上条当麻が風紀委員でヒーローな青春物語 (副会長)
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幻想御手編
風紀委員〈ヒーロー〉


ホント、退屈しないわね。――この都市(まち)は。


 

「学園都市」

 

 東京都西部に位置する外部と隔離された完全独立教育機関であり、総人口のおよそ8割を学生が占める科学都市。

 

 ここでは“超能力”を“人工的”に“開発”するため、子供達は日々特別なカリキュラムに勤しんでいる。

 だが、そんな彼らが四六時中怪しげな研究施設に軟禁されてマッドサイエンティスト達に人体実験されているかといえば、そんなことはない。――まぁ、皆無とは言わないが。

 

 この閉ざされた閉鎖環境の中にいる約180万人以上の学生達の多くは、“壁”の外の一般的な学生と同じく、人生に一度しかない青春時代を謳歌している。

 放課後に友人達と親交を深めるべく遊びに出かけたり、恋人を作って甘酸っぱい思い出を作ったり。

 

「ねぇねぇ、君可愛いねぇ~。一人? 俺たちと遊ぼう~よ~」

「その制服常盤台っしょ~? お嬢様がこんなとこほっつき歩いてたら危ないよぉ~」

 

 若き情熱(パッション)に身を任せて、後先も考えずにナンパもしたりする。

 彼らも、もちろんナンパの被害に遭っている女生徒も、まだ十代の未来ある子供達だ。

 

「………はぁ。ホント、退屈しないわね」

 

 ちょっとばかし、“特殊”な“能力(ちから)”を持ってはいるけれど。

 

「この都市(まち)は」

 

 ついイラっときて“街中の信号機とかが止まっちゃうレベルの電撃”を“ナンパ撃退の為に躊躇なく放っちゃう”くらい……未熟な子供達だ。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁああああああああ」

 

 

 

 

 この物語はそんな少年少女たちが

 

 命懸けの事件に巻き込まれて、とても子供とは思えないような活躍をしたり

 

 かと思えば子供らしく色恋沙汰に悩んだり、友達と意味のない会話を繰り広げたりする

 

 

 そんな何処にでもある――青春の物語。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……ありえねぇ!! なんだありゃあ! くそっ、ついてねぇ!!」

 

 不良少年は路地裏を全力で疾走していた。

 彼はついさっき、“可愛いお嬢様学校の生徒が一人で退屈そうにしていたので、思い切ってナンパしたら、信じられないくらいの高圧電流をブチかまされて命からがら逃げ出してきた”ところだ。

 

 この出来事が“ついてない”で済まされるところが、この都市の特殊性を如実に表している。

 

 そんな彼の前に――虚空から、人が突然“出現”した。

 

「っ! はぁ!?」

 

 突然目の前に現れた人影に驚いている間に、不良少年はあっという間に取り押さえられ、腕を捻られ地面に押さえつけられる。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの。暴行未遂の現行犯で逮捕しますわ」

 

 いや、僕たった今殺人未遂の現行犯から絶賛逃走中なんですが……なんて戯言を言いたくなった不良少年だったが、相手にされないことは分かっているのでぐぅと堪えた。というか極められた関節が痛すぎて何も言えなかった。問答無用だった。

 

 そうこうしている間に、彼の両手に手錠がかけられ彼の一分間にも及ぶ逃亡生活は終わりを告げた。

 そんな彼をそのまま放置し、彼女――白井黒子は婦女暴行が行われていると報告を受けた現場に急行しようと足を進める。

 

 彼女が所属する組織は――「風紀委員(ジャッジメント)」。

 

 能力者の学生達による治安維持機関で、文字通り風紀を正すのが仕事だ。

 

 そして、白井が己の職務を全うすべく現場に駆けつけると――

 

「……………」

 

 そこには真っ黒焦げになった不良学生数名と。

 

「あ。黒子」

 

 白井のよく知る敬愛すべき女性がいた。

 

「……お、お姉さま……」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「まったく! 学園都市の治安維持活動は私たち「風紀委員(ジャッジメント)」の仕事だと、何度言ったら分かりますの!?」

「……だって、あんた達が来るまでに終わっちゃうんだもの。悔しかったらもっと早く来てみなさい♪」

 

 後輩のそんな説教を御坂美琴は軽く受け流していた。

 この敬愛すべき女性はこれまで白井が何度言ってもこの悪癖を改善しようとしない。

 

「だいたい私があんな奴らに囲まれたってどうにかなるわけないじゃない。今の所、全戦全勝よ♪」

 

 確かに、この人――御坂美琴がそんじょそこらの「スキルアウト」に傷つけられることなどありえないだろう。

 だが、これはそういう問題ではない。いくら医学的知識が豊富だからといって勝手に手術をしたらただの傷害罪なのと同じで、いくら実力があろうともやっていいことと悪いこと、踏み込んでいい領域とそうでない一線というものがある。

 そんな風に白井が思っていると、御坂の顔がなぜか険しくなっていた。そして、御坂は悔しそうに唸る。

 

「……“あの馬鹿”を除けばね。」

「……ああ。上条先輩のことですの」

 

 御坂の言う馬鹿の心当たりがあったので、白井はまたかと溜め息をつく。

 

「いい加減諦めたらどうですの?」

「いやよ! 確かにまだあいつにダメージを与えたことはないけど、こっちも一発ももらってないもの! まだ負けたわけじゃないわ! 次会ったら絶対決着をつけてやるんだから!!」

 

 そういきり立つ彼女に、白井は(それは真面目に相手されてないだけでは?)と思わず言いそうになったのを止める。

 この人は周りがどうこう言って収まるような人ではないのだ。御坂のことは誰よりも尊敬している白井だが、それ故に彼女にはこういった子供っぽい部分があるのも知っているし、それが魅力だとも思っている。……弁えて欲しいと思っているのも事実だが。

 

「それよりお姉さま。急がないと……」

「……そっか。そういえば今日は「身体検査(システムスキャン)」の日だったわね」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 身体検査(システムスキャン)

 

 学園都市の代名詞でもある“超能力”の“レベル”を測る行事である。

 

 それぞれの能力に対した実験を行い、その成績に応じて

 無能力者(レベル0)から超能力者(レベル5)まで6段階に“ランク分け”される。

 

 ()()()()()

 

 そんな風潮が広がるこの学園都市では、高レベルは羨望の、低レベルは嘲笑の対象となりうる。

 それ故に、この身体検査は、学園都市の学生達にとって、とても重要な意味を持つ。

 

 常盤台中学の校庭。

 ここでは白井黒子が自らの能力を測る為、ハンマー投げの舞台で鉄製の物体を“飛ばす”試験をしていた。

 

「――記録。78m58cm。誤差、54cm。総合評価――大能力者(レベル4)

 

 告げられた結果に、白井は露骨に不満を露わにする。

 

「……はぁ。いまいちですわね。やっぱりここのところ風紀委員の仕事が忙しかったのが影響して――」

 

 白井が納得いかない結果に、自分なりの折り合いをつけようと言い訳染みた独り言を呟いていると、そこに「お~ほっほっほ」という、現代ではあまり聞く機会の少ない種類の高笑いが聞こえてきた。

 しかし、少なくとも白井には聞き覚えがあったようで、忌々しさを隠そうともせずに、高笑いの主に顔を向けた。

 

「……婚后光子」

「そんな言い訳なさっているようでは、先は見えてますわねぇ」

 

 扇を口に当て、上品過ぎて逆に下品に聞こえる口調で話すのは、婚后光子。

 一年生ながら目立つ存在の白井に敵対心を持っており――というか「わたくし、あなたが気に入りませんの!」とか面と向かって言い放っている――事あるごとに白井に対抗しようとしてくる少女である。

 

「この分ですと、わたくしの方が先に超能力者(レベル5)に到達することになりそうですわねぇ」

 

 そう言って、扇で口元を隠しながらもニタニタ笑いが伝わる表情を白井に向ける婚后。

 白井がワナワナ震えながらなんと言い返してやろうか、考えていると――

 

――突如、プールが“爆発”した。

 

 その衝撃で婚后は尻餅をつき、校庭も軽くパニックに包まれた。

 

「な、何事ですの?」

 

 事態が把握できていない婚后に、表情を一気に不敵に変えた白井が得意気に解説する。

 

「本年度から常盤台に編入してきたあなたはご存じないかもしれませんが、今プールで能力測定されているのが――」

 

『――測定完了』

 

「――常盤台のエースにして、学園都市に7人しかいない能力ランクの最上位――」

 

 

『――総合評価“超能力者(レベル5)”』

 

 

「あの一撃を真正面から受ける覚悟が、あなたにありまして?」

 

 意地悪く尋ねた白井の言葉に、婚后は息を呑む。

 

 白井はそれを見て、決して惨めだとは思わず、それはそうだと思った。

 空間移動(テレポート)の使い手で、いざとなれば瞬時に回避できる自分ですら、あの一撃を向けられてすら欲しくない。恐怖で演算を失敗してしまうかもしれない。

 

 白井は跳ね上がる水柱を眺めながら思った。

 あの一撃を、文字通り“真正面から受け止められる”のは、“あの人”くらいだろうと。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そして、同じく常盤台中学のとある場所。

 超能力者の“超電磁砲”がプールで注目と歓声を浴びているのと同じ頃。

 

 陽の光が一切差し込まない密閉された地下深くで、常盤台が誇る“もう一人の超能力者”が同様に身体検査を行っていた。

 

 御坂とは違い、決して大きな注目を浴びることはない。観客もいない。

 しかし、解る人達には絶句されるようなレベルの学者や科学者たちが見守る中、淡々と結果が告げられた。

 

『――総合評価。超能力者(レベル5)

 

 おおーと、御坂の時のような華やかな歓声ではなく、自分の研究成果が表れたことを喜ぶ仕事人間(マッドサイエンティスト)達の歓声。

 

 それらをまったく意に介さず、食蜂操祈は颯爽と実験場を後にした。

 彼女には、こんなところでお偉い学者達のご機嫌をとることよりも、はるかに大事な予定(やくそく)がある。

 

「さて、あの人との待ち合わせの時間は……っと♪」

 

 その表情は“女王”ではなく、十四才の女の子のそれだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 所変わって、ここは柵川中学。なんの変哲もない。普通レベルの普通校。

 

 常盤台中学と同様に、この日は身体検査(システムスキャン)が行われて、今は放課後。

 端末を操作しながら花飾りを頭に乗せる少女――初春飾利は下校しようとしていた。

 

 そして、そんな彼女に背後からゆっくりと近づく怪しい人影が迫る。

 

「う~い~は~るっ!」

 

 掛け声と共に、その人影――佐天涙子は初春のスカートを勢いよく捲り上げた。

 初春はしばらくの間現実を受け止められず、ひらひらとスカートが自由落下により元の位置に戻った頃、ぼんっと顔を真っ赤に爆発させ悲鳴を上げる。

 

「きゃぁぁぁああああ~~~~~~!!!!!」

 

 まるで痴漢に遭ったかのような鋭い悲鳴。

 確かに状況的にはあまり変わらない――下校中の校門前なのでクラスメイト(♂)とか普通にいる可能性大なのだ――が、犯人がその愛すべきクラスメイトなのだ。

 

「なにするんですかさてんさんいきなりなにするんですか!」

 

 顔をこれでもかというくらい赤面させてぶんぶん両手を振り回し不満をぶつけてくる初春のリアクションに内心癒されながら、佐天は笑顔で応対する。

 

「いやぁ~相変わらず可愛いパンツだね♪ だけど初春、君の笑顔はもっと可愛いぜ♪」

「自分で捲っておいて何言ってるんですかぁ~~!!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「……ひどいですよ」

 

 場所は変わって、学校から少し離れた場所にあるベンチ。周りの視線が痛かったので初春が全速力で逃走してきたのである。

 そんな彼女は遠い目をしながら、明日からの学校生活を憂いていた。目の前の夏休みを待ち望む気持ちが膨れ上がっている。

 ヘラヘラ笑いながら、佐天は涙目の初春に言った。

 

「ごめんて初春~お詫びにあたしのパンツ見せるからさ~」

「けっ! こうっ! です!」

 

 初春は溜め息をついた。

 この佐天涙子という友人はこういう人なのだ。

 いつも笑顔で誰にでも気さくだが、スキンシップが激しいのだ。

 まぁ、そんなところも嫌いじゃないのだが。……ただ、天下の往来で乙女のパンツを晒すのは勘弁していただきたい。

 

「ははは。あ。そういえば、どうだった?」

「? どうって……」

「決まってんじゃん、身体検査(システムスキャン)

 

 そういうことかと初春は納得する。

 身体検査(システムスキャン)は学園都市在住の学生にとっては一大行事だ。その直後なのだから、話題に上らないほうが不自然だろう。

 

「私は相変わらずの低能力者(レベル1)です。小学校からず~っとですから、先生にも呆れられて」

「……そっか。まぁ、元気出しなよ。大体低能力者(レベル1)ならまだいいじゃん。あたしなんか無能力者(レベル0)だよぉ~」

「あ……」

 

 初春は自分の迂闊さを恥じた。

 確かに低能力者は「能力は発動するが、日常では役には立たない」といったレベルで、決していいランクではないが、佐天は無能力者――「能力が発動しない、もしくは効果のほとんどない微弱な力」といったレベルで、佐天はその中でもまったく発動しない――すなわち学園都市にいるにも関わらず、超能力を発動した経験がないのだ。

 

 しかし、それは珍しいことではない。

 学園都市の人口の8割は学生――そして、その中の実に6割が無能力者なのだ。

 

 確かに学園都市の技術は“外”と2、30年の開きがあると言われているが、それでも万能ではない。

 230万人の8割――つまり184万人の学生の内、最高ランクの超能力者(レベル5)がたったの7人しかいないことがいい例だ。

 

 超能力開発とはそれほど難しい代物なのだ。

 しかし、学園都市に来る者は皆一様に夢を持って集まる。

 

 自分も漫画やアニメの“ヒーロー”のように。

 かっこいい“超能力者”になる憧れを。

 

 だからこそ、無能力者の持つコンプレックスは大きい。

 

 初春は軽はずみな“愚痴”をこぼしてしまったことにいたたまれない気持ちになりながらも、佐天はなんでもないかのように振る舞う。

 

「まぁ、いいんだけどねぇ~そんなこと!」

「え?」

 

 呆気にとられる初春に、佐天は不敵にウインクしながら答える。

 

「あたしは毎日が楽しければ、それでOK♪」

「……佐天さん」

 

 ……そうだ。こういう所が佐天の素敵な所なのだ。

 初春はそんな佐天に笑顔で応える。

 

「そうですよ。それに無能力者でも凄い人はいっぱいいますしね! 例えば、風紀委員の同じ支部の先輩にも凄い人がいるんですよ!」

「へぇ~そうなんだ。どんな人?」

 

 佐天は自分と同じ無能力者にそんな人がいるのかと興味を持った。

 それに、その人の事を語る初春の目がいつもと違う気がする。なんというか、熱を帯びているというか…

 

「ええとですね。歳は私たちの3個上の高校1年生なんですけど、検挙件数があの白井さんとトップ争いを繰り広げるくらい凄い人なんですよ~! 困っている人は見捨てられない優しい人で! いつも揉め事があると躊躇わずにまっすぐに突っ走って行って! それから! それから!」

 

 初春の話はマシンガンのように留まるところを知らずに、どんどんヒートアップしていく。

 この子がこんなにしゃべるところ初めて見たかも……と佐天は若干引いていたが、それでも話はちゃんと聞いていた。

 

 初春の話を聞く限り、その人は高校1年の男の人のようだ。

 ずいぶん、まっすぐで優しい人らしい。この様子だとずいぶん色眼鏡が入っているようだが……。

 

 それに、話に出た“白井さん”というのは、前に初春の話から聞いたことがあった、こちらも風紀委員の先輩で、たしか“空間移動”の大能力者だったはずだ。

 

 そんな人と同じくらい優秀な風紀委員が無能力者……?

 佐天は正直言って信じられず、思わず初春の未だに熱中して話し続けるのを遮って問いかけた。

 

「ねぇ、初春? その人本当に無能力者なの?」

「え? はい、そうですよ♪ まぁ、ちょっと特殊ですけど。その人の名前は――」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 とあるファミレスにて。

 

「私のファン?」

「ええ。風紀委員177支部のわたくしの後輩で。是非ともお姉さまにお会いしたいと」

「……177支部か」

 

 御坂が顔を顰めた。

 風紀委員177支部には、御坂の(一方的な)宿敵がいる。

 

 しかしアイツは白井の先輩なので違うだろう。

 だが、“超能力者――御坂美琴のファン”というだけで、御坂をゲンナリさせるには十分だった。

 

「しかも、私のファンねぇ……」

「お姉さまが常日頃からファンの方々の無礼な振る舞いに辟易していらっしゃるのは十分承知の上ですが、初春はわたくしの数少ない友人で信頼できる子ですの。ここはわたくしの顔に免じて一つ」

 

 学園都市の代名詞でありシンボルである“超能力”。

 そして、その最上位である“超能力者”は意外にもその大部分はベールに包まれている。

 

 超能力者ともなればいわば学園都市の最高傑作であり、機密の塊である。

 そのせいか、公にされている情報は驚くほど少なく、その者が持つ能力は勿論、男なのか女なのかすら明らかにされていない者も多い。第六位にいたっては存在すら怪しまれている。

 

 そんな中。

 端正なルックス。

 常盤台中学というステータス。

 電撃使いというポピュラーな能力からの身近さ。

 低能力者(レベル1)から成り上がったというサクセスストーリー。

 

 それらに伴って学園都市側も彼女を広告塔のように使っていることから、御坂は学園都市一有名なアイドル的存在なのだ。

 

 よって、当然のように御坂のファンは多い。

 そして、当然のようにそのファンの全てが良識を持っているというわけではない。

 

 大きすぎる好意で迷惑を被ることもあれば、その逆でやっかみや嫉妬で嫌がらせをされることも少なくない。

 そんなわけで、御坂は己の“ファン”という人種にあまりいい感情は持っていない。

 

 しかし――。

 

「……はぁ。まぁ、黒子の友達なら仕方ないか」

「お姉さま……」

 

 御坂を敬愛する白井は、苦言を呈すことはあっても、あまり我儘や頼みごとを御坂にはしない。可愛い後輩のたまの(邪心のない)お願いを聞くのもいいか、と御坂は頬杖をつき、窓の外を見ながら気だるげに答えた。

 だが、その素っ気ない言葉に込められた優しさに気づかない白井ではない。

 感動に打ち震え、その衝動を抑えきれず――抑えようとしたかはまた別――その自慢の能力を無駄に無駄遣いし、御坂の膝の上にテレポートした。

 

「お姉さまぁ~!!」

「うわっ、ちょ、黒子っ」

「お姉さまがわたくしのことをそんなに想っていただけたなんてぇ~」

「ちょ、離れなさいって……ん?」

 

 抱き着き、擦りついてくる白井を引き剥がそうと四苦八苦している御坂がふと窓の外を見ると――。

 

「…………」

「…………」

 

 顔を真っ赤にして凝視する初春と顔を真っ青にしてガチで引いている佐天がいた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

「御坂美琴?」

「はい! 念願叶って、あの御坂美琴さんに会わせてもらえることになったんですよぉ~。白井さんに頼み続けた甲斐がありました! 佐天さんも一緒に行きましょう!」

「……え~」

 

 テンションがマックス過ぎる初春とは対照的に佐天の方はあまり乗り気ではなかった。

 

「御坂美琴ってあれでしょう? 常盤台の超能力者。あたしああいう人達嫌いなんだよねぇ。自分より下の人達を露骨に見下してくるじゃん」

 

 佐天は高位能力者にあまりいい感情は抱いていなかった。

 そして、多くの高位能力者にそれが当てはまるのもまた事実だった。

 

 学園都市における能力のランクは、分かりやすくカーストを決定づける最重要のステータスなのだ。

 

 学歴の高いものが低い者を見下すように。

 金持ちが貧乏人を見下すように。

 

 高位能力者は無能力者を無条件で見下す。

 

「そんなこと……」

「しかも常盤台っていったら、どうせいけすかないお嬢様に決まって――」

「いいじゃないですか、お嬢様!!」

「うおっ!」

 

 佐天の言葉を沈痛な面持ちで聞いていた初春のテンションがあるキーワードをきっかけに再びマックスを余裕で振り切った。

 

「いえ、むしろお嬢様だからこそいいじゃないですか! ああ、いいですよねお嬢様!! お嬢様のお嬢様によるお嬢様のための楽園「学び舎の園」! 一度は行ってみたい「学び舎の園」! みんな大好き「学び舎の園」! そんな所に通う超能力者の御坂美琴さん! きっと素晴らしいお嬢様に違いありません! いい匂いがするに違いありません! そんなお嬢様に一度でいいから会ってみたいじゃないですか!」

「い、いい匂い?」

 

 お嬢様への熱き想いを力強く語る初春を今日は良くしゃべるな~と思いながら、佐天は軽く受け流していた。

 しかし、こんな状態の初春だけで会いに行かせるのは色々と危険な気がしたので、佐天は大きく溜め息をつきながら同行を決めた。

 

 

 

 20分後。

 

 佐天が見たのは、鼻息荒く抱きつくピンク髪のツインテールと抱きつかれる茶髪の少女だった。(in有名チェーン系列ファミレス)。

 

 ここで一言。

 

「来なきゃよかった……」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、御坂と白井が「申し訳ありませんが、他のお客さまにうんちゃらかんちゃら」とお決まりのセリフでやんわりと追い出された為、仕方なく店の外で自己紹介となった。

 

「ええ……こちらがわたくしの後輩の初春飾利ですの」

「は、はじめまして! 初春飾利です!」

 

 御坂に拳骨を食らい涙目の白井が初春を御坂に紹介する。

 紹介された初春は絵に描いたようにテンパりながら、勢いよく頭を下げる。

 

「ええと、それから……」

「どぉも! 勝手に付いてきちゃいました、初春の友達の佐天涙子で~す。ちなみに、能力値は無能力者です!」

「さ、佐天さん!」

 

 嫌々ついてきた佐天は自分の機嫌が悪くなっているのを自覚してついつい棘のある挨拶をしてしまった。

 自分でも嫌な言い方だとは分かっていたが、無能力者の所を強調して言った。

 

 自分とあなた達は住む世界が違うと、やつあたりのように。

 それで、自分が一番傷ついたことに気づかないふりをしながら。

 

 佐天としては、これで相手に悪感情を抱かれても構わなかった。

 大能力者と超能力者のエリートとなんて、無能力者の落ちこぼれの自分が仲良くなれるなんて思わなかったから。

 

 しかし――。

 

「初春さんと佐天さんか。私は御坂美琴よろしくね」

「えっ。……よ、よろしく……」

「……お願いします」

 

 呆気にとられる二人を置いて、白井と御坂はけろっととした様子だった。

 

「さて、それでは行きましょうか♪ 最初はランジェリーショップに勝負下着を買いに♪」

「あんたはまだ懲りてないのか……」

 

 御坂と白井はまるで普通だった。

 佐天の嫌味に気づいていないのか。佐天の拒絶も意に介していないのか。

 

(おかしな人達……)

 

 佐天の悪感情は少し薄れていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、四人でクレープ屋に行った。

 某超能力者が限定ゲコ太ストラップ獲得に執念を燃やし、某大能力者がお姉さまとの間接キスに闘志を燃やしているのを佐天は少し離れた所から見ていた。

 

「よかったですね」

「ん?」

 

 初春が口元に生クリームをつけながら、笑顔で聞いてくる。

 

「御坂さん。思ったより全然親しみやすい人で♪」

「……クリームついてる」

 

 佐天が自分の口元を指さしながら指摘すると、初春は「えっ!どこですか!?」と可愛らしく慌てる。

 そんな初春に苦笑し、視線を前に戻すと御坂が襲いかかる白井を左手で抑えつつ右手に持つクレープを死守していた。

 

「どうなんだろうなぁ……」

 

 佐天がなんともいえない気持ちで二人のやりとりを眺めていると。

 

「あれ?」

「? どうしたの初春?」

「いえ、なんであの銀行昼間からシャッターを――」

 

 初春が、道向こうの銀行を指さす――と。

 

 バーーーン!!! と、シャッターが内側からの爆発で吹き飛んだ。

 

「え!? なんなの!?」

「初春! 警備員(アンチスキル)への連絡と、怪我人の有無の確認! 急いでくださいな!」

「は、はい」

 

 佐天が爆発の衝撃に驚き身を屈めているのを飛び越え、白井は風紀委員の腕章を身に付けながら、初春へ指示を出す。

 その顔は御坂にセクハラしていた変態ではなく、風紀委員177支部のエースへと変わっていた。

 

「黒子!」

「お姉さまはそこでじっとしててください!!」

「……え~」

 

 後輩に言い切る前に釘を刺され、不満を表す御坂に白井は苦笑する。

 

「学園都市の治安維持はわたくしたち風紀委員のお仕事。おとなしく見ていてくださいな♪」

 

 そう言い切られ、今度は御坂が苦笑する。そんなやり取りを、佐天は呆然と見ていた。

 

「ほらっ! グズグズすんな! さっさとズラかるぞ!!」

 

 いまだ爆煙が湧き出る建物内から、顔半分をスカーフで隠したいかにも悪者という三人組が飛び出してきた。

 

 その三人の前に、一人の少女が“出現”し、毅然と言い放つ。

 

「風紀委員ですの! 器物破損、及び強盗の現行犯で拘束します!」

 

 それを聞いた三人組は、一瞬呆気にとられ、その後笑い出す。

 

「なんだこのガキは!」

「風紀委員も人手不足か!」

「笑わせんな小娘が!」

 

 完全に白井を見た目で判断し、小馬鹿にする三人組。

 

 白井はその反応を見てムカッとするも、悠然と彼らに向かって歩みよる。

 こんな奴らには能力を使うまでもないと言うように。

 

 しかし、三人組は近づいてくる白井を見ても余裕を崩さず、あろうことかその内の一人――Aが、

 

「お嬢ちゃん! さっさとにげねぇと怪我するぜ!」

 

 お約束のセリフを言いつつ、白井に襲いかかる。

 しかし白井は、襲いかかる右手を受け流し、左足で軸足を突き払い、くるっとAの巨体を投げ飛ばした。

 

「ぐはっ!」

 

 自らの体重故の落下の衝撃に一瞬呼吸が出来なくなり、そのまま気を失った。

 一切の超能力を使わず、ただ純粋の体技のみで、中学一年生の小柄な女子が、百キロ近くはあるだろう巨漢を一撃で無力化した。

 

「……そういう三下のセリフは……死亡フラグですわよ」

 

 Aの気絶を確認すると、すぐさま白井は残りのB、Cに鋭い視線を向ける。

 B、Cは仲間の犠牲を糧に、白井への認識を改めていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「凄い……」

 

 佐天は同い年の白井の見事な手並みを素直に賞賛していた。

 

「さすが黒子」

 

 御坂は後輩の活躍をさも当然のように、しかし少し誇らしげに称える。

 

 そんな中、少し遠くから何やら言い争うような声が聞こえた。

 

「ダメです! 今ここから離れちゃ!」

「でも!」

 

 そこでは、初春が一人の女性がいて、佐天と御坂もそこに向かう。

 

「どうしたの?」

「なにかあった?」

「それが……」

「息子がいなくなっちゃったんです!」

 

 初春が事情を説明するのを遮るように、母親と思われる女性が叫んだ。

 その顔には酷い狼狽の色が浮かんでいる。

 

「さっきまでそこで遊んでいたんですけど……少し目を離した隙に……」

 

 風紀委員の腕章もつけていない一般人の御坂と佐天に話す必要などない。そんなことにも頭が回らないほど、彼女は混乱しているようだった。

 

「……分かった。じゃあ、私と初春さんで――」

「あたしも探します!」

 

 佐天は自分でも気付かないうちに叫んでいた。

 しかし、周りのみんなが動いているのに、自分だけ何もしないのは嫌だった。

 

 御坂はそんな佐天を見据えて、言った。

 

「分かった。手分けして探しましょう」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 リーダーらしきBが自らの掌に炎を出し、白井を威嚇する。

 白井が只者ではないことは分かったが、それでも自分は強能力者(レベル3)ということに少なからずの自負があった。

 

「今更後悔してもおせぇぞ。この俺が能力を出したからには、てめぇには消し炭になって――」

 

 Bがカッコよく決めている最中に、白井は消える。

 

「は? 消えッ!」

 

 白井は突如Bの上に現れ、後頭部を蹴り飛ばす。

 

「ぐっ……」

 

 倒れ込んだBを、白井は持ち歩いている鉄釘をテレポートさせ地面に縫い付ける。

 この状態になってようやくBは、自身と白井の圧倒的な実力差を思い知っていた。

 

「これ以上抵抗するなら、次はこれを体内に直接テレポートさせますわよ♪」

 

 Bの戦意は完全に消失した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「どこ行ったのよ、もぉ~」

 

 初春と御坂と佐天(+お母さん)の、男の子捜索は難航していた。

 佐天は突っ伏して草むらを覗き込むが、よく考えたらその男の子の特徴を聞きそびれていたことに気づき、自分もあのお母さんに負けず劣らずテンパっていたのだと思い知る。

 

 それはそうだろう。

 

 ここは学園都市。

 超能力などいうものを真面目に研究し、常識として浸透している実験都市。

 

 だがしかし、自分はなんてことはない普通の学生なのだ。

 

 御坂のように電撃なんて出せないし。

 白井のようにテレポートなんて出来ない。

 

 佐天涙子は普通の学生で、普通の人間である。だからこれまで、ごく普通の日常を―――ごくごく平凡な青春を生きてきた。

 

 だからこんなことに巻き込まれたのは生まれてはじめてなのだ。

 テンパりもする。

 

 しかし、佐天が普通の人生から脱却した決定的な分岐点は、おそらくここだったのだろう。

 

 超能力者の御坂ではなく。

 風紀委員の初春でもなく。

 テンパっている佐天が見つけたのだ。

 

 一番に見つけてしまったのだ。

 

 Cが男の子を人質にとろうとしているのを。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 白井黒子は中学一年の13才だが、風紀委員としてはベテランの域にいる。

 

 元々風紀委員は学生で構成されているので、中一の白井でも下っ端というわけではなく、むしろその空間移動という能力のおかげで誰よりも早く現場に駆けつけられることから、誰よりも多くの成果を挙げて、誰よりも多くの実践経験を積んでいる。

 

 その為、Bが能力を発動したとき、白井の中でBをすぐさま無効化することが最優先事項となり、即座に実行に移した。これはもはや無意識下での処理だった。

 だが、その結果、Cを放置してしまった。

 

 CはAがあっさりやられた途端、白井の撃退を諦めた。

 Bとは違い無能力者だった分、戦闘という選択肢可はあっさり捨て、逃亡一本に絞ることが出来たのだ。

 

 そして、その先に無防備の男の子が、これ見よがしに突っ立っていた。

 やることは一つだった。

 

「おい、坊主こっちこい!」

「え、何? 嫌だ! 怖い!」

 

 少年は必死に抵抗する。

 

 佐天は完全にパニックになり、どうすればいいのか分からなかった。

 周りを見渡すも、初春も御坂もすぐに駆けつけられる距離ではない。白井はBと戦っている。

 

 自分しかいない。少年を助けることが出来るのは、ここには自分しかいない。

 

 もちろんここで逃げ出す選択肢もあっただろう。

 大声で助けを求めることも出来ただろう。

 

 13才の女の子に、銀行強盗に素手で立ち向かうことを強要することなど、誰にも出来やしない。

 

 だから、ここが分岐点だ。

 

 佐天が“普通”に生きるか。

 数々の事件に巻き込まれる波乱万丈な“物語”の主要人物(メインキャラ)になるか。

 

 佐天涙子は、決断した。

 

「……あたし、だってっ!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ダメぇーー!!!」

 

 

 その叫びに御坂は振り返った。

 

 そこには、Cに連れ去られようとする男の子を必死でかばう佐天がいた。

 

「離せ、このガキ!!」

 

 男が足を振り上げる。

 

 佐天が男の子を抱きかかえる。

 

 ダメだ。間に合わない。

 

 

「やめろぉ!!!!」

 

 

 御坂の横を一つの人影が叫びながら、過ぎ去る。

 

 初春も白井も目を見開き、驚愕する。

 Cも呆気にとられ、その行動を一瞬制限された。

 

 それで十分だった。

 

 Cの顔面に、右拳が突き刺さる。

 強烈な勢いで吹き飛ばされ、佐天は恐る恐る目を開き、自身の傍らに立つ影を見上げた。

 

 そこにいたのは、ツンツン頭の高校生くらいの少年だった。

 

 Cは鼻血がたらたらと垂れるのを押さえながらゆっくりと立ち上がる。

 少年はCを鋭く睨みつけ、自らの右腕に巻かれた腕章を強調するように、言い放った。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だ!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「下がってろ」

「は、はい」

 

 突然現れた風紀委員の少年は佐天達を守るように、Cとの間に立ち塞がる。

 目線は相変わらずCに向けたままだったが、少年は佐天に優しく語りかけた。

 

「よく頑張ったな。お前の勇気のおかげで間に合った」

 

 その言葉が、佐天には凄く嬉しかった。

 御坂や白井なら当たり前のようにできる行動でも、佐天には一世一代の頑張りだったのだ。

 

 この人は、それが分かっている気がした。

 弱い側の気持ちを分かっている人のような気がした。

 

「あとは任せろ。その子を連れて白井達の所まで戻るんだ」

「……はい! ありがとうございます!」

 

 佐天は男の子を抱きかかえたまま、一目散に駆け出した。

 名前も知らない少年に、背中を預けて。

 

 足はもう震えてなかった。

 

「佐天さん! 大丈夫でしたか!?」

「佐天さん、大丈夫!?」

「心配しましたわ。ごめんなさい、わたくしが油断したせいで」

 

 初春、御坂、白井が佐天を迎える。

 

「ええ。なんとか」

 

 佐天が三人に笑顔を向けた時、佐天の腕の中の男の子が母親を見つける。

 

「ママ!」

「透!!」

 

 透は母親の元に駆け寄り、思いっきり抱き着く。

 母親も我が子を力いっぱい抱きしめた。

 

 それを見た佐天は、恐怖で強張っていた自身の頬が優しく緩むのを感じた。

 すると、母親が涙で潤みきっている瞳を佐天の方に向けて、勢いよく頭を下げた。

 

「本当に、ありがとうございました!!」

「え、いや、あの」

 

 今まで受けたことのない大きさの感謝に佐天が再び戸惑っていると、母親が優しく腕の中の透に「ほら、あなたも」と促す。

 

 すると、透は満面の笑みで。

 

「ありがとう。お姉ちゃん!!」

 

 まっすぐに感謝を告げた。

 

 佐天は嬉しそうに微笑む。

 この言葉だけで、自分の一生分の勇気が報われた気がした。

 

「あ! そういえば、あの人は大丈夫なんですか!?」

 

 透親子を笑顔で見送った後、佐天は自分を助けてくれた恩人の安否を尋ねた。

 

「ああ」

「あの方なら」

「大丈夫に」

「決まってるわ~☆」

 

 なんだ、みんな面識あるんだぁ、なんか凄い信頼されてるなぁと佐天が思っていると、見知らぬ人間が更に増えていることに気づいた。

 

「ってか、何であんたがいんのよ、食蜂!」

「いやだわぁ~。私が上条さんをここに連れてきたんだからぁ、もう少し感謝して欲しいんだゾ☆」

 

 見知らぬ金髪美人が横ピースで決めポーズを披露している横で、佐天は別の所に引っかかった。

 

「え、上条さん? じゃあ、あの人が初春がさっき言ってた……」

「そうです。私が話した、凄い“無能力者(レベル0)”。風紀委員177支部の先輩、上条当麻さんです!」

 

 初春が嬉しそうに語るのを、尻目に佐天はその名前を口内で繰り返していた。

 

 自分を“ヒーロー”のように助けてくれた。

 自分の勇気(がんばり)を分かってくれた。

 

 自分と同じ“無能力者”の――。

 

「上条……当麻さん……」

「呼んだか?」

「うひゃい!」

 

 突然背後に本人がいて、佐天は変な声と共に飛び上がった。佐天はこの日寝る前にこれを思い出して悶絶することになる。

 

「上条さん!」

「お疲れ様でした」

「おう。遅れて悪かったな」

 

 上条を初春と白井が出迎える。

 

「あ、あの犯人は?」

「ああ。もう一発ぶん殴ったら今度こそ気絶したから警備員に任せてきた」

 

 なんでもないように上条は答える。この人が自分と同じ無能力者だなんて佐天は信じられない。

 

「アンタ!」

「おう、ビリビリ。久しぶりだな」

「ビリビリ言うな!! 私には御坂美琴って名前があるって何度言えば!」

 

 さっきまで、ずっと食蜂と言い合い――といっても一方的に御坂が突っかかって食峰が悪意を持ってそれを煽りながら受け流すといった感じだが――をしていた御坂が標的を上条に変える。

 

「アンタ、こんなとこで何してんのよ!」

「いや、食蜂の買い物に付き合ってたら、近くで騒ぎがあるっていうんで急いで駆け付けたんだ。間に合ってよかった」

 

 御坂の問いかけに答える上条。

 その答えに約3名がピクっと反応し、1名がフフンっと胸を張る。

 

「……へぇ~」

「……食峰さんと」

「……デートですか?」

 

 三人の声は恐ろしく冷たい。

 佐天はそれでなんとなく理解したが、上条は「?」といった表情。マジかこいつ。

 

 食蜂は完全に勝ち誇っている。分かっててやっているようだ。

 

「そうよデ「違う違う。食蜂からもうすぐ縦ロールの誕生日が近いから、一緒にプレゼントを選んで欲しいって頼まれたんだよ。凄く真剣に選んでたんだぞ」ちょ、ちょっと上条さん!」

 

 セリフを遮られ、その上自分のキャラじゃない一面を暴露された食蜂は赤面しながら大いに慌てた。

 

「……へぇ~」

「……食蜂さんって」

「……優しいんですね♪」

 

 似たようなセリフだが、込められた感情は180°違った。

 

 睨みつけるような視線を食蜂に送っていた三人は、一転して優しい眼差しを食蜂に送る。

 食峰は「ち、違うのよ、これはそういうんじゃなくって!」と必死で自分のキャラを守ろうとしている。

 

 そんなやりとりをぼぉ~と眺めていた佐天に上条が話しかけようとする。それに佐天が気づいて自己紹介を始めた。

 

「あ、佐天です。佐天涙子って言います」

「ああ。佐天さんか。俺は上条。上条当麻だ」

「知ってます。初春から聞きました」

「そっか。初春の友達なのか。初春は風紀委員の後輩なんだ。これからも仲良くしてやってくれよな」

「はい♪ ああ、あたしのことは佐天でいいですよ。初春のことは呼び捨てみたいですから」

「ああ。分かったよ、佐天」

 

 佐天と上条の会話は弾んだ。

 佐天は人見知りしない方だが、年上の男との会話は経験が少なかったにも関わらず、上条との会話は楽しかった。

 

 上条も気さくな佐天との会話に苦手意識はないらしく、スムーズに会話は進んだ。

 

 そして、ふと上条が言った。

 

「佐天は凄いな」

「へ?」

「さっき、あの男の子を身を挺してかばったろ。なかなか出来ることじゃない」

「……そんな大したことじゃないですよ。初春も白井さんも御坂さんも、みんな頑張ってるのに、自分だけ逃げるのが悔しかっただけです。そんな、褒められるようなことじゃあ」

「それでいいんだよ」

「え?」

 

 上条は、自然に佐天の頭を撫でながら言った。

 

「動く理由なんてそんなもんでいいんだ。そうしたいって思ったら、それが全てだ。……始まりが嫉妬でも、見栄でも、対抗心でも。あの男の子を助けたいって思ったことには変わりないんだ。――だから、佐天は凄いことを、立派なことをしたんだよ。だから、佐天は誇っていいんだ」

 

 その瞬間、佐天の鼓動が早くなり、頬が紅潮し、上条の目を見れなくなった。

 上条はそんな佐天を相変わらず「?」な感じで見ていたが、白井と初春に報告書を書かなきゃと呼ばれ、上条はうへぇと答えると、佐天にまたなと行って去って行った。

 佐天はしばらくして、返事ができなかったと悔やんだ。

 

 これが、普通の少女だった佐天涙子の分岐点だった事件と、運命を変えた人達との出会いだった。

 

 この日、佐天はこうして、青春の物語のメンバーになった。

 




これは、風紀委員(ジャッジメント)となった、幻想殺しの英雄譚。

そして、そんな彼の元に集まる少女達との青春の物語。


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逆行〈ニューゲーム〉

人生の終わりには最高の場所だよ、オティヌス。俺の手じゃ、ここまでのものは作れなかった。



『……間に合わなかった?』

 

『ちまちま戦うなんて面倒臭えな。世界でも終わらせてやるか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……なんだ? ここは東京湾だろう! 「グレムリン」の本拠地で、「船の墓場(サルガッソー)」とかいう場所だったはずだ!!!』

 

『……どうやら、スケールの関係の認識に狂いがあるようだが、私が破壊したのは「地球」なんて小さな惑星の話には留まらないぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前が何を考えているかなんてどうでもいい。……ここで挫くぞ。お前がメチャクチャにしてしまった全てを、どうにかして元に戻す!!!』

 

『良いだろう。……たかだか十数年で獲得したものがどれだけ矮小だったのかを教えてやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『上条当麻。貴様があんなことをしなければ、誰も死なずにすんだんじゃない!!』

 

『よくもまあ……こないな所まで顔出せたもんやな。今のカミやんだったら、冗談抜きに広場に磔にされたってみんな拍手喝采するだけやろうに』

 

『確かに当麻は私と妻の子供です。……しかし、私は気づいたのです!! 上条当麻という絶対悪を滅ぼすには、彼をよく知る者の協力も必要だと。私達に、過ちを正すチャンスをください!!』

 

 

 

 

 

『私が変えたのは、「見方」だ。お前は一歩間違えればこういう扱いをされて当然のことをしてきたんだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いつまで寝ぼけてるつもりなのよ、『上条当麻』!!』

 

『誰もがいつかやってやると夢見ていても、真正面から実行するのは『カミやん』以外にゃありえないんだぜい?』

 

『『とうま』! わたしの「おでん欲」はこんなもんじゃおさまらないんだよ!』

 

 

 

 

 

『……なん、なんだ、あれ? あの、見たことも聞いたこともない、『上条当麻』と呼ばれていた……あいつは誰なんだ?』

 

 

 

 

 

『あいつらにとっては誰でもいいのさ。「助けてくれれば」彼らの信頼や好意はよそに向いていた。――『上条当麻』になんて、誰だってなれたのさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いくつもの世界を作った。いくつもの絶望を見せた。お前はまだ絶望しないのか?』

 

『……お前は何かを壊しているわけじゃない。余分な歯車を無理矢理はめ込ませるんだ。だったら、この「幻想殺し(イマジンブレイカー)」で、「元の世界」に戻せる可能性があるはずだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……エリス? アニェーゼの両親? ヴェントの弟? 木原加群? どうなってる!? なんで、“死んでるはずの人物が”!?』

 

 

 

『否定しろよ。世界を変えることが悪なら、この“事件も失恋も借金もない”歪みきった世界を否定してみろよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前は、ずるいよ』

 

『俺が生まれる前の悲劇もあった。俺の知らない、手の届かない事件もあった。そんなのどうやって助けろっていうんだよ!!』

 

 

『守るか、壊すか。どっちみち、お前は二つに一つしか選べない。』

 

『……俺に、どうしろって言うんだ』

 

『この世界は完璧だ。「上条当麻がいないことを大前提」として作られた世界だ。逆にいえば、お前がいるだけで誤作動を起こす』

 

 

 

 

 

 

     『自分の命に決着をつけろ。それ以外に、この世界を守る方法はない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この世界は完璧だ。

 

 悲劇的に死んだ人間はいない。

 

 争いは全てなくなっている。

 

 多少の違和感よりも快感が優先されるようにできている。

 

 アリサも復活している。

 

 妹達も一方通行が一人残らず助けたようだ。

 

 インデックスも、すれ違う俺に目もくれず、真っ先に神裂とステイルの元へ走り去っていく。

 

 

 

 これが、一番幸せで、正しい形なんだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人生の終わりには最高の場所だよ、オティヌス。俺の手じゃ、ここまでのものは作れなかった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして

 

 

 上条当麻は

 

 

 地上300メートルのビルの屋上で

 

 

「幸せで正しい世界」を目に焼きつけて

 

 

 足を踏み出し

 

 

 落下し

 

 

 た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おいおいふざけるな、「上条当麻」。この俺の宿主が、あんな「魔神」程度に唆されてゲームオーバーしてんじゃねぇよ】

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「っ! ……はぁ……っ………はぁ……ッ」

 

 上条当麻は風紀委員177支部の応接間のソファーで目を覚ました。

 

 どうやら昨日、溜まった書類作業を一人残って消化していたらそのまま寝てしまったらしい。

 Yシャツは汗でぐっちょりと濡れていた。主に見てしまった悪夢が原因だろうが。

 

(………久しぶりに見たな。あの時の――)

 

 

 

 

 

 あの後、気づいたら上条は元の世界にいた。

 

 正確には、“元の世界と思われる世界の「過去」の世界”にいた。

 

 上条の意識が戻ったのは、幼い上条が学園都市に足を踏み入れた、その瞬間だった。

 

 残念ながら“今”の上条には“前回”のその頃の記憶はないので、おそらくは前回と同様だったのだろうという言い方しかできないが、オティヌスが作った世界にしてはあまりにも“普通”だったし、今現在に至るまでオティヌスは一向に姿を現さない。

 

 

 どうしてこうなったのか。

 

 あの時の、あの“声”が原因なのか。

 

 オティヌスの方には記憶が、力があるのか。もしあるなら、どうして行動を起こさないのか。

 

 

 あの「幸せな世界」はどうなったのか。

 

 

 気になること、分からないことだらけだった。

 

 

 分かるのは、上条の右手に変わらず宿る――「幻想殺し(イマジンブレイカー)」が更に少し特殊になったということだけだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だ!!」

 

 路上に一人の少年の怒声が響き渡った。

 それを聞き名も無きモブキャラ達は「なんだとぉ」「なまいきなぁ」「やっちまえぇ」とおなじみのセリフと共に襲い掛かり――特に見所もないままに返り討ちに遭う。

 

 上条当麻と4人のスキルアウトの戦闘ともいえない戦闘は5分とかからず終了した。

 かつての上条は、一度に相手にする不良は3人が限度だったが、幾多の困難を乗り越え、風紀委員としての訓練も欠かさない上条は、今や無能力者同士の拳の喧嘩も前回の上条を大きく上回っていた。

 

 その後、上条は警備員(アンチスキル)に連絡をしスキルアウト達を連行してもらって、風紀委員177支部に被害者の女の子を送り事情聴取をしその他諸々が終わって、現在ようやく帰宅しているところである。

 

 空はすっかり夕焼け模様。

 日も長くなってきたなぁ~なんてことをのんびり考えながら歩いていると――。

 

「アンタ! 見つけたわよ!!」

 

 ここ最近すっかりお馴染みになったセリフが背後から聞こえた。

 

「ん? なんだ、またお前かビリビリ」

「ビリビリ言うな! 私には御坂美琴って名前があんのよ!!」

 

 ここまでがお約束である。御坂の方は本気で怒っているが。

 

「で、こんな放課後の貴重な時間に何の用だ?」

「決まってんじゃない! 勝負よ、勝負! 今日こそ決着つけてやるんだから!」

「悪い。これから特売なんだ。じゃあな」

「即答!?」

 

 その答えは予測していたので――っていうかここのところずっとなので――インターバル0秒で上条はお答えし、くるっと帰宅を再開する。

 

「待てって……言ってんでしょうが!!」

 

 そう言いながら、御坂は上条の背中にドロップキックをしかける。前までは普通に電撃をお見舞いしていたのだが、この前町中で発電したら、上条がわりと本気で怒り、本気で凹み、本気で反省した為、少なくとも町中では無闇矢鱈に電撃を振り回さないようにしている御坂美琴であった。

 

 上条は背後を確認することもなくさらっと避けながら、はぁと溜め息をついた。

 このまま適当にあしらって御坂のストレスが溜まると、我慢できずに電撃をぶっ放すかもしれない。前科多犯の為、上条は御坂の理性にそこまで信頼を寄せていない。

 

 しょうがないと上条は逃走を開始する。周りを巻き込まない場所まで御坂を誘導するために。

 

「待ちなさい!」

 

 御坂は迷いなく上条を追走する。良くも悪くも素直な子なのだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……、もう……逃げられないわよ……」

 

 膝に手を突きながらも御坂は不敵に笑う。ここは路地裏。上条の背後は行き止まり。そして、出口(入ってきた入口)との間には自分がいる。

 

 完全に追い込んだ。と、御坂は思っている。

 まったく息が上がっていない上条は行き止まりの壁を見ながら、再び大きな溜め息をつく。これで完全に特売に間に合わないと。

 

「わかったよ。やるよ。しかし、御坂も懲りないよなぁ~。いつも会う度に勝負を挑んでくるけど勝てた試しないじゃんか」

「な、なによ。私だって一発ももらってないんだから引き分けよ! 今日こそ私が勝つんだから!」

 

 上条に久しぶりに名前を呼ばれちょっとドキッとしながらも、御坂は頑として負けを認めない。

 そんな御坂を見て上条は苦笑し――鋭く目を細め、闘気を纏った。戦闘モードだ。

 

「よし。やろうか」

 

 上条の雰囲気が変わり少し気圧されるも、必死に自分を奮い立たせ、無理矢理笑みを作る。

 

「……そうこなくっちゃ」

 

 御坂は自分の自慢の電撃を上条へと走らせる。

 

 上条はまったく避ける素振りすら見せなかった。

 

 

 

 

 

「あれ? あの人、御坂さんじゃないですか?」

「ん? あ、ほんとだ。おーい御坂さーん」

 

 路地裏の出口でぼおとしていた御坂に、先日できた友人の初春と佐天が声をかけた。

 

「初春さん……佐天さん……」

「どうしたんですか、御坂さん?」

「さっき凄い音がしましたけど、大丈夫でしたか?」

「っ! え、えっと、大丈夫よ、全然平気!」

 

 

 路地裏は超能力者(レベル5)の電撃により、真っ黒に塗り替えられていた。

 

 そんな中、ある少年の右手があった場所を起点し、そこから扇状に元々の白色を保っている場所があった。

 

 

 今日も、御坂美琴は上条当麻に勝てなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条は自身の右手を見つめ、時折握っては閉じたりしながら帰り道を歩いていた。

 

 普段使う分には全くなんの変哲もないただの幻想殺し(みぎて)

 だが、過去(こっち)に戻って来てまず覚えた感覚は、右手の違和感だった。

 

 なんというか、疼く。

 まるで、中にいる猛獣が、空腹を訴えかけるように。

 

 しかし、その後日常を送っている最中では、前回と変わらない不幸を呼び寄せ右手首から上のみでしか能力を打ち消せない、通常の幻想殺しだった。

 

 だが、明らかに違う。

 それがパワーアップなのか、隠されていた力の解放なのか、それともまったく違う何かなのかは分からない。

 

 

 それは一度、姿を現した。

 過去に“逆行(もど)ってきてから”の一番の戦いだった、あの時に。

 

 

 それ以来、上条は少し自分が恐ろしくなった。

 まさか自分にあんな力があるとは思いもしなかった。

 

 あれは一歩間違えれば、容易く世界中を危険に晒す力。

 

 オティヌスが見せた最初の世界のように、世界を敵に回すことになるかもしれない。

 

 だが、同時にこうも思っていた。

 この力があれば、前回救えなかった人達も、救えるかもしれない。

 

 上条は未だに、オティヌスが最後に作った「幸せな世界」が忘れられない。

 

 文字通り、死んでも守りたかったあの世界の幻想に、上条は憑りつかれたままなのだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「暑い……なんで私がこんなことを……」

 

 御坂と白井は炎天下の中、有名校特有のだだっ広いプールを二人だけで延々と清掃していた。

 

 あの後、初春と佐天を自分の寮の部屋に招待しなんやかんやあった後、いつも通り(いつもより?)暴走した白井によって一騒動あり、地上最強の寮監さまの怒りを買ってこの罰を命じられていた。

 

 あの人の戦闘術を学べば自分もあの馬鹿に勝てるんじゃ……と半ば真剣に検討していると、媚薬入り特製ジュースをどう御坂に飲ませようか思索していた白井がやけにおとなしいことに気づく。

 ふと見ると、何やらクラスメイトと話しているようだ。

 その白井と同い年(自分より年下)の少女と自分との胸囲の戦闘力の違いに軽く絶望していると、白井が彼女らを紹介してきた。

 

「お姉さま。こちらわたくしのクラスメイトの湾内さんと泡浮さんですわ」

「こんにちは」

 

 御坂が笑顔で返すと、二人は少し赤面しながらお辞儀をした。

 

「それで、こちらは――」

 

 白井が続いて御坂を二人に紹介しようとすると。

 

「あの……失礼ですが“御坂様”では?」

「ええと、そうだけど……」

「っ! やっぱり!」

 

 二人の少女は揃って顔を輝かせた。

 

「ああ。あの時の……」

 

 御坂は二人の話を聞き、この少女たちと面識があることを知った。

 

 その日、御坂はいつも通り某ツンツンヘッドの不幸な少年と追いかけっこをしていた。その時、偶然この二人が数人のスキルアウトに絡まれていたところを助けたのだ。にしても、この街の不良(スキルアウト)は女生徒に絡み過ぎではないだろうか。

 

「はい! あの時は助けていただいて――」

「――ありがとうございました!」

 

 二人は深々とお辞儀をした。

 

 御坂は大げさだなぁと苦笑しているが、世間知らずのお嬢様からしたら、いくら自分が能力を持っている――常盤台生はその全員が強能力者(レベル3)以上の能力者――とはいえ、見知らぬ男に絡まれるという体験は恐怖には違いないのだ。

 

 そんなところを助けてくれた御坂は、元々から抱いていた憧れと相まってまさしく二人にとってはヒーローのような存在になったのだろう。

 

 そして、当然――。

 

「あの!  ご一緒にいらした殿方にもお礼を申し上げたいのですが!」

「お会いできないでしょうか?」

「うえっ!?……ええと、それは……」

 

 そう。上条も二人にとってはヒーローなのだ。

 がさつなスキルアウトに絡まれ男という存在に幻滅しかけたときに、颯爽と現れ()()御坂と肩を並べて戦う姿を見てから、この二人は上条にそれこそ御坂並みの憧れを抱いていた。

 

 が、しかし、御坂は上条の連絡先を知らない。

 それどころか、住所、果ては通っている学校すら知らない。

 

 付けている腕章と白井や初春の話から、上条が風紀委員ということは知っているが、基本的に会う――というより出会う――のは道端でバッタリだし、会っても毎回「勝負しなさい!」なので、碌に会話も成立しない。

 なので、御坂から連絡をとって上条に会うのは無理なのだ。

 

 それをどう伝えようか御坂が唸っていると、それをどう勘違いしたのか、湾内が申し訳なさそうに尋ねる

 

「ひょっとして……お付き合いしていらっしゃる殿方に他の女性を会わせたくないとか?」

「ぶっ! な、なに言ってるのよ、湾内さん! 私とアイツは――」

「付き合ってなんかないわ~☆」

 

 御坂が必死に否定しようとすると、それよりも早く突然現れた金髪美人が食い気味に否定した。

 

「な! 食蜂操祈!!」

「え、食蜂様!?」

「どうしてこんなところに!?」

 

 湾内と泡浮も目を見開いて驚く。

 食蜂も常盤台では御坂に負けず劣らずの有名人だが、御坂が表のスターなら、食蜂は裏のクイーンだ。

 めったに見ることのできない「常盤台の女王」。それももう一人のトップであり、お互いを敬遠している御坂との2ショットとなるとレアなんてものじゃない。

 彼女達は完全にパニックだった。

 

「上条さんと御坂さんは、たまに会って喧嘩するくらいで恋人どころか友人というのも怪しいくらいよぉ~。そうよね? 御坂さ~ん」

「…………そうね」

 

 上条本人に聞けば「あいつは友達だ♪」と爽やかに答えそう――それもそれでなんとなく釈然としないが――だが、傍から見ればその表現が一番しっくり当てはまるだろう。実際自分も否定しようとしたし。

 しかし、なぜか他人から、特に食蜂から断言されるのは腹が立った。

 

「それで……何しにきたのよ、食蜂?」

「別にぃ。御坂さんがなんか面白いこと(プール掃除w)やってるていうから冷やか……応援しに来てあげたのよ。そしたら、上条さんと付き合ってるなんて妄言を臆面もなく口にしてるからぁ」

「だから、私が言ったわけじゃないわよ! 私があ、あの馬鹿とつ、付き合ったりするわけないでしょうが!!」

 

 常盤台の2トップが言い争うのを少し遠目で見ていた二人は、この二人をここまで取り乱させるあの殿方は何者なのだろうと不思議に思っていた。

 

「え~と、お二人さん?」

 

 すると、しばらく会話に参加していなかった白井がやれやれといった感じで、湾内たちに話かけた。

 

「おそらくその方はわたくしの風紀委員の先輩ですの。お会いしたければ、都合のつく日にわたくしにご連絡ください。セッティングさせていただきますわ」

「ほ、ほんとうですか!?」

「ありがとうございます!!」

 

 御坂と食蜂のリアクションを見て、上条に対する興味が膨れ上がっていた彼女達は白井の申し出に感謝した。

 二人の喜びようを苦笑しながら、白井は、御坂、佐天、そして湾内に泡浮と着実にフラグを建てまくる上条に呆れとちょっとした怒りを覚えていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 御坂との路地裏バトルの次の日。

 

「うい~す」

 

 気だるげな挨拶とともに風紀委員177支部に入室した上条は誰もいないことにちょっとした寂しさを覚えていた。

 まぁ、鍵を開けたのが自分なのだから当然なのだが。

 

 今日はここに来るまでに珍しく不幸に巻き込まれなかったので、いつもよりだいぶ早めについてしまった。

 しょうがないので、自分用にコーヒー(紅茶は口に合わなかったので、コーヒーメーカーを固法に頼み込んで経費で買ってもらった)を淹れ、苦手な書類仕事にいそしんでいると、ガチャと扉が開き、支部に来客が訪れた。

 

「縦ロール?」

「はい。お久しぶりです。上条様」

 

 食蜂の側近の縦ロールだった。

 本名をいくら尋ねても「わたくしのことは縦ロールとお呼びください♪」と素敵な笑顔で言われるので上条は本名を聞くのを諦めた。何が彼女をそこまでさせるのだろう。

 

「食蜂の側に居なくてもいいのか?」

 

 彼女は側近だけでなく、食蜂のボディーガードの役割を果たしていたはずだ。

 食蜂は超能力者(レベル5)の第五位だが、決して戦闘向きの能力ではない。確かに一般人からしてみれば食蜂の「心理掌握(メンタルアウト)」はとんでもない脅威だが、上条や御坂のような能力が効かない相手も少なからず存在する。

 

 そんな相手と相対した時、食蜂はただの運動音痴の中学二年生と化してしまう。

 いざという時、食蜂を守るのが“戦闘向き”の大能力者(レベル4)である彼女なのだ。

 

 だから彼女は時に傍で、時には影から食蜂を守る。

 

 そんな彼女が食蜂から離れて、ここにいる。

 これだけで、相当の事態だということを上条は察した。

 

()()()からのご連絡です」

 

 その言葉を聞き、上条の顔付きが変わる。

 

「上条様――“幻想御手(レベルアッパー)”というものをご存じですか?」

 

 どうやら、上条当麻の本日の不幸はこれからのようだ。

 




そして、上条当麻の新たなる不幸(じけん)が幕を開ける。


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眉毛〈チャームポイント〉

手加減はしたからね♪


 

 誰かいる。

 

 婚后光子は何者かの気配を感じていた。

 

 ここは「学び舎の園」。

 男人禁制の閉ざされた空間。

 

 幾つかのお嬢様学校が存在し、言い換えれば世間知らずのVIP様方が生活する学園都市でもトップクラスの重要地である。

 セキュリティも万全でそうそう不審者の侵入を許すような場所ではないし、万が一そんなことになっていたら今頃大騒ぎのはずだ。

 

 しかし、今、自分の周りは静かで穏やかだ。

 静かすぎて、誰もいない。

 

 そう。尾行者どころか通行人すらいない。

 だが、にもかかわらず婚后は、しばらく前から嫌な気配を感じ続けていた。

 

「どなた!」

 

 振り向きざまに叫ぶ。

 

「このわたくしを、常盤台中学の婚后光子と知っての狼藉ですの?」

 

 扇を広げ、口元を隠し、己を鼓舞するように、自らの通う有名学校の名を優雅に口にする。

 

 しかし、それは逆効果だった。

 

 婚后はゆっくりと後ずさる。

 すると、何かにぶつかった。

 

 急いで振り返る。

 誰もいない。何もない。

 

 そこで、激痛と共に意識がフェードアウトした。

 

 薄れゆく意識の中で、自分が振り返った時の背後-すなわち先程まで見ていた()()()()()()()()()()()からスタンガンのようなもので襲われたことをぼんやりと理解した。

 

 その様を満足げに眺めながら、一人の少女がニヤリと悪意ある口の歪ませ方をした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「うわぁ~~~~!」

 

 まるでサンタクロースにサインをもらった子供のように、初春飾利は目を輝かせていた。

 

「学び舎の園」。

 前述のように男人禁制。例え女性でも特別な許可がなくては立ち入れないお嬢様の箱庭に、ついに庶民――初春飾利と、そのお供――佐天涙子は入場を許可された。

 

 常盤台中学を見てみたいという、二人の――主に初春の――前々からの願いを白井が叶え、やっと立ち入りの許可をもらえたのだ。

 

 そして足を踏み入れて早々、学び舎の園の圧倒的な異世界感に二人は思わず息を呑んだ。

 

 まるで、中性のヨーロッパのような豪奢で壮観な街並み。

 横断歩道や信号までおしゃれなオリジナルデザインで、今にも上品なクラシックなどが聞こえてきそうな雰囲気だ。

 

 佐天はこの空間が放つ“空気”に感心し、初春はさっきから「はぁ~」「あぁ~」とトリップ状態だ。目がキラッキラしている。

 すると初春がなにやら違和感を感じ、佐天に問いかける。

 

「あの、佐天さん。なんだか私たち注目されてませんか?」

 

 先程から道行く人達がみなチラチラと二人を見ている。

 しかし、それは軽蔑や侮蔑といった嫌なものではなく――。

 

「ああ、たぶんそれはこれじゃない?」

 

 そう言いながら、佐天は自らの制服をつまむ。

 

「この町じゃあ、余所の制服を着てる人は珍しいんだよ。きっと」

 

 佐天の言葉を聞き、初春は納得した。

 確かに、学び舎の園は閉鎖的な空間なので、男性だけでなく、“外”から来た同い年の女の子も珍しいのだろう。

 

「あ! もうこんな時間だよ! 早く御坂さんたちと合流しよう!」

「あ、待ってください佐天さん!」

 

 御坂達との待ち合わせ時間が近づいていることに気づいた佐天が走りだそうとする。

 

 ……自らの足元の水たまりに気づかずに。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 初春飾利は不機嫌だった。

 

 その理由は――。

 

「汚れた制服はクリーニングに出しておいたから、帰りに寄ってね」

「すいません。代わりの服まで貸してもらったのにそんなことまで……」

「面倒でしたら自宅まで送りますわよ。それより代わりの服といってもそんなものしかご用意できませんでしたが……」

「十分です! ありがとうございます!」

 

 そう。

 佐天は今、常盤台中学の制服を着ていた。

 

 初春は思った。

 

 ずるい。

 

 常盤台中学の制服なんて、お嬢様への憧れがハンパない初春にとってのどから手が出るほど着てみたい代物だ。

 色々と粘ってみたが(佐天に自分との制服交換を申請したり、水たまりへのダイブを試みたり)全て却下され(理由は身体のサイズetc)、初春はいまだにへそを曲げていた。

 

 

 そんな一行を、少なくとも常盤台中学の制服ではない一人の少女が見ていた。

 

 

 

 

 

 初春飾利はご機嫌だった。

 

 目の前のショーケースに所狭しと並べられた、見たことも聞いたこともないけど一目で絶品と分かるケーキ。ケーキ! ケーキ! ケーキ!

