魔法少女は俺がやるっ!(TS・絶望魔法戦記) (あきラビット)
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プロローグ ☆

 日常、それはとても退屈なものだった。

 だが、それはとても幸福なものだった。

 いつものような毎日が永遠に続くものだと思っていた。

 

 

「…………」

 

 空に昇る巨大な赤い月を呆然と見上げる。

 雲もないのにフワフワと舞い降りる赤い雪を払いのけ、俺はひんやりとしたベンチから起き上がった。

 

「あー。悪いが、そこのチビ助。もう一度言ってくれないか」

 

 はいた白い息は、すぐさま赤い世界に埋もれてしまう。

 目の前に佇む少女は、俺のため息に自分の吐息を重ねながら、ごにょごにょと呟いた。

 

「だ、だからね、」

 

 決心したように彼女は笑顔で続ける。

 

「あなたは魔法少女になったの」

 

 …………。

 我ながらバカな夢をみるものだ。

 俺にそんな願望があったなんてね。はは、恐ろしい。

 

「笑えん冗談だな」

 

 ひらひらと手を振り再びベンチに横たわると、強引に目を閉じてやる。

 これは悪い夢だ。そうに違いない。

 現実世界に戻ろうとまどろむ俺の頬に冷たいモノが触れる。

 

「まだ、あったかいんだね……」

 

+ + +

 

 幸せの壊れる瞬間なんて、あっけないものだった。

 

 シアワセ――。

 

 それは、ガラスのように透明で解りづらいモノ。

 

 そして、ガラスのように簡単に割れやすいモノ。

 

 割れた破片はそれを越えようとする人をいとも簡単に傷つける。

 

 体だけでなく心さえも、それは無残なまでに。

 

 その破片に足を取られ、転んでしまわないように。

 

 何故なら起き上がるには耐え難い苦痛を伴うから。

 

 ああ……。

 

 知らなかったんだ。こんなにも幸せが脆いものだったなんて。

 

 どうして、と笑う彼女を背に、俺は泣いていた。

 

 この美しくも醜い世界をただただ呪うしかなかった。

 

 

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「もう行かなくちゃ」

 

 少女は言った。

 

「ごめんね」

 

 そう、悲しみを添えて。

 

+ + +

 

 

「……ぶぇっくし!」

 

 寒い。

 寝返りをうちながら、俺は鼻をグシグシとこする。今何時だ?

 ……いや。まぁ、いいか。

 今日もいつものように遅刻して行こう。

 むしろ、休んじまうか。面倒だし。

 今更、不良の俺なんかが定時きっかりに学校へ行ったところで熱でもあるのかと疑われるだけだろうし。

 あー。考えるだけで鬱陶しい。やめだやめ。

 とりあえず今はモーレツに眠い――包み込むような眠気に俺はそのまま身を委ねることにする。

 目を閉じ、再び眠りの中へとダイブを……。

 

「おい、そこのシラガムスメ」

 

 ダイブを……。

 

「おいってば。おめぇはいつまでグースカと他人様の布団で寝てんだよ! その自慢の白髪、真っ赤に染めかますぞコノヤロー!」

 

 朝っぱらからうるさいな。どこのヤンキー女だ。

 つーか、ムスメなんざ俺の家に居ないっつーの。

 親父と俺しかいない、町内一のむさくるしい家族をなめないで頂きたい。

 

「恐縮だが、隣の家と勘違いしちゃあございませんかねェ。あいにく、ここは男だらけの大父子家庭でね。白髪なのは認めるけれども」

 

 布団をかぶり、そう返す。やがて静寂が部屋を満たした。

 案外とまぁ、あっさり引き下がったもんだ。少し残念な気もするけれども。

 今はとにかく――眠い。

 

「さてはてと」

 

 言いながら、ぬくぬくと猫のように体を丸める。

 うつらうつらとしかけた時――どすん。

 なにかが俺の胸の上に……ぐお!

 

「寝ぼけてんじゃねぇよ。そのツラのどこが男だってーんだ!」

 

 何を。

 こいつは、さっきから何を言っているんだ。寝ぼけてんのはお前のほうだろうが。

 ああ、頭に来た。

 俺は布団から飛び起きると、フワフワと浮かぶそいつをガシっと掴んで、

 

「せっかくの俺の二度寝タイムを邪魔しやがって! この、クソ猫が――って、猫だぁ!?」

 

 即座に慌てて放してしまった。

 おいおい、こりゃあなんのジョークだ。

 なんせ俺の前に浮かぶは、ちびっこい黒猫。こいつが喋ったのだというから頭が痛い。

 ……やべえ、マジで寝ぼけてんのかも俺。

 じゃなかったら、なにかの手品か?

 そう手で猫の背中辺りを触ってみるが、

 

「言っとくが、糸なんかで吊るされてねーからな……って、これポニ子んときにも言った気がするぜ」

 

 小さな肉球をやれやれと言わんばかりに己の頭にポフッとあて、眉間にシワを寄せる。

 この仕草。この表情。

 こいつは、ホンモノだ……。

 ファービーのパチモンじゃないことだけは確かだ。

 

「なるほど。この猫、マスコミに売ったら俺は一攫千金……一生左団扇で暮らせるというわけか。ククク、益体も無い女が天から降ってくるよりも有難いな」

 

「ぬわぁにが、なるほど。だてめぇ! つーか、可愛い顔して物騒なこと言ってんじゃねぇ、このバカシラガ!」

 

 ほほう。

 口は悪いが、それもまた愛嬌。キャラ的には申し分ない。これは良い見世物になるな。

 上手くいけば遊園地のマスコットキャラクター的な立ち位置もありうるかもしれん。

 とにもかくにも悪は急げだ。

 俺はそいつを再び掴むと、勢い良くベッドから飛び降り――っ

 

「うにょえっ!?」

 

 奇妙な鳴き声を発するグニャとした何かを踏んづけ、

 

「おわっ!」

 

 盛大に転んでしまった。

 ジンジンと痛む頭を抑えながら、俺は立ち上がり、そしてギョッとした。

 何故ならば、その踏んづけた物体とは――

 

「……あうぅう、痛いよぉ! おなか破れるぅー!」

 

 どこにでもいそうな女のガキんちょだった。

 腹を抱え、ごろごろと辛そうにのた打ち回っている。

 なかなかにファンキーな動きをするものだ。今時の若者にしては筋がいい。

 ふむ、と。俺はそいつを観察してみたりしてみる。

 腰まである長い黒髪に、歳は俺より若いだろう。

 いや、それもかなりだ。見たところ小学生くらいに思える。

 俺が十四だから――四、五つ下くらいか。

 ガラガラ蛇と蜘蛛が威嚇しあっている柄というハイセンスなパジャマを着たそいつは、涙目で俺を見上げると、

 

「あうぅー! のんびり解説してないで、もっと他になんか言うことあると思うよぅ」

「おお、すまんチビ助。あまりに見事な転げ回りっぷりに見惚れてしまってな。リアクションの勉強になったよ、いささかに」

 

 いやはや、しかしまぁ。なんだ。

 

「かなり遅れた気がするんだが、一体お前らは何者――もとい、何処の妖怪だ? そしてこの少女少女した部屋はなんなんだ。

 スイーツなお化け屋敷ブームが到来することを予見しての先取りなのか」

「よ、妖怪じゃないもん。あと、ここはお化け屋敷じゃなくってボクの部屋!」

 

 そう女の子座りのままぷいっとそっぽを向くチビ娘。

 

「そうか。妖怪じゃないもんっていう妖怪か。座敷わらしにも色々な亜種がいるんだな。また勉強になったよ、いささかにな」

「違うもん! 人間だもん!」

「もんもんって、お前はモンザムライかよ。安土桃山時代からタイムスリップでやってきたのか。

 どうせなら平成なんつー下らん時代じゃなく、もっと未来にしたほうが良かったと思うぞ」

「あうぅ~、ちゃんとしたお話が出来てないような気がするよ。と、とにかく! ボクの名前は久樹上(ひさきがみ)ゆりな、だよ。

 それに、タイムスリップはボクじゃなくって、キミのほうだと思う……」

「だろうねぇ」

 

 俺は未だ温もりを保つベッドの上に座ると、手の中で黙りこくったままの黒猫をゆるりと解放した。

 何を考えているのだろうか、そいつは飛び立とうとせず、俺の手のひらの上で少女の顔をジッと見つめている。

 

「だろうねって、キミもしかして気づいてたの?」

 

 その少女――ゆりなは立ち上がると、目を丸くした。

 

「いやぁ。正直、さっきまでは頭がぼんやりしてワケがわからなかったが、今になって意識がはっきりしてきたんだ。

 ありゃあ夢かと思ってたが、お前さんの顔覚えてるぜ。俺に魔法少女どうのって言ってた奴だろ?」

「そう、だっけ」

 

 チビ娘はとぼけるように言う。

 む。まさかマジで夢だったのか。

 あの時のトンチキな格好をした少女と瓜二つの顔をしている気がしたのだが。

 似ているだけか……?

 

「いや、ポニ子。腹を決めようぜ。こいつが俺たちの目の前で召喚されたのは多分、そういうことなんだろうよ」

「でもでも! そんな、簡単に巻き込んでいいとは思わないよ。確かに少し魔力は感じるけど、でも『魔法使い』になるってことは……」

「大丈夫さ。このシラガ娘は絡みづらいが、肝は据わっている。魔法使いとしての素質も十ニ分にあるぜ、ポニ子ほどじゃあねぇけどな。

 それに、戦力は一人でも多い方がいい」

「……無関係の人なんだよ。ダメだよ、そんなの」

「この世界に、魔力を持って召喚された。これのどこが無関係なんだっつうの。――おめぇの気持ちも解るけどよ」

 

 なにやら、やっこさん達で勝手に話を進めてやがるし。

 当事者置いてけぼり過ぎるぞ。

 ま、どうでもいいがな。

 魔法使いだかなんだか知らねぇが、テキトーに相槌打って、俺はとっとと家に帰らせてもらうだけだ。

 手土産にこの、世にも珍しい空飛ぶドル札をぶん捕まえてな。

 きっと喜ぶだろうな、親父のヤツ。

 

「もしかして、あのお婆ちゃんが召喚したのかな……」

「だろうな。あのババアの仕業とみてほぼ間違いないと思うぜ。あまりにもタイミングが出来すぎてるからな。

 どっかの世界から魔法使いになりえそうなヤツを引っ張ってきてやるから、とっととパンドラの箱を封印してくれってことだろう。

 それくらい、切羽詰ってるんだろうさ」

「それならそうと、言えばいいのになぁ」

「何か考えがあるのかもな。……まぁ、あのババアはまともじゃねぇから、なんとも」

「あ、ってことはだよ。いっぱいある世界の中から選ばれた一人ってことだよね。

 じゃあ、もしかしてものすっごーい期待の新人さん?」

「キャパシティーに関しては、お前の方が優秀だとは思うが。

 まぁ、まだ杖も持たせてねぇんだ。どれくらい素質があるのかは正直、見当もつかねぇな」

「そっかぁ。そういえば、杖って言ってもボクのしかないよ?」

「ああ、それについてなんだが――」

 

 長い、長すぎる。

 暇をもてあました俺は、とりあえずゆらゆら動く黒猫の尻尾をちょいちょいと指で弾いて遊ぶことにした。

 ていっ、ていっ。ててていっ。

 

「だぁ、バカシラガっ! 人が真面目に話してるときに尻尾にジャレつくんじゃねぇ!」

 

 すさまじいスピードの猫パンチが俺の左頬を強打した。

 つーか、人じゃないだろお前!

 

「いってて、よくもやりやがったな、クソ猫ぉお……」

 

 このジャジャ猫め。俺が猫派だからといって下手に出ればこんちくしょう。

 

「けっ、さっきからクソ猫クソ猫って。オレの名は――クロエだ。霊獣クロエ。無い頭によぉく叩き込んでおくんだな」

「ほう。そうかい。化け猫さんにも名前があるとは結構なことだね。

 んで、クロエさんよぉ。その霊獣というのは一体なんだね。苗字にしてはいささかに訝しいものだが」

 

 と、俺はからかい気味に言ってみる。

 しかし。

 

 答えたのは少女のほうだった。

 

「色々、疑問があって当然だよね。大丈夫、まとめてボクから説明するよ。ボクもイマイチわかんないところ、あるけど……。

 でも、その前にキミの名前を聞かせてもらえると嬉しいな」

 

 澄んだ黒い瞳。無垢な視線が突き刺さる。

 ああ――こういうの苦手なんだよな、俺って。

 

 テレビでたまにやるような動物特集なんてものが親父は好きらしく、よく居間で観ているんだが、

 俺はあいつらの人を見透かしたような瞳がキライでね。

 どうしようもなく胸がモヤモヤして、いつもすぐに席を立つんだ。

 

「どうしたの?」

 

 ゆりなが俺の顔を覗き込む。

 まただ。

 胸がチクっと痛み、俺はため息をついた。

 そんな目で、あまり見ないでくれとも言えねぇし。

 

「……ああ、そうそう。名前、ね」

 

 まあ、こいつらに本名を明かす必要もないだろう。

 どうせ長い付き合いんじゃないんだ。テキトーでいい。

 俺はフッと視線を逸らすと、小さな学習机の上に置いてある一冊の本に目をとめた。

 季節の花図鑑――か。

 そいつをパラっとめくりながら、俺は気だるくこう答えた。

 

「あー。俺の名前は、シャクヤク。よく、人に珍しいねって言われます。でも覚えやすいようで近所のおばちゃんには大好評です。

 恐縮だけれども、ヨロシクどうぞして頂ければこれ幸いってなもんで」

 

 しばしの間。

 

「あんだぁ、その妙ちくりんな名前は! オレの事言えねぇだろ! つーか、お前。今、その図鑑からとっただろ!」

 

 クロエが毛を逆立てて矢継ぎ早にツッコむ。

 いやま、そりゃ当然の反応だ。

 

「ええと。それについてはだな、」

 

 言いかけたところで、黒髪少女がずいっと割り込んで、

 

「ダメだよ、クーちゃん! ボクは、とっても可愛い名前だと思うもん。

 シャクヤクちゃん……、ううん。しゃっちゃんって呼んでいいかなっ?」

 

 と。

 

 んな名前あるわきゃないのに。フツー信じるかねぇ。

 それに言いづらくないか、そのしゃっちゃんってのは。妥協してさっちゃんでもいいんだぜ。

 某大手の幽霊様とかぶっちゃいるが、さ。

 

 いやはや、まったくもって。なんだろうねぇ、この子は。

 俺にはどうもこの子がわからない。今までの人生で会ったことないのだ、こんな娘に。

 ――いや、こんな人にか。

 

 だから、この時の俺はどう答えればいいかわからず、アホ面満開にただ頷くしかなかった。

 

「わーい、やったぁ! じゃあ、自己紹介も済んだことだし。かいつまんで説明するね。ボクたちのこと、魔法のこと、この世界のこと。

 そして――キミのことを」

 

 言うと、ゆりなは俺の隣にそっと座り、

 そしてゆっくりと……たどたどしく話を始めた。



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第一石:シャクヤク異世界に立つ!!

「ある日ね、ボクん家に小さな箱が送られてきたの。

 キラキラたくさんの宝石に彩られた、とても可愛い小箱。ええっと、確かこの辺に」

 

 言うと、ベッドの下からもぞもぞと小箱を取り出した。

 ほぉ……。

 ごてごてとまぁ、立派なものだな。

 

「でしょでしょっ! それでね、一体何が入ってるんだろうって開けてみたら、凄い数の宝石がつまってたの。

 赤いのとか、青いのとか。とっても綺麗な宝石たちがいっぱい。

 綺麗だなーってしばらく見惚れてたんだけど、急に爆発したの。どっかーんって」

 

 はて。爆発した割には焦げ痕が見当たらないが。

 というか、よく五体満足でいられたな。

 そんな至近距離で爆発があったというのならば、普通無事では済まないと思うのだが。

 

「ち、違うよ。そういう爆発じゃなくって、なんていうのかなー。

 七色の光が、ぶぁ~って! それでそれで、中に入ってた宝石が、ばびゅ~んって、……えっと、あのあの」

 

 ぶぁ~、に。ばびゅ~ん、ですか。

 まるで子どもみたいな説明だな――って、子どもだったな。そういや。

 しょうがねぇかと溜め息をついた俺に、ゆりなが慌てて両手を振る。

 

「ふぇえ~っ。しゃっちゃん、ごめんね! あうう、クーちゃん助けてぇえ」

 

 説明係りに任命されたクロエは嫌な顔をするかと思いきや、

 待ってましたとばかりにゆりなの頭上へと着地すると、

 

「へっ。だろうと思ってたぜ。しょうがねぇな、ここからはオレが説明してやる。

 よぉく耳の穴かっぽじって聞くんだな。ええっと、なんだ。そうそうこの箱だ。

 こいつは、『パンドラの箱』ってんだ」

 

 パンドラだぁ? こんなちっこい箱がそんな壮大な箱には見えねぇぞ。

 いささかに、怪しいものだな。

 

「怪しめ怪しめ。オレだって正直な話、これがあの伝説のパンドラかどうかは半信半疑さ」

 

 けけっと笑いながら、

 

「だが、このパンドラ――もしくは、パンドラモドキにはあらゆる災害、すなわち『厄災』が詰め込まれていた。

 ……これはマジだ。そう、伝説の箱そのままにな」

 

 災害か。

 

 地震、雷、火災、みたいなアレかい。

 

「あぁ、そんなところだな。

 んで、それらの厄災は『七匹の霊獣』と呼ばれる護り神に一つずつ封印され、箱に詰められていたんだ。

 ここ数百年は何事もなくピースの元で保管されていたんだが、何がどう回りまわってか、こいつ――ポニ子んところに突然パンドラが送られちまったワケ。

 そして、」

 

 しばらく聞き入っていたゆりながそれに続けて、

 

「そしてね。ボクがそれを開けちゃって、霊獣さん達みんな散り散りに飛んで行っちゃったんだ……」

 

 なるほどな。

 爆発というのは、そいつらが逃げ出した瞬間のことを言ったのか。

 

「……うん」

 

 こくんと、すまなそうに俯く。

 足場を失った黒猫は慣れた動きでゆりなの肩へと移動すると、

 

「だぁら、おめぇは悪くないっつーの。ピースのヤローがちゃんと見張ってねぇから悪いんだ」

 

 ええとだな。

 とりあえず『ピース』とやらが何なのか見えてこないのだが。

 

「ああ、ピースっつうのは詳しく説明すれば長くなるが、端的に言えば魔女だ。この世界で現存する唯一にして最強の魔女。

 これは、ババア本人が言っていたから本当かどうか定かじゃねぇケド」

 

 あんだそりゃ?

 一人しかいないってんなら、そんなの自動的に最強になるだろ。

 

「にっしっし、ごもっともで。……ま、ただの言い間違いだと思うぜ」

「う~ん。ボクは本当にサイキョーだと思うなぁ。もし――他にたくさん魔女さんがいたとしても、ね。

 だって、あのお婆ちゃんからあんなすっごい魔法の力をもらったんだから。絶対、ずぇったい、強い魔女さんに違いないよっ」

 

 これはこれは、自信おありなようで。

 会ったのかい、そのピースという婆さんに。

 

「ううん。声だけ、かな」

「滅多に人前に姿を現さないからな、あの婆さんは。出てきたとしても、いつも不気味な面をかぶっていやがるし。

 そーいや、オレでさえ素顔は見たことねぇかも。まぁ、それは置いといてだ。

 そのピースから魔力と杖を授かったポニ子は、飛んで行ってしまった宝石を集めなきゃいけねぇことになったワケ」

 

 ははぁ。

 なにやら凄い魔女だというのは分かったが、そんなに凄い凄いと言うのならば、そのピースとやらが直々に宝石を探しに行ったほうが早いんじゃあないのか。

 わざわざ、ペーペーの子どもに魔法伝授なんていう、まどろっこしいやり方じゃなくてよ。

 もたもたしてちゃあヤバイんだろ、厄災っつうくらいだし。

 

「真っ当な意見だな。オレもそう思うぜ。まぁ、答えは単純な話だ。

 あのババアは――ピースはまともなヤツじゃない。何を考えているのか分からない変人さ。あいつは自分ではさらさら動く気がないらしい。

 だが、ポニ子ひとりじゃあ全ての宝石を探し出すには、さすがに時間がかかりすぎるってことで、」

 

 なるほどねぇ……。中々に読めてきたぞ。

 俺がァ、アレかい。そういうことかい。

 

「ご明察」

 

 黒猫がニヤリと笑う。

 

「そう、おめぇに白羽の矢が立ったというわけだ。ポニ子とシラガ娘の二人でならスムーズに宝石を集められるだろう、ってな」

 

 あー、予想以上に面倒な話だ。

 そんじゃま、ここいらが引き際かね。

 

「へぇへぇ。そりゃあ光栄痛み入る話で。だがね。恐縮だけれども、辞退させてもらうよ。

 俺ァ、ロボットやSF世界なんてものは好きだけどよぉ、魔法なんてものには一切ピンともカンとも興味が沸かなくてね。

 もう一度ピースという婆さんに選抜し直してもらうことをオススメするさね。

 やりたいヤツは沢山いるだろうし。悪ぃけれどもってことで、そろそろお暇を――」

 

 俺の言葉に、ゆりなが顔を上げた。

 

「うん。しょうがないよね。……無関係なしゃっちゃんを巻き込むわけにはいかないし。大丈夫だよ、ボクひとりで出来るもん」

 

 うお。またあの瞳だ。やめてくれっての、それ苦手だから。

 あと、しゃっちゃんはやっぱり言いにくいだろ。

 

「……ひっぐ、うぅ」

 

 って、おいおいマジかよ。

 ぽたぽたとゆりなの瞳から大粒の涙がこぼれ始めたところで、耐えきれなくなった俺は立ち上がって、

 

「まァ。そう悲観しなさんな。すぐに代わりはやってくるさ。次はきっと、俺より男前なペンペン草クン辺りが来るだろうさ。

 そしたら、ペンペンちゃんとかペン草ちゃんとか噛まないような名前で気軽に呼べるぞ。喜べ。そして笑え。出来たら泣き止め」

 

 と。

 俺にしちゃあ頑張ったほうなんだが。

 しかしながら。

 

「……ひっぐ、しゃっちゃんのほうが可愛いもん。ひっぐ、噛まないもん。ひゃっちゃん、うぇぇえん」

 

 いやいや、さっそく噛んでるし。

 

「あーあ。ポニ子を泣かしてやんの、バカシラガ。しーらね、しらね。ピースに言ってやろ。けけっ」

 

 クロエが茶化しながらふよふよと面白そうに俺の目の前を飛び回りやがる。

 

「クソ猫ォ。ふざけてねぇで、どーにかしてくれよ。男が子どもを、しかも女を泣かしたとくりゃあ、親父に申し訳がたたねぇって」

 

 言い切った俺だったが。

 ん――? なんだ、この空気は。

 さきほどまでケラケラと楽しそうに浮遊していたクロエが突然ストップし、

 

「……男がぁ?」

 

 訝しそうな目で嘗め回すように俺の顔を見る。

 ついでに、わーわー泣いていたゆりなも、きょとん顔で俺をジィっと見上げている。

 

「……子どもを?」

「な、なんだよ。俺のツラに何か変なものでも、」

 

 言いかけたところで、そいつらは顔を見合わせてドッと笑い出した。

 

「にゃははははっ! 男が、子どもを、だってよ! こいつは笑えるぜっ」

「だ、ダメだよクーちゃん。しゃっちゃんは本気で気付いてないんだよ……ぷっ、あははは!」

 

 ちょっと、タンマ。マジで何を笑ってんのか理解出来ないのだが。

 いやいやいや。そんな、お二人さん。

 笑い転げてるところすまないけどもさ、なにがそんなにツボに入ったんだって。

 さっきまでの涙を笑い涙に変えたゆりなが、うろたえる俺に、

 

「しゃ、しゃっちゃんの後ろに鏡あるから、それ見てみるといいよ」

 

 鏡ィ?

 身体をねじると、確かにそこに鏡があった。

 

「鏡はあるけどもよぉ。それが、どうしたって――」

 

 時が止まった。

 こんなありきたりな表現が精一杯だった。

 全細胞がそれまでの作業を中断し、口々に「どういうことだよ……」と騒ぎ立てているかのような。

 それほどまでに、鏡の中は狂っていた。

 

「どうだい、生まれ変わったてめぇの姿は。可愛いじゃあねぇか、いささかに。ってかぁ? にっしっしっ!」

 

 黒猫のからかいにツッコむ気すら起きん……。

 

「おかしいなーって思ってたけど、本当に気付いてなかったんだね。しゃっちゃんってば」

 

 ああ、そうさ。今の今まで気付かなかった。笑われて当然だったな。

 

 なんて――バカバカしい。

 

 なんて――滑稽な。

 

 くるんとカールしたまつげ。震える桃色の唇。

 ふんわりと緩いカーブに整えられた白い長髪。

 版権もののネズミがプリントされたガキくさい白のキャミソールに、やたらに丈の短い水色のスカート。

 

「なんじゃこりゃ」

 

 鏡の中のチビ女が俺の挙動を逐一真似やがる。

 シャドーボクシングをすれば、鏡の中のそいつが微笑ましいパンチを繰り出すし、

 メンチを切る仕草をすれば、鏡の中のそいつは悩ましげな表情をするし――

 

「って、なんじゃこりゃぁあ!!」

 

 両手を振り上げて膝から崩れ落ちつつ、もう一度だけ念のために叫んでみる。

 

 が。

 

 やはりというべきか、

 掃除の時間にテンションがあがってふざけちゃいましたと言わんばかりのガキんちょが鏡の中にいた。

 

 ふむ。

 

 少し乱れてしまったスカートと前髪をちょいちょいと直しながら、こほんと咳きを一つ。 

 

 

「おい、コラァアア! ニャン畜生ォオオオッ! 命が惜しけりゃ、悪いことは言わねぇ。俺様を元の姿に戻せ、いますぐにだッ!」

 

 隣でニヤニヤと笑う黒猫の尻尾をシャカシャカと振りながらすごんでみるが、

 

「そいつは無理な注文だな。オレに言われても、こればっかりはおめぇを呼んだピースじゃねぇとさぁ」

「だったらピースを呼べ! 俺は男に戻って元の世界に帰るっ。こんなふざけた話があるかよ!」

 

 言うと、クロエはスッと真顔になって飛び上がり、

 

「――元の姿に戻り、そして元の世界に帰りたいのなら、いくら探したって方法は一つしかないぜ。

 お前が第二の魔法少女となり、ポニ子と……ゆりなと一緒に散らばった宝石を全て集めることだ。どうあがいても、これしかテメェに道はねぇよ」

 

 俺を見下ろしながら、冷ややかな口調でそう告げた。



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第二石:まな板の上の猫

 こいつは……。

 なんて、簡単に言いやがる。

 だいたいに何故、男の俺がガキ娘の姿に変えられてまで宝石とやらを探さなきゃならんのだ。

 ハナっから女を選んで、そいつにやらせりゃあいいのに。

 魔法少女なんてもんは、女の仕事だろ。

 

「さっきも言ったが、ピースの考えはオレだって良くわからねぇぜ。

 これは多分だが、察するに大物になりうるであろう素質さえ備わってりゃ、性別はどっちでもいいのかもしれねぇな。

 どうであれ、性別を変えるくらい、あのババァだったら朝飯前だろうし」

「だから、どっちでもいーなら、なんでワザワザ女に変える必要があるんだ。男のまんまでいいだろ。魔法少年ってことでさァ」

「あー。言われてみりゃ、そうだな。うーん。ほら、アレだろ。ピースの趣味。魔法使いは、やっぱり少女じゃないとダメっていうさ」

 

 イヤな趣味のババァだな……。

 

「自分が歳を食ってるっていうんで、若い女を従えてピチピチエネルギーを吸収しようとしている、とかな。にっしっし!」

 

 ピチピチエネルギーて。

 

「魔法世界の上下関係なんざ、まったくもって知らないけどもよォ。そいつは偉い魔女なんだろ?

 よくそんな口の悪さでやっていけるな。俺がピースだったら、とりあえずお前さんをクビにするぞ」

 

 言いつつ、ゆりなの横へどっかりとあぐらをかいた俺に、

 

「それは出来ないと思うよ。だって、クーちゃんは特別だもん」

 

 すっかり笑顔を取り戻したゆりなが、自慢げに無い胸を仰け反らせながら言う。

 

「しゃ、しゃっちゃん!」

 

 ……ん?

 

「むーっ! ボクだって一応女の子なんだからねっ」

 

 ふうん。

 イッチョ前に顔赤らめて、まァ。

 

「わりぃ、うそうそ。言葉の綾だって。日本語むつかしいアル」

「うー。訂正を要求します!」

 

 謝罪までいかなくて良かったよ。

 

「オーケイ」

 

 んじゃ、えーと。

 すっかり笑顔を取り戻したゆりなが、自慢げにナイスバディを仰け反らせながら――

 

「そ、そーゆー意味じゃないよっ!」

 

 泣いたり笑ったり怒ったりと。

 なんとも忙しい奴だな。

 

「あっ」

 

 ゆりなが驚いた声を出し、俺の顔を覗き込む。

 

「な、なんだぁ?」

「今、しゃっちゃん笑ったでしょ。とっても可愛かったよ」

 

 にへへーと屈託のない笑みを向ける少女。

 ……ったく。

 俺ばかりが面食らって、どうもね。割に合わん。

 そうだな、ここはひとつ。

 

「なんだ知らなかったのか、俺はどんな表情でも可愛いんだぜ」

 

 耳にかかる髪をかきあげながら言ってやる。

 ちなみにこの仕草は俺が一番グッとくるヤツだ。

 

「うんっ!」

 

 って、おい。

 

「そこは否定してくれって、冗談に決まってるだろうよ。恥ずかしい」

「えへへ。恥ずかしがってるしゃっちゃんも可愛いよ」

「……そりゃどーも」

 

 そういえば。さっき、こいつに顔を覗き込まれても胸が痛まなかったな。

 どうでもいい話ではあるけども。

 

「仲良きことは美しきかな。微笑ましいところ悪いが。おめぇら、ちょっち窓の外を見てみそ」

 

 唐突に、クロエがシリアスな声色で言う。

 

「へ?」

 

 二人で外を見やる――と。

 朝焼けの中に一匹の蝶々が舞っていた。何故かその羽根は淡緑色に発光している。

 

「ほよー。光ってるキレイな蝶々さんだ。あはは。やっぱし気になるんだ?

 なんだかんだ言って、クーちゃんって猫さんだよね。今日のにゃんこってテレビに出てた子も蝶々さんと遊ぶの好きだったし」

 

 クロエはやれやれとばかりにため息をついて、

 

「バーロォ。おめぇさァ、羽が光ってるテフテフなんざ現実にいるわきゃねーだろ」

「えっ!?」

 

 俺たちは同時に驚いた。

 浮遊する猫が存在しているくらいなんだから、光ってる蝶だっていそうなもんだけどな。

 

「シラガ娘は勘違いしてるみたいだが、オレたちが特別なだけであって、世界自体は至極真っ当なんだ。

 みんな、魔法なんて現実にあるとも知らずに暮らしている。それこそマンガやアニメの世界のものだって認識さ」

 

 ということは、俺が元に居た世界とあまり変わらないのか?

 

「どうかな。まず、おめぇがどういった世界に居たかを知らねぇし。まぁ、自分の目で確かめてみることだな、早速よ」

 

 早速――?

 

「オレの話きいてたろ。パンドラから逃げ出した七匹の霊獣を魔法でぶちのめして捕獲し、宝石へと再度封印をするってよ」

 

 逃げ出した霊獣と宝石集めどうのはきいた気がするけども、具体的な流れは今初めて知ったぞ。

 

「じゃあ、今言った。ほら、ボケボケしてねぇであの蝶々を捕まえに行くぜ、ポニ子!」

「ええー!? せめて着替える時間が欲しいよぉ。出来れば髪を結う時間も……」

「んなノンキに構えてる余裕あるわきゃねぇだろ!」

「は、はう」

 

 どてらだけでもと、羽織ってバタバタ部屋を出て行くゆりなと黒猫を見送り、俺は肩をすくめた。

 いやはや大変だねぇ、魔法少女とやらは。こんな朝早くから出勤だなんてさ。恐れ入るね。

 

「さてはてと」

 

 ベッドの中へ入り、ぬくぬくと猫のように体を丸める。

 うつらうつらとしかけた時――どすん。

 なにかが俺の胸の上に……って、ぐお!

 

「このやり取りさっきもやっただろ。いーから、おめぇも来るんだよ、バカシラガ!」

 

 二度も踏んでくれやがって。小さい胸が更にへっこんじまうだろうが。

 

「……小さいもなにも、まな板同然じゃねーか」

「むーっ! あたいだって一応女の子なんだからねっ」

 

 頬を膨らませて、言ってみたり。

 

「わぁった。漫才ならあとでいくらでも付き合ってやるから、マジでもう行くぜ」

 

 呆れ口調で返される。

 

「へぇへぇ、切羽詰まっているようで」

「放っておいたら、誰かに見つかって大騒ぎになるかもしんねーしな。それならまだしも、暴れて町を壊されたりなんかしたらもっと厄介だ」

 

 厄災を抱える獣、か。

 久々のシャバだ。遊びたくなるのも解る。

 やむかたなし。

 行くしかないってワケねぇ、どうしても。



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第三石:コロナ、シャクヤクと

 外に出るとゆりなが今にも泣き出しそうな顔で、

 

「ど、どうしよう、見失っちゃったよぉ」

 

 せわしなく足踏みをしながら言う。

 その足踏みに意味はあるのかと問いたくなるが、その前に黒猫のツッコミが入った。

 

「あんだと、先に追いかけてろって言ったじゃねーか!」 

「だってぇ、一人じゃ心細いんだもん……」

 

 にへへと照れながら、両人差し指の先端を合わせてモジモジ。

 なんともまぁ。

 現実にそんな仕草をするヤツ本当にいるんだな。

 

「かぁー、なっさけねぇ」

 

 やれやれと大げさに嘆くクロエ。

 

「いやはや、それでも天下のグレート魔法少女かィ?」

 

 続いて俺もからかい気味に言ってやる。

 

「はぅ。ボクは天下でもグレートでもないよ……。この前なったばっかだし、魔法だって全然知らないもん」

 

 そう、うな垂れるゆりなに俺は肩をすくめた。

 うーむ。マジメに返されてしまうと、なんとも。

 

「っつーか、ポニ子を責めてんじゃねぇ、おめぇがチンタラしていたからだろ!」

 

 突如、繰り出された猫パンチがみぞおちにクリーンヒットする。

 へそ丸出しルックの今の俺にそれは大ダメージなワケで。

 誰だよ、キャミソールなんて防御力皆無なもんを俺様に着させた奴はァ。

 

「イテテ、こんのバカ猫ぉ……自分だってガーガー言ってたクセに」

「いいんだよ、オレは。ポニ子をイジめていいのはオレだけだ、おめぇにはまだ早い。いささかにな」

 

 ふんぞり返って言う黒猫に、俺とゆりなは顔を見合わせた。

 なんだその、好きな幼馴染の女の子にちょっかいを出したヤツに怒り心頭のガキ大将が胸ぐらを掴みながら言いそうなセリフは。

 

「……よくそんな例え、瞬時に思いつくよな」

 

 それは賛辞として、受け止めておくことにしよう。

 

「あ、あのぅ……。クーちゃん、蝶々さん追っかけなくていいの?」

 

 と、ゆりなの発言にクロエはハッと思い出したかのように、

 

「おっと、そうだった。それじゃあここは二手に分かれて探そう。オレとポニ子は左へ行く、シラガ娘は右を頼むぜ」

「ほい、了解うけたまわりっ! しゃっちゃん、見つけたら知らせてねっ」

 

 そう言って、そそくさと二人で立ち去ってしまった。

 ポツーンと佇む俺の目はきっと点のようになっていたことだろう。

 おいおい、ちょっと待ってくれ。一つ疑問なんだけどもよォ。

 見つけたら知らせろってさァ、どういった手段で知らせりゃいいんだよ?

 心の中で嘆いた後、俺は一人寂しく右の道へと歩を進めることにした。

 

+  +  +

 

 口笛を吹きながら頭の後ろで手を組み、適当に歩き回ってはみるが――

 

「いねぇじゃんよ……」

 

 周りを見渡せど、それらしい蝶なんざ一匹たりとも見当たらない。

 トンボや天道虫なら山ほど見かけたけどさ。

 

「やってらんねぇ」

 

 俺は公園のベンチに腰を下ろして、空を見上げた。

 ゆっくりと流れる厚い雲、暖かい陽光。鳥のさえずりが眠気を誘う。

 

「なーにやってんだろ、俺ァ」

 

 知らん世界に飛ばされて、いきなり知らん道を歩かされて。

 魔法少女になれだの、霊獣とやらを捕まえろだの……よ。

 これがロボットに乗って世界を救えとかいう、熱い展開ならまだ気は乗らないでもねェが。

 

 ――ん?

 

 そもそも、何故俺はあいつの言うことをマジメにきいているんだ。

 黒猫の言葉を思い出してみる。

 たしかあいつは、俺が第二の魔法少女となり、あのチビ助と一緒に全ての宝石を集めない限り、元の姿および元の世界に戻れないと言ったな。

 

 もしも、それ以外に方法があるとするのならば。

 

 例えば、扉みたいなモノがあって、そこへ入ると現代に戻れるみたいなさ。

 そんなもんなくとも、何か情報が掴めるかもしれない。今はちょうど自由に行動出来るし。

 あいつらと仲良しごっこをして宝石を集めるなんざ、長ったらしくてやってられんし、それ以上に性に合わん。

 

「どうせだったら……脱出方法を探ってみるか?」

 

 そう一人呟いたつもりだった。

 しかし、その時。

 

「肯定です。探ってみましょうです」

 

 小さな返事が返ってきた。

 ゆるりと視線を下げると、目の前に少女が立っていた。

 俺だって今は少女の分類に入るかもしれねぇが、その声の主は更に幼かった。

 

 いいところ四、五才あたりか? 

 今にも眠ってしまいそうなトロンとしたエメラルドグリーンの瞳に、

 ペリドットカラーのさらさらツーサイドアップ。

 やけに袖の長い園児服のようなものを身にまとった彼女は、一旦視線を彷徨わせたあと、

 

「肯定なんです」

 

 もう一度、俺をジッと見つめて言った。

 こりゃあ。どう見ても俺に向かっての発言だよなァ。

 次から次へと――今日は間違いなく厄日決定だ。

 

 さてはて。

 

「あー、外回りで疲れてるんだ。日本のお父さんは忙しくてなぁ。今日なんてまだ一台も契約が取れなくてさ。

 来週までに三台は取って来いなんてムチャ言うんだぜ、まったくもって、現場が見えてねェんだよなデスクワーカー共って奴ァ。

 とまぁ、詰まるところのあっちへ行って一人で遊んでくれると助かるのだよっつう事だ。しっし」

 

 手を振るジェスチャーを見ていないのか、そいつは眠そうな目をパチクリして、

 

「パパさんなんですか? ママさんに見えます」

「ママさんって……んな歳でもねぇよ。見てみそ、このピチピチの玉のような肌をよ」

「否定です。コロナのほうがピチピチなのです」

 

 そりゃまぁ、お前さんに比べたら敵わんて。

 

「ま、んなこたァどーでもいいワケで」

 

 俺は背後にある、カラフルな遊具を親指で指しながら、

 

「悪ィけれどもよ、チビチビ助。遊び相手なら、そこのジャングルジムさんにでも頼んでくれ」

 

 しかし、そいつは動かずにただひたすらと俺を見つめ続ける。

 

「あんだよ……。言いてぇ事あるんなら素直に言ったらどうなんでぇい」

「自分はコロナです。チビチビ助ではないのです」

 

 あーそう。

 

「そりゃあ、すまなんだ。じゃあチョココロネちゃん、そろそろおいちゃんはお暇させてもらうよ」

 

 言って立ち上がり、腰をポンポンと叩いていると、

 

「コロナです。チョコは入ってませんので、あしからず」

 

 ぼそっと呟き、俺のスカートを掴みやがる。

 なんなんだよ。何が目的なんだ、こいつは。

 

「わかったわかった」

 

 やや乱暴にチビチビ助の頭をグシグシと撫でて、

 

「あばよ、コロ美!」

 

 そう颯爽と立ち去ろうとするが、一向に前に進めん。

 振り返ると、コロナが未だに俺のスカートを掴んでいる。

 っつーか、何だこのパワー。ガキんちょの力じゃねぇぞ。

 

「だぁら、なんだってんだよ!?」

 

 俺が語気を荒げると、そいつは一瞬ビクっとしたあと、

 

「コ、コロナは……喉が渇いたのです」

 

 指をくわえながら、チラッと公園中央あたりの水飲み場を一瞥する。

 

「あぁ? するってぇと、おめぇさん俺にあそこへ連れて行ってもらいてぇのか?」

 

 眉をひそめる俺に、コロナはコクンと頷いた。

 まぁ、確かに水が出る場所はやや高い位置にあるな。

 このチビチビ助なら抱っこしてやらなければ届かないだろう。

 それくらいなら――そう考えていると、

 

「……やっぱ、いいのです。否定するです」

 

 急にそいつは首をぶんぶん振って、俺のスカートから手を離した。

 

「ごめんなさい、ママさん」

 

 探さないでください、と続けてトボトボと歩き去っていく。

 一体なんの心境の変化があったのか。

 ま、これで邪魔者は居なくなったな。

 

 邪魔者は――

 

 その時、俺の頭の中に嫌な思い出がよみがえった。

 久しく忘れていた、あの吐き気のするようなやり取りがリフレインする。

 

「……あー、マジ面倒くせェ」

 

 俺はスカートのポケットを探った。

 こちらの世界に召喚される前、確か俺はコンビニへと買い物に行くところだった。

 そこらへんの記憶が途絶えている為、多分その途中で俺はこちらに召喚させられたのだろう。

 だから、確信はあった。

 

「四百円と、ひぃふぅみぃ……三十円か。この世界の自動販売機、日本の金使えりゃいいけど」

 

 俺は小銭をもう一度ポケットに押し込み、

 

「この俺が、センシティブに」

 

 自分の柄にもない行動に嘲笑しつつ、あのチビチビ助を探すことにした。

 

+ + +

 

 程なくしてそいつは見つかった。

 そりゃあ、同じ公園内でブランコを一人で漕いでいたからな。

 探してくれるなと言う方が無理がある。

 

「おい、コロ美。行くぞ」

 

 声をかけるとそいつはビックリしたように顔を上げた。

 

「え?」

 

 コロナの前に腰を下ろす。その時、一瞬彼女が目をつぶったように見えた。

 多分、恐がっているのかもしれない。いや、絶対だな。

 そりゃあ前の世界では散々恐がられてはきたが……なんだろうな、この胸の痛みは。

 ただの成長痛だと思いたいところだがね。

 

「あぁ、そうか。こうだな」

 

 くるりと回転し、背中を見せる。

 

「もしかして、おんぶですか?」

「肯定するぞ」

「で、でも」

「乗らねぇなら、今日の営業は終わりだ。さっき無線で、空いてるようなら三丁目の山川さんを乗せてくれって頼まれたもんでさァ」

 

 テキトーに言うと、

 

「の、乗るですっ!」

 

 そう背中にダイブを決め込むコロナ。

 

「軽い軽い」

 

 よっこいせとおんぶし直して、立ち上がる。

 さぁて、自販機はどこかね。

 

+ + +

 

 その後、なんとか自販機でジュースを買えた俺たちは、先ほどの公園のベンチへと舞い戻っていた。

 

「うめぇーか?」

 

 ついでにと自分の分に買ってきた八十円で二個入りの乳酸菌飲料を呷った後、訊いてみる。

 コロナは両手でペットボトルを掴みながら、

 

「肯定、ガボガボ。美味しい、ガボガボ。れす」

「いや、無理に声を出さんでもいい。こんな公園のど真ん中で溺れ死んでもらっても困る」

 

 しかしまぁ、どんだけ喉が渇いてたのやら。

 みるみるうちにボトル内のはちみつレモンジュースが無くなっていく。

 

 やがて、

 

「けぷ」

 

 と小さなゲップをすると、ペットボトルを下げて、同時に頭も下げる。

 

「ありがとうです、ママさん。完膚無きまでに幸せでした」

「いささかに間違えているような気も否めないが、まぁ喜んでもらえて何より。

 あと俺はまだママって歳でもなけりゃあ、性別でもねぇから。そこんところ宜しくってなもんで一つ」

 

 さて、いい加減に時間を食いすぎたな。あのバカ猫にどやされるのもシャクだし。

 そろそろ、ガキのお守りはこれくらいでいいだろ。

 

「んじゃあ、今度こそあばよチビチビ助」

 

 頭をポンポンと優しく撫で、

 

「……悪かったな。さっきは恐がらせちまって」

 

 一応言っておく。別に本心ではないからな。

 親父に女子供を泣かせるなって言われたからさ、ただそれだけの話だ。

 今度こそすんなり帰してくれるだろうと踏んでいた俺だったが、

 

「ママ、ううん。パパさん」

 

 再びスカートを掴まれ、前につんのめってしまう。

 

「次はなんだァ? ションベンに連れてってなんざぬかしやがったら――」

 

 やれやれと振り向くと、

 

「目、目がピカってる!?」

 

 俺はギョっとして半歩さがった。

 なぜならコロナの緑眼がライトのように光っていたからだ。

 比喩などの表現ではなく、マジで明滅しているワケで……軽くホラーの領域入ってるぞ、こりゃあ。

 

「……来てください。渡したいモノがあるのです」

 

 度肝を抜かしている俺をコロナがさらりと促す。

 来てください、と言われてもなァ。

 

「そう仰られましても。親父に、知らない子どもについて行ったり、物を貰ったりしたらダメと言われているもんでさァ。

 いやはや、色々な意味でね。今のご時世」

 

 と。

 

 おどけて言ってみるが、

 

「パパさんには無くてはならない、とっても大切なモノです。お願いです、コロナを信じてみちゃってください。はちみつレモンのお礼なんです」

「そらまたご丁寧に。……どうしてもって、ワケかい?」

 

 首肯を一つ。

 

「わぁーったよ、そんなに遠くないなら行ってみるさ」

 

 だって。そう言うしかねぇじゃん。

 あんな、どこを見ているのかわからないような瞳で、口を真一文字に結んじゃってさ。

 逆らったら何をされるか。なんていうのか、アレを感じるぜ。ええとアレは――

 

「ぷれっしゃあ」

「そうそう、プレッシャーだ! って、ちょい待ち。ひょっとしておめぇさん人の心が読めるのか?」

 

 嘘だろ、おい。エスパー少女って奴か?

 いや待てよ、もし読めるとしたら。

 

 ふむ。

 

 こいつをさらって一儲けできるかも……いや、その前に帰れないんだっつーの。

 

「否定しますです。パパさんだから読めるのかもです」

 

 なんじゃそりゃ。俺の心だから読めるって、どういう意味だよ。

 俺が首をかしげていると、そいつは無言のまま踵を返してスタスタと歩いて行ってしまった。

 

「お、おい! 待てってば、コロ美!」

 

 慌ててついて行こうとする俺に、チビチビ助が振り返って、

 

「あと、コロナのことをお金儲けに使おうなんて考えちゃ、めっです」

 

 そう釘を刺されてしまった。

 飛んで喋る猫とエスパー少女、中々良い金になると思ったのだが。

 これはこれは。



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第四石:その名は、レイメイ

「ここなんです」

 

 コロナが言って立ち止まった。

 

「なんですって、言われてもさァ」

 

 改めて周りを見渡すまでもない。

 こんな何処にでもありそうな森のど真ん中で立ち止まられてもな。

 もう案内は終わりましたとばかりに伸脚運動を始めたそいつに、

 

「若いうちからそんな運動してたら、膝痛めるだけだぜ。つーか、ここに何があるってんだい。そもそもとして、俺に渡したい大切なモノって何なワケ?」

 

 後ろ毛をイジりながら訊いてみると、

 

「あ。その質問にはコロナがお答えします」

 

 いや、最初からお前に訊いてるんだけどな。

 

「えと、やっぱり説明するよりこっちです」

 

 言いながらごそごそとポケットに手を突っ込むコロナ。

 やがて薄紫色の小さな手紙を取り出すと、俺にホイッと渡して、

 

「それ、読んで欲しいのです」

 

 ほう。これはこれは。

 キラキラに光るハートのシールで丁寧に閉じられている可愛らしい手紙。

 とくりゃあ、一つしかあるめぇ。

 

「いやはやまさか、これは恋文と呼ばれるモノかね」

 

 そんな、からかい気味の俺の発言に、

 

「肯定。コロナはパパさんに一目惚れしました。お返事待ってます、そこの伝説の樹の下で。ずっと、貴方を」

 

 と指差す方向には、古びた切り株しか見当たらないワケで。

 

「コロ美よ。伝説の切り株なら見つけたぞ」

「では、伝説の切り株に座って手紙の内容を口に出して読んでみちゃって下さい」

 

 相変わらず掴めんチビチビ助だ。

 とにもかくにもと、腰を下ろした俺は手紙を読んでみることにした。

 

「ええと。なになに……字が汚くて読みにくいんだが」

「当店ではクレームを一切受け付けておりません。なにぶんまだ幼稚園児の身でして。お手々があまり言うことをきかないのです」

 

 そりゃあ難儀なこって。

 しゃあねぇ、なんとか解読していくか。

 

「て、天よい舞いあいし、ググツの利子よ今ふだだだび我がもとえ蘇れ――って、どういう意味だコレ」

 

 眉間にしわを寄せながら手紙を舐めるように見る俺に、

 

「否定です。それは、天より舞い降りし傀儡の石よ、今再び我が下へ蘇れ……と読むのです」

「なぁるほど。天より舞い降りし、傀儡の石よ。今再び我が下へ蘇れ、か。

 言われてみればそう読めなくもないな。というか、口で説明したほうがよっぽど早かっただろうに」

 

 そう苦笑する俺に、

 

「おやおや。パパさん。今、それを口に出して言っちゃいましたね」

 

 急に声色の変わったコロナにビクっとして顔を上げる。

 

「いよいよ、この時が」

 

 コロナの眠そうな目が見開かれていた。

 心なしか口元が笑っているようにも見える。

 

「ああ、でもまだダメなんです。あともう一言が無いと、アレは孵らない」

 

 な、なんだよ、アレって。

 

「さぁ、パパさん。『霊鳴』と言ってみてください。さんにーいち、はいアクション」

「……れいめい?」

 

 促されるがままに口を突いて出た言葉、霊鳴。

 何だソレ。

 つーか、さっきの天より舞い降りしって、もしかして呪文とかいう類の――

 

「ぶいっ、大当たり」

 

 コロナがVサインを出したその時、頭上が青く光り輝いた。

 眩しい光に俺はすぐさま手をかざす。が、何だこの強い光は。

 目をつぶっているのにも関わらず、光が我さきにと俺の網膜へ飛び込んで来やがる。

 

「パパさん、そのまま左手を前に出してみて下さい。何か触れるモノがあると思うです」

 

 何かって。ええっと。

 ああ、あったぞ。これか?

 ほんのりと暖かい石のようなモノを掴む。

 すると、たちまち光が消えていった。

 やがて目の慣れた俺は、その石をじっくりと観察してみる。

 蒼くて透明な手の平サイズの石。輝き方がガラス細工のそれではない。まさか宝石か?

 だが、何と言ったらいいのか。物自体は良いのだが状態がボロっちいのだ。

 ところどころに亀裂が走っていたり、赤いコケが付着していたり。あと、やけに長細い藻屑が幾つも巻きついている。

 

「……ずっと、冷たい海の底に沈んでいたのです。かわいそうに」

 

 もしかして俺に渡したい大切なモノって、この霊鳴とかいう石のことか?

 コロナは頷きながら、

 

「肯定。正式な呼び名は試作型霊鳴石『弐式』なんです」

 

 へぇ。ご大層な名前だねェ。試作型という部分が、いささかに気にはなるが。

 で、この石っころは何の使い道があるんだ?

 

「それはただの石っころではないのです。さっきの手紙の続き、読んでみちゃってください」

 

 草むらから手紙を拾い、続きを読んでみる。

 そこには、コロナの字とは似ても似つかないかすれた文字でこう書かれていた。

 

『弐式封印解除の呪文をここに記す――イグリネィション』

「イグリ……ネィション」

 

 呟いたその瞬間、天から青い閃光が降り注ぎ、そして俺の手元を包み込んだ。

 

「な、な、なんだァァ!?」

 

 凄まじい勢いで全身の力が抜けていく。

 まるで俺のエネルギーが石に吸い取られていくかのような……待て待て、こりゃ本気で立っていられねェぞ。

 ちょちょちょ、いや、マジで、吸い取り過ぎだって――

 

「あ、あぅう……」

 

 ペタンとすっかり腰が抜けてしまった俺の手の中に先ほどの石の姿はなく、代わりにヘンテコな蒼い杖が握られていた。

 

「パパさん、杖の封印解除よくできました。いーこいーこ、なのです」

 

 涙目で見上げた俺の頭をコロナがよしよしと撫でる。

 こ、こんにゃろぉお。何がよくできました、だ!

 何か文句の言葉でもぶつけてやろうかと思ったその時、

 

「魔法少女、おめでとー」

 

 と、もう一度Vサインを決めながら更に気の抜けるようなことを言い放ちやがった。

 無表情づらのクセに満足げな空気がひしひしと伝わってくる。

 上手くしてやったり、ってかぁ?

 ちくしょう……。



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第五石:対決!ゆりなvsコロナ

 パキッ。

 音のした場所へ顔を向けると、ゆりなが驚いた表情で立っていた。

 俺の視線に気付いたのか、そいつは慌てて樹の陰に隠れると、

 

「つ、つくつくほーし。みーんみーん。ほーほーほっほーっ」

 

 また旧式なとぼけ方を。

 つーか最後のそれはセミじゃないだろ。朝によく鳴いてるアレだ、アレ。

 

「にゃ、にゃははは。バレちゃった」

「ったく。そんなところでコソコソとよォ」

「わ、ごめんなさい。ついビックリして隠れちゃった。すっごい光が見えたから走ってきたんだけど……。

 あのー。しゃっちゃん、もしかしてそれって、杖――だったり?」

 

 おずおずと訊くゆりなに、

 

「ま、魔法少女……なっちゃいました」

 

 気の抜けたVサインをしつつ、春なのでと付け足して言ってみる。

 何故、春だから魔法少女になるのか我ながらよくわからんが。

 

「ふ、ふぇええええ! しゃっちゃん、本気なの!?」

 

 本気もなにも。驚きたいのは俺のほうだっての。

 積もり積もった愚痴をぶちまけたいのは山々なんだけれども、その前にちょっと肩を貸してくれ。

 こ、腰が抜けちまってさァ。

 

「う、うん。――きゃっ!」

 

 トテトテと走り寄ってきたゆりなが悲鳴をあげて盛大にズッコケた。

 

「おーい、大丈夫か?」

「だいじょばなぁい……。しゃっちゃん、足がちべたくて動かないよぉ」

 

 涙目で訴えかけるゆりなの足元を見ると、何やら黄緑色の石が足を固めていた。

 

「それ、コロナの魔法です。つめた~い、氷なんです」

 

 いやいやいや。

 なんです、じゃあないだろ。

 

「どーいうつもりなんでィ、コロ美。悪ふざけだかなんだか知らねぇが、今すぐ魔法を解いてやれって!」

 

 すると、

 

「否定。コロナは、今からそこの旧魔法少女さんに宣戦布告します。魔法少女はパパさん一人で十分なんです」

 

 言いながら浮かび上がるコロナに、蝶のような光り輝く羽が生まれる。

 おい、マジかよ。もしかしなくても、これって戦闘体勢ってヤツじゃないのか。

 

「な、なんでそうなるのーっ!?」

 

 俺とゆりなが同時に声を張り上げるが、そいつはあっけらかんと、

 

「なんでって、何となくです。なんか貴女を見ているとモヤモヤするのです。とにかく魔法少女はパパさんだけで十分だと判断しました」

 

 ど、どこをどう見て、そういう判断に至ったんだお前は。

 俺はただ腰を抜かしているだけだぜ、なんとも情けない話だけれども。

 

「ま。そゆことなので。さっさと死んじゃってください」

 

 言った直後、

 

「待てぇええい! こんの、バカコロナ!!」

 

 凄まじいスピードで飛んできたクロエがチビチビ助の腹へと突進をかます。

 不意の一撃にコロナの羽は消え、そのまま地面へと叩きつけられた。

 しっかしながら。

 止めるためとはいえ、少しやりすぎじゃあないのか。相手は子供だぜ。

 

「バーロー。姿かたちはどうであれ、オレたち霊獣は、そうやすやすと傷つかないってーの」

「えっ、待て待て。オレたちって事は……。もしかして、お前もあのチビチビ助も霊獣ってヤツなのか?」

 

 俺に続いてゆりなも、

 

「じゃあ、あの子って朝の蝶々さんなの!?」

 

 顔を見合わせる俺たちの間に黒猫がふよふよと入って、ため息まじりにこう言った。

 

「い、今更、気付いたのかよ……。あいつは三番石であるエメラルドに封印されていた緑蝶コロナだ。

 能力は、『水』と『氷』――見た目はチビガキだが、七大魔宝石のうちの一つだからな。油断は出来ねぇぜ」

 

 そんな情報を一気に詰め込まれても。なんだよ、七大なんたらって。

 

「どうやら説明している時間は無いみたいだぜ」

 

 クイっと肉球が指す方向にはむくれっ面のコロナがあひる座りで、

 

「むー、ぽんぽん痛いのです。はちみつレモンが出ちゃいそうです」

 

 こっちを睨みつけていた。と言っても、あの眠そうな目だから迫力は皆無に等しい。

 それより、もったいないから出すなよ。百五十円もしたんだぞ、根性で飲み込め。そしてお前の血となり肉となる。

 

「肯定です。パパさん。園児のド根性みせます」

 

 なんてお腹をさすりながら口をモゴモゴ動かしているコロナを背に、

 

「今のうちだ、杖を呼んで戦うぞ。やれるな、ポニ子。足かせの氷魔法はもう解けているハズだ」

 

 ズッコケたままの姿勢でポカーンとしていたゆりなが、ゆっくりと自分を指差して、

 

「ふえっ。ぼ、ボクがやるの?」

「あったりめーの酢漬けイカ! このバカシラガは杖はあれども魔宝石を持ってねぇんだ、今やれるのはポニ子しかいねぇ!」

「……はぅ」

 

 いやはや、面目ねェ。

 しかし、まぁ。ここは一つ、先輩のお手並み拝見ってことで。

 腰を抜かしながらゆるりと観戦させてもらうことにするさね。

 

「ポニ子の動きをよぉく見ておけよ、シラガ娘。おめぇも遅かれ早かれやってもらうんだからな」

 

 へぇへぇ。わかりましたんで。

 

「はうぅ、なんか緊張するよぅ。しゃっちゃん、あんまりジーっと見ないで~」

 

 顔を真っ赤に染めて、ぽりぽりと頬をかくゆりなに、

 

「あの。巻きでお願いします」

 

 指をくるくる回しながらコロナが言う。

 どこで覚えたんだ、そんな業界用語。

 

「ふぁ、ごめんなさい。も、もしかして待ってくれてるの?」

「肯定。一応、フェアでやらないと楽しくないですから。

 あと、コロナは霊獣なので手加減なんてしないでください。本気で来ても大丈夫です。どんとこーい」

 

 それを聞いてホッとしたのか、

 

「えへへ。そっか、じゃあ全力で頑張るねっ!」

 

 ゆりなはそう言うと、手を高らかに掲げて、

 

「おいでっ、霊冥!」

 

 数秒も経たないうちに、黒い宝石が空から飛んでくる。

 呼べば飛んで来るって……今時の魔法少女は進んでるんだな。

 そして、それを掴むと同時にゆりなはこう叫んだ。

 

「イグティレェト!」

 

 黒い光がゆりなの手元を包み込む。

 ほほう。これは、また。俺のときと呪文が少し違うようだ。

 慣れたもんで、宝石をさっさと黒杖へ変化させると流れのままに、

 

「クーちゃん、お願いっ」

「あいよっ!」

 

 くるんと空中で黒猫が一回転すると、藍色の宝石へと姿が変わった。

 

 ん――宝石?

 

 さっきこの猫は自分を霊獣と言っていたよな。こいつも七大なんとやらだったりするのか?

 するってぇと、七匹の霊獣のうち二匹はこの場に居るってことで……なんだか案外すぐ集まりそうだな。

 そんなことを考えていると、

 

「せーのっ」

 

 ゆりなが杖を両手で持ち上げ、宝石へと勢い良く振り下ろした。

 

 その瞬間、割れた宝石の中から黒い大蛇のような稲妻が発生し、ゆりなを頭から喰らう。

 なんて、迫力だ。予想以上に派手っつーか、コレ大丈夫なのかよ。

 クロエが変身した宝石は割れちまうし、ゆりなは雷に喰われるしで。

 唖然としていると、ゆりなの全身を覆っていた稲妻が徐々に小さくなっていく。

 

「お、おお……」

 

 稲妻が完全に消えると、そこには黒いドレスに身を包んだゆりなの姿があった。

 さっきまではパジャマにどてら姿だったのに、いつの間にそんな豪華な衣装に着替えたんだ。

 藍色に煌めくオーラがゆりなの体を彩り、時たま黒い稲光がバチバチと周りに発生している。

 

 こりゃあ、嘆声をもらしてしまうのも無理はないって。

 なるほどな。これが魔法少女、ってヤツ……ね。

 

「――お待たせ」

 

 さっきまでの調子はどこへやら。

 急に凛々しい顔つきになったゆりなは、杖をブンブンと振り回して、

 

「行くよ」

 

 息をつく間もなく、跳躍した。



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第六石:雷と氷、どっちが強い?

「よーし! 『アイスウォーター』ちゃん、かかってきなさい!」

 

 ふよふよと滞空しながら、

 

「クロエが魂よ、我に漆黒の雷を宿せっ」

 

 ゆりなが叫ぶと同時に、杖に黒い電流が走った。

 何か攻撃を繰り出すのか?

 期待をしつつ待ってみるが、

 

「えーと……しゃっちゃん。それから、なんて言うんだっけ」

「あ、あのなァ……」

 

 ったく、俺に訊くなって。

 さっきは少しばかり凛々しい顔つきになったなと思ったのだが、いやはや。

 

「イカズチ? 憑いてるのはお姉ちゃまなのに。あ、そっか。今回は……」

 

 目は眠そうなままだが、怪訝そうに眉をピクっと動かして、

 

「分が悪いかもです。だったら、」

 

 自分の手の平に息を吹きかける。

 こりゃあ、なにしてんだ?

 

「ふぅーっ」

 

 おお。見る見るうちに小さな氷のつぶてが生まれていくではないか。

 中々に便利そうな魔法ではあるな。夏場とか特にもってこいだ。

 

 いやいや。それよりも。

 ゆりなはさっき『アイスウォーター』とコロ美を呼んでいたな。

 多分、察するにクロエから教わった異名とかだろう。

 氷と水の使い手らしいからな。

 氷に、水か……一体どんなエグい攻撃をするんだろうねェ?

 

「でけた」

 

 やがて完成した氷の塊を握りしめると、コロナが跳躍――いやコレは飛翔と言ったほうが正しいか。

 煌めく羽を羽ばたかせて、ぐんぐんゆりなに接近し、

 

「ほよ?」

 

 ぼけっと見上げたゆりなの服、胸元を引っ張ると、

 

「ポイ捨てごめんです」

 

 氷を入れた。

 

「ひやぁあああ! つめたーいっ!」

 

 ……そして墜落するゆりな。

 

「こ、今度は背中のほうに移動してる! ひーん、一張羅がビショビショだよぅ」

 

 なんて落ちたあともドレスをばっさばっさやりながら氷を取り出そうと格闘している。

 あー……。

 すまないが、ちぃっとばっかし言わせてくれ。

 

「って、なんなんだァ! この拍子抜けするようなバトルは! チビ助、お前それでも魔法少女のプロかっ」

「どぅわってー、魔法出すときの呪文忘れちゃったんだもん。それにプロじゃないしぃ」

 

 ぷーっと頬をふくらますそいつに、

 

「……旧魔法少女さん。呪文は、『ぽよよん、ぽいぽい、ぽん』なのです。

 ちゃんと取り扱い説明書の十三ページに載ってるです。予習しとかないと、めっですよ」

 

 若干、呆れた口調のコロナが言った。

 つーか取説なんてモンがあるのかい。

 

「あ。そうそう、それそれ! ありがとうアイスウォーターちゃん」

「お礼はいいので。呪文でコロナに攻撃お願いします。ちょっと旧魔法少女さんがどれくらい魔力あるのか確かめてみたいので」

「うん、いーよ。でもちょっと、休憩ね。疲れちゃった」

「……肯定するです。コロナも久々に羽を伸ばして背中が痛いのです」

「にゃはは、霊獣さんも大変なんだねー。その羽かっくいーけど、肩こっちゃいそうかも」

「それもあるですけど、鱗粉が多い日はかゆくてたまらないのが大変です」

「ふぇ~、そうなんだぁ」

 

 なんてほのぼのと談笑し始めたではないか。

 こ、こいつらには緊迫感ってモンが足りねェ。

 っかぁああ! 魔法少女ってヤツァ、こんなんでいいのかよ……。

 

+  +  +

 

 数分後。

 

「あのよぉ、おめぇさん方、いつまでダベってるつもりだィ?」

 

 痺れを切らし、ため息がてら言ってみる。

 すると、コロナがハッとした様子で、

 

「し、しまったです。危うく懐柔されちゃうところでした。旧魔法少女さんおそるべし。

 さぁ、休憩終わりです。はやく魔法どーんと来いです!」

 

 立ち上がり、憤然と両手を広げるチビチビ助に、

 

「え……うん」

 

 立ち上がり、悄然と杖を構えるチビ助。

 足元に小さめの黒い魔法陣が浮かび上がった。

 いよいよ、マトモな魔法が間近で見られるな。

 彼女は一つ深呼吸をした後、

 

「ぽぉ~よよん、ぽいぽいー、ぽんっ! らいらい、『ライトニング』!」

 

 振った杖から、やる気のかけらも感じられない電撃がちょろっと出た。

 そいつはコロナを避けるように身をくねらせると、はるか空の向こうに消えてしまった。

 なんなんスか今の。

 

「なーんでィなんでィ、登場は派手なクセに魔法はからっきし、」

 

 俺が言い終えるよりも前に、

 

「……否定。それ、本気なのですか?」

 

 苛立ちの混じった声に遮られた。

 コロナは両手を広げたまま、キッとゆりなを睨みつけている。

 あのトロンとした目ではない。

 なんか知らんが、口を出せる雰囲気じゃなさそうだ。

 

「にゃはは。ごめんね、あれがボクの本気なんだよぅ。まだこういうの全然慣れてなくって」

 

 笑いながら頭をかくゆりなに、

 

「そんなウソで騙されないです。貴女の素質からして、あんな魔法――。コロナをバカにしているとしか思えません」

「……ううん、バカにしてなんかないよ。きっとキミは霊獣さんだから、ボクが本気で雷を出してもへっちゃらだったと思う」

 

 でもさ、と付け足してゆりなは微笑んだ。

 

「痛いよね。いくら霊獣さんは丈夫だって言っても」

「……え?」

 

 コロナの服についた砂埃を優しくポンポンと手で落としながら、

 

「さっきね、お話してて思ったんだ。どうして戦わなきゃいけないんだろう、こんなに楽しくお喋りが出来るんだもん、きっとすぐに仲良くなれるのになぁって。

 クーちゃんからは、霊獣さんはとっても怖いモノだって教わったんだけど……。そうは思えなかったの、少なくともキミはね」

 

 それじゃあ、あのカミナリは傷つけないためにワザと外したってわけだったのか。

 

「旧魔法少女さん……」

 

 そう呟くと、俯いてしまった。

 おやおや――仕方ねぇな。

 ようやく腰も落ち着いた俺は立ち上がって、

 

「ま。ま。霊獣だの厄災だのっつっても、姿が姿だからなァ。俺様だって、こんなちんちくりんに魔法ぶっ放したくねーし。気が引けるってそりゃ」

 

 コロナの頭をペシペシ叩きながら言ってやる。

 

「ぱ、パパさん……」 

「えへへ。しゃっちゃんの言うとおり、ちっちゃいからっていうのもあるかも。あと……それとなんだか、キミが無理をしてるような気がしたの」

 

 無理って、どういうこった?

 俺が訊くと、ゆりなはうーんと考える素振りをみせて、

 

「なんていうのかなぁ。上手く言えないけど、ほんとにアイスウォーターちゃんはボクと戦いたいのかなぁって」

 

 ふぅむ。

 確かに、なんとなくモヤモヤするから、で宣戦布告はオカシイよな。

 それに死んじゃってくださいって言ったワリには、戦わずによくわからん行動ばかりとっていたし。

 

「ひ、否定です。考えすぎなのです。……コロナは、ただ旧魔法少女さんの力がどれだけあるのか確かめたかったのです。

 確かめたらすぐにでも貴女を倒すです」

 

 だとよ。

 さて、どうするチビ助。

 

「そっか。でも、ボクはキミに魔法うちたくないし……。じゃ、こうしよーよ!

 これからボクが石を集めるときに一緒についてくるの。近くで魔法を見ればボクの力を確かめられるんじゃないかな」 

「それって、旧魔法少女さんと契約しろってことですか? ……否定です。ヤ、なのです」

 

 と、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 だが、ゆりなはニッコリ笑顔で首を振って、

 

「んーん。ボクじゃなくって新魔法少女さんの、しゃっちゃんと、だよっ」

 

 杖で俺を指した。

 

「おいおい、人を杖で指してくれるなよ。お行儀が悪い……って、えええっ!?」

 

 どどどどどういう意味だ、そいつァ!

 俺が困惑していると、コロナがこちらに振り返って、

 

「それなら肯定です。パパさんとなら喜んでするです。ふつつかものですが、ヨロシクお願い致しますのです」

 

 丁寧なお辞儀をぶちかましやがった。

 いやいやいや、待て待て。

 俺にだって選ぶ権利っつーもんが……いや、そうじゃなくてだな。

 むしろ、それ以前に魔法使いをやりたくねーんだってェの。

 

「わーいっ、しゃっちゃん、わーい! これで杖も霊獣さんもバッチリだね、ぶいっ!」

 

 だね、って言われましても。

 

「だからよォ、俺は……」

「パパさん。旧魔法少女さんに負けないように、コロナと力を合わせて頑張るです。えいえいおー、ぶいぶいっ」

 

 こ、こいつら、人の話を聞きやしねェ。

 しかも二人してVサインをかましやがって。

 それ、この世界で流行ってるのかよ。

 

 ……いやはや。しかしながらに。

 いよいよマズいかもしれないな、このままだと……。



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第七石:魔法少女になんて絶対になりたくない!

 今晩はゆりなの家に泊めてもらうことになった。

 っつーか、帰る家はあれども帰り方がわからねェからな。

 しばらくは厄介になるしかあるめェ……チビ助の家の人が承諾してくれればの話だけれども。

 

「ふぁー……。もうお日様沈んじゃいそうだね。今日はいっぱい歩き回って疲れちゃった」

「へへ。甘いぜ、ポニ子。これからは、もっと動き回ってもらうことになるからな。覚悟しておくんだぜ」

「おっけー。どーんとこーい! だよっ」

 

 なんていう話をしている黒猫とゆりなの後ろに、両手を後ろ頭に組んでの俺。

 そして、その後ろには、

 

「パパさん。コロナも何かパパさんとお話したいのです」

「…………」

「あ、あんなところにUFOが! パパさん、UFOっ。未確認飛行物体なのです。パパさん知ってましたか、UFOの略は『うっそー!? フライング……お盆?』なんです」

「…………」

「間違えたです。さっき飛んでたのはぺヤングのほうでした。かやくを麺の下にしてお湯を入れると、かやくが蓋につかなくて美味しいアレです」

 

 よちよち着いてきながら一人盛り上がってる園児。

 やれやれだな。

 このガキんちょと俺様が契約ねェ……子守の間違いじゃあねぇのか。

 ほとほと頭がイテェぜ。 

 

「否定。まだ正式な契約は結ばれてないので、パパさんはただいま不完全な魔法少女です。

 でも、簡単なんです。ちょっと呪文を唱えて頂ければ、すぐにでもコロナはパパさんのものなのです。

 あ、どうせなら今歩きながら済ませちゃうです。えっと――」

 

 なんだ、こいつと契約を結ばない限り、俺は魔法使いじゃあないってことか。

 ……そいつはァ、良いことをきいたぜ。

 ごそごそとポケットから何か(きっと呪文が書かれたメモだろう)を取り出そうとしたそいつに、

 

「ざけんなっ、魔法少女なんて誰がやるかってんでぇい! 耳の穴かっぽじって良く聞きなァ。

 はっきり言うぜ、俺はおめぇさんと契約する気なんざ微塵もありゃしねぇ! そこんところ宜しくってなもんで一つ、よしなにィ!」

 

 すごんだ俺に、コロナはしゅんと肩を落としてしまった。

 とぼとぼついてくる姿に若干だが言い過ぎた感が否めないが、いやはや。

 だって、やりたくねーものはやりたくないんだからさ。

 

 ……しょうがねぇじゃん。

 しばらく歩くと、やがてゆりなの家の前に到着した。

 

「えへへ。ほいじゃあ、しゃっちゃん、アイスウォーターちゃん。ちょっち待っててね。

 お姉ちゃんに、お泊り会しても大丈夫か訊いてみるから……うわーいっ!」

 

 そう言って元気に家の中へ突撃していくチビ助。

 お泊り会っつーか、一日だけじゃあいささかに困るんだが。

 明日にでも元の世界に戻れる方法が見つかれば話は別だけれどもよォ……。

 俺だって別に好きで居候したいワケじゃねェし。

 

 ――ん?

 

 お姉ちゃんって、フツーこういう事は母親か父親に了承を得るもんじゃないのか?

 首をかしげていると、急に扉がバンッと開いて、

 

 

「あらあら、まぁまぁ! なんて可愛らしいお友達なのでしょう……っ! 天使さんたちなのですっ、欣喜雀躍ですっ!」

 

 何とも大げさな人が出てきた。

 

 セーラー服の上にエプロン、片手にはお玉といった姿の女性。

 背格好や服を見るに、おそらく高校生くらいだろう。

 ゆりなと同じ長い黒髪を後ろで縛っており、目はパッチリとしていて大きい。

 大きいといえば、胸がすさまじいド迫力だ。

 ははは……俺らとは雲泥の差だねェ、こりゃ。

 

「お姉ちゃん、この子がシャクヤクちゃん。ボクはしゃっちゃんって呼んでるのっ。今日泊まってもいーよね」

「えーと、はじめまして、シャクヤクといいます。恐縮ですが今日一日どうか……」

 

 言いかけたところで、ゆりなのお姉さんが俺に抱きついてきて、

 

「あらあらっ! 白くて小っちゃくて、ふわふわな柔らかい髪が可愛らしいですっ! もちろん、承知なのですっ」

 

 頭を撫でながら言った。

 了承はまことに有難い話だが、ちょいとばかり苦しいぜ旦那ァ……息ができねェ。

 

「わーい! でね、この子がコロナちゃん。小っちゃいけどとってもしっかりしたお利口さんなのっ。今日泊まってもいーよね」

「あ。コ、コロナと申しますのです。よよよ、よろし……」

 

 お姉さんは、パッと俺から離れると、

 

「まあまあっ! もっと小っちゃくて、ぽよぽよな柔らかほっぺが可愛らしいですっ! もちろん、承諾なのですっ」

 

 今度はコロ美に抱きついて、頬を指でつんつん突きまくりはじめた。

 

「わーい! あ、あとついでに。この猫ちゃんは段ボールで捨てられてたから拾ったの。今日から飼ってもいーよね」

 

 おいおい、おめェさん捨て猫扱いされてんぜェ?

 俺がクロエに耳打ちをすると、一瞬だがこちらを睨みつけ、

 

「にゃ、にゃぁーん」

 

 ただの猫に徹した。

 お姉さんの足にすり寄りながら、必死にゴロゴロと喉を鳴らしている。

 ああ、そうか。彼女は一般人だから喋って姿をバラしたらまずいってワケか。

 だが、いくらなんでも。友達を泊まらせるのと、猫を飼うのとでは話が別だろうに。

 

 そう簡単に了承なんて――

 

「承允なのですっ!」

 

 って、オイィィ!

 彼女はそれだけ言うと、クロエを抱き上げ、子供をあやすかのようにゆらゆらと揺らし始めた。

 

「ねーんねーん、ころーりーよ。おこーろーりーよー」

 

 なんとも、まぁ……なぜ早々に寝かしつける作業に入ったのか。

 よくわからんが、一つ言えることは、この姉にしてこの妹ありってところだな。

 肩をすくめて、ついコロナと顔を見合わせてしまった。

 

「パ、パパさん。コロナはびっくりなんです。ほっぺがへっこんで戻ってこないのです」

 

 うるうると涙目のコロナに、

 

「……俺も。自慢の髪が世紀末だぜ」

 

 何故かモヒカンヘアーになっている髪を戻しながらの俺。

 しかたあるめぇ、これも宿代と思いねェ。

 

「にゃはは、やったね二人ともっ! ささ、ボクの部屋に直行っ」

 

 ゆりなが、げんなり表情の俺たちを家に押し込みつつ、

 

「うっわーい! お姉ちゃんありがとう、だーい好きっ!」

 

 と、言った。

 そしてそのすぐ後に、

 

「お姉ちゃんもなのですよーっ。あ、ゆっちゃん。お部屋に行く前にちゃんと手を洗ってくださいねー」

 

 そう、のんびり口調で返ってきた。

 

+ + +

 

「だーっ、疲れたぁ」

「だーっ、疲れたんですぅ」

 

 部屋に着くなり、ベッドに寄りかかって俺とコロナが盛大なため息をついた。

 もちろん、手はちゃんと洗ってきたぜ。

 よくわからんゴシゴシの歌なんてもんを歌わされながらな。

 

「ふぇ? しゃっちゃん達、さっきまで元気だったのに、どーしたの?」

「さっきまでは、な」

 

 ゆりなの頭上に浮かんだハテナマークを手でかき消しつつ、

 

「いいのかよ、こんな簡単に承諾して。俺たちもそうだけど、クロエの件とかさ。お姉さんお人好しすぎやしねェか?」

「でも、あの方のおかげでコロナたちは屋根のあるお家でグッスリ眠れるのです。感謝感謝なんです」

 

 そりゃあ、そーだけれどもよォ……。

 いつもあんな調子なのかい?

 

「うん、お姉ちゃんはいつでも誰にでもあんな感じで、とーっても優しいの。ボクの自慢のお姉ちゃんなんだよぅ。はうー」

 

 なんて周りに花を咲かしている。

 

「ふぅん、羨ましいこって。俺は一人っ子だからよォ。あ、一応お父さんやお母さんに改めて了承を得たほうがいいかもな。

 やっぱり一家の長が知らねェってのはマズイと思うしさァ」

 

 そう言うと、一拍置いてゆりなが力なく笑った。

 

「……にゃはは。ウチ、お父さんもお母さんもいないの。

 今はボクとお姉ちゃんの二人暮らしなんだ。だから二人とも伸び伸び過ごしてもらってヘーキだよっ」

「あ……。す、すまねぇ。余計なこと言っちまって」

 

 頭を下げると、

 

「う、ううん! いないって言っても、お仕事の都合で海外に行ってるだけだからっ。

 ごめんね、しゃっちゃん。ヘンな心配させちゃって。あはははっ」

 

 とは言うけれども、寂しいのには変わりないだろうに。

 どちらか片方ではなく、両親そろって海外なんてな。いったい、どんな仕事なのだろうか。

 だが、ゆりながあまりにもカラカラと笑うモンだから、

 

「そっか。わりい、わりい」

 

 俺もつられて一緒に笑ってしまった。

 すると、コロナが笑いあう俺たちを不思議そうに交互に見て、

 

「二人とも、何を謝ってるのですか。楽しそうです、コロナもごめんねゴッコしたいのです」

 

 なんて言うもんだから、またおかしくなって二人で笑ってしまった。

 

+ + +

 

「……おめぇら、楽しそうだな。オレがひどい目に合ってるっつーのによぉ。ったく、あの嬢ちゃん加減ってもんを知らねーのか」

 

 部屋に転がり込んでくるや否や、開口一番グチを放つ黒猫。

 

「加減って、何かあったのですか。お姉ちゃま」

 

 コロナが訊くと、クロエは気だるそうに肉球で自分の肩をポンポンと叩きながら、

 

「おぅ、コロ助。よくぞきいてくれた。あの後、何十もの子守唄を歌いやがったんだぜ。

 それも近所に聞こえるバカデカい声でよぉ……恥ずかしいったらありゃしねー。

 こちとら睡眠通り越して永眠する寸前だったってーのに、おめぇらときたら――」

 

 俺とゆりなの驚愕顔に気づいたのかクロエはびくっと毛を逆立てて、

 

「あ、あんだよ、そのツラは」

「だって、ねぇ。しゃっちゃん聞いたよね?」

 

 ゆりながひきつった顔で俺に振る。

 

「……あぁ、聞いたぜェ。しかと聞いたぜェ~」

 

 そう。

 コロ美は先ほど確かにコイツのことを『お姉ちゃま』と呼んだ。

 腕を組み、うんうんと頷いて俺はこう言った。

 

「クロエ、おめぇさんって野郎は……まさかメス猫だったとはなァ! へそが茶を沸かすとは、まさにこの事よォ」

 

 続いてゆりなも、

 

「クーちゃん、かわいーっ! メスだったんだぁ。わーい、メス猫メス猫ー! メス猫クーちゃんっ」

 

 そうはしゃぐ俺らに、

 

「にゃあぁあ! メス猫って言うなぁああ! 侮辱の言葉だぞ、てめーら無邪気にもコノヤロー」

 

 いやはや、言動があまりにも荒々しいもんで。

 まさか、メスだったとはな……いささかに信じられねェぜ。

 

「だから、確かめる必要があるってなもんで」

 

 言って、グイッとばっかしクロエの足を広げた俺に、

 

「ば、バカっ! あにすんだよっ!」

 

 すかさず肉球フックが飛んできた。

 

「いっひっひ。てめぇだって、さんざん俺の事からかってくれただろ。そのお返しってだけの話さ」

 

 頬をさすりながら言ってやったが、どうやらマジらしいな。

 この反応――ま、別に本心としちゃあどっちでもいいことなんだが。

 

「うん、どっちでもクーちゃんはクーちゃんだもんね。あはは、でもなんだか可愛いかも。女の子なのに『オレ』だなんてっ」

 

 ゆりながクロエを高い高いしながら言い、

 

「可愛いかぁ? 女ならせめて女らしく。もっと、可愛げのある言葉づかいにした方がいいぜ、いささかによォ」

 

 持ち上げられた黒猫の喉をポリポリかきながら俺が続ける。

 対して黒猫は、『けっ!』と尻尾をおったてて、

 

「おめーらだけには、ぜってぇえええ言われたくねぇセリフ!」

 

 と、怒鳴った。

 ……そりゃまぁ、ごもっともで。



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第八石:お風呂

 しばらくの間、くつろいだ後、

 

「あ、そーだ。今日はお姉ちゃんがご飯の当番だから出来上がるのに少し時間かかるかも。その前にお風呂入っちゃわない?」

 

 ゆりなの提案に否定するものなどおらず、みんな一様に首を縦に振る。

 

「へへっ、今日は飛びまくって汗だくだからなぁ。とっとと、さっぱりしてぇーぜ」

「肯定。コロナも汗かいちゃったのです。ベトベトなんです」

 

 俺も二匹の霊獣に続いて、

 

「お、いいねェ。風呂は命の洗濯って言うしな。俺も入らせてもらうとするよ、慎ましくさ」

 

 さて、そこで問題になるのは誰が一番風呂を獲得するのか、であろう。

 まぁ。ここはやはり、主であるゆりなで決まりだろうな。

 となると、二番手は誰が入るのかという話になるのだが――。

 

「お風呂だお風呂だ、わーい! みんなで一緒にお風呂だ、わーいっ!」

 

 ん?

 ベッドの上でぴょんぴょん跳ねるゆりなを見上げて、

 

「ちょい待ち。みんなで一緒って、どういうこった。銭湯にでも赴くってことかィ?」

 

 そんな俺の質問に、

 

「んーん。ボクとクーちゃんとしゃっちゃんとアイスウォーターちゃんの四人でウチのお風呂入るの」

 

 あっけらかんと答えるチビ助。

 

「いやいやいや、忘れてくれるなよ。俺は男だぜ!

 姿はこんなチンチクリンになっちまったけど、中身は超が付くほど男なんだってーの」

 

「ふぇ? 知ってるけど、それがどーしたの?」

 

 そ、それがどうしたのときたもんだ……。

 こいつはァ、手ごわい。

 

「え、えーとだな。つまるところの……そうだ、俺は他人と一緒に風呂入るのが苦手なんだよ! なんつーか、こっぱずかしくてよォ」

「ふーん? ボクは全然恥ずかしくないけどなぁ」

 

 まだ小学生だとはいえ、ちったぁ恥ずかしがってくれよ。

 それに四人でなんて窮屈だろう、ゆっくり疲れもとれないぜと付け足すと、

 

「それもそーだね、ボクん家のお風呂あんまり広くないし。にゃははは!」

 

 いやぁ、まいったまいったと笑うゆりな。

 どうやら何とか説得できたみたいだな。やれやれ。

 ホッと息をついてる俺に、

 

「それじゃあ、もう沸いてると思うからしゃっちゃんから入ってきていいよ」

「え、俺からでいいのか?」

「うん、だって今日はしゃっちゃん感謝デーだもん!」

 

 なんだよその、うさんくさいデーは。

 クスっと笑った俺に、

 

「えへへ。気にしないでいいよ、ボクとクーちゃんは後から入るから。観たいテレビあるし……ねー、クーちゃん?」

 

 そう頭上の黒猫に確認をとるゆりな。

 黒猫は、あくびをしつつ気だるげに、

 

「……ああ、そうそう。オレ達は観たいテレビがあるからよ。ゆっくり入ってきな」

 

 なんとなくだが、クロエは反対すると思ったんだけどな。そんなに面白い番組をやってるのか?

 この世界のテレビ……どんなものなのか、いささかに観てみたい気もするが、いやはや。

 ここは有難く一番風呂をいただかせてもらうことにしよう。

 

「んじゃ、お言葉に甘えてさっそく入ってくるぜ」

「うんっ! お風呂は階段を下りてすぐ左だよ。わかんなかったらお姉ちゃんに訊いてね。

 バスタオルとお着替えはちょっとしてからボクが持っていくからっ」

 

 何から何までわりぃなと言うと、ゆりなはニッコリ笑顔でVサインを繰り出した。

 

+ + +

 

 脱衣所に着いた俺は、服を脱ぎつつ、

 

「ちっ、使いづれぇ体だぜ、まったくもってよォ」

 

 改めて自分の変わりすぎた姿に嘆息した。

 筋肉皆無な白く細い足はフラフラするし、手は言うことをイマイチきいてくれない。

 

 イマイチってどんな感じかって?

 グーとパーを繰り返し出してみるが、頭に描くスピードと反応が大きく違う。

 気持ちだけが先に行って、体が追いついてこないって感じかねぇ。

 そういやコロ美のヤツも似たようなこと言ってたっけか。

 ぽこっと出た腹をベシベシ叩きながら、

 

「あーあ、俺様の美しく割れた腹筋が跡形も無い……。こんな体、とっととオサラバしてーぜ。だりぃったらありゃしねェ」

 

 風呂の引き戸を開くと、けっこう大きめな浴槽が目に入った。

 

「ほー。こりゃ、また中々に。俺ん家の風呂よりデカくてキレイだな」

 

 とりあえずサクっと体を洗って湯船につかる。

 

「こりゃあ、イイ湯だぜェ……」

 

 最初は他人の風呂を使うなんて、と気が引けたが、入ってしまえば遠慮よりも快楽が勝っていた。

 

「しみじみ飲めば~っと、くりゃあ」

 

 そう俺が気持ちよく歌い出したときだ、

 

「それ以上は歌っちゃ、『メッ』なのです」

 

 ジーッと風呂の戸から顔だけ出して言い放つオリーブグリーンのツーサイドアップ。

 

「なーにしてんだァ? そんなところで」

「…………」

 

 無言。

 その瞳からなんだかキラキラな星が飛んできたりもしていたが、そいつを全て鼻息で打ち落とし、

 

「あいわかった。歌わないから、早く出て行っておくれ」

「…………」

 

 それでも無言のまま意味ありげな視線を送ってくる。

 

「ほれほれ。もう用は済んだんだろ? あっち行った、しっし」

 

 俺がからかい気味に言うと、そいつはあからさまに肩を落とした。

 

「……肯定です」

 

 戸が閉まった。

 

 が、うっすらとガラス戸を通してコロナの影が見える。

 しょんぼりと座っちまって、まぁ。

 こりゃまた、まったく。わかりやすいチビチビ助だ。

 

「おーい、コロ美。一緒に入りてーなら、素直にそう言ったらどうなんでぇい」

 

 俺が呼びかけると、待ってましたといわんばかりに戸が開いて、

 

「やっぱり、パパさんは優しいのです。コロナはもうすでに準備開始してました。ほどきほどき」

 

 髪を解きながら、クール面の園児が現れた。

 へぇへぇ、そりゃどーも。

 苦笑しつつ俺が頭に乗せたタオルを絞っていると、そいつが浴槽に入ってこようとした。

 

「おいおい、おめぇさん。ちゃんと体を洗ってから浴槽につかりなァ」

 

 よじ登ってくるコロナの頭を押さえつけながら言うと、そいつはぶーっと頬を膨らませて、

 

「はやく一緒に入りたいのです。体は後から洗うです」

「それは否定、ってやつだ。浴槽は家族みんなで使うもんだからな。なるべくキレイな状態で次の人に回してやらなきゃいけねぇ。

 ま、親父の受け売りだけど。それに、こちとら風呂を借りてる身だし、尚更だろうよ」

 

 びっくりしたように俺を見るコロナに言葉を続ける。

 

「それがイヤなら、一緒に入るのはナシだ。さてはて、どうする?」

 

 意地悪くニヤリと笑ってやる。

 すると、そいつはぶんぶんと首を横に振って、

 

「……やだ、パパさんと一緒に入るです。ソッコーで洗うんですっ」

「いっひっひ。良い子だ」

 

 せかせかと夢中で洗う小さな背中を見ながら俺は思う。

 こんな子どもが『霊獣』だなんて厳かな名前を担いで。

 まだまだ甘えたい盛りのただのガキんちょに見えるが……。

 

 そして――

 湯船に映る見慣れない少女の顔に、

 

「おめぇさんは魔法使いだって、さ」

 

 小さく呟いて、俺は水面を指で弾いた。



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第九石:魔法少女の取扱説明書?

「ふあぁ~。疲れた体に染み渡るんです、これがまた」

 

 湯に浸かったコロナが年寄りのような声をあげる。

 

「おめぇさん。言いにくいんだけれども、なんで俺の上に座ってやがるんでぃ。これじゃあ足を伸ばしてくつろげねぇぜ」

 

 あぐらをかいた俺の足の上に、ちょこんと正座をしているそいつに言うと、

 

「そのまま座っちゃうと溺れちゃうんです。結構ここのお風呂深いのです」

「なら、立ったまま入りねェ」

「否定なんです。それだと、ゆっくりくつろげないです」

 

 おい。今まさに俺がくつろげてない状態なんだが。

 

「……じゃあ、飛びやがれ。羽出して、ちぃっとばっかし浮きながら浸かりゃあいい」

「それは名案なんです。でも羽を出すとき『うんしょ』ってリキむので、もしかしたらちょっとだけ出ちゃ、」

 

 言いかけたところでコロ美をひょいっと抱き上げ、

 

「わーった、わーったって。きたねー。俺の上に座ってもいいから、くれぐれもふんばらねェでおくれ」

「肯定。……えへへ」

 

 嬉しそうに人の足の上ではしゃぎやがって、このチビチビ助め。

 わざと、ああいうこと言いやがったな。

 いやはやに。これじゃあ疲れが取れるどころか、増してしまう。

 次は絶対一人で入ろう、変なオプションは抜きだ――そんなことを考えていると、

 

「パパさん。つまんなそうです」

 

 悲しそうな目で俺を見上げながら、

 

「コロナと入るの、楽しくないですか?」

 

 一瞬ぎくっとしたが、ここはハッキリと言ってやった方がお互いの為だろうさ。

 

「つまるつまらないで言えば、つまらないかもねぇ。あーあ、出来れば一人でゆっくりノンビリと浸かりたかったぜ」

 

 まぁこんなところか。

 ちと、厳しく言い過ぎたか?

 チラリと横目でチビチビ助を見やるが、そいつはあっけらかんとした様子で、

 

「それなら暇つぶしになるものを出すんです」

 

 湯船から左手を突き出し、指パッチン。

 すると、ポンッという音と共に何やら冊子のようなものが出てきた。

 黒い表紙に、青の蛍光色で『弐式所有者専用』と書かれている。

 

「あんだァ? ゲームか何かの説明書みたいだが」

 

 不思議がる俺に、

 

「これは魔法少女の取扱説明書なんです。いずれ成る魔法使いの予習がてら、暇つぶしに最適だと思ったのでご用意したのです」

 

 ああ、これがあのとき言っていた取説か。

 結構薄っぺらいんだな……分厚くても困るが。

 

「ま、やるつもりはねーけれども、暇つぶしに読んでみるとするかねェ。ええと、なになに――」

 

 それには七つの項目があり、それぞれこんなことが書かれていた。

 

 其の壱――霊鳴石について――

 

 霊鳴は呼べばいつでもどこでも飛んできます。

 弐式における封印解除の呪文は『イグリネィション』です。

 

 其の弐――魔法使用について――

 

 弐式所有者の魔法を使うときの呪文は、

 『ぷゆゆんぷゆん ぷいぷいぷう』となります。

 慣れれば簡略化することもできますが、最初のうちはなるべく全て唱えましょう。

 

 其の参――使用限界について――

 

 霊鳴の中に入ってる霊薬という液体がなくなると魔法が使えなくなります。

 もし使用中になくなった場合は海に戻すか、使用者の心身を休ませてください。

 なお、なくなったままの状態でも魔法は使えますが、生命エネルギーを著しく消費しますのでオススメできません。

 

 其の肆――魔宝石について――

 

 魔宝石には二通りあります。

 強力な七つの大魔宝石とイミテーションと呼ばれるたくさんの模造魔宝石です。

 

 其の伍――禁止魔宝石について――

 

 七大、模造問わずどれも魔宝石には様々な能力が秘められていますが、

 中には絶対に使ってはならない禁断の魔宝石もあります。

 例として治癒系の魔宝石は全て禁止魔宝石にあたります。

 

 其の陸――注意事項について――

 

 他人に正体を知られてはいけません。(ただし魔法関係者を除く)

 魔法使いであるということをバレないように周りに注意して魔法を使ってください。

 

 其の漆――集束について――

 

「……ん?」

 

 そこまで読み進めて俺は頭を傾げた。

 其の漆(読めねェ)という項目が、説明が無くまったくの白紙だったからだ。

 

「おい、コロ美。ここ何も書かれてないんだが。どうなってやがるんでぃ」

 

 両手で湯をすくってひたすら俺の鎖骨にぶつけるという、

 謎の一人遊びを楽しんでいるコロナに訊ねてみると、

 

「それはまだナイショなんです。いつの日か文字が浮き上がってくると思うんです」

「あーそう。ま、別にどーでもいいけれどもよ……っと!」

 

 とりあえず反撃に、手で水鉄砲よろしくお湯を飛ばしてやる。

 

「わっぷ。鼻に入ったです、ツーンと痛いんです」

「いっひっひ。ざまぁみそらしど」

 

 と言いつつ、湯船からあがり髪を洗う作業にとりかかるが……どうもあの説明書が引っかかるワケで。

 説明はからっきし頭に入ってないからどうでもいいのだが、それよりも『説明書』自体がいささかにねェ。

 確か、ピースが保管していたパンドラの箱が手違いでゆりなのもとに送られたんだっけか?

 んで、それを開け、中の宝石を飛ばしちまったゆりながそれを集めることになった――魔法使いになって。

 

 つまりそれは偶然の事故ってこった。

 

 それなのに、説明書って。フツーそんなもん無いだろうよ。用意が良すぎるっつうか、これではまるで――

 

「パパさんの考えてること面白いんです」

 

 シャンプーをシャワーで流しつつ見上げると、コロナが無表情で俺を見下ろしていた。

 

「面白いってどういうこってィ。つーか、あんまし俺の心を読んでくれるなよ。いささかに困るぜ」

 

 そうリンスのボトルに手をかけた瞬間、

 

「……パパさん、一ついいですか」

 

 また声色が変わりやがった。

 もしかしたらあの時のように目も光ってるのかもしれないが、無言でリンスをひねりだす。

 見ていて気分のいいツラじゃねぇし。

 

「あまり深く考えないほうがいいです。パパさんは、旧魔法少女さんと一緒に散らばった石をただ回収する、ただそれだけの『オハナシ』なんです」

 

 リンスを前髪にちまちま塗りこみながら、

 

「……恐縮だけれども、俺をそんなに買いかぶってくれるなよ。別になんにも考えてなければ、宝石集め云々も興味ない」

 

 本音だ。

 

 魔法少女? 誰がそんなモンをやるかって。素質があるか知らねェが、俺じゃなくてもいいだろ。

 そう、こいつらとの仲良しごっこなんざさらさらゴメンだ。いつまでもピーチクやってられねェ。

 俺は明日にでも元の世界に帰る方法を見つけて、とっととこの世界からトンズラを決め込む。

 テメェらの世界はテメェらでなんとかしやがれ、ってヤツ。

 

「果たして、そう上手く逃げられるですかね」

 

 コロナがくすくすと笑いやがる。

 こいつ、目がピカると性格ちょっと悪くなってねーか?

 これはこれは、修正しないと。ケツは若いうちにぶてってな。

 

「うるへー。チビチビのクセに生意気だっての。おしおきが必要だねェ、まったくもって」

 

 言って立ち上がり、

 

「……ほへっ?」

 

 ビックリしているコロナを抱き上げてお風呂椅子にストンと座らせる。

 

「覚悟しろってなもんで、一つ」

 

 シャンプーを出して、わしゃわしゃと乱暴に髪を洗ってやる。

 

「わわ。パ、パパさん激しいです」

「ほーれほれ」

「きゃっきゃ! そこは脇です。く、くすぐったいんです」

 

 ま。

 

 所詮はガキんちょだと思いたいところだが。

 こいつの言動抜きにしても、やはりどうも不明瞭な点が多すぎるな。

 深く考えるな、とは簡単に言ってくれるが魔法使いになっちまったら深く考えざるを得ないだろうよ。

 

 だから、これ以上面倒なことになる前に本当に逃げ出さねェと。

 ――明日が勝負だな。



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第十石:『ワガママ』

「九十八、九十九……百、なんです。パパさん言えたですっ」

「よーし、エライエライ。んじゃ、そろそろあがるぜェ」

 

 そう風呂からあがった俺達の前に、

 

「むぅー……」

 

 現れたるは、ふくれっつらのゆりな。

 そいつは抱えていたバスタオルを不機嫌そうにボフっと俺に渡して、

 

「しゃっちゃんさー、他人と一緒にお風呂入るのイヤなんじゃなかったのぉ?」

 

 ジトっと見つめられ、いくらか気圧されたが俺は体を拭きながらこう言った。

 

「あ、ああ。そりゃあ苦手だけれども。どしたんだ? ロボロフスキーハムスターみたいに頬を膨らませちまってさァ」

 

 ゆりなのほっぺたを指でつんつん突くと、そいつは反抗的にますますと膨らませつつ、

 

「だってだって! アイスウォーターちゃんと一緒に入ってたじゃん!

 ボクだって、しゃっちゃんと一緒に入りたかったのに……ずるいもん」

 

 これはこれは。何かと思ったら、そんなことか。

 別に俺は一人で入るつもり満々だったワケなのだが。

 ま。ここは一丁、宿主のご機嫌を伺っておくことにするかね。

 ぷいっとそっぽを向いてしまったゆりなに、

 

「んな、怒るなって。……じゃあ、ほら。明日はおめぇさんと一緒に入るっ! これでチャラって事で一つさ」

 

 とかなんとかテキトーに言っておけばいいだろう。

 どうせ明日には、この家から(というかこの世界から)出て行くワケだし。

 すると、予想通りにそいつはケロっとした笑顔でこちらを向いて、

 

「わーいっ! しゃっちゃんと一緒にお風呂ー! 絶対だよ、約束だもんねっ」

 

 そう言って、小指を突き出してきた。

 

「指きりげんまーん」

 

 こりゃまた、懐かしいっつーか。そんなのやるの小学生のとき以来だぜ。

 って、いまの俺はそんくらいのガキんちょだったか。

 なら、ガキはガキらしく振舞おうじゃあねェか。

 

「へいへい。わーってるって。――約束、な」

 

 俺も小指を出してゆりなの指に絡める。

 

「指きりげんまん! ウソついたら、」

 

 流れのままフツーに針千本のーます、と続けようとしたのだが、

 

「雷千発ぶっぱなーす。はい、指切った!」

「ちょ、ちょ、ちょい待てって。切るな切るな。針千本だったらまだしも、雷千発っておめぇさんが言うと急にリアルすぎるんだが、おい!」

 

 そう慌てる俺に、ゆりなは八重歯をキラっと光らせ、意地悪そうに、

 

「にゃはぁ? どーして慌ててるのかなぁ。しゃっちゃんが、ちゃーんと約束守ってくれればイイだけの話じゃあん」

 

 ウッと、たじろいた俺に今度は後ろのチビチビ助が、

 

「あのですね、旧魔法少女さん。パパさんはさっきお風呂でこう叫んでたんです。

 ふははは! 明日にでもこの世界からとんずらバイバイするんだゼェ! どゎれが魔法使いなんてやるんだゼ!

 あばよ、このペチャパイキングダムがァァアって。一体、パパさんどうしちゃったのか……コロナはビックリなんです」

 

 お前が一体どうしちゃったんだよ。

 つーか、そんな怪しげな語尾つけた覚えねぇぞ。

 

「ひっどーい! しゃっちゃんだってハイパーぺったんこじゃん!」

 

 ハイパーぺったんこて。

 そんな使い方されるとは、ハイパーも思いもよらなかったろうに。

 

「いやはや。今の話のツッコむべき所は胸のことじゃあ無いと思うのだけれども。

 ていうかだな、コロ美。おめぇさん変な話しないでくれよな。誤解しちまうだろ」

 

 言うだけ言って、我関せずとばかりにゴシゴシとジジイの乾布摩擦よろしく体を拭いているコロナに苦言を呈してみるが、

 

「変な話もなにも、ホントのことなんです。パパさんはコロナたちを見捨てて逃げる気まんまんだったのです」

 

 ち、ちぃっとばっかし言い方に刺々しさが感じられるのは気のせいかね。

 

「えーっ!? しゃっちゃん、霊鳴呼んだとき『魔法少女なっちゃいました、春なので』とか、

 『ここは一つ、先輩のお手並み拝見ってことで』とか言ってたから、やる気あると思ってたのにっ」

「んな、四ヶ月も前の話を蒸し返されてもよォ」

「今日のお話だもん!」

「大体さァ、おめぇらがコロ美と俺を契約させるうんぬんで盛り上がってるとき、ちゃーんと俺は魔法使い自体をやりたくねぇって抗議してたんだぞ」

「そ、そんなの聞いてなかったもん……。ぶぅうう」

「ったく。ほれほれ、若いのにそんな顔すんなって。眉間にシワを寄せる度に幸せが逃げちまうって親父が言ってたぜ」

 

 グリグリとゆりなの眉間を指でこすってやる。

 

「そんなのより、しゃっちゃんが逃げちゃうことのほうが大問題だよっ」

 

 幸せを、そんなのよりって言い切ってしまうなんて。

 なんていうか、こういうところが子供だねェまったく。

 と、肩をすくめて苦笑いしていた俺に、

 

「――幸せなんて、そんなので十分だもん。いらないもん。しゃっちゃんが一緒に居てくれる方が絶対いいもん」

 

 そう言って俯くチビ助。

 こりゃあ……冗談を言って逃れられる雰囲気でもないか。

 まぁ、何故だか気に入られているようで悪い気はしないのだが、だからといって付き合う義理もない。

 一日や二日の旅行とは違うんだ。

 

 何が起こるか分からないし、いつ終わるかも分からない魔宝石集めなんざ、正直やってられん。

 いつまでもこの世界にとどまって、親父に心配かけたくねェし。

 中学のダチに会えなくなるのもキツイ。返してもらってないゲームもあるしさ。

 そういやケンカでケリをつけてねぇヤツもいる。(ただいま四勝五敗)

 負け越しのまま逃げたら、あのヤローになんて言われるか。

 

 そんなこんなで、俺もいささかに忙しいワケで。

 なーんて、ガキのこいつに言ってもピンとこないだろうさ。

 だから、俺は少々強引だが子供相手に納得させるためにはこれがベターだと思い、こう言った。

 

「悪ィけれども、俺にも色々事情があるんだって。おめぇさん方が切羽詰ってるっつーのは、よぉくわかるけれどもよォ……。

 ま、あんまり『ワガママ』言わねェでくれると助かるってワケで」

 

 その瞬間だった。

 あきらかにゆりなの動揺していく様が見て取れた。

 

「ワガママ――?」

 

 瞳孔が開き、先ほどまでの元気ハツラツ少女とは思えないような無表情に変わっていく。

 目の光がサッと消え、どこか遠くを見ながら、

 

「ごめんなさい……言わないから、もうボク、『ワガママ』言わないから」

「え?」

「ちゃんと良い子になるから、ボク、ワガママなこと言わないから。だから、だから、だから――」

 

 気が抜けたようにペタンと座り込むゆりな。

 

「大丈夫か、どっか具合でも悪ィのか?」

 

 どうしたらいいのか狼狽している間にも、ゆりなの呼吸が荒くなっていく。

 胸を押さえて咳き込む彼女に、何も出来ず呆然と立ちすくむ俺。

 

「けほっ。え、えへへ。ごめんね、しゃっちゃん。ボクは、だ、大丈夫だから、先にお部屋戻ってていいよ……けほっ、けほっ」

「お、おいっ!」

「……パパさん。コロナたちは大人しく立ち去るべきだと思うんです」

「んなこと言ったって、放っておけねぇだろ!」

 

 そう振り向いた俺の目の前に、どこか悲しげな表情をしたクロエが現れた。

 

「あーあ。アレを言っちまったか。いつ出てもおかしくなかったからな、しゃあねぇか。

 コロ助の言うとおり、おめぇらは部屋に戻ってな。あとはオレがなんとかすっから」

 

 いつもの事だというような軽い調子で言った後、

 

「――シラガ娘。ポニ子にもう『あの言葉』を言わねぇでやってくれ。すまねぇ、ワケはいつかちゃんと話すからさ……」

 

 背を向けたまま、黒猫はそう呟いた。



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第十一石:選ばれたコドモ

 その後、ゆりなの部屋で髪を乾かす俺たち。

 小さなピンクのドライヤーを髪にあてつつ考えることといえば、やはりさっきの事だ。

 

「ありゃあ……一体、なんだったんだ。おめぇさん、なにか知ってるかい?」

 

 再びに、俺の組んだあぐらの中へと陣取ったコロ美に訊いてみると、

 

「コロナもわからないんです。お姉ちゃまは『あの言葉』を言わないでほしいって言ってたのです」

 

 あの言葉――

 これはおそらく『ワガママ』というワードで間違いないだろう。

 俺が『ワガママを言うな』と言ったから、ああなってしまった……と考えるのが妥当か。

 だけれども、そんなたかだか言葉一つであれほどまでに辛そうに咳き込むか?

 

「コロナはトラウマの仕組みという番組をテレビで観たことあるのです。もしかしたら、その言葉がそれを――」

「刺激した、って?」

 

 いやいや、まさか。まだ十にも満たない若さでそんなものあるはずも無い。

 フツーのどこにでもいそうな子供に見えるゆりなに、『トラウマ』だなんてそんなもの。

 

「パパさん、本当にそう思ってるんですか? 子どもだから傷つかないと、何を言われてもヘーキだと、そう思ってるのですか?」

 

 ジッと見上げてくるコロナ。

 む。

 やけにつっかかってくるじゃねェか。

 

「……まどろっこしいねぇ、何が言いてェんだ」

「コロナは、旧魔法少女さんよりチビチビなんです。だけど、大人と一緒でちゃんと傷つくのです。

 パパさんに契約断られて怒鳴られたときとか、パパさんにコロナと一緒のお風呂はつまらないって言われたときとか……ちゃっかりと傷ついてるんです」

 

 げっ。

 何食わぬ顔しているから平気なんだろうと思っていたのだが、マジでか。

 

「マジなんです」

 

 ありゃ、まぁ。

 なんて返していいものやら、ドライヤーの風を冷風に切り替えながら、そう考えあぐねていると、

 

「でも、コロナは傷ついてもすぐに治るんです」

「そりゃあ、どういうこってィ?」

 

 という質問に一瞬だけ俯いたあと、

 

「それは――パパさんが、その後すぐに優しくしてくれるから、なんです」

 

 そう頬を染めて俺のパジャマをぎゅっと握った。

 

「あんだそりゃあ! ははっ、わけわかんねーヤツぅ」

 

 ぷっと吹き出した俺に、コロ美は珍しく怒った表情で、

 

「む。む。コロナは真面目なお話をしてるんです。つまり、コロナが言いたいことは、傷ついても癒してくれる人がいればいいと思うんです」

「ふぅん。そういうモンかねェ」

 

 イマイチよくわかってませんといった俺の流し的なリアクションを不服そうに、

 

「あのですね。パパさんはさっき、旧魔法少女さんがフツーのおバカそうな子どもだから傷つかないって言ってましたよね」

 

 いや、おバカそうなとまでは言ってねェけれども。

 

「でも、逆に子供だからこそ傷つくようなことがトラウマたる原因だとしたら?

 そして、もしあの人が『いわゆるごく一般の普通の子ども』じゃないとしたら?」

「……さてはて。言ってる意味がよくわかんねェなあ」

「パパさんなら分かるハズ――ううん、きっともうとっくに気付いてるハズなんです。彼女の心の傷に、そして彼女と自分とのある共通点に」

 

 へぇ、これはこれは。

 人の心の中に土足で踏み入ることのできる、スンバラシイ能力の持ち主なだけある。

 

「いやはや。それは俺の心ん中を覗き見たから、だからそう断言できるってワケかィ?」

 

 少々おどけて言ってみるが、

 

「パパさんの言葉を借りると、コロナの能力をそこまで買いかぶって欲しくないんです。

 少しだけ、パパさんだけの考えが読み取れるというだけでその奥底までは届かないのです」

「だったら、どうして俺の全てを知ったかのような、」

 

 訊こうとしたが、俺はすぐさま口を噤んだ。

 何故なら、コロナがあの光った眼で、ニィっと不気味に笑いながら俺を見上げたからだ。

 

「それは――ピース様が選んだ『コドモ』だから、なんです」

「ど、どういうこっちゃ。答えになってんのか、そりゃあ。もっと具体的に言ってくれよ」

「肯定。つまり、それはですね――」

 

 スッと息を吸って言葉をためるコロナ。

 ごくりと喉が鳴る。

 

 ……ピースか。あの唯一にして最強の魔女だとかいうふざけた婆さんが選んだ子ども。

 俺は当然として、やはりゆりなも故意に選ばれた子ども――そういう事なのか?

 いよいよキナ臭い話になってきたもんだ。

 そう、神妙な顔をして待っていると、

 

「へっくち! ……なんです」

 

 ガクッ。

 なんとも間抜けなクシャミに一気に脱力してしまう俺。

 

「あらら、鼻水出てんぞ」

「あ、ぅ」

 

 鼻水をズルズルとすすろうとしたそいつに、

 

「こら。ちゃんと鼻をかまないと中耳炎っつう、こわ~い病気になっちまうんだぜ」

 

 ティッシュを二、三枚取り出して鼻にあててやる。

 

「ほら、チーンて」

「ちーん」

「ん。キレイキレイなった……って、つまりそれはヘックチなんですっつーのは、どういう意味なんでぇいコロ美ィィイ!」

 

 うがーっとすごんだ俺に、コロナは鼻を真っ赤にして、

 

「ごめんなさいです。今のクシャミで何言うか忘れちゃったんです。

 えっと。パパさん、コロナの髪も乾かして欲しいのです。風邪ひきそうなんです、いささかに」

「ったく、興醒めたァこのことだな。あと、さりげに俺の口癖マネしてくれるなよ」

「おっけー。恐縮なんです」

「……コロ美、おめぇワザとか?」

「ぶいっ」

 

 いや、どうしてそこでVサインが出るんだよ。

 ホント意味不明なガキんちょだ。もしかすると、今時の幼稚園児はみんなこんな感じなのか?

