慣にだいぶ慣れてきているようで、ミソラがとっくに食べ終えた食器を片づけている。普段の彼女は家事を手伝ったり、ミソラのスケジュール管理などをしている。歌手を引退して、普通の小学五年生に戻ったミソラには以前の様な多忙さは無い。だが、彼女の身の周りの世話をしているあたり、良きお姉さんになりつつあるようだ。

 準備をしているミソラをよそに、ハープは汚れたお皿を両手に、壁に立てかけてあるギターを見る。その目はどこか遠い物を見るようなものだ。

 

「ねぇ、ミソラ」

「何?」

「本当に、歌わないの?」

「……うん」

 

 ハープはもうこのギターの音色を何日も聞いていない。ミソラはラストライブの日以来、一度も歌っていないし、このギターを弾いてもいない。スバルには、音楽の通信教育を受けていると言ったが、あれは見栄だ。その予定を立てているだけだ。スバルをテーマにした曲を作るのも保留している。本来の役目を果たせない黄色い楽器は物悲しそうに佇んでいた。

 

「ハープ。私、歌が大好きだよ。でも、決めたの。『何のために歌うのか』それを見つけるまでは、歌わないって。それが、お母さんとの歌の絆で、人を傷付けちゃった私の贖罪。そうしないと、私、前に進めない気がするの」

 

 確証なんて無い。だが、あれだけの騒ぎを起こして、人を傷付けて、無かったことにするなど、彼女にはできなかった。何らかの形で罪を背負いたい。そんな少女の真面目で心優しい部分がそうさせる。こんなことは自己満足に過ぎない。あの事件の被害者たちが報われるわけではない。だが、それでも良い。過去を反省しないよりかはよっぽどいい。

 お風呂場へと入って行くミソラの背中は折れてしまいそうに細くて、ハープは何も言えなかった。

 

 

 翌日、少し早起きしたミソラはおめかしを始めた。学校に行く時の格好とは違い、変装をする。髪をおさげにして、伊達眼鏡をかける。服装はお出かけ用のちょっとおしゃれなものを選んだ。後は、ハープが入っているギターを担いでブーツを履くだけだ。ガチャリとドアを開けると、春の温かい空気が家へと入ってくる。すぐに戸を閉めて鍵をかけ、街を見渡した。

 ミソラが住んでいる街の名はベイサイドシティ。規模は大都会に分類されるほど、活気のある街だ。だが、ミソラが住んでいるのは都心部からちょっと離れた場所。辺りにあるのは人々の私生活が行われる家々だ。スバルが住んでいるコダマタウンと同じく住宅街である。違う点があるとすれば、街が殺風景なことだろう。

 子供達の憩いの場となる公園は無く、代わりに所狭しと2,3階建のアパートが窮屈そうに敷き詰められている。ちょっと大きい茶色いマンションもちらほらと目に入ってくる。その分、緑は皆無だ。川も流れていなければ、もちろん魚もいない。目につくのは人工物ばかりだ。

 ちょっと寂しい風景を彩るように、スーツ姿の大人たちが歩いて行く。今日は平日なので、皆出勤するのだろう。だるそうに学校に行く、中高生の姿も見える。

 元気に学校に走って行くはずの小学生は、周り者達と比較すると幾分かは賑やかだ。だが、コダマタウンの子供達に比べると、どこかかしこまった雰囲気を纏っている。行儀は良いだろうが、無邪気さと元気の良さでは一歩及ばない。

 道行く人達は、すれ違う人という人にまるで興味が無いようで、無言で歩いて行く。当然と言えば当然かもしれない。皆他人なのだから。ただ静かに、時計が刻む針に従って足を運んで行く。

 そんな風景の中をミソラは歩いて行く。コダマタウンを訪ねてからこの街を見ると、ここが如何に冷たい場所なのかを理解させられる。母と過ごした街が好きではなくなっていく。それが少し悲しくて、その場を離れるように足を速めた。向かう先は都心部だ。

 

 

 バスから降りて待ち合わせ場所へと向かう。目指すは最近できたカフェだ。まだ知名度は低く、隠れスポットとなっている。ハープがトランサーのGPSと探索機能でルートを調べてくれた。ハープの指示を音声案内代わりにして、ようやくその場所を見つけられた。ちょっと目立たないところにあるため見つけにくかったが、入ってみればしゃれた店構えだ。店員が来店を歓迎するお決まりのご挨拶にも歓迎の思いが込められている。チェーン店のアルバイト店員ではまずできない。そんな丁寧な店員に軽く頭を下げて、きょろきょろとこの店を見つけてくれた友人を探す。

 その子は窓際の席にいた。すこしウェーブのかかった茶色の長い髪を右側で一本にまとめている。重くて首が傾かないのかと心配してしまいそうだが、その子にはとても似合っていた。ずっと、ブツブツと本を読んでいるその友人にスタスタと近づき、声をかけた。

 

「久しぶり、スズカ」

「あ、ミソラ。久しぶり」

 

 パタンと本を閉じてミソラの友人は顔を上げた。その目はミソラのぱっちりとしたものと違い、クリっとしていて可愛らしい。ミソラは向かいの席の椅子を引いて腰を下ろす。

 平日の午前中から小学生二人が街中で遊んでいる。あまり褒められた行為ではないが、このミソラとスズカの場合は仕方ない。

 

「台本読んでたの?」

「うん。今度のドラマのね?」

 

 ミソラはスズカが持っていた本を見ながら言う。そう、このスズカと言う少女は俳優だ。俳優を目指している卵ではなく、実際にテレビに出ている一人前だ。ミソラが現役だったころに知り合い。あっという間に仲良くなれた大切な同期で親友。それがこのスズカという少女だ。

 

「まあ、出れるのはほんの数分なんだけれどね?」

 

 だが、スズカはプロではあるが、駆け出しだ。残念ながら、スズカの事を知っている人はまるでいない。そんなスズカを励ましてあげるミソラに、ハープは呆れたようにため息をついた。ミソラはこんな風に誰にでも優しくできる子だ。無論、ミソラが引退した直後に親権を放棄した、あのマネージャーのような(やから)は別だが。

 

「でも、この番組ってあれでしょ? 二百年前から続いている、超長寿番組、『危ない暴れん坊ウルトラ将軍様』でしょ!?」

「そうだよ。あの有名大河(・・)』ドラマなんだよ!」

「将軍様が、『この紋所(もんどころ)が目に入らぬか!』って言いながら、『もんどころニウムレーザー』で宇宙から侵略してきたエイリアン達を、ズバババーン! ってなぎ払うやつでしょ? 出れるだけでも凄いよ!」

「そ、そうかな? それのちょっとした子役で出るんだよ? まあ、その一話限りに数分だけ登場する役なんだけれどね? 台詞も少ないし」

「それでもすごいよ!」

 

 しばらくは、その大河ドラマと呼べるのか怪しい番組の話しで盛り上がる。こうして、スズカが出る番組を褒めることで、スズカに自信を持ってもらいたいというミソラなりの計らいだった。内容や人気もそうだが、主演キャストの話になったり、彼らの演技の上手さについて熱く語ったりと話が続く。

 そんな二人の様子を、ハープはじっと見守っていた。

 

 

 少し早い昼食をその店で済ませ、今はアクセサリー店で品々を見て回る。品物を手に取りながら、キャッキャと話に花を咲かせてる。

 だが、ふとスズカの表情が曇る。

 

「どうしたの?」

「うん……ミソラは強いなって……」

 

 引退こそしたものの、ミソラはニホン国では知らぬ者はいない存在だ。そんなミソラと違って、自分は息を吹きかけられるだけで飛んでいきそうなほどちっぽけだ。なにより、ミソラは強い。両親を亡くしても明るくふるまっていられるほど、前向きに生きている。ミソラは自分に無いものを全てを持っている。ミソラはスズカにとって親友であり、目標であり、憧れだった。

 

「そうだね。私は強いよ」

 

 目を閉じて静かな口調で言う。だが、謙遜は一切しなかった。自信たっぷりに言うミソラに、スズカは力無く笑って見せる。嫌な気分を隠すためじゃない。こんな強いミソラが好きだから、自然と笑ったのである。

 

「でもね。正確に言うと、私は強くなれたんだよ?」

「……強くなれた?」

 

 キョトンと髪の重力がかかる方向とは反対方向に首を傾げて訊いてくる。

 

「……私ね、ブラザーができたの」

「え? 本当!?」

「うん。はじめてのブラザーなの!」

 

 ちなみに、ミソラとスズカはブラザーでは無い。ブラザーバンドを結ぶと、ある程度の個人情報を見ることができるようになるため、スズカ側の芸能事務所が禁止しているのである。スズカの芸能事務所に限らず、未だにこの体勢を取っている事務所は多数存在している。だが、それも時代の流れによって、徐々に緩和されつつある。芸能人が気軽にブラザーバンドを結べる日も近いだろう。残念なことではあるが、ミソラとスズカがブラザーを結ぶのは、その時までお預けだ。

 スズカは自分が初めてのブラザーになれなかったのをちょっと残念に思いながらもミソラを祝福した。

 

「おめでとう! 羨ましいなぁ、その子……。で、良い子なの?」

 

 さっきの話とどこに繋がりがあるのだろうと思いながら尋ねた。

 

「私と同じでね……お父さんがいない子なの」

 

 ミソラのソプラノトーンが下がる。おそらく、そのブラザーを哀れんでいるのだろう。

 

「お母さんを亡くした私の気持ち、分かるよ! って言って、必死に励まそうとしてくれたの。とても優しい人だよ」

 

 必死になってくれている彼を傷付けてしまった事を思い出し、さらに表情を暗くする。心配そうに、スズカはミソラの横顔を様子見る。

 次にミソラが思い出したのはブラザーを申し込まれた時のことだ。顔は情けなかったが、彼女にとってはヒーローの表情だった。トラウマを呼び起こしながらも、勇気を振り絞ってくれた。全て、自分のためにだ。それが嬉しくて、フフっと笑みをこぼした。

 ミソラの感情が急に逆転したため、スズカは対応に困ってしまう。心配すればいいのか、明るく接すればいいのか。

 

「私、その子とブラザーになれたから、一人じゃないんだ! って思えるようになったの、強く生きようって考えれるようになれたんだよ」

 

 スズカに振り向いたその表情は明るく笑っていた。どうやら、こちらも明るく対応すればいいらしい。

 

「そうなんだ。すごいんだね、ブラザーって?」

「うん。それに、相手がスバル君だから、私は強くなれたんだ」

 

 自分と同じく、親を亡くした不幸を知っているからこそ、ミソラにとってスバルは力をくれる存在だ。

 ミソラの表情を見て、スズカはピンと来た。

 

「そのブラザーって男の子なんだよね?」

「あれ? 私男の子って言った?」

「さっき、『スバル()』って言ったよ?」

 

 そうだったかなと口に人差し指を当てた。

 

「スバル君のこと好きなの?」

 

 飛びあがった。質問がストレート過ぎる。直球の中の直球だ。

 

「な、なんで!?」

「う~ん、女の勘かな~? で、どうなの?」

「い、いや……どうって……そんな……」

「ん? ん? ミソラ、怪しいぞ~?」

 

 テレビ出演経験があれど、二人はどこまで行っても十一歳の女の子だ。友達の恋愛話に花を咲かせるその姿はどこにでもいる女の子そのものだった。ギターの中の電脳空間で、ハープは二人をクスクスと笑いながら見ていた。

 耳が(つんざ)かれた。ガラスが砕け、高温と共に一挙に推し出される音。それが止むと、身を(かが)めていた二人は立ち上がった。

 

「な……何……?」

「スズカ、外に出よう!」

 

 辺りに異変が起これば、それが何かを確認しようとするのが人の本能だ。店の外の大通りに出ると、人と言う人が皆同じ方角を見て指差していた。その先に見えたのはビルだ。そのビルは、二人がさっきまでいた店のすぐ近くに建っている、大手電気店が所有している街の目印となっている店だ。その側面についている大型ディスプレイが黒い煙を吐いていた。ヤジウマがぞろぞろとビルの前に集まる。つまり、ミソラ達の周りにも集まってくる。人間が鮨詰め状態だ。

 それを見計らったように、再び爆発が起きた。目の前の半壊していたディスプレイがだ。舞い散る螺子に、ガラスや金属の破片。春の陽気な日の光を美しく照らし、凶器となって人々に降り注ぐ。

 一斉に走り出す人々。その動きに統制は無く、バラバラに動きだす。そのため、ぶつかり、躓き、身動きが取れなくなる人が続出する。法則性の無い人の波。小学生の女の子であるミソラとスズカが逆らえるわけが無い。

 

「スズカ!」

「み、ミソラ!」

 

 あっという間にスズカが波の向こうに消える。茶色い髪の端すら見えない。完全にはぐれてしまった。だが、ハープにとっては逆に好都合だった。

 

「ミソラ、電波変換よ!」

「え?」

「急いで!」

 

 見上げると、凶器達が間近に迫っていた。周りの目は気にしていられない。周りもこちらを見ている余裕など無いはずだ。ミソラとはぐれてしまい、今頃涙を浮かべているであろうスズカには悪いが、確かにちょうど良い。

 ギターに手を添えて叫んだ。

 

「電波変換 響ミソラ オン・エア!」

 

 一瞬生まれて消えたピンクの光。人込みの中だったため、見えている人はいただろう。だが、そんな光に気を止めるほど、周りの者たちは暇では無かった。

 ハープ・ノートに電波変換したミソラは電波の体だ。よって、誰にも見えないし、人の体をすり抜けられる。人の波に邪魔されることもなく、空に向かってギターを構え、両脇にコンポを召喚した。

 

「パルスソング! ショックノート!」

 

 ギターを力強く弾き、極力大きな音符を作り出す。二つのコンポからは小さい音符を一度に大量に放出した。パルスソングはディスプレイのフレームだった鉄塊を大きく弾き飛ばし、無数の細かい音弾は空から降ってくるガラスと金属の大群を迎え撃つ。無数の花火があがる。パパパと鳴り響く空が人々の足を止め、何が起こったのかを確かめようと、皆が空を見上げた。だが、その直後に悲鳴も上がる。

 ハープ・ノートは降り注ぐ惨事から皆を守ろうとした。しかし、守り切れなかった。こちらの音符ショットガンに当たらなかった物や、当たりはしたが充分な大きさと威力を保った物が人々を襲った。だが、この結果は功を制したと言って良いだろう。ほとんどを撃ち落とすことができたため、怪我をした人の数は指折り数えるほどだ。ハープ・ノートのとっさの行動が無ければ、被害者の数はこの程度では済まなかった。後は、その中にスズカが含まれていないことを祈るだけだ。

 

「ミソラ。多分、ウィルスの仕業よ!」

「電波ウィルスが!?」

「ええ……」

 

 ハープが出方を窺うようにミソラの表情を見る。そこには予想通り、ディスプレイを睨むミソラの目があった。

 

「どうする……って、聞くまでもないわね?」

 

 ハープがミソラのパートナーとなってから今までの間、このような事件と二人のやり取りは度々あった。だからこそ、ハープは次の返事を簡単に予想できたし、外れなかった。

 

「ええ、行くわよ。ハープ!」




 ミソラの友人キャラを出したかったため、3のキャラであるスズカに登場してもらいました。いつ頃から仲が良かったのかは分かりませんが、この小説ではこのころから大親友という設定です。ブラザーバンドを結んでいない理由はこじ付けです。

 ちなみに、ミソラとスズカの会話で登場した『危ない暴れん坊ウルトラ将軍様』という番組は「ロックマンエグゼOSS」のユーモアセンスっぽい会話で登場する公式設定です。もんどころニウムレーザーでエイリアンを一掃する大河ドラマ、ちょっと見てみたい気もします……よね!?(ねぇよ)


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第五十六話.二つ名

2013/5/3 改稿


 ディスプレイの電脳内へとハープ・ノートは飛び込んだ。このディスプレイは、大通りを歩く人々に、新商品のCMを行っている巨大な電子機器である。そのためか、この電脳世界には、様々な画像データが飛び交っている。一つ一つが解像度の高いカメラやら、主婦に優しい洗濯機の映像やらを映している。その内の一つのデータに取りついて、破壊活動を行っている一体のウィルス。青いゼリー状をしており、ぱっと見は可愛らしい顔が取り憑いている。だが、まぎれもなく人々を傷付けているウィルスだ。

 

「パルスソング」

 

 淡い緑色の音符が生み出される。ハープ・ノートに応えるように、音符は青い電波ウィルスに飛びかかり、互いの存在を消滅させた。

 フゥと口を絞って息を吐きだした。だが、一段落したと言う落ちつき払ったものではない。

 

「何匹いるのよ……」

 

 途方に暮れたハープ・ノートの両目の先にいるのは、ウジャウジャと蟻のように動き回る電波ウィルスの大群だった。数に換算すると、三桁に届くかもしれない。一匹一匹倒していたら途方もない時間がかかるだろう。おそらく、ハープ・ノートの体力ももたない。

 この光景を見て、ハープがギターの頭にお情け程度についている口を動かした。

 

「ミソラ、多分こいつらを束ねてるリーダーがいるわ」

「リーダー?」

「ええ。電波ウィルスは多少の群れを作って動くことはあるけれど、こんなに一度に動くことはまずないわ。こいつらには、そんな高度な知能は無いはずよ」

 

 ハープの言葉に、ミソラは顔をしかめた。悪い予感がしたからだ。電波ウィルスにそのような知能が無いとすると、彼らの代わりに高い知能を持つ存在がいると言うこと。思い当たるのは一つしかなかった。自分と同じ存在だ。

 

「電波人間?」

「そうじゃないことを祈るしかないわね。奥に行ってみましょう?」

 

 

 電子データから、標的を変えて襲い掛かってくる電波ウィルス達を足蹴にしつつ、ミソラとハープは画像データが飛び交う世界を駆けていく。その作業は数分ですんだ。侵入者に気付き、事件を起こした張本人自らがこちらに出向いてくれたからだ。いかにも悪いことを企んでいますと言わんばかりの悪人面だった。

 犯人の正体を見てハープはホッとした。

 

「良かったわ、FM星人じゃなくてジャミンガーで」

「えっと、電波ウィルスと電波変換した人間だったっけ?」

「そうよ。決して勝てない相手じゃないけれど、気を引き締めていきましょう?」

「ぅおい! さっきから聞こえてんぞ! 誰が雑魚だ!?」

 

 「そこまで言ってない。むしろ警戒している」と、吠えているジャミンガーに内心突っ込んだ。だが、慣れ合うつもりは一切無いため、さっさと事件を解決しようと、被害妄想がちょっと強いジャミンガーに攻撃を仕掛けた。

 

「パルスソング!」

「電波ウィルス!」

 

 ハープ・ノートの攻撃が来ると分かった直後、ジャミンガーは一体の電波ウィルスに命令を下した。内容は残酷、その身をもって盾となれだ。

 火を纏っている一輪しかないバイクのような電波ウィルスがジャミンガーの横から飛び出してきた。自慢の黒い車輪のアクセルを全開にして、音の弾丸に突っ込んだ。ウィルスは無残にもデリートされ、体を構成したいた細かい粒の波が電脳世界の空へと飛んでいく。

 それ払うように次々と新しいパルスソングが空を駆けていく。どうやら、電波ウィルスは捨てるほどいるらしい。カブトムシを模したもの、黄色い顔に槍の様な手が二本ついただけのもの、蟹の姿そのままのものなど、様々なウィルスが次から次へと二人の戦いに割り込むように現れ、ジャミンガーの盾にされて消えていく。

 

「これじゃあ、切りが無いよ!」

「ミソラ、踏ん張って!」

 

 電波ウィルスの大群と闘うのが嫌だったため、頭を潰しに来たのだ。これでは、避けて来た奴らと真正面から戦っていることとほとんど変わりがない。どうしようかとパルスソングを撃ちながら悩んでいると、後頭部に衝撃が走った。脳内で振動があちこちへと走り、バランス感覚を奪われて肩から倒れる。なんとか状況を確認しようと背中を床に寝転がらせると、黄色い体と赤いグローブが特徴的な電波ウィルスがいた。どうやらこいつお得意のパンチをまともに受けてしまったらしい。

 起き上がろうとするハープ・ノートにウィルス達の容赦ない波状攻撃が襲い掛かる。斜め上を向いた大砲からは爆弾が、オバケのような奴からはリング状の光線が、魔法使いの姿をした奴は足元のクリスタルから炎をまき散らす。一体一体の力は床にかすり傷をつけるのが限界だろう。しかし、数は残酷なほど正直だった。床をえぐる勢いとなってハープ・ノートの体を宙へと舞い上げ、壁に叩きつけた。

 その壁は、無数の電気ケーブルが束となって出来上がったものだ。どうやら、このケーブルはディスプレイに電気を供給しているプログラムらしい。先ほどの衝撃のためか、電波ウィルス達の攻撃の一部が当たったのか、幾つかのケーブルが切れてしまっていた。中からは金属糸が顔を覗かせている。かなりの高圧電流が流れているのだろう。それらの周りは行き場を求めるように跳ねまわる数多の閃光が見える。

 これだけの攻撃を受けながらも、ハープ・ノートは立ち上がろうとする。彼女の賢明さを嘲笑うように太い腕が華奢な右手首をつかみ上げた。

 

「い、痛い! 離して!」

「小娘が! 弱いくせに生意気なんだよ!」

 

 ブンとハープ・ノートの小さい体が宙でバクテンの軌道を描く。ジャミンガーが力任せにハープ・ノートの腕を引っ張ったのである。ハープ・ノートの体はジャミンガーの頭上を越えて、床へと叩きつけられた。少女が向かう先は平坦だった電脳世界の地面だ。今は電波ウィルス達の攻撃によって、生成された大小の尖った破片がまき散らされている。鋭利と称するには少々無骨なそれらが背中に食い込み、更なるダメージを与える。

 

「なんだ? こいつ、めちゃくちゃ軽いじゃねぇか?」

 

 ジャミンガーがそう思うのは当然だ。ハープ・ノートの体重は(ぜろ)キログラム。質量があるのに、重さが無いと言う矛盾した体なのだから。重さが存在しないハープ・ノートの右手首を掴んだまま、もう一度振り上げて大地へと叩き伏せる。二度、三度と繰り返し、同じように痛めつける。

 その度に、痛みに耐えられなかった短い悲鳴がハープ・ノートの口から漏れる。そして、もう一度体が空へと持ち上がる。

 

「ショックノート!」

 

 体が最も高い位置に来た時、ハープ・ノートはジャミンガーの背中にコンポを召喚した。零距離で発射された威力はジャミンガーの体を揺さぶるのには充分で、ハープ・ノートの右手を自由へと解放する。床を滑りながら横に一回転して立ち上がり、ミソラはハープに確認を取る。

 

「もう一度行くわよ。ハープ?」

「ええ。準備オーケーよ!?」

 

 それを合図に両脇に先ほどのピンク色のコンポを一つずつ設置した。先ほどの攻撃による影響で、未だに体の自由が利かないジャミンガーに思う存分攻撃を見舞った。

 

「ショックノート!」

 

 一つに凝縮された音符がそれぞれのコンポから飛びだし、計二つがジャミンガーを撃ち抜い

た。だが、決定打には程遠かった。ジャミンガーは苦悶に苦しむように歯をむき出しにして後退するが、赤い目はまだハープ・ノートをしっかりと捕らえている。まだ戦える。そのジャミンガーの確信は裏切られた。先ほどの攻撃で全てが決まっていた。全身を焼くような痺れが走り、全身の筋肉が己を伸ばしきろうとして、ガクガクと彼の大柄な体を揺らす。背中は糸のように細い何かが無数に浅く刺さっていると伝えてくる。

 ハープ・ノートは先ほど断線した電気ケーブルで無邪気に遊んでいるジャミンガーに、止めのパルスソングを叩きこんだ。

 

 

「大変なことになっちゃったね?」

「ほんっと! せっかくスズカと遊べる日だったのに!」

 

 ジャミンガーを倒し、集結していたウィルス達が本能のままに立ち去って行くのを確認したミソラは、奇跡的にも無傷だったスズカと合流していた。もちろん、電波変換は解いており、今はハープ・ノートではなくミソラとハープだ。

 合流できた場所は事件現場のすぐ近くだった。周りには救急車のサイレンと青い制服に身を包んだ警官達の姿があった。もしかしたら、五陽田の様なサテラポリスが来るかもしれない。そう考えたミソラは、さりげなくスズカに場所を変えるように提案し、今はこのオープンカフェでお茶を飲んでいるに至る。

 

「でも、大きな怪我をした人も出てないみたいだから。良かったよね?」

「うん。それが幸いだよね……あ!」

 

 こんな時も他人の心配をするミソラの優しさに微笑みつつ、スズカはあるものを発見した。マグカップを持っているミソラの真っ白い手に目が止まる。

 

「ミソラ、それ!」

「え? ……あ!」

 

 女優として美容に気を使っているスズカは素直に勿体ないと感じた。シミ一つない手入れの届いたミソラの右手首に、赤黒いあざができているのだから。

 

「あっちゃ~、あの時にできちゃったのかな?」

 

 ミソラの言うあの時とは、ジャミンガーと闘った時だ。右手首を掴まれ、物のように振り回された時だ。ギリギリと悲鳴が上がるほどの握力で掴まれたうえに、複雑に力がかかったのだから、当然の結果かもしれない。

 

「もう! ミソラのことだから、小さい子でも庇ったんでしょ?」

 

 だが、スズカは勘違いしていた。ミソラが言うあの時とは、人波に飲まれた時のことだと誤解したのである。

 

「あ、う……うん。まあね?」

 

 都合よく誤解してくれたため、そのまま話を合わせておいた。

 

「もう、ミソラっていっつもそう。自分のこと横に置いといて、誰かの心配ばっかり」

「あははは……まあね? でも……」

 

 呆れたように笑うスズカに、ミソラは笑いながらも真剣に応えた。

 

「誰かが傷ついたり、困っているのを黙って見ていることなんて、私にはできないよ」

「フフ、分かってるよ。だって、私はそんなミソラが大好きなんだもん」

「キャハッ、ありがと」

 

 天使のように笑いあう二人。ハープはギターについている画面の向こうから、そんな二人を見つめて穏やかな笑みを浮かべた。

 辛い人生を経験しているにも関わらず、誰かのために強く生きようとするミソラを見て、スズカは言った。

 

 

「今日、スズカっていう友達と遊びに行ったよ(>ω<)」

 

「あれ? 学校は?」

 

「さぼった!( ̄▽ ̄)v」

 

「だめだよ、サボっちゃ」

 

「しょうが無いじゃん。その子も芸能人なんだから(´・▽・`)」

 

「あ、そうなんだ?」

 

「うん。かわいいよ(^ω^)b」

 

 空が夜を刻む時間になり、ミソラは自宅でスバルとメールをしていた。もう日課となっている光景を見て、ハープは両目を垂れ下げるような笑みを浮かべる。もしかしたら、スバルの横にいるであろう、あのガサツ星人は欠伸をしているかもしれない。

 

「それでね、『ミソラって、戦う芸術家(アーティスト)だね?』って言われちゃった(>▽<)」

 

「かっこいい二つ名だね?(・▽・)」

 

 顔文字を使ってくるミソラに合わせてスバルも使ってくる。だが、まだ慣れていないらしく、基本的な物を使っている。ミソラも決して慣れているわけではないが。

 

「そっかな? 恥ずかしいよ(=^▽^=)」

 

「ミソラちゃんにぴったりだと思うよ(^▽^)」

 

「もう、意地悪(`ε´)! なら、今度は私がスバル君に『恥ずかしい!』って思うようなかっこいい二つ名をつけてあげるんだから( ̄∩ ̄#」

 

「ははは、勘弁してよ。ただでさえこっちはヒーローにされて困ってるのに(´・ω・`)」

 

「楽しみにしてると良いよ? ヒッヒッヒッ(・皿・)」

 

「こ、怖いよ。ミソラちゃん(・▽・;)」

 

「ところで、勉強教えて。明日テスト(^人^)」

 

「遊んでいたミソラちゃんが悪い。自分でやりなさい(`д´)」

 

「おねがい(;人;)」

 

「まったく、しょうがないな……(・ω・)」

 

 さらに数回のメールを行い、ミソラはパソコンの電源を入れた。長文が多くなるので、解説はパソコンのメールを用いることにしたからだ。




 「戦う芸術家」という二つ名はアニメ版でミソラが自ら名乗るものです。()台詞!!


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第五十七話.ハープの贖罪

2013/6/8 改稿


「終わった~!」

 

 両手を高く上げて、右手のタッチペンをポーンと投げだしそうなほど活き活きとした伸びをする。

 

「お疲れ様、ミソラ」

 

 スバルにお礼のメールを送っているミソラの横に、ポンと組んできたお茶を置く。エプロンをつければ立派な家政婦さんだ。

 

「ありがと、ハープ」

「今日はもう寝たら?」

「う~ん……」

 

 お茶をすすりながら、パソコンに表示される時間と相談する。

 

「もう一度復習しとこっかな」

「そう、頑張ってね! ……お風呂には入る?」

「もちろん入るよ。美容には欠かせないからね!」

「なら洗っておくわね?」

「うん、お願い!」

 

 否、元FM星の女戦士は最早立派な家政婦さんだった。

 

「ところで、ミソラ」

「何?」

「わざわざメールなんてしなくても、スバル君に来てもらった方が早かったんじゃないかしら?」

 

 スバルには相棒のウォーロックがいる。彼と電波変換すればミソラの元まで来るのはあっという間だ。メールではなく、横に立って教えてもらうのが一番手っ取り早いし、説明も分かりやすいだろう。

 しかし、ミソラはブッとお茶を吹くと、ピンク色の髪をぶんぶんと回すように首を振った。

 

「む、無理だよ! す、スバル君だって……その、迷惑だろうし……」

「あらあら、ほんとにそれだけ?」

「そ、それだけ? って……それだけだよ!」

 

 顔から白い湯気を吹きだしながら、ハープから目を背けるように机に向かった。問題に目を通し、スバルに教えてもらった内容を思い出そうとする。だが、ただそれだけだ。それ以上はできない。いくら問題文を読み返しても頭に入ってこない。スバルが教えてくれた説明も何も出てこない。代わりに脳内で繰り返されるのはスズカに言われた言葉だ。

 

――スバル君のこと好きなの?――

 

 肺から、熱っぽくなった全ての空気を吐きだす。どれくらい熱くなってしまっているのかは、ミソラの顔の色が語っていた。脳内で繰り返し出てくる親友の言葉に、たまらずタッチペンの頭を唇で噛んだ。

 

「スバル君……」

 

 

 スバルはプツリとパソコンの電源を切った。ミソラからお礼のメールを貰った今、今日は使う予定が無いからだ。

 テレビの前で大あくびをしていたウォーロックが口を開く。

 

「おい、スバル」

「なに?」

「電波変換して、ミソラの家に行った方が早かったんじゃねえか?」

 

 ピョンと椅子から飛び上がり、爆弾発言をかましたウォーロックに力の限りに掴みかかった。

 

「なななななな、何言ってるんだよ!」

 

 ただ、悲しいことに迫力が無い。舌が動揺について行けず、耳まで真っ赤になっている。

 

「ミ、ミソラちゃんは女の子だよ! しかも、一人暮らしだよ!? 夜にお邪魔できる訳無いじゃん!!」

「ふ~ん、そう言うもんなのか?」

「そうだよ!? って言うか、分かって言ってるでしょ!?」

 

 「ククク」と腹を押さえて笑っているウォーロックに、トランサーに戻るように言って布団へと入った。

 でも、眠れない。自分がミソラの家にお邪魔した光景を想像してしまう。ミソラの部屋模様はどんなものなのだろう? こんな妄想をしていたら、ミソラのヒーローからただの変態になり下がる。ウォーロックにストーカーと呼ばれても反論できないし、ルナに衛星女とも言えなくなる。

 自分の名誉を守るために、想像する方向を変えた。逆にミソラが自分の部屋に来たらどう思うだろうと考えてみる。

 

「女の子って、どんなものが部屋にあったら喜ぶのかな?」

 

 首だけ動かして、自分の部屋の中にあるものをチェックする。大事にしているちょっと型の古い望遠鏡に、それ以上に年季の入った地球儀。本棚にぎっしりと詰め込まれた本は全て宇宙と機械に関するものだ。机の棚に入っているのはいじくっている金属の塊とスパナやネジをはじめとする工具類。壁に貼ってあるポスターに描かれているのは5年ほど前に引退した有名野球選手だ。

 残念ながら、女の子を喜ばせれそうなものは何も無い。探すのを諦めて天井を仰いだ。ミソラは何が好きなのだろう? 思い浮かんだのは歌だ。ミソラのCDでも置いておけば喜んでくれるかもしれない。歌や芸能界に興味は無いが、ミソラの歌は素直に好きだと言える。明日、学校帰りに探してみようと決めて目を閉じた。

 だが、やっぱり寝付けない。机の上に置いてあるトランサーはピクリとも動かないため、ウォーロックはもう寝ているようだ。寝ると言いだした自分も早く寝なければ。それに、明日は平日なので学校がある。ルナが、育田の復帰を校長先生に訴えるために、書名活動を始めるとも言っていた。彼女の優しさから来る行動だろうが、またクラスぐるみで振り回されることになりそうだ。

 

「早く寝なきゃ……」

 

 無心に、無心に……そう言い聞かせても浮かんでくる。あの子の笑顔が浮かんでくる。翡翠の瞳が頭から離れない。

 

「なんで……なんだろう?」

 

 もやもやとする胸を掴み、布団を大きく被ってただ目を閉じ続けた。

 

 

 洗った髪を乾かしたら後はもう寝るだけだ。ミソラはベッドの中へと潜り込む。

 

「ハープ」

「はいはい」

 

 隣にはハープが並ぶ。ミソラは横に広いハープの体を抱きしめるようにして、枕に片方の耳を埋めた。

 

「お休み」

「はい。お休み」

 

 ハープが答えた数秒後には寝息が聞こえて来た。寝れる時に寝ると言うアイドルの時に身につけた術なのだろう。この寝付きの良さに、ハープはいつも驚かされる。お情け程度に被った布団を気にしつつ、ハープも目を閉じた。

 

 

 目を覚ました。今日は月明りが眩しい夜だ。カーテンの隙間を突き破って部屋に侵入している。しかし、ハープが目を覚ました原因はそれでは無い。獣が唸るような声を耳にしたからだ。だが、その音色は獣とは程遠い。ハープはその声の主、ミソラの頭をそっと撫でた。手の動きに合わせて細い髪の毛もくしゃくしゃと動く。うなされるミソラをなだめてあげるのがハープのお仕事となっている。それも毎晩だ。ミソラの腕に力が加わり、ハープの体にかかる圧迫感が強くなるが、それをじっと耐える。

 

「止めて……お願い、止めて……その人……達は……何も……悪く無い……の……」

 

 ハープにはだいたい分かっている。ミソラは夢の中でうなされている。内容はおそらくこの前自分が起こした事件だろう。平和を謳歌していたコダマタウンの人達を無差別に傷付けた自分と、今日戦ったジャミンガーを被せてしまっている。怖くて泣いているのだ。あの事件は、ハープにそそのかされて引き起こしてしまった事件だ。しかし、ミソラにも責任はある。それは、水晶のように純粋な、少女の心の大きい傷となっていた。

 時計の長針が一周した頃、ミソラは再び安らかな眠りへと入っていた。彼女がうなされ続けている間、ハープはずっと頭を撫でてあげていた。安堵の笑みを浮かべると、そっと枕に目をやった。濡れていた。白い枕シーツには斑点が出来上がっている。ミソラの目元を優しくぬぐってあげる。涙の無くなったその寝顔は安らかで。異星人の女であるハープですら見とれてしまった。やはり、この女の子に涙は似合わないと確信する。

 

「ミソラ、私あなたが大好きよ」

 

 ミソラの寝顔を見守るその表情はまるで母か姉のように柔らかい。

 

「私ね、最初はあなたを利用するだけのつもりだったわ」

 

 地球に来て、この星に満ち溢れる楽を満喫していた。さぼっているところをキグナスに見つかってしまい、重い腰を上げた直後にミソラを見つけた。画面越しだったが伝わって来た。この少女の声から孤独の周波数が発せられれていることに。だから、すぐに経歴を調べて追いかけたのである。そして、あの日、あの町の出来事だ。

 

「でも、あなたって優しすぎるんだもの。こんな私を受け入れてくれるくらいにね?」

 

 あの時、迷いがなかったと言えば嘘になる。しかし、それでも任務を全うするためにミソラを誤った道へと誘ってしまった。この行為が彼女の心に暗い影を落とす。

 

「最初はこんな任務に当てられて、まいっちゃってたけれど……この星に来て良かったわ。だって……あなたに会えたんだもの、ミソラ……」

 

 眠っているミソラに話しかけながら月明かりに負けない眩しい笑みを浮かべた。

 

「ありがとうミソラ。私、あなたに会えたおかげで、地球が大好きになれたわ。この星も、あなたも大好きよ。だから……ね……」

 

 だからこそ、ハープは決意した。

 

「さようなら」

 

 月に雲が掛った。同時に、ミソラの寝室から光が無くなる。数秒後に雲が途切れ、月が顔をのぞかせる。再び入って来た月光が見たのは、空気を抱きしめているミソラだった。ベッドの上で規則正しい寝息を立てているミソラから、数歩離れた部屋の影にハープがいた。

 

「あなたは優しすぎる子よ」

 

 今日、スズカに言っていた言葉を思い出す。

 

――誰かが傷ついたり、困っているのを黙って見ていることなんて、私にはできないよ――

 

「あなたは自分から危険に飛びこんで行ってしまう。私が側にいて、戦う力を持っちゃたから、あんな無茶もする」

 

 ジャミンガーと電波ウィルス達に孤軍奮闘し、ミソラは傷だらけになってしまった。今回だけでは無い、今まで電波ウィルスが起こした事件には必ず首を突っ込み、二人でデリートしてきた。そのたびに、少ないとは言えど傷を負っている。

 ハープは今も寂しくなった手を弄んでいるミソラの手を見た。右手首についたあざはまだくっきりと残っている。白い肌に一点だけ着いてしまった黒は醜く、ハープの罪をそのまま表すかのようだ。

 

「私はあなたの歌を傷付けて、今度はあなたを危険に巻き込んでしまっている。怖いの。あなたが傷つくのが……私があなたのそばにいたら、あなたを危険な目に巻き込んでしまうわ。これから、アンドロメダの鍵を巡った戦いも苛烈になる。もう、あなたには傷ついてほしく無いの。だから……」

 

 目に焼き付ける。自分を受け入れてくれた、もう二度と会うことのない心優しい少女の姿を。

 

 

 町から夜が去り、押しのけるように朝が来る。黒から白へと変わっていく空が、少女の部屋に五月の温もりと共に光を届けてくれる。

 それに包まれながら、未だに寝息を立てている少女。彼女の傍らにはただ空虚な空間だけがぽつりと残されていた。



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第五十八話.髑髏襲撃

 ベイサイドシティは高層ビルが建ち並ぶ大都市だ。そびえ建つビルの数と大きさは、人口の集中を表すグラフの様だ。

 そして、人が集まれば娯楽も充実してくる。今、この都市で流行りつつあるのがスカイボードだ。海ではなく、空でサーフィンするスポーツだ。今、一人の若者が抑えられない快楽を吐きだしながら、空を滑って行く。ビルの屋上にある手すりにボードの腹を滑らせて、再び空へと戻って行く。

 体をすり抜けていったボードを見送りながら、空に架けられたウェーブロードにいたその電波体はため息をついた。

 

「大丈夫って分かっていても、びっくりしちゃうわ~」

「分かります。恐いですよね、スカイボード」

 

 水色の電波体の言葉に、喋っていたデンパ君は頷いた。

 ニホン国の電波技術のレベルが高くなってきたため、デンパ君達の滑舌も良くなってきている。しかし、全てのデンパ君のバージョンアップを一度に行うことなどできない。そのため、それは都会にいるデンパ君達を主に行われている。コダマタウンの様な田舎のデンパ君達に順番が回ってくるのは当分先だろう。

 

「で、どこか楽しいところってあるかしら?」

「はい。そうですね……『アキンドシティ』なんか賑やかですし、食べ物もおいしいですよ? タコ焼きとか」

「う~ん、あまり興味無いわね」

 

 今、ハープは旅行会社で働いているデンパ君と話をしている。次の行き先を決めるためだ。ミソラと別れることを決めた今、この街に留まるのは気が引ける。さっさと立ち去るために、行き先を決めているところだ。

 

「う~ん、海外なんて如何でしょうか?」

「良いかもしれないわね」

 

 このニホン国から出れば、ミソラと遭遇する可能性は格段に低くなるし、彼女の元に戻りたいと言う願望も起きにくくなるだろう。ちょうどいいと考えた。

 

「世界屈指の大国家『アメロッパ』、雪景色がきれな『シャーロ』、自然豊かな『アッフリク』。穴場で言うと……『クリームランド』がお洒落で女の子に人気ですよ?」

 

 このデンパ君は仕事熱心らしく、次々に国の名前を挙げていく。だが、肝心の相手が上の空であることに気付いた。視線をたどると、電光板があった。今の時間が九時半ごろだと伝えている。

 

「ミソラ……今はもう学校かしら?」

 

 ぼそぼそと呟いているハープの声を、デンパ君はほとんど聞き取れなかった。だが、ある単語だけはしっかりと聞いていた。

 

「ミソラ? もしかして、引退しちゃった、あのミソラちゃんでしょうか?」

「え? ……ええ、そうよ」

「おお! あなたもファンでしたか!?」

 

 ハープは「ん?」と顔をしかめた。

 

「『も』? 『も』ってことはあなた以外にもいるの?」

 

 人間のミソラファンならいたるところにいる。だが、デンパ君がファンだとは思いもしていなかった。

 

「やれやれ、僕達『ミソラちゃんファンクラブD』もなめられましたね」

「『D』?」

 

 ますます分からないとハープは体を少し斜めに傾ける。

 

「『D』は『電波』の略。つまり、『ミソラちゃんファンクラブ電波』! 電波世界における、ミソラちゃんのファンクラブなんです! あなたも入りませんか!? 女の子も大歓迎です! あなたみたいな美人なら特に!!」

 

 さっきの仕事熱心な態度はどこへやら。電子データできた会員カードを見せながら、ミソラを熱弁している。そんな熱いデンパ君にちょっとだけ引きながら、ハープはさっさと行き先を決めてしまうことにした。

 

 

 グングンと景色が後ろに飛んでいく。背広に身を固めた中年男性の脇を走り抜ける。だが、勢い余って飛びだした場所は道路だった。白い乗用車が慌てて足を止めた。操作していたナビも、乗っていた人と同じく悲鳴を上げていただろう。

 

「馬鹿野郎! 気をつけろ!」

「す、すいません!」

 

 頭を下げて、逃げるようにその場から走り去った。だが、その足はすぐに止まる。もう体力が限界だ。口元に垂れて来た汗がしょっぱい。膝から下は感覚が無い。ヘタリと近くの壁にもたれかかった。

 

「ハープ、どこ行っちゃったのよ?」

 

 朝起きて、ハープがいないことに気付いたミソラは街へと飛び出していた。これで二日連続で学校を休んでしまうことになるが、どうでも良い。

 ハープを探しているのだが、その作業は困難ではなく無謀だった。普段は目に見えない電波体であるハープを大都市の中から見つけるなどできるわけがない。もしかしたら、この街から出て行ってしまった可能性だってある。ただの女の子である彼女には探す術がなかった。

 電波変換ができるスバルに相談しようとも考えたが、止めた。今、スバルは学校に行くと言う自分の壁を越えようと戦っているところだ。そんなスバルの挑戦を自分の都合で邪魔したくなかった。昨日も学校を休んだ事と、テスト勉強まで教えてもらった事が更なる負い目になる。とても相談する気にはなれなかった。

 

「ハープ……なんで……? なんで私に黙って出て行っちゃったの?」

 

 ただ途方に暮れるしかなった。

 

 

 仕事とミソラにご熱心なデンパ君と別れ、ハープはウェーブロードから街を見下ろしていた。もう、これでこの街を見ることは無くなるだろう。そう考えると、深呼吸の様にため息をついた。

 

「さてと、行きますか」

「どこに行くのじゃ?」

「え?」

 

 しわがれた男性の声が、頭上のウェーブロードから掛けられた。キョトンとしていた表情は、すぐに引き締められた。ゼット波を感知したからだ。FM星人達が持つ特有の周波数だ。

 

「この距離でゼット波に気付かなかったのか? この星に来て腑抜けてしもうたのか? お前さんの感知能力の高さは買っておったんだがのう」

 

 飛び降り、ハープの前にスタリと着地した。緑色のマントが翻り、ふんだんに取り付けられている装飾を煌かせる。何より目をつくのがその顔だ。骸骨そのものだ。この白骨が被っている王冠を見て、ハープは相手が誰なのか察した。

 

「クラウンね? 今は電波変換してるのよね?」

「そのとおり。今のワシの名はクラウン・サンダーじゃ」

 

 クラウン・サンダーの隣に王冠を被った白い雲のような塊が現れ、名乗った。ハープもよく知る歴戦のFM星人だった。

 

「あなたみたいな老戦士までよこすなんてね?」

「うむ。まさか老骨が駆り出されるとは思わんなんだわ」

 

 疲れたように眉を垂らすクラウン。彼の隣でずっと黙って立っていたクラウン・サンダーが口を開いた。

 

「世間話はこれまでにせい。あまりワシを待たせるでないぞ」

「おお、そうじゃったの」

 

 ずいぶんと偉そうな人間である。ごほんと一息ついて、クラウンが話を切り出した。

 

「ハープ、貴様はウォーロックと戦ったらしいのう?」

 

 まずいと直感が悟った。おそらく、この二人の狙いはアンドロメダの鍵だ。

 

「さあ、知らないわよ?」

「嘘を言うな。貴様が事件を起こしたことも、それがすぐに収束したことも知っとるわい。大方、ウォーロックに邪魔されたんじゃろう?」

 

 戦いも人生経験も豊かなクラウンを騙しきるのは難しいらしい。次にクラウン・サンダーがマントの下から手を出し、闘志を込めた拳を見せつける。

 

「ワシらは、今からそのウォーロックと戦いに行くのである」

「そして、アンドロメダの鍵も手に入れる」

 

 クラウン・サンダーに続けて言ったクラウンの言葉を聞き、予想が的中してしまった事を嘆いた。

 

「さあ、場所を教えるのじゃ!」

 

 電波体の時とは比較にならない周波数がクラウン・サンダーから立ち上る。どうやら、クラウンと電波変換しているこの人間も相当な実力者らしい。電波体のままのハープの微弱な周波数と比較すると、大人と子供ほどの力の差がありそうだ。

 

「い、嫌だわ……」

 

 それでも、ハープは首を振った。

 

「なぜじゃ、ハープ? 仇を取ってやるぞ?」

「な、なんでもよ! 仇だって取ってくれなくていいわよ」

 

 言うわけにはいかない。言えば、スバルが危険な目に合う。そうなってしまうと、スバルに淡い気持ちを抱いているミソラが悲しむことは目に見えている。ミソラのためにも言うわけにはいかなかった。

 

「そう言うな。こっちにも都合が……」

「もうよいぞ」

 

 二人のFM星人のやり取りを見ていたクラウン・サンダーが割り込んだ。

 

「どうしても首を縦に振りたくないと言うのならば、それでよいぞ」

 

 ハープは安心した。どうやら、話しの分かる相手らしい。

 

「じゃが、本当にそれでよいのならばな?」

「……え?」

 

 体がウェーブロードの僅か上空を駆けた。ハープの全身に閃光が走っている。クラウン・サンダーが仕掛けて来た攻撃は、クラウンお得意の雷だとすぐに察した。そして、先ほどの認識を改めた。

 

「さあ、尋問の始まりであるぞ」

 

 話の分かる相手では無い。

 

 

 階段の手前に、『関係者以外立ち入り禁止』の文字が掲げられている。それを少しの時間睨んだ後、見なかったことにして、入ってはいけない領域へと踏み込んだ。階段を駆け上がり、その先にある扉に手をかける。扉はギィと音を立てて開いてくれた。このビルのセキュリティの低さに感謝しながら屋上へと出る。地上にいるときには絶対に感じられないすっきりとした解放感と、フードをはぎ取ろうとしてくる強風を感じながら、屋上の端へと歩んで行く。その一歩一歩を刻む度に、緊張とは別の意味で手が震えてくる。

 本当は、歌う意味を見つけるまでは弾きたくなかった。それがスバルと別れて、しばらく考えて決めた自分なりの贖罪だった。だが、そうも言っていられない。

 

「ハープを見つけるためだもん……今回は特別……特別だよ?」

 

 自分に言い聞かせるようにピックを握りしめた。まだハープがこの街にいるとすれば、ここからなら聞こえるはず。大きく息を吸い込んだ。




原作を知らない方への用語説明をば


クリームランド:
 EXEで登場する架空上の国。EXE2と5で登場したプリンセス・プライドが治める小国。この作品では200年前から存在していることになる。

アキンドシティ:
 EXEで名前のみ登場する都市。モデルは大阪と思われる。EXE3で活躍したトラキチの故郷。

アメロッパ、シャーロ、アッフリク:
 それぞれ、アメリカ、ロシア、アフリカがモデルの国。EXEで登場。アメロッパは流ロク2でも登場しており、残る二つは流ロク3で名前のみ登場。……アッフリクは、流星では登場しなかったかもしれません。

ミソラファンクラブD:
 流ロク3で登場する公式設定。お熱な方々が集まっている。


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第五十九話.信じてる

 水色だった体のあちこちにできた黒い焦げ跡。それはまるでミソラの手にできてしまったあざの様で、自分の罪深さがめぐり巡ってそのまま返って来たようで、逆に清々しかった。だが、痛くないわけではない。現に、意識が遠のきそうだ。優しく包み込んでくれる春風の優しさすら、今は傷口を抉る迷惑でしかない。

 

「さあ、そろそろ観念するのじゃ」

 

 クラウン・サンダーがツカツカと歩んでくる。彼の黒くぽっかりと開いた目は少々ひょうきんな印象を与えてくる。しかし、ハープに散々撃ち込んだ雷を手に滞留させているため、そんな雰囲気は一切感じられない。

 

「言うわけないじゃない……」

 

 それでも、ハープは口を割らない。

 

「例え、ここでデリートされても、私は言わないわ」

「……キサマ!」

「クローヌ、もうよさんか? 女を傷付けると言うのは気が引けるのじゃが」

 

 先ほどから相棒の行為を良く思っていなかったクラウンが提案した。どうやら、FM星人の中でも比較的温和な人格の持ち主のようだ。だが、クラウンと電波変換しているクローヌ聞く耳持たない。

 

「ええい! ワシは早く戦いたくて、うずうずしとるのだ! 待つのは苦手なのだ!」

「どちらかと言うと、待つのが嫌いなのじゃろう?」

「どっちでもよい! とにかく、ワシは早く戦いたいのだ! 鍵なぞ、どうでもよい! 豪の者と戦えさえすれば、理由なんざどうでもよい!」

 

 対し、この人間はかなりの戦闘狂らしい。このクローヌと言う男が望むのは、強者との戦いだけだ。よって、脆弱なハープには価値が見いだせないらしく、直も尋問を続けようとしている。

 不思議とハープに恐怖心は無かった。このままデリートされても良い。どこか達観した感覚を覚えていた。クラウン・サンダーが掲げる雷。それは気持ち程度に開いた目に射し込んで来る太陽の光と同じく、神々しいとさえ思えた。

 本当に神々しいものがハープに届けられた。場に似つかわしくないそれは、日の光を淡く色どり、三人を包み込んだ。

 

 

 不安だった。手足のように自在に操っていた弦が()ねてしまっていないか、思った通りの音色を歌ってくれるのか、心配だった。だが、行きすぎた不安だった。ギターの形をしたトランサーでしかなかったそれは、楽器としての本来の役目に戻れたことを喜んでいた。

 応えるように、ミソラも喉を震わせた。発せられた美しい歌声は、口元の空気が隣の空気へ、そのまた隣へと伝え、広がって行く。街を包み込んでいく。

 そのほとんどは、車道を走るエンジンや工事現場の作業音などにかき消されてしまい、聞こえた者はわずかだった。しかし、ある三人にはしっかりと聞こえていた。

 

 

「これはなんじゃ?」

「……音楽のようだのう?」

 

 クローヌとクラウンが面を上げる。そう、届けられたのはあの音色。ハープがもう聞くことが無いと思っていたあの歌声。

 

「……ミソラ?」

 

 聞き間違えるわけがない。しばらくは歌わないと言っていた彼女の歌声だ。

 

「なるほど、この歌はキサマのパートナーのものか?」

 

 クローヌの言葉に、ゾッと胸を抉られた。髑髏が不敵な笑みを浮かべており、クラウンもなるほどと言う顔をしている。二人の表情に全身の体温を奪われた。

 

「確かに、ハープにパートナーがおってもおかしくない」

「ならば、話は簡単じゃ」

 

 その言葉、嫌な予感しかしない。まさかと言う前にクラウン・サンダーの姿が消えた。ウェーブロードを飛び移り、ドンドン離れていく。彼が向かう方角はこの歌の音源。

 

「ミソラ!」

 

 

 聞こえて! 聞こえたのなら、戻って来てよ! 

 

 紡がれた音と歌詞は少女の純粋な願いを秘め、彼女の大切な人を探しに行く。そして、一人の人物を導いた。シュンと一筋の光が少女の前に飛び降りる。

 

「ハープ!」

 

 伝わった。願いがかなったと声と胸を高鳴らせた。

 

「キサマか、小娘?」

 

 だが、それは裏切られた。目の前で姿を現したのは見たことも無い電波人間だった。

 

「だ、誰?」

「探し人が違ったか?」

 

 自分に最初に投げかけたミソラの言葉を聞いた時から、クラウン・サンダーは抑えきれない笑みを見せていた。

 

「ミソラ!」

 

 ようやく、ハープがその場に追いついた。彼女が遅れたのはほんの数秒だ。だが、遅すぎた。

 

「ハープ!」

 

 ミソラとハープの目が合う。ミソラは歓喜に満ちた笑みに、涙を付け加えていた。だが、ハープはそんな呑気なミソラに力の限りに叫んだ。

 

「逃げなさい!」

「え? ……えぇっ!?」

 

 よく見ると、ハープの体は傷だらけだ。怪我の理由は尋ねるまでもなかった。ハープの言葉から犯人を特定するのは簡単だ。先ほど現れた骸骨を睨みつけた。

 

「あなたがハープを苛めたの!?」

「苛めた? 愚か者が、尋問と呼べ! 戦で使われる常套手段じゃ!!」

 

 嬉しさでは無く、悲しみの涙を流す少女に詫び入れる様子も無く、クラウン・サンダーは自分の行動を正当化した。この一言で、ミソラにとってのクラウン・サンダーの存在価値は決まった。悪であり、恨むべき対象でしかない。

 

「許せない……ハープを苛めたアナタを、私は絶対に許さない!」

「ほう、ならばどうするつもりだ? ワシと闘うのか、小娘?」

「もちろんよ! 私達だって戦えるんだから!」

 

 目の前で行われる二人のやり取り。ハープは生きた心地がしなかった。

 

「止めて、ミソラ!」

 

 耐えられなかった。こんなことにならないようにと考えて、ミソラの元を去ったのだ。また、自分のせいでこの少女が危険な目に会おうとしている。

 

「私のことは良いから!」

「なんで、私達パートナーでしょ!? 一緒にいようって約束したじゃない!?」

 

 引き下がらないミソラに、ハープは頭を抱えて目をつぶった。ハープにとって、ミソラは世間一般で言う『素直で良い子』だ。だが、ちょっと頑固で引き下がらないところがある。強い精神の持ち主と言えば聞こえはいいが、今の状況では発揮してほしくない部分だ。

 

「お願いだから、もう私に関わらないで」

「なんで? なんでそんなこと言うの?」

 

 ミソラを納得させるには、全て説明するしかないだろう。しかし、それでも納得してもらえるとは思えない。ミソラはそれほどまでに頑固で心優しい。

 

「何でも良いでしょ! もう、あなたと一緒にいたくない。ただそれだけよ!」

 

 だから撥ね退けることにした。

 

「っ……ハープ?」

 

 ハープの言葉に数歩後ずさった。

 ミソラの声が痛い。それでも、ハープはミソラを退け、この場から立ち去らせたかった。この子には、もう傷ついてほしくないから。ミソラの顔を見ないために背を向けた。

 

「分かったでしょ? 私達はもうパートナーでも何でもないの」

 

 何も返ってこない。もしかしたら、ミソラは泣いているかもしれない。でも、これで良い。彼女が危険な目に会うよりはよっぽど良い。後は自分がこの場を立ち去るだけだ。

 

「なら、この小娘がどうなってもよいのだな?」

 

 順調なハープの計画を邪魔して来たのが、ずっと成り行きを見守っていたクラウン・サンダーだ。振り返ると、ミソラに手を向けていた。その手に、雷のエネルギーが溜まっている。ミソラが受けたらひとたまりもなく消炭なるだろう。ミソラの命はクラウン・サンダーのさじ加減ひとつで決まる。

 ミソラの身に振りかかろうとする危険。だから、ハープはそれを払う。

 

「ええ、その子がどうなろうが、私が知ったことじゃないわ!」

 

 クラウン・サンダーの目を睨みつける。彼の漆黒の目も、ハープの言葉の真意を探るように見ていた。数秒の後に手はゆっくりと下された。

 

「そうか……」

 

 危機を乗り切った。ほっとつきたくなる息を、グッとこらえる。

 

「ならば……やはり、ウォーロックの居場所はキサマに聞くしかないわい」

 

 またもやハープの身に危険が迫る。クラウン・サンダーの手が、次は自分に向いた。だが、それで良い。ミソラの危険が回避できるのならば、これで良い。自分はやり遂げたのだ。徐々に強くなっていく目の前の光をじっと見ていた。

 ハープの目がそのすぐそばで動くものを捕らえた。年相応の、しかしまだまだ小さい体を必死に持ち上げ、安全柵を超えようとしていた。

 

「……ミソラ……?」

 

 クラウン・サンダーも背後の様子が気になり、振り返った。手の光が僅かに小さくなる。状況をつかめないハープに、ミソラはフードを都市風に煽られれながら語りかけた。

 

「ハープ、あなたはスバル君の時も助けてくれたわ。だから……」

 

 その表情に、恐怖なんて微塵も無い。その理由は、彼女が笑って告げてくれた。

 

「信じてるよ?」

 

 ハープは目を疑った。ミソラが体を宙を舞わせた。あの時と同じだ。ミソラを説得しようとしたスバルが、力尽きた時と同じだ。ミソラは大空へと飛び出していた。

 

「ミソラアアァァァッ!!!」

 

 思考なんて無かった。大地へと向かい、生の世界から去ろうとするミソラに飛びついた。一番起こってほしくない事態が起きようとしている。

 パーカーをなびかせ、大気を切り裂いているミソラはハープから目を離さず、微笑みを絶やさなかった。思っていた通りだ。やっぱり、全部嘘だった。短い時間ではあったが、ずっと一緒だったのだから。それくらい分かる。手を伸ばし、必死に向かってくるハープにミソラもそっと手を伸ばした。

 二人の手が触れあった。

 

「ハープ、行くよ?」

「……ええ」

 

 観念したように、ハープは頷いた。

 

「電波変換 響ミソラ オン・エア!」

 

 ミソラとハープからピンク色の光が発せられる。二人はピンクの光の塊と化し、形を崩し、交わる。一つの存在へと変わり、大地へと叩きつけられるはずだったミソラは、途中にあったウェーブロードへと、体操選手の様に華麗に着地した。

 

「ミソラ! あなた……」

「ハープの馬鹿!」

 

 「なんて無茶をするの!?」とハープが言う前に、ミソラが怒鳴った。出鼻をくじかれ、ミソラの説教が続く形なってしまう。

 

「なんで、なんで勝手にいなくなったりしたのよ!? 私、寂しくて!」

「ミソラ、だから私は……」

 

 だが、二人の会話に割り込む者がいる。上空から二人の前に躍り出て来た。

 

「ヤレヤレ、予定とは違ってしまったが……まあ、良いわい。我々が勝ったら、アンドロメダの鍵のために、ウォーロックの居場所を教えてもらうぞ?」

「ワシは戦えたらそれでよい。さあ、小娘! このワシを……クローヌ十四世を楽しませるのじゃ!!」

 

 降りて来たのは、ミソラの無事を見て、かいていた冷や汗をふき取るクラウンと、すでに戦闘態勢のクラウン・サンダーだ。どうやら、ハープ・ノートからウォーロックの居場所を聞き出すつもりらしい。クラウンは、ハープを庇った事からそこまで非道な人格の持ち主ではないだろう。交渉内容に、勝ったらと入れているあたり、先ほどの様な尋問は好きではないらしい。しかし、このクローヌと言う男は違う。相手が女だろうがお構いなしだ。

 そんな悪趣味な奴に、ミソラは容赦しない。なにより、こいつはハープを傷付けたのだ。

 

「ハープ、話は後。戦うわよ!」

「はぁ……もう、やるしかないわね!!」

 

 ハープも意を決し、ギュッと口をかみしめた。

 二人の孤独な戦いが始まる。



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第六十話.孤独な戦い

2013/5/3 改稿


 ミソラは宙を舞うように体をひねり、向かってくる奴らを睨みつけた。相手はそんなに大きくない。せいぜい、バスケットボールほどだろう。だが、危険な得物を片手に持っている。ドリルだ。持ち主と同じくらいの直径があり、鋭い切っ先がミソラへと向けられる。

 

「パルスソング!」

 

 オレンジ色のオーラを纏っているそいつは、音の塊に押しつぶされるように顔を歪ませて消滅した。だが、相手はこの一体では無い。消滅した奴の後ろから、今度は緑色をした、そっくりな奴がハンマーを振り下ろしてくる。めんどくさそうに攻撃範囲から逃れ、事なきを得た。

 こいつらの相手をしている場合じゃない。本当の相手はこいつらではないのだから。

 

「先ほどの威勢はどうした? 逃げてばかりではないか?」

 

 本来戦うべき相手、それはクラウン・サンダーだ。そのクラウン・サンダーは、防戦一方となっている非力な女戦士を嘲笑っている。それに合わせるように、先ほどから攻撃を仕掛けてきている髑髏達がケタケタと歯を鳴らす。本来眼球が入っているはずの穴を細めると言うおまけつきだ。先ほど消したはずのオレンジ色の髑髏も復活し、紫と緑の髑髏と一緒に笑っている。

 それが癇に障ったのだろう。ミソラはテレビカメラの前では絶対に出さない罵倒の表情を見せた。

 

「そっちこそ! 戦闘になった途端に自分から手を出さなくなったじゃない! 女の子を苛めることしかできないの! 卑怯者!!」

 

 ミソラファンが聞いたら絶望に沈むこと間違いなしの言葉の数々だ。だが、それだけミソラも頭にきていると言うことだ。ハープをあれだけ傷付けた奴が、自分から手を出さずに、手下である髑髏幽霊達に戦闘を任せている。これは卑怯者と言わずにはいられない。ミソラは仏では無いので、怒るのは当然の反応だ。

 

「カカカ! 何を言うか? これは(いくさ)じゃ!」

 

 だが、それを肯定するのが、クラウンと電波変換しているクローヌと言う男である。

 

「戦において、指揮官が前に出るなど言語同断。指揮官は安全な後方から指示を出し、前線にいる部下に敵を仕留めさせる。用兵の基本中の基本じゃ。卑怯者呼ばわりは敗者が自分を肯定するための良いわけにしかならぬわ」

 

 どうやら、彼は一対一で戦っていると言う考えでは無いらしい。この三色の髑髏達も彼の力の一部なのだが、あくまで一対四だと思っている様子だった。

 だが、結局自分から近づいてこないのだ。やっぱりミソラはクラウン・サンダーの行為を肯定したくなかった。パチンコを放って来る紫色の髑髏を攻撃しながら叫んだ。

 

「何が指揮官よ。自分から近づくのが怖いんじゃないの!? 臆病者!」

 

 髑髏三体の動きが止まる。一体一体が幽霊なのに冷や汗を流し、怯えるように両目の端を下げている。唐突な静寂にミソラとハープが硬直していると、髑髏三兄弟がクラウン・サンダーの元へと下がる。入れ替わるように、ノシノシと司令官自らが後方から前線へと出てきている。用兵の基本はどこへやらだ。

 

「臆病者は聞き捨てならぬな。よかろう。ここはワシが相手をしてやろう」

 

 今度はクラウン・サンダーが癇に障ったらしい。

 

「指揮官さんは、安全な後方で指示を出すんじゃなかったの?」

「カカカ、指揮官同士が戦う一騎打ちと言うものもある」

 

 ピッと立てた人差し指の先にバチバチとエネルギーが溜まりだす。ビー玉程度だった球はあっという間に巨大化し、彼の顔ほどまで大きくなる。

 

「古来より、一騎打ちは馬上で剣や槍を振るうと言う接近戦が主であった。だが、キサマは遠距離戦が得意であるのだろう? 特別じゃ。同じ土俵で戦ってやるぞ、小娘」

 

 クラウン・サンダーにあるのは怒りではなく、余裕だった。それが尚更ミソラの怒りを煽る。

 

「さっきから……ううん。昨日のジャミンガーだってそう。私を小娘小娘って、皆で馬鹿にして! 私だって戦えるんだから!」

 

 乱暴にコンポを召喚し、精いっぱいの弾丸を撃ち放った。

 

「ショックノート!」

 

 力の限りに二つのエネルギー弾を放つ。しかし、彼女の精いっぱいはクラウン・サンダーにとってはおままごとだった。マントを翻し、華麗な横っ跳びだ。避け切った直後に指先の雷を空に向かって放った。

 

「フォールサンダー!」

 

 人差し指から解放された電気は五本の落雷となりハープ・ノートに降り注いだ。避け切れず、そのうちの一本に捕まってしまう。

 

「きゃあ!」

 

 回避しようと動いていたところに攻撃を受けてしまったのだ。転ぶように地に伏せる。

 

「カカカカカ! 一騎打ちはワシの勝ちじゃ! どうじゃ、臆病ものに敗北した気分は?」

 

 今度はぐうの音も出ない。ただ、悔しさで瞳を滲ませることしかできない。

 小娘相手に勝ち誇っているクローヌに、クラウンが呆れたように語りかけた。

 

「クローヌよ。そろそろ良いじゃろう?」

「うむ……まあ、小娘にしてはなかなか楽しめたわい。ほめてつかわすぞ。じゃが、そろそろ終わりにしてやろう」

「……あまり乱暴にはするなよ? ワシの趣味では無い」

 

 クラウン・サンダーがぱちりと指を鳴らすと、一騎打ちを見守っていた髑髏三人衆がユラユラと近づいて行く。オレンジ色の炎に身を包んだ髑髏が、ドリルの先を突きつける。

 

「さあ、ウォーロックの居場所を言え!」

 

 これから始まるのは戦では無い。尋問だ。ミソラとハープは身をこわばらせた。だが、ハープは自分の身に掛る痛みに怯えているのでは無く、ミソラが傷つくことを恐れていた。

 

「ごめんなさい、ミソラ。また、私のせいであなたを傷付ちゃうわ。本当に、ごめんなさい」

 

 ウェーブロードに鼻先を押し付けるように俯いていたミソラの目が、ハープと合った。たまらず、ハープは負い目を感じて目を逸らす。

 

「なにそれ? ハープ、そんなこと気にしていたの?」

「え?」

「もしかして、ハープが出て行った理由ってそんなことだったの?」

 

 ハープは逸らしていた目をミソラに合わした。

 

「そんなって……だって、私があなたの側にいたら、怪我させたりしちゃうから……」

「それはハープのせいじゃないよ」

 

 フォールサンダーの強力な雷の作用で、ミソラの体は自由に動かせない。それでも、ハープと面と向かって話そうと首に力を入れる。

 

「怪我をするのは私が弱いからだよ。だから、ハープが気にすることじゃないよ?」

「で、でも、私がいるから……ミソラは戦っちゃうんじゃない!」

「フフフ、ハープもあのジャミンガーと同じだね。被害妄想強いよ?」

 

 これから尋問を受けると言うのに、ミソラは笑ってみせた。それだけハープの言い分がおかしかったのだろう。

 

「私は戦いたいの。スバル君の力になりたいし、私の手の届く範囲で誰かを守れるのなら、守りたい。ハープのおかげでその方法も範囲も増えたんだよ。だから、私はハープと一緒に戦えることが嬉しいの」

「こんなことになっても?」

 

 二人を囲む、それぞれの武器を持った三体の髑髏に目を移す。後方で様子を窺っているクラウン・サンダーの指示を待っている様子だ。

 

「うん。でもね……私はあの人の悪趣味に付き合うつもりはないよ?」

「ほう? では、ウォーロックと……そのスバルと言うのがウォーロックの相棒であるな? そやつらの居場所を吐く気になったのだな?」

 

 クラウン・サンダーが確認の意味を込めて尋ねてくる。だが、彼は勘違いしている。ミソラは彼の予想を上回る頑固者であり、良い意味で諦めが悪い。

 

「言うわけないじゃない! スバル君は今、自分と戦ってるの。邪魔なんてさせないわ!」

 

 スバルは自分のトラウマを超えようと戦っている。今はとても大事な時だ。このような男にスバルの邪魔をさせたくない。それに、場所を教えると言うことは片棒を担ぐと言うことだ。ミソラにできるわけがない。

 ミソラの健気な言葉にハープは瞼と唇を噛み締めた。ミソラの言った言葉が、ハープを駆け巡る。

 クラウン・サンダーは呆れたように額に手をやる。

 

「やれやれ……小娘、キサマには、敗北者には選択肢が無いと言うことを教えてやらねばならぬな」

「負けてなんかないわよ!」

 

 答えたのはハープだった。ギターの首を捻じ曲げ、ミソラに振り返った。

 

「私達はまだ負けてない! そうでしょ、ミソラ!?」

「ええ、ハープ! 私、まだ戦えるわ!」

 

 痺れる手足を必死に支え、平たいウェーブロードに必死に足を引っ掛けるようにして立ち上がる。

 

「ハープ」

「なあに?」

「スバル君は私を助けようと必死になってくれたわ。きっと、今みたいに辛かったはず。だから、私だって、ここで倒れてなんていられないわ!」

「うん、うん……」

「だからね……私、勝ちたい!」

 

 髑髏達に囲まれ、獲物を向けられている。ここから希望を見出すなど、普通ならできるわけがない。だが、今のミソラにはハープがいる。ミソラの気持ちを受け入れてくれたパートナーがいる。

 

「この人に勝って、今度は私がスバル君を助ける!」

「ええ、やりましょう、ミソラ! 私たちならきっとできるわ!」

 

 現実が見えていない二人に、クラウン・サンダーは完全に呆れたようだ。

 

「夢を語るのは結構。だが、今は現実を見るのだな、小娘」

 

 馬鹿にした目で小娘を見る。そこで認識を改めた。彼女の瞳を見たからだ。

 

「小娘じゃないわ」

 

 強風一つで曲がってしまいそうな細い体で、相棒を抱えて佇んでいるのは小娘では無かった。

 

「私は……私達はハープ・ノートよ!」

 

 戦場(いくさば)に佇む、一人の戦士だった。



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第六十一話.戦う芸術家

2013/5/3 改稿


 舞い上がる爆炎は、昼過ぎを告げる陽の光を受けてさんざんと輝き、花弁のように散っていく。その向こうに広がる光景は予想と違わぬ光景だった。

 

「なんだ、やはり小娘か」

 

 結局は同じだった。どれだけ高い志を掲げても、力の差を覆す要因にはならなかった。フォールサンダーを受けたハープ・ノートはだらりと右腕を垂らしながら、かろうじて立っている。飛んできたパチンコ玉を倒れるように避け、左足で体を支える。休む間もなく、右足で地を蹴ろうとする。寸分遅く、背中を掠めながらオレンジの髑髏が通り過ぎた。焼けるような痛みが彼女の悲鳴を誘う。しかし、それを懸命に飲み込み、油断していたクラウン・サンダーにパルスソングを命中させた。身動きの自由を奪い、新たに攻撃を仕掛けようと身構えたハープ・ノートの体は大きく宙を舞った。邪魔してきた緑の髑髏にパルスソングを放つ。簡単に避けられ、疲労だけが積み重なっていく。

 

「さあ、いい加減にウォーロックの居場所を教えよ! そうすれば見逃してやるぞ?」

 

 息を切らせ、立ち止まってしまったハープ・ノートに、痺れが取れたクラウン・サンダーが降伏を促す。ドリルを構えた髑髏が少し距離を詰める。手の得物が持ち主のオレンジ色のオーラをギラリと反射し、残虐さを際立たせる。

 この状況で自分が助かる可能性を提示させられれば、誰もがここで口を開いてしまうだろう。だが、ハープ・ノートは絶対に口を開かない。

 

「まだ……負けてないわ……」

 

 頑固にもほどがある。これでは、諦めが悪いのではなく、状況を分析できない愚か者だ。そして、クラウン・サンダーは寛大な人間では無い。むしろ逆、己の欲望に忠実な人間だ。手をさっと上にあげると、オレンジの髑髏は銀色の三角錐を前にかざし、距離を詰めて来た。このままハープ・ノートの柔肌を傷付ける気だ。だが、その動きは直線で簡易だ。横に飛べば相手は空を滑空しているだけだ。しかし、退路に向かって飛んだハープ・ノートを狙い撃つのが緑の役目だ。避け切れず、木槌に弾かれた。

 ハープ・ノートは非力だ。だから、手数で勝負する他方法がない。放った音の力で相手の動きを封じ、そこを起点にたたみかける様に攻撃の荒らしを見舞うのだ。

 しかし、クラウン・サンダーの動きを制限しても、自由に動ける髑髏達が邪魔をしてくる。先に邪魔な髑髏達を処理しようにも、奴らは小さく、すばしっこいため、撃ち落とすのは困難だ。一度落としても、しばらくすれば復活してくる。じり貧な戦いを強いられていた。クラウン・サンダーはハープ・ノートにとって、相性の悪い相手だと言える。

 ハープ・ノートが勝つためには、クラウン・サンダーと髑髏達の両方を無力化する必要がある。だが、それが簡単にできるほど、相手は甘い相手では無い。

 武器が欲しい。音を放つ力だけでなく、別の武器が……戦う術が欲しい。肩に食い込む玉に負けず、迫ってくるオレンジの髑髏にショックノートを撃ち放つ。しかし、その動作の間は足の動きがどうしても鈍る。攻撃を避けられたと悔しさに表情を歪ませた直後、足を射抜かれた。疲労でおぼつかなくなっていたハープ・ノートは絶好の的だった。膝を折り、ウェーブロードに片手をついた。緑の髑髏が止めを刺そうと近づいてくる。黙ってやられるつもりなんて無い。パルスソングを放った。

 

「……あ……」

 

 空を駆けていく音符を見て、ハープが唐突に何かを思いついたようだった。激闘の中に溶けてしまいそうな小さい呟きを、ミソラは聞き逃さなかった。足に力を込め、隣のウェーブロードへと飛び移って距離を取る。

 

「どうしたの?」

「ミソラ……あのね?」

 

 思いつきだ。自信なんて無い。しかし、このまま敗北が見えた戦いを続けるのも馬鹿らしい。だから、ハープはミソラに提案した。

 女の子の内緒話なぞ、戦場に生きるクローヌにとっては、うっとうしいことこの上なかった。

 

「ええい! 往生際が悪いぞ! やってしまえ!」

 

 いらつく主人の顔色をうかがいながら、三体の髑髏はそれぞれの得物を持って、ハープ・ノートのいるウェーブロードへと飛び移ってくる。

 

「うん、やってみよう!」

「でも、上手く行くかは……」

「このまま負けるくらいなら、試してみよう?」

「……ええ!」

 

 その間に、ハープの提案を聞いたミソラは明るい笑みを見せていた。ハープも笑って返し、きっと前方を見据える。

 頭上から襲い掛かるハジョウハンマ―は巨像の足を思わせる。退路を塞ぐようにイカクボウガンとトツゲキランスが左右から挟み撃ちにしてくる。だが、それでも退路はちゃんとある。後ろだ。ハープ・ノートはウェーブロードから飛び降りた。

 それがクラウン・サンダーの狙いだった。

 

「これで止めじゃ! 小娘!!」

 

 彼は頭上に手をかざし、落雷を生成した。翼の無いハープ・ノートは空中で動くことができない。フォールサンダーがハープ・ノートを飲み込もうと襲い掛かる。

 だが、ハープ・ノートだって地から両足を離すことのデメリットすら理解している。こんな危険な行為に出た理由は、空で動く術をハープから提案されていたからだ。

 

「サウンドボード!」

 

 足元に向かって、左手で音量を調整しながら右手で弦を強く弾いた。召喚されたのは音符だ。しかし、いつもの丸い塊では無く、板状になっている。それにゆっくりと足を乗せた。コトリと反力の音が鳴る。それは音がミソラを受け入れた証。

 

「いっけえ!」

 

 ハープ・ノートの思いに応えるように、板は空気を裂いた。彼女の言霊がそのまま力になったかのように、世界を駆けた。見当違いの場所を黄色の帯群が落下していく。

 これは、ハープが今日見かけたスカイボードから発想した技だ。音の上に乗り、それを自在に操れれば、ハープ・ノートは自らが放つ音と同様の速度で飛べるはずだと考えたのである。実際はそこまで速くない。しかし、ウェーブロードから離れ、自在に空を動けるこの技は、ハープ・ノートの新たな力の方向性を示していた。

 サウンドボードでクラウン・サンダーの攻撃を軽くいなしたハープ・ノートは、ビルに見下ろされた空間を自由自在に舞ってみせた。頬を撫でる風が心地よい。太陽の光を受けて笑みを振りまくその姿は、背中に羽があれば立派な戦場の天使だ。

 

「小癪な! 戦場で遊ぶとは何事か!?」

 

 だが、クラウン・サンダーはそんなもの望んでいない。天使をはたき落そうと、次々とフォールサンダーを放つ。紫の髑髏にはイカクボウガンを放たせ、援護を促した。

 ハープ・ノートはボードを自在に操作し二人の攻撃を寄せ付けない。まっすぐに進んでいたと思えば、鋭いターンを描いて見せる。描く軌跡はUの字になることもあれば、LやZのようになることもある。彼女が進む方向は上下左右と軌道を読ませない。クラウン・サンダーが攻撃を当てるのは至難の業だった。

 攻撃に集中していたため、クラウン・サンダーは足がお留守になってしまっていた。だからとっさに動けなかった。ハープ・ノートがパルスソングを放った事に気付いてもだ。まともに顔に受けてしまう。

 それがさらに焦りを誘う。一撃当てるだけだ。一撃当てるだけでハープ・ノートは撃ち落とせる。落としたところで、待機させている残る二体に、ハジョウハンマ―とトツゲキランスを命じればそこで終わりだ。流石に今度は彼女も耐えられないだろう。だが、その一撃が一向に当たらない。

 対し、ハープ・ノートはクラウン・サンダーの怒りを避けつつ、ウィンクと共に音弾を返してあげる。

 攻撃を外し、反撃を受けてしまう。その度にクローヌの苛立ちが募っていく。

 

「イカクボウガン! もっと放たぬか!」

 

 次の音符をかろうじて避けながら、クラウン・サンダーが怒鳴る。喝を入れられた紫の髑髏は疲労を表情に浮かべる。憐れんで見ていた残り二体。しかし、彼らも同じ運命をたどる。

 

「お前達も行くのだ! 仕留めろ!」

 

 とばっちりを受け、身をこわばらせた二体はそれぞれハンマーとドリルを持って空に飛びだした。ハープ・ノートとの追いかけっこが始まり、歌の天使が幽霊二体と戯れる奇怪な絵が出来上がる。

 オレンジ味のキャンディー色の道が頭上を過ぎていく。このまま進めば、足とボードが次のロードに引っかかってしまう。ボードを吸いつかせるように足を曲げて回避すると、今度は真正面に道がある。大きく方向転換し、斜め上へと上昇する。ハープ・ノートを狙っていたオレンジ色のオーラを纏った髑髏は、勢い余って顔しかない体をウェーブロードに衝突させた。少し遅れてやって来ていた緑の方は、慌てて急ブレーキをかけて、彼の代わりに追いかけ始める。しかし、一度止まってしまった彼と違い、ほとんど減速せずに、常に移動している彼女との距離は大きく開いてしまった。

 四人がかりで一人を追い込むが状況は好転しなかった。理由は簡単だ。緑とオレンジの髑髏の働きは無駄なのだから。彼らは飛んでくるフォールサンダーとイカクボウガンを気にしながらハープ・ノートを追いかけなければならない。加えて、紫の髑髏も味方に当たらぬように配慮しなければならない。お構いなしに攻撃するのは、怒りで視野が狭くなっているクラウン・サンダーだけだ。

 ならば、ハープ・ノートは雷にだけ注意を払えばいい。その分、反撃のチャンスも増える。クラウン・サンダーの頭上でループを描くように反転し、更に一発音弾をお見舞いしてやった。戦況はハープ・ノートに傾きつつある。追い詰められているのはクラウン・サンダーの方だ。笑みをこぼすハープ・ノートと顔を黒く染めるクラウン・サンダーがその証拠だ。

 豊富な戦闘経験を持つはずのクラウン・サンダーは冷静を欠いてしまい、この状況に気付かない。遂には、紫の髑髏を蹴飛ばして空中サーファーを追わせるしまつだ。紫の髑髏からすれば、落雷と障害物を避けながら標的を追いかけ、狙いを定める。彼一人が背負う労力が更に増え効率が悪い。ときおり、ウェーブロードが標的との間に入ってくるため、なおさら攻撃のチャンスが無い。司令官の判断ミスが連なり、髑髏トリオの働きが空回りしている。ハープ・ノートへの攻撃は乏しくなり、彼女の反撃は益々激しくなっていく。

 

「ショックノート!」

 

 軽快な動きに翻弄されるクラウン・サンダーの死角にコンポを召喚し、自分がいる場所とはまるで違う方角からの攻撃を行う。

 その隙をついたパチンコ玉が飛んでくる。攻撃をする際、どうやっても隙はできてしまうため、そこを狙ったのである。先ほどもこの隙をつかれ、足を射抜かれた。

 例外に漏れず、ハープ・ノートはボードの操作をある程度怠ってしまう。しかし、空を滑っているボードが減速するわけではない。軌道は単純になるが、それを狙い撃つのは決して簡単では無く、紫の髑髏が放った弾はかすりもしなかった。よって、クラウン・サンダーの悶絶だけが木霊する。

 降り注いでくる音符の雨にたまらず、クラウン・サンダーはビルの中へと飛び込んだ。その部屋は会社のオフィスだった。所狭しと机と人がつまった事務所だ。人には見えず、触れられない周波数に変えているため、クラウン・サンダーの姿は見えていない。社員達はいつも通りに仕事をしている。

 それらをすり抜け、部屋の中央で一息つく。直後、後頭部を突き飛ばされ、机の中に埋もれた。もちろん、すり抜けている。攻撃してきたのは言わずもながらハープ・ノートだ。同じ場所に留まるのは標的になるだけの危険な行為。すぐに廊下へと飛び出した。その場所にはすでにハープ・ノートがギターを構えていた。側面からの攻撃に倒れながら、ハープ・ノートの姿を確認しようとする。行儀の悪いことに、彼女はビル内で未だにサーフィンをしていた。

 クラウン・サンダーはすぐに気付いた。ここは、彼女にとって有利な地形だ。電波体である彼女も壁や人をすり抜けられる。ビルの壁など、お互いに合って無いようなものだ。互いの視覚を遮るものでしかない。この状況下では、相手の視覚の内に現れて攻撃し、すぐさま視覚の外へと逃げる戦いが基本となる。ならば、高速で動き回れるハープ・ノートの方が有利だ。しかも、クラウン・サンダーは横にしか動けないため、壁に隠れることしかできない。対し、ハープ・ノートは縦横無尽に動けるため、天井も隠れ蓑として使うことができる。

 ここまでの内容を理解するのに、一秒もかからなかった。この辺りは、彼の戦闘経験の豊富さがうかがえる。次にするべき行動を選択したと同時に、頭上からの攻撃に身を悶えた。全身に音のエネルギーが走り、体が痺れる。体を引きずるように、ビルの外へと走り出す。

 

「あら? 小娘相手に逃げるの?」

「ええい! 戦略的撤退と言え! わざわざ不利な状況で戦う必要はないのだからな!」

 

 悔しさを隠しきれない背中にまた攻撃が加えられる。熱いし悔しい。しかし、勝つための最善の方法はこの状況からの離脱だ。勝ちに執着する戦人であるクローヌは判断を誤らなかった。ビルの窓をすり抜け、ウェーブロードに立って振り返る。クラウン・サンダーが出て来た場所から見て、斜め下からハープ・ノートがボードに乗って飛び出してくる。

 

「かかれ!」

 

 (あるじ)と逸れていた髑髏三人衆が合流し、攻撃を仕掛ける。まず、攻撃範囲の広いハジョウハンマーが攻撃に出るが、軽くかわされてしまう。そこを、イカクボウガンが狙い撃ちにする。ハープ・ノートは先ほどのビルの角に弦を伸ばし、そこを中心とするように弧を描いて、華麗に方向転換をして見せる。さらに、待機していたトツゲキランスが飛びかかる。ハープ・ノートは弦もボードも切り捨て、宙でバク転しつつ、コンポを進行方向上に召喚する。その側面を足首だけで軽く蹴る。それだけで、身軽な体は再び空へと舞い上がる。その様は、蝶が散歩しているようだ。

 髑髏三兄弟の攻撃をかわしきり、ウェーブロードからクラウン・サンダー達を見下ろした。

 

「お疲れ様です!」

 

 アイドルの時に培った明るさたっぷりの作り笑いだ。小娘ごときにおちょくられている事実が、クラウン・サンダーの手をわなわなと震えさせる。怒りのままにフォールサンダーを落とすが、ハープ・ノートのサーフィンにかわされるだけだ。

 

「ええい! 三方から囲め!」

 

 途端に髑髏トリオが息の合った動きを見せ、あっという間にハープ・ノートを取り囲む。右前にはドリルを持ったオレンジが、左前にはハンマーを振り上げた緑が、真後ろにはパチンコを構えた紫がいる。

 

「一斉攻撃!」

 

 緑とオレンジが距離を詰め、紫は弾を放った。ここはウェーブロードでは無く空だ。足に翼を得たハープ・ノートはそれを捨て、重力に身を任す。頭上では、二人の髑髏が顔面をぶつけ、さらに弾を撃ち込まれると言う悲惨な始末だ。すかさず、クラウン・サンダーはフォールサンダーを放った。容赦のない雷が衝突していた二人の髑髏を巻き込んでハープ・ノートに牙を向ける。だが、かんじんの標的は再びサウンドボードを展開し、雷の滝の周りで踊って見せた。

 絶好のチャンス故に二体の髑髏を犠牲にした。にも拘わらず戦果は無い。クラウン・サンダーは苦虫を噛んだように歯を食いしばる。髑髏達は消えていなくなることは無いが、再び召喚できるようになるまでは時間がかかる。これでは彼のある致命的な弱点をカバーできない。焦りが更に積もる。その弱点がばれない間に、相手が気付く暇も与えないようにと更に落雷を激しくする。

 しかし、ハープ・ノートはビルの後ろに回り込んで視界から消えてしまった。敵を見失うのは敗北の大きな要素だ。それは、先ほどビル内で戦った時に嫌と言うほど味わった。焦りが次の焦りを生み、クラウン・サンダーの思考を惑わせる。

 

「こんにちは!」

 

 ピッと元気よく手を上げたハープ・ノートが目の前に舞い降りた。元気いっぱいの笑みだ。たじろぐクラウン・サンダーに向かって零距離でパルスソングを撃ち込んだ。度重なる攻撃でぼろぼろになっている相手に追撃を仕掛ける。しかし、言葉でだ。

 

「あなたの戦い方を観察させて貰ってたけれど、あなたも遠距離タイプよね?」

 

 ギクリと身がこわばった。もうとっくに気付かれていた。

 

「なにが『同じ土俵で戦ってやる』よ。あなただって接近戦が苦手なんじゃない」

 

 アングリと口を開き、冷や汗を流しているクラウン・サンダーに、ミソラはにっこりと意地悪く笑って見せた。一方、ハープは一騎打ちのことを思い出し、暴言を浴びせておいた。

 クラウン・サンダーが自ら行う攻撃はフォールサンダーだけだ。普段も部下の髑髏達に攻撃させ、自らは後方に下がっている。どう考えても、接近戦が得意な奴の戦い方では無い。

 攻撃が当たらないことにいらだっていた時も、遠距離戦にこだわっていた。先ほど彼が言った通り、戦いにおいて、追い詰められた者がわざわざ不利な状況下で戦うなんてことはしない。歴戦の戦士ならばなおさらそんなミスは犯さない。そして、今目の前にいるハープ・ノートに攻撃してこないのが良い証拠だ。一騎打ちの時の台詞も、自分に有利な状況下で戦うために、言葉巧みにしかけた作戦だったのである。

 ハープの悪態に言い返せず、悔しさが口から漏れて来る。抑えることを止め、暴言と共に吐きだした。

 

「う、うるさいわい! 有利な状況を作るのは戦の常、勝利の秘訣よ! イカクボウガン!」

 

 遠く離れていた紫の髑髏がようやく駆けつけた。パチンコを構え、自慢の射撃の腕をみせる。ハープ・ノートは落ち着いてマシンガンストリングでクラウン・サンダーをがんじがらめにした。

 

「んな!? 馬鹿者! よさぬか!?」

 

 弦で巻き寿司にされたクラウン・サンダーの後ろに回れば、立派な盾の完成だ。ぺろりと舌を出すハープ・ノートの前方で悲鳴が上がる。どうやらしっかりと役目を果たしてくれたらしい。

 盾に隠れながら、その両隣にショックノートの砲台を置く。主に攻撃してしまい、動揺していた最後の髑髏を、安全な場所からなんなく撃墜した。

 

「さて、あなたはこの距離で……しかもこんな状態で使える攻撃手段はあるのかしら?」

 

 ダルマになって立ち尽くしているクラウン・サンダーに向き直る。真っ白だったはずの髑髏は、あちこちが黒く染まっている。今や黒色のほうが面積が広い。きらびやかな緑のマントもところどころ破れてしまっている。見るも無残な格好だった。

 

「ば、馬鹿な! 戦上手で知られた、このクローヌ家の14代当主であるワシが……なぜ?」

 

 どこまでも勝利にこだわる姿勢は逆に清々しかった。だから、ミソラも今は情けを捨てた。

 

「これで終わりよ、ミソラ!」

「ええ! パルスソング! ショックノート!」

 

 自身の攻撃に巻き込まれぬように、素早く距離を取る。ハープ・ノートの全力が無数の音符となり、敗北と言う現実を見ようとしない頑固者に襲い掛かる。

 

「こんな小娘に……なぜじゃあああぁ!?」

「小娘じゃないわ。私は、戦う芸術家(アーティスト)!」

「その名前は!?」

 

 ハープがミソラの乗りに乗って聞き返し、二人は高らかに叫んだ。

 

「「ハープ・ノート!」」

 

 爆炎が悲鳴を飲み込み、立ち上る。二人の勝利を祝福するように。




 ハープ・ノートが原作で一度しか使わないボードを戦闘で応用してみたのですが、色々と失敗だったかなと思うところです。
 もっと、スピード感のある文章や、迫力のある雰囲気を出せなかったのかと心残りです。


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第六十二話.意外な結末

2013/5/3 改稿


 都市風が煙を払いのける様を、ハープ・ノートはじっと見つめていた。もうクラウン・サンダーは立っていないだろうが、一応攻撃の姿勢をとっておく。目を凝らし、浮き彫りになって行くウェーブロードの様子をうかがっていた。

 煙の中に黒い影が見えた。雲の上に王冠が乗っかったシルエットだ。その下には人影が見える。ウェーブロードに生身の人間が立つことは無い。つまり、まだクローヌの電波変換が解けていないことに他ならない。

 

「ミソラ!」

「ええ!」

 

 ハープが警戒を促し、ミソラは二つのコンポを斜め前方に召喚する。すると、煙の中から雲の方だけが先行して出て来た。

 

「そう、身構えるな。もう降参じゃ」

 

 冠座のFM星人、クラウンだ。ご丁寧に雲の一部が手を形作り、降参のポーズを取っている。

 

「なあ、クローヌ?」

「うむ」

 

 煙に隠れてしまっているため、大まかな輪郭しか見えないが、クローヌも同意見だった。どうやら、彼の辞書にはちゃんと降参の文字が合ったらしい。ハープ・ノートがコンポを消すと、彼も安心したように手を下した。前に進み出て。その姿をあらわにする。

 

「キャーーー!!!」

 

 ミソラは元アイドルだ。ちょっとやそっとのアクシデントでは動揺しないし、こんな悲鳴は上げない。だが、目の前に現れた彼は、ちょっとやそっとの存在では無かった。

 クローヌはとっくに電波変換を解いていた。それにも関わらず、彼はウェーブロードの上にいる。なにより、彼の姿が異常だった。クローヌの背中には数本の矢が突き刺さっていた。体に食い込んでいる長さから見ても、明らかに致命傷だ。顔色は悪く、血が通っていないかのようだ。真っ青な顔でニヤニヤと笑いながら歩み寄ってくる。何より、一番異常なのは体が半透明なことだ。

 

「ま、まさか……幽霊っ!?」

 

 突きつけられた幻の存在に気が動揺し、手と唇が震える。いや、足も含めて全身が痙攣するようにガクガクと振動している。ハープも唖然として声が出ない。そんな二人にクローヌは高らかに笑って見せた。

 

「カカカ、思った通りの反応をしてくれるわい」

 

 頭皮がむき出しになってしまった頭をぺちぺちと叩き、クローヌは改めて自己紹介した。

 

「改めまして、お嬢ちゃん。ワシはジャン・クローヌ・ヴェルモンド・ジョルジョワーヌ14世である。お嬢ちゃんのファンであるぞ!」

「……へ?」

 

 最期の言葉は聞き間違いだと感じた。当然だ。先ほどまで戦っていた相手にファンだと言われても戸惑わないような、神経の太い者などいないだろう。しかし、歌手として音感を鍛え上げられたミソラの耳が、聞き間違いなどするわけがなかった。

 

「えっと……今、なんて?」

「お嬢ちゃんのファンである!」

 

 黒いサングラスから覗く瞳が、キラキラと眩しい光を放つ。頭の天辺だけが禿げあがった金色の髪と合わさり、需要の無い光景となってしまっている。

 

「あ、ありがとう……クローヌさん」

 

 ぞっと背筋が凍ったが、ここは作り笑いで返すのがアイドルだ。条件反射で笑って返して見せる。無理やり作った表情がぎこちなかったのは言うまでもない。

 

「クラウンの呼び方を真似して、クローヌでもよいぞ?」

「あ、はははは……」

 

 幽霊に自己紹介される経験は、これから五十年以上は生きるであろうミソラの人生において、これっきりのはずだ。貴重な体験にもかかわらず、たまらずに数歩後ずさってしまった。

 ハープがひそひそと、逃げるように促してくる。そうしたいのもやまやまだが、問題を解決していないのでそうするわけにもいかない。

 

「お嬢ちゃんは最高じゃ! かわいいし、歌も上手いし、強い! ワシの戦に渇き、荒んだ心を潤してくれた! なんて刺激的! もう、ワシはメロメロになってしまったわい!」

 

 ルンルンと鼻歌を歌いながら、両手を頭上にあげて高速回転している。

 全部聞き流しておいた。クローヌのテンションについて行けないからだ。こんなファンは今まで何人かいたが、目の前で、一人で、ここまで騒がれるとちょっと辛い。多分、最後の攻撃で頭をぶつけてしまい、ちょっとおかしくなってしまったのだろう。きっとそうだ。そうだと決めつけよう。そっちの方が気が楽だ。

 だからだ。ここは、ちょっとずるいが彼の心をもてあそばせてもらおう。戦いでは無く、交渉で決着がつくのならそれに越したことは無いのだから。それに、早く用事を終わらせて立ち去りたい。

 

「だったら……もう、FM星人側につかないでくれますか?」

「もちろんじゃ! さっきのような、お嬢ちゃんの歌が聞けなくなるなんて嫌じゃからのう!」

 

 FM星人側に付くと言うことは、地球を潰すと言うこと。それは、ミソラも消えると言うこと。ハープを見つける時に歌った、ミソラの歌がもう聞けなくなると言うことだ。欲望に忠実な幽霊は二言返事でミソラの言葉を承諾した。もう、このお爺さんは大丈夫だろう。できれば、その他者に理解しがたい、テンションに任せたスピンも止めてもらいたい。

 だからだ、もう一人を懲らしめなければならない。ずっと黙って成り行きを見ていたクラウンを見上げた。彼もミソラの視線に気付いたのだろう。目の高さまで降りてくる。

 

「もう、悪さはしないで。そうしたら、見逃してあげるから」

 

 地球を攻撃しているFM星人だ。ここで消滅させるのが一番確実で安全な方法だ。だが、ミソラは優しすぎる。確かにハープを酷い目にあわせた憎い相手だ。しかし、消えて良いとまでは思えない。だから、彼が改心してくれるのならば、今回のことは水に流そうと考えているのである。

 

「……条件がある」

 

 電波人間であるハープ・ノートが、電波体のクラウンを始末するのは簡単だ。いま、クラウンは命を握られている側だ。それにも拘わらず、彼は静かに細い目を閉じて、逆に条件を突き出してきた。よほど譲れぬ内容なのだろう。ミソラとハープもそれを理解し、落ち着いた雰囲気を纏っているクラウンが何を言い出すのかと、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「……サインをおくれ……」

 

 空気を読んだ一陣の風がその場を通り過ぎた。春まっさかりなのに肌寒い。瞼を大きく開き、目が真っ白になったミソラとハープはヒョコリと首を傾げた。

 

「実は、ワシ……ミソラちゃんのファンなんじゃ!!」

 

 真っ白だった雲が紅に染まった。電波体に血液があるのかは定かではないが、彼は告白したことにより、血圧が急上昇している様子だった。

 人間からファンだと言われたことは多々ある。辺り一面からその言葉を投げかけられるので、聞いた数はカウントできないほどだ。しかし、FM星人から言われるとは思っていなかった。

 

「この通り、ミソラちゃんファンクラブDにも入会しとるんじゃ」

 

 顔を恥ずかしさで隠しながら、ピラッと電子データでできたカードをみせて来た。

 ハープは唖然とした。旅行会社に勤めているデンパ君が見せたものと同じだご丁寧にクラウンの顔写真が貼ってある。

 驚いたように見ているミソラを気にせず、クローヌがテンションを上げる。

 

「おお、そんなモノがあるのか! 入るぞ! ワシも入るぞ!」

「うむむ!? クローヌ、やはりお主はわしのパートナーじゃ!」

「もちろんじゃ、友よ!」

 

 騒がしいおじいさん二人を見て、ミソラとハープは力無く笑い合った。

 

 

 老人二人はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。通信販売専用ナビから購入したお酒のデータを飲みかわし、友の誓いをしているところだ。データを飲むため、クローヌは電波変換してクラウン・サンダーになっている。

 

「周波数が合うとは分かっとったが、ミソラちゃん好きまで合うとはのう!」

「うむ、これはワシの宝物じゃ!」

 

 クラウンがミソラのサイン入り会員証を持ち上げ、月明かりに照らして見せる。その字が怯えた様に小さく震えているように見えるのは、クラウンが酔っているからだろう。

 

「ワシも入りたかったのう……」

「仕方なかろう。ミソラちゃんファンクラブDは電波体しか入れんのじゃから」

 

 クローヌは人間の幽霊だ。人間世界で未だに勢力を増しているミソラのファンクラブはもちろん、電波世界のクラブにも入れない。

 

「ミソラちゃんを慕う気持ちがあれば、皆同士よ!」

「嫌じゃ! ワシはクラブに入りたいのじゃ! 仲間外れは嫌じゃ!」

 

 子供のように駄々をこねるクラウン・サンダーの絵は、あまり気持ちの良いものではない。長年、幽霊として一人彷徨って来た彼にとって、仲間外れは辛いことらしい。

 クラウンは、どうやってクローヌを静かにさせようと頭を捻っていた。しかし、それは必要なかったらしい。クローヌは前触れもなく、勢いよく立ちあがった。

 

「そうじゃ! ワシがファンクラブを作ってしまえばよいのだ!」

「作るって……もう、人間世界にも、電波世界にもミソラちゃんのファンクラブはあるぞ?」

 

 尋ねてくるクラウンに、クローヌはニヤリと笑って返して見せた。




 アニメ版のクラウン・サンダーはキャンサー・バブルと同じくミソラファンです。この小説では、クローヌと共にファンになってもらいました。
 ノリで動く三枚目キャラって書いてみたかったんです。ちょいとキャラを崩し過ぎたかなと思っています。


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第六十三話.二人の決意

「じゃあ、育田先生は復帰できるんだね\(゜▽゜)/」

 

「うん。校長先生も折れたよ(^^)b あの時の光景、ミソラちゃんにも見せてあげたかったな~」

 

 おじいさん二人から逃げるように立ち去ったミソラは、無事に家に帰宅した。帰宅した時は夕方だったが、今の時間帯は夜だ。戦闘の疲れもあり、スバルとのメールが終われば、すぐにベッドへと潜り込んだ。もちろん、ハープも一緒だ。

 

「おやすみ」

「ええ、おやすみ」

 

 すぐにミソラが夢の中へと落ちる。その横顔をハープはじっと見ていた。

 ミソラは自分が必要だと言ってくれた。だから、彼女のそばにいるつもりだ。だが、こんな扱いで良いのだろうか? 自分は、彼女が歌わなくなってしまった原因だと言っても過言では無い。そんな自分が、彼女のそばで笑っていても良いのだろうか?

 その思考は中断される。うめき声が聞こえたからだ。どうやら、今晩は早々にあの夢を見てしまっているらしい。

 

「い、行かないで……」

 

 違った。毎晩彼女のうめき声を聞いていたハープはすぐに分かった。彼女はうなされているとき、暴走する自分を抑えるために「止めて」とは言うが、「行かないで」などと言わない。

 

「行かないでよ……ママ……」

 

 どうやら、母を亡くした時のことが夢に出ているらしい。夢の内容は違っても、自分にできるのは頭を撫でてあげることだけだ。

 

「スバル君……スズカ……」

 

 母と重ねて、スバルとスズカを思い出しているらしい。彼らを亡くした夢なのだろう。慰めようと、そっと手を伸ばした。

 

「ハープ」

 

 ピタリと手を止めた。ミソラの顔を窺う。タヌキ寝入りではない、本当に寝ている。寝るふりをすることは簡単だ。しかし、全身から冷や汗を流しながら、痙攣するように震えるなど、簡単に演じれるものではない。これができる者など、一流の俳優でもそうはいないだろう。目元から零れ落としている涙は、彼女には似合わない化粧となっている。ぽたりと枕に落ちゆく雫は、月明かりを浴びて一瞬の宝石と化した。

 

「ごめんなさい、ミソラ……」

 

 そこに、ハープの宝石が重なる。

 

「あなたにとって、私は……もう、家族だったのね?」

 

 ミソラは母を失い、大きな心の傷を抱えている。ハープがしでかしたのは、その繰り返しだ。たった一人の家族を失うと言う、ミソラのトラウマを呼び起こしてしまった。

 ハープの双瞼が悲しみに伏せられ、頬に一筋の川が流れる。

 

「……いや……一人にしないでよ……ハープ……ハープ……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 自分の愚かな行為を受け止め、ハープはミソラの頭を抱きしめた。

 

 

 翌、明朝。この時間は、夏ならば蝉が活動を始めるころだろう。だが、今は五月。蝉の騒音に悩まされる日々はもう少し先だ。代わりに、雀たちが眠そうに翼を動かしている。

 ハープはベイサイドシティのとあるスロープの上にいた。小高い丘の上に建ち並ぶ、マンション群に向かうために設けられた道路だ。いつもはここを乗用車が走るのだが、サラリーマン達が出勤する時間にはまだ少し早い。今は塗装が少し禿げた白いガードレールの上に腰かけている。

 

「ねぇ、眠いよハープ。なんでこんなところに来たの?」

 

 隣にいるミソラは空に向かって口を大きく開いた。ちょうど、水平から45度の角度だ。90度下にずらせば、じゃっかん霜がかかり、陽の色に染められた街全体が見渡せれる。

 

「ミソラ……」

 

 景色を楽しんでいたハープは、ミソラの不満顔に向き直った。無理やり叩き起こされた上に、理由を教えられずにここまで連れてこられたのだから、その不満顔は相当なものだ。背負っているギターのディスプレイは鏡の役割を果たし、桃色になって膨らんだ頬が映っていた。

 そんなミソラに微笑みながら、ハープは提案した。

 

「ここで歌ってみない?」

「……え?」

 

 予想もしていなかった言葉に目を丸く開いた。内容を理解し、ゆっくりと首を横に振った。

 

「ハープ、言ったでしょ? 歌う意味を見つけるまでは、私は歌わないよ」

 

 ハープを探すために歌ったのは特別だ。だから、今度こそ歌わないとミソラは改めて決意を固めていた。

 

「いつまで?」

「いつまで? って……見つけるまで……」

「いつ見つかるの? どれだけ時間をかける気なの?」

「どれだけって……」

 

 今度は何も言えなくなってくる。

 

「自分から見つけに行かないと、いつまでも見つけれないわよ。少なくとも、今のままじゃ見つけられるとは思えないわ」

「……なんで?」

「歌を歌う理由を、歌わずに見つけるなんてできないわ。スバル君が学校に行って、学校に行く理由を探しているようにね?」

 

 気になっている彼の顔が思い浮かぶ。

 

「だから、こっちからドンドン歌いましょ! あなたが歌った時、それを受け入れてもらった時、きっと、あなたの歌う理由が見つかるわ!」

 

 笑って励ましてくれるハープは、朝を告げる光を浴びて頼もしく輝いていた。それでも、ミソラは渋ってしまう。

 歌わないと言う決意は、誤った道を進んでしまった自分を戒めるものだ。その決意を自分で破ってしまったら、また道を外してしまうかもしれない。自分と言うものを見失ってしまうかもしれない。

 春の朝は、まだまだひんやりとした風を届けてくる。ミソラの頬を撫で、フードをパタパタと鳴らしてくる。その隅で、道の端に投げ捨てられた空き缶が風に煽られてみすぼらしく坂道を転がって行く。

 

「勇気を出して! ミソラ。私がいるから」

 

 俯くミソラの顔を両手で挟み、ハープは顔を覗き込んだ。

 

「これからどんなことがあっても、私はいつでもあなたのそばにいて、あなたと一緒に歩いて行くわ」

 

 指の無いハープの手は無機質なほど丸い。しかし、そこにはっきりとある温もりでミソラを包み込んでくれる。その上に、そっと手を重ねた。

 

「……ハープ……」

 

 一度目を閉じ、大きく息を吸い込む。ちょっと冷たい春の空気が、ミソラの心を満たし、落ち着かせていく。ゆっくりと、吐きだした。

 

「ハープ、私……」

 

 瞳をのぞかせたミソラを見て、ハープは強く頷いた。

 

 

 だるそうに体を起こした。昨日も仕事が遅くまであった。真夜中に帰って来たため、汗を流して寝るしかでき無かった。遊ぶ時間も無く、もう会社に行かなくてはならない。一人暮らしには辛い。サラリーマンの敵はストレスなのだと改めて認識し、カーテンを開いた。

 

「あれ?」

 

 続けて窓を開いた。聞き間違いじゃない。向かいのアパートの住人も顔を覗かせていた。目が合う。今まで似たような状況はあっても、互いに無視していたが、今日はそれがむず痒かった。お愛想程度に頭を下げ合った。

 

「曲ですかね?」

「ギターですよね?」

 

 二人がそう話していると、隣の部屋の住人まで顔を出した。寝ぼけているようで、かけた眼鏡が傾いている。

 

 

 ピックが踊り、弦が楽しそうに跳ねまわる。リズムに乗って足と体を揺らす。大丈夫だ。引退するまでは、毎日練習していたのだから。舞台も屋内から、とても広い屋外へと変わっただけだ。人生最大の舞台に向かって、声を張り上げた。曲はミソラの代表曲、「ハートウェーブ」だ。

 既に会社へと向かっていた男性は足を止めた。透き通るような声に肩を掴まれたような気分だ。

 別の男性はナビに命じ、車を止めた。聞いたことのある曲だったからだ。道端に車を寄せ、外に出た。すると、真似するように数台の車が彼の隣に駐車した。

 散歩をしていた主婦は、愛犬の反応から気付き、耳を澄ました。

 気付けば、街中にいる人物は足を止め、あちこちの民家やアパートやマンションの部屋から顔が覗いている。そこに、世代の壁は無かった。

 もう、皆が気付いていた。引退したあの子だ。国民的アイドルだったあの子だ。もう、聞くことは無いと諦めていたあの歌声だ。

 ギターを下ろし、ほっと一呼吸ついた。途端に街が揺れる。あの静かだった街の朝とは思えない。早朝からのサプライズイベントに街の住人達は天をひっくり返すかの如く興奮していた。

 ギターからハープがすっと出てくる。自らの力を使い、ミソラが奏でる歌を街全体へと届けていた彼女は、満足げにその光景を眺めていた。

 

「ハープ」

「なあに?」

 

 一応尋ねたが、返ってくる答えにはだいたいの予想が付いていた。朝日をも飲み込む碧色の太陽があったからだ。

 

「ありがとう。私、見つけられたかもしれない……私が歌う理由……」

「フフ、当然のことをしただけよ。ポロロン」

 

 ミソラは広がる世界に目を向け、誰にも見えないハープと共に手を振った。

 

 

 

断章. 二人の戦い(完)




注意:後書きが()長いです。

 ミソラとハープが本当の意味でパートナーとなるまでの物語、いかがだったでしょうか?
 ミソラとハープってどんな風に仲良くなったのだろう? 今章はそんな疑問から生まれたお話しでした。クラウン・サンダーもこのお話に交えたかったため、敵キャラとして登場してもらいました。もちろん、これからは仲間キャラになります。
 ミソラとハープ、それぞれの葛藤とすれ違い。ハープ・ノートが原作で一回しか使わなかったボードを戦闘で応用する。など、オリジナリティを組み込んだ物となりました。反省するところが多々あります。やっぱりオリジナルって難しいですね?
 あ、この六十四話でミソラが歌っていた歌は、アニメのOP曲です。ミソラが歌っていると言う公式設定なので、オリジナルじゃないです。

 なぜ、このようなオリジナルストーリーを入れたのかと言うと、コンプレックスがあったからです。
 私以外の流ロク作者様の作品は、オリジナルストーリーです。自分でストーリーを考え、敵キャラを作り、その世界を描いています。
 対し、私は原作に沿って書くだけです。オリジナルではなく、借り物ストーリーです。原作のキャラや雰囲気をできる限り壊さぬようにしたり、アニメ要素を盛り込んでみたり、原作を愛する皆さんに楽しんでもらえるように私なりのアレンジを加えたりしています。
 しかし、どこまで行っても借り物です。
 だから、自分で作ってみたかったんです。オリジナルストーリーを。今回、断章と言う形で加えさせていただきました。コンプレックスを解消できたかはちょっと分かりません。ほんと、一から物語を考えている皆様は凄いって、心から感じます。

 断章はいかがでしたか? 皆さん、楽しんでいただけましたか? 少しでも楽しんでいただければと思います。

 断章にお付き合いくださり、ありがとうございました。



補足(2013/11/13追記)
ミソラが歌うシーンにアニメ版のOP曲、ハートウェーブの歌詞を載せていました。
しかし、ある読者から著作権侵害に値するのではないかと指摘を受けました。
ゲームの著作権を持つカプコン。
アニメ版の著作権を持つ小学館。
音楽の著作権を管理するジャスラック。
三社に問い合わせたところ、著作権侵害であることが分かりました。
著作権使用料を支払う申請をすると同時に、歌詞を削除しました。

指摘くださった方、ありがとうございました。
二次創作を書く身でありながら、最も大事な著作権を軽んじ、侵害してしまいました。
読者の皆様にもご迷惑をおかけしてしまったことを、この場を借りて謝罪させていただきます。

大変申し訳ありませんでした。


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五章.愛のカタチ
第六十四話.三つの夜


2013/5/3 改稿


 シャンシャンと軽快な、でも優しい音達が部屋を駆け巡る。そんな彼らに包まれながら、スバルはベッドにごろりと寝転び、右手に持った平べったい物体を見ていた。四角いそれはプラスチックで構成され、表面のビニルの裏側には綺麗にプリントされた紙が閉じられている。スバルはそれをじっと眺めていた。

 

「おい、スバル。今日は宿題が終わったらずっとそうしてるじゃねえか? そんなにミソラに会いてえのか?」

「そ、そんなわけないでしょ!?」

 

 ウォーロックに指摘され、お約束通りに首の付け根まで真っ赤にしたスバルが起き上がる。トランサーから流れている曲はミソラのものだ。そして、ずっと見ていたのは、ついこの間買ったミソラのCDのパッケージだ。スバルはそこに写っているミソラを、無意識にじっと見ていたのである。

 ゲラゲラ笑っているウォーロックに枕を投げつける。しかし、投じられた物体は電波の体をすり抜け、壁にポスンと空しい音を立てるだけに終わった。スバルの目の前では、今も両手を顔の横でぶらつかせ、舌を出してからかっている異星人が宙に浮いている。

 スバルが悔しそうな表情を浮かべたとき、トランサーが鳴り出した。タイマー機能のアラームだ。

 それを止めている間に、ウォーロックがトランサーへと戻った。

 

「ロック、行くよ!」

「おう!」

 

 

「ただいま」

 

 カードキー式の鍵を開け、玄関へと押し入る。木彫りの装飾がフレームとなった鏡に、柔らかそうな絨毯、壁に掛けられている油絵は一般の家庭ではまずお目にかかることのない品々だ。それらに脇目も振らず、少女は靴を脱いで部屋の奥へと突き進む。予想通り、返ってくるのは彼女の足音だけだ。それでも、リビングへのドアを開けて一言付け加える。

 

「ただいま」

 

 返事は光だった。センサーが彼女の存在を認知し、ご丁寧に明りをつけてくれたのである。鬱陶しいほど明るい照明の下で、少女は深く息を吐いた。

 

「やっぱり、今日も仕事か……」

 

 彼女の両親は共働きだ。けっして家庭の懐が乏しいわけではない。大金持ちとまでは言えないが、両親の収入はこの国の水準を遥かに超えている。ただ、彼女の両親は根っからの仕事人なだけなのである。

 二人の仕事は、企業が行うイベントや企画を代理で引き受けるクリエイターだ。彼女の記憶が正しければ、今はヤシブタウンのデパートから、客寄せのイベントを依頼され、それに着手しているところだ。公開を始めたばかりなのにもかかわらず、かなりの人気が出ているらしい。まだまだ、仕事は忙しくなると思われる。

 

「……分かってるわ、しょうがないのよ」

 

 冷蔵庫の引き出しを開け、冷凍食品を二、三個取り出す。電子レンジに放り込み、慣れた手つきでダイヤルを回す。後五分もすれば夕飯の出来上がりだ。この家の造りから見て、ふさわしいとは言えないお粗末な光景だ。

 オレンジ色に染まる箱の中に興味を示すこともなく、ポケットから一枚の紙を取り出した。そこには青いヘルメットに茶色い髪をした人物の似顔絵が描かれている。一本一本の線が細かく描かれており、小学生の落書きとは遠く離れている。この絵に、彼女がどれだけ思いを入れているのかはよく分かる。

 

「ロックマン様……」

 

 描かれているのは彼女の憧れの人である。最近、寂しい時は自分で描いたこれを見て気を紛らわしている。コンクールで金賞を受賞した腕を惜しみなくつぎ込んだ傑作である。彼女にとって、数少ない心の寄りどころだ。

 だが、この絵は未完成だ。ところどころ、線が途切れており、完成まであと一歩と言うところだ。彼女の腕前なら後三十分もあれば充分に描き上がる。しかし、彼女はそれをしない。描こうとしても、手が動かないのだ。

 理由は分かっている。あの少年だ。学芸会の日以来、時々彼の横顔が浮かんでくる。ロックマン様の絵を描こうとすると、どうしても彼が出てきて彼女の手を止めてしまうのだ。

 ヒーローとは遠くかけ離れたモヤシごときに、何を感じているのか? 悪い病気にでもかかっているのではないかと自分を疑ってしまう。

 そんな事を考えながら見ていると、夕飯の完成が告げられた。絵をしまい、白い湯気が立ち上げているそれらをテーブルに並べる。もうすぐ、家庭教師用のティーチャーマンが来る時間だ。それまでにこれらを食べきってしまわなければならない。

 いそいそと箸でコロッケを掴み、小さい口に送り届ける。火傷しそうなほどほくほくとした甘みが広がる。だが、それは彼女の胸までは温めてはくれなかった。

 

 

 剣を振り下ろす。ロングソードに切り裂かれた蟹の姿をした電波ウィルスが消えていく。近づいてきた騎士の姿をした電波ウィルスの剣を掻い潜り、ポイズンナックルで粉々に打ち砕く。砲口から爆弾を放とうとしていた緑色の大砲には、その口にバスターを撃ち込んで仕留めた。背後から近づいて来ていた一輪バイクを振り向きざまに、モジャランスで貫いた。続いて、頭上から滑空してきた鳥を、タイミングを合わせてホタルゲリで仕留めた。

 静寂が響く。

 

「こんなところかな?」

「ああ、疲れただろ? 今日はこれぐらいにしておこうぜ?」

「うん」

 

 左手のウォーロックと相談し、今日の訓練を終えることにした。

 

「ねぇ……こんな訓練で、ヒカルに勝てるのかな?」

「……さあな。とりあえず、ジェミニは強い。ジェミニ・ブラックは俺達の予想以上だった。スターフォース無しでもある程度戦えるようにはならないと、話しにならねぇ。だから、できるかぎりのことはやっていようぜ?」

 

 スバルとウォーロックは忘れていない。あの戦いを。ジェミニ・ブラックとは三度戦い、二度敗北した。最後の一戦は勝つことはできたが、辛勝だった。次に戦って、勝てるという確証は全く無い。

 あの日から、二人はウェーブロードに上がってウィルスを退治する日々を送っている。だが、強くなっているという実感がわかず、不安と焦りだけが二人の背中を押す。

 

「FM星人達は地球を潰そうとしてるんだよね?」

「ああ、そうだ」

「なら……」

 

 彼はスッと眼下の光景を見下ろす。いつも通りの闇色に溶けそうなほどひっそりとしたコダマタウンだ。

 

「僕達が負けるって言うことは、この町が消えちゃうってことだよね?」

「……そうだな」

 

 ウォーロックの言葉を最後に、二人の会話が途切れる。スバルの茶色い双眼と赤いバイザーに、幾つもの光が点となって走る。ただ、唇を噛み締めるスバルを見て、ウォーロックも地球人達の世界を見下ろした。

 

 

 手のひらよりも小さい金色のお椀に白米を盛付け、そっと遺影の側に置く。背筋をまっすぐにのばして正座し、鈴を鳴らす。渇いた金属の音が鳴り響き、両手のしわを寸分無く合わせて目を閉じた。隣の電波体も白球の様な手を合わせて目をつぶった。彼女のパートナーである少女が三ヶ月間、毎日欠かさずに行って来た習慣である。

 

「ママ、私は今日も元気に生きています」

 

 これを言えるようになったのはつい最近だ。あの日からだ。

 

「それでね、ママ……」

 

 水色の電波体はチラリと片方の目を開けて彼女を見た。いつもと違う言葉が出て来たからだ。少女は顔を上げて瞼を開き、碧の瞳に遺影の中の母を映した。

 

「私ね……好きな人ができたみたいなの……」

 

 少女が考えることは、いつも母のことでいっぱいだった。しかし、いつからだろう。親友と遊びに行く少し前からかもしれない。ずっと、彼のことが頭から離れない。気づけば、四六時中彼のことを考えている。

 

「スバル君なんだ。前に話した、ブラザーになってくれた人……私を助けてくれた人よ」

 

 両手で左胸を抑え、高鳴る鼓動を確認する。

 

「これって……恋……なのかな? ママ?」

 

 

 ガバリと顔を上げた。

 

「どうした?」

「いや、なんか……胸がキュンとしたと言うか……ミソラちゃんのこと思い出したって言うか……」

「……病気か? 病院とかいうところに行った方が良いぞ?」

 

 ここで「恋か?」と聞かないあたり、ウォーロックが地球人の恋愛事情に疎いことが分かる。だが、当然と言えるだろう。彼は元々恋愛に興味が無い。ミソラのことを話題に出すのは、必ず動揺するスバルが面白いからだ。彼自身は恋愛と言うものが分かっていない。彼が興味を示すのは戦いと刑事ドラマ、スバルをからかうネタぐらいだ。

 

「そんなことよりも……この金、何に使うんだ?」

「僕の体をそんな事呼ばわりしないでよ」

 

 文句を垂れながらトランサーを開くと、負けないほどに瞼を開いた。

 

「な、何!? この金額!?」

「お前、今更気付いたのかよ?」

 

 そこには、小学生が持ち歩いていはいけない金額が示されていた。

 

「いつの間に!?」

「毎晩、ウィルスを倒していたからだろ?」

 

 電波ウィルスはなぜか電子マネーのデータを持ち歩いている。デリートしたときに残ったそのデータを、もったいないと言う理由でコツコツ回収していたのだが、その結果が数字となって示されていた。

 

「ところでスバル、この金でバトルカードを買おうぜ!? 南国も喜ぶぜ!?」

 

 ウォーロックには、「エクセレント的な!?」と騒いでいるサーファーの姿が目に浮かんだ。

 

「え? なんでバトルカード?」

「なんでって……ジェミニの野郎と闘う時、強いカードがあると有利じゃねぇか?」

 

 ウォーロックの言うとおりである。戦いのために戦力増強をしている今、最も賢い選択と言えるだろう。

 しかし、スバルを首を横に振った。

 

「やだよ」

「な!? なんでだよ?」

「だって、このお金があれば、ミソラちゃんのCDが買えるよ!」

 

 そう言って、彼は棚の上を指差した。そこには、三枚のCDが並んでいる。

 先日、ミソラのCDを買うことにしたスバルだが、まだコンプリートはできていない。理由は金額が高いからだ。引退した今も、ミソラの人気は衰えることを知らない。そんな人気歌手のCDの値段は一向に下がらず、小学生のお小遣いでは買いそろえることはできない。先日、「ミソラちゃんファンクラブ」の会員であるゴン太とキザマロに相談し、比較的安く売っているCDショップに連れて行ってもらった。しかし、それでもミソラのCDの値段はとてつもなく高い。簡単に手を伸ばせる金額では無かった。

 

「これだけあれば、全部買えるよ!」

 

 キラキラと星を瞳に秘めている呑気なスバルに、ウォーロックは目を吊り上げた。

 

「CDなんざいつでも買えるだろうが!」

「嫌だよ! いつ売り切れちゃうか分からないんだよ!? ミソラちゃんの人気ってすごいんだから!」

「バトルカードだっていつ売り切れるか分からねえぞ!」

「カードなんて、いくらでも出回ってるよ! それに、買っても使わなかったらもったいないよ。だから、CDだよ! CDだったら絶対に聞くし」

「CDこそいくらでも出回ってんだろうが! CDよりもカードだ! 買っても戦闘じゃ使わねえだろ!」

「CDだよ! どうしてもそろえなきゃ!」

「歌なんざどうでも良いだろうが!」

「ガサツ星人には、地球人の歌の良さなんて分からないよ!」

「分かりたいとも思わねえな! だいたい、てめえが好きなのは歌じゃなくてミソラだろうが!」

 

 途端に耳まで火照らせ、スバルはウォーロックに掴みかかった。

 

「そ、そんなんじゃないよ! この曲だって、歌詞全部覚えたんだよ!」

「ミソラに気に入られてえからか?」

「曲が好きだからだって言ってるだろ! 自分だってハープがいるくせに!」

「馬鹿言うな! あいつはただの口うるせえ顔なじみだ!」

「本当に? 怪しいな~?」

 

 スバルは責める方向と趣向を変えてみる。以前から、ウォーロックとハープの関係については気になっていたこともあるからだ。しかし、この作戦は失敗した。どうやら、先ほどのウォーロックの言葉は本音だったらしい。

 

「ああ? ミソラのストーカーが何言ってんだ? てめえの方がよっぽど怪しいだろうが!」

「だから、あれは不可抗力だって言ってるだろ!」

「でもストーカーだろうが! ストーカー!」

「ストーカーじゃないよ!」

「なら、バトルカード買え!」

「なんでそうなるんだよ! 嫌だ! ミソラちゃんのCDを買うんだ!」

「カードだ!」

「CDだよ!」

 

 ウォーロックが周波数を変え、人間に触れる体になり、いつの間にか取っ組み合いの喧嘩になっていた。

 互いに一歩も引かない子供じみた我儘な喧嘩。それの遥か上空で月がおおらかに笑っていた。




 この小説はスバミソで展開します。今章からも……むしろ、この章からその趣向が強くなります。それでも構わないと言う方、どうぞお付き合いください。


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第六十五話.学校生活

 空の主役が月から太陽へと替わっている時間に、スバルはもう一つの月とご対面していた。

 

「毎日毎日、この私を待たせるなんて、いい度胸してるわね?」

「別に、迎えに来てくれなんて頼んでないよ」

 

 眠気と鬱陶しさを交えた眼差しを彼女に送り、スバルは口から睡魔を振り払った。同時に目元に生まれた涙を指先で拭う。

 

「委員長は君のことを心配してくれてるんですよ?」

「そうそう。またお前が『学校に来なかったらどうしよう』ってな」

 

 ゴン太とキザマロがルナの後ろで腕を組んで「うんうん」と頷いている。ゴン太の足を蹴飛ばしたい気持ちに駆られるが、ここは我慢しておいた。

 

「フフフ、ルナちゃん、ゴン太君、キザマロ君、毎日ありがとう」

 

 息子と対照的にほほえみを送ってくれるあかねに、三人はピンと背筋を伸ばす。ゴン太とキザマロは美人なお母さんを相手にしているためか、頬を少し桃色に染めている。

 

「任せてください!」

「俺たちに任せてくれよ!」

「僕達、友達ですから!」

 

 玄関先で、見送ってくれるあかねに頭を下げ、三人は連行するように、スバルを引っ張って行った。

 四人の背中を見送ったあかねは、目に笑みを込めながらフゥと息を吐きだした。どうやら、息子は学校でうまくいっているらしい。個性的ではあるが、三人の友人に囲まれている。息子が話してくれた内容からすると、ツカサと言う少年とも仲が良いらしい。

 彼女の望みどおりだ。息子に友人ができた。晴れ渡る空の下で、彼は友達と一緒に学校へ行っている。

 だが、彼女の望みとは少し違った。自分が求めているのは息子に友達ができることだ。だが、それはあかねが最も望んでいる結果へ導くための一つの手段でしかない。

 

「大吾さん……あの子、未だに笑ってくれないわ。あの頃の様に……」

 

 三年前を思い出した。あの頃のスバルは当たり前のよう笑っていた。辛いことが合っても、年相応の無邪気な笑みを見ているだけで、あかねは励まされてきた。

 笑ってくれればいいのだ。あの頃の用に、見ているだけでこっちも笑いたくなるようなあの笑みを、また自然に……。

 

 

 スバルは舌を打ちたくなった。まだ眠い彼の頭に、ガンガン響いてくるゴン太の声にだ。無駄にでかいため、異星人すら耳を塞いでいる。

 

「まったく、スバルは寝ぼすけだな?」

 

 おまけにバンバンと背中を叩いてくる。彼の太い鞭は細身には応える。

 

「ゴン太、あなたが人のこと言えるのかしら?」

「毎朝、委員長と僕で起こしに行ってますからね?」

「げぇ! 委員長! キザマロ! ここは黙っていてくれよ~」

 

 どうやら、自分のことを棚に上げていたらしい。大きい体でおどおどするゴン太と、言い合いを始めるルナとキザマロの様子を見て、スバルは眉を吊り下げた。逆に、口元は少しだけ吊り上がっていた。

 トランサーから、フンと鼻を鳴らす音が聞こえた気がした。

 

 

 教室につき、クラスの皆におはようと言い、隣の席のツカサと昨日のテレビの話を始めた。

 休み時間にミソラのCDを聞いていると、「ミソラちゃんファンクラブ」のメンバーであるゴン太とキザマロが嬉しそうに話しかけてくる。すると、ルナとツカサも楽しそうに会話に加わってきた。どうやら、二人はゴン太とキザマロほどではないが、ミソラの曲が好きらしい。この事実を知って、スバルの気分が少し軽くなった。

 

 

 二時間目の授業の途中、スバルの肩がちょいちょいと叩かれた。顔を右に向けると、ツカサが申し訳なさそうに両手を合わせた。

 

「ごめん、ファイルが壊れたみたい……」

「もしかして、教科書が見れないの?」

「うん。見せてもらっても良いかな?」

「もちろん」

 

 感謝しつつ、ツカサはスバルの隣に座って、共に卓上の電子パネルを覗きこんだ。

 

 

 ゴン太が吠えて、キザマロが一生懸命になる時間と言えば、給食の時間である。

 ゴン太は余った給食を平らげようと、教室の前に並べられた配給用の鍋に向かう。大きい体で器用にスキップしているため、すぐ近くにいたルナはガタガタと揺れる椅子と机に顔をしかめた。

 そんなやり取りが教室前方で行われているころ、後ろ側では給食を食べ終えたキザマロが教室から出ようとしていた。

 

「あれ? 今日も出張?」

「はい、今日は2-Bに欠席者がいるらしいので、行ってきます!」

 

 これから、2-Bの教室に行って、余った牛乳を貰いに行くのである。カルシウムたっぷりのこの白い液体を、一本余分に飲もうという魂胆らしい。身長について切実に悩んでいることがうかがえた。

 

「後で、購買で合流しましょう?」

「うん、後でね?」

「スバル君も頑張ってくださいね?」

 

 キラリと意地悪そうにメガネが光る。それを見送り、スバルは真っ青になった。よりによって今日の給食のおかずは肉じゃがだ。定番とも言えるニンジンが点在している。トランサーから、ウォーロックがどうするのかと観察しているが、結果はある程度見えていた。

 スバルの顔は正面を向いているが、茶色い瞳だけがスーッと横にずれる。その先にいた人物が視線に気付いた。

 

「なに?」

「ツカサ君、ごめん。頼んで良いかな?」

「良いよ。気にしないで」

 

 ツカサは身をかがめ、スッと器をスバルに差し出す。ルナに見つからないように、スバルは素早く差し出された器にニンジンを放り込んでいく。残せばルナが鬼のように怒ることは目に見えている。アマケンの時は見逃してくれたが、学校に来てからは容赦が無い。一通り放り込み、糸こんにゃくとじゃがいもの森をかき分ける。どうやら、もう奴らはいないらしい。最後に、大きい肉の塊をおまけしておいた。

 

「良いの?」

「良いの。ニンジンのお礼」

「ありがとう」

 

 女の子をいとも簡単に落としてしまいそうなスマイルを返し、ツカサは再び給食に戻る。ツカサが喜んでくれたことに満足し、スバルは肉じゃがに箸を突っ込んで持ち上げた。その中に、糸こんにゃくを被っている、まだ一個だけ残っていたニンジンを見て、ゲェと口角を下げた。左手でガタガタと大爆笑しているウォーロックにいらつき、トランサーを机に軽くぶつけておいた。

 

 

 給食を食べ終えたゴン太に連れ去られ、キザマロと合流するために購買に向かった。売店の窓口に座っている理事長のおばあちゃんと、その友人であるおじいさんに頭を下げたら、男だけでドッチボールだ。ツカサも足が治っているので、ちゃんと参加している。

 ちなみに、スバルはゴン太と肩を並べるエースである。皆は口をそろえて「意外」と言うが、当然だろう。飛んでくるゴム球など、キグナス・ウィングの羽弾やリブラ・バランスの火球に比べたら、文字通りおもちゃだ。痛いを恐れて逃げ惑う皆と違って、スバルは真正面からそれを受け止めている。

 チームバランスを考慮して、スバルとゴン太は毎回別のチームになっている。しかし、結局最後は二人の一騎打ちだ。ゴン太の剛腕から放たれるボールは中学生にも劣らない。スバルが負ける要素などまるでない豪球だが、毎回スバルが勝ってしまうとつまらない。そのため、彼はときどきわざと負けてあげている。今日は勝ちを譲ってあげた。

 チャイムが休み時間の終了を告げてくる。ふんぞり返っている調子の良いゴン太に、キザマロと数人の男子が「ゴン太様」と、ふざけて相手をしている。スバルはツカサに励まされながら、肩を並べて教室へと戻った。

 

 

 放課後、王様だったゴン太を待っていたのは鬼だった。

 

「な・ん・で! 宿題を忘れたのかしら?」

「ご、ごめんなさい……」

 

 数時間前にふんぞり返っていたゴン太様はどこにもおらず、ガクガクと怯えて縮こまっている少年がいた。ちなみに、小さすぎて分かりにくいが、彼の隣ではキザマロがとばっちりを受けている。怒るルナ、怒られるゴン太、二人の暴走に振り回されるキザマロ。いつもの三人の光景に、スバルとツカサはクスクスと笑っている。

 

「スバル君は掃除当番?」

 

 スバルが片手に箒を持っていることから、ツカサはそう予測したのである。

 

「うん。今日が初めてなんだ」

 

 それを聞き、ツカサがピクリと両肩を持ち上げた。

 

「そっか、じゃあね?」

「うん。じゃあね?」

 

 手のひらを振って、ツカサは足早に教室の出入り口へと向かった。廊下へと出ると、とたんに、一目散に走り出していた。校則違反をするなど、大人しい彼にしては珍しい。

 

「トイレにでも行きたかったのかな?」

「かもな」

 

 ウォーロックと軽く会話をした直後、ゴン太とキザマロの悲鳴が上がった。

 

「そ、そんな!?」

「なんで僕まで!?」

「男のくせに、ギャーギャーうるさいわよ!」

 

 スバルが振り返るのと、男二人の抗議が軽く潰されたのは同時だった。

 

「今日中に宿題を提出なんて、ゴン太一人でできるわけないじゃない! 私は学級委員長として、スバル君に掃除を教えなきゃならないわ! だから、キザマロ! あなたが手伝いなさい!」

「ひ~ん!」

「それは僕の台詞ですよ、ゴン太君!」

 

 珍しく怒って怒鳴るキザマロをよそに、ルナが一括する。

 

「早くなさい!」

 

 びくりと飛びあがり、二人は逃げるように教室を飛び出した。その光景を苦笑いで見送っていた。だが、ウォーロックがひそひそと嫌な事実を突きつけて来た。

 途端に、ツカサの行動の本当の目的が分かった。彼は危険地帯から避難したのである。危ないオーラを纏っているルナが近づいてくるのを見て、今日も宿題を忘れて来たゴン太に憎悪の念を抱いた。

 

「さてと……スバル君。掃除の仕方、ビシビシと教えてあげるわよ?」

 

 今度、ゴン太にやきそばパンでも奢らせようと固く誓った。

 

 

「星河、ちょっと良いか?」

 

 掃除の途中に、モジャモジャ頭が教室に割り込んできた。スバル達の担任教師、育田だ。この間まで入院していたとは思えないほどの元気な足取りでノシノシと近づいてくる。

 

「ちょっと、放送室へ来てほしいんだが、良いか?」

 

 「良いか?」と尋ねられても、教師に頼まれたのなら断るわけにはいかない。理不尽な内容ならば別としてだ。ルナに掃除当番を代わってもらい、スバルは育田について行った。



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第六十六話.侮れぬ男

 放送室の扉を開き、育田は中に足を踏みいれながら待ち人に謝罪した。

 

「お待たせしました。連れてきましたよ」

 

 後に続いたスバルとウォーロックは「げぇ」と言葉を漏らしそうになった。育田が近づいて行く相手は、二人からすれば関わりたくない相手だ。

 

「いやなんの。突然お訪ねしたにも関わらず、ご丁寧な対応に感謝していますよ」

「ハハハ。捜査に協力するのは当然のことですよ」

 

 頭から生えたアンテナを見て、相手が誰なのかを見間違えるわけがない。スバルとウォーロックは心底頭を抱えたくなった。

 

「久しぶりだね。星河スバル君」

「あ……どうも……」

「本官のことは覚えとるかね?」

「ええ、ヘイジのおじさんですよね?」

 