 

 初春は今にも涎をダラダラ垂らしそうで、女の子として色々と限界だった。

 そんな初春に白井と御坂は「?」顔で、佐天は苦笑だったが、初春の眼差しは現場に残された痕跡を探す名探偵のように真剣だった。

 

「そんなに悩むようなことですの?」

「ま、まぁ、あたしはチーズケーキって決めてましたから」

「早くしないと~日が暮れちゃうわよ~」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 

 そこで、初春の端末が鳴り、名探偵の思考は中断された。

 

 発信元は「風紀委員177支部」。

 

 

 

 

 

 初春飾利は膨れっ面だった。

 

 せっかくの土曜。せっかくの非番。

 せっかくの……念願の「学び舎の園」! お嬢様の箱庭の体験日!

 

 あとちょっとで、あのお嬢様ケーキ(命名:初春飾利)を堪能できたのに、いきなり呼び出されてご機嫌なわけなかった。

 

「あとちょっとでお嬢様ケーキが食べられたのに……」

「お嬢様ケーキ……まぁ、せっかくの非番の日なのですから勘弁してもらいたい気持ちはわかりますわね」

 

 ぶつぶつ文句を言いながら入ってきた二人の頭を、丸めた雑誌でパコンパコンと女性が叩く。

 

「イタっ」

「あうっ」

「二人とも。到着早々ぼやかないの」

「……すみません。固法先輩」

 

 固法美偉。

 この風紀委員177支部の実質的なリーダーである。

 最年長の17歳であり、上条よりも先輩だ。

 

「よっ。2人とも非番の日までご苦労さんだな」

「上条さん♪」

「あら、上条先輩もいらっしゃいましたの」

 

 白井が上条に目を向けると、その奥にさらに見慣れた二人が見えた。

 

「あら。白井さん、こんにちは。初春さんも♪」

「お久しぶりです。白井様。初春様」

「こ、こんにちは」

「…こんにちはですの。食蜂さん。縦ロールさん」

 

 食峰操祈。そして、その側近の縦ロール。

 この二人が風紀委員177支部にいるのは珍しいことではない。

 

 もちろんこの二人は風紀委員ではないが、食蜂は上条の“推薦人”なのだ。

 

 風紀委員は学園都市の治安維持を目的とした“能力者”の学生による組織。

 能力のレベルは問われないが、能力を駆使する学生の揉め事を解決する分、やはり高レベルの能力者が所望される。

 

 固法は強能力者で、白井は大能力者。初春は低能力者だが、それを補って余りある“バックアップ”能力がある。

 上条のように無能力者で“前線”で働くことなど、通常はありえない。

 

 ただでさえ上条の“右手”はそれこそ超能力者レベルの機密で、風紀委員の中でもこの177支部のメンバーを含めて一部しか知られていないのだ。

 そんな上条がある程度自由に動き回れるのは“超能力者――食蜂操祈の推薦”という後ろ盾が大きい。

 いわば、食蜂は上条のスポンサーなのだ。

 

 そういうわけで、食蜂とその付き人である縦ロールは結構好き勝手にこの177支部に出入りしている。

 本来はそのような事情があろうともあまりいい事ではないのだが、この三人が独自に動いて挙げた成果も多いので、固法も目を瞑っている。

 

 そんな事情を白井は知っているので(面白くはないのだが)、今回もきっとそうだと思って――。

 

「で、お二人がいらっしゃるということは、また()()()()事件ですの?」

「いいや。今回は俺たちが勝手に追ってる事件とは関係ない。むしろ、お前の方に関わる事件だぜ、白井」

 

 上条にそう返され、白井は「へ?」と間抜けな声を出してしまった。

 

「どういうことですの?」

 

 今度は固法にそう問いかけると、固法は事件の概要を説明した。

 

「昨日の放課後から夜にかけて、常盤台の生徒ばかり6人、連続して襲われる事件が発生したの」

 

 固法はパソコンに被害者のデータを出しながらそう言い、次にこう付け加えた。

 

「それも、全て“「学び舎の園」の中”で」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「佐天さん!」

 

 御坂から連絡を受けた初春は白井を連れて、常盤台中学の風紀委員室へと急いだ。

 学び舎の園の中なので上条は入れないし、固法は連絡係として本部に待機した。食峰と縦ロールは上条の側に当然のように留まった。

 

「御坂さん! 佐天さんは!?」

「体の方はしばらく休めば問題ないみたい。でも――」

 

 一連の事件の被害者達の痛ましい現実を知っている初春と白井は揃って顔を俯かせた。

 

「――それで。何で佐天さんが襲われたの?」

 

 御坂は鋭い目線で二人を見据える。

 友人が襲われた現実を目の前にして引き下がれるほど、御坂は大人ではない。

 

 二人は諦めて事情を説明した。

 

「そう……常盤台狩り……佐天さんは常盤台の制服を着てたから狙われたのか」

 

 事件のあらましを理解し、御坂はそう呟いた。

 

「犯人の目星はついてるの?」

「まだですの……少々厄介な能力者のようでして」

「厄介?」

「それが――」

 

 

「目に見えないんです」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『本当ですの! わたくし何も見ていませんわ!!』

『で、でも、監視カメラにはこう……』

『そ・れ・で・も! 見ていないものは見ていないんです!!』

『は、はい~~~』

 

 常盤台中学の婚后光子は、警備員(アンチスキル)の眼鏡の女性に、まるで恫喝のように自分の意見を主張する。

 それは監視カメラの映像を見ても全く揺るがない。

 

 映像には()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()がはっきりと映っているのに。

 

「……被害者には見えない犯人ねぇ」

「最初は光学操作系の犯人を疑ったのですが……」

「姿を完全に消せる能力者は学園都市に47人いますが……その全員にアリバイがあって」

「まぁ、監視カメラに映ってるんだから、光学操作系ってのはちょっと違うんじゃない?」

 

 初春が出したデータをもとに、それぞれが意見を出し合う。

 

 今、初春がアクセスしているのは「書庫(バンク)」。

 学園都市に住む全ての学生の情報が保管されている総合データベースだ。

 風紀委員である初春にはそれなりのアクセス権限が与えられており、そこから情報を引き出している。

 

 御坂達のような超能力者や上条のようなイレギュラーな存在の情報も一応保管されているが、それらの重要度が高い情報はトップクラスの権限がなければ閲覧できないようになっている。

 そもそも、本当の機密情報まで馬鹿正直に記載されているのか怪しいものだが。

 

 とにかく御坂の推察通り光学操作系の線は薄い。

 そうなると、見えないというよりは――そう考え、御坂はある可能性に辿りつく。

 

「あ! そうだ初春さん。ちょっと調べて欲しいことが――」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あ、ありましたよ、御坂さん!」

 

 初春が御坂に頼まれた情報を発見した。

 

「能力名は『ダミーチェック』。対象物を見ているという“認識そのものを阻害する”能力です。」

 

 そう。実際には見えている。

 しかし、見えていることに“気づかなければ”見えていないのと同じだ。

 

「該当者は1名――関所中学二年 重福省帆」

「そいつですわ!!」

 

 白井が勢いよく断定する。

 しかし、初春はいまいち納得しかねるようだ。

 

「で、でもこの人――“異能力者(レベル2)”ですよ」

 

 学園都市の超能力というものは強能力者(レベル3)以上となって、初めて“武器”になる。

 

 それ以下の能力はちょっと不思議な力が使えるだけで、とても日常で役に立たないといった代物だ。

 レベル2のダミーチェックでは、自己の存在を相手に100%認識させないことなど不可能だ。

 

 そのはずだ。普通なら。

 

 

 

 が、しかし()()()()()()()()()()

 

 決め手となったのは――目が覚めてとある国民的ギネス級漫画の主人公のような黒いカモメっぽい眉毛にさせられていた哀れな少女――佐天涙子の証言だった。

 

 今回の被害者は皆大きな怪我をしたわけではないが、その眉毛に甚大な被害をもたらし、中学生女子のピュアなハートに深々と傷を残したのだ。

 佐天は復讐に燃えた。笑いを堪える友人達に気づかない振りをしながら。

 

 佐天は気を失う前に鏡に映っていた重福を見ていたのだ。

 重福は監視カメラに映っていたことから、他者本人の直接の認識しか阻害できないようだった。

 

 その後、上条と固法の働きから、直接の管轄ではない学び舎の園での活動の許可をもらい、初春がその持前のコンピューターテクニックで決して最先端とは言えない使い古された風紀委員室の端末から“学び舎の園全て”の監視カメラをハッキング。

 四人の知恵を絞り、捜索エリアを狭めていった結果、本格的に捜査開始後わずか30分足らずで、重福省帆を発見した。

 

 すぐさま姿を消し逃げられたが、それでも監視カメラには映っている。

 初春が佐天と白井をナビゲートし、確実に追いつめていく。

 

 当の初春はこれを鼻歌を歌いながら、軽々とこなしていた。

 これが、風紀委員の裏エースと呼ばれる初春飾利の実力である。

 

 重福が逃げて、逃げて、逃げて、逃げた先には――。

 

「鬼ごっこは……終わりよ」

 

 彼女が大嫌いな常盤台のエースがいた。

 

 後ろを見ると白井と両さ……佐天が退路を塞いでいる。

 

 重福は敵意を力いっぱい込めて目の前の御坂を睨みつける。

 

「なんで……どうして「ダミーチェック」が効かないのっ」

「さってね♪」

 

 その余裕たっぷりの態度が気に食わなかったのか、重福はスタンガンの電源を入れて御坂に突っ込む。

 

「これだから……常盤台の連中(エリート)はぁー!!!」

 

 御坂の腹部にスタンガンが突き刺さる。

 当然、電源はONだ。

 勝利を確信し、重福は悪意を持って嗤う。

 

 しかし――。

 

「……え?」

 

 御坂はにこやかに笑う。

 

「残念♪ 私こういうの効かないんだよねぇ♪」

 

 その瞬間、重福の敗北が決定した。

 

「ひゃん!?」

 

 御坂の電流をくらい、重福は倒れ込む。

 これまで重福がスタンガンで昏倒させた被害者たちのように。

 

「手加減はしたからね♪」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、重福は警備員に連行された。

 このような騒動を起こした原因は、眉毛を理由に彼氏にフラれ、その彼氏が常盤台の生徒と付き合いだしたことによる、常盤台と眉毛に対する復讐だった。おい。

 

 色々な意味で聞くも涙語るも涙の悲劇だったが、佐天がその子の心の闇を暖かい言葉で払い、一人の少女が救われた。フラグを建てたとも言う。みんな笑顔のハッピーエンドとなったのでよしとしよう。

 

 こうして重福と佐天が文通からスタートする約束を最後に、常盤台を震撼させた眉毛トラブルは幕を閉じた。

 

 

 

「どうすればいいのよ~~~~~~~~」

 

 一週間は消えない面白眉毛と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の犯人……間違いなく“あれ”を使用していましたようねぇ

「ええ。……書庫ではレベル2となっていたのに、間違いなくそれ以上の能力でした。」

「実在したのか。……“幻想御手(レベルアッパー)”」

 

 ある一つの、不穏な謎を残して。

 




いつも通りのトラブルの中に、大事件の影は潜んでいる。


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木山春生〈ぬぎおんな〉

期待していますよ。上条当麻君。


 

「――そして、突然ブラウスを脱ぎだしたんですよ!!」

「って、それただの変質者じゃない!!」

 

 行きつけのファミレスに御坂の叫びツッコミが炸裂した。

 

 いつものファミレスで、いつもの四人。

 佐天の話す都市伝説話で仲良く盛り上がっていた。

 

「いやでも、実際遭遇したら怖くないですか? いきなり脱ぎだす【脱ぎ女】!」

「だからそれた只の変質者だから……」

「じゃあじゃあこんなのはどうですか!?」

 

 佐天に呆れながらも根気よくツッコむ御坂に、初春がPCの画面を見せながら問う。

 次々と飛び出す面白不思議話。こういったものは、科学技術最先端の学園都市でも豊富のようだ。

 

 佐天と初春はノリノリだが、白井と御坂はどこか冷めている。

 

「――さらに! 使うだけで能力が上がる道具“幻想御手(レベルアッパー)”! これなんか面白そうじゃないですか!?」

「そんなくだらないサイト、見るのはよしなさいですの」

「だいたい天下の学園都市で、そんな非科学的な……」

「ロマンがないなぁ……ほら、この“どんな能力も効かない能力を持つ男”とか学園都市ならではっ! て感じしません?」

 

 佐天がそんなことを口走った時、他の三人がピクッと反応した。

 

 白井と初春は軽く冷や汗を流し、御坂は目つきを鋭くする。

 

「どんな能力も効かない能力……」

「ふ、ふふふ……そんな無茶苦茶な能力、あ、あるわけありませんわ。ね、初春」

「そ、そうですよ。そんな能力持っている人がいたら、今頃大騒ぎですよ、きっと!」

「ですよねー♪ どんだけチートだよって感じですよねー♪」

 

 真相を知っている白井と初春は内心ビクビクだったが、佐天にはうまく誤魔化せたようだ。

 白井はちらっと御坂を見る。

 御坂は上条と面識はあるが、御坂は上条の能力の詳しい事は知らない。

 

 御坂はさっきまで鼻で笑っていたサイト画面を凝視していた。

 

「お、お姉さまもそう思いますでしょ」

「……そうね。本当にいるなら是非とも戦ってみたいわね」

「そ、そうですわね。ま、まぁいるわけないと思いますが」

「何がいるわけないって?」

 

 白井は後ろから聞き覚えのある声が聞こえ硬直した。

 他の三人もそちらを向くと、ツンツン頭の学生服の少年が立っていた。

 

「か、上条さん……」

「上条さんだぁ♪ こんにちはー♪」

「あ、あんた……」

 

 初春、佐天、御坂の三人がそれぞれの反応を返す。特に佐天は会うのが久しぶりなので、特別嬉しそうだ。

 

「何の話してたんだ?」

「学園都市に流行している都市伝説ですよ。結構面白いのも多いんですよ」

「どれどれ……へぇ、結構色々あるんだなぁ」

 

 途中、自分の事も書かれており、どこから漏れたんだろうと内心で苦笑しながら読み進めると――ある一点で上条は目を細める。

 瞬時に表情を笑顔にして、何事もなかったかのように佐天との会話を再開した。

 

「しかし、学園都市みたいなところにもこういうの出回るんだな。今まで知らなかったよ」

「学園都市みたいなところならではっていうのも多いんですよ。例えばこの“どんな能力も――」

「そ、そういえば上条さんはこんなところでどうしたんですか?」

 

 話の流れを変えるべく初春が割り込む。

 少し佐天がむっとしたが、それに気づくこともなく、初春ナイスと思いながら上条が話し出そうとすると――。

 

「そうよ――」

 

 御坂が口を開く。

 これに、上条と白井はまずいと思う。

 

 白井は上条と御坂が幾度となく小競り合いをしていることを知っている。

 当然、御坂は何度となく上条の能力を目撃している。

 

 今のところ、御坂は“何かよく分からない力”で防がれているとしか思っていないし、御坂に問い質されようと、のらりくらりとやり過ごしていた上条だったが、今回のことで変に興味をもたれ、この場で問い詰められると面倒なことになる。

 

 この場には、何も知らない佐天がいるのだ。

 

 上条の能力は、決して低くないレベルの機密だ。

 最悪、御坂はバレても超能力者ということで何もないだろうが、佐天に真相を知られたら、“上”が何かしてくるかもしれない。

 

 口封じに殺すなんてことはないと思いたいが、やりかねないのが学園都市だ。まぁ、ここまで心配しているのは上条だけだが。

 内心ドキドキしながら、続きを待っていると御坂から斜め下の発言が飛びだした。

 

「なんであんたまた食蜂と一緒にいるのよーー!!!!」

「へ?」

 

 上条が呆気にとられると、白井達三人は上条の後ろに目をやる。そこには御坂と同じ超能力者で天敵で宿敵の――食蜂操祈がいた。

 白井と初春は、あまりにもあんまりなタイミングで上条が登場したので、そっちに気を取られて後ろの食蜂に気づかなかった。佐天は純粋に久々に上条に会えたことで舞い上がってた。

 

「あらぁ、やっと気づいてくれたの。よかったぁ、あんまり触れてくれないから嫌われてるのかと思っちゃったじゃない」

「その認識はまちがってないけど、今はそんなこと聞いてない! どうしてあんたがこの馬鹿と一緒にいるのか答えなさいよ!!」

「どうしてって、うら若き男女が休日に一緒にいるなんて答えは一つじゃない? 勿論デー「風紀委員のことで、これからお偉いさんに会わなくちゃいけなくてな。食蜂はその付添だ」ちょ、ちょっと上条さん!」

 

 食蜂の言葉を遮り、上条があっけらかんと答える。

 しかし、それでも御坂は釈然としない。

 

「……なんで、風紀委員でもない食蜂が付添なのよ。それにお偉いさんって誰?」

「それは機密だ。食蜂が付添なのも……まぁ、察してくれ」

 

 つまり“超能力者(レベル5)――食蜂操祈”レベルを連れていかなければ会えないほどのVIPということだ。

 食蜂は御坂のように表だっての知名度はないが、その能力故か性格故か、科学者や政治家といったいわゆる裏の世界には顔が広い。それは当然、学園都市のVIP達にも顔が広いということだ。

 上条が言うお偉いさんも、食蜂経由の知り合いか、少なくとも食蜂絡みで知り合った人なんだろう。

 

 これで浮上する疑問は“そんなVIPに呼び出される上条は何者なのか”ということなのだが、こんな場所では答えてくれないだろう。

 

 その時、食蜂をちらっとみると、食蜂は勝ち誇ったように笑った。私はあなたの知らない上条を知っているとでも言うように。

 御坂は歯を食いしばりながら食蜂を睨みつけるが、当の食蜂は気にも留めない。

 これらの会話を佐天は分かりやすく?マークを頭上に浮かべながら聞いていた。初春と白井は詳しい事は分からないがなんとなく察しているので何も聞かない。

 

「じゃあ俺たちは行くな。白井、初春。そういうわけだから、今日俺は遅れるか、下手すれば行けないかもしれない。固法先輩に伝えておいてくれるか?」

「分かりました」

「了解ですの」

「ありがとな。じゃあ、ビリビリに佐天も。またな」

「ビリビリ言うな!」「えーもう行っちゃうんですかー」

 

 上条はそう言って、店を後にした。

 食蜂もそれに続き、去り際に四人にドヤ顔をプレゼントした。

 

 イラっときた四人は、無言で呼び鈴を連打してスイーツを大量注文し、糖分で自らを抑え込むのだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻と御坂美琴が“この”世界で出会ったのは、今から約一ヶ月前。

 御坂美琴がスキルアウトに絡まれたのを、上条当麻が助けるという、上条当麻にとっては日常茶飯事ともいえるイベントでのことだ。

 

 ()()上条にとって御坂との前の世界での初対面は絶対能力者進化計画の時のあの自販機の時だったが、記憶を失う前の上条は前回も御坂美琴とこうして出会っていた。奇しくもその再現のようになったわけだ。

 

 しかし、上条にとって不運だったのは、当時忘れて風紀委員の腕章をつけていなかったこと。御坂が精神的に未熟であったこと。そして、上条にデリカシーというものが著しく欠けていたことだ。

 

「まだガキじゃねぇか!」

「だれがガキだーーーー!!!!」

 

 御坂が正しくガキのように癇癪を起こして電撃をばら撒き、スキルアウト達は真っ黒焦げになったわけだが、上条が平然としていたのを見て、勝負を挑むようになったのが、この二人の奇妙な関係の始まり。

 

 そんな日々の中――。

 

「だから、あの時は忘れてたけど俺は風紀委員なんだって! ほら、この腕章!」

「関係あるかぁーーー!!」

 

――というやりとりもあったりなかったり。

 

 こうして上条はこの世界でも、御坂と命懸けの追いかけっこを日常的にこなす羽目になっている。

 

 まぁ、今の上条は精神的にいえば御坂より遥かに年上だ。

 オティヌスと何万年単位で過ごしたし、“この”世界に逆行してからすでに十年近く経っている。

 

 根本的な性格は変わらない上条だが、精神的余裕を持てるようになったのか、御坂の野蛮な振る舞いもなんだが可愛く思えてきて、前回ほど恐怖を覚えていないのだ。

 単純に実力がアップして、前回よりも余裕をもってあしらえるというのもあるのだろうが。

 

 

 そんなことを思い出し、御坂は立ち読みを止めてコンビニを出る。

 

 あの後四人は解散し、佐天は学校の友達の所へ、初春と白井は風紀委員177支部へ向かい、暇になった御坂は、まっすぐ寮に帰る気になれず町をブラブラしていた。

 

(いやぁ……我ながらちょっと……あれはなかったかなぁ)

 

 今、思い返してみれば御坂は、助けに来てくれた人に問答無用で電撃をぶっ放したことになるのだ。

 もちろん当時は上条の不思議な能力なんて知らなかったから、スキルアウト同様真っ黒焦げにするつもりだった。

 

 いくらガキ発言に腹が立ったとはいえ、あの態度はよろしくなかったかもしれない。

 

(きっと印象は最悪だろうなぁ……い、いやなんで私があいつの印象なんて気にしなくちゃいけないのよ!!)

 

 御坂も超能力者とはいえ、まだ中学生。

 まだまだ自分の感情を持て余すお年頃であった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻は食蜂操祈と共に、とあるVIPを訪れていた。

 

「お久しぶりですね。待っていましたよ」

「遅くなってすまない。親船さん」

「こんにちは~。親船さん☆」

 

 親船最中。

 縦ロールの言っていた“あの方”。この学園都市を治める統括理事の一人。紛れもない最高クラスの“VIP”である。

 

 上条はこのVIPと個人的な繋がりがある。風紀委員の用事とは方便だ。あながち方便でもないのだが。

 更に言えば上条は食蜂経由でなくとも会えるほどのパイプを親船とは築いている。食蜂を連れてきたのは、ただ単純に共通の知り合いといいうのもあるが、他の大人達に親船とのパイプを隠すカモフラージュのためだ。感づいている奴は感づいているだろうが、念の為だ。いらぬ誤解は作らないに越したことはない。誤解ではないのだが。

 

「それで……例の件はどうでしたか?」

「ああ。十中八九“黒”だ。幻想御手(レベルアッパー)はほぼ間違いなく実在している」

「そうでなければ説明がつかない――“書庫(バンク)のデータと辻褄が合わない”事件がすでに複数件起きてるわぁ~。風紀委員の中にも疑問力を持ってる人がいるかもしれないわねぇ」

 

 確かに、白井あたりはもう感づいているかもしれない、と上条は思った。

 白井は普段の御坂へのセクハラで誤解されやすいが、能力、頭の回転の速さ、現場での冷静さなど学園都市でも屈指の実力者である。それこそ、超能力者の御坂美琴の右腕と名乗っても何の違和感もない程の。

 

「そうですか……依頼を出しておいてなんですが、まさか実在しているとは思いませんでした」

「ああ。俺達も、調べるまでは半信半疑だった。だが、実在していると分かった以上、犯人は必ず捕まえる」

「……まぁ、上条さんがそう言うなら協力は惜しまないけどぉ。これってそんなに悪いものなのかしら? レベルを下げるならまだしも上げてくれるなら、学園都市の生徒達には要望力は高いんじゃないのぉ? 私は欲しいとは思わないけどぉ」

 

 食蜂の言葉に、上条は黙考する。

 しばし腕を組み思考に耽っていたが、やがて目を開け、ピシャリと言い放った。

 

「俺はそんなものに頼って上げたレベルが、手に入れた能力が、誇れるものだとは思えない」

 

 食蜂も、親船も、上条の言葉に耳を傾けた。

 

「確かに学園都市は能力主義だし、その能力は才能によるものが大きい。どんなに頑張っても能力が上がらなくて、悔しい思いをしている人がたくさんいるのは知ってる。でも、こんなものに頼ってレベルを上げるのは、高能力者が今の能力を得る為にした努力を、そしてなにより“自分たちが今までもがき苦しんできた時間を嘲笑う行為”だ。――そんなものに頼らなけりゃ得られない力なら、俺はいらない。無能力者でいい」

 

 そんな上条らしい言い分に食蜂も、親船も頬を緩ませた。

 

「そうですね。学園都市側としても、そんなものを許すわけにはいきません。……それに、それとは別に、私自身、この幻想御手というものには嫌な予感がするのです」

「嫌な予感? 何なんだ、それは?」

 

 言い淀む親船に上条は不思議な顔をして、食蜂は目を細め訝しげな表情をする。

 

「そうねぇ。よく考えれば、能力を()()()()上げる。そんなものが健康力に優しいはずがないわよねぇ」

「っ! どういうことだ、食蜂!」

 

 食蜂の言葉に良からぬものを感じた上条は鋭く問う。

 彼女は声のトーンを落とし、神妙に返した。

 

「……学園都市の能力は、特別な授業カリキュラムの他に薬学や脳医学、大脳生理学とかを駆使したものなのは知ってるわよねぇ」

「ああ……それがどうしたんだ?」

「つまり、脳を弄くりまくって、ようやく能力が発動するってことよぉ」

 

 学園都市の超能力は確かな理論と科学的なアプローチにより人工的に開発するものだ。

 世界で最も進歩した科学による緻密な計算の元に行っている――脳の改造によって発現する。

 

「そんなカリキュラムを受けて、それでも能力が発動しなかった子が、何らかの方法で()()()()能力を使わ()()()()ら……通常の能力者が能力を使う時以上に脳に負担力が高いでしょうねぇ。ましてや、正式に研究成果として発表できないような非合法な手段だとしたなおさら――」

 

 食蜂がつらつらと幻想御手の危険性を話していると、ふと隣の上条の様子がおかしいことに気づいた。

 上条は顔を俯かせ、手を組みながら、体を震わせる。

 

「……クソッたれっ…」

 

 手は爪が食い込んで、今にも出血しそうなくらい強く握り込まれている。

 食蜂と親船はそれを悲しい瞳で見つめていた。

 

「……親船さん。他に何か情報はないのか」

「……ええ。今はまだ、ね」

「そうか。それじゃあ、俺は帰らせてもらう。やることが山積みだ」

 

 上条は勢いよく立ち上がり、扉に向かう。

 しかし、そんな上条を親船最中が静止する。

 

「待ちなさい」

「ッ! どうして!!」

 

 上条は振り向き、激しく親船を怒鳴り散らす。

 その迫力は、上条をよく知っている食蜂でも冷や汗を流し、思わず竦んでしまうほどだった。

 

 しかし、親船はそんな上条に動じず、そっと優しい微笑みを向けて諭す。

 

「今から急いてどうするの? 何か目ぼしい手がかりがあるの?」

「それでも! こうしている今でも、どっかで誰か苦しんでいるかもしれないんだ!!」

「だからこそ、今は調査を進めている段階でしょう。風紀委員も警備員も直に本格的に動きだすわ。そうしたら情報も入ってくる。闇雲に動き回るよりずっといいでしょう」

「っッ!! ……それじゃあ、悲劇が起こる前に救えない!!」

 

 上条は強く拳を固めながら、何かを堪えるように歯噛みする。

 

(あの時と……あの頃と……何も変わらない……ッ)

 

 上条が自分の無力さを噛み締めていると、いつのまに近づいたのか、親船が上条のきつく握りしめられている右拳を優しく包み込む。

 

「大丈夫。あなたはよくやってくれていますよ。あなたが風紀委員になってくれたおかげで、救われた人たちはたくさんいます。今回の事件も、あなたが解決に導いてくれると私は疑っていません。この右手が、誰かの不幸の元にあなたを導き、その不幸を、あなたがきっと祓ってくれるでしょう」

 

 上条の右拳から、力がどんどん抜けていく。

 

「期待していますよ。上条当麻君」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条が後にし、部屋には食蜂と親船だけが残されていた。

 あの後、上条は暴走しかけたことを二人に謝罪し、パトロールだけしておとなしく家に帰ると言って部屋を出て行った。

 

「もぉ~ずるいんだゾ、親船さん! 自分ばっかり上条さんの好感度上げちゃって~」

「ふふふ。ごめんなさいね」

 

 頬を膨らませて拗ねる食蜂に、親船は優しく微笑む。

 

「……やっぱり上条さんの“あれ”。まだ変化力がないのねぇ……」

「……あれは、あなたが彼をここに連れてきたときから変わってないわね。……もう五年になるかしら」

 

 五年前、その少年は親船最中の前に現れた。

 

 その当時、八歳だった少女――食蜂操祈は既にその無類の才能を発揮し、学園都市の大人達の注目を集めていた。

 食蜂はその能力と優秀過ぎる頭脳故に、八歳にして大人というものの汚さを理解し、嫌悪していた。

 

 そんな時に、少女が出会ったのが親船最中。

 食蜂はやがて彼女には信頼を置くようになり、度々彼女の元を訪れていた。

 

 そんな彼女がある日、親船にこう言った。

 

 会わせたい人がいる。

 親船は嬉しかった。食蜂が友達を連れてくるなんて初めてのことだったから。

 

 食蜂が連れてきたのは、目を肉食獣のようにぎらつかせた少年だった。

 親船は圧倒された。学園都市統括理事として、数々の只者ではない輩と渡り合ってきた親船が、当時十歳の少年に恐れを抱いた。

 

 後から食蜂に聞いた話だと、彼は食蜂に「学園都市統括理事……親船最中を知らないか。それがダメなら貝積継敏でいい。会わせてくれないか?」と。

 彼がなぜそんなことを言ったのか。なぜ自分と貝積が統括理事だと知っていたのか。

 

 それはいまだに分からないけれど、その時に彼が言った言葉は今でも覚えている。

 

「立場が欲しい。悲劇を未然に防げる立場が。幸せを取り戻すんじゃない。失う前に気づける立場が。その為には、できるだけ高い立場――学園都市のことを、そして“もう一つの世界の事情”も知ることが立場、あんたの力が必要だ」

 

 彼は、いったい何者なのだろう。

 それは、親船も、食蜂も知らない。

 

 彼は何かを抱えていて、それに苦しみながらも孤独に戦っている。

 

 だが、彼はとても優しい子だ。それは分かる。

 ならば、自分たちにできることは、そんな彼を支えること。

 

「……操祈ちゃん。上条君のこと、支えてあげてね」

 

 食蜂は親船の言葉を聞き、すぐに胸を張って不敵に笑う。

 

「当たり前だゾ! 私が上条さんと一番付き合いが長いんだから! 上条さんの隣は、私のものよ!」

 

 そんな食蜂に慈愛に満ちた微笑みを、親船は与えた。

 

 まるで、娘の微笑ましい成長を慈しむ、母親のような笑顔を。

 

 

 

「でも、いまだに苗字で呼びあってるのね」

「………それは言わないでぇ。付き合いが長いと、かえって変えるタイミングが見つからないんだゾぉ……」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 一方、親船最中との会談の帰り道、上条は街をパトロールしながら散策していた。

 

 幻想御手事件。

 これは前回の自分の記憶にはない。記憶を失う前の事件なのか、それとも“自分の知らない所で起きていた”事件なのか。

 ともかく今回の事件において、自分にアドバンテージはない。

 

 それでも、事件は防ぐ。未然に防ぎたい。その為に出来ることは、まずはパトロール。

 これは、他にやることがないからとりあえずしているわけではない。そういった面も大きいが。

 

 幻想御手が実在すると確信したのは、数々の事件の犯人のレベルが書庫のデータと合わなかったから。それはつまり“幻想御手使用者がそれだけ事件を起こしている”ということだ。

 もちろん、既に幻想御手が大流行していて事件を起こしているのはその中のほんの一部の可能性もゼロではないが、もしそんなことになっていたらもっと情報が出回るだろう。都市伝説程度で収まらない筈だ。

 それならば、幻想御手使用者の多くが事件を起こしていると考えた方が、辻褄が合う。――手に入れた力に舞い上がり、長年の鬱憤を晴らしていると考えた方が。

 

 こうしている今も。もしかしたら、どこかで。

 

 上条は知らず知らずの内に、歩くスピードを速める。

 じっとなどしていられなかった。

 

 すると前方に、目に濃い隈を持った細身というにはあまりに細い女性が佇んでいた。

 

 上条が足を止めると、その女性も上条に気付いて顔を向ける。

 

 木山春生。

 こうして、“どんな能力も効かない能力を持つ男”と“脱ぎ女”の都市伝説コンビは出会った。

 




こうして、上条の右手は、事件の最重要人物との邂逅を引き寄せる。


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変人〈けんきゅうしゃ〉

あれが噂の“光の世界の超能力者”……そして、“幻想殺し”か。


 

 御坂美琴がコンビニからの帰り道に目撃したのは、また新たな女性とフラグ構築中のツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)だった。

 

「それで、目印とかは覚えてないんすか?」

「……近くに横断歩道があった気がするんだが」

「学園都市に無数にありますね、それ。……あんまり目印としては期待できないなぁ……」

「アンタ!!」

 

 御坂が大声で呼びかけると、上条は片手を挙げて応える。

 

「おう、ビリビリ。今日は良く会うな」

「ビリビリじゃない! 御坂美琴!! アンタ、ここにいるってことは用事は終わったんでしょ。なら勝負しなさい! 今日こそ決着つけてやるんだから!」

「悪いな、仕事中なんだ。それじゃあな」

「即答!? いや、ちょっと」

「それじゃあ、歩いて探しましょうか。大まかな場所とか覚えてないですか」

「あの、ちょっ」

「ああ。確かあちらの方だったと思うんだが」

「ねぇ、聞いて」

「分かりました。一緒に行きましょう」

「無視するなぁーーー!!!!!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、足を使って色々探し回ったものの――御坂もぶつぶつ文句を言いながらも一緒に探した――なかなか見つからず、自販機でジュースを買ってベンチで休憩することとなった。

 

「へぇ~。木山先生って研究者さんなんですか」

「ああ。大脳生理学を専攻していて、主にAIM拡散力場の研究をしている」

「AIM拡散力場ってあれでしょ。能力者が無自覚に周囲に漏らしている、人間の五感では感じ取れなくて機械を使わなければ計測できない微弱な電波。アンタ、分かるのぉ?」

「失敬な! 上条さんもそれぐらい知ってますのことよ! なんていったって、うちの担任がそういうことに詳しいからな」

 

 知らないはずがない。忘れるはずもない。

 なんといったって、上条はAIM拡散力場の結晶ともいうべき少女と出会っている。出会っていた。

 あの悲しい運命を背負っている、救うべき少女。

 この右手が今もAIM拡散力場を破壊し続けて、彼女に危機意識をもたらしている限り――彼女は、この学園都市に存在する。

 

 いまだ、この世界で会えたことはないけれど。

 また会えたら、必ず救ってみせる。

 

 そして、彼女と友達だったあの少女とも、まだ再会していない。

 彼女はもうすぐ、この学園都市(まち)にやってくる。

 

――『インデックスは、とうまのことが大好きだったんだよ?』

 

 あの泣き出しそうな、それでも必死に希望に縋るように告げられた、“前”の上条への告白。 “今”の上条の、始まりの言葉。

 

 今度は絶対に、あんな顔はさせない。今度は絶対――。

 

「――っと、ちょっと!」

「っ!」

 

 上条が我に返ると、御坂が上条に怪訝な顔をしていた。

 

「アンタ、何怖い顔してぼぉとしてるのよ」

「いやいや、ごめん疲れてて。それで、何の話だっけ?」

 

 上条は落ち着こうと、先程自販機で購入したヤシの実サイダーを口に含む。

 

「だから、木山先生に“どんな能力も効かない能力”って本当にあるのかって――」

「ぶぅふぉっっ!!!」

 

 一秒で噴き出した。

 

「ちょっ、あんた何してんの!?」

「ゴ、ごホッ、ごほっ、ぐほっ……はぁ、はぁ……何でそんなこと聞いてんだ? さっき、オカルトだって馬鹿にしてたじゃないか……ごほっ……」

 

 上条が涙目で咽ながら、御坂に問う。

 

「何よ、いいじゃない。こうして専門家の人に聞ける機会なんてめったにないんだから。それで、木山先生。そんな能力者なんて本当にいるんですかね?」

「ふむ……面白い発想だな。それは、例えばどんな能力が効かないんだね?」

超能力者(レベル5)の電撃を喰らってもピンピンしてます」

「ほお。それは例えば避雷針のようなものかね? 何らかの方法で電気を地面に逃がしているとか?」

「そういうのではなくて……そう、まるで打ち消しているかのような」

 

 どんどん理詰めで、幻想殺し(イマジンブレイカー)が解明されていく。

 この間、上条は澄ました顔で聞いたふりをしていたが、目は二人に合わせられず虚空を見ていて、冷や汗もガンガンにかいている。ちょっと顔色も悪い。

 元来、嘘を吐くのが苦手な男なのだ。よくこんな調子で前の世界で記憶喪失だとばれなかったものだ。

 

「――先程から、やけに具体的だが、知り合いにそういう能力の人がいるのかね?」

「っ! ……それは――」

 

 御坂が恐る恐る上条の方を見ようとすると――。

 

「そういえば、俺も木山先生に聞きたいことがあったんです!」

 

 上条がひきつった笑みを浮かべながら割り込んだ。

 

「ちょっと、まだ私が――」

「“AIM拡散力場”の専門家からの見解で――」

 

 御坂と上条が木山への質問権をかけて争いつつ、木山の方へ目を向けると――

 

――木山は白衣とシャツを脱いで、ブラジャーのみになっていた。

 

「あ……あ……」

「な……な……」

「いやぁ、今日は暑いな。そうか、もう七月だしな。ん? そういえば、話の途中だったな。質問とは何かね? 私に答えられる範囲であれば答えよう」

「あ、あのですね、あのう……」

「その前に服を着ろお! お前も見るなー!!!」

「ぐはぁ!」

 

 テンパって顔を真っ赤にしたまま質問を続行しようとする上条に、御坂の見事なハイキックが後頭部に決まった。

 

 そして、その際――。

 

「「あ」」

 

 御坂の缶ジュースが、木山のスカートにかかってしまった。また脱ごうとしたが、上条と御坂が全力で止めた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 結局、近くのファミレスでトイレを借り、そこのジェットタオルで御坂がスカートを乾かすことになった。

 その間、木山は個室でおとなしくし、上条は一人で木山に車のナンバーと特徴を教えてもらい――駐車場の場所は忘れたのに、ナンバーは覚えていた――単独で探すことになった。

 

「あいつはもうっ! いっつも女にへらへらして!」

 

 御坂は木山のスカートを乾かしながら、上条への文句をぶつぶつと呟いていた。

 

「すまないね。こんなことまでさせて」

「いえ。ジュースを零したのは私ですし、悪いのはアイツですから」

 

 ジュースを零したのは自分と認めながらも、あくまで悪いのは上条だと言い切る御坂。

 いっそ清々しいまである。

 

「だいたいアイツはいつもああなんですよ。会う度に女の子といるし、そこら中でフラグ建てまくるし! こないだも佐天さんにフラグ建てて、湾内さんと泡浮さんも怪しいし! そ・れ・に! アイツいっっつも食蜂の奴と一緒にいるし!! なんでよりにもよって食蜂なのよ! 胸か!? そんなに巨乳が好きなのか!? あんなのただの脂肪じゃないっ!」

 

 始めはブツブツ文句だったのに、最後の方が完全に私怨が表に出ていた。

 途中、巨乳の下りのあたりでトイレに入ろうとした胸部が豊満なだけで何の罪もない女学生が「ひっ、ごめんなさい!」といって逃げ出してしまった。この店の評判に傷がつかないのを祈るばかりだ。

 

 しかし、そんな御坂のヒステリックも、木山ぐらいの大人になると微笑ましく聞こえるらしい。

 

「ずいぶん楽しそうだな。好きなのか? 彼の事が」

 

 真っ直ぐにからかってみせた。

 その表情は、いつも顔色が悪く不健康そうな木山にしては珍しい、慈愛を感じさせる微笑み。

 

 しかし、御坂には個室の中の木山の表情は見えない。

 

「な……な……な……」

 

 というより完全にテンパっている。こういう話に御坂はとことん免疫がない。

 

「君のような子のことをなんというのだったかな、最近の若い子は? たしか……つ、つんだら? ああ、ツンデ――」

「あ――」

 

 その時、御坂の前髪がバチッと鳴いた。

 

「ありえねぇから!!」

 

 ビリビリッ! と紫電が瞬き、ジリリリリリッと甲高い音が鳴り響く。

 

 御坂の足元から流れ出した電流により、照明がショートし、警報が作動したようだ。

 今頃、この喫茶店の店主はこう叫んでいるだろう。

 

「不幸だーー!!!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「………何してんだ、お前?」

 

 その後、何とかやり過ごし店を脱出した、御坂と木山。

 タイミングよく店の前に戻ってきた、見ず知らずの店員に自身の十八番のセリフを使われたことを露も知らない上条と合流したが、上条はなぜか息が上がっている御坂に怪訝な表情を向ける。

 

「はぁ!? 何でもないわよ!! それより、アンタこそここに戻ってきたってことは車は見つかったんでしょうね!」

「何キレてんだ、お前?……まぁ、いいや。ちょっと先の駐車場でそれっぽい車を見つけたよ。それより、店の中がずいぶん騒がしいな。どうしたんだ?」

「え、え~と、それはねぇ……」

「何でも、警報が誤作動したらしい」

「そうなんですか? 一応、見てきた方がいいかな?」

「いや、大丈夫だろう。どうやら、警備員(アンチスキル)がもうすぐ駆けつけるらしいし、世話になっている私がこんなことをいうのもなんだが、今日中に片付けてしまいたい仕事があるんだ。できれば先に車の場所に案内してもらえるとありがたい」

「……そうですか。そうですね。木山先生が先客です。こっちは警備員に任せましょう。じゃあ、案内しますね。こちらです」

 

 そういって、上条を先頭に歩きはじめる。

 御坂が木山の方を見ると、木山は軽く片目をウインクをした。どうやら庇ってくれたらしい。御坂は声を出さず、口の動きだけでありがとうございますと告げる。

 

 見た目と脱衣癖で、この人も頭のいい人にありがちな変人なのかと思っていたが、どうやら面倒見のいい一面も持っているらしい。

 

 

 

「今日は色々ありがとう。おかげで助かったよ」

「いえ、これも風紀委員の仕事ですから」

 

 ここは、喫茶店から歩いて五分程度の場所のコインパーキング。

 上条が見つけた車は木山の愛車と判明し、上条の仕事は無事終了した。

 

「もう駐車場の場所忘れたりしないでくださいね」

 

 御坂の言葉に、木山は苦笑する。

 

「本当に二人とも世話になった。後日また会う機会があったら、その時は本格的にお礼させてくれ」

「そんなに畏まらなくていいですよ」

「そうです。車を一緒に探しただけなんですから。それに、おバカな上条さんには研究者の方にお会いする機会などないでしょうし」

 

 そんな二人の言葉に、木山はボソッと呟いた。

 

「いやいや。案外、君達とは近い内にすぐ再会することになるかもしれないよ」

「「え?」」

「……ふふ。なんでもない。今日は本当にありがとう。それでは、これで失礼させてもらうよ」

 

 そういって木山は車を発進させ、去っていった。

 

「……最後、木山先生なんて言ったんだ?」

「……さあ?」

 

 上条と御坂は木山の最後の言葉が気になっていたが、やがて上条が「まぁ、いいか」と歩き出す。

 

「それじゃあな、ビリビリ。俺は一応、喫茶店の騒ぎが深刻じゃないかどうか覗いてから帰るわ」

「っ! ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 上条が来た道を引き返そうとするのを、慌てて引き留める。

 今、上条をその喫茶店へ戻すわけにはいかない。今頃は、警報は電気ショックによるものだと調べがついているだろう。

 すると、こいつは間違いなく自分が原因だと断定する。主に日頃の行いが原因で。

 そうなると待っているのは、177支部での上条&白井&固法によるお説教タイムだ。それは嫌だ。

 

 それに――。

 

「なんだよ?」

「き、決まってるでしょ! 勝負よ! 勝負しなさい!!」

 

 こいつとは、決着をつけなくちゃいけない。

 バシッと宣戦布告すると、上条は深いため息をつく。

 

「またそれか……」

「何よ! いいじゃない! 仕事手伝ってあげたでしょ!」

「……お前がやったことは上条さんの後頭部にハイキックを喰らわせたことと、木山先生のスカートをびしょびしょにしたことだけだろうが」

「う……と、とにかく勝負よ! このまま引き下がれるものですか!」

 

 聞く耳を持たない御坂。

 上条は、今日も家に帰るのは遅くなりそうだ。と、すでに夕暮れを過ぎ暗くなり始めている天を仰ぎながら本家本物の「不幸だ……」を呟いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 こうして、上条は御坂と決闘すべく、夜の河原へ赴いていた。

 

「はぁ……河原で決闘とか、これ何ていう青春ドラマですか?」

「うるさいわね! さっさと準備しなさいよ!」

 

 とはいっても、この二人の戦闘準備に特別な装備など必要ない。

 

 片方はそのポケットに忍ばせたコインを手触りで確認し。

 片方はその右拳を握りしめるだけで事足りる。

 

「いつでもいいぜ。かかってきな」

「言われなくても。こっちはこの時をずっと――」

 

 それは、ただし、御坂美琴が。

 

「――待っていたんだから!!」

 

 その学園都市第三位の能力を発動する前の話。

 

 バチィッッ!!!と、御坂の放った電撃は、砂塵を巻き起こしながら上条へと襲いかかる。が――。

 

 キュイーン!!!と、上条は瞬き一つせず、難なくその右手でそれを打ち消す。

 

「どうした? ただの電撃じゃあ、俺に何のダメージも与えられないぜ」

「分かってるわよ! 効かないんでしょ! ――()()()電撃だったらねぇ!」

 

 ゾクッと、上条の磨き抜かれた危機感知能力――第六感が警報を鳴らす。

 上条がとっさに仰け反ると――。

 

――御坂の砂鉄の剣の一閃が通過した。

 

 煙で身を隠しながらの一撃。

 自信をもって放った攻撃なだけに、御坂は一瞬フリーズするが、すぐに切り換え攻撃方法を変更する。

 

「それなら……これならどうよ!」

 

 砂鉄剣は己が身をしならせながらその刀身を伸ばす。

 螺旋を描きながら変幻自在に上条を襲うその姿は、まさしく鞭。

 

 上条当麻が御坂美琴の能力で最も恐ろしいと考えている形態を、御坂美琴は咄嗟に編み出した。

 回避を続けていた上条だったが、やがてその懐に鞭が入る。

 

(やったか!?)

 

 御坂が勝利を予感した。だが――。

 

 キュイーン!! 鞭がその右手に触れた途端、強制的に砂鉄に戻される。

 

「いいアイデアだったが……これで、おしまいか?」

 

 上条は不敵に笑う。その姿から、余裕は微塵も薄れていない。

 しかし、その姿を見ても御坂は笑みを崩さない。

 

「……ここまでは予想通りよ」

 

 上条は御坂の姿を見て、まだ終わっていないと戦闘態勢を続行する。

 

「アンタはどうやってるのかは知らないけど、能力を打ち消す。だけど、砂鉄は空中を漂ったまま、消されてない。なんでも打ち消すわけじゃない。だったら、まだ、方法はある!」

 

 御坂の周囲の砂鉄が渦を巻く。そのまま勢いを増し、砂鉄の嵐を形成する。

 

「風に乗った砂鉄も操るのか……さすが超能力者(レベル5)だな……。だが、何度やったって、同じことだ!」

 

 上条が砂鉄の嵐に右拳をぶつける。

 あれほど荒れ狂っていた渦が問答無用で沈められる。

 

 その時、御坂が砂鉄のカーテンを突っ切り上条に突っ込んできた。

 

「な!?」

 

 さすがに不意を突かれた上条。力いっぱい右拳を振りぬいたので、体勢をすぐに変えることができない。

 

 御坂は上条の右手を掴んだ。

 

(勝った! さすがのアンタも、飛んでくる電撃を打ち消せてたって――直接流せば、その能力も使えないでしょ!!)

 

 御坂は電流をその手を介して上条に流す――が、1秒、5秒、10秒が経っても、何の変化も起きない。

 

「……え? そんな――」

(電流が……流れていかない!? 確かに演算はしてるのに! どうなってんのよ、コイツ――)

 

 御坂が現実を受け止められずにいると――。

 

「おい」

 

 上条の鋭い声が届いた。御坂はびくっと体を震わせる。

 

「終わったか?」

 

 目を見れない。御坂は能力を使えない。すると、後に残るのは、女子中学生と男子高校生のどうしようもない体格差だけ。

 

「なら、こっちから行くぞ」

 

 上条が左拳を振り上げる。

 御坂は必死で目を瞑り、ビクビクと怯えている。

 

 上条は、そんな御坂に――。

 

「いたっ!」

 

 御坂の額にデコピンをした。

 

「はは。何、ビビってんだよ」

「は、はぁ!? ビビってないし!!」

「嘘つけ。涙目で可愛くビクビクしてたじゃん」

「か、かわっ……と、とにかく! ビビッてなんかない!!」

 

 御坂が四方八方に電撃を振りまく。

 上条はニヤニヤ笑いながら、それを打ち消す。

 

「とにかく、今日の勝負は俺の勝ちだな」

「はぁ!? なんでよ! 私、負けてないわよ! 一発も攻撃もらってないんだから!」

「喰らったじゃねぇか。最後のデコピン。あれだって立派な“一撃”だよ」

「な……認めないわよ! 無効よ、そんなの!」

「往生際が悪いぞ、御坂」

 

 顔を真っ赤にして捲し立てる御坂に、上条はポンと頭を撫でる。

 

「今日はもう遅いからここまでにしとけって。また暇な時、付き合ってやるから。あんま遅いと白井に余計な心配かけるぞ」

「こ……こ……子供扱いするなぁ!!」

 

 御坂は上条の手を払いのけると、上条に背を向け走り出す。

 

「きょ、今日はこれぐらいで勘弁してあげるわ! 次は絶対、私が勝つんだからね!!」

 

 そうして走り去っていく御坂を、上条は優しく苦笑しながら見送った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 とある鉄橋の上。ここからは先ほどの河原の決闘が特等席で見渡せた。

 その場所に、一人の女性徒が佇んでいる。

 

「よぉ、縦ロール」

 

 その女生徒に上条は話しかける。

 縦ロールとは、上条は食蜂の次に“この”世界の付き合いは長い。

 

「上条様」

「どうしたんだ? こんな時間に、こんな場所で?」

「いえ、食蜂様は今夜、親船様とご夕食をお済ませになると伺ったので、お迎えの時間までこの辺りを散策していましたら、上条様と御坂さんが素晴らしい戦いをなさっているのを拝見しましたので、思わず見入ってしまいました」

「……見られてたことにとやかく言うつもりはないが。こんな時間に女の子が一人でふらつくな。……まぁ、お前がそんじょそこらのスキルアウトにどうこうされるとは思わないが」

 

 上条は呆れたように、縦ロールに言う。

 縦ロールはクスリと笑い「ご心配していただいて、ありがとうございます」と返した。

 上条は苦笑いしながら肩を竦めて「相変わらず、堅苦しい奴だ」と呆れる。

 これが、この二人の完成された距離感だった。

 

 縦ロールは、ふと視線を河原に向け、そっと呟く。

 

「……それにしても、御坂さん、強くなられましたね」

「まぁな。だが、まだまだだ。御坂はもっと強くなる。元々、御坂の能力の強みは、その応用性の高さだ。今日の戦いみたいにアイデアが生まれれば生まれるほど、御坂はどんどん強くなる」

「ふふふ。超能力者(レベル5)の御坂さんにそんな風に言えるのは上条様くらいでしょうね」

「まぁ、俺にとっちゃ御坂も食蜂も可愛い後輩だ。もちろん、初春も白井も佐天も。もちろん縦ロール、お前もな♪」

「……う~ん。その台詞は嬉しいような、悲しいような、ですわね」

「え? なんで? 結構、いい事言ったつもりなんだけど?」

「……上条様は本当に罪作りなお人ですわね」

 

 こんな風にしばし雑談を交わす二人。

 上条は前回、縦ロールとは親しい交流はなかった。

 だからなのだろうか。楽なのだ。彼女といるのは。

 

 ふとした時に()()()彼ら彼女らと重なる時に感じる、空しさ、空虚さ、罪悪感を感じずに済むから。

 そして、そんな風に考えている自分に気づき、嫌気が差す。この繰り返し。

 

「……上条様? どうなされました? 顔色が優れないようですが?」

「ん? いや、なんでもない。それより、縦ロール。お前、食蜂から連絡が来るまで暇なんだろう? 家に来て夕飯食って行かないか? 今日は大分遅くなっちまったからアイツ機嫌が悪いと思うんだ。うまい飯作ってやりてぇから、手伝ってくれると助かる」

「ふふ。なんだかんだであの方とはうまくやれているようですわね。一時はどうなることかと思いましたが」

「なんとかな。それで、どうなんだ」

「ええ。もちろんお呼ばれいたしますわ。……ふふ。食蜂様、悔しがるでしょうね」

「何言ってんだ。食蜂は今頃、もっといい飯食ってるよ。俺の方が羨ましいくらいだ」

「…………」

 

 噛み合っているようで噛み合っていない会話を重ねながら二人は上条家へ向かう。

 

 後日、この話を聞いた食蜂がサプライズで上条家へ突入し、それを聞いた御坂も突入しようとするが上条家の場所を知らない為、悶々とすることになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

「そういえば、縦ロール。お前、うまいコーヒーの淹れ方って知ってるか?」

「コーヒーですか? 食蜂様もわたくしも紅茶派なので詳しくは存じませんが……何故、また?」

「いやぁ、アイツ飯にはそんなに拘らない癖にコーヒーの味にはやたら拘るんだよ。それにつられて俺もすっかりコーヒーにハマっちまってな。支部にもコーヒーメーカーを買ったんだが、思うような味が出せなくてな。やっぱり豆なのかな?」

「ふふ。本当に仲良くなられたようで何よりです♪」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 深夜、どこかの研究所。

 

 真っ暗な部屋の中で、唯一の光源となるディスプレイの怪しい光が、大きな隈を持つ不健康な顔を照らしている。

 

 彼女――木山春生は、ディスプレイに表示される二人の人物の画像を見て呟いた。

 

「あれが噂の“光の世界の超能力者”……そして、“幻想殺し”か」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 次の日、風紀委員一名が“爆弾”による重傷を負った。

 

 これは、それまでイタズラとされてきた謎のアルミ爆弾事件と同一犯と推定。

 風紀委員(ジャッジメント)は『連続虚空爆破(グラビトン)事件』として、犯人捜索を本格的に開始。

 

 書庫(バンク)による能力該当者は一名。

 彼女――大能力者(レベル4)の釧路帷子は、事件発生以前から原因不明の昏睡状態。鉄壁のアリバイがあった。

 

 こうして、風紀委員(ジャッジメント)は手がかりを失った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ぐはぁ!」

 

 介旅初矢は、自分よりも体格のいい不良三人に囲まれ、なすすべもなくリンチに遭っていた。

 

「なんだよ、これっぽちかよ!」

 

 不良少年の一人は仲間に殴られる介旅に目もくれず、介旅の財布を無許可で荒し持ち金を押収した。

 目的を終えた彼らは倒れ込む介旅の存在など無視し、この場にいない風紀委員(ジャッジメント)を嘲笑する。

 

風紀委員(やつら)が来る前に行こうぜ」

「大丈夫だろ。あいつらが来るのはいつも“事件の後”だし」

「いまだに一回も止められてねぇしな」

「「「ハッハッハッハッハ」」」

 

 介旅は顔を俯かせ、彼らが去っていくのを見送ることすら出来なかった。

 

(ちくしょうっ……何をしてるんだ風紀委員(ジャッジメント)はっ!)

 

 ズタズタに切り裂かれる自尊心は、標的を、原因を、落ち度を、自分以外の誰かへと、別の何かへと向けなければまともな形を保てなかった。

 そしてそれは、学園都市の治安維持を謳う――風紀委員(ジャッジメント)への恨みへと、禍々しい憎しみへと変わる。

 

(あいつらが悪いんだ…あいつらが無能だから、僕がこんな目に遭うんだっ…)

 

 介旅は、表情を憎々しげに歪め、地面を掻き毟った。

 

 

(見てろっ!!)