 だとしたら全国の保母さんに同情しちまうぜ……。

 そう頭の中で嘆いていると、またもやコロナが大きなクシャミをかました。

 

「あー、もう。しゃあねぇなぁ。俺様が乾かしてやんよ。チッ、めんどくせェめんどくせェ」

「やたっ」

「前向けー、前」

「肯定なんです!」

 

 と、前を向いたはいいが、ぴょんこぴょんこと跳ねるもんだからたまらない。

 

「はしゃぐなって」

 

 ドライヤーをオンにしながら、

 

「ほら、ジッとしてなァ。動くとヤケドすんぞ。つーか、霊獣サマとやらも風邪をひくモンなのか?」

 

 カラダ丈夫なんだよな、確か。

 クロエ曰く、ちょっとやそっとのことじゃあケガしないとか言ってたよーな。

 

「肯定。ケガはしてもすぐウニョニョって治るんです。でも病気は普通にしちゃうのです」

「あーそう、ウニョニョっスか。お客さん不気味な体してるんスね」

「はい。不気味な体なんです」

 

 そんな美容院のようなヘンテコな会話をしつつ、コロナの髪を乾かしていると、

 後ろのドアがカチャっと開いた。

 

「ん?」

 

 振り向くと、まだ周囲に湯気を立ち昇らせているゆりながソーッと顔を覗かせていた。



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第十二石:ナミダ、乾かして

「お、ゆりな。早いねェ、もうあがったのかい」

 

 うんっ、と笑顔で返されるものだとばかり思っていたのだが、しばしの沈黙のあと、

 

「……あ」

 

 と言って後ずさり、そして、

 

「う~っ」

 

 目に涙を浮かべてバタンと扉を閉めた。

 どしたんだ? と首を傾げている俺に、

 

「きっと、パパさんとどう顔をあわせていいのかわからなくて困ってるんです」

 

 なるほど。別に、気にしちゃあいねーのに。

 ――いや。あんなこと言ったんだし、気にしなければいけないのは俺のほう、だよな。

 

「パパさん。コロナのさっきのお話覚えてるですか?」

「ウニョニョってケガが治るんですって話?」

「否定。ウニョニョじゃないのです。傷ついても、癒してくれる人がいればってくだりなんです」

「ああ、それ」

 

 癒してくれる人って、言われてもねぇ。

 少なくとも、今日チビ助と会ったばかりの俺にそんな大役は務まらねーな。

 

 だけど。まぁ、なんだ。モヤモヤすんだよな。

 癒す云々は正直ピンとこねェけど、あいつにはちゃんと謝らなきゃいけないな、っていうモヤモヤ感。

 ま。ウダウダ考えていても埒があかねェし。

 立ち上がり、ぐいーっと伸びをしながら、

 

「うしっ、あとは自分で乾かせるな?」

 

 コロナの頭をぽんぽんと叩いて、ドライヤーを渡す。

 そしてドアの前に立ち、言ってみる。

 

「おーい、チビ助やーい。お前さんも早く髪乾かさないと風邪ひいちまうぞ」

 

 いなかったりして。だとしたら恥ずかしいコトこの上ないが。

 

「しゃ、しゃっちゃん。えっと、その、ボクね。あのあの……」

 

 お、いたいた。

 ゆりなの声が聞こえやすいように、背中をドアにぴったりとくっ付けて、

 

「あー。ゆりなさ、さっきはゴメン、な」

「……えっ?」

「なんつーか、イヤなこと言っちまって。悪気は無かったっていうか、ありゃ、これイイワケか。その――とにかくゴメン。もう言わない」

「ううん。違うもん、しゃっちゃんが謝ることなんて全然ないよ。

 ボクの方こそ急におかしくなっちゃって、だからしゃっちゃんに謝らなきゃいけないって思って……」

「じゃあ、おあいこ」

「でも、」

「めんどくせーから、おあいこ」

「う、うん。ありがと、しゃっちゃん」

 

 ドア越しに泣き声が聞こえてくる。

 ホント、泣き虫なヤツ……。

 

「あのさァ。髪、乾かしてやるよ。特別サービス、俺けっこう上手いんだぜ。さっきコロ美で実験したし」

 

 聞いた途端、頬を風船のように膨らませたコロナにごめんなポーズをとった後、

 

「だからまぁ、もう泣くのはやめてさ。笑っとこうぜ。お前さんはそっちのほうが、しっくりくるっつうか――まぁ、なんていうか、」

 

 言いかけたところで、急にドアがバッと開いた。 

 

「しゃっちゃん!」

 

 体を支えていたモンが無くなった俺は一瞬倒れそうになるが、すぐさま支えられた。

 というよりも、抱きしめられたつったほうがコレは正しいのか。

 

「……な、なんだよ、ジャーマンスープレックスでもかます気かィ?」

 

 そんな俺の冗談に、

 

「にゃはは。違うよーだ。チョークスリーパーだもんっ」

 

 ポヘッと首を絞められた。

 全然痛くは無かったのだが、そっちがその気ならと、

 

「いっひっひ。やったな、こんにゃろー。ジャイアントスイングすっぞ!」

「バリアするし!」

「甘い甘い、俺の世界じゃあ投げ技はバリア貫通なんだぜ!」

「えーっ、そんなのずるい。今はこっちの世界だもんっ」

「秘儀、チョーク抜け!」

 

 ゆりなの腕からするりと抜け出し、

 

「さーて、覚悟しろってなモンで……」

 

 そう振り返って、俺は目を見開いた。

 あれ、コイツ。

 

「むー。こうなったら霊冥呼んじゃおっかなぁ」

 

 よく見ると結構――

 

「しゃっちゃん?」

「あ、ああ……。いや。ていうかお前、ずりぃぞ。プロレスごっこで霊鳴呼んだら反則負けだっつうの」

「あ、そっか。反則負けになっちった。にゃはは! やっぱ、しゃっちゃんと一緒にいると楽しいなぁ」

 

 屈託の無い笑顔を向けるゆりな。

 俺は少し肩をすくめたあと、

 

「ん。やっぱそっちの方がチビ助っぽい」

 

 と、ついボソっと言ってしまった。

 

「え、しゃっちゃん何か言った?」

「なーんも。ほれ、それより髪乾かさねーの?」

「乾かすー! わーい! アイスウォーターちゃんわーい!」

 

 バンザイして、何故かコロナを抱き上げるゆりな。

 無表情のままブンブンとなすがままに振り回されるコロ美。

 せっかく綺麗にセットしてやった髪がボッサボサになって……トホホとこめかみを押さえる俺、といった構図だ。

 

 やれやれ、しかしまぁ。

 ああ言ったはいいが。

 ちと、こいつの場合、元気すぎるのも問題かもしれないな。



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第十三石:飯は高し食せよ乙女

「はいっ、どうぞ召し上がれなのです! 今日はしゃっちゃんちゃんと、ころこっちゃんの為に腕によりをかけて作ったです……っっ」

 

 テーブルに続々と置かれていく料理を前に俺は唖然としていた。

 

「え、これ全部お姉さんが作ったんですか?」

 

 訊くと、ゆりなのお姉さんは飛びっきりの笑顔で、

 

「はいっ。お二人に喜ばれるよう、どの料理が良いか三思九思しての結果ですっ」

 

 その結果が、この天を穿つようなタワー盛りご飯ですか。

 こりゃあ、白飯だけですぐに満腹になっちまうぞ。

 一つ一つがパーティ用かと思える程の量のおかずも凄まじいけれども……。

 隣に座っているコロナも額に汗を浮かべて、

 

「こ、コロナは見てるだけでお腹いっぱいになってきたんです」

 

 右手に持った箸がぷるぷるカタカタと震えている。

 俺はそいつの肩をちょんと突付いて出来るだけ小声で、

 

「おい、コロ美。お姉さんのあの顔を見てもそれが言えるかィ?」

「…………う゛っ」

 

 満面の笑み。

 両手をギュッと握って、キラキラと目から星を飛ばしまくっている。

 星マシンガン十発ごとに俺とコロナを交互に見ているワケで。

 そりゃ、あんな期待された表情で見つめられた日には……。

 

「わ、わーい。美味しそうなんです! いただきまーすっ」

 

 そう言うしかねーよなァ。

 俺とゆりなもそれに続いて、

 

「いっただきまーすっ」

 

+ + +

 

 二十分後。

 数多あるお皿の中身は、見事にキレイになっていた。

 

「にゃはは、お姉ちゃんのご飯美味しかったーっ。ボクの大好きなロールキャベツもあったし!」

 

 ゆりながコップに注がれた麦茶を飲み干して言う。

 

「あらあら、うふふっ。ゆっちゃんは小さい頃からロールキャベツが好きでしたものね。

 お二人はあの中に何か好きなおかずありましたでしょうか? なるべく好物に当たる様にと多く作ったつもりなのですが……」

 

 ゆるりと訊ねられるが、俺達はそれどころじゃない。

 

「う、うっぷ。コロ……美。お前が、答えてくれィ」

 

 まるで漫画のようにでっぷりと出たお腹をおさえながら言う俺と、

 

「肯定、なんです。えっと、こ、好物以前に、ご飯だけでポンポンがパンパン、という状況……なのです」

 

 まるで漫画のようにぽっこりと出たお腹をおさえながら言うコロ美。

 そうなのだ。

 俺とコロナは茶碗に盛られたタワー飯を平らげるのがやっとで、おかずまで手を出せずにいた。

 とすれば、なぜ皿の中身がキレイになっているのかという疑問が出てくるのだろうが――なんてこたァない。

 

「あれ、しゃっちゃん達おかず食べてなかったっけ?」

「えっ! も、もしかして私達だけで食べてしまったのでしょうか……」

 

 と。

 きょとん顔を見合わせる姉妹。

 

 何を隠そう、彼女達が猛スピードで食べていたというオチだ。

 そりゃあもう凄まじい光景だったぜ。

 笑顔のままパクパクモグモグと、華奢な体のどこへそんなに入るのかと問いたくなるくらいだ。

 見ているだけで腹いっぱいとはまさにあの状況だな。最上級の例だろうよ。

 

「なんという、なんということでしょう……。では、ただいますぐに作り直しますっ! 悔悟憤発ですっ!」

「い、いや、大丈夫ですからホント! お気になさらずっ!」

 

 青ざめた顔で即答する俺に、

 

「……けっぷ」

 

 こっそりとおくびで答えるコロナ。

 

「あう。ごめんね、しゃっちゃん。ボク、みんなとご飯食べるのが楽しくって、全然気付かなかったよぅ」

 

 ゆりながそう言って、申し訳なさそうに背中を丸くする。

 まーた、そうやってすぐに謝る。

 謝る必要なんざ微塵もねェってのに。

 

「ふっ、構わんぜ。俺のことは気にせず、いっぱい食べて大きくなるんだぞ、ゆりな。摂取した栄養は最大限に活かすんだ」

「え。う、うん……。がんばってみるっ」

「頑張りすぎて怪獣なみになられても困るケドな」

「わっ、怪獣かっくいーっ。がお、がおー!」

「ハ、ハハ。あんだけ食ったのに、元気っすね……」

 

 あいててて。

 腹痛のときによくわからん掛け合いなんてするもんじゃねェな。

 そう力無く笑う俺に、

 

「ゆっちゃんとしゃっちゃんちゃん。とても仲良しさんなんですね。かなり前からお友達なのですか?」

 

 頬杖をつきながら、微笑むお姉さん。

 

「ええ、まァ……」

 

 本当は今朝初めて会ったばかりなんだけれども。

 そう言うワケにもいかねぇし。

 

「えへへ。ずっと前からお友達だもんね。仲良し、仲良しー! がおー!」

「――そ、そうだな。っておいコラ、人の耳を噛むなって」

「がおおーん! がるるるー」

「もはや怪獣じゃなくてただのライオンだろそれ」

 

 残り少ない体力から搾り出したチョップをかましてやると、そいつは何が楽しいのか、

 

「にゃはは。殴られちったー。きゃいんきゃいーんっ」

 

 と、小走りで食器を洗いに行ってしまった。

 つーか、動物キャラをやるならやるで、ちゃんと統一してくれよな。

 

「あ。コロナも洗うんです。食べたらキレイキレイするのです」

 

 隣のツーサイドアップが言って、ぴょんと椅子から飛び降りる。

 そうだな。んじゃ、俺も腹ごなしに手伝うとするかねェ。

 手を広げて待つコロ美に渡そうと、俺たちの食器を重ねていると、

 

「ん? なんだこれ。『ももはせんよう』だぁ?」

 

 コロナの使っていた、ちんまいピンク色の箸にそうマジックで書かれていたのだ。

 ひらがなだから分かりづらいが、これは多分『ももは専用』という意味か?

 お姉さんが俺の手元を覗いて、

 

「あらあら。ゆっちゃーん、もっちゃんの小さい頃のお箸だって、懐かしいですねーっ」

 

 エプロンを後ろ手に結んでいる最中のゆりなに声をかける。

 

「それ、コロナちゃんにってボクが戸棚の奥から見っけたんだよー。ももちゃんってば、ピンク色のもの全部に『専用』って書いてたもんね。

 ボクのケシゴムの裏にも書かれてたっけ。にゃははっ」

 

 それを聞いたゆりなは後姿のまま、とても懐かしそうに答えた。

 

「あの、ももはさんって誰なんですか?」

 

 コロナの疑問に俺も続ける。

 

「もしかして、もっとご兄弟がいらっしゃるとか?」

 

 実はもう一人いる一番下の妹が使ってる、みたいな。

 

「んーん。違うですよー。もっちゃんは、ゆっちゃんの幼馴染さんなのですっ!

 桃色なサラサラの髪と白い肌がとても可愛い子なんですよ。このお箸は、幼稚園の頃もっちゃんが遊びに来てたときによく使ってたんです。

 でも――年長さんになる頃には、もう使われなくなっちゃったんですけどね……」

 

 寂しそうに俯いてしまうお姉さん。

 なにやらこれは。

 これ以上聞いてはイケナイ雰囲気のような。

 

「そ、そうですか――」

 

 どう話を切り替えしたらいいものかと食器をコロナに渡しつつ考えていると、

 

「何故なら、大きくなったもっちゃん専用お箸があるからなんですっ」

 

 ドギャーンと取り出されたピンク色の箸には、これまた『続・ももは専用』と書かれていた。

 

「今もっちゃんが使ってるのこれですよね、ゆっちゃん」

「うんっ。昨日もそれ使ってたもん」

「え……。昨日も?」

 

 するってぇと、今でもちょくちょく遊びに来てるってことかィ?

 

「ちょくちょくっていうより――毎日です。四歳の頃から今までずっと、ですねっ」

 

 食器を運び終えたコロナの頭を良い子良い子と撫でながら、事も無げに微笑むお姉さん。

 毎日って。

 しかも四歳の頃からとなると、ゆりなが九つとして五年間ってことになる。

 

 いやいやいや。

 フツウ、かなりの迷惑もんだぜ、そりゃあ。

 一晩宿を借りる身の俺が言えたモンじゃないけれどもさ。

 

「ぜんっぜん、です! むしろ一日でももっちゃんがいらっしゃらないと、とても不安です。悲しいです。がっかり、なのです。

 きっと、しゃっちゃんちゃんと、ころこっちゃんも彼女と会えば自然と仲良くなれるハズです……っっ」

「そ、そうですかねェ」

「え。コロナも、ですか?」

「そうですともっ! だって――」

 

 あまり乗り気でないといった雰囲気の俺たちをいっぺんにギュッと抱きしめ、

 

「お二人ともこんなに、こんなに可愛くてイイ子なんですから。

 イイ子同士はすぐにお友達になれること間違いなしなのですっ。肝胆相照、ですっ」

 

 お姉さんは全てを包み込むかのような優しい声で言った。

 この人は、どうして。

 一度会っただけのどこの馬の骨ともわからないヤツにここまで柔らかな言葉をかけるのだろうか。

 

 いや――

 この姉妹は、か。

 いささかに苦手だな……この温もり。

 俺はお姉さんの腕からするりと抜け出して、

 

「す、すんません! 俺、あの捨て猫の様子が気になるんでっ」

 

 そそくさと階段をかけあがった。



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第十四石:寝心地サイアクのふともも

 

 部屋に戻ると、捨て猫もといクロエが学習机の上で毛づくろいをしていた。

 

「おろ。遅かったじゃねーか。ポニ子とコロ助は一緒じゃねぇのか?」

「もうしばらくしたら来ると思うぜ……。あたたた」

 

 急に走ったもんだから、腹が悲鳴をあげやがる。

 

「その様子っつーか腹をみると、例のアレを喰らったみたいだな」

 

 あの山盛り飯のことを知っているのか。

 ベッドにドカッと座り、一息つく。

 

「ああ。喰らったぜ、二重の意味でなァ」

「けけっ、うめぇこと言うじゃねーか。ポヨ子の飯、美味かったか?」

「白飯しか食えなかったけれども。炊き方はかなり上等なモンだったぜ。丁度いい硬さで。てか、ポヨ子ってどういう意味なんでィ」

「んなの決まってんだろー? ぽよぽよしてるから、ポヨ子。性格と体と、二重の意味っつうヤツでさ。にっしっし」

「……おまえさんなァ。エロ親父みたいな反応に困る発言、謹んでくれっての。俺はこれでも中身は健全な中学生男子なんだぞ」

「はっ。よく言うぜ。てめーはそんじょそこらの鼻水たらした中学生とは違うだろ」

「これはこれは。買いかぶってくれるねェ。恐縮だけれども、ここは素直に喜んでおこうかね」

「飄々としやがって。ジジくせぇのはどっちなんだか。ま、だからこそピースに選ばれたのかもな」

 

 またその話か。

 選ばれしもの、うんたらかんたら。耳にタコだって。

 コントローラーのAボタン連打で会話を飛ばしたいくらいだね、まったくもって。

 

「わりーけれども、」

 

 言いかけたところで、黒猫が跳躍。

 音も無くベッドに飛び移り、俺の膝の上で丸くなる。

 

「なんだ。暑苦しいぞ、毛皮ヤロー」

「けけけっ。シラガ娘、おめぇは腹いっぱいで動けねぇんだろ。だったら大人しくオレを可愛がりやがれ。満足したら退いてやんぜ」

 

 俺は小さく舌を打った。

 

「口やかましい猫だなまったく」

 

 実に腹立たしい食肉目小動物の背中を撫でようとして、俺は止まった。

 何故なら、クロエが驚いたような顔で俺を見ているからだ。

 

「なんでェい。俺様の顔に飯粒でもついてるのかィ?」

「あ。いや――な、なんでもねぇよ」

「……変なヤツ」

 

 なんでもないと言われると気になるのは何でかねぇ。

 しかしながら、と俺はクロエの背中を撫でながら思う。

 このバカ猫と一緒にいるときは、なんつーか気が楽だ。

 言葉遣いが俺に似てぶっきらぼうな為か、気安く軽口が叩ける。

 

 他の女性陣はいささかに、どうもな。(一応こいつも女だっけか)

 コロナはただひたすらに面倒だし、ゆりなは少し慣れたが、やはりまだ苦手だ。あの瞳が。

 そして、ゆりなのお姉さん。彼女が一番厄介だ。あのほわほわとした温かさが――心底キツい。

 

「なぁ、シラガ娘よ」

「はーいっ。なぁに、クーちゃん?」

 

 俺のここ半年で一番の茶目っ気に、

 

「き、気持ちわりぃ声だしやがって。大体、オレをクーちゃんと呼んでいいのは、ポニ子だけだぜ」

「へぇへぇ。そうかいそうかい、そいつは残念だねェ」

 

 そんなことよりと、黒猫が俺に向き直る。

 

「さっき何を言いかけてたんだ? わりーけれども、の続き」

 

 ああ。すっかり忘れてた。 

 

「まぁ、アレだ。散々コロナには言ったのだが、やっぱし俺ァ、魔法使いなんざやる気しねェから。

 どうせ首を突っ込んだら、間違いなくべらぼうに面倒なことになるだろうし。だからその前に――」

「この世界から逃げ出す、ってか?」

 

 俺の台詞を先回りした後、クロエは器用に腕を組んで瞑目した。

 

「……言ったハズだぜ。元の姿に戻り、そして元の世界に帰りたいのなら、いくら探したって方法は一つしかない、と」

 

 未だ目を瞑ったままのそいつに、

 

「――最悪、姿はチビガキのままでもいい。とりあえず、俺ァ俺の世界に帰りてェって話。明日か、出来れば今夜にでも俺はこの家を出る。

 このままズルズルと引き込まれるのは勘弁だ。行動しないよりはマシってな。何か戻れるきっかけを掴めるかもしれねェし」

 

 ま。姿に関しては、本当に最悪の場合だけれども。

 

「そうか。わかった」

 

 てっきり怒鳴られるかと思っていたのだが、猫は悟ったように頷いて、続ける。

 

「お前の呪いを解いて、元の世界に戻してくるようオレがピースに掛け合ってみるぜ。

 ――抜け出すときはなるべくあいつらにバレない方がいいだろうな。

 夜中、タイミングを見計らってオレが声をかける。その隙にこの家から出るぞ。いいな?」

「そ、そりゃありがたい話だけれどもよ。一体どういう風の吹き回しなんでィ?」

 

 こいつにとっては俺が魔法使いにならないと困るんだろ?

 だったら逃走に協力的になるのは、いささか不可解に思えるが。

 単純にこの猫の考えがわからんな。

 

「……猫であるが故の、気まぐれなものと。そう思えばいい」

 

 俺の疑問符に、淡い笑みを返す黒猫。

 そいつは一つ大きい伸びをしたのち、再び丸く寝なおして、

 

「ケッ、硬ぇ太ももしやがって。誰かさんに似て寝心地サイアクだぜ、ったくよ」

 

 と、口角を上げた。



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第十五石:あばよ、チビチビ

「しゃっちゃん、本当に下でイイの? ボクのベッドで寝てもいいのに」

 

 ベッドの脇に布団を敷きつつ、ゆりなが俺に訊ねる。

 

「宿を借りてる分際でご主人様のベッドを占領するワケにもいかねーって。それに、寝ぼけてまたお前さんの腹を踏んじまうかもしれねぇし」

「ふえぇ。それはもうゴメンだよぉ……。思い出したらお腹ズキズキしてきちゃった」

「いっひっひ。そりゃあ、ただの食い過ぎ。あんだけ腹に詰め込めば痛くもなるって、フツウ」

「えー? いつもより控えめに食べたのに。まだまだ余裕で食べられるよ~っと、ほい! お布団出来たよ、しゃっちゃん」

「おっ、さんきゅう。こりゃあ、寝心地良さそうだ」

 

 完成した布団に胡坐をかく。

 やはり、これだね。ベッドより布団のほうがしっくりくるぜ。

 にしても、やけにフワフワとしていて肌触りが良いな。なんの柔軟剤を使っているのかね。

 

「……うげっ、こんなところにも書いてやがる」

 

 マクラの右片隅に、『ももは専用』の文字を見つけ、即座に裏返す。

 こいつ、いくらなんでも書きすぎじゃないのか。

 ほっといたらこの家ごと乗っ取られる勢いだぞ。

 

「どったのー?」

 

 ベッドに腰掛けて首を傾げるゆりなに、

 

「いや、えーっと。アレだ。なんつうか、見事な食べっぷりだったなぁってさっきの思い出して。はは。

 すげぇよな、あの量。お前さんの小さな体のどこに入ってるんだって不思議でならないぜ」

「へへへ~。それなら、もうなくなっちゃってるよ。だって、ボクのお腹はブラックホールだもん! にゃーんちって」

 

 パジャマをめくり、腹をポンポコと叩いて笑う。

 う、うーむ。

 あながち冗談に聞こえないところが、恐ろしい。

 

「そういえば、クーちゃんとアイスウォーターちゃん遅いね」

「散歩行ったんだっけか。すぐ帰ってくるっつってたのに、何やってんだかねぇ」

「なんか、思い出話に花を咲かせてくるんです、とかアイスウォーターちゃん言ってたよ」

「ふぅん。思い出話ねぇ。というか、イマイチあいつらの関係性が分からないぜ。

 コロ美はクロエのことをお姉ちゃまって呼んでたけれども……どう見ても似てないよな?」

「あはは、やっぱしゃっちゃんもそう思う? 性格全然違うもんね。

 クーちゃんは怒りんぼなイメージで、アイスウォーターちゃんはトロンと眠そうなイメージ」

「そうそう。それ以前に、猫と蝶々だしな。元からして別モンすぎるって話さ。姉と呼んでるけど、きっと本当の姉妹じゃないだろうよ」

 

 とはいえ、それは『霊獣』という特殊な枠で考えると違うのかもしれないけれども。

 霊獣。

 当たり前の話だが、謎の多すぎる存在だな。

 

「ふにゃ……あ」

 

 大口を開けてあくびをするチビ助。

 時計を見やると、まだ九時手前だが。

 いやはや、小学生にはツライ時間かもしれないな。

 眠いのかと訊ねると、うん、と頷いて、

 

「にはは……。いつもはとっくに寝てる時間だから。

 でも、クーちゃん達待たなきゃ。それにしゃっちゃんともっとお話ししていたいし――」

 

 そう言って、『ふにゃぁあ』と再びデカイあくびをかます。

 限界だろうな、こりゃ。

 

「話なんざ、明日でもたくさん出来るって。もう寝ようぜ。少しだけ窓開けてりゃ、あいつらも勝手に入ってくるだろ」

「うん、そうだね。それ採用っ。じゃあ電気消しちゃうよ~」

「おうよ。おやすみ」

「おやすみっ! また明日いっぱい遊ぼうね」

「……ああ、また明日な」

 

 紐が引っ張られ、電気が消される。

 代わりに点いた橙色のナツメ球を見上げながら、俺は小さくため息をついた。

 

 また明日、か……。

 今夜これからクロエがピースに直接口添えをしてくれる。

 スムーズに事が進めば、男の姿に戻れてそのまま家に帰してもらえるだろう。

 楽観的な予想かもしれないけれども。一人で脱出を試みるよりは遥かに可能性があるハズ――

 

 そうなれば、俺とゆりなの明日は別々の明日になる。

 あっさりと。

 もう二度と交わることのない平行線へ。

 

+ + +

 

「起きろ、バカシラガ。時間だぜ」

 

 耳元で囁かれ、俺は不機嫌に目を開けた。

 マクラもとに座っていたのは俺よりも不機嫌そうに腕を組む黒猫だった。

 もぞもぞとそいつの隣に置いてあるピンクの蜘蛛さん時計を引き寄せてみる。

 

「……なんでェい、なんでェい。まだ夜中の二時じゃねぇか。つぎ起こしたら、猫じゃらしの刑に処すぜ。にゃんちくしょうめィ」

 

 そう寝なおそうとした俺に、

 

「ほー。じゃあテメェはこのまま魔法使いをやるってことでいいんだな。あいわかった、おやすみ」

 

 ガバっと飛び起きる。

 あ、あぶねぇ!

 

「待った、待った! いやぁ、すっかり寝ぼけててさ。謝るからピースんところへ連れてってくれよ。なぁってば、プリチーなチョコチップマフィンちゃあん」

「うげぇえ。わーったから、気持ち悪い声出すなって。ほれ、さっさとついて来やがれ」

「いっひっひ。オーライ。わかりましたんで、っと……アレ?」

 

 ホッと胸をなでおろし、布団から出ようとしたところで、腰に違和感。

 タオルケットをそーっとめくって目を凝らすと、そこにはコロ美が眠っていた。

 俺のパジャマを左手でガシッと掴みながら、右手の親指をちゅぱちゅぱと吸ってやがる。

 

「チッ。コロ美のやつ、人の布団の中に勝手に入ってきやがって。どうりで暑苦しかったワケだ」

「……すーすー」

 

 やれやれ。

 あどけない寝顔だけ見れば、ただのどこにでもいそうな人間の子どもなんだが。

 

「どーした?」

「わりぃ、ちょっち待っておくんなま」

 

 言いつつ、起こさないようにとチビチビ助の指を一本一本外していく。

 

「い、良い子だから、とっとと離しやがりましょうねェ」

 

 最後の指を外し、やっと解放される。

 んじゃ、行こうかねと立ち上がった時、

 

「パパさん……」

 

 げっ、起きちまった?

 

「ダメ、なんです。そんな市役所前でソーラン節を踊ったらみんなの迷惑なんです……むにゃむにゃ」

 

 って、おい。

 なんて変な夢を見てやがるんだ、このガキんちょは。

 市役所前でソーラン節って、どんな新手の抗議なんだよ。

 

「にしし。よっぽどコロ助に気に入られたみたいだな。さっきもおめぇの話ばかりしていたぜ。そりゃもう楽しそうによ」

「あーそうかい。こんなガキに好かれたところで、別に嬉しくもなんともねェけど」

 

 首をこきこき鳴らし、今度こそと部屋を出ようとするが、

 

「へっくちっ、なんです」

 

 またあの珍妙なクシャミ。

 ったく、だからあまり長時間ウロチョロ出歩くなって言ったのによォ。

 布団をかけ直し、背中をぽんぽん叩いて言ってやる。 

 

「ばぁーか」

 

 一応、ついでに。

 

「……あばよ、チビチビ」



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第十六石:巨大なハチドリ!? ホバー・ザ・ルヒエル襲来!

 部屋を出ると、クロエは隣の物置部屋へと手招きした。

 とはいえ、キレイに片付いてるけどな。

 

「この部屋にはベランダがあるんだ。抜け出すには最適ってワケ。よし、こっちだ」

 

 と、器用に戸をガラッと開けると、ぴょんと飛び降りてしまった。

 

「お、おい!」

 

 そりゃ、お前さんは猫だから簡単に飛び降りられるのかもしれねェけど。

 俺は普通の人間だぜ。

 しかも今は小学生レベルだから普通以下だぞ。

 

「……行けるかな」

 

 二階程度ならと、下を覗いてみるが――いや、これはコワイって。

 

「あにしてんだぁ、行くぞバカシラガ。男は度胸だろ?」

「バカ猫が! 今の俺はか弱い女の子だぞ、コルァ」

「けっ、女の子っつうなら代わりの愛嬌を用意しろってーの」

 

 ぶつくさ言いながら、しっぽをクネクネと凄まじい勢いで回すクロエ。

 

「なぁ、シッポ遊びはいいからよ、」

 

 言いかけて俺は固まった。そりゃ固まりもするさね。

 なんせ、いきなり闇色の光に包まれたかと思うと、巨大化したんだからな。

 こう見ると、もはや黒猫ではなく、黒虎と言ってもいい迫力だ。

 

 しっかし、まぁ。

 空は飛ぶわ、喋るわ、デカくなるわで。

 もうこいつ一匹で全部の石を集められるんじゃないのか。

 俺がそんなことを考えていると、そいつはフンッと鼻で笑って、

 

「今のはシッポ遊びじゃねぇよ。巨大化の魔法陣を描いてたんだっつの。

 オラオラ、いつまでもアホ面かましてねぇで、背中に乗りな」

 

+ + +

 何度か振り落とされそうになって、(その際に聞こえた意地悪な笑い声から察するに、おそらくあれはワザとだな)

 着いた場所はいつぞやの公園だった。

 暗く、赤い満月が俺たちを見下ろしている。

 

「そこのベンチに座って待ってな。連絡はつけてある。もうじきピースが姿を現すハズだぜ」

 

 言われたままに腰をかけ、そして横目でチラッと黒猫に視線をうつす。

 とっくに元の姿へと戻っているクロエ。

 あとは待つだけだと、芝生に寝転がり、毛繕いなんて始めていやがるが。

 なんともまぁ。

 こちとら緊張してるってぇのに。ノンキなもんだ。

 

「お前さんさァ。ピースサマっつーのはエライ奴なんだろ。いいのかよ、んな気ィ抜いてて」

 

 そこまで言って思い出す。

 似たようなこと前にも言ったような。

 そういえばゆりなが『クーちゃんは特別だもん』とか言ってたっけ?

 

「けけけ。別にいいんだよ。オレはピースの――」

 

 と。

 

 クロエがゆるりと顔を上げた瞬間のことだった。

 突如、凄まじい突風と共に、けたたましい空襲警報のような音が鳴り響く。

 いや、警報音にしてはいささか歪んでいるというか――

 

「な、なんだ? 近くで火事でも起きたのかねェ……」

 

 そう黒猫に話しかけたが、そいつは俺の声が聞こえていないのか、独り言のように、

 

「模造石ホバーだと!? なんだって、この時間に、このタイミングで!」

 

 なんのこっちゃ。

 取り込み中、申し訳ないけれども。もぞーせきホバーってのは、なんでィ?

 

「百聞は一見にしかず、あれを見なぁ!」

「んあ?」

 

 肉球の指す方向。

 俺の座っているベンチの真後ろ、はるか向こうの上空に――

 そいつは存在していた。

 

「な、な、な、なんだよアレは!? 鳥の……いや、知ってるぞあの鳥。そうだ……ハチドリだ! ハチドリの化け物!?」

 

 先ほどのクロエの巨大化なんざ、甘っちょろいものだったと痛感する。

 それの何十倍もの超巨大なハチドリが、夜空の下で悠々と羽ばたいていやがったんだからな。

 頭上には赤黒く明滅している不気味な光輪――そして顔には鈍色の鉄仮面をかぶっている。

 その仮面の奥の目が金色に光ると同時に、再びあの空襲警報のような音……鳴き声を発した。

 

「そうだ。あいつは『第六番模造魔宝石ホバー』と言う石だ」

 

 石だと。

 ウソだろおい……それって、まさか。

 

「そのまさかだぜ。あのホバーは、パンドラの箱から飛び出した七大魔宝石……すなわち、

 オレやコロ助の下に敷き詰められた数多の石――模造魔宝石ってやつの一つだ」

「ってこたぁ、やっぱアレも同じように捕まえなきゃいけないってことかよ」

「ああ。だが――コロ助のときのように話し合いで、とはいかないぜ。模造石どもには心がないんだ。

 むしろ話が通じない分、七大よりあいつらのほうが危険とも言える。ただ、単純に暴れまくるんだからな。それこそ、サルのように。見境もなく」

 

 言って黒猫は鬼のような形相で飛び上がり、

 

「これ以上喋っている暇は無い。ポニ子を起こしに行く。今、ホバーと戦えるのはあいつだけだ」

 

 そして、こう続けた。

 

「おめぇはそこで待ってな。あと少しでピースはやってくる。

 さっき話した様子だと、お前を逃がしてやってもいいって流れだったからな。気が変わってなきゃ多分大丈夫だと思うぜ。

 ……じゃあな、シラガ娘。あの世でまた会ったらお礼にノミ取りくらいしてくれよな、にっしっし」

 

 飛び去っていくクロエの背中には諦めが見えていた。

 そりゃそうさ。

 だって、あんな巨大な化け物相手に、あんな小さな子ども一人でなんて。

 

 ――たったの、一人でなんて。

 そこまで考えて俺は頭をかきむしった。

 

「ハッ! 馬鹿馬鹿しい。この世界から抜け出すには今しかないんだ。

 所詮、一日ぽっちの付き合い。あいつらがどうなろうとしったこっちゃねぇなァ」

 

 そうだ。

 災いでも何でも、勝手に起きて勝手に滅べばいい。

 チビ助やバカ猫やコロ美が死のうが生きようが心底どうだっていい。

 こんなワケわからん世界なんて、もうウンザリだね。

 俺は家に帰って、ゆっくりのんびりと寝直させてもらうことにするぜ。

 

 ……そうだろう? なぁ、シャクヤクさんよォ。



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第十七石:暗い空を見上げて

 クロエが行ってしまってから、俺はせわしなく周りをキョロキョロと見渡していた。

 夜中の二時過ぎ、いわゆる丑三つ時というヤツだ。

 そんな時間に公園に一人だけという状況でも十分に怖ろしいのに、

 後方には不気味な鳴き声をあげる怪鳥がいるもんだからたまらない。

 

「ちきしょう……。は、早く来てくれよ」

 

 両手で耳を塞ぎながら俺がそう呟いたとき、右方向から誰かの気配を感じた。

 

「おっ。やっと来たか?」

 

 だが、振り向いた先に居たのは、想像に描いていた鷲鼻の魔女なんかではなく――ただの小さな子どもだった。

 ていうか、どう見てもコロナだった。

 どこかでズッコケたのか、パジャマがドロドロに汚れており、

 そして何故か、ヘンテコな蜘蛛のぬいぐるみを大事そうに抱きしめている。

 えーと……一応、訊いてみるけれども。

 

「まさかとは思うが、お前さんがピースだったってオチじゃあないよな?」

 

 ぶんぶんと首を振る。否定の合図。

 ま。そりゃそうかと頬をポリポリ掻いていると、

 そいつは今にも泣きそうな顔で俺に詰め寄ってきた。

 

「……パ、パパさん。大変なんです、模魔が、でっかいハチドリさんが暴れてるんですっ」

「模魔? あぁ、模造魔宝石とやらの略称かィ。そういやさっきから突風を撒き散らしているねェ」

 

 後ろを見ずに親指でさし、俺はなるべく冷ややかにこう続けた。

 

「だから――。だから、なんだってんだよ?」

 

 睨み付けられたコロナは一瞬ひるんだ後、ぬいぐるみをギュッと抱きしめて、

 

「お、お願いなんです……。コロナと契約してください」

 

 契約して、ホバーと戦い、そして石へと封印してくれ。

 お前らはそう言うだろうよ、当然。

 しかしながら。もう俺は、とっくに帰ることを決意しているんでね。

 

「恐縮だけれども、断らせていただく。第一、ベテランのゆりなが居るんだろ? きっとあいつがなんとか凌いでくれるさ。

 それでもまだ魔法使いが足りないってんなら、俺の代わりにもう少し融通の利くヤツを召還すりゃあいい」

「……旧魔法少女さんはベテランなんかじゃないのです。

 なったばかりで、まだ一つしか模魔を捕まえてないし、全然わからないことだらけで不安だって。

 ――ご飯のお片づけのときにそう聞いたんです。最初はコロナも、凄い魔法使いさんだと思ってたんです。

 素質は十二分にあると、思うのです。でも場数を踏んでいないとなると、もしかしたら……」

 

 ゆりながなったばかりだというのは知っている。

 ゆりなが不安がっているというのも知っている。

 そして、もしかしたらあのホバーに殺されるかもしれないというのも、

 ――知っている。

 

「なぁ、コロ美は何であいつを心配しているんだ? 最初は殺すとか倒すとか、物騒なこと言っていたじゃねーか」

「別に心配なんかしてないのです。あの人を見るとモヤモヤするのは変わってないんです。

 今でも旧魔法少女さんの本気の魔力を確かめたら倒すつもりです」

「だったら、」

 

 どうしてだよ? と、訊ねようとする前に、コロナは困ったような泣き笑いの表情を浮かべて、

 

「でも。でもでも――あの人からあったかいご飯を頂きました。あったかいお風呂も貸してもらいました。

 あったかいお布団も敷いてもらいました。そしてこのぬいぐるみさんも……」

 

 何かのキャラなのだろうか、存在感バツグンのヘンテコな蜘蛛のぬいぐるみ。

 気になってはいたのだが。ゆりなからの借りモンだったのか。

 

「さっき……貸してもらったんです。居なくなったパパさんを探してたら、『しゃっちゃんは多分もう二度と帰って来ないと思う。

 でもね、本当にしゃっちゃんの事を想うなら、ワガママ言っちゃダメだよ』って言って、そして、この子を、貸してくれたんです」

 

 後半はすでに声になっていなかった。

 

 俺らが出て行こうとしていたあの時、ゆりなは起きていた。

 邪魔をせずに。コロナをあやしつけて。

 俺が『ワガママ』を言わないでくれといったあの約束を――精一杯に守って。

 本当は心細く、一人では不安だってのに。

 

「……そうだったのです。ワガママ言っちゃダメだって。パパさんを困らせたらダメだって。だから、もう邪魔しないんです。ごめんなさい、パパさん。

 一日だけだったけど、いろんなことがあってコロナは楽しかったんです。まるで、本当の――」

 

 言い淀んだコロナの背中から光り輝く羽が生まれる。

 

「ううん、なんでもないのです。じゃあ……パパさん、お元気で」

「……あ、ああ」

 

 小さなバイバイをして、ふらふらと飛び去っていくコロナ。

 その方向は、模魔であるホバーが居る方向だった。

 きっと、ゆりなに加勢する気だろう。

 

「いやはや」

 

 昨日のゆりなとコロナの弱々しい戦いを思い出す。

 あんなボケボケコンビがハチドリの化け物に勝てるとは到底思えねェけれども。

 ま。俺には――

 

「関係ない、よな」

 

 そう呟いたとき、後方からホバーの鳴き声が聞こえた。

 振り向くと、黒い稲妻が――ゆりなの放ったであろう稲妻がホバーを捕らえていた、

 

 が。

 すぐさまそれを弾いて、暴れるように翼を振る。その動作から一瞬遅れてこちらまで強風が襲ってくる。

 

「こ、こんなに離れていてもこれかよ……」

 

 近くにいるチビ助なんて、ソッコー吹き飛ばされてしまうだろうな。

 まったく。序盤の敵とは思えない、どうしようもない相手だ。

 一つケラケラと笑った後、俺は暗い空を見上げて、

 

「なーにやってんだろ、俺ァ」

 

 昨朝と同じ公園の中。

 昨朝と同じベンチで。

 昨朝と同じセリフを。

 ただ一つ、昨朝と違うところはと訊ねられたのならば、

 

 それは――

 

「来やがれっ、霊鳴!!」

 

 凄まじい速度で飛来する霊鳴を掴むと、そいつは待ってましたと言わんばかりに光り輝いた。

 

「おお、暖っけぇ。こりゃあホットの缶コーヒーを買うまでもねぇな。タダで使えるホッカイロとくらァ」

 

 言った直後、これまた凄まじい速度で冷えていく霊鳴。同じくして光も消えていく。

 期待して飛んで来てみたらそれかいとのツッコミが聞こえてきそうな即時対応だな、おい。

 

「ウソだっつぅの。そろそろ出番近いからウォーミングアップやっといた方がいいぜ、試作型ちゃんよ」

 

 すぐさま熱を取り戻し、ピカピカと光る霊鳴。なんつーか、まるで生きてるかのような石だな。

 ふむ。

 

「石だけに意思を持つ……なんちって」

 

 急激に冷えこむ霊鳴。再び光り方も切れかかった電球よろしく弱々しくなる。

 これはこれはいささかに、と喜んでいる場合でもない、ってね。

 さぁて、さてと霊鳴をパジャマの胸ポケットに押し込んで、

 

「そんじゃま。正式採用型ちゃんには負けないように、気合入れて行くぞってなもんで……ひとつ!」



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第十八石:夜空、咲く

 公園を後にして数十秒そこらのこと。

 

「めっけ」

 

 前方にて空飛ぶ園児を発見。そいつは飲酒運転のような蛇行した軌跡を描いていた。

 しっかし、煌々とまぁ。ホントよく目立つ羽だな。

 おかげ様ですぐ追いつくことが出来たぜっと、コロナの後ろ頭をぽんぽん叩いて顔を覗く。

 

「遅くすいません、お酒の飲酒検問やっとりますんで。ちょっと息を吐いて……っとと、あんれま。コロ美ってば、なぁんで泣いてんの?」

 

 真っ赤に泣きはらした眼。

 しかも、涙をグシグシと泥まみれのパジャマの袖で拭ってるもんだから、なんともヒドイ顔になっている。

 

「……パパさん? な、なんで?」

 

 と、訊かれるのは百も承知の助だ。

 

「なんでってか。じゃあ逆に訊かせてもらうけれども、コロ美はなんでホバーんところへ――つぅか、ゆりなのもとへ向かってるワケ?」

「それは……」

 

 ぴたりと羽を止めて、俯くコロナ。

 ったく。どいつもこいつも大泣き虫だねェ。

 ふぅ、と少し息を吐いた俺はチビチビ助の前に座って、そいつの流す涙を指で拭いながら、

 

「なんでか当ててやろうか? 飯の恩、風呂の恩、寝床の恩を返しに行く……そうだろ? んで、俺もそうすることにした」

「――えっ?」

「借りた恩は十倍にして返してやれってな。これ、親父の口癖なり」

 

 続けて言う。

 

「だぁら、めんどくせェから、まとめて恩返し済ませちまおうぜ。俺ら二人、一緒によォ。ほら……契約すっぞ、コロ美」

「パパさん!」

 

 泣き顔から一転、花が咲いたようなパァっとした笑顔で飛びついてくるのは結構だけれども。

 チビ助が手遅れになっちまう前に、パッパと契約の……呪文? だったかを教えてくれィ。

 

「肯定なんです! えっと、えっとですね……あった。このメモに書かれてる呪文を唱えて欲しいのです」

 

 オーケイ。

 手渡された小さなメモに書かれている呪文をそのまま読んでみる。

 

「――我は命ずる。我に忠誠を誓い、真の力を全て我に宿せ」

 

 その途端、俺の足元に緑色の魔法陣が出現し、胸の奥が燃え滾るように熱くなっていく。

 

「――我は誓う。主に我の全てを捧げんことを。その力、『翠の氷水』を与えん」

 

 コロナがそう答えると、今度は魔法陣から冷たい風が流れ出してきた。

 トクントクンと耳にまで聞こえてきそうな心臓の鼓動。

 自分の中で新しい命が生まれてくるかのような、奇妙というかくすぐったいカンジだな。

 

「ん……もしかして終わり?」

「肯定。契約終了なんです。これでコロナはパパさん専用になりました。ぶいっ」

 

 俺専用て。

 モロにももはから影響受けやがったな。

 

「簡単とはきいていたけれども、本当にあっけねェものなんだな……」

「ついでなので、このままのノリで霊鳴の起動、変身もぽんぽんやっちゃうんです」

「おっと、起動だったらお茶の子さいさいってなモンで」

 

 胸ポッケから霊鳴を取り出し、こう呪文を叫んでみる。

 

「……試作型霊鳴石弐式、起動っ! イグリネィション!」

 

 すると、たちまちに青い光が俺の手元を包み込んでいく。

 ウゾウゾと手の中で石が杖へと変形していくのが分かる。

 すげぇなどういう仕組みなんだこりゃ、と感動する間もなくそれは立派な蒼杖へと変化を遂げた。

 ええと、次は……変身だっけか。

 昨日のゆりなの変身を思い出してみる。

 

「んで、アレか。コロ美が宝石にくるりんぱって化けて、それをこの杖でぶち割る、っと」

 

 確かそういう流れだったハズなのだが、そいつは緩やかに首を横に振って、

 

「否定。それは昔の変身方法なのです。それだと変身自体は早いのですが、あまり強くないんです。

 今の正式な変身への方法は――これの二十ページ参照なんです」

 

 変身の仕方に今とか昔とかあるのか……。

 指パッチン。

 ポンッと出てきた懐かしくもない取扱説明書を二十ページ目へとめくり――

 

「な、なんじゃこりゃ! これを叫ばなきゃいけねぇのか!?」

 

 驚愕ヅラを向けると、コロナは何を当たり前のコトをとでも言いたそうな顔で、

 

「何を当たり前のコトを?」

「言いやがった!」

 

 じゃなくて。

 

「こんな恥ずかしいのなんて絶対イヤだ。恐縮だけれども、他の変身方法を要求する」

「否定。これしかないのです。だいじょぶ、一度言っちゃえば霊鳴の起動みたいにすぐ慣れるんです。

 パパさん、ふぁいとっ、ふぁいとっ」

 

 ううむ。

 グチグチ言ってる時間なんざ、微塵も無いのは解かってるけどよォ。

 ……ええい、ままよ。

 

「わーったよ。もうこうなったら、どこまでもやってやるぜ!」

「肯定! やってやるんです!」

 

 言って、小さな蝶々に戻るコロナ。そしてそのままくるんと一回転。

 エメラルド宝石へと姿を変えたチビチビを掴み、

 

「いくぜっ、コロ美!」

 

 なるべく真上に空高くぶん投げる。

 説明書によれば、次に呪文を……唱えなければいけない。

 息を吸って目をつぶり、俺はゆっくりと杖を掲げた。

 

「アイシクルパワー!」

 

 手元に冷たい風が流れ出したところで、

 

「チェインジ、エメラルド! ビースト――イン!!」 

 

 言うと同時に、目の前へと落下した魔宝石をタイミング良く杖で叩き割る。

 これで、合っているハズ――ごくりと喉が鳴ったその時だ。

 粉砕されたエメラルドの破片が光り輝き、瞬く間に俺を包み込む。

 

「ひ、ひえぇえ」

 

 一瞬のうちに裸にむかれ、足元に巨大な魔法陣が浮かび上がった。

 その中心部から、暖かいエメラルドグリーンの水流が噴き出し、薄緑色の下着が着用される。

 いや、別にパンツは変える必要ないだろ……と顔を赤くしていると、今度は雪が舞い上がった。

 その雪が俺の足先をクルクルと回るたびに、コスチュームが現れていく。

 それはあれよあれよという間に髪先にまでへと到達していった。

 

 なんか髪をやたら引っ張られた気がするな。

 まさか髪型までいじくられたのか? 

 と。

 確かめようとしたその時、無理矢理に深い前傾姿勢へと体が持っていかれる。

 

「あいてて!」

 

 涙目で背中を見やると――そこには緑色に光り輝く巨大な蝶の羽が生えていた。

 コロ美と同じだ……面白いぞ、もしかしたら。

 試しに背中に力を入れて、空中へ浮くようにイメージしてみる。

 だがビクとも体が持ち上がらない。

 もう一度だ。

 

「チィイッ……飾りじゃねェんだろ? この羽は!」

 

 踏ん張ったその途端、羽から凄まじい量の光の粒子が溢れ出し、(というよりリン粉か?)

 俺は夜空へと飛び上がることに成功した。

 

「ふ、ふははっ……やったぞ」

 

 その全ての工程を終えた時――

 暗闇に染まる町並みを見下ろした時――

 俺はようやく、魔法使いになった実感が湧いてきた。

 

 自分の姿を改めて確認してみる。

 白を基調としたゆりなに負けず劣らずのド派手なドレス。

 緑色に煌くオーラがゆらゆらと俺の周りを流動し、時々水色の雪の結晶が発生しては弾けてを繰り返す。

 

「こ、これが、俺様の――」

 

 沸々とこみ上げてくる力に、思わず笑ってしまう。

 

「ククク。実に素晴らしい。この力、よく馴染む」

 

 気分を良くした俺は杖を肩に担いで、

 

「今行くぜぇええ、待ってろよチビ助!!」

 

 夜空を蹴り飛ばした。



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第十九石:鬼退治ごっこ開始!

「かーっ、ごちゃごちゃとまぁ。勉強みたいでイヤんなるぜ」

 

 向かう間に少しでも暗記しようと、取扱説明書を読み返していた俺の頭の中に、

 

『パパさん、そろそろホバーのもとへ到着するんです』

 

 コロナの声が響く。

 顔をあげると、目の前にハチドリの巨大な背中が現れた。

 

「うわっとっと!」

 

 腰に力を入れて急ブレーキ。

 あっぶねぇ。そろそろどころか、激突するところだったぞ。

 

『あう。この状態だと、イマイチ距離感がつかめないんです』

「あれま。そいつは知らなんだ。ま、運転代行ご苦労さん」

 

 それにしてもと、改めてホバーを見上げてみる。

 

「うっひゃあ」

 

 こ、こりゃあ……いささかに。

 遠目で見ていた時と、迫力が桁違いだな。

 というかフツーに無理だろ、コレ。

 

「なぁコロ美、このドレスってポッケついてねーのか? 説明書を仕舞いたいんだけれども」

『否定。ポッケは無いんです、でもスカート横にポシェットがあると思うのです』

 

 確かに花のアップリケがついたピンクの可愛らしいポシェットはあるんだが……。

 いささかに小さすぎるぞ。これじゃあおにぎり一個でいっぱいじゃねぇか。

 やれやれ。

 どこの世界でもデザイナーとやらは機能性というものを軽視する節が、

 

「きゃあああ!!」

 

 うおっ。

 この悲鳴、ゆりなの声か――!

 

「やべぇ! どこだ、どこにいる?」

 

 俺は慌てて取説をパンツの中へ押し込むと、即座に羽を広げてホバーの前へと飛び出した。

 一瞬、強風が頬を掠める。

 下を覗くと、杖にまたがったまま吹き飛ばされていくゆりなの姿が見えた。

 マズイ、このままじゃ地面に叩きつけられちまう……!

 

 説明書に書かれていた魔法の仕組みという項目を必死に思い出す。

 たしか七大魔宝石に限り、想像力とセンス次第で主体となる能力をどのようにもアレンジ出来るらしい。

 つまり、俺が割った石はコロナであり、その能力は『水』及び『氷』となる。

 しかしながら、水や氷でどうやってゆりなを……。

 

 いや、待てよ。

 そういえば変身したあの時に確か――

 上手く出来る可能性は低いかもしれないけれども。

 

「ここで、やらずして!」

 

 研ぎ澄ませ、シャクヤク。

 想像だ――

 創造しろ――!

 

「コロナが魂よ、我に翡翠の水を宿せっ」

 

 杖の表面に薄緑色の水が流れ出したことを確認し、

 

「ぷ~ゆゆん、ぷゆん! ぷいぷいー……ぷうっ!」

 

 そいつを振り上げて、ゆりなへ向けると俺はこう叫んだ。

 

「すいすい、『スノードロップ』!」

 

 その瞬間、杖の先から飴玉サイズのガラス玉が次から次へとゆりな目がけて飛び出していく。

 

「おおっ、マジで出るとは。こいつはたまげた!」

 

 初めて出した『魔法』に舞い上がった俺は、杖からポコポコ生まれていくガラス玉をひとつ掴みあげて、月光に透かしてみた。

 ひんやりとした氷細工のガラス玉。

 その中には無数の雪がヒラヒラと舞っている。

 月光に照らされている為か、角度を変えると雪が金色にキラッと輝くという、何とも神秘的な玉っころだ。

 

「ほー、キレイなモンだな。売ったらそこそこ良い金になりそうだねェ、いっひっひ」

 

 なんて満足げにアゴをさすっていると、若干引いた様子のコロナの声が響いた。

 

『パ、パパさん……。そんな魔法出して、旧魔法少女さんにとどめをさすつもりなんですか?』

「えっ!?」

 

 ギョッとして見下ろすと、俺の放った飴ちゃんが猛然とゆりなを襲っているではないか。

 

「あっちゃー……予想外」

「ふぇええーん! なんか変なのも飛んできたよぅー!」

 

 と、泣き叫ぶゆりなの声が聞こえるか否かのところで俺は空を蹴った。

 羽に力を入れて最大限の加速。

 

「ぷゆゆん、ぷゆん、ぷいぷいぷう! 間に合えっ、すいすい~!」

 

 スノードロップがゆりなに当たる直前、そいつの前に駆け込んだ俺は、杖を腰に構えて、抜刀よろしく引き抜いた。

 

「出てみろ、アクアサァアアベル!」

 

 言った直後、数コンマの世界で杖が水を纏った刀へと変化する。

 感動している暇もなく、俺はがむしゃらに刀を振って飴玉を叩き割った。

 すると、どうだろう。

 割られた飴玉から大量の雪が舞い散り、地面を瞬く間に覆っていくではないか。

 

「きゃっ!?」

「うおっと!」

 

 勢い余って積もった雪の中へとダイブする俺とゆりな。

 痛てェ……。もっと早く割っておきゃあ良かったぜ。

 まぁ、なんとか膝を擦りむく程度で済んだし、初めてにしては上出来か。

 なんて立ち上がった俺の股間あたりでモゾモゾと何かが動く。

 

「わ。わ。真っ暗! 怖いよぉ!」

「コラ。人のスカートん中で勝手にお化け屋敷ごっこすんな。遊びたけりゃあ、ちゃんと入場料払いなァ」

 

 スカートをめくると、雪からポコッと頭を出したゆりなが不思議そうに俺を見上げていた。

 

「あ、あれ? もしかして、しゃっちゃん?」

「もしかしなくても俺だってーの。見りゃあ、分かるだろォ」

「だってだって、その格好……」

 

 口をあんぐり開けながら、体の隅々まで視線を巡らすゆりな。

 ああ、そうか。

 そういえば、今の俺って魔法使いモードになってたんだよな。

 ちょいと自分の姿に照れくさくなった俺は頭をポリポリかきつつ、

 

「いやぁ、チビ助のより露出激しいけれども、これでも結構暖かいんだぜ。この周りのうにょうにょしたオーラがさ。まるで温泉に浸かってるみたいで、」

 

 と。

 快活に舌が回り出したところで、

 

「どうして――?」

 

 ゆりなが唇を震わせる。

 

「あのまま、おうちに帰っちゃうのかと思ってたのに。もう、二度と会えないんだって思ってたのに……どうして?」

「んー。どうして、って」

 

 目を潤ませたチビ助の腕をグイッと引っ張って立ち上がらせる。

 そいつの鼻頭に乗っかった雪を一つ払いながら、

 

「だってさー。昨日、寝る前に約束したじゃんか」

「……約束?」

「また明日いっぱい遊ぼうねって。だぁら遊びに来たってワケ。ちぃっとばっかし朝早すぎるかもしれないけれども――」

 

 ニィッと笑って子どものように続ける。

 

「ゆ~りなちゃん、あっそびましょ」

 

 それを聞いた途端、不安そうな表情をたちまち笑顔に塗りつぶすチビ助。

 

「はーいっ! 遊ぶっ、しゃっちゃんと一緒に遊ぶーっ!」 

 

 当選が確定した政治家のようにバンザイ三唱しているそいつに、

 

「いっひっひ。ちょうど面白そうな遊びをしているようだねェ。それじゃあ、今日の遊びはアレにしようぜ――」

 

 言いながら、右肩を杖でトントン叩いてニヤリと目配せする俺。

 

「にっしっし。しゃっちゃんてば、ナイスタイミング。それじゃあ、今日の遊びはアレにしよっか――」

 

 言いながら、左手で杖をクルクル回してニヤリと目配せするゆりな。

 そして俺らは杖を同時に止めると、

 

「「鬼退治ごっこ!!」」

 

 叫んで跳躍。

 つまるところのバトル開始というこって。



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第二十石:飲み込んだ世界を、もう一度

 あの馬鹿でかい仮面鳥相手にどこまでやれるか分からねェが――

 だが、今の俺は魔法使いだ。

 テメェがファンタジーなら、こっちだってファンタジー。

 演じてみせるさ、ガキどもの幻想を!

 

「ぷ~ゆゆん、ぷゆん。ぷいぷいーぷうっ! 行くぜェ、杖からマシンガン! すいすい、『スノードロップ』!」

 

 ホバーの周りを飛び回りながら飴ちゃんを放つ俺。

 それと同じタイミングで杖にまたがり、飛翔したゆりなが左手をあげて、

 

「ぽ~よよん、ぽいぽいーぽんっ! 行くもん、指からバチバチッ! らいらい、『ライトニング』!」

 

 人差し指の先から黒い電撃を放つが、素人目でも分かるくらいに弱々しかった。

 以前にコロナに放ったときのような気の抜けた電撃。

 直撃を食らったはずなのにまったく気付いてない様子のホバー。

 

 俺の飴っころも大したダメージは与えられなかったようだが――

 いくらなんでも、と思った俺は、頭上に浮かぶゆりなに訊ねた。

 

「どしたんだ? まさか、相手がハチドリさんだからって手加減してるんじゃねェよな」

「う、ううん。実は、さっき戦ってるうちに霊薬が無くなりかけちゃってて……」

 

 チビ助が言うには、杖の中には魔法の源となる霊薬という液体が注がれていて、(確か説明書の其の参あたりに書いてあったな)

 それが尽きると魔法を出せなくなってしまうらしい。

 

 そしてゆりなは俺と違い、空を翔る羽を持っていない為、杖に乗らないと空を飛べないときたもんだ。

 杖を使わずに手から魔法を放つことは一応可能だが、霊薬の消費が激しいし、それに威力もかなり弱まる。

 だけど、模魔を捕獲するには、捕獲呪文の為にある一定以上の霊薬を確保しておかなければならない。

 だから霊薬を節約しようと、さらに威力のない電撃になってしまったというワケだ。

 それを聞いた俺は、少し腕組みをした後、ゆりなにこう言った。

 

「それなら、ゆりなにはチマチマ電撃を与えるよりも捕獲準備してもらったほうが良さそうだな」

「えっ、でも……。弱らせないと捕まえられないし。少しでも魔法撃たなきゃ」

「いや。それで霊薬切れて肝心の捕獲が出来ませんでしたってオチは勘弁願いたい。

 あいつを引き付けて弱らせる役は俺がやる。まだまだたくさん霊薬あるしな」

 

 言って、手中の霊鳴へと視線をスライドさせる。

 それを振ると、柄先の蒼い宝石の中に霊薬がたっぷり入ってるのが分かる。

 

「う、うん……。しゃっちゃん、無理しないでね?」

 

 すいーっと飛んできたゆりなが心配げに俺の顔を覗く。

 やれやれとばかりに、そいつにチョップをかましつつ、

 

「任せなって。俺だって、選ばれてここに居るんだ。やってみるさ、程ほどに」

「わかった。ボク、しゃっちゃんを信じるよ」

 

 そう頷くと、ホバー側面のビルへ降り立つゆりな。

 目をつぶり、杖を掲げると捕獲呪文の詠唱をはじめる。

 よし――次は俺がホバーを引き付けて弱らせる番だ。

 俺は、好き勝手に突風を飛ばしまくっているホバーの後ろへ回り込み、

 

「おーい、鬼さんこちら! 霊の鳴る方へ!」

 

 ゆっくり深呼吸して、霊鳴に魔力を込める。

 とりあえずは、あの鬱陶しい羽を止めるのがベターだな。

 とくりゃあ、アレをぶちかますしかあるめェ。

 

「ぷぅゆゆん、ぷゆん。ぷいぷいー……ぷぅ! すいすい、『エメラルドダスト』!」

 

 振り下ろすと、杖先からモクモクと水蒸気が噴出していく。

 そのままの状態で持ち上げると、それはあっという間に空へ昇り、細氷となってホバーを襲う。

 俺にやっと気付いたのか、轟音を響かせながら旋回するハチドリ。

 しかーしながら、少し気付くのが遅かったようで、見る見るうちに羽が凍っていくじゃねーか。

 なんだ? こいつ、実はただの見掛け倒しだったりして。

 

 これなら、余裕だな――余裕シャクヤクってなもんでっ!

 自分の魔力の凄まじさにイケると踏んだ俺は、杖にどんどん魔力を注ぐ。

 それに比例して激しさを増す翠玉の細氷。

 

「落ちろよ、こんちくしょぉおおお!!」

 

 俺がもっと魔力を注ごうとしたその時だ、

 ホバーの金色の目が一瞬にして真紅に染まり、とてつもない鳴き声を発した。

 

「な、泣いたって許してやんねー……」

 

 ぞっと、言いかけて俺は驚きおののいた。

 魔法をストップし、小さく後退する。

 なぜなら鉄仮面の下部分――鳥であればクチバシ辺りが割れたからだ。

 いや、割れただけならばそれほど大したことじゃない。

 先の鳴き声である振動で割れたという、ただそれだけのことだから。

 

 だが――その仮面の下にあったものが『鳥のクチバシ』ではなく、『人間の口』だったとしたら?

 それが、歯列矯正をしているかのような鉄の奇妙な器具をつけていたら?

 普通、誰だって驚愕するっつうの。

 俺が呆然と目を丸くしていると、キュィイインという何かが擦れるような音が聞こえてきた。

 

「なんだよ、なんの音だよ!?」

 

 ホバーの出している音かと、俺はそいつのあらゆる部分へ視線を飛ばす。

 その俺の慌てようを楽しんでいるのか、ニンマリと『笑う』ホバー。

 冷や汗が流れ落ちる間際、俺はその音が発生している箇所をつきとめた。

 頭上の赤黒い光輪。それが高速で回転している音だったのだ。

 

 それで、なにを始めようってんだよ――

 ビビるかよ、そんなコケおどし。

 なにかをしようったって、そんなの!

 俺は再び杖を握り締めると、魔力を込める。

 

 もう一度だ。

 あいつの動きは確実に鈍っている。

 もう一度、エメラルドダストをぶっ放す!

 

「ぷーゆゆん、ぷゆん……」

 

 しかし、俺はすぐさま詠唱を中断した。

 光輪が、ストロボのような強力な赤い光を発した為だ。

 

「!?」

 

 緩慢な動きでハチドリの口が開かれていく。

 その喉奥がチラッと見えた瞬間、俺は自分の『最期』を垣間視た。

 

 脳裏に次々と映し出される俺の死体。

 色々な角度から、ありとあらゆる死に様を。

 だが、死に様は違えど、状況は皆同じように思えた。

 暗い空。佇む仮面のハチドリ。コスチューム姿のまま死んでいる俺。

 

 なんだこりゃ。意味がわかんねェ。

 まさか、そんな。こんなあっけない死なんざ――冗談だろ?

 いやいや、よく考えろシャクヤク。そうだ、これもあいつの攻撃だろう。

 ったくよォ。なんて悪趣味で胸糞の悪い攻撃だ。

 しかし、恐縮だけれどもそんなモノを見せられたところで別に痛くも痒くもないワケで。

 

 と。

 苦笑しつつ顔を上げた時、俺は目が合った。

 ホバーと。

 いや、正確にはホバーの口の中に存在していた巨大な目玉と――



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第二十一石:明滅する瞳

「――っ!?」

 

 あまりの不気味さから悲鳴にならない声をあげる俺。

 アイツの『目玉』から視線を逸らそうと何回も試みるが、なぜか逸らすことが出来ねェ。

 半ば金縛り状態の俺にホバーが光輪を再びフラッシュさせる。

 

「ひっ!」

 

 まただ、また『最期』の映像が否応なしに頭の中へと流れ込んでくる。

 見下ろすホバー。斃れた俺。泣きじゃくるコロナ。呆然とするゆりな。唇をかみしめるクロエ。

 それらの映像が、なんどもグルグルと俺を嘲笑うかのようにかけ巡る。

 さすがに、こうも連続で自分の死体を見せられると気分が滅入ってくるな――

 

 クソったれ……!

 俺は震える手に鞭打って杖を持ち直した。

 

「人の中に土足で! ちくしょうが、正々堂々と戦いやがれ!」

 

 しかしながら、いくらそう叫んだところで聞き入れるハズもなく。

 それは壊れたテープのように何回も何回も繰り返された。

 だんだんと全身が虚脱感に包まれていくのがわかる。

 

 …………。

 もしかして、これは本当の未来なのか?

 どうあがいたところで俺はホバーに勝てない、結末はすでに決まっているという。

 ……考えてみりゃあ、そりゃそうかもな。

 

 何も出来ず、こんな棒立ちでなすがままに攻撃を食らっているんだ。

 これが精神攻撃ではなく、普通のカマイタチ攻撃だったら金縛りくらった時点でアウトだしな。

 きっと弄ばれているんだろう。ったく、一瞬でも余裕だと笑った俺がバカだったぜ。

 大体、こんな巨大なバケモンに最初から勝てるハズ無かったんだってェの。

 

 ――ああ。わかった、もうわかったって。白旗あげるから映像止めてくれ。

 俺がゆらりと杖を下げた様子に、戦意喪失を見て取ったのかホバーが甲高く鳴いた。

 勝利の雄たけびとやらか。ま。もう、どうでもいいことだけれども。

 

 まどろっこしいことは抜きにして、とっとと楽にしてくれや。

 そんな俺の願いを叶えるべく、とどめを刺そうとそいつが両羽を持ち上げた、

 その瞬間のことだった。

 

「しゃっちゃんを、いじめちゃダメぇえええ!」

 

 振り向いた先に居たのは、捕獲準備をしているハズのゆりなだった。

 いや、これはゆりな、だよな?

 

 黒檀のような瞳が真っ赤に光り輝いているんだが……。

 まるでいつぞやのコロナのような、あの不気味な光り方。

 どうしてチビ助が? 一体なんなんだよ、あの変なライトモードは。

 加えて体を纏っていた藍色のオーラや黒い稲光まで赤く変色しているぞ。

 

 ――どういうこっちゃ。今、ゆりなに何が起こっているのかまったくワケがわからん。

 俺がそう呆けていると、ホバーが蜂のように羽音を立てて旋回をはじめた。マズイ、まさかゆりなを狙おうってのか。

 

「ダメだ、チビ助! 捕獲は一旦中止にして逃げろ!」

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 

 前傾姿勢になり、肩で息をしているチビ助。俺の声が聞こえていないのか?

 もう一度逃げるよう叫ぼうとしたその時、ゆりながゆっくりと顔を上げた。

 

「!?」

 

 ……やはりそうだ。

 あのどこか遠くを見ているような瞳に、真一文字に結ばれた口。

 光の色の違いはあれども、コロナのときとまったく一緒だった。 

 

「――あーあ。おいたが過ぎちゃったみたいだね、ホバーちゃん」

 

 いつもの口調とは裏腹に冷然とした声。

 性格が悪くなった(ように感じた)コロナとは違い、ただひたすらに冷えていた。

 

 危険を察知したのか、ホバーが焦った様子で光輪を回し始める。

 あの『最期』を視せる攻撃の予兆……か。

 あんなモノ、チビ助に見させるワケにはいかねぇと、杖を構えて飛び出そうとした俺に、

 

「……キミはこっちに来ちゃ、メッだよ」

 

 一瞥もせずにやんわりと拒絶される。

 

「え? あ、はい」

 

 『しゃっちゃん』ではなく、『キミ』と呼ばれたことにいささかショックを受けた俺は、言われるがままパタパタと退いた。

 なんつーか、ホントに別人のようだな……。

 

 しかしながらと、俺はゆりなとホバーを見比べる。

 いやはや。どちらもチカチカとまぁ、なんて目に優しくないお二方なんでしょ。

 鍔迫り合いが聞こえてきそうな睨み合いのなか悪いんだが、目がしばしばしてかなわねェ。

 目頭を押さえながらそんな緊張感に欠ける愚痴を心の中で展開していると、

 

『パパさん、そんなときは霊鳴から出ている水をすくって目にさせばいいんです。目薬の代わりにもなる優れものなのです』

「おっ、そうなのか。そりゃまた便利なこって……ん?」

『ん?』

「って、コロ美! 今までどこに行ってやがったんでぇい。こちとら大ピンチだったってーのによォ」

 

 薄情な奴だぜと続けようとした俺に、

 

『ひ、否定。コロナはずーっとパパさんのことを呼んでたんです。あの目から出る精神干渉波は相手の魔力を吸い取るから、

 目を見ないように後ろに回りこんでくださいって、何度も呼びかけてたのです』

 

 げっ、マジだ。

 杖を見ると、さっきは満タン近くまであった霊薬が半分以下へと減っている。

 なるほどな、あの虚脱感はそういうオチだったのか。

 

『肯定。でも、いくら呼んでもホバーの出す魔力波に邪魔されちゃってて……今やっと声が届いたんです』

「ホントかぁ~?」

 

 腕を組み、意地悪く言う俺に、

 

『疑うなんてヒドいんです。ただ――もうちょっと早い段階で声をかけられたんですケド、

 今度は旧魔法少女さんが出すめちゃくちゃな魔力波にびっくりしちゃって……』

「そうだ! ゆりなのヤツ、一体どうしちまったんだよ。お前さんみたいに目がピカってやがるし、まるで別人みたいに変わっちまったんだが」

『ア、アレはですね。えーと、なんて言うですか。うぅ、お姉ちゃまぁ……コロナはどしたらいいのか分からないのです』

 

 なんだ? 知っていそうだが、何か言えない事情でもあんのか。

 コロナの煮え切らない様子に不思議がっていると、いきなりホバーの光輪がフラッシュした。

 もしかしなくとも、これは攻撃の合図だ。対するゆりなは目の明滅速度が急激に上がっている。

 ホバーが口を開けたと同時に、ゆりなが気だるそうに片手で杖を掲げた。

 

『ウソっ、まさか!? パ、パパさん、すぐに旧魔法少女さんの後ろへ飛ぶんです!』

「どうしたんだよ、んな慌てて……」

『いいから、はりあっぷ! そこに浮かんでると巻き添えくらっちゃうんです』

「わ、わかりましたんで」

 

 本当はよく分かっていないが、とりあえず言われたとおりにゆりなの背後へと羽ばたく。

 チビ助の背中――前傾姿勢のままだからか、かなり小さく見えるな。

 あ、髪に綿ボコリ付いてやんの。取っておかなきゃなと手を伸ばした瞬間、

 

「あっちっち!」

 

 凄まじい熱にすぐさま手を引っ込めた。

 なんだぁ? と目を丸くしていると、そいつの長い髪の毛がふわりと浮き、所々が燃えるように赤く発光していくではないか。

 まさか、この現象って――こちらも攻撃をするぞという合図なのか?

 そして、耳を疑うような詠唱が始まった。

 

「天翔るは閃光の雷。地這うは残酷なる獣――踊れよ、踊れ。夜空の悲鳴に踊り狂え」

 

 な、なんだその怖い文字の羅列は!?

 んなヤバそうな詠唱、説明書のどこにも書いてなかったぜ。

 ぷゆゆん……じゃなかった、ぽよよんで始まる詠唱とはまったくかけ離れていることに驚いていると、急に空がパッと真っ赤に染まった。



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第二十二石:落ちたケモノは赤を見上げる

「おいおい、どんだけだよ」

 

 俺はゆりなの掲げた黒杖の先を見て唖然としていた。

 いや、正確には唖然を通り越してもはや笑いまでこみ上げてきている。

 

 ホバーの体躯と同等、いやそれ以上の巨大な紅い雷球。

 逆方向に浮かんでいる赤い満月も自分と似た姿にさぞかし驚いているだろう、それほどまでに圧倒的迫力。

 だしぬけに凄まじい雷鳴が轟く。

 

「さぁ、汝よ――我が贄となるがいい」

 

 杖を振り下ろした直後、雷球が地響きを立てながらホバーへと向かっていく。

 当然気づいているホバーはその雷球に向かって何度もカマイタチを飛ばす――が、すべて届くよりも前に打ち消されてしまう。

 いや、これは吸収しているのか? 風をたらふく食い、さらに大きさを増した雷球が容赦なくホバーを包み込む。

 電撃の爆ぜる音とともに断末魔の叫びをあげるホバー。

 

「あのホバーを一発で仕留めやがった……」

 

 なんて、ムチャクチャな爆発力だ。

 コロ美やクロエが何度もゆりなについて『素質』があると言ってはいたが。

 それにしたって、これはいささかに行き過ぎじゃないのか?

 

 ……まぁ、なんにせよ、だ。

 とりあえずホバーが斃れたことに安堵しておこうじゃねぇか。

 そう俺がホッと胸を撫で下ろしていると、

 

『――まだ、なんです』

 

 まだ? もしかして、まだ生きてやがんのかあのハチドリは。

 すさまじい生命力だなと俺が感心していると、コロナが言いにくそうに、

 

『否定。ホバーはとっくに死んでいるのです。あの呪文は、これからが本番なんです……』 

 

 死んでいるのに、本番も何もないだろ?

 と思ったのだが、すぐさま俺は『本番』の意味を知ることになった。

 

「はぁ、はぁ、はぁああ……ッ! ヴォルティック、エンドォォオッ! うぅうわぁああああッ!!」

 

 髪全体を真っ赤に燃え上がらせながら目をつぶって絶叫するゆりな。

 その様にビビっていると、だんだんとホバーが浮かびあっていくじゃねーか。

 ぐにゃりと首のまがったハチドリを持ち上げるのは、あの直撃した雷球だった。

 

「チ、チビ助……なにを、するつもりなんだよ?」

 

 しかし、声をかけても梨のつぶて。

 不安げにゆりなの背中を見ていたが、空高く持ち上げられたホバーが動いたように見えたので、そちらへと視線を向ける。

 

 生き返ったのか――いや。

 動いたように見えたのは、雷球が弾けた為にホバーがガクンと落下したからだった。

 そのまま行けば地面へと叩きつけられるハズだ。

 ……そう、そのまま行けば。

 

 弾けた数多の雷球が落ちていくホバーに何度もぶつかっていく――というより、喰らっているようにさえ見える。

 落下するよりも前に雷球がぶつかり、そのつどホバーを持ち上げるもんだから落ちるに落ちられない。

 やっとその猛攻が終わったかと思ったら、今度はその雷球が地面へと集まっていく。

 

「あれは、虎なのか?」

 

 合体して出来上がったのは紅い雷獣だった。

 それは黒虎モードのクロエに限りなく似ているように見えるが……。

 

『肯定。アレは呪文によって召喚されたお姉ちゃまなんです』

「召喚て。そんなもんまであんのか、っていうかオーバーキルもいいとこだぞ。

 あの巨大カミナリお化けがクロエってんなら、言って止めさせようぜ。もう終わったから帰って来いってさ」

『……無理、なんです。あの状態のお姉ちゃまは自我を失っちゃってるんです』

 

 おいおい、待て待て。

 するってぇと、まさか俺があのクロエを力ずくで止めなきゃって流れなのか?

 

『否定。お話しが出来ないだけで、こちらには危害を加えないんです。ホバーを封印したらそのまま旧魔法少女さんの中へと戻るんです』

「封印? ああ、そっか。なるほどねぇ、これが捕獲呪文ってワケなのか」

『――こんなの、こんなの捕獲呪文なんて言えないのです』

 

 辛そうに言うコロナ。

 一応、これでも捕獲は出来るが、このやり方はあまりよろしくないって事か。

 捕獲に良いも悪いもなさそうなものだけれども。

 

『今からお姉ちゃまがすることを見れば、言ってる意味が解ると思うのです……』

 

 言って直後、バチバチと尻尾を揺らしていた紅い雷獣――クロエがホバーの喉元に喰らいつく。

 そして今度は……うっげ、もうダメだ見てられん。

 あまりの惨さに一歩後退して目を背ける俺。

 なんと言ったらいいのか。これでは、封印というよりも捕食だ。

 

 俺がげんなりしていると、食事を済ませたクロエがこちらに近づいてきた。

 危害加えないって言われても、すげぇ恐いんですケド。

 強面で威嚇するそいつに、俺は万が一に備えて杖を構える。

 

「ク、クロエさんっスよね? 恐縮だけれども、もうちっとばっかしお食事は慎ましくやってもらえると嬉しいかなー、なんちて」

 

 そう引きつった笑顔で話しかけたんだが、これまた梨のつぶて。

 俺をサクっと無視したクロエは、前傾姿勢のままピクリとも動かないゆりなのもとまで歩み寄ると、頬をぺロっと舐めた。

 そして少し悲しそうに喉を鳴らした後、チビ助の中へと吸い込まれていく。

 

「…………」

 

 小さくしゃっちゃん、と呟いたゆりなの声を俺は聞き逃さなかった。

 

「ゆりな!」

 

 すぐさま駆け寄って、倒れそうになったそいつを支える。

 ちょいちょいと指で髪を触ってみるが、もう普段の黒髪に戻っていて熱くない。 

 

「にゃ、にゃはは。くすぐったいよぉ」

 

 腕の中でトロンと眠そうに俺を見上げるゆりな。どうやら目も戻っているようだな。

 髪色も目の色も戻った――あとは。

 

「わりぃ、わりぃ。……えっと。あのさ、俺のこと分かる?」

 

 訊いた俺に満面の笑顔で、

 

「しゃっちゃん!」

 

 おお、すっかり元通りだ。

 一時はどうなることかと思ってたぜ、とようやく安心した俺に、

 

「――ねぇ、それじゃあさ。しゃっちゃんは、ボクのこと分かる?」

 

 俯きながら言うチビ助。

 

「え? 分かるも何も、ゆりなはゆりなだろ?」

「……うん。そう、だったね」

 

 頷いて、だらんと腕を垂らすゆりな。

 

「!?」

 

 ギョッとした俺は、即座にチビ助の肩をガッシガッシと揺らした。

 

「お、お、お、おいぃい! 目を覚ませ、死んじゃダメだっ!」

 

 ええい、こうなったら荒療治だ。ペッシペッシとゆりなの頬を往復ビンタしてやる。

 

「人生の、楽しいイベントはこれからなんだぞ! おい、ゆりなぁあああっ!!」

 

 ガッシガッシ。

 ペッシペッシ。

 必死に蘇生術を試みている俺の頭の中にコロナの呆れ声が響く。

 

『……パパさん。旧魔法少女さんはあの力を使ったから、今とても疲れてるんです。

 だから死んだんじゃなくて、ただ眠いだけだと思うのです』

「え、マジで?」

 

 手を止めて見やると、「ふぇえええ……」と目をグルグル回していた。

 

「げ、元気そうで何より」

 

 ともあれ、ホバーは封印された(というか喰われた)ワケだし、

 俺もゆりなも何とかケガもなく無事に乗り越えたワケだし、これにて一件落着!

 ……とはいかないよな、いくらなんでも。

 

 この『魔法少女』、まったくもって疑問が山積みだ。

 まぁ。これにてを、ひとまずに置き変えて、とりあえずは良しとしておこう。

 今はただ――何も考えず、ゆっくりと休みたい。



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第二十三石:vs第八番模造魔宝石ダッシュ・ザ・アナナエル編

「早すぎる……。初っ端のホバーといい、気に入らねぇな」

 

 黒猫クロエが突然と呟く。

 ゆりなの眠っているベッドに背中を預けてうつらうつらしていた俺は、

 その言葉にゆるりと顔を上げた。

 

「……なんでェい、何が早すぎるんだよ?」

 

 しかし、返答は無い。

 腕を組みながら再び沈黙を決め込む黒猫に小さく舌を打つ。

 またか。さっきからずっとこの調子だ。俺がいくら黒猫に疑問を投げかけようともスルー。

 コロナに訊いても、クロエの顔色を伺ってか、困った表情でぬいぐるみを抱きしめるだけだ。

 まぁ、言いたくないんだったら別にいいけれどもよ。

 他人を勝手に巻き込んでおきながら、説明拒否たぁゾッとしねーな。

 

 あれから。

 主が眠ってしまった為か強制的に変身が解除されたチビ助を、

 ビルの屋上から俺が担いで下ろし(コスチュームパワーのおかげか知らんが重く感じなかった)、

 クロエの背中に乗せて爆走帰宅をかました……といった流れだったのだが。

 

 まず、ここで一つの疑問が生じる。

 夜中とはいえ、ちらほら人影が見えていたのにも関わらず、バカに眩しく発光しながら飛んでいる俺や、巨大な黒虎をそいつらが見向きもしねェってのはどういうこった。

 新聞配達のあんちゃんとか、ジョギングしているおっさんとか押し並べて俺たちを無視していたぞ。

 

 そもそもとして、だ。

 あの巨大な『ホバー』が現れたというのに、どうしてこの町はこんなにもノンキな朝を迎えてやがるんだ。

 フツーだったらば、大騒ぎになってもおかしくないと思うのだけれども。

 

 それと、二つ目の疑問だ。

 モチロンゆりなのことである。

 コロナにも言えることだが、あの目が光り輝く現象は一体何なんだ?

 加えて、まるで別人かのような口ぶりに、凄まじく物騒な呪文。

 成りたてだって言ったワリに、あんな呪文を知り、そして扱えるのはどう考えてもありえん。

 その時も思ったが、アレは『素質』うんぬんの範疇を超えている。

 

 うう~む……。

 と、霊鳴石でお手玉をしながら眉間にシワを寄せている俺の目の前に、黒猫がひょいっと現れた。

 

「いささかに解せないとでも言いたそうな顔だな」

 

 ニヤリと悪そうな笑みを浮かべて言うクロエをガシッと掴んで、

 

「さっきから何度もそう言っているのだけれども」

 

 いささかにどころの話ではない。にらみ合うこと約三十秒。

 黒猫は薄く笑った。それは先ほどの笑みとは違い、どこか諦めた様子にも見える。

 

「にっしっし。か弱い子猫ちゃんに向かって、そんな恐い顔してくれんなよ。

 ――わぁーてるって。訊きたいことがあんなら、なんでも言ってみそ」

 

 やれやれ、やっとその気になったか。

 つーか、普通は答えてくれるのが当然なんだけどな。

 俺はクロエをポイッと開放すると、ベッドに腰掛けて足を組んだ。

 さてはて。まずは何から訊いてやろうか。

 

「お姉ちゃま……」

 

 部屋の片隅で一人遊び(厳密には第二回ぬいぐるみプロレスごっこ勝ち抜き戦)を開催していたコロナが、

 ふよふよと飛んできて不安げに黒猫を見つめる。

 

「心配すんな、コロ助。別に隠すことでもねぇし」

「否定。時期尚早だと思うんです。パパさんは咲いたばかり――まだ初心者さんなのです」

「あれだけの魔法を初陣で閃いておきながら初心者、か。まっ、どうせアレについては遅かれ早かれ説明しなきゃならねぇんだ。

 まとめて言っちまったほうが手間が省けていいだろ」

「極否定。と、とにかくダメなんです」

 

 どうしたもんだか、なおも食い下がってくるチビチビに、黒猫がイラッとした感じでヒゲを動かす。

 

「だぁああ。うっせーなぁ。オレが良いっつったら良いんだよ。ほれ、おめぇはコイツでゆっくり遊んでな」

 

 と、ゆりなが抱き枕にしていたヘビのぬいぐるみを乱暴にひったくって投げた。

 

「むむっ」

 

 キランと目を輝かせ、それをフリスビードッグよろしく華麗に空中キャッチするコロナ。

 さっきまでの抗議はどこへやら、そそくさと部屋の片隅に舞い戻るチビチビを見て俺は大げさに嘆息してみせる。

 

「いやはや。所詮、子どもだねェ」

 

 そう肩をすくめていると、

 

「……ふ、ふぇえっ」

 

 小さな泣き声。

 今度はなんだよ、とベッドに視線を向けると、ゆりなが何かを探すように手をさ迷わせていた。

 起きたのか? 顔をのぞいてみるが、どうやら眠っているようだ。悪夢でも見ているのかね。

 その様子に黒猫は「あっちゃー」と呟き、チビ助の額にポンッと肉球をあてがう。

 

「そーいや、ポニ子ってば、何かしら抱いてないと眠れないんだった」

 

 ああ、抱いていたヘビのぬいぐるみが消えたからぐずってたのか。

 

「これはこれは。こちらも、所詮子どもってワケね」

 

 要は、ヘビのぬいぐるみに代わるような何かしらを抱かせれば泣き止むんだろ。

 ふむ、それならば。

 ピーンときた俺は、身に着けていた白緑縞のオーバーニーソックスの片方を脱いで、

 

「よっと。ちィっとばっかし臭いかもしれねェけれども、ここは一つ我慢しておくんなま」

 

 にぎにぎとグーパーを繰り返す手の中へスッポリおさめる。

 

「……えへへっ」

 

 今泣いたカラスがもう笑うたァ、このコトを言うのかね。

 そいつのマヌケ面に、ついついつられて笑ってしまう。

 

「バッカでぇ、俺様の靴下とも知らずに安心してやんの」

 

 しっかし、他人の靴下を抱きしめながらニンマリ顔で眠る姿って、どうなんだろうか。

 これがおっさんだったらただの変態だな。



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第二十四石:魔宝石の能力

 やっと落ち着きを取り戻したゆりなが、再びスヤスヤと寝息を立て始めたところで、 

 

「ありゃ? シラガ娘って、そんなモン履いてたっけ」

 

 黒猫が不思議そうに首を傾げた。

 

「いや。こいつァ変身した時にコスチュームと一緒に出てきたヤツなんだけれども。

 これがまた履き心地が良いっつうか、なんとも暖かくてな。変身解いた後、コロ美に言って特別に出してもらったんだ」

「へぇ~。何だかんだ言って、女の姿もまんざらじゃなさそうだな。にっしっし」

「ばっきゃろぉイ。んなわきゃねぇだろ。戻れるモンなら今すぐにでも戻りたいぜ。

 それはともかく、だ。恐縮だけれども、いい加減に本題へ入らせてもらうぞ」

 

 とりあえずは最初の疑問をぶつけることにする。

 なぜ、あんなに目立つ俺たちやホバーの姿が誰にも見えないのか。

 俺の問いに黒猫が尻尾をくねりと動かす。

 

「ああ、それなら答えは簡単だ。

 シラガ娘は石を割って変身――すなわち魔法使いの衣装に着替えた時点で、魔力を持たねーヤツの視界から消えちまうんだ。

 オレやコロ助みたいな七大魔宝石や、ホバーのような模造魔宝石に至っては、そもそも最初から誰の視界にも映らない。これは魔法使い関係者を除いての話だがな」

「待て待て。するってぇと、ゆりなのお姉さんはどうなんだよ。

 おめぇさん方の姿がバリバリ見えていたじゃねぇか。もしかして、あの人は魔法使い関係者なのか?

 それと、昨日コロ美を捕まえるってときに『誰かに見つかって大騒ぎになるかも』とかなんとか言っていたじゃねぇか。そこんところ、どうなってやがるでェい」

 

 腕まくりのポーズで矢継ぎ早に質問する俺に、クロエが感心した様子でもう一度尻尾をくねらす。

 

「ほう。中々、良いところをついてくるじゃねーか。順を追って説明してやるよ。

 とりあえずポヨ子が何故オレたちを認識出来るかについてだが、簡単に言えば仮の姿だからだ」

「仮の姿――ということは、あの巨大な黒い虎が本当の姿ってことか?」

「あぁ。動きやすい人型や小型に化けている時は誰にでも見えるってワケ。

 コロ助が見つかるかもって言った理由も、アレがコロ助の仮の姿――つまり、小型状態だから。

 オレみたいな普通の猫っぽい姿ならバレねぇが、あいつの場合キラキラ光ってるじゃん。昨日も言ったが、羽が発光してるテフテフなんて、この世界じゃありえねーの」

「あー、そういうこと」

 

 ホバーとの戦いを思い出してみる。

 えっと確か……。

 俺らはコスチューム姿。召喚されたクロエは色違いだけれども、巨大な虎っつう本当の姿。

 コロナは俺と合体中だし、模魔はクロエと同じでバリバリ本当の姿。 

 

 なるほど。

 だから誰にも見つからなかったのかと頷きそうになるが、ここでまた一つの疑問が浮かんできた。

 

「そういや、模魔が暴れた形跡が全然なかったような。あんなに派手に戦闘したっつうのに、町はキレイなまんまだったぞ」

「いや、被害はちゃーんと与えてたぜ。窓の外よーく見てみそ」

 

 促されるまま、窓を開けて見てみる。

 いや、別段変わったところがあるようには思えないが。

 

「桜の花びら、昨日より散ってるだろ」

 

 まぁ、言われてみれば……。

 

「だけれどもよォ、アレでこれっぽっちの被害っておかしくねぇか? 体感風速で言えば、優に十メートルは超えていたぜ」

「オレたちだからそう感じるのさ。魔法使いや魔宝石は魔法の力をダイレクトに受けるからな。

 だが、魔法使いでない人間やこの世界は魔法の力をダイレクトには受けない。ホバーの風の力が百だとすると、オレたちに百、町には十の影響って感じだな」

 

 魔法魔法って、頭がこんがらがってきたぜ。

 

「ちょい待ち。ええとだな……。じゃあ、たったの十分の一の影響ってんなら、町が壊される心配は無さそうってコトでいいのか?」

「残念だが、心配大ありだぜ。ホバーはランクこそまぁまぁの模魔だが、能力が能力だからこの程度で済んでるんだ」

 

 ランク?

 

「そう。オレたち七大を含め、全ての魔宝石には力の目安としてランクがあって、

 ホバーはランクCの中ぐらいな強さの模魔なんだ。だが、能力が『停空飛翔』という、補助的な能力だから影響力がそうでもないってワケ。

 これが攻撃的な能力だったら、もっと町への被害がデカくなるし、とーぜん、ランクが高い模魔ほど比例してもっとデカくなる」

 

 はぁ。

 解ったような、解んねーような。

 とりあえず、理解したのは『あのホバー』でたったのランクCだってことだ。

 アレで中ぐらいの強さって――マジだとしたら、かなり気が滅入る話なんだが。

 

「まぁまぁ。そう悲観しなさんなって。最初からランクC相手にあそこまでやれたのは凄ぇことなんだぜ!

 場数を踏んで経験値をさらに積めば、ランクBもAもきっとラクショーラクショー」

「ったく。軽く言ってくれちゃってさァ」

 

 トホホ……。

 と、がっくり肩を落としながら魔法使いになったことを後悔し始めた俺に、

 

「――言いそびれちまったが、ありがとうな。オレが思った以上にシラガ娘は良くやってくれたぜ。

 もし、お前が魔法使いになることを決心していなかったら、ポニ子は確実にやられていただろう」

 

 クロエが真面目なトーンで言う。

 

「……ふんっ」

 

 まっすぐな視線に気恥ずかしくなって、俺は目を逸らした。

 こいつが『ありがとう』なんて言葉を口にするとはね、なんだかムズ痒いぜ。

 だが――

 しかしながらと、俺は思う。

 俺が助けに向かわなかったら、ゆりなは死んでいたと黒猫は言うけれども。

 本当に……そうなのだろうか。

 

 思い出される、チビ助のあの気だるそうな前傾姿勢。

 深紅の瞳。

 燃える髪。

 冷たい声。

 ホバーをたやすく一撃で葬った『赤いゆりな』

 

 対する俺はといえば、何も出来ずにただやられる一方だった……。

 そう――俺は助けてなんかいない。むしろ、助けられたのは俺のほうだ。

 意気揚々と飛び出したクセに。

 なんて無様で。

 なんて無力な。

 

 だからこそ、あの眼の光が気になる――

 ゆりなが赤く染まった現象について詳しく知りたい。

 いよいよ、それを訊ねようとした、その時だった。

 タタタタッ。

 なにやら軽快なリズムが耳に入ってくる。

 

「あんだァ、この音?」

 

 と、俺がクロエに顔を向けると、そいつは尻尾をビクンとおったてて、

 

「げげげっ、あいつだ! シラガ娘、今からオレは喋れないただのキュートな猫! 絶対に話しかけんなよっ。あと、霊鳴は仕舞っとけ。いいな?」

「え? あ、ああ……」

 

 何が何だか分からないが、とりあえず頷いて霊鳴をスカートのポケットへ押し込む。

 あいつって誰のことなんだ?

 クロエの慌てっぷりにいささか緊張していると、窓がガラガラッと開いて、何者かが部屋へ飛び込んできた。

 

「にんっ!」 

 

 まるで忍者のような――音もないキレイな着地。

 桃の香りをはじかせながら、短いツインテールがピョコンと跳ねる。

 侵入者は俺たちと同じような小学校低学年くらいの女の子だった。

 

「きゃはっ、久しぶりに美しく決まったっちゃ!」

 

 感激のあまりか何度もジャンプするそいつの後姿をシゲシゲと眺め、やがて俺はポンッと手を打つ。

 ピンク色のさらさらな髪、ピンク色のふりふりなワンピース、ピンク色のぱんぱんなナップサック。

 目が悪くなりそうな桃色一色のこの少女。どう考えても―― 

 未だに背を向けて飛び跳ねてるそいつに向かって、俺はこう言ってみた。

 

「……もしかして、お前さんがウワサの『ももは』か?」



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第二十五石:登場!爆走天使ももはちゃん

 俺の声に桃色少女がビクッと振り向く。

 ……ほほう。

 へんてこりんな格好をしているワリには、利発そうな顔立ちをしているな。

 そいつは大きなエメラルドグリーンの瞳をますます大きく見開くと、

 

「き、きさん、誰っちゃ!?」

 

 両手を大げさにバッと広げて、一歩左足を踏み出す。

 それと同時に、背負っていたナップサックに縫い付けられている天使のような羽がパタパタと動いた。

 

 きさんの意味がよくわからないが、これはおそらく自己紹介するべき場面だろうねぇ。

 ま。考えるのもめんどくせぇし、アレでいっか。

 コホンと咳払い一つ。

 

「ちょいと、失礼するよ」

 

 どこぞの昭和ヒーローみたいなポーズで俺を指差しているそいつの脇を通り、

 ゆりなの学習机の上に置いてある花図鑑をパラパラめくる。

 んでもって、気だるく背中をボリボリとかきながら、

 

「あー。俺の名前は、シャクヤク。よく人に珍しいねって言われます。でも覚えやすいようで近所のおばちゃんには大好評です。

 恐縮だけれども、ヨロシクどうぞして頂ければこれ幸いってなもんで」

「…………」

 

 当然の如く、しばし間があく。

 もちろん、そいつのポカン顔は想定済みだ。さてはて。どんなツッコミが来るのやら。

 中々の変人というウワサだ。ここをどう出るのかお手並み拝見といこうではないか。

 そう腕組みをしながらニヤニヤ待っていると、

 

「ほわわぁ! でたん可愛い名前っちゃ!」

 

 ずずずい~っと、なんとも古臭いぶりっ子ポーズで俺の顔をのぞいてくるではないか。

 

「……そ、そうかい?」

 

 奇行の持ち主とは思えないまさかの素直な反応に、ギョッとたじろぐ俺。

 ちなみにぶりっ子ポーズとは、顔のそばで両手を揃えつつグーしているあの忌々しいポーズのことだ。

 普段ならば十六文キックをお見舞いしたくなる衝動に駆られるところだが……いやはや、どうも。

 このキラキラとした目に覗き込まれてそれどころではないようだ。

 

 ゆりなと似たようなあの純粋な瞳――

 やはり苦手だな、ガキ特有の澄んだ目は……ん?

 なんだこいつ、瞳の中に花が咲いてるぞ?

 いや、咲いてるっていうよりも花の模様が刻まれていると言ったほうが正しいのか。

 へぇ、こりゃすげぇや……。もしかしたら、こいつをネタにひと稼ぎ出来るかもしれねェ。

 もう少し近くで見てみようと、俺が腕組みを解いて顔を近づけたそのとき、

 

「いまっ! ぼでぇーがお留守だっちゃ!」

「!?」

 

 とんでもなくキレイなコークスクリューブローが俺の鳩尾を抉った。

 

「……が、がはっ――!」

 

 膝から崩れ落ち、ハッハッと浅い呼吸を繰り返しながらうずくまる俺。

 ま、待て待て。突然のコークスクリューよりも前に、なんなんだその妙に洗練されたフォームは。

 このチビ、見た目どおりだったらば小学生だよな。

 まさかガキのくせにボクシングジムにでも通ってんのか。マジでそう思いたくなるほど、痛かったんだが。

 つーか、ホバー戦でもこんなにダメージ食らわなかったのに……。

 涙目で見上げていると、ももはがムスッとした顔で俺に跨ってきた。

 

「そんなおバカっち名前あるわけないっちゃ! 怪しいヤツ……きさん、ゆりっち目当てのヘンタイやろ?」

「ち、ちげーってバカ。俺ァ昨日からここの居候となった身で、名前だって今流行りの――」

 

 喋ってる途中なのに、そいつはマウントポジションのまま俺のキャミをグイグイ締め上げて、

 

「嘘もたいがいにせーよ。さっきだって、ウチのクチビル奪おうとしたとっ」

「するわきゃねーだろ! 誰が、テメーみたいな可愛くもねぇクソガキに!」

「なんちか~!? ウチのどこが可愛くないっちゃ!」

「あいてて! そ、そういうところがだっ!」

「しゃあしぃ! 悪を成敗するのがヒーローの務め――! ゆりっちはウチが守るっちゃ!」

「うおっち!?」

 

 振り下ろされるエルボーをすんでのところで避け、俺は眉をピクピク動かした。

 

「身動き取れない相手にエルボーぶちかますなんて、たいしたヒーローだな。おい」

「フッ。この際、手段は問わないっちゃ……」

「どの際だよ!?」

 

 こんのガキがぁ、やらせておけばつけあがりやがって。

 親父に女子供には優しくしろと言われてきたが、こいつだけは勘弁ならねェ。

 俺はガバッと起き上がると、ももはの両ほっぺをひっ掴んで、

 

「恐縮だけれども、テメェの体に正しき日本語っつうもんを叩き込んでやるぜ。ありがたく思いなァ」

「き、きさんに、言ひゃれたくないっひゃ」

 

 そう反論しながら繰り出されるは、あの鋭いコークスクリュー。

 だが、一度見ている技だ。この俺に二度目はない。

 それをガッと膝小僧でガードし、挨拶がてらのボディブローをそいつの土手っ腹へとぶちかます。

 

「ふんぎゅっ!?」

 

 どうやら、今だね。

 崩壊したマウントポジションから抜け出し、めくれあがったキャミソールを直しつつ立ち上がる。

 

「ほれほれ、どうしたぁ桃チビヒーローちゃんよぉ」

 

 と。

 腰を落としてそいつの反撃を待っていたのだが――待てども一向に起き上がる気配が無い。

 心なしか、ナップサックの羽が痙攣しているように見える。

 

 もしかして、一発ノックアウトなのか?

 なんともはや……期待ハズレも甚だしい。

 ふ~む。これでは、いささかも面白くねぇな。

 まだまだももはで遊び足りない俺は、ピクリとも動かないそいつの耳元でこう囁いてみた。

 

「……貧乳ここに死す」

 

 どうやら上手くゴングを鳴らしたようで、

 

「やんのか、こるぁあああっ!!」

「効果てきめんっ、待ってましたぁってね!」

 

 我ながらすばらしい言葉のチョイスだったなと喜んでる間もなく、猛獣みたいな犬歯をキラリと光らせて飛び掛る桃色少女。

 おっとっと。なーんて、素早いんでしょ。

 そいつの引っかき攻撃を避け、ほほうと感心していると、不意に足元をすくわれる。

 

「す、水面蹴りだと!」

 

 ストンと尻餅をついた俺に、のしかかるももは。再びのマウントポジションだった。

 

「きゃはっ! 三下ほど、そうやってすぐに油断するっちゃ」

「……にゃろめが」

 

 ムキになった俺は、

 

「恐縮だけれども、これは余裕というものでな!」

 

 きゃっきゃと笑うそいつのアゴに渾身の頭突きをかました。

 

「はううっ!」

 

 たたらを踏んだところで脱出。

 アゴをおさえて痛がるももはを見下ろしてニヤリと笑ってやる。

 

「ククク。油断していたのはどっちかねェ」

「……うう~っ。痛いっちゃ、ひどいっちゃぁあ」

 

 げげっ、泣きそうじゃん――ちとやりすぎたか!?

 慌てた俺は、何故かそいつのツインテールを両手でぴょこぴょこと動かして、

 

「わ、わりぃわりぃ。痛かったな、ごめんな。……大丈夫か?」

 

 と、顔を覗き込んだ直後だ。

 

「あぎゃっ!」

 

 いきなり目の前に無数の星が現れ、勢い良く散った。

 数秒経ってから遅れてアゴに激痛が走る。原因は……ももはの膝蹴りだった。

 こ、こいつ、まさか演技をしてやがったのか?

 俺の驚き顔に、

 

「てへっ」

 

 ぺろっと舌を出してのウィンク。

 俺の頭の中でプチっと何かが切れる音がした。

 ほほう……良い度胸してるじゃねぇーか。

 

「こんのクソガキが、もう容赦ならねェ!」

「こいや、こるぁあああっ!!」

 

 スマートとは程遠い、ケモノじみたそのバトルはすぐさま白熱していった。

 頬の引っ張り合いからはじまり、服の引っ張り合いやら、髪の引っ張り合いへとエスカレートする。

 

 ………………。

 どれくらいの時間もみ合っていたのだろうか。

 やがてボロ雑巾のようになった俺達は、息を荒げながら共に天井を見上げていた。

 い、いやはや、これはどうしたものか。こいつとんでもなくつえぇぞ。

 

 アッチじゃあケンカすりゃあ連戦連勝で、県内敵なしとまで謳われていた俺だというのに。

 そりゃガキの体になっちまったから反応は若干鈍っているだろうよ、でもそれにしたってなぁ……。

 女の、しかも小学生相手とやりあって互角たぁ――いささかに泣ける話だぜ。

 息が整ってきた頃、ふと隣で大の字になっているももはがこちらを向いて、

 

「……でたん楽しかったっちゃあ。こんなに思いっきりケンカしたの、初めてかも」

 

 クスクスと笑った。

 

「俺も」

 

 本当に――俺も楽しかった。素直にそう思ったから、こちらも笑みを返しておく。

 まったく。青春ドラマでよくあるような場面だなと揶揄したいところだが、

 どうやら、それよりも清々しい気分が勝っていたようだ。

 汗でベッタリとはり付いた髪の毛を引っぺがしながら、俺はお姉さんの言葉を思い出していた。

 

 『きっと、しゃっちゃんちゃんと、ころこっちゃんも彼女と会えば自然と仲良くなれるハズです――』

 

 まあ。

 たしかに面白いヤツだ。予想以上というか予想の斜め上というか。

 それに女にしておくのはもったいないほどタフだし。

 仲良く出来るかはわからないけれども――

 

 ももは、か。

 天井へと舳先を戻したそいつの顔をそっと盗み見る。

 端整な白皙に浮かぶほんのりとした朱。汗で濡れた桃色の髪が、なんともそれに映えていた。

 ほわわぁと奇妙な鳴き声をあげながら、気持ち良さそうにパサパサとワンピースの中へ風を送り続けるその少女に、一つ思う。

 

 こいつ、よくよく見ればかなり可愛いような。

 いや……この場合少し違うな。ああ、アレだ。よくよく見なくとも可愛い――ただし、喋らなければの話だ。

 いわゆる黙っていれば可愛いといったジャンルに属しているのだろう。本当に実在するんだねぇ、こういうヤツ。

 

 と。

 俺はそんな不思議な感動を覚えていた。



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第二十六石:続!爆走天使ももはちゃん

 そういや苗字は何ていうんだろうか……この際だ、訊いてみよう。

 

「「そういえば苗字って、」」

 

 同時に同じセリフをはいて、これまた同時に顔を見合わせる俺達。

 二人でプッと吹き出し、いつの間にか腹を抱えて笑っていた。

 

「あははははっ。え~っと、なんだっけ……苗字だっけ? ウチの苗字は――天使と書いて、あまつかって読むっちゃ」

 

 天使ももは。

 

「変な名前」

 

 そう思ったから正直に言ってみる。

 

「ムッ。そっちは何てゆーと?」

「俺の苗字は、シャク」

「え。名前がシャクヤクじゃなかったと?」

「ああ、アレね。名前はヤクっていうんだ。だから合わせてシャクヤク。どうぞヨロシク」

「…………変な名前」

「…………そっちだって苗字がテンシじゃん」 

「あまつかっちゃ!」

「あまつかっちゃももはちゃんでしたか。じゃあ、これからは略してテン子って呼びますんで」

「それ、もう原型をとどめて無いっちゃ……」

「だったら、テンちびって呼んでいいか?」

「ダメぇ~」

「じゃあ、ちびテン?」

「やけん、ダメっち言いよろうが」

「もはや、これまでか……。こうなっては仕方がない。ここはちび貧乳ちゃんもとい、ちび貧ちゃんってことで一つ手を打ってもらうしか、」

「やんのか、こるぁあああっ!!」

 

 なぜか第二ラウンドが始まってしまった。

 なんだかんだのすったもんだで、またまた俺たちが髪や服の引っ張り合いをしていると、

 

「へっぶしっ!」

 

 固まる俺達。

 二人で顔を見合わせ、そーっとベッドを覗き込むとゆりなが豪快に鼻水を垂らしているではないか。

 

「ありゃりゃ。こんなに垂らしやがって、恥ずかしいヤツ」

 

 俺が呆れている横で、チビ天が顔をゆでダコのように真っ赤にして見惚れていた。

 

「ほわわぁあ~っ」

 

 そいつはベッドに上半身を預けての頬杖体勢で、心底愛おしそうに足をパタパタさせている。

 おいおいおい。まさか、ソッチの気があんのか?

 

「ゆりっち、今日も無駄に可愛いっちゃあ。らぶりぃ~」

 

 あっちが鼻水なら、こっちはヨダレときたもんだ。 

 目の奥の花びらがハート模様になっているのは、おそらく見間違いじゃないだろうな。どうやら、こりゃマジもん決定らしい。

 ま、別に人の色恋に口出しするつもりはねーけれども。

 つーか、無駄にってそれ褒めてんのかよ……。

 なんにせよ。いつまでも鼻水を垂らしたまんまじゃ格好がつかねぇ。

 

 

「おらおら、どいたどいたぁ」

「わわっ、何するっちゃ!」

「何するって、拭いてやるに決まってんだろ」

 

 ティッシュを二、三枚とってグシグシ拭いてやる。 

 

「ふぇえっ」

「ふぇえっじゃねーって。こら、暴れんな。ばっちぃツラのまんまでいいのかよ」

 

 それでもなお、手で払おうと抵抗しているそいつに、

 

「そうは問屋が卸さねぇってなモンで、うりうりっ」

 

 こちょこちょと空いた脇腹をくすぐりまくる。

 

「にゃはははっ、しゃっちゃんってばぁ。そんなのでくすぐっちゃダメだよぉ……」

「どんなのでくすぐってんだよ、夢の中の俺ァ」

 

 変な夢見やがってからに……。まぁいいや。にへらっと頬を緩めている隙に、サッと拭き取ってやる。

 よし。最後の仕上げ完了だ。キレイキレイ。そこで、ふと掛け布団が無いことに気づく。

 ああ、そうか。俺たちがもみ合いしてたときに、いつの間にかこいつの布団がはがれてしまったみたいだ。

 そりゃクシャミも出るよな。まさか熱も出てたりして。

 布団をかけ直しつつ、ゆりなの額に手をあててみる。

 ん。平熱平熱。

 

「うっし。ケンカの続きしようぜ、ももは」

 

 振り向くと、ももはが呆けた顔で俺を見つめていた。

 なんなんだ? 眉をひそめていると、ハッと気づいた様子で、

 

「あっ。……えっと、その」

「どうしたんだァ?」

「ごめんなさい」

 

 謝った。

 狂犬のような彼女が、ぺこっとお辞儀をして謝った。

 しかしながら、俺だってバカじゃない。学習するさ、一応。

 

「いっひっひ。まァた、そんな演技をしたところで、もう騙されんぜ」

 

 来るならいつでも来い。カウンターモードで待ってみるが、

 

「本当に、本当にごめんなさい……。私、ゆりっちのお友達に酷い事をしてしまいました。

 ヘンタイだなんて言って、他にも酷いことを言って、殴ったりしちゃって――」

 

 深々と頭を下げ、手を震わせながら必死に彼女は言葉を紡ぐ。

 

「わ、私、ゆりっちのことだとすぐに頭に血が上っちゃって、知らない人がいたので、それで危ないって思って、ゆりっちを守らなきゃって思って、」

 

 必死に、言葉を。

 

「なのに、本当のお友達で、とても仲良しさんで、なのに、なのに、嫌われちゃう……。やだ、ゆりっちに、嫌われちゃう。やだ、やだ……やだよぅ」

 

 次第に呼吸が荒くなり、咳き込むももは。

 まとまりが無い言葉の羅列だけれども――

 だからこそ、本当にももはがゆりなのことを想っている気持ちが伝わってきて――

 俺は彼女の今にも崩れてしまいそうな姿をどこかで見た気がしていた。

 

 そうだ――あのときのゆりなだ。

 俺が『ワガママ』というワードを発したときのゆりなの取り乱し方によく似ていた。

 こいつも。

 こいつも――何か心の傷を持っているのか? 

 

 まったく、どうしたもんだか……。

 俺はうなだれているチビ天のショートツインをぴょこぴょことイジりつつ、

 

「なーに言ってやがるんでぇい、ゆりながお前のこと嫌うわけねェっての。

 このチビ助は底抜けのおバカ……じゃなかった、お人好しだからな。誰も嫌いになんかならねぇよ。つーか、嫌いになることを知らなそう。そんくらいのレベル」

「……ほんと?」

「嘘言ってどーすんだよ。昨日だって、楽しそうにお前の話をしてたんだぞ。お前が幼稚園のころに使っていた箸を戸棚から引っ張り出してさ。

 ピンク色のもの何でも『専用』って書くんだよって楽しそうに教えてくれたんだ」

「え、えへ、えへへ……。そうなんだ。小さいときのお箸、まだとっておいてくれたんだ。そっかぁ、えへへっ」

 

 ナップサックの羽がパタパタとうれしそうに羽ばたく。

 やれやれ、どうにかこうにか――落ち着いたようだ。

 しっかし、こんなガキに気をつかっちまうなんて、俺もどうかしてるぜ。

 誰のせいだ。ゆりなのせいか?

 めんどくせぇことはキライだってぇのに。どうしてこう次から次へと――

 

「あ、あの……」

 

 おずおずと桃色少女が俺を見上げる。

 エメラルドグリーンの湖に桃の花を咲かせて、そいつは言った。

 

「しゃくっちさんって、呼んでもいい――ですか?」

 

 ……………。

 俺は腕を組んでゆっくりと首を振った。否定の意。

 

「そうですよね……あんな酷い事して今更、」

 

 しゅんと顔を下げようとしたそいつの額を指でつついて阻止してやる。

 

「その他人行儀な敬語をやめて、素で話してくれるんなら構わないぞ。今更、お行儀良くされても気味が悪いだけだぜ」

「わ、私はゆりっち以外にはみんなこんな感じなんです。さっきのは、ついウッカリというか悪者さんだと思ってたので……」

「ふうん。じゃあさ。なんで、ゆりなだったら素で話すワケ?」

「それは、その、お友達だから、というか……」

「じゃあ、いいじゃん」

「……え?」

「俺ら、ダチなんだからいいじゃん。一回ケンカしたら、どんなやつでもダチ公」

 

 一瞬の間のあと、もじもじと恥ずかしそうに目を泳がせて、

 

「あ、はい……。えっと、しゃくっち、さん。その、ありがとうございます……」

 

 俯くチビ天。

 気まずい空気が流れはじめたところで、俺は髪をバリバリとかきむしった。

 

「あぁあああ! めんどくせぇえええええ!

 だぁら、『はい』とか『さん』とか、スーパーめんどくせぇえんだよ、貧乳てんてん子ちゃんよぉお!」

「やんのか、こるぁあああっ!!」

 

 まさかの第三ラウンドが始まってしまった。

 尻のひっぱたきあいをしながら、ともか――

 

「ちょっ、ちょっとタンマ」

「待たないっちゃ!」

 

 尻のひっぱたきあいをしながら、ともかくと、俺は思――

 

「いててて! だぁら、ちょっと待ってろよ、すぐ済むから!」

「問答無用っちゃ!」

 

 まぁ、ともかくだ。

 これからは当分ケンカ相手に困らないようである。めでたし。

 と。

 強引にめでたくしたところで、最後にももはのケツを終了のゴングよろしくペシーンと鳴らした。



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第二十七石:どうしよう!もう正体がバレちゃった!?

「んにゅ~っ、よく寝たよぅ」

 

 きっと快眠だったのだろう、猫のような伸びをして起き上がったゆりなに、

 

「ゆ、ゆりっち、おはようっちゃあ……」

「よ、よぉ。よく眠れたかい、チビ助……」

 

 ゼーハーと肩で息をしている俺たち。

 瀕死の状態だった。

 

「わわっ。ど、どうしたの、二人とも。汗だくだよぉ?」

 

 ビックリ顔のゆりなに、

 

「ちょっと、このチビ天とケンカしてたんだ」

 

 言って、ももはの頬に人差し指をぐりぐりとめり込ませる俺。

 

「ちょっと、しゃくっちとケンカしてたっちゃ」

 

 言って、俺の額に人差し指をぐりぐりとめり込ませるももは。

 

「……恐縮だけれども、指を離してもらえねぇかなァ」

「……そっちが離したら離すっちゃ」

 

 意地の張り合い。

 たがいに火花を飛ばしあう俺たちを交互に見て、

 

「あれ? しゃっちゃんとももちゃんって、いつの間にそんな仲良しさんになったの?」

「「仲良しさんじゃないっ!」」

 

 くわっと同時に言い放った俺らに、ゆりなはニッコリと、

 

「ほらぁ、やっぱり仲良しさんじゃん。えへへっ。二人が仲良しさんだと嬉しいよぅ」

 

 本当に――心底嬉しそうなチビ助。

 そいつの笑顔にすっかり毒気を抜かれちまった俺らは、どちらともなく指を離すと、

 

「もう、それでいいぜ……」

「ウチもそれでいいっちゃ」

 

 ヘロヘロと答えた。

 いやはや。それにしても、いささかに遊びすぎたというか。

 第七ラウンドまでは数えていたのだが、その後がどうも記憶に無い。

 …………。

 自分で言っといてなんだが、第七ラウンドて。どんだけケンカしてたんだよ俺たちは。

 

「ケンカバカも程ほどにしとかねぇとな。身がもたねェ」

「というより、ウチらただのバカかもしれないっちゃ……」

 

 ぐっ。

 ケンカという単語を抜かしただけなのに、急に響きがカッコ悪くなったぞ。

 まぁ。そもそも、あんな服の引っ張り合いにカッコ良いも悪いもねぇか。

 

「「ハァ……」」

 

 と、ため息。

 

「にゃははっ、ため息までぴったんこだもん。二人ともすごいすごい!」

 

 ベッドに腰掛けて足をブラブラさせるゆりな。

 元気だよなァ、まったく。

 もともとパワフルだけれども、寝起きのためか、さらにパワーが増しているように感じる。

 俺は「よっこいしょういちのすけ」っと掛け声一つにチビ助の隣に座り、

 

「その元気をいささかに分けてもらいたいものだぜ」

 

 苦笑いしつつの冗談。

 そう。ただの冗談のつもりだったのだが。

 

「いいよ~。ちょうど溜まり過ぎてて困ってたところだったし。しゃっちゃんにボクの元気、分けてあげるっ」

「へ?」

 

 どういうこったと首を傾げていると、そいつは俺の頭頂部のアホ毛をむんずと掴んで、

 

「ぽ~よよん、ぽいぽい~っ……」

 

 詠唱をはじめた。

 ……って、詠唱ォ!?