 そう、相手はサテラポリスの刑事、五陽田ヘイジである。視線を反らしながらスバルは答えた。

 

「君の家に上がった時以来なのに、よく覚えてくれていたね?」

 

 「そりゃあ、五陽田さんのキャラ濃いですから。あんなインパクトな登場されたら嫌でも覚えますよ」なんて言えず、渇いた笑みを返した。

 

「今日は君に訊きたいことが合ってね。先生に頼んで連れてきてもらったんだ」

 

 ごほんと咳払いして見せる。目元と口は笑っているが、瞳の奥は笑っていなかった。一つ一つの動作が、スバルを押しつぶすような威圧感を放っていた。おそらく、これは熟練の捜査官だからこそ出せるのだろう。戦闘とは違う質の圧迫感に息がつまりそうになる。

 

「本官は、現在ゼット波に関する事件を調査しているんだ。それは知っているね?」

 

 育田を隣に置いておき、五陽田はスバルと話を始める。まっすぐに反らすことなく、睨みつけるように向けられる眼差しはスバルの首をギュッと絞めつける。

 

「は、はい」

「その調査の一環として、この学校で起きた事件を調べていたんだよ」

 

 この話題が出た時、隣で見守っていた育田が表情をしかめた。やはり、責任を感じている様子だった。五陽田はそんな育田に気付いたが、仕事上この話を止めるわけにはいかない。

 

「すると、やっぱりゼット波が大量に検出されてね。コダマタウンで起きた二件の事件と、アマケンの事件と同様の事件だと判明したよ」

 

 コダマタウンの事件はオックス・ファイアが起こした火事と、ハープ・ノートの無差別攻撃のこと、アマケンの事件はキグナス・ウィングが天地を襲撃した時のことだ。

 サテラポリスは今まで調査はしていても目立った活躍はしていなかった。しかし、スバル達の知らぬところで着々と成果を上げていたらしい。少々驚きつつも、スバルは表情を押し殺した。

 

「そ、そうですか……けど、なんでそんな話を僕に?」

 

 当然の質問だった。そんな重要な調査内容の一部をスバルに話す必要などない。

 

「……自分は事件に関係ない……そう言いたいようだね?」

 

 だが、五陽田は否定した。今度は口元だけ暖かく笑って見せ、目は冷たくスバルを射抜いていた。

 

「アマケンの事件は君が訪問した日に起きている。学校の事件も、君が復学した数日後に起きている。そして、君は事件が起きたコダマタウンの住人。これでもまだ無関係だと言えるかい?」

 

 気がつけば、耳裏の血管がバクバクと悲鳴を上げていた。じっとりと首筋を汗が撫でる。トランサーの静寂がゾッと左手を冷やす。

 

「……何の、ことでしょうか?」

 

 平穏を装ってみる。しかし、声が微かに上ずっていた。五陽田の目をまっすぐに見れない。

 五陽田は感心していた。幾人もの犯罪者達を服従させてきたこの恐面は自慢だった。だが、手加減しているとは言えど、この少年は決して白状しようとしない。本来ならば泣き出したり、威圧感に負けて楽になろうと洗いざらい吐き出すところなのにだ。だから、五陽田はとっておきの情報を出して見せた。

 

「誤魔化すことはないだろう? それに、君にとっても良くないぞ?」

「……何も誤魔化してなんていませんよ」

「良いかね、スバル君。アマケンの協力もあって、つい先日判明したことなのだが……ゼット波の正体は、宇宙人なのだ!?」

 

 心臓が体を持ち上げた。唇の裏側で、歯がガクガクと軽快な音を鳴らし、指先から体温が無くなっていく。

 トランサーの中で、ウォーロックはひたすら息を潜めていた。こんなことをしても自分が発してるZ波の周波数が小さくなるわけではない。だが、少しでも気配を消したかった。

 

「その宇宙人は悪い奴らだ。人の孤独に付け込んで、とりついて、暴力的にさせるんだ」

 

 ここからはサテラポリスが独自に調べた調査内容だ。ずっと視線を足元に向けているスバルに語りかける。

 ウォーロックも生きた心地がしなかった。なぜそんなことまで分かる? もし、Z波の波長からここまで解読していたとするのなら、地球人の科学力は尋常ではない。自分が地球人に恐れを抱くなど思いもしなかった。トランサーを開かれても自分の姿が見えないようにと、適当に側にあったファイルを掴み、中身のデータ群を画面にまき散らした。これで、自分の姿は隠せるだろう。しかし、Z波は隠せない。もし、Z波を測定する機械を使われれば隠れきることはできない。ツーと汗が頬を撫でた。

 

「君もゼット波に関わっていると、その宇宙人たちにとり憑かれてしまうぞ?」

 

 心配を装った尋問だ。スバルの不安を煽り、情報を引き出す作戦だ。未だに五陽田の目から逃げ続けるスバルに肩を置こうと手を伸ばそうとする。

 

「ハハハッ! 宇宙人なんているわけないじゃないですか」

 

 冷たかった空気を笑い飛ばしたのはずっと側で聞いていた育田だった。大きな顔についた大きな口を全開に広げ、高々と声を上げていた。

 

「人にとりついて悪さをする宇宙人? そんな作り話、いまどきの小学生は信じませんよ。ハハハハハ!」

 

 ゲラゲラと真実を爆笑している。どうやら本当に作り話だと思っているらしい。

 

「いえ、育田先生。作り話では無く……」

「だいたい、この子がその事件に関わっているからって、小学生に何ができるって言うんです? 学校の事件は、私がおかしくなって学習電波の操作を誤ってしまったからです。アマケンの事件だって、職員が気の迷いから引き起こした事件だって言うじゃないですか。この子は無関係だと思いますよ?」

 

 「思いっきり事件に関わっています。っていうか、ある意味事件の元凶です」とスバルは心中で謝罪しておいた。

 事態の重さをまるで理解していない育田に、五陽田は反論しようした。しかし、途端に口を紡いだ。これ以上話をしても、今のスバルから情報を聞き出すのは難しそうだ。それに、自己主張しすぎて、育田から信用を失うのは得策ではない。育田の信頼を得つつ、機会を見てスバルを追い詰めるのが最も有効な方法だろう。そこまで考えて、話を切り上げることにした。

 

 

 放送室から出て深呼吸する。空気の配合は対して変わらないはずなのに、とても新鮮に感じられた。

 

「サテラポリス……あの五陽田っておっさん、侮れねえな」

「うん、そうだね」

 

 五陽田にロックバスターを撃ち込み、気絶させてデータを消去したことを思い出した。あの時は酷いことをしてしまったと思ったが、今思い返せば調査を遅らせることができて良かったと考えられる。

 

「もっと、警戒して行こうね?」

「おう」

 

 会話しながら5-A組の扉を開けた。

 

「遅かったわね?」

 

 かけられた高い声にぎょっと肩をすくめた。ルナが箒を片づけているところだった。

 

「あれ? 委員長いたの?」

「『いたの?』って何よ!? あなたの掃除を代わってあげていたのよ!」

 

 そうでしたと頭を下げた。

 

 

「全く……」

 

 そう言って、ルナはスバルを見た。自分の足元を見ながらおどおどとしているモヤシだ。なのに、あの時は彼を憧れの人と重ねてしまった。やっぱり、どうかしていたと頭を抱えて、もう一度彼を見た。

 

「え?」

 

 近づいてくる。ゆっくりとでは無く、駆け足でも無い、全力疾走だ。埃を掃ったばかりの床を全力で蹴とばして、スバルは自分に近づいてくる。

 

「な、何!?」

 

 答えるより早く、スバルは自分の腕を掴み、力任せに引っ張った。体が斜め下に大きく揺らぎ、スバルの方に倒れ込む。彼の腕に抱きこまれるように体が運ばれる。

 

「な、何すんのよ!?」

 

 急に男の子に引っ張られたのだ。頬を赤らめないわけがない。勢いのままに体を反転した。

 

「え?」

 

 目に飛び込んできた世界に、ルナは目を疑った。そこには長い柄の先に巨大な刃を取り付けた得物を掲げ、堂々と佇んでいる鎧を身につけた武者がいた。



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第六十七話.デンジハボール

2013/5/3 改稿


 手がグイッとさらに強く引っ張られた。現状を把握できてなていないルナはなされるがままに足を前に出す形になる。彼女の後ろで、ドンと斧が床に振り下ろされた。

 

「す、スバル君!? あれ何!?」

 

 当のスバルは答えている暇などない。突如目の前で実体化した電波ウィルスに彼も驚いているのだから。ルナを助けたのは、ロックマンだったころに培った条件反射だ。電波ウィルスから、戦えない存在を庇おうとしたのである。

 今は、ウォーロックの言うとおり、ひたすら逃げ道を走るしかない。先ほど斧を振り下ろした奴の周りに、別の電波ウィルス達が徐々に形作ろうとしている。

 

「逃げるよ!」

 

 驚愕しているルナの手をさらに引っ張り、スバルは教室のドアへと走り出す。

 

「な、なんで私がアナタなんかの言うこと聞かなきゃならないのよ!」

 

 ルナが憧れているのはロックマンだ。モヤシじゃない。掃除の仕方もろくに知らないモヤシごときに指図されるなど、現学級委員長であり次期生徒会長になる予定である彼女のプライドが許さない。モヤシに、強がりな文句をぶつける。

 モヤシは彼女を無視してドアをがらりと開け、廊下に飛びだした。直後、今度は彼が自分に体当たりをしてきた。押し倒そうとして来た一応雄に、悲鳴を上げようとすると、仰向けになろうとしている自分の目の前を何かが通り過ぎた。黒い塊が飛んできた方向を見ると、タコの姿をした怪物がいた。どうやら、教室の出口ではち合わせてしまったらしい。

 逃げようと、タコがいる方向の反対側を見る。だが、退路は無かった。ホタルに人の足の甲が付いた様な、化け物と言うにはちょっとかわいい顔つきをした輩が床と天井の中間付近を浮遊している。それも、二体もだ。

 絶望に足を竦ませるルナに、どなり声がかけられた。

 

「委員長、しっかりして! 僕に付いて来て!」

「な、なんでアナタにそんなこと!!」

 

 ひょろりとしたモヤシにしっかりしろなんて言われたくない。しかし、そのモヤシと目は自分と違い、怯えも動揺も一切無い。茶色い瞳は頼もしさを感じさせる。いつもとは逆に、こちらが黙らされてしまった。

 それをルナの返事と受け止めたスバルは真正面にいる肌色のタコに向かっていく。危ないと忠告しようとしたルナの双眼が大きく開かれた。タコが口を窄ませたのである。おそらく、先ほどの攻撃を放つつもりなのだろう。

 

「逃げて!」

 

 頭を抱えて身をかがめ、必死に彼の無事を祈る言葉を叫んだ。ルナの視界がスローモーションになる。タコの口からは予想通りに墨の様な弾が放たれた。スバルにまっすぐに向かっていく。

 しかし、スバルは棒立ちでは無い。タコの攻撃を予測していたように、左に大きく跳躍していた。空中で右足を伸ばし、左足は折りたたみ、右手で支えた左手をまっすぐにタコへと向ける。

 

「バトルカード! サンダーボール!」

 

 トランサーから一筋の光を送り出し、バトルカードの情報をタコへと届けた。途端にタコの姿が瓦解し、粒子群となって溶けて行った。スバルは廊下の端にスタリと着地し、その様を見届ける。その横顔は、モヤシとは程遠い、キリッとしたものだった。

 一連の動きをあの人を重ねてしまう。ドキリとルナの胸が跳ねた。

 

「委員長! 早く!」

 

 また手を引っ張られた。だが、手を握られているのに文句の言葉が出ない。舌が回らず、引っ張られるがままに、エレベーターへと走り込んだ。

 全力で『閉』ボタンを押すスバルの視線を追う。さっきのホタルのような奴らが、白い羽をはばたかせて接近してきていた。

 

「キャー! は、早く閉めなさいよ!」

「やってるよ!」

 

 怯える少女の視界が徐々に灰色の壁で覆われていく。ドアがちゃんと遮断と言う役目を果たしてくれた時、二人は大きく息を吐きだした。

 

「……で、どこに逃げるの?」

「学校の外だよ。決まってるだろ?」

「わ、分かってるわよ! アナタが間違った判断しないか、心配だっただけよ!」

 

 嘘である。最後に付け加えた余計な一言にむかついたため、何も考えていなかったことを隠しつつ、モヤシに文句を垂れたのである。

 そうしている間に一階に着いた。スバルに連れられる形で、様々な姿をした化け物達の死角をつきながら走り抜ける。歩きなれたはずの廊下をこんな風に進むなど思いもよらなかった。

 そんな事を考えながら玄関に着く。しかし、そこには大量の化け物達がいた。とても通り抜けれそうにない。スバルの提案に従い、素直に来た道を引き返した。

 

 

 化け物達の目をかいくぐり、一つの教室の中へと二人は身を潜めた。

 

「どうするの?」

 

 この事態を把握しきれないルナは、ただおろおろとすることしかできない。不安そうな彼女に、スバルは無慈悲な答えを出した。

 

「委員長はここにいて」

 

 くるりと踵を返すスバルの背中に、ルナは掴みかかった。しかし、ゴン太やキザマロに見せる威厳ある表情ではなく、怯える猫の様なものだ。

 

「ちょ、ちょっと! 女の子を置いてく気!?」

「大丈夫だよ、委員長」

 

 対し、スバルはルナの目に向き合って答えた。

 

「僕がなんとかするから」

 

 その目はモヤシじゃなかった。男の子らしい真剣な瞳に、ルナはびくりと体をこわばせる。肩に乗せられたルナの手をほどき、スバルは教室の外へと飛び出した。消えていく背中を、そっと見送った。

 

「な、なんなのよ! モヤシのくせして……」

 

 どぎまぎとする胸を抑え、教室を見渡す。あの化け物達はどこにもいない。しかし、少しでも見つかる可能性を低くするために、隠れる場所を探す。

 真っ先に目に着いたのは掃除箱だ。しかし、綺麗好きな彼女は埃っぽい鉄箱の中に入る気にはなれず、隠れるには心もとない教師机の下へと身を潜めた。

 そこで、ようやく気付く。

 

「べ、別に、スバルのことを信用しているわけじゃないわ。今日のところは……頼りにしてあげてるだけなんだから……」

 

 彼女が一人で文句を言っているころ、教室の外で、ロックマンは作業を終えていた。

 

「これでよし……と」

 

 ルナが隠れている教室の周りに、スバルは獅子舞の様な物体を二つ設置した。この二つはクエイクソングとトリップソングというバトルカードの力で生み出された立派な道具だ。色違いの獅子舞達は大きく口を開け、耳を塞ぎたくなるほどやかましく歌っていた。前者が流す音楽は聞いている電波ウィルス達の動きを止め、後者は体の動きを狂わせて混乱させる。この二つがある限り、ルナの身は大丈夫だろう。

 

「だいたい、なんで電波ウィルスが実体化してんだよ!」

 

 廊下の角を曲がって来た、両腕に刃をつけている骸骨のようなウィルスをバスターで打ち抜きながら、左手のウォーロックに質問をかけた。

 

「『デンジハボール』の仕業だな」

「なにそれ?」

 

 初めて聞く言葉に、スバルは首を傾げた。よそ見しながら、遠くから頭の大砲を撃とうとしていた岩のようなウィルスを仕留めた。

 

「デンジハボールっつうのは、俺達の体から放たれているゼット波が集まってできた塊だ。デンジハボールからあふれ出る強力なゼット波の影響で、現実世界と電波世界の境界が曖昧になっちまってな、電波ウィルス達が実体化してきやがったのさ。ちなみに、強力なゼット波を長時間浴びたら、物や人間まで電波化しちまう。早めに壊した方が良いぜ?」

 

 そんな物騒な物を残しておく理由などない。スバルはウェーブロードに上がりデンジハボールを捜しに向かった。

 

 

 トランサーにカードを通し、頭にマンホールを被った怪物を撃ち倒した。この非常事態に動揺したものの、すぐに本職を思い出し、退治しているにいたる。

 

「何なのだ、この現象は!?」

 

 トランサーを開き、Z波を示す数値を確認する。強力な反応を示す方向に、五陽田は走り出した。

 

 

 ロックマンはため息をついていた。めんどくさそうに視界に映ってしまった奴を見る。

 

「急いでるから通してほしいんだけれど?」

「ギャハハ、お前頭悪いな」

「通さねえように、通せんぼしてるに決まってんだろうが」

 

 それは二体のジャミンガーである。ウェーブロード上に居座り、ロックマンを通せんぼしている。

 

「どうやら、今回はFM星人の仕業みてえだな」

「FM星人なら、その『デンジハボール』を作れるの?」

「ああ、自由にってわけじゃねえが、可能だ」

 

 つまり、この二体のジャミンガーはFM星人の手下であり、指示に従って動いていることになる。

 

「誰の指示で動いてるの?」

「言うわけねえだろうがよ、ば~か」

「そうだよ、ば~か」

 

 舌を出しながら、「や~い、や~い」と両手を上げて挑発している、小柄な二人にもう一度ため息をつく。どうやら、この二人は今の自分の姿を鏡で見たことが無いらしい。

 そして、電波ウィルスと電波変換しているのは、おそらく子供だ。身長から、自分より数歳年下に見える。おそらく、千代吉と同じくらい、この学校の小学三年生くらいだろう。

 

「なあ、もうやっちまおうぜ?」

「そうだね」

 

 短気なウォーロックが早々に痺れを切らした。スバルもその意見に賛成し、すっと前に進み出る。

 

「やんのかよ!?」

「やっちゃえ!」

 

 無防備に前に進み出たロックマンに、片方のジャミンガーが素早く左手をバルカン方に変え、弾丸を撃ち込んでくる。それを合図に、もう一人が両拳を固めてまっすぐに踏み込んでくる。相棒のバルカン砲を援護射撃にし、ロックマンに強力なパンチを叩き込むつもりらしい。

 だが、そのバルカン砲は役に立たなかった。

 

「バトルカード、ジャンクキューブ!」

 

 ロックマンの眼前に立方体が生成される。それの正面には赤い球がめり込むように取り付けられている。迫って来ていたジャミンガーを捕らえると、ピッと明りを灯した。センサーが反応し、まっすぐに突っ込んできていたそのジャミンガーに、ジャンクキューブもまっすぐに突っ込んだ。綺麗過ぎる正面衝突であった。同時に爆発を起こし、ジャミンガーを押し戻した。

 空を飛んで戻ってきた相棒に巻き込まれ、二人はウェーブロード上に横たわる。

 

「ば、馬鹿! どけよ!!」

「馬鹿! お前が避ければ良かったんだろうが!!」

「んだと!?」

「やんのかよ!!?」

「その必要はねえぜ」

 

 すぐ側でかけられた三人目の言葉に、取っ組みあっていた二人の子供ジャミンガーは顔上げた。二人の目の前で、三つ目の言葉の主が、青色の巨大な拳に姿を変えたところだった。

 

「フリーズナックル!」

 

 

「これだね!?」

「ああ」

 

 大した邪魔も無く、ウェーブロードを伝って屋上にたどり着いたスバルはウォーロックに確認を取った。やはり、目の前にあるこいつがデンジハボールらしい。

 デンジハボールは名前通り球体をしており、ウェーブロード上に浮かんでいた。直径はスバルの身長より少し大きい。おそらく、150cmほどだろう。表面には紫色の閃光がパチパチと走り、奥に渦巻く黒と紫が物騒な印象を伝えてくる。

 

「これを壊せば、電波ウィルス達は消えるんだね?」

「ああ、さっさと終わらせようぜ」

 

 スッとウォーロックの顔を前に突き出し、右手を添えて構えた。途端にデンジハボールが切り裂かれた。エネルギーは行き先と留まる場所を失い、爆発へと変わり、自分達の存在を抹消した。

 ロックマンはふと顔を上げ、爆炎の向こう側に立っている、代わりにデンジハボールを破壊した者の正体を探る。野性味あふれる牙と爪をぎらつかせた緑色の電波体がいた。長い顎の中にしまっていた、赤い舌をべろりと出し、銀色の爪を舐めた。ウェーブロードでよく見かける汎用人型ナビとはまるで違う雰囲気から、スバルは気づいた。

 

「電波人間!? ……まさか、FM星人!?」

「ああ、そうだぜボウズ」

 

 見かけを裏切らず、低く、ワイルドさを感じさせる声で電波人間が答える。彼の隣に緑色の塊が現れ、ロックマンの左手を見てゲラゲラと笑いだした。

 

「おいおい、ウォーロック! てめぇ、間抜けな姿になったな?」

「うるせえ! ったく、てめぇとは会いたくなかったぜ、ウルフ」

 

 名前通り、狼のような姿をしたウルフは直もウォーロックに喧嘩を売ってくる。

 

「なんだ? だせえ姿を見られたくねぇってか? 気にすんな、大して変わってねぇからよ?」

「スバル、あいつを黙らせるぞ!?」

「おお、やんのか!? 良いぜ! 俺達、ウルフ・フォレストが相手してやるぜ!? 尾上(おがみ)、やっちまえ!」」

 

 どうやら、このウルフと言う電波体はウォーロックに引けを取らぬほど好戦的な輩らしい。相棒の尾上は待ってましたと進み出る。

 

「俺は尾上十郎(じゅうろう)。俺の血の疼きを止めて見せろ!」



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第六十八話.飢えた獣

2013/5/3 改稿


 慣れた手つきで素早くカードを取りだし、ウォーロックの口へと運んだ。彼も素早く飲み込み、データを取り出した。ロックマンの左手が火を纏った剣へと変わる。召喚したリュウエンザンを前に突き出す様に構え、ウルフ・フォレストと対峙した。

 普段、スバルは剣を胸元に構える。この構えならば、体の重心が真ん中にあるため、前後左右への移動がスムーズになるからだ。剣も上下左右に動かしやすく、動きに幅ができる。

 だが、今回スバルはその構えを変えた。理由は相手の戦闘スタイルを予想したからだ。対峙しているウルフ・フォレストは狼男を形にしたような姿をしている。2m近くありそうな巨体にはがっしりとした両腕。スバルの胴体を、片手で掴めそうなほど大きい手と、東洋の剣、サーベルを思わせる爪が指の様に生えている。足は意外と細く、しかし、足のつま先となっている爪が、ウェーブロードをがっしりと掴んでいた。

 全体的にスマートな印象を与える姿と、十個の爪から、ウルフ・フォレストは接近戦を得意としているようだ。身長差から生まれる腕の長さは、そのままリーチの差となる。急接近されても対応しやすいよう、スバルは剣を前に突き出しているのである。

 ウルフ・フォレストはスバルの作戦に気付いたようで、唸るように笑い声を上げた。

 

「グルルル……おもしれえじゃねえか、ボウズ。戦い慣れしてやがるな。これなら……」

 

 感心した彼は、自慢の爪をバッと開いた。そのまま右の五爪を頭上に振り上げ、ウェーブロードに振り下ろした。爪先が、砂粒の様なオレンジの結晶を作りだし、電波の道に五本の線を描く。間髪入れずに左手が新たな五本線を描き、交差させる。

 

「俺の血の疼きを、この高ぶりを抑えてくれそうだな! グルァァアアア!!」

 

 電波変換している男は本当に人間なのだろうかとスバルは疑った。肩の高さまで両手を上げ、爪を空に向けるように立てて吠えるウルフ・フォレスト。その叫びは闘争心に揺れ、大気を怯えるように震わせる。獣だ。本能のままに相手に牙を向く野生の狼だ。

 ウォーロックも同じことを考えたのだろう、炎の剣となったまま、冷たい声を出した。

 

「ケッ、とんでもねえ奴にとりついたな?」

「まあな、俺以上に血の気が濃くてまいってるぜ」

 

 ウルフ・フォレストの隣に現れた薄緑色の狼が答えた。ウルフは取り憑いた相手、尾上(おがみ)十郎(じゅうろう)に少々振り回されている様子だった。だが、戦いに手を抜くことは無いだろう。彼はFM星の戦士なのだから。予想通り、彼は尾上に言葉を放った。

 

「そろそろやるか?」

「グルアァ!」

 

 「来る!」スバルは剣を構えなおし、質量差に耐えられるよう腰を更に低く構えた。

 ウルフ・フォレストは両足の爪をウェーブロードに突き立て、力の限りに足を踏み出した。踏み出すと言うよりは、ウェーブロードを蹴飛ばすと言うが正しい。脚力はそのままウルフ・フォレストの推進力と化し、空中で体を水平に飛ばす。スバルにはそれが見えなかった。だが、危険は見えた。見えなかったからこそ、彼の視覚感覚が危機を告げたのである。それは、五本の刀が眼前で振り下ろされる瞬間だった。

 

「うわあ!」

 

 左肘を斜めにスライドさせて、ウルフ・フォレストの右爪をずらし、自身も体を右に傾ける。耳元を、切り裂かれた大気が駆け抜ける。

 ウルフ・フォレストは裂けたような大きい口を更に広げた。攻撃を避けられたことに喜びを感じているかのようだった。厳密に言うと少し違う。彼の攻撃を避けたロックマンに興奮しているのだ。この初手の一撃を回避した少年がどれだけ自分を楽しませてくれるのか、期待しているのだ。

 初動によって生まれた推進力はまだ生きており、ウルフ・フォレストに多大なスピードを与えている。それに、ウルフ・フォレストの質量と、彼の筋力によって生まれた足を曲げると言う行為が混じる。ロックマンの顔面に、足の最も堅い部分、膝が迫りくる。

 一連の二重攻撃を、ロックマンは倒れるように伏せることで回避した。最初に体を傾ける行為が無ければ、今頃、首から上は吹き飛ばされていたかもしれない。

 見事な空振りをしたウルフ・フォレストは、ウェーブロードを引っ掻くように足をつけ、ロックマンに振り返る。

 

「良い反応だぜ! ボウズ!! もっと俺を楽しませろ!!」

 

 数歩加速をつけた後、体を前に倒すように傾けた。頭を大きく下げ、低く構える。顎が電波の道に触れてしまうのではないかと言うほどだ。途端に、右足爪で掴んだウェーブロードを蹴飛ばした。

 同じ動きだ。鉄砲玉となって爪を振り抜こうとするウルフ・フォレストに、スバルは効果的なカードを使用した。

 

「ジャンボハンマー!」

 

 茶色い壁がウルフ・フォレストの顔面に叩きつけられた。鉄砲玉となっていた勢いは、首が折れ曲がるほどの衝撃となって跳ね返って来た。

 ロックマンが召喚した武器は、両側が平たくなっているタイプのハンマーだ。ただ、普通のハンマーでは無い。普通では無い部分は、その大きさだ。名前通り、巨大すぎるハンマーだ。茶色い頭部は少年一人の身長よりも遥かに大きい。それをまっすぐに突き出したのである。

 跳ね返されたウルフ・フォレストは軋んだ首を手で掴み、無理やり捻じ曲げている。グキリと気持ちの良い音が走り、新たなカードを使おうとしているロックマンを見据える。

 

「ネバーレイン!」

 

 ウルフ・フォレストの上空から突如雨が降り注ぐ。雫の一つ一つは弾丸のようになっており、身に受ける者の体を射抜いてしまう。

 遠距離攻撃を回避するにあたり、ウルフ・フォレストが取る行動は二つある。ここは直線となっているウェーブロードだ。前進して相手に近づくか、後ろに後退して相手と距離を取るかだ。彼は迷わず爪を開いて前進した。ロックマンを自慢の爪で引き裂くためだ。予想していたのか、ロックマンは三枚のカードを取り出しており、ウォーロックが素早く飲み込んだ。

 

「モエリング!」

 

 火を纏ったリングが放たれる。どうやら、同じカードを三枚使ったらしい。三つのモエリングが走ってくる。ご丁寧に、三つとも並行している。これは狭いウェーブロード上のどこに立っても避けられない。足を全力で伸ばし、体を空へと吹き飛ばした。

 ロックマンは素早くウォーロックの口先を向けた。バトルカードを飲み込む時間がもったいない。威力は低いが、即座に放てる上に、連射が可能なロックバスターを使用した。ウォーロックが放つ細かい赤色の光がウルフ・フォレストを襲う。腕を交差させて目をつぶり、防御の構えを取っている。ウルフ・フォレストは接近戦が主体だ。相手が宙に浮いている時間は僅かだが、こちらが一方的に攻撃できる。

 

「調子に乗んな!」

 

 ウルフ・フォレストによる、予想外の攻撃だった。彼が腕を大きく振るうと、爪から緑色の線群が生まれた。それは斬撃の余波。スピードと威力は、ロックマンの回避の行動をさせることすら許さず、体を傷付けるには充分すぎた。不意打ちで受けたダメージに思考が付いて行けず、力が抜けてしまった体はがくりと膝をついてしまう。

 着地したウルフ・フォレストがそれを見逃すわけなど無い。自慢のスピードで、距離を零にしてくる。涎塗れの舌を靡かせ、むき出した牙と爪が陽光によって残虐に光る。その姿は得物を食らう狼そのものだ。

 片膝をついたのが失敗だった。体を置きあがらせると言う動作が一瞬の遅れを生んでしまった。

 

「ワイドクロ―!」

 

 横になぎ払った五閃がロックマンの胸を切り裂き、星のエンブレムに傷が走る。

 

「アッパークロ―!!」

 

 体をくの字に曲げるように怯んだロックマンに、下から突き上げるように爪を立てた。四本の線がロックマンの体を空高く放りあげる。今度は、ロックマンが不自由な空へと投げ出されてしまった。先ほどの飛ぶ斬撃を浴びせようと、右腕を背中まで大きく下げた。

 

「バトルカード、ボルティックアイ!」

 

 空でバク転をするように回っていたロックマンの進行方向上に、丸い機械が現れる。それの中央には緑色の円が取り付けられている。空で佇む金属の目玉に体をぶつけることで、勢いを緩めた。

 ウルフ・フォレストにとっては好都合だった。動く的と動かない的のどちらが狙いやすいだろうか? だからこそ、彼は太い鞭のような腕を、力の限りになぎ払った。それを見て、ロックマンは頬を緩めた。

 予想通りだ。隙を見せれば相手はより大きなダメージを与えようと、攻撃が大振りになる。だが、それは同時に相手が隙を作るということになる。素早くボルティックアイを蹴飛ばし、頭上のウェーブロードへと飛び移る。ボルティックアイが蹴られた反動で高度を下げる間に、ウォーロックは口を限界にまで開いた。スバルの手に、大量のカードがあったからからだ。

 

「ヒートボム! パワーボム! くらえ!!」

 

 両手を広げ、ばら撒く様に大量の爆弾を投下した。赤、黄、青、緑、紫など、カラフルな丸い球がウルフ・フォレストの頭上から襲いかかる。

 避けようにも、ボムの大軍は覆うように降りかかってくる。まるでボムのドームに閉じ込められた気分だ。

 

「消えろ!」

 

 ならば、落ちる前に撃ち落としてしまおうと爪を振るう。ドームの天辺付近のいくつかが爆ぜ、ウェーブロードに落下したモノ達が爆炎をまき散らす。

 ボム達が煙幕の役目を果たしてくれている間に、宙を舞っていたロックマンはウェーブロードの縁に手をかけた。片手で懸垂をする様に昇る。この間に追撃も忘れない。

 

「カウントボム!」

 

 ウォーロックは自分の口に咥える様に召喚された四角い金属の塊を放り投げた。カウントボムと呼ばれる爆弾の中央には、モニターが取り付けられている。そこには、3と角ばった数字が記載されている。召喚されてから1秒後、それは2へと姿を変える。そう、これは時限爆弾。数字が3から0になった時、つまり、召喚されてから3秒後に爆発する。

 一秒が勝敗を分ける攻防の中で、三秒と言うタイムラグは大きい。これを扱うのは困難といえる。しかし、爆発すれば電波ウィルス達を一網打尽にできるほどの威力と攻撃範囲を秘めている。そんな物騒な物への対処法は簡単だ。爆発する前に破壊してしまえば良い。

 晴れゆく爆炎の隙間から、爆発1秒前になって落ちてくるカウントボムを捕らえた。すばやく自慢の爪で切り裂くと、お情け程度に機械部品が火薬と共に弾ける。ほっとするウルフ・フォレストの胸が射抜かれた。先ほどのボルティックアイだとすぐに気づいた。どうやら、先ほどロックマンに蹴飛ばされた際、自分の飛ぶ斬撃の攻撃範囲外に逃れていたらしい。

 この金属の塊はただの金属の塊ではなく、自動砲台だった。目の様なセンサーが得物を捕らえ、雷撃を撃ち込んでくる。カウントボムが囮だったと気づいた直後、もう一つの可能性に気付いた。この攻撃も囮なのではないかという不安が、彼の視線を空へと向けさせる、

 

「ビッグアックス!」

 

 ウェーブロードから飛び降り、大斧を振り下ろしてくるロックマンが眼前に迫っていた。ウルフ・フォレストも目を見張るほどの大きさだった。自分の身長よりも大きいかもしれない。ロックマンの体に比べれば、大きすぎるそれを振るうのは至難の業だ。しかし、重力が力を貸してくれている。重量があるがゆえに生まれる速度で、ウェーブロードを瓦解させる一撃がウルフ・フォレストを襲う。

 左肩から腹までに大きな傷を受け、足場の無くなった空に身を投げる。後から続くように落下しつつ、ロックマンはウルフ・フォレストの様子をうかがう。彼は空で仰向けになり、ぐったりと四肢を風に任せている。ウォーロックの言葉に従い、止めを刺そうとリュウエンザンを彼の白い腹に振り下ろした。その動きが止められた。見ると、ウルフ・フォレストの右手が剣を受け止めていた。

 

「おもしれえ……おもしれえぞ、ボウズ!」

 

 終わったと思っていたロックマンの期待は裏切られた。体に重傷を負いながらも、ウルフ・フォレストは空中でバランスを整えて牙をむき出した。剣をがっしりと掴んでいる手からは、ちりちりと焼ける音がする。それでも、彼の赤い目に恐怖や苦痛は無い。ただ、命を削り合うこの1秒1秒を、至福の時として堪能していた。

 貪欲に戦いを求める尾上に、スバルは背筋に氷が走る感触を覚えた。尾上の雰囲気にのまれ、体をこわばらせるスバルに破壊のみを求める銀色が襲う。ウォーロックの回避を願う言葉は叶わず、腹を右から左へと激痛が走る。次に、ウルフ・フォレストの鋭利な牙が右肩に付きたてられる。声にならない悲鳴がウルフ・フォレストの血を湧きあがらせる。

 

「……ス、ター……ブレイクゥ!」

 

 悲鳴は発っせれずとも、この言葉だけは力の限りに叫んだ。ロックマンの体の間近に目を置いていたウルフ・フォレストはたまらず目を閉じた。噛みついている相手から、赤と言う言葉では収まらない濃密な光が生まれたからだ。途端に膨れ上がる彼の体から牙を離した。しかし、ずっともがいている右手の剣は離さない。

 

「ファイアレオ!」

 

 赤い獅子の力を被ったロックマンが、晴れゆく光と共に姿をあらわにする。跳ね上がる戦闘周波数に、ウルフ・フォレストはごちそうを前にした子供のように、長い舌で唇をなぞる。右手で捕らえていた剣をいとも簡単に抜かれ、右腕に焼け焦げる一閃を描かれた時に、それは狂喜の唸り声へと変わる。

 

「もっと、もっとだ! もっと楽しませろぉぉぉっ!!!」

 

 左の五爪がロックマン・ファイアレオをなぎ払おうとする。

 

「スイゲツザン!」

 

 一度、左手のリュウエンザンをしまい、ウォーロックがカードを飲み込める姿に戻る。そして、スイゲツザンのバトルカードを一枚、ウォーロックに渡した。左手を炎の、右手を水の剣へと変えてウルフ・フォレストの攻撃を防ぐ。

 次に襲い来る右の五爪は左手のリュウエンザンで上へと受け流す。そのまま腰を捻り、右手のスイゲツザンを後ろへと振る。その反動を利用し、攻撃を受け流したばかりの左側の灼熱の剣を叩き込もうとする。ウルフ・フォレストの左爪が突きを行うようにまっすぐに向かってくる。互いの左手の得物が噛み合い、火花が互いを照らしあう。

 ウルフ・フォレストの攻撃の勢いに押されるように、ロックマンは反時計回りに体を駒の様に回転させる。後ろに下げていた右手に、肩と肘のスナップも加える。逆側からの奇襲に、ウルフ・フォレストの野生が反応した。闘争本能は弾かれた左手を素早くわき腹付近に下げさせた。

 勢いを斜めに曲げられたロックマンは空中で姿勢制御の権利を失った。相手の目の前で俯けになり、背中を狙ってくださいと言っているような姿勢になってしまう。望み通り、振り被った右手を振り下ろした。

 首だけで攻撃をうかがっていたロックマンは足を振り上げた。俯けになるのではなく、前転し、体の位置をずらしたのである。体を三枚どころか六枚に下ろしてしまいそうなウルフ・フォレストの一撃は、背中に切り傷をつける程度で終わってしまった。頭と足の位置が逆になった時、ロックマンは腰と足を大きく捻って回転し、腕を大きく振り払った。

 剣が手の爪に阻まれてしまうのならば、足を狙えばいい。ロックマンの狙いに気付いた時は、両足に傷跡をつけられた後だった。怒りにまかせた斬撃を、ロックマンは足で蹴とばした。大ぶりな攻撃は、確かに威力がある。しかし、熟練の戦士にとっては軌道を予想させる親切行為でしかない。腕を蹴り戻され、牙を噛み締めている間に、ロックマンは体勢を元に戻していた。追撃をかけようと、左のリュウエンザンで突きを放った。

 ウルフ・フォレストは諦めた。右肩に深々と刺さる赤い剣をただ眺めていた。右手が動かなくなったこと確かめたとき、彼の双眼が野生の赤を取り戻した。彼は、斬り合いによる勝利を諦めた。しかし、戦いの勝利は諦めていなかった。斬り合いを制しても、いくら体にダメージを与えても、それは勝った事にはならない。

 勝利を手に掴むのは最後に立っていた方だ。

 ロックマンの体が無情に斬り裂かれる。相手の目の前で、勝利を確信していた彼に避ける術など無かった。深紅の体に深い溝が彫られ、力尽きたように両手の剣が霧と化した。

 右手に重傷を負いながらも、勝利を手にしたウルフ・フォレストは顎を大きく開き、飢えた牙から涎を垂らした。牙がボキリと音を上げる。顎の奥に走る重くて鈍い痛みから、殴られたのだと理解した。自分より瀕死のはずのロックマンの右拳だった。

 ウォーロックの牙がウルフ・フォレストの首を掴む。抵抗しようと、残った左手を上げたウルフ・フォレストの手に、ロックマンは体を横にするように右足を置いた。太くて逞しい足場を踏みつけ、右ストレートが高い鼻に突き刺さる。

 それと同時だった。二人は屋上の上へと叩きつけられた。ウルフ・フォレストはコンクリート上を滑り、ロックマンはべちゃりと寝そべり、動かない。しかし、まだ戦いは終わっていない。どちらも、電波変換は解けていない。寝ていて勝てる相手ではないと、ウォーロックに励まされるように立ち上がる。相手も同じだ。

 

「ボウズ、最高だぜ!!」

 

 歪められた顔で、なおも狂ったように笑っている。いや、今までで一番狂っているようにさえ見えた。

 

「スバル!」

「うん!」

 

 これが最後と、ロックマン・ファイアレオの奥義を放つため、左手足を引きずるように大きく引いた。

 

「スターフォースビックバン!」

 

 それを見て、がむしゃらに、地を削るように蹴り飛ばした。

 

「最高だぁっ!!!」

 

 もう、彼に思考は無いのだろう。一直線に距離を詰めてくる。後は、輝きを失わない銀爪を振り下ろせば終わりだ。ただ、闘争のみをむさぼる獣だった。

 迫りくる野生に向かい、ロックマン・ファイアレオは最後の力を振り絞った。

 

「アトミックブレイザー!!」

 

 膨大な炎が渦となって放たれた。それは、全力疾走していたウルフ・フォレストを飲み込み、その姿を隠して行く。

 

「最っ高っだぁぁあああああああああ!!!」

 

 炎は飲み込んだ者の狂気を糧に更に激しさを増した。その輝きが頂点に達した時、フッと姿を消した。残った光景を、スバルとウォーロックはスターフォースを解きながら見守っていた。

 

「う、そ……でしょ?」

 

 そこに、ウルフ・フォレストがいた。緑と白だった全身は黒一色だ。しかし、まだ立っていた。足の両爪を食い込ませ、必死に体を支えている。

 

「く……そ……」

 

 がくりと膝が折れた。もう、何もできない。立ち上がる余力すら無い。スバルにはカードを取り出す力も、ウォーロックにはバスター一つ撃つ力も残ってはいない。

 戦力が無くなったロックマンを見て、ウルフ・フォレストは笑みを絶やさずに足を踏み出した。右手はだらりと下げ、左足を引きずるように、右足だけを必死に前に突き出して進んでくる。

 一歩一歩近づいてくる敗北を、ただずっと見ていた。目の前に立つ相手を見上げ、奥歯を噛み締めた。

 

「ボウズ……」

 

 振り上げられる、焼け焦げた爪。

 

「お前の……」

 

 隙間から覗かせる光沢が陽光を受けて、ウルフ・フォレストの勝利の笑みと共に輝きを増した。

 

「……勝ちだ……」

 

 ぐらりと視界が揺れた。そう思った時、ウルフ・フォレストの体が横になった。事態を飲み込めないスバルとウォーロックは、ただ力尽きた彼を茫然と見守っていた。



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第六十九話.乱入者

2013/5/3 改稿


 ばたりと大の字に寝転んだ。見上げた青い空はオレンジ色の道によって幾つにも切り裂かれている。少々息を整えてから首を動かし、側で倒れているウルフ・フォレストに目をやった。敗北したと言うのに、満足げな笑みでうつ伏せに横たえている。

 

「尾上さん……だったっけ? 満足……できました?」

「ああ、満足だぜ。血の滾りも収まった。ありがとよ」

 

 牙をむき出し、ニッと笑って見せる。血の滾りが収まっているようには見えないが、ぎこちない笑みを返しておいた。

 

「だったら、もうデンジハボールなんて使わないでくれますか?」

 

 何のために使っていたのかは分からないが、あんな危険な物は必要無い。今の尾上なら、話を聞いてくれるはず。了承してくれると思っていた。しかし、返ってきた言葉はまるで違ったものだった。

 

「あ? 俺はデンジハボールなんて使ってないぜ?」

「……え?」

 

 すると、ウルフだ。ウルフ・フォレストの隣に姿を現した。

 

「おいおい、俺達はあんな物騒なもん使わねえぞ。あれを使ったら、戦えねえ奴らが電波ウィルスに襲われちまうだろうが」

「俺は戦えねえ奴を襲うような、変な趣味はねえぜ。だから、やり会う前に壊しといたろうが」

 

 ウルフの言葉を、尾上が肯定した。どうやら、悪人のような顔とは違い、良識のある人物らしい。

 困惑するスバルに代わり、ウォーロックがロックマンの左手を持ち上げて話しかける。

 

「じゃあ、なんでてめらがここにいるんだ?」

「俺達は聞いたんだよ。ここにつええ奴がいるってな。で、探しに来たわけだ」

 

 ウルフの言葉を聞き、スバルの思考が回り始める。仕組まれたと言う言葉が導き出された。

 

「誰が……」

「俺だあ!」

 

 ロックマンの体がくの字に曲げられる。無防備にさらされていた腹にドシリと圧力がかかり、全ての空気が押し出された。ゼーゼーと呼吸するスバルの視界に映ったのは黒いシルエット。

 

「ヒカル……!」

「久しぶりだな。スバル」

 

 ジェミニ・ブラックだ。勝ち誇った笑みを携え、動けないロックマンの顔を足裏で踏みつける。

 

「てめえらが仕組んだのか!」

「そうだ。屑どもを陥れる最高の策だろ?」

 

 ジェミニ・ブラックの隣に現れたジェミニがウォーロックの言葉を肯定する。黒い仮面は無表情だが、笑っているようにも見える。

 

「ジェミニ! てめえ、俺達を利用したのか!?」

 

 唖然としている尾上ではなく、ウルフが怒鳴るように尋ねた。

 

「ああ、戦闘馬鹿の貴様を利用するのは容易かった」

「ウルフ・フォレスト、てめえは使えるから見逃しといてやる。負け犬らしくそこで這いつくばってろ」

 

 負け犬と言う言葉に、尾上とウルフは唸りながら拳を握りしめる。しかし、ウルフ・フォレストは疲労とダメージにより、立ち上がることもままならない。何もできない二人を笑い捨て、ジェミニ・ブラックは足を持ち上げた。勢いをつけてロックマンを蹴り上げる。痛みに身を悶えるロックマンに、上を見ろと声をかけた。

 言われるがままに見上げると、ウェーブロードの上に一つの影が見えた。

 

「デンジハボール!?」

 

 先ほど、ウルフ・フォレストが壊した物とは別の、新しいZ波の塊が浮かんでいた。そして、そのすぐ近くに人影があった。大柄な男が、誰かを後ろから取り押さえているように見える。

 

「委員長!?」

「ロックマン様!?」

 

 ルナだった。ジャミンガーに後ろ手を取られ、ウェーブロードの上に足をつけている。どうやら、デンジハボールの近くでは、ジャミンガーだけでなくウェーブロードまで実体化しているらしい。

 ようやく、ヒカルとジェミニの狙いが分かった。彼らはデンジハボールを使ってスバルを誘い出すことで、ルナと別れさせた。ロックマンの噂をウルフ・フォレストに流し、二人が闘っている間にルナを人質にとる。後は、弱ったロックマンに人質を見せつけ、止めを刺す。行きすぎるほど仕組まれた罠だった。

 ルナが電波ウィルスに襲われないようにと置いてきた二つの獅子舞も、一度デンジハボールが壊れた時に消えてしまったのだろう。守る物が無くなったルナを連れ去るのに何の障害も無い。

 

「抵抗しても良いんだぜ?」

「っく……」

 

 悔しそうに、上空のルナとニヤニヤと笑っているジャミンガーを見る。

 

「委員長は関係ないだろ! 離せ!」

「お前には、恨みがあるから……な!」

 

 ロックマンの顔が飛んだ。ジェミニ・ブラックが拳を振り下ろしたのである。

 

「簡単には終わらさねえよ」

 

 

 腹を蹴りあげられるのはこれで何度目だろう。左足には痺れるような感覚しかなく、右腕がギシリと悲鳴を上げる。目を開けることすら辛い。

 

「おい、悲鳴ぐらい上げろよ」

 

 つまらなさそうに、ヒカルはロックマンの顔を殴りつける。しかし、息をこぼすような音がするだけだ。

 

「ジェミニ様! この女も気絶しちまいやしたぜ!」

 

 上空のデンジハボールの側で、ジェミニの部下であるジャミンガーが手に抱えたルナをめんどくさそうに揺さぶる。彼女はぐったり頭を下げていた。視覚情報から飛びこんでくる悲惨なヒーローの姿を受け入れるなど、彼女には耐えられなかったのである。

 それを見て、ジェミニもつまらなさそうに息を吐いた。

 

「興冷めだな」

「なら……」

 

 ヒカルは右手に雷の剣を生みだし、振り上げた。

 

「終わりだ」

 

 うっすらと開けた瞼の向こうで、光が振り下ろされた。

 

「ぎゃああああぁぁ!!」

 

 悲鳴がロックマンとジェミニ・ブラックの頭上から届いた。ジェミニ・ブラックが見上げると、今も悲鳴を上げながら真っ逆さまに地上に落ちていくジャミンガーが目に入った。その途中に聞こえてくる爆発音。それはデンジハボールのものだった。広がる爆風の球の側で、一つの影が見える。それは空を滑り、人質ととされていた少女を抱え、クネクネと蛇行運転をしながらこちらに向かってくる。

 

「パルスソング!」

 

 影からハート型の弾が大量に放たれた。一つ一つは小さく、剣で捌くのは難しそうだ。バッとその場から飛びのいた。その隙に、空からの乱入者はロックマンを抱えるように救出した。屋上の端で乗っていた音符型のボードを消し、ロックマンとルナをその場に降ろした。

 

「大丈夫、ロックマン!?」

 

 聞きなれた声だ。まさかと思い、期待に胸を膨らませて顔を上げた。そこにいたのは、ピンク色の少女だった。ワンピースの様な服と一体化したミニスカートに、胸元にあるシンボルマークのハート。金色の髪と、首にかけた白いマフラーをなびかせ、水色のギターを抱えている。その姿を見て、スバルは蔓延の笑みで彼女の名を叫んだ。

 

「ミソラちゃん!?」

「助けに来たよ、スバル君!」

 

 そう、ロックマンの目の前にいたのはハープ・ノートである。スバルにとって初めての、そして唯一のブラザーであるミソラが、ハープと電波変換した姿だ。思わぬ救援にスバルは勇気づけられるように立ち上がった。

 ジェミニ・ブラックは苦渋に顔を歪めた。特に、ジェミニは苛立ちが頂点に来ているのだろう。表情の変わらぬ仮面から、彼の内心をうかがうことはできない。しかし、雷の塊のような体の表面で、雷光がバチバチと跳ねまわっている。

 

「ハープ……屑以下の分際で、よくも邪魔してくれたな」

「ポロロン。なんとでも言うと良いわ。私はミソラが笑えるのなら、何にだってなれるんですから」

 

 ギターと一体化し、ミソラの両手に抱えられたハープは楽しそうに笑っている。それが、ジェミニの体から発せられる音を更に大きくさせた。

 

「おいおい、人質庇ったまま闘えるのか?」

 

 最初は焦ったヒカルだが、落ち着きを取り戻していた。ルナがこの場にいる以上、ハープ・ノートはルナを庇いながら闘わなくてはならない。今頃、人間に戻って地面で昼寝しているジャミンガーなど必要ない。

 

「ヘッ、焦ることねぇな。屑ばかりじゃねえか。すぐに消してや……」

「屑はてめえだ!」

 

 背後から掛かってきた声と同時に、ジェミニ・ブラックの背中が切り裂かれた。ウルフ・フォレストだ。今にも倒れそうなほどふらついてはいるが、利用された怒りをその左爪に乗せて、一矢報いたのである。ヒカルがスバルを足蹴にしている間に、ある程度体力を取り戻したらしい。

 

「よくも俺をコケにしてくれやがったな……」

 

 フーッ、フーッ、と荒い呼吸を繰り返し、瞳が見えぬほどの紅を目から滲みだている。

 ヒカルは状況を分析した。自分に武器を向けてくる三人の中で、全力を出して戦えるのはハープ・ノートだけだ。ロックマンも万全ではないが、ハープ・ノートの救援に励まされたためか、戦えるという表情をしている。ウルフ・フォレストはぼろぼろだ。だが、怒りが体の限界を超えているのだろう。一歩ずつ、足を前に踏み出してくる。

 ジェミニは諦めたようにヒカルに告げた。

 

「畜生が!!」

 

 ダンと屋上を蹴飛ばし、ウェーブロードへと跳躍した。三つ、四つとウェーブロードを飛び移りながら屋上の様子をうかがう。ウルフ・フォレストががっくりと膝をつき、ロックマンとハープ・ノートが駆け寄っていた。だが、大丈夫だったのだろう。ウルフ・フォレストをハープ・ノートに任せ、ロックマンはルナの側にしゃがみ込む。

 どうやら、追っては来ない様子だった。彼にとっては幸運だったろう。しかし、胸にはどす黒い悔しさが生まれていた。

 

「俺なんざ眼中にないってか……」

 

 これでは、負け犬は自分の方だ。事実、敗北し、逃げると言う屈辱的な選択をしている。

 

「畜生! 畜生っ!!」

 

 吠えるヒカルを見ても、ジェミニは何も言わなかった。ただ黙していた。彼はFM星王の右腕、雷神ジェミニだ。そのプライドを汚された怒りは、常人では計り知れない。ただ、怒りを押し潰そうと身を震わせていた。

 

 

 ルナが無事であることを確認し、ロックマンはハープ・ノートと向き合った。

 

「ミソラちゃん!」

「フフ、久しぶりだね。スバル君」

「うん……ありがとう、助けにきてくれて」

「私達はブラザーだよ。気にしないで」

 

 ハープ・ノートは首を傾けニッコリと笑って見せる。それだけで、スバルの疲労はどこかへ飛んで行ってしまった。ただ、モジモジと痒くなった首の後ろに手をやった。

 尾上はスバルの初々しく分かりやすい仕草に内心笑っていた。そして、首を傾げる。声からこの少女の正体には気づいている。なぜ、響ミソラがここにいるのだろう?

 

「まさか、つええ奴がいるって噂を聞いて来たのか?」

「なわけねぇだろ。お前じゃねぇんだ」

 

 尾上の頭が、ウルフの手によってポカリと軽快な音を立てた。直後、ロックマンの後ろで、エレベータが止まった。

 

「ご、ごようだ~」

 

 開いた扉から出て来た人物が1人。サテラポリスの五陽田である。しかし、今の彼は優秀な人材が集まっているサテラポリスの一員には見えなかった。

 彼に似合っていたベージュのコートはぼろぼろになり、ズボンにはところどころ穴が空いている。靴はどこかで落としてきたのだろうか? 右側しかない。その靴も大きく裂かれており、ビリビリになった靴下と、青くなった五指が見えている。右手に持った十手は折れ曲がり、シンボルである頭のアンテナがポッキリと折れている。実体化した電波ウィルス達との激闘を物語るかのように、顔はボコボコに膨れ上がってしまっている。(こぶ)が瞼代わりとなって右目の視界を塞ぎ、左目の周りにできた青いあざが眩しい。それでも、事件解決のためにヨロヨロと前進する姿は正義の旗を掲げるサテラポリスの鏡と言えるだろう。

 ウルフはまずいと感じた。サテラポリス達がZ波の調査をしているのは知っている。もしかしたら、彼らのトランサーに加えられている機能、Z波を感知する機能で、自分の周波数を記録されたかもしれない。確証は無いが、警戒するに越したことは無い。

 

「尾上! あいつのトランサーを壊すぞ!」

「いや、どうするんだよ!」

 

 尾上にはただの人間を傷付けるなどできない。彼が戦う理由は血の疼きを鎮めるためだ。弱者をいたぶるためではない。

 

「生身の人間を傷付けるなんざ……」

「ゴメン、ヘイジのおじさん! ロックバスター!」

「パルスソング!」

 

 躊躇するウルフ・フォレストの前に、二つの影が躍り出た。掛け声とともに容赦のない攻撃を放ったのである。五陽田が飛んだ。彼はエレベータの横の壁に、顔からベチャリと張り付き、ズルズルと滑って行く。床にまでたどり着いた時、パタリと仰向けになって寝転がった。真っ白になった目から、完全に気を失っていることが窺える。

 ウルフ・フォレストとウルフの口がアングリと開かれる。

 

「スバル君!」

「うん! やろう、ミソラちゃん!」

 

 アイコンタクトで互いの考えを確認し、頷き合った二人は五陽田のトランサーへと飛び込んだ。尾上とウルフが見守る中、ロックマンとハープ・ノートが入ったトランサーがガタガタと揺れる。

 

「スバル君、このデータも消しとく?」

「うん、全部壊しちゃおう? バトルカード、ガトリング!」

「分かったよ! ショックノート!」

「スバル、もっと広い範囲を攻撃できる奴無いか?」

「う~ん、なら……スターフォース! ロックマン・グリーンドラゴン!」

「うわ! スバル君、なにそれ!?」

「スターフォースって言うんだ、壊しながら説明するよ。スターフォースビックバン! エレメンタルサイクロン!!」

「す……すごい! あっという間にデータが消えてってる!!」

「ミソラ、負けてられないわよ!」

「勝負じゃないよ~。けどいっか、それ! パルスソング! 連射!」

 

 二人がジッと見守る中、五陽田のトランサーからはそんな声が聞こえてくる。どうやら、容赦無く全てのデータを破壊しているらしい。ボカンと小さな爆発音が鳴り、トランサーがパカリと開いた。ネジや基板など、機械の部品が散らばる。

 数十秒後、二人はトランサーから飛び出してきた。呆然としている尾上とウルフに、可愛らしい無邪気な笑みを浮かべる。

 

「安心してください尾上さん」

「あなた達の周波数データも消しておきましたから」

「あ、ああ……ありがとうよ」

 

 呆然とするウルフ・フォレストの側で、ロックマンとハープ・ノートは今も横になって眠っているルナに駆け寄った。

 

「スバル君、どうするの?」

「そうだね……とりあえず、委員長の家に連れて帰ろう?」

「分かった」

 

 ロックマンがルナを抱えてウェーブロードへと飛びあがる。ハープ・ノートも後に続いた。

 それを見送った尾上はぼそりと呟いた。

 

「今の小学生って……」

 

 しばらくして、五陽田が目覚めた時のことを考慮し、慌ててその場から立ち去った。

 後には、雀達が横たわるぼろ雑巾を啄む光景だけが残されていた。




 スバルのキャラが違うと思った方もいらっしゃるでしょう。自分も、スバルってこんな酷いことするかな? と思っています。まあ、気にしないでください。


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第七十話.夕暮れの一時

2013/5/3 改稿


 お気に入り登録件数が40件を突破しました! 皆さん、応援ありがとうございます。

 最近、個人的に色々と考えることがあり、執筆を止めることも考えていました。
 しかし、これだけの方が読んでくださっています。応援のメッセージもいただきました。
 だから、これまで通り書こうと改めて決意しました。

 やっぱり、我々執筆家に必要なのは読者様ですね。

 読んでくださっている皆様、ありがとうございます! どうか、これからも応援とご愛読をお願いします!


 重々しく瞼を開いた。目に映る世界には霞がかかり、辺りの状況をうかがうことができない。

 

「こ、ここは……?」

「気がついた?」

 

 男の子の声が聞こえた。その方向に首を曲げる。茶色いツンツン頭に緑色のレンズの白いサングラス。モヤシのように細い体。こんな奴一人しかいない。

 

「……スバル君? ここは……?」

「委員長の家だよ」

 

 言われて自分がいる部屋を見渡してみる。電子ピアノに大きい化粧台。ガラス戸がついた棚の中には幾つもの受賞記念のトロフィーが並んでいる。まごうことなき、自分の部屋だ。

 瞼を半開きにしてボーっとしているルナに、スバルは状況を説明しようと口を開いた。しかし、それより先にルナが質問してきた。

 

「……あら? なんでスバル君が私の家に?」

 

 それを聞き、スバルはギクリと身をこわばらせた。

 

「あ、その……委員長のトランサーを見て、住所調べて……」

「この変態!!」

 

 病人のように寝転んでいたはずのルナがガバリと身を起こした。先ほどまで、彼女が使っていた枕が顔の横を通り過ぎる。ウルフ・フォレストと闘っていた時以上の恐怖に背筋を凍らせた。だが、同時に少々安心した。

 ルナはロックマンが殴られている光景を見て気絶してしまった。精神的な負担が大きすぎたのが原因だろう。その疲れが残っているのではないかと思い、一時的にミソラと別れたスバルはこの場に残ったのである。だが、どうやら心配はいらなかったらしい。

 部屋の隅に飛んで行った枕を迎えに行くスバルに、ルナは追撃する。

 

「乙女のトランサーを見るなんて、何考えてんのよ! それに、教室でいつまで待っていても戻ってこないし!」

「あはは、ごめん」

 

 ルナを助けるために身を粉にしたと言うのに、この言われっぷりは散々である。だが、ルナはロックマンの正体を知らないのだから仕方ない。スバルも自分の正体を明かすつもりはない。そんな目立った存在になるのはごめんだ。なにより、ルナを無事に助けだせたのだ。これ以上望むものは無い。

 

「まあ……途中まで助けてくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう。こうやって、無事に送り届けてくれたわけだし」

「ははは、どういたしまして」

 

 スバルの愛想笑いにも気づかず、差し出された枕を奪い取った

 

「それにしても、ロックマン様はご無事かしら……」

 

 今度はそれを抱きしめ、祈るように手を握っている。もう、モヤシに興味は無いようだった。元気そうなルナを見て、ほっとしたスバルは帰宅することにした。いつまでもお邪魔していたら悪いし、ミソラを外で待たせているのだから。

 

「僕達が無事だったんだから、きっと無事だよ……じゃあ、僕はそろそろ行くね? もうちょっと寝てた方が良いよ?」

「アナタに言われなくても、そうするわよ!」

 

 枕を元に戻し、ドサリと乱暴な音を立てて寝転んだ。ロックマンの前でなら、猫を被ってもっと女の子らしい行動をするのだろうと思いながら、スバルは自分の鞄を背負った。

 

「あ、お父さんとお母さんはすぐに帰って来るの?」

 

 ふと気付いた問題を口にした。「すぐに帰ってくるわよ」とか「余計なお世話よ」と言われるかと、スバルは身構えた。

 しかし、帰って来たのは怒鳴り声ではなく、無言だった。

 

「委員長?」

 

 振り返ると、ルナは天井の一点を見つめ、ギュッと唇を噛み締め、ただ黙していた。夕方を知らせる日の光が、静かに部屋を彩る。

 

「帰ってこないんじゃないかしら」

「……え?」

 

 いつもの、威風堂々としたものと違い、今のルナの声はか細く消えてしまいそうだった。

 

「うちは共働きでね、いつも家にいないの。今も大きい仕事をしていて忙しいらしいから、休日にも仕事してるの。多分、今日で一週間は帰ってきてないかも」

 

 スバルは動くことすら忘れて、じっと聞いていた。彼の視線が気に障ったのか、ごろりと背中を向けた。

 

「あの、ご飯とかは?」

「冷凍食品がたくさんあるから、大丈夫よ。足りなくなった時のためにって、電子マネーも渡されてるし。あんたが心配することじゃないわよ」

 

 確かに、ここからは家庭の問題だ。スバルが関与するところでは無い。

 

「じゃあ……また明日ね?」

「明日は土曜日よ?」

「あ、そっか。じゃあ、来週ね?」

「ええ……」

 

 踵を返し、部屋の戸口を潜った。その際、もう一度ルナの様子をうかがう。見えたのは彼女の二つの後ろ髪だけで、表情がうかがえない。

 

「スバル、行こうぜ?」

「うん。そうだね……」

 

 スバルは考えるのを止め、ウォーロックの提案に従って玄関に向かった。

 

 

 ルナが住んでいる場所は、コダマタウンには似つかない高級マンションだ。万全なセキュリティが行きとどいており、部外者は入れない。電波変換すれば容易に入れるが、ミソラは外で待機していた。

 ガラス戸の向こうにスバルの姿が見えたため、手を振って迎える。スバルも手を振り返そうとするが、その手が止まる。ミソラの隣にいる男を見たからだ。

 その男は高い身長をもっており、長い深緑色の後ろ髪を後頭部付近で、ゴムで束ねている。顔には水平な一本の太い傷があり、目元まで伸びている。服装は薄緑色のエプロンの様な物を着ており、コン色の長いズボンとゴム長靴だ。どうやら、普段は屋外でなんらかの作業をしている職人と思われる。なにより目を引くのが彼の目だ。攻撃的な目と言う言葉をそのまま形にしたようなものだ。

 「近づいてはいけない。この悪魔の様な男と関わってはいけない」と、スバルの脳内で信号が鳴る。しかし、彼のすぐそばにミソラがいるのだ。今も、分厚いガラスの向こうで、天使のような笑みと共に手を振っている彼女を置いて逃げるなんてできない。ビクビクと自動ドアをくぐった。

 

「お帰り、スバル君」

「お、おまたせ……」

 

 この場にいるのがミソラだけなら、スバルの顔はほんのりと赤くなっていただろう。しかし、今は彼女の真後ろにいる余計な存在のせいで真っ青である。ミソラから男へと目を移すと、ぴったりと視線が合ってしまった。ヒィと小さく悲鳴が漏れた。

 それを、ミソラの聴覚が拾わないわけが無かった。心境を理解してくれたのだろう。スバルと目つきの悪い男性二人が見えるように横にずれ、間に立ってくれた。

 

「あ、スバル君。この人が、尾上(おがみ)十郎(じゅうろう)さん。ウルフ・フォレストだった人だよ」

「あ、え……尾上さん?」

「ああ、そうだ。尾上十郎、植木職人だ」

 

 頷いた尾上の口の裏からは、長い犬歯がギラリと輝いた。どうしようとスバルは頭を抱えた。正確には、目を反らしてその場から逃げたかった。好戦的な人だったとは思っていたが、想像以上に見た目が恐い。なんでこんなでかい犬歯が生えてるんだろう。削ってほしい。植木職人なんて繊細な技術が必要とされる職も似合わない。絶対に格闘技の方が似合っている。そんな失礼すぎる言葉が浮かんでくる。唇が波打ち、ダラダラと首を汗が走っていく。

 

「悪かったな」

「い、いえ! めっそうもないです!」

 

 びくぅっと背筋から髪先までがまっすぐに伸びた。もしかして、尾上に対する感想が顔に出ていたかと慌ててしまう。

 

「いや、俺が悪い。あのジェミニって奴らにまんまと利用させられちまった」

「まったく、今思い出しても腹が立つぜ」

「あ、そんなことですか」

 

 尾上とウルフの言葉からすると、自分は失礼を犯していなかったようだった。見当違いをしていたことにほっとし、吐いた一言がさらなる誤解を生む。

 

「ボウズ、あんな目に会ったってえのに、俺を許してくれるのか」

 

 どうやら、『そんなこと』の指している場所が食い違ってしまったらしい。尾上達がヒカル達に利用されたことなど、スバル自身全く気にしていない。そのため、このまま失礼を隠してしまうことにした。したたかである。

 

「ありがとうよ。恩にきるぜ」

 

 ニッと犬歯をむき出して笑って見せた。その表情は、ウルフ・フォレストだった時のような残虐な物とは違い、爽やかにすら見えた。顔が恐いから気づかなかったが、ワイルドな顔立ちは女性受けしそうである。

 

「また相手をしてくれ!」

「それはお断りさせてください」

「ハハハ、流石にこっちはダメか」

 

 ハハハじゃないと訴えるような視線を送った。

 

「ケッ、ウォーロックの相棒ならこの程度か?」

「おい、そりゃどういう意味だ?」

「臆病者はてめえとお似合ってことだよ」

「飼い犬に言われたかねえな!」

「んだとこら! オックスみたいな呼び方しやがって!」

 

 ウルフとウォーロックが喧嘩を始めてしまった。好戦的な二人らしいが、今は止めてもらいたい。

 喧嘩をよそに、ずっと見守っていたミソラとハープが会話をしている。

 

「ウルフさんって、そのオックスっていう人と仲悪かったの?」

「ええ、戦闘馬鹿同士の同族嫌悪って奴よ。いつも、『犬!』『カルビ!』って悪口言いながら喧嘩してたわ」

 

 まるで子供の喧嘩だとミソラは感想を漏らした。

 

「お、ウルフ! 喧嘩すんのか! 俺も混ぜろ!」

「よし、尾上! 電波変換だ!」

「ならこっちもだ! 行くぜスバル!」

「いや、やらないから!」

 

 さっきの戦闘をもう一度など、絶対にやりたくない。だいたい、あれは喧嘩という枠組みで収まるものではない。

 スバルの発言に尾上と異星人二人は興ざめしたように肩を落とした。

 

「まあ、明日も仕事あるし、邪魔しちゃ悪いしな。じゃあな」

「あばよ」

 

 スッパリと話を切り上げ、尾上は二人に軽く手を振って歩き出した。ウルフも彼の緑色のトランサーに戻った。その際、ウォーロックに舌を出してからかうのを忘れなかった。

 

「てめっ!」

「パルスソング!」

 

 怒って掴みかかろうとするウォーロックを、ハープが頭の弦群から音符弾を打ち出して止めた。どうやら、ハープ・ノートになっていなくとも、彼女自身パルスソングは使えるらしい。

 怒りの矛先をウルフからハープに変えたウォーロックが怒鳴り始める。女性に手を上げなかったことは評価するべきだろう。

 そうしている内に、尾上達の姿が見えなくなった。尾上に別れの言葉を伝え、手を振っていた二人もその手を下した。

 

「いい加減にしなよ」

 

 ツンと目を反らしているハープに、今も怒鳴っているウォーロックを、スバルは言葉で抑え込んだ。機嫌の悪いウォーロックはハープを睨みながらミソラに忠告した。

 

「ケッ! おい、ミソラ。この女を信用すんなよ? 性質が悪いったらありゃしねえ! いつFM星人側に裏切るか……」

「それは絶対にないよ」

 

 ウォーロックの忠告は、ミソラにあっさりと切り捨てられた。

 

「ハープが裏切るなんて。そんなこと、絶対無いもんね~?」

「当り前よ。私はミソラの家族ですもの! ね~? ミソラ~!」

「ね~」

「ね~」

 

 二人で身を寄せ合い、目を細くして笑って見せる。二人の間にはポワポワと優しい桃色の光が点滅している。日光すら入る余地が無い女の子の世界を、男二人は理解できないと見つめていた。

 

「あの二人、何かあったのかな?」

「さあな……」

 

 異世界を眺めていた二人だが、ウォーロックは本当に機嫌が悪くなったのだろう。「チッ」と舌打ちしてトランサーに戻ってしまった。

 

「ところで、ミソラちゃん。尾上さん、何を『邪魔』って言ったんだろうね?」

「う~ん、なんだろうね? ……って、あ……」

「あ……」

 

 二人は同時に気付いた。互いの顔を見て俯いた顔は夕陽に照らされるまでもなく赤かった。




 ウルフとオックスの喧嘩はアニメネタです。アニメでは、「犬!」「カルビ!」とよく喧嘩しています。面白かったので、この小説でも採用しました。


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第七十一話.デートのお誘い!?

2013/5/3 改稿


 高級マンションを離れ、二人は町中を歩いている。一見、男の子と女の子が仲良く歩いているように見えるだろうが、実際はそうではない。無言だ。お互い、未だに頬を赤らめながら下を向いて歩いている。何とかしなければと思いながらも、スバルもミソラも何も言えない。

 

「「あの!」」

 

 二人の声が重なってしまう。勇気を出した一言が、相手の言葉で勢いを無くしてしまう。再び、二人の顔が地面とにらめっこだ。

 

「だあああ!! まどろっこしいんだよ、お前ら!」

 

 空気に耐え切れなかったガサツ星人がトランサーから飛び出してくる。途端に、もう一人の異星人がそれを塞ごうと飛び出してきた。

 

「マシンガンストリング!」

 

 頭の弦を伸ばし、ウォーロックをがんじがらめにして見せる。ウォーロックの抵抗するうめき声を足蹴に、ハープは爽やかな笑みを浮かべる。

 

「ポロロン、ごめんなさいね」

 

 ズルズルとやかましい御荷物を引きずり、ギターへと戻って行った。その光景を唖然と見ていた二人。数秒後に、プッと同時に笑いがこぼれた。

 

「きゃはは! ウォーロック君って、ハープのお尻に敷かれてるね」

「ハハハ! ロックださいよ?」

 

 クスクスと、スバルとミソラは顔を合わせて笑っていた。

 

「ミソラちゃん、今日は本当にありがとう」

「だから、気にしないでって。水臭いよ。私達はブラザーなんだから」

「うん、ブラザー……だよね?」

 

 不思議だった。聞きたくもないほど嫌だった言葉が、今は胸を温めてくれる。この温もりを教えてくれた少女の笑顔を見て、ふわりと穏やかな笑みを浮かべた。

 

「それにしても、すごいタイミングで来てくれたね? びっくりしたよ。もちろん、嬉しかったよ」

 

 嬉しいの一言に頬を少し赤くしながら、ミソラは視線を上に逃がしながら答えた。

 

「あ、えっと……ちょっと用事があったから。偶々だったんだ」

「用事? なんの?」

「え、えっと……」

 

 自分の手をもじもじと触り始めたミソラを見て、ハープはギターの中から応援するように両手を構えていた。「頑張って! 頑張って!」と必死に祈りを送る。

 

「なにをだ?」

「アナタは黙ってなさい!」

 

 ギター中からウォーロックの悲鳴が小さく上がる。だが、スバルには小さすぎて聞きとれず、ミソラにはその程度の些細な事を聞きとる余裕などなかった。

 

「スバル君に、お願いしたいことがあったから……その……」

 

 ギュッと唇を噛み締め、目を手元からスバルへと向けた。手も後ろで組んで、もてあそぶことを止めた。

 

「あ、明後日の日曜日、スバル君暇かな?」

「え、特に用事は無いけど」

 

 チャンスというカタカナ四文字が浮かびあがる。それが勇気という二文字に変わり、ミソラの背中を押した。

 

「じゃあ!!」

 

 先ほどまでの消えてしまいそうなものとは正反対の大声だった。それはミソラの勇気の大きさだ。びくりと肩を浮かせたスバルの目を見据え、ミソラは怯える唇を動かした。

 

「い、一緒に……買い物……い、行か……ない?」

 

 だが、段々と声のトーンが下がり、逆に両肩が上がる。合わせるように首は少しずつ項垂れるように下がっていく。それでも、スバルの目を見ることは止めない。よって、目だけが上へと上がる形なる。

 

「え!? か、買い物!?」

 

 いわゆる、上目遣いと言うものにドキリとしながら、スバルは心臓と同じぐらい飛びあがった。

 

「い、嫌……だった?」

 

 悲しそうに、隠れてしまいそうなミソラの言葉に、スバルは今までに無い、最も速いスピードで首を横に振った。あまりにの早さに顔が分身しているように見える。首を痛めないか心配になりそうだ。

 

「そそそそ、そんなわけないじゃないか!」

 

 スバルの全力否定に、今度はミソラがドキリとしてしまう。

 

「ほ、本当?」

「本当だよ! 誘ってくれて、すごく嬉しいよ! た、ただ……その……、僕、お、お……女の子とでで出かけるなんて! 初めて……で!」

「わ、私だって! 男の子と、ふふ二人で……出掛けるなんて……は……初めて……なんだから……」

 

 スバルは動揺から視線をどこに動かせばいいか分からず混乱し、ミソラも必死に自分の緊張を伝える。しかし、最後の初めてという部分だけは恥ずかしさのあまりに萎んでいく。

 二人の必至すぎるやり取りを、ハープはポロロンと笑いながら見ていた。ミソラの勇気を祝福し、両手でタンバリンを叩いている。

 

「なんなんだ、こいつら? モジモジしやがって。言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいじゃねえか」

 

 恋愛に疎いウォーロックですら分かってしまった。この二人は明らかに両思いだ。どちらかがハッキリと思いを口にするだけで、二人の気持ちは叶うのである。

 非効率すぎるやり方を見て呆れているウォーロックに対し、ハープは首を振った。とは言っても、ハープの体は竪琴である。首を振ると言うよりは、体を振ると言った方が良いかもしれない。

 

「鈍感なアナタには分からないでしょうけれど、これが地球人の青春なのよ」

「ふ~ん、青春ね~」

 

 弦に巻かれながら、興味無いと言った顔で返事をしている間に、スバルとミソラの会話が終わった。二人は未だに顔が赤い。

 

「じゃあ、ヤシブタウンのバチ公象で待ち合わせね!?」

「うん。日曜日だね? 分かったよ」

「じゃあ、明後日ね!?」

 

 バス停の方角、つまりはスバルの家の反対方向にミソラは歩き出す。数歩歩いて、見送るスバルに振り返った。でも、すぐにスバルの目から視線を反らしてしまう。地面を向きながら、それでも必死に気持ちを口にしようとする。

 

「き、来てくれなかったら……」

 

 このまま相手を見ずに言い捨てるなんて失礼だ。そんな失礼な振る舞いを、スバル相手にするわけにはいかない。だから、最後はありったけの勇気を振り絞り、おどおどと目だけをスバルに送った。

 

「嫌……なんだから、ね?」

 

 

 それが限界だった。逃げるようにその場から駆けだした。

 

「ま、待ってるからね!!」

「う、うん!」

 

 走り去るミソラに、呆けていたスバルは慌てて返事をした。ミソラはすぐに角を曲がり、スバルの視線から逃げ出した。本当は、スバルには自分だけを見てほしい。けれど、今は恥ずかしさのあまりに、スバルの視界から逃げたかった。

 

「やっちゃった。あたし、やっちゃった!」

「いいえ、あなたはやり遂げたのよ。ミソラ!」

「そ、そうだよね? 私、やったんだよね!?」

 

 ハープの言葉に頷き、ミソラの感情が沸々と温かくなっていく。

 

「やったんだ! 私、やったんだ! ヤッター!!」

 

 ようやく笑みを浮かべたミソラは、無邪気に笑いながらも足を止めることは無かった。このまま、空を走り回りたい気分だ。ハープに頼み、電波変換したミソラはウェーブロードに足をつけた。自分を祝福してくれているような夕焼け空に笑い返し、喜びのままに走り出した。

 一方、スバルは未だに呆けていた。ようやく解放されたウォーロックが話しかけても、彼はボーっと町並みを見ている。傍から見れば夕焼けに染まる町を見て呆けている、ちょっと変わった少年だ。しかし、今のスバルには何も見えていなかった。

 

「買い物……二人で……ミソラちゃんと?」

 

 スバルが言葉を発したのは、ミソラが見えなくなってしまってからゆうに六十秒は経過した時だった。

 

「こ、これって! まさか!?」

 

 導き出された言葉に手がフルフルと震えてくる。これだけキーワードが揃っているのだ。他になんと言う?

 

「で、で……でデデ! デッ!」

「スバルも隅に置けないわね~」

「ぎゃあ!!」

 

 背後から奇襲してきた声にスバルの心臓が大きくジャンプした。スバルはそれに持ち上げられながら、声の主に振り返った。

 

「か、か……母さん!?」

 

 住宅の壁からこっそりと覗いていた顔は、スバルの母であるあかねであった。いつもの心優しい母親のものではなく、目が意地悪そうに笑っている。事実、口に当てた手の脇では口角が上がっている。

 息子に見つかった母親はニヤニヤとした笑みを絶やさずに息子に近づいてくる。悔しそうに歯を噛み締めながら視線を反らしていたスバルは、ふと母親の荷物に目が行く。

 左手には小さいがおしゃれな茶色の手提げ鞄。あかねの落ち着きのある大人の雰囲気を引き出してくれている。いつもパートに行く時に使っている安物だが、あかねの美貌を引き出すには効果が十分すぎる。

 右手にはスーパーとプリントされたビニル袋を提げている。どうやら、パートの帰りに買い物をして来たらしい。その袋から数本のニンジンが元気に顔を覗かせている。おまけに、大特価価格と書かれた値札で自らを着飾っていた。これは主婦の皆様にモテモテだったことだろう。無論、スバルがスーパーの店長を逆恨みしたのは言うまでもない。

 

「なんでここにいるの?」

「主婦がパート帰りに買い物して、家に帰宅しちゃダメな理由でもあるのかしら?」

 

 「ありません」と苦い顔をするスバルに、あかねは腰に手を当てて見下ろしてくる。ニヤリと白い歯が光った。

 

「ところで、あの子、アイドルだった響ミソラちゃんでしょ?」

 

 「やっぱり来た」と逃げるようにスバルは背中を少し反らした。

 

「まさか、スバルがあんなかわいい子を射とめるなんてね~。いつの間に青春しちゃってたのね?」

「ち、違うよ!」

 

 『射とめる』と言う言葉にスバルのまだまだ幼い精神は耐えられない。そんな、まっ赤になっている息子をからかうことを止めないのが母親という生き物である。

 

「ち、違うってば! ちょっと二人で買い物に行くだけだよ!」

「それは認めてるってことになるわよ?」

「だから、違うって! デートなんかじゃないよ!」

「あら、お母さんデートなんて言ってないわよ?」

 

 見事すぎる綺麗なカウンターである。しまったと言葉を詰まらせる息子に、あかねは勝ち誇った笑みを意地悪そうに見せた。

 

「帰るっ!」

 

 バッとスバルはあかねに背中を見せ、吐き捨てるような言葉を残して逃げ出した。白い煙を立ち上げて駆けだす息子が面白く、あかねは指摘しなかった。家は逆方向だと言うことをだ。全力で消えていく赤い背中を見送り、終始笑顔だったあかねの表情が変わった。からかいが無くなったそれは息子を見守る母親のものだった。

 

「学校帰りの息子と偶然会う……か……フフフ」

 

 

 幾つか角を曲がり、スバルは足を止めた。

 

「ハァ、ハァ……もう、母さんってば……」

 

 一連の流れの間、ずっと小刻みに震えているトランサーを不機嫌そうに開いた。

 

「ロック、うるさいよ」

「ククク、わりぃわりぃ」

「悪いと思ってないよね?」

「おう!」

「『おう』じゃないよ」

 

 壁に背中からもたれかかり、空を仰いだ。オレンジ色の絨毯の上を転がって行く雲達に目を細めた。

 

「デート……か」

 

 ホゥと熱っぽく、湿った息が吐き出された。

 

「ミソラちゃんと、二人で……」

 

 自然と、口元が緩んだ。



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第七十二話.デンパ君大会議

2013/6/8 改稿


「なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!」

「いやあ、あの時のお前が面白くってな」

「人を笑いの種にしないでよ!」

 

 ようやく落ち着いたスバルに間違いを指摘したウォーロックは、彼の我儘を聞いて電波変換している。徒歩よりもよっぽど早い交通手段であるウェーブロードを走り抜け、家へと到着した。

 家に入れば、相変わらずニヤニヤとしている母親がいつもどおりに夕飯の準備をしてくれていた。

 

「お帰りなさい。赤飯でも炊こうかしら?」

「いらないよ!」

 

 スバルと違って、あかねは鼻歌を交えてご機嫌の様子だ。よっぽど息子の青春が嬉しいのだろう。ご丁寧に、ミソラの曲を選んでいた。

 

「ブラザーなの?」

「そうだよ」

「今度、家に連れて来なさい」

「分かったよ」

 

 不機嫌な返事をしてスバルは乱暴な音と共に階段を上がって行った。見送りながら、あかねはボソリと呟いた。

 

「聞いた、大吾さん?」

 

 テレビの横にある、家族三人の集合写真。その一番右に写っている体格の良い男性に語りかけるように、あかねはしゃがみ込んだ。

 

「スバルに、ブラザーができたんですって……」

 

 優しい微笑み浮かべ、再び鼻歌を歌い始めて料理を再開した。曲は、先ほどまで歌っていたミソラの代表曲、ハートウェーブだった。

 

 

「もう、嫌になっちゃうよ」

「ククク、良いじゃねえか?」

「ロックはからかえるからでしょ?」

「当たり前だろ?」

「ちっ」

「おい、いま『ちっ』つったか? 『ちっ』って?」

 

 後は、夕飯をしのげばからかわれることもないだろう。それまではゆっくりと宿題でもやろう。気を取り直して部屋のドアを開けた。

 

「……ん?」

 

 部屋の雰囲気がどこか違う。スバルの部屋は、絨毯を二枚は余裕で敷けそうな面積がある。部屋の中には階段が作られており、それを昇ればベッドと望遠鏡、小道具類をしまう棚がある。そこからでも、脚立を使わなければ天井には手が届かない。そんな広いはずの部屋から圧迫感を感じる。空気が張りつめ、重いのである。まだ太陽の温もりが残っているはずのスバルの部屋。しかし、スバルの頬を包むのは冷たい空気だ。

 

「スバル、ビジライザーをかけてみろ」

 

 つまり、電波世界を見ろと言うことである。何があるのだろうと、いつも額にあるビジライザーを下ろした。

 

「げっ!」

 

 灰色だ。ビジライザーの緑のレンズが丸い灰色で満たされた。丸いのは頭だ。その倍の数ある白い塊は目だ。

 

「な、なんでデンパ君達がこんなにいるの?」

 

 安いアパート一部屋分よりも、遥かに広いこの空間を、百体以上のデンパ君達が埋め尽くしていた。彼らの目は容姿と相反して鋭く、ジトーっとした眼差しをスバルに向ける。彼らの戦闘周波数はほぼ零であり、電波ウィルスに襲われたらひとたまりもない。そんな彼らではあるが、これだけの数が集まり、二百個以上の目を一斉に向けられれば、怯まない者はなかなかいないだろう。

 

「スバルサン、サキホドノヤリトリ、ミテイマシタヨ」

「え? 何を?」

 

 一人のデンパ君が、相変わらず目を半月の様にしながら代表して前に出てくる。しかし、言われている内容が何の事か分からない。

 

「フッ、トボケテモムダデスヨ?」

「ワタシ、イチブシジュウミテタンデスカラ!」

 

 隣のデンパ君が大きく叫んだ。

 

「ミソラチャンカラ、デートノオサソイヲウケテイルトコロヲ!!」

「……へ?」

 

 間抜けな声が漏れた。

 

「ミチャッタンデスカラ! ボクタチノミソラチャンガ、スバルサンヲデートニサソッテイルトコロヲ!!」

「ウオオオオ! ミソラチャ~ン!!」

「ウゥ、ミソラチャ~ン!!」

「ウオオ~イオイオイ!!」

 

 一人のデンパ君が泣き出すと、別のデンパ君が堪え切れない涙をこぼした。伝染するように、瞬く間に百体近くのデンパ君達が一斉にむせび泣く。涙の合唱である。

 彼らについて行けないスバルとウォーロックは、反応に困った表情で彼らの様子を見守っていた。

 

「クゥ、デ、デモ! ボクハヤメマセンヨ! ミソラチャンファンクラブDヲ!!」

 

 『D』と言うのが何かは分からないが、どうやらデンパ君達の世界にもミソラのファンクラブがあるらしい。

 

「オオ、ドウホウヨ!!」

「キ、キミモカ!!」

「ワガショウガイノトモヨ!!」

 

 何人かのデンパ君が泣きながら身を寄せ合う。おそらくハグなのだろうが、手が無いので自然とあの体勢になるのだろう。

 

「……男の友情ってやつなんだろうな?」

「男……なの?」

「電波体にも性別はあるぜ」

「なるほど。言われて見れば、ウォーロック達、FM星人にもあるしね?」

 

 広がっていく男同士の友情の中、一人がボソリと口を開いた。

 

「オレハヌケルゼ?」

 

 ピタリと騒音が止んだ。ピリッと電流が走り、恐いくらいの静寂が訪れる。不甲斐なく、スバルとウォーロックはゴクリとつばを飲み込んだ。

 

「オ、オマエ! ヌケルノカ!!?」

「ナゼダ! カイインNo.675807304ヨ!?」

「いや、どんだけいんだよ?」

 

 ウォーロックの当然の疑問はするりと無視された。

 

「ミソラチャンハスバラシイ。デモナ、モットスバラシイコヲオウエンスルファンクラブガアルンダゼ? ソノナモ……」

 

 ちょっと言葉使いの荒い、俺口調のデンパ君は、皆の敵意が集まる中で、堂々と口にした。

 

「ハープ・ノートチャンファンクラブ!!」

 

 ずるりとスバルとウォーロックはずっこけそうになった。それに気付かず、デンパ君達が疑問を口にする。

 

「ハープ・ノート? ダレダソリャ?」

「ジョウホウガオソイゼ? コレガカイインカードダ。ホラ、サッキ、コノマチノジョウクウデサツエイサレタシャシンモアルゼ」

 

 ぴらりと、自分のハープ・ノートファンクラブの会員カードと、現像したばかりの写真を見せる。そこには、まぎれもなく、ミソラとハープが電波変換したハープ・ノートの姿が合った。ウェーブロードで、笑顔でスキップしている姿が写っている。

 

「オオ、カワイイ!!」

 

 お熱な方々を刺激するには充分だったらしい。スバルとウォーロックはどう突っ込めが良いのかと顔を見合わせた。

 

「ワ、ワタシモハイリタイ!」

「オイ、ウラギルノカ! ッテ、ウグッ!」

 

 仲間の一人が揺らぎ、それを止めようとしたデンパ君を、ハープ・ノートファンクラブのデンパ君が押しのける。

 

「ナラ、オレカラ、ワレラハープ・ノートファンクラブノソウチョウ、クラウン・サンダーサンニレンラクヲイレテオコウ」

 

 今度こそ、スバルとウォーロックはずっこけた。

 

「く、クラウン・サンダーって……」

 

 名前からして、FM星人であることは間違いない。一応ウォーロックの様子をうかがうと、頭を抱えて項垂れていた。

 

「クラウンの爺さん、何やってんだよ……」

 

 やはり、そのクラウンというFM星人が、人間と電波変換した名前のようだ。そんな事をしている内に、ハープ・ノートファンクラブに入ると言いだすデンパ君達が増えてきている。対し、それを止めようとするデンパ君が増え出す。

 

「ボ、ボクモハイリタイデス!」

「コラッ! キサマウラギルノカ!?」

「イマノジダイハハープ・ノートチャンダゼ!」

「イツダッテミソラチャンガイチバンダイ!」

「イチバンハハープ・ノートチャンサ!」

「ハープ・ノートチャンガイイナ~」

「フフフ、ハープ・ノートチャンガユウリデスネ」

「ニンゲンタチ二ダッテ、ファンガイルンダゾミソラチャンハ!」

「デモ、ニンゲンダロ! ハープ・ノートチャンハデンパタイダ!!」

「ニンゲンダカラコソイインダロウガ!」

「ソウダソウダ! ミソラチャンガイチバンダ!」

「イチバンハアカネサン!」

「ミソラチャンファンクラブDハエイキュウニフメツデス!!」

「ダガ、コレカラセイリョクヲマスノハハープ・ノートチャンファンクラブサ!」

「ミソラチャンダッテマケテマセン!!」

「イイヤ、ミソラチャンファンクラブDハコレカラモデカクナルネ!」

「ハープ・ノートチャンモイイガ、ミソラチャンノホウガイイ!」

「ダンゼンハープ・ノートダシ!」

 

 冷戦ならず、言戦が繰り広げられる。あちこちで言い争いが続くが、そのうち一組が掴みあった。手は無いが、頭をぶつけたり、体当たりしている。転倒した相手にのしかかり、短い脚で必死に蹴とばしている。だが、体の形状の問題で、バランスが悪いのだろう。蹴り損ねて、勢い余って後頭部からこけてしまった。触発された別のデンパ君達が同じく喧嘩を始める。

 

「あのさ」

 

 騒音の中で静かな言葉は逆に響く。ピタリと喧嘩が止んだ。

 

「喧嘩するなら、余所でやってくれない? 迷惑……」

 

 スバルのちょっと遠慮気味な懇願。だが、明らかに不機嫌な表情。ジーッとスバルを見ていた二百個の目の主達は、背中が平らになるほどビシッと姿勢をただした。

 

「スイマセンデシタ!!!」

 

 サァっと近くの壁や床、天井をすり抜け、デンパ君達は姿を消した。一秒数える暇もない、瞬く間にだ。

 

「オイ、スバル。ばれたらえらいことになるぜ?」

「うん。そうだね。今度こそあのデンパ君達に何をされるか分からないよ」

 

 ミソラとハープ・ノートが同一人物だとばれれば、ミソラちゃんファンクラブDと、ハープ・ノートちゃんファンクラブのデンパ君達から一斉攻撃されるだろう。そうなれば、いつ、どの電子機器が、スバルを狙って爆発するか分からない。彼らは戦闘能力は無いが、人間に代わってあらゆる電子機器に干渉する力を持っている。電子機器一つを爆破することなど造作もないのである。つまり、少なくとも675807304体はいるデンパ君達から狙われることに他ならない。

 

「どうしよう……生きた心地がしないよ……」

「ミソラのヒーローが何言ってんだよ……」

 

 ため息を吐きだし、ビジライザーを外しながらドカリと鞄を下ろす。すると、トントンとドアがノックされた。扉の向こうにいるのは誰なのか、考えるまでもない。

 

「何、母さん?」

 

 ドアを開けて出迎えると、案の定あかねが立っていた。ちなみに、ウォーロックはその隣に目をやっている。さきほどさり気なくあかねを推していたデンパ君が頬を赤らめながらあかねの側に立っているのである。

 

「さっき、学校から連絡があったの。なんでも、学校に来ていたサテラポリスの刑事さんが、大怪我して倒れてたらしいわ。見かけない人も校内で倒れてて、連行されたって。子供が二人も廊下で倒れていたし、屋上も傷だらけだから、事件かもしれないって騒ぎになってるのよ。スバル、あなた今日帰るの遅かったでしょ? 何か知らない?」

 

 知っているも何も、その事件に深く関わっているのである。屋上の傷は、ウルフ・フォレストと戦った時についた物なので、尾上との共同責任である。倒れていた見かけない男は、おそらく、ハープ・ノートが倒したジャミンガーだろう。子供二人は、子供ジャミンガーだった二人とみて間違いなさそうだ。五陽田は……正当防衛ということにしておこう。

 

「……僕、友達の家に行っていたから知らないよ」

 

 内心、悪いとは思いつつも、ケロッとした表情で首を傾げた。一筋の冷や汗がツーっと流れたことに、あかねは気付かなかった。

 

「友達って?」

 

 そこで、ハッと言葉を詰まらした。

 

「えっと……」

 

 ルナの家に行っていたのは本当である。だが、彼女はただのクラスメイトだ。友と言う言葉が、急に重く感じられた。だが、今はそれを払っておいた。

 

「委員長の家だよ!」

「白金さんの家ね? そう、なら良いんだけれど。気をつけなさいよ。最近なんか物騒だから」

「うん。分かったよ」

「でも、ちゃんとミソラちゃんは守ってあげるのよ?」

「しつこいよ……」

「委員長さんに浮気してもダメよ?」

「しないよ!」

 

 その瞬間、あかねの目が三日月になった。

 

「あら、浮気ってことは、やっぱりミソラちゃんとつきあってるのね?」

 

 また嵌められたと苦虫を噛んだ。真っ赤な顔で悔しそうに母を睨むが、母親からしたらカワイイだけである。

 

「もう、出て行ってよ!!」

「はいはい、ごめんなさい」

 

 顔を火照らせ、スバルはちょっと乱暴にバタリとドアを閉めた。クスクスと、あかねは笑みを絶やさずに、階段を降り始めた。

 

「友達の家……ね……」

 

 トントンと母の足音が遠ざかっていく。むしゃくしゃと顔をこわばらせ、スバルは机にドカリと腰掛けて宿題のファイルを開いた。

 数分後、ネットワークを通じて刑事ドラマの情報をチェックしていたウォーロックはトランサーからすっと顔を出した。いつもなら、今頃タッチペンが擦れる聞こえてくるはずだ。しかし、今日は違った。いつまでたっても筆の音がしないのである。見ると、スバルの顔はまだ赤いままだった。

 

「どうした?」

 

 尋ねても、スバルはピクリとも動かない。もちろん、ペンを持った手も動かない。スバルはトランサーの画面に書かれている問題文に視線を落としている。でも、読んでいない。ウォーロックの声すら聞こえていなかった。ただ、思い出す。

 

――い、一緒に……買い物……い、行か……ない?――

 

 あの子から言われた言葉を思い出す。

 

――わ、私だって! 男の子と、ふふ二人で……出掛けるなんて……は……初めて……なんだもん……――

 

「は、初めて……僕も、ミソラちゃんも……」

 

 ブツブツと何かを言い始めるスバルを、ウォーロックは不審なモノでも見るかのように覗きこむ。

 

――き、来てくれなかったら……――

 

――嫌……なんだから、ね?――

 

「僕と、ミソラちゃんと……二人で買い物……」

 

――ま、待ってるからね!!――

 

「ふ、二人でって……」

 

 次に、母に言ってしまった自分の言葉を思い出した。

 

「で、デー……ト……!」

 

 それは、背筋がくすぐったくなるような、ちょっと大人へと背伸びをしたくなる言葉。

 

「あううう!!」

 

 ペタリと机に突っ伏した。放り投げたペンがコロコロと机の上で転がる。目の前を通り過ぎて行くそれに目を向けることもなく、ただ目をうっすらとだけ開いた。

 

「デート……か……」

 

 頬に当たる机が心地良いほどにひんやりとしていた。




 第六十四話でクローヌが企んでいたことはこれです。笑っていただけましたか?
 私は後悔していません。

 デンパ君やナビ達の存在感を出したいため、色々と描写していますが、雰囲気出ていますか?


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第七十三話.デート前日

 太陽の休み時間が終わって数時間。つまり、日が空けた翌日の土曜日。朝早くから、スバルは普段ならばまず行くはずのない店の前へと来ていた。

 

「よし、行くぞ!」

「洋服屋って、そんな意気込んで行くもんなのか?」

 

 異星人はスバルが必死に固めた決意に、冷たい水を刺した。店の入口の前で、拳を固めていたスバルはがっくりと肩を落とす。

 

「あのね……誰だって初めては緊張するんだよ。僕、一人で服を買いに来たことなんて無かったから」

「なら、止めたらどうだ?」

「嫌だよ! ミソラちゃんと歩くときに、変な格好はできないだろ? まあ、この格好が変だとは思っていないけれどね」

 

 今のスバルの服装は普段と同じである。あまり見かけないファッションだが、スバルには似合っていると言える。

 

「だってよ~、バトルカード……」

「諦めてよ。僕だってCD我慢したんだから」

「結局、てめえのもん買うんじゃねえか!」

 

 昨日の夜のやり取りを思い出しながら、ウォーロックは怒鳴った。

 

 

 夕飯を食べ終え、あかねが「明日は赤飯でカツ丼作るからね」とからかって来た後のことだ。絶対に食べたくないと言い返して部屋に戻り、スバルは電子マネーを睨みつけるように提案したのである。

 

「決めたよ、ロック!」

「お、バトルカードを買う気になったか!?」

「CDもバトルカードも買わない」

「……あ?」

「僕、これで服を買うよ!」

「服だああぁぁぁぁ!?」

 

 驚きのあまりにウォーロックの目が別々の方角を向く。

 

「うん! これで、日曜日に着ていく服を買うよ! あ、靴も買わないと……」

「ふ、ふざけんなああぁぁっ!!」

 

 ウォーロックの言葉を聞いていたのは、苦笑いしているデンパ君とティーチャーマンだけだったと言う。

 

 

「まったくよ……ミソラに会ってから、ドンドン色気づきやがってるな、てめえは」

「べ、別にそんなんじゃないよ! おしゃれじゃなかったら、一緒に歩くミソラちゃんが迷惑でしょ?」

「なら、これはなんだよ?」

 

 トランサーの中で、現代のネットワーク技術を最大限に利用して集めて来た情報一覧を広げて見せる。そこには、「これでモテル!」「気になる女の子を振り向かせる技」「あの子とのデートにはこれ!」など、恋する男性達を狙いまくった文字達が並んでいた。その下に、ファッションモデルの男性達が色とりどりの服を着こなしている写真が並べられている。

 

「……さあ! 買いに行こう!!」

「おい、しらばくれんな!」

 

 ウォーロックがしゃべれないように、客が入り乱れている店内へと足を踏み入れた。

 スバルは真っ先にシャツが並んでいるコーナーに足を運んだ。ウォーロックも礼儀正しく黙ってくれたようである。画像データやそこに書かれている豆知識を見ながら、スバルは一つ一つの服を手に取り、自分に合わせていく。そして、写真の服装と確認する。

 

「う~ん、やっぱり、僕に黒は似合わないかな」

 

 そんな事は無いだろうが、スバルは黒いシャツを棚に戻し、白いシャツを手に取って鏡の前に立つ。

 

「どっちかって言うと、白かな?」

 

 大人しく、誠実なスバルの雰囲気を考慮すると、白っぽく、明るい服装の方が似合うだろう。黒っぽい服も使いようではあるが、春の暖かくて明るい雰囲気も考えて、まずは白いシャツを選ぶことにした。そこから、上に羽織るシャツとズボンを選ぶ事に決める。

 

「大丈夫、『アンドウロメダ占い』でも、明日のラッキーカラーは白だって言ってるし!」

「アンドロメダ占い?」

「アンド()ロメダ占いだよ。ロックが持っている変な鍵じゃないんだから」

「あ、ああ、そうか。で、なんだその占い? 当たるのか?」

 

 ウォーロックの言葉に、スバルはキリッと眉を引き締めて答えた。

 

「二百年前から続いている最強の恋占いだよ! あの光熱斗の奥さん、光メイルさんだって、愛用していたらしいんだから!」

「……いや、知らねえけどよ……って言うか、『らしい』かよ……」

 

 呆れるウォーロックを無視して白い服を選んでいると、ふと、隣を男性が側を通りかかる。おそらく、大学生くらいだろう。中々おしゃれに気を使っているらしく、色のバランスが取れている。彼のデニムの腰辺りに目が留まった。皮のベルトを見て、スバルはピンと閃いた。

 

「あ、そうだ。ベルトも買おうかな? ちょっと、大人っぽく見えるかも!」

 

 小学生の男の子からすると、皮のベルトを巻くと言うのは大人のステータスらしい。ちょっと背伸びをしたくなったのである。

 

「なあ、スバル」

「なあに?」

 

 上機嫌で、けれど小声でトランサーに返事をした。ウォーロックの言葉は先ほどと同じく、暇そうなものだった。

 

「いつまでかかる?」

「今日一日は付きあってよ」

「はぁ!? おい、聞いてねえぞ! そんなにかかるもんなのか!?」

 

 ウォーロックはトランサーから飛びだし、天井付近まで高度を上げて店内を見渡した。大ホールのパーティー会場を思わせる広さの大きな店だ。しかし、店内全てを見て回っても、今日一日かかるとは思えない。

 

「おい、全部見ても……」

「何度も手にとって、色々比べるからね。それに、気に入ったのが無かったら、もう何件か回るつもりだから」

「いや、適当でいいだろ! 適当で!」

「服着てない異星人には分からないよ」

 

 無視してスバルは別のシャツを手に取った。こっちは白いことは白いが、袖が明るいオレンジ色だ。もう片方の手には胸と腹辺りに赤いラインが4,5本入っている。このようなアクセントもオシャレには欠かせない。

 上機嫌なスバルと相反して、ウォーロックはがっくりと肩を落としてため息をついた。今日は家で留守番でもしていた方が良かったかもしれない。

 

「なあ、なんでそこまでするんだよ? お前、やっぱりミソラが好きなのか?」

 

 ピタリと手が止まった。

 

「あ、違うぞ、スバル! 今のは違う!!」

 

 今回はからかったわけではない。ウォーロックの素朴で純粋な疑問から出た質問である。それがスバルを怒らしてしまったのかと慌てていた。

 

「分からないんだ」

「……あ?」

 

 予想外の答えだった。首を傾げるウォーロックに目もくれず、スバルは心ここにあらずと言う表情で答えた。

 

「僕は、母さんが好きだよ」

 

 マザコンだとウォーロックは確信した。以前テレビで知識を得た時から、もしかしたらと思ってはいた。だが、さっきの発言は確実にそれである。

 

「それとは少し違うけれど、委員長も、ゴン太も、キザマロも、ツカサ君も、育田先生も、天地さんも皆好きだよ? けどね……違うんだ……」

 

 冷たい視線に、ビジライザーをかけていないスバルが気づく訳もなく、そのまま天井を仰いだ。

 

「ミソラちゃんへの好きは、なにか違うんだ」

 

 おそらく、それが地球人の恋というものなのだろう。ハープの言葉を思い出していた。ここは、からかうべきなのかと考えるが止めておくことにした。スバルを怒らした時のことを思い出したからだ。

 

「まあ、それより、服を選んだらどうだ?」

「あ、そうだね。そうしよう」

 

 別のシャツを手に取るスバルを見て、ほっと一息ついた。今日は素直に付き合ってやろう。これで、少しは早く帰れるはずだ。

 

 

 真っ黒だ。目の前の物がでは無い。部屋が真っ黒だ。だが、火事で焼けたわけではない。本人の世界が黒いのである。

 

「ミソラ、落ち込まないで?」

「だって、明日だよ? これじゃあ、台無しだよ」

 

 女の子らしく、クマやウサギを模した可愛いグッズが並べられているキッチンの中央で、ミソラは両手を床につけて四つん這いになっていた。頭は大きく項垂れ、身につけているエプロンと同じように、床に擦れてしまいそうだ。

 

「でも、こうやって塩をちょちょいとまぶせば……」

 

 ハープは小瓶を二、三度振って、黄色い塊をミソラの口元へと運んだ。パクリと咥え、モグモグと噛み締めるミソラに尋ねた。

 

「どう?」

「ダメ、味がしない……なんで? 卵焼きなのに……」

 

 卵焼き。それは、誰がつくっても一定の味がする初心者向けの一品である。フライパンに油を敷き、溶いた卵を放り込む。それだけで出来上がってしまう

 

料理である

。このお手軽さから、お弁当にはまず入っているであろう黄金の塊だ。しかし、ミソラにとってはあまりにも高いハードルだった。

 

「まずくは無いけれど、美味しくもない。ダメ、これじゃあスバル君には出せないよ……」

 

 ミソラが挑戦しているのはお弁当作りである。初恋の相手に、美味しい手料理を振舞いたいと言う、少女の健気な思いだ。しかし、残念だがそれは叶いそうにない。

 

「なんでかしらね? レシピ通りに作っているのに、見た目だって綺麗なのに……」

 

 ミソラが作った卵焼きは綺麗な黄色である。ところどころ、焼き後となった焦げ目が食欲を誘ってくれる。だが、蓋を開けると味はあまりにも平凡だった。

 

「そこらへんで売ってる安いお弁当でも、もうちょっとはマシだよ!」

 

 お弁当屋さんに謝罪すべき発言である。頭を抱え、ぶんぶんと左右に振っている。

 

「ミソラ、今回はお弁当は諦めたら? ご飯はそこらへんで適当に食べたら良いじゃない。今日は、明日着ていく服とかを選びましょ?」

「でも……『アンドウロメダ占い』でも、明日のラッキーグッズはお弁当だって言ってるんだよ!?」

「分かってるわよ。服選びが終わったら、クッキーに挑戦しましょ? お昼ご飯は無理でも、クッキーならおやつってことで振舞えるし。持って帰ってもらうことだってできるわ」

 

 それに、砂糖をふんだんに使えば味もごまかせるだろう。自分の料理の才能の無さを恨みながら、力無くハープに頷いた。

 

 

 ウォーロックはがっくりとうなだれている。その隣で、スバルはガッツポーズをとっていた。

 

「よし!」

 

 スバルの服装は大きく変わっていた。白と言うよりはクリーム色の半袖シャツの上には、赤と白のチェックシャツ。長いジーパンには皮のベルトもしっかりと締めている。買ったばかりのスニーカーは落ち着いた紺色である。今の間だけ、ビジライザーは額から外し、そっと胸ポケットに置いている。今の姿は誠実なスバルの雰囲気を引き出していると言える。

 

「長ズボンって、ちょっと大人っぽいと思わない?」

「知らね」

 

 スバルの偏見である。半ズボンだろうが長ズボンだろうがそこまで大差ない。半ズボンでおしゃれを決めている人などそこら辺にいる。だが、スバルの白くて細い足が見えない分、ちょっとだけ大人っぽく見えるかもしれない。

 

「あらあら、おめかしなんてしちゃって」

「ゲッ!」

 

 鏡の前でポーズをとっていたスバルは、ギクリと母親に振り返った。

 

「わざわざ服を買いに行って来たの? よっぽど明日が楽しみなのね~?」

 

 クスクスと笑っている母親に駆け寄り、グイッと腰を押した。

 

「勝手に入ってこないでよ~」

「はいはい、ごめんなさいね。そろそろ夕飯だから、着替えて下りて来なさい」

「はーいっ!」

 

 相変わらずニヤニヤと笑っている母にぶっきらぼうに返事をしながら、バンとドアを閉めた。そして、もう一度鏡の前に立つ。

 

「……よし、これならきっと……大丈夫だよね!?」

「知らね」

 

 

 

 荒々しく鼻息を立てているスバルに、ウォーロックは欠伸で返しておいた。気にせず、しわがつかぬよう丁寧に服を脱いでハンガーにかける。素早く今日着ていた服に袖を通しながら部屋を出た。階段を下り、リビングのドアを開ける。目に飛び込んできた夕飯はトンカツだった。その隣には、赤飯がイジワルそうに添えられていた。

 

 

「明日……なんだよね?」

 

 ベッドで布団にくるまれながら、スバルは天井を仰いでいた。

 

「明日……ミソラちゃんと……」

 

 ごろりと体を90度回転させた。頬をほんのりとピンク色にし、口元を緩めた。更に90度回転し、枕に顔を押し付ける。

 

「で、デート……か……」

 

 やっぱり、この言葉は首筋をかゆくさせる。もぞもぞと体を動かした。

 

「おい、うるせえぞ……」

「あ、ごめん」

「早く寝ろよ? 寝坊して遅刻とか、話にならねえぜ?」

「そうだね。ありがとう」

「ああ」

 

 その後、聞こえて来たのはグーといういびきだった。もう寝付いたらしい。今日付き合ってくれたお礼に、今度バトルカードを買ってあげよう。それで機嫌を直してくれるはずだ。でも、今は早く寝よう。明日、寝不足で楽しめなかったら勿体ないし、ミソラに申し訳ない。

 部屋の隅に目を移す。クローゼットの側には、今日買った服がハンガーに掛けられている。明日の眩しい一日に微笑み、スバルは目を閉じた。

 

 

「これで良し!」

 

 慣れた手つきで肌の手入れを澄まし、美容クリームをポンと化粧台の横に置いた。お化粧はあまり好きではないし、若い肌を持つ自分にはあまり必要ないとも感じている。しかし、より自分を美しく見せるため、好きなあの人に自分だけを見てもらうため、そんな小さいプライドは捨て去った。アイドル時代に培った化粧技術に心から感謝しなければならない。

 

「明日は……スバル君と……」

「スバル君と?」

「……た、ただの買い物だもん!」

 

 耳まで真っ赤にして、首をすくめた。顎に隠れてしまって見えないが、多分首まで真っ赤だろう。

 

「さ、さあ! 寝ちゃおうよ、ハープ!」

「ええ、明日は勝負ですものね?」

「そ、そんなんじゃ……無いもん……」

「なら、これは何かしら?」

「も、もう! 意地悪!」

 

 ポーチに入れてある四角いタッパーを指差すハープに頬を膨らませながら、ミソラはベッドへと潜り込んだ。ハープも横に並ぶ。

 

「明日は、頑張りましょうね、ミソラ?」

「……うん……」

 

 微笑みあった二人は、コトリと眠りについた。

 

 

 

 明日は、お互いにとって忘れられない、大切な日なる。そう信じ、スバルとミソラは眠りについた。

 その時間が、ちょうど同じだったことは星達しか知らない。




用語説明

アンド()ロメダ占い:
 元ネタは、アニメ『ロックマンEXEストリーム』
 売れない占い師、アンドウロメダ(女性)が確立させた恋占い。これで、メイルは段々疎遠になっていく熱斗と、再び距離を近づけるきっかけを掴む。
 また、メイルの励ましを受け、アンドウロメダ自身も占い師として自信を持ち、大勢の女の子から指示を受けるようになる。
 この小説では、伝説の恋占いになっている。


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第七十四話.もう一つの土曜日

2013/5/3 改稿


 目を覚ますと日光が目に入った。いつの間にか眠っていたらしい。重い頭を抱えて起き上がる。

 ゴトリと物音が聞こえた。

 ハッと、ベッドの下に置いてあった防犯スプレーを手にとった。この家にいるのは自分一人だ。物音がするということは、余所者がいると言うことに他ならない。そっと部屋のドアを開け、外の様子を窺う。廊下には誰もいない。物音はリビングから聞こえてくる。覗き見ようとノブに手を伸ばす。触れる寸前でそれは彼女の手から離れた。ヌッと大きい影がドアを手前に引いて立っていた。見上げた彼女は安堵のため息を吐いた。

 

「ママ!」

「ルナ、あなた何やってるの?」

 

 母親のユリ子だった。珍しく帰って来ていたらしい。防犯スプレーを持っている我が子を、縁の細い眼鏡の後ろから不思議そうな目で見ている。

 

「その、泥棒かと思って……」

「何を言っている。このマンションの警備は万全だ。そんなわけが無いだろう」

 

 部屋の中から出て来た、父親のナルオが呆れたように答えた。ほっそりとした妻と違い、肩幅が広い。口髭を蓄え、白髪混じりの灰色の髪の毛は四角い輪郭と合わさり、威厳を醸し出している。

 ユリ子の特徴としては、バリバリのキャリアウーマンという言葉がよく似合う。自宅だと言うのにもかかわらず、ピッチリと着こなした紫色のスーツから、冷淡な印象を受ける。

 父の言葉に、そういう問題ではないと抗議しようとする。

 

「そんな事より、お父さんとお母さんに言うことがあるんじゃないかしら?」

「あ、はい……お帰りなさい、パパ、ママ」

 

 言いたいことは、ユリ子の言葉でタイミングを逃してしまった。しぶしぶと帰宅を祝福するお決まりの言葉を口にする。

 

「11歳にもなって、そんな挨拶もろくにできないのか? それで本当に学級委員長が務まっているのか?」

「学校ではどんな教育をしているのかしら。今度、校長に訊きに行く方が良いかしらね」

 

 自分達だって「ただいま」と言っていないくせに。だが、そう言う言葉も飲み込んだ。言う気も起こらない。

 

「体はもう大丈夫なのか?」

「……うん」

「そこは『はい』でしょう?」

「……はい」

 

 律儀に言い直した娘に、ナルオは背中を向けて室内のソファーへと向かった。

 

「なら、すぐにピアノの練習を始めなさい」

「ピアノもろくに弾けないんじゃあ、エリートとしてかっこ悪いわよ」

「……はい」

 

 学校にいる時とはうって変わり、しおらしい返事だった。ルナの元気のない返事に、ユリ子はばたりと扉を閉めた。これが、一週間ぶりの親子の会話である。

 

「全く、コダマ小学校は何をしているんだ? ルナへの教育をちゃんとしているのか?」

「それに、今回の事件よ。この前も教員が事故を起こしたばかりなのに……」

 

 教員とは育田のことである。学習電波暴走事故として処理されたリブラ・バランスの事件も含めて、ユリ子は額に四本の指先を当て、深いため息をついた。夫も唸るように顎に摩る。

 

「学校の教育はあてにならないし、コダマタウンの治安も悪くなる一方か……」

「ねえ、あなた。転校させた方が良いんじゃないかしら?」

 

 ユリ子の言葉に、ナルオはすぐに首を振った。

 

「そうだな、それが良い。全寮制の女学院に通わせよう」

「私も同じ考えよ。さっそく手配しましょう?」

 

 廊下に立っていた一つの影は、フラフラとした足取りで部屋へと戻った。ドアが閉まると同時に、ペタリとその場に座り込んだ。

 

「私が……転校? そ、そんな……い、嫌よ……」

 

 震える首で必死に重い頭を持ち上げる。金色に輝く、大小のトロフィー達がまがまがしいほどに眩しかった。

 

 

 浴びせられる太陽の中で、男は満足げに手の得物を降ろした。

 

「こんなもんだろう!」

 

 男の目の前にあるのは木だ。春の温もりの中で育った、青々とした葉を無数に身に纏っている。そして、彼の仕事はそれをデザインしてあげることだ。

 

「相変わらずの腕前だな」

「まあ、それが俺の仕事だからな」

 

 トランサーから聞こえて来た声に、彼はふんぞり返った。トランサーの住人も微笑みながら外に身を乗り出した。

 

「で、これがヒメカお嬢様がリクエストしたリスか?」

「ああ、画像調べてや……」

 

 言葉を途中で塞いだ。視界の隅に人影が映ったからだ。彼の話し相手もさっとトランサーに逃げ込んだ。

 

「十郎様、また独り言ですか?」

「あ、聞いてらしたんですか、お嬢?」

 

 尾上に話しかけて来たのは清楚な雰囲気を纏った一人の女性だった。尾上よりも二、三歳年下と言ったところだろうか。彼女が、ウルフが話題に出したヒメカお嬢様である。

 ヒメカは、尾上の雇用主である。正確に言うと、雇用主の娘だ。尾上の雇い主はかなりの資産家である。その証拠に、尾上の職場となっているこの庭園を見た者は誰もが言葉を失ってしまう。

 広大な敷地には色とりどりの草花が所狭しと溢れかえっており、中央には豪華な装飾品をつけた噴水がそびえ立っている。そんな、お金持ちの家を絵に描いた様な広大な敷地の中には、数え切れないほどの樹木が植えられている。

 その全ての世話をしているのが尾上である。尾上の仕事はそれらの木々の健康管理と、デザインだ。つい先ほど、ヒメカのリクエストに応えて、一本の木をリスの姿にしたところだ。

 

「まあ、かわいい! 流石、十郎様ですね」

「い、いえ、滅相もないです」

 

 ウォーロックと一緒にいた少年も分かりやすいが、尾上も分かりやすい。それがウルフの感想である。ヒメカと同じく、尾上の頬は少し火照っている。陰ながらに応援してやるのがウルフにできる唯一のことである。

 

「ところで、十郎様。明日、時間は空いていますか?」

「え、あ、はい。お暇をいただけるのならば……」

 

 仕事さえなければ大丈夫だと尾上は答えた。すると、ヒメカはパンと手を叩き、太陽を照らす泉よりも明るく笑って見せた。

 

「なら、一つお願いごとを頼まれてくださいますか?」

「お嬢の頼みなら」

 

 思いを寄せている女性の頼みだ。尾上は快く引き受けた。

 数分後、尾上の態度は一変していた。お嬢のお願いを聞いて、顔を真っ青にして手と首を振った。

 

「む、無理ですって、俺には!」

「お願いします。十郎様ならできますわ!」

 

 決して賢くないわけではないし、世間知らずなわけではない。自分なんかには釣り合わない立派な方だと敬っているほどだ。しかし、やはりこのお嬢様はどこか抜けていると尾上は頭を抱えた。そんな高度なこと、尾上にできるわけがない。

 

「尾上君、そう言わずにヒメカの頼みを引き受けてくれんかね?」

 

 象の姿をした木陰から、豊満な笑みを携えて出て来た男性が一人。ヒメカの父親、つまり尾上の雇い主である。金持ちであることを鼻にかけることも一切無く、尾上にもわけ隔てなく接してくれる心優しい人物である。

 

「ちょ、旦那様! 俺なんかに頭下げないでください!」

 

 そんな人にこんなことをされれば、断ることなどできるわけがない。

 

「なら、引き受けてくださるのですね? 十郎様!」

「あ……えっと……」

 

 また頭を下げようとする旦那様を見て、尾上はあたふたと了承した。そんな尾上を、ちょっと損はするが幸せな人間だとウルフは笑っていた。

 

 

 再び上った日を、ルナはぼんやりと眺めていた。昨日の夜のできことが、鮮明に思い出される。ルナが部屋に戻ってすぐ、両親は仕事へと出かけて行った。珍しく休日を家で過ごすのかと思っていたが違ったようだ。土曜日の朝からまた大好きなお仕事らしい。

 おそらく、両親の楽しみは仕事なのだろう。一体何しに帰って来たのだろうか。そんな両親は、その日の晩に、ルナ宛てにメールを送ってきたのである。それを見て、呆れたように鼻で笑ってしまった。書かれていた言葉はたったの一行だ。再来週からとあるお嬢様学校へ通いなさいという命令だった。

 

「どうせ、こうなるとは思っていたけれどね」

 

 今日もやらなければならない習いごとがたくさんある。だが、それは無視することにした。

 

「どうせ、来週の今頃は……会えないものね」

 

 トランサーを開き、ブラザー一覧からぽっちゃりとした男の子の顔を押す。聞きなれた呼び出し音が鳴る。彼のことだ、朝のこんな時間から起きているわけがない。このまま数分は待つだろう。再来週からは毎日遅刻してしまうのではないだろうか? そんなことを考えていると、パッと画面が明るくなった。

 

「どうした、委員長。こんな朝早くから」

 

 もうすぐ九時だと言いたくなったが、止めた。今日が最後の日曜日なのだから。

 

「ゴン太、今日あんた暇でしょ? 今からキザマロと家に来なさいよ」

「え? ちょ、ごめん、委員長!」

 

 まさかの返事にルナの小さい堪忍袋がぷっつりと切れた。ピクリと眉が釣り上がる。

 

「ど、どういうことよ!?」

「今日、母ちゃんと船上タコヤキパーティーがあるんだよ! 来週なら……」

 

 素晴らしくコアなイベントである。よく見つけたものだ。

 

「タコヤキと私と、どっちが大事なのよ!」

「だ、だって! ずっと前から予約してて……母ちゃんも楽しみにしてて……」

「もういい!」

「あ、委員ちょ……」

 

 おろおろとしている少年に怒鳴り、一方的に回線を切った。慌てて手を伸ばしたゴン太がプツリと消えた。

 

「何が来週よ……多分、今頃は……」

 

 新しい学校のある町で一人暮らしするべく、とっくに飛行機に乗っているころだろう。

 二本の後ろ髪をぶんぶんと振りまわし、気を取り直した。もう一人のブラザーに電話をかける。こっちは予想通り、すぐに出てくれた。

 

「キザマロ、今日あんた暇よね?」

「え? 今日ですか? すいません。身長のびのびセミナーがあるんです!」

 

 胡散臭すぎるセミナー名である。

 

「ちょっと、何よそれ!?」

「ひぃ! ごめんなさい! らら来週なら……」

 

 今度は無言で電話を切った。

 

「なによ、ゴン太もキザマロも……今日が、最後なのに……」

 

 怒りよりも、行き場のない寂しさで声が段々とか細くなっていく。そっと、ポケットに手を伸ばし、あの紙を取り出した。

 

「ロックマン様……」

 

 数秒間、ボーッと眺めていると、はっと目を大きく開いた。

 

「そうだわ! スバル君を誘ってあげましょ! どうせ、元引きこもりで、私達以外に友達もいないはずだし、遊びに行く予定もないはずよ! 誘ってあげたら喜んでくれるはずだわ!」

 

 何とも失礼で自意識過剰な発言である。

 

「そうと決まれば、さっそく行……」

 

 はっと、手に持っている紙を見て、空に弁明しながらしまい込んだ。

 

「な、なんでロックマン様を見ながらスバル君を思い出すのよ! それに、あいつが寂しがってるから誘ってあげるだけなんですからね!」

 

 乱暴にドアを蹴飛ばし、ずかずかと玄関に向かう。靴を履いていると、ふと玄関の大きな鏡が目に留まった。靴をはき終わると、くるりと一回転して見せる。完璧だ。いつもと同じ格好だが、服にしわは無いし、お肌の調子も良好である。髪の手入れなんてパーフェクトだ。当然だ。女の子として、身だしなみに手を抜いたことなど一度もないのだから。満足げに頷き、玄関のドアをゆっくりと開いた。

 

 

 何をしている。毎朝やっていることだ。なのに、なぜできない。

 

「押すわよ! ……って、インターホン押すだけじゃない!」

 

 朝っぱらから、他人の玄関の前で手をバタバタと振って動揺している様は変質者以外の何者でもない。だが、今のルナにはそんな些細なことに構ってなどいられない。

 

「落ち着くのよ、私! 深呼吸、深呼吸……」

 

 スーとハーの呼吸を数回行った後、息をごくりと飲み込んだ。

 

「行くわよ……」

 

 そっと、細い人差し指をボタンへと近づける。

 

「行ってきます!!!」

「え?」

 

 押すより早く、ドアからスバルの声が発せられた。




 ゲームの戦闘狂な尾上も好きですが、アニメ版の身分違いの恋をする尾上も好きです。と言うわけで、両方の設定を足しました。アニメの尾上とヒメカお嬢様の関係、素敵ですよね?