 

 




一人の少年の憎悪が、種火となって大きな事件への燃え移る。


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連続虚空爆破〈グラビトン〉

――あいつみたいなのは、この学園都市には大勢いるんだよ。


 

「はぁ。せめてもう少し、手がかりがあれば……」

「そうですね。分かっているのは大能力者以上の能力者ということしか……」

「でも書庫に該当者はなし。……急激にレベルアップした能力者! ……というのは現実味がなさすぎですわよね」

「「はぁ」」

 

 風紀委員177支部では、白井と初春が進展のない捜査状況に頭を悩ませていた。

 その時、支部の扉が開かれ、一人の女生徒が入ってくる。

 

「お疲れ二人とも」

「あ、固法先輩」

「お疲れ様ですわ」

 

 固法は近隣の風紀委員(ジャッジメント)の中でもかなりの古株の為、この地域の風紀委員(ジャッジメント)を纏めるリーダーのような役割をしている。

 その為、今回の事件では彼女も忙しなく動き回っていた。

 

「あれ? 固法先輩、上条さんは?」

 

 初春が固法に今日は姿を見ていないツンツン頭の少年の所在を尋ねる。

 すると彼女は、少し表情に影を作りつつ答えた。

 

「……上条くんは、こないだ被害に遭った風紀委員(ジャッジメント)のお見舞いに行っているわ」

「あ……」

「…………」

 

 その答えに、支部内は暗い雰囲気に包まれる。

 

「……また、上条さんは責任を背負い込んで無茶をしているんでしょうか?」

「……分からない。だけど、相当厳しい顔をしてたわ」

「……しょうがない人ですわね。本当に」

 

 上条の性分は、同僚である彼女達も承知している。

 そして、なんでも一人で背負いこむ彼を、皆、常に心配しているのだ。

 

「……彼が無茶をしないように、一刻も早く! この事件を解決するわよ! いいわね!」

「……はい!」

「……まったく、世話の焼ける先輩ですわね」

 

 固法が後輩二人を、そして己を鼓舞するように声を張り上げると、初春と白井もその顔に意識して笑顔を作った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「それじゃあ、また来るな。犯人は必ず捕まえる。だから、ゆっくり休め」

「はい。上条さん、ありがとうございました!」

 

 上条はそう言って病室を後にする。

 彼が病室を出る時、花を持った女性徒が緊張気味に立っていた。

 おそらく、彼が身を挺して助けた女の子だろう。

 

 彼は背中に大火傷を負いながらも、自らの正義感の元に一人の女の子を救ったのだ。

 上条はそんな仲間を誇りに思い、そしてそんな彼を救えなかった自分に歯噛みした。

 

 自分はまた救えなかった。その思いが彼を責めたてる。

 

 全ての悲劇を起こる前に救う。そんなことは不可能だと理解し、実感している。魔神でもない限り。

 しかし、彼は一度そんな世界を見せつけられている。成功例がある以上、そこを目指さずにはいられなかった。

 

 少しでも、一つでも、一歩でも、あの理想郷(せかい)に近づきたい。

 

 彼は病院を後にし、進む。宛はない。だが、足を動かさずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 次の日、御坂と佐天と初春はセブンスミストへと歩いていた。

 働き通しの白井や初春に息抜きをと佐天と御坂が企画したが、白井は仕事が片付かず参加出来なかった。

 初春はなら私もと自分も仕事をしようとしたが、白井が二人に悪いから初春だけでも参加してこいと送り出したのだ。

 

「そっか……白井さん、来れないんだ」

「ええ。でも、元気そうですよ。お土産を色々とリクエストされちゃいました」

「なら、こっちも目一杯楽しみましょう。そして、お土産持って支部へ陣中見舞いに行きましょうよ」

 

 そんな風にワイワイ騒ぎながら、セブンスミストへ入っていく一同。

 

 その中のある一点。初春の右腕の腕章を、介旅初矢が醜悪な笑みを浮かべながら凝視していた。

 

 

 

 

 

「初春~こんなのどう?」

「ひ、紐パン!? む、無理です! こんなの穿けるわけないじゃないですか!!」

「え~。でもこれなら、あたしにスカート捲られても恥ずかしくないんじゃない?」

「むしろ恥ずかしいですよ! ていうかそもそも捲らないでください!」

 

 御坂は佐天と初春のやりとりの苦笑しながら見守る。

 彼女達は女子中学生らしく全力でショッピングを楽しんでいた。

 

 佐天は凄くウキウキしながら初春をいじり倒している。

 最近、初春が風紀委員(ジャッジメント)の仕事で忙しくて寂しかったのかもしれない。

 

「あ、そういえば御坂さんは何か探し物はあります?」

「え、そうねぇ……パジャマ、とか?」

「それならこっちですよ!」

 

 佐天が御坂に尋ねると、初春が話の矛先を変えるべく、我先にとパジャマ売り場へ先行する。

 

「色々回ってるんだけど、あんまりいいのが置いてなく……て……」

 

 御坂の目がある一点で止まる。

 そこには、なんていうか、その、“かわいい”を極めたようなピンクに花模様の、対象年齢が幼そうなパジャマがあった。

 

 御坂の目が輝いている。すでに心を鷲掴みにされていた。

 

「ね、ねぇ! これ、すごくかわ「うわぁ~、見てよ初春このパジャマ。今時こんな子供っぽいの着る人いないよね~」「小学生の頃は着てましたけど、さすがに今は……」そうよね! うん! 中学生にもなってこれはないよね! うん!」

 

 現役JCのまっすぐな意見にちょっと泣きそうになりながらも、必死に合わせる御坂(JC)

 佐天と初春はそのまま水着を見に行くが、御坂はまだこのパジャマから目を離せなかった。

 

(……いいんだもん。パジャマなんだし、誰に見せるわけでもないんだから)

 

 誰も聞いてないのに心の中で必死に弁明しながら、横目で佐天達の様子を確認し、素早く手に取り姿見で合わせる。

 そこには、自分以外にツンツン頭の少年が映っていた。

 

「何してんだ、ビリビリ?」

「ぬわっ! な、なんでアンタがここにいんのよ!?」

 

 御坂の絶叫を聞き届けたのか、佐天と初春が上条に気づき、こちらに戻ってくる。

 

「あ、上条さーん♪」

「上条さん!?」

「よう、初春に佐天。お前たちもいたのか」

 

 初春達が来たことで瞬速でパジャマを元に戻す御坂。

 そして、再び上条に向き合う。

 

「それで、アンタはどうしてここにいるの?」

「ああ。それはな――」

「こんにちは♪ ときわだいのお姉ちゃん♪」

「あ、あの時のカバンの子……」

「ああ、こないだの」

「あーじゃっじめんとのお姉ちゃん♪」

「どうしたんですかこの子? 上条さんの妹さんですか?」

「違う違う。この子が洋服屋を探してるっていうからここまで連れてきたんだ」

 

 この子は以前に御坂が風紀委員体験記を行った際に助けた女の子だ。

 上条は偶然その子と鉢合わせ、こうして世話を焼いたらしい。

 

「でも、初春達と合流できてよかった。その子のこと頼むな。俺はちょっと街をパトロールしてくるから」

「えー。もう行っちゃうんですかぁ。忙しすぎますよ上条さーん」

「まったくですよ。まぁ、でもこれも仕事だからな。じゃあまたな、みんな」

 

 そう言って上条は立ち去ろうとするが、その手を初春が引き留める。

 

「ま、待ってください!」

「ん? どうしたんだ、初春?」

「……もしかして上条さん、碌に寝てないんじゃないですか?」

「ッ!」

 

 上条は一瞬動きを止めるもすぐに話をはぐらかそうとする。

 

「え!? そうなんですか?」

「……いやぁ~最近忙しくてな。けど、大丈夫だよ。今日は早く帰って寝るつもりだから」

「私達の前でまで虚勢を張るのは止めてください。上条さん、最近、仕事は私達が支部に来る前に終わらせて、一日中街をパトロールしてるじゃないですか」

「…………あ~」

「……上条さん。上条さんが頑張るなって言っても頑張り過ぎる人なのは知ってます。だけど、もう少し私達を頼ってください。一人で抱え込まないでください」

 

 初春の上条の手を握る力が強くなる。瞳は力強く上条を見つめていた。

 上条はそんな初春に優しく微笑む。

 

「……ありがとう、初春。でも、これは俺が好きでやってることだ。もちろん、お前達のことは頼りにしてる。だけど、ただでさえ最近の風紀委員(ジャッジメント)の仕事は山積みでハードなんだ。そんなお前達にこれ以上の負担はかけられないよ」

「でも!」

「じゃあ、こうしましょう♪」

 

 どっちも引かない二人の間に、佐天が割り込む。

 

「上条さん。これから、あたしたちとデートしましょう♡」

「え?」

「「えええええええええええええ~~~~~~~~!!!!????」」

「わ~い、デートデート♪♪」

 

 佐天の突然の衝撃提案に、上条は呆気にとられ、初春と御坂は絶叫し、カバンの女の子(以下カバンちゃん)はデートという大人な響きになんだか嬉しくなる。

 

「こうして会ったのも何かの縁ですし、息抜きも大切ですよ♪」

「え、いやでも」

「それに、その子も凄く嬉しそうですし」

「お兄ちゃん! デートしよ! デート!」

「……でも」

「か、上条さん!」

 

 いまだ渋る上条に、これも上条を休ませる好機と自分の中で勇気を振りしぼる理由を築きあげた初春が、顔を真っ赤にしながら――。

 

「ふ、不束者ですが! よろしくお願いします!!」

 

――盛大に空回った。

 

「え、えっと初春? それはもっと使い道を選ぶべき言葉だと思うんだが……」

「あ……え!? え、えっと! 今のはそういうことではなくて! い、いえ別に嫌だとかそういうんじゃなくてですね! あ、あの、えっと」

「初春、落ち着け! なんか凄い注目集めてるから!」

「お兄ちゃん! 早くデート行こう、デート! 私を大人の女にしてね♪」

「君は憧れだけで覚えたての言葉使わないで! 君にはまだ早い!」

「さあ! あたしたちの誰を選ぶんですか、上条さん? キチンと責任とってくださいね☆」

「佐天さんに至っては確信犯だよね!? 状況を混乱させて楽しんでるだけだよね!?」

 

 こうしている間にみるみる内にギャラリーが増えていく。

 場所が場所の為、やはり若い女の子が多く、会話の内容が内容の為、上条に注がれる視線に込められる感情は氷河のように冷たい。

 上条当麻のメンタルがガリガリ削られていく。特にカバンちゃんが言葉を発する度に周囲の視線の温度が急降下する。内容が背伸びする女の子は可愛いなんてフィルターでは誤魔化しきれなくなってきている。

 

 上条に、もはや選択肢はなかった。

 

「行く! デートでもなんでも行ってやるよ! だからここから一刻も早く移動するぞ!」

「やった~~! 上条さん、カッコいい~~!」

「やった~~♪♪ デート♪ 大人のデート♪」

「は、はい! どこまでもお供します!!」

 

 こうして、上条は四人の女の子とデートすることになった。

 ちなみに御坂は。

 

「で……で……デー……デー……」

 

 顔を真っ赤にし、湯気を放ちながらずっとフリーズしていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 五人はセブンスミストのフードコートにあるクレープ屋で、それぞれクレープを購入した。

 ……上条の奢りで。

 

『上条さんはデートで女の子に支払わせるなんてケチな男じゃありませんのことよ!!』

 

 大言壮語を宣い、今月の奨学金の殆どが泡と消えた。最近のスイーツはちょっとした食事代よりも高い。

 ……まぁ、前回の時とは違う同居人のおかげで今の上条は食費には困っていないのだが、律儀な上条は自分が自由に使う金は自分の奨学金のみと決めている。よって今の上条は、今月のお小遣い無しねと言われた世の中のお父さん的な状態である。高校一年にしてその背中からは哀愁が漂い始めていた。

 

 ここでもカバンちゃんが存分に本領を発揮し、高いメニューほど大人!とでも思ったのか『チョコバナナ&ストロベリーカスタードマロン生クリームバニラアイス乗せ練乳たっぷりver』という甘いもの全ミックスとでもいいたげなデラックスなクレープを注文。上条の懐事情に大ダメージを与えた。

 

 そんなモンスタークレープを幼女が自力で完食できるわけもなく、初春と御坂に涙目で助けを求めている。

 目の前の微笑ましい光景を、上条は中身なしのプレーンクレープをもそもそと食べながら眺めていた。

 

「食べます?」

 

 すると、佐天が上条の隣に腰掛け、自分の食べかけのブルーベリー味のクレープを上条に差し出した。

 

「いや、いいよ。佐天が全部食べ「えいっ!」むぐっ」

 

 上条は遠慮しようとしたが、佐天は強引に上条の口に突っ込んだ。

 そして、その後、上条が口をつけた部分をぱくっと食べる。

 

「おいしいですね♪」

「………ああ」

 

 お互い顔を真っ赤にして照れる。

 御坂と初春がカバンちゃんの世話に夢中になっていなければ、修羅場間違いなしの光景だ。

 

「……ごめんなさい。無理矢理デートなんかに付き合ってもらっちゃって」

「……いや、別にいいけど。なんであんな強引に?」

「はは、やっぱり強引でしたよね。……なんていうか、放っておけなくて」

「え?」

「なんていうか……初春に寝てないんじゃないかって言われたとき、上条さん一瞬凄く辛そうな顔してたから」

「………」

「上条さんは風紀委員(ジャッジメント)で、色んな所で色んな人を助けて、色んな人達のヒーローなんだって思います。………もちろんあたしにとっても。……でも――」

 

 佐天は横に座る上条に顔を向け、毅然とした笑顔で言い放つ。

 

「ヒーローだって、日常を楽しんだっていいと思います♪」

 

 上条は、呆気にとられたように見惚れた。その純粋で、無垢な笑顔に。

 何にも染まっていない、その日常を生きる、表の世界の光を放つ笑顔に。

 

(……あぁ。これが、俺の守りたいものなのかもしれない)

 

 誰もが佐天のような笑顔を浮かべられる、そんな世界こそが、上条が欲しくてたまらないものなのかもしれない。

 

「だから、今日はデートを楽しみましょう♪」

「………ああ。そうだ」

 

 な、と続ける上条の言葉は途中で遮られた。

 

 上条と初春の端末が同時に鳴り響く。

 

 着信相手は『風紀委員177支部』

 

 デートの時間は――日常パートは、唐突に終わった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『もしもし!? 上条さん! 今どこにいますの!? 無事ですの!?』

「落ち着け、白井。俺は今パトロールに出ている所だ。それより無事ってどういうことだ?」

 

 

連続虚空爆破(グラビトン)事件の標的(ターゲット)風紀委員(ジャッジメント)!? 本当ですか?」

『ええ。過去の事件の全てが風紀委員(ジャッジメント)が傍にいるときに起きている。ほぼ間違いと思うわ』

 

 

「くそっ! ……そんな分かりやすい共通点を見逃していたなんてっ……」

『それより上条さん! 衛星が重力子の爆発的加速を観測しました! まもなく次の爆発が起きます! 場所は――』

 

 

「それじゃあ、次も風紀委員(ジャッジメント)が狙われる可能性が高いってことですね?」

『ええ。そして、ついさっき衛星が次の爆発の予兆を感知したわ。場所は――』

 

 

『『第7学区――セブンスミストですの(よ)』』

 

 

 その言葉を聞いて上条と初春は揃って顔を見合わせる。

 

「白井。都合よく俺と初春がそこにいる。すぐに避難誘導を開始する。白井は警備員に連絡を!」

『え!? なぜ初春といっし「ピッ」』

 

「固法先輩。私、ちょうど上条さんとそこにいます。すぐにお客さんの避難誘導を開始します」

『え!? ちょっと待って、上条くんもそこにい「ピッ」』

 

「初春、聞いての通りだ。客の避難誘導を開始しろ。俺は店員に館内放送で避難を煽ぐように要請する」

「分かりました!」

「御坂は、初春を手伝ってやってくれ!」

「わかったわよ!」

「上条さん、あたしは!?」

「佐天はあの子と一緒に避難を……って」

 

 カバンちゃんがいない。さっきまで、一緒にいたはずなのに。

 

「御坂、初春! あの子はどこだ!?」

「え? あれ?」

「確かにさっきまでここに……」

 

 くそっ! 最悪のタイミングではぐれてしまった。

 だが、ゆっくり個別に探している時間はない。

 

「くっ……俺が館内放送の依頼の後に探す! 初春と御坂は避難誘導! 佐天は一刻も早く外に避難しろ! そして、警備員(アンチスキル)の応援が来るまで、誰も中に入れないようにしてくれ!」

「わかった」「分かりました!」「……はい。みんな、気をつけて!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『お客様にご連絡いたします。誠に申し訳ございませんが、店内で電気機器の故障が発生したため、誠に勝手ながら、本日の営業を終了させていただきます』

 

 店内の放送機器から、繰り返し同じ文言が流れる。

 パニック誘発を防ぐべく、緊急時用にあらかじめ用意されていた文句だ。

 

 上条はそれを聞き流しながら、すでに避難が終了して誰もいなくなった二階を走り回っていた。

 カバンちゃんはまだ見つからない。

 

 上条は焦る心を必死に抑えながら、先程白井から聞いた情報を頭の中で反芻する。

 

『標的は風紀委員(ジャッジメント)の可能性が高いと考えられます』

『次の場所は、第7学区――セブンスミストですの』

 

 この二つの情報が導く答えは、今回の標的(ターゲット)は自分か初春だということ。

 広いセブンスミストの店内には、もしかしたら自分たち以外の風紀委員(ジャッジメント)がいたのかもしれないが、それならば自分達と同じように情報が届き、避難誘導に協力しているだろう。

 

 もしこれが正しいとすれば、カバンちゃんは自分が巻き込んでしまったことになる。

 なんとしても、救わなければならない。

 

 上条はカバンちゃんが二階にいないことを確認すると、再び一階に駆け降りる。

 

 そこに避難誘導を終えた御坂と初春がいた。

 

「上条さん!」

「上の階の避難は終了した! だけど、あの子がいない!」

「もしかして、もう外に?」

「分からない! だが、もし中にいたら「お姉ちゃ~ん」っ! いた!」

 

 その時、カバンちゃんが初春に駆け寄ってきた。その手に、見知らぬカエルの人形を持って。

 

「よかった……」

「あぁ――」

 

 ぞくッ――と寒気が走る。

 上条の第六感が危険を訴えた。

 

 そのカエルの人形は危ないと。

 

「眼鏡をかけたお兄ちゃんがね、この人形をじゃっじめんとのお姉ちゃんに渡して欲しいって!」

「え、私に――「初春! その人形を遠くに投げ飛ばせ!」――え?」

 

 上条の叫びと同時に、カエルの人形が醜悪に変化する。

 

()()()()()()()だ!!!」

 

 初春は人形を投げ飛ばし、カバンちゃんを守るように抱きかかえる。

 

超電磁砲(レールガン)で爆弾ごと吹き飛ばす!!)

 

 御坂がポケットの中のコインを取り出す。

 

 が、焦ったのか、あろうことかコインを取り損なってしまった。

 

(しまっ! 間にあわ――)

 

 その時、誰よりも早く、“御坂がコインを取り出そうとするよりも早く”、少年は爆弾に肉薄する。

 上条は、“爆弾が爆発する前に”その右手で抑え込んだ。

 

 人形は醜悪に姿を歪めたまま、内部からパキンと音を立てて――安定した。

 こうして、セブンスミストは無傷のまま、爆弾の爆発を防ぐことに成功――被害者はゼロだった。

 

「……ふ~」

「た、助かった……ありがとうございます、上条さん」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

「ああ。無事でよかった」

「……」

 

 初春とカバンちゃんが上条に感謝を伝える中、御坂は色々な感情を持て余していた。

 助かった嬉しさ。失敗した恥ずかしさ。上条に後れをとった悔しさ。何もできなかった情けなさ。

 

 それらを自分の中で必死に処理し続けていると、上条のボソッとした呟きを耳が拾った。

 

「…………眼鏡のお兄ちゃんか」

「っ!」

 

 そうだ。まだ、この爆弾を用意した奴を――犯人を、捕まえていない。

 

 事件はまだ、終わっていない。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 介旅初矢は路地裏で呻いていた。

 

「なぜだっ! なぜ爆発しなかった!!」

 

 これまで、数回の実践(じっけん)を重ねその度に威力を更新してきた。

 こないだはついに風紀委員の一人に入院レベルの重傷を負わせることに成功した。

 今回こそ、()れる。そう確信した、会心の出来だった。

 

 にも関わらず、待てど待てど爆発は起こらず、ついに標的の花飾りの風紀委員(ジャッジメント)は爆弾を持たせた少女と共に無傷で建物から姿を現した。

 

 失敗。明らかな失敗。

 ……ありえない。ありえない !ありえない!!

 

 僕は力を手に入れた! 強くなったんだ! こんなのは何かの間違いだ! こんなことは絶対にあってはならない!!!

 

「ありえない! ありえない! 次だ! 次はもっと威力の高い奴を! この力で無能な風紀委員(ジャッジメント)も! あの不良共も!! みんな、みんなまとめて――」

 

 ドガッ! っと吹き飛ばされた。正確には蹴り飛ばされた。

 無様に地面に全身を打ち付けた介旅は、状況を理解できず蠢く。顔を上げると――茶髪のセミロングの女子中学生が見下ろしていた。

 

「はぁ~い♪ ……要件は、言わなくても分かるわよね――」

 

 御坂は笑いながら言う。

 

「――爆弾魔さん♪」

「ッ! ……なんのことだか、僕にはさっぱり」

「さっきから馬鹿デカい声で自白も同然のことを叫んどいて、今更言い逃れできると思ってんの?」

「……っ!」

 

 介旅が鞄の中からアルミ製のスプーンを取り出す。

 

 そこを針の穴を通すコントロールの超電磁砲(レールガン)が擦過した。

 

「ぐぁぁあああっっっ」

 

 当たってはいない。しかし、その熱だけでも一般人には当然激痛だ。

 苦し回る介旅を、しかし御坂は冷めた目で見下ろし続ける。

 

「『超電磁砲(レールガン)』……常盤台のエース様か」

 

 そう吐き捨てる介旅の声に、尊敬の念などカケラもない。

 あるのは、嫉妬、侮蔑、そして怨嗟の念だった。

 

「いつもこうだ……何をしても……何もしていなくても……こうして僕は、いつも地面にねじ伏せられるっ」

 

 介旅はゆっくりと起き上がり、御坂を渾身の力で睨みつける。

 御坂は動じない。気にも留めない。コイツにはそんな価値すらないと言わんばかりに。

 

「殺してやるっ……お前らはいつもこうだ! お前らはいっつもそうだ!! 風紀委員(ジャッジメント)も同じだ! 力のあるやつは……みんなそうだろうが! どいつもこいつも、俺を哀れに見下しやがってよぉおお!!」

「……力……力……力って」

 

 御坂は介旅の襟首を掴み上げ、強引に立たせる。

 この時、初めて御坂の瞳に感情が灯った。それは――怒りだ。

 

「歯を、食いしばれっ!」

 

 腕を大きく振り、殴りつけようとする。

 

 しかし、その腕は背後の人物に止められた。

 

「やめろ、御坂。これは風紀委員(ジャッジメント)の仕事だ」

 

 上条は御坂の手を解き、介旅を解放する。

 

「大丈夫か?」

「っ! アンタわかってんの!? こいつは――」

「御坂」

 

 怒鳴り散らそうとした御坂を、上条は低い声で制す。

 

「黙ってろ。これは風紀委員(ジャッジメント)の仕事だ」

「っ!」

 

 口を開きかけた御坂は、上条の視線一つで強制的に閉口させられた。

 

 そしてゴホッゴホッと息を整えていた介旅が口を開く。

 

「だから……遅ぇんだよっ……」

 

 上条と御坂は介旅に目を向ける。介旅は唾をまき散らながら、喚き散らした。

 

「遅いんだよ! お前達風紀委員(ジャッジメント)は! こっちがやられる前に助けろよ! いつもいつも終わった後にのこのこやってきやがって! 学園都市の治安維持がお前らの仕事だろうが!!だったら! 力のない奴を守れよ! 盾になれよ! どうして僕ばっかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだよぉ!!」

「っ!このっ!」

 

 御坂は限界だった。介旅のあまりに自分勝手で他力本願な、その言い草に。

 

「そうだな。お前の言う通りだ」

 

 しかし、上条はこう言った。

 その言葉に御坂だけでなく、介旅までもが呆気にとられる。

 

「俺達風紀委員(ジャッジメント)の仕事は、お前のように理不尽な思いをする人達を一人でも多く救うことだ。この街で平和に暮らしている人達を守る盾になることだ。お前がどれだけ苦しくて、辛い思いをしたのかは分からない。だが、そんな思いをさせてしまったのは、間違いなく俺達風紀委員(ジャッジメント)の落ち度だ。――本当にすまなかった」

 

 上条は頭を下げる。しばらくの間そうしていたが、やがて顔を上げると毅然と言い放つ。

 

「だが、それでもお前のやったことは許されることじゃない」

 

 上条は続ける。

 風紀委員として、被害者――介旅初矢への謝罪とともに、爆弾魔(かがいしゃ)――介旅初矢に贖罪をさせなければならない。

 

「お前がやったことはただの八つ当たりだ。お前がやられたから、誰も何もしてくれなかったから。それはお前が加害者になっていい理由には絶対にならない。それは相手を傷つけるだけでなく、お前自身を貶める行為だ。それだけは、絶対にやってはいけなかった」

 

 上条は、地面に倒れ伏せる介旅に、膝を折って目線を合わし、真っ直ぐに告げる。

 

「自首しろ。お前がこれまで傷つけた風紀委員(ジャッジメント)に謝罪して、罪を償え。お前はまだやり直せる」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 介旅初矢は警備員(アンチスキル)の車で連行された。

 彼はあの後、上条や御坂に暴言を吐かず、何も発さず、終始俯いたままだった。

 上条の言葉が、彼に届いたかは分からない。

 

 だが、犯人は逮捕され、連続虚空爆破(グラビトン)事件は幕を閉じた。

 

 そして今、白井と初春と佐天とカバンちゃんが無事を喜んで騒いでいるのを、上条は少し遠目で眺めている。

 

「ねぇ」

 

 そこを決して笑顔ではない御坂が話しかけた。

 

「なんだ?」

「さっき。なんで、あいつを庇ったの?」

「……別に庇ったわけじゃない。風紀委員(ジャッジメント)として、暴力が振るわれるのを黙ってみているわけにはいかなかっただけだ」

「っ! なんで!? 殴られて当然の奴じゃない!? 力を言い訳にして、色んな人を危険に晒して!」

「……確かに、あいつがやったことは許されることじゃない。そのことはあいつはちゃんと反省すべきだし、きちんと償うべきだ。けど――」

 

 上条は、目を細めながら呟くように言う。

 

「――あいつみたいなのは、この学園都市には大勢いるんだよ」

「……え?」

「佐天は、風紀委員(ジャッジメント)の俺は、色んな人のヒーローだなんて言ってくれたけど、全員が全員俺に感謝してくれるわけじゃないんだ。さっきのあいつみたいにすでに何発か殴られた後で、もっと早く助けに来いなんて言われたりもしょっちゅうだ。……学園都市は能力主義だ。高能力者が幅を利かせ、無能力者は肩身の狭い思いをしている。もちろん心優しい高能力者も、無能力者でも堂々と胸を張って生きている人達もいる。けどさ、御坂――」

 

 ここで初めて上条は、御坂と目を合わせながら言った。

 

「数人の能力者に囲まれて、それでも力を言い訳にせずに立ち向かえなんて、無能力者に言えるのか?」

「……………」

「だから、あいつが殴られる前に助けられなかった俺達風紀委員(ジャッジメント)に罪があると思った。だから謝ったんだ。別にあいつが悪くないって言ってるわけじゃない。あいつはそこで努力を諦めて、他者を憎むことで自分を正当化しようした。それはあいつの間違った選択だと、俺も思う」

 

 御坂はそれでも、納得できないようだった。

 上条は御坂に向かって諭すように言う。

 

「御坂。低能力者(レベル1)から努力に努力を重ねて超能力者(レベル5)になったお前からすれば、能力が低いことを言い訳にするのは許せないのかもしれない。けどな、“能力が低い奴らがみんな、頑張ってないわけじゃないんだ”。頑張って、頑張って、頑張って、それでも、結果が伴わなくて、苦しんでいる奴らはいっぱいいるんだよ。――そのことは、わかってやってくれ」

 

 上条の悲しい笑顔で言う言葉に、御坂は何も言えなかった。

 




努力が報われた超能力者に、弱者の味方の無能力者の言葉が突き刺さる。


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成功者〈わるもの〉

勝負しなさい。上条当麻。学園都市二百三十万分の一の“天災”。


 

「――というわけで、今回の連続虚空爆破(グラビトン)事件の犯人は介旅初矢に間違いない。……だが、彼のレベルは異能力者(レベル2)。つまり今回のこの事件を含めてこれまであった事件も考えて、学園都市で今、『幻想御手(レベルアッパー)』というものが実在するのは、まず間違いないと思う」

 

 連続虚空爆破(グラビトン)事件の翌日、風紀委員177支部にて、上条は白井と固法に自らの見解を明かした。この場には食蜂と縦ロールもいる。

 

幻想御手(レベルアッパー)……にわかには信じられませんが……確かに、ここまで書庫(バンク)のデータとの食い違いが続くと、その方が現実味がありますわね」

「あなた達は、今回独自にこの事件を調べてたのね」

 

 固法が、食蜂達に問う。

 

「ええ。私達もはじめは半信半疑だったけどねぇ」

「今回このような大きな事件に発展してしまったことから、あなた方にも協力を仰ぐべきだと、上条様が判断いたしました」

 

 縦ロールの言葉に、固法と白井の目が上条に向く。

 

「ホント……限界まで自分達だけで解決しようとする癖……治ってないのねぇ」

「もっと早く頼るべきじゃありませんの?」

 

 固法は呆れ顔で、白井はジト目で上条を見る。

 上条はたはは……とでも言いたげに頭を掻く。

 

「いやぁ……、今回のは特に胡散臭かったからな。確証を得るまで調べたかったんだよ」

 

 本来、上条はこの事件は出来ることなら自分だけで解決したかった。

 上条の情報源は親船なので食蜂と縦ロールに知られるのは避けられないが、それでも白井達を巻き込むのは最終手段にしたかった。

 

 しかし、今回の事件は既に大きな負傷者が出るまでに大きくなってしまっているし、それに何より、

 

『……上条さん。上条さんが頑張るなって言っても頑張り過ぎる人なのは知ってます。だけど、もう少し私達を頼ってください。一人で抱え込まないでください』

 

 ……すでに自分は後輩の女の子にあんな顔をさせるまで、参っているようだ。

 だったら、一緒に協力して一刻も早く犯人を捕まえる。

 

 危険がこいつらに及ぶなら、この右手で守ればいい。――そう考えた。

 

 そして、上条をその気にさせた張本人は――。

 

「ところで、初春は大丈夫なのか?」

「ええ。ただの風邪だそうです。佐天さんが、学校帰りに様子を見てきてくれるそうですわ」

「……そうか」

 

 本音を言うと、こうして177支部のメンバーに協力を仰ぐことになった時、一番頼りにしていたのは初春の情報収集能力だ。

 だが、病人を無理矢理働かせるような真似が、上条に出来るはずもない。

 

「上条くん。他の風紀委員(ジャッジメント)にこの情報は知らせなくていいの?」

「……正直、すぐに信じてもらえるような話ではないですし、それに俺は他の支部で嫌われてますから」

 

 風紀委員(ジャッジメント)には、それぞれ支部毎に管轄する地域がある。

 上条も普段は自分の担当地域に力を注いでいるが、事件の根っこを探るうちに別地区のスキルアウトを殲滅する、なんてことも珍しくない。

 当然、その地区の風紀委員(ジャッジメント)は手柄を横取りされたようで面白くない。

 さらに、上条は色々と特別待遇を受けている。それは、上条の右手の能力を知れば当然の処置なのだが、機密として詳細を知らされない他の支部のメンバーからすれば、不満は溜まる一方なのだ。

 

「それに、幻想御手(レベルアッパー)があるというのは今のところ状況証拠だけ。それがどういうものなのか、何らかの機器なのか、新種の薬品なのか、それとも別の何かなのか。その現物を見せないと、信じてもらえないでしょう」

「じゃあ、まずはその幻想御手(レベルアッパー)の詳細を掴むのが先決ね」

 

 こうして、風紀委員177支部は、謎に包まれていた幻想御手(レベルアッパー)の解明に乗り出した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「37.3度。まぁ微熱だけど、今日一日はおとなしく寝てな」

「すみません、佐天さん。……ゴホッ、ゴホッ」

「あ~いいから、いいから。じっとしてなって」

 

 ここは初春の寮の部屋。初春は顔を赤くしてベッドに横になっている。

 そこに学校帰りの佐天が薬を届けがてら様子を見に来たのだ。

 

「昨日あんなことがあったから。疲れが一気に出ちゃったのかもね」

「………佐天さんが私のスカートを捲ってばっかりいるから、冷えちゃったんじゃないんですか?」

「いや、そこは初春の親友として、毎日パンツを穿いてるか心配で」

「穿いてますよ! 毎日!」

「あはは、分かってるから寝てなって。今、冷たいタオル用意してあげるからさ」

 

 初春は「佐天さんはまったくもう」とぶつぶつ文句を言いながらも素直に横になり、佐天はそんな初春を見てクスっと笑いながら台所へ向かう。

 

 昨日のセブンスミストで起きた事件。自分は何も出来なかった。

 誰よりも早く安全な所に避難し、みんなの無事を祈ることしかできなかった。

 

 親友を、憧れの人を、好きな人を置き去りにして、さっさと逃げることしか出来なかった。

 誰もそれを責めやしない。自分(さてん)がいたって何もできることはない。むしろ邪魔なだけだ。

 

 だけど、この置き場の見つからないモヤモヤとした罪悪感は、一晩明けても消えてくれなかった。

 

 ……自分にも、能力があれば、何か助けになれたのだろうか?

 昨日からそんなことばかりを考えてしまっていた。

 

 佐天が濡れタオルをしぼっていると、ピンポーーンと呼び鈴が鳴った。

 

「初春~。アタシが出ちゃっていい~?」

「おねがいしま~す」

 

 寝たきりの家主の許可をとり、手を拭きながら玄関へ向かう。

 

「は~い……って上条さん!?」

「よ。昨日ぶり、佐天」

 

 ドアを開けると、そこには上条がいた。

 部屋の奥から「え!? 上条さん!? どうしよう、どうしよう!」と大慌ての声が聞こえるが、佐天は華麗にスルーする。

 

「初春のお見舞いですか?」

「あ、ああ。そうなんだが、いいのか? なんか凄いバタバタしてるが? 佐天以外にも見舞い客がいるのか?」

「いいえ。なんとなく察しがつきますから大丈夫です。とりあえず、あがってください。初春~いいよね~」

「え!? あ、あの、あとちょっとま「上条さん。どうぞ~」ちょ、佐天さん!?」

 

 初春(やぬし)の意見を軽~く流し、上条を家に上げる佐天。

 上条はよく分からず「お、おう……」と言いながらオドオドと初春家へと足を踏み入れる。

 

「初春~。上条さん来た……よ……」

「おう、初春。具合どう……だ……」

 

 部屋に入った二人が見たものとは――。

 

「はぁ……はぁ……いらっしゃい……上条さん……わざわざ……来て……くれて……ありがとう……ございます……」

 

――汗をだくだくと掻き、顔を二つの意味で真っ赤にしつつ、なぜか寝間着に向いてなさ過ぎるワンピースを着ている初春飾利だった。

 

 上条は予想とあまりに違う初春の様子に「おう……気にするな」としか言えず、佐天は――。

 

「………上条さん」

「………ああ」

「申し訳ありませんが、十分ほど外で待っていてくれませんか?」

「…………分かった」

 

 冷たい声で上条を外に出した。

 上条が初春の部屋のドアに背をつけながら外で待つこと十分。

 

 その間、中から――。

 

「何考えてるのさ初春!? 風邪引いてるのに薄手のノースリーブワンピースとか熱上がったらどうするの!?おとなしくパジャマ着て寝てなさい!!」

「だ、だって……上条さんにパジャマ姿見られるなんて……恥ずかしくて……」

「風邪を引いてるのにワンピースの方がよっぽど恥ずかしいよ! ほら、とりあえず汗拭いてあげるから脱いで!」

「や、ちょっと、佐天さん、自分で脱げますから、ちょ、どこ触って」

 

 上条はそっと、ドアから背を離した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「……いらっしゃい、上条さん。……来てくれて、ありがとうございます」

「ああ……思ったより……大変そうだな……」

「いえ……熱は高くないので、明日には復帰できます。迷惑かけて、ごめんなさい」

「気にするな。ここのところハードだったからな。ゆっくり休め。無理はするな」

「はい。ありがとうございます」

 

 上条が再び部屋に入った時、初春はきちんとベッドで横になっていた。布団を被っているので見えないが、少なくともさっきのようなオシャレワンピースではあるまい。

 

「上条さん、お茶入れましょうか?」

「ああ、頼む。アイス買ってきたから一緒に食べよう」

「わぁ。ありがとうございます♪」

「初春も食欲ありそうなら一緒に食べるか? アイスなら食べられるかと思ったんだが、冷蔵庫に入れておけばしばらく保つから無理しなくてもいいぞ」

「いえ、ちょうど冷たいものが食べたかったんです。いただきます」

 

 そう言って体を上げようとする初春に、上条がそっと近づく。

 

「えっ!?」

「じっとしてろ」

 

 上条が身を乗り出す。初春は内心パニックになりながらも、逃げずに思いっきり目を瞑る。

 

 すると――。

 

「ひゃい!?」

 

 額に冷たい感触が広がった。冷えピタのようなものを貼られたらしい。

 

「風邪にはこれが一番だ。熱は大したことないっていっても、用心に越したことないだろう」

「あ……ありがとうございます」

 

 上条がこういう人なのは分かっていた。

 だが、心のどこかで期待してしまった自分に猛烈に恥ずかしくなり、顔が真っ赤になる。

 

「うわっ、初春、顔凄く赤いぞ! 本当に熱高くないのか!?」

「はい……もう本当大丈夫です……はい……」

 

 初春が穴があったら入りたい気持ちになっている所に佐天が「お茶入りましたよ~」と言いながら戻ってくる。

 

 初春はある種助かったという気持ちでほっとするも、上条がアイスを取り出しに行ったのと入れ違いで佐天がニヤニヤと近づいてきて、初春の耳元でボソッと――。

 

「キスされるかと思った?」

 

 と、呟き、初春はボンッと再び真っ赤になったのだった。

 

 

 

「これおいしいです♪」

「ホントに♪」

「そっか、ならよかった」

 

 始めは焦ったが、初春の風邪もそこまで酷いものじゃなさそうでよかったと上条は一安心した。

 初春は笑顔でアイスを食べながら佐天と楽しそうに話している。この分だとすぐに良くなりそうだ。

 

「あ、上条さん。そういえば、昨日の爆弾犯ってどうなりました」

警備員(アンチスキル)に連行されたよ。今までの事件と合わせて取り調べを受けてる。……何を聞かれても黙秘してるらしいけどな」

「捕まっちゃうんですか?」

「どうだろうな。俺は自白するのを聞いてるからアイツが犯人だって確信を得てるけど、警備員(アンチスキル)の方は謎が残ってるから、そのあたりでちょっともたつくかもな……」

 

 佐天が昨日の事件の疑問を上条に尋ねる。

 上条はアイスを食べながら、いつも自分の中で考えを纏めるような感じで佐天に答える。

 

「謎?」

「ああ。アイツは書庫(バンク)では異能力者(レベル2)ってことになってるからな。今回の事件の犯人は最低でも大能力者(レベル4)クラス。そこの矛盾点は、幻想御手(レベルアッパー)の詳細を解明しないと「え!? 幻想御手って実在するんですか!?」ああ。まだ実物がどんなものかは発見されてないけど、少なくとも実在はす…………はっ!?」

 

 しまった!? こいつ等……少なくとも佐天だけは絶対に巻き込まないつもりだったのに!?

 上条は逆行してから思考に耽ることが多くなり、その際周りが見えなくなることはよくある。

 だが、これは絶対にしてはいけないミスだった。

 

「でも! 実在はするんですよね!?」

「……言っておくけど、興味本位で絶対に手を出そうとするなよ。どんな副作用があるか分かったもんじゃないからな!」

「やだなぁ~分かってますよ。子供じゃないんですから」

「……それならいいが」

 

 上条はここはすんなり引いた。上条はいまだに、この佐天涙子という少女のことがよく分からない。

 

 前の世界では、面識はあったものの正直“御坂の友達”という印象しかない。

 いうならば、御坂経由でなければ付き合いはなかった。無能力者(レベル0)ということくらいしか分からない。

 

 この世界では前回の世界よりだいぶ早く知り合いになったものの(前回は大覇星祭のときだった)、まだ初対面の時とこないだのファミレスとセブンスミストの三回しか会っていない。

 

 そして、この少女は基本的に明るくて活発だが、本心はあまり見えないのだ。

 もしかしたら、御坂たち四人の中で一番ミステリアスなのは、この少女かもしれない。

 

 そんな風に再び思考に耽っていた上条だったが、そこに初春の声がかかる。

 

「あの、上条さん」

「ん? どうした?」

「こんなサイトを見つけたんですけど……」

「ん? ……これは、幻想御手(レベルアッパー)使用者の書き込み掲示板!?」

「初春すご~い!」

 

 上条は内心歯噛みした。初春に無理をさせないと決めたばかりなのに、早速使ってしまっている。

 今日はずいぶんミスが多い。ずっと抱え込んでいたものを、白井と固法に明かして気が緩んでいるのだろうか。

 

 だが、この情報を有効活用しない手はない。

 

「ありがとう、初春。この情報は無駄にしない。早速調べてみる」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 御坂美琴は、連続虚空爆破事件(あのとき)以来、気分が沈んだままだった。

 

『能力が低い奴らがみんな、頑張ってないわけじゃないんだ』

『頑張って、頑張って、頑張って、それでも結果が伴わなくて、苦しんでいる奴らはいっぱいいるんだよ』

『そのことは、わかってやってくれ』

 

 超能力者(レベル5)――『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴は、かつて低能力者(レベル1)だった。

 彼女は努力に努力を重ねて、超能力者(ちょうてん)に上りつめた。

 だから、みんなも頑張れば、いつかきっと超能力者(かのじょのよう)になれる。

 だから今は能力が低くても、諦めずに頑張ろう!

 

 学園都市の教師達が、それこそスローガンのように口を揃えて繰り返す言葉。殺し文句。

 御坂自身もそんな言葉を信用しているわけではない。

 

 学園都市の能力開発は、才能重視だ。

 才能がなければ、ダメなやつはダメ。残酷な様だが、それは紛れもない事実だ。

 

 鳥が海に潜れないように、魚が空を飛べないように――無能力者は、超能力者になんかなれやしない。

 努力が全て実りそのままステータスに変わるRPGのような世界なら、学園都市に超能力者(レベル5)がいまだに7人しかいないはずがない。

 

 それは能力開発に限った話ではない。

 全ての闘争、競争の成否を、勝負を分けるのは、個々人の努力ではなく、やはり生まれ持った才能だ。

 

 ゼロではないだろう。ある程度なら、努力が才能を補うことは出来るかもしれない。

 だが、その大半は形を得ることなく水泡に帰すのだ。才能がなければ到達出来ない領域というのは確固として存在する。

 

 頑張りが、努力が、鍛練が、修練が、積み重ねた分だけ、流した汗の分だけ、費やした時間の分だけ、正当に評価される。そのまま反映され、力となる。

 流した汗の分だけ強くなれる。練習は決して嘘を吐かない。 

 

 そんな素敵な法則が適用されるほど、世界は優しく出来てはいない。

 それが分かるから、理解してるから、上条のあの言葉に御坂は何も言えなかった。

 

 だが、それだと自分はどうなる。

 

 頑張って、頑張って、頑張って。

 

 努力が実り、頑張りが正当に“評価されてしまった”私は異端なのか?

 流した汗が、費やした時間が、“実を結んでしまった”私は狡いのか?

 

 何で、私が、悪者のように扱われなければならない……。

 

 弱い自分が嫌で、出来ないままでいたくなくて、昨日の自分に負けたくなくて。

 走って、走って、走って、走って。

 

 気が付いたら超能力者(レベル5)になっていた。努力が形となって顕れた。

 

 代わりに、色々なものを、失いはしたけれど。

 

 それでも、確かに願いは叶ったんだ。

 

 私は、間違ってない。

 

『能力が低い奴らがみんな、頑張ってないわけじゃないんだ』

 

 分かってる! だけど、私は出来たんだ! だから、そいつの努力が足りない! そう判断して何がおかしい!

 

『頑張って、頑張って、頑張って、それでも結果が伴わなくて、苦しんでいる奴らはいっぱいいるんだよ』

 

 知らない! 知らない知らない! そいつは私より頑張ったの!?

 私より努力してないのに、被害者面なんて、ちゃんちゃらおかしい!

 

『そのことは、わかってやってくれ』

 

 うるさい! うるさい! うるさい!

 

 ……なんなの? なんで、私が怒られるの? 恨まれるの? 憎まれるの?

 

 まるで、成功した私がおかしいみたいじゃない?

 

 ああ、確かに私には才能があったのだろう。こうして超能力者(レベル5)という形で結果に表れるくらいの才能(もとで)は持っていたのだろう。

 

 それでも、私だって頑張った。努力した。何もせずに超能力者(レベル5)になったわけじゃない。

 誰よりも頑張って“たまたま”努力が実っただけなのに……。

 

 私は、超能力者(レベル5)になったらダメだったの?

 

 能力は、私の全て。

 

 他の全てに代えて、手に入れた私の全てなのに。

 

 お願い。

 

 それを、否定、しないで。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、君かわいいねぇ~。俺たちと一緒に遊ばない?」

「おまっ、その子常盤台じゃん!? お前にはハードル高すぎっしょ~」

「ばっかお前、高いハードルほど飛び応えがあるってもんだろうぉ。そ・れ・に~なんか今日はいけそうな気ぃ~すんだわオレ☆」

「おまww。それこないだも言ってて霧が丘のやつに速攻フラれてたべww」

 

 御坂の思考を、見るからに不良を気取っている奴らの下卑た声が遮断する。

 

 彼女は今、普段はあまり行かないチェーンのファミレスに来ていた。

 いつもの行きつけだと、白井や佐天や初春と遭遇するかもしれない。今はあまり知り合いに会いたい気分ではない。

 

 だが、だからといって一人になると、どんどん思考がダウナーになりそうで嫌だった。

 だからこのファミレスを選んだのだが、そうしたらこういった連中(バカ)につかまってしまった。悪いことは重なるものだ。本当についていない。

 

 しかし、外を見るともう暗かった。

 こんな輩が集まる時間帯まで居座った自分にも非はあるようだと少し反省する。

 

「なぁ、おい無視してんなよ!」

 

 不良が少し険のある声を出す。女子中学生だとタカをくくって少し脅かせばビビッて言うことを聞くと思っているようだ。

 そういう見え透いた底の薄い考えが、今の御坂には酷く癇に障る。

 

「うっさいわね。さっさと消えなさいよ」

 

 ついついこんな棘のある言葉を吐いてしまう。

 逆効果だと分かっているのに。

 

「ああん。誰に向かって口聞いてんだ、てめぇ」

 

 こっちのセリフだ。そもそもそっちから声をかけてきて何を言っているのか。

 

 もういい。面倒だ。

 

 全員まとめて黒焦げにしてやると席を立とうとした時――。

 

「おい。お前ら何やってんだ」

 

 今一番聞きたくない声が、今一番会いたくない奴から発せられた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻は、あの掲示板からこのファミレスに幻想御手(レベルアッパー)使用者がよく訪れているという情報を手に入れ、情報収集を行うべく潜入しようとした。

 しかし、ファミレスの窓からあろうことか、あの御坂美琴に因縁をつけている不良グループを発見し、“不良たちを救うべく”上条は事態の収拾にあたった。

 

 御坂は一目で見抜いた。

 上条が、自分を助けにきたのではなく、不良達を助けにきたということを。

 

 絡まれている女子中学生ではなく、“か弱い”不良たちを助けるために。

 

 なぜか?

 決まっている。

 

 自分が彼らより圧倒的に強いからだ。

 だが、今の御坂はそれが気に食わない。

 

 心底気に入らない。

 

風紀委員(ジャッジメント)だ! 今すぐその子から離れろ!」

「ああん。うるせぇよ。俺は今、こいつと話してるんだよ」

「関係ねぇやつはすっこんでろよ!」

 

 上条は今も、女子中学生を守る風紀委員(ジャッジメント)という体裁を保ちつつ、不良グループを説得している。

 そこに御坂は火に油を注ぐ。

 

「ねぇ。そこのダサいお兄さんたち。私と遊びたいんでしょう。いいわよ、遊んであげる。ついて来なさいよ。それとも怖いの?」

「はぁ!? 御坂、お前何言って「上等だこらぁ!? いくぞお前ら!」「おう! なめやがって小娘がぁ!」「常盤台だからって調子乗りやがって!」おい! お前ら、やめろ「うっせんだよ!」ぐほっ!」

 

 不良の一人が上条の腹部に拳を叩き込む。

 いつもなら造作もなく防げる一撃だったが、御坂の態度に目を奪われていた上条はまともに喰らってしまった。

 無様にも呼吸が出来ずに座り込む。

 その間に、御坂も不良グループも店からいなくなってしまった。

 

 今日の上条の不幸は、全面的に自業自得だ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「はっ! てめぇ、覚悟しろ! もう逃げられねぇぞ!」

 

 そう言って、御坂を男達が囲いこむ。

 その数、六人。

 さきほど威勢のいいことを吠えておきながら、相手が常盤台生ということを考慮に入れ万全を期したのか、自分達に圧倒的有利な陣形を築くのを欠かさない。

 御坂は知らないが、彼らは幻想御手(レベルアッパー)使用者(といっても使用後も一人当たり異能力者(レベル2)程度なのだが)なので、その事で気が大きくなっていたのかもしれない。

 

 御坂は、こいつらに対する同情など失せていた。

 

 その路地裏に、紫電が走る。

 

 勝敗など、やる前から決まっていた。

 

 

 

「くそっ! どこだ、御坂!?」

 

 上条が店を出た時には、すでに御坂も不良グループ見当たるところにいなかった。

 そこら中を探し回ったが、どこにも姿はみつからない。

 

 御坂は現在出会っているメンバーの中でも、特別その付き合いは深い。

()の世界では何度も力を貸してもらい、時には隣り合って戦った。

 魔神に挑んだ、あの最後の戦いの時も。

 

 だが、あんな御坂は初めて見た。

 

 止めなくてはならない。

 このまま放置したら、取り返しがつかなくなる気がした。

 

 いない。どこにもいない。

 御坂と出会うのはいつも突然で、見つけるのも声をかけてくるのもほとんど向こうからだった。

 だが、今回は自分が見つけなければならない。

 

 ふと、前の世界のことが頭をよぎった。

 あの時も、自分は御坂を探して走り回っていた。

 記憶を失ってから、初めて御坂に会って、御坂と御坂の『妹達』を救う為に首を突っ込んだあの事件。

 

 上条の向かう先が決まった。

 

 

 

 場所は、上条と御坂にとって、因縁深いあの鉄橋の上。

 そこに御坂はいた。

 

「御坂!」

 

 上条が御坂を呼ぶ。彼女はゆっくり振り返る。

 まるであの時のようだと上条は思う。御坂が『妹達』を救う為、自らの命を絶とうとしていたあの時と。

 

 もちろん、今はあの時とは違う。

 今の御坂はあの実験のことなど知らない。だから自殺などしようとしていたわけではない。

 

 その瞳に宿る感情は、あの時のような悲壮ではなく――――明確な憤怒だった。

 

「何しに来たのよ。不良を守る“ヒーロー”さん。」

「御坂……あの不良たちは……」

焼い(やっ)といたわよ。守れなくて残念だったわね」

「っ! なんでだ! なんでそんなことを!?」

「なんで? むしろ、私が聞きたいわね」

 

 御坂は紫電を瞬かせながら、上条に向かって吠えるように言った。

 

「なんであんな自分の弱さから目を逸らして周りの人達にやつあたりしているような弱者に、この私が気を使ってへこへこしなくちゃいけないのよ!」

 

 その言葉に、上条はぽつりと聞き返す。

 

「……何?」

「だから、頑張って頑張って頑張って、それでも結果が出なくて苦しんでる、()()()()()()()()()()『不』良相手に、なんで真面目に頑張ってきた私が気を使わなければいけないのかって聞いてるのよ!? なんで!? なんで、頑張ったら頑張った分だけ悪意にさらされるの!? 敵が増えるの!? 嫉妬、陰口、嫌味……孤独っ! 私はただ、誰よりも強くなりたかっただけなのに!!」

 

 それは、上条が今まで見たことのない御坂だった。

 

「御坂……」

 

 上条の脳裏に、昨日、他でもない自分が彼女に語った言葉が過ぎる。

 

――『頑張って、頑張って、頑張って、それでも結果が伴わなくて、苦しんでいる奴らはいっぱいいるんだよ。――そのことは、わかってやってくれ』

 

 思わず唇を噛み締め、拳に力が入る。

 

(……俺か?俺の昨日の言葉が、御坂をここまで追い詰めたのか? ……俺は、また間違えたのか? 自分の意見を押し通して、その結果、誰かを傷つけたのかっ!?)

 

 上条の顔が俯いていく。

 御坂は、そんな上条を見ずに足元に向かって吐き捨てた。

 

「……そうよ。私は一番強くなりたかった。それが私。それでこそ私。その為に、他の全てを犠牲にしてきた」

 

 御坂はゆっくりと顔を上げ、上条を睨みつける。

 それは上条が経験した中で、御坂から向けられた最大級の敵意だった。

 

 

「勝負しなさい。上条当麻。学園都市二百三十万分の一の“天災”」

 

 

 バチィッ!! と、御坂の前髪から一際強く紫電が瞬く。そして、その細く可憐な指が――まるで銃口のように上条当麻に向けられた。

 

 

「私は自分より強い奴が許せない。アンタに勝って、“私は自分の人生の正しさを証明する”っ!」

 

 




そして、二百三十万分の七の超能力者は、二百三十万分の一の無能力者に挑む。


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能力〈コンプレックス〉

それが――御坂美琴だろうが!! 


 

 上条当麻は何も知らない。

 

 御坂美琴の過去を。

 今の第三位(ちい)にたどり着くまでの道のりを。

 今の超能力(ちから)を手に入れるまでに費やした並々ならぬ努力を。

 

 そして、その為に犠牲にしてきた時間を。友達を。思い出を。

 

 上条は知らない。

 自分の過去すら破壊された上条に、知る由もない。

 

「人の価値は、能力の強さで決まるもんじゃない」

 

 故に、踏んでしまう。地雷を。最後のトリガーを。

 

「だから、そんな風に決めつけるな御坂。最強じゃなければお前の人生が正しくないなんてことは絶対にない! お前には――「うるさい……」」

 

 だが、言わずにはいられなかった。

 最強に拘る今の御坂が、どうしてもアイツとかぶって見えて。

 

 それでも、今の御坂には絶対に言ってはいけない言葉だった。

 

「うるさい! うるさいッッ!! じゃあ、私の人生は!? 能力を上げることに費やしてきた私の人生はどうなるのよ!? この私の前で、軽々しく『能力なんて意味がない』なんていうなッッ!!」

 

 御坂が電撃の柱を噴き出す。自らを中心にそびえたつその柱は、余波だけでも上条に衝撃が届くほど凄まじいものだった。

 この間の、河原での決闘時のときとはレベルが違う。

 リミッターを外した超能力者(レベル5)の、紛れもない全力だった。

 

 御坂が電撃の槍を放つ。

 上条は右手で防ぐが、河原での時のように瞬時に消せない。打ち消すのに時間がかかり、明確に重さを感じる。動きを数秒止められる。

 

 その数秒の間に、御坂の手元でコインが舞った。

 

 御坂美琴の代名詞――『超電磁砲(レールガン)

 必殺の一撃が明確な敵意を持って上条を襲う。

 

 その一撃を、上条は右手で受け――なかった。

 あろうことか、上条はその破壊の一閃と地面の隙間にその身を潜らせ、防ぐのではなく回避する。

 

 上条は一気に御坂に向かって距離を詰める。

 

 御坂はその所業に一瞬目を見開いたが、すぐに思考を立て直し対策を立てる。

 電気信号を操り己の筋力を最大限に高め高速で移動し、磁力を操り鉄橋の柱にへばりつく。

 

 そして、雷雲を呼んだ。

 

「……心のどこかでブレーキをかけてたのかもしれない」

 

 御坂は感情の伴わない声で呟く。

 

「人間相手にさすがにここまで……とか思って、躊躇するなんて……本っ当」

 

 相手が“天災”なら、こっちも“天災”で対抗するまで。

 

「私らしくなかったわ」

 

 正真正銘の落雷。数億Vの雷撃が一人の人間に振り下ろされる。

 砂塵が覆う。視界が確保できない。常人なら身体が炭と化していて当然の一撃。

 

 御坂が鉄橋の上に降り立つ。そこに、少年の声がゆっくりと届いた。

 

「何て言うか、不幸つーか。……ついてねーよな」

 

 砂塵が晴れる。少年はゆらりと佇んでいた。

 

「“オマエ、本当についてねーよ”」

 

 その右手に、“竜の咢を携えて”。

 

「ッッ!!」

 

 御坂が驚愕する。

 

 しかし、その一瞬のうちに上条当麻は姿を消す。

 

「っ!!」

 

 そして、次の瞬間には、御坂は鉄橋の柱に押しつけられていた。

 

「ぐっ!」

 

 上条の左肘で体の動きを封じられ、左腕が上条の右手で抑えられていることにより能力も封じられる。

 その右手はなんてことはない、ごく普通の右手だ。

 

 あれは、自分の見間違えだったのか?

 

「……なぁ、御坂。自分より強い奴がそんなに許せないか」

 

 上条が御坂に語りかける。

 聞きたくない。

 必死で振りほどこうとするが、上条の右手で抑えられている以上、能力が使えず、びくともしない。

 

「……俺はな、御坂。“最強”を知ってる。俺みたいな無能力者の“最弱(さいきょう)”じゃない、本物の最強だ」

 

 御坂の動きがピタリと止まる。上条は語り続ける。

 

「そいつは、気が付いたら最強だった。全てを防ぎ、全てを破壊する。圧倒的な力。圧倒的な最強。だが、強さを極めたその先に、いったい何があったと思う」

 

 御坂は動かない。何言も発さない。

 

「――孤独だ」

 

 その言葉に、御坂はぶるっと体を震わした。

 

「御坂……お前、さっき孤独って言ってたよな。第三位のお前でも、それほどの孤独を感じるんだ。他に上がいない……肩を並べる奴すらいない、そんな“第一位(さいきょう)”が孤独じゃないわけないだろう」

「……第一位を、知ってるの?」

「……そいつの力は強大過ぎた。さっきも言った通り、圧倒的に最強だったからな。当初は能力が上がる度に褒め称えていた奴らも、だんだんと怯え始め、賞賛と名声はそのまま畏怖と悪名に変わった。……そして、ある日――」

 

「――当時十歳のその少年に、学園都市の最新兵器集団が差し向けられたんだ」

 

「っ!!」

 

 上条にとって、忘れることができるわけがない、あの事件。

 見るからに何の武器も身に付けていない丸腰の白髪少年に向けられる、夥しい数の銃口、砲身、そして駆動鎧(パワードスーツ)の軍隊。

 

 上条は何も出来なかった。少年の盾になることも、軍隊を言葉で説得することもできず、白髪の少年が泣き叫びながら軍隊を蹂躙する様を、遠くから見ていることしか出来なかった。

 そして、上条はこの事件の後、親船最中の元を訪ねることとなる。――自身の無力さを痛感して。

 

「……どうし……て?」

 

 学園都市の闇に足首程度なら突っ込んでいる上条にとっては何の違和感もない事件なのだが、絶対能力進化(レベル6シフト)計画すら経験していない現在の御坂にはまるで理解できないことなのだろう。

 上条は、悟ったように答えた。

 

「我に返ったんだろう」

「……どういうこと?」

「……自分の研究に夢中に没頭していって、アイツの能力を強化し続けて、ある日怖くなったんだろう。……この力が、この最強が、自分達に牙を剥いたらどうしようって。……さんざん自分達で好き勝手に弄くりまわしてきて! データ上の数値を見て恐れを抱いたんだ! アイツの人間性に目を向けようともしないで! どこまで……どこまでっ! アイツを実験動物扱いすれば気が済むんだ!!」

 

 上条は激昂する。

 その姿を見るだけで、上条はその第一位の事を信頼し、憎からず思っていることは明らかだった。

 

「……なぁ、御坂。これが最強の末路だよ。お前言ってたよな。なんで頑張った分だけ悪意にさらされなければならないんだって。……最強になっても何も変わらない。むしろ、その悪意の純度と強度が増すだけだ」

「……じゃあ、どうすればいいのよッッ!!??」

 

 今度は御坂が激昂する。もう、何も分からない。頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 

「私はもうこうなっちゃったのよ!? 最強を目指して! ここまで強くなっちゃったのよ!! 後戻りはできないの!! だって……ここで進むのを止めたら! 私のこれまではなんだったのよ!! 私にはもう、他に何もないのよ!!」

「ふざけんな! 俺がいるだろう!!」

 

 上条が御坂の顔を両手で抑え込み、強引に顔を向かせて吠える。

 御坂の顔は、涙でボロボロだった。

 

「……え?」

「俺は、お前が強かったから友達になったんじゃないッ! お前が超能力者だったから、第三位の『超電磁砲(レールガン)』だったから仲間になったんじゃない! お前が御坂だから! 御坂美琴って人間が好きだから腐れ縁やってるんだ!!」

 

 捉えようによっては告白とも捉えかねない叫び。だが、上条は真剣だった。

 

「所構わず勝負勝負とうるさくて! いい年こいて少女趣味で! 案外すぐに暴走して! 年上の俺にまったく敬語使わない礼儀知らずで! だけど困ってる人を見ると考える前に動けるくらい優しくて!後輩の面倒見も良くて尊敬されてて! いざというときには最高に頼りになる!」

 

 ()()()御坂美琴だろうが!! ――と、上条は、他の誰でもない、御坂美琴に向かって言い放つ。

 

 それがお前だと。御坂美琴という人間の、女の子の、超能力者(レベル5)だろうが、低能力者(レベル1)だろうが変わらない――不変の魅力だと。

 

 上条は御坂の顔から手を離す。

 御坂はフラフラと後退し、再び鉄橋の柱に背を預け、凭れかかる。

 

 その顔はこれでもかというくらい真っ赤だった。

 

 上条は再び、御坂に語る。

 

「それに、それは俺だけじゃない。……白井、初春、佐天、固法先輩。それに縦ロールやなんだかんだ言ったって食蜂だってお前のことは認めてる。他にも“御坂美琴の魅力”に気づいてるやつは大勢いる。――こいつらは、お前が例え低能力者(レベル1)のままでも、絶対今のようにお前の側にいたはずだ」

 

 確かに、御坂は超能力者(レベル5)超能力者になる為、それまでの人生の全てを研鑽に費やし、友達も仲間も失ったのかもしれない。

 だが、今の御坂の周りには人が集まっている。そこには、超電磁砲(レールガン)という超能力ではない、御坂美琴という人間性に惹かれて集まった人もたくさんいるのだ。

 

 御坂は自身の親友達の顔を思い浮かべる。既に、御坂美琴は孤独などではない。能力がなければ何もないなどということは、決してなかった。

 

「……っ……っ……」

 

 両手で口を塞ぎ、嗚咽が漏れるのを押さえる。その両目からは、ポタポタと雫が零れていた。

 

「………それに、御坂。お前が最強を目指した14年間は、決して無駄なんかじゃない」

 

 御坂が顔を上げ上条を見る。

 上条は優しい顔で、御坂に言った。

 

「お前が必死に努力して手に入れたその力は、頑張って頑張って頑張って手に入れたその力は、お前が新たに手に入れた大切な絆を守る力になる。お前のその手で、大切な人達を救うことが出来る。……それだけで、お前は自分のこれまでの人生に誇りを持てないか?」

 

 御坂は今度こそ声を上げて泣き出す。

 

 上条は、その声が他の誰にも聞こえないように胸の中に抱きしめた。

 

 学園都市中の憧れを一身に背負う少女。

 大好きな親友達の前でもカッコいいヒーローでいる彼女が、か弱い女の子(ヒロイン)で居られるのは、上条の前だけなのだから。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「初春はさ……高位能力者になりたいって思わない?」

 

 上条がお見舞いに来た日の夜。初春家。

 佐天は初春の看病を続けていた。初春は上半身裸となり、佐天はその初春の背中をタオルで拭いている。

 

「え? ……そりゃあ、能力は高いに越したことないですし、その方が進学も断然有利ですけど……」

「………やっぱりさ。普通の学校生活なら“外”の学校でもできるじゃん? 学園都市に来たのは超能力に憧れてって人、結構いるでしょ。……あたしもさ。自分の能力はなんだろう? どんな能力が秘められているんだろう? ってここに来る前の日はドキドキして寝れなかったよ。……それが、ここに来て最初の身体検査(システムスキャン)で、あなたには全く才能がありません。無能力者(レベル0)です、だもん。……あ~あって感じ。正直、凹んだよ」

 

 初春は佐天の言葉を、噛みしめるように聞いていた。

 

「……その気持ち、分かります。私も能力レベルは大したことありませんから。………でも、白井さんや上条さんと一緒に仕事したり、佐天さんや御坂さんとショッピングしたり、毎日楽しいですよ。だって、学園都市(ここ)に来なかったら、みなさんと出会えてなかったんですから。――それだけでも、学園都市に来た意味はあると思うんです」

「初春……」

 

 健気な初春の言葉を聞き、佐天は――。

 

「もぉ~! 可愛いこと言ってくれちゃって! お礼に全身くまなく拭いてあげよう♪」

「やっ、ちょっと、佐天さん! 手の届く所は自分でやりますから~」

 

 その時、突然電気が消え、ゆるゆりタイムは終了となった。

 

「あれ……」

「停……電……?」

 

 その、突然の停電の原因は――。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「どうしてくれんだ!? お前があんなバカでかい雷落とすから町中真っ暗じゃねぇか!」

「うるさいわね! そもそもアンタが――」

「いやお前が――」

 

 あれだけの事を繰り広げた後も、この二人の距離感は変わらない。

 だが、このバトルの後、御坂が上条に勝負を強要することはなくなり――。

 

「と、ところでさ。アンタ……」

「あ、なんだよ」

「こ、今度の日曜日とか、その……」

「ああ、悪い。今、厄介な事件があってな。しばらく手が離せないんだ。なんか用だったか?」

「~~~~~っ! うっさい! なんでもないわよ! 馬鹿っ!!」

「なんなんだよ、お前は! うわっ! 馬鹿あぶねぇだろ! こんな街中で電撃ばら撒くな、ビリビリ!」

「ビリビリ言うなぁ!!」

 

 こんな風に、空回りする御坂が増えたという。

 

 

 

「……で、どんな事件なのよ」

「は?」

「だから! その厄介な事件ってやつ! 協力してあげるから、話してみなさいよ!」

「いや、お前一般人だし」

「いまさら何言ってんの? “いざというとき頼りになる”美琴さんに話してごらんなさい♪」

「ぐっ……って、お前、顔真っ赤だぞ」

「うっさいっ! いいから話しなさい! ………じゃないと、いつまで経ったって誘えないじゃない(ボソッ)」

「ん? なんか言ったか?」

「なんでもないわよっ!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「介旅初矢が意識不明だと!?」

 

 翌日、支部へ通勤途中だった上条に白井から連絡が入った。

 

『詳しいことは分からないのですが、警備員(アンチスキル)の取り調べの途中に突然……』

「わかった。これから直接向かうから、収容先の病院を教えてくれっ!」

 

 そして、上条は水穂機構病院へ向かう。

 途中、空間移動(テレポート)で合流した白井と共に病院に駆け込む。

 白井から情報が漏れたのか、なぜか御坂まで同行していた。

 

「何でお前まで……」

「いいじゃない。昨日協力するって言ったでしょう。……それに、私の電撃が原因とかだったら後味悪いし」

「それが本音か」

「お二人とも! 行きますわよ!」

 

 しばらく中を進むと、担当医と思われる眼鏡の初老の男性を発見した。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの!」

「介旅の容体は?」

 

 風紀委員(ジャッジメント)の腕章を確認し、医師が状況を説明する。

 

「最善を尽くしていますが、依然として意識を取り戻す様子が……」

 

 医師は病室のベッドに寝かされる介旅に目を向ける。

 絶対安静なのか、病室の扉にあるわずかな四角いガラススペース越しにしかその状況を窺うことができない。

 

「何らかの身体的損傷によるものですか?」

 

 白井が医師に質問する。しかし、医師はその質問に首を横に振った。

 

「いえ、頭部は勿論、身体のどこにも外傷はありません。どこにも異常はなく、意識だけが突然失われてて……」

「原因不明というわけですのね……」

「ただ、おかしなことに、今週に入って同様の症状の患者が次々と運び込まれてきて……」

「ッ!!」

 

 上条は、何かに気づいた。その医師が覗いているカルテに掲載されている患者は、過去の“幻想御手(レベルアッパー)使用者”と思われる人達だったからだ。

 白井もそれに気づいたのだろう。上条と顔を合わせ重々しく頷く。

 

「……情けない話ですが、私や当院には手に余る事態ですので」

 

 カツカツと、音の高い足音が響く。

 

「外部から、大脳生理学の専門家を招きました」

 

 その足音は上条たちの背後で止まる。三人が振り向くと、そこに居たのは上条と御坂が知る人物だった。

 

「お待たせしました」

「あ、あなたは――」

「木山先生!?」

「おや」

 

 その妙齢の女性は、二人の顔を確認すると、儚げに微笑んだ。

 

「やはり、またすぐに会えたね」

 

 “脱ぎ女”――再来。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 佐天涙子は自宅でネットサーフィンを行っていた。

 

「はぁ。見つからないなぁ~。“幻想御手(レベルアッパー)”」

 

 本気で躍起になって探していたわけではない。

 上条達風紀委員(ジャッジメント)が血眼になって探して見つからないものが、自分のような一般中学生レベルのネット技術で本気で見つかるとは考えていなかった。

 

 だが、やはり気にはなった。

 宝くじに夢見るように、流れ星に願いを託すように、七夕飾りに思いを乗せるように。

 

 そのぐらいの軽い気持ち。

 だけど、心の奥底に眠る、諦めきれない願望。

 

 そんなものを消化するための、無意味な代償行為。

 

――の、はずだった。

 

「はぁ。なんか新曲でも入れようかな」

 

 そう呟きながら、音楽ダウンロードのサイトを開く。

 特に目当ての曲がなく、無意味にカーソルをグルグル動かしていると――。

 

「ん?」

 

 不自然な箇所で、色が変わった。

 

「隠しリンク?」

 

 クリックする。すると、ページが変わり、真っ黒な背景に白の角ばったフォントで、こうあった。

 

 

 TITLE:LeveL UppeR

 ARTIST:UNKNOWN

 

 




皆の憧れのヒーローの少女は、自分がヒロインになれるヒーローを見つける。


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無能力者〈じゃくしゃ〉

レベルなんて、どうでもいいことじゃない。


 

「あ~。暑いですわねぇ~」

「そうだなぁ……御坂は良くこんな中で寝られるもんだ」

「zzz」

 

 水穂機構病院の待合室。

 大脳生理学の専門家である木山春生が、介旅初矢の詳しい検査をしている間、御坂と上条と白井は待合室で待っていた。

 御坂は昨日の疲れが出たのか座ったまま寝てしまっている。

 

 だが、時は7月20日。夏休み初日の夏真っ盛り。

 そして――。

 

「昨晩大きな落雷があったそうで……ここ周辺の電気設備が異常をきたしてエアコンが使えないそうですの。自家発電によって医療機器などの最低限の電力は賄っているそうですが……」

「……………………そうか。自然災害じゃあしょうがないな。うん」

 

 上条はその“天災”の発生源が目の前の眠れる少女ということは知っているのだが、本人の尊厳の為、口にしないことにした。遠い目をしてやり過ごす。

 

「………ところで上条さん」

「ん? どうかしたか?」

「上条さんは木山先生とはお知り合いですの?」

「ああ。といっても、前に一回パトロールの時に会っただけだけどな」

「……お姉さまも知り合いのようでしたが」

「たまたま木山先生と会ったときに御坂とも会ったんだ。それで三人で木山先生の車を探すことになった。ほんの数日前のことなんだけど、偶然ってあるもんだなぁ」

 

 白井は冷たい目で「そうですか……偶然……たまたま……」と呟いている。なんか怖い。

 

「……そういえば、初春の見舞いに行かれたそうですわね。佐天さんからアイスおいしかったとお伝えくださいと言付けがありましたわ」

「なんだ? その場でもお礼くれたのに律儀だな。そう何度も言わなくていいのに」

「……この間、縦ロールさんをご自宅に招かれたそうですわね。食蜂さんが悔しがっていましたわ。……自分だっていつも一緒にいるくせに(ボソッ)」

「偶然出くわして、食蜂に用事があって暇そうにしてたからな。一緒に夕飯でもどうだって誘ったんだ。……ん? 最後の方なんて言ったん「なんでもありませんの」そ、そっか」

「……そういえば、介旅の事件の時も、初春とお姉さまと佐天さんとデートしていたそうですわね。楽しそうで羨ましいですわ」

「ば、ばっか、あれはデートっていうか……元々はカバンちゃんを服屋に案内してて! 佐天達に会ったのはほんの偶然で!」

「……………」

「し、白井?」

 

 おかしい。絶対におかしい。

 最近、自分だけ絶対的にイベントが少ない気がする。

 

 同僚の初春や付き合いが自分よりも長い食蜂や縦ロールならまだしも、自分よりも明らかに付き合いが短くて接点の少ない御坂や佐天に後れをとっているのはどういうことだ?