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

「ぽんっ! らいらい、みにらいとにんぐぅ~」

「あでしっ!?」

 

 唱え終えてすぐさま俺の全身を電流が駆け巡った。

 もちろん、アデシという意味不明な発言はそれによるものだ――言うまでもなく。

 いやいや、んなコトはどーでもいい。

 

「い、いきなり電撃をぶっ放すたァ、どういう了見なんでぇい!?」

 

 そうゆりなに詰め寄ると、そいつは妙にスッキリしたツヤツヤ笑顔で、

 

「にははっ。寝て起きるとね、いっぱい電気が溜まっちゃうの。だから、放出したの~っ」

 

 したの~っ、じゃねぇええ!

 

「お前さんなぁ……。俺様が言ったのは元気を分けてくれであって、電気を分けてくれとは一言も言ってねぇぞコルァ!」

 

 俺の前のめりの抗議に、まあまあとゆりなが両手でおさえる。

 

「ねーねー、しゃっちゃんさ。ちょっと肩をこうしてみて」

 

 ぶんぶんと右肩を回すゆりな。

 

「こう、か?」

 

 そいつに倣って肩を回してみると、どういうことだろう。

 さっきまでの疲れがウソのように吹き飛んでいるのだ。

 肩だけではなく、腰も首も楽になったような気がする。おお、すげぇなこりゃ。マジで快適だぞ。

 

「ねっ。電気治療っていうみたい。クーちゃんに教えてもらったんだよ、これ。元気になったでしょ~」

 

 言いながら人差し指と親指で輪っかを作っては離すを繰り返すゆりな。

 そのたびに黒い電流がバチバチと糸を引くように現れる。

 うーむ。

 何気ない仕草なんだろうが、改めて見ると、本当に不思議だねぇ。

 

 だって、指から電気が出てるんだぜ。なんともアッサリとさ。

 目の前で実際に見ているから何とか信じられるが、ブラウン管越しだったら一笑に付しているところだ。

 どうせ手品とかCGだろうってな。

 まったく今更の話だけれども、こんな簡単に出ちまう『魔法』ってヤツぁ――いささかに恐ろしいな。

 

「ぼーっとして、どったの? しゃっちゃん、もしかして電気足りない?」

 

 指を擦って大量の火花を散らすチビ助。

 俺が足りないんじゃなくて、足りないのはきっとこいつの方だろう。放電し足りないという意味で。

 その放電に付き合ってやりたい気持ちは山々だけれども、さすがにこれ以上ぶっ放されたら体に悪い気がするぜ。

 俺はブルッと身を竦ませて、

 

「い、いや大丈夫、足りてるって。おかげさまで元気マンマンさ。

 ……でもよォ、ちょっとした謎なんだけれども。どうして髪の毛なのに電気が通ったんだ?」

 

 確か髪は電気を通さないハズ。中一のときの先公が間違っていなければ、だが。

 そんな俺の疑問にゆりなは少し考える素振りを見せて、

 

「そうだったの? んー……よくわかんないけど、しゃっちゃんは『水』だもん。だから髪からでも電気が通ったのかも」

「水ぅ?」

 

 俺が『水』――ああ、そうだった。

 水だから電気を通す。小学生でも知っていそうな、というより本物の小学生が知っていたこの事実だが……。

 

 しかしながら。

 いくら俺がコロ美と契約を交わした『水の魔法使い』だからって、髪まで水になっちまうのはおかしいだろ。

 試しにてっぺんの触角を引っ張ってみる。別にチャプチャプ音もしないし、普通の髪だ。針金のように硬い点を除いては、だけれども。

 そんなことをしていると視界の隅に何やらチョコマカと動くものが映った。

 

「?」

 

 アホ毛を指でハテナマークにひん曲げてよーく見てみると――クロエだった。

 黒猫が肉球を大げさに振ってヘンテコなダンスを踊っている。

 なにしてんだ……コイツ。まさか俺のマジックポイントを吸い取ろうとしているワケではあるまいな。

 腹が減ったから、みたいなノリでさ。

 

「あっ……!」

 

 それを見たゆりなが、しまったというような声をあげる。

 そして、これまたしまったという顔で、

 

「しゃ、しゃ、しゃっちゃん……」

「あんだよ?」

「やびゃい」

 

 ヤバイを噛んだそいつの指す方向に視線を向ける。

 ももはだった。

 ぺったんこ座りで俺とゆりなをジーっと訝しそうに見ているチビ天。

 俺は魔法少女の取説を思い出していた。

 

 其の陸、注意事項についての部分――他人に正体を知られてはいけません。

 魔法使いであることをバレないように周りに注意して魔法を使ってください。

 

 …………。

 やびゃい。

 思いっきり魔法の話をしてしまったぞ、オイどうすんだ。話どころか、ゆりななんて電撃出しまくりだったし。

 注意事項を破ったらどうなるかは書いてなかったから、いささかにも分からないけれども……。

 こういった約束事を破った場合、往々にして痛烈なペナルティが与えられるモンだ。

 

 ペナルティ。

 イヤな響きだ……。どうしたものか、と。俺がいよいよ真面目に悩み始めたとき、

 

「ゆりっち、しゃくっち――」

 

 ももはの呼びかけにドキンと心臓が飛び跳ねる。

 だ、大丈夫。平静を装うんだ。俺が小声でそうチビ助の脇をつつくと、そいつは「うん、わかった」と小さく頷いて、

 

「も、ももちゃんなぁに?」

 

 頬をピクピクさせながら言うゆりな。

 

「ち、チビ天どうしたよ?」

 

 眉をヒクヒクさせながら言う俺。

 

「………………」

 

 むしろ怪しさ全開だった。

 ややしばらくして、ももはが言葉を続ける。

 

「もしかして二人って、魔法使い――」

 

 ダメだ、完全にバレてる。

 終わりだな……。

 俺が諦めのため息をついていると、

 

「――ゴッコしてるっちゃ?」

 

 キレイにずっこける俺たち。

 折り重なって倒れている俺らの上に、チビ天がピョコンと乗っかってきて、

 

「二人だけなんて、ずっこいっ! ウチも一緒に魔法使いゴッコしたいっちゃ」

 

 背中をポカポカたたき始めた。

 ははは……。いやはや、冷や汗かいて損したぜ。

 どうやら魔法使い関係者でないコイツには、ゆりなの出した電撃が見えていなかったらしい。

 多分――ももはの目にはただのゴッコ遊びにしか映っていなかったのだろう。

 

 そう。

 元気を分けてあげると、ゆりながいきなり俺のアホ毛を掴んで、変な呪文を唱える。

 そんでもって俺は大きなリアクションをとった後、なんで髪から電気が通るんだという質問をする。

 そんな、ただのゴッコ遊び。

 

 ただのではなく、どう考えても意味不明なゴッコ遊びだった。

 俺がもしチビ天の立場だったら、恐縮だけれども今日はこの辺でお暇しますねと後ずさりしたくなる、そんな遊び。

 まあ、なにはともあれ、バレていないようで良かった良かった。

 あやうく初日でいきなり正体がバレる、というヘッポコ魔法使いのギネスに載っちまうところだったぜ。

 んなもんあるのか知らねぇが。



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第二十八石:なぜ?トップアイドルの脱退会見

『七時五十七分! 七時五十七分!』

 

 やにわに聞きなれない機械声が部屋中に響き渡る。

 今度はあんだよ。また変なヤツのおでましって流れか。

 こちとらチビ天だけで腹いっぱいだってェのに……。

 今度はどういうジャンルのヤツだろうか。

 

 あの声からして、そろそろロボットあたりが来るのかもしれない。

 青いタヌキ型ロボット、みたいな。そうだとしたら魔宝石集めがかなり楽になるな。

 んで、あわよくば元の世界に戻してもらったりなんかしちゃってさァ。

 そんな妄想をしつつ部屋を見渡してみるが――俺たち以外、誰もいねぇ。

 

「あいた~!」

 

 俺の背中で駄々をこねていたチビ天が叫んで飛び降りる。

 

「ん? あ、いたーって、誰か見つけたのか? どこだどこだ」

 

 キョロキョロする俺に、

 

「にゃはは。しゃっちゃんてば、ボクと同じ間違いしてるー。それ方言でね~、こっちで言うところのしまった~って意味なんだって」

「なんでぇい、そうなのか。紛らわしいヤツ」

 

 そんなやり取りをしていると、ももはがワンピースの左胸についている懐中時計をひっぺがして、

 

「ゆりっちぃ、ゆりっちぃ、もう八時になるっちゃあ!」

 

 印籠よろしく俺たちに向ける。

 まぁ、たしかに八時手前だけれども。いったい何を焦っているんだ?

 ぴょんぴょんとその場で足踏みを繰り返すそいつを見て、

 

「ほい、了解うけたまわりっ!」

 

 威勢良くゆりなが立ち上がる。

 どこから取り出したのだろうリモコンをバッと掲げると、

 

「セブンズフラッシュ・スイッチオーン! ……ポチっとにゃ」

 

 盛大な掛け声と共にボタンが押され――ベッド脇の壁に設置されているテレビが起動した。

 ……起動したっていうか、ついたっていうか。なぁにを騒いでんのかと思ったらテレビかよ。

 あきれている俺の隣に、ゆりな、ももは、クロエが続々と寝っ転がる。

 テレビの前で川の字のように並んだそいつらは口々に、

 

「はっちじ~、はっちじ~。仮面モリガーのじっかん~っ」

「わーい。今日は凶悪怪人モリボーとの決着だよね」

「にゃあーん!」

「あ、くろっちー! ふう姉ちゃんに飼っても大丈夫って許可もらえたっちゃ?」

「ぶいっ。これで心置きなく一緒にいられるよぅ」

「ほわわぁ、良かったっちゃあ」

「にゃんっ」

 

 楽しそうに騒いでいやがる。にしても、仮面モリガーとはまた。

 俺の居た世界にも似たようなモンがあったような。

 おおかた内容の察しはつくが、一応訊いてみる。

 

「なんでぇい、仮面モリガーってぇのは」

「んとね~、色んな森をバイクで走るのが趣味の女の子が、その森を汚す悪い怪人さんを仮面モリガーに変身してやっつけるお話なの!」

 

 ああ、やっぱりそんな感じのやつか。

 

「でったんカッコいいっちゃ!」

 

 言って変身ポーズを決めるももは。

 よほど好きなんだろうねぇ。

 

「ボクはその前にやってるセガレンジャーのほうが好き……って、もう終わってるじゃん!

 ももちゃあん、いつもは七時半に起こしてくれるのにぃ、どーしてぇえ、なにゆえぇえ」

 

 どんよりと恨めしそうなツラで迫るチビ助に、

 

「ご、ごめんっちゃ! しゃくっちと喧嘩しててすっかり忘れてたっちゃ」

 

 テヘヘと、平謝りのチビ天。

 普通ならばこのまま流すような別にどうでもいい場面だけれども。

 

 ふむ。

 あえて遊んでみる勇気。

 

「ゆりな……っ! こいつを、こいつを責めないでやってくれィ。全部、俺が悪いんだ! 責めるなら俺だけにしてくれ!」

 

 ももはを抱きしめて頭を撫でまくってみる。

 

「ひいぃっー!?」

「責めさせはしない! 嫌なことから全て、俺がお前を護ってみせる……っ」

「だ、だったら今すぐ手を離して欲しいっちゃあ、気持ち悪いっちゃ! でたん嫌なことっちゃ!」

「わ。わ。しゃっちゃんとももちゃんてば、ハイパー仲良しさんっ。いいな~いいな~っ」

「ほわわあっ!? ゆ、ゆりっちぃ、これは誤解っちゃ! ウチの一番は、その、あの……」

「五階だってぇ? 恐縮だけれども、ここは二階だぜ」

「わーい、しゃっちゃん上手い!」

「よせやい、照れるじゃねぇか」

「って、いい加減に離れろっちゃ!」

 

 すぱこーんとピコピコハンマーで殴られた。

 いってて。

 んなもん、どこに隠し持ってたんだよ。

 

「こんなこともあろーかと、ナップサックの中に常備してるっちゃ」 

 

 ナップサックの羽が自慢げに羽ばたく。命名、どや羽。

 てか、こんなこともあろうかとって。普通こんなこと無いと思うのだけれども。

 

「だいたいさー、わざわざピコハン出すなんて面倒くさくねぇか?

 さっきの喧嘩みたいに素手でツッコミ入れりゃあいいのによォ」

 

 頭をさすりつつ言う俺に、

 

「だ、だって。それは……」

 

 急に顔を赤くするももは。

 ごにょごにょ。もじもじ。

 

「それは?」

「お……だち……だから」

 

 聞こえねえ。

 

「あんだってぇ?」

「だ、だから、おとも、だち……だから」

 

 ぷぷ~っ! なんじゃそりゃ。つまるところの、あれか。

 お友達になった俺へのツッコミはピコハンで、なるべく痛くないようにしよう――そうコイツの中で決めたということか。

 なんともまぁ……可愛いじゃねぇの。

 いささかに面白くなってきた俺は、気づかないふりをしてもう一度、

 

「あんだってぇえ?」

「うう~、そのね、しゃくっちが、お、お友達だからぁ、」

「聞こえねーなぁ、貧乳だと声量まで少なくなっちまうものなのかなぁ、不思議だなぁ――」

「オイ、待てやこるぁあああっ!!」

 

 その後、お友達向けではない強烈なビンタが飛んできたのは言うまでもない。

 

+ + +

 

「しゃっちゃん、大丈夫?」

「やーん。あちき、もうダメかもぉ」

「も、ももちゃん、どーしよう。しゃっちゃんのキャラが変わっちった!」

「……もう一発いっとくっちゃ?」

「すまん。今、ちょうど治ったところだ」

 

 話を戻すが、ゆりなは戦隊モノの方がお好きなようで。

 モリガーに続いて、これもどんなもんか訊いてみることにした。

 

「えっとねえっとね、セガレンジャーはね、七光戦隊セガレンジャーって言ってねー。

 前にやってた癒着戦隊アマクダレンジャーの子どもが主人公で~、」

「オ、オーケイ、もう大体わかりましたんで」

 

 とても嫌なネーミングだった。

 つーかセブンズフラッシュって掛け声の元ネタはもしかしなくてもコレだな……。

 

 やがて仮面モリガーが始まる。

 なんてことはない、やはり俺が居た世界のヒーローモノと相似している子ども向けな番組。

 つまんねぇな……。ふと二人と一匹に目をやるが、そいつらは一様に口をあんぐりとあけている。

 これほど夢中を表しているアホ面もないだろう。

 やれやれ。

 チビ助やチビ天はともかく、どうしてクロエまでそんな食い入るように――

 

 ピロンピロン。

 聞き覚えのあるチャイム音がテレビから聞こえてきた。見やると、速報テロップが出ている。

 えーと、何々……。

 

 『セブンスプロジェクト所属の人気アイドルユニット、ハッピーラピッドメンバーであるシャオメイさんが本日付けで緊急脱退を発表』

 

 って、何かと思ったらアイドルの卒業かよ。

 メンバーが捕まったっつうならまだ解るが、たかだか卒業ごときでこんな速報が流れちまうなんてね。

 まったく、大げさな話だ。

 

「たまったもんじゃねぇよなァ。好きな番組にこんなくだらねぇテロップ流されちゃあさ」

 

 俺も経験があるからよくわかるぜ。

 人が気分良くサッカー中継を観ているとき、しかも盛り上がってる場面に限って速報テロップが邪魔をしやがる。

 せっかくの興が削がれちまうんだよな、ありゃあ。

 どこぞの誰かが当選確実とか知ったこっちゃねぇってのに。

 きっと共感を得られるだろうとそう思って言ったのだが、

 

「ウソ!? ゆ、ゆりっち、ニュースに変えてもらえるっちゃ?」

「う、うん」

 

 ゆりなが青ざめた顔でチャンネルを回す。

 隣のチビ天は戸惑いを隠せないといった表情。

 あんなに楽しそうに観ていた番組をそっちのけってことは……もしかしてそれ以上にこのアイドルが好きなのか?

 俺の問いに、

 

「好きっちゃね! てか、ハピラピが好かん子なんて、たぶん居ないと思うっちゃ。

 ウチら小学生の憧れの的やもん。しかも、しかも、シャオっちはハッピーレッド!」

「ハ、ハッピーレッド?」

「うん。七人組のアイドルでそれぞれ色があるの。虹の七色ね。でね、レッドはリーダーの色なんだよ。

 めっちゃんこ凄いアイドルのハピラピのリーダー、しかもこの前の人気投票でダントツ一位のシャオちゃんがいきなり抜けるんだもん。

 も~、モリガーどころじゃないよぅ……」

「やけん、脱退理由がどーしても気になるっちゃ」

 

 し、真剣だねぇ。

 こいつらチビどもをここまで熱くさせるアイドルとは――いささかに気になるぜ。

 

「あ、ももちゃんニュースはじまるよっ。緊急会見だって」

「ううう、とっくにエイプリルフールは過ぎてるのに……。観るの怖いっちゃあ。ゆりっちぃ、お手てぇ」

 

 ももはが涙目で差し出した手を、

 

「ほいほーい」

 

 いつものことだとばかりにギュッと握るゆりな。

 おいおい、ホラー映画じゃないんだからよォ……。

 おっ。ようやく会見が始まるみたいだ。



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第二十九石:アイドルを辞めたシャオメイ

 大勢の記者が集まる中、現れたのは――小さな少女だった。

 どう見てもゆりなと同年代の子どもに見えるが……。

 そこで俺はポンと手を打つ。

 あー、ももはが言っていた小学生の憧れの的って、そういうことか。

 ハッピーラピッドとやらは、小学生アイドルのユニットってワケね。

 もっと年上、ハタチくらいのアイドルかと思っていたが――

 いやはや。考えてみりゃあ、いい年こいてハッピーレッドは無いよな。

 

 アイドルのリーダー、ハッピーレッド――か。

 しかも人気ダントツトップのシャオメイ。

 うーむ、どんなツラをしているのだろうか。マジで気になってきたぞ。

 引きではよく見えんな。

 と思っていたらタイミング良くカメラが寄った。

 

「ほほー」

 

 これはこれは。

 シャオメイという少女は赤く長いツインテールという髪型に、切れ長の綺麗な黒い目をしていた。

 まるでアイドルになるために生まれてきたかのような、完璧に整った顔。

 たしかにそこいらのガキとは雲泥の差の容姿だ。芸能人オーラが満ち満ちているというか。

 なるほどね。こりゃあ、人気が出ないほうがおかしいぜ。

 

 しかしながら――

 ちょぃとばっかし、目の下のクマが濃すぎやしねーか? 

 茶や青グマといった類じゃなくて、超絶真っ黒だぞ。

 ハッピーレッドというより、どちらかといえばアンハッピーブラックみたいな。

 まさかこの世界で流行りのメイクだったりして――いや、んなわけねーか。

 まあ、普通に疲れているんだろうな。

 

 やはり、アイドルっつうもんは並大抵の仕事じゃなさそうだ。

 それも大人気アイドルでリーダーとくりゃあ、なおのこと。

 おそらく脱退の理由はストレスがひどいとか、体が持たないとか、そんなところだろう。

 勝手にそう理由をつけて納得していると、シャオメイの隣に立つ小太りのおっさんが口を開いた。

 

「本日は大変お忙しい中、急なお声がけにも関わらずお集まり頂き誠にありがとうございます」

 

 だらだらと前口上を続けた後、ようやく本題に入ったのだが……。

 そいつがまぁ、トップアイドルにあるまじき内容だった。

 

 要約すると、三日前からシャオメイが突如辞めると言い出してきかなかったらしい。

 最初は冗談かとあしらっていたが、次々に仕事をすっぽかすわ、出たら出たでファンに暴言を吐くわで大変。

 辞めるにしても、なんとか『ラストコンサートで卒業』という形へ持っていき、綺麗に終わらせてやりたい。

 そう思った小太りのおっさん……セブンスプロの社長が説得を試みたが、それでも聞く耳持たず。

 もはや、どうしようもない。やむなく、こういった会見を開くに至った、というワケ。

 

 社長が必死に頭を下げ、記者の質問が飛び交うっつうこの状況で、シャオメイは俯いての終始無言――無視を徹底していやがる。

 その態度に、徐々に会場がヒートアップしていく。

 

「う~ん。シャオちゃんて、こんな恐いカンジの子だったっけ……」

「うんにゃ。クールでカッコいい子ってイメージやけど……。ちょっと様子がおかしいっちゃ」

「やっぱももちゃんもそう思う? どーしたんだろう。どっかお体悪いのかな」

 

 だよなぁ。子どもでも、さすがにこれはおかしいって思うよな。

 だって色々なアイドルが乱立している中でこいつはそのトップに君臨しているんだろ?

 それがこんな尻切れトンボなひでぇオチでいいのかよ。俺の世界だったら、ファンが暴動起こすレベルだぜ。

 まったく――何を考えているんだろうな、このシャオメイってヤツは。

 

「あ、ゆりっち。シャオっちが動いたっちゃ!」

 

 ももはの言うとおり、今まで頑なに下を向いていたシャオメイがゆっくりと顔を上げていく。

 

「ほんとだ! なんか言うのかも」

 

 慌てて音量を上げるチビ助。

 だが、その行為に反して音が段々と消えていくではないか。

 

「おーい、音なくなったぞ。ボタンの押し間違えかィ?」

「そ、そんなはずはないと思うけど――」

 

 シャオメイの顔が上がりきり、そして目が合う。

 

 え。

 

 目が合う……?

 

 その時だった。

 

「「!?」」

 

 ゾクっとする寒気。

 

 まるで心臓を掴まれたかのような息苦しさに襲われる。

 隣、ゆりなに目を向けるとそいつも苦しそうに胸を押さえている。

 こ、これは、この息苦しさは――なんだ?

 俺の視線に気づいたゆりなは、自分も何がなんだか分からないというように首を振る。

 

「ほわ? ふ、二人ともどうしたっちゃ?」

 

 口をパクパクと開閉していた俺たちにももはが不安げな声をかける。

 

「…………っ!!」

 

 答えようにも声が、出ねぇ。

 金縛り状態。

 体に喝を入れてくれるよう、チビ天に目配せをしようとするが、どうしても視線がシャオメイへと吸い込まれる。

 

(な、なんなんだ、この不快感は……)

 

 再びそいつと目が合う。

 

「ひっ!?」

 

 光という光を失った暗い瞳。

 死を孕んだソレに耐えられなくなった俺は、震える体を無理やり動かした。

 なんとかベッドから後ずさり、ヨロヨロと立ち上がることに成功する。

 こ、これでもうあいつの目を見なくて済む――

 

 だが。

 画面の向こうのシャオメイが再び顔を上げていく。

 まるで俺が見えているかのように。

 まるで俺を追っているかのように。

 

 ゆっくりと。

 そして、やがて。

 目が合う――

 微笑をたたえた唇の間でねっとりと舌が動き、その少女は何かを呟いた。

 

「       」 

 

 同時にクロエが毛を逆立てて威嚇をする。 

 こいつには聞こえたのかもしれない。

 音が消失しているため、俺には何て言ったのか分からなかったのだが。

 そんなことはもうどうでも良かった。

 何を言ったかなんて、そんなことは。

 ただただ、ひたすらに気味が悪りぃ。

 

 ゴクッ、と。

 恐怖で渇ききった喉を湿らせたとき、そいつは満足げに舌なめずりをした。

 その表情は、とてもひどく――美しかった。

 この世に生きるモノとは、思えない程に。



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第三十石:シャオメイって一体何者?

「なんなんだよ、あのガキは」

 

 部屋から抜け出した俺は洗面所に腰を落ち着かせていた。

 乱暴に顔を洗った後、鏡に映る未だに見慣れない少女にそう訊ねてみるが、そいつは疲弊した顔でただ息を荒げているだけだ。

 ちくしょう――まだ心臓がドクドクと波打ってやがる……。

 

「よぉ、シラガ娘。どうした? 顔が青いぞ」

 

 おどけた口調。

 鏡越しに視線を送ると、洗濯機の上にクロエが乗っかっていた。

 

「どうしたも何も……。あいつ――シャオメイってガキは一体何者なんでェい。あいつと目が合った瞬間、動けなくなっちまった」

「にっしっし。そりゃアレだ。恋、ってヤツかもしれねぇぞ?」

「茶化すなって。そんなんじゃなくてよォ……なんつったらいいんだ、ありゃあ」

 

 どう言えばいいのか分からん。 

 胸が締め付けられるあの奇妙な感覚――もちろん恋などではないのは確かだ。

 ならば――恐怖か? いや、違う。

 単なる恐怖かといえば、そうでもないような……。

 俺が説明に窮していると、

 

「……引かれているんだよ。お前たちは、あいつにな」

 

 黒猫が眉間にシワを寄せて言った。

 引かれているって――どういう意味だよ?

 

「シラガ娘がピースに選ばれた強力な魔法使いだという何よりの証拠ってワケだ、うん」

 

 んん……?

 

 それだけ言って満足げに顔を洗い出すクロエ。

 いやいや、端折りすぎだろ。俺はまだ魔法使いになったばかりのヨチヨチな赤ん坊なんだぜ。

 初めてで右も左も分からないんだ。もうちぃっとばっかし噛み砕いて言ってくれねぇと困るって。

 そんな俺の不満に、クロエがスッと目を逸らして、

 

「……初めてが、あれだけの魔法をとっさに思いつくかって」

 

 苛立つように呟いた。

 あれだけの魔法――『スノードロップ』、『アクアサーベル』、『エメラルドダスト』のことか。

 確かに今考えてみれば、どの魔法もとっさの案にしては上手くいきすぎたのかもしれない。

 そう。どれも、ちゃんとした形になり、それなりの力を発揮することが出来た。

 中でもエメラルドダストは最高傑作の威力だと言える。あのホバーに唯一、ダメージを与えられたしな。

 

 そういえば――前にもあれだけの魔法を初陣で閃いておきながら、とか言われたような。

 でも、あん時とはいささかにニュアンスが違うんだよなぁ。

 今回は、どうもトゲが含まれているというか。

 でも、初めてには違いないんだし……。褒められこそすれ、ムカつかれる筋合いはねぇぞ。

 俺がムッと口を尖らせている様子に気づいたのか、そいつは慌てたように肉球を振って、

 

「あっ、じゃなくって、初めてなのにあれだけの魔法をとっさに思いつくなんて、さすがシャクヤク様!

 そう言いたかったんだ。いやぁ、言いかた間違えちまったぜ、まいったまいった」

「……そんな間違い、あるかァ?」

「ん、んなことより、おめぇはあのシャオメイってヤツのことについて訊きたいんだろ? 説明してやんぜ、オレの知っている範囲でだけど」

 

 ごまをするような足の動き。

 なにやら、はぐらかされたような……。

 とりあえず俺らがシャオメイに引かれてるという理由を詳しく訊いてみる。

 

「それはだな、魔力を持つモノ同士は引かれ合うってことなんだ。それも、強力な魔力を持つモノ同士は、どんなに遠くに居ても相手を感じることが出来る」

 

 魔力を持つモノ同士――

 それは、すなわち。

 

「……あのガキは魔力を持っている、ということか?」

 

 クロエは深く頷いて、

 

「そして、あのヒゲにまとわりつくような不愉快な力――おそらく、アレは模魔じゃない。模魔ではありえない」

「模魔じゃないって……。そんなの見りゃあすぐに分かるじゃん。だって、普通の人間じゃねーか」

 

 俺の中で、模魔といえば真っ先にホバーが思い浮かぶ。

 巨大という言葉では物足りない程のハチドリ。 

 まったく。とてつもなく、どうしようもない。そんな化け物。

 そいつしか知らんが、他もきっとこんなヤツらだろう。

 そう思っていたのだが、

 

「模魔は、持つ能力によって様々な姿カタチをしているんだ。

 ホバーのように巨大なケモノ姿のヤツもいれば、コロ助のように小さい子どもみたいな見た目のヤツもいる。他にも色々なパターンがあるぜ」

 

 動物のような姿。

 人間のような姿。

 その他、色々なパターン……って、なんだよ。想像つかんぞ。

 眉を寄せていると、クロエがけらけら笑って、

 

「まぁ、それは遭ってからのお楽しみだぜ」

「出来れば遭いたくないんだけれども……」

「普通は、」

 

 すぐにそいつは真剣な表情に戻って、

 

「普通はな、魔力を持っているイコール模魔だとすぐに判断出来るんだよ」

「ん。ちょい待ち。えっと、もしかしたら『魔法関係者』かもしれないんじゃ?」

 

 話や説明書にチラホラ出てくる魔法関係者という言葉。

 どんな奴らか見たことないが、そいつらだって魔法関係者って名前なんだし。

 魔力を持っているなら、その人たちという可能性もあるんじゃないのか。

 

「いや、関係者といっても魔力は無いんだよ。俺たちの姿が見える、そして理解がある。だが、それまでだ。魔力までは持ち合わせていない」

 

 つまり?

 

「……これは、あくまで予想にすぎない話だが」

 

 回りくどいな。

 

「わかりましたんで、とりあえず言ってみてくんねぇか。その予想とやらを」

 

 しばらく躊躇うように白ヒゲをイジっていたクロエだったが、

 やがてため息をついて、こう言った。

 

「あのシャオメイは、お前たちと同じくピースに選ばれた『魔法使い』かもしれない」



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第三十一石:目が輝く現象ってなに?

 おおっ。

 もしかしたら、そうかもしれねぇなあって心のどこかで思ってたんだ。

 

 あいつが魔法使いってんなら、ゆりなと俺とあいつとで三人か。

 こりゃあ、いいねぇ。それなら思った以上に早く魔宝石を集められるな。

 案外一ヶ月もしないうちに全部集めて、気持ちよく帰ることが出来るのかもしれない。

 もちろんこのチビジャリ娘の呪いも解いてもらってさ。

 そう俺が浮かれていると、黒猫がポツリと、

 

「またアレが鬼か。なら、どうせ今回も……」

「ん? なんか言ったかィ?」

「別に、なんでもねーよ」

 

 そういえば、と。

 クロエが洗面台に飛び移って、俺を見上げる。

 赤い瞳。 

 

「シラガ娘は気にならないのか? ポニ子が、オレと同じような『赤い眼』になったコト」

 

 ……気にならないハズがない。

 あの赤いゆりなのカラクリは早めに知っておきたいところだ。

 

「へへ。興味津々ってな顔してるぜ。わかりやすいな、シラガ娘は。いいぜ。今ならコロ助もいないし、サクッと教えてやるぜ」

「サクッとでは困るのだけれども。あれはそんな簡単に説明出来ることなのかィ?」

 

 訊くと、突然そいつは耳をピンと押っ立てて後ろを振り向いた。

 

「どうしたんでェい?」

「い、いや……」

 

 なんだろう。

 コロ美でも警戒しているのだろうか、そいつは声をひそめて、

 

「教えてやる、あの状態は『裏・集束』ってヤツだ」

 

 ウラ・シュウソク?

 こりゃまたよくわからん名称だな。

 

「そうだ。俺ら霊獣の間ではアレを裏束と省略して呼んでいる」

「裏、と言うけれども。いやはや、それじゃあ表もあるということかィ?」

 

 俺のからかい気味な質問に、

 

「あるんだな、これが。表――というより、それはただの『集束』なんだが。もしかして、コロ助の眼が光ったところ見たことあるとか?」

「ああ。モチのロンだぜ。ええと、霊鳴を渡される前と風呂に入った時、あとは髪を乾かしてる時の三回だったな。たしか」

「はは……。たった一日で三回も集束してたのか。そこんところ、あめーなぁやっぱし。ま、しょうがねぇか」

 

 苦笑いのクロエ。

 

「あの目ん玉が光る不気味な現象が集束ってぇヤツなのか。なるほどねェ。で、それって一日に何回もしちゃあマズイわけ?」

「……マズイな。霊獣であるオレたちは自由自在に集束状態になることが出来るが、本来の発動方法とは異なるため、やればやるほど身体に障るんだ。

 三日に一回のペースならまだしも、一日に三回はさすがに無理がある。つっても、コロ助の場合ほとんど無意識のうちに集束しちまったんだろうが、」

「その発動方法って、どうやるんだ!?」

 

 集束。

 あの目が光る現象はおそらく魔力強化――パワーアップだろう。

 赤いゆりなの桁違いな雷撃魔法を見るに、それしか考えられん。

 

 あれを。

 あれを、自在に発動できれば、この俺だって……。

 そう前のめりになった俺に、

 

「まあ、そうくるだろうなぁ。でも、わりィがハッキリ言わせてもらうぜ……シラガ娘にゃ『集束』は無理だ。あきらめな」

 

 一蹴されてしまった。

 しかしながらと、俺は語気を荒げる。

 

「無理って……チビ助に出来たんだ、俺もやれるって。方法を教えてくれよ、やるだけやってみねぇと分からねぇだろ?」

 

 あいつに出来て、俺に出来ないハズはない。

 お前も言っていたじゃねーか。

 俺はピースに選ばれた強力な魔法使い、だって。

 

「ポニ子に出来たって、裏の方を言っているのか? それなら、もっと無理な話だぜ」

 

 なぜなら、とクロエが言い掛けたとき、

 

「にんっ! あ、しゃくっち、くろっちこんな所に居たっちゃ!」

 

 ももはが急に飛び込んできた。

 そいつはビックリしている黒猫を抱き上げて、

 

「きゃはっ。お別れの挨拶に来たっちゃ」

 

 頬ずりを始めた。

 

「そうか。短い出番だったな……。忘れないぜ、俺はお前のことを。閻魔さまによろしく言っておいてくれよ」

「勝手に殺すなっちゃ!」

 

 すかさずピコピコハンマーでツッコまれる。

 なかなか手馴れた動きだった。

 片手にクロエを抱いているのに、よくもまぁそんな機敏に動けるモンだ。

 感心ヅラの俺に、やれやれとチビ天が首を振る。

 

「はぁーあ。相変わらずワケわからんち。しゃくっちと話してると時間の無駄っちゃね」

 

 なんとも失礼なことを言って、俺に黒猫を押し付けやがった。

 おっとっと。

 クロを抱きなおしていると、ももはがヘンテコなポーズをとって、

 

「覚えてやがれ!」

 

 走り去ってしまった。

 いや、覚えてやがれって……何をだよ。

 きょとんとしている俺に、腕の中の毛むくじゃらが笑った。

 

「にっしし。ワケわからんのはお互い様って話だよな。なかなか良いコンビしてるぜ、おめぇら」

「……うるへー。にゃん畜生め」

 

 さてはて。

 部外者も帰ったことだし、話の続きはゆりなの部屋でゆっくりとしてもらおう。

 そう、そいつを抱っこしたまま洗面所を後にしようとしたとき、

 

「いってて!」

 

 急に爪を立てるもんだからたまらない。

 こんにゃろう、乙女の柔肌を傷つけやがってよォ。

 そんな文句でも言ってやろうかとそいつを眼前に持ってくると、

 

「この、気配――シラガ娘、感じないか?」

 

 一転、シリアスな口調に面食らっちまう。

 いきなり、気配を感じないかって言われましても。

 

「いいから目を閉じて、意識を集中させてみろ。おめぇほどの使い手なら、もう感じることが出来るハズだ」

「や、やってみますんで……」

 

 気圧された俺は、とりあえず言われたとおりにやってみる。

 ええと、目を閉じて意識を集中だっけか。

 集中。集中。

 しばらくすると、暗闇にポツポツとなにやらノイズのようなものが生まれてきた。

 それは瞬く間に増殖すると、まぶたの裏全体を埋め尽くす。

 

「おお、なんかテレビの砂嵐みたいなもんが出てきたぞ。すっげ。こりゃあ、たまげた」

「だぁら、意識を集中させろって言ってんだろ!」

 

 んな怒鳴らなくても。

 おとなしくそのノイズを眺めていると、ぼんやりと魚のような影が浮かび上がってきた。

 気配と言うけれども……。

 もしかして、このへっぽこなお魚さんのことを言ってんのかね?

 

「んー。感じるっつうか、見えたんだが……出てきたのはよくわからん魚だったぞ」

 

 化け物でも魑魅魍魎でもなく、ただの魚。

 それも漫画のようにデフォルメされた魚。

 他には何も出てこないぜ。

 

「さかなぁ?」

 

 素っ頓狂な声をあげるクロエ。

 

「さかなぁ」

 

 素っ頓狂な声で答える俺。

 てっきり、また怒鳴られるかと思っていたのだが、

 

「変だな。あんで、そこまで見えんだ……?」

 

 驚き顔だった。

 

「変って、そう仰られてもよ。見えちまったモンはしょうがあるめぇ」

「うーん、おかしいなあ。まぁ、見えたんなら別にそれでいいのか」

 

 どうもさっきから歯切れの悪い言い方をしやがる。

 俺とチビ天のことをワケ分からんコンビとして笑っていたが、

 こいつだって俺からしてみれば十二分にワケ分からんぞ。

 しきりに首を傾げているクロエに、俺は痺れを切らしてこう言ってみる。

 

「……恐縮だけれども、この魚ちゃんがなんなのか教えてくれよ。めんどくせぇから、ハッキリ頼むぜ」

 

 すると、そいつは俺のお望みどおりにやたらハッキリと、

 

「あぁ、その魚は『第八番模造魔宝石ダッシュ・ザ・アナナエル』を示しているんだ。そんでもって、」

 

 軽い調子でさらに続ける。

 

「もうすぐこの家にやって来るぜ」

「へ……?」

 

 この家にやって来る――って。

 え、どういうことだ。

 俺がクエスチョンマークを掲げようとしたその時――家のチャイムがピンポーンと鳴り響いた。



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第三十二石:ちっちゃな訪問者

 タイミングの良すぎる訪問者に、一歩後退。

 おいおい、マジか?

 身構えている俺に黒猫が声を落として、

 

「噂をすればなんとやら。早速おいでなすったようだ」

 

 早速にも程があるだろうが。

 ホバーとやりあってから、それほど経ってねぇってのに――

 こんなことになるなら俺もゆりなと一緒に寝ておけばよかったぜ。

 目をこすりながら心の中で愚痴っていると、再びのチャイム音。

 

「ど、どうしたもんだかねぇ」

「どうしたもんだかって、捕まえるに決まってんじゃねーか」

 

 いやまぁ、それはそうなんだけれども。

 まさか、直接この家に敵さんがやってくるなんて思ってもみなかったワケで。

 えーと。うーんと。

 とりあえず開けるべきか?

 いや、開けた途端ぶっ飛ばされる可能性があるよな。変身をしていないスッピン状態なんだし。

 

 ここはコロ美を呼んできて変身をしてから開けるか――

 よしっ、そうしよう。

 いったん部屋へ戻ろうとしたとき、後ろからパタパタとスリッパの音が聞こえてきた。

 

「はいはぁい。いま出ますですよ~っ」

 

 エプロン姿のゆりなのお姉さんだった。

 裾で手を拭きながら靴箱の上に置かれていたシャチハタの印鑑を取って、

 

「お待たせしましたですっ」

 

 ガチャリ。

 

「あっ……!」

 

 止める間もなく、あっさりと扉が開かれてしまったのだが……。

 そこに立っていたのは――体操服姿の小学生だった。

 おそらくゆりなより学年が下で、コロ美よりは上かなといった感じの女の子。

 額の赤いハチマキを見るに、体育の授業中なんだろうか。

 って、授業中だったらこんなところに来るわきゃねーか。

 

「まあ、あらあらまぁ。なんて……ああ、なんて可愛らしいのでしょう!

 もしかして、ゆっちゃんの新しいお友達さんなのでしょうか?」

 

 わきわきと手を動かしている様を見るに、きっと抱きしめたい衝動に駆られているのだろう。

 だが、そんな微笑み満開のお姉さんとは対照的に、そいつはツーンとそっぽを向いてしまった。

 

「はれっ? 違ったのでしょうか……。ではっ、しゃっちゃんちゃんのお友達さんですか?」

「い、いやァ、まったくもって知らねェ子です」

「それでは……。えっと、なんのご用なのでしょう?」

 

 中腰の姿勢でニコリと微笑むお姉さんに、今度は逆の方へそっぽを向くハチマキ娘。

 ふわっとしたカールの金髪を指でイジりつつ、生意気そうに口を尖らせていやがる。

 なんかムカつくガキんちょだな……。

 

「おいコラ、おチビさんよォ。用が無いんだったら、ピンポン押すなよな。いささかにメーワクなんだよっ」

 

 俺が言うと、そいつはブルマの中からメモ帳とマジックペンを取り出し、

 

『おまえ、ちんまい、あななと、おなじ』

 

 下手クソな字で書かれた文を俺に突き出した。

 

「な……っ! なんだとっ、こんガキゃあ」

 

 気色ばむ俺の肩に、お姉さんがなだめるように手を置いて、

 

「そんな言い方しちゃ、メッなのですよ。しゃっちゃんちゃんは、この子よりきっとお姉さんなのですから、優しく……ね?」

「う、うぅ。すみません」

 

 頷くしかあるめぇ。

 宿主には逆らえねぇし……かなり不服だけれども。

 一応、しゅんと肩を落としたポーズを取っていると、

 

「ああっ! わ、私ってばなんて偉そうなことを……っ!

 こんな良い子を叱ってしまうなんて、そんな資格ないのです。申し訳ないのですっ」

 

 急に抱きつかれてしまった。

 どーして、そこで抱きつくっつう結論に至るんだ、この人は。

 

「ちょ、あの、苦しいですってば」

 

 み、身動きが取れねぇ。

 例によって巨大な胸プレスに目を白黒させていると、俺たちの様子をバカにしたツラで見ていたハチマキ娘が再度メモ帳に何かを書き始めた。

 そして突き出されるメモ帳。

 

『さいふ、かりもの、きた』

「財布を借り物に来た、って書いてあんのか?」

「あ。もしかして、借り物競争に使うのではないのでしょうか?」

 

 そいつは一瞬目を泳がせたあと、首肯した。

 

「んな馬鹿な。そんな借り物あるかってぇの。ねぇ、お姉さ――」

 

 呆れた笑みを向けると、お姉さんはもぞもぞとスカートをまさぐって、

 

「はいっ。お財布なのです。これをお使いくださいっ!」

 

 差し出した途端、ムンズと掴んで、もの凄いスピードで走り去ってしまうハチマキ娘。

 そしてそれを笑顔で手を振りながら見送るお姉さん。

 …………。

 な、なんてお人好しなんだ。

 

「ちょっと! ずぇってェ、あいつ戻ってきませんよっ。ドロボーですって、ドロボー!」

 

 お姉さんは食って掛かる俺の唇に、そっと人差し指をあてがうと、

 

「大丈夫……。大丈夫なのですよ。あの子は良い子さん。運動会が終わったら、きっと返しにやってきますですっ。さ~て、洒掃薪水!」

 

 笑顔のまま踵を返して台所へ消えてしまった。 

 いやいやいや。

 なんで良い子と言い切れるんだって。どこにも良い子要素なんて含まれてなかったじゃねーか。

 むしろ悪い子要素の塊だったぜ。

 

「ちっ。追うぞ、シラガ娘!」

「んなの、言われなくったって!」

 

 命の次に大事な金をパクられたんだ。是が非でも取り返さなくちゃならねぇ。

 猫を抱きかかえたまま玄関を飛び出すと、はるか前方にそいつを発見した。

 もうあんなところまで……なんつー脚力をしてやがんだ。

 

「てやんでぇい、待ちやがれってんだ!」

 

 叫ぶと、ハチマキ娘はこちらを振り返って、あっかんべーをしやがった。

 む、ムッカつくぜ、ったく……。

 全力で追いかけてみるが、まったくもって距離が縮まらねェ。

 ガキんちょのスピードじゃねぇぞ、ありゃあ。

 何度目の曲がり角だろうか、そこを曲がろうとしたとき、急にそいつが立ち止まった。

 

「はぁ、はぁ……。つ、ついに観念しやがったか。手間かけさせやがって」

 

 さあ、大人しく財布を渡してもらおうかと続けようとした、その瞬間のことだ。

 そいつの赤いハチマキが黄金色に輝き、頭上に赤黒い光輪が出現する。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 あれよあれよという間に姿を変えるハチマキ娘。

 やがて――俺の目の前には黄金のサメが立ちはだかっていた。

 ホバーほどじゃないけれども、なんて大きさなんだ。

 

「このチビ、マジで模魔だったのか……」

「ああ。やっぱり、こいつは『ダッシュ・ザ・アナナエル』に違いないな。

 能力は『疾駆』で、ランクは確かEだったハズだ。捕まえりゃあ、ダッシュの力が手に入るぜ」

「へぇ。それはそれは、いささかに」

 

 ランクE……ね。

 ホバーがCだったから、それより二段階は弱い模魔ってことか。

 だったら、俺一人でもイケるかもしれねぇ――

 

「クロエ、わりぃけれども降りてくれ」

「おっ。シラガ娘ってば、やる気まんまんじゃねーか!」

「今回ばっかりはな。ゼニのためなら、えんやこらだ」

 

 それに、こいつの力――『疾駆』とやらも欲しいしな。

 器用に尾ビレで立っていたそいつは、空中へ舞い上がり、一鳴きする。

 ホバーよりもいくらか甲高い警報音――挑発のつもりだろうな。

 いっひっひ、おもしれぇ。すぐに吠え面かかせてやんぜ。

 

「変身する……っ! 来やがれっ、霊鳴ィイ!」



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第三十三石:黄金のサメだ!シャクヤクvsダッシュ

 空に手をかざすと、スカートのポッケから石が飛び出してきた。

 

「あっ。そっか、そういやポケットに入れてたんだっけか」

 

 恥ずかしさのあまり、ぽりぽりと頬をかいてしまう。

 ま、まぁ、こんなこともあるさね。

 

「とりあえず、起動、起動っとくりゃあ……試作型霊鳴石弐式、起動!」

 

 石を胸にあて、続けて叫ぶ。

 

「イグリネィション――!」

 

 あっという間に蒼杖へと変化したそれを、ブンブンと振り回し、

 

「行くぜぇええ! クロエぇ!」

 

 ラピスラズリに姿を変えたクロエを掴んで……掴んで、って、アレ?

 後ろを振り向くと、そこには困り顔の黒猫が一匹。

 猫は空中で腕を組みつつ俺に、

 

「あのさ……オレとは合体できねぇぞ。契約したモン同士じゃねーと変身は無理だぜ」

「そーいうことは、はやく言――」

 

 突然だった。

 右脇のカーブミラーが俺のつま先数センチ先へ倒れる。

 見ると、胸ビレを塀に突き刺したダッシュが笑っていやがった。いびつな牙をむき出しにして……。

 こ、こんちきしょうめ。

 

「変身さえ出来りゃあ、テメェなんざ恐くもなんとも――どわっ!」

 

 言ってる途中だってェのに、そいつは容赦なく胸ビレを振り下ろす。

 飛び退いてかわしたはいいが、勢い余ってズッコけてしまった。

 

「い、いててっ」

 

 巨大な影に、ハッと顔を上げると巨大なサメ――ダッシュが俺を見下ろしていた。

 鋭利な刃物のような胸ビレが、もう一度振り下ろされる。

 や、やべぇ……!

 金色の一閃に目をつぶる俺。

 

 なんて。

 なんて、あっけない終わり方だ。

 きっと、こんな小さい体なんざ、いとも簡単に引き裂かれてしまうんだろう。

 ま。一瞬で死ねるんなら、それも――

 そう覚悟していたのだが、待てども攻撃が繰り出される気配がない。

 

「…………?」

 

 そーっと目を開けてみると、そいつの胸ビレに黄緑色の氷柱が深々と突き刺さっているではないか。

 凄まじい鳴き声を発しながら、塀に打ち付けられた胸ビレを必死に抜こうとしているダッシュ。

 

「こ、これは……?」

「パパさん!!」

 

 上空から俺を呼ぶ声。

 見上げると、煌く羽をいっぱいに広げた巨大な蝶が舞っていた。

 ま、まさか。

 

「コロ美、なのか?」

 

 俺の問いには答えず、その怪獣は優雅に羽をはばたかせる。

 すると、その羽からエメラルド色の鱗粉が出てきた。

 いや、違うな。これは鱗粉というより、雪か?

 それは地上十メートルあたりに突如として現れた緑色に輝く巨大な魔法陣に飛び込むと、次々に氷柱へと姿を変えていく。

 

 そして――数多に広がったそれらは、ダッシュの体に容赦なく降り注いだ。

 うっひょお、なんてド迫力なんでしょ。って、俺もここにいたら巻き添えを食らっちまうんじゃねぇのか?

 ……こりゃあ面白がってる場合じゃねーな。

 そう、慌てて退こうとした俺の目の前に、

 

「否定。大丈夫なんです。パパさんのところだけ降らないように調節してあるんです」

 

 ゆっくりとツーサイドアップ園児が舞い降りた。

 そいつは後ろ姿のまま、

 

「……パパさん、お怪我はないですか?」

「おうっ、コロ美サマのおかげでこのとーり、ピンピンしてるぜ! いやー、それにしてもよォ。

 お前さんってば、本気出したら強ぇえのな。びっくりしちまったぜ。びっくりしたっていえば、あの姿だ。あれがコロ美の本当の姿なんだな」

 

 テンションがあがってしまい、つい饒舌に感動を語った俺に、

 

「強さは、否定。い、いつもは、こんなに力、出ないんです」

 

 苦しそうにコロ美が答えた。

 

「どうしたんでィ?」

「なんでもないんです。パパさん、それより今のうちなんです。変身、しちゃうのです」

 

 ダッシュを一瞥すると、苦しそうにのたうちまわっている。

 たしかに、捕獲するなら今しかねぇな……。

 そいつの脇に転がっていた霊鳴を拾いあげ、俺は背を向けたままのチビチビに言った。

 

「わかりましたんで。恐縮だけれども――変身すっぞ、コロ美っ!」

「肯定……!」 

 

 小さな蝶に戻り、それからすぐさま宝石へと姿を変えたチビチビを掴む。

 ん? なんかこの宝石、すげぇ熱くなってるな……。

 まあ。とにもかくにも、と。

 それを真上に放り投げて、俺は目を閉じた。

 

 大丈夫――きっと、今度も成功する。いや、成功させてやるっ!

 杖を掲げて、

 

「アイシクルパワーッ!」

 

 叫ぶ。

 

「チェインジ・エメラルド――ビーストォオオ、イン!!」

 

 魔宝石が割れ、破片が俺を取り囲む。

 すっぽんぽんにむかれ、やがて魔法陣から水流が噴出したのだが……これが熱いのなんのって。

 

「あ、あちちち!」

 

 ま、前に変身したときは、こんなに熱くなかったぞ。

 驚いていると、今度は薄緑色のパンツをはかされる――ハズだったのに、雪が舞い上がった。

 次々にコスチュームが現れていく様子に、どんどんと顔が青ざめる俺。

 

「えっ、あの。ちょい、待てって。パンツ、パンツの部分忘れてるぞコロ美!」

 

 言うと、腕に白いアームカバーが装着される。

 

「いやいやいや、コレとかいらねぇから、それよりもパンツ出してくれっ」

 

 だが、叫んでも梨のつぶて。

 どうやら、変身中は俺の声が届かないようだな。

 トホホ……。

 

 そうこうしているうちに、背中から蝶の羽が生まれ、すべての工程が終わる。

 とりあえず踏ん張って羽を起動させ、空高く飛び上がっておくが――

 やっぱり気になるもんで、ピラッとスカートをめくってみる。

 

「な、なんも無い」

 

 うう……俺は男だけれども、いささかにこれは恥ずかしいぜ。

 魔法を使ってパンツを出したいところだが、『水』や『氷』をどうアレンジすりゃあ出来上がるんだ。

 顔を真っ赤にしてスカートを押さえていると、

 

『パ、パパさん、ダッシュが逃げてるんです!』

「えっ!?」

 

 コロナの声に、慌ててダッシュの姿を探してみるが――どこを探しても見当たらない。

 あんな巨大な体躯を見失うなんて!

 

 こうなったら、飛びまわって探すしかねぇよな……。

 どうせ、今の俺の姿は誰の目にも映らないんだ。

 恥ずかしがってもいられねぇ、とっとと捕まえてやる!

 杖を肩に担ぐと、俺はダッシュを捜索するべく羽に魔力を注いだ。



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第三十四石:見た目に惑わされるな!

「どこ行きやがった、あんにゃろう」

 

 十五分ほど空を翔けて探してみたのだけれども――

 いない。

 探せども探せども見つからないのだ。

 あの巨体がだぜ? こんなちっぽけな町に隠れるところなんてあるとは思えないが。

 

 ふうむ。

 まさか、もっと遠くまで行っちまったとか?

 俺が空中であぐらをかきながら考え込んでいると、

 

『パパさん。ダッシュは傷を負ってるんです。そこまで遠くに行けるとは思えないのです』

 

 相も変わらず俺の心をサクッと読みとるチビチビ助。

 

「そりゃあ、まあそうだな……」

 

 そう返して、俺はさっきの光景を思い出す。

 本来の姿になったコロ美による容赦無しの氷柱マシンガン。

 全身に氷柱が刺さり、のたうちまわるアイツの姿は、傷を負ったというよりも――

 もはや、『致命傷』の領域だ。

 

 ホバーを事も無げに喰らったクロエに、

 ダッシュを平然と半殺しにしたコロナ。

 模造やら七大やら括りは違えども、同じパンドラの箱から飛び出した『石』だってぇのに。

 よくもまぁ、アッサリと傷つけられるもんだ。

 クロエ曰く、数百年ほど箱ん中で一緒に過ごしていたんだろ。普通に考えりゃあ、それって仲間――

 

『否定。模造魔宝石と七大魔宝石は仲間じゃないんです。まったくの、別物なのです』

 

 まァた、人の思考を勝手に読みやがって。

 

『ごめんなさい、なのです。でも、アレはコロナたちとは違う――違いすぎる石なんです。

 あんなお話の出来ない暴れん坊さんなんて、コロナと一緒じゃないのです。絶対に違うんです』

 

 拒絶。

 自分と模魔を同列として考えて欲しくない、そんな拒絶がハッキリと伝わってくる。

 いやはや。こういった話はとっとと切り上げたほうが良さそうだ。

 とは、思うのだが……。

 どうも引っかかる一点に、俺はつい訊いてしまった。

 

「あのよォ。お話の出来ないって言うけれども、さ。ホバーはともかく、ダッシュは会話通じたぞ?」

『ひ、否定。それはウソなんです』

「嘘じゃねぇって。まあ、実際のところ声を出した会話はしてないのだけれども、

 あいつ、メモ帳に文字を書いてたんだぜ。下手っぴで、しかも片言だが、一応読める日本語をさ」

 

 そう。

 クロエも模魔には心が無いとか言っていたが、ダッシュには心があるように思えるのだ。

 ちゃんと俺とお姉さんの言葉を理解し、文字を書いて返事をしたんだからな。

 どう考えても心があるだろ、あれは。

 

『あの大きなヒレで文字を書いたんですか? ありえないのです』

「違う違う。お前さんたちのような『仮の姿』ってぇヤツ。金髪ちんちくりんのハチマキ娘ってな人型の時に書いてたんだ」

『そんな、まさか……。パ、パパさん。お姉ちゃまは、その仮の姿のダッシュを見て、なんて言ってたんですか?』 

「ん。いや、別になんも言ってなかったと思うぞ」

 

 ダッシュがハチマキ娘からサメに戻ったときのリアクションを思い出してみるが、

 あの猫はそれが当たり前のように淡々と能力やランクについて語ってたぜ。

 

『そう、ですか』

 

 それっきり黙ってしまうコロ美。

 はて。こいつは、さっきから何を驚いているんだろう。

 もしかすると、あまり模魔について知らないのかもしれないな。チビチビだし。

 ま、俺もよく知らねぇケド、多分あいつらにも色んな種類があって、中には心があるヤツや仮の姿になれるヤツもいるとか、そんなオチだろ。

 

 って、待てよ。仮の姿……?

 もしかして、あいつ!

 羽に力を入れて浮き上がった俺に、

 

『ど、どうしたんですか、パパさん』

「おそらく、ダッシュは仮の姿に化けていやがる。あの巨大なサメ状態じゃなくて、ちっこいハチマキ娘にな。だから、いくら探しても見つからなかったんだ」

 

+ + +

 

 ほどなくして、そいつは見つかった。

 俺たちの居た町よりも一駅ほど遠くの商店街。

 

「ビンゴ。よくこの方法を思い出したな、コロ美」

 

 模魔の顔を思い浮かべて意識を集中させれば居場所がわかるかもしれない、というコロナのアドバイス。

 霊獣はおおよその気配察知くらいしか出来ないが、強力な魔法少女ならば、それが出来るかもっつうこって。

 ダメもとでやってみたら見事出来たってワケだ。

 

 ただし、条件としては『顔や姿を一度でも見たことがある模魔』であり、しかも正式な魔法使い状態でなければ出来ない――

 つまり、ゆりなのような簡易変身タイプでは不可能な捜索方法らしい。

 他にも簡易変身と正式変身との違いについてなんかベラベラと語っていたが、長ったらしいから全部忘れちまった。

 

『さっすがパパさん。飲み込み早いんです。凄いんです。これが出来る魔法使いさんはそういないんです。やんややんやっ』

「いっひっひ。そう褒めてくれるなよ」

 

 しかしながら、この探し方はいささかに体力を使うな。出来れば、あまり使いたくねぇところだぜ……。

 

 さてはて。

 これからどうしたもんだかと、改めてダッシュを見下ろす俺。

 そいつは、端の欠けたベンチにちょこんと座って、おなかを押さえていた。

 ちなみに、俺ら(というか見た目には俺一人か)は、見つからないように真正面にあるクレープ屋の屋根上にへばりついている。

 はぁ。甘い匂いに腹が鳴りまくりだぜ……。

 

『あの子が本当にダッシュなんですか? 確かに魔力は感じるですが……』

「マジだっての。あのチビが金ピカのサメに変身したところを、ちゃーんとこの目で見たんだぜ。

 それにしても、ずっと腹をさすってやがるが、どうしたのかね。やっぱコロ美の氷柱攻撃が効いてるのか?」

『多分、否定。模魔は丈夫なんです。少しぐらい傷ついてもへーキなのです』

 

 少しぐらい、か。

 そうは言うけれどもよ。

 体操服もブルマもハチマキもボロボロに引き裂かれちまってるじゃねぇか――

 

「なんだかなぁ……」

 

 呟いて、俺は肩をすくめる。

 サメのような姿だったら別になんとも思わないんだけれども、これはいささかにどうもね。

 

『周りの人、ダッシュを見てるんです』

「ホントだ」

 

 仮の姿だから見えているのだろう、周りの通行人たちがギョッとした目でそいつを見ている。

 そりゃそうだ。

 全身傷だらけの痛々しい姿をした小学生が一人でベンチに座っているんだ。

 誰でも驚くだろうし、不思議がるだろうよ。

 

 だが、驚き、不思議がるだけで誰もそいつに話しかけようとしない。

 遠巻きに見て、気の毒にねぇとヒソヒソ話をするおばちゃんや、

 まるで汚いモノでも見るかのような目で見ているサラリーマン。

 誰しもがハチマキ娘の座るベンチから距離をとって歩いている。

 

 そりゃ、そうだ――

 あんな面倒そうなガキんちょ、誰も関わりたくないというのが本音だろう。

 

『あ、パパさん、ダッシュが動き出したのです。見つかっちゃうんです』

「おっとと!」

 

 突然のコロナの声に、慌ててホフク後退する。

 少ししてから、そーっと顔を出してみると、なんとそいつはお姉さんの財布を開けていやがった。

 財布の中身と、正面のクレープ屋を交互に見るダッシュ。

 

『もしかして、お腹減ってるですかね?』

「あ、あのチビザメぇえ、他人様の金でテメェの腹を満たす気か! ふてぇヤロウだ!」

『わ。パパさん燃えてるんです』

 

 見た目に惑わされるところだったぜ。所詮、模魔は模魔だ。化け物相手に同情なんてするもんじゃねぇ。

 さっさとあの泥棒ザメをぶっ倒して、財布を取り戻す!

 俺は立ち上がって杖を構える。

 とりあえず、杖に『水付与』の呪文をかけとかねぇと。

 

「コロナが魂よ、我に翡翠の――」

「はわーっ! な、なんということでしょう……っ!」

 

 聞き覚えのある少々ズレた口調に、俺は驚いて呪文を止めた。

 げげっ、この声は……。

 屋根上に立ったまま見下ろしてみると、そこには予想通り――ゆりなのお姉さんが居た。



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第三十五石:ダッシュとゆりなのお姉さん

 彼女は腕に下げていた買い物袋を放り投げると、一目散にダッシュを抱きしめて、

 

「あわわわ。ど、どうしま……、あの、傷、傷が……っ! 事故、事故なのですかっ!? 交通という名の!」

 

 動転しているお姉さんを、冷ややかに見ているダッシュ。

 その後ろからゆりながひょこっと顔を出した。

 

「どーしたの、お姉ちゃん。その子、知ってる子?」

「さ、さっき、運動会の、借り物競争で、リレーアンカーの、トップアスリートさんなのですっ!」

「……ふぇ?」

 

 それから、しばらくして。

 そこには全身バンソウコウまみれのハチマキ娘が立っていた。

 戸惑いというか、なんとも言えない微妙なツラでお姉さんをジッと見つめている。

 

「応急処置程度ですが……。これで、一安心なのです。本当にもう痛くないですか? 病院、行かなくて大丈夫なのですか……?」

 

 こくり、と頷いたダッシュに、ホッと胸を撫で下ろす仕草をするお姉さん。

 

『あの方、やっぱり侮れないんです』

「ぶっ飛んでるよな……色々と。しっかし、危うく救急車を呼ばれるところだったぜ」

『ダッシュが止めてくれて良かったのです』

 

 メモ帳で必死に『あなな、へーき、よゆう』って書きまくってたからなぁ。

 とりあえず、ゆりなとコンタクトを取っておかねーと。

 俺は小声で杖に水付与を施すと、なるべく早口で、

 

「ぷゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷぅ。すいすい、『ミニスノードロップ』っ」

 

 唱えた途端、杖先から豆粒程度のガラス玉が生まれる。

 それをボーっと立っているゆりなの額へ目掛けて……撃つ。

 

「ふえっ!?」

 

 よっしゃ。ナイスコントロール。って、ちょいとばっかし強かったか?

 痛そうに額を押さえてしゃがみ込んでいるゆりなに、お姉さんが駆け寄る。

 

「こ、今度はゆっちゃんがっ! ど、ど、どうなってるのでしょう……!?」

「うう、大丈夫。平気だよお姉ちゃん。ちょっち目にゴミが入っただけだもん。えへへ」

 

 涙目で顔を上げたゆりなと、ふと目が合った。

 

「お、おいっす」

 

 と。片手をあげて再会のポーズをとった俺に、

 

「むーっ。やったなぁ~」

 

 ぷくーっと頬を膨らませるゆりな。

 そいつの指先に黒い電流が凄まじい勢いで集まっていく。

 あ、こりゃヤバイ。

 それを見た俺は慌てて首を振ると、そこのガキんちょが模魔だということを必死にジェスチャーで伝える。

 やがて、ようやく理解したゆりなが、

 

「ごめんね、お姉ちゃん! お友達と約束してたのすっかり忘れてたっ。先に帰ってもいい?」

「あらあら、約束はちゃんと守らないと、ですっ。行ってらっしゃいゆっちゃん」

「う、うん……ほんとに、ごめんね」

 

 そそくさと裏路地に消えていくチビ助。

 そしてすぐさま、空から杖に跨っての登場。

 

「にはは。しゃっちゃん、お待たせ」

「よう。中々にやってくれたじゃん」

 

 言って、わざとらしくコスチュームをはたく俺。

 ミニライトニングによる四つの小さな焦げ痕を見て、ゆりなが肩を落とす。

 

「ごめんなさい……。飛び魔法ごっこかと思って、つい電気飛ばしちゃった」

「別にいいって。俺のミニ飴ちゃんが強すぎたのがいけねーんだし」

 

 少し赤くなってるそいつの額をさすりながら言うと、

 

「えへへ。しゃっちゃんのお手て、ひんやりして気持ちイイ~」

「ま。『水と氷の魔法使い』だからな、一応。そういえばクロエは一緒じゃねえのか?」

 

 杖の起動はしているみたいだが、格好がコスチューム姿ではなくて、普通の洋服なのだ。

 

「えっ。クーちゃん見てないよ? しゃっちゃん達とお散歩にでも行っちゃったのかと思ってたよぅ」

「あれま。コロ美と合流するまでは一緒にいたんだけれども……。どこに行っちまったんだか」

「しょうがないや、ボクは変身無しで戦うよ」

「変身しないでも大丈夫なのか?」

「うん。魔法の威力は弱いし、防御力も全然なくなっちゃうってクーちゃんが言ってたけど、

 捕獲呪文はこのままの姿でも出せるから、しゃっちゃんは攻撃に専念できるよ」

 

 なるほどね。

 素のままだと攻撃力も防御力もガタ落ちってことか。

 

「わかった。俺がオフェンスをやる。チビ助はバックアップ後、状況によって捕獲準備をしてもらう」

「ほいっ、了解うけたまわりっ。えっと、それで――本当にあの子が模魔さんなの?」

「大マジさ。あいつは何番か忘れたが、ダッシュ・ザ・アナナエルっつう巨大な金ピカザメの模魔。

 見た目はガキだけれどもさ。確かランクはEで、ホバーよりも二段階ほど弱い、」

「でも……」

 

 と。

 ゆりなが俺のセリフを遮ってダッシュを見る。

 迷いの表情だった。

 

 メモ帳でお姉さんと『会話』しているハチマキ娘。

 お姉さんが心配をすれば、そいつは困ったようにペンを取る。

 その繰り返し。

 一見すると、ちょっと変な……いや、かなり変な子どもにみえるダッシュ。

 しかしながら――

 

「間違えるなよ。あいつは、模魔だ。ランクは低いかもしれねぇが、あいつを野放しにしているとこの街に被害が出る可能性がある」

 

 俺は続けて言った。

 

「それだけじゃない。あいつはその名のとおり足が速いんだ。ここを壊したら他の街へ移動して暴れるかもしれねぇ」

 

 だから。

 そうなる前にあいつを捕まえなければいけない。

 だから、

 捕まえるにはあいつを弱らせなければいけない。

 だから――

 弱らせるにはあいつを傷つけなければいけない。

 

「あ……っ。今、お腹の音が聞こえたのです」

 

 お姉さんが両手を叩いてダッシュのお腹に耳をあてる。

 

「やはり、鳴っているのですっ。もしかして、お腹が空いてしまわれたのでしょうか?」

 

 ペンを取ってメモ帳に書こうとしたダッシュだったが、どうやら紙が切れてしまったらしい。

 それを見たお姉さんは、にっこり微笑むと、

 

「ここにはたくさんのお店屋さんがあります。何か、食べたいものがあったら指差してみてくださいっ」

 

 本当は指をさすのはイケナイことなのですが、と付け足すお姉さん。

 ハチマキ娘は一瞬ためらった後、どうしても空腹に勝てないのだろうか、

 こちら――クレープ屋をおずおずと指差す。

 

「このクレープ屋さんで、味はイチゴ生クリームですね。はいっ、了承うけたまわりますっ」

 

 どこかで聞いたようなセリフを言ってお姉さんは第二の財布を取り出す。

 アホ面の鳥が一面にプリントされたがま口財布。

 それをカパッと開けて、お姉さんは固まった。

 

「は、はれ……っ? そういえば、さっきのお買い物でほとんど使い切ってしまったような……」

「そう、なのか?」

 

 俺が訊くと、隣のチビ助が「うん」と頷いて、

 

「今日はすき焼きパーティーをしようって、予備のお金ぜーんぶ使ってたもん」

「む、無茶をするなぁ、あのお姉さんは」

『わーい。すき焼きパーチー楽しみなんです』

 

 喜んでる場合かよ……。

 ともかく。財布を取り返さないと明日以降の飯が無くなっちまうことが判明したワケで。

 もう少ししたらお姉さんが立ち去るだろうから、そのときに奇襲をかけるとするか。

 先手必勝、ってね。杖を握る手に力が入る。

 

「窮余一策! こんなこともあろうかと……じゃじゃーんなのですっ!」

 

 取り出されたのは古そうなお守りだった。

 ダッシュが首を傾げて、俺も同時に首を傾げる。

 

「なんだありゃあ」

「あれは、お姉ちゃんがいつも大事に持ってるお守りだよっ」

「交通安全とか、そういうヤツ?」

「うーん。ボクもあんまり知らなかったり。肌身離さず持ってるからジックリ見たことないの」

 

 へえ。

 でも、そのお守りが、今この時において何の役に立つのだろうか。

 見ていると、お姉さんがお守りの中からクシャクシャの千円札を取り出して、

 

「少し、待っていてくださいねっ」

 

 と、クレープ屋さんの中に消えていった。ああ、そういうことだったのか。

 いささかに良い案だな。俺も、もしもの時用にお守りの一つでも買っておこうかねぇ。

 そんなことを考えていると、お姉さんがクレープを持って店から出てきた。

 それをダッシュに手渡し、

 

「遠慮なさらずに、どーぞ食べちゃってくださいっ。どんなお料理もそうですが、特にクレープは作りたてが一番美味しいのです」

 

 しばらくお姉さんを見上げていたハチマキ娘は、ごくりと喉を鳴らすと、クレープに食らいつた。

 あーあ、顔中クリームだらけにしちゃってまぁ。

 よっぽど腹が減っていたんだろうな。

 

「ボクもお腹ぺっこぺこ……」

『コロナも、なんです……』

 

 指をくわえて言うチビ助に、おそらくヨダレを垂らしながら言っているだろうチビチビ助。

 当然、俺だって腹ペコ状態だ。

 みんな、朝ごはん食ってねぇからなぁ。

 

『はぐはぐ、もぐもぐ、がつがつ!』

「あらあらまぁまぁ、ちっちゃなお口で一生懸命食べてるんです。かわいい、ああ、なんて可愛らしいのでしょう……っ!」

 

 クレープのCMオファーがきそうなほど美味そうに食うダッシュに、それを愛おしそうに見つめるお姉さん。

 あ。夢中で食っている隙に頭を撫で始めたぞ。

 

 ったく。

 そいつは化け物だというのに。

 そいつは敵だというのに……。

 目の前の微笑ましい光景に、小さくため息をついていると、

 

「――ねぇ、しゃっちゃん。捕まえるの、さ。食べ終わってからでもいいよね」

 

 ぼそりと辛そうに言うチビ助。

 

「あの食いっぷりだ。すぐに、食い終わっちまうだろ……」

「そっか。そう、だよね」

 

 まったく、こいつはどこまで甘いのだろうか。

 苦笑しつつ視線を戻すと、ダッシュが食べる手を止めていた。

 どうしたんだ? と思っていると、そいつの視線がゆっくりと上がって――

 

「……!?」

 

 ハチマキ娘と目が合う俺たち。

 次の瞬間、凄まじいスピードで逃げ出すダッシュ。

 しまった――気が抜けていたなんて、そんな言い訳をしている暇も無い。

 

「チィッ、跳躍する……っ! ゆりな、行くぞ!」

「う、うん」



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第三十六石:飛び出せっ、氷の鉄拳!

「クソッ! なんて、すばしっこいヤツだ」

 

 デパートの屋上に降り立つと、俺は霊鳴を強く握りしめた。

 何度も、何度も逃げられやがって。なにが選ばれし魔法使いだ。情けねぇ――

 こんなことなら食い終わるまでノンキに待ってねェで、とっとと魔法を撃っておけば良かったぜ。

 そんな焦燥に駆られている俺に、

 

『……さすがはダッシュの看板背負ってるだけあるんです。あのスピードに対抗するにはコロナの羽だと力不足なのです。パパさんは悪くないんです』

「…………」

 

 コロナの気遣いが胸に刺さる。

 確かにハチマキ娘の足の速さはとんでもないかもしれないが、それでも追いつけないほどではない。

 むしろ、追い越すくらいの力をチビチビ助の羽は持っている。

 実際、さっき一度だけ接近することに成功したからな。だけれども、また徐々に引き離されていった。

 

 その理由は――カーブ。

 直線速度ならば俺の方がおそらく、いや確実に速い。

 だがあいつはそれを知ってか知らでか、直線を嫌ってとにかく曲がりまくる。

 やっと飴ちゃんの射程距離内に入ったかと思えば、くるりと方向転換をして俺のスピードを殺しにかかる、といった具合だ。

 まあ、カーブの弱さについては今後の課題だな。今は飛びの練習してる時間もねぇし。

 

『あれ? そういえば旧魔法少女さんが居ないんです』

 

 チビチビの声に俺はちらりと振り返る。

 晴れ渡った青い空に、せっせと春の日差しとやらを生み出している太陽。

 チビ助どころか鳥の一匹すら飛んでいないという、なんともスッキリした風景だった。

 

「ま、あんだけ飛ばしたらついて来れねぇだろ。羽に魔力ぶち込みまくったしよォ。つーか、ついて来られたらいささかにショックだぜ」

『そでした。パパさんの羽と旧魔法少女さんの杖とでは、出るスピードが違ったんです』

 

 確かに羽と杖の差が一番デカイのかもしれねぇが……。

 あのフラフラした飛びっぷりを見るに、杖で飛ぶこと自体にあまり慣れていないように思える。

 とはいえ。あいつも魔法使いになったばかりらしいし、仕方ないっちゃ仕方ないか。

 しかしながら、このどピーカンな天気――悪くねぇな。こんな時じゃなければ、ゆっくり日向ぼっことシャレ込みたいところだけれども。

 

『肯定。気持ち良さそうなのです。パパさんと一緒に日向ぼっこしたいんです。旧魔法少女さんを待つあいだ、少しだけしちゃうのです』

「否定。また今度な」

『ぶぅ~っ』

「ブーたれてもダメなもんはダメだっつうの。ゆりなが来るまでに、ダッシュを見つけて少しでもダメージを与えておかねぇとよォ」

 

 そう。

 今のあいつは変身をしていない素の状態。

 攻撃力については俺がカバーするから別にいいとして、問題は防御力だ。

 体中を纏うオーラで防いでいるのかコスチューム自体で防いでるのかよく分からんが、どっちにしろ、それらの無い生身で攻撃を食らったらひとたまりもないだろう。

 たとえランクEのダッシュだとしても、だ。

 

 護れるなら護ってやりたいところだけれども――正直、その自信が無い。俺だって成り立てだし。

 ……出来ることなら、なるべく戦闘に参加させたくねぇ。

 理想としては俺が先に瀕死までおいやって、最後に到着したチビ助に捕獲を任せるって流れだな。

 

「コロ美、恐縮だけれども気配察知をしてみてくれ。大体で構わねェぜ」

『肯定。えっと……なんとなくダッシュの気配を感じるんです。きっとまだこの街に居ると思うのです』

「オーケイ。そんじゃ、もう一回アレをやってみっか」

 

 新魔法使い専用の捜索術。

 しんどいからあまりやりたくないんだけれども、そうも言ってられねぇ。

 目を閉じ、ダッシュのツラを思い出す。

 

 …………。

 現れたのは、顔いっぱいにクリームをつけて美味しそうにクレープをほおばるハチマキ娘――

 違う。

 違うって。

 あのチビガキは仮の姿であって、本当の姿じゃねぇんだよ。

 

 俺はブンブンと頭を振って、サメ状態のダッシュを思い出した。

 凶暴そうなツラに、不揃いに並ぶ歪なキバ。そして、鋭く冷たいウォーターブルーの目ん玉。

 

 まっ、こんなところだろ。そんじゃ意識集中っと。

 うーむ……。

 どうやら、前方には居ないようだな。するってぇと、こっちか?

 目を閉じたまま首を回してみると、暗闇の中に黄金色のモヤが出てきた。

 

 コレだ。

 いっひっひ。見つけたぜぇ、サメちゃんよォ。そして、このモヤのデカさ――かなり近くにいやがるな。

 今度こそ不意打ちをぶちかまして、

 

「……んんっ?」

『どうしたんですか?』

「いや、なんか、どんどんモヤがデカくなっていってるんだけれども……」

 

 不思議に思い、目を開けてみると、目の前が金ピカ一色に染まっているではないか。

 

「ま、まさか」

 

 おそるおそる見上げた先には――俺を静かに睨みつけている金色のサメ、ダッシュ!

 

「うおわっ!?」

 

 俺はすぐさま羽に魔力を注ぐと、後方へと羽ばたいた。

 ビ、ビビらせやがってよォ。

 速まる鼓動を落ち着かせるために、大きく深呼吸。続けて杖を持ち直す。

 水付与は――よし、まだ効いてるな。

 

 それにしても、と俺は微動だにしないダッシュへ目を向ける。

 なんで、あいつの方からやって来やがったんだ?

 逃げるのに飽きたのか、はたまた逆に不意打ちをかまそうとしたのか。

 いや、んなことゴチャゴチャ考えてたらまた逃げられちまうってェの。

 これはチャンスだ。四の五の言わずに攻撃あるのみってなモンで!

 

「恐縮だけれども、いかせてもらうぜっ! ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷぃい~ぷぅ!」

  

 一発目といったら、やっぱコレっきゃねぇ。

 

「すいすい、『スノードロップ』っ」

 

 杖からポコポコ飛び出す、無数の氷弾。

 よーし、当たってる当たってる。

 俺は飴マシンガンを出したまま、羽を広げて飛び上がり、

 

「いっひっひ。こいつもくらいなァ! 追加攻撃だっ、ぷゆゆんぷゆん、ぷいぷいー……」

 

 空いている左手をダッシュに向けて突き出す。

 ゆりながやっていたように、杖を持っていない手のほうでも魔法が出せるハズだ。

 俺だって。

 俺だって、やってみせる。

 

「ぷぅ!」

 

 前半の呪文を唱えた直後、俺のコブシ周りに流れていた緑色のオーラが、いっそう分厚くなる。

 いいねェ、実にいい。

 ニヤリと笑い、俺は力いっぱいコブシを握った。

 ますます分厚いオーラを宿した左手を、グンッと引いて、

 

「飛び出せぇええ、すいすい、『フリーズナックル』っ!!」

 

 後半の呪文と同時に正拳突きを繰り出す。

 すると、俺のコブシと同じ形をしたゼリー状の塊がプルンと現れた。

 そしてそれは瞬く間にダッシュへと突っ込んで……いかない!?



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第三十七石:余裕の勝利!?

「な、なにしてやがんだテメェ! 飛ぶんだよ、あいつに体当たりすんのっ」

 

 俺の怒声に、ぷゆゆっと怯えるように身を震わせるマスカットゼリー。

 そいつは空中で静止したまま一向に動こうとしやがらねぇ。

 ったく、ご主人様に反抗するたァ新米魔法のクセに良い度胸してやがるぜ。

 あーあ。かっちょよくロケットパンチみたいに飛ばす予定だったのによォ……。

 

『パパさん。こんな時はふーふー、なのです。後押ししてあげるんです』

「ふーふー、だぁ?」

 

 あ。

 そこで俺は思い出す。

 昨日のゆりなとコロナの一戦で、コロナが繰り出したあの魔法を。

 そうか、ふーふーってのは『氷の吐息』のことだな。

 

 ゼリーを維持するべく左手はそのままで、飴ちゃんもおろそかにしないよう右手に再度魔力を注ぐ。

 吐息、ね……出来るか分からねェが、両手が塞がってる今、それしか選択肢はなさそうだな。

 

「オーケイ、やってみますんで。んじゃ、いくぜぇええ……口から吹雪! すいすい『アイスブレス』っ」

 

 大きく息を吸い込み、そして限界まで達したところで一気にフゥーッと吐く。

 おお、すっげぇ、マジで出たぞ。

 氷の粒がちらほら混ざっているエメラルドグリーンの吐息。

 キラキラと輝いたそれは一瞬でフリーズナックルを凍らせ――勢い良く飛ばした。

 

「おっとっと」

 

 明後日の方向へ飛んでいこうとしたそいつを、左手をクイッと曲げて軌道修正。

 すると、曲げた方向にナックルが飛んでいくではないか。

 スノードロップに押され、身動きの取れないダッシュに容赦なくぶつかっていく凍ったマスカットゼリー。

 いやはや。さっきまであんなに怯えていたというのに、子どもの成長ってェのは早いもんだね。パパさん感激だ。

 

 それにしても、と俺はふと思う。

 左手の動きと同じようにナックルが動くってェことは――

 

「……これは、もしかすると、もしかするってねェ!」

 

 試しにシャドーボクシングよろしく左コブシを振ってみる。

 やはり思ったとおりだ。同じように氷ゼリーも動きやがる。

 やられるがままにヒレガードしているダッシュに、俺は確信の笑みを浮かべた。

 イケる……倒せるぞ!

 

「ウラウラウラウラーッ! どうした、どうしたァ!?」

 

 ジャブ、ジャブ、フックからのストレート。

 うっひょお、気持ち良いねぇ!

 やがてガードが崩れたそいつの土手っ腹に、

 

「恐縮だけれども、ここまでだね」

 

 トドメのボディブロウをかます。

 巨大ザメ、陥落。

 声も無く落下していくダッシュを見下ろして、俺は勝利の味を噛み締めていた。

 へへっ、変身さえ出来りゃあ、ザッとこんなもんよ。 

 

 おっ。今日一番の大将が戻ってきたな。

 俺の周りを楽しそうに飛び回るフリーズナックルを捕まえて、

 

「なんでぇい、褒めてほしいのかィ?」

 

 いつの間にか氷がとけていたそいつは、ぷるんと一回だけ震えて答える。

 おそらくイエスって意味だろーな。

 

「よしよし、良い子良い子。エライぞー、お前さんは」

 

 撫でてみると、ぶくぶくと沸騰する音を立てて、たちまち消えてしまった。

 

「あんれま。もしかしてノーって意味だったのか」

『否定。嬉しすぎて気化しちゃうくらい照れてしまったんです』

「ふうん。撫でられるのがそんなに嬉しいのかねェ?」

『それはもう! ご主人様に撫でてもらえるなんて、それ以上のご褒美はないんですっ』

 

 へー。

 じゃあ、あとで飴ちゃんも撫でておこうかね。機嫌悪くされちゃあ、一番困る魔法だし。

 しっかしながらよォ……。

 

「本当に想像次第でなんでも作れるんだから、スゲェよな魔法ってヤツァ」

 

 しみじみと言った俺に、

 

『……ほんとはありえないのです。成ったばかりなのに、ここまで色んな魔法を上手く編み出せるなんて。

 いくら新魔法少女さんと言えど、こんなのっておかしいんです』

 

 コロナが苦々しくつぶやく。

 むっ。なんだよ、こいつまでクロエみたいなこと言いやがって。

 

「ありえなくねーっての。俺はピースに選ばれた程の強力な魔法使いなんだろ? これくらい出来てトーゼンだぜ!」

『そうですね……』

 

 そんなやり取りをしていると、ゆりながやってきた。

 杖に跨って、ゼーゼーと息を切らしている。

 こりゃまた、ヒドい状態だな。俺はボサボサになっちまったそいつの髪形を整えながら笑って、

 

「よっ、遅かったなチビ助。わりぃが、スピード勝負は俺の勝ちってことで」

「はぁ、はぁ……。しゃっちゃん速すぎぃ。ボク、もうヘトへトだよぉ……。ちょっち休まないと、ま、魔法出せないかも」

「オーケイ。ノンビリ休んでもらって構わないぜ。どうせ、あとは捕獲するだけだからよ」

「ふぇ?」

「ほれっ、アレを見てみそ」

 

 交差点のど真ん中で気絶しているダッシュを指差すと、ゆりなが目を丸くした。

 

「しゃ、しゃっちゃん!」

 

 凄いね、チョーつおい最強じゃん! とセリフが続くと思い、したり顔でふんぞり返っていた俺にチビ助がこう叫んだ。

 

「油断しちゃダメっ」

「……へ?」

 

 どういうこっちゃ。

 倒れているであろう、そいつを見下ろしたその時、

 光の輪が高速回転する音と共に、ウォーターブルーの瞳が真紅に染まった。



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第三十八石:反撃の咆哮

 この現象、あのときのホバーとまったく一緒だ。

 ……いささかにマズイかもしれねーな。

 

「しゃっちゃん、ど、どうしよう」

「さぁて。どうしたモンだかねェ」

 

 お互いに顔を見合わせて、困っちゃいましたとばかりに眉を寄せる。

 そんな軽い問題でもないのだけれども。

 本当に――どうしたものだか。

 

「おそらくホバーみたいにムチャクチャな攻撃をしてくるだろうよ」

 

 対象の脳裏に『最期』の映像を叩きつける精神干渉波。

 魔力を吸い取るだけの攻撃だとはいえ、もうあんな不快な思いは二度とゴメンだ。

 こいつも同じ攻撃をするかどうか分からないが……用心するに越したことはない。

 

「でも、サメさんちょっちだけ苦しそうに見えるよ?」

「苦しそう、って」

 

 よく見てみると、高速回転していたハズの光輪が、錆びついた車輪のような鈍い動きになっていた。

 それに、紅く染まったモノアイも光をどんどんと失っている。

 

「ホントだ。こりゃあ、一体どうしちまったんだ?」

「ね。きっともう、戦う力が残って無いのかも」

 

 だから捕獲準備をしよう、そう言い出したゆりなに、

 

「いや。念には念を入れておいたほうがいい。もう少し弱らせておくぜ」

 

 言って、俺は杖を振りかざす。

 どうせ、気を抜いたところで背中を撃つか、はたまた逃げ出す魂胆だろうよ――そうはさせるかってぇの。

 

「ダストを使う。あぶねぇから、チビ助は下がってなァ」

「う、うん……」

 

 スィーっと、ゆりなが下がったところで、

 

「ぷ~ゆゆん、ぷゆん。ぷいぷい~」

 

 ぐっ。魔法を連発しすぎたせいか、頭に鋭い痛みが走る。

 しかしながら、それでも――!

 

「ぷぅっ!」

 

 俺しか。

 今まともに魔法を撃てるヤツは俺しかいないんだっての。

 

「てやんでぇいっ。こぉれで、どうだぁあ! すいすい、『エメラルドダスト』ッ!」

 

 霊鳴がピカッと光り、やがて幾つもの結晶がダッシュめがけて飛んでいく。

 自分で言うのもなんだが、やっぱスゲェ魔法だよなぁコレ。

 他とは雲泥の差。俺の中で一番の大魔法かも。発動に少しだけ時間がかかっちまうのが難点だけれども。

 

「へくちっ」

 

 見やると、ゆりなが手をこすり合わせてガタガタ震えていた。

 そんなにクシャミするほど寒いかねェ? って、俺と違って変身してないんだったな。

 生身でこの大魔法の近くは、いささかにキツイか。

 しゃあねぇ。なるべくそいつから離れようと羽を動かし始めたとき、

 

「痛ッ!」

 

 いってぇえ。さらに頭痛がヒドくなりやがった。

 魔法撃ちまくった上に、この大魔法――さすがに無理があったか。

 杖を振り上げたまま頭を押さえていると、ゆりながすっ飛んできた。

 そいつは、心配そうに俺の顔を覗き込んで、

 

「しゃっちゃん、だいじょう……ぶ、ぶ、ぶえぇっくしゅ!」

 

 フルパワーのクシャミをぶちかましやがった。

 

「こ、これはこれは。お前さんも水系の魔法が使えたとはねェ……知らなかったぜ」

 

 顔中ベトベトのまま言う俺に、

 

「きゃっ。ご、ごめんねっ」

 

 慌ててハンケチを取り出して拭うゆりな。

 ほぉ。こういうのちゃんと持ち歩いてるなんて、さすが現役小学生。エライエライ。

 そう感心していると、ピタリとそいつの手が止まった。

 

「迷惑かけっぱなしだね、ボク。変身出来ないし、しゃっちゃんに気を使わせちゃうし……」

 

 すかさずデコピン一つ。

 

「バーカ。そもそも、あのニャンちくしょうがどっか行っちまうからいけねーんだ。チビ助は悪くねぇっての」

「……えへへっ。しゃっちゃんって、やさし~よね」

 

 むっ。

 

「言っておくがなァ。俺は優しくねーし、別におめぇさんに気を使った覚えもねぇ! そこんところ間違えんなよっ」

「はーい、わかりましたんでっ」

 

 ったく。ケロッと元気になりやがってよォ。舌打ちをしつつ、杖を振って水切り。

 さてはて。やっこさんの様子は、と。

 あれまぁ……雪霧が濃すぎてよく見えねーな。ちと、大げさに撃ちすぎたか。

 つっても、エメラルドダストに限っては手加減のしようが無いからなぁ。どうしても魔力をたくさん使っちまう。

 ふぅむ。カテゴリ分けするなら、切り札ないしはトドメ枠ってところかね。

 

「しゃっちゃんの『エメラルドダスト』って、ちょー強くてキレイでカックいいよね! 

 いいなぁ。ボクもそういう魔法を使ってみたいよぅ。どがーんばごーんばりばり~っ、スペシャルライトニング! みたいなのっ」

「よく言うぜ。俺のダストより、もっとスゲー魔法使ってたじゃん。ほら、」

 

 と、言いかけて俺は口ごもる。

 もしかして、こいつ……ホバーを斃した時のこと覚えてなかったりして。

 別人のような赤いゆりな。クロエ曰く、『裏・集束』状態。

 その状態になっちまったことを覚えてないのだとしたら、軽はずみに言うのも――

 

「ふぇ。しゃっちゃん、もっと凄い魔法ってなぁに?」

「あー。いや、ちょっと勘違いしてたぜ。それより、そろそろ捕獲準備に入ってもらおうかね。おめぇさんが風邪ひかねェうちに、よ」

「残念でしたっ。ボク、バカだから風邪ひかないも~ん」

 

 にっこりブイサインを決めて、杖から飛び降りるチビ助。

 そして、そいつが屋上の端っこに立ち、捕獲呪文の詠唱を開始した瞬間――

 先ほどとは違うピリッとした頭痛と共に、モノクロの映像が俺の頭に入ってくる。

 

 これは。

 これは、なんだ?

 デパートの屋上。ドレスに身を包んだポニーテールの少女。その後ろに、ドレスの裾を掴んで震える長い髪の少女。

 それはまるで昔のサイレント映画のようだった。

 一体なんなのかと、訝しげにそれを観ていたが――

 次の映像が飛び込んできたと同時に、俺は無意識のうちに空を蹴っていた。

 

「避けろっ、ゆりな!!」

 

 叫んで、チビ助の襟首を強く引っ張る。

 

「えっ……きゃあ!」

 

 後方へとぶっ飛ばされたそいつを背に、俺はおそるおそる下を覗き込んだ。

 

「――なにも、起きない?」

 

 倒れたままピクリとも動かないダッシュ。

 それを確かめて、俺は安堵のため息をついた。

 

「な、なんでぇい。驚かせやがってよ……」

 

 ヘナヘナとその場に座り込んでいると、ぷんすこ怒ったゆりながやってきた。

 

「もーっ。しゃっちゃん、いきなり何するの! 変身したしゃっちゃんの力って、めっちゃんこ強いんだよっ」  

「ははっ、わりぃわりぃ。チビ助の背中見てたら、なんかムショーに引っ張ってみたくなってさァ。ま、気にしなさんなって」

「気にするもん! 今度、魔法中に引っ張りっこしたらカミナリチョップ百連発の刑っ」

 

 フツーに怖そうな刑だった。ていうか、引っ張っただけでその刑は重過ぎるだろ。

 ……まぁ、何も起こらなくて良かったぜ。

 もし、チビ助があの映像のようなことになっちまったらと思うと――

 ん? あの映像のようなことって、なんだっけ……。

 ありゃりゃ。さっぱり思い出せねぇぞ。こんなピチピチな若さでボケるハズがないと思うのだけれども。

 

『お考え中のところゴメンなのです。パパさん。ダッシュ、起きちゃったんです』

 

 顔を上げると、俺たちの目の前に巨大ザメが浮かんでいた。

 強面で俺を睨みつけるという、いつかと同じパターン。

 

「……あんれまぁ。寝起きサイアクって感じだねェ」

 

 ギョロギョロと左右行ったり来たりしている真紅の単眼。そして、激しく回転する光輪。

 あれだけエメラルドダストをぶちかましたというのに、こうもピンピンしているとは、ね。

 だが、と俺は発狂モードのダッシュに薄く笑う。

 

「ま。そう何度も、ビビってられるかってハナシ」

 

 また反撃出来ないくらいに、怒涛の連続魔法かましてやるぜ!

 杖をそいつの口の中に向けて、

 

「イライラしたときは、甘いお菓子ってね。ほぉれ、飴ちゃんでも喰いねェ! ぷ~ゆゆん、ぷゆんっ、ぷいぷいぷぅ。すいすい、『スノードロップ』!」 

 

 しかし、うんともすんとも言わない霊鳴。

 

「あ、あれ?」

 

 困惑していると、杖から大量の蒸気が噴きだした。

 

「試作型ちゃんよォ、どうしたんでィ? 恐縮だけれども、蒸気よりもスノードロップ出してもらえねぇかな」

 

 もしかして呪文を間違えたのかなと、もう一度魔法を唱えた直後。

 耳をつんざくような高音と共に、『error』やら『供給限界』、『充填希望』、『再起動迄残参拾秒』などの赤い文字が視界を埋め尽くした。

 ウソだろ。まさか、これって。

 慌てて柄先の宝石へ視線を移すと、中に入っていた水がキレイさっぱりと無くなっていた。

 

「れ、霊薬が切れた……!?」

 

 サーっと一瞬で血の気が引いていくのが分かる。

 やっちまった。

 なに調子に乗ってボコスカ魔法撃ちまくってんだよ、俺。

 チビ助が変身出来ない今、俺まで魔法使えなくなっちまったら、終わりだろうが。

 終わっちまうだろうが――

 

「ちくしょう……」

 

 唇を噛んでいると、突然、頭上から歪んだサイレンの音が鳴り響く。

 それは反撃を告げる咆哮だった。

 

「くっ!」

 

 ゆらりと近づき、口を大きく開けるダッシュ。

 まさかこいつ――俺を喰らう気か!?



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第三十九石:追いかけてアナナエル

「ま、待て待て。見てみろ、俺なんて骨と皮だけだぜ? 喰ってもウマくねぇって」

『…………』

「聞く耳持たず、ってヤツかィ」

 

 ダメだ。逃げようにも、こ、腰があがらねぇ。

 こうなったら、一か八かだ。

 

「弐式! 頼む、あと一回だけでいいから魔法を出してくれ……っ」

 

 そう霊鳴を握り締めてみるが、『霊薬残量無』『再起動不可能』『強制終了』と再び赤い警告画面が視界を覆う。

 そして、悲しげな終了音と共にただの石ころへと戻ってしまう霊鳴石。

 何度、起動を試みようとも光は失われたまま――完全に魔力が尽きた証拠だった。

 

「も、もう終わりだ……」

 

 観念するしかない、と。石を抱きしめてうな垂れた時、

 

「ううん、終わらせないよ」

 

 優しい声。

 力無く顔をあげると、俺の前にゆりなが立っていた。

 杖を両手持ちにしたそいつは、気丈にダッシュを睨みつけている。

 

「ダッシュちゃん。これ以上しゃっちゃんを恐がらせちゃ、メッだよ」

 

 一陣の風が、ゆりなの長い黒髪をふわりと舞い上げる。

 その後ろ姿を見上げ、俺は昨日のホバー戦を思い出していた。

 浮かび上がる髪。赤く発光する髪。

 そして、熱く燃ゆる髪へと段階を踏んだ後に繰り出されるは、あの残酷な魔法……。

 

 また、こいつに。

 また、あいつに。

 ……『赤いゆりな』に頼らないといけないのか。

 俺が不安げな視線を送っていると、不意にゆりながこちらを向いた。

 そしてニコっと微笑むと、再びダッシュへ向き直り、

 

「お腹が空いたんなら、しゃっちゃんの代わりにボクを食べて。でも、ボクを食べたらしゃっちゃんは見逃してあげてね」

「バ、バカヤロウッ、なんてこと言いやがるチビ助!」

 

 しかし、更にそいつは続ける。

 

「にはは。その前に、ちょっちだけ。ちょっちだけキミとお話ししたいなぁ、なーんちて」

 

 テヘヘと頭をかいて笑うゆりなに、激しく喉を鳴らすダッシュ。

 ハチマキ娘状態ならばまだしも、相手は本来の姿――それも発狂モードになっちまってんだ。

 もはや、話しをしたいなんてそんな悠長な事を言ってられる状況じゃねェって。

 いや、もしかしたら油断したところで全力の魔法をぶちかますって思惑かもしれないが……。

 

「あ、ごめんね。この杖、恐いよね」

 

 言って霊冥を足元に置くチビ助。

 おいおい。まさか、マジで説得するつもりなのか?

 

「ほら。これでもう恐くないよっ」

 

 手をパタパタ振って、笑顔満開。 

 対するダッシュは、好機だとばかりにニヤリと口角を上げ、ゆりなの頭を喰らおうと巨大な口を開ける。

 

「ひっ!」

 

 も、もう見てられねェ……!

 目を背けようとした次の瞬間、

 

「大丈夫――恐くないよ。もう、大丈夫。キミを傷つける人はココにいないよ」

 

 その声にハッと動きを止める巨大ザメ。

 真紅へと染まりきっていた単眼が明滅を始め、頭上の光輪もそれに伴い回転速度を落としていく。

 やや身を退いたダッシュに、ゆりなは笑顔のまま両手を差し出した。

 

「不思議に思ってたんだ。どうしてキミはボク達に攻撃をしないんだろうって。いつでも攻撃できるチャンスがあったのに、キミは威嚇だけで何もしてこなかった……」

 

 その言葉に俺は驚いた。

 こいつが攻撃をしなかったって、そんなバカな。

 俺は何度も殺されかけたぞ……いや、待てよ。

 そういえばと、ダッシュの行動を思い出してみる。

 

 最初追いかけたとき、俺を直接攻撃せずに、わざわざカーブミラーを壊してビビらせていたような。

 その次のヒレ攻撃もコロ美に助けられはしたが、もしかしたら初めから外すつもりでいたのかもしれない。

 そして、模魔を探す捜索術をしていた際になぜか近づいてきたダッシュだ。

 あいつは俺を睨みつけるだけで微動だにせず、繰り出される魔法をただひたすらに防御するだけだった。

 反撃をしないで、ジッと俺の魔法を耐えるダッシュ――

 

「……さっき、ダッシュちゃんが怒ったとき、さ。苦しそうにしてたよね」

 

 動揺しているのだろうか、明滅するモノアイが右へとスライドする。

 

「きっと。それってきっと、もしかしてボク達を傷つけたくないのかなって。怒っちゃうのを我慢していたのかなって。

 えへへっ、都合が良い事を言っちゃってるのかもしれないけど、全然違うのかもしれないけど、」

 

 でもね、とゆりなは笑顔のまま。

 

「模魔ちゃんとでもお話しが出来るのなら、言葉が通じるのなら。可能性が、少しでもあるのなら……」

 

 ゆっくりと――

 

「ボクはキミを信じたいから。キミの優しさをムダにしたくないから」

 

 その時だった。

 ダッシュの赤黒い光輪が一瞬にして青白く染まっていく。

 明滅していた瞳も、元の色へと戻り、そして――

 

『ごめん、なさい。あなな、あななは……』

 

 ハチマキ娘へと姿を変えたダッシュがそこに立っていた。

 ぽろぽろと大粒の涙を流して、体操服の裾をギュッと握っている。

 

「うん、大丈夫。解ってるよ」

 

 言ってアナナエルを抱きしめるゆりな。

 よしよしと、ボサボサになった金髪を撫でて、

 

「にゃははっ。ダッシュちゃんの声、めっちゃんこプリチーじゃんっ! もったいないよぅ、喋らないなんて。ね、しゃっちゃんもそう思うでしょ?」

 

 えっ!

 いや、そんな急に振られましても。

 目の前の展開についていくのがやっとだった俺は、つい慌てて、

 

「お、おう。つーか、声が出せるんなら最初から出せばよかったじゃねーか。メモ帳なんて面倒なモン使わないでさァ」

 

 刺激するような事を言ってしまった。

 な、なに言ってんだ俺は。またブチ切れたらどうすんだよ……。今度こそ本当に喰われちまうかもしれねェってのに。

 だが、俺のそんな心配をよそに、

 

『はじめて、こえ、でたの』

 

 ハチマキ娘はビクビクと答えた。

 

「そ、そうだったのか」

 

 言った直後、すぐさまゆりなの腕の中へと顔をうずめるダッシュ。

 

「……どうしたんでェい。あんなに小生意気だったのに、しおらしくなっちまってさァ。お前さんらしくないぞ」

『ごめん、なさい』

「いや、別に謝ることじゃあないんだけれども。むしろそっちのほうが良い、みたいな」

『…………』

「…………」

 

 気まずい沈黙がお互いの間に流れる。

 ううっ。なにやら、どうも。これは何と言ったらいいものか。

 アレだな。俺、スゲェ嫌われちまったみたいだな。

 

 それにしても。

 さっきまでビクビクしていたのはこっちの方だったのに、いつの間に形勢逆転しちまったんだか。

 いや――形勢逆転も何も、最初からこいつは俺たちとやりあう気がなかったんだよな。

 こいつは、ただ単純に俺から逃げていただけ……。

 ん?

 

「そういえば、あの時どうして俺に近づいてきたんだ?」

 

 ふと気になった俺は訊ねてみる。

 たしか、捜索術を試みたあの時だけは、逃げずに俺のもとへ近づいてきたような。

 攻撃をする為ではないとすれば、一体なんのために?

 

『こ、これ』

 

 そう言ってハチマキ娘が差し出したのは財布だった。

 

「あっ」

 

 すっかり忘れてた。そういや、財布を盗まれたから追いかけてたんだっけか。

 と。そんなことをぼんやりと思ってから、気付いた。

 俺がしたことを。してしまったことを。

 

「……もしかして、あの時俺に近づいてきたのは、この財布を返すためだったのか?」

 

 コクリ、と小さく頷くダッシュ。

 

「しゃっちゃん……」

 

 ゆりなの俺を呼ぶ声。

 いつもと同じトーンのハズなのに、どうしてだろうか俺を責めているように聞こえる。

 違う。責めているのはゆりなじゃない、俺自身だ。

 だから、そう聞こえたんだ――

 

「すまねぇ!」

 

 俺はダッシュに頭を下げた。

 

「そうとは知らずに、魔法撃ちまくってすまんっ! 痛い思いさせてすまんっ!」

 

 ひたすら謝った。

 あの時すでにダッシュは心を入れ替えていたというのに。

 気付いてやれなかったなんて――情けねェ。

 数分前の調子こいてた自分を殴ってやりたい気分だ……。

 

『……おまえさん、らしくないし』

 

 ポンッと頭に手を置かれる。

 見上げると、ハチマキ娘の顔が目の前にあった。

 俺と目が合うと、そいつは顔を真っ赤にして、

 

『悪いの、あなな、だし。おまえさん、悪くないし』

 

 でも、ちょっと痛かったかも……だけど、と付け加えてそっぽを向く。

 

「へへっ、ちょっととは言ってくれるじゃん」

『じゃあ、へーき、よゆう。蚊に刺されたてーど』

「そ、そこまで言うかァ!?」

『ふんっ』

 

 腕を組んでもう一度そっぽを向きやがった。

 こいつ、また生意気になりやがって!

 しかも今度は口が利けるようになったからか、生意気レベルが数段上がってる気がするぜ。

 こんにゃろう……。

 俺がコブシをわなわなと震わせていると、

 

『だから、気にしないで、いいし』

 

 言ってさらに顔を赤らめる。

 気のせいか、そいつの頭から汗が飛びまくってるように見えるのだけれども。 

 

「…………」

『…………』

 

 再び飛び交う三点リーダ。

 だが先ほどとは違い、気まずい沈黙ではなかった。

 気まずいというより、気恥ずかしい。略して気はずいというような。

 そんな沈黙をひとしきり飛ばしあった後、俺たちはお互い笑った。はにかむように。

 

「でへへー。二人とも、可愛いにゃあ」

「!?」

 

 出し抜けに声をかけられ、慌てて視線を逸らす俺たち。

 

「むふふ。顔まっかっか。つんつんつーん」

 

 とろけるような顔をして、俺とダッシュの頬を交互に突きはじめるチビ助。

 

「か、からかうんじゃねェ」

『あうぅ』

 

 やがて突くのに満足したのか、そいつはふと真面目な口調で、

 

「でもさ、ダッシュちゃん。本当にそれでいいのかな?」

 

 と言った。

 

『え……?』

 

 振り向いたハチマキ娘を、まっすぐに見つめて、

 

「たしかに、ボクらにお財布を返せばお姉ちゃんに届くのかもしれないけど。それで、いいと思う?」

『…………』

「キミの手から直接返した方がお姉ちゃん喜ぶと思うなぁ」

『…………』

 

 うつむいたまま黙ってしまう金髪娘に、ゆりなは少し寂しそうに、

 

「困らせるようなこと言っちゃってごめんね。にはは。だいじょーぶだよっ。ボクらが、ちゃんとお姉ちゃんに返すから、」

 

 言い掛けて、止まる。

 ダッシュがチビ助のスカートを引っ張ったからだ。

 そして、ハチマキ娘は言った。

 

『あななが返す。あなな、あの人にもう一度会いたいから。会って謝りたいから……』

 

 そう、ハッキリとした口調で。



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第四十石:弐式とダッシュ

 駅前のベンチ。

 そこに、買い物袋を置いて途方に暮れている儚げな美少女がいた――ていうか、ゆりなのお姉さんだった。

 彼女は柏と書かれた駅の看板を見上げて、

 

「どうしましょう……。お金、全部使っちゃいました。うう、またまた電車賃のこと忘れてましたぁ。これで三十八回目です……っ」

 

 泣きそうだった。いや、すでに泣いていた。

 どんよりと不幸オーラを放っているお姉さんを物陰からこっそり見ていたのだが――いよいよ忍びなくなってきたぞ。

 なので、

 

「さてはて、やっこさん泣いちまいましたが、どうするんでェい。いつまでもウジウジしてたら、日が暮れちまうぜ」

 

 俺の背中に隠れている鮫娘に言ってみるが、そいつは羽を掴んだまま石のように動かない。

 つーか、羽にも痛覚があるもんで……。そんなに強く握られると、いささかに痛いのだけれども。

 

「ダッシュちゃん、しんこきゅー、しんこきゅー。ひっひ、ふぅ」

「それ深呼吸じゃなくてラマーズ法だっての。大体、そんなコトしたって無駄なの。行くなら、さっさと行く! 鮫らしくねぇぞ。がぶっといけ、がぶっとよォ」

『うっ。さ、鮫は本当はそんなに凶暴じゃないし、誤解だし。人間の勝手な思い込みだし』

「あーそう。ほれ、だしだし言ってねーで、行った行った」

『あにゃっ!』

 

 ブルマをグイッと押すと、そいつは前につんのめって――

 

「わわ……っ!?」

 

 お姉さんの胸元へ激しいダイブをかました。

 きょとんと見つめ合う二人。

 そしてすぐに、

 

「お元気そうでなによりですっ!」

 

 ダッシュを抱きしめた。

 さっきまでのどんより雲はどこへやら、晴れやかないつものお姉さんに戻っていた。

 やれやれ……。どうにかこうにか、収まるところに収まったようで。

 

「もー。しゃっちゃん、乱暴は良くないよぅ」

「いっひっひ。優しいだけじゃあダメなの。ときには強引にでも背中を押してやらねーと」

 

 まあ、押したのはケツだけれども。

 

「ふわあ。なんだか、しゃっちゃんってお父さんみたい」

「失礼なことを言ってくれるぜ。俺ァ、まだ十四歳なのによォ」

「えっ、そうだったの!?」

「そうだったのって……。あれ。言ってなかったけか?

 見た目はこんなんだけれども、中身は中学二年生の男だぜ」

 

 おかしいな。前にちゃんと言ったような覚えがあるのだが――勘違いだったか。

 

「男の子で年上だっていうのは知ってたけど、そんなに離れてたなんてビックリ。えっと、ボクが九歳だから……い、五つも離れてる!」

「うん、そーなるな」

「じゃあ、しゃっちゃんさんって呼んだほうがいいかな……。あっ、じゃなかった。いいでしょうか?」

 

 すかさずデコピン、そしてチョップの追加攻撃。

 

「ふ、ふえぇえっ!?」

 

 二連続コンボの点数を稼いだ俺は、涙目で頭を押さえてるチビ助に向かって、

 

「今度、そんなめんどくせェ呼び方したらコオリビンタ百連発の刑な」

「フツーに怖そうな刑だよっ!」

 

 デジャヴ。しかも、かなり最近の。

 

「いいじゃん、カミナリチョップは俺の弱点属性なんだぞ。チビ助はどうせ氷の耐性もってるんだから喰らってもそんなに痛くないって」

「耐性もってないよっ、等倍ダメージだもん!」

 

 なかなかのツッコミだった。

 そんなお冠状態のゆりなに、俺はついつい笑ってしまう。

 

「そうそう。そんなカンジで今まで通り、一つよろしく頼むぜ」

 

 と、握手よろしく右手を差し出してみる。

 

「えっ、あ。うん……。こ、こちらこそ」

 

 すかさず握り返してきた。

 しかも、なぜか両手で。

 

『おまえさんたち、なにしてる?』

 

 ひょこっと現れたのはダッシュだった。

 不思議そうに俺たちの手元を見ている。

 

「なにって見りゃあ分かるだろ」

「えへへーっ。見れば分かるよねっ」

「お手のしつけだよ。このペット、どうも覚えが悪くて困る」

「がーん!! ボク、いつの間にペットになったの!?」

『……?』

 

 まあ、チビ助で遊ぶのはこれくらいにして。

 とりあえず、クエスチョンマークを出しているそいつに訊いてみることにした。

 

「んで、ちゃんと財布は返してきたのかィ?」

『うんっ。それでね、これもらったの。良い子さんのあななに、プレゼントって』

 

 ブルマの中から自慢げに取り出したのは、新品のメモ帳だった。

 

「あ、ダッシュちゃんのメモ帳無くなったんだもんね」

「ス、スゲー分厚いメモ帳だな、オイ」

 

 しかも、所々金箔が貼ってあるし。こりゃあ結構な値段しただろうな。

 いやはや、まったく。こんなもん買うから電車賃が無くなるんだっつうのに……。

 あの人は本当に――

 

『暖かい、人……』

 

 メモ帳を宝物のようにギュッと抱きしめて涙を浮かべるダッシュ。

 俺とゆりなは顔を見合わせ、

 

「そうだよね」

 

 と同時に表情を緩める。

 そして。

 

『あななは……』

 

 ハチマキ娘は呟いて、俺たちを見上げた。

 ……意を決した眼差しで。

 

『あななは、もう逃げない。捕まえて』

「本当に、それでいいの? もう自由にお空を飛べないかもしれないよ?」

 

 ゆりなの問いに、首肯するダッシュ。

 

『あなな、へーき、よゆう。今日、いっぱい運動会した。それに、」

 

 ふわりと金髪を風になびかせて、俺の方へ向くと、

 

『おまえさんの、チカラ、なりたいから』

 

 言った。

 俺に向かって言った。確実に。

 

「にはは。フラれちった」

 

 まいったまいったと頭をかくゆりな。

 

「ええぇっ!? チビ助じゃなくて、俺んところに来んの?」

『イヤか……?』

「い、イヤじゃないけれども! なんでまた、ゆりなじゃなくて俺なんだ。散々ヒデェ目にあわせたっつうのによォ」

 

 しかし、そいつは無言のまま俺の前にひざまずく。

 さっさとしろと言いたげに地面を指でトントン叩きながら。

 

「どういうこったァ……?」

 

 うーむ。

 どうも腑に落ちないが、とりあえず目を閉じて――俺は意識を集中させた。

 

「えっと。それで、捕獲呪文ってどーすりゃあいいんだ?」

「あ、そっか。初めてなんだっけ。アイスウォーターちゃんと契約したときの呪文って覚えてる?」

「なんとなく覚えてるよーな」

「それとおんなじだよ。模魔ちゃんの体力や魔力が残り少ないときか、

 模魔ちゃんがこの魔法使いさんだったら仕えてもいいって判断すると、捕獲呪文が成立するの」

 

 ということは、この場合、ダッシュが俺に仕えてもいいって判断したから捕獲が成立する、と。

 なるほどね。ま、とにもかくにも。

 俺は喉を湿らせると、呪文を唱えた。

 

「――我は命ずる。我に忠誠を誓い、真の力を全て我に宿せ」

 

 コロ美のときと同じく、足元に緑色の魔法陣が出現する。

 胸の中が熱くなり始めたところで、

 

『――我は誓う。主に我の全てを捧げんことを。その力、『疾駆』を与えん』

 

 ダッシュが俺の手の甲に口付けをすると、魔法陣から冷たい風が流れ出した。

 そして胸の熱さが足へと移動し、魔法陣がゆっくりと消滅していく。

 

「ん。これで捕獲は終わりかィ」

 

 土だらけになった膝をぽんぽん叩いているハチマキ娘に訊いてみると、

 

『おわり。これであななのチカラおまえさんの足に宿った。いつでも足、速くなる。あなな呼べば、もっと速くなる』

 

 答えた直後、小さな鮫へ変身、そして一回転。

 黄金の宝石が埋め込まれた指輪へと姿を変えるダッシュ。

 光り輝くそれをアホ面で見つめていると、隣に立っているゆりなが説明を始めた。

 

「その指輪をはめていれば模魔ちゃんの力の一部がもらえるんだよ。でも、それだけだとあんまりパワーが無いの。もっと模魔ちゃんの力――ダッシュちゃんだったら『疾駆』だっけ。その力を百パーセント使いたかったら召喚するんだよっ」

 

 ほー。なかなか面白いシステムじゃねぇか。

 

「んで、召喚のやり方ってどうやるんだ? 長い呪文が必要なら、帰ってから聞くけれども」

「んーん。かんたん、かんたん。呼び出したい模魔ちゃんの名前を呼んで、その指輪にキスするの」

「接吻、ね……」

 

 これまた恥ずかしい召喚方法なこって。

 ま、人間状態じゃなくて宝石に接吻するなら、そんなに抵抗は無いが。

 物は試しだ。さっそくやってみるとするかねェ。

 俺は目の前に浮かんでいるそれを掴んで、右手の小指にはめた。

 そんでもって、

 

「出て来やがれっ、ダッシュ・ザ・アナナエル!!」

 

 強くキスをする。

 

「!?」

 

 途端、目の前が真っ暗になり、また妙な映像が流れ込んできた。

 それはモノクロじゃなく、カラーだったのだけれども……。

 現れた人物に、俺は驚いた。

 

「こいつ、もしかしてハチマキ娘……なのか?」

 

 暗い迷宮のような空間をひたすら走っているダッシュが映し出されていた。

 髪はかなり長いが、水色の目といい、顔のつくりといい、間違いない……こいつはダッシュだ。

 まぁ、ダッシュの石なんだし、こいつが出てくるのはそれはそれで当然なのかもしれない。

 もしかしたら、召喚するのに一々映像を見なきゃいけない、なんてヘンテコなオチもありうる。

 しかし。

 しかしながら、これは――

 

「なんだ、こりゃ。どうして、ダッシュがゆりなと同じコスチュームを着ているんだ……?」

 

 そう。

 そいつは変身したゆりなとまったく同じドレスを着ていたのだ。

 いや、まったく同じとは言えないか。ゆりなは黒を基調としたドレスだが、ダッシュの場合、黄を基調としている。

 だが、違うのはそれだけだった。ネクタイも、スカートに描かれてる模様も、稲妻型のイヤリングも全てゆりなと一緒……。

 ダッシュの手元を見て、俺はさらに喫驚する。

 なぜなら、蒼杖が握られていたからだ。それは、どう見ても俺の霊鳴石――弐式だった。

 

「っちゃん……。しゃっちゃん!」

「んあっ?」

 

 呼び起こされてボーっと顔をあげる。

 心配そうに俺を覗き込むゆりな。

 そして、同じく心配そうな……ダッシュ。

 しばらく額を押さえて頭の中を整理した後、俺はそいつのツラをしげしげと眺めた。

 

「やっぱり、同じ顔だ」

『おまえさん、なんの話、してる?』

「いや、別になんでもねぇ……」

 

 言って立ち上がったその時、イタズラな風が俺のスカートをめくりあげた。

 ひらり。

 ボンッと大きな音を立てて顔を真っ赤にするゆりな。

 

「きゃっ! しゃ、しゃっちゃんてばっ」 

「ん? どうしたんでェい」

 

 そう小首を傾げていると、これまた顔を真っ赤にしたダッシュが新しいメモ帳にさらさらと書いた。

 

『ぱんつはけ』

 

 と。

 そう一言だけ。

 

+ + +

 

 vs第八番模造魔宝石ダッシュ・ザ・アナナエル編――完



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第四十一石:vs第十四番模造魔宝石コピー・ザ・ヨムリエル編

 パンツ騒動の後、空腹に耐えかねた俺達はゆりな家へと文字通り飛んで帰ったワケだが。

 そこで事件は起こった。

 俺が変身を解こうと解除呪文を唱えた時、ぽんっという小さな爆発音と共に、胸のエメラルド宝石から蝶々――コロナが飛び出した。

 そいつはフラフラ彷徨ったあと、やがてヘロリと地面へ落下する。

 一体どうしたんだと、その様を呆然と見ていた俺だったが、

 

「あ、アイスウォーターちゃん、大丈夫!?」

 

 ゆりなの呼びかける声にハッと気付く。

 そういや、結構前からコロ美の声が聞こえなかったような……。

 もしかして、こいつどっか具合でも悪ィのか?