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第七十五話.デート当日

 ジリリリリという擬音が元気に騒ぎだす。負けずに布団を蹴飛ばし、両足を下ろす勢いで身を起こす。鳴り響くトランサーを鷲掴みにし、中で眠そうに耳を塞いでいる居候に代わって停止ボタンを押した。

 

「おはよう、ロック!」

「ああ、珍しく早起きだな?」

「そ、そんな事無いよ!」

「へいへい」

 

 トランサーを置いて、部屋を出ていくスバルにウォーロックは僅かに笑って見せた。

 階段を駆け降りると、既に母のあかねが起きていた。部屋着の上にエプロンをかけ、キッチンで朝食を作ってくれている。

 

「おはよう。いよいよね?」

「うん」

 

 まともに相手をすればまたからかわれてしまう。素っ気なく答え、洗面所に入る。顔を水で濡らすと、いつもは使わない石鹸を手で擦り、泡を頬に塗りたくる。顔全体に伸ばしたら、四回、五回と水を被り、丁寧に泡と汚れを落とした。鏡を見ると、朝日を反射するツルッとした滑々の肌が映った。

 

「よし!」

 

 リビングに出ると、母が朝食を並べてくれていた。目玉焼きが乗ったトーストと、新鮮なサラダ。水滴を羽織ったコップに注がれたミルク。絵に描いた様な、朝日に照らされた朝食である。

 

「いただきます!」

 

 勢いよく席に座り、さっそくパンに齧り付く。カリッとした耳の触感に、卵の旨味が口の中を賑やかにさせる。もうすぐ始まるイベントに、元気と興奮を抑えきれない我が子。その姿を見守るのは、あかねにとって至福の一時だ。だから、ニコニコとサラダを頬張るスバルに、また意地悪したくなるのである。

 

「スバル、今日帰らないんだったら、ちゃんと連絡するのよ」

「え? 帰って来るつもりだよ。何言ってるの?」

 

 パンに奪われた水分を補充しようと、コップに入った白い液体をのどに流し込む。ひんやりとした喉ごしが気持ちいい。

 

「あら? お泊りしないの?」

 

 この母は何を言っているのだろう? 言葉の意味を探してみる。すぐに気付き、飲んでいたミルクを盛大に吐き出した。逆流し、コップから弾き返された分が頭からかかる。

 

「何言い出すんだよ! って、あ~、もう!」

 

 パジャマと髪に付いた牛乳を鬱陶しそうに掃う。もちろん、取れるわけがない。このまま匂いが染みつき、牛乳臭くなってしまったら台無しだ。パンとコップを投げ出し、お風呂場へと駆けこんだ。パジャマを脱ぎ捨てる音と、がらりと開閉される扉の音がする。シャーと言う水温が流れた直後、悲鳴が上がった。

 

「つめた!!」

 

 慌てて、水の蛇口だけをひねってしまったらしい。この間、あかねはずっと、お腹を押さえて笑っていた。

 

 

 スバルが目覚めた頃、少女はとっくに目を覚ましていた。作り終えた朝食をそっとテーブルの上に置く。

 

「いただきます!」

 

 スバルと違って、ミソラの朝食は和食だった。昨日の残りの味噌汁を温め、炊きあがったばかりの炊飯器内の白米。黄色い沢庵に甘い香りを漂わせる小豆。ほうれん草の白和えと、あの卵焼きもある。沢庵と小豆以外は、全て彼女の手作りである。

 

「これだけ料理ができるのに、全部味が微妙って悲しいわね?」

「ほんと、なんで味がしないんだろ?」

 

 フライパンを洗ってくれているハープに頷きながら、出汁の風味がしない味噌汁をすする。卵焼きはやっぱり味が無い。白和えも、ふんわりとはしているが、美味しいとは決して言えない。

 

「今日のあれ、大丈夫かな?」

「大丈夫よ!」

 

 心配そうに、鞄の中にある白いタッパーを見ているミソラに明るく答えた。

 

「だよね! あれだけ練習したもんね!?」

「ええ、きっと大丈夫よ!」

「うん! よし、早くおめかししないと!」

 

 時計にちらりと目をやり、ちょっと硬い白米をかきこんだ。

 

「ハープ、おかわり!」

「はいはい、食べ過ぎないようにね?」

「ダメだよ! お昼は少なくするつもりなんだから。今食べとかないと!」

「お腹壊しても知らないわよ」

 

 丼を受け取りながら、ハープは注意した。ちなみに、小豆、ほうれん草、沢庵は小鉢に入っているのではなく、茶碗いっぱいに入っている。卵焼きは大皿の上に積み上げられ、テーブル上で山のようにそびえている。味噌汁だけは汁物と言うことを考慮して普通のお椀だ。しかし、味噌汁がたっぷり入った鍋がすぐ側に控えている。今、ミソラが三杯目をおかわりをしたところだ。ハープが持って来てくれた、丼に入った白米に箸を伸ばす。

 

「私がこれだけ食べるって知ったら、スバル君びっくりしちゃうよね」

「びっくりするだけで済むかしら」

 

 見るからに食の細そうなスバルを思い出し、ハープはため息をついた。

 

 

 スバルが朝食を終えて部屋に戻ったころ、あかねは鼻歌を歌いながら洗い物に手を伸ばしていた。あかねにハートマークを飛ばしているデンパ君に、呆れたようにため息をつきながら、ウォーロックはスバルの部屋へと戻った。朝からあのテンションに付き合わされるのは疲れるため、ちょっと散歩に行って、戻って来たところである。そろそろ、着替え終わったころだろう。スッと天井をすり抜けて、一階から二階へと上がった。鏡の前にスバルが立っている。どうやら、昨日買って来た新品の服に着替え終わったらしい。

 

「終わったか?」

「うん、どう? かっこいいよね?」

「知らね」

 

 興味ないと答えるウォーロックを気にせず、スバルはチェックシャツをひらりと広げて見せる。ベルトにある皮のベルトが気に入ってるのだろう、無邪気な笑みを見せている。

 

「準備ができたんなら、行くか?」

「もう? ちょっと早くない?」

「バスが遅れて、遅刻したら元も子もないだろう?」

 

 ナビが自動走行する時代になったとは言えど事故は少なからずある。ナビだって故障したり間違えたりするし、電波ウィルスが事件を起こすなど日常茶飯事だからだ。そんな物に、今日の楽しみを邪魔されるなんて堪った物では無い。

 

「そうか! それがあったね!? ありがとう、ロック。全然頭になかったよ」

「それじゃあ……?」

「うん、行こう!」

 

 トランサーにウォーロックが戻ったことと、今持っている電子マネーの金額を確認する。服を買ったが、まだ十二分に残っている。

 

「これなら、いくらでも奢って上げられるよね」

「デートって、男が奢るもんなのか?」

「そうらしいよ? 何買うか分からないけれど、これなら大丈夫だよね! だから、カードはもうちょっと待って?」

 

 右手だけでごめんのポーズをとるスバルに、ウォーロックは諦めたように言う。

 

「分かったから気にすんな。そのかわり、今日は思いっきり楽しめよ?」

「うん!」

 

 頷き、買ったばかりの靴を片手に部屋を飛び出した。時計の針が待ち合わせの時間に到達するまで、まだまだたっぷりと余裕がある。しかし、少年にはそんなこと関係ない。一秒でも早くあの子に会いに行きたい。秒針よりも早く彼は階段を駆け降りる。駆け下りて来たスピードを緩めず、体当たりするようにドアを蹴破った。

 ピンポーンとスバルの足を緩めるようにチャイムが鳴った。リビングからも見える玄関では、あかねがいそいそとドアを開けていた。

 

「いらっしゃい。ありがとうね、こんな朝早くから」

「いえいえ、壊れたのが冷蔵庫ですからね。一大事ですよ」

 

 ひょいっと入って来た、ふっくらとした顔。スバルはすぐに相手の名を呼んだ。

 

「天地さん?」

「お、スバル君、おはよう!」

 

 ちょっと出ているお腹と、青い作業着が特徴的な若い男性は笑顔でスバルに振り返った。

 どうやら、先ほどのあかねの言葉からすると、冷蔵庫を直すために朝早くから来てくれたらしい。尊敬する大吾先輩の家庭事情を、我が身の用に心配してくれているのである。どこまでもお人好しな男だ。

 

「ところで、スバル君。すごくうれしそうな顔してるけれど、何か良いことでもあるのかい?」

 

 いつもと違う恰好をしているスバルを足先から頭先までじーっと観察する。残念ながら、頭はいつも通りの鶏冠状態だ。

 

「それが、聞いてよ天地君! スバルったら、これからあの響ミソラちゃんとデートなのよ!」

 

 「余計なことを……」と苦虫を噛み締めるスバルを無視して、天地はあかねに習ってからかいだす。

 

「お、あの時の子か! いつの間に射止めたんだい? スバル君も隅に置けないな~」

 

 あかねだけならいざ知らず、天地も一緒になると、スバルに襲いかかってくる恥ずかしさは二倍以上となってくる。全身を真っ赤にしながら、スバルは必死に否定する。

 

「だ、だから! ヤシブタウンで一緒に買い物しに行くだけだよ!」

 

 だが、小学生をからかうなど、この二人にしてみれば歩くほど簡単なことである。それが、正直すぎるスバルだと言うのなら、呼吸と等しいレベルだ。

 

「ヤシブタウンって言ったら、デートスポットですよね~?」

「もう、この子ったら青春満喫しちゃって! お年頃なのよね~?」

「行ってきますっ!!!」

 

 逃げるように玄関に向かい、真新しい靴でドアを蹴飛ばした。ドアが閉まるにつれて、スバルが走り去っていく音が小さくなっていく。バタリと言う音を最後にリビングは静まり返った。

 

「スバル君、表情が豊かになりましたね?」

 

 からかっている時のものでも、誰かと話す時に見せるものでもない、穏やかな笑みをスバルを送り出したドアに向けていた。それは、あかねも同じだ。

 

「ええ、学校に行く少し前からちょっとずつね……何があったのかは分からないけれど、あの子が変わるきっかけになってくれて良かったわ」

 

 

「まったく! なんなんだよ! 母さんも天地さんも!!」

 

 ブツブツとトランサーに向かって文句を言いながら、スバルはドスドスと不機嫌そうに公園に向かって歩いている。彼の背後でのそのそと動く影には気づかなった。

 

「何よあいつ……」

 

 先ほど、インターホンを押そうとしていたルナである。スバルの声が聞こえたと同時に、慌てて近くの壁に隠れた彼女は、遠ざかっていくスバルの背中を見ていた。

 

「こんな時間から出かける用事なんてあるの? 元登校拒否児にしては活発ね」

 

 相変わらず酷過ぎるコメントである。

 

「しかも、何よあの格好? おしゃれまでしてどこに行くのよ」

 

 どうやら、スバルが一夜漬けで選んだ服は、ルナもそこそこ認める組み合わせだったらしい。

 

「何よ、楽しそうに……ニヤニヤして、気持ち悪い……」

 

 ニコニコと太陽に向かって伸びをし、軽い足取りで横断歩道を渡って行く。幸せいっぱいの少年の姿は、ルナには気に食わない。

 

「……ここは……後をつけるしかないわね……」

 

 白金ルナ。本来の目的を忘れ、暴走するのがたまに傷な女の子である。



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第七十六話.デートに行こう




 横断歩道の白線だけを踏むように飛び越えながら、スバルはワイヤレスイヤホンから流れてくる曲に合わせて歌い始めた。ちょっとずれているが、ウォーロックは突っ込まなかった。ほっといてもそのうちマシになるはずだ。

 横断歩道を飛び越え、バス停まで近道しようと公園の中を通る。後をつけてくる、素早くこそこそと動く影には一切気付かなかった。

 中に入ると、まず見えてくるのがBIGWAVEの看板である。今はLEDのライトを消しているが、煌びやかな赤や青で作られたドでかい文字看板は、どうしても目立つ。ふと声に気付いて視線を下げると、砂場の側に三つの影がある。

 

「お、キャンサーがいるじゃねえか。ちょっとからかってくるぜ?」

「虐めたらだめだよ?」

「いじるだけだって」

 

 一応心配して、胸ポケットのビジライザーをかける。千代吉のトランサーから飛びだしたキャンサーが手を振っている。前回は八つ裂きにしていたが、二人はそこそこ仲が良いらしい。違うかもしれない。ウォーロックがラリアットをかましている。彼なりの乱暴なスキンシップかもしれないが、キャンサーがちょっと可哀そうだ。

 

「やあ、千代吉、久しぶり」

「おう! スバルじゃねえかチョキ! 元気にしてたかチョキ?」

 

 以前、キャンサー・バブルになって、ちょっとした騒ぎを起こした千代吉が偉そうにふんぞり返った。二歳も年上のスバルを呼び捨てとは、なかなか生意気な子供である。

 千代吉と一緒に話していたのはBIGWAVEの店長、南国ケンだ。派手なサングラスをかけた顔をしかめている。

 

「ねえ、スバル君も何か言ってあげてよ! ちょっときつめ的なのを!」

 

 ぶんぶんと両手の拳を胸元で振っている。彼にしては珍しく、ちょっと怒っている様子だった。

 

「そうだチョキ! スバルもなんか言えチョキ!」

「どうしたんですか?」

 

 二人に尋ねると、南国が応えてくれた。

 

「このおじいさん、朝っぱらからお酒飲んでるんだよ! 説得してよ!!」

 

 千代吉が話していた相手は南国ともう一人いる。

 

「おじいちゃん、昼間からお酒飲むのはあまり良くないって、母ちゃんも言ってたチョキよ?」

「ほっほっほっ、聞こえんのう」

「……あれ?」

 

 スバルは初対面のおじいさんをよく見てみた。ツバの短いハンテング帽を被っているから気づかなかったが、この声は最近聞いたことがある。もしかしたら、初対面じゃないかもしれない。

 

「さあ、お酒返して!」

「いやじゃ!」

「我がまま言わないで!」

 

 南国が力づくでお酒を取り上げようとした時、おじいさんは顔を上げた。それに身覚えがあった。

 

「あ、おじいさん……」

「ん? おお、君か?」

 

 おじいさんも気付いたみたいだった。

 

「売店で良く会うのう?」

「はい……」

 

 帽子の下から出て来た、しわだらけの顔の持ち主は、理事長のおばあちゃんの友人で、よく焼きそばパンを食べにくるおじいちゃんだった。あれから、何度か売店で会うので顔見知りになっている。ウルフ・フォレストと戦った日も、お昼休みに売店で顔を合わせていた。

 それにしても、逞しいおじいちゃんである。スバルに気付いて笑ってはいるが、酒瓶を手に吸いつけるようにして放そうとしない。

 

「もう、いい加減にして的な! 無茶しすぎなんですよ!」

「この前だって、ミソラっちのコンサートで、杖付くの忘れて走り回ったって言ってたチョキよね? 体に悪いチョキよ?」

 

 ちょっとだけ手加減している南国が怒鳴り、隣の千代吉が心配そうに尋ねた。

 それを聞いて思い出した。ミソラがコダマタウンで失踪した日、杖をつかずに走り回っている老人がいた記憶がある。どうやら、その時の老人が、このおじいちゃんらしい。

 

「知らん! ワシのハードトロピカルを奪うでない!」

「いや、これ僕のだから的な!? さあ、手を離して的な!」

 

 おじいちゃんの頭をちょっと抑え、とうとうハードトロピカルと言うお酒を取り上げた。

 

「ああ、ワシのハードト……」

「だ・か・ら! 僕のだから的な!?」

「おじいちゃん、ほら、ミソラっちの曲聞かせてあげるから、我慢するチョキ」

 

 

 すっと差し出された千代吉の小さい手には、ワイヤレスイヤホンが握られている。

 

「おお、ありがとうのう。う~ん、ミソラちゃんの曲は最高じゃ!」

 

 どうやら、もうお酒は良いらしい。この間に、南国はさっと酒瓶を戻しに店内に戻って行った。

 

「なんだ、お前らまでミソラのファンなのか?」

「そうプク! オイラも『ミソラちゃんファンクラブD』に入ったプク! これで、千代吉と同じ、ミソラっちのファンクラブ会員プクよ~」

 

 ウォーロックの呆れたような疑問に、キャンサーは白い花をまき散らしながら答えた。どうやら、千代吉も「ミソラちゃんファンクラブ」の会員らしく、キャンサーは、先日デンパ君の大軍が口走っていたDと名のつく謎の団体に入ったらしい。

 

「なんなんだ、Dって?」

「電波の略プク! つまり、電波世界の『ミソラちゃんファンクラブ』プクよ! ただ、最近『ハープ・ノートちゃんファンクラブ』が急速に成長してきてるプク! 負けるわけにはいかないプクよ~!!」

 

 メラメラと闘気を発するキャンサーの隣で、ウォーロックは呆れたように目を細めた。

 

「お前、名前からして気づかねえか? ハープ・ノートの正体に」

「気づいてるプクよ! あの口うるさいハープが、地球人と電波変換してるプク!」

「……そこまで分かってて、まだ気づかねえか?」

「何がプク?」

「……いや、良いや……」

 

 どうやら、キャンサーは電波変換している地球人がミソラだと気づいていないらしい。めんどくさいので、ウォーロックはキャンサーを軽く小突いて話を終わらせた。

 

「そうだ! ウォーロック、『ミソラちゃんファンクラブD』に……」

「入んねえぞ!!」

 

 おじいちゃんがルンルンと体を揺らしている横で、千代吉は徐にスバルに話しかけた。

 

「ところでスバル、お前今日暇か?」

「え、今日?」

「おう、どうせ暇なんだったら、遊んでやっても良いチョキよ……」

 

 最後は照れくさそうに目を横にずらした。戻って来た南国は千代吉の本心に気づいている。いつもBIGWAVEで遊び相手を探している千代吉を、声に出さずに応援していた。

 

「ごめん。僕、今から出かけるんだ」

「そ……そうチョキか……」

 

 明らかに落ち込んでいる千代吉に、南国はポンと肩に手を置いてあげた。

 

「スバル君にしては珍しい的な? どこに出かけるの?」

 

 南国もさりげなく失礼である。普段とは違うスバルの服装を見ながら尋ねた。

 公園の入り口に身を隠しながら、ルナはナイスと南国に賞賛を送った。ここからではほとんど会話を聞き取れないが、この台詞はしっかりと聞いていた。

 

「ぼ、僕ですか? それはですね……」

 

 こう言う時、背伸びをして自慢したくなってしまうのが男の子である。腰に手を当てて胸を張り、言わなくて良いことを言ってしまった。

 

「ヤシブタウンで、今からデートです」

「で……」

「デ~ト~!?」

 

 驚いた千代吉の声は、ルナにまで届いてしまった。

 

「んな、なんですって~っ!?」

 

 ルナが驚愕して歯をガチガチと鳴らしていることも知らず、目を丸くしている千代吉と、拍手を送ってくれている南国に、スバルはふんぞり返っていた。

 

「スバル君、おめでとう的な! それでその格好?」

「うん、変……かな?」

「いやいや、似合ってるとも! その子のハートを射止めるための気合十分的な!?」

「い、いやあ……そんな事無いですよ」

 

 ピンク色に笑っているスバルの遥か後ろで、黒い炎が激しく立ちあがっていた。

 

「じゃあ、バスが出ちゃうから……」

「うん、今度、お話聞かせて的な!?」

「ば、バイバイチョキ……」

 

 元気に手を振ってくれる南国と力なく手を振る千代吉、そして、未だにミソラの曲を聞きながら踊っているおじいちゃんに手を振って、スバルは走り出した。

 

「じゃあな」

「ウォーロック、『ミソラちゃ……』」

「いや、興味ねえから」

「今度は入ってプク~よ~」

「あ~あ~、別の機会にな!」

 

 あれから、ウォーロックはずっと勧誘を受けていたらしい。入会を拒否しながら、スバルを追いかけた。スバルが公園から出ていき、ほぼ同時にウォーロックがスバルに追いつく。それを見送りながら、キャンサーはシュンと自分の会員カードに目を落とした。

 

「ミソラっちの良さが分からないなんて、ウォーロックは人生損してるプク」

 

 ハァとため息をついた時だった。嵐が舞い降りた。千代吉と南国も、キャンサーの後ろに振り返った。そこには、とぐろを巻き、竜巻のように立ち上る漆黒の烈火。その周りの空気は熱気で歪み、蜃気楼のように景色を折り曲げる。業火の中央に、一つの影がゆらりと立っていた。

 言葉を失い、顎を全開に開いた千代吉が南国の方足を両手で掴む。南国も同じだ。本当は逃げだしたい思いを抑え、しゃがんで千代吉を抱き寄せた。

 

「え、エイリアンプクー!!」

 

 自分が宇宙人だと言うことを忘れた発言である。

 

「ちょっと良いかしら?」

「ヒィ!?」

 

 キャンサーの姿は見えていないはずである。だが、ちょうどピッタリの位置とタイミングで彼女は口を開いた。

 

「さっき、スバル君がいたはずだけれど、どこに行くって?」

「や、やや、ヤシブタウンです……」

「そう、どうも……」

 

 ビュゴオオと人間では無い音をまき散らし、ズシリズシリとスバルが消えた方角へ歩きだした。

 エイリアンが消え、『的な』という口癖すら忘れていた南国は空を仰いだ。

 

「スバル君、ごめん……的な」

 

 空でキラリと浮かぶスバルの笑顔に両手を合わせると、千代吉とキャンサーも習って冥福を祈った。今も変わらずにはしゃいでいるおじいちゃんを背景に。




 キャンサーはアニメでは大のミソラファンです。クラウンと同じく、千代吉と一緒にファンになってもらいました。


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第七十七話.待ち合わせ場所へ

2013/5/3 改稿


 千代吉達と別れ、公園を出たスバルはまっすぐにバス停へと駆けだした。千代吉達としゃべってしまったため、数分のタイムロスが生まれたからだ。

 

「ロックの言うとおり、早めに出てきて良かったよ」

「まだまだ時間に余裕があるぜ。次のバスに乗り損ねても、間に合うくらいにな」

「うん、でも早く行きたいんだ」

 

 どうやら、スバルの頭からは、最も早くヤシブタウンに行ける手段が抜けているらしい。電波変換すれば、ものの数分で待ち合わせ場所に足をつけることができるだろう。

 ウォーロックも移動手段代わりに電波変換されるのが癪に障るため、黙っておいた。その判断をさっそく後悔する。バス停の目の前にある横断歩道でスバルが立ち止まったのである。赤信号なのだから、立ち止まって待つのは当然だ。だが、その間のスバルが気に入らない。落ち着かない足が幾度も交差し合い、トントンと爪先で地面を蹴っている。双眼はじっと、信号機が通過を許可する瞬間を待ち望んでいる。

 

「急がなくても、バスが来る時間は変わんねえだろ?」

「まあね。でも、なんか落ち着けなくて」

 

 もう一度、自分の足を止めている歩行者用信号機に目をやって、車側の信号機の様子をうかがう。ちょうど、青から黄に変わったところだ。すぐに赤に変わると、スバルは立ちながら組んでいた足をほどいた。とたんに、正面の信号機が青に変わった。それを見て、立ち止まっていたロスを取り戻そうと足が駆けだした。

 

「だから、バスが来る時間は変わらねえって!」

 

 バス停の隣に立ち、そわそわと時刻表の上にあるデジタル時計を見ているスバルに、ウォーロックは深いため息をついた。だが、その目は先ほどと違って穏やかだった。いつも冷めたような光を放っていたスバルの目が、少年っぽさを秘めていたからだろう。

 当の本人はそんなことに気づかない。数字が変わる度に、踊ろうと飛び跳ねる胸を抑えるのに必死だ。

 バス到着予定時刻数分前になると、時計から道路へと目を移す。どの角からバスが曲がってくるのかと探していると、手前から4つ目の角から現れた。ちょうど、時刻表ピッタリだ。道路の数十センチ上の空を走るバスが、空中ブレーキをかけてドアを開ける。フレームは掃除不足なのだろう、そこそこ汚れていたり、ペンキがはげている。無骨な四角い塊が扉を開くと同時に、ジャンプするように夢の時間へと誘ってくれる馬車へと乗り込んだ。

 乗客はスバル一人だ。よって、バスはすぐに駆けだした。すぐ近くの木陰に隠れている少女に気付く理由はない。その少女は、バスが地平線へと消える手前でヌッと顔を出した。途端に、「コソコソコソッ!」と軽快な忍び足で時刻表に近寄った。これでは学級委員長ではなく、不審者である。時刻表と時計を確認し、先ほどスバルが乗ったバスを確認する。

 

「『ヤシブタウン直行便』ですって? まさか……もと引きこもりのくせに、本当にデート!?」

 

 公園で鼻高々にふんぞり返っていたスバルの横顔が脳裏に走る。

 

「……次のバスは……途中で何駅か止まっちゃうのね。それでも、約数分遅れでヤシブタウンに行ける……か……」

 

 鋭くて切れ長な目が、新たにやって来たバスを射抜いた。おそらく、操縦していたナビはビクリと肩をすくめたことだろう。

 

 

「お前は痴漢を警戒する乙女かよ」

「別に、そんなんじゃないよ」

 

 バスの中で服を気にしているスバルは、刑事ドラマで得た知識を披露しているウォーロックに突っ込みを入れていた。

 

「スカート履いてるわけでもねえだろ。変だぞ?」

「いや、服にしわがよっちゃ……って、ああ、もう!!」

 

 ほぼ満員のバスの中、乗客の間に挟まった上着の裾を丁寧に引っ張り出す。

 

「ちっとくらい大丈夫だろ?」

「ミソラちゃんが気にするかもでしょ?」

「……まあ、好きにしろよ」

 

 神経質なスバルに呆れ、ウォーロックはスバルの青いトランサーからのそりと抜けだし、隣の客の赤色のトランサーへと入って行った。どうやら、個人情報を見て暇をつぶすつもりらしい。悪趣味と思いながらも黙認し、窓へと目をやった。

 自宅近くまで流れる小川。無機物な世界に、そっと命を匂わす街路樹。その下で一休みしている散歩中の老婦人。窓の端っこでは公園内の樹の天辺が見え隠れする。自分が乗っているバスを映す店々のガラス戸。一つ一つが輝き、まるで祝福してくれているかのようだ。

 右折左折を繰り返すたびに、段々と見なれない町並みへと変わっていく。段々と車道の幅が広くなり、対向車線から二車線へ道路が姿を変えていく。平行して走る車が多くなり、中には大型トラックの姿も見えはじめる。それでも輝きは薄れず、むしろ増して行く。

 スバルの目の表面を、バスの外の光景が次々と駆け抜ける。映るものが変わる度に、双眼はランランと灯す煌きを強くして行った。

 だが、それも時期が来れば終わりを告げる。それは、何度目かのバスの停止と共に送られてきた開閉音だった。運転していたナビが録音されていた音声を流し、目的地の到着を告げる。それに耳を傾けるそぶりすら見せず、出口付近の客達が一斉に降車を開始した。乗客たちの流れに乗るように、スバルも出口へと向かう。すっと足を降ろすと、そこはもうヤシブタウンだ。数歩歩んで空を仰いだ。

 

「うわあぁ……」

「ほう、こりゃすげえな」

 

 いつの間にか戻っていたウォーロックも感嘆の声を上げた。見上げるビル群に小さい空、その間を拭うように翼を広げる飛行機。空を股にかけた高速道路とモノレール。目に映るもの全てが、二人がテレビでしか見たことのない光景だった。

 

「負けてたまるか!」

 

 自分を飲み込まんとする世界を見上げながら、パンと頬を軽く叩いた。

 

「何にだよ? ところで、まだ時間あるからよ。そこらへんぶらつくか?」

 

 トランサーとバス停の電光掲示板に映る時計を見ながら、スバルに提案した。街を見渡すと、チラリと目に入ったたものが彼の興味をそそったからだ。男性が自慢の筋肉を見せつけている看板だ。スバルもああなれば、戦闘も楽になると考えたのである。ちなみに、この看板は筋トレをメインにしたスポーツジムの物である。

 

「え~、早くミソラちゃんとの待ち合わせ場所に行きたいよ」

「はぁ、しゃあねえな」

「ごめんね。今日は一日付き合ってよ」

「今日()だろ! まあ、良いぜ。お前らのデート中に、こっちも色々見させてもらうさ」

「で、デートじゃないってば」

「顔赤くしてたら説得力無いぜ?」

 

 首筋をポリポリと掻いているスバルに呆れながら、ウォーロックは待ち合わせ場所である、バチ公象の方角を検索してくれた。どうやら、ここからすぐ近くにある長い階段を上った先にあるらしい。

 ウォーロックのナビを受けながら足を向けてみると、確かに長い。建物の階段に例えれば、三階分はありそうだ。待ち合わせ時間を確認する。まだ三十分以上時間がある。バスはもう2,3個後の物でもよかったかもしれない。

 そんなことは、スバルの高鳴る気分は抑える要因にはならない。一段一段踏み上がることすら我慢できず、「ダンッ! ダンッ!」と階段を蹴飛ばし、飛び越え、重力に逆らっていく。最後の一段を飛び越え、眼前に広がった光景に目を凝らした。

 高さと幅が3メートルほどありそうな犬の石造が中央に映った。周りのベンチに腰かけている中高生くらいの者達が談笑し、そのそばを親子連れの若い家族や老夫婦、わき目もふらずに走っていく子供達など、様々な人々が右に左にと流れていく。

 それらに見向きもせず、バチ公と呼ばれる犬の石造の真下に目をやった。髪の色ですぐに分かった。人ゴミをかき分けるように彼女の前へと進み出た。

 

「ミソラちゃん!」

 

 その言葉で、キョロキョロとしていたミソラがスバルに気付き、目が合った。

 

「スバル君!? もう来てくれたの?」

「そっちこそ、もう来てくれて……」

 

 ミソラの目の前まで来たスバルの言葉はそこで遮られた。今日のミソラはいつものピンクのコブ付きパーカーではなく、少し赤い7分袖のシャツに、グレーのノースリーブを羽織っている。黄緑色のホットパンツは黄色のひらりとしたミニスカートに変わっている。黄土色のチャッカ―ブーツが女の子らしさを更に引き立てている。

 

「ど、どうかな?」

 

 スカートをひらめかせ、ミソラはひらり一回転してみせた。スバルはくるりとミソラに背を向け、顔に手を当てた。

 

「どうした? 鼻でも痛いのか?」

「いや、ちょっと……」

 

 地球人の行動が分からないウォーロックは、鼻を必死に抑えているスバルを細い目で見ていた。

 

「あ……変だったかな? この格好……」

「変じゃないよ!」

 

 振り向き直り、でかすぎる声で叫んだ。通行人が何人か驚いたように一瞬だけ振り返った。

 

「す、すっごく似合ってるよ! 可愛いよ!」

「ほ、ほんと!? う……嬉しいな……」

 

 好きな男の子からこう言われて、照れない女の子はいない。波状にした口に両手を添えて、頬色の顔をうつむけた。目は嬉しさでちょっと潤んでいる。

 

「あ、あのね! スバル君のも、似合ってるよ。かっこいい」

「本当に! やった!」

 

 好きな人に褒められた時、女の子が照れるのなら、男の子はガッツポーズをとるのが地球人の行動パターンらしい。スバルは両手でギュッと拳を握っている。

 

「来てくれて、ありがとう」

「来るに決まってるじゃん。ミソラちゃんの頼みだもん……」

「あ、ありがとう……」

 

 ミソラが更に顔を赤くする。理由は言わずもながらだが、スバルは分かっていならしい。しかし、すぐに自分の発言に気付いた。これでは、自分がミソラに気があると言ってしまったようなものだ。負けずと顔をダルマの様に赤く染めた。

 

「……おい、ハープ! どうするんだよ。スバルもミソラも黙っちまったぞ?」

「良いから、アナタは黙っていなさい。ここは、そっと見守ってあげるのよ」

「それが地球人の青春か?」

「そう言うこと。ガサツ星人にしては物分かりが良いわね」

「誰がガサツ星人だ!」

 

 二人の隣でウォーロックとハープは、地球人には見えない周波数で、聞こえない声の周波数でひそひそと会話をしている。

 この膠着を切り開いたのはミソラだった。

 

「じ、じゃあ! さっ、さ……さっそく行こうか?」

「う、うん。行こうか?」

 

 ミソラが歩き出し、後に続くようにスバルが隣に並ぶ。しかし、ふとミソラが踵を返した。

 

「ごめん、今から行く103デパートはこっちだった」

「あはは、うっかりさんだね」

「えへへ」

 

 ぺろりと笑って見せるミソラに、スバルは穏やかな目で笑い返した。

 

「ポロロン! ミソラ! スバル君とお似合いよ!!」

 

 両手で、キラキラとした銀箔を張り付けた、紙の束の様な応援用グッズを振りかざし、ハープは一心不乱にエールを送っている。その隣で、ウォーロックは呆れたように肩をすくめた。

 

「ほら! あんたも応援する!」

「あ? この……ヒラヒラした物を振るのか?」

「や~ね~、これは地球人の女の子が使うものよ。それとも、あんたも試しに使って見る?」

「誰が使うか!」

 

 怒鳴るウォーロックをからかうように、ハープはヒラヒラの紙束を押しつけようとする。そこから少し離れた場所では、紫色のオーラが上がっていた。

 

「ど、どど! どういうことなの!? なんでスバル君が、あの響ミソラと!?」

 

 先ほどこの街に到着した白金ルナである。ヤシブタウンの待ち合わせ場所と言えばバチ公像である。そこにスバルと、スバルの彼女がいるであろうと勘ぐって来てみれば、予想通りだ。予想外だった点と言えば、スバルの彼女があの響ミソラであったことである。

 

「なによ、スバル君もあんなに嬉しそうに!! 先に誘ってあげようとしたのは私よ! 私が先に誘おうとしたのに!!」

 

 スバルに先約を入れていたのはミソラの方である。

 

「だいたい、スバル君と響ミソラにどんな関係があるって言うのよ!? 元引きこもりのくせして……」

 

 その元引きこもりを遊びに誘おうとした自分の行動に気付いていないようである。

 

「こうなったら……小さいプライドになんて構ってなんかいられないわ! 徹底的に後をつけてやるんだから!」

 

 小さいプライドどころか、人間を捨てていることに気付いていない。

 

「覚悟しときなさいよ、スバル君。フフフフフ……」

 

 毒々しいオーラが禍々しく立ち上り、近くにいた4歳ほどの男の子が言い知れぬ恐怖を察し、泣きだした。

 

 

 

 ルナは完全に忘れている。先日、スバルに言われた言葉を……

 

 

 

 衛星女、ここに降臨である。



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第七十八話.離さないよ

2013/5/3 改稿


 今、スバルとミソラはヤシブタウンの街を二人並んで歩いている。その上空のウェーブロードにいるのはウォーロックとハープだ。ハープはミソラを応援しようと興奮しているが、ウォーロックは冷めた表情で街を見渡している。二人の関係よりも、珍しい物が無いか探しているらしい。

 そんな4人より少し後方では、コソコソと動いているドリルがあるが、誰も気づいていない。

 

「きゃ!」

「あ、ごめんよ」

 

 すれちがった男性の鞄がミソラの肩に当たった。男性は軽く謝罪して人波の向こうに消えていった。

 

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。それにしても、人多いね?」

「そうだね。大都会ってこんなに人がいるんだね。びっくりしたよ」

「日曜日だからこんなに、きゃあ!」

 

 今度はミソラのポーチが人波に巻き込まれそうになった。ミソラも斜め後ろに引っ張られてしまう。

 

「ミソラちゃん!」

 

 伸ばしたスバルの手が、宙を泳いでいたミソラの手を掴んだ。グイッと引っ張り、ミソラとポーチを救出する。

 

「あ、ありがとう」

「よかっ……た」

 

 ここで、二人は気づいた。今、互いの温もりが肌を通して伝わって来ていると言うことに。

 

「ご、ごめん!」

 

 「手を離さなきゃ!」そう考えているのに、手は逆にミソラをしっかりとつかんで離さない。

 

「あ、あの……え?」

 

 そっと、ミソラの細い指がスバルの手の甲に折りたたまれた。

 

「逸れちゃうの嫌だから、このままでいようか?」

 

 チラリと上目を使ってくるミソラを見て、血液がスバルの顔に集中した。

 

「う、うん……」

 

 スバルの言葉に、ミソラは嬉しそうに手を握る力を強くした。スバルの手はがっしりとしていてびくともしない。ほっそりとしているが、やっぱり男の子なのである。ドキドキと胸の高鳴りが強くなった。

 そのまま、手を繋いで歩き出す二人。互いの顔が、火のように赤くなっていることには気づかなかった。

 二人の姿を見て、「キャー!」っと興奮するハープを、ウォーロックは呆れたようにため息をついた。

 ちなみに、二人の後方では禍々しいオーラが立ち上っていた。そんなことに気付く訳もないスバルはただ焦っていた。歩いているのは良いが、何も話題が見つからないのである。

 

「こんな時は……」

 

 チラリと、左手のトランサーを見て記憶を呼び起こす。女の子との会話に困った時の話題をちゃんと検索しておいたのである。そのうちの一つを思い出し、話題にしようとする。だが、喉までしか出なかった。とたんに、手から汗がダラダラと流れ始める。

 スバルが話題にしようとしたのはこれからの予定だ。だが、肝心な予定を立ててきていないのである。一番肝心なデートコースがノープランだ。これは致命傷である。

 

「ごめんね?」

「え?」

 

 謝ったのはミソラだ。突然の謝罪に、スバルはヒョイッと顔を上げた。

 

「その、買い物に付き合わせちゃって……」

「え? あ、買い物……うん、買い物だね」

「あ、あの、やっぱり、迷惑だったかな?」

「そんな事無いよ! 絶対ないから!」

「そ、そう? なら、良かった!」

 

 阿修羅の様に首を分身させているスバルにちょっとだけ引いた。でも、やっぱりそう答えてくれると嬉しい。少し胸がキュンと熱くなった。

 対し、スバルの胸はしょげる様に冷めていった。そうだ、これはお買い物である。デートと思っていたのはスバルだけだ。ハァと小さく、スバルの失望が吐き出された。

 隣にいるスバルのため息に気付かず、ミソラは高鳴る胸を抑えようと言葉を探し、口にした

 

「な、なんか! これって、で、デートみたいだよね~……って、忘れて!!」

 

 もう片方の手で口と顔を押さえ、必死に赤い顔を隠そうとしている。スバルはそんなミソラの仕草を可愛いと思いつつ、デートという言葉に強く反応した。

 

「ぼっ僕は、デートでもいいかな~なんて……」

「ふぇ! いい、今なんて!?」

「あ、いや! ごめん、何でもない!!」

「あ、う、うん……」

 

 やっぱり、口にするのは恥ずかしい。二人は地面を見て気を紛らわした。そっと顔を上げて相手をうかがう。その動きは、傍から見たら鏡のようにぴったりと動きも速度もそろっていた。よって、同時に二人の目が合う。バッと、再び二人は目を下に逃がした。手を繋ぎながらのこの行動はハープの微笑みを誘ってくる。だが、人によっては怒りを誘う行動である。

 

「何いちゃいちゃしてんのよ……」

 

 ルナの手に握られてコンクリートの壁が、ピシリと悲鳴を上げた。

 

「あれ?」

 

 ルナの背後から男性の声が聞こえた。思わず振り返ると、高校生くらいの男の子が突っ立っていた。その数歩離れた先では、同じくらいの年の男の子が二人いる。二人が彼に振り返っていることから、おそらく三人で遊びに来ているのだろう。

 

「あれって、響ミソラじゃね!?」

「え!?」

「まじで!?」

 

 三人目の声が特別にでかく、ちょっと聞き取りにくい発音の持ち主だった。通行人からしたら、うるさいが何を言っているのかは分からなかっただろう。しかし、当の本人であるミソラと、彼女を気にかけていたスバルにはハッキリと聞き取れた。声の方角を見ると、人混みの向こうから、こっちを指差して目を丸くしているお兄さんがいた。

 

「やばっ!」

「逃げよう!」

 

 スバルが走り出し、ミソラが引っ張られるように走り出す。買い物袋の脇や、すれ違う人の隙間を縫うように、スバルとミソラは全速力で駆け抜けていく。ふと後ろを振り返ると、人混みをかき分けてくる三人の高校生が見える。どうやら、彼らもファンらしい。六つのハートマークをした目が追いかけてくる様は、ちょっと恐い。ここでスバルは逃げられないと察した。人混みをかき分ける力も、歩幅も、彼らの方が上だ。逃げる手段が無い。だが、それは二人が普通の小学生だったらの話だ。

 

「スバル!」

 

 頼もしい声が隣にいる。それを確かめたスバルは、ビルとビルの隙間に滑り込んだ。

 

「ここだ!!」

「ミソラちゃ~ん!!」

 

 先に追いついた二人が、滑り込むように裏路地へと飛び込んできた。

 

「……あれ?」

 

 眼前に広がっていた光景に、二人は目をハートマークから円に変えた。そこにいたのは、男の子に引っ張られて逃げるミソラではなく、ゴミ袋を漁っている野良猫だった。

 

「おい、ミソラちゃんは?」

 

 ちょっと遅れ来た三人目が「ぜぇぜぇ」と二人に尋ねた。

 

「いや、いねえ……」

「え、なんで!?」

「確かにミソラちゃんだったよな!?」

 

 二人に続いて、裏路地の光景を確かめている三人目。彼の隣で、でかい声の持ち主が最初にミソラを見つけた視力の良い友人に尋ねた。

 

「のはずだよな?」

「見間違いとか?」

「かな~?」

 

 首を傾げている三人。彼らの少し上空で、ほっと一息がつかれた。

 

「……危なかった……」

「あ、ありがとう。スバル君」

「どういたしまして」

 

 ウェーブロードに立っているロックマンの手の中で、ミソラは彼の首に手を回している。今のミソラはロックマンに抱きかかえられている状態だ。まさか、お姫様だっこしてもらえるとは思っていなかったのだろう。ミソラは照れたように頬を赤くしている。スバルも同じだ。ミソラの柔らかくて温かい体を腕いっぱいに抱えて気が気では無い。

 

「重い……よね?」

「そんな事無いよ! ものすごく軽いよ!」

 

 仮に、本当に重かったとしても「うん」と言えるわけがない。

 

「あ……あの! 電波変換! 響ミソラ オン・エア!」

 

 ミソラも電波変換し、ハープと一つになったハープ・ノートへと姿を変えた。

 

「これで私もウェーブロードを歩けるから、降ろしても良いよ?」

 

 ミソラなりの気遣いである。スバルに負担をかけまいと、腕をほどいた。流石にこれ以上続けると変態なってしまうため、素直にハープ・ノートを降ろした。

 そんな二人の足元では、高校生三人が足早にその場を後にしていた。理由は単純、恐いものから逃げたのである。メラメラとすさまじい炎を纏っている鬼が来たら、誰だってそうする。

 

「スバル君……私を巻くとは、やってくれるじゃない! 良いわ、とことん追いかけてやるんだから……」

 

 ゴミ箱をあさっていた野良猫が、悲鳴を上げて逃げて行った。そんなおぞましい光景が足元で繰り広げられていることにも気付かず、ロックマンとハープ・ノートは歩き出した。

 

「このまま103デパートまで行っちゃう?」

「……できれば、寄り道して行きたかったんだけど……」

「じゃあ、そうしようか」

「時間大丈夫?」

「大丈夫だよ。どこに寄りたいの?」

 

 しばらく話をした二人は、ウェーブロードを歩きだした。ちなみに、一連の二人のやり取りを見て、鼻血を出してショートしているデンパ君が数人倒れていたと言う。

 

「……スバルの奴、俺への礼は無しかよ……」

「ポロロン、今日の私達はこういう立ち位置よ。我慢なさい」

「……ケッ、面白くねえの」



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第七十九話.迷子

2013/5/3 改稿


 適当な場所で電波変換を解いた二人は街中を歩いていた、103デパートに行く前に、適当にぶらついてお店に入るつもりだ。ウェーブロードの上では、ハープが見守っている。ウォーロックは様々な物を見て興味を示してあちらこちらへとせわしなく動いている。その度に、ハープがウォーロックを無理やり連れ戻している。

 

「あれ?」

 

 ミソラの目が会話をしていたスバルから前方へと固定された。

 

「どうしたの?」

「女の子!」

 

 駆けだすミソラに首を捻りながら追いかける。すると、道路の端にあるベンチに座って、シクシクと泣いている4,5歳くらいの女の子がいた。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

 レースのハンカチを取り出し、顔を上げた女の子の涙を拭ってあげる。

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

「どうして泣いてたの?」

 

 ふわりと笑って尋ねると、少しずつしゃべりだした。

 

「あのね、パパとママと、お買い物に来てたの」

「迷子になっちゃったんだね?」

「うん」

「そう、一人で頑張ってたんだ。偉いね」

 

 女の子をあやしながら、よしよしと小さい手を握ってあげる。「優しいな」と思いながら、スバルもしゃがんで女の子の頭を撫でてあげる。

 

「どうしよう? ミソラちゃん?」

「決まってるよ! この子のパパとママを探してあげよう!」

 

 ここで、「買い物は良いの?」と尋ねるのは野暮というものだろう。ミソラが買い物よりもこの女の子を優先する子だと言うことを、スバルも分かっている。

 

「お姉ちゃん達も探してくれるの!?」

 

 パァッと顔を明るくさせる女の子に、ミソラとスバルはにっこりと笑って見せた。

 

「うん、だいじょうぶだよ。私達が探してあげるから!」

「パパとママは、どんな格好してるの?」

 

 スバルは女の子から両親の特徴を聞き出すと、それをトランサーにメモした。

 

「じゃあ、探しに行こうか?」

「うん、行こっか?」

 

 女の子は、手を出してくれた二人に嬉しそうに飛び付いた。スバルは左手を、ミソラは右手を掴み、少女と並ぶように歩きだす。

 

「あ、どうしよう?」

 

 ミソラは二人に聞こえないほど小さい声で呟いた。女の子の両親を探すにしても、どこから探せばいいのだろう? 闇雲に探しても、この大都会から探し出すのは難しい。

 悩んでいるミソラの隣で、スバルが質問を口にした。

 

「最後に、パパとママと入ったお店はどこ?」

「えっとね……おもちゃがあるお店」

「じゃあ、そこに行ってみようか?」

 

 女の子の答えを聞き、スバルが自然と最初の目的地を決めた。

 

「ありがとう、スバル君。頼りになるよ」

「そうでもないよ。一番頼りになるのはあの二人だよ」

 

 あの二人でミソラは察した。ハープとウォーロックのことだ。

 

「先におもちゃ屋さんに行って、探してもらってるよ」

 

 胸ポケットにあるビジライザーをかけながら空を見上げると、スバルがメモしたデータを片手に、ウェーブロードを駆けていくウォーロックとハープが見えた。おそらく、最も効率の良い方法だ。

 

「やっぱり、頼りになるよ」

「そう?」

「そう! ウフフ」

 

 間に挟まれた女の子は軽く笑いあう二人を交互に見て、ニコッと表情を緩めた。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんだかね……」

 

 少し、勿体ぶった女の子が笑って言った。

 

「パパとママに挟まれてるみたい」

「パパと……」

「ママ?」

 

 二人が顔を見合わせる。途端に恥ずかしくなり、二人はバッと前を向いた。

 

「あれ? お兄ちゃん、お姉ちゃん、オテテが熱いよ?」

 

 その言葉に、二人は更に手を熱くした。ちなみに、その三人の姿を見ていた影が上空にあった。

 

「か、可愛い……」

「子供の夫婦……」

「破壊力抜群です……」

 

 最新式にバージョンアップされたデンパ君達はプスンとショートし、次々に倒れて行った。その近くで、メールを送れずに首を傾げている女性の姿があった。

 そんな彼らの横に設けられている四車線の道路を、大きなコンテナを担いだトラックが走って行く。その反対側では鬼が髪を振り乱していた。

 

「あの二人……どこに行ったって言うのよ!?」

 

 シルクのような金色の髪束が逆立ち、持ち上がる様を、触らぬ神に祟り無しと、通行人たちが避けて行った。

 対し、スバル達は平和だった。途中で女の子にソフトクリームを買ってあげ、ミソラが手を繋いで歩いて行く。

 

「おいしい?」

「うん、お兄ちゃん、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 振り返って丁寧にお礼を言う女の子に、笑って手を振りながら、スバルは二人を後ろから眺めるように歩いて行く。それから幾つか角を曲がれば、おもちゃ屋さんの黄色い看板が見えて来た。そこで、スバルの左手が騒がしくなった。

 

「どうだった?」

「いたぜ。それっぽい若い夫婦だ」

「ありがとう。ナイスだよ、ロック、ハープ」

「どういたしまして。ポロロン」

 

 ミソラとアイコンタクトをとり、ソフトクリームを食べ終えた女の子の手を優しく掴んだ。

 大手おもちゃ販売店に入り、迷子センターに足を運ぶ。すると、すぐに店員に案内された若い夫婦が駆けよって来た。女の子を見つけると、その子の名前を大きく叫んだ。

 

「パパ! ママ!」

 

 女の子も駆け寄る。スバルとミソラと一緒にいる間も、やっぱり寂しかったのだろう。その目から涙が零れ始めた。母親が女の子を抱きしめ、父親が頭を撫でてあげる。

 その様子を、ミソラはにこやかに、しかし、少々の憂いを込めて眺めていた。ふと、手が温かくなる。スバルが手を握ってくれていた。

 

「ありがとう、スバル君」

「お安い御用だよ」

 

 笑ってみせる二人に、女の子の父親がゆっくりと歩み寄って来た。

 

「ありがとうございます」

「いえ」

「気にしないでください」

 

 子供相手に丁寧に頭を下げるお父さんだ。あの女の子の丁寧な部分は、父親から譲り受けたものなのだろう。そんな事を考えながら、二人は軽く頭を下げた。

 

「お姉ちゃん、お兄ちゃんありがとう」

 

 母親の手を引っ張るように女の子が駆け寄って来た。

 

「パパとママに会えて良かったね?」

「うん!」

 

 元気いっぱいに笑って頷く姿に、スバルとミソラも、女の子のお父さんとお母さんも釣られて笑った。誰も気づかなかったが、異星人二人も釣られている。

 

「それじゃあ、私達はこれで」

「あ、はい。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 父親に続いて母親が頭を下げた。続いて、女の子が余計な一言と共に頭を下げた。

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、デートの邪魔してごめんなさい」

 

 意外とませていた。もしかしたら、ちょっと大人の背伸びをしているのかもしれない。顔から火を噴いた二人は、慌てて店を後にした。



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第八十話.噴水のイタズラ

2013/5/3 改稿


 おもちゃ屋さんから飛びだした二人はフゥと大きく息を吐いた。

 

「な、なかなか逞しい女の子だったね?」

「うん、ちょっと意外だったよね……ママと一緒だったからかな?」

「……ミソラちゃん……」

 

 遠く、この世界に無い物を見る目をしているミソラを覗き見る。ミソラも気がつき、慌てて話題を振った。

 

「そういえば、スバル君のお母さんってどんな人なの? メールでしか知らないんだけれど……」

「あ、写真あるよ? 見る?」

 

 ウォーロックが慌てて「止めろ!」と、止めようとしたが、遅かった。スバルは満悦の笑みと共にトランサーを開いた。ミソラに見せるように、写真フォルダを開く。そこには、「母さんの写真」と書かれたフォルダがある。それを更に開くと、バァッと画面いっぱいに細かい写真が並んでいく。

 

「これが、母さんだよ。近所で美人って評判なんだ!」

「う、うん、すごい美人だね?」

「だよね!? ゴン太やキザマロなんか、顔赤くしてるんだよ!! で、こっちが、僕を生んでくれてすぐの母さん。若いでしょ!?」

「……うん……若いね……」

 

 興奮してしゃべるスバルに、ミソラは顔をピクピクと引きつらせた。流石の元アイドルでも、この動揺を隠せないらしい。自分も、母親に強く依存していると自覚している。しかし、スバルほどではないと断言できる。

 ウェーブロードの上で、ハープは冷たい眼差しをスバルに向けていた。

 

「スバル君って、マザコンだったのね?」

「それも、重度のな……」

 

 二人の重いため息が漏れた。

 どうしようとミソラは考えていた。隣では、スバルが今も母親自慢をしているが、いちいち相手にはしていられない。何か話題を逸らせるものが無いかと顔をスバルに向けながら目を辺りにチラつかせる。ちょうどいい物に目がとまった。

 

「あ、噴水だよ! 行こう!」

「え? あの、この母さんの……」

「行こっ!!?」

 

 母のドレス姿を自慢しようとするスバルを無視して、強引にスバルのトランサーを閉じ、手を引っ張った。階段を駆け上り、広場の中心で水を吹いている石の彫刻の側に立つ。

 

「う~ん、涼しい!」

「うん、爽やか~!」

 

 飛び散る水しぶきの、くすぐったい冷たさに手をかざして、片方の目を瞑る。隣を窺うと、体を縦に伸ばし、水の道に描きだされる太陽に微笑むミソラがいた。不規則に舞い散る細かい水の粒達はガラス玉のように煌き、ミソラの体を優しく撫でる。日の光に祝福されるように微笑む姿に、スバルはごくりと唾を飲んだ。

 

「……妖精……」

「うん? 何?」

「え!? あ、何でもないよ!?」

 

 日と水の妖精に振り向かれ、スバルは目を反らしてごまかした。「見惚れてました」なんて言えない。

 二人を冷やかすように、噴水が水の勢いを増した。時々起こるサプライズだ。近くで遊んでいた子供達が慌てて逃げ、いち早く気付いた30前後のカップルが噴水から脇目もふらずに駆けだした。しかし、噴水の目の前で、互いに余所見をしていたスバルとミソラは気付くのが遅れてしまった。ミソラがハッと前を見ると、一本の水のラインが自分に向かって手を伸ばしていた。

 

「キャア!」

 

 とっさに身をかがめ、手を前に突き出す。しかし、形の無い物を止められるわけが無い。次の瞬間に飛びかかってくる冷たさに身をこわばらせた。

 

「え?」

 

 冷たいより早く、温かいがミソラの体を包んだ。頬には、がっしりとした逞しさが押しつけられる。バシャリと音が鳴るが、ミソラにかかった水はほんのわずかだった。

 

「大丈夫、ミソラちゃん?」

 

 屈んだ体を戻さずに見上げると、スバルの顔がそこにあった。

 

「あ、ありがとう」

 

 庇ってくれたスバルの胸に両手を添えていた。細いと思っていたが、スバルは男の子だ。育ちかけの体は自分と違って、がっしりとしている。

 スバルは動揺していた。庇うためとは言えど、ミソラを抱き締めてしまったのである。おまけに、その体はふんわりとして柔らかく、髪からは甘くて良い香りがする。女の子とこれだけ接近したのは多分初めてだ。

 二人の体についた水滴が、ジューっと白い帯を上げて蒸発していった。

 それを見て、爆笑しているやつが一人。

 

「ギャハハハハ! スバルとミソラのやつ! オックスみてえに赤くなってやがるぜ!」

「ちょっと! スバル君はともかく、ミソラをあの下品な牛と一緒にするんじゃないわよ!」

 

 オックスがあまりにもかわいそうである。今頃、頭に金のワッカをつけたオックスが「ブルル」と泣いていることだろう。

 

「大体、アナタは根本的に下品なのよ! オックスと同レベルだわ!」

「なんだと! 俺をあんな単細胞と一緒にするんじゃねえよ!」

「充分単細胞よ! 単細胞で牛細胞!」

 

 二人とも、一度オックスに謝罪すべきである。そんな二人の横を二つの影が通りかかった。

 

「やれやれ、人間界の子供カップルもお熱いけれど、こっちの二人もお熱いね?」

「あら? 私達が一番熱いわよ!?」

「そうだね、ハニー」

 

 二つの影のうち、一人はデンパ君。もう一人は赤いラインを施され、スカートを履いた電波ちゃんだ。最近デンパ君の対となる存在として普及し始めた女の子である。

 デンパ君が何気無く、正面から右斜め下に視線を映すと、とんでもない物が目に入った。

 

「……ちなみに、あっちもアツイよ?」

「どれどれ……ええ、恐いくらいだわ……」

 

 その先では、怒りのボルテージが限界寸前なのだろう。体から業火を立ちあげている少女が、噴水とは逆方向に向かって歩いていた。

 

「ス~バ~ル~く~ん~!! どこに消えたって言うのよ!!!」




 流ロク3で、スバルが母親の写真を持ち歩いているときはびっくりしました。ちなみに、OSSでは熱斗君も母親の写真持ち歩いて、お互いに見せ合いをしていました。


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第八十一話.いらっしゃい

 びしょ濡れになってしまった服を乾かすにも、五月の太陽の力では不十分だ。やむを得ず腰に巻いておいた。

 

「ごめんね、スバル君。私のせいで……」

「気にしないでよ。ミソラちゃんが濡れなくて良かったよ」

「ウフフ、私が濡れなくて良かったんだ?」

「え?」

 

 意味ありげに笑うミソラを見つめながら、言葉の意味を探して行く。意味を察し、赤くなった顔を必死に横に振る。

 

「ちょ! 僕、そんな趣味無いから!」

「キャハッ! 冗談だよ、冗談」

 

 意地悪く笑って見せるミソラに肩をすくめるように笑って見せる。だが、ミソラに聞こえないように、小さく舌打ちもした。

 

「あ、このお店可愛い! ねぇ、入ろうよ?」

 

 ミソラが目に止めたお店には、花やウサギといった絵が描かれた、可愛らしい看板が掲げられている。窓から見える品々を見るとアクセサリー類を扱っているお店のようだ。

 

「かわいいお店だね。僕も見てみたいな」

「じゃあ行こっ!」

 

 スバルの手を掴み、ミソラは無邪気にお店に飛び込んだ。入ると、そのすぐ左隣にカウンターがある。そこに座っていた店員が気づき、二人に頭を下げた。

 

「いらっしゃいませ」

「こんにち……は……」

「あれ?」

 

 スバルとミソラの微妙な対応に店員は違和感を覚え、頭を上げた。

 

「あ……」

 

 三人の表情が固まる。その店員は、スバルとミソラも知っている人物だったからだ。

 

「尾上さん!?」

「あ、ああ……ボウズとミソラか……」

 

 そう、店員の正体は先日、ウルフ・フォレストとしてスバルと激闘を繰り広げた尾上であった。

 

「って言うか……」

 

 今の尾上を見て、スバルとミソラは顔をひきつらせた。今の尾上は先日の職人の作業衣では無かった。お店の雰囲気に合わせ、ピンク色のフリル付きエプロンを身につけており、水色の斑点柄のリボンで髪をまとめている。

 二人はスッと足を一歩引いた。

 

「引くなよっ! せめて笑ってくれ!!」

 

 今の尾上に、一昨日のワイルドさは微塵もなく、小学生二人に泣きつく哀れな青年だった。

 

「っていうかよ、なんでお前ら店番なんてしてんだ? ぐ、グギャハハハハハ!!」

「ウォーロック! てめえは笑うなっ!!」

「今、尾上が笑えっつたろうが! ギャハハハハ!!」

 

 抑えきれずに大爆笑しているウォーロックに、ウルフが掴みかかる。そんな二人を、ハープは汚いものを見るような目で見ていた。

 

「……あ、あの……どうしてこんなところに?」

 

 ミソラが状況打開のために尋ねると、尾上がメソメソと泣きながら答えた。

 

「俺の雇い主のヒメカお嬢様がよ。『友人が一日店を留守にするから、代わりに店番やってください』って頼んで来たんだよ。で、このありさまだ」

「明らかに人選ミスだろ」

 

 ウォーロックがもう一度尾上を見て、プククと笑いだした。ウルフも肩をすくめる。

 

「俺もそう思う」

「他にいなかったの?」

「だから、尾上に回って来たんだろうよ」

「だからって、似合わなさすぎだろ! ギャハハハハ!!」

 

 異星人三人の会話を聞き、尾上はスッと立ちあがって店の奥にすっ込んだ。どうやら心に傷をつけてしまったらしい。

 

「ミソラちゃん、何も見なかったことにしようか?」

「うん、そうしてあげよ」

 

 おぞましい尾上を脳内から消し、ミソラは店内を見渡す。

 

「かわいいものがいっぱいあるね? 見てみようよ?」

「うん、そうしよう」

 

 店内には様々なアクセサリーが並んでいる。腕に巻くチェーンや、ベルトにつける物もある。ミソラがふと目にとめたのはペンダントだ。二つで一つになる、カップルが身につける物だ。こっそりと隣を窺うと、スバルは別の商品を手にとって見ている様子だった。

 「これ欲しいな」というだけで、スバルならこのペンダントを買ってくれるだろう。だが、言いだすのも、二人で身につけるのも恥ずかしい。そんな事をスバルに強いるのも悪い気がする。それに、スバルはすでに流れ星のペンダントを首から下げている。ならば、買ってもらうとしたら、このようなカップルが身につける物ではなく、普通のオシャレなペンダントがベストだろう。結局、このペンダントは元に戻しておいた。

 スバルはあるペンダントを手に取っていた。ハート型のペンダントだ。ハープ・ノートの胸にあるシンボルマークはハート型だ。ミソラへのプレゼントとしてちょうど良いと考えたのである。しかし、やっぱりプレゼントなんて恥ずかしい。結局、棚に戻しておいた。

 その時、ちょうどミソラのお腹がクゥッと可愛らしく鳴った。唇をギュッと結び、赤くなった顔を隠しているミソラを見て、クスリと笑って提案した。

 

「ちょっと早いけれど、食事に行こうか?」

「うん、お腹減っちゃった!」

 

 ミソラもはにかみ、頷きあった二人は店を後にしようとする。

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

 

 店の奥から尾上が出て来た。あの格好は止めており、青いエプロンをつけている。リボンはもちろん無い。

 

「お嬢と、この店を経営しているお嬢の友達が、ミソラの大ファンなんだ。サイン貰えねえか? 後、このお店、『響ミソラが立ちよった店』って宣伝して良いか?」

 

 意外と周りに気がきくらしい。ミソラは快く了承し、二枚の色紙にサインを施した。そして、お店に飾るために、ちょっと大きい色紙を用意してもらい、サインを書いておいた。

 

 

 休日のお昼時は人がアリのようにレストランに群がって行く。並ぶのが嫌なので、外でも良いからお昼を軽く済ませる人達もいる。そんな人達が集まるのが、屋台が立ち並ぶ広場である。おにぎりやホットドックと行った軽いものから、本格的なお弁当を売っているところもある。スバルとミソラが訪れた広場では、真ん中でグルグルとドでかいモワイ象が回っていた。なんでも、ここもヤシブタウンのスポットらしいが、恐くて近づけない。離れた場所にあるベンチに座り、二人は買って来たハンバーガーを広げる。

 

「いただきます!」

「いただきます」

 

 丁寧に両手を合わせて食べ始めるミソラに釣られ、スバルも両手を合わせた。小さい口でハンバーガーに齧り付き、ミソラは幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「おいしいね、スバル君?」

「うん、このハンバーガーもおいしいよ!」

 

 スバルも笑って返すが、美味しい以外にもう一つ理由がある。頬にケチャップをつけたミソラがかわいいからだ。笑って頬を指差すと、ミソラも気づいて拭った。一連のちょっと慌てた仕草に、スバルは可愛いと小さく呟いた。ちなみに、隣の席で二人を見ていた20代前半くらいのカップルがそれを見ていた。

 

「カワイイ、あの二人」

「お似合いって奴だね?」

 

 それを聞いていたハープがガッツポーズをとっていたのは言うまでもない。だが、ハープは同時に不安に胸を詰まらせていた。ミソラが一足早く食べ終えたのである。すさまじい胃袋を持つミソラがこの程度の量で満足するわけがない。朝食をたくさん食べてきたが、このままお昼ご飯をおかわりしてしまうのではないかとはらはらしながら見ていた。だが、ミソラだって分かっている。ここで更に食べるのはタブーだ。だが、グーッと、健康的な空腹音が大きくなった。

 

「あはは、ミソラちゃん物足りないの?」

「あ……うん、ちょっとね」

「買い物はこの後でしょ? ちゃんと食べとかないと大変だよ。」

「でも……」

 

 不安げに面を上げると、優しいスバルの笑みに射抜かれた。

 

「もう少ししたら、ここも混み始めちゃうよ? 待ってるから買っといでよ」

 

 これがトドメだった。ミソラは嬉しそうに立ち上がり、ある屋台へと歩き出した。ミソラが来るまで待とうと、スバルはゆっくりとハンバーガーを口に運び、味わうようにパンと肉を噛み砕く。

 食べ終わったころに、ミソラが帰って来た。

 

「お待たせ!」

「…………」

 

 お帰りの返事が無い。当然だ、ミソラはこれから宴会でも開くつもりなのかというほど大量の食料を抱えて来たのだから。

 

「……な、何買って来たの?」

「えっと、サンドイッチとホットドック三種類に、おにぎりも五種類くらい。お弁当はカツ丼に焼きそば。あ、カレーライスもあるよ。スバル君好きだよね。食べる?」

「……いや、僕はもういいや」

「そう? じゃあ、ちょっと待っててね?」

 

 そう言いながら、カツ丼の蓋を開けて中身を頬張った。スバルは目の前から立ちあがる匂いの大軍に胸を掴んだ。ちなみに、隣で見ていた若いカップルはアングリと口を開いていた。だが、スバルと同じく胸やけしたのだろう。早々に立ち去って行った。




 尾上さんで遊び過ぎたw けど、後悔してません!


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第八十二話.急接近!?

 五分ほどだろうか。ズーッと音を立ててジュースを飲み干すと爽やかに手を合わせた。

 

「ごちそうさまでした!」

「……よく入ったね」

 

 ミソラ一人で自分の家の冷蔵庫は空っぽになりそうだと、スバルは目を丸くした。ゴミの山を抱え、隣のゴミ箱に捨てて、ミソラの元に戻る。

 

「あれだけ食べたから、ちょっと休憩して行こうか?」

「うん、ありがと!」

「それにしても、本当によく入ったね。いつもあれだけ食べるの?」

「うん、今日は軽いほうかな?」

「そ、そう……」

 

 腰かけ、雑談を始める二人。お互いの話に夢中な二人は気づいていない。近くに電波ウィルスすら恐れて近づかないモンスターが迫って来ていることに。

 

「ミ~ツ~ケ~タ~ワ~ヨ~」

 

 一メートルほどの高さがある白い花壇と、そこに植えられている丸くカットされた緑の植物に身を隠し、嫉妬のオーラを立ちあげる影が一つ。コダマ小学校5-A組の学級委員長、白金ルナである。だが、今の彼女を見て委員長と思う人はいないだろう。コソコソと隠れて覗き見している姿は変質者以外の何者でもない。

 彼女の視線の先では、ミソラがもじもじとポーチに手を伸ばした。

 

「何あれ? ……まさか!?」

 

 そのまさかは的中していた。

 

「あのね……く……クッキー焼いて来たの」

「くっ、くくくくクッキー!?」

「そ、そんなに驚くことかな?」

 

 気になっている女の子からの手作りクッキーだ。これで興奮しない男はなかなかいないだろう。スバルも例外にもれず、羽をつけて天へと飛びあがってしまいそうだ。

 

「も、貰っていいんだよね?」

「もちろん! スバル君に、その……食べてもらいたくて……その……」

 

 白いタッパーを、自信なさげに前へと突き出す。スバルは体から抜け出てしまいそうな意識を必死に飲み込み、キリッと眉を吊り上げる。

 

「じゃあ、いただこうかな」

「ど、どうぞ!」

 

 ミソラも覚悟を決め、タッパーを開いた。途端にふんわりとした香ばしい小麦粉の匂いが広がる。鼻の穴をめいいっぱいに広げ、たらふくに味わう。

 

「では、いただきます!」

「……はい!」

 

 中のクッキーを一つ摘まみあげる。形はちょっと崩れているが、薄茶色い星型だ。ミソラの努力がうかがえるそれを、パクリと口に放り込んだ。

 

「どう?」

 

 スバルの答えが無い。ボリボリとクッキーを砕く音がするが、それだけだ。スバルは何も言わない。ごくりと飲み込み、にっこりと笑ってくれた。

 

「おいしいよ!」

 

 嘘だ。ミソラは一発で見抜いた。本当においしいのなら直ぐに言ってくれる。なにより、スバルの笑顔と声のトーンががわざとらしい。今日、ずっとスバルの笑顔を見ていたからそれくらい分かる。だが、スバルなりの気遣いを素直に受け止めた。

 そして気づく。スバルの笑顔をずっと見ていた。つまり、スバルは自分といるこの時間を心から楽しんでくれていると言うことだ。

 

「良かった」

 

 ミソラのこの笑みの真意を、スバルは勘違いした。嘘を貫き通せたとホッとし、もうひとつクッキーを摘まんだ。母の物比べれば美味しいとはとても言えない。しかし、不味いわけでもない。なにより、ミソラが作ってくれたクッキーだ。残すなんてしたくない。口の中がパサパサになろうとも、スバルはミソラのクッキーを幸せそうに口に頬張った。

 ミソラのクッキーを綺麗に平らげたスバルは、喉を潤すために買って来たジュースをゴクリと飲んだ。

 

「美味しかったよ、ミソラちゃん」

「本当? 良かった」

「また作ってね」

「……うん!」

 

 幸せそうに、けれど恥ずかしくて赤くなった顔を俯け、ミソラは頷いた。チラリとスバルの顔色をうかがうと、目が合った。ミソラからすれば、ただ目が合っただけだ。しかし、スバルからしたら上目遣いという強烈なパンチを真に受けてしまったことに他ならない。たまらず、スバルまでもが俯いてしまう。

 彼らのすぐ近くで、刃の様なオーラが大きく膨れ上がっていることには気づいていない。

 

「そう言えば、それってなんなの?」

 

 ミソラが指差したのは、椅子にかけてあるスバルの上着だ。その胸ポケットにある白いサングラスがお目当てのものだ。スバルは自慢げにそれを手に取った。

 

「これはビジライザー。電波世界が見えるんだよ」

「え、電波世界って、私達が電波変換しているときに見えるあれ?」

「そう、その電波世界だよ。かけてごらん」

 

 ビジライザーを受け取ってかけると、閉じていた目を開いた。

 

「うわあ! 何これ、凄い!!」

 

 ビルの合間を縫うように、または突き刺さるように広がるウェーブロード。そこを忙しそうに歩くデンパ君やナビ達。見上げた世界は、ウェーブロードに立つときはまた違った感動を与えてくれる。

 

「ね、すごいでしょ」

「うん! ……あ、スバル君、見てみて!」

「何?」

 

 ミソラがビジライザーを外して、スバルと半分こするように覗き見る。スバルも片方のレンズを通して、その先の光景を見る。

 

「プッ! ロックも楽しんでるじゃないか」

「楽しくねえよ……」

 

 先にあったのは、先ほどまで若いカップルが座っていた席だ。その二人の真似をし、ジュースのデータを飲んでいるウォーロックとハープがいた。

 

「なんで俺がこんなことを……」

「ポロロン、こう言う地球人の雰囲気を味わってみたかったのよ。他に相手もいないしね」

「おい、俺は仕方なくで付き合わされてるのか!?」

「あらあら、こんな美人とお茶できるんだから、感謝しなさい」

「俺が感謝するのかよ!?」

 

 ウォーロックとハープのやり取りを見て、クスクスとスバルとミソラは笑いあった。互いに顔を向けようとすると、コツリと音が鳴った。近い。めちゃくちゃ近い。一人でかけるビジライザーを二人で見ているのだ。近くないわけがない。互いの鼻がぶつかってしまうほど近くに、二人の顔があったのである。

 シュバアッと音速の壁を破る音が鳴る。二人は慌てて姿勢を正して席に座った。

 

「ご、ごめん! 気づかなくって!」

「わ、私の方こそごめん! ……ビジライザー、返すね?」

「う、うん」

 

 共に顔を全力で下に向けながら、スバルはミソラからビジライザーを受け取った。鼻先に残っている熱と感触がドンドンと心臓を叩き、息苦しさを与えてくる。

 相手を怒らせてしまっているのではないか。二人が考えていたことは同じだ。それを確かめようと、恐る恐る顔を上げる行為も同時だった。チラリと互いに目が合ってしまった。バッと、再び全力で下を向いた。

 互いに顔から湯気を立ち上らせ、ウサギのようにと羽回る心臓が落ち着いてくれるのを、ただひたすらに黙して待つしかなかった。

 

「何よあの二人……人前でいちゃいちゃするんじゃないわよ!!」

 

 ビジライザーも電波の体の異星人も知らないルナからすると、今のスバルとミソラはいちゃいちゃしているようにしか見えなかったのである。嫉妬の炎はヘビの頭が無数に蠢くように揺れていく。そんなルナを、通行人達はおどろおどろしいものでも見るような目で見ていた。



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第八十三話.103デパート

2013/5/4 改稿


 気まずい時間が終わり、二人は談笑に戻っていた。ミソラが音楽の通信教育を受けたことにより、独学では学べなかったことを話題にした。次に、スバルが学校での生活を話す。

 

「ドッチボールでね、僕ってエースなんだよ!」

「エースなんだ! 流石ヒーロー!!」

「ま、まあね!」

 

 後頭部をポリポリとかきながら、澄まして見せる。多分、クールに振舞ってるつもりなのだろう。

 スバルの些細な仕草に、ルナは持っていた紙コップをぐしゃりと握りつぶした。その隣には、サンドイッチを包んでいた包装紙が丸められている。アイスティーのおかわりを買いに行きたいが、行列に並んでいる間に、この二人を見失うのはしゃくだ。

 

「もう一人のエースがゴン太なんだけれど、毎日宿題忘れてくるんだよ」

「そして、委員長が鬼みたいに怒るんだね」

 

 あのモヤシは自分のことを鬼と言ってミソラに教えているらしい。自覚しているし、自分のそんな部分は長所だと思っている。直すつもりも一切無いが、無性に腹が立った。一体いつからスバルはミソラと関係をもったのだろうか? 二人の笑い声が、ルナの嫉妬の炎を燃やす薪になり、その姿を更に大きくさせる。

 そもそも、この二人はいつまでここに居座っているつもりなのだろう? かれこれ一時間はたっており、空いていたはずの広場のベンチは人がごった返している。食事を終えているはずの二人は、呑気に談笑中だ。こう言う時は、これから昼食を食べたい人のために席を譲るべきだろう。普段の真面目で礼儀正しい二人なら、すぐに席を立っていたはずだ。だが、今は互いの話しに夢中になっており、周りが見えていない様子だった。無論、一人で二人掛けのテーブルを占領しているルナも同じなのだが。

 ちなみに、ウォーロックとハープは疲れが出てきたのだろう。それぞれのパートナーのトランサーで休んでいる。そのため、ルナの存在には気づいていなかった。

 

「劇じゃあ、主役やったんだよね?」

「そうそう、ロックマン役だよ」

「どんな台詞言ったの?」

「どんな? う~んと……」

 

 思考を巡らせる。思い浮かんだのはあの台詞だ。姿勢をただし、じっとミソラを見つめる。

 男らしいその瞳に、ちょっとドキッとしながらミソラも姿勢をただした。

 

「君は僕が守るよ」

 

 役に入りきっているのだろう。台詞を決めながら、手をミソラに差し伸べるように向ける。

 

「か……かっこいい……!」

「そ、そうかな!? アハハハハ」

 

 うっとりとした目で感想を言うミソラに、スバルはドキリと胸を躍らせた。抑えきれない照れが背中を駆け抜け、スバルは必死に首の根元を抑えた。しかし、表情というのは正直だ。鼻の下が情けなく伸びてしまっている。

 

「なによ、私の時とずいぶん違うじゃない!」

 

 自分だって、劇が終わった後に同じ言葉をスバルに投げかけたのである。にも関わらず、この反応の違いである。ルナの顔の周りには黒い影が隠れて表情は見えない。替わりに、双眼が野生の獣の様に白く光り、ギザギザの牙がギラリと瞬いた。

 

 

 スバルの服が渇き、二人はようやく本来の目的地にたどり着いた。103と大きく数字が描かれたビルに、二人は人混みに紛れて中へと入って行った。

 

「この服かっこよくないかな?」

「いや、僕に言われても」

 

 ミソラが指差しているのは女性用のスカートだ。今日、ミソラが穿いているひらりとしたミニスカートと違い、キュッと引きしまったタイプのものだ。マネキンに着せられた服の組み合わせは大人の女性という雰囲気が醸し出されている。

 

「良いな~。私もいつかこんな大人っぽい服、着てみたいな~」

「充分大人っぽいオシャレをしていると思うよ」

「全然。まだまだだよ。スバル君はお世辞がうまいね~?」

「本心なんだけどな」

「ウフフ、照れちゃうな~」

 

 スバルとミソラはクスクスと笑いあう。途端に、103デパートの中まで追いかけてきた衛星が、口の下にびっしりと並んだ牙の間からフーッと白い息を吐いた。

 

「ところで、今日は何を買いに来たの?」

「決めてないよ。適当に見たかったの。もちろん、欲しいものが合ったら絶対に手に入れるけれどね!」

「そうなんだ」

 

 その言葉を聞き、スバルはふとあることを思いついた。

 

「ごめん、ちょっと化粧室」

「うん、行ってらっしゃい。ここで待ってるね?」

 

 ミソラに手を振り、スバルはその場を離れた。見守っていたウォーロックとハープも、互いに別れてそれぞれのパートナーの元へと駆け寄る。

 

「ちょっとトラブルもあったけれど、順調ね」

「うん、ただ……買い物終わった後も、スバル君付き合ってくれるかな?」

「大丈夫よ。それに、きっと脈有りよ?」

「や、止めてよ、ハープ!」

 

 口元に両手拳をあてて小さく首を横に振る。それをスバルの前で見せればイチコロだと、ハープは呆れて笑った。

 そして、そんなミソラをじっと見ているのがルナである。

 

「スバル君は戻ってくるはずよね? 見逃さないわよ……」

 

 

 一方、スバルは個室に入るとトランサーを開いた。ピュンと戻って来たウォーロックがディスプレイ内で姿をあらわにする。

 

「ロック、電波変換お願い!」

「なんか企んでるな?」

「まあね。お願い、ちょっとだけ!」

「しょうがねーな。行くぜ?」

「うん! 電波変換、星河スバル、オン・エア!」

 

 青い光が個室から天井を突き抜け、ウェーブロードに沿って走って行った。そんな小さな光は誰の目にも止まることはなかった。

 

 

「尾上さん!」

「あ、どうしたボウズ?」

 

 目の前に現れたスバルを見て、遅めの昼食を食べていた尾上が、カウンターから立ちあがった。手に持っているのは、彼には全く似合わない花柄のお弁当箱だ。どうやら、ヒメカお嬢様の手作り弁当らしい。一時前に昼食をとっている理由は、接客で忙しかったからだろう。そんな尾上に大した返事もせず、スバルは一つの棚に駆け寄った。

 

「あれ? ミソラは一緒じゃないのか?」

「ミソラちゃんには待っててもらってるんだ。すぐに行かなきゃ! って、どこだっけ?」

 

 棚を間違えてしまったらしい。別の棚に駆け寄る。

 

「欲しいもんがあるなら、さっき買ったら良かったじゃねえか?」

「女の前じゃ買えないものだってあるんだよ。プレゼントとかな」

 

 ウルフの疑問に、尾上が答えた。

 

「ボウズもそんなところだろ?」

「うん、やっぱり、『欲しい物があったら、ちゃんと手に入れておかないと!』って思ってね?」

「そうだな。買いそびれると後悔するしな」

「もちろん、買う物もそうだけれど……」

「あ、あったぜ、スバル!」

 

 尾上の言葉に頷きながら棚に目を凝らしていたスバルは、ウォーロックの言葉で言いかけていた言葉を飲み込んだ。駆け寄ると、お目当ての物があった。どうやら、最初の棚で合っていたらしい。

 

「これください!」

「あいよ!」

 

 尾上が手早くレジを通し、オシャレな包装紙に包んでスバルに手渡した。慣れないと言いながら、しっかりと勤めを果たしているらしい。

 

「頑張れよ!」

「はい、ありがとうございます!」

 

 その場でスバルは電波変換し、ミソラの元へと急いだ。

 

 

「お待たせ!」

「別に待ってないよ」

 

 電波変換を使ったため、スバルがミソラを待たした時間はほんの五分ほどだ。この力の便利さに改めて感心しながら、スバルはミソラと次のお店へと歩き出した。もちろん、衛星はしっかりと二人の周りで回っている。

 二人は服を見たり、店の端っこに置いてあるバトルカードトレーダーで遊んでみたりと、有意義に時間を過ごしている。バトルカードを数枚入れたスバルは、引き換えに出てきた一枚のカードを見てがっくり肩を落とした。大したカードじゃなかったらしい。

 

「元気出そうよ。次は良いことあるよ」

「……だよね?」

 

 ミソラに励まされて笑みに戻した。ミソラに励ましてもらえるのなら、この結果も意味あるものだと思えた。

 

「よし、もう一度……」

「そろそろ、別のお店行きたいな」

「あ、ごめん。行こうか」

 

 ミソラは小さく笑いながらスバルの手を引いた。デパートの中も、人がたくさん行き交っているからだ。

 

「いちいち手を繋ぐんじゃないわよ!」

 

 手を繋ぐ二人を見て、衛星が炎を滾らせた時だった。軽快なチャイムと共に、アナウンスが流れた。

 

――本日は、ご来店ありがとうございます――

――当デパートでは、現在、お客様への催しとして、屋上でイベントを行っております――

――今回のイベントは、世界中のヘビを集めた亜熱帯ジャングルの体験コーナーです――

――ぜひ、お立ち寄りください――

 

 

「聞いた? 面白そうじゃない?」

「ヘビのジャングルか。変わってて面白そうだね?」

 

 ミソラの言葉に、スバルも乗り気だ。早々に二人はエレベータへと向かっていく。一方、今回のルナはすぐに追いかけようとはしなかった。

 

「このイベントって……確か、パパとママが手掛けてたはず……」

 

 イベント会場に行ったら、両親と鉢合わせするかもしれない。もし、そうなったらと考えると、足がためらった。

 もう一度二人を見ると、エレベーターに乗り込むところだった。手を繋ぎ、楽しそうに笑っている二人を見て、ルナの決心は固まった。

 

「行ってやろうじゃないの……!!」

 

 白金ルナ。一度暴走すると、留まるところを知らない女の子である。



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第八十四話.サプライズ

2013/5/4 改稿


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 応援ありがとうございます! これからも頑張ります!!


 扉が開き、屋上へと歩み出ると、そこは子供達の遊び場だった。パンダやキリンを模したグラグラと揺れるだけの乗り物や、人気アニメキャラクター『モワイモン』の銅像が立っており、子供達の童心をくすぐってくれる。

 

「あ! あったよ! スバル君!」

 

 その光景の奥に設けられた四角い展示室が、お目当てのヘビのジャングルだ。壁は主に森林の緑色で塗られ、青色のカエルや赤色のヘビの絵が大きく描かれており、熱帯雨林を連想させてくれる。

 

「ヘビがたくさんいる亜熱帯か……面白いのかな?」

「人が多いから、きっと面白いよ! 行こっ!」

 

 スバルとミソラは何気ない会話をしながら進んでいく。そんな彼らの背後にある階段から、ドドドと機関車のように全速力で駆けあがって来たルナがいた。

 

「ねえ、ヘビ見る前に、モワイアイス食べようよ!」

「また食べるの? お腹壊さない?」

「え、ダメかな? ここのアイス美味しいらしいから、スバル君と食べたかったんだけれど……」

「じゃあ、食べようか?」

「うん!」

 

 アイス売場へと引っ張っられながら、スバルはちょっと背伸びをした。

 

「僕が奢るよ」

「え、そんなの悪いよ」

「これぐらい僕に任してよ」

「そう? じゃあ……」

 

 まだ、お金はたっぷりとある。それに、この後にあれを渡すつもりだ。ちょっと見栄を張っておいた。数分後に後悔した。十段重ねのアイスを幸せそうに抱えるミソラと、泣く泣く一段重ねのアイスを舐めるスバルの絵があった。

 ミソラが食べ終わってから数分遅れて、食べ終わったスバルがコーンの包み紙をゴミ箱に捨てた。その手を、満足げな笑みをしたミソラが引っ張っていく。

 

「さ、行こ行こ!」

「慌てないでよ」

 

 スバルも嬉しそうにミソラの手を握り返し、二人は並んでイベント会場の入り口をくぐる。中に一歩踏み入れると、ムワッとした空気が二人を覆った。

 

「あっつう……」

「何これ~。蒸しあつ~い……」

「あ、ミソラちゃん、この看板見て。ヘビが住む環境に合わせてるって」

「ジャングルだからかな?」

「そうだろうね」

 

 所狭しと辺りに立ち並ぶ樹木を見上げると、チロチロと舌を出している赤色のヘビが木の葉の影から出てくるのが見えた。

 

「あれがマムシなのね……」

「ここにいるヘビは、毒を持ってるやつばかりみたいだよ」

 

 スバルが案内看板の文字を指で追いながらミソラに説明した。

 

「本当!? 恐いな~。スバル君、噛まれたら毒吸い出してね?」

「え!? 僕が!!?」

「もちろんだよ」

 

 噛まれたミソラの毒を吸い出す。想像してすぐに顔を横に振った。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ?」

「……そう? それにしても、ほんと暑いね?」

「確かに、上着乾かした意味無いな」

 

 呟きながら、スバルは上着を腰に巻きつけた。

 

「あはは、でも、そっちも似あってるよ?」

「ほんと?」

 

 ミソラに振り返ったスバルの動きが止まった。ミソラが上着を脱いだところだった。首筋が空気にさらされ、汗がミソラの白い肌を魅惑的に照らしていた。首元を伝う汗を見てゴクリとつばを飲み込んだ。

 

「どうしたの?」

「いや! なんでもないです!!」

 

 首を傾げながらも、ミソラはノースリーブの上着をポーチの中にしまった。それを横目でチラリと見ながら、スバルはちょっとだけ自己嫌悪した。

 

「僕って、エッチなのかな?」

 

 そんなことを考えながらも、ミソラの首元や太ももへと視線を泳がせてしまう。

 

「さ、ボディーガードしてね?」

「あ、うん……」

 

 手を握ると、先ほどまでと違い、汗でびっしょりと濡れていた。ミソラは七部袖をまくっているため白い腕が露出している。その分、汗の香りがスバルの理性を揺さぶってくる。

 

「えっと……素数素数! 1、2、3……5……」

 

 ちなみに、1は素数では無い。最初から間違えている。互いに動揺を抑えられぬまま、スバルとミソラはマムシ達を見て回る。色とりどりのマムシ達は、青や黄色に紫、黒い体に白い斑点模様などをくねらせ、二人の目を楽しませてくれる。

 嫌悪されることの多いマムシだが、これだけ色や種類がそろうと展示品として立派な役目を果たしてくれていた。

 

「へぇ、このヘビ達、チップで制御されてるんだ」

「どういうこと?」

 

 スバルに比べれば、機械や電気に関する知識の乏しいミソラが尋ねた。

 

「ヘビの体内に制御用チップを埋め込んでるんだよ。電波で制御しているから、人を襲わないし、会場からも出ていかないんだって」

「ほほう! スバル君はそんなことまで分かっちゃうんだね?」

「ま、まあね! これぐらい任せてよ!」

「頼りにしてるよ?」

「うん、任せてよ! 男だもん!!」

「フフッ」

 

 ドンと胸を叩き、ミソラの笑みを受けたスバルは、照れくさそうに展示品に目を移した。

 飛びこんできたのは青白い影。半透明なそれを見て、スバルの世界が止まった。時間にすると長針が一歩進んだ程度だろう。だが、この間にスバルの世界は大きく時間を飛び越えた。目の前にいるそれは、全力で否定してきた存在だった。

 

「バァ!」

「ぎぃぃぃやゃぁぁぁあああああああああああっ!!!!!」

 

 制御されているはずのヘビ達が慌てふためき、木陰へと飛びこんだ。その中央で、ミソラは真っ赤で困った顔をしていた。なぜならば、スバルの両手が交差し、その中に自分がいるからだ。だが、ミソラがスバルに抱き締められているのではない。

 

「こら、そこは逆であろうが!?」

「なんとも、情けない男じゃのう」

 

 スバルがミソラに抱きついているのである。ガチガチと歯を鳴らせ、全身を恐怖で震わせているスバルを見て、青白い半透明の影とその隣の白い塊は冷たい目をしていた。

 その二人を見て、ミソラはあっと口を開いた。

 

「クローヌさん、クラウンさん?」

「ボンジュール! ミソラちゃん!」

「ミソラちゃん! お久しぶりじゃ!!」

 

 パァッと白と黄色の花を咲き乱らせるおじいちゃん二人に、ミソラは懸命に作り笑いを浮かべた。ファンの存在は心から感謝しているが、この二人のテンションを前にするのはやっぱり辛い。

 

「ポロロン、相変わらずお熱ね。体に触るわよ」

「なんの! こちとら生涯現役のミソラちゃんファンじゃ!」

 

 ハープとクラウンのやり取りを見ながら、呆れた顔でウォーロックも話に参加した。

 

「まったく、聞いたぜじいさん。ファンクラブの話。いい年こいて、なにやってんだよ」

「良いじゃろうが! 年齢なんぞに、ワシらのミソラちゃんLOVEを止められてたまるか!!」

「いや、年齢は考えようぜ?」

 

 異星人同士の会話の横で、ミソラは今も子猫の様に怯えているスバルにクローヌを紹介した。

 

「わ、悪い幽霊じゃないんだよね!? 霊界に引きずり込んだりとかしないよね!?」

「大丈夫だよ、スバル君。私達の味方だから」

「本当に!? そうやって騙して……僕の魂を……」

「ぶれいもの! ワシが興味あるのは、戦とミソラちゃんだけであるぞ!」

 

 どれだけ幽霊に対して恐怖を持っているのだろうと、ミソラとクローヌはめんどくさそうに誤解を解こうとする。

 最初からついて来ていたルナは、現在イライラと目を吊り上げていた。ちょうど、ルナの位置からは木が邪魔になってしまい、クローヌ達の姿が見えない。スバルがミソラに抱きついているようにしか見えないのである。

 

「あいつ! 人が見てないからって……明日、覚えときなさいよ……」

 

 白くて細い指から、ボキリと暴力的な鈍い音がした。

 一方、ようやく誤解を解いたスバルは恐る恐ると、ミソラの背中から出てきた。クローヌの前に立ち、もう一度全身をくまなく観察する。ずっと、泣いたように怯えているのは言うまでもない。

 クローヌはやれやれと頭に片方の手を当てながらため息交じりに話しだした。

 

「この前、ワシらはミソラちゃん達に申し訳ないことをしてしまった。お詫びに、『キャッ』なイベントをと思ったのだが、失敗であったな」

「あ、そんなの気にしないでください」

 

 笑顔で答えるミソラが逆に痛い。苦笑いしたり、冷たい目でも向けてくれた方がよっぽど楽だ。

 

「それでは、デートのお邪魔をしてはいかぬから……ワシらはこれで」

「ミソラちゃん、幸せにの?」

「もう! そんなんじゃないですってば!」

 

 クローヌとクラウンに手を振り返すミソラの言葉が辛い。さっきの自分の言葉を思い出すと、目頭が熱くなってきた。

 見送ったミソラは、そんなスバルの肩にポンと手を置いた。

 

「誰にでも、苦手な物ってあるよね。私もムカデとか苦手なの」

「あ、ああいうのダメなんだ」

「うん、足が多い虫はダメなんだ。爪先から背筋がゾッとしちゃうの」

「ああ、分かる。僕もゴ……」

「ダー! 言わないで!」

 

 スバルの言葉は、ミソラの悲鳴と手で塞がれた。

 

「あ、これもダメ?」

「ダメ! それは女の子前じゃタブーだよ!」

「ご、ごめん」

「良いよ。気をつけてね?」

 

 元気にウィンクしてくれるミソラに笑い返し、スバルはミソラとふたたび歩き始めた。



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第八十五話.歪む嫉妬

2013/5/4 改稿


 クローヌとクラウンと別れた二人は、奥へと入って行く。ルナは、縦ロールを引っ掛かっけようとする木の枝を、鬱陶しそうにはねのけながらストーカーを続けていた。

 この施設の奥に進んでいくと、ホールのような広いスペースが開けた。そこに佇んでいるのは、大蛇のモニュメントだ。

 

「わ~、おっきい~!」

 

 緑色の体は巻きついている木よりも長くて太く、赤を灯した双眼が自分を見下ろしていた。裂けた舌をちらつかせるその姿は、ミソラを獲物として捕らえているようにも見える。

 

「この蛇のモニュメント、電波を飛ばしてるのか……」

「え、電波を?」

「うん、これでヘビを自動操作しているんだって。すごいな……」

「そっちに感心しちゃうんだ」

 

 街路樹を遥かに上回る大きさに心奪われるのが普通だ。しかし、機械が大好きなスバルはその方向が違ったらしい。隣にミソラがいることすら忘れるように、モニュメントが体のどこから電波を飛ばしているのかと探していた。そんなスバルの背中に、ミソラは微笑んだ。楽しい時間を過ごす二人とは真逆なのがルナだ。

 

「何よ、あんなに楽しそうにして……」

 

 少し離れた場所で嬉々たる二人を、恨めしそうに見つめていた。だから、気がつかなかった。

 

「ルナ? ルナじゃないか?」

「あ……」

 

 野太い男性の声に振り返ると、会いたくなかった二人が近づいてきた。

 

「パパ……ママ……」

 

 一歩、後ろに後ずさった。

 

「こんなところで何をしている?」

「今日のお稽古は終わったの?」

「そ、それは……」

 

 さぼったなんて言えない。嫌なことは立て続けに起こる。それは本当らしい。

 

「あれ? 委員長?」

 

 振り返ると、スバルとミソラが近づいて来ていた。

 

「あの人が委員長?」

「うん、そうだよ」

 

 ミソラに頷いたスバルが前を向くと、ようやくルナの隣にいるナルオとユリコに気付いた。

 

「なんだ君たちは? ルナの友達か?」

 

 ピクリとスバルの指が挙動した。すぐに、「そうです」と答えられなかった。友達と言って良いほど親密な仲なのだろうか? 友達の境界線は、今も分からない。

 

「えっと……」

 

 返答に困るスバルに、ルナは目を細めた。

 

「まったく、ルナはロクな友達を作っていないのね」

「な!?」

 

 ユリコの言葉に反応したのはミソラだ。スバルは思いがけない言葉に、声を失っていた。

 

「小学生の身でデートするなんて、なんて不謹慎なのかしら」

 

 冷淡につり上がった目が、スバルとミソラを射抜いた。ムッと頬を膨らますミソラには目もくれない。

 

「ねえ、あなた。学校と掛け合って、明後日にでも転校させましょう?」

「ああ、ルナにこれ以上悪い虫がついては困るからな。転校の話はもっと早めに進めるとしよう」

 

 淡々と話を進める二人。スバルは少し反応が遅れてしまった。ありえない言葉が当たり前のように出てきたからだ。

 

「転校!? 委員長、どういうこと!?」

「そ、それは……」

 

 ルナの横から二人が進み出てくる。まるで、娘に寄りつくなと言わんばかりだ。

 

「ルナは来週から女学院に通わせる。君達には関係のない話だ」

「ルナはあなた達と違って、エリートの道を歩むの。これ以上ルナに関わらないでくれるかしら?」

 

 ナルオとユリコの言葉が止めだった。ルナはその場から一目散に逃げだした。後ろからかかってくるスバルの声も振り切った。

 

「委員長……」

「さあ、君達も早く帰りなさい」

「行きましょ?」

 

 ルナが見えなくなった曲がり角を見つめているスバルと、隣にいるミソラに吐き捨てるような言葉を残しながら、二人は施設の奥へと消えていった。

 

「何あれ!? アッタマ来ちゃう!!」

「ポロロン。感じ悪い両親ね!!」

 

 怒り心頭なミソラに、ハープも眉を尖らせながら頷いた。

 

「あの二人より、委員長だよ」

「そうだね。委員長、大丈夫かな?」

 

 ミソラは、ルナとは初対面だ。しゃべったこともない。だが、今の委員長が、スバルが話してくれた委員長とは大きく違う事も、スバルがルナのことを心配していることだけはよく理解できた。

 

「ねぇ、ミソラちゃん……?」

「追いかけよう!」

 

 スバルが申し訳なさそうに話しかけると、ミソラはいち早く提案した。

 

「委員長のこと、心配だもんね?」

「うん、行こう!」

 

 ルナの後を追いかける二人。その後ろで、嫌な表情を浮かべているウォーロックに、ハープが尋ねた。

 

「珍しく難しい顔してるわね? どうしたの?」

「ほっとけ! それより、委員長の奴、やばくねえか?」

「ええ、まずいかもしれないわね……」

 

 

 施設から飛びだした二人は、真っ先に屋上を見渡した。そんなに広くはない。人は多いが、あの特徴的な髪だ。見渡せばすぐに見つかるはず。

 

「いた!」

 

 ミソラの指差す先には、階段を駆け下りていくルナの縦ロールが見えた。

 

「ミソラちゃん、追いかけるよ!」

「うん!」

 

 ミソラが頷くより早く、スバルは駆けだした。ガンガンと鳴り響く狭い空間に飛び込み、音に追いつこうと駆け降りる。少し降りると、三つあった音が二つになった。

 

「これは……委員長が階段を降りたな」

「何階かな?」

「一階だと思う。デパートの外に出たのかも」

「急ごっ!!」

 

 一階に下り、自動ドアをくぐって温暖な世界へと飛び出す。だが、そこは無数の人が行き交っている。

 

「手分けして探そう!?」

「うん、私はあっちに行くね?」

 

 スバルと別れて走り出した。右、左と辺りをうかがいながら走る。ふと、裏道が目に入った。それを睨むように足を止める。

 相変わらず、自分の周りでは人があちらこちらへと闊歩している。どこを見渡しても人がいる世界。もし、悲しいことが合ったら、こんな世界に身を置くだろうか? 否だ。自分だってそうだった。

 引き寄せられるように足を進めた。一歩、日陰に足を踏み入れると途端に雑音が小さくなった。別世界の入口を踏み越えると、別の音が耳をにぎわせた。腐臭がする道を進み、角を曲がる。ルナが蹲っていた。

 

「委員長?」

「っ!?」

 

 目だけ振り返ったルナが立ち上がった。目は真赤になっており、指先には僅かに塩辛い雫が見えた。

 

「なによ?」

「あの……スバル君が心配してるよ?」

「だから何? どうせ、私は転校するのよ」

 

 目も合わさずに答えるルナに、ミソラは何も言えなくなる。どこかの配管が壊れているのだろう。水が滴り落ちる音だけが静かに響く。

 

「あ、あのね……」

 

 徐に話を切り出したミソラを、ルナはキッと横目で睨みつけた。ビクリと身をこわばらせながらも、のどを恐る恐ると震わせた。

 

「私は、委員長がうらやましいよ? 曲がっているけれど、委員長の両親は、委員長の事を考えて……」

「あなたに、親に愛されない私の気持ちなんて分からないわよ!」

 

 ミソラの体が軽く横に弾きとばされる。狭い道でミソラの横を駆け抜けようとしたため、ミソラに肩が当たったのである。体格はルナの方が少し大きいため、ミソラが壁にぶつけられる形になる。

 

「あ、あの!」

 

 それでも、引きとめようと伸ばした手が届くことは無く。再びルナが消えた灰色の壁に向けられただけだった。

 

「委員長……」

 

 シュンと俯くミソラを励ますように、ハープがギターから出てきた。

 

「ミソラ、追いかけましょう? スバル君とあいつにも連絡しといたから」

「……うん」

 

 

 ルナは別のデパートの屋上に来ていた。屋上は広いが、やっぱり人の目が少ない死角が必ず存在している。騒がしいが、臭い裏道よりはよっぽどいい。そこで、静かに涙を押し殺していた。それに、ここならスバル達にも見つからないはずだ。今は、ここで一人でいたかった。

 ルナのこの考えは大当たりだ。屋外にしか目が行っていないスバルとミソラがこの場所に気付くことは無い。そんな彼女を責めることなんてできない。より厄介な存在に見つかることなんて、地球人には予想できないのだから。

 いち早く気づいたのは、感知能力に長けた異星人だった。

 

「まさか……!?」

 

 認めたくないが、あの戦闘馬鹿の予想が現実になりそうだ。

 

「ハープ、どうしたの?」

「ミソラ、ちょっとメール借りるわね!?」

「え、うん……」

 

 

 受け取ったメールを最初に見たのは、トランサーに住みついているウォーロックだ。本文は無く、件名だけが記されているメールだった。記されている文を見て、ウォーロックは全身の神経を強張らせ、辺りの周波数を探った。

 居る。奴だ。厄介極まりない奴が、この星に来ていやがった。

 

「スバル、こっちだ!」

「え?」

「早くしやがれ!!」

 

 有無を言わさずスバルの左手を引っ張った。左手から横に倒れ込むように走り出すスバルに、周りからさげすむような視線が集められてしまう。ウォーロックを少し恨みながらも、言われるがままに走り出した。

 

 

 奴は、標的のすぐそばに近づいていた。待ちに待った得物だ。スッと彼女は、獲物の後ろで姿をあらわにした。

 

「力を貸してやるぞ?」

「え? ……ヒッ!?」

 

 振り返ったルナの顔が一瞬で青く染まった。

 

「こ、来ないで!」

「何を言うのだ? 私は貴様の味方だぞ?」

「嘘よ! 騙されないわよ。私、アナタみたいなやつに、何度も酷い目に遭わされたんだから!」

「ほう、もう他の奴らと関わっていたか。なら、分かるだろう? 私を受け入れれば力を得られるぞ?」

 

 その言葉に、ルナの脳裏に記憶が駆け巡った。

 牛の化け物を受け入れ、炎の怪物になったゴン太。白鳥のような翼を煌かせ、人外の力を持った宇田海。まるで別人のようなっていた二人。今振り返れば、育田だってそうだったのかもしれない。

 なら、受け入れる理由なんて無い。

 

「だ、騙され……」

「力が欲しくないのか? お前を縛り付ける者達を蹂躙し、撥ね退ける力が!」

 

 両親の顔と、転校と言う言葉。そして、ゴン太、キザマロ……スバルの顔が思い浮かぶ。

 

「委員長!」

 

 スバルだ。両手で膝を掴みながらゼェゼェと荒い呼吸をしているところだった。

 

「騙されちゃダメだ! そいつから離れて!!」

 

 駆けつけてくれた彼に、手を伸ばそうとする。

 この時のミソラを責めることはできるだろうか? スバルとルナの力になりたい。その思いで走って来たミソラは数秒遅れてスバルの横に並び立つようにルナを振り返った。

 

「委員長、騙されちゃダメ!」

 

 ドクリとルナの鼓動が強くなった。それを見て、へびつかい座のFM星人はほくそ笑んだ。

 

「私を受け入れろ」

 

 視点が定まっていないルナの左手に、そっと手を添え、合言葉をささやいた。

 

「委員長!」

「ダメ!!」

 

 抗うように、左手がルナの意識で持ち上がる。紫色の髪を逆立て、オヒュカスは勝ち誇るように、狂った笑い声を上げた。

 

「電波変換 白金ルナ オン・エア」



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第八十六話.飛び交う悲鳴

2013/5/4 改稿


 お気に入り登録件数が60件に達しました。応援とご愛読ありがとうございます! 最近、私事情であまり執筆できていませんが、これからもがんばります!


「委員長!!」

 

 スバルの叫び声は紫の光に飲み込まれた。輝きが小さくなるにつれ、スバルとミソラは目を大きく開いた。

 見上げる巨体はヘビだ。関節の無い胴体の腹は紫色で、周りは薄水色。ルナの縦ロールがそのまま反映されたのだろう、紫色の大きな突起が頭に付いており、角の様になっている。薄紫色の透けたスカーフの下で彼女の口が開き、その上にある目を見開いた。

 

「オヒュカス・クイーン。新しい私……」

 

 漲る力が腕の下で脈打ち、足の代わりに胴体に波を打たせる。

 

「い、委員長!」

「止めないで!」

 

 駆け寄ろうとするスバルを、ルナは静止した。

 

「私は、転校なんてしたくないのよ!」

 

 オヒュカス・クイーンの姿がふいに消えた。紫色の一筋の光が街の片隅へと飛んでいく。

 

「あの方向……」

「103デパートの方向だよ!!」

 

 ミソラが叫んだ直後、その光は一つの建物の屋上で姿を消した。見間違いようが無い。

 

「まずいぞ!」

 

 トランサーでウォーロックが叫び、ハープが頭を抱えていた。

 

「まさか、こんな都合の良いことがあるなんて。いえ、オヒュカスは最初から狙っていたのかしら?」

「何を?」

「オヒュカスはへびつかい座のFM星人。ヘビを自在に操れるわ」

 

 悪寒が指先にまで走った。

 

「まさか……」

「急ごう!」

 

 スバルの言葉に三人は頷いた。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!」

「電波変換! 響ミソラ オン・エア!」

 

 スバルの体を、雄々しいほど青い光が覆いかぶさるように包み込み、ロックマンへと姿を変えた。隣では、音符の群れとピンクラインがミソラをふんわりと包み込み、ハープ・ノートへと変わる。

 異星人との融合を終えた二人は、ウェーブロードへと飛びあがると103デパートの方角へと走り出した。

 103と書かれた看板が徐々に近づいてくるにつれ、デパートの屋上が見えてくる。直後に絶句した。

 

「そんな……」

 

 もう、悲劇は起きていた。子供連れの客で賑わっていた屋上では祭りが行われていた。その主役たちは意気揚々と獲物に襲いかかり、柔肌に牙を突き立てて行く。中には3,4メートルはある大蛇までいる。獲物に巻きつき、悲鳴を上げる女性に向かって大きく口を開いた。

 

「パルスソング!」

 

 脳震盪を起こし、大蛇は棒のように倒れた。状況が飲み込めない若い女性は、彼氏と思われる若い男性に手をひかれ、とぐろの中から這い出した。だが、周りには小さいが強力な毒を持ったヘビ達が手当たり次第に人間達に襲いかかっていた。

 泣き叫ぶ我が子を抱える母親。ぐったりとした孫のそばで助けを求める老人。真っ青な顔で倒れている男性の隣で、彼の子供と思われる少女が泣き叫んでいる。

 

「ど、どうしよう!?」

「オヒュカスよ! あいつを倒しましょう!」

 

 答えたのはハープだった。感知能力の高い彼女は、ヘビ達に注がれる電波に含まれる、僅かばかりの周波数に気付いていた。

 

「チッ! あのモニュメントか?」

「そうか、あそこからヘビ達を操っているんだね!」

 

 オヒュカスはヘビを操る力を持っている。電波変換し、力を増幅させたオヒュカス・クイーンは地球の科学の力を使い、更にその能力を強化させたらしい。

 

「委員長を止めよう!」

「でも、この人達はどうするの!?」

 

 今も増え続ける犠牲者たちを前に、ハープ・ノートが渋る。彼女の気持ちも分かるが、この無数のマムシ達一匹一匹を相手にしているとキリがない。

 

「ワシらに任せえ!」

 

 歯を食いしばっていたロックマンは、閃光が降り注ぐのを見た。マムシ達を貫き、感電した数匹がバタリと倒れて一時的に動きを止めた。

 

「今のって……」

「ワシだ!」

 

 驚く二人の横に、一つの影が着地した。緑色のマントと、国王を思わせる煌びやかな冠。

 

「クローヌさん! クラウンさん!」

「カカカ、ハープ・ノートちゃんファンクラブ総統! クラウン・サンダー、ここに見参!」

 

 ハープ・ノートに向かって、考えられる限りのカッコイイポーズを決めた。だが、顔を横に向け、片手を斜めに伸ばし、もう片方の手を胸元で指だけ伸ばしているこのポーズは、愛嬌があるとは言えるが、カッコイイとは言い難い。

 苦笑いを浮かべる二人の視界の隅で、マムシ達が空を舞った。見ると、階段の入口を塞いでいた連中を空へと放り投げる緑の影があった。

 

「尾上さん!?」

「今日のところは主役を譲ってやらあ! さっさと行きやがれ、ボウズども!!」

 

 ウルフ・フォレストの言葉に、笑みを浮かべる二人。彼らの肩に、クラウン・サンダーは軽く手を置いた。

 

「さあ、お前さんたちはオヒュカスを!」

「ハイ!」

「ありがとう!」

 

 壁をすり抜け、展示室の中へと飛びこんでいく二人の背中を、穴が穿たれた目で見送った。彼と背中を合わせるようにウルフ・フォレストが着地する。

 

「お前さんが雑魚退治とは、意外じゃのう」

「なあに、俺は尾上の気持ちをくんでやっただけさ」

 

 クラウンの言葉に、ウルフは鼻を鳴らして乱暴に答えた。頭上で行われる二人のやり取りに、尾上が説明を付け加えた。

 

「ボウズの奴には悪いことしちまったからな。今日は特別だ」

「カカカ、奇遇だのう。ワシも似たようなものだ!」

「おいおい、あんたはミソラファンなだけだろう?」

 

 尾上は呆れたように、クローヌに顔だけ振り返った。さっきの、クラウン・サンダーの宣言を聞いていたからだろう。ならば当然の反応だ。

 

「さあてと、こいつらを片づけるか」

「言うておくが、一匹たりとも殺めるでないぞ」

「あ!? なんでだよ?」

 

 今度は首だけではなく、全身で振り返った。とてもではないが、どこかマの抜けたように笑っているこの髑髏は、博愛者にも動物愛護者にも見えない。

 

「ヘビ達は操られとるだけだ。あやつらに罪は無いわい。それに、そんなことしたらミソラちゃんが悲しむ」

「結局そこかよ! っつうか、ヘビのためなら人はどうでも良いっつうのか!?」

「愚か者! そんなことあるわけ無かろう! それこそ、ミソラちゃんが悲しむわい!」

 

 ウルフ・フォレストに指を一本ずつ、計二本立てながら、クラウン・サンダーは自分達がやるべきことを伝えた。

 

「ヘビに手加減しつつ、人を全力で守るのだ!」

「難しいだろそれ! っつうか、できるか!!」

 

 矛盾する二つの事柄を突きつけられれば、誰だってウルフ・フォレストの様に怒鳴る。だが、クラウン・サンダーは静かに首を振った。

 

「確かに、極限に難しい戦よ。じゃからこそだ……」

「ッツ!?」

 

 誤解していたと、尾上はようやく気づいた。クローヌという男は、ただミソラの前で目を輝かせる色ボケの爺さんでは無い。

 

「燃えるじゃろう!! さあ、行くぞ!!!」

 

 クラウン・サンダーは両手を広げるように空にかざすと、その手に三色の光が灯った。

 

「イカクボウガン! トツゲキランス! ハジョウハンマ―!」

 

 紫、オレンジ、緑のオーラを纏った髑髏が両手の間から生まれ出た。それぞれが、パチンコ、ドリル、ハンマーを身につけている。

 

「話は聞いていたな? さあ、かかれい! 戦の始まりじゃ!!」

 

 飛び出して行く三人の部下に続くように、クラウン・サンダーは広場へと飛び出して行った。

 

「ヤレヤレ、元気な爺さんだぜ」

「お前と気が合いそうだな?」

「だな……よっしゃ!」

 

 尾上はウルフの言葉に同意すると、口を大きく広げた。

 

「ハウリングウルフ!」

 

 オオカミの遠吠えを上げる。すると、ウルフ・フォレストの前に、植物と土を思わせる色合いをした三体の狼が召喚された。

 

「やれ!」

 

 掛け声に合わせ、三体の狼は大地を蹴とばした。マムシ達に襲いかかり、咥えては動けなくなる程度に痛めつけ始める。

 

「ウォーロックとの時は使わなかった奴だな?」

「ああ、これで少しは楽になるだろうよ」

 

 前方に目を向けると、クラウン・サンダーがはしゃぐように戦っているのが見えた。

 

「よし、行くか!!」

 

 

 ヘビのジャングルに飛び込んだ二人は、木々をすり抜けて走っていく。まだ中にも取り残された人達が多数見かけられた。残念だが、彼らを助けている時間は無い。ウルフ・フォレストとクラウン・サンダーが広場のヘビ達をかたづけ、こちらにも来てくれることを信じるしかない。彼らに謝罪しながら最奥へと進んでいく。

 

「キャアアアア!」

「ぐ、グアアア!」

 

 男性と女性の大きな悲鳴が聞こえた。声からするに大人のものだろう。最悪の場面を想像し、二人はモニュメントがある広場へと足を踏み入れた。広がる光景を前にして、二人は息をのんだ。

 

「や、止めて!」

「放、せ!」

 

 男性と女性が大蛇に絞めつけられていた。その二人は、紛れもなくルナの両親、ナルオとユリコだった。

 

「もっと、もっとよ!」

 

 二匹の大蛇を操り、狂い叫んでいるオヒュカス・クイーンが大蛇のモニュメントの天辺に立っていた。彼女は、苦しむ両親を前にして目を細めながら高らかに手を上げた。

 

「ルナ!? お、お前、ルナなのか!!?」

 

 オヒュカス・クイーンの声に気付いたナルオがヘビから這出ようともがきながら叫んだ。

 

「そうよ! 私よ……」

 

 ナルオに続き、ユリコも自分達を見下ろすヘビ女を見上げた。

 

「なんで! なんであなたが……」

「……『なんで』……ですって?」

 

 ギュッとレースの下で唇を噛み締めた。

 

「今になっても、まだ分からないの!?」

 

 唇と同じくらい、拳を強く握りしめた。途端に、ナルオとユリコを絞めつけるヘビの力も強くなり、二人のうめき声があがった。

 

「私は、エリートになんてなりたくない! アナタ達の言いなりになるなんて、もう沢山! 心を絞めつけられるのは、体を締め付けられることよりも苦しいのよ!!」

 

 髪から装甲へと変わった二つの縦ロールを振り乱し、ルナはまくしたてるように叫んだ。

 

「私はただ、朝起きたら、『おはよう』って言って。学校に行く時に、『行ってらっしゃい』って言ってもらいたい。家に帰ったら、『お帰り』って言ってもらいたい。ママの手料理を食べて、学校の話とかしたい! 夜はお休みって言ってくれる。そんな暮らしがしたいだけよ!」

 

 拳がギリギリと悲鳴を上げると、二人のうめき声が更に上がる。それぞの大蛇の頭を、緑の光とハートの塊が撃ち抜いた。寝転ぶ二匹から解放されるように、ナルオとユリコは床に転がった。

 

「なに!?」

「止めるんだ、委員長!!」

 

 ロックマンとハープ・ノートはオヒュカス・クイーンの前に駆けつける。ハープ・ノートはナルオとユリコの側に駆け寄り、二人が無事であることを確認した。

 

「ロックマン様!? な、なんで……?」

 

 ふと、下に目を落とした。二匹の大蛇も無事であることを確認しているハープ・ノートに目が止まった。

 

「そんな、ロックマン様まで……」

 

 それは、今日見てきた光景と重なった。冷静な思考のできない彼女はオヒュカスの言われるがままだ。

 

「うああああ! 全部、全部壊れてしまえばいいのよ!!」

 

 狂ったように頭を振り回し、モニュメントの電脳内へと消えていった。おそらく、ヘビ達の動きを活発化させるためだろう。

 

「ロックマン!」

「うん、行こう!」

 

 二人も後を追いかけるため、青とピンクの光へと変わり、モニュメントへと飛びこんで行った。

 ロックマンとハープ・ノートがその場から消え、悲鳴が反響してくる世界で、ナルオとユリコはピクリともせずに横たわっていた。大蛇の横で、なんの動きも見せない二人。ナルオの指が、ひっそりと消え始めた。否、よく見ると、指から粒子が舞い上がっている。ユリコも同じだ。それは徐々に腕、体と続いて行く。数秒後、誰にも知られぬまま、二人は姿を消した。



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第八十七話.対称的な二人

2013/5/3 改稿


 大蛇の電脳内に、ロックマンとハープ・ノートは舞い降りた。その世界はジャングルそのものだった。うっそうとした緑が立ち並び、足場は整備とは無縁な健康的な土が敷き詰められていた。自然に覆われた世界の下で、目の前の装置を動かし、ヘビ達の動きを活発化させているオヒュカス・クイーンがいた。

 

「委員長!」

 

 振り返ったその目はどす黒い闇で曇っていた。ハープ・ノートは息を呑み、ロックマンは視線をぶつけ合わせた。

 

「止めようよ、委員長!」

「お願い、委員長!」

 

 ハープ・ノートの言葉は逆効果だ。ルナの嫉妬が、狂いそうな怒りを増幅させる。その様にほくそ笑みながら、オヒュカスは姿を現した。

 

「久しぶりだな。ウォーロック、ハープ」

「オヒュカス……人間の心は奪ってないみたいだな」

「ああ、こいつの嫉妬と憎しみはかなり深かったからな。そんな人間がいきなり力を手にしたら? その様を見るのも一興というものだ」

「ポロロン、悪趣味ね」

 

 オヒュカスは静かに笑い、ルナに指示を出した。

 

「さあ、暴れてやれ。お前の望むままに全てを拒絶しろ!」

「嫌い……嫌い! 皆大嫌いよ!!」

 

 オヒュカス・クイーンが両手を広げた。彼女の周りに電子が集まり、ヘビの姿を形作る。

 

「スネークレギオン!」

 

 召喚された数匹のヘビ達は弾丸だ。オヒュカス・クイーンが手を振り下ろすと当時に、宙を一直線に突き進み、ロックマンとハープ・ノートに襲いかかった。

 

「パルスソング!」

「ヘビーキャノン!」

 

 無数のハートマークがそれを迎え撃つ。双方に蓄えられていたエネルギーが爆散した。それを突き破って来た弾丸が一つ。

 

「きゃああ!」

 

 オヒュカス・クイーンの腹で爆発が起こる。くの字に曲げた長い体を起こすと、キッとハープ・ノートを睨みつけた。

 

「アナタがいるから……」

 

 ヘビ状の尻尾だけがとぐろを巻いた。それを地面につけ、ハープ・ノートに向かって体を蹴飛ばした。

 

「クイックサーペント!」

 

 跳躍力に遠心力を加えたタックルだ。体そのものを弾丸と化した体当たり。ハープ・ノートは空へと跳躍して避けた。そのため、標的を見失ったオヒュカス・クイーンの体は木々の中へと突っ込んでいった。大木達が破壊音と共に倒れゆく様に、ハープ・ノートは目を見開いていた。

 

「凄い……」

 

 木々が横たわり、土ぼこりが舞う中で、オヒュカス・クイーンはムクリと体を起こす。今もなお、ゆっくりと倒れる木に隠れるように、近づいてきた影は左手をふるった。

 

「リュウエンザン!」

「きゃっ!」

 

 炎の剣がまっすぐに振り下ろされる。それを、オヒュカス・クイーンは腕に巻きついているヘビで、かろうじて防いだ。

 

「離れて!」

 

 押し退けようとする腕の力を利用し、ロックマンも上空へと跳躍した。

 

「ショックノート!」

 

 狙い澄ましように襲いかかってきた二つの音弾がオヒュカス・クイーンを捕らえた。あまりにもの激痛に空を仰ぐ。そこには、空中で左手を構えるロックマンがいた。

 

「バトルカード ファイアバズーカ!」

 

 

 足に絡みついてくる土、頬を撫でる木の枝、支えにする木の幹の感触。それら一つ一つが彼にストレスを与えてくる。

 

「まったく……どこなんだ、ここは?」

 

 顎にまで垂れて来た汗を拭きとりながら、男性が吐き捨てる様に言葉を吐いた。隣の女性は男性に手を引かれながら、ハイヒールで不慣れな土の上で必死にバランスをとる。なんとか女性が一歩足を踏み出した時、木々の影から指す光が二人の顔を映し出した。それはルナの両親、ナルオとユリコのものだった。

 

「ねえ、あなた……」

「大丈夫だ。きっと出口が……」

 

 ナルオは言葉を止めた。大気を引き裂く音が聞こえて来たからだ。

 

「何の音だ?」

「行って見ましょう!」

 

 音がすると言うことは人がいるかもしれないと言うことだ。二人は足を早め、に木々の中を進んでいく。徐々に視界を塞いでいた木の影が少なくなり、光が差し込んでくる。切り開かれる視界に飛び込んだ。

 

「なっ!」

「あれは……」

 

 広がった光景は戦場だった。爆発でも起きたのだろうか? 真っ黒に染まった大地の上にルナがいた。ヘビの化け物へと変わってしまった彼女は、傷だらけで倒れていた。

 

 

「ねえ、委員長。もう止めてよ?」

「い、嫌よ!」

 

 家に帰っても誰もいない。ゴン太とキザマロも自分に構ってくれない。スバルはミソラと楽しそうにしている。それに加えて、ロックマンの隣には見知らぬ女がいる。自分を見てくれる人のいないこの世界。

 

「委員長……家に帰ろうよ?」

「嫌! 絶対に嫌! 私、家になんて帰りたくない!!」

 

 ロックマンは歯を食いしばった。ルナをこれ以上傷つけるなんてしたくない。だが、説得の言葉が見つからない。ウォーロックは黙しながらも、内心焦っていた。名の知れた戦士であるオヒュカスは強敵だ。一刻も早く倒してしまいたい。しかし、スバルの気持ちを無視するわけにはいかない。

 戸惑う二人に、オヒュカス・クイーンは再び攻撃を再開した。

 

「スネークレギオン!」

 

 今度は上空に向かって手を伸ばした。手の周りから召喚されたヘビ達は放物線を描き、雨となって二人に降り注ぐ。

 

 

「バトルカード ブラックホール!」

 

 ロックマンとハープ・ノートの頭上に黒い球体が現れた。それは自身の姿を薄く大きく変えた。中央で渦を巻いている円が生じる吸引力は、降って来たヘビ達に有無を言う暇すら与えず、飲み込んだ。その間、頭上を一切窺うことの無かったハープ・ノートは、空に手を伸ばしているオヒュカス・クイーンに弦を弾いた。

 

「パルスソング!」

 

 今度のハートマークは段々と広がっていくタイプのものだ。その分、広範囲を攻撃できる。範囲外に逃げようとするオヒュカス・クイーンに、ロックマンは新たなバトルカードを取り出した。

 

「ゴーストパルス!」

 

 こちらも同じだ。広がるように迫ってくるリング状の光線だ。二つ合わせて広い範囲をカバーしてくる。オヒュカス・クイーンは隙を見つけた。ロックマンの照準が甘い。パルスソングとゴーストパルスの間に、充分通り抜けられるだけの隙間がある。

 

「クイックサーペント!」

 

 間を縫うように、自分を竜巻と化して突っ込んだ。それが二人の狙いだとも気づかずに。

 

「マシンガンストリング!」

 

 クイックサーペントが止められた。五本の弦がオヒュカス・クイーンの体に食い込むように巻き付き、彼女の体をがんじがらめにした。網にかかった鳥だ。空での自由を失った彼女は地に伏した。

 身動きの取れない彼女に、ロックマンはリュウエンザンを身につけ地を駆けた。

 

「い、いやー!!」

 

 空気を震わせる絶叫。押し返されるように、ロックマンは足を止めた。ハープ・ノートも追撃の手を緩めてしまった。

 

「いや! 縛らないで! もう、もう嫌よ!!」

 

 がむしゃらだ。弦を引きちぎろうと力任せに弦を引っ張り、身を捻っている。

 

「もう、縛られたくない! パパやママに縛られるのはもう嫌なの!! お願い、止めて!!」

 

 戦っていることすら忘れているのだろう。目をむき出し、肌に食い込む弦に悶えながらも、長い体を曲げて脱出を図ろうとしている。

 

「……ごめん、委員長!」

 

 オヒュカス・クイーンの体を熱が走り抜ける。

 

「い、いや!」

 

 炎の剣と解けた拘束具から逃れようと飛びのいたオヒュカス・クイーンに向かって、ロックマンは新しいカードをウォーロックに渡し、手を上げた。

 

「アイスメテオ!」

 

 追い打ちは氷塊の嵐だ。氷の岩石が雨のように降り注いでくる。幾つか避けた時、パルスソングが体を貫いた。

 

「クラウドシュート!」

 

 傷ついて行くルナの姿に罪悪感を感じつつも、スバルは次の攻撃に移る。雲を召喚し、オヒュカス・クイーンに投げつけた。

 ゆっくりと近づいてくるそれを、痺れる体でかろうじて避けきった。だが、次の攻撃があった。音符が雲を追いかけて、自分の横を通り過ぎていく。標的を間違えて進んでいくそれを見送って、オヒュカス・クイーンはクスリと笑った。途端にそれが歪む。背中から襲ってくる雷に、全身がのたうちまわった。

 ハープ・ノートの狙いは、最初からロックマンが放ったクラウドシュートだ。雲は音符に打ち抜かれ、内部に蓄えていた雷のエネルギーを辺りにまき散らしたのだ。当然、それはオヒュカス・クイーンを巻き込む。

 続けて加えられた波状攻撃に、ついにオヒュカス・クイーンはガクリと力尽きるように倒れた。

 

「委員長! 分かったでしょ? もう、これ以上戦っても、お互いに傷つくだけだよ! だから……」

「嫌……嫌……」

 

 それでも、ルナは決して首を縦には振らない。

 

「お父さんとお母さんがいないから?」

「そうよ! 家に帰っても、パパもママも……誰もいないもの!! それに転校よ。もう、あの二人に縛られるのは嫌なのよ! 私は、お人形じゃない!!」

 

 ロックマンの言葉に、オヒュカス・クイーンはただ苦しそうに叫んだ。矛盾した言葉は彼女が冷静な思考ができていない証拠だ。ロックマンは何も言えず、右拳を握りしめた。スッと、隣の影が前に進み出た。ハープ・ノートだ。

 

「私は、委員長が羨ましいな……」

 

 ハープ・ノートの唐突な言葉。それは静寂を導いた。シンと静まりかえった世界で、ピリピリと不快な空気が電流のように流れる。

 

「なん……ですって……?」

 

 オヒュカス・クイーンは寝そべる体を腕で支えながら、静かに怒りの眼差しを向けた。心の隙間からしみ込んでくるような殺気を前にして、ロックマンは緊張で、唾が喉を通って行った。しかし、ハープ・ノートは怯む気配を一切見せなかった。

 

「だって、私、パパとママがいないもの。もう、会うことも、お話しすることもできないんだもん」

 

 ルナの思考が停止した。なんとか出てきた言葉は、先ほどまでとは違い、聞き取れぬほど小さいものだった。

 

「……どういうこと?」

 

 ハープ・ノートの斜め後ろで、ロックマンは小さい背中をじっと見つめていた。

 

「私ね、物心ついた時から、パパがいないの。だから、パパに抱き締めてもらった事も、お話したことも無いんだ。だから、ママが私のたった一人の家族だった。」

 

 ハープ・ノートが一度呼吸を置く。眼を閉じ、深呼吸するようにだ。それを見て、ロックマンは拳を強く握りしめた。

 

「けれど、少し前に天国に行っちゃったの。もう、私の歌を聞いてもらうこともできないの」

 

 淡々と語るハープ・ノート。だが、ハープは自分を握るミソラの手に、力が籠っているのを感じていた。ただ、スバルと同じく無言でミソラにエールを送った。

 

「委員長のパパとママは? 今日も言葉を交わせたし……こうやって、触れることだってできるんだよ」

 

 そっとルナの側に近寄り、片方の手を取った。彼女の手を両手で包み込むように。

 

「だから、私は委員長が羨ましいの」

 

 地面に目を落とすルナ。頭についている装甲が目元を隠し、彼女の表情は窺えない。それでも、今のルナが何を感じているのか、ロックマン達には分かった。

 

「だから、委員長。お話してみたらどうかな? パパとママと。まだ、お話できるんだよ? 触れ合えるんだよ? だから、諦めないで。パパとママだって、委員長さんのことが好きなは……」

「役に立たんな」

 

 ハープ・ノートの言葉を突き放すように放たれた言葉。場に似つかわしくない、冷淡な言葉だった。

 

「え?」

 

 暴言を吐いたオヒュカス・クイーンが面を上げた。目の前のハープ・ノートを捕らえたその目には、紫色の光が溢れんばかりに蓄えられていた。

 

「危ない!」

「ゴルゴンアイ!」

 

 光線だ。一筋の光が両目から放たれた。ハープ・ノートを後ろに引き倒すように庇ったロックマン。ウォーロックは素早くシールドを展開した。それは無残に破壊された。同時に、ロックマンの左肩を熱が掠めていく。

 

「何するんだよ! 委員長!」

「委員長とやらではない」

 

 ゆっくりと体を起こし、倒れている二人を見下ろすオヒュカス・クイーン。その口調は、ルナのモノとはまるで違っていた。

 最初に現状を理解したのはハープだった。

 

「オヒュカス、精神をのっとったのね!?」

「ああ、この委員長とやら、思った以上に役に立たんな。ここからは、私が相手をしてやる」

 

 傷ついた体を起こしながらも、自信に満ちた笑みを浮かべるオヒュカス・クイーン。両手をかざし、素早く二人に手を向けた。

 

「スネークレギオン!」

「ロックバスター!」

「ショックノート!」

 

 ヘビを数匹放つ技だ。打ち落とそうと二人は弾数の多い技を放った。

 

「え?」

 

 視界を覆う緑に、ロックマンの判断が遅れた。煌く無数の銀は牙だ。

 

「うわああ!」

「きゃああ!」

 

 ヘビ達に突き飛ばされた二人。うつ伏せに倒れたハープ・ノートの側で、ロックマンは足を懸命に奮い立たせる。

 

「な、なんで数が?」

「言ったであろう? 委員長とやらは私の力を使いこなせていないとな」

「これが、お前の本当の力ってことか?」

 

 さきほどまでと比べると、倍以上の数のヘビを放ったオヒュカス・クイーン。どうやら、今の彼女が本当の力らしい。

 

「ククク、攻守交替と言ったところか?」

 

 見上げた二人の前に立ちふさがるオヒュカス・クイーン。その姿は、まさに絶望そのものだった。




 今回は戦闘がめちゃくちゃ辛かったです。オヒュカス・クイーンのバトルって書きにくいな……


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第八十八話.密林の死闘

 まばゆい一筋の閃光が、大地に扇を描いた。大地は斬られたことに今更気付いたかのようにパクリと口を開き、土砂を吐きだした。押しのけられるように地面にたたきつけられるロックマンとハープ・ノート。

 持ち上がる土色の電波粒子はゴルゴンアイの威力を物語り、オヒュカス・クイーンの姿を隠して行く。

 

「クイックサーペント!」

「飛んで! ハープ・ノート!」

 

 反射的にハープ・ノートは跳躍した。弾丸のように回転したオヒュカス・クイーンが土の巨壁を突き破ってきた。二人の背後にあった大木をへし折り、体を擦りつけられた土には、彼女がまき散らした毒が浸透していた。毒々しい紫色に染められ、触れている木の根が変色していく。振り返りざまに手を前に付きだした。

 

「スネークレギオン!」

「ガトリング!」

 

 ウォーロックにカードを渡し、左手を前に突き出す。眼前に迫っていた緑の群れに惜しみなく弾丸を放ち、相殺した。

 

「パルスソング!」

 

 隙を狙ったハープ・ノートが弦を弾こうとする。その手に違和感が走る。二の腕が重く、硬い。見ると、ヘビが腕に巻きつくところだった。

 

「い、いや!」

「上だ!」

 

 木々の枝から雨のごとく飛びかかってくるヘビ達。オヒュカス・クイーンは隙を見てヘビ達を放ち、死角となる頭上から二人を襲わせたのである。

 腕や足にまとわりつき、自由を奪われた彼らにオヒュカスが容赦などするわけがない。

 

「クイックサーペント!」

 

 木々を根こそぎ吹き飛ばす台風だ。同等のエネルギーを身に留めた体当たりは、二人を枯れ葉へと変える。盛大な交通事故により、ロックマンとハープ・ノートは茶の上に敷かれた紫の線を断ち切るように、土を抉って転がって行く。二人に巻き付いたヘビ達も耐えきれなかったのだろう。二人が回転を止めたころに、粒子となって消滅した。

 全身を四散させれらそうな鈍い痛みを誤魔化すように、ロックマンは立ちあがった。オヒュカス・クイーンには全身に炎を押し当てられたような傷跡がいくつもある。だが、彼女の戦闘周波数が濃霧のように立ち上がり、二人を押し潰すようにのしかかってくる。

 

「フフフ、焦っているな」

 

 言葉一つ一つが、二人の首を絞めるようにまとわりついてくる。有効な手段を必死に探しているロックマンとハープ・ノート。何とか活路を見出そうと、腰をかがめた。

 

「交渉だ。ウォーロック」

 

 ピクリと二人の動きが止まった。交渉と言うことは話し合いをしようと言うことだ。俄然有利であるはずのオヒュカス・クイーンからの交渉の持ちかけ。何か裏があるのかと、ロックマンとハープ・ノートは構えを解かずにオヒュカス・クイーンを睨むように見上げた。そんな彼らを嘲笑うように口を開いた。

 

「私と手を組め」

 

 オヒュカス・クイーンが告げた言葉。それを理解するのに、四人は数秒の時間を必要とした。

 

「……え?」

「どういうこと?」

「オヒュカス、あなたもFM星を裏切るつもりなの?」

「ハープ、お前ごときと一緒にするな」

 

 ミソラとスバルが言葉の意味を模索する中、ハープが問いかけた。ハープを見下し、優雅に頬に手を当てた。

 

「私はこのままFM星王の言いなりになるつもりはない。そして、地球人ごときと慣れ合うつもりもない。アンドロメダの鍵を使い、地球とFM星を支配するのだよ!」

 

 唖然とする四人。当然だろう。地球側についたウォーロックとハープ。FM星王のために戦っているジェミニ達。二つの組織のうち、どちらにもつかぬと彼女は宣言したのだから。彼らを前に、オヒュカスは熱弁を続けた。

 

「ウォーロック、ハープ、お前達も知っている通り、アレ(・・)はアンドロメダの鍵だけでは起動しない。FM星王が持っているコントロール装置が必要だ。それは私が星王を欺いて手に入れてやる」

 

 最後に、両手を広げるように頭上に掲げた。うっとりとした目の奥で、隠しきれない黒い笑みが浮かんでいた。

 

「そして、私はアレ(・・)を手に入れ、二つの星を治める女王として君臨するのだよ! さあ、ウォーロック! 鍵を渡せ! 共に星の頂点に立つのだ!!」

 

 ウォーロックに手を伸ばすオヒュカス。それを汚そうな目でウォーロックは見ていた。

 

「さあ、ウォーロック! 答えを聞こうか!」

 

 ウォーロックはスバルを見上げた。それで十分だ。頷いたスバルは左手をスッと持ち上げ、前に突き出した。

 

「俺はFM星の支配に興味なんてねぇんだよ。俺が考えてるのは、どうやっててめえらに復讐するのか。ただそれだけだ!」

「これが答えだよ!」

 

 ウォーロックの口に緑色の光が集まり、凝縮された。

 

「チャージショット!」

 

 ひと際強い光を放つ光弾。ロックマンの胴体ほどの直径を、オヒュカスは腕に巻き付いたヘビを鞭のようにしならせ、叩き落した。

 

「フン! 生き延びるチャンスを失ったな」

「そんなことないよ!」

 

 ヘビの鞭を横になぎ払った。今度は両手でだ。ショックノートを放って来たハープ・ノートに右手を突き出し、ヘビ達を投げ飛ばした。

 

「私たちは絶対にあきらめない!」

「降参なんてするわけないでしょ、ポロロン!」

「フン! ならば力づくで奪うまでよ!」

「やれるもんなら、やってみやがれ!」

 

 スイゲツザンになったウォーロックが怒鳴り、それをスバルが力の限りに振り下ろした。両手で三匹のヘビを掴み、横に引っ張って頭上に掲げ、ロックマンの剣を防いだ。ヘビのエネルギーを操り、体を硬質化させることもできるらしい。擬似的なスティックと言ったところだろう。ロックマンの軽い体重をかけた剣が通ることは無く、空へと弾かれた。着地した隣にいるハープ・ノートは隙をつかせぬまいとコンポから音符を放った。

 

「スネークレギオン!」

 

 放たれたのは、十は下らぬヘビ達だ。翼を得た様に空を滑空してくる。互いに飛びのくように避けた二人。ロックマンは脇を掠めていくヘビを無視して走り出し、手に持ったパワーボムを投げつけた。それに気を取られ、ハープ・ノートが放ったハート模ったリング光線に気付けなかった。

 オヒュカス・クイーンの体に痺れが走り、動きが止まった。ならば、破壊力のある一撃を放つのがセオリーだ。

 

「ポイズンナックル!」

 

 データを浸食する毒を、拳として叩き込んだ。オヒュカス・クイーンのヘビの体が大きく曲がり、顔が下へと下がる。

 

「小癪な!」

 

 追撃の拳を握っていたロックマンは自分を責めた。見上げると、オヒュカス・クイーンがこちらを睨んでいた。その目に光を溢れさせながらだ。ウォーロックのシールドなど、ガラスの様に破壊するゴルゴンアイが放たれた。それは地や大樹を撫でた。弦を引っ張ったハープ・ノートの手の動きに合わせるように、進路を変えさせられた二本の光の筋。数瞬遅れて、地が持ち上がり、木々が豪炎と共に横たわる。オヒュカス・クイーンの上半身をマシンガンストリングで拘束したハープ・ノートは焦りと共に息を吐いた。

 お礼を言いながらも、前を見据えて斧を構えるロックマンを、オヒュカスは目を見開き、歯を食いしばっていた。

 

「う、動け!」

 

 体が動かない。縛り付けられている上半身がでは無い。ヘビの体となっている下半身もだ。ハープ・ノートが得意とする、体の自由を奪う麻痺だけではない。オヒュカスの動きを縛るのは別の者だ。精神世界の中で、オヒュカスは手に持ったガラスの様な心を睨みつけていた。

 

「小娘が……」

 

 ルナの魂だ。狂いそうな悲鳴を上げている。

 

「嫌! 縛られたくない! 私は自由よ!!」

 

 砕いたはずの心は、皮肉にも憎しみと悲しみで再び元に戻りつつある様子だった。この体の本来の持ち主であるルナの心。オヒュカスにとっては、体の支配権を邪魔する障害物でしかない。無理やり抑え込んだ。

 

「ビッグアックス!」

 

 ウルフ・フォレストとウェーブロードを同時に砕いた巨大な刃が、オヒュカス・クイーンの体を横一文字に切り裂いた。思考を白く染め上げる激痛は、声にならぬ悲鳴をあげさせ、オヒュカス・クイーンに宙を仰がせる。

 振るうには大きすぎる斧はロックマンの体を引っ張った。自由が利かない時間は数秒だっただろう。それで充分だった。オヒュカスはヘビの鞭でロックマンの頭を大きくなぎ払った。

 木に背中を打ち付けている間に、オヒュカスは身を翻した。通った土草に、マキビシのように毒を撒き散らし、木々の間をすり抜けていく。背後から迫りくるギター音と弾は木が天然の盾となり防いでくれている。ギター音がある程度小さくなった時、後ろの様子をうかがった。毒に汚染された土を避けるようにロックマンとハープ・ノートが追って来ていた。

 

「スネークレギオン!」

 

 今度は壁だ。彼女が一度に召喚できる全力の数なのだろう。無数のヘビ達が二人の前に立ちふさがる。

 

「パルスソング!」

「テイルバーナー!」

 

 広範囲を攻撃できるパルスソングがヘビ達の動きを止め、火炎放射で焼き払った。だが、すでにオヒュカス・クイーンの姿は見えない。

 

「ハープ! あいつはどこに行った!?」

「待って! 今探すから!!」

 

 周波数感知に優れたハープが、ハープ・ノートと共にオヒュカスの周波数を探る。あれだけの戦闘周波数を持つ彼女だ。直ぐに見つかるはずだ。二人の体が宙を舞う。足はロックマンの悲鳴を喜ぶように、無邪気に身を捻じる。ヘビの体を利用し、地中から奇襲を仕掛けたオヒュカスが狂喜を上げる。

 

「どこを探していた!?」

「……っ!」

 

 足を挫いたロックマンは側にある木を支えにして立ち上がる。ハープ・ノートは直撃は免れたのだろう。しかし、大きなダメージを受けたことには変わりないようで、体を起こそうと土を掴んでいる。オヒュカスの焦りが積もる。先ほど、ポイズンナックルで受けた毒のせいだろう。蝕まれるような痛みが体の内側に走る。こちらの体力も限界に近い。先ほどの攻撃で決めてしまいたかった。

 両者の体力が尽きそうになる中、冷静に作戦を考えていたウォーロックが口を開いた。

 

「ハープ・ノート、また、あいつをマシンガンストリングで縛れるか?」

「え? できると思うけど?」

「動けなくするだけなら、他の攻撃でもいいんじゃないの?」

 

 ミソラが答え、ハープが尋ね返した。ウォーロックは首を横に振る。

 

「さっき、お前らの弦で縛られた時、オヒュカスの動きが鈍った。理由は分からねえが、それがいちばん効果があるはずだ。後は……」

「僕達が?」

「ああ、頼むぜ」

 

 四人が頷き合った直後、スバルとウォーロックは攻撃に移った。

 

「グランドウェーブ!」

 

 土煙りを上げて走り抜けていくエネルギー。猟犬のように追いかけて来るそれに気を取られていたが、殺気を感じて身を捻じった。弦群が頭上を通り過ぎる。代わりにグランドウェーブは避け切れなかった。ヘビの尾の部分から滲む痛み。それに構わずに手にヘビの鞭を召喚し、硬質化させた。ロックマンのライメイザンが防がれる。みぞおちを殴りつけて弾き飛ばしたところに、再び襲ってくるハープ・ノートが放ったマシンガンストリング。身を屈めてかわし、大地を蹴飛ばした。

 

「クイックサーペント!」

 

 避けれる。距離がある。ハープ・ノートは冷静だ。飛びのこうとした足が動かない。まさかと見下ろすと、予想通りだった。地中から生えてきたヘビ達が、蔓のように捲きついている。おそらく、オヒュカス・クイーンが地中に潜ったときに放っていたのだろう。牙を突き立てるヘビ達もろとも、オヒュカス・クイーンはハープ・ノートを弾き倒した。

 宙を舞うハープ・ノート。木の枝と緑が視界を騒がしく駆け抜けていく。それらの前に、不敵な笑みが立ちふさがる。体にまとわりつく感触。追いついたオヒュカス・クイーンが、長くしなやかな体で巻き付いた。

 

「う、あ、あああああああ!!」

「ミソラ!」

 

 締め上げられるハープ・ノート。悲鳴が上がり、ハープが思う限りに叫んだ。

 

「ミソラちゃん!」

 

 全速力だ。ハープ・ノートと開いてしまった距離を一瞬でも早く縮めるためにも、ロックマンは力を解き放った。

 

「スターブレイク! アイスペガサス!」

 

 両翼で空気抵抗を切り裂き、青い疾風となったロックマンはオヒュカス・クイーンの前に飛びだした。牽制するように振られたオヒュカス・クイーンのヘビの剣を、ブレイブソードで打ち砕いた。上半身を捻じるように、オヒュカスの顔を切りつけた。一瞬緩む締め付け。一瞬のチャンスを見逃さなかった。

 

「パルスソング!」

 

 体に巻きつくと言うことは、密着すると言うことだ。ゼロ距離で放った攻撃に悶える間に、ハープ・ノートはすばやく脱出した。ハープ・ノートを休ませるために、二人は極力距離をとる。

 

「スネークレギオン!」

 

 怒りが沸点に達し、今出せるだけのヘビ達を解き放った。大地を滑るように這うもの達と放たれた勢いで踊るように迫りくるもの達。視界を塞いでしまう大軍だ。

 ハープ・ノートの前に立ち、両手を上げ、切り札を使った。

 

「スターフォースビックバン! マジシャンズフリーズ!」

 

 氷塊が生成された。魔法陣から生えるように現れたそれは、ヘビ達を内包し、ロックマン達とオヒュカス・クイーンを分かつ巨大な壁と化した。分厚い氷は光の通過すら許さず、二人の視界を完全に奪った。

 相手の様子が見えないこの状況を、チャンスととらえたのはオヒュカス・クイーンだ。

 

「クイックサーペント!」

 

 竜巻と化した、触れる物全てを破壊してしまう無慈悲な体で壁を砕いた。向こうにいるロックマンとハープ・ノートを巻き込み、一気に勝負を決めてしまう腹だ。だが、それは叶わなかった。何の手ごたえもない。目まぐるしく騒いでいる世界に目を凝らすとその中で、ロックマンとハープ・ノートが同様に回っていた。氷塊の端っこに手をかけ、こちらに得物を向けている。

 

「マシンガンストリング!」

「な! ぐああ!!」

 

 四肢の自由を奪う無情な攻撃がオヒュカス・クイーンを捕らえた。再び、うめき声を上げるルナの精神。悶え苦しむオヒュカス・クイーンを逃がすまいと、指と弦が上げる悲鳴に耳を貸さず、ひたすら手をかきまわした。

 

「ごめんなさい、委員長」

「けど委員長、安心して。必ず助けるから!」

 

 バトルカードで生みだした、筒状の左手を前に突き出した。紫色のそれの中には、ファンが取り付けられている。それが回り出すと、周りに変化が現れた。オヒュカス・クイーンによって汚染された大地が、元の健康的な土色へと戻って行く。換わりに、彼らを蝕んでいた力を取り込んでいくのがロックマンの左手だ。

 

「ポイズンバースト!」

 

 力を打ち出した。反動で吹き飛ばされながらも、放出された紫の光球。緑の世界を毒々しい色で染め上げる太陽は、オヒュカス・クイーンを飲み込んだ。

 世界に緑が戻ったと同時に、オヒュカス・クイーンの手が地についた。既に限界が来ているのだろう。体の一部からは電子データが粒子となって世界に散って行っている。

 

「スバル君」

「うん、止めだよ。オヒュカス」

 

 リュウエンザンを装備したロックマンが歩み始めると、ギターを抱えたままハープ・ノートが後に続く。

 一歩一歩近づいてくる最後の時。オヒュカスは目をつぶった。

 

「止めてくれ!」

 

 割り込んできた悲鳴。二人の手を止めようと、感情をむき出しにした単純な言葉。脇の茂みから飛び出してきた二人の人間を見て、絶句した。

 

「ルナを、私たちの娘を……これ以上傷つけないでくれ」




 ご覧のとおり、ぐだりまくった戦闘となりました。色々と詰め込みすぎたのか、プロットの作りが甘かったのかな? 台詞を多くしすぎたのが一番の失敗だったかなと思います。
 巨体で直線的な攻撃が多いオックス・ファイアとオヒュカス・クイーン。遠距離攻撃が主体のハープ・ノートにクラウン・サンダーは、バトルが書きにくくて辛いです。


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第八十九話.抱擁

2013/5/4 改稿


 ずっと見ていた。破裂する空気と熱気の余波を浴びながらも、二人はその目を塞ぐことは無かった。変わり果てた娘が人を傷付けている世界を、現実では無いと言い聞かせるように。それが違うと気付いたのは今だ。気がつけば、ただ叫んで茂みから飛び出していた。

 最悪だった。ロックマンとハープ・ノートにとって、最悪の状況だった。勝ちは決まっていた。後はロックマンの左手の剣で一刺しするだけだったのだ。

 邪魔してきた二人は、今も娘を抱き締めていた。父と母が、両脇からオヒュカス・クイーンを挟みこむようにしている。

 愚かな二人にオヒュカスは笑うのを抑えるのに必死だった。まさか、ただの人間がこの世界に迷い込んで来ているなんて思っていなかった。その上、自分の盾になってくれている。

 

「お願い、この子を傷付けないで!」

「頼む!」

 

 懇願するナルオとユリコをよそに、スバルは疑問で頭がいっぱいになっていた。

 

「なんで、この世界にいるの?」

 

 最初に戦った車泥棒のジャミンガーだった男や、FM星人に取り憑かれた宇田海や育田が、ロックマンに敗れて電脳世界に置き去りにされたことはある。目の前にある現状はそれらとは異なる。電波変換できない彼らが、生身の人間のまま電脳世界にいるのである。

 

「ゼット波を浴び過ぎたのね」

 

 苦渋に眉をゆがめながら、ハープが説明した。

 

「私たちの体から出ているゼット波。これを長い時間浴びてしまうと、電波化してしまうの。この二人、オヒュカスの強いゼット波を近くで浴びちゃったから、電波化してしまったのよ。そのまま、ここに迷い込んできちゃったみたいね」

 

 真剣に聞いているミソラの隣で、スバルは二日前のことを思い出していた。学校で、実体化した電波ウィルス達が暴れた時、ウォーロックがデンジハボールの説明と共にしてくれた内容をだ。あの時も、彼は同じことを説明してくれていた。

 拳を開閉し、まだ戦えることを確認した。もうアンドロメダの鍵はこちらの物だ。このまま、この愚かな夫婦を人質にとり、アンドロメダの鍵を要求するだけで良いのである。脇の下にいる二人の頭に手を伸ばそうとする。

 

「すまない、ルナ」

 

 その手が止まった。止めたのではなく、止まったのである。関節にギプスでもつけられたかのように、その手は動かない。

 

「な、んだ?」

 

 手だけでは無い。全身が石と化した。呂律(ろれつ)すら上手く回らない。夫に続き、妻はオヒュカスの胴体に額を押し付けた。

 

「ごめんなさい、ルナ。あなたはこんな風になってまで、私達から離れたかったのね」

 

 言い訳かもしれない。遅いかもしれない。それでも、ナルオもユリ子も溢れる涙には逆らえない。

 手を降ろそうとする。だが、指がお情け程度に振動するだけだ。勝利は手をほんの少し伸ばした先にあるのだ。後少しなのに、届かない。ナルオとユリコの抱擁の中で、もがくことしかできない。

 

「お、お前……」

 

 オヒュカスの胸からむせかえってくる淡い色をした渦。それはこの体の持ち主の物。

 

「お前のために。そう思って一番良い方法を私達は考えてきた。だが、お前はそう思っていなかったんだな」

「や、止めろ!」

 

 徐々に大きさと勢いを増してくるのを感じていた。内と外から迫りくる、FM星人にとって好ましくない周波数。

 