 

 くっ! 全ては目の前のこの男!

 事件が起きる度に首を突っ込み、挙句の果てに女の子とのフラグ建築と共に事件を解決するから性質が悪い。

 まぁしかし、上条がいくらフラグを立てようと、自分は『風紀委員(ジャッジメント)』の同僚というかなり有利なポジションにいる為、焦ることはないと心がけてきたが、さすがにこのままでは不味い。

 

 今朝も凄い勢いで御坂は同行の許可を求めてきた。

 この憧れの人も上条のことが好きなのは薄々察してはいたが、これまでは必死で自分で否定して意地でも認めまいとしていたのに。

 昨日、二人の間に何かあったのだろうか?

 

「上条さ「おっと終わったみたいだな」……そうですわね」

 

 木山がこちらに向かってくる。

 どうやら診断が終わったらしい。

 

 白井は一度強く目を瞑って、雑念を頭から追い出す。

 

 切り換えろ。恋愛のことは今は二の次だ。

 

 自分は、風紀委員(ジャッジメント)なのだから。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ん~」

「……ん?」

 

 御坂が目を覚ますと、眼前に唇を突きだしている白井の顔があった。

 とりあえず殴っといた。

 

「お、お姉さまひどいですの~」

「普通に起こせないのかアンタは!」

「起きなかったではありませんか~」

「アンタも見てないで助けなさいよ!!」

「いやぁ~邪魔しちゃ悪いかなぁ~と上条さんなりに気を使って」

「普段信じられないくらい鈍感のくせに、使わなくていい場面で気ぃ遣ってんじゃないわよ!!!」

「君達、まだいたのかね」

 

 三人のお約束のやり取りを、汗だっくだくの木山が遮った。

 

「ええ。ちょっと木山先生に聞きたいことがありまして」

「……ああ。まぁ、構わないよ。彼の診断結果は既に院長に伝えてきたから、しばらくは余裕があるからな」

「ありがとうございま……す……?」

 

 というと木山は「それにしても暑いな……」と言いながらおもむろにシャツをまるで自宅にいるかのような気軽さで脱ぎ始めた。――“脱ぎ女”の本領発揮である。

 

 その手つきは躊躇というものが微塵もなく、あっという間に上半身が大人な黒のブラのみの状態になる。

 決して豊満な胸を持っているわけではないが、木山は十分に魅力的といえるスレンダーなスタイルの持ち主だった。綺麗な白い肌がその魅力を際立たせる。中高生のような子供には出せない、どこか妖艶な大人の魅力を醸し出していた。

 

 そして、元々年上好きを公言していた好きな女性のタイプ「寮の管理人のお姉さん(代理でも可)」の上条。

 木山への質問事項を脳内で整理するのに必死だった彼は、木山のこの特性がすっかり頭から抜け落ちていた為、心の準備0でダイレクトにこの光景を目に入れてしまった。

 目を奪われる。見惚れる。そのまま目を離せなくなる。

 

 しかし、そんなことをこの常盤台コンビは許さない。

 

「何、こんな所でストリップしてますの!?」

「いや、だって暑いだろ……」

「殿方の目がありますの!」

「下着をつけていても駄目なのか……」

「ダメに決まってますの!」

 

 白井が強引に木山にシャツを着せる。

 そのころ―――。

 

「いつまで見てんのよアンタはーー!!」

「ぐらっはぁ!!」

 

 御坂の魂のボディブローが上条のどてっ腹に叩き込まれていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「今日は青のストライプかぁ~」

 

 初春がぽかぽかと涙目で佐天に不満を訴える。

 佐天は相変わらず可愛いなぁ~と癒されていた。

 

 初春は無事に風邪が完治。

 体調万全で177支部へ向かおうとしたら、佐天から見せたいものがあるとメールで呼び出され、出勤前に待ち合わせたのだった。

 

「それで、見せたいものとは何ですか?」

「ふ・ふ・ふ~それはね~……じゃーん!」

「ん? ただの音楽プレーヤーですよね?」

「中身が重要なんだよ中身が! それはね~……後で! 教えてあげる♪」

「ええ~」

「焦らない焦らない♪ どっかお店はいろ~♪」

「ちょっ、佐天さん! 私、この後風紀委員(ジャッジメント)の仕事が……って早いですよ、待ってください!」

 

 なぜかご機嫌な佐天の後を初春が急いで追いかける。

 

 その時、黒装束の長身で赤髪の男が擦れ違った。

 

 初春は振り返る。

 

(………………神父?)

 

 この学園都市(かがくのまち)に珍しいと思いつつその後ろ姿を眺めていると。

 

「初春~早く行こ~」

 

 佐天から声がかかり、初春は「待ってくださ~い」と佐天の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「さて、先程の話の続きだが……『なぜ、同程度の露出度にも関わらず水着は良くて下着はダメなのか?』」

「「「いえ、そっちではなくて」」」

 

 あの後、「ここは暑すぎる……」と木山が限界だったので、もういきなり脱がれては困ると急いでエアコンが生きているこのファミレス――御坂達がよく利用している行きつけの店――に場所を移した。

 

 御坂と白井がアイスミルクティーを、木山がアイスコーヒーを、上条がホットコーヒー――コーヒーはホットだろうby上条――を注文し、飲み物が揃ったところで、話を始めた。

 

 上条がファミレスのコーヒーの完成度に眉をひそめながら、

 

「専門家として木山先生に聞きたいことがあるんです。―――『幻想御手(レベルアッパー)』ってご存知ですか?」

幻想御手(レベルアッパー)……それは、どういったシステムなんだ? 形状は? どうやって使う?」

「………俺達も、まだそこが掴めないんです。具体的なシステムが分からないから、対策もとれなくて」

「……とにかく君達は、それが昏睡した学生達に関係しているのではないかと考えているのか?」

「ええ。今、俺の仲間が調査を進めていますが、こちらが独自にピックアップした“幻想御手(レベルアッパー)を使用した”と思われる『書庫(バンク)』とのデータの食い違いがあった容疑者達の実に80%が昏睡状態……そして、これはなおも増大中です」

「……そうか。……それで、なんでこんな話を私に?」

「………俺の仲間が言っていました。能力を“無理矢理”レベルアップさせようものなら、脳に絶大な負担がかかると。逆に言えば、脳に何らかの細工を施して、高レベルの能力を使える脳に“強引に改造”しているんじゃないかと思うんです」

「……………」

「なので、もし幻想御手(レベルアッパー)の実物を手に入れたら、先生に詳細を調べてもらえないかと」

「…………むしろ、こちらから頼みたいところだ。一人の大脳生理学者として興味をそそられる。………ところで、さっきから気になっていたんだが」

 

 そう言って、木山は窓の外を見ると、

 

「あの子たちは知り合いかね?」

 

 佐天涙子が窓にへばりつき、初春飾利がその後ろで苦笑していた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「へぇ~。脳の学者さんなんですかぁ~………はっ! まさか、白井さんの脳に何か問題が!?」

「落ち着け、初春。今は一先ず幻想御手(レベルアッパー)の件で意見を聞いてたんだ」

「上条さん? 今は一先ずってどういう意味ですの?」

 

 初春と佐天は上条達と同じテーブルに合流した。

 席順は、奥から白井、上条、御坂。対面に佐天、木山、初春といった感じだ。

 木山と上条が向かいあって主導で対話を進める。その横で佐天はデラックスプリンに夢中だった。今日は本当に機嫌がいい。

 佐天は幻想御手(レベルアッパー)が話に出た途端、口元についているクリームにも気づかず、嬉々として話に混ざる。

 

幻想御手(レベルアッパー)ですかっ!? それなら「それで。まず俺達が考えることは、どうやって幻想御手(レベルアッパー)の所有者を保護するかだ」……え?」

 

 ジーパンのポケットから音楽プレーヤーを出そうとした佐天の手がピタリと止まる。

 

「え? どうしてですか?」

幻想御手(レベルアッパー)の詳細な情報を得るためっていうのもあるが……ここまできたら、幻想御手(レベルアッパー)に重大な副作用があるのは、ほぼ間違いない。だから、出来る限り使用前にそれを回収したいんだ」

「それに、使用者が容易に犯罪に走る傾向もみられますしね」

 

 佐天は、先程までの笑顔を固まらせ、ゆっくりと音楽プレーヤーをポケットに戻す。

 まるで上条達から隠すように。

 

「ん? どうかしたか、佐天?」

「い、いえ、なんでもないです!」

 

 上条に話を振られ、焦った佐天は自身が注文したアイスティーを、木山の太腿に零してしまう。

 

「ん?」

「ご、ごめんなさい!!」

「ああ。気にしなくていい」

 

 そういって木山は迷わずストッキングを脱ぎだす。

 心なしか、気持ち艶やかに。

 

「だから! 人前で脱いではいけませんって言ったでしょうが! どうしてあなたは――」

 

 ガミガミがみがみガミガミがみがみと、白井による木山への説教はしばらく続いた。

 

 この光景を初春は両手で顔を抑えて真っ赤になりながらやり過ごし、上条もいい加減学習したのか木山がストッキングに手をかけたところで顔を逸らすことに成功した。

 しかし、それでも顔を真っ赤にした上条が気に食わなかったのか、御坂が「変態!」とビンタを与え、上条が「不幸だ……」と呟く羽目になった。

 

 

 

 

 

「え~、本日は色々教えていただきありがとうございました」

「ああ。…………それより、君の方こそ大丈夫か? 右頬が真っ赤だが」

「ええ、大丈夫です。上条さんにはよくあることですから」

「……そうか」

 

 木山は深くは触れないことにした。

 

「いや、こちらこそ教鞭をふるっていた頃を思い出して、楽しかったよ」

「教師をなさっていたんですの?」

「……昔ね」

 

 その時、木山は眩しいものを眺めるような、だけど少しもの悲しい表情をしていた。

 

 上条はなぜかその表情が目に残った。

 木山はそのまま皆に微笑みかけると、颯爽と去っていった。

 

 その時、初春がふと気づく。

 

「あれ? 佐天さんは?」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その時、佐天は皆と離れ、裏道を走っていた。

 音楽プレーヤーをぎゅっと、胸に抱いて。

 

(いやだ……手放したくない……)

 

 この音楽プレーヤーには“例のあれ”が入っている。

 まだ試したわけではない。本物と決まったわけではない。

 

 そう自分に言い聞かせて、好きな人や親友達に明かさないことを正当化する。

 言い訳に過ぎないという自覚はあるけれど、それでも手放したくない。

 

(やっと、手に入れられたんだもん……)

 

 待ち望んだ、蜘蛛の糸。それを自ら断ち切れるほど、佐天の憧れへの未練は弱くなかった。

 

「佐天さん!」

 

 呼び掛けられた佐天が振り返ると、そこには御坂がいた。

 とっさに音楽プレーヤーをポケットに突っ込む。

 

「御坂さん……どうして?」

「だって急にいなくなるんだもん。……どうかしたの?」

「なんでもないです! なんでも!」

 

 佐天は御坂と目を合わせられない。でも、声だけでも明るくしようと努める。

 

「だって、アタシだけ事件とか、関係ないじゃないですか。………風紀委員(ジャッジメント)でも、ないですし」

 

 皆の力になれるような、能力(ちから)もないですし――と、心中で呟いて、ポケットから手を出し、両手を広げて気楽さをアピールする。その笑顔はどこか痛々しい。

 

 すると、ポケットからお守りが落ちた。

 

「あ」

 

 御坂が拾って手渡す。

 

「それ、いつも鞄に付けてるやつよね?」

「………はい。学園都市(このまち)に来る前、母に持たされました。……お守りなんて、科学的根拠ゼロなのに」

 

 それは、明るい希望に満ちていた、現実を突き付けられる前の、無知な頃の記憶。

 

『姉ちゃん、超能力者になるのっ!? すっげぇ!!』

『お母さんは今でも反対なのよ……頭の中を弄るなんて……』

『はっは。母さんは心配症だなぁ』

 

 母親の優しい顔と、優しい言葉が蘇る。

 

『なにかあったらすぐに帰ってきていいからね。――あなたの体が一番大事なんだから』

 

 御坂は、そんな話を聞いて、微笑みながら言った。

 

「………優しいお母さんじゃない」

 

 佐天はそれに苦笑で応えて。

 

「――でも、その期待が重い時もあるんですよ。………いつまでも、無能力者(レベル0)のままだし」

 

 佐天の言葉に、御坂は言う。昨日、上条によって、ようやく自分も言えるようになった言葉を伝える。

 

「レベルなんて、どうでもいいことじゃない」

 

 だが、今の佐天に、超能力者(レベル5)である御坂から発せられるその言葉は、少なくとも励みにはならなかった。

 

 佐天はその言葉に、力ない笑みを返す。

 

 結局、佐天は音楽プレーヤーを――幻想御手(あこがれ)を、手放すことはできなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 翌日の早朝、風紀委員(ジャッジメント)177支部。

 初春と白井が早くから出勤して合流し、幻想御手(レベルアッパー)の調査を進めていた。

 

「どうですの?」

「暗号や仲間内の言葉が多くてよく分からないんですけど、昨日の内に幻想御手(レベルアッパー)の取引場所と思われる場所がいくつか判明しました」

「さすが初春ですわ!」

 

 そう言って初春は白井に紙束を渡す。

 

「推測地点のリストです」

「……こんなにあるんですの?」

「これでも半分ですよ。昨日の内に上条さんに残り半分の情報は伝えていますから。今頃、調査してるんじゃないかと」

「そうですの」

 

 それを聞いてはじっとなんかしていられない。

 こちらもすぐに動かなくては。

 

 扉へ向かう白井に、初春がおそるおそる声をかける。

 

「白井さん」

「大丈夫ですの」

 

 そう言って振り向く。その顔は風紀委員のエースの風格を放っていた。

 

「必ず結果を出してみせますの。いつまでもあの人ばかりに頼ってはいられませんわ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 佐天涙子は、音楽プレーヤーを片手にどこかの道をトボトボと歩いていた。

 

幻想御手(レベルアッパー)……あたしみたいなのでも能力者になれるかもしれない……夢のようなアイテム……)

 

 その音楽プレーヤーに表示されているのは、【この音楽を消去しますか?】の問い。

 消去。キャンセル。どちらかの二択を問われる画面を、佐天は自らの意志で呼び出したが、その先の一歩を踏み出せない。

 

(得体のしれないものはやっぱり怖いし……よくない……よね……)

 

 指がゆっくりと【消去】へと伸びる。だが、押せない。指が震える。

 

「話が違うじゃないか! 幻想御手(レベルアッパー)を譲ってくれるんじゃなかったのか!!」

 

 佐天の前方で、男の切羽詰まった声が響く。思わず反射的に押してしまいそうになったが、必死にその指を止めた。

 

「残念だったねぇ~。ついさ~っき値上がりしてさぁ~」

「こいつが欲しけりゃ、もう10万もってきてよ」

 

 見るからに不良という輩達が、おそらく喧嘩もしたことがないだろうという風体の青年を脅している。

 

「だ、だったら金を返してく――がっはぁ!!」

 

 不良の一人の容赦ない膝蹴りが青年の腹部を襲う。

 その後も間髪入れずに、拳、拳、拳。

 

 一発殴られるごとに、青年のうめき声や懇願が悲痛に響く。

 

「うだうだ言ってねぇで金もってこいよ!」

「ガタガタうっせ~んだよデブ!」

 

 そこにリーダーと思わしき金髪でカメレオンのような感情を伴わない目をした男が現れた。

 

「おい、お前ら。お前らのレベルがどれだけ上がったのか、そいつ使って試してみろよ」

「はっ! おいマジかよ、お前終わったなぁ~」

「死んじまうかもな! キャハハ!」

「ひっ! やめろ! 勘弁してくれ!!」

 

 その光景を、佐天は見ることしかできない。

 いや、正確には見ることもできなかった。

 相手側から姿を発見されるのを恐れて、物陰に身を隠しその凄惨の光景を言葉や物音から想像してしまうことしかできない。

 

(と、とりあえず風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に……)

 

 助けを呼ぼうと考える。それが一番正しく合理的な判断だ。しかし――。

 

(や、やばっ、充電切れ!?)

 

 昨日から思考に耽っていたので、携帯の充電を怠っていた。

 

 佐天は、しばらく何も出来ずに硬直し――。

 

 

 逃走した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 目を背けて、見ないふりをして、来た道を逆行した。

 

(しょうが……ないよね。……あたしがいたって……何が出来るわけじゃないし……)

 

『よく頑張ったな。お前の勇気のおかげで間に合った』

 

(あっちはいかにもな連中が三人……こっちは……ちょっと前まで……小学生やってたんだし……)

 

『「ありがとう。お姉ちゃん!!」「本当に、ありがとうございました!!」』

 

(絡まれてるのは、何の義理もない、会ったことすらない、赤の他人……)

 

『動く理由なんてそんなもんでいいんだ。そうしたいって思ったら、それが全てだ。始まりが嫉妬でも、見栄でも、対抗心でも。あの男の子を助けたいって思ったことには変わりないんだ。――だから、佐天は凄いことを、立派なことをしたんだよ。だから佐天は、誇っていいんだ』

 

 

 佐天の足が、止まった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「や、やめなさいよ。……その人……怪我してるし……すぐに、風紀委員(ジャッジメント)が来るんだからっ!」

 

 佐天は立ち向かった。あの男の子を助けた時のように。

 佐天は立ち塞がった。初めて会った赤の他人を庇う為に。

 

 声は震えている。膝も笑っている。今にも泣きだしてしまいそうに、怖い。

 

 それでも、佐天は立ち上がった。この人を助けたいと思ったから。あの人が認めてくれたあの時の頑張りを、嘘になんてしたくなかったから。

 

 だが、佐天は無能力者(むりょく)だった。

 勇気を振り絞って吐き出した言葉が、女の子の震えるような健気な言葉が、不良(あく)を改心させるような、微笑ましい青春ドラマは起こらなかった。

 

 リーダーの金髪は、その欠けた歯並びを見せつけるように不快に笑い――佐天の顔の真横の壁を蹴りつけた。

 

「ひっ!」

「あ~、いまなんつった~?」

 

 思わず頭を抱えしゃがみこむ。蹴られた部分の壁は工事中に使う仮初めの敷居とはいえべっこりと凹んでおり、手加減など微塵もしていないことが窺えた。

 

「いいかぁ? よ~く覚えとけ、お嬢ちゃん」

 

 蹲った佐天の頭を、金髪は片手で手荒く掴み上げる。

 

「何の力もねぇガキが、ゴチャゴチャ指図する権利はねぇんだよ」

「っ!」

 

 その言葉は佐天の心を容易く残酷に抉りとった。

 

 勇気を振り絞っても、精一杯頑張っても。

 所詮、無能力者(じゃくしゃ)では、何も変えることは出来ないのか――。

 

 

「訂正しろ。お前等みたいな奴に、佐天の勇気を否定させはしない」

 

「貰い物の力を自分の力と勘違いしているあなた方が、わたくしの友達を笑うことなど断じて許しません」

 

 

 その時、二人のヒーローが颯爽と登場する。

 

 佐天の前方から、白井黒子(しんゆう)が。

 佐天の後方から、上条当麻(すきなひと)が。

 

 その顔を怒りで険しく固めながら、その腕章を強調し、力強く叫ぶ。

 

 

「「風紀委員(ジャッジメント)だ(ですの)!!」」

 

 




無力な無能力者が振り絞った勇気に、二人の風紀委員が応えるべく駆け付ける。


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幻想殺し〈オンリーワン〉

なぁんだ。

やっぱり、みんな、あたしとは違うじゃないか。




 

 白井と上条は他方から現れたお互いを認めると、一瞬のアイコンタクトで意思を確認しあい、頷き合う。

 おそらくは打ち合わせをして挟み撃ちをしたわけではない。

 たまたまの偶然で、同じ現場に鉢合わせたのだろう。

 

 しかし、この二人は同僚。そして共に現場という前線を任されるコンビである。

 食蜂と縦ロールと上条の三人がチームなら、白井と上条はコンビとして長年共に戦ってきた。

 

 一瞬で意思疎通を行うことなど、この二人には造作もないことだった。

 

 ブォンッ! と白井の姿が一瞬で消える。

 そして佐天の側に現れ、次の瞬間には佐天と共に姿を消す。

 

 そして、上条の背後に現れた。

 

「大丈夫か、佐天?」

「は、はい。ありがとうございます。白井さんも、ありがとうございます」

「いいえ。よく頑張りましたね。……それで、上条さん」

「ああ。おそらく、あの金髪だけは別格だ。アイツと他の二人を引き離す」

「分かりました。では、わたくしが奴をあの廃墟ビルに移動させます」

「……気をつけろよ。おそらくは全員が幻想御手(レベルアッパー)使用者だ。どんな能力を持っているか分からない」

「上条さんも」

 

 すると、その一瞬後には再び白井は姿を消し、その後一瞬金髪の元に現れたかと思うと、次の一瞬後にはもう二人とも姿を消していた。

 

「くそっ! 何だってんだ!」

「どうなってやがる!」

 

 残された部下二人が、現状をまるで把握できずに騒ぎ出す。

 そんな雑音を黙らせるかのように、上条が大きく、強くその一歩を踏み出した。

 

「お前らの相手は俺だ」

 

 上条の迫力に、二人の不良は一気に呑み込まれる。

 

「佐天」

「は、はい!?」

「動けるか? 動けたら、俺があいつらを引きつけるから、その間に彼を安全な所に連れて行ってくれないか?」

 

 佐天は先ほどまでリンチに遭っていた青年を見る。

 見るからにボロボロで、自分で動くことすら辛そうだ。

 

 上条と白井が間に合わなかったら、自分もああなっていたのかもしれないのだ。

 

「……はい」

「ごめんな。無理をさせて」

「……いえ」

 

 佐天は歯痒かった。

 どうして自分は、より危険で大変な思いをさせる上条に気遣わせているんだろう。

 

 あたしが何の力もない無能力者(レベル0)だから?

 自分でも卑屈だと分かっているけれど、そう考えてしまう。

 

 今だって、助けてもらえる嬉しさより、また助けられている申し訳なさの方がどうしても大きい。

 

「いくぞ」

 

 上条がポキポキと指を鳴らす。

 彼がここまで問答無用で戦闘態勢なのも珍しい。

 

 佐天に対する行いが、相当頭にきているようだ。

 

 上条が男の一人にゆっくりと近付く。

 目にも留まらない超スピードで移動しているわけじゃないのに、なぜか一歩も動けない。

 

 上条が右手を振りぬく。その男の鼻っ柱に拳が吸い込まれる。

 

「ぐはぁ!」

 

 ザザッッ!! と音を立てて男の体はアスファルトを滑り、やがて停止した。ピクリとも動かない。

 

 一人目――終了。

 

「……はっ! やってくれんじゃねぇか!」

 

 仲間がやられたことで危機意識が高まったのだろうか、もう一人の男が能力を発動する。

 工事現場に豊富な鉄筋、鉄パイプを浮かせ、上条に投擲した。

 

 念動力(サイコキネシス)か? それとも御坂のように磁力を操っている?

 上条は考察をしながら、一瞬後方の佐天たちに目を向ける。

 佐天が青年に肩を貸し、物陰へと入ろうとしているのが見えた。

 

 上条は再び前を向き、敵の攻撃に向かって走り出した。

 鉄パイプや鉄筋を最小限の動きで避ける。能力を使いこなしていないのだろう。その攻撃はまさしく只の投擲。軌道も単調で、それぞれの部品も一ヶ所に固まっていた。

 上条は回避時にそれらの部品の尻尾の部分の宙を右手で払う。

 

 念力の糸を断ち切るように。

 

 カランカランと部品群が支えを失ったかのように急速に地面に落下する。

 

 男は投擲した武器がいきなり自分の制御下からが外れたことに呆気にとられる。

 そんなことに気を取られている間に、すでに上条の拳が眼前に迫っていた。

 

 二人目――終了。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 時間は少し遡り、白井と金髪がビルの中に突入した時、

 

「っと、はは! 面白い能力だな! 空間移動(テレポート)ってやつだな! まさか体験できる日が来るとは思わなかったぜ!」

「………別にあなたを楽しませるつもりでこんな所に連れ込んだわけではありませんの。暴行傷害の現行犯であなたを拘束しま――」

「俺たちゃよぉ、幻想御手(レベルアッパー)を手に入れる前は、お前達風紀委員(ジャッジメント)にビクビクしてたんだぁ」

 

 金髪は凄惨に笑う。この時を待ち望んでいたと言わんばかりに。

 

「だからでけぇ力が手に入ったら、お前らをギタンギタンにしてやりてぇって思ってたんだぜぇー!!!」

 

 金髪は両手を広げて白井に襲い掛かる。

 

 白井は動じない。こんな輩の対処法は心得ている。

 襲い掛かる相手の死角(はいご)にテレポートして、後頭部に一撃を叩き込めばおしまいだ。

 

 白井は消える。そして現れる。

 

 目の前に金髪はいなかった。

 

(え? ……消え――)

 

 白井は敵意を感じ、とっさに鞄を盾にする。

 ()()()()()()()()()()()()から金髪による蹴りが襲う。

 

 なんとか鞄で防いだが、納得はいかない。自分は確かにこいつの背後に移動したはずなのに。

 

(くっ、なら飛び道具で! この金属矢を右肩に直接転移する!)

 

 しかし、その金属矢は金髪の体付近の宙に現れ、金髪にかすり傷つけることなくカランと音を立てて落ちる。

 

(つ!? 外した!? この距離で演算を間違えるはずが!?)

 

 金髪がナイフを水平に振る。白井はそれを仰け反って回避し、バックステップで距離をとる。

 

「もう気づいてるんだろう。そうだ。これが俺の能力だ。ここに飛ばされた時点で発動してある。俺にもう空間移動(おまえののうりょく)は通用しねぇ」

 

 金髪が再び襲い掛かる。今度は右側からの中段蹴り。

 

 それを白井は黙って迎える。空間移動(テレポート)は使わない。

 金髪に言われたからではなく、ギリギリまで攻撃を観察し、相手の能力を見極める為だった。

 

 だが、何の変哲もない。ただの蹴り。白井は鞄を構えて防御しようとする。

 

 インパクトの瞬間、足がありえない方向に曲がった。

 

(な!?)

 

 結果、鞄の盾は機能せず、不良男子の全力の蹴りが、女子中学生の小柄な体にしたたかに打ち付けられた。

 アバラ骨の何本かが異常をきたす感触。白井の体は軽々と吹き飛び、強烈に壁に叩きつけられる。

 

「今のはいい感触だったぜぇ~。相当効いたんじゃねぇかぁ~? ハハハハ!!」

 

 金髪が高笑いしながら白井に近づいてくるのを、白井は後ろ目で確認する。

 

 残る金属矢は一本。自分の予想が正しければ――。

 

 白井は振り向き様に、矢を“自力で投擲”する。

 まっすぐ金髪に向かって行った矢は、空中で野球のスライダーのように軌道を変えた。

 

 結果的に金髪には当たらず、金髪は白井を嘲笑する。

 

「なんだぁ~? もう空間移動(のうりょく)も使えねぇくらいにへばっちまったのかぁ~? まだこっちは遊びたりねぇぞ、こらぁ!」

 

 おそらく、相手の能力は白井が睨んだ通り。ほぼ確証は得た。

 そして、白井は作戦を頭の中で構築し――敵に背を向け、逃走を開始した。

 

 ビルの奥へ、奥へ、奥へ。

 

「……あ~。次は鬼ごっこかぁ? いいぜぇ。ただし! この廃ビルの外に出たら、外のデブと女を殺す!」

 

 金髪は、走り去る白井の背中にそう愉しげに叫んだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 佐天と青年が物陰に避難が終了した時には、既に上条の戦闘は終了していた。

 

「すごい……」

 

 上条の足元で蹲る不良達。自分と同じ|無能力者にも関わらず、自分が震えあがることしかできなかった相手に拳一つで圧倒してしまった。

 

 これは男女の違い? それとも年齢? 肩書?

 佐天は同じ|無能力者の上条にも嫉妬している自分に気づき、嫌気が差した。

 

「ぐっ……」

「っ!! 大丈夫ですか!?」

 

 青年が立ち上がる。相当痛むようだが、それでも体を動かそうとする。

 

「あ、あの動かない方が」

「いや、大丈夫。ありがとう。それより君も早く逃げよう」

「え!? ……でも、白井さんや上条さんが……」

「何言ってるんだ。君も無能力者なんだろ。手助けしようにも、僕たちじゃ足手まといにしかならない」

 

 青年は、当たり前の事実を告げるように言う。

 

「こんな時に、無能力者(レベル0)ができることなんて、何もないんだ」

 

 その言葉は、佐天の心に冷たい鈍痛を与えた。

 が、なんとか首を振り、その痛みを必死に追い出そうとする。

 

(……違う。現に上条さんは無能力者でも頑張ってる。無能力者でも、あそこで戦ってる。……たとえ無能力者でも、能力(ちから)なんてなくても、出来ることはきっとある。……そうですよね。上条さん)

 

――頑張れば、あたしでもきっと、あなたのように……。

 

 佐天はビルの前――白井と金髪が戦っているビルの入口を塞ぐようにして立っている上条を見つめながら、そう思った。

 

 その時、ビルが大きな音を立てて崩壊した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「取り壊し予定なだけあって、隠れる所は何もありませんのね」

 

 白井は腹を抑えながら逃走を続ける。

 

(足音は聞こえない……まだ一階にいると思っているのでしょうか?)

 

 すでに白井は空間移動(のうりょく)を使って、階段を経由せずに二階に到達している。

 こういう時、空間移動(テレポート)という能力(ちから)は無類の強さを発揮する。

 

(今の内に――)

 

 作戦を進めようと通路を飛び出すと。

 

「見~つけた♡」

「ッ!」

 

 通路の死角に金髪がいた。避ける間もなく膝蹴りが白井の腹部にクリーンヒットする。

 

「この廃ビルは俺たちの溜まり場でなぁ。隅から隅まで理解してんのよ。場所の選択を誤ったなぁっ!」

「くっ!」

 

 白井は空間移動(テレポート)で三階へと移動する。

 しかし、その三階を走る足音は、二階の金髪に聞こえるくらいよく響いていた。

 

(精々逃げ回って体力を減らすがいい。飛べなくなったときが――お前の最期だ)

 

 

 五階。最上階。

 白井は窓際まで追い詰められていた。

 

「そろそろ鬼ごっこにも飽きてきたなぁ。いい加減、決着(ケリ)つけようや。」

 

 金髪がナイフを取り出し、白井に近づく。

 

「結局、俺の能力は分かったのか?」

「………自分の周囲の光を捻じ曲げ、対象の認識を誤らせる能力」

「ヒュー♪ 気づいてたのか。」

「あなたによく似た能力の人を知っていますの」

 

 常盤台生を狙ったあの眉毛事件の犯人――重福省帆の能力は認識を阻害するというものだった。

 いうなれば、相手の方に能力の影響があり、見えているのに“気付かせない”ようにした。

 

 しかし、今回のこの金髪の能力は少し違う。光を捻じ曲げることで、実際とは異なる景色を見せる。いわば、状況を把握するための“情報”を変えて、違うものを認識させた。誤解させたのだ。

 だから、空間移動(しらいののうりょく)の演算式に狂いが生じ、蹴りの軌道が捻じ曲がって見えたのだ。

 

「誤った位置で光の像を結ばせる――だから、投げたものがあり得ない軌道を描いたように“錯覚”させられた」

「【偏光能力(トリックアート)】っていうんだけどなぁ♪ ……けどよぉ、分かったからってお前に何ができる?」

「確かに……あなたに当てることはできませんが」

 

 白井は手にしていた窓ガラスを“柱の中”に転移させる。

 直後、窓ガラスは割れ、その窓ガラスがあった部分で切り裂かれたかのように柱が分断されている。

 

「……あ~ん? 何がしてぇんだ?」

「わたくしの空間移動(テレポート)は、移動する物体が移動先の物体を押しのけるように転移しますの。紙切れ一枚あればダイヤモンドも切断することができますのよ。――これが最後通告です。武器を捨てて投降しなさい。抵抗すると、安全は保障しかねますわよ」

 

 白井の最後の慈悲も、金髪――偏光能力(トリックアート)は一笑する。

 

「はっ! 投降? 笑わせんな! どんなに凄ぇ威力だろうと、当たんなければ意味ねぇだろうが!」

「……できればやりたくなかったのですが……いいでしょう。あなたのその小賢しい目くらましごと、叩き潰してさしあげますわ!」

 

 白井が窓ガラスを転移する。駆け回り、次から次へと、その部屋の窓ガラス全てを。

 偏光能力(トリックアート)には理解できない。追いつめられてやけになったのか?

 

「……はっ! 何がしてぇんだ!?」

 

 偏光能力(トリックアート)はとどめを刺そうとナイフを握りしめ、白井に向かって駆け出す。

 そんな偏光能力(トリックアート)に、白井は振り向いて微笑みながら答える。

 

「ビルを支える柱が“全て”切断されたらどうなるか……お分かりですわよねぇ」

 

 偏光能力(トリックアート)の、足が止まった。

 

 このビルのことにはお詳しいんでしょうと白井はクスクス笑っているが、彼の耳には入らない。

 冷や汗を流し、自分の中の結論の異常さを受け止められない。

 

「おま……まさか……ビルごと……」

 

 その偏光能力(トリックアート)の呟きに、白井は笑顔のみで応える。

 

 彼はその時になってようやく、白井黒子という風紀委員(ジャッジメント)の恐ろしさを理解したが、時すでに遅し。遅すぎし。

 

 取り壊し予定だった偏光能力(トリックアート)達の溜まり場だった廃ビルは、予定よりも少し早く崩壊した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条はビルの前でそれが崩壊するのを見ていた。

 不良二人を即座に倒し、すぐさま白井の加勢に行くことも考えたが、ここにいる二人がいつ目を覚まして佐天達に危害を加えるか分からないし、それに何より白井があんな奴に負けるとは思わなかった。

 だから、この入口で待ち伏せ、偏光能力(トリックアート)が逃げてきたら取り押さえようと待ち構えていたのだ。白井がそう易々と逃がすとも思えなかったが。

 

 しかし、この結末には上条も呆れた。まさかここまでするとは。

 

 そんな上条の前に、偏光能力(トリックアート)の首根っこを掴んだ白井が転移してきた。どうやら偏光能力(トリックアート)は、崩壊のショックで能力を保つほどの集中力を維持できなかったらしい。

 

「少々やり過ぎた感も否めませんが……まぁ、取り壊す予定のようでしたから良しとしましょう♪」

「いや、やりすぎはやりすぎだ」

「イタっ」

 

 上条は白井の頭をポカンと叩く

 

 その時、上条は白井の怪我が思ったより酷いことに気づいた。

 もしかしたら、相手の能力が白井と相性が悪いものだったのかもしれない。

 やはり加勢に行くべきだったか……と上条が表情を暗くして落ち込んでいると、それに気づいた白井が。

 

「ちょっと、上条さん! 後輩が頑張ったのに、労いの言葉の一つもありませんの?」

 

 拗ねたように怒ってみせた。

 こういう時の上条に、気にしてないなどというのは逆効果。

 長年コンビを組んでいる白井はその辺を熟知していた。

 

 上条も、もちろんそんな白井の心遣いを理解する。

 それをありがたく思いながら、今は暗い感情は仕舞い、頑張った後輩を労ってやろうと白井の頭に手をのせ、優しく撫でる。

 

「あっ……」

「……よく頑張ったな、白井。偉いぞ」

 

 子供扱いされているような言葉に反抗心が湧かないわけではないが、それ以上にこの手の感触とかけられた言葉に感じる暖かさが心地よくて身を任せてしまう。

 

「さて、こいつから幻想御手(レベルアッパー)の情報を聞き出すか」

「そ、そうですわね」

 

 少し白井の顔が赤いが、仕事は仕事と意識を切り換える。「上条さんが倒した人達からは何も聞き出せませんでしたの?」「いや、二人とも気絶したまま、目を覚まさなくてな」なんて会話をしながら、偏光能力(トリックアート)から情報を聞き出すこととなった。

 

「おい、幻想御手(レベルアッパー)について知ってることを話せ」

「……もう二、三回ビルと一緒に潰れてみます?」

「ひ、ひぃ!」

 

 白井がわる~い笑顔で脅すと、偏光能力(トリックアート)はポケットの中を探りだす。

 よほど怖かったんだなぁ……と上条がちょっと引いていると、彼が取り出したのは――。

 

「ん? ただの音楽プレーヤーじゃないか?」

「ふざけてますの!!」

「ひぃ!」

 

 白井に怯えながらも、偏光能力(トリックアート)はたどたどしく答える。

 

「れ、幻想御手(レベルアッパー)は、曲、なんだよ……」

「「曲?」」

 

 その事実に二人は信じられないといった風に目を見合わせた。

 

 そして、そこに佐天が合流しようとする。

 

「白井さ~ん。上条さんも無事でよかったで――」

 

 その元気そうな姿に二人の表情は緩むが。

 

 そこに、上条が倒した一人目の不良が起き上がる。

 

「っ! 佐天さん!!」

「あぶない!!」

「――え? っ! きゃああ!!」

 

 その男が放った炎が、一番近くにいた佐天を襲う。

 

 しかし、何とか間一髪間に合った上条の右手がそれを防ぐ。

 

 

 パキーンッ!

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「………………………え?」

 

 

 佐天はそれを、呆然と見つめた。

 その間に白井によって、男は再び昏倒させられる。

 

 そこにようやく警備員(アンチスキル)の人達が現れ、上条達はその場を引き継いだ。

 

「ご苦労様。後は私たちに任せたまえ」

「はい。よろしくお願いしますですの」

「佐天も怪我はないか?」

「………え? あ、はい。大丈夫です……けど、上条さんの方は大丈夫なんですか? なんか思いっきり炎を喰らってましたけど」

「「……あ」」

 

 上条と白井は目を合わせる。

 さすがに直接見られてしまって、なおかつここまでストレートに聞かれては答えないわけにはいかない。

 

「……あのな、佐天。これは、その、結構な機密なんだ。風紀委員(ジャッジメント)でもうちの支部のメンバーくらいしか知らないくらいの。だから、あまり言いふらしたりしないでくれよな」

「は、はい。分かりました」

 

 そして、上条は自分の右手を見つめながら、こう答えた。

 

 

「俺の右手には、異能の力なら何でも打ち消す『幻想殺し(イマジンブレイカー)』って力が宿ってるんだ。これは生まれつきで、身体検査(システムスキャン)じゃあ無能力者(レベル0)って扱いなんだけどな」

 

 

 

 その時、佐天の中で何かが壊れた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 自分が憧れた自分と同じだと思っていた人は、自分と違って特別な力を持っていた。

 

 

 名だたる能力者の人達と肩を並べるに相応しい、主人公のような能力を。

 

 

 勝手に親近感を覚えた人は、頑張ればいつか自分もと希望を持たせてくれた、好きな人は。

 

 

 自分が何度生まれ変わっても手に出来ないであろう、唯一無二(オンリーワン)な能力を持つ特別な人だった。

 

 

 全然違った。似てなんかいなかった。共通点なんて一つもなかった。

 

 

 なぁんだ。

 

 

 やっぱり、みんな、あたしとは違うじゃないか。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「……そっか。そうなんですか。おかしいと思いましたよ~! にしても凄いですねぇ、その力! 無敵じゃないですか !チートですよ、チート! あ! あの都市伝説の『能力の効かない能力を持つ男』って上条さんのことだったんですね!」

「おい、馬鹿! 機密だって言ったろ! あんま、大きな声で話すな!」

「あ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」

「これはお姉さまも詳しくは知らないことですのよ。他言無用でお願いしますわ」

「はい、任せてください。あ、あたしはもう帰りますね。今日は助けていただいて本当にありがとうございました!」

「あ、おい、佐天!」

 

 佐天は明るく振る舞い、上条達の前を後にした。

 

 

 

 

 

 そのまま無我夢中で走り回り、息が切れて走れなくなったときに、ようやく立ち止まった。

 

「いやだな……この気持ち……」

 

 自分と同じ中学生で、自分と同じ女の子が、自分の好きな人と肩を並べて戦っていた。

 始めは、そんな凄い能力者相手でも、上条のように強くなれば、無能力者でもあの輪の中に入れるのかもと思った。

 

 でも違った。

 上条当麻は、好きな人は、白井や御坂のような高位能力者よりもはるかに凄くて珍しい能力を持っていた。

 

 世界でたった一人の、オンリーワンの能力を。

 

 上条が、白井や御坂の隣に立ってるんじゃない。

 御坂や白井のような能力者になって初めて、上条当麻の隣に立つことができるんだ。

 

 自分では到達不可能な、自分とは無縁のはるか遠い世界に、みんな住んでいる。戦っている。

 

 能力者と“無”能力者では、何もかもが違う。

 

 無。

 

 自分には、何の無い。可能性も。力も。あの人の隣に立つ資格も。

 

 

 

 無い。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 とぼとぼと歩きながら佐天は、手の中の音楽プレーヤーを見つめている。

 

「ルイコ~」

 

 その時、通りの向こう側から佐天を呼ぶ声がする。彼女の学校の友達だった。

 

 彼女と同じ、正真正銘の無能力者。佐天と同じ世界の住人だった。

 

「……アケミ。むーちゃんとマコチンも」 

 

 佐天は彼女らと合流する。

 

「一人で何してたの? 買い物?」

「……まぁ、そんなとこ。アケミたちは?」

「図書館で勉強~。能力はどうにもならないけど、勉強くらい頑張らないとね~」

「…………そう、だね」

 

 すると、アケミが立ち止まり

 

「あ、でも聞いた? 幻想御手(レベルアッパー)っての」

「っ!」

 

 佐天は固まる。その幻想御手(レベルアッパー)は、今まさに佐天の手の中にあるのだ。

 

「なぁに、それ?」

「あ、私知ってる! 能力が上がるってやつでしょう?」

「そうそう。噂じゃあ、今それ高値で取引されてるらしいよ」

「お金ないよ~」

「あ、あのさぁ!」

 

 佐天は全員と向き合う。

 

 そして言う。言ってしまう。

 震える瞳で。手で。それを悟られないよう、必死で抑えて。

 

「あ、あたし。今それ持ってるんだけど……」

 




自分と同じと思っていた人は、自分とは違う特別な主人公だった。

自分と同じ目線で、自分と同じ世界を生きていると思っていた好きな人は、自分とは無縁の世界で戦う人だった。

違った。自分とは違った。

手の届かない――遥か、遠い人だった。


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佐天涙子〈×××〉

無能力者(レベル0)って、欠陥品なのかな?


 

 アケミは両手をぐっと前に突きだし、むむむっと力む。

 すると、その手の先にいる女の子――むーちゃんの体がふわふわと宙に浮かび上がった。

 

「す、凄い! 凄いよ、ルイコ! 私、紙コップを持ち上げるのがやっとだったのに!」

 

 アケミはこの力を与えてくれた佐天に喜色満面の笑みを向ける。

 その時に集中が途切れ、浮かんでいたむーちゃんが落下した。

 ぐぬおおっ! と女子中学生にあまり相応しくない呻き声を上げるむーちゃんには気付かず、アケミは返事が返ってこない佐天の方へと歩み寄る。

 

「ん? ルイコ?」

 

 佐天は、一心不乱に自分の掌の中で小さなつむじ風を起こし、木の葉を踊らせていた。

 

 その佐天の顔は、キラキラと光り輝いている。嬉しくて嬉しくて輝いている。

 

 アケミはそんな佐天に優しい顔を向ける。佐天は気づかない。

 復活したむーちゃんに復讐の羽交い絞めを受けても、眼中に入らない。

 

 初めて手に入れた異能の力に、憧れ続けた超能力に夢中で仕方ない。

 

(白井さんや御坂さんに比べたらささやかな力……上条さんのオンリーワンな能力と違って、この学園都市ではありふれた力……)

 

 佐天はぐっと両手を握りしめる。ついに手に入れたそれを離さないと言わんばかりに。

 

(――でも、あたしの力……あたしの……あたしだけの、超能力(ちから)っ!)

 

 佐天は噛み締める。この瞬間を。

 この学園都市(まち)に足を踏み入れたその日から、渇望し続けた、待ち望んできた、この瞬間(とき)を。

 

 正規の手段を用いたわけではない。ズルをして手に入れた力かもしれない。

 でも。それでも。

 

 

(あたし……やっと……能力者になったんだ!)

 

 

 佐天は、本当に、本当に、嬉しかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「ダウンロード、完了しました」

「でも、まさか幻想御手(レベルアッパー)が曲だなんてねぇ」

「……にわかには信じがたい話だけどな」

 

 白井と上条はあの後177支部へと戻り、偏光能力(トリックアート)から得た情報の正否を確かめるべく、初春に現物の入手を頼んでいた。

 支部には食蜂と縦ロールもいて、縦ロールは現在、応接間で白井の怪我の手当をしている。

 

「とりあえず、俺は木山先生に連絡してみるよ」

 

 上条は木山の連絡先を携帯で呼び出し――この間の会合の際に番号を交換した――その呼び出し音が鳴っている間、手持無沙汰の時のいつもの癖で無意識にコーヒーを淹れようとする。

 

 コーヒーメーカーのある応接間が今どんな状態なのかもすっかり失念して。

 

「あ」

「げっ」

「あらまぁ」

 

 白井は万歳のような体勢をとり、縦ロールによって体に包帯を巻いてもらっているところだった。

 当然、上半身は下着すらつけていない。

 

 白井の顔がみるみる真っ赤になる。

 上条の顔はみるみる真っ青になる。

 

 上条はゆっくりとドアを閉める。

 ドアが閉じきるのと、木山に電話がつながるのと、上条の頭上にコーヒーメーカーが現れるのは、ほぼ同時だった。

 

「もしもし、木山です」

『(ヒュッ) (ガンッ) (ぐぁあああ~不幸だぁ!)』

「……ん? 間違い電話か?」

 

 ピッ ツーツーツー 電話を切られた。流れるような手つきで上条はリダイヤルする。

 

「……なんだ? (ピッ) もしもし、木山だ」

『もしもし! 上条ですよ! なんで切っちゃうんですか!』

「ああ、君か。すまん、間違い電話かと思って」

 

 一下りあったが、ようやくシリアスな会話に入った。

 

『――ああ。教えてもらった手順で、こちらも現物(レベルアッパー)を入手することに成功した』

「それで先生……音楽ソフトで能力を上げるなんてことが本当に可能なんでしょうか?」

『ん~。難しいねぇ。……【学習装置(テスタメント)】ならいざ知らず』

「……学習装置(テスタメント)ですか」

『おや? 君は学習装置(テスタメント)を知っているのか?』

「へっ? あ、いや、ちょっとそれ関係の論文を読む機会がありまして」

 

 もちろん、バカなので補習で~すとお呼びがかかる上条がそんな賢そうな論文に目を通す機会などない。

 知っていたのは、妹達(シスターズ)の件に関わっていたからだ。

 

 学習装置(テスタメント)

 視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感全てに対して電気的に情報を入力する装置で、妹達(シスターズ)の人格形成にも使われていた。

 

 だが、あれに能力のレベルアップなんて効能はない。

 妹達(シスターズ)超能力者(レベル5)の量産を目的に作られたが、結果的に妹達(シスターズ)は“能力(ちから)が足りない”という理由で一度は計画が凍結したのだから。

 

 その後、上条と木山はいくつか言葉を交わし――

 

「――はい。……はい。分かりました。ありがとうございます(ピッ)」

「どうでしたか?」

「いや、木山先生は五感全てに働きかけるならともかく、聴覚だけの音楽ソフトで能力を引き上げるのは難しいだろうって」

「そうですか……。またふりだしですかね……」

「…………」

 

 この情報は外れだったのか?

 いや、あいつは嘘をついているようには思えなかったが……。

 

 上条は俯く初春とは対照的に表情を険しく固めながら思考する。

 

「……初春、俺はとりあえず他の幻想御手(レベルアッパー)使用者をできる限り捕縛して、情報を集める。初春は木山先生と頻繁に連絡をとって、この曲について調べを進めておいてくれないか?」

「わかりました!」

 

 上条は白井に、お前も怪我が治るまでおとなしくしてろよ。と釘をさし、そのまま支部を後にする。

 ここ数日、上条は殆どこうして外回りに精を出している。

 

 その甲斐あってか、幻想御手(レベルアッパー)使用者の暴走から、かなりの数の一般市民を守っているのだが、上条は決して満足しない。

 彼が求めるのは、被害の縮小ではなく、被害の撲滅なのだ。

 

 そんな上条に喚起され、自分も己の仕事を全力でやろうと気合を入れる初春。

 その時、机の上の音楽プレーヤーが目に入り、先日の記憶が呼び起される。

 

「…………佐天さん」

 

 あの日、彼女が嬉しそうに見せてきた音楽プレーヤー。

 

 あの中身は、ひょっとして……。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条の右手が敵の水流を受け止める。

 

「……くっ!」

 

 上条は右手の掌の向きを調整し、水流の方向を変える。

 そのまま、水流を盾にするように敵に接近する。

 

「なんだと!?」

「失せろ、三下ぁ!!」

 

 上条の右手がスキルアウトの顔面を貫く。

 

 スキルアウトはそのまま壁まで吹き飛ばされ、気絶した。

 周りには同じようなモブキャラがぞろぞろと転がっている。

 その全員が、幻想御手(レベルアッパー)使用者。彼らは皆、強能力者(レベル3)以上にまでパワーアップしていた。

 

(……なんだか段々使用者の戦闘力が上がってきた気がする……“力を使いこなしてきている”ってことか。介旅も爆発の度に威力を増していったしな。……未然に事件を防ぐのも限界がある。このままじゃあ、遠くない内に一般市民にも被害が……くそっ、早くなんとかしないと!)

 

 上条は、その場で警備員(アンチスキル)に連絡してスキルアウト達の回収を依頼すると、再びパトロールを開始する。

 

 相手の強さが増してきて、決して無傷ではないのだが、それでも上条当麻は、愚直に足を止めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条が出掛けた後の、風紀委員(ジャッジメント)177支部。

 

 白井と初春、そして固法は幻想御手(レベルアッパー)と思われる曲の分析を続けていた。

 あ~でもないこ~でもないと意見を交換していた時に固法の携帯が鳴り、席を後にする。

 

「…………はい。……………はい、分かりました。伝えておきます。はい。お手数かけてしまい申し訳ありません(ピッ)」

「……どうされたんですの?」

「……上条くんが、また別支部担当区のスキルアウトを確保したらしいわ」

「はぁ……またですか」

「…………お礼を言いたいからぜひ会わせてくれって、担当区の風紀委員(ジャッジメント)支部に助けられた女の子が押し掛けてきたらしいわ」

「…………へぇ。またですか」

 

 一斉に溜め息をつく一同。

 こんなことはこの支部では日常茶飯事だ。

 

「一刻も早く犯人の目星をつけなくちゃね。このまま上条くんを好き勝手に自由行動させてたら、学園都市が上条ハーレムになっちゃうわ」

「…………固法先輩。それ笑えませんの」

 

 白井が知るだけでも、大御所では第三位(みさか)第五位(しょくほう)を落としている。

 あの人が本気になったら本当に実現可能では? と思わせてしまうのだから恐ろしい。

 

 それを防ぐためにも、今は捜査の指標が欲しい。

 

「とりあえず今すべきことは、幻想御手(レベルアッパー)拡散の阻止、昏睡者の回復、開発者の検挙及びその目論見を吐かせること、ですわね」

「その為の一番の近道はやはり幻想御手(レベルアッパー)の詳細の把握なんですが……」

「被害者の部屋から見つかる共通点はこの音楽データしかないのよね。となると、やっぱりこの音楽データが一番怪しいのだけれど……でも、音声データだけでどうやって……」

 

 木山曰く、聴覚のみの刺激で能力を上げることなど不可能だと言っていた。

 最低でも学習装置(テスタメント)のように、五感に働きかけるくらいではないと効果はないと。

 

「となると……曲自体に五感に働きかける効果があったとしたらどうかしら?」

 

 突然入口から聞こえてきた声に、支部に居たメンバーの視線が集まる。

 

「お姉さま!」

「どうしてここに……いえ、それよりもそれってどういう――」

 

 白井と初春が御坂に問い詰めようとしたとき、

 

「……なるほど、共感覚性か。よく思いついたわねぇ。御坂さ~ん」

「あらぁ、分かんなかったぁ~? ごめんねぇ~、食蜂。あなたの見せ場奪っちゃってぇ~」

「(イラッ)……いいのよぉ~。たまには御坂さんに手柄を譲らないと、“いつも”私“ばっかり”上条さんを助けてポイント稼いでるからぁ~。“たまには”ねぇ」

「(ムカッ)……そう? 悪いわねぇ。さすが優しいのねぇ。常盤台の性悪女王様は」

 

 フフフフフフフフとお嬢様らしい育ちの良さを滲みだす――けれど感情が篭らない冷たい笑い声を響かせる学園都市の第三位と第五位。

 普通にすごく怖い。

 けれど、話を聞かなければならない。勇気を持ってこの場の最年長の固法が声をかける。

 

「あ、あの……説明してもらってもいい? 共感覚性って?」

「ああ、共感覚性っていうのは、簡単に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()です」

「風鈴の音を聞いて音を感じるだけでなく気温も涼しく感じたり、赤系の色も見たら色を感じるだけでなく温かみも感じたり、といった風にねぇ。それを応用して“音楽という一つの刺激で五感全ての感覚を得る”ことが出来れば、条件を満たすことにならないかしら。さすが私なんだぞ☆」

「ちょっと! 言ったそばから私の手柄獲らないでよ!」

「縦ロールちゃ~ん。上条さんには私が思いついたって言っておいて~。よろしくなんだぞ☆」

「女王。さすがに人間が小さいです」

 

 そして超能力者(レベル5)達が人間の小さい争いを繰り広げていた頃、仲裁を他のメンバーに任せて初春は木山に連絡していた。

 ちょっと黒い。

 

「――なるほど、共感覚性か。その可能性はあるな。見落としていた」

「じゃあ、可能性はあるんですね!」

「ああ、十分検証してみる価値がある。それなら『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』の使用許可も下りるだろう」

「っ! 樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)……あの学園都市一のスーパーコンピュータ」

 

 ちょっとした家電製品でさえ、学園都市の外と中では数十年の開きがあるという。

 そんな学園都市の卓越した科学技術の、最先端も最先端。

 それが、学園都市一、つまりは世界最高のスーパーコンピュータ――『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)

 学園都市を支えるトップクラスの演算装置。情報処理のスペシャリストの初春が興味を引かれないはずがなかった。

 

「あ、あの! 私も連れて行ってはもらえないでしょうか! 一度でいいから、樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)を操作するところを見てみたくて!」

「……ふふ、上条君から、君は風紀委員(ジャッジメント)でもトップクラスの情報処理能力を持っている逸材だと聞いている。分かった。さすがに触らせるわけにはいかないが、見てる分には構わないだろう。うちの研究所の住所を教える。今から来たまえ」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 初春は言い争う常盤台のエースと女王(そして彼女らを仲裁しようと頑張る同僚達――縦ロールは優雅に紅茶を楽しんでいる)を華麗にスルーし、木山の勤めるAIM解析研究所へ向かった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「凄い凄いっ! 見て見て! こんな重いものまでここまで上げられるよ!」

「なにを~! 私だって負けないんだから!!」

 

 この数時間で、アケミとむーちゃんは自身の能力をかなり使いこなし始めてきた。

 そんな二人を佐天は木陰のベンチに座り少し遠目で眺めていた。

 

(やっぱり初春だけには教えた方が……怒られちゃうかな、やっぱ)

 

 能力を使えた興奮から少し醒め、冷静になったことでこれからのことを考える。

 

 自分達が能力を使えるようになった。

 そのことからこの音楽は――間違いなく本物の幻想御手(レベルアッパー)だ。

 

 そして佐天は、風紀委員(ジャッジメント)がこの幻想御手(レベルアッパー)を探していることを知っている。

 となると、これを一刻も早く彼らの元に届けなければならない。

 

 でも――。

 

「涙子ちゃん、どうしたの?」

「……マコチン」

 

 アケミとむーちゃんが能力を使うのに夢中になっている中で、唯一まだ幻想御手(レベルアッパー)を使用していないマコチンが佐天の元に寄ってきた。

 

「いや、なんでも……マコチンは使わないの、幻想御手(レベルアッパー)?」

「うん、私も使ってみようと思って来たんだ? ……いいかな?」

「……うん、いいよ」

 

 はいと佐天が音楽プレーヤーを手渡す。ありがとー♪ とマコチンは受け取り、イヤホンを耳に当てながら佐天の隣に腰掛ける。

 しばらくお互い無言で隣り合って座る。そして、音楽を聴いていたマコチンがぽつりと佐天に語りかけてきた。

 

「私ね、アケミとむーちゃんが大好きなんだ」

「え?」

「もちろん涙子ちゃんも♪」

 

 そう言って、佐天の方を向きニコッと笑う。

 そして、再びアケミとむーちゃんに目を向け直した。

 

「私はね……正直、無能力者のままでもいいと思ってた。確かに能力に憧れはあったけど、それでも、もし自分にだけ能力が目覚めて、二人に距離を置かれたら……そんな風になるくらいなら、能力なんていらないって思ってた」

「…………」

 

『白井さんや上条さんと一緒に仕事したり、佐天さんや御坂さんとショッピングしたり、毎日楽しいですよ。だって、学園都市(ここ)に来なかったら、みなさんと出会えてなかったんですから――それだけでも、学園都市に来た意味はあると思うんです』

 

「でもやっぱり、能力に憧れがあったのは事実だから。みんな一緒に能力者になれるなら、それが一番だって思うんだ」

 

 そして、再びマコチンは佐天の方を向き。

 

「ありがとう。涙子ちゃん♪」

 

 ガンッ! 突如、何かの落下音が響く。

 落ちたのは、先程まで念動力(サイコキネシス)で支えられていたベンチ。

 

 そこでは、アケミが意識を失い倒れていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 初春は研究所に向かって走っていた。

 もちろんジョギング感覚で研究所に辿り着けると思っているほど、初春飾利はアスリートではない。足代わりに公共の交通機関を使用すべく最寄りのバス停に向かっているところだった。

 

 その時、初春の端末が着メロを鳴らす。

 

 ディスプレイに表示された名前は――佐天涙子。

 

「っ!」

 

 初春はすぐさま応答する。

 今朝から妙な胸騒ぎがして、何度となく電話、メールをして呼びかけていた相手からのようやくの返信だった。

 

「佐天さん!? 心配したんですよ! 今、何をしているんですか!?」

「…………」

「っ? 佐天さん? どうしたん――」

「…………れっちゃった」

「え? さ、佐天さん、何て――」

 

「アケミ……倒れちゃった……」

 

「…………え?」

幻想御手(レベルアッパー)を使ったら倒れちゃうなんて……あたし……知らなくて……何で……こんなことに……違う……こんなつもり……あたし……こんなつもりじゃ――」

 

『ここまできたら、幻想御手(レベルアッパー)に強大な副作用があるのは、ほぼ間違いない。その為に、出来る限り使用前に回収したいんだ』

 

「………………あ」

「佐天さん!? 落ち着いて、最初から話してください! アケミさんがどうしたんですか!?」

「……そうだ……幻想御手(レベルアッパー)を手に入れて……所有者を……捕まえるって……でも、捨てられなかった……何か使っちゃいけない理由があるのも……ちゃんと知ってた」

 

「でも使いたかった……怖かったけど……でもそれ以上に……使いたくて……たまらなかった……その為に……あたしは共犯者を増やしたんだ……あたしは……アケミ達を……道連れにしたっ!!」

 

『私はね……正直、無能力者のままでもいいと思ってた』

『みんな一緒に能力者になれるなら、それが一番だって思うんだ』

 

『ありがとう。涙子ちゃん♪』

 

「……っ………っ……」

「佐天さん! 佐天さん、今、どこですか!?」

「……あたしも倒れちゃうのかな? ……はは……そうだよね。アケミ達を巻き込んだ張本人が、自分だけ助かろうなんて、許されないよね」

「佐天さん!」

「……倒れちゃったら、もう二度と起きれないのかな? ……あたし、何の力もない自分が嫌で……でも、どうしても、憧れは捨てられなくてっ! …………ママぁっ」

 

 佐天は蹲り、膝に顔を埋め、お守りをギュッと握りしめる。

 そして、ポツリと、呟いた。

 

「…………ねぇ、初春」

「え? なんですか、佐天さん!? それよりも今どこに――」

 

 

無能力者(レベル0)って、欠陥品なのかな?」

 

 

「……え? 何を?」

「それがずるして力を手に入れようとしたから……罰が当たったのかな? ……危ないものに手を出して……友達巻き込んで……あたし……」

「さてんさ――」

「でもね」

 

 

 

「どうしても……好きだったんだ……上条さんのことが」

 

 

 

「………………え?」

 

「初めは憧れだった。尊敬だった。

 

 同じ無能力者(レベル0)なのに、高位能力者の白井さんや御坂さん、食蜂さんたちに一目置かれてて、対等に接して、風紀委員(ジャッジメント)のエースで。

 

 ……あたしも頑張れば、無能力者でも、上条さんみたいな凄い人になれるんじゃないかって」

 

「……佐天さん」

 

「でも、違ったね」

 

「…………」

 

 

「上条さんは、あたしとは違った。

 

 無能力者(レベル0)ではあったけど、誰とも違う凄い能力を持ってた。

 

 誰よりも特別だった。平凡なあたしとは大違いだった。

 

 上条さんが凄くて、凄い人達と肩を並べてたんじゃない。

 

 御坂さんや、食蜂さんや、白井さんたちぐらい凄くて初めて、上条さんと肩を並べることができるんだ……って、気づいたよ。気付いちゃったよ」

 

 

「……………」

 

 

「でもね。それでも好きなんだ。上条さんのことが」

 

 

 消えなかった。なくならなかった。

 

 自分を助けに駆けつけた、あの雄姿も。

 

 頭を撫でてくれた時の、優しい微笑みも。

 

 一緒にクレープを食べた時の、真っ赤に照れた顔も。

 

 脳裏に焼き付いて、胸を焦がし続けた。

 

 

「全然身近じゃなくても、自分と住む世界が違っても、好きになった前提条件がなくなっても……。

 

 醒めないんだ。気持ちが消えてくれないんだよ、初春。

 

 どうしても……諦められないんだ。

 

 御坂さんのように、対等でいたかった。

 食蜂さんのように、傍にいたかった。

 白井さんのように、隣に……立ちたかった。

 

 上条さんの特別な人になれるくらい……大事な存在になれるくらい……強くなりたかった。

 

 でも、やっぱり私じゃダメなのかな……

 

 欠陥品の、私なんかじゃ――」

 

「佐天さんは!!」

「え?」

 

「佐天さんは、欠陥品なんかじゃありません!!!」

 

 初春飾利は叫んだ。

 

 夏休みの街中の雑踏の中、集まる人目を気にせず、電話の向こうの佐天に向かって大声で叫んだ。

 

「初……春……」

「もし眠っちゃったとしても、佐天さんもアケミさんもみ~んな、み~~~~んな私が起こしてあげます! ど~んと任せてください! 佐天さんきっと、あと五分だけ~とか言っちゃいますよ!」

「初春……」

「…………佐天さん。上条さんは確かに凄い人です。超能力者(レベル5)の御坂さん達と同じくらい……もしかしたら、もっと特別な人なのかもしれません」

「…………」

 

「でもっ! 恋愛に、能力なんて関係ないはずです!!」

 

 俯き膝に埋めていた顔を、佐天はゆっくりと上げた。

 

「……え?」

「無能力者が超能力者を好きでもいいじゃないですか! 低能力者はそれ以下のレベルの人としか付き合っちゃいけないなんて決まりがあるんですか!」

「初春……」

 

 初春飾利は叫び続ける。

 

 集まる人目をものともせずに、己の心を曝け出す。

 

 

「何の能力も持たなくても、特筆すべき力がなくても、世間一般では落ちこぼれでもっ!