 

「しゃっちゃんどうしよう……。すっごく体が熱いよ」

 

 手のひらに蝶を乗せたチビ助が涙目で言う。

 

「確かに様子が変だな。羽の光りかたが尋常じゃねェし。とりあえず、ここじゃあ人目についちまうから家ん中入るぞ」

 

 部屋に戻ろうと俺たちが駆け足で階段を上がっていると、突然の黒い影。

 ギョッとして立ち止まったのだけれども――そいつはクロエだった。

 階段の一番上、ゆりなの部屋の手前でそいつは通せんぼをするかのように俺たちを見下ろしている。

 

「なんでェい、クロエか。驚かせやがって。つーか、今までどこほっつき歩いてたんだよ。お前さんがどっか行っちまったせいで、こちとら大変だったんだぜ」

「……ああ。わりぃ、ちょっとな」

「ちょっとなって、お前さんよォ」

 

 生返事に食って掛かろうとする俺に、

 

「しゃ、しゃっちゃん。それより、アイスウォーターちゃんが……」

「あ、そうだった。おいクロエ、コロ美の様子が変なんだけれども、一体どうなってやがるんでぇい」

 

 訊くと、黒猫は眉間にシワを寄せてこう言った。

 

「本来の姿に戻ったからな。おそらく石風邪にかかったんだろう」

 

 石風邪って、そんな風邪きいたことねェぞ。

 俺が視線を送ると、ゆりなも知らないという風に首を振る。

 

「ああ。石風邪っていうのは、オレたち霊獣や模魔がかかる特有の病気だ」

「びょ、病気って!」

 

 青ざめるチビ助だったが、

 

「いやいや、そんな大した病じゃないから安心しな。体力が無いときに魔力を使いすぎるとよくなっちまうんだ。オレも何度か経験あるし。アレだな、人間で言うところの貧血みたいなもんだな」

 

 黒猫の一言にホッと安心する。

 無論、俺もその言葉に安心したのだけれども……。

 小さいとはいえ、七大霊獣サマとやらが本来の姿に戻っただけで貧血になっちまうなんてな。

 ランクEのダッシュでさえコロコロ姿を変えてたっつうのに。

 うーむ。いまいち、よくわかんねぇ存在だ。

 そう俺が心の中で不思議がっていると、

 

「言っただろ。体力が無いときに、ってさ。コロ助は一日のうちに何度も集束を使ったからな。しかも七大の中でも一番体力の少ない三番石だ。すぐにガス欠になるんだよ。まっ、一番の原因はシラガ娘を守るために本来の姿へ変身、あまつさえ同時に集束まで使ったからだろうケド」

 

 ベラベラと次から次に言葉を紡ぐ黒猫に、俺は待ったをかけた。

 

「弁舌さわやかに語っているところ申し訳ないのだけれども、別に俺は何も言ってねーぞ。そりゃあ疑問には思ったが。もしかして、お前さんもコロ美みたいに俺の心が読めるのかィ?」

 

 言うと同時にそいつは肉球を自分の頭にあて、

 

「あっ!」

 

 と言った。スゲェやっちまった感が伝わるリアクションだった。

 しかし追撃の手は緩めずといった調子で、

 

「クーちゃん、『集束』ってなぁに?」

 

 今度は俺の後ろにいるチビ助が訊ねた。

 

「いっ!」

 

 あからさまな動揺。

 そういや、たしか集束のことは秘密なんだっけか。

 とりあえず、こちらにケツを向けてガタガタ震えているそいつに、言っておく。

 

「何をビビってんだか知らねェけれどもよォ。チビ助だって魔法使いなんだ。『集束』くらい知っておいたほうがいいだろ。つーか、そもそも隠す意味が分からん」

「そ、そーだな。シラガ娘の言うとおりだ。まあ、その前にコロ助を部屋に運ぼうぜ」

 

 運ぼうぜって、ジャマしたのは誰なんでぇい。

 いささかに唇を尖らせていると、そいつは俺の股下をスルッとくぐり、ゆりなを見上げる。

 

「言っとくが、ポニ子の部屋はダメだぜ。隣の物置部屋に連れて行くぞ」

「え。なんでボクの部屋だとダメなの?」

「石風邪は普通の人間には移らないが、魔法使いには移るんだ。しかも、持ってる魔力が多ければ多いほど移りやすい。それに風邪のあいだは細かい石の結晶を吐き続けるんだ。それは菌のようなもので、部屋の中でばらまかれたら最後、どうやっても除去する手立てがないの。消すには時間経過しかないが、完全に消えるまで丸一日くらいかかるんだ」

 

 ふぅん、なるほどね。だから物置部屋にコロ美を隔離するってワケかい。

 横目で黒猫を見ていると、チビ助が食って掛かった。

 

「ボク平気だもん。物置部屋なんて寒いところ、かわいそうだよっ」

「バーロー。平気じゃないっての。明日から学校が始まるんだろ? 悪いことは言わねぇ、コロ助は物置に寝かせておけって。どーせすぐに治るんだし」

「いいもん。風邪になっちゃったら休むもん」

「だぁああ。オレらは人間じゃなくて石なんだっての、頑丈なんだから平気だって!」

「人とか石とか関係ないよっ」

 

 いやはや。双方ヒートアップしちゃってまぁ。

 二人が言い合ってる中、俺はそーっとチビ助の手の中から蝶々をつまみ上げた。

 うお、思った以上に体が熱いな。大した病じゃない、なんて言うけれども……。

 グッタリと羽を休めているそいつと、「ボクの部屋!」「いいや物置!」なんてやり合うゆりな達を見比べ、俺は深いため息をついた。

 こりゃあ、どうも埒が明かないね。

 

「あーもう、めんどくせぇヤツら。いいよ、コロ美は俺のものだ。俺が面倒みるのが筋ってなモンで。二人はそこで仲良く遊んでなァ」

 

 そう言い捨て、俺は物置部屋へと歩を進めた。



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第四十二石:これからの禁止

「けほっ、こほっ」

 

 キレイに片付いているとはいえ、さすがにホコリっぽいな。

 とりあえずコロ美の寝床を確保したかったので、棚上からピンクの布団を下ろして勢いよく広げる。

 ぺろりんこと敷かれた子ども用の布団。おそらくチビ助がもっと小さいときに使っていた布団なのだろう。

 

「否定。ここに『ももは専用』って書いてあるんです。きっと天使さんが使っていた布団なのです」

「げっ、マジだ。あんのバカ天、こんなところにまで書きやがってからに。まったくもって迷惑な貧乳だぜ……って、コロ美!?」

 

 いつの間に人型に戻ったのだろうか、そこにはフラフラ状態の園児が立っていた。

 トロンとした目は普段の三割増しだし、頬はりんご病みたいに真っ赤になっちまってるしで、なんとも辛そうに見える。

 どう声をかけたらいいものかと戸惑っていると、そいつは俺をポケーっと見上げて、

 

「ふやぁ。パパさん、ここまで連れてきてくれてありがとなんです」

 

 と言い、頭を下げた。

 こんな時に律儀なヤツだな……。

 

「礼なんざいいからよォ、とっとと布団に入りねぇ。これ以上悪化したらどうするんでェい」

 

 にしても。この薄っぺらい掛け布団一つじゃあ、いささかに心許ねーな。

 タオルケットみたいなもんでもいいから何か無いものかね。

 そう部屋の中をあれこれ探っていると、不意にスカートを引っ張られる。

 

「あのあの。パパさんのお気遣いとても嬉しいんです。でも、もういいのです。コロナは一人で大丈夫なんです」

 

 と仰られてもよォ。スカートを掴む手が小刻みに震えているワケで。

 これを見て、ハイそーですかとはさすがに言えねぇよ。

 

「ダイジョばないっての。ほれ、いいから布団に……」

「こ、これ以上コロナの近くにいると、パパさんまでビョーキになっちゃうんです……」

 

 困ったように笑うそいつに、俺は肩をすくめた。

 あー。そんなこと気にしてたのか。

 

「あのなあ。俺のことよりまずはテメェの体の心配をしろよ。んなめんどくせェこと考えてる暇があったら、さっさと治しなァ。それに、自慢じゃねぇが俺は今までの人生で一度も風邪にかかったことねーの。石風邪だかなんだかしらねぇが、んなもん俺様にゃあ効かねーよ。だから、」

 

 言いつつ、ひょいっとお姫様抱っこをして布団へと運んでやる。

 

「ここで大人しく寝てやがれ」

「…………」

 

 さらに真っ赤な顔で俺を見つめるコロ美。

 こりゃあまた熱が上がったな。ったく、無駄に動き回るからだっての。

 一応、釘をさしておくべきかね。 

 

「いいか、もうちょこまか動くんじゃねーぞ。次動いたらアイスフィンガーでお尻ペンペンすっからな」

「…………」

「おい。返事は?」

「ふぁ!? こ、肯定なんですっ」

「いっひっひ。よろしい」

 

 申し訳程度の掛け布団をかけて立ち上がる。

 さて。他にかけられるモノはないかね、と部屋を再度探り始めたとき、

 

「しゃっちゃん、しゃっちゃん」

「あん?」

 

 少しだけ開かれたドアから顔をのぞかせるゆりな。

 そいつはしばし言いにくそうに視線を彷徨わせたあと、

 

「さっきはごめんね。アイスウォーターちゃんが大変なときに、ボクらってばケンカなんてしちゃって……」

「めんどくせぇからイチイチ謝るの禁止。それよかさっきクロエが言ってたけど、お前さん学校が始まるんだって?」

「にはは、禁止されちった。うん、そーだよ。明日始業式なの」

「そっか。つーことは、なおさら風邪ひいてる場合じゃないな。まあ、俺はこの世界じゃあ行く学校も無いし、暇だから看病ぐらいやっといてやんよ。あとのことは俺に任せて、チビ助は明日の準備に勤しみなァ」

「うんっ。ありがとね、しゃっちゃん……。あ、お着替えとかタオルここに置いておくね」

 

 言って、ドアの隙間から着替え一式とその他もろもろが差し出される。

 こりゃまた準備がよろしいこって。コイツもコイツでしっかりしてるよなぁ。とても九つとは思えねぇぜ。

 受け取りつつ俺がそんなことを考えていると、チビ助は思い出したようにポンと両手を叩いて、

 

「そうだっ、今日はすき焼きパーティをするんだったよぅ。出来たら呼ぶね」

「ん。そういえばそんなこと言ってたな。わかりましたんで、つか悪ィなご馳走になってばかりで」

 

 恐縮だぜ、と頭を下げようとしたのだが、頭の触覚を掴まれて阻止される。

 

「むー。ダメだよっ。しゃっちゃんもこれから禁止だもん」

 

 むくれ面で言うチビ助に、

 

「えっ。禁止って、なにを?」

 

 俺はすかさず聞き返した。

 まさか俺の謝り禁止令に対抗して、食事禁止令とかトイレ禁止令なんてもんが発令したりして。

 んなことになっちまったら、これからこの家でどうやって生きていこう……。

 最悪の場合、ホームレス小学生として野外デビューする線も考えておかねばならんな。

 そう、いささかに目を潤ませ始めた俺にゆりなは屈託のない笑顔で言った。

 

「申し訳ないとか、恐縮だぜぇとか禁止。しゃっちゃんはボクたち家族の一員なんだから、そういうのアレだよ。えーと、『めんどくせぇ』だもんね」

 

 家族――

 その発言にきょとんとしてしまう俺。 

 なんとも簡単に言ってくれるが、家族の一員なんて一日や二日の付き合いでなれるモンじゃないだろ。

 血の繋がりもないのに、いきなり『家族』って。

 いやはやまったく、久樹上家はどうもお人好しが過ぎるな。

 もし俺様が超がつくほどの悪人だったらどうするんでぇい。少しは人を疑うことも覚えておいたほうがいいぜ。

 と呆れ顔の俺に、

 

「しゃっちゃんだったらいいよ。悪人さんでも、なんでも。ボクぜんぜん平気だもん。どんとこーい!」

 

 胸をポコッと叩いて八重歯を見せるゆりな。

 何やらイマイチ会話が噛み合ってないような。つーか、悪人の意味を解ってなさそうだなこいつ。

 

「解ってるよ。悪人さんは、ボクを庇ってくれたり、コロちゃんを看病するような優しい人じゃないってことぐらい。ちゃんと解ってるもん」

 

 のほほんと微笑むそいつに、俺は何も言えなくなってしまった。

 

「それじゃ、コロちゃんのことお願いねっ。ボクはお姉ちゃんのお手伝いしてくるよ」

「お、おう。すき焼き楽しみにしてるぜ」

「にゃはは。ウチのはとっても美味しいから期待しててね。なんてったっておダシが違うもん。さーて、ご飯の支度っ、支度っ」

 

 パタパタと楽しそうに階段をかけ降りていくゆりなを見送っていたのだが、ふと、いつぞやの白米タワーが脳裏をよぎる。

 うぐっ。またあのタワーが現れちまったらどうしよう。すき焼きどころじゃなくなるぞ……。

 

「チ、チビ助!」

「ほよ?」

 

 慌てて待ったをかけると、そいつはヘンテコなポーズで止まって俺を見上げた。

 

「どったの、しゃっちゃん」

「きょ、恐縮だけれどもよ……ご飯は並盛りで頼みますぜ旦那」

「だーめ。恐縮だぜぇはさっき禁止したもんね。まったく、しゃっちゃんてば遠慮屋さんなんだからぁ」

 

 いやいやいや、遠慮じゃねーし! ていうか、恐縮というワードをまるっと禁止されるといささかに困るんだが。

 

「あ。ついでだし『いささかに』も禁止しちゃおっかなぁ……」

「なんで!?」

 

 恐ろしい禁止令の乱立にうろたえていると、

 

「うっそぴょーんっ」

 

 まさかの前宙をしやがった。綺麗に着地し、「わーい!」と走り去るそいつの後姿を唖然と見ながら、二つほど思う。

 なんつーアホな運動神経をしてやがんだ、と。

 危ないから前宙の禁止令を出しておこう、と。



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第四十三石:看病するシャクヤク

「はぁ……」

 

 とにもかくにもと、ドアを閉めると、俺は用意された着替えやら何やらを持ってコロ美のもとへ戻った。

 目を閉じ、浅く速い呼吸を繰り返しているチビチビ。

 うーん。さっきよりはマシになったが、それでもまだ苦しそうだねぇ。

 着替えを脇に置き、その他もろもろが入ってる袋からタオルケットを取り出す。

 それをフワリとかけて、

 

「いいねぇ、こいつは暖かそうだ。これで掛け布団問題はクリアってなもんで」

 

 ぽむぽむ叩いてやる。

 それにしても、ごちゃごちゃとまぁ。色んなものが詰め込まれているな。

 

「どれどれ、えーっと。絵本にぬいぐるみに、ぬいぐるみに、ぬいぐるみ……って、なんじゃこりゃ」

 

 ぬいぐるみが袋の八割を占めているぞ。

 使えそうなのは、洗面器とタオルぐらいしか見つからないんだが。

 風邪薬の一つぐらい入れておいて欲しかったぜ。なんて贅沢なことを心の中で思っていると、

 

「石風邪は特殊なのです。人間の風邪薬は効かないんです……」

 

 か細い声でコロナが言う。

 

「あれま。起こしちまった?」

「否定。体がホカホカして全然眠れないのです」

「ホカホカ、ねぇ。ちょいと失礼」

 

 よくある火照りだろうと、布団の中に手を入れて確かめてみたのだが、これが熱いのなんのって。

 どうなってんだ、こいつァ。火傷しちまうところだったぞ。

 

「いやはや。石風邪とやらを甘く見すぎていたのかもしれねぇ。コロ美、立てるか? とりあえず汗がハンパねェから着替えすっぞ」

「ふぁい……。がんばるんです」

「頑張るな頑張るな。立ってるだけでいいって。俺が着替えさせてやる」

「こ、肯定」

 

 スモックを脱がし、ぱぱっとパジャマへの着替えを済ますと――いや、ちょいタンマ。

 この動物の顔をしたボタンが、凄まじく閉めにくいんだけれども。むむっ。

 誰だよ、このパジャマのデザインを考えたヤツは……。もはや知恵の輪レベルだぞ。

 

「くそっ、牛のツノが邪魔過ぎて閉まんねぇ。待てよ、このツノ少しだけ曲がるぞ。ああ、分かった。ここをこうするのか。そんでもって鼻輪を半回転させれば――よし、いいぞいいぞ」

 

 俺が唸りながらボタンと格闘していると、

 

「あのあの、パパさん。コロナはひとつお訊きしたいんです」

「んー。恐縮だけれども、ただ今お取り込み中なんで。手短にヨロシクどうぞ」

「肯定。パパさんって、もしかして妹さんとかいるです?」

 

 その言葉にぴたりと手を止める。

 

「……どういう意味だよ?」

「昨日のお風呂から思ってたんです。なんとなくですけど、お兄ちゃまっぽい雰囲気が、」

「いねェよ」

 

 言っている途中だったが、一言で俺はその会話を終わらせる。

 いないモノは、いない。だから話すことは何も無い。

 

「パパさん……?」

「ほれ、出来たぞ。いっひっひ、かっちょわりィパジャマだぜ。さぁ、横になりなァ。あとは冷たいタオルで頭を冷やせばすぐに治るだろ」

「あ。ありがとなんです」

 

 もぞもぞと布団の中へともぐりこむコロ美。

 そんじゃま、下に降りて水を汲んでくるかね。

 俺が洗面器を持って立ち上がろうとしたとき、ちょいちょいっと小さな指でつつかれる。

 

「あんだよ。心配しねぇでも、すぐに戻ってくるって」

「えっと、その。お水は魔法で出せばイイと思うのです」

 

 …………。

 そっスね。そういや、俺って水の魔法使いでしたね。

 恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしていると、コロ美がクスクスと笑った。

 

「にゃろう。笑うんじゃねェよ、タコ助」

「否定。コロナはタコじゃないんです。チョウチョなのです」

「似たようなモンだろ」

「似てないんですっ!」

「おー、コワい。へへっ、ちょっとは元気になってきたじゃあないの……っとォ、ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷう『アクアビット』!」

 

 詠唱後、右手をグッと握り締める。すると、手の中に冷たいグミのような感触が現れる。

 そっと手を開くと、小さなシャボン玉がフワッと浮かび上がった。中にはエメラルド色の水がなみなみと溜まっている。

 オーケイ、俺の想像通りだ。だが、これじゃあいささかに少ないな。

 

「ぷゆゆんぷゆん、」

 

 左手を右手首に添え、魔力をちょいと追加。

 すぐさま膨張し巨大化するシャボン玉を洗面器の上まで持っていき、

 

「ぷうーっ」

 

 弱めのアイスブレスをかまして凍らせる。それを霊鳴の尖った方でつつけば――あっという間に出来上がり。

 

「す、凄いんです……」

 

 洗面器の中を見てコロナが感嘆の声を上げる。

 

「他の魔法と比べりゃあ、別に凄くないだろうよ。ただ単純に水入りシャボンを作って凍らせただけだし。まあ杖を使わずに魔法を出すのは初めてだったから、少し緊張したけれども」

 

 言いながら、チビチビの頭に冷たいタオルを乗せてやる。

 

「氷とお水を効率良く出す魔法を一瞬で閃いたのです。やっぱりパパさん凄いんです。特別なのです」

「へいへい、そりゃどーも。興奮したらまた熱があがんぞ。いいから寝ろ」

 

 あまり何度も褒められてもね。何故かそこまでイイ気分じゃあない。

 さて、一段落ついたことだし、すき焼きが出来上がるまで俺も横になるかね。

 ごろんと、コロ美の隣に寝転がり、特大のあくびをしていると、

 

「あのっ」

 

 布団を顔半分までかぶってそいつは恥かしそうに、こう呟いた。

 

「きょ、今日のパパさんなんだか優しいのです。昨日も優しかったですけど、なんていうですか、その……」

「病気だからな。女で、子どもで、しかも病気とくりゃあ最大限まで優しさレベルをあげなきゃなんねぇ。まっ、治ったら厳しくするんで覚悟しときなァ」

「うっ……。なら、コロナはずっと石風邪のまんまがいいです」

「おっと。言い忘れたけれども、看病も一日が限界だから。それ以上は見放す。サクッと見放す」

「ぐすっ」

 

 悲しげに鼻をすするチビチビ。

 ちと、からかい過ぎたかね。

 

「チッ」

 

 俺は飛び起きると、袋からぬいぐるみ達を解放した。

 コロ美の周りへと陣取ったそいつらの中で一番でかい蜘蛛のぬいぐるみ(ゆりながコロナへと貸したヤツだ)を掴み、

 

「ふぉっふぉっ。おチビさん、逆に考えてみなされ。一日だけなら優しくしてやらんこともないという意味じゃろ。ほれ、なにかして欲しかったら何でも言うてみるがいい。今のうちじゃよ」

 

 人形劇よろしくやってみる。

 出来ればそのまま寝てくれたほうが有り難いんだけれども。

 

「あっ! えっと、えっと、それじゃあ絵本を読んで欲しいのですっ」

 

 そうもいかないよなぁ……やっぱし。

 しょうがねぇな。めんどくせーけど。

 底にあった『雪むすめ』という絵本を取り出し、袋を畳む。

 やれやれ。結局、袋の中身を全部使うことになったな。

 

「パパさん、はやく、はやくっ」

「わーってるって。えーっと、昔々おじいさんとおばあさんがいました……」



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第四十四石:雪むすめ

 絵本の内容はこうだった。

 ある雪の降る日、おじいさんとおばあさんが外を見ると子どもたちが楽しそうに雪だるまを作っていた。

 子どものいなかった二人は、どちらともなくワシらも雪だるまを作ろうと提案する。

 やがて完成したのは、それはそれは可愛らしい女の子の姿をした雪だるまだった。

 長靴に手袋、帽子にマフラー。雪だるまにめいっぱいのオシャレをさせるおばあさんに、おじいさんは名前をつけてみないかと微笑む。

 それじゃあこんなのはどうでしょうと、おばあさんが『ミイ』と名前をつけた瞬間、その雪だるまが動き出した。

 驚いた二人だったが、すぐに喜び抱き合い、その子を我が子のように育てる。

 すくすくと育っていく雪むすめ。その姿は本物の女の子と見分けがつかないほどだった。

 しかし、体はやっぱり雪だ。冬以外は外で遊べず家の中に閉じこもっていなくてはならなかった。

 

 ある夏の日。外で楽しそうに遊ぶ友達の姿を羨ましそうに見つめる雪むすめ。

 寂しそうなその姿を見た友達は一緒に遊ぼうよと雪むすめを誘った。

 迷ったあげく、意を決して家から飛びだして行く雪むすめ――

 

「そんでもって、太陽の日差しを受けたミイちゃんは、跡形もなくとけて消えてしまいましたとさ」

 

 めでたしめでたしと締めくくろうとしたのだが。

 

「ミイちゃんかわいそうなんです……。ひっぐ、うえぇっ」

「げっ。たかが絵本で泣くとか、カンベンしてくれよォ。かわいそうも何も、そもそもミイちゃんは人間じゃなくて雪だるまなんだっての。ったく、作り話にマジになるなって」

 

 だが泣き止むどころか、ますます大声で泣くコロ美。

 しまった。逆効果だったか。

 

「あー、スーパーめんどくせぇ!」

 

 しばらく耳を塞いでいると、急に静かになった。

 そっと目を開けてみる。

 

「泣き疲れた、か」

 

 スヤスヤと寝息を立てているコロナ。

 はぁ。これだからガキんちょは……。やってらんねェ。

 十分だけでも眠ろうと寝返りを打とうとしたところで、ギュッとキャミソールが引っ張られる。

 

「あんだぁ?」

 

 見ると、チビチビの小さな手が俺のキャミを掴んでいた。

 

「こいつ、いい加減に!」

 

 乱暴に手を放そうとするが、

 

「パパ、さん。コロナは、ずっと……」

 

 ズルリと額のタオルが落ち、それと同時に涙も流れ落ちる。

 その時だった。俺はクロエの言葉を思い出す。

 

『一番の原因はシラガ娘を守るために本来の姿へ変身、あまつさえ同時に集束まで使ったからだろうケド』

 

 こいつが石風邪にかかったそもそもの原因は俺――

 変身。集束。大魔法。こんな小さい体でそれらをいっぺんにしたんだよな。

 

「ムチャ、しやがってよ」

 

 呟いてすぐ、自分の勝手な発言に情けなくなる。

 ムチャさせたのはどこのどいつだよ。

 生身でダッシュを追いかけたりなんかするから、コロナが力を使わざるを得なかったんだ。

 こうなることを分かっていてこいつは俺を守ってくれたんだよ。ありったけの力を使って。

 

 チビチビが居なきゃ何も出来ないクセに。

 魔法が使えなきゃ何の意味もないクセに。

 

 自己嫌悪――らしくないよなァ。

 まったく。この世界はどうも調子が狂う。

 俺は落ちたタオルをもう一度濡らすと、そいつの頭に乗せようとして、

 

『ご主人様に撫でてもらえるなんて、それ以上のご褒美はないんです』

 

 今度はコロナの言葉を思い出していた。

 

「…………」

 

 撫でるだけで命を救ってくれた褒美になるとは、思っちゃあいないけれども。

 それでも――

 他に何をしてやれるのか分からない俺は、

 

「さんきゅな、コロ美。あと、ごめん」

 

 チビチビの頭を数回優しく撫でた。

 タオルの水か汗か、じっとりと濡れている前髪を整えてやる。

 

「なんつーか、その……もうこんなムチャさせねェからよ」

 

 言ってタオルを乗せたその時だ。

 

「うっひゃあ、もしかしてお邪魔だったか?」

「!?」

 

 振り向くと、そこには面白そうに笑う黒猫が座っていた。

 うげっ。こいつ、いつの間に!

 

「へぇ、なるほどね。二人っきりの時はいつもそんなカンジだったのか。そりゃあ好かれるワケだ。合点がいったぜ、『優しいパパさん』よ」

「こ、これはだな。一瞬の気の迷いっていうか、別にこんなガキどうでもいいし。ただ、親父に優しくしろって言われてるから仕方なく演技しただけだしっ。間違えるなよ、クソッタレ!」

 

 そいつは嫌味なニヤケヅラを向けたまま、

 

「ほれほれ。あんま大きな声を出すとコロ助のヤツ起きちゃうぜ」

 

 と、尻尾を左右に揺らす。

 

「ぐっ……! ていうか、なんの用でぇい」

 

 あぐらをかいてバカ猫の鼻をつつくと、そいつはくすぐったそうに顔を背ける。

 

「なんの用だとはご挨拶じゃねーの。オレだってコロ助の具合が心配だったから様子を見に来たのさ。シラガ娘一人だと不安でさぁ」

 

 こんのニャンちくしょうが。ホント、言いたいこと言ってくれるぜ。

 俺がイラッと拳を握りしめていると、クロエは顔を背けたまま呟いた。

 

「でも……大丈夫そうだな。あーあ。コロ助のやつ、良いご主人様に拾われて幸せモンだな。けけっ」

 

 こんな目にあわせて良いご主人も何もないと思うのだけれども。

 というか、いささかに疑問だな。

 

「俺より、チビ助のほうが良いご主人様をやっていると思うぞ?」

「…………」

 

 クロエが無言を返したとき、ガチャリとドアが開いてゆりなが顔を覗かせた。

 

「しゃっちゃん、すき焼き出来たよー。あ、クーちゃんこんなところにいたんだ。もう、お話の途中で急にいなくなるんだもん。心配しちゃったよ」

「へへっ、猫は気まぐれって言うじゃん」

「気まぐれすぎだよっ!」

 

 そんな二人のコントを見ていたい気もするのだが、ちぃとばっかし声が大きいので人差し指を唇にあて、シーッというジェスチャーをする。

 

「にゃ、にゃはは。それじゃあ、待ってるからね」

 

 ポリポリと頭をかいてドアを閉めるチビ助。

 俺はコロナの様子を確認してみた。よし、ぐっすり眠っているようだ。もうじき良くなるだろうな。

 そんじゃま、早速行くとするかね。もう腹ペコで限界だぜ。

 

「よーし、今日こそ白飯以外も食ってやるぞってなモンで……あれ、お前は行かねーの?」

 

 コロ美の隣でとぐろを巻くクロエに訊いてみると、

 

「バーロー。ポヨ子もいるんだぜ、オレが普通にすき焼き食ったらおかしいだろっての。あとでポニ子がタッパーに詰めて持ってきてくれるから心配すんな」

「……別にテメェの心配なんかしてねぇし」

「コロ助の心配はするのに、オレの心配はしてくれねぇんだな。ああ、オレは今モーレツに悲しいぜ。およよよ」

「チッ、うざってぇ」

 

 付き合ってらんねーやと、ドアを開けた時、

 

「今度こそ……」

 

 背後から悲しげな声が聞こえた。

 

「ん?」

 

 不思議に思い、首を傾げたのだが、階下から漂ってくるすき焼きのニオイにたちまちノックダウン。

 こりゃあ、たまんねーぜ!

 俺はそのニオイの糸に手繰り寄せられるまま階段を下りていった。



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第四十五石:夏夢

「こ、こりゃあ、旨い! 旨すぎる!」

 

 すき焼きに関しては関西風ばかり作っていたのだが、関東風でここまで美味いモンに出会えるとは。

 関東風といえばベショベショに甘いただのごった煮というイメージだったけれども、甘過ぎず、かと言ってしょっぱ過ぎずといった割り下の塩梅が何とも秀逸だ。

 

 それに、このフワフワに柔らかい牛肉。まさかと思い、箸で掬い上げたときに下を覗いてみたらパイナップルが一切れ敷いてあるじゃあねェの。

 かーっ、このやり方を知ってるたァ、中々に憎いねぇ。

 

 んでもって、俺の大好きなジャガイモ入りっつうパーフェクトな具材選びときたもんだ。

 空きっ腹ってなブースト効果を抜きにしても、素晴らしいすき焼きだった。

 デラックスだ……こいつァ、大いにデラックスだぜ。

 そう無我夢中でがっついていると、

 

「うふふ、しゃっちゃんちゃんに喜んで頂けて嬉しいですっ。でも、そんなに急いで食べては喉を詰まらせてしまいますよ」

 

 お姉さんが麦茶をコップに注いで微笑む。

 

「いやはや、これほど旨い関東風すき焼きを食べるのは生まれて初めてで!」

「まあっ。お上手なんですね。はい、これをどうぞ」

「本当ですって。俺は世辞が苦手なんでさァ」

 

 差し出された麦茶を一気に呷って、至福のひとときに酔いしれていると、隣のゆりなが不思議そうな顔をする。

 

「ねぇねぇ。かんとーふってなぁに? お豆腐のこと?」

 

 言いつつ俺の白飯の上に焼き豆腐を乗っけるチビ助。

 

「まったくもって違うぜ、旦那。っつーか、なんで豆腐乗っけるワケ?」

「むふふ。このお豆腐ね、ボクが焼いたんだよ」

「うへぇ、マジかよ!?」

「マジだもんねー。お豆腐とキノコと白菜はボクの担当なの」

 

 すき焼きの一口目は必ず豆腐からと決めている俺は、最初にそれを食べた際、その絶妙な炙り加減に感心していた。

 こりゃあ市販のそれではないなとは思っていたけれども……コレを作っていたのがお姉さんではなくチビ助だったとはねェ。

 うーむ。久樹上姉妹、おそるべし。

 

「ね、ね。しゃっちゃん、ボクの担当したやつ美味しい?」

「おう。めっちゃ旨いぞ! 全部、非の打ちどころが無いぜ。やるじゃん、チビ助」

 

 俺が頭をぽんぽんすると、

 

「えへへっ、褒められちった!」

 

 椅子の上でぴょんぴょんとお尻ジャンプするゆりな。

 あーあ、んなことしたらお姉さんに叱られちまうぜ。お行儀が悪いってよォ。

 そう心の中で笑い、視線をお姉さんの方へ向けると、彼女は真剣な眼差しで見ていた――俺のことを。

 思わず二度見してしまう。えっ、俺なんかマズイこと言ったっけ。

 

「な、なんですか?」

 

 おそるおそる訊いてみると、

 

「あのう、それで『かんとーふ』とは、一体何のことでしょうか?」

 

 ズデッとコケそうになる俺。

 

「すみません。とてつもなく気になってしまいまして。このままでは夜も眠れないのです……っ」

「お姉ちゃん、お姉ちゃん。夜更かしはね、お肌が荒れる原因になっちゃうってテレビでやってたよ」

「そんなっ! うう、どうしましょう……」

「どうしようもないよ、もう……」

 

 悲愴感たっぷりにうな垂れる二人。

 こ、こりゃあ、てぇへんだ。

 

「待った、ちょっと待ってくだせェ! か、関東風というのはですね……かくかくしかじか」

 

 飯の恩を仇で返すワケにはいかねェと、慌てて関東風と関西風の違いについて語る俺に、ふんふんと揃って頷く姉妹。

 やがて、

 

「というワケなんでさァ」

 

 そう締めの言葉を放つと、

 

「洽覧深識! しゃっちゃんちゃん物知りさんですっ。それに、なんて解りやすい説明なのでしょう! お料理の先生みたいだったのですっ」

「ふわあ、お料理のこと詳しいんだね。なんだかビックリだよぉ」

「いや、まぁ、あの……所詮、聞きかじりの知識なんで」

 

 ううっ。この二人、スゲェ聞き上手だからついつい熱く語ってしまったぜ。

 本当は料理が趣味っつうことはあまり知られたくないんだけれども――かっこ悪ィし。

 

「あらあら! 恥ずかしがってるしゃっちゃんちゃん、とっても可愛いのですっ。お料理はお母様から教わったのですか?」

 

 テーブルに頬杖をついて優しく訊いてくるお姉さん。

 あー……。

 しばし視線を彷徨わせたあと、俺はニッコリと答えた。

 

「はい。俺の料理術は全部お袋直伝です。そいつを自分流にアレンジしては、毎朝親父の弁当に放り込んでます」

「まぁっ、お父様もさぞやお喜びのことでしょう!」

「いやいや、それがまた。いっつも『毒見役はツライなぁ』なんて失礼なことを言いやがるんですよ。ったく、イヤなら食わなきゃいいのに」

「ふふっ。きっと、誰かさんに似て照れ屋さんなのですよ。それにしても、料理のお上手なお母様とこんなに素敵で可愛らしい娘さんがいらして、お父様が羨ましい限りですっ」

「は、はは……」

 

 まあ、俺は男なんだけれども――なんて言うワケにもいかないしな。とほほ……。

 嘆きつつ残った白飯をかきこむ作業に戻っていると、再びの視線。

 って、またお姉さんか。今度は何だろうねぇ。

 

「しゃっちゃんちゃん。お母様とお父様は好きですか?」

 

 急な質問に面食らう。

 

「と、突然どうしたんですか」

「答えてください」

 

 ぴしゃりと返された。

 先程と同じようで確実に違う眼差し。

 これは――真面目に答えるべきだな。

 

「好きですよ、どっちも」

「では、いいのですか、二日も無断で家をあけて。ご両親はとても心配していると思いますよ」

「お、お姉ちゃん。しゃっちゃんはね……」

 

 慌てて割り込むゆりなだったが、

 

「ゆっちゃん」

 

 言ってゆるりと首を振るお姉さん。口を出すな、との合図だった。

 それを汲み取ったチビ助は小さくごめんねと言い、料理の後片付けを始める。

 

「えーと、そ、それはですね、」

 

 なんて言ったらいいのだろう。

 いきなり異世界に飛ばされたんです。飛び散った魔宝石を全部集めて、ピースに呪いを解いてもらうまで元の世界に帰れないんです。

 そんなこと……言えねェし、言ったとしても信じられないよなあ。

 俺が逆の立場だったら絶対に信じねーし。むしろ、頭の病気か何かだろうと踏んでとりあえずそいつを病院へ連れていくぞ。

 なので。

 

「なにか、事情があるのですか?」

 

 と訊かれても、

 

「すみません」

「ご両親に連絡は?」

「すみません……」

 

 それしか言葉が出てこなかった。

 答えに窮し、ただひたすらとスカートを握りしめていると、急に暖かいものが俺を包む。

 

「解りました。もう謝らないでください……」

 

 すみませんの一点張りで、いったい何が解ったというのだろう。

 しかし、そんなことよりも俺はこの温もりから逃げ出したかった。

 冷や汗がふき出し、動悸が激しくなる。

 本当に、本当にやめてくれ――

 

「怖がらないでください」

 

 ギュッと更に強く抱きしめられる。

 

「大丈夫ですから、もう、大丈夫ですから……」

 

 その言葉とともに、柔らかい何かが俺の頬に当たる。

 

「…………」

 

 どうしてだろうか、先程まで俺を鎖のように支配していた恐怖が嘘のように霧散していく。

 そして、急激な眠気にたちまち襲われたかと思うと、そのまま深い眠りの世界へといざなわれていった。

 

+ + +

 

夏に吹く夢~Dreams of Summer~

 

 赤い夢を見ている。

 夏色の風に包まれた、とても小さくて暖かい夢。

 

 夕焼けに染まった世界で、ただ独りぼくは泣いていた。

 一体、これで何度目だろう。

 答えのないまま繰り返される、ある夏の日の夕方。

 それでも、ぼくはこの終わらない夢が嫌いじゃなかった。

 

 また、あの子に会えるから。

 また、あの子が微笑むから。

 

 人気のない公園のベンチでぼくは空を見上げる。

 太陽が沈もうとしていた。

 赤い夕陽に照らされた雲がゆっくりと流れて、どんどんぼくから遠ざかっていく。

 さっきまでぼくの周りを楽しそうに飛んでいた赤トンボも、もうすでにどこかへ消えてしまっていた。

 

 でも。

 大丈夫、独りぼっちには慣れてるから。

 どうせみんな、いなくなっちゃうから。

 期待するだけ無駄だと、知ってるから。

 

 からっぽな空から目を逸らすように、ぼくは大きな時計台へと視線を移した。

 四つの小さな鐘が吊り下げられている立派な時計。

 だけど。

 

「止まってる……」

 

 ぼくがここに来てから、たくさんの時間が経っているはずなのに。

 時計は、二十三時五十五分のままピクリとも動かない。

 それは。何も言わずに、ぼくを冷たく見下ろしている。

 少し怖いかも。ううん、とても怖かった。

 

「死んじゃったんだ、時計さん」

 

 またひとつ、ぼくの世界から消えてしまう。

 ずっと時計を見るのはイケナイことかも。話しかけるのはもっとイケナイことなのかな。

 でも、色々試すのはもう疲れちゃった。

 だから、ぼくはずっと傍に居てくれる地面さんへと目を落とした。

 その時だった。

 

「はっ、バッカバカじゃん。時計なんてただの機械よ。死ぬワケ無いじゃん」

 

 透き通った声が後ろから聞こえた。

 振り返ると、そこにはぼくと同い年くらいの女の子が立っていた。

 意志の強そうな金色の瞳で傲然とぼくを見下ろす彼女。

 

「…………っ」

 

 ぼくが何も言えずに固まっていると、彼女は腰に手をあて、偉そうな口調でこう言った。

 

「ちょっとぉ、なんとか言いなさいよ。このあたしが話しかけてやってんのよ」

「えっ、あ、ごめんなさい」

「なんでそこで謝るのよ! 陰気なヤツねぇ」

「ほっといてよ……」

 

 一陣の風。

 オレンジ色のワンピースがひらひらとはためく。

 それを押さえると、彼女は鼻を親指でこすった。

 

「この風、夕立のニオイがするわね」

 

 夕立にニオイなんてあるのかなあ。

 首を傾げていると、その子は急に片足をベンチにドカッと乗っけて、ぼくの襟首を掴んだ。

 

「ほら、行くわよ」

「い、行くって、え、なに?」

「なに、じゃないわよ。あんた、脳みそフロッピー!? 夕立が来るっつってんのよっ!」

 

 フロッピーの意味がよくわからないけど、なにかバカにされてる気分だった。

 ぼくは彼女の手を払いのけると、

 

「だ、だからなんなんだよ、高飛車なヤツだな!」

 

 少し強めに言い放ってしまった。

 どうしてだろう。こんなこと言うなんて、まるでぼくじゃないみたいだ。

 だけど、その子は臆することなく、とても意地悪そうな顔でニヤリと笑う。

 

「ふんっ。あたしが高飛車なら、あんたは低角行ってところね」

「どういう意味か分かんないよ……」

「低レベルで角が立っていてグチグチつまらない行いばかりをするバカっていう意味よ。すなわちバカね。大バカ」

 

 めちゃくちゃだった。

 

「な、なんだよ。初めて会ったくせに馴れ馴れしくバカバカ言うなよな!」

「ふうん。バカのクセに、なかなか良い度胸してるわね。陰気なヤツってセリフは前言撤回してあげるわ」

 

 満足気に言うと、彼女は陽に染まった長い髪をフワリとかきあげる。

 そして。

 

「……こんなところでウジウジしていたって始まらないわ。雨に濡れて、ただ身体を冷やすだけよ。まだあんたは暖かいんだから、立ちなさい」

「え?」

 

 暖かいってなんだろう。人はみんな暖かいんじゃないのかな。

 よく――わからない。

 

「立って、歩くのよ。ねっ。あたしの手、貸してあげるから、さ」

「う、うん」

 

 彼女は先程とは別人のような、とても柔和な笑顔でぼくに手を差し伸べる。

 吸い込まれるようにその小さな手を取ると、ワンピースの少女はちょっとだけ寂しげに呟いた。

 

「次は、ちゃんと辿り着けるかしら……」

 

 まただ。

 夢はいつもそこで途絶える。

 暗転していく中、ぽつりぽつりと雨音が聞こえ、最後には決まって雷鳴が轟く。

 いつもの終わり方だった。

 

 雨が止んだら、また会えるかな。

 今度はもっといっぱい喋りたいな。あの子と話してると元気が出てくるから。

 ぼくが、ぼくでない誰かに……生まれ変われる気がするから。

 そうまどろみ、ぬかるんだ泥の中へと沈んでいくぼく。

 それもまた――いつものオワリ方だった。

 

 次にはフリダシへと戻るぼくと彼女。

 何もかも忘れて、再び出会うぼくら。

 それは。なんて、バカげた夢なんだろう。

 そして。なんて、怖ろしい夢なんだろう。

 

+ + +



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第四十六石:家族

「ふやっ!?」

 

 飛び起き、ヨダレを拭きながら辺りを見回していると、

 

「しゃっちゃん、おっはにゃーん」

 

 ゆりなが満面の笑みで俺の顔を覗き込んでいた。

 

「あ、ありゃ。俺ァ、一体どうしちまったんでェい」

 

 とりあえず、状況を確認。

 除湿の効いた涼しいリビング。もふもふソファの上、かけられた厚手の毛布。

 考えるまでもない。どうやら俺は、寝ちまってたらしい。

 

「いつの間に……。すき焼きが旨かったことまでは覚えているんだけれども」

 

 どういった経緯で眠りに落ちたのか思い出そうとしていると、ゆりなが俺の首に抱きついてきやがった。

 

「ねーねー。しゃっちゃん、おはにゃんってばぁ」

「抱きつく? ああ、そうだ。お姉さんに抱きつかれたときに寝ちまったんだっけ。ううむ、催眠型魔宝石でも持っているのか、あの人は」

 

 完全スルーを決め込む俺に、

 

「もー! おはにゃんって言ったらおはにゃんって返さなきゃダメなんだもんっ」

 

 結構マジな怒りをぶつけてきた。

 

「おやまぁ。怪獣みたいに火を吐きそうな勢いだな。いやはや、恐い恐い」

「火じゃないもん、雷だもん!」

「いや、怒るところそこなのかよ……」

「むぐぐーっ」

 

 そう歯を食いしばってみせるチビ助。

 これはこれは。いささかに挑発が過ぎたのかもしれない。

 バチバチと黒い電撃を上半身に纏い始めたところで、

 

「おはよう、チビ助」

 

 と言って軽くチョップ。

 しかし、すんでのところで避け、逆にチョップをかまされた。

 

「ふっふーん。カウンターだもんね」

「あいてて。飯食ったばかりだっつうのに、なんとも身軽だねぇ」

「えへへ。ボクね、消化が早いのが取り柄なの」

「そうか。ゆくゆくは大食いチャンピオンだな。賞金を稼いだら、俺を北海道旅行にでも連れていってくれ」

「うんっ!」

 

 うんっ、て。そんな全力でボケ潰しせんでも。

 さっきまでの怒りはどこへやら、すぐにニコニコ笑顔で俺の隣へ座るゆりな。

 そいつはテレビをつけると、テーブルの上に置いてあるお菓子をもぐもぐ食べ始めた。

 

「あんだけ食って、まだ食うんスか……」

「お菓子は別腹だもん。あ、しゃっちゃんも食べる? おいしさカミナリ級のお菓子だよっ」

 

 差し出された黒いココアクッキーのお菓子を見て、そういえば似たようなの俺の世界にもあったなぁと思い、手を伸ばす。

 

「んん。味もそっくりじゃあねェーか」

「ふぇ? そっくりってなぁに」

 

 なんて面白い驚き方をするもんだから、

 

「ぶぇえっ!? ぞっくりっでなんでゲスか」

 

 ついつい真似をしてしまった。

 多少アレンジを施したが、中々に良い出来だと自負している。

 

「ま、真似したなーっ。てか、ボクそんなヘンテコな声じゃないし、あとゲスなんておかしな語尾つけてないもん!」

 

 語尾なんて言葉を知っているとは。

 

「まぁまぁ。んなすぐ怒ってたら健康に悪いぜ。甘い菓子より海草とか切り干し大根を食いなァ。カルシウムは大事だぜ」

「カルシウムかぁ……。煮干しだったら朝ご飯のときいっぱい食べてるよ? あと、牛乳もいっぱいゴクゴク」

 

 猫まっしぐらな朝飯だな……。

 

「恐縮だけれども、煮干しとか牛乳は正直ビミョーなの。みんな過信しすぎ」

「そ、そうなんだ。よーし、それじゃあ明日からいっぱい海草サラダ食べるよっ。頑張るね、しゃっちゃん!」

「おう頑張れ頑張れ。ま。そもそもカルシウム不足でイライラするっつうこと自体、真っ赤なウソなんだけれども」

 

 カミナリ級のお菓子をパクつきながら気だるげに言ってやると、

 

「ふぇええん! お姉ちゃあん、しゃっちゃんがボクの心を弄ぶのーっ」

 

 なんとも誤解を招くような言い回しで、台所にいるだろうお姉さんのもとへと走り去ってしまった。

 

「いっひっひ。からかい甲斐のあるヤツ」

 

 いやはや、それにしても……。お姉さんに抱きつかれたぐらいで、寝ちまうとはねェ。

 どうやら、思った以上に疲れが溜まっているのかもしれない。

 まあ。よくよく考えてみりゃ、あんまり寝てなかったし、連戦続きだったからな。

 

 ふと掛けられた時計を見てみると、あれから一時間しか経っていなかった。

 一時間、ね……。

 めんどくせェが、コロ美の様子でも見に行ってやるとするかね。

 そう重い腰にムチを打ち、階段を上ろうとしたとき、台所のほうから姉妹のやりとりが聞こえてきた。

 

 別に聞き耳を立てるつもりはないんだけれども――やはり、気になるもんで。

 何を話してるんだろう……。

 

「あらあら、しゃっちゃんちゃんってば、そんなことを?」

「もーっ、ひどいんだよ。すぐにボクで遊ぶんだから」

「まぁ、なんて微笑ましいのでしょう! ふわぁ……っ。お姉ちゃんはお二人がとても羨ましいのです」

「えっ、羨ましいって?」

「だって、私にはそんな一面を全然見せないので。どこか他人行儀と言いますか……。壁を作ってらっしゃると言いますか。なんともはや、悲しい限りなのです」

 

 お姉さんの寂しそうな一言に、チクリと胸が痛む。

 たしかに、俺は壁を作っていた。その理由は、実のところ自分でもよく分かっていない。

 何故だか、お姉さんが苦手だった。とても良い人で、暖かい人なのは確かなのだけれども……。

 

「んー。壁とか難しいことボクわかんないけど、これから一緒に暮らしていけばすぐに仲良くなれるよっ。家族なんだもん、すぐすぐ!」

「そうですね、家族ですもんね……っ。ゆっちゃんの言うとおりなのです! 時間はいっぱいありますし、ゆっくりでもお近づきになるのですっ。がんばるんば!」

「がんばるんばー!」

「ああ、それにしても……ゆっちゃん、もっちゃん、しゃっちゃんちゃんの三人もの天使さんとのバラ色生活がこれから始まると思うと、居ても立ってもいられないのですよ。はわーっ」

「にゃ、にゃはは……。また、お姉ちゃんの大妄想が始まっちった」

 

 …………。

 なんっつーか。つくづく、お人好しな姉妹というか。

 いやはや、まったく。俺には、もったいないくらいの『家族』様なこって。

 一つ肩をすくめて、物置部屋へと向かったのだが。

 入るや否や、黒猫が俺の足にまとわりついてきやがった。

 

「よぉ、シラガ娘。すき焼きは旨かったか? オレの分はちゃーんと持って来てくれたよな……って、あんだぁ、そのニヤけただらしねぇツラは! 気持ち悪ィ!」

 

 ドン引きの表情で俺を見るクロエ。

 

「えっ、あ、いや。べ、別にニヤけてなんかねェし! 全然嬉しくねェし!」 

「はぁ……? ま、いいや。それより、腹ごなしに散歩にでも行かねーか。ここのベランダからピョーンと抜け出してさ」

「散歩は別に構わねェが、抜け出すって、また巨大化したお前さんに乗れって意味かい?」

 

 いつかの荒々しい暴走黒虎を思い出す。

 うっぷ。あんなのに今乗ったら、百パーセント吐く自信があるぜ……。

 

「ちげぇって。腹ペコで力が出ない状態なんだ。巨大化なんて疲れる魔法陣描いてらんねーよ」

「じゃあ、羽をおっぴろげて飛び降りろってことかよ。無理だぜ、チビチビはぐっすり眠ってるんだし」

 

 と、すやすや寝息を立てているコロ美の頬を突いてやる。

 

「それも、ちげぇって」

「なら、どーしろってんだよ」

 

 眉をひそめると、黒猫はヒゲをいじりながら、ある方向を指した。

 そこには俺の霊鳴石弐式が転がっている。

 

「そいつを起動させてまたがれば、変身しなくても飛べるんだぜ。乗り心地はサイアクだけどな、にっしっし!」



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第四十七石:ももは?それとも別人?

「ああ、なるほどねェ」

 

 ふむ。羽が出せないときは杖を使って飛ぶっつう選択肢もあるということか。

 そういやチビ助も何度か霊冥にまたがって空を飛んでいたし……いささかに面白そうだ。

 さっそくとばかりに俺は右手を突き出して、

 

「来やがれ、霊鳴!」

 

 ピカっと光ったのち、すぐさま俺の胸の中へと飛来する霊鳴石をそのまま抱きしめ、

 

「弐式、起動する……っ。イグリネィション!」

 

 と、封印解除呪文を唱える。

 いつものように青い光が手元を包み込み、そして瞬く間に蒼杖モードへと変化するサファイア宝石。

 よーし。いっちょあがりだぜ。

 その様子を見たクロエは、感心顔で肉球をアゴに当てつつ、

 

「ほぉ。やる度に解除が早くなってるな。さっすが、期待の新星」

「へへっ。そーだろ、そーだろ。もっと褒めてくれてもいいんだぜ」

 

 そう気持ちよくふんぞり返っている俺を尻目に、

 

「んじゃ、散歩行くか」

 

 戸の隙間からさっさと外へ飛び出して行ってしまう黒猫。

 おいおいおい! まだ杖の乗り方を教えてもらってねェぞ。

 慌てて戸を開けると、そいつはベランダの手すりに器用に乗っかりながら、馬鹿デカいあくびを一つかました。

 

「ふわぁーあ。教えるもなにも、コロ助の羽であんだけ飛べてんだから、杖での飛翔なんざお茶の子さいさいだろ。ただ杖にまたがって飛ぶイメージをすりゃあいいだけ。羽だろうが杖だろうが、要領は同じさ」

 

 言うと、しなやかに飛び降りてしまった。

 

「そ、そんな簡単に言ってくれるがよぉ……」

 

 目を潤ませつつ不安げに見下ろしていたのだが、「へいへい。しゃくやっちゃん、ビビってるぅ?」「男なら根性見せてみやがれ。女の子だって言うなら可愛くお願いしてみな。オレが受け止めてやんよ、お姫様!」なんて小躍りしながら俺を煽るクロエ。

 ぐぬぬっ。

 あんのクソ猫め、好き放題言いやがってからに……。

 

「ば、ばっきゃーろィ! この俺様がビビるわけねェだろ。いいぜ、やってやんよっ」

 

 ここまでバカにされて、引き下がっていられるほど出来た男じゃないんでね。

 よっこらせっと手すりの上へとよじ登り、続けて蒼杖にまたがる。

 と。ここまでは良かったのだけれども――

 

「ひぇええ。し、下はあまり見ない方が良さそうだな」

 

 ゴクリと喉を湿らせ、目をつぶる。

 やべぇぞ。今は変身してねェ生身の状態だし、ミスったら痛いどころじゃ済まないぜ……。

 いや大丈夫なハズだって。そうさ、俺は選ばれた魔法使いなんだ。こんくらい出来てトーゼン!

 

「試作型ちゃんよォ。俺も頑張るが、おめぇさんも気張ってくれよ」

 

 頼りなげな明滅で答える霊鳴。うぅ、不安の種は尽きないが、いつまでもこうしていられねェし。

 

「ええい、飛ぶぞ。飛んでやるっ!」

 

 意を決して手すりを蹴ったのだが、これがなんともあっけなく飛べてしまったワケで。

 な、なんでぇい。簡単じゃねーか。それに、乗り心地も言われるほど悪くねーし。

 ちょっと股のところがムズムズと変な感じだけれども、乗り方さえ工夫すりゃあ、そこはなんとかなりそうだ。

 

「うっひょーい! おらおら、クロエさんよぉ。どうだいこの飛びっぷり。いささかにお上手だろ?」

 

 スイーっと得意げに黒猫の上を飛び回ってやる。

 ひゃあ、夜風がすげぇ気持ちいいぜ!

 

「ほら、案ずるより産むが易しってな。ところで、シラガ娘。言い忘れてたんだけどさ」

「ん~?」

「霊薬が切れたら、落っこちるからな」

 

 そいつが言った直後だ。

 霊鳴から実はもう限界来ちゃってるんですとでも言いたげな蒸気が勢い良く噴きだす。

 

 そうだった。残り少ないっつーか、確か霊薬はダッシュ戦でとっくに切れていたような……。

 ゆっくりと首を後ろに曲げ、ケツ先の宝石を見てみる。

 か、限りなくゼロに近い霊薬液。ていうか、ゼロだった。

 

「テメェ、だからそういうことは早く、」

 

 怒鳴ってる途中で、股に挟んでいた杖の感触がフッと無くなる。

 

「うわぁあっ!」

 

 真っ逆さまの急転直下だった。

 これは……骨折くらいは覚悟しておくべきか。

 

「ちきしょー、南無三!」

 

 そう衝撃に備えて目をつぶったとき、「ひぁっ!」という、か細い声とともに、柔らかなクッションが俺の体を包み込んだ。

 ムギュと、さらに柔らかい二つの桃のようなモノに頭を突っ込んだまま、うーんと唸っていると、

 

「は、早く、どいてくださいぃ!」

「んあ。桃が喋った!?」

 

 飛び起き、俺は改めて二つの桃を揉みしだく。

 な、なんでこんなところに桃が落ちてやがんだ――それにしても熟れているのかやけに柔いな。

 むにもに。

 いや、ここまでくるともはや腐っているような。

 

「ほわわっ、や、やめひぇくだひゃいぃい」

 

 いちいち変な声を出しやがって。なんとも気色の悪い桃だぜ……って、アレ?

 そこで、ぼんやりとしていた視界が徐々にハッキリとしていく。

 

 え、えーっと。

 桃だと思っていたそれは、スカートのめくれあがった尻で。そしてそれを鷲掴みにしているのは俺で。

 そんでもって手の中にいる子犬ちゃん柄のパンツが俺を睨んでいるという具合で。あの、その……。

 

「もう、いい加減に、どいてくださいぃ!」

「あ。すまねぇ!」

 

 状況説明している場合じゃなかったぜ。慌てて飛び退くと、クッションになった少女と目が合った。

 その子は、桃色のミディアムストレートといった髪型で、ピンクフレームのメガネを頭にかけている。

 そんな特徴的なメガネよりも、もっと特徴的なのは瞳だった。

 エメラルドグリーンの大きな瞳で、なんと奥には星型の模様が――いやいや、ちょい待て!

 

 ついこの間も似たようなヤツと出会った記憶があるぞ。

 そいつは語尾に「ちゃっちゃっ」つけるなど、凄まじくうるさいヤツなんだけれども。

 試しに顔を近づけてニオいを嗅いでみると、強い桃の香りがした。

 げげっ、間違いない、こいつは……。  

 

「あのっ、私のメガネ知りませんか? ぶつかっちゃったときに外れてしまったようで……」

「それなら頭の上に乗っかってるぞ」

 

 軽口を叩きつつ、クイッと下ろしてやる。

 

「あ、すみません。ありがとうございます」

「いやなに。てっきりファッションでやってるのかと思ってたぜ」

 

 そいつはメガネを掛け直すと、苦笑混じりに俺を見上げて、

 

「いえいえ、そのような奇抜なファッションなどしようものなら、お父様に何と言われ、」

 

 セリフの途中で石のように固まった。

 

「髪型違うけど、やっぱ同じ顔だ。ももは、だよな? お前さん、こんなところで何してんだァ。それに、そんなアニメチックなメガネなんてかけて――近くでコスプレ祭りでも開催してんの?」

「え、あの、ももはさんって。ど、どなたのことを言っているのか私にはさっぱり……」

 

 と、視線を逸らされる。

 だがしかし。俺はダッシュから貰った『疾駆』の脚力で、すかさずに眼前へと回り込む。

 

「おい、コラ! さっきの衝撃で頭でも打ったのか。俺だよ、俺俺。シャクヤクだって」

「し、知りません、しゃくっちなんて知りませんから。大体、オレオレ詐欺なんて今どき流行りませんよっ」

 

 いやいや。俺をしゃくっちって呼ぶのはチビ天だけだろ。

 なんでそんなバレバレのウソをつくんだ、こいつは。



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第四十八石:急襲のシャオメイ

「なあ、チビ天どーしたんだよ?」

「ぷいっ」

「いつものヘンテコな喋りはどーしちまったんだ」

「ぷいっぷいっ」

 

 そっぽを向いては、前に回り込むを二十回ほど繰り返したのだが、

 

「あちちち! あ、足が、ブッ壊れちまうっ」

 

 先に音を上げたのは俺の方だった。オーバーヒートよろしく尋常じゃない熱を放つふくらはぎ。

 ダッシュリングの凄さは認めるが、これは注意して使わないと身がもたねぇな……。

 とりあえず、アイスブレスを吹いて応急措置をしておこう。

 

「フー、フー……。お前なあ、いい加減に認めろよ」

「だから人違いですってば」

 

 うーむ、なんて強情なヤツなんだ。このままじゃ埒が明かねェ。

 仕方ない。こうなりゃ伝家の宝刀を抜くしかないな。

 

「正気を取り戻してくれよ、貧乳ちゃん! 胸が小さいからって現実逃避は良くないぜ。まことに残念ながら一生そのままかもしれないけれども、むしろそれが好きだって男も中にはいるハズだ。ほとんどの男は大きいに越したことは無いって内心思ってるケド、それは今は関係ない。だから、いつものお前に戻ってくれっ」

「……ぷいっ」

 

 おかしい。おかし過ぎるぞ。

 こりゃあ、本気で頭を打ったのかもしれないな。さすがに心配になってきたところで、

 

「お、委員長めっけ。こないなトコでなにしてるんや?」

「もうトーカさんってば、駅はこちらじゃありませんわ。まぁ方向音痴なところもとても魅力的なのですが……ポッ」

 

 なんてことを口々に言いながら、背後から二人組みの少女が現れた。

 おそらく、ゆりなやももはと同じぐらいの年齢だと思うのだが、どちらも育ちの良さそうな服を身にまとっている。

 いや、よく見りゃあ今のチビ天もかなり上品な格好をしているな。

 真っピンクな肩出しワンピースなんていう露出のある服も着ていなければ、持っているカバンも普通のどこにでもありそうな茶色いカバンだし。

 まあ、羽つきナップサックがそもそも異端過ぎるっつう話だけれども。

 

「あらぁ。トーカさん、この白髪のかたは一体どちらさまですか」

「なんやぁ、委員長の知り合い?」

 

 つーか、さっきから気になっていたんだが、トーカさんって何のこっちゃ。しかも、委員長って?

 そう、ももはに訊ねたのだが、そいつは俺に一瞥もくれずにお行儀よくカバンを両手で持ち直すと、

 

「いえ。このような不躾な人、知りません。それより、二人ともお稽古に遅れてしまいますよ。早く行きましょう」

「え、ちょっと。おい……チビ天ってば」

 

 止めるも声も空しく、そそくさと立ち去ってしまうももは。

 目を点にしたまま、硬直していると、クロエが俺の頭に飛び乗ってきた。

 

「まあまあ、あいつにも色々あるんだろ」

「色々ってなんだよ。おめぇさん、なんか知ってんのか?」

「んー。オレの口から言ってもいいけど、いずれ本人の口から理由を話すときが来ると思うぜ。ま、オレらはオレらで仲良く散歩としゃれ込もうじゃねーの」

 

 チッ。相変わらず歯切れの悪い言い方をするヤツだ。

 しばらく景色を眺めながらゆったりと歩を進めていたのだけれども……。

 やっぱりムカつくもんで。

 

「なんでぇい、なんでぇい! なーにが『このような不躾な人知りません』だ。けっ、お高くとまりやがってよ」

 

 両手を頭の後ろで組みつつブーたれる俺に、

 

「まぁだ言ってやがんのか。シラガ娘って意外にナイーブだよな」

「あんだとォ? 別に気にしちゃいねーよ」

「だったら何べんも同じことグチるなって。大丈夫さ、あいつはシラガ娘のことちゃんとお友達だと思っているぜ」

「へっ、そいつはどーだかねェ」

 

 てか、いつまで頭上に居座る気だコイツ。

 俺のアホ毛で楽しそうに遊んでいるところをあまり邪魔したくはないが。

 そろそろ頭が痒くなってきたぜ。

 

「しまった。触覚ボクシングに夢中でまた忘れるところだった。シラガ娘に充填の説明をしておかねーと。ちょっと霊鳴を取り出してみそ。言っとくが、霊薬が切れてる状態じゃあ呼んでも飛んで来ないからな」

「ん……ああ、わかりましたんで」

 

 言われるがまま、ポッケから冷たくなった霊鳴石を取り出す。

 ぼんやりと淡い光を放っている弐式だったが、その光もすぐに消えてしまいそうだった。

 

「見るに堪えんというか、なんとも元気の無い試作型ちゃんなんだけれども」

 

 もはや事切れる寸前だぞ。こりゃあ元に戻るのに時間がかかりそうだ。

 

「あっちゃー、霊薬すっからかん状態だな。とりあえず、言い方はなんでもいいから霊鳴に眠るよう命令するんだ」

「オーケイ。眠りやがれっ、霊鳴!」

 

 命令するや否や、元気良く遥か彼方へと飛んで行ってしまう霊鳴石。

 

「ありゃまあ。あんな元気どこにあったんだ?」と俺が目を丸くしていると、

「元気そうに見えるが、アレは単に海の魔力に引き寄せられてるってだけ。戻すときは霊薬ゼロでもいいが、呼んだときに消費する魔力は石自体の霊薬から捻出するから、ゼロだと飛べなくなるんだ」

「ふーん。海、か。そういや、説明書のどっかに海に戻せとか書いてあったな。ということは、試作型ちゃんは今ごろ海の中でおねんね中ってワケ?」

「そうそう。一時間も寝かせれば五十パーセントくらいには回復するぜ。満タンにするなら六時間はかかるけどな。あ、ゼロの状態から満タンだと十二時間はかかるんだった」

 

 そんなに時間がかかるのか……。つまるところの安易に霊薬を使い切るのはマズイってことだな。

 

「おー。シラガ娘はポニ子と違って、物分りが良いな」

「伊達に長生きしていないんでね。つっても五年程度だけれども。それより、気になることが一つだけ。確かダッシュ戦の時点で霊薬を使い切ったハズだと思ったんだが、起動も出来たし、少しの時間だが乗れたのは何でだ?」

「あぁ、それか。説明書に書いてあったと思うが、海で眠らせるという選択肢の他に、使用者の心身を休ませるといった形でも充填が出来るんだ。これは他の『レイメイ』にも共通することなんだが、簡単に言えば、食事、睡眠なんかで霊薬が溜まる。もちろんそれは微々たる量で、それぞれの眠る場所に――弐式の場合は海に戻すのがベストだけどな」

 

 なるほどな。スゲェ面倒くせぇシステムだっていうのが分かった。

 霊鳴石を作ったヤツめ。無駄に手の込んだ仕様にしやがって……。

 眉間にシワを寄せてブツブツ文句を言っていると、クロエがぴょーんと飛び降りて、後ろ歩きを始める。

 

「ま。ま。要は霊薬が無くなる前に、さっさと眠らせればいいっつう単純な話さ。小まめに充填しておけば、憂いなし!」

 

 ゴマをするような前足の動きに、意地悪心をくすぐられる。

 

「はぁ。魔法少女ってヤツはなんでこうも面倒くせェのかね……。だりィぜ、まったくもって。やめちゃおうかなァ」

 

 なんて大げさに言ってみたりして。

 

「んな、すぐに面倒くさいって言わないでくれよ。頼むぜ、シャクヤク様っ。ポニ子とコンビを組めるのは異世界中探しても、シャクヤク様しかいないんだって」

「いっひっひ。まったく、しょうがねぇなあ。そこまで言うんならやってやらないでも、」

 

 言いかけたところでハタと足を止める。

 な、なんだ、この寒気は……。

 それは俺の前を歩いていたクロエも感じていたようで、先ほどとは一転し、緊張した面持ちで辺りの様子を窺っている。

 気味の悪い不快感が、ぬめりと俺の背中に滑り込む。

 この感覚、いつかどこかで――

 

「……魔法少女、やめたければやめてもらっても構わないわ」

 

 後ろから迫ってくる殺気のこもった声に、身動きが取れずにいると、

 

「ねぇ。そんなに面倒ならさ。さっさと退場しちゃいなさいよ」

 

 こ、今度は前から声が聞こえてきたぞ……。

 違う。前方どころじゃない、四方八方から聞こえてきやがる。

 

「あたしのいる場所すらも分からない『LevelⅡマイナー』如きの魔法少女。これから先を考えると、いっそ哀れね」

 

 目の前。何も無い空間に亀裂が入ったかと思うと、その中から長い赤髪の少女が現れた。

 いや。赤髪の少女なんて回りくどい言い方をするまでもない。

 こんな、敵意むき出しといったあからさまにドス黒い感情をぶつけてくるヤツは、一人しか知らない。

 そう、一人しか――

 

「シャオメイ……ッ!」 



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第四十九石:紗華夢 夜紅

 恐怖心ゆえか、激しさを増す胸の鼓動。

 脱退記者会見の時よりかは幾分かマシだけれども……それでも、恐ろしいものは恐ろしかった。

 つーか、なんで毎度毎度ご丁寧にビビってんだよ、俺の心臓は。

 相手はただのガキんちょじゃねェか。しっかりしやがれってんだ。

 そう、俺が右胸を押さえながら歯を食いしばっていると、シャオメイが不思議そうに眉根を寄せた。

 

「気安く呼び捨てにすんじゃないわよって言いたいところだケド……。その前に、なんであたしの名前を知ってんのよ?」

「な、なんでって。そりゃあ、今朝のテレビでお前さんを観たからな」

「ああ、そういうことだったの。はっ、有名になったものねぇ……このあたしも」

 

 左手を腰にあて、まるで他人事のように薄く笑うシャオメイ。

 

「有名になったもなにも、お前さんトップアイドルだったんだろ? たしか、えーと。ハッピーラピッドの赤をやってたんだっけか」

「さぁね、どうだったかしら。昔の話なんて更々興味無いのよね」

「昔って、辞めたの今朝じゃねーか」

「チッ、いちいち細かい男ねぇ……」

 

 小さくそれだけ言うと、ばつの悪そうな顔をして目を逸らす。

 前職の件については、あまり触れられたくないって感じだな。

 まあ、それはともかくとして――こいつ、意外に話せるヤツじゃねぇか。

 もしかして、俺が勝手にビビっていただけで、本当はそんなに悪いヤツじゃないのかも……。

 言ってもまだ十歳にも満たない子どもだしな。そう思うと、ホッとしたのかすぐさま動悸が鎮まっていく。

 

 安心したというのもあるが、腕を組んだまま上空を仰ぎ見ているといったそいつの無防備さ加減も相まって、俺は改めてやっこさんの格好を観察することにした。

 やはり長いツインテールの赤髪が一番に目に付くが、次いで目立つモノはと言われたら、そりゃもう黒いマントしかないだろう。

 それはシャオメイの体躯をすっぽり隠すほどのバカでかい代物で――というより、これ程までになるとマントではなくローブと言ったほうが正しいのかもしれねェな。

 

 んでもって、そいつが動くたびにチラチラ見える中の服装――オレンジ色のフリルワンピースについてだが、これがまあ短いのなんのって。

 ローブは丈長なのに、どうしてワンピースはこうも、

 

「おい、バカシラガッ!」

「うお!?」

 

 急に耳元で怒鳴られたもんだからたまらない。

 俺が目を白黒させていると、

 

「なにやってんだ、ボーっと見てる暇があったら逃げろって! ふざけるのも時と場合を考えてくれよな、死にたくなかったらダッシュを召喚しろ!」

 

 これはこれは。クロエさん、すげぇキレてらっしゃるぞ……。

 怒髪衝天とはまさにこのことだな。凄まじく毛が逆立っているぜ。

 だがね、と。俺は眼前でまくしたてる黒猫の背中を一つ撫でながら、

 

「死にたくなかったらって、何を物騒なことを言ってやがるんでぇい。こいつもピースのババアに選ばれた魔法少女なんだろ? だったら俺たちの仲間じゃねーか。存外、悪いヤツじゃあなさそうだし……」

 

 言った次の瞬間。

 こみ上げてくる吐き気と共に、目の前がぐにゃりと歪む。

 

「か、かは……っ!」

 

 なんだ、なんだよ、これ。一体なにが、起こってるんだ?

 立っていられるハズもなく、その場にうずくまっていると、

 

「……あたしの前でピース様を侮辱するだなんて、どこまでもバカな男」

 

 内臓が体中をグルグル這いずり回っているかのような感覚。

 そのたびに、胃酸混じりのヨダレが口からだらしなくたれ落ちる。

 

 前からにじり寄って来るシャオメイの気配に、かろうじて動く頭を持ちあげようとしたのだが、驚くほどの間もなく後ろから踏みつけられてしまった。

 また、こいつ妙な移動方法を……。瞬間移動の魔宝石でも持ってやがんのかよ。

 

「口は汚いクセに、白くて綺麗な髪をしてるわねぇ。純白ってヤツかしら――穢したくなるくらいに、ムカつく色ね」

 

 そいつはそう呟くと、凄まじい力で俺の頭を何度も踏みつける。

 

「何も知らない、何も知ろうともしない。何も解らない、何も解ろうともしない」

「ぐはっ!」

 

 何度も、何度も、何度も。

 意味が分からないことを恨み言のように並べながら――狂ったようにシャオメイは続ける。 

 

「そうやって、真っ白のままいつまでもいられると思ってんのかしら。自分だけは白いまま終われるとでも思ってんのかしら」

 

 機械のような冷たい口調とは裏腹に、激しさを増す足の動き。

 何も言えずに、ただやられるがままとなっている俺に飽きたのか、そいつはピタッと足を止めて、

 

「……あたしさァ、あんた達が模魔を捕まえるところ全部見てたのよね。十番石ネオン、六番石ホバー、八番石ダッシュ――この三つを捕まえるところを、全部ね」

 

 俺のアゴをクイッと持ち上げる。

 三つだって? ホバーとダッシュは知っているが、ネオンなんて石知らねェぞ。

 そう言おうとしたのだが、口の中を切ってしまったらしく、上手く言葉が出ない。

 

「疑問だって顔をしているわね。それはネオンのことかしら、それとも全部見てたってところかしら」

 

 口角を上げて、俺の頬を優しく撫でるシャオメイ。

 

「ネオンは、あんたがこの世界に来る直前に『猫憑き』が捕まえた石のことよ。ランクはたしかFだったかしら。あまりにクズ石過ぎてどーでもいいケド」

 

 それからそいつは訊いてもいないのに、全部見ていたことについて話し始めた。

 なんでも彼女は魔法少女の中でも、特別な存在らしい。ピースのヤロウの片腕と呼ばれる地位、紗華夢 夜紅(しゃげむ やこう)というふざけた名を持っているとのことだ。

 チビ助のような旧魔法少女でもなければ、俺のような新魔法少女でもない、もっと格上の魔法使い。

 

 『ヤコウ』の力を持ってすれば、どれだけ離れていようとも模魔や他の魔法少女の居場所を知ることが出来るし、頭の中にそいつらの映像を俯瞰視点で映すことも可能だとさ。

 プライバシーもへったくれもねぇ話だね。

 以前、クロエが強力な魔力を持つモノ同士は惹かれ合うし、遠くに居ようとも相手を感じることが出来るとか言っていたが、紗華夢の持つ能力はそれを軽く凌駕していた。

 

 もっと言うならば、さっきみたいに瞬間移動よろしく闇の中から飛び出したり、魔力波を発しただけで相手を倒れさせたりも出来るってワケだろ?

 シャゲムだかジュゲムだか知らんが、模魔の居場所が手に取るように分かるってだけで反則級なのによ。いくらなんでも優遇されすぎだって。

 

「ったく、俺も紗華夢のような瞬間移動能力が欲しかったぜ」

 

 そう言い捨てたのを聞き逃さなかったようで、そのシャゲムヤコウさんとやらは俺のキャミをグイッと掴むと、

 

「はっ、バッカバカじゃん。いくら夜紅様でも、瞬間移動なんて出来ないわよ。あれは『第七番模造魔宝石シャドー・ザ・ライラエル』の能力っ!」

 

 ふふんと自慢げに中指にはめた黒い指輪を見せつけながら、そいつは続けてこう言った。

 

「それも、あんた達のようなザコ共が持つクズ石とは違うの。このあたしのシャドーはランクAの凄い模魔なんだから!」

 

 シャオが、まるで買ってもらったばかりのおもちゃを嬉しがる子どものように指輪――ライラへと恍惚の眼差しを向けたその時だ。

 俺の前にヌッと巨大な影が現れたかと思うと、

 

「てめぇ、クソガキが。よくもシラガ娘を傷つけてくれたなァ……?」

「きゃあ!」

 

 はるか後方へとぶっ飛ばされるシャオメイ。

 どうやら巨大化したクロエが何かしらの魔法をあいつに当てたようだが(でかい背中が邪魔でよく見えなかったぜ)、それでもさすがは夜紅サマと言ったところか。そいつは器用にも空中で指輪に口づけをしやがった。

 つまるところのシャドー召喚。

 次の瞬間、背後、何も無い空間に裂け目が入り――そして、そこにすっぽり落ちると、何事もなかったかのように前方から闇を引き裂いて現れる。

 もちろん無傷だ。普通ならばあの勢いで地面に叩きつけられたらかすり傷一つでは済まないだろう。

 

 これがシャドーの能力。

 これがランクAの模魔。

 やられながらも一瞬の判断でシャドーを召喚したシャオメイにも恐れ入るが、この模魔の能力は素人目でも飛びぬけた能力だと分かる。

 ここまでくると、もはや感嘆の言葉も尽きてしまうな。鬼に金棒なんてレベルじゃねェ。

 

「第一番大魔宝石、クロエ・ザ・マンデイ……! あんた、魔力空っぽのハズじゃ無かったの?」

 

 不意をつかれたのが悔しかったのか、ギリッと唇を噛みながら睨みつけるシャオに対して、

 

「まぁな。ま、あんだけ『魔気』を垂れ流しにしてりゃあ、イヤでも腹が膨れるぜ。味は最悪だったけどな。にっしっし」

 

 巨大な尻尾を一つ揺らして、余裕そうに返す。



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第五十石:シャドーvsダッシュ

 つーか、魔気ってまた妙なワードが飛び出したな。

 紗華夢なんたらでも混乱してるっつうのに、もうこれ以上は処理しきれねーぞ。

 

「ふうん、あたしの魔気を食べて自分の魔力へと変換できるだなんて。とんだ泥棒猫もいたものね」

「まあまあ、あんまし褒めてくれるなって」

 

 黒虎はそう軽く笑ったあと、小声で俺に、

 

「……シラガ娘、おそらく今のあいつは大魔宝石との契約はおろか、霊鳴の封印もまだ解いていない状態だ」

 

 ん、どういうこった?

 シャドーは持ってるのに、杖も霊獣も無いって意味がわからん。

 じゃあどうやってシャドーを捕まえたんだ。いくら紗華夢でもすっぴんでランクA捕獲なんて無理じゃないのか。

 そんな俺の問いに、

 

「分からねぇんだよなぁ、それが。とりあえず、オレが時間を稼ぐからその間にダッシュを召喚して逃げるんだ」

「オーケイ、わかりましたんで。俺だって、今は杖も霊獣もいねーしな」

 

 そりゃ、逃げるしか手はないぜと言いかけたところで、シャオメイがくすくすと笑った。

 

「バッカバカじゃん。丸聞こえだってーの。大体さぁ、あんたが百パーセント充填された霊鳴を持っていようが変身しようが、ザコはザコなのよね。まさか、このあたしに勝てるなんて夢見ちゃってるワケ?」

「…………」

 

 ひでえ煽りをしやがる。

 夢見る以前に、俺は端から戦う気なんて微塵もねぇよ……。

 ただ仲間が増えて、石集めが楽になるなって浮かれていただけだってのに。

 

「あーあ、つまんない。ここまで言われてんのよ? 集束の一つでもして、あたしを困らせてみなさいよ」

「集束って言われても……。やり方、知らねぇし」

「あはははっ、なーんにも出来ないのね」

「やめろ。シラガ娘は、まだ魔法使いになってから日が浅いんだ。あまりムチャなことを言うんじゃねぇ」

 

 俺の前へと守るように進み出たクロエに、シャオはさっきまでの笑みを消した。

 そして、酷く冷たい表情で俺を睨みつける。

 

「毎回そうやって、誰かに守ってもらってばかり。ホバーのときもそう、ダッシュのときもそう……反吐が出るわね。今日は様子見だけのつもりだったケド、気が変わったわ。あんたなんて要らない。あたしのシャドーで仕舞ってあげる……」

 

 スッとシャドーの指輪を唇まで近づけた、その時。

 雷鳴を響かせながら、何かが上空を駆け抜けていった。

 一瞬しか見えなかったが、あれはもしかして――

 

「猫憑きの霊冥石零式!?」

 

 驚いた表情で空を見上げて言い放つシャオメイに俺は確信した。

 ゆりなだ。あいつが、異常事態に気付いたんだ……!

 

「チッ、どうして猫憑きが……。マンデイ無しであたしに気付くハズないのに」

 

 霊冥が飛び去っていった方向を憎々しげに睨みつけたあと、そいつは俺へと向き直った。

 

「何よその顔。あんた、もしかして期待してんの?」

「き、期待って何のことだよ」

「また守ってもらえる。救ってもらえるってさ。ピンチのときは必ず猫憑きが飛んできてくれる……。いいご身分よねぇ。ホント、羨ましい限りだわ」

「うるせぇっ、いちいち嫌味なヤロウだな!」

「あら。褒めたつもりだったんだケド。日本語ってイマイチよく分からないわ」

 

 そう言って、わざとらしく肩をすくめるシャオメイ。

 クソッ……いつまでもこんな奴の悪罵に付き合ってられねェや。

 ゆりなが霊冥に乗ってここにやってくるまでの時間、ダッシュを使ってなんとか稼がせてもらうぜ!

 

「出てきやがれっ、ダッシュ・ザ・アナナエル!」

 

 右手をひねり、勢い良く指輪にキスをした――のだけれども。

 

「あれ!? おいっ、ハチマキ娘! 出番だぞっ」

 

 何度もキスをして召喚を試みるが、一向に出てくる気配が無い。

 あのチビ鮫、まさか寝てるなんてオチじゃないだろうな……。

 指輪を見てみると、宝石中心部にある液体――金色の海で小さな鮫が気持ち良さそうに泳いでいるではないか。

 

「あっ、いるじゃねーかテメェ!」

 

 サボりやがって、と続けようとしたのだが急にスカートを引っ張られ、尻餅をついてしまう。

 一体何事かと見上げると、先ほどまで俺が立っていた場所にサッカーボール大の暗い穴がぽっかりと開いていた。

 幸い、それは上半身部分だけだったから助かったのだけれども……。

 いや待て、徐々に広がっていってるぞ!

 

「あわわわっ」

 

 慌ててそのままの体勢で後ずさっていると、何かが俺の背中に当たる。

 振り向いた先には、俺のスカートを咥えた黒虎が険しい表情で立っていた。

 

「落ち着けって、シラガ娘。あいつの持つシャドーは移動手段であると同時に、対象を闇の中へと葬ることが出来る強力な模魔だ。だが攻撃時に限り、発動までに時間がかかるのがネックなんだ。さっきみたくボーっとしてるとすぐに飲み込まれるが、『疾駆』で逃げ回っていればそれほど恐ろしい相手じゃない」

「そ、そうは言ってもよぅ……。何回召喚しようとしてもハチマキ娘のヤツ、出てこねーんだ」

 

 もしかして俺の接吻がイヤなのかねぇと、返されたスカートのファスナーを上げつつ言うと、

 

「そりゃ呪文無しで召喚できるわけねーだろっ!」

 

 モーレツに怒鳴られてしまった。

 いやいや。召喚に呪文が必要なんざ、今初めて知ったぞ。

 ゆりなに呼び出したい模魔の名前を呼んで、指輪にキスするだけでいいって言われたんだぜ。

 それにシャオメイだって、呪文無しでシャドーの召喚をしてるじゃんか。

 そう、俺が疑問の数々を口にすると、

 

「おめぇは二人と違って、レベルが低いからな。呪文無しじゃあ、まともに召喚出来ねーんだよ」

「レベルって――さっきあいつが言ってたレベルツーうんたらってヤツのことか?」

 

 だが、返答は無かった。

 再びスカートを引っ張られたからだ。今度は尻餅程度では済まなく、後ろへと強い力でぶっ飛ばされる。

 しこたま塀へ打ち付けられた腰をさすっていると、シャオメイが大笑いした。

 

「きゃは、あははっ! そうよ、あんたはあたしや猫憑きとは違うの。低レベルなの。LevelⅡマイナー程度で呪文の省略なんかしたら効果が弱まるどころか、出すことすら無理だと思うわ」

「へぇ、そうだったのかィ。そりゃご親切にどーも……」

 

 細く長い赤毛を指先でクルクルと弄びながら言う、そいつの余裕っぷりったら。

 人を苛立たせるコンクールに出たら間違い無く優勝だろうな。 

 

「だからあんたの場合、呪文はちゃーんと全部言わないとダメよ。こういう風にね……」

「完全召喚をするつもりか!? 走れっシラガ娘!」

 

 ただならぬ雰囲気にクロエが叫ぶ。

 なにが始まるのか分からないが、いささかにヤバそうだな……。

 退避するべく俺が立ち上がったと同時に、そいつは呪文を唱えた。

 

「我は欲す。汝が纏う忌むべき力を――来なさい、シャドー・ザ・ライラエル!」

 

 シャオメイの背後に薄っすらと黒髪の暗そうな少女が現れたかと思うと、突如として俺の周り――全方向の空間に数多の亀裂が入る。

 

「いやはやどうも……。走れって言うが、これじゃあね」

 

 さっきと違い、凄まじいスピードで広がっていく穴に、俺はすぐさま決断する。

 こうなったら一か八かだ――あいつの呪文を俺も使うっきゃねぇ!

 

「我は、我は欲す。汝が纏う忌むべき力を……。今度こそ頼むぜ、ダッシュ・ザ・アナナエルゥウ!」

 

 見よう見真似で呪文を唱えてキスをすると、俺の背後にぷんすこと怒った顔のハチマキ娘が現れた。

 そいつは、あらかじめ用意していたのであろうメモ帳の切れ端を、俺の眼前にずいっと押し付けてくる。

 それには拙い字で『おまえさん、もっと早く、あなな使え。危なっかしくて、見てられないし』と書かれてあった。

 

「ご心配かけました……」

 

 ぺこりと頭を下げようとしたところで、何故か両足のカカトから白煙が上がっているのに気付く。

 

「なんだなんだ!?」

 

 覗き込んだ直後、大量の火花が眩しく足元を照らし――そして、いつの間にか俺は空中へと舞っていた。

 

『間一髪。シャドーが自分の髪の毛を使って、おまえさんを引きずり込もうとした。だから、あなな、最善の方法を取った。結晶爆破、反動、強制ジャンプ』

「よ、よくわかんねーけど、とりあえず助かったぜ。さんきゅうな、ダッシュちゃん。にしても、これが模魔召喚の力か……。素晴らしいぜェ、まったくもって」

 

 変身も杖も無しで、こんな便利な能力が使えるたぁ、なんとも気前の良い話だねェ。

 なんて飛びながらに喜んでいたのだが、度が過ぎる跳躍に段々と顔が引きつってくる。

 

「えーと、それでダッシュちゃんよぉ……着地がスゲェ痛そうなんだけれども」

 

 未だに俺の背後で悠々とハチマキを風になびかせているチビ鮫に訊いてみると、

 

『へーき、よゆう。おまえさんの足裏に、自動走行可能な結晶を生成済み。それ、着地の衝撃も、よゆう』

 

 腕を組みつつ、事も無げに言ってのける。

 確かに着地に全然衝撃が無かったのだけれども――なんか、キャラ変わってねーか。

 ちょっとどころか、かなりカッコいいぞこいつ。

 

「いやあ、何から何まで頭があがらないぜ。チビ鮫がこんなに頼れる奴だったなんて……」

 

 と、素直な感想を述べてみると、ニコッと微笑んで俺の頭に手を乗せるダッシュ。

 

『おまえさん、杖無い、大魔宝石もいない。今、あななだけ。だから、あななが頑張る。全力で、守るの』

「守る……」

 

 そいつの笑顔にズキッと胸が痛む。

 シャオの言う通りだ。

 チビ助も、コロナも、ダッシュも――俺を守ってくれる。守ろうと必死になってくれる。

 だが、俺は。俺は……。

 

「なにこれ、バグってんのォ? 模魔が喋ってるだなんて。いえ、心があるだなんて、ありえないわ」

 

 シャオが俺と後ろにいるダッシュを交互に見て、顔をしかめる。

 こいつもコロ美と同じこと言ってやがるな。そんなに模魔が喋るのが珍しいのか?

 首を傾げていると、そいつは自分の背後にボーっと佇む黒髪のおかっぱ少女を怒鳴り散らした。

 

「ちょっとシャドー、あんたは話せないの? ランクAなのにランクEのクズ石なんかに劣るっていうの!?」

 

 しかし、シャドーは答えない。

 それどころかピクリとも動かんぞ。一回だけ、瞬きをしたがそれだけだ。

 聞こえているのか聞こえていないのか……どこか遠くを見ているような目がとても不気味だった。

 

「いいわ。それなら、あたしがピース様からもらった紗華夢の力で、あいつの声を潰してやる……。あたしのシャドーが一番なんだから!」



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第五十一石:ゆりなとシャオメイ

 言うと、マントをひるがえし――スカートの中から長細い変なものを出しやがった。

 それはまるで生きている蛇のような動きで俺たちを威嚇する。

 

「く、クロエさんよぉ。ありゃあ、一体どんな魔法なんでぇい」

 

 股下からニュルリと伸びる、お世辞にも可愛いとは言えないソレについて訊いてみたのだが、いつの間にかクロエの姿が消えていた。

 

『さっき、あなな言った。大魔宝石いない。今、おまえさんと、二人だけ。ぽっ』

 

 大魔宝石ってコロナのことだけかと思っていたが、その中にクロエも入っていたのか。

 またあんにゃろう勝手に消えて……。ていうか、なんで頬を染めてやがんだ。

 

『とりあえず、あの尻尾、怖いから逃げる。自動走行の許可欲しい。望むならおまえさんの意思で走れるように、結晶調整する』

「なるほど、言われてみれば確かに尻尾に見えるな。あ、初めてなんで自動走行で頼むぜ」

『おっけ』

 

 途端、爆音と共にホバー走行で急速後退する俺。

 

「どわわわっ、もうちょっと丁寧に……」

『無理。あの人の尻尾、思った以上の動き。あななのスピードについてくるなんて、よっぽど』

 

 ダッシュの言う通り、どこまでも伸びて追っかけてくるあの触手――じゃなかった、尻尾はかなり厄介だ。

 それだけならまだしも、シャドーの完全召喚もまだ生きているようで、俺が走り抜けたところにボコボコと穴が開いていく。

 すんでのところでそれらを回避するが、チビ鮫の余裕を無くした表情を見るに、状況の深刻さが窺える。

 かなりヤバイかもな……。

 

「あんまり、無理すんなよ。キツくなったらいつでも引っ込んでいいからな」

『へーき、よゆう。あなな、頑張る』

 

 口ではああ言ってるけれども……。

 さすがに、こいつだけ働かせて俺だけ見てるだけってワケにもいかねェって。

 まだ数十分しか経っていないが、少しくらいだったら霊鳴も動くだろ。

 ダッシュの負担を出来るだけ軽くしてやらなきゃな……。

 そう考え、杖を呼ぼうと手を掲げたその時、小さな声が聞こえてきた。

 

「あ、あんだぁ?」

 

 チビ鮫の声じゃないのは確かだ。なにを言ってるんだろう――と耳をすませてすぐに、

 

「ダッシュ、今すぐ指輪の中に戻れ!」

『えっ? だから、あなな、へーきだし。おまえさん、守るし』

 

 俺は続けて叫ぶ。

 

「これは命令だ! ご主人様の言うことを聞け!」

『りょ、了解だし』

 

 背後のダッシュが消えた直後、そいつがさっきまでいた空間――頭のあった場所に穴が開き、そしてシャオの尻尾が飛び出した。

 鋭利な刃へと先を変えたそれを見上げて、俺は喉をゴクリと鳴らす。

 もし、もしも一瞬でも戻すのが遅れていたら。今頃、ハチマキ娘は……。

 

「しゃっちゃん!」

 

 不意に声を掛けられ、振り向くと、そこには杖に跨ったゆりなが浮かんでいた。

 

「おお、チビ助! って、その格好……お前さんいつの間に変身したんだァ?」

 

 黄色いネクタイに、黒いドレスといった旧魔法少女のコスチューム。

 ホバー戦以来の魔法使いモードだった。

 改めてその姿を見て思ったが、相変わらずチビ助によく似合っているというか、なんとも可愛らしい格好だな。

 いや、可愛いというよりカッコ可愛いというべきかね。この窮地な状況も重なってか、とても頼もしく見えるぜ。

 

 そんなことを考えていると、カランという乾いた音が耳に入ってきた。

 音のした方へと顔を向けてみると、黒い杖が地面へと落ち――

 

「うわあぁああんっ!」

 

 いきなり飛びつかれ、また盛大に尻餅をついてしまう。

 

「いってってて。ど、どうしたんでェい?」

「ひっぐ、無事で、しゃっちゃん、無事でよかったよぅ……。クーちゃんが、恐い敵さん来たって。少しでも遅れたらしゃっちゃん死んじゃうかもって、だから、だからっ」

 

 泣きじゃくるチビ助に抱きつかれたまま、ただひたすらと困惑する俺。

 ていうか、困惑どころじゃないぞ。

 すげぇ力で押さえつけられるわ、ぼさぼさの長い黒髪が鼻やら目やら、至るところの穴に入ってくるわで、むしろ苦しいぜ。

 チビ助め、変身後の力はムチャクチャになるのを忘れてやがるな……。

 このままじゃ無事とは言えない体になっちまうので、

 

「ばーろぉィ、俺様はそう簡単に死なないっつーの。どこぞの虫さんよろしく素早いのと、しぶといのが取り柄なんでさァ」

 

 言って、全力でチビ助の肩を押し戻す。

 ぐおっ。なんて力だ。お、重すぎるぜ……。

 顔を真っ赤にして踏ん張っていると、

 

「ふえっ。どこぞの虫さんって、チョウチョさんのこと?」

 

 と、急に体を起こしたもんだから勢い余って、

 

「きゃっ!」

「わっぷ!」

 

 今度は俺がゆりなを押し倒す形になってしまった。

 わりィわりィと言いつつ、顔を上げたのだけれども――倒れたまま俺を見つめるそいつの潤んだ瞳を見て、胸に痛みが走るのを感じた。

 チクっとする痛み。初めて会ったときの、あの苦手な瞳。

 慣れたハズだと思っていたのに……。どういうこった、こりゃあ。

 

「しゃ、しゃっちゃん?」

「…………」

 

 時が止まったかのような一瞬。

 

「はーあ、やだやだ。人前でイチャついてくれちゃってさ。この紗華夢様がいるってぇーのに、危機感ってものが無いのかしら」

 

 背後から聞こえるシャオの呆れた声に、慌てて飛び退く俺たち。

 そうだった、こいつが居たんだ。

 胸の痛みの正体なんざ、今はどうでもいい。とにかく、シャオメイを――ジュゲムなんたらをどうにかして撃退しねェと。

 

「あの子、もしかしてシャオちゃん……?」

 

 隣のゆりなが自分のネクタイを握りしめつつ言う。

 

「ああ。顔色こそ悪いが、あいつは間違いなく本物のシャオメイだ。お前さんの好きだったハッピーラピッドのリーダーさんだぜ」

「そっか……」

 

 と、辛そうに俯くチビ助。

 ううむ。そりゃあ、そうだよなぁ。

 自分の憧れだったアイドルが急に『敵』として現れたんだ。

 普通は混乱するだろうし、ましてや戦うなんざ絶対に無理な話だろうよ。

 いやはや、どうしたもんだか。そう腕を組もうとしたところで――

 

「すっごい!」

 

 そいつは、バッと顔を上げたかと思うと、

 

「すごいよっ! 本物のシャオちゃんだっ、わーい、わーい! 芸能人さん初めて見たよっ」

 

 ぴょんこぴょんことその場でジャンプし始めたではないか。

 まさかの反応にズッコけそうになる俺。

 

「あ、あのなァ……」

「にゃはは。やっぱり近くで見るとめっちゃんこ可愛いなぁ、お肌もちもちつやつやだし、髪もさらさらふわふわで綺麗だし。ねっねっ、しゃっちゃんもそう思うでしょ!」

 

 そう思うでしょって言われましてもねェ。

 だが、そいつの爛々と輝く眼に気圧された俺は、

 

「えっ、いや。い、言われてみれば可愛いかもな……」

 

 と言う他なかった。

 実際、性格はアレだけれども、見た目だけは飛び抜けてるからな。まあ、目の下のクマは相変わらず酷いが。

 

「いやあ、ももちゃん居ないの残念だよぉ。そうだっ、ももちゃん用にサイン書いて貰っちゃおうかな。ついでにボクの分も――あっ、サインペンないや……。ど、どうしよう。もうこんなグーゼン、二度と無いかもなのにぃ」

 

 喜色満面の体ではしゃいだかと思うと、急に落ち込んだり……。

 手の付けられない興奮状態のチビ助に、俺はやれやれとこめかみに人差し指をあて、嘆息した。



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第五十二石:藍色の光

「おいおい。チビ助、頼むぜェ。サインが欲しいだなんて、んな悠長なこと言ってる場合かぁ?」

「あら。サインぐらい何枚でも書いてあげるわよ。ペンも、こんな時のために持ち歩いてるし」

 

 あっさり了承したかと思うと、マントの中に手を突っ込んでペンを取り出すシャオメイ。

 用意が良いっつーか、それよりも意外な反応に驚いたぜ。

 てっきり、『バッカバカじゃん』とか言って一蹴するものとばかり思っていたのだが。

 

「わ、わ。シャオちゃん、本当に書いてくれるの!?」

「だから書くって言ってるじゃん。なんだったら、このペンもあげよっか?」

 

 ひらひら振られたペンに引き寄せられるように、シャオのもとへと走っていくチビ助。

 

「そ、そのペンってハピラピが結成したときに記念で作った、すっごーく大事なペンじゃ……」

「へぇー。よく知ってるわね。この世に七つしかない特別なペンで、それぞれメンバーの誕生石が埋め込まれてるのよ」

「確かシャオちゃんは十二月だから、ラピスラズリだっけ?」

「うげっ。本当によく知ってんのね……」

「ボク、シャオちゃんの大大、だーいファンだもん! シャオちゃんが写ってるポスターとかフロクいっぱい持ってるよっ。でも、そんな大事なのボクなんかが貰っちゃっていいのかな……」

「大事なんかじゃないわよ、こんなの。どーせ今日で捨てようと思ってたし、あたしのファンに使ってもらえるんなら、こいつも喜ぶと思うわ。別に使わないで売ってもいいケドね。五十万くらいで売れるんじゃない?」

「う、売らないよ! 一生の宝物にするもんっ」

 

 そんな二人のやり取りに、俺はうーんと唸る。

 なんなんだ、こいつは。俺にはスゲェ態度悪いクセに、ゆりなにはやけに優しいじゃねぇか。

 怪しすぎるぜ……。一体なにが目的なんだか。

 そう、訝しげな目で見ていたのがバレたのか、そいつは赤毛ツインの左側をふわっと払って、

 

「なによ、なんか文句でもあるワケ?」

 

 まるで虫けらを見るような目つきとは、よく言ったものだ。

 現実にこんな顔をするヤツがいるとはね……。

 俺が「別に」と言って、顔を背けると、

 

「ねぇ、猫憑き」

 

 ゆりなへと視線を戻すシャオメイ。

 

「ふえっ。ネコツキってボクのこと?」

 

 おそらく猫型の霊獣であるクロエと契約してるからそう呼んでるんだろうな。

 そいつは戸惑うチビ助に構わず、

 

「サイン書いてもいいケドさ。一つだけ、あたしからもお願いしていいかしら」

 

 薄く笑い、スカートの中から尻尾を伸ばすシャオメイ。

 それを見たチビ助は、ギョッと目を丸くして一歩退いた。

 

「お、お願いってなぁに?」

「簡単なことよ……。あたしと戦って欲しいの」

「戦うって――シャオちゃんが何を言ってるのか、わかんないよ」

 

 ジリジリと。

 恐ろしい形相でにじり寄るシャオに、青ざめた顔で後ずさるゆりな。

 もしかしてクロエのヤツ、『恐い敵さん』がシャオメイだってこと言ってねーのか?

 

「頭の悪い、女ねェ……。ピース様が選んだ、あたしとあんた。どっちがよりピース様に相応しいか、決めようって言ってんのよ!」

「ひゃっ!?」

 

 ムチよろしく振り下ろされた尻尾を紙一重で避け、俺のもとまで走って逃げるチビ助。

 かわいそうに、すっかり怯えきったそいつの震える肩を抱いて俺はシャオを睨み付けた。

 

「へっ。そんなこったろうと思ったぜ。油断させておいて殺そうとするなんざ、いささかにスマートじゃないねェ。紗華夢サマともあろうお方が、そんな汚い手使っていいワケ?」

「うるさい男ね。たかだか、こんな牽制如きで死ぬようならそれまでってことよ。まあ、猫憑きはあんたみたいなザコ虫と違って、それなりにあたしを楽しませてくれると思うケド」

 

 口を開けばこいつは……。

 こっちからも何か嫌味の一つでも言ってやろうかと眉をピクつかせたとき、

 

「ど、どうして。なんでシャオちゃんが、ピースのおばあちゃんのことを知ってるの? もしかして、ボクが魔法使いだってこともバレてるのかな……」

 

 腕の中のチビ助が不安げに俺を見上げる。

 って、いやいや。ちょい待ってくれよ。

 

「んな格好して空飛んでんだ、そりゃバレバレだって……。つーか、それ以前によォ。今朝の記者会見を観たとき、あいつの目を見て金縛りになったじゃん? チビ天は平気っつう、俺たち限定の奇妙な金縛りのコトさ。あんな芸当が出来るヤツとくりゃあ、だいたい見当がつくだろうよ」

「…………」

 

 ボーっと俺を見つめるチビ助。

 表情から察するに、やっとこさあいつの正体に気付いたのだろう。

 

「そう、あいつは俺たちと同じ――魔法少女だ。三番目のな。何故かは分からんが、俺たちを殺そうとしている」

 

 というより俺を、だろうな――

 ゆりなに対しては、どちらが強いか決めようとしているだけで殺そうとまでは考えていないと思う。

 なんとなくという言葉はあまり使いたくないけれども。

 ま、なんとなく。

 

 そのままに、あいつが旧や新を超えた魔法使い――紗華夢夜紅であるということまで説明しておく。

 無論、大雑把にだけど。

 

「というワケだ。だから、あいつは敵なの。やらなきゃやられるってなモンで、辛いだろうが解ってくれ」

「…………」

 

 説明は終わったっつうのに、未だに俺の顔を見ているチビ助。

 気が抜けたようなそいつのツラに慌てた俺は、ゆっくりと近づいてくるシャオを横目で見つつ、

 

「お、おい。何をボケっとしてやがんでぇい? お前さんがしっかりしてくれねーと、あいつにやられちまうんだぞ!?」

 

 情けない話だけれども、魔力が残っているチビ助に頼らざるを得ないんだよ……。

 だから、と肩を揺すっていると、不意にゆりなが口を開いた。

 

「しゃっちゃん、その髪どうしたの? 土で汚れちゃってるよ」

 

 って。今更、俺の有様に気付いたのかい。

 なんて思ったが、正気を取り戻したゆりなに安堵した俺は苦笑混じりに、

 

「え? あ、ああ。これね。あの赤毛に踏まれちまってさァ」

 

 別に痛くも痒くもねーけど、そう続けようとしたのだが、

 

「しゃっちゃん、その顔どうしたの? 血で汚れちゃってるよ」

 

 俺の言葉を待たずしてボソッと機械的に呟くチビ助。

 おかしい。

 なにやらどうも――様子がおかしい。

 よく見ると、そいつの目の焦点が合っていないことに気付いた。

 

「ゆ、ゆりな?」

 

 背筋が凍るような感覚に襲われる。

 

「しゃっちゃん。シャオちゃんに、イジメられた、の?」

 

 やけに冷えた口調で言ったかと思うと、眼だけをギョロリと動かして俺を見るゆりな。

 光を失った暗い瞳の奥に、チカチカと藍色の光が明滅しだす。

 その異様な姿に、俺はホバー戦のゆりなを思い出していた。

 これって、まさか……。



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第五十三石:いきなりランクB!? 恐怖のコピー

「そうよ、あたしがこいつを痛めつけたのよ! 這いつくばって許しを請う姿、猫憑きにも見せてあげたかったわ。笑っちゃうくらい無様だったもの」

 

 見やると、腕を組んで仁王立ちのシャオメイ。

 

「おいっ、許しなんて誰が請うか! デタラメ言ってんじゃねぇっ」

「ホント、惨めよね。弱いってかわいそう。そのクセ、デカイ口を叩くんだから、もうつける薬は無いってカンジよね。いっぺん死んでやり直したほうがいいんじゃないかしら」

 

 さらっと無視し、饒舌に俺を馬鹿にするそいつに違和感を覚える。

 なぜ、こいつはチビ助を襲わないで俺を挑発してやがんだ?

 攻撃するなら今が絶好のチャンスだろうよ。

 

「どうして、」

 

 徐々にゆりなの瞳が藍色の光に支配されていく。

 いや、待てよ。もしかして、俺を挑発してるんじゃなくて――

 

「あんたも大変よねぇ、こんな弱くて馬鹿な『ハズレ』なんか引いちゃってさ。本当はもっと強くて賢い人が良かったんでしょ?」

「どうして、しゃっちゃんを、」

「今からあたしがピース様に頼んであげよっか。そこの、その、使えないゴミを処分してくださいってさ!」

「どうして、しゃっちゃんを、イジメるの……かな?」

 

 やがて、完全に光りきった瞳をゆっくりと閉じ、ゆりなは俺の腕の中から抜け出した。

 生気の感じられない後ろ姿に、俺は思う。

 やはりそうだ。この現象――『集束』に違いない。

 

「いくらシャオちゃんでも……ダメだよ。許せないよ」

「チビ助、お前……」

「ごめんね、しゃっちゃん。悪いけど下がっててくれないかな」

「あ、ああ」

 

 言われるがまま半歩だけ下がり、一つおかしい点に気付く。

 俺を『しゃっちゃん』と呼んだってことは集束じゃないのか?

 髪も燃えていないし、体中を纏うオーラや稲光だって変色していない。多少動きが活発化しているけれども、それだけだ。

 だが、しかし。あの眼の光はどう考えても……。 

 そう思案しようとしたその時、シャオメイのスカートから尻尾が飛び出し――チビ助を猛然と襲った。

 

「マズイ! ゆりな、あいつの尻尾は先っぽを自在に変形させることが出来るんだ。大きく避けないと危険だぜ!」

 

 停止しかけた頭を奮い起こして無我夢中で叫ぶと、

 

「そう……。おいで、霊冥」

 

 冷静にそれだけ言い、転がっていた杖を手元へと呼び戻すゆりな。

 そして、尻尾が顔面に到達する瞬前。

 

「らいらい」

 

 杖をくるぅりと回転させたかと思うと、そいつの左手には何故か独特な形の小さい黒鎌が握られていた。

 そ、そんな物騒なモノ一体どっから出したんだ?

 

「サンダーシックル……」

 

 妙な三枚刃で尻尾を器用に絡め取る鎌――全体に黒い雷を走らせるそれを見て、すぐにその正体が霊冥だと知ることになる。

 なるほどねェ。俺のアクアサーベルと似たようなものか。それより、スゲェ反射神経をしてやがるなコイツ……。

 普通あんな正確にあいつの尻尾を受け止められないぞ。というか、避けないで受け止めようと判断したのが、また何とも。

 無謀なのか、はたまた――余裕というものなのか。

 

 どちらにしろシャオメイのヤツ、さぞかし悔しがっていることだろう。

 そう、そいつへと視線をスライドさせると、

 

「あははっ! 思ったとおりだわ。猫憑きの集束の引き金は、この男ね!」

 

 心底楽しそうに笑っていた。

 ああ、やっぱりそういうことかよ。

 俺を挑発していたんじゃない――チビ助を怒らせて、『集束』を発動させようとしていたんだ。

 ふざけた真似をしやがって……。

 

「でも、裏束じゃないのは少し残念ね。あのゾクっとする魔気を間近で触れてみたかったのに。まあ、『表』でも十分楽しめるケドさ」

 

 そう言ってシャオメイが黒い指輪を掲げた、その時だ。

 大音量の警報音が頭上で鳴り響き、それと同時に空に凄まじくデカイ亀裂が走った。

 にゃろう。出やがったな、シャドーめ。

 

「空の亀裂に気をつけろ、ゆりな。こいつの持つシャドーは、ランクAのとんでもねぇ模魔だ。穴が開いたら最後、闇に飲み込まれちまうぞっ」

「うん、わかった……」

 

 相変わらずどこを見てるのか分からない目だが、話は通じるようで良かったぜ。

 それにしても――ここまで巨大な穴を開ける力がシャドーにあったなんて、思いもよらなかったな。

 ま、どうせ俺相手じゃあ出すまでも無かったってことだろう。とっておきの大召喚は、お楽しみの対チビ助戦で、ってか。

 

「チッ、なんてタイミング。せっかく良いところだってーのに、邪魔しやがって……」

 

 亀裂を睨むシャオメイの顔に、何故か焦りの色が見える。

 どういうことだ、と訊ねるよりも前に、そいつは俺に向かってこう言った。

 

「バッカバカじゃん。鳴き声で判らないのかしら。あれはシャドーじゃなくて、コピー・ザ・ヨムリエル……十四番目の模魔よ」

「あ、あれが、模魔コピー!?」

 

 破れた空から巨大な顔をのぞかせるソレに、足が勝手に後ずさりをしてしまう。

 体躯こそホバーと同じくらいだが、その形状がまた……なんと言ったらいいものか。

 端的に言えば、虫だ。それも、よく見慣れた虫――カブトムシの形をしていた。

 とは言え、仮面のハチドリやモノアイの鮫のように、そのままの姿をしているわけではない。

 

 鈍色の鎧のような分厚い外骨格に、四本の脚。次いで四又の長い頭角に、突出した四つの複眼。

 そして、悠々たる動きで広げられる四枚の鞘翅。

 うげぇ……。いささかになんてモンじゃねェな。めちゃくちゃに気味が悪ィ。

 

 コピーは下手くそな飛び方で、(むしろただの滑空かも)音も無く近場の屋根へ降り立つと、四つの目をせわしなくキョロキョロと動かした。

 

「なに、してやがんだ?」

「……誰を食べようかって吟味してるんじゃないの」

 

 た、食べるって。

 

「笑えん冗談だぞ」

「あら。冗談かどうかは、身をもって確かめてみればいいわ。少なくとも笑えるとは思うけれども」

 

 あたしにとってはね、と言い足してシャドーの指輪に口づけをするシャオメイ。

 

「あっ、テメェ逃げるつもりか!」

「当然でしょ? 霊鳴も霊獣も無しで、どーやってあいつと戦えってーのよ。第一、このあたしがわざわざ出張る必要なんて無いの。集束状態の猫憑きがいるんだから、あんな低ランクの模魔なんてちょちょいのちょいでしょ」

 

 あんな低ランクのって――ジュゲムさんは名前だけじゃなくてランクまで知ってるのか。

 

「まぁね。たしかランクBだったハズよ」

 

 それだけ言うと、ひらひらと手を振って闇の中に消えていくシャオ。 

 

「ランクBが低ランクだとォ!? って、どこに行きやがった」

 

 辺りを見回すと、意外にもすぐにそいつは見つかった。

 右前方、建設中の超高層ビルの屋上――クレーンの先端に、さも自分は無関係な観客だと言わんばかりの態度で座っている。

 つまりは、横柄なあぐらってヤツだ。

 

「くそったれが……」



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第五十四石:重装甲コピーvs集束のゆりな

 大体、ランクAの模魔を持ってるクセに戦えないなんて絶対ウソだろ。

 紗華夢の力でシャドーを捕まえたように、コピーもサクッと捕まえてくれりゃあいいのに。

 そう俺がジーッと睨みつけていると、急に耳元に息がかかる。

 

「ひゃうっ!?」

 

 振り向くと、ニヤリと唇をひん曲げたシャオの口がそこにあった。

 なんだ、口だけシャドーを使って移動させたのか……。

 相も変わらず何でもアリな模魔だな。

 

「きゃは。情けない声出しちゃって、ダッサー」

「うるせェな……。尻尾巻いて逃げ出したヤツが何の用だよ」

「あら、尻尾は巻いてないわよ。縮めただけだし。でもさ、コレ体の中に全部入らないからちょっと不便なのよね。二十センチぐらいは出ちゃうから、下着にいちいち穴を開けなきゃなんないのよ」

「そういう意味じゃねーよ。というか、そんな使いどころの無い尻尾ウンチクなんざどうでもいい。用があるなら、それをさっさと言ってくれ」

「ハイハイ。あれよ、ザコ虫のクセに目が良いなって感心してサ。よくあたしのことすぐに見つけられたわね?」

「そりゃあ……存在感のあるマントがバサバサ風になびいてりゃ、すぐに気付くって」

 

 ふうん、と意味ありげにそいつは唇を尖らせると、

 

「ま、いいわ。見つけたご褒美に、一つだけ面白いことを教えてあげる」

「面白いことォ?」

「ふふっ……。模魔コピーはね、『脱皮』するの。そうなったら厄介なことになるわ。ま、あんたに出来ることと言えば、脱皮前に猫憑きが倒してくれるようお祈りするくらいしかないわね」

 

 そう言い残すと、裂け目は跡形も無く消えてしまう。

 脱皮。それは動物が成長の過程で皮を脱ぎさる行為。文字通りの意味だ。

 未だに獲物を探している様子の節足動物を見ながら、あの重装甲の中に何が隠されているのだろうと考える。

 

「脱皮が厄介ねェ……」

 

 ヘビやらクモの脱皮を思い出してみるが、やったところで姿自体はあんまし変わらないように思えるが。

 つーか、戦闘中に脱皮なんてモンをしちまったら、体が軟化して不利になるんじゃないのか、という疑問が出てくる。

 ううむ。模魔の場合は例外とか?