「あなたの言葉に耳を傾けてあげられなかったから、こんなことになってしまったのね。……ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 

 波が大きくなっていく。幸で溢れかえらんとする世界はオヒュカスにとっては毒でしかない。押さえつけようとしている彼女を押しつぶし、飲み込んでいく。

 

「や、やめ……」

「だが、これだけは分かってくれ」

「ぐ、ううう!」

 

 ナルオは自分の薄い愛情の限りに、ルナを抱きしめた。ユリコも同じだ。細い腕でルナの体を抱き締める。胸を満たす周波数はオヒュカスを苦しめ、ルナの心を優しく包み込む。

 

「私達の……ルナ。……しているわ」

 

 頬を滑る涙。煌きを受け、ユリ子は母の最大の愛情を示した。ルナの体に唇を落とす。

 

「ぐ、ぎがああああああ!!!」

 

 オヒュカス・クイーンが弾けた。逃げ場を求めて宙に飛びだしたオヒュカス。その下で、目を閉じたルナが髪を靡かせていた。オヒュカス・クイーンよりはるかに小さいその体は、両親との間に空虚な世界を作ってしまう。それを埋めるように、二人は前のめりに倒れた。地に横たわるルナの隣に、ナルオとユリコが並ぶ。

 

「ルナ……」

「良かっ……た」

 

 娘の安らかな寝顔を見て、張りつめていた気が緩んだのだろう。二人は親の笑みを浮かべ、目を閉じた。 

 

「こ、この私が……地球人ごときに……」

 

 地面に落ちたオヒュカスは三人を唖然と見ていた。ありえない現実を前に身を横たえるしかなった。確かに、自分は弱っていた。瀕死と言っても過言では無かった。だが、それを踏まえた上で、自分の目が信じられない。

 

「とりつかれた地球人ごときが、私を追い出すなど……そんなこと」

「できるよ」

 

 オヒュカスの視界を遮るように、ハープ・ノートが悠然と立ちふさがった。

 

「親子の絆は、あなた達が思っている以上に強いの」

「たった一人の親なんだ。誰にも絶つことなんてできないんだよ」

 

 ロックマンも隣に並び、地に這いつくばるオヒュカスを見下ろしていた。右手にはカードが握られており、今ウォーロックに渡したところだ。

 

「ミソラ。こいつはクラウンとかと違って危険すぎるわ」

「分かった。じゃあ、ロックマン?」

「うん。覚悟は良いよね?」

「お、おのれ」

 

 ブレイブソードを突きつけてくるロックマン。悔しさから拳が作られた。

 

「ぶざまだな」

 

 反射的に振り返った。ハープ・ノートも一瞬遅れて後ろをうかがう。そこに立っていたシルエットは、今の二人の状況をそのまま現したような黒。

 

「お前!」

「ジェミニ!」

 

 目を離した隙を見逃さなかった。残る力を絞り出し、現れた同胞の隣へと駆け寄った。

 

「ちょうど良かった。助かったぞ」

「フン」

 

 鼻で返事をした黒い仮面。その隣には、黒い電波人間がいた。

 

「ヒカル……」

「一部始終見させてもらったぜ。どっちもみっともねえ戦い方するな」

「ヒカル、屑は所詮屑と言うことだ」

「だな。ククククク……」

 

 ジェミニとヒカルが笑いだす。それを見ていることしかできない。

 絶体絶命だ。万全の状態で戦っても、勝てるか定かではないジェミニ・ブラックを前にしている。今の二人で勝てる要素はまるで無い。逃げだすこともできない。ルナとその両親を人質されるのが目に見えている。

 

「さあ、ジェミニ! 奴らを、裏切り者達を早く!!」

「そうだな。裏切り者は始末しないとな。ヒカル」

「ああ」

 

 ジェミニ・ブラックがエレキソードを生成した。

 

「やるよ! ハープ・ノート!!」

「うん!」

 

 選択肢なんて無い。二人も身構える。

 満身創痍の体で戦闘態勢に入るロックマンとハープ・ノートを見て、ヒカルは哀れな子犬を見下すような笑みを浮かべた。

 

「……え?」

 

 声を上げたのはオヒュカスだった。体に走る感触に理解が追いつかない。ジェミニ・ブラックの右手がこっちに向いている。まばゆい光は自分を捕らえていた。

 

「な……な、ぜ?」

「言ったはずだぜ。『一部始終見ていた』ってな」

「消えろ、裏切り者」

 

 エレキソードがなぎ払われた。オヒュカスの断末魔の悲鳴を切り裂き、その存在を無へと帰した。

 

「ちっ、どいつもこいつも。屑しかいないのか」

 

 無慈悲な一連のやり取りを、ロックマンとハープ・ノートは壁一枚向こうから、茫然と見ていた。すぐに構えを取り直す。今度はこちらの番かもしれないからだ。

 

「そう構えるなよ。今日は見逃してやる」

 

 予想を覆す言葉だった。面食らった顔をしている二人。今襲い掛かれば倒せるのに、アンドロメダの鍵を奪えるのに、ジェミニ・ブラックはエレキソードをしまう。

 

「どういうつもりなの?」

「前に言ってやったことを証明してやるだけだ。それまで、俺の影にビクビク怯えてな。クハハハハハ!」

 

 嘲笑を置き去りにし、黒い光となって電脳世界の空へと飛び出した。そのまま光は見えなくなった。

 

「大丈夫よ。もうあいつの周波数は感じないわ。この電脳世界から出て行った見たい」

 

 ハープが穏やかに言うと、ロックマンとハープ・ノートは足から崩れ落ちた。

 

「よ、良かった……」

「助かったね。委員長達も助けられたし」

「あ、そうだ。委員長」

 

 スバルは重い体を起こし、今も眠っている三人に近づいた。覗き見ると、親子三人は川の字のようになり、安らかな寝顔を浮かべていた。どうやら、三人に大事は無いようだ。

 

「このままにしておいても大丈夫そ……」

「うん……?」

 

 ルナの瞼が前触れ無く開かれた。「ゲッ」と言う前に、目が合った。

 

「ロックマン様!」

「え! うわっ!!」

 

 さっきまで取り憑かれていたとは思えぬ元気さだった。水を得た魚と言う言葉は今のルナのためにあるような言葉だ。飛び起きたルナはロックマンに抱きついた。

 

「やっぱり、あなたが助けて下さったのですね!」

「ちょ、離れ……」

 

 轟音がその場を覆った。見上げると、渦を巻いている電波世界が上下左右に揺れていた。

 

「ハープ、これって……?」

「ジェミニの奴、この機械を壊して行ったみたいね」

 

 つまり、それは電脳世界が崩壊すると言うことだ。聞いていたスバルは素っ頓狂な声を上げた。

 

「じゃあ、今すぐ逃げ……」

「ロックマン様、恐い!」

「だから、離れてって!」

 

 腕に巻きつける力を緩めるどころか更に強くするルナ。引き離そうとした時、世界が崩壊した。

 

「……え?」

 

 モヤシだ。赤い服を着たモヤシだ。それを両手に抱き抱えている。

 

「きゃああ!!」

「へぶぅ!!」

 

 軽快な音がこだました。ルナのビンタがスバルの頬を弾きとばしたのである。

 

「な、なんでスバル君が!? え!? ロックマン様は!? っていうか、あなたが? え!? ここどこ? 展示室!? なんで!? なんでなの!!?」

 

 両目から水のラインを生成し、床にうつ伏せになっているスバルを指差し、混乱している頭を抱えたりしているルナ。周りを見ると、ここは103デパートの屋上に設けられたヘビの展示室だ。湿気の多い、蒸し暑い部屋だ。熱帯雨林を思わせる木々が立ち並んでいる。ルナの後ろでは、今もナルオとユリコが眠っていた。

 哀れに寝そべっているスバルの側に屈んだのは赤紫色の髪をした少女だ。

 

「大丈夫? スバル君?」

 

 返事が無い。屍になっていないことは確かだ。このまま休ませてあげることにした。とりあえず、混乱しているルナは横に置いておこう。しばらくすれば、自然と落ち着いてくれるはずだ。

 

「災難と言うか……苦労人だね、スバル君は」

 

 膝を曲げて、スバルの頭をそっと自分の膝の上に置いてあげる。

 

「とりあえず……お疲れ様、スバル君」

 

 疲れ切ったように眠っているスバルの頭を、優しく撫でてあげた。



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第九十話.二人目のブラザー

2013/5/3 改稿


 屋上では未だに人々が騒いでいる。しかし、逃げている者はいない。とぐろを巻き、石造のように動かぬマムシ達。それらに囲まれるように倒れた者や、その側でうずくまる者達。皆、マムシ事件の被害者たちだ。だが、あらかじめ用意されていた血清が順次配布されて行く。

 

「もうじき救急隊も到着するはず……まぁ、大事には至らぬだろう」

「大蛇に食われた者もおらん。まあ、悪くて入院ぐらいじゃろうて」

 

 眼下で広がる結果を見て、両手を組んだクラウン・サンダーが首を縦に振ると、隣のクラウンも頷いた。

 

「けどよ、なんでヘビ達は急に冬眠しちまったんだ?」

「ワシが知るわけ無かろう。まあ、結果が大事だ。結果がな」

 

 ウルフ・フォレストの疑問に首を横に振るクラウン・サンダー。ウルフの提案により、彼ら四人はウェーブロードを伝ってその場を後にした。真下にいる者の存在に気付くこともなくだ。

 

「ヘビ達に埋め込まれたチップには、保険が掛けてあったみたいだな」

「保険? 意味分かんねえよ」

「あの大蛇のモニュメント。あれから出ている指令電波が届かなくなると、ヘビ達を自動的に冬眠状態にさせるプログラムが入っていた。というところだろうな」

「俺達があの機械を壊したのは失敗だったということか。ちっ! もっとヘビ達を暴れさせてやりたかったのに……」

 

 今もなお、救急活動を続けるビルのスタッフ達や、屋上の端で休んでいる客達。鳴き声や怒号が交差する中、ヒカルは階段を静かに降りて行った。

 

 

 こちらも同じだ。手当てを受けた被害者たちが、友人や家族に支えられ、スタッフの案内を受けて展示室を後にしていく。今、一人の女の子が父におぶられ、母に頭を撫でてもらいながら帰路に付く。その背景には、三つの人影が合った。

 

「ルナ……ママ達、夢を見ていたわ……」

「すまなかったな、ルナ。『心を絞めつけられるのは、体を絞め付けられることよりも苦しい』お前の気持ち、少しだが、分かった気がする」

「パパ……ママ……」

 

 今、父母と初めて向き合った少女。その目を少し大きく開くと、すぐに細めた。金色の瞳が滲みだす。

 

「私……感じたの」

 

 記憶はあちこち飛んでいる。両親の言う、自分が人を傷つけようとしたことなど、まるで記憶に無い。でも、覚えている。これだけは間違いようも、疑いようもない。父と母がくれたもの。

 

「抱きしめてくれた……嬉しかった。情けなかったの。私、パパとママの気持ちも分からないで……」

「それは私達の方だ」

「ルナ、泣かないで」

 

 父と母から改めて抱擁を受けるルナ。その様子を少し離れた所から窺っていたスバルとミソラは、気配を消してその場を後にした。

 

 

 デパートの周りには人だかりができていた。駆けつけたパトカーに救急車、不必要なヤジウマ達。それらをすり抜け、目の前の、広場に降りる十段程の階段を降り切ったときだった。

 

「待ちなさい!」

 

 ビクリとして振り返ると、元気すぎる高い声の持ち主が、階段の上で仁王立ちしていた。腰に当てた手を放し、ゆっくりと降りてくる。

 

「スバル君……その……」

 

 一瞬目を反らす。しかし、まっすぐにスバルを見て尋ねた。いつもの、金色の獅子を思わせる鋭さはどこにもない。

 

「あなたが、ロックマン様なのよね?」

「……うん……そうだよ」

 

 正直に答えたスバルに、ルナは頭を抱えた。夢じゃなかった。憧れのヒーローとこのモヤシの間に等号が成り立ってしまった。そこに斜め線を引きたかったのに、それは叶わぬ願いとなってしまった。いつもオドオドしていて、ロクに掃除もできない元登校拒否児があのヒーローなのだ。夢描いていた人物像がガラガラと音を立てて崩れていく。

 

「はぁ……」

「どうしたの、委員ちょ……?」

 

 トランサーが騒ぎ出した。ウォーロックではなく、携帯端末がだ。話を中断して開いてみると、狭い画面に二人の男の子の顔が映った。

 

『スバル! 助けてくれ!!』

『お願いです、スバル君!!』

「どうしたの? ゴン太、キザマロ?」

 

 今、スバルは左手を持ち上げ、トランサーの画面に映る二人と電話している状態だ。ルナとミソラを正面に構えるため、二人の姿が映らない。声は聞こえてしまうが、まだ二人にそこら辺を配慮する必要はないだろう。

 

『委員長にお詫びがしたいんだ!』

『委員長がびっくりするようなものを用意したいんですが、相談に乗ってください!』

 

 配慮すべきだった。ばっちりとルナに聞こえている。隣では、声を押させて笑っているミソラがいた。スバルも釣られてしまいそうな笑みを必死で抑え、画面の二人をからかうことにした。

 

「お詫びって、何の話し? またゴン太が何かやらかしたの?」

『『また』ってなんだよ!?』」

「いつも宿題忘れているくせに?」

『ぐにゅうううう!』

 

 悔しそうに目を回すゴン太を必死に押し退け、キザマロが前に出る。後ろでもがいているゴン太に押しつぶされそうだ。トランサーを踏みつぶしてしまわないだろうか。

 

『今日、僕達用事が合って、委員長の誘いを断っちゃったんです。それで、何かお詫びがしたいんですけど、何も思いつかなくて……』

「そっか~、それは困ったね~?」

 

 チラリと目をルナに移した。両手を口元に当て、その目には涙が潤んでいるようにも見える。

 

「ゴン太、宿題は終わった?」

『え? まだだけど?』

「なら、それを明日までにやってきなよ」

『え! なんで!?』

 

 尋ねる以前の問題である。突っ込みたい気持ちを抑えつつ、スバルはゴン太に指を立てながら説明した。

 

「いつも宿題をやってこないゴン太が、宿題をやってきたら? きっと、委員長は驚くし、喜ぶと思うよ。あ、だったら、明日は委員長を迎えに行ってあげたら? いつも起こしに来てもらってるんでしょ?」

 

 金曜日の登校時の会話を思い出しながら、スバルは一日絶食したような顔をしているゴン太に意地悪く提案した。

 

『スバル君、ゴン太君が明日までに……』

「もちろん、キザマロが教えてあげるんだよ」

『また僕ですか!?』

「ゴン太を起こしてあげるのもキザマロだよ」

『僕何時に起きなきゃならないんですか!? うああ! 今日の『身長ノビノビセミナー』で、睡眠をたくさんとれって教わったばかりなのに!』

 

 セミナー名がものすごく胡散臭いが、スバルはスルーしておいた。

 ポトリと雫が光った。スバルはちゃんと自分を見てくれていたのだ。自分が一番ゴン太にやって欲しいことを理解してくれている。二人も、ちゃんと自分を見てくれていた。オヒュカスに取りつかれた時の自分を思い出し、ハンカチを取り出して目元をぬぐった。

 

「じゃあね?」

『あ、待ってくれスバル!』

『手伝ってください! お願……』

「また明日ね」

 

 無慈悲に会話終了ボタンを押した。暑苦しいぐらい接近していた二人がプツリと消える。

 

「明日はゴン太とキザマロが起こしに来てくれるって。楽しみだね、委員長?」

 

 背中を向けているルナに話しかけるが、返事が無い。ただ、ずっと地面を見つめている。ミソラも心配そうにその背中を見ている。クルリと二つの縦ロールが半回転し、スバルに詰め寄って左手を突き出した。

 

「な、何?」

 

 見下ろしてくる威厳のある瞳に射抜かれ、カエルの様に縮こまる。察しの悪さにムッとしてしまう。

 

「出しなさい」

「え?」

「っ! ブラザーになってあげるって言ってんのよ!」

 

 聞き間違いではないかと疑問が廻った。自分にブラザーを申し込む者がいる事実がだ。

 

「えっと……」

「出しなさい!」

「う、うん!」

 

 トランサーを開いてボタンを押す。向き合わせると、直ぐに登録が終わった。ミソラの隣に、ルナの顔写真が載っている。

 

「この私のブラザーでいられることに感謝しなさい!」

「あ、ありがとう」

「それと、ちゃんと朝は起きなさいよ! 学級委員長の友達が寝坊魔だったら示しがつかないんですから」

「友達?」

「当たり前でしょ! じゃ、私は行くわね」

 

 もう用は無いと踵を返して歩きだす。ミソラの近くを通るのを忘れなかった。

 

「悪かったわね」

 

 今も人々の賑わいが飛び交う街中。ボソリと告げられた謝罪を聞いていたのは一人だけだ。

 

「うん」

 

 街中に消えていくルナの背中を見送る。そんなミソラには笑みが宿っていた。

 

「友達……か……」

「嬉しいのか?」

 

 やっとしゃべれるとウォーロックが出て尋ねてくる。

 

「うん、嬉しいよ。だって、僕、学校で友達って言える人居なかったから」

「あら? ミソラは違うのかしら?」

 

 からかってくるハープ。隣ではミソラが不安そうな目で見ている。絶体絶命だ。ミソラのことは友達だと思っている。しかし、それ以上の感情が自分の中にあるのだ。隠し通さなくてはならない。

 

「あ、ミソラちゃんは……その……えっと……」

「む~、はっきりしないな~」

「えっと、ほら、学校じゃ会えないから!」

 

 必死に手を横に振って誤魔化すスバル。だが、ふくれっ面は元に戻らない。それどころか、「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 

「あの、機嫌直してよ」

「じゃあ、パフェ奢って!」

 

 振り返って来た表情は、スバルの予想を裏切る満面の笑みだった。

 

「今の演技?」

「エヘヘ~、アイドルの匠の技を思い知ったか!」

「……まだ食べるの? もうすぐ夕方だよ?」

「女の子に甘いものは別腹なの! さ、直ぐ近くのカフェだよ。行こ行こ!」

 

 ここで、女の子専用の奥義だ。あまりにも単純で破壊力抜群のその技の名は、抱きつきだ。スバルの腕に抱きついたのである。腕いっぱいに広がる女の子の柔らかさと体温。スバルの頭があっという間に沸点に到達する。

 

「あの、僕、女の子とカフェなんて……」

「わ、私についてきたら大丈夫だよ」

 

 大丈夫というが、説得力が無い。ミソラも気が遠くに飛んで行ってしまいそうなほど赤面しているのだから。ふらつきそうになる足を前に進めながら、二人はカフェへと歩き出した。



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第九十一話.プレゼント

2013/5/4 改稿


 ミソラに案内されたカフェで特大パフェを奢らされたのは、ルナと別れてからすぐ後のことだ。クリームに舌舐めずりするミソラを食い入るように眺めながら、スバルも苦いコーヒーをすする。見栄を張って、ブラックにしたことをちょっとだけ後悔した。

 共にいるだけ。ただそれだけの幸せな時間。だが、それももうすぐ終わりだ。ちょっと大人へと背伸びをした二人に、「子供へ戻れ」と促すように、日が落ち始め、街に明りが灯って行く。ここからは大人の時間だ。

 広場に植えられている大樹。それに絡みついた無数のライトは、手を繋いで直線的な光の波を作り出す。ショッピングモールの四階からそれを見下ろしていた二人は、道行く人に時刻を知らせる大時計を確認した。

 

「今日はありがと、スバル君」

「ううん、僕も楽しかったよ。ありがとう、ミソラちゃん」

 

 スバルの言葉に、嘘は微塵も含まれていない。彼女の手を離さんとする彼の手がその証拠だ。

 

「今日はね、新しい私を見て欲しかったの」

「新しいミソラちゃんを?」

「そう。私、コダマタウンであんなことしちゃったじゃない?」

「……うん」

 

 ミソラの目の光が小さくなった。彼女の胸に渦巻く後悔の念。スバルはそれを察し、多くの言葉を紡がずにおいた。

 

「だから、見て欲しかったの。私、新しく歩きだせたから。ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、強くなった私を見て欲しかったの」

「うん……強くなったと思うよ。ミソラちゃん、前よりも、もっと明るくなったから」

「ほんと!? 良かった」

 

 心から祝福するスバルと、両手を口に当て、目を細めて喜んでいるミソラ。二人とは対照的に、ウェーブロードのハープは目に暗い影を落としていた。

 

「ミソラ……あれは、私の責任よ?」

 

 あの時、ミソラを謝った道へ誘ったのは自分だ。

 

「私がいなければ、あなたはここまで苦しまなかったのかもしれないのよ。なのに……」

 

 ハープの目から星が飛び散った。右側頭部からは、鈍い痛みが熱と共にズキズキと広がって行く。何をされたのか直ぐに分かった。

 自分の右側には、やっぱりウォーロックがいた。左拳が握られているあたり、利き腕とは逆の方の手で女をぶったらしい。

 

「痛いじゃない! レディーに何すんのよ!?」

「てめえこそ、何してる?」

 

 手を上げた本人は謝罪の一言も発さない。これはたいていの者が頭にくる。ハープも例外に漏れない。

 

「どういう意味よ?」

「笑えよ」

「え?」

 

 ウォーロックの思考が読めず、怒りを忘れてしまった。キョトンとするハープにウォーロックはため息をついた。

 

「てめえはミソラの家族なんだろ? 家族が笑ってねえのに、自分が笑うなんてできるわけねえだろ」

 

 今も目を丸くして固まっているハープにウォーロックは当然のごとく告げた。

 

「お前ができることは、ミソラの隣で笑うことだろうが。違うか?」

 

 最後に軽く首を傾げ、ハープと視線をぶつけ合わせる。ポカンと開いていた口が、ふわりと結ばれた。それは躊躇いも迷いも完全に捨て去った者が出せるものだ。

 

「ポロロン、あなたに説教されるなんて思わなかったわ」

「ケッ! てめえは一言多いんだよ」

「あんたにだけは言われたくないわよ」

「なんだと!?」

「ポロロ~ン」

 

 指の無い手で口元を押さえながら、ハープはからかうように笑って見せた。

 

「それにしても、意外だわ」

「何がだ?」

「故郷を裏切ったあんたが、家族なんて言葉を口にするなんてね」

 

 肩をすくめるようにしながら、ハープは笑って尋ねた。

 

「あなたの家族も、向こうで元気だと良いわね?」

「ああ……まあ、あっちで元気にしてるだろうぜ」

 

 この星の遥か彼方、空を突き破った更に先に広がる世界を見上げた。下では、今も二人が会話を楽しんでいる。

 

「僕をテーマにした曲、作ってくれてるんだよね?」

「うん! 勉強の傍らだから、なかなか進んでないけれど、ちゃんと作ってるよ。曲名も考えてるんだから!」

「なんて名前なの?」

「う~ん、幾つか候補があるんだけれど、今のところは『流れ星』かな」

「……流れ星?」

「うん!」

 

 自分をテーマにした曲の名前は流れ星らしい。だが、流れ星との接点が思い浮かばない。胸にある流星型のペンダントに目を移した。自分と流れ星との間に関わりの深い物と言えば、この父の形見だ。後は、自分の趣味ぐらいしか思いつかない。天体観測と流れ星が無関係とはいわないが、曲名に抜擢される理由としては説得力が薄い。

 

「なんで、その名前にしたの?」

「もちろん、ちゃんと理由があるよ」

 

 そっと、瞼で翡翠色の瞳を隠す。せわしなく道行く人々。その種類が変わっていく世界を背景に佇むミソラ。彼女だけが隔絶されたような世界。スバルもそこに足を踏み入れた。

 

「私ね、あの日、流れ星を見て祈ったんだ」

 

 コダマタウンでライブを行う2日前、町に着いて、寂しさを紛らわそうと星空に一番近い場所に行った。その時、闇を切り裂いた一筋の光。

 

「『助けて』って。『一人ぼっちから助けて』って」

 

 瞼から滴り落ちようとする熱い物を、堪えるのが精いっぱいだった。

 

「そしたら、次の日にスバル君に会ったの」

 

 本番に向けての練習。木々や風、虫達に曲を披露していた。気がつけば、一人観客が増えていた。自分を知らなかったことに少し驚いたが、新鮮な会話だった。あの時は、優しそうだが、世間知らずな男の子だと内心笑ってしまったものだ。

 

「そして、本当に助けてもらったわ」

 

 それだけでは無かった。泣いている自分を見つけてくれた。手を引っ張ってくれた。そして、誤った道に進もうとした自分を、身も心もボロボロになって、止めてくれた。

 

「スバル君は、私の前に颯爽と現れて、私を助けてくれた。私の願いを叶えてくれた」

 

 全てを一からやり直す。茨の道を進もうとする自分に、勇気をくれた。自分の心の傷を抉りながら。

 疑いようなんて無い。目の前の少年を見つめた。

 

「一人ぼっちだった私の前に颯爽と現れて、私を助けてくれた。私にとって、スバル君は流れ星のヒーローなんだから!」

「ヒ、ヒーローか……」

 

 痒くもないのに、鼻先をポリポリとかいてしまった。今まで何度かこの言葉を言われてきた。彼女からの言葉はスバルをむず痒い気持ちにさせる。

 

「どういたしまして……かな?」

「フフッ」

 

 頬をピンク色にして、決まらないスバル。でも、そんな控え目な彼がミソラのヒーローだ。大好きなヒーローに、ミソラは意地悪そうに目を細めた。

 

「あ! そういえば、スバル君の二つ名を考えてあげるって約束だったよね?」

「え……つけるの?」

「うん! 『戦う芸術家 ハープ・ノート』がつけてあげるよ」

 

 少し前にしたメールと電話を思い出した。どうやら、今から仕返しされてしまうらしい。

 

「スバル君の電波変換中の名前は、ロックマンだったよね? だから……流れ星を言い変えて……そう!」

 

 ピッと指を立て、ミソラは星のように笑って見せた。

 

「『流星のロックマン』」

 

 ミソラがつけたスバルの二つ名。それは、彼の存在そのものを言葉で表したものだった。

 

「かっこよくない!?」

「そ、そうかな?」

 

 悪い気はしなかった。むしろ、かっこいい。首筋から後頭部までと、頬に手が行く。照れているのがまる分かりだ。

 

「……うん、かっこよくて良いかも」

「ほんと? 良かった!」

「流星……か……」

 

 ペンダントを手にとり、手の中で玩ぶ。ミソラとブラザーになれたのは、父のおかげだ。こんなに大切と思える人と出会い、絆を結べたのは、父の形見が合ったから。あの時も、このペンダントから勇気をもらったのだ。

 かっこいい二つ名を与えられた喜びにふけっていると、ふとした疑問が浮かんだ。

 

「ところで、見ていた流れ星って、青い奴?」

 

 前触れのない質問。ミソラは細めていた目を丸くした。

 

「え? なんで分かったの?」

「それ、僕も見ていたんだよ!」

 

 とたんに、ミソラはスバルと同じく驚いたように目を見開いた。

 

「本当!? 私達、同じ流れ星を見つけていたの? これってすごくない!?」

「すごいと思うよ!? ものすごい確率だね!!」

 

 天地と宇田海からブラザーの素晴らしさを教わったあの日、スバルはぽっかりと空いた胸を満たそうと、春の夜空に目を凝らしていた。だが、それは無意味だった。静かにもがいた手が掴んだのは空気だけだった。星空に溶けてしまいそうだったスバルの前を横切ったのは、青い流星だった。それを見て、スバルは無意識に求めてしまった。ひっそりと、人々の頭上を横切った青い流れ星。あの一瞬の煌きを、ミソラも見ていたらしい。

 

「スバル君は何を願ったの?」

「うん……ブラザーができますようにって。そしたら、次の日にミソラちゃんに会ったんだよ」

 

 目を益々大きくして、ミソラははしゃぎだした。

 

「私、その青い流れ星を見た時、展望台にいたんだよ!?」

「本当に!? しかも、その展望台で僕達出会ったんだよね!?」

「きゃは! これって、本当にすごい偶然だね?」

 

 偶然という言葉で済ませられるものではない。幾つもの、少ない確率でおきる出来事が、二人の間で連鎖的に起きたのである。

 

「もしかしたら……運命だったのかもね?」

「え、運命?」

「そう、運命……!?」

 

 この単語はあまり使わない方が良かったかもしれない。変な意味に捕らえてしまい、沸騰しているミソラ。スバルも自分の言葉にようやく気付いたのだろう、顔から火が出ている。

 また気まずくなってしまった二人。それを破ったのはミソラだ。スバルの手が熱くて柔らかいものに包まれる。ミソラの手だと気付き、更に体温が高くなった。

 

「こ、このままいて良いかな?」

「う……うん……」

 

 チラリと目を合わせる。エメラルドと茶水晶の瞳が互いを映し出す。その中にいる自分。さらにその奥にある相手の瞳。そこにいる自分。奥へ奥へと自分を誘っていく。二人の首が曲がって行く。前へ前へと、目の前の相手へ。

 鐘が鳴り響く。定刻を知らせようと、ご丁寧に大音量をまき散らした。それは二人を現実へと引き戻す。目の前にある宝石に、自分の顔が大きく映し出された。

 

「わあ!」

「きゃあ!」

 

 糸で引っ張られるように、首が元の位置へと引き戻された。直も鳴り響く大時計の音のおかげで二人は一世一代のチャンスと、事故を免れたのである。

 

「ごっごごごめんなさい!!」

「ああたしこそごめん! なんか、変になっちゃって……」

「僕のほうこそ! その……ごめん……」

 

 一体、自分達は何をしようとしていたのか。目をグルグルと回し、頭がこんがらがっている二人。しばらくして落ち着いた二人は、時間を見て歩きだした。

 がっかりしたハープがスバルのトランサーへと降りてくる。頭にいくつものタンコブをつけたウォーロックを蹴とばし、中に放り込んでおいた。どうやら、先ほどのシーンでハープを怒らせる発言をしてしまったらしい。一仕事終えたハープは、微かに微笑んだ。

 

「まだこの子達には早いわよね? それに、進展もあったわけですし」

 

 互いを離さぬ手を見て、ハープはポロロンと笑って見せた。

 

 

 『ベイサイドシティ行き』と掲げられたバス停が近づいてい来る。夕陽に照らされたこの下り階段は夢への出口だ。だから、この手前でスバルは足を止めた。ミソラも並んで立ち止まる。

 

「今日は本当にありがとう」

「僕の方こそありがとう。とても楽しかったよ」

 

 ミソラを掴んでいない方の手で、ポケットに手を突っ込んだ。

 

「それでね……」

 

 不思議そうな顔をしているミソラ。名残惜しそうに彼女の手を放し、手のひらを上に向け、開く形にさせる。ゴソゴソと、ポケットの中身を引っ張りだした。

 

「これ……プレゼント」

 

 声が出なかった。手の上に乗せられた綺麗な包装紙。小さいながらも確かに感じる重量感。

 

「開けてみて良い?」

「うん!」

 

 湧き上がる期待が手を早める。それでも、包装紙を破かぬように、シールを丁寧に剥がして口を開いた。中にあったのは赤虎目石のような輝き。期待は確信へと変わり、ミソラの純粋な心を暖かくさせ、心拍数を上げていく。手の上へと滑らせると、銀色のチェーンが付いていた。

 

「これって……」

「うん、ミソラちゃんに似合うと思って……」

 

 スバルも同じだ。クールに振舞おうと、平静を装ってミソラの手からそれを取り、チェーンを広げる。震える手を無理やり押さえ込み、一歩ミソラに近づいた。賑やかな心音が彼女に聞こえてしまうのではないかと心配になってしまう。悟られないように、すばやく彼女から離れるために、けれど、大切なプレゼントをぞんざいに扱わないために、ゆっくりと、彼女の首にそれを通した。前に進んだ分だけ後ろに下がり、彼女を見つめた。

 胸元で、ハート型のペンダントが日の光を弾いていた。数秒、ミソラに見とれてしまった。

 

「嬉しい……」

「……良かった……似合ってると思うよ」

「ほんと? ありがとう、スバル君!」

 

 今日見た、最高の笑顔だった。ペンダントに負けじと赤くなってしまいそうだ。

 

「ミソラちゃん……これからも、ブラザーでいてくれるかな?」

「うん! もちろんだよ!! ずっとブラザーでいようね!?」

 

 大切な約束を交わしたスバルとミソラ。微笑み合う二人の胸元で、流星とハートのペンダントが輝いていた。



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第九十二話.愛の形

2013/5/4 改稿

 一週間で、お気に入り登録件数が十件増えたんですけれど……何があったのでしょうか? 嬉しいけれど、びっくりしましたw
 と言うわけで、お気に入り登録件数が80件に達しました! 皆さん、ご愛読ありがとうございます!

 さて、お待たせしました。五章最終話です!


 エレベータの動きが止まり、体が浮くような、慣性の法則の感覚に囚われる。それも直ぐに過ぎ去って、扉が開くと、明りの下から進み出る。冷凍食品が詰まった買い物袋を抱え、建物の中に穿たれた、黄色に照らされた廊下を歩き、自分の部屋まで歩みを進める。いつも通りに、トランサーを掲げて電子キーを外し、いつもどおりに期待の無い言葉を投げた。

 

「ただいま」

「お帰りなさい」

「……え?」

 

 返ってくるはずなんてない。そんなはずのものが部屋の奥から聞こえてきた。この声の持ち主を聞き間違えるわけなんて無い。生まれて真っ先に聞く肉親のものなのだから。

 

「えっと?」

 

 玄関で立ち尽くしている彼女の背後から音がした。そこには、オートロックを外して、扉を引っ張っている男性がいた。

 

「おお、ルナ。帰っていたのか。ただいま」

「パパ? お、お仕事は!?」

 

 今日、あんなことがあったばかりだ。企画を行ったナルオとユリコには、避けられぬ責任を背負わなければならない。103デパートで事後処理を追われているはずであろう二人が、バスでも数十分かかるコダマタウンのマンションでスーツを脱いでいるのだ。

 状況を受け入れられず、目と思考が迷子になっているルナに、ナルオはネクタイを外しながら説明した。

 

「早めに区切りがついたらから帰って来た。そうそう、お前の転校の話も白紙に戻しておいた」

 

 たっぷりと蓄えた口髭を揺らすナルオ。彼の白いひげの上には、疲れが青黒いクマとなって現れていた。どうやら、事後処理を急いで済ませて来たらしい。

 二人は首を竦めた。耳を引き裂くような騒音と金属音に紛れ、ユリコの悲鳴があがっている。方角からすると、ユリコはキッチンがあるリビングにいると容易に予測できた。

 

「ヤレヤレ、慣れないことをするからだ」

「もしかして、お母様は料理中?」

「ああ、なんでも二十年ぶりらしい。包丁を握るのは」

「私、手伝って……!」

 

 冷凍食品を廊下に投げ出し、埃一つ無い廊下を走りだそうとした。彼女の手が引っ張られ、背中を大きくそらす。ナルオのペン瘤だらけの手が、ルナの手首を掴んでいた。

 

「あいつは、『自分の手で作ってあげたい』と言っていたんだ。やらせてやってくれないか?」

「……大丈夫なの?」

「『ジャガイモを揚げるだけだから、簡単よ』と言っていたんだがな……」

 

 苦笑いをしたナルオは、ルナが投げ出した買い物袋を拾うとキッチンへと向かって行った。その疲れ切った背中を見て、ようやくルナは気付いた。

 なぜ、自分は今まで気付かなかったのだろう。あの背中に、ずっと守ってもらって来たのだ。母は自分に生を授け、ずっとその手で抱き締めてくれていたのだ。

 金曜日に、自分が学校で倒れた時も、両親は家に帰って来てくれた。あの時も、仕事を早めに切り上げてくれたのだ。

 大切な娘が無事に帰宅している姿を一目見る。たったそれだけのこと。されど、二人の親心に安堵をもたらせる唯一無二のこと。それだけのために、忙しい仕事をほっぽり出して、わざわざ家に帰宅してくれたのだ。

 その後、仕事の遅れを取り戻そうと、直ぐに職場に向かったのだ。愛想が無いかもしれないが、仕方のないことだろう。彼女の傍に寄り添わなかったのは、二人が娘は強い女の子だと信じていたからだ。

 

「パパ……ママ……」

 

 ユリコの声が聞こえてきた。夕御飯が出来上がったらしい。

 

 

 

 冷凍食品とは素晴らしい物だ。例えばコロッケだ。レンジのダイヤルを回すだけで、黄金色の衣、神がかり的に整えられた大きさ、庇ってあげたくなるほどの柔らかさ、ジャガイモが吸い込んできた大地の香り、そして、人の舌を喜ばせる旨味をもたらしてくれる。

 これを作る製造工程が特に素晴らしい。ほとんどを機械が行ってるにもかかわらず、これだけの料理を大量に作れるのだ。人類の英知がもたらした奇跡の食べ物である。一流のシェフには及ばずとも、その機械達は一人前の人工料理人と言えるだろう。少なくとも、今ルナの目の前にあるコロッケを作った者より、料理上手だと言える。

 黒く焼け焦げた衣、石ころから野球玉程の個体差、ゴツゴツとした丸い突起が生えており、脂臭さが広がっている。側にあるキャベツは千切りではない。包丁を差し込んだ形跡が一切なく、『線』ではなく『葉』の状態で敷かれている。白米ではなく、ロールパンが側に添えられている。どうやら、お米を炊き忘れたらしい。

 一般のものとは遥かにかけ離れたコロッケ定食を前にして、ナルオは後悔したように頭を抱えた。彼の隣、つまり母を正面にする位置にルナは座った。

 

「じゃあ、食べましょうか?」

「あ、ああ……」

 

 悲壮な表情をする父と、明らかに「やってしまった」と顔を暗くしている母。そんな二人の視線は、無表情に黒い塊を見ている娘へと注がれる。視線に気づいているのかいないのかは定かではないが、ルナはそっと箸を持った。箸で切り分けようとすると、コロッケモドキの塊が硬く、箸が曲がりそうになってしまった。

 

「まずいと思うけれど……」

 

 料理をしているときは思考している余裕が無かった。いざ、娘の口に入ると思うと、弁明の言葉が喉を叩いてくる。

 異臭を放つ、これまた異様な形をした塊。比較的小さい物を選んでかぶりついた。前髪に隠れて目元が窺えない。娘の反応を気にかける両親。二人の目に留まったのは、テーブルに落ちた雫だった。

 

 

「おはようございます! 委員長」

「お、おばじょう、びびんじょう!」

 

 ピシッと背筋を伸ばしているキザマロと、欠伸混じりのゴン太に交互に目をやる。スバルの提案に、二人は思いっきり乗っかったらしい。

 

「ええ、おはよう二人とも。そのまま待ってなさい」

「え?」

「お、おう……」

 

 反応に困っている二人を、壁につけられた来客通信用モニターから消し、ルナは玄関で回れ右をした。

 

「パパ、ママ……行ってきます!」

「ああ、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい、ルナ」

 

 両親に手を振り、ルナはドアを閉めた。

 いつも通りにエレベータを降り、暗号ロックがかかった自動ドアをくぐり抜け、二人と合流した。

 

「あ、委員長! 驚いてください! なんと、今日はゴン太君が宿題して来たんです!」

 

 キザマロが体を踏ん反り返し、ゴン太の偉業を高らかに主張した。ゴン太も横でふんぞり返っている。手にはパンのカスが、口周りにはマヨネーズと卵がついている。どうやら、ギリギリに起きたのだろう。朝食の、卵のサンドイッチを片手に、ここまで走って来たらしい。走って来たと思った理由は、二人が全身に汗をかいているからだ。

 

「あら、今日はちゃんとやって来たのね? さ、行くわよ」

「……え?」

「ちょ、委員長。なんで驚かないんだ?」

「当然のことでしょ?」

 

 二人の間を通り抜け、迷いの無い足取りでマンションの外へと踏み出した。ゴン太とキザマロはおぼつかない足取りで、口を力なく開いて目元を青くしている。背中ごしに、二人に意地悪く笑ってやる。昨日の出来事に、思いをはせるように目を閉じて、風に言葉を溶かした。

 

「ありがとう」

 

 

 いつも通りだ。袖に縞模様のあるパーカーに黄緑色のズボン。トランサー機能を兼ね備えたギターを背負う。

 いつもしている最低限のおしゃれ。今日はこれでいい。昨日と違って、大好きなあの人に会うことは無いのだから。

 

「それはつけていくのね?」

 

 ハープが指を差す胸元では、銀色のチェーンが僅かに顔を覗かせている。

 

「うん! だって……スバル君に貰ったんだよ。つけていきたいじゃない!」

 

 人は共通するもの、共感するもがあれば、そこに喜びを感じる。いつもペンダントをぶら下げているスバルと同じく、自分もペンダントをしている。ただそれだけの事で、朝の眠気なんて紙切れのように吹っ飛んでしまった。

 

「これで、おそろいのペンダントだったらなおさら嬉しかったわね?」

「お、おそろい? ……スバル君とおそろい……」

 

 数秒の妄想で脳が限界に達した。電子機器が破裂するような音が漏れ、顔から湯気が立ち上った。おそらく、今のミソラが氷水に顔を突っ込んだら、一瞬で沸騰するだろう。

 

「もう、純粋すぎるのよ、ミソラは」

「……で、でも……そうなったらうれしいかな?」

 

 氷をお湯へと変えてしまう顔を隠すように、フードの端を掴んでいる。隠しきれるわけも無く、覗き込んできたハープから逃げるようにしゃがみこんでしまった。

 

「さ、さあ! 学校に行こう?」

「ええ、行きましょ」

 

 跳ね除けるようにドアを開き、スバルとの絆の証を揺らした。

 

 

「昨日は思いっきり、はしゃいできちゃったのね?」

「そんな事無いよ」

 

 母のちょっと収まって来たからかいに愛想悪く返し、スバルは鶏肉を頬張り、白米に箸を伸ばした。目はだらりと垂れ下がり、疲れが明らかに滲み出ている。

 昨日は帰ってご飯を食べ、お風呂に入ったら直ぐに寝てしまった。もしかしたら、時計の短針は8に差し掛かっていなかったかもしれない。時計が一周したころに起床したものの、頭と体が重い。こんな時に鬼委員長の雷を落とされたら、頭が割れてしまうかもしれない。

 本当に頭が割れそうになった。インターホンの呼び鈴だ。

 

「え!? 早いよ!!」

「さあさあ、急いでしたくしなさい」

「分かったよ」

 

 残った朝食をかきこむ。急に食べたせいか、頭が更に痛くなってしまた。脳の中心からノックしてくるような痛みを抑えつつ、リビングから飛び出す。部屋へと駆け上がり、昨日のうちに母が洗濯してくれていたパジャマを脱ぎ捨てた。

 

「なんで今日はこんなに早いんだよ」

「昨日、ゴン太とキザマロにあんなこと言ったからだろ?」

「あんなこと……? ああ、あれか……」

 

 

 余計なことを言わなければよかったと後悔しても、もう遅い。服に袖を通していると、クローゼットに目が留まった。昨日、一日だけ来た服だ。CDとバトルカードを我慢してまで買った服だ。乏しい知識を一夜漬けで補い、一日かけて選び、手に入れた電子マネーをつぎ込んだ服だ。ミソラと大切な半日を過ごした思い出を、脇に押し退けた。

 

「もう着ないのか?」

「いや……ただ、今日はこれで良いかな?」

 

 あの子に会うことは無い。今日会うのは、中学生と見間違えそうな大男と、低学年と並んでいても違和感の無い少年。そして、昨日ブラザーになってくれた女の子だ。後は、隣の席に座っている男の子を始めとするクラスメイトと、担任の先生だけだ。いつもどおりの服でいいと考え、赤い長袖を手に取った。

 服を着終え、ウォーロックが映っているトランサーを左手にはめ、鞄を手に取って階段を駆け降りた。いつもの赤いブーツに足を突っ込む。

 

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい!」

 

 玄関まで見送りに来たあかねに手を振り、スバルは三人の前に躍り出た。

 

「今日は早いんだね?」

「これが普通の時間よ!」

「そうだぞ、スバル。自分で起きろよな!」

「それは僕と委員長の台詞です!」

 

 今朝、結局三人分の家を回ることになったキザマロが、疲れ切った顔で訴えた。軽口で騒ぎながら学校へ向かう四人の背中を見送り、あかねは笑みを浮かべた。

 

 

「ねえ、委員長」

「なに?」

 

 登校中、軽い喧嘩しているゴン太とキザマロから距離を置いたスバルは、ルナに話しかけた。

 スバルは目立つことが苦手だ。だから、ずっとロックマンであることを隠してきた。しかし、ルナには正体がばれてしまった。彼女がゴン太とキザマロにしゃべってしまわないように、釘を刺そうと思ったのである。

 

「僕の正体なんだけ……」

「勘違いするんじゃないわよ!」

「ヒィッ!?」

 

 話しかけただけなのに怒鳴られた。ウォーロックも少し驚いたように見上げている。ルナは素早くポケットから紙きれを取り出し、獅子を前にしたように怯えているスバルに、見せ付けるように広げて見せた。

 

「私が好きなのはロックマン様よ! そこのところ、間違えるんじゃないわよ!?」

 

 紙に描かれていたのはロックマンだ。ルナが以前から描いていたものだ。どうやら、昨日のうちに完成させたらしい。

 

「は、はい……」

「フン!」

 

 丁寧に折りたたむと、ヒーローの前では絶対に見せない、不機嫌そうな足を音を立てて先に行ってしまった。

 

「あれなら、誰にも言わなさそうだね」

「ミソラというものがありながら、二股でもかけるつもりだったのか?」

 

 成長が無いとウォーロックは鼻で笑った。恥ずかしさと照れくささでスバルの顔から火が出ているからだ。

 

「そんな訳ないでしょ! っていうか、どこでそんな台詞覚えたんだよ!?」

「最近、昼ドラの再放送を……」

「見なくていいよ!」

 

 冗談にならない言葉に反抗していると、ゴン太とキザマロが追いついてきた。二人と歩幅を合わせ、ルナを追いかけた。

 

 

 生徒の波に混ざり、校門を潜るスバル達四人。手すりに身を委ね、それを見下ろしている一人の少年の姿が合った。彼を除いて、人の影が映らない屋上に別の声が響く。

 

「ちっ! 駄目だ」

「繋がらねえか?」

「ああ。ゴートのジジイ、裏切りやがったか」

 

 古老戦士の名をぼやき、悪態を吐き捨てた。

 クラウンと同じく、FM星軍に長年勤めている山羊座のFM星人だ。典型的な、威厳のある澄ました武人。それが、誰もがゴートに対して抱く印象だ。堅物である彼が裏切る可能性は、ある程度考慮していた。だが、いざ現実となると腸が煮えくり返ってくる。

 

「もう、やられちまったんじゃねえか?」

「あのジジイに限って、それはない」

 

 呆れたように項垂れる地球人に、FM星人は深いため息を吐いた。

 オックス達は、FM星の戦士たちの中でも優秀な方だった。今回の任務は、いわゆる少数精鋭で挑んでいたのである。しかし、彼らの半分はウォーロックに敗れ、半分は地球側に寝返ってしまった。

 

「どいつもこいつも、役にたたねえ連中だな」

「ああ、だからこそだ……」

 

 トランサーから飛び出し、運動場を横断しているスバルと、彼の左手に付いているトランサーを視線で射抜いた。

 

「もうこれ以上、星王様の御心を(わずら)わせるわけにはいかん」

「じゃあ……」

「ああ……待たせたな」

 

 大きく頬を持ち上げ、むき出しにされた歯が光を帯びて猟奇的に光る。地球人の相棒に頷き、FM星王の右腕は頷いた。

 

「俺達の、復讐を果たすときだ」

 

 

 

五章.愛のカタチ(完)




 長かった……いや~、今章は長かったです!

 この五章の連載を始めたのが……六月十六日だと!? 五ヶ月もかけていたのか……

 この間に、二次ファンは閉鎖され、移転するはめになり、連載中止を考え、スランプに陥り、一周年を迎えたり……と色々なことがありました。
 なんとか、皆様の応援のおかげで、五章完結まで持っていくことができました。ありがとうございました!

 さて、次の章は、ストーリーが濃厚な「流星のロックマン」で、一二を争う名シナリオです!
 作者の私も大好きなのですが……あの神がかり的なシナリオを小説化するので、大変です。
 だからこそ、やりがいがあるというもの! 頑張ります!


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六章.舞い散る
第九十三話.内緒話


 霞がかかった光の無い世界。足元に散らばった一円の価値も無いと定められた物々。それらを叩く大量の水は合唱を奏でているかのよう。

 無人となるはずの深夜、二人はその場でしゃがみこんだ。すぐに立ち上がって背を向けると、脇目も振らずに水溜りと汚物を足蹴にした。

 今度こそ人がいなくなった空間。闇に染められた世界の中に、光が灯る。それは徐々に存在感を増し、遠くだけでなく、身近な世界にも光をもたらした。上下左右に揺れ動く二つの光は目だ。影が敷き詰められた世界で、静かに歩みを進める無機質な機械だ。あらかじめプログラムされたとおりに動く、感情の無い金属の塊が、懐中電灯のような目を回す。それが一点で留まった。先ほど、若い男女がいた場所だ。そこに置かれているものを取り、その場を後にした。

 それはいつもと変わらない日常の中に起きた非日常。雲が散るように、雨をばら撒いた夜の出来事。

 

 

 炎が弾け、黒煙が舞い上がる。煙を払うように剣を振るい、中から飛び出した。そのまま左手の得物を振り下ろす。一箇所に固まっていた三体は分散するように避ける。その内の一体が弾丸を放ってきた。牽制程度の攻撃だ。焦らず、身を屈めてやり過ごした。

 本命の攻撃は正面と右から襲い掛かってきた二体だ。彼らの鋭利なドリルと、頑丈なハンマーが夜闇に光る。不思議と胸は氷のように落ち着いていた。

 正面のドリルを持った者には左手のバスターを放って跳ね飛ばした。死角となる右から来ていた奴は無視し、前方にいるこの三人の主に向かって走り出した。右から来ている奴が持っている武器はハンマーだ。巨大な分、破壊力はあるが攻撃の出きが遅い。身軽となっている自分に追いつけるわけが無い。

 ハンマーがウェーブロードを打ち付ける鈍重な音が背後で鳴る。弾丸を放った者が次弾を装填している間に、ドリルを持った者が追撃してくる前にと、全力で二人の間を駆け抜けた。

 無防備になってしまった彼らの主の前に躍り出る。

 

「バトルカード ソード!」

「なんの! ワシを見くびるでないぞ!」

 

 相手も、右手に剣を生成した。電気でできたそれは、刀身が細く、針のようになっている。斬ることではなく、突くことを主な目的とするレイピアだ。威力は低いが、その分小回りが利く。

 こちらもソードを収め、手数の多いベルセルクソードに切り替えた。

 

「接近戦はできないって、聞いてたんだけれど!?」

「弱点を補うのは当然のことである!」

 

 以前、あの少女に敗れてから考えた、彼なりの接近戦対策だ。生前はさまざまな武具を片手に、戦場に赴いたものだ。遠距離攻撃が主体の自分には、近距離戦は牽制程度で良い。だから、数多く扱える武具の中からこの武器を選んだ。

 この選択は正解だ。相手の少年が繰り出す斬激の数の分だけ、こちらもレイピアを振るえている。

 そして、背後からの攻撃だ。彼の手下三人が少年の後ろを取る。これで、前後からの挟み撃ちだ。

 

「終わりである!」

「ごめんなさい」

「なぬ? ……ムム!?」

 

 手元にばかり目が行っていた。だから気づかなかった。二人の足元にある物に。少年がベルセルクソードを使ったときに、召還したのだろう。切り結んでいた三秒間の間に、カウントボムの時間が来た。

 二人を中心に広がる破壊の炎。三人の手下を吹き飛ばし、主である彼もレイピアの召還を保てずに伏した。

 

「な、なんと言う無茶を……」

「それが、そうでもないんですよ?」

「……え? ……なぬっ! ずるいぞ貴様!」

「だから、『ごめんなさい』っていったじゃないですか」

 

 見上げてあんぐりと口を開いた。少年が球状の青い光で包まれていたのである。

 

「バトルカードのバリアだよ」

 

 どうやら、ベルセルクソード、カウントボム、バリアの三枚のカードを使っていたらしい。紛れも無い事実を前に、悔しそうに、しかし潔く受け入れた。

 

「ワシの負けだの」

 

 清々しく笑っているクラウン・サンダーに、ロックマンはバリアを消して歩み寄った。

 

「今日はありがとう、クローヌさん」

「な~に、ミソラちゃんの彼氏のためならお安いごようというものよ」

「ぼ、僕とミソラちゃんはそういう関係じゃ……」

「照れるとるのう、幸せ者めが」

 

 電波変換を解き、クローヌとクラウンに戻って二人がかりでスバルをからかいだす。バイザーと一体化できそうなほど赤くなっている様子に、ウォーロックも爆笑だ。

 

「ところで、ちゃんと訓練になったかの?」

「おう! 助かったぜ。電波ウィルスの相手ばっかりで、腕が鈍っちまうところだった」

 

 スバルとウォーロックは、毎日、電波ウィルス相手に訓練をしている。しかし、弱い敵ばかりを倒していても、強くなったという実感は持てない。己の力量を測る有効な手段は、それ相応の実力者と戦うことだ。そのため、今日はクラウン・サンダーと模擬戦をしていたのである。

 一応、訓練相手としては、ハープ・ノート、キャンサー・バブル、ウルフ・フォレストも候補に挙がる。しかし、千代吉は弱すぎて相手にならないし、尾上は命が幾つあっても足らない。模擬戦とは言えど、女の子を傷つけるのも気が引ける。そのため、クラウン・サンダーに頼むことにしたのである。

 

「今日は、もう休むのだぞ?」

「はい」

「ミソラちゃんのことも頼んだぞ?」

「は、はい……」

「カカカ、分かりやすい小僧じゃ」

 

 クローヌとクラウンは最後にスバルをからかい、けれど彼らにとっては一番大事なことを頼んでウェーブロードの奥へと消えていった。

 

「よし! 今日もミソラちゃんのライブ動画データを見て一杯やるのだ!」

「うむ! 今夜は電子テキーラを空けるかのう!」

 

 電波生命体だがお年寄りなのだ、もうちょっと体とやることを考えろと言いたいが、黙して背中を見送った。

 

「ねえ、ウォーロック」

「なんだ?」

 

 訊き帰しながら、釣られてウェーブロードが敷かれた星空を見上げた。

 

「勝てるかな? ヒカルに……」

「勝つしかねえだろ?」

 

 当たり前の言葉。やるべきこと。それを平然と言ってくれる相棒に、スバルは頬を緩めた。

 

 

 訓練を終えて家に戻ったスバルが最初に行ったことは、風呂に入ることだ。疲れを流し、パジャマに身を包む。

 

「スバル、言い忘れてたんだけれど、金曜日にお客さんが来るから」

 

 明日は木曜日だ。二日前に決まるとは、なかなか急な話だ。

 

「誰?」

「天地君よ」

「天地さん? また何か壊れたの? 日曜日だって、冷蔵庫直しに来てくれたばかりだよ?」

 

 三日前の朝まで記憶をたどりながら、スバルは呆れた顔をした。

 

「違うわよ。その日曜日に聞いたんだけれど、天地君ってブラザーができたんでしょ? たしか……」

「宇田海さん?」

「そうそう、その人!」

 

 

 あかねが大好きなデンパ君としゃべっていたウォーロックは記憶を掘り起こす。

 人と話すのが苦手な、目の下に大きいクマを浮かべた長身の男性だったはずだ。ハープ・ノートの事件があった日以来、アマケンに行ってないため、ちょっと記憶がおぼろげになっている。

 

「天地君にはお世話になっているから、宇田海さんも呼んであげて、二人のブラザーをお祝いして、パーティーでも開こうと思うのよ」

「そうなんだ。分かったよ」

 

 ようは、当日はお手伝いをしろということだ。内容は、出来上がった料理をテーブルに並べる程度の物だろう。

 

「そこで相談なんだけれど……」

 

 まだ何かあるらしい。

 

「良いよ。何?」

「ミソラちゃんも呼びなさい」

「分かっ、てええええっ!?」

 

 落ち着いた返事は途中から驚倒に満ちた物に変わった。

 ウォーロックが爆笑し、デンパ君が「コンナアカネサンガステキダ」と、感動している。

 

「どうせだから、スバルとミソラちゃんがブラザーを結んだこともお祝いしちゃいましょ」

「いや、別にいらない……」

「この前、ちゃんと紹介するって約束したわよね?」

「い、いや、それは……」

 

 こうなると、スバルが勝てる要素なんて微塵も無い。彼の首が了承の意を示すのに、時間はかからなかった。

 

「お願い……ミソラちゃん、断って!」

 

 ミソラと会うのは楽しいが、彼女が来たら、あかねと天地にからかわれるのが目に見えている。

 来ないで欲しいと願いながら、メールを送った。

 その数分後に返信が来た。「行く行く!」という、数文字の二つ返事に、スバルはがっくりと項垂れた。

 

 

「おはよう」

 

 搾り出したような声と共に教室の扉をくぐった。今日も委員長トリオに連行されるように学校に来たスバルは目蓋を擦りながらツカサの隣にある、自分の席に座る。

 

「おはよう。夜更かしでもしたの?」

「……まあね……」

 

 「夜遅くまで、元大人気アイドルの響ミソラとメールしていました」なんて言えない。話題の路線がこのままだとぼろが出てしまいそうだ。目立つのが苦手なスバルは適当に話題を変えた。

 

「昨日は放課後、何してたの?」

「昨日は103デパートに行っていたんだ」

 

 ミソラとデートをした場所だ。太陽のような眩しい笑顔を思い出し、頬が緩みそうになった。溢れてくる思い出を必死に押し込んだ。

 

「買い物?」

「いや、屋上にいるゴミ掃除ロボットを見にね」

「買い物じゃないのか」

 

 買い物以外の目的でデパートに行く人など、ツカサくらいなものだろう。軽く笑いながら腰を下ろした。

 

「あれ? 僕、日曜日に103デパートに行ったけれど、ゴミ掃除ロボットなんていたかな?」

「じゃあ、ちょうどメンテナンス中だったのかな? 父さんと母さんと買い物?」

 

 スバルの肩がピクリと持ち上がった。父さんという単語が出たからだ。

 ツカサに罪は無い。このクラスで、スバルの家庭事情について知っている者は少ない。担任教師の育田を除けば、生徒で知っているのは学級委員長のルナとその取り巻きのゴン太とキザマロぐらいだ。

 

「いや、ちょっと友達と……」

「そうなんだ。委員長達と?」

「いや、別の女の子だよ」

女の子(・・・)?」

 

 はっと口を押さえた。出さないようにと話題を振ったのに、結局ぼろを出してしまった。自分の口に杭でも打ち込んでやりたい。

 

「もしかして……彼女!?」

 

 フラッシュバックが起きた。バチ公像前での出来事、手を繋いだこと、ミソラのファンから逃げたこと、迷子の女の子を見つけたこと、噴水で抱きしめてしまったこと、鼻先があたってしまったこと、プレゼントをあげたこと。これらの青春の思い出を処理しきれるほど、スバルの脳は純情に耐えられない。

 

「ちちちちちち違うよ!!!」

「あはは、スバル君は嘘が下手だね。噛みすぎだよ」

「ほ、本当に! 違うから!!」

「大丈夫だよ。誰にも言わないから」

 

 スバルの動揺が止まった。例えばれたとしても、ツカサは黙っていてくれる。つまり、もう、これ以上広まることは無いということだ。

 

「……ほんと?」

「うん。だって、スバル君って目立つの嫌いみたいだから。僕も黙っておくよ」

 

 振動している首を止め、ほっと胸をなでおろした。スバルにとって、ありがたすぎる言葉だった。もし、ゴン太やキザマロにばれれば自分の命に関わる。箒を片手にもったファン達に、学校中で追い回される日々が訪れることは間違いない。

 そんなことにならないように、ツカサは黙ってくれるらしい。

 

「その代わり、今度僕にだけ紹介してくれるかな?」

「……ツカサ君にだけ?」

「うん。二人だけの秘密。ダメかな?」

「……二人だけ……」

 

 ツカサの言葉の中で、その単語にだけ強く惹かれた。

 普通、秘密とは一人で抱えるものだ。誰にも知られたく無いから、秘密にするのだ。それを誰かに教えるということ。それは、相手に強い信頼が無ければまず行わないことだ。そして、自分達だけで独占できる情報だ。その人にとって、特別となった人とだけできる特権だ。

 

「やっぱり、ダメかな?」

「いや、良いよ。その代わり、絶対にしゃべらないでね?」

「ほんと! ありがとう。約束するよ」

「絶対に約束だよ? 破らないでね?」

「もちろんさ」

 

 ツカサのはにかみを見て、スバルは小指を出した。ツカサも小指を絡めて、無言の契りを結んだ。

 

「そっか……スバル君って彼女がいるんだね」

「もう、からかわないでよ」

「あはは、ごめん」

 

 軽い気持ちでからかってくるツカサをみて、ちょっとだけ不安になった。うっかり口を滑らしてしまわないだろうか。

 

「おい、スバル」

「何?」

 

 トランサーを開くと、ウォーロックが画面で首を傾げていた。

 

「お前ら、もう恋人ってやつなのか?」

 

 頭を抱えこんだ。そうだ、ちょっと一緒に買い物に行っただけである。二人はまだ友達という一線を踏み越えれていない。

 ツカサにミソラを紹介するまでに、ミソラと恋人になれば大きな問題は無い。だが無理だ。ミソラは元国民的アイドル。スバルは元登校拒否児だ。二人には大きな格差がある。そんなに簡単に恋人になれるわけが無い。と、スバルは思い込んでいる。

 ごまかすのも難しい。ツカサにミソラを紹介するときに、「恋人です」なんて言うわけには行かない。ミソラを友達として紹介しても、ツカサが「恋人じゃないの?」と言い出しかねない。そうなったら、ミソラとの関係に亀裂が入ってしまう。

 

「どうしよう……?」

「知るかよ」

 

 青い顔をしながら黒い線を落としているスバルを無視して、ツカサの様子を伺った。スバルも横目でツカサを伺う。鞄を漁っているツカサの笑顔を裏切るなんて、自分にはできない。

 見ていると、ツカサが立ち上がった。教室の後ろにいるキザマロに話しかけている。どうやら、ミソラのCDを借りていたらしい。返却した後、新しいCDを借りていた。

 

「ありがとう。皆も喜ぶよ」

「お安い御用ですよ」

 

 借りたCDを早速トランサーに通し、二人で聞き始めている。そんなツカサの女の子のような笑みを見て、罪悪感が更に強くなった。

 

 

 今日も授業だ。子供のお仕事は勉強だ。誰もが億劫になるお仕事だが、育田が相手となれば別だ。目を爛々と輝かせて聞きいる子供達に、ウォーロックも混じっている。彼曰く、テレビよりも面白いと絶賛している。

 育田による外国語の授業を聞いていたスバルに、ウォーロックの不愉快そうな声がかけられた。

 

「来たぜ」

 

 それだけでスバルには伝わった。

 

「先生、トイレ」

「ああ、良いぞ。だが、ちゃんと休み時間中に行くんだぞ?」

「はい、すいません」

 

 教室の後ろから外に出る。音が響く廊下を、風のように静かに走りぬけ、トイレの個室へと飛び込んだ。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!」



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第九十四話.新しいブラザー?

2013/5/4 改稿


「レーダーミサイル!」

 

 純白のフレームを纏った凶器が迫り来る。だが、満足に動かせなくなった手足では、この窮地を脱する術など無かった。

 悔しさと共に歯をむき出した。

 

「ちくしょおううう!!」

 

 霧散する電波粒子。電波変換が解けた男性を受け止め、ウェーブロードを降りた。取り憑かれていた彼を道の端に転がして置く。そのうち、犬のようにZ波を嗅ぎ付けた五陽田刑事が彼を逮捕してくれるはずだ。

 

「それにしても、最近どうなってるんだろう?」

 

 ウェーブロードへと戻ったスバルは疲れたように愚痴をこぼした。

 

「一昨日は三体。昨日は五体。今日も早速一体。蟻みてえに湧いて来やがる」

 

 たったの数日だ。その間に、九体ものジャミンガーを倒している。

 スバルとウォーロックだけじゃない。ミソラとハープの元にも、ウィルス人間達は現れている。昨日のメールで、ミソラは疲れが詰まった文章を送ってきていた。昨日一日で、四体も倒したというものだった。ジャミンガーとの連戦で、不満も相当なものだったことだろう。もしかしたら、ウルフ・フォレストやクラウン・サンダーのところにも襲撃があったかもしれない。

 

「何があったんだろう?」

「FM星人の奴らも、焦ってるってことだろうな」

 

 オックス達ほどではないが、電波ウィルスほど弱い相手ではない。今は個々で攻めてきているが、数が多くなってくると厄介だ。中には、電波ウィルスを従えた奴だっている。

 こいつらをいちいち相手にしていると、連日の戦闘で疲労が溜まってくる。無視していたら、事件を起こされ、被害者が出るだろう。そんなことを正義感の強いスバルが見過ごせるわけも無い。

 一番厄介なのは、スバルとウォーロックにはヒカルとジェミニという強敵が控えていることだ。いつでも戦えるように万全の状態を保っておきたい。二人にとってこの展開は望ましくない。

 

「誰かに協力してもらって、倒してもらおうか?」

「……誰に頼むんだ?」

 

 尾上は働いているのでまず無理だ。それに、要求を対価に「血の疼きを止めろ!」とバトルを要求してくるかもしれない。本末転倒だ。まずありえない選択肢だ。

 クローヌとクラウンは、愛も変わらずファンクラブの活動に躍起だ。昨日は特別に時間を作って模擬戦をしてくれたが、「いつも護衛してくれ」なんて言うわけには行かないだろう。

 

「ミソラしか選択肢がねえぞ?」

「……それ、情けなくないかな?」

「おう、女に守られるなんざたまったもんじゃねえ」

 

 女性差別ではないが、女の子に守ってもらうのは、ちょっと情けない話だ。二人の男としてのプライドが許さない。何度も助けてもらっている身で言える言葉ではないが、できれば逆の立場でありたい。

 

「いいのか? 一日中ミソラといられるぜ?」 

「それは関係ないでしょ!」

「照れるなって、だったら同棲したらどうだ?」

「だ・か・ら! テレビで変な言葉覚えてこないでよ!!」

 

 頬と眉が怒りで痙攣している。それよりも、タコのように赤くなっているスバルが面白く、ウォーロックは抑えられない笑みで顔を歪ませていた。

 

「ククク! ほんと、お前ってすぐ顔に出るよな? 最近は昼ドラも面白くてな……」

「一番ドロドロしてるドラマだから、それ!!」

「あ~! もう終わっちゃったチョキか!?」

 

 漫才をしている二人に、するりと声が割り込んできた。この特徴的な語尾を使うやつは一人しか思いつかない。

 

「千代吉? 君も来てくれたの?」

 

 ウェーブロード上に、大きい顔で項垂れている三頭身ほどの電波人間がいた。コダマ小学校三年生の千代吉と、地球側に寝返ったFM星人のキャンサーが電波変換した、キャンサー・バブルだ。

 活躍の機会を逃してしまい、残念そうにしている彼らに、ウォーロックは容赦の無い言葉を浴びせた。

 

「おせえんだよ、とっくに終わっちまったぞ」

「ち、ちえっ! オレっち達が倒してやろうって思ってたのに!!」

「ふふーんだ、おいら達にかかれば朝飯まえだったプクよ?」

 

 ウォーロックの心無い言葉に少々頭が来たのだろう。意地を張る千代吉とキャンサーは腕組みして、互いを称え合うように頷いている。

 

「蟹座の落ちこぼれって言われたお前がなに言ってやがる。この星に来たのだって、大方捨て駒当然に飛ばされたんだろ?」

「ギクウゥ!」

 

 どうやら、地球に来たFM星人達の中で、キャンサーだけは抜擢されたのではなく左遷されたらしい。彼の真っ白くて大きな目に波が泳ぎ、合わせるように朱色の輪郭が揺れている。

 

「そんな! FM星の危機を三回救った英雄って話は嘘だったチョキ!?」

「いや、それは流石に疑おうよ?」

 

 疑うと言う言葉を全く知らない千代吉に、スバルも呆れて突っ込みを入れた。そして、スバルとウォーロックは同時に思った。こいつにだけは、頼りたくないと。

 

 

 ロックマンとキャンサー・バブルは学校の裏庭で電波変換を解いた。千代吉は今も直、落ち込んでいる。自分の相棒を英雄と信じていたのだから、当然かもしれない。

 

「ところで、千代吉。ヒカルってどういう人か知ってるかな?」

 

 千代吉は以前、ヒカルに唆されてロックマンを襲った。スバルに照明を落とす前に、ヒカルと接触していたと言うことだ。彼ならばヒカルの顔を知っているかもしれないと考えたのである。

 尋ねられた千代吉は宙を仰いだ。空とにらめっこしている彼がどう回答してくれるのかと、様子を伺う。

 

「教えてやっても良いけど……」

 

 どうやら知っているらしい。ヒカルの情報が少しでも欲しい今、スバルは千代吉に飛びついた。

 

「本当! 教えてくれるの!?」

「う、うん。だから……その……」

「どうしたの?」

 

 スバルの熱意に溢れる接近に、嬉しくなさそうに顔を反らす。可愛い女の子だったら、逆に喜んでいたことだろう。

 数秒もったいぶり、徐に口を開いた。

 

「ぶ、ブラザーになってくれたら……」

 

 その言葉に、ミソラの眩しいばかりの笑顔が脳裏をよぎった。続いて、ルナのちょっと不機嫌な顔が思い浮かぶ。孤独に取り残され、泣いていたミソラとブラザーを結んで強くなれたときのこと。学校に居場所をくれたルナのこと。二人との思い出が駆け巡った。

 

「それは……」

 

 ブラザーとは本当に親しい人を指す言葉だ。ブラザーバンドとは心から信じられる者との間に結ぶ物だ。残酷な話だが、千代吉をミソラとルナと同じとは思うことは、スバルにはできなかった。

 

「こら! 減るものでもなんでもないんだから、ブラザーになるぐらい、いいだろうプク!」

 

 しょんぼりとしている千代吉のトランサーから、キャンサーが飛び出してくる。すぐに宙を舞う。ウォーロックがアッパーをかましたのだ。

 

「代わりに、てめえらと気が合いそうなやつを紹介してやる。それで手を打て」

「え? でも……」

「手を打て? な?」

 

 もはや脅迫である。子供に向かって鋭利な爪をギラつかせる様は、大人気ないにもほどがある。だが、情報が欲しい今、スバルも黙っておいた。

 

「分かったチョキ」

「ありがとう……で、どんな人なの?」

「そ、それが……」

 

 なおも言葉を躊躇う千代吉。カチカチとイラついたウォーロックが爪を鳴らすと肩をすくめた。流石にスバルも止めさせた。

 

「実は……最初から電波変換していたから……」

 

 つまり、知らないらしい。二人は感情を押しこめ、微妙な笑みを浮かべた。

 

「そっか……それじゃあ、僕は教室に戻るね。授業中だし」

「あ、あの……」

「安心しろ。ちゃんと呼んどいてやるから」

 

 ウォーロックはトランサーに戻りながら手を振り、スバルも教室へと戻っていった。

 

「ど、どんな子チョキかな?」

「ミソラっちみたいなかわいい女の子なら歓迎プク!」

 

 ミソラのCDを取り出した二人は目を輝かせ、パッケージに写っているミソラに見とれていた。二人の周りに合った花が消し飛んだ。大地を抉る音がなった背後に恐る恐ると振り返る。

 

「おお、キャンサーか」

 

 目に飛び込んできたのはマントを羽織った骸骨だ。隣には長身の狼男がいる。

 

「ちょうどいい。俺達の血の疼きを止めるのに付き合え」

「カカカ、戦の始まりじゃの」

 

 残虐な牙をむき出し、銀色に光らせる獣と、凶器の笑みを浮かべる髑髏。全身の震えを押さえ、千代吉とキャンサーはウェーブロードへと飛び出した。

 

「こ、こんな恐い友達は嫌チョキー!」

 

 太陽が微笑む元で、ウルフ・フォレストとクラウン・サンダーに追われるキャンサー・バブルの姿があったという。



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第九十五話.激動のドッチボール

2013/5/4 改稿


 今日もゴン太に連れられ、給食中に牛乳を飲むために出張に行っていたキザマロを探しに売店へと向かう。売店前にあるテーブルの一つに座って、身長が伸びる魔法の白い液体を飲んでいるキザマロがいた。

 

「身長のびのびセミナーで、牛乳をたくさん飲むようにと言われたんです!」

 

 鼻を高くしているキザマロに、『それは社会一般の知識だ』と、顔に出さずに笑っておいた。

 他の席を見ると、今日も焼きそばパン大好きなおじいちゃんが丸テーブルに座っている。理事長のカオリおばあちゃんがお客さんの相手をしているため、一人で静かに本を読んでいる様子だった。

 

「こんにちは、おじいさん」

「おお、君か!」

 

 老眼鏡を外し、深いシワが刻み込まれた眉を持ち上げて出迎えてくれた。

 

「何を読んでるの?」

「お、君もこういうの好きかね?」

「どれどれ……」

 

 おじいちゃんが読んでいた本は小説か何かだろうと、根拠の無い大よその予測を立てて、おじいちゃんの横から覗き込んだ。

 

「って、うわあ!」

 

 全力で数歩後退し、おじいちゃんから離れた。

 目に映ったのは、水着姿の女性の写真。そう、大人の男性が好む、子供にはちょっとお勧めできない写真集だった。

 

「ピチピチギャルは最高じゃ! 君もそう思わんか?」

「い、いや、僕は……」

「何をしてるんです!」

 

 二人の間に飛び込んできたのは売店に座っていた理事長さんだ。いつもヨレヨレと歩いている、ご高齢とは思えぬ足取りだ。鳥の首のように腕をしならせ、おじいちゃんが持っているちょっとエッチな本を有無を言わさずに取り上げた。

 

「うちの大切な子供たちに、変なものを見せないでください!」

「なにを! ピチピチギャルこそ、男の永遠のロマンじゃ! 変なものではないぞ!」

「子供には早すぎます!」

 

 珍しく喧嘩をしている二人。売店にいる生徒や教師達の目が集中する。引っ込み思案なスバルでなくとも、それから離れたいと思うのは当然だ。後ずさるように二人から離れておいた。

 ゴン太達と合流し、校庭へと向かおうとしたとき、ツカサが振り返った。

 

「スバル君、今日は勝たしてもらうよ?」

「……へ?」

 

 ゴン太とキザマロも笑みを送ってくる。そこには、黒い影が宿っていた。

 

 

「で、この陣形なんだ?」

「そうです! 名づけて、クワトロフォーメーション!」

 

 六角形の眼鏡を盛ち上げながら、キザマロが踏ん反り返った。スバルは四方を伺ってみる。

 内野には相手チームのエースであるゴン太が豪腕をぐるぐると回している。今日こそ、スバルを討ち取るという気合が、全身からにじみ出ていた。

 反対側の外野ではキザマロが相変わらず小さい胸を張っている。どうやら、作戦立案者は

彼らしい。完璧な布陣を前に、将軍のようにふんぞり返っている。

 キザマロのほうを向いて、左側の外野ではツカサが屈伸している。運動は得意でも不得意でもないという彼だが、スバルは運動神経が良い方だと評価している。

 スバルを挟んで、ツカサと反対側にいるのは、野球が得意なクラスメイト。キュウタが体をほぐしている。苗字はホシなのだが、キュウタと呼ばれるほうが多い。

 ドッチボールのエースであるゴン太。

 策士キザマロ。

 平均以上の運動能力を持つツカサ。

 野球のエースのキュウタ。

 この四人で、四方からスバルを討ち取る作戦らしい。

 

「スバル~。今日は手加減しないぜ?」

 

 「いつも手加減なんてしてねえ癖に」という、ウォーロックのぼやきに、スバルは小さく笑った。

 それを余裕の笑みと見たのだろう。四人が一斉に顔をしかめた。

 

「おい、俺達をなめてるな?」

「い、いや、そんなことは……」

 

 そんな弁解で、火のついた四人を止められるわけが無い。

 

「笑っていられるのも今のうちですよ?」

「この日のために、特訓してきたんだから」

「俺の魔球、受けてみろ!」

 

 それは野球だと、内心でキュウタに突っ込みを入れた。

 昼休みの終わり際、項垂れていたのはもちろんゴン太たちだった。洗練された細かいパスをまわし、隙を突いてスバルを討ち取る彼らの作戦は悪くはない。

 問題はスバルが戦いなれしすぎていることである。

 FM星人達の方が遥かに速いし、恐ろしい武器を持っている。反応できないわけが無いし、殺傷力が無いゴム球を恐れるわけが無い。より言うならば、受け止められないわけが無い。

 

「おもちゃでお前に勝てるわけがねえんだよな?」

「それ言っちゃおしまいだと思うよ」

 

 肩からため息をついている四人の背中が、予鈴と共に教室へと戻っていく。いたずらっ子のように笑って、それらを追いかけた。

 

 

 手に持った箒で床を擦るように掃く。今日はスバルが教室の掃除をしている。だが、掃除当番なわけではない。

 今日の当番はルナだ。しかし、今日は学級委員会があるため、彼女は掃除をしている暇が無い。そのため、先日ルナに掃除当番を代わってもらったスバルが掃除をしているにいたる。

 

「スバル君、こっちは終わったよ」

「あ、ありがとう」

 

 窓を拭いてくれていたツカサが戻ってくる。不慣れなスバルのために、手伝ってくれているのである。

 

「そういえば、今日、教室を抜け出していたけれど、どうしたの? 外国語の授業だったのに」

 

 外国語の授業だけでなく、どの授業中でも教室を抜け出すという行為は褒められたものでない。それにもかかわらず、ツカサは「外国語」を強調した。

 

「なんで外国語限定なの?」

「だって、スバル君、いつも一生懸命に受けてるから」

 

 スバルはゴン太と違って全ての授業をまじめに受けている。だが、外国語の時は無意識に真剣になっているらしい。そんな自分をしっかりと見てくれていたツカサに、スバルは笑みを零した。

 

「……宇宙飛行士になるためには、絶対に必要だからね」

「宇宙飛行士が夢なの!? すごい夢じゃないか!!」

「そ、そうかな?」

「すごいよ! とても大きくて、夢があるよ!!」

 

 話題が弾み、他愛も無い会話を続ける二人。

 一人で掃除をすると考えると億劫だったし、以前ルナと一緒にいたときは恐ろしくて仕方が無かった。

 だが、ツカサとならば話は別だ。小学生にとって、つまらない時間であるはずのお掃除中に、スバルは終始笑顔でいられた。

 

「じゃあ、後でね?」

「うん、お水よろしくね」

 

 掃除も終わりに近づいたため、ツカサがバケツの水を捨てに教室を出て行く。ちょうど入れ替わりだ。ルナがひょっこりと入ってきた。

 

「あ……スバル君」

「委員長、会議お疲れ様」

「大したことじゃないわよ。それより、掃除は……サボってなかったみたいね」

「信用無いな~」

 

 ルナの悪態にぼやきつつ、ゴミ箱に塵取りの中身を捨てる。

 その背中に、ルナの目が釘付けになった。

 先日の事件を思い出していた。ロックマン様に抱きついたつもりが、次の瞬間にモヤシになった。赤い背中は、憧れの青い人のものと同じだったのだ。

 現実だ。自分の手で確かめた事実だ。それでも、やっぱり受け入れられない。

 

「違うわ……違うわよ。私が好きなのはロックマン様なんだから……」

 

 ポケットから、ロックマン様が描かれた紙を取り出した。それを見つめ、自己暗示するようにブツブツと自分に言い聞かせている。

 

「どうしたの?」

 

 独り言を言っているルナにスバルが振り返った。頼りないモヤシだったはずなのに、瞳の大きい整った童顔を見て、胸が騒がしくなる。

 

「か、勘違いするんじゃないわよ! 私が誉めているのはロックマン様であって、あなたじゃないんだから!」

「意味が分からないよ」

 

 何の前触れもなく罵声を浴びせられれば当然である。少々乱暴にゴミ箱の中身を引っ張り出した。それでも、ゴミ袋が破れないように、口を丁寧に縛る。

 ルナは一応周りを見渡してみる。教室にはスバルとルナ以外に誰もいない。チャンスだ。あの日曜日以来、二人っきりになる機会がなかったから訊けなかった。今がそのときである。

 自分が好きなのはロックマン様であるともう一度言い聞かせ、小さめの深呼吸を一回行った。

 

「ところで、あの時は訊けなかったけれど……ミ、ミソラちゃんとはどんな関係なの?」

「……え?」

 

 なんでそんなことを尋ねるのだろうとは考えなかった。あの大人気アイドルだった響ミソラとデートしたのだ。関係を疑うのは当然の行為だからだ。

 スバルが抱いた疑問はミソラとの関係だ。今朝、ツカサと約束した直後にも悩んだが、自分とミソラとの関係はどう表現すればいいのだろう?

 告白をしてもされてもいないので友達?

 ブラザーバンドを結んでいるからブラザー?

 一日デートをしたから恋人?

 答えにならない答えが次々と浮かぶ。

 

「ニヤニヤするんじゃないわよ!」

「し、してないってば!」

 

 ウォーロックは何も突っ込まなかった。ミソラのことを思い出したときの顔は相変わらず赤いし、鼻の下なんて伸びきっている。頬の筋肉が逞しいのか、口の端が細く持ち上げられている。

 ルナの恐怖を眼前にしているのに、にやけ顔を崩さないとは、色ボケにもほどがある。

 ため息をついて二人からそっぽを向いたときだ、視界に人影が飛び込んできた。

 

「委員長!」

 

 同時に、ドアを蹴破って声が入ってきた。運動が得意なキュウタ君が息を切らしていた。「廊下を走るな」と怒るのが委員長である。だが、彼の顔を見て、それは言えなかった。

 

「どうしたの?」

「ゴン太とキザマロが喧嘩してるんだ!」

「……え? ええっ!?」

 

 スバルの反応が遅れた。耳を疑ったからだ。

 いつも共にルナの周りで騒いでいるゴン太とキザマロが喧嘩をしている。まるで想像がつかない。

 

「スバル、外を見ろ」

 

 ウォーロックに言われるがまま、校庭を見下ろした。人だかりができており、その中央に大きい影と小さい影が掴み合っている。キュウタの言葉通りだった。

 

「だから! あんな作戦じゃスバルに勝てねえって言ったんだよ!」

「キー! じゃあ、ゴン太君はどうするつもりだったんですか!? その空っぽの頭でなんにも考えられないくせに!!」

「チビスケに言われたくねえんだよ! 結局、お前ロクに活躍してねえだろうが! 縮こまって避けることしかできねえくせに、最初から外野にいるからだっつんだ!」

「自分がちょっと強いからって、調子に乗らないでください!」

 

 普段とはかけ離れた光景だった。もうすぐ、キュウタに連れられて教室を飛び出したルナが二人の下へ到着するだろう。

 だが、その程度では収まらないと、ウォーロックには分かっていた。

 

「ビジライザーだ、スバル」

 

 額にある緑色のサングラスを下ろしてみた。ゴン太とキザマロの体に何かついている。白い塊だ。人の頭ほどはあるだろう。その中央には「-」という記号が浮かんでいる。

 

「何あれ? 電気?」

「スバル、本命の登場みたいだぜ」

「っ! 分かった!!」

 

 周波数を確かめていたウォーロックに頷き、誰も見ていないことを確かめ、左手を突き上げた。

 教室のウェーブロードに降り、校庭の上空へと飛び出す。見上げた先にいる影の主が、自分達が捜し求めていた者だと視認し、道を足蹴にして近づいていく。

 

「あの-電波は君のもの?」

「ああ」

 

 低くて冷たいロックマンの声に振り返ることも無く、相手は眼下の醜い光景に、サディズムな笑みを浮かべていた。

 

「何をしたの!?」

「あの電波をつけられた奴らは、互いに反発しあうんだ。面白えだろ?」

 

 人を物としか思っていない言葉。気分が悪くなる。その顎に拳を叩き込み、二度と開かぬようにしてやりたい。

 

「……なんて酷いこと……」

「酷い? どこがだ? ただ素直に思っていることを言わしてやってるんだ」

 

 ようやくこちらに振り返ったその顔には、青空のような清々しい笑みが縫い付けられていた。それが、ロックマンの怒りを更に煽る。

 

「これが、この世界の本当の姿なんだよ」

 

 ロックマンの胸に火が灯った。相手の傍らに出てきた白い影に、ウォーロックも殺意をむき出しにした。

 

「決着をつける腹か、ジェミニ?」

「そんなところだ。いい加減、屑ばかりに任してはいられないんでな」

「そういうわけだ。そろそろ終わりにしようじゃねえか」

 

 電波変換しているヒカルは人を弄ぶような笑みを浮かべ、平然と突っ立っていた。

 

「あの二人を止めたけりゃ、やることは分かっているよな?」

「もちろんさ。君を倒す!」

「そうこなくっちゃあな!!」

 

 二人がウェーブロードを蹴った。四度目の火蓋を切り落とすように。



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第九十六話.二人の実力

2013/5/4 改稿

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 収束するエネルギーを瞬時に研ぎ澄まし、右腕を掲げる。復讐心のままに展開したエレキソードを振り上げ、ウェーブロードを駆ける。

 対するは、バトルカードを片手に走るロックマン。

 

「バトルカード ビッグアクス!」

 

 意外なカードだった。接近戦で重要なのは一撃の威力ではない。スピードだ。

 ビッグアクスは大火力を秘めた斧だ。その一撃は、オヒュカス・クイーンの巨体を退けるほど。しかし、威力の代償としてスピードは低い。重量があるため、振るうのに時間がかかってしまう。

 どれだけ威力が高かろうが、攻撃する前に相手の攻撃を受けて封じられてしまっては意味が無い。

 ロックマンに何の狙いがあるのかは分からない。だが、斧を振る前に攻撃してしまえば先手を取れる。迷いや疑問があるが、それに囚われてチャンスを逃すわけにもいかない。肘から先だけを動かし、極力速く剣先をロックマンに斬り付けた。

 ビッグアクスが動く。柄が上になり、刃のある頭が地面に突き立てられる。巨大すぎる刃が盾代わりとなって雷の剣を受け止める。

 ビクともしない質量に、攻撃を仕掛けたジェミニ・ブラックの腕が弾かれる。軽く振ったことは幸いだった。しびれは小さく、直ぐに戦いの緊張へと溶けていった。

 歯軋りをし、斧の側面に回りこみながら左手の手首から先を切り離す。左手だけが自由に空を飛びまわるロケットナックルだ。

 ロックマンの前には盾となった斧があり、切っ先はこちらに向けられている。側面から見ると、ウェーブロードに佇んでいる鉄の壁だ。

 自分は斧の右側から回り込み、左手は左側からこっそりと攻めさせ、挟み撃ちにする。ロックマンを自分に引き付け、左手でロックマンを捉えるという作戦だ。

 思惑通り、目の前にロックマンが飛び込んできた。

 

「ブレイブソード! ベルセルクソード!」

 

 左手は重量のある長剣に、右手は軽いナイフのような短剣へと変わる。長剣が突き出すように繰り出され、エレキソードで受け止める。

 

「なっ!」

 

 ヒカルの右手が押し返された。ブレイブソードとなった左手一本にだ。

 初めてロックマンと戦ったときは、相手の両腕に対して片腕で追い込んでやった。スターブレイクして、ようやく腕力で互角になったロックマンを貧弱と見下したものだ。

 逆転だ。スターブレイクしていないロックマンに相手に、片手で追い込まれている。 

 はっきりと現れた腕力の差から、接近戦が不利だと悟る。焦りに押されながら、すぐさま左足でウェーブロードを蹴飛ばして距離を取ろうとする。後退すると同時に、わき腹に熱い線が描かれ、顔を歪めた。

 かろうじてベルセルクソードを避けられてしまった。だが、ロックマンに残念という気持ちはまったく無かった。この結果は予想の範囲内だ。これで仕留められるほど、彼らは弱い存在でないということを痛いほど良く知っている。むしろ、早速一撃を当てたられたことに歓喜していた。初手を取ったのだから。

 均衡した実力者同士の戦いにおいて、初手は大事だ。取ったほうは自分に自信を持って、積極的に攻めていける。取られたほうはその逆だ。戦いの流れはロックマンに傾こうとしている。

 有利に立ったロックマンは、目の前にいるジェミニ・ブラックの怒りの目に向かって、満足そうに笑ってやった。今のジェミニ・ブラックは重心が後ろに傾いている。剣を振っても、体重をかけられない不利な体制だ。接近戦において、追撃できる絶好のチャンスだ。力の限りに電波の地面を蹴飛ばし、別のウェーブロードに飛び移った。

 宙からジェミニを伺う。案の定、悔しそうな表情で自分の左手を受け止めていた。ロケットナックルで背後から狙う。やつの常套手段だ。先ほどの斬り合いで左手が無かったことから、とっくに見当はついていた。

 

「エアスプレッド!」

 

 ロックマンの意思により、銃口から高速の弾が速射される。

 追いかけようと、ウェーブロードを飛び移ろうとしていたジェミニ・ブラックは軌道変更。前にではなく横に跳ぶ。避けた弾は背後にあったビックアクスに命中。含んでいた細かい弾丸をあたりにばら撒き、ジェミニ・ブラックを巻き込む。

 あちこちに点在する新たな痛み。一つ一つは小さいが、右手に怒りを溜めさせるには十分だった。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 ロックマンは空中だ身動きが取れない。大技を放つ最高のチャンスだ。

 ほくそ笑んでいるジェミニ・ブラックは観察力が低いのだろうかと、ロックマンは笑い返してやった。

 

「マジクリスタル」

 

 水晶玉を足元に召還し、足場にした。ジェミニ・ブラックと戦ったときにされたことと、同じことをしてのけた。ウルフ・フォレストと戦ったときも、彼の真似をして似たようなことをした。ウルフ・フォレストに戦いを仕掛けさせておいて、あれを見ていなかったのかと疑問が浮かぶ。

 スバルが更に上にあるウェーブロードに飛び移っている間に、ウォーロックがバスターを乱射した。当たらなくて良い、相手の動きを少しでも鈍らせ、怒りを煽れればそれでいいのだ。

 渾身の一撃を難なくかわされ、ヒカルとジェミニの怒りが狂おしいほどに湧き上がる。バスターをかわしながら、ウェーブロードを飛び移って後を追う。ロックマンが次のカードを取り出した。この距離を考慮すると、遠距離攻撃が来る。

 

「ガトリング!」

 

 予想通り、そして問題は無いと判断した。初めて戦った時、この攻撃は全てかわしきってやったのだ。右に左にと飛び移れば弾は掠めもしない。

 突破を決意した彼の判断を砕くように、頬が悲鳴を上げた。続いて右足を弾が貫通。足を止めてしまったところに、胸を数回射抜かれ、崩れるようにその場に寝転がった。

 

「……狙いが、正確になってやがる!?」

 

 大群を相手にするときは、一体一体を確実に仕留めなければならない。手数の多さでこちらが不利になっていくのを防ぐためだ。大量の電波ウィルスを相手に戦ってきたのだから、射撃の腕は嫌でも上がる。油断しきっていたジェミニ・ブラックが倒れるのは当然の結果だ。

 目の前のウェーブロードを睨みつけていたジェミニ・ブラックに影が差し掛かる。何の影だと疑問を抱く前に、ジェミニが叫んだ。ただ、その場から逃れるためだけに身体を起こし、足を伸ばした。

 背後から立ち上る轟音と土煙。ウェーブロードに入った大きなヒビ。ジャンボハンマーに乗っかるように落ちてきたロックマンだった。

 内側から冷たくなった胸を押さえ、ジェミニに礼を言う。彼の指示が無ければ、今頃押しつぶされていた。

 

「おいおい、ずいぶんとかっこ悪い逃げ方だったな?」

「っ! てめぇえ!!」

 

 ここまで怒りをむき出しにするジェミニを、ヒカルは始めて見た。彼の黒い仮面は、表情を変えることは無い。だが、今も抑えられない悔しさと怒りで体が電気を放っている。

 スバルとウォーロックは互いを称え合った。毎晩、電波ウィルス達を相手に剣を振るい、銃を撃ち、様々なカードを駆使し、有効的な使い方を研究してきた。

 訓練の成果が挙がっているかが分からず、倦怠感から止めたいと思った夜もある。だが、一日も欠かさなかった特訓は、ちゃんと自分達の力に還元されていた。

 目の前の結果程度では満足しきれない。確実な勝利を欲し、短い距離を更に詰めた。

 

「タイボクザン!」

「エレキソード!」

 

 

 二振りの剣が戦場に姿を煌かせる。それらは互いにぶつかり合うことは無く、エレキソードが空を斬った。

 振り上げた剣を止め、左足を引いてエレキソードの剣先を掠めさせたのである。ヒカルの表情にも動きにも、焦りが見えたため、フェイントに引っ掛けるのはとても簡単だった。手を内側に振るように、タイボクザンを横薙ぎに振るう。

 ジェミニ・ブラックがしゃがんで避けると、顔が跳ね上がった。ロックマンの足の甲がジェミニ・ブラックの顔を捉えたのである。手を振ると同時に、反対側の足を振り上げる。身体の捻りを乗せた右足のシュートだ。

 痛みが顎から脳天まで突き抜ける。飛びそうな意識を捕まえ、がむしゃらに右手のエレキソードを振るう。

 狙いの定まっていない剣が当たるわけもない。振り切った直後に、ロックマンは飛び掛った。

 剣は囮だ。ジェミニ・ブラックはすぐさま振り切った右腕の肘を引いて、突きの構えを取る。飛び込んできたロックマンの胴に目掛けて剣先を向けて突き出した。

 その程度の狙いは分かりきっている。予定通り、左足を引くようにして半回転。空を突いたエレキソードをタイボクザンで打ち下ろす。伸びきった相手の身体は宙を泳ぎ、動きが取れない。その顎に、右フックをかましてやった。

 振動する脳に足が捕られ、ジェミニ・ブラックはウェーブロードから足を踏み外した。下のウェーブロードに落下。

 途端に、ジャンボハンマーの一撃と、全身を駆け巡った悪寒が脳裏を駆ける。記憶に押しのけられるように、すぐにその場から飛び離れた。数歩走って振り返る。

 いない。

 剣を上に掲げた。押しつぶされそうな斬激に右手が悲鳴を上げる。

 ジェミニ・ブラックの行動は予想と違わなかった。とっさに動くとなれば、前方に飛ぶのが人の心理だ。ヒカルが移動するであろう場所に目掛けて飛び降り、ブレイブソードで斬りつけたのである。

 

「おいおい、俺達が怖えぇのか?」

 

 ウォーロックの挑発だと分かりきっている。それでも、冷静でいられるほどヒカルもジェミニも穏やかではない。むしろ逆だ。怒りに任せて右手を振り切った。押し返され、ウェーブロードに足をつけたロックマンに剣を振り下ろす。

 自分でも恐いくらいに落ち着いていた。氷のように冷たい思考に従い、火照る体で剣を受け流し、ジェミニ・ブラックのわき腹に右拳を叩き込む。空気の塊がヒカルの体内から飛び出す。

 戦いにおいて、呼吸は生命線だ。激しい運動をしているのだから、酸素の消費が激しい。補給を怠れば動きが鈍ってしまう。

 つまり、ロックマンにとっては攻め時だ。動きが止まった相手に斜め上から剣で斬りつける。

 それでも、なおも抗おうと振り払われるエレキソード。

 ぶつかり合う剣と剣。飛び散る火花と火花。あの時と似ている。ジェミニ・ブラックがリブラ・バランス消した直後の剣劇と。

 今度はロックマンの方が速い。一撃を放った後、次の一撃を放つまでの時間が短い。乱れた呼吸で迎え撃つジェミニ・ブラックに対抗する術は無い。一歩一歩、逃れるように下がっていく。

 

「なんで……なんで、てめえごときがここまで……?」

「ゴン太とキザマロは委員長のブラザーだ。委員長が悲しむ姿がは見たくない!」

 

 完全に出遅れた。ジェミニが剣を振り切ったときには、怒りを乗せたロックマンの剣が、冷静に切り上げられた。

 ジェミニ・ブラックの体に太い線が描かれる。

 

「や、やめろ!」

 

 右手のエレキソードを消し、体を伸ばしきっていたロックマンの左手を抑えるように掴み掛かった。もう、これでロックマンは剣を触れない。

 

「ダッシュアタック!」

 

 これは、少し離れたところから放つことが多い中距離から遠距離用のカードだ。加速と共に相手に体当たりを食らわせる単純な攻撃方法だ。スピードも威力も高いが、バーナーを噴射するまでに時間がかかる。近距離戦には少々向かないカードだ。そんなカードをあえて選択したのである。

 意図が読めず、全開にされたヒカルの目の中で、ロックマンの右手が角ばった鳥の形に変わる。バーナーを全力で噴射しエネルギーを全て燃やし尽くす。自身のスピードをマッハへと上げ、ロックマンの手を引っ張った。

 引っ張ったのは手だけだ。体はその場にある。引っ張らなければならない荷物が、体一つから腕一本に減れば、反比例するようにスピードが速くなる。それは、音速の拳となって至近距離にある顔面を捉えた。

 ウェーブロードを跳ねる様に転がるジェミニ・ブラック。勢いのままに追撃をしようとしたロックマンの足が止まる。相手の右手に灯る光が彼をそうさせた。ジェミニサンダーが放たれ、ロックマンはウェーブロードから飛び降りた。迷わずジェミニサンダーの前に躍り出る。

 

「バトルカード バリア!」

 

 ロックマンを覆った群青色の球体。雷撃は青い壁に阻まれ、空気に溶けていった。

 

「ケッ! 堕ちたか、ジェミニ? ガキを狙うなんてな」

「ふんっ、何とでも言え」

 

 呆れと怒りを交えた悪態をつきながら、ウォーロックは背後を伺った。未だにゴン太とキザマロの喧嘩を止めようとしているルナとクラスメイト達がいた。どうやら、彼女達に怪我は無いらしい。

 

「お前はどうせ、『僕がここまで強く慣れたのは、絆の力だ』とか言いたいんだよな?」

「当たり前だ!」

 

 ミソラと出会えたから、学校に行けたし、笑えるようになった。

 ルナ達がクラスメイトだから、学校に行くのが辛くなくなった。

 皆大切な人達だ。彼らを傷つけさせたくないという思いがあったから、ヒカルに負けぬようにと毎日の特訓を欠かさず続けてくることができた。

 全て、スバル一人では成せなかった事だ。以前、手も足も出なかったヒカルと立場が逆転しているのが証拠だ。

 それを鼻で笑うのがヒカルという男だ。

 

「違うな。今のお前はあの時……俺が育田を消そうとしたときと同じだ。怒りに身をまかしているだけだ」

「……なんで、そこまでして絆を否定するの?」

 

 息を呑んだ。ジェミニ・ブラックの瞳の奥を見たからだ。

 大きく開かれた目の中に浮かぶ黒。光が無く、闇だけが生き物のように(ひしめ)く黒。

 

「憎しみがこの世で最も強い力だからだ。そして、人間の本当の姿だからだ。所詮、人間なんざ自分のことしか考えられない、醜い生き物なんだよ」

 

 そんなことは無い。そう言いたかった。だが、ヒカルの無表情の中に秘められた闇に飲み込まれ、何も言い返すことができなかった。

 

「見ていると良いぜ。この世界の本当の姿をな」

 

 足元がざわめいた。ゴン太とキザマロの喧嘩が終わったらしい。彼らについていた+電波がなくなっている。

 一瞬だけそっちに気をとられた隙だった。見上げたウェーブロードに、ジェミニ・ブラックの姿はどこにも見当たらなかった。



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第九十七話.不穏な学校

2013/5/4 改稿


 物心ついたときには大勢の子供達と毎日を過ごしていた。朝同じ時間に起きて、お兄さんやお姉さん達とご飯を食べる。庭で兄弟と一緒に遊んで、一緒にお風呂に入って、同じ部屋で寝る。そして、何か嬉しいことがあれば彼らと一緒に、数人のお母さんに甘えるのだ。それが当たり前だった。

 世間の当たり前が、それと違うと気づくのに、それほど時間はかからなかった。お母さんは一人だけ。それが普通だということを、近所の友達から聞いた。お父さんという言葉があることに驚いた。よく見てみれば、皆、お父さんという男の人と、お母さんを一人だけ持っていた。自分のように、お父さんがおらず、複数のお母さんがいる者を探してみた。だが、同じ家に住む兄弟を除いて誰もいなかった。

 当たり前のように、そこらあたりに存在している、当たり前の家族の形。それが自分には一切無いことに気づいたとき。一人のお母さんに尋ねた。ふっくらとした頬を緩めてくれる、優しい笑みを携えたお母さんだ。一番大好きだったお母さんが困った顔をした。少し唸った後、目を反らすことなく、全てを話してくれた。

 その時の事を、少年は忘れない。

 忘れはしない。

 

 

 その日、初めて教室が黒く見えた。普通だ。皆普通に話をしているし、授業も育田が冗談を交えてくれていて、軽快な笑い声が響いている。それが皆で仮面を被っているという事に、気づいていない者はいない。明らかに足りない。いつもの無駄にでかいあいつの声が混じっていない。

 育田の細い目がちらりと窓際の席を捉える。ゴン太が窓の外を眺めていた。肩肘を突き、口をへの字に曲げていた。

 教室の前に取り付けられたモニターをタッチし、育田は授業を進めた。

 昔は黒板という物に、チョークを使って書いていたらしい。今の時代は全てタッチパネルや電光板で行われている。

 次に教える場所まで進めて、もう一度子供達の方を向く。廊下側の席に目を移した。キザマロが無表情に授業を聞いている。目がいつもよりも少し細いが、前の字が見えないわけではないのだろう。

 理由は昨日の出来事だ。

 まだ、教師の自分が出る幕ではないだろう。できれば、自分達の力で解決して欲しい。異常に気づきつつも、「これも勉強」と考え、理科の説明を続けた。

 

 

「さあ、私が生徒会長になるために……ゴン太、何か案を考えてきたかしら?」

「それならチビスケに頼んだらどうだよ。俺と違って頭が良いらしいからな」

「ええ、少なくとも、デカイだけで頭が空っぽの誰かさんよりかはましですよ」

 

 目も合わせようとしない二人に眉を下げるルナを、スバルとツカサは教室の反対側から伺っていた。

 

「今日、ずっとあんな調子だね」

「二人とも、委員長とは話すけど、互いに一言も話そうとしないね」

 

 昨日、ヒカルとジェミニが放った-電波の影響で喧嘩をしたゴン太とキザマロ。あの一件以降、二人は互いの顔すら見ようとしていない。皆は分かっているが、関わらないようにと距離を置いている。

 スバルとツカサも同じだ。だが、無理に関わる理由も無い。この喧嘩は二人の問題なのだから。

 窓の外を見れば、今日も太陽が雲を近づけさせんばかりに輝いている。その陽気を貰っているはずの教室は、寂しくて冷たかった。

 

 

 スバルが学校に来る前から、毎日の昼休みにしていたドッチボールも中止だ。ほとんどメンバーが、どうしてもそんな雰囲気になれなかったからだ。

 少ない人数で遊べるようにと、キュウタが鬼ごっこを提案した。スバルは参加する気になれなかったが、誘われるがままにその輪に入った。

 だが、それもすぐに終わってしまった。廊下を走っているところを、風紀委員のフウキに見つかったからだ。

 

「校則違反よ! いい加減にしてよね!」

「なんだよ、俺ばっかりに文句言いやがって!」

「キュウタ君が悪いんでしょ! 放送室のDVDだって一枚紛失してるし、それもあんたでしょ!」

「言いがかりだっつうの!」

 

 キュウタとフウキが本当の意味で鬼ごっこを始めてしまった。涙目で逃げるキュウタと、ルナほどではないが鬼のようになったフウキ。そんな仲の良い二人を尻目に、流れ解散となった。

 そんな経緯があり、スバルはなんの目的も無く、暇な足どりで裏庭に来たところである。

 

「ヒカルを探す? 本気か?」

「うん。こっちから仕掛けようと思うんだ」

「お前にしちゃあ、珍しいな」

「だって、またあの-電波を使われたら、ゴン太とキザマロみたいな人が増えちゃうから。それに……」

 

 口を一切聞かないゴン太とキザマロが脳裏を過ぎった。そして、ルナの悲しみに満ちた表情。

 怒りで握られたスバルの拳を見て、ウォーロックはトランサーでふんぞり返った。

 

「よし、だったら、俺から取っておきの情報をお前に渡すぜ」

「取っておき? いつの間に情報を集めたの、ロック?」

「ロックじゃねぇ。刑事と呼んでくれ」

 

 また変なドラマを見たらしい。心底飽きれて肩をすくめる。まあ、情報を得て来てくれたのならば、それに越したことないだろう。あまり気にせず、スルーしておいた。

 

「……ところで、どんな情報なの?」

 

 ウォーロックは自慢げに笑うと、手に持っているファイルを見せ付けた。

 

「学校の名簿データを盗んでおいたぜ!」

「何やってるんだよ!!」

 

 今度はスルーするわけにはいかない。ファイルデータには、「コダマ小学校生徒名簿一覧」と書かれていた。紛れも無く、学校の機密情報である。

 

「それ泥棒だよ! 刑事じゃないよ!!」

「なあに、己の正義のためには、悪の道も歩まなきゃならねえのさ」

 

 今度はアニメでも見てしまったのだろうか。スバルは頭を抱えて、辺りを見回した。学校の裏庭だから誰もいない。盗んだことが理事長のおばあちゃんや校長先生にばれたら、ただごとじゃすまない。復学して早々、停学させられるかもしれない。

 

「いつの間に盗んだんだよ?」

「朝礼の時間にちょっとな。育田の話はともかく、校長の話は長い上につまんねえからな。セキュリティぶっ壊してコピーしてきたんだ」

 

 毎回、あくびが耐えない朝礼の時間を思い出し、頷いた。確かに、あの校長の話は長い。どこの校長もそうだろうが、あの人は特別だと思う。

 

「……セキュリティ用ナビは?」

「大丈夫だ! 背後からぶん殴っといたから、顔は見られてないぜ!」

 

 もう何も言わないでおいた。胃に穴を開けそうなほど溜まりまくったストレスを吐き出し、一呼吸置く。

 

「……じゃあ、名前だけ確認して直ぐに消そう。ロック、ヒカルって名前で検索かけて」

「ああ、もうやっといたぜ」

 

 刑事ドラマを見ているだけあって、仕事の手際は良いらしい。ここは素直に賞賛しておこう。

 

「どうだった? ヒカルって何組の生徒?」

 

 千代吉にコンタクトをとり、育田の事情を知っていた上に、この学校にある学習電波を操作していた。これだけ内部の情報を知っているのだ。スバルにはヒカルが校内の生徒であるという確信があった。だから、次の答えを受け入れられなかった。

 

「いねえんだ」

「……え?」

「だから、ヒカルって名前がねえんだ」

「嘘でしょ?」

 

 そんなわけが無い。ヒカルがコダマ小学校の生徒で無いとするならば、なぜあれほどこの学校に詳しいのか。コダマ小学校を卒業した小柄な中学生ならば、育田の事情はある程度知っていたかもしれない。だが、学習電波について知っている理由にしては説得力が乏しい。それ以外の年齢ということはありえないだろう。150cmにも満たない自分の身長と大差が無いのだから。

 

「嘘つくわけねえだろ?」

「……確かに、そうだよね……」

 

 一応、もう一度「ヒカル」という文字で検索をかけてもらった。しかし、検索結果はスバルの僅かな期待に応えず、やっぱり0件。

 念のため、「スバル」で検索すると、自分の名前だけが表示された。どうやら、故障していないらしい。

 同時に、「ヒカル」がこの学校の生徒で無いことの証明になってしまった。

 

「……教師……」

「それは無いよね?」

「……だな……あんなちっこいわけねえよな……」

 

 内心腹を立てた。分かっていて言わないで欲しい。ゴン太じゃないのだから。

 

「ヒカルって、あだ名かな?」

「じゃあ、何で検索する?」

「う~ん……苗字や名前に、『光』って文字がある人とか……」

「よし! ……だめだ、いねえ」

「それじゃあ……」

 

 二人は手当たり次第に検索してみる。しかし、それらしい名前の生徒は一向に見つからない。

 目星も手がかりも掴めぬまま、予鈴が鳴ってしまった。ウォーロックがコピーしてきたデータは、結局そのまま残しておいた。

 スバルにはどうしても考えられなかった。ヒカルが他校の生徒であるということがだ。ヒカルは、コダマ小学校の誰かだ。そこに間違いは無いはずだ。

 

「必ず見つけようね、ロック?」

「ああ……」

 

 教室へと戻って行く生徒一人一人に、鋭く目を細めた。

 

 

 校庭から学校内にまで流れる人の川を見下ろすのを止め、スバルたちが捜し求めている人物は空を仰いだ。澄んだ青はどこまでも美しく、彼を不愉快にさせる。

 

「結局、良い案は浮かばねえな……」

 

 トランサーにいる相棒は数秒の沈黙を保った。

 

「ヒカル、やはり最後の手段を使うぞ」

「おいおい、まだ条件が整っていないだろ?」

「それを整える方法を考えるんだよ」

「だから、簡単じゃねえって」

 

 自分達に残された最後の手段。これを使えばスバルとウォーロックにも対抗できるはずだ。だが、ある条件を満たさなければ、それを使うことができない。今までは、無くても十分だと考えていた二人だが、前日の完敗によってその自信は砕かれている。

 

「だが、他に良い案も浮かばん」

「それは、そうだけどよ……」

 

 昼休みいっぱい使って頭を捻っても、ロックマンに対抗する術が思いつかない。なら、もうこの手を使うしかない。

 

「仕方ねえ、考えては見るか……」

 

 予鈴が鳴り終わり、生徒達の声がよりはっきりと聞こえてくる。大きくため息をつき、ヒカルは教室へと足を向けた。

 

 

 登下校の時間は、スバルにとっては連行の時間だった。ルナ率いるトリオに連れ去られるのが常だったからだ。最近は、そんな時間もちょっと楽しみだったりした。

 今日は違った。あの三人がバラバラに帰宅したからだ。

 今はツカサと肩を並べている。校門をくぐった先の町並みは、別世界のように明るくスバルの瞳に映る。学校の重苦しい雰囲気が、大きい校門から拡散していっているかのようだ。

 深呼吸して顔を見合わせ、二人はようやく安堵の笑みを浮かべた。

 

「ツカサ君!? どうしたの、それ?」

「あ? 見つかっちゃった?」

 

 突如、スバルの笑みは驚きに変わる。それを見ても、ツカサは相変わらず笑ったままだ。

 

「昨日、切っちゃったみたいなんだ」

 

 髪をかき上げ、額を見せた。そこには絆創膏が横に張られている。

 

「どうやって、そんなところを切ったの?」

「それが、切った覚えがないんだ」

「何してたの?」

「普通だよ?」

 

 普通がなんのかは分からないが、とりあえず日常生活以上の危険なことはしていないということだろう。

 

「ツカサ君ってよく怪我するね? この前も、足挫いたし」

「ははは、おかげで劇に出られなかったからね」

 

 それを最後に、話題が無くなってしまった。気まずい空気に取り残された二人を、ウォーロックもつまらなさそうに見ていた。

 あまり踏み入って尋ねて良いのか分からない。ただ、このまま話題が無いよりはましだろうと考え、ツカサが話題を振った。

 

「そういえば、昨日の話なんだけれど……スバル君は、なんで、宇宙飛行士になりたいの?」

 

 昨日の話を覚えてくれていたらしい。ツカサはいつもそうだ。スバルがルナ達といつもいることも、外国語の授業が好きなことも、人参嫌いなことも、実はグリンピースも嫌いなことも全て知っている。

 胸を温かくしてくれるツカサに、スバルは少し考えてから言葉を口にした。

 

「この後、時間あるかな?」

「うん、あるよ」

「なら、ちょっと付き合ってもらっていいかな?」

「いいよ……あ、ちょっと待ってて」

 

 二つ返事をしたツカサはスバルから数歩離れてトランサーを開いた。どうやら、聞かれたくない連絡をするらしい。会話相手と内容が気になるが、彼から更に数歩離れて空を仰ぐ。教室と違って、眩しいほどに明るい青空だった。夏を迎える準備は順調に進んでいるようだ。これなら、ツカサを喜ばせてあげることができるかもしれない。

 気持ちの良い空を見上げても、やっぱりツカサの会話が気になってしまう。神経を集中させてしまった耳が、僅かに聞こえてくるツカサの言葉を拾う。

 

「すいません、ちょっと友達と寄り道します……はい、夕飯までには帰宅します。あ、そうそう! 皆に伝えておいてください! 友達からミソラちゃんのCDを借りたから、楽しみにしておいてって……はい、それでは」

 

 トランサーを閉じ、待ってくれているスバルに笑顔で手を振りながら、駆け足で戻ってきた。

 

「母さんに電話?」

「うん、そんなところだよ。ところで、どこに行くの?」

 

 これから連れいていく場所は、プライベートな場所だ。自分をさらけ出すみたいで、ちょっと恥ずかしかった。

 

 

 色濃い青絨毯と、白くて柔らかいパン切れのような塊が広がっている。それらを照らす、遥か彼方にある太陽。絨毯の下に敷き詰められた物々と、その中でせわしなく動いている人々。見たことの無い雄大な光景に、ツカサは感嘆の息を漏らした。

 

「学校の隣なのに、来たこと無かったよ」

「良い場所でしょ?」

「うん。もっと早く来ていれば良かったな」

「フフフ、僕の憩いの場所なんだ」

 

 ツカサと話しているスバルを見て、ウォーロックは頬を緩めた。今日、ようやくスバルの笑みを見たからだ。ただ、疑問がある。スバルがツカサをここに連れて来た理由が分からないのだ。

 スバル自身もはっきりとは分からなかった。あえて理由をつけるのならば、ツカサが特別だからだ。初めて会ったときから、彼に惹かれていた。どこか不思議な雰囲気を醸し出し、女の子のような甘い笑顔で接してくるツカサ。彼は、学校に来たばかりのスバルにとって、ズタズタになってしまった心の傷口を、優しく包んでくれる存在だった。

 復学する前に彼と出会えたことと、彼が隣の席であったことに、どれほど感謝したことだろう。

 彼と話すようになって過ごした時間はまだ短い。それでも、スバルにとってはミソラやルナと同じく、心許せる存在だった。

 展望台の手すりから上半身を乗り出し、コダマタウンを見下ろしているツカサの隣に、並ぶように立った。町の人達の生活を共に眺める。

 

「なんで、僕が宇宙飛行士になりたいかって話だよね……」

「あ……その話だったね」

 

 ここに来る前に自分で尋ねておいて、忘れてしまっていたらしい。ここからの景色を見てしまったら、忘れてしまうのも無理は無いだろう。

 ツカサのちょっと慌てた様子に、吹き出すように笑ってしまった。だから、次の重大で、口にするのも辛い言葉を、楽に伝えることができたのかもしれない。

 

「僕はね、父さんを探しに行きたいんだ」

「……え? 父さん?」

 

 ツカサには、冗談か何かかという疑問は浮かばなかった。わざわざ、こんな場所にまで連れて来て、冗談を言う人だなどと思っていないからだ。スバルの大きく、少し澱んだ茶色の瞳を見つめ返した。

 スバルも口を一文字に結び、ツカサの琥珀色の目を見つめ返した。

 

「聞いてくれるかな? 僕の話を……」

 

 全てを打ち明けた。

 

 父親は、ブラザーを発明した星河大吾だということ。

 三年前に、キズナクルーの一員として地球の外に飛び出し、帰ってこなかったこと。

 キズナの一部がニホン海に落下し、父の殉職が告げられたこと。

 それを信じていないこと。

 だが、そのショックで他人と関わることが恐くなってしまったこと。

 三年間不登校だった理由はそれであることも話した。

 そして、憧れの父のような宇宙飛行士になり、今も宇宙を旅しているであろう父親を探しに行くこと。

 それが、夢であることを話した。

 

 その間、ツカサはずっと黙して聞いていた。消え入りそうになるスバルの言葉を、一言一句聞き逃さないようにするためだ。話が終わったとき、真っ先にハンカチを差し出してくれた。

 

「話してくれて、ありがとう」

「……こっちこそ、聞いてくれて、ありがとう」

 

 今も、目元を拭っているスバルを見る目には、同情や哀れみを含んだ優しさが満ちていた。

 

「でも、なんでそんな大切な話を僕に?」

「……ツカサ君になら、話しても良いかなって思ったんだ」

 

 誰かに自分のことを話す。ただ、それだけのことで、人は不思議と胸中が穏やかになる。

 

 誰かに自分を認めて欲しい。

 

 誰かに自分を見て欲しい。

 

 人が持つ、誰かを求める本能なのかもしれない。

 

 目元を拭っているスバルに笑い返した。

 素直に嬉しかった。スバルにとって、この出来事は彼を締め付け、苦しめる枷だったはずだ。流した涙が、彼が三年の間にどれだけの苦を背負ってきたのかを物語っていた。それを分かっているからこそ、自分にだけ打ち明けてくれた事実が嬉しかったのだ。自分に心を開いていくれている証拠であり、信用してくれている証だった。

 それはツカサに喜びと苦しみを与えた。役目を終えて返ってきたハンカチをポケットにしまう彼は悩むように眉を下げ、地面を見ていた。

 自分の全てを語ってくれたスバルと、自分を比べてしまう。

 ここで黙っていると、醜いレッテルが自分についてしまう。

 そんな気がした。

 

「スバル君、僕の……僕の話も……いや、ごめん、やっぱり……」

「君が、自分のことを話してくれるなら……僕は聞きたいよ」

 

 スバルの優しい声。地に突き刺さっていた視線は、導かれるように彼の目へと誘われる。

 

「父さんの受け売りだけれどさ。『争いは、相手を知らないからこそ生まれる。逆に、相手を知ったとき、きっとその人とは友達になれるはずだ』。僕はツカサ君と争いたくなんてないし……もっとツカサ君を知りたいよ」

 

 スバルが何を思い出しているのか検討がついた。ゴン太とキザマロだ。喧嘩していたあの二人を見て、スバルは少なからず傷ついている。

 友達とは言えど、他人のことで心を痛める。それは、当たり前のように思えて、簡単にできることではない。誰にでもできることではない。

 スバルの優しさに触れ、胸にあるシコリが消えていたことに気づいた。

 

「スバル君……ついて来てくれるかな?」

 

 迷いを振り切った笑みだった。こんな気持ちになれたのは、初めての経験だ。

 話しても良い。いや、聞いてもらいたい。自分のことを。誰にも打ち明けたことの無い自分を知って欲しい。できれば、受け入れてほしい。大切なこの人に。

 

「良いよ。どこに行くの?」

 

 優しい言葉に安らぎを感じつつ、勇気と共に目的地を口にした。

 

「ドリームアイランドだよ」



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第九十八話.ツカサの過去

2013/5/4 改稿


 抉り取られた胸を押さえ、空虚な目に当たり前を映した。そこにあるのは一つの家族だ。母と手を繋ぐ当たり前。父に抱きしめられる当たり前。両親の顔を知っている当たり前。両親の名を呼ぶ当たり前。

 自分の手を見てみる。実母の温もりなんて知らない冷たい手だ。自分を抱きしめてくれるのは、自分の寂しい手だ。知っているわけの無い両親の顔を、記憶を穿り返して捜してみる。もちろん、思い出せるわけなんて無いし、名前も出て来ない。

 当たり前を得られなかった自分。捨てるのではなく、与えてすらもらえなかった。選ぶ権利すらなかったのだ。

 なぜ、自分がこんな思いをしなくてはならないのだろう?

 そんな疑問を糧に、黒い感情が生まれていく。それは、最初は石ころのように小さかった。月日が経つに連れ、彼の成長とともに徐々に大きくなり、生き物のように活発になっていく。

 そして……

 

 

 左右の揺れに身を任せ、スバルは座して一点を見つめていた。横を伺うと、同じようにしているツカサがいた。

 彼に誘われて、バスに乗ってからはずっとこの様子だ。余計な刺激を与えないようにと、通り過ぎていく見慣れない景色を見て、暇を紛らわしていた。

 ツカサがようやく口を開いたのは、バスを降りたときだった。

 

「ここが、ドリームランドだよ」

「結構遠いんだね。初めて来たよ」

 

 ようやく無表情を崩したツカサに、自分の緊張を解すように笑い返した。

 スバルとツカサを迎えてくれたのは心地良い潮風だ。植えられた木々を脇目に、舗装された道路を歩んでいく。先ほどから見えていた橋を渡っていると、反対車線をトラックが数台走り抜けて行った。この先に工場でもあるのかもしれない。

 絶えず賑わせてくれる湿っぽい風を、お腹いっぱいに吸い込んだ。

 

「気持ち良い……磯の香りっていうかな?」

「ここは人工の島だから……磯とは言わないかな?」

 

 磯というのは、石の多い海岸のことを指す。この島の海に面している場所は、整備された土手になっている。ちょっと当てはまらない。

 

「この島って人工なの?」

「うん。ゴミを埋め立てて造ったんだって。だから……ほら」

 

 ツカサが指差す先を見ると、巨大な煙突が何本も顔を覗かせている施設が目に飛び込んできた。アマケンタワー並みに大きいそれに、童心に擽られた目が輝く。

 

「ゴミ焼却所?」

「うん、この地域一帯のゴミがここに集められているんだ。海を汚さないゴミを選んで、島を少しずつ拡大しているんだって」

 

 憩いの場所というだけあり、この島についての知識が豊富な様子だった。

 感心していたスバルの顔が強張る。ツカサの足がゴミ焼却所へと向いたからだ。

 

「え? ……入るの?」

「うん。こっちだよ」

 

 ゴミの溜まり場だ。臭いも相当なものだろう。服に臭いが染み込んだりしたら、母になんと言われるか分かったものじゃない。行きたくないが、ツカサとの約束があるのだ。話を聞くためにも、付いて行くしかなかった。

 渋々と背中を追いかけると、制服に身を包んだ警備員さんが座っている受付が近づいてくる。顔にシワが入った強面のおじさんだった。肩幅が広く、がっしりとしている。おそらく、怒鳴れば周囲にいる者達全員が驚いたように振り替えるほどの大声の持ち主だ。

 おじさんの恐い顔に怯えるスバルを他所に、ツカサは親しみやすい笑みで中を覗き込んだ。警備員のおじさんと目が合う。

 

「こんにちは」

「お、ツカサ君か。こんにちは」

 

 予想通りの、子供が一番恐がるタイプの低い声だった。顔と声に似合わない、とびっきりの笑みと口調でツカサを歓迎してくれている。ギャップの激しさに驚き、立ち尽くしているスバル。

 スバルの反応はツカサの予想内だったのだろう。動じることも無く、落ち着いた雰囲気を保っていた。手をスバルに向けて、おじさんにスバルを紹介しながら頼みごとをしていた。

 

「今日は友達も一緒なんですけれど……」

「いいよ。ゆっくりしていきなさい」

 

 顔パスだ。本来、施設に入るときには身分を証明する必要がある。たくさんの火を扱う危険な施設であるゴミ焼却所ならばなおさらだ。初訪問であるスバルが顔パスなんて、まずありえない。

 しかし、ツカサはスマイル一つで不可能を可能にしてしまったのである。目の前のすさまじい現象に丸くなってしまった目を隠せない。厳格な警備員のおじさんの笑みに、ぎこちない会釈しつつ、スバルは施設へと足を踏み入れた。

 

「……ツカサ君、VIP待遇?」

「まあ、そんなところかな?」

 

 恐そうな見た目の警備員さんの前を通り過ぎ、緊張を解いたスバルにツカサは笑みを見せる。直ぐに無表情へと変えて、言葉一つ発さずに奥へと歩き出した。

 ここに来てからの、ツカサの笑みが薄っぺらいことに、スバルは今更に気づいた。

 無言で歩みを進めるツカサ。彼と並んで歩きながら、周りを見てみる。ウォーロックも真似して、この施設を観察していた。

 タイヤや鉄骨が山積みになり、折れた自転車が転がっている。どうやら、生ゴミもあるらしい。鼻につく嫌な臭いが、金属を削る音と共に辺りに充満している。

 そんな中でも、ツカサは感情がどこかに行ってしまったかのように表情一つ変えない。その様は、ゴミ山の中で黙々と作業をしているゴミ処理ロボット達と重ねてしまった。幾つか角を曲がった時、ようやくツカサの足が止まった。

 

「ここが、僕の始まりの場所だよ」

 

 ツカサの隣に立ってみた。彼の視線を辿って見ると、ゴミ山の一点に行き着いた。何の変哲も無いゴミ山だ。何か違いが分かるのかと他のゴミ山と見比べてみる。だが、特に差が見られない。

 

「ここが……どうしたの?」

 

 何も分からない。ここからツカサの何が始まったというのだろう。

 ツカサの琥珀色の瞳の奥にある黒が揺らいだ。金きり音や搬送の音が騒がしい。

 

「僕は……ここで見つかったんだ」

 

 騒がしいが遮断された。スバルの耳で響いたのは、ツカサが放った言葉だけだった。

 

「……見つかっ……た……?」

 

 それが何を意味するのか、スバルは直ぐには分からなかった。分からなかったのではなく、分かることを拒否したのかもしれない。

 『見つかった』という言葉は、物に対して使う言葉だ。物が落ちていることに、人が気づいたときに使う言葉だ。それを、ツカサは自分に対して使っている。

 ツカサの身に起きたことが、いかに残酷なことなのか。それをようやく察したスバルに振り返ることもなく、ツカサは頷いた。

 

「そうだよ。スバル君」

 

 ここに来て、初めてスバルと視線を合わした。光も生気も無い瞳が、スバルから体温を奪った。

 

「僕は……捨て子なんだ」

 

 瞳に負けないほど、ツカサの声は冷たかった。今までに聞いた事の無い彼の声が、スバルを凍えさせる。

 認めたくない。できれば違って欲しい。そう願っていたスバルに告げられたツカサの真実は、想像と寸分も違っていなかった。

 

「生まれて直ぐ、ゴミと一緒に置き去りにされたんだよ」

 

 自分が捨てられていたというゴミ山。そこで走るドブネズミや虫達。ツカサは目を細めて淡々と説明を始める。 

 

「肌寒い大雨の夜に、薄いタオルに巻かれて、ここに捨てられていたんだ。そこを、ゴミ処理ロボットが見つけて、僕を回収してくれたんだ。タオルに汚れのような文字があったんだ。かろうじて、『ツカサ』って読めたらしい。僕に関する手がかりが全然無かったから、それが僕の名前になったんだ。そして、双葉孤児院に入ったんだ」

 

 その一連の言葉には、強弱も高低も無かった。感情を乗せまいと、必死に押さえ込んでいるのだと、スバルには理解できた。

 

「双葉……って」

「うん。僕は苗字も分からなかったからね。施設の名前を貰ったんだ」

「……さっき、電話していた人は……」

「孤児院の人だよ。『皆』って言うのは、孤児院の仲間だよ。晩御飯とミソラちゃんのCDを聞くのが、数少ない楽しみなんだ。ちなみに、昨日、103デパートのロボットのことを話したよね? あれが、僕を見つけてくれたロボットなんだ。旧型だから、今は展示用になっているんだ」

 

 ただ、悲しみを感じさせないようにするために、起伏を無くした口調。心に壁を張ったような無表情。濁った黄色い瞳は閉じられ、感情が隠される。

 

「笑ってしまうよ。両親に捨てられた僕を助けたのは、人じゃなくって、ただの機械なんだ。僕は、本当の名前も分からない……何者でも無いんだよ。フ、フフ……」

 

 凍えるような雨の夜に、防寒着も着せてもらえずに捨てられたツカサ。人が物を見つけたのでは無く、物が人を見つけたというツカサの始まり。空しいほど温もりの無い過去が、ツカサの胸を苦しめる。

 苦しさを取り払うように嘲笑するツカサは、スバルの知っているツカサでは無かった。むき出しにされた眼球に浮かんだ笑みは、まるで別人の物。

 

「恐いんだ……自分が」

 

 搾り出したように発せられる、恐いくらいに低い言葉。

 

「出来る限り考えないようにしているのに……時々、両親がたまらなく憎くなるんだ……その憎しみのままに誰かを傷付けてしまいそうで……僕は……」

 

 発するにつれ、小刻みに動き出す肩。手は拳へと変わり、鳴り出すのは骨を握り潰す様な不快な音。

 

「ツカサ君!?」

 

 我に返った。肩を掴んでくれたスバルと視線がぶつかる。

 

「あ……ごめんね?」

 

 慌てて顔を手で擦った。スバルの目に映ったのは普段の笑みだ。学校にいるときのツカサが戻ってきてくれた。胸をなで降ろした。

 

「ここは、もう良いよね?」

 

 荒らしてしまった空気を変えようとツカサがしてくれた提案に、スバルは二つ返事で賛成した。場所を変えればまた会話も弾むだろうし、この鼻につく嫌な臭いからも逃れられる。

 

「実は……もう一箇所、案内したい所があるんだ」

「もう一箇所?」

「本当に見せたいのはそっちなんだ。ここは、僕の始まりの場所。今から行くところは……」

 

 スバルは心から笑いたくなった。今のツカサを見たからだ。これは学校にいるときにすら見せてくれなかった。

 

「僕の、憩いの場所なんだ」

「よし、行こう!」

 

 彼の太陽のような笑みに、スバルも明るく笑い返した。



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第九十九話.花畑

2013/5/4 改稿


 ゴミ焼却所を後にしたスバルはツカサに連れられ、舗装された道路を歩いている。角に建っている標識が目に入り、文字に目を凝らした。

 

「公園?」

「うん、とても大きいんだ。もうすぐ……見えたよ」

 

 見えてきたのは木面模様が施されたアーチだ。洒落たデザインだとウォーロックと感心しながらその下を潜り抜けると、砂と石で出来上がった大地が広がった。囲むようにそびえる木々。いつの時代でも、公園には定番といえる滑り台とジャングルジム。コダマタウン自慢の公園よりも、緑が多くて遥かに広い。

 スバルを感心させる大公園の一角で、箒を片手にゴミ掃除をしている老人がいる。ツカサは気兼ねすることもなく歩み寄り、背中から明るく声をかけた。

 

「オオゾノさん、こんにちは」

「お? ツカサ君じゃあないか。いやあ、いらっしゃい。元気だったかい?」

 

 本当にツカサはこのドリームアイランドで顔が利くらしい。大人と親しげに話すツカサに敬うような視線を向けていたスバルの目が、オオゾノさんの視線と合った。

 

「ツカサ君の友達かい?」

「あ、はい。そうです」

「ツカサ君が友達を連れてきてくれるとは、嬉しいのう。どれ、ジュースを奢ってあげよう」

 

 オオゾノさんはツカサを孫のように可愛がっているのだろう。顔のシワを歪ませ、近くの自動販売機で二人分の缶ジュースを買ってくれた。

 

「ありがとうございます」

「いやいや、これからもツカサ君と仲良くしておくれ」

「はい、もちろんです」

「お、オオゾノさん……」

 

 恥ずかしそうにしているツカサに、お爺ちゃんは柔らかい笑みを見せた。祖父と孫のようなやり取りに、スバルも笑みを浮かべた。

 手を振ってくれるオオゾノさんと別れ、二人は公園の奥へと歩き出す。

 

「優しいお爺ちゃんだね。なんか悪いな~。初対面なのに奢ってもらっちゃって」

「気にしなくてもいいと思うよ。オオゾノさんは、いつもあんな風に優しい人だから」

「いつもなんだ。どんな風に?」

 

 興味ありげに尋ねてくれるスバルに、ツカサは嬉しそうに話し出した。

 

「オオゾノさんは、この公園の管理人さんなんだ。『汚れたら、皆が楽しめない』って、さっきみたいに、毎日掃除してるんだ」

「この公園が大好きなんだね」

「そうなんだよ。だから……いつも泣いてるんだ」

「え?」

 

 ツカサの笑みが消えた。脈絡の無い言葉に、スバルは首を傾げる。

 

「ゴミのポイ捨てをする人や、持ち帰らない人が多いから……」

 

 ツカサの話によると、大きい公園故、家族連れで来る者達が多いらしい。しかし、マナーが悪く、ゴミを持ち帰らない輩が後を絶たない。あのお爺ちゃんは掃除しても掃除しても新たに公園に放置されているゴミに、いつも頭を抱え込まされているらしい。特に、桜が咲いていた少し前の時期では、ゴミの山を前にして途方にくれてたのだという。

 心無い者のせいで、あの心優しいご老人が悩まされている。酷い話である。スバルも頭に来ていた。

 

「嫌な人がいるんだね」

「本当だよ。せっかく綺麗な公園なのに……そういう意味じゃ、コダマタウンの方が皆マナーが良くて、良いよね?」

「皆で大切に使ってるもんね? 魚もいるし!」

「変わった店長さんもいるしね?」

「あ! 南国さんに言っちゃうよ?」

 

 魚が住めるほど綺麗な小川と、個性的な店長さんがいるコダマタウンの公園を思い出し、二人は意気揚々と缶ジュースに口をつけながら、木々の下を歩いて行った。

 途中にある石造りの階段を上っていく。上りきると、スバルの足が速まった。平地に足をつけ、目に移った光景に向かい、嬉しそうに叫んだ。

 

「うわあ! 花畑!?」

 

 白くて丸みを帯びた柵が、歩道の両脇に並んでいた。一区画ごとに分けられた敷地の中で、柵に守られるように咲いている、赤や青一色で並べられた花々。園芸のプロが毎日世話をしているからだろう。見事の一言に尽きる。

 

「ここが、見せたかった場所?」

「いや、違うんだ。この先だよ」

「え? 違うの!?」

 

 誰もが見とれてしまいそうな、見事な花達だ。素晴しい光景に見向きもせずに、ツカサは石の道を踏んでいく。花畑を突っ切ると、また階段があった。ツカサに続いて上っていく。

 

「この先は、丘になっているんだ。水平線が綺麗に見えるよ」

「海を見たいんだ?」

「う~ん、海もそうなんだけれど……まあ、見たほうが早いかな」

 

 一足先に階段を上りきったツカサが振り返り、スバルを手で招いた。急いで階段を駆け上がる。

 スバルの足が止まった。少しずつ足を踏み出し、現れた光景を瞳に映していく。それに連れ、目が大きく開かれていった。一歩足を踏み出し、神聖な世界に近づく。鼻をくすぐる甘くて塩辛い匂い。優しく体を撫でてくれる風。足元にいる彼らを傷つけぬようにと、慎重に足の置き場所を選ぶ。

 

「すごい……」

 

 広がっていたのは、またしても花畑だった。だが、そこにいるのは先ほどの者達ではない。見たことの無い花や、名前も分からない花、雑草まで混じっている。花の色や形や大きさは様々だ。赤や青、黄色にオレンジに紫。一本一本、違う花々が笑みを送ってくれていた。その先で大きく座する大海。陽光を跳ね返し、宝石をちりばめたように煌いている。今日は気候が良いのだろう。水平線がくっきりと見えた。

 

「……僕、こっちのほうが好きだな……」

「本当に!? 良かった。スバル君なら分かってくれると思ったんだ」

 

 スバルの隣で伸びをし、花々がくれた甘い香りを吸い込んだ。スバルも真似してみる。体を洗ってくれるような、優しい香りだった。混ざってくる海の香りがスパイスになり、とても美味しい。

 

「……ここに来るとね、洗われるんだ。心が。僕の醜い憎しみを全て和らげてくれるみたいでね……」

 

 徐に呟いたツカサの言葉に、スバルは何も言わなかった。さっきのツカサを思い出し、言葉に迷ってしまったからだ。

 

「誰構わず、仲良く咲いているこの子たちが好きなんだ。僕なんかも、受け入れてくれそうで……」

 

 自分を見ている茶色い瞳に笑って見せた。しかし、琥珀色の目は泣いているように細められている。

 

「全てがこの花畑見たいに、綺麗な世界になれば良い。全てを受け入れてくれるような、優しい世界になれば良い。けど、現実はそうじゃない。暗くて汚い物がたくさんある。それを失くすこともできない。だから、そこに美しいと思えるものを見つける。僕は、それが好きなんだ……君も好きになって欲しいな。この場所を……」

 

 花々を見つめるツカサの目が、また曇っていた。両親への憎しみが、再び燃え上がっているのだろう。それを彼は必死に抑えている。

 彼はずっと抱え込んできたのだ。狂いそうな憎しみを。学校で、皆に見せていた爽やかな笑みの下で。たった一人で。

 重ねてしまった。ずっと父を失くした悲しみに囚われ、傷つくのを恐れて、ひたすら耐えてきた自分と。

 風が囁き、花々が楽しそうに合唱する。その中で、スバルは静かに目を閉じて思い出した。それは、ツカサと始めて会った時のこと。三年ぶりに学校に行った日、席が隣同士だったこと。屋上で話したこと。学校内で逃げ回ったこと。ドッチボールをしたこと。どうでもいいような会話で笑いあったこと。

 彼と過ごした眩しい思い出に一通り浸ったとき、花びらを運んでいる風の中で目を開いた。

 

「ねえ、ツカサ君」

「なあに?」

 

 心臓が痛い。別に悪い事をしようとしているわけではない。それに、自分にはもう二人もいるのだ。

 大丈夫だ。

 そう言い聞かせ、勇気を踏み出した。

 

「僕と……ブラザーになってくれないかな?」

 

 潮の香りが強くなった。野花達が声を大きくする。なびく黄緑色の髪の下で、ツカサは言葉を失っていた。

 

「……え?」

 

 目だけではなく、体をツカサに向け、いつもよりも大きくなった目を見つめた。不思議と恐れは無かった。落ち着いている自分に、自分で驚いてしまっている。やけくそになって、開き直っているだけなのかもしれない。それでも、ミソラとルナがくれた勇気が支えてくれているのだと信じたかった。

 

「僕達はすごく境遇が似ている。君が、前に僕に言ってくれた通り……僕たちは、きっと、良いブラザーになれると思うんだ」

 

 親を失くした悩みを抱えている。そんな人がミソラ以外にも学校にいたのだ。しかもクラスメイトで、席が隣同士。ただの偶然ではなく、縁と捉えたいというスバルの身勝手な気持ちだ。

 

「スバル君……」

 

 友好的な笑みを向けるスバルから、胸を覆われるような温もりを受けるツカサ。

 嬉しい。たまらなく嬉しい。こんな自分にブラザーを申し込んでくれるスバルの優しさが、素直に嬉しかった。

 

「嬉しいよ……本当に……。でも……」

 

 辛そうに目を離した。足をこそばせて来る無邪気な野花に視線を落としている。

 

「さっきも話したよね? 僕にはすごく醜い部分があるんだ」

「両親のことだよね? 僕は、そんなツカサ君を受け入れるつもりだよ?」

 

 ゴミ焼却所でのツカサを思い出しても、スバルは引き下がらなかった。確かに、あの時のツカサは恐かった。まるで、別人のようにさえ見えた。だが、それも含めて、ツカサを受け入れ、受け止める。それが、スバルの気持ちだ。

 そんなスバルの決心を前にしても、ツカサは首を縦に振らない。

 

「僕の醜さは、あんなものじゃないよ? 実は……僕には、まだどうしても言えない秘密があるんだ」

 

 誰にも言えない、知られたくないもの。それが秘密だ。それが恥辱心からなのか、怒りからなのかは人と内容それぞれだろう。少なくとも、ツカサにとっては誰にも語り無くないものだった。

 

「その僕は、もっと深くてどす黒いんだ。もしかしたら、憎しみに囚われてしまうかもしれない」

 

 段々と声が細くなっていく。ツカサを蝕むのは恐怖と不安。そして、親への怒りから生まれてしまった憎しみ。

 憎しみによって、生まれてしまった自分の醜い部分。こんな深い闇は、誰にも打ち明けられない。スバルにも、全てを打ち明けるなんてできない。誰にも、受け入れることなんて、できやしないのだから。

 スバルに嫌われてしまうのではないか?