 

 大切な誰か一人の“特別になる”には、そんな資格なんて必要ない!!

 

 私は諦めませんよ! 低能力者の落ちこぼれでも、ライバルが超能力者でも!

 

 そんなものは、この気持ちを諦めて、誰かに遠慮する理由になんか! 他の誰かに譲って、自分は身を引く理由になんかには、絶対になりません!

 

 

 だって……私だって……上条さんが……大好きなんですからぁぁぁあああああーーー!!!!」

 

 

 初春の渾身の絶叫が、日中の大通りに響き渡る。

 

 周囲の人達は360度初春に注目し、ちょっとした人だかりが出来ている。それでも、初春は動揺しない。

 

 顔が真っ赤だけれど、大声のあまり息が上がっているけれど、それでも決して、初春飾利は顔を下げない。

 

 自分の恋を、想いを、胸を張って誇るように。

 

 

「…………」

 

 そして、それは電話という機器越しでも、電波という波越しでも、離れた場所にいる佐天に伝わった。

 

 佐天の顔は、零れる涙でボロボロだけれど、確かに柔らかい笑みが浮かんだ。

 

「……そっか。じゃあ、あたしたちライバルだね」

「ええ。負けませんよ」

「お~、怖。……こりゃあ、うかうか寝てられないな」

「まったくです。グズグズしてると、奪っちゃいますよ。……佐天さん。佐天さんは欠陥品なんかじゃありません。能力なんか使えなくたって、力なんかなくったって、佐天さんは佐天さんです。私が上条さんを獲られるんじゃないかってヒヤヒヤさせられるくらい、魅力的な――私の親友です。……だから――」

 

 その時、ずっと力強さに満ちていた初春の声が、弱弱しく嗚咽交じりになった。

 

「――だから……そんな悲しいこと……言わないで」

 

 その悲しみのこもった言葉で、佐天はあの日の会話を思い出していた。

 

『白井さんや上条さんと一緒に仕事したり、佐天さんや御坂さんとショッピングしたり、毎日楽しいですよ。だって、学園都市(ここ)に来なかったら、みなさんと出会えてなかったんですから――それだけでも、学園都市に来た意味はあると思うんです』

 

(……そうだね、初春。……あたしも、学園都市に来て……初春に会えてよかった)

 

 

「……ありがとう、初春。…………あと、よろしく」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 初春は佐天の家まで辿りついた。

 アスリートでもなんでもない、運動音痴の鈍足の二本足で。

 

 初春は佐天の家の扉を―――その扉は、すでに開いていた。

 

「佐天さん!」

 

 初春は部屋の中に駆け込む。

 

 そこにはぐったりとベッドに横たえられている佐天と――ベッドの傍らに立ち、佐天を見下ろす上条がいた。

 

「え? 上条さん? ……さ、佐天さんは!?」

「……息はある。呼吸も安定してる。命に別状はないはずだ。――――だが、意識不明の、昏睡状態だ」

「…………そ、そんな」

 

 初春が佐天に駆け寄る。

 上条の言う通り、安定した呼吸は続いているが、一向に目を覚ます気配はない。

 おそらく他の幻想御手(レベルアッパー)使用者と同様に、根本の問題を解決しない限りこのままだろう。

 

 上条は机の上の音楽プレーヤーに目を留める。

 

「っ!」

 

 唇を噛み締め、拳を固める。

 

「……初春、救急車は呼んだ。佐天の傍にいてやってくれ」

「か、上条さんは――」

「これで音楽プレーヤーが幻想御手(レベルアッパー)であることは間違いない。木山先生のところに行ってくる」

「……いえ、木山先生の所には私が行きます。もうアポはとってありますから」

「……分かった。なら俺は別ルートから犯人にアプローチする。なにか分かったらすぐに連絡をくれ」

「はいっ!」

 

 上条は部屋を後にしようとする。

 

 その間際、眠り続ける佐天に目を向け、懺悔するように呟いた。

 

「……すまない、佐天――俺が、絶対に、なんとかする」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 これより少し前、上条は路地裏で暴走するスキルアウトから一人の少女を守っていた。

 

「ッ! らぁ!!」

 

 上条が最後の一人を倒す。

 そして、助けた少女に目を向けると、その少女は顔を大きく腫らしていた。

 

 上条が駆け付けた時には、彼女はすでに殴られた後だったのだ。

 

「……すまない。俺がもっと早く駆けつけていれば」

「い、いえ、いいんです。ショートカットしようと路地裏なんか通ったアタシが馬鹿だったんです。むしろ、助けていただいて感謝してるんですよ。このままだと確実に貞操の危機でしたよ。ほら、アタシ可愛いから。ニシシ。あ、いたたたた」

 

 その子は良く喋る明るい子だった。

 性格はそこまででもないが、雰囲気は何処か佐天に似ている子だった。

 

 なんとなく上条は放っておけず――。

 

「その怪我、跡に残ったらやだろ。可愛い顔がもったいないねぇしな。俺の知り合いに名医がいるから、その病院まで案内するよ」

「か、かわ……そうすね。案内していただきましょうか。アタシの可愛い顔の為に」

「ふっ。ああ」

 

 そして上条はいきつけの病院に辿り着き、例のカエル医師にその子を預けると、そのまま再びパトロールに戻ろうとする。

 

 すると、目の前の病室にまた一人、新しい患者が運び込まれた。いや、二人か。

 上条は顔を険しくする。病院にいると、こうしている今も次々と犠牲者が増えていることを否応なしに見せつけられる。

 

 そんな上条の前で、一人の少女が泣きながら震えていた。

 

「おい。君、大丈夫か?」

 

 声をかけられた少女はびくっと体を震わせたが、上条の腕にある風紀委員(ジャッジメント)の腕章を見ると、少し落ち着いて答えた。

 

「は、はい……」

「誰かの見舞いか?」

「と、友達の……私の目の前で倒れちゃって……そして……救急車の中で……もう一人……一緒にいた友達も……急に……」

「……そうか」

 

 上条は痛ましく少女を見つめる。目の前で友達が二人も倒れたのだ。相当ショックだったに違いない。

 

「ん? 君の目の前で? それに一緒にいた友達も?」

「……はい。……あ、あの、これって何かの伝染病だったりするんですか? だとしたら、私も……」

「いや、おそらくそういったものじゃない。……一つ聞くが、君たちは幻想御手(レベルアッパー)を使ったりしなかったか?」

「え、ええ。友達の一人が偶然それを持っていたので、それをみんなで……え? まさか?」

「……ああ。おそらくな」

 

 すると、少女は口を抑え、顔面蒼白となる。

 伝染病ではないが、そういった意味なら自分もウイルスを取り込んでいたのだ。

 

「君はまだ昏睡状態になっていないが……君は使わなかったのか?」

「い、いえ……その、音楽を聞いている途中にアケミが倒れたので……途中まで……あ、あの! 私も眠っちゃうんですか!? アケミは!? むーちゃんはどうなっちゃうんですか!? 涙子ちゃんは!?」

「いや、正直分からない。幻想御手(レベルアッパー)の副作用のようなものらしいから、途中まで聞いたっていう君がどう含まれるのか……ん? ちょっと待って涙子ちゃんって言ったか? 使ったのは君たち三人だけじゃなかったのか?」

「え……ええ。元々……幻想御手(レベルアッパー)を持っていたのは涙子ちゃんなんです……それを知ったアケミが使ってみようって……こんなことになるなんて知らなかったから……」

「……それで、その涙子ちゃんはどこに……」

「アケミが倒れた時に……顔を真っ青にして、どこかへ……どうしよう……今頃どこかで倒れてたら……」

「……その涙子ちゃんって、苗字は?」

 

 上条は心拍数が上昇するのを感じながら、その言葉を聞き洩らさんとする。

 

(……まさか――)

 

「佐天……佐天涙子ちゃんです」

 

 上条の嫌な予感が的中した。

 考えることは山ほどあった。

 なぜ、彼女が幻想御手(レベルアッパー)を持っていたのか。なぜ、それを黙っていたのか。

 

 しかし、今はそんな些事はどうでもいい。

 一刻も早く、彼女の元へ向かわなければならない。

 

「ありがとう、話してくれて。俺は佐天を助けにいく。君の友達は、必ず助けてみせる」

 

 上条は立ち上がる。少女――マコチンは心細そうに手を伸ばしかける。

 

「あ……」

「大丈夫」

 

 上条はマコチンの頭に手を乗せる。

 

「もし眠ってしまっても、死ぬわけじゃない。この事件の黒幕の幻想をぶっ殺して、全員目覚めさせる。君も、君の友達もな――風紀委員(ジャッジメント)のお兄さんに任せとけ」

 

 上条はニコッと笑う。マコチンは伸ばしかけた手をゆっくりと下す。

 この人の人柄か。それとも潜り抜けた修羅場によって培われた貫禄か。

 その笑顔は、信じてみよう、と思わせるに足るものを感じさせた。

 

 上条が走り出そうとしたとき、マコチンは思わずといった風に声を掛けた。

 

「あ、あの、涙子ちゃんのお知り合いなんですか?」

「ああ」

 

 

「友達――大事な……“大切な”友達だ」

 

 




特別に憧れた少女は。唯一無二に恋した少女は。

ただ、好きな人の特別になりたくて、唯一無二になりたくて。

これはそんな普通な女の子が、そんな普通の夢を見た物語。


それを悲劇にするわけにはいかない。
ヒーローは、幻想をぶち殺すべく、右の拳を握り最終決戦に向かう。


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幻想御手〈レベルアッパー〉

――――例え、この街全てを敵に回しても、立ち止まるわけにはいかないんだ!


 

 佐天の自宅を出た上条は、ある相手に電話を掛ける。

 

『――もしもし、佐天さんはどうだったのぉ?』

「……教えてもらった自宅に着いたら、もう眠ってしまった後だった」

『……そう』

「すぐに捜査に戻る。食蜂、何か突破口はないか?」

『……その件なんだけど、少し気になることがあるの』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「そっか……佐天さんも幻想御手(レベルアッパー)を……」

 

 御坂と白井は佐天が運ばれた病院に来ていた。

 今、二人は中庭代わりのテラスにいる。目の前からは、喧騒に満ちた学園都市の街並みが見渡せた。

 

 御坂は金網フェンスに背中を預け、腕を組んで顔を俯かせる。

 

「……初春さんは?」

「……親友の悩みに気づけなかった自分のせいだと。鬼気迫る様子で木山先生の所へ向かいましたわ」

「……アイツは? このこと知ってるの?」

「第一発見者は上条さんだったそうですの。ここの病院を訪れた際、佐天さんの級友が昏睡状態になったのを知ったそうで。…………上条さんが発見した際にはもう」

 

 御坂は体の向きを変え、フェンスから街並みを見下ろす。

 

「――私さ…………佐天さんからお守りの話を聞かせてもらったんだ」

「お守りというと、佐天さんがいつも持ち歩いている?」

「そう。お母さんからもらったんだって……今、思えば……あの時ちょっと彼女の様子はおかしかったのに……きっと色々話したかった筈なのに……友達の顔色一つ気づけないで……何が超能力者(レベル5)よ」

「お姉さま……」

「せっかくアイツに気づかせてもらったのに……友達の大切さ…………能力なんてどうでもいいこと……なんて……自分もついこないだまで縋ってたくせに……無責任だよね」

「………」

「…………私は、アイツみたいに佐天さんを救えないのかな?」

 

 御坂が金網を握りしめる。

 白井はそんな御坂を痛ましげに見つめ、意を決して言う。

 

「……ここで諦めてしまうようならば、お姉さまは上条さんのようには決してなれません」

「ッ!」

「ですが――」

 

 白井の言葉に思わず唇を噛み締めかける御坂だが、白井は御坂に続けてこう告げる。

 

「ここで立ち止まらず、前を向けるなら。きっと、お姉さまは上条さんのように、多くの方を救えます」

「黒子……」

「少なくとも、わたくしはそうしてきました。初めてあの人に出会ったその日から、そうしてその背中を追い続けてきました。上条さんの、そして、お姉さまのお背中を」

 

 御坂は後ろを振り向く。そこには、瞳に強い力を宿し、自分をまっすぐ見上げる白井がいた。

 

「今も、ずっと追い続けています。上条さんと同じくらい、わたくしはお姉さまを尊敬しています。そんなお姉さまに、救えないものなどありえません」

 

 その真摯な眼差しを受け、御坂はゆっくりと、その表情を力強く和らげる。

 

「……そうね。弱気になるなんて、私らしくなかったわ」

 

 御坂は天を仰ぐ。その真っ青な大空を。

 

「……黒子。私は、佐天さんを救いたい。そして、謝りたい。――力を貸して」

「勿論ですわ。どこまでもついていきます」

 

 そして、御坂の後に白井が続く形でテラスを後にし、病院内へと歩き出す。

 

 今ここに、常盤台の黄金タッグが動き出した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「リアルゲコ太……だと……」

 

 動き出した黄金タッグがいきなり遭遇したのは、カエル顔の名医だった。

 

「ちょっといいかい?」

 

 連れて行かれた彼の仕事部屋。

 そこの複数のPCモニタに表示されたのは複数の脳波パターングラフ。

 

「これがどうかしたんですの?」

「これは幻想御手(レベルアッパー)使用者の脳波パターンだ。脳波は指紋なんかと同様に各人異なり、同じなんてありえない。でも、幻想御手(レベルアッパー)使用者には、共通パターンが見てとれるんだ」

 

 そう言いながら、カエル医師は其々の脳波の画像を重ね合わせる。

 確かに、かなりの部分が重なり合っていた。

 

「確かに……」

「でも、それが何か事件と関係ありますの?」

「……これではまるで、“他人の脳波パターンで無理矢理動かされている”ようなものだ。そうなると、人体に多大なる影響が出るだろうね」

「っ! それが、幻想御手(レベルアッパー)使用者の昏睡状態の原因……」

「……僕は医者だ。患者に必要なものは何だって手に入れてみせる」

 

 すると、カエル医師は何やら検索をかけ始め、ある人物の名をリストアップする。

 

「これが、被害者の脳波に共通する脳波パターンを持つ人物だ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「そうか、この間の彼女まで……」

 

 初春は木山の勤めるAIM解析研究所に到着していた。

 木山の部屋のソファーに座り、彼女から応対を受けている。

 

「私のせいなんです……」

「……あまり自分を責めるものじゃない」

 

 初春は顔を涙でボロボロに真っ赤にしながらも、目だけはギラギラと血走っていた。

 明らかに冷静な状態ではない。

 

「落ち着きたまえ。コーヒーでも淹れよう」

「そんな悠長な!」

 

 木山は初春の肩を優しく抑える。

 

「その友達が目覚めたとき、君まで倒れていたら元も子もないだろう。…………大丈夫。きっと最後はうまくいくさ」

 

 木山は微笑みながら別室へと移動する。

 初春は袖で涙をごしごしと拭き、佐天が最後まで手放していなかったお守りをギュッと握った。

 

「…………佐天さん」

 

 部屋に一人取り残された初春は何気なく周囲を見渡す。

 

 その時、部屋の書棚の引き出しから一枚のプリントがはみ出していることに気づいた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「そ、そんな……」

 

 白井と御坂が表示された人物の名前に絶句する。

 

「まずい、初春さんが危ない!!」

 

 

 

 

 

「気になること?」

『ええ。私たちは超能力者(レベル5)――つまり学園都市でも有数の頭脳力を所持しているけれど、それでも専門分野では学園都市の研究者には遅れをとるわぁ。共感覚性なんて、御坂さんでも扉越しの会話から思いついたのに、専門職である“彼女”が気づかないはずがないのよ。大脳生理学の専門力を持ってるんだからぁ~』

「っ! ってことは、お前つまり――」

 

 

 

 

 

「これも……これも……共感覚性についての論文……どういうこと? だって木山先生、あの時――」

「いけないな――」

 

「――他人の研究成果を勝手に盗み見ては」

 

 

 

 

 

『「「「犯人は、木山春生!!!」」」』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「まず、幻想御手(レベルアッパー)というのは複数の脳波を同一化することで脳のネットワークを構築し、高度な演算を可能にする為のもの。――つまり、能力の向上はただの副産物……。同じ脳波のネットワークに取り込まれることで、一時的に能力の幅と演算能力が上がっているだけに過ぎない。ただの一過性のものだ」

 

 一過性。ただの副産物。

 木山はそう言い切った。

 

 それを車の助手席で聞いていた初春は、怒りに打ち震える。

 

「ふ、ふざけないでください! じゃあ、なんですか!? あなたはたくさんの人達をぬか喜びさせる為に、こんな大それたことをしたんですか! 確かに、歪んだ欲望と邪な目的で幻想御手(レベルアッパー)を利用した人もいました…………けど! だけど!! 一縷の望みをかけて!! 最後の希望として、幻想御手(レベルアッパー)に夢を見た人達もいたんです!! あなたは!! そんな人達を絶望させるために、こんなことをしたっていうんですか!!」

 

 初春は激昂する。親友の思いを弄び、親友の希望を裏切った彼女に、己の怒りをぶつける。

 しかし、木山は全く動じずに、初春の方を向く事すらせずに前を向いて運転し続けている。安全運転を心がけている。

 

「落ち着きたまえ。言ったろう、レベルの向上は只の副産物だと。私の目的はもっと別にある」

「え?」

 

 木山は淡々と言った。それこそが全てで、他の全ては全て些事だと、言外に告げるように。

 

「他人の能力には興味はない。私の目的はもっと大きなものだ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「木山春生の所に行った初春と連絡がとれませんの! ……それから、単独行動している上条さんも電話に出なくて……」

「もうっ! 肝心な時に何やってんのよ、あの馬鹿は!!」

 

 御坂と白井は大急ぎで風紀委員(ジャッジメント)177支部へと戻っていた。そこには固法しかおらず、食蜂も縦ロールもいなかった。

 そのことから白井は――。

 

「――上条さんは一先ず大丈夫でしょう。問題は初春です。十中八九、木山春生と接触している筈」

「今、警備員(アンチスキル)がAIM解析研究所に到着したそうよ。……初春さんも木山春生も消息不明らしいわ」

 

 事務所に着くなり、二人から詳細を報告された固法は、直ぐに警備員(アンチスキル)に応援を要請した。

 しかし、既に一歩遅く木山は逃亡した後だった。

 おそらく、初春飾利を人質にとって。

 

「……しょうがない。私が出るわ」

「ッ! お姉さま、お待ちください! 一般人のお姉さまを危険な目に遭わせるわけには――」

「今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう!! 一刻を争うのよ!!」

「……でしたら、ここは風紀委員(ジャッジメント)のわたくし(ポン)がぁっ!! っっっ~~~~~」

「ほら。軽く叩かれたくらいでこんなになるアンタが行けるわけないでしょう」

「しかし――「あ~もう!」」

 

 御坂はなおも食い下がる白井の額を軽く人差し指で小突く。

 

「アンタは私の後輩なんだから、少しは“お姉さま”に頼んなさい」

 

 その時の御坂の笑顔はとても綺麗で、頼りがいがあって、魅力的で。

 上条のような“ヒーロー”の笑顔だと、白井は感じた。

 

 白井は思った。

 やっぱりこの人は凄い。超能力者(レベル5)だから、この人を好きになったんじゃない。

 

 この人が、御坂美琴だから、自分は目指すべき背中(もくひょう)にこの人を選んだのだ。

 

 やっぱり御坂美琴は、永遠の憧憬(おねえさま)だ。

 

「お姉さまぁ~♡」

「ちょっと黒子! 抱き着く「あぁぁぁ~~~………」……痛いなら無理するんじゃないわよ」

 

 御坂は抱き着くというより、自身にぶら下がっている白井を椅子の上に優しく下す。

 すると固法が。

 

「……そうね。本当は民間人にこんなことを頼みたくないんだけど、私はここを離れられないし、白井さんはこんなだし……初春さんは人質だし…………上条君はどこにいるか分からないし……」

「ええと……あの……」

 

 途中から俯くように暗く呟く固法に御坂がどうフォロー(なんで私が……)しようか窺っていると、ばっと顔を上げいい笑顔で。

 

「申し訳ないけれど、お願いするわ。 …………もし上条君と合流したら、私が後で“覚えといて”って言ってたって伝えて頂戴♪」

「は、はい……必ず……一言一句……違わずに……」

 

 どうして固法(このひと)が曲者揃いの177支部のリーダーを務めているのか、なんとなく分かった気がした。

 

 御坂は扉の前で軽く咳払いし、気を引き締め直す。

 そして、中の二人に向かって出発を告げる。

 

「いってきます」

 

 今、一人のヒロインが、ヒーローとして――最後の戦場に向かう。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――シミュレーション?」

「とても大事なシミュレーションを行う為に、何度も樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の使用許可を申請しているのだが、全て却下されてね。代わりの演算装置が必要になった」

「……それで、能力者でネットワークを作ろうと?」

「ああ。一万人ほど集まったから、なんとかなるだろう」

「っ!!」

 

 一万人。それが、幻想御手(レベルアッパー)の被害総数であり、引いては今現在昏睡状態にある被害者の数でもある。

 そして、そこには初春の大事な親友が含まれ、装置の一部にされている。

 

「そう睨むな。今言ったように、私はあるシミュレーションをしたいだけ。それが終われば全員解放する」

「信用できません。こんな大事件を引き起こした犯罪者を、そう簡単に信じられると思いますか?」

「思わないな。なら、これを君に預けておこう」

 

 そういって木山は白衣のポケットから一枚のメモリーカードを渡す。

 

「これは?」

幻想御手(レベルアッパー)をアンインストールする治療用プログラムだ」

「っ!」

「もちろん後遺症は残らない。全て元通りになる。誰も犠牲にはならない」

「……何の臨床試験も行われていないものを安全だと言われても、何の説得力も感じません」

「はは、手厳しいな。しかし、情報処理能力に長ける君になら分かるだろう。ウイルスというのは、拡散性と同じくらい――あるいはそれ以上に除去性も良くなければ意味がない。そうだろう?」

「……コンピュータ・ウイルスと幻想御手(レベルアッパー)を一緒にしないでください」

 

 その時、カーナビのディスプレイに何か文字列が表示された。

 

「……思ったより早かったな。君との交信が途切れてから動き出したにしては早すぎる。……どうやら別ルートで辿りついたようだな。間一髪といったところか。……所定の手続きを踏まずに機材を起動させると、データが全て消去されるようにプログラムしてある。部屋に残していた書類は共感覚性についてのものだけだし――これで幻想御手(レベルアッパー)使用者を起こせる可能性は、君のもつそれだけということだ」

「ッ!!」

 

 淡々と呟かれた言葉に初春が驚愕を露わにしていると、木山はここで初めて、初春の方に目を向けた。

 その表情は、どこか影がありつつも、優しい慈愛が込められた笑みのようにも見えた。

 

「大切にしたまえ」

 

 そのまま高速道路をぐんぐん進んでいると、前方の道を機動隊のような装備の連中が一列に立ち塞がって封鎖していた。

 

「……警備員(アンチスキル)か。上からの命令があったときだけは動きが早い連中だな」

『木山春生だな。幻想御手(レベルアッパー)散布の被疑者として拘束する。おとなしくお縄につくじゃん!』

「……どうするんです? どうやら年貢の納め時のようですよ」

 

 完全武装の警備員(アンチスキル)集団。一介の研究者でしかない木山にこの包囲網を突破できるとは思えない。

 

 だが。

 

「……先程も言った通り、幻想御手(レベルアッパー)は人間の脳を利用した演算機器として作った」

 

 木山は。

 

「しかし同時に、使用者に面白い副産物を齎す物でもあるのだよ」

 

 笑っていた。

 

「面白いものをみせてやろう」

 

 獣のような、真っ赤な目で。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「なに……これ……」

 

 現場についた御坂が目にした光景は、ボロボロになった警備員(アンチスキル)、横転した車両群――そして砂塵の中に佇む無傷の、木山春生だった。

 

警備員(アンチスキル)が全滅……?」

 

 御坂は目の前の光景が信じられなかった。

 警備員(アンチスキル)は元々“対能力者用”装備を身に付け、日夜訓練に勤しんでいるプロの対戦闘集団。本職は教師だが、そこいらの能力者――ましてや、何の能力も持たないただの研究者に負けるはずがない。

 

 しかも、見たところ彼女は丸腰だ。

 

 一体、どうやってこの惨状を――と、周りを見渡した所に、一台のスポーツカーを発見した。

 

 そこには――。

 

「っ! 初春さん!!」

 

 御坂はその車に駆け寄る。彼女は気絶しているようだった。

 

「初春さん! しっかりして!!」

「安心したまえ。彼女は無傷――戦闘の余波で気を失っているだけだ」

 

 木山がこちらに向き直る。

 超能力者(みさかみこと)が自らを倒す為にこうして目の前に現れたというのに、その表情は余裕で満ちていた。

 

「……私のネットワークには超能力者(レベル5)は含まれていないが、さすがの君も私のような相手と戦ったことはあるまい」

 

 御坂は自然と戦闘準備に入る。

 そこに割り込むように、白井からの通信が入った。

 

『気をつけてください、お姉さま! 木山春生は能力者――それも“複数の能力”を使う『多重能力者(デュアルスキル)』ですわ!!』

 

 御坂はその白井の言葉が信じられず、愕然とする。

 学園都市の常識の一つとして、学園都市の超能力は能力開発を受けた“子供”にしか使えないというものがある。

 そして、更に、もう一つ――。

 

「はぁ!? 何を言ってるのよ、黒子! 個人が複数の能力を使用するなんて“理論上不可能”なはずでしょう!?」

 

 能力は一人に一つ。

 その個人の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)によってその性質が決まる学園都市の超能力は、必然的にそれぞれ固有のものとなる。

 

 これには例外はない。というより皆無だ。

 もし実現するとすれば、学園都市にたった一人のオンリーワン、七人しかいない超能力者(レベル5)よりも希少、それこそ学園都市最高峰の存在だが――本人は、木山春生はあっさりと否定する。

 

「違うな。私のこれは実現不可能とされるそれとは方式が違う」

 

 木山の手が御坂に向けられ――そこから、竜巻が発生する。

 

「言うならば、『多才能力者(マルチスキル)』だ」

 

 そして、そのまま御坂に向かって発射される。

 それは紛うことなき、学園都市の“能力”だった。

 

「っ!」

 

 御坂は、電気の力で筋力を高め、そのまま大ジャンプする。

 

 そして空中の御坂に、“多数の火炎弾”が襲いかかった。

 

「ッッ!!」

 

 御坂は電撃を放ちそれらを相殺する。そして、そのまま着地。

 しかし、御坂は攻撃を凌いだことより、その攻撃内容で頭がいっぱいだった。

 

(本当に複数の能力を使っている……)

 

 御坂は、それを幻想御手(レベルアッパー)で作った巨大なネットワーク――それを操り、“一つの巨大な脳”とすることで、理論上不可能とされた多重能力者(デュアルスキル)、いや多才能力者(マルチスキル)を実現させたという考えに至った。

 

 そして、すぐさまそれを脳の片隅においやる。

 今、考えるべきは、多才能力者(マルチスキル)の仕組みじゃない。

 

 目の前にいる木山春生を、たくさんの被害者を出した事件――幻想御手(レベルアッパー)事件の首謀者(げんきょう)を、

 

「倒す!!!」

 

 御坂は駆け出す。

 木山は衝撃波で路面を切断するが、御坂はそれを最小限の動きで躱す。

 

 超能力の街――学園都市。

 しかし、この街に住んでいるからといって、日常的にバトルに巻き込まれるというわけではない。

 そんなのは風紀委員(ジャッジメント)やスキルアウトなどの一部の人間のみ。

 大半の学生は、不思議な能力が使えるだけで、喧嘩すらしたことないような平和な日本を謳歌する者達だ。

 

 だからこそ、ここまで戦闘に慣れている御坂のような人間は、この街では――この街ですら特殊なのだろう。

 

 しかし、それでもそれはあくまで喧嘩やちょっとした小競り合い。

 

 相手を殺し、相手に殺される。その覚悟の上で行われる命のやり取り。

 そんなものを経験したことなど、いくら超能力者(レベル5)といえど、“光の世界の住人”である彼女には勿論なかった。

 

 そこが彼女の美点であり――こういった場面では弱点ともなりうる。

 

 断言してしまえば、彼女が木山を瞬殺することなど、御坂美琴の能力(ちから)をもってすれば容易かった。

 

 いくら一万の脳を統べろうと、複数の能力を使えようと、“圧倒的な破壊力”の前ではそんなものは小細工に過ぎない。

 一人で軍隊を滅ぼせるとされる超能力者(レベル5)、その第三位である彼女なら出来た筈だった。

 

 しかし、彼女にはそんな発想すら浮かばない。

 あくまでも、能力を駆使し、彼女を“勝負”の上で倒そうとした。

 

 結果、彼女は最大出力の超電磁砲(レールガン)で一蹴などということはせず、律儀に攻撃を躱した上で、気絶程度で済むレベルの電撃をぶつける。

 

「っ!」

 

 だが案の定、御坂の攻撃は防がれ――同時に御坂の足元が、超重力により崩れ落ちた。

 

 陸橋のような高速道路から落下する、木山と御坂。

 御坂は磁力を使って柱に吸い付き、木山は重力を調整しゆっくりと着地する。

 

(自身を巻き込むことを恐れず、そして状況に合わせて能力を使い分け、さらに複数能力を同時に使うこともできるのね)

 

 木山は周りに水球を浮かべ、それを凍らせ、御坂に発射する。

 

 御坂はそれらを避けながら、小手調べの電撃を木山に放つ。

 しかし、その電流は木山の体の周囲を滑るように霧散する。

 

(……複数の能力を組み合わせて、疑似的な避雷針を構築している……?)

 

 その時木山は、御坂を哀れむように見据えながら呟いた。

 

「……もうやめにしないか。超能力者(レベル5)といえど、今の私には勝て――」

 

 ヴォン!!! と、木山のセリフを遮るように、砕けたコンクリートの柱の弾丸が、木山の頬横を擦過した。

 

 木山の頬から一筋の血が流れる。

 目を見開く木山の視線の先には――学園都市の第三位が、前髪から紫電を瞬かせながら、その右手を銃口のように向けていた。

 

「私が……なんですって?」

「…………」

 

 木山は手からレーザーの剣を作り出す。

 御坂が再び物理的弾丸を飛ばすが、木山はそれを両断する。

 

 御坂は地面に着地すると、真正面から木山春生に相対した。

 

「悪いけど、私はアンタを止めるまで、この戦いをやめるつもりはないわ」

「……私は、ある研究がしたいだけだ。それが終わったら全員解放す――」

「ふざけないで! これだけ無関係な人達を巻き込んでおいて、研究がしたいだけ!? アンタにとってその研究ってのは、私の友達を苦しませてまですることなの!!?」

 

「当たり前だ。君に何が分かるッ!?」

 

 その時、初めて木山が激情を剥き出しにした。

 息を呑む御坂に、木山は諭すように言葉を投げかける。

 

「……君は、この学園都市が行っている能力開発――それが100%安全で、人道的に正しいものだと、本気で思っているのか?」

「…………どういうことよ」

 

 木山の感情の爆発に呆気にとられた御坂は、話が大幅にずれていると思いながらも先を促してしまった。

 

『ある日、当時十歳のその少年に、学園都市の最新兵器集団が差し向けられた』

 

『……さんざん、自分達で好き勝手に弄り回してきて! データ上の数値を見て恐れを抱いたんだ! あいつの人間性に目を向けようともしないで! どこまで、あいつを実験動物扱いすれば気が済むんだ!!』

 

「学園都市は能力に関して何かを隠してる。ほとんどの人間はそれを把握していない。普段、子供達の脳を掻き回している教師達ですら……それが、どれだけ危険なことだか分かるだろう」

「…………」

 

 少し前までの御坂なら、鼻で笑って聞き流しただろう。

 あるいは、少し引っかかっても“後で”調べると、戦闘を続行しただろう。

 

 しかし、上条から“第一位の末路”を聞かされていた彼女は、学園都市にそこまでの信頼を寄せることが出来なかった。

 

 動きがなくなった御坂に、木山が畳み掛けようとする。

 

「それに、君が関わっている“闇”も少なく――」

「そこまでわかってて、どうして――」

 

 その続きを言わせてたまるかとばかりに、少年の声がその場に割り込んできた。

 

「――どうして『木原』なんかに、加担したんだ? 木山先生?」

 

 その少年は、御坂を背に、木山に向き合う。

 

「アンタ……」

 

 御坂の目が大きく開く。

 木山はこうなることが分かっていたかの如く、冷静にその少年の登場を受け入れた。

 

「アンタに何があったかは、あらかた調べた……だが、俺はアンタじゃないから、木山先生がどんな思いで、こんな方法しか取れなかったかは分からない」

 

 少年は、言い放つ。間違った道へ突き進もうとしている、目の前の研究者に向かって。

 

「それでも! 少なくとも“その子たち”は、アンタがこんな方法を選ぶことを望まないはずだ! こんな方法で救ったところで、アンタは“そいつら”に胸張って会えるのかよ! 目を見て謝れるのかよ!!」

 

 少年は――上条当麻は宣言する。右拳を力強く、固く、固く握り締め、悲愴な決意を胸に秘めた木山春生に向かって、威風堂々と言い放つ。

 

「……それでも、アンタがこのやり方を変えねぇってんなら、俺がそのふざけた幻想をぶち殺す!!!」

 

 上条の鋭い視線が、木山の赤く充血した目を捉える。木山も、上条の眼差しを臆することなく受け止めた。

 

「ちょっと。遅刻して現れてかっこつけてんじゃないわよ。おいしいとこ持ってこうったってそうはいかないわ――私はまだ、負けてない」

 

 そして、御坂美琴が上条当麻の隣に立つ。

 

 その目はやはり、木山春生をまっすぐ射抜いていた。

 

 二人のヒーローに相対した木山は、薄く笑い、呟く。

 

「やはり、最後に私の前に立ちふさがるのは君達だったか。“光の世界の超能力者”に“幻想殺し”。私の目的を達成するには、避けては通れぬ……か。だが、私は負けない。――――例え、この街全てを敵に回しても、立ち止まるわけにはいかないんだ!」

 

 ここに、幻想御手(レベルアッパー)を巡る一連事件の、最後の勝負が――ついに、幕を開く。

 




光の世界の超能力者と幻想殺し――二人のヒーローが、元凶を倒すべく肩を並べる。


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せんせい〈きやまはるみ〉

センセーのこと、信じてるもん。怖くないよ♪。


 

「……アンタ、木山について何か知ってるの?」

「……終わったら話す。今は、木山先生を止めるのが先決だ」

 

 木山は近くに落ちていた空き缶のごみ箱を空中にぶち撒ける。

 色とりどりの空き缶が、まるで粉雪のように宙に舞った。

 

 上条と御坂の脳裏に浮かぶのは、先日のグラビトン事件――

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『――えぇ、私は十中八九、木山春生が犯人だと睨んでるわぁ』

 

 上条に食蜂はそうはっきり告げた。

 食蜂操祈は木山春生と直接の面識がない。だからこそ、下手な先入観にとらわれず、与えられた情報から冷静な――冷徹な判断が出来る。

 

 しかし、上条はまだ納得できなかった。

 

 上条も木山と知り合ったのは、つい先日。

 相手の人間性を知ったかぶるにしても、あまりにも心許ない期間。

 だが、それでも――。

 

『――納得できない? それとも、“認めたくない”――そっちの方が、正しいのかしらぁ~?』

「……ああ、そうだな。そうかもしれない。食蜂の推理は説得力があるし、間違ってないと思う。……だけど、俺はあの人が何の理由もなしに、こんなことをする人には思えなくて……」

『……そういうと思って、親船さんの方のルートから縦ロールちゃんに調査力を頼んだわ……彼女――木山春生は』

 

 

『あの“木原幻生”の研究グループに属していた過去があるわ』

 

 

 食蜂は、感情の篭らない冷徹な声で淡々と言った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

――空中の空き缶を見て、上条がフリーズしたのは一瞬にも満たない時間だった。

 

「御坂ぁ!!」

「っ!」

 

 上条の声で我に返った御坂は、即座に電撃を放ち、空き缶――重力子爆弾を、彼我の距離が開いている内に、全て空中で爆発させる。

 

「……ふっ、どんなもん「下がれ、御坂!」え?」

 

 上条は御坂を押しのけ、“御坂の背後に出現した”重力子爆弾に手をかざす。

 

 甲高い音と共に、爆風から自身と御坂を守る。

 

(……搦め手も通用しない。……“幻想殺し(イマジンブレイカー)”か。まさか超能力者(レベル5)以上に戦い慣れているとは。それに、“超電磁砲(レールガン)”のあのパワー。……攻守ともに隙がない)

 

 御坂と上条は、再び木山に向き直る。

 木山は、その二人の身に纏う、そして自身に向かって放たれる闘気に、一筋の冷や汗を流す。

 

(まったく……厄介なコンビだ)

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『なぜっ! あんなことになったのですか!?』

 

『さぁねぇ。事故っていうのは、予測がつかないものだからね』

 

『嘘ですっ! あの実験内容で、あのような事故が起こるはずがありません!! 内部のものが“意図的に”引き起こしたとしか――』

 

『……はぁ、君はもっと優秀な人間だと思っていたんだがね』

 

『……どういう意味ですか?』

 

 

『学園都市のお荷物である『置き去り(チャイルドエラー)』を科学の発展に貢献させてやったんだ。感謝こそされ、恨まれる筋合いなどないと思うがね』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「私は電磁波で感知するから、死角なんてないの! つまり、助けてもらわなくても防げたから!」

「爆弾防いで、気が緩んでたのは事実だろうが。これはいつもの決闘じゃないんだ。最後の一瞬まで油断するな」

「うっさい、分かってるわ、よっ!」

 

 御坂が地面から何筋もの砂鉄の刃を作り出す。

 それは一直線に木山へと襲いかかるが、木山はコンクリートを持ち上げそれを盾とする。

 

「ッ!」

 

 その時、上条は左方から木山に突撃する。

 自身の視界正面は、コンクリートの盾で覆われていて、一瞬反応が遅れる。

 木山は、その手のレーザーブレードを振り上げるが――。

 

「ぐあっ!」

 

 振り上げた手をはじくように、金属のボルトが、コンクリートの盾の隙間を縫うように飛んできた。

 そちらに思わず目を向けると――御坂美琴が笑っていた。

 

 そして、余所見をした木山に容赦なく、上条の右拳によるアッパーカットが炸裂した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『私が……教師に? 何かの冗談ですか?』

 

 子供は、嫌いだ。

 

『……厄介なことになった。だが、実験を成功させるまでの辛抱だ』

 

 子供は……嫌いだ。

 

『よろしくおねがいしまーす!』

『やーい、ひっかかった、ひっかかったー』

『せんせー、モテないだろ。おれが付き合ってやろうかー』

 

 子供は…………嫌いだ。

 

『私でも、頑張れば大能力者とか超能力者になれるのかなぁ』

 

『私たちは学園都市に育ててもらってるから、この街の役に立てるようになりたいなー』

 

『センセーのこと、信じてるもん。怖くないよ♪』

 

 

 子供は……………………………きら――。

 

 

 

 

 

『実験はつつがなく終了した。君たちは何も見なかった。いいね♪』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

(……そうだ。私は、こんなところで、終わる、わけ、に、は――)

 

 ドサッ。

 

 上条の一撃で、木山は倒れた。

 

 

 

「――――はっ!?」

 

 腕を振り上げた状態でフリーズしていた上条を、御坂がものすごく冷たい目で見ていた。

 

「女性に本気のアッパーカットとか…………さいてー」

「い、いや、違うんだ! 左側から行ったから、右手で頬が狙えなくて、それでっ――」

「だったら、普通に左手で行けばいいじゃん。アンタのその右手のこだわりなんなの?」

「それは……(確かに、別に異能の能力のバリアとかなかったから左手でもよかったんだけど……これはもう体が覚えてるっていうか……しっくりこないというか。……言ったところで理解されないだろうな……)そ、それより、木山先生を運ぼう。ほらっ、御坂も手伝え!」

 

 いまだに御坂の視線は冷たいままだが、上条は全力で気づかないふりをして、木山に近づく。

 

 すると――。

 

「…………うそ」

「…………」

 

 木山はふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がってきた。

 

「うぅ……ぁ……」

「……無理しないでください。下手すれば脳震盪を起こしてるかもしれません」

「そうよ! もうアンタに勝ち目はないわよ!」

 

 だが、木山は御坂のその言葉に対し、文字通りの血走った、血に染まったかのように真っ赤な双眸で睨み付け、呪詛を振りまくかのように喚く。

 

 

「だから……なんだ……言ったはずだ……言ったはずだ! ……私は……負けない……子供達を目覚めさせるまでっ!! 立ち止まるわけにはいかないんだ!!!」

 

 

 御坂は、気が付いたら一歩後ずさっていた。

 

 純粋に、怖いと思った。

 これが彼女が初めて目の当たりにした、人の死にもの狂いの執念。

 

 他の全てを犠牲にしても、世界を敵に回しても、それでも成し遂げたい一つの願い。

 

 上条当麻が、これまで何度も対峙し、己の言葉と拳で捻じ伏せてきた――その人、そのもの。

 

 

 上条は、それを逃げずに真正面から受け止める。

 睨みつけてくる木山のギラギラとした濁った赤色の視線から目を逸らさず、睨み返す。

 

 木山の野望を阻止する。

 それは、ある意味、木山春生の全てを否定することだ。

 

 上条の今まで倒してきた敵は、全て確固たる信念を持っていた。

 例え間違っていると言われようと、悪だ悪魔だと非難されようと。

 

 それが己の正義だと、それこそが己の生きる道だと、それだけが自分の願いなのだと、それを貫く覚悟を持った猛者ばかりだった。

 

 木山春生もそうだろう。

 この方法が正しくないことなど、彼女は最初から気づいていた。

 

 事実、彼女はこうして己の野望を阻止しにきた自分達に恨み言など一言も言わなかった。

 

 ただ、他の何を犠牲にしても、譲れないものがあった。それだけだ。

 

 だから、上条は彼女を恨まない。憎まない。

 それでも、上条にも譲れないものがある。だから、上条当麻は右の拳を握りしめ、再び戦闘を開始する。

 

 木山の覚悟の重さを、それを阻止する責任を、その全てを背負う覚悟を固めて。

 

 木山春生に止めを刺し、この幻想御手(レベルアッパー)事件の幕を閉じるべく、一直線に走り出す。

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 上条の拳は、まだ届いていない。

 突然、木山が頭を振り回しながら苦しみ始めたのだ。

 

「っ! おい、どうした!?」

「何があったっていうのよ!!」

 

 上条と御坂が駆け寄ろうとする。

 

「がぁ……これは、ネットワークの暴走…? ……いや、これは…虚数学ッ…あぁぁぁああぁあああああぁあぁ!!!!!!」

 

 

 木山春生の頭部から、巨大な胎児が出現した。

 

 

「……な……に?」

「……なんなの、これ?」

 

 その胎児は、かっ! と目を開き、この世のものとは思えない哭き声を撒き散らす。

 

 

 

 

 

「うぅ…ん?…あ、あれ? 木山さんは?」

 

 初春が目を覚ますと、目の前には警備員(アンチスキル)の大群がそこら中に倒れていた。

 

「えっ、あの、大丈夫ですかっ!?」

 

 初春が近くの警備員(アンチスキル)に駆け寄ろうとした、その時――。

 

 

キィャァャァッヤァァァァッァアアアアアァアァァヤァアヤァャァャャャッャァ

 

 

 悲鳴のような哭き声が鳴り響き、初春は道が失くなっている道路の断崖絶壁に身を乗り出す。

 

「なに……あれ……?」

 

 そこにいたのは、何本もの触手を振り回す胎児の化け物だった。

 

 

 

 事件は、まだ、終わらない。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 胎児は、癇癪を起こした駄々っ子のように、丸太のような触手を振り回す。

 

 その一撃は容易くコンクリートを打ち壊しており、直撃すれば骨の一本や二本では済まないことは確実だった。

 

「くっ、そぉ!」

「これじゃあ、近づ、けないっ!」

 

 しかし、そこは上条当麻と御坂美琴。

 信じられない速さで縦横無尽に暴れ回る触手を、一発も喰らうことなく避け続ける。

 

「いい加減に、しろッ!!」

 

 御坂が電撃を胎児に放つ。

 その電撃は見事直撃し、その箇所は拍子抜けに破裂した。

 

(っ!? 簡単に? でも、血も出てないし、直ぐに修復してる? ……やっぱり、生物じゃない?)

 

 修復どころか、その箇所から今度は三本目と四本目の腕が生えてきた。

 顔の表面積の半分近くを占める巨大で真っ黒の目が、ギョロリと御坂に向けられる。

 

 それは、本能的に恐怖心を抱かせる瞳だった。

 

ギェッェァァッァアシャァァァアァァァァァァァギャアアァァァ

 

 再び発せられた非生物的な甲高い悲鳴と共に、幾つもの爆発が御坂に襲いかかる。

 御坂はそれを電撃で相殺しつつ、バックステップで距離をとりながら避けた。

 

「くっ! ……なんだかわかんないけど、やるっていうなら相手……に……?」

 

 しかし、距離をとった御坂に、胎児は見向きもしなかった。

 胎児は御坂を追いかけもせず、その場で触手を振り回している。

 

(どういうこと……闇雲に暴れているだけなの?)

 

「御坂! とりあえず比較的安全な所に避難しよう! まずはそれからだ!」

 

 一時撤退を提案した上条は、気絶した木山を肩に乗せていた。

 御坂が胎児を相手にしている隙に回収したらしい。

 

 抜け目ないと御坂は思ったが、御坂はあの胎児との戦闘中、木山の事など頭になかったことに気づく。

 

 咄嗟に強敵を前にしたとき、そいつとの戦闘に頭が行くか、誰かを守ることに腐心するか。

 

 自分はまだ上条には敵わない。

 

 そんなことを御坂は複雑な表情をしながら思った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「グっ……あ……あぁぁあああ!!!」

 

 病室に響く喚き声。それは隣のベッドの患者からも発せられ、連鎖的に周辺の病室から同様に連鎖する。

 

「どうしました!?」

「それが……例の患者さんたちが一斉に苦しみだして!」

「意識が戻ったんですか!?」

「いえ、さっきまで昏睡状態だったのに、全員同時に!」

「…………何が起こっているんだ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「とりあえず、ここなら……」

「そうね……」

 

 上条と御坂は、柱の側に木山を寝かせた。

 

 離れた所では、いまだ胎児が暴れている。

 時折、銃声が聞こえることから、意識を取り戻した警備員(アンチスキル)の何名かが、あの怪物と応戦しているのだろう。

 

「どうする?」

「とりあえず向かおう。たぶん、警備員(アンチスキル)の手に負える相手じゃない。下手に手出しすると余計な被害が――」

「う……ん…」

「っ! 目が覚めたみたいね」

「ああ。……木山先生? 大丈夫ですか? まだ起きない方が……」

 

 木山は上条の制止の声も振り切って――いや、目が虚ろなので、そもそも聞こえていないのか?――ゆっくりと外に出て、そしてあの胎児を目に捉える。

 

「……は……はは……クッハハハハハハハハッハ……アハハハハハハハ」

 

 笑う。嗤う。

 それは、まるでRPGの魔王が勇者を追いつめたときのような高笑いだったが、御坂と上条には、それが絶望に染まった悲しみの泣き声のように聞こえた。

 

「凄い……凄いな……学会で発表すれば表彰ものだぞ……」

 

 病的に細い手で目を覆い、柱に力無く身を預ける。

 言葉とは裏腹に、自力で立っていられないほど心にダメージを負っているようだった。

 

「もはやネットワークは私の手を離れた…………おしまいか……」

 

 木山は懐に手を入れる。

 その手を上条は掴み、ぐっと自分に引き寄せた。

 

 そこには――拳銃が握られていた。

 

「それはダメです」

 

 上条は、その銃が自分達ではなく、木山自身に使われることに気づいていた。

 木山は上条の顔をぼおと見つめていたが、やがて吐き捨てるようにこう言った。

 

「じゃあ、君はどうするつもりだ。アレをどうやって止める? 先程も言った通り、あれはもう私の制御下を離れているんだぞ」

「止めますよ。何としても。だから、その為にアレについて分かることを教えてください。――俺にも、譲れないものがあるんですよ」

「…………」

 

 しばらく上条の目を光を失った瞳で見つめていた木山だが、大きく息を吐いた後、ずるずると柱を背に座り込み、話し始めた。

 

「虚数学区を知ってるか?」

 

 その言葉を聞いた時、上条は小さく身を震わせた。

 

「虚数学区? それって都市伝説じゃなかったの?」

「実在したんだ。まあ、噂のようなものではなかったがね。………虚数学区とは、AIM拡散力場の集合体だ。アレもおそらく原理は同じ。AIM拡散力場でできた怪物――『幻想猛獣(AIMバースト)』とでも呼んでおこうか。あれは幻想御手(レベルアッパー)のネットワークによって束ねられた一万人のAIM拡散力場が触媒になって産まれて、そしてそれらを取り込んで成長しようとしているのだろう。……おそらくネットワークの核だった私の感情の暴走に影響しているのかもしれんな」

「……………」

 

 つまり、アレはAIM拡散力場でできている。

 あの少女と、同じように。

 

「そんなものどうやって止めるのよ!?」

「……あれは幻想御手(レベルアッパー)のネットワークが作り出した怪物だ。だから、ネットワークそのものを破壊すれば、もしかしたら……」

 

 その言葉を言った後に、木山は自嘲するように言った。

 

「もっとも、今の私がそんなことを言った所で、信じてもらえるとは思わないが」

「いえ、信じます」

 

 上条は間髪入れずに言い切った。

 

「な……!?」

「だって、その拳銃、御坂はともかく、俺はそれを使われていたら一たまりもありませんでした。それを使わなかったってことは、誰も犠牲にしないってあの言葉は少なくとも本心だったってことですよね。――なら、俺はあなたの言葉を信じます。その方法が、みんなを救うことにつながると信じます」

 

 上条は快活に笑う。

 御坂は溜め息をついて呆れているが、その後にしょうがないなと言いたげに苦笑した。

 

「それで、そのネットワークを破壊するにはどうしたら?」

「……あ、ああ。私の車で気絶している花飾りの少女に、ネットワークをアンインストールするワクチンを持たせて「御坂さーん! 上条さーん!」……ちょうどいいところに来たようだ」

 

 みると、向こうから初春がこちらに走ってくるところだった。

 

 初春のその姿を見遣りながら、御坂に背を向けて、上条は言った。

 

「……御坂」

「ん? 何?」

 

「アレの相手、任せていいか?」

 

「……はぁ!?」

「……アレがAIM拡散力場の集合体なら、俺はたぶんアレを消せる。……だけど、それはダメだ。アレは“打ち消していいものじゃない”。ちゃんと、元の持ち主の所に帰してやらなきゃいけない“思い”だ。――だから御坂、お前がアイツをブッ飛ばして、この事件に決着(ケリ)をつけてくれ」

 

 上条は、御坂にそう言った。

 

 前の世界の上条は、これが最後の最後にならなければ出来なかった。

 頼るということ。誰かに頼るということ。

 

 上条は、どれだけボロボロになりながらも、勝てそうにない相手に立ち向かう時も、いつもたった一人で抱え込み、拳一つで戦場に突っ込んでいった。

 

 だが、それは仲間を信用していない――つまりは、仲間と認めていないことと同義ではないか?

 上条は、この世界に来てからは――一人で突っ走ることも多いけれど、悪癖は完治していないけれど――――それでも、誰かの力が必要な時は、頼ろうと決めた。信じようと決めた。

 

 あの時――自分の力の限界を、己の無力さを、これでもかと思い知らされた時、決めた。

 

 これが正解なのかは分からない。

 御坂が傷ついて帰ってきて、その姿を見てめちゃくちゃ後悔するかもしれない。それは凄く怖い。

 

 だけど――

 

「しょうがないわね。この美琴様に任せなさい♪」

 

 少なくともその笑顔は、頼っていいのだと思わせるには、十分すぎるほどに輝いていた。

 

「……ああ。任せたぞ! 初春は俺に任せろ! こっちの作業が終わるまで、御坂は警備員(アンチスキル)を守りながら戦ってくれ!!」

「まったく、簡単に言ってくれるじゃない! そっちこそ、初春さんに傷一つでもつけたらただじゃおかないわよ!」

 

 そして、上条と御坂の、二人のヒーローは再び戦場に舞い戻る。

 

 今度こそ、この事件の幕を下す為に。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 残された木山は、しばし柱に座り込んだままだったが、ゆっくりとその身を起き上がらせる。

 

『いえ、信じます』

『センセーのこと、信じてるもん。怖くないよ♪』

 

「……ふふ。まったく、簡単に人を信用する人間が多くて困る」

 

『少なくとも“その子たち”は、アンタがこんな方法を選ぶことを望まないはずだ! こんな方法で救ったところで、アンタは“そいつら”に胸張って会えるのかよ!!』

 

「……そうだな。このままじゃ、あの子達に顔向けできない」

 

 木山春生(せんせい)は、もう一度、立ち上がった。

 




人々の思いが生み出した怪獣――その思いを持ち主の元へと返す為に。

今、超能力者の『超電磁砲』が、全ての幕を下ろすべく歩み出す。


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ヒーロー〈助けたいという気持ち〉

佐天を――そして全ての幻想御手(レベルアッパー)被害者を、お前が救うんだ。


 

 警備員(アンチスキル)は、幻想猛獣(AIMバースト)に発砲を続けていた。

 つい先程、目の前の怪物に対する実弾の使用が許可され、目を覚ました警備員(アンチスキル)計五人体制で絶え間なく銃弾を撃ち込み続ける。

 

 しかし、銃弾は幻想猛獣(AIMバースト)の肉体を抉り、弾き飛ばしながらも、かの怪物は瞬く間に再生し続ける。

 

「くそっ! 木山にやられたせいで、ただでさえ動ける人数がこんだけだってのに……」

「ぼやく暇があったら撃ち続けろ! この先の“アレ”にコイツが突っ込んだらとんでもないことになるぞ!!」

 

 幻想猛獣(AIMバースト)は暴れ回る。

 いや、こいつからしたら、ただ耳元でうっとうしい蠅を追い払うような感覚だったのかもしれない。

 しかし、無闇矢鱈に振り回される触手は、元々少ない動ける警備員(アンチスキル)を一人、また一人と戦闘不能にしていく。

 

「がっ!」

 

 眼鏡の警備員(アンチスキル)――鉄装綴里は、触手の一撃をまともに喰らい、高速道路の柱まで吹き飛ばされた。

 

「鉄装!」

 

 他の警備員(アンチスキル)が全て撃破され、ただ一人戦闘を続行する黄泉川愛穂。もう動ける警備員(アンチスキル)は彼女しかいない。

 鉄装は頭を打ったのか、焦点の合わない目でふらついていた。

 

(何……私は……木山を……なのになんで……化物を……あ、そっか……夢か………はは、そうだよね………あんなのいるわけないもん……幻………まぼ……ろし……)

 

 ぼうっとする鉄装の目の前には、幻想猛獣(AIMバースト)の触手が接近していた。

 その先端からギョロっと、生々しい目玉が出現する。

 

「鉄装っ!」

 

 黄泉川は間に合わない。

 

 触手の先から、強力な衝撃波が発せられた。

 地面に大きなクレーターが出来上がる。

 

 しかし、そこに鉄装の死体はなかった。

 

「ったく。何ぼうっとしてんのよ。死にたいの?」

 

 ガクガクと震える鉄装の首根っこを持って、御坂美琴は参上した。

 

「っ! お前、何してる!? 子供は早く逃げるじゃん!」

「何言ってんのよ。あなた一人でアレを止められるなんて思ってるわけじゃないんでしょう?」

「……ッ! でも、ここは危険じゃん! 子供を守るのが、大人の仕事じゃんよ!」

「だったら一緒に避難しましょう。もう少ししたら応援も来るんでしょう? 一人で特攻してやられるより、そっちの方が「ダメですっ!!」」

 

 御坂の一時撤退せよというアドバイスを鉄装は大声で却下する。

 黄泉川の「バカっ!」という声も届かず、錯乱しているのか、声のボリュームが振り切った怒声で畳み掛ける。

 

「あの先には、原子力実験炉があるんです!! だから私達は、退くわけにはいかないんです!!」

「…………なるほど。そういうこと」

 

 黄泉川は掌で顔を覆いつくし、呻いている。

 鉄装は一般人を焚き付けかねないセリフを口走った自分に気づき、顔を青褪めた。

 

「分かったわ。なら、アイツは私が止める。あんた達は下がってなさい」

「バカっ! そんなことできるわけないじゃ――」

 

 御坂はなお食い下がる黄泉川に、自分の指さす方を見るように促す。

 そこには、非常階段を上って高速道路本線に向かう上条と初春がいた。

 

「っ! 上条!?」

「アイツを知ってるの? なら話が早いわ。今、アイツと初春さんが幻想御手(レベルアッパー)のネットワークを破壊しようとしてる。そうすれば、あの化物は止まるわ。だから、あなた達は向こうの援護に向かって。その間の足止めは私がするわ」

「無茶よ! あなた一人であんな化物を「……わかったじゃん」隊長!?」

 

 ごねる鉄装を強引に連れて行く黄泉川。

 

「……無茶はするな。すぐに戻るじゃん」

「……そっちもね」

 

 悪いことは重なるものなのか。

 明確な意思を持っていないと思われる幻想猛獣(AIMバースト)だが、よりにもよって進行方向は原子炉に向かっていた。

 

 御坂は先回りするように、幻想猛獣(AIMバースト)に向かって走りだした。

 

 

「いいんですか!? あんな少女の言葉を鵜呑みにして! 一般人を守るのが! 私達警備員(アンチスキル)の仕事じゃないんですか!? 隊長!!」

「そんなこと! 言われるまでもなくわかってるじゃんよ!!!」

 

 びくっと体を震わせて怯える鉄装。

 黄泉川の表情には悔しさがにじみ溢れていた。

 

「……それでも、今の私達には、あの化物を止めるどころか、進行を遅らせる力すらない。それに、アイツは超能力者(レベル5)――『超電磁砲(レールガン)』だ。下手に私達がうろちょろしてたら、逆に足手纏いだ」

超能力者(レベル5)……超電磁砲(レールガン)……」

 

 鉄装は絶句した。

 御坂美琴の名は有名だが、まさか彼女がそうだとは思わなかった。

 

「悔しいが、任せるしかないじゃん。……それに上条が動いているなら、きっとその行動には意味があるはずじゃん。アイツはいつも騒動の核心にいるからな」

 

 ボロボロの体を無理矢理動かし、黄泉川は走り出す。

 黄泉川にとっては、子供は守るべき存在。

 

 超能力者(レベル5)だろうと、風紀委員(ジャッジメント)だろうと、それは変わらない。自分達大人が、守るべき子供達だ。

 しかし、今の自分達は、そんな少年少女らに守られ、その手伝いしかできない。

 

 どうしようもなく、悔しかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「初春!」

「上条さん!」

 

 二人は高速道路上へと昇る階段下で合流した。

 

「どうして上条さんがここに?」

「そんな話は後だ。それよりも初春、木山先生から幻想御手(レベルアッパー)をアンインストールするプログラムを預けられたって本当か?」

「は、はい。えっと……これです」

 

 初春は手元のポケットから小さなチップを取り出す。

 このチップに一万人の無事が懸かっている。

 

「……よし、初春。そのチップを持って上がるぞ。警備員(アンチスキル)がこれだけいるなら、連絡用にそれなりの機器を載せた車両があるはずだ。木山先生との戦いで壊れていなければいいが……」

「えっと、上条さん?」

「初春。今すぐそのプログラムで、幻想御手(レベルアッパー)のネットワークを破壊する。…………やれるな?」

 

 上条は初春に真剣な目で問いかける。

 その目に籠められるは、信頼。そして、期待。

 

「佐天を――そして全ての幻想御手(レベルアッパー)被害者を、お前が救うんだ、初春」

 

 上条の目は、紛れもなく歴戦の戦士の目。

 その目から発せられる眼力は、時に世界を転覆させうる力を持つ者たちでさえ、圧倒されてきた。

 込められる感情が敵意や闘気ではなく、期待や信頼でさえも、中学一年生の女生徒に向けられるには、あまりにも重い。

 

 上条当麻と肩を並べ、戦う。

 そのことの過酷さは、こういった場面でも現れる。

 

 佐天涙子が感じたことは、あながち間違いではない。

 上条当麻と近しくなるには、そういった資質が必要なのだ。

 

 だからこそ――。

 

「……はい! 任せてください!!」

 

 初春飾利は、逃げない。

 その圧倒的なプレッシャーを正面から受け止め、上条当麻の側へと歩み寄る。

 

 当然、怖い。重圧が凄い。自分は今、一万人もの運命を背負っているのだ。

 

 これが、ヒーローになるということ。

 

 悪い敵をやっつければいいというものではない。

 幾千万の人々の想いを背負ってこそのヒーロー。

 

 上条当麻や御坂美琴は、それらを力へと変えるのだろう。

 自らの内から溢れ出す思いに従って行動し、結果それがヒーローとなりうる彼ら彼女らは、ひょっとしたら重圧など感じないのかもしれない。

 

 それが、本物のヒーローなのかもしれない。

 

 だが、重圧を感じ、背負うものの重さに恐怖し。

 しかし、それでも逃げず、向き合い、受け止め、大切なものの為に行動する人間が。

 

 偽物のヒーローかと言えば、断じてそんなことはない。

 

 震える手足を奮い立たせ、必死に階段を駆け上がる。

 涙が溢れそうになっても、唇を噛み締め、前へと進む。

 

 親友の為、今も苦しむ全ての幻想御手(レベルアッパー)使用者を解放する為。

 持てる力を振り絞り、与えられた役目を全うすべく、戦う。

 

 そんな彼女が――初春飾利が、ヒーローでないはずがない。

 

 上条当麻は、今回ばかりは彼女の引き立て役だ。

 上条は、ここまで届く御坂と幻想猛獣(AIMバースト)の戦いの余波から初春を体を張って守ることに徹する。

 

 通信車両を探すが、いくつもの車両が横転していて、どれがそれだか判別できない。

 

「上条ぉ!!」

「っ! 黄泉川先生!?」

 

 途中、黄泉川と鉄装が合流する。

 

「事情は御坂美琴から聞いた! こっちに来るじゃん!」

 

 黄泉川は上条と初春を通信車両に案内する。

 幸い――万が一に備え特別頑丈に作られているのか――車両は横転すらしておらず、中の通信機器も健在だった。

 

「初春、大丈夫そうか?」

「はい。この機器のスペックなら、十分ここからアンインストールワクチンを流せます」

「……そうか。初春――頼んだぞ」

 

 初春は、一度目を瞑り、大きく深呼吸する。

 そしてカッと目を開き、キーボードに指を走らせる。

 

「はい!」

 

 その声は、いっさい震えていなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 幻想猛獣(AIMバースト)が放つ幾つものエネルギー弾。

 

 御坂はそれを時に避け、時に弾き返しながらやり過ごす。

 そうして距離を詰め、気が付けば御坂は原子力実験炉を背に、幻想猛獣(AIMバースト)と対峙する構図になっていた。

 

「……はぁ……はぁ……もう! キリがないわね!」

 

 幻想猛獣(AIMバースト)は、一万人分の能力者によるネットワークの産物。

 その性質故か、先程の木山のように多種多様な攻撃を放ってくる。それも木山のように戦略的にではなく、駄々っ子が手近にあるおもちゃを手当たり次第にぶつけてくるかのようにメチャクチャに。

 

 そういった攻撃に対処するのは、ある意味綿密に練られた作戦に対処するより難しい。戦い慣れている人間にとっては特に。

 しかし、御坂は自身の能力とセンスのみで、その全てを捌ききっていた。

 

 だが、この構図は少しまずい。

 これで御坂は、避けるという選択肢を失った。

 

 さらに、自身に当たらなくても頭上を越えて施設を襲うような攻撃も叩き落とさなくてはならない。

 

「くそ……厄介ね。なにより、いくら攻撃しても復元するってのがメンドクサイわ」

 

 いくら御坂でも、無限に能力を出せるわけではない。

 限界はある。御坂の場合、使う能力からしてバッテリーといったところか。

 

 つまり、相手が無限に回復するのであれば、御坂に勝ち目はない。

 

 無限に回復するのであれば、だが。

 

(なんかアイツ……私の攻撃とは関係無しに苦しんでる?)