 まぁ、考えたところで答えは見つかるはずも無いワケで……ともかく、この情報はチビ助に伝えておいたほうが良さそうだな。

 俺は、無表情のままコピーを見上げているチビ助に向かって、

 

「ゆりな、シャオ曰くコピーは『脱皮』をするらしい。本当かどうかは分からないが、そうなっちまったら面倒なことになる! だから早めにケリをつけなきゃならねェ」

「うん……わかった」

 

 やがて標的を見つけたのだろうか、コピーの複眼がいっせいにチビ助の方へ向いた。

 

「来るぞ!」

 

 やにわに飛び上がったかと思うと、急速で滑空。

 そしてチビ助の眼前へ降り立つと同時に、両前脚を振り下ろすコピー。

 バッテンの軌道を描いたそれだったが、紙一重で避けられる。

 ……凄まじい跳躍によって。

 グングンと空を駆け上がるチビ助に俺は唖然とするしかなかった。

 

「うっへぇ、なんてデタラメなジャンプ力……。集束状態だからあんなに高く跳べるのか?」

 

 そう呟いたとき背後から、

 

「否定。あのジャンプ力はお姉ちゃまの能力なんです。パパさんがコロナの羽で飛べてるように、お姉ちゃまと契約すると特典として凄いジャンプ力が手に入るのです」

「はぁ。なるほどねぇ、霊獣ごとに色んな付加能力があるってワケね。いささかに凝ってらっしゃる……って、コロ美!?」

 

 振り向くと、そこにはペリドットカラーのストレートロングという髪型の眠そうな幼女――チビチビ助が浮かんでいた。

 そいつはパジャマ姿のまま、タッパーに詰められたすき焼きを、モグモグごっくんと美味しそうにほお張っていた。

 何故ここにいるんだとか、もう石風邪は良くなったのかとか、色々訊きたいことはあったのだけれども。

 まぁ、とりあず。

 

「行儀悪ィぞ、コルァ」

 

 高速のフロストチョップをド頭にぶち込んでおく。

 当然油断していただろうチビチビ助は、シラタキをすすってる途中だった為、「ふぐぅなんです!」というトンチキな鳴き声と一緒にそれらを吹き出した。

 

「けほっけほっ。パパさん、ひどいんですっ。コロナは病み上がりなのです、もっと優しいチョップにして欲しいんです」

「言ったじゃんか。治ったら厳しくするから覚悟しとけってさ。そんだけ元気があるんだから、もう優しさレベル下げていいだろ」

「やだっ、まだ治ってないんです。下げちゃヤなのです!」

「はーい、今下げましたァ。もう無理でーす、一旦下げたら一週間は上がりませェん」

 

 そう言って、口角から垂れ下がってるシラタキを強引に口の中へ押し込んでやる。

 コロ美は俺に抗議の視線を送りながら、それを頑張って咀嚼して、

 

「……それにしても、パパさんもお元気そうで良かったのです。一つだけでもビックリなのに、大きい気配が二つも同じところに出たので、急いで飛んで来たんです」

「気配――ああ、確か気配察知だっけか。でもそれって、おおよそしか出来ないんじゃなかったか?」

「肯定。でも、どっちも出してる魔力波が凄すぎるんです。あそこまで膨大だと、むしろ気付いてくれって言ってるようなものなのです」

 

 コロ美の話をまとめると、こうだ。

 一つ目の巨大な気配にびっくりしたコロナはすき焼きを持ってきたゆりなに気配のこと、ついでに俺とクロエが居ないことを伝えた。

 それは大変、もしかしたら何か事件に巻き込まれたのかもしれないと、霊冥を呼んで俺たちを探しに出るゆりな。

 見送ったあと、すき焼きを一人で食べてると、まさかの二つ目が出現。

 これも強大で、さすがに旧魔法少女さんだけじゃ心配だと自分も慌ててベランダから飛び降りた、と。

 一刻も早く魔力を回復させるために、すき焼きが入ったタッパーを大事に抱えて――

 

「魔力が無くちゃパパさんがピンチのとき助けられないんです。変身も出来ないですし……だから大目に見て欲しいんです。普通のときはちゃんとお行儀良く食べるのです」

 

 言って、大急ぎで豆腐を口の中へと詰め込むコロナ。

 

「むぐっ!?」

「お、おい大丈夫かよ」

 

 チビっこい体して、あんなデカイ豆腐を丸々飲み込もうなんざ、無理に決まっている。

 咳き込んだチビチビの背中をさすりながら、俺は気付かれないように小さくため息をついた。

 こんなに寒い中。こんなに冷え切ったすき焼きを。こんなに急がせて。

 なぁにが、「もうムチャはさせねェ」だよ。さっそくムチャさせてるじゃねぇか……。

 

「パパさん、ありがとなんです。背中さすさすのおかげで豆腐さんをやっつけることに無事成功したのです」

「そ、そうか。急がなくていいからな……。良く噛んで、味わって食べな」

「肯定なんです。そういえば、気配の一つがコピーということは見れば分かるんですが、もう一つの凄い魔力波を出してる模魔はどこにいるんです?」

 

 おそらく最後の楽しみに取っておいたのであろう、パイナップルの一切れを口に放り投げてそんなことを訊ねるコロ美。

 そうか、デカイ気配は読み取れても正体までは分からないんだったな……。

 

「ああ、もう一つの気配の正体はシャオだ。あそこに座ってるヤツだぜ。あいつは模魔じゃなくて――」

 

 と、言ってクレーン先に座っているであろう黒マントを指さそうとするが、

 

「!?」

 

 いきなり足元へと突き刺さった瓦の数々に、二人同時に固まる。

 その瓦の雨は止むことを知らず、弧を描いてどんどこ飛んできやがる。 

 

「あぶねぇあぶねぇ……。コピーめ、ヤケクソになってんな」

 

 様々な家の屋根を渡り歩いては、未だに上昇を続けているゆりなに、前脚で剥がした瓦をぶん投げるという攻撃をしているコピー。

 実は数分前からこんな調子だった。

 だから、(一応チラチラ気にはしていたが)コロナと話せる余裕があったのだ。

 しかしながら……駄々っ子のように瓦を投げまくるあいつを見るに、そんな悠長な時間はいささかにも――

 

「クッ……! らいらい、プラズマドーム!」

 

 チビ助による突然の呪文に、ビクッと顔をあげた……その時だった。

 俺の顔面、数センチ先で何かが飛散していき、そして同時に爆竹のような破裂音が聞こえた。

 

「こ、これは?」

 

 俺とコロナの周りを覆うように形成された、小さな半球型の光るカゴ。

 藍色の光と限りなく黒に近い紫光が網目状に交錯しており、その交錯した部分から時々小さな火花が発生している。

 独特のスパーク音から察するに、おそらくこれはゆりなの出した雷防壁だろうな。プラズマドームとか呪文唱えてたし。

 にしても、合間合間から見える星空も手伝ってか、凄まじく幻想的で綺麗な防壁だ。



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第五十五石:完全召喚!ホバーを呼び出したゆりな

「ふぁあ。まるでコロナたちメロンパンの具にされたみたいなんです」

「お前さんはこれがメロンパンに見えるのか。確かにそんな模様と形だけれども。つーかメロンパンって具が入ってない気がするぞ」

「とっても、とっても、不思議ちゃんなのです」

 

 それは、この雷防壁自体のことを言ってるのか、それともメロンパンに具が入ってないことを言ってるのか。

 ま、どっちも不思議だけれども。

 そう俺たちが、ボケらっと防壁を眺めていると、

 

「ねぇ、キミさぁ。誰かを傷つけようとするってことはねぇ……」

 

 網目の間から見えるチビ助が、ボソっと呟き、杖の持っていない方の握り拳をゆっくりとコチラに向けて突き出した。

 ん、ちょっと待てよ。あんなに遠くに居るのに、なんで声がハッキリ聞こえてくるんだ?

 しかも、ちゃんとボソっと出した感じが分かったぞ。

 

「魔力を持つ者同士なら、どんなに遠くにいても無線のように声をキャッチすることが出来るのです」

「へえ、そうなのか。いちいち近寄らなくても作戦を立てられるってワケね。便利なこった。それはともかくとして……チビ助のヤツ、一体何をする気なんでェい?」

「うーん。目が光って尾を引いてるということは、集束をしてるってことなんです。とすれば、きっとまたとんでもない魔法を出すつもりかもなんです」

 

 やっぱり、それしか考えられないよなぁ。

 低速だがまだまだ上昇をやめないゆりなの目から放たれる藍色の光。

 残光として夜を美しく彩るそれに、俺は不安を隠せない。

 はたして、チビ助の突き出した拳がクルリと回りだす。そして、それがピッタリ百八十度ほど半回転したときだ。

 

「自分もね――自分も、傷つく時が来るってことなんだよ……ッ!」

 

 叫んだと同時に、集束の光が一気に倍増し、真っ逆さまに落ちるゆりな。

 そのままの格好で、そいつは握り拳を開いたかと思うと、

 

「反転ッ! らいらい、プラズマァア、ドォォオムゥウ……」

 

 地響きと共に、俺たちを覆っていた雷防壁がメキメキと音を立てて裏返っていく。

 次に、俺たちの足元に突き刺さっていた瓦や、さっき飛散していった何かの細かい欠片などが、裏返った防壁の中央へと、一斉に集まる。 

 

「わ、わわ。ぱ、パパさん!? 恐いんですっ」

 

 俺だって何が起こるか分からないし、いささかに恐いさ。

 でもよ、あいつはあのドがつく程の優しいゆりなだぞ。俺たちに危害を加えるハズが無いだろ。

 胸に飛び込んで来たチビチビの背中をぽんぽん叩きながら、

 

「落ち着けって。大丈夫、ジッとしてれば安全だ……。ゆりなを信じろ!」

「こ、肯定、なんですぅ……」

 

 コロナが涙目で答えたと、ほぼ同時に、

 

「リフレクション!」

 

 と、呪文を唱え終えるゆりな。

 その声に呼応するかのように、中心部に溜まった無数の瓦や塵がコピーへと向かっていく。

 もちろんそのままの形で向かうのではなく、それぞれ凄まじい電気を身に纏っているワケだが――

 

「これが『プラズマドーム・リフレクション』か……。瓦礫も何も、全部まとめて反射したってことかィ」

 

 リフレクション、確かこれは反射って意味だったハズだ。

 中学一年生の頃、英語の成績が二だった俺でも分かるぞ。

 まあ、漫画で得た知識なのだけれども。知識は知識さ。

 

 しかしながら――直撃を食らったコピーの苦しそうな様相を見るに、ただの瓦礫によるダメージだけではなさそうだ。

 纏っている雷の力も当然の如くあるとは思うが、あのプラズマドーム自体の魔力も加算されている気がするぜ。あくまでも当て推量だけれども。

 

「いやはや、なんとも。バリアという役割だけではなく、攻撃も兼ねているなんざ、なんともまあ便利っつうか、強力な魔法だねェ」

 

 あの魔法一辺倒で大体の模魔は倒せるんじゃないのかね。

 うーむ、羨ましい限りだぜ。俺の氷魔法でアレと似たようなの作れねぇかなぁ……。

 なんて、そんなことを考えていると、

 

「パ、パパさん。旧魔法少女さんが落っこちてるんです!」

「えっ!?」

 

 コロナの声に慌てて空を見上げると、なんとチビ助がドンドンと急速落下してしまっているではないか。

 そういや、ドームの裏返し魔法を詠唱し始めたときから落ちているような……。

 もしや、反転魔法を唱える際にジャンプの勢いを殺してしまったからか?

 って。んなことよりも早く飛んで行って、チビ助を助けねーと!

 

「おい、チビチビ。変身して、ゆりなを拾いあげるぞ!」

「む、無理なんです。あんなに遠いところでは急いで変身しても間に合わないのですっ。コロナが元の姿だったら追いつくかもですが、戻るのにも時間がかかっちゃうですし……」

「チッ……!」

 

 確かに距離が遠いし、それに最初にやったハイジャンプでいくらか高さに余裕があるとはいえ、あの落下スピードだ。

 今から変身して飛んでいっても、十中八九間に合わないだろう。

 でもよ――だからって、このまま見殺しになんてさせてたまるかってんでェい!

 

「つべこべ言ってねぇで変身すっぞ、コロ美。これはご主人様による直々の命令だ。否定つったら、お尻ぺんぺんの刑に処すっ」

「こ、肯定、」

 

 チビチビが頷きかけたとき、

 

「しゃっちゃん、ありがとね。でも、ボクは大丈夫だよ……」

 

 そんな優しげなゆりなの声が耳に入ってきたかと思うと、

 

「我は欲す、汝が纏う忌むべき力を。おいで、ホバー・ザ・ルヒエル!」

 

 模魔の召喚を、それも完全召喚の呪文を唱えたではないか。

 名前を呼んでキスをするだけでいいよ、なんてあの時言ってたのに――完全召喚の呪文を知っていたとは。

 だったら初めからそう教えてくれりゃあいいのに。

 頭の中がモヤモヤし始めたところで、

 

「旧魔法少女さんは、ネオンの召喚でたくさん練習をして、コツを掴んだのだと思うのです。詠唱を省略しても模魔が出るから大丈夫だって思って、それでパパさんにそう伝えたのかと」

「ネオンって、シャオが言うには俺が来る直前に捕まえた模魔のことだろ? 直前がどれくらいのことを言ってるのか分からんが、そんな短期間で詠唱カットをマスター出来るとは、いささかにも思えないのだけれども」

 

 そう言うと、未だに俺の腕の中に居るコロ美はうーんと唸って、

 

「そういえばそうなのです……。でも、あの人の才能ならちょっとの時間でコツを掴めたのかもしれないんです」

「ふーん。才能、ねェ」

 

 と、チビ助をちらりと見やる。

 足裏から振りまかれている濃緑色の光の粒子のおかげか、落下せずに浮いている状態――いわば滞空モードとなっているゆりな。

 おそらくアレは、背後に佇んでいる大人しそうな三つ編みメガネ少女、ホバー・ザ・ルヒエルの力によるものだろう。



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第五十六石:失われていく輝き

 しっかし。ホバーのヤツ、やけに顔色が悪いな。俺様の持っているピチピチ肌なハチマキ娘と比べるとまったくもって違うぞ。

 ふうむ。いっちょ、コロ美に訊いてみるとするか。

 

「なあ、チビチビ。ホバーの顔がどうも青白いように思えるのだけれども。これって、やっぱし捕獲の仕方がマズかったからかねェ?」

 

 捕獲方法。

 それは、捕まえる対象の体力や魔力が残り少ない状態、もしくはそいつが魔法使いに服従を誓ったときに捕獲呪文を唱えることで成立する。

 ダッシュはダメージを与えての捕獲という形ではなく、俺の力になりたいと言ってきたから捕獲呪文を唱えた。

 対してホバーはといえば、圧倒的な魔力を持つゆりな――いや、『裏・集束状態の赤いゆりな』の放つ雷撃魔法によって一発で瞬殺され、そして捕獲となった。

 というよりも。あの惨状を見るに、捕獲ではなく捕食と言ったほうが正しいのだろう。

 今でもあのけったくそ悪い光景が頭に焼き付いているぜ……。

 つーか、よくよく考えてみたら、捕獲する前にホバーは死んでいたハズじゃないのか?

 顔色が悪いとはいえ、よく無事な姿で出てこられたな。

 

「いや――もしかしたら他にもおかしな点があるかもしれねェな」

 

 と。もう一度、人間の姿のホバーを観察してみる。二つに分けた三つ編みおさげを夜風になびかせている儚げな半透明少女。

 特徴的なところと言えばディープグリーンという髪色程度で、他はメガネくらいしかない。

 メガネつっても普通のどこにでもあるメガネだからなぁ、なんともそれ以上言うことが見つからん。

 てか、ゆりなと同じか少し上くらいに見える容姿のくせに、やけにキチンとした制服姿だな。

 着こなしの問題かもしれないが、どうも固っ苦しいねぇ。長すぎるスカート丈をちょいと短くするだけでだいぶ垢抜けて見えると思うのだけれども。

 

 俺の舐めるような視線に気付いたのか、ホバーはゆっくりとした動作でメガネをクイッとあげると、コチラへと顔を向けた。

 その表情たるや……。明らかにヘンタイを見る目つきだった。

 最大限の侮蔑を込めた冷ややかな琥珀色の双眸に耐え切れるハズもなく、すぐさま目を逸らし、

 

「コホン……」

 

 小さな咳払いを一回だけしておく。

 と、ともあれ。顔色以外のおかしな点は無さそうだな。

 だとすれば。ホバーはダッシュやシャドーのように通常の模魔として機能するということなのだろうか。 

 

「ふわぁ。なんだか難しいこといっぱい考えてるのです。パパさんって、テキトーさんな時とマジメさんな時の差が凄いんです。別人さんみたいなのですっ」

「おっとっと。それは褒め言葉として捉えて良いのかィ?」

「いささかに、なんです」

 

 おいおい。いささかにの使い方、ちと間違ってねーか。

 ま、俺も人のこと言えないケドさ。

 

「んで、それはともかくとして。恐縮だけれども、ホバーの顔色についてそろそろ回答のほどよろしく頼みますんで」

 

 言うと、そいつは腕の中から飛び出して俺の頭上へとよじ登った。

 

「た、高い高いしてくれたら答えてあげないこともないんです」

 

 突飛な発言に、少々面食らってしまう俺。

 

「……なんだァ? んなもんイヤに決まってんだろ。てめぇの羽があんだから、それでセルフ高い高いしろってんでェい」

「うーっ! 否定、否定っ! パパさんにしてもらいたいんですぅ!」

「おい、やめろって。人の触覚を引っ張んなっ」

 

 猫つかみの要領でコロナをひっぺがし、眼前に持ってくると、

 

「うー、パパさぁん……」

 

 涙目で懇願してきやがる。

 急にどうしたんだよ、こいつ。

 なんでこの場面でワガママを言い出すっつうか、甘えてくるんだ?

 別にすんなり答えてもいい質問だろうよ。

 

「うーうー言っても、やりたくねぇモンはやりたくねぇの」

「じゃあ、じゃあ。良い子良い子って撫でて欲しいのです」

「……チビチビィ、いい加減にしろよな。この状況わかってんのかぁ? こう着状態とはいえ、チビ助とコピーはまだ戦ってんだぞ。いくらなんでも緊張感無さ過ぎだって」

 

 戦ってる最中、いきなり俺がチビチビを高い高いし始めたらおかしいだろ……。

 シャオメイのヤツになんて言われるか。それにクロエにも文句言われそうだ。ゆりなとの合体中で俺たちのことが見えるのか知らんが。

 ま。一番の理由は、単純に面倒くせェからだけれども。

 

「肯定……なのです」

 

 頑なに拒否する俺に、コロ美は諦めたようにため息をついて口を開いた。

 

「さっきパパさんが言っていた捕獲の仕方が問題じゃないんです。旧魔法少女さんがホバーを完全に『破壊』したのが問題なんです」

「んん。破壊ってのは、ホバーが死んだことを言ってるんだよな」

「うーん、まぁそういうことなのです」

 

 奥歯に物が挟まったような言い方だな。

 

「模魔は丈夫に造られているので強い魔法を受けてもそうそう壊れないんです。それにホバーはランクもCと高いほうですし、自己治癒能力もあったハズなのです。でも、あの魔法はその治癒が発動する間もなく一瞬でホバーを……」

 

 あの魔法――ヴォルティック・エンドのことか。

 赤い満月のような巨大な雷球。

 確かに、あんなバカげた魔法ではホバーと言えどひとたまりもないだろうな。

 

「あそこまで破壊してから捕獲しちゃうと、ちょっと困ったことになるんです。多分、それが顔色の悪さに繋がると思うのです」

「ちょっと困ったことって?」

 

 コロナは少しだけ考える素振りを見せてから、

 

「模魔の召喚は、変身や、杖が無くても呪文を唱えて宝石にキスをするだけでいつでも発動出来るのが強みなんです。さらに言えば、パパさんの魔力がすっからかんでも、召喚可能なのです」

「ああー。ダッシュを召喚したとき、やけに気前がいい話だなって感心したっけか。俺の魔力が無くても出せるなんざ、本当に便利な指輪だねェ」

「どんなピンチも切り抜けることの出来る、さいきょーの切り札! と、言いたいところなんですが……指輪による召喚には弱点があるんです」

 

 まあ。

 そりゃあ、なんのデメリットも無しに使い放題ってぇのは、さすがに出来すぎた話だよな……。

 

「オーケイ。んで、その弱点っつーのは一体なんなんでィ」

「……乱用すると少しずつヒビが入ってきて、最後には消滅しちゃうんです」

「消滅だぁ!?」

 

 思いがけない言葉に、俺はすぐさまダッシュリングへと視線を落とした。

 

「さ、さっき、チビ鮫にちょっとだけムチャさせちまったような……。大丈夫なのか?」

 

 色んな角度から見てみるが、どうやらヒビどころか傷ひとつない新品状態だったようで。

 

「あっぶねぇ。やっぱ引っ込めておいて正解だったみてーだな」

 

 ふぅっと、安堵の息をつきながら指輪を眺めていると、遊泳しているダッシュと目が合った。

 俺に気付いたそいつは、一生懸命にバシャバシャ泳いでこちらへと向かってくる。

 

「これはこれは。元気そうで何よりってね」

 

 なにげなしに鮫状態のそいつを指先でつついてみる。すると、俺の指に合わせるようにぴたりとヒレをくっつけてきた。

 試しに指をひょいひょいっと動かしてみると、そのたびに様々な泳ぎ方でついてくるじゃねーか。

 ははっ、おもしれぇヤツだなコイツ。なんか水族館の調教師にでもなった気分だぜ。

 これを見世物にすりゃあ、いささかに金が稼げるかもな……なんて内心ニヤついてると、

 

「むーっ! パパさん、ダッシュと遊んでる場合じゃないんです。説明してる途中なのですっ」

 

 むくれっつらのコロ美がヌッと顔を出してきたではないか。

 

「あ、ああ。わりィわりィ」

 

 つーか、遊んでる場合じゃないって。高い高いしてくれとかダダをこねてたヤツの言うセリフじゃないような……。

 

「ともかくですね、破壊しての契約だとヒビが急激に入っちゃうんです。つまり、ホバーはいつ消滅してもおかしくないボロボロな状態になっちゃったんです。きっと顔色の悪さはそれかと。まあ、フツーに弱らせてから捕獲すれば、ヒビがあまり入ってない指輪になるのですが」

「つぅことは、捕獲するだけなら大ダメージ与えたほうがいいけれども、それだと契約してもあまり召喚出来なくなる――だから、なるべくダッシュのように円満解決しろってこと?」

「肯定なんです」

「肯定ですよね」

 

 言うは易し、行うはなんとやら……。

 こちとら死に物狂いなんだ、円満解決を試みている間に頭からザックリとやられちまうっての。

 大体、成功例のダッシュについても、なんで俺を認めてくれたのか未だによくわかんねーし。

 ともあれ、これでようやっと顔色について納得がいったぜ。

 

「いやはや。こう言っちゃあなんだけれども、死んだのにケロッと出てくるわ青ざめた顔をしてるわで、まるでホラー映画のゾンビみたいで気味がわりィよなあ。おまけに半透明だし、幽霊も混ざってらァ」

 

 と。ケラケラ笑いながら冗談を言う俺に、

 

「そう、ですよね……。あの姿を見たら普通の人は気味が悪いと思うです。それが当然なのです。当たり前の反応なんです。わかって、いるのです……」

 

 なぜだか寂しそうに呟くコロナ。

 予想だにしない反応に首を傾げていたのも束の間。

 そいつが泣く前兆――鼻をすすり始めたところで、

 

「ダメ! お願い、戻って……プラズマドームッ!」

 

 ゆりなの声がしたかと思うと、裏返っていたままのプラズマドームが爆音とともに俺たちを覆っていく。

 

「…………?」

 

 再び防御壁モードとなったドームを驚くままに見上げていたのだが――耳をつんざくような凄まじい破裂音に、ハッと気付いた。

 そうだった、チビ助とコピーはまだ戦ってる最中だってーのに。いつまでもノンキに道のど真ん中で喋ってる場合じゃねぇだろ!

 舞っていた砂ぼこりが晴れていくと、その先には分厚い鎧をガチャガチャと鳴らすカブト虫――コピーの姿があった。

 あれだけリフレクションの雷撃を喰らったにも関わらず、四つの黒い瞳の輝きは一つも失われていない。

 

 そいつは、すっかりハゲてしまった家から三軒ほど離れた家に飛び移ると、またぞろ瓦を投げてきやがった。

 しかし、ゆりなもそれを見逃すことはなく、もう一度リフレクションを唱える。

 そんな応酬の中、

 

「しゃっちゃん。ボクの声が聞こえるかな?」

 

 不意に耳に入ってきたチビ助の声に、

 

「あぁ、聞こえるぜ! すまねぇ、逃げなきゃいけなかったのにボーっとしちまってて……」

 

 慌てて俺は謝った。

 せっかく攻撃から守ったというのにいつまでも無防備なまま突っ立ってるんだ、怒られてもしょうがない。

 つーか、俺だったら絶対キレてるぜ……。

 だが、ゆりなは一言も俺たちを責めることなく、

 

「あのね。せーのでドームを持ち上げるから、その隙にしゃっちゃんはコロちゃんを抱いて安全な場所まで逃げてほしいの。にゃはは。ちょっち、守りきれる自信がないかもだから……」

「チ、チビ助……」

「ごめんね、しゃっちゃん」

 

 どうして。

 どうして、そこでお前が謝るんだよ――謝らなきゃいけないのは俺のほうなのに。

 足手まといの俺が謝らなきゃいけねーのに……。

 悔しさでこみ上げてくる涙をどうにか押し戻しつつ、俺はゆりなに向かって叫んだ。

 

「オーケイ。いつでも準備出来てるぜ!」

「ほいっ」

 

 次の瞬間、チビ助の手に暗い光が集まっていく。

 藍色のオーラじゃないってことは、これは霊冥の放つ光か?

 

「ぽ~よよん、ぽいぽいー、ぽんっ! らいらい、サンダーシックル!」

 

 三枚刃の鎌へと姿を変えた霊冥をプラズマドームへと投げつけて、

 

「掴んで、シックル!」

 

 言うが早いか、三枚の刃が器用にも雷の網をガッチリ捕らえていた。

 てか、掴んだはいいのだが、霊冥を丸ごと投げつけちまってどうするんだ?

 

「パパさん、霊冥と旧魔法少女さんの間に雷の鎖が見えるんですっ」

 

 コロナの指差す方向には、確かにキラキラと光る鎖のようなものがあった。

 鎌とチビ助を繋ぐ雷鎖――

 

「これってもしかして、鎖鎌ってヤツか?」

 

 しかし、感心してる暇もなく、

 

「しゃっちゃん、いくよ! せーの!」

 

 掛け声とともに分銅(ここからではよく見えんが、おそらく霊冥の宝石部分だろう)を引っ張って、ドームを持ち上げていく。

 

「おおっ」

 

 コスチュームの力だろうけど、すげぇパワーだな……。あのドームを軽々と持ち上げてしまうだなんて。

 

「わっ。パパさん、はやくはやく!」

 

 やべぇ、だから感心してる暇はないんだっての。

 上がったドームの隙間からコロ美を抱いて無事脱出。

 ふーっ。あとはチビ助の邪魔にならないところまで逃げるだけだな。

 そうだ、その前に礼のひとつでも言っておかねーと。

 

「さんきゅうなっ、チビ助」

 

 浮かびながら肩で息をしているそいつに呼びかけたのだが――俺はそこで気付いてしまった。

 

 ホバーの出す光の粒子の量が減っていることを。

 魔法の詠唱が省略化されていないことを。

 いつもの口調に戻っていることを。

 

「ゆ、ゆりな? おまえ、まさか……」

 

 ゆっくりと顔をあげたその瞳からは輝きが失われつつあった。

 切れかかった電球のような激しい点滅。

 つまり、それは――

 

「ごめんね。しゃっちゃん……逃げ、て」

 

 辛そうな笑顔でもう一度俺に謝ったゆりなの背後に、けたたましい翅音が迫っていた。



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第五十七石:二つの走行モード

「ここから……ここから先へは行かせないんだからっ!」

 

 キッと表情を変えて振り返ると、コピーの顔面に向かって右手を突き出し、

 

「ぽぉよよんぽよん、ぽいぽいー、ぽんっ!」

 

 呪文を唱え終えるよりも前に、お馴染みの雷撃魔法『ライトニング』を放つチビ助。

 しかしながら、杖無し状態で唱えたため、普段よりも細い雷撃となって放出されている。

 

「手のひらからライトニングって。どうして杖を使わないんだ?」

「わからないんです……」

 

 依然として鎖鎌状態のままドームを鷲掴みにしている霊冥。

 杖に戻してから撃ったほうが良さそうだけれども、なんて思っていると、上からバチバチッと音を立てて分銅――黒い宝石が落ちてきた。 

 完全に霊冥を手放しただと?

 続々と沸いて出てくる疑問符をかきわけて空を見上げてみたのだが。そこでさらに巨大な疑問符と出くわしてしまった。

 

「行かせない、行かせない、行かせない……ッ!」

 

 なぜなら、ゆりなの体全体を巡るように流動している藍色のオーラが時折赤く光っていたからだ。

 それと共に、黒い稲光も徐々に赤く染まり出していく。

 

「どういうこった。チビ助の集束は切れる寸前じゃなかったのか?」

 

 さっきの様子から察するに、集束状態が解けていっているのかとばかり思っていたのだが。

 この現象は、どうみても――

 

「パパさんの考えてるとおりなのです。旧魔法少女さんがまた集束を発動したんです」

 

 冷めた目で事も無げに言うチビチビ。

 

「またって、おいおい。チビ助はあのモードに自由自在になれるってことなのか?」

 

 いつの間にそんな修行を積んだのやら……。

 そんな俺の問いにコロナがゆるりと首を振る。

 

「否定。旧魔法少女さんは、無意識の中『再点火』したんです」

「再点火って、もう一回火をつけるって意味のアレのこと?」

 

 今度はこくりと頷いて、

 

「集束の光をもう一度灯す再点火……集束時間を強制的に延ばすって意味なのです」

 

 灯す、ならば再点灯のほうが適切な気がするぞ。

 そんなどうでもいいことを考えていると、またもや俺の心の中を読んだのか、

 

「否定、『火』のほうが適切なんです」

 

 言って上空にいるゆりなへと視線を向けるチビチビ。

 それに倣って俺も顔を上げようとした時、

 

「うわっちっち」

 

 空から無数の火の粉が舞い降りてきた。

 それとともに花火をした後のようなツンとした匂いが鼻腔をつく。

 おかしいな。チビ助とコピーの戦いで、どうして火が出てくるんだ?

 そう不思議に思っていたのだが――

 

「らいらいッ」

 

 詠唱するゆりなの姿を見て、俺は再点火の方が適切だという意味を知ることになった。

 

「チビ助の髪が、燃えてやがる……」

 

 赤く明滅し、火の粉を撒き散らしているゆりなの髪。

 それは、かつてのホバー戦で見たあの姿と同じだった。

 いや。まったくの一緒ではないな。

 あの時よりも黒髪の部分が多くを占めているし、周りのオーラも赤より藍のほうが色濃く出ていた。

 するってぇとつまり……。

 

「まだ裏になりきれてない状態なのです。再点火は完全に火が点くまで時間がかかるんです」

 

 複雑な表情でチビチビが言った直後、

 

「デュアル・ライトニングゥウッ!!」

 

 ゆりなの呪文が発動した。

 自由になった左手を右手へとクロスさせるように重ねて放出する二重の雷撃魔法。

 これがまた、デュアルどころのレベルじゃなく、普段ブッ放しているライトニングの数倍もデカい雷だった。

 こんだけデカけりゃ、さすがのBランク様とはいえ、ひとたまりも無いだろう。

 と、思ったのだけれども。

 

「げっ、アレを喰らって落ちねェのかよ……」

 

 一瞬だけガクッとひるんだ後、すぐに体勢を立て直して飛行を続けるカブト虫。

 直撃を受けたにもかかわらず、これとは――なんともはや。

 

「見た目は凄いですが、杖が無いとどの魔法もイマイチなんです。それにコピーの鎧はもともと雷に対する耐性が結構あるのです」

「電撃耐性とは。相性最悪ってことか……。そりゃ、集束しているゆりなでも苦戦するワケだ」

 

 やっぱ、杖を引き寄せて素直にライトニング連打のごり押しをしたほうがいいような……って、ちょい待ち。

 コピーがチビ助の横をさらりと無視して通り過ぎて行ったんだが。

 行ったっつうか、確実に俺のほうへと向かって来ているような――

 

「肯定。かなり前からパパさんだけを狙ってるんです」

「ええっ!? 初耳だぞ!」

 

 そう驚いている俺に、腕の中のコロナがぼそっと続ける。

 

「だから旧魔法少女さんが再点火しちゃうほどまで追い詰められたんです……」

「追い詰められた? なんのこってぇい」

 

 言った意味がよく分からず訊ねてみたのだが、そいつは俺の胸にムギュッと顔をうずめるだけで何も答えようとしない。

 

「まぁいいや。とりあえずコピーから逃げねーと。ダッシュを呼ぶから、しっかりつかまっとけよコロ美ッ!」

「ぐすっ。肯定なんです」

 

 コロナを抱っこし直して、俺は指輪を勢いよく目の前へと持ってくる。

 

「バカンス中のところ悪いけれども、もう一度頼むぜ、サメちゃんよ」

 

 準備万端だし、と言わんばかりにキラリと光って応える黄金の宝石に、

 

「我は欲す。汝が纏う忌むべき力を! 来やがれぇッ、ダッシュ・ザ・アナナエル!」

 

 呪文を唱えての口づけ。

 少しだけ甘いクリームの香りが口の中に広がった後、俺の背後に腕を組んだチビ鮫が登場する。

 いいねいいねェ。つつがなく召喚出来たぜ。

 この召喚の流れもなかなか板についてきたじゃねーか。 

 

「さァてさて、コピーさんよぉ、追いつけるものなら……」

 

 相も変わらずヘタクソな飛び方でこちらへとにじり寄ってくるコピーに、

 

「追いついてみやがれってなモンで、一つ!」

 

 ビシッと指をさしておく。

 あんなノロマな動きで、俺様のダッシュちゃんに敵うわきゃねェっての。

 啖呵を切った勢いそのままに、走り出そうとしたところで、

 

『え、えっと、その前に自動走行か手動走行、どちらか選んで欲しい』

「へ?」

 

 なんとも気まずそうな顔でポリポリと紅潮した頬をかいているチビ鮫。

 そいつの様子を見て、俺まで恥ずかしさのあまり体温が上昇していくのが分かる。

 うう。すっかり勢いが削がれちまったぜ……。

 

「あ、ああ。選ばなきゃいけないのか。ていうか、それ毎回訊いてくんの?」

『自動、手動、どちらも一長一短。時と場合で、使い分けが肝心。だからお前さんに、ちゃんと訊ねたほうがいいかなって。あななは思ってるの』

 

 言いつつ、食い込んだ赤ブルマを直しているハチマキ娘。

 うーむ、結構マジメな奴なんだな。

 

「そうかい、あななが思ってるのなら仕方ねーな。それじゃあ、今回はどうしようかねェ」

 

 自動、もしくは手動のどちらか。つまり、車で言うところのオートマかマニュアルかみたいな選択だろ?

 車の免許はマニュアルを取るつもりだし、ここは試しに手動走行とやらにチャレンジしてみっかな。

 あのカブト虫もトロいし、練習がてら丁度良いだろうよ。

 

「パパさん、それあんまり関係ない気がするんです。ダッシュの手動モードと車さんとでは全然違うのです」

「まーた、人の心を勝手に。いいんだよ、俺が似たようなもんだつったら似たようなもんなの。いいからチビチビは黙って俺様につかまってなァ」

「こ、肯定」

 

 もう一度、俺の胸に顔を押し付けるコロナをため息混じりに見下ろし、そしてすぐさま後方のダッシュへと目を移す。

 

「んじゃ、そういうこって。今回はマニュアルモードをやってみることにするぜ」

『…………』

 

 ん……? なんだか、ダッシュの様子がおかしいぞ。

 先ほどとは打って変わって、不機嫌そうなツラで俺を見ている。

 

「どうしたんだ、ハチマキ娘? んな、怒った顔して」

『別に……。なんでもないし』

 

 腕を組んでぷいっとそっぽを向いてしまった。

 何が何やら分からねーが、確実にコピーもこちらへと迫ってきているワケで。

 そろそろ巻きで行かねーとな。

 

「いささかに恐縮だけれども、マニュアル走行のほどよろしく頼みますんでっ」

 

 少しばかり焦った口調の俺に、チビ鮫は普段の調子を取り戻して、

 

『了解だし。手動走行へ結晶調整するから、それまでお前さんは、自分の足で後退して欲しい』

「えっ、さっきみたいにすぐに発動してくれねーの?」

 

 シャオの伸びる尻尾から逃げる際、『おっけ』の一言ですぐさま疾駆の能力が発動したような覚えがあるのだけれども。

 

『あれは自動走行だけ。あなながそのままお前さんの足に力を込めて全力で走ったの。でも、手動はちょっと準備に時間がかかるの。だから、とりあえず走って』

「じ、時間がかかるって……。そういうことは、もっと早めに、」

 

 言いかけたところで、前方からけたたましいサイレンが鳴り響く。

 

「ぐっ……!」

 

 耳を塞ぎながら見上げると、そこにはフラフラと夜空を不気味に飛翔する巨大なカブト虫が――俺の眼前へと迫っていた。

 

「い、いつの間に、こいつ!?」

 

 驚愕よりも前に、俺の足は勝手に動き出していた。

 もちろんダッシュの能力ではなく、恐怖によって反射的に動いている。

 マズイ、マズイぞ。いささかにどころのハナシではない。本気でヤバイ状況だ。

 いくらコピーが遅いとはいえ、さすがに『疾駆』無しの足ではすぐに追いつかれてしまう……!



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第五十八石:それはやけに生暖かくて

「はっ、はっ……。や、やっぱし無理があるってェの」

 

 走りながら振り向くと、コピーとの距離がグングンと狭まっていっているのが分かる。

 指輪の速度増加効果があるからまだマシだが、無けりゃとっくに追いつかれちまってるだろうな。

 

「おい、こんにゃろ! どうして俺様を狙うんでェい。杖も無けりゃ変身もしていないんだぜ。そんな奴を狙っても面白くねぇだろ。なぁ、ここは一つ仲良くいこうじゃねーか!」

 

 なんて言っても聞く耳を持たないわけで。

 むしろ、聞く耳すら持っていないようで。

 依然として頭上で回転している敵意むき出しの光輪を見て、俺は小さく舌打ちをする。

 こんな相手、穏便に済ませられるはずがないって。やはり、話を聞いてくれたダッシュは特別だったってことなのか……。

 

「らいらい、ライトニング、ライトニング、ライトニングッ!」

 

 ゆりなが必死にライトニングを連射して足止めしようとしてるが、耐性持ちのカブト虫にとっては蚊に刺された程度なのだろう、平気な顔でこちらに向かってきている。

 ったく。弐式を眠らせたばかりのこの最悪なタイミングにわざわざ登場しなくったっていいじゃねーか。

 しかも、よりにもよって高ランクで雷に強い模魔ときたもんだ。ほとほとついてねェぜ……。

 

 とにもかくにも、今は全力で逃げまくってチビ助の再点火とやらを完全発動させるしかあるめぇ。

 裏・集束状態にさえなっちまえば、いくらコピーといえど一瞬でケリがつくだろうよ。

 

「おいチビ鮫っ、調整とやらはまだなのか!?」

 

 息を荒げて背後を振り返った俺に、

 

『おっけ。結晶調整完了。手動走行用レバー、展開』

 

 空中の何も無いところをやみくもに指でタッチしていたチビ鮫は、そう言い終えると俺に目配せをした。

 

「レバー展開って、一体なにを……おわっ、こりゃなんでェい!」

 

 素っ頓狂な声をあげてしまうのも無理はない。

 何故なら、俺の目の前に二つの魔法陣がいきなり現れたからだ。

 それは手のひらサイズで、金ピカゴージャスな光を放ちながらゆっくりと回転している。

 

『その中に、両手を突っ込むの』

「え、この中にって言われましても……」

『へーき、よゆう。ぜんぜん痛くないし、怖がらなくておっけ』

「あ、ああ」

 

 言われるがままに手を入れてみたのだけれども。

 ぬるっとした生暖かいゼリーに包まれたような感じっつうか、ちょっとなんとも言えん気持ち悪さだぞ。

 しかも魔法陣の先の両手が見えなくなっちまったし。一応、手の感触はあるが――コレ、本当に大丈夫なのかねェ。

 

『ん……っ。そう、もっと奥に、手を伸ばして』

「わかりましたんで、っと!」

 

 勢い良く伸ばした先には、確かに操縦桿のような硬い棒があった。

 なるほど。これが手動用レバーってやつかね。

 

『いたたっ! お前さん、ちょっと、乱暴だし……』

「ん。なんか言ったか?」

『な、なんでもないし。とりあえず、それをしっかり握って欲しい』

「オーケイッ」

 

 グッと握った瞬間、まばゆい光とともに、それまで見えなかった俺の両手が徐々に姿を現す。

 

「おお、すげェ。こりゃまたゴテゴテと。車というよりもどこぞの巨大ロボット並だな」

 

 いくつものスイッチがついた金色の操縦桿。

 思った以上にハイレベルなデザインのそれに、少年心をくすぐられるがまま興奮する俺だったが、

 

「パパさん、喜んでる場合じゃないのです、はやくそのレバーを――ダッシュを操縦して逃げるんですっ」

 

 いつの間に肩車のような状態になったのか、頭上からコロナが俺を急き立てる。

 

「わかってるっつーの!」

 

 とは言ったものの。一体これをどうすればいいんだ?

 説明も無しにいきなり操縦しろっつわれてもなァ……。

 とにもかくにも、スイッチを押してレバーを動かすしかやることはないワケで。

 

「ポチっと、あんど、ゴー」

 

 なんて言いながらテキトーにスイッチを押した次の瞬間、いきなり俺の足裏から火花がほとばしった。

 そして、特大跳躍。

 

「うわわっ! これってば、もしかして、さっきダッシュが使っていた結晶強制なんたらっつうジャンプか?」

 

 そんな動作が出来るスイッチがあっただなんて、というかそれを今、この状況で押してしまうだなんて。

 不運続きで悲しくなってくるぜ。今日は厄日決定だな。いや、今日も――か。

 

 と。心の中で苦笑していたとき、

 

「……グズグズと。いつまでもふざけてんじゃないわよ。やっぱダメねえ。バカは死ななきゃ治らないみたい。いえ、バカは死なれなきゃ治らない――と言ったほうが正しいのかもしれないわね」

 

 不意にシャオの声が聞こえてきやがった。

 まーた、あのヤロウ俺を煽る気だな。

 どうせチビ助を怒らせて裏の発動を早めようって魂胆だろうが、いつまでも言われっぱなしってワケにも――

 

「ひぃっ!?」

 

 突如、頭上から声にならない悲鳴があがった。 

 

「ん? どうしたんだよコロ美」

 

 とりあえずシャオをさらっと無視し、悲鳴の主であろうチビチビの方へと視線を向けようとしたところで――何かを砕くような鈍い音が耳に入ってきた。

 そしてやや半瞬ほど遅れて、背中に凄まじい衝撃を受ける。

 

「ぐがっ……!」

「あうっ」

 

 瞬く間に地面へと叩きつけられてしまう俺とコロナ。

 とはいえ、叩きつけられる寸前にダッシュの放った結晶が衝撃緩衝材よろしく俺たちを守ってくれたのでダメージはほぼ皆無に等しかった。

 もしも、ハチマキ娘がとっさの機転を利かせてくれなかったらと思うと……。い、いささかに恐ろしすぎるぜ。

 

「いっつつ。なにがどうなってんだァ」

 

 そう言い、原因究明を試みようと空を見上げ――るまでもなかった。何故なら巨大な影がすっぽりと俺を覆っていたからだ。

 

「そうか、ちょうどあいつの目の前にジャンプしちまったから叩き落されたのか……くそっ!」

 

 運の無さにもう一度嘆きたくなるところだが。

 しかしながら、ちょっとはまだ運が残っていたようで、そいつは四つの複眼を上方へと向けたままピタリと動きを止めていた。

 

「まさか、俺たちが真下にいるということに気付いてねーのか?」

 

 普通、自分で叩き落しておいて気付かないワケがないと思うのだが――やはり所詮は虫なのか、そこまでは頭が回らないようで。

 まあ、なんにせよチャンスは今しかねぇ。

 とりあえず投げ出されたコロナを拾い上げ、俺は背後にいるハチマキ娘に叫んだ。

 

「ダッシュ! いささかに悪いんだけれども、手動走行から自動走行へすぐに調整しなおしてくれっ」

 

 すると、さっそく切り替え作業に入ったのか、俺の手から操縦桿がフッと消えた。

 

「手間かけさせてすまねェ。マニュアルモードはもっと余裕のあるときに練習しときますんで。いやはや、ぶっつけ本番でやるもんじゃなかったぜ」

『…………』

「あっ、まさか手動から自動走行に戻すのにも時間がかかるとか? だとしたら手動のままのほうが良かったのかねェ」

『…………』

 

 だが、何を言っても梨のつぶて。

 もしかして『おまえさん、模魔使いが荒いし!』てな感じで、ぷんぷん怒ってたりして。

 うーむ。この状況でチビ鮫の機嫌を損ねてしまうのは非常にマズイよなぁ。まさに死活問題だぜ。

 なので。ここは一つ、伝家の宝刀である餌で釣る作戦を実行してみることにする。

 

「えっと、あの。ダッシュちゃんよォ。あとで超美味しいチョコバナナクレープを作ってやるからさ、機嫌を直してもらえるととても嬉しいのだけれども……」

 

 なんて手を揉みつつ振り向いた次の瞬間。

 何故か、ふわっと抱きしめられてしまった。鼻腔をくすぐるはハチマキ娘特有のやけに甘ったるい香り。

 いや、ちょい待て。ふわっとどころじゃねェ。こりゃあ、がしっとレベルにまで達しているぞ。

 

「むぐぐっ!? な、なんなんでェい、こんな時にっ。まさか、お前さんまでコロ美みたいに甘え出す気じゃあないだろうな? ていうか、息が出来ねぇっての!」

 

 と、そいつの胸の中で必死に手をバタつかせながら抵抗していたのだが。

 再びサイレンのような咆哮がしたため、俺はビクッと身をすくめる。

 や、やべぇ。まさかコピーのやろう、俺たちに気付きやがったか!?

 

「おいおい、だぁら今はそんなことしてる場合じゃないんだって。すぐ真上にあいつがいるんだぞっ。いいから放して、」

 

 そう。

 引っ剥がそうと、そいつの背中に手を回したとき、指先にぬちゃっとした何かが触れた。

 それはやけに生暖かくて。

 やけに、生暖かくて。

 やけに――

 

「え……?」

 

 おそるおそる手を眼前に持っていくと、俺の手のひらがとても鮮やかな赤に濡れていた。

 さっきまで真っ白だった体操服が、見る見るうちに赤へと侵食されていく。

 理解が、追いつかなかった。



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第五十九石:あっけないもの ☆

「さ、さっき、コピーがパパさんを爪で狙って……でも、それを、ダッシュがとっさに庇って……」

 

 先ほどの何かを砕くような鈍い音を思い出す。

 あれは、あの音は。

 なんの音、だった?

 

 理解を――したくなかった。

 口の端から血を流し、苦痛に顔を歪めているハチマキ娘を、俺はどんな顔で見ていたのだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『お前さん、無事、か?』

「どうして、どうして俺を……」

『簡単。あなな、お前さんを守る。契約、した。だから守った、それだけ』

 

 俺が、手動を選択したから?

 俺が、操縦を誤ったから?

 俺が、不運だったから?

 

 ああ――そうだ。今日はとことんツイてない日なんだ。

 だから、こんなことに。

 だから。

 

『いつまでもふざけてんじゃないわよ』

 

 先ほどのシャオメイの言葉が頭を過ぎる。

 

 違う。

 運が悪かっただの、ただの言い訳だ。

 そんなもの、都合のいい言い訳に過ぎない。

 

「ごめん、ごめんな……。俺がもっとマジメに逃げていれば、お前をこんな目にあわせることもなかったのに……」

『なぜ、謝る? 別にお前さん悪くないし。コピー様が相手なのに、手動か自動か、変なこと訊いたあななのミス』

「違う! 俺が、」

 

 言いかけて、俺は息を呑んだ。

 チビ鮫の向こう側に降り立つコピーを見たからだ。

 あいつ、やっぱり俺たちに気付いて……!

 

『そんな顔しないでも、へーき、よゆう。自動走行の調整、あと少しで完了。それまで、まだ守れるから……多分。きっと』

 

 そう微笑み、もう一度俺を抱きしめるダッシュ。

 

「や、やめろ。もういいから……」

『あななの血、お前さんの服を汚しちゃうけど、すぐに綺麗に乾くから、心配しないで欲しいし』

「そんな心配をしてるんじゃねぇ! 俺はお前に……うわっ!?」

 

 全身に響く振動に、驚いて目を閉じてしまう。

 

『うぐっ……!』

 

 苦しそうなうめき声に慌てて目を開けたときにはすでに――コピーの前脚がチビ鮫の背中へと深く突き刺さっていた。

 次の瞬間、鳴き声とも笑い声ともつかない不気味な声をあげて翅を広げるコピー。

 

 やっと獲物にありつけた。そんな喜びを歌うかのように奇声を発し、鋭い前脚で小さな体を何度も抉る。

 一心不乱に。

 何度も。何度も。何度も――

 

「放せ、俺を放すんだっ。いくら模魔が丈夫だって言っても相手が悪すぎる! ご主人様の命令だ、いいから指輪に戻れ、戻ってくれ!」

 

 強引に引き剥がそうとしているのに、そいつは強い力で抵抗して俺を抱きしめ続ける。

 そんな中、俺の小指にはめている指輪が一瞬だけフラッシュした。

 

「ダッシュの指輪に、亀裂が……」

 

 切り裂かれる度に次々と亀裂が増えていく黄金の宝石。

 ついさっきまで、あんなに綺麗な宝石だったのに……。

 一瞬で、こんな――

 

『乱用すると少しずつヒビが入ってきて――最後には消滅しちゃうんです』

 

 コロナの言葉を思い出したと同時に、俺の頬を涙がつたった。

 

『泣くなんて……おまえさんらしく、ないし』

 

 呆けてる俺にそっと手を差し伸べるダッシュ。

 そいつは、とめどなく流れる俺の涙を優しく指先で拭いながら、

 

『あななは、おまえさんに、涙は似合わないと……そう、思うの』

 

 そして。

 さらに、こう呟いた。

 

『ほんの、本当に、ほんのちょっとの間だったけど、おまえさんと契約して、良かったし……』

 

 今も背中を抉られ続けているというのに、笑顔のままで最期の言葉を紡ぐそいつに、

 

「おいっ、縁起でもねェ言い方すんなよ! これっぽちの傷で消滅なんざしねェよな!?」

 

 涙声で叫ぶが、

 

『……調整完了』

 

 俺の問いには答えず、ギュっと俺の全身を強く抱きしめるダッシュ。

 次の瞬間、ガリガリと何かが削れる音と共に、俺の体が少し浮き上がる。

 これは……なんなんだ、この音は。

 まさかと思い、ダッシュの背中を見ると、コピーの両脚が深く突き刺さっていた。

 こ、このまま急速後退しちまったら、こいつの体は――

 

「ま、待て!」

 

 勝手に走り出そうとする足を引っぱたき、なんとか踏みとどまろうとするが、自動走行モードに入ったためか、一つも言うことを聞きやがらねぇ。

 くそっ、こうなったら力ずくしかあるめぇ。

 

「バカ! 待てって、今走り出したら、お前は本当に壊れちまうんだぞ! それでもいいのかよっ」

 

 チビ鮫の小さい肩を両手で掴んで、押し戻しつつ言う俺に、

 

『そんなの、へーき、よゆう……。あななは、大魔宝石じゃない、ただの模造魔宝石だし……。それに、コピー様やシャドーみたいな強い宝石でもないし。だから、だからね。別に壊れても、へーきだし。あななは、使い捨てで、おっけ』

「お前、なにを言って……」

 

 言いかけたところで、俺の両かかとに黄金の結晶がこびりついているのに気付いた。

 

「こ、これはなんでェい?」

『ごめん、なさい。もう立ち上がる力が、残ってないかも。だからこのままの体勢で後退するし』

「えっ、このままの体勢って……うわわっ!?」

 

 途端。爆音を立てて、後退する俺たち。

 まるでジェットコースターのような猛スピードに、ギュッと目をつぶっていると、

 

『へへへ。恐がってるお前さん、ちょっと可愛いかも』

 

 ダッシュが意地悪そうな顔で俺の頬をつついてきやがった。

 そのニヤケ面にさっきまでの涙なんて吹き飛んじまって、ついついいつもの調子で、

 

「べ、別に恐がってなんかねーよ!」

『強がるな、強がるな。恐かったらあななにもっとピッタリくっつくといいし』

「だから別にこんなの全然恐くなんかねぇっての!」

『そっか。じゃあ、もうちょっと速度あげるし』

「う、嘘っス、すんません、お願いだからこれ以上速度あげないでくれィ!」

『へへー。最初から、素直にそう言えば良かったし』

 

 な、なんだよ、こいつ。

 急に調子を戻しやがってからに。

 まったくもって『へーき、よゆう』って感じじゃねーか。

 相変わらず口端から血を流してはいるけれども、先ほどの辛そうな様子なんざ微塵も感じられねーぞ。

 

「もしかして、今までの全部演技だったとか、そんなオチねーよな……」

『だったりして』

 

 言いも言ったり。

 テヘっと片目をつぶって舌を出したハチマキ娘に、俺の手がとっさに動く。

 

「こ、こんのチビ鮫がぁ!」

 

 頬を両手でギュウーっとつねってやる。

 もちろん爆走ホバー後退しながら、だ。今はスピードの恐怖よりも、こいつへの怒りが勝っていた。

 

「ちきしょう、俺様の涙を耳をそろえて返しやがれっ!」

『いひゃいいひゃい、あなな、壊れひゃうしっ』

「てやんでぇい、お前さんなんざ壊れちまえってんでェい!」

 

 なんてバカなことを走りながらやっていたからだろうか、カーブを曲がりきったところでバランスを崩し、盛大にずっこけてしまった。

 

「いってて……」

 

 すぐさま上体を起こして俺は投げ出されたダッシュのもとへと駆け寄った。

 うつ伏せになったままピクリとも動かないそいつに、一つため息をついて、ペシペシと尻を叩いておく。

 

「おい、チビ鮫。今度は死んだフリかぁ? 二度とその手は食わねーっての。ほれ、コピーの鎧の音が聞こえるだろ。あのヤロウが来るまえに、とっとと起きてくれィ」

 

 すると、そいつは顔を上げることなく、ぼそっと呟いた。

 

『へへへ。やっと、おまえさん、らしくなったし……。あななは、あななはご主人様と、最期まで一緒に走れて……』

「はあ? 何、ワケわかんねーことブツブツ言ってやがんだァ。いいから、行くぜ」

 

 と。

 そう言って、右腕を掴んで持ち上げたとき――そいつの腕がポロっと俺の手の中から抜け落ちた。

 

「え?」

 

 音も無くアスファルトに落ちるハチマキ娘の腕に唖然としていると、瞬く間に金色の粒子となって空へと消えてしまった。

 空へと。消えて、しまった……?

 

 ツバを飲み込んで、一歩下がり、今起きたことを頭の中で必死に反芻する。

 俺がチビ鮫の腕を、持ち上げようとしたら、その腕が落ちて、地面に落ちて、落ちて消えて、光になって消えて―― 

 

「嘘、だろ……」

 

 口の端から垂れた血はすでに跡形もなく消えているのに。

 体操服も出会ったときのように真っ白に戻っているのに。

 

 なのに。

 もう動くこともなく。喋ることもなく。笑うこともなく。

 空っぽに、なってしまっていた。

 ただの、道端に転がる――石のように。

 

「…………」

 

 左腕、右足、左足と、次々に空へと消えていくその様に、為す術もなく呆然と見下ろしていると、乾いた風がダッシュのやわらかい金髪を僅かに揺らした。

 乱れた髪からのぞく安らかな顔に、俺はようやく――そいつの死を悟ることになった。

 

「ほ、本当に……壊れちまうバカがいるかよ……」

「あーらら。このクズ石を捕まえたのって確か今日の夕方くらいだったわよねぇ。それがなぁに、まだ半日も経ってないのにもう消滅ぅ? さっすが低ランク。あっけないものねぇ」

「!?」

 

 驚いて、振り向くとそこにはいつの間に地上に降りてきたのだろうか、シャオメイが立っていた。

 

 そいつは仁王立ちのまま、けらけらと面白そうに笑い、

 

「はっ、とーんだお笑いぐさだこと。ご主人様の選択を間違えるからこうなるのよねぇ。猫憑きと契約すれば、ちったぁ長生き出来たかもしれないのにさ。まっ、ただの石っころに生きるも死ぬもない、か。むしろ壊れてよかったのかもしれないわ。だって、喋る模魔だなんて気持ち悪いし。居ないほうがマシだもの」

 

 そう言い終えるや否や、消えることなく残っていたダッシュのハチマキを――強く踏みにじった。



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第六十石:怒りに染まる瞳

 あまりにも非道な行動に、俺はとっさにシャオの胸倉を掴んで叫ぶ。

 

「てめぇ、なんてことを……! その薄汚ねぇ足を今すぐどけろよッ!」

「あーら、ご挨拶だこと。このあたしの美しい足が薄汚いだなんて、ファンのみんなが聞いたら暴動起こしちゃうわね」

 

 言いつつマントをめくり、白い太ももをチラリと覗かせるシャオメイ。

 

「ふふっ。ファンと言っても、猫憑きみたいな子は少数。大きいお友達ばかりだからさ。あんたみたいなチビ、瞬殺よ、瞬殺ぅ」

 

 俺を見下ろし、またもや嫌味な笑みを浮かべる。

 そんな人をバカにした態度の数々に――

 

「ざけんじゃねェよ……」

 

 積もりに積もった怒りが、俺の目の前を真っ赤に染める。

 

「いいから足をどけろっつってんだよ。チビ鮫のハチマキを返せ」

 

 胸倉を掴む手が薄緑色に淡く光り、そいつのマントを一瞬で凍らせた。

 

「え……?」

 

 突然の魔法に驚いたのだろうか、シャオの表情が一転する。

 魔法を放ったつもりはなかったが――そんなことは、どうでもよかった。

 俺は構わずそいつに詰め寄る。

 

「なにが気持ち悪いだ。なにが低ランクだ。なにがクズ石だ……」

「な、なんでこのタイミングで点灯すんのよ?」

「トップアイドルだかなんだか知らねェけれども、俺にとってダッシュはテメェみたいなクソヤロウより、何千倍も可愛いヤツだった……」

「しかも、赤い光ってことは――」

「俺はどう罵倒してもいい。だが、死んだ者の悪口を……一生懸命に俺を守ってくれたあいつを馬鹿にするのだけは、絶対に許さねェ」

「まさか、あんたのトリガーって猫憑きじゃなくて、」

 

 狼狽しているそいつの眼前に、もう片方の空いた手をゆらりと突き出す。

 瞬時にありったけの魔力が込められ、凄まじい冷気を帯びる右手。

 

「ごちゃごちゃとうるせぇなあ……。足どけろよ、コラ。じゃねェと、全身を凍らせるぞ」

「…………」

 

 無言で身をひいたそいつの足元からダッシュの赤いハチマキを拾い上げたとき、背後から殺気を感じた。

 振り返ると、そこにはコピーの姿があった。

 甲高い鳴き声をあげて俺を威嚇するカブト虫。

 

「まだいたのか。いい加減しつけぇんだよ、お前……。めんどくせぇから壊れちまえよ、もう」

 

 緩慢な動きでシャオからコピーの方へと右手を伸ばす。

 そして、一言だけ。

 

「フィンブル……」

 

 ボソっと呟いた次の瞬間、右手から竜巻が放たれた。

 虫らしく這って近づいてきたそいつを強制的に立ち上がらせるほどの暴風に、

 

「バカッ、変身も杖も霊獣も無しで、なんて魔法を出してんのよ! あんた、死ぬ気!?」

 

 背後のシャオが驚いたような声をあげるが、そんなこと知ったこっちゃねェ。

 

「死ぬ気じゃねぇよ、殺す気だっての。あいつが俺のダッシュをいたぶり殺したんだ。その礼はご主人様の俺がしなきゃな」

 

 言うと同時に、今度は大量の雪が舞い出した。

 それはあっという間にコピーの下半身を覆う。

 立ったままの状態で鳴き叫んだあと、しきりに脚を動かすが――そんなことじゃあ俺の雪は吹き飛ばせない。

 

「無駄だ。どう身をよじろうが、もうお前は逃げられない」

「あの巨体のほとんどを覆う雪を瞬時に……。さっきまで魔気が全然感じられなかったのに。どっから魔力をひねり出してんのよ、こいつ……」

「おい、シャオ。凍え死にたくなかったらノンキに観戦してねぇで、とっととシャドーを召喚して逃げなァ。さっきみたく尻尾を巻いて、さ」

「ハッ、おあいにく様。あたしは紗華夢 夜紅よ。あんたなんかの弱っちい魔法で死ぬわけないじゃん。むしろ涼しいくらいだわ。適温ってカンジね」

「ふぅん?」

「な、なによそのムカつく顔は……」

 

 よく言うぜ。クシャミをして慌ててマントを着なおしたくせによ。

 後ろで何をしようが、今の俺には全部『視えている』んだからな……。

 

「ま、忠告はしたからな」

 

 それよりも、と。

 すっかり身動きの取れなくなった虫を見上げて俺は薄く笑った。

 

「ざまぁねェな、ゴミ虫。ゆりなの到着を待つまでもない……俺がこのままブッ壊してやる。木っ端微塵にな」

 

 息を吸って右手に全魔力を注ぐ。

 やっと自分の置かれた立場に気付いたのか、四つの複眼をグルグルと回し、慌てふためいた様子でサイレン音を出すカブト虫。

 

「いささかに良い声で鳴くじゃねぇか。心地良いねぇ。実に心地良いよ、『キミ』さァ」

 

 悲鳴をつまみに、俺は目を見開いた。

 一瞬のノイズ。次に視界に赤いモヤがかかり、ヒビの入ったロックオンサイトが現れた。

 それは右往左往したのち、コピーの頭――いや、複眼を捉えた。

 そして、視界の隅にぼんやりと映っていた『射程圏外』という赤い文字が『射程圏内』へと切り変わった次の瞬間、俺は溜まっていた魔力を一気に放出した。

 風、雪に続く三段階目の大粒の雹が手のひらから勢いよく飛び出す。 

 

「ほらほら、コピーさぁん。その名は、飾りなんですかァ?」

 

 鋭い雹の弾幕に右上の複眼が瞬く間に破裂音をあげる。

 まだだ。 

 

「コピーさんなんですよねェ、コピーするんですよねェ?」

 

 次に左下の複眼が破壊される。潰れた眼からどろりと血が垂れ出し、そいつの足元に積もった雪を赤く染める。

 まだだ。こんなものじゃない。

 

「だったら、俺の魔法を……『フィンブル』をコピーしてみてくださいよォ?」

 

 必死に逃げ出そうと広げられた翅を、氷の刃が二枚同時に貫く。穴の開いた部分から凍結がジワジワと広がっていく様を見て、俺はさらに口角を上げた。

 まだだ。痛みは、こんなものじゃない。

 

「それとも、『脱皮』とやらをするんですかィ?」

 

 今度はもう二枚の翅を粉々に切り刻む。

 まだだ。痛みは――ダッシュの受けた痛みは、こんなものじゃない。

 

「さっさとしねーと、終わるぜぇ、終わっちまいますぜェ!?」

 

 そして。

 最後に残った二つの複眼を乱雑にすべてブチ破る。

 苦痛に蠢いていた四つ脚がだらんと垂れ下がったのを確認した俺は、魔法を止めて右手を一つ払った。

 

「チッ、あっけねェ」

 

 カランコロン、と。

 乾いた音を立てて地面に大量の氷の粒が落ちる。

 

「あらよっと」

 

 変な掛け声に、俺は前方を見たまま視界を後ろにぐるりと回すようイメージする。

 すると、赤く明滅する世界に、転がった氷の粒を拾い上げるシャオの姿が映った。

 

「……なにをしている」 

「別に、ちょっとした検査よ。そんな、おっかない声を出さなくてもいいじゃん。うーん……硬度、冷たさ、纏ってる魔気。全てにおいてちゃんとした『フィンブル』の氷だわ」

「フィン、ブル……?」

「再点火じゃない天然の裏・集束だとしても、杖も何も無い素の状態でこの大魔法を繰り出せるなんて、いくらなんでもありえないわねぇ。紗華夢ならまだしも、レベルⅡマイナー如きにこんな芸当が出来るハズないわ。でもピース様が嘘を言うわけないし……」

「ぶつぶつと。さっきから再点火だの裏集束だの、何を意味わかんねーこと言ってるんだよ、お前さん」

 

 あくびをしながらゆるりと後ろを向いた俺に、そいつは怪訝そうな表情で、

 

「あんた、もしかして自分が今何をしたのか分かってないの?」

 

 と……言われましても。

 何をしたのかって。

 そんなの。そんなの、決まっているじゃねーか。

 

「スノードロップを、飴ちゃんを杖から出してコピーを倒したんだろ?」

「ス、スノードロップぅ?」

「いやー、それにしても、あんなに強いとは思わなかったぜ。軽い牽制魔法かと思っていたんだが、いやはや。認識を改めなきゃいけねーな。まったくもって飴ちゃんを甘く見ていたってハナシでさァ。いやこれが、ほんとの飴ちゃんだけに……なんつって!」

 

 ドッと腹をかかえて笑う俺に、シャオは「あーらら……」と残念そうに眉根を寄せる。

 

「記憶の混乱、欠如。そして自己防衛による改ざん。典型的な怒りによる裏束ね。まさかとは思っていたケド、たった数時間従えただけの模魔に、どうしてそこまで怒れたのかしら。猫憑きのときは発動する素振りも見せなかったのに」

 

 欠如はまあなんとなくわかるが。改ざんって何だ、初めて聞いた単語だぞ。

 

「ハァ? んな、難しいことをベラベラ言われてもよ。俺の頭でも理解できる言語で喋ってくれ。恐縮だけれども、いささかにあくびが出るぜ」

 

 そう、あくびを放ちつつポリポリと頭をかくと、ちょうど俺のアホ毛が綺麗なハテナマークの形になった。

 

「バーカ、いつまでも寝ぼけてんじゃないわよっ!」

 

 アホ毛をピシッとデコピンよろしく中指で弾いて、

 

「あんた、手から水を出して自分の顔を見てみなさいよ。切れかかってるとはいえ、それを見れば少しはあたしの言っていた意味がわかると思うわ」

「えっ。あ、はい。わかりましたんで……」

 

 言われたままに、両手で水をすくうような動きをしてみる。

 すると、ゴボゴボ音を立てて手のひらいっぱいに水が現れた。

 それをボーっと覗いてみたのだが……、そこには瞳全体が赤く明滅している悪鬼のような顔が映っていた。

 

「え!?」

 

 驚いて目をこすり、もう一度水を出して覗いてみると、普段の色――鳶色の瞳をぱちくりしている幼い少女が映っているだけだった。

 

「お、おい。さっきの世にも恐ろしい顔はなんなんでぇい!」

「バッカバカじゃん。あんたの顔に決まってるでしょ。あんたはクズ石……っていうか、八番石ダッシュの死によって裏集束が発動したの。六番石ホバーからあんたを庇おうとした猫憑きのようにね」

 

 ワケが分からん。

 俺が、あの赤いゆりなのように眼がピカったって……そんなバカな。

 

「でもよぉ。全然覚えてねーぞ。スノードロップをがむしゃらに撃った覚えしかねぇし。裏集束しただなんて、そんなことを言われてもよぅ……」

 

 そう困惑して呟く俺に、シャオが呆れた様子で腕時計へと視線を落とした。

 

「チッ。完全に裏の光が消えてるわね。あと十五分以内での再発動率は天文学的数字。もしかしたらって思ったケド――やっぱり、ここまでか……」

 

 言って、マントの中からカラフルな棒付きキャンディを取り出すシャオメイ。

 それを美味しそうに咥えると、髪をふわりとかきあげて、跳躍。

 

「ふふんっ」

 

 そいつは街灯の上に音も無く綺麗に着地すると、

 

「ま、あんたにしちゃあ頑張ったほうね。面白いものが観れて楽しかったわ。じゃ、さよなら。バカてふ」

「バ、バカてふってなんでぇい?」

「おバカな蝶々さん、って意味よ」

 

 べーっと舌を出して、そのまま闇の中へと消えてしまった。

 

「…………」

 

 手のひらの水面に映った困り顔の少女をジッと見つめていると、

 

『パパさん! コピーはまだ生きてるんです!』

 

 突然、空から大声が降ってきた。



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第六十一石:時園に迷う二つの魂 ☆

 その声にビックリしてコピーのほうへと顔を向けたのだけれども。

 な、なんと。

 四つ脚を器用に動かして大量に積もったスノードロップの山々をかき分け始めているではないか。

 

「うげっ!? いくらなんでも、しぶと過ぎだっつーの!」

 

 こうなったら、そのうざってぇ脚もさっきみたいに全部凍らせてやるぜ。

 

「もっかい頼むぜ、飴ちゃんよ! スノォオ……ドロップぅ!」

 

 ピッと人差し指を向けたのだが、俺の指先から出たのは少量の水だけだった。

 

「あれ? さっきは詠唱なしでも出たハズなのに……」

 

 そうこうしている間に、どんどんと飴ちゃんが取り除かれ、今度は下半身を覆っている雪山を崩そうとしているコピー。

 ヤバイ。省略化なんて考えている場合じゃねぇ、ちゃんと順序を守って魔法を出さねーと!

 

「ぷ~ゆゆん、ぷゆん、ぷいぷいぷぅ! すいすい、スノードロッ――ぐわっ!」

 

 呪文を唱え終える寸前、すさまじい頭痛が俺を襲う。

 次に、眼が焼けるように熱くなっていく。

 

「うぐっ……! 眼、眼がッ」

 

 地面にヒザをつき、俺は両目を手で覆った。

 な、なんなんでェい、この痛みは。

 本当に――俺はゆりなのように裏束をしちまったっていうのか。

 シャオの言っていたことが正しかったとしたら、俺は大魔法『フィンブル』とやらをスッピンのまま撃ったということになる。

 この頭全体が焦げるような激痛は、その反動なのか……?

 

「ううぅ」

 

 ぴりぴりと手が痙攣を始め、目の前が二重にぼやけてしまう。

 そのぼやけた視界に映ったのは、雪山を完全に取り払い終えたコピーの姿だった。

 そいつは頭の中央に埋め込まれている桃色の宝石を眩く光らせながら、頭上の光輪を激しく回転させた。

 ホバーのときのような……攻撃の予兆。

 

 眼は全部破壊した。翅も二枚はバラバラに、もう二枚は氷漬けの状態だ。

 赤いゆりなに匹敵するハズの大魔法を喰らわせたってェのに、なんでこいつはここまで平然と動けるんだよ。

 これに加えて、脱皮とかいうのもオマケについてくるんだろ?

 ランクBだからって、いくらなんでもこいつの強さは異常だって。こんなの、こんなの絶対に勝てっこねーじゃん……。

 そして。

 赤黒い光の輪が、攻撃を繰り出す際の最終合図であろう閃光を――放った。

 

「い、いっひっひ。これはこれは。あっけねェのは俺様だってオチかィ」

 

 跳躍し、動けずにうずくまっている俺の前に降り立ったコピーは、やたらにデカい口を緩慢な動きで開ける。

 ゆりなのように瓦礫を投げつけるでもなく。

 ハチマキ娘のように脚でいたぶるでもなく。

 そいつは大魔法で傷つけられたプライドの仕返しだとでも言うかの如く――俺を頭から確実に、残酷に、喰い散らかして殺すつもりらしい。

 

 まさか。まさかな。シャオの言っていたとおりの展開になるなんて、よ。

 本当に身をもって確かめることになるなんざ、まったくもって笑えん話だぜ……。

 

「すまねぇなァ、チビ助……。最後まで、手伝ってやれなくて」

 

 喰われる寸前、コピーの口内に潜んであった不気味な『目玉』と目が合う。

 そこで――俺の意識は途絶えた。

 

+ + +

 

 鼻をかすめる花の香りに、ほのかに漂う蜜の香り。

 続いて鼻の穴に突撃するは一匹の蜂ちゃんで……。

 一匹の、蜂ちゃんで――

 

「ぶえっくし! てやんでぇい、べらぼうめィ!」

 

 親父直伝のクシャミをかまし、俺は鼻の穴に侵入しようとした蜂をすんでで追い出した。

 あぶねーあぶねー。刺されたらいささかにヤバかったぜ。

 確か二回目はアナなんちゃらショックで死ぬかもしれないんだっけ。小学生のころに一回刺されてからは気をつけるようにって親父に口をすっぱくして言われたからな。

 

 さすがに寝てる間に襲われちゃあ、どうしようもないって話だけれども。ま、なんとか死なずに済んで良かったぜ。

 と、安堵のため息をついていたら、逆上した蜂が猛然と俺を襲ってくるではないか。

 しかも大量の仲間を従えて。

 

「くっ、蜂ちゃんごときが。氷と水の魔法使い様に勝てますかってんでぇい。ぷーゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷう! すいすい、口から吹雪ってなもんで! 『アイスブレス』っとくりゃあ!」

 

 ぷーっと吐き出された氷の吐息で見る見るうちに凍り、墜落していく蜂の大群。

 

「いっひっひ。恐縮だけれども、どうやら相手が悪かったようだぜ、チミたちぃ」

 

 氷漬けになった蜂たちを、

 

「てやっ。ていていっ、どーでぇい参ったか」

 

 と、おはじきよろしく指で弾いて遊ぶこと数十秒。

 俺はハッと気付いて、周りを見渡した。

 

「って、なんなんでィ、ここはっ!?」

 

【挿絵表示】

 

 一面に広がる花畑。

 地面は色とりどりの花たちが美しく生い茂っているという幻想的な風景なんだけれども、空が……なんつーか凄まじく奇妙だった。

 

「なんでこんなに時計がたくさんあるんだァ?」

 

 暗い空にぎっしりと敷き詰められているのは大量の時計だ。

 それもベルの付いたシンプルな目覚まし時計から始まって、懐中時計、壁時計、腕時計、柱時計など様々な種類の時計が所狭しと飾られていやがる。

 その光景を見れば誰だって『凄まじく奇妙』としか言いようがないだろうさ。

 

「うーん、ここが天国とやらなのかねェ……」

 

 一応、ふらっと歩き回ってはみたものの、延々と花畑が続くだけだったので、小一時間もしないうちに飽きた俺は大の字に寝転がっていた。

 花の香りをたらふく吸いつつ俺は独り呟く。

 

「たしか、俺はあの時コピーに頭から喰われて死んだハズ。するってぇとつまり、ここが死後の世界となるわけで。にしても、天使も閻魔もいねーのはいささかに不思議なもんだぜ」

 

 もしかして三途の川みたいな場所なのだろうか。そういや、川の向こうに花畑が見えて、そこに行っちまうと死んでしまうんだっけか。

 川を渡った記憶は無いが、花畑の中にいるってことは――もうダメだな、こりゃ。

 

「すでに死んでるっつーのに、蜂なんかで死ぬだなんだ騒いでバッカみてェ」

 

 それにしても綺麗な夜空だねぇ。

 時計は邪魔くさいが、その隙間から見える星の数々に俺はガラにも無く見惚れていた。

 たまに吹く風が俺の頬を撫で、遠い花の香りを鼻先へと運んでくる。

 先ほどの戦いが嘘のような静けさだった。

 

「ふわぁ~あ」

 

 さっきからやたらに眠い。このまま眠ったら、今度こそ天国かね。それとも地獄か。

 ま、どっちでもいいや。めんどくせーからとっとと連れて行ってもらいたいもんだぜ。

 そう、大きく伸びをしたとき、いっせいに時計たちが騒ぎ出した。

 目覚ましのベルやら、柱時計の時報の音やらがごっちゃ混ぜになった不協和音が俺の耳に飛び込んでくる。

 

「う、うるせー! 寝られねーじゃねぇか」

 

 文句を言いつつ、耳を塞いで空を見上げたのだが。

 そこで俺は絶句することになった。

 なぜなら、大量にあったはずの時計がいつの間にか姿を消しており――その代わりに、巨大な目が星空の中に現れていたからだ。

 目玉じゃなくて、目だ。まぶたもあり、まつ毛もある。

 まるで誰かに覗き込まれているかのようなおぞましさ。

 

「なんじゃありゃ。うえー。気持ちわりィぜ……」

 

 よく見ると、その目の中には時計のような長針と短針と秒針があった。

 その瞳の中の時間によると、今は零時らしい。夜のようだから午前か。秒針は三十秒を過ぎている。

 つまるところの、あの騒ぎは零時を知らせる時報だということなのか?

 

 なんでこんな世界に時報なんかがあるのかねぇと首を傾げたときだ。

 静寂を取り戻した花畑に、かすかに足音が聞こえた。

 ザッ、ザッと草花を踏みしめるような音。

 

「だ、誰かいるのか?」

 

 ビクッと身を震わせて喉を湿らし、その音のする方へと足を向ける。

 もしかしたら俺のあとに死んでしまったヤツがいるのかもしれない。

 ふと脳裏を過ぎるのはゆりなの無邪気な笑顔だった。

 あいつ、まさか……。

 

「チビ助……。もし、こんなところに来やがったら、力ずくで追い返してやる」

 

 ゆりなじゃないことを祈りつつ歩を進めると、やがてその足音の主の後ろ姿が目に入ってきた。

 風にたなびく長い髪に、見慣れたチビ助の旧魔法少女コスチューム。

 一瞬、ゆりなかと思ったのだけれども。なんとなく違うような……。

 それよりも前に、おかしな点が一つある。

 

「なんだ? あいつだけ色が無いぞ……」

 

 空も花も、俺だって色はあるというのに、そいつだけ塗り忘れたかのように色が抜け落ちているのだ。

 眉を寄せつつ、モノクロ少女の後ろ姿を訝しげに見ていると、突然……黒い影たちがそいつの周りに現れ始めた。

 

「ば、化けモノ!?」

 

 その影たちは、もぞもぞ蠢きながら動物の姿へと形を変えていく。

 あるモノは猫。あるモノは犬。あるモノは狐。あるモノは二羽の鳥。あるモノは二匹の蝶へと。

 暗いモヤモヤとした影の中に、発光する眼のようなものを携えたそいつらは、少女の周りをいっせいに取り囲んだ。

 

 まさに一触即発。ただならぬ雰囲気に、俺はゴクリと唾を飲む。

 こ、こりゃあ、魔法で助けたほうがいいのかねェ。でも、すでに死んでいる相手に助けるも何もあったもんじゃないとは思うけれども。

 どうしようかと迷っていると、やにわにそいつは呟いた。

 

「ごめんなさい。もう一度だけ、私に力を貸して……。助けたい人がいるの。だから、お願い霊鳴」

「え……」

 

 霊鳴を呼んだことよりも、俺はそいつの声に驚愕していた。

 俺の耳がおかしくなっていなければ――

 

「来てくれてありがとう、弐式……。また一緒に戦ってくれるの? そう……あなたも同じ気持ちなのね」

 

 天から舞い降りた蒼い宝石――俺の霊鳴石弐式にそっとキスをして、

 

「弐式、起動……。イグリネィション」

 

 瞬く間に杖へと変化させるモノクロ少女。

 こ、この声はやっぱり……。

 ふと、スカートのポッケに押し込められた赤いハチマキを取り出す。

 

「間違いない、あいつは……」

 

 それをグッと握り締め、俺は目の前のモノクロ魔法少女を――いや、『ダッシュ・ザ・アナナエル』と呼ばれていたハズの少女を見つめた。



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第六十二石:謎の眼帯少女、ネームレス ☆

「どうして、ハチマキ娘が?」

 

 詠唱も無しに魔法を繰り出し、集った影達を次々に駆逐していくそいつに、ただただ唖然とするばかりだった。

 踊るような動きで華麗に金色の雷撃を放つダッシュ。

 そいつの出す魔法は呪文名や色こそ違えど、ゆりなの雷魔法にとてもよく似ていた。

 

 しかしながら――雷を使える霊獣と言えばクロエだよなぁ。ゆりなと契約しているはずなのに、なんで模魔のダッシュが当たり前のように使えてるんだ?

 それに、弐式だってそうだ。状況によって様々な武器へと瞬時に変化させているという、俺以上の使いこなしっぷり。

 ううむ。疑問符だらけで頭がパンクしちまいそうだぜ……。

 

「……理解不能。それは至極当然」

 

 背後から、やけにか細い声が聞こえたもんだから俺はビックリして、

 

「うわ、化けモノの次は幽霊か!?」

 

 と。青ざめた顔で振り向いたのだけれども。

 そこに突っ立っていたのは、黒い影チックな化けモノでもなく、白い影チックな幽霊でもなく……フツーの少女だった。

 

【挿絵表示】

 

 紫色のショートヘアに、左目は赤紫の瞳で右目は黒い眼帯という、いたってどこにでもいる――って、ちょっと待て。まったくもってフツーの少女じゃなかったぞ。

 

「なんでぇい、その海賊みたいな眼帯は。転んでどっかにぶつけちまったとか? それともモノモライにでもかかっちまったのかィ」

「…………」

「まさかまさか。本当に海賊で、今まさにお宝を探し中……とかなんとかだったりして。いや、でもここは花畑だからなぁ。海のウの字もねーし」

「…………」

「ガン無視っすか」

 

 というよりも、ガン見無視というべきか。

 その紫少女は俺より背が低く、こちらをジーッと見上げているワケなんだが……その眼力が凄まじいのなんのって。

 

「あのう、俺様の顔になんかついてんの?」

「…………」

 

 息が詰まりそうな沈黙。ま、まあ、いいか。

 そういえばやけに大きいマントを羽織っているな。あれ、つーかこのマントってシャオが身に付けていたマントの色違いじゃねーか?

 あいつのは黒かったが、この眼帯少女のは逆に真っ白だ。

 あとは留め具の宝石も、あっちは赤いルビーのような石がはめ込まれていたが、こっちは青い石がはめ込まれているという違いがある。

 違いはそれだけで、他はおそらく同じデザインか。

 

 ふうむ。シャオと何かしら繋がりでもあるのかねぇ……。そう、目を凝らしてじっくり見ていると、

 

「……私は幽霊じゃない。それに、海賊でもない。そう、私は判断する」

 

 俺を見上げていたそいつがぼそりと言った。

 なんつー、返答の遅さだ……。

 

「そ、そりゃまぁそーだわな。えーと、じゃあどなたさんで?」

 

 実は死神なんデス、なーんてオチはねぇよな。

 すると、そいつは静かにまばたきを一回だけして、

 

「私はピース様の使い。貴女を迎えに来た。それだけ」

「それだけって……名前は?」

「名前って、なに」

「えっ」

 

 一瞬、おちょくられてるのかとも思ったが……。

 無表情で首を傾げる素振りを見るに、本当に『名前』の意味を解っていないのかもしれない。

 

「うーん。なんつったらいいのかなァ。なら、ピースからは何て呼ばれてんの?」

「……ピース様は私をネームレスと呼んでる。これが、名前?」

 

 それって、たしか無名だとか名無しっつうような意味じゃなかったっけか。

 どちらにしろ、ひでぇ呼びかたをするもんだぜ……。もっと呼びやすくて可愛い名前がたくさんあるだろうによ。よりにもよって名無しって。

 そう心の中で舌打ちをしたとき、なにかが俺たちの頭上を飛び越えていった。

 

「な、なんだ!?」

 

 見やると、一匹の狐の形をした影が青い眼を光らせてダッシュの背後へと回ったではないか。

 やべぇ。ハチマキ娘のやつ、他の化けモノに夢中でまったく気が付いてないぞ!

 

「おいダッシュ! 危ない、後ろだっ!」

「うぐっ……!」

 

 しかし、俺が声をかけたのにもかかわらず、狐の吐き出した炎をモロに受けてしまうハチマキ娘。

 

「どういうこってェい。俺の声が聞こえてねーのか?」

「ら、らいらい……『サンダースピア』!」

 

 片ヒザをついたまま弐式を槍の形へと変化させ、背後の狐を貫いた――が、そいつは煙状になったかと思うと、再び狐の姿を構築してダッシュへ飛びかかる。

 

「くっ!」

 

 すぐに体勢を立て直して再び七つの影を翻弄するチビ鮫だったが、その顔は先ほどとは違い、苦痛に満ち満ちていた。

 

「あの影どもは一体なんなんだよ。倒しても倒してもすぐに復活しちまうじゃねーか……」

 

 弐式や雷呪文を器用に使う姿を見て、そこまで心配せずにいたのだけれども。

 これでは、いささかにマズイような――

 そう、唇を噛みながらダッシュの戦う姿を見守っていると、

 

「どうして、そんな顔をしているの?」

 

 抑揚のない声で訊ねてくる無表情娘。

 

「んなの、チビ鮫のことが心配だからに決まってるだろっ」

「……そう。でも、心配するだけ無駄。どう抗おうとも彼女はここで終わり。あの姿で『時園』に迷い込んだ時点で終わりからは逃げられない。そう、私は判断する」

 

 その言葉にギョッとしてネームレスと呼ばれている少女を見ると、そいつは戦ってるダッシュを指さして、

 

「彼女はアナナエルだけど、アナナエルじゃない。過去の意識と現在の意識が混ざり合っている。言わば、まがいもの。それは、この時園では忌むべき存在。だから、それを排除しようと抗体である影たちが自然に生まれる……彼女を完全に消すまで、ずっと」

 

 なんだそりゃ。言ってる意味がまったくもって解らないのだけれども。

 

「解らなくていい。ただ、知って欲しい。彼女は助からない。弐式の霊薬と彼女自身の魔力が尽きたら影に四肢をもがれて、バラバラに分解される。それは、きっともうすぐ。その姿を見たくなければ、はやく私と一緒にピース様のところへ――」

「ちょっと待て、待てよ! 分解って、あいつがダッシュじゃないって。そんなにぽんぽん言われても頭がおっつかねぇよ」

「だから、貴女が理解する必要はない。ピース様は貴女の呪いを解いてもとの世界へ帰すつもり。そうすればアナナエルと貴女は無関係になる。契約も全て無かったことになり、記憶も隠蔽される」

「記憶を隠蔽?」

「今までのことを全部忘れること。それで、アナナエルや黒の魔法少女のことを気に病まなくて済む。そう、私は判断する」

「…………」

 

 なにもかも忘れ、もとの世界に帰れる。

 そういえば、クロエが俺を戻してくれるようピースに掛け合ってくれてたんだっけか。

 それで気が変わらなければ俺を逃がしてもいい、という流れになったハズ。ピースはそれを覚えていた――

 

「本当、なんだろうな?」

「……本当」

 

 と、能面顔のまま小さく頷いて歩き出す眼帯少女。

 あいつについて行き、ピースと会えば俺は今すぐにでももとの生活に戻れる。

 

 このよくわからん世界ともおさらば出来る。

 あの煩わしい魔宝石集めからも解放される。

 

 ……なあんだ。めんどくせェことが一気に解決する良策じゃねーか。

 なにも迷うこたァねぇな。

 とっとと帰って、また喧嘩三昧の日々に明け暮れるとしよう。魔法だなんだって、やっぱり俺の性には合わねーんだよ。



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第六十三石:一番幸せな最期

 そう。ボリボリ頭を搔こうとしたとき、握りしめているハチマキの存在に気付いた。

 

「あ。そうだ、これどうしよう……」

「なに?」

「いや。このハチマキ、ダッシュがつけていたヤツなんだけれども」

 

 歩みを止めて戻ってきたネームレスに赤いハチマキを見せると、

 

「そう。そういうこと……」

 

 無表情ヅラが少しだけ崩れた。

 なにかを考えるように視線を巡らせたのち、俺をジッと見上げる。

 

「端的に言う。彼女がああなったのは、それのせい。そう、私は判断する」

「へ?」

「そのハチマキには貴女との永い思い出がとても色濃く染み付いている」

「なげぇ思い出って言われましてもよぉ、俺はあいつと契約して一日も経ってなかったハズだぜ?」

 

 言った直後、不意にシャオの言葉が頭に響いてくる。

 

『――たった数時間従えただけの模魔に、どうしてそこまで怒れたのかしら』

 

 そうだ。あのとき俺はダッシュを馬鹿にされて、目の前が真っ赤に染まった。

 それが怒りによる裏集束の光だというのならば――俺はなんであそこまでムカついたんだ?

 シャオの言うとおり、たった数時間の付き合いの模魔だ。あんなに自分が分からなくなるまでキレるほどの大事な存在とは……いささかに思えない。

 

「それなのに、なんで俺はあいつを……」

 

 今も必死に影と戦っているダッシュ。そいつの小さい背中を見ながら俺は戸惑った。

 戸惑うしか、なかった。

 ダッシュが苦しい表情を見せるたび、胸がズキッと痛む。

 この痛みは――なんなんだ?

 

「戸惑い。それは、アナナエルも同じ気持ちだった」

「同じ、気持ち?」 

「私には理解不能だった。アナナエルが貴女を選んだ理由が。自分を助けた黒の魔法少女じゃなく、自分を傷つけた白の魔法少女を選んだ理由が。でも……」

 

 それだけ呟くと、目を閉じてしまった。何かを考え込んでいるのか、ピクリとも動かない紫髪少女。

 

「…………」

 

 ううむ。

 どうしたらいいものか。声をかけようにもなんとなく声をかけにくいオーラが――

 

「きゃあっ!」

「うおっ!?」

 

 出し抜けに、ダッシュが俺の目の前に降ってきた。

 

「あいたた……」

 

 腰をさすりつつ立ち上がり、またも果敢に影へと向かっていこうとするが、何故かペタンとその場に座り込んでしまうハチマキ娘。

 

「お、おい! 大丈夫か、ダッシュ! どっかイタいイタいしたのかっ」

 

 なんて、とっさに駆け寄ったはいいが、たしか俺の声が届かないんだっけか。

 過去と現在の意識が混ざり合ってる、まがいもののダッシュとやらだからか知らねーけれども、話せないのはいささかに厄介だな。

 もしかして触ることも出来ないのかねぇ。

 と、そいつの肩に手を乗せようとしたとき、

 

「……ひっぐ、ううっ」

 

 急に肩を震わせて泣き出したもんだからたまらない。

 

「あ、いや! 待て待て、俺だよ俺だってば。断じてヘンタイさんなんかじゃねーぞ……って、ガキんちょ相手になに言ってんだ、俺ァ」

「ご、ご主人様ぁ……」

 

 お。なーんだ、俺の声がちゃんと聞こえてるじゃねーか。

 

「おう。俺様はここだぜっ」

 

 泣きじゃくっているダッシュの前に意気揚々と回り込んだのだが。

 そいつの泣き顔を――大粒の涙を流し、それをグシグシと手で拭うそいつの姿を見て、俺は途端に固まってしまった。

 まるで心臓を鷲掴みにされたかのような息苦しさ。

 

「こ、怖いよ……寂しいよ……っ。ご主人様ぁ、ひっぐ。ご主人様、どこにいるの……。あななを置いてかないでぇ……」

「ハチマキ娘……」

 

 ただただ困惑していると、ダッシュの後ろに立っているネームレスがゆっくりと目を開けた。

 

「……さっきは、過去の力強いアナナエルの意識が勝っていた。でも、今の彼女は現在の――死んだばかりのアナナエルの意識が強く出ている」

「死んだばかりのって、俺を守ってくれたダッシュのことか……?」

「そう。彼女の魔力が影との戦闘で磨耗し、残り少なくなってる。だから、不安定なアナナエルの意識が表に出てきた」

「…………」

「どちらも意識は違えど、貴女のことを想い続けている。だから戦えた。影を振り払って貴女のもとへと戻り、もう一度守ろうと――救おうとしている」

 

 こんなボロボロな姿になってまで俺のことを?

 ツギハギの意識体になってまで――どうして。

 

「でも、もう彼女自身限界を悟っている。だから……」

 

 草むらに転がっている霊鳴石弐式を指さして、ネームレスは言う。

 

「影がアナナエルを分解する前に、貴女が弐式を使って彼女の意識を破壊して」

「じょ、冗談だろ? 俺に……ハチマキ娘を殺せと言うのか?」

 

 狼狽する俺とは対照的に、そいつはいつもの無感情な口調なまま、

 

「それが――彼女にとって一番幸せな最期になる。そう、私は判断する」

 

 淡々と、続けた。

 

+ + +

 

「そんな。そんなことを言われてもよ……」

 

 当然のごとく戸惑う俺だったが、さらにネームレスは容赦することなく、

 

「弐式の形状は鉈が最良。一振りで首を落とせば、彼女は苦しまずに死ぬことができる」

 

 く、首を落とせって……。

 無表情なそいつから視線を落とし、まがいものと言われたダッシュを見る。

 涙で顔をべちょべちょに濡らし、未だに俺のことを呼び求める少女。

 こいつは、まがいもの。つまり――偽者。

 

「このハチマキ娘は、まがいものだとかさっき言ってたよな」

「そう。模造魔宝石が朽ちた際、普通は光となって時園に――ピース様のもとへとまっすぐ還っていく。だけど、このアナナエルは壊れて光の意識体となってもまだ貴女のことを心配していた」

「…………」

「もし自分がランクの高い石だったら。もし自分が『疾駆』という補助型の石ではなく、強い力を持った攻撃型の石だったら――そう考えていたところに、同じく時園の近くで彷徨っていたアナナエルの光と出会った。その光はとても強い力を持っていたがすでに消えかかっていた。片方は強いけど消滅寸前の古い意識、もう片方は弱いけど新鮮な意識……彼女たちは迷うことなく融合した。貴女を守る力を得るために。それが禁忌の行為と知りながらも」

 

 待て待て。

 同じく彷徨っていたって、どういうこった。ダッシュは一人なんだろ?

 過去の意識とか現在の意識だとか言っていたけれども、もしかしてそれが関係してるのか。

 あと、それがどうして禁忌の行為になるんだ。

 そんな疑問をぶつけてみたのだが、そいつは、まばたきもせずに、

 

「……その説明は、とても複雑。時間も権限も今は無い。だから省く。そう、私は判断する」

 

 なんでぇい。無口そうなわりに説明好きなヤツだなと思ったのに、そこは言わねーのな。

 いや。権限の言葉から察するに、言わない、というよりも言えないのか。

 口元に手をあてながらそんなことを考えていると、

 

「ひっ!」

 

 ダッシュが声にならない悲鳴をあげて頭を抱えた。

 どうやら、蝶の形をした影が放った氷のつぶてに驚いたらしい。

 蝶だけじゃない。他の影たちもジワリジワリとダッシュの周りを囲み始めていた。

 

「チビ鮫が魔法を撃てなくなったことにあの影どもが気付いたら、こいつは四肢をもがれて凄まじい苦しみを受けることになる。そうなんだよな……」

 

 ギラギラ光る眼でこちらの様子をうかがっている狐と蝶。

 そいつらを睨みながら言うと、

 

「そう。だからその前に早く決断して欲しい。ちょうど首を落としやすい体勢になってる。やるなら今」

 

 眼帯娘は小さく頷いた。

 確かにのんびり説明を聞いてる暇はねぇな……。

 俺が介錯してやらなきゃ。主人である俺しか出来ねーんだ。

 やるしか、ない――

 

「来やがれっ、霊鳴!」

 

 だがしかし。

 霊鳴は一瞬光っただけで、うんともすんとも言わない。

 普通はすぐにでも飛んでくるのだが、心なしか後ずさっているようにも見える。

 

「おい、なにしてやがんだっ」

 

 まさか、俺が今やる事をこいつは察しているのか?

 

「チッ!」

 

 飛んで逃げられる前にと、荒々しく弐式を掴むと、俺は鉈を強くイメージした。

 だが、やはりと言うべきかひとつも形状を変える気配のない霊鳴。

 

「言うことを聞け、今の契約者は俺だぞ、弐式! ダッシュはもう限界なんだ。俺が――こいつの主人である俺が介錯してやらねーと、こいつはもっと苦しむことになるんだよっ、解れよ!」

 

 怒鳴ると、弐式は切れかかった電球よろしく弱々しい明滅で答えた。

 理解してはいる。でも、それでも殺したくはない。そういった想い――俺とおんなじ気持ちなんだろうよ。

 

「よくわからねーけど、ダッシュはお前の主人だったんだろ? だったらお前も主人の為に出来ることを考えるんだっ」

 

 その言葉にやっと観念したのか、巨大な鉈へと変化する弐式。

 太く無骨な氷の刃を両手で振り上げ、俺はハチマキ娘を見下ろした。

 

「これで、これでいいんだよな……」

「それが――彼女の幸せ。そう、私は判断する」



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第六十四石:ああ、わかってるって

 あとは、ただ弐式をこいつの首にめがけて振り下ろすだけ。

 それでハチマキ娘は救われる。救われるんだ……。

 

 救われる? 本当に――?

 

 必死で守ろうとした相手に、首を落とされて死ぬのがこいつのシアワセ。

 声をかけるでもなく、声が届くでもなく。

 孤独なまま。泣いたまま。いきなりワケも分からずに殺される。 

 

 ご主人様に殺されるんだからそれがシアワセ。

 シアワセな最期――

 

「……そんな、のって。そんなのって、あんまりじゃねェかよ」

 

 頭では理解していた。今ここで殺さなければ、影がもっとひどい殺し方をする。

 でも。それでも、俺は……。

 キッと顔を上げた俺に、霊鳴が二回ほどフラッシュする。

 

「ああ、わかってるって。わりィなぁ試作型ちゃんよォ。なんも解ってないクセに偉そうなこと言っちまってさァ」

 

 なにが俺が介錯してやらないと、だ。

 なにが主人の為に出来ることを、だ。

 クソ、くだらねぇ……!

 

「ぷ~ゆゆん、ぷゆん。ぷいぷい、ぷぅ! 弐式ちゃん行くぜ、すいすい~『アクアサーベル』!」

 

 直後。待ってましたとばかりにブクブクと泡の弾ける音を立て、すぐさま氷の鉈から水の刀へと姿を変える霊鳴。

 コロ美がいなくて水付与が出来ないせいか、いささかに弱々しい水の刃だが、まあ影を切るだけならこれでも事足りるだろう。

 そいつを肩に乗せ、俺は周りを囲う影どもを睥睨した。

 

「くそったれども、よくも俺様の可愛い下僕を泣かせやがったなァ? 恐縮だけれども、その落とし前はキッチリつけさせてもらうぜ」

 

 言うと、一瞬だが影たちが怯むのが分かった。

 あいつらにとって俺は攻撃対象外。だから、どうしたらいいのか困惑しているのだろう。

 

「相手は戦意が無いみたいだぜ。気が引けるか、弐式?」

 

 一応、訊いてみたのだが――激しく光り、勢いよく蒸気を出す霊鳴に、俺はクツクツと笑った。

 

「怒り心頭に発する、ってかァ? いっひっひ、そらそうだよなァ。誰だってムカつくもんな。テメェの大切な人を傷つけられたらよォ!」

 

 言うが早いか。大跳躍し、サーベルを蝶に突き刺す。

 そして、そいつが霧散するよりも前に、俺はダッシュに一番近い狐を力任せになぎ払う。

 両前足を失ったそいつはたたらを踏んだのち、全身を炎に焼かれながら消えていった。

 その燃え散る音に気付いたのか、ダッシュが泣き顔をふと上げる。

 

「ひっぐ……。あ、あれ、霊鳴が、ひとりでに動いてる……?」

「バーカ。ひとりでに、じゃねーよ。俺もいるっつーの」

 

 そうだ。テメェは独りじゃないんだよ。力任せにそいつの髪をぐしぐし撫でつけてから、もう一度霊鳴に魔力を込める。

 

「行くぜ、弐式……」

 

 息つく間もなく、他の五匹も次々に水の刃で切り刻んでいく。

 動けずにいる相手だ。それは俺にとって造作も無いことだった。

 

「……何故、こんなことをするの?」

 

 全てを倒し、肩で息をしているとネームレスがそんなことを訊ねてきた。

 

「何故ってかァ? うーん……」

 

 俺は霊鳴を肩に担ぎ直し、霊薬の残量を確かめながらこう答えた。

 

「俺がバカだから、かねェ」

「バカ……?」

「正直、お前さんの言っている事がほとんどよくわからねーんだ。んで、こいつを俺が殺すことが本当の幸せだって言われても、いまいちピンと来なくてさァ」

「わからないなら、もう一度言う。何度切り刻もうが、影は忌むべき存在が生きている限り死なない。少し経てばまた彼女を襲う。また、彼女が怯える。だから、貴女が――主人である貴女が壊すのが一番。それがアナナエルの幸せな最期。そう、私は――」

 

 言い終えるよりも前に、俺はたまらず振り向いた。

 

「判断、するってか。勝手に。勝手にさァ……こいつの幸せを『判断』しないでやってくれよ。俺はハチマキ娘を殺したくないんだよ。死ぬ前も、死んでからも体を張って俺を守ろうとしてくれたヤツを、殺せるワケねぇじゃねえか」

「…………」

「このチビには生きていて欲しいんだ。俺の後ろで、だしだしとうるさく騒いでいて欲しいんだ。ただ単純に、そんだけなんだよ……」

「泣いて……いるの?」

 

 無表情娘が少しだけ驚いたような顔になっていた。

 

「え。な、泣いてなんか――」

 

 ギョッとして頬に手をあててみる。

 げげっ。ほんとだ、いつの間にか泣いてしまってたらしい。

 

「ち、違う違うっ。これは霊鳴の水っつうか、俺は水の魔法少女だから、色んなところから水がぴゅーぴゅー出やすくて……ちょ、ちょっち、たんま!」

 

 これ以上恥ずかしいところを見られるワケには、と。

 慌てて手に持っていたダッシュのハチマキで涙を拭ってしまった。

 

 その瞬間――

 突然、ハチマキがまばゆく輝いたかと思うと、勝手に俺の手から抜けだしてハチマキ娘の周りをグルグル回り出したではないか。

 

「ひえぇえ、なんでぇい!?」

 

 いきなりの怪奇現象に目を丸くしていると、それは一本の赤い糸へと変化した。

 

「わわっ!」 

 

 同じくビックリしているダッシュの左手の小指にするすると巻かれる赤い糸。

 そして、もう片方の糸が今度は俺の指輪に――右手の小指に巻かれていく。

 いったい何が起きたんだかと、ネームレスを見てみると、そいつはフゥと小さくため息をついていた。

 

「な、なに落ち着いて眺めてやがんでぇい! どうなってんだこりゃあ、説明してくれってばっ」

「説明……。それは私がする必要はない。そう、私は判断する」

「だから勝手に判断するんじゃ――うぐっ」

 

 なんだ、頭に直接なにかの映像が流れ込んでくるぞ……!

 こ、これは――ダッシュと、俺!?



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第六十五石:過去と現在を紡いで、

 頭の中に流れ込んだ映像には、ハチマキ娘と俺が映っていた。

 俺たち二人の様々な場面がノイズごとに切り替わり、そして次々と脳裏に描かれていく。

 

 あるときは、海でコロ美と一緒にお城を作ってるダッシュ。

 あるときは、ゆりなのお姉さんと二人でクレープを焼く俺。

 あるときは、ゆりなとダッシュがかけっこ勝負をする様子。 

 あるときは、俺とハチマキ娘が一緒にクレープ屋の前で――クレープをほお張っていた。

 ニコニコ笑顔を咲かせるそいつに、財布の中身を見て肩を落とす俺。

 

「……どうして。こんなことやってないし、知らないのに。なのに――俺は全部を知っているような。懐かしい気持ちになっちまうのは、なんでだ……?」

 

 それは。

 脳裏に描かれていく、というよりも――絵画に被っていたホコリが徐々に取り払われていくかのような。

 そんな奇妙な感覚だった。

 

 拭ったハズの涙がまたも流れ出してくる。だがそれを俺は止めることが出来なかった。

 ぽろぽろと零れるがままの涙を、小さな指がスッと拭う。

 

「おまえさんって、意外に泣き虫だし……」

「え?」

 

 ふと見ると、そこにはダッシュが笑顔で座っていた。

 さっき頭の中に映し出されていたハチマキ娘と同じ笑顔。

 髪の長さは違えども。体操服にブルマという姿じゃないけれども。

 それでも――やっぱりこいつは俺の知ってるダッシュだった。

 んん? ていうか……。

 

「あれ? お、お前さん、俺様の姿が見えんの!?」

 

 涙もすぐさま引っ込み、驚愕の顔で指をさす俺に、

 

「……うん、見えるよ」

 

 と。女の子座りのまま、スカートに両手を押し当てて、そいつは恥ずかしそうに俯く。

 

「あっ、そう……」

 

 な、なんだろうか、この一気に襲ってくる気まずい空気は。

 とりあえずその場にあぐらをかいて、そっぽを向いておく。

 数十秒ほど沈黙が続いた後、やがて口を開いたのはハチマキ娘だった。

 

「えっとね。あななも、ずっと泣いてたの……」

「あー知ってるぜ。ずっと見てたからな。ごぢゅじんしゃまぁ~って、ピーピー泣いてたっけ。だからお前さんの方が泣き虫な」

 

 一応、主人の威厳は保っておかねーと。俺のほうが泣き虫だっつう烙印を押されたら部下に示しがつかねぇぜ。

 続けて、『意外に泣き虫』という発言の撤回を改めて申し立てしようとしたところで、そいつは頬を赤く染めて、

 

「あうぅ。あ……霊鳴が、あなな守ってくれたけど、もしかして動かしてたのって、やっぱり……」

 

 もじもじと両手の指先を絡めながら俺を見上げる。

 

「もしかしなくても俺しかいねーっての」

「そ、そっか。あの、守ってくれてありがと……だし」

 

 泣いて主人を呼んだはいいが、いざ現れたらどうしたらいいのか分からない。

 そんな様子で、ゆでダコのような顔のまま感謝の言葉を紡ぐそいつに、

 

「いささかに恐縮だけれども、礼を言うのはこっちだぜ。俺なんかのためにありがとうな、だし子」

 

 だし子――だしだし言うから俺がつけたあだ名。

 ハチマキの糸を通じてさっきみたあの映像から思い出した、こいつの呼び名。

 思い出したというか――あれが過去の記憶とやらなのか、デジャブとやらなのかは、イマイチよく分からねェ。

 

 まあ。俺のつけそうなあだ名だったんで、ちょいとばっかし拝借しよう。

 それにしても、これ程までにしっくりくるあだ名をつけるとはねェ。

 さすがハイカラなセンスをお持ちの俺様だぜ……うんうん、と心の中で満足気に頷いたときだ。

 一瞬、甘い香りが鼻腔をくすぐったかと思うと、

 

「……ご主人様っ!」

「な、なんだよ急に抱きついてきやがって」

 

 ほんとに急だったもんだから、尻餅をついてしまった。

 うっとうしいぞ、と突き放そうとしたのだが――失われたダッシュの色が徐々に取り戻されていくその光景にあっけに取られてしまった。

 キラキラとした光が現れては弾ける。その度に、スカートや胸のネクタイ、稲妻型のピアスに色が刻まれていく。

 すっかり、いつか見た黄色い旧魔法少女コスチュームと長い金髪という姿に戻ったダッシュは、俺の胸の中で、

 

「ご主人様、あなな、いっぱい強くなったからっ……! もうコピー様には負けないから、今度こそ絶対にご主人様を守ってみせるからぁ、うええぇん……!」

「わ、わかったって」

 

 まーた泣き出しやがった。

 やっぱ俺より泣き虫だな。つーか、ゆりなとタメ張れるぜ、こりゃあ。

 よしよしと嘆息しながらそいつの長い髪を撫でていると、俺の指輪が光っているのに気付いた。

 赤い糸の繋がった指輪――よくよく見るとヒビが薄くなっているような気がするぞ。

 

「それは過去のダッシュの意識がハチマキを……糸を通じて指輪に宿ったから。だから、石が少しだけ回復した」

 

 ひょっこり顔を覗かせたネームレスは、泣きついているダッシュの小指を指差して、

 

「その意識はアナナエルのほうの指輪に強く宿っている」

「アナナエルの指輪って……あれれっ!」

 

 なんてこった、ダッシュも俺と同じ金色の指輪を小指につけてやがった。

 

「おい、だし子! お前さん、いつの間に魔法少女になったんでぇい」

 

 ガシガシと肩を振って言うと、そいつは涙目のまま首を傾げた。

 

「あうっ? あなな、模魔だし。魔法少女はご主人様のほうだし……あれれっ!」

 

 まったく俺と同じリアクションで自分の指輪に驚くハチマキ娘。

 

「こ、これ何だし!?」

「知らねーよ。つーか、さっき霊鳴ぶん回してたし、その格好も格好で……フツーに魔法使いやってますよね、お前さん」

「ええっ!? あ、ホントだし! このひらひらの服、どーなってるの!」

 

 よほど戸惑っているのだろう。立ち上がってぴょんぴょんとその場で回り出したダッシュに、眼帯娘が淡々とこう呟いた。

 

「貴女は今、姿は過去、意識は現在という、どっちつかずのままの不安定な状態になっている。アナナエル、自分の指輪に口づけをして、改めて過去の自分と融合してみて」

「へ? ご主人様、この人だーれ?」

 

 疑問符がまた増えたとばかりに指をくわえて俺のほうを向く。

 なんと答えたらいいのか……。

 というか、俺もそいつのことよく分かっていないのだけれども。

 

「……私のことなんてどうでもいい。影たちがまた動き出す。ちょうど力を試す良い機会。融合呪文は指輪を通して過去の貴女が教えてくれるハズ」

「で、でも……」

 

 まあ。知らない人にいきなりそう言われてもな。

 そりゃ、ためらっちまうだろうよ。

 しかしながら――ネームレスの言うように、確かに影たちが集いつつあるのも確かだ。

 

「白の魔法少女。貴女からも言って。せっかく治ったダッシュの宝石、無駄にするべきではない。そう、私は判断する」

 

 俺は立ち上がり、首をコキコキと鳴らした。

 

「オーケイ、わかりましたんで。その判断には俺も賛成しとくぜ。ってなわけで、だし子!」

「ふぁ、ふぁいっ!」

「さっそくだけれども。この残虐な影たちから、ご主人である俺様を守ってもらうぜ。この影どもは俺を殺そうと必死だから、気を抜けばすぐに俺は死ぬぜ。そりゃもう、あっという間になっ!」

「あう、ご主人様強いのに……あっという間って」

「コロ美もいねェから変身出来ねーし、霊鳴も霊薬がほとんど残ってない。それに俺の魔力も空っぽのままなんだぜ。だから、いま頼れるのはお前さんだけだ」

 

 なーんて、さっき見た感じだと霊鳴の霊薬も三割くらいまで何故か回復してたし、俺自身の魔力も結構残っていたがな。

 それに、別にこの影どももハナから俺を狙う気は無いようだが――まあ、嘘も方便ってね。

 さっきは忠告を無視したが、時園を脱出するにはネームレスの指示に従っていたほうがいささかに無難だろう。

 もしダッシュが傷つきそうなら……そのときは俺の霊鳴ですぐさま影をぶっ飛ばしてやる。

 

 だから――気兼ねなく、こいつには力を解放してもらいたい。

 つーか、単純に見てみてェじゃねーか。俺の可愛い下僕の大活躍を、さ。

 

「ご主人様を守る……あなな、頑張るし!」

 

 むふーっと鼻息を荒くして目を爛々と輝かせているそいつに、俺は腕を組みながら叫んだ。

 

「よーし命令だ、融合変身しろ、ダッシュ・ザ・アナナエル!」 



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第六十六石:融合開花!ラヴシャイン!?