 不安が胸を満たし、恐怖と言う名の感情へと大きくなって行く。

 

「僕は君の全てを受け入れるよ」

 

 それら全てを吹き飛ばしてくれる言葉だった。

 驚いて顔を上げたツカサの周りを、花びらが優しく駆け抜けていく。ツカサが見たのは、花びら達の中で力強く笑ってくれているスバルだった。

 戸惑うと思っていたツカサの予想は裏切られたのだ。スバルは態度を一変させることすらしなかった。

 色とりどりの花びら達と共に、スバルは優しく囁いた。

 

「ブラザーは楽しいことも、辛いことも分かち合える。一緒に背負って上げられるんだ。きっと、君の憎しみも僕が一緒に背負って上げられると思うんだ」

「スバル君……」

「それにね……君がもし憎しみに囚われて、間違いそうになったら……僕が止めてあげるよ? 僕、こう見えても、腕っ節には自信があるんだ!」

 

 はやし立てる様に賑やかになる花達。その中に浮かぶ自信たっぷりの笑みと眼差し。ツカサにとって、それは言葉にできないほど頼もしかった。

 花びらが、賑やかに舞っていた。



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第百話.賑やかな食卓

 タイヤが無い代わりに、地面から少し浮いて走るバスに身を揺らせながら、スバルはトランサーを開いていた。そこに写っている人物の名前を読み上げる。

 

「響ミソラ……白金ルナ……」

 

 それ以上は続かない。画面の右上には、スバルのブラザー総数が表示されている。先日、『2』と書かれている文字を見たときは、それだけで嬉しくなれた。

 今はそれを見ても、嬉しいとは言えなかった。悲しいわけでもない。あるのは、数字を一つ増やしたいという願望だけだ。

 

「ツカサ君……OKしてくれるかな?」

「お前、あいつを信じてねぇのか?」

 

 周りの乗客に聞こえないように、ウォーロックが小声で尋ねた。

 今日一日、スバルがツカサといたため、彼はずっと無言でいた。しゃべることができないというのは、案外ストレスが溜まるものである。本当は大声を出したりして気分をリフレッシュしたいところだろうが、もうちょっと待ってもらわなければならない。

 

「信じてるよ……ただ……」

「……不安か?」

「……うん……」

 

 ツカサの憩いの場所である花畑で、スバルはブラザーを申し込んだ。ツカサからは、了承の返事がもらえると期待していた。しかし、返ってきた答えは、予想を裏切ったものだった。

 

「明日には答えが来るんだろ? 気楽に待とうぜ?」

「……そうだね……」

 

 ツカサの答えは、『明日まで考えさせて欲しい』ということだった。

 残念ではあったが、怒りや不満という感情は湧いてこなかった。彼が抱えている闇はそれだけ深いものだからだ。

 それに、自分だって彼と同じだった。スバルが五年生に進級しても、登校拒否をし続けていた時と同じだ。ルナ、ゴン太、キザマロの三人は、何度もスバルの元を訪ねてくれた。スバルはその度に、登校を拒否し続けた。今は、学校に行くことは苦にはなっていないものの、当時のスバルにとってはあまりにも辛いことだった。

 ツカサも、誰かとブラザーを結ぶのが恐くて仕方ないのだ。だから、今のツカサには考える時間が必要だ。彼も、スバルとブラザーバンドを結びたいのだろうが、心の準備も必要なのである。

 ツカサなら、きっと自分とブラザーになってくれる。そう信じる以外に、スバルにできることは無い。これ以上考えるのは、止めておく事にした。

 

「それに、今晩はあれだもんな?」

「え、あ……ま、まあね?」

 

 分かり安すぎるほど頬を赤くしているスバルを見て、ウォーロックは呆れて笑った。

 

「お前のそういうところは、変わんねえよな?」

「ずっとガサツなロックには言われたくないよ」

「ガサツで結構だ」

 

 トランサーを掲げて会話をする二人。これなら、乗客たちからも、スバルが電話をしているようにしか見えない。そのまま、不信がられることも無く、コダマタウンまで会話を楽しんだ。

 結局、マナー違反であることには変わり無いのだが。

 

 

 ツカサは今直あの花畑にいた。草花のベッドの上に横たわり、訪れたチョウチョに愛でるような微笑を浮かべる。

 それを眺めながら思い出す。スバルが言ってくれた言葉をだ。

 

―僕は君の全てを受け入れるよ―

 

 文章としてみれば、単純で捻りの無い言葉だろう。その分真っ直ぐだ。それを真剣に言ってくれた彼の声が、焼きついたように耳に残っている。録音した音声を再生するように、何度も何度も聞こえてくる。その度に、ツカサの胸は軽くなっていく。

 

「スバル君……」

 

 広がる青空にオレンジ色が混じってくる。体を起こすと、海に溶けていく夕日が目に入った。スバルの心を景色に例えるなら、きっとこの美しい光景が当てはまるだろう。手元に寄ってきた花を受け止め、共にその世界を眺めた。

 

「君なら、僕達を受け入れてくれるかな?」

 

 頷くように揺れる可愛い花に、はにかむように笑った。

 

 

 家に帰ると、嫌な臭いが鼻についた。自分の服に、ゴミ焼却所の臭いが染み込んでしまっているのかと疑った。だが、それなら家に入った直後に臭うという現象の理由にならない。

 臭いの元凶はキッチンだった。見ると、あかねと別の女性がフライパンと格闘していた。もう一人の女性は完璧に着こなした紫色のスーツと、上からかけた白いエプロンを身に着けている。後姿しか見えないが、スバルには一目で分かった。彼女との面識は少ないが、こんなにスーツが似合う女性を、他に見たことが無いからだ。

 

「ただいま、かあさん。こんにちは、おばさん」

「おかえり~、スバル」

「こんにちは、スバル君」

 

 予想を通り、振り返った顔には眼鏡が乗っかっている。ルナの母親のユリコが丁寧に挨拶を返してくれた。

 

「何してるの?」

 

 あかねとユリコが友人だなんて、スバルは聞いたことが無い。二人が一緒に料理をしている様を、不思議そうに見ていた。

 

「ルナに御飯を作ってあげようと思っているのよ……ただ……」

 

 ユリコの切れ長の目は、いつも自信に満ちている。それが、仕事のできる女という、彼女のイメージと相成り、魅力的だった。しかし、今はその間逆の目をしている。彼女の視線の先をたどってみると、皿に盛り付けられたおかずっぽい奴らがいた。

 キッチンの上にある材料から予測すると、今日はハンバーグを作っていたらしい。一般家庭料理の代表ともいえる灰色のおかずだが、そこにあるのは真っ黒な塊だった。察したスバルは、深く尋ねないでおいた。

 あかねが料理上手であることを、ユリコは何かの伝で知ったのであろう。料理を教わっていたのだと理解した。

 

「委員長に、晩御飯を作ってあげるの?」

「ええ、できれば、朝御飯も。お昼御飯は……難しそうだから」

 

 ユリコの仕事は、イベントを代理企画するクリエイターだ。代理責任者として、イベント中に起きた事故やトラブルに対処しなければならない。そのため、来客が一番多くなる休日が一番忙しい。ルナにお昼御飯を作ってあげる暇は無いのである。

 平日はルナが学校で給食を食べるため、昼食を振舞うことはできない。だから、せめて朝と夜の御飯は手作り料理を振舞いたいらしい。

 だが、そんなユリコの熱い母親の愛情も、この腕前ならば迷惑行為になりかねない。食べられないことは無いのだろうが、この汚臭を放つハンバーグを進んで食べたいとは思えなかった。盛大に焦げた表面が不健康そうに黒光りしている。あの部分を食べたら病気になるかもしれない。そんな失礼すぎる感想は口に出さないようにと飲み込むが、目は正直に食べたく無いと訴えていた。

 

「あ、でも……ちょっとずつ上手くなってる?」

「ええ、大分上達したと思うわ」

 

 皿の上に重ねられたように載っているハンバーグっぽいものをよく観察してみる。最初のほうに作ったと思われる下層にある奴らは真っ黒だ。しかし、一番上に乗っているやつらは、焦げ目が大分少なくなっている。それでも、半分以上が消し炭のように黒くなってしまっているのが悲しい。

 あかねも自分の苦労を賞賛するように頷いている。よっぽど大変な目にあったのだろう。徹夜したわけでも無いのに、僅か数時間という作業で、目の周りが疲労で青くなっている。

 

「じゃあ、ユリコさん。次で最後にしましょうか?」

「ええ、お願いします」

 

 もうすっかり夕方になっている。ユリコも家に帰ってハンバーグの準備をしなければならない。

 邪魔にならぬようにと、部屋に戻ろうとするスバル。あかねは彼の背中を呼び止めた。

 

「スバル、この前話したけれど……」

「分かってるよ。今日の夜だよね?」

「ええ、手伝って頂戴ね?」

「うん」

「あの子も来るんでしょ~?」

「じゃあね!」

 

 あかねの最後の言葉はちょっとからかい気味だったため、すぐに二階へと避難した。階段を上がっているときだった。ユリコの悲鳴と、あかねの慌てたような声が聞こえてきた。

 

「あいつらが来るまでに、間に合うのか?」

「……心配だな……」

 

 今日訪れるお客さん達の顔を思い浮かべながら、スバルとウォーロックは心配そうにため息をついた。

 少なくとも、今晩ルナの口へと入るのは、黒いハンバーグもどきになりそうだ。ちょっとだけ同情し、あかねの手料理が食べられる自分の立場に、深く感謝した。

 

 

 暗闇は恐い。人の目が制限されるからだ。おまけに、出歩く人が少なくなる。犯罪をするにはうってつけの時間だ。

 昼間は人目につきやすい場所でも、この時間なら誰にも見られない。

 夜闇によって作られた町の死角で、男達のうめき声が上がる。

 

「くそ、餓鬼だと思ったのに……」

「ククク、油断したってか?」

 

 高校生ぐらいの不良の髪を掴み上げ、顎を蹴飛ばした。悪友二人の間に、人形のよう倒れて動かなくなる。

 左手からトランサーを外しとり、電子マネーデータを奪った。

 

「こいつはいらねぇ」

 

 用済みになったトランサーを、元の持ち主の顔に投げつけた。蚊のような声を上げ、再び意識を失った。

 彼らに背を向け、何事も無かったかのように歩き出す。軽い足取りからは、罪の意思など微塵も感じられない。

 

「ジェミニ」

「なんだ?」

 

 カツアゲした金の合計を計算しながら、ヒカルはトランサー内にいるFM星人に話しかける。

 

「この前の、最後の手段ってやつなんだけどよ、良い方法を思いついたぜ?」

「お、本当か!? それに関しては、お前のほうが詳しいからな、助かるぜ」

 

 安心したようにしているジェミニに笑い、ヒカルは自分の考えた案を説明した。話が終わったとき、ジェミニも沸々と笑い出した。

 

「ククク、素晴らしい案だ」

「だろ? これなら……」

 

 静かに鳴り響く悪魔を思わせる醜い笑い声が、闇に染まる夜に溶けて行った。

 

 

 あかねが作ったおいしそうな唐揚げが皿いっぱいに盛り付けられている。それを抱え、キッチンからテーブルの上へと移動させる。

 

「どうぞ」

「お、ありがとうスバル君」

「あ、ありがとう……」

 

 お礼を言ったのは、アマケンの所長である天地だ。彼の隣に座っている宇田海も、小声で礼を言って会釈した。以前の彼ならば、会釈はしても無言だったことだろう。彼が人との会話になれてきていることが伺えた。

 

「じゃあ、はじめましょうか?」

 

 エプロンを脱いだあかねが席に座り、缶ビールを開けた。

 

「じゃあ、四人のブラザーを祝して、乾杯!」

「乾杯!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 天地は嬉しそうにグラスに注がれたビールを掲げ、宇田海は遠慮がちに真似する。スバルはオレンジジュースが入ったコップを隣にいるミソラとぶつけ合わせた。

 そう、今日は金曜日。天地、宇田海、ミソラの三人がスバルの家に訪れる日だ。ちなみに、明日は土曜日なので、ミソラはこのままお泊りする予定だ。天地と宇田海もコダマタウンで仕事があるため、リビングで一泊していくことになっている。

 同じブラザーであるルナも呼ぼうかと考えたが、今日は止めておくことにした。平日の朝には必ず会っているし、ユリコの奮闘もあるからだ。ルナにとっても、両親と皿を囲む方が幸せだろう。

 パーティーが始まって早々、ミソラが目の前に広げられたご馳走を口に運ぶ。

 

「うわぁ! この卵焼き、おいしい!!」

 

 自分のものとは、遠くかけ離れた甘い黄金の塊。口の中で溶けるように甘い卵に、頬まで

溶けてしまいそうだ。

 

「あら、そんなにおいしい?」

「はい。私、料理が苦手だから……」

「なら、今度一緒に作る?」

 

 ユリコのみならず、ミソラの料理指南まで買って出るあかねの世話好きさに、ウォーロックは関心するように頷いた。

 

「すげえな、スバルのおふくろは」

「何偉そうにしてんのよ」

「ゲッ! なんでお前がスバルのトランサーにいるんだよ?」

「ゲッってなによ! 仕方ないじゃない。暇なのよ」

 

 いつの間にか隣にいるハープに、ウォーロックは内心驚きながら尋ねた。

 彼らがそんなことをしている間に、ミソラはあっという間にあかねと仲良くなっていた。

 

「いいんですか!?」

「ええ、手取り足取り教えてあげるわよ。スバルも嬉しいわよね?」

 

 意地悪そうに尋ねると、スバルが飲み込もうとしていた唐揚げを喉に詰まらせた。咳き込むスバルに、慌てて手短なコップを渡すミソラ。

 そんな微笑ましい様子に、大人三人は口元が緩んでしまう。お酒がおいしい。

 息を吹き返したスバルは、あかねの期待を裏切らずに動揺していた。

 

「なんで僕が関わって来るんだよ!」

「だって、ミソラちゃんはスバルの未来の奥さんでしょ? 奥さんが料理上手だったら、スバルも嬉しいじゃない?」

「お、スバル君はとうとう婚約者を手に入れたんですね?」

「そうなのよ、天地君! ミソラちゃんみたいな可愛くて素直な子が娘に来てくれたら、お母さん安心だわ~」

 

 天地まで乗っかって来たせいで、あかねのからかいに勢いが付いてしまった。お酒のせいで、ブレーキも緩い。

 今度はミソラも真っ赤だ。二人共、全身を赤くして縮こまってしまった。

 からかっていない宇田海も、あかねと天地を止めることも無く、同情を交えた笑みを向けてくれるだけだ。

 スバルとミソラと言う、最高の肴を前にしたあかねと天地は、お互いのグラスにお酒を注ぐ。このままでは、お酒を飲む勢いも、二人をからかう勢いも、益々増してしまう。

 気分を紛らわすため、フライドポテトを皿に取ってケチャップを絞った。ちょっと不機嫌だったためか、ミソラを近くに感じていたためか、力が入りすぎてしまう。絞りすぎ、必要以上に出てしまったのである。ポテトとケチャップの量が全くあっていない。

 

「あ……もったいない……」

「なら、半分こする?」

「そうだね、そうしようか?」

 

 ミソラと半分に分けて消費することにした。ケチャップの一塊にポテトを突っ込み、掬うようにして食べる。あかねはすかさず冷やかした。

 

「間接キスね?」

 

 二人が盛大に咳き込み、笑い声が部屋に充満した。そこには、ちゃんと宇田海のものも混じっていた。



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第百一話.天地のアルバム

2013/5/4 改稿


 テーブルの上が片付いてきたころ、天地が鞄からあるものを取り出した。取り出したのは一冊の本だ。ビニールに包まれていることから、彼がどれだけこの本を大切にしているのかが良くわかった。本は分厚く、スバルやミソラの小さい手では、掴むのが難しそうだ。

 あかねが布巾で拭いてくれたテーブルにそれを広げた。

 

「天地さん、これって……」

 

 本に書かれているタイトルと表紙の生地。そしてこの大きさ。スバルにはこれがなんなのか理解した。

 

「アルバムだよ。僕がNAXAにいたころのね」

 

 天地が持ってきたのは、彼が世界的大企業、NAXAに勤めていたころのアルバムだった。彼の思い出の写真が詰まったそれを覗き込む。

 

「ほら、スバル君。君のお父さんだよ」

「あ、本当だ」

「隣に写っているのが天地さんですか?」

 

 ミソラも興味津々と、身を乗り出して見入る。

 大吾と天地が肩を組み、カメラに向かってピースをしている写真だった。大吾のアルバムを見たことがあるため、スバルはその写真を見たことがあった。二人の仲がどれだけ良かったのかが、改めてよく分かる。

 写真の中には、大吾が写っているものの、大吾のアルバムには無かった写真が何枚も収められていた。このときは、一体何をしていたのかと尋ねるスバルに、天地は丁寧に教えてくれた。

 

「……宇田海さんは写ってないんですね?」

 

 蚊帳の外になっていたミソラは、同じく見ているだけだった宇田海に気を使って尋ねた。彼女の優しさと気配りのよさに感心し、宇田海は苦笑する。

 

「わ、私が入社した年に天地さんが辞めてしまったんです。私達は部署も違ったので、NAXAでは会ってすらいないんです。天地さんが元NAXA職員だって知ったのも、アマケンへの入社面接のときだったんです」

 

 まだ話し方がよそよそしいが、どもりが少なくなっている。宇田海も人との会話に慣れてきたということだろう。

 二人を他所に、スバルは天地の写真を覗き込む。何回かページを(めく)ったとき、一枚の写真に目が留まった。

 アルバムの一ページに我が物顔で居座っている大きな写真だった。大勢のスタッフ達が所狭しと写っている。

 

「あの、これ……」

「お、この写真に興味があるのかい? これはきずなプロジェクトの集合写真だよ。ここ……大吾先輩と一緒に僕の首を絞めているのが、大吾先輩と同じく乗組員だったスティーブさんだよ」

 

 白人男性と一緒に、天地に悪ふざけをしている大吾が写っている。スティーブのことが気になったのだと、天地は思ったのである。

 

「いや……この人は?」

 

 天地の予想は外れていた。スバルが指差したのは、集団の真ん中最前列で座っている老人だった。白い眉毛の下にある目は鋭く釣りあがり、顔と違ってシワ一つ無い作業着が似合っている。写真越しでも凛々しい人物であると言うことが見て取れた。

 

「あ、この人かい? この方は『うつかりシゲゾウ』チーフ。きずなプロジェクトの総責任者だった方だ。僕も大吾先輩も尊敬する、偉大な方さ」

 

 熱く語り始める天地。大吾を語るときと同じかそれ以上だ。それだけ心から尊敬している人らしい。

 

「責任感が強くて、紳士的な人でね。きずなの破片がニホン海に落ちてきたときも、それを見て、『すまない』って涙を流していたよ……その後、辞表を出したんだ」

「……そうですか」

 

 天地はしまったと頭を抱えた。話の流れが暗いほうに流れてしまった。不自然にならないように、話題を明るいほうへ変えようとする。

 

「そうそう、この人は凄いんだよ! 僕がNAXAを退社して独立するときも、今のアマケンの土地を譲ってくれたんだ。おまけにスポンサーにまでなってくれたんだ!」

「そ、そんなすごい方だったんですか?」

 

 宇田海の目が関心のあまりに丸くなった。その老人は自分が働いている職場の土地と、運営資金まで提供していくれているのだ。今の話で、彼の中では天地の次に感謝すべき存在になったらしい。

 直も首を傾げているスバルに、ミソラが身を乗り出して近づく。

 

「どうしたの? 首、痛くなっちゃうよ?」

「うん……このおじいさん……どこかで見たような……」

 

 その疑問に答えてくれたのは、洗い物を済ませて、テーブルへと戻ってきたあかねだった。

 

「スバルは赤ちゃんのときに会ってるわよ。大吾さんが『尊敬するシゲさんに、ぜひ抱いてもらって欲しい』って子供みたいに言うんですもの」

「でも、まだ小さいときでしょ?」

「お、幼いころの記憶って、意外と残っているものらしいですよ。深層心理に残っているって言えば分かりやすいでしょうか? そんな論文を読んだことがあります」

 

 宇田海が学者らしい補足を加えてくれた。それでも、スバルはまだ納得できない顔をしている。

 その間に、天地はアルバムを静かにしまった。このアルバムを見せたのは失敗だったかもしれない。これ以上、話が暗い方向に行かないように、丁寧にビニル袋をかけた。

 

 

 夜食を摘まんで、直も酒を飲んでいるあかねと天地。宇田海はお酒の量を誤ってしまったのだろう。もともと飲まないこともあり、テーブルで突っ伏している。

 スバルとミソラは大人達の邪魔にならないようにと、スバルの部屋で話をしていた。

 

「あ、私のCD! 買ってくれたの?」

「うん、ミソラちゃんの曲、すごく良いから」

「ほんと!? ありがと、スバル君!」

「ど、どういたしまして……」

 

 棚の中でも、わざとらしいほど目に付きやすい場所に置いてあるCDを手に取り、ミソラは笑いながらスバルに振り返った。

 スバルは平常心を装って話をしているが、内心気が気では無い。

 気になっている女の子を部屋に上げてしまっているのだから、当然だ。買っておいたCDは、スバルのご期待通り、ミソラの好感度を上げるのに一役買ってくれた。ここは、比較的安いお店を教えてくれたゴン太とキザマロに感謝しなければならない。

 スバルが落ち着かない理由はもう一つある。それはミソラがパジャマ姿でいることだ。今日はお泊りするため、スバルが入浴した後に、ミソラがお風呂を使ったのである。この後は、あかねと一緒に寝る予定だ。

 普段とは違う格好な上に、ミソラに似合っているピンク色の薄着だ。男というのは、女性と比べて、恋愛においては単純な生き物である。たったこれだけのことで、嬉しくなってしまうのだから。

 潤いたっぷりの、しっとりとした髪が揺れる度、シャンプーの甘い香りがいたずらっぽく鼻をくすぐってくる。そのたびに、心臓が形を変えそうなほど激しく動悸してしまう。今のスバルはいつ緊張で倒れてもおかしくない。

 

「ところで、さっき言ってたけれど……ツカサ君からの連絡はまだなの?」

「うん、まだみたいだね」

 

 お風呂が湧くまでの間に話した内容だ。以前、メールで話したツカサに、ブラザーを申し込んだことと、現在返事を保留されていることを伝えている。

 

「なれるといいね? ブラザー」

「うん……大丈夫だよ、きっと……ツカサ君なら……」

 

 ちょうどそのときだった。トランサーが着信を告げた。画面に書かれている名前を見て、スバルの目が全開になる。その雰囲気にミソラは口を結び、ハープは素早くテレビを消した。ドラマを見れなくなったウォーロックが騒いでいるが、マシンガンストリングで口を塞いでおく。準備万端だ。

 

「もしもし!」

 

 だが、それも必要なくなった。ウォーロックが自主的に黙ったからだ。トランサーから聞こえてきた声が、彼を静かにさせた。

 

「スバル君……僕だけれど……」

「……待っていたよ、ツカサ君……」

 

 心臓の鼓動が三倍に跳ね上がった。手を胸に当てていないのに、心音が聞こえてくる。画面のツカサは顔を下に向けているため、様子が伺えない。

 

「今日の返事なんだけれど……」

「……うん……」

 

 夕方に申し込んだブラザーのことだと、電話が来たときから予想は付いていた。それでも、話題が出てくれば、心音は意識とは無関係に早さを増す。今は五倍といったところだ。心臓周りの血管が細くなったように感じる。

 

「僕……色々と考えたんだ……答え、出たよ」

 

 一気に、十倍まで跳ね上がった。心臓が痛い。このまま破裂してしまいそうだ。

 

「君と……」

 

 OKと言って欲しい。『ブラザーになろう』という言葉。ただ、それだけを言って欲しい。スバルが望むのはそれだけだ。

 かろうじて見えるツカサの口元に目を凝らした。ツカサが顔を上げた。大きい琥珀色の目がこちらを捉えていた。

 

「僕は、君と……」

 

 聞くのが恐い。

 けれど聞きたい。

 だから逃げない。トランサーを閉じてしまいたくなる手を理性で押さえ、耳と目に神経を集める。緊張を含んだ生唾が喉を荒々しく通って行った。

 

「ブラザーになりたい!」

 

 胸が爆発したように、喜びが弾けた。恐いほど緊張していたスバルの顔に、嬉しさが充満する。ミソラとハープは手を合わせて喜び、ウォーロックも塞がれた口の中で笑みを浮かべた。

 

「やった! ありがとうツカサ君!」

「そんな……返事、待たしちゃってごめんね……じゃあ、明日、あの花畑に来てくれるかな?」

「うん、あそこがロマンチックで良いよね?」

 

 ツカサは、自分の憩いの場所でブラザーを結びたいらしい。スバルも大賛成だ。時間を決め、スバルはツカサと電話を切った。

 緊張や苦しみが全て抜け、顔が緩く綻ぶ。

 

「やったね! スバル君!」

「スバル君、おめでとう!」

 

 ミソラとハープがスバルに駆け寄ってくる。ハープが放った弦のせいで、手足だけでなく口の自由も拘束されているウォーロックは目だけで祝福を送った。

 

「うん……皆、ありがとう」

 

 ベッドから立ち上がったスバルは、鍵を弾く様に外して窓を押し退ける。ベランダに出ると、ちょっと肌寒く感じるのは風のせいだろう。この興奮を冷ましてくれるのでちょうどいい。浴びるように両手を広げた。

 

「よっぽど嬉しいんだね?」

「もちろん、すっごく嬉しいよ……」

 

 隣に寄ってきたミソラと一緒に笑顔になる。夜の闇の中で髪を揺らす彼女は、普段とは違った雰囲気を出していた。スバルの胸を、嬉しいに代わって緊張が支配した。

 

「それにしても、今回はえらく積極的だったな」

 

 この空気を感じられない異星人が水を挿してきた。弦から抜け出してきたばかりだと言うのに、直ぐに新しい弦でがんじがらめにされ、部屋の中へと引き摺られていった。うめき声を上げている彼が少々不憫である。

 

「そうだね、今回はちょっと違うよね?」

 

 ミソラにブラザーを申し込んだときは、恐くて怯えていた。

 ルナのときは、彼女の方から提案してきてくれた。

 今回はその二つとは大きく違う。躊躇うツカサに、スバルがブラザーを申し込んだのである。

 

「……ツカサ君となら、良いブラザーになれるって思ったから」

 

 学校で彼と過ごした時間を思い出しながら、スバルは思い出に笑みを浮かべる。

 

「よっぽど、気が合う友達なんだね?」

「そう……だね……もしかしたら、ミソラちゃんと委員長とブラザーになれたのが一番の理由かな? 父さんの言う通り、絆の力で僕も強くなれたのかも」

「ウフフ、私でも力になれた?」

「もちろんだよ!」

「良かった。明日、頑張ってね!?」

「うん!」

 

 異星人達に見守られる中で笑いあった二人は、夜空を見上げた。そこにあるのは、スバルが大好きな満天の星空ではなく、三日月が浮かんでいる。それでも、灯りの少ないコダマタウンの空にはたくさんの星が散りばめられていた。

 明日は最高の一日になる。

 悩みも苦しみも吸い込んでくれそうな美しい夜空を見上げると、そんな確信がどこかに生まれていた。



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第百二話.友の証

2013/5/4 改稿


 渦巻く闇。突きつけらた現実と、それを受け入れられない自分によって生み出された世界。上下も分からない空間で、すがる物も無く漂う自分。激痛が走る頭を抱え、ただ自問を続ける。胸の中では、今も黒い感情が蔓延(はびこ)っている。

 永久に続くような深い苦しみは、容赦なく少年の幼い心に重く圧し掛かる。絶えず続くその責め苦は、時間では解決できない。むしろ刻んだ時の数に応じて、重みは増してくる。

 痛い。狂ってしまいそうなくらいに。

 

 耐えられない。

 

 少年にはこの痛みと苦しみに耐えられない。

 

 涙を流しきった目が乾き、血管が浮き上がってくる。喉はとっくに潰れ、声すら出せない。顔を引っかくようにした爪には、涙のような赤い線が描かれる。顔を覆い隠すようにしていた、血塗られた両手で頭を抑えた。

 限界に達したのだ。彼の精神はこの世界に屈伏した。

 ふと割れそうだった痛みが消えた。気づけば、手と足が地面についている。あの真っ黒な世界はどこにも無い。

 状況が飲み込めぬまま、恐る恐ると立ちがろうとしたときだった。白い世界に足が見えた。自分の足ではない。自分の足はこんなに黒くない。見上げるように立ち上がった。

 

 

 翌日、リビングに下りると、そこに天地と宇田海の姿はすでに無かった。リビングで寝泊りした二人は、朝早くから仕事に向かったらしい。確か、今日はコダマタウンで仕事だと言っていた。

 一晩だけとはいえど、家の人口が増えた星河家。その中で、一番のお寝坊さんはスバルだった。

 ウォーロックにとっては驚くことでもなんでもない、当たり前な結果だった。そもそも、毎朝朝食を作っているあかねとミソラに、毎日遅刻ギリギリで起床するスバルが対抗するのは無理がある話だ。

 仕事の忙しさから不規則な生活を送っていた上に、引退してからは自分で朝食を作っているミソラは、あかねと一緒に早起きしている。昨日の夜の約束どおり、早速料理を教わったのだろう。天地と宇田海にも振舞った朝食をスバルの前に広げてくれた。

 

「お、おいしい!」

「ホントッ!?」

「うん! 母さんのとは、ちょっと味が違うけれど、すごくおいしいよ!」

「やった! スバル君のお母さん、ありがとうございます!」

 

 ミソラがあかねから教わって作った卵焼きを、スバルは美味しそうに口に放り込んだ。スバルの一言で、ミソラは朝から有頂天だ。

 好きな男の子に、心から美味しいと言ってもらえたのだ。デートしたときに振舞ったクッキーでは、味が微妙だったために、スバルに気を使わせてしまった。あの時には得られなかった喜びにふけっているミソラに、冷やかしが大好きなあかねは、もちろん意地悪をする。

 

「好きな人にご馳走できて、嬉しい!?」

「ひゃあ! そ、そそそそそんな……」

 

 ここで、『違う』なんて言ったら、あかねにもスバルにも失礼だ。エプロンを持ち上げて照れた顔を隠して誤魔化すしかない。

 スバルも顔が赤いが、ミソラの反応を見て、素直に可愛いと見とれてしまった。あかねの意地悪な視線に気づき、慌ててお味噌汁に口をつける。これもミソラが作ってくれたのだろう。ちょっとワカメの塩分が濃かったが、出汁の風味が生きていて美味しかった。

 

 

 お昼前のこの時間、スバルとミソラは公園内を歩いていた。ツカサと会う時間までは、まだ少々時間がある。コダマタウンの名物である深緑の香りに満たされた公園を案内しているところだ。

 「案内する」とスバルは胸を張っていたが、わざわざ紹介する場所なんてほとんど無い。そういう名目で二人が互いと一緒に居たいだけだ。

 スバルの目がチラチラと戸惑う。お目当てはミソラの白い手だ。ヤシブタウンで遊んだときは、流れに任せて手を繋いでいたものの、日を改めるとなかなかに難しい。

 手を繋いでも良いのか。繋いだら驚いて退かれないだろうか。それで嫌われてしまったら悔やもうにも悔やみきれない。昨日CDを見せて好感度を上げたばかりなのだから、下げたくない。しかし、せっかくのチャンスを無駄になんてしたくない。

 結局、今は無理そうだ。ミソラが腰あたりで手を組んでいる。ここで手を伸ばしたらエチケット違反だ。

 諦めようとしたとき、その手が横に伸ばされる。誘っているのだろうか? 多分、違う。ミソラの目は休日にのみ訪れる屋台の、タイヤキという文字に釘付けになっているからだ。朝ごはんを食べて間もないのに、もう間食したいらしい。

 チャンスだ。チャンスの中の大チャンスだ。手を繋いで少々嫌がられても、タイヤキを奢れば失態を取り戻せるはずだ。ヤシブタウンでミソラの甘党振りは散々見せられたのだから、これで取り返せると安い算段を立てる。

 迷う暇など無い、即座に行動に移した。ミソラの柔らかい手を握る。

 

「食べようか?」

「あ……うん」

 

 頷いてくれた彼女にほっと一息つく。嫌がるどころか握り返しくれた。身体の内から高鳴る脈にふんぞり返りながらスバルは手を引っ張る。歩調を合わせながら、ミソラは小さく呟いた。

 

「遅いよ……」

「ん? 何?」

「なんでもないよ、フフ」

 

 タイヤキ屋に向かって歩いている二人を見ている、二つの影があった。影達は互いに頷き合い、目を光らせると姿を消した。

 スバルとミソラがベンチに腰掛けてタイヤキを頬張っていたときだ。シャッターを開く音が静かに公園に響く。

 

「あの人が南国さん?」

「そうだよ。サーファーみたいでしょ?」

 

 BIGWAVEの店長である南国が、お店を開けたところだった。やはり大人気なのだろう、開店と同時に、数人の子供達が中へと入っていく。

 それを見て、スバルは思い出した。ウォーロックとの約束をだ。

 

「そうだ。ウォーロック、バトルカード!」

「ああ、また今度でいいぜ」

 

 面食らう回答だった。スバルが服を買いに行ったとき、ウォーロックはカードが欲しいと駄々をこねていた。次の機会に買うと約束して、彼には納得してもらったのだ。約束を果たすというのに、彼はそれを辞退したのだ。

 

「どうして?」

「それより、ツカサにプレゼントでも買ってやったらどうだ? ブラザーを結んだ記念にな? 俺達のバトルカードは、また今度でいいぜ」

 

 刑事ドラマのワンシーンから思いついた、彼なりの気遣いだったのだろう。しかし、それはスバルを固まらせる驚愕の異常現象に他ならない。トランサー内にいるウォーロックを見つめ、瞬きを繰り返すだけだ。

 ミソラのギターではスバル以上に驚いている者がいた。

 

「ポロロン……意外だわ……」

「おい、ハープ! どういう意味だ!?」

 

 ウォーロックがトランサーから飛び出すと、ハープも出てきた。水色の体を一層青くし、両手を口に当てて全身を小刻みに震わせている。

 

「そのままの意味よ。アナタが遠慮して、他人に譲るなんて……オックスが勉強熱心になるぐらい、ありえないわよ! 不気味よ! 気味が悪いわ!!」

「俺をあの牛と一緒にするな!!」

 

 どうやら、オックスはよく他人をからかう時の題材にされる人物らしい。喧嘩している二人を置いておき、ミソラもウォーロックの意見に賛成した。

 

「良い案じゃない? 友達の証って感じで!」

 

 スバルから貰ったハート型のペンダントをちらつかせるように見せてみる。彼女だって、このペンダントを貰ったときは嬉しかったし、こうやって今でもつけているのだ。

 

「うん……そうだね! バトルカードだったら、皆使うし。無駄にならないよね?」

 

 ちょっと考えたスバルは、残るタイヤキを全て口に放り込んだ。ミソラも最後の一口を食べ終え、スバルと一緒に立ち上がる。

 スバルが言っていたとおり、BIGWAVEの内装は南の島を思わせてくれる。中に入ると、草木特有の匂いと温もりが迎えてくれ、安らかな気持ちにさせてくれる。カードを買う予定がなくとも、この雰囲気に浸るために、ついつい足を運びたくなってしまいそうだ。店の端っこでは子供達が和気藹々とはしゃいでいる。

 

「やあ、スバル君! いらっしゃい的な!」

「こんにちは」

 

 ここも説明された通りだ。南国の変わった口癖に頬を緩めてしまった。ちょっと失礼だ。ふと気づくと、南国と目が合ってしまっていた。スバルの隣に立っているミソラをじっと観察している。直ぐに目を見開き、口を開く。漏れそうになる声を押し込むように、とっさに手で蓋をした。

 

「スバル君! もしかして的な……」

「あ……はい……」

「響ミソラです」

 

 周りに聞こえないように、ヒソヒソと会話をする三人。大人気アイドルのまま引退したミソラがここにいることが分かれば、間違いなく大騒ぎになる。南国の冷静な対応に感謝したいところだ。

 

「スバルく~ん、ミソラちゃんにサイン頼んで良いかな?」

「はい」

 

 取り入るような声で頼み込んでくる南国。困った顔をするスバルに代わり、ミソラは気軽に了承した。南国が店の奥から持ってきた色紙に、慣れた手つきでサインを施す。

 彼はミソラファンでは無く、ミソラの曲に少々好意を抱いている程度だ。ミソラのサインにはそこまで興味が無いはずである。それでも、わざわざ貰うのは、客寄せのために店内に飾るつもりだからだろう。額縁を持ってきていることが良い証拠だ。

 

「ところで、スバル君がこの前言ってた彼女って、響ミソラ的な!?」

 

 一瞬で、白かったミソラの全身が赤に染まった。スバルも同じようになりながら、動揺だらけの舌で、必死に否定の言葉を弾き出す。

 

「な、ななな、なにな、南国さん! な、な、何言ってるんです!?」

「やだなあ~。先週言ってたじゃない! 得意げ的に! 『ヤシブタウンでデートです!』って。ミソラちゃんとデートしてたんでしょ?」

 

 先週の行動をようやく後悔した。ヤシブタウンに行く途中のこの公園で、南国達と会ったときの自分を責めた。浮かれていたとは言えど、言わなくてもいい事を言ってしまった結果がこれだ。ミソラに知られたくない自分を暴露されてしまった。言い逃れなんて、できっこない。ここで全力で否定したら、ミソラに嫌われてしまうかもしれない。無言になるしかなかった。

 一方のミソラは内心パニックだ。デートのつもりでいたのは、自分だけだと思っていた。だが、スバルはミソラと会う前から『デートだ』と豪語していたのだ。それだけ、スバルは自分に気があるということなのだろうか? もしそうなら嬉しいが、確かめる勇気なんて、ミソラの乙女心では搾り出せない。

 嬉しさに恥ずかしさが加算され、ミソラの思考が機能しなくなっていく。少しでも脳の活動を冷静にしようと、胸元のペンダントを握り締める。だが、それはスバルから貰ったプレゼント。スバルを身近に感じるアイテムだ。余計に頭が熱っぽくなってしまった。

 

「まあまあ、せっかくだから品物見て行ってよ」

 

 からかいすぎたと感じた南国が話題をそらす。半分やけになった二人はショーケースの中身を覗きこむ。

 

「そうそう、スバル君。レアカード的なもの入荷したんだけれど、どうかな?」

 

 常連客であるスバルに、南国は一枚のカードを指差した。『在庫一点限り』と大きく書かれた紙が張ってある。一点しか無い上にレアカードなため、お値段もなかなかの物だ。

 

「これは……どんなカードなんですか?」

「よっくぞ聞いてくれたね! 全てを切り裂き、破壊する、最強の(つるぎ)さ!! その名も、ブレイクサーベル!!!」

「ブレイクサーベル……」

 

 ガラス戸越しにそのカードを覗き込み、観察してみる。なかなか威圧感のある絵がプリントされているカードだ。描かれている剣は、先端に向けて細く尖っていく円錐型。その周りを紫色の螺旋が囲んでおり、禍々しい印象を与えてくる。電波ウィルスも、この剣を受けたらひとたまりも無いだろう。

 

「サインのお礼に、ちょっとお安くしとくよん?」

 

 値段とトランサーに映っている電子マネーの残高を見比べる。そのとき、ウォーロックと目が合った。戦闘が大好きな彼なら、こんな風に提案してくるだろう。

 

『このカードは俺達のために買っといて、ツカサには別のカードをプレゼントしようぜ』

 

 そんなスバルの予想をウォーロックは覆した。スバルの気持ちを察してくれたのだろう。親指を立ててくれている。頷き、トランサーを閉じる。

 

「ブレイクサーベルをください」

「まいどあり~!」

 

 綺麗な包装紙に包んでもらい、二人はお店を後にした。

 

 

 バス停前まで来ると、元気の塊のようだったミソラの表情は、寂しそうなものに変わっていた。

 

「お昼過ぎには戻ってくるから」

「寄り道しちゃ嫌だよ?」

「分かってるって」

 

 今から、スバルはツカサと会うためにドリームアイランドに行くのである。その間、ミソラはコダマタウンでお留守番だ。

 ツカサという少年には会ってみたい。しかし、ミソラが一緒にいると、二人にとって邪魔になってしまう。残念だが、一緒に行くことはできない。

 だが、ツカサもミソラの曲を気に入っている。ミソラに会えるとなると彼も喜んでくれるはずだ。

 そう考えたスバルは、二人を会わせることに決めた。ツカサとブラザーバンドを結んだ後に、彼をコダマタウンまで連れて来る予定だ。

 二人がこれからの予定の確認をし終えたところで、ちょうどバスが来た。

 

「じゃあね?」

「うん、後でね?」

 

 スバルが乗り込むと、バスは直ぐにドアを閉めて発車する。地平線の向こうに消えていくと、ミソラは振っていた手を寂しげに下ろした。

 

「……暇になっちゃったわね? ミソラ」

「うん。スバル君のお母さんに頼んで、また料理教えてもらおうかな?」

「あー!! 本当にいたチョキ!!」

 

 男の子の大きい声が聞こえた。変わった語尾をつける子だと振り返ると、目玉が落ちそうなほど目を開き、ミソラを指差して固まっている少年がいた。口を大きく開きすぎ、顎が外れてしまっている。

 その隣には蟹のような奴と人間の幽霊が漂っている。王冠をかぶった雲みたいな奴が自慢げにふんぞり返っていた。

 

「言うた通りであろう! ミソラちゃんがコダマタウンに来ておるとな!」

「さっき、公園で見かけたんじゃよ!」

「うん! クローヌじいちゃん、クラウンじいちゃん、ありがとうチョキ!」

「ありがとうプク!」

 

 どうやら、公園でミソラを見かけたクローヌとクラウンが、同じミソラファンである千代吉とキャンサーに教えてあげたらしい。

 彼らがいつ仲良くなったのかは定かではないが、九歳の男の子は幽霊とFM星人と熱いハグを交わしている。

 暇だったこともあり、ミソラは彼らと時間を潰すことにした。



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第百三話.花畑で

2013/5/4 改稿


 風が舞い、草花の波が起きる。どこにでもある自然現象も、この大海と優しい色合いを出している花々達ならば幻想的な絵になる。約束の時間よりも、少し早く着いたスバルはそれを見て、高鳴る気分を紛らわしていた。

 

「緊張してねえか?」

「してないと思う?」

「いや、全然」

 

 さっきからソワソワとしているのだから、誰だってそう思う。まるで、恋人を待つ思春期の少年のようだ。もちろん、これから訪れるのは同性の少年なのだが。

 

「ところで、本当に良いのか? ミソラとツカサを会わせちまって」

 

 ツカサには嘘をついてしまっている。自分には彼女がいるということだ。本当は、ただのブラザーだ。

 

「うん……ツカサ君には正直に話すよ」

「怒るんじゃねえか?」

「ツカサ君なら分かってくれると思うんだ」

「そうか……おっと!」

 

 ウォーロックがトランサーに素早く引っ込んだ。スバルもビジライザーを外して足音に振り返る。緑色の髪の持ち主が階段を上りきるところだった。

 

「もう来てくれていたの? 遅くなってごめんね」

「謝る事なんて無いよ。僕が勝手に早く来ただけだから」

「ははは、そうかな?」

 

 ちょっとぎこちない笑い方だった。ツカサは緊張しているのだと分かった。自分も同じ気持ちだからだ。ちゃんと彼に笑みを送れているのか不安だ。

 

「……なんだか緊張するね……?」

「うん……スバル君も緊張しているんだね?」

「言い出したのは僕なのにね?」

「ふふ……良かった。ちょっと、ほっとしたよ」

 

 お互いに緊張していることを知り、二人は自然と笑ってしまった。

 スバルは確信した。こんな些細なことでも考えたり、思うことが似ている。気が合うというのはこういうことであり、ツカサは自分にとって親友と呼べる人間なのだと。

 ブラザーを結びたい。

 二人の中で、その気持ちがより一層大きくなった。

 

「じゃあ……早速結ぼうか?」

「うん……」

 

 ゆっくりとトランサーが付いた左手を持ち上げた。折りたたまれている画面を開き、ディスプレイに光が灯る。右手でボタンを押し、目的のページを開いた。幾つも表示される項目の中から、ブラザーを結ぶ四角いパネルを選択する。

 顔を上げると、ツカサはまだ操作している様子だった。慣れない手つきで携帯端末を操作している。顰めていた眉が下がった。目的の項目を選べたらしい。安堵の表情から、そう察した。その顔が大きく歪む。ツカサは頭を抱え、花畑へと膝から崩れ落ちた。

 

「ツカサ君!?」

「ぐっ! がぁ! あ、あ……なんで、こんな時に……」

 

 呻き声を上げ、手元に咲いている赤い花を雑草と共に右手で掴んだ。左手で頭を抱え、苦しそうにもがいている。

 

「どうしたの!? ツカサ君、しっかりして!」

 

 ツカサの急変に、スバルはただ動揺するしかない。

 助けを呼びに行くのがいいのか、側にいてあげるべきなのか。助けを呼ぶとするならば、今日も公園で掃除をしていた、オオゾノお爺ちゃんを探すべきなのか。それとも、救急車を呼ぶべきなのか。それならば、ツカサの隣にいてあげることもできる。だが、それほどの大事なのだろうか。ツカサの苦しみようは尋常ではない。だが、頭痛という理由で救急車は来てくれるだろうか。

 スバルの思考がこんがらがりかけたとき、それはツカサの一言で止まった。

 

「もう大丈夫だよ」

 

 落ち着いた声だった。さっきまでの呻き声は幻聴だったのか疑うほどに。そして、冷たかった。

 左手を頭から話して地面に置き、右手で掴んでいた可憐な赤い花を握りつぶした。足元の花たちを踏み潰し、ゆらりと音も無く立ち上がる。

 

「さあ、スバル君、ブラザーバンドを結ぼうか?」

 

 草花を蹴飛ばすように一歩近づいてきたツカサ。スバルの足が一歩後ろに引く。ツカサの目を見たからだ。

 琥珀色だった綺麗な瞳は、瞳孔が大きく開いていた。中央に見える点は闇が固まったかのようにどす黒い。

 

「どうして逃げるのさ?」

 

 まっすぐに指し伸ばされたツカサの白い手を、スバルの直感は素直に恐いと告げた。逃げるように数歩後ろに飛ぶ。風に靡く前髪から見え隠れするツカサの目は、相変わらず不気味にスバルを見つめていた。

 

「……君……誰?」

 

 ツカサだ。分かっている。

 

「ツカサだよ。君がブラザーを結びたいって言っていた双葉ツカサだよ。何言ってるのさ? おかしなこと訊くんだね?」

 

 当然の答えが返ってきた。

 おかしい。そんなことは分かっている。スバルの疑問はおかしい。目の前にいるのはツカサだ。さっきまで、普通に話をしていた双葉ツカサだ。そんなことは当然だ。分かっている。

 だが、そのツカサがおかしい。まるで別人だ。顔も体格も、学校で笑いあったときのツカサのものだ。声は少々低くなったようにも感じる。だが、愛する草花をゴミのように扱うのはツカサではない。断じて、スバルの知っている双葉ツカサではない。

 

「スバル! 逃げろ!」

 

 左手をスバルの意思とは関係なく持ち上げ、耳元まで持ってくるウォーロック。ツカサに聞こえないように、スバルに逃げるように促す彼に、スバルも小声で対応する。

 

「ロック、どういうこと? これって……」

「あいつの周波数が少しだが変わった。こいつは……」

 

 少々もったいぶったが、これは言わなければならない。包み隠さずに、自分が感じている周波数について説明した。

 

「……FM星人共が好む周波数だ」

「FM星人だって!?」

 

 小声に押さえられなかった。海と風が奏でる静かな合唱を吹き飛ばし、無音の世界を作り出すには十分すぎる大声と言葉だった。

 電流が走るような雰囲気を感じ、スバルは目の前にいるツカサに目を移した。瞳孔が開いた瞳と真一文字に結ばれた唇。無音の中で佇み、スバルを見つめるツカサは指一通動かそうとしない。閉ざされていた口が、ツカサではありえない舌打ちをうった。

 

「ちっ、ばれちまったか……」

「……え?」

 

 ツカサの声だ。だが、いつもの彼のものより、数段低かった。

 

「作戦失敗かよ……ったく」

 

 ツカサとは無縁の乱暴な言葉を、平然と吐いている現実を受け入れられなかった。スバルの全身の血管が収縮し、体が冷たくなってくる。

 

「君……誰なの?」

 

 目の前のツカサを、もうツカサとは思えなかった。ツカサの皮を被った別の人間にしか見えない。

 

「俺が誰だって? まだ分かんねえのか? いや、考えれていねぇだけか?」

 

 目の前の非現実的な光景を前に、ただ呆然と立ち尽くしているスバル。あざ笑うツカサの顔は酷く醜かった。

 

「こいつで分かるだろ? 出て来いよ……」

 

 一呼吸置き、不気味な笑みと共に大きく叫んだ。

 

「ジェミニ!」

 

 白い光が飛び出した。ツカサの緑色のトランサーからだ。それは直線から点に変わり、球へと膨れ上がる。球体の上は丸みを帯び、下は鋭利に尖る。雷が走る体の中から浮かび上がってくる、黒い仮面が一つ。

 その姿を見間違えるわけが無い。

 

「どういう……ことだ……?」

 

 もう、隠れる必要も無くなった。ウォーロックはトランサーから這い出てくる。驚きのあまりに、その動きがおぼつかない。

 ジェミニと電波変換している相手はヒカルのはずだ。そのジェミニがなぜかツカサと共にいるのだ。ウォーロックには疑問でしかなかった。

 

「ブラザーを結んだら、アンドロメダの鍵のありかの手がかりでもつかめると思ったんだがな。ばれちまったらしょうがねえ」

「力ずくで聞き出すしかねえな」

 

 FM星王の右腕たるジェミニと親しく話しているツカサ。明らかに、敵と分かるその行動を前に、信じられない瞳をするスバル。

 

「嘘だ……なんで、なんで、ツカサ君が……ツカサ君がヒカル?」

「嘘じゃねえよ。これが現実だ! さぁ、アンドロメダの鍵を……」

 

 ツカサの言葉が途切れた。彼は再び大きく顔を歪ませ、頭を抑えたのである。

 

「……くっそ……邪魔を……」

 

 彼の奇行に状況が飲み込めない。スバルとウォーロックは様子見に徹していた。対し、ジェミニはいらつきから体の電気を跳ね飛ばしている。

 

「ち、またかよ……」

 

 その言葉の意味を探る間もなく、ツカサは悲鳴のような声をあげ、頭を右に左にと大きく振っている。

 顔を押さえていた両手が外れ、ツカサの目があらわになり、スバルの目と合った。そこには、琥珀色の目が浮かんでいた。

 

「スバル君、逃げて!」

「……え?」

 

 ツカサだ。ツカサの声だ。いつも聞いていた、スバルがブラザーになりたいと思った双葉ツカサがそこに居た。

 

「ツカサ……君?」

 

 今も頭を押さえ、荒い呼吸をしているツカサの目をよく見てみた。瞳孔は閉じており、人を魅了する綺麗なものに戻っている。そこには、スバルに対する謝罪の念が見えた。

 

「ごめん……こんな奴が、僕に……とりついているなんて……知、ら無かった……僕が押さえる、か、ら……早く! ぐぅ!!」

 

 動けぬほど苦しんでいるツカサは再び横たえて、のたうち回る。

 

「邪魔するな……引っ込んでろ!」

 

 ツカサの声であり、ツカサで無い声が乱暴な言葉を吐いた。直後に、ツカサの声が上がる。

 

「嫌だ……スバル君は傷つけさせないよ……ヒカル!」

 

 

 まるで、世界そのものだった。目の前の少年は、消えた世界が凝縮されたような色をしている。全てが黒で出来上がっているため、どんな顔をしているのか、どんな表情をしているのか分からない。だが、白い歯は笑っているように見えた。

 自分と同じぐらいの背丈の少年に、彼は尋ねた。

 

「君……誰?」

 

 むき出していた歯が持ち上がり、目の前の者は残忍な笑みを浮かべた。

 

「俺は、お前だよ」

 

 それは、少年の最後の防衛本能だったのかもしれない。

 

 

 

「ヒカル……って……」

 

 ツカサははっきりといった。『ヒカル』と。

 自分と言い争いをしながら、未だに草花を散らかしているツカサを、追いつかない思考をめぐらせながら見つめることしかできなかった。

 

「まだ分からねえのか?」

 

 察しの悪いスバルとウォーロックに呆れた様に、ジェミニは残酷な真実を告げた。

 

「こいつはな、二重人格なんだよ」



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第百四話.ツカサの答え

 通り過ぎて欲しかった。吹いてくる微風など、誰も気に留めないように。気づかないということは、その場に無いことと同等なのだから。

 だが、ジェミニの放った言葉は、スバルの頭に食いついて離れようとしない。

 

「……二重人格……」

「そうだ。こいつは人格を二つ持っている。ツカサの中にもう一人、ヒカルという人格がある」

 

 ツカサは両親に捨てられ、辛い思いをしてきた。両親への憎しみと、両親がいる暮らしへの憧れ。それらは時間と共に大きく膨らみ、そのままもう一人のツカサとなって、彼の中に宿ったのである。

 それが、彼のもう一人の人格、ヒカルだ。

 

「なんで、あの時ツカサ君は……ジェミニと戦ったとき、ツカサ君は倒れていたじゃないか!?」

 

 違うと思いたい。大好きなツカサが、宿敵であるヒカルと同一人物であるなどと思いたくなんてない。だから、スバルはまとまらない頭で必死に否定する。

 彼が思い出していたのは放送室の電脳内で戦ったときのことだ。ジェミニとヒカルの後ろのディスプレイでは、確かにツカサがうつ伏せで倒れていた。ツカサとヒカルが同時刻に別々の場所にいたのだから、彼らが同一人物である訳が無い。

 

「録画と再生も知らないのか?」

 

 スバルの僅かな願望をジェミニは踏みにじる。

 

「フン、間抜けな面だな……」

 

 地面を掴み、顔を苦渋で歪めながらも、ツカサは笑っていた。いや、笑っているのはヒカルだろう。隣では、ジェミニが黒い仮面の下であざ笑っていた。

 ヒカルの娯楽だ。騙され、裏切られたときのスバルが見たいがための愉快犯だ。

 魂を抜き取られたように突っ立っているスバルに、ジェミニは追い討ちをかけた。

 

「ショックか? ブラザーを結ぼうとした相手が、こんな出来損ないだと分かってよ」

 

 

 白と黒が入り乱れる世界。ツカサとヒカルの精神を司る場所。白と黒は線となり、別々の生き物のようにうねっている。それらを背景に、ツカサとヒカルは向き合っていた。

 最後の計画だ。ヒカルが用意したもう一つの計画。

 スバルとブラザーを結んで、アンドロメダの鍵の情報を手に入れることができるか試す。これは簡単だが不確実な方法だった。ブラザーを結ぶことはできても、情報が必ず手に入るとは限らないからだ。

 だからもう一つ、最後に作戦を用意しておいた。本当はツカサとヒカルが同一人物であるとスバルに告げてから、数日かけてツカサを説得するつもりだった。だが、予想以上のツカサの抵抗で、この場から逃げるに逃げれなくなってしまった。ならばもうこの場で説得するしかない。

 これが失敗すれば、自分達にはもう勝ち目が無い。大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 目の前にいるのは自分を生み出した男。もう一人の自分。この方法なら、きっと説得できる。

 

「ヒカル……お願いだから、スバル君を傷つけないでくれ」

「無理な話だな。あいつを倒さなきゃ、俺達の目的は達成できないんだ」

「僕と……君の?」

 

 ツカサにはスバルを傷つけなくてはならない理由が無い。だが、ヒカルの言う『目的』には思い当たるものがあった。

 

「ああ、俺達の両親への……」

「復讐……」

 

 ヒカルの確認をとるような言葉に、ツカサも言葉を繋げた。だが、あまり必要なかったかもしれない。この感情は一つの人格が二つに分かれても、ずっと消えずに残っているのだから。

 

「そうだ! それをするためには、あいつらが持っている『アンドロメダのカギ』が必要なんだ」

「……カギ?」

「ああ……」

 

 ここで、初めてヒカルはアンドロメダのカギについてツカサに説明した。

 ジェミニはFM星という星から来た異星人であること。FM星はかつてAM星という星を潰していること。アンドロメダという最終兵器の前に、AM星からは全ての命が消えたこと。それを動かすためのカギを、スバルと共にいるFM星人のウォーロックが持っていること。全てを手短にツカサに話した。

 

「カギを奪って、アンドロメダで地球を壊す。そうすりゃあ、俺達の両親も……」

「止めてよ! そんなことしたら、スバル君や皆が……」

 

 ツカサの胸倉が引っ張られた。見ると、凄まじい形相をしたヒカルの顔があった。

 

「綺麗ごと言ってる場合か? 思い出せよ! 幼い時に誓ったはずだ!? 必ず俺達の両親に復讐をするってな!」

 

 ツカサは気づいた。自分を掴んでいるヒカルの手が震えていることにだ。自分達を捨てた両親への怒りが、押さえられずに滲み出ていた。

 

「顔も名前も知らない相手に復讐するのなら、皆まとめてぶっ壊すしかないんだよ!」

「だからって……スバル君を傷つけるなんて……」

 

 両親への怒りと憎しみを忘れたことなんていない。だから、ツカサの中でヒカルが生まれたのだ。

 両親への復讐。それはヒカルだけでなく、ツカサにとっても必ず叶えたい願いだった。

 そんなツカサの心を癒してくれたのがスバルだった。ツカサは、スバルからたくさんの幸せを貰った。彼と一緒にいたいという気持ちは、自分でも驚くほど、あっという間に大きくなったのだ。

 渋っていたツカサはふと目を留めた。いつも暴力に満ちたヒカルの目が悲しく細められている事に気づいた。こんな彼の目は見たことが無い。

 

「ツカサ……俺達を理解できるのは、俺達だけだぜ? 俺達に、居場所なんて無いんだ……」

 

 二重人格。一つの体に、二つの人格を要する。通常の人ではありえないことだ。特異なツカサとヒカルを理解できる人間なんていない。齢十の年でそれを理解した二人は、誰にも悟られぬようにひっそりと生きて来た。

 奇異の目で見られることを恐れ、ツカサはヒカルの存在を隠してきた。学校の先生や生徒ははもちろんのこと、毎日寝食を共にしている孤児院の者達にも、打ち明けたことは無い。

 ヒカルもそれを分かっているから、人目につかないときしか表に出てこない。

 自分を隠して、孤独に生きてきツカサの前に現れたのがスバルだった。スバルの優しさに触れて思ったのだ。スバルにならば、自分を打ち明けても大丈夫だと。

 

「違うよ。スバル君なら……きっと僕を受け入れてくれる。君だって受け入れてくれるはずさ! 僕は、彼のことが好きになってしまったんだ! 僕は、スバル君とブラザーになりたいんだ!」

「なら、見てみろよ?」

 

 

 ヒカルが少々開放してくれた体の主導権。あまり自由に動かない体で、スバルを見上げた。途端に手足の力が抜け、歯を食いしばった。

 スバルの表情には困惑の色が生まれていた。その目は、自分を特別な目で見るものだった。

 

 

「分かったか? 所詮、こいつも他の奴らと同じだ!」

 

 ヒカルがツカサの両肩に手を置く。

 

「俺達を理解できるのは、俺達だけだぜ?」

 

 スバルの目を見て、悲しみにくれているツカサ。もう一押しだと、ヒカルは彼の手をとる。

 

「ツカサ……思い出せよ! 俺達の誓いを! お前を捨てた両親を! 俺が生まれる原因になった両親への憎しみを!!」

 

 ツカサにまくし立てるように怒鳴るヒカル。その声は、どこか悲痛なものだった。

 

「ツカサ……俺達の両親に復讐するチャンスは……多分これが最後だ。これを逃したら、他に方法なんて無い! やるんだ……復讐を!!」

 

 最後まで言い切ったヒカルは、肩を激しく上下させ、俯いているツカサの様子を伺った。

 だらりと下がっていたツカサの右手が持ち上がる。自分の肩を掴んでいるヒカルの手に、自分の手を置いた。

 

「ツカサ……」

 

 不安げに、ツカサの返事を待つヒカル。ツカサの面が上がった。その目を見て、ヒカルに笑みが浮かぶ。

 背景の白と黒の線は混じり合い、渦となって広がっていった。

 

 条件が整った。

 

 

 騒ぎが収まった。その分、変わらずに囁いていた風が賑やかに聞こえてくる。

 

「……ツカサ……君?」

 

 ウォーロックがジェミニを警戒し、二人の視線がぶつかり合う。その中で、スバルはピクリとも動かなくなったツカサを心配そうに見ていた。さっきまで、狂ったようにもがいていたことが嘘のように、指先一つ動かない。ツカサの体は物のように転がっている。

 二重人格というものが、どういうものかは分からない。ただ、ツカサとヒカルが体の奪い合いをしているということだけはおおよその見当がついていた。ツカサはヒカルを封じ込めたのか。それとも、今の人格はヒカルのほうなのか。不安と心配の視線を向けていた。

 ツカサの手が前触れも無く動いた。地面を押し、体を立たせる。

 

「……ツカサ君! 大丈夫なの!?」

 

 無言で立ち上がり、体に付いた草花や土を払う。その様は、スバルの臆病な心を恐がらせるには十分だった。

 

「ねえ……?」

 

 スバルの言葉に何も答えないツカサ。

 ウォーロックは最悪を想定し、ジェミニはほくそ笑んでいた。

 ツカサはスバルの顔を見ようともしない。彼の左手がゆっくりと空に向かって持ち上がる。

 それが意味することを、スバルは嫌なほどよく分かっている。スバルの表情が青ざめていく様を見て、満足そうに笑いながら、ジェミニはツカサのトランサーへと飛び込んだ。

 

「止めてっ! ツカサ君!!」

 

 スバルの悲鳴に近い言葉。その中で、ツカサの口が無情に開かれる。

 

「電波変換 双葉ツカサ 双葉ヒカル オン・エア!」

 

 トランサーから白と黒の光があふれ出し、鮮やかだった花畑を単純な色彩で塗りつぶす。スバルを遮るように放たれた二色の光の向こうで、ツカサの声が聞こえた気がした。

 

「ごめんよ……スバル君……」

 

 スバルの視界を塞ぐ光が徐々に小さくなっていく。収束していく白と黒の光。それは一箇所に留まらず、二つの場所に集まっていく。それぞれの光が同時に弾け飛んだ。

 

「……なん、だと……」

 

 目を凝らしたのはウォーロックだ。ツカサとヒカルが、ジェミニと電波変換した姿は異形なものだった。

 ヒカルは以前のとおり、全身が真っ黒だ。頭につけたヘルメットには一本の角、オレンジ色の髪が豊富にはみ出している。右手には黄色い装甲が取り付けられ、左手と比べると太くなっている。

 その隣にもう一人いる。見た目はヒカルと同じだ。違う点は右手ではなく、左手に装甲が付いていることと、体が真っ白なことだ。

 黒いほうがヒカルであることは、すでに分かっている。なら、白いほうは誰なのか。考えるまでも無かった。

 二人の頭上に影が浮かび上がる。ジェミニだ。

 

「これで……これでやっと! ……ふ、フハハハハハハ!!」

 

 ジェミニの中央にあった黒い仮面が左にずれる。そのぶん右側は広くなる。そのスペースを埋めるように、ジェミニの体から物体が浮き上がってくる。それは白い仮面。黒い仮面と同じ形をした、色違いのものだ。一つの体と二つの顔。ジェミニが真の姿をあらわにしたのである。

 

「これが……お前らの……?」

「そうだ! ジェミニ・スパーク。これが俺達の本当の名だ!!」

 

 ウォーロックとスバルを見下し、ジェミニは愉快げに笑っていた。

 

「今度こそ渡してもらうぞ、アンドロメダのカギをな!!」



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第百五話.一対二

2013/5/4 改稿


 空は澄み切ったように青く、柔らかく浮かんでいる雲が可愛らしい。その光景をぶち壊すような黒い線がキャンサーにかかる。

 

「そ、そんな……ミソラっちがあのハープなんかと一緒にいるなんて……プク」

「ちょっと、それどういう意味よ!」

 

 怒ってキャンサーに詰め寄っているハープをミソラは止めない。大切な家族を侮辱されて、ミソラも同じように不機嫌だからだ。

 

「クローヌお爺ちゃん。紛らわしい物を作らないで欲しいチョキよ」

「カカカ。知ったことではないわ!」

 

 キャンサーは先ほどミソラとハープ・ノートが同一人物であることを知った。敵対視していたハープ・ノートが憧れのミソラだった事実に落ち込んでいるのである。

 隣では、紛らわしいファンクラブを作ったクローヌとクラウンに、千代吉が抗議している。

 今、六人は公園で立ち話をしているところだ。回りには人がいるため、人目につかない物陰を選んでおいた。そのため、幽霊のクローヌと、FM星人のハープ達は回りを警戒する必要も少なく、会話に集中できている。

 キャンサーには不満があるものの、楽しい談笑をしている中で、ふとミソラは胸元にあるペンダントが気になった。突然胸が騒がしくなり、首にかけてあるハート型のペンダントを握り締めた。

 

「……スバル君?」

 

 胸中に生まれた嫌な予感を探ってみる。

 スバルはツカサとブラザーを結びに行っただけだ。スバルに危険が及ぶ理由が思い当たらない。気のせいと決め付け、五人との会話に戻る。

 だが、胸に生まれた不安は、どうしても消えなかった。

 

 

 快晴とそれを反射する海。春の暖かい風に靡く草花。見る人皆を癒してくれる景色の中、ウォーロックは眼前の光景を睨み見つけていた。隣にいるスバルに気の効いた言葉をかけたいが、今は無駄だ。唇を震わせ、三人の敵を見ていた。

 対峙する相手は白い電波人間と黒い電波人間、そして二人の間にいる一人のFM星人。

 

「改めて……俺の名は、ジェミニ・スパークB(ブラック)

「僕が……ジェミニ・スパークW(ホワイト)だよ。スバル君」

 

 二人の言葉は確かに、はつらつと発せられているはずなのに、スバルには聞こえていない様子だった。花が風に舞い、目の前を通り過ぎても、瞬き一つ起こさない。

 

「なんで……なんでツカサ君がこんなことを……」

 

 ツカサは友達だ。自分にあんな笑みを向けてくれたツカサが敵になるなんて、ありえない。

 

「ツカサ君……なんで……」

「さあ、アンドロメダの鍵を渡せ」

 

 スバルの言葉を横にのけ、ジェミニは己の主から与えられた使命を要求する。

 

「まあ、力ずくでも奪っていくけどな」

 

 ジェミニ・スパークBが前に出る。花を踏み潰す音にスバルの目が動いた。それを、ウォーロックは見逃さない。

 

「電波変換だ!」

「――っ!!」

 

 言葉が投げかけられた次の瞬間には、左手を頭上に突き上げ、言葉をつむいでいた。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!」

 

 スバルとウォーロックが青い光へと変わり、二つの球になって交わりあう。一つの塊になった二人に、ジェミニ・スパークBはエレキソードで斬りつけた。避けた青い塊は空に飛び出し、ウェーブロードに降り立った。

 

「撃て! スバル!」

 

 光が弾け、中から現れたロックマン。ウォーロックの言葉通り、ジェミニ・スパークBにバスターを浴びせる。

 

「違う! こっちだ!!」

 

 左手にいるウォーロックが腕だけを横に向けた。そちらを見ると、放たれた光の弾丸を、白い電波人間がエレキソードで打ち落としているところだった。ジェミニ・スパークBが右手に剣を生成するのに対し、こちらは左手に剣を生み出している。

 

「バトルカード タイボクザン!」

 

 緑の剣が黄の剣を迎え撃つ。触れ合うと、剣が自分側に斜めに揺らいだ。

 

「え!?」

 

 数日前にヒカルと戦ったときは、こっちが押してやったのだ。今はロックマンが押されている状態だ。

 

「これが本当の力だ!」

 

 ジェミニ・スパークWの隣に出てきたジェミニが平然と語る。この結果は至極当然のことだというように。

 エレキソードに押し切られまいと踏ん張っている間に、ジェミニ・スパークBもウェーブロードにあがってきていた。右手にエレキソードを展開している。

 挟み撃ちにされると、こちらが圧倒的に不利だ。ジェミニ・スパークWの剣の圧力が更に強くなった。エレキソードを、タイボクザンの上で滑らせるように流す。身体が泳ぎきったジェミニ・スパークWに体当たりするように突き飛ばし、距離をとる。その間も、ジェミニ・スパークBがロックマンの背中を切りつけようと、獣のように迫ってくる。

 

「バトルカード モジャランス!」

 

 カードをウォーロックに渡し、二つのカードを読み込ませる。その僅かな隙に、突き飛ばされたジェミニ・スパークWは立ち上がった。二人は同じスピードでロックマンに迫り、剣を同時に振り下ろす。

 ロックマンの両手に一本の竹槍が召還される。モジャランスは、エレキソードと比較すると二倍から三倍程の長さがある。それの中心を持ち、もう一つのカードを使った。

 

「タイフーンダンス!」

 

 その場でコマのように回り、モジャランスの切っ先が空気をかき混ぜる。激しい遠心力に、ジェミニ・スパーク達のエレキソードが弾かれた。

 

「ちぃ!」

「くっ!」

 

 ヒカルとツカサの手と足に僅かな傷がつき、痛みを含んだ悔しそうな表情を浮かべる。

 回転が終わると同時に、スバルは三つのカードをウォーロックに渡す。右手に出てきたパワーボムを、ジェミニ・スパークWの方を見ることもなく放り投げる。改めて召還したタイボクザンをその手に、ジェミニ・スパークBに駆け出した。

 ウェーブロードに落ちたパワーボムが広範囲に爆風を生み出す。この高熱と衝撃でジェミニ・スパークWにどれだけのダメージを与えられたのかは煙に包まれて確認することはできない。だが、これで彼が足を止めてくれたらそれで良い。

 

「ヒカル! ツカサ君を返せ!」

「あ?」

 

 ジェミニ・スパークBと一対一(サシ)で斬りあえる僅かな時間に、スバルは歯を一度噛み締めて怒鳴った。

 

「君が、ツカサ君を唆したんだろ! ジェミニがツカサ君の精神を奪ってるんだろう!? ツカサ君は僕の友達だ。必ず取り返す!」

 

 ブラザーを結ぼうとまでしたツカサがスバルを裏切るなんてありえない。電波変換するときに、確かに聞こえた謝罪は、ヒカルとジェミニに取り込まれてしまったことから来たものだ。

 ゴン太、宇田海、育田の時と同じだ。若干の意識は残っているが、完全にのっとられているだけだ。ジェミニとヒカルを倒せば、ツカサは元に戻ってくれる。これは、ツカサを取り戻す戦いだ。

 だから、スバルはヒカルだけを狙う。ツカサに罪は無いのだから。

 そんなスバルに、ヒカルは頬の形を変えた。余裕をうかがわせるようなその笑みをウォーロックは見逃さなかった。

 

「できるもんなら、やってみな」

 

 スバルの追撃の手が緩む。そろそろ時間だ。ジェミニ・スパークWの追撃の足音が聞こえてくる。このまま二人を同時に相手にすることだけは避けようと、止むを得ず、用意しておいた三枚目のカードを使った。

 

「スタンナックル!」

 

 左手がタイボクザンになっているのに対し、自由だった右手が雷の力を宿した拳に変わる。指を折り曲げで拳にするのではなく、広げて張り手のように前に突き出した。

 スバルの思惑通り、ジェミニ・スパークBはウェーブロードから突き落とされ、遥か下のウェーブロードに落ちていく。

 剣を振るのに邪魔にならぬよう、スタンナックルを消して背後にタイボクザンを振るう。直ぐ目の前にジェミニ・スパークWがいた。二人の剣が再びぶつかり合う。

 

「ツカサ君……もう少し待ってて!」

 

 ツカサの左手の剣を打ち払いながら、スバルは力強く、だが優しくツカサに叫んだ。ツカサの剣が、ほんの僅かだが停止した。

 

「僕が君を助けるから!!」

 

 生まれた隙を見逃さない。ジェミニ・スパークWの足を蹴飛ばし、バランスを崩したジェミニ・スパークWをもう一度蹴り上げる。

 ジェミニ・スパークWからすると運の悪いことに、彼の軌道上にウェーブロードは無い。その先にあるのは海だけだ。

 

「……スバル君……」

 

 彼の名を呟くと共に、静かに目を閉じた。彼の身が、海中へと投じられる。

 それを、ウォーロックは剣から元の姿に戻りながら凝視していた。視界を遮るようにブレイブソードのカードが差し出され、それを飲み込んだ。

 あっという間にウェーブロードを上ってきたジェミニ・スパークBとの剣劇が始まる。足元を狙ってきた剣を跳躍してかわし、体を反転させ、足を上に突き上げる。ウェーブロードの下に脚をつけ、見上げているジェミニ・スパークBに向かって、真っ逆さまに飛び込んだ。

 数日前の戦いがヒカルの脳裏に蘇る。自分には、飛び降りたロックマンのブレイブソードを受け止めた実績がある。身体能力が強化された今の自分なら、受け止められないわけが無い。右手に左手を沿えてエレキソードを上に突き出し、足を曲げて衝撃に備える。

 スバルの動きが上手すぎたため、ヒカルは気づかなかった。使ったカードは一枚ではない。

 

「グラビティステージ!」

 

 重力場を生み出すカードだ。重力が増した分、ロックマンの落下スピードが増し、威力も増す。エレキソードを砕き、ジェミニ・スパークBに痛恨の一閃をお見舞いした。

 予想外のダメージを身に受けてしまった。体を斬り裂かれるような痛みが、ヒカルを走りぬける。

 激痛で動けぬヒカルに、剣を振り上げる。

 

「終わ、があっ!」

 

 スバルの背中に電流が走った。ジェミニ・スパークWのロケットナックルが、ロックマンの背中を捉えていた。

 ジェミニ・スパークWは海から飛び出し、最も低い場所にあったウェーブロードに飛び乗って、上空のロックマンを見上げた。

 ロックマンの悲鳴に、消えそうになっていた意識を取り戻すジェミニ・スパークB。目の前で動けず、的になっているロックマンを、壊れたエレキソードで斬りつける。この剣が万全の状態なら、今頃ロックマンを一刀両断できていたはずだ。浅い傷口に目を細める。

 胸に斬り付けられた激痛で歪められる視界。その隅に映ったジェミニ・スパークBの残虐な笑みを頼りに、左手のブレイブソードを振るう。

 かろうじて(かわ)したジェミニ・スパークBは、ロックマンと距離をとる。重傷を負った今、攻撃を受けやすい接近戦は避け、避けやすい遠距離戦に持ち込みたいところだ。左手で拳を作り、前に突き出す構えをとる。ロックマンを挟んで反対側にいるジェミニ・スパークWとアイコンタクトをとり、タイミングを合わせる。

 

「「ロケットナックル!」」

 

 左拳と右拳がロックマンの前後から襲い掛かる。

 絶体絶命の挟み撃ち。ロックマンの思考が一瞬の間にフル回転する。痺れが取れたとは言えど、この同時攻撃を剣一本で防ぐことはできない。バトルカードを使用する時間も無い。別のウェーブロードに飛び移るぐらいしか、避ける方法が思いつかなかった。

 二人に背中を見せ、隣のウェーブロードに飛び移る。追いかけてきているであろうロケットナックルが着地際を狙って、背中に襲い掛かってくるはず。そう考えたロックマンは着地際に振り返り、剣をなぎ払った。

 ロックマンが危険視していた、二人の拳は無かった。より厄介な攻撃が準備されていた。

 ジェミニ・スパークBとジェミニ・スパークWは互いに身を寄せ合っている。互いの太くなっている方の手が重ねられており、雷のエネルギーが集まっていく。

 

「しまった!」

 

 逃げなきゃと考えたときは遅かった。

 

「「ジェミニサンダー!」」

 

 放たれた二人分の黄色のレーザーは、威力も太さも段違いなものだった。ウェーブロードに着地した直後のロックマンに、避ける方法なんて無かった。

 雷の波に飲み込まれたロックマン。力の入らない四肢を伸ばし、体から黒い線に描き、頭から海へと消えていった。

 

「よしっ! 追いかけ……」

 

 言葉が途切れた。膝から崩れ、ヒカルの手が電波の地に着いた。

 

「大丈夫、ヒカル!?」

 

 ツカサの手がヒカルの肩に伸びる。手に衝撃が走った。弾かれた手を引っ込める。

 ヒカルの鋭い眼光がツカサを捉えていた。赤い瞳は怒りで静かに燃えているようだった。

 

「構うんじゃねえよ! それよりあいつを!」

 

 二人はロックマンが消えた海の一点を見つめていた。もう、着水時に生まれた波紋も波に溶けてしまったが、大体の場所は覚えている。海から出てきたところを、ロケットナックルで狙い撃ちにしてしまえば、こっちのものだ。

 小波の音がほんの少しだけ大きくなった。二人の拳に込められた力が強くなる。一秒一秒が経つにつれ、二人の頬を汗が伝う。

 だが、ロックマンは一向に上がって来ない。もしかしたら、海中で移動して、背後から狙ってくるのかもしれない。ツカサはスバルが消えた場所を見張り、ヒカルは背中合わせになってあたりを見渡す。

 波の音とかもめが鳴く声を覗けば、何も聞こえない。静か過ぎる世界に更に数秒浸ったとき、ジェミニがため息をついた。

 

「……逃げやがったか……」

 

 

 ジェミニの予想は当たっていた。大ダメージを負ったロックマンは海中を移動し、ジェミニ・スパークから遠く離れた場所に逃げていた。

 今、スバルとウォーロックは海ではなくドリームアイランドにいる。ジェミニ・スパークに見つからないようにと、リサイクルショップにおいてある冷蔵庫の電脳内で息を潜めているところだ。

 

「つ、強い……」

 

 身体を休ませ、息を整える。窮地を脱したは良いが、これからまた戦わなくてはならない。ジェミニ・スパークとの再戦の時はすぐに来る。いつまでもここに隠れているわけには行かない。立ち上がろうとしたとき、ウォーロックがそれを止めた。

 

「スバル、ちょっと良いか?」

「何?」

 

 目が合うと、ウォーロックは目を反らした。顔はこちらに向けているのに、目だけがそっぽを向いている。

 

「今からお前に言うことは、俺の予想だ。それを分かってくれ」

「もったいぶるなんて、ロックらしくないね。どうしたの?」

 

 いつも『テレビが見たい』とか『ウィルス退治に行こうぜ』と自分の意見を押し付けてくるウォーロックが、今この時だけは言葉を選んでいた。ウォーロックらしくない行為にスバルは疑問を感じずにはいられなかった。

 

「ツカサは意識が無くて、ジェミニに乗っ取られている」

「そうだよ。だから早く助けなきゃ!」

「……と、お前は思ってるんだよな?」

「……え?」

 

 やる気に満ちていたスバルの拳が僅かに開かれた。疑問に口を開き、珍しいものを見るかのような目をウォーロックに向ける。

 

「どういう……こと?」

 

 答えは、なんとなくではあるが分かっている。自分の考えが否定されたのだから。受け入れたくないという気持ちに反し、口はそう動いていた。

 

「ツカサは……ちゃんと意識があるかもしれねぇ……」

「嘘だ!」

 

 一瞬、自分でも浮かべていた答えを全力否定する。左手を持ち上げ、ウォーロックの下顎を右手で掴んだ。

 

「ツカサ君は……僕の友達なんだ……僕とブラザーを結ぼうって言ってくれたんだ! あんな優しいツカサ君が……ジェミニと手を組むなんてありえないよ!」

「分かってる!」

 

 まくし立て、口を開く暇すら与えようとしないスバルを、ウォーロックは大声で強引に押さえた。

 

「お前がツカサを信じたいって気持ちは分かっている! 俺も、あいつが裏切るなんて思えねえ! けどな……」

 

 今もウォーロックの口を押さえた手が、ギリギリと音を立てる。だが、ここで下がるわけには行かない。

 

「……上手く言えねぇんだが……妙だったんだ」

「妙?」

 

 スバルの手が少し緩んだ。ウォーロックはスバルの右手を振り払うようにして逃れた。

 

「操られている奴らっていうのは、もっと言葉や目に生気が無いんだ。あいつ、自分から意識的にしゃべらねえようにしてるっつうか……少なくとも、目には生気があった」

 

 ジェミニ・スパークWと斬り合ったときのことを思い出した。彼の赤い二つの目を至近距離で何度も見ている。今も強く残っている目に映った光景を極力鮮明に思い出す。ロックマンの目を睨み返してきたあの目を。確かに、取り付かれていたゴン太達とはどこか違う雰囲気がある。

 

「でも、それは……ウォーロックの感でしょ?」

「てめえはどう思ったんだ?」

 

 ウォーロックの言いたいことは分かっている。言われて、自分も似たようなことを感じているのだから。

 

「違うよ……きっと、気のせいだよ……」

 

 その感情を見なかったことにして、自分の心の奥底に押し込めた。

 

「ツカサ君は操られているだけだよ」

 

 そう思うことにしよう。そうしなければ、戦うことなんてできない。

 スバルがそう固めた決意を、ウォーロックが砕いた。

 

「……もし、ツカサが操られていなかったらどうする気だ?」

 

 金槌で殴られたように、胸が痛くなった。

 精神を取られていないということは、電波人間が倒されれば、人間も消えるということだ。

 ジェミニ・スパークを倒せば、ヒカルだけでなく、ツカサも消えるということだ。

 

「お前……ツカサを殺せるのか?」

 

 できるわけなんて無い。心はそう叫んでいた。

 ツカサが操られていないとしたら、自分にはもう方法なんて無い。だから、スバルは逃げる。決め付ける。

 

「大丈夫だよ。そんな心配する必要なんて無いよ……ツカサ君が、僕を殺そうとするわけなんて無いんだから……」

 

 そうするしかなかった。

 

 

「何をするつもりだ?」

 

 ジェミニがヒカルに尋ねる隣では、ツカサも首を傾げていた。

 

「あいつらが隠れるつもりなら、引きずり出してやれば良い」

 

 彼らがいる場所はドリームアイランドにあるゴミ処理場だ。施設の奥に廃棄された巨大な物体がお目当てのもの。

 

「最高のショーを、人間の本性を引きずり出してやるんだよ」

 

 電波送信アンテナを見上げるヒカルの顔には、気の狂ったような醜い笑みが広がっていた。




 戦闘描写が苦手だったので、小説仲間と相談して色々と工夫してみました。戦闘って難しいですね、ほんと。


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第百六話.崩れ行く世界

2013/5/4 改稿


 自動販売機で買ったジュースを早速飲みながら、ミソラは公園を見渡した。

 公園を斜めに突っ走る男の達、ボールを蹴飛ばしているグループには女の子の笑顔も見える。ベンチに座って読書をしている青年は、わざわざ立ち上がって足元に転がってきたボールを投げ返してあげた。草むらに入って泥だらけになっている男の子もいれば、砂場で城を作っている子供達もいる。彼らの母親達なのだろう、砂場の側ではおばちゃんたちが談笑に花を咲かせている。

 絵に描いたような理想の公園。それがこの平穏な世界だと、ミソラは絵本を眺めるような思いで見やり、クローヌたちがいる物陰へと再び歩き出した。

 数歩ほど歩いたときだった。違和感を覚えたのは。花のような黄色い声達の中に、どす黒くて冷たい声が混じっていた。

 見ると、二人の男の子が掴み合うところだった。こんな楽しい場所で喧嘩なんてよしてもらいたいところだ。ため息をついたとき、視界の隅のほうでも、喧嘩が起きていることに気づいた。今度は若いカップルだ。互いの悪口を言い合っている。その隣ではボールを奪い合う男の子と女の子。その向こうでは痴話喧嘩をしている中年の夫婦。

 

「……え?」

 

 異変を感じ、公園を見渡して絶句した。平穏が消えていた。

 公園にいた者たちは二人一組になって口論を繰り広げていた。貸し借りの件で口を尖らせる男の子、金銭的な問題にヒステリックになる主婦、互いの嫌いな部分を包み隠さずぶつける若いカップル。全て、コダマタウンとは無縁の光景だった。

 ルナ達は三人で喧嘩をしていた。いつも以上に言葉がきつくなったルナと、そんな彼女にいつも言えなかった不平不満を訴えるゴン太とキザマロ。聞くに堪えないほど汚い言葉を吐き付ける彼らを見れば、この三人が実は仲良しであることなど、誰一人として信じることはできない。

 BIGWAVEの前で取っ組み合いをしているのは南国とやきそばパンが好きなおじいちゃんだ。南国が持っている酒を奪おうとするおじいちゃんと、引き剥がそうとする南国。彼の腕からは、いつもの優しさはほとんど感じられない。

 天地と宇田海は喧嘩こそしていないが、気分を害し、地面にうつぶせに倒れてしまっていた。比較的被害が少ないこの二人は、不幸中の幸いと言えるだろう。中には暴力に発展している者たちまでいるのだから。

 ある一組が遊具に友人を叩きつけ、頬を殴りつけた。それがきっかけだった。張り詰めた風船に針を刺せば、中に閉じ込められていた空気が吐き出されるように、人々の苛立ち、怒りが爆ぜた。

 繰り広げられる乱闘。止まない罵声。見るも醜い人々の姿に、ミソラは両手で口を覆い隠さずにはいられなかった。大人も子供も笑っていたあの公園は本当に絵だったのだろうか。

 

「ミソラ、電波変換よ!」

 

 ハープが叫んだ。誰も見ていないだろうが、一応木陰に隠れてギターに手を伸ばした。

 

「電波変換! 響ミソラ オン・エア!」

 

 ハープの体がピンク色の電波粒子へと変わり、帯となってミソラを包み込む。ハープ・ノートへと電波変換したミソラはウェーブロードに降り立ち、絶句した。コダマタウン上空の異常事態を目の当たりにしたからだ。

 彼女が目にしたのは白い球体。それは人の頭ほどの大きさで、真ん中に「-」と書かれている電気の塊だ。その数は一つ二つではない。空を覆い尽くすその様は渡り鳥の大群を思わせる。圧巻の光景であった。

 「-」だけではなく、「+」と書かれたものもある。そのうちの二つが地上へと降りてゆく。向かう先にいるのは、公園の騒ぎを聞きつけ、様子を見に来た老夫婦。仲が良いのだろう、足腰の弱いおばあちゃんの体を、おじいちゃんが支えてあげてくれている。二つの電気の塊はゆっくりと二人に近づき、それぞれの体に取り付いた。途端に、老夫婦は喧嘩を始めてしまった。

 公園にいる者たちも同じだ。一人の例外もなく、電気の塊に取り憑かれている。公園だけではない。見ている側から、電気の塊はコダマタウンのあちらこちらへと降り注いでいく。

 路上の人々が次々と喧嘩を始め、椅子が窓を突き破り、スーツを乱した男性が奇声を上げる。怒号を上げるコダマタウン。これが本当に、引退ライブのときに涙を流してくれた者達なのだろうか。呆然と町を見下ろすミソラとハープの後ろから声がかけられる。

 

「ハープ・ノートだな?」

 

 胸を冷たくする声色だった。

 いつの間にか、三体ものジャミンガーがそこにいた。先頭にいる、一回り大きいやつがリーダーらしい。左隣にいる奴は体の線が細い。おそらく女性が取り憑かれているのだろう。もう一人は腰が曲がっている。電波ウィルスは老若男女問わず、孤独な人に取り憑くらしい。

 身構えるハープ・ノートに、女性と老人は嬉々の目を向けた。

 

「あらあら、可愛いわね。でも、愛しのロックマンはこないわよ」

「今頃、ジェミニ様が仕留めておる筈じゃ」

 

 嘲笑が湧き上がる。それはハープ・ノートには聞こえない。聞こえていない。

 ロックマンがあの強敵と戦っている。FM星王の片腕であり、雷神の異名を持つあのジェミニと。ギターを持つ手に力が入り、後ずさる。一刻も早く、彼の元に行かなければ。

 だが、相手もハープ・ノートの自由にはさせてくれない。電波ウィルスを召還し、周囲に張り巡らせる。その数、四十はいるだろう。

 うごめく壁を前に、苦笑いするしかない。

 

「これって……」

「一人じゃ辛いわね」

「ならば、これでどうじゃ!?」

 

 ハープ・ノートの後ろから飛んできた雷と円形のカッターが、壁の一角を崩した。ぱぁっと笑みを浮かべるハープ・ノートの前に降り立つのは、三体の髑髏を引き連れたクラウン・サンダーと、戻ってきたカッターを手に戻すキャンサー・バブルだ。

 

「ここはわしらに任せて、早く行くのである!」

 

 これだけの大群。相手にしたら無傷では済まないだろう。この二人をおいていくことなんて出来ない。しかし、ロックマンはもっと危険な目にあっているはずだ。少し迷ったハープ・ノートは、「ありがとうございます!」とだけ言い残し、ウェーブロードを走り出した。

 健気な少女の後姿に微笑んだクラウン・サンダーは、後についていこうとするキャンサー・バブルの頭を掴んだ。

 

「逃げるでない! 馬鹿者が!」

「だ、だって……こんなにたくさん、敵が……」

 

 

 ガクガクと震え、顔の半分近くを占めている大きな目を潤ませるキャンサーに、クローヌはため息を吐いた。先ほどの勇姿はどこに行ったのやら。

 

「ミソラちゃんのためじゃ、踏ん張るのだ!」

「ちょ、チョキ!」

 

 敵側に蹴飛ばされ、キャンサー・バブルも覚悟を決めたようだ。震える五体を押さえ込み、足を踏ん張った。

 

 

 クラウン・サンダーとキャンサー・バブルがジャミンガー達と交戦を始めたころ、尾上は湧きあがる激情を抑えられなくなっていた。

 ご主人様とヒメカお嬢様が喧嘩している声を、業火が消してくれているのがせめてもの救いだ。火に包まれた一本の木が倒れ、側で横たわった。

 

「ヒャッハー! 燃えろ燃えろ! 燃えちまえ!!」

 

 炎属性の電波ウィルス達を率いるジャミンガーが、火の海の中で踊っている。元になった人間はかなりのお調子者らしい。モヒカン頭を振り乱して、気の狂った声を張り上げている。

 

「ジェミニの奴がウォーロックを倒してくれる。その間に、裏切り者を倒して置こうってか?」

「その通~り!」

 

 背中を逸らし、ハイテンションに任せたポーズをとっている様が鬱陶しい。尾上の荒い気性を更に煽る。目に入れるのも汚らわしい。

 顔を背けると、そこには先ほど倒れた木が轟々と燃えていた。揺らぐ火の向こうに見えるのは、ヒメカとの思い出。リクエストを貰った日のこと、リスのポーズを研究しようと写真を共に検索した日々、旦那様にも冷やかされた。

 そんな毎日が詰まった庭。尾上が汗を流して作った庭。目の前で燃えていく。

 

「尾上、抑えなくて良いんだぜ?」

 

 そういえば、リスを作っているときだったな。こいつと会ったのは。

 充実した幸せな毎日。でも、荒々しい気性を理解してくれる者がおらず、孤独を感じていた。そんな尾上の前に、こいつはひょっこりと現れたのだ。

 垣根は無かった。一目見て、少し話をしたら、もう意気投合していた。

 

「別に抑えてなんざいないぜ、ウルフ。ただ……体が動かねえんだ」

 

 だからとても感謝している。こいつと出会えたことに、今こいつとここにいることに。

 

「お? なんだ? 震えてんぞ? 炎が恐いんでちゅか~?」

 

 モヒカン頭のジャミンガーは、調子に乗りすぎていて気づけていない。尾上の震える手が拳に握られていることも、影に隠れた顔がどんな風に歪められているのかも。

 

「ああ、これほど血が疼いた事はねえよ……」

 

 血液が全身を駆け巡り、細胞一つ一つが熱くなっていくのを感じた。血走った目を相手に向け、素早くトランサーを掲げる。ウルフもそこに飛び込んだ。

 

「電波変換! 尾上十郎 オン・エア!」

 

 火の海となった庭園の一角で、緑色の光が秘かに煌いた。一瞬の発光の中で電波変換を終えた尾上とウルフが姿をあらわにする。

 

「お、こっえ~っ! そうら、やっちまいなウィルス共!! 汚物は消毒だ~!!」

 

 前に突き出される右手にあわせて、一斉に火を噴くウィルス達。

 なぎ払った五爪。炎をかき消し、火のついた岩石を六つに叩き切る。一瞬後に立ち上がる爆炎がウルフ・フォレストを包んだ。

 

「……お譲と旦那様が愛した……愛してくださったこの庭を……こうもめちゃくちゃにしやがったんだ……」

 

 このジャミンガーはある意味幸せかもしれない。怒らせてはならない男の、最も大切なものを踏みにじっている。それがなにを意味するのか、理解していない。もし、こいつがもう少し察しの良い人格の持ち主だったならば、恐怖のあまりに呼吸すらままならなかったことだろう。

 

「……ただで済むと思うなよ……」

 

 炎の中で、殺気に満ちた双眼が灯る。それは、彼の身を包む業炎を霞ませるほどに赤かった。

 

 

「どういうことなの?」

 

 ドリームアイランドの光景を呆然と見下ろすロックマン。

 ジェミニ・スパークを探そうと、冷蔵庫の電脳から出てきてみたら、この惨状だ。人々が、人が変わったかのように喧嘩に明け暮れている。公園ではオオゾノお爺ちゃんがゴミをポイ捨てした利用者と大喧嘩の真っ最中だ。

 

「白い電気の塊……ジェミニか!?」

 

 先に気づいたのはウォーロックだった。絨毯のように、空に広がる+と-の電波群。

 白一色になった空に見入っていたロックマンの左手から着信音が鳴る。ウォーロックは一時的に姿をトランサーに戻して画面を開く。映ったのは電波変換したミソラだった。

 

「ミソラちゃん?」

『聞いてスバル君!』

 

 

『コダマタウンにまで!?』

「うん、そうなの。今、ヤシブタウンにいるんだけれど……ここもだよ!」

 

 ロックマンと通信しながら、ウェーブロードを走り抜けるハープ・ノート。下に広がる惨劇は、コダマタウンの比ではなかった。

 車が炎上し、店の窓ガラスが割られている。噴水に突き落とされる人や、階段から転げ落ちる人。屋台は横転し、点在している店からも火が立ち上っている。

 

「待ってて、私も直ぐに行……けないみたい……」

 

 進行方向上に見える影に気づき、ハープ・ノートは眉を吊り上げた。立ちふさがっているのはジャミンガーと電波ウィルスの大群。ジャミンガーは一体だが、ウィルスの数は三十を超えるだろう。

 

「ごめん、スバル君……通信切るね」

 

 飛び掛ってくる電波ウィルスとジャミンガーに、音符の弾を乱射した。

 ヤシブタウンの上空で、人知れず花火が舞う。

 

 

 ゴミ焼却所にも怒号と悲鳴、加えて火の手が上がる。燃えるものが沢山あるこの場所で火は危険だ。火災防犯システムがちゃんと働いてくれれば、大惨事は免れるだろう。怪我人が続出することばかりは流石に避けられそうにないが。

 従業員達が殴りあい、中にはゴミ山から引っ張り出してきた鉄クズを持ち上げている者もいる。そんな光景を見ているのが電波変換したままのヒカルとツカサ、そしてジェミニだ。

 

「まったく、地球人は醜いな。屑過ぎる」

 

 呆れたようにジェミニは呟いた。

 彼らは今、廃棄された電波送信アンテナの前にいる。先ほど、ここの電脳内で+-電波の送信を終えたところだ。今頃、付近一帯の人々はお互いに争いあっているだろう。自分の本性をさらけ出して。

 

「あいつを裏切って正解だった。そう思わないか?」

 

 醜い世界をつまらなさそうに見下ろしながら、ヒカルはツカサに問いかけた。眼を背けたくなるような光景も、彼にとっては心躍る愉快なものでしかない。ゴン太とキザマロに『-』電波をつけてやったときが良い例だ。

 だが、今の彼の眼にはそれが一切無かった。それは失望の色。眼に映るもの全てに愛想をつかした瞳。

 

「所詮世の中なんてこんなもんだ。これが、人間の本性だ……」

「うん。見失うところだったよ」

 

 ヒカルの言葉に頷き、ツカサは静かに言葉を漏らした。

 

「この世の醜さをね……」

 

 ツカサの赤い瞳に影が差し掛かる。

 スバルとブラザーを結ぼうとしていた時の、希望色に輝いていた琥珀色の瞳。今やそれは、眼に映る絶望を宿すように、暗く、黒い赤に染められていた。



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第百七話.折れた絆

2013/5/4 改稿


 空を覆う大量の+-電波。それは風に流される雲のように、一方向から流れてきている。

 辿って行く。彼らの流れに逆らうように、辿って行く。そこに元があるはず。この忌々しい電波たちを放っている者がいるはず。

 ジェミニ・スパークが……スバルの友のがいるはず。

 発信源となっている、さび付き、折れ曲がった電波送信アンテナの前に立つロックマン。親友は目の前なのに、電脳内に飛び込んだらすぐに敵と戦えるのに、混沌に突き落とされた世界を救えるのに、彼は佇んだまま動こうとしない。

 

「スバル……」

「大丈夫だよ。ツカサ君を助けるだけだから」

 

 言いたい事を最後まで言わせず遮り、目も合わせようとしない。ただ、古びた鉄くずを見つめるだけだ。

 

「……そうか」

「全力で戦うんだ……ツカサ君を助けるんだ……」

 

 腕や足に残っている痛み。身体を休めたはずなのに、痛みは体の内側から耐えることなくにじみ出てくる。ジェミニサンダーの威力を痛感するには十分すぎる。

 二の腕を強く握り締め、痛みを痛みで紛らわした。

 

「行くよ!」

「……ああ」

 

 言葉を伝えることすら叶わず、静まり返るウォーロック。気づいた可能性について、それ以上口にすることを止める。

 今は何を言っても無駄だ。スバルはウォーロックの言葉に耳を傾けない。自分が知っているツカサだけを見ている。今のツカサがそれと異なっていた場合、スバルの心はどうなってしまうのだろうか。

 不安の二文字が全身を満たしてくる。だが、スバルの意思に従って動くしかない。彼と共に、電脳内へと足を踏み入れた。

 ゴミだ。電脳内を一目見た感想がそれだった。紙、プラスチック、鉄骨、人形、ダンボール、さまざまな種類のゴミのデータが乱雑に散らばっている。視界全てを埋め尽くすその光景は、分別する気なんて微塵も起きそうにない。

 元はアンテナのシステムだったことを考慮すると、かつては情報やデンパ君たちの行き来がしやすいように整備されていたのだろう。今は見る影も無く、ゴミが我が物顔で寝そべっている。このアンテナが、永い間このゴミ捨て場に放置された影響なのだろう。

 ジェミニ・スパークはそこにいた。佇む白い影の隣では、黒い影が座り込んでいる。

 

「来たか……ぐっ」

「ヒカル……」

 

 ジェミニ・スパークBは胸を押さえている。ロックマンから受けた一太刀が未だに疼いている様子だった。荒い呼吸を繰り返すヒカルを横目で確認しながら、ジェミニ・スパークWは平然を装って、こちらに歩いてくるロックマンを伺う。

 ヒカルの負傷は、ジェミニを含めて、三人が思っていた以上に大きい。今の状態で勝てるのだろうか。誘い出しはしたものの、決してこちらに有利があるわけではない。

 

「大丈夫だ、さっき言ったはずだ。戦う必要は無い」

「うん、上手く行くかな?」

「駄目だったら、俺達の負けだ」

 

 ジェミニ・スパークBが立ち上がり、余裕の笑みを顔に貼り付ける。その下に、真逆の感情があることを包み隠す。

 ヒカルの容態が気になる。しかし、自分が不穏な表情をしていたら、スバルに感づかれるかもしれない。ヒカルの作戦内容を脳内で反復し、スバルに集中する。

 距離を測る。ジェミニ・スパークがエレキソードを掲げて飛び掛ってきても、ロケットナックルを放ってきても、十分に対応できる距離。加えて、相手に声を届けるのに、さほど労力を必要としない距離。それを目算し、足を止める。

 赤いバイザーに映る白と黒のジェミニ・スパークに目を細め、一呼吸置いた。意を決する。

 

「ヒカル、+-電波を止めるんだ。そして、ツカサ君を返して」

 

 思ったとおりだ。笑みに混ぜていた嘘の余裕。そこに、本当の余裕が混ざってきた。ツカサとアイコンタクトを交わす。彼も、ヒカルの残酷な作戦に頷いた。

 自分達が勝つにはこれが最も賢くて確実な方法だ。だから、痛む胸を押せえ、無かったことにする。

 

「それはできねえ相談だな」

 

 胸の傷から駆け巡る痛みが喉を締め付ける。荒くなりそうな呼吸を整え、できる限り怒りを煽る声を出す。持ち上げるのだ。今は奴を持ち上げておく。そこから落とされたときのほうが、絶望は大きくなる。

 

「だったら、力ずくで行くよ! スターブレイク!!」

 

 最初からこうなると分かっていた。切り札を開放する。

 全身が緑色に発光し、ロックマンを包み隠す。瞬く間も無い時間の後に、緑のベールが取り除かれる。AM三賢者の一人、濃緑の力を携えた雄々しきドラゴン。彼の力を授かった、ロックマン・グリーンドラゴンが大地を踏みしめる。

 小さい身体から溢れ出す戦闘周波数は、ジェミニの魂を恐怖で揺さぶるには充分だった。この星に来て初めてだ。死の恐怖を目の当たりにしたのは。FM星以外の場所で、母星から遠く離れたこの平和ボケしたちっぽけな星で、この感情を抱くとは思いもしなかった。

 ジェミニの身体に僅かに見えた緊張。それに気づいたヒカルも生唾を飲み込む。以前、、放送室の電脳内で戦った時とは比べ物にならない。あのとき以上に、ロックマンは力を使いこなしている。こちらが万全の状態だったならば、まだ互角の勝負ができただろう。だが、今の自分の身体を考えると、勝利の二文字が遠くに感じる。

 戦いなれていないツカサも、ロックマンとの実力差を感じたらしい。もう一度互いに頷き合う。

 

「あいつの力の源……あいつが立っている理由……分かっているな?」

「うん、大丈夫だよ。ヒカル」

 

 今手を伸ばしても、二人の勝利は決して届かないところにある。ならば、こちらに手繰り寄せるしかない。唯一残された勝利への作戦を実行するしかない。

 ヒカルはじっとりとした汗を流し、飛びかかろうと前かがみになっているロックマンに言葉を投げかけた。

 作戦開始だ。

 

「ツカサは、お前の元には戻らねえぜ」

 

 駆け出そうとしていたロックマンの足が止まる。巨大な手に身体を押さえつけられたように、体が前に進めない。

 

「……どういうこと?」

 

 冷静に尋ねようとするスバル。頬を汗が伝っていく。

 一番冷静なのはウォーロックだ。喉の奥から冷たくなる感覚。最悪の想定が現実になる予感。

 

「ツカサを返せ? それは勘違いだぜ」

「何が違うんだ!?」

 

 脳裏に鮮明に思い出される、ウォーロックに言われた言葉。それを振り払い、拒絶する。決め付けてしまおうと、自分以外の声を掻き消してしまおうと叫ぶ。

 

「ジェミニがツカサ君を乗っ取っているんだろう!? だから返して……」

「違うよ、スバル君」

 

 それでも聞き逃せない声。ヒカルと同じ声。ヒカルと質の違う声。そして、この声で呼んでくれる「スバル君」という言葉の響き。

 理屈ではない。スバルの脳裏に綺麗に録音されている、心地の良い声。聞くだけで楽しくなれた、彼の声だ。

 

「僕は僕の意思で、ジェミニと電波変換しているんだ」

 

 その声が届けるのは愉快ではなく不快。スバルの喉に蓋をするように、彼の言葉を封じ込めた。

 手が震えだす。搾り出した声には、先ほどまでの怒りは無く、彼の精神の揺らぎをあらわにするように震えていた。

 

「う、嘘……だよね? そうだ、嘘だよ! ジェミニ、ツカサ君を操って……僕を騙す気なんだろ!?」

「信じる信じないは君の勝手さ。でも、僕は本当のことを言っているだけだよ」

 

 ツカサは操られてなんていない。

 

 心のどこかで浮かんだ文章。事実じゃない。嘘だ。目の前の情報からそう見えるだけだ。過去の自分は言っている。あのツカサが自分を裏切るわけが無いと、笑って言ってくれている。

 

「そんなわけ無い……そんなわけ無い……ツカサ君が……そんなこと……ブラザーバンドを結ぼうって、そう言ったじゃないか!」

 

 だから、自分が助けなくてはならない。

 ゴン太がルナとキザマロの言葉から、宇田海が天地の言葉から、育田が子供達の声から、ルナが両親の愛から開放されたように、自分がツカサを助けてあげるのだ。

 操られていはいなかったが、ミソラを説得できたのだ。あれから自分も強くなれたつもりだ。そんな自分が、ツカサを助けることができないわけが無い。

 

「覚えているよねツカサ君? 僕だよ、スバルだよ!」

 

 操られているだけだ。ルナがオヒュカスに取り憑かれていたように、意識が無いお人形にされているだけなのかもしれない。

 ヘルメットと赤いバイザーで目元が見えない上に、今はスターフォースの力で全身が緑だ。いつも赤い服を着ているスバルだと気づいていないのかもしれない。

 自分がスバルであると、手を広げて見せる。害を加える気が無い。有効を示すジェスチャーだ。

 ツカサなら「スバル君?」と呟いてくれるはず。

 でも、当のツカサは何も答えない。言葉一つ返さない。

 

「学校で初めて会ったとき、言ってくれたよね。良い友達になれるかもしれないって。君がそう言ってくれたスバルだよ!」

 

 意識がまだ乗っとられているだけだ。自我を取り戻して、思い出したように目を開いてくれるはず。

 期待の目に映されるのは無反応。ジェミニ・スパークWの口はまっすぐに結ばれたまま、開くことすらしない。

 

「僕が、皆と仲良くなれなくて、困っていたとき、君が声をかけてくれたよね。あのころのツカサ君に戻ってよ!」

 

 スバルの言葉が浴びせられても、指一本すら動かそうとしない。彼の隣で発せられているはずのヒカルの嘲笑が、とても遠くから聞こえてくる気がした。

 

「ゴン太やキザマロと一緒に、ドッチボールしたよね。また一緒にやろうよ」

 

 覗き込むように赤い目の奥を見る。瞳は微動だにせず、スバルを見つめたまま。

 

「なんで答えてくれないのさ? もしかして、怒ってる?」

 

 質問を投げかけても、回答したくなる言葉を投げかけても、帰ってくるのは無言の視線だけだ。

 

「……給食で人参やグリンピースが出たとき、いつも食べてもらってることかな? ごめん、今度からちゃんと食べるから」

 

 変わらない。本当に人形になってしまったかのように、ツカサは動かない。

 

「もしかして、僕、他に君を怒らせることをしたのかな? だったらゴメン。今度から気をつけるから」

 

 何度も何度も心のドアをノックする。いくら叩いても、叩いても、ツカサは視線以外に何も返さない。

 

「だから、そんな奴追い出して……僕とブラザーを結んでよ」

 

 世界が賑やかになった。こらえきれなくなったヒカルの笑い声だ。手を顔に当てている様が、スバルの怒りを更に大きくする。

 

「ハハハハハ、そんなにブラザーが好きなのか、お前は」

「当たり前だ! 僕は、このブラザーのおかげで強くなれたんだ! ブラザーはこの世界で一番強くて、綺麗な絆なんだ!! 僕は、ミソラちゃんと委員長とブラザーを結んで、そう確信したんだ!!!」

 

 高笑いが上がる。さっきよりも大きく、馬鹿にした笑い方だ。

 

「お前には見えねぇのか? この世界の本当の姿がよ」

「……本当の姿?」

 

 ツカサを説得する。今のスバルにはその言葉が浮かばなかった。ただ、ヒカルの言葉に耳を傾けてしまった。

 

「良いこと教えてやるよ。俺達の+-電波は、誰にでも効くわけじゃねえんだ」

 

 スバルとウォーロックがしかめっ面を浮かべる。世界を歪めている+-電波。その種を明かしたところで、ジェミニ・スパークBにはなんのメリットも無いはず。手の内を明かそうとする彼の意思が分からない。

 

「仲の良い奴ら、関わりの深い奴相手によく効くんだ」

 

 この時点で、ウォーロックは理解した。なぜ、ゴン太とキザマロが喧嘩をしていたのか。なぜ、皆二人一組で争っていたのか。

 あの電波の能力は、あまりにも醜く、地球人にとって残酷なものだった。

 

「もう分かったんじゃねえか?」

「何がだよ……」

 

 発した言葉は答えを求める言葉。反して、スバルは気づいている。答えに予想がついている。でも、それは絶対に認めたくない事実。全身に立つ鳥肌。耳を塞ぎたい。だが、神経が切断されたかのように、手が動かない。

 憎い笑みを掲げ、ヒカルは世界の事実をスバルに突きつけた。

 

「喧嘩しいる奴ら、ほとんどがブラザー同士なんだよ」

 

 言葉が頭を貫く。ヒカルが告げたのはこの世で最も愛されている言葉。この世で最も力のある言葉。スバルの父が世に放った言葉。スバルも大好きになった、スバルに力をくれ、変わるきっかけになった言葉。

 この世で、最も仲が良いと称された絆の姿。

 その真理をヒカルは笑って覆した。

 

「ブラザーはこの世で最も大切な絆? 笑わせるんじゃねえよ」

 

 瞳孔を開き、立ち尽くしているロックマン。彼をもう一度あざ笑う。

 

「自分の本音、相手への不満、言いたいことを隠して、表向き仲良く振舞ってるだけなんだよ」

 

 何も言い返せない。けれど、そんな事実はやっぱり受け入れたくなくて、否定の言葉を捜す。

 

「でも……」

 

 そこで言葉は止まる。言葉が見つからなかったことも理由だ。だが、もう一つあった。ツカサだ。彼が前に進み出た。

 スバルの必死の言葉に何の反応もしなかったツカサが、形すら変えなかった口を開く。

 

「所詮……醜いものなんだよ……スバル君」

 

 

 理解していた。けれど、ようやくスバルの心は受け入れた。

 

 親友は、自分を裏切ったのだと。

 

「もう、君とのブラザーもいらない。僕は、君を倒してアンドロメダの鍵を貰うよ」

 

 視界が下がる。ワンクッション置いて、膝を軸にして体が前に倒れる。ウォーロックが顔を突き出したため、顔がゴミに突っ込むことだけは回避できた。

 身体を支えきれず、膝から折れ曲がったのだと、遅れて気づいた。

 なんでツカサ君がこんなことをするのだろう。なんで裏切ったのだろう。なんで僕を倒そうとするのだろう。親への憎しみがそんなに大事なのだろうか。自分が思っていた以上に、彼の憎しみは深かったのだろうか。自分を殺してまで、アンドロメダの鍵が欲しいのだろうか。

 思考をめぐらせている中で、唐突に見つけた。まだ一つ、ツカサを正気に戻す方法がある。

 ツカサはヒカルの言葉に乗せられ、状況を見失っているだけだ。これを聞けば、彼は戻ってきてくれる。また、あの笑みを見せてくれる。

 

「ツカサ君、知ってるかい? FM星人に意識が捕られていない時に相手を倒すと、その相手は死んじゃうんだよ? 僕は、見てのとおり……ロックに意識を捕られて無い。君は……僕を……」

 

 最後まで言葉が出なかった。でも、どうしても聞きたかった。聞いて、ツカサが動揺してくれるのを見て、安心したかった。

 あのツカサが、屋上で手を伸ばしてくれたツカサが、学校で友達になってくれたツカサが、ブラザーになろうといってくれたツカサが、目の前でジェミニと電波変換しているツカサが、自分を殺そうだなんて思っていないと信じたかった。

 だが、現実は無慈悲だった。

 

「知っているよ」

 

 知っているよ……しっているよ……シッテイルヨ

 告げられた言葉が何度も何度も反復していく。回数が増えるに連れ、胸を抉られていく気がした。

 

「両親へ復讐するためなら、僕は君だって利用する」

 

 無慈悲な言葉は、鋭利な刃となってスバルを貫き、平伏せさせる。受け入れられない絶望に四肢が悲鳴のように痙攣する。それでも、この言葉を搾り出せずに入られない。

 

「僕は、君とならブラザーになれるって。そう思って……」

 

 すがるように言うスバル。

 この世の真の姿を知っているツカサとヒカルにとっては何の価値も無い。周りのゴミと同じだ。

 

「結局、人は自分側にしか立てないんだよ。スバル君」

「絆を結ぶ。それは、自分にとって嫌いな人間を除け者にする行為でしかない。俺達の両親の様にな」

 

 ヒカルの言葉で脳裏に浮かぶ光景。それは、千代吉にブラザーを申し込まれたときのこと。

 あの時、自分は何をした?

 千代吉の傷ついた顔が、絆に傷つけられた者の顔が、鮮明に浮かび上がる。

 光が弾け飛んだ。中から出てきたのは、緑から青に姿を戻したロックマン。

 スターフォースは、誰かを守りたいという気持ち。絆を大切に思う心があるから扱えた力。自分が信じてきた絆のもう一つの姿。それを突きつけられ、心の柱を折られたロックマンが、姿を元に戻してしまうのは必然の理。

 ヒカルはここまで計算していなかった。ただ、スバルの行動原理である絆を否定すれば、戦えなくなると踏んでいた。彼の策は予想以上の功を成した。もう、ロックマンは息をする人形でしかない。

 ジェミニ・スパークの、自分達の勝利だ。



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第百八話.ヒカルの勝利

2013/5/4 改稿


 木の幹を思わせる太い腕がしなり、銀色の爪が手加減とは無縁の力で振り下ろされる。五つの断面から電波粒子が弾け飛んだ。愚かなジャミンガーは人間へと姿を戻し、焼け焦げた黒い大地の上に身を伏せた。

 足元で気を失っているモヒカン頭の男を見下ろし、ウルフ・フォレストは鋭利な犬歯を

むき出した。

 

「尾上……」

「分かってらあ、お嬢の庭を殺人現場なんざに、するわけにはいかねえからな」

 

 火を放った憎むべき男を掴み上げ、安全な場所まで運ぶ。作動した消火装置が水を撒いてくれたため、庭で燃え盛っていた火はかなり小さくなったようだった。だが、全焼は免れられないだろう。屋敷にまで火が回らなかっただけでもよしとしよう。お譲と旦那様を始め、召使い達が未だに喧嘩をしている様子だが、それはジェミニと戦っているロックマンに任せるしかないだろう。そう思うと、何もできない自分が惨めで、地面を蹴飛ばしたくなった。

 

「おお、無事であったか!」

 

 手の施しようが無いほど火が回ってしまった庭を、呆然と眺めているウルフ・フォレスト。彼の隣に降りてきたのはクラウン・サンダーだ。片手には目を回したキャンサー・バブルを持っている。どうやら、彼らも先ほどまで戦闘を繰り広げていたらしい。キャンサー・バブルはあまり役に立たず、クラウン・サンダーが一人で奮闘したことが容易に想像できた。

 

「おう、お前らも無事だったか」

 

 ウルフも二人の隣に出てきたクラウンとキャンサーが無事であることを確認した。キャンサーは体のあちこちに傷を負っている。やはり、千代吉が受けたダメージが彼にも反映されていた。

 

「この電波、俺達でもどうにかできねえか?」

 

 尾上が上空の+-電波を、汚物でも見るような目で見上げた。自分達でもこれを破壊することができるのなら、早くお嬢と旦那様の喧嘩を止めて差し上げたい。だが、僅かな期待に反してクラウンは首を横に振った。否定というより、さじを投げたような態度に歯噛みする。

 でも、仕方ないかもしれない。この忌々しい電波の数は、百、二百どころではない。千、もしかすると万を越えるかもしれない。被害範囲も町を超え、地域一帯という広大さだ。途方にくれ、手をつけることすら嫌になるのも無理はない。

 

「ウォーロックがジェミニの相手をしてくれとる。わし等にできることがあるとするなら、援軍に……」

 

 クラウンの言葉は最後まで続かなかった。気配を感じて見上げれば、ウェーブロードには幾人ものジャミンガー。その周りには、数え切れないほどの電波ウィルス。クラウン・サンダーは未だに寝ているキャンサー・バブルの頭を蹴飛ばし、叩き起こした。

 

「しょうがねえ、雑魚退治だ!」

「うむ、行くぞ!」

 

 ウェーブロードへと飛び出していく二人。目を覚ましたキャンサー・バブルも慌てて後を追いかけた。

 

 

 痺れが走る。間隔が麻痺しているのに、熱と痛みはこびりついたかのように、しっかりと伝わってくる。動かすことすら辛い指で、もう一度力の限りに弦を弾いた。ハート型の弾丸を受け、平伏すジャミンガー。人へと戻った彼の無事を確かめ、ハープ・ノートは足から横たわった。同時に電波変換が解けてしまう。103デパートの屋上だったのが幸いだ。ウェーブロードの上ならば、地面に真っ逆さまだったことだろう。

 

「い、行かなくちゃ……」

「ミソラ……無理しちゃ駄目よ。あなた、もう十体以上もジャミンガーを倒しているのよ?」

 

 最初のジャミンガーは直ぐに倒した。だが、ハープ・ノートに差し向けられていた敵はそいつ一人ではなかった。倒した直後に、別のジャミンガーが電波ウィルスを連れて襲い掛かってきたのである。そいつを倒せば、直ぐに次のジャミンガーが……と、次から次へと現れる敵の群れを相手に、一人で戦い続けた結果がこれだ。近くの手すりに手をかけて身体を起こそうとしても、もう足に力が入らない。

 おそらく、ヤシブタウンに配属されていたジャミンガー達はこれで全部なのだろう。身動き一つ取れないほど衰弱したミソラとハープを狙ってくるものがいないことがその証明になる。

 

「でも……」

「もう戦えない。あなたが一番分かっていることでしょ?」

 

 指先だけでない。痺れは肘や肩、腕全体に広がっている。これでは、ギターを構えることすらできないだろう。足は筋肉がなくなってしまったのかと思うほど言うことを聞かない。立ち上がろうにも踏ん張れず、膝をまっすぐに伸ばせない。息は上がり、額から流れた汗が目に入ってくる。それを拭うのさえ困難だ。

 こんな自分にできること。これぐらいしか思いつかなかった。

 

「スバル君……お願い、無事でいて」

 

 祈ることしかできない無力な自分が情けなくて、悔しさが目から溢れ出た。

 

 

 絶望に沈むスバル。手足が震えていることすら分かっていない。ウォーロックの声が聞こえている気がするが、理解できない。遥か遠くの、隔てられた世界で叫んでいるように感じる。今の彼は、開いた目に映っている物を認識しているかすら定かではない。

 

「スバル! しっかりしろ、スバ……ぐぅ!」

 

 ウォーロックの顔に圧力がかかり、声が止められる。目を上げると、黒い足が自分の顔を踏み潰していた。ジェミニ・スパークBの足だ。敗者を見下し、勝者の愉悦に浸るヒカルと目が合った。

 

「さてと……もう少し痛めつけてやるか」

 

 人は立場が変われば態度を一変させる。余裕から心の隙間を作り、それに溺れる不出来な生き物だ。それは、ヒカルも例外ではない。

 

「僕は手伝わないよ、ヒカル」

「ああ。なら、耳を塞いでいろ」

 

 離れたところで佇むジェミニ・スパークW。目を閉じ、ヘルメットを耳に押し付けるように両手で抑えた。

 それを確認し、ツカサに背を向ける。

 

「相変わらず、優しすぎんだよ……お前は」

 

 小さ過ぎる呟いた声は、誰にも聞こえなかった。無論、ツカサにも。

 

「ヒカル、手短に済ませてくれよ」

「分かってるぜ」

 

 ジェミニは、ウォーロックに散々辛酸をなめさせられて来た。星王様の右腕としてのプライドがそれを許さない。復讐の刃は心の中で極限にまで研ぎ澄まされている。だが、ヒカルほど陰湿なわけでもない。もう、自分のプライドにこだわるのを止め、主君からの指令を優先していた。彼は、さっさとアンドロメダの鍵を奪ってしまいたいのだ。

 ヒカルは左手でロックマンの首根っこを掴み、持ち上げるように引き起こした。ウォーロックの口が開き、こちらに向けられた。バスターで反撃するつもりなのだろう。好都合と、素早く右手を突っ込んだ。拳を喉に押し込まれ、「しまった!」と目を見開くウォーロック。くぐもった声を上げ、苦しそうにもがく彼を鼻で笑い、さらに奥へと手を押し込んだ。

 

「貰うぞ。アンドロメダの鍵をな」

 

 手首まで沈んでいた右手を、ゆっくりと沈めて中を探る。だが、鍵は見つからない。それらしいものが見つからない。さらに奥へと手を伸ばす。この間も、ウォーロックはロックマンの左手を自分の意思で動かし、何とか抵抗しようとしている。見苦しいその姿を見かねたジェミニが横に現れ、体から電撃を放った。電波体の貧弱な力では、電波人間に大したダメージは与えられない。だが、ウォーロックを大人しくさせるには充分だった。微弱な電気で痺れ、動きを鈍らせたウォーロックを見て、満足そうに笑うジェミニ。その間も、ヒカルは右手を休めない。指先の間隔に集中しようと、目を閉じて視覚を遮断した。

 ツカサは今も離れた場所で耳を塞ぐだけだ。しゃがんだまま、石像のように微動だにしない。

 手首と肘の真ん中辺りまで、ヒカルが手を進めたときだった。今まで何も触れることのなかった指先に確かな感触があった。

 硬い。直ぐそこに、何かある。

 やっと掴んだ手応えに、思わず目を開ける。同時にウォーロックと目が合った。剥き出しにした彼の目には明らかな動揺の色が浮かんでいた。まるで、「まずい、止めろ!」と訴えているかのよう。

 自然と、残虐な笑みが零れた。おそらく、ウォーロックは「この世のものとは思えない」と感想を抱いていただろう。闇に落ちた者のみが浮かべることのできる、見る者を戦慄させる笑顔だった。

 一気に手を深く突っ込んだ。痛みにもだえ、声にならないウォーロックの悲鳴が腕を通して伝ってきた。構わず指先の感覚を研ぎ澄まし、しゃにむに手をかき混ぜて中を探る。直ぐそこに、お目当ての物がある。もう直ぐ手に入る。そう思うと、胸が踊るのを自覚した。

 再び、硬質な物体が手に触れた。さっきよりも近い。直ぐ手元にある。手首を捻って、指をそちらに向けて折り曲げると、人差し指から薬指までの三本が、それを巻き込んだ。

 手に掴んだ。その手に収まった、多少の凹凸を感じさせる丸い物体。躍っていた胸が期待に膨らみ、静止した。そのまま爆発してしまいそうだ。体は落ち着こうとしているのに、頭は興奮を抑えられそうになかった。もう一度手の中の物体を握りなおし、感情に任せて乱暴に腕を引き抜いた。

 ウォーロックの咳き込むような呼吸音が上がる。いつもなら、「鬱陶しい」と蹴りの一つでもかますところだが、今はそれどころではない。その手にしっかりと掴んだ感触。見れば、手の隙間から僅かに漏れ出る紫色の光。確信に心臓が大きく脈打った。

 

「……これが……!」

 

 細胞一つ一つが、沸々と騒ぎ出す。それは、その手に復讐の刃を手に入れた達成感。五指を徐々に開放する。連れて溢れ出す紫光。目を覆わんばかりに、禍々しく輝く球状の物体がそこにあった。

 

「これが……アンドロメダの鍵!?」

 

 一目見た印象はガラス玉だ。獣を思わせる四本の爪がそれを掴むように覆っている。

 物体だ。ただ使う者の意思によって扱われるだけの道具だ。生命など宿っていないのに、自ら動くことなど無いのに、見る者に凶暴というイメージを与えてくる。

 ジェミニは無言で大きく頷いた。いつも星王の隣にいた自分の目が、見間違えるわけが無い。紛れも無い、本物だ。FM星の最終兵器、AM星を死の星に変えた最強の兵器、アンドロメダ。それを起動させる唯一の鍵がヒカルの手に握られていた。

 

「これで、僕達の復讐が……」

「ああ。ようやくぜ、ツカサ……ククク」

 

 いつの間にかツカサが隣に立っていた。彼もヒカルが手に持っている光に目を奪われていた。赤い目の中で、紫色の光が不気味に踊っている。それが彼の復讐心に見えたのは、錯覚ではないだろう。

 ジェミニは二人と違って騒いではいなかった。だが、彼もまた喜んでいた。星王様がなによりも望んでいた物。取り戻したいと願っていた鍵が、ようやく手に入った。部下達が次々と失敗してしまい、落胆されていらっしゃることだろう。ようやく、良い報告ができる。これで、やっとあの方を喜ばせることができる。任務の達成感に浸る彼を、現実に引き戻す醜い声が聞こえたのはその時だった。

 

「う、うう……」

「……スバル……?」

 

 ロックマンが意識を取り戻した。取り戻したというのは少し違うかもしれない。ヒカルの手は、今もずっと彼の首を絞めている。苦しくて、本能的に体が動いたといったところだろう。声も出せぬほど衰弱していたウォーロックもスバルに気づいた様子だった。しかし、スバルがまだ戦える状態で無いと察するや、悔しそうに目を閉じた。

 爛々と輝いていたヒカルの目は、スバルとウォーロックを見て、ゴミを見る目へと濁った。

 

「ああ、忘れてたな……ツカサ、もうちょっと耳塞いでろ」

 

 快楽が心地良すぎて、手に持っているゴミに止めを刺していないことを、ようやく思い出した。

 ツカサが自分達から離れ、再び耳を塞いだのを確認して、ヒカルは左手に力を込めた。雷が徐々に左手に溜まり始め、大きくなっていく。

 

「あばよ」

 

 情の欠片も無い言葉と共に、電流を放った。

 首を中心に雷が走り出し、青いヘルメットを被った頭へ、そして肩、腕、胴、足と一瞬で伝わっていく。雷はロックマンを完全に包み込んでいた。だらりと下がった腕がガクガクと振動し、ウォーロックの頭があわせて振り回される。先ほど、喉に手を突っ込まれたダメージが残っているのだろう。彼の目に力は無く、されるがままになっている。足はつま先までピンと伸ばされ、腕と同様に痙攣している。もがこうと前後に振られる様子すら見えない。白目を向いた目からは、意識どころか、生気すら感じられない。唯一口だけは今も生にしがみつこうとしているのだろうか。呼吸を求めるように開かれ、そこからは泡が吹き出し始めている。

 耳を磨り潰すような雷鳴。スバルの悲鳴のように聞こえるのは錯覚なのだろうか。耳を塞いでも、手の隙間から進入してくるように、どうしても聞こえてくる。瞼が無意識に力む。轟く雷鳴から逃れるように、ツカサは背を向けてしゃがみこんだ。

 全身を駆け巡る電流。薄れていく意識。その中でスバルが見たのは過去だった。それも、最近のものだ。

 

 ブラザーを結ぼうと言ってくれたツカサ。

 

 学校で自分を迎えてくれた育田先生。

 

 ブラザーの大切さを教えてくれた天地と宇田海。

 

 ドッヂボールを共に楽しんだゴン太とキザマロ。

 

 家まで迎えに来てくれるルナ。

 

 最初のブラザーになってくれたミソラ。

 

 スバルにとって、大切な人達の笑顔が走り抜けていく。これが走馬灯なのだと、漠然と受け入れている自分がいた。皆が自分に笑顔を向けてくれる。だが、自分には守れない。自分では、結局守れなかった。

 いや、守る必要すらあったのだろうか。この世界はこんなに醜いのに。ブラザー同士で争いあうような世界なのに。守る価値なんてあったのだろうか。自分に向けてくれていた笑顔も、大切といってくれた絆も、全部嘘だったのではないだろうか。

 なら、ツカサとヒカルの言うとおり、壊れてしまっても……

 

 そう思ったとき、唐突に一つの記憶が蘇った。いや、走馬灯の順番が回ってきただけなのかもしれない。スバルが見たのは、三年前の出来事。場所は自分の家の玄関だった。隣に立つ母がかすれた声をかけると、その男性は元気な声で頷いた。見上げたその影は、大きくて、逞しくて、少年の憧れだった。彼は自分に向き直り、視線をあわせようとしゃがみこむ。大きな腕がスバルの頭に乗せられた。目をしっかりと見つめながら、彼はスバルに言った。

 

 

 

――俺がいない間、母さんを頼んだぞ――

 

 

 

 左手に走る違和感。何かに掴まれたという感触。考えるまでも無い。こいつしかいない。だが、そんなわけが無い。瀕死のこいつが動けるわけが無い。

 

「……父……さん、は……言っ……たん、だ……」

 

 ありえるわけの無い現状。混乱し、まともな思考ができない。予想していない、想定外の事態に、ヒカルは棒立ちになってしまった。

 

「……母さん、を! ……頼むって!」

 

 ロックマンの赤いバイザーの奥に光が見えた。それは折れたはずの意思が元に戻った証。自分の左手を握るのは、ロックマンの右手だ。先ほどまで、死んだようにぐったりとしていた手がヒカルの手を握り潰そうとしてくる。あまりにもの握力に、ヒカルは溜まらず雷を緩めてしまった。

 

「母さんは僕が守る! 絶対にっ!!」

 

 ウォーロックの口が全開になる。先ほどまで、声すら出せなかったはずの彼の口にあるのは、限界にまで蓄えられていた緑光。まさか、スバルが意識を取り戻した頃から、こいつは攻撃の準備をしていたというのか。たじろぐ自分に突きつけられる砲口。その場所は、自分の胸。

 

「しまっ……!!」

「チャージショット!」

 

 傷口を抉る激痛が走った。耐えられず、虚無の世界に旅立とうとする意識。ツカサの声が遠くから近づいてくる。更に加えられた痛みが、皮肉にも彼の意識を引き戻す。太刀傷を蹴飛ばされたのだと理解するのに、時間はいらなかった。受け止めてくれるのは、ゴミではなく温かい腕。ツカサだった。

 それでも、ヒカルは左手に掴んだ自分達の希望を離すことはない。

 

「ヒカル!」

「大丈夫だ、アンドロメダの鍵は……」

「返しやがれ!!」

 

 二人に向けられるウォーロックの声。見れば、スバルがバトルカードをウォーロックに渡し、タイボクザンを生成したところだった。

 倒れた自分と、しゃがみこんだツカサに向かって、剣を振り上げるロックマン。歯を食いしばり、足元のゴミを踏みしめ、大きく振りかぶってくるその様は、我武者羅という印象が当てはまる。

 戦えない。今の自分ではロックマンと戦えない。ツカサ一人ならまだ何とかなる。だが、戦えない自分を見逃してくれるほど、ロックマンも甘くない。それ以前に、今のロックマンに、そんなことを考える心の余裕なんてなさそうだ。

 逃げられない。走ることもできないほどダメージを受けた自分が、こいつから逃げるなんて到底できない。ツカサに背負ってもらったとしても、直ぐには動けないし、スピードも落ちる。結局は追いつかれるだけだ。

 

 確実に勝つ方法は?

 

 確実に逃げる方法は?

 

 確実に自分達の目的を果たす方法は?