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あ~~~~~~。もう究極的に退屈って訳よ」

 

 とあるファミレス。ここでは、見た目的にも、個性的にも、派手な四人の美少女が豪華過ぎる女子会を開いていた。

 

 その中の一人の金髪碧眼の少女が、背もたれに全力でもたれかかり、天を(というより天井を)仰いで、あに濁点を付けそうな勢いで呻いた。あまり美少女にふさわしくない姿だ。目の前にあるサバ缶がそれに拍車をかけている。

 

「そんなこと言って、どうせアンタは仕事が来たら来たでぐちぐち文句言うんでしょうが」

 

 金髪少女の愚痴に、律儀に隣の美女が返す。金髪少女とは最低でも5歳は離れて見える、まさしく美少女より美女が似合う女性だが、これまた目の前の食べかけの鮭弁が一見清楚な美女に見える彼女の一筋縄ではいかない個性の片鱗を匂わせている。

 

「どうせこの時期はレジャー施設も超めちゃ混みですよ。家で映画でも見てた方が超有意義です」

 

 金髪の少女の真正面に座る少女が言う。

 金髪少女とほぼ変わらない年頃の茶髪ショートカットな彼女は、赤のタンクトップに超ミニスカートと夏らしい、だが思春期男子には眩しすぎる格好で「AクラスにC級な映画50選」という選ばれるのが名誉なのか不名誉なのかよく分からない雑誌を読んでいた。

 その手に持つ雑誌からも彼女の強烈な個性は現れているのだが、それよりも周囲の視線を釘づけているのは彼女の雑誌を読む姿勢だった。

 先程も触れたように彼女の恰好は超ミニスカート。にも関わらず、彼女はファミレス特有のソファーに両足を乗せて(一応靴は脱いでいる。しかし、靴下がボーダーのハイソックスでさらなる需要に応えていた)けしからん太腿で雑誌を支える体育座りのようなポージングをとっている。すなわち、真っ白な太腿剥き出しでガードが緩い大変危うい体勢になっているのだ。

 現に彼女達の右斜め前のテーブルの奥の通路側に陣取る高校生か中学校高学年くらいの少年。夏休みにも関わらず律儀に制服を着ている彼には、先程から自身の右斜め前方にいる彼女――彼女は通路側に座っているのでばっちり見えるのだ。珍妙な雑誌のタイトルも見えるが、そんなものより彼の視線を惹きつけてやまないものがあった――の、セキュリティが甘くなっているそのスカートの中の桃源郷が見えそうだった。顔の前に不自然にメニューを持ち上げて下心を隠すという哀れ過ぎるカモフラージュをしながらも、彼はここ二十分程、果敢に桃源郷を覗き見ようとチャレンジするが、なぜか見えない。見えそうで見えない。見えないが見えそうだし見たいので見ようとするがやっぱり見えそうで見えない。その少年は諦めなかったが、あまりに真剣過ぎて、ずっと注文をしない彼を不審がって傍にやって来た店員にまったく気づかなかった。某高校生探偵が幼馴染の少女と遊園地へ遊びに行って、黒ずくめの男の怪しい取引現場を見るのに夢中になっていた、あの状態だった。彼はその後、風紀委員(ジャッジメント)のお世話になるのだが、そんな哀れな思春期少年を暴走させた張本人は知る由もない。また彼女が意図的に計算して見えそうで見えない位置をキープしていることも、少年は知る由もなかった。

 

 すまない。彼女の説明だけとんだ長文になった上にいらないエピソードまで挟んでしまった。次に行こう。

 

「zzzzzzzzzzz」

 

 残る一人は完全に熟睡して会話に参加していなかった。

 彼女も他の三人に負けないくらいの美少女なのだが、現在テーブルに突っ伏して寝ているのでその顔は周りからは見えなかった。しかし、ファミレスという一応公共の場で、死んだように眠る彼女は他の三人に負けないくらいの存在感を放っていた。服装は真っ白のTシャツに下はジャージ。お洒落に無頓着というレベルではなかった。

 

 そんな自宅クラスに寛いでいた彼女は、店内に流れ始めた不思議な曲で目を覚ました。

 

「ん? 不思議な、曲」

 

 その曲は彼女だけではなく、他の三人。ひいてはファミレスの他の客や店員達まで、それぞれの作業を止めて、耳を傾けてしまうような、不思議な曲だった。

 

 

 そして、その曲はそのファミレスだけに流れた店内ソングではない。

 

 その曲は、今現在学園都市中で流されていた。

 

 

 一人の花飾りの少女が。

 

 親友を、幻想御手(レベルアッパー)の全ての被害者たちを救う為に。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「何だ……この曲は? まるで、五感全てに働きかけているかのような……」

「先生!」

 

 その医師は先程まで馬車馬のごとく働いていたが、突然院内アナウンスから曲が流れた途端ピタリと動きを止めた。

 

 その曲によるフリーズが解ける前に、病室に別室を担当していた看護婦が息を切らして駆け込んでくる。

 

「突然っ……患者さんの発作が、止まりました!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 異変はこちらでも起こっていた。

 御坂があくまで敵の注意を自身に誘導し直すための威嚇として放った電撃が、敵の触手の一本を破壊した。

 ここまでは、幾度となく繰り返された光景。

 

 だが、その触手は再生されなかった。

 

「…………やっと、来たか♪」

 

 おそらく、上条と初春が上手くやったのだろう。

 御坂はにやけながら、両手を天にかざす。特にポージングに意味はないが、これは気分の問題だ。

 

 幻想猛獣(AIMバースト)の真上に巨大な電撃の塊が形成される。

 そして、御坂が両手を振り下ろすと、幻想猛獣(AIMバースト)に強烈な電撃のシャワーが浴びせられた。

 

 いや、もはや滝と言った方がいいかもしれない。

 力任せ、だが、だからこそ、この街の他の電撃使い(エレクトロマスター)でこの攻撃を真似できるものはいないだろう。

 

 幻想猛獣(AIMバースト)は、真っ黒焦げに焼きあがった。そして、ゆっくりと――。

 

――倒れなかった。

 

「!!」

 

ギェッェァァッァアシャァァァアァァァァァァァギャアアァァァォォォォォォ

 

「うそっ!あれ喰らってまだ動けるの!?」

「アレはAIM拡散力場の塊だ。普通の常識は通用しない」

 

 御坂が振り向くと、そこには足を引きずっている木山春生がいた。

 

「ちょ、アンタなんで――」

「体表をいくら焦がしても、本質には影響しない」

「ねぇ! そんなことよりアン――」

「力場の塊を自立させる、コアのようなものがあるはずだ。それを破壊できれば」

「聞きなさいよ! っていうか前もアンタとこんなやりとりをした気がするわ!」

 

 御坂が木山のマイペースっぷりに翻弄されていると、何か呻きのようなものが聞こえてきた。

 

『ntsk欲gdt』

『d羨kn苦j』

『wb遭dnhだけbp』

 その言葉は、徐々に言葉として、しっかりとした形を成していく。

 

 

『努力は積み重ねてきた……。けど、幾千幾万の努力が、たった一つの能力に打ち砕かれる! ……これがこの学園都市(まち)の現実だッ…!!』

『どれだけ慕ってくれてても……自分が相手の能力を超えたら、もう用無し。もう格下。……この学園都市(まち)では、人の優劣がはっきりと数値化して現れる。……上に上がったら、下には用無し。もう、おしまい』

『本物の超能力。それは馬鹿馬鹿しいまでに無茶苦茶で、悪い冗談としか思えない出鱈目な力。そこに行くには突破の足掛かりすら掴めない高くて厚い壁がある。……それを目撃した、あの瞬間。それを実感した、あの日から。上を見上げず、前を見据えず、下を見続けた。……それしか、出来なかったッ』

 

 そして、それは、御坂に届く。

 

 それは、力の無さに絶望し、禁忌の手段にその手を染めた、少女の慟哭。

 

『私、何の力もない自分が嫌で……でも、どうしても、憧れは捨てられなくてっ!』

 

『どうしても……諦められないんだ』

 

『特別になれるくらい……大事な人になれるくらい……強くなりたかった』

 

 

「…………………」

 

 御坂は、前に進む。

 一歩、前に。掌に紫電を纏わせながら。

 

「下がってて。巻き込まれるわよ」

「いや、私にはアレを産み出した責任がある。このままでは、あの子達に会わせる顔が――」

「だったら、“私に”巻き込まれないように、おとなしく下がってなさい。五体満足で居たかったらね」

 

 引き留めようとする木山に、御坂はそう笑って告げた。

 

「な……」

「アンタを巻き込んだら、間違いなく“アイツ”怒るから。……べ、べつに、アイツが何言おうと関係ないんだけど! 私の目覚めが悪いからねっ!」

「あ――」

「そ・れ・に!!」

「助けたい人達がいるんでしょ」

 

 その笑みは、自身の敗北などまるで考えていない、傲慢な――強者の笑み。

 

「ッ!!」

「詳しいことは分かんないけど、アイツは何とかする気みたいだし。今回みたいな方法とらないんなら、私も協力するわよ」

 

 それは――問答無用で、何とかしてしまうのだと思わせる、見る者を惹き付ける、ヒーローの笑顔そのものだった。

 

 

「だから。あなたがすべきことは、ここで体を張ることじゃなくて。――罪を償って、前を向いて、生きることよ」

 

 

 御坂は木山に、まっすぐ見据えてそう告げた。

 

 その背中に、幻想猛獣(AIMバースト)は触手を飛ばす。

 木山が危険を告げる前に。

 

 触手は御坂に触れることすらできずに、木端微塵に吹き飛んだ。

 

 そして御坂は片手を挙げて、振り向きもせずに、振り下ろす。

 先程と同様、いや、それ以上の威力の雷柱が幻想猛獣(AIMバースト)に降り注いだ。

 

 5秒……10秒……まだ終わらない。

 電磁バリアを張り地面に逃がすことで直撃を避けていた幻想猛獣(AIMバースト)だったが、電気抵抗の副産物である熱までは防げない。

 

 徐々にダメージが蓄積し、体表が消し飛んでいく。

 

「…………ゴメンね。気付いてあげられなくて」

 

グァァァアァアッァァァアァァァァァギィヤァァァァアァァアア

 

「…………でもさ。パーソナルリアリティを他人に任せちゃダメ。だって“自分だけ”の現実なんだから。あなたの、あなた“だけ”の能力なのよ。――例え超能力じゃなかったとしても、あなたの『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は、あなただけの特別な力になる。なっているはずよ」

 

 そして、ついに、そのコアが剥き出しになる。

 

 その瞬間、宙に一枚のコインが舞った。

 

「だから、さっさと“元の場所(いえ)”に帰んなさい。みんな心配してるわよ」

 

 優しい、慈しむような、微笑みと共に。

 

 御坂美琴の超電磁砲(レールガン)が、コアを寸分違わず貫いた。

 




誰かを助けたいという気持ち。

例え、怪物を倒す力がなくても。誰より強くなんてなくとも。

大切な人を助けたい――その願いの為に振り絞った勇気こそが、ヒーローの証。


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エピローグ 事件の終わり。そして物語の始まり。

頑張ったな。
ありがとう。



「あ~あ。これで木山も終わりか。結構面白いアイデアだったけど、ね。幻想御手(レベルアッパー)

 

 その女は、視界の先で幻想猛獣(AIMバースト)が倒れたのを確認して溜め息を吐いた。口元は、笑っていたが。

 女は、目的は達したとばかりに、踵を返すと、

 

 正面に、ツンツン頭の少年がいた。

 

警備員(アンチスキル)の方ですか? お疲れ様です。お仲間の皆さんは上ですよ」

「…………あら、風紀委員(ジャッジメント)の方? わざわざありがとう」

 

 そう言い、女は笑顔で上条の横を通り過ぎようとする。

 

 

「木山先生の生徒に手を出すな。何かしたら容赦しねぇぞ。――『木原』」

 

 

 上条は、普段あまり表に出さない敵意を込めて、その女性に“警告”する。『木原(やつら)』には、あまり効果はないだろうとは思っていたが。

 

 案の定というべきか、上条のこのセリフに、口元を醜悪に歪めただけで、彼女――テレスティーナ=木原=ライフラインは、何も言わずにその場を後にした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 コアを破壊された幻想猛獣(AIMバースト)は、まるで幽霊だったかのように跡形もなく消えた。いや、“帰った”というべきか。

 御坂は一度フンと鼻を鳴らして、晴れやかな表情を浮かべた。

 

「うーん! 終わったぁ~!」

 

 ん! と伸びをして、体をほぐす御坂。まるで授業の体育を終えたかのようだ。

 その姿を見て、木山春生は、戦慄を覚えた。

 

幻想猛獣(AIMバースト)さえ圧倒する桁違いな力……これが、超能力者(レベル5)か)

 

 学園都市に7人しかいない、能力者達の頂点。

 その圧倒的な才能の片鱗を垣間見て、木山は正直に恐怖を感じていた。

 

 改めて学園都市の能力開発の異常さを再確認していたが――その時、御坂が唐突にふらついた。

 

「っ! おい、大丈夫――」

 

 そのセリフが最後まで言い切る前に――。

 

 上条当麻が、倒れこむ御坂美琴を正面から受け止めた。

 

「おっと、大丈夫か?」

「……え? ちょ、アンタ、何して――」

 

 上条の胸の中にいるという状況に、御坂は顔を染め上げてパニックに陥りかけるが――。

 

「…………おつかれ。お前を信じてよかった」

「…………私を、誰だと思ってるのよ。……バカ」

 

 その言葉に御坂は、抵抗をやめて顔を上条の胸に埋めた。

 

 上条はそんな御坂に微笑み、そっとその身体を離す。

 その際、御坂が少し名残惜しい表情をして、それをどう勘違いしたのか、上条は御坂に肩を貸す形で支えた。御坂の顔はやはり赤かったが、都合よく上条の方からは見えなかった。

 

 上条は文字通りの電池切れの御坂に変わり、木山に顔を向け、言った。

 

「もうすぐ警備員(アンチスキル)が来ます。見ての通り、俺も御坂も先生を拘束することはできません。どうしますか?」

 

 上条と御坂は、木山を見据える。

 木山は一瞬目を見開き、苦笑する。

 

「“この場”は、収めよう。だが、諦めるつもりはない。もう一度……何度でも、やり直す。刑務所の中だろうと、世界の果てだろうと、私の頭脳は常に、私だけのものだ」

 

 そして木山は、もう一度、立ち上がる。

 

「ただし、次も手段は選ぶつもりはない。気に入らなくば――「「俺(私)が止めてみせます(やるわよ)」」――――ふっ、そうか。楽しみにしている」

 

 やがてサイレンを鳴らしながらやってきた警備員(アンチスキル)に、木山は自ら出頭した。

 

「……そうだ、御坂くん。……君は私と同じ、絶望に限りなく近い運命を背負って……()()。……だから、私も希望を捨てない。いつか、あの子達を取り戻す日が……私達の前にも“ヒーロー”が現れる日が来ると信じている。――忘れるな。ヒーローはすぐ傍にいるぞ」

 

 ちょっとした、捨て台詞を残して。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 木山が警備員(アンチスキル)の車両に乗せられると――その車両内に、食蜂操祈がいた。

 

 御坂美琴と並ぶ、超能力者(レベル5)の一人。第五位。学園都市最高の精神感応能力者。

 御坂ほどの世間一般の認知度はないが、研究者達のようなこの街の裏舞台の人間にはむしろ御坂以上に知名度は高い。

 

 なので、木山も当然、食蜂の顔も名前も知っていた。

 

 分からないのは、ここにいる理由だった。

 

「えっと……君は、なぜここに?」

「コネよぉ」

 

 答えになっていないが、これ以上突っ込むのはやめようと木山は思った。

 

 食蜂操祈。木山も研究者として彼女にしたい質問は山ほどあったが、今のこの状況で何がふさわしい質問かはわからなかった。

 なら、いっそのこと食蜂の方から話を切り出すのを待ってみようと思ったのだ。

 

 どうせ、彼女には()()()()()()()なのだから。

 

「…………そっか。さすが上条さんね」

 

 しばらく無言が続いたが、食蜂が突然そう呟いた。

 そして、先程までより幾分かやわらかい視線を木山に向ける。

 

「お互い、ついてないわねぇ。木原幻生に目をつけられるなんて」

 

 木山はその言葉で、彼女が自分に接触してきた理由が分かった気がした。

 

「そうか………君も」

「まぁ、私達クラスの優秀力になると、あの爺じゃなくてもどっかしらの『木原』に捕まっていたでしょうから、この学園都市(まち)に一歩足を踏み入れてしまった時から、末路力は確定してたのかもねぇ」

 

 食蜂はそう笑い飛ばした後、神妙な顔をしてアンニュイに溜め息を吐いた。

 

「……私は、あなたがあの男のチームにいたって知ったとき、叩き潰してやろうと思ったわぁ。でもね、上条さんが言ったの。木山先生は悪い人ではないって。……悪いけど、あなたの記憶力を読ましてもらったわぁ。その通りだった。少なくとも、今のあなたは悪い人じゃない。……まったく、参っちゃうわ。人の心が読める私より、上条さんの方がよっぽど人を見る目があるんだものぉ」

 

 木山は、食蜂の独白を聞き、それが終わったと判断すると唐突に切り出した。

 

「それで、私は“見逃してもらえる”のか?」

「……やっぱり頭の良い人ね。ええ、気が変わったわ。それも180°ね」

 

 食蜂は足を組み、そこに肘をついて、妖艶に言った。

 

「私は木原幻生に復讐するわ~☆ 私の仲間力に加わらない? 木山春生さん♪」

 

 二人のやり取りを、縦ロールは食蜂の左後方に仕えながら目を閉じて聞いていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「お~~~~ね~~~~~え~~~~さ~~~~~まぁぅ!!」

「ぐへぇ!? ……な、何!? 黒子!?」

「ああ!? こんなにボロボロに!? どこかお怪我は!? ……あ。……これは隅々まで検査する必要があるようですわねぇ~。幸い電撃を飛ばす体力もないご様子ですし(ボソッ)」

「何よ、その不穏な“あ”は!? 何を思いついたの!? あと、最後ボソッとなんて言ったの!?」

 

 白井は御坂に馬乗りになりながら手をワキワキさせていると、後ろから上条が白井の首根っこを掴んで引き離した。

 

「こら。御坂は今、本当に疲れてんだからやめろ」

「……はいですの」

「はぁ、助かった~。……あ、あの、ありが――」

「やるなら、部屋に帰ってからにしろ」

「はいですの!」

「ちょっとぉ!?」

 

 そんな一下り終えた後、白井は初春の元へと向かっていった。

 

「…………はぁ、あの子はまったく」

「いいじゃねぇか、好かれてるんだし」

「限度ってものがあるでしょ……アンタも止めなさいよ」

「止めたじゃねぇか」

「根本的に止めなさいって言ってるの!」

 

 御坂は上条のヘラヘラ笑いに一発ハイキックを叩きこんでやろうかと思ったが、そんな体力は残っていないのでやめた。

 その代わり、先程の木山の意味深なセリフに対する上条の意見を聞いてみようと思った。

 

「……にしても、木山先生は何が言いたかったのかな? アンタ、分かる?」

「……さぁな」

 

 上条は一言そう言うと。

 

「ほら、俺達も行こうぜ」

 

 初春達の元へ歩みを進めた。

 御坂はいまいち釈然としなかったが、上条の背中が、その話は終わりだ、と言外に告げていたような気がしたので、そのまま黙って上条の後に続いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「初春、お疲れ。よく頑張ったな」

「あ、上条さん。いいえ、御坂さんや上条さんほどじゃあ――」

「いや、今回、被害者を直接助けたのは初春だ。初春が今回のMVPだよ。な、御坂?」

「まぁ、少なくともアンタよりは大きく貢献したんじゃない? 大事な場面で遅刻してきて、女の子に見せ場を取られた不幸不幸風紀委員(ジャッジメント)さんよりは?」

「ぐ……言い返せない……」

「そんな! 上条さんは――」

「初春、お姉さまも本気で言ってるわけじゃありませんよ」

 

 初春が焦って上条をフォローしようとすると、御坂と上条はいつもの言い合いをしていた。その顔は二人共とても楽しそうだった。

 初春が、やっぱりお二人は凄いな……と少し顔を俯かせていると、その頭にポンと大きな手が乗せられた。

 

「頑張ったな。偉いぞ、初春」

「ありがとう。初春さんのおかげよ」

 

 二人のヒーローが、惜しみない賞賛を、初春に送った。

 初春は涙を溢れさせたが、零さないように手でゴシゴシと拭い。

 

「はいッ!」

 

 精一杯の、笑顔で応えた。

 それは満開の花のような、可憐な笑顔だった。

 

「初春ッ!」

 

 その時、少し離れて何やら連絡を受けていた白井が戻る。

 その表情からして、決して悪いニュースではないらしい。

 

 いやむしろ、それは本当の意味で今回の事件の解決を知らせる吉報だった。

 そして、それは今回のMVPの初春に真っ先に知らされる。

 

幻想御手(レベルアッパー)の被害者が次々と意識を取り戻しているそうです。――先程、佐天さんも意識を取り戻しました。…………頑張りましたね。あなたのおかげですよ、初春」

 

 初春は、今度こそ零れる涙を抑えきれなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 病院のテラス。

 屋上ではないが、屋外に出れて、街が見渡せるこの場所で、佐天はフェンスに寄りかかっていた。

 先程まで、目覚めて間もない頭がぼぉとした状態で流れるように色々な検査をして、ついさっき晴れて自由の身になった(入院はしている状態だが、自由行動が許された、という意味だ)佐天は、とりあえず一人になれる場所を求めてここに来た。

 

 幻想御手(レベルアッパー)事件は、解決したらしい。

 ポツリポツリと聞こえてくる話では、上条や御坂、そして初春らの活躍で解決したらしい。

 

 …………やっぱり、凄いなぁ。

 

 佐天は、自分の両手を見る。

 ん! と力を込めてみるが、ウンともスンともいわない。小さなつむじ風すら巻き起こらない。木の葉一つ、躍らせることも叶わない。

 

 幻想御手(レベルアッパー)の効果は綺麗さっぱりなくなって、佐天は“無”能力者になっていた。

 

 戻っていた。元に、戻っていた。

 そう。失ったんじゃない。戻ったんだ。在るべき姿に、戻ることができた。

 

 これが、あたしの、在るべき、姿。

 

「………………」

 

 佐天は、口元を引き締め、天を仰ぎ、

 

 パァン! と、両頬を勢いよく叩いた。

 

「…………よしっ!」

 

 うじうじとするのは、もう止めた。

 後ろを向くのも、変な方向に暴走するのも、もう卒業だ。

 

 まっすぐ、前を向く。前だけを向く。

 

 能力がなんだ。レベルがなんだ。

 そんな一つのパラメータにしか過ぎないものに、いつまでも固執してどうする? 振り回されてどうする?

 

 一つ欠点があるなら、それ以上の美点で埋めればいい。

 

『レベルなんて、どうでもいいことじゃない』

 

 御坂のセリフが、心に響く。

 まだノーダメージとはならないが、それでも大分受け止められるようになってきた。

 

 いつか、自分のように能力のことで悩む人達に、この言葉を心の底から伝えられるように。

 

 そんな、強い自分に。

 

 佐天は、フェンスから身を離す。

 

 そろそろ病室に戻ろうかと思った、その時、

 

 

 

 

 

 上から、真っ白な天使が降りてきた。

 

 

 

 

 

 

 いや、落ちてきた。

 

 真っ白な、純白の修道服の少女。

 

 

 

 それは、この人工物だらけのこの街には、恐ろしく不釣り合いで。

 

 だからこそ、夕日を反射して、幻想的な神々しさを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、風紀委員(ジャッジメント)なヒーローの物語は、“もう一つの世界”へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 科学と魔術は、




 今、再び、交差する。




 物語は、もう一度、動き出す。


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禁書目録編
出会い〈さいかい〉



 禁書目録編、スタートです。幻想御手編よりは短く収まると思います。


 

 佐天は、そのあまりに現実離れした光景に言葉を失った。

 

 いや、見惚れていた。目を奪われていた。その美しさに。

 

 実際は引力の影響をばっちり受けているので落下速度はそれなりのはずだが、佐天にはそれがスローモーションでゆっくり舞い降りてきているように感じた。

 

 純白のティーカップのような修道服を身に纏い、さらにその服に負けないほどの美しい白い肌を持つ少女。

 たなびく銀髪が夕陽を受けてキラキラと光り輝き、より一層幻想的な雰囲気を演出する。

 

 落下してくる彼女が、パチッと目を開けた。

 そこから現れたのは、吸い込まれるような翡翠色の瞳。

 

(………………天使?)

 

 その言葉に相応しいほどの可愛らしい顔つきをした少女は、

 

 

 そのまま落下した。

 

 

「ぐぴっ!」

 

 

 重力加速度をふんだんに乗せ、コンクリート製の硬くて固いテラスの地面に落下した。

 

「……………………………………」

 

 佐天は衝撃的過ぎる出来事を前に、ギギギと錆びついたロボットのように上空を見上げる。

 おそらく彼女が落ちてきたであろう、屋上を探して。

 

 見えなかった。高すぎて。

 

 それはつまり、彼女はそれほどの高さから落下したということに――――

 

「大変だ!」

 

 佐天はようやく現実を受け止め、白いシスターに駆け寄る。

 

 常人なら、まず間違いなく即死。助からない。

 だが、ここは幸いなことに病院。もし辛うじてでも息があるのなら、すぐに医者を呼べば、もしかしたら。

 

 そんなことを考えていた佐天は、そこでようやく気づく。

 

 血が、まるでない。この子は、あれだけの高さからこの固い地面に激突して、まるで出血していない。

 純白のシスター服は、真っ白のままだ。

 

 佐天は、再び混乱する。

 その時――――

 

 ぐぅぅぅぅ~~~~~~~~

 

「……………………………………………」

 

 先程天使のようだと感じてしまったほどの美少女から、あまり聞きたくない迫力の音が鳴り響いた。

 

 ……いやいや、まさかこんな神々しい女の子がそんな下世話な音を鳴り響かせるわけ――――

 

「おなかすいた」

 

 現実はいつだって佐天の思い通りになんかならなかった。

 

「おなかいっぱいご飯を食べさせてくれると嬉しいな」

 

 ただ、その笑顔は、本当に天使のようだった。

 佐天が懲りずにそんなことを思ってしまうくらいには、その笑顔は可愛らしく美しかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 場所を変えて、ここは病院の食堂。

 病院とはいえど、ジャンクフードな欧米食に慣れきった現代人には物足りない薄味な病院食しか置いていないわけではない。

 見舞い客や職員といった健康体の人の舌も満足させるべく、味にも拘った食事を提供するこの場所で――

 

――今、一人の修道女が猛威を振るっていた。

 

「おかわり~~♪」

「あの……シスターちゃん。そろそろあたしの預金通帳が悲鳴をあげちゃうから……その辺で……」

 

 修道女の癖に暴食の化身みたいな子だ……とまではさすがに思わなかったが、それでも自分のただでさえ少ない奨学金が夏休みの初っ端で限界を迎えたことにちょっぴり泣きそうな佐天だった。さっそく無能力者(レベル0)のコンプレックスが復活しそうである。主に金銭的な意味で。

 

 そんな佐天の悲壮な雰囲気を少しは察してくれたのか、「う~ん。まだ三分目なんだけど、贅沢はいけないよね」とのたまいながらしぶしぶスプーンを置いた。

 その言葉に佐天は戦慄したが、ぶんぶんと頭を振って山ほどある聞きたいことを一つ一つ聞いていくことにした。

 

「え~と、聞きたいことがたくさんあるんだけど――」

「そうだね。まずは自己紹介だね」

 

 彼女の方も、お世話になった少女に笑顔で向き合い、にこやかに自分の名前を告げる。

 

 

「私の名前はね。インデックスっていうんだよ」

 

 

 佐天は、ぽか~んとした。あんぐりと、大きな口を開けて。

 

「……へ? インデックス?……目次?」

「見ての通り、教会の者です。イギリス清教のシスターだよ」

「あの、ちょっと待って」

「魔法名はDed――」

「ストーーップ!! 早い! 早いよ、インデックスちゃん! 一個一個処理していこうよ!」

 

 他人を振り回すことに定評がある佐天さんが、完全にツッコミに回っていた。

 ハァハァと息を上げて呼吸を整える病み上がりの無能力者――佐天涙子。

 対する自由な修道女――インデックスは早速食堂のおばちゃんに気に入られ、デザートのアイスクリームをサービスで無料提供されていた。

 あれ?あたしの分は?と若干納得のいかない佐天だったが、光り輝く笑顔でバニラアイスを頬張る彼女を見たら何も言えず、とりあえず質問を続けることにした。

 

「…………それで、インデックスちゃんは、どうして落ちてきたの?」

 

 それは『なんで無事なの?』という一番聞きたい質問に繋げる意味を持つ問いだったが、言ってみてそういえばと思った。

 

 そもそも、なぜ彼女は落ちてきたんだ?

 

 じっ、とインデックスの目を見て答えを待つ佐天。

 対してインデックスはアイスを楽しみながら、なんでもないかのように言った。

 

 

「追われてたんだ、私。だからビルの屋上から隣のビルに飛び移ろうとして、失敗したの」

 

 

「――――――――え?」

 

 佐天は、耳を疑った。彼女が明らかに偽名っぽい名前を名乗った時以上に、自分の聴覚が正常に機能しているのかを疑った。まだ自分には、幻想御手(レベルアッパー)の副作用の影響が残っているのではないか、と。

 

 だが、彼女はそんな佐天に構わず続ける。飄々と語り続ける。

 

 佐天が知らない世界のことを。

 

 世界の、残酷さを。

 

「本当はちゃんと飛び移れるはずだったんだけどね。飛び移る時に背中を撃たれたみたいで、バランス崩しちゃって」

 

 彼女は、何を言ってるんだ。

 

 まだ、疑問は山のようにある。

 

 なぜ、追われていたんだ、とか。

 なぜ、落下して無傷なんだ、とか。

 

 そして、なにより。

 

 なぜ、そんな風に笑えるのか、とか。

 

 その話が本当なら――限りなく嘘みたいな話だが――ついさっき死にかけた、殺されかけたのではないか。

 

 佐天も、ついさっきまで、一生目覚めないかもという経験をしたばかりだ。

 凄く怖かった。親友に励ましてもらわなければ、気が狂ってしまったかもしれない。

 

 それなのに、この子は――――

 

「はい」

 

 インデックスは、食べていたアイスを一口掬ったスプーンを、佐天の口元に差し出した。

 

「おいしいよ。一緒に食べよ。…………ええと、そういえば、あなたの名前、まだ聞いてなかったね?」

 

 彼女は、そういって笑う。もしかしたら、沈痛な表情をした佐天を励まそうとしたのかもしれない。

 

 自分よりもはるかに大変な思いをした彼女を気遣わしてしまったことに、申し訳なさを感じる。

 だが同時に、佐天はこんな胡散臭いことを並べる彼女のことを、信じてみようと思った。

 

 この可愛くて、無邪気で、天使のように優しい少女を。

 

 信じたいと、思った。

 

 佐天はパクッと差し出されたアイスを食べ、笑って言う。

 

「あたしは佐天涙子。……ありがとう。このアイスおいしいね♪インデックスちゃん♪」

 

 二人は顔を合わせ、ニコッと笑う。

 

「――――それで、インデックスちゃんは何に追われてたの?」

 

 佐天は勇気を持って聞いてみた。

 自分は、この子を信じると決めた。

 そして、彼女を信じるということは、彼女がなにやら大変な事態に陥っているということを認めるということなのだ。

 

 佐天は、今回の幻想御手(レベルアッパー)事件で自分の無力さを思い知った。

 そんな佐天が、目の前の少女の、咄嗟にビルを飛び移らなければならないほどに追いつめられている状況を、なんとか出来るとは思えない。

 だけど、知らないふりは出来なかった。せめて、なんとかしようとはしたい。なんとかできなくても。

 偽善使い(フォックスワード)だとは、分かっていても。

 

 だが、事態は佐天の想像以上に、佐天の手に負えなかった。

 

 インデックスは言った。

 

 

「魔術結社だよ」

 

 

「…………まじゅ、つ?」

 

 佐天は「世界は全て科学で証明できる。オカルトなんて存在しない」なんてムキになって言い張るほど、科学主義者ではない。

 女の子らしく占いに興味を持つし、都市伝説なんかそれほど趣味のようにのめり込む。

 

 しかし、そんな佐天でも、いきなり魔術などと言われてすぐさま信じられるわけではない。

 たとえ、ついさっき信じると決めたばかりの少女の言葉でも。

 

 だが、信じると決めたのだ。すぐに信用は出来なくても、頭ごなしに否定するのはやめよう。

 

 佐天のそんな苦悩を察知したのか、インデックスはスプーンをガシガシ噛んで、不満げに上目遣いで佐天を見上げる。

 

「るいこ…………信じてないね?」

「うっ……」

 

 図星を突かれた佐天は思わず呻る。

 そこに、インデックスは憤慨といった様子で畳み掛ける。

 

「なにさ、なにさ! 超能力は信じるのに、どうして魔術は信じられないの!」

 

 佐天は苦笑しながら宥めようと口を開こうとして、

 

 それもそうだ、と思った。

 

 ここは学園都市。超能力が一般科学として認知された街。

 自分の周りの友達も当たり前のように使っていて、すっかり当たり前になったけれど、

 

 自分はその超能力を、当たり前に使うことが出来ない。

 

 それなのにどうして自分は、超能力こそ正しくて、魔術は間違っている、なんて“超能力寄り”に考えているんだ。

 

 自分は、その魔術とやらを否定出来るほど、偉いのか。

 

「そんなに超能力って素晴らしいの? ちょっと特別な力を持っているからって、人を小馬鹿にしていいはずがないんだよ!」

 

 その言葉が、決め手だった。

 

 その通りだと、論破されてしまった。

 

「インデックスちゃん」

「――――ん? 何?」

 

 駄々をこねていたインデックスは、佐天の真剣な目に暴れるのを止めて、椅子に座り直して佐天と向き合った。

 

「その、魔術ってやつ、見せてくれないかな?」

 

 佐天はそうインデックスに言った。その瞳には「やれるもんならやってみろ」といったバカにするような色はなく、純粋に魔術というものを見極めたいという気持ちが現れていた。

 

 インデックスもそれは感じ取ったのだろう。彼女はその破天荒な振る舞いとは裏腹に、とても頭がいい。

 

 だからこそ、彼女は凄く申し訳なさそうに言った。

 

「……ごめんね、るいこ。…………わたしは魔力がないから、魔術は使えないの」

「…………そっか」

 

 佐天は思わず声に落胆の色が表れてしまうのを抑えきれなかった。

 

 それは魔術というものが見られなかったことよりも、魔術も“使い手を選ぶ”ということに落胆したのかもしれない。

 

 しかし、そんな彼女のコンプレックスを見抜けるほど、インデックスは対人心理に精通してはいない。純粋に彼女が魔術への興味を失ってしまうことを恐れて慌てて付け足す。

 

「ええと、ええと…………。そ、そうだ! この服! この服は『歩く教会』っていって、法王級の防御結界なの! 包丁で刺されたってビクともしないんだから!」

「……………えぇと」

 

 佐天は必死なインデックスに苦笑していたが、ふと思い出す。

 

 彼女は、少なくとも数十mの高さから落ちてきても、無傷だった。

 飛び移る時、撃たれたとも言ってなかったか?

 

 それらは全て、その服が防いだのだとしたら?

 

 普通は信じない。

 だが、佐天はインデックスを信じると決めたし、何より佐天は落下して無傷なインデックスをこの目で見ている。

 

 佐天の中で、魔術というものが急速に現実味を帯びてきた。

 

 そして、その魔術が、超能力とは違い、選ばれなくてもその恩恵を受けられるものだとも分かった。

 

 佐天は自分が魔術にどんどん惹かれているのを自覚していた。

 

 もっと魔術について知りたいと質問を重ねようとした時、佐天の携帯が鳴った。

 電話ではなく、メールらしい。

 この科学の街でも病院での携帯使用はマナー違反だが、この食堂は見舞い客なども使用するため携帯の電波が医療機器に影響を与えないように完璧な配慮がしてある。なので佐天も自身の携帯の電源を入れていた。

 その理由は――――

 

「あ、インデックスちゃん。もうすぐあたしの友達が来るって。来たら紹介してあげるね」

 

 佐天が嬉しそうにそう言うと、インデックスは逆に表情を暗くする。

 なにかに気づいてしまったように。

 

「…………ううん。私はもう行くよ」

「え!? なんで――――」

 

「巻き込みたく……ないから」

 

 インデックスはそう言って立ち上がる。

 

 その時、佐天はようやく思い至った。

 インデックスは、何者かに狙われている。

 

 少なくとも、数十mの高さから少女を叩き落とすことを、躊躇しないくらいのレベルの連中に。

 

「で、でも――」

 

 佐天は慌てる。こんなところで別れたくなかった。

 自分には、何も出来ない。特別な力なんてない。困っている女の子を助ける力なんてない。

 でも、こんなところでお別れなんて嫌だった。

 だって、だってせっかく――――

 

 そんな佐天の表情を、どんな風に解釈したのか。

 

 彼女は言った。天使のような、聖母のような、優しい笑みで。

 

 

 

「それじゃあ、私と一緒に、地獄の底までついてきてくれる?」

 

 

 

 彼女はいたずらっぽく、突き放した。

 軽い調子で放たれたその言葉が、どれほど重いものだったか。どれほど、悲壮な思いが詰まったものなのか。

 まだ会って一時間も経っていない、佐天にも伝わってきた。

 

 そして、佐天は思い知らされた。自分の薄汚さを。

 

 先程言いかけた。

 

 せっかく、会えたのに。

 

 それは、インデックスに対してなのか。

 

 それとも、魔術という、“自身が手に入れられるかもしれない特別な力”に対してなのか。

 

 どちらの比重が大きかったのか、気づいたから。

 

 そして、そんな自分を巻き込まない為に、優しく突き放してくれた。

 

 彼女の、途方もない優しさに、気づいたから。

 

 

 自分は、幻想御手(レベルアッパー)に手を出した、あの時と同じことを――――

 

 佐天は、目に涙を溢れさせることしか出来ない。

 

 死地に赴く彼女に、何も言うことが出来ない。

 

 インデックスは、そんな彼女を優しく見つめ、踵を返し、佐天に背を向ける。

 

 

 

 振り返ると、そこにはツンツン頭の少年がいた。

 

 

 

 彼は微笑み、白いシスターに優しく語りかける。

 

「俺がついていってやるよ」

 

 彼は、まっすぐインデックスの元に歩み寄る。

 

「地獄だろうと、どこだろうと」

 

 その足取りは、まるで帰るべき場所に帰るかのように、自然だった。

 

 

「俺が、お前をそこから引き上げる。地獄の底から、引きずり出してやるよ」

 

 

 上条は、インデックスの前に立つと、その右手を差し出す。

 

 

 幻想を打ち砕き、神様だって殺せる、その右手を。

 

 絶望的な幻想(うんめい)を抱え、残酷な神様の奇跡(システム)に苦しめられる少女に。

 

 

 それは、彼なりの再会の挨拶だった。

 

 

「俺の名前は、上条当麻っていうんだ。 “初めまして”」

 

 彼は言う。

 

 震えそうになる心を必死に押し殺し、荒れ狂う感情を必死に押し戻して。

 

 旧知の彼女に向かって、初対面の自己紹介をこなす。

 

 そして、優しい笑顔を取り繕い、言葉を絞り出す。

 

 呆気にとられながら、呆然と握手に応える彼女に。

 

 また一から、始める言葉を。

 

「名前を、教えてくれないか?」

 

(あの時のお前も、こんな気持ちだったのかな。 “インデックス”)

 

 

「あの……ええと……。私の名前は、インデックスっていうんだよ」

 

 返ってきた言葉は、かつて透明な少年が初めて覚えた名前と、同じ名前だった。

 

 

「…………そうか。よろしくな。インデックス!」

 

 こうして、上条当麻は、インデックスと“出会った”。

 





 次回、あの男が登場です。


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魔術師〈ステイル=マグヌス〉

 なんかちょっと僕も書きたくなってきたなぁ。

 歩く教会を破壊せずにどうにかインデックスをはd――いえ、なんでもないです。


「えぇと……上条さん?」

 

 佐天は戸惑っていた。

 さっき初春からもうすぐ着くというメールは届いたが、それが届いてからまだ五分も経っていないのに、どうして上条がここにいるのか――という疑問もあったが、一番の疑問は上条の瞳だった。

 

 まるで、長年生き別れていた家族に再会したかのような、そんな優しい瞳。

 

 その儚い微笑の裏に、ものすごい量の感情が渦巻いていて、それを必死に押し殺しているかのような、今にも泣き出してしまいそうな笑顔。

 

 それもそうだろう。上条にとっては、体感的に数万年ぶりの再会なのだ。

 

 だが、彼はインデックスに初めましてといった。自己紹介もしていた。

 つまり、上条とインデックスは初対面ということ。

 

 それも正しい。“この”インデックスと上条は初対面なのだ。上条が勝手に懐かしがっているに過ぎない。

 

 それも、上条は理解している。

 そのような再会は、この世界に来てから幾度となくあった。だから、上条は必死に感情を押し殺す。

 

 しかし、そんな葛藤は佐天には分からない。不思議に思うしかない。

 なので、上条を呼びかける声も恐る恐るといった感じになってしまった。

 

 上条もそれに気づいたのだろう。

 不自然なほどの明るい声で佐天に答えた。

 

「おう、佐天!……よかった、元気そうだな。もう体は大丈夫なのか?」

「……え、ええ、もうすっかり。検査の結果が出て問題なかったら、そのまま退院できるそうです」

「えぇ!? るいこ、どっか悪いの!?」

 

 佐天の言葉にインデックスが驚愕といったリアクションをとる。

 それに上条が呆れたように返す。

 

「おいおい、インデックス。ここは病院だぞ、察しろよ。佐天も入院着だろうが」

「だって、おいしい料理たくさん出てくるから、てっきりレストランかなんかだと思ったんだよ」

「…………佐天。お前、コイツにメシ食べさせたのか」

「…………はい」

「…………そうか。…………頑張ったな」

「…………はい」

 

 なにかを共有した、遠い目の上条と佐天。

 それをインデックスは「?」といった感じで首を傾げている。

 

 冷静に考えれば、初対面のはずの上条がインデックスの食欲を知っているはずがないのだが、もう色々あり過ぎて混乱マックスの佐天はそこには気づかなかった。

 

「……それでるいこ? 体は大丈夫なの?」

「あ、うん。大丈夫だよ。……心配してくれてありがとうね、インデックスちゃん」

 

 インデックスの優しさに、胸が痛くなる佐天。

 

 上条はそんな二人を見つめ、口を開く。

 

 

「なぁ、佐天。インデックスのこと、頼んでいいか?」

 

 

「え、どういうことですか?」

「そうだよとうま! 私は追われてるの! ここにいたら大勢の人を――――」

 

「分かってる。だから、お前を追ってくる“魔術師”とは、俺が話をつけるさ」

 

 上条はそう言い放ち、インデックスは分かりやすく目を見開いた。

 

「…………君、魔術師を知ってるの?」

「ああ、知り合いがいる。そもそも、そいつから連絡を受けて、俺は一足早くここに駆けつけたんだ」

 

 上条は、幻想御手(レベルアッパー)事件が解決し、佐天が目覚めたとの朗報を受けて皆が喜んでいるときに、そいつから連絡を受けた。

 

 禁書目録が、この街の人間と接触した、と。

 

 上条は、基本的にこの街から出ることが出来ない。

 

 それは風紀委員(ジャッジメント)という役職もそうだが、本来なら無能力者(レベル0)とはいえ幻想殺し(イマジンブレイカー)などという特異な能力を持つこの男が気軽に学園都市外に出ることなど出来ないのだ。

 

 前の世界でそれが可能だったのは、禁書目録の守護者という名目と、アレイスターの命を受けた土御門という橋渡し役がいたからこそ。

 

 だから上条は、インデックスがこの街に来るまで、救いに駆けつけることが出来なかった。

 

 それでも努力はした。

 自分に出来る限りの魔術サイドの人間とのパイプを獲得し、インデックスの情報を手に入れ、首輪を付けられるのを未然に防ぐことは出来ないかを画策した。

 防ぐことは出来ないまでも、せめてあの二人に真実を教えることは出来ないかどうかも。

 

 結果的に、それは出来なかった。

 

 禁書目録は、イギリス清教のトップクラスの切り札。

 

 それほどの計画を、学園都市の中から一学生が人づてに妨害できるほど、甘くなかったのだ。

 

 だからこそ、上条はただ待つことしか出来なかった。

 

 首輪が完成して、インデックスの逃亡生活が始まったと知ってから、上条はただ待った。

 

 下手に介入して、この街に辿りつかなくなってしまったら、もう上条に打つ手はない。

 

 誰も幸せにならない、悲しみのバッドエンドを繰り返す無限ループを、上条当麻は終わらせることが出来ない。

 

 だからこそ、あの白い修道服の少女が学園都市に侵入した時点ですぐに連絡するように、上条はアイツに頼んでいた。

 

 だが、幻想御手(レベルアッパー)事件のトラブルのせいなのか連絡が遅れ、結果的に上条の元に連絡が着いたときには、すでに佐天を巻き込んだ後だった。

 

 しかし、まだだ。

 見た所、インデックスは無傷。歩く教会も壊れていない。

 まだ、手遅れじゃないはずだ。

 

 ここからが、上条当麻の出番だ。

 

「俺は、お前がどういう存在で、どういう理由で追われてて、どういう奴らに追われているのかを、ちゃんと知ってる」

 

 上条は、言い放つ。

 

 言いたくて仕方がなかった言葉を、救いたくてしょうがなかった少女に向けて。

 

 

「その上で、助けるって言ってんだ。だからお前はここで、新しい友達とガールズトークでもしてろ」

 

 

 上条は優しく微笑む。慈愛に満ちた瞳で、初対面の白い少女に向かって。

 

 そんな笑顔に、インデックスは顔を歪ませるばかりで、何も言えない。

 

 

 インデックスには、味方はいなかった。

 

 いるのは、ただ自分の頭の中の103,000冊の魔導書を狙う、見知らぬ敵のみ。

 

 味方はいない。覚えていない。

 

 だから逃げた。逃げて逃げて逃げて、こんな科学の街に迷い込むまで逃げ続けていた。

 

 

 皮肉にも、そんな街で、彼女は味方と友達に出会った。

 

 

「…………で、でも! 危ないよ! 殺されちゃうかもしれないんだよ!」

 

「知ってる。その上で、助けるって言ってんだ」

 

「…………私は、魔導書図書館で、103,000冊の魔導書を記憶してる、魔神クラスに危険な存在なんだよ」

 

「それがどうした。それで怖がるとでも? あいにくそこまでデリケートじゃねぇぞ」

 

 上条は、本物の魔神を知っている。

 それに、上条は前の世界では誰よりもインデックスと共にいた。そして、上条はインデックスを危険だと感じたことはなかった。

 

 

 彼女はいつだって、上条の帰りを待っていてくれる、誰よりも身近な家族だった。

 

 そんな彼女を、怖がるはずがない。気味悪がるはずがない。

 

 

「ほ……ほんとうに……たすけて…………くれるの?」

 

 それは、誰よりも強くて、誰よりも優しい少女が流した、一筋の涙。

 

 上条当麻が、命がけで戦うには、十分過ぎる。

 

 

「あたりまえだ」

 

 

 上条は、佐天に目で意思を伝える。

 

 彼女には、何が何だか分からないだろう。

 魔導書だの、103,000冊だの、魔神だの、意味が分からないだろう。

 

 彼女に分かるのは、また上条が誰かの為に戦いに出るということだけ。

 

 なら、自分に出来ることは――――

 

 佐天は、涙を流すインデックスを、後ろから抱き締める。

 

「いってらっしゃい。インデックスちゃんは、私に任せてください。こんな可愛い子、何度も泣かせちゃダメですよ」

 

 上条は、そんな佐天に力強く頷く。

 そして、踵を返し、歩き出す。

 

「よし。行くか」

 

 上条は颯爽と、二人の少女の元を後にし、新たな戦場に向かった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 残されたインデックスと佐天はしばしそのままだったが、やがて涙声のインデックスが、佐天に問いかける。

 

「ねぇ……るいこ」

「…………なぁに?」

「とうまって…………なにもの?」

 

 

「…………ヒーローだよ。困っている人がいたら、どこからともなく駆けつけて、助けてくれる。……………そんな、ヒーロー」

 

 

 佐天の言葉はどこか誇らしげで、どこか寂しげだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ここは、学園都市随一(つまり世界随一)の名医――冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の私病院なので、それなりの規模と大きさを誇る。

 

 上条は、その病院の入口前の広場にいた。

 入院患者さん達が束の間の解放感を味わうためのスペースだと思われるが、今は誰もいない。

 

 繰り返すが、ここは世界的な名医である冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)が院長を勤める病院だ。

 彼の腕は世間一般に広まってはいないが、どんな重傷患者でも見捨てないということと、格安の治療費(前回の上条があのペースで入退院を繰り返し、“家計を圧迫する程度”で済んでいたことからも窺える)から評判は抜群で、この夕方でも人が0などありえない。

 

 それは、つまり―――

 

(人払いか。定番だな)

 

 すでに上条にとってはお馴染みとなった術式。それが展開されている。

 

 

 上条は、インデックスと佐天がいる病院を背に――

 

 

――こちらに向かって歩いてくる“赤髪長髪の神父”を迎え撃つ。

 

 

「おい。ここはもう病院の敷地内だ。こんな健康第一の空間で、バカみたいにプカプカやってるお前は何者だ」

 

 上条は、挑発的に尋ねる。

 

 分かりきっていることを。

 

 

「うん? ただの魔術師だけど?」

 

 

 漆黒の修道服に、右目の下にはバーコード。

 咥えている煙草の煙と甘ったるい香水の匂いが混ざり合った香りが、風下の上条の元にも届く。

 

 ステイル=マグヌス。

 

 上条は、これまた初対面の彼が魔術師だということも、彼の本名も知っていた。

 

 出会う前から、知っていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その男――ステイル=マグヌスは目の前の少年に細めた目を向けた。

 

 上条の推測通り、ここら一帯には人払いの結界を展開してある。

 

 そんな中、自分の行く手を遮るように立つ少年。

 制服を着ていることから、この街の人間――つまりは科学サイドの人間。魔術とは縁のない人間のはずだ。

 

 そんな人間がどうしてここにいる? いることができる?

 

 ステイルは警戒心を抱きながら、一応少年に向かって言う。

 

「そこをどいてくれないか? 君に用はないんだ」

「そうか。……目当てはインデックスか?」

 

 その瞬間、ステイルの雰囲気が変わる。

 語調も荒く、敵意を剥き出しにする。

 

「あの子を知っているのか?」

「やはりか。……なに、“お前達と同じ理由だよ”」

 

 ステイルの目がカッ!と見開く。

 

 歯を喰いしばり、咥えていた煙草を吐き出す。

 

「Fortis931!!」

 

 即座に臨戦態勢に入る。

 

 お前達と同じ理由。

 

 ステイルはこの言葉を“禁書目録を利用するために確保しに来た”と受け取った。

 

 つまり、こいつはインデックスの――――あの子の敵だ。

 

 ステイルにとって、こいつを殺すにはそれだけで十分だった。

 

 それだけが理由だった。

 

 魔法名を――殺し名を叫び、炎剣を出現させる。

 

「炎よ――――」

 

 そして、上条に向かって振り下ろす。

 

 一瞬の迷いなく。一分の躊躇なく。

 

「―――――――巨人に苦痛の贈り物を!!!」

 

 

 圧倒的な殺意を持って。

 

 大切な少女(インデックス)を害するものを滅ぼさんと。

 

 

 上条は、そんなステイルを冷たい眼差しで見据え、瞬きすらせず、一歩も動かず。

 

 

 右手を横に一振り。

 

 

 その一挙動で、ステイルの渾身の一撃は、破砕音と共に消失した。

 

 目の前の現実が、理解できないステイル。

 

「――――――な」

 

 手加減はしなかった。当然だ。あの子を害する悪意に、手心を加えるようなステイル=マグヌスではない。

 

 だが、今まで幾度の敵を燃やし尽くしたステイルの炎剣は、目の前の少年の裏拳一つで吹き飛ばされた。

 

 ありえない。

 

 

 そんなステイルの混乱をよそに、上条は後ろに払った腕の動きを無駄にせず、体を開き、弓のように力を蓄えていた。

 

 うろたえるステイルの硬直しきった体に向かって、上条の右拳は、矢のようにまっすぐにステイルの顔面に――――

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条は、目の前の男が気に喰わなかった。

 

 上条は知っている。

 目の前の男――――ステイル=マグヌスという男が、どういう男であるのか。

 

 上条は別に、ステイルと友達というわけではない。

 

 会ったのも、数度。

 そのどれもが厄介な事件の渦中で、平和な日常の中で会話を交わした覚えはない。

 

 口を開けば、ぶつけられるのはほとんど嫌味と皮肉。

 お世辞にも仲が良いとは言えなかった。

 

 

 だけど、知っている。上条当麻は知っている。

 

 ステイル=マグヌスにとって、世界で一番大事なものは、インデックスであるということを。

 

 上条はステイルと会う数少ない機会で、毎回言われた。

 姑が嫁に小言を言うように。

 

 あの子は無事か。

 あの子を悲しませていないか。

 あの子を傷つけたら、僕はお前を許さない。

 

 初対面時の記憶がない上条にすら、嫌というほど伝わった。

 

 インデックスという少女が、ステイルにとってどういう存在なのか。

 

 

 だからこそ、信じられなかった。

 

 今、ステイルが、インデックスの記憶を奪うべく、こうして参上したことが。

 

 

 知識では知っていた。なんとなく、聞いてはいた。

 記憶はないが、知識という形では。

 インデックスの記憶を毎年消すことで、“とりあえず”苦しみから解放する。

 そういうことを、ステイルと彼女が行っていたことを。

 

 

 それは、インデックスも、ステイルも、彼女も。

 

 誰も幸せにしない、バッドエンドの無限ループであるということを。

 

 

 上条の前に立つこの男は、役者の仮面を被っている。

 インデックスを狙う魔術結社の刺客という役割を演じている。

 

 誰よりも大切なインデックスに敵意を向けられ、恨まれ、憎まれることを覚悟し、それを氷のように感情を消した心で受け入れる。

 それを繰り返すこと。

 それを耐える為に、身に付けた仮面を貼り付けている。

 

 

 それが、上条当麻は気に喰わない。

 

 心の底から、気に喰わない。

 

 

「なに。“お前達と同じ理由だよ”」

 

 そうだ。

 俺は、お前たちと同じ。

 

“インデックスを助けたい”という理由で、ここにいる。

 

 

 上条は、心の中でそう言った。

 

 案の定、ステイルは激昂する。

 すぐさま臨戦態勢に入り、上条を敵として認識し、排除しようとする。

 

 その様を、上条は氷のような眼差しで見据える。

 

 ステイルは、上条を“インデックスを魔導書図書館として利用しようとする敵”と誤解している。

 

 上条もそう捉えかねない言葉を敢えて選んだ。

 

 だが、上条はこう言った。お前たちと同じ理由だと。

 

 それは、つまり。

 

 

 自分達も、インデックスの敵であるという自覚があるってことじゃないか?