「了解だし……!」

 

 力強く頷き、目を閉じる。

 そして過去の自分から呪文を聞き終えたのだろう、そいつは一つ深呼吸をしてから、

 

「我は欲す。汝が纏う忌むべき力を! お願い、過去のあなな……力を貸して!」

 

 自分の小指にはめている金色の指輪にキスをするダッシュ。

 ふーん……呪文つっても、模魔の完全召喚のときと似たようなもんか。

 と。思っていたのだが、そいつは続けてこう叫んだ。

 

「サクラヴィ! デュアル――アゲイン!」

「へっ? さ、さくら海老ジュワッと揚げ……?」

 

 どうしていきなり海老の揚げモンを叫ぶんだ? もしかしてコイツ、腹でも減ってんのかね。 

 そう首をひねっていると、突然ハチマキ娘の背後に過去のダッシュが現れたではないか。

 黄金色に輝く過去の少女は目を閉じたままのハチマキ娘に優しく微笑みかけると、そっと頬にキスをして抱きしめる。

 その瞬間、少女は一つの大きな光の輪になったかと思うと、緩慢な動きでダッシュの頭を包み込んだ。

 次に、輪が頭から足先にかけて移動していき、どんどんとハチマキ娘の服が脱がされていく。

 

「あんれま、こりゃまた大胆なこって」

 

 やがて真っ裸になったとき、今度は輪が足先から胸まで駆け上がっていき――それとともに黄色のコスチュームが装着されていった。

 って、待てよ。なんだこのコスチュームは……。

 フリフリのスカートは旧魔法少女っぽいような気もするけれども、それよりもかなり短いし、上半身は俺の新魔法少女に似ているが……もっと露出度が増している。

 

「ゆりなの旧コスでもないし、俺の新コスでもないぞ。こりゃ一体なんなんでェい……」

 

 あんぐり口を開けている俺を尻目に、今度は光の輪がダッシュの髪をまとめていく。

 と言っても、ストレートロングという髪型のままだった。どうやらボサボサだった長い髪を綺麗にしただけらしい。

 そんでもって、髪の仕上げを済ませたそいつは、ちょいと失礼とばかりに俺の小指をまさぐり、赤い糸をいそいそと持ち出していく。

 

「何故に糸を持ってくんだ?」

 

 なんて思っていると、その糸はハチマキに――いや、リボンへと変わっていった。

 それを長い金髪に可愛く添えると、光輪はふよふよとそいつの頭上に乗っかり、きらりんと光を放つ。

 そんな変身終了の合図に、それまで目をつぶっていたダッシュは水色の瞳をゆっくりと開けて、

 

「ゆ、融合開花……ラヴ・シャイン!」

 

 と。

 どこぞの戦隊モノのキャラのようにポーズを決めたではないか。

 

「…………」

 

 もちろん、俺のあんぐり口はそのまま。

 それに加えて目が点になっていたのだけれども――まあ、とりあえず、これだけは言っておこう。

 コホンと咳払い一つしたあと、俺は得意満面のそいつに向かって、

 

「なんでぇい、そのヘンチクリンな決めポーズと名前は!」

 

 とツッコんだ。

 しかし、そんなツッコみもどこ吹く風。

 そいつは無駄にキラキラ輝く星マシンガンを周囲にまき散らしながら、

 

「キラッとピカッと! 二つの光が今、希望のともし火へと――」

 

 なおもそんな前口上を続けようとしやがったので、

 

「だぁら、人の話を聞きやがれってんだっ!」

 

 一発だけ後頭部にフロストチョップをお見舞いしておく。

 

「あううーっ。痛いしぃ。ご主人さまぁ、どーしてあなな殴るのぉ……」

 

 頭を押さえながら涙目で見上げるそいつの鼻先に、指をグイッと突きつける。

 

「どーしてもこーしても、なんなんだよその『ブラ社員』とかいうヘンタイみてぇな名前は!」

「違うしっ、ラヴシャインだし! ブラじゃなくて、ラヴっ!」

「どっちも似たようなもんだろ。つーか、そのふざけた名前は自分で考えてつけたワケ……?」

 

 腕を組んだままの状態で眉を寄せるといった、イラ立ち顔マックスの俺に焦ったのか、だし子は首をぶんぶんと振って、

 

「だ、だってぇ、過去のあなながそう言えってゆーから言っただけだし……。あなな、ふざけてなんかないもん」

「じゃあ、やっぱりお前のせいじゃねーかっ!」

「あうーっ! あななだけど、あななじゃないしっ。おまえさんの分からず屋ぁ!」

「あんだとォ、ご主人様に向かってなんでぇいその可愛くねェ態度はッ」

 

 そんな言い合いをしていたときだ、ふと冷たい何かが上空から降ってきて俺の頬を掠めた。

 

「!?」

 

 足元に刺さった黄緑色のツララに驚愕する俺。

 やや遅れて頬にピリッとした痛みが走る。

 

「この氷は……まさか、コロ美!?」

「ご主人様、上!」

 

 ハチマキ娘の指差す方向に顔を向けると、そこにはコロナじゃなく……蝶の影が舞っていた。

 そいつは集束よろしくエメラルドグリーンの眩い光を放ちながら、さらにいくつものツララを作り出していく。

 その数――数十にも及ぶ膨大な量だぞ。

 

「こ、今度こそ、あななが守るから……」

 

 そう言って俺の前に歩み出たはいいけれども――声がいささかに震えてるじゃねーか。

 周りにボコボコと現れた影達も激昂しているのか、みんな一様に眼を光らせてダッシュを警戒している。

 まずい――

 融合に成功したとはいえ、成ったばかりのあいつにはいくらなんでも荷が重過ぎる。

 ダメだな……これはさすがに俺も霊鳴を振っていかねェと。

 

 そう、弐式を強く握り締めた次の瞬間。

 目の前にいきなり巨大な暗闇が現れたかと思うと、その中からウネウネと蠢くモノが飛び出した。

 その触手のようなモノは次々と影に巻きつき、暗闇の中へと強引に引きずり込んでいく。

 

「えっ、えっ? これご主人様が出してるの?」

「いや、俺はこんなデタラメな魔宝石持ってねェし」

「じゃあ、もしかして……」

「…………」

 

 顔を見合わせてゴクリと喉を鳴らす俺たち。

 もしかしなくとも、こんな芸当が出来るヤツは一人しかいないワケで。

 最後までツララ乱射で抵抗した蝶もあっけなく闇に喰われたところで、今までつくねんと立っていたネームレスが口を開いた。

 

「赤の魔法少女……。せっかくアナナエルの力を試す良い機会だったのに。どうして貴女が手を出すの?」

「どうして? どうしてですってぇ……? それはコッチのセリフだわ」

 

 イライラした様子で暗闇の中からノッソリと現れたのは、やはりというべきか――シャオメイだった。

 そいつは、目元を覆う黒いバイザーのような妙な機械を装着していた。

 そのバイザーの中央に赤い光の波が一つ走ったかと思うと、

 

「こいつが、ダッシュ・ザ・アナナエルだっていうの? ランクEからランクD並みの魔気力になって生き返ってるだなんて……ふざけたことをしてくれたものね。こんな冒涜、あたしは認めないわよ」

「……貴女が認める必要はない。そう私は判断する」

 

 淡々とした眼帯娘の返しに、ますます怒りをあらわにしたシャオは、

 

「ピース様のメイド風情が、この紗華夢 夜紅サマに意見をするってぇの!?」

 

 なんてネームレスの胸倉を掴んでしまったではないか。

 しかし、掴まれたそいつも止せばいいのに、火に油よろしく、

 

「紗華夢はこの世にたった一人だけの存在。だから、私は貴女を赤の魔法少女と認識する」

「チッ。相変わらず話にならないわね、このバカ女は……」

 

 なんだこいつら、似たような格好してるクセに果てしなく仲が悪そうだな……。

 

「こ、恐いし……」

 

 消え入りそうな声と、引っ張られる俺のスカート。

 後ろを見やると、シャオを見て完全にすくみあがっているハチマキ娘がいた。



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第六十七石:あのとき、俺は―― ☆

 俺の後ろでガタガタブルブルと震えちまってらァ。

 まあ、気持ちは分からんでもないけれども。それにしたってなぁ、とダッシュの姿を改めて見直す。

 

「そんな恐がるなって。今はお前さんのほうがデッカいんだからさ」

 

 そう。変身前は俺と同じくらいの低身長だったのに、変身後はすっかり大きくなってしまったのだ。

 とは言っても、小学五、六年あたりって感じだが。それでもシャオメイよりは背が高いだろう。

 同学年組では多分、シャオが一番身長が高いのかもしれないな。次いでももは、その次にゆりな、そんでもって最後に俺って具合か。

 くっ……元の姿にさえ戻れたら俺が一番背がたけェってのによォ。情けねー話だぜ。

 

 んなことを心の中で嘆いてると、ふと視界の端に変な動きをしているダッシュが映った。

 そいつは胸元のコスチュームをクイッと引っ張って、なにやら真剣な眼差しを自身の胸に向けている。

 

「お、お前さん、なにしてんの……」

 

 半ば呆れ口調で訊ねる俺に、

 

「あなな、全然デッカくなってないよ? ちっこいまんまだし」

 

 なかなか残念そうな困り顔でそう言ってのけたそいつの頭に、本日二回目のフロストチョップ。

 

「あうーっ! また、ぶったぁ。ちべたくて頭がキンキンするしっ」

「そこの話じゃねーよっ!」

 

 と。ツッコみを入れてすぐに気まずい空気が流れた。

 それまでネームレスを睨んでいたシャオがこちらを向いたのだ。

 俺とダッシュが息を呑んだところで、

 

「こっちも相も変わらず。ふざけたヤツらねぇ」

「…………!」

 

 シャオは緩慢な動きで眼帯娘のマントから手を離すと、これまた緩慢な歩みでこちらへとにじり寄ってくる。

 そいつの顔は黒いバイザーで大半が覆われているのにも関わらず、怒りの表情が簡単に読み取れた。

 

「いつまで経っても眼を覚まさないからおかしいって思って『タイムガーデン』に来てみれば、ノンキにクソくだらない話をしている……」

 

 う、動けねェぞ……。

 なんだ、こいつのプレッシャーは。

 まるで記者会見のときに受けたような強い金縛りに、俺たちが身動き取れずにいると、

 

「コロナ・ザ・ウェンズデイも、かわいそうねェ。あんたみたいなヤツをせっかく命がけで拾い上げたってぇのに、こんなところで無駄口を叩いてるんだから」

 

 コロナの本名――いや、それよりも。

 

「どういうこった、お、俺を拾い上げたって」

「……あんたが喰われる寸前、元の姿に戻ったウェンズデイがあんたを助けたのよ。まさか、あんたここが地獄や天国だとでも思ってんの?」

「違うのか……?」

「はっ、バッカバカじゃん。ここは時を司る園よ。通称タイムガーデン。このバカメイドは時園なんてダサい呼び方をしてるケドね」

 

 やがて俺たちの目の前まで来たそいつは、ダッシュのアゴをくいっと持ち上げて、

 

「こんな役にも立たないクズ石のために、七大霊獣と猫憑きを見殺しにするんだから。ホント、救えなぁい……」

 

 一体、こいつは何を言ってるんだよ。

 コロナやクロエ、そしてゆりなを俺が見殺しにしている――? 

 

「察しの悪い男ねぇ。あんたはまだ生きてるってことよ。おそらく気を失った際に、ピース様があんたの魂だけサルベージしたんでしょう。綺麗なまま、次に再利用するつもりだったのかもしれないわ」

「……ピース様は、白の魔法少女を逃がすつもり。だから、魂をこちらへと引っ張った」

 

 そう否定するネームレスに、シャオはさぞ面白おかしそうに、

 

「きゃはっ、あははははははは。そう、そうだったわね。そういうことだったっけぇ? まあ……そんなこと、どうでもいいわ。こんなふざけたヤツ、すぐに使い物にならなくなるだろうし」

 

 まったく意味がわからないといった様子の俺に、シャオはさらに口角を歪めて笑った。

 

「ククク……。百聞は一見になんとやら。あんたに面白いものを見せてあげるわ。これが――あんたのふざけた選択による結果よ」

 

 マントの中から飛び出した尻尾がウネリ、上空に浮かぶ無数の時計の一つ――手のひらサイズの懐中時計を掴んでくる。

 それを俺の顔面に突き出したのだけれども……この何の変哲も無い時計が、一体なんだってんでぇい?

 首を傾げていると、いきなり時計の針が急速に戻り出したではないか。それとともに、文字盤の中心に波紋のようなものが広がり、何か映像が――

 

「こ、これは……!?」

 

 そりゃ、こんなのただ驚くしかない。

 なぜなら、その文字盤に映し出されたものが、ついさっきの俺とクロエの散歩模様だったのだから。

 俯瞰視点というべきか、見下ろすような形で、俺たちのやりとりが再生されている。

 コマ送りのような飛び飛びの映像だが、その後にシャオが現れるところや、巨大化したクロエがそいつを吹き飛ばす場面、そしてコピーが空から現れる場面が次々に映し出されていく。

 

「ん……?」

 

 俺はその再生されている文字盤の映像で一つ違和感を覚えた。

 ゆりなに向かって俺がシャオから得た情報……『脱皮』のことをチビ助に伝えようとする、少し前のところだ。

 何故か、ゆりながコチラを見上げて何かを呟いているように思えたのだ。

 空を見上げる形だから、コピーを見ているのかとも思ったのだが、そいつはすでに屋根の上に降り立っているし、ビルの屋上へ退避したシャオを見ているワケでもない。

 

 確実に――見下ろしている今の俺と目が合ったと言ってしまってもいいだろう。

 どこを見ているのか分からない集束の瞳だったが、悲しそうに眉根を寄せていた。

 

【挿絵表示】

 

 ブツブツと呟いているのは、クロエと何かを喋っているのか?

 それから少しして、俺が脱皮を伝える瞬前、ふと空から視線を外し、コピーの方へと無表情を向けるチビ助。

 

「…………」

 

 いや、なんかの気のせいだって。

 あいつが時園を知ってるワケねェし……。

 

「あっ、コピー様がこっち見てるし」

 

 ダッシュの声に、文字盤の中のカブト虫を見てみると確かに四つの複眼がこちらを向いていた。

 

「あれって、だし子と俺を叩き落としたときだよな。そういえば、しばらくあいつ動かなかったっけか……」

 

 あのときは俺たちが真下にいることに気付いてなかったのかと思っていたのだけれども――もしかして、こいつもゆりなのように俺を見ているというのか?

 なにがなにやら……。

 理解がおっつかずにいる俺に、

 

「面白いのはこれからよ。よく見ておきなさい……目を逸らすことは、絶対に許されないわ」

 

 髪を乱暴に掴んで、文字盤に無理やり顔を近づけさせるシャオメイ。

 

「ぐっ……!」

 

 文字盤には、コピーが大きな口を開けた瞬間、フッと気を失う俺の姿が映っていた。

 その後、すぐさま体当たりをぶちかます巨大化したコロ美。

 そいつは倒れた俺を器用に脚で掴むと、屋根の上へと避難させて、再度コピーへ向かっていく。

 

「ご主人様、ゆりな様が……!」

 

 その声に、コピーのいる場所よりも少し遠いところにいるチビ助のほうへと視線を向けると、そいつが胸を押さえながらうずくまっている姿が見えた。

 立ち上がろうとするが、フラついてすぐにその場に倒れこむ。それを何度か繰り返したとき、

 

「あーあ、かわいそうな猫憑き。あんたの為に、集束どころか再点火までしちゃってさ。そりゃそうよね。いくら才能があろうとも、成り立ての魔法少女よ……あんな無理ばっかりしてたらすぐに限界が来ちゃうって」

「……っ!」

 

 何度目だろうか、なんとか立ち上がり、よろよろと壁に手をかけながら歩いていくゆりな。

 赤く燃え上がっていた髪が黒髪へと徐々に戻っていき、赤く明滅する瞳もどんどんと色を失っていく。

 

「それなのに、なぁに。あんたはそそくさと逃げるだけだったわよねぇ。一体、なにを考えていたのかしら?」

「お、俺は……」

 

 あのとき。俺は。

 ゆりなに再点火の裏集束を完全発動させて、コピーを一瞬で倒してもらおう――それまでは、ひたすら逃げるしかない。

 そう軽く考え、ただただ――逃げていた。

 

「猫憑きのことは一つも振り返らないで。クズ石が傷つけられたときだけ、怒って集束ぅ?」

「…………」

 

 なにも言えずにうなだれる俺の髪をグイッと再び掴んで、

 

「……あの子はあんたのために、ボロボロになりながら、無い魔力をしぼり出したってぇのに、こんなクズ石にかまけて! あまつさえ、タイムガーデンに入ってもいつまでもダラダラケラケラとやってるから……っ!」

 

 そう言ってシャオは時計の中に指を突っ込んで強引に針を進めた。

 やがて映し出された映像は――とても悲惨なものだった。



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第六十八石:あの地、この空にさよらならを

「ひっ!」

 

 力を使い果たし、園児の姿になったコロナがボロ雑巾のようにコピーに足蹴にされるシーン。

 それを見たダッシュが、悲鳴をあげて俺の背中に顔をうずめる。

 

「チビチビ……!」

 

 痙攣しているそいつを、鳴き声とともに巨大な脚で踏み潰すコピー。

 まるで動かなくなったオモチャにかんしゃくを起こした子供のような地団駄で……なんども、なんども、なんども。

 

「や、やめてくれ……」

 

 ――それは俺だって、顔を背けたいほどの光景だった。

 だがそんなことをシャオが許すハズもなく、俺の髪を掴みあげて、

 

「ねぇ、見たぁ? ほら一匹目よ。あんたが目を覚ますのをずっと待ってたのに、なんてかわいそうなウェンズデイ……」

 

 次の映像では死んだコロナの姿を目の当たりにしたゆりなが、絶叫とともに霊冥を呼んでいた。

 いったい、何度目の集束なのか。赤い眼でホバーを召喚し、コピーへと飛びかかるゆりな。

 

「へぇ~、凄いわね。プラズマドームに霊冥を突き刺してそのまま雷の大玉へと育ててたみたいよ、この子。コピーを倒すにはドームの一撃に賭けるしかなかったって感じかしら……さすが猫憑き。マンデイの入れ知恵かもしれないケドさ。でも、そんな賭けも……」

 

 呼んだ霊冥の分銅を掴んで、ありったけの魔力が込められている雷玉を振り下ろそうとしたそのとき。

 突然、二枚の翅でゆりなよりも高く飛び上がったかと思うと――脚を垂直に振り下ろすコピー。

 

「!?」

 

 ゆりなの腕ごと霊冥を叩き潰すといった、あまりにショッキングな映像に、俺は言葉を失った。

 

「あはっ。ざぁんねぇん! そりゃそうよね、あんな真正面から膨大な魔力が近づいてくるんだもの。いくらトロいコピーとはいえ、すぐに気付くわ。……さてさて、腕の無くなった猫憑きは、と。あーらら、いい加減に抵抗するのを諦めたみたいね」

 

 肩を抱え、激痛に顔を歪めていたゆりなだったが、キッと顔を上げて俺が倒れている屋根へと跳躍した。

 そして、変身解除の呪文を唱えたかと思うと、体から飛び出したクロエに向かって何かを囁く。

 

「ねぇ、あの子なんて言ったと思う?」

「…………」

「ふふっ、『クーちゃん、しゃっちゃんをピースさんに頼んで元の世界に帰してあげてくれないかな……こんなことに巻き込んで、ごめんなさいって伝えておいて欲しいの』だって。健気よねぇ、『しゃっちゃん』は猫憑きのことなんて、これっぽっちも想っていないのにねぇ? 言われなくても、帰ろうとしてるってーのにさ。あはははっ!」

「ゆ、ゆりな……」

「……それじゃあ、お待ちかねの最期よ。しっかり見なさい。あんたが、ふざけて見捨てた世界を」

 

 変身の解けた魔法少女なんて脆いものだった。

 逃げるでもなく、笑顔でコピーに呟くゆりな。

 唇の動きから察するに、それはおそらく――

 

『キミを救ってあげられなくて、ごめんね』

 

 次の、次の瞬間……大きな口を開けたコピーは、ゆりなを乱雑に持ち上げると、顔面を、抉るように、噛み砕い――もう、イヤだ……許してくれ。

 もう、見ていられない……許してくれ……許して――

 

 涙で文字盤が見えなくなる瞬前、そこに映っていたのは口周りをベッタリと赤く染めた少女だった。

 白髪と黒髪の入り混じった不気味な長髪に、黒いゴシックドレスを身に纏った少女――頭上に赤黒い光輪を携えたそいつはぺロリと唇に付着したゆりなの鮮血を美味しそうに舐めとると、こちらを見上げて二ィッ……と笑った。

 

「ゆりなぁ……ごめ、ごめんな……」

「そうよ。しっかり、見て、覚えて、頭に刻み込みなさい……ちょっとしたことで、あっさりとすぐに沈む世界。生きていて当たり前、奇跡が起きて当たり前、そんなこと……あるわけないのだから」

 

 肩を震わせ、声を押し殺して泣く俺。それとは対照的に大声で泣くダッシュ。

 そんな泣き声が交錯する中、ネームレスが俺とシャオの間にずいっと入ってきたかと思うと、

 

「……赤の魔法少女。私はやりすぎだと判断する」

「さて。どうかしら。ピース様は、いま深い眠りについていらっしゃるわ。そのこと、あんたも知っているハズよね」

「それは……」

「だから、これくらいならバレやしないわ……」

「貴女、何がしたいの?」

「あんたこそ、たかがメイドの分際で勝手にこんなことして何がしたいワケ? あたしより危険なことをしているのは、あんたのほうでしょ」

「…………」

 

 なにやら、言い合ってるみたいだが……そんなこと、どうでもよかった。

 そんなことはどうでも――

 

「白の魔法少女。よく聞いて、いま貴女が見た世界には足りないものがある。それは、なに?」

 

 突然、肩を揺さぶられたかと思うと、そんなことを訊いてくる眼帯娘。

 

「わかんねぇよ……そんなクイズなんかに答えていられる気分じゃないんだ……」

 

 そいつの手を振り払おうとしたのだが、思いのほか強く握られていた。

 

「いたたっ……痛いって。離してくれよ」

「……お願い、考えて」

 

 考えてって言われても。だから、もうどうでもいいって……。

 そう、目を閉じかけたそのとき。

 

「ご主人様が、いない」

 

 今まで俺の背中で泣いていたダッシュがいきなりそんなことを言い出したかと思うと、

 

「さっきの映像、ご主人様がいない!」

 

 なんだか興奮している様子だけれども、俺は居たじゃねーかよ。

 屋根の上で気を失って――

 

「待てよ……」

 

 そう顔を上げた俺に、

 

「そう。白の魔法少女はあそこにいなかった。そして、融合したアナナエル……貴女も」

「うん……!」

 

 大きく頷くダッシュ。

 そうだ。そうだった、あそこには俺とダッシュが居なかった。

 いや、実際にはいたのだけれども、魂とやらがここへと引っ張り出されていた。

 つまり――

 

「た、確か俺はまだ死んでない……。そうだったよな?」

「そう。そして、赤の魔法少女は時計の針を少し進めただけ。あれは貴女が居ない世界の終わりかた。時園から現実へと帰ったときの……結末。まだ、救いの余地はある」

「そ、それじゃあ……」

「もしあの場に、貴女たちがいたら――」

「運命が、変わるかもしれない……!」

 

 俺とダッシュが同時にそう言うと、シャオがこらえきれないといった様子で、

 

「きゃは、あははっ! 無駄よ無駄ァ。あんたらみたいなザコどもが行ったところですぐに返り討ちにされるわ。コピーはランクBの中でも最上位の模魔なのよぉ?」

「んなの、やってみねーとわかんねぇだろ!」

「ふん……威勢だけは一丁前ねぇ」

 

 と。軽く鼻で笑ったのち、ふいにそいつはバイザーを脱ぐと、

 

「じゃあ、やってみなさい。ただし……ピース様の気は変わりやすいわ。おそらく、もう二度と元の世界へ帰してくれないでしょうね。七大魔宝石、そのすべてを集め終えるまでは。今ここで帰るか、それとも最後まで宝石を集めるか――これは最後の選択になると思いなさい」

「……ゆりながあんなに頑張ってくれてたんだ。借りた恩は十倍にして返してやれってな。これ、親父の口癖なり。だから……もうグダグダ言わねェ。最後まで付き合ってやんぜ」

「あっそ。言うは易し、行うのはなんとやらってね。これで犬死にしたら、とんだお笑いぐさだわ」

「いっひっひ。笑わせてやるから、早くシャドーを出してチビ助のいる世界に戻してくれよ、ジュゲムさん」

 

 そう言うと、シャオはばつの悪そうな顔をして、

 

「なによ、こいつ……。やっぱり、あたしあんたのこと大っ嫌いだわ」

「おっと、奇遇だねェ。俺様もテメェのこと大っ嫌いだぜ」

「チッ。とっとと、ここから消えなさいよ! 我は欲す。汝が纏う忌むべき力を――来なさい、シャドー・ザ・ライラエルッ」

 

 すぐさま開いたブラックホールのふちに手をかけ、俺は後ろで恐々と覗き込んでいるダッシュに、

 

「チビ鮫。こっから先は俺だけでもいいんだぜ。俺とコロ美でなんとかなるかもしれない。だから、お前さんはこの時園とやらでゆっくり――」

 

 言い終えるよりも前に、そいつは俺の手をギュッと握りしめた。

 

「やだっ! どーせここにいても影にずっとイジめられるだけだしっ」

「あー、そういやそうだったっけ」

「あなな、死ぬとき、ご主人様と一緒だし! だから、いっぱいこき使って欲しいし!」

「オーケイオーケイ、わかりましたんで。そんじゃま、行きますか」

「うん……待っててね、ゆりな様!」

 

 そう鼻息を荒くして闇の中へ飛び込むダッシュに、俺は一つため息をついた。

 

「はえーよ、いくら疾駆だからって疾駆しすぎだろあいつ……」

 

 とりあえず。

 俺は振り返ると、無表情のまま手を振って見送りをしている眼帯娘に向かって、

 

「なんかよくわかんねーけど、まあ世話になったな……ネム」

「……ネムって、なに?」

「ネムはお前さんのこと。ネームレスだと長ったらしいから、ネム! そっちのほうが可愛いし言いやすいぜ」

「…………」

「もっと仲良くなったら、いつかピッタリのあだ名をつけてやんぞ」

「……そう」

 

 そんな冗談にもまったく動じず。

 相も変わらず表情の読めないヤツだぜ……。

 ま、いっか。

 

「んじゃ、またな!」

 

 と。俺はぶんぶんとネムに手を振って、闇へとダイブする。

 一応シャオにも振ってやろうかとも思ったのだけれども、そいつはよっぽど俺の顔を見たくないのか、とっくに姿を消していた。



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第六十九石:急げ!

「……で、いつになったら出られるんでしょうね、こりゃあ」

 

 あれから三分ほど経ったが、まったくもって終着点が見えてこねェ。

 周りの景色は真っ暗なままだし、ダッシュの姿は見当たらないしで……いよいよ不安になってきたぞ。

 うーむ。このまま闇の中で野垂れ死にとか、さすがにイヤ過ぎるぜ。

 てか。考えてみりゃあ、あのシャオが召喚したシャドーの中を通るだなんて、フツーに自殺行為のような……。

 

「ハハハ。ま、まさかな。いくら性格がアレでも、さすがにそんな非道なことはしねェって。うんうん、俺はハッピーレッドちゃんを信じてるぜ」

 

 なんて額に脂汗をかきつつ一人で頷いてると、

 

「うっぷ!?」

 

 突然、顔にムニュっとした柔らかい感触が飛び込んできたではないか。

 なんだなんだと、その物体を両手でグイグイ押し戻そうとすると、

 

「ひゃうっ……! お、おまえさん、あなな、あななだし!」

「なんでぇい、だし子だったのか。驚かせやがってからに」

 

 どうやらダッシュのケツに顔を突っ込んでしまっていたみたいだ。

 そいつは変身したときのような輝きを全身に纏うと、食い込んだブルマを直しつつ、

 

「んーとね。あなな、ちょっとここでおまえさん待ってたし。このまま落ちてくより、あななに乗ったほうが速いと思うの」

「乗ったほうがって速いって言われましても。なに、おんぶでもしてくれるワケ?」 

「ちっちっちー! 違うんだなー、これが」

 

 言うと同時に、巨大な黄金の鮫へと姿を変えるダッシュ。

 おおーっ、そういや元の姿は鮫だったっけか。でも、以前より一回り小さいような気もするな。

 そんなことを考えていると、そいつは胸ビレを曲げて自分の背中をちょいちょいと指した。

 

「まさか乗れって、そういう意味……? い、いささかに恐いのだけれども」

 

 おそるおそる乗ってみると、エンジン音よろしく喉を鳴らして――急発進。

 

「ひいいっ!」

 

 なんてスピードでぇい! 目を開けてられねぇぜ、こいつは。

 必死に背ビレに掴まること数十秒。闇が晴れてきたかと思うと、あっという間に空を割って飛び出す俺たち。

 

「うっひょー、すっげぇ速ぇええ! 気ん持ち良いぜぇ!」

 

 って。ダメだダメだ。

 こんなに浮かれてちゃあ、ダメだってぇの。

 時園で見た映像を思い出し、俺は気を引き締める。

 あんな惨劇、二度と見たくねぇ……!

 

「ダッシュ、どんなタイミングで帰ってきたのか分からないけれども、とりあえず俺の体を探してくれっ」

 

 たしか、俺が気を失ったと同時に魂が持って行かれちまったんだよな。

 するってぇと、つまるところその直後の世界に戻ってきたと考えるのがベターだろう。

 時園に居た時間がカウントされていたら絶望的だが、だとしたらそもそもネムは俺をこの世界に帰そうとしないワケで――

 

「あー、ごちゃごちゃ考えるのクソめんどくせぇ!」

 

 キーッと頭をかきむしったそのときだ。

 暴風雪とともに、俺たちの横を飛び抜けていく巨大な蝶。

 あれは、まさしくコロナ……!

 脚には大事そうに俺の体を抱えている。やっぱり、ここは俺が気絶した直後の世界だな。

 あいつがコピーに向かっていく前に、なんとかして止めねーと。

 

「いたぞ、コロ美を追ってくれ! このままじゃ、あいつはコピーと戦って死んでしまうっ」

 

 モノアイを光らせ、さらに加速するダッシュ。

 俺はそいつの背中を撫でながら、霊鳴を呼びつけた。

 体に戻った際、いち早く変身してゆりなのもとへ駆けつけるように……これからは時間との勝負だ。

 

「弐式、ちょっちハードな戦いになるかもしれねぇけれども、そこんとこヨロシクってなもんで」

 

 俺の周りを浮遊する蒼の宝石にそう言うと、二つほど元気にフラッシュして答える。

 やがてコロ美のもとへとたどり着いたダッシュは、強引に体当たりをかました。

 とはいえ、今は一回り小さい鮫だ、巨大モードのコロナとは雲泥の差。

 蚊に刺された程度だろう、不思議そうに触覚をピンと立たせたそいつは、ゆっくりと振り向いて――

 

「パ、パパさんっ!」

 

 と。俺を見るなり園児の姿に戻ってしまったではないか。

 

「あっ、バカ!!」

 

 叫んでしまうのも無理はねェって。

 そいつが脚に抱えていた俺の体が、急速落下していくんだからな。

 慌てた俺はとっさに、

 

「やばいっ! 霊鳴ちゃん、なんとかしてくれぇいっ」

 

 叫ぶと、合点承知の助とばかりに俺の下に飛び込み、バカデカいしゃぼん玉を生み出す弐式。

 その反動からか、トランポリンのようにこちらへと跳ねてきた体に、

 

「今だッ」

 

 と、勢い良く飛び込んだ。

 いやはや。いちかばちかの賭けだったが、なんとかなったようで……。

 

「くーっ、久々の生身だぜっ! ちょっと腰と膝と肩と腕と首が痛いけれども、まあなんとかなるっしょ」

 

 果たして自分の体と無事再開となった俺は、追ってきたダッシュに飛び乗り、唖然としてるコロナの額をつつく。

 

「おーい、なにを呆けてやがんでぇい。コロ美ちゃんよォ」

「うっ、パパさんだ。パパさんだぁあっ……!」

 

 くしゃくしゃの顔で俺の胸に抱きつくコロナ。

 俺の体を落としやがってと悪態をつきたかったところだけれども、こんな泣き顔を見せられちゃあ何も言えねェぜ……。

 いや――その前に助けてもらった礼がまだだったな。

 

「俺のこと拾い上げてくれたんだよな。ありがとよ、チビチビ」

 

 そう頭を撫でたら、ますます泣き出したから手に負えない。

 うーむむ。

 

「悪ィけれども、あまり泣くと魔力が無くなっちまうぜ。これから一仕事残ってるんだからさァ」

 

 すると、そいつは鼻水を垂らしながら、

 

「……一仕事って、なんです?」

 

 見上げたそいつの頭にポンっと手を乗せる。

 

「決まってるじゃんか。変身して、カブト虫ヤロウをぎったんぎったんにブッ倒すんでぇい」

「ひ、否定。コピーは強すぎるのです……パパさんは逃げるんです。あとは旧魔法少女さんがなんとかしてくれるです」

「――否定を否定する。俺は、もう逃げない」

 

 ふざけた調子は一旦やめにして、俺は真面目なトーンでチビチビの目を見つめた。

 

「ゆりなにも、お前にも、ダッシュにも、俺は守られ続けた。守られ……過ぎてしまったんだ。もう逃げるのはイヤなんだよ。チビたちが頑張ってる中、男の俺が背中を見せて逃げるなんざ、いささかに格好がつかねェ。体は女になっちまっても、中身は男のままであり続けたいんだ。だから、頼む。力を貸してくれ」



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第七十石:輝け、スノウシャイン!

「パパさん……」

 

 そいつは、不安そうな表情で目を逸らしたが、すぐにこちらに向き直って、

 

「肯定。コロナはパパさんの言うこと聞くんです……っ!」

「いっひっひ、良い子良い子。そんじゃま、いっちょ変身と行きますんで。ガツンとぶちかましてやろうぜ、コロ美!」

「肯定! ガツンとぶちかましてやるんですっ!」

 

 グッと握りこぶしをあげ、小さな蝶へ、そして宝石へと姿を変えたそいつを掴んで、

 

「試作型霊鳴石弐式、起動……イグリネィション! 続けざまに、いっちまうぜぇ? アイシクルパワー、チェインジエメラルド……ビースト、インッ!!」

 

 やがて変身を終えた俺は、矢継ぎ早にダッシュの背中に飛び乗った。

 

「だし子、ゆりなのもとまで駆けてくれ! あいつには、もう無理をさせねェ……!」

 

 甲高いサイレンのような鳴き声とともに、空を翔ける黄金鮫。

 いやぁ、快適快適。欲を言えば、もっと余裕のあるときに乗りたかったな。

 俺の周りに漂う雪も相まってか、夜風がひんやりと気持ち良いぜ。

 なんて。深呼吸をしてシャークドライブを楽しんでいると、

 

『パ、パパさん、ど、どうしてダッシュが生きてるんです!?』

「えっ。何をいまさら……って、そうかチビチビは知らなかったんだもんな」

 

 とりあえず時間もねぇし、これまでの経緯をかいつまんで説明すると、そいつは『時園』というワードが出た時点で何かを察したように口数を減らした。

 まあ。なにを察したか分からないから、とりあえず最後まで説明しといたけれども。

 

『そうだったですか……。ダッシュ・ザ・アナナエルが融合しただなんて――コロナにはとても理解が出来ない模魔なんです』

「模魔、か。チビチビは模魔をあまり快く思ってないみたいだけれども、でもダッシュのヤツはお前さんが死んだ姿を見てボロ泣きしてたぜ」

『…………』

「俺だってコピーは心底ムカつくし、ホバーも苦手だ。だが、少なくとも、ダッシュだけは違うと思う。コピーや、ホバーも話せないだけで、口を開けばまた印象が違うのかもしれないし」

 

 と言うと、そいつは複雑そうな声色で、

 

『パパさんまで、あの人と似たようなことを言うんですね……。ピース様は、だからパパさんを……』

「ん? あの人って――あ、チビ助だ!」

 

 あの人とやらについて訊ねようとしたのだが、ゆりなを見つけたので俺は会話を中断してダッシュから飛び降りた。

 電柱に手をかけ、よろめくチビ助。そいつが倒れそうになったところで、

 

「よっとと……、大丈夫かィ?」

「あ、ありがとうございま……って、しゃっちゃん!?」

 

 突然現れた俺にビックリといった感じで人差し指を向けるゆりな。

 俺はその指をそっと下げて、

 

「これこれ。人様を指差しちゃあいけませんぜ、旦那ァ」

「あっ、ごめんなさい」

 

 ありゃりゃ、それっきり顔を赤くして俯いてしまった。

 ぎゅっと黒いドレススカートを掴んで、地面に視線を落とすゆりな。

 まるで、俺が怒ってる先生みてーじゃねーか。

 気まずいぜ、と鼻をかいてると、

 

「しゃっちゃん、ひっぐ、しゃ、っちゃん……」

「げげっ、お前さんまで泣くのかよォ」

「だって、だってぇ、しゃっちゃんが、来てくれたぁ……来てくれたんだもん」

「…………」

 

 大粒の涙を流して俺の名前を呼ぶそいつの姿に、

 

「ゆりなっ!」

 

 俺はたまらず抱きしめた。

 体が勝手に動いたとは――こんな時のためにある言葉なんだろう。

 何か、テキトーにからかってやろうかとも思ったのだけれども、それでもあの映像を見てしまったあとだ。

 俺には、耐えられなかった――

 

「しゃ、っちゃん?」

 

 まさか俺に抱きつかれるとは思ってもなかったのか、涙目のままキョトンと俺を見つめるそいつに、

 

「……もうあんな恐い目には合わせねェから。俺がずっとそばにいて、お前を最後の最後まで守ってやる」

 

 スカートを掴んでる手に両手をそっと重ねて言う俺に、ゆりなはますます顔を赤くした。

 

「……えっ! それって、えっと、えっと……ふぇええ!?」

 

 プシューッと汽車のような湯気が頭から出てきたけど、それをアイスブレスで吹き飛ばして、さらに続ける。

 というか。こ、こんな恥ずかしいセリフ、勢いのまま言っちまわないと一生言えねーし……。

 

「つ、つまりだな。チビ助が命がけで俺を守ってくれたように、これから俺もお前を命がけで守るっ。帰る帰らないで俺はもう悩まない。乗りかかった舟だ、宝石集めを最後まで手伝わせてもらうぜ」

「あっ、あのあの。クーちゃんがね、この舟、泥舟かもしれないよ、だって……」

「おっと。それはそれは、いささかに恐ろしいこって」

 

 しかしながらと。俺はゆりなの涙を中指の腹で拭って笑う。

 

「恐縮だけれども、俺様を誰だと心得るんでぇい。俺は水と氷の魔法使いだぜ? 泥舟だろうが砂舟だろうが――」

 

 言って、指先を濡らす一滴の涙を一粒の雹へと変化させて、

 

「全部、ブッ凍らせてやるっ……!」

 

 親指で弾丸よろしく弾き、はるか彼方で俺達を睥睨と見下ろしていたコピーの顔面にぶち当てる。

 

「いっひっひ。どうでェい、ゆりなの涙は痛かったかィ?」

 

 屈辱だとばかりに脚を蠢かして憤怒するカブト虫。

 おーおー。頭上の光輪がピカピカと光って、まぁ。

 そんなお冠状態のそいつに向き直ると、俺は羽を広げて闇夜へと舞い上がる。

 そして、杖を大きく振りあげ、

 

「俺は、俺たちは……もっと痛かったんだぜ、こんちくしょうぉおおがあッ!」

 

 コピーにケリをつけるべく、飛翔した。

 

+ + +

 

 やっこさんの懐にサクッと近づいてアクアサーベルをブッ刺したいところだけれども……とりあえずその前に遠距離魔法で牽制といくかねェ。

 とくりゃあ、やっぱりあの魔法の出番ってなワケで。

 

「コロナが魂よ、我に翡翠の水を宿せ! こいつを喰らいやがりなァ……ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷぅ! すいすい、『スノードロップ』ッ」

 

 口早に水付与を施し、杖から氷マシンガンをぶっ放す。

 もちろん、この魔法じゃあ傷一つつけることさえ出来ないのは百も承知だ。

 俺は続けざまに左拳を引いて、

 

「ぶっ飛べ! すいすい『フリーズナックル』!」

 

 勢い良く突き出す。

 ぷにょんと出てきたマスカットゼリーに吐息を吹きかけ、氷の鉄拳にしようとしたところで――

 

『わわっ。パパさん、コピーが瓦礫を投げてきたのです、高度を下げるんです!』

 

 焦った様子のコロ美の声が頭に響く。

 やけに前脚がダランとしてて無防備だなと思ったら、後脚でコッソリ瓦礫を掴んでやがったのか……小賢しいヤツめ。

 

「くそっ、もう少しでナックルが完成したっつうのに。ちったぁ待ちやがれってんでェい」

 

 そう言って、羽に魔力を注ごうとした時。

 突然、目の前に巨大な影が現れたかと思うと、俺の視界を全部覆ってしまった。

 なんだなんだと目を丸くしていると、眩いフラッシュと共にその影が金髪の少女へと姿を変えて――というか、だし子だった。

 

「お前さんよォ、いきなり飛び出してくるたぁどういう了見でィ」

 

 驚かせやがってとブーたれようとしたのだが、そいつは後ろ姿のまま、

 

「ご主人様、そこを動かないで。あななの盾で、コピー様の攻撃を防ぐから!」

「た、盾ぇ?」

 

 なんのこっちゃ。

 そう眉をひそめていると、なにかが盛大に破裂する音が聞こえた。

 

「今の音って、もしかして……」

 

 おそるおそるハチマキ娘の後ろから顔だけ覗かせてみると、なんと、そいつの両手から金色の巨大な盾が飛び出しているではないか。

 それは、ひし形の金枠に半透明のオーロラフィルムが張られているかのような形状だった。

 盾にしてはいささかに頼りないようだが、それでも瓦礫を完全防御したということは、かなりの強度があるみたいだな。

 

『まさか、GFシールド!? 盾を出せるなんて、本当にダッシュは過去の自分と融合したんですね……』

 

 俺とはベクトルの違う驚きを見せるコロナ。

 つーか、なんでこの盾の名称を知ってるんだろう。盾を出せるイコール、融合した証明になるのもよく分からねェ。

 まあ、どうでもいいことだけれども。

 

「いやあ、それにしてもだし子ってば凄いんだな。ランクEとは思えない働きっぷりだぜ。さっすが俺様の一番模魔」

 

 なんて感心してると、そいつは振り返ってニヤリと笑った。

 

「むふーっ。おまえさん、融合したあななはもっと凄いの! こんなもんじゃないしっ」

 

 と。長い髪をかきあげて、くるんと一回転。金色の石へと姿を変えてしまった。

 ふよふよ浮いてるその宝石を何気なく掴むと、

 

『そっか、その手があったんですっ!』

 

 なにやらコロ美が興奮して俺にこう言った。

 

『パパさん、コスチュームの胸のところに宝石があるですよね?』

「は、はい。あるですけれども……」

 

 確かに胸のところにハートマークのエメラルド宝石が埋め込まれている。

 中々に大きいそれをペタペタ触ってると、

 

『その中にダッシュの宝石――ゴールデンベリルを入れるんです。呪文は、えっとたしか……』

「えっ、なんで入れるんだ? 呪文ってどういうこと?」

 

 と、アホ毛を疑問符のようにひん曲げている俺の耳に、直接過去のダッシュの声が響いてきた。

 その内容はどうやら呪文とやらについてなのだけれども……って、おいおい、マジかよ。

 

『一か八か、やってみるんです! このままの魔法では、どっちみちコピーを倒すことが出来ないんですっ』

「ううっ。わ、わかりましたんで」

 

 いささかに恥ずかしいが、過去のだし子が言っていたようにやるしかないワケで。

 俺はダッシュの石を空に向かって掲げると、 

 

「行くぜ……シャイニングパワー! トランス・ザ・ゴールデン!」

 

 呪文を唱えて、

 

「ビースト……イン!」

 

 力強く胸の宝石へと押し込む。

 その途端、目の前に変身した状態のダッシュが現れた。

 

『ご主人様、お手て出して』

「あ、ああ……こうか?」

 

 言われるがままに手を出すと、そいつは俺の指に自分の指を絡めて、

 

『雪と光の融合、私の力を全てご主人様に捧げます……』

 

 そう呟き、俺の胸に顔をうずめる。

 

『その名は――』

「……スノウシャイン」

 

 呼応するかのように俺がその名を呼んだ次の瞬間、ダッシュが光の輪へと姿を変え、俺を頭から包み込んだ。



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第七十一石:脱皮

 

「うっ」

 

 あまりの眩しさに、とっさに目を閉じる。

 ダッシュが融合したときのように、俺のコスチュームがどんどんと脱がされていくのを感じた。

 すぐに新しいコスチュームが装着されていってるみたいだが――やけにスースーするぞ。こいつは、もしかして……。

 チラッとだけ確認。

 

「げげっ、あの衣装かィ……」

 

 さっきまでの新魔法少女と似たような白を基調とした色だが、やはりというべきか、ダッシュのコスとデザインはまったく同じだった。

 うむむむ。スカート丈は短いし、胸元はガバっと見せてるしで、なんつーかその……か、かなり恥ずかしい格好だぜ。

 

 ダッシュを取り込んだからパワーアップはしているのだろうけれども。こんなに色々と露出が増えると、いささかに防御面が不安になってきたぞ。

 目をつむりながらそんなことを考えていると、光輪が俺の髪をセットし終えたらしく、ピカッとフラッシュした。

 その光は変身終了の合図。そっと目を開けて、改めて自分の格好を確認してみる。

 ううっ、やっぱりあの衣装だ……。

 

「このスカートと胸元よォ……どうにかならねェもんかね、チビチビ」

 

 と。コロ美の意見を聞いてみようとすると、

 

『そんなことを言ってる暇ないんです、その力は長くはもたないのですっ!』

「えっ! そ、そうなのかィ」

 

 パワーアップと言っても、少しの間だけなのか。

 まあ。長時間この格好でいるのもアレだし、むしろ良かったのかもな……。

 とりあえず、とばかりに俺は杖を持ち直すと、

 

「オーケイ。そんじゃま……とっとと、やりますかってなもんで! ぷゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷうっ、すいすい『エメラルドダスト』!」

 

 俺様、一番の大魔法をぶっ放してみる。杖から水蒸気が飛び出し、やがて無数の細氷がコピーの全身へと降り注ぐ。

 さてさて、威力はどんなもんかねェ。穴ボコだらけになって一瞬で倒れちまったりして。

 

「ありゃ? そこまで強くないような……」

 

 コピーの羽や脚は若干凍っているし、動きもまあまあ鈍っている。でも、ダメージはそれほどでもないみたいだった。

 これじゃあ、今まで撃ってたダストと変わらねーじゃねぇか。

 

『おまえさん、その呪文だとあななの力が入らないし』

「うおっ、だし子!? お前さんどこから喋ってんだァ」

 

 キョロキョロと周りを見ていると、

 

『あなな、おまえさんの中に今いるしっ。ふかふかぽかぽかで暖かいの!』

『パパさん、ダッシュとの融合魔法の場合『エメラルド』じゃダメなんですっ』

 

 なんて、左右から聞こえてくるからたまったもんじゃねェ。

 

「どわわ、わーったからステレオで喋るな、チビども!」

『チビじゃないしっ、今はご主人様よりデッカいし!』

『コロナだって、元の姿になったらパパさんの百倍はおっきいんですっ』

「だ、だぁら、うるせぇえっての!」

 

 ったく。一人でもアレなのに、だし子まで俺の中に入ってるから、なおさら騒がしいぜ……。

 とにかく。今は漫才をしている場合じゃない。

 このパワーアップモードが終わっちまう前に、なんでもいいから魔法を撃っちまわねぇと。

 

「んで、コロ美さんよォ。エメラルドじゃダメなら何がいいんでぇい」

『エメラルドだと、コロナの分しかプラスされないんです。なので……』

『あななの金色の力、『ゴールデン』を使うの!』

 

 なーるほどね。

 

「オーケイ、翠じゃなくて金で行けってことね。じゃあ早速やってみますんで……すいすい『ゴールデンダスト』ッ!」

 

 と。物は試しと、エメラルドダストと同じ要領で杖を振ってみたのだが――これがまた凄いのなんの。

 霊鳴が金ピカオーラに包まれたかと思うと、エメラルドのときより素早く水蒸気が昇り、即座に大量の飴ちゃんがコピーの体を貫いちまった。

 

「うっわ……」

 

 そりゃ引きもするって。

 一瞬でカブト虫の巨体が金色の氷の中に埋まってしまったんだからな。

 

『パパさん! 今なんですっ』

「お、おうっ!」

 

 続けざまに、羽を開いてコピーへと近づこうとしたのだけれども。

 

「ちょちょ、ちょっと、速すぎるって! ひぇええ」

 

 羽も強化されているのか、速すぎてコントロールが上手くいかねえぞ!

 手前で止まってアクアサーベルで斬りつけようと思っていたのに、あれよあれよとコピーの腹へと突っ込んで行ってしまう。

 

「ブレーキ、ブレーキ! あれ、いつもどうやって止めてたっけ!? コロ美、ちょっと運転代わってくれぇえ」

 

 半ばパニックになってると、

 

『コロナも止めてるですが、言うこと聞かないんですっ』

『うーっ、あななもやってみてるけど……ダメっ、全然この羽止まらないし!』

 

 二人も大パニック。

 

「ふんぎゅっ!」

 

 あのスピードを制御出来るハズもなく、氷塊に大激突してしまった。

 

「あいててて。しこたま鼻を打っちまったぜ……。無い胸もさらにヘコんじまったような」

 

 と。鼻と胸をさすってると、ぽむっという乾いた音とともに、胸の宝石からダッシュの石が飛び出してきたではないか。

 

「うわ、とっと」

 

 慌ててキャッチしたはいいが……まさかこれって。

 ちょっち自分の姿を確認してみると――げげっ、新魔法少女の格好に戻っちまってるじゃねーか!

 

『じ、時間切れなんです……』

「えーっ!? もうパワーアップモードお終いかよ!」

 

 いくらなんでも早すぎるぞ。五分ももたなかった気がするぜ。

 そうガックリ肩を落としていたそのとき、目の前の氷が急に輝き出したではないか。

 おおっ、ゴールデンダストはまだ効いたままなんだな。

 もしかして、この光は追加攻撃でもしようとしているのか?

 

 と、期待していたのだけれども……俺はコピーの頭上を見上げて愕然とした。

 なぜなら、赤黒い光輪が急速回転を始めていたからだ。

 次の瞬間。光輪から強力な赤い光が発せられる。

 これは、ホバーが精神干渉波を繰り出したときの発狂モードと似ているような――

 

「この光……う、嘘だろ、おい」

 

 俺がシャオの言っていた『脱皮』というワードを思い出したのと同時に、

 

『肯定。ついに脱皮が始まってしまったんです……』

 

 コロナが静かに、しかしハッキリと呟いた。

 

 脱皮――

 その場合、かなり厄介なことになるとあいつは言っていた。

 おそらくハチマキ娘と融合したさっきの俺みたいに強化されるのだろう。

 

「くっ……」

 

 ゴールデンダストの氷を穴だらけの羽で払いつつ、巨大な体躯をモゾモゾと動かすコピー。

 それにともない、黒の外殻が鈍い音を響かせて一つ二つと剥がれ落ちていく。

 そして中から顔を覗かせたのは、白く濁った色をした柔らかそうな殻だった。

 

「これはこれは。ノンキに脱皮タイムかィ。いやはや、いささかに舐められたもんだねェ。だがね、こちとら指を咥えて見ている程お人好しじゃなくってねぇッ!」

 

 言って、俺は再びダッシュの宝石を胸に押し込んだ。

 もう一度。少しの間だけでもいい。だし子の力とコロ美の力を融合させてあの姿に、『スノウシャイン』に変身することが出来たら――こんな無防備なヤツなんて一瞬で!

 

『あっ、ダメなんです、パパさんっ!』

 

 コロナの止めようとする声と同時に、胸からダッシュの宝石が凄まじい勢いで飛び出す。

 

「!?」

 

 それはすぐそばの電柱へぶつかると、二、三度ほどコンクリートの上を跳ねてドブの中に落ちてしまった。

 

「だ、だし子!」

 

 慌ててそれを拾い上げ、スカートの裾でゴシゴシ汚れを拭いてる俺に、

 

『ダッシュの力を借りるのは一日に一回が限度だと思うんです。普通に召喚するよりも、格段に魔力の消費が激しいのです』

「そうだったのか……ごめんな」

 

 考えてみれば、今日一日だけで何回も召喚してるし、融合変身なんてのもやってるんだよな。

 いくら、こき使ってもいいって言われても――さすがにこれ以上無理させるワケにはいかねェ。

 

 そう思いながら拭き続けていると、石がするっと俺の手から抜け出して光り輝いた。

 その光の中から現れたのは、ショートカットの金髪に赤いハチマキ、そして体操服といった元の姿に戻ったダッシュだった。

 フラフラのそいつは、ぺたんとその場に座り込むと、なんとも申し訳なさそうな顔でメモ帳の切れ端を俺に見せる。

 それには、『あなな、へーき、よゆう。だから、もいちど石になる。無理やり、おまえさんが入れれば、たぶん、変身、また出来るし』と書かれていた。

 

「無理やりって……言われてもよォ」

『模魔なのに、どうしてそこまでパパさんのことを……』

 

 唇を噛んでいる俺に、ニコっと微笑むハチマキ娘。 

 

「……わかりましたんで。あいつを倒すには脱皮してる今しかないもんな。確実な方法は融合変身による魔法――そうだよな、だし子?」

 

 俺の言葉に、コクリと頷く。

 そいつの汗に濡れた金髪をグシグシ撫でて、俺は言葉を続けた。  

 

「それしか方法が無いってんなら仕方がねェ。よし、さっそく石になってくれ」

『パパさん!? 無理やり押し込んだら今度こそ本当にダッシュが死んじゃうかもしれないんですっ! ダメなのです、他に方法があるかもなのですっ』

「……いっひっひ。だし子、お前さんには聞こえねぇかもしれないが、コロ美がかなり心配してるぜ。壊れちまうかもしれねーからダメだ、他の方法を探せってさ」

 

 そう言うと、チビ鮫は少しだけ驚いた顔をした。

 だがすぐに照れくさそうな笑顔に変えて、

 

『大魔宝石様は、あななみたいな模造魔宝石のことなんか、心配しなくていいし。そのぶん、ご主人様のことを、いっぱい、いっぱい、心配して欲しいなって、守って欲しいなって、あななは思うの』

『ダッシュ……』

 

 たどたどしく言った後、宝石へと姿を変えるダッシュ。

 熱くなっているその石をひょいっと掴んだ俺に、

 

『否定。ダッシュは、死ぬ気なんです! 全ての魔力を使ってパパさんと融合するつもりなんですっ』

「あっちっち。いやー、石風邪ひいたコロ美レベルの熱さだねぇ。ま、俺様の手はひんやりしているからすぐに冷やしてやんよ」

『否定、否定否定、ひていっ! パパさん、ダメなのです!』

「だあぁあ! うるせーなァ、ちったぁ落ち着けよバカチビ。誰がせっかく直ったダッシュを壊すような真似なんてするかよ」

 

 と、俺は宝石をスカートのポッケに押し込んでポムポム叩く。そんでもって、『ふへ? 意味がわからんのですっ』なんて言ってるコロ美に、

 

「無理しなくていいから宝石に戻れって言っても素直に聞くヤツじゃねーからな。だからああ言って手っ取り早く宝石になってもらったワケ。あとはそのままポッケに入れて休ませるだけ。お分かり?」

『……むーっ! パパさんの言い方がとっても紛らわしかったんですっ!』

 

 ぷんすこ怒ってるコロナに俺は少しだけ笑った後、

 

「わりィわりィ。でもよ、あいつの真っ直ぐな優しさを、他の模魔とは違うってところを……チビチビに知っておいて欲しかったんだ。いささかに良い機会だと思ってね」

『あ、う……』

「さーてさてと」

 

 言葉を紡げずにいるそいつを尻目に、俺は未だに脱皮に夢中なコピーを見上げる。

 もしこの場にシャオがいたら、またふざけやがってと罵倒されるかもしれないけれども――俺には一つ、策があった。



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第七十二石:決着!黒白の魔法少女vs黒白の模魔・完

 それは――

 

「しゃっちゃん!」

 

 突然、どこからか聞こえてくるゆりなの声。

 

「おおう。チビ助ェ? どこにいるんでぇい」

 

 なんて周りを見渡していると、

 

「ボクはさっきのとこにいるよっ」

 

 あー。そういや、魔力を持つ者同士は遠く離れてても会話出来るんだっけか。

 すっかり忘れてたぜ。

 

「あとはボクに任せて、そこから逃げてっ!」

「……逃げて、か。チビ助、お前さん大丈夫なのかい? さっきフラフラだったじゃねーか」

 

 念のため少しだけ声を張り上げてみる。

 多分、普通に話していても聞こえるとは思うけれども。

 

「だいじょーぶ。しゃっちゃんが戦ってたとき少し休んでたもん。もう平気だよっ!」

「ふーん……」

 

 戦ってたつってもたった数分だぞ。そんな短い時間で魔力が回復するワケねぇのに。

 

「あのさァ。ひょっとすると、なんだけれども」

「ふえ?」

 

 俺は髪の毛をクルクルと指先で弄りつつ、

 

「アレだろ。霊冥を突き刺して育てたプラズマドームをコピーに振り下ろそう……とか思っちゃったりしてない?」

「えっ! どーしてクーちゃんの作戦をしゃっちゃんが知ってるの!?」

 

 やっぱりな。

 そいつの問いには答えず、

 

「でも、あの雷玉は相当デカくなってるハズ。ちょっと休んだだけで――いや、もし魔力が全回復していたとしても、チビ助にあれを振り下ろすほどの力は無いと思うのだけれども」

「そ、それは……えっと。にゃ、にゃはは」

 

 なんて曖昧な笑いでごまかすチビ助。

 

「…………」

 

 考えるまでもない。また集束を試すつもりだな。

 再点火やら裏束だか、よく分からん名称のそれらを使ってパワーアップするのだろう。ドームをぶん投げるには眼を使うしかない。

 しかしながらと、俺は思う。

 クロエが前に言っていた『霊獣は自在に集束出来るが、本来の発動とは異なるからやればやるほど体に障る』ってな言葉や、

 シャオやコロ美の集束に対する反応を見るに、あの眼の光ばかりに頼るのはいささかに……いや、かなりヤバイ気がする。

 

 多分。あいつはそれでも大丈夫だと言い張って、俺たちを守ろうとするだろう。

 無理をすんなって言っても聞かないのは、ダッシュだけじゃない。チビ助も。そしてコロ美だってそうだ。

 

「あーあ。ったく、どいつもこいつもよォ」

 

 時園に行く前の俺なら、それじゃあ頼んだぜと、そそくさとこの場から退避していたかもしれないが――

 

「試作型ちゃん、飛ぶぞっ!」

 

 俺はすぐさま杖に跨るとゆりなのもとへと翔けた。

 夜景を眺めながら全身に風を感じている俺の耳に、

 

『あれれ、羽で飛ばないんです?』

 

 と、コロ美。

 

「んー。俺自身の魔力の温存のため。霊鳴の霊薬が少し余ってるし、移動は杖でいいかなっと」

『むむっ? パパさんの言ってることが、さっきからちょくちょく分からないんです。時園に行ってからなんか変なのです』

「それは……」

 

 フラッシュバックのように脳裏に描かれるコロナの死体。そして、腕を潰され、顔の半分を噛み砕かれたゆりな。

 それらを振り払うかのように首をぶんぶん振って、俺は呟く。 

 

「なあ、チビチビ」

『な、なんです?』

「……帰ったら、ご褒美にいっぱい高い高いしてやんよ。だぁら最後まで頑張っとくれ。おそらく、あいつを倒すには俺とチビチビの魔力を全部使わなきゃいけなくなるからさァ」

『やたっ! 肯定なんですっ! コロナ、ご褒美のためにいっぱいいっぱい頑張るのです!!』

「いっひっひ。頼りにしてるぜ」

 

 やがて、ゆりなのもとへ帰ってきたのだけれども。

 そいつは目を閉じて何かをしようとしているところだった。

 いや。この浮き上がる髪の毛に、舞う火の粉といったこれは、おそらく裏集束とやらか。

 ……これ以上、眼の力を使わせてたまるかってんだ。

 

「よっ。ゆーりなちゃん何してんの」

 

 俺はなるべく軽い調子でそいつの肩をポンっと叩いた。

 

「なぁってば。おーい」

「…………」

 

 ほっぺたをうにゅーって引っ張ってみたり。

 

「無視すんなよォ」

「…………」

 

 今度はスカートをバサバサとめくったりしてみるが、どうにもこうにも無反応。

 よっぽど集中しているのだろう。

 むむむ……こうなったら。

 

「ほーら、たかいたかーい」

 

 さっき言っていたコロ美のご褒美である高い高いの練習がてら、チビ助を持ち上げてみる。

 これにはさすがのゆりなも気付いたようで、

 

「きゃっ!? わ、わわっ」

 

 と。ビックリ声をあげて目を開けた。

 

「あれれ。しゃっちゃん、いつの間に?」

「いっひっひ。俺を無視した罪は重いぜェ」

 

 俺は呆然としているゆりなを抱え上げたまま、

 

「ほれほれほれーい」

 

 クルクルとその場で勢い良く回してやる。

 いやはや。コスチュームの力のおかげか、いささかに軽いもんだぜ。ま、コスを脱いでも軽そうだけどな。

 

「ふにゃあああ!? 目、目が回るぅううう! じゃっぢゃん、どめでぇええ」

「あい、わかりましたんで」

 

 言われたとおりにピタリと止めてゆりなを下ろすと、そいつは目をグルグル回しながら、

 

「ふぇえぇ、お月様がいっぱい見えるよぉお」

「あんれま、なんてこった。やっぱりまだフラフラじゃねーか! まったく、テキトーなことばっかり言いやがってからによォ」

「ひ、ひどいよぉ。ボク、テキトーなことなんて言ってないもん。フラフラなのはしゃっちゃんのせいだよっ」

 

 やっとこさ落ちついたのか、むくれ面で俺を見つめるチビ助。

 俺はそいつの頬をつんつん突きつつ、

 

「怒んな怒んなって。おっと。すでに投げるスタンバイは完了していらっしゃるみたいだねェ」

 

 と。手元の分銅を見る。

 分銅つっても霊冥の宝石部分だけれども。

 

「そんじゃま。それを引っ張ってコピーにぶちかまそうぜ。今なら脱皮中で雷玉にも気付かないだろうし」

 

 そう言うと、そいつは困ったような表情になって、

 

「ダメだよっ、危ないからしゃっちゃんは遠くへ離れてて」

「へ? 危ないって、なんでまた?」

「だって、クーちゃんがもし変に投げちゃったら、しゃっちゃんにぶつかるかもって……ボク、ちゃんと投げられるか不安だし」

 

 なんて俯いてしまった。

 やれやれと俺は肩をすくめて、その頭に手を乗せる。

 

「いちいちめんどくせぇヤツ。だったら一緒に投げればいい話だろ。そうしたらぶつからねーし」

「で、でもっ、もしボクらの上に落ちてきたら……」

「でももすももねぇっての。言っただろ、俺はもう逃げねーの。それに、二人で力を合わせれば絶対にコピーの方までブッ飛ばせるって」

「しゃっちゃん……」

 

 でもなぁ。二人で投げるにしても……こうも宝石が小さいとねェ。掴む場所が無いっつうか。

 と、ゆりなの手に握られている分銅をジッと見ていると、俺の周りを浮遊していた霊鳴がピカッと反応した。

 

「ん、どうしたんでぇい?」

『パパさん、弐式は二人で掴みやすいように零式と合体するつもりなんです』

「おお。なんてお利口さんなんでしょ! てか、コロ美ってば霊鳴の言葉が分かるんだな」

『否定。言葉というか、やりたいことがなんとなく解るだけなんです。でも、多分当たってるのです……ほら』

 

 チビチビ助の言葉どおり、霊鳴と霊冥がピッタリくっついたかと思うと、分銅部分が長く伸びたではないか。

 オブシディアンの黒色とサファイアの蒼色が螺旋を描くように絡み合っている。

 鎖の部分に流れていた黒い雷の周りに俺の翠色の雪がふよふよと漂い始めたところで、ゆりなが感嘆の声をもらす。

 

「ふわぁ……とってもキレイ」

「目がチカチカするけど、まあキレイっちゃキレイかもな」

「もーっ、しゃっちゃんってば素直じゃないんだから」

「ばーろぉ。お前さんが素直すぎんの」

 

 そうお互い笑いつつ、俺たちは宝石を掴んだ。

 

「そんじゃま、そろそろケリをつけようぜ」

「うんっ」

 

 目を閉じ、手元へと全魔力を注ぐ。

 

『おっけ。コロナの力は全部パパさんの手にいったんです』

「さんきゅ。こっちはもう準備出来てるぜ。チビ助はどうでェい」

「あっ。クーちゃんがもうちょっとかかるって」

「わかりましたんで」

 

 ……ちょっとだけ暇だな。

 何気なく隣のゆりなに視線が行ってしまう。目を閉じたまま、一生懸命に手元へと魔力を送っているチビ助。

 そいつの顔を見ていると、また時園のあの光景が頭に浮かんでしまった。

 

「ゆりな……」

「ん、なあに?」

 

 そいつが目を開けるのと、俺の目から涙が零れるのはほぼ同時だった。

 

「しゃ、しゃっちゃん、どーして泣いてるの?」

「しまっ……! いや。あの、なんつーか、その、待ち時間が長いもんだから、いささかにあくびが出ちまってさ」

 

 くそっ。涙を拭こうにも今手を離したらまた一から魔力を注がなきゃいけねぇ。

 

「にはは、待たせてごめんね」

 

 そう言って、スカートからハンケチを取り出し、俺の涙を拭うチビ助。

 

「わ、わりィな」

「いーの、いーのっ。さっきボクの涙拭いてくれたお返しだよ」

「なんじゃそりゃ……」

「えへへっ」

 

 って。ちょっと待て!

 

「あーっ、手を離したらもっかい溜めなきゃなんねーんだぞ!」

「ふえーん、今おんなじことクーちゃんにも言われちゃったよお」

 

 なんて涙目でもう一度魔力を溜め始めるゆりな。

 おいおい。今度はお前が泣くのかィ、なんて思ってると、

 

「なんかさー。今日、ボクたち泣いてばっかりだよね」

「た、確かにそうだな」

『うっ。コロナもいっぱい泣いた気がするんです」

 

 言われてみれば今日一日でどんだけ泣いちまったことやら。

 だし子もすげェ泣いてたし。ランクBのコピー一匹の襲来でこれだもんなぁ。ランクAの模魔が来たらどうなっちまうんだろう。

 

「明日はいっぱい笑えるといいなぁ……」

 

 不意にゆりながそんなことをぼそりと呟く。

 明日、か。

 コピーを倒さなければ、明日は来ない。たとえあいつを倒したとしても、次々に現れる模魔、そして大魔を全て倒して捕獲しないと――ゆりなに明日はない。

 

 あんな目には、もう……。

 

 俺はトホホと唇を尖らせているチビ助を見つめて、小さくこう呟いた。

 

「……笑えるさ、きっと」

 

 すると、ゆりなは俺のほうを向いて、

 

「うんっ、しゃっちゃんと一緒にお風呂入る約束があるもんねっ。とっても楽しみだよぉ」

 

 と。八重歯を見せての満面の笑み。

 

「そ、そんな約束したっけ……」

「したもん! 破ったら雷千発だよって言ったもんっ。あ、でも入るのって今日だったっけ。まいいや、毎日一緒に入れば同じだもんね」

「ははは……毎日は勘弁してくれ」

 

 相変わらずっつうか、なんつーか。

 まあ、チビ助らしいけれども。

 

「あっ。クーちゃんが準備出来たって」

「オーケイ」

 

 さて、そんじゃま。風呂の約束もあるし、いい加減コピーさんには退場してもらいますかねェ。

 

「んじゃ、行くぜゆりな」

「うんっ、しゃっちゃん」

 

 目配せをして、二人同時に頷く。

 そして。

 

「よっこらっ……」

「いっせーの……」

 

 分銅を大きく持ち上げ――

 

「せっ!!!」

 

 掛け声とともに振り下ろす。

 途端、轟音とともに俺たちの頭上にとてつもなくデカい雷玉が舞った。

 

「どえええ、あんなに大きかったのかよ!?」

「ふわぁあ。本当だぁ。わーい! すっごいすっごいっ」

『か、簡易変身なのにこれだけの魔法作っちゃうだなんて……。パパさんと同じ新魔法少女さんになったらどうなっちゃうんですか、これ……』

 

 弧を描いてコピーに向かっていく大玉を見ながらそれぞれ感想をもらしていると、突然目の前がグラっと揺らいだ。

 そしてすぐさま襲ってきた凄まじい眠気に、俺はその場に倒れこんでしまった。

 

「しゃ、しゃっちゃん大丈夫!?」

「へ、平気平気……。魔法使い過ぎちまって少し眠いだけだから。それより、コピーを捕獲しに行ってくれ。このチャンスを逃したら、もう二度と捕まえられる気がしねェ」

「……うんっ、わかった。すぐ戻ってくるからね!」

 

 真剣な顔で頷き、大跳躍で飛び去っていくそいつの頼もしい後ろ姿に、俺はふうっと息をついた。

 道路に大の字で寝っ転がり、満天の星空を見上げる。

 

「いっひっひ……やった、ぞ……。なぁにが、最強のランクBだ……」

 

 感動の言葉を並べまくりたいところだけれども、いささかに眠くてそれどころじゃねェ。

 これで実は倒せてませんでした、なんてオチだけは勘弁してもらいたいぜ。

 ブイサインをしながら帰ってくるゆりなの笑顔を期待しつつ、少しだけ眠ろうとしたそのとき。

 なにか足音が近づいてきたかと思うと、俺を見下ろす黒い影が現れた。

 

「しゃ、シャオ……か?」

「…………」

 

 黒いバイザーに黒いマント。肩には黒猫――いや、クロエが乗っかっていた。

 

「え……?」

 

 複雑な表情で俺を見下ろす黒猫に、

 

「な、なんで、クロが、そんなところ、に……」

 

 訊ねてみようとするが、あまりの眠気に言葉が途切れ途切れになってしまう。

 やがて眠りに落ちる寸前。シャオはバイザーを脱いで唇に微笑をたたえた。

 そして、

 

「長い永い三日目の終焉。次は三十日後……でも、今はゆっくりとおやすみなさい」

 

 そう呟くと、黒い指輪にそっと口づけをした。

 

+ + +

 

 vs第十四番模造魔宝石コピー・ザ・ヨムリエル編 完



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第七十三石:vs第弐番大魔宝石シロハ・ザ・チューズデイ編

「はふっ。……なんでぇい、この匂いは」

 

 むくりと上半身を起こして、俺は鼻をクンクン鳴らした。

 なんか花のようなフルーツのような。やけに甘い香りが漂っているな。

 親父のヤツ、まぁた金の無駄遣いをしやがったのか。余計なモンは買ってくるなつってんのによォ。

 そんなことを考えつつ、ボーっと背中をかいて周りを見渡してみたのだけれども。

 

「ここ……どこだァ?」

 

 はて。俺の寝床にしちゃあ、いささかにベッドがふかふかすぎるような。

 そもそもとして。俺ん家はこんな豪華なベッドじゃなくて、ボロボロのせんべい布団だったハズ……ダチん家に泊まりに来てたっけか?

 ううむ。頭がハッキリしねェ。おまけに視界もぼんやり霞んでやがるぜ。

 

「ふわぁ~あ」

 

 とりあえず大きく伸びをして、目をグシグシこすっておく。

 

「あっ、そうかここは……」

 

 薄暗い部屋の片隅でひときわ目立つ暖色の灯り。

 小さな学習机に伏せて眠っている一人の少女を見つけて、俺はようやく思い出す。

 

「チビ助の家、か」

 

 そうだった。

 俺は確かコンビニに買い物に行く途中に、このヘンテコな世界に飛ばされたんだ。

 誰に、どうやって飛ばされたか。そこらへんの記憶は曖昧だけれども……。

 

 いや。誰に、の部分は判明していたな。『ピース』とかいう婆さんだ。

 なんでも自称最強の魔女とやらで、滅多に人前に姿を現すことはなく、稀に現れたとしても変な仮面をかぶっているというおかしな婆さん。

 おかしいのは容姿だけじゃないようで、魔法使いは少女じゃないとダメだっつうトンデモな理由で、俺様を小学生のようなガキんちょ娘の姿に変えちまいやがった。

 

 今はこんな真っ白肌にぷにぷになお腹っつう、あられもない姿になっちまっているが、元は筋骨隆々の中学二年生の男だ。

 同学年どころか中三の奴らにもタメ張れるぐらい背が高い方だったのに……。今じゃそこで寝ている小学生のチビ助より背が低い有様だぜ。

 髪もやけに伸びちまったしさァ。今までと変わらないのは白髪だってことくらいか。

 トホホ、と肩を落としていると、

 

「……えへへ。しゃっちゃんの作ったホットケーキ美味しいよぉ」

 

 なんともお間抜けな寝言が聞こえてきたではないか。

 背後からそいつのツラを覗き込んでみる。

 

「あんれま。ヨダレ垂らしてやがる。にんまりと幸せそうな顔しちゃってらァ」

「今度はボクがしゃっちゃんに作ったげるね。むにゃむにゃ……」

 

 なんて、面白そうなイベント……もとい、寝言を勝手に終わらせようとしやがったので。

 

「ばーろォい。だぁれがお前さんの作ったホットケーキなんざ食うかってんでぇい。俺様が作ったやつのほうが百倍は美味いから、自分で作って食うぜ。一昨日きやがれってんだ」

 

 と。意地悪く耳元で囁いてやると、

 

「ううっ……ごめんなさぁい」

 

 笑顔から一転。悲しそうな顔で鼻をすするチビ助。

 

「いっひっひ。相変わらず、からかい甲斐のあるヤツだぜ」

 

 そういえば。こいつ、なんで机で寝てるんだろう。

 寝るならベッドで寝りゃあいいのに、俺をベッドで寝かせて自分は学習机で寝るって、さすがにドが付くほどに優しいチビ助でもおかしいような。

 そう首を傾げていたのだが、そいつが今まさに枕にしている分厚い漢字ドリルを見てピンと来た。

 ははーん、なるほどなるほど。宿題をやってる途中で寝ちまったってオチかィ。

 

「ベタだねぇ、まったく」

 

 その小学二年生の総復習漢字ドリルとやらをこっそり拝借してパラっとめくってみたのだけれども。

 

「うわっ、この世界の小学生ってこんな難しい漢字習ってんのかよ……」

 

 自販機に俺が居た世界の金が使えたり、駅名が聞いたことある名前だったりと。

 異世界とはいえ、いささかに俺の世界と似ているなと思っていたが……なんともまぁ。

 この漢字ドリルの難しさったらねーな。

 そりゃ、勉強は一切してなかったケドよ。それでも小学二年生程度の問題なら余裕のよっちゃんなハズなんだが――

 

「……くしゅんっ!」

「うおっと」

 

 突然のクシャミに、思わずドリルを落としてしまう。

 あぶねぇ、頭に落ちなくて良かったぜと安堵の息をついていると、不意にドリルの表紙――名前欄に目が行った。

 

「小学二年生、久樹上ゆりな……か」

 

 窓の外で咲いてる夜桜や、掛けられている四月のカレンダーを見るに、これはおそらく春休みの宿題だろう。

 んでもって、二年の総復習をやってるってことは、明日の学校は始業式。つまるところ、ゆりなは明日で三年生になるっぽいな。

 

「ん?」

 

 そういえばチビ助って、九才じゃなかったっけ。二年から三年だと八才くらいだったような……この世界じゃそこらへん微妙に違うのか?

 まあどーでもいいか。

 ドリルを机に置いた俺の目に、今度は花の図鑑が飛び込んで来る。

 

「あー。そういや、これでシャクヤクって名前に決めたんだっけ」

 

 つい数日前のことだが、なんとも懐かしく感じられるぜ。

 本名を明かすまでも無い、と。テキトーに決めた名前にも関わらず、『しゃっちゃん』と可愛らしいあだ名で呼ぶゆりな。

 ……ホント、良い子過ぎるっつうか、人を疑うことを知らないヤツだぜ。

 肩をすくめていると、

 

「へっくしゅっ」

 

 本日二度目のクシャミをぶっ放すゆりな。

 机にある怪獣さん置時計を見てみると、針が午前二時半過ぎを指していた。

 春とは言え、こんな夜中じゃまだまだ肌寒いハズだ。

 俺は氷と水の魔法使いだから寒さにはめっぽう強いケド、こいつにとっちゃいささかにキツイだろう。

 こんな薄っぺらいパジャマ姿だし、なおさらにな。

 

「ほれっ。風邪ひいちゃうぞ、っと」

 

 言いながらゆりなをお姫様抱っこしてベッドへ運ぶ。

 やっぱ変身しなくとも軽く持てるな。

 つーか、結構な大食いのクセに、細っちいよなァこいつ。

 

「ふぁっ、宿題やらにゃいと……」

 

 ふわふわの羽毛布団をかけたところで、薄っすら目を開けるチビ助。

 

「いいから。寝てろって。俺がやっといてやっから」

 

 安心させるようにポムポムと等間隔のリズムで肩を叩くと、

 

「……うにゅ」

 

 すぐにまた眠りの世界へと落ちていってしまった。

 

「いっひっひ。どうでぇい、俺の寝かしつけテクは。いささかにチョロいもんだぜ」

 

 おっと。宿題に取り掛かる前に、ゆりなの顔にかかっている長い黒髪をどうにかしねーと。

 このままじゃ、髪が鼻に入ってまたクシャミをぶっ放しちまうぜ。

 

「……それにしてもスゲェ長い髪だな。ちったぁ切ればいいのに。まあ、俺の髪も長いし、人のことは言えねェか」

 

 んなことを呟きながら指で髪を払っていると、またまた悲しそうな表情になるチビ助。

 

「うー……」

「なあに。今度はどうしたんでぇい?」

「しゃっちゃん、ホットケーキ……ぐすっ」

 

 ああー。はいはい、さっきの夢の続きを見ているワケね。

 あれっぽっちの意地悪でここまで悲しそうな表情をするとはね。なんとも面倒くせぇヤツ。

 まあ。とりあえずテキトーに囁いておくか。

 

「めんごめんご。やっぱ腹減ったから作っとくれ」

「……ほい、了解うけたまわりぃ」

 

 にへへーとすぐに笑顔を取り戻すチビ助。予想通り過ぎる反応に、ぽへっとチョップを額にかまして一言。

 

「こぉの、単純おバカめ」

 

 しかし寝言は続かず、気が済んだのかそのままスヤスヤと眠ってしまった。



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第七十四石:この温もりを、いつまでも

「ふぅ……まっ、こんなところかね」

 

 ぱたむと漢字ドリルを閉じて俺は大きく伸びをした。

 いやはや、中々に良い頭の運動になったぜ。

 たまにはチビ助の勉強を手伝ってやるのも悪くねェかもな……ホントにたまになら、だけれども。

 

「それにしてもワケわかんねー漢字ばかり習いやがって。この世界のガキんちょどもはいささかに大変だねェ」

 

 言いながらデスクライトを消すと、すぐそばにある窓のカーテン越しに外の明かりがぼんやりと漏れているのに気がついた。

 

「んん……?」

 

 ふと、時計を見やると蛍光塗料の針は午前三時半あたりを指している。

 

「この明かりは街灯――じゃなくて隣の家だよな。こんな真夜中に何してんだァ?」

 

 ちょっとした好奇心ってやつで、カーテンをこっそりめくってみると、ゆりな家の屋根をはさんで隣家の部屋が見えた。

 今さっき俺が座っていた学習机とは似ても似つかないほど豪華な机に、無駄にオシャレなスタンドライト。

 どうやら明かりはそこから漏れていたようなのだけれども……。

 

「ええっ!?」

 

 そこに座っている人物を見て俺は思わず声をあげてしまった。

 窓を全開にして優雅にコーヒーをすする少女。桃色の眼鏡に手をかけ、つまらなそうに分厚いノートのようなものを眺めているそいつは――

 

「チ、チビ天じゃねーか! まさか隣に住んでいやがったとは……」

 

 チビ天――もとい、天使(あまつか)ももは。

 ゆりなの幼馴染で、たしかお姉さんの話では四才の頃から毎日のようにこの家に遊びに来ているとか。

 いやはや、なるほどねェ。隣に住んでいるんならすぐに来れるもんな。

 最初にあいつと出会ったとき、軽快な足音とともに窓から侵入してきたっけ。よくよく考えてみれば、あの音は自分の部屋から屋根をつたって来た音だったんだな。

 

「にしても、相変わらず特徴満載なヤツだぜ」

 

 ミディアムストレートの桃色の髪もさることながら、花の模様が刻まれているエメラルドグリーンの瞳も非常に目を引く特徴だ。

 そして桃色フレームの眼鏡も印象的――ではあるのだけれども。

 

「やっぱり眼鏡かけてると雰囲気が全然違うよなぁ……」

 

 俺は再び椅子に座り直すと、頬杖をついてももはの横顔を眺めた。

 最初んときは派手なピンク色のワンピースに、白い羽のついたナップサックを背負っているっつう奇抜な格好だったし、喋り方も訛りまくりのおかしなヤツって感じだったんだが。

 次に会ったときは上品な制服姿だし、髪型もツインテールじゃなくなってたし、眼鏡はかけてるし、標準語になってるしで……ガラッと百八十度キャラが変わっていやがった。

 

 なんか取り巻きのような奴らに、トーカさんだとか委員長だとか呼ばれていたっけ。

 トーカだか、ももはだか、どっちが本当のあいつなのか知らねーけれども、俺は今の凛としたお嬢様チックなあいつはあまり好きじゃなかった。

 ……俺のことを『このような不躾な人知りません』つって、無視しやがった恨みは今でも忘れちゃいねぇかんな。

 

 そう、むくれつつジーッと見ていると、そいつは不意に眼鏡を外して目頭を押さえた。

 

「なんかすげェ疲れてそうだな……。もしかして今までずっと勉強していたのかねェ」

 

 なんてことを呟いたそのとき。

 急にももはがパッと顔を上げ――

 

「あっ……」

 

 やべェ、目が合っちまった!

 絡み合う俺たちの視線の間に沈黙の三点リーダが飛び交ったのも束の間、

 

「しゃくっちーっ!」

 

 ガタンと椅子を倒して勢い良く立ち上がると、ぶんぶんと両手を振るももは。

 ぴょんこぴょんこと飛び跳ねながら俺に満面の笑顔を向けるそいつは、最初に出会ったときのヘンテコ娘――『ももは』そのものだった。

 

「…………」

 

 違和感っつうか。

 クールな振る舞いのトーカさんモードからいきなりヘンテコももはモードに切り替わったそいつに、どう反応したらいいものか戸惑っていると、

 

「っ!」

 

 突然ビクッと身を震わせ、後ろを振り向くももは。

 そしてすぐさま窓を閉めると、矢継ぎ早にカーテンも閉めてしまったではないか。

 

「ありゃりゃ、一体全体どうしちまったんでしょ?」

 

 なにやら尋常じゃないほど焦っていたように思えたのだけれども。

 お父さんかお母さんにでも怒られたのかねェ。まあ、こんな夜中にアホみたいに叫んでたらそりゃ怒られるか。

 俺もカーテンを閉め、もう一度眠りにつこうかなと大きなあくびをしたところで、

 

「ふえぇっ……」

 

 今度はゆりなの泣き声が聞こえてきたではないか。

 あー。でも、この泣き方にはいささかに覚えがあるぜ。昨日も似たようことあったもんな。

 ぺらりと布団をめくると何かを求めるように手をグーパーと動かしているチビ助。

 

「だと思ったぜ。やっぱし、ぬいぐるみが無いからぐずってやがったのか」

 

 クロエ曰く、何かを抱いてないと熟睡出来ないっつう面倒極まりない性質なようで。

 まあ。とりあえず、そこらへんに転がってるテキトーなものを抱かせておけばすぐに泣き止むだろ。

 

「ええっと。なんかねーかなァ……」

 

 暗闇の中、ベッドの周辺で抱かせるものを手探りで探していると、何か温かくて柔らかいものが手に触れた。

 

「んん? な、なんだこりゃ」

 

 ギョッとしてデスクライトを点け、もう一度それを見てみると、

 

「パパさん、そんなことしちゃメッなんです……」

 

 お尻を高く上げてうつ伏せで眠る園児がそこにいた。

 

「チビチビのヤロウ、なんつー寝相の悪さでぇい」

 

 そいつは、やけに袖の長い園児服に身を包んだ四、五才くらいの子どもで、さらさらペリドットカラーの長い髪をオレンジ色のリボンでくくってツーサイドアップにしているっつう――

 

「って、おい待て。寝てるときはこんな髪型ダメだってーの」

 

 ぱぱっとリボンを解いて、緩めに髪を結んでやる。こうすりゃ摩擦で髪が痛むことはねーからな。

 まっ、こんな眠り方で摩擦うんぬんもないとは思うけれども。

 

「よーし、出来た出来た」

 

 と。突き出したケツをペンペン叩くと、

 

「うーっ。否定……なんですぅ」

 

 尻を振りながらのそりのそりと少しずつ前進していくチビチビ助。

 

「いっひっひ、イモムシみてぇなヤツだぜ。いや、ていうか……元は蝶々だったか。そりゃイモムシっぽい動きするわな」

 

 名前はコロ美――じゃなくてコロナ。

 シャオメイが呼んでいた名前が本当なら、コロナ・ザ・ウェンズデイとかいう長ったらしいのが本名らしい。

 なんかよくわからねーが、すげぇヤバイと言われてる七大魔宝石のうちの一つで……えっと、確か参番石のエメラルドに封印されていた『水』と『氷』の霊獣だったハズ。

 

 一メートルにも満たない小さい体だから俺はチビチビ助と呼んでいるが、元の姿は凄まじくデカイ蝶のバケモンで、初めてその姿を見たときはかなりビビったもんだぜ。

 

「……それがこんなにちっこくなるんだもんなァ。しかも、人間のガキんちょ姿になっちまうし。こいつらの体の構造は未だによくわからねーな。つか、一生理解出来る気がしねェ」

 

 俺はそう肩をすくめると、指を咥えて丸くなっているチビチビをひょいっと抱っこして、

 

「ま。ちょうどいいや。こいつを抱かせておこっと」

 

 両手を彷徨わせているゆりなに押し付けた。

 その途端、

 

「ふわぁ……」

 

 と、安心した様子の表情を浮かべるチビ助。

 そんでもってそれとは対照的に、

 

「む、むぐぅ」

 

 と、苦しそうな表情を浮かべるチビチビ助。

 

「えへへ。いいこいいこさんにしてなきゃダメだよぉ……むにゃむにゃ」

 

 チビチビをぬいぐるみと勘違いしているのか、サバ折りよろしく強烈な抱きしめで頬ずりをするゆりな。

 しばらく小さなうめき声をあげていたコロ美だったが、こちらだって負けてはいない。

 一瞬の隙をつき、スルッと抜け出すと、寝相の悪さを活かした回し蹴りをゆりなの腰へと華麗にぶちかます。

 

「う、うぅ~ん……」

 

 数秒ほど痛そうな顔をしていたが、すぐにケロッとした様子で再びコロ美を抱きしめるチビ助。

 

 そんなこんなで何回くらい同じ事を繰り返していたんだろうか。

 どっちもどっちな二人のエンドレス睡眠バトルを見て、ついついプッとふき出してしまう。

 

「まーったく、見ていて飽きねェヤツらだぜ」

 

 そして同時に、二人が助かって本当に良かったという安堵の念が心の底からこみ上がってくる。

 

「コロ美……」

 

 布団をかけ直し、俺はコロナの背中にそっと手を置いた。

 あったかく、呼吸の度に上下する背中。

 

「ちゃんと動いてる、よな……」

 

 次に、ゆりなのほっぺたに手の甲を当てる。

 

「……キレイな顔のままでよかったぜ。女の子、だもんな。こんな小さいうちから傷ついちまったらお姉さんに申し訳が立たねェ」

 

 片腕をグチャグチャに潰され、顔面の半分をコピーに喰われたあの惨たらしい映像をイヤでも思い出してしまう。

 忘れたくても忘れられねェ。クソッタレな未来――

 目を閉じ、もう一度だけゆりなの温かい頬に手を乗せ、

 

「人生、楽しいことはこれからいっぱいあるんだ。くれぐれも死に急ぐんじゃねェぞ、チビ助ども」

 

 俺は唇を強く噛みしめた。



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第七十五石:お化けなんて

「……や、やっちまったぜ」

 

 ジャババーッと、水を流すトイレの音をバックに、

 

「はあ、なにやってんだか」

 

 俺は後ろ手でドアを閉めて大きくため息をついた。

 ううっ。頬が火照ってしょうがねぇ。きっと今の俺の顔はイチゴよろしく真っ赤っかになっちまってることだろうよ。

 だって、まさかあんなに盛大にぶちまけるとは思いもしなかったもんで。

 

 眠すぎてあくびをしながらパンツを下ろしたところまでは覚えてるんだけれども……その後はあまり記憶にない。

 気付いたらトイレの床がびっちょびっちょって有様だったぜ。

 

 女の体だっつうことを忘れて男のノリでやった結果がコレだ。

 というか、立ったまんま出来ないとかさァ。いささかにありえねーだろ……。

 

「つくづく面倒クセェ体だぜ、ったくよォ」

 

 言いつつ改めて自分の格好を見てみる。

 羽のマークがついた白のキャミソールに、丈の短い水色のプリーツスカート。

 そんな一張羅に加えて、コロナから特別に出してもらった白緑縞のオーバーニーソックスと似た感じの薄緑の縞パンツ。

 どちらも変身したときのコスチュームなんだけれども――

 

「あれ?」

 

 ニーソックスは暖かいからという理由だったけど、なんでパンツまで変身後のままなんだ?

 たしか変身前は普通の白い綿パンツだったような。もしかしてコロ美のヤツ、また間違えたのかねェ。

 まあ、無いよりはマシだけどよ……。

 と、ダッシュ戦のときのアレをちょこっと思い出して、再び頬が熱くなる。

 

「はやく石を全部集めて男の体に戻りてェぜ……」

 

 んなことをトイレの前で突っ立ちながらボヤいていると、

 

「……パパさん。ちゃんとキレイキレイしたですか?」

「げげっ、チビチビ!?」

 

 いつの間にか、寝ぼけまなこのコロナが目の前に立っていた。

 ただでさえ眠そうな目をしているそいつだが、もっとトロントロンの眼で、

 

「コロナもおトイレ入るんです。汚いまんまだと、ヤなんです」

 

 ぽけーっと俺を見上げて言う。

 

「も、もしかして俺様の心の中を読みました?」

 

 頬を引きつらせながら訊いてみると、

 

「……肯定」

 

 小さくコクリと頷くコロ美。

 そうなんだよなァ。何故かこいつに限って俺の心の中を少しだけ読むことが出来るらしい。

 

「パパさん?」

「あ、いや……。そりゃ掃除したに決まってるだろ。俺の水魔法でちょちょいのちょいだったぜ」

 

 そう。俺の使える魔法は『氷』と『水』だから掃除自体は案外楽チンだった。

 指をちょこっとクルクル回すだけで、水分をひとまとめに出来るからな。そいつを便器の中に入れて流せばそれでサクっとお終いだ。

 もしパンツが濡れちまっていたらもっと大変だったろうケド。そこはなんとか奇跡的に無事だったようで……。

 不幸中の幸いとはまさにこのことだな。

 

 にしても。思いのまま水を操れる能力――やっぱりこれってかなり便利だよなァ。

 漫画やゲームの主人公だと火とか雷っつうのが主流だし、俺もガキんちょの頃は魔法が使えるなら絶対に火とか雷みたいなカッコイイのがいいぜ、なんて思っていたのだけれども。

 いやはや。実際に魔法を使う側になってみるとそこら辺の考え方がガラっと変わるな。

 別にド派手で大迫力な魔法をブッ放したところで観客が沸くってワケでもねーし。

 俺たち魔法使い以外の目に映らないんじゃあ、見栄えうんぬんにこだわったところで空しいだけだ。

 だったら地味な魔法だけど水道代が浮いたり、いちいち冷蔵庫で氷を作らなくて済む『水と氷』使いで良かったなという結論に――

 

「……つーか、お前さんいつまでそこにいるんだ? トイレに入らねーのかィ」

 

 いつまで経っても俺の前で棒立ち状態のコロ美。

 まさかこのままずっと俺の心の中を読み続けるつもりじゃねーよな……。

 そう眉をひそめていると、

 

「えっと。その……パパさん、コロナのおトイレが終わるまでそこで待ってて欲しいんです」

 

 もじもじと長い袖をこすり合わせて恥ずかしそうに言うチビチビ助に、俺はニヤリと笑った。

 ははーん。なるほどなるほど。

 

 俺たちが寝ていたゆりなの部屋は二階だが、このトイレは一階にある。

 それもかなり奥のほうにあるから、リビングの豆電球程度ではこちらまで明かりが届かないのだ。

 俺は真っ暗でどんよりとした空気の廊下に目をやりながら、

 

「あー。お化けってこういうところが好きそうだよなァ」

 

 と。試しに言ってみると、

 

「ひ、否定っ!」

 

 ぶるぶると震えながら俺の足を両袖でギュッと掴むチビチビ。

 予想以上のビビりっぷりだった。

 というか……自分だってお化けと似たようなモンじゃねーか。

 むしろお化けのほうが逃げ出すくらいのスペックをお持ちのクセによォ。

 つーワケで。

 

「恐縮だけれども、冷えないうちにもう一度寝なおすつもりなんで。もしお化けさんが出ても大丈夫さ。バケモン同士仲良くなれるハズだって」

 

 なんてヒラヒラと手を振って立ち去ろうとしたのだが、

 

「ぐすん。コロナはバケモンじゃないのです……ひどいんです」

 

 目に涙をためて俺を見上げるコロ美。

 

「……うっ。じょ、冗談だって」

 

 そんな悲しそうなツラで言われちゃあ仕方があるめぇ。

 俺は舌打ち混じりにチビチビを抱っこし、

 

「ちょっとだけ待っててやんよ。でもちょっとだけだかんな。早く出てこねーと上に行って寝ちまうんで。ほれ、よーいドンっ」

 

 便座にちょこんと乗っけてそのままドアを閉めた。

 閉めた――のだけれども。

 

「……おっせェ」

 

 入ってから十分は経ってるぞ。

 大か中か小か知らないけれども、いつまでやってるつもりなんだ。

 いい加減に待ちくたびれたぜ……。

 

「おーい、コロ美。まだかよぉ」

「…………」

「コロ美さんやーい」

「…………」

 

 んん? いささかに様子がおかしいな。

 不思議に思った俺はドアに耳をくっつけて中の様子を窺ってみた。

 すると、中からグースカピースカとなんとも幸せそうな寝息が聞こえてきたではないか。



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第七十六石:いかないで

「チッ、こいつめ」

 

 ゆりなのベッドにチビチビを押し込んで、俺はそいつの頬を軽くつねった。

 

「人を待たせておいて熟睡たァ、いい度胸してんな。こんにゃろ」

「こうひぇい……なんでひゅ」

 

 なぁにが肯定なんだか。

 まったくこいつのせいで眠気がすっかり飛んじまったぜ。

 まあ。半分は俺の立ちション事件のせいでもあるんだけれども。

 

「どーすっかなぁ……朝までどうやって時間つぶそう」

 

 ゆりなのアホな寝顔を見ながら、ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせること数分。

 ぴょんと飛び降りて、

 

「来やがれ、霊鳴」

 

 と、霊鳴を呼んだ。

 もちろんチビどもを起こさないように小声で。

 

「おっ、来た来た」

 

 そいつはすぐに飛んできて、窓をカチカチと鳴らしてノックする。

 少しだけ窓を開けると、俺の胸に軽い体当たりをかまし、周りをくるくると回りだした。

 犬みたいにじゃれてくるこの蒼い宝石には、試作型霊鳴石『弐式』なんていう大層な名前がついていたりする。

 コロ美から渡された手紙を読んだら、いきなり海の中から飛来してきた宝石。

 見た目はサファイア宝石そのまんまだし、売ればかなりの金になりそうだが――いやはや、その正体を知ると金に換えちまうのはもったいないと誰しもが思うことだろう。

 

「弐式……起動する、イグリネィション!」

 

 起動呪文を唱えると、たちまち蒼い杖へと変化する霊鳴。

 普段でも指から一応魔法を出せるっちゃあ出せるのだけれども、実際に戦闘となると強力な魔法が必要になってくる。

 その際には、やはり杖による魔力増幅が無いとどうにもこうにも魔法が弱すぎるのだ。

 

「試作型って頭についてるワリには弐式って普通に凄い子ちゃんだよな」

 

 しげしげと杖を見ながら言うと、そいつは柄先のサファイアから蒸気をプシューと吐き出した。

 まるでエッヘンと胸を張っているかのような反応。

 

「ゆりなの霊冥との違いがイマイチわからねーぜ」

 

 ゆりなも俺と同じような宝石を持っているのだが、実はよく解っていなかったりする。

 黒い宝石という色違いなところもそうなんだけれども、起動呪文も違うわ、杖になった姿も違うわで、名前は似ているがまったくの別物って感じだ。というよりも類似品か。

 たしか、シャオが言ってた名前は――霊冥石『零式』だったハズ。

 試作型じゃないのか、単にシャオが言い忘れたのか知らないが、どっちにしろ名前的に俺の弐式より優れていそうな感じがする。

 

「待てよ。零と弐なら、もしかして間に『壱』もあるんじゃないのか? つーか、霊鳴シリーズって何個あるんだろう」

 

 その問いにピカピカと光って答えようとする霊鳴。

 つっても、光ってるだけじゃあ何が言いたいのか分からないんだけどな。

 通訳システムが欲しいもんだぜ。

 

「ま、いいや。そんじゃまっと」

 

 言いながら杖に跨ると、ふわりと少しだけ浮きあがった。

 むむ。ケツがちょっとムズムズするぜ。

 一回立ち上がり、スカートを間に挟んでもう一度跨ってみる。

 

「あー、こっちのほうが乗り心地良いな」

 

 杖を呼んだのは他でもない。ちょっくら空の散歩に出かけてみようかなと、ふと思い立ったワケだ。

 こんな真夜中なら、飛んでる姿を誰かに見られることもないだろうし。

 気分転換がてら、思う存分空を爆走しまくろうってな。

 きっとバイクよりも(乗ったことねーけど)気持ちいいんだろうなァ、と内心ニヤけていたのだが。

 さっそく飛ぼうとしたところで前につんのめってしまった。

 

「な、なんだぁ?」 

 

 なにやらスカートを引っ張られてるような気が……。

 後ろを振り向いてみると、そこには俺のスカートの裾をギュッと掴んでるゆりなの姿があった。

 

「…………」

 

 今にも泣きそうな顔で。

 とても不安そうな顔で。

 俺を、ジッと見つめている。

 

「あんれま。もしかして起こしちまったかィ?」

 

 杖から降りて訊いてみるが、ゆりなは何も答えず、ただただ小さな唇を震わせている。

 

「なんでぇい……怖い夢でも見ちまったってか」

 

 そう言って、ボサボサになってしまっているそいつの髪を撫で付けようと頭に手を置いたところで、

 

「……いかないで」

 

 ぽつりと。

 それだけ呟いて、俺の胸の中に飛び込んでくるチビ助。

 

「……!?」

 

 な、なんだ、この感覚は。

 突然、ぐわんぐわんと目の前が歪んでいく。

 立ちくらみのようなフラつきと共に、頭の中に妙な映像が流れ込んできやがった。

 

 こいつは。この麦わら帽子をかぶった子どもは誰だ……?

 ぽろぽろと涙を零しながら、隣にいる少年の短パンを掴むモノクロ少女。

 だ、誰だよ。こんなヤツら知らねェぞ……一体なんなんだこりゃ。

 そう戸惑っていると、映像の中の少年が、麦わら少女を力強く突き飛ばした。

 

 それはまるで。

 振り払う、というよりも。

 拒絶する、というような。

 

 音無しの白黒映像だったのに、突き飛ばす音だけはやけにハッキリと聞こえた。

 草むらに投げ出された少女は、泥で汚れた両手で涙をグシグシと拭い――走り去っていく少年に向かって、こう叫んだ。

 

『お兄ちゃん、いかないで』

 

 と。

 その途端、ぼやけていた視界が徐々に現実を映し出していく。

 

「どったの? しゃっちゃん……とっても、苦しそうだよ」

 

 やがて一番に目に映ったのは、心配そうなゆりなの顔だった。

 俺に抱きついたままのそいつを――腰まで伸びている長い黒髪を見て、俺はあの麦わら少女を思い出していた。

 

「似てる……」

「ふえ? 似てるってなあに?」

「あ。い、いや何でもねェぜ。てか、行かないでってどういうこっちゃ」

 

 そう訊ねると、そいつはまたまた泣きそうな顔になって、

 

「あ、あのね……。夢の中でしゃっちゃんがね、時計がたくさんあるお花畑でね、杖に乗ってね、バイバイって言ってね、お空へ飛んで行って消えちゃったの」

 

 言葉をつまらせながら言うそいつに、俺は眉を寄せた。

 おかしい。どうして、ゆりなが時園のことを知ってるんだ。

 そういえば時園にいる俺と目が合ったような……あの時、クロエからあの奇妙な花畑について教えてもらったのか?

 

「それで、それでね。びっくりして起きたらね、しゃっちゃんが杖に乗ってたからね、飛んでいっちゃうって。いなくなっちゃうって。だから、だからボク……」

 

 言いつつ、俺の腰にまわした手を震わせるゆりな。

 ……なるほどねェ。怖い夢っつうのは、あながち間違いじゃなかったワケね。

 しかしながら、と。俺はチビ助の背中をぽんぽん叩いて、 

 

「言ったじゃんか。最後まで宝石集めを手伝うって。もう忘れちまったのかィ?」

「ううん。忘れてないもん。だって……しゃっちゃんがボクのことを最後の最後まで守るって言ってくれたとき、すっごく嬉しかったんだもん。絶対に忘れるわけないよ……」

 

 鼻をすすりながらギュッと力を込めて抱きしめてくるチビ助に、俺は肩をすくめた。

 

「だったら少しは信じてくれないかねェ。散歩へ行こうとするたんびに掴まれちゃあ、いささかにしんどいぜ」

「ふえぇ!? お、お散歩に行こうとしてたの?」

 

 慌てて手を離したそいつの頭に弐式の先端をポコッと当てて、

 

「ったりめーだろォ。いまさら帰れるかってんでぇい。はぁ……俺様ってば信用が無いんだねェ。いやはや悲しいぜ、まったくもって」

 

 なんて盛大にため息をついてみたりして。

 

「あわわわ。ち、違うもん! ボク、しゃっちゃんのこと信じてるもんっ。ホントだよっ!」

 

 と。

 顔を真っ赤にして意気込んでいるところ悪いのだけれども……。

 

「あのさァ。信じてるんなら、スカートから手を離してくれない?」

 

 片手どころか今度は両手で俺のスカートを掴んでいるゆりな。

 よっぽど力が入ってるのか、半分くらいずり落ちてしまっている。

 

「うぅーっ」

「うぅーって唸られましても……」

「だ、だってだってぇ……!」

 

 いくら寒さに耐性のある水の魔法使いとはいえ、さすがにパンツ丸出しで飛ぶのはどうかと思うし。

 つーか、寒さに強かろうが弱かろうが、フツーにそれは恥ずかしい事この上ないので、

 

「いい加減にしてくれよォ。あんまりワガ……」

 

 言いかけて、ハッと俺は口をつぐんだ。

 あ、あぶねぇあぶねぇ。チビ助にとって『ワガママ』というワードは禁句だったんだ。

 何故かは分からないが、言っちまったら最後。発作というか、過呼吸になっちまうようで――さすがにおいそれとは口に出せない。

 あの黒猫だけはその理由を知っているようだが……。

 

 そういえば――さっき『いかないで』って言われた俺も似たような状態になったな。

 トラウマなんて面倒なモンは今まで生きてきて一つも無かったハズなんだけれども……。

 うーむ。あの息苦しさと手の震えは、トラウマじゃないというのなら一体なんだったんだろう。

 

「しゃっちゃん? 何を言いかけたの?」

「……えっ? あー。そ、それはだなァ」

 

 きょとん顔で訊いてくるそいつに、俺はとっさにこう言ってしまった。

 

「あんまりワガハイを困らせるでない、と言いたかったんだ」

「…………」

 

 口をぽっかり開けるといったハニワ状態で停止するチビ助。

 ま、まあ。さすがに我輩は無いよな……なんていささかに後悔していると、

 

「ぷぷっ! しゃっちゃんがワガハイって言うの、めっちゃんこ似合ってるっ。漫画に出てくる魔王さんみたいで、かっくいー!」

 

 いやいやいや……似合ってねーよ。

 ていうか、似合ってたまるかってんでぇい。

 

「冗談に決まってんだろ! ったく、『ワガハイ』なんて実際に言うヤツいねぇっての」

「……えっ。でも、しゃっちゃんってたまに『オレサマ』とか言ってなかったっけ。さっきも言ってたよーな」

 

 うぐっ。また痛いところをピンポイントで突いてきやがって……。

 

「お、『オレサマ』は俺の居た世界じゃあ当たり前に使われてたからいいんだよ」

「えーっ、そうなの?」

「そうなのっ!」

 

 唇を尖らせて首を傾げるといった、未だに納得がいってない様子のゆりなだったが、このままグダグダ言い合ってたら朝になっちまうぜ。

 なので。そいつがスカートから手を離した今の隙に、と。

 俺は霊鳴に跨って窓を勢い良く開けた。

 

「んじゃ、俺様は空の散歩に行きますんで。チビ助は明日の学校に備えてちゃんと寝とくよーにっ。寝坊しちまっても起こしてやんねーからな」

 

 そう言うと、そいつは意外にスッキリとした笑顔で、

 

「えへへー。ボク、お寝坊したこと一回も無いから大丈夫だもん。心配してくれてありがとねっ、しゃっちゃん。行ってらっしゃい、だよ!」

 

 と。あっさり手を振ってくれたもんだから、ついつい、

 

「……い、行って来ますんで」

 

 俺もちっちゃくバイバイを返して空へ舞った。



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第七十七石:ニャンちくしょうめ!

 

「うっひょーっ! 気持ちいいーっ!」

 

 おおよそ午前四時過ぎ。

 未だ静寂に包まれたままの夜空を全力で翔け抜け、俺は月を仰いだ。

 

「こりゃあ、バイクなんざ目じゃねぇぜ! なあ、試作型ちゃんよォ」

 

 呼びかけに、青いフラッシュと大量の水蒸気で応える霊鳴。

 そいつの宝石部分を一つ撫で、少しだけスピードを緩める。

 

「いやはや、しっかしまあ。この街も中々にノンキなもんだねぇ。ホバーやダッシュ、コピーと立て続けに化け物どもが暴れたっつうのに、平気な顔してやがるぜ」

 

 杖に跨ったまま夜景に彩られた街を見下ろしてみるが、どいつもこいつも今まで通りの生活を続けている。

 ゆったりと往来する車。バイクを止めて缶コーヒーを飲んでる新聞配達のあんちゃん。せっせと作業着姿で玄関を掃除するジイさん。

 

「へへっ。まさか自分たちの頭上で魔法使いとバケモンがドンパチを繰り広げていただなんて……夢にも思わないだろうねェ。それらしい被害も出てないみたいだし」

 

 と、街をぐるりと見渡す。

 クロエが言うには模魔のランクや攻撃タイプか否かで街への影響力が変わるらしい。

 ええと、ホバーがCで、ダッシュがEだったか。どっちも低ランクだし、『停空飛翔』と『疾駆』っつう補助型の石だもんなァ。

 それくらいじゃあ、街へのダメージは無いに等しいようで。せいぜい強風が吹いた程度か。

 

 と思ったら、コピーが投げまくった瓦の山を見て、ウォーキングに勤しむバアさんが「あんれまあ」と驚くくらいには被害を受けていたみたいだ。

 ま。これは単純にコピーのランクが高かったからと考えて間違いないだろう。

 いくら能力が攻撃寄りじゃないとはいえ、ランクBの最強とくりゃあ、それなりに影響するだろうし。

 

「……って、なにをマジメに考えてんだか。アホらし」

 

 やれやれと軽いため息をついて、俺は長い髪をかきあげた。

 ランクがどうのとか、影響力がうんたらかんたら。模魔、七大魔宝石、霊獣。魔気力、集束、裏束とやらに再点火――

 そんなめんどくせェ造語たちのことを考えたくねーから空を爆走していたっつうのによォ。

 ったく……いつから俺はこんなマジメちゃんになっちまったんだか。

 

「あーあ。やめだ、やめ。今日の散歩はココまででェい」

 

 頭の中でゴチャゴチャと組み立てていた『魔法少女のまとめ』と書かれた積み木の山に、十六文キックをぶちかますようイメージして、俺はスィーっと降下した。

 

「よっこいしょういち、ってな」

 

 駅の屋根上に着陸して、大きく伸びをする。

 

「ふーっ。でもまあ、毎日の日課にしてもいいくらいスカっとしたぜ。めんどくせェことを忘れるには飛ぶのが一番だな。ちょいとばっかしケツが痛いけれども」

 

 えーっと。この駅は、確かゆりなの家に一番近い駅だったよな。

 屋根から身を乗り出して駅看板を見てみると、そこには『南流山』と書かれていた。

 おお、よかったよかった。調子に乗って全速力で飛びまわったせいか、霊鳴の中の霊薬が尽きそうだったんだよな……。

 この駅からだったらゆりなの家まで歩いて五分くらいだから、飛べなくなってもなんとか家に帰ることが出来るぜ。

 なんて安堵していると、妙にデカイ笑い声が聞こえてきた。

 

「だっはっは! マジかよ、それでそれで?」

「んでさー、そのセンコー顔真っ赤にして俺のこと睨んでくるワケ。あー、いいんですか? 今のご時勢、生徒を叩いたらヤバイんじゃないッスかって言ったらプルプル震えてやんの!」

「やっべー、超想像出来っしー! ウケっしー!」

 

 駅のそばにあるコンビニの前でヤンキー座りをしている三人組だった。

 中学生なのか、男二人は学ランを着ていて、もう一人の女の子はブレザーを着ていた。

 喋っては手を叩いて笑いあうそいつらに、俺はフッと頬を緩める。

 

「なんでぇい。この世界にも俺と似たようなヤツらがいるのか」

 

 制服の着崩し方のセンスやら髪型の流行りの違いはあれども、バカやってますってカンジは俺が居た世界と変わらないようだな。

 そいつらに倣い、俺も久々にヤンキー座りをして、

 

「はあ……暇そうなあいつらが羨ましいぜ」

 

 と。頭をポリポリかいた。

 数日前までは俺様もあんな感じだったのによォ。いきなり異世界に飛ばされるわ、こんなガキんちょ姿に、しかも女の呪いをかけられるわで……。

 そんでもって魔法少女になって敵と戦えっつーオマケつきだぜ。人生どうなるか分かったもんじゃねーよなァ。

 なんて月を見上げながらしみじみとそんなことを考えていると、

 

「お、おいィイ! 駅んところに女の子が座ってんぞ!」

 

 げげっ、そいつらの一人が俺を見つけたらしい。

 短髪の男が「アレ見ろよ、アレ!」と両隣の仲間の肩を揺すってる間に、俺は霊鳴に跨って脱兎の如く反対側へと飛んで逃げた。

 

「うっひゃあ、危なかったぜ」

 

 まさか、あいつらこっちまで追いかけてこないだろうな……。

 一応まだ始発前らしく、駅のシャッターは閉まってるから、こっち側には来られないとは思うのだけれども。

 そう息を切らしながら冷たいシャッターに頬を当てて聞き耳を立ててみると、

 

「マジだよマジ! 看板の近くで白髪の外人みたいなメガ可愛い小学生くらいの女の子が座ってたんだって! しかもパンツ丸出しのヤンキー座りで!」

「はあ? お前そういう趣味があったのかよ。マジ引くわー」

「ちげえよ、バカ! 引く前に驚けよ! こんな時間に、しかもあんな場所に子どもがいるワケねーだろっ」

「あ、そーいえば確かに……」

「や、やべっしー! その子もしかして幽霊じゃね?」

「幽霊って、もしかして飛び込み自殺した霊とか!?」

「マジかよ!? 俺ら、その子にとり憑かれたんじゃね! お、お、お祓いしてもらいに行こうぜ!」

「死にたくねっしー!」 

「うわああっ!!」

 

 大騒ぎして走り去ってしまったのはいいのだけれども……なんつーかスゲェ酷い言いようだな、オイ。

 

「ばーろォい。俺は幽霊じゃないっつーの……ちゃんとした人間でぇい」

 

 いささかに傷ついてトボトボと下を向いて歩いていると、肩にドンと何かがぶつかった。

 

「あら、お嬢ちゃん。大丈夫?」

「あ、すんません……」

 

 そう言い、一歩退いて顔を上げたのだが――

 

「……うわわっ」

 

 俺の目の前に二つの巨大過ぎる山があった。

 どうやら、ぶつかったのは女性だったようで、ピチピチの白いタンクトップに黒いホットパンツという露出度の高い服を着ていた。

 十代後半ないしは二十代前半だと思うのだが、カジュアルな格好なのにも関わらず凄まじい色気を放っているお姉さん。

 

 乱雑にセットされた黒髪のショートヘア(何故か左側だけやけに伸ばしている)に、ワインレッドのやや切れ長の目。口にはタバコを咥えている。

 気だるそうに壁にもたれかかり、これまた気だるそうに煙を吐き出すその姿は、まさに俺の理想の女性像そのものだった。

 

「どうしたの、ポーっとして。熱でもあるのかしら」

「い、いえ、大丈夫っす」

「あら、そう?」

 

 そ、それにしても……。俺はごくりと唾を飲み込んで必死に目線を上げるよう踏ん張った。

 なんせ気を抜けば、すぐに大きすぎる胸に吸い寄せられてしまうワケで――あの大きさ、ゆりなのお姉さんよりも数段上回ってるぞ。

 

「まあ。そんなにジーっと見つめちゃって。お嬢ちゃん、私の胸が気になるの?」

 

 や、やべえ。いつの間にか目線が釘付けになっちまっていたようだ。

 うう。仕方あるめぇ、これが男のサガってもんでェい。

 

「え、あ、いや……」

 

 しどろもどろになって言葉を詰まらせていると、

 

「ねえ……触ってみる? 興味あるんでしょう?」

 

 なんて言って、両手でギュッと寄せて胸を強調するお姉さん。

 下着をつけていないのか、たゆんっと柔らかそうに、しかしロケットのように形良く突き出されたそれに、俺はただひたすらに困惑してしまう。

 ひえええ。悩殺とは、まさにこのことだぜ……じゃなくて!

 

「きょ、恐縮だけれども、俺はあの、男だから、そーいうのはダメっつうか、やっぱり好きな人同士で、ちゃんと順序を守らなきゃっつーか、親父が、えっと、あのその……」

 

 あわあわと手を振りながら、半泣きになっている俺に、

 

「……にゃ、にゃーっはっはっは! もうダメだ、あーもう限界だぜ! ひーっ、腹いてぇ!」

 

 抱腹絶倒とばかりに、いきなり腹を抱えて大笑いするお姉さん。

 

「へ……?」

 

 なにがどうしたもんだか。

 状況が掴めずに、アホ毛をハテナマークにひん曲げた俺に、

 

「にっしっし。これを見てみそ」

 

 そう言って、俺のアホ毛に対抗するかのように頭のてっぺん、左右の髪の毛をつまむお姉さん。

 その途端、一瞬のうちに髪の毛がふわふわの猫耳になったかと思うと、今度はホットパンツのお尻部分からニュルリと黒い尻尾が飛び出したではないか。

 

「ま、ま、ま、まさかお前さん……クロか!?」

 

 口をパクパクして驚いている俺の鼻先に、尻尾の先をちょこんっと乗せると、

 

「にゃっはー! ご明察ってね。いやー、シラガ娘があまりに可愛い反応するからさ、演技に力が入っちまったぜ」

 

 人型のクロエは、してやったりな憎たらしい顔でタバコを咥え直し、

 

「にゃはっ。オレに惚れんにゃよ~?」

 

 と。

 わしゃわしゃと乱暴に俺の頭を撫でやがった。

 くっそぉ……こんの、ニャンちくしょうめ!