 

 一瞬の間に行った状況分析と張り巡らせた考察。その二つを経て導き出された解答に、ヒカルは笑みを浮かべた。この方法なら、自分達は確実に勝てる。これがベストだという確信があった。

 ツカサは手に温もりを感じた。同時にその手に何かが押し付けられていることに気づいた。そっちに気を取られたうちに離れる体温。飛び出した黒い影。

 残酷な音がした。

 黒い体から見えるのは、緑色の棒状の光。ツカサだけじゃない。ジェミニも、スバルも、ウォーロックも、今の状況が理解できなかった。

 

「ヒカル……」

 

 ツカサの目の前にあるのは緑色の切っ先。タイボクザンの先端。それを辿って行くと、黒い影が佇んでいる。

 ヒカルが、タイボクザンに貫かれていた。

 言葉を失うツカサ。「あ……ああ……」ともう一人の自分に手を伸ばす。そんな彼に横顔で振り返るヒカル。目元は見えず、その表情は窺えない。それに、直ぐに呆気に取られているロックマンへと向き直ってしまった。だが、最後の瞬間に、自分に向けてくれたその横顔は、どこか笑ってくれているように思えた。

 

「なぁ、お前……何を考えてるんだ?」

 

 静まり返った世界にもたらされた音。それは、今生命を終えようとしているヒカルがスバルに向かって放った声だった。貫かれているのに、その傷口から電波粒子が分散しているのに、浮かべた笑みは狂気で歪められていた。

 

「何も考えてないよな? 自分にとって都合の悪いことから目を背けて、何も考えないようにしている……だろ?」

 

 その通りだった。スバルは何も考えていない。父から言われた言葉に、約束にすがって、絆の醜い正体を見なかったことにしている。思考を止めているだけだ。

 

「楽だもんな、その方が……いい加減に見つめてみろよ。この世界の醜い有様をな……」

 

 もう、体が二つになっているのに、足と胸から上しか残っていないのに、手なんて消えてしまっているのに、ヒカルは笑みを更に強める。

 

「どこにあるんだよ? お前の言う、綺麗な絆なんて……ブラザーなんてな? く、クハハハハハハ」

 

 舞い上がっていく電波粒子。電脳世界の空へと、妖精の群れのように飛び立っていく。見る者を魅了するような美しき光景に添えられるのは、ヒカルが残した勝利の笑い声。

 立ち尽くすジェミニ・スパークWとロックマン。突如、見上げていたツカサを激痛と苦しみが襲った。足から力が抜けたかのように崩れ落ちた。

 

「な、なんで……」

「っ! そういうことか……」

 

 ジェミニは理解した。

 人間とFM星人の意識が互いにある場合、受けたダメージは両者に与えられる。いくら人格が二つあろうとも、元の体は一つだ。ヒカルが消滅したことにより、受けたダメージがツカサに還元されたのだ。

 これは、ヒカルも想定していなかった事態だった。

 手を地に着けるジェミニ・スパークW。そのとき、手の平を押す違和感があることに気づく。掴み直して、それが何かと手を広げてみる。そこにあったのは四本の獣の爪を携えた球体。三人が欲して止まなかったアンドロメダの鍵。ヒカルが最後にツカサに託した、自分達の希望。

 

「ツカサ、逃げるぞ!」

 

 ジェミニがツカサの隣に現れる。白と黒の二つの仮面のうち、黒い方にヒビが入る。亀裂は見る見るうちに仮面全体に広がり、乾いた音と共に砕け散った。ヒカルが消えた影響なのだろう。

 薄れる意識でロックマンを確認する。ヒカルの言葉を受けて、ゴミの大地を凝視するように項垂れている様子だった。

 逃げるのは今だ。今を除いてチャンスは無い。電脳の外へと飛び出し、ウェーブロードへと降り立った。空は白だ。未だに放たれ続けている『+』『-』電波。その隙間から見える本物の空は、うっすらとオレンジ色になっていた。

 ツカサは走り抜けて行く。その下に広がるのは、殺伐とした世界。今も直、絆は大切と謳ってきた愚か者達が、飽きもせずに喧嘩に明け暮れている。価値の無い世界を道連れに、ヒカルと共にしてきた自分達の目的を果たさなくてはならない。

 

「僕はこれで……」

 

 足が射抜かれ、熱が走った。もつれた足に躓き、ウェーブロードから落ちた先はあの場所だった。

 追いかけるように降り立つ青い影。逃げ切れないと悟ったツカサは立ち上がり、向かい合う。逃げ切れなくても、勝てる可能性が低くても、その手にした復讐の刃を安々と手放すこともできなくて、かつて親友と呼びたかった少年と対峙する。

 

「ツカサ君……もう、終わりにしようよ」

 

 もう、お互いに引き返せない。考えても、戸惑っても、二人は元の関係には戻れない。友達には戻れない。

 ならば、何も迷うことなんて無い。考える必要なんて無い。アンドロメダの鍵を巡って戦う。それだけだ。もう、他の道が見えないのだから。

 戦う理由なんて、それでいい。

 

 

 

――なぁ、お前……何を考えてるんだ?――

 

――何も考えていないよな? 自分にとって都合の悪いことから目を背けて、何も考えないようにしている……だろ?――

 

――楽だもんな、その方が――

 

――く、クハハハハハハ――

 

 

 

 ヒカルが残した言葉が二人の耳に響く。それが自分達に向けられているようで、事実、自分に当てはまっていて。

 それでも二人は引き返せない。

 ブラザーを結ぶ。そう約束したあの場所で、二人は剣を掲げる。

 愛する友へと向かって、夕日に染め上げられた花畑で駆け出した。



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第百九話.舞い散る

2013/6/8 改稿


 一輪の花びらが舞う。周りを飛び散る赤や青の花に雑草たち。それらを振り払う風圧と共に、緑と黄の光が弧を描く。片方はロックマンのタイボクザン。相打つのはジェミニ・スパークWのエレキソード。二振りの剣はそれぞれの使い手の思いを乗せ、ぶつかり合う。その数の分だけ、炎の花が寂しく咲き乱れ、散っていく。

 互いにあるのは苦しみ。そして、自分を保つためにすがる薄っぺらい信念。

 一つ、また一つと、火花が生まれては夕日に溶けるように散っていく。その中に垣間見えるのは、あの頃の平和な日々。

 

 

 

――スバル君、大丈夫?――

――う、うん――

 

 三年間拒み続けてきた校門を、仕方なく跨いだあの日、自分に差し出してくれた白い右手。自分と同じ男のなのに、暖かい手の温もりに不思議と手を伸ばしてしまった。

 

 

 

 ツカサの右手がスバルの左手を払う。タイボクザンの鋭利な先端が見当違いの方角を向いている今を見逃さず、払われる雷の剣。

 

 

 

――僕らは気の合う友達になれるかもしれない――

――友……達……?――

 

 かけてくれた優しい言葉。自分を学校に(いざな)うのに、少なくない要因となってくれた、嬉しかったあの言葉。

 その言葉があったから、ずっとツカサを意識し続けてきたのだろうか。

 

 

 

「終わりだよ!」

 

 あの時と同じ声だ。その声で宣告する言葉は、およそ友達へ向けるものとは遠くかけ離れたもの。

 スバルを引き寄せてやまなかったツカサは、夢か……もしくは幻覚だったのか。

 エレキソードが空へと打ち上げられる。スバルの足が、蹴り飛ばしたのだ。

 

 

 

――隣同士だね? よろしくね?――

――うん、よろしく――

 

 よくよく思い出してみれば、正式に復学して、最初に話した相手はツカサだった。自分を心から迎え入れてくれた笑みを今でも覚えている。

 

 友達になれるかもしれない

 

 ツカサの言葉に、心のどこかで頷いていたのかもしれない。

 

 

 

 打ち上げられた腕に走る痛みは痺れとなり、肘にまで達する。何度もスバルに安らかな笑みを送ってくれた彼の顔は、苦汁で満たされ、歪められる。

 

 

 

――スバル君も、皆との距離感は少しずつ掴んで行ったらいい。だからさ……――

――行こうか?――

 

 せっかくドッチボールに誘ってもらったのに、恐くて屋上に逃げ込んでしまった。皆と離れて、戸惑うことしかできないスバル。そんな彼を励まし、癒してくれたのもツカサだった。スバルを友達の輪へと誘ってくれたのは彼だった。

 あの日以降、誘われるがままに参加したドッチボール。何回か参加しているうちに、気づけば皆との距離を縮めていた。

 あそこにツカサがいてくれたから、スバルもクラスの輪に入れたのだ。皆の近くに立つことができたのだ。

 不安しかなかった復学初日。楽しいとは言い切れなかったが、どこかに感じていた充足感。あの時、胸にあったのはツカサだったのだろうと、今更に気づく。

 それら全ては、一月前の出来事。

 今では遠い昔に思える、ほんの一月前の出来事。

 

 

 

 一瞬の隙を見逃さず、距離を更に詰めて体をツカサにぶち当てた。突き飛ばされ、草花を押しつぶすように背中から大の字に横たわる。

 間隙を置かずに突き出される追撃の剣。

 

 

 

――な……なんで? なんで育田先生があんな風になったの? ねえ、スバル君!?――

――ツカサ君、黙って付いて来て!――

 

 突如学校に現れたFM星人。追いかけられ、二人で必死に学校内を逃げ回ったことを、昨日のように覚えている。

 全てを終えて戻ってきたとき、彼の無事な姿を見て、心の底から安堵したものだ。

 取り戻した日常。ツカサと学校生活が送れるという毎日。

 当たり前になっていたから気づかなかった。もし、彼が無事でなかったら、いなくなっていたら、もう自分は学校に行けなかったかもしれない。

 

 

 

 友の胸へ目掛けて放たれた剣先は、風の中を泳いでいた花を切り裂き、地面を穿つ。転げるように身を捻っていたツカサの拳がスバルの鼻面を捕らえた。

 

 

 

――ツカサ君が僕を選んでくれた。だから、ツカサ君の分まで頑張ろうって思えるんだ。僕、頑張るよ?――

 

 目立つのは苦手だ。劇の主役なんて絶対にやりたくなかった。なのに、本番前日に代行に抜擢されてしまい、涙が出そうになった。それでも、ツカサの代役だったから、ツカサの無念を背負っていたから、スバルは頑張ろうと決意することができた。舞台の上に立つ勇気を出せたのだ。

 

 ツカサがいてくれたから。

 

 ツカサとの繋がりがあったから。

 

 

 

 赤い液体を拭う間も、ツカサから目を離さない。起き上がった彼はスバルが奪い返すべき鍵を握り直し、掬い上げるように剣を振り上げる。

 

 

 

――ごめん、教科書……――

――忘れちゃった?――

――うん。良いかな?――

――もちろん――

 

 

 かわした剣が戻ってくる前に、タイボクザンを頭上に振り上げて受け止める。摩擦から生まれる音が、どこか遠くで響いているように聞こえた。

 

 

 

――ツカサ君、ごめん。頼んで良い?――

――良いよ。気にしないで――

 

 どうしても好きになれない人参を食べてもらったこともあった。グリンピースも嫌いだと偏食家な自分を告白して、恥ずかしい気持ちになったこともある。あのときのツカサも笑ってくれていた気がする。

 

 

 

 そんな笑顔など、嘘だったと思わせるツカサの顔が目の前にある。互いの悲しみに染まった目が交差する一瞬。互いに距離を置き、一呼吸つく。

 彼との思い出はこんなものではない。もっともっと、たくさんの時間を共有し、笑いあったはずだ。些細で、数秒もしたら忘れてしまいそうな日常。それでも、ツカサと話をしているだけで、毎日が楽しかった。

 

 

 

――その代わり、今度僕にだけ紹介してくれるかな?――

――……ツカサ君にだけ?――

――うん。二人だけの秘密。ダメかな?――

――……二人だけ……――

 

 

 そう言えば、数日前にそんな約束をしてしまった。嘘をついたと、ちゃんと謝ろうと思っていたのに、そんな期も逃してしまった。

 

 

――僕はね、父さんを探しに行きたいんだ――

――……え? 父さん?――

――聞いてくれるかな? 僕の話を……――

 

 

 なんであんな話をしたんだろう? 今更の疑問が浮かぶ。

 火花が散っているというのに、一瞬先に、白い死神となった友の剣が待ち受けているというのに。

 

 

――スバル君、僕の……僕の話も……いや、ごめん、やっぱり……――

――君が、自分のことを話してくれるなら……僕は聞きたいな――

 

 

 スバルの剣がツカサの肩をかすめた。かすかな手ごたえ。だが、彼の表情に笑みは無い。同時に、ツカサの剣がスバル頬を削っている。それでも、スバルの顔には苦痛も焦りも無い。悲しみ以外の感情を拒絶したように、目が細められているだけだ。

 

 

――父さんの受け売りだけれどさ。『争いは、相手を知らないからこそ生まれる。逆に、相手を知ったとき、きっとその人とは友達になれるはずだ』。僕はツカサ君と争いたくなんてないし……もっとツカサ君を知りたいよ――

 

 

 やっと分かった。至極単純なことだった。

 

 スバルはツカサが好きだった。

 

 理由や理屈なんて必要ない。ただ、それだけのことだったのだ。

 空しさで満ちる瞳の先にいるのは、ブラザーになりたかった親友のなれの姿。足元で折れ、鮮やかだった花びらに土を被った花達。ツカサはそれを見つめていた。

 

 

――……ここに来るとね、洗われるんだ。心が。僕の醜い憎しみを全て和らげてくれるみたいでね……――

 

 

 もう、あの花畑も無い。自分達が散々踏み荒らしたのだから。そこら中に散らばる四散した花達が、風に乗る。

 

 

――誰構わず、仲良く咲いているこの子たちが好きなんだ。僕なんかも、受け入れてくれそうで……――

 

 

 大好きだった彼らが死にいく様に、今更謝ろうとか、かわいそうなどといった感情は向けることができなかった。

 

「憎いんだよ、僕は……」

 

 眩しい夕焼けの中で、二人は再度、互いに駆け寄る。手に持った剣を振りかざして。

 

――全てがこの花畑見たいに、綺麗な世界になれば良い。全てを受け入れてくれるような、優しい世界になれば良い。けど、現実はそうじゃない。暗くて汚い物がたくさんある。それをなくすこともできない。だから、そこに美しいと思えるものを見つける。僕は、それが好きなんだ……君も好きになって欲しいな。この場所を――

 

 

「僕は憎いんだ! 僕をこんな風にした両親が! そして、こんなことが起きるこの汚い世界が嫌いなんだよ!! それでも、そんな事を考えちゃいけないって、この世界にある美しい物を見つけようとした! 好きになろうとした!! けれど、結局は変わらない! 変われなかった!! この世界に、両親に復讐しなければ……僕は! 僕は自分が保てないんだよ!!」

「僕は好きだよ。この世界が! この世界の美しい部分、僕は見つけられた! ツカサ君! 君と言う友人を見つけられた!!」

 

 弾け飛ぶ剣音。均衡する二本の剣。数秒の鍔迫り合いの後に、二人は大きく距離をとる。その表情に浮かぶのは、互いに別のもの。

 ツカサが面に剥き出しにするのは憎しみと怒り、そして苦しみ。歯を噛み潰すその様は、まるで自分の胸の内を覆い隠す様。

 引き裂かれるような悲しみと、踏み潰されそうな苦しみを飲み込み、固く唇を結んだ。決意に満ちたスバルの目がバイザーの下で開かれる。

 

「だから、僕は……君を止めるよ……」

 

 

――僕と……ブラザーになってくれないかな?――

 

――ブラザーは楽しいことも、辛いことも分かち合える。一緒に背負って上げられるんだ。きっと、君の憎しみも僕が一緒に背負って上げられると思うんだ――

 

 

 あの言葉と思いに、嘘偽りなんて無い。だから、思いのままに叫んだ。

 

「君の……ブラザーとして!!」

 

 今こそ、彼のブラザーとして、彼と向き合うときだ。

 覚悟を固めた。突き進むと。その先にある結果が、どれだけ残酷なものであろうとも。

 ツカサの赤い瞳に緑が差し込む。視力を一時的に奪われたツカサは距離を置き、光に手をかざして様子を伺う。

 そこにいたのは緑色のロックマン。スターブレイクをした証だ。

 

「スターフォースビックバン!」

 

 両手を横に突き出し、足を軸に回転を始めるロックマン・グリーンドラゴン。自然の力を最大限に凝縮した彼の奥義だ。召還した葉だけでなく、大地と空に散っていた花達を吸い込み、その密度を、威力を増していく。巻き上げた草花がバイザーを叩く。その下にある瞳に込められた決意は揺るがず、光を失わない。

 奥義に対抗できるのは奥義。ツカサも左手に雷を溜め、ジェミニサンダーの準備をする。

 これが最後だと、彼は悟っていた。

 

「ツカサ、逃げろ!」

 

 それを止めるのはジェミニだ。彼の目の前にあるのは壁だ。散りばめられた花々が、ところどころを彩る緑の壁だ。散った花々を吸い込んだ竜巻は、その身の密度を増し、中の様子が一切伺えない。立ち上る風の音は嵐を連想させる。

 

「俺はてめえと心中するつもりはねえ! 逃げろ!」

 

 ジェミニの必死の訴えは、ツカサには届かない。

 ツカサなりのけじめだったのかもしれない。スバルと戦い、倒すという一連の流れを持って、ツカサは初めてスバルを切り離せる気がした。

 だから、胸にある僅かな矛盾した感情を押し殺し、持てる全ての力を左手に集中させた。雷の光がその輝きを一層増す。手に満たした雷は膨らむように大きくなり、太陽のごとく光輝く。

 互いの力が頂点に達したとき、その時は訪れた。

 

「エレメンタルサイクロン!」

 

 スバルの決心を受け継いだ竜巻が進みだす。足元にある草花達を踏み潰し、巻き上げ、食らうように我が身に混ぜていく。

 近づいてくる巨壁。突き崩そうと、ツカサも力の限りに左手を突き出した。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 黄色い太陽は一本の光と化して空を駆ける。草花を塵と変え、地を焼き、ツカサの怒号のごとく道すがらに全てを無情に焼き尽くす。

 ぶつかり合い、削り合う深緑の竜巻と雷の槍。轟音と雷鳴の蛮声は、まるで二人の悲鳴のように鳴り響き、耳を裂く。押し出された大気に髪が煽られ、熱が身を焼き、振動が足に伝わってくる。それでも、踏みとどまろうと二人は足を大地に食い込ませる。

 もとは可憐な花だったであろう灰がバイザーに墨をつけ、身を崩して消えていく。それに一瞥もくれず、ただ前を見据えるスバル。

 弾き出され、花びら達に混じる剥がれたエネルギーの破片達。自分の色で世界を一瞬間だけ照らし、オレンジ色の空へと溶けていく。全てを優しく包み込む夕方の空と、光り輝く海。その上で舞い踊る花々と消えいく火花達。

 それは、何もかもが嘘だと思わせるほどに美しく、神々しいとさえ思えた。 

 高密度のエネルギーがぶつかり合い、干渉し合えば、訪れるのは爆発。霧散するエネルギーの爆風から身を守ろうと硬直するツカサ。白一色で染められる彼の視界の奥に映る緑色の影。それは紛れも無くロックマン。

 彼の手に掲げられるは、先端に向けて細く尖っていく円錐状の剣。その周りを紫の螺旋が囲んでいる、禍々しい剣。

 二人の友の証。

 

 

――それにね……君がもし憎しみに囚われて、間違いそうになったら……僕が止めてあげるよ? 僕、腕っ節には自信があるんだ!――

 

 

 閉じた目を見開く。

 一粒の涙が散った。

 

「ブレイクサーベル!」

 

 舞い散る花びらの中、光が一筋の線を描いた。

 

 

 

 舞い散る。

 

 舞い散る。

 

 花びらが舞い散っていく。



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第百十話.壊れた絆

2013/5/4 改稿


 ジャミンガー達との交戦が始まってから、どれほどの時間が経っただろうか。無限のように湧いてくるジャミンガーと電波ウィルス達を相手に、傷と焦りだけが募っていくウルフ・フォレスト達。

 霞んだ目に差し込んでくる夕日が、酷く眩しい。そう感じたときだった。犠牲を惜しまない、数という暴力で攻めてくるジャミンガー達が、一斉に撤退したのは。

 彼らが退いた理由は、空を飛んでいた+-電波が消失したことが理由だろう。彼らのリーダーであるジェミニが倒された証拠だ。頭を失い、戦意を喪失したジャミンガー達を追撃することもできたが、見逃すことにした。身体に溜まりまくった疲労をとりたいし、気絶しているキャンサー・バブルを置いていくわけにも行かないだろう。

 ジャミンガー達が空の向こうに消えて行ったことを確認したクラウン・サンダーは、目を回して寝転がっている、でっかい頭を軽く蹴飛ばした。蹴られた頭頂部を抑えながら起き上がり、ウェーブロードの上から人間世界を見下ろすキャンサー・バブル。覚めて間もない大きな目が、さらに大きく開かれた。

 

「なんで、皆こんなに暗いチョキ?」

 

 +-電波によって引き起こされていた、ブラザー同士の喧嘩は収まった。怒りと不満をあらわしにしていた住民達も、皆正常な意識に戻っている。だが、彼らの表情は大して変わっていない。変化といえば、表情のパターンに悲しみと苦しみが追加されているぐらいだ。

 

「まあ、当然のことだろうな」

「皆、相手の本心を知っちまったんだ。もう、仲良しブラザーでいましょうって訳にはいかねえだろうよ」

 

 ウルフの言葉に、ウルフ・フォレストが頷く。

 喧嘩をしていたブラザーに背中を向けて帰宅する者や椅子に座って涙を流す者。電波の影響が無くなった今も、喧嘩をしている者達もいる。もっと酷い者は、その場でブラザーを解消しているほどだ。

 そこに、事件前の笑顔なんてどこにも無い。笑い声が絶えないはずのコダマタウンの公園には、負の声が満ちていた。

 

 

 この大都会――ヤシブタウンもコダマタウンと同じだった。都会を賑わせるはずの人々の暮らしの声がどこにも無い。暗くて淀んだ空気が充満している街の片隅で、ミソラはトランサーを一心に見つめている。

 

「出ないわね……」

「ハープ……スバル君、大丈夫だよね?」

「ええ……きっと大丈夫よ。だって、あなたのヒーローなんでしょ?」

「うん……」

 

 そうしているうちに、コール音が止んでしまった。留守番電話に切り替わり、生命を感じさせない機械音声がお決まりの言葉を口にし始めた。

 

「……ハープ……」

「大丈夫よ、大丈夫!」

 

 潤んだ瞳を拭い、もう一度電話をかけてみる。だが、空しく響くコール音がミソラの不安を更に強くさせるだけだった。

 

 

 体が重い。目蓋も、手も足も、全てに鉄鎖を巻きつけられたように重い。これが、死ぬという感覚なのだろうか。目を開けたら、血の色に染められた空が広がり、地獄への門がそびえ建っているのだろうか。

 薄い意識に任せて、恐る恐ると目を開いた。

 そこにいるのは、自分を覗き込んでいる一人の少年。茶色い鶏冠髪に赤い長袖シャツ。緑色のレンズがついたサングラスがよく似合う、星河スバルがそこにいた。

 

「……気がついた?」

「僕は……無事、だったんだ?」

 

 スバルの向こうに広がっている空の色は赤だ。しかし、赤色と言うよりはオレンジ色に近い。夕暮れの空では、太陽が水平線の向こうへと体を半分ほど沈めているところだった。どうやら、地獄ではないらしい。

 

「なんで、僕は生きているの?」

「ジェミニが直前で、君の精神を乗っ取ったみたいだよ。助かりたかったみたいだね。逆効果だったけど」

 

 雷神と称されたジェミニも、心と感情を持った電波生命体だ。焦りから取り乱してしまったり、冷静な判断ができなくなったりすることもある。それ故に誤った行動をしてしまうこともしかりだ。

 電波変換していたジェミニはツカサの精神を乗っ取り、逃げようとしたのだ。しかし、それは最後の一撃を受ける直前の出来事。もたらした結果は、ツカサだけが助かるという皮肉なもの。

 それは、スバルとツカサにとって、幸運だったのか……それとも、不幸だったのか。

 

「最後の最後で、今度は僕が裏切られたんだね……フフ……ハ、ハハハハ……」

 

 自分がスバルにした業が、そのまま自分に降りかかった事実。何もおかしくなんて無い。ただ、笑うことで、この胸に湧く黒い感情をごまかしたかったのかもしれない。

 腕で目を隠し、力なく笑っているツカサ。隣で座り込んでいるスバルの表情はずっと変わらない。灰が混じる風に任せて前髪を揺らし、夕暮れの太陽に照らされた悲しい目で、ただツカサを見下ろすだけだ。

 

「なんで……?」

 

 ツカサの笑い声が止まる。腕はそのままに、口は真一文字に結んで押し黙る。まるで、スバルの次の言葉を待っているかのように。

 

「君となら、友達になれるって……ブラザーになれるって、思っていたのに……」

 

 ツカサは自分を裏切った。分かっている。自分とブラザーになることよりも、両親への復讐を選んだのだ。ツカサにとって、自分はその程度の価値しかないということだ。

 それでも、答えて欲しかった。自分はツカサにとって必要であったと、裏切ったことを後悔していると言って欲しかった。

 例えそう言ってくれたとしても、後戻りなんてできない。それでも、スバルはツカサに答えを求める。彼の中に、自分の居場所を求める。

 今にも涙を流しそうな、段々と震えていくスバルの声。指が折りたたまれ、拳が小刻みに震えていく。

 ツカサは腕の隙間からそれをうかがっていた。

 琥珀色の大きな瞳が腕越しに空を見上げた。

 

「僕……」

 

 「僕も」と言いかけて、言葉を閉じた。自分には、そんなことを言う権利なんて無い。そんな気がした。

 言葉に反応したスバルと目が合いそうになる。それが辛くて、本心を覗き込まれそうな気がして……腕を強く目に押し付けて、自分の視界を塞いだ。

 

「僕は……そうは思わない。結局、僕達はこうなる運命だったんだよ」

 

 それはスバルに向けた言葉。だが、まるで自分に論じているようにも思えた。きっと、気のせいだろう。胸に刺さる言葉の棘を無視して、歯を食いしばる。

 

「安心してよ。もう、君の前には現れないから」

 

 焼け焦げた草花を踏みにじるように立ち上がる。あの大好きだった花畑は、今は見る影もなくなっていた。焦土と化した大地の匂いが鼻をつき、灰と焼け焦げた花びらが空に舞う。僅かに残った花達も黒ずみ、茎が折れ、無残に地面で横たわっている。

 戦いの余波で引き千切られたのだろう。転がっていた赤い花が風に持ち上げられ、空へと寂しく舞い上がる。真っ赤な花弁の一部は焼けただれ、黒くなってしまっている。目の前を通り過ぎるその花に一瞥することも、その場から一歩も動こうとしないスバルに振り返ることもなかった。

 

「大好きな憩いの場所を壊してまで、君は復讐がしたかったの?」

 

 後数歩で階段に差し掛かる。この場から逃れられる位置で、ツカサの足が止まる。スバルもツカサを見ようとしない。先ほどの場所で膝を突き、地面に視線を落としている。

 スバルに本当の気持ちを言うならば今だ。

 

 ブラザーになりたかった気持ちは本当だった。

 

 そんな言葉は、彼を傷つけるだけだ。

 数秒の沈黙の後、自分の気持ちを飲み込んだ。ヒカルに唆されたことなんて、言い訳にならない。

 これは自分自身が犯した罪だ。

 

「そうだよ。そうしなければ、僕は前に踏み出せなかった」

 

 スバルの息を呑む声が、風に混じって聞こえた。だが、ツカサは振り返らない。見るのが嫌だった。怒っているのか、悲しんでいるのか、それすら確かめたくなかった。

 だが、これで良い。もう、お互いの評価や好意を気にする必要なんて無いのだから。

 このまま嫌いになってくれたら良い。彼に愛してもらう資格など、自分には無いのだから。

 潰れてしまいそうな自分の心はこのまま永遠に隠してしまえば良い。そうすれば、彼がこれ以上傷つくことは無いのだから。

 

「絆は大切……? 絆は人を救ってくれる? そんなの嘘だよ。人は自分が一番大切で、可愛くてしょうがないんだ。そのためなら、簡単に好きな人を裏切る。僕が君を裏切ったようにね。結局、絆なんてこんなものなんだよ」

 

 言い切ってしまった後でも、後悔に溺れてしまいそうな自分。歯を食いしばり、足掻く様に前に踏み出した。

 結局、ツカサがスバルの顔を見ることはなかった。

 階段を降りる音が聞こえなくなり、風の小波の音だけの世界になっても、スバルはそこから一歩も動こうとはしなかった。

 ずっと見守っていたウォーロックも、何も言わない。アンドロメダの鍵を握り締め、スバルの細くて折れてしまいそうな背中を、見ていることしかできなかった。

 空から一厘の花が落ちてくる。先ほど風に乗っていた、少し焼け焦げた花だ。陽光を浴びて煌いたそれは、吸い込まれるように海の一点へと落ちる。

 波に静かに飲まれた赤い花は暗い海へと沈んでいった。

 

 

 

六章.舞い散る(完)



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終章.スバルの絆
第百十一話.戻った時間


 ついに終章です。スバルとウォーロックの最後の戦いを、どうぞご覧ください。


 コダマタウンの一日の始まりを告げる陽射しが立ち並ぶ家屋に優しく降り注ぐ。灰色の歩道を踏みつける無数の足と、黒い道路の上を飛んでいく車が街を賑わせる。

 どこの町でも、毎日描かれる光景の一角。そこに構えられている二階建ての家にも、太陽は神のごとく平等に自らの温もりを送り届ける。その姿はまさしく神話として各地で語り継がれるに相応しい。

 神の温もりに抱かれた部屋は、眠る赤ん坊のごとく静かだった。平日の今頃なら、慌しい足音が駆け回るはずのこの部屋では何の音も起きていない。聞こえるのは、壁や窓をすり抜けてくる外の音だけだ。町を繁栄へともたらす足音達は、この部屋の住人にとっては騒音でしかない。布団を頭まで持ち上げ、邪魔な音を少しでも防ごうとする。

 布の盾のおかげで、せっかく音が小さくなったのに、部屋に音が入ってきた。丁寧かつ物静かに開く扉の音も、外の音とは比べ物にならないほど大きく、少年は眉を歪める。その理由は大きいだけじゃない。

 相手にしたくないその人物は部屋を横断し、室内に設けられた階段を上がってくる。スリッパと床の摩擦音がベッドの横で止まった。

 

「お母さん、パートに行ってくるわ。朝と昼のご飯はできてるから」

「うん」

 

 虫が鳴いたような声だった。残った眠気に従い、太陽と布団の温かさに飲まれてしまいたいのだろう。

 少年の反応は予想通りだった。だから、彼女は余計に悲しくなってしまう。

 

「ねえ、スバル……」

「……何?」

 

 早く行って欲しい。そんな態度があからさまに出ている。

 ここ数日の間、尋ねるか迷っていた。できる限り息子を傷つけたなくないという母性から、ずっと躊躇っていた。だが、流石に限界だ。今日はどうしても尋ねておきたかった。

 

「もう、学校には……」

「行かないよ」

 

 突き放すような声だった。あかねが言わんとした事は分かっていた。最後まで聞きたくなんて無い。嫌なことに余計な時間なんて割きたくない。だから、背中を向けて自分の言い分だけを酷に告げる。

 

「……もう、学校には行かない……」

 

 分かりきっている。息子がこういうだろうということなど、尋ねる前から分かっていた。それでも、あかねは僅かな希望にすがり、尋ねずにいはいられなかった。結果は、あかねを悲痛の思いにからさせる言葉。

 物悲しい視線が背中を射抜く。胸に穴を穿たれたような気がして、それを塞ぐように布団を強く抱きしめた。

 

「……これだけは、言わせてね……スバルが学校行ったとき、お母さん、不安だったけど、嬉しかったわ。止まっていた時間が動き出したみたいで……スバルが段々明るくなって、学校の話をしてくれるようになって……ブラザーが、友達ができたって言ってくれて……お母さん、本当に嬉しかったわ」

 

 全てを受け流した。本当は布団を耳に押し付けて、一文字たりとも聞きたくなんてなかった。でも、母に対してそんな粗暴な態度をとる勇気も無くて、中途半端な態度をとる。

 

「夕方には帰ってくるから。じゃあ、行って来るね」

 

 足音が部屋から出て行った。階段を降りる音が止み、部屋は無音に戻る。微動だにしないスバルに話しかけるのは、トランサーから出てきた居候だ。

 

「やっぱり、引き摺っているのか?」

 

 何の言葉も返ってこなかった。スバルは布団を更に抱き込み、頭からつま先まで、綺麗に包むだけだ。

 ツカサに裏切られた二日後の月曜日、スバルは学校を休んだ。母は意外にも受け入れてくれた。土曜日の夜遅くに、息子は帰ってきた。酷く沈んだ顔をしてだ。

 あの時のスバルは、数ヶ月もの間、憔悴していたのかと思わせるほど気落ちした表情をしていた。あかねに元気をくれていた茶色い瞳は闇一色に染まり、金曜日の宴会が嘘だったように何も食べず、泥だらけの身体を洗い流すことすらせずに就寝した。翌日の日曜日には部屋から一歩も出てこなかった。

 あかねも無理をさせたくなかったのだろう。この一週間、息子を休ませることにしてくれた。そんな母に感謝はしているものの、期待には応えたくなかった。

 もう、学校になんて行きたくない。

 そんなスバルの気持ちを察しているのだろう。ウォーロックも下手な言葉や安い言葉をかけようとはしなかった。相手を励ますために優しい言葉をかけるなど、ウォーロックにはできないし、しようとも思わない。

 

「……おふくろ、泣きそうな顔していたぜ」

 

 それでも、それだけは言っておいた。

 落ち込む相手にウォーロックが告げる言葉があるとするなら、それは真実だ。FM星を裏切り、一人で復讐の道に走ったウォーロックらしい行動だろう。

 何の反応も無く、物のように動かないスバル。彼にかまうことを止め、窓から外を見てみた。ガラス一枚向こうの景色は、まるで別世界のように感じられた。

 

 

 最寄のバス停に向かおうとすると、必然的に登校する子供達の群れの中に紛れることになる。バス停がコダマ小学校の側にあるからだ。そこに向かおうとすると、川に架けられた橋を渡る必要性がある。

 あかねが立ち止まったのは、その橋のちょうど真ん中辺りだった。振り返って見ているのは、自分の家の二階の窓だった。ウォーロックが実体化していたら、今頃悲鳴を上げていたことだろう。幸いにも、今のウォーロックは人には見えない周波数になっている。

 あかねは窓ガラスだけを見ている。その向こうで、未だに布団に包まっているのだろう息子を思い浮かべながら。

 

「やっと、学校に行ってくれるようになったと、思っていたのに……」

 

 まるで、二ヶ月前だ。スバルが登校拒否していた四月と同じだ。

 やっと動き出したと思った時計の針が、元に戻ってしまったかのよう。

 それでも、世界は無情に時を刻み、その姿を変えていく。陽射しは明らかに強くなってきており、夏の訪れを人々に予感させていた。

 もう一つ、変わっていることがある。それは街の雰囲気だ。あかねの側を数えきれぬほどの子供達が通り過ぎていく。彼らの笑みは、あの事件以降、幾分か静かになったように思えた。

 今までの付き合いが崩れたため、人間関係が変わってきたのだろう。付き合いの浅かった子を選び、新たなグループを形成している様子だった。以前のような活気が戻るのはもう少し先の話となりそうだ。

 

「上手くいっていると、思っていたのにね……」

 

 青い空の下で、友達と無邪気に笑って学校に行ってくれる。

 

 あかねが望んでいた光景だ。見ていた夢だ。そんな夢がまた手の届かぬところに行ってしまった。

 ただ絶望を突きつけられるよりも、手に入りそうな希望を前にして、絶望に落とされる。そのほうが、人は深く傷つく。

 三年間、女の身一つで息子を育ててきたあかねにとって、あまりにも重い現実だった。

 

「駄目よ! ……大吾さんと、約束したじゃない……」

 

 今も宇宙まで出張に行っている夫のことを思い出し、感情を包み隠す。

 彼が居ない間、スバルの親は自分だけだ。親が挫けたら、子供は何にも縋れない。だから、あかねは目元を拭い、歩き出した。

 耐え切れずに滲み出てしまった悲しみが僅かに頬に線を描いた。

 

 

 小学校の終わりのチャイムが鳴り終わると同時に、校門から生徒達が次々と出ていく。コダマ小学校と違って、彼らの表情は明るい。+-電波も、遠方であるこの地まで届いていなかったからだろう。皆ブラザーや親しい友人とくだらない話をしながら帰路につく。

 友人といえる相手が居ないミソラは、一人で駆け足気味にベイサイド小学校の校門を潜った。適当な小道で電波変換し、ウェーブロードへと飛び上がる。元大人気アイドルゆえに孤立している彼女は、友達と一緒に帰るということが無い。よって、最短距離で、最も時間のかからないこの帰宅方法を使うのが当たり前になっていた。

 

「ねえ、ハープ。寄り道したいんだけど、いいかな?」

 

 だが、今日はすぐに家に帰ろうとはしない。提案するより早く、ハープはミソラの考えを言い当てた。

 

「ポロロン、スバル君のところね」

「うん、ずっと連絡が取れないから……様子を見に行きたいの」

 

 日曜日に、コダマタウンのバス停で別れて以来、スバルとは一度もコンタクトを取っていない。電話をしても常に留守電だし、メールの返信も無い。

 

「何かあったのか、訊きたいの……」

「良いわよ。私もあのガサツ星人に言いたいことがあるからね。全く、ミソラが心配してるんだから、代わりにメールで返信ぐらいよこしなさいよ!」

 

 ハープも彼女なりに心配してくれているらしい。彼女の人のよさに感謝しながら、ミソラはコダマタウンへと足を向けた。

 

 

「失礼します」

 

 職員室のドアを開け、中を見渡す。こんなに教員達がごった返していても、やっぱりあのモジャモジャ頭と肩幅の広い身体は目立つ。

 担任教師がトランサーを閉じたところで、近づいて声をかけた。

 

「先生」

「お、委員長か? 双葉と星河のことか?」

「はい……」

 

 流石は生徒を第一に考えている、教師の鏡である育田だ。ルナの心配そうな顔を見て気持ちを察してくれた。

 

「双葉の孤児院と、星河のお母さんに電話をしてみたんだ。双葉なんだが……毎日施設から外に出ては、どこかをほっつき歩いているらしい。星河は逆に、家から一歩も外に出ていない。後……『もう学校には行かない』と言っていたらしい」

「……そうですか……」

 

 自分の予想はやはり当たっているかもしれないとルナは感じた。スバルとツカサはそろって、月曜日から学校に来なくなった。おそらく、喧嘩でもしたのだろう。だが、一週間も学校を休むとは、相当なものである。

 一体、どれほどの喧嘩をしたのかと、不安が胸を締め付ける。

 

「先生はこれから孤児院に行って、詳しい話を聞いて来るつもりだ。星河のお母さんは夕方に帰ってくるらしいから、また今度だな」

「……分かりました。それでは失礼します」

「ああ、また来週な」 

 

 これから出発の準備をしなくてはならないはずだ。育田が忙しくなると考え、ルナは職員室を後にした。

 廊下を歩きながら考えを巡らせる。ツカサのことも気になるが、そちらは育田先生が何とかしてくれるだろう。

 問題はスバルだ。彼には誰かの支えが居るはず。そう考え、教室へと戻る。

 掃除当番のキザマロが箒を掃き、宿題を忘れてきたゴン太が窓の外を眺めていた。宿題に取り掛かる気は無いらしい。

 二人とも、空間には自分しか居ないという態度を取っていた。教室に入ってきたルナにも目もくれない。

 日曜日に喧嘩してしまって以来、三人は口をきいていない。仲の良かった二人に羽衣着せぬ物言いをされて、ルナも滅入っていた。だが、それもそろそろ終わりにしたい。

 ゴン太の机の上にバンと音を立てて手が置かれる。反射的に振り返ったゴン太の背に、悪寒が走った。おそらく、これも条件反射によるものだ。記憶が恐怖を呼び起こしたのだ。

 

「ゴン太、宿題を教えてあげるわ。さっさと片付けるわよ」

「え? ええ!?」

「いいから早くなさい!」

「ひ、ひいい!」

 

 電光石火の勢いでペンを取り上げ、ようやく宿題と向き合った。カリカリと音が鳴る。

 一週間ぶりの般若ルナの降臨を体温で感じたキザマロは硬直していた。箒を持った手が震えだし、零れ落としてしまう。

 

「キザマロ、早く掃除を終わらせなさい! ゴン太の宿題が終わるまでによ! 私が教えてあげるんだから、すぐに終わっちゃうわよ!」

「は、はいいい!!」

 

 決して怠けていたわけではないが、キザマロの小さい体が高速に動き始める。通常の三倍のスピードだ。

 

「これが終わったら、スバル君の家に行くわよ」

「え?」

「ふえ?」

 

 疲れが見え始めた二人が間抜けな声を上げて動きを止める。ちなみに、ゴン太の頭からはもう湯気が出ている。

 

「当然でしょ? 私達はスバル君の友達なのよ。それに……私はスバル君のブラザーなんだから」

 

 二人の驚愕の声が上がった。

 どうやら、二人はルナがスバルのブラザーであることを知らされていなかったらしい。



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第百十二話.アバヨ

 昼間に一度静まり返った住宅街に、再び活気が戻ってくる。学校が終わり、帰路についた子供達が町の隅々にまで流れてきているのだ。

 その光景を窓ガラス一枚隔てて眺めている少年が一人。今日も、一歩たりとも外に出なかったスバルだ。何をするわけでもなく、日常の光景を見下ろしている。

 

「あいつらが羨ましいのか?」

「……そんなわけ無いだろ」

 

 道行く数人の男子グループに目が釘付けになっていたことに気づき、スバルは目を逸らした。だが、新しい場所で止まった茶色い瞳に映るのは、じゃれあっている数人の生徒だ。

 彼らも友達なのだろうか?

 思うまでも無い疑問が浮かぶ。

 

「本当は行きたいんじゃないのか? 学校……」

「行きたくなんてないよ、学校なんて……」

 

 先ほどと同じく、声に感情がこもっていない。心に蓋をして、見ないふりを貫いているのだと、ウォーロックにも伺えた。

 角を曲がり、町の奥へと消えて行く先ほどの生徒達。空っぽになったスバルの茶水晶の瞳は手短に動いている集団を探し、特に仲がよさそうな数人の姿を映し出す。

 もう十数分ほど、スバルはこうして突っ立っていた。

 ウォーロックはこの光景をもう五日間も見ている。この時間帯のスバルは、いつもこの体制で固まっている。魅了する甘美な世界を目の前に吊り下げられても、それに触れれば心に傷を付けられてしまう。そんなことは、身にしみて分かっている。もう、彼は傷つきたくないのだ。

 遠い世界を見つめるスバルの背中を見て、ウォーロックは焦燥感に苛まれていた。今のスバルは到底戦えるような心理状態ではない。FM星人どころか、ジャミンガー一人相手にすることすら困難だろう。下手をすれば、少々強い電波ウィルスにすら苦戦するかもしれない。

 そんなウォーロックの都合など意に介さぬどころか、認知すらしていないのだろう。雲から顔を覗かせた夕暮れの太陽が目を射抜いても、スバルの目蓋は微動だにしなかった。

 

「ったくよぉ、いつまでもウジウジしやがって、男らしくねえぜ?」

 

 スバルの胸がかき乱された。あの日以来、ずっと考えないようにして、心に平穏を保っていたのに、それをウォーロックの一言が乱したのだ。

 ざらつく口内。体温を失っていく全身の細胞。頑なに形を変えなかった目蓋は必要以上に持ち上げられ、顎は反するように堅く閉ざされる。

 それをスバルの意思は許さない。この他人の気持ちを察することのできない我侭な居候に、何も言わずに黙っているなんてできない。

 

「ロックに、僕の気持ちなんて分かるもんか……友達に裏切られた辛さなんて……」

 

 痙攣するように震える唇。

 閉じたはずの心の蓋から漏れ出てくる感情。目を閉じ、落ち着かせようと小さい深呼吸をする。たったこれだけのことで、一度決壊した勢いを止めることなんてできる分けもなく、言葉を押し出していく。

 

「ツカサ君は僕を裏切ったんだ。人と付き合わなければ、こんなに傷つくことなんて無いって、分かってたのに……なんで僕は友達なんて作ろうと……」

「黙って聞いてりゃ、悲劇の主人公気取りか!?」

 

 目がひん剥かれた。洪水の予兆のようにうねっていた心は、たったの一言で氷付けにされた。

 別に励ましや慰めの言葉を期待したわけじゃない。それでも、こんなに心無い言葉を浴びせられるなんて思っていなかった。

 黙って聞いてくれるぐらいしても良いじゃないか。

 言うにしても、もう少し言い方があるじゃないか。

 そんな器用で他人に配慮できる奴じゃないことなんて、この二ヶ月の付き合いで分かっている。それでも、今の言葉に怒りを感じずにはいられない。

 唇をかみ締め、睨み付けてくるスバル。子犬のような威嚇に、ウォーロックの心が動くわけもない。

 

「お前も少しはまともになったと思ってたんだが、これまでだ」

 

 スバルの思考が固まった。熱く煮えたぎっていた脳が一瞬で冷まされたような感覚。

 ウォーロックが放った言葉は単純だ。脳内で繰り返すまでもなく、意味なんて直ぐに分かる。だが、数秒の時間を要しても、その言葉に込められた彼の意思を受けきれなかった。

 

「これまでって……」

「ああ……」

 

 自分を捕らえて離さない瞳。それを睨む様に、ウォーロックは冷酷に告げた。

 

「俺は出て行くぜ……」

 

 その一言が二人の全てに終わりを告げた。

 言葉一つ漏らさず、耳にまとわりつく言葉に呆然とするスバル。今の彼を見た者が、優しさの欠片一つでも持っていれば、慰めの言葉が出ていたことだろう。

 

「初めて会ったころに比べたら、お前も少しは強くなったと思っていたんだが、俺の見込み違いだったみたいだぜ。お前みたいな弱っちい人間なんて、FM星人もとりつかねえぜ!!」

 

 罵倒して来るウォーロックを幻覚として、冷たい言葉を幻聴だと思いたかった。

 確かに、こいつはガサツで乱暴で我侭で、優しさなんて微塵も持ち合わせていないFM星の裏切り者だ。それでも、二人はずっと一緒だった。この二ヶ月間、二人の間に合った全てを否定されたみたいで、全てを捨てられたみたいで、自分の中の何かが砕かれていくようだった。

 

「なんだよ、それ……勝手に押しかけて、勝手に出て行くって言うの!?」

「ああ、そうするつってんだろ」

 

 もちろん、否定の言葉が返ってくるわけがない。ウォーロックが口にする言葉は、スバルを傷つけるだけだ

 

「それと最後に……近いうちに、この星に異変が起きるはずだ。そのときは、どこかに隠れてじっとしているこった。それじゃあ、アバヨ」

 

 言葉と同時にウォーロックの姿が消えた。見えない周波数に変わっただけではないのかとビジライザーをかけてみる。見えたのは部屋に張り巡らされたウェーブロード。物陰から、心配そうに覗いているデンパ君とティーチャーマン。あの青い異星人の姿はどこにも見えない。

 

「なんだよ……なんで僕ばっかり……」

 

 二体の電波体の視線が、不安定な心を更に揺らす。黒い液体が泡立っているような胸中に任せて、ビジライザーを額から乱暴に引き剥がした。

 

「スバル~、お客さんよ」

 

 タイミング悪く届いた声は、先ほどパートから帰ってきた母のものだ。

 たった今、ウォーロックに愛想をつかされたばかりなのに、人に会うなんてまっぴらごめんだ。

 

「帰ってもらってよ」

「もう上がってもらったわ」

 

 あかねの言葉が終わるより早く、階段を登ってくる音がした。ドアから目を背けて窓へと顔を向ける。窓の外にある何かを見て、気分を紛らわしたかった。どうでも良いものでも、集中して見入るだけで、入ってきたお客さんとやらを気にせずに済むはずだ。

 対象物を探している間に、ドアが開いた。

 

「こんにちは、スバル君」

 

 声で、入ってきた人物が誰なのか分かった。若干沈んだ声を出す彼女に見向きもせず、無愛想な言葉を投げつける。

 

「何しに来たの、ミソラちゃん?」

「何しにって、心配だったから」

 

 室内の階段を上がり、スバルの斜め後ろに立つミソラ。スバルはミソラを意識の外に追いやろうとしているのだろう。目を一点から動かさない。

 あの日に何があったのか。なぜ連絡をくれないのか。彼に訊きたいことはたくさんある。しかし、話を切り出そうにも、そんな雰囲気ではない。唇を噛むしかない。

 

「さっき、ウォーロックのやつが出て行くのを見たけれど、喧嘩でもしたの?」

 

 空気を変えようと、ミソラのギターから飛び出してきたハープ。彼女なりに気を利かせたつもりだったのだろう。

 逆効果だ。今、スバルにとって最も触れて欲しくない話題だ。

 

「知らないよ! あんな奴!!」

 

 静かで、気まずさだけが立ち込めていた部屋に、突如上がる大声。初めて目の当たりにするスバルの怒気を前に、ミソラとハープは首を竦めた。

 今も窓の向こうを見ているスバル。その表情は、隠し切れぬ怒りを無理矢理押さえ込もうとして居る様だった。

 こういうときは、あまり刺激しないほうが良いのだろう。だが、このままではなんの解決にもならない。

 

「スバル君、何かあったの?」

 

 思い切って尋ねたミソラに、スバルは口を堅く閉ざした。どうやら、ハープはよほど大きな地雷を踏んでしまったらしい。やはり、今はそっとしておいたほうが良かったのだろうか。

 沈黙が訪れるスバルの部屋。それを直ぐに破るのは、またしても階段を上ってくる足音だ。今度の足音は複数だ。ハープがすばやくミソラのギターに潜り込んだとき、遠慮の無い音を立ててドアが開いた。

 

「入るわよ、スバル君」

 

 金色の髪と瞳が印象的な少女が入ってきた。後ろにいるのは、大きな体と、小さい体をした二人の少年だ。

 少々不機嫌そうなルナに脅えながら入ってきたゴン太とキザマロの顔が別の意味で強張った。理由は簡単だ。部屋に居るはずのない人物、響ミソラが居たからだ。

 

「あ、委員長」

「ミソラちゃんじゃない、久しぶりね」

 

 ミソラを見て石になっている男の子二人を無視して、簡単な会話を済ませるミソラとルナ。二人が共に見るのは、目的の人物の後姿だ。彼は相変わらず自分とは無縁な外の世界を見つめるだけだ。周りに居る人など、人形ぐらいにしか思っていないのだろう。

 

「学校に来ないなんて、何考えてるの? ツカサ君も学校に来ていないし、あなた達喧嘩でもしたの? 話してよ。私たちはブラザーよ?」

 

 スバルに投げかけられるのは、ルナの善意から来る言葉だ。しかし、それは傷口に塩を塗りこむ行為だ。スバルの心に不用意に踏み入れすぎている。

 だんまりを決め込んでいるスバルは何も答えない。ツカサの名前が出たときに、口元が僅かに動いたのを、ミソラは見逃さなかった。

 

「出て行ってくれ」

 

 夕日のような静かな声が響いた。

 てっきり、スバルとツカサしか知らない情報を言ってもらえると思っていたルナは、スバルの予想外の言葉に困惑する。

 

「ちょ、なによそれ?」

 

 取り乱し、声を張り上げるルナ。少々の怒りから眉を吊り上げるルナに対し、ミソラは刺激しないようにとスバルの次の言葉を待つ。

 

「スバル君、私はアナタのために……」

「皆出て行ってくれ!!」

 

 遮り、荒らぶる感情のままに怒号を突きつけるスバル。自分の周りに壁を張り、何者も寄せ付けようとしない様に、四人は言葉を失った。

 ルナは拳を震わせ、ゴン太とキザマロは面食らっている。ミソラは鎮痛な眼差しを送り、胸にあるペンダントを握るだけだ。スバルに貰ったそれは冷たく、ミソラを言い知れぬ不安へと誘う。

 四人の視線を受けても、スバルは微動だにしない。前髪で目元が隠れ、ほぼ真横に立っているミソラからも窺うことはできない。

 意を決したミソラは階段を降り、歯軋りをしているルナの肩に手を置いた。

 

「今は出直そう、ね?」

 

 四つの足跡が素直に自分から遠ざかっていく。

 扉の前でミソラは立ち止まった。少し迷ってから振り返り、スバルに声を掛けた。

 

「生きていくってコトは色んな重荷を背負っていくコトだと思うの。ブラザーはその重荷を分かち合える存在だよ。だから、もっとブラザーを頼っても良いんだよ?」

 

 それでも、スバルの背中は微動だにしない。ミソラも、今度こそ部屋から出て行った。ドアが閉まる音を最後に、無音が訪れる。

 広くなった部屋はどこか肌寒かった。



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第百十三話.断たれたブラザー

 スバルは太陽が最後に一際明るくなる時間を歩いていた。公園からは無邪気な声が聞こえてくる。耳に触る騒音を退けようと、ワイヤレスイヤホンを耳栓代わりにして、トランサーをいじくる。人の声なんて聞くぐらいなら、曲でも聞いていたほうがよっぽど良い。

 スバルの耳に軽快な曲と声が届いてくる。聞く者達の気分を高揚させてくれる優しい曲だ。耳を傾けたくなるような音の束を、聞き始めて数秒もしないうちに停止させた。ミソラの曲しか持っていないことを忘れていた。歩くことだけに集中してしまおう。そのほうが気が楽だ。

 大好きな景色を見ようと、見晴台へと続く広場に出る。そこには、誰が見るわけでも無いのに、今も展示されている黒い機関車がポツリと取り残されていた。

 初めて戦った場所はここだった。見上げる先にある見晴台で、口の悪い異星人と出会い、電波変換し、この機関車の電脳内で電波ウィルス達と戦ったのだ。恐かったものの、味わったことの無い達成感に体が震えたのを覚えている。たった二ヶ月前の話なのに、懐かしい思い出となって、スバルを感傷の思いにさらす。

 結局、居候されるだけされて、父のことを何も聞き出せなかったと、今更に気づいた。だが、何も感じない。悔しいとさえ思わない。それだけ、自分にとってアイツはどうでも良い存在に成り下がったのだから。

 更に階段を上って、見晴台へと上がる。出迎えるように、夕日がオレンジ色にコーティングした町を用意してくれていた。まるで、スバルの来訪を歓迎してくれているかの様。その仕事ぶりはスバルの期待以上だ。

 雄大な景色は、ここに通う様になった三年間の中でも一際素晴らしいと断言できた。それなのに、心は晴れない。この見る者の心を奪う美しい景色に、自分の醜い魂を晒されてしまったかのようで。

 そう言えば、しばらくここには来ていなかった。いつからだろう、ここに来なくなったのは。ずっと構ってくれなかった仕返しにと、景色に意地悪でもされているような気分だ。

 

「やっぱりここにいた」

 

 自分だけの安穏な世界に土足で踏み込んでくる奴らがやって来た。ミソラの声に振り返ると、後ろからルナも付いて来ていた。ミソラ一人でも相手にするのが億劫なのに、ルナも一緒となると面倒さは二倍だ。今はこいつらとは口もききたくない。

 

「もう僕に関わらないでよ」

 

 気持ちを隠そうともしない、あからさまに嫌な態度を込めた声で出迎えてやる。つい先ほど帰れと言って追い出してやったのに、わざわざ探しに来やがったのだ。向こうの用件にある程度応えてやらないと、こいつらはいつまでも自分に付きまとうだろう。鬱陶しい事この上ない。適当にあしらってやるのが一番利口な方法だと言える。

 顔も見たくないが、一応向き合ってやる。そのほうが、相手の機嫌を損ねずに事を運べるはずだ。これだから、他人と関わるのはめんどくさい。

 

「スバル君、いったい何があったの? ウォーロック君も探しに行かないと」

 

 ミソラのいう、『ウォーロック』と言うのが何かは分からないが、ルナは尋ねないでおいた。今の問題はウォーロックという人ではなく、スバルなのだから。ミソラの言葉に乗っかっておくことにする。

 

「スバル君、こう言う時にお互いを支え合うのがブラザーなんじゃないの? アナタのお父様のコト調べさせてもらったわ。アナタのお父様は誰よりもブラザーバンドのもつ絆の強さを信じた人だわ。きっとお父様は今のアナタを見たら酷く失望するでしょうね」

 

 またブラザーか。と、内心ぼやいた。何時でも何処でもそうだ。皆、たった数文字の単語に魅せられ、それが魔法の言葉であるかのように呟き、振りかざす。愚かなことこの上ない。

 もう先週の事件を忘れたのだろうか。そのブラザー同士でもめあい、いがみ合い、争いあったのだ。全てがブラザーという言葉で覆われたまやかしであると、なぜ気づかないのだろう。自分のように、一度裏切られないと分からないのだろうか。

 

「ねえ、スバル君……」

「もう嫌なんだ」

 

 だったら、今の気持ちを存分に告げてやろう。

 スバルの一言は辺りの空気を冬のように冷たくし、ミソラの言葉を遮った。言葉一つ聞き逃すまいと心配そうな目を向けるミソラと、どんな言い訳をしても反論して見せると出方を伺うように睨んでいるルナ。

 二人の目に、スバルは交互に視線を合わせる。

 

「誰かが心の中に深く入ってくれば入ってくるほど、裏切られたり、その人を失った時の傷は深くなるんだ……」

 

 ツカサは自分にとって親友だった。この人とブラザーになりたいと、あれほど思ったことは無かった。それだけ大好きだった彼に裏切られた。

 

 

 信じていたのに……

 

 

 大好きなお父さん。大吾の逞しくて眩しい背中は憧れで、これがヒーローの姿だとスバルに見せ付けてくれた。負けるわけの無いヒーローが帰って来なかったあの日、スバルの中で何かが壊れた。

 古い心の傷の上に、新たに付けられた大きな傷。痛い、悲しいという陳腐な言葉では、表わすことなどできないほど深い。あんな気持ちをまた味わうくらいなら……また、こんな思いをするくらいなら。

 

「もう、これ以上傷つきたくないんだ! だから、もう誰とも関わらない」

「スバル君……私とブラザーバンドを結んだ日のことを忘れちゃった?」

 

 なんで自分の気持ちを分かってくれない。もう、傷つきたくない。だから、刃になりえそうなものを全て遠ざけるだけだ。

 ただ、それだけなのに。なぜこの少女は分かってくれない。

 この子と会う度に、眩しいほど輝いていた名前の分からない感情も、今は何処にも見当たらない。彼女への気持ちは、ただの気の迷いだったのだと理解した。

 

「スバル君も新しいスバル君になれるように頑張ろうって。お互いに新しい自分になろうって、二人で誓ったよね。私は君とブラザーに成れて強くなれたよ? だから……」

 

 ブラザー……ブラザーブラザーブラザーブラザーブラザー……この世で最も嫌いな言葉だ。聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない!! もう、その言葉を聞かせないで欲しい。

 

「もう沢山だ!!!」

 

 傷つきたくない。自分を守りたいという思いのままに、スバルは二人を遠ざけ、傷つける。二人が怯えていようが、驚いていようが、気にかけるつもりなんて無い。

 

「ブラザーバンドがなかったら、ブラザーなんてなかったら、こんなに傷つくことなんて無かったんだ! もう……」

 

 父の発明品だろうが、知ったことか。どれだけ世間が素晴らしいと認めていても、自分を傷つける害でしかないのだから。なら、簡単なことだ。

 

 

 

 ブラザーバンドなんていらない

 

 

 

 スバルの口が残酷に動いた。

 ミソラとルナが凍りつく中、スバルは背中を向けてトランサーに手をかける。途端に、三つのトランサーから鳴る機械音。

 

「……まさか……ブラザーを切ったのね?」

 

 息を呑んだルナが確認のために、己のトランサーを開く。そこに、スバルの姿は無かった。目に見える分はっきりと分かってしまう、絶交の証。

 

「意気地なし!」

 

 ルナの懇親の声が上がっても、足音がこの場から去って行こうとも、スバルが振り返ることは無かった。ただ、銅像のように夕焼け空を眺めるだけだ。

 ミソラも同じだ。ルナと同じく、ショックを隠せない。唯一運が良いと思えたのは、今にも泣き出しそうな顔をスバルに見られなかったことだろう。

 今のスバルに、自分の声は届かない。あの時、この場所で自分を助けてくれた星河スバルはもういないのだ。自分では愛する人を救えない。その事実を前にして、闇に突き落とされても、なおも少女の純粋な思いは足掻きたいと光を探す。

 だから、自分の気持ちだけは伝えておきたかった。スバルが自分にくれた勇気を、少しでも返してあげたかった。

 悲痛な面持ちで言葉を搾り出す。

 

「ブラザーを切ることはできても、人と人の絆は簡単には切れないよ。よく考えてみて……」

 

 スバルは何も答えない。影に染まる背中は、ただ一人にしてくれと訴えていた。ここでできることは無いと、ミソラは踵を返した。

 声から、涙を堪えていることなんて気づいている。でも、振り返りたくなかった。

 

 やっと、一人になれた。もう、誰も自分に関わることなんて無い。ミソラとメールをすることも、ルナが学校に誘いに来ることも無い。もう、傷つくことは無いのだと思うと、この世の全てから開放されたような安らかな気持ちになれた。

 それなのに、見上げた空は落ちてきそうなほど眩しかった。

 

 

 子供たちに帰宅を唆す夕日に照らされた公園から、影が一つ一つと去っていく。BIGWAVEの店長――南国にとって、一番忙しい時間が終わった。仕事帰りのサラリーマンや、遅い時間に帰宅する高校生や大学生を呼び込むために、お店は夜もやっている。けれど、やっぱりこの時間が一番忙しい。

 最後のお客さんである千代吉を見送ろうと、お店の外に足を踏み出した。「……あ」と千代吉が足を止める。彼が見ている先では、背もたれに真っ白になった体を任せ、呆然と空を見上げている二人の男の子がいた。

 ゴン太とキザマロである。自分たちのアイドルであるミソラがスバルとブラザーだったこと、ルナが彼女と親しかったことを同時に知った二人。ミソラファンクラブの一員としてそれなりに大きいショックを受けたのである。

 南国と千代吉は近づこうとしたが、すぐに足を止めた。公園の入り口に、呆けている二人の友人の姿が見えたから。先日のことを思い出し、関わらないようにと、二人は店内に

身を潜めた。

 二人が気配を消したとき、ゴン太とキザマロもルナが帰ってきたことに気づいて、立ち上がった。

 

「お帰りなさい、委員長」

「で、どうだったんだ?」

 

 何も語ろうとしないことから、結果は尋ねるまでも無いことは明白だった。それでも、やっぱり訊いておきたい。スバルとの間にどんなやり取りがあったのか詳しく知っておきたい。

 ルナは口を真一文字に結び、俯いたまま顔を上げようともしない。よっぽどのことがあったのだと察する二人。どう対応すれば良いのかと顔を見合わせたとき、足音が公園に飛び込んできた。ゴン太とキザマロからは、ルナの背中越しにはっきりと見えた。遅れて気づいたルナが振り返ると、ミソラが息を切らしながら駆け寄ってきたところだった。

 

「あ、あのね、委員長。スバル君を見捨てないであげて!」

 

 息を切らしそうになりながらも、奥底に涙を溜めた目で訴えてくるミソラ。ルナには疑問でしかなかった。なぜ、この少女は、そんな事を言えるのだろう。この世で最も辛いことをされたばかりだというのに、身を裂かれるような思いをしているはずなのに。

 

「スバル君は人と関わることに臆病になっているだけよ。必ず戻ってきてくれるよ! だから……」

「だから何だっていうのよ!?」

 

 ルナが眉を吊り上げる。腰に手を当てた仁王立ちに、睨み付ける鋭い目。いつもの鬼委員長になっている。少なくとも、店の中から覗いている南国達三人にはそう見えた。

 

「『また、学校に誘ってあげて』とでも言いたいの!? 嫌よ! あんな奴、ほっといたら良いのよ!」

「そんなこと言わないで! ブラザーの私達が待ってあげなかったら、誰が待ってあげるの!?」

「そんなの知らないわよ!」

 

 食い下がらないミソラに踵を返し、ルナは乱暴な足音を立てながら歩き出した。ルナの行動を見て、口を半開きにしていたゴン太とキザマロも、慌てて背中を追いかけた。いつものフォーメーションができたことを確認すると、ゆっくりと後ろを伺った。公園の広場の中央で、一人取り残されている少女がいた。地面を睨み、肩を震わせている。

 彼女のファンとして、力になってあげたい。しかし、二人には、彼女以上に力になってあげたい人が居る。

 その本人には聞こえないように、少し距離を置いて、二人は小声で耳打ちしあった。

 

「委員長、落ち込んでるな……」

「ええ、らしくないですよ。相手から逃げるなんて……」

 

 言い争いになったら、相手がグゥの音も出ないほど完膚無きにまで叩きのめすか、自分が納得するか妥協するかまで話をつけるのが白金ルナだ。背中を向けるなんて、まずありえない。

 それに、いつも一緒に居た二人は最初から感覚で気づいていた。本当に怒った時のルナの恐さは、こんなものではないということを。今のルナは、自分を隠そうと必死になっている風に見えて仕方なかった。

 

 ルナ達の気配が公園から立ち去っても、ミソラはその場から動こうとはしなかった。

 夕日の温もりに反するように、足には冷たい感覚が走る。まるで、この広い世界に一人取り残された様。

 光の無い目をした顔を上げると、服の中で何かが擦れた事に気づいた。首からかけたチェーンを引っ張り、貴金属を取り出した。スバルに貰ったハート型のペンダントだ。目を閉じて握り締めてみれば、スバルの笑みが聡明に浮かんでくる。自分にくれた太陽のような温もりは確かにそこにある。

 

「私は……私は君を信じるよ、スバル君」

 

 存在しない希望にすがっているだけかもしれない。過去に執着しているだけなのかもしれない。それでも、スバルを放っておくことなんてできない。自分を助けてくれた愛しい人が苦しんでいるのに、何もしないなんてできない。

 開いた瞼から覗くのは、光を取り戻した瞳。その目は揺らぎを忘れたように、前を見据えていた。

 

「ミソラ、どうするつもり?」

 

 これ以上ハープを心配させたくなんて無い。なけなしの元気を見せようと、ミソラは涙を飲み込んだ。

 

「スバル君に絆の大切さを思い出してもらおう。私、ロック君を探してみる!」

「分かったわ。アンドロメダの鍵も、あいつが持っているはずだし」

 

 自分ではどうしたらスバルの力になれるか分からない。なら、いつもスバルと一緒だったウォーロックを頼るしかない。彼を探し、スバルの元に連れて行く。自分ができるのはそこまでだ。

 頷きあい、ミソラはギターを背負いなおして走り出した。

 行き先も、ウォーロックの居場所の検討もつかないのに、気持ちの勢いに任せてミソラは小さい体をひたすら前へと進ませる。無力な自分がどこまで力になれるかなんて分からない。けど、じっとしてなんて居られない。

 

 彼女の健気さに呆れるようにハープは笑ってみせた。同時に、こんな状況下でどこかをほっつき歩いているウォーロックを必ず見つけ、一発引っ叩くと心に決めた。



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第百十四話.動き出す闇

 明かり乏しくなり、町が寝静まったその時間に、男はベッドから這い出した。どうにも最近寝つきが悪い。時計を見てみると、まだ数時間しか寝ていなかった。なのに、頭を鈍くしてくれる睡魔と呼べるものがどこにも見当たらない。身体をだるくしてみようと軽く体操をして見ても、目は冴えていくばかり。

 気休めだと分かっている。

 眠れない理由は蟻のように這いずり回るこの胸騒ぎだ。原因も分かっている。あの罪を背負った日から、ずっと己の奥にしまい込んで来た予感だ。

 窓の外を見上げてみれば、そんなことは杞憂だと笑ってくれる星空が広がっていた。おまけに、黄色い線が夜空をかけると言うデコレーション付きだ。飛行機でも飛んでいるのだろう。視力が落ちてしまったこの目が、自分の歳を痛感させる。

 この美しい世界のどこかに、今も彼らは居るのだろうか。

 

「どれ、仲直りの印にと貰った酒でも飲むかのう」

 

 この景色を肴に大好きなお酒を一杯飲もう。酔って、全て忘れて、そのまま眠ってしまおう。

 酒を取りに、壁際の戸棚へと老人は歩き出す。後ろの窓に描かれた夜空。そこに黄色い線を描いていた飛行機が若干のカーブを加える。そのまま弧を描き、綺麗な丸を描いて見せた。そして、一点でピタリと動きを止める。数秒間その場に留まった後、まるで生きているかのように、町の中央へと飛び込んでいった。

 老人が戻ってきたのは、ちょうど光が消えた後だった。いつの間にか飛び去ったと想われる飛行機に杯を掲げ、グラスにそっと口をつけた。

 隕石のごとく空気を押しのけて突き進む光。その先にある一軒の民家の屋根にぶつかる直前に、それは宙で動きを止め、黄色い閃光を自分の周囲に撒き散らした。光が止まった場所はコダマタウンの上に、網のように敷かれているウェーブロードだ。町を見下ろす彼の、静かな声が夜闇を包む。

 

「この恨み……晴らさせて貰うぞ、ウォーロック……」

 

 

 カップに注がれた漆黒の液体を喉に流し込む。いつもはここにたっぷりの砂糖とミルクを混ぜるのだが、今は我慢しよう。苦いほうが、眠気が覚める。今日は仕事が残っているので徹夜しなければならない。それに、ブラザーである助手にもダイエットを勧められているのだから。

 

「そういえば……大丈夫なのかな、スバル君」

 

 NAXAからの調査依頼に加えて、少し前には新型携帯端末の開発の一部を委託されている。研究所は上へ下へ、右へ左へと大忙しだ。立て込んだ仕事のせいで様子を見にいけなかったが、あの少年のことはいつも頭の隅にあった。

 「また不登校になってしまった」尊敬する先輩の奥さんが教えてくれた言葉だ。あんなにか細くて弱々しい声は、あの事件以降の三年間で聞いた事がなかった。

 力になりたい。

 だが、仕事をほっぽり出すわけには行かない。

 湯気の立つ水面に映る自分を見つめ、改めて決意をする。この仕事が一段落着いたら、一度顔を見に行こう。自分にできることがあるかもしれない。体に激を入れようと、熱い液体を勢い良く口に運ぶ。

 

「あ、天地さん!」

 

 背後から飛び掛ってきた声に、カップを落としそうになった。後ろを見ると、足も地に着かぬほど取り乱した宇田海が息を切らして手をかき混ぜていた。

 

「どうしたんだ、宇田海君。そんなに慌てて」

「と、ととと、とりあえず来てください!」

 

 それ以上の言葉は要らなかった。すっ飛んでいく宇田海の後を、カップの中身が零れぬ程度に全力で追う。

 人見知りで挙動不審だが、一流の研究者である宇田海がこれだけ取り乱している。並大抵の事態ではないことは明白だ。

 パソコンが壊れてデータが吹っ飛んだのか。仕事内容に予想外の事態が起きたのか。

 想像できる限りの最悪の事態を想定しながら案内された場所は、ひとつのパソコンの前だった。

 

「こ、これです! これ、見てください! こ、こ、この周波数!!」

 

 落ち着かない手が指し示している画面に目を凝らし、助手が言おうとしていることを探る。説明して欲しいが、今の宇田海では無理そうだ。

 細められていた天地の目が徐々に開き、画面に引き出されんばかりに広げられた。

 

「これは!? ……いつキャッチした!?」

「つ、ついさっきです! それで、すぐに天地さんにと……!!」

「直ぐに解析するぞ! ……ミトレ君が夜勤だったな。彼女に加えてあと数人、誰か呼んでくれ! 人手がいる!!」

「は、はいぃ!」

 

 研究室から飛び出す宇田海。彼を見送る暇もなく、天地はパソコンの前にドカリと腰掛け、キーボードを叩きだした。

 

「まさか本当に……?」

 

 確かな希望と、無視できない危険性を前にして、天地は頭を全力で回転させる。とっくに眠気は吹き飛んでいた。それでも、少しでも回転効率を上げようと、側に置いておいたコーヒーを一気に飲み干した。

 

 

 平日の午前十時ごろといえば、社会人にとってはお仕事の時間だ。でも、今日は土曜日だ。サラリーマンのお父さん達が子供達と遊んであげる大切な日である。

 そんなことは、この尾上十郎という男には関係ない。彼が仕事を休んでも、木は成長を休んでくれない。毎日、お父さんのように彼らの世話をしてあげるのが彼の仕事である。

 でも、今日は別の意味で忙しい。大きなブラシで土の上に溜まった灰を集めて、スコップで掘った穴に落とす。かなりの重労働だ。これをもう一週間もやっている。

 

「大変そうであるな?」

「っていうか、なんでここに居るんだ、爺さん達」

「暇なんじゃ」

「尾上の仕事の邪魔だ!」

 

 黙々と作業を続ける尾上の側では三つの声が騒いでいる。彼のパートナーであるウルフが、遊びに来たクローヌとクラウンに怒鳴っているのである。忙しく働いている尾上の隣で、おじいちゃん二人が緑茶を飲んで和んでいるのだ。かなり頭にくる。

 無論、ウルフが善意でやっている怒声も、仕事に集中したい尾上にとっては迷惑な騒音でしかない。尾上の眉が「鬱陶しい」と釣りあがり、長い犬歯を供えた歯で唇を食いしばる。

 

「と言うのは冗談である。昨日、千代吉と会ったのだが、あの小僧が落ちこんどるらしい」

「小僧? ……って、ボウズのことか?」

 

 穴一つを灰で埋め終え、作業が一段落したこともあり、尾上も仕事の手を休めてクローヌに振り返った。首にかけたタオルで汗を拭い、ポケットから水を取り出して喉に流し込む。葉の緑が濃くなってきたこの季節、ただの水が体に美味しい。

 ズズーっともう一度緑茶を啜り、クローヌは頷いた。その拍子に、サングラスの下にある青い瞳と目が合った。いつもの飄々とした雰囲気はなく、彼が真剣に話していることが窺えた。

 

「うむ。ミソラちゃんと喧嘩までしおったのだ」

「キャンサーも心配そうじゃったのう」

「ケッ、流石ウォーロックが選んだ地球人だ。見た目だけじゃなくて、中身までモヤシだったか?」

 

 ウルフの例えは微妙だが、大体言いたいことは察することができた。

 

「そうか、ボウズがな……って、隠れろ!」

 

 とっさに三人が消える。庭に出てきたヒメカお嬢様が尾上を探しているところだった。尾上を見つけると、太陽に負けない笑顔を浮かべてくれた。

 

「十郎様~! 休憩にしませんか~?」

「はい、ありがとうございます!」

 

 首にかけていたタオルで、丁寧すぎる手つきで汗を拭う尾上。ヒメカに配慮しているのだと、側から見てもよくに分かる。

 年甲斐も無くニヤニヤとした目つきで冷やかす老人二人。この二人は尾上とヒメカに何をしでかすか分からない。用心に越した事は無いと、ウルフは二人に噛み付き、空の向こうへと引き摺っていった。

 誰にも聞こえない悲鳴が轟く中で、尾上はヒメカに案内されて屋敷の縁台に足を運ぶ。

 用意されていた椅子に腰掛けると、ヒメカが入れたての紅茶を注いでくれた。植物特有の甘い香りと、彼女の手作りであるアップルパイの香料が見事に合わさり、尾上の疲れを癒してくれる。

 これで庭一面に木が立ち並んでいたら最高だっただろう。残念ながら、広がるのは緑の衣を剥ぎ取られた茶色い地面と、灰を埋めるときに余った大量の土が小さい山を作っているだけだ。豪勢を詰め込んだ庭園は見る影も無くなっていた。唯一残っているのは、あの火事で燃えなかった石造りの噴水のみ。

 

「……お嬢、旦那様とは……」

「まだ仲直りできていません」

「そうですか……」

「でも、今晩、ちゃんと謝ってみようと思います」

「その意気ですよ」

 

 口を一切きこうとしない、寂しい親子を見るのは今日で終わりになりそうだと、尾上は胸をなでおろした。旦那様も悩んでいたのだから、仲直りできないわけが無いはずだ。

 ホッとすると、急に喉が乾いてきた。冷めてしまわないうちにと紅茶を口に運ぶ。

 

「あちっ!」

「あらら、十郎様ったら……」

「あ、アハハ、失礼しました」

 

 些細なことで見せてくれるこの笑顔があるから、こんな厳しい仕事でも毎日つづけてやれるのだ。

 焼きたてのアップルパイを一切れ手に取る。しっとりとした土台に、細かい層となった天井部。その間に設けられた部屋で湯気を立てるリンゴの果肉。食べてくださいと言わんばかりに食欲をくすぐってくる。

 お言葉に甘えてかぶりつくと、サクッとした食感とモッチリとした歯ごたえの中に、熟成された甘味が広がってくる。口から零れ落ちてしまいそうだ。思う存分噛み締めて、もう一度ティーカップを傾ける。秘めた思いはこのまま飲み込んでしまおう。胃袋に押し込んだとき、ヒメカの顔が曇っていることに気づいた。

 

「十郎様があんなに一生懸命育てたのに、ほとんど燃えてしまって……無駄になってしまいましたね。十郎様も、辛くはありませんか?」

 

 ヒメカの瞳に映し出されるのは庭の惨状だ。大好きな尾上が毎日小さい作業を積み重ねて造ってくれたあの庭は芸術作品と評しても過言ではなかった。それがたったの数時間で灰になってしまったのだ。自分達よりも、木々の面倒を見てきた尾上が一番辛かったはずだ。ヒメカは尾上の心境を察し、悲しんでくれているのだ。なんと心優しい女性であろうか。だから、尾上はこの人が好きなのだ。

 

「まあ、辛いっちゃ、辛いですね。ここの木は、俺にとっては子供みたいなもんでしたから」

 

 口では辛いと言っているが、大きな傷の入った顔は平然とした笑みを浮かべている。心配させぬようにとカラ元気でも振る巻いているのだろうかと、ヒメカは尾上の本音を探ってしまう。

 

「ただ……今は次の木を育てるのが楽しみなんですよ。きっと元気に育ちますよ?」

「なぜ、そう言えるのですか?」

「なんで、俺が灰を埋めているのか分かりますか?」

 

 質問で返してきた尾上に、ヒメカは首を横に振った。

 

「あの灰には、栄養がたっぷりあるんです。俺が育てた木が元になっていますからね。次の木は、その栄養をもらえるから、よく育ちますよ」

 

 紅茶で一呼吸置いて、尾上は自慢げに話し始めた。その目は嬉々と輝いており、彼の情熱が燃えていた。

 

「確かに木はなくなっちまいました。けれど、俺がしてきた努力は無駄になりません。次に生かせますから。だから、無駄なんて無いんですよ」

 

 尾上は最後に、もう一度笑って見せた。言葉から、彼の熱を受けたのだろう。ヒメカも尾上の瞳の炎に顔を綻ばせた。

 

「……そうですね。無駄にはなりませんよね。あの子たちも」

 

 もう一度庭を見るヒメカ。そこに、先ほどのまでの悲しみはどこにも無く、少し先の未来に微笑んでいる彼女が居た。

 

「次の子達は、やんちゃ坊主みたいに育つでしょうね?」

「へへっ、望むところです!」

 

 ちょっと見とれていた尾上は、自分に任せてくださいと小さく腕を見せつける。

 二人の笑い声が空に吸い込まれていった。



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第百十五話.勇気の道

 103デパートは今日も大賑わいだ。屋上に設けられたマムシの展示会も、一時の事件が嘘のような賑わいを見せている。今も一組のカップルが展示室から出て行き、親子連れの家族が入っていくところだ。

 展示室内の控え室に入る前に、ごった返す客達に頭を下げるナルオとユリコ。誰が見ているわけでもないが、これも客を神とする者達の礼儀作法だ。ドアを潜った二人は一呼吸置く間もなく、話を切り出した。

 

「ルナは少しは元気になったのか?」

「いえ、昨日また落ち込んで帰ってきたわ」

「そうか……」

 

 この一週間、多忙ゆえに帰宅できなかったナルオはユリコの言葉に肩を落とした。今すぐにでも娘の下に駆けつけてやりたいが、仕事がそれを許してくれない。何もできない自分が歯がゆかった。

 小まめに家に帰っているユリコも同じだ。眼鏡のふちで隠れて見えにくいが、目の周りが青くなっている。心身ともに疲れているのだろう。

 

「……む? ユリコ、そろそろ時間だぞ」

「今はそんな気分じゃないわ」

「だが、以前から約束をしていたのだろ? 今断るのは失礼だ」

「……それもそうよね。じゃあ、お願いするわ」

 

 数分後、ユリコは軽く身支度を整え、展示室を後にした。屋上の広場を横切っているときに時間を確かめる。どうやら約束の時間には間に合いそうだ。

 その広場の片隅で、彼は一人寂しく座り込んでいた。急ぎ足で視界を横切るルナの母親も、彼にとっては背景と何も変わらない。そもそも、認識してすらいない。その目に生気は無く、暗く淀んだ瞳の中で、ロボットがせわしなく動いているだけだ。

 彼が見ているのは、11年前、赤ん坊だった自分を拾ってくれたゴミ収集ロボットだ。大きい目を取り付けたロボットは小さいゴミを吸い取ったり、マナーの悪い客がポイ捨てした空き缶を回収したりと、休みなく動いている。

 

「よく働くね。疲れたりしないのかい?」

 

 ロボットの動きが止まった。センサーとカメラで姿を認識したのだろう。行き交う人々にぶつからぬようにと、ゆっくりと側に寄ってきた。

 

「僕は疲れたよ。生きていることが。もう、僕には何も無い。この世の全てを裏切ったんだ……前に話したスバル君も、僕を助けてくれた君さえもね……」

 

 淡々と語る少年の前で、ゴミ回収ロボットは言葉一つ発することも無く、ただ佇んでいた。

 

「君は僕を恨むかい?」

 

 何も答えてくれるわけが無い。そんなこと分かっている。

 機械はある意味残酷な存在と言えるかもしれない。搭載された能力以上の力を発揮することは無いのだから。それ以上の期待には絶対に応えられないのだから。

 もちろん、このロボットが少年に優しい言葉をかけることも、励ましの台詞を口にすることもない。言語機能を持っていないのだから。

 目のライトを数回点灯させる。それがロボットの返事だった。少年では無く、散らかっているゴミの相手に戻っていく。

 あのロボットには悪意どころか感情すらないことなんて分かっているのに、自分の心に応えてくれるわけなんてないと分かっているのに、予想通りの結果に空しく瞼を閉じる。

 

「当然だよね……僕は、スバル君を裏切ったんだから……」

 

 あの日からずっとだ。彼にした残酷な行いがずっと頭から離れない。あの時の、一つ一つのやり取りが、何度も何度も頭の中で繰り返され、胸を焼く。自分が言った言葉、スバルの震える口調。全てが全身に染み付いて、忘れさせようとはしてくれない。

 

「どうすれば良かったのかな? これからどうすれば良いのかな?」

 

 過去に行くことができたのなら、あの時の自分を止めたい。未来の自分と会う事ができるのなら、自分の道を示して欲しい。

 どうにもならない今の自分に、目頭が熱くなってくる。でも、このまま泣いてしまったら、自分が益々価値の無い存在に成り下がりそうな気がして、小さい意地に任せて塞き止める。

 それを手助けしてくれたのは、聞き覚えのある声だった。意識を外に向けた彼が目にしたのは、屋上に入ってきた三人の影だった。

 

 

 デパートの屋上にやってきた少女は暗い顔を持ち上げた。目に映るのは両親が営んでいる展示室だ。友人二人に、朝っぱらからヤシブタウンに遊びに行こうと誘われたのはまだ良い。しかし、どうしてもここには来たくなかった。両親がいるからじゃない。あの人に助けてもらった、思い出の場所なのだから。

 ポケットからあの紙を取り出した。そこに描かれているのは、自分が愛した憧れの人。バイザーの下から見える鋭い瞳が自分を見ている。クシャリという音で我に返った。紙が少し折れ曲がり、皺がよってしまっている。慌てて伸ばして、丁寧に折りたたんだ。

 

「……帰るわ」

「あ、そんな……」

「委員長……」

 

 ゴン太とキザマロの言葉を振り切るように、ルナはそそくさと足早に階段へと向かっていく。伸ばした手の先で、ルナは階段の奥へと姿を消してしまう。肩を落とした二人は大きなため息を吐き出した。

 

「委員長……どうしちまったんだろうな?」

「やっぱり、スバル君にブラザーを切られたのがショックだったんですかね?」

「……やっぱりアイツを説得しないとダメみたいだな?」

「仲直りしてほしいですね?」

 

 そこまで言って、キザマロは口を止めた。次の言葉が口元まで上がってきているのに、飲み込もうとしてしまう。

 ずっと言いたかったことだ。このまま言わないでも良いのかもしれない。けれど、それじゃあ偽物になってしまう気がする。だから、自分に区切りをつけるために、その一言を吐き出した。

 

「この前はスイマセンでした!」

「え? あ、ああ……その……悪かったな、俺のほうこそ」

 

 キザマロが謝っていることがなんなのか、頭の鈍いゴン太も流石に気づいた。自分達が喧嘩をした理由だ。なぜか急にカッとなって、キザマロに対する不満を乱暴に並べた日のことだ。自分も謝りたかったのに、先を越されてしまった。

 初めに切り出すのはとても勇気がいることだろう。自分もずっと恐かったのだから、キザマロがどんな思いで先ほどの言葉を口にしたのか、理解しているつもりだ。ゴン太も頭を下げた。

 

「もう気にしていませんよ」

「そ、そうか? ヘヘ、ありがとな」

 

 笑みをかわした二人は、直ぐに気持ちを切り替え、同時に階段に目を向ける。キザマロを虐める事でしか自分をアピールできなかったゴン太と、彼の気持ちに気づかずに耐えるしかなかったキザマロ。二人を繋いでくれたのはあの少女だ。いつもはおっかないが、自分達が慕っているあの委員長だ。

 

「僕たちをブラザーにしてくれたのは委員長です。必ずスバル君と仲直りさせましょう!」

「おう! 喧嘩しても、仲直りすればいいんだけなんだからな?」

「まったく、調子良いですね?」

 

 二人の快活な笑い声が足音と共に走り去っていく。彼らの気配がなくなった事を確認し、ツカサは物陰から顔を出した。

 土砂崩れのように襲ってくる後悔の念。埋もれそうになる自分。足はガクガクと震え、ツカサを支えきれなくなる。顔を手で覆い隠し、倒れるように、先ほどのベンチに腰を下ろした。

 

「どうしたのかね、少年?」

 

 いつの間にか隣に老人が座っていた。おそらく、自分が物陰に隠れている間だろう。彼は声に悶えるツカサの目を見ることも無く、笑顔で足元の鳩達に餌をやっている。

 

「僕は……僕は……」

 

 無理矢理凍らせていた心は、あの二人の熱に触れて動き出してしまった。激しく動悸するそれを抑えることもできず、左胸と頭が痛くなってくる。

 今度は涙を抑えることができなかった。

 

「僕は……バカだ。なんで……なんで僕は彼を裏切ってしまったんだ……友達を……ブラザーになりたいって思った彼を……なんで……」

「だが、そのときは自分が正しいと思った道を選んだ? 違うかね?」

 

 「正しい?」違う。正しいわけが無い。大勢の人を殺めることが、大好きな人を裏切ることが、正しいわけが無い。

 

「いえ……僕は、僕が大切で仕方なかったんです。正しくない、間違っているって分かっていても……そうしたかったんです!」

 

 足だけではなく、肩も、手も、口も……ツカサ自身が感情と共に揺れ動く。唇は乾き、まるで瞳に水分を奪われたかのよう。

 

「そうしなければ……僕は……」

「じゃが、今は己の過ちを後悔している……違うかね?」

 

 対し、老人は指先一つ、眉一つ動じる事もなかった。前髪を掻き毟り、顔を覆っている手から涙を溢れ落とす少年に、老人は皺で塞ぎかけた細い目を向ける。

 

「大切なのはそこじゃよ。過ちに気づくということじゃ」

「っ!?」

 

 息を呑むと同時に、指から垣間見えていた目が大きく開かれた。

 

「過ちに気づくということ。それは前に進めるということじゃ……なんと幸運なことじゃと思わんかね?」

 

 微弱ではあれど、瞳には光が舞い戻っていた。涙に照らされたそれは、老人に感嘆の声を漏らさせる。まるで宝石のようだ。

 

「後は、君が勇気を出して、一歩を踏み出すだけじゃよ」

 

 静かにかつ雄弁に語り終えた老人は、鳩たちにもう一度餌をやり、隣を見てみる。そこにツカサの姿はなかった。

 

「行ったか……走れ、少年よ? 後悔せぬようにな……わしのように……」

 

 手に残っている餌を地に払い、杖を突いて立ち上がる。我先にと餌を啄ばんでいる鳩たちの向こうで、屋上の手すりに寄りかかる。見上げた空は青く、雲達がのんびりと散歩をしていた。

 

「ワシも、自分に向き合う時かのう?」

 

 老人に応える者はいない。

 鳩達が一斉に飛立った。老人の横を通り過ぎて、空へと飛び出していく。あの日の彼らのように、その翼を雄大に広げ、雲に向かって羽ばたいていく。

 あの日のように……希望だけを見ていたあの日のように、空はどこまでも澄み切っていた。



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第百十六話.あいつはもういない

 真っ暗な世界だった。黒以外何も無い。床も天井もなければ、上も下もない空間。

 その中央に見えるのは蒼い影。

 

「や、やめろ!」

 

 恐怖に支配された表情。自分が見たことのないアイツの姿。視線の先を見てみるが何も見えない。ただ、敵に追われていることだけは理解できた。

 

「やめてくれ!」

 

 その直後だ。無数の光が煌いた。黒を引き裂くように飛び込んできた直線が、アイツを貫いた。

 

 

「ロック!!」

 

 ガバリと跳ね起きるスバル。「ハァハァ」と荒い呼吸を繰り替えしながら、周囲を見渡す。自分の部屋だ。

 石でも乗っかっているかのように、頭はズッシリとして重い。体が重いと感じると同時に、汗でびっしょりと濡れていることに気づいた。

 

「夢……? ロック……まさか……」

 

 そこまで考えて、首を横に振った。やっぱり頭は重くて、ちょっと痛い。

 アイツは自分の元から去っていったのだ。そんなヤツ、気にする必要なんてない。そう言い聞かせている自分がいた。

 

「スバル」

 

 部屋の外から声が聞こえた。あかねの声だ。途端に、スバルは顔をしかめた。

 

「お母さん、今から白金さんのお母さんと買い物に行ってくるわ。留守番お願いね?」

 

 母の言葉を黙って聞いていた。返事はしたくなかった。学校に行かなくなった自分が気の良い声を返せるわけがない。

 しばらくすると、階段を降りていく音が聞こえた。

 胸のもやもやが大きくなった気がして、一番痛い場所を押さえた。

 数分後にベッドから這い出した。戸棚の上にあるトランサーを開く。

 

「あ、やっちゃった……」

 

 もう習慣になっていたから、やってしまった。開いた画面には、ただ四角いパネルが並べられているだけだ。

 

「……何やってるんだろ……」

 

 あいつはもういないのだ。

 いつもここで悪態ついて、あくびして、「戦いたい」とわめていた異星人は、もういないのだ。

 昨日、出て行ってしまったのだから。

 

「この部屋って、こんなに静かだったかな?」

 

 迷惑極まりない居候がいなくなったこの部屋は、やけに広く見えた。母の手が隅々にまで行き届いた壁には染み一つ見当たらない。真っ白な壁は陽光を跳ね返し、一個の部屋を眩しく染めあげていた。

 あの枕を投げつけたくなるようなむかつく顔が見えるかと、ビジライザーをかけてみる。見えたのは、こちらの様子を心配そうに伺っているティーチャーマンとデンパ君だった。目が合うと、彼らはそそくさと仕事に戻っていく。そのわざとらしい仕草が妙に気に障り、彼らから目を反らした。額にあるものを取ればいいだけだと気づいて外してみると、再び朝の日差しが目を射抜いて来る。手で振り払い、部屋を出た。もう母は出かけたはず。一階に下りても、顔を合わすことは無いだろう。

 リビングに下りると、テーブルにはおにぎりが用意されていた。台所でお味噌汁を温めて、「いただきます」と告げて口にほおばる。中身は定番の梅干だった。

 無音の空間で、黙々とおにぎりを噛み砕き、味噌汁をそそる音だけが静かに響く。

 塩がほどよく効いており、舌を楽しませてくれる。そんなはずの母のおにぎりは、何の味もしない。胸に溜まる、言葉にできない重い感情が、全てを飲み込んでいるように感じられた。

 

「……いつも、ここでロックがテレビをつけていたっけ……」

 

 リモコンを手に取り、チャンネルを回してみる。流れているのはニュースばかりだった。偉そうにふんぞり返った年寄りが、頭の悪そうな政治家を叩く番組。美人キャスターが薄っぺらい笑顔を向けている番組。それらを飛ばし、ある映像が流れているチャンネルで一度手を止めた。

 サテラポリスが増え続ける電波ウィルス被害に向けて、新しい武器を開発し始めたとか、新型携帯端末の開発が行われているという、スバル好みな番組だった。それなのに、スバルの表情は一向に冴えない。別の内容に切り替わったところでテレビを消した。

 皿を洗って片付けたら、早々に二階に上がって着替え始めた。赤い長袖シャツに、青い半ズボン。バトルカードを大量に収納できるポーチを腰に巻きつける。いつもの格好だ。流星型のペンダントに手を伸ばしたとき、ピタリとその手を止めた。

 これは父の形見だ。ブラザーを愛した父が、AM三賢者と通信するために使っていた物だ。父はなぜこれを自分の元に置いて行ったのだろう?

 このペンダントに組み込まれたブラザーバンド機能と、その起動条件を思い出した。

 

 

――スバルなら、きっと誰かとブラザーを結んでくれる――

 

――ブラザーの大切さに気づいて、大事にしてくれる――

 

 

 そう信じていたからなのだろうか?

 根拠は無いが、記憶に残っている父ならそうするような気がした。

 ペンダントは首につけなかった。ポーチの隙間に滑り込ませて、パチリと蓋をした。ビジライザーも額にはかけず、ポケットにしまっておいた。

 パソコンを開いてティーチャーマンを呼び出す。トランサーを無線で繋いで、教材データを開いた。何かに手をつけて、気を紛らわしたかった。それに、もう一週間も勉強していない。もともと、勉強は得意なほうだし、一人でやってきたのだ。ティーチャーマンの力を借りれば、直ぐに取り戻せるとパネルとペンのこすれる音を部屋に鳴らした。

 それは直ぐに止まった。スバルの手は一向に動こうとしない。

 面白くないのだ。頭に知識が入っているのに、何も感じない。

 天井を見上げれば、浮かんでくるのはあの教室だ。ゴン太が馬鹿な発言をして、ルナが激怒し、笑い声が飛び交う。育田が見守ってくれる授業風景だ。

 ペンを机に放り出して、ティーチャーマンに軽く謝罪して立ち上がる。室内の階段を上がって、棚の前に立つ。機械でもいじくっていよう。棚に手をかけて、ふと手が止まった。

 そういえば、この中に入れてしまったのだ。ツカサにあげるつもりだったプレゼント……ブレイクサーベルのバトルカード。ツカサに裏切られたあの日、このカードを持ち歩く気になれなくて、でも捨てる気にもなれなくて、カードと包装紙をこの棚に放り込んだのだ。

 このまま、棚を開いたら、あのカードを目にすることになる。結局、棚から手を離して、また階段を降りた。

 青いじゅうたんを踏みしめて、部屋の真ん中まで来て、ふと立ち止まった。

 

 これから何をしよう?

 

 いつも何をしていただろう?

 

 登校していない三年間はいつも何をしていただろう?

 

 部屋の中のものを見渡してみる。望遠鏡で空を眺めるにはまだ早すぎる。クローゼットの中には同じ服が並べられているだけ。機械には触りたいが、棚を開きたくない。勉強に戻る気にもなれない。

 学校に復学していたのは、たった数週間だったはずだ。その僅かな間に、三年間の自分を忘れてしまったらしい。

 

「静かだね……ロック」

 

 返答が無い。トランサーに手を伸ばして思い出す。あいつはもういないのだ。

 

「この部屋って、こんなに広かったかな」

 

 天井を見上げるスバルの声に答える者はいない。

 部屋がより一層広く思えた。

 

 

 ヤシブタウンに着いたあかねは無事にユリコと合流した。料理を教えるようになって以来、お互いの子供が同じ教室で学んでいると言うこともあり、親しい友人という間柄になった二人。今日はショッピングで日ごろの疲れを癒そうと、共に街中を歩いている。

 しかし、約束をした日から今日までの間に、自分達をとりまく状況が大きく変化してしまうとは思っても見なかった。

 

「そう、ルナちゃんも……」

「ええ、星河さんの息子さんも、そんなに辛いことになっていたのね……」

 

 お互いの子供が問題を抱えている。それを初めて知った二人は、歩きながら談話中だ。「お買い物どころではない」と、断るべきだったのかもしれないが、実際に会えて良かったと心から思える。

 

「どうしたら良いのかしらね……」

「ええ……本当に……」

 

 子供と距離を詰めて問題を解決したいが、そう簡単にできることではない。距離を開けて見守るだけという方法もあるだろうが、それこそできるわけが無い。時と状況を見て、その間を行き来しなければならない。糸口の見えない問題を前に、二人は意気消沈と顔を曇らせた。

 二人がもう少し、親の理想像から遠のいた不出来な人間だったら、この悲劇を避けられたかもしれない。上の空だったから、気づくのが遅れてしまった。周囲が異常に騒がしいことに。

 

 

 家にいても何もする気になれない。他人に出くわすリスクはあるが、息の詰まりそうなあの空間にいることだけは耐えられなかった。家の外に出たスバルは向ける先も無い足を突き出し続ける。展望台に行っても良いのだが、今は空を見る気にもなれない。無意識のままに訪ねた先にいた人物に、スバルは顔をしかめざるを得なかった。

 

「やあ、スバル君じゃないか! 久しぶり的な?」

 

 赤いサングラスの下で目を輝かせるのは南国だ。どうやら、毎日のように来ていたカードショップに来てしまったらしい。習慣とは恐ろしいものだと、改めて身を持って学んだ。もう、アイツは居ないというのに。

 

「そうそう、昨日、ミソラちゃんとルナちゃんが喧嘩的なことしてたよ。スバル君のことで」

 

 南国と口をきくだけでも嫌なのに、あの二人のことを話題に出されて、益々気分を害された。だが、なぜだろう。むしゃくしゃするというよりも、酷く息苦しい。

 

「スバル君が暗くなっちゃって、僕も寂しい的だよ」

 

 これ以上、この場に留まりたくない。南国の言葉に背を向け、店から逃げるように飛び出した。南国はどんな顔をしていただろう。彼がどんな気持ちだろうが、自分が傷ついているわけではないと言い聞かせ、振り返ることすらしなかった。

 やはり家にいるのが一番よさそうだ。帰ろうと公園から出た時だった。ちょうどトランサーが着信を告げた。しばらく無視していたが、段々音が鬱陶しく耳に響いてくる。諦めてトランサーを開いた。画面に出ている名前を見て、大きなため息をつく。また知っている人だ。この電話に出て、伝えておこう。もう、僕に構わないで欲しいと。

 

「あ、スバル君! やっと繋がった!!」

 

 電話をしてきた天地は、珍しく取り乱している様子だった。そんな都合はこっちの知ったことではない。天地の顔を見ないようにして、用件だけを言って切ってしまおう。電源ボタンに手をかけ、息を整える。

 

「直ぐにアマケンに来てくれ! 大吾先輩に関わることだ!!」

 

 喉から出掛かっていた言葉が、奥へと引っ込んだ。天地の言葉の意図を読み取ろうと、ディスプレイ向こうの双眼に、目の照準を合わせていた。

 単刀直入で、重大な用件だけを伝える天地の言葉。そこに今何があっただろうか?

 

――大吾――

 

 大吾と天地は確かに言った。

 スバルの父親。スバルがずっと会いたいと願っていた大好きな人。三年間、ずっと宇宙で行方不明になっている、憧れのヒーロー。

 電源ボタンに触れている指先が小刻みに震えだす。弾みで押してしまうことを恐れて、慎重に離す。

 

「あ、天地さん! それ、本当なんですか!?」

「本当だ! 直ぐに来てくれ! 君にも伝えておきたい!!」

 

 トランサーを閉じるが早く、スバルの足は全力で地面を蹴っていた。勉強も、ウォーロックやミソラたちのことも、何もかもがどうでも良かった。

 胸を打つ熱い鼓動に突き動かされるように、スバルは宙を駆けた。



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第百十七話.帰って来た刺客たち

 美しい星だった。FM星をまがまがしい赤と形容するなら、それは見るものを穏やかにさせ、包んでくれるような暖かい緑と言える。そこに住まう者達も、星の色に染められているかのような心の持ち主達だった。無論、軍隊や腹黒い権力者、治安を乱す輩がいなかったわけではない。それでも、その星は争いとはかけ離れた平和な日々を形成していた。

 そんな緑の星が赤くなっていく。最初は緑の画用紙に垂れた、一滴の赤い絵の具のようだった。それは徐々に線を延ばし、面を塗りつぶしていく。赤に染められた部分は時間が立つに連れて、滲み出るように顔を覗かせた黒へと変わっていく。

 それは怪物が歩いた足跡。命を食いつぶす化け物が通った痕跡。尊い命が奪われた色。

 緑の星が、赤を隔てて黒へと変色していく。その様を見物している者達がいた。星の周りに設けられた電波の道。そこに立ち並ぶ影の数は百や二百では収まらない。FM星軍のほとんどが配置されていた。故郷の星を守るため、故郷を汚す敵を屠るために組織された屈強な者達。だが、今、彼らは戦うためにそこにいるのではない。この戦争の終わりを見届けるためだけにそこに配置されている。

 この星は見世物だ。

 我等の王に立てつけば、どのような目に合うのか。

 我等の王にはどれほどの力があるのか。

 それを見せ付けるため。偉大なる王に逆らうような、無知な愚か者を出さぬために設けられた、一方的な命の略奪劇。

 この劇を前にして、各々が見せる反応は千差万別だった。

 オックスを始め、血気盛んな戦士達が雄たけびを上げ、宇宙を震撼させる。耳を塞ぎたくなるような騒音の中、静かに笑みを浮かべる者達もいる。キグナスとリブラがそうだ。冷徹な彼らは、品の欠片も持たない者達の声など眼中になく、命が奪われていくこの瞬間を笑っていた。オヒュカスも同じようなものだ。頬に手を当て、大地が焼け焦げていく様子うっとりと眺めている。

 ほとんどの者達が歓喜を上げる中、一部の兵士達は違った反応を見せていた。あまりにも惨い行為に、目を逸らしたり、吐き気を催す者達が後を絶たなかった。キャンサーとクラウンはその中にいた。恐怖に涙を流すキャンサーを、クラウンが慰めるように摩ってやっている。隣を伺うと、一人の老戦士が静かに佇んでいた。堀の深い目を閉じ、豊富に蓄えた白い髭の下で腕を組み、直立したまま動こうとしない。平常心を保とうとしている様子だったが、その手には確かに力が込められていた。クラウンはゴートの様子に気づきながらも、何も言わなかった。長年の付き合いだから分かる。この男は今は触れてほしくないのだ。

 悪態をつき、唾を吐き捨てているのがウルフだ。戦争賛成派の彼だが、この作戦には不満を隠せない。兵士のみならず、民間人もまとめて皆殺しにしてしまうからだ。できることなら、屈強な戦士達を相手に暴れまわりたかったというのが彼の本音だ。

 顔を青くしたハープは列から離れ、後方へと下がった。感知能力に長けた彼女は、無意識のうちに捕らえてしまっていたのだ。あの星から涙のような周波数が生まれては、消えていく様を。人並以上に精神的な負担を受けてしまった彼女は、体を引き摺り、集団の最後尾に設けられた檻に近づいていく。そこには、今回の作戦に猛反対し、乱闘騒ぎを起こしたあいつが閉じ込められている。

 

「大丈夫? ウォーロック」

 

 そんなわけがないことは、彼の表情を見たら分かる。だが、他に声のかけ方が思いつかない。そんな自分をふがいないと思いながらも、檻の中の住人の側に立った。

 何も答えなかった。ウォーロックが見ているのは心遣いをしてくれているハープではなく、殺戮兵器に蹂躙される哀れな惑星だ。今も、生命が食いつぶされ、死の色へと変わっていく。

 FM星では、この一方的な戦争をしかけた張本人が酒盃を掲げていることだろう。側に侍らせたジェミニを相手に、崇高な演説までしているかもしれない。消えていく命を見て、あざ笑っている彼らを思い浮かべると、胸の中で未知の物質が湧き上がってくるのを感じた。これが何かは分からない。ただ……怒りとか、恨みとか、そういった安い言葉で言い表せるようなものではない。その程度の命名では生温い。そう言いきれることだけは確かだった。

 手が震えだし、電波で構成された格子がガタガタと揺れだす。隣で怯えた様に後ずさるハープを気にかける余裕なんてない。

 ただ、思いのままに叫ぶしかなかった。

 

 

「畜生っ!!」

 

 怒号の勢いに体が持ち上げられた。

 世界が変わっていた。絵の具をぶちまけたような真っ黒な宇宙も、緑から黒へと変わっていくあの星も、星が死ぬ様を見物しているFM星軍も、自分を閉じ込めていた檻も、全てが消えうせていた。

 隣にいてくれたあの女も。

 

「……ハープ?」

 

 体が熱い。汗が頬伝い、床に滴り落ちる。逆に、体の内側は冷水を流し込まれたかのように冷え切っていた。

 ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返し、体に熱が伝わっていくのを確かめながら、辺りを見てみる。空はペンキを塗りたくったかのように白く、黄や紫の電波信号が生まれては消えていっている。生命を感じさせない。空を隔てた地平線は深緑で、こちらは黄色いタイルが整列するように並べられている。ふと隣を見ると、尻餅をついている者がいた。丸く開いた目がこちらを直視し、驚いたように口を開いている。

 

「お……悪い……」

「いえいえ、気にしないでください」

 

 かわいらしい笑顔を携えて起き上がるデンパ君を見て、ようやく昨日の出来事を思い出した。

 夜、寝る場所を探して、人目につきにくいこの電脳を探し当てたのだ。そこで働いていたこのデンパ君に駄目元で頼んでみたところ、快く了承してくれたのである。一晩泊めさせてもらった恩があるというのに、起きて早々騒がれては迷惑そのものだろう。

 だが、人のいいデンパ君は気にかけることもなく、ウォーロックの側に近寄ってくる。

 

「うなされていたようでしたが、大丈夫でしょうか?」

「……そうか、うなされていたのか……。大丈夫だ、気にするな」

 

 どうやら、あのときの夢を見てしまったらしい。夢の内容を頭から振り払い、早々に立ち去ることにした。笑顔で見送ってくれるデンパ君に別れを告げて、とあるビルの空調システムから都会の空へと飛び出す。

 オレンジ色のウェーブロードでは、休日の朝からデンパ君やナビたちがせわしくなく働いていた。今日は仕事を休んでいる人間が多いはずなのに、それを羨ましがる者達は極少数だ。彼らの働きぶりを横目に、ウォーロックは行く当ても無く、寝起きの悪い体を引き摺っていた。

 

「さてと……どこに行くか……」

 

 雷神のジェミニが倒された。これは、FM星王にとってあまりにも大きなショックだったはずだ。片腕をもがれ、絶句しているヤツを思い浮かべると「ざまあみやがれ」と汚い言葉をつきたくなる。

 だが、笑ってばかりではいられない。一番の信頼を得ていたジェミニが敗れたとなれば、FM星王の怒りは頂点に達しているはずだ。攻撃の手を更に強めることは目に見えている。ジェミニと同等、あるいはそれ以上の実力者達を送り込んでくる可能性だってある。

 流石にそいつらの相手をするのは避けたいところだ。

 ジェミニが倒されたという報告を受け、FM星屈指の実力者達を抜擢し、地球へと派遣する。この流れを考慮すると、まだまだ時間がかかるはずだ。

 今すぐに新手と出くわすということはないだろうが、早いうちにどこかに身を隠してしまいたい。地球から離れるのも、一つの手だろう。

 

「これからどうする……?」

 

 顎に手を当てながら、デンパ君やナビ達の流れにまぎれて歩を進めるウォーロック。上空のウェーブロードには、そんな彼を見下ろしている者が居た。

 ヤツの後姿を凝視していると、全身の神経が尖っていくのを自覚した。体の表面は冷たくなり、腹の中ではマグマのように感情が湧き上がる。それを無理矢理押さえ込んだ。このままでは雄叫びを上げてしまいそうだから。

 「見つけたぞ」と小さく呟き、ウェーブロードから飛び降りた。向こうはこっちに気づいていない。背中から奇襲をしかけるのが一番利口な方法だ。空を滑空し、背後に回りこむ。そこからは一直線だ。無防備な鬣を纏った背中に、隕石のように飛び掛った。段々と背中が大きくなるにつれ、胸の感情も大きくなる。

 

 こいつさえ居なければ……こいつさえ倒せば……

 

 抑えきれなくなった怒りと殺意に任せて、剣を生成した。

 目が合った。気配に気づいたウォーロックが振り返り、とっさに左手を振るった。命を摘み取るはずだった剣は緑色の爪に阻まれ、悲鳴の代わりに鈍い音が反響する。

 

「な!? て、てめえは!!?」

 

 驚愕の表情を浮かべるウォーロック。一撃でしとめることはできなかったが、こいつは混乱している。まだ、奇襲の利は生きている。そう自分に言い聞かせ、左側にもう一本剣を生成。混乱しているウォーロックの腹部を貫こうと突き出す。剣から伝わってきたのは手応えではなく、硬質な物に阻まれ、流される感覚だった。ウォーロックの右手が、自分の左側の剣を受け流していた。往生際が悪いと、睨みつけると、殺意のこもった鋭い目に射抜かれた。

 なぜ、焦っていない? もう、この状況に適応してしまったと言うのか? 疑問と焦りが頭の中で動いた直後、右手が「ギリッ」っと悲鳴をあげた。爪とぶつかり合っていた右側の剣が掴まれ、外側へと捻じ曲げられている。戻そうと力を込めるが、ビクともしない。痛みにもだえながらも、単純な力では相手分があると冷静に情報を分析する。

 阻むものが無くなった自分目掛けて、ウォーロックは自由に動かせるほうの爪を振り上げた。

 腕力で敵わないのなら、自分の特性を生かすしかない。爪と絡んでいる右側の剣からお得意の電気を噴出した。ウォーロックの体に黄色い光が走りぬけ、悲鳴が口から飛び出す。動きを止めてしまった爪から剣を剥ぎ取る。追い討ちに斬激を浴びせたようと近づこうとしたとき、爪が顔の表面を掠めた。我武者羅に振るっただけだったのだろう。ウォーロックも意外な手応えに、一瞬動きを止めた。

 怯んだ時間はほんの一瞬。この一瞬で流れが変わった。

 ウォーロックが体勢を立て直してしまった。もう片方の爪を振り下ろしてくるその表情には、先ほどまでは伺えなかった余裕が見えた。これで奇襲の利はなくなってしまった。このまま接近戦を続けても、ウォーロックに分があるだけだ。やむを得ず距離をとる。

 自分の得物を確認すると、右側の剣が刃こぼれしていた。剣と体の繋ぎ目にも鈍い痛みが残っている。やはり、距離をとって正解だった。

 

「なんで……てめえが……?」

 

 対峙している敵に殺意を向けるウォーロック。その目には様々な色が混ざっていた。敵を倒すという殺意だけではない。戦闘の疲労に、奇襲から立ち直れた安堵。そして、いまだに残っている疑問と、そこからくる僅かな混乱。

 なぜ、こいつがここに居る?

 目の前の敵を見たときは見間違いか、また夢なのかと疑った。だが、感電した体は語っている。この痛みは夢ではないと。目の前にいるやつは本物だと。

 ウォーロックに襲い掛かったのは白い電気の塊。左右には雷が滞留した二振りの黄色い剣。あの形状には見覚えがある。自分もスバルの剣となってあの剣と何度も何度も打ち合ったのだから。

 なにより特徴的なのは、対称的に取り付けられた二つの仮面。

 

「なんで……てめえが生きているんだ? ジェミニ!?」

 

 白と黒の仮面は表情を作らない。汗水をたらすウォーロックに、ニヤリと笑うことさえしなかった。細い覗き穴となった四つの目は形を変えず、状況を傍観するかのよう。突如繰り広げられた激闘に怯え、逃げ出すナビやデンパ君達の騒がしさの中で、静寂に佇むその様は不気味な恐ろしさを醸し出していた。

 ジェミニを睨みつけるウォーロック。じっと睨んでいたから、気づけたのかもしれない。ジェミニの仮面が段々と小さくなっていることに。だが、体の大きさは変わっていない。少しずつ後ろに下がっているのだと理解したとき、本能が体を横に飛ばした。

 

「ジェミニサンダー!」

 

 二つの仮面の間から、電気の塊が太い柱となって放たれた。荷電粒子砲という言葉がすんなりと当てはまる。対峙しているだけと見せかけ、大技を放つ準備を整えていたジェミニに歯軋りする。

 だが、攻撃は避けた。体に蓄積されているエネルギーは無限ではない。大技を放った今なら、お得意の雷の威力は下がっている。一瞬の間に、そう考えたウォーロックは空中で弧を描き、ジェミニに爪をむき出しにした。

 背中に激痛が走る。視界が揺らぎ、襲ってきた衝撃によって下へと吹き飛ばされた。鋭利な痛みに堪えながら上空を見上げると、そこには白い電波体。長い首と足に白色のボディ。なにより、目を引く大きな翼。太陽が逆光なっているものの、影のかかったその姿は紛れも無い、白鳥座のキグナスだ。

 なぜ、キグナスまでここに居る? 理由よりも、一対二となったこの状況に焦りを感じていた。応戦しようと空中で動きを止めたとき、腕が重く感じた。腕だけではない、全身が重い。間接が曲がらない。見ると、体にまとわりつく緑色の生物。蛇だ。まさかと思ったとき、体が吹き飛ばされた。炎というよりは爆発。全身を引きちぎられるかのような爆風に飛ばされる体。この攻撃も身に覚えがある。爆発の向こうに目を凝らすと、紫色の髪を靡かせる女と、生き物とは思えない体をした茶色い生命体。予想通り、オヒュカスとリブラがそこにいた。

 「まさかアイツも!?」そう考えたとき、そのアイツが現れた。後頭部に叩き込まれた拳に意識が飛びそうになるのを感じながら、近くのウェーブロードに叩きつけられた。「ブルルル!」と汚い雄叫びが聞こえた。

 

「驚いたかい? ウォーロック?」

「ブルル! またお前を殴れるとは思わなかったぜ!」

 

 キグナスの済ました声が上空から浴びせられた。興奮しているオックスの隣に優雅に舞い降りる。

 

「星王様が我々に慈悲をくださったのだよ」

「我等の残留電波を集メ、生き返らせてくださったのダ。ありがたイ」

 

 オヒュカスとリブラはオックスとキグナスの反対側に並ぶように降りてきた。四人の中央に、ゆっくりと降りて来るのはジェミニだ。

 火傷と苦痛に体をうならせているウォーロックには、睨みつけるしか闘志を表す方法が無い。

 

「畜生……」

 

 ウォーロックを見下す五人。彼らの体から立ち上るは、この男に向ける復讐心に他ならない。自分を殺した男を殺せる。なんと素晴らしい復讐劇だろう。狂った怒りと歪んだ喜びに笑みを浮かべるオックス達。中央のジェミニは静かに前に踏み出し、拳を握りしめるウォーロックに告げた。

 

「今度こそ返してもらうぞ。アンドロメダの鍵をな」

 

 ウォーロックは未だにグラグラと揺れる視界を辺りに沿わせながら、状況を冷静に分析する。

 こちらは既に多数の傷を受けている。頭には未だにかき混ぜられているような気持ち悪さがある。背中からは、微量ではあるが電波粒子が漏れ出している。腕は火傷で思うように動かせない。対するは、FM星の実力者五人。

 状況を整理したウォーロックは、ケッと笑ってみせた。

 

「やべえな」



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第百十八話.宇宙からのメッセージ

 広がる爆風が空気を焦がす。その中から放り出されるウォーロック。勢いのままにコンクリートの地面を滑る。なんとか突き立てた爪がコンクリートを削り、火花を散らす。それでも転がる体は止まることを知らない。

 積み上げられたゴミの山をなぎ倒したところでようやく動きが止まった。ゴミ屑が腐敗臭とともに空に舞って、ウォーロックの上に積もる。鬱陶しそうに払いのけるその右腕はもうボロボロだった。無数の切り傷からは彼の生命の粒子が漏れ出し、緑色だった腕は打撲と火傷で黒と赤に染まっていた。

 それでも彼の闘志は微塵も衰えてなどいない。頭上にいるオックスを引き裂こうと、刃こぼれしてしまった爪をむき出して飛び出す。しかし体は思うように動いてはくれなかった。空に飛び出したはずの体はかっこ悪く地べたに這い蹲った。

 それだけではない。殴られたわき腹を中心に激痛が体中を巡り、呼吸が乱される。痺れが両手を支配して、力の伝達を妨げてくる。

 ジェミニの奇襲を受けてからまだ5分も経っていない。

 

「ブルル! もう終わりか?」

「いヤ、よく持ちこたエタというべきではなイカ?」

「フフフ、そうだね。褒めてあげるよ、ウォーロック」

 

 「舐めんな!」と怒鳴ろうとする。それは内側からこみ上げてくる嘔吐に押し込められてしまった。代わりに口から出てきたのは液体のような電波粒子。血の様に広がって、すぐに宙へと消えていく。

 ここでかける慈悲など彼らは持ち合わせていない。ぼやける視界の中で、オヒュカスが蛇を召還しているのが見えた。無数の毒牙が銀色に輝く。蛇達が矢のように降りかかってくる。避けようと思っても、起き上がることすらできなかった。彼にできる精一杯の抵抗は、空しくも睨みつけることだけだった。消えうせろと呟くと、それらが大きく宙を舞った。放物線を描いていた蛇達は大きく進路を変え、見当違いな方向に飛ばされていく。

 何が起こったのかと呆気に取られていると、甲高い音が戦場に降り注いだ。FM星人達もその場から飛び退き、音符の着弾点から距離を置く。

 まさかと顔を上げたウォーロックが見たのは、太陽光を背後に舞い降りてくるピンク色の少女。ウォーロックの傍にスタリと着地した彼女は、戦場には似つかわしくない優しい笑みを向けた。

 

「大丈夫、ロック君?」

「な? てめえら!?」

 

 見上げたウォーロックが目にしたのは、一人の見慣れたピンク色の電波人間だった。コブ突きのヘルメットと白いマフラー。手に持った水色のギターには口うるさいあの女の笑み。ハープ・ノートがウォーロックに手をさし伸べてくれていた。

 ウォーロックはその細い指がついた手を取ろうとしたが、触れる直前でぴたりと止めた。無理して近くの壊れた電子機器に手をかけて、身を起こそうとしている。意地っ張りな彼を見てハープ・ノートも目を細めた。

 ミソラとは正反対にハープは眉を釣り上げていた。

 

「まったく、どこをほっつき歩いていたのよ。馬鹿星人」

「おいハープ! 開口一番に言うことがそれか!?」

「なに? 『心配したわよ、ダーリン!』とでも言って欲しかったの?」

「やめろ! 気持ちわりい!!」

「ちょっと! 気持ち悪いって何よ!!」

 

 再会早々、唾を飛ばし合いながら言い争う二人。ものすごく元気そうな喧嘩を前にして「助けに来なくても良かったかな?」と、ミソラは内心呆れかえっていた。

 だが改めて天を仰いでみれば、そんな考えはすぐに消えてしまった。視線の先には物々しい顔ぶれがそろっている。

 

「あの三人が、オックス、キグナス、リブラなんだね?」

「ええ、そうよ。でも、まさか生き返ってるなんて……」

 

 ゴミ焼却所の上空で絡み合っているウェーブロード。太陽を背にしてそこに並ぶのは五人の電波体。敗れはしたものの、いずれもロックマンを追い詰めた実力者達だ。彼らから発せられる禍々しいゼット波を感じて、ハープ・ノートはギターを握る手に力を込めた。

 ジェミニを中心に置いて、それぞれ別のウェーブロードに乗っているFM星人達。彼らはただハープ・ノートたちを見下ろすだけで、なんら動きを見せようとはしない。

 それがハープ・ノートには不気味でならなかった。

 電波人間と電波体の戦闘能力の差は歴然だ。ハープ・ノートの実力なら、彼ら五人をまとめて相手にしても充分勝てる。それはそれぞれのゼット波の大きさ見れば明らかだった。

 ジェミニ達がこの場でハープ・ノート達に戦いを挑むのは愚の骨頂といえる。ジェミニ達が取るべき行動はこの不利な状況を受けいれて撤退することだ。それにも関わらず逃げるそぶりが窺えない。

 プライドを捨てきれず、負けると分かっている戦いに身を投じる覚悟なのだろうか? それも違う。彼らにはそんな様子が一切窺えない。ハープ・ノート達を見下ろすその目には動揺も怯えも窺えない。それどころか好戦的な色さえ見える。まるで獲物を前にした肉食獣を思わせる。

 

「さぼるだけでは飽き足らず、ゴミ屑達の仲間になるとはね。驚いたよ、ハープ」

「ポロロン。お久しぶりね、キグナス。ずいぶんと落ち着いているのね?」

「フフフ、お久しぶりですマドモアゼル……と、エセ紳士っぽく振舞っておこうか?」

 

 やはり彼らの態度は異常だった。尻尾を巻いて逃げ出すどころか、かかって来いといわんばかりに挑発してくる。「何か奥の手を用意している」とハープ・ノートは警戒した。ロックマンほどではないが、彼女だって今まで何度も戦いに身を投じてきたのだ。戦闘の勘ぐらい身についている。

 ハープ・ノートはちらりと隣にいるウォーロックの顔を窺ってみた。その間もジェミニ達を視界の隅に置いておく。オックスに殴られた横腹を押さえながらも、ウォーロックも横目で頷いてみせる。この三人の中で最も戦い慣れしている彼も同じことを感じている。ハープ・ノートはギターを持った手に力を加えた。

 

「後ろよ!」

 

 ハープの声が静寂を吹き飛ばした。ハープ・ノートとウォーロックは弾けるようにその場から飛び退いた。一瞬遅れて聞こえたのは空気を駆け抜ける発射音。それと同時に、先ほどまで自分達がいた場所を弾丸が浅く抉る。

 振り返ってみると数体のジャミンガーが左手のガトリングガンを前方に突き出していた。その後ろにはいつの間にか宙に浮いていた紫色の球体。デンジハボールだ。ジェミニ達に気を取られてしまい、デンジハボールの周波数に気づけなかったらしい。自分の感知能力を生かせなかったことが腹立たしい。

 強力なゼット波の力で実体化したジャミンガー達は、ゴミ山から各々武器になりそうな物を手に取っていた。錆びた金属バットや、折れた機械のフレーム、獲物になりそうなものは至る所に転がっている。武装した彼らに囲まれてしまった。汚い笑みを浮かべながら一歩一歩近づいてくる。ハープ・ノートはギターとなったハープを構えなおした。

 

「お前だけ逃げても良いんだぜ?」

 

 ウォーロックの声が肩越しに聞こえてきた。背中に触れたウォーロックの鬣はどこか温かかった。

 

「冗談はやめて。私も戦うんだから!」

「ポロロン、女を甘く見るもんじゃないわよ。ウォーロック?」

 

 首を横に振りながらミソラとハープは笑って答えてみせた。どの道ここから逃げたところで、ウォーロックが負けたらそれでおしまいだ。アンドロメダの鍵を奪われ、この地球を潰されてしまう。彼を置いて逃げるなんてできないし、するつもりも無い。

 

「ケッ、それだけ言えりゃあ上等だ。死ぬなよ!!」

「うん!!」

 

 頷きあったハープ・ノートとウォーロックは二手に分かれて飛び出した。二つのコンポを召還したハープ・ノートは、ジャミンガーの大群に向かってありったけの音弾を撃ち放った。

 

 

「天地さん!」

 

 研究室を兼ねたアマケンの所長室に転がり込み、スバルは自分を呼び出した男の名を叫んだ。部屋の左側で、パソコンを前に突っ立っていた天地と目が合う。床に散らばったペンチや図面を蹴飛ばし、倒れるように彼の大きいお腹へと掴みかかった。

 

「天地さん! 父さんは!? 父さんの手がかりって、どういうこと!?」

 

 ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返す少年を前にして、天地は自分の決意が揺らいでいることに気づいた。いつもビジライザーが置かれていたスバルの額には汗が輝いている。額だけじゃない。顔全体に首。自分のお腹を掴んでいる手。おそらく全身から汗をかいている。服の下は汗でぐっしょりと濡れていることだろう。

 電話をかけた時間から考慮すると走ってきたらしい。おそらくバスの時間が合わなかったのだろう。バスを待つ気になれず、この150cmに満たない小さい体で必死に走ってきたのだ。

 改めてこの少年がどれだけ父を愛しているのかを思い知らされた。

 だから迷う。本当に伝えても良いのかを。

 宇田海の報告を受け、徹夜で解析したあのデータ。そこから読み取れる真実を前にして頭を抱えた。睡眠をとっていない頭をハンマーで殴られたような気分だった。そんな状態でも、スバルとあかねのことはすぐに思い浮かんだ。

 このことを話すべきか。

 コーヒーを吐きそうになりながらも自分なりに考え、結論を出したはずだ。それにもうスバルを呼び出してしまったのだ。後戻りなんできっこない。改めて意を決した。

 天地は無言ですっと身を横に引いた。スバルの背中に大きな手を置くと、パソコンの前に優しくエスコートしてくれた。

 パソコンには何かのグラフが表示されていた。周りに難しい言葉が添えられている。

 

「これは昨日受信した電波を解析したものなんだ……驚いたよ。とても懐かしかったからね」

「……え?」

 

 懐かしいから驚くとはどういうことだ? 首を傾げて天地を見上げるスバル。天地は画面からスバルの目に視線を落とした。細められたその目には感情を窺わせない靄がかけられている。しかしその奥には愁いを帯びた色が垣間見えた。

 

「これは僕がずっと探し続けてきた電波だったんだ。三年間、ずっと……」

 

 ドクリと心臓が凝縮した。鳥肌が立ち、全身の汗が引いたような感覚が身を凍えさせる。

 

――三年――

 

 その言葉が指すのはあの出来事。自分の人生を一変させたあの年のこと。手が震えだした。

 

「まさか……」

「そう、そのまさかだ……」

 

 天地を見つめる目がスバルの胸中に合わせてグラグラと揺れる。乾いていた喉がさらに乾き、口の中はザラザラとしてきて砂漠が放り込まれたような味をかみ締めた。

 唇を振るわせるスバルをまっすぐに見つめながら、天地は静かに告げた。

 

「『きずな』だよ。君のお父さんが乗っていた宇宙ステーション、『きずな』からのシグナル信号だ」

 

 全身の毛が逆立った。閉じていた汗管が一斉に開くような、骨の髄から全身が発熱しているような感覚。抑えきれない震えが全身を伝う。

 気がつけば、わなわなと震える手でパソコンにしがみついていた。見えるわけが無いと分かっているのに、画面に顔を近づけて「父さん……父さん……」と、話しかける。

 

「そしてね……この信号はゆっくりと地球に近づいてきていることが分かったんだ。『きずな』が地球に帰ってこようとしているんだ」

 

 天地の言葉に、一粒の涙が線を描いた。

 『きずな』は……父が乗っていた宇宙ステーションはまだ生きていた。ずっと宇宙を旅していたのだ。

 父はちゃんと自分との約束を果たしてくれたのだ。三年かかってしまったが、ちゃんと帰ってきてくれたのだ。

 父と母と笑い会う。

 三年前の当たり前の日常が目に浮かんだ。

 パソコンから離れて、手の甲で口の上をこするようにしながらを鼻をすすった。こうしなければ、涙声で言葉がかれてしまいそうな気がしたから。一呼吸おいてから唾を飲みこむ。でも気分は落ち着きそうにない。潤んだ目を拭くことも忘れて天地に向き直った。やっと口から出せた言葉は、やっぱり涙声だった。

 

「父さんは……父さんはこれに乗って……」

「期待せん方が良い」

 

 全てを払いのける言葉だった。

 涙が目の奥に引き、感情に揺れて熱くなっていた体も一瞬にして冷まされてしまった。

 人の気持ちを害する言葉を吐いたのは天地ではない。不満に満ちた顔で振り返ると、来訪者を中に招いた自動ドアが音を立てて閉まるところだった。緑色のコートに、白いヘッドギア。その先にある赤いランプを点滅させ、パトカーを連想させる強面の男。

 

「ヘイジのおじさん……?」

「うむ、久しぶりだね」

 

 突然来訪した五陽田に頷きながらも顔に出した不満は引っ込めなかった。こちらに近づいてくる五陽田の鋭い目に不満の視線を送る。

 犯罪者相手に渡り合ってきたサテラポリスの敏腕刑事が子供ごときに怖気づくわけがなく、速度を緩めることもなくツカツカと二人の側まで歩み寄ってきた。

 

「あの宇宙ステーションはもはや巨大なゼット波の塊だ。これがなにを意味するのか、分かるかね?」

 

 五陽田の言いたいことにスバルは気づいた。

 

「父上の生存を願う気持ちは分かる。だがあまり期待せんほうが良い」

 

 五陽田の言葉にスバルはただ項垂れるしかなかった。何か文句を言いたいが、何も言えなかった。五陽田の言葉は残酷なまでに的確で、真実だったから。

 五陽田と天地はスバルを置いて仕事の話をしているらしい。その声を耳にしていても、スバルの頭には一言たりとも入っては来なかった。

 長時間浴びると人すら電波化してしまうゼット波。『きずな』はその塊になってしまっている。中にいる乗組員達が影響を受けないわけがない。もしかしたら既に……。

 首を乱暴に横に振り、思考を振り払った。もしそうだとしたら、自分と母はどうすれば良いというのだ。何を希望に生きて行けというのだ。

 無意識に手を握り締めた時、唐突に機械音が研究室に鳴り響いた。素早く動いたのは天地だ。五陽田との話を中断し、先ほどまでスバルが覗き込んでいたパソコンの前に滑るように座り込んだ。マウスを鷲掴みにし、素早く画面を切り替えていく様子を、スバルは五陽田と一緒に覗き込んでいた。

 

「新しい電波をキャッチしたみたいです。これは……音声電波ですね。解析します」

 

 音声電波。もしかしたら父からメッセージではないのだろうか? 先ほど五陽田に言われた言葉が脳裏をよぎったが、抱いた希望はそう簡単には消せなかった。

 心を落ち着けようとするスバルをよそに、天地は早々に解析を終えてしまった。

 

「再生します」

 

 生唾が喉を通り、緊張を僅かばかりに紛らわそうとしてくれる。でも焼け石に水だった。「早く父さんの声を聞かせてほしい」そんな言葉が喉まで来て、無理矢理飲み込んだ。

 パソコンから聞こえてきたのは砂をかき混ぜる様なノイズ音。――ザッザッ――と、人を不愉快にさせてくる。その中から這い出てくる、宇宙からのメッセージ。

 震える手足を押さえ、流れる音一つ聞き逃さぬようにと耳を澄ました。大好きな人の声が聞こえるのを、今か今かと待ち受ける。

 しかし期待は裏ぎられた。聞こえてきたのは父のものとは全く別の物だった。

 

――……ザッ……ザザッ……地球人たちに告ぐ……ザッ……――

 

 え? 誰?

 それがスバルの素直な感想だった。この声は父さんのものなんかじゃない。それに『地球人たちに』?