 

 

 上条は歯を喰いしばる。

 

 心底、気に入らない。

 

 

 上条は見た。見せられた。

 オティヌスが創り出した、誰もが『しあわせな世界』。

 

“上条当麻がいなくても”、上条が何もしなくても成立した、みんなが笑顔な世界。

 

 そこには、上条当麻ではなく、“ステイルと彼女がインデックスを救い”、みんな幸せそうに笑っている光景があった。

 

 確かに、あの世界の奇跡全てが存在する世界。そんなものは、魔神(オティヌス)でもいない限り実現不可能だろう。

 

 だが、あの世界に詰まった“奇跡一つ一つを各々実現させること”は、決して“不可能ではない”。

 

 とんでもなく難しくても、途方もなく遠くとも、起こせる奇跡なのだ。

 

 起こせたはずの奇跡なのだ。

 

 

 インデックスを救うヒーローの役割を、ぽっと出の上条に掻っ攫われることなく、自分達のその手で、ハッピーエンドを掴みとる。

 

 そんな“正しい物語”が、あったはずなのだ。それこそが、あるべき100点満点だったはずなのだ。

 

 そんな答えに、辿り着けたはずなのに。

 

 

 

 ステイルの炎剣が、上条に迫る。

 

 だが、上条はうっとうしげに右手で振り払う。

 

 渾身の一撃を、一瞬で無効化され、目を見開き硬直するステイルを、上条は睨みつける。

 

 

 

 だが、コイツは放棄した。

 

 誰よりも、何よりも大切なインデックスを助けることを放棄した。諦めた。

 

“とりあえず”に、逃げやがった。

 

 

 

 上条は、歯を喰いしばり、右拳をギチッという音が聞こえる程に渾身の力で握りこむ。

 

 

 コイツは――

 

 本当に――

 

 

「気に喰わねぇ!!!!!!」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――――上条当麻の右拳が、ステイル=マグヌスの顔面を貫いた。

 

 

 

 

 

 ステイルの2m近い長身がこちらもm単位の飛距離で吹き飛ぶ。

 

 ダンッ! とステイルの体が地面に着地し、ズザァァッッ! と削らんばかりに引きずられる。

 ステイルは起き上がらない。完全に気を失っている。

 

 

 

 上条当麻vsステイル=マグヌスは、わずか一撃で勝敗が決した。

 

 

 




 ……ええ、ステイルファンの皆さん、とりあえず手に持った石つぶてを置いてください。

 彼の出番は、見所は後にちゃんと用意していますから。本当ですよ?だからごめん殴らないで。


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前兆〈タイムリミット〉

 タイトル通り、あくまで前兆です。残された時間は少ないということです。


 気絶しているステイルを見下ろしながら、上条は制服の内ポケットから取り出した携帯で電話を掛ける。

 

「もしもし。今、大丈夫か、土御門?」

『どうした、カミやん。もう済んだのか?』

「ステイルは倒した。そっちはどうだ?」

『…………必要悪の教会(ネセサリウス)の天才魔術師をもう倒しちまったのか。カミやんぱねぇ……』

 

 土御門は上条の規格外っぷりに引いていたが、すぐに聞かれたことに答える。

 

『神裂火織は捕捉している。いつでも接触可能だにゃ~♪』

「そうか。なら、さっそくこちらのことを伝えて、ステイルを回収させてくれ。ついでに人払いの結界と、ここらへんにばら撒いてるだろうルーンのカードも全部。――――それから、今夜八時、街外れの公園で待つ。インデックスのことで話がある、と伝えてくれ」

『……了解だにゃ~。……分かっているとは思うが、カミやん。ねーちんは聖人。こういっちゃなんだが、ステイルのようにはいかないぜ』

「分かっている。だから、アイツを連れていく。後のことは…………任せたぞ」

『…………分かった。お姫様は任せろ』

 

 上条は電話を切り、ステイルをベンチに寝かせた所で、再び電話をかけた。

 

「もしもし、御坂?」

『ちょっと、アンタ今どこいんのよ!? 急にいなくなるし、電話通じないし、なぜかこっちは病院に辿りつけないし!?』

 

 上条は電話口から轟く怒声に、思わず耳から電話を遠ざけてやり過ごし、落ち着いた所で再び耳に当て、質問に答える。

 

「…………実は、上に呼ばれてな。単独行動の件で色々と絞られてたんだ。そんで、一人で病院に向かったら、まだお前たちが来てなくてな。それで電話したんだよ」

『一言くらい声かけていきなさいよね。…………こっちもすぐ近くまできているはずなんだけど、なぜかたどり着けないのよ。ナビも目的地周辺って言ってるんだけど……』

 

 学園都市のカーナビゲーションシステムは、世界一高性能で正確だ。

 100%の的中率を誇る天気予報を実現させる衛星システムを誇る学園都市の技術力が、単純な道路ナビゲーションを失敗するなどありえない。渋滞情報すら、統計学や集団心理学まで応用して、数週間単位で言い当てるレベルである。

 それがミスリードするなどありえない。これを使えば某765プロのAさんでもない限り、迷子などあり得ないのだ。

 

 だが、その現象の元凶も、それがもうすぐ解除されることも知っている上条は、その病院の敷地内から出ながら何でもない風に言った。

 

「……そうか。生憎、俺はまた仕事に行なきゃならない。合流することはできそうもないんだ。……それに、もうすぐ面会時間が終わるからな。佐天には俺が言っておくから、明日の面会時間一番で行ってやったらどうだ? どうせ、夏休みだろう?」

『………………でも』

 

 気持ちは分かる。

 今回の幻想御手(レベルアッパー)事件で、上条達の中での一番の被害者は佐天だ。

 

 そんな佐天に事件の終結を一刻も早く直接告げたいのと同時に。

 

 伝えたいのだろう。気にするな、と。

 

 そして、これからも一緒に頑張ろうと。

 

 私達の友情は、変わらない、と。

 

 御坂だけではない。白井も、そして何より初春が。

 

 そうしてようやく、幻想御手(レベルアッパー)事件は、本当の意味での真のハッピーエンドを迎えるのだろう。

 

 上条もそれは重々承知だった。

 そして、それを出来ることなら叶えてやりたかったが、今は、タイミングが悪い。

 

 インデックスがいる。

 インデックスに関わるということは、それはすなわち魔術サイドの最奥部に関わるということなのだ。

 

 上条は、出来る限り科学サイドの人間を魔術サイドの問題に関わらせたくなかった。

 

 すでに佐天を巻き込んでしまったことも痛恨の極みなのだ。

 そして、これは一人も二人も変わらないという問題ではない。

 

 この後、首輪から解放されたインデックスと友達になる分なら大きな問題にはならないだろうが、この後の幾つかの行程で、インデックスの運命は180°変わる。

 

 はっきり言って、バードウェイのように、何も知らない無知で科学な子供達に文庫本一冊分の説明をしている時間はない。

 

 だから、上条は心を痛めながら、少々卑怯な手を使った。

 

「佐天は病み上がりだ。無理させてやるな。それに病院には他の幻想御手(レベルアッパー)被害者もいるんだ。お前達だけ、特別扱いってわけにはいかない」

『…………分かったわよ。それじゃあ、せめてアンタだけでも、ギリギリまで傍にいてあげて』

「…………悪いな。初春の説得は骨が折れるだろうが、よろしく頼むよ」

 

 今の悪いなは、二つの意味が込められていた。

 

 上条は、佐天の傍にいてやれない。

 

 逆に、佐天にインデックスの傍に居てもらっていた。

 

 上条は、自分はこっちの世界に来て、嘘と隠し事がうまくなったと思う。

 慣れはしないけれど。

 

 これが大人になるということなのか。精神年齢では数万歳の上条は少し悲しくなった。

 

 上条は、歩き出す。

 

 いまだ自身に嘘を吐き続け、自分の心を痛め続ける優しい聖人を救うため。

 

 もう一人の、インデックスの為に命を懸ける男の元へと。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻が足を踏み入れたのは、12階建ての四棟のビルが『田』の字に配置されたある商業ビルだった。

 

 学園都市では比較的珍しくもない、風景に溶け込む程度の個性。

 

 ここはある意味で学生の街――学園都市らしい施設だ。

 

 上条はそんなビルの外観にまったく注意を向けず、あっさりと中に入る。

 

 そして、東西南北の四棟十二階というそれなりの部屋数を誇るこの施設の中の、たった一つの目的の部屋に最短ルートで辿りつく。

 

 北棟の最上階。

 

 校長室。

 

 この施設――――予備校『三沢塾』学園都市支部校の長が居るべき、ワンフロア丸々使ったこの広大な空間に、この街の教育事情に何の知識もない、一人の“錬金術師(せんせい)”がいる。

 

 上条はノックもせずにその部屋の扉を開けた。

 

 部屋の主である緑髪にオールバックの純白スーツの男は、そんな上条の態度に眉を潜めるどころか、待ち人がついに現れたといった歓喜の表情を浮かべた。

 

「……ふむ。ついに時は来たか」

「ああ。インデックスが、この街に来た」

 

 上条は言う。

 

 かつて、インデックスの救世主(ヒーロー)になれなかった男に。

 一人の少女の為に、全てを捨て、世界を敵に回した男に。

 

 告げるべき、たった一言を。

 

「インデックスを助ける。力を貸してくれ」

 

 その男――――アウレオルス=イザードは、簡潔に答えた。

 

「当然。この力は、彼女の為に」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 病院の一室。

 そこでは佐天涙子がインデックスとガールズトークを繰り広げていた。

 

 検査の結果、後遺症のようなものも見つからず、明日には無事退院することが決まった佐天。

 

 すでに面会時間は終了しているが、行く宛のないインデックスは、ここで一夜を明かすことになった。

 

 始めは佐天を巻き込んでしまうことを危惧していたインデックスだったが、上条にインデックスを頼まれた佐天は頑として引かず、インデックスも行く宛がないのは事実だし、あれから追手も現れないし、上条をこのまま放っておけないけれど連絡がとれるのは佐天だし等々の理由で、好意に甘えることにした。

 

 年齢は同じくらいだが、住んでいた国も、育った環境もバラバラ。

 従って話の話題は、上条のことが多くなった。

 

 二人とも上条との付き合いは浅い。

 インデックスに至っては一分くらいしか会っていないのだが、意外に話は盛り上がった。

 

 話し手の佐天が話上手というのもあるが、やはり上条に関するエピソードは一つ一つが波乱万丈というのが大きいのだろう。

 それぞれにドラマがあり、盛り上がり所や笑い所がたくさんで、二人とも終始笑顔だった。

 

「――――そこで、上条さんがバッ!と飛び出して、敵の攻撃を打ち消したんだよ!」

「へぇ~。とうまは、そういう能力者なの?」

 

 そして、上条の武勇伝を語るには、上条の右手――幻想殺し(イマジンブレイカー)の話は避けられない。

 

 だが、その話を語る佐天の表情は、少しだけ暗かった。

 

 彼女からしたら、自分と上条の住む世界を決定的に違える部分だから。

 

 

「……超能力じゃなくて、生まれつきらしいけど」

「……そのとうまの右手って、もしかして魔術も打ち消せるの?」

「え? どうだろう――」

 

 その時、佐天は思い出した。

 

『俺の右手には異能の力なら何でも打ち消す『幻想殺し(イマジンブレイカー)』って力が宿ってるんだ』

 

 上条はそう言っていた。

 異能の力。超能力とは言っていない。

 もしかしたら、上条はこの時すでに魔術の存在を知っていて、それであんな言い方をしていたんじゃないのか。

 

 佐天はそんな見解をインデックスに話した。

 

 そして、それを聞いたインデックスは顎に手を当て、何か思考し始めた。

 

「……インデックスちゃん?」

「……とうまはよく『不幸だーーーー!!』って言うんだよね」

「うん。実際、上条さんはツイてないんだよ。よく財布は落とすし、おまけつきのおまけが付いてなかったり、自販機にお札呑まれたり。それになにより、しょっちゅうトラブルに巻き込まれちゃうし」

 

 先程、散々盛り上がった上条の不幸エピソードを、幻想殺し(イマジンブレイカー)の話と繋ぎ合わせてインデックスはこんな結論を出した。

 

「たぶん、とうまはその右手の力で神様のご加護とか、運命の赤い糸とか。そういうのも打ち消してしまっているのかもね」

 

「――――――え?」

「その幻想殺し(イマジンブレイカー)っていうのが本当なら、だけど」

 

 佐天は、インデックスの話に絶句した。

 

 もしそれが本当なら。真実なら。

 

 

 言うならば、上条の特別な力は、自身の幸福の対価ということになるではないか。

 

 

 それは、果たして等価か?

 

「何が一番の不幸って、そんな力を持って生まれたことが不幸だよね」

 

 そう言って、インデックスは憂いの篭った目で、窓の外を見る。

 

 もうすっかり暗くなり、遠くまで見通せない外を。

 

 自身が持ちこんだ不幸に巻き込んでしまった少年を思って。

 

 

 

 佐天は、いたたまれなくなり、「ちょっとジュース買ってくるね」と言って、インデックスを残し、病室を後にした。

 誰かが配慮してくれたのか個室だったので、少しくらい外してもインデックスのことはバレないだろうと思ったのだ。(もうすでに結構なボリュームの声でおしゃべりをしていたのだが)

 

 暗い、最小限の明かりのみの病院特有の廊下で、佐天は考える。

 

 

 自身が羨んだ特別な力を。住む世界が違うと嫉妬すら通り越して絶望すら感じた主人公のような能力を。

 

 インデックスは、持って生まれたことが不幸な力だと言った。

 

 

 確かに特別な、凄い力だ。

 

 だが、考える。

 

 

 もし、自分が上条と同じ能力を持っていたとしても、上条のようになれたか?

 

 

 能力を無効化する右手。

 はじめに聞いたときは、チートだ、無敵だと思ったものだが、もし、自分の右手がそういう力を宿していたとして、例えば御坂に勝てるか?白井には?食蜂には?縦ロールには?

 

 勝てない。おそらく勝てない。

 

 そして、その力の代価は、己の幸福だという。

 

 例えばさっきのエピソード。あれは上条だから笑い話や武勇伝になったが、もしそれが自分の日常だったらどうだ。

 

 毎日のように不良に絡まれ、危険な事件に巻き込まれ、度重なる不幸に襲われる。

 

 少なくとも、代わりたいとは思わない。たぶん、心が折れて、絶望する。

 

 それが代価。特別な力を持つ代わりに、払うべき代償。

 

 上条も背負っている。

 ヒーローであるが故のデメリットを、きちんと享受している。

 

 佐天は、そんなことにすら気づかず、安易に力を求めた。

 

 持つもののいい面しか見てなかった。

 

 自分の浅さ、浅ましさが、改めて嫌になる。

 

 

 

 ガコン 

 自販機で二本のジュースを購入する。

 その内の一本――自分用にと購入したヤシの実サイダーを額に当て、思考で熱くなった頭を冷やす。

 

 コンプレックスを抱えるのは後だ。自己嫌悪は後回しだ。

 

 今、自分がすべきことは、インデックスと一緒にいることだ。

 命を狙われているという彼女の傍に居て、少しでも不安を和らげることだ。

 

 上条に任された大事な役目だ。今は自分に出来ることを。

 

 そう気合を入れ直し、病室に戻る。

 

「ただいまインデックスちゃん。学園都市の試作飲料だから口に合うか――」

 

 その言葉は最後まで発せられなかった。

 

 

 インデックスは、佐天のベッドに顔を埋めるようにして苦しんでいた。

 

 




 次回こそ、vs神裂。


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錬金術師〈アウレオルス=イザード〉

 今回の主役は、タイトル通りあの男です。


 

 ここは第七学区の郊外の公園。

 人工物だらけの学園都市には珍しく、林といっていいほどの自然がある。(これも人工的に植えられたものなので自然といっていいかは分からないが)

 公園の中央には噴水。これの周りを走れば、ちょっとしたジョギングになる程度の広さがある。

 

 その噴水の近くの一本の街灯の下。

 時刻は、午後八時。

 

 上条当麻とアウレオルス=イザードは居た。

 

 言葉を交わすことも、目線を交わすこともなく、ただ待つ。

 

 上条は、右手を左手に叩きつけ、闘志を蓄える。

 

 アウレオルスは、ポケットの中に両手を入れ、精神を統一する。

 

 そして両者は、この広大な公園のただ一点を見つめる。

 

 奴は、彼女は、必ず真正面から来る、と。

 

 

 そして、彼女は来た。真正面から、悠々と、堂々と。

 

 

 裾を結び臍が見える着こなしをした真っ白のTシャツに片足だけ大胆に切ったジーンズ。

 一本のポニーテールに結ばれた、たなびく長髪の黒髪。

 

 そして、拳銃のように腰にぶら下げられた、2m以上の長さの日本刀――『七天七刀』

 

 ロンドンでも十指に入る魔術師。世界に二十人といない聖人。

 

 神裂火織。

 

 上条当麻が知る中でも、文句なしに最強クラスの戦闘力を誇る彼女が。

 

 今、上条を明確に敵とみなし、襲い掛かる。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あなたが、土御門を通して、私をここに呼んだのですか?」

 

 この世界で初めて聞く神裂の声は、今まで上条に向けられたことのない威圧感で満ちていた。

 

 多少怯んだが、今の上条はそんなことでは呑まれない。

 

「ああ。来てくれて助かるよ」

「それで」

 

 神裂は、上条の言葉に間髪入れずに答える。

 

「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」

 

 その言葉と同時に、先程までとは段違いの殺気が振り撒かれる。

 

 上条には、この殺気には別の意味も込められていると感じた。

 

 多少こちらの事情を知っているのなら、私が“どういう存在”か知っているだろう、と。

 

 降伏しろ、と。そう言外に告げている。

 

 上条は、そんな神裂の心中を察して、

 

「それは無理だ」

 

 両断した。

 神裂の眉がピクリと動き、

 

「……仕方ありません」

 

 神裂が腰の刀に手を伸ばす。

 

 

 その時、上条達と神裂の間に“炎”が舞い上がった。

 

 

 上条は舌打ちする。やはり来たか、と。

 

 先程、上条はステイルを一撃で圧倒した。言うならば、圧勝しすぎた。

 

 ステイルからすれば、何がなんだが分からない内に戦闘が終了してしまったのだ。

 

 負けを認める、暇もなく。

 

 だから、ステイルは再戦に来た。

 だが、ステイルと神裂の戦闘スタイルは決して相性がいいものではない。

 

 機動力に欠くステイルは、神裂の近くに居ては正直言って邪魔なのだ。

 

 ステイルもプロの魔術師だ。その辺は弁えている。

 

 だからこそ、これだ。

 遠距離からの、姿を隠しての――『魔女狩りの王(イノケンティウス)

 

 ステイル=マグヌスの最強の魔術が、聖人とタッグを組んで、上条達に牙を剥く。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 神裂相手だと、アウレオルスとの二対一でも勝つのは難しい。

 その上、今は魔女狩りの王(イノケンティウス)まで相手に加わっている。

 

 勝算はないに等しい。

 

 だから上条は、言葉をぶつける。

 

 神裂との間に立ちふさがる、魔女狩りの王(イノケンティウス)に向かって拳を握りながら。

 

「お前らは、イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の魔術師! つまりインデックスの仲間だろう! それなのに、なぜインデックスに危害を加えようとする!?」

 

 上条は燃え盛る炎の向こう側にいる神裂に向かって叫ぶ。

 

 その言葉を聞いた神裂は一瞬体を震わせながらも、淡々と無感情に答える。

 

「……土御門から、聞いたのですか?」

 

 確かに土御門からも聞いたのだが、これは上条自前の情報だ。

 だから、上条は神裂の問いには答えず、更に言葉を投げかけようとする。

 

 だが、その前に魔女狩りの王(イノケンティウス)が上条に襲い掛かる。

 

 上条はその炎の巨神に右拳を叩き込む。

 

 魔女狩りの王(イノケンティウス)は木端微塵に吹き飛び、威風堂々と屹立する聖人の剣士が上条の視界に現れる。

 

 彼女は、神裂火織は、ただ射竦めるように上条を睨みつけていた。

 

 上条は、そんな神裂を睨み返しながら、臆することなく言葉をぶつける。

 

「もう一度問う。なぜだ。なぜ仲間のインデックスを襲う?」

 

 神裂は答えない。

 

 そして、上条の背後から、復活した魔女狩りの王(イノケンティウス)が再び襲い掛かる。

 

 魔女狩りの王。イノケンティウス。その意味は『必ず殺す』。

 

 必殺の名を持つ摂氏3,000℃の怪物は、標的を燃やし尽くすまで、何度でも、何度だろうと蘇る。

 

 上条は、そのことを知らないはずだ。

 だからこそ神裂は、刀を抜かずに、ただ待った。

 

 

 だが、上条は後ろを振り返ることなく、渾身の裏拳で再び魔女狩りの王(イノケンティウス)を粉砕した。

 

 

 そのことに、神裂も、離れた所にいるステイルも困惑した。

 

 上条にとって、魔女狩りの王(イノケンティウス)はステイルの代名詞ともいえる魔術だ。

 味方として肩を並べて戦ったこともある。不死の特性など織り込み済みだった。

 

 そして、ステイルが魔女狩りの王(イノケンティウス)の背後からの不意打ちを狙ったおかげで、神裂との間に障害物はなくなった。

 

 上条は、聖人に向かって特攻を仕掛ける。

 

 神裂はすぐに意識を切り換え、上条を迎えうつべく構えをとる。

 

 ステイルも直ぐに魔女狩りの王(イノケンティウス)を復活させ、上条の後を追わせようとする。

 

 だが、そこに、

 

 

「粉砕せよ」

 

 

 魔女狩りの王(イノケンティウス)に、文字通りの鉄槌が下される。

 巨大なハンマーが出現し、復活した魔女狩りの王(イノケンティウス)をすぐさま破壊した。

 

 再び、神裂とステイルは絶句する。

 己の常識を遙かに超える錬金術に、開いた口が塞がらない。

 

 上条は、ちらりと後ろを振り返り、不可能を可能にした錬金術師――アウレオルスを痛ましげに見つめた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 アウレオルスがこの学園都市に来たのは、今から少し前。

 三沢塾に囚われているという『吸血殺し(ディープブラッド)』を“確保”するためだった。

 

 アウレオルスは、瞬く間に三沢塾を乗っ取り、姫神秋沙が軟禁されているという部屋に向かう。

 

 彼女の力を使って、吸血鬼を呼び寄せ、あの子を吸血鬼にすることで、残酷な宿命から解放する。

 

 人の身では抗えない運命なら、人ではなくせば済む話。

 

 その為なら、自分もいくらでも人の道を外そう。

 

 

 アウレオルスは、すでに誤りはじめていた。

 

 

 だが、アウレオルスの妄執に憑りつかれた計画は、早くもここで頓挫する。

 

 

 

 その部屋に、吸血殺し(ディープブラッド)――姫神秋沙はいなかった。

 

 

 

「な――――――」

 

 アウレオルスは絶望する。

 自分の計画上、吸血鬼を呼び寄せる“吸血殺し(えさ)”は必要不可欠だ。

 

 姫神秋沙がここにいるという情報も、それこそ血眼になってようやく掴んだのだ。

 その為に、こんな科学の総本山にまで足を踏み入れた。

 

 すでにローマ正教を裏切り、魔術サイドに彼の居場所はない。

 

 ここで科学サイドも敵に回せば、文字通り世界が彼の敵になる。

 

 

 …………それがどうした。

 

 

 そんな覚悟、遠の昔に出来ている。

 

 あの子を救うためなら、何だってすると決めたのだ。

 

 

 姫神秋沙の情報を、再び探すのだ。

 ここにいたのは確かだ。まったく手掛かりがないわけではない。

 

 アウレオルスはすぐさま行動に移ろうとして、

 

 

 扉の前に居る少年に気づいた。

 

 

「姫神ならいない。そして、アイツを利用させはしないぞ。アウレオルス」

 

 少年は、男の名前も目的も知っていた。

 

 ローマ正教の手先か?

 アウレオルスは警戒しながら少年に問うた。

 

「間然。お前は誰だ?」

 

 少年は、その質問になんでもないかのように答える。

 

「ただの風紀委員(ジャッジメント)だ。錬金術師――アウレオルス=イザード。少し話がしたい」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「憤然……ッ。まさか、そのようなことがッ!」

 

 アウレオルスは、校長室の机に両手を叩きつけ、怒りを露わにしていた。

 

 上条からインデックスの真実を明らかにされたとき、アウレオルスは信じられなかった。

 それが、己のこれまでの行いを否定するものだったが故に。

 

 しかし、ここは学園都市。それも予備校『三沢塾』。

 上条の言葉を裏付ける第三者の資料――人の記憶に関する科学的根拠は山のようにあり、それを読み進めるうちにアウレオルスは現実を受け止めなければならなくなった。

 

 元々優秀な『隠秘記録官(カンセラリウス)』だったアウレオルス。どちらが論理的に正しいかは否応なしに分かってしまった。

 

 そして、その絶望は、インデックスに苛酷な運命を背負わせたイギリス清教の上層部に向けられる。

 

「おのれッ……」

 

 アウレオルスの両手が握りしめられる。

 

 上条はそんなアウレオルスを無表情で見つめていたが、やがてゆっくりと口を開く。

 

「つまり、インデックスにはその首輪となる術式が仕掛けられている。そして、おそらく今年の夏、この学園都市に逃げ込んでくるはずだ。その時、俺の右手でその術式を破壊する。だからインデックスは大丈夫だ」

「…………その情報は、確かなのか?」

「………………信頼出来る、情報だ」

 

 インデックスが学園都市にやってくる。それはあくまで上条の“経験”でしかないのだが、上条は言い切った。

 さもなくば、今のアウレオルスはイギリス清教に単身で特攻しかねない。

 

 アウレオルスはしばし項垂れていたが、やがてポツリと言葉を漏らした。

 

「…………なに、か」

「…………………………」

 

 

 

「……なにか。私に、出来ることはないのか」

 

 

 

 インデックスを救うため。

 その為に全てを捨てた男。

 それほどまでに救いたかった少女は、自分とまるで関係ないところで、救われようとしている。

 

 なにか。

 

 主役になれなくとも。救世主になれなくとも。

 

 例え、脇役でも、裏方でも。

 

 何か、したかった。

 

 このまま何もせずに、傍観者で終わるのだけは嫌だった。

 

 

 だが、上条はそんなアウレオルスに冷たく告げる。

 

 

「…………黄金錬成(アルス=マグナ)のことを言っているなら、却下だ」

 

「な――――」

 

 アウレオルスは絶句する。

 黄金錬成(アルス=マグナ)を否定されたのも勿論だが、それをアウレオルスが実現させたことを、目の前の少年が知っていることに衝撃を受けた。

 

「愕然……ッ。なぜ、それを知っている!?」

「知っているさ。本来、長い長い年月がかかる黄金錬成(アルス=マグナ)の術式詠唱を、ここの生徒達を操って詠唱させて短縮させようとしていることも。だがな、それはダメだ。確かに黄金錬成(アルス=マグナ)を完成させれば強力な武器になる。だが、そんな方法は選んじゃいけないんだよ」

「なぜだ!!?」

 

 アウレオルスは今度こそ憤慨し、椅子を吹き飛ばすように立ち上がって、上条へと詰め寄る。

 インデックスを助けるために、血反吐を吐きながら重ねてきた努力が否定されて激昂する。

 

「確かにここの学生に魔術を詠唱させれば死ぬだろう。だが、必ず蘇らせる! それでいいじゃないか!? 彼女を助けることが出来たら二度と使用しないと誓う!! ここも直ぐに放棄する! だから――――」

「ふざけんな!!!」

 

 上条が逆にアウレオルスの胸倉を掴み上げた。

 

 

「蘇らせるから殺していいなんて道理が通るはずがないだろう!!! それに考えろ!! お前がインデックスを救う為に人を殺したら!! その責任はどこに行く!? インデックスは“背負っちまう”に決まってんだろうが!! お前はアイツにそんな思いをさせたいのか!!? そんなの教会の連中と何も変わんねぇだろうが!!!」

 

 

 上条の言葉に、アウレオルスは目を見開き、打ちのめされたかのようにへなへなと全身の力が抜け、へたり込む。

 

 そのまま床に膝をつき、両手をつき、項垂れた。

 

 上条はそんなアウレオルスを痛ましげに見つめながら、部屋の出口へと歩み始める。

 

 部屋を出る時、項垂れた姿勢のままピクリともしないアウレオルスに、上条は呟く。

 

「……約束しよう。必ずインデックスは、救ってみせる。……そしたら、アイツと会ってやってくれよ」

 

 

 扉を閉める。

 

 アウレオルスは、項垂れたまま動かなかった。

 

 まるで魂を失ったかのように。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条は三沢塾の廊下を出口へと向かって歩いている時、思わず唇を噛み締めていた。

 足並みも知らず知らずのうちに早くなり、走っているのと大差ないスピードになってしまう。

 

 上条がここに来たのは、アウレオルスの暴挙を止めるためだった。

 

 上条が前の世界でアウレオルスと戦ったのは、今の上条がこの世界に誕生した直後だった。

 

 まだ、世界に慣れず。借り物の名前に、借り物の体に、馴染んでいなかった時に。

 

 見せつけられた、失敗例。

 

 一歩間違えれば、自分もそうなっていたと突き付けられた、バッドエンド。

 

 間に合わなかった救世主(ヒーロー)

 

 上条は、覚えてもいない手柄で、失敗例(アウレオルス)になることを逃れた。

 

 その事が、酷く苦しかったことを覚えている。

 

 単純に言えば、他人事と思えなかったのだ。

 

 だから上条は、アウレオルスのことを恨めなかった。

 

 手段はどうしようもなく間違っていても、歪んでいても、取り返しがつかなくても。

 

 根源の思いは、一緒のはずだったから。

 

 インデックスを救いたい。助けたい。

 

 それは、共通だったはずだから。

 

 

 だから上条は、アウレオルスがこの街にやってきてすぐに接触した。

 

 救ってしまった後より、前の方が、まだマシだと思えたから。

 

 アイツは、すでにローマ正教を敵に回したけれど、ここの生徒には手を出していない。

 姫神とも接触していないし、黄金錬成(アルス=マグナ)も理論はともかく実行してはいない。

 

 なら、まだ間に合うはずだ。

 

 今は絶望に暮れるだろうが、必ず立ち直り、前を向けるはずだ。

 

 たった一人の女の子を救う為に、世界を敵に回す。

 

 そんなカッコいいことを実行できる、強い男なのだから。

 

 

 上条は、唇を噛み締める。そこから血が流れても気にせずに、足を進め続ける。

 

「……何様だッ、俺は!!……自分は、何もしていないくせにッ!」

 

 拳を、痛いくらいに握り締める。掌に爪が食い込む。

 

 上条は、インデックスの真実を知っていた。

 でも、何も出来なかった。何も、インデックスの為に出来なかった。

 

 そんな男が。

 

 少なくとも一年間、インデックスと共に思い出を作り。

 今日の今まで、血の滲むような思いでインデックスの為に尽くしてきた男に。

 

 偉そうに説教し、そいつを否定する権利はあるのか?

 

 上条は、そんな激情を抱えながら、その日、三沢塾を後にした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、気温が上がり、日の時間が延び、季節は夏。

 

 インデックスがやってくる、上条当麻の高一の夏がやってきた。

 

 

 そして、そんな暑いある日、上条当麻はアウレオルスに三沢塾に呼び出されていた。

 

 いつかインデックスがやってくる時は知らせると連絡先を交換していたが、まさか向こうから呼び出されることがあるとは思わなかった上条は、首を傾げながら三沢塾に向かった。

 

 迎えたアウレオルスが上条と共に向かったのは、北棟最上階の校長室ではなく、地下のとある一室だった。

 

「…………こんなところに、何があるんだ?」

「…………………」

 

 アウレオルスは何も言わず、何も答えず、その地下室の扉を開ける。

 部屋の中は真っ暗だった。

 上条も部屋に入ると、アウレオルスは扉を閉め、室内に明かりを点ける。

 

「ッ!!!! こ、これは――――――」

 

 

 その部屋に居たのは、何百人もの“アウレオルス”だった。

 

 

 彼らは一様に裸で、まるでマネキン人形のように直立不動のまま動かない。

 

 上条は思い出していた。

 “前”の世界、上条が戦った三沢塾の警報装置として作られた――――

 

「アウレオルス………“ダミー”………」

「自然。その通り」

 

 アウレオルスは、上条の前へと歩みを進め、一体のダミーに手を伸ばす。

 

「歴然。彼らは私が創り出した、私のコピーだ。量産しなければならなかった為、“呪文詠唱機能”以外は削ぎ落としたので、動くことはないが」

「呪文……詠唱……お前、まさか――――」

 

 

「純然。元々、ここの生徒達を使って行うはずだった詠唱の分割を行う人手を、新たに用意したのだ。これで、私は黄金錬成(アルス=マグナ)を使い、彼女の為に戦うことが出来る」

 

 

「……お、まえええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 上条はアウレオルスの胸倉を掴み上げる。

 アウレオルスは抵抗せず、静かな瞳で上条の目を見据えていた。

 

「ふざけるな!! それじゃあ何か!? こいつらは、その為だけにインスタントに作られたってのか!! お前、命を何だと思ってんだ!!」

 

 妹達(シスターズ)

 上条の頭の中にその言葉が浮かんだ。

 歪んだ研究者によって“殺される為”に作られ、健気にその宿命を全うしようとする少女達。

 

 上条はそんな前例を知っているが為に、許せなかった。

 目的の為に、命を作り、使い捨てる、目の前のこの男が。

 

 そんな上条に、アウレオルスは告げる。

 

「…………しょうがないだろう」

 

 

「他人の命を使えない。だが、命は必要だ。――だったらもう、〝私を作って”、使うしかないだろう」

 

 

 上条は、アウレオルスの胸倉を掴んでいた手から力が抜け落ちるのを感じた。

 

 アウレオルスはそのまま尻から落下し、また動かなくなった。

 

 上条は、そんなアウレオルスを、呆然と見つめていた。

 

 自分はあの時、アウレオルスの間違った暴走を止める為に、黄金錬成(アルス=マグナ)を否定した。

 

 誰かの命を使うような救済を、インデックスは求めていないと。

 

 だが、それはアウレオルスに届かなかった。

 

 

〝誰かの命”は使えない。なら、〝自分の命”を増やせばいい。

 

 

 アウレオルスはそう結論を出した。

 

 そんなふざけた結論を出してしまうくらい、アウレオルスは壊れていた。

 

 

 正確には上条が壊してしまった。

 インデックスの真実を告げた時に。自分の手でインデックスを救えないと思い知らした瞬間に。

 

 

 それに、上条は気づけなかった。

 あろうことか、焚き付けてしまった。

 

 それが、その結果が、目の前のアウレオルス=ダミーたちだ。

 

 彼らは、何も発しない。動かない。何の感情も抱かない。

 

 ただの呪文詠唱人形だ。

 その為だけに、生み出された霊装だ。

 

 すると、尻餅をついていたアウレオルスがなにやら笑い始めた。

 

「…………くくくくくく。ははははははははははははははははははは。ふははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

 狂ったように笑う、アウレオルス。

 上条は、この笑いを見たことがある。

 

「どうだ! どうだ、幻想殺し!! これで私は、あの子を悲しませることなく黄金錬成(アルス=マグナ)を使うことが出来る! あの子を救う為に辿りついたあの術で! 彼女を助ける一助になることが出来る!! すでに三沢塾は私の術で一つの霊装と化してある。そのバックアップがあれば、この建物内以外でもそれなりの力は振るうことが出来るだろう。後は、あの子を、助けるだけだ!!!」

 

 上条は、もうアウレオルスを止めることが出来ない。

 

 彼の右手なら、このダミー達を破壊していくことが出来るだろう。

 

 だが、彼らはすでにそう長く持たない。

 

 いくらアウレオルスが優れた錬金術師でも、機能を制限したとはいえ自身の分身を100体以上も維持し続けるなど、不可能だ。

 

 以前アウレオルスが言った通り、インデックスを救うまで保てばいい。そういうことだろう。

 

 

 あの時、上条がアウレオルスに何か役目を与えていれば。

 仮初めだろうとなんだろうと、目標を与えていれば。

 

 

 こんなことにはならなかったのかもしれない。

 

 

 アウレオルスの妄執の凄まじさは、身を持って知っていたはずなのに。

 

 

 上条は狂ったように歓喜するアウレオルスを、何も言わずに見ていた。

 

 

 上条当麻は許せなかった。

 

 再び、アウレオルス=イザードという男を救えなかった自分に。

 

 再び、アウレオルス=イザードという男を壊してしまった自分に。

 

 

 上条は、この男の幻想を、殺すことは出来なかった。

 

 




 実質、今回で二巻の話みたいなものですね。姫神さんにはある意味本当に申し訳ないことをしたと思っています。


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聖人〈かんざきかおり〉

 姫神の人気に脱帽。彼女こそまさにヒロインの器だ。


 魔女狩りの王(イノケンティウス)は、アウレオルスが足止めする。

 

 上条と神裂の一対一。

 

 上条は、神裂に拳を振るう。

 

 しかし、聖人――神裂火織に、ただの拳など届かない。

 

 

 チャキン と音が一度鳴る。

 

 七本もの斬撃が上条に襲い掛かる。

 

 七閃。

 

 異能の力など介在しない、純粋な斬撃。

 

 上条当麻の右手など、何の役にも立たない、物理的な圧倒的暴力。

 

 だから、上条当麻は見切る。

 七本の閃光のごとき斬撃を、己の身体能力のみで回避を試みる。

 

 一本、二本、三本…………

 

 だが、そこまで。

 

 残る四本の斬撃は上条を切り裂き、吹き飛ばした。

 

 上条は再びスタート地点まで吹き飛ばされる。

 

 そして、神裂との間に壁を作るべく、魔女狩りの王(イノケンティウス)が再臨した。

 

 

 チッ と上条は舌打ちする。

 どの傷もパックリと出血するほど見事に切れてはいるが、致命傷ではない。

 だがやはり、神裂の七閃を全て避けきることは出来なかった。

 

 数々の戦いを経験し、前兆の予知を手に入れた上条ではあったが、それは“異能の”前兆を無意識に感知しているものなので、今回は役に立たない。

 

 後は、踏んだ場数による経験値頼りなのだが、それもプロの魔術師である神裂相手だとアドバンテージにならないだろう。

 

 

 そして、幻想殺しの“新たなる力”も、異能の力に頼らない今の神裂には使えない。

 

 

 自身と聖人の相性の悪さを改めて実感し、上条は冷や汗を一筋流した。

 

 

 一方の神裂も、上条当麻という存在に恐怖を感じ始めていた。

 

 当初、神裂は、危害を加えるつもりなどなかった。

 

 土御門を通してコンタクトをとってきたことから、ある程度魔術サイドの事情に精通していると考え、自身の聖人としての力を見せつけ、戦意を喪失させようと考えていた。

 だからこそ、戦闘は極力ステイルに任せ、自分は七閃を脅しで使う、くらいで収めようと思っていたのだ。

 

 だが、少年は魔女狩りの王(イノケンティウス)をものともせず突破し、自身に肉迫してきた。

 

 そして、気圧された。

 少年の眼力に。

 自身の行動に何の迷いもなく、ただ貫く。そんな圧倒的な覚悟を持った光輝く瞳に。

 

 神裂は反射的に七閃を放ってしまった。

 

 しまった! と思った神裂はそこで信じられないものを見た。

 

 避けていたのだ。一本、二本、と神速で放たれたワイヤーの斬撃を。

 

 近づいてくる。

 自身にはない、強靭な覚悟を持った、確固たる意志を秘めたあの瞳が。

 

 神裂は四本目を咄嗟に操作し、上条当麻に叩きつける。

 必然的に、残りのワイヤーも上条に命中した。

 

 上条当麻が吹き飛ぶ。そこで、神裂は我に返った。

 

 自身と少年の間に、再び炎の壁が現れる。

 

 神裂は、震えていた。

 

 今、自分は、少年を傷つけた。

 

 他でもない、自分自身を守る為に。

 

 Salvare000(救われぬ者に救いの手を)。

 

 そんな魔法名を名乗る自分が、わが身可愛さに他者を傷つけてしまった。

 

 両腕で自身の体を抱き唇を噛み締める神裂に、少年の声が届いた。

 

「答えろ! なぜ、仲間のインデックスを襲う!」

 

 神裂の体が震える。

 今の神裂は、上条が怖くて仕方がない。

 

 そして、次の上条の言葉は、そんな神裂火織の心を大きく揺さぶるものだった。

 

 

「お前のその力は! 誰かを守る為に手に入れた力じゃないのか!? なんでその力を、仲間を傷つけるためなんかに使ってんだ!!」

 

 

 神裂の、震えが止まる。

 

 

「お前は何をやってるんだ!? こんなことが、お前のやるべきことなのかよ!! 本当にやりたいことなのかよ!? 何をそんなに怖がってるんだ!!? 神裂!!!」

 

 

 

「――――――――うるっせぇんだよ!! ド素人がぁ!!!」

 

 

 

 神裂が、吠える。

 

 その瞬間、神裂の鞘ごと薙ぎ払った一閃が魔女狩りの王(イノケンティウス)を吹き飛ばし、道が拓ける。

 

 そのことを上条が認識した瞬間(とき)には、神裂は上条の至近距離で漆黒の鞘を振りかぶっていた。

 

 上条は、とっさに両手を顔の頭上に構え、即席の盾を作る。

 この後に活躍の場が残っている幻想殺し(みぎて)を下にするのを忘れない。

 

 神裂はそんな上条の小細工などまるで考慮に入れず、ただ思いっきり振り下ろす。

 

 ドガッ!! と強烈な一撃を受けた上条の左腕が、メキィと不自然な音を発した。

 

「―――――がっ……」

 

 聖人の感情の爆発を乗せた一撃が、素手で建造物を破壊する威力を持つ攻撃が、上条を襲った。

 

 嫌な音がした。左腕が骨折したのかもしれない。意識を刈り取らんとする激痛が上条を苛む。

 

 アウレオルスが鍼を取り出し黄金錬成(アルス=マグナ)を発動しようとしたが、上条はそれを目で制した。

 

 そんな中でも、神裂の爆発は止まらない。

 

 持て余す感情を、抑え込んでいた不満を、溜め込んでいた苦悩を、上条に吐き出す。

 

「インデックスはね! このままだと死んじゃうんですよ!! 完全記憶能力の影響で、一年周期で記憶を消さないと死んでしまうんです!! 私達だって、好きでこんなことをしているんじゃないんですよ!!! アナタに何が分かるんですか!! インデックスと会って間もないあなたなんかに私達の何が分かるんです!!? 私達が!! 何もせずに!! ただあの子の運命を享受したと! 本気でそう思っているんですか!!? 頑張りました! 頑張ったんですよ!! 思いつく限りの手段を試し!! 考える限りの可能性を試しました!!――でもダメでした!! どんなに頑張っても!! 一年後には私達は他人なんですよ!! 始めからやり直しなんです!!…………もう、私達には、耐えられない。あの子の別れ際の悲しそうな笑顔も。目が覚めて、全てを忘れた時の他人行儀な挨拶も。…………もう、見たくない」

 

 神裂の体から、ゆっくりと力が抜け、地面に座り込む。

 

 上条は、両腕を盾にしたままの体勢から、地獄の底から聞こえてくるかのような低い声で、呻るように言った。

 

 

「…………そんなの、ただのお前らの逃げだろう」

 

 

 ビクッ と神裂は震えた。

 

 そして、恐る恐るといった、怯えるような挙動で、上条を見上げる。

 

「お前らがインデックスの敵としてアイツを襲うのは、インデックスの記憶を消してアイツを生き長らえさせるという名目で、インデックスから逃げただけだ。インデックスと思い出を作ることから、それを失う悲しみから逃げただけだ。そうやって自分が傷つくことから!! 逃げたかっただけだ!!! 本当にインデックスのことを思うなら、せめてインデックスの記憶が保つ一年間を、幸せに過ごせるようにするべきじゃないのか!!? 信じるものが誰もいなくて!! ただ命を狙う敵からの逃亡生活を続けるだけの一年間を過ごすことが!! そんな一年を繰り返すことが!!! 幸せなわけねぇだろうが!!! インデックスの記憶が一年しか保たない……その状況を一番利用してたのはお前らじゃねぇのかよ!!!」

 

 上条は憤怒を叩きつける。

 目の前の聖人に。

 そして近くにいるであろう、赤髪の神父に。

 

 燃えるような左手の激痛を無視して。

 不甲斐ない、本来自分なんかよりもはるかにヒーローの素質を備える彼女への鬱憤を。

 情けない、本来自分なんかよりもはるかにインデックスの隣にいるべき資格を有する彼への激情を。

 

 神裂は、泣きそうな顔で、上条を見上げる。

 

 目に涙を溜め、震える声で、子供のように訴える。

 

「じゃあ……どうすればいいんですかぁ」

 

 神裂は、懇願する。

 見栄も、立場も、恥も外聞も金繰り捨てて、目の前の、素性も所属も不明の少年に。

 

 ただ、親友を助けるために。

 

「あるんですか、彼女を助ける方法が?…………もう、彼女を苦しめなくてすむ、そんな幸せな未来を、作り出す方法が。そんな都合のいい未来(けつまつ)が、本当にあるんですか?」

 

 そして、顔を俯かせ、敬虔な教徒のように、救いを求めた。

 

 

「あるなら…………助けて」

 

 

 上条は、涙を流す神裂に、誰よりも他人の苦しみに心を痛める優しい聖人に、微笑む。

 

 膝を折り、座り込む神裂に目線を合わせ、右手を頭に乗せる。その悪夢(げんそう)を打ち砕く右手を。

 

「ああ。一緒にインデックスを助けよう」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「まずは始めに、俺は魔術結社の人間じゃない。正真正銘、この街の――科学サイドの人間だ。もちろん、土御門のようにスパイというわけでもない」

 

 上条は開幕一番にそう告げた。

 それを聞いた神裂は、先程泣き顔を見られかことが恥ずかしかったのか、少し顔を赤くしながら、不機嫌に反抗する。

 

「…………それを信用しろ、と?」

「出来ないだろうな。まぁ、そこら辺を信じてもらうのは追々でいい」

 

 上条はそんな神裂火織(18)の年上らしからぬ振る舞いに苦笑しながらも話を進める。

 

 そして、上条は表情を引き締め、問題の核心から切り込む。

 

「まず、科学サイドの人間として言わせてもらう。記憶のし過ぎで脳が圧迫されて、死に至る。そんなことはありえない」

 

 神裂が絶句する。

 だが、今まで幾度となく目の当たりにしてきたのだ。インデックスの苦しむ姿を。

 当然、信じられない。

 

「そ、そんなことはありえません!! 現に!! 彼女は毎年一年周期で苦しんでいる!! 記憶を消さなければ死んでしまうくらいに!!」

 

 神裂は叫ぶ。

 認められない。

 

 それならば、自分達がしてきたことはなんなのか?

 

 上条は、そんな神裂の混乱を鋭く見据えて、根拠を提示する。

 

「全世界に、瞬間記憶能力者はアイツだけじゃないだろう。彼らは普通に、他の一般人と同等の寿命を全うする。インデックスのように、記憶のし過ぎで脳がパンクするなんて症状の人はいない」

「け、けれど! 彼女は103,000冊の魔導書を――」

 

「知識を記憶する『意味記憶』と、思い出を記憶する『エピソード記憶』はまるっきり別物なんだよ。容れ物が違うんだ。だから、意味記憶の103,000冊を守る為に、一年周期で思い出(エピソード)を消さなければならない、なんてナンセンスだ。辻褄が合わないんだよ。――言っておくが、これは学園都市の最先端情報ってわけじゃないぞ。お前らイギリスの公共図書館レベルで手に入る一般知識ってやつだ」

 

 だからこそ、どこかの可能性として、神裂とステイルがインデックスを救う世界も存在したのだ。

 なんてことはない。科学は信用できないだの、これは魔術サイドの問題だのというくだらない意地さえ捨てていれば、普通に気づけたことなのだ。

 

 神裂は、顔面蒼白といった表情で、それでも信じられないとばかりに上条に言葉を、激情をぶつける。

 

「で、でも!! それならなぜ、インデックスは――」

 

 それに、上条は淡々と答える。

 

「禁書目録」

 

 上条の言った単語に、神裂の動きが止まる。

 

「103,000冊もの魔導書を記憶させ、これらの力を使いこなせば魔神に匹敵するって代物なんだろ。だから、お前達は俺がそれを利用する魔術結社の手先としてアイツを狙ってるって勘違いしたわけだ」

「……それがどうしたっていうんで――」

 

「そんなものを作り出した連中が、なんの“首輪”もつけずに放置しておくと思うのか? そして、こんな極東の島国までお使いに出される下っ端のお前達に――それもインデックスに近しくて、純粋に戦闘力の高いお前らに、反乱を起こされたら厄介極まりないお前らに、ご丁寧に本当のことを説明してくれると思ったのか?」

 

 神裂は、今度こそ絶句する。

 

 上条は、そんな神裂に構わず、暗くなって遠くまで見通せない闇に向かって大声で言う。

 

「ステイル!! どうせ近くにいるんだろう!! 聞こえたか!! インデックスは救える!! 助けることができるんだ!! それでもお前はまだ“とりあえず”に縋るのか!! 答えろ魔術師!!」

 

 上条の訴えが、夜の公園に響き渡る。

 今、この公園には当然のように人払いの結界が作用している。

 

 だから、この叫びを受け取ることが出来るのは、その結界を作ったたった一人。

 

「…………なら、君は――」

 

 闇の中から姿を現したのは、間違いなくステイル=マグヌス。

 

 彼は、まず初めに上条当麻を睨みつけ、そしてその上条の傍らに佇むアウレオルスに目を向ける。

 

「――どうやって彼女を助けるっていうんだ。僕には出来なかった。そこのそいつにもできなかった。なら君は、どんな奇跡で、彼女を救うっていうんだい?」

 

 上条は笑う。

 

 そして、不敵に言い放つ。

 

「奇跡?逆だよ。この神様を殺す右手で、そのふざけた奇跡(システム)をぶっ殺すんだ」

 




 もう一つ作品の方のストックが尽きましたので、禁書目録編が終わるまでこちらを連日更新でいきたいと思います。


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友達〈さてんるいこ〉

 禁書って難しい……それを痛感する今日この頃。


「どうしよう……どうしようどうしよう!!」

 

 佐天涙子はパニックに陥っていた。

 彼女は今、現時点では彼女のいるべき場所である自身の病室から追い出され、廊下で不安に押し潰されそうになっていた。

 正確には、追い出されたわけではない。

 目の前で苦しむインデックスを見るのが辛くて、何もできない無力感に苛まれたくなくて、こうして病室の外に自ら逃げ出したのだ。

 

 インデックスの記憶消去までのタイムリミットは、刻々と迫っている。

 

 佐天がジュースを買ってこの部屋に戻ったあの後、もうなりふり構っていられなくなり、佐天はナースコールで助けを呼んだ。

 

 駆けつけた看護師は、見知らぬ修道服の少女に面食らっていたが、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は冷静だった。

 

 今も苦しむインデックスの苦痛を和らげようと、看護師たちに次々と指示を送っている。

 

 だが、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)のようなエキスパートが、真剣な顔で――もっと言えば切羽詰まっているようにも見える状況は、佐天のような素人を不安にさせる。

 

 勿論、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)はそのようなことは承知している。だがそれでも、佐天を気遣う余裕は今の彼にはなかった。

 

 学園都市一の名医である彼をもってしても、インデックスの容体は悪化の一途をたどっている。

 

 いつしか佐天はそんな医療ドラマでしか見たことのない人の命が懸かった修羅場の緊張感に耐えきれず、その病室を後にした。

 

 彼女は今、廊下で一人、泣いている。

 

(……悔しい。あたしは、あんな優しい子が、大好きになった友達が苦しんでいるのに、何も出来ない)

 

 胸を押さえ、唇を噛み締め、涙を零す。

 

(……情けない。上条さんに任されたのに。傍にいるって決めたのに。一番辛いのはあの子なのに。あたしは見捨ててこの期に及んでも逃げてる)

 

 強くなりたい。強くなりたい。

 

 強く。強く。強く。

 

 佐天は、廊下の壁に手をつき、泣いた。

 

 嗚咽が漏れないように唇を必死に噛み締め続けて。それでも瞳からいつまでも涙が溢れだす。

 

 悔しさと情けなさで、体の震えが止まらない。

 

 こんな弱い自分が嫌だった。

 

 超能力よりも。

 魔術よりも。

 

 大事な人の助けになれるくらい。

 

 強い、心が欲しい。

 

 

 

「何をしているんだ」

 

 佐天は、突然聞こえてきた声に反応する。

 

 そこにいたのは、金髪にアロハシャツというインデックスに負けず劣らず派手な風体の男だった。

 

「…………インデックスちゃんの知り合いですか」

「いや、俺はカミやんに頼まれてな。アイツの護衛を任されたんだにゃ~」

「カミやん……上条さんですか?」

 

 その時、佐天の顔に光が戻る。そうだ。上条さんなら――

 

――上条さんなら、またなんとかしてくれるかも。

 

「あ、あの! 上条さんは――」

「ああ。さっき、あの子を狙っていた連中を説得できて、今こっちに向かっているそうだにゃ。もうすぐ着くと思うぜよ」

 

 その言葉を聞き、佐天の顔色が少し戻る。

 

 だが、まだ佐天はそこを動こうとしない。

 病室の扉をちらちらと見るだけで、再び俯いてしまう。

 

「怖いのか?」

 

 土御門は、これまでと声色を変えて言った。

 

「――――え?」

「カミやんにあの子のことを任されたんだろう? だったらお前がすべきことは、あの子の傍に居てやることじゃないのか? 面会謝絶ってわけじゃないんだろう?」

「で、でも……あたしがいても、何が出来るってわけじゃ……むしろ、いるだけ邪魔っていうか――」

 

 

「――――そうやって、何も出来ない自分に対する無力感から逃げることの方が、苦しむあの子の傍にいることよりも大切なのか?」

 

 

 土御門の、まさしく佐天の罪悪感をピンポイントで貫く言葉に、佐天の顔が絶望に染まる。

 

 土御門はそんな佐天にお守りを差し出した。

 

 佐天はどういう意味か分からず、ただ怯えてそのお守りを受け取ろうとしない。

 

 土御門はそのお守りを差し出したまま言った。

 

「これは俺の家の由緒正しきお守りだ。何もないよりかはマシだろう」

 

 佐天はビクビクとした挙動だったが、おっかなびっくりといった様子でそれを受け取った。

 

 そして土御門はその場を後にしようと踵を返す。

 だが、その去り際に捨て台詞を残した。

 

 

「もうすぐカミやんがココに来る。このままで、お前はカミやんに顔向け出来るのか?――――そんなんじゃ、お前は一生、カミやんの隣には立てないぞ」

 

 

『上条さんの特別になれるくらい……大事な人になれるくらい……強くなりたかった』

 

 

 土御門は、その後振り向くことなく、その場を後にした。

 

 

 佐天は、しばらくその場で立ちすくんでいたが、今は手元にないいつものお守りの代わりに、先程受け取ったお守りをギュッと握り締める。

 

 そして、俯いた顔を勢いよく上げ、病室の扉を開けようと――

 

「うわっ!!」

 

 佐天が扉に手をかけようとした時、内側からカエル顔の医者が飛び出していた。

 

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は佐天に気づくと、いつものおっとりとしたしゃべりからは想像がつかないくらい早口で言った。

 

「すぐ戻る。患者を勇気付けてやってくれ」

「……!! はい!!」

 

 そして、佐天は冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)と看護師と入れ違いの形で病室に突入する。

 

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は、すれ違いざまに佐天の手の中のお守りに気づいた。

 

 

 

 

 

 佐天は、二人きりになった病室で、ゆっくりと近付いた。

 

 もう一人の人間――夕方自分が目覚めたベッドに横たわる、白い修道服の少女の元へと。

 

 息は荒く、真っ白な頬が赤く染まっている。おそらく、高熱でうなされているのだろう。

 

 とても苦しそうなその様子に、佐天の心はズシンと重くなる。

 

 けれど佐天はそのままベッドの傍らの椅子に座り、インデックスの小さな右手を両手で包み込んだ。

 

「……るいこ?」

 

 インデックスが、薄く小さく目を開けた。

 佐天は驚いたが、すぐに優しい笑顔を彼女に向ける。

 

「うん、あたしだよ。大丈夫、ここにいる。……あたしは何も出来ないけど、せめてインデックスちゃんの傍にいるから。だから……」

 

 頑張れ、とは言えなかった。

 この子は十分頑張っている。逃げてばかりの自分なんかより、よほど勇敢に戦っているのだ。

 

 言葉の代わりに佐天はギュッと思いを込めて、インデックスの手を握る。

 

 インデックスは小さく微笑んだ。

 

 ……どうしてもっと早くこうしてやれなかったのだろう。

 

 何も特別なことなんていらない。

 

 ただ、こうして傍にいるだけでよかったのに。

 

 佐天はただひたすら一途に、この優しい女の子が助かることを祈った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 看護師に指示を出して解熱剤を取りに行かせた後、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は自分の部屋に足早に向かっていた。

 

 彼は、すでにインデックスの症状を見破っていた。

 そして、それに必要なものも。

 

 それは解熱剤なんかではなく、彼の右手だ。

 

 だが、これは魔術サイドが関わっている。あの看護師を巻き込むわけにはいかない。

 だからこそ、彼は自分以外立ち入り禁止のあの部屋から、彼に連絡を取るべく急いでいた。

 

 患者に必要なものは、なんだって用意する。それが冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)だ。

 

「そんなに焦らなくても、カミやんはこっちに向かってるぜい」

 

 自分の部屋の前には、一人の少年がいた。

 金髪アロハの魔術師で、尚且つ能力者な少年――土御門元春。

 

「…………そうか。なら、近くの病室の人間は避難させた方がいいかな?」

「その必要には及ばないぜい。こんな場所でいきなり首輪を破壊したりはしないだろう。どんな被害が出るか分からない。おそらく場所を変えるはずだ。先生の出番は、むしろ儀式が終わった後ぜよ」

「…………そうかい。それは、忙しくなりそうだね」

 

 冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は溜め息を吐いて、会話を打ち切ると、再び土御門に向かって言った。

 

「彼女にあれを渡したのは君かい?」

「ん? 気づいたか。さすがは先生だ」

「あまり口うるさく言いたくないけどね。あまり科学サイドの人間をあちら側に関わらせるのは感心しないな。彼女は僕の患者なんだ」

「…………確かに、カミやんには怒られちまうかもな。でもな、カミやんはそろそろ知ってくべきだ。――飢えた人間に魚を与え続けるだけじゃ、そいつは本当の意味で救われない。自分の足で立てるようにするべきだ。……いつまでも、救われる側じゃあ、あまりにも救われない」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――もしもし、土御門か。――――そうか。分かった。それで行こう」

 

 上条は電話を切ると、後ろに付いてきていたメンバーに顔を向ける。

 

「どうしたのです?」

「……土御門から連絡があった。……すでにインデックスの発作は始まっているようだ」

「「「!!!」」」

 

 上条の言葉に、三人の顔色が一斉に青くなる。

 

「……どうするつもりだ、上条当麻」

 

 唸るようにステイルが上条を詰問する。

 その殺気が隠しきれていない問いに、上条は一切表情を変えずに答えた。

 

「こちらから迎えに行く時間も惜しい。これから俺とアウレオルス、そしてステイルは被害が出にくくて人の少ない場所に直接移動する。悪いが神裂、インデックスを迎えに行ってもらってもいいか? その方がはるかに早い」

 

 上条の提案に、詳細を知らされていない神裂とステイルが訝しむ。

 

「それは構いませんが……なぜ、場所を変える必要が? 確かにあの子はこの街のIDを持っていませんからあまり学園都市の施設に厄介になるのは芳しくありませんが、今は一刻を争うはずです」

 

 神裂は上条に問いかける。ステイルは何も言わずに上条を睨みつけたままだが、同じ疑問を抱いているようだ。

 

「…………土御門からの情報によると、首輪はインデックスを蝕むものだけではないらしい。その術式を破壊したものに対する対抗策も用意しているそうだ」

「っ!! それは本当ですか!?」

「教会の連中はそれぐらい『禁書目録』を警戒してるんだよ。だから万が一に備えて人気の少ない場所で首輪を破壊する必要がある。そういう時に備えて、幾つかそういった場所は見繕っておいた。あの公園もその中の一つだったんだが……さすがにどんな被害が出るか分からない以上、より完全に人気のない、もっというなら被害が出ても騒ぎになりにくい、普段から人気のない場所がいい。土御門にはすでに伝えてあるから、合流ポイントは向こうで聞いてくれ」

 

 分かりました。と神裂はすぐさま夜の闇に消えた。

 聖人としての身体能力を活かして全速力で彼女の病院へと向かったのだろう。

 

 ステイルとアウレオルスにはその動きが全く見えなかったが、上条はしばし神裂が飛び去った方向を眺めていた。

 聖人のスピードを見切ったのか?と内心慄いていたステイルだが、すぐに単純に病院の方角を見ていただけかもしれないと思い直す。

 

 ステイルは上条を睨み据える。

 

 なんだ、この男は?

 

 いくらなんでも用意周到過ぎる。

 イギリス清教所属の自分すら(いや、だからこそ……か?)知らないような、おそらくは秘中の秘の情報をいくつ知っている?

 知っていることも驚きだが、いったいいつ、そういった情報があると知ったのか? そしてそれらを得ようと思ったのか?