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第七十八石:シャオとクロエ

「なあ、機嫌直せってば。オレが悪かったって」

 

 そう言って自販機から缶コーヒーを取り出すクロエ。

 あったかいそれを俺の頬にそっと当てて、

 

「ま。ま。これでもグイっと飲んでイヤな事はすっぱり忘れようぜ」

 

 八重歯を見せて笑うそいつに、俺はフゥっと息をついた。

 

「……ったく、しょうがねーな」

 

 喫煙所の近くにある鉄製のひんやりとしたベンチに腰かけ、俺たちは二人一緒にコーヒーを呷った。

 甘いミルクの味が一瞬のうちに口の中に広がり、それと共にじんわりと体が温まっていく。

 

 普段は缶コーヒーなんてもんは邪道だ、家で沸かしたほうが安いし美味いに決まってると親父に口うるさく言っていた俺だったが……。

 

「こりゃあ格別だぜェ」

 

 寒空の下で飲むそれは、素直に美味いと思えた。

 あのコピーを倒せたこともあいまってか、甘くほろ苦いコーヒーが喉を通るたびに、言いようのない達成感が込みあがってくる。

 ……そういや、『一仕事を終えたあとに飲む缶コーシーの美味さをお前さんは知らねェだろう』と毎回親父に言い返されてたっけ。

 さっき見た新聞配達のあんちゃんも美味そうに飲んでたし……こりゃあ帰ったら親父に謝らないといけねーな。

 まあ、それはともかくとして。

 

「あのよォ。お前さんにちょいとばっかし訊きたいことがあるのだけれども」

 

 見上げていた夜空から視線を外して、俺は隣でブラックコーヒーの香りを楽しんでいる黒猫に話しかけた。

 

「おー。なんだい子猫ちゃん。今、お姉さんはとっても良い気分だから、なんでも答えてあげちゃうぜ」

 

 すっとんきょうな声で返すそいつに、

 

「時園のことについて何か知らねェか?」

 

 魂を引っこ抜かれた際に迷い込んだ花畑。

 時計が無数に浮かんでいる不気味な世界。

 

 そこにはシャオとネムという似た格好の、しかし、似ても似つかぬ二人の少女が居た。

 二人の話しぶりから察するに、その時園こそがピースの住んでいる世界みたいなのだけれども――

 

「へえ……そんなことがあったのか。あいにくだが、ネームレスなんてヤツも時園ってのも知らねぇな」

 

 時園で体験した出来事を話すと、そいつはそうぶっきらぼうに言い放ち、もう一度タバコに火をつけた。

 煙を吐き出したその冷たい横顔に――先ほどの飄々とした気の良いお姉さんとは真逆のそいつに、俺は違和感を覚える。

 

 積もり積もった違和感。

 ところどころでこいつは言葉を濁したり、妙なことを呟いたりしているような……。

 

 黒猫クロエ。正確には猫じゃなくて虎みたいだが、仮の姿だとどう見ても猫にしか見えないから俺は猫ということにしてる。

 ま。元の姿に戻ったら完全に黒虎さんだけれども。

 

 シャオ曰く、こいつにもコロナと同じように『クロエ・ザ・マンデイ』という長ったらしい名前があるようで。

 もちろん、これまたコロナと同じく、七大魔宝石の一つだったりする。

 藍色の宝石――壱番石であるラピスラズリに封印されていた『雷』の厄災を司る霊獣。

 

 どういった経緯があったか知らないが、俺がこの世界に来たときにはとっくにゆりなとコンビを組んでいた黒猫。

 逃げ出した霊獣の一匹ではあるが、石の捕獲について色々と助言をくれたり、入って間もない俺に魔法使いの仕組みについて教えてくれたりと、かなり友好的な霊獣だ。

 

 しかしながら、と。俺は心の中で首を傾げる。

 どうも、こいつの言動にはいささかに不明瞭な点が多すぎる。

 

 時園のことだってピースが住んでるところなんだし、こいつがその存在自体知らないのはさすがにおかしい。

 コロ美ならともかく、ピースにとって『特別』な存在であるクロエが知らないハズがない――

 

「ホントかィ? お前さんが知らないとは、いささかに思えないのだけれども」

 

 なおも食い下がる俺に、

 

「だぁら知らねーって。ほら、死の間際に変な景色みるって言うじゃん。臨死体験っての? アレだろ、アレ」

 

 と。冷たい表情のまま、タバコの灰を空いたコーヒー缶の中へ落としたところで、

 

「じゃあ、別の質問だ。コピーを倒したあと、俺の目の前にシャオと一緒に現れたよな。……なんで、あいつの肩に乗ってたんだよ?」

 

 そう。

 時園について知らないならそれでもいいし、言いたくないってんなら別にいい。

 だが、俺が眠りに落ちる瞬前に現れたシャオに――そいつの肩に乗っていた理由はどうしても知りたかった。

 なんとも言えない、複雑そうな表情で俺を見下ろしていた黒猫――

 

 他はいいとしても、これだけは看過することが出来ない。

 どうしても……答えてもらわねェと。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを両手で握りしめながら、俺は真剣な眼差しをそいつに向ける。

 すると、そいつはピクッと猫耳を動かしたか思うと、とても驚いた表情で、

 

「……なに、言ってんだぁ?」

 

 と、俺の目を見返した。

 クロエは、長く伸ばしてる方の髪の毛を指先で弄るなどして少しだけ考える素振りを見せたのち、フッと自分の影に視線を落として、

 

「おい、ツン子。おめぇはどう思うよ」

 

 言って、何故か影に向かってタバコの煙を吹きかけるクロ。

 するとどうだろう、

 

「けほっ、けほっ! な、なにすんのよ……っ!」

 

 なんと。シャオが影の中から咽ながら、ひょっこりと頭だけ覗かせたではないか。

 こいつ、まさかシャドーを使ってずっとクロエの影ん中に潜んでやがったのか?

 いや。待てよ……もしかしてこいつら、裏で手を組んでいたってオチじゃないだろうな。

 

「…………」

 

 そう、怪訝なツラでクロエを睨むと、そいつはバツが悪そうに肩を一つすくませて、

 

「ううっ。そんなに怒った顔しないでくれよぉ……。ほれっ。ツン子、早く出て来て誤解を解いてくれっ」

 

 と。未だにケホケホと咽ているシャオを引っ張り出した。



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第七十九石:霊瞳

「はあ? 知らないわよ。あんた、寝ぼけてたんじゃないの?」

 

 機嫌の悪さマックスといった、むくれ面で棒付きキャンディをぺろぺろ舐めているシャオメイ。

 街灯にもたれかかっているそいつは続けざまに、

 

「大体さー。どうしてあたしが猫憑きの使い魔なんかと一緒にいなきゃなんないのよ。そんでもってバカてふの顔を見て、三日目なんちゃらって言ったんでしょ? 意味が分からないわよ」

 

 ど、どうしてって言われてもよォ。

 意味が分からないのはこっちの方なんだけれども……。

 

「じゃあ、あの装着してたバイザーはなんなんでぇい。あれも知らないのか?」

「バイザーって、霊瞳のこと? なんであんたが霊瞳のこと知ってんのよ」

「れ、レイドウ?」

 

 レイメイに続いて、今度はレイドウかよ。

 これ以上変な造語が増えるのは勘弁してもらいたいところだけれども――あの黒いバイザーについては少しだけ気になるな。

 

「うーん……。アレを被るとさー、はっきりくっきり見えるのよね」

「はっきりくっきり見えるってなんでェい。霊でも見えるのかィ? それとも服が透けて見えるとか」

 

 そう言うと、シャオは少しだけ頬を赤くして、

 

「バ、バッカバカじゃん! そーじゃなくて、ランクとかレベルとか相手の魔気力の数値が分かるようになるのよ。あと、例えばあんたとか魔力のある者が建物の中に隠れても、纏ってる魔気が建物越しに映ったりして丸見えとかさ」

「それは中々に便利そうだけれども……そんなの使わなくてもジュゲムなんたらの能力で相手の場所とか模魔の居場所が分かるんじゃなかったか?」

「あら、あんた結構物覚え良いわね。そうよ、あたしは夜紅様だからねぇ。あんな機械に頼らなくても平気なのよ……ていうか、アレを装着すると頭が痛くなるから逆に集中出来ないのよね。ピース様から貰ったときに一回だけ被ったくらいだわ」

 

 食べ終えたキャンディの白い棒を振りながら唇を尖らせる赤いツインテールの少女――シャオメイ。

 面倒だからジュゲムと言ってるが、本当は紗華夢 夜紅とかいうピースの片腕的存在らしく、相当な魔力を持っている第三の魔法少女。

 

 第三とは言っても、俺とゆりなをかなり嫌っているらしく、一人で石集めをしている……のかは知らねェ。

 だって、七大霊獣も憑いてなければ、霊鳴の封印も解いてないんだからな。

 

 じゃあ何をしているのかって言えば、ただ俺たちにちょっかいを出してるだけだったりする。

 杖も厄災の力も持っていないし、本来ならそこまで強くは無いハズなんだが……。

 

 俺はチラっとシャオの中指にはめている黒い指輪と、クネクネと動いてる尻尾を盗み見た。

 何故か持っているランクAの模魔シャドーと縦横無尽に動き回る悪魔みたいな黒い尻尾――この二つが凄まじく厄介なんだよなァ。

 

 これで霊獣と契約、杖まで使えるとなったら……もはや手が付けられねーぞ。

 かと言って、俺たちと手を組んでくれそうにないし。つーか、俺もこんな性悪なんかと手を組みたくねェし。

 こいつのファンであるチビ助だったら喜んで手を組むかもしれないけれども。

 いや、あいつの場合たとえファンじゃなくても仲間に誘いそうだな……。

 

「おい、ツン子。本当にブラックでいいのか?」

 

 そうシャオにコーヒーを差し出すクロエ。

 そいつはどっかりと俺の隣に座ると、今までの俺たちの会話を聞いてたらしく、

 

「だとしたら、やっぱりシラガ娘の前に現れたのはオレたちじゃない別人だな。そもそもオレは最後までずっとポニ子の中に居たワケだし」

 

 言って、再び髪の毛を弄りだした。

 

「そりゃ、そうだよなぁ。うーむ、じゃああいつらは一体……」

「だから寝ぼけてたんでしょ。あたしは途中で帰ってご飯の仕度をしてたもの。わざわざバカてふの寝顔なんて見に行くワケないじゃん」

 

 と。毒づきながら缶コーヒーを開けようとしているシャオメイだが、どうにもこうにも力が無いらしく一向に開く気配が無い。

 カチッカチッと爪を入れて「うぐぐぅ」と格闘しているそいつの手から、ひょいっとコーヒーを奪い取って、

 

「ったく。ほら」

 

 片手で開けてやると、そいつはムスーッとしたツラで受け取った。

 

「別に一人で出来たのに……礼なんか言わないわよ」

「うるへー。てめぇの心のこもってない礼なんざ微塵もいらねーよ。いいから黙って飲みねェ」

「……ふん!」

 

 ぷいっとそっぽを向いて一口飲んだかと思うと、

 

「に、にがッ」

 

 眉根を寄せて舌を出すシャオメイに、

 

「にっしし。ほらな、言っただろ? だぁらミルクコーヒーにしとけって言ったのに」

 

 けらけら笑いながら言う黒猫。

 

「う、うるさいわねっ! だってそこにある黄色くて長細いコーヒーって凄く甘いのよ。それよりは断然マシだわッ」

「じゃあ紅茶にすればいいのに……見栄張ってコーヒーがイイなんて言うからさあ。はーあ、ポニ子の可愛げを半分くらい分けてやりてーぜ」

「ふーん。貰えるモンなら貰いたいところね。でも、あたしが可愛げを貰ったら、猫憑きはどーなんのよ」

「……うっ。やっぱしツン子はそのままが一番ツン子らしくて良いと思うぜ。にゃ、にゃはは……」

「ちょっと、それどーゆう意味よっ」

 

 そんな二人のやり取りを見つつ、俺は少し不思議に思った。

 なんなのだろうか、このゆったりとした光景は。

 つい数時間前までシャオとクロエは戦っていたハズなのに……。

 

「ごちそーさま。そろそろピース様も起きるようだし、あたしは帰って寝ることにするわ」

 

 ゴミ箱に缶を入れて、シャドーを呼び出したそいつの後ろ姿に、

 

「毎週毎週オレの監視ご苦労さんだな。にしし。ま、ただの徒労だと思うケドねえ」

 

 イヤな笑みを飛ばすクロエ。

 

「どういうこってい? 監視って……」

「にっしっし。ピースが起きているときはピースがオレの動きを監視している。寝ているときはツン子がシャドーの中で監視している……ってね」

 

 監視だなんて、なんとも大げさな言葉にいささかに驚いていると、シャオは黒いマントを脱ぎながら、

 

「……ピース様に命令されたからしているだけよ。徒労だろうがそんなの関係ないわ」

「いやはや。いささかにキツそうな仕事だと思うのだけれども」

「週に一回だけだから、別に大変じゃないわよ。どーして監視するのか、意味がよく分かんないケド……。まあ、やれって言うからね」

 

 ツインテールを維持していた髪留めを外したかと思うと、マントと一緒にシャドーの中へ放り込むシャオメイ。

 尻尾もスカートの中に仕舞い込んだし……こりゃあ、本当に寝る準備に入ってるのかもしれないな。

 そんでもって、ワンピースの姿にロングストレートの髪型になったそいつはブラックホールの縁に手をかけた。

 

「あ……」

 

 マントを脱いだその姿を――まるで普通の子どものようなその小さな後ろ姿を見て、俺は思わず声を掛けてしまった。

 

「な、なあシャオ!」

「……なによ」

 

 こちらを振り向くともせず、気だるげに答えるシャオメイ。

 やっぱりあの厳かなマントとヘンテコな尻尾が無いだけで大分印象が変わるな。

 これで目の下の濃いクマも消えれば……。

 なんてボーっと見ていると、

 

「だから、なあに?」

 

 イライラした口調のそいつに、俺は慌てて、

 

「い、いやァ。週に一回でも、その……こんな朝まで毎回姿を消してたら親御さんとか心配するんじゃないのかなーって」

 

 テキトーにそんなことを言ってしまった。

 どうせ、バッカバカじゃんとかなんとか、いつもの罵倒で返されるのかと思いきや、

 

「いないわよ、そんなもの……」

 

 シャオはそれだけ小さく呟くと、闇の中へと消えてしまった。



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第八十石:仲良しさん記念日

「ふわぁ~あ」

 

 うららかな春の日差しが差し込む部屋の中で、俺は大きなあくびをブッ放した。

 

「パパさん、今ので十八回目のあくびなんですっ」

「あー……違う違う。だから今のはあくびじゃねーって。ただの深呼吸でェい」

 

 言って、ぺらりとマンガのページをめくると、

 

「む~っ、さっきから誤魔化してばっかなんです! あと二回あくびしたらコロナと遊んでくれる約束なのですぅ!」

 

 チビ助のベッドの上――うつ伏せ状態で漫画を読みふけってる俺の背中で地団駄を踏むチビチビ。

 その心地良いマッサージを受けながら、

 

「てやんでェい、今いいところなんだよォ。やっと黒幕が判明するところなんだぜ」

 

 ゆりなのお姉さんから頂いたチョコチップスコーンをほお張りつつ、ハラハラドキドキと俺はさらにページをめくる。

 

「……パパさんがそういうの好きだなんて、ちょっと意外なんです」

「そういうのって?」

「だって、もっと不良さんが出てくるマンガとかスポーツをしてるマンガとかが好きそうなイメージだったのに……」

 

 チラリと枕の横にうず高く積まれたマンガを見るチビチビ。

 朝から昼までの間に読破したそれには、不良だとかスポーツなどを題材にしたマンガは一つも無かった。

 あるのはギャグものだったり、変身ヒーローや勇者が敵をなぎ倒すファンタジーものくらいだ。

 というか、ほとんどギャグマンガばかりだったような気がするぜ。

 

「そりゃあ、そっちのほうが好きだけれどもよォ。チビ助がそんなマンガ持ってるワケねーじゃん」

「旧魔法少女さんはスポーツとかあまり好きじゃないんですかね? 運動神経バツグンそうなのです」

「たしかに運動神経は良いだろうが、それと好きなマンガはあまり関係ないと思うぞ」

 

 むしろ、あいつの本棚に野球だとかプロレスのマンガがビッシリ入ってたらそれはそれでいささかに恐ろしいぜ。

 

「ま、なんつーか少女マンガが新鮮だからねェ。だから中身がギャグだろうがなんだろうが別に俺は楽しく読んでるけどな」

「今読んでるのもギャグ系なんです?」

 

 俺の背中に跨ったまま覗き込んでくるコロ美に、

 

「いや、一応恋愛ものなんだけれども……」

 

 と。マンガを手渡すと、

 

「ひ、否定。これはなんか違う気が、す、するんです……っ」

 

 見開きいっぱいに鬼の形相をした長い髪の女性が出てきたり、数ページにも渡って何も無いまな板の上で包丁をトントンしてる女性が出てきたり、と。

 なんともまあ、恋愛とはほど遠い内容になっていた。

 

「いっひっひ。もはやホラーの領域だよなァ、これ」

「旧魔法少女さん、こんなマンガを読んでるだなんて、こ、怖いんです……」

「まあまあ、これでも食いねェ」

 

 すっかり威勢をなくしてしまったチビチビの口に、半分にしたスコーンをひょいっと放り込んだそのときだ。

 

「……なあに、ボクのこと呼んだ?」

 

 後ろを振り向くと、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべるチビ助の姿があった。

 それを見た途端、

 

「むぐぐっ!!」

 

 驚きのあまりスコーンを喉に詰まらせたのか、目を白黒させて飛び上がるコロ美。

 

「わわっ、コロちゃんごめんね! これ飲んでっ」

 

 きっとお姉さんから渡されたのだろうオレンジジュースの入ったコップを手渡すと、チビチビはそれを一気に飲み干し、

 

「びっくりしたんですーっ!」

 

 俺の背中に強烈なタックルをかましてきやがった。

 

「あ、あのなあ。なんでびっくりしたからって俺を攻撃するんでェい」

「うう。パパさぁん……」

 

 ぎゅっと両手で俺のキャミソールを掴むもんだから、立とうにも立ち上がることが出来ねェ。

 仕方なく、うつ伏せのままベッドの脇に立っているチビ助を見上げて、

 

「よっ、おかえり。結構早い帰りだったんだな」

 

 そう言うと、そいつはベッドに腰掛けながら、

 

「うん。今日は始業式だけだったから……コロちゃん、ほんとにごめんなさい」

 

 とてもすまなそうにコロ美の髪を撫でる。

 

「別に謝るこたァねえって。スコーンを食わせたのは俺のほうなんだしさ。ほれほれ、めんどくせェことでイチイチ機嫌悪くすんなってコロ美さんよォ」

 

 ケツをぺしぺし叩くとそいつはムクっと顔をあげて、

 

「……旧魔法少女さん、あのマンガに出てくる人みたいで凄い怖かったんです」

「ふぇ? あのマンガって?」

 

 首を傾げるチビ助に、さっきのホラーマンガを見せると、

 

「にゃはは、これのことかぁ」

 

 なんともあっけらかんと笑うチビ助。

 

「否定っ。にゃはは、じゃないんです! 優しい旧魔法少女さんがこんな怖いマンガを読んでるだなんて……意外なんですっ、もう何も信じられないんですっ」

 

 おいおい。いくらなんでも言い過ぎじゃねーのか?

 別に誰がどんなマンガ読もうが関係ねェじゃんかよ。

 勝手に人の本棚あさって勝手に幻滅してって……ダメだろうよ、それは。

 いささかに叱ってやるべきだなと思っていると、

 

「でへへー。それね、ボクのお友達の妹さんが貸してくれたんだよぅ」

 

 何故かニヤけながらチビチビの髪を撫で続けるゆりな。

 妹さんとやらも気になるが、その前になんでそんな締まりの無いツラになってるんだァ?

 やはりコロナも不思議に思ったようで、

 

「ど、どうしてそんな顔でコロナのことを見るですか?」

「だってだって、コロちゃんがボクのことを優しい、って言ってくれたんだもん。なんだかとっても嬉しくて……えへへ」

「……あ」

 

 ああ、そういうことか――

 最初は魔法少女はパパさんだけで十分だとか言ってゆりなに宣戦布告してたっけ。

 その後もモヤモヤするだとか、本気の魔力を確かめたら倒すとかなんとか言ってたな。

 

 でも、本当のところもうそんな気は微塵もないんだろう。

 その気持ちが不意に口をついて出てしまった……それを恥じるように耳を真っ赤にして俺の背中に顔を埋めるチビチビに、俺はフッと笑う。

 

「ゆりな、さっきチビチビさお前の机をせっせと片してたんだぜ。そんときなんて言ってたと思う?」

「パ、パパさん言っちゃメッなんです!」

 

 俺の口を塞ごうとしたのか、慌てて羽を広げて飛んで来たそいつを両手でキャッチして、

 

「はやく旧魔法少女さん帰ってこないかなって。学校行ってるとつまらないんですって、さ」

「うぅ……」

 

 さらに耳を赤くして俯くチビチビを差し出すと、ゆりなは本当に――本当に嬉しそうに抱きしめた。

 

「よかったぁ。ずっと嫌われてるのかなーって思ってたんだよぉ。そっか、そうだったんだ……にはは、今日はボクとコロちゃんの仲良しさん記念日にしよーねっ」

 

 しゃっちゃん感謝デーに続いてまたよくわからん記念日が増えちまったな……。

 このままではいずれ三百六十五日、毎日が記念日になっちまうぞ。

 なんて思っていると、

 

「記念日にするのは構わないんですけど……嫌いじゃないだけで、べ、別にコロナは旧魔法少女さんのことが好きになったわけじゃないんです。フツーなのですっ」

 

 ゆりなに抱きしめられたまま、ぷいっとそっぽを向くチビチビ。

 

「素直になれよなァ、めんどくせーヤツ」

 

 頬をプニプ二突きながら言うと、ゆりなはコロ美を高い高いをするように持ち上げて、

 

「いいよ、フツーでも嬉しいもん。今度はフツーから好きって言ってもらえるように、ボク頑張るからねっ」

「……そんなこと頑張られても困るんです」

 

 わーいわーい、と満面の笑みで高い高いしてるところ申し訳ないのだけれども、俺はさっきから……いや、結構前から引っかかっているコトがある。

 それは――

 

「えーっと、あのさァ。恐縮なんだけれども、チビ助って、いつからコロ美のこと『コロちゃん』って呼ぶようになったんだ?」

 

 前はアイスウォーターちゃんだとかなんとか長ったらしいあだ名で呼んでいたような気がするんだが。

 そんな疑問に、ゆりなは何とも照れくさそうな表情で、

 

「だ、だって。そっちのほうが仲良しさんって感じだから。呼んじゃダメって言われたら直そっかなーって思ってたんだけど、コロちゃんから何も言われないし、こっそりこのままでいいかなって……」

「だとよ、さてはてコロ美さんはどう出る?」

「……えっ」

 

 そんなことまったく気にしてなかったかのように、きょとん顔でゆりなを見るチビチビ。

 しばらく口をモゴモゴしたのち、やがて小さくこう呟いた。

 

「肯定……そのままでいいんです。でも、それじゃ不公平なんです」

 

 その言葉に顔を見合わせる俺とゆりな。

 

「するってぇと……つまり、どういうこってェい?」

「コ、コロナも旧魔法少女さん、だなんて長い呼び方にはもうウンザリガニさんなんです……。だから、その、もっと違う呼び方をしたいのです」

 

 違う呼び方ねェ。

 俺的にはチビチビがゆりなのことを旧魔法少女さんって呼ぶのは結構気に入ってたんだケドな。

 なんつーか、しっくりきてたし。 

 でも……そうだな。せっかくだし、なんか良いあだ名を考えた方がいいかもな。

 と。いくつか候補をあげようかなと思ったところで、目をキラキラさせたゆりながズィッと身を乗り出してきた。

 

「しゃっちゃんが『パパさん』なら、ボクは『ママさん』がいいっ!」

「え……」

 

 そいつが身を乗り出した分、いや――その倍は身を引いた俺に、

 

「だってだって、パパさんって呼び方、めちゃんこ可愛いんだもん。ボクずっといいなーって思ってたんだもんっ」

 

 両手を胸のところでグーにして力説するチビ助には悪いが、さすがにそれは色々と誤解を生んでしまいそうなのだけれども……。

 もし俺とコロ美とゆりなが三人一緒にスーパーに買い物に行ったとして、そこでチビチビが俺を『パパさん』って呼んで、その隣のゆりなにも『ママさん』って呼んでたら――

 い、いささかにマズいだろ、コレ。

 どう見てもワケありな三人組みに見られること必至だって。

 そう青ざめる俺を尻目に、

 

「肯定。それだったら呼びやすいんです。じゃあこれから旧魔法少女さんのことはママさんって呼ぶのです」

「わーいっ、ママさんだぁ。かっちょいー!」

「でもフツーから嫌いになったら、すぐに旧魔法少女さんに戻すんです。コロナの好感度ゲージは気まぐれなのです」

「ふええぇ、好感度ゲージってなに!?」

「あ、今のでゲージがちょっと下がってしまいました、旧ママさん」

「ふえぇん! なんかすっごく引っかかる呼び方になっちゃったよぉ」

「気にしないでください。深い意味は無いんです、旧魔ママさん」

「またゲージが下がった!」

「どうかしたんですか? 旧魔魔ママさん」

「ママママ!?」

 

 勝手に話を進めてる二人。

 とりあえずこれ以上『マ』が増える前に、と。

 俺はキャッキャッと楽しそうにチビ助をからかっているコロナを抱っこして、

 

「ほれほれ。今日のお昼ご飯はみんなでファミレスですよー! って、お姉さん言ってたぜ。はやく着替えておくれ」

 

 ランドセルに制服姿のまんまのゆりなに言った。

 もちろん、ため息混じりに。



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第八十一石:公園に佇む少女

 小学校といえば大体は私服であり、制服を着用して登校する様はあまり見たことがない。

 俺もあの頃は(つっても、二年前程度だが)テキトーな服に黒いランドセルという、どこにでもいる至って普通の小学生らしき格好で毎日通学路を闊歩していた。

 黄色い通学帽子程度はあったかもしれないけれども、堅苦しい制服などとはもちろん無縁の生活。

 ……なのによォ。

 

「に、にはは。しゃっちゃん、そんなにジーっと見ないでよぅ。なんか恥ずかしいかも」

「いいじゃねーか減るもんじゃねーんだからよォ。なんつーかさ……いささかに珍しくてねェ」

「ふえ? 珍しいって?」

 

 と、小首を傾げるゆりな。

 そいつを見ながら俺はベッドに座りなおして足をブラブラさせた。

 

「いやあ。小学生っつうもんはフツー、私服で学校に通うモンだと思っていたからさ。お前さんの学校には制服なんて面倒くせェもんがあるんだな」

 

 言うと、チビ助はファッションショーのモデルよろしくその場でくるりと一回転して、

 

「そうだよ~。えへへっ、これ可愛いでしょ。ボク、結構気に入ってたりっ!」

「まあ、確かに可愛らしいとは思うのだけれども……」

 

 思うの、だけれども。

 なんと言ったらいいものか……。

 言葉を選ぶべきかなと思ったが、けっきょく面倒になって最初に頭に浮かんだワードを言い放った。

 

「お前さんの学校の校長はヘンタイさんなのかィ?」

「えっ、どーして!?」

 

 当然びっくり顔のそいつに、

 

「だってよォ……そ、その制服はさすがに露出が激しいっつうか、なんつうか」

 

 そう。

 いくらなんでもワキ丸出しというノースリーブな制服はどうかと思うワケで。

 朝はドタバタしてしたからあまりツッコめなかったが……。

 やはり見れば見るほどデザインがガキんちょの制服らしくないのだ。

 

 上は赤いリボンとフリフリの付いたゴージャスなデザインの白ブラウス。

 反面、下の白いスカートは赤ラインが入ってるだけという、至ってシンプルなデザイン……なのだが、このスカートがまた短いのなんのって。

 

 俺がダッシュと融合したときのコスチュームに比べればまだ丈はある方だが――それにしても短すぎる気がするぜ。

 うむぅ……っと。俺がどこぞの偏屈ジジイよろしく口をへの字にひん曲げて見つめていると、

 

「そっかなあ? ボクはこれくらいサッパリしてた方が動きやすくて丁度良いけど」

 

 再度くるっと回ってみせるチビ助。

 そしてピタリと俺の正面で止まると、にっこり笑顔でダブルブイサインを繰り出し、チョキチョキと動かした。

 

「いやはや。お前さんの頭ん中も中々にサッパリしていらっしゃるようで。俺だったらそんな格好で学校に通うなんて、いささかに小っ恥ずかしくて無理だな」

「そんなことないよっ、しゃっちゃんだったら絶対に似合うと思うもん!」

「だから、似合う似合わないとかそういう話じゃなくてさァ……恥ずかしいって言ってんの」

 

 言いつつ、ゆりなの丸出しになっている肩にどうしても目が行ってしまう。

 俺の視線に気付いたのか、ゆりなは自分の肩をチラっと見たのち、再度こちらへ向き直って、

 

「えーっ! しゃっちゃんだって、その服だとめっちゃんこ肩出てるじゃんっ」

「いやいや、これは一張羅だから仕方ないんだって。他の服持ってねーし、変身したまま過ごそうにもアレもアレで肩出てるしよォ。服の選択肢が多かったら、俺はゼッタイに露出の多い服は着ないぜ」

「ふーん……しゃっちゃんって、恥ずかしがり屋さんなんだ。なんかさー、ホントに女の子になっちゃったみたいだねっ」

 

 なんでそんなに嬉しそうに言うのかよく分からないけれども。

 とりあえず、からかわれた気がするので頭に軽い冷凍チョップをかましておく。

 

「勘違いすんなよなァ、別に女の姿になったから恥ずかしいってワケじゃなく、俺様は男のときから長袖派だったんでぇい。まあ、せめて何か羽織るモンがありゃあいいんだけどねェ」 

「ううっ、頭ちべたいよぅ……。あっ、だったらアレがあるよ」

 

 そう言ってタンスの中をごそごそし始めるゆりな。

 アレとは何だろう、と。腕を組みながら待っていると、やがて奥の方から新品の布のようなものを引っ張り出して、

 

「じゃっじゃじゃーん!! これなあんだ?」

「……?」

 

 自慢げに突き出されたはいいが、ただの真っ白い布に見えるぞ。

 赤いライン模様が入ってるし、スカートか何かか?

 

「ぶっぶー。これはねー、こうやるんだよっ」

 

 と。ふわりとその布を肩に巻いたところで、

 

「もしかしてケープみたいなやつ?」

「あったりー! この制服はねー、春と夏用なの。でねでね、春はこのケープを付けるんだよっ。夏は外すんだってさ、凄いっしょー!」

 

 金色のボタンを留めながら言うチビ助に、

 

「……おもいっきしタンスの奥から出したんです。新品みたいなんです」

 

 いつの間にか俺の膝の上に陣取っていたコロナがぼそりと呟いた。

 そうなんだよなァ……。どう見ても使った形跡ゼロって感じだ。

 

「まっ。どうせゆりなのことだ、『ボクは寒さなんかへっちゃらだから、ケープなんていらないんだもんね!』とか言って今までずっと使わなかったんだろうさ」

「あ、ありえるんです……っ」

 

 俺の言葉にコクコク頷いてるコロ美の鼻頭に、ゆりなが人差し指を突きつけた。

 

「ありえないんです! あのさー、二人ともボクをなんだと思ってるのっ」 

「えっ。なんだと思ってるのって言われましても……」

 

 ついコロ美と目が合ってしまう。

 うーむ、ここは正直に言うべきかねぇ。

 

「夏でも冬でもランニングに短パンって格好で遊び回ってそうなイメージ……かなあ。もちろん、常時虫取り網と虫カゴを小脇に抱えてよォ」

「ですです。コロナもパパさんと同じ意見なのです」

「ひっどーい! ボクだって女の子だよ、そんな格好するの夏だけだもんっ! 冬はちゃんとセーター着てるし、マフラーも巻いてるんだからねっ」

 

 ……夏だけとはいえ、マジでそういう格好してたんかい。

 などというツッコみは心の中だけに留めておいて、そろそろどうでもいい会話に終止符を打つべく、

 

「まあまあ。それはともかくとして、はやく着替えに行っておくれ。いささかに腹がグーペコだぜ」

 

 いつまでたっても制服姿――ましてやケープという装備までプラスされたそいつに着替えを促すと、

 

「あっ、そうだった! えへへ。お外でご飯食べるの久しぶりだよぅ。なに食べよっかなー、この前はハンバーグ食べたから今日はナポリタンにしよっかなぁ」

 

 なんて。いそいそと目の前で着替えをおっぱじめやがったではないか。

 いやはや、まったく……。俺は一つ肩をすくめて、

 

「ちょっとちょっとお前さんよォ。こんなところでいきなり着替えを始めないでくれよ。……ったく、これだからチビ助は――」

 

 そう言いかけたところで、

 

「こんなところじゃないよっ、ここはボクのお部屋だもんっ! いっつもここで着替えてるの!!」

「……は、はい。ごもっともで」

 

 ううっ。ガオーッと怒られてしまったぜ。

 ぷいっと後ろを向いて着替えを進めるそいつの背中をみながら、俺は改めてゆりなが契約したのは猫じゃなく虎なんだなと思った。

 だって、あのド迫力だぜ。俺の全身がビリビリと痺れちまってるほどだし……まあ、これはただ単に、目に見えない怒りの放電を喰らっちまっただけかもしれないが。

 

「しゃっちゃん!」

 

 さっさと洋服に着替え終えたゆりながこちらに振り返った。

 いつの間にかポニーテールへと結わえられた髪の揺れる動きを、なんとなしに目で追っていると、

 

「…………」

 

 無言で右拳をグーにして俺へと向けるチビ助。

 なんだろう。腹パンでもされるのかな……。

 そう、いささかにビビり始めたところで、

 

「これ、最初にお店の人に見せてねっ」

 

 言って開かれた手のひらにはファミレスのクーポン券が乗っていた。

 

「なんだこれ。……ドリンクバー半額ぅ?」

「うん。それね、一人一枚ずつ最初の注文のときに出さないとダメなんだって。この前、お会計のときに出したらダメって言われちゃって、お姉ちゃんすっごくガッカリしてたの」

 

 だから今度こそはゼッタイに半額にしてもらうんだ、と。

 鼻息荒くして意気込むゆりなに、俺は思わずプッと吹き出してしまった。

 

「もーっ、笑い事じゃないんだよ! ボクは真剣なんだからねっ。しゃっちゃんもコロちゃんもみんなで力を合わせなきゃ!」

「オーケイオーケイ、わかりましたんで。半額と聞いちゃあ、俺だって黙っちゃいられないぜ。なあ、チビチビ?」

「肯定なんです! お金は大事大事だってお姉ちゃまが言ってたんです」

 

 というワケで。

 三人一様にクーポンを握り締めた俺たちは、いざファミレスへと向かった――のだけれども。

 その道中で、俺は思わず立ち止まってしまった。

 

「……あれは、まさか」

 

 小さな公園の真ん中、簡素な一人用のブランコに乗っている少女。

 紫色のショートカットに、印象的な赤紫の瞳。

 漕いで遊ぶこともせず、つまらない楽しいなどの一切の感情を見せない無表情な顔で地面に視線を落としているそいつは――時園で出会ったネームレスという子どもと瓜二つだった。

 というよりも。どう見てもネムにしか見えないのだが……。

 

「あっ」

 

 ふと、その少女が顔を上げ、つい目が合ってしまう。

 無表情なツラはそのままに、二回ほど無言で瞬きをするネム。

 

 ん? いや、待てよ。

 ネームレスはもっと髪が短かったような気がするぞ。

 確かにこの少女はショートカットだが……なんか微妙にあいつより長く感じるぜ。髪型が少し違うからかねェ?

 

 と。そこまで考えて、俺はあるデカイ間違いに気が付いた。

 そういやネムって右目に黒い眼帯をしてたじゃねーか。この子は眼帯なんてもんつけてねぇし。

 い、いやはや。あやうく声をかけちまうところだったぜ……。

 

「しゃっちゃんちゃーん! どうなされましたかーっ?」

 

 はるか前方で俺を呼ぶ声。

 その声のする方に顔を向けると、お姉さんが心配そうな顔で大きく両手を振っていた。

 

「あ、すんません! いま行きますんでっ」

 

 そう、駆け出そうとしたのだけれども。

 やっぱり気になるモンで、もう一度だけブランコの方を振り返ってみる。

 しかし――そこには誰も居なかった。

 

「あんれェ……?」

 

 かすかに揺れているブランコに後ろ髪を引かれたのも一瞬。

 早くしろと騒ぎ立てる腹鳴にたまらず、俺はその場を立ち去った。



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第八十二石:なずな

「わーい、飛行機のおもちゃが付いてるんです!」

 

 運ばれてきた洋風お子様ランチを前にして、コロナが目を輝かせて言った。

 

「パパさん、ほらほらっ」

 

 よっぽど嬉しいのか、隣に座ってる俺に体当たりをぶちかましながら飛行機を見せつけてくるそいつに、

 

「わーった、わーったって。ったく……他のお客さんの迷惑になるだろうがよォ」

 

 ペコンと一発デコピンをかましておく。

 もちろん、周りにゆりなのお姉さんや他の客がいるため、今回ばかりは氷魔法は付与されていない普通のデコピンだ。

 ……一般人に俺たちが魔法使いってバレるわけにはいかねーからな。

 

「えへへ。よかったね、コロちゃん! いいな~、ボクもおんなじお子様ランチにすればよかったかも」

「あらあら、まあ。なんて可愛らしいのでしょう。ゆっちゃんと、しゃっちゃんちゃんところこっちゃんとお外でも一緒にこうしてご飯を食べられるだなんて。愉快適悦なのです……っ!」

 

 どうやらチビチビをたしなめるのは俺だけのようで、目の前に座っている久樹上姉妹はニコニコ笑顔で俺たちのことを見ているだけだった。

 相も変わらずというか、なんというか……。

 俺は山菜ご飯と松前漬けを一緒に口の中へ放り込みながら、お姉さんをチラっと見た。

 

 ゆりなよりもいささかに短い黒髪に、パッチリとした大きな瞳。

 いつもは後ろで縛っているのだが、今日はお出かけ用の格好の為か、髪を下ろしている。

 といっても、ただそのまま下ろしてるだけじゃなく、青い鳥の羽のようなヘアピンで髪を留めていた。

 そういえば縛っているときも似たようなヘアアクセを付けてたっけか。

 

 にしても……この人は普通に髪を下ろしてたほうが可愛い気がするぜ。

 後ろで縛っていると、どうも高校生というよりも若妻チックな感じがして――いや、待てよ。

 と。俺は黒豆をつまむ手を止めて一つ思う。

 

 考えてみりゃあ、セーラー服を着ていたから高校生なのだろうだと勝手に決め付けていたが、本当は違うのかもしれねェぞ。

 実は二十歳過ぎていて、アレはただの趣味だという可能性も……。

 なんて、いささかに失礼なことを考えていると、

 

「はれっ? しゃっちゃんちゃん、お口に合いませんでしたか?」

 

 楽しげに今まで俺たちの食事を見ていたお姉さんが不思議そうに首を傾げた。

 ううむ。この際だから、色々と訊いておいたほうがいいのかねェ。

 これから同じ屋根の下で暮らす仲だってェのに、名前もまだ知らないってのはさすがにどうかと思うし。

 つっても、どう訊ねたらいいものやら……。家族の長に向かってあまりズケズケと質問するのも――

 

「パパさんが、ママお姉ちゃまのことを知りたがってるんです」

「えっ!?」

 

 コロ美の突拍子も無い発言に、俺とお姉さんが同時に声を上げて驚いた。

 こ、こいつ、まァた俺の心の中を勝手に読みやがったな。

 ジトっと睨むと、そいつはオムライスの旗を引っこ抜きながら、

 

「んーと。名前なんていうんだろうとか、歳はいくつだろうとか、きっと二十歳くらいかなーとか、だったらセーラー服は趣味なのかなーとか。いっぱい訊きたいことがあるみたいなんです」

 

 お、おいおい!

 

「こるァ! 失礼だろうがっ、このバカチビ!」

 

 慌ててコロ美の口を塞いだのだが、そいつは俺の腕からスルッと器用に抜け出して、

 

「むーっ。パパさんが訊きにくそうだからコロナが代わりに訊いてあげたんです」

 

 と、頬を膨らませて反論しやがった。

 

「あ、あのなぁ。訊き方ってモンがあるだろうよォ……」

「……ころこっちゃん」

 

 ぼそりと呟き、いきなりスクッと立ち上がるお姉さん。

 げげっ。こりゃあ、いささかにヤバイ雰囲気だぞ……。

 こういう穏やかな人って、怒らせると凄まじく怖いイメージがあるんだが――

 

「もう一度、おっしゃって頂けますか……?」

 

 ひえぇ。恐怖に思わずゴクリと喉が鳴ってしまったところで、

 

「ママお姉ちゃまって、も、もう一度言ってください……っ!」

 

 両手をギュッと握って全身からハートを振りまくお姉さんに、ずっこけそうになる俺とコロ美。

 な、なんでェい。びびって損したぜ……。

 

「だってさ、コロちゃん。言ってあげなよぅ」

 

 ナポリタンをもぐもぐしながら、のほほんと言うチビ助。

 何がなんだか分からないといった様子のコロナだったが、お姉さんの期待の眼差しに押されるがまま、

 

「こ、肯定……。えっと、ママお姉ちゃま?」

 

 そう言った途端、

 

「はうぅっ!!」

 

 へなへなとその場に座り込むお姉さん。

 骨抜きとはまさにこのことだろうな……。

 

「嗚呼。なんて、なんて可愛らしい響きなのでしょう……っ」

 

 ぽへ~っと幸せいっぱいの顔で、運ばれてきたチーズドリアにタバスコをドバドバかけつつ、

 

「あ、しゃっちゃんちゃん。私の名前はですね、風蘭といいます。正真正銘、十七歳の高校生なのですよー」

 

 そういえばチビ天のやつ、お姉さんのこと『ふう姉ちゃん』とか言ってたっけか。

 ふうらんだから、ふうねーちゃん――か。なるほどねェ。

 胸につっかえていたものが取れたようで、なんかスッキリしたぜ。

 

「ね、ね。しゃっちゃんちゃんは私のことをなんて呼んでくれるのですか?」

「へ?」

 

 なんて呼ぶも何も、フツーにお姉さんって呼ぶつもりなのだけれども……。

 先程よりもさらに勢いを増したハート乱舞に戸惑っていると、

 

「うふふ。ママって、呼んでもいいのですよっ」

「い、いやいや! 今まで通りで勘弁してくだせェ」

 

 こればかりは、さすがに即答してしまった。

 いくらなんでも三つだけ年上の人に向かってママは無いぜ。

 赤面しつつ、ご飯をガツガツ食べてると、

 

「あらあら、まあまあ。照れちゃって、可愛らしいのです……っ。あ、お弁当がついてますよっ」

 

 ひょいっと俺の頬からご飯つぶを取って、そのまま自分の口に運ぶお姉さんに、ますます顔が熱くなってしまう。

 ううっ、この人には一生勝てる気がしねェぜ……。

 と。そのときだった。

 

「……くっ!」

 

 ピリッとした痛みがこめかみに走る。

 なんだァ? と思っていると、隣のコロ美が俺のスカートを引っ張って真剣な顔で頷いた。

 前を見ると、ゆりなも同じく眉根を寄せて俺に目配せをしている。

 

 テレビの中のシャオと目が合ったときのような、奇妙な感覚。

 さすがにあそこまで気分が悪くなったりはしないが……それでも、鳥肌が立つ程度の寒気はあった。

 未だに笑顔でタバスコを一心不乱にかけてるお姉さんには悟られないように、そっと後ろを振り向こうとしたところで、

 

「あっ、なずなずだ!」

 

 突然、そんなことを言って両手をぶんぶん振るゆりな。

 その先には、今まさに来店したばかりといった様子の少年が居た。

 なにか店員と話してるみたいだが、この盛況ぶりを見るに、おそらく満席だから少々お待ちくださいとでも言われてるんだろう。

 しょんぼりとした様子のその子に、

 

「なずなず、こっちこっち!」

「なずっちゃーん、よろしければこちらでご一緒しませんかっ」

 

 姉妹揃って親しそうな口調で呼びかけた。



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第八十三石:どうして!? なずなの不思議なスケッチブック

 

「す、すみませんです……」

 

 野球帽を目深にかぶったその少年は、とてもすまなそうに頭を下げた。

 チビ助の隣に座っているのだけれども(なんかイヤがってた気がするが、ゆりなが強引に隣へ呼んだ)……なんというか、ちょっとおどおどしすぎじゃねェか?

 

 俺とコロ美が二人してメロンジュースをチューっと吸いながら訝しげな視線をぶつける。

 ガンガンと乱射されるその視線を避けるように、ますます帽子のつばを掴んで顔を隠したそいつに、

 

「とっても怪しいんですっ」

 

 コロナが言い放った。

 それに続いて俺も、

 

「そーだ、そーだ。なんで顔を隠すんでェい?」

 

 そう言った瞬間、手に持っていたスケッチブックで完全に自分の顔をガードしてしまいやがった。

 こいつはァ、やっぱり怪しいぜ。

 あの寒気だ。もしかしたらこの子に模魔が憑いてるのかもしれねェ……いや、むしろこいつ自身が模魔であるという可能性も――

 

「……す、すみません」

 

 その少年が完全に萎縮したところで、

 

「こらこら。二人ともなずっちゃんをイジメちゃ、めっですよ」

 

 お姉さんに、つんつんと頬をつつかれる俺たち。

 

「だってぇ……」

 

 と抗議の声を一緒に上げると、いきなりゆりながその少年をギュッと抱きしめたではないか。

 

「にゃはは。なずなずーっ! 今日もなずなず、明日もなずなずだねっ」

「やっ、やめてください……っ」

 

 そのやりとりに、ピクっとこめかみと眉が同時に動く俺。

 な、なんなんでェい。こいつ、チビ助と随分と仲が良さそうじゃねーか……。

 

「……ケッ!」

 

 イラつきながらストローに息を入れてぶくぶくしてると、

 

「わ。パパさんお行儀悪いんです。いつもとなんか違うのです」

「うるへー、俺様はいつもこんなんでェい」

 

 そっぽを向いてチェリーを口に入れたそのとき、

 

「や、やっぱり、わたしお邪魔ですよね……」

 

 ブフッと、むせてしまった。

 

「しゃ、しゃっちゃんちゃん大丈夫ですか?」

「げほっ、ごほっ! す、すみません、大丈夫ですっ」

 

 お姉さんから差し出された水を一気に飲み干して、俺はもう一度野球帽をかぶった少年を見た。

 心配そうに俺の顔を見るその顔は――

 

「もしかして、お前さん女かァ!?」

「えっ! あ、はい……。一応、多分、そうですけど」

 

 そう言って頭を垂れて俯く少年……じゃなくて少女は、俺のことをチラリと上目遣いで見上げたあと、観念したように帽子を脱いだ。

 途端、ふわっと舞う髪の毛。それとともに甘ったるいシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。

 

「……た、宝樹なずなといいますです。えっとえっと、お二人のことは今日の学校でゆりり先輩からたくさん聞かされました」

 

 たからぎ、なずな?

 なんだろうか、この感じは。

 この子、どこかで見たことがあるような――

 

「なずなずはね、とっても人見知り屋さんなのっ。だから二人とも優しくしてあげてね」

「……ふゆぅ。ずみまぜん」

 

 冬じゃなくて今は春だぞとツッコみたくなるところだけれども、人見知りと聞いちゃあ、おいそれとツッコめねーな。

 というか。いささかに暗そうなヤツだけど、顔立ち自体はかなり整ってる気がするぜ。

 

 少しだけ明るめの茶髪にミニツインテールといった髪型なのだが――ももはと違い、独特な結び方をしている。

 長さはあいつよりはちょっとだけ長いかもしれないが……いかんせん、独特な髪型だからよくわからねェぜ。

 

 にしても、綺麗な青い瞳だな。こういうのサファイアブルーって言うんだっけか。

 ま、さすがに目の中に花は咲いてないようだけれども。

 

「あ、あのあの……」

 

 ジーッと、メンチを切るようにコロ美と一緒に凝視していたのがマズかったのか、

 

「やっぱり、わたし……お、お先に失礼しますです!」

 

 泣きそうな顔でなずなが立ち上がったとき、手に持っていたスケッチブックがスルッとテーブルの上に落ちた。

 

「あっ、違う違う! 怒ってるとかそういうんじゃなくって、ごめんっ!」

「ふえーんっ! なずなずぅ、行かないでえっ」

 

 慌ててそれを拾い上げようとしたのだけれども。

 開かれたその中身を見て、俺たちは固まってしまった。

 

「えっ! これって……。なんで、なずなずが……」

「……あ、ありえないんです」

 

 信じられないといった様子で二人が口々に言う。

 もちろん――俺だって、信じられなかったさ。

 

 だって、そのスケッチブックには俺たちが描かれていたワケで。

 いや。正確には、俺とゆりなの変身した姿が――魔法少女となった姿が寸分違わずに描かれていたのだ。

 髪型も、髪色も、胸の宝石の色も、コスチュームのデザインもまったく一緒……。

 

「しゃっちゃん、こ、ここ見て!」

 

 チビ助の指差したところには、その魔法使いの名称らしきものが書かれていた。

 黒の魔法少女と赤ペンで書かれた文字の下には、『ラヴスパーク』と。

 その隣で腕を組んでいる白の魔法少女の下には、『ラヴスノウ』……。

 そして。その一番下には強調するような太文字で――こう書かれていた。

 

「魔法少女サクラヴィッツ……」

 

 俺とゆりなが同時にそれを読み上げ、目を合わせる。

 

「しゃっちゃん……」

「ああ、わかってる」

 

 さすがにここまで一致していると、偶然として片付けられるものじゃない。

 一体これは、どうなってやがるんだ……。

 なずなを見ると、そいつは恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「あの、わ、笑わないでくださいね……。実は、これに応募しようかなと思って」

 

 と。オーバーオールのポケットから取り出されたのは、ピンク色の小さな箱だった。

 可愛らしいパンダさんの色んな表情が印刷されているそれをパカッと開くと、

 

「わあっ、それ知ってますぅ!」

 

 お姉さんが声をあげて目を輝かせた。

 

「えっ! ふーお姉ちゃん、知ってるの!?」

 

 続けて、さらに爛々と目を輝かせるなずな。

 あまりの興奮からか、敬語をすっかり忘れたそいつは、

 

「これねこれねっ、さっきここのお店のカードダスから出たんだけど……」

 

 鼻息荒くして箱から一枚のキラキラしたカードを出すと、自慢げにお姉さんへ見せた。

 

「やーっ、このカード懐かしいですねっ。私がやってた頃にもおんなじカードがありましたよっ」

「えへへ~。それ、今月出たばっかの復刻版なのっ。なんか、第一弾のリメイクとかなんとかで」

「リメイクなのですかあ。あははーっ、私にはまったく同じに見えてしまいました。そういえばこれはキラカードじゃなかった気がしますね」

「そうそう、レア度も上がってるんだよ~! あとね、スキルも強化されてるのっ」

 

 な、なんのこっちゃ。

 う-む。話についていけないぜ……。

 そう、盛り上がる二人を見ながら、ゆりなと俺が目をパチクリさせていると、

 

「あっ。す、すみません! わたしったら魔女モンのことになると、つい……」

 

 俺たちに気付いたなずなが、ペコリと頭を下げた。

 そのとき、チビ助が両手をぱちんと合わせて、

 

「わかった! それが、なずなずがハマってるっていう魔女モンだったんだねっ!」

 

 そっかそっかと頷いて、テーブルの上に広げられたカードを楽しげに見る久樹上姉妹。

 いよいよ分かっていないのは俺だけになってしまったようで……。(コロ美は興味無さげにアイスと格闘しているから除いておくぜ)

 さすがに気になった俺は、

 

「ま、魔女モンってなんなんでぇい」

 

 と。なずなに訊いた。

 すると、そいつは興味を持った俺に心底嬉しそうな顔をして、

 

「えっとですね、これは『魔女っ娘モンスター』ってカードゲームでして――」

 

 それから嬉々としてそのカードゲームの説明を延々と語り出すなずな。

 何十分くらい聞かされたんだろう……。いや、一時間くらい経ってるのかもしれねェな。

 要は、よくある対戦型カードゲームみたいなヤツで、モンスターを進化させて戦わせるゲームのようだ。

 

 最初は思いっきり化け物の姿をしている低レベルのモンスターを、敵と戦わせて、勝ったらそいつを喰らう。

 それでストーンが溜まったら、魔法少女の姿へとレベルアップさせる。

 最終的には、場にある敵を全て倒したり、捕まえたら、中央でふんぞりかえってる『魔女』(プレイヤーの分身)を倒すっつうゲームらしい。

 

 なんか敵のモンスターを捕まえたらこっちが使えるとかいう将棋みたいなシステムもあったような気がするが……まあ、別にやらねーし、どうでもいいか。

 長ったらしい説明をし終えて、満足気にホットコーヒーをすするそいつに、

 

「ねーね。なずなずぅ、応募ってどーゆうこと?」

 

 なずなのツインテールをぴょこぴょこ弄りながら訊ねるチビ助。

 すると、なずなはそれを気にする様子もなく、

 

「生誕十周年を記念して、プレイヤーのみんなが考えた魔法少女をカード化するみたいなんです」

 

 ぺらりとデッキホルダーの中から一枚の紙切れを掴んで俺たちに見せた。

 なるほどねェ……だからスケッチブックに魔法使いを描いていたのか。

 ラヴスパークやらスノウとやらも、このカードゲームのイラストコンテストに応募するためになずなが考えたオリジナルの魔法少女――

 

「……恐縮だけれども、もっかいスケッチブックを見せてくれ」

 

 お姉さんがお手洗いに行ってる隙に、俺たちはもう一度イラストを見せてもらうことにした。

 やはり自分の描いた絵を見られるのは恥ずかしいのか、真っ赤な顔でモジモジしているそいつに気付かれないよう、小声で俺たちは確認しあう。

 

「しゃっちゃん、何度見てもボクらにそっくりだよぅ……」

「だよなァ。ここまで一致してるとなると、俺たちを見て描いたとしか思えねェぜ」

「じゃあ、やっぱりなずなずって――」

 

 困ったような表情でなずなをチラリと見るゆりな。

 そう。もし、俺らのことを見て描いたとするならば、こいつは『魔法関係者』となる。

 変身したら一般人の視界には映らなくなるワケだからな……。見えるのは関係者だけだ。

 

「あ、でも。変身しないで杖に乗って飛んでたりしてたから、それを見られちゃったのかも」

「いや。杖だけなら説明はつくが、それなら変身後のコスチュームをこんなに細かく描けるわけないじゃんか」

「でも、でも……」

 

 ゆりなの動揺を見るに、なずなにはどうしても関わって欲しくなさそうだな。

 ま、そりゃそーか。

 あんな危険な石集めに関わったらロクな目に遭わないだろうし。

 

 才能あるゆりなに、数多ある世界から選ばれた俺っつうコンビだからまだなんとか凌いでいるけれども。

 ……こんな臆病そうなガキんちょにはいささかに厳しい世界だよなァ。

 可愛がってる後輩みたいだし、なおさら巻き込むワケにはいかない、か。



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第八十四石:小さな一歩、大きな勇気

 

 とはいえ、関係者イコール魔法使いをやると決まったワケじゃないが――

 

「……なずなさんは、その二人のキャラをご自分で考えたですか?」

 

 いつの間にかアイスを平らげたコロナが、カードの説明書を見ながらそんなことを訊ねた。

 直球過ぎるその質問に、固唾を呑む俺とチビ助。

 すると、なずなはコロ美の頬についたクリームを紙ナプキンで拭きつつ、

 

「うーん。一応わたしが考えたことになるの、かなぁ……」

 

 と。言葉を濁した。

 

「んん? どういうこってェい?」

「えと、本当はどっちのキャラも夢の中で出会ったのです」

 

 ゆ、夢の中で出会ったあ?

 

「はい……。一年ぐらい前から、わたしの夢の中に二人が出て来るようになったんです。不安なことがあったときに出てきてくれて、素敵な魔法でいっつもわたしを励ましてくれるんです。だから、魔法少女というものにすっごく憧れちゃって。えへへっ、その勢いで魔女モンにもハマっちゃいました」

 

 スラスラと言ったのち、そいつはハッと気付いたように、慌てて野球帽を被った。

 

「ご、ごめんなさい。わたし、ヘンですよね……。お兄ちゃんにも昨日バカにされたばっかりなのに……ふゆっ」

「お兄ちゃんって……」

 

 訊こうとしたとき、ゆりなが笑って言った。

 

「ほら、さっきしゃっちゃんが怖いって言ってたマンガあったじゃん。それ貸してくれたのなずなずのお兄ちゃんのトラジ君なんだよ」

「へー。でもあれって一応少女マンガじゃなかったっけか?」

 

 そう疑問符を掲げたそのときだ。

 頭を垂れているなずなが、ジッとゆりなを見ているのに気付いた。

 

 いや。見ている、というよりも――睨んでいる、というような。

 野球帽で目が半分隠れているからそう見えちまったのかねェ……。

 

「トラジ君は男子のものとか女子のものとかそういうの気にしないタイプかも。なんかねー、雰囲気がしゃっちゃんにちょっと似てるかもっ」

「ふーん。俺に似てる、ねェ……。ははっ、一度会ってみたいもんだぜ」

 

 なんてテキトーな相槌を打ったつもりなのだが、

 

「じゃあ今度みんなで一緒に遊ぼうよっ!」

 

 わーいと両手をあげて一人ではしゃぐゆりな。

 

「いやいや、そんないきなり遊ぶって言われましても……相手さんも困るだろうよ」

「えーっ、どうして?」

「だって見ず知らずの相手と遊ぶなんて、フツー気が進まねェもんだぜ」

「にゃはは。トラジ君はフツーじゃないから大丈夫だよぉ」

 

 いささかに失礼なことを言ってのけるチビ助に、

 

「あのっ!」

 

 ガタンと音をたてて、前のめりになるなずな。

 

「わ、わたしもそれに混ぜてください……っ!」

「うんっ、もちろんなずなずも一緒だよ」

「ぐぬぅう……!」

 

 な、なんだろう、この妙な空気は。

 なずなが怒り顔で頬を膨らませているのに対し、ニコニコ笑顔でそのほっぺをつんつんしているチビ助。

 うーん、この二人の関係性がイマイチわからねーぜ。

 

「あらあら、まぁまぁ。みなさんもうお食事は大丈夫ですか?」

 

 やがて、お姉さんが小走りでやってきた。

 

「肯定。ママお姉ちゃまのおトイレ結構長かったです」

「まァた、失礼なことを……」

「うふふ。実はこれをしてきたのですよーっ」

 

 じゃっじゃじゃーんと言ってミニバッグから取り出されたのは五枚のカードだった。

 

「わっ、お姉ちゃんこれって魔女モンカード?」

「はい! さっきなずっちゃんのお話を聞いて、ついやりたくなってしまいました」

 

 てへへと頭をかくと、一枚ずつ俺たちに配った。

 ゆりなには黒いカード、コロ美には緑色のカード。なずなには桃色のカード。そして、俺には白いカード。

 

「このカードを持ってると、みんな仲良しさんになるのですっ」

「……魔女モンっつうのにはそんなオカルト要素もあるのかィ?」

 

 訊くと、なずなは首をぶんぶん振って、

 

「な、ないハズですけど……でも、あったらいいなって思います」

 

 と。大切そうに自分のカードを両手で握った。

 

「ふふっ、私がそうなるように念じながらカードを出しましたので、効果絶大ですよーっ」

「……ママお姉ちゃま、魔法使いさんみたいなんです」

「あははーっ、バレちゃいました?」

 

 なんて、青いカードを口元に当ててウインクするお姉さんに、俺たちはクスッと笑った。

 いやはや。なんとなくだけれども、お姉さんがそう言うならそんな気がしてきたぜ。

 

 さて、そんじゃまそろそろ会計でもしようかと席を立ったときだ。

 斜め奥の席から同じくして立ち上がった客が、ドンッと俺の背中にぶつかりやがった。

 

「……なんでぇい?」

 

 と、眉をひそめたのも一瞬。

 すぐに俺のカードが無くなっていたことに気がついた。

 も、もしかして……今ぶつかったヤツか!?

 

「ちょ、ちょっと待ちやがれっ!」

 

 慌てて追いかけると、そいつは外のベンチにどっかりと座っていた。

 だぼっとした黒いパーカーに、フードを被っているといった怪しさ満載の姿に、いささか訝しんでいると、

 

「ははン。相も変わらず、隙だらけなバカてふ。そんなんじゃ、コピーの石もあたしに盗られちゃうわよぉ?」

 

 イヤミな笑みを浮かべてフードを脱ぐパーカー少女――シャオメイ。

 赤く長い髪を片手でかき上げ、そいつは俺から盗んだ白いカードをしげしげと眺めた。

 

「……ふうん。このカードゲームって今すっごい流行ってるのよね。しかもこの『スノウプリズム』って結構なレアものよ。たしか、雪の結晶の盾で味方全体を護るカードだったハズ」

 

 そういえば、さっきなずなが出したカードよりも更に派手だった気がするな。

 キラキラした輝きは同じだが、傾けると立体化した星とかハートやらが浮かびあがるという具合で――というか、やけに詳しいじゃねェか。

 

「もしかしてお前さんもコレをやってんのかィ? 口は達者でも、所詮は子どもなんだねェ」

 

 いっひっひと笑いつつ、そいつの手からカードを奪い返すと、

 

「はっ、バッカバカじゃん。こんなくだらないゲームなんかに、このあたしがハマるワケないじゃん」

 

 やれやれと首を振って、

 

「それのCMをずっとあたし達が担当してたからね。知りたくなくても勝手に情報が入ってくるのよ」

「CM……? ああ。そうか、そういえばお前さん、ハッピーラピッドだかのアイドルグループに入ってたんだっけか」

 

 ハッピーラピッド。略してハピラピ。

 ゆりな曰く、小学生たちにとってカリスマ的な存在の七人組のアイドルで、こいつはその中の一人……だった。

 

「入ってたっつーか、あたしがリーダーだったんだケド」

 

 指先で右側のツインテールをクルクル弄りながら言い足すシャオメイ。

 

「そのリーダーさんがなんで辞めちまったんだァ? 超人気アイドルだったのによォ」

 

 続けてりゃあ、大金持ち街道まっしぐらだったろうに。

 それを放棄するなんざ……いささかに理解出来ないぜ。

 

「決まってるでしょ。散らばった七つの厄災の宝石を集めるためよ。そのためには忙しいアイドルなんてやってらんないの」

 

 ため息混じりに言うと、スクッと立ち上がって背を向けちまった。

 

「……もともとハピラピは五人組で、あたしは一番最後に入ったメンバーなの。だから、あんまり思い入れは無いのよね。それはきっと、ファンも他のメンバーも同じだと思うわ」

「そうかァ? たしかお前さんって一番人気だったような。他の面子はともかく、ファンは思い入れあるだろうよ」

 

 すると、シャオは鼻で笑い、

 

「そりゃ最初は注目されて当たり前よ。ラストメンバーだからって周りの大人たちが色々と動いてくれてたみたいだしさ。でも、それも長くは続かないわ」

 

 パーカーの腹ポケットに手を突っ込んで、そいつは隣のビルを見上げた。

 

「……ほら、もうあたしの代わりが出来たみたい」

 

 つられて俺も見上げたのだけれども――そのビルを見て俺は驚いた。

 いや。ビルそのものではなく、そこの大型液晶に映し出された人物――

 

「ネ、ネム!?」

 

 先日、時園で出会った少女。

 先程、公園で見かけた少女。

 そのどちらにも似ている紫髪のショートカット娘が画面に映っていた。

 俺が思わず声をあげてしまうと、

 

「ネムぅ? 誰よそれ。あの子は『ぼたん』よ?」

 

 と、眉根を寄せてこちらを振り向くシャオメイ。

 

「あいつ、名前あったのか」

「トーゼンでしょ。苗字ももちろんあるわよ。深柳っていうの」

「へぇ。ミヤナギとはまた珍しい苗字だな……」

「……気の無い返事ねぇ」

 

 そりゃあ空返事にもなってしまうさ。

 なんせ、画面の中のネム――もとい、ぼたんとやらがマイクを握り締めて観客の前で歌ってるんだからな。

 あの能面ヅラのあいつが、紫色のフリフリドレスを着てるってだけでも驚きモンなのによォ。

 とはいえ……格好はアイドルしてるが、表情はやはり無いに等しい。

 

「なんつーか、まるでマネキンみたいだな。歌ってて楽しいのか、あいつは」

 

 ぼそりと呟いた俺に、

 

「……ふうん」

 

 と。シャオメイが、まじまじと俺のツラを覗き込んできやがった。

 

「な、なんでぇい?」

「ぶぇっつに~。……ま、あたしも結構前から同じこと思ってたのよね」

「結構、前からって……お前さん、あいつと知り合いなのかィ?」

 

 すると、シャオは呆れた顔でビルを指差した。

 再度そのビルに顔を向けたのだけれども――

 

「えっ! ハピラピのメンバーなのか!?」

「……知らなかったの?」

 

 そう。ビルのてっぺんのボードにデカデカと『ハピラピ・ツートップシングル発売間近!』と広告が掲げられていた。

 それにはシャオとネムの二人が背中合わせで映っている写真が貼ってあったのだが……待てよ。シャオの顔だけ妙に色鮮やかなような。

 

「あたしのせいで発売が無しになったからね。あの子のファンの嫌がらせでしょ」

「嫌がらせって……わざわざビルに登ってか?」

「そーよ。わざわざ登って、ご丁寧にあたしの顔だけスプレーでグチャグチャにしたのよ。ご苦労様ってカンジ」

 

 言って、そいつが背を向けたそのときだ。

 

「シャオちゃん!」

 

 ハァハァと息を切らしてゆりなが飛び出してきた。

 

「あれ、会計済んだのかィ?」

「ううん。もうちょっとかかるから、お姉ちゃんが先帰ってていいですよって」

 

 店の中を見ると、お姉さんがなずなと談笑していた。

 カードを見せ合いながら何やら楽しそうに話している二人を一瞥して、

 

「……猫憑き。あんたも魔法使いの端くれなら、とっくに気付いているハズよね」

 

 背を向けたままシャオが低い声で言う。

 

「えっ。気付いてるって、なあに……?」

「とぼけたって無駄よ。それとも、気付きたくないだけかしら」

 

 なにを言いたいのかよくわからねーぜ。

 俺がアホ毛をハテナマークに変えて腕を組んでいると、

 

「……ピース様がクロエ・ザ・マンデイに、こう伝えろってさ。『あの子がダメなら、またあの子を使うしかない』ってね」

「ど、どういうこってェい?」

「さあね。あたしはただの伝言役だから。それじゃ」

 

 さて自分の役目は終わったとばかりにフードを被ろうとしたそいつに、

 

「ま、待って!!」

 

 チビ助がズイッと俺の前へ歩み出て叫んだ。



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第八十五石:拒絶

「シャオちゃんもボクたちと同じで石を集めてるんだよね」

「あら。なあに、盗み聞きィ? いい性格してるわねぇ」

「……えっ、ち、違うもん」

 

 一歩下がったゆりなを見て、俺はたまらず言い返した。

 

「盗み聞きって……魔法使い同士はどこにいても声が聞こえるんだろ?」

「そーいえばそうだったっけ」

 

 なんて肩をすくめやがった。

 こいつ、わざと意地悪を言ってるな。

 にゃろめが……何かガツンと言ってやりたいぜ。

 そう拳を震わせていると、

 

「あ、あのっ……!」

 

 おずおずと、一歩前に踏み出すチビ助。

 そいつの手も俺と同じく震えていた。

 いや。同じじゃねェな。俺は怒りで震えていたが、ゆりなの場合は――

 

「シャオちゃんもボクたちと一緒に宝石集めしようよっ」

「……一緒に?」

 

 言った――か。

 やはりというべきか、ゆりなのことだからいつかはシャオを誘うだろうなとは思っていたのだけれども。

 しかしながら。他のヤツだったらまだしも、こいつはいささかに難しいんじゃないか?

 なんて思っていたのだが。

 

「それって仲間に入って欲しいってこと?」

「う、うんっ」

「あたしを誘ってくれるんだ」

 

 と、にっこり笑顔で振り返ったではないか。

 まさかの展開に俺が唖然としていると、

 

「もちろんだよっ! 三人一緒に力を合わせれば、絶対に全部集められるよ! シャオちゃんが仲間に入ってくれたらもう怖いもの無しだもん」

「あははっ。そうね、みーんな仲良く協力し合えばすぐよね。……よかった。本当言うとね、あたし一人じゃ心細かったのよ」

 

 笑顔のまま手を差し出すシャオ。

 それを見たゆりなは、感動のあまりか今にも泣き出しそうな顔で、

 

「シャ、シャオちゃん……」

 

 ギュッと両手でシャオの手を握った。

 鼻水をすすりながら、

 

「えへへ! 勇気出して言ってみて良かったよぅ。これから三人仲良しさんで頑張ろーね!」

 

 満面の笑みを咲かせてチビ助が言った――次の瞬間。

 

「……つくづく反吐が出るわね」

 

 小さく呟いたかと思うと、ゆりなの手を捻り上げて、

 

「仲良しぃ~? 一緒ぉ~? 仲間ぁ~? 虫唾が走る言葉ばっかりよく思いつくわね」

「あうっ。痛いよ、シャオちゃん……」

「きゃはっ、あはは! それとも、あたしをわざと怒らせようとしているのかしらぁ?」

「ち、違うもん。ボクは本当にシャオちゃんと――」

「…………気安いのよ、猫憑き」

「きゃっ!?」

 

 ドンッとゆりなのお腹に蹴りをかましやがったところで、俺の怒りは最頂点まで達した。

 もう見てられねぇ……!

 

「ざけんな、テメェ!」

 

 胸倉を掴んだのだが――

 

「…………!?」

 

 な、なんだこいつの目は。

 黒い瞳が更に暗く淀んでやがる。

 輝きという輝き全てを失ったその目に、いささか戸惑っていると、

 

「なんだなんだ?」

「子ども同士のケンカみたいだけど……」

「あれ、もう一人のほうってシャオ様じゃない?」

「ウソだろ。こんなところに居るハズないって」

 

 ざわざわと。

 いつの間にか俺たちの周りに人だかりが出来てしまっていた。

 

「……目立ちすぎたみたいね。そろそろ手を離しなさいよ、バカてふ」

「ゆ、ゆりなに謝ったら離してやるよ」

「はっ。バッカバカじゃん。だぁれが、謝るかってーのよ」

 

 こいつ……!

 もう我慢の限界だった。こういうヤツは殴らなきゃ分からねェんだ!

 

「このっ!」

 

 俺が拳を振り上げた、その瞬間。

 

「ダメっ。ダメだよ、しゃっちゃん……」

 

 倒れたゆりなが咳き込みながら、

 

「ボクがシャオちゃんを怒らせちゃったのがいけないんだもん。殴っちゃダメだよ……」

「……でもよォ」

「けほっ、けほ!」

「お、おい」

 

 慌ててチビ助のもとまで駆け寄り、

 

「大丈夫か?」

 

 と。肩を貸すと、そいつは土まみれの顔でニコっと笑った。

 

「にゃはは。めちゃんこ汚れちった。ちょっち早いけど、帰ったら一緒にお風呂入ろーね」

「こんなときにお前さんはよォ……」

 

 酷いことされたばっかりだっつーのに。なんともノホホンとしてやがるぜ。

 

「ったく」

 

 まあ、いいや。平気そうで安心したぜ。

 そう。笑い飛ばしてやろうかと思ったのだけれども。

 

「……約束だもん」

 

 ギュッと。俺の胸の中で静かに泣きはじめるゆりなに、

 

「…………」

 

 俺は何も言えなかった。

 

+ + +

 

「ごっしごっし、きれいきれい。洗おう、ぴっかぴかの~ぴっかんこ」

 

 ポニーテールを左右に振りながら、ゴシゴシの歌を歌うゆりな。

 そいつの後ろで手洗いの順番待ちをしていたのだけれども。

 

「……なあ、チビ助よォ。お前さんもう大丈夫なのかィ?」

 

 ひょこっと顔を覗き込むように訊ねてみる。

 帰り道ずっと俺のスカートを掴んでシクシク泣いていたっつーのに、家に帰ってきた途端これだからさァ。

 

「うん、もー大丈夫だよ。これからしゃっちゃんとお風呂に入るんだもん。えへへ、楽しみのほうが勝っちゃったみたい」

「なんでぇい。心配して損したぜ」

「にはは。心配かけちゃってごめんねっ。ほい、次しゃっちゃんの番だよ~」

「へいへい。わかりましたんで」

 

 と、交代したときに一瞬だけゆりなの横顔が見えたのだが。

 気のせいか、頬に涙が流れていたような――

 

「…………」

 

 手を洗いながら背後のそいつをチラっとだけ窺ってみる。

 グシグシと洋服の袖で涙を拭ってるそいつに、俺は小さくため息をついた。

 

 はあ……。そんなこったろうと思ったぜ。

 ったくよォ。何が大丈夫なんだか。ちっとも大丈夫じゃねーじゃん。

 とりあえず口早にゴシゴシの歌を歌って、俺は早々に手洗いを切り上げた。

 そんでもって、

 

「おい、チビ助」

 

 未だに涙を拭っているそいつの頭に手をぽむっと乗せる。

 

「ふえっ!? な、なあに?」

 

 びっくり顔を上げたチビ助に、

 

「お前さんが俺様の胸でめそめそすっからよォ、一張羅が涙やら鼻水でグショグショだぜ」

 

 自分のキャミソールを引っ張りつつ、ちょいちょいと指差す。

 でろろーんとなっちまったそれを見て、

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 申し訳無さそうに俯いたところで、俺はすかさずゆりなの頭をわしゃわしゃとしてやった。

 

「わっ、わっ! しゃっちゃん、なにするのぉ」

 

 うぅーっと。困り顔で見上げたそいつに、

 

「だぁらよォ、もう風呂に入っちまおうぜ。はやいところスッキリしたいぜ」

 

 そう言ってみると、困り顔がすぐさま笑顔へ早変わり。

 

「わーいっ! 入ろっ、入ろっ!」

 

 万歳の格好でくるくるとその場で回るゆりなに、俺は一つ肩をすくめて笑った。

 まったくもって。なんとも扱いやすいヤツだぜ。



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第八十六石:一緒にお風呂!

 もしもこいつがクロエと合体して新魔法少女の格好になってたら、おそらく凄まじい勢いで尻尾が振られているんだろうなァ。

 と。俺の蝶羽みたいに猫耳に尻尾が生えた姿のゆりなを想像したのだが――

 

「……む?」

 

 ちょっと待てよ。

 そういえば、なんでこいつはいつまでも旧魔法少女っつう簡易型変身の格好で戦ってるんだ?

 コロナが言うには、あの格好は昔のやり方で、変身自体は速いが力はあまり強くないハズだぜ。

 

 だったら、余裕のあるときは新式の変身にした方が良くねーか?

 大体にして。今までの模魔との戦いを思い返してみても、変身途中で邪魔されたことなんて一回もねェぞ。

 ううーむ。旧式にこだわる理由が何かあるのかねェ……。

 顎に手をあてつつ、そんなことを考えていると、

 

「ほらほらっ、しゃっちゃんも早く脱ごうよっ」

「ひえっ、な、なにしやがるんでぇい!」

 

 ぐいぐいと俺のパンツを脱がそうとしてきたチビ助に、慌てて一歩下がる。

 いつの間にか素っ裸になっていたそいつは、ぷくーっと頬を膨らませて、

 

「もーっ! なにしやがるんでーいって、お風呂入るんだよっ」

 

 ビシッと洗面所のすぐ隣――風呂場を指差した。

 

「とは言いますけれどもよォ……。まだ湯も張ってねェのに、いささかに気が早すぎるんじゃねえのか?」

 

 そりゃ楽しみにしてらっしゃるのは分かるのだけれども、溜まる前から脱いでたら風邪をひいちまうぜ。

 なんて言おうと思ったとき、ゆりながペタペタと小走りで風呂の引き戸の前まで行くと、ガラッと勢い良く開けた。

 途端、白い湯気が俺の視界を覆う。

 

「ふっふー。実はこんなこともあろーかと思って、出かける前にお湯を入れといたのっ!」

 

 素っ裸のまま自慢げにエッヘンポーズをかますそいつに、

 

「……ははっ。そりゃまなんとも、準備のおよろしいこって。わーったよ、んじゃ早速入らせて頂きますかねェ」

 

 観念してスカートのファスナーを下げたとき。

 すとん、と。それが落ちたと同時に、

 

「ほよぉ?」

 

 ゆりなが不思議そうな声をあげて、俺のスカートの前にしゃがみ込んだではないか。

 

「なにしてんの……?」

 

 ポケット部分に手を突っ込んで、何やらごそごそとしているチビ助に怪訝な視線をぶつけていると、

 

「ほらっ、これ!」

 

 と。一枚の小さな手紙を取り出して俺に見せた。

 なんだ、なんだ? そんな手紙知らねーぞ。

 

 飯を食いに行く前には無かったハズだぜ。ポケットに手を突っ込んで歩いていたからな。

 もし、そんときに入ってたらすぐに気付くだろうし。

 だったら、飯を食い終わった後っつうことに――

 

「えっと、『バカてふ達へ』って書いてあるよ。これ、もしかしてシャオちゃん?」

「あっ! まさかカードを盗ったときに、入れやがったのか」

 

 な、なんつー早業でぇい。やっこさん、アイドルよりマジシャンのほうが向いてるんじゃねーのか……。

 というか。油断しているとマジで模魔石を盗まれちまうかもしれねぇな。

 

「あぶねーから、指輪は肌身離さずつけといたほうがいいぜ。特にコピーの石はシャオが狙ってるかもしれねェし」

 

 脱いだ服の上に置いたダッシュリングをもう一度小指にはめ直しつつ言うと、

 

「う、うん……」

 

 ゆりなも俺に続いて指輪をはめ直した。

 しょんぼりと肩を落としているそいつに、一つ思う。

 ……自分の好きな人に拒絶された挙句、指輪を盗まれないように気をつけなければいけない。

 ましてや、もしあいつが霊鳴を手にしたら今度は『どちらがピース様に相応しいか』なんて理不尽な理由で殺されるかもしれない。

 そんなの――あまりに酷い話だ。

 

「しゃちゃん、このお手紙どうしよ? お風呂あとにしてお部屋で読もっか。大事なお話かもしんないし……」

 

 スッと手紙を俺に向けて差し出すチビ助。

 にははと笑いながらも、残念そうなのは見え見えだった。

 自分の『わがまま』よりも、他のことを優先……ってか。

 まったくもって、めんどくせェ性格してやがるぜ。

 

「いささかに恐縮だけれども。そんな手紙なんざ風呂でも読めるんだから、とっとと入るぞ」

 

 俺はそいつから手紙をひょいっと受け取ると、ぺちぺちとゆりなのケツを叩いて風呂場へ促した。

 

「ひゃっ!? で、でもいいの?」

「いーよ別に。あいつの手紙なんざどうせロクなこと書いてねぇって。そんなのより、お前さんとの約束のほうが大事でェい」

 

+ + +

 

「えへへーっ。しゃっちゃん見て見て! クラゲさんっ」

 

 凄いっしょーっと言いながら、タオルで作った風船のようなクラゲで遊んでいるチビ助に、俺は盛大なあくびで答えた。

 

「もーっ! ちゃんと見ててよぉ。せっかく一番おっきく出来てたのにぃ」

「もーっ! ちゃんと見ててよォ。せっかく一番でかいあくびしたのにィ」

 

 ゆりなの声真似でテキトーに返しておく。

 

「むむっ。ボクの真似っこしたな~っ!」

 

 と。タオルクラゲよろしく頬を膨らませたところで、

 

「つーか。お前さんよォ。そろそろ髪を洗ったらどうなんでぇい。さっきから遊んでばっかりじゃねーか」

 

 風呂場に散乱した数多のおもちゃを見つつ、呆れ声で言ってやる。

 湯船に入ってから何十分経ったことやら。

 いい加減、足を伸ばしたいから髪を洗う作業へ移行してもらいたいぜ。

 

「えー……。しゃっちゃんともっと遊びたいぃ」

「んな、うるうるな眼差しをされてもよォ。風呂は遊び場じゃねーんだぞ」

 

 瞳からおねだり星マシンガンを連射しているところ申し訳ないのだけれども、いささかに眠くなってきてしまったぜ。

 

「ふえ? しゃっちゃん、もう、おねむなの?」

「おねむって。中学生から小学生まで退化したっつうのに、今度は赤ん坊にまで戻っちまったのかィ」

「にっしっし。どんどん若返るねっ! しょうがないにゃー。赤ちゃんしゃっちゃんに、子守唄でも歌ってあげようっ」

 

 なんて、大口を開けた隙に、

 

「……すいすい、口からアイスブレス」

「ふえあっ!?」

 

 ふぅーっとちょっとした吹雪をぶち込んでやった。

 

「ぺっぺ! ま、魔法でツッコむの禁止だよぅ……」

「いいじゃねぇか。せっかく使えるんだし、ドンドン使っていかねーともったいねーぜ」

 

 言いながら俺は人差し指をチビ助の目の前に出した。くるくる小さく回すと、一瞬で雪を纏う。

 いっひっひ。こんなおもしろいもの、石集めだけに使うなんてねェ。

 

「まあ、俺様はお前さんほど良い子さんじゃないんで。遊びに魔法をガンガン使っていくつもりだぜ」

 

 もちろん一般人にバレない程度にだけれども。

 

「……いいもん。じゃあボクだって使うからっ!」

 

 と、ゆりなが親指と人差し指をこすり合わせる。

 その度に電気を帯びていく指先を見て、俺は慌てて立ち上がった。

 

「おいおい! 待てっ、風呂でお前さんの魔法はマズイって!」

「あっ、そーだった!」

 

 パッと両手を上げて電気を解くチビ助。

 ……うう。いささかに危ないところだった。

 こんな風呂場で二人感電死なんてオチだけは勘弁してもらいたいぜ。

 いや、チビ助の場合耐性あるだろうから、きっと無事なのだろうが――俺はおもいっきし弱点だから即昇天しちまうだろうな。

 

「にゃはは……ちっぱい、ちっぱい」

 

 ポリポリと頭をかきながら言うゆりなに、俺は首を傾げる。

 

「ちっぱい?」

 

 おそらく失敗のことを言ってるのだろうけれども。

 しかしながら。ここは一つ、お返しがてらちょいとからかってやるのが粋ってもんでさァ。

 

「うんっ、ちっぱいしちった」

 

 いやーまいったまいった、と。

 なおも笑顔で上半身を仰け反らせているそいつの胸を指差して、

 

「なるほど。ちっぱい、だな」

 

 ニヤリと、意地悪く笑ってやる。

 

「ふえ? ボクのお胸がちっぱいってなーに?」

「い、いや。小さいおっぱいだから、ちっぱいっつう意味でだなァ……」

 

 冗談の説明ほど恥ずかしいことはないぜ……。

 そう顔を赤くしていると、ゆりなも俺と同じく顔を真っ赤にしていた。

 

「しゃ、しゃっちゃんなんか、しゃっちゃんなんか……」

 

 心なしか、ふるふると手が震えてらっしゃるような―― 

 あっ、これマジでヤバイ。

 

「うわわっ」

 

 俺の危険センサーが瞬く間に反応し、慌てて湯船から飛び降りる。

 だが、このままだと多少なりとも電撃を喰らっちまう可能性が――

 そうだ、お姉さんから貰ったあのカードに書いてあった魔法を真似してみるしかねぇ!

 

「ぷ、ぷ~ゆゆんぷゆん! ぷいぷい、ぷぅ! すいすい、『スノウプリズム』!」

「しゃっちゃんなんか……知らないもーんっ!!」

 

 かざした手の平から透明な水晶のような小さい防御壁が出たと同時に、ゆりなの放電が始まった。

 勢い良く放たれた電撃がプリズムに当たった瞬間、まるでブレーカーが落ちたときのようなバチンッという音とともに激しい水音が聞こえた。

 

「……?」

 

 なんの音だろうか。もう怒りの放電は収まったようで、電撃は飛び交っていない。

 手の平の雪を払いつつ、そーっと顔を上げてみると、

 

「ふにゃああ……」

 

 そこには湯船に浮かぶチビ助の姿があった。

 おそらく俺のプリズムではね返された電撃を浴びてしまったんだろう。

 

「あっちゃー、まさかスノプリが反射魔法だったなんて……そんな想像で創ってねェハズなんだけれども」

 

 グルグルと目を回しているそいつを抱き上げたとき、

 

「あらあら、まあまあ。しゃっちゃんちゃんとゆっちゃんったら。仲良くお風呂で遊ぶのもいいですが、程ほどにしないと風邪ひいちゃいますよーっ。ここにお着替え置いておきますねっ」

 

 洗面台からなんともおっとりとした声が聞こえてきた。

 仲良くどころか、わりとガチな魔法合戦をしていたワケで……。

 とにもかくにも。俺は腕の中で未だに「ほへぇ~」っと目を回しているチビ助を抱え直して、

 

「なるべく水の多い場所では怒らせないようにしよう……」

 

 トホホとため息をついて、そう強く心に決めた。



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第八十七石:せめて、今日くらいは

 

 そういえば。と、俺は手紙の存在をふと思い出した。

 

「こいつが目を覚ますまで暇だしな……」

 

 風呂マットに寝かせたチビ助を見下ろして一人呟く。

 ウチワで扇ぐみたいに、弱いアイスブレスでゆりなの顔を冷やしているのだが、中々目を覚まさない。

 まあ。時折すっとんきょうな寝言を言っているから大した事は無いと思うのだけれども。

 

 とりあえず俺は氷の吐息はそのままに、そばに転がっていたおもちゃ――マジックハンドとやらに目をつけた。

 ボタンを押せばロボットみたいな手がビョーンと伸びて遠くの物を掴むといったおもちゃ。

 

「よォし、これを真似てみるかねェ。ぷ~ゆゆん、ぷゆん。ぷいぷいぷぅ……すいすい、『フロストハンド』っ」

 

 人差し指から伸びた小さな氷の手が、風呂の窓辺に置かれた手紙を器用に掴む。

 そんでもって、こっちへ来いと念じながらクイクイッと指を曲げると、雪を振りまきながらこちらへ戻ってくる。

 

「いっひっひ。初めてのおつかい良く出来ました、っと。いやあ、こりゃあ便利な魔法だぜ」

 

 ハンドを一つ撫でて、魔法を解いたところで、

 

「にゃはん。褒められちったぁ……」

 

 ころんと寝返りをうちながら新たな寝言をかますチビ助。

 ったく、お前さんじゃないっつーの。気持ち良さそうに寝やがってからに。

 額に一発デコピンをぶちかましておく。

 

「ふ、ふぇええっ」

 

 いつもの鳴き声をバックに、俺は手紙をベリベリと乱暴に開けて中身を取り出した。

 さてさて。何が書いてあるのやら。どうせ罵倒文だろうけれども。

 えーっと、なになに……。

 

『拝啓。これを読んでるのはどっちかしら。猫憑きかしら、それともバカてふの方かしら。ま、どっちでもいっか。今朝、東福森の中で霊鳴石を発見したわ。緑色の宝石だからアレはおそらく壱式ね。夕方の四時ぐらいに改めて取りに行く予定よ。もし、欲しければ力尽くであたしから奪ってみることね。まっ、時間過ぎてからコレを読んじゃった場合は、ごしゅーしょー様って感じだケド。そんじゃま、かしこ』

 

 チッ、ぬわぁにがご愁傷様でぇい。ふざけやがって。

 俺は手紙を丸めてぶん投げると、一旦ブレスを止めて風呂に入りなおした。

 

「……三本目の霊鳴シリーズ。俺の弐式ちゃんよりも先輩な壱式さんねェ」

 

 イチシキと読むのか、イッシキだか分からねェが。

 どちらにしろ、霊鳴がシャオの手に渡るのはどう考えてもマズイだろうよ。

 ランクAのシャドーにジュゲムなんたらの力、そんでもって霊鳴とくりゃあ、いささかに二人でも勝てる気がしねェぜ。

 まだ霊獣と契約していないだけマシだけれども……。

 

「ふあっ。あれ、ここどこ……?」

 

 むくりと起き上がってキョロキョロ周りを見るチビ助。

 はあ。やっと気がついたか。

 

「見りゃあ分かるだろ、風呂だよ風呂」

「ふえ? なんでボクお風呂で寝てたの?」

 

 と、きょとん顔で首を傾げる。

 うーむ……。正直に言わないほうがお互いの為だよなァ。

 とりあえずテキトーな理由を言ってみると、「にゃるほどぉ」と言ってすぐさま笑顔で髪を洗い出した。

 わしゃわしゃと長い黒髪を楽しそうに洗うゆりなの背中を見ながら、俺はさっきの手紙を心の中で反芻する。

 

 夕方の四時に東福森、か。

 今はおそらく三時半あたりだから、風呂から上がったらすぐに行かないと間に合わないだろうな。

 

 というか、何のためにこんな手紙を書いたのかよく分からないぜ。

 発見したならしたでその場で封印を解けばいいのによォ。わざわざ俺たちに知らせるたァ、どういう了見でぇい。

 何か考えがあるのか、はたまた単なる思い付きか。

 

 そんなことを考えながら、浴槽に浮かんでいるアヒル隊長のガー太くん(名付けたのはもちろんゆりなだ)のネジを巻く。

 お尻を振りながら元気良くガー太くんが泳ぎ出したところで、

 

「ねーねー。しゃっちゃん」

 

 浴槽にちょこんと両手をかけて、ゆりなが覗き込んできた。

 

「んー?」

「あのね。シャンプー終わったよ」

 

 いや、終わったよと言われましても。

 

「んじゃあ、次はリンスだな」

 

 そう言うと、チビ助はちょっとだけ迷うような表情を浮かべて、

 

「えっと。たまにお姉ちゃんとお風呂入るんだけど、そんときいつもボクの髪を洗ってくれるの」

「ふーん」

「でねでね、すっごく気持ちよくて、ふわぁ~って幸せな気持ちになるの」

「そりゃあ羨ましいこって。……んで、何が言いたいんでぇい?」

 

 あくび混じりに言うと、そいつはぷるぷる首を振った。

 

「にゃはは……そんだけ!」

 

 と。再び子ども用お風呂椅子へ座るチビ助。

 なんとも寂しそうな背中を見つつ、俺は苦笑した。

 まったく……本当に分かりやすいヤツだぜ。

 どっこいせと浴槽から出て、

 

「ほら、リンス貸してみそ」

「ふえっ?」

 

 びっくりしているゆりなの手からボトルを奪って髪を洗ってやる。

 つってもリンスだから、馴染ませるように揉み込んでやるだけだが。

 

「……えへへ。気持ち良いよぅ、しゃっちゃん」

「いっひっひ、あったりめぇだろ。なんてったって、俺はいつも――」

 

 いつも。

 いつも――なんだっけか?

 

「しゃっちゃん……?」

「あ、ああ。いや、なんでもねぇぜ。ほら、あと一分ぐらい置いたら自分で流しなァ」

「はーい! ありがとねっ」

 

 ニコニコと俺を見上げるチビ助だが、俺はそいつの手を見て驚いた。

 盗まれるから付けてろと言った指輪がまた外されているのだ。

 

 こいつ……やっぱり、まだシャオメイのことを信じてやがるのか。

 あんだけ酷い目にあったっつうのに、どーしてあんなヤツのことを……。

 いくら好きな人でも、あそこまでされたら普通はキライになるハズなのに――

 

「あっ、今のうちにシャンプーの詰め替えしとこっと」

 

 と。ゆりなが風呂場から出て、洗面台の下にある詰め替えを探し始めた隙に、俺は丸めた手紙を慌てて回収した。

 

「あったあった! あれ、しゃっちゃん後ろに何持ってるの?」

「え? 何も持ってないぞ。ただ、腰が凝ったから叩いてただけだぜ」

「にゃはは、しゃっちゃんったらお年寄りさんみたいっ」

 

 赤ちゃん扱いされたかと思ったら、今度は年寄り扱いってか。

 

「うるへー。余計なお世話だってぇの。いいからさっさと流しやがれ」

「ほい、了解うけたまわりっ!」

 

 ピシッと敬礼するそいつのアホ面を見ながら、俺は後ろ手に持った手紙を強く握り締めた。

 ……もし、こいつがこの手紙の内容を知ったら、シャオを説得しにすぐにでも飛んで行ってしまうだろう。

 シャオから――好きな人から霊鳴を奪うなんて、絶対に無理な話だ。

 罵声を浴び、拒絶されて……また傷つくだけに決まっている。

 

 そうだ。別にチビ助の力を借りなくてもやれるさ。俺にはコロ美がいるし、だし子だっている。

 ――ゆりなが傷つく必要なんてない。傷つくのなんて、俺一人でいい。

 俺だけで、十分だ……。

 

「しゃっちゃん、ぼーっとして、どったの?」

「え? あっ、お前さんが流し終わるまで待ってたんでぇい……」

「もー。とっくに流しちゃったよ。さっきから出ようって言ってるのに、ずっと難しいお顔してるんだもん」

 

 俺の顔真似のつもりなのか、眉間にシワを寄せるといった『難しいお顔』で俺を見つめるゆりな。

 

「元気そうで何よりってね。もう泣き止んだようだな」

「それこそ、とっくのとう、だもんね。しゃっちゃんといっぱいお風呂で遊べたから悲しいことぶっ飛んじった! 明日も入ろっ、入ろっ!!」

「おいおい。危ないっつーの」

 

 ぴょんこぴょんこと風呂場で飛び跳ねるチビ助に、俺は呆れと安堵が入り混じった溜め息をついた。

 まったくもって涙とはおさらばしちまったようで。

 まあ。バカっぽく笑ってる方がこいつらしくていいや。

 

「むっ。しゃっちゃん、今ボクのことバカにしたでしょ?」

「おっと、いささかにお察しのとおりで。よく分かったねェ」

「もーっ! すぐに分かるもんっ!」

 

 ぷんすこ怒るそいつに思わず笑ってしまう。

 そのとき、フッと昨日のゆりなの呟きが俺の頭をかすめた。

 

『明日はいっぱい笑えるといいなぁ……』

 

 ……そうだよな。昨日さんざん泣いたんだ。せめて、今日くらいは楽しく過ごして欲しいぜ。

 チビ助に気付かれる前に森へ向かって、とっとと壱式を奪ってこよう――

 そう心に決めた俺は、ささっと着替えを済ませ、台所にいるお姉さんのもとまで走った。



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第八十八石:おそらく、もう二度と

「お、お姉さんっ!」

「あらあら、まあまあ! しゃっちゃんちゃん、ゆっちゃんのパジャマとても似合ってますですよーっ」

 

 わざわざお姉ちゃんに見せに来てくれたのですか、と何故か鼻を押さえてるお姉さんに、

 

「あのっ、東福森ってどこですか?」

「あら? それならさっき行ったファミレスのすぐ近くですよ。何かご用なんですか?」

「ええ、ちょっと今からどうしても行かないと……」

 

 それなら、と。お姉さんが簡単な地図を書いてくれた。

 いやー。なんとも分かりやすい地図だねェ。これなら俺でも分かるぜ。

 

「うふふ。しゃっちゃんちゃん、今日はシチューの日ですからね。五時までにはちゃんと帰ってくるのですよーっ」

「は、はい」

 

 五時までにちゃんと、か。

 帰ってきたいのは山々なんだけれども。いかんせん、相手が相手だからなァ。

 

「……そうそう、まだ肌寒い季節ですからね、しゃっちゃんちゃんに私のコートとマフラーを貸しますですっ!」

 

 パタパタと走っていったかと思うと、すぐさま帰ってきて俺に黒いコートとピンクのマフラーを着せた。

 その早業に、目をパチクリさせていると、

 

「まあっ! な、な、な、なんてチャーミングなんでしょうっ! はわわっ、円満具足……ですぅ!」

 

 たらりと鼻血を出して倒れてしまった。

 さっき鼻を押さえてた理由がやっと分かったぜ……。

 

「はえうぅー……」

「だ、大丈夫ですか?」

「私のことはお構いなくですぅ~。むしろ、あまり近づかれるとシチューからボルシチへとメニューが変わってしまいます……っ」

 

 それだけはご勘弁願いたいところなので、サクッと介抱すると、俺はそのまま二階にあがって寝ているコロ美のケツを叩いた。

 

「お昼寝しているところ申し訳ないのだけれども、いささかに仕事の時間だぜ」

「……うゅ~、否定なんですぅ」

「ほらっ。ぐずってねーで起きなって大将」

「否定。たいしょーさんじゃないので、あしからずぅ……むにゅむにゅ」

「ああ、もう面倒くせェ!」

 

 半分眠っているそいつを抱っこして玄関へ向かうと、いつの間にかお姉さんが立っていた。

 

「ころこっちゃんも連れて行くのですか?」

 

 その顔はさっきまでのおふざけモードではなく、まるで俺たちの母親のような優しい顔つきだった。

 

「え、ええ。ちょっとチビチビにも来てもらいたいんで」

「そう、ですか」

 

 もしかしたら。

 なにか感づかれたのかもしれない。

 さっき五時までに帰れるかなァと思ったのが顔に出ちまったのかねェ。

 

「……しゃっちゃんちゃんところこっちゃんは、とても不思議で可愛らしいです」

 

 と、突然どうしたんだろう。

 とりあえず黙って聞いてるしかないワケで。

 

「二人とも、何やら深い事情があって家を出てらっしゃるんですよね」

「…………」

 

 何も答えられずにいると、

 

「いいのです。それはきっと、私が知ってもどうしようもないことなのかもしれませんから……」

 

 ギュッとエプロンの裾を掴んで、お姉さんは言葉を続ける。

 

「でも、でもですね。たった数日だけでも、私はお二人のことがとっても大好きになりました。このままずっと一緒に家族として過ごせたら、お二人を知ることが出来たら、もっと好きになれたのかなって……心から思います。もしお二人が私に遠慮なく、気兼ねなく接してくださる日が来たのなら、とっても嬉しいなって……」

「なんで――なんで、そんなに優しいんスか?」

 

 たまらず俺は言ってしまった。

 一度口をついて出た言葉は止まらず、

 

「だってそうじゃねーか! どこの馬の骨ともわからないガキがふらっと来て、理由も言わねェでただの居候を決め込むなんざ、どう考えてもありえねーって! 普通だったら怖くてぜってェ警察に通報するぜ!」

「……それが普通だというのなら、私は普通じゃなくていいです」

「え……?」

 

 お姉さんはニコっと微笑んで、

 

「やっと、ゆっちゃんとお話しているときのようなしゃっちゃんちゃんになってくれましたね」

「あっ! す、すみません」

「どうして謝るのですか?」

「だって……」

 

 だって。年上だし、他人だから。

 他人、だから――

 

「私は、お二人のことを家族だと思っています。可愛らしい妹が二人も増えて、幸せいっぱいです。しゃっちゃんちゃん達が帰りたくないというのなら、いつまででも居て欲しいくらいです」

 

 そう言うと、お姉さんは少し寂しそうな表情に変えて、

 

「いつか。いつか本当のお家に帰ってしまう日が、帰らないといけない日が来てしまうときは、必ず私に教えてください。豪勢なパーティをしますです……っ! でも、そのときまでは――」

 

 ふわっと俺を抱きしめた。

 柔らかくて甘い香りのするお姉さんに、ただただ緊張していると、

 

「……お二人の家族でいさせてください。たとえウソでも――家族ごっこだと思って下さっても、構いません」

「は、はい。わかりましたんで」

 

 真っ赤な顔で頷く俺に、

 

「よかった、です……っ」

 

 ぽんぽんと子どもをあやすように、背中を優しく叩いて答えるお姉さん。

 

「そのコートとマフラーはお貸しします。五時までに、ちゃんと返しに来てくださいますよね? 返して頂かないと、寒くて明日学校に行けなくなっちゃいます」

「あっ、もしかしてそのつもりで……」

 

 訊くと、お姉さんはうふふっと耳元で笑った。

 

「ごめんなさい。悪知恵、働かせちゃいました。ずるいですよね、私」

 

 俺から離れて、ウィンク一つ。

 その可愛らしい仕草に、俺は慌ててそっぽを向いた。

 

「ず、ずるくないっス。とても優しいと思います……」

 

 そう言うと、

 

「あらまあ……! しゃっちゃんちゃんも、ですよーっ」

 

 よしよしと頭を撫でられてしまった。

 

「うう……っ」

 

 た、確かにコロ美の言うように、撫でられるのって悪い気分じゃねーな……。だし子もフロストナックルも喜んでた理由が分かった気がするぜ。

 って、なにをアホなことを考えてるんだ俺は!

 

 とにもかくにも、時間がヤバイぜ。

 俺は頭を勢い良く下げ、そそくさと玄関から飛び出した。

 扉が閉まる間際、

 

「行ってらっしゃいですーっ!」

 

 とのお姉さんの声が聞こえたのだけれども。

 振り返ると、すでに閉じられてしまっていた。

 

 ……なぜか、急に物悲しい気分になってしまう。

 そのとき、一陣の冷たい風が俺の肌に突き刺さった。

 

「肌寒い季節とはよく言ったもんだぜ。いやはや、お姉さんの仰るとおりだな」

 

 コートのボタンを留めようとしたところで、

 

「ふわぁーあ……ですぅ」

 

 大きなあくびをして、コロナが起きた。

 目をゴシゴシ擦ってるそいつを下ろし、

 

「行って、きます」

 

 俺は玄関の扉に向かって深々とお辞儀をした。

 

 寒さで震えているのか。

 恐怖で震えているのか。

 少しでも紛らわそうと、マフラーをギュッと握り締めるが、一向に震えが止まらない。

 

「…………」

 

 薄々と――気付いていた。気付いて、しまっていた。

 おそらく、もう二度と俺は……。

 

「――パパさん?」

 

 不思議そうな顔で見上げるそいつの頭を一つ撫でて、俺は地図を広げた。

 

「待ってろよ……シャオ」



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第八十九石:シャクヤクは正義の味方?

「絶対ワナなんですっ!!」

 

 ファミレスの前まで来たとき、コロ美がそんなことを言って俺の手を引っ張った。

 

「……なんでぇい。まァた勝手に俺様の心ン中を読みやがったなぁ?」

「だってだって、パパさんずっと怖い顔して黙ってたんです。コロナが話しかけても無視するのです……」

「だからって、お前さんよォ」

 

 そこまで言って、俺はポリポリと頭をかいた。

 両手で俺の手を掴み、ジッと不安そうな顔で見上げてくるそいつに、これ以上無視を決め込む自信が無かった。

 

「チッ。悪かったよ。こちとら、いささかに切羽詰っていてねェ」

 

 とりあえず。

 手紙について簡単に説明すると、チビチビは「うぐぐぅ」と唸って顔をしかめた。

 

「ん。腹でも痛いのか? ここいらにトイレあったっけかなァ。さいあく草むらでも――」

 

 ひょいっと抱きあげてみると、

 

「く、草むら!? 否定なのです! コロナは霊鳴石壱式のことについて考えていただけなんですっ」

「わわっ」

 

 短い手足をパタパタ動かして暴れるもんだから、たまらず放り投げちまった。

 だが器用なもので、くるりんと空中で一回転すると背中から緑色に光り輝く羽を生み出すコロナ。

 今度は手足の代わりに羽をパタパタとはためかせて、

 

「……うーん、なんかおかしいんです」

 

 と。俺の肩に着地し、またまた唸るチビチビ。

 

「何がおかしいんでぇい。てか、そんな眩しい羽を出しちまったら他の人にバレるだろ。早く仕舞っておくれ」

「こ、肯定」

 

 羽を仕舞ったところで、俺は『おかしい』ことについて訊いてみることにした。

 すると、コロ美は神妙な声色で、

 

「これはお姉ちゃまから聞いた話なんですけど、霊鳴石は全部で四個あるみたいなんです」

 

 あの宝石が四個……。

 するってぇと、俺の試作型弐式ちゃんにゆりなの零式。

 それと、シャオが見つけたという壱式に――

 

「その三つと、正式採用型霊鳴石・参式という石で全部のハズなんです。ただ……」

「ただ……どうしたんだ? その参式に何かあるのかィ?」

「いえ、今は参式のことよりも壱式のことなんです」

 

 しばらくコロナを肩車して歩きつつ、その壱式(どうやら読み方は、いっしきで当たっていたらしい)について話を聞いていたのだけれども。

 そいつが言うには、霊鳴石はそれぞれある場所で眠っているらしい。

 俺の弐式が海の底で眠っていたように、壱式も森の奥底で眠っているのだという。

 

 だったら東福森で見つかったのは壱式で確定だなと思いきや、それはありえないと首を振るチビチビ助。

 

「いつか、お姉ちゃまがピース様のお膝の上で眠っていたときに、『シロが壱式を持ち出して壊してしまった』とぼやいていたみたいなのです」

「シロ……?」

「シロツキという白い狐さんなんです。お姉ちゃまととても仲良しな幼馴染さんで、顔を合わせるたびにいつも殴る蹴るのケンカをしてました。コロナはお兄ちゃまと呼んでいたんです」

 

 ……どこらへんが仲良しなのか理解に苦しむところだけれども。

 

「んで、そのお兄ちゃまはどうして壱式を壊しちまったんでぇい」

「それが分からないんです――といいますか、そもそも壊せるハズがないんです」

 

 壊せないとは、またえらく丈夫な石なんだねェ。

 そう感心していると、俺のアホ毛を掴んでいたチビチビが小さな声で、

 

「……だって、お兄ちゃまはその時とっくに亡くなっていたんです」

「な、亡くなっていた? じゃあ、どうやって持ち出して壊したんだァ?」

 

 驚いて立ち止まった、そのときだ。

 

「おい、コロ助、余計なことをベラベラと喋るんじゃねぇ!」

 

 空から黒猫が降ってきて、俺の頭の上に着地しやがった。

 そいつは、

 

「おめぇなあ、ピースのヤロウに聞かれたらどうするつもりなんだよっ! いくらおめぇに甘いピースだって、限度ってモンがあるんだぞ、わーってんのかよ!」

 

 怒涛の勢いでコロナにまくしたてる。

 しかしながら、対するチビチビ助は、

 

「……肯定。でも、今日は『眠ってる日』だから大丈夫なんです」

 

 意外にも冷静な口調で答えた。

 

「そうは言っても、最近のあいつは眠りがかなり浅くなってんだ。それに加えて、ツン子が監視してるってのに……」

「否定。お姉ちゃまは、いささかに怖がり屋さんなんです。ちょっとくらい平気なのです」

「かっー! これだから、成ったばかりのガキんちょは手に負えねぇ」

 

 ……つーかよォ。

 いつまで俺様の頭の上でピーチクパーチク言い合いしてるつもりなんでぇい。

 

「ほれ、着いたからとっとと降りねェ」

 

 コロナとクロエの首根っこを掴んでポイッと放り投げ、俺は地図をスカートのポケットに仕舞った。

 ここより東福森。関係者以外立ち入り禁ず、といったご親切丁寧な看板と長ったらしい石階段を交互に眺めていると、

 

「シラガ娘。おめぇ、本当に行くつもりなのか? ツン子のヤロウだ、絶対に何か仕掛けてくるぜ」

「そりゃま恐ろしいこって。ともかく、ここまで来たんだから腹据えて行くしかねーって。五時までには戻らないといけねェし……あれ、なんでお前さん手紙のこと知ってんだァ?」

 

 あの手紙の内容は俺とコロ美しか知らないハズだぜ。

 首を傾げてると、そいつはあからさまに慌てた様子で、

 

「そ、そりゃ、オレくらいの霊獣になるとそれくらいまるっとお見通しだぜっ」

「……ふーん?」

「いやっ、まあそれは置いといて、今日は中々可愛らしい格好してるじゃねーか! ただでさえ美少女なのに、一段と輝いて見えるぜ」

「まーた、ウソくせェお世辞を」

「ホントだってホントホント! もしオレが男だったら放っておかねーぜ。学校に行ったら男子たちの憧れのアイドルになるかもな、にっしし!」

「うぇえ。勘弁してくれよ……。俺は至ってノーマルな男だぜ」

 

 ゲンナリと答えたところで、俺は改めて自分の格好を見てみた。

 そうなんだよなァ。お姉さんからコートとマフラーを借りたはいいが、これからのことを考えると着たまんまってーのは、さすがにねェ。

 俺は石段を途中まで早足で駆け上がると、脇の茂みの中に入って、辺りを見回した。

 

「よし、ここなら誰も見てねーな」

 

 なにやら。

 コソコソ隠れて変身しようとするなんざ、アニメヒーローのお決まりな行動みたいで、いささかに抵抗を感じてしまう。

 とはいえ、一般人に見つかったら面倒なことになるし、このまま森の中を歩いて服を汚したらお姉さんに悪いしな。

 それに、相手は模魔じゃなく、シャオなんだ。あいつの性格を考えると、変身を邪魔される可能性もあるっつーワケで……。

 

「ま、待ってパパさんっ」

「おっ。丁度良いタイミングで」

 

 おぼつかない足取りで俺のあとをついてきたコロナを抱き上げると、

 

「急に走ってくから、コロナはびっくりしたんです」

 

 園児の足ではいささかにキツイ階段だったのか、ハァハァと息が上がってしまっているチビチビ助。

 それでもクール顔を保ってるんだからさすがだぜ。

 

「わりィ、わりィ。変身するならなるべく見つかりにくいところでって思ってねェ」

 

 と。コロ美の背中をポンポン叩いてると、

 

「あのシラガ娘がマジメになったもんだなぁ。最初はどーなることかと思ったけど、ちゃんと正義の味方のヒーローしてるじゃねぇか。くーっ、オレは嬉しいぜ」

 

 いつの間にいたのか、俺の左肩の上で腕を組みながらしみじみと頷いている黒猫。

 正義――ねェ。

 いささかに俺とは程遠く、ぞっとしない言葉に鳥肌が立つ。

 ……なにを勘違いしているのか知らねェが、俺はくだらない正義なんざの味方になった覚えは微塵も無い。

 そう、クロエの満足そうなツラを横目で見ていると、

 

「パパさん、ほんとに変身するです?」

 

 腕の中のコロナが心配そうな声で訊ねてきた。



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第九十石:あの子って誰?動揺するクロエ

「ああ。ワナだろうが何だろうが知ったこっちゃねェ。売られたケンカは買うのが礼儀ってモンだぜ」

「わ。なんだかパパさん自信まんまんなんです」

「いっひっひ、弐式ちゃんの充電から、だし子の指輪、それにお前さんがた霊獣二匹っつう万全な状態なんだ。すぐに壱式を奪ってやんぜ」

 

 それに、チビ助の腹に蹴りを入れた礼もしなきゃな。頭にゲンコツの一発でもかましてやらァ。

 

「……肯定なのです!」

 

 俺の言葉に決意したのか、頷いて小さな蝶の姿へと戻るコロナ。

 そいつが俺の周りをクルクル回り出したところで、

 

「来やがれっ、霊鳴!」

 

 飛来した青い宝石をパシッと掴む。

 

「うっし、霊薬はほとんど満タンまで回復してるな」

 

 いつでも行けますぜ旦那とばかりに蒸気を出しているそいつを空に掲げて、俺は一つ深呼吸をした。

 ……さすがにもう慣れなきゃいけないとは思うのだけれども、どうも緊張しちまうぜ。

 

「し、試作型霊鳴石弐式、起動っ! イグリネィション!」

 

 途端、四方八方から青い光が飛んできて、瞬く間に俺の手元を包み込む。

 じんわりと暖かいそれを握りなおしたとき、すでにそれは蒼い杖へと変化していた。

 

「変身……っ!」

 

 その声を合図に、今まで周りを回っていたそいつがピタリと俺の胸の前で止まり、すぐさまエメラルド宝石へと姿を変える。

 やけに早鐘を打つ心臓を左手で押さえて、

 

「――アイシクルパワー!」

 

 もう片方の手で杖を掲げた。

 

「くっ!」

 

 さ、さっきから、なんだこの威圧感は……。

 シャオのせいなのか、壱式とやらのせいなのか知らないが、どうも気分が優れねェ。

 ……しかしながら、今更引き下がるワケにはいかねェってなもんで!

 

 俺は胸の前で浮いていた宝石を乱暴に掴むと、空へと放り投げ、

 

「チェンジ、エメラルド! ビースト……インッ!!」

 

 タイミングよく杖で叩き割った。

 砕かれたエメラルドの破片がキラキラと舞い、俺の足元に緑色の魔法陣が浮かび上がる。

 裸になった俺は、コスチュームを着せてくれる水流と雪に身を委ねるべく、拳をギュッと握る。

 

 いつものタイミングで暖かいエメラルド色の水が俺の全身を包み、緑の縞パンツをはかせる。

 下着が終わったら今度はドレスの番だとばかりに、水色の雪が慌ただしくコスチュームを生成し、着せていく。

 黄色いラインの入った青いスカートに、ヘソ部分が丸出しの白いノースリーブなレオタード。

 ちゃぽんっと。水溜りに足を突っ込んだときのような音を立てて次々に現れるそれらに、

 

「なんつーか、あらためて見ると中々に恥ずかしい格好だぜ。まあ、だし子の融合コスに比べればマシだけれども……」

 

 少しだけ頬が熱くなってしまう。

 コスチュームの力のおかげか、さっきまでの不快感がウソのように晴れちまったワケで。

 いささかに余裕の出来た俺は、自分の変身をマジマジと見物してみることにした。

 

 腰部分には薄い青紫の大きなリボン。スカート横には花のアップリケがついたピンクのポシェット。腕には白いアームカバー。

 そして、青く明滅している蝶の形をしたリボンが胸に装着され、最後にそのリボンの中心からコロ美の宝石であろうハートマークのエメラルドが顔を出す。

 さあ、服は終わった、今度は水滴型のイヤリングを作って髪形をセットして――なんて忙しそうに雪が舞っている様に、俺は小さく溜め息をついた。

 

「ごちゃごちゃとまあ、よくやるぜ。やっぱりコレって、一分くらいかかってるよなァ」

 

 うーむむ。時と場合によっちゃ、俺もゆりなのように旧型変身にしたほうがいいのかもしれねェな。

 そんなことを考えていると、俺の背中から緑色に光り輝く蝶の羽が生まれた。

 ――やっと終わったか。

 

「そういや髪形ってどうなってんだろ」

 

 ちょいちょいと頭を触ってみていると、

 

「ポニ子が言うにはそれはワンサイドアップってヤツらしいな。シラガ娘によく似合ってるぜ」

「げっ!?」

 

 やべぇ、クロエが居ることすっかり忘れてた……。

 

「あんで、そんな恥ずかしそうな顔してんだよ? おめー、もう何回も変身やってんべ」

 

 何を今更と言わんばかりに首を傾げる黒猫。

 いやあ、だってそりゃあお前さんよォ……。

 と。そこで俺は唐突にシャオからの伝言を思い出した。

 

「あ。そうだそうだ、なんかシャオからお前さんにって伝言があったぞ」

「へ? ツン子から?」

「っつーか、正確にはピースからの伝言か」

 

 ええと。なんだっけか。

 

「たしか、『あの子がダメなら、またあの子を使うしかない』とかなんとか」

 

 イマイチ意味が分からないけれども、と笑って言うと、

 

「…………」

 

 今までの気の抜けたツラから一転。

 ギリッと歯を食いしばり、険しい表情で地面へと視線を落とすクロエ。

 

「あっ、それと。言い忘れてたが、シャオに呼び出されたことはチビ助には言わないでおくれよ。今日はなるべくゆっくり休ませてやりたいんで」

「……ああ」

 

 と、なんとも気の無い返事。

 一体どうしたんだァ? なんて、思っていたときだ。

 

『パパさん、あっちのほうから強い魔気がムンムン出てるんですっ』

 

 頭の中にコロ美の声が響いた。

 ――するってぇと、そこにシャオが居るっつーことだな。

 なるべく気付かれないようにと、こっそり茂みの中を進んでいくと、やがて古めかしい建物が見えてきた。

 

『あそこなんです』

「オーケイ、わかりましたんで」

 

 草木をかきわけて顔だけ出してみる。

 どうやらその建物はお寺らしく、なかなか年季の入った佇まいをしている。

 

「……見つけたぜ」

 

 賽銭箱の前に座って、暇そうに足をブラブラさせている少女を見て、俺は霊鳴を強く握り締めた。

 ツインテールを下ろしてストレートの髪型になってはいるが、あの赤髪に黒いマントはどう見てもシャオメイだ。



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第九十一石:冷たい手

「あいつ、もしかして俺らを待ってんのか?」

 

 ったく。何を企んでやがるのか知らねーが、余裕たっぷりってカンジじゃんか。

 

『あれ? 行かないんです?』

「と、とりあえずちょっと様子見でぇい」

 

 俺はその場に座り込むと、ゴクリと喉を鳴らしてシャオを注視した。

 大きなあくびをしたり、髪をクルクル弄ったり。マントの中から棒付きキャンディを取り出して、舐め始めたり。

 ……なんか、ここに来るまでビクビクしていた俺がアホらしくなるような行動ばかりをとってやがるぜ。

 

「あっ」

 

 やにわに、シャオが声を上げた。

 なんだろうと思っていると、そいつの周りにリスやら小鳥やらが集まってきたではないか。

 

「ちょ、ちょっと、なによあんた達。小動物のクセに人間様の食べ物をねだるつもり? 浅ましいったらありゃしないわね」

 

 いやいや、動物相手に悪態ついてどーすんだよ……。

 しかしながら。このままでは、リスどもが危ういな。

 時園で見た光景――影達を尻尾で捕まえ、シャドーの中に引きずり込んでいくあのシーンを思い出し、いよいよ出て行こうかと思ったとき。

 

「……もーっ、うっさいわねぇ。わかった、わかったって。でも、こんな安物の飴なんてちっとも美味しくないわよ。三十円よ、さんじゅーえんっ」

 

 そう言って、食べかけの棒をヒラヒラ振るシャオメイ。

 すると、我先にとそいつらが棒に集まっていく。

 だが、当然ながら食べ方が分からないようで、クチバシでつついたり、持つ部分を前歯でかじったりといったヘンテコな行動ばかりしている。

 

 そんな様子に、シャオがプッと吹きだして笑った。

 

「バッカバカじゃん。なにしてんのよ、あんたら。ほら、食べられるのはココだってば」

 

 と。飴のかけらを手の平に取ってリスと小鳥たちに配り始めたではないか。

 

「言っとくケド、こんなの食べてお腹壊してもあたしは知らないからね。帰ったらママやパパに怒られちゃうんだから……って、どんだけ夢中で食べてんのよ。ったく、ちっこいクセに食い意地だけは立派ねぇ」

「…………」

 

 驚きの声すら出ない。

 いつも怒っているか、それか笑っていても『不敵な笑み』といった憎たらしい表情ばかりのそいつが。

 屈託のない笑顔で動物達に自分の飴を分け与えているだなんて――

 

『あんな楽しそうな顔、初めて見るんです……』

「けっ。騙されるなって。きっと、これもワナなんだろうよ」

 

 そう。おそらく計算の内だろうって話さ。

 俺の魔気とやらに気付いて、小芝居を打っているに違いねェ。

 クソッたれめ。どこまでも小賢しいヤツなんだ……胸糞わりィ。

 

『パパさん……』

「いっひっひ。いささかに恐縮だけれども、俺はお優しいチビ助とは違うんでさァ」

 

 迷いの声色で俺の名を呼ぶチビチビにそう言い捨て、俺は草むらから飛び出した。

 

「お望みどおり来てやったぜ、シャオメイ……!」

 

 杖を振り回してそいつに向けてやる。

 ……だぁれが、油断なんてするかってんでェい。

 

 俺は、ゆりなのようにお人好しじゃない。

 そして、正義の味方になった覚えもない。

 

「――さあ、おとなしく壱式を俺様に渡しなァ」

 

 いつでも魔法をブッ放せるように、大量の魔力を手元に込め、俺はニヤリと笑った。

 

+ + +

 

「ぴぃっ!?」

 

 急に出てきた俺に驚いたのか、一目散に樹の上へと逃げ出す小鳥たち。

 そいつらをチラリと一瞥して、シャオは緩慢な動きで立ち上がった。

 

「……ふ~ん。ちゃんと、あの手紙を読んだみたいね」

 

 さっきまでの無邪気な笑顔なんてとっくに消えちまっている。

 そいつは、おそろしく冷たい表情で俺を睨みつつ、

 

「やっぱり猫憑きは居ない、か」

 

 と。低い声で言い、続けて何かを呟いた。

 やたらと小さな声だったもんで、上手く聞き取れなかったのだけれども……一体なんて言ったんだァ?