 その疑問は次の言葉で解消された。

 聞こえてきたのは衝撃の言葉だった。

 

――……余は《FMプラネット王》…………――



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第百十九話.宣戦布告

 それは年齢も性別もつかめない声だった。遥か遠く、宇宙の彼方で名乗った相手にスバルは身をこわばらせていた。

 

 FMプラネット王――ウォーロックが言っていたFM星の頂点に君臨する者。アンドロメダを使い、星一つ消し去った殺戮者。その矛先を地球に向けようとしている狂乱の王。そしてウォーロックが復讐を誓った相手。

 この一連の戦いの全ての元凶。

 

 地球の侵略者の声が、今初めて地球で発せられていた。その第一声ははからずも星王の手先達と戦ってきたスバルの元に届けられていた。

 この音声電波は『きずな』から送られてきたものだ。これが意味する残酷な真実をスバルは理解してしまっていた。『きずな』はFM星人たちに占拠されているのだ。

 五陽田の言葉が脳裏をよぎる。ただでさえ的を得ていた彼の意見はさらに信憑性を増していた。地球を攻撃しているFM星人たちが『きずな』のクルー達に何もしないわけがない。

 スバルに湧き上がる思いは怒りではなく不安だった。宇宙ステーションがFM星人達の手に落ちているとするなら、父の安否が気がかりだった。今も『きずな』で捕らわれているのか。彼らの母星に連行されているのか。どちらにしろ、穏やかな対応はされていないはずだ。最悪の場合は……。

 そこまで考えたとき、次の言葉が再生された。

 

 

――ザッ……地球は、余の手によって滅ぼすこととした……――

 

 

「……え……?」

「なんだと!?」

 

 さも当たり前のように言葉が紡がれる。そこに込められているのは聞く者の絶望を誘う巨大な殺意。天地と五陽田は、玩具を壊す子供のような悪意さえ感じさせない星王の口調に耳を疑った。

 だが現実は誰に対しても残酷だった。

 

 

――……地球人よ。FMプラネット王が直々に手を下すのだ……誇りに思うがよい……ザザッザザザー……――

 

 

 それを最後に星王の言葉が途切れた。後に続くのは砂が画面内で暴れ狂う音のみ。誰も動こうとしない。誰も口を開かない。永遠を思わせる静寂がスバル達の身を凍えさせた。

 それを破ったのは五陽田だった。

 

「これは……宣戦布告じゃないか!!」

 

 五陽田の鍛えられた拳がデスクを叩いた。机が飛び上がり、上に置いてあった研究道具が宙に跳ねた。それは彼の怒りを表しているかのように思えた。

 大事な備品が傷つけられているにもかかわらず、天地は身動き一つしなかった。その目は今も画面で荒れている砂嵐の奥に向けられていた。

 

「やっぱり……ゼット波はFM星人達のものだったんだ。だったら……大吾先輩は……!!」

「そ、そんなこと……!!」

 

 スバルが考えていたことを同じことだ。根拠の無い否定の声を上げ、スバルは天地の言葉を制しようとする。だがその役目は突如研究所に鳴り響いた着信音に奪われた。スバルと五陽田が見ている中で、我に返って立ち上がった天地がトランサーを開いた。

 そこに映っているのは自分の助手だった。

 

「どうしたんだ、宇田海君?」

『た、たっ! 大変です!』 

 

 共に徹夜してくれたためか、宇田海の目のクマは疲労で一回り大きくなっているようだった。そんな疲れを忘れてしまっているかのように、宇田海は手元の資料を撒き散らしていた。いつものオドオドとした態度は見られず、人付き合いの苦手な彼とは思えない口調でまくし立てていた。

 

『た、大量のゼット波が、に、ニホンのあちこちから観測されました!! ロッポンドーヒルズ! アキンドシティ! ヤシブタウン! デンサンシティ! シーサーアイランドにドリームアイランド! そ、そのほかにもたくさん!! あ、今! ア、アメロッパやシャーロ! か、海外でも観測されたという情報が!!』

「わ、分かった! 落ち着くんだ宇田海君! 僕も直ぐにそっちへ行く!」

「本官はこれにて失礼する!」

 

 言い終わるが早いか五陽田は駆け出していた。開こうとしている自動ドアを乱暴に押しのけ、部屋から飛び出していく。

 正義感と使命感に満ちた背中を見送り、天地も自分を奮い立たした。大吾のことは未だに気がかりだが、それは置いておくことにした。悩んでいても仕方ない。今はできる限りのことをする。大吾が傍にいればそう言ってくれているような気がした。

 宇田海たちと合流するために天地も駆け足で部屋を後にする。だがスバルに一言入れるのは忘れなかった。

 

「スバル君、君はここに! 外は危険だからね!?」

 

 各地で発生したゼット波は、間違いなくFM星人たちによる攻撃だ。アマケンが安全とは言い切れないが、外を出歩くよりはましなはずだ。そう考えた天地は上の空で立ち尽くしているスバルに忠告しておいたのだ。それにスバルに何かあったらあかねに顔向けができない。

 天地を送り出した自動ドアが閉まり、部屋に無音が訪れる。スバルはなおも突っ立ったままだ。残念ながら、スバルに天地の言葉は聞こえていなかった。ただ宇田海の言葉を反芻していた。唇がわずかに震えた。

 

「……ヤシブ……タウン……」

 

 宇田海は確かにそう言った。ヤシブタウンで大量のゼット波が感知されたと。

 今朝の出来事が脳裏を過ぎった。

 

「母さん!!」

 

 

 焦点の合わない目を揺らしながら、ハープ・ノートは自問した。今自分の目に映った何かを理解するために、ほんの数秒前の記憶を遡る。

 ウォーロックの声が聞こえた。「あぶねぇ」という声のおかげで背後にいるジャミンガーに気づけた。今にも火を噴こうとするガトリングガンが自分を狙っていた。とっさに横に飛びのいて、パルスソングを打ち返した。弾丸は見当違いなところを打ち抜くだけで、ハート型のエネルギー弾はジャミンガーをしっかりと捕らえた。黄土色の電波粒子が舞い上がり、電波変換が解けた。

 そこでようやくハープ・ノートの緊張が解けた。

 その瞬間だった。青い物体が目の前を横切ったのは。それは流れ星のようにハープ・ノートの目を奪い、緑色の緒を引いて地面へと落ちていった。重い音を立てた青い物体の上に、緒と同じ色の鬣がフワリと上に覆いかぶさる。

 その一瞬の出来事をハープ・ノートは理解できないでいた。目の前の現実を受け入れられなかった。翡翠色の瞳が捉えるのは、折れた爪と、たくさんの傷をつけられた変色した腕。見慣れたその腕と鬣。顔は見えないが、間違えるわけなんてない。

 

「ろ、ロック君……」

「う、嘘でしょ? ……ウォーロック!?」

 

 思わず叫んだハープの声に弾かれて、駆け寄ろうとするハープ・ノート。彼女の景色が横転して、灰色の世界が視界を満たした。それが地面だと気づくのに、数瞬の時間もかからなかった。ようやく後頭部に鈍い痛みが走る。真上を窺えば、鈍器を片手に持ったジャミンガーがいた。

 

「ハープを庇って斬られるとはな。馬鹿な野郎だ」

 

 エレキソードにこびり付いたウォーロックの電波粒子を払い落としながら、ジェミニは冷徹な声を漏らした。ハープ・ノートという邪魔者のおかげで予想以上に時間がかかってしまった。しかしそれももう終わりのときが来た。それは己の任務達成の時が近づいていることに他ならない。

「ブルルル! やるじゃねえか!」オックスがうるさい歓喜の声をあげながら近づいてくる。奴の汚い顔など見たくもないため、後ろを振り返ることすらしなかった。周波数からキグナス達三人も近づいているようだが、構うことも無い。

 ウォーロックとFM星人五人の周りにぞろぞろと集まってくるジャミンガー達。手に持った獲物を掲げ、勝利に酔った歓声をあげる。ミソラにとっては絶望そのものだった。それはハープも同じだ。ジェミニの指示を受けた二体のジャミンガーが動かないウォーロックの腕を掴んで持ち上げようとしている。

 

「立ちなさい! ウォーロック! ウォーロック!!」

 

 気づけば、出せるだけの大声で彼の名を呼んでいた。

 それが届いたのだろうか。ウォーロックの頭がピクリと動いた。微かだが「ウウッ……」という口から漏れたような呻き声がその証拠だ。彼はまだ生きていたのだ。

 その呻き声は絶叫に変わる。ジェミニの落雷がウォーロックを叩き潰したからだ。雷は彼の怒りの大きさをそのまま表したように強力で、ウォーロックをコンクリートで舗装された地面にめり込ませた。

 

「て、てめえ……」

「諦めろ」

 

 ウォーロックは顔を上げて目の前のジェミニを睨みつける。彼の闘志は衰えるという言葉を知らないのだろう。ジェミニに向けられる目は今も殺意で赤く燃え盛っていた。だが全身は細かく震えていた。蝕んでくる疲労と激痛に必死に耐えているのだ。

 ハープ・ノートが救援に来る前から彼は満身創痍だった。そこからジャミンガー達の大群を相手取り、エレキソードで身を切り裂かれたのだ。戦えるわけがない。動けるほうが不思議なくらいだ。否、死んでいてもおかしくない。

 とっくに限界を超えているウォーロックがなぜここまで抗えるのか。そんなことジェミニにはどうだっていい。彼はただ無謀に立ち向かう道化師を嘲笑うだけだ。

 

「返してもらうぞ、アンドロメダの鍵をな」



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第百二十話.窮地

 スバルはただ無我夢中で前に進んでいた。場所はヤシブタウン。そこは阿鼻叫喚とした人々で溢れかえっていた。誰もがわれ先にと町の中央から離れていく。何か事件が合った証拠だ。原因は探るまでも無い。宇田海の報告にあった大量のゼット波である。

 

「母さん! ハァハァ……母さん!!」

 

 一人、波に逆らっていたスバルは体をもみくちゃにされながら、ようやく逃げ惑う人々の集団から脱出した。そこからは全力疾走だ。すでに息は切れているおり、心臓が異常なほど早い鼓動を立てている。それでもスバルの足が止まることはない。

 汗を撒き散らしながら角を曲がった。そこで驚愕する。スバルがたどり着いた場所は普段から人々が賑わいを見せる広場。母とユリコがそこにいた。二人の周りには大勢の一般市民。その中央には紫色の電波の塊……肉眼でも見えるほど強大なデンジハボールだ。その周りで、気を失ったあかねたちが宙に浮いていた。

 

「母さん!! ……い、今助けるから!!」

 

 一瞬の動揺からすぐに立ち直り、スバルは左手を頭上に掲げた。

 

「で、電波変か……」

 

 言いかけて思い出す。あいつはいないのだ。急に孤独を感じて、左手を力なく下ろした。

 

「ロック……いや、あんな奴いなくても!!」

 

 言い終わるより早くトランサーを開いた。明かりが灯るそこにあいつの姿はない。無機質な画面が広がるのみ。歯を食いしばり、腰のポシェットからバトルカードを取り出した。素早くカードを読み込ませ、あかねたちの後方にあるデンジハボールにトランサーを向けた。

 

「バトルカード! ヘビーキャノン!!」

 

 トランサーの先端から電波情報が直線となって放たれ、デンジハボールに到達する。デンジハボールは悲鳴をあげるように一瞬白く光った。このまま攻撃し続ければ壊せるかもしれない。見えてきた希望に胸を膨らませ、次のカードに手を伸ばす。

 不意に体が後ろに引っ張られた。後ろの襟を掴まれて乱暴に後方に投げ飛ばされたのだ。見れば、いつの間にか現れた三体のジャミンガーがスバルを見下ろしていた。小柄な連中で、体の線は細くて貧弱そうだ。

 

「このガキ、アンドロメダの餌に手ぇ出そうとしやがったな?」

 

 痛みに顔を歪ませながらも、スバルは弱そうなジャミンガー達を睨みつけながら立ち上がった。そのままの勢いで先頭でボサッと突っ立っている一体の腹を殴りつける。体を砕くような痛みが腕を走り抜け、後ろに吹き飛ばされた。

 

「なんだこのガキ? やろうってのか?」

「ちょうどいい、デンジハボールのおかげで実体化できたんだ。楽しませてもらおうぜ?」

 

 薄ら笑いを浮かべて近寄ってくるジャミンガー達。スバルの足は震えていた。

 殴ったときの痛みがまだ残っている。まるでビルを殴ったような感覚だった。

 いつも蹴散らしていたジャミンガーがこんなに強いとは思わなかった。あかねを前にして冷静さを失っていたとはいえ、あまりにも軽率だった。弱い以前に自分はただの小学生だ。大人にすら勝てない自分が、電波ウィルスの力を得たジャミンガーに敵うわけがないのだ。もうジャミンガー達を雑魚とは思えなかった。彼らの歩み一歩一歩が恐怖だった。

 バトルカードならある程度対抗できるかもしれない。痛む手を必死に動かし、腰に手を伸ばす。だが怯えきったその手は満足に動いてはくれなかった。そうしているうちに、腹に蹴りをいれられた。悶絶するスバルの頭を別の足が踏みつけてくる。

 一方的な暴力が始まる。母を救うどころか、今のスバルは自分の身を守ることすら危うかった。

 

 

 地面に投げ出されたスバルは数度回転して動きを止めた。うめき声を上げながら、ゆっくりと起き上がろうとする。しかし体は限界だった。ガクガクと震える腕はもうスバルを支えきれなかった。ガクリと肘が折れ曲がり、勢いあまって額が地面を打ち付ける。

 ジャミンガーたちはそんなスバルを指差して笑い転げていた。

 今のスバルの待遇はサンドバックから玩具に変わっていた。ボロボロになったスバルを殴ることに飽きてしまった彼らは残酷なゲームを始めたのだ。

 スバルがあかねに触ることができたら全員を見逃す。

 とても簡単なゲームだ。ジャミンガーの妨害がなければ。そうこれはゲームでもなんでもない。ただの虐待だ。

 スバルがあかねに触れられる距離にまで近づけば投げ飛ばし、スバルを殴りつける。倒れたスバルは激痛に涙をこらえながらも立ち上がり、足を引き摺って前に進もうとする。

 それの何が面白いというのか、ジャミンガー達は腹を抱えて笑うだけだった。

 それでもスバルはこいつらの玩具になるしかなかった。母を思えばそれ以外の選択肢なんてありえない。

 たとえ触れたとしても、こいつらは約束を守ったりなんてしない。それが分かっていても、ただ意地だけを支えにして立ち上がった。

 ジャミンガーたちの低俗な笑顔も笑い声も、スバルの目と耳には届かない。ただデンジハボールの隣で浮いている母の元へと、感覚の無い足を前に出す。

 その母の姿が乱れてきた。己の意識が途絶えてきているのかと思ったが、一瞬後に違うと分かった。あかねは白く光っていた。

 電波化だ。とうとうあかねの電波化が始まってしまったのだ。一刻も早くデンジハボールを壊さなければ、あかねがアンドロメダの餌になってしまう。腕の痛みを忘れてスバルは腰のポーチに手を伸ばす。体が前に蹴り飛ばされた。感づいたジャミンガーが邪魔してきたのだ。バトルカードがバラバラとスバルの手から零れていく。乾いた音を立てスバルの希望は地面を滑って離れていく。もう腕一つ動かせなかった。ジャミンガーの足が背中を踏みつけてきて、呼吸すらさせてくれない。

 こうしている間にもあかねの姿が乱れていく。

 母を前にして触れることすらできない自分が悔しかった。ジャミンガー一人倒せない非力な自分を恨んだ。いや、ロックマンに変身できていたらこんな惨めなことにはならなかった。デンジハボールを破壊できていたし、こんなやつらに玩具にされることなんて無かったのだから。

 母との最後のやり取りが脳裏をよぎった。さびしそうに去っていく足音が残酷に耳に響く。

 あかねの体はもう原形を留めていない。ユリコや周りの者達も同じだ。そしてとうとうあかねたちが餌になるときがやってきた。彼女達の体が崩れ、弾け飛んだ。ただの電波粒子の塊に分解されたのだ。

 スバルの絶望の悲鳴が上がった。ジャミンガー達の嘲笑う声が上がり、デンジハボールが白く光って爆発した。スバルの視界が白一色で染められた。ジャミンガー達の動揺の声が聞こえた。スバルを捨て置き、慌ててデンジハボールが消滅した場所に駆け寄ろうとする。数歩走ったところで、頭上から降ってきた三つの光に射抜かれた。

 断末魔とともに電波変換が解除され、若い男三人が人形のように倒れていく。その向こうであかねの姿が見えた。電波粒子に分解されたはずのあかねは元の姿に戻って、地面で寝転がっていた。周りにはユリコや他の被害者達の姿も見える。

 

「……か、母さん……良かっ……た……」

 

 そこでスバルの意識は途絶えた。

 広場から動く者がいなくなった。一人残らず地面に横たわっている。その場所を制するのは静寂ではなく、三つの光だった。赤、青、緑の光は小さくも見る者の目を晦ますほどの輝きを纏い、スバル達の頭上に降り立った。

 青い光は迷うことなくスバルの元に移動した。赤と緑の光はあかねたち被害者の周りをぐるっと一周する。全員の無事を確認しているのだろう。最後にジャミンガーだった三人も無事であることを確かめ、赤と緑の光はスバルと青い光の元に戻ってきた。

 

「間に合ったようだな」

「ああ。全員無事だ」

 

 青い光の言葉に緑の光が頷いた。三つの光の間に流れていた空気が少しだけ緩んだ。

 

「……では、星河スバルを連れて行こう」

 

 赤い光の提案にのり、三つの光はスバルを囲んでまわり始めた。スバルの体が徐々に形をなくしていく。さきほどのあかねたちと同じく、電波化しているのだ。見る見るうちに電波粒子に分解されたスバルは三つの光に連れられ、空へと消えていった。



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第百二十一話.二人の物語

 黒い世界が広がっている。僅かな明かりもなければ、塵埃すら存在しない漆黒の闇だ。生命の気配もなければ、音一つすら聞こえてこない。全てを飲み込んだ完全な黒い世界がどこまでも続いていた。

 深海を思わせる薄ら寒い世界に一つの人影が漂ってくる。赤い服と紺色のズボンの少年……星河スバルだ。もがくことも無く、頭からまっさかさまに沈んでいく。うつろげな目は僅かに生命を留めているだけで、何も映してはいなかった。

「……ここは……どこ?」不意に唇を震わせる。瞳だけを動かして辺りを窺ってみても、永遠に続く闇が映るだけだ。「そうか……僕、死んじゃったんだ……」。

 呆然と漆黒の世界を見つめていると視界の隅に白いものが映った。闇から浮いた存在に視線を移す。それは緑色のレンズをつけた奇抜なサングラス。スバルがいつも持ち歩いているビジライザーだった。手を伸ばせば届くところで漂っている。手に取ろうとすると横から太い手が伸びてきた。ビジライザーを掴んだ逞しい腕に見覚えがあった。

 動きを止めるスバルの前に現れたのは、がっしりとした体つきをした男性だった。オレンジ色の半袖シャツに、膝までの半ズボン。服の上からでも分かる鍛え抜かれた鋼のような肉体。胸元には流星型のペンダント。

 星河大吾が目の前にいた。

 思わず声をあげようとしてスバルは喉を詰まらせた。大吾はスバルを見ていなかった。いや、見えてすらいないようだった。いつも息子に向けてくれていた優しい眼差しは、今はビジライザーに注がれていた。慣れた手つきでビジライザーをかけると、スバルに背を向けてペンダントを頭上に掲げた。金色のペンダントが眩く輝きだし、闇の世界を切り裂いた。

 目を眩ませる光は一瞬で収まった。スバルが顔を覆っていた手をどけると、真っ黒だった世界は白で塗りつぶされていた。

 大吾に掲げられていた金色のペンダントが役目を終えたように輝きを失っていく。光が消えた直後に変化が起きた。三つの光が大吾のもとに舞い降りてきたのだ。それは大吾の前で動きを止め、姿を変えた。

 青い天馬、赤い獅子、緑色の竜……かつてスバルとウォーロックに力を授け、道を示してくれたAM星の三賢者がそこにいた。

 

「久しぶりだな、三賢者!」

 

 大吾が気安い言葉を投げかけた。AM星のみならず、FM星にまで名を轟かせた偉人たちにタメ口とはなんとなれなれしい態度だろう。

 

「相変わらず元気そうだな、大吾」

 

 しかしペガサス・マジックは別段気を悪くした様子も見せなかった。彼らの全身から溢れる強大な周波数がどこか和らいだように感じられた。

 

「聞いてくれ! 実はNAXAが俺の研究に本腰を入れてくれたんだ! これでキズナ理論が証明できるんだ!!」

 

 隠そうともしない嬉しさを前面に出しながら、大吾は早口でまくし立てる。彼のこの研究への熱意が見て取れるというものだ。

 

「そうか、それは良かった」

「これで我々も地球のために力を使うことができる」

 

 レオ・キングダムとドラゴン・スカイが大吾に頷いた。いつも威風堂々とした姿勢を崩さない三賢者が明らかに喜んでいた。その様子は親しい友人と話す雰囲気となんら変わらない。

 三賢者一人一人の顔を見ながら、大吾は拳を握り締めた。

 

「俺は光博士のキズナ理論を見たときから、ずっと夢見てきたんだ。これを実現してみせたいと。この地球の人たちに絆の大切さを知ってほしいと!!」

 

 大吾はビジライザーを外して足元を見た。いつの間にか景色が変わっていた。真っ白だった世界は再び黒に戻っていた。だが先ほどと違い幾つもの細かい光がちりばめられている。大吾と三賢者は宇宙に立っていたのだ。彼らの足元には青い惑星……地球があった。暗い宇宙の中で、その星は生命の色で輝いていた。

 

「俺はやるぞ! この世界をブラザーバンドで結ぶんだ!!」

 

 決意を固める大吾の後ろから、AM三賢者も地球を覗き見る。

 

「お前は言っていたな。人は弱い生き物だと」

「だが、誰かが傍にいれば強くなれる不思議な生き物でもあると」

「人と人との間に繋がる見えない力……それが絆だと」

「そうだ! だから俺は世界中の人に伝えたいんだ! 絆のすばらしさを……絆の可能性を!!」

 

 大吾は目を細めて地球に微笑んだ。それは愛しい妻や我が子を見守るものと同じだった。

 

「この星の全ての人がブラザーバンドで繋がって、お互いを力づけあいながら生きている世界になれば最高だ。

 俺はそう思う」

 

 大吾が語るのは完全な理想論だ。だが彼はそれを本気で夢見ている。情熱に燃える目がそう語っていた。

 スバルは黙って彼らのやり取りを見守っていた。大吾の額と胸元に視線が移る。三賢者と地球の光を浴びて、ビジライザーとペンダントが眩しく光っていた。

 スバルは自分の額と胸元に手を伸ばしてみた。そこには何もない。本来そこにあるはずだった父の形見は、ズボンのポケットと腰のポシェットの中だ。

 もう大吾を見ることができなかった。

 そこでスバルは自分の手が歪み始めていることに気づいた。両手だけでは無く体全体が形をなくしつつある。慌てて辺りをうかがうと、同じような歪みがいたるところで生まれ始めていた。それは徐々に大きくなり、荒波となって世界を飲み込んでいく。崩れる世界の中で、最後に見えたのは地球を見下ろす大吾の横顔だった。

 

「……父……さん……」

 

 世界が大きく歪み、ただの曲線の固まりになる。それらが徐々に秩序を取り戻し、新しい世界を構築していく。スバルの前に広がったのは海のように青い空だった。目の前にはAM三賢者の影達がいた。

 

「……サテライトの管理者……?」

 

 次々と変わっていく世界についていけず、スバルは未だに状況が掴めずにいた。ただ先ほどの大吾と三賢者と違い、この影達は自分を認識しているようだ。膨大な量のゼット波を漂わせながら、スバルを見下ろしていた。

 その中の一人、ペガサス・マジックがスバルに説明する。

 

「我々の記憶を見せていたのだ」

 

 どうやら先ほどまでの出来事は全て幻影だったらしい。今スバルがいる世界こそが現実のようだ。

 

「……そっか……って、うわああああ!?」

 

 ようやくスバルは地面がないことに気づいて飛び上がった。だが不思議なことに重力に従って落っこちるということはなく、そのまま翼が生えたかのように宙に浮いてしまった。

 

「な、なにこれ!? それに、ここどこ!?」

「我々のゼット波を浴びせ、お前の体を電波化させたのだ」

「破損した肉体データも修復しておいた」

 

 レオ・キングダムとドラゴン・スカイのなだめるような説明を聞いて、スバルはルナの両親を思い出した。

 以前ナルオとユリコはゼット波を間近で浴びてしまい、電波化してしまった。オヒュカス程度のゼット波でも大人二人を電波に変えてしまったのだ。三賢者の影達が子供一人に同じコトができないわけがない。

 電波の体になった今なら宙に浮いていることも可能だが、それでは落ち着けない。最初に立っていたウェーブロードへと足をつけて、辺りを見回した。

 

「ここは、ど……こ……」

 

 そして心を奪われる。

 ウェーブロードの下には白い大地が広がっていた。雪上を思わせる純白の草原に、連なる白い山々。触れれば粉々に砕けてしまいそうな柔らかい印象が見るものの心を癒す。

 その中に池や湖のように見える場所がある。青いと思っていたその場所に緑色が滲んでいく。スバルが見つめていた湖は雲の切れ目だった。そこから海や大陸が見えているのだ。

 頭上を見上げてみれば、透き通った青い空が地平線の向こうにまで手を伸ばしていた。余計な色を排除したどんなものよりも美しい青がスバルを引き込む。

 宇宙が好きなスバルはすぐに気づけた。ここは成層圏だ。宇宙と地球の境界線。地球に居ながら雲を見下ろせる唯一の場所。そこに広がるウェーブロードの上にスバルは立っていたのだ。

 

「ここは地球でもっとも高い場所に広がっているウェーブロードだ。スカイウェーブと呼ばれている」

 

 こんな高い場所にまでウェーブロードが広がっている。このウェーブロードが世界を跨いでいるのだと思うと、言い知れぬ感動で胸を揺さぶられた。

 自分の居場所を把握できたこともあり、スバルはようやく余裕を取り戻してきた。

 

「……あの……母さんは!?」

「案ずるな。サテラポリスが事後処理をしてくれている」

「あの五陽田という男ならば問題ないだろう」

 

 ペガサス・マジックとレオ・キングダムの言葉に、スバルはホッと胸をなでおろした。ああ見えて五陽田は意外と頼りになる男だ。母とユリコのみならず、他の被害者達も無事に保護してくれていることだろう。

 スバルが安心したのを見計らったように、三賢者は話を切り出した。

 

「星河スバル、よく聞くのだ」

「今この地球にかつてない危機が迫っている」

 

 スバルの緩んでいた顔が自然と引き締められた。アマケンで聞いたFM星王の宣戦布告が脳裏をよぎる

 

「FM星人のことだね?」

「そうだ。もう奴らは動き出している。これを見よ」

 

 スバルの前の空間が歪み、渦が形成された。大きさは小窓一つ分ほどもなく、スバルの顔ぐらいの大きさしかない。灰色一色だった渦の中央に、唐突に色彩が広がる。覗いてみたスバルはすぐに目を見開いた。

 

「ロック!? それに……ハープ・ノート!?」

 

 灰色の窓はテレビのようなものだった。遠く離れた場所の光景が映し出されているのだ。

 映像の中央では、痛々しい姿のウォーロックが鮮明に映し出されていた。青かった体は灼熱の拷問でも受けたかのように黒ずんでいた。

 その奥にはジャミンガーに踏みつけられているハープ・ノートがいる。よく見えないが、彼女も到底戦える状態ではないらしい。ジャミンガーも一体ではない。ウォーロックを囲むようにずらりと並んでおり、気品の欠片もない笑い声を上げている。

 満身創痍になっていても、ウォーロックの目は死んではいなかった。鋭く尖らせた赤い目が睨む先へと、カメラの視点が動く。新たに映った人物達に、スバルは息を呑んだ。

 死んだはずのジェミニがいた。ジェミニだけじゃない。オックス、キグナス、リブラにオヒュカス。ロックマンに敗れたFM星人たちが顔を揃えている。何より絶望的なのはジェミニが掲げているものだった。一度見ただけだが間違いない。

 アンドロメダの鍵が奪われたのだ。

 

「は、早く助けてあげてよ! 僕のときみたいに!!」

 

 灰色の渦を脇に押しのけ、スバルは三賢者に詰め寄った。

 三賢者の計り知れない力を使えばウォーロックとハープ・ノートを救えるはずだ。事実、スバルとあかねたちを救ったのは彼らなのだから。そんな他者を圧倒する力を持っているにもかかわらず、三賢者はのんきにスバルに映像を見せている。それがスバルには腹立たしい。

 懇願するスバルに、レオ・キングダムは首を横に振った。

 

「我々は本体の影。内包できる力には限りがある。もうそのような力は残っていない」

「お前を助けるためにほとんどの力を使ってしまったのだ。今はこうして影の召還保つことすら難しいほどだ」

 

 説明を付け加えるドラゴン・スカイに怒鳴りたくなった。そんな言い訳はどうでも良いのだ。とりあえずウォーロックとハープ・ノートを助けなければならない。三賢者と同じく見ているだけなんてしたくない。焦りだけが積もる。

 だがスバルは三賢者を低く見ていた。AM星の三賢者と呼ばれた彼らが、このような状況で何もしない愚か者であるわけがないのだ。

 

「星河スバル、今こそお前の力が必要だ」

「この地球の危機を救えるのは絆の力を知る者のみ」

「すなわち、お前とウォーロックの力が……ロックマンの力が必要だ」

 

 スバルは三賢者の言いたい事を理解した。よって押し黙ってしまう。急にしおれてしまった目は足元から脇に押しやった渦へと移る。その中では今もウォーロック達の状況が映し出されており、事態の緊迫さを伝えてくる。

 ジェミニ以外のFM星人達がウォーロックの周りに集まり始めていた。アンドロメダのカギを奪い返した今、彼らがすることは容易に想像がついた。殺された鬱憤を存分に晴らすつもりなのだ。

 オヒュカスに首根っこを掴まれ、力任せに引き上げられるウォーロック。目を閉じて、スバルは冷え切った手を握り締めた。

 

「無理だよ……僕じゃどうしようもないよ。それにウォーロックは僕に愛想を尽かしたんだ。一緒に戦ってくれるはずなんてないよ」

 

 今になっても昨日の出来事は鮮明に思い出せる。浴びせられた一言一言が胸に刺さる。自分は戦友に見限られたのだと、改めて思い知らされる。ポーチに入っているペンダントと、ポケットに入れたビジライザーが妙に重く感じた。

 それを三賢者は否定した。

 

「本当にそう思うのか?」

「……え?」

「ウォーロックはお前を最後の戦いに巻き込むまいと、出て行ったとは考えられぬか?」

「そ、そんなこと……!?」

 

 戦うことしか考えていないアイツがそんな事をするわけがない。

 スバルの前に映像が突き出された。勝ち誇ったキグナスがウォーロックの頭を踏みつけているところだった。その隣ではオックスが太い腕を回していた。「ブルルッ! あのスバルとかいう人間にくっついときゃ、こんなにあっさりやられるコトもなかっただろうよ」「フフフ、おかげで楽だったよ。ロックマンになられたら厄介だった」キグナスの言葉が終わると、オックスが拳を振り下ろした。

 堪らずスバルは目を逸らした。それでも殴打の音は聞こえてくる。ウォーロックの激痛に耐える声が上がるたびに、胸が絞られる気がした。

 頭を抱え込むようにスバルは耳を塞ぐ。搾り出した声は震えていた。

 

「……ち……違うよ……ロ、ロックがそんなこと……するわけ……」

「ウォーロックの心に変化があったとしたら?」

「……変……化?」

「そうだ。今までのウォーロックには無かった、「誰かを思いやる」心が生まれたとしたら?」

「あ、あるわけないよ! ウォーロックが……そんな……」

 

 スバルの精一杯の拒絶の言葉は、顔を上げた直後に萎んでいった。ペガサス・マジックの黄色い瞳と目が合ったのだ。全てを見透かすような深い視線に飲み込まれてしまった。

 そして少しずつ記憶をたどった。ウォーロックと過ごした日常の光景を振り返る。ガサツで乱暴で口が悪くて、でも時々自分を気遣ってくれたウォーロックを思い出せば、もう否定なんて出来なかった。

 

「……で、でも! なんでそんな心の変化が……?」

「……分からないのか?」

「う……うん……」

 

 スバルのぎこちない返答に三賢者は顔を合わせて頷いた。唐突にスバルの目の前にあった灰色の渦が消えた。隔たるものがなくなり、自然とスバルの視線は三賢者に向けられた。

 

「星河スバルよ、思い出せ。お前たちの物語を」

 

 三賢者は自らの体から強烈な光を放った。三色の太陽が降り立ったかのような眩しさにスバルは飲み込まれた。

 その中でスバルはウォーロックの姿を見た。ウォーロックの隣に誰かがいる。鶏冠のような髪型に、緑色のサングラスが特徴的だ。尻餅をついているその少年は、ウォーロックを見上げて怯えていた。

 スバルは、星河スバルとウォーロックの姿を見ているのだ。

 二人は暴走機関車を止めるため、展望台で電波変換をしようとしている。弱音を吐くスバルに、ウォーロックが怒鳴っている。二人が初めて出会った夜の出来事だ。

 スバルは察した。以前、三賢者はスバルとウォーロックを見守ると言っていた。彼らが見てきた二人の姿を見せられているのだ。

 数え切れない光景がスバルの中に入ってくる。

 

 何度も繰り広げたFM星人達との激闘。ミソラやルナ達を始めとする沢山の人たちとの出会い。泣いたり笑ったりした日常の出来事。

 その全てにウォーロックの姿があった。

 二人だけの物語が一瞬でスバルの中を駆け巡る。

 

 最後に見たのは笑い会う自分達二人の姿だった。

 

 ガクリとスバルは膝を突いた。

 

「分かったか? 星河スバル」

 

 ペガサス・マジックの言葉に、スバルは唇をかみ締めた。

 

「お前がウォーロックを変えたのだ」

 

 熱い涙が頬を伝った。

 

「お前と過ごす日々の中、ウォーロックは自分でも気づかぬうちに手に入れていたのだ。お前が持つ、誰かを思いやる心を」

「そしてお前もウォーロックから大事なものを貰っているはずだ。大切なものを守るために戦う『勇気』の心が」

 

 震える手を胸に当て、目をつぶる。そこには熱い鼓動があった。

 

「失うことを恐れていたお前はもういない」

「ウォーロックはお前から貰った思いやりを見せた」

「お前はどうする?」

 

 ウォーロックの顔が脳裏に浮かんだ。気がつけば、ビジライザーとペンダントを取り出していた。それを見て決意が固まった。

 何も迷うことも、悩むこともなかったのだ。

 

「……決まってるよ……」

 

 くさりを首からかけ、ビジライザーを額に置く。緑色のレンズと流星型のペンダントが光を受けて煌いた。

 

「僕……行くよ!!」

「よくぞ言った」

 

 力強い返答に、三賢者は頷いた。

 スバルはようやく理解した。彼らはこの瞬間を待っていたのだ。スバルとウォーロックの間で、本当の絆が育まれるのを。

 二人が手に入れたこの無限の可能性こそが、地球の危機に立ち向かえる唯一の武器なのだ。

 目的を達した三賢者は影を小さい光へと変えた。

 

「星河スバル、我等の後に続くのだ」

「お前をウォーロックの元まで導こう」

「それが我等影の最後の役目だ」

 

 返答を待つより早く、三つの光が雲海へと向かって飛び出した。スバルもスカイウェーブを蹴飛ばして身を投げた。分厚い雲を抜けると、ニホンが真下に広がっていた。三賢者の後を追って速度を上げる。彼らが向かう先はちっぽけな島だ。あそこにウォーロックがいるのだと思うと、手に力がこもった。

 その時、三賢者の光が崩壊を始めた。淡い粒子がばら撒かれ始める。

 

「ど、どうしたの!?」

「……どうやら力が尽きたようだ」

「影の召喚がままならなくなったか。しばらくは何もできそうにないな」

「だがお前たちを導けたのだ。何も惜しくはない」

 

 彼らの口ぶりからすると、影が消滅したとしても、サテライトにいる本体は無事らしい。しかしこれからは彼らの助けを受けることはできないだろう。

 心細いがもうスバルが弱音を吐くことはなかった。

 三賢者の影達はとうとう役目を終えた。最後に一際強く輝いて、三つの光は同時に弾け飛んだ。粒子の雨がスバルの頬を撫でていく。

 

「地球を……頼んだぞ!」

 

 最後に聞こえてきたのは三賢者の誰のものだったのだろうか。恐らく三人全員だ。

 

「……ありがとう……」

 

 彼らの思いを受け止めて、スバルは目を閉じた。



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第百二十二話.流星のロックマン

アレオリ二周年!!
おめでとう!!



……と言ってくださいm(_ _)m


「ウォーロック君っ!!」

 

 ミソラの悲痛の叫びはジャミンガー達の下品な笑い声に混じって薄められた。オヒュカスに取り押さえられたウォーロックの腹に、オックスの太い拳が突き刺さる。もう意識がほとんどないのだろう。支えるのに飽きたオヒュカスが手を離すと、受身を取ることもなく地面に横たわった。

 

「これで終わリと思うなヨ」

「この程度で僕らの怒りが収まると思ったら大違いだよ」

 

 調子に乗って「ブルル!」と喚いているオックスの横から、リブラとキグナスが近寄ってくる。

 まだ友達が傷つけられるのだと思うと、ミソラの目からまた一つ涙が零れ落ちた。できればウォーロックのそばに駆け寄って、FM星人達を追い払ってやりたい。しかし、今のハープ・ノートには自分を踏みつけているジャミンガーを払いのける力すら残っていなかった。

 彼女にできることがあるとするなら、せいぜいハープと共に叫ぶことぐらいだ。

 

「ウォーロック! しっかりしなさいよ、ウォーロック!!」

「やめて! お願いだから!!」

「そうだな、そろそろ終わりにしよう」

 

 面食らい、ミソラとハープは言葉を失った。こんな言葉が返ってくるとは思っていなかった。それを言った本人がジェミニなのだからなお更だ。

 だが現実は残酷だ。ジェミニが優しさの一欠けらでも持ち合わせているわけがないのだ。

 ジェミニは体から雷を放出すると、ウォーロックの頭上で集め始めた。雷の雲が形成され、少しずつ膨らんでいく。ギロチンの代わりだと察し、ミソラとハープは全身から血の気が引いていくのを感じた。

 

「おいジェミニ! もう少し我々に楽しませろ!!」

「ブルル! てめえもコイツに恨みがあんだろ!!」

 

 ジェミニの身勝手な決定にオヒュカスとオックスが反論し、キグナスとリブラも続こうとする。しかし星王の右腕が彼らの意見に耳を貸すことはなかった。

 

「うるさい。俺は早く星王様に、この『アンドロメダのカギ』をお渡ししたいんだ。てめえらの自己満足に付き合うのはここまでだ。とっととそこをのけ!!」

 

 ジェミニにとって第一優先すべきは星王への忠誠を示すことのようだ。それを果たせるのならば、ウォーロックへの恨みなどもうどうでも良いのだろう。アンドロメダのカギを手に入れた今、彼は早く任務を終わらせたいらしい。

 もっとこの時間を楽しみたかったオックス達だが、仕方なく引き下がった。任務を引き合いに出されれば文句は言えないのだろう。ウォーロックを捨ててジェミニの後ろに下がる。しかし、彼らの表情からは隠し切れない不満が見て取れた。その視線を背中に感じているはずのジェミニは気にすることもなく雷を大きくしていく。特大の落雷で裏切り者を消し飛ばすつもりらしい。

 刻一刻とウォーロックに死が迫る。この状況を打破しようとウォーロックは以前衰えぬ瞳を赤くぎらつかせながら、立ち上がろうとする。だがそれだけだ。徹底して痛めつけられた体は言うことを聞かず、腕どころか指一本動かすことも出来なかった。口うるさいはずだったハープの悲痛な叫び声すらよく聞き取れない。ついに終わりが来たのだとどこかで受け入れていた。

 頭上を見上げてみると、雷の塊が数個浮かんでいた。視点が定まらずぼやけているのだとすぐに気づく。もうじきあれが太い落雷となって自分を消滅させるのだ。

 死を前にしたウォーロックが思うのは、FM星王への憎しみでもなければ、復讐を果たせなかった悔しさでもなかった。

 なぜかあいつのことを思い出していた。大吾が笑っている。白い歯を見せて、子供のように笑いかけてくる。アイツの笑顔は苦手だった。どこか毒気を抜かれてしまうからだ。いつの間にかアイツと笑う時間が一番好きになっていた。

 だから面倒だと感じていても、あんな約束をしてしまったのかもしれない。だが、結局それも果たせそうにない。最後に見たスバルの顔が脳裏をよぎった。

 落雷の準備が整ったらしい。ジェミニが放出していた雷が途切れ、ウォーロックの頭上での動きも止まった。ジェミニの処刑執行の命が下りるのを待ち構えるように、雷の塊は今か今かと激しい音を鳴らしている。その隣では赤い星が煌いていた。いよいよ頭がおかしくなってきたらしい。真昼間から星が見えるだけでなく、声まで聞こえてくる。霞がかかったかのような頭の中で、自分の名を呼ぶ声がする。あいつの声が聞こえてくる。

 そこでウォーロックは気づいた。目の焦点が赤い星に集中する。よくよく見てみれば、それは徐々に大きくなってきていた。そして声はそこから聞こえていた。

 もう二度と聞くことは無いと覚悟していた、あいつの声が聞こえてくる。

 友の息子が……己の相棒がそこにいた。

 

「ロックーーーッ!!!」

「スバルッ!!?」

 

 見間違いようがなかった。スバルが空から降ってきていた。

 ジェミニ達も気づいて頭上を仰いだ。生身の人間が電波化して空を飛んでいるのだ。さすがの彼らも度肝を抜かれた。だが、突然の来訪者がウォーロックの相棒となれば自然と警戒心も高まる。全員がスバルを注視していた。

 甲高いギター音が鳴った。直後に雷の塊が爆発する。溜められていた強力なエネルギーが四散し、ジェミニ達に襲い掛かった。ウォーロックのすぐ側を雷が走っていく。

 そんな爆発の中でウォーロックははっきりと耳にした。「行って!」と叫ぶハープ・ノートの掠れた声だ。弾かれるように、ウォーロックは飛び出した。

 ウォーロックはスバルに向かって空を駆け上がる。動かなかったはずの体が嘘のように軽かった。ジェミニの怒声が上がり、ジャミンガー達の銃声音が一斉に襲い掛かってくる。熱気を帯びた弾丸がすぐそばを通り過ぎていく。それでも、ウォーロックはスバルだけを見ていた。

 赤い筋を帯びながら、スバルはまっすぐにウォーロックに向かって下りてくる。微かだがスバルの表情が読み取れた。

 二人の視線が交差する。ウォーロックを見据えたスバルの目に怯えはなかった。ウォーロックは軽く笑ってみせる。「本当にお前か? 昨日とは大違いだぜ?」と目でからかってやる。コクリと頷いてスバルは左手を差し出した。

 それが意味することは一つだ。

 ウォーロックも手を伸ばした。

 

 二人の手が重なった。

 

 

 

 

「電波変換 星河スバル オン・エア!!」

 

 

 

 

 光が溢れた。

 生まれた光は一瞬で全ての色を吹き飛ばし、空を白く塗りつぶした。誰もが手を止めてその輝きに目を奪われていた。

 光の中央で、触れ合っていた赤と青の電波体は幾千もの粒子となって弾け飛んだ。

二つ存在が混ざり合い、一つとなっていく。

 

 

――ロック……僕、やっと分かったんだ――

 

――……何がだ?――

 

――僕はずっと逃げていただけだったんだ。失うのが恐くて、ただ怯えていただけだったんだ。……けど、それじゃダメなんだよね。それじゃあ、何もできない。何も守れないんだ――

 

――……ヘッ、やっと分かったのか。それで、どうするつもりなんだ?――

 

――僕は、もう何も失いたくない。僕の大切な人たちが傷つくのを、これ以上見たくない。だから……――

 

 

 白い光が唐突にかき消される。その中から飛び出したのは一筋の青い光。

 再びジャミンガーにねじ伏せられていたハープ・ノートも、力強い存在に引かれて空を見上げた。青い光の主の姿を、翡翠色の目に宿す。青い装甲を身に纏い、赤いバイザーの下で茶水晶の瞳を鋭く尖らせる。全身から溢れ出る勇気の光を帯びて、雄々しく駆ける様はまさに流星の如く。

 

「流星の……ロックマン」

 

 青い光が戦場に舞い降りる。

 

「だから……僕は……」

 

 全身を包んでいた光が徐々に収束していく。姿を現したのは、大切な友を左手に宿した一人の少年。

 偉大な父の意志を受け継ぎ、人を愛する強さを知った流星の戦士。

 全てを背負い、少年はヒーローとなった。

 

「戦うよ! 絆を守るために!!」




ロックマン完全復活!!


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第百二十三話.奪われた絶望

 生み出された暴風が襲ってくる。顔面に掲げた腕の隙間から、空からの来訪者を観察する。忘れもしないヤツがそこにいた。自分達が敗れた憎き相手が凛とした表情で佇んでいた。

 閃光と風圧で動けなかったオックス達はロックマンを目の前にして身を震わせた。そしてほくそ笑む。生き返る直前の記憶が彼らの戦意を燃え上がらせる。

 

「絆を守るために戦う? クク……ア、アハハハハ!!」

 

 そしてもう一つ、可笑しかった。ロックマンが宣誓した内容があまりにも稚拙で現実を見ていなかったからだ。耐え切れなかったキグナスが笑い出し、FM星人達とジャミンガー達も釣られて笑い出した。他人を見下した嘲笑の大合唱だ。

 

「フフフ、勇ましいな。だが、もうじき全てが終わるのさ」

「キフフ、もうすでにアンドロメダの鍵ハ、我等の手の中ダ」

「地球はAM星の二の舞になるのだよ」

 

 ジェミニが持っているアンドロメダのカギを見ていたオヒュカスは、一体のジャミンガーに指示を出した。ゴミが切り札に変わったのだ。使わない手はない。

 命じられたジャミンガーは、ずっと踏みつけていたハープ・ノートを持ち上げて、側頭部にガトリングガンの銃口を突きつける。

 

「おい、動くなよ! 動いたら……」

 

 ジャミンガーの言葉はそこで途切れた。ロックマンはこちらに背を向けていた。その両脇からピンク色の頭と足が見えた。自分の手元が寂しくなっていることに気づく前に、視界がぐらりと揺れた。

 倒れるジャミンガーを背後に、スバルは何事もなかったかのように歩を進める。

 

「……スバル君……やっぱり、来てくれたんだね……」

 

 腕の中のハープ・ノートが口を開いた。その声にはまるで力が感じられなかった。彼女の背中はとても細くて、力を入れることに遠慮してしまう。

 こんな華奢な体で彼女は戦ってくれていたのだ。ウォーロックを助けるために。そして、あんなことをした自分のために。

 宝石と見間違えた瞳には黒い影がかかってしまっていた。目を逸らしたかった。でもそれはダメだと自分の中の何かが制してくる。

 

「ごめん……ミソラちゃん……」

 

 自然とこの言葉が口から出ていた。折れてしまうのではないかと思いながらも、彼女を抱きかかえる腕に力が入ってしまう。

 

「君にはたくさん……たくさん謝りたいことがある。けど、ちょっとだけ待ってて……」

 

 足元のゴミを蹴り払い、整備された平たい地面を剥き出しにする。そこにハープ・ノートそっと下ろした。

 

「すぐに終わらせるから!」

 

 ハープ・ノートを背後において、ロックマンはFM星人達と向き合った。

 ジャミンガー達が一斉に尻込みを始めた。先ほどの救出劇は彼らを怯えさせるのに充分だったらしい。

 だがFM星人達は違った。ロックマンの強さを改めて認識したことで、さらに闘争欲が膨れ上がったらしい。「これでこそ自分達を負かしたロックマンだ」というところだろう。彼らの体から電波粒子が冷たく立ち上り始める。

 

「ブルル! 使いたくなかったが奥の手だ!! 星王様から貰った力を使って、お前を叩き潰……!!」

「引き上げるぞ」

 

 一人ずっと黙していたジェミニが張り詰めた空気を吹き飛ばした。流れを読まない発言に、オックス達は不機嫌な顔を見せる。

 

「何度も言わすな。任務が第一優先だ。さっさと引き上げるぞ」

 

 ジェミニの判断は最も正しいと言えるだろう。

 スバルが来て状況は大きく変わってしまった。ロックマンに電波変換されてしまった今、ジェミニ達が敗れる可能性は急激に高まってしまっている。それでも彼らの方が有利であることには変わりない。

 この優勢を捨ててでもジェミニは任務を第一優先とした。どんなことがあっても、星王様にアンドロメダのカギをお渡ししたいのだ。

 ロックマンの戦闘力を推し量った上での、冷静な判断だった。もちろんオックス達は納得がいかない。

 

「おいジェミ……」

「グズグズするな! さっさとしろっ!! ジャミンガー共、お前らは足止めだ。俺達の盾になれ!!」

 

 反論すら許さないという態度に、オックス達はシブシブ従うことにした。だが不満は消えない。ジェミニを見る目は冷たいものだった。

 FM星人達の忠実な下僕であるジャミンガー達はすぐに態度を切り替えた。ジェミニ達の前に躍り出る。

 ロックマンが迫ってきていた。

 

「アンドロメダのカギを返せ!!」

 

 ここまで来て奴らの切り札を渡すわけには行かない。カギを手に入れれば、彼らは迷わず最終兵器を起動するだろう。AM星を壊滅させたアンドロメダが地球に襲い掛かってくるのだ。想像したくもない未来を思い浮かべてしまう。

 AM三賢者が動けなくなってしまった今、この場で唯一戦えるロックマンに地球の全てが掛かっていた。

 使命感に背中を押され、ロックマンはジャミンガー達に向かって全力で地面を蹴飛ばす。

 

「おい、スバル。久々のバトルだが、なまってねえだろうな?」

「まかせて、行くよ!!」

「おう!」

 

 久々の電波変換と戦闘に体が脈を打つのを感じた。ウォーロックと共にいられるこの状況に体が熱くなる。

 だがすぐに気持ちを切り替えて余計な思考を捨てた。津波のように押し寄せてくるジャミンガーの大軍を斬り抜けて、逃亡するジェミニからカギを奪い返さなくてはならない。温存とか言っていられるような状況ではない。

 全力を出すことに決めて、素早く腕をクロスした。

 

「スターブレイク! アイスペガサス!!」

 

 ロックマンの体から水色の光が放射された。スターブレイクの光で怯んだジャミンガー達の隙を突いて、バトルカードを取り出した。

 

「バトルカード スイゲツザン!」

 

 水の剣を生成し、最初のジャミンガーに正面から飛び込んだ。相手の太い右拳が迫ってくる。右手払うように受け流し、左手の剣を切り上げた。雄叫びを悲鳴に変えて、ジャミンガーが宙を舞う。

 

「どいて!」

 

 次のジャミンガーを素早く切り伏せ、三人目のジャミンガーの攻撃をかいくぐる。今度は攻撃せずに無視して脇を駆け抜けた。一体一体を相手にすれば時間がかかってしまう。幸いにもジャミンガー達の攻撃は洗練されているとは言えず、隙だらけだ。ジャミンガー達の攻撃の中を、かすることもなく突き進んでいく。

 

「右だ!」

「っ!」

 

 気づくと、ガトリングガンの砲口がロックマンを狙っていた。十は下らない数だ。放たれる無数の弾丸を考慮すると、避けるのは難しそうだ。

 ちょうど殴りかかってきた大柄なジャミンガーの首根っこを掴み、射撃部隊目掛けて投げ飛ばした。憐れなジャミンガーが弾丸を防ぐ盾となり、射撃部隊を押しつぶしてくれた。同時に投げつけられていたパワーボムが爆発し、その周囲を一掃した。

 ジャミンガー達が巨大な爆発に気を取られ手いる間に、ロックマンは複数のバトルカードを使用した。

 

「クエイクソング! トリップソング! カウントボム!」

 

 周囲の敵の動きを止める黄色い獅子舞と、混乱させる青い獅子舞、そして強力な時限爆弾が周囲に召還される。それぞれ三つずつ、合計九個だ。

 ジャミンガー達は混乱の渦に叩き落された。三秒後に爆発が起きると宣言されているのに、同時に体の自由を奪われたのだ。焦りと恐怖で誰もが冷静に思考できずにいる。

 

「スバル!」

「分かってる!!」

 

 この瞬間を逃さず、ロックマンはウェーブロードへと飛び上がった。どさくさに紛れて空へと逃げようとしていたジェミニ達を追いかける。

 おそらくジェミニ達はジャミンガー部隊を目晦まし代わりにして、ロックマンの目を欺こうとしたのだろう。彼らにしては稚拙な作戦だった。ジェミニ達の逃亡先はFM星王のもとだ。つまり宇宙ステーション『キズナ』だ。空に逃亡することなどロックマンは最初からお見通しだ。ジャミンガー部隊を振り切ったロックマンは軽快にウェーブロードを飛び移っていく。その表情は焦りで歪められていた。

 

「ちぃ、まずいぞ……」

 

 ジェミニ達のスピードが思ったより早いのだ。今のジェミニ達は電波人間ほどの戦闘力はないが、空を自在に飛べる。最小限の動きでウェーブロードを避けて宇宙へと逃げていく。姿が徐々に小さくなっていく。何か効果的なバトルカードを使わなければ追いつくどころではない。

 

「うあ!」

 

 思案を巡らせていたスバルの右足から急に力が抜けた。遅れて激痛が足を支配し、銃声が聞こえてきていることに気づいた。ウェーブロードの下を窺うと、爆発から生き残ったジャミンガー達がガトリングガンで狙っていた。一部の者たちはロックマンと同じように慌ててウェーブロードを飛び移ってきている。目算すると、まだ二十体は残っている。

 見上げた先ではジェミニ達がどんどん小さくなっていく。

 

「スバルくん!!」

 

 絶望的な状況の中で天使のような声が聞こえた。ハープ・ノートがジャミンガー達の銃弾を潜り抜けて来ていた。音符のボードに乗って、ジェット機の如くロックマンに突っ込んでくる。

 

「これを使って! あいつらは私が食い止めるから!!」

「で、でも……いや、ありがとう!!」

 

 先程までロクに動けなかったはずのハープ・ノートが殿を買って出た。彼女のことが心配だったが今はその気持ちを押さえ込んだ。今自分にはすべきことがあるのだ。三賢者の影達が脳裏をよぎる。

 ハープ・ノートはロックマン目掛けてボードを蹴り飛ばし、ジャミンガー達に向かって飛び降りた。彼女の意志とボードを受け取り、ロックマンは高速となって空を駆け上がる。ギターの音と銃声が下方から聞こえてきた。歯を食いしばり、ロックマンはジェミニ達を見上げた。

 悠々と逃げていたジェミニ達もロックマンに気づいた。

 

「ジェミニ! 追いつかれるぞ!!」

「っ、なんだと!?」

 

 順調に撤退していたジェミニは、オヒュカスの言葉に驚いて下を窺った。スターブレイクしたロックマンが音符型のボードに乗って急速に近づいて来ていた。スピードは明らかにロックマンのほうが速い。左手のウォーロックと目が合うと、ニヤリしたと笑みを浮かべてきた。

 最初に挑発に乗ったのは意外にもキグナスだった。速度と連射力に長けた遠距離技を持つ彼は両翼をロックマンに向けた。

 

「キグナスフェザー!!」

 

 キグナスの羽弾が放たれる。刃のように磨かれた羽の群れが光を受けて白く輝いた。

 

「んなもん効くか! ロックバスター!!」

 

 ウォーロックの唸りの如くバスターが乱発される。キグナスフェザーは速度と連射力に秀でた一級品のマシンガンだ。しかし一枚一枚の威力は低い。バスターと相打ちになって消滅してしまった。キグナスのお得意技はロックマンの足止めにすらならなかったのだ。

 ウォーロックが対処してくれている間に、スバルはこの状況で効果を活かせそうなバトルカードを選んで取り出した。

 

「バトルカード レーダーミサイル!」

 

 白銀のミサイルがロックマンの周りに召還され火を噴いて飛立った。音符ボードのスピードなど鼻で笑うかのような超高速でFM星人達に襲い掛かる。

 

「スネークレギオン!」

 

 オヒュカスが蛇の雨を降らす。ミサイルを叩き落すつもりだ。

 

「ワイドウェーブ!」

 

 レーダーミサイルの軌道を確保するため、ロックマンは広範囲を攻撃できるカードを選んだ。三日月型の幅広い水の弾丸が蛇達を押しのける。だがこれは選択ミスだったかもしれない。蛇達を掃討するにはいささか威力が足りなかった。レーダーミサイルは生き残った蛇達に捕まり、全て打ち落とされてしまった。

 爆炎が灼熱の壁となってロックマンの前に立ち塞がる。だが回り道をしている余裕はない。

 スバルはウォーロックの頭の上に手を置いて、炎の巨壁を睨みつけた。

 

「ロック!」

「おう、強行突破だ!!」

 

 頷いたスバルはボードに捕まって姿勢を低くした。炎の壁は目と鼻の先だ。それでもスバルの目はその向こう側を睨みつけていた。その目に飛び込んできたのは壁の中から出てきたリブラの火炎玉だった。

 避けることはできない。打ち消す時間も無い。反射に近い一瞬の思考を挟んでロックマンはボードを乗り捨てた。ボードと火炎玉の衝突音が鳴り、足元で爆発が起きた。

 ボードが壊された今、もうロックマンが追いつくことはできないはずだ。ジェミニ達は安心していることだろう。だがロックマンは冷静に、晴れ行く爆炎の中に映るジェミニ達との距離を目測していた。

 あるバトルカードをウォーロックに渡した。この距離なら十分な効果が見込めるはずだ。

 

「ブラックホール!」

 

 全てを飲み込む黒い口がジェミニ達の真下に召還された。渦を巻き、周囲のあらゆる電波体を無差別に飲み込もうとする。それはジェミニ達も例外ではない。引力に捕まった五人は必死にもがこうとしている。

 

「や、やめろ!!」

 

 擬似的に作られた黒い渦は本物のブラックホールほどの引力は持っていない。しかしジェミニ達の動きを止めるには十分だった。宇宙へと逃げるどころか、飲み込まれないようにするのが精一杯らしい。明らかな焦りが見て取れた。

 最大のチャンスを前にして、ロックマンは一気に勝負に出た。攻撃を畳み掛ける。

 

「今だぜスバル!」

「うん! ボルティックアイ! ネバーレイン!」

 

 ブラックホールの周りに自動砲台が数個召喚された。中央の目のような砲口がジェミニ達を睨んで赤い光を灯す。それを見計らったかのように雨の弾丸が空から降り注いできた。

 上下からの挟み撃ちに加えて、ロックマンはウェーブロードから大技の準備をする。ここで確実にジェミニ達を倒すつもりだ。両手を上に挙げ、冷気の粒子が周囲に立ち上り始める。スターフォースビックバンのマジシャンズフリーズだ。

 勝利を確信してロックマンは両手に力を込めた。

 

「食らっえ!?」

 

 またも右足に痛みが襲ってきた。集中力が切れてしまい、マジシャンズフリーズが解除される。何匹もの蛇達がロックマンの足に噛み付いていた。

 

「い、いつの間に!?」

 

 良く見ると、別のウェーブロードにも蛇達が配置されていた。おそらく、リブラが火炎玉を放った直後に召還したのだろう。ボードを失ったロックマンを足止めするために、周辺のウェーブロードに蛇達を放っていたのだ。舌打ちするウォーロックに急いでタイフーンダンスのバトルカードを渡した。

 この間にジェミニ達もロックマンの攻撃に対応していた。

 

「ジェミニサンダー!」

「ゴルゴンアイ!」

 

 ボルティックアイが攻撃してくる前に、雷撃と紫のレーザーがそれらを撃ち壊した。残る三人はネバーレインにそれぞれの遠距離攻撃を放って相殺を図る。

 

「ファイアブレス!」

「キグナスフェザー!」

「アクアウェイト!」

 

 火炎放射、羽の刃、水の塊が雨の弾丸とぶつかり合う。細かい雨を全て防ぐことはできなかったものの、威力を大きく削ぐことはできたようだった。ジェミニ達に到達した雨はごく僅かで、被害を最小限に減らすことに成功していた。焦ってはいたものの冷静な対処ができるあたり、FM星人の精鋭に選ばれた力量が窺えるというものだった。

 そうしているうちにブラックホールの効果時間が切れてしまった。

 

「今だ!」

 

 途端にジェミニ達の逃亡劇が再開される。少しでも早くロックマンから離れたいのだろう。足止めの攻撃を放つどころか、脇目も振らずに空へと駆け昇って行く。その動きは俊敏で、攻撃を受ける前と比べても大きな違いは見られない。最大の好機は多少のダメージを与えただけで終わってしまったのだ。

 

「待てっ!!」

 

 蛇達吹き飛ばしたロックマンは慌てて追撃を開始する。だがもう音符ボードは無い。ウェーブロードを飛び移る方法では追いつけない。それでも短距離ではあるが高速移動する手段が残っている。

 

「バトルカード ジェットアタック!!」

 

 ウォーロックの姿が鳥の頭のような形に変わり、バーナーが全開にされる。強大な推進力が生み出され、ロックマンの体を空へと打ち上げる。左手の鋭い先端が空気を切り裂いて、あっという間に最高速度へと達する。自身を弾丸にした特攻攻撃だ。少し離された距離をあっという間に取り返し、ジェミニ達を間近に捕らえる。

 

「しつこいんだよ! ファイアブレス!!」

 

 オックスの特大の火炎放射が襲い掛かってくる。火炎放射がジェットアタックの先端に触れると、空気ごと切り裂かれて大きく広がった。端から見ればロックマンが巨大な炎の傘を抱えているように見える。

 熱気で目を閉じそうになってしまいながらも、ロックマンは次のカードを取り出した。この炎の柱を切り抜ければそこはFM星人達のど真ん中だ。このライメイザンを振るえばジェミニ達を一掃できる。カードを持つ右手に自然と力がこもる。

 そして炎の壁が消えた。スバルはウォーロックに素早くカードを渡そうとして、目を見開いた。ジェミニ達の姿はどこにも無かった。

 

「……え……? っうわああっ!!!」

 

 ほんの僅かな硬直が命取りだった。背後から雷に撃ち抜かれてしまった。痺れが全身に走り、身動きが取れなくなる。近くのウェーブロードに降りることすら叶わず、空へと放り出されたロックマンは真っ逆さまに落ちていく。

 そのときジェミニ達の姿が目に入った。彼らがいる位置を見て、ようやく気づいた。

 ジェミニ達はロックマンの進行方向から退避していたのだ。一直線にしか動けないジェットアタックの弱点を見抜かれていたらしい。回避さえしてしまえば、後は隙だらけとなったロックマンをジェミニの雷で打ち落とすだけだ。

 ロックマンを追い払ったジェミニ達は振り返ることも無く青い空へと飛び立っていく。

 ロックマンはそれをただ見つめることしかできなかった。追いかけようとは思わなかった。どう考えても、もう追いつくことはできないのだから。悔しそうに目を細めた。

 

「ロック……」

「言うなスバル。お前は良くやった」

「……ありがとう」

「……こっちの台詞だ」

「ハハハ、どういたしまして」

 

 痺れが取れてきた体をよじって下を見てみれば、地上が近づいてきていた。足止めに残ってくれていたハープ・ノートの姿が見える。ちょうどデンジハボールを壊すところだった。

 周りには大勢の人間達が倒れている。どうやら満足に動けない体でジャミンガー達を全て倒してくれたらしい。あの細い背中の感触を思い出す。彼女にこそ、よくやってくれたと言うべきだろう。

 デンジハボールを壊すと、とうとう彼女にも限界が来たらしい。前のめりに倒れてしまった。

 ロックマンはスターブレイクを解いて、ハープ・ノートの元へと向かった。

 

 

 ロックマンから無事に逃亡したジェミニ達は雲を抜け、大気圏を抜け出そうとしていた。ジェミニは下を窺った。ついてくるのはオックス達だけだった。ロックマンどころか、ウォーロックやハープの姿も見られない。

 

「追いかけてくるかと思ったが、心配は要らないようだな」

 

 ウォーロックとハープだけなら、自分たちと同じく空を飛べる。だが奴らにそうするつもりもないようだった。逃げ切れたことを確認して、ようやくジェミニは緊張を解いた。オックス達に指示を出す。

 

「このまま星王様の元へ行くぞ。遅れるな」

 

 屑共に簡単な命令を下して、再び上を向く。突然頭が捕まれ、後ろに引っ張られた。それだけじゃない。握りつぶされるのではないかと思うような握力がジェミニを襲う。

 

「な、何しやが……!!」

「ブルル! 偉そうに命令するんじゃねえぞ、ジェミニ」

 

 思った通りこの馬鹿力の主はオックスだった。単細胞の汚い手が宰相様の頭を掴んでいる。無礼極まりない行為だ。

 

「え、偉そうだと!? 俺は星王様の右腕だぞ!!」

「いや、もう違うゾ」

「なっ、なんだと!?」

 

 横から出てきたリブラがあっさりと否定して見せた。キグナスとオヒュカスも馬鹿にしたような口調で賛同する。

 

「君は任務に失敗したんだ。今は僕達と同じ、星王様に汚名を返上する身さ」

「キサマがデカイ顔をしていられたのは、もはや昔の話だ。身の程をわきまえることだな」

 

 ギリギリと加えられる痛みをプライドで堪えながら、ジェミニはオヒュカスを睨みつけた。裏切り者にだけは言われたくない。そんな台詞の代わりに苦痛の声が漏れだす。オックスが更に力を加えたのだ。全身がこのまま潰されてしまいそうだ。

 

「そういうコトだ。偉そうにするんじゃねえ!!」

 

 怒りが全身を走り、身を震わせてくる。膨れ上がった殺意が破裂しそうだ。それを何とか押さえ込む。

 その気になれば、こいつらをこの場で始末することぐらいできる。しかし無傷とはいかないだろう。もし、仲間殺しが星王様にばれれば、今度こそ自分の命は無い。任務失敗に仲間殺し。あの方はそんな者を許すような愚王ではない。それをジェミニは誰よりもよく知っている。

 ジェミニがとれる行動は沈黙だけだった。それを肯定と受け止めたオックスは上機嫌でジェミニを放り投げた。四人の人を食ったような笑い声が上がる。

 

「なぜ……俺が……」

 

 ジェミニの悔しさに満ちた低い声は誰にも聞こえなかった




ジェミニのやり取りが原作ゲームと違っている部分が多いです。
私なりの脚色です。ご了承ください。


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第百二十四話.本当の……

 草花をざわめかせるのは柔らかい海風だ。不思議と人に安らぎを与える潮の香りが通り過ぎていく。今日はちょっと風が強いようだ。だが傷つけようとするような暴力的なものではなく、夏の近づきを忘れさせてくれるような心地良いものだ。目を開けてみれば、そこに広がるのは青い海。微笑むような煌きにミソラは表情を和らげた。その横顔をスバルは無意識に見つめてしまっていた。

 ここを選んで正解だったと素直に思える。倒れたミソラを休ませてあげたくて、スバルは最寄の公園に彼女を連れてきたのだ。ドリームアイランドの花壇と海はその役目を十分に果たしてくれたようだ。スバルが買って来たジュースも効果的だったのかもしれない。

 スバルが見惚れているうちに、ミソラはジュースを飲み干した。

 

「ぷはーっ! ごちそうさまっ!!」

「どういたしまして。って、もう立ち上がって大丈夫なの?」

 

 ミソラが急にベンチから立ち上がった。先程の戦闘を思えばスバルが慌てるのは当然といえる。心配をよそにミソラは元気な足取りでゴミ箱に空き缶を捨ててみせた。

 

「だーいじょうぶ! 疲れていただけだから。大きな怪我もしてないし。それにウォーロック君がかばってくれたしね!」

「え、ロックが?」

「……ケッ!」

 

 ずっとトランサーの外にいたらしいウォーロックが悪態をついて見せた。そっぽを向いているためスバルからは見えないが、多分目を瞑っているはずだ。彼なりの照れ隠しだと気付くと笑いそうになってしまう。

 

「俺一人だったら、アイツらにやられたりはしなかったんだ。その女がしゃしゃり出てきやがったから、調子が狂っちまったんだ。いい迷惑だったんだぜ……ったくよ!」

「ポロロロン! アラ、心外ね!!」

 

 目を釣り上げたハープがウォーロックの眼前に飛び出した。

 

「あの時、私達が来なかったらやられていたじゃない!」

「なんだと!?」

「なによ!?」

 

 ウォーロックとハープがにらみ合いを始めてしまった。「ウー!!」とうなり声を上げて、バチバチと火花を散らしている。二人は気づいていないようだが、背中を押したら顔がついてしまいそうな距離だ。からかっても良いのだが、そうすると怒りの矛先が変わってしまうのは目に見えている。ここは安全性を重視して宥めることにした。

 

「まぁまぁ、ロック。落ち着いて」

「ハープも落ち着こう? ね?」

 

 ミソラもウォーロックとハープの間を取り繕ってくれた。異星人二人は荒々しく鼻を鳴らすと、プイッとそっぽを向いた。

 

「フン!」

「フンだ!」

 

 同じタイミングで、同じように顔を背け、同じような悪態をつく。見事にシンクロした仕草だった。スバルとミソラも同時に笑い出してしまう。

 

「ハハハ!」

「フフフ!」

 

 ミソラと目があった。彼女がスバルに向けてくれる笑みは何も変わっていなかった。見ていると、昨日の出来事など無かったかのように思えてきてしまう。このまま何事もなかったかのように、ミソラとの関係を築いていくこともできるのではないだろうか。そんな甘い誘惑を誘ってくれる笑顔だった。

 下唇をかみ締めると、スバルは意を決した。

 

「ミソラちゃん……」

 

 搾り出した声はスバル自身でも驚くほど低いものだった。雰囲気を察してくれたのだろう。ミソラも笑みを消して、正面からスバルと向き合った。二つの翡翠色の目に

赤い少年が映し出される。

 視界の隅でウォーロックを引き摺るようにしたハープがギターへと消えていく。ウォーロックがなにか喚いていたが、それに気を取られるような余裕は無かった。

 スバルは今まで経験したことのない『恐い』と戦っているのだ。ミソラにブラザーを申し込んだときよりも、何百倍も心臓が痛い。それを手で押さえてごまかして、スバルは声を絞り出した。

 

「ゴメン!」

 

 叫ぶような謝罪だった。この一言を皮切りに、堰を切ったかのように言葉が飛び出していく。

 

「僕が間違っていた。ロックが出て行って、ブラザーを切って、独りぼっちになって……やっと分かったんだ! 僕がどれだけ弱くて、無力なのかって……だから、ブラザーを切って……ゴメン!!」

 

 頭を下げたまま、スバルは恐る恐るとミソラの顔色を窺った。スバルの精一杯の思いを見ているはずなのに、ミソラは何一つ表情を変えていなかった。駄目だと分かっていても目を逸らしてしまう。

 そのとき、スバルは気づいてしまった。ミソラの胸元に目が留まる。ペンダントがないのだ。ヤシブタウンで遊んだときにプレゼントしたハート型のペンダントがどこにもない。不安がスバルの胸を突き刺した。

 

「あ……謝っても許してもらえないかもしれないけれど、もう一度……もう一度僕とブラザーになってくれないかな?」

 

 短くて、彼に出来る限りの謝罪だった。これ以上の言葉は要らない。どれだけ言葉を並べてもミソラにしたことは誤りきれるわけがないのだから。

 スバルの謝罪が終わっても、ミソラは何の反応も見せなかった。言葉一つどころか、眉一つ動かそうともしない。風の音しか聞こえないこの一秒一秒が無限に感じられた。

 

「……どうしよっかな?」

 

 ようやく返って来たミソラの声は渋るようなものだった。拗ねているようにも聞こえる。

 

「ブラザーを切られたときは、正直ショックだったんだよ」

 

 胸が痛くなった。

 簡単に許してもらえるわけがなかったのだ。スバルがミソラにしたことは、この世で最も残酷な仕打ちだ。己の考えの甘さを思い知らされたスバルの声は涙声だった。

 

「……ゴ、ゴメン……」

「いいよ!」

「……えっ!?」

 

 突然明るい声が捧げられた。先程と一転変わったミソラの態度に驚いて、顔を上げたスバルが見たのは優しい笑顔だった。

 

「いいよ、もう一度ブラザーになろうよ」

 

 見間違いで、聞き違いではないのだろうか。そう思って目を擦ってみたが、ミソラの表情は変わらない。ミソラは許してくれたのだ。あんな事をしたスバルを笑って受け入れてくれたのだ。

 ふと彼女の首元が光った。良く見ると、光の線が太陽の光に照らされていた。見覚えのあるチェーンが服の下へと伸びている。やっと、スバルも笑みをこぼした。

 のどかな風が二人を祝福するかのように包み込んだ。草花と共にフードの下からはみ出している赤紫色の前髪が静かに揺れる。太陽の温もりの中、ミソラは天使のように笑って見せた。

 

「いい? ホントのブラザーっていうのは、ココロとココロで繋がってるの。トランサー上でブラザーを切ったって、本物の絆は切れやしないんだから!」

「……ミソラちゃん……」

 

 

 トランサーとギターが向き合い、電子音が鳴る。手を引き戻してトランサーの画面を覗いてみると、ブラザーリストの一番上に、赤紫色の髪をした少女がいた。その横に記されている名前は響ミソラ。変わる訳がないのに、画像と名前を何度も確認して、スバルは笑みを浮かべた。

 ミソラも同じ気持ちなのだろう。目を瞑って、ギターを抱きしめている。

 

「……もう、ブラザーを切っちゃダメだよ」

「うん、絶対に切らないよ! そういうミソラちゃんこそ、切らないでね?」

「だーいじょーぶ! 私はいつだってスバルくんのブラザーだよ!!」

「ハハハ、ありがとう」

 

 ちょっとした冗談を交し合う。たったそれだけのことが楽しくてたまらない。この時間が永遠に続いてほしいと、願わずにはいられないほどに。

 だが、夢のような時間はミソラの真面目な視線で終わりを告げた。名残惜しさを感じつつも、スバルも気を引き締めた。ミソラが言おうとしていることには察しがついていたからだ。

 

「さあ! 次は委員長だよ!! ちゃんと謝って、もう一度ブラザーを結び直さないと!」

 

 ミソラの言うとおりだ。ルナにも酷いことをした。気は強いが、意外と傷つきやすい彼女のことだ。表向きは強気に振舞いながらも、心の傷を一人で抱え込んでしまっているはずだ。

 

「……う、うん。そうだね……それなんだけど……」

「……どうしたの?」

 

 スバルは言葉を濁らせて俯いてしまった。ひょこりと首を傾げて、ミソラは次の言葉を待った。

 

「……い、い、委員長、多分……もも、ものすごく怒ってると思うんだ……あ、あの委員長と正面から向き合うと思うと……その、足が……」

 

 スバルの足が小刻みに震えだした。足だけじゃない。よく見れば、ガチガチと全身を振動させていた。

 

「お、お願いミソラちゃん!! い、一緒に謝ってくれないかな!!?」

 

 今にも泣き出しそうなスバルを見て、ミソラはクスリと笑ってしまった。異星人相手に地球を守ってきた少年が、同年代の少女一人に心底怯えてしまっているのだ。笑わずにはいられない。

 でも、それがスバルなのだ。

 優しくて、思いやりがあって……傷つきやすい臆病な少年。

 それが自分を助けてくれた……自分が大好きなヒーローなのだ。

 

「もう、しょうがないな~。良いよ、一緒に謝ってあげる」

「ほ、本当?」

「言ったでしょ? もっとブラザーを頼っても良いんだよ?」

「……うん!」

 

 頷いたスバルの手をとって、ミソラは歩き出した。ちょっと遅れて、スバルも後に続く。

 ミソラの手は温かかった。触れている場所は手のひらだけなのに、全身を包んでくれているかのようだ。手を繋いでいるのだと気づくと、急に背中や首筋がむず痒くなってきた。離してもらおうかと思ったが、やめた。今はこのままミソラの手を握っていたかった。

 

 

 

 スバルはまだ知らない。

 

 これが本当の……。



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第百二十五話.もう迷わない

 ウェーブロードを使ってコダマタウンに到着したスバルは、すぐにルナを探し始めた。ハープ・ノートの感知能力のおかげで、ルナの居場所はすぐに突き止めることができた。

 案内された場所は展望台の広場。そこに設けられたベンチにルナは腰掛けていた。遠目からでも、暗い表情をしていることが窺える。

 展望台の入り口に下りて、電波変換を解いたスバルは大きな深呼吸をしてみた。数回繰り返してみても、胸の内の恐怖は落ち着くどころか激しくなってくる。心臓は胸を突き破りそうに激しく動悸していた。ルナの鬼のような剣幕を思えば無理もない話だ。それも、これからスバルが会うのは、今まで見てきたルナを上回る、もっとも恐ろしいルナなのだ。昨日昇ったばかりの階段も、まるで違ったものに見えた。

 勇気の一歩をなかなか踏み出せないスバル。そんな彼の肩にポンと温かい手が置かれた。振り返ると、ミソラがもう片方の手でガッツポーズを取ってくれた。頷き、スバルは階段を駆け上がった。動悸はもう収まっていた。

 広場に着くと、スバルは勢いに任せてルナの名前を呼んだ。条件反射のように顔を上げたルナと目が合った。だがすぐにそっぽを向かれてしまった。目を閉じて、意地でもスバルを見ないつもりらしい。

 暗い表情を隠せないスバルの元に、ルナの側にいたゴン太とキザマロが駆け寄ってきた。

 

「ちょうど良かったぜスバル」

「委員長、昨日からずっと元気がないんですよ」

 

 普段から気苦労の耐えないキザマロだけならいざ知らず、悩みとは無縁そうなゴン太まで疲れきった顔をしていた。ルナを心配しすぎるあまり、心労が積み重なってしまったのだろう。

 二人を見て、スバルは己の罪深さを改めて認識した。あの愚かな行為で傷つけてしまったのは、ミソラとルナだけではなかったのだ。

 

「そうだったんだ……ごめん、少し待ってて」

 

 ゴン太とキザマロの間を通り抜け、スバルはルナに歩み寄った。近づいてくる気配は感じているはずなのに、ルナは石造のように眉一つ動かさなかった。不安が足を止めようとしてくる。後ろから着いてくるミソラの足音がなければ、たぶん前には進めなかった。

 ルナの前に辿り着くと、スバルはずっと目を瞑っているルナに思い切って声を絞り出した。

 

「……い、委員長! あの……話が……ひっ!?」

 

 突然、なんの前触れも無くルナが立ち上がった。ただ立ち上がっただけだ。それだけなのに、スバルは飛び上がってしまった。背後の気配からミソラはビクリと首をすくめたようだ。ゴン太とキザマロの小さい悲鳴も聞こえた。一瞬でこの場を支配してしまうことから、彼女の気迫がいかに常人離れしているのかが嫌でも分かってしまうというものだった。

 次にかかってくる言葉はなんだろう。足がすくみそうになりながらも、スバルは睨みつけてくるルナの出方を待った。

 

「ゴン太、キザマロ。席を外してくれるかしら。ミソラちゃんも、お願いして良い?」

 

 緊迫する空間に響いたルナの言葉は、意外にも落ち着いたものだった。凄まじい惨劇を予想していたスバルたちは呆気に取られて固まってしまう。

 数秒後、ゴン太とキザマロは顔を見合わせるとその場を後にした。首だけで振り返ったスバルに、視線だけで応援を送ると階段を降りていく。

 ミソラは少々困った顔をしていた。スバルとは「一緒に謝ってあげる」という約束を交わしているのだ。どちらの要求も呑んであげたいと言うのが彼女の意見だろう。スバルはミソラとアイコンタクトを交わし、「大丈夫」と伝えた。ミソラはそのメッセージを理解してくれたらしい。頷くと、同じく階段を降りていった。

 ミソラの足音が聞こえなくなると、途端に心細さがスバルを襲った。ウォーロックが左手にいるのがせめてもの救いだ。

 ルナの目は怒りの大きさをそのまま形にしたかのように釣りあがったまま微動だにしない。逃げ出したい気持ちを必死に抑えながら、スバルは両足を地面に突き刺す思いで踏ん張った。

 

「い、委員長……ゴメン! あれから色々あって、僕が間違ってるって気づいて、反省したんだ。その……もし良かったら、僕ともう一度ブラザーを……」

「よくもまぁ、ぬけぬけと顔が出せたものね!!」

 

 圧迫感に耐えられなくなり、謝罪しようとしたスバルをルナの怒鳴り声が遮った。

 

「アナタ、自分のしたことの意味が分かっているの!?」

「ゴ、ゴメン…… 」

 

 ビリビリと鼓膜が怯えるように震えた。ミソラとは違い、ルナは簡単に許してはくれないらしい。様々な意味で泣きたいが、ここは堪えなければならない。

 

「簡単に許してもらえるとでも……」

 

 ルナがなおも文句を言おうとしたとき、タイミング悪くスバルの左手が顔に近づいてきた。

 

「スバル、ゼット波だ!!」

「え!?」

 

 ウォーロックの警告にスバルは気を取られてしまった。これは大失敗だ。ルナから見れば耳を塞ごうとしている風にしか見えない。彼女の怒りをさらに煽ってしまう。

 

「ちょっと! アナタ聞いてっ!?」

 

 本当に怒り出したルナが空に飛びだした。見上げてみれば、うっすらとした黄土色の影がルナにまとわり着いている。そのさらに向こうの空では紫色の球体が現れようとしているところだった。それほど大きくないが、間違いなくデンジハボールだ。

 実体化し始めた周囲のウェーブロードにはゴン太とキザマロを抱えた二体のジャミンガーいた。どうやらこのわずかな間に捕まってしまったらしい。ルナを捕まえたジャミンガーは仲間の元に戻ると、スバルに汚い笑みを見せた。

 

「まってろよ小僧。お前もすぐに餌にしてやるからよ」

 

 子供三人を人質に取っているにもかかわらず、罪悪感の欠片もない悪党そのものの笑顔だ。嫌悪感を感じるスバルに、ウォーロックがささやいた。

 

「あいつら、地球人を『アンドロメダ』の餌にするつもりらしいな」

「実は、ヤシブタウンでも同じことがあったんだ。他の大きな町でもゼット波が確認されたって、宇田海さんが言ってたよ」

「本当か!? 畜生、こんな小さい町まで襲うっつうことは、あいつらカギを手に入れて攻勢に出やがったか!!」

 

 ウォーロックの舌打ちがトランサーから聞こえてきた。だがスバルの意識はウェーブロードの上へと向いた。ゴン太とキザマロが必死にもがいているのだ。これは危険すぎる。勢い余って、落ちてしまうかもしれない。高度を考慮すれば間違いなく命はない。ジャミンガー達から逃れようとする二人を宥めようとしたときだった。

 

「に、逃げろスバル!」

「逃げてください! スバル君!!」

 

 ゴン太とキザマロがスバルの名を呼んだ。彼らはこの状況を整理できていないだろう。だが、危険ということは分かっているらしい。

 二人の言葉に、スバルは笑みを隠せなかった。泣き叫んでいる友人を前にして笑うなど、人として失格の行為かもしれない。だが、二人の気持ちが素直に嬉しかったのだ。

 

「僕は逃げないよ」

 

 スバルの一言で、上空の騒ぎが静まり返った。遠すぎて見え辛いがゴン太とキザマロは呆けたような顔をしているはずだ。

 

「ば、馬鹿野郎! かっこつけてる場合じゃねえだろ!!」

「誰か、大人の人を呼んできてください!!」

 

 ゴン太とキザマロが本当に泣き出してしまった。腹や頭を抱えて笑っているジャミンガー達を無視して、スバルはルナに視線を移した。彼女はずっと、スバルを見つめて離そうとしなかった。よく見れば、スカートのポケットに手を入れている。それが意味することをスバルは分からない。だが、もっと大切なことは分かっていた。

 

「僕はもう、大切な人たちを失いたくない。だから戦う。そう決めたんだ。もう、僕は迷わない!!」

 

 ルナの目を真っすぐに見つめ返しながら、スバルは声高らかに叫んだ。左手を彼女に向けたとき、ウォーロックが笑ってくれたような気がした。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!!」

 

 青い光が弾け飛ぶ。その中から現れたのはルナが憧れたヒーローの姿。驚愕するジャミンガーに一瞬で近づき、ロックマンは素早くソードで切り捨てた。ルナを背後に回し、ゴン太とキザマロを捕らえているジャミンガー達と向き合う。

 二体のジャミンガーは慌てて二人を盾にしようとしているが、もう遅かった。戦いは終わっているのだ。彼らの背後に音符形のボードに乗ったピンク色の少女が颯爽と現れているのだから。

 

 

 デンジハボールも破壊し、事態を収束させたロックマンとハープ・ノート。二人はスバルとミソラに戻り、ルナ達と向き合っていた。

 本来はスバルがルナに謝罪する場面だったはずなのに、今は事態が違ってしまっていた。

 

「……あの、スバル君……」

「お、お前がロックマン……なんだよな?」

 

 スバルが変身してからずっとアングリと口を開けていたゴン太とキザマロが、スバルに詰め寄っているのだ。これはルナと二人で話し合うという雰囲気ではなくなってしまった。残念に思いつつも、スバルはゴン太とキザマロに頷いた。

 

「……うん、そうだよ」

「……お、俺が憧れていたロックマンが……まさか、お前だったなんて……前に俺を助けてくれたのもお前だったんだな……」

「アマケンのときも、学校のときも、スバル君が僕たちを助けてくれたんですね……」

「い、今までお前のこと馬鹿にしたりして、すまねえ!」

「ボクらの間では、ロックマンはヒーローだったんです。まさか、スバル君だったなんて……感動です……」

「ちょ、ちょっと二人とも……泣かないでよ」

 

 さっきまで泣き叫んでいたのに、未だに二人は涙が枯れないらしい。感動で涙を流されるなんて、たぶんスバルの人生で初めてだ。とまどっていたスバルはビクリと身を強張らせた。ゴン太とキザマロの後ろにいたルナが歩みを進めてきたのだ。ポケットに何かをしまいながら、ルナは威圧感たっぷりの目をスバルに向けてくる。ゴン太とキザマロも横っ飛びに撥ねてルナに道を譲った。

 ルナが目の前で立ち止まると、スバルはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「あの……委員長……」

「出しなさい」

「……へ?」

「仲直りしてあげるって言ってるのよ!!」

「は、はいい!!」

 

 光速でスバルは左手を差し出した。ルナがゆっくりと自分の左手を向けると、小さい機械音が鳴った。スバルがトランサーを開いてみれば、ブラザーリストにルナがいた。

 

「助けてくれたお礼に、今回だけは許してあげるわ。だけど、次同じことをしたら、もう知らないから!」

「う、うん……ありがとう……」

「フン!」

 

 情けない顔で礼を言うスバルに、ルナは視線を合わせようとしてはくれなかった。簡単には許してくれないらしい。だがそれは仕方のないことだ。これから時間をかけて信頼を取り戻すしかない。

 それに間違いなくスバルとルナの仲は好転しているのだ。ゴン太とキザマロなど二人を祝福するように手を取り合っている。体格が違いすぎて、キザマロが宙で振り回されているようにも見える。

 しょんぼりとするスバルを気遣ってくれたのだろう。ミソラが声を掛けてくれた。

 

「良かったね、スバル君。委員長と仲直りしたいって言ってたもんね?」

「う、うん……そうだね」

 

 後半部分を強調して言うミソラに、スバルは内心感謝した。ルナもちゃんと気づいたはずだ。

 ルナの表情を窺おうとして、スバルは気づいた。キザマロを振り回していたゴン太が珍しく真面目な表情で近づいてきていたのだ。



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第百二十六話.三人目と四人目

「……え?」

「い、今更って思うかも知れねえけれどよ……」

 

 鈍い反応を見せるスバルにゴン太のほうが混乱してしまった。説明が苦手な彼は髪を掻き毟りながら必死に言葉を並べていく。人と話すのには失礼な行為だがゴン太にはそんなことを気にかける余裕などないのだ。

 

「お、俺……ずっとロックマンに憧れてたんだ。あんな……強くて、皆を守れるヒーローみたいになりたいって、本当に思っていたんだ。……だから、俺とブラザーになってくれ!!」

 

 たったこれだけの言葉を言うのに、ゴン太はどれだけの勇気を振り絞ったのだろう。ゴン太の目は今までに見たことのない真面目なものだった。

 ゴン太の思わぬ申し出に、スバルは未だに状況に追いつけないでいた。

 

「スバルくん……僕からもお願いできませんか? 僕ともブラザーを結んでください!!」

 

 二人の様子を見ていたキザマロが前に進み出て来た。

 

「キ、キザマロも!?」

「ぼ、僕は何の取り得もありません……ただ、スバル君とは色々と話が合うし……もっと親しくなりたいと……ですけど、なかなか言い出せなくて、憧れていたロックマンだと分かったら、ますます……ですけど……けど……ど、どうか僕たちとブラザーを結んでもらえませんか!?」

 

 キザマロにしては珍しく言葉がまとまっていない。おそらく、二人がかりで迫ればスバルが断れなくなると思ったのだろう。少々ずるいかもしれないが、数で攻めるのは利口な方法だ。

 不安そうな二人に、スバルは笑って左手を前に出した。

 

「……う、ううん! 喜んで!」

「ほ、ホントですか!?」

「あ、ありがとよ。スバルー!!」

 

 ゴン太が見境無く抱きついてきた。スバルの背中辺りからゴキリと嫌な音が鳴る。いつもゴン太の暴走に振り回されているキザマロになった気分だ。ゴン太は全力で喜んでくれているのだろうが、ミソラの前でされるのはちょっと迷惑だった。

 なんとか解いてもらうと、すぐに三人はブラザーを結んだ。スバルのブラザーリストに三人目と四人目の名前が登録される。ついこの間まで空欄だったリストは、気づけば賑やかなものになっていた。右下の隅にいるウォーロックに笑い返す。

 

「ところで、スバルくんとミソラちゃんは、なんで変身できるんです?」

 

 キザマロの質問にスバルとミソラは目を合わせてしまった。ウォーロックとハープのことを話してもいいものか悩みどころだ。

 

「いいぜスバル」

 

 トランサーからウォーロックの声が聞こえた。スバルにだけ聞き取れる小声ではなく、ルナ達にも聞こえる大きな声だった。驚く三人をよそに、ウォーロックは続ける。

 

「こいつらなら俺達のことを誰かに話すことはねえだろうよ。もう色々と巻き込んじまってるんだ。良い機会じゃねえか。全部説明してやれよ」

「ポロロン、珍しく同感だわ。珍しく!」

「うっせえ! 二回も言うんじゃねえ!!」

 

 ミソラのギターからは女性の声だ。ますますルナ達を動揺させてしまう。本人達がそう言っているのだ。スバルとミソラが反対する理由はない。

 

「じゃあ皆、紹介するよ。僕の相棒で、FM星人の……」

「ウォーロック様だ!!」

 

 トランサーから青い光が飛び出し、ウォーロックが実体化した。途端に、スバル達は耳を塞ぐことになってしまった。

 

「きゃあああああ!!! ななな、何よそれ!!!」

 

 ルナが悲鳴をあげたのだ。ウォーロックを指差しながらゴン太の後ろに素早く隠れてしまう。彼女にしては珍しく失礼な行動だった。本能的にウォーロックを恐いと感じてしまったらしい。

 ガタガタと怯えるルナに、ウォーロックを含めて全員が動けなくなってしまった。自己紹介のタイミングを失ったハープも、ミソラの側で実体化したまま佇んでいた。

 

 

 ウォーロックとハープの紹介をしながら、スバルは全てを話した。

 FM星人という異星人の存在。

 彼らは地球攻撃計画というものを企てており、今までの事件はその一部だったということ。

 そして、父が乗った宇宙ステーション『きずな』が地球に向かっているということと、そこにFM星の王がいるということ……最後の戦いが迫っているということも全てを話した。

 

「これからどうするつもりなの?」

 

 ゴン太の後ろから身を乗り出したルナがハープに尋ねた。ウォーロックの姿が特別に恐いだけであり、ハープは恐くないらしい。

 

「アンドロメダを止める方法は無いわ」

 

 代表して答えたハープの言葉は単純にしてスバル達を絶望させるのに十分だった。

 

「じゃあ、どうするんだよ!」

「僕たちは、このまま餌になるしかないんですか!?」

 

 ゴン太とキザマロがうろたえはじめた。無理もない。スバルどころか、FM星人のハープですらどうすれば良いのか分からないのだ。二人の疑問に答えられるものはいない。誰もが閉口してしまう。

 この暗い雰囲気を吹き飛ばすのがウォーロックだった。

 

「へっ! なら、こっちから敵の本拠地に殴りこむしかねえだろ! アンドロメダをぶっ壊すんだ!!」

 

 単純かつ無策な解決方法だった。先程のハープの言葉を聞いていなかったのかと問いたくなる。そしてそれ以前に、大きな問題があるのだ。

 

「敵の本拠地って……アナタ達、宇宙に行くっていうの!?」

 

 ルナがゴン太の後ろから横に出てきた。ウォーロックへの恐怖など忘れてしまったらしい。

 

「い、いくらロックマンでも、宇宙だなんてよ……」

「む、無謀すぎますよ!!」

 

 ルナ達の反応は当然といえるだろう。この世で最も巨大かつ、未知数の危険を孕んでいる存在。それが宇宙だ。何の恐れや不安を感じない者などいやしない。

 反対意見を言おうとする皆と違い、スバルとミソラはそれほど抵抗を感じていなかった。

 

「宇宙は何とかなるかもしれない。ロック達は宇宙人だし、僕も電波の体になれるんだから」

「私は難しいことは分からないけど、大丈夫だと思うよ」

 

 電波変換の経験がある二人はそれほど問題視していなかったのだ。スバルとミソラが宇宙に行くことについて考え出してしまったため、ルナ達は反論するのに遠慮してしまう。

 

「でも、乗り込むたって、どうやって……?」

「ケッ、俺が知るかよ。あの天地ってヤツなら何か知ってるんじゃねえのか?」

 

 細かい手段は考えていなかったらしい。苦笑いしつつもスバルもその案に賛成した。

 この地球で最も早く『きずな』の接近を把握し、宣戦布告の声明を受信したのがアマケンだ。天地の力を借りられれば、これほど頼もしいものはない。

 

「よっしゃ! 時間がねえ。電波変換して行くぜ!!」

「うん! じゃあね、皆」

「……気をつけるのよ」

 

 三人に軽く手を振り、スバルとミソラは電波変換して空へと飛び上がっていった。

 光が見えなくなったとき、ゴン太が口を開いた。

 

「本当に大丈夫なのかよ……?」

「心配ですね……」

 

 三人は空を見上げたまま、しばらくそこから動かなった。思い出したかのように、ルナがぽつりと呟く。

 

「まったく、心配ばかりさせるんじゃないわよ」

 

 

 紫の宇宙が広がる。この色は我が主の力による影響だ。推し量れぬほどの強大なゼット波がこの場を覆っているのだ。その中にいる者が辺りを窺えば、黒っぽい紫色の宇宙を目の当たりにすることになる。

 目の前にあるのは階段だ。この宇宙船のパーツを使い、即席で作り上げた、玉座へと続く権力の証。その前にジェミニは跪く。

 

「我等が偉大なる星王様。どうか、これをお納めください」

 

 そうやって前に差し出したのは紫色のガラス玉のような球体。アンドロメダのカギ……地球を破壊する兵器を起動させる鍵だ。

 

「ようやくか……」

 

 ずっしりと声がのしかかってくる。言葉を発するだけで、ビリビリと体に振動が走るのが分かる。後ろでは、ジェミニと同じようにオックス達が頭を垂れている。その中で、オヒュカスは身を震わせていた。

 なにがFM星と地球を支配するだ。少しばかり優秀だからと頭に乗っていた。自分など、この御方の前では虫けら以下だ。幸いにも、ジェミニは自分の裏切りを王には伝えていないようだ。いや、分かった上で生き返らせてくださったのかもしれない。それはつまり、自分は王にとって敵にすらなりえないということだ。改めて、この方に忠誠を尽くすことを秘かに誓った。

 ジェミニの頭上に掲げられていたカギがふわりと宙に浮く。そのまま登り階段の先に設けられた玉座へと消えていった。ここからでは玉座は見えないが、星王様はカギを手にしているはずだ。その表情が笑みなのか、怒りなのかは分からない。おそらく無表情だと想像しながら、ジェミニは次の言葉を待つ。

 

「これより、余はアンドロメダの起動準備にかかる。次の指示があるまで控えておれ」

「ハッ!」

 

 四人のFM星人は忠誠の返事をして立ち上がった。だが、一人だけ動かない者がいる。ジェミニは少し迷ってから星王に尋ねた。

 

「王よ……なぜですか……?」

「……余の采配に不満があるのか?」

 

 相変わらず、感情がこもっていない声がジェミニを包む。気圧されそうだが、ここで引きたくはなかった。

 

「わ、私を、その場に置いては下さらないのですか?」

 

 AM星を滅ぼしたときもアンドロメダを起動した。そのときは自分だけにその様子を見せてくれた。だが先ほど王の口調からすると、今回は一人でする様に聞こえる。きっと言葉のあやであり、自分の勘違いだ。「そうだな……ジェミニ、共に来い」と言ってくれるのではないか、そんな期待がわずかに生まれる。

 

「そうだ」

 

 期待は簡単に切り捨てられた。背後から四つの笑い声が聞こえてくる。だがジェミニは怒りなど感じていなかった。それ以上に、別の感情が膨れ上がっていたのだから。

 

「わ、私は……私は、アナタが幼少の頃よりお仕えしてきました……」

 

 ジェミニが犯したのはたった一度の失敗だ。たったそれだけのことで、今の地位から追い出されることを彼は受け入れられなかった。この御方を玉座に押し上げたのはジェミニなのだから。文字通り血の滲むような日々を思い出しながら、ジェミニは星王に渇望する。

 

「私は……私はアナタにお仕えすることが……」

 

 体を衝撃が襲った。ガンガンと体が角ばったものに叩きつけられる。それは階段だった。いつの間にか、階段を登ろうとしていたらしい。先ほどの衝撃は、星王様の攻撃だ。宇宙の色すら変えてしまうほど巨大な電波の、ほんの一部を収束させて自分にぶつけたのだろう。いつの間にか、白い方の仮面が粉々に砕け散っていた。

 

――なぜ……俺が……――

 

 ぐったりと倒れたままジェミニは動かない。

 オックス達の抑えようともしない笑い声が頭の中でグルグルと回る。目に映るものも、体の感覚も、溶ける様に回り始める。

 全てがグルグル回っていく。

 グルグルと……グルグルと……。



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第百二十七話.勇気の選択

 アマケンに着いたスバル達はすぐに天地を捕まえた。天地はアマケンのシンボルである『アマケンタワー』のすぐ近くで宇田海と話をしていたので、探す手間が省けたというものだった。大事な仕事の話をしていたらしく、少々迷惑そうだったが、そんなことに遠慮している暇なんてない。もっと大事なことをスバル達は抱えているのだから。

 

「こっちから『きずな』を探せないか……だって?」

「やっぱり、難しいですか」

 

 だが、スバル達が持ち込んだ問題はとても難しいものだったらしい。天地は腕組みをしたまま呻ってしまっている。だが、さすがは所長を務める天地だった。スバル達の期待に見事に応えて見せた。

 

「できないことは無いと思うよ」

「ほ、本当ですか!?」

「確実じゃあ無いけどね……スバル君は覚えているよね。三年前、ニホン海に『きずな』の一部が落ちたのを」

「……うん」

 

 『きずな』が行方不明になってから三ヵ月後、ニホン海に『きずな』の一部が落下したのだ。それを機に『NAXA』は『きずな』のクルー全員の殉職を発表し、捜索を打ち切った。

 スバルがスバルでなくなってしまった、疎ましい事件だ。

 

「あれの通信機能や履歴を使えば、『きずな』の本体とコンタクトが取れるかもしれない」

「じゃ、じゃあ! それを見つければ!」

 

 もしそれが可能ならば、場所を突き止めるだけでなく、行くこともできる。コンタクトを取るということは、電波を送るということ。ウェーブロードが出来上がるのだ。

 皮肉な廻り合わせとでも言うのだろうか。スバルを絶望に叩き落したその鉄の塊が、三年経った今唯一の希望となったのだから。

 

「どこにあるの!?」

 

 スバルとミソラは噛み付くように天地に詰め寄った。天地はちょっと引きながら、「まぁまぁ」と二人を宥めようとするが、そんなものでは収まりそうにない。

 

「ごめんよ、僕もどこにあるのか分からないんだ。シゲさんなら……あ、この前のアルバムで話した、当時のチーフだよ。あの人が責任を持って事後処理をしたから、何か知っているかもしれない」

「じゃ、じゃあ、すぐに訊いてみてよ!」

「……でも、何をするつもりなんだい? ……スバルくん、君が頑張る必要は無いんだよ?」

 

 当然すぎる天地の質問だった。小学生二人が宣戦布告してきた『きずな』と連絡を取って何をするつもりだというのだろう。そこには地球の敵がいる可能性が高いのだから、なお更だ。

 ここでロックマンであることを明かして、事情を説明するのがスバルの礼儀というものだ。だがそれは出来ない。反対されるのが目に見えている。

 

「そ、その僕にも何かできたらなって……」

「気持ちは分かるが、君が無理することはないんだよ?」

「……どうしても、どうしてもやらなきゃならないことがあるんです。僕がやらないと……」

「何をする気なんだい?」

「そ、それは……」

 

 スバルが言葉を濁したときだった。突然、スバルは仰向けに倒れた。一瞬遅れて、焼けるような痛みが全身に走っていることと、体が動かないことに気づく。飛び込んできた空の一点には黄色い光が見える。それがこちらに向かってきていた。トランサーからウォーロックが飛び出し、ハープが後に続いていく。二人は闘争心をむき出しにして、臨戦態勢だ。やっとスバルも黄色い光の正体に気づいた。なんてしつこいのだろう、ジェミニがまたもや襲い掛かってきたのだ。

 スバル達を守るため、ウォーロックとハープは単身でジェミニに挑んだ。スバル達は動けなくなってしまったが、それでも数の上で有利だ。焦ることはなかったが、怒りは押さえられなかった。自慢の爪を力の限りになぎ払う。

 

「ケッ! 宰相様ともあろうものが、汚ねえ真似するじゃねえか!」

 

 戦う力をもたない者を奇襲し、敵の戦力を削ぐ。最善の手である上に、戦いでは常套(じょうとう)手段と言える。だが道徳に欠ける行為だ。地上ではスバルとミソラだけでなく、戦いには無関係の天地と宇田海も倒れている。

 

「ポロロン、宰相様も落ちたものね。パルスソング!!」

 

 元々、後方支援向きであるハープはウォーロックの援護射撃に徹し、ジェミニを牽制した。当てる必要はない。ジェミニの動きを少しでも鈍らせれば良いのだ。その分、ウォーロックが有利になる。

 ウォーロックはジェミニの白い仮面が無いことを疑問に感じつつも、黒い仮面に向かって爪を振りおろす。しかし、相手は雷神のジェミニだ。華麗に避けると、放射状に電撃を放ちながら後方に下がろうとする。体勢を立て直すつもりなのだ。それが分かっていても、電気の網目を潜っていくわけにもいかず、ウォーロックとハープは後ろに下がるしかなった。まんまとジェミニの思惑通りになったのである。

 

「ったく、しつけぇんだよ」

「今日で二回目。しつこい男は嫌われるわよ。ポロロン」

 

 挑発して、ジェミニの冷静な思考を奪おうとする二人。だが、それは必要のないことだと、二人はすぐに気づくことになる。ジェミニの様子がおかしいのだ。反論してくるどころか、いつもの見下した態度すら見えない。表情の変わらない仮面の下から言葉を小さく漏らすだけだ。耳を澄まして、ようやく聞き取れた。

 

「俺は……雷神のジェミニだ……宰相で……星王様の右腕だ……」

 

 今までに見たことのないジェミニに、ウォーロックは息を呑んだ。危険な雰囲気を感じ、顔の下に構えていた爪を少し前に出した。ハープも同じなのだろう。ウォーロックのすぐ後ろに控えている。

 

「俺が……俺が貴様ごときに負けるわけがないんだよ!!」

 

 呟きが叫び声に変わった。全身から雷を噴出し、あたり一面に撒き散らす。閃光の束を背負ったその様はまさに雷神。幾本もの雷のうち、数本がウォーロックとハープに伸びてくる。面食らっていたウォーロックはかろうじて避けながら、ジェミニとの戦闘を再開した。いつの間にか目の前に迫っていたジェミニのエレキソードを爪で弾き返しながら、歯を食いしばる。

 ウォーロックの得意な接近戦だが、あまり良い状況とは言えなかった。ジェミニのエレキソードは文字通り電気の剣だ。爪と剣が火花を散らす度にウォーロックの腕に雷のダメージが積み重なっていく。

 この状況を打開するのがハープの音符攻撃だ。威力は低いが、相手の動きを拘束する力を持っている。さすがのジェミニも無視することはできないらしく、音符を避けつつウォーロックから大きく距離をとる。周りに雷を撒き散らすおまけ付きだ。

 閃光が目晦ましとなり、視界を妨げてくる。敵を見失ったときの危険性を良く知っているウォーロックは目を凝らしてジェミニの姿を追った。だから気づけた。ジェミニはウォーロックを見ていない。ジェミニの視線の先では、自分の側に落ちてきた雷に気を取られているハープがいた。

 

「ボサッとすんな!!」

 

 迷わず、ウォーロックはハープに向かって飛んだ。ハープはジェミニが自分を狙っていることに今更気づいたようで、身を強張らせている。逃げることを忘れてしまったハープを片腕で抱きかかえ、ウォーロックは勢いのままウェーブロードを転がった。背後をジェミニサンダーの轟音が通り過ぎる。

 

「何してやがんだ!!」

「ご、ごめんなさい。ウォーロッ……下よ!!」

 

 言うが早いか、ハープがウォーロックを掴んで飛び出した。彼女の言う下へと急降下していく。理由を尋ねようとしたが、必要なかった。体の痺れが取れたのだろう、スバルが立ち上がろうとしている。その頭上にジェミニが迫っていた。

 

「逃げろ、スバル!!」

 

 満足に動かない体でなんとか立ち上がったスバルは、ウォーロックの声で空を見上げた。そして驚愕する。電気の塊となったジェミニが襲い掛かってくるところだった。逃げようと思っても足は言うことを聞いてくれない。今のスバルは立っているのがやっとなのだから。ただ無情に迫ってくるジェミニを見上げることしかできなかった。スバルの視界が黄色く染められる。

 体が横に突き飛ばされたのはその直後だった。ジェミニに捉えられる直前に、何者かの手によってスバルは横に退けられたのだ。強打した肩を抑えることも忘れて、スバルは庇ってくれた相手を見て叫んだ。

 

「ツカサ君!?」

 

 ツカサがそこにいた。スバルの身代わりとなった彼は、ジェミニの体当たりを受け止めていた。もちろん無事で済むわけがない。それにもかかわらず、逃れようともがくジェミニを抱きかかえて、離そうとしない。

 

「スバル君! 早く……電波変換を!!」

 

 ジェミニの雷がより一層強くなった。ツカサは大きな悲鳴をあげるものの、その手を離そうとはしなかった。それどころか体を丸め込み、暴れるジェミニを拘束しようとする。

 ようやく、ウォーロックがスバルの元に辿り着いた。スバルは素早く電波変換する。

 

「電波変換!! 星河スバル オン・エア!!」

 

 早口で合言葉を唱えると、体が電波化しきる前にジェミニに飛びかかった。スバルがロックマンになったことに安心したのか、ツカサもジェミニを離した。かろうじて拘束を解いたジェミニはロックマンの手を掠め、空へと逃げさってしまう。ハープのパルスソングをかわしながら、一本のウェーブロードに降り立った。

 それを横目で見上げながら、スバルはツカサを抱き起こした。

 

「ツカサ君、なんて無茶を!」

 

 ツカサの体はボロボロだった。服は焼け焦げ、綺麗だった白い体は火傷で赤黒く変色している。首や顎だけでなく、頬にまで火傷が伸びている。素人目に見ても明らかな重傷だった。

 

「……スバル君……」

 

 話せるような状態ではないはずなのに、ツカサはうっすらと目を開けた。琥珀色の目の中央には確かにスバルが映っている。

 

「……僕のしたことが、こんなことで償えるなんて、思ってない。けど……僕は……」

「ツカサ君……」

「……お願い、今は僕なんかよりアイツを……」

「……分かったよ」

 

 ツカサのことが気になるが、敵がそばにいるのだ。残念ながら、今はジェミニに集中しなければならない。ふらふらと近づいてきた天地にツカサのことを頼み、スバルは立ち上がった。

 

「スバル君……その姿は……」

「後で話します」

 

 申し訳ないと思いながらも、スバルは天地の疑問を退けた。一度状況を整理しようと辺りを見渡してみる。

 宇田海も目を覚ましているが、頭を抱えて怯えている。「キグナス」と呟いていることから、取り憑かれていたときの記憶を思い出してしまっているらしい。今はそっとしておくのが良いはずだ。

 もう一人の戦力であるミソラはまだ意識を失っている。側についているハープはスバルと視線が合うと頷いてみせる。どうやらミソラは大丈夫なようだ。だが、彼女の加勢は期待しないほうが賢明だろう。

 ミソラも宇田海も無事であることを確認したスバルは改めてジェミニを見上げた。ウェーブロード上に佇んで、こちらの様子を窺っているようだった。逃げることも出来るはずなのに、その様子は見られない。

 

「どいつもこいつも……俺の邪魔ばかりしやがって……」

「残念だったな。もうお前に勝ち目はねえぜ! 逃げるなよ、宰相様?」

 

 ウォーロックの安い挑発がジェミニに浴びせられる。それを鼻で笑って見せたジェミニは視線をツカサにずらした。なんとか意識を保っているツカサは首をかすかに横に振ってみせる。霞みかけたその目にはハッキリとした拒絶の意思が浮かび上がっている。

 

「いらねえよ、キサマなんざ。使いたくなかったが……しょうがねえ……」

 

 ジェミニの意味深な発言だった。警戒したスバルは思わず身構えてしまう。その状況を笑いながら、ジェミニは思わぬ言葉を口にした。

 

「電波変換!! ジェミニ オン・エア!!」

 

 ジェミニの体から黄色い光が放たれ、瞬く間にその姿を大きく変えた。黒い装甲のボディにオレンジ色の髪の毛。頭のヘッドギアには一本の黄色い角。左手と比べて明らかに太い右腕。ジェミニ・スパークBがそこにいた。

 

「ど、どういうことだ!?」

「驚いたか? これが星王様の力だ! 俺達の体内に残されていた残留データ。それを使って単体で電波変換できるようにしてくださったのだ! もう、そこに倒れているツカサはいらねえんだよ!!」

 

 電波変換の絶対条件を打ち破る行為だ。それをやってみせたジェミニは主君を称えながら高笑いをして見せる。ツカサの精一杯の抵抗もジェミニには喜劇でしかなかったのだ。

 

「……そ、そんな……」

 

 ジェミニ・スパークBを見上げながらツカサが声を漏らす。今の彼には、ジェミニが本物の黒い死神に見えるのかもしれない。だが、どんなときにも影があれば光はあるのだ。

 

「大丈夫だよ、ツカサ君。僕は負けないから……僕が全部終わらせてくるから。だから、待ってて」

 

 スバルは力強い言葉でそう伝えると、ウェーブロードへと飛び上がった。ジェミニ・スパークBが襲い掛かってくる。その顔は狂気の笑みで醜く歪んでいた。



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第百二十八話.あの日を知る者

皆さん、お久しぶりです。

長い間休載してしまい、申し訳ありませんでした。
待っていてくださった皆様、ありがとうございます。

今日より連載を再開させていただきます。


 ジェミニのエレキソードが激しく火花を散らす。タイボクザンで受け流し、ロックマンは後方へと距離をとる。追撃を仕掛けようとしたジェミニは足をもつれさせて、激しく転倒した。

 ジェミニが電波変換をしてから僅か数分。ジェミニ・スパークBの姿は見るも無残なものに変わっていた。根っこから折られた角に、胸や腹に刻まれた深い切り傷。足の数箇所には打撲跡があり、右腕を覆っていた分厚い装甲は完全に壊されている。焦点の定まらないオレンジ色の瞳は現実を拒んでいるかのように震えていた。

 身の程をわきまえない愚か者の当然の末路だった。ジェミニ・スパークBだけでロックマン・グリーンドラゴンに勝てるわけが無いのだ。

 

「なぜ、だ……? なぜ、雷神と呼ばれた俺が……膝をついている?」

 

 力の入らない足を無理やり踏ん張らせ、右手のエレキソードを杖代わりに立ち上がろうとする。その剣の輪郭も不安定に揺れており、今にも消滅してしまいそうだ。これがかつてはFM星王の右腕と謳われ、ロックマンを追い詰めた強者であるとは誰も思わないだろう。

 まともに立つ事すらできなくなったジェミニに、スバルとウォーロックは情けをかけなかった。止めを刺そうと、持っているバトルカードの中から破壊力のある物を選ぼうとする。その思考を遮ってきたのは唐突に沸き起こったジェミニの笑い声だった。張り詰めていた風船が耐え切れずに爆発するような、理性も思考も全てを投げ捨てたものだった。

 

「アハハハハハ!! そうだ、ツカサが悪いんだ!! ハハッ!! あんな出来損ないの屑と電波変換なんざしたから、この俺の力が霞んじまったんだ!! 俺が弱かったわけじゃない!! ツカサが足手まといだったんだ!! もっと優秀な……いや、せめてまともな人間に取り憑いていれば、こんなことにはならなかった!! そうでなければ、この俺がお前らごときに負けるわけがあっ!!」

 

 ジェミニ・スパークBの頬をロックマンの右拳が打ち抜いた。ウェーブロードを転がるジェミニに更に拳を振りおろす。

 そこからはもう戦いでもなんでもなかった。生に醜く執着するジェミニに、ロックマンが引導を渡すだけの作業だ。ジェミニが我武者羅に振るう剣やロケットナックルを軽々といなし、細かい攻撃を加えてゆく。ジェミニの動きは徐々に弱まっていき、ついには膝を突いて動かなくなった。もう立ち上がる気力すらないようだ。

 ジェミニ・スパークBの目が何も映していないことを確認すると、ロックマンはタイボクザンを召還し、その額を正確に貫いた。

 

「……ェ……様……」

 

 ジェミニを構成していた電波エネルギーが崩壊して行く。そこに一雫の涙が静かに零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

「ツカサ君!」

 

 ジェミニを倒したスバルが真っ先に考えたのはツカサの安否だった。電波変換を解くことも忘れて、天地に抱えられているツカサの元へと駆け寄った。

 ツカサの表情が見えるところまで近づくと、スバルは自然と頬を緩めた。戦いを見届けたのだろう、酷い火傷を負っているにもかかわらず、穏やかな寝顔を浮かべていた。

 代わりにロックマンを迎えてくれたのは、天地の笑顔だった。だが、いつもの優しいものとは違い、無理やり顔に貼り付けたようなものだ。

 

「大丈夫だよ。今の医療技術なら、うちの医務室の設備とスタッフでも充分助けられる。……ところで、スバルくん……君はいったい……?」

 

 天地の表情が引き締まり、厳しいものに変わる。それを見て、もう隠し事はできないのだとスバルは改めて気づかされた。約束どおり、今までの出来事も、これから行おうとしていることも、全てを話さなくてはならない。

 スバルは覚悟を決めた。切り出そうとしたとき、しわがれた声が聞こえてきた。

 

「天地君、何かあったのかの?」

 

 二人ともそちらに気を取られてしまった。ハンティング帽を被った老人が、正門を越えたところだった。片手に持った杖をコツコツと鳴らしながらスバル達に近づいてくる。

 スバルは失礼と分かっていながらもその老人に深々と見入ってしまった。どこか見覚えがあったからだ。一方、老人はツカサに気づいたようで「デパートの……」と驚いたように呟いている。そのとき、帽子の下から深い皺に囲まれた目が見えた。

 やっと気づいた。学校の売店でいつもヤキソバパンを食べていたおじいちゃんだ。

 

「シゲさん……!? 何でここに!!?」

「久々に足を運んでみたくなっての……いや、ここに来るとな。NAXAのことを思い出すのじゃ」

 

 老人の登場に硬直していた天地がやっとの思いで声を出した。どこかで聞いたことのあるその名前にスバルは記憶を奮い起こして思い出そうとする。すぐに思い出せた。天地のアルバムだ。唐突にスバルに電流が走った。

 なぜ、今まで気づかなかったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 ツカサを医務室のスタッフに任せ、スバル達は天地の研究室に移動していた。

 スバルとミソラからの説明が終わると、天地は腕組みをしたまま体を傾けるように大きく頷いた。そして二人の隣で実体化しているウォーロックとハープに目を移す。化け物の正体を知った彼だが、その視線に敵意は込められていなかった。

 

「FM星人の彼らと融合して、電波の体になれる……か。……にわかには信じがたいが、あんな光景を見せられたんだ。受け入れるしかないな」

「い、以前私が起こした事件で……わ、私を止めてくれたのも、スバルくんだったのですね……あ、ありがとうございました」

 

 天地の隣にいる宇田海はぺこりとスバルに頭を下げた。どうやら、キグナスと電波変換したときのことを完全に思い出したらしい。お礼を述べてはいるが、その表情はいつも以上に暗いものだった。

 

「……僕は『きずな』に行かなくちゃならないんです。アンドロメダを止めれるのは、僕たちだけだから

 ……だから……」

 

 スバルの視線はある人物へと向けられた。そこには先程の老人が目を閉じて座っていた。

 この何の変哲もない老人が……スバルのちょっとした顔見知りとなっていたお爺さんこそが、地球を救う最後の鍵だったのだ。

 

「お爺さん、教えてください……あなたが隠した、地球に落ちてきた『きずなの一部』がある場所を……」

 

 老人はスバル達の説明が終わったのだと理解すると、重い溜め息を吐き出した。そこには『きずなプロジェクト』の元総責任者として、長年溜め込んできたあらゆる物が凝縮されているかのようだった。

 

「そうか……キミが大吾くんの……顔をよく見せておくれ……」

 

 『うつかりシゲゾウ』は懐から老眼鏡を取り出し、杖を突いて椅子から立ち上がろうとする。それを制し、スバルの方から前に進み出た。見やすいように、膝を突いて目の高さも合わせてあげる。皺だらけのゴワゴワとした手がスバルの目尻と頬を撫でた。

 

「おお、目元が大吾くんにそっくりじゃ……いやはや、なんと懐かしい……」

 

 三年前に亡くなった部下の息子を前にして、シゲゾウも思うところがあったのだろう。堀の深い目に、涙がかろうじて留まっていた。

 

「お爺さん……お願いです。協力してください! なんとしても、僕は宇宙に行かなくちゃならないんです!!」

 

 シゲゾウは目元を拭うと、スバルの目を覗き込んできた。スバルの瞳に宿る意志を確かめているのだろう。

 その時間はほんの数秒で終わった。シゲゾウは杖を取って立ち上がった。

 

「分かった……ついて来なさい」




展開や文章が拙くなっていますね?
久々だから……と言い訳させてください。
今後、時間をかけて実力を取り戻していきます。

また、今回から不定期連載とさせてください。
いきなりまた二週間に一話更新というペースは辛いです。


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第百二十九話.罪と希望と

「天地くん、君には最初に謝っておくことがある。すまなかった」

「え……? 何をですか?」

 

 屋外へと出ると、シゲゾウは唐突に天地に謝罪した。

 

「ワシはアマケンのスポンサーとなり、君にこの土地を譲渡した」

「ええ、今も感謝しています」

 

 スバルは天地のアルバムを見せてもらった夜のことを思い出した。そういえばそんな事を言っていた気がする。

 

「そのとき、君に黙っていたことがあるんじゃ……いや、利用したと言うべきかな?」

「……それはどういう……?」

「ここじゃ」

 

 天地が質問し返す前に、シゲゾウはある場所で立ち止まった。遠くに行くと思っていたスバルは少々驚きながら、目の前の建築物を見上げて目を丸くする。目の前に立っていたのは、アマケンのシンボル『アマケンタワー』だった。

 シゲゾウはアマケンタワーの前に立つと一枚のカードをプラスチックケースから取り出した。何の装飾もプリントも施されておらず、どこか不気味さを感じさせるほどに真っ黒だ。傷一つ付いていないことから、彼がどれほどこれを大事にしていたのかが見て取れるというものだった。それをトランサーに読み込ませる。

 するとどうだろう。硬い音が鳴り、シゲゾウの足元が動き始めたのだ。見る見るうちに四角い穴が空いた。正確には地面から地下へと降りる道が現れたのだ。

 天地が恐る恐るとシゲゾウの側に進み出る。どうやら、所長である彼ですらこの地下の存在を知らなかったらしい。

 

「し……シゲさん……これは……!?」

「この土地を渡す前に、ワシが造ったものじゃ」

「こ、この施設を立てる時に、配管や電線が書かれた地下の見取り図だって……」

「ワシが偽造した。ここにアマケンタワーを建てるように提案したのも、ワシだったじゃろ?」

 

 シゲゾウがゆっくりと壁に手をかけながら降りていく。様々な機材を持ち運ぶことを想定したのだろう、階段ではなく坂道になっていた。スバルたちが横一列に並んで降りたとしても、左右には十分なスペースが余りそうなほどに広い。高さも考慮すると、大型のトラックですら容易に出入りできそうだ。冷たい金属の反音の中、スバルは薄暗い足元に気をつけながらシゲゾウの後に続いた。

 坂道の奥に辿り着くと、大きな扉が姿を現した。物々しい鉄の扉は何者も通さぬという風貌で、壁のように立ち塞がっている。シゲゾウはその前に立つと、先程とは別のカードを使ってみせた。扉がゆっくりと、重い音を立てて開いていく。同時に電灯が点き、部屋の中を明るく照らした。

 中には巨大な機械が置かれていた。この真上辺りにあるであろうアマケンタワーと同じかそれ以上の大きさだ。フレームは分厚く、一メートルほどはあるだろう。所々から伸びているケーブルは太く、持ち上げるだけで大人数人の力が要りそうだ。

 そんな特注で造られたような、見るからに高価そうな機械は無残な姿をしていた。フレームもケーブルも何かとてつもない力で引きちぎられたような断面を見せている。よく見れば、所々に焼け焦げたような跡がいくつも見られる。

 人知れずひっそりと隠されていたその様は、まるでゴミが捨てられているようだった。

 その巨大な機械を見て、天地が中に飛び込んだ。血相を変えて、いつもの温厚な彼とは思えぬ形相だ。

 

「これは……!!」

 

 シゲゾウがゆっくりと杖をつきながら入っていく。機械を見るその目は、どこか懐かしむような、哀愁を漂わすようなものだ。

 

「何かの施設が上にある限り、これが見つかることはないはず。君が独立したいと相談してくれたとき、ワシは君を利用することを考えたのじゃ。君の実力なら必ず成功するという確信があったからのう。そう、ワシは君の大吾君を思う気持ちを弄んでいたのじゃ」

 

 シゲゾウは保管されていた巨大な鉄塊の前に立ち、膝をついている天地の肩に手を置いた。

 

「スバルくん……これが、ニホン海に落下した『きずな』の一部じゃ」

 

 スバルは震える足で機械に近づいていった。父が乗っていた宇宙ステーションの一部。見たのはこれが初めてだった。

 

「ワシはあの時……これを封印することに決めたのじゃ……」

 

 シゲゾウが静かに語り始めた。

 

「ニホン海に落下したこいつはまだ生きておった。残っていたデータから、『きずな』を探す事だって可能じゃった。じゃがワシは、そうはしなかった」

「……お爺さん……」

「残っていたデータから、異星人たちの凶暴さが分かったからじゃ。『きずな』が異星人達に襲われたのは明らかじゃった。もし、こちらから『きずな』にコンタクトを取れば、地球の場所を突き止められてしまうかもしれん。そうすれば奴らは地球を襲ってくるのではないか。考えたワシはこいつを封印することにしたのじゃ」

 

 淡々と語られた内容は、部下を見殺しにしたという残酷極まりないものだった。受け入れきれない告白を前に、スバルは言葉を失ってしまっていた。

 ふと、ミソラが腕を握ってくれていることに気づいた。どうやら励まそうとしてくれているらしい。その手を握り返した。

 

「すまぬな、ワシはキミのお父さんを……恨んでくれて構わない」

 

 三年間抱えてきた罪を語り終えたシゲゾウに、スバルは一度目を閉じてから静かに答えた。

 

「……いえ、僕はあなたを許します。父さんも、きっと分かってくれるはずだから」

 

 シゲゾウは息を呑んで後ずさりした。これが父親を見殺しにした男を前にして、子供が言う台詞だろうか。だが、記憶に残っている父を思い出せば、スバルには当然の答えだった。

 

「じゃ、じゃが……ワシは君のお父さんを……」

 

 手を震わし、恨んでくれと訴えるシゲゾウにスバルはゆっくりと首を横に振った。

 カランと音が鳴る。シゲゾウが杖を落としたのだ。顔を覆った両手から嗚咽が漏れ出していく。

 

「……お、お体に触りますよ。……上で休みましょう」

 

 宇田海はシゲゾウの杖を拾って渡すと、背中に手を置いてあげた。危ない足取りで歩き出す老人を支えながら、宇田海は天地たちに一礼してその場を後にした。このままアマケンでシゲゾウを休ませるのだろう。

 シゲゾウの話は終わった。だが、まだ一番大事なことが残っている。

 

「お願いします、天地さんコレを使って、『きずな』を探してください!」

「私たちには天地さんしか頼れないんです。お願いします!!」

 

 スバルとミソラの懇願。可愛い子供二人のお願いを受ければ、お人好しの天地は断れない。だが、それは普通のお願いならばの話だ。天地は返事をしなかった。無言で立ち上がり、巨大な機械の中央に設けられた階段を昇っていった。

 スバルとミソラは顔を見合わせると、慌てて天地の後を追いかける。階段を上りきると、そこには幾つものモニターが並んでいた。下には様々な色をしたボタンや計器。どうやらここは何かの制御室だったらしい。

 中央に設けられている、見るからに一番大事そうな操作装置の前に天地がいた。手元のモニターに光が灯っていることから、この巨大な機械の様子を調べてくれているらしい。

 天地は背後の気配に気づいているようで、二人が足を止めるとモニターを覗き込んだままの姿勢で呟いた。

 

「……うん、システムは生きているようだね。こいつを修理して、アマケンタワーに接続すれば『きずな』と交信できそうだ」

「それじゃあ!」

「けど、断らせてもらうよ」

 

 期待に心躍らせるスバルに向けられた天地の回答は、きっぱりとした拒絶の言葉だった。

 

「そ、そんな……」

 

 ようやく星王のもとに行く手段が見つかったのだ。可能性が目の前に転がっているのに、納得できるわけがない。

 抗議しようとして、スバルは言葉をつまらせた。天地の肩が震えていることに気づいたからだ。

 

「キミに何かあったら……僕はどんな顔でキミのお母さんと会えば良いんだ? それに……僕は送り出したんだよ! 君のお父さんを! この手で!! 大吾先輩を見つけるために作ったアマケンタワーで、今度はキミを宇宙に送り出せって言うのかい? 危険だと分かっているのに……僕は……僕は……」

 

 自分の中の何かが切れたように、天地は子供相手に一方的にまくし立てた。機械に手を突いて、倒れそうになる体を支えている。丸めた背中は泣いているかのよう。今までに見たことのない天地の姿だった。

 誰も天地を責めることなんてできやしない。誰が好き好んで幼い子供を戦地に送り出すというのか。それもたった一人で、はるか宇宙の彼方にある敵の本拠地に行くのだ。そんな前代未聞の無謀極まりない突入作戦を担うのが、大吾の一人息子であるスバルなのだ。天地の大吾を慕う気持ちと、底のない優しさを知っていれば、抗議などできるわけがない。

 ミソラは天地の気持ちを理解したのだろう。何も言えなくなり、口を閉ざしてしまった。

 誰も一言もしゃべらなかった。沈黙の時間が流れる。モニターから鳴る小さい稼動音まで聞き取れそうな静けさだった。

 そこに声をあげたのは他でもない、スバルだった。

 

「どんなに小さくてもそこに希望があるなら命を懸ける価値はある」

 

 その言葉に天地はハッと顔を上げた。

 

「父さんの言葉だよ……」

 

 天地がゆっくりとスバルに振り返る。その目元で滲んだ涙が僅かに光っていた。

 

「僕は失うことに怯えていた以前の僕じゃない。失わないために戦うんだ」

 

 今度は天地が言葉を失う番だった。呆けたような顔でスバルを見つめている。スバルの真っすぐな目に耐えられなくなったのか、目を閉じて再び背中を向けてしまった。先程と同じように、操作装置に手を置いて俯いている。

 数秒後に天地は体を起こした。トランサーを開いて、誰かを呼び出した。

 

「……宇田海くん、今大丈……ああ、シゲゾウさんも休んでいるんだね。ありがとう。それよりも頼まれてほしいんだ。アマケン全体に放送を流してくれ。至急、アマケンタワーの前に集合するように……と。今日は全スタッフに残業を頼むつもりだ……え? ああ、そうだ。頼むよ」

 

 そう言って、天地はトランサーを閉じた。

 

「天地さん……それじゃあ!?」

「……一晩時間をくれるかい? 明日にはコレを直してみせる」

「ほ、本当に!?」

「NAXAにも劣らない、アマケンスタッフを総動員して取り組むんだ。約束するよ。だから、キミも一つ約束して欲しい」

「約束……?」

 

 頷いた天地は腰を屈めて、スバルの両肩に手を置いた。そこでスバルが見たのは、一人の男の顔をした天地だった。

 

「……生きて帰って来い! 必ずだ!!」

「……うん!」

 

 簡単なやり取りだが、とても重要なものだった。スバルにとっても、そして天地にとっても。スバルの力強い返事を聞き、天地はこの地下に来て初めて笑みを浮かべた。

 

「さあ、今日は二人とも帰って休みなさい」

「うん!」

「はい!」

 

 天地の協力が得られたのだ。もう二人がここでできることはない。せいぜい、天地との約束どおり、明日に備えて体を休めることぐらいだ。スバルとミソラは頭を下げると、早々にその場を後にした。

 スバルを見送った後も、天地はしばらくの間、出入り口を見つめたまま動こうとはしなかった。

 

「そっくりだったな……これで良かったんですよね、大吾先輩」

 

 きずなの一部に触れながら、天地は表情を緩めた。その目はどこか遠いものを見つめるようなものだった。

 

 

 秘密の地下室から出てくると、館内放送が流れ始めようとするところだった。天地が宇田海に頼んだ内容だ。もうじき、ここにアマケンスタッフ達が集まってくることだろう。

 正門へと向かっていたスバルはチラリとアマケンタワーを見上げた。明日、自分はここから旅立つのだ。

 

「スバル君」

「何、ミソラちゃん?」

「えっと……」

 

 ミソラは何かを言いたいようだが、言葉が見つからないのだろう。口ごもってしまっている。

 

「大丈夫だよ」

「え?」

「父さんのこと、僕は受け入れているんだ。お爺さんに言ったことも本当のことだよ。だから、心配しないで」

「……うん」

 

 笑ってくれるミソラを見て、スバルは疲れているのだと思った。何故か顔が自分でも気づけるほどに熱いのだ。今日一日で様々なことがあったため、疲労で発熱でもしてしまったのかもしれない。早く帰って寝たほうが良さそうだ。

 正門まであと少しというところで、スバルは足音が近づいてきていることに気づいた。見ると、ひょろりとした長身の男がふらつきながら走ってくるところだった。

 

「宇田海さん?」

「す、スバルくん、ミソラくん……ち、ちょっと時間をいただけますか?」

 

 普段からの運動不足からか、今にも倒れてしまいそうな表情の宇田海。スバルとミソラは彼の体調を心配しながらも、要求を尋ね返した。

 

「どうしたの?」

「わ、私がキグナス・ウィングだったときの記憶を思い出したのですが……ス、スバルくんはバトルカードを使っていましたよね」

「うん」

「あ、あれってトランサーのカード読み込み機能でしょうか?」

 

 記憶力の良い彼は、戦いの中でスバルが何度も行う、ウォーロックにカードを渡すという作業まで思い出したらしい。そこからトランサーの機能まで予測するとは、さすがは一流の研究者といったところだ。

 だがそんな宇田海の鋭い推測に、当の本人であるスバルは首をひねってしまった。

 

「多分……そうです」

「そういや、あんまり気にしたこと無かったな」

 

 ウォーロックがトランサーの中から、宇田海にも聞こえるように呟いた。

 

「な、なら……これが使えるかもしれません! さ、さっき、唯一調整が終わっている一台を取って来ました」

 

 スバルとウォーロックの頼りにならない曖昧な返答。宇田海にはそれで充分だったらしい。ポケットから何かを取り出した。スバルに手渡されたのは、青色をした四角い機械だった。見たことのない手のひらサイズの機械にスバルは首を傾げる。

 

「なんですか、これ?」

「こ、コレは次世代型携帯端末、『スターキャリアー』です。今、NAXAと共同開発している途中なので、試作機ですし……ブラザーや通信機能はまだ未実装なのですが……」

 

 宇田海が打って変わった生き生きとした表情で語りだした。研究のことになると、疲れるという自然現象すら吹き飛ばすらしい。

 

「コレの最大の特徴はカードのデータを内蔵できるところです。

 今までのトランサーはカードを使おうとすると、その度に『カードを読み込む』という作業が必要でした。

 しかし、このスターキャリアーはある程度の容量までなら保存することができます。つまり、頻繁に使うバトルカードも……」

「いちいち読み込まなくて良いってことか!!?」

 

 今度はウォーロックが興奮してしまった。飛び出してきたウォーロックに驚きながらも、宇田海は頷いた。

 

「は、はい! もしかしたらですが……戦闘中の作業が減って楽になるかも……」

「よっしゃああ! おい、スバル! いますぐ電波変換して試そうぜ!!」

 

 言うが早いか、もうウォーロックはスターキャリアーの中に入り込んでしまった。これは断れない。

 

「う、うん、そうだね。ごめん、ミソラちゃん。また明日……」

「うん、また明日ね」

 

 ミソラとバスで帰りたかったが、スターキャリアーの性能テストのほうが大事だ。宇田海からありがたくスターキャリアーを受け取り、スバルは二人にお別れを告げて電波変換をした。

 青い光を見送ったミソラは、同じく空に手を振っていた宇田海に話しかけた。

 

「宇田海さん、あれって……」

「ええ、ほ、本当は最重要機密事項の一つなんです……でも、今はそんなこと言っていられません。天地さんも分かってくれるはずです」

「あ~、えっと……私が言いたいのはそこじゃなくて……」

 

 ミソラの意図はそこでは無かった。ミソラは話題を自分の目的に移して、あることを頼み込んだ。

 

 

 スターキャリアーを受け取ってから数時間、スバルとウォーロックはウェーブロードでウィルス退治を行った。

 宇田海の予測は大当たりだった。ウォーロックにカードを渡さずとも、自由にバトルカードを使うことができたのだ。これで今までどうしても生まれてしまっていた攻撃前の隙を気にしなくて済む。それどころか、ロックマンの戦い方にスピードがついた。

 スイゲツザンで近くの敵を切り払ったその直後には、ウォーロックの姿が遠距離射撃に優れたファイアバズーカに変わる。そう思えばすぐにスタンナックルを繰り出す。間合いも属性も流れるように変えることが出来るようになったのだ。

 この力にウォーロックは大興奮だ。それに付き合わされるようにスバルも電波ウィルス退治に挑んだ。ウィルス達を蹴散らしながら、新しい戦闘方法を体に馴染ませる。だが、流石に体力を消耗しすぎた。

 

「ハァハァ……そろそろ終わりにしない?」

「……そうだな」

 

 ウォーロックもカードデータを呼び出すことにかなりの体力を消耗したらしい。ちょっと息切れしていた。

 

「母さん……帰ってきてるかな?」

「大丈夫なんじゃねえか? 三賢者も無事だって言ってたろ。そんなに心配なら、早く帰ろうぜ」

「……うん」

 

 すぐに踵を返そうとして、スバルはあることを思いついた。

 

「ウォーロック……ちょっとだけ寄りたい所があるんだけど……」

「あ? いいぜ。どこに行くんだ?」

 

 スバルは高速で移動できる便利な体を使って、ある場所へと向かった。そこでの用事はすぐに済んだ。家に帰ると、少々疲れた顔をしていたが、あかねが温かい夕食と共に出迎えてくれた。

 

 

 地球に迫る危機、異星人の攻撃、敵の最終兵器。嫌な言葉しか出てこなかったスバル達は最後に光を見つけることができた。大切な友人達、頼りになる大人達、新しい武器。小さいが確かに希望は集まって、少しずつ大きな光へ成長しつつある。だがその間にも闇は巨大化していくのだ。ちっぽけな光など笑って飲み込むかのように。

 宇宙とはそれに良く似ているのかもしれない。

 星の輝きは壮絶だ。放った光は何億光年という途方もない距離を進み、その先にいる者を明るく照らす。これだけの光を生むのに、どれだけの力がいるというのだろう。

 そんな想像することすら難しい巨大な光の塊も、宇宙という暗黒の前では霞んでしまう。その様は、ちっぽけな存在が消されないようにと必死に足掻いているかのよう。

 そんな無数の星々の一つに向かって手を伸ばしてみる。むろん、届くわけがない。何も掴んでいない手のひらをじっと見つめると、静かに握り締めた。

 気配を感じ、ゆっくりと椅子へと戻る。立っていても良いのだが、座って迎えてやるのが彼の立場だからだ。

 入ってきた四体の電波体が、はるか下の階段で跪いた。

 

「我等が偉大なる星王様。ただ今馳せ存じましタ」

「うむ」

 

 リブラが代表して硬い言葉で報告する。それに対し、労いの言葉をかけることはない。

 

「わが優秀なる部下たちよ、よく聞け。先程アンドロメダが目覚めた」

 

 四人は何も言わないが、確かに彼らの周波数が跳ね上がった。自分達の勝利が決まったのだ。その喜びを抑えきれないらしい。もしくはAM星の惨劇を思い出し、ただ興奮しているだけなのかもしれない。

 

「よくぞカギを取り戻した。お前達の汚名はこれで返上とする。引き続き手柄を競い合うが良い」

「……王よ。一つご報告があります」

 

 すぐに返事が聞けると思っていた星王は、キグナスの言葉に眉を潜めた。

 

「申せ」

「ジェミニがデリートされました」

「構わぬ。あやつがいなくとも計画に支障はない」

 

 星王は玉座から立ち上がり、右手を前方にかざした。

 

「明日、地球に全面攻撃をしかける! 戦いに備えよ!!」

「ハッ!!」

 

 星王の激が飛ぶ。オックス達は今度こそ全身から戦闘欲にまみれた電磁波を立ち上らせ、最後の戦いへの意気込みを見せる。

 絶望が地球を飲み込もうとしていた。



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第百三十話.明日に備えて

 満天の星空が広がる夜は、必ず展望台に行くか部屋においてある望遠鏡で空を眺める。そんなスバルの日課は今も変わっていない。だが、今日だけは違った。町の明かりが消え始める時間、もうスバルはベッドに潜り込んでいた。明日という日がどれだけ大切なのか彼は分かっているのだ。

 静まり返った広い部屋でゴソゴソという物音がする。ベッドと布団の間でスバルが寝返りをうっているのだ。しばらくそうしていると、諦めたような表情で這い出してきた。

 

「寝れねえのか?」

「ロックも?」

「おう、まあな」

 

 棚の上においてあったビジライザーをかけると、目の前にウォーロックがいた。彼もスバルと同じく、昼間に見せるような冴えた目をしている。世間では寝ている時間なのに、欠伸一つ出てきやしない。

 

「明日なのにね……」

「だからだろうな……なあ、スバル」

「うん、軽く運動しよう」

 

 そう言って、スバルはトランサーとスターキャリアーを手に取った。

 

 

 斧を持った電波ウィルスを切り伏せて、ロックマンは周囲を見渡した。だが目に映るのはあみだくじのように絡まったウェーブロードと、その下に広がるコダマタウンの町並みだけだ。もうこの辺の電波ウィルスは一掃してしまったらしい。

 疲れたら眠れるかと思ったが、この程度の相手では肩慣らしにもなりはしない。それに加えて、神経が研ぎ澄まされてしまったのか頭が益々冴えてしまった。帰ってもとても眠れそうにない。どさりとウェーブロードに寝転んだ。

 

「あ~、道端で寝てる! 行儀悪いんだ~!!」

 

 澄んだ声が聞こえて、慌てて起き上がった。少し上のウェーブロードで、ピンク色の電波人間がクスクスと笑っていた。

 

「ハープ・ノート?」

「ヤッホー! 来ちゃった」

 

 ペロッと舌を出して笑って見せると、ハープ・ノートは軽くジャンプしてロックマンの隣に降りてくる。

 

「何しにきやがったんだ、てめえら?」

「ポロロン! なによ、その言い方!!」

 

 早速ウォーロックとハープが喧嘩を始めてしまった。スバルは自分の右拳をウォーロックの口にねじ込み、無理やり黙らせた。ムゴムゴと苦しそうだが、今のは彼が悪い。スバルの対応を見て、ご機嫌になったハープはアッカンベーをするしまつだ。ウォーロックがまた何かを言おうとしたため、スバルは右手に力を込めた。

 

「こんな夜中にまで特訓?」

「いや、眠れなくてね」

「そうなんだ、なら私とおんなじだね」

「ミソラちゃんも?」

「うん。もう、夜更かしは美容の天敵なのに~。お肌が荒れちゃうよ」

「ハハハ」

 

 ここで、今のままでも綺麗だと言えればどれだけ良いだろう。だがそんな事を言うほどスバルはキザになれなかった。

 

 

 スバルとミソラは展望台で空を眺めていた。備え付けてある天体望遠鏡を覗きながら、スバルは空の一箇所に焦点を合わせる。

 

「ほら見て、あれが(さそり)座だよ。夏を代表する星座なんだ」

「どれどれ……う~ん、どの変が蠍に見えるんだろう?」

「ほら、あの星とあの星を合わせたら尻尾がクネッて曲がっているように見えない?」

「どれどれ~?」

 

 ミソラは眉を潜めながら、スバルに代わって望遠鏡を覗き込んだ。その横顔をスバルは凝視してしまう。彼は気づいていないかもしれないが、説明が大雑把になっていく。

 

「それから右上のほうにハサミが二つ合って……」

「……お? 見えたかも! 尻尾だけじゃなくて、体までくねらしてない?」

「そう! それそれ!!」

「な~んか、蠍に見えないよ? どちらかというと蛇が口開けて舌を出してるように見える」

「あ、言えてるかも!! 蠍に蛇……委員長にぴったりだね?」

「あ、委員長に言っちゃおうかな~?」

「そ、それはやめて!! 命に関わるから!!」

「きゃはっ! 冗談だよ~だ」

 

 二人の笑い声が静かな展望台で響いた。空の端っこにある蠍座を見上げてみる。夏を代表する星座は大きく、肉眼でもはっきりと見ることができた。

 

「……明日、ここよりもっと蠍座に近い所に行くんだね」

「うん……」

 

 スバルはもう蠍座を見ていなかった。彼が見ているのは空全体。本当は真っ黒な地球を覆っている広大な空間。人間なんて塵以下に成り下がる途方もない世界だ。敵はそこにいるのだ。今更になって、自分が挑むものの脅威さを再認識する。渋っていた天地の気持ちが分かるというものだ。

 

「スバル君、お願いがあるの!」

 

 横を見るとミソラが自分を見ていた。思いつめたような表情で、両手を胸の前で重ねて強く握りしめている。

 

「明日、私も一緒に連れて行って!」

「……ミソラちゃん……?」

 

 ミソラのお願いはスバルが予想もしていなかった事だった。ちゃんと約束したわけではないが、彼は一人で行くつもりだったからだ。

 

「私……スバル君に何か合ったらと思うと恐くって……だから、側で一緒に戦わせて! お願い!!」

 

 甘い香りが鼻をくすぐった。ミソラの両手が肩に置かれ、顔がすぐ近くにある。手を伸ばせばミソラの腰に届きそうだ。

 心音が大きくなるのを自覚しながら、スバルはごくりとつばを飲み込んだ。肩に置かれた手は握り返してあげたくなるほど冷たくて、見つめてくる潤んだ瞳は夜空の煌きを吸い込んだように美しい。

 満点の星明りの元、ミソラと二人きり。誰もいない、誰も見ていない。スバルの両手が恐る恐ると持ち上げられる。その手をミソラの肩に置いて、優しく突き放した。

 

「ゴメン、ミソラちゃん。僕一人で行きたいんだ……」

 

 辛かったが、スバルはミソラの目を見てそう伝えた。碧色の瞳は輝きを失い、涙が溢れ出す。その様がスバルの心を抉りとる。

 

「……スバル君……私、足手まといにはならないから……だから……」

「ハープ・ノートのこと、僕は頼りにしているよ。一緒に戦ってくれると安心できるし、今まで何度も助けてもらったからね」

「じゃ、じゃあなんでダメなの!?」

 

 ここまでのスバルの説明では納得なんて出来ない。必死に涙を飲み込もうとするミソラにすぐには答えず、スバルは再び空を見上げた。

 

「父さんがいるんだ……」

 

 その一言で充分だった。ミソラの目から涙が姿を潜めた。

 

「父さんは三年前に宇宙に行って、帰ってこなかった。もしかしたらあの場所に父さんがいるかもしれない。いないかもしれない。それを自分の目で確かめたいんだ」

「……そっか……」

 

 父との感動の再会に、赤の他人がいては邪魔になる。それでも地球の危機なのだから完全なスバルのわがままだ。本来ならば責めるべきところだが、ミソラはそれ以上何も言わなかった。

 

「それに……僕がいない間に、FM星人達が地球を攻撃するかもしれない。君には皆を守って欲しいんだ。多分、尾上さん達もそうすると思う」

 

 尾上もクローヌも千代吉も、数少ない電波人間だ。彼らならば必ず共に戦ってくれるはずだ。なす術の無い地球人を守れるのは、ミソラ達しかいないのだ。

 

「だから……僕を信じて待っててくれないかな? 君とも約束するよ。必ず帰ってくるから」

 

 ミソラは一度目を閉じると、目元の涙を拭った。再び開いた瞼の下から光を取り戻した瞳が顔を覗かせた。

 

「分かった。私、待ってるね。皆と一緒に、スバル君が帰ってくるのを待ってるから!」

「……うん!」

 

 やっとミソラが笑ってくれた。スバルも自然と笑みを溢す。

 

「なら、早く寝ないとね?」

「そう、それ! 全然眠くならないんだ。困ったな……」

「うう~む……よし、決めた!」

「何を?」

 

 そこでスバルは聞かなければよかったと後悔した。ミソラがどこか意地悪そうな顔をしていたからだ。

 

 

 スバルは絶対に眠れないと確信していた。ミソラが出した提案は悪手の中の悪手だ。今スバルはベッドに潜り込んでいる。そのベッドの横にミソラが座っているのだ。こんな状況で眠れるわけがない。

 

「ねえ、スバル君。最初に会ったときのこと、覚えてる?」

「あ……えっと、展望台だよね?」

「うん、あのときに私が歌っていた歌……」

「『グッナイママ』、ミソラちゃんが引退するときに歌ったやつだよね」

「あ、覚えてくれてたんだ!」

「う、うん。まあね」

 

 そのCDを予約して買ったことは伏せておいた。

 

「あれね、ママが気持ちよく眠れるようにって作った子守唄をアレンジしたものなの」

「うん、そうらしいね。ミソラちゃん、お母さんが大好きだもんね」

「もちろん。その歌をスバル君に歌ってあげるね」

 

 この歌で今は亡き母を何度も眠らせてあげたのだろう。ミソラは自信があるようで、この方法が最適だと思っているらしい。

 

「……眠れるかな?」

「大丈夫だよ!」

 

 絶対に無理だと呟きたいのを堪えておいた。ミソラに失礼だし、理由を尋ねられたら答えられない。

 

「じゃあ歌うね?」

「うん、お願い」

 

 ミソラの子守唄が始まる。最初は緊張した顔をしていたスバルだったが、徐々にその表情が緩んでくる。眠るのも時間の問題だろう。

 この歌は電波体にも効果があるのだろうか。トランサーから二人を見守っていたウォーロックも、大きな欠伸をして見せた。

 

「俺もこのまま眠らせてもらうか。ハープ、そろそろ離してくれ」

 

 そう言って、隣にいるハープのほうを見た。彼女はウォーロックに絡めていた弦を素早く解いてみせる。ウォーロックが邪魔をしないように、展望台にいたときからずっと拘束していたのである。

 ウォーロックは肩を回したり、首を横に傾けたりして体をほぐす。

 

「ほら、お前もそろそろギターに戻れよ」

「ええ、けどその前に……」

「あ? なんだ?」

「ウォーロック、あなたに謝らなきゃいけないことがあるの」

 

 ウォーロックは顔がひっくり返りそうなほど首を捻って見せた。さんざん自分に暴力を振るってきたこの女が今更何を謝ると言うのだろうか。だがハープの説明を聞いて、ようやく気づいた。自分でも忘れかけていたことだ。

 

「よくそんなこと覚えていたな……いつ気づいたんだ?」

「気づいたというより、憶測ね。FM星にいたころから、アナタを気にかけていた理由は分かる? アナタの周波数に特徴があったからよ」

「そこからか……」

「ええ、あの時は本当にゴメンナサイ。アナタに酷いことを言ったわ」

「気にするな。俺も気にしちゃいねえよ」

「……そう、ありがとう」

 

 そのとき、プッとウォーロックが笑った。

 

「? 何かおかしかったかしら?」

「クク、わりぃわりぃ。お前が俺に礼を言うなんて、初めてだと思ってよ」

「そうだったかしら? ポロロン、あなたもつまらないこと覚えているのね」

「そうか? 俺にはでかいことなんだがな?」

「……そろそろ寝たら?」

「おう、じゃあな」

 

 そう言って、ウォーロックは横になってしまった。ハープはチラリと横目で見ながら、その場を後にした。

 

「……調子が狂うじゃない……ポロロン」

 

 スバルのトランサーから出てきたハープはミソラが歌っていないことに気づいた。ベッドを覗き込むと、スバルが寝息を立てていた。

 

「効果抜群だったわね」

「うん……行こっか?」

「そうね」

 

 ミソラはそっと立ち上がる。だがハープがギターに戻っても電波変換しようとはしなかった。腰を屈めスバルの安らかな寝顔を覗き込む。しばらくそうすると体を起こした。

 

「良いの? スバル君のファーストキスを奪う大チャンスよ?」

「い、良いの! だって、そんなのずるいもん」

 

 からかわれたミソラは顔を真っ赤にしながら自分の行動を正当化した。それが正しい。

 最後にもう一度、スバルの寝顔に微笑んだ。

 

「おやすみなさい。私の大好きな……流れ星のヒーローさん」

 

 ピンク色の光が部屋から飛立っていく。静かな部屋で聞こえるのは、スバルの寝息だけだった。



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第百三十一話.涙の約束

今日は6/9

ロックマンの日、おめでとう!!