 謎だらけの、この上無く怪しい男。

 そんな男に、今から自分の世界で一番大切なものの命運を預けなければならない。

 

 ステイルは激昂していた。

 あの子の為なら何でもすると誓ったのに、何もすることが出来ない自分に。

 

「おい……上条当麻。貴様、いったい何者だ?」

 

 ステイルは、前を歩く上条の背中に向かってどす黒い声をぶつけた。

 

「……僕は、はっきり言って貴様が信用できない。もし、貴様の妄言が戯言だとはっきりしたら、貴様を殺し、“とりあえず”インデックスの記憶を消させてもらう」

 

 いままで通り、僕が、やらせてもらう。

 

 我ながら完全なやつ当たりだとステイルは気づいていたが、それでも湧き上がる自身への怒りと上条への嫉妬心を自分の中だけで処理出来るほど、ステイルは大人ではなかった。

 

 プロの魔術師でも、2mを超す長身でも、ニコチン中毒でも、ステイル=マグヌスは十四才の“子供”なのだ。

 

 上条は前を向いたまま、子供をあやすように言う。

 

「ああ。その時は、迷わず俺を殺していい」

 

 その駄々っ子を受け流すような上条の態度に、ステイルは更に怒りを燃え上がらせた。

 

 上条は「少し遠い場所だから車を呼んでもらった。あれに乗るぞ」と、いつの間に呼んだのかこちらに向かってくる少なくともタクシーではない乗用車に向かって手を挙げていた。

 

 ステイルは、拳を握りしめる。

 何も出来ない。自分はあの子にも、そしてこの男にも何も出来ない。

 自分には、あの子を救う力がないから。今、あの子を救うことが出来るのは、上条だけだから。

 

 それが、辛くて、悔しくて、情けなかった。

 

 

 

 ステイルから見えない上条の表情は、能面のように無表情だった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 神裂火織が病院につくと、入口の前に土御門元春がいた。

 

 コイツにも言いたいことは山程あったが、それよりも優先すべきことがある。

 

「土御門! インデックスは――」

「大丈夫だ、カミやんから話は聞いている。ついてきてくれ、案内する」

 

 

 神裂火織が通された真っ白な病室のベッドでは、真っ白な少女が頬を上気させ、苦しそうな呼吸と共に滝のような汗を流してた。

 そして、その子の手を握り、涙を必死で堪えながら何かを祈る少女。その手には一緒にお守りも握られていた。

 

 神裂は、今まで幾度となく見てきたインデックスの苦痛に歪む表情を見て、唇を噛み締める。

 そして、背後の土御門に一つの質問をした。

 

「……土御門、あの子は?」

「佐天涙子。カミやんの大事な後輩で…………禁書目録の友達だ」

「…………そうですか」

 

 インデックスの友達。

 かつて、自分がいたポジション。

 

 そして、今回のインデックスのパートナー。

 

 自分と同じように、悲しみに暮れるはず“だった”少女。

 

 胸中に色々な感情が渦巻いた。その中でも最も大きいのは……やはり嫉妬だろうか。

 そんな自分を心の中で叱咤して、神裂は救うべき彼女の元へと近付く。

 

 そこでようやく、佐天は神裂に気づいた。

 

「っ!?……あなたは?」

「私の名前は神裂火織です。……インデックスを、こちらに引き渡してもらえませんか?」

 

 土御門は思わず掌で顔を覆う。

 あまりにも不器用過ぎる。今のこの状況で、そんな言葉を言われると――――

 

「え!? 何言ってるんですか!? 出来るわけないでしょう!! インデックスちゃんはこんなに苦しんでるんですよ!!」

 

――――当然、こうなる。

 だが、神裂も譲らなかった。

 

「彼女を治すには、学園都市(科学サイド)では無理です。こちら(魔術サイド)に引き渡してください。」

 

 インデックスの状態を前にして、神裂も焦っていたのかもしれない。

 思わず口走ってしまった“科学”、そして“魔術”。

 その言葉に、佐天の脳裏にある疑惑が浮かぶ。

 

「魔術……ひょっとして、あなたが“インデックスちゃんが言っていた”追ってくる“魔術結社”ですか?…………インデックスちゃんをビルから突き落とした“敵”……」

 

 佐天の言葉に、神裂の体が震える。

 

 神裂は、自分はインデックスの敵であったことなど一度もないと自負しているが、傍から見れば――インデックス本人からすれば自分達がどう見えているのかが分からないほど、愚かではない。

 

 自分達が、そう演じてきたのだから。

 

 それを覚悟で、行ってきた行為なのだから。

 

 その時、インデックスが薄くぼんやりと目を開く。

 

「るいこ……?」

「っ!! インデックスちゃん!!」

「ッ!! インデッ――」

 

 インデックスは靄がかかった視界の中で、佐天と、そして神裂の姿を捉え――

 

 

「逃げて……やめて……るいこを傷つけないで……」

 

 

 インデックスは、苦痛で動かすのも辛い体を必死に起こそうとしながら、高熱で充血している瞳から涙を滲ませながら――

 

 

――自身を狙う魔術結社(神裂火織)に、大事な友達(佐天涙子)を傷つけないでくれと懇願した。

 

 

 その言葉で、二人の少女の表情が歪む。

 

 佐天は、自らの危険を度外視にして、自分を気遣ってくれるその優しさに。

 

 神裂は、彼女に自分が今までしてきたことを、改めて痛感させられたその鈍痛に。

 

 

 佐天は涙を袖でゴシゴシと拭き、インデックスに精一杯の笑顔を見せながら言う。

 

「……大丈夫。上条さんが来るまで、あたしがインデックスちゃんを守るから」

 

 その言葉は、魘されるインデックスに届いたかは分からない。

 

 しかし、それでも、佐天はインデックスを守るように、神裂の前に立ち塞がる。

 

 額に冷や汗を浮かべながらも、体をガタガタ震わせながらも、お守りを胸の前でギュッと握り締め、涙を瞳に溜めながら、勇ましく懇願する。

 

 

「お願いします!! インデックスちゃんに、これ以上非道いことしないで!!」

 

 

 神裂は、その言葉をまっすぐ受け止めた。

 

 悪役の役割を、精一杯演じきった。

 

 自分は、こんな言葉をぶつけられるくらいのことを、彼女にしたのだ。

 

 よかれと思ってなんて言い訳はしない。

 

 あの少年が言った言葉は、どうしようもなく、的を射ていた。

 

 逃げていた。怖かった。辛かった。

 

 だから、あの子が苦しむ様から目を背けて、とりあえずに縋った。

 

 この罪は、一生消えない。なら、一生背負って行こう。

 

 神裂は、そう心に誓った。

 

 

 

「いや、違うんだ。コイツは、カミやんが寄越した遣いなんだ」

「え……あなた、は?」

 

 佐天は神裂の後ろから顔を見せた、先程上条の友人と名乗った土御門を見て目を見開く。

 

「カミやんはインデックスの首輪を外す為に、人気のない場所に移動している。神裂はそこにインデックスを連れてくるように頼まれたんだ」

「首輪……?」

「まぁ、分かりやすくいえば、今インデックスを苦しめている呪いのようなものだ。それを外すのは、カミやんの右手が一番手っ取り早い」

「!!」

 

 佐天は項垂れる。

 

 もしそうなら、自分の役目はここで終わりだ。

 

 ここからはヒーローがヒロインを助ける為に戦う時間。

 

 物語のクライマックスに、自分のような凡人はすることがない。

 

 蚊帳の外で、ただ祈るのみ。

 

「…………インデックスを連れて行きます」

 

 神裂は、項垂れたまま動けなくなった佐天の横を通り過ぎる。

 

 この子は、まだ救われる。

 

 インデックスを救うヒーローになれなくとも、このまま物語がハッピーエンドで終われば、再び彼女の友達として笑い合えるのだから。

 

 それは、もう届かない身の神裂としては、とても羨ましく眩しい光景。

 

 神裂は、なるべく佐天の方を見ずに、インデックスを抱きかかえる。

 

「それでは……行ってきます」

 

 佐天は何も言わない。言えない。

 

 そうだ。自分の出番は終わったんだ。

 

 ヒーローが駆け付けるまで、ヒロインを勇気づける、友人A。

 

 その役目を、自分は全うした。

 

 後は、どこかで行われる最終決戦の勝利を、この安全な病室から星空にでも祈るのみ。

 

 それが、あたしの、一般人の、凡人の、モブキャラの、その他大勢の――佐天涙子のポジション。

 

 そうだ。それでいい。

 後は、上条(ヒーロー)インデックス(ヒロイン)を助けて、物語がハッピーエンドになった頃合いで姿を現して、こうして平和な日常に戻ったエンドで、また友人Aとして一役買えばいい。

 

 自分なんかが行った所で、何も出来やしない。足手まといになるだけだ。

 

 だから、これが最善で、あるべき形で、身の丈に合ったポジションで――――

 

 

 

「………………るいこ」

 

 

 

 神裂が佐天の横を通り過ぎる瞬間、インデックスの口からこぼれ出した。

 

 その言葉を聞いた瞬間、気がついたら佐天は神裂のTシャツを掴んでいた。

 

「!?」

 

 神裂が訝しんで振り向く。

 

 何も考えずに思わず取ってしまった行動だったが、言葉は勝手に口から飛び出していた。

 

 

 役割なんてしらない。理屈なんかどうでもいい。身の程なんてわきまえない。

 

 ヒーローになんてなれなくていい。

 

 そうだ。さっき決めたじゃないか。

 

 やれることなんかなくったっていい。

 

 

 ただ、苦しむ友達の傍にいたい。

 

 

 それの何がおかしい。この気持ちは、誰にも否定させやしない。

 

 

「あたしも!! 連れて行ってください!!」

 

 

 佐天は燃えるような瞳でそう言った。

 

 全てがハッピーエンドで終わった日常で、胸を張って彼女と笑い合いたいから。

 

 彼女の友達として、彼女を思いっきり抱き締めてあげたいから。

 

 佐天の握りしめているお守りが、一瞬淡く光る。

 

 

 

 それを見て、土御門は口角を上げて笑った。

 




 この後、最終決戦に選んだ場所が、思ったよりも冥土帰しの病院から遠いことを、こないだちらっとみた学園都市地図で知りまして、だいぶ急ごしらえで改変しました。
 すげぇ、みっともねぇ。


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主人公〈かみじょうとうま〉

 禁書目録編もクライマックスが近くなってきました。


 上条達が辿り着いたのは、第十七学区のとある操車場だった。

 そこら中にコンテナが何段にも積まれ多数の死角が存在し、尚且つこの時間になるとこの場所は一切人気がなくなるのを、上条は経験上知っていた。

 

 ここは、かつて上条当麻が学園都市最強の男と戦った場所。

 

 上条は、この操車場をこの物語のクライマックスの会場に選んだ。

 

「ここであの子の首輪を外すのか?」

「ああ。ここなら障害物が多くあって目撃者も減らせるだろうし、ほとんど人も来ないからな」

「俄然、もうすぐ、もうすぐインデックスを救うことが出来る!」

 

 上条の傷は、黄金錬成(アルス=マグナ)で応急処置を施していた。

 すでに準備を終えて、後は役者が揃うのを待つのみ。

 男達三人がヒロインの到着を待っていると、そこに“三人の”少女達がやってきた。

 

 一人は黒髪のポニーテールの長身の女性。

 そして、彼女に姫のように抱えられる純白のシスター。

 

 さらに、神裂の背中にしがみついていた黒髪の入院着の少女。

 

 ステイルとアウレオルスはインデックスの憔悴しきった様子に表情を歪めるが、やがて見知らぬ三人目の人物に眉を潜ませる。

 

 だが、そんな二人よりも、上条の動揺ははるかに大きかった。

 

「神裂!! どうして佐天を連れてきた!!?」

 

 上条のその怒気を露わにした様子に、佐天はビクリと体を震わせるが、神裂は一切の動揺なく冷たく上条を見据える。

 

「俺が何のためにこんな場所を選んだと思ってる!!? 危険が大きいからだ!! お前ならわざわざ説明しなくても分かるだろう!!」

「彼女は、私が命に代えても守ります」

「そういう問題じゃ――」

 

「そういう問題です。彼女には、インデックスの行く末を見守る権利があります」

 

「!!」

 

 上条は、神裂のその言葉に一瞬言葉を詰まらせる。

 

「…………どういう意味――」

「逆に聞きますが、あなたは自身の作戦が100%、完璧に成功するとお思いですか? あらかじめ言っておきますが……私はあなたの作戦が失敗したと判断したら――たとえあなたやインデックスに生涯恨まれることになろうとも――あの子の記憶を消し、あの子を生き長らえさせることを最優先に行動します」

「――――っ!!」

 

 それは、先程の上条とステイルの会話と繋がる。

 

 あくまでステイルと神裂は――おそらくアウレオルスもだが――現時点で上条がインデックスを救える可能性が一番高いから協力しているだけで、最後まで上条に全てを任せて黙って見ている、なんてつもりは毛頭ない。

 

 この世界では、あくまで出会ったばかりの他人でしかないのだから。

 

 その事を再認識させられてショックを受ける上条に、神裂は悲しそうな瞳で言う。

 

「…………私とステイルが初めてあの子の記憶を消すと誓った夜、私達は一晩中この子の傍で泣きじゃくりました」

 

 神裂は、自身の腕の中で苦しむインデックスに目を落とす。

 ステイルも苦々しげに俯いた。

 アウレオルスも、自身の苦すぎる絶望を思い出し拳を震わす。

 

 上条当麻には、“今の”上条当麻には、それを想像することしか出来ない。

 

 神裂は顔を上げて、上条に悲しい笑みを張りつけながら言う。

 

「その時、私達がすべきことは、“今のインデックスにとって〝最も大事な〟存在である”彼女との時間を、作ることではないのですか?」

 

 上条は歯を喰いしばる。

 

 上条が神裂に言ったことだ。

 

『本当にインデックスのことを思うなら、せめてインデックスの記憶が保つ一年間を、幸せに過ごせるようにするべきじゃないのか!!?』

 

 他でもない、上条自身が言ったことだ。

 

 そんな上条が、インデックスの記憶の最期をせめて幸せに彩ることを否定できるわけがない。

 

 今の上条には、インデックスの首輪を破壊するこの儀式がどれほどのものかは分からない。

 

 この試練の脅威は、自身の記憶の破壊という、一番実感がなく、それでいてこの上なくはっきりと示されている。

 

 成功率100%など、口が裂けても言えやしない。

 

 上条は何も言えず俯くが、そこに佐天が上条の前に歩みを進める。

 

「……ごめんなさい、上条さん。何も出来ない癖に、こんなとこまでのこのこと来ちゃって」

「…………佐天」

 

 こちらも俯きながら話す佐天だったが、すぐにパッと顔を上げて、上条の目をまっすぐ見据えて言う。

 

「上条さん。あたしは信じてます。上条さんがヒーローだってこと!……だからお願いします。インデックスちゃんを助けてください!……何も出来ない癖に、他力本願で、人に全部押し付けてばっかりで、こんなこと言える立場じゃないって分かってるんですけど……それでもあたしは、インデックスちゃんに助かって欲しい! 生きてて欲しい!……あたしのことを覚えていて欲しい! これからもっともっと、思い出を作りたい! 一緒にいたい!!」

 

 佐天は大声で、心の底からの叫びを、全身全霊で上条にぶつける。

 おそらくここに来る途中に神裂から事情を聞いたのだろう。顔色が恐怖に染まっている。

 だからこそ、少女の願いには途轍もなく気持ちが詰まっていた。

 

 だが、上条はそれをまったく嫌だと思わなかった。重荷だと感じなかった。

 

 むしろ、その願いを、想いを、一つ一つ預かる度に、上条の中に力が溜まるのを感じる。

 

 佐天は上条の服を小さくギュッと掴み、潤んだ瞳で、自身より少し背の高い上条を見上げる。

 

「お願いします……あたしの友達を……助けて……」

 

 上条から、完全に迷いと怯えが消えた。

 

 何を恐れる必要がある?

 確かに失敗するかもしれない。

 

 だが、前の自分は、〝上条当麻〟は成し遂げた。

 

 文字通り、多大な犠牲を払ったけれど、それでもインデックスを救った。

 

 “今の”自分が歩いてきた道。

 その始まりの扉を、“前の”上条は自身を犠牲にしながらもその手でこじ開けてみせたんだ。

 

 負けてたまるか。

 

 だったら自分も、この手で成し遂げてみせる。

 

 前の上条当麻のように。いや、前の上条当麻が掴み取った以上のハッピーエンドを。

 

 上条は神裂の腕の中のインデックスを見る。

 

 そうだ。それはもう、手を伸ばせば届く。

 

 上条は佐天の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 

「ちょ、上条さ――」

 

「ああ。任せろ、佐天。お前が望むなら、俺は主人公(ヒーロー)になってみせる」

 

 佐天は上条の笑顔を受けて、頬を真っ赤に染める。

 

 そして、すぐに満面の笑みを、激励のエールと共に大好きなヒーローに贈った。

 

「はい! 信じてます!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「おい、いつまで待たせる気だ、上条当麻」

 

 ステイルの苛立った声に、上条は振り向き、微笑みながら言う。

 

「ああ。そろそろ始めよう」

 

 そう言って上条は、コンテナに凭れるような形でインデックスを座らせるよう神裂に頼む。今のインデックスは歩く教会を着ているので、万が一上条の右手が触れると、ここにいる全員から袋叩きを受けてしまう。

 

「神裂、インデックスの体のどこかに魔法陣のようなものはないか? インデックス自身が気づいていないだろうから、本人には見えない場所――それに記憶を操作するんだから頭部に近い場所だと思うんだが……」

 

 もしかしたら脳(もしくは頭蓋骨)に直接書き込まれている可能性もあるが、それだと前回の上条当麻が成功したことと説明がつかない。

 必ず、この右手が届くところにあるはずなのだ。

 

 神裂はしばしインデックスの体を調べていた。(ステイルとアウレオルスは黙って背を向けていた。さすがイギリス紳士とイタリアの伊達男(?)。当然上条も背中を向けた。めっちゃ佐天がニコニコしてたので愛想笑いを返しておいた)

 やがてインデックスの喉の奥を覗き込んだ時、神裂は小さく息を呑んで、言った。

 

「…………ありました。魔法陣です」

 

 その瞬間、ステイルとアウレオルスの纏う空気が変わる。

 これまで上条の言葉と状況証拠しかなかったが、これで確固たる証拠が出たのだ。

 

 イギリス清教は、自分達に何も言わずにインデックスを苦しめていた。

 

 元凶だった。

 

 神裂も悲しそうな瞳をする。

 信じていたものに裏切られる、その痛みを、上条はあのループ世界で疑似的にだが何万回と繰り返した。

 その痛みに共感し、上条は神裂に何か言葉を掛けようとするが――

 

「――――それで、上条当麻。この後は?」

 

 神裂はすぐに表情を引き締め、上条に問う。

 

 上条は、そんな神裂に心の中で苦笑する。

 

(ホント、俺なんかよりもはるかに強い奴だ)

 

 上条もそんな神裂に負けじと気持ちを切り替える。

 

 いよいよ、インデックスを救う最後の戦いの幕が開く。

 

 上条は、自身の体に闘志が漲るのを感じた。

 

「俺がこの右手で、その魔法陣を破壊する。……その後は、どんなトラップが作動するか分からない。だが、その防御術式を破壊すれば、俺達の勝ちだ」

 

 そして、上条は神裂と入れ替わるようにインデックスに近づく。

 

 神裂は、佐天に離れるように言い、彼女を守る態勢を整えた。

 

 アウレオルスは鍼をその手に持ち、ステイルは一帯にルーンをばら撒く。

 

 上条は、座るインデックスの前に膝を突き、その顔を、再会してからはじめてじっくりと眺めた。

 

 純白の肌。銀色の髪。ながい睫。

 

 上条とあの学生寮の一室でずっと過ごしてきた、上条の家族。

 

 “だった”少女。

 

 一番近くいた。誰よりも傍にいた。

 

 だが彼女は、“あの”インデックスではない。

 

 上条は、それを心に焼き付ける。

 

 断じて、この少女にあのインデックスを重ねてはならない。

 

 彼女にとって、上条当麻は十分も会話をしていない初対面の男。

 

 上条にとってもそうだ。

 

 

 だが、そんな小さなことは、上条にとって命を懸けることを躊躇うような理由にはならない。

 

 

 自分が誰よりも理不尽な目に遭っているくせに、他人のことばかり気に掛けるお人好し。

 大事な人の幸せに喜んで、駄々っ子のように怒って、他人の痛みに悲しんで、太陽のように笑う。

 

 このインデックスは、あのインデックスと変わらない――けれど、確かに違う女の子だ。

 

 そんな少女を、救う為に戦うんだ。

 

 自分の後ろにいる人達。

 

 神裂火織が、ステイル=マグヌスが、アウレオルス=イザードが、佐天涙子が、心の底から救いたい少女。

 

 そんなインデックスというヒロインを救うんだ。

 

 さあ、やることは決まった。覚悟も固まった。

 

 上条はインデックスの口腔内に手を伸ばす。

 

 

 

 パキン と何かが割れるような音がした。

 

 

 

 それと同時に、上条は轟音と共に吹き飛ばされる。

 

 ガンッ! と逆サイドのコンテナに激しく背中を打ちつける。

 

「上条さん!!」

 

 佐天の悲鳴が響くが、それに応える余裕はなかった。

 

 上条の目の先には、ゆっくりと立ち上がり、翡翠色の瞳を真っ赤に染め上げ、そこに無機質な魔法陣を輝かせるインデックスがいた。

 

「――警告、第三章第二節。Index-Librorun-Prohibitorum――禁書目録の『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、十万三〇〇〇冊の書庫の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

 

 これまでの花が咲いたかのような笑顔からは想像もつかない極寒の無表情で機械的に淡々と告げるインデックス。

 

 自動書記(ヨハネのペン)

 

『禁書目録』を狙う輩からの防衛機構として備えられたセキュリティの一つ。

 

 無感情に、ひたすらシステム的に。

 103,000冊の知識から敵対者の魔術を解析し、最適な対抗手段をもって対象を破壊する。

 

 上条は、この状態のインデックスを知っていた。

 かつて、イギリスクーデター時にフィアンマと初対面した際に、この状態の彼女の面影を見た。

 

 だが、他のメンバーにとっては、初めて見る彼女だったのだろう。

 見たこともない、インデックスの姿だったのだろう。

 

 一歩も動けない。何も出来ずに、呆然とすることしか出来ない。

 

 そして、インデックス自身の目にも、彼らは映っていなかった。

 

 今の彼女の目標は、結界を破壊し土足で踏み込んできた侵入者――――

 

「――侵入者個人に対して最も有効な術式の構築に成功。『聖ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」

 

――――上条当麻、ただ一人。

 

 パキンッ! と音を立てて、インデックスの両目から巨大な魔法陣が飛び出し、顔の前に重なる。

 

「            。          、」

 

 そして、彼女が歌声のようなものを発した瞬間――

 

――魔法陣から真っ黒な空間の亀裂が生まれ――

 

――その奥から光の柱が噴き出し、上条に襲い掛かる。

 

 

 その状況になり、ようやく全員のフリーズが解ける。

 

 だが、すでに光の柱は上条の眼前にまで迫っていた。

 

 全員が声にならない叫びを上げる。

 

 佐天は思わず耳を塞ぎ、目を閉じながら絶叫した。

 

 インデックスは、ただただ無表情で術式の結果を観察している。

 

 

 

 そして、上条は――――獰猛に笑っていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 まさしく柱と呼ぶべき巨大な光線が一直線に上条に直撃する。

 

 その激突の余波だけで、安全圏に離れているはずの佐天にまで突風のような衝撃が走る。

 

 神裂は驚愕し、ステイルは息を呑み、アウレオルスも呆然とする。

 

 それほどまでに、圧倒的な破壊力を秘めた、まさしく魔神級の一撃。

 

 

 だが、上条当麻は粉砕されることなくで屹立していた。

 

 その魔術で創り上げられた巨大レーザーを――

 

 

――まっすぐ正面に突きだした右手を、竜の頭部へと変えて受け止めていた。

 

 

 激突の衝撃が収まり、上条へと目を向けることが出来た四人は、その光景を見て一様に絶句する。

 

 何の変哲もない無能力者の高校生。

 その少年の右手が、伝説上の生物の頭部へと変異し、その巨大な咢で、魔神級の一撃をまるで水を飲むがごとく呑み込んでいる。

 

 

 通常の幻想殺しでは打ち消しきれなかった巨大で強大な異能の力。

 

 これらを一切の取りこぼしなく、直接呑み込み、世界から打ち消す。

 

 幻想を、殺しきる。

 

 これが上条当麻の、この世界に渡った時に目覚めた新しい力。

 

 

 竜王の咢(ドラゴンストライク)

 

 竜王の殺息(ドラゴンブレス)ですら真っ向から受け止めきる、まさしく異能の力に対しては天敵ともいえる能力。

 

 

 その光景に、その恐ろしさの片鱗を感じることが出来る三人の魔術師は恐怖した。

 

 魔神に匹敵する力を自分達を排除すべく行使するインデックスにではなく、それを防ぎ切り自分達を守ってくれている上条に対して恐怖した。

 

 あまりにも異質。

 

 あまりにも異常。

 

 あまりにも異形。

 

 あまりにも異分子。

 

 自分達とはあまりに“違う”その存在に。自分達の天敵に。

 

 あまりに自分達の理解の埒外にいるその少年に、瞬きを忘れるほど恐怖した。

 

『……上条当麻。貴様、いったい何者だ?』

 

 先程のステイルのセリフが、今の神裂達の胸中を最も正確に表している。

 

 怖い。分からないから、恐い。

 

 この少年が、上条当麻が、本当に怖かった。

 

 

 

「頑張って!! 上条さん!!!」

 

 

 

 竜王の殺息(ドラゴンブレス)vs竜王の咢(ドラゴンストライク)

 

 まさしく異世界異能バトルのような光景を繰り広げていた上条に、一人のどこにでもいる普通の女の子のエールが届いた。

 

 佐天涙子は、上条当麻をまるで怖がっていなかった。

 

 魔術というものを知らず、超能力にも縁遠い。

 

 そんな彼女だからこそ、異能の力と関わりが薄い彼女だからこそ、上条の異質さはよく分からない。

 

 右手が竜になったことは驚いたが、これだけは分かる。

 

 今、上条当麻は、インデックスを救う為に戦っている。

 

 自分が頼んだから上条は命を張っている、なんて思い上がるつもりはない。

 

 だが、インデックスを助けて欲しい、これは紛れもなく佐天の願いでもある。

 

 そして、上条はその悲願を果たす為に戦っている。

 

 なら、自分に出来ることは、一生懸命応援することだ。

 

 難しいことなど考えない。シンプルで――だからこそ、純粋な望み。

 

 他の何にも縛られない、この世界で最も叶えられるべき願い。

 

 上条当麻の顔に、先程の獰猛な笑みとは違う、優しい微笑みが生じる。

 

 そして、瞳がより一層力強く輝く。

 

「アウレオルス!! インデックスの足場を崩せ!!」

 

 上条は必殺の光線を受け止めながら吠える。

 

 その雄叫びに、動きをフリーズさせていた若き錬金術師が動き出す。

 そのスラリとした首筋に鍼を突き刺し、高らかに唱える。

 

「砕けよ!!」

 

 インデックスの踏みしめる大地がひび割れ、途端に安定性を失くす。

 

 グラリと背中から倒れ込むように姿勢が崩れ、上条当麻を一直線に狙い澄ましていた巨大レーザーの軌道が上方に傾く。

 

 上条の右手はすでに人の手に戻っていた。

 

 右手へと戻した瞬間、これまで竜が呑み込んでいた魔神級の攻撃の衝撃がズシンと上条に圧し掛かる。

 

「~~~~~~ぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!!!」

 

 上条は咆哮しながら、無理矢理右手で弾くように光線の軌道をずらす。

 元々傾いていた光線の標準は完全に上条から外れ、辺り一帯に積み上げられたコンテナを軒並み破壊する。

 

 そして、上条はまっすぐに走り出す。

 

 目指すは、感情の伴わない表情で破壊を振り撒か“されている”一人の操り少女。

 

 道はすでに、拓けている。少女と自分の間に、立ち塞がる壁はない。

 

 

 だが、降り注ぐ光の羽の豪雨が襲った。

 

 

 竜王の殺息(ドラゴンブレス)によって破壊されたコンテナは、純白の光り輝く粉雪のような羽となった。

 

 ひらひらと舞い落ちるそれは、光の柱と同じ構成で出来ている。

 

 すなわち、竜王の殺息(ドラゴンブレス)と同等の威力。一枚でもその身に受ければ、それはまさしく死を意味する。

 

 “前の上条当麻”を死へと誘った、まさしく死神の雨。

 

 その事を看破したのは、今回もやはり神裂だった。

 

「――――っ!!! その羽一枚一枚が、伝説にある聖ジョージのドラゴンの一撃と同等です!! 逃げて!! 逃げてください!!」

 

 神裂が外聞を取り繕うことなく絶叫する。

 

 だが、上条当麻は止まらない。

 

 今の上条は、この羽の恐ろしさを身を持って知っているわけではない。

 

 いや、文字通りその身で受けたのだから、体は覚えているのかもしれない。

 

 先程から、上条の鍛え上げられた危険を知らせる第六感が暴れている。

 

 すぐに、右手を宙に掲げて、身を守れと。

 

 今まで何度も自分の命を救った前兆の予知が、今すぐに回避運動に入れと叫んでいる。

 

 それでも、上条当麻は止まらない。

 

 目の前の救うべき少女にも、その死神の鎌は迫っているから。

 

 おそらく、前の上条も、こんな選択を迫られたのだろう。

 

 自分か、それとも少女か。どちらかを助ければ、どちらかは助からない。

 

 さあ、どうする?

 

 そんなありきたりな二択を、目の前にドンと突き付けられたのだろう。

 

 そして、迷わず少女を救うことを選んだのだ。

 

 今の自分と同じように。

 

 上条は笑う。それは自嘲に近い。だが、とても嬉しそうな笑みだった。

 

 上条当麻は実感する。

 

 やはり、自分はどこまで行っても上条当麻なのだと。

 

 それが、なんとなく、嬉しかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 それは、数時間前、病院のテラスでインデックスが舞い降りたのを見上げていた時の心境に近かった。

 

 だが、明確に違う。

 

 あの光景は、その神々しさに目を奪われ、まるで天国に迷い込んだかのような気持ちだったが、この光り輝く羽達が舞い踊るこの光景は、間違いなく美しいが、なぜか佐天の心をざわつかせた。

 

 まるで、絶対に入ってはいけない場所に迷い込んでしまったかのような、踏み込んではいけない領域を侵してしまったかのような、寒くなるような焦燥感が、佐天の心を埋め尽くした。

 

 そして、その予感は神裂の叫びで肯定される。

 

「――――っ!!! その羽一枚一枚が、伝説にある聖ジョージのドラゴンの一撃と同等です!! 逃げて!! 逃げてください!!」

 

 自分の目の前に立ち、戦闘の余波から自分を守ってくれていた神裂の背中が、明らかに怯えている。

 

 焦燥感は明確に恐怖心に変わり、視線は自ずと上条に引き寄せられる。

 

 あらゆる困難を打ち砕き、どんな窮地でも覆してくれるヒーローに。

 

 だが、上条を見た瞬間、佐天の世界から音が消えた。

 

 

 上条は

 

 

 笑っていた

 

 

 その笑みの理由が、なぜか佐天には分かってしまった。

 

 上条が、何をしようとしているのか。

 

 上条が、何を選んで、何を捨てたのか。

 

 その覚悟を、察してしまった。

 

 ……………………………いやだ。

 

 いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!

 

 そんなのダメ。そんなの意味ない。

 

 

 ヒーローを犠牲したハッピーエンドなんて、そんなのあたしは絶対に認めない!!

 

 

 佐天はお守りをギュッと握り締める。

 

 お願い、神様。

 

 あなたが意地悪なのは知ってる。

 平等なんかじゃないってことも、酷く気まぐれだってことも身に染みてる。

 

 だけど、お願い。

 

 これから先、どんな困難だって甘んじて受けるから。

 

 だから、だからだからだから

 

 

 

 バキンッ!! と何かが割れ――――何かが終わった音が響いた。

 

 インデックスを外界から遮断した漆黒の魔法陣を、上条の右手が突き破り、ヒーローがヒロインを助け出す。

 

「――――『首輪』、致命的―――再生――不可の――」

 

 インデックスの口から壊れたラジオのように断片的にいくつかの終わりを示す言葉が漏れ、やがて少女は穏やかな表情で意識を手放す。

 

 上条は、そんなインデックスを優しい微笑みで見つめた後――――

 

 

――――優しく、抱きかかえるように覆いかぶさった。

 

 

 ひらひらと舞い落ちる純白の光の羽から、白い少女を守る為に。

 

 

 その顔は、何かを成し遂げたことを誇りに思うような、そんな満足げな戦士の表情だった。

 

 

 光の羽が、ゆっくりとヒーローの役割を成し遂げた少年に降り注ぐ。

 

 

 その中の一枚が、上条の頭の上に落ち――

 

 

 

 

 

「あたしのヒーローを助けてぇ!!!!!」

 

 

 

 

 神風が、吹いた。

 

 

 突然吹き込んだ突風は、死を運ぶ羽を彼方へと吹き飛ばす。

 

 やがて突風は旋風となり、そして竜巻へと成長する。

 

 光の羽は、天高く舞い上がり――

 

「はぁ!!!」

 

 一人の少女の掛け声とともに、四方八方へと飛ばされた。

 

 そして、風は止み、場には静寂が訪れる。

 

 上条は、覚悟した死がいつまでも訪れないことに呆然とし、そして自らを死の運命から救い上げた救世主を見る。

 

「………………佐天」

 

 主人公(ヒーロー)を救った救世主(ヒーロー)

 

 佐天涙子は、この場にいる誰よりも呆然としていた。

 

「…………え?」

 

 上条だけではなく、神裂も、ステイルも、アウレオルスも、佐天を見ていた。

 

 全員が生きていて、誰も犠牲にならない。

 

 そんな真のハッピーエンドを創り上げたヒーローを見ていた。

 

 佐天涙子を、見ていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 佐天は、自らに起こった事態を理解できないでいた。

 

 あの時、あの瞬間、佐天は願った。

 

 誰でもいい。なんでもいい。

 

 上条当麻を、助けてくれと。

 

 その時、脳内に声が響いた。

 

『了解です。マイマスター』

 

 その瞬間、佐天の体が勝手に動いた。

 

 手を突き出し、突風を発生させ、上条に降り注ぐ羽を吹き飛ばした。

 

 そこからは、無我夢中だった。

 

 風を操り、竜巻を作り、羽を全て吹き飛ばした。

 

 紛れもなく、佐天が行ったことだ。

 なぜか、やり方が無意識に頭に浮かび、まるで熟練の技術のようにスムーズに行えた。

 

 超能力を使えず、魔術など何も知らない自分が。

 

 何の役割もない、モブキャラのはずの自分が。

 

 ヒーローを、好きな人を、上条当麻を救った。

 

 徐々に実感が湧き、佐天の頬が柔らかく緩む。

 

 

「…………あたし――」

 

 

 

 

 

 だが、神様って奴は本当に気まぐれだ。

 

 そう簡単に、ハッピーエンドで幕引きとはいかない。

 

 よほど、どんでん返しがお好きらしい。

 

 

 ガコン と何かがずれる音がした。

 

 

 

「――――――え?」

 

 佐天の声が掠れて漏れる。

 

 気がついたら、そうなっていた。

 

 

 

 上条とインデックスの頭上に、積み上がっていたコンテナが落下した。

 

 

 

 ズズーン!!!! という轟音の後、辺りを濃密な静寂が満たした。

 

 何も出来なかった。

 

 佐天も、目の前の神裂も。

 

 安心した。油断した。完全に終わったと思った。

 

 自分の力で、一番大事なものを救えたと思った。

 

 だが、物語は終わっていなかった。

 

 コンテナは、間違いなく落下した。

 

 

 上条当麻とインデックスを下敷きにして。

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 




 佐天と上条にオリ能力(?)が覚醒。……警告タグを入れた方がいいかな?


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ヒーロー〈一人の少女を救うために〉

 今回はかなり短めです。
 タグですが、一部キャラ強化あり、というタグを入れました。


 佐天は絶叫する。

 

 自らの竜巻が原因なのか、それともあのとき光線が振り撒かれた結果、コンテナのバランスがずれてしまっていたのかは分からない。

 

 だが、結果として。

 

 ヒーローもヒロインも救われないバッドエンドになってしまった。

 

(こんなのってないッ!…………こんなことってないよ!!!)

 

 

 神裂は、ようやく動き出す。

 

 すぐさま現場に駆けつけ、その有り様に、目を見開く。

 

 

 そこには、五体満足な上条とインデックス――

 

 

――そして、彼らを庇うように、その背中でコンテナを受け止めたステイルがいた。

 

 

「――――ステイルッ!」

「勘違いするな」

 

 上条は、ステイルがその身を犠牲に自分を助けたことに気づき大声で叫ぶが、ステイルは吐き捨てるように言う。

 

「……僕は誓ったんだ。彼女を、救う、ためなら、誰でも、殺す。…………いくらでも、壊、す。……君はついでだ、上条当麻」

 

 インデックスを救う。

 

 その為なら、例え自分の体でも――いや、自分の体などいくらでも捨て駒にする。

 

 この男は、そんな覚悟など、とうの昔に出来ていた。

 

 だからこそ、こんなに満足気に笑うのだ。

 

 インデックスを救う一助になれたことを、こんなにも誇りに思っているのだ。

 

「――――ッ!! 神裂!! アウレオルス!! コンテナを破壊しろ!! 早く!!!!」

 

 上条は見えない場所にいる二人の魔術師に呼び掛ける。

 

 この男を、こんなところで死なせるわけにはいかない。

 

「――――Salvare000!!!」

「――――砕け散れ!!」

 

 コンテナは、一瞬で木端微塵に吹き飛ぶ。

 

 ステイルは、その場でバタリと倒れ込んだ。

 

 おそらく中身は入っていなかったのだろうが――それ故にバランスを崩し落下したのかもしれないが――それでも人間一人で支えられる重量ではない。

 

 それでもこの男は動いたのだ。

 

 咄嗟に魔術を使うことも忘れて、無我夢中で。

 

 

 大事な女の子を助ける為に。

 

 

 上条はすぐさま電話を掛ける。

 

「おい、土御門!! すぐに救急車を!!――分かった、頼む!!」

 

 土御門は、こんなこともあろうかとすぐ近くに救急車を待機させていた。

 数分でここに到着するだろう。

 

「上条当麻、私が病院まで――」

「いや、この状態じゃあ聖人の移動速度に耐えられない。それなら、救急車の中で治療を受けながらの方がいい」

 

 ステイルは呻く。

 おそらく体の至る所が骨折しているだろう。

 

 聖人は瞬間移動しているわけではなく高速移動しているに過ぎない。

 当然、ただ抱えられているだけでも負担はかかる。ここに来るときはインデックスと佐天の負担にならない程度のスピードで連れてきたのだ。

 

 

 その時、インデックスがゆっくりと目を覚ます。

 

「…………ここは?」

 

「「「「!!!!」」」」

 

 ゆっくりと目を開く。

 その瞳には先程と違い、しっかりと感情の色が見えた。

 

「インデ――」

「るいこ!! 大丈夫!?」

 

 上条が声をかけようとするよりも先に、インデックスは少し離れた場所に居た佐天に飛びつく。

 

「るいこ! 怪我してない? 大丈夫?」

「大丈夫だよ。それよりインデックスちゃんこそ、体の具合大丈夫?」

「うん!」

 

 そう言って、二人の少女はお互い抱き合い、微笑み合う。

 

 その光景を、三人の男たちは苦笑しながら少し寂しげに見つめた。

 

 分かっていたことだ。自分達が、インデックスの帰る場所ではなくなっていることくらい。

 

 今のインデックスにとってのパートナーは、ステイル=マグヌスでも、アウレオルス=イザードでも、ましてや上条当麻でもない。

 

 “友達”として彼女の隣になった、佐天涙子なのだから。

 

『未練がないと言ったら嘘になる。なにせ、僕はインデックスに直接フラれたじゃないんだ。記憶が戻れば、彼女は今すぐにでも抱き着いてくれるはずなんだから』

 

(…………あの時のお前も、こんな気持ちだったのかな、“ステイル”)

 

 上条が前の世界のステイルのセリフを思い出していたら、インデックスがこの場で最も重症な男に気づく。

 

 自分を救う為に、文字通り命を懸けて体を張った男に。

 

 ついさっきまで、自分を追いつめる敵だった男に。

 

「――!! 大丈夫!? 凄い怪我だよ!?」

 

 彼女は切羽詰まった、心の底から心配しているという表情で、ステイルに駆け寄る。

 

 それを見たステイルは、信じられないといった表情で固まった。

 

 もう自分に向けられることはないと思っていた。

 

 彼女の敵意のない瞳に。純粋にこちらの身を案じる表情に。

 

 ステイルは胸の奥から感じたことのない感情が湧きあがるのを感じる。

 

 ステイルは、震えそうになる声を必死に押し殺し、今の自分に作れる最も優しい表情を向ける。

 

「……大丈夫だ。――――ありがとう」

 

 それを近くで神裂が優しい微笑みで見つめる。

 佐天も、なんだが温かい気持ちでその光景を眺めていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「間然。本当にいいのか?」

 

 

 

 

 

「…………ああ。それが、一番のハッピーエンドだ」

 

 

 

 

 

「歴然。ただし、お前以外にとっては、な」

 

 

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 

 

「間然。最後にもう一度問う。本当にいいのか? “もう二度と、インデックスに触れることが出来なくなるぞ”」

 

 

 

 

 

「…………元々、アイツにとって、俺は今日出会ったばかりの男だ。なら、何の問題もない。等価交換にすら、なってないさ。――これが最善だ」

 

 

 

 

 

「…………すまん、戦友(とも)よ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ビクン、と、インデックスの躰が震える。

 

 そして、恐る恐ると言った表情で、ステイルを見上げる。

 

 ステイルは、まさかまだ何か仕掛けられていたのか、と思い体を緊張させるが、インデックスから飛び出た言葉により、別の意味で体を硬直させた。

 

「…………すて、いる?」

 

 いくら瞬間記憶能力を持っている彼女でも、まだ名乗られていない名前を覚えていることは出来ない。

 

 だから、つまり、これは――

 

 

「インデックス……覚えているのか?……いや、“思い出せた”のか?」

 

「ステイル……私……私……」

 

 ステイルの躰が震える。インデックスの瞳にも、みるみる内に涙が溜まる。

 

「インデックス!!」

「ッ!……かおり……かおり!!」

 

 神裂はインデックスを抱きしめる。インデックスも力の限り神裂を抱きしめた。

 

 それは、心を許した親友同士の、暖かな抱擁だった。

 

 そこに、緑髪の錬金術師が歩み寄る。

 

「久しいな、インデックス。変わらぬ君の姿がとても嬉しい」

「ッ!! アウレオルス!!」

 

 インデックスは、尊敬する先生の元へ走る。

 

 

 神裂とステイルは、彼の手に鍼が握られているのを見て、全てを察した。

 

 そして、二人は、あの少年に目を向ける。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 誰もが、笑顔。

 

 インデックスの命を蝕む首輪は解かれ。

 

 佐天は新たな力に目覚め。

 

 インデックスのこれまでに失くした記憶も取り戻した。

 

 ステイルは全身に重傷を負い、上条は全身に裂傷と右手を痛め左腕を複雑骨折しているが命に別状はない。この街の治療技術ならすぐに治るだろう。

 

 およそ、これ以上ないハッピーエンド。

 

 インデックスも、佐天も、ステイルも、神裂も、アウレオルスも。

 

 みんな、みんな、救われた――――完璧な世界。

 

 

 

 

 

 その幸せな光景を、上条当麻は一人、集団から離れた場所で、微笑みを携えながら眺めていた。

 




 次回、禁書目録編、エピローグ。


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エピローグ ハッピーエンド。そしてそれを見守る少年。

 禁書目録編、終幕。


 

 暖かな日差しが降り注ぐ、病院の中庭。

 

 人工的だが緑溢れるこの空間で、インデックスは佐天と共に、初春、白井、御坂と顔合わせを果たし、長期間入院して暇を持て余している子供達と共に、サッカーボールを蹴って遊んでいる。

 

 インデックスは命を奪われることも、記憶を失くすこともなく今日という日を迎え、笑顔ではしゃぎまわっている。

 

 それは、他の何よりも、昨日の戦いがハッピーエンドであることを示していた。

 

 

 

 そんな明るい集団から少し離れたベンチ。

 

 そこには、神裂火織とアウレオルス=イザード、そして土御門元春が傍に立ち、その横には車椅子に座ったステイル=マグヌスが囲む中、左腕にギプスをつけて右手首に包帯を巻いた少年――上条当麻が一人腰かけていた。

 

 はしゃぎまわる彼女らと子供達を微笑ましく眺めながら、彼らは今回の事件を振り返る。

 

 

「――それじゃあ、やはり彼女の記憶はお前の黄金錬成(アルス=マグナ)で蘇らせたものなんだな」

 

 ステイルは、緑髪の錬金術師に問う。

 アウレオルスは、楽しそうに笑うインデックスに視線を向けたまま答えた。

 

「――ああ。私が黄金錬成(アルス=マグナ)を完成させた後も、彼女の記憶を取り戻すことが出来なかったのは、心のどこかで信じられなかったからだ。彼女がこうして、何の憂いもなく同年代の友達と笑い合う、こんな光景を」

 

 ステイルと神裂は、何も言わず、無言の肯定を返した。

 

 彼女に敵として立ち塞がり、恨みの篭った目線を受けながら、ひたすら事務的に“とりあえず”記憶を消す。

 

 そんな年月を重ねる内に、いつしか信じられなくなっていった。

 

 インデックスが、あんなに楽しそうにはしゃぐ光景が、再び戻ってくるだなんて。

 

「――――だが、上条当麻は彼女の呪いを目の前で打ち破ってみせた。その光景を見て私は、インデックスが幸せな道を歩むことが出来ると、心の底から確信できたんだ。必ず、歩ませてみせると、再び誓うことが出来た。……心より、感謝している」

 

 アウレオルスは、痛ましげに上条を見つける。

 

 神裂は気遣うように、ステイルも複雑そうな表情を見せる。

 

 それに対して上条は、気にしていないとアピールするように、明るく言った。

 

 

「大丈夫だ、アウレオルス。――俺が“この右手で触れない限り”、インデックスの笑顔が曇ることはない。今のこの幸せな光景が、当たり前になる時が来る」

 

 

 上条は、そう言い切った。

 土御門は下唇を噛み締め、神裂、ステイル、アウレオルスは目を逸らすことしか出来ない。

 

 黄金錬成(アルス=マグナ)は魔術だ。

 当然、異能の力だ。

 上条当麻の右手は、善悪問わず、その異能の力を無効化する。

 

 つまり、インデックスの頭に触れた途端、彼女の蘇った記憶は再び消える。

 

 今回、インデックスを救った一番の立役者は、やはり上条当麻だ。

 

 皮肉なことに、苦しむヒロインを救ったヒーローは、二度とその手で触れることを許されなくなった。

 

「……そうだな。お前は、あの子の幸せには必要ない。――むしろ邪魔だ」

「ッ!! ステイル!!」

 

 ステイルの暴言に、神裂は絶叫する。

 しかし、それを上条が抑えた。

 

「やめろ、神裂。ステイルは正しい」

「――でも!!」

 

 これでいい。上条はそう思っていた。

 

 上条が理想とする、オティヌスが創り出した『幸せで完璧な世界』では、自分ではなく、ステイルや神裂がヒーローだった。

 

 ポッと出の自分より、割り込んだ異分子の自分なんかより、彼らが報われる。

 

 上条当麻なんかよりも、はるかにインデックスに尽くした、彼らの元で、インデックスが笑う。

 

 この世界が、正解なんだ。

 

 そして、この世界のインデックスは、佐天という友達が出来た。

 

 優しくて社交的なインデックスなら、初春とも、白井とも、御坂とも、直ぐに仲良くなるだろう。

 

 これ以上ない、ハッピーエンドだ。

 

 上条は、自分にもう一度そう言い聞かせた。

 

 

 ぽんっ、ぽんっ、とサッカーボールが転がってくる。

 

 上条の元に、白い修道女がてくてくと近寄ってきた。

 

 先程大声を上げてしまった神裂は、苦笑してインデックスになんでもないと告げる。ステイルも、インデックスに安心させるような笑みを浮かべる。

 

 それを見て、インデックスは追及することなく微笑んだ。

 

 上条は、足元に転がったサッカーボールをギプスをつけていない右手で掴み、差し出す。

 

「ほらよ」

 

 インデックスは笑顔でボールを受け取った。

 

「ありがとう」

 

 上条は、その笑みをしっかりと受け止め、自分の元から走り去るインデックスの背中を、微笑みながら見つめた。

 

 

 

「――――僕達は体が治り次第、この街を去る。……彼女は、ここに残る。おそらく佐天とかいうあの子の元に厄介になる形だろう。あんな仕掛けをした教会の奴らの元に、彼女を置いておくわけにはいかないからね」

 

 そして、ステイルは神裂が押す車椅子に乗ったまま、上条の前を横切る。

 

 

 

「――あの子を幸せにしたのは君だ。だから責任を持って、陰ながらでもなんでもあの子の笑顔を守り続けろ」

 

 

 

 上条は目を見開いてステイルを見遣る。

 

 ステイルはそれっきり上条の方を見ようとせず、病室へと戻った。

 神裂も笑顔で会釈し、その場を後にする。

 

 やがて、アウレオルスも席を外し、ベンチの近くには上条と土御門だけが残る。

 

 土御門は、上条の隣に腰をかけ、目の前で楽しそうに遊ぶ集団を眺めたまま問う。

 その集団の中には、掃除ロボットを巧みに操ってドリブルをかます彼の義妹がいた。

 

「カミやん……これでよかったのか?」

 

 土御門の声に、上条は何も返さない。

 

 ただじっと、はしゃぐ彼らを見つめている。

 

「俺は、いまだにカミやんに言われたことを、心の底から信じることは出来ない。別の世界の未来からやってきたなんて話を、そう簡単に信じられるわけはいかないからにゃあ。だが、少なくとも元の世界で、インデックスは大事な家族だったんだろう。――こんな結末で、満足なのか?」

 

 上条は、淡々と答える。

 

「ああ。俺は、インデックスに泣いて欲しくないんだ。アイツを泣かせることだけはしない。――――俺はそう誓ったんだよ」

 

 土御門は、それに対してこう尋ねる。

 

「…………前の世界のインデックスにか?」

 

 上条は、ふっと笑って、呟いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――心に、だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これにて連続更新は終了です。

 次回は、pixivの方で第三章が終わった頃、また帰ってきます。
 ……第三章は、おそらく幻想御手編を超えるボリュームになりそうなので、しばらくかかると思いますが。

 今回のことで色々と説明不足な点は、次章の初めの方の話でなるべく辻褄を合わせたいと思っています。


 それでは、第三章――「妹達」編でお会いしましょう。


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妹達編
日常〈クラスメイト〉


 ハーメルンよ、私は帰ってきた!

 ……いえ、本当にお待たせしました。とりあえず、妹達編が完成したので更新していきます。


 

 私は。魔法使いになりたかった。

 

 

 十年前。私の村は吸血鬼に襲われた。

 

 嘘みたいな。本当の話。

 

 

 平穏だった村は。あっという間に地獄に変わった。真っ赤になった。

 

 

 みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな真っ赤になった。

 

 血だらけで。鉄くさくて。

 

 よくわからなくなった。

 

 

 誰が人間で。誰が吸血鬼か。わからなくなった。

 

 死んで。殺して。また死んで。赤くなって。血だらけで。

 

 

 

 気が付いたら。一人ぼっちだった。

 

 

 

 周りには。死体と。灰しかなかった。

 

 元。吸血鬼の灰。

 

 

 私を噛んでこうなった。私の血を吸ってこうなった。

 

 

 私の血は。そういうものらしい。

 

 

 吸血鬼の人たちも気づいた。私の血が。そうなっているって。そういうものだって。

 

 

 だけど。やめなかった。

 

 噛むことをやめなかった。血を吸うのをやめなかった。

 

 泣きながら。呻きながら。叫びながら。それでもやめやしなかった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 みんな。そう言って消えていった。私の血を吸って灰になった。

 

 八百屋のおじさん。お友達のゆずかちゃん。自分の子供を身を挺して守った優しいおばさん。

 

 みんなみんな。死んでいった。

 

 

 このまま化け物でいたくない。もう誰も傷つけたくない。

 

 

 だから死んでいった。だから謝った。

 

 

 あなた一人に。背負わせてごめんなさい。

 

 

 ……でも。私は気づいた。気づいていた。わかっていたんだ。

 

 

 きっと。みんな被害者なんだ。だれも悪くないんだ。この村を襲った。吸血鬼の人たちも。

 

 

 

 悪いのは私だ。

 

 

 

 彼らを殺す力を持った私が。

 

 彼らを問答無用で引き寄せる血を持った私が。

 

 

 だから。だから。だから。

 

 

 

 私は。魔法使いになりたかった。

 

 

 

 ルール無用で。自然法則なんて度外視で。

 

 救われぬ者も。見捨てられたものも。罪深き加害者も。無関係の被害者も。

 

 

 死んでしまった人たちでさえも。救ってみせる。

 

 

 そんな魔法使いに。私はなりたい。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そんな夢物語を。私は真っ暗な狭い部屋で。幾度となく願い続けた。

 

 

 気が付いたら。よく分からない人たちに連れられて。この部屋に閉じ込められていた。

 

 

 牢屋のような。窓ひとつないこの暗い密室。

 

 両手は手錠と鎖で繋がれて。動けはするけれど。脱走は出来ない。

 

 

 今はきっと。私がどういう能力者なのかを調べているのだと思う。

 

 

 

 そして。私の能力が“吸血鬼限定”で。“一般人には何の脅威もない”と分かれば。

 

 

 

 この部屋を最大限に活かした…………そういう愉しみ方をするんだろう。俗物すぎて。簡単に推測出来る。

 

 ……私は。どうなるのだろう。一生。そうやって使われるのだろうか。

 

 ……それもいいかも知れない。少なくとも。ここにいれば。私はもう殺さなくて済む。

 

 

 あの。“私たちと何も変わらない”。

 

 

 喜んで。怒って。泣いて。笑う。

 

 

 そんな人たちを。そんな心優しい吸血鬼たちを。

 

 

 特に何の理由もなく殺してしまう。そんな私には。

 

 

 魔法使いになれない。こんな私には。

 

 

 ここで。そんな風に死んでいるのが。相応しいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ガチャ。と。そのドアは簡単に開いた。

 

 

 一生過ごすことになることを。生涯閉じ込められることを覚悟した。

 

 その真っ暗な密室に。眩しい光が差し込んだ。

 

 

 その光を背に浴びるのは。見たこともない少年だった。

 

 少なくとも。私をこの部屋に閉じ込めた人たちの中には居なかった。

 

 その少年は――黒い学生服にツンツン頭の。右腕に腕章を付けた少年は。

 

 ニコッと笑いながら。その右手を差し伸べた。

 

 

「助けに来た」

 

 

 少年の。その言葉に。思わず喜びを感じてしまった自分がいた。

 

 だけど。すぐに私の“体質”のことを思い出して。伸ばしかけた腕が落ちる。

 

 

「……ダメ。私は。出られない。……私は。……殺しちゃうから」

 

 

 また。殺してしまう。外に出ると。また彼らを殺してしまう。

 

 

 私の。よく分からない。そんな言葉に。

 

 言葉足らずな。独りよがりの。そんな言葉に。

 

 

 彼は。呆れずに。訝しもせずに。

 

 笑顔を崩さず。強引に私の手を取って。立ち上がらせた。

 

 

 シャリン。と。鎖が鳴る。

 

 彼は。まっすぐ私の目を見て。言った。

 

 

「大丈夫だ、姫神」

 

 

 私は。魔法使いになりたかったんだ。

 

 

「世界には、魔法も、魔術もあるんだぜ。お前を救ってくれる、そんな都合のいい奇跡もさ」

 

 

 ルール無用で。自然法則なんて度外視で。

 

 

 救われぬ者も。見捨てられた者も。罪深き加害者も。無関係の被害者も。

 

 

 死んでしまった人たちでさえも。救ってみせる。

 

 

「だから、お前も、一緒に来いよ」

 

 

 彼のように。なりたかったんだ。

 

 

 

 私は。そんな魔法使いのようなヒーローに。救われた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 姫神秋沙は、夏休みの人気の少ない校舎の廊下を歩いていた。

 

 降り注ぐ暑い日差しの中、この学園都市では珍しく健全に“普通の”サッカーに青春を捧げる若人の声が窓の外から響いている。

 

 姫神は無表情で一目散に目的地に向かって歩きながら、そんな普通の学校に普通に存在している自分を振り返り、少しおかしな気分になった。

 

 ついこないだまで、死んだように生きていた――生き残っていたというのに。

 

 まるで、これでは普通の女の子のようではないか。魔法少女になりたかった自分はどこにいったというのか。

 

 

 だが、悪くない。

 

 間違いなく自分は幸せだ。魔法少女にはなれなかったが、幸せな普通の女の子にはなれた。

 

 そう。彼女は、救われた。

 

 暗い牢獄のような密室に囚われていた姫君は、その牢獄をこじ開けた一人のヒーローに救われた。

 

 彼は決して、絵本の中の王子様のようにスマートではなかったけれど。

 

 まるで魔法使いのように、少女の世界を変えてくれた。

 

 あの日、自分の両手を戒めていた、鎖はもうない。

 

 

 姫神秋沙は、もう自分の意志で、どこにだって行ける。何にだってなれる。

 

 

 そんな普通の女の子に、彼が、変えてくれたのだ。

 

 

 

 姫神は一つの教室の前に辿り着いた。

 

 中からは、数人の男の子の声と、小さな女の子の声のようなものが言い争いをしてる。

 

 相変わらずだな、とそんなことを思い、そんなことが思えるほどに、自分はこの場所での時間を重ねたんだなと感じて、胸の中に何か温かいものが流れ込む。

 

 扉を開ける。

 

 

 真っ先に目に入ったのは、彼女にとって、まさしく魔法使いのようなヒーローの少年だった。

 

 

 彼も姫神に気づき、あの日、自分を外の世界へと連れ出した時と同じ優しい笑みを向ける。

 

 

「よ。久しぶり、姫神」

 

 

 姫神は、その言葉を聞いて、その笑みを向けられて。

 

 自分の口元が、自然に優しく緩むのを感じた。

 

 

「……久しぶり。上条君」

 

 

 これが、少女の手に入れた、当たり前のやり取り。当たり前の光景。当たり前の普通。

 

 

 囚われの巫女が、魔法使いのヒーローによって変えられた、新しい世界。

 

 

 少女の首元には、彼女を普通の女の子に変えた魔法の十字架が下げられていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 教室には、上条の他にも二人の男子生徒がいた。

 

 一人は、金髪にサングラスというチャラ男の代名詞のような男。

 

 もう一人は、合成着色料のような青髪にピアスの変態を絵に描いたような男。

 

「「ひど(いぜよ)!?」」

 

 モノローグにツッコまないでください。

 

「ん?どうした、青ピに土御門? テンションが気持ち悪いぞ」

「上条君。それ。いつも通り」

「そっか。そう言えばそうだな」

「ちょっと!? 二人ともひどすぎひん!?」

「淡々と言われる毒舌はくるぜい……」

 

 土御門と青ピのメンタルがゴリゴリ削られる中、教室の前方の教卓に立つピンクの髪の少女(?)が、甲高い声で叫ぶ。

 

「もぉー!! 今は補習中ですよー!! 先生のお話を聞いてくださいー!!」

 

 見た目は子供。だけど中身は大人。ヘビースモーカーで酒を浴びるように飲み干すくらい大人なこの人――月詠小萌先生は、小学生のように小さく可愛らしい両手で教卓をバシバシ叩きながら、自らに注目を集めた。

 

 だが、そんな小萌先生の魂のお説教は、少年少女をビビらすに至らず、姫神はゆっくりと教卓に歩み寄り、カバンの中からピンク色の布に包まれたものを渡す。

 

「はいこれ。今朝。小萌。忘れていった。」

「あ、お弁当ですね。ありがとうございます、姫神ちゃん。……でも、出来れば休み時間に渡して欲しかったです。こうも堂々と補習中に乱入されると……」

「ごめん。……正直。この三人しかいなかったから。いっかって」

「おい、姫神。それは、どうせ俺達は真面目に補習を受けていないだろうからいっかってことか」

「……違うの?」

「否定はできひんな」

「全くだぜい」

「ちょっと待て!! 俺はお前たちと違って意欲はあるぞ! さっきまでも、お前達がいちいちいらんことに反応してるから話が逸れるんだろが!!」

 

 青ピと土御門の言葉に反論を申し立てる上条だが、そんな上条を青ピと土御門はニヤニヤと見つめる。

 

「な、なんだ、そのリアクションは……」

「ふっ。一ついいことを教えてやろう、カミやん」

 

 土御門が不敵に笑い、青髪ピアスはヘラヘラと緩んだ顔で答えた。

 

「実は、僕らもう小萌先生の特製テストに合格して、単位ゲットしとるんよぉ~♪」

 

「な、なにーーーー!!!!」

 

 驚愕する上条。

 

 上条は残酷な現実を受け止めきれず、わなわなと震える声で言葉を紡ぐ。

 

 

「ば、馬鹿言え……い、いつの間に、そんなテストを――」

「カミやんがここの所、サボっていた間にや」

「あぁ。サボっていたカミやんが悪いだぜい」

 

 つまり、幻想御手(レベルアッパー)事件に上条がかかりっきりだった間に、すでにこの二人は補習をクリアしていたのだ。

 

 俺が命がけで戦っている間にこいつは……っ。と、青ピはともかくこっちの事情を知っているくせに、教えすらしなかった土御門に上条はイラッとするが、そうなると疑問が浮かぶ。

 

「じゃ、じゃあお前ら、何で補習に来てんだ?」

「決まってるやないか。小萌先生に会うためや。そしてその可愛らしさを網膜に刻み込むためや」

義妹(いもうと)が学校から帰ってくるまでの暇つぶしだぜい」

「この変態どもがぁッ!!」

 

 上条が瞳に涙を浮かべて叫ぶ中、姫神が首を傾げながら、状況を纏める。

 

「つまり。単位をとれてないのは。上条君だけ?」

「やめろぉ、姫神! もう上条さんのライフはゼロですのことよ!」

「上条ちゃん……このままだと本当に留年しちゃうですよ。後は上条ちゃんだけですから、一緒に頑張りましょう!」

「ちくしょう……不幸だ……」

 

 青髪ピアスと土御門(こいつら)よりはマシだと思っていたのに……と、ついにクラス№1お馬鹿になってしまった上条は、思わず口癖を漏らす。

 

 すると――

 

 

「全く。何が不幸、よ」

 

 

 教室の――姫神が入ってきたのとは逆の――教卓に近い前方のドアが開き、一人の女生徒が入ってきた。

 

 その少女は整った顔つきを険しく歪め、ズカズカと迷いない足取りで上条の机へと進む。

 

 対照的に上条は、その人物が誰なのかを確認すると、彼女が近づいてくるのに従い、どんどん表情を青ざめてさせていった。

 

 そして、目的地にたどり着くと少女は、バンッと力いっぱい上条の机を両手で叩き、上条は体をビクッと震わせる。

 

 窓際である上条の席に差し込んでいた夏の日差しを、彼女のトレードマークと言える広く綺麗なおでこが反射する。

 

 だが、少女――吹寄制理は、それにまったく構うことなく、上条を睨み、ドスの効いた声で言い放った。

 

「そもそも貴様が補習をサボったからこういうことになったんでしょ! そんなアンタの為だけに、小萌先生はこうして休日を潰して補習してくれてるのよ! それを不幸だなんて言って、アンタ申し訳ないと思わないの!」

「ぐっ……」

 

 ぐうの音も出ない(ぐっという声は出たが)程の正論を文字通り叩きつけられ、身を竦ませて怯む上条。

 

「で、でも、俺にも風紀委員(ジャッジメント)の仕事ってもんが――」

「本業の学業すら疎かになっている奴が、街の風紀を取り締まるだなんてちゃんちゃらおかしいわね」

「がはぁ!」

 

 上条撃沈。

 

 今まで数々の難敵をその言葉でねじ伏せてきたヒーローが、紛うことなき正論で叩き伏せられた瞬間だった。

 

 それを見て、青髪ピアスと土御門はゴクリと生唾を呑んだ。

 

「さすが吹寄だぜい。あのカミやんをここまで封じ込めるとは……」

「対カミジョー属性を持つ女……このクラスの最後の希望やね」

 

 上条は、逆行した後も、特に吹寄とはあまり関係は変わっていない。

 

 普通に同級生として出会い、前回と同じようにクラスメイトになり、そして前と変わらず目の敵にされていた。(相も変わらず上条がことあるごとに不幸だ……と漏らすのが原因なのだが)

 

 

 まぁだが、こんな吹寄とのやり取りも、上条にとっては平和な日常の掛け替えのない一部だ。

 

 今回の事件も無事に生き残り、乗り越えた証拠なのだ。

 

 

 土御門、青髪ピアス、小萌先生、姫神、そして吹寄。

 

 

 彼ら彼女らと共に過ごすこの穏やかな風景に帰ることが出来て、上条当麻の戦いは終わりを告げるのだ。

 

 

 今回の幻想御手(レベルアッパー)事件、そして禁書目録事件。二つとも、とても命懸けの戦いだった。

 

 そして、上条当麻は知っている。これから先、今回よりもはるかに厳しく、辛く、危険な戦いが次々と待っていることを。

 

 

 だが、絶対に負けない。

 

 必ず生き残り、日常(ここ)に帰ってくる。

 

 

 上条はグッと拳を握り、決意を新たにしていると――

 

 

「――ちょっと! 聞いているの! 上条当麻!!」

「……はい。生きててごめんなさい……」

 

 お説教は絶賛継続中だった。

 

 上条はそろそろ涙目になりかけていたが、そんな上条に土御門はボソッと話しかける。

 

「……カミやん。カミやんは高一の授業は二回目じゃないのか? なんで補習になってんだ」

「……いくら二周目でも、上条さんに頭脳派を期待する方が間違いなんだよ」

 

 さすがの上条さんも学力面まで強くてニューゲームとはいかなかった。まぁ、これは単純に逆行前の上条の学力が残念なだけなのだが。

 

 そんな内緒話も吹寄の逆鱗に触れたようで、なんか背後から吹き出すオーラが増した。

 そろそろメンタルが限界な上条は必死に話題を逸らす。色々いい風に言ってもやっぱり怒られるのは辛い。

 

「そ、そうだ、吹寄! 吹寄は、今日はどうしたんだ? 補習じゃないんだろ?」

「貴様と一緒にするな。真面目に授業を受けていれば、本来補習などありえないんだ」

「……………………」

「か、上条ちゃん! 先生は気にしてないですよ! 上条ちゃんはやれば出来る子って信じてますから!」

「そ、それで、吹寄はどうしたんだぜい? 何か、学校に用事でもあったのか?」

「あ、そうだったわね。大覇星祭の実行委員の打ち合わせよ」

「へぇ~。こんな時期から、働いてるんや。大変やね」

 

 上条はそれを聞いて、そうかもうそんな時期かと思った。

 

 大覇星祭。

 前回は、それはもう色々あった。十八禁な運び屋や逆境フェチの布教中毒者とのバトルや、なんかすごいことになっている御坂を止めようとして右腕が吹き飛んだりもした。

 

 その際に、姫神や吹寄も巻き込んで、辛い目に遭わせてしまったりもした。

 

 今回は絶対に、そんな目に遭わせたりしない。

 

(吹寄はこんなに頑張って大覇星祭を盛り上げようとしてるんだ。今度こそ、100%報われなきゃな)

 

 上条は吹寄を優しい眼差しで見つめる。

 

 すると、その目線に気づいた吹寄は、少し頬を染めながら――

 

「……なんだ、その目は。言っておくけど、アンタは単位を取らないと、競技に参加させないから」

「……はい。頑張ります」

 

 すると吹寄は、小萌に連絡事項があったのか、そのまま小萌と話し始める。それに青髪ピアスも加わってる。コイツは小萌と話したいだけだろうが。……いや、青髪ピアスは一応このクラスの学級委員だった。一応。

 

 上条は、そんなことを思いながらその光景を眺めていたが、ふと気づいた。

 

 大覇星祭。思えば、前回彼女と初めて会ったのが、この時だったなぁ、と。

 

 そして彼女と言えば、まだコイツに聞いていないことがあった。

 その事を、この後じっくり説明してもらう予定であることを思い出す。

 

 上条は、自分と同じく会話の外にいた男にこっそりと顔を近づけ、小声で話かける。

 

「――おい。土御門。今日、この後のこと覚えてるよな」

「――当然、ぜよ。カミやんとの予定を忘れても、女子中学生とのデートの予定は忘れないぜい」

「……舞夏にチクるからな。あと、ついでにステイルにも」

「それはやめて! 特に後者!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▦ ▦「……ふふ。私。途中から。完全に空気。……いつも通り。報われない」

 




 ……姫神さん。ほんとゴメン。

 いつか必ず、あなたにもスポットライト当てるから! ヒロインっぽい活躍用意するから!

 ……いつになるかは、分からないけど←おい


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精霊〈ミウ〉

  たくさんの方にお帰りなさいと言っていただけて、本当に感無量です。

 こんな不定期更新な作品ですが、少しでも多くの皆さんに楽しんでいただけるよう、これからも頑張っていきたいと思います!
 
 それにしても、しばらくハーメルンで投稿していなかった間にすごい便利になったなぁ。何日分も予約できるという機能は、僕みたいなものにしてはすごく嬉しいです。

 今回は、佐天さんのオリ能力の話です。出来る限り頑張ってみましたが違和感があったらごめんなさい。
 この物語ではこれで行きたいと思います。


 

 その後、なんやかんやで補習を終え、お昼頃下校した。

(「上条ちゃん用の特製テストを作ってきますよ!」と小萌先生は言ってくれていた。その献身ぶりに上条は、今のままで受けても受かる気がしないとは言えなかった。「……不幸だ」)

 

 校門前で青髪ピアスと別れ、上条と土御門は待ち合わせ場所の某ファミレスへと向かった。

 

「えぇと……ここでいいんだよな?」

 

 店内に入り、目的の人物達を探す上条。

 すると――

 

「……かみじょ~さ~ん……こっちです~……」

 

 と、まるで地獄の底から死者がおいで~おいで~と生者を誘うような低い声に、上条たちはギョッとし、そちらに目を向ける。

 

 そこには――

 

「――これと!あと、これも食べたいんだよ!」

「……い、インデックスちゃん……も、もうそろそろ勘弁していただけないでございます!?」

 

 自分のキャラの本領を発揮するシスターと、顔面蒼白で涙目の保護者がいた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「とうまはね! もう少しデリカシーってものを身に付けるべきなんだよ! いきなりレディに向かって出会い頭に拳骨なんて、英国紳士を見習うべきかも!」

「うるさい。まだ、一日が半分残っている時間帯にも関わらず、ファミレスを営業停止に追い込むレベルで暴飲暴食のなんちゃってシスターを止めるためだ。英国紳士も褒め