 うーむと、俺が眉をひそめていると、

 

「来なさい、シャドー」

 

 スッと指輪に口づけをして簡易召喚を果たすシャオメイ。

 黒い粒子とともに背後へ現れるブラックホールに、俺は一歩だけ後ずさる。

 こいつ、シャドーなんて呼んで――まさか、ここで俺とやり合うつもりなのか?

 ……ああ、なるほどねェ。そういうことかィ。

 

「わかったぜ。端から壱式なんてもん無かったんだろ。森におびき出して俺たちを始末しようって魂胆だったとはね。いやはや、まったく恐れ入るぜ」

 

 まあ、そんなこったろうとは思っていたがな。

 そう薄く笑ったとき、そいつのスカートの中から尻尾がニュルリと顔をのぞかせた。

 

「チッ。マジでやるつもりかよ」

 

 無言でこちらへと近寄ってくるそいつに身構えていると、

 

「……ククク」

 

 不気味な笑い声と同時に、尻尾が樹の上まで伸び、退避していた小鳥とリスを捕まえたではないか。

 なにをされているのか解っていないのか、首を傾げてシャオを見上げている小鳥たち。

 

「な、何をするつもりなんでぇい?」

 

 そう訊くと、シャオは鼻で笑って、

 

「さっきからチョロチョロと目障りなのよねぇ、このゴミ虫ども」

「……!?」

 

 そのまま、ポイッとシャドーの中へ――ブラックホールへと放り込んでしまいやがった。

 あっけなく葬られたそいつらに唖然としていると、

 

『酷過ぎるんです……』

 

 悲しそうな声でコロ美が呟いた。

 さっきまであんなに楽しそうにじゃれ合っていたのに。こんなに――簡単に殺してしまうだなんて。

 

「クソが……ッ」

 

 やっぱり、こいつは普通じゃねェ。

 ゆりなには悪いが、こんなヤツと『仲良く』だなんて到底無理な話だ。

 俺はキッとシャオを睨むと、

 

「どうでぇい、チビチビ。これで解っただろ? ああいうことを平然とやっちまうヤツなんだよ。だから、手加減や同情は一切なしで頼むぜ」

『……肯定なのです』

 

 つーか、手加減もなにも。全力を出さないとハッキリ言って勝ち目ないだろうな。

 そもそも全ての魔力を出し切ったところで――

 

「あのさぁ。さっきからなにブツブツ言ってんのよ。ほら、こっちだってば」

 

 いつの間に俺の横を通り過ぎていたんだろう。

 呆れ顔で手招きをしているそいつに、

 

「……広い場所でやろうってか。まあ、俺はどこでも構わないんだがねェ」

 

 霊鳴を曲刀――アクアサーベルへと変化させつつ言ってやる。

 

「バッカバカじゃん。あんた如きがあたしに挑もうだなんて百万年早いのよ。それより、アレよ、アレ」

「アレ……?」

 

 シャオが顎で指した方向に、なにやら白い霧がかかっていた。

 なんだろうか、と。頭に疑問符を掲げながら目を凝らしたときだ。

 突然、森全体が暗闇に覆われたかと思うと、ポコポコと淡く光る緑色の玉のようなものが地面から沸いて出てきたではないか。

 

「な、なんでぇい!? シャオ、お前さんの仕業かァ?」

「バーカ。そんなわけないでしょ」

 

 一つ肩をすくめてから、ずんずんと草木をかきわけて進んでいくシャオメイ。

 そのまま白い霧の中へと入っていくそいつに、俺は思わず喉をゴクリと鳴らした。

 よくあんな危なそうなところにズカズカ入っていけるな……紗華夢なんたらさんの余裕なのか、はたまたただの命知らずか。

 

「おい、チビチビ。あの霧の中には何があるんでぇい? それとこのヘンな緑の発光体はなんだァ? いきなり夜になっちまうし、まったくワケが分からねーぜ……」

 

 と。俺は自分の胸にある宝石に手を当ててコロ美に訊ねてみた。

 

『コ、コロナも分からないんです。でも……弐式の反応を見る限り、この先に壱式があるかもしれないんです』

 

 言われて気付いたが、確かに弐式がおかしな反応を見せている。

 サーベルに変えたハズなのに勝手に杖の状態へ戻ってるし、ピカピカ明滅したり、水蒸気を出したりと、いささかに興奮気味だ。

 ううむ。もしかして霊鳴同士で『共鳴』でもしてるのかねェ。

 でも、壱式はすでにシロツキとやらに壊されてるんだろ? するってぇと、残る霊鳴は参式っつうことに――

 

「ちょっと、なにボケッとしてんのよっ。あんたもはやく来なさいってば」

「うわわっ!?」

 

 急に手を引っ張られたもんだから、盛大にずっこけてしまった。

 口の中に入った土をペッペと吐き出しつつ顔をあげてみると、そこにはシャオメイがむくれ面で立っていた。

 いわゆる仁王立ちというポーズで、

 

「……バカてふ。なんで猫憑きを呼ばなかったのよ。怖いんなら一緒に来れば良かったじゃん」

「へっ。チビ助を呼ぶまでもないってね。つーか、別に怖くなんかねェし。ただ考え事をしていただけでぇい」

 

 コスチュームについた葉っぱを払いながら立ち上がると、そいつは「ふうん?」とイヤミな笑みを俺に飛ばした。

 

「そーなんだ。あたしはてっきり猫憑きを庇っているのかと思っていたわ」

「庇う?」

「だって。あの子がココに来たら、また酷い目にあっちゃうかもしれないじゃない。だから……猫憑きには秘密にして一人で来たのかなってさ」

「…………っ!」

 

 図星を突かれ、俺は思わず言葉を失ってしまった。

 ただうろたえるばかりの俺に、シャオはフッと少しだけ表情を緩めて、

 

「あんたってホント分かりやすいわよね。ちょっとは隠す努力をしたほうがいいわよ。『目は口ほどに物を言う』なんてことわざがあるケド、バカてふの場合、目じゃなくてコレね」

 

 と。俺の頭のてっぺんから飛び出しているアホ毛を指で弾きやがった。

 どういう意味なんだろうかと、毛をちょいちょい引っ張っていると、

 

「まっ。猫憑き一人ならまだしも、あんたみたいな低レベルが一人で来たところであいつを鎮めることは無理だと思うケドね。ましてや壱式を奪うことなんて絶対に出来っこないわ」

「あ、あいつって誰のことを言ってんだァ? というか、壱式はお前さんが持ってるんじゃねーのか? あ。でも、コロ美が言うには、とっくに壊れちまってるみたいだけれども……」

 

 そう言うと、シャオは再び真顔になってこちらに背を向けた。

 そいつは自分の髪をクルクル弄りながら尻尾とシャドーを仕舞うと、

 

「……イチイチ答えてらんないってーの。直接見たほうが早いわよ。ほらっ」

 

 なんて、手を差し出してきたではないか。

 

「あ、ああ……」

 

 思わずその手を握ったのだけれども――あまりの冷たさに、俺はパッと手を離してしまった。

 

「なによ。別にあんたを取って喰うつもりなんてないわよ……今のところはね」

 

 ううっ。いささかに不気味なことを言いやがるぜ。

 

「そういうワケじゃなくてよォ、なんかお前さんの手がやけに冷たくてさァ」

 

 少しだけ肩をすくめてもう一度手を握ると、

 

「バッカバカじゃん……あんたが、あたたか過ぎるだけよ」

 

 ぼそりと小さく呟いて、霧の中へと歩を進めた。



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第九十二石:壱式と咆哮

 鈍重な黒い雲が空一面に広がり、その隙間から赤暗い光の柱が地上へと降り注いでいる。

 小さいときに親父から教えてもらったのだけれども、こういった現象は薄明光線というものらしい。

 

 しかしながら。強い太陽光じゃなく、弱っちい月の光でこの現象が起きるたァ驚きだぜ。

 少しだけ顔をのぞかせている赤い満月を見上げたのち、俺はくるりと周りを見渡した。

 色という色を失った葉や木々。霧の中へ入るまではイヤというほど聞こえていた虫の声も、今は一切しない。

 

「や、やけに静かね……」

 

 珍しく不安混じりの声に、俺はふと隣を見た。

 キョロキョロとせわしなく辺りの様子をうかがっているシャオメイ。

 

「これはこれは。まさか、お前さん怖いのかィ?」

「うっさいわねぇ。あんたの方こそ、ぷるぷる震えてるじゃん。てか、あんた男なんだからあたしより先に進みなさいよ」

「い、いやはや。まことに残念ながら、今は女の子なんでさァ」

「チッ。女の子だったら、少しは可愛げってものを持ちなさいよね、まったく」

「……お前さんにだけは言われたくねェよ」

 

 そんな言い合いをしていると、またまた緑の玉が地面から浮き上がってきたではないか。

 

「!?」

 

 二人で声にならない悲鳴をあげ、ギュッと手を握りなおす。

 ジットリと汗ばむ手。一体、汗をかいているのはどちらなのか。

 つーか、どっちもだろうな。いささかに情けない話だけれども……。

 

「いったい何が始まるのかねェ」

 

 無数に現れた光の玉。それらがゆっくりと上昇していく様を固唾を呑んで注視していたとき。

 

「あら? これなにかしら」

 

 そう言ってその場に座り込むシャオ。

 手を繋いだまんまだから、それに引っ張られるように俺も座ってみたのだが――

 

「もしかして……墓か?」

 

 淡く光る玉のおかげか、薄っすらと照らされる墓石。

 とはいえ。そこまでしっかりした物でもなかった。

 手の平サイズの長細い墓石に、周りには葉っぱやら、ドングリやらが並べられている。

 かろうじて墓と分かるレベルという感じか。そもそもなんでこんな森のど真ん中に墓があるんだ?

 

「ふ~ん。ちんちくりんな墓ねぇ。死んだペットとかを埋めたのかしら」

「ああ、そうかもな。だったら、普通は墓石に何か名前が書いてあるハズだけれども」

「そうねぇ。暗くてよく見えないわ……よいしょっと」

 

 と。シャオが手をかけたとき、バランスが崩れたのだろうか、墓石が倒れてしまった。

 

「あーあ、なにやってんだか。罰当たりなヤツだねェ。こういうのはちゃんと戻しておいたほうがいいぜ」

 

 そう、俺が石を立てようと手を伸ばしたところで、

 

「……あはっ! 分かったわ、そういうことだったのね!」

 

 いきなり大声をあげたかと思うと、墓石をむんずと掴んで立ち上がるシャオメイ。

 お、おいおい……なにしてんだよコイツは。

 そんな俺の非難の眼差しに、

 

「バッカバカじゃん。あんた、まだ気付かないの?」

 

 ニヤリと、余裕たっぷりの笑みを返してきやがる。

 

「ご主人様より、あんたの霊鳴石のほうがよっぽど勘が鋭いみたいね」

「……へ?」

 

 ふと、立ち上がって右手を見てみると、いつの間にか弐式が宝石状態へと戻っていた。

 

「ど、どうしたんだァ?」

 

 思わず手を開いてみると、嬉しそうに蒼い光を放ち、ぴょんぴょんと跳ね回る弐式。

 そいつを見て、俺はようやく気付いた。

 

「まさか……それが?」

「そう――これよ、この墓石こそが壱式だったのよ……!」

 

 と、シャオが自慢げに灰色の石を天に掲げたその瞬間、低い唸り声とともにいきなり地面が揺れだした。

 

「な、なんだ!? シャオ、お前いつの間に壱式の封印を解いたんだっ」

「えっ! 違うわよ、あたしはまだ霊鳴と契約すら――きゃあ!?」

 

 あまりの揺れに足を取られたのか、すってんと転んでしまうシャオ。

 

「……ッ!」

 

 そいつの手から零れ落ちた壱式を俺は見逃さなかった。

 今だ……今しかねェ! あいつには悪いが、霊鳴を奪ってとっととこの場から退散させてもらうぜ。

 シャオより先に契約し、封印を解けば――壱式は完全に俺のモノになる……!

 そう、地面に転がっている墓石へと手を伸ばしたときだ。

 突然なにやらヘンなモノが視界に映った。

 

「……足?」

 

 白く、毛むくじゃらな巨大な足が、俺と墓石を遮るように音も無く置かれる。

 おそるおそる見上げてみると――

 

「うわああ!?」

 

 おそろしく巨大な白狐が俺を見下ろしていやがった。

 未だに地面から生まれている蛍のような緑色の光が、どんどんとそいつの体に吸い込まれていく。

 そのたびに巨体はますます凄まじい巨体へと成長していくワケで……。

 

「わわ……」

 

 腰砕けになり、あわあわと後退している俺には目もくれずに、そいつは墓石へと振り返ると、白い尻尾で器用に石を掴みあげた。

 そして――その石を自身の眼前まで持っていったかと思うと、青い瞳をスッと細める。

 

「い、一体何をしてるんだァ?」

 

 というか。この狐は何者なんだろう。

 そういえばさっきシャオが、あいつを鎮めるとか言っていたが……まさか、あいつってこの白狐のことなのか?

 微動だにしない狐を見上げながらそんなことを考えていると、

 

『お兄ちゃま……!』

 

 いきなりコロナが叫んだ。それと同時に目を見開く白狐。

 

「え、お兄ちゃまって、あの死んだシロツキとかいう霊獣――」

 

 言い終えるより前に、白狐……シロツキが甲高い遠吠えをあげた。

 途端、尻尾に巻きつかれていた灰色の墓石が淡い緑色の宝石へと色を戻し、続けざまに銃のような形へと変化した。

 その銃口から緑色の火炎が噴出したかと思うと、瞬く間に白い巨体を覆っていく。

 

「こ、こんな化け物を鎮めろってか……ムチャ言ってくれるぜ」

 

 やがて戦闘準備が整ったのか、シロツキは尻尾を――銃と化した壱式を振り上げると、とてつもない跳躍で俺に飛びかかってきた。



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第九十三石:シャクヤクvs墓守の白狐

「くっ……!」

 

 すんでのところで避けたはいいが――なんてスピードでぇい。

 チッ。俺の羽だけじゃあ、いささかに心もとないぜ……。

 こうなったら、だし子を呼んで加速するっきゃねーな。

 とにもかくにも弐式が無いと始まらないので、

 

「こっちに来い、霊鳴っ!」

 

 右手を前方にかざして叫ぶ。

 そんな俺の呼ぶ声に慌ててすっとんで来たサファイア宝石を掴み、

 

「再会してすぐに壱式と戦わせてワリィな……試作型霊鳴石弐式、起動。イグリネィション!」

 

 杖へ変化させてすぐさま、

 

「コロナが魂よ、我に翡翠の水を宿せ! ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷいー、ぷうっ! すいすい――」

 

 水付与とともに呪文を唱えつつ、俺は口をモゴモゴと動かした。

 二、三回噛むと、口の中にメロンソーダ味のガムが現れる。

 さらに噛み続けて、ぷく~っと巨大なフーセン状態まで膨らませると、その中にネバっこいシャボン玉をたくさん入れるようイメージする。

 そのイメージ通りに緑色のフーセンガムの中に無数のシャボン玉が詰められたところで、俺はフーセンをちぎり、

 

「おらよ、受け取りやがれ! 『バブルガムフェロー』ッ!」

 

 睨み上げているシロツキに向かって力まかせにぶん投げた。

 後方へ飛び、尻尾をくねらせて壱式――散弾銃でバブルガムを打ち落とすそいつに、俺はニヤリと笑う。

 

「いっひっひ。予想通りってねェ!」

 

 そのまま杖を掲げて、

 

「すいすい、『エメラルドダスト』!」

 

 杖先から凄まじい勢いで噴出る水蒸気。

 それが空へと昇りかけたところで、シロツキが俺めがけて猛突進してきた。

 

「へっ。この大魔法のヤバさに気付いたのかもしれないが……阻止しようたって無駄だぜ」

 

 言った直後、ガクンと勢いを落とす白狐。

 そいつの足元にはさっきのフーセンガムが付着していた。

 ネバネバと、まるで粘着シートに引っかかってしまったネズミのように身動きが取れずにいる。

 

「いやはや。こうも上手くいくとはね。どうでぇい、俺様のバブルガムは?」

 

 唸り声をあげながら必死にもがくそいつに、俺はフゥっと息をついた。

 へへっ……溜め息が震えちまっているぜ。

 ま、そりゃそうか。シャオの手前、余裕ぶって見せてはいるが、正直言って本当に成功するとは思ってもいなかったもんで……。

 

『わわっ。パパさんの魔法面白いんです。なんか発想が凄いんです。ワクワクするのですっ』

「……んな褒められるような魔法でもねェって。昼に行ったファミレスのレジ前にガムがあっただろ? あれとコロ美と飲んだメロンソーダをテキトーに組み合わせただけでぇい」

『なるほど、なのです。じゃあ、次はコロナが貰った飛行機のおもちゃで何か創って欲しいんです』

「あのなあ……。こちとら遊びで創ってるんじゃねーんだぞ」

 

 というか。死んだお兄ちゃまが襲ってきてるっつう、とんでもない状況なのに、なんでそんなにあっけらかんとしてやがんだァ?

 普通は少しくらい動揺しそうなものだけれども……。

 なんて思っていると、霊鳴がピカッとフラッシュして発動準備完了の合図を俺に送った。

 

「おっ、もう雲が出来てるじゃねーか。早い、早いっ」

 

 そろそろバブルガムの粘着効果も切れそうだし、これ以上魔力を込めてらんねーな。

 よしっ、と。杖を振り下ろしたその瞬間、シロツキの尻尾に巻きつかれていた壱式が散弾銃から拳銃のような形へと変化した。

 

『パパさん、デネブ――じゃなくて、リボルバーモードの壱式はショットガン時より飛距離が伸びるんですっ』

「言われなくったって……そんなことっ! すいすい、口から泡マシンガンっ、『バブルガムフェロー』!」 

 

 もう一度口から小さなバブルガムを出しまくり、そのまま羽ばたいて後ろに飛び退る。

 細氷を喰らいながら撃ってるためか、やたらめったらにぶっ放される銃弾。

 ダストが氷を撃ちつくすのが先か。それとも、壱式の銃弾が切れるのが先か……。

 

『否定。霊鳴に銃弾の制限なんてないんです。無限なのです』

「そ、そりゃそーか。普通の銃じゃねェもんな……っと、うわわっ」

 

 目の前で弾けたバブルガムを見て、俺は慌てて大樹の後ろへと退避した。

 ……ふへえ。あぶねー、あぶねェ。

 たまに来る流れ弾をガムがなんとか防いでくれてるっつう状況だからまだマシだが、狙いを絞られたら一瞬で蜂の巣だぞこりゃあ。

 とにかく、ダストが時間を稼いでくれてるこの隙に!

 

「出番だぜっ、だし子!」

 

 小指にはめられた金の指輪――ゴールデンベリルにキスをする。

 ……が、一向に出てくる気配が無い。

 

『パパさんの魔力レベルだと、簡易召喚はまだ出来ないのです……』

「うっ」

 

 すっかり忘れてたぜ。呼ぶなら完全召喚じゃねーと俺の場合ダメなんだったな。

 レベルが低いっつうんなら、どっかで効率の良いレベル上げでも教えて欲しいものだけれども。

 とりあえず気を取り直し、

 

「我は欲す。汝が纏う忌むべき力を! 来やがれ、ダッシュ・ザ・アナナエルッ!!」

 

 呪文を最後まで唱え、キスをすると、

 

『おまえさん、あなな、会いたかったしっ!』

「うぐぇっ!?」

 

 ギュッと、後ろからチョークスリーパーよろしく首に抱きつかれてしまった。

 

「な、なにしやがるんでぇい、このバカ鮫! げほっ、ごほっ」

 

 咳き込みつつ、背後のそいつの頭にフロストチョップをかましてやる。

 

『あう~っ、痛いしぃ。あなな、バカになっちゃうぅ』

「……大丈夫だって、お前さんはこれ以上バカになんねーよ」

『ほっ。良かったし!』

 

 と。八重歯を見せて笑うこいつは、俺の第一の下僕であり、正式名称は確か……第八番模造魔宝石ダッシュ・ザ・アナナエルとかだっけか?

 なんとも長ったらしい名前に加え、語尾によく「だし!」をつけているから、だし子というあだなで呼ぶことにしている。

 

 バカにされてるのも分からないほどのおバカなガキんちょだけれども、これが色々と凄かったりする。

 巨大な鮫に変化してシャークドライブを楽しむことも出来れば、GFシールドっつう金色の盾を出したり、挙句の果てには俺と融合してパワーアップまでしてくれるっつう。

 

 ランクEなのに、これがまた凄まじく頼りになる模魔なワケで。

 まあ。ネム曰く、俺のために色々と無理して力を出しているみたいだけれども。

 ……うーむ。

 

「殴って、わりィ」

 

 なんとなくフワフワの金髪を撫でておく。

 すると、そいつは「えへへ」と言って照れくさそうに俯き、

 

『あなな、へーき、よゆう』

 

 お決まりの文句が書かれたメモ帳を俺に突き出した。

 ショートカットの金髪に、水色のおおきな瞳。人型時は、おそらく七、八歳くらいだろうか。

 それよりも特徴的なのは、どこかの運動会の帰りなのかと聞きたくなるほどの格好だ。

 赤いハチマキに、赤いブルマ。白い体操服の端っこには、小さく『あなな』と書かれたゼッケンが縫われている。

 

「改めて見ると、ヘンテコな格好してるよなァ、お前さん」

『……あうっ?』

 

 指を咥えて首を傾げるチビ鮫を見ていると、

 

『パパさん、のんびりお話している暇ないんですっ! 強い魔気が近づいて来るんです……!』

 

 やにわにコロ美が叫んだ。

 

「オーケイ、わかりましたんで。だし子、相手は大霊獣様だけれども……戦えるか?」

『戦えるか、じゃなくて、戦えって命令していいし! あなな、おまえさん、ゼッタイ守るっ』

「いっひっひ。頼もしい限りだねェ、まったく」

 

 シロツキ――エメラルドダストから抜け出したか……。

 だが、時間は稼がせてもらった。だし子さえ召喚出来てしまえば、こっちのモンだぜ。

 

 いつでも来いとばかりに身構えていると、いきなり上空にブラックホールが開いた。

 そんでもって、その中からシャオメイがのっそりと現れた――のだけれども。

 

「うげっ。ここが東福の森ぃ? 薄気味悪いところねぇ。本当にこんなところに霊鳴石壱式があるのかしら」

 

 そう言いながら軽い身のこなしで地面へ着地すると、そいつは赤いツインテールを手で払い、

 

「あら、バカてふ。このあたしを呼び出すとはいい度胸してるじゃない。お望み通り来てあげたわよぉ? ふふっ、夜紅様は逃げも隠れもしないんだから」

 

 と。髪の毛を指先でクルクル弄りだした。



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第九十四石:熱い手

 な、何を言ってるんだこいつは……?

 呼び出されたのは俺の方だし、壱式を見つけたのはテメェだろうに。

 

「おっかしいわねぇ。いつの間に陽が落ちたのかしら。さっきまで明るかった気がするんだケド……。きゃっ、なにコレ?」

 

 と。おっかなびっくりといった様子で、浮遊している光の玉をつんつんと指でつついてるシャオメイ。

 まるで初めてこの森に入ったと言わんばかりの態度に、俺はますます首を傾げる。

 

「……おい、お前さんよォ、一体全体どういうつもりなんでェい。そんな小芝居を打ってる暇があったら、あいつを鎮めるのに協力してくれよ」

 

 そう言ってみると、

 

「はぁ~? ぬわぁんで、このあたしがあんたなんかに協力しなきゃいけないのよ! っていうか、あいつって誰よ。よくわかんないケドさぁ、沈めたければバカてふのお得意の水魔法で沈めたらいいじゃん」

 

 これはこれは……。

 どうやら、『しずめる』っつう言葉を勘違いしていらっしゃるようだけれども。

 

「……いささかに笑えんギャグだな」

「なにそれ。ギャグなんか言ったつもりないわよ。まっ、あたしから言わせれば、あんたと二人っきりっつう、この状況のほうがよっぽど笑えないギャグだけど」

 

 凄まじく失礼なことを言って、大げさに肩をすくめるシャオ。

 ――なんつーか。どうも芝居を打ってるようには見えないぜ。

 まさかとは思うが。滑って転んだときに頭を打って、森の記憶だけすっぽ抜けちまった――なんてオチかねェ。

 

「どちらにしろ、あいつが現れたのはお前さんが壱式を取ったせいなんだから、おとなしく協力を――」

 

 言いかけ、はたと動きを止める。

 んん? よーく見れば、さっきとちょっと違うぞコイツ。

 さっきはツインテールじゃなくてストレートだったハズだし、それに目のクマもすっかり消えてやがるぜ。

 いや、待った。クマは寺で見かけたときから消えてたような気も……。

 

「な、なによ。人の格好をジロジロ見て……。そういえばあんた、中身は男だったわよね? うげっ。まさかこの森に呼び出した理由って……」

 

 ささっとマントを着なおすと、中のスカートを押さえつつ一歩下がるシャオメイ。

 何を勘違いしているのか知らないが、その不審者を見るような目は頂けないので、

 

「ばーろぉィ。ただ、お前さんの真っ黒い目のクマが無くなってるのがいささかに不思議でさァ」

「……ああ、そういうコト」

 

 あからさまにホッと胸を撫で下ろしたそいつは、目のクマについて少しだけ語り出した。

 とはいえ。ジュゲムなんとやらという単語が出た時点で、ほとんど頭に入って来なかったのだけれども。

 ええと、確か……魔力を使いすぎると目のクマが薄くなるみたいなことを言っていたような気がするぜ。

 あとは寝不足のとき、だっけか。まぁ、フツーは逆にクマが出ると思うんだけどねェ。

 

「つーことは、今は寝不足ってことかィ? それとも魔力がすっからかん状態なのかね」

 

 訊くと、そいつはいつもの不敵な笑みを浮かべて、

 

「クマが全部消えてるんなら、そのどっちもってことよ。ふふン、だからと言ってLevelⅡマイナーのあんた如きに負けるあたしじゃないケド」

 

 いつでもシャドーの指輪にキス出来るように、と。ゆっくりと右手を口元に持ってくるシャオメイ。

 

「さあ、そろそろ壱式の在り処を教えてもらおうかしら。言っとくケド、ヘンな気は起こさない方が身の為よぉ?」

 

 威嚇のつもりか。黒い尻尾がマントの下から顔を覗かせる。

 蛇のようなそいつが鎌首をもたげたとき、

 

『ダメッ! や、やらせないしっ!』

 

 俺の肩を跳び箱のように飛び越えて、だし子が目の前に立ちはだかった。

 手足を広げて、ジッと俺を見つめているダッシュ――って、待て待て。

 

「なんでコッチを向いてるんでぇい。まさかお前さん、俺様を裏切るつもりかィ?」

『あうっ!? 間違えたし……』

 

 一瞬のうちにハチマキ娘の頬が真っ赤に染まる。

 すぐさまそいつがシャオの方へと振り向いたその時、森の奥から甲高い遠吠えが聞こえてきた。

 

「な、なによこの声……野犬か何かかしら?」

「おっと。やっこさんが俺たちのことを探してらァ。だし子、オートマモードで頼むぜっ」

『おっけ、了解だし!』

 

 俺の言葉に、力強く頷いて背後へと戻るダッシュ。

 そしてそいつが目を閉じたと同時に俺の足が金色に光りだした。

 やがてフワリと地面から数センチだけ浮き上がる。

 

「ちょっとちょっと、どこへ行くつもり? まだ話は終わってないわよっ」

「いっひっひ。いやぁ、丁度良いと思ってねェ。お望みとあらば壱式のところまで案内してやるよ、お姫サマ」

 

 そう言って、ギュッとシャオの手を掴んだのだけれども。

 

「やっ! き、気安く触らないでよっ、エッチ! スケベ!」

 

 パッと手を振りほどかれてしまった。

 あんだァ? さっきはテメェのほうから手を握ってきたじゃねーかと抗議の声をあげようとしたのだが――それよりも不思議なことに気がついた。

 

「んん。冷たくねェぞ?」

 

 霧の中に入る前は凄まじく冷たい手だったのに、今は逆に熱いくらいだった。

 ふーむ。どう考えてもおかしな点が多すぎるんだよなァ。

 

「……やっぱり、所詮はあんたも」

 

 ギリッと俺を睨みつけながら吐き捨てるように呟くシャオメイ。

 

「俺も、なんでぇい?」

 

 言葉の続きを促してみたのだけれども、そいつはただ唇を震わせるばかりで何も喋ろうとしない。

 さっきまでの威勢はどこへやら。

 気のせいか、どことなく怯えているようにも――

 

『おまえさん!』

『パパさんっ!』

 

 突然、右と左からステレオでチビどもが俺を呼んだ。 

 

「い、いきなり大きな声を出すなよなァ……鼓膜が破れるかと思ったぜ」

 

 と。耳の穴に小指を突っ込んだときだ。

 それ以上にデカい破裂音と共に、背後の大木が引き裂かれたではないか。

 振り返ってみると、銃から刀へと形を変えた壱式が深々と大木に刺さっていた。



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第九十五石:三叉の槍

 

 まさしく一刀両断といった具合。

 時間差で大木から緑色の炎があがり、そして同時に壱式の刀身が巨大に膨れ上がっていく。

 

「まさか、周りの炎を吸っているのか?」

『肯定……。壱式は自分が燃やしたモノの魔気を吸えば吸うほど火力があがっていくんです』

「へぇ。それはそれは。まさか、弐式ちゃんにもそんな特別な仕様があったりするのかィ?」

『残念ですが、否定するです。あれは壱式だけなのです』

「……さすがは正式採用型大センセイといったところか」

『うーっ。確か、壱式は正式採用型じゃなかったハズなんです。でも弐式のような試作型とかじゃなくって……ええっと』

 

 それっきり考え込んでしまうコロ美。

 とにもかくにも。今はそんなことはどうでもいいワケで。

 

「まずは、シロツキお兄ちゃまをなんとかしねェとな……」

 

 一回りも二回りも大きくなってしまった眩いエメラルドソードを雑に引き抜き、その裂け目から顔を覗かせる巨大な白狐。

 そいつを前にして、シャオは目を丸くして一人ごちた。

 

「これは……。チューズデイ? いえ、でも確かピース様が言うには今のチューズデイは小さな女の子だったハズ。それに、なに? なんなのよ、この奇妙な感覚は――何者なのよ、コイツ」

 

 酷く動揺している様子のシャオメイを見て、俺は一つ質問を試みる。

 

「おい、シャオ。あの化け狐の尻尾が掴んでいる刀。あれに見覚えねェか?」

「な、ないわよ……」

「……あれが霊鳴石壱式ってヤツでぇい。さっきお前さんが見つけたんじゃねーか。ほら、墓石を持ち上げてさ」

「知らないってば! あんた、なに言ってんのよ。夕方の四時くらいに取りに来るから、奪えるもんなら奪ってみろって言ったのバカてふでしょ?」

 

 続けて、ファミレスから帰った後にパーカーの腹ポケットから手紙を見つけたことや、リスたちに飴をあげた覚えも無いことを俺に話すシャオ。

 

「なるほどねェ、そういうことかィ……。ようやく合点がいったぜ」

「ど、どーゆうことよ! 一人で勝手に合点いってんじゃないわよっ」

 

 と。その時、凄まじい咆哮とともにシロツキが尻尾を振り上げたではないか。

 

『来るんですっ、パパさん!』

「オーケイ、わかりまし――」

「ひゃっ!?」

 

 大狐の迫力に驚いたのか、ぺたんとその場に座り込んでしまうジュゲムなんとやらさん。

 らしくない……と言うほどこいつを知っているワケではないが、それでもやはりおかしいと思うもので。

 

「なにやってんだァ? とっととシャドーを召喚したらどうなんでぇい」

「…………」

 

 しかしながら、返答は無い。

 ガタガタと震えながらシロツキを見上げているそいつに、俺は心の中で大きく舌打ちをした。

 なんなんだァ? 本当にどうしちまったんだか。

 

『パパさん、あの人を心配してる場合じゃないんですっ!』

『おまえさん、回避はあななが頑張るから、今は攻撃に専念して欲しいしっ』

「わ、わーってるって」

 

 そりゃあ、ここでこいつを見捨てるのは簡単だけれども。

 簡単、だけれども――

 次の瞬間、こめかみに鋭い痛みが走り、モノクロ映像が俺の頭の中に入ってくる。

 

 くそっ、またかよ。

 ダッシュ戦でゆりなが捕獲呪文を唱えたときにも似たようなことがあった気がするぜ。

 とりあえずその映像を観ていたのだが……なんだ、こりゃあ。

 

 俺が槍みたいなのを持って巨大な狐と戦っている映像――いつも愛用しているアクアサーベルっつう曲刀じゃなく、まるで神話に出てくるような三叉の槍を振り回している。

 それよりも。俺の背後で震えているツインテールの少女は……もしかしてシャオか?

 狐がその少女に近づこうとする度に、サイドテールを揺らして俺がそいつを撃退する。

 無音で繰り広げられるその映像に、ただただ夢中になっていたとき、

 

「ウソ……知らないハズなのに、なによ、この懐かしい匂いのする魔気は。夜紅だからそう感じるの……? それとも――」

 

 にじり寄ってくる白狐を見つめながら呆然と呟くシャオメイに、俺はハッと顔を上げた。

 シロツキの放つ精神攻撃のせいなのか何なのか知らないが、まったくもって無防備な状態のシャオ。

 女の子座りのまま呆けているそいつと、全身を激しく燃やして威嚇するシロツキ……そいつらを交互に見て、俺は下唇をギュッと噛んだ。

 

「ちくしょう、どうすりゃいいんだ……」

 

 シャオは俺たちの敵だ。

 こんなクソみてぇな性格のヤツなんざ、生かしておいてもロクなことになんかならない。そんなのは百も承知の助だ。

 しかし、映像の俺はこいつを庇っていた。

 ……あんな不可解な映像なんざに従うつもりは毛頭も無いが、もしもチビ助がこの場に居たら、きっとこう言うだろう。

 

『しゃっちゃん、一緒にシャオちゃんを守ろうよっ!』

 

 と。

 そこまで考え、俺は頭をボリボリとかきむしった。

 

「だぁあ、クソめんどくせェ!」

 

 言いながらシャオの前に羽ばたいて、上空へと杖をぶん投げる。

 

「……いいか、勘違いするんじゃねーぞ。俺はテメェを守るんじゃねェ。テメェを守りたいっつう、ゆりなの気持ちを守るんだからなっ!」

 

 手を掲げて杖を掴むと同時に、俺はあの映像を思い出すべく目を閉じた。

 え~っと、あの槍の形はどんなんだっけか……。

 まあいいや、とりあえずテキトーにイメージしてそれっぽい名前をつけとけってなモンで!

 

「ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷい、ぷぅ! すいすい、『ブルーランス』ッ!」

 

 呪文を唱えた途端、慣れた動きで即座に三叉の槍へと変化する弐式。

 な、なんつーか、アクアサーベルのときよりもスムーズに変わったような気が……あれ?

 

『わ、すっごいデカイ槍さんなのですっ』

『ホントだし……。なんか、剣よりもゴージャスでかっちょいいし!』

 

 チビチビとだし子がキャッキャと感想を言っている中に俺も加わりたいところだったけれども。

 それよりも気になった点がある。

 それは持ち直してみて気付いたんだが、槍の持ち手部分――柄が、まるでバイクのグリップのような感じになっているのだ。

 

 もしかして、単純明快だったサーベル時とは違って、何かギミックみたいなものがあるのかねェ。

 ううむ……いささかに不思議だぜ。そんなイメージなんかしていないハズなんだけどな。

 普通だったら自分の想像そのままに武器や魔法が創れるんだが、この槍の場合は――

 

『……来るっ! おまえさん、はやく槍を構えて欲しいしっ!』

 

 背後のだし子の声に慌ててシロツキの方へと視線を移すと、まさに口から炎を吐き出す寸前だった。

 

『パパさんっ、お兄ちゃまのファイアブレスは威力よりも目くらましがメインなんです! 炎だけだったら槍でなんとか防げると思うのですっ』

「オーケイ……わかりましたんでっ!」

 

 そんなコロ美のアドバイスに一つ首肯し、俺は三叉槍――『ブルーランス』をぶんぶんとその場で大きく振り回した。



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第九十六石:エンジンを掛けろ!真の変化アクセルランス

 やけに眩しい緑色の炎。

 口からのブレスだけではなく、そいつの体中に纏う炎までもが俺を襲ってきやがるが、槍を回転させるだけであっという間に霧散してしまった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 た、確かにコロナの言う通りだったな。

 あの炎をこんなにあっさり防げるとは思ってもみなかったが……なんてブルーランスを眺めていたとき、

 

『あうぅっ!』

 

 突然、俺の後ろに居るダッシュが悲鳴をあげた。

 

「なっ、どうしたんでぇい!?」

『わ、わからないしっ。いきなりあななの背中が爆発したし……』

 

 背中?

 と。そいつの背後を見てみるとそこにはメラメラと熱そうに燃えるクリスタルのようなものが浮いていた。

 

 白狐が纏っているような緑の炎。

 霊鳴石壱式のような緑色の宝石。

 

「なんだ……ありゃあ?」

 

 もしかして霊鳴を飛ばして遠隔攻撃しているのか?

 そう思ってシロツキの尻尾を見てみるが、依然として剣となった壱式をガッチリ掴んでいる。

 するってェと一体あれは――

 

『まさか、ファムルス!?』

 

 コロ美がいささかに驚いた声で言う。

 

「ふぁ、ふぁむ……なんだって?」

『多分ですが、あの炎石はファムルスという高レベル魔法なんです。コロナもお姉ちゃまから少し聞いただけで詳しくは知らないのです。でも、あれは魔法使いだけが使える魔法だったような……それに色んな制限がかかってるとか、なんとか』

 

 ふーむ。イマイチはっきりしねーな。

 とりあえずスゲェ魔法だってのは分かったぜ。

 だがね、と俺は炎のクリスタル――ファムルスとやらに向かって飛翔した。

 槍を両手でギュッと握り、

 

「この俺様のブルーランスにかかれば一発だぜっ!」

 

 横薙ぎ一閃。

 

「……やったか?」

 

 確かな手ごたえを感じて振り向いた瞬間、

 

『おまえさん、危ないっ!』

 

 目の前にダッシュが飛び出してきたかと思うと、俺を庇うようにバッと手を広げた。

 

「!?」

 

 その行為に、俺は慌ててファムルスのほうへと目を向ける。

 トライデントで真っ二つに割れたクリスタル。

 ……割れてはいるが、さっきより激しく燃えていやがるじゃねーか。

 

『パパさん、槍の物理攻撃ではファムルスを消すことは出来ないのです。完全にかき消すにはあの炎よりも強い水をかけるしかないのですっ』

「とは仰いますがねェ。あれを消せる水なんてそうそう出せねーぞ……」

 

 さすがに俺でも分かるって。あれは見た目以上に強い魔力を持っている。

 シャオやコロ美の言葉を借りれば、凄まじい魔気っつうものをピリピリ感じるぜ。

 実際、俺の体全体に流れている緑色のオーラ――もとい、水のベールを簡単に突き破ってきている時点で相当ふざけた火力だ。

 

『あううっ』

 

 ファムルスに怯えているのか、広げた手を震わせながら俯くだし子。

 背中にはさっきの爆発のせいだろう、体操服にぽっかりと穴が開いてしまっていた。

 

「…………」

 

 攻撃の予兆。

 キラッとクリスタルの先端が輝き始めたところで、

 

「……来い」

 

 俺は強引にダッシュの肩を抱き寄せた。

 そんでもって、そいつを抱きしめたまま槍を突き出して、

 

「ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷい、ぷぅ! すいすい、『スノウプリズム』!」

 

 ゆりなの放電を跳ね返したあの呪文を唱えてやる。

 杖でなく槍のまま詠唱した為か、あの時よりもかなり小さなプリズム壁が三叉の先端に現れた。

 それと同時にクリスタルの先から火炎が放射され――

 

「うわっちち!」

 

 な、なんて熱さでェい!?

 どうやらスノプリでは荷が重かったようで、炎を反射するどころか貫通しちまった。

 まあ、ある程度は軽減出来たみたいだけれども――それにしても尋常じゃない熱さだぜ。

 こんなの変身前に喰らってたら一瞬で灰になっていたな……。

 

 そう、涙目で氷の吐息を自分の体にフーフーと吹きかけていると、 

 

『……あうっ、おまえさん、どうして?』

 

 俺の腕の中で金髪娘がきょとんとした顔を上げた。

 

「あのよォ。いくらなんでも無茶し過ぎだって。毎回俺を庇ってたら命がいくつあっても足りねェぞ」

『……で、でもっ』

「でもも、すももも無いっつーの。それに、どうせ守ってくれるならアレのほうが良いだろ?」

『あれ?』

 

 首を傾げているそいつの手を持ち上げると、

 

『ふあっ……あのっ、お、おまえさん!』

 

 何故かポッと頬を赤らめているチビ鮫に、金の指輪を見せる。

 もちろん俺のダッシュリングじゃなく、だし子がはめている指輪の方だ。

 

「またあの融合変身……やってくれるか?」

 

 そう訊くと、そいつは俺の腕から抜け出してぶんぶんと赤いハチマキを揺らして首を振った。

 否定の合図。

 あんれま……。

 

「まあ、無理にとは言わないけれども――」

『おまえさん、忘れんぼさん。あなな、さっき言ったし。やってくれるか、じゃなくてやれって命令して欲しいし。あなな、おまえさんの命令だったら、なんでも言うこと聞くのっ!』

 

 ああ。そーいやァ、そんなこと言われたっけか。

 

『それに……』

 

 と。ダッシュが指輪をこちらに向けて、

 

『過去のあななもやる気まんまんだしっ』

 

 眩い輝きを放つゴールデンベリルに、俺は少しだけ笑ってしまった。

 本当に――まったくもって頼もしい奴らだねェ。

 

「オーケイ……いささかに融合変身の時間だぜ、ダッシュ・ザ・アナナエル! シャインと成って俺様を守りがやれッ!」

 

 そんな俺の命令を聞いた瞬間、

 

『我は――我は欲す。汝が纏う忌むべき力を! お願い、過去のあなな……力を貸して!』

 

 目を閉じて指輪を掲げるだし子。

 

『サクラヴィ、デュアルアゲインッ!』

 

 瞬く間に姿を変えていくその様をポカンと眺めているワケにもいかない。

 そいつがコスチュームに着替えている今もファムルスがこちらを狙っていた。

 

「恐縮だけれども、融合の邪魔はさせねェぜ……!」

 

 と、そいつへと跳躍したときだ。

 

『パパさんっ、弐式のグリップを左に何度も回して欲しいんですっ』

「あん? 突然なんでェい?」

『なんでも、ですぅ!』

「よ、よく分からねーが、分かりましたんで」

 

 ふよふよと浮かびながら、とりあえず言われた通りにランスのグリップ部分を回してみる。

 するとどうだろう、まるでエンジン音のような爆音と共に、槍先から大量の泡がブクブクと出てきたではないか。

 

「あんだこりゃ!? マジでバイクみてぇじゃねーか」

 

 グリップを回せば回す程、泡や水蒸気が槍から溢れ出てきやがる。

 それに、ブルーランスの表面に流れていた薄緑色のオーラもどんどんとデカくなっているような――

 

『ファムルスの魔気……! パパさん、上なんですっ!』

「チッ、色々試してやろうって時に……。少しくらい待ちやがれってェの!」

 

 言って、空高く槍を掲げて俺はグリップを左へと強く回す。

 その瞬間、明らかに音の質が変わり、槍全体が蒼く明滅しだした。

 

「も、もしかして完全にエンジンが掛かったってことか?」

 

 ……まあ、魔法さえ出りゃあ何でもいいぜ!

 

「ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷいー……ぷぅ! すいすい『スノードロップ』!」

『はわわっ!!』

 

 コロ美が驚くのも無理はない。

 なんせ、出てきたのはいつもの小さな飴玉ではなく、巨大な水泡だったからだ。

 勢い良く飛び出したそれは、ファムルスを包むとあっという間にかき消してしまった。

 炎が消えていく過程すらも無い――まさしく、一瞬。 

 

「ひゃー、なんて凄いんでしょ。スノードロップっつうより、ありゃあアクアドロップって感じだねェ」

 

 俺の想像や呪文をいささかに無視された気がするが、それでもあのファムルスをサクッと葬ってくれたのなら上出来だ。

 すっかり明滅が止まった弐式を俺は改めて持ち上げてみる。

 

「すっげぇなあ。アクアサーベル先輩には悪ィけれども、ブルーランスさんがここまで強いとは思わなかったぜ」

 

 そう感心していると、

 

『あっ、パパさんもう片方のファムルスの魔気がグングン上がっていってるんです! すぐ後ろなのですっ』

 

 へ? もう片方って……。

 

「し、しまった、そういや俺が増やしちまったんだった!」

 

 慌てて羽ばたこうとした次の瞬間。

 

『……融合開花、ラヴシャイン!』

 

 融合を終えたダッシュが長い金髪をなびかせて俺の背後に現れた。



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第九十七石:壱式は誰の手に!?

『えっと、え~っとぉ。キラッとピカッと、二つの光が……』

「おい、だし子! そういうのいいから早く盾を出してくれっ、盾!」

 

 ぐわんぐわんと肩を揺らすと、

 

『あううっ、わかったし、わかったし! じ、GFシールド展開ッ!』

 

 両手を突き出した途端、そいつの目の前に金色の巨大な盾が展開される。

 それと同時に炎を繰り出したファムルスだったが……おお、こりゃ凄い凄い。

 傷一つも付かないシールド。

 俺のスノプリよりも硬い盾に羨ましく思っていると、

 

『ご主人様、もう一度アクセルランスのグリップを左に回して!』

「えっ。アクセルランス? もしかしてこれブルーランスじゃなくて――」

『充填始めた今がチャンス……早くして欲しいしっ!』

「あ、はい。わかりましたんで」

 

 ダッシュの勢いに気圧されつつも、もう一度グリップを捻って魔法を繰り出す。

 これまたさっきと同じく勝手にスノドロがアクアドロップに変換されてファムルスをかき消したワケなんだが……。

 ううむ。やっぱり気になるよなァ。

 

 ふぅっと息をついているダッシュの頭に乗っかっている光輪をちょいちょいとつまんで、

 

「なぁ、だし子。お前さんもしかしてこの槍のこと知ってんのか?」

『……うん。ちょびっとだけ』

 

 と。

 ダッシュがこちらを向いたときだ。

 

『お兄ちゃまっ!』

 

 コロナの声。

 そして、続けざまに白狐がこちらへと突進してきたではないか。

 

「くっ、本体様のお出ましってか!」

 

 すんでのところで避けると、俺はシロツキへと槍を――アクセルランスを向けた。

 

『ご主人様。今ちらりと見えたんだけど、あの大霊獣様の眼が光ってたし』

「するってェと、集束してるってことかィ?」

『でも……なんか体がちょっと小さくなってる気がするし』

 

 そう言われれば、確かに……。

 

『おそらく、自分の体を削ってファムルスを射出したと思うのです。だから、火力が弱まった分、眼を使って魔力を強化しているんです……』

 

 どこか辛そうに言うコロ美。

 

「だったら弱ってる今だねェ! 全魔力を叩き込んで一気に決めてやる……ッ」

 

 一旦地上に降りると、俺は背後にいる金髪へと声を掛けた。

 

「あれをやるぞ!」

『……了解だしっ!』

 

 パチン、と水色の瞳をウィンクさせるダッシュ。

 直後、ゴールデンベリルへと姿を変えたそいつを掴んで、俺は苦しそうにしているシロツキを睨みつけた。

 

「テメェが一体何なのか知らねーが……降りかかる火の粉は払わなきゃいけねぇんだよ!」

 

 ゆりなが居ない今、あいつを鎮めるにはあの力に頼るしかない――雪と光の融合、スノーシャインに!

 

+ + +

 

 とりあえず、変身する時間を稼がねェとな。

 

「ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷいぃーぷぅっ! すいすい~」

 

 軽くバックステップをして、

 

「口から大吹雪! 『スノーブレス』ッ!」

 

 前かがみの格好で力いっぱい雪を吐き出す。

 ……うしっ、こんだけ撒けばいいだろ。

 

「どわっ!」

 

 ホワイトアウト状態になった為か、やたらめっぽうファイアブレスを放つシロツキ。

 ううむ。いささかに危ねーぜ……。念のため退避しとこうかね。

 ササッと木陰に隠れると、俺はゴールデンベリルを空に向かって掲げた。

 

「融合変身……ッ!」

 

 俺の合図とともに、黄金色の光を宿す宝石。

 ――あの状態になれる時間はおそらく五分も無い。

 なるべく余裕を持って三分以内にケリをつけねェとな……。 

 

「シャイニングパワー! トランス・ザ・ゴールデン!」

 

 変身呪文を叫び、

 

「ビースト、インッ!」

 

 胸のハート宝石にダッシュのベリルをぶち込む。

 ふわりと暖かい風が俺の頬をくすぐり、そして融合後のダッシュが現れた。

 そいつは優しく微笑むと、俺に向かって両手を差し出してくる。

 

「…………」

『あう? ご主人様、お手々出して欲しいし』

「――あ、ああ」

 

 以前やったように両手の指を絡めたのだけれども……。

 

「なんかよォ、いささかに恥ずかしいんだよな、この変身方法」

『えへへ。私は全然恥ずかしくないし』

 

 クスクスと笑い、俺の胸に頬を寄せると、

 

『雪と光の融合、私の力を全てご主人様に捧げます。その名は……』

 

 そこまで言って俺を見上げるだし子。

 最後の言葉を待つそいつに、俺はゆっくりと頷いてみせる。

 

「その名は――スノーシャイン」

 

 途端、光の輪へと姿を変え、俺の全身を包み込んでいくダッシュ。

 凄まじい輝きとともに俺のコスチュームを次から次へと脱がしていく。

 

 光輪が足元からせり上がっていき、青を基調としたフレアスカートを黄色いミニスカートへと着替えさせる。

 同じようにレオタード状の白いコスを黄色いチューブトップ衣装へと変化させ、そしてシャカシャカと俺の髪型を弄くって最後にフラッシュを放つ。

 つまるところの終了のお知らせ。

 

「……終わったか」

 

 えーと。かかった時間は、おおよそ三十秒ぐらいか。いやはや、さすがに新式の変身よりかは短いようだねェ。

 

「おお、体が軽い軽い!」

 

 ぴょんぴょんとその場でジャンプし、

 

「さァて。そんじゃま、とっとと消火作業しますかねェ」

 

 勢いのまま羽を広げようとしたところで、

 

『ひ、否定。羽は、メッなのです。パパさんの魔気が凄すぎて制御出来ないのですっ。今の状態だとまたぶつかっちゃうんです』

 

 そんな焦りの声に、俺はあのときの戦い――コピー戦を思い出した。

 強化され過ぎちまったせいか、羽をコントロールすることが出来なくてコピーに激突してしまったんだよな。

 

 ううむ。じゃあ、どうやって近づこうかねェ……。

 そう、腕を組みながら考えていると、

 

『むふーっ。おまえさん、なにか忘れてるし』

 

 コロ美とは対照的に余裕の声をあげるチビ鮫。

 

「んあ。忘れてるって何のことでぇい?」

『あななの能力!』

 

 能力って……たしか疾駆だろう?

 それが一体――

 

「あっ! そうか、羽がダメなら『疾駆』で走ればいいのか」

 

 そうだった。空での移動を制限されても、俺の場合ダッシュがいるから地上でもスピードが出せるんだよな。

 

「でも、だし子は俺と融合してるんだよな。そーなると、どうやって『疾駆』を使えばいいんだァ。ただ走ればいいだけとか?」

 

 ここら辺がややこしいっつーか、イマイチよく分からねーぜ。

 あんまり時間が無いし、うだうだ考えてもいられないんだが。

 

『えっと、昔のあなながね、目的地の呪文を唱えれば瞬間移動出来るって言ってるし。さすがに空中じゃ使えないみたいだけど……』

 

 も、目的地の呪文!?

 

「あんだそりゃ。コロ美知ってるか?」

『うーっ。否定なんです……。模魔の能力のことは少しだけしか分からないのです。お姉ちゃまだったら何か分かるかもですが』

 

 クロエ、か。

 そういやあいつまたどっかに行きやがったな。

 俺たちがピンチってときに限って居ないんだもんなァ……。ったく、勘弁してもらいたいぜ。

 

 と。心の中で嘆息したとき、いきなり聞いたこともない声が耳に入ってきた。

 コロ美でもないし、ダッシュの声でもない。

 キョロキョロと周りを見渡してみるが、未だに呆然と座っているシャオくらいしか居ない。

 トーゼンあいつの声とはほど遠いし……。

 

 そいつは目的地の呪文とやらを俺に教えてくれたようなんだが……いや、待てよ。

 そう言えば、チビチビが石風邪をひいたときにも不思議な声が聞こえたような――

 

『パパさん、多分ですが、融合変身の残り時間があと二分ちょっとしか無いんです。こうなったら羽で飛ぶしかないのですっ』

 

 げげっ、もうそんだけしか時間ねーのかよ!

 

「ま、待て待て。その目的地の呪文とやらが分かったからそれをやってみるぜ」

 

 とりあえずとばかりに、俺はアクセルランスを肩に担ぐと、左手をグーの形で突き出した。

 もう迷ってる時間は無いんだ。一か八か、あの声に従うしかねェ!

 

「ぷーゆゆんぷゆん、ぷいぷいぷぅっ! すいすい~……」

 

 そう呟き、シロツキの全身――主に壱式が握られた尻尾部分を頭に浮かべる。

 

「駆けろ、ディスティネーション――俺の、俺様の『目的地』はテメェの背後だァ!」

 

 左手をグーから指差す形へと変えた次の瞬間、まばゆい黄金色の粒子が俺の体を包み込んだ。

 

「どわっ!?」

 

 突然、目の前にシロツキの巨大な尻尾が現れたもんだからたまらない。

 一体なにがなんだか……。

 目を丸くするばかりの俺に、

 

『むふーっ、さすがおまえさんだし! あっさり成功させたしっ』

『こ、これが目的地の呪文ですか……本当に凄いスピードなんです』

 

 二人の感嘆の声から察するに、どうやら『目的地』の呪文を唱えることに成功したみたいだ。

 つーか、マジで瞬間移動じゃねーか。

 こいつらの感覚じゃあ速いって認識らしいが、俺からしてみれば唱えてすぐにシロツキの背後に出たぜ。

 

 スノーシャイン状態でしか使えないけれども、こりゃあスゲェ魔法だぜ。

 まあさすがに、どこでも行けるシャオメイのシャドーと比べたら地上限定って弱点はあるが……。

 

『パパさん、あと一分くらいなのですっ!』

「オーケイ、そんだけありゃあ十分だ」

 

 アクセルランスのグリップを左に力強く回す。

 何度も回し、エンジンが掛かったところで、

 

「いささかに恐縮だけれども、壱式は頂くぜ……! すいすい、エメラルド――じゃなかった、ゴールデンダストォッ!!」

 

 と。唱えたはいいものの、一向にダストを出す気配の無い弐式。

 

『おまえさん、アクセルランスは左に回したら水の魔法しか出せないしっ。氷は出せなくなっちゃうんだって』

「な、なんでだァ?」

『あうー。あななもよく分からないし。昔のあなながダメだって言ってるのっ』

 

 ええい、ややこしい!

 だったら水の魔法を出せばいいんだろ、水の魔法を!

 

「ぷ~ゆゆんぷゆん、ぷいぷい、ぷぅ! すいすい、『スプラッシュゴールデン』!」

 

 その瞬間、槍先から黄金色の水流が勢いよく噴き出した。

 あれよあれよという間にシロツキの炎を消していくスプラッシュ。

 俺が背後に居たのに気付いてなかった為か、水しぶきの直撃を喰らった白狐はその場に崩れ落ちた。

 

 槍の石突き部分の宝石をチラッと見てみる。

 残りの霊薬は一割も無い、か。

 多分だが、ランス状態だとかなり霊薬の消費が激しい気がするぜ。

 まあ……出る魔法すべてが加減知らずだからねェ。

 

「よし、あとは尻尾をぶった斬るだけだな」

 

 言って、ランスからアクアサーベルへと弐式を変化させたとき、

 

『……お兄ちゃま』

 

 今にも泣きそうなコロナの声が聞こえてきた。

 

「…………」

 

 サーベルを振り上げたまま、俺はすっかり小さくなってしまった白狐を見下ろした。

 まるで普通の狐のような体になったそいつは、辛そうに息を吐きながら立ち上がろうとしている。

 だが、もうすでに限界なのだろうか、たたらを踏んで再び地面へと倒れ込んでしまう。

 

「お前……」

 

 緑色に明滅する壱式。その中身――霊薬はすでに空っぽだった。

 尻尾から転げ落ちる宝石に、俺はグッと唇を噛んだ。

 

『ど、どうして拾わないし?』

 

 剣を振り上げたまま動けずにいる俺に、ダッシュが疑問を口にする。

 たしかに、ここで霊鳴を拾うのは簡単だった。

 こいつから……霊鳴を『奪う』のは。

 

「なあ、シロツキ。お前は何でそんなに壱式を守ろうとするんだよ……こんな痛い目にあってまで、なんでだよ」

 

 それでもそいつは答えずに、壱式を口に咥えて立ち上がる。

 よろよろとおぼつかない足取りで向かうその先には……シャオメイが居た。

 ――まさか、あいつに渡すつもりか!?

 

「マズイ……!」

 

 慌てて駆け出そうとしたとき、とてつもない頭痛と共に、俺の胸からダッシュの宝石が勢い良く飛び出した。

 

「ぐあっ!!」

 

 同時に、コロナのエメラルド宝石も飛び出し、俺はあっという間に元の姿へと戻ってしまった。

 あまりの激痛に、その場に膝を付いてしまう。

 

 ぼやける視界の中、シロツキはシャオのもとへと辿り着いた。

 呆けたままのそいつをジッと見て、匂いを嗅ぐ白狐。

 そしてクルクル周りを回ったかと思うと、シャオの前にちょこんと座って小さく鳴き声をあげた。 

 

「ひゃっ!?」

 

 ようやく気付いたのか、怯えたように身を引くシャオだったが、傷ついたシロツキの姿を見て複雑そうな表情になる。

 

「……パパさん」

 

 いつの間にか俺の隣には園児の姿へと戻ったコロ美が居た。

 そいつは拾ったダッシュリングを俺に渡して、

 

「ごめんなさい、コロナのせいで……」

 

 ペコリと頭を下げた。

 

「そういうの面倒くせーから、謝るのは禁止な」

 

 痺れる手で頭を撫でながら言うと、そいつはギュッとスモックの裾を掴んで俯いてしまった。

 ……きっと、チビチビなりにも色々思うところがあるのだろう。

 シロツキ――お兄ちゃまとの関係性はよくは分からないが、慕っていたことだけはよく分かる。

 

「もうコロナの声は届かないんです。お姉ちゃまの言っていた通り、やっぱりお兄ちゃまは……あの人を」

 

 そう呟いて白狐のほうへと視線を向けるチビチビ。

 その先にはシャオの膝の上で眠るシロツキの姿があった。

 

「……な、なんなのよ」

 

 ワケも分からずといった様子で狐を見下ろすシャオメイ。

 フワッ、と。シャオがそいつの背中を撫でた次の瞬間、いきなり無数の光の玉へと姿を変える白狐。

 そしてそれは次々にシャオの体の中へと吸い込まれていく。

 

「どうなってんだ、こりゃあ?」 

 

 その様をただ呆然と見ていると、シャオの体が眩しく輝き始めたではないか。

 同時に、そいつの胸の前に緑色の宝石――霊鳴石壱式が現れる。

 

「ま、まさか、これが壱式だっていうの?」

 

 おそるおそる手を伸ばしたシャオだったが、ゴクリと喉を鳴らすと意を決したように、一つ頷いた。

 

「……傀儡の石よ、今再び我が下へ蘇りなさい! 霊鳴ッ!」

 

 おいおい、これって霊鳴の封印を解く呪文……だよな。

 クソッ――止めようにも体が言うことを聞かねェ!

 

「壱式封印解除の呪文をここに記す――イグレスレイヴ!」

 

 呪文を唱え終えた瞬間、緑の閃光がシャオの手元へと降り注ぐ。

 やがて現れたるはおぞましい造形の緑杖……それを掲げてゆっくりと立ち上がるシャオメイを見上げて、俺は深くうな垂れた。



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第九十八石:目覚めたシロハ、見上げる先には

「きゃはっ、あははは……っ! なによコレ、杖を持っているだけで身体中に魔気力がみなぎってくるわ」

 

 不気味な笑みと共に、目の下のクマが色濃く浮かび上がってくる。

 霊鳴を手にしたからか、完全に調子を取り戻しやがったようで。

 そいつは錫杖に似たデカい杖を下ろすと、それを俺に向けて、

 

「あんたに感謝しないとねぇ。まさか本当に壱式があるとは思わなかったわよ」

 

 ニヤリと口角を上げるシャオメイ。

 

「はぁはぁ……。だ、だから、手紙は俺が書いたんじゃねェっての……」

 

 そう俺が胸を押さえながら言ったその時。

 いきなり壱式の杖先――輪形部分に通してある六つの輪がシャンシャンと音を響かせ始めた。

 

「えっ……なによ、一体どうしたっていうの? ねぇ、バカてふ。この現象って何かしら?」

 

 って、俺に言われましても。

 持ち主のお前が分からないものを俺が分かるハズねェっての。

 そもそも弐式と全然形状が違うしよォ。

 

「あっ、あの人の後ろから光の糸が出てるんです」

 

 と。コロ美がシャオの黒い尻尾を指差す。

 確かに言われてみれば薄っすらと糸っつうか線が出ているような気も……。

 

「……あれを辿って行けって言いたいのかしら」

 

 その呟きに一度だけフラッシュして答える壱式。

 この反応――弐式のそれと同じだな。

 おそらくはイエスって意味だと思うのだけれども。

 

「ふうん。いいわ、今のあたしはとっても気分が良いのよね。……っつーこって、行ってやろーじゃん!」

「ま、待ちやがれっ!」

 

 慌てて立ち上がろうとしたが、未だ全身が痺れているため思うように足が動かせない。

 

「うわわっ」

 

 よろけて盛大にずっこけてしまった俺に、

 

「なーにやってんだか。ま、あんたはココで大人しく待ってなさい。もしかしたら高ランクの模魔石があるかもしんないケドさ。そんときは、ちゃーんとあたしが有り難く頂いておくから心配しなくていいわよ。ふふーん、この霊鳴石壱式みたいにねっ」

 

 この世で一番ムカつくウィンクを飛ばして森の奥へと消えていくシャオメイ。

 ちきしょう……やっぱりあんなヤツなんざ助けなきゃ良かったぜ。

 そう溜め息をついたとき、

 

「あっ、しゃっちゃん見っけ!」

 

 杖に跨ったゆりなが空からやってきたではないか。

 そいつは俺を見つけると、

 

「ふええーん、しゃっちゃん無事で良かったよぅ」

 

 すぐさま杖から飛び降りて抱きついてきた。

 まあ抱きつかれるのはもう慣れっこだからいいのだけれどもよォ……。

 問題はこいつが変身した姿だってことだ。

 つまるところの超怪力状態っつうワケで――

 

「ぐえええ、苦しい、苦しいって! こ、降参でぇい」

 

 腰に回された腕に、俺は必死でタップを繰り出す。

 

「わわ、パパさんにトドメをさすつもりですかっ! やめるです~っ」

 

 コロ美も慌ててゆりなのスカートをグイっと引っ張り、

 

「ふわっ。あ、いっけない。ボク変身してたんだった」

 

 ようやく解放された俺はその場にへなへなと倒れこんだ。

 そんな俺の頭をよしよしと撫でながら、

 

「む~。旧魔法少女さんヒドイんですっ」

 

 チビチビ助が抗議の声をあげた。

 

「ご、ごめんなさぁい……ホッとして、ついつい抱きついちゃった」

 

 しょんぼりと肩を落としたところで、

 

「あっ! コロちゃん、ボクの呼び方戻ってない……?」

「肯定。さっきのでコロナの旧魔法少女さんに対する好感度がマイナス一万ポイントになったんです」

「一万ポイントもっ!? そ、そんにゃあ……」

 

 ますます肩を落とすゆりな。

 このままでは地面にまで肩が埋まっちまいそうな勢いなので、俺はコロ美との会話を止めるべくゆりなのケツに軽い頭突きをかました。

 

「ひゃん!」

 

 飛び跳ねて両手でケツを押さえるチビ助。

 

「もーっ、頭突きダメだもん。お尻が二つに割れちゃったよぅ……」

「ケツはもともと割れて――いや、面倒クセェからいいや。すまねェが、ちょいとこちとら切羽詰まってるんでぇい。いささかに恐縮だけれども肩を貸してくれるとありがたいぜ」

「ほい、了解うけたまわりっ!」

 

 チビ助の肩を借りたところで、俺はふと疑問に思った。

 そういや、こいつどうしてココへ飛んで来たんだ?

 模魔……じゃなかった、大霊獣シロツキの魔気とやらに気付いたのか? いや、でもそんな能力なんて無いハズだしなァ……。

 待てよ。まさかクロエのヤツが――

 

「あっ、もう変身は解いたほーがいいかな」

 

 そんなことを考えていると、ゆりなが目を閉じて両手を自身の胸の前に差し出した。

 チビ助の全身を包んでいる藍色の煌きが見る見るうちに失われていく。次いで、ふわりと浮き上がる黄色いネクタイ。

 

「変身解除……ディスコネクト!」

 

 と。解除呪文を唱えた直後、ネクタイの裏に隠されていた藍色の宝石から黒猫が飛び出してきたではないか。

 そいつは差し出されたゆりなの両手の平へと綺麗に着地すると、

 

「よっと。ひゃー、やっぱしシャバの空気は美味いぜぇ!」

 

 大きな伸びと共に、これまた大きなあくびをかましやがった。

 そんなクロエの大口に俺はすかさず人差し指を入れる。

 

「おいおい、待ちねェ。お前さんよォ、俺様との約束覚えてるよなァ……?」

「…………」

 

 大口を開けたまま俺を睨み付けるクロエ。

 そんな反抗的な目に、俺はなけなしの魔力――冷気を指先に込めて、

 

「シャオに呼び出されたことはチビ助に言うなって……そう約束したハズだぜ」

 

 すると、黒猫はスルっとゆりなの頭の上へと移動し、

 

「にゃっはっは。すまねーな、まさかシロの野郎が出てくるとは思わなくってさ。さすがにシラガ娘一人じゃあヤバいかもって、慌ててポニ子を呼びに行っちまったぜ」

「そーだよ、しゃっちゃん一人じゃ危険だもんっ! どーして、ボクに言ってくれなかったの?」

 

 むーっ、と頬を膨らませるゆりなに俺は頭をボリボリかいた。

 どうしてもこうしても。今日一日はゆっくり休んでいて欲しかった……なんて、言えるワケねーだろうよ。

 なので、

 

「いやはや、俺一人でも十分だと思ってね。それと自分の力試しも兼ねてさァ。まあ、ジュゲムなんたらさんだけなら余裕だったんだが、まさか大霊獣サマまで出てくるとは思わなかったもんで。……ん?」

 

 テキトーなことを言っていたとき、不意にスカートが引っ張られた。

 見てみると、コロナが足踏みをしながら何かを言いたそうにしている。

 

「なんでぇい? おしっこでもしたいのかィ?」

 

 訊くと、ぶんぶんとツーサイドアップの髪を振って、

 

「ひ、否定。パパさんたち、お話は後なんですっ! あの人が向かった先に、少しだけお兄ちゃまの魔気を感じるのです!」

 

 森の奥へと指差すチビチビに、

 

「いや、違うぜ。これはシロツキの魔気じゃねぇな……チビの方に完全に力が移ったか。なんであれツン子とくっつけちまうのはマズイな。こっちだ、ついてきなっ!」

 

 ぴょんと、ゆりなの頭から降りて駆け出していく黒猫。それに続いてコロ美も羽を広げてすっ飛んでいく。

 そんな二人の後ろ姿に、俺とゆりなは目を見合わせ、そして同時に頷いた。

 

+ + +

 

 行き着いた先には洞穴があった。

 とはいえ。それはとても小さい穴で、入口から見て全体が見渡せる程だったのだけれども……。

 

「あっ、クーちゃんとシャオちゃんだ! ありゃりゃ……二人ともどうしたんだろう?」

 

 ゆりなが首を傾げるのも当然だ。

 なんせ先に着いていた二人が洞穴の中心で一緒に固まっちまっているんだからな。

 二人とも何かを見ているみたいだが――

 

「とりあえず俺たちも行ってみようぜ」

「う、うんっ。でも、しゃっちゃん大丈夫……?」

「おう。おかげさまで歩ける程度には回復したみたいだ。さんきゅーなチビ助」

 

 ゆりなの肩から腕を下ろし、さっそくあいつらの居る洞穴へと向かおうとしたのだが、

 

「ダメだもんっ、しゃっちゃんすぐ無理しちゃうんだから」

 

 と言って、ギュッと俺の手を握ってくるチビ助。

 俺に魔力を分けてくれているのか、じんわりと温かさを増していくゆりなの手。

 柔らかくて小さいそれに、俺は思わず歩みを止めてしまった。

 

「……えへへ。しゃっちゃんのお手て、相変わらずひんやりしてて気持ち良いねっ。さすが氷と水の魔法使いさんだよぉ」

「…………」

「あれ? も、もしかして、まだどっか痛いのかな……?」

「い、いや、そうじゃないんだが。なんつーか、こんなこと前にもあったような……って」

「ふぇ?」

 

 なんてゆりながポニーテールを揺らして疑問符を掲げたとき、いきなり洞穴の中からとてつもない閃光が放たれた。

 

「な、なんでぇい!?」

「しゃっちゃん、行ってみようっ!」

 

 手を引かれて洞穴に入った瞬間、再び青い光が視界を覆った。

 やけに眩しいそれが落ち着いていくと同時に、頭に何かが乗っかる感触がした。

 

「ひゃー、まいったぜ。まさか目の前で引き継ぎが始まるとはな……多分、シラガ娘とポニ子にもチャンスはあると思うんだけどなぁ」

 

 俺の頭上で意味不明なことを言うヤツは一匹しかいないワケで。

 

「引き継ぎ? チャンス? 一体なんのことを言ってやがるんでぇい」

 

 そう訊くと、クロエの代わりに隣に立っていたシャオメイが口を開いた。

 

「……引き継ぎはおそらく『チューズデイ』のこと。そしてチャンスはこのガキんちょ――新しいチューズデイが誰を選ぶかってこと。そうよね、マンデイ?」

 

 苦々しい顔で黒猫に視線を飛ばすシャオ。

 

「にっしっし。ご明察のとおりってね」

「ええっ!? まさか、この子が七大魔宝石のうちの一つ……大霊獣さんなの?」

「そうさ。この狐っ子は第弐番大魔宝石シロハ・ザ・チューズデイ。前任のシロツキが完全に消滅した、たった今この瞬間から、あいつの妹であるシロハが弐番石の厄災を引き継ぐことになる……」

「コロナが感じたお兄ちゃまの魔気はこの妹さんから出てたんですか……でも、見た目は全然似てないのです。不思議なんです」

 

 なにやら皆さん盛り上がっていらっしゃるようで。

 閃光からやっとこさ目が慣れてきた俺は、改めてみんなが取り囲んでいる洞穴の中心――切り株へと首を伸ばした。

 

「げげっ!?」

 

 そのデカい切り株の上には話題の渦中にあるシロハとやらが確かに居たのだけれども……。

 グシグシと目を擦ってもう一度見てみる。

 

「おいおい。なんつー格好で寝てやがんだ……」

 

 そこには素っ裸のまま、すやすやと気持ち良さそうに眠っている女の子が居た。

 見た目的にはおそらく六、七才くらいだろうか。

 雪のような白い肌に、淡い桜色のほっぺた。背中まで伸びているさらさらストレートのウォーターブルーの髪、と。

 ここまででも相当インパクトのデカい少女なんだが……もっと大きな特徴がある。

 

「わーいっ! ふわふわ耳、もふもふ尻尾、めっちゃんこ可愛いよぅっ!」

 

 そう。思わずゆりなも手を出して触ってしまう程の可愛らしい狐耳と太い尻尾がそいつに生えていた。

 それらは髪と同じく青い色をしていたんだが――

 

「……へっくしゅ!」

 

 うおっと。いきなりシロハがクシャミをして寝返りを打ちやがった。自分の大きな尻尾を抱き枕代わりにして寝苦しそうに二回、三回と寝返りを繰り返す。

 そんなシロハの動きにみんなで顔を見合わせていると、チビ狐の耳がピクピクと動き出したではないか。

 

「!?」

 

 突如として俺たちの周りに緊張が走る。

 

「ふみゅ~っ」

 

 人の姿をしているのに、ぐいーっと猫の伸びのような格好をするシロハ。

 しばらくこちらに桃のようなケツを向けたまま尻尾をふりふり振っていたのだが、ようやく異変に気付いたのか俺たちの方へと身体を向ける。

 おそるおそるといった感じに。

 

「…………?」

 

 これまたおそるおそる、ゆっくりと顔を上げたチビ狐だったが……あるところを見てふと止まった。

 透き通るような青い瞳。ちょっとだけ垂れ目のそいつの視線の先には――赤い髪のツインテール娘が居た。

 

「な、なによ……」

 

 ジーッと、一分くらいは見つめていた気がするぜ。

 さすがのシャオも困ったように視線を逸らした次の瞬間、

 

「……マ、マ?」

 

 シロハがシャオを見上げたまま小さく呟いた。

 ――沈黙。

 ゴクリと誰かが生唾を飲む音が聞こえる。

 

 ま、まさか俺の聞き間違いじゃないよな……。そう思っていると、隣のゆりなが俺に目配せをして、そっと指をさした。

 その方向には今まで見たこともないような驚愕顔のシャオメイ。

 そして、

 

「ママぁ!」

 

 と。驚愕顔のまま石のように固まったそいつに抱きつく嬉しそうなシロハの姿があった。



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第九十九石:後ろ髪、引かれて

「お、お前さん、いったい何才のときに子どもを産んだんだァ……?」

 

 そう俺が顔を引きつらせながら訊ねると、シャオは顔を真っ赤にして、

 

「……バカっ! あたしはまだ九才よっ!!」

 

 すかさず壱式の先っぽで頭を殴られちまった。

 いっててて。冗談だっつーのに……本気で殴りやがってよォ。

 そう涙目で頭をさすっていると、隣で目を点にしていたゆりなが口を開いた。

 

「えっ、えっ。シャオちゃんがこの子のママさんなの……? で、でもお姉ちゃんが赤ちゃんは大人にならないと出来ませんよ~って言ってたような……」

 

 まったくもって状況が飲み込めないといった感じでシャオとシロハを交互に見て言うチビ助に、

 

「だ、だから、あたしの子どもじゃないってばっ!」

「にゃっ!?」

 

 再びポコッと杖で殴るシャオメイ。

 振られる度に淡く発光する壱式を指を咥えながら見上げていたシロハだったが、ついに我慢の限界が来たのか、

 

「わー! 綺麗、綺麗! ママ、そのおもちゃ貸して~っ」

 

 と。ぐいぐいシャオの腕を引っ張り始めた。

 

「ちょ、なによこいつ……! あたしを誰だと思ってんのよ、あたしはね、ピース様に認められた紗華夢、やこ……きゃあ!」

 

 いくら見た目は小一くらいの子どもでも、さすがは大霊獣様といったワケで。

 凄まじい力で揺さぶられ、すってんとその場で転んでしまった。

 あっという間にシャオから杖を奪って、楽しそうにぶんぶん振り回すチビ狐。

 

「……こ、こんちくしょう」

 

 凄まじい形相で起き上がろうとしたが、追撃よろしくシロハがシャオの背中にドカッと跨り、

 

「きゃっきゃ! お馬さん、お馬さんっ!」

「ふぎゅっ!!」

 

 なんとも情けない声をあげて潰れてしまった。

 

「……なんだかパワフルな子なんです」

「いっひっひ。こりゃあ愉快愉快」

 

 腕を組みながらガキんちょ相手に苦戦するジュゲムなんとやらさんを見下ろしてクツクツ笑ってやる。

 いやあ、大変そうで何よりだぜ。

 寝起きのためか尻尾をふりふりさせながら全開パワーではしゃぐシロハを見つつ、

 

「いやはや。契約したのがチビチビ助で良かったぜ」

 

 俺は傍らで呆気にとられてるコロ美のちっこい頭に手を置いた。

 狐というよりもじゃじゃ馬といった感じの霊獣。

 とてもじゃねェが、あんなのと契約したら身が持たないだろうな。

 チビチビもたまに手に負えないときがあるが、普段はほっといても一人で大人しく遊んでるし。

 

「な、なんで、このあたしがこんな目に……」

 

 たった数分ですっかり疲弊したようで、目の下のクマがかなり薄くなっていやがる。

 さすがに哀れになってきたところで、

 

「ふあっ。シャオちゃん大変そうだよぅ……。だ、だいじょーぶ?」

 

 俺の隣に立っていたゆりなが心配そうに呟いた。

 あんな事をされたっつうのに、こいつはよォ。

 ……まったく。相も変わらずお人好しが過ぎるぜ。

 

「だいじょばないわよっ! 猫憑き、同情してる暇があるならこのバカガキを何とかしてっ」

「ほ、ほいっ、了解うけたま――」

 

 シャオを助けようとシロに駆け寄った瞬間、

 

「……やあっ、来ないでっ!!」

 

 いきなり尻尾と耳が青白く輝いたかと思うと、凄まじくデカい蒼炎がシロハの全身から舞いあがった。

 こ、こりゃあ、いささかにまずいぞ……!

 慌てて魔法を唱えようと人差し指を掲げたとき、

 

「危ないんですっ!」

「きゃっ!?」

 

 ゆりなとシロハの間へとすっ飛んで、輝く羽を広げるチビチビ。

 身の丈よりも何倍にも膨れ上がった羽でチビ助を包んだと同時に、コロナの体に火炎が直撃した。

 

「コロ美!」

 

 嫌な焦げる音に、俺が叫ぶと、

 

「ぶいっ。平気なのです。まだこの子は力の使い方が分かって無いみたいなんです」

 

 クール面でブイサインを繰り出して羽を縮めるコロナ。

 確かに少しだけ肩のところが焼けただけで、ダメージはそこまで無いようだ。

 なんでぇい……心臓に悪いじゃねェか。

 

「ふええーん、びっくりしたよぅ。ありがとコロちゃあんっ」

「てやんでぃ。余裕シャクヤクってなもんです」

 

 ドヤ顔で俺の真似をしているコロ美を抱きしめ、トテトテと俺のところまで逃げ帰ってくるチビ助。

 そいつを庇いながら、警戒するように俺は改めてシロハへと人差し指を向けた。

 ったく、こんなことなら弐式を海に戻さなきゃ良かったぜ。まだちょっとだけ霊薬が残ってたのによォ……。

 そう。ギリッとチビ狐を睨んでいると、

 

「……ひっぐ」

 

 俺の顔を見るなりビクッと身体を震わせたかと思うと、たちまち青い瞳がウルウルと涙ぐんでいく。 

 

「えーんっ! ママぁっ!!」

 

 ついにはびーびー泣いてシャオに抱きついてしまった。

 しかしながら、

 

「きゃあっ!」

 

 立ち上がろうとしたときに突進を喰らったため、またまた盛大にずっこけてしまうシャオメイ。

 

「なんなのよ、もうーっ! 出てきなさい、シャドー!!」

 

 なんとも無様な格好で黒い指輪にキスをすると、シャオの背後に巨大な暗闇が現れた。

 その穴にマントごとシロハをぐいぐい押し込んで、

 

「……と、とにかく。このガキはあたしが頂いたわ。次までには躾けて、あんた達から石という石を全て奪ってやる……から」

 

 と仰られましてもねェ……。

 ゼーハーと肩で息をしてブラックホールの中へと消えていくシャオに、俺は肩をすくめた。

 あれじゃあ当分はまともに使えないだろうよ。

 

「あーあ。せっかくのシロハを逃がしちまった。厄介なことになってもオレは知らねーぞ? にっしっし」

 

 今まで黙っていた頭上の黒猫が面白そうに言う。

 

「あっ、そっか。あの子大霊獣さんだったんだっけ。もしシャオちゃんと契約しちゃったらどうしよう……」

 

 コロナを抱きつつ心配そうな顔をするチビ助に、呆れのポーズ――手を広げるようなジェスチャーをして、

 

「来やがれ霊鳴!」

 

 海から飛来した弐式を杖状態にして跨る。

 それを見たゆりなも、俺に倣って零式に跨った。

 ふわりと浮かび上がったところで、

 

「ねーねー。しゃっちゃん、いいの?」

「いいのもなにも、今更どうしようも無いだろ。あいつの家を知ってるなら行ってもいいけれどもよォ……。お前さん知ってるのかィ?」

「うっ。知らないかも」

「だったら、あーだーこーだ言っててもしょうがねェ。もうハラペコだからとっとと帰ろうぜ。今日はシチューって話じゃねーか」

 

 お姉さんから借りたマフラーを巻き直しつつ言うと、

 

「うんっ! ボクもおなかぺっこぺこだよぉ。にゃはは。お姉ちゃん待ってるし、帰ろっか!」

「…………?」

 

 びゅーんと元気良く俺の前を飛んでいくチビ助の背中に、

 

「ちょっち待った。なんかヘンな感じしないか?」

 

 声をかけると、そいつは後ろを振り向いて、

 

「ほよ? ヘンな感じってなあに……?」

 

 ポニーテールを揺らして頭に大きなハテナマークを浮かべた。

 

「何って言われるとアレなんだけれども」

 

 うーん。なんつーか、どうも引っかかるんだよなァ……。

 このままいつものようにお姉さんの家に帰っていいものか――

 

 ん? いつものようにって、俺は何を考えてるんだ?

 や、やべえ、腹が減り過ぎて頭が全然回らねェぞ……。

 

「あー。えっと、いま何時くらいか分かるか?」

 

 チビチビを抱きなおして腕時計を見るゆりな。

 

「うーんと。四時四十分くらいかな?」

「そっか……ちょっくら空の散歩してくるぜ。わりィが、こいつも頼んだぜ」

 

 言って、頭上でノンキに鼻ちょうちんを膨らませて寝ている黒猫をゆりなに渡して、俺は森に戻るべく方向転換する。

 

「しゃ、しゃっちゃん、ほんとに帰って来てくれるよね……?」

「おうよ。あったりめェーだろォ。シチューは俺様の大好物なんだぜ。好きなモンがもっと美味くなるように運動してくるだけでぇい。五時までには必ず戻ってくるぜ!」

「はーいっ! じゃあ、みんなで待ってるからねっ」

 

 笑顔で手を振るゆりなにひらひらと手を振り返し、俺は杖を握ってスピードを上げた。

 なんだか分からないが、さっきからモヤモヤが止まらない。

 とりあえずさっきの場所へ戻らねェと……!



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第百石:ナミダ

「おっかしいなァ。たしか、ここら辺だったよーな」

 

 森に戻った俺は、墓石があった場所を探すことにした。

 赤い満月は普通の三日月になっていたし、黒い雲もどこかへと消え去っている。

 とっくに森は元の姿を取り戻していたのだけれども……さすがに時間が時間のためか、陽が落ちてきて視界が悪い。

 うーん。なんとなく戻ってみたはいいが……。あの場所が全然見つからねェな。

 

 そろそろ時間がヤバイかなと腰を上げたとき、

 

「シャクヤク……」

 

 いきなり俺の名前を呼ばれたもんだからたまらない。

 こんな不気味な森の中だ。しかも今はコロ美もチビ助も居ない、たった一人っつう状態。

 ……そりゃさすがの俺だってビビっちまうさ。ドキドキと早鐘を打つ胸を押さえて声のした方を見てみると――

 

「!?」

 

 少しだけ離れた場所にシャオメイが立っていた。

 ――あいつが俺の名前を呼んだのか? 

 でも、俺に気付いていないような……。それに、あいつは俺のことを名前じゃなくてバカてふって呼んでるハズだし。

 訝しげな目でシャオの横顔を見ていると、そいつは自分の手へと視線を落として、

 

「温かかった……」

 

 その手を胸のところでギュッと握ってポロポロと涙を流し始めた。

 お、鬼の目に涙とはよく言ったもんで……。

 そいつは涙を拭うこともせずに、その場にしゃがみ込むと、輪を描くようにドングリを並べる。

 まるでそれは壱式があった墓のような――

 

「……どういうこったァ?」

 

 さっきから何がどうしたもんだか。

 疑問符が頭の中を埋め尽くす前に、俺はそいつの後ろ姿に声を掛けることにした。

 

「おいおい。お前さん何をしてるんでぇい?」

「……!?」

 

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたシャオが振り返った。

 そいつは俺の顔を見ると、明らかに動揺した様子で、

 

「な、なんで、ここに……。そんな、戻って来るハズないのに……」

「いやあ。俺もよく分からねェんだが、どうもあの墓が気になってさァ。なんとなく来てみたのだけれども」

 

 ……ん? 待った。

 こいつ――目の下のクマも無ければ髪型もストレートだぞ。それにマントを羽織ってやがる。

 さっきまで居たシャオは若干だがクマがあったし、髪型もツイン、そしてマントはシロと一緒に闇の中へ放り込んでいたような。

 『まさか』なんて言葉はすでに必要なかった。

 ここまで違えば、さすがに俺だって解る――

 

「お前、寺の前で会った方のシャオメイだろ……?」

「…………」

「へっ。だんまりを決め込むつもりかィ? なんとか言ったらどうなんでぇい。なんのつもりか知らねーが、お前さんが俺とシャオに手紙をよこしたんだろ?」

 

 壱式のある東福森に呼ぶため、俺の名とシャオの名を騙りそれぞれのポケットに手紙を入れた。

 やったとするならば、こいつしかいない。

 

「手の込んだ真似をしやがって。一体どういうつもりだァ」

「…………」

「なんでシャオの格好をしてやがるんでぇい。まさか偽者……姿を真似る模魔石でもあるのか?」 

「…………」

 

 迷った表情をした後、俯いて一歩後ろに下がるシャオメイ。

 どうして。どうして何も言わないんだよ、こいつ……ッ!

 弐式に魔力を注いで詰め寄ったそのとき、

 

「ぴいっ!!」

 

 やにわに、木陰から飛び出してくる小鳥とリスたち。

 

「お、おい。なんだなんだァ!?」

 

 突いたり、齧ったりして俺に襲い掛かってきたそいつらに魔法を使うわけにもいかず、必死で振り払っていると、

 

「やめなさい、あんた達……」

 

 シャオが呟いた途端、猛攻が止んだ。

 そいつの肩に戻っていくそいつらを見て、俺はハッと思い出した。

 

「バッカバカじゃん。今どき恩返しなんて流行らないわよ? それともまた飴をねだるつもりかしら? まったく……卑しい小動物たちね」

 

 言ってリスの頭を撫でるシャオ。

 ――やっぱりそうだ。こいつら、寺の前でシャオが飴をあげていたリスと小鳥に違いない。

 あのときは、シャドーの中へ放り込んで殺したかと思ったんだが……。

 

「……バカてふ。そろそろご飯の時間でしょ。あんたは、もう帰ったほうがいいわ」

 

 スッとマントで涙を拭い、その中から取り出した黒いバイザーを被るシャオメイ。

 そいつは口を真一文字に結ぶと、さっきまでの動揺なんて無かったかのようにマントを翻した。

 

「か、帰ったほうがいいって……。なんなんだよ、少しくらい質問に答えやがれっ!」

「――これからピース様がここに来るわ。あんたはここで何も見なかった……そういうことにしておきなさい」

 

 冷たく言い放ったその時、キイキイという耳障りな錆びついた音と共に、森の葉や木々が一瞬で朽ちていく。

 一体何事かと木々を見渡していると、森の奥から車椅子に乗った老婆が現れた。

 

「おお。ワシの可愛い紗華夢よ。心配しておったぞ。一体何をしていたのじゃ」

「すみません。微弱な魔気を感じたもので。調べに向かったところ、白の魔法少女に見つかってしまいまして……」

「ほぅ、ほぅ。それはそれは、いささかに」

 

 不気味な仮面を被った小柄な体格。黒いローブに全身を包んでおり、見えるのは皺くちゃの大きな手だけだった。

 ゆりなとクロエが言っていた『あいつ』と条件が全て合う。

 ――俺は確信した。

 こ、こいつが、こいつが……!

 

「……ピースッ!」

「ああ……。威勢の良い小娘じゃのう。いっひっひ、素晴らしい。スンバラシィ」

 

 訊きたいこと、言ってやりたいことは山ほどあった。

 それなのに。何故か、俺は声を出すことが出来なかった。



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第百壱石:ピースとシャクヤク 終

 喉を締め付けられるような感覚――

 

「お前さん、ワシに何か用かねェ。恐縮だけれども、ワシはいささかに忙しくてね……」

「あ……あぐっ……」

 

 威圧感。

 吐き気がするほどの強大な魔気。

 そして――剥き出しの敵意。

 

「……ピース様。お戯れはそこまでにしたほうが宜しいかと」

 

 ぼそりと呟いたのは車椅子を押している少女――ネームレスだった。

 

「いっひっひっひ……ああ、イサさか、イささカ……に、いッひヒっ」

 

 その眼帯娘は無表情のまま、俺に一瞥もくれずにピースの車椅子を押して森の奥へと進んでいく。

 そしてシャオもまるで最初から俺が居なかったかのように、無言でシャドーの指輪にキスをすると、闇の中へと消えていった。 

 

 何故か、ふつふつと怒りがこみ上がってくる。

 なんの魔法か。金縛りよろしく動けずにいた俺だったが、右手に魔力を込めて弐式を掲げた。

 

「……くそっ、が!」

 

 力ずくで金縛りを解いた瞬間、俺は杖を振り回してピースが去って行った方へと走り出した。

 ――だが、すぐに歩道に出てしまう。

 おかしい。さっきまで森の中心に居たハズだぜ? こんなにすぐ道に出るはずないんだが……。

 前を向いても後ろを向いても華やかな桜並木道。

 

「まだそんなに遠くに行ってないハズ――」

「わっちゃ!」

 

 キョロキョロ辺りを見渡していたとき、向こうから走ってきた人にぶつかっちまった。

 

「め、メガネメガネ……」

 

 目が数字の3のようになっている少女が、手探りでメガネを探している。

 そいつのケツの方に転がっていた特徴的なピンク色のメガネを拾い、

 

「ほれ、チビ天」

 

 と。それを手渡す。

 

「……あっ、しゃくっち!? こんなところで何してるっちゃ」

 

 メガネをかけた途端、大げさな戦隊キャラのようなポーズで俺を指差すももは。

 

「つーか。それはこっちのセリフなんだけれども……それよりも、お前さん車椅子のバアさんを見てないか?」

 

 訊くと、そいつは自分の頭に乗った桜の花びらや枯れ葉をわしゃわしゃと手で落としながら、

 

「だって、ここジョギングルートやけん。でも、さっきから走っとったけど、車椅子の人なんて見てないっちゃよ? おじさんとかワンちゃんの散歩してる人は見かけたっちゃけど」

 

 するってぇと、何かの魔法で撒かれたってことか。

 くそったれめ……。せっかくピースのヤツと会えたのによォ。

 そう、俺が拳を握り締めていると、

 

「しゃくっち……恐い顔してるっちゃ。もしかしてあのこと怒ってる?」

「あのことってなんでぇい?」

 

 すると、ももはが俯いて両手の指をイジイジと絡め出した。

 

「しゃ、しゃくっちに不躾な人って言ったこと……」

 

 あー。そういや、確かにムカついていたけど……。でも、正直なところ今はピースのことで頭がいっぱいだった。

 なので。

 

「……いやァ、別に?」

 

 つい、そっけない返しになってしまった。

 そんな俺の答えを聞くや否や、たちまちももはの目が涙ぐんでいく。

 

「ご、ごめんなさい……」

「えっ!? い、いや、全然怒ってないから! 頼むから泣かないでくれよォ」

 

 俺があたふたとしたところで、やにわにチビ天の胸についている懐中時計が鳴りだした。

 

『十六時五十五分! 十六時五十五分!』

 

 その途端、それをポチッと止めて、

 

「あっ。もう塾の時間っちゃ。しゃくっち、また遊ぼうねーっ!」

 

 さっきまでの涙は一体なんだったのか。笑顔で俺の頭を撫でると、手をぶんぶん振って走り去っていくももは。

 あ、あのヤロウ……やっぱり許してやんねー!

 わなわなと拳を震わせる俺の後ろから、

 

「……白の魔法少女」

 

 今度は無感情な声が掛かる。

 騒々しい娘から、このギャップだ。

 

「こ、今度はなんだァ?」

 

 怒りの矛先が定まらず、いささかに素っ頓狂な声で振り返る俺。

 すると、目の前には先ほど俺をさらっと無視した眼帯娘――ネームレスが立っていた。

 俺よりもチビなそいつはジーッと無言で俺をしばらく見上げた後、

 

「……その怒り。今は抑えて」

 

 震える拳を一瞥してそう言った。

 チビ天へ向けられた怒りだったが、ネムはピースに向けられたものだと勘違いしたのだろう。

 まあ。どちらにも怒りはあるのだけれども……。

 

「ピースはどこでぇい? 色々と言ってやりたいことがあるのだけれども」

 

 そう言うと、ネムは一つ瞬きをして、

 

「もうすぐ、十七時になる。貴女を待つ人たちがいる」

「……あん? なんでそんなこと知ってるんだァ?」

 

 五時までには帰るって約束はしたが、ネムが知ってるのはおかしくねーか。

 また疑問が増えちまったぜ……と内心溜め息をついたとき、目の前の眼帯娘が俺のマフラーに――お姉さんのマフラーにそっと手を置いた。

 

「……まだ、ダメ。貴女は黒の魔法少女の――いえ、みんなの希望」

「き、希望? 俺様がァ?」

 

 アホ面で自分を指差しながら訊いてみると、ネムがコクンと小さく頷いた。

 

「白の希望……そう、私は判断する」

 

 一体全体、何を言ってるんだこいつは。

 俺が希望ってどういうこった。

 相も変わらず掴めないヤツだな……。

 

「……時間」

 

 ネムが言った瞬間、どこからかチャイムが鳴り響いた。

 多分、こりゃあ五時のチャイムかね。

 

「お願い、白の魔法少女……」

 

 能面のような無表情だが、どこか悲しげな表情にも見えてくる。

 ……おそらく気のせいだろうけど。

 まあいいや、と。俺はそいつの頭をぐしぐし撫でた。

 

「わーった、わーった。わかりましたんで。大人しく帰ればいいんだろォ。ったく、どいつもこいつも、意味わかんねーぜ」

 

 弐式に跨って浮かび上がった俺に、小さくバイバイをする眼帯娘。

 そいつに、バイバイを返して俺は急いで家に帰ることにした。

 

「……あっ! しゃっちゃんちゃん!!」

 

 俺を見つけた途端、玄関の前で待っていたお姉さんが嬉しそうな声をあげる。

 エプロン姿のその人は小走りで俺に近づいてくると、

 

「おかえりなさい……ませっ」

 

 ギュッと俺を力いっぱい抱きしめた。

 ううっ。苦しいったらないぜ。この抱きしめ攻撃が無ければ良い人なんだけれども……。

 やけに甘ったるい香りと、シチューの良い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「ちゃ、ちゃんと約束どおり帰ってきましたんで……そ、そろそろ放していただけると助かるんですが」

 

 ようやく声を絞り出したと同時に、腹がグーッと鳴ってしまった。

 

「げげっ、す、すんません」

 

 恥ずかしさのあまり俺が顔を真っ赤にしていると、お姉さんはクスクス笑って玄関を開けた。

 すると、ひょこっとゆりなが顔を覗かせて、

 

「あっ、しゃっちゃんお帰りなさいっ。もー、二分二十四秒の遅刻だもんっ」

 

 妙に細かい指摘だった。

 なんて言い返そうかと考えていると、チビ助の足元から今度はコロ美が顔を覗かせた。

 

「パパさんお帰りなさいなんです」

 

 そして、そいつの頭に乗っかっているクロエも「にゃ~ん」と猫のフリをして俺を出迎える。

 いやはや、まったく……。こちとら大変だったつーのに、なんともノンキそうな奴らだぜ。

 

「……はあ」

 

 まあ、いっか。色々あったけれども――とりあえず飯を食ってとっとと休もうかね。

 

「にゃはは。しゃっちゃん、帰ってきたときはなんて言うんだっけ?」

「コロナはちゃんと言えたです。パパさん、ふぁいとっ」

 

 そんなやり取りに思わず笑ってしまう。

 

「はいはい、わーってるって。……ただいま、チビ助ども」

 

 と。俺はグーペコの腹を押さえながら、そいつらの待つ食卓へと向かった。



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第百弐石:vs第九番模造魔宝石 ウェザー・ザ・ザザザエル編

 開け放たれた窓から入り込んでくる暖かい風。

 桜の香りを纏ったそれは、寝そべっている俺の頬を通り過ぎ、下半身へと流れてくる。

 

「……んっ」

 

 風がケツに当たったような……。

 漫画を読む手を止めて見てみると、スカートがぺロリとめくれ上がってしまっていた。

 ゆりなから借りてるパンツ――それには魔女っ娘モンスターのキャラ達がプリントされているんだが。そいつらが揃ってアホ面で天井を見上げていた。

 ……なんとも恥ずかしい下着だが、ゆりな家で世話になってる身としては選ぶ権利なんて無いも同然だった。

 

「ったく。トランクスとズボンが恋しいぜ」

 

 ぱっぱとスカートを直して、俺はベッドの脇に置いてある怪獣さん時計へと視線を向ける。

 午後三時ちょい過ぎ。

 チビ助が学校から帰ってくるまであと一時間くらいか。

 それまで暇だな……。さすがに漫画にも飽きてきたし。

 あくびまじりに伸びをして、俺はもう一度ゆりなのベッドに寝転がって枕を抱きしめた。

 

「はあ~あ。やること無いのもこれはこれでキツイもんだぜ」

 

 シロハと弐式をシャオに奪われたあの日から一週間ほど過ぎたあたりか。

 いや、もっと経っているかもしれない。十日くらいか?

 あまりに何も無い日々だったからあっという間に感じたな。

 飯を食ってゆりなの部屋でゴロゴロする毎日――いつもあいつが帰って来るまで暇で暇で仕方が無いぜ。

 

 こっちの世界へと召喚され、少女化の呪いをかけられた日。

 それからの数日は大忙しだったからなあ。

 喋る黒猫に始まり、光る蝶々やら弐式という杖の封印解除。

 深緑色の蜂鳥ホバー、金色の鮫ダッシュ、漆黒のカブト虫コピーとの戦闘。この前の白狐シロツキも入れて四匹か。

 

 たった数日でこんな大勢とやり合ったんだ。またすぐに何か現れるかと思うじゃねーか。

 ……それなのによォ、なんも起こる気配すらないってんだからさァ。

 

「まったくもって……いささかに落ち着かないねェ」

 

 ゆりなにそんなことを言ったら、「えー? なにも起きないほーがいいじゃん! それよりゲームの続きしよーよっ」なんてノンキなことを言ってやがったが。

 どうもねェ。嵐の前の静けさっつうか……イヤな予感がするもんで。そろそろ模魔の一匹でもひょこっと現れて欲しいぜ。

 もちろんランクはサクッと倒せる低ランクで、それでいてだし子のように使い勝手のイイ能力を持ったヤツで――

 

「しゃっちゃんちゃーん」

 

 そんな妄想を始めたとき、コンコンとドアがノックされた。

 

「は、はいっ」

 

 ボサボサになっている髪を急いでヘアゴムで結って、がちゃりとドアを開けると、

 

「あっ。起きてました?」

 

 学校帰りなのか、セーラー服を着たままのお姉さんが立っていた。

 ……あれ? いつもはこんなに早く帰ってこないような。

 

「えっと……お、おかえりなさい」

 

 とりあえずそう言ってみると、

 

「にゃはは。違うのですよー。実はラケットを忘れてしまいまして、取りに一度戻ってきたのですっ」

 

 ひょいっと取り出したのは使い古されたラケットだった。

 ああ。そういえば、お姉さんはテニス部だったっけ。本人は謙遜しているが、ももは曰くプロ選手並みの腕前らしい。

 こんなほんわかした人がねェ……いささかに想像出来ないぜ。

 

「わざわざそれを……。学校に予備のラケットとか無いんスか?」

「いやー。私はこのラケットじゃないとダメなんですよー。それはそうと……はいっ、これを!」

 

 と。渡されたのはウサちゃんの刺繍が入ったお買い物バッグだった。

 その中にはお姉さんの財布とポイントカード、そしてメモ帳が入っていた。

 

「実はとっても言いにくいのですが……今日は特別練習があるようで、帰りがかなり遅くなってしまうのです」

 

 そこまで言ったところで、俺はメモ帳をめくりつつ、

 

「オーケイ、わかりましたんで。これに書いてあるものを買ってくればいいんスね」

 

 ふむふむ。

 結構たくさん買うものがあるけれども、多分あそこのスーパーで全部揃うだろうな。

 

「まあっ!! 恐悦至極に存じます……っ! ああ、可愛いし気が利くし、可愛いし、それに加えて可愛いし……なんて素晴らしい子なのでしょうっ!」

「う、うわっぷ」

 

 むにゅうっと頬に当たる二つのデカいマシュマロのようなそれに、一瞬で顔が真っ赤になってしまう。

 ううっ。あまりその技を多用しないでもらいたいぜ……。

 なんとか抱きつき攻撃から抜け出すと、

 

「それでは、申し訳ありませんがおつかいをお願いしますね……あっ、ちょっといいですか?」

 

 言って、俺の髪の毛を結い直すお姉さん。

 

「ふんふ~ん……はいっ! 今日はころこっちゃんとお揃いのツーサイドアップで決まりですっ!」

 

 ま、まァた人の髪を勝手に……。

 

「あらあらまあまあ、なんとっ! 普段のストレートもスペシャル可愛いですが、この髪型もとってもお似合いですよーっ!」

「…………」

 

 むくれ面の俺の頭をぽむぽむと撫でて、

 

「くれぐれもお車には気をつけて行ってきてくださいねっ。あと、知らない人について行っちゃ絶対にダメですからね?」

「わ、わかってますって」

「うふふっ。よろしい……のですっ!」

 

 ハートマークが飛び出しそうなウィンクをして階段を降りて行ってしまった。

 う、うーむ。相変わらず凄まじい人だぜ。

 まあいいや。どうせ暇をしていたんだ、気分転換がてら行ってくるとするかねェ。

 というか、買い物は結構好きな方なんだよな。

 安くて美味そうなモン見つけるとテンション上がるし。誰が買うんだコレ……みたいなヘンテコな商品を探すのも楽しいし。

 

「えーと。なになに。はなまる牛乳に、しらたき、ウィンナーにミートボール、イチゴとリンゴと……」

 

 メモ帳をもう一度見直していたとき。

 くいっくいっとスカートの裾が引っ張られた。

 

「あん?」

「んにゅ……パパさん、もしかしてお買い物行くです?」

 

 寝ぼけまなこのコロナが俺を見上げていた。

 

「……なんでぇい、起きちまったのかィ」

 

 あからさまに嫌そうに言ってやると、俺のスカートを掴んだままコクリと頷くコロ美。

 さっきまでベッドの下で転がりながら眠っていたのに……ちゃっかり俺とお姉さんとの会話を聞いていたようで。

 ぶっちゃけ、あんまりこいつを連れて行きたくないんだよなぁ。

 あっちこっち迷子になるし、ワイワイはしゃぐし、カゴにヘンな物入れてくるしで。疲れが倍増するだけだぜ。

 

「お前さんのことだ、ついて来んなって言ってもついて来るよな……」

「もちろん肯定なのですっ。パパさん、抱っこ、抱っこ」

 

 バンザイのように両手をあげて抱っこをせがむチビチビをひょいっと持ち上げ、

 

「頼むから、あんまりうるさくしないでくれよォ。ちゃんと大人しくして俺のそばから離れないように頼むぜ」

「えへへ~、肯定ですぅ」

 

 嬉しそうな笑顔で抱きついてくるそいつに、俺は諦めの溜め息をついた。

 ……ぜってェ大変な買い物になるなこりゃ。



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第百参石:なずな、

 やはりと言うべきか。どうやら俺の不安が的中したようだ。

 

「あのバカチビめ。どこに行きやがったんだ」

 

 カートを押す手を止めて惣菜コーナー、鮮魚コーナーへと足を運ぶもまったくもってチビチビの姿が見えない。

 カマボコを探して来いと命令したはいいが、あれから五分ほど経っても戻ってくる気配が無い。

 命令を出した際の、「カマ、ボコ……? 初めて聞く食べ物なんです。それ、どこらへんに売ってるです?」との問いに、惣菜か鮮魚売り場辺りにあるだろうよと言ったのだけれども……そのどちらにも居ないってのはどういうこった。

 

 こんなことだったらお姉さんが昨日チビチビの為に出してくれたゆりなのお古――ピヨピヨと音が鳴る靴を履かせれば良かったぜ。

 他の買い物客にとって耳障りになるだろう(俺自身もあまり好かねェ)からと、普通のサンダルを履かせたのがまずかったようで。マジで迷子になってしまった。 

 

「あ、そうだ」

 

 もしやと思い、お菓子及びおもちゃコーナーへと向かってみる。

 

「俺の命令を無視して遊んでやがったら……お尻ぺんぺんだけじゃ済まさねーぞ」

 

 ぷんすかとカートを力強く押し、高く積まれたカップラーメン売り場の角を曲がったとき、

 

「ぐっ!?」

 

 またもやあの鈍痛がこめかみに走った。

 これは――魔気か?

 鳥肌が立っている腕をさすり、俺は辺りを見回した。

 

 このピリッとした痛み。

 ファミレスでなずなと会ったときのような……。

 お菓子コーナーへ進むにつれ、その奇妙な感覚が強まっていく。

 

「誰だ……誰かいるのか?」

 

 やや警戒するように喉を湿らせてゆっくりと進んで行くと、

 

「ふゆゆぅ……決めらんないよぅ。どーしよう、早くしないとお兄ちゃんに怒られちゃう」

 

 お菓子コーナーの一角で一人の少女が座り込んでいた。

 やけに丈の短いオーバーオールを着て、うーんうーんと唸りながら茶髪のツインテールをぴょんこぴょんこと揺らしている。

 

「なずな、か?」

 

 足早に近づいて、そいつの両手に持つ二つのおもちゃを後ろから覗いてみる。

 えーと、なになに。『魔女っ娘モンスターガムエッグフィギュア』だァ?

 それはいわゆる食品玩具というヤツで、小さな卵型のガムの中に魔女モンの人気キャラの人形が入ってるものだった。

 

 そこで俺は思い出し、メモをもう一度広げて見てみた。

 ……やっぱりそうだ。買い物リストにガムエッグを四個って書いてあるぜ。

 おそらくお姉さんと、ゆりな、俺にコロ美の分で四個ってことだろうな。普通のガムの方が安くてたくさん入ってるのによォ……。まあ、買って頂けるなら文句なんて微塵も無いのだけれども。

 それよりもと、俺は未だに唸っているなずなの後ろに同じようにしゃがみ込んで、

 

「なーずにゃん。なーにしてんの」

 

 と。いささかにふざけた調子で、野球帽子から飛び出したなずなのツインテールを掴み、ぴょこぴょこ弄ってみることにした。

 すると、そいつはバッと振り返って、

 

「ふゆゅえっ!?」

 

 新種の深海生物のような鳴き声をあげたかと思うと、ペタンとその場に尻餅をついてしまった。

 

「いっひっひ。良い反応だねェ。チビ助がからかうのも解る気がするぜ」

 

 なんて笑いながら手を差し出すと、それをギュッと掴んで、

 

「ふゆぅ。知らない人かと思ってびっくりしちゃいましたよ……。も~っ」

 

 立ち上がり、ちょこっとだけぷく~っと頬を膨らませる。

 ボーイッシュな格好をしたサファイアブルーの瞳をした少女――名前は宝樹なずな。

 三年生になったゆりなの後輩で、おそらくは二年生で歳は八つくらいだろう。

 ……いや、ちょっと自信が無いな。

 

「ときになず代さんさァ、お歳はいくつだっけ」

 

 訊いてみると、そいつは「なずよ……?」と少しだけ困り顔で首を傾げたのち、

 

「えっと。わたしは八才です」

 

 左手をパーにして、右手の三本指を突き出す。

 そんな仕草に俺はホッと胸を撫で下ろした。

 どうやら二年生の八才で当たってたらしいな。

 うんうんと頷いている俺に、ますます疑問符をデカくしたなずなは、

 

「あのー。シャクヤク……さん。今日は何かお買い物ですか?」

 

 困り顔のまま頑張って微笑んで訊ねてきたそいつに、俺はすかさずチョップからのデコピンコンボをかました。

 もちろん生身相手だから氷付与はしていない為、残念ながらあまり点数は稼げない。

 

「ふゆうっ!? い、痛いですーっ!」

 

 ふゆふゆ言いながら頭を押さえてしゃがみ込んだなず代に、

 

「俺ァ、ダチ公にそうやって他人行儀な呼び方されるのが一番嫌いなんでぇい」

「だ、ダチ公ってなんですかぁ……」

「んなの決まってんだろォ、友達って意味だぜ」

 

 そう言うと、そいつは目を丸くして俺を見上げた。

 

「……え?」

「チビ助のダチは、俺のダチだ。不良っつうもんはそうやって人脈を広げていくモンなんでぇい」

 

 しかし。そいつはしゃがみ込んだままジッと俺の顔を見上げるばかりだ。

 なんだろう……俺、もしかしてすげーヘンテコなこと言っちまったのか?

 たちまちカーッと耳が熱くなったそのとき。

 

「あっ、あっ、あの。わたしなんかとお友達になってくれるんですか……?」

 

 ――わたしなんか?

 気が弱そうだとは思っていたが……。

 違和感を覚えた俺は、眉根を寄せつつ、

 

「友達っつうのは、なってくれるとかそういうのじゃねーだろ」

「だ、だって、わたしは……」

「あんれま。もしかして俺と友達になるのはイヤってか。いやはや、それはそれは出すぎた真似を――」

 

 いっひっひとテキトーに笑って誤魔化そうとしたのだが。

 

「い、いえっ! わ、わ、わたし、嬉しいですっ! お友達っ!」

「うおっ!?」

 

 ずいっと大声をあげるもんだから、周りの客の視線が俺たちに集まる。

 

「ちょ、ちょっと、あの。少し静かにだな……」

「で、でも、ゆりり先輩と同じ歳だから、シャクク先輩って呼ばせてくださいっ!」

 

 なんとも律儀っつーか。八才にしては出来すぎた娘さんっつうか。

 いや、まあ。この世界のチビどもはどいつもこいつも精神年齢が高めだからなぁ。

 

「お友らち……こ、これから、よりょひくお願いしますれすっ!」

 

 おい待て待てっ。なんで土下座をしてるんだこいつは!?

 しかも、なんかすげェ噛みまくってるしっ!

 

「わ、わかりましたんで。あの、本当にもういいからさ……」

「ははーっ! シャルル先ぴゃい!」

 

 いやいや。シャルルって誰だよ。フランス国王になんかなった覚えないぞ。

 ゆりなやももはと比べて結構まともなヤツかと思いきや、こいつもこいつでぶっ飛んでやがるぜ……。

 周りの客からの訝しげな視線に、いよいよ耐え切れなくなってきたところで、

 

「おーい。おっせーぞ。なにしてんだよ、なずぅ」

 

 気だるげにカートを押してきた金髪……いや、明るめの茶髪の少年は、俺たちを見るなり、

 

「うぇ!? お、お前……本当になにしてんの?」

 

 悪そうな見た目には似合わず、抜けた声で俺と土下座しているなずなを交互に見る少年。

 まったくもって――本当に何してんだろうな、俺たちは……。



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