 太陽は常に平等だ。どんなことがあろうとも、地球を照らし生命の息吹を与えてくれる。この日も同じだった。窓の向こうには雲すら遠ざけてしまうほどの眩しい朝日が微笑んでいる。

 そんな空をスバルは自分の部屋から細めた目で見上げていた。彼は知っているわけではない。だが、FM星人達との戦いの経験からだろうか、察していた。今日という日が地球の歴史に刻まれる惨劇の日になるということを。

 それに立ち向かえる地球人は、彼一人……小学五年生の背中にかかっていた。常人では想像することすらできない程の重荷を、彼はこの年齢ですでに理解していた。そのうえで背負っていた。

 スバルは軽く体を動かしてみる。昨日寝るのが遅かったにもかかわらず、体にだるさはどこにも無かった。頭も今までにないほどスッキリしている。コンディションは万全だ。

 

「いよいよだね……ロック……」

「ああ……」

 

 二人は短いやり取りを交わす。もう一度空を見上げたとき、スバルのトランサーがメールの着信を告げた。送り主はNAXAだった。彼らとサテラポリスの共同声明という体裁で、FM星人の存在と地球への侵略行為について簡潔に書かれていた。おそらく、世界中の人たちに送られているのだろう。いたずらメールと思われても仕方のない内容だが、送り主を考えればそう思う人は少ないはずだ。

 本来は隠蔽するような内容を世界中に公表する。それは自衛して欲しいという遠まわしなお願いとも言える。それだけサテラポリスとNAXAの焦りが見えるというものだった。

 

「……急ごう!」

「おう!」

 

 スバルはすぐに腰のポーチに手を伸ばした。中に一通りのバトルカードが揃っている事をもう一度確認し、スターキャリアーの電源を入れてみる。昨日と同じで正常に起動する。トランサーの調子もバッチリだ。額のビジライザーをかけ直すと、首から提げた流星型のペンダントを握りしめた。最後に部屋を見渡して、その場を後にした。

 スバルは気づかなかったため、代わりにウォーロックは部屋の中に軽く手を振っておいた。スバルの部屋で働いているデンパ君とティーチャーマンが見送ってくれていた。

 

 

 一階に下りるとあかねがテレビの前に立ち、サテラポリスとNAXAの緊急ニュースを見ていた。白い髭を生やしたNAXAニホン支部の長官が先程のメールについて詳しい説明を行っているところだった。

 

「スバル……どこかに出かけるの?」

 

 何を言い出すわけでもなく、あかねが切り出した。この状況下に似合わない落ち着いた……いや感情を込めないようにと押し殺したような声にスバルは心を強張らせてしまった。

 

「うん……」

「さっき、メールが来たでしょ。ちょっと信じられないけれど……もうすぐ非難勧告が出るはずだから、それまでは家にいてちょうだい」

「ごめん、母さん……どうしても行かなきゃならないんだ」

 

 母の願いを分かっていながらも、スバルは気丈に振り払う。その結果、自分を激しく責めることになってしまった。あかねが涙を流したのだ。大吾の失踪から三年間、スバルにだけは見せたことのない姿だった。

 

「母さん……?」

「……ごめんなさいね。あの日を思い出したの」

「あの日?」

 

 尋ねたが本当は分かっている。三年前のあの日だ。

 

「父さんが出て行く日……母さん、父さんを止めたの。宇宙に行くのをやめられないかって……そしたら、父さん『どうしても行かなきゃならないんだ』って……やっぱり、親子なのね」

 

 目元を拭うとあかねはテレビの下に視線をずらした。そこには一枚の写真がある。あの日の前日に撮った、家族三人が映った最後の写真だ。

 

「あのね……昨日の夜……夢の中に父さんが出てきて、笑いながら消えていくの……スバルが出て行ってそのまま帰ってこなかったらって思ったら……」

 

 そこからは限界だったのだろう。掠れていた声すら絞りだせなくなったのか、あかねは何も言わなくなってしまった。テレビの雑音だけが二人の間に小さく入り込んでくる。

 それでもスバルは譲れない。写真を手に取ると、あかねに手渡した。

 

「大丈夫だよ、母さん。僕は絶対に帰ってくるよ。父さんも絶対に帰ってくる!! そして、また皆で家族写真を撮るんだ」

「スバル……」

「だから……僕を行かせて」

 

 あかねは何も答えなかった。代わりにスバルをきつく抱きしめた。その腕は思っていたよりも細くて、温かかった。幼い頃の記憶と比べながら、スバルは身を委ねた。そして、この温もりを忘れないと誓う。

 数分ぐらいそうした頃だろうか、あかねが離してくれた。

 

「もう行かなきゃ……行ってきます、母さん」

「……行ってらっしゃい。帰ってくるのよ」

「……うん!」

 

 そこにはいつもの優しい母の顔があった。スバルは自分に再度誓いを立てると、家を後にした。

 見送ったあかねはスバルが渡してくれた家族写真に無言で目を移した。幼かった頃のスバルと、愛する大吾が笑いかけてくれている。

 

「大吾さん……スバルを……あの子を守ってあげて」

 

 写真を胸に押し付けて、目を閉じた。もう、涙を流すことは無かった。

 

 

 家を出たスバルは足早にコダマタウンの町中を駆け抜けた。BIGWAVEの看板、公園と魚が泳いでいる側の小川。ルナが住んでいる高級マンションや、修復された赤いポスト。

 見慣れた光景がスバルの後ろへと流れていく。

 学校の正門とバス停を通り過ぎ、近くにある階段を昇り始める。機関車が展示されている広場を抜けて、さらに階段をかけ上がる。辿り着いた場所は展望台の見晴台だ。

 三年間、毎日のように通っていた憩いの場所……一番大好きなそこは、コダマタウンで最も宇宙に近い場所。スバルは空を見上げた。アマケンに行く前に、どうしてもここに立ち寄っていきたかったのだ。

 

「父さん……今行くからね……」

 

 安全柵を握る手に力が入った。ここでやりたかったことはこれだけだ。だが、スバルには大切な儀式のようなものだった。今こうしている間も、天地達はスバルを待ってくれているはずだ。

 

「ロック、電波変換して行こう」

「そうするか。と言いてぇところだが……後ろを見てみな」

「え? ……あ!?」

 

 いつの間にか広場に人影が現れていた。大中小と綺麗に揃った三人にスバルは駆け寄った。

 

「皆……来てくれたんだ」

 

 ルナを中央に、隣にゴン太とキザマロが控えている。彼らの基本フォーメーションだ。見送りに来てくれたブラザー達にスバルは笑みを向けた。

 

「天地さんから聞いたわ……やっぱり宇宙に行くのね」

「うん。皆見送りに来てく……」

「まだ納得してないわよ!!」

 

 ルナの大きな声がスバルを遮った。

 

「私たちは……まだ納得してないわ! どうしても宇宙にいかなきゃならないの!?」

「お、お前が行かなくても……なんとかなるんじゃねえか?」

「サテラポリスや大人の人たちに任せても……!!」

 

 スバルはすぐに気づいた。ルナ達は怒っているようだが実は違う。スバルを心配してくれているのだ。

 だからスバルはトランサーを掴んでから、三人に告げた。

 

「心配してくれてありがとう。無茶なのは分かっているつもりなんだけど、僕が行かなきゃ、誰かが悲しい思いをすることになるかもしれない。僕が戦って、その誰かが悲しまずに済むのなら、やってみる価値はあると思うんだ……だから、僕は行くんだ」

 

 その顔は穏やかで、かつてルナ達が思い描いていた理想のヒーローとはまた違ったものだった。こんなスバルを見れば、さすがのルナも閉口せざるを得なかったようだ。唇をかみ締めて目を閉じる。泣くのを必死にこらえているのだろうか。

 

「ぢ、ぢぐじょう! かっこよすぎるじゃねえか!!」

「や、やっぱりと言うか、流石と言うか……僕たちのヒーローです!!」

 

 男である二人はもう涙腺が決壊したらしい。目元に涙が滲んでいる。そんなルナ達に、スバルは二ヶ月前の三人との関係を思い出しながら、笑って言ってあげるのだった。

 

「母さんや、天地さんとも約束したけど……皆とも約束するよ。僕は必ず生きて帰ってくる!!」

「ぶおぉぉおお!! ずばる~~!!」

 

 とうとうゴン太が本気で泣き出した。巨大な体で細見のスバルに抱きついたのだ。背骨が折れるのではないかと思いながらも、スバルはこの状況に苦笑いを浮かべた。隣では、キザマロまでもが釣られて号泣するしまつだ。

 

「ううっ……ズバル君……僕は……信じていますよ!!」

「馬鹿ね、あんた達……笑って見送ってあげましょうって、三人で決めたじゃない」

 

 ルナもハンカチを目元に当てて、必死に耐えようとしている。三人の中で一番早く立ち直ったのは、自分にも他人にも厳しい彼女だった。赤い目は戻せなかったが、なんとか笑って見せてくれた。

 

「いい、スバル君? ……私達はブラザーよ。これから、たくさん思い出を作るんですからね。一緒に学校に行って、色んな行事に参加して、夏休みには皆で旅行にも行きましょう。海とかね。なにより、私が生徒会長になるために、アナタにも手伝ってもらうんですから!!」

 

 最後はちょっと遠慮したい気もするが、魅力的な未来だった。そう、自分達の時間はこれからなのだ。たくさんの幸せを思い描き、スバルは頷いた。

 ルナにしかられたゴン太が抱きつくのを止めると、とうとうスバル達にお別れの時間がやってくる。

 

「じゃあ、そろそろ行くね?」

「必ず帰ってきなさいよ!!」

 

 ゴン太とキザマロは何も言わなかったが、無言でスバルに頷いた。鼻をすするのが精一杯で、声が出ないのだろう。スバルはもう一度三人に笑顔を見せると、電波変換して空へと消えて行った。

 スバルが旅立っても、ルナ達はそこから動こうとはしなかった。ただスバルが消えた青い空の一点を見つめている。

 

「帰ってこなかったら、承知しないんだから……」

 

 ルナはポケットの紙を広げ、描かれている憧れのヒーローを見つめた。ちょうどそのとき、ルナのトランサーが鳴った。着信を見て、ルナは素早く応答に出た。ヤシブタウンにいるナルオとユリコだ。

 

『ルナ。さっき、コダマタウンに避難勧告が出た。コダマ小学校の体育館に非難しなさい』

『私達はこのまま103デパートの地下に行くわ。ルナ、離れ離れだけど、大丈夫よね?』

「ええ、大丈夫よお母様。私は二人の子供なんですから」

 

 ルナの力強い言葉に安心したようで、難しい顔をしていたナルオとユリコはほっと笑みを見せた。

 

『愛してるわよ、ルナ』

 

 そこで会話は終わりだ。電話を切るとルナは話を聞いていたゴン太とキザマロに振り返る。

 

「行くわよ、アナタ達」

「おう!」

「はい!」

 

 これからコダマタウンにも危機が訪れる。だが、ルナ達にはそれほど大きな不安は無かった。自分達のヒーローを信じているからだ。



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第百三十二話.親友の証

皆さん、長らくお待たせしました。
ついに、アレオリの最終話を書き終えました。

これから、二日に一話更新をしていきます。

急に連載速度が上がり、ラストスパートとなってしまいますが、どうか最後までお付き合いください。


 ルナ達と別れたスバルはウェーブロードを通ってアマケンの上空に辿り着いていた。そのままアマケンタワーまで行くつもりだったが、正門前にミソラがいることに気づいて歩を止めた。朝早くからスバルが来るのを待ってくれていたようだ。電波変換を解いて、ミソラに自分の姿を見せてあげた。

 

「ミソラちゃん」

「あ、スバルくん!」

「昨日はありがとう。おかげでぐっすり眠れたよ」

「フフ、どういたしまして。私の歌、凄いでしょ!?」

 

 ミソラは可愛らしい鼻息をたてながら胸を張ってふんぞり返ってみせる。その拍子に、首から提げているハート型のペンダントが小さく揺れた。

 彼女に連れられてアマケンの敷地内に入ると、そこはエンジニア達の戦場と化していた。アマケンスタッフ達が右に左にと、めまぐるしく動き回っているのだ。体の小さいスバル達がいることに気づく余裕すらないようで、こちらが少しでも気を抜けば誰かに突き飛ばされかねない。そんな身の危険すら予感させてくれる規模だった。

 その片隅で、難しい顔をした尾上たちが宇田海と話をしていることに気づいた。どうやら手に持っているスターキャリアーについて説明を受けているらしい。

 スタッフ達の竜巻を潜り抜けると、アマケンタワーの正面に出た。天地はそこで指揮を取っていた。どうやらシゲゾウも協力してくれたらしく、困っている若いスタッフに助言している様子が窺えた。

 ミソラに声をかけられると、天地はシゲゾウにその場を任せて時間を作ってくれた。

 

「約束どおり、ちゃんと間に合わせておいたよ」

「天地さん、本当にありがとうございます」

「ハハ、任せてくれと言ったろう? と言っても、まだ最終調整が残っているけどね」

 

 天地はいつもと変わらない優しいおじさんの笑顔をして見せた。

 そのまま現在の状況について簡単にスバルに説明した後、ある大切なことを伝えた。スバルはお礼を言うと単身アマケンの屋内へと入っていった。向かう先は医務室だ。

 

 

 スバルが訪ねてくると、医務室のスタッフは何も言わずに部屋を後にしてくれた。

 幾つか設けられたベッドの一つにツカサはいた。窓際の一番良い席を与えられているようで、風が入り込んでくる。この間まで冷たかったはずの朝方の風。気づけば心地よい温かさに変わっていた。

 入り口で突っ立っていたスバルは静かな足取りでツカサに歩み寄る。気づいているはずなのに、ツカサは窓の外を見たまま振り返ろうとはしなかった。

 

「スバルくん……来てくれたんだ」

「……うん」

 

 やっぱりツカサは気づいていた。そしてスバルを見ようとしない。ツカサが寝ているのは本格的な介護にも適応しているベッドのようで、上半身側を傾けて背もたれ代わりにしている。これが今の彼には一番楽な姿勢なのだろう。

 

「天地さんから聞いたよ。宇宙に行くんだね……」

「うん……」

 

 それだけで会話が終わってしまった。身にまとわりついてくる空気は冷たくて、居心地の悪い雰囲気が流れる。

 スバルは右に左にと視線を沿わしてしまう。あの医務室スタッフの計らいなのだろう。ベッドの側に置かれた花瓶には一厘の花が捧げられていた。残念ながらもうほとんどしおれてしまっている。種類は分からないが、おそらくは春に咲く花なのだろう。

 ポケットに手を入れると、スバルはできる限り明るい顔で話しかけた。

 

「ツカサくん……助けてくれて、ありがとう」

「あの程度のことで償えるとは思っていないよ」

「……そうでもないよ! ……あの時君がいなかったら、僕は死んでいたかも……」

「だからと言って、君を殺そうとした僕が許されるわけじゃない」

 

 ツカサの言葉は正論だった。スバルは黙りそうになってしまう。だが、ここで引けばもう永遠にツカサと話ができなくなるかもしれない。そんな恐怖がスバルの背中を押す。

 

「で、でもヒカルに唆されたんでしょ? それに、ヒカルはもういないし……」

「生きているよ」

「……え……?」

 

 そんなはずはない。電波粒子となって消えていくヒカルをこの目で見たのだ。

 だが、そんなスバルの確信をツカサは一蹴した。

 

「ヒカルは僕の半身……僕が存在している限り、ヒカルも存在する。まだ僕の中で生きているよ。すごく弱っているから眠っているけどね」

 

 今度こそ、スバルは何も言えなくなってしまった。何かを言わなければならないと分かっているのに、何の言葉も出てこない。喉に石でも詰まったかのようだ。

 

「僕は、君とブラザーになりたかった。もう一度、友達から始めたい。けど、僕はこれからどんな顔で君と会えばいい?」

 

 スバルには過酷だがツカサの素直な気持ちだった。そして彼の言っていることは正しい。自分の業を見つめなおした彼なりの結論だった。

 スバルは何も言い返さなかった。俯いて黙すだけだ。ツカサは窓から見えるアマケンタワーの先端を眺めているだけだ。

 

「僕もね、君を裏切ったんだ」

「……え?」

 

 唐突なスバルの告白だった。頑としてスバルを見ようとしなかったツカサは思わず振り返ってしまった。そこには、恥ずかしそうに顔を赤くしているスバルがいた。

 

「実はね……恋人がいるって前に言ったでしょ? あれ嘘なんだ。まだ友達なんだ。アハハ……」

 

 何を言っているのかさっぱり分からなかった。だが、すぐに思い出した。ブラザーを結ぼうと約束する少し前、ゴン太とキザマロが喧嘩してしまった日のことだ。そう言えば、スバルには彼女がいて、紹介してもらうという約束をしていた。

 

「……あれ、嘘だったの?」

「うん。だから、僕も君を裏切っているんだよね」

 

 裏切るというよりは、見栄を張った嘘だ。そう思っても、ツカサにはそんな細かいことを指摘する気にはなれなかった。

 

「まだ友達……もしかして、相手はミソラちゃん?」

「ええ!? な、なんで分かったの!?」

 

 ノーヒントでばれるなんて全く思っていなかったらしい。あまりにも分かりやすすぎる反応に、ツカサは小さく噴出してしまう。

 

「プッ……委員長は違うって言ってからね。もしかしてと思って、適当にミソラちゃんの名前を挙げたんだよ。スバルくんは騙されやすいね」

「ひ、酷いよ! はめないでよ~!」

「ハハハ。で、好きなの?」

「ど、どど、どうかな?」

「嘘も下手だね」

「そ、そんなんじゃないってば!!」

 

 気づいたら、二人は笑っていた。

 短いやり取りだったが、それでスバルには十分だった。確信を胸に秘めて、ツカサに告げた。

 

「ツカサくん……僕たち、いつかブラザーになれると思うんだ」

「なれる……かな」

「もちろんだよ!」

 

 自信のない顔をするツカサに、スバルはポケットからある物を取り出した。手渡されたツカサはそれを見て言葉を失った。それはどこにでもあって、誰にも気づかれないちっぽけな存在。だが、それはあの場所のものだとツカサは理解していた。

 

「スバルくん……これって、まさか……」

「うん。ツカサくんの憩いの場所……丘の上の花畑に咲いていたんだ」

 

 一厘の赤い花だった。

 

「昨日の夕方、あの花畑に行ってみたんだ。そしたら、もう雑草が生えていて、花も何本か咲いていて……悪いと思ったんだけど、一厘だけ摘んできちゃったんだ。

 もう少し先の話になるけれど、またあそこには綺麗な花畑ができるはずだよ。そしたら、あの場所で……満開の花の中でブラザーを結ぼうよ」

 

 ツカサは何も言わなかった。花を見つめるその目に、微かに光が見えた。

 次にスバルはポーチからあるものを取り出した。それはずっとツカサに渡したかったもの。包装紙はしわだらけで、綺麗に包めていない。それどころか、少し破けてしまっている。ツカサに渡したくて仕方なかった、あのカードの端っこがはみ出している。

 

「これは、その約束のプレゼントだよ。渡しておくね」

「スバルくん……」

 

 ブレイクサーベルのバトルカードを受け取ると、ツカサの両頬に涙が流れた。それを拭い、無理やり笑ってみせる。

 

「……僕は……や、やっぱり……君のブラザーになりたい」

「僕もだよ!!」

 

 しわくちゃの涙顔に、スバルは満面の笑顔を見せた。涙は見せなかった。



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第百三十三話.宇宙へ

 アマケンの敷地内は騒音で埋め尽くされていた。タワーを囲むように並べられた大型発電機が原因だ。アマケンの敷地内に設けられていた発電機を一箇所に集めて稼動させているのだ。予備も含めて、数は十数台ほどだろうか。

 ここで作られた膨大な電気のほとんどはアマケンタワーの地下へと送られていた。無機質な広い空間でアマケンスタッフ達の大声が飛び交う。その中で、スバルはアングリと口を開けていた。

 粗大ゴミのようだった『きずなの一部』と地下室は、今や作戦司令室のような風貌へと変わっていた。巨大なモニターや幾つものサーバー、オタクのスバルですらよく分からない機械たち。アマケンスタッフ達はたった一晩でこれだけのことをやってのけたのだ。それに加えて、今は『きずな本体』と通信を繋げるために休むことなく動き回ってくれている。脱帽して、頭を下げたい気分だ。

 呆けるスバルの元に、スターキャリアーの調整してくれた宇田海と肩幅の広い男性スタッフが戻ってきた。どうやら問題は無かったらしい。

 スバルがスターキャリアーを受け取ると、バシリと背中を叩かれた。振り返ると、尾上たちがそこにいた。

 

「こっちは任せておけよ、ボウズ」

 

 尾上は胸をドンと叩いてみせる。その隣では、クローヌもニタリと笑ってふんぞり返っている。彼らなりに激励しに来てくれたらしい。ただ、いつも元気な千代吉だけが静かなことにスバルは気づいていた。

 何か声を掛けようとしたとき、唐突に頭上から警報音が鳴り響いた。驚く一同をよそに、巨大モニターの前に座っていたアマケンスタッフ達がすばやく対応し、画面にこの地域一体の地図が表示した。そこには無数の赤いマーカーが点滅していた。特にヤシブタウンに集中している。

 スタッフの一人が現状を報告するが、スバルの耳には入っていなかった。そして理解していた。FM星人達の攻撃が始まったのだ。今頃、ニホンのみならず、世界各国で同じような襲撃が起きているはずだ。

 

「早速出番みたいだな」

「よっしゃあ! 行くぜ尾上!!」

 

 尾上とウルフはこの状況を待ち望んでいたのだろう。もう、スターキャリアーを取り出している。ミソラもようやくショックから立ち直った。

 

「私も行きます!」

「いや、ミソラっちはここに残るのじゃ」

「な、なんで!?」

 

 ミソラは昨日スバルからお願いされているのだ。自分がいない間、尾上達と共に地球を守るのだと。それを果たそうとするミソラをクラウンは止めた。不満そうな彼女にクローヌが説明する。

 

「ミソラっちにはもっと大切な役目を任せるのである。アマケンを守るのじゃ」

「こ、ここを……?」

「アマケンに何かあったら、小僧が帰ってこれなくなってしまうかもしれん。ここで小僧を見送って、帰ってくる場所を守って、一番に迎えてあげる。それがミソラっちの役目であるぞ」

 

 ミソラの不満そうな表情はすぐには消えなかった。だが、アマケンスタッフ達の顔を見渡すと、自分が任せられた役目がどれだけ重要なのかを理解して頷いた。

 

「分かりました……気をつけてください」

「うむ! 任せるのである!!」

「では、出陣と行くかの!」

 

 クラウンとウルフがそれぞれのスターキャリアーに入り込む。それを握り締めると、尾上とクローヌは心配そうな顔をするスバルに「任せておけ」と笑ってみせた。そして二人は叫ぶ。

 

「電波変換! 尾上十郎 オン・エア!!」

「電波変換! クローヌ14世 オン・エア!!」

 

 緑と黄色の電波となって、二人は地下室から飛び出していった。

 そんな二人とは違い、千代吉だけは動いていなかった。スターキャリアーを見つめて震えていた。自分も戦いたいが恐くて動けないのだ。無理もない、千代吉はまだ十歳にも満たない子供なのだから。

 なによりも千代吉が可愛いキャンサーは、彼の気持ちを理解しているらしい。側に浮かんでいるが、強い言葉を言えずに困っている様子だった。

 そんな千代吉の肩に手を置くのはスバルだった。

 

「千代吉……無理しなくていいんだよ」

 

 振り返った千代吉の顔は真っ青で、唇まで紫色に染まっていた。それを必死に振るわせる。

 

「スバルは……恐くないチョキ?」

 

 その質問にスバルはすぐに首を横に振ってみせる。

 

「僕も最初は戦うのが恐かったよ。けどね……ロックに教えられて分かったんだ。戦わないと何も守れない。何かを失ってしまうほうが、もっと恐いってね。だから、僕は戦うんだ」

 

 慰めるように言いながら、スバルは自分を笑ってしまった。昨日ようやく気づいたいことを、何を偉そうに言っているのだろう。

 千代吉は何も言わなかった。スバルの目をじっと見つめると、自分の額を強めに叩いてみせた。

 

「キャンサー! 行くチョキよ!」

「プク! 今の千代吉はかっこいいプクよ!!」

 

 親バカ発言をしながら、キャンサーもスターキャリアーに入った。千代吉は地下室の出入り口まで走ると、スバルに振り返る。

 

「スバルー! お前もちゃんと帰ってくるチョキよ!!」

 

 励ましてあげたというのに生意気だ。だが、それでも心配してくれているのは確かだ。笑って返事をしようとしたが、それが間違いだった。

 

「スバルが帰ってこなかったら、ミソラっちが未亡人になっちゃうチョキよー!!?」

「こらっ! 千代吉!!」

「電波変換! 挟見千代吉 オン・エア!!」

 

 アッカンベーをすると、千代吉は赤い電波になって高速で逃げていった。ずるがしこい逃亡方法である。

 

「……ったく……」

 

 側にいるミソラとの間に、気恥ずかしい空気ができてしまった。

 その間に天地達の準備が整った。『きずなの一部』は大きな稼動音を立てると、自動音声で『きずな本体』との通信が繋がったことを告げた。

 誰よりもこの時を待っていたスバルは、無言でビジライザーをかける。『きずなの一部』の上にウェーブロードが出来上がっていた。今頃、アマケンタワーの先端からは『きずな本体』へのウェーブロードの橋が架かっているはずだ。

 その先にFM星王がいるのだ。

 ここから先はスバルとウォーロックに託される。つまり、天地達の役目は終わったのだ。

 

「僕たちが出来るのはここまでだ。スバルくん……僕とした約束を、ここにいる皆にもしてくれるかい?」

「……はい、約束します。僕は必ず帰ってきます!!」

 

 スバルはビジライザーを外し、辺りを見渡した。宇田海、シゲゾウ、協力してくれたアマケンスタッフ達。一人一人に目を合わせて、「ありがとう……皆」と告げた。陳腐な言葉かもしれないが、もうその言葉しか出てこなかった。

 そして、最後にミソラに向き直った。

 

「じゃあ、行って来るね」

「……皆で……待ってるからね!!」

「……うん」

 

 昨日の夜を思い出しながらスバルはミソラと改めて約束を交わした。

 そして、スターキャリアーを取り出す。ウォーロックが中に入る。相棒と頷きあい、互いの決意を確かめ合った。

 

「行こう、ロック!!」

「おう!!」

 

 皆が見守る中、スバルはゆっくりとスターキャリアーを頭上に掲げた。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!!」

 

 

 空に向かって垂直に伸びたウェーブロードを駆け上がると、あっという間に地球の外へと飛び出した。絵の具でベタ塗りしたかのような、何もない空間がスバルの前に現れた。視界の隅にはぼんやりとした灰色の月。夢にまで見ていた宇宙が目の前に広がる。

 それを見ても感動する余裕はなかった。今この瞬間にも、尾上たちは命懸けで戦っているのだ。

 振り返ってみれば、そこには青い地球がどっしりと腰を据えていた。だが、それも少し離れて見てみれば真っ黒な空間に浮いているガラス玉のような脆い印象へと変わる。

 拳を握り締め、宇宙にかかったウェーブロードをスバルは青い光となって駆ける。

 

 

 赤紫色の炎となって揺らぐガスの塊に、青と黄色が混ざってうねる奇怪な光。なにかの力に巻き込まれて、渦を巻くのは無数の塵と氷。それを照らすオレンジ色の恒星。地球の法則が及ばない未知で神秘的な世界。

 その中に、明らかな人工物が見えてくる。銀色の光に輝くそれは三年前に見たものと同じだった。

 破壊されたフレームに、剥き出しになった配電盤。アマケンの地下にあったものも酷かったが、こちらはそれとは比べ物にならない。宇宙に捨てられたゴミそのものだった。

 フレームの一面に消えかけている機体番号が目に入った。その番号は頭に焼き付けてあるものと同じだった。間違いない、目の前にあるのは大吾が乗っていた『きずな本体』そのものだった。

 三年前の真実がここにある。

 そしてFM星王がいる。

 僅かに手が震えていることに気づいた。これが怯えなのか、興奮なのかは分からない。おそらく両方だろう。目を閉じて大きく深呼吸する。覚悟を決めようとしたとき、胸の流星エムブレムが淡く光始めた。

 

「え? ……なに?」

 

 これはスバルが大吾との大切な思い出として持ち歩いている流星型のペンダントが胸に収まったものだ。そして以前にも似たようなことがあった。ミソラとブラザーを結んだときのことを思い出すと、一本の細い線が伸びた。その先を見て、スバルは息を呑んだ。剥がれかけたきずなの外装の先端に、何かが引っかかっている。ウェーブロードから降りてきずなの外装に着地し、恐る恐るとそれを取り上げた。

 

「父さんの……トランサー?」

「ああ、そうだ」

 

 紛れもない、大吾のトランサーだった。開いて見るが、画面は真っ黒で何も映っていない。電源がほぼ切れてしまっているらしい。

 

「ねえ、ロック……なんで父さんのトランサーがこんなところにあるの?」

「スバル……まずは中に入ってくれ。お前に見せたいものがある」

 

 

 『きずな』の中に入ると、そこは通信室だった。ウェーブロードの橋はそこで終わっていた。酸素の残量を示す計器があり、問題ない密度だった。どうやら、密閉は保っているらしい。重力発生装置まで正常に動いている。

 スバルは電波変換を解いて『きずな』の中を歩き出した。そこには資料などで見たものとは違う、無残な光景が広がっていた。

 寸断されたケーブル、へこんだ壁とその中から覗くパイプ類。放り出された宇宙服に、酸素ボンベ。誰かが荒らしたような光景だ。

 あるドアには紙が貼ってあった。走り書きされていたのはスバルでも読める簡単なアメロッパ語だった。

 

「『大吾へ。船外活動ロボの修理作業を頼む。スティーブより』」

 

 読み上げて、スバルは天地のアルバムを思い出した。大吾と一緒に、天地の首を絞めていた白人男性だ。彼が確かにここにいた形跡だった。

 だが、誰も居ない。人の気配が全くないのだ。紙もかなり前に貼られたもののようで、少々くたびれた様子が見れた。

 

「ねえ、ロック……父さんやスティーブさん達は?」

 

 ウォーロックは何も答えなかった。実体化している彼はスバルについて来いとジェスチャーをして、奥へと進んでいく。スバルも後を追った。

 散らかった廊下を抜けると、少し変わった空間に出た。今までは作業室ばかりだったが、ここは違う。小さな個室が複数設けられているのだ。中には毛布も見える。その中の一室……特別大きな部屋に足を踏み入れた。

 その瞬間、スバルは懐かしさを感じた。今までは、初めて訪れた場所ということもあり、どこか心落ち着かない時間だった。だが、この部屋だけは違う。まるで住み慣れた家に戻ったような、そんな感覚。

 辺りを見渡してみる。窓や壁は始めて見るものなのに、コーヒーカップや小道具一つ一つに、なぜか親しみを感じてしまう。

 ふと、デスクの上に置かれたものに目が留まった。写真立てだ。この角度では部屋の明かりに照らされて良く見えない。だが、その写真を見間違うことはない。なにより、今朝も見たものなのだから。

 写っているのは、大柄な男性と、若い女性、そして間に挟まれた小さな子供。それを手にとって、スバルはようやく理解した。

 

「ここは……父さんの部屋……」

 

 スバルが手に取ったのは、三年前のあの日、父が手に持っていた家族三人の写真だった。今も星河家に飾られている、最後の家族写真。大吾が何よりも大切にしていたそれが手元にあるのだ。現実を受け入れたくなかったスバルだが、認めざるを得なかった。

 

「スバル……遅くなってすまねえ」

 

 だが、聞かなければならない。いや、聞きたい。知りたいのだ。

 

「ロック……話してくれるんだね」

「ああ……」

 

 ここで何があったのか。父の身に何があったのか。今父はどこに居るのか。

 

「全てを話すぜ。俺と大吾の話をな……」

 

 二ヶ月前の約束が果たされようとしていた。



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第百三十四話.星河大吾

 不思議な男だ。

 

 それが星河大吾に抱いた最初の印象だった。

 FM星軍に船内を制圧され、囚われの身となった大吾は目の前の異星人に笑顔で右手を差し出していた。

 

「俺は地球人の星河大吾。お前は?」

 

 表裏の無いその笑みに、ウォーロックは呆気に取られてしまった。FM星軍の中でも無愛想で有名な彼だが、気づけば大吾の要求に応えて、おずおずと右手を前に出していた。

 

「ウ……ウォーロックだ……」

 

 それをぎゅっと握ると、落ち着いていた大吾の笑みは子供のような無邪気なものへと変わる。

 

「やった! 宇宙人と握手ができたぞ!! ハハハ!! スバル! 父さんはやったぞ!!

 ウォーロック! お前も喜べ!! お前は、初めて地球人と握手をしたFM星人になったんだぞ!! よかったな~?」

 

 今度は背中をバンバンと叩き、しまいには肩を組んできた。なれなれしい態度だが、不思議とウォーロックは拒絶できなかった。

 

「ウォーロック、お前は宇宙人の友達第一号だ! よろしくな!!」

 

 これが星河大吾との最初の出会いだった。

 

 

 FM星に接近していた謎の宇宙船。FM星王は側近のジェミニの進言を受け入れ、すぐに制圧部隊を派遣した。

 戦闘らしい戦闘も無く、すぐに乗組員と思われる異星人達は拘束された。

 彼らの世話を買って出たウォーロックはその初日に大吾の友人として認定されてしまった。

 それからというもの、大吾は毎日話しかけてきた。ウォーロックは邪険に扱ったり、無視しようと決め込んだりとしたものの、気がつけば大吾のペースに巻き込まれていた。

 大吾がするのは美人な奥さんと可愛い一人息子の自慢話ばかりだったが、悪い気はしなかった。話を聞いていると、いつの間にか自分も笑っていたのだ。そして、大吾と会うのが毎日の楽しみになっていた。

 大吾の言った友達というものを、ウォーロックは確かに感じていた。

 

 次第に他の乗組員達とも交流を深めるようになり、ウォーロックはきずなクルーの輪に溶け込んでいた。

 だが、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。

 

 FM星で行われていた裁判が終わったのだ。

 

 大吾達を捕らえてからずっと行われていた、彼らの処遇に関する判決。死刑だった。

 この判決を聞いても、ウォーロックが驚くことは無かった。FM星王とジェミニの噂を聞いていれば、こうなることは予想の範囲内だったからだ。

 そして当初の予定通り、混乱の隙を突いて『アンドロメダのカギ』を盗み取ったのだ。目的を果たし、追われる身となったウォーロックは最後にきずなに立ち寄った。

 

「そうか……行くのか」

 

 突然の別れだったが、大吾は落ち着いてそう返した。

 

「ああ、お前とは短い間だったが、楽しかったぜ」

「これからどこに行くんだ?」

「さあな? どこか適当なところに逃げて、身を潜めるつもりだ」

 

 これが大吾との最後の会話だ。そう分かっていても、ゆっくりしている時間は無い。行かなくてはならない。いつ追っ手が来るかも分からないのだ。

 

「んじゃ、そろそろ行くぜ。アバヨ」

 

 退散しようしたウォーロックだが、大吾の言葉で動きを止めた。

 

「待ってくれ!! 俺たちも連れて行ってくれ!!」

「な、なんだと!?」

 

 大吾には驚かされてばかりだったが、これは予想外だった。地球人が宇宙で生体活動を維持できないことぐらい、この時のウォーロックは知っていた。

 だが大吾には算段があった。

 

「お前たちの体から出るゼット波。それを俺たちに浴びせてくれ! そうすれば俺たちも電波化できるし、宇宙を動ける!!」

「ちょ、ちょっと待て! 確かにそこら辺の物ならうまくいったが、お前らに試したことはねえぞ!?」

 

 この提案は受け入れられなかった。確かに大吾達が電波化すれば宇宙を動けるだろう。だが、無事という保障は全く無い。最悪の場合、ウォーロックは大吾達をその手にかけることになってしまうかもしれないのだ。

 ウォーロックと違い、大吾は覚悟を決めていた。

 

「どの道、このままだと処刑されてしまうんだ。 なら、俺はここから逃げて、地球へと戻ってみせる!!」

 

 電波化するだけでも命懸けだ。それに加えて追っ手から逃れながら、地球へと向かう。命がいくつあっても足りない。大吾も分かっているはずだ。

 

「……本気か? 生きて地球に帰れる可能性は……ほぼゼロだぜ?」

 

 あえてウォーロックが口にした言葉は、大吾への死刑宣告となんら変わりない。友人の残酷な忠告を聞かされても、大吾は動じなかった。むしろ、彼の目の光が一層強くなった。

 

「俺が息子に言った言葉がある。どんなに小さくてもそこに希望があるなら命を懸ける価値はある。俺は何も恐れてなんかいやしないさ」

 

 何かを言い返したかったが、できなかった。無理だと悟っていたからだ。大吾がこの濁りのない目をしたときは、誰が何といっても聞きはしない。

 

「それに、ウォーロック。行く当てがないのなら、お前も地球に来い! 歓迎してやるぞ!!」

「……断りてえところだが、一応訊いてやる。どうやって、地球に戻るつもりだ?」

 

 ここから地球の姿を見ることはできない。何の道標もない宇宙と言う名の大海で、どうやって目的地に行くというのか。

 この困難な問題についても、大吾は解決策を見出していた。デスクの上においてあったトランサーを取り上げてみせる。

 

「こいつで、俺の息子にアクセスシグナルを送る。そうすれば短い間だがウェーブロードが出来上がるはずだ。それを辿って行く!!」

 

 大吾の中では完璧な作戦が出来上がっているようだ。最初の電波化と、FM星軍達の追っ手という問題がなければ、確かに地球に戻れるかもしれない。

 

「さあ、ウォーロック! 一緒に地球へ行こう! そして俺の息子と友達になってくれ」

「へっ! ごめんだね。いくらお前のガキでも、俺は子守は趣味じゃねえんだ! まっ、そいつと気が合ったら考えてやらなくもねえぜ」

「それは良かった。なら大丈夫だ」

「何を根拠に言ってやがる?」

「スバルはお前と正反対で、明るくて優しい子だからだ」

「暗くて優しくなくて悪かったな!」

「だが、お前はいい奴だ」

「へっ、言ってろ!」

「さあ、俺の息子に会いに行くぞ!!」

「ケッ! なよなよしたヤツだったら、俺が根性を叩きなおしてやるからな!!」

 

 そこでウォーロックは気づいた。いつの間にか、大吾達と地球へ行く流れになっていた。大吾の話術なのか、いつのまにか自分がそういう気持ちになってしまったのかは分からなかった。

 

「皆もそれでいいな?」

 

 いつの間にか、部屋の入り口にスティーブ達が集まっていた。何の保証もない命懸けの旅。だが恐れる者はいなかった。皆、大吾と同じ目をしている。

 ウォーロックは肩をすくめた。もう彼らを止めることなんてできやしない。

 

 

 ウォーロックの心配をよそに、大吾達は無事に電波化することができた。だが、誰も手を上げて喜ぶことは無かった。ここからが本番だと、皆分かっているからだ。

 『きずな』の外に出て、ウォーロックは大吾を急かした。地球に行くには大吾のトランサーが鍵なのだ。

 

「大吾、早くしやがれ!!」

「ああ、今やる……!!」

 

 大吾はトランサーを開いて操作を始める。だから流石の大吾にも隙が生じてしまった。その危機に気づいたのはウォーロック一人。大吾のはるか後方……『きずな』の影から火炎球が飛び出してきた。ウォーロックの行動は早かった。大吾を乱暴に横に払いのけると、襲い掛かってくる相手に飛び掛った。

 

「ブルル!! 見つけたぜ、裏切り者が!!」

「畜生っ!! てめえかよ、オックス!!」

 

 とうとう、危惧していた追っ手が現れてしまった。よりにもよって相手はオックスだった。頭は悪いが実力はFM星軍の中でも上位に位置する。オックスの炎火と豪腕に襲われれば、いくら大吾達でも無事ではすまない。

 大吾達が巻き込まれないように、ウォーロックはわざとオックスの拳を身に受けて、腕を振るった。鋭利な爪がオックスの顔を引き裂く。だが浅かった。怒ったオックスが我武者羅に火炎放射を噴出する。パワーに長けたオックスの暴走だ。こうなると、中々手がつけられない。もう大吾達を気にかける余裕なんてなかった。

 それからどれだけ時間が経ったのかは覚えていない。どうやってオックスを撃退したのか、そもそもいつヤツが逃げたのかすら記憶にない。ふと気がつけば『きずな』のそばで傷ついた体を引き摺っていた。もしかしたら、数分ほど気を失っていたのかもしれない。

 朦朧とする意識を振り払い、辺りを見渡す。そして背筋を凍らせる。誰も居ない。

 

「……大吾!? ……スティーブ!?」

 

 きずなクルー達の名前を呼ぶ。全員の名前を数度呼び掛ける。だが、その声は空しく闇に溶けて行くだけだった。

 オックスの攻撃に巻き込まれたのだろうか? 攻撃そのものは自分に向けられていた。それに、彼らならば直撃を受けるというヘマはしないだろう。余波で吹き飛ばされたと考えた方が自然だった。

 呆然とするウォーロックはあるものに目を留めた。『きずな』の側で漂っている一つの小さい機械。それは大吾のトランサーだった。開かれたままの画面にはあるページが開いている。幼い少年の顔写真が写っていた。その隣には『星河スバル』という文字。大吾の言葉が脳裏をよぎった。

 

「……地球……か」

 

 

「これが、俺の知っている全てだ」

 

 ウォーロックの長い話が終わった。この間、スバルは一言も口を挟むことは無かった。

 充電器に繋げた大吾のトランサーを開くと、きずなクルーのメンバー達の写真が収められていた。大吾にスティーブ、他のきずなクルー達は満面の笑みでスバルに笑いかけている。ウォーロックが一緒に写っていた。

 

「……じゃあ、父さんは……」

「……電波の体になって、今もこの宇宙を旅しているはずだ。どこにあるのかも分からない、地球を探してな……」 

 

 スバルは一度目を閉じると、その目をゆっくりと開いた。そして大吾のトランサーからあるデータを開封する。それは、今の写真を開く前に偶然見つけたもの。『スバルへ』という名前のついたメッセージファイル。

 

 

『スバルへ。

 万が一に備えて、このメッセージを残しておく。

 

 俺は今FM星人に捕らわれている。お前の元に帰るのは先の話になりそうだ。だが、俺は約束どおり、必ずお前と母さんのもとへと帰る。それまで待っていてくれ。

 

 そうだ、スバル。父さん宇宙人の友達ができたぞ。ウォーロックというんだ。口は悪いし、無愛想だが一緒にいると楽しい奴だ。きっと、お前とも良い友達になれるはずだ。お前をウォーロックに紹介するのが楽しみだ。

 

 最後に一つ、これだけは分かってくれ。FM星人達を恨まないでくれ。彼らは……』

 

 

 大吾のメッセージはそこで途切れていた。データが損傷していたのだ。

 

「悪かったな、スバル……話すのが遅くなっちまった」

「……」

 

 スバルは何も答えず、ウォーロックと会ったときの自分を思い出していた。あの時、話を聞けなくて正解だった。耐えられずに壊れていたはずだ。

 だが、今は違う。

 

「僕は信じるよ。父さんは生きて帰ってくる」

 

 スバルはウォーロックに笑って見せた。

 ウォーロックは目を疑った。目の前に大吾が立っていたのだ。慌てて目をこすってみると、モヤシの様な少年に戻っていた。

 

「ククク……」

「え? どうしたの?」

「いや……やっぱりお前は大吾の息子だよ」

「なんだよ。まるで僕が父さんの子供じゃないみたいじゃないか」

「そうだな。最初は本当に大吾のガキかと首を捻りたくなったぜ」

「ちょっと、酷いよ~それ!」

 

 二人の笑い声が大吾の部屋に響く。これから地球の命運をめぐる戦いを控えた者達とは思えない、和やかな時間だった。

 

 

 スバルとウォーロックは部屋を後にした。写真はポシェットに入れて、大吾のトランサーを右手に装着している。トランサーは戦いには機能しないだろうが、お守りのようなものだ。

 巨大な宇宙ステーションの最も奥にある、一つの扉の前で立ち止まる。元は金属だったはずのその扉は別のものへと変わっていた。鋼色はほとんど残っておらず、紫色に変色している。そして隙間から立ち上る細かい電波粒子。その様は地獄からの侵食を押し留める最後の門のよう。事実、この向こうには地球の絶望が待ち受けているのだ。それが薄い鉄板一枚に支えられているのだから笑えない。

 だが二人は何の恐れも抱いていなかった。今にも破られそうなその扉に近づき、立ち止まる。

 

「ロック、覚悟は良いね?」

「ケッ、言うようになったじゃねえか。それはこっちの台詞だぜ!?」

「ハハハ。じゃあ、行こうか!」

「おう!」

 

 スバルは笑ってスターキャリアーを掲げ、いつものように合言葉を唱えた。

 

「電波変換! 星河スバル オン・エア!!」



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第百三十五話.迎撃

今回はあとがきを含めて二本立てです


 ヤシブタウン。ニホン国が誇る大都会の一つであり、競争するように建てられた高層ビルが所狭しと並んでいる。そのなかでも比較的巨大なビルの一角から突如爆発が起きる。場所は最上階付近。先程までは都市風を防ぐ壁だったものが火を纏った破片となって地上へと飛び散っていく。その中にはウルフ・フォレストの姿もあった。

 相棒の乱暴な叫び声に、一瞬飛んでいた意識を引き戻されると、慌てて身をよじった。かろうじて受身を取ったものの、すぐ近くまで来ていた地上に全身を打ち付けてしまう。

 バラバラと落ちてくる破片と共に、赤い巨体が降りてくる。何とか立ち上がろうとするウルフ・フォレストの横で、ウルフはあからさまに舌打ちをついて見せた。目の前にいる男は、故郷にいた頃から大嫌いだったあいつだからだ。

 

「ブルル! とうとう犬から飼い犬になり下がったか?」

「今から食われるカルビが吠えてんじゃねえよ!! やるぞ尾上!!」

 

 ウルフ・フォレストは獰猛な牙から涎を垂らし、爪を剥き出しにして飛び掛かった。腕がオックス・ファイア目掛けて振り下ろされる。太い腕を捕らえるものの厚い装甲を引き裂くまでには至らない。攻撃直後の隙を突かれ、もう一方の腕がウルフ・フォレストの細い胴体に打ち込まれる。後は飛んでいくだけだ。乗り捨てられていた大型トラックに直撃し、爆風が身を焦がす。

 オックス・ファイアは足元に降り注いでくる鉄くずたちには見向きもせず、ノズル上の口から小さく火の息を吐き出した。その目はトラックだった物の中央を凝視していた。

 立ち上る炎の中からゆらりと影が揺れる。這い出してきたウルフ・フォレストの姿は所々が火傷で黒く変色していた。特に酷い右腕を持ち上げ、その爪先をべろりと舐めると、鋭い犬歯を光らせた。目は赤く滾っていた。

 

「こういうのを、ずっと待っていたんだよ!!」

 

 

 上顎で対になった銀色の牙。それが無数に襲い掛かってくる。巨大な槌の一振りがそれらのほとんどを吹き飛ばす。その頭蓋骨だけの部下も続けざまに飛んできた紫色の光線で跡形もなく消し飛ばされた。部下の消失を嘆く暇すらなく、クラウン・サンダーは別のウェーブロードに飛び移ってレーザーを回避した。

 その動きを予想されていたのだろうか、着地際にまたもや無数の蛇達が降り注いでくる。これはボウガンを装備した髑髏だけでは捌ききれない。クラウン・サンダー自身も雷を放射し、蛇達を撃ち落とした。

 先程からこの繰り返しだった。よりにもよって、FM星屈指の猛者である女戦士と対峙してしまったクローヌとクラウンは、徐々にだが追い詰められていた。反撃らしいものはまだ一度もできていない。なぶり殺しにされているのである。それを楽しむのがオヒュカスという女である。

 

「ハハハハハハ!! 髑髏が無ければ何もできまい!! また召還できるようになるまでどうやって防ぐ?」

 

 一度消失した髑髏を再び呼び出すようになるまで、多少の時間を要する。それがクラウン・サンダーの能力の弱点である。

 

「クローヌ……」

「ヌゥ……この女、やりおるわい」

 

 肩を大きく上下させるクラウン・サンダーの頭上が緑色で覆われた。蛇の雨が降り注ごうとしていた。

 

 

「ヂョギー!!」

 

 炎の塊が弾けると同時に、キャンサー・バブルの間抜けな悲鳴が上がった。今彼はリブラ・バランスに追われているところだ。お尻に点いた火をハサミ状の手で弾いて消す。戦士とは思えない滑稽な姿だった。

 

「ゆ、ゆるさないチョキ!!」

 

 キッと目を釣り上げて、振り返りながら右手のハサミを相手に突きつける。

 

「俺っちのお尻のかた……き……」

 

 目の前に、山のようにそびえるリブラ・バランスがいた。その巨体で後ろの太陽を隠し、顔にかかった日影がさらに威圧感を増している。千代吉にとっては恐怖の対象でしかない。キャンサー・バブルの大きな顔についた皿のような両目に、ブワッと涙が溢れ出す。その間にも、リブラ・バランスは両手をゆっくりと持ち上げて、その手を鉄塊にするのだった。

 

「ヘビーウェイト!!」

「ギョヒャピー!!!」

 

 寸でのところで避けるとそのままゴロゴロと転がって、うつ伏せになって止まった。砂埃が目に入ってくる。

 

「キャンサー、FM星の落ちこぼれだッタ貴様に選択肢は無イ。大人しく殺されロ。時間の無駄ダ」

 

 どうやら、倒すべき敵としてすら見てくれていないらしい。涙が頬を伝う。キャンサー・バブルは両手でそれを拭うと、リブラ・バランスに向き直った。そこに浮かんでいた顔はリブラ・バランスを不愉快にさせた。

 

「……ス、スバルはもっと怖くて、強いやつと戦っているチョキ! オ、オオ、オイラだって、逃げるわけにはいかないチョキ!!」

「千代吉……今の千代吉は宇宙一プクー!!」

 

 キャンサーの応援に頷くと、キャンサー・バブルは降りかかってくる火と水の大玉を睨みつけた。

 

 

 自慢の音符型ボードにナイフのような白羽が幾本も突き刺さる。形状を維持できなくなり、慣性の法則にしたがって空へと投げ出される。世界が乱気流のように渦巻いても、敵だけは見失うまいかと目を凝らす。見つけた。すでに新しい白刃が迫ってきていた。

 ハープ・ノートは自分の進行方向上にコンポを生み出し、障害物として自分の動きを止めた。背中から突き抜ける痛みに歯を食いしばり、コンポを蹴飛ばして再び空へと飛び出す。足元でコンポが破壊されるのを確認しながら改めて音符型のボードを召還する。

 

「まだ僕と空中戦をするつもりかい?」

 

 頭上を取ったキグナス・ウィングがここぞとばかりに羽の刃を乱射してくる。雨というよりは檻だ。ハープ・ノートは思わずボードの動きを止めてしまう。

 それをキグナス・ウィングが見逃すわけがなった。翼を限界にまで広げ、ハープ・ノートめがけて猛禽類のように滑空した。翼がハープ・ノートを捉えた。その思いは一瞬で激痛にかき消された。何が起こったのかと考える前に姿勢を制御しようとする。片翼が思うように動かない。どうやら、翼を負傷したらしい。ウェーブロードに墜落するように着地しながら見上げる。無傷のハープ・ノートの手には水色の剣が生まれてた。

 

「あ、危なかった……」

「いえ、うまいわよミソラ」

 

 ハープの呼びかけがミソラを救った。スターキャリアーの存在を思い出し、手の中のハープをスイゲツザンに変化させて対抗したのである。腕にはへし曲がりそうな激痛が走ったものの、相手にはそれ以上のダメージを与えることができた。

 足元で心配そうに見上げているアマケンスタッフ達。その中にいる宇田海に感謝して、ハープ・ノートはしびれる腕を持ち上げた。

 

「……ここはスバルくんが帰ってくる場所……だから、私達が守る!!」

 

 地球を愛する者達の反撃が始まる。




*あとがきと言う名の+α

 避難警告を受けたあかねはコダマ小学校の体育館へと移動していた。すでに避難してきた人たちでごった返しており、ムワッとした湿気のある空気が顔にかかってくる。
 不安に頭を抱える者や、サテラポリスを無能と罵倒する愚か者、恐怖に狩られて泣きじゃくる幼い子供と慰める親。この場に来て、改めて自分達が危機にさらされていることを認識させられてしまう。
 見知った顔を捜そうと、あかねは辺りを見渡してみる。すぐに見つかった。モジャモジャのアフロが忙しそうに近づいてくる。

「星河のお母さん! 無事でしたか!?」
「育田先生……」

 スバルのクラスの担任教師、育田だ。避難してきた人達の相手をしてきたためか、肌黒い顔は少々やつれたようだった。その表情はすぐに曇ったものへと変わる。スバルがいないことに気づいたのだ。てっきり、スバルはあかねと避難してくるものと思っていたのだろう。

「あのお子さん……どうしたのでしょうか?」
「ここにはいないと思います。行かなきゃならないところに行っているみたいで……」
「……え? ち、ちょっと待ってください!! この非常事態の中、出かけているのですか!?」

 落ち着いたあかねの態度に、育田は目を全開にしてしまった。戦火の中、息子が行方不明になっているのだ。親としては涙を流すほど辛い状況のはずである。
 育田の言いたい事を察したようで、あかねは落ち着いた笑みを見せた。

「もちろんスバルのことは心配です。けど、私はあの子を信じています」

 あかねは唯一持ってきた鞄の中から写真立てを取り出した。先程のものとは違った、穏やかな笑みが浮かびあがる。育田は何も言えなくなってしまった。

「なにかお手伝いできることはありますか?」
「……ええ。なら……」

 育田の頼みを聞くと、あかねは足早にその場を後にした。彼女の後姿を見送り、育田は肩を竦めた。教師として、親としてまだまだ学ぶことは多そうだ。若い教師二人に指示を出し、自分も作業へと戻った。



 煙火が立ち上る。辺りに充満するコンクリートの粉塵に目鼻を覆いたくなる。できれば耳も塞ぎたいがそうは行かない。爆音と共にビルの一角から電波ウィルスの大群が飛び出してくる。それに向かって、五陽田は手に持った銃を向けた。

「ゼットイレイザー構え! 撃てぇっ!!」

 号令と共に、サテラポリスの隊員達が一斉に引き金を引いた。銃口から放たれた光の帯が敵を一掃していく。サテラポリスが開発した最新型対電波ウィルス兵器の威力は凄まじく、一体だけ混じっていたジャミンガーも十数発の集中射撃を受けては耐えることはできなかった。
 敵の気配がないことを確認し、二名の隊員が素早く人間に戻った男を保護する。隊員たちが戻ってくると、五陽田は瓦解したビルの破片で造ったお粗末なバリケードの後ろに隠れた。
 この近くに敵はいないらしいが、安心はできない。この防衛ラインを維持するだけで、何人もの隊員達が重症で後方へと引いてしまっている。部隊の数は三分の二ほどまで減ってしまっていた。残った者達も少なからず怪我をしており、いつ脱落してもおかしくない状況だった。五陽田も鬱陶しそうに額から流れる血を拭った。

「警部、先程の男。本当に信じて大丈夫なのでしょうか?」

 一人の部下が尋ねてきたのは、つい先刻現れた狼男の話である。


 電波ウィルスとジャミンガー達を相手に、対等以上に戦っていた五陽田の部隊は一瞬で危機に陥った。突如現れた、たった一体の牛男によって戦局をひっくり返されてしまったのである。牛男の圧倒的な破壊力を前に、五陽田たちはなすすべもなかった。
 そこに颯爽と現れたのが狼男だった。彼は牛男に飛び掛り、激闘を繰り広げ始めたのである。あまりにも激しい戦闘に、五陽田たちは巻き込まれぬよう、その場から撤退するしかなかった。そして、今の防衛ラインを守っているに至る。
 あの時は確認する暇もなかったが、誰もが分かっていた。あれがFM星人。自分達が倒すべき存在だ。
 この部下は狼男の危険性を考慮しているのだ。牛男を倒した後は、自分たちを襲うのかもしれない……と。
 五陽田は傷口に布切れを巻きつけながら答えた。

「本官達を守ってくれた上に、あの牛男と戦ってくれているのだ。信じようじゃないか」
「ですが、あいつら何者なのか……」

 もう一人、別の部下が話に加わってきた。不安げな顔二つに挟まれても、五陽田はその武骨な表情を変えることはなかった。

「今重要なのはそこではない。大事なのは本官達の職務を全うすることだ。違うか?」

 鉢巻のように布を額に巻きつけて、五陽田は銃を取り直す。部下二人は何も言わなかった。
 監視していた一人の隊員が五陽田の名を呼んだ。彼が指差す方を窺ってみれば、大量の電波ウィルスと幾人ものジャミンガー達がこちらに向かってくるところだった。とてもこのちんけなバリケードと負傷者だらけの部隊では敵いそうにない。舌打ちをすると、部下達に指示を飛ばした。

「防衛ラインを一段階下げる! 総員直ちに撤収!! 怪我人の運搬を最優先! それまで本官が殿を務める!!」

 言い終わる直前に、バリケードが悲鳴をあげた。五陽田が立ち上がる。その側に、先程の二人の部下が加わる。

「ご一緒します!!」
「……うむ!」

 津波のように襲い掛かってくる敵を前に、五陽田たちは銃を構えた。


**本当のあとがき**

 地球での様子を書けば緊迫感が出るのではないか? そう考えて書いたのですが……ストーリーが進まないので省きました。でも、消すのももったいない。そう考えてこの構成にしました。

 それに、唯一(・・)五陽田さんをかっこよく書いてあげられるシーンですからね。五陽田さんファンへのサービスシーンです。いらね(^ω^;)
 え? 五陽田さんファンクラブに入らないかって? いや、そこまで好きでも無いから遠慮します。
 あっ! あかねさんファンクラブなら入りま……!! ( °▽°)=◯)`Д)、;'.・


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第百三十六話.反撃

2014/6/28
クラウン・サンダーの戦闘シーンに加筆修正


 結局、キャンサー・バブルはほとんど何もできなかった。度重なるダメージを身に受けて、いつ倒れてもおかしくないような体にされてしまった。対して、リブラ・バランスはほとんど無傷だ。こうなるまでにできたことと言えば、背中を向けて逃げ回ることぐらい。敗北の色は濃厚なものになっていた。

 

「先程から逃げてばかりダナ。諦めロ」

 

 無慈悲な言葉と共に、アクアウェイトが放たれてくる。キャンサー・バブルはよろけながらビルとビルの隙間……細い道へと逃げ込んだ。背後で弾けた水を頭から被りながら、キャンサーのささやきを聞く。

 

「千代吉、しかけるプク!!」

「わ、分かったチョキ!!」

 

 千代吉達は途中からただ逃げるだけを止めていた。意を決すると、振り返り、ガクガクと震える足に残った力を注ぎ込んだ。

 

「観念したカ。これで終ワ……」

 

 細い道にノコノコと入ってきたリブラ・バランスは攻撃しようとして、ハッと動きを止めた。この狭い道で自分の大きい力を使えばどうなるか、ようやく理解したのだ。

 

「食らえチョキ! ダイダルウェーブ!!」

 

 キャンサー・バブルの最大の奥義だ。横に広い津波はビルの壁にぶつかり、収束してリブラ・バランスに襲いかかる。

 鈍足かつ、後方にしか逃げ場のないリブラ・バランスに避けるすべはなかった。だから受けるしかない。ダメージを最小限に抑えるために、自分の体を水属性へと変える。これを受けきれば、一気に距離を詰めてヘビーウェイトで仕留めてやれば良い。体力が限界に来ているキャンサー・バブルはそれで沈むはずだ。もし逃げていたら、またじっくりと追い詰めてやれば良い。勝利の算段はできていた。

 そういうときに貰う不意打ちは大きなダメージへと変わる。ダイダルウェーブに触れた瞬間、体に電流が走ったのだ。電気属性の攻撃が、水属性の体を蝕む。

 

「な、なんダこれハ!?」

 

 リブラ・バランスの悲鳴に、千代吉とキャンサーは笑みを浮かべた。ダイダルウェーブに放ったクラウドシュートが功を成した。電気をたっぷりと含んだ雲は、ダイダルウェーブを雷の津波へと変えたのである。

 大きなダメージを受けた上に、体が痺れてしまっているリブラ・バランス。最大にしておそらく最後の勝機だ。

 左手の鋏を切り離し、回転させる。ブーメランカッターだ。そして、スターキャリアからカードを読み取って、鋏を電気属性の剣……ライメイザンに変える。

 

「いっくチョキー!!」

 

 高速回転し、切れ味を増した雷の剣をリブラ・バランスに投げつける。

 リブラ・バランスはガクガクと腕を前に突き出し、両腕を鉄塊に変えて盾代わりとした。ぶち当たったライメイザンは鉄塊の表面を削りながら火花を撒き散らす。

 

「こ、これサエ受けきレバ……」

 

 キャンサー・バブルの渾身の一撃を受けた気でいるのだろう。だが、彼は気づいていない。両手がふさがっていることに。頭上からの飛来物に。もう一つ、ライメイザンとなったブーメランカッターが彼に迫っていた。

 鋭くて重い切断音が鳴った。リブラ・バランスは真っ二つに切り裂かれる。最後の悲鳴をあげることすらなく、ゆっくりと前のめりに倒れていく。

 リブラ・バランスが消滅しても、しばらくの間キャンサー・バブルは動けなかった。声一つ発することなく佇んでいる。

 

「か、勝った……チョキ? ……あ」

 

 糸が切れたように崩れ落ちた。彼も限界だったのだ。人知れず、大きな戦果を挙げた彼の頭を、キャンサーは優しく撫でてあげた。

 

 

 オヒュカス・クイーンの怒涛の攻撃がクラウン・サンダーを襲う。嵐のように巻き起こる破壊力抜群の連続攻撃に、クラウン・サンダーはただ守りに徹しながらウェーブロードを飛び移るしかなかった。今、ドリルを持った髑髏のお供が消滅したところだ。

 

「ククク、これであと5分は使えまい」

 

 オヒュカスはこれまでの戦闘から、クラウン・サンダーが髑髏を消失してから再召喚できるまでのインターバルを計算していたらしい。力任せに攻撃しているように見えて、しっかり相手を観察していたのだ。クラウン・サンダーには答える余裕すらないようで、元は煌びやかだった破れたマントを抑えるだけだ。

 その隣に……オヒュカスからは見えない角度にクラウンが出てくる。

 

「クローヌ……」

「うぬ」

 

 クローヌは敵から目を離さずに小さく頷いた。だが、一歩前に踏み出そうとしてガクリと膝を突いてしまった。

 オヒュカスはこれを最大の好機と見たらしい。とうとうクラウン・サンダーを仕留めにかかった。蛇使いの座の女は、自らも蛇となり獲物を仕留めにかかる。現在召還できるだけの蛇達をクラウン・サンダーに放ち、自らも体を回転させながら質量に任せた体当たり……クイックサーペントを仕掛ける。

 蛇達が噛み付こうとしたとき、クラウン・サンダーは両腕を前に突き出した。

 

「テイルバーナー!! モエリング!!」

 

 手が火炎放射器に変わり、勢いよく炎が噴出す。おまけに、火を纏った三本のリングがウェーブロードを電車のように突き進んでいく。炎の壁の前に、蛇達は一瞬でかき消される。

 突然放たれた火属性の攻撃に、スターキャリアーの存在を知らないオヒュカス・クイーンは思わず動きを止めてしまう。待ってましたとばかりに、クラウン・サンダーはリュウエンザンを召還して、真正面から切りかかる。

 それでも、オヒュカスは勝てると思っていたらしい。目に紫色の電波が収束される。彼女の必殺技であるレーザー……ゴルゴンアイを使おうとしているのだ。それを見て、クラウン・サンダーは勝利を確信した。

 オヒュカス・クイーンの体がビクリと前方に捻じ曲がる。腹部には、先程消滅したばかりのドリルを持った髑髏がいた。後5分……いや、4分は出てこないはずの髑髏がだ。その現実が彼女の思考を妨げて、まともに機能させてくれない。

 その隙を突き、クラウン・サンダーは炎の剣をオヒュカスの顔につきたてた。決着はあまりにも呆気ないものだった。

 

「だ、騙した……な……」

 

 死の間際に理解したらしい。クラウン・サンダーは髑髏の再召喚にかかるまでの時間をずっとごまかしていたのだ。そして、ずっと追い詰められていた振りをしていたのだ。

 

「ひ、卑怯者、が……!!」

 

 オヒュカスは怨念のような声をあげながら消滅していく。

 

「卑怯者……か」

 

 それを尻目に、クラウン・サンダーは都市風にマントを閃かせながら、「カカカ」と笑って見せた。

 

「指揮官には最高の誉め言葉である!!」

 

 「カーッカカカカ!!」と笑うと、クラウン・サンダーはばたりと仰向けに倒れた。ゼヒューッゼヒューッと荒い呼吸を上げていた。

 

「といっても、ギリギリだったようじゃの?」

「あ、当たり前じゃ! あんな女……二度と相手にするのはごめんである!!」

 

 

 背中を鋭利な刃が走り抜ける。遅れて拳を振り回すものの、もうそこに敵はいない。視界の隅に緑色の影が一瞬見えるもののすぐに見失ってしまった。

 

「ブルル! ちょこまかと鬱陶しいんだよ!!」

 

 オックス・ファイア相手に苦戦していたウルフ・フォレストだが今は善戦に持ち込んでいた。特に彼が何かを意識したわけではない。戦場が変わっただけである。動きを制限される狭いビル内から、だだっ広い屋外へと放り出されたのが幸いだった。猪突猛進のオックス・ファイアを、すばやい動きで翻弄するというヒット&ウェイを繰り返して斬りつける。ウルフ・フォレストの戦い方が出来上がっていた。

 再び隙だらけの背後を取り、ウルフ・フォレストは迷わず飛び掛る。その野生の反射にも近い動きが命取りだった。オックス・ファイアの裏拳が顔に突き刺さり、ひしゃげる。道路の上を跳ね回りながら、十数メートル転がった。

 

「ブルル! あぶねえ」

 

 野生の感という意味では、オックス・ファイアも同じだったのだ。

 今の一撃は戦況をひっくり返すのには充分だった。ウルフ・フォレスト自慢のスピードで綺麗なカウンターを貰ってしまったのだ。しかも超ヘビー級のオックス・ファイアの拳だ。顔面が砕けていてもおかしくないダメージを受けながらも、ウルフ・フォレストは砕けた下顎とそこから漏れた舌をだらしなく下げながら立ち上がる。その足はヨロヨロとふらついていた。

 

「グルル……良いぜぇ……最高だ!!」

 

 常人ならば逃げるか諦めるかの二択を考えるようなこの状況を尾上は心底楽しんでいた。FM星軍きっての好戦派であるウルフも肩をすくめるしかなかった。

 

「尾上、てめえにバトルカードはいらねえな。好きにしやがれ」

「おう、そうさしてもらうぜ、ぐるぁァアア!!」

 

 ウルフ・フォレストは何のためらいもなくオックス・ファイアに正面から飛び掛った。オックス・ファイアからファイアブレスが放たれても、それに身を焼かれても、前進する速度は落とさない。炎を切り抜けるとオックス・ファイアが右拳を振りかぶっていた。目で満面の笑みを浮かべてウルフ・フォレストも左手の爪を広げる。

 二人の手が交差した。

 そして、決着はついた。

 オックス・ファイアの右腕が切り裂かれたのだ。確かな感触を覚えたウルフ・フォレストは左腕をなぎ払い、オックス・ファイアのタンクのような胴体ごと斬り裂いた。

 

「ブルオォォオオオ!? お、俺が犬っころなんかに!!? チクショウォォォオオ!!」

 

 最後まで敗北を認められなかったのだろう。オックス・ファイアは壊れていない方の手でウルフ・フォレストに最後の一撃を振りおろす。だが、それはウルフ・フォレストの周りに突如現れた青い障壁に防がれた。ウルフがバリアのバトルカードを使ったのである。

 

「ま、決着は付いてるんだ。これぐらいならいいだろ。あばよ、オックス」

「ブルォオオオ!!」

 

 オックス・ファイアは崩壊し、消えていった。

 その場に残されたのは、ボロボロになって横たわるウルフ・フォレストと、彼の心底満足した顔を見て呆れたように笑うウルフだけだった。

 

 

 揺れる視界にもつれる足。それでも体勢は崩すまいかとハープ・ノートは自分を奮い起こす。バトルカードの力でどうにか手に入れたアドバンテージも、とっくの昔に取り返されていた。

 手に持っているスターキャリアーから聞こえる、天地たちの声援にも悲鳴にも似た声はどこか遠くに感じてしまう。なのに、遙か上空にいるキグナス・ウィングの残酷な笑い声は一言一句聞き取れてしまうほど鮮明だった。

 

「アハハハハハ!! ゴミクズみたいな地球人を守ろうとなんてするからこうなるんだよ!!」

 

 キグナス・ウィングはどこまでも知的で狡猾だった。翼を負傷し、高速飛行で遅れをとった彼は、攻撃対象を天地たちに変えたのだ。そんなことをされればハープ・ノートは身を持って盾となるしかない。天地たちも慌てて地下に避難したものの、ハープ・ノートが受けたダメージは深刻だった。そのままいたぶられているにいたる。

 だがそれも終わりが近づいてきたらしい。

 

「そろそろ飽きてきたな。君を殺して、他の裏切り者達を殺しに行くとしよう」

 

 キグナス・ウィングは青白い顔を残酷な笑みに歪めると、両翼を広げてありったけの羽弾を撃ちだしたのだった。

 

「キグナスフェザー!!」

 

 白い羽が束となり、死神の鎌の様に降り下ろされてくる。それを黙って見ているわけが無い。

 

「ミソラ!」

「シ、ショックノート! ガトリング!!」

 

 自らの能力でコンポを召還し、対抗する。だが、もう力が残っていないのだろう。無数に放ったつもりの音符弾は指折り数えるほどの量でしかなかった。

 続いて、持ち上げることすら困難になった腕をガトリングに変換し、照準も定まらないまま撃ちだす。小さい弾丸同士がぶつかり合うわけもなく、白い羽は笑ってハープ・ノートに飛び込んでくる。

 ハープは独断でバリアのバトルカードを使い、ハープ・ノートの身を守った。無数のキグナスフェザーが着弾し、バリアは粉塵と共に紙切れの如く消し飛んだ。そして、粉塵の向こうからキグナス・ウィングが眼前に姿を現した。こちらが本命だったのだと気づいても、もう遅かった。大剣のような翼で体を斬られた。足から力が抜けて、ぐらりと体が揺らぐ。細い首が正面から乱暴に鷲掴みにされ、体が宙に浮く。キグナス・ウィングが彼女を持ち上げたのだ。

 

「これが君たちの限界さ。さ、死になよ」

 

 虫を踏み潰すようなあっさりとした死刑宣告。それでもハープ・ノートは傷ついた左手を敵に向ける。だがその手は相手に届かない。

 キグナス・ウィングはその様を鼻で笑い、もう少しだけいたぶろうかと高い加虐心を高揚させる。それが命取りだった。鋭い痛みが体を貫いた。

 ハープ・ノートの左腕は円錐状の剣に変わっていた。ミソラも持っていないバトルカードだ。ハープが促した方向を見ると緑色の髪をした少年がいた。アマケン本館の入り口で、医務スタッフに支えられながらトランサーをこちらに向けている。目が合うと彼は目を細めて笑ってくれた。ハープ・ノートも笑みを返すと、残った力を振り絞ってブレイクサーベルをなぎ払った。




地球側 VS FM星側のバトルはいかがだったでしょうか?
お話のテンポが悪くなるため、二話で四戦全てを終わらせるという突貫工事のようなものになりました。でも個人的には、彼らに出番と役目を与えることができたので満足です。
べ、別にオックス達の処理に困って、偶然思いついた産物ってわけじゃないんだからね!!


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第百三十七話.FM星王

 紫色に溶解した扉をくぐると、ロックマンは全身にまとわりつく不快な電波に身を震わせた。全身を余すとこなく細い針で刺されたような気分だ。そして黒いはずの宇宙は紫色に染まっていた。扉一枚向こうの世界は完全な別物になっていた。勇気も覚悟も根こそぎ吸い取ってしまいそうな世界に戸惑うスバル。そんなまだまだ頼りない部分を残す彼を鼓舞するのがウォーロックの役目である。彼は左手から分離して実体化すると、爪を振るって見せた。

 

「ほう、こりゃすげえ。電波変換したまま俺が実体化できるとはな」

「って、実体化できるの?」

「この辺りは電波の力が強すぎるんだろうな。現実世界と電脳世界の狭間が曖昧になっているんだろうよ。ただ、俺自身は地球にいた頃と同じで、本来の力を出すことはできねえ見てえだな」

 

 つまり、戦力としては期待するなと遠まわしに言っているのだ。察したスバルはそれ以上訊かなかった。

 

「まぁ、十分だ。これでFM星王を……この爪でぶった斬れる」

 

 ウォーロックは数回素振りをしてみせる。彼はFM星王に復讐するためにここまで来たのだ。彼の五爪は鈍い光を放って煌いた。

 二人は奥へと進んでいく。紫色の宇宙空間は、ウォーロックの言う通り世界の狭間がなくなっているようだった。隔壁や電子パネル、大小の配管や電子コード……様々なパーツが電波粒子となって溶けて行っている。そして、奥に進めばそれらは次第に無くなっていき、宇宙が広がる。まるでそこから先は食いちぎられたかのようだった。

 代わりに階段が出来上がっていた。見上げるほど高く、最上段には奥行きがあるようで何があるのかは見えなかった。だが確かに何かがいる。途方も無いほどの量と濃度を持った周波数がそこから発せられており、まるで生きているかのように揺らめいているのだ。二人も口にせずとも分かっていた。そこに何がいるのか。

 ロックマンは階段の前で立ち止まり、拳を握った。そのときだった。上から声が聞こえてきたのは。

 

「ウォーロック……」

 

 それは忘れもしないあの声だった。アマケンで聞いた宣戦布告と同じ。気を引き締める二人に、遠慮の無い言葉が紡がれる。

 

「卑しい身分でありながら余に弓引く愚か者よ。特別にその階段を昇ることを許してやろう。さあ、昇って来るのだ……」

「言われるまでもねぇ、そうさせてもらうぜ!! 行くぜ、スバル!!」

「うん!!」

 

 左手の相棒に頷くと、スバルは階段を駆け上がった。長い階段を昇りきり、拓けた空間に辿り着く。広さは途方も無く、校庭の数倍はありそうだった。その最も奥に一つだけこしらえられた玉座。そこにFM星王が座っていた。

 

「よくきたな……ロックマン。

そして、ウォーロック」

 

 FM星王は、今までのFM星人達に比べると地球人に似たような姿をしてた。体は緑色で、装飾をちりばめたマントのような服で全身を覆っている。頭の上には、王者だけが被ることを許された三つ棘の王冠。そして存在するだけで空間を捻じ曲げてしまう高密度の電磁波。疑うことなく、その者こそがFM星王だ。

 彼の姿を見て、スバルは一瞬呆気に取られてしまった。FM星王は子供だったのだ。FM星人の年齢は分からないが、その顔つきは人間の子供と大差無い。立ち上がれば、目線はスバルと並びそうだ。彼を地球人の基準に当てはめれば、おそらくスバルと同じぐらいの年齢だろう。

 

「余の前に現れた敵が、よもや我がFMプラネットの戦士だとは……飼い犬に手を噛まれるとはこのことか……。

 AMプラネットには余の前まで辿り着けた戦士はいなかったが、流石は我がFMプラネットの戦士……と誉めておこう」

 

 スバルはハッと気を取り戻した。FM星王がどんなものであろうとも、地球の敵であることに変わりはないのだ。

 

「FM王!! 地球への攻撃を止めるんだ!!」

「だまれ!」

 

 星王の態度が一変した。王としてのプライドから抑えていたであろう敵意を剥き出しにし、声を荒げる。

 

「FMプラネットに害をなす星は全て滅ぼす」

 

 スバルは一瞬声を失った。害をなしているのはFM星の方だ。地球が彼らに何をしたと言うのだ。

 

「害をなす……って……それは誤解だよ!! 父さんたちはFMプラネットとブラザーバンドを結ぶために宇宙まで来たんだ!!」

「黙れ黙れ! 何がブラザーバンドだ!! 本当は、我が星を侵略するつもりだろうに! 余は騙されんぞ!!」

 

 まるで話しにならない。星王はスバルの言葉全てが虚言であると決め付けているようだった。

 ウォーロックは溜め息をついた。彼はこうなるであろうと予想していたのだ。

 

「……ケッ、取り付く島もねえな。あの王様の疑心暗鬼は今に始まったことじぇねえがな。スバル、ヤツを止める方法は一つしかねえぜ」

 

 この短い会話でスバルも理解した。話しが通じる相手では無い。聞く耳持たない相手は、力でねじ伏せるしかない。

 

「方法は一つ……? 何を言っている……? 貴様らに余を止める方法などありはせん!!」

「やってみなきゃ分からないよ!!」

 

 星王は玉座に腰掛けたまま、鼻で軽く笑ってみせた。自分が負けるなどとは少しも考えていないらしい。アンドロメダという切り札があるからだろう。

 ロックマンと星王の声がぶつかり合い、弾ける。それは元から入っていた亀裂を浮き彫りにさせる。

 互いの間に漂う張り詰めた空間に、ウォーロックは静かに言葉を滑り込ませた。

 

「なぁ、王様……やりあう前に一つだけ言っておくぜ。……俺が一人目だ」

 

 一瞬、沈黙がその場を支配した。スバルは意味が分からず「え?」と尋ね返す。ほぼ同時に星王が笑い出す。彼は何かを理解したらしい。

 

「……ロック? どういう意味?」

「スバル、前に俺に言ったな。

『大切なものを失ったことが無いから、そんなことが言えるんだ』ってよ。

 俺はなとっくに失ってるんだよ。全部、こいつに奪われてんだ」

 

 そして彼は己の相棒にも黙っていた自分の正体を、そしてFM星王への復讐の理由を初めて語った。

 

「俺は、AM星人だ」

「ロック……」

 

 何を言えば良いのか分からず、スバルは言葉を失ってしまう。だが、いらなかった。ウォーロックはそんなものを求めない。

 

「スバル、地球がAM星みてえになっちまうのは俺もゴメンだ。今ここでヤツを止めるぞ!!」

 

 いつもの見慣れた相棒に戻っていた。スバルは頷き、星王に視線を移した。

 星王が玉座から浮き上がる。

 力無き愚かな復讐者とヒーロー気取りの少年を見下してみせる。

 

「これは面白い余興だ!

 AMプラネットの生き残りと地球人一人に何ができるというのだ!!

 余を止められるものならば止めてみよ!!」

 

 星王は右手に何かを取り出した。ガラス玉のような球体、アンドロメダのカギだ。頭上にかざすと、禍々しい光が紫色の宇宙を照らした。

 

「目覚めよ、アンドロメダ!!」

 

 地響きが起きる。前触れも無く襲ってきた揺れにロックマンは思わず膝を突く。遅れて、これは周波数なのだと気づいた。圧倒的な存在感が空間を揺らしているのだ。

 そしてその持ち主が星王の後ろに姿を現す。

 黄色い目が光っていた。

 一見、スバルは龍の頭部を連想した。血を思わせるような滲んだ赤色のボディ。

 目に付いたのは口のようについた4対の牙……『指』と言った方がいいかもしれない。昆虫の足をも思わせる。

 それらは二つの間接部分を巧みに動かし、得物を引き寄せるかのように絶えず動いている。その隙間から奥が見えた。そこに本当の口が開いていた。鋭い牙が並んでいる。スバルなど軽く一飲みできそうだ。

 『指』は上から下へ、そして手前へと動作を繰り返している。捕らえた獲物を口内へと運ぶ動きだ。8本の指は死へと誘う手招きのようで、スバルの心まで食らおうとしてくる

 

「……こ、これがアンドロメダ……」

「こいつは孤独な心の塊だ。寂しくて寂しくて自分と同じ電波体を片っ端から飲み込みやがる!」

 

 今までの敵とは何もかもが違った。次元が違うのだ。スバルが鋼のように固めたつもりだった心も、簡単に揺らいでしまう。

 

「アンドロメダよ! 地球を片付ける前のオードブルだ!! 余に立ち向かう愚かな者を倒すのだ!!」

 

 だからこそ、ウォーロックがスバルを引っ張るのだ。

 

「スバル!」

「うん……行こう、ロック!!」

 

 アンドロメダの巨大な口が開く。ブラックホールを思わせるそれから発せられる砲口。世界が捻れる。

 全てを食らう絶望に向かって、二人は駆け出した。



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第百三十八話.アンドロメダ

諸事情により、毎日更新に変えることにしました。
急な変更申し訳ありません。


 地球と、そこに住む最愛の人たち。それを守るために、ロックマンは最悪の敵に挑む。それはFM星の最終兵器、AM星の命を食いつぶした孤独の塊。

 アンドロメダはロックマンを獲物と捕らえたのだろう。4対の『指』を大きく広げた。奥にある飲み込み口が顔を覗かせる。

 それを見ても、ロックマンは動じない。

 

「スターブレイク!! ファイア・レオ!!」

 

 AM三賢者の一人、レオ・キングダムの力を身に宿す。この変身は三種類のスターブレイクの中で最も破壊力に長けているものだ。出し惜しみせずにすぐさま奥義を放った。

 

「スターフォースビックバン!! アトミックブレイザー!!」

 

 巨大な火炎が渦を巻いて放たれる。アンドロメダの巨体に外すわけも無く、直撃する。この奥義には信頼があった。当時は強敵だったジェミニ・スパークBも、タフネスなウルフ・フォレストもこの一撃で倒れたのだ。だが、アンドロメダは次元が違う。得られた成果は『指』の数本を焦がす程度だったのだ。何事も無かったかのようにそこに存在している。

 この一撃で仕留められると思っていたわけではない。それでも、予想以上にダメージを与えられなかった。その現実がスバルとウォーロックに精神的な負担をかけた。

 

「そ、そんな……」

 

 明らかに落胆するロックマンを見て、高みの見物に浸るFM星王は高笑いだ。

 

「ハハハハハ!! 貴様らごときが敵うものか!! アンドロメダよ、ギガミサイルだ!!」

「っ! 来るぞスバル!!」

 

 アンドロメダの狩りが始まった。周囲に電波が収束し、巨大なミサイルを召還したのだ。一直線にロックマンの正面から向かってくる。

 

「レーダーミサイル!!」

 

 スターキャリアーから素早くカード使用し、対抗する。強力な威力を誇るはずのレーダーミサイルは、アンドロメダの物と比べると一回り小さかった。ミサイルたちはお互いに相殺し合い、爆ぜた。だが、ギガミサイルの威力は凄まじく、爆風がレーダーミサイルのものを飲み込み、ロックマンの元まで伸びてきた。

 

「うっ!」

 

 体を焼くような熱風がロックマンを襲う。視界が炎で満たされようとする。慌てて後ろに飛びのき、次の変身を使った。

 

「スターブレイク! グリーン・ドラゴン!!

スターフォースビックバン! エレメンタルサイクロン!!」

 

 木の葉の竜巻が熱風を吸い込みながら突き進む。ギガミサイルの威力を含んだカウンターだ。草と炎の複合技がアンドロメダを飲み込んだ。

 

「やったか!?」

 

 これには期待が持てた。今までに放ったことの無い、アトミックブレイザーをも上回る最大の攻撃だった。

 そんな期待は、星王の不気味な笑みにかき消された。恐る恐ると消え行く渦の中を窺うと、ゆっくりと影が浮かび上がってきた。結果は悲惨なものだった。表面にいくつか傷を付けた程度だったのだから、目も当てられない。

 

「これでも……ダメなの……?」

「リュウセイグン!」

 

 皮肉にも星王の掛け声がスバルの意識を集中へと誘った。次にアンドロメダが召還したのは隕石だった。

 頭上から降り注ぐ隕石をかわそうと後方へと飛び下がる。狙い済ましたかのように、そこにも一つ。今度は前へと飛んだ。それが過ちだった。アンドロメダの『指』が大きく開いていた。

 

「食らえ、ビックバンイーター!」

「ファイアバズーカ!!」

 

 足を地面から放し、炎の大砲を放った。反動で体が後ろへと吹き飛ばされる。『指』はロックマンを掠めて床へと食い込んだ。そこから発せられる衝撃波がロックマンを襲った。体を粉々にするような余波に手足が吹き飛びそうな感覚に陥る。

 

「な、何今の……?」

「チクショウ……っ! まだ来るのか!!」

 

 今度はギガミサイルとリュウセイグンの波状攻撃だった。床に寝転がっているロックマンには避けられそうに無い。

 

「スターブレイク! アイス・ペガサス!!

スターフォースビックバン! マジシャン・フリーズ!!」

 

 本来は相手を氷付けにする業だが、それを氷壁として自分の前に張り、盾代わりとした。ミサイルと隕石が音を立てて壁にぶつかっていく。数発受け止めたところで、氷壁にヒビが走った。まずいと思った直後には崩壊し、ミサイルと隕石の嵐が襲い掛かってきた。

 

「バリア!!」

 

 無意味ではないだろうかと思いながらも、バトルカードで身を守ろうとする。そんな足掻きを嘲笑うようにバリアごとロックマンを吹き飛ばした。

 クルクルと回る紫色の宇宙を見ながら、スバルは事態を甘く見ていたのだと後悔した。アンドロメダのカギを取り返された時点で、自分達の敗北は決まっていたのだ。三賢者から貰ったスターフォースも一切通じない。こんな化け物に敵うわけが無い。

 

「ご、ゴメン……ロック……僕じゃあ……」

「弱気になってんじゃねえ!!」

 

 ウォーロックが怒鳴った。これほどの強敵を前にしても、彼は一切怯んでいなかった。

 

「まだ手は残ってるぜ。俺たちの最大威力の技がな」

「え……?」

 

 そんなものあるわけが無い。ロックマンの最大技は、先程アンドロメダに一蹴された三種類のスターフォースビックバンだ。これ以上の手は無い。スバルの訴えは分かっているようで、口にする前にウォーロックが答えた。

 

「俺の中にある三つのスターフォースだ。これを収束してロックバスターにチャージして打ち込んでやれば、さすがのあいつもひとたまりもねえだろうよ。もっとも、その後はスターフォースが使えなくなっちまうだろうがな」

 

 今まで、ロックマンはスターフォスを自分の身体に還元して戦ってきた。ロックマンの戦闘能力を大幅に引き上げる力を、直接アンドロメダにぶつけようというのだ。それも一度に三つだ。

 確かに、瞬間的な威力には期待が持てる。

 

「もし、それでも……ううん、やろう!!」

「へっ! いい顔するじゃねえか」

 

 頷き合うと、這いつくばったまま前方を見据えた。こうしている間にも、アンドロメダがゆっくりと近づいてきていたのだ。もう得物を仕留めた気でいるのだろう。

 

「バトルカード!!」

 

 右手をジェットアタックに、左手をリュウエンザンに変える。動けない身体をジェットアタックの推進力に引っ張らせて、左手のリュウエンザンを構えた。その行為は、星王から見れば自殺行為でしかない。

 

「ついに狂ったか。食らえ、アンドロメダ」

 

 アンドロメダが誘うように『指』を開き、巨大な口を露わにした。もちろん、ロックマンはそんな気など無い。

 

「ホタルゲリ!!」

 

 足に込められた力を解放し、全力で床を蹴飛ばした。慣性の法則に従い、ロックマンはアンドロメダの『指』を飛び越えて、額へと飛び込んでいく。

 星王の驚く声を背景に、両手の装備を解放した。リュウエンザンが消えた左手、そこから放射される三色の光。ウォーロックの口内には赤・青・緑のラインが入った球体が出来上がっていた。

 

「いっけえぇぇええええっ!!」

 

 スバルとウォーロックは渾身の一撃を放った。スターフォースの力を宿したロックバスターがアンドロメダの額を穿った。

 悲鳴のような音を立ててアンドロメダが床に転がる。遅れてロックマンも墜落する。受身を取る余裕もなく、全身を強く打ちつけた。体中が痛くて、起き上がることもできない。それでも二人は笑みを浮かべていた。

 

「ば、馬鹿な!!」

 

 FM星王が初めて取り乱した。アンドロメダが打ち落とされたことが信じられないのだろう。駆け寄って、ロックマンが砕いた額を見て驚愕しいる。

 ふと、スバルは思った。今なら星王は話を聞いてくれるかもしれないと。

 

「ねえ、聞いてよ……」

 

 星王はまだ落ち着けていないようだったが、スバルの声に振り返った。

 

「父さんたちは、君たちと友達に……ブラザーになるためにFM星に向かったんだ。地球では、絆と言うものを一番大切にするんだ。それがあったから、弱かった僕もここまで来れた。だからさ……お願い、僕たちを信じてくれないかな?」

 

 星王は切り札を失ったのだ。だからこそ交渉を持ちかけた。首を縦に振ってくれるかもしれないと。

 そんなスバルの思惑は外れた。星王の動揺はいつの間にか消えていた。何者も寄せ付けない、冷たい目をスバルに向けていた。

 

「絆など幻想だ。ならば王権に目がくらんだ親兄弟が余の命を狙うなど、あろうはずがない」

 

 「……え?」とスバルは呟いた。だが、それは星王には聞こえなかったらしい。

 

「アンドロメダよ、余の電波を喰らえ!! そして真の力であの者たちを消し飛ばせ!!!」

 

 星王が己の周波数を跳ね上げた。存在しているだけで宇宙に影響を与えるほどの電波だ。それを収束してアンドロメダの口に放り込んだのだ。

 アンドロメダの目がチカチカと点滅する。そして赤く染まる。不気味な音を立て始める。穿たれた部分が急速に修復されていく。見る見るうちに、完全に元に戻ってしまった。

 絶望はそれだけでは留まらない。宙に浮いたかと思うと、『指』を広げて口を剥き出しにする。すると、そこからぱっくりと二つに分かれ始めたのだ。

 

「ようやく、エネルギーが溜まりよったか」

 

 笑みを浮かべる星王。声も出せずに見上げるロックマン。彼らの前で、アンドロメダは形を変えていく。

 それは人間のような姿だった。『指』だった部分は両手になり、頭頂部が開いて中から青白い顔が現れる。細い胴体の中心にはコアと思われる緑色の球体。

 それがFM星最終兵器、アンドロメダの真の姿だった。

 

「ハハハハハ! さあ、邪魔者を消せ! ネビュラブレイカーだ!!」

 

 アンドロメダの手のひらがロックマンに向けられる。そこに設けられた砲口から放たれるレーザー。圧倒的な力にロックマンは吹き飛ばされた。



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第百三十九話.スバルの絆

 戦いではなかった。ただの蹂躙だ。留まることの無いアンドロメダの破壊行為に、星王の笑い声が混じって聞こえてくる。ロックマンは立つ暇すら与えてもらえずに、ただ身を転がされていた。

 永遠に感じれる数分が過ぎたとき、地球の命運を背負ったヒーローはボロボロになって倒れていた。

 

「これで余興も終わりか、思ったより楽しかったぞ、誉めてつかわす」

 

 星王は勝ち誇った笑みを浮かべると、右手を前に出した。アンドロメダも同じ手をロックマンに向ける。ロックマンを吹き飛ばしたネビュラブレイカーだ。

 それを見ても、ロックマンは何も考えていなかった。何かを感じる余裕すらなかった。ただ煙のように消えようとする意識がそちらに向いているだけだ。光線がスバルを白く染めあげた。そこに飛び込んできたのは、三つの電波体だった。突然の来訪者に、スバルとウォーロックは目を見開いた。

 

「三賢者!?」

 

 AM三賢者がそこにいた。それも今まで見てきた黒い影ではなく、本体だ。青い天馬、ペガサス・マジック。赤い獅子、レオ・キングダム。緑の龍、ドラゴン・スカイ。彼らは自分達の前に障壁を生み出し、ロックマンの盾となったのだ。ネビュラブレイカーを阻まれたアンドロメダはすぐに出力を停止した。FM星王も彼らの登場は予想外だったらしい。

 心強い味方が来てくれた。そんなロックマンの期待もすぐになくなった。障壁を閉じると、三賢者達がガクリと体制を崩したのだ。アンドロメダのただの一撃で、彼らの力のほとんどが削られてしまったらしい。これが影の召還すらままならなかった今の彼らの全力だったのだ。

 ロックマンはヨロヨロと立ち上がり、彼らに嘆願した。

 

「お願い、三賢者。スターフォースを全部使っちゃったんだ。もう一度……」

 

 第一形態のアンドロメダにすら通用しなかったのだ。強化された今の相手に通用するとは思えない。それでも、スバルが知っている最強の力はスターフォースだ。それに頼るしか思いつかなかった。

 スバルの足掻くような願いを、三賢者は退けた。

 

「星河スバルよ。確かに我等の力は強大だ。しかし、それではあれは倒せぬ」

「そんなものよりも、遥かに強い力をお前達は持っているはずだ」

「我等は、それをお前達に届けに来ただけだ」

 

 三賢者の体が、それぞれの色で光りだした。スバルの周りを光が包む。スバルは忘れていた。彼らは地球のサテライトの管理者だ。

 

「君なら勝てるよ、スバル君!!」

 

 あの子の声が聞こえた。驚いて後ろを振り返ると、ミソラがそこで笑っていた。

 

「まったく、ロックマン様なんだからしっかりしなさいよ」

 

 その横で、ルナが腰に手を当てて仁王立ちしている。

 

「お前なら勝てるぜ、絶対に!」

 

 ゴン太が太い腕でガッツポーズをしてみせる。

 

「僕は知っていますよ。ロックマンは負けません」

 

 キザマロが大きい眼鏡をクイッとあげてみせる。

 

「スバル君、僕たちは信じているよ」

 

 ツカサが笑っていた。

 

「…………みんな……」

 

 忘れていた。自分の根幹にあるものを。

 スバルはアンドロメダに向き直った。左手を持ち上げる。ミソラたちが後ろから手を掲げた。それだけでスバルの体が熱く燃え上がってくる。それを受け取るのがウォーロックの役目だ。口にエネルギーを収集させていく。それはあっという間に巨大な塊と化し、紫色だった宇宙を白く染め上げた。

 ありえない異常事態に、星王も落ち着いてなどいられないようだった。辺りを見渡し、目に見える事実を否定する。

 

「馬鹿な……あの地球人のどこにあんな力が……」

「まだ分からねえか?」

 

 愚問に答えたのはウォーロックだった。

 

「これが、地球人が一番大切にする、絆の力って奴だ!!」

 

 そしてスバルが続く。

 

「絆は脆いし、簡単に崩れ去ってしまうかもしれない。気づかないまま見落としてしまうかもしれない。

 だからこそ、人はそこに見える絆を大切にしようと思える!

 その思いがあるから、絆がもたらしてくれる力は強いんだ!!」

 

 星王はギリッと歯を食いしばった。そんなもの認めるわけにはいかない。過去が脳裏をよぎる。

 

「認めん! 認めんぞそんなものは!!」

 

 アンドロメダは両手を前に突き出した二つの砲門がロックマンに向けられた。

 そんなもの、もうスバルには怖くなかった。なぜなら、背中に確かに感じるのだ。ミソラたちに加えて、もう一人。

 

「スバル」

 

 それは、大好きなあの手。ぐしゃぐしゃと自分の頭を撫でてくれる、逞しくて優しい、憧れのヒーローの手だ。

 

「あの孤独な命に教えてやれ、お前の力を……」

 

 頷き、スバルはウォーロックと息を合わせた。

 

「ロックバスター!!」

 

 己の全てを込めたエネルギー弾を放った。巨大な流星となって、アンドロメダに向かっていく。

 同時に、FM星王も叫んだ。

 

「ネビュラブレイカー!!」

 

 二本の無慈悲な光線が放たれる。

 二つの力がぶつかり合う。凌ぎ合いはなかった。ロックマンの放った一撃は、ネビュラブレイカーを退け、アンドロメダを飲み込んだ。

 光が晴れる。そこにアンドロメダはいなかった。周波数も感じない。完全に消滅したのだ。

 そして、攻撃の余波に当たったのか、FM星王が床に倒れていた。大きな怪我は無いようだが、仰向けになって動こうとしなかった。

 

「余の負けだ。抵抗はせぬ。さぁ、殺せ」

 

 ウォーロックが飛び出した。手にギリッと力が入り、爪を立てた。



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第百四十話.友達

 ロックマンと分離したウォーロックはそのままFM星王の前に移動した。星王はピクリとも動かない。目を閉じながらも凛とした表情を保っている。王としてのプライドからか、敗者としてすでに命を差し出しているのだろう。ウォーロックは右手の爪をじっと見つめると、クルリと背中を向けた。

 

「やめだ……」

「な、なにを!? 貴様、AMプラネットを滅亡させた余が憎いのではなかったのか!?」

 

 星王は慌てて身を起こし、スバルの元へと戻ってくるウォーロックに向かって叫んでいた。

 そんなウォーロックはスバルと目が合うと、「ヘッ」と笑って見せるのだった。

 

「スバルの甘さがうつっちまったぜ……」

「……これも絆の力というものなのか?」

「そうだよ」

 

 スバルとウォーロックが横に並ぶ。星王は小さく首を横に振った。

 

「信じられぬ……余は生まれたときより、王権争いに巻き込まれ、命を狙われていた。余にとって笑顔で近づいてくる者こそ最も信用できぬものだった。

 ……信じられる訳があるか。いつ裏切られるのかと考えれば、誰も信じられぬ。ならば、最初から誰も信じなければいい……」

 

 スバルは胸の中心が張り裂けるような痛み感じた。

 

「確か……AM星が惑星間友好条約を提案した直度だったな。AM星を侵略したのは」

「ジェミニがそう報告したのだ。AM星は我等を攻める準備をしているとな……」

「なるほど、ジェミニがか。疑心暗鬼に陥った幼い王を操るなんざ、アイツには簡単なことだったんだろうな」

 

 ウォーロックと星王の話を、スバルは黙って聞いていた。今なら分かる。大吾のトランサーに封じられていたメッセージ。破損して読めなかったあの続きに、何が書いてあったのか。

 胸にあるエムブレム……父から貰った流星型のペンダントに触れて目を閉じた。

 

「さあ、地球人よ。余は敗者だ。好きにするといい」

「できないよ、そんな事」

「な、なんだと!?」

「僕の父さんは、FM星の人たちとブラザーバンドを結ぼうとしたんだ。君に止めを刺すということは、父さんを裏切ることになる。だから、僕は君を許そうと思う」

 

 ウォーロックと頷きあい、後ろを振り返る。AM三賢者たちも頷く。その様子がどこか満足そうに感じたのは錯覚ではないだろう。

 

「……馬鹿な……こ、こんなこと……」

「その代わり、お願いがあるんだ」

「お願い……だと?」

 

 スバルは指を二本立てて前に突き出した。

 

「用件は二つ。まず一つ目。僕のことを信じて欲しいんだ。

『争いは、相手を知らないからこそ生まれる。逆に、相手を知ったとき、きっとその人とは友達になれるはずだ』

 父さんの言葉だよ。

 孤独からは何も生まれないと、僕は君を通じてよく分かった。だから、君も僕を信じることからはじめてほしい」

 

 星王はスバルの言葉をかみ締めるように視線を下に落とした。もう一度スバルとウォーロックを見比べる。

 

「そうかもしれぬな……して、もう一つの条件とは?」

 

 スバルはすぐには答えなかった。星王にコツコツと歩み寄っていく。今度こそ、星王は復讐されるのだと思ったらしい。顔を強張らせる。

 そんな彼にスバルはすっと右手を差し出した。

 

「僕とブラザーになってほしいんだ」

 

 星王の動きが止まった。これ以上に無いほど目を丸くして、スバルの右手を見つめている。ゆっくりと顔を上げてスバルの顔を凝視した。そして、もう一度自分の前にある右手に視線を戻すと、お腹を抱えて笑い出した。

 

「ハ、ハハハハハ!!

 よ、余にそんな事を言うとはな。ハハハハハハ!!

 初めて聞いたぞ、そんな言葉」

「そう、君には信じられる友達が必要なんだよ。僕もそうだった。だから、僕が君の最初の友達……ダメかな?」

 

 星王は笑い声を飲み込むと、目元を拭ってスバルと目を合わせた。

 

「地球人、お前の名を教えてくれるか?」

「星河スバル。スバルって呼んでよ、王様」

「王様ではない。余はケフェウスという。ケフェウスと呼んでくれ、スバル」

 

 ケフェウスはスバルの手を握った。温かい電磁波を感じながら、スバルは力強く握り返した。

 

「今から僕たちは友達だよ」

「うむ……」

 

 手を放すとケフェウスはウォーロックを見た。

 

「ウォーロック……本当に良いのか?」

「おいおい、アンタはスバルのブラザーになったんだろ? ここでアンタを攻撃したら俺が悪者だぜ」

「……そうか……」

 

 ケフェウスは静かに目を閉じた。その口元は笑っていた。

 

「スバル、ウォーロック。ありがとう。余は約束する。

 FMプラネットに戻り、民に伝える。信じる心の大切さを。そしてせめてもの償いだ。AMプラネットの復興を約束する」

 

 そこで動いたのはAM三賢者だった。彼らはケフェウスに歩み寄った。

 

「ならば、我等も力を貸そう」

「AM星人達は全て死に絶えたわけではない。少数ではあるが我等のように他の星に移り住んでいる者達もいる」

「彼らも呼び寄せて、AM星をかつての星に戻そうではないか」

 

 彼らを見上げ、ケフェウスは改めて誓った。

 

「三賢者よ……感謝する」

 

 短いが、三賢者たちにとってはそれで信じるに値するものだった。ケフェウスの目を見たかたらだ。

 

「ウォーロック、お前はどうする?」

「俺はパスだ。スバルが帰れなくなっちまうし、まだまだコイツは頼りねえからな。俺が見てやんねえと、危なっかしくてありゃしねえ」

「よく言うよ」

 

 笑い声がコダマする。そこにはケフェウスのものも混じっていた。

 そして、別れのときがやってくる。

 

「スバル、ウォーロック。ほんとうにありがとう」

「元気でね、ケフェウス」

「スバルもな……」

 

 スバルはもう何も心配していなかった。ケフェウスの目には確かな優しさが生まれていたからだ。

 

「では、行くぞ」

 

 一瞬光が瞬く。もうそこにケフェウスと三賢者はいなくなっていた。



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第百四十一話.脱出

 スバルとウォーロックの役目は終わった。もう彼らがここですることは何も無い。後はウェーブロードを伝って地球に帰るだけだ。

 紫色に融解した扉をくぐったとき、ロックマンは自分の体に違和感を覚えた。それは疑問から確信へと変わる。足の電波変換が解けていた。

 

「な、なんで!?」

「っ!! 走れスバル!!」

 

 考えなかった。ウォーロックの慌てたような大声に、はじき出されるがごとくスバルは走り出した。尋ねようとしたが、必要なかった。近くの電子機器が火を吹いたからだ。連鎖するように辺りの機械が次々と小規模な爆発を生んでいく。

 

「俺たちの戦いに『きずな』が耐えられなかったんだ! この辺りの電波が乱れちまってやがる。電波変換の維持ができねえ!!」

 

 そう言っている間に、電波変換が解けてしまった。こうなってしまっては、スバルはただの小学五年生だ。小柄な体で必死に脱出を図る。

 

「通信室を目指すぞ! あそこにはウェーブロードの橋が架かってる。電波が安定しているはずだ!!」

 

 答える余裕すらなくスバルは無我夢中で駆けた。近くのパイプが爆発し、酸素と思われるガスが噴出する。火が回り始める。

 居住区画を通過していると、目の前に大吾の部屋が見えた。巨大な電子パネルが割れ、中からが噴出した炎が辺りを焦がす。燃え行く大吾の部屋に目を凝らしてしまう。

 その直後に爆発が起こる。大規模なもので、『きずな』の一部が完全に消失した。密閉された空間に穴が生まれてしまう。内部にある空気が外へと流れ出し、スバルを浚おうとしてくる。運良く、壁に体が引っかかった。ウォーロックが慌てて生きている電脳に入って隔壁を下ろす。

 そのとき、右手から嫌な音が鳴った。トランサーを腕に固定するベルトが千切れたのだ。大吾のトランサーが宇宙へと流れていく。声を出す暇すら、手を伸ばす余裕すらなかった。

 隔壁が閉まると、ウォーロックが戻ってきた。

 

「スバル、諦めろ!!」

「う……うん!!」

 

 スバルは気を奮い起こしてその場を後にした。大きな爆音が聞こえる。かなり近い。転がるように居住区画を出ると、背中に強い熱気を感じた。チラリと振り返ると、そこは炎の海へと変わっていた。

 炎と爆発の包囲網をかいくぐり、スバルは目的の場所を発見した。通信室の入り口が見えたのだ。まるでスバルを迎えてくれるかのように、扉は開きっぱなしになっている。まだ中に火は回っていないようだった。

 

「やった、これで……」

 

 つかの間の安心。それを嘲笑うかのように炎がスバルの前を遮った。続いて、通信室の天井が崩れて機器を押しつぶした。もう、ウェーブロードの橋は崩れ落ちてしまっただろう。あの場所に行っても、電波変換すらできないかもしれない。

 

「そ、そんな!?」

「チクショウが!!」

 

 唯一の脱出手段が閉ざされてしまった。宇宙で生きられる電波変換をすることもできず、地球の方角も分からなくなってしまった。『きずな』も、音を立ててスバルを焼き殺そうとしてくる。今までに無い、死の恐怖がスバルを襲った。

 

「どうしようもねえのか!?」

「こ、これじゃあ…………え?」

「どうした?」

 

 突然、スバルが呆けた。目は虚ろな様でありながら、何かを探しているようだった。ウォーロックの心配する声も聞こえていないようだ。ゆっくりと後ろを振り返る。すると何の前触れも無く元来た道を戻り始めたのだ。

 

「おい、どこに行くんだ!?」

「こっち!!」

 

 スバルが先行し、ウォーロックが後を追いかける。一つ角を曲がると、先程とは違う通路を走り始めた。この方向はスバルが行ったことの無い、初めて通るルートだ。それにも関わらず、スバルは迷うこと無く進んでいく。いくつか角を曲がると、一つの部屋に飛び込んだ。そこだけはまるで別世界のように無事で、火も無ければ機器一つ壊れてはいなかった。

 

「スバル、ここは……?」

「そうか! そういうことなんだ!! ロック、機器の電脳に入って! この部屋はモジュールになっているんだ! 切り離せるんだよ!! 脱出ポット代わりだ!!」

「え? あ、おう。とりあえず切り離したらいいんだな?」

「急いで!!」

「任せておけ!!」

 

 ウォーロックが機器の電脳に飛び込む。そのとき、背後で大きな爆音が響いた。この周辺ももう持たないだろう。

 

「早く!!」

「急かすな!! よし、電脳は生きているな。まずは、隔壁を……」

 

 すぐに扉が閉まった。これでこの部屋は密閉された状態だ。だが、『きずな』の大きな振動が今も伝わってくる。閉まったばかりの扉がバリバリと不安を誘う音を立てている。

 

「そして……切り離し!!」

 

 スバルの体が飛んだ。だがそれは一瞬のことで、部屋の振動はどんどん小さくなっていく。

 

「スバル、成功だぜ!!」

「アイタタ……よくやってくれたよ」

 

 ウォーロックをねぎらいながら、スバルはモジュールに設けられた少し大きめの窓の外を見た。ウォーロックも横に並ぶ。進行方向の逆側に、小さくなっていく『きずな』が見えた。真っ暗な宇宙の中にポツンと取り残されたそれは、己の身を糧に燃え上がっていく。

 

「聞こえたんだ……」

「あ?」

「父さんが……こっちだって……」

「そうか……」

 

 ウォーロックはスバルの肩にそっと手を置いた。

 二人が見守る中、『きずな』はその寿命を終えた。真っ黒な大地の中で、小さな花火がひっそりと咲き散った。

 

 

「よっしゃ! 繋がったぜ!!」

 

 電子パネルにウォーロックのガッツポーズが映った。それはすぐに荒い波がかかった天地へと変わる。

 

『スバル君! よかった、やっと繋がった!!』

「天地さん。こっちは無事です。地球ももう大丈夫! 今から、脱出用モジュールで帰ります」

『そうか、良かっ……て君たち!?』

 

 天地が後方へと下がった。画面いっぱいにミソラの顔が映る。

 

『スバル君! 無事なの!? 怪我は無い!?』

「ミソラちゃん!? 大丈夫。このとおりピンピンしてるよ」

『良かった、私心配で……キャ!』

 

 涙ぐむミソラが横にずれる。

 

『あーあー、こちら委員長! スバル君、無事で何より。道草食わずにさっさと帰ってきなさい!!』

『やっぱりお前はヒーローだぜ! 帰ってきたら牛丼奢ってやる!! ブルオオオ!!』

『グズッ! ズバル君、あびがどうござびばず!!』

 

 目を赤くしたルナと、号泣するゴン太とキザマロが画面に狭っ苦しく映る。頬を膨らませたミソラがなんとか戻ろうとしているようだが、流石にスペースが足りない。彼らの隅っこで、ツカサの遠慮がちな顔が映ったのをスバルは見逃さなかった。

 可愛らしい画面の取り合いは長くは続かなかった。天地の大きな体が、彼らをゆっくりと押しのけたのだ。

 

『君たち、ちょっと離れてくれ。スバル君、操作は大丈夫かい?』

「はい、ウォーロックが電脳から操作して、オートパイロットモードにしてくれたから、問題ないです」

 

 スバルの隣で実体化したウォーロックが胸を張って踏ん反り返る。もちろんハープが横槍を入れる。

 

「へっ! 俺様にかかれば朝飯前よ」

『ポロロン、別に調子に乗るようなことでも無いわよ』

「おいハープ!!」

 

 ウォーロックが怒鳴ると、大きな衝撃がスバルを襲った。体が宙に浮き、地震のように激しく揺さぶられる。照明が怯えるように点灯し、機器からはバチバチと不気味な音が聞こえてくる。

 

「なっ、なにっ!?」

『スバル君!? どうし……だい! ス……ル君!?」

 

 画面の荒波が増えて、あっという間に灰色のごちゃ混ぜ世界へと変わる。天地の音声が途切れだし、聞こえなくなった。

 揺れはすぐに収まった。体を強く打ち付けてしまったスバルは痛みに悶えながらも体を起き上がらせようとする。そのとき、鮮明な機械音声が聞こえた。

 

『システムダウン システムダウン』

 

 一瞬耳を疑った。最悪の事態が頭に浮かぶ。それを無理やり思考の隅に押しのけて、先程の音声こそ機械の誤作動のはずだと言い聞かせる。

 

「ロ、ロック……」

「分かった!」

 

 スバルが言い終わる前に、ウォーロックが電脳に飛び込んだ。スバルは機器に歩み寄り、祈るように画面を見つめた。数分後にウォーロックが出てきた。その表情は暗いものだった。

 

「……ダメだ。システムエラーでオートパイロットのプログラムがぶっ飛んじまった。操作はまだできるが……地球の方向がわからねえ」

「それじゃあ……」

「ああ、宇宙のど真ん中で迷子だ……」



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第百四十二話.帰るべき場所

残り二話です。
最後までよろしくお願いします。


 場所はコダマタウンの展望台。夜になり、街灯がお情け程度に光をもたらしてくれる中、五つの小さい影が駆け足に階段を上がっていく。大きなツインテールをぶら下げた少女を先頭に、五人は見晴台に辿り着く。切らした息を整える暇もなく、ルナは自分のトランサーを開いた。

 

「天地さん、展望台につきました」

『よし、皆……今から僕の言う事をよく聞いてくれ……。

 スバル君が乗った脱出用モジュールは現在宇宙で行方不明だ。今の科学では……僕らの力では彼を見つけることはできない。スバル君を救出することは不可能だ』

 

 それはアマケンを出る前にも聞いたことだった。どれだけ最悪な状況なのか改めて実感してしまう。友達との永遠の別れを告げられて、寂しがりやのゴン太は涙混じりに叫んでしまう。

 

「もう、どうしようもねえっていうのがよ! い、嫌だぜぞんなの!!」

 

 誰もゴン太を止めようとはしなかった。皆が同じ気持ちだったからだ。ミソラは涙を流す代わりに、スバルがくれたペンダントを指に絡めた。

 

『だけど、一つだけ可能性が残っている。それが君たちだ』

 

 ミソラだけでなく、ルナもゴン太もキザマロも、ツカサも互いに顔を見合わせた。地球一のエンジニア達ですら何もできないこの状況下で、ただの子供である自分たちに何ができるというのか。

 

『君たちのブラザーバンド通信を使う。そうすれば、宇宙の中からスバル君を見つけられるかもしれない』

 

 天地の作戦は気が抜けるほど単純なものだった。やることは今までとあまり変わりない。スバルと通信を繋げるというだけのものだ。ただ、大きく違うのはそれを行うのに大掛かりな装置も、優秀なエンジニア達も、難しい操作もいらないということだ。

 この星で誰もが当たり前に使っているブラザーバンド機能を使う。それだけだ。

 天地の作戦を聞いて、真っ先に不安を示したのはツカサだった。トランサーを抑えながら、声を震わせる。

 

「あ、あの! ぼ、僕はスバル君とブラザーじゃないんですけれど……」

『大丈夫だよ。ブラザーバンドというのは、絆を……心と心の繋がりを見えるようにするだけの技術なんだ。だから、君たちがスバル君を思う気持ちがあるのなら、それは必ず彼に届くはずだ』

 

 全員が空を見上げた。いつも頭上に広がっているのに、ほとんど気にすることの無かった大空。それはどこまでも雄大で、底を思わせないほどに暗い。地球と同じぐらいか、それ以上に巨大なはずの星々は今にも消えてしまいそう。

 

『さあ、トランサーを空に掲げて……スバル君を救うのは、君たちだ』

 

 それでも、何も迷うことなんて無い。ミソラは目を細めると、ペンダントを握りしめる。そっとギターを下ろした。

 ルナと目が合う。ルナも画面を切り替えて準備を整える。ゴン太とキザマロもトランサーを開いた。

 

「お願い、スバル君に届いて!!」

 

 ミソラがギターの先端を頭上に掲げる。そこから白い光が一本の線となって伸びていく。

 

「まったく、道草食うなって言ったばかりじゃない! ……さっさと帰ってきなさいよ……!!」

 

 ルナはポケットの中から取り出した紙を右手に持つと、左手を掲げた。白い線が伸びていく。

 

「戻ってきてくれよ、スバル!!」

「帰ってきてください、スバル君!!」

 

 ゴン太とキザマロも後に続いた。

 だが、ツカサはすぐには動かなかった。トランサーを握り締めて目をつぶっている。頭を振ると、澄んだ目で空を見上げた。

 

「スバル君……僕は待ってるよ!!」

 

 ツカサの放った光が後を追いかける。

 五本の光の帯が空の一点へと吸い込まれていった。

 

 

 真っ暗で不思議な世界だ。明かりなんて一つも無いのに自分の手足ははっきりと見える。そんな世界にスバルは浮いている。上も下も感じさせないこの世界は、前にも来たことがあるような気がした。思い出そうとするが、そんな時間は無かった。目の前に大切な人が現れたからだ。

 大きな肩と腕をしたがっしりとした体格。スバルが見上げるほど大きい身長。ちょっと硬そうな茶色い髪の毛。そして子供のようでありながら、強い意志を持った力強い瞳。スバルのヒーローがそこにいた。

 

「……父……さん……?」

「よく頑張ったな、スバル。お前が地球を……いや、FM星とAM星も救ったんだ」

「うん。……でも、僕は帰れそうにないみたい……」

 

 スバルに選択肢は無い。このままなす術なく、宇宙を漂流して死ぬ時を待つしかないのだ。もしかしたら大吾はもう同じ運命の先にいるのかもしれない。大好きな父親に歩み寄り、手を伸ばそうとする。

 だが、見えない壁に阻まれた。そこから前に進めない。困惑するスバルに大吾は首を横に振った。

 

「諦めるな。お前には帰るべき場所がある」

 

 大吾がスバルの後ろを指差した。そこにはいつの間にか扉が出来上がっていた。

 

「さあ、帰るんだ。スバル」

 

 スバルは首を振ると大吾に走り寄ろうとする。だが、またしても見えない壁が阻んだ。手を伸ばせば届くはずなのに、抱きつけるはずなのに、それ以上近づけない。

 

「父さん……」

「泣くなスバル、俺は必ずお前たちに『ただいま』を言いに行く。だからそれまで母さんを頼んだぞ」

 

 スバルは大吾の目を覗き込んだ。父親が息子に向けてくれる優しいものだった。だがその中に、一人の男としての覚悟が見えた。スバルは歯を食いしばると、コクリと頷いた。

 

「父さん……待ってるからね!!」

「ああ!!」

 

 もうスバルが迷うことはなかった。踵を返すと真っすぐに進んでドアノブに手をかけた。そして開く。眩しすぎるほど白い光が、世界を満たした。

 そのとき、背中から大吾の声が聞こえた。

 

「スバル、忘れるな。本当の絆はどんなに離れていても、どんなことがあっても、絶対に切れることは無いんだ」

 

 スバルはゆっくりと目を開いた。目に飛び込んできた光景は銀色だった。見ているのは天井だと気づく。いつの間にか横になっていた。辺りを見渡しても黒い世界はどこにも無く、散らかった細かい部品が目に映る。ここはモジュールの中だ。かすんだ目でもう一度モジュール内を見渡すと、窓の側にウォーロックがいた。外を眺めているようだ。気配に気づいたようで、スバルに振り返った。

 

「よう、お目覚めか。よっぽど疲れていたみてえだな」

「ロック……そっか、寝てたんだ」

 

 スバルは立ち上がり、ウォーロックの側に歩み寄る。すこし埃がついてしまった窓の外を見た。宇宙と星雲が織り成す世界はやはり美しく、そして冷たそうだった。窓に映っている自分の姿がそこに混じる。

 

「夢を見てたんだ。父さんに会ったよ。諦めるな……って言ってた」

「大吾らしいな……本当に来ていたのかもな」

 

 ポシェットから写真を取り出した。大吾の部屋から拝借したものだ。家族三人が写っている最後の家族写真。そこに映っている大吾にそっと触れる。

 それと同時にトランサーが鳴り出した。何かの通信をキャッチしたらしい。これも壊れたのかもしれないと開いてみる。違った。宇宙のど真ん中にいるにも関わらず、アクセスシグナルを受信していたのだ。

 

「な、なに?」

 

 誤作動かもしれない。スバルにはそうは考えられなかった。

 

「ち、近づいてくる!?」

 

 アクセスシグナルがどんどん強まっていくのだ。機械音は警報のように大きくなっていく。辺りを窺ったとき、スバルは窓の外に見た。宇宙の向こうが白く光っている。

 

――スバル、忘れるな――

 

 それは見る見るうちに大きくなっていく。いや、迫ってきている。迷うことなく、真っすぐにスバルに向かって来る。怖いとは感じなかった。

 

――本当の絆はどんなに離れていても、どんなことがあっても――

 

 体が言う事を聞かない。それでも、硬直した左手をゆっくりと、必死に前に差し伸ばした。光がスバルを包み込んだ。

 

――絶対に切れることは無いんだ――

 

 徐々に光が晴れていく。その中でスバルは身を震わせていた。

 

「ハハ、すげえな地球人ってのは」

 

 太く力強い光の帯は、スバルの左手を掴んでいた。光り輝くトランサーの画面に、次々と画像と名前が並んでいく。

 

 響ミソラ

 

 白金ルナ

 

 牛島ゴン太

 

 最小院キザマロ

 

 双葉ツカサ

 

 皆がそこにいた。ポタリと画面が濡れた。

 

「父さん……僕、やっと分かったよ……父さんがなんで絆を大切にしたのか……今、やっと……」

 

 涙を拭くと、スバルは頬を緩めているウォーロックに笑顔を向けた。

 

「さあ、帰ろう! 僕たちの帰るべき場所に!!」

 

 

終章.スバルの絆(完)




次回、最終話です!!


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エピローグ.いつもの朝へ
最終話.行ってきます


 いつも通りの太陽がコダマタウンを照らす。会社に行くサラリーマン、道路の舗装を始める作業員達。お店の準備を始める商店街。あくび混じりで歩いている大学生に、その隣を駆けていく小学生。底まで透き通っている公園側の小川。ぴちゃりと跳ねた魚は、水面に照らされて銀色に輝く。それを見て、尾上の隣にいる女性は目を輝かせた。

 

「まあ、綺麗ですね。十郎様?」

「ええ、本当に……だから、さっさと片しちゃいましょう」

「はい」

 

 尾上はコダマタウンの公園に来ていた。今日はボランティアとして、ヒメカお嬢様と朝から掃除に来ているのだ。隣ではクローヌとクラウンがからかっていたが、ウルフが噛み付いて空へと連行していった。

 相棒の気遣いに内心感謝していると、道路の向こう側に目を留めた。千代吉が何人かの子供とおしゃべりしながら学校に行っているのだ。声を掛けようかと思ったが、やめて掃除に戻った。

 BIGWAVEの店内からもそれを見ている人がいた。南国は大きく息を吐くと、口元を緩めた。

 

「BIGWAVEも寂しくなりそう的な?」

 

 FM星人達との戦いが終わって、二週間。まだ爪痕は残っているものの、地球は確かに復興への道を進んでいた。被害がほとんどなかったコダマタウンでは、もう普段の生活が始まっている。その中に、今日から戻る者がいる。

 モジュールが無事にニホン海に着地した直後、スバルはサテラポリスやNAXAが来る前に電波変換でニホンへと戻った。そして入院した。体力の激しい消耗などが理由らしい。電波変換時のダメージが蓄積していたのもあったのだろう。だが、それも昨日で終わった。今日からスバルは復学するのだ。

 

「スバル~、皆来てるわよ~」

「は~い、今行くーー!!」

 

 トランサーを左手につけ、流星型のペンダントを首から提げ、ビジライザーを額にかける。忘れ物が無いことを確かめると、階段を駆け下りる。玄関で赤いブーツを履くと、軽くドアノブを捻った。眩しすぎる光が差し込み、世界が真っ白になる。それを通り抜けると、赤紫色の髪をした女の子が手を振ってくれた。

 

「スバルくん! おはよう!!」

「おはよう、ミソラちゃん」

 

 出迎えに来てくれたミソラにスバルは満面の笑みを見せる。だが、これはちょっと失敗だったかもしれない。

 

「あら、私たちを無視するなんて、スバルくんも良い度胸がついたわね」

「え? ち、違うよ委員長! そういうわけじゃ……」

「ま、今日ぐらいは大目に見てあげるわ」

「そうそう、昨日の委員長は育田先生よりも喜んでいたもんな」

「ご、ゴン太君!!」

 

 余計なことを言ったゴン太と、まき沿いを食らったキザマロがルナの鋭い眼光に縮み上がった。そんな彼らを笑って見ているツカサがいた。目が合うと、お互いに自然と笑みを向け合った。

 そんな彼らを、あかねは柔らかい笑顔で見守っていた。隣にいる天地、シゲゾウ、五陽田も同じだ。

 

「っていうか、ミソラちゃん。なんであなたがここにいるのかしら? あなたはコダマ小学校じゃないでしょ?」

「スバルくんの復学日だもん。これぐらい良いじゃん?」

「ええ、別に良いけれど……間に合うの?」

「うん!」

 

 どうやら電波変換を使うつもりらしい。

 

「皆……」

 

 スバルは皆を見て我慢できなくなった。胸から溢れてくる思いを言葉にしたくて、体が震えてくる。

 

「僕……皆に言いたいことが……」

 

 目元にたまった涙を拭こうとすると、ピンク色のハンカチがスバルの目に優しく当てられた。ハンカチが離れると、次は白い指がフワリとスバルの鼻先と口に当てられる。

 

「スバルくん、それは言っちゃダメだよ」

「そうよ、私たちは当然のことをしただけなんだから」

「そうそう、ブラザーとしてな」

「気にすること無いです」

「だって、スバルくん」

 

 ミソラが、ルナが、ゴン太が、キザマロが、ツカサがスバルの言葉を止めた。ブラザーバンドなんてなくても分かる。そこにあるものを感じて、また瞳が潤みそうになってしまう。だが、この場で涙は似合わない。目を閉じる。

 そんなときに鳴り響く大きな音はお邪魔虫以外の何物でも無い。だが、無視はできなかった。なぜなら、それはコダマ小学校のチャイムだったのだから。

 

「あ、これって予鈴……ですよね?」

「……だよな?」

「いけないわ! 学級委員長が遅刻なんて……!! あなたたち、走るわよ!! おば様、失礼します!!」

 

 ミソラたちもあかねに頭を下げると、全速力でルナと共に走り出した。もちろんスバルも走り出すが、すぐに振り返った。

 

「母さん! 行って来ます!! それに、天地さん、シゲゾウさん、五陽田さんもありがとう!!」

 

 見送りに来てくれていた三人の大人にも手を振ると、スバルはまた走り出した。

 

「スバルくん遅れちゃうよ~」

「待ってよー!!」

 

 橋の上でミソラが手を振り、その向こうでルナが拳を揚げて怒鳴っている。その風景に溶け込んでいくスバルの後姿を、あかね達は見送った。

 

「まるで大吾君を見ているようじゃ……」

「まったくあんな笑顔を見せられたら、事情聴取なんてできんわい」

 

 シゲゾウはつぶらな瞳を輝かせ、五陽田はやれやれと肩をすくめて笑ってみせる。天地は静かに佇んでいるあかねにそっと声を掛けた。

 

「スバルくん、明るくなりましたね」

「ええ……」

 

 あかねは短い返事を返すと、空を見上げた。

 

「大吾さん……見て……スバルったら、あんなにたくさんのお友達に囲まれて……私……私たち、やっと歩き出せるわ」

 

 そんな彼らを眺めている者が二人。異星人である彼らがいる場所は、スバルの家の屋根。ちょっと暑くなってきた日差しを受けながら、ハープは尋ねた。

 

「これからどうするの?」

「あ? どうするって?」

「私達は孤独に住み着く異星人。でも、ミソラもスバル君も、孤独なんて言葉とは無縁そうよ」

「そうだな……もうちょっとこのままでいるのも良いかもしれねえな」

「あら、奇遇ね。私もそう思っていたところよ」

「そうか」

 

 そっけない返事を返すと、ウォーロックは空を見上げた。目を細めて、ただじっと見つめている。

 視界の隅に、ハープが出てくる。

 

「さ、行きましょ? 置いてかれちゃうわ」

「ああ……よし、行くか!」

 

 二つの光が空を駆け抜けた。ただ、それは一瞬のこと。

 白い雲に、温かい太陽、そして青い空。いつもの朝が始まった。

 

 

 

 

 

流星のロックマン

 

 お し ま い




連載開始から約2年と10ヶ月。
ここに『流星のロックマン Arrange The Original』を完結させることができました。

感想を下さった皆様、応援してくださった皆様、閲覧してくださった皆様……
皆様の存在が私の励みでした。
ここまで続けて来れたのは、皆様のおかげです。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


これにて『流星のロックマン Arrange The Original』はお終いです。

では、また別の作品でお会いしましょう。

*2014年7月7日
追記
皆様の応援のおかげで、
日間ランキングと週間ランキングに掲載されました。
たくさんの応援、本当にありがとうございました。

*2014年10月20日
追記
続編にあたる『流星のロックマン Arrange The Original 2』の公開をはじめました。
スバルとウォーロックの新しい物語をどうぞご覧ください。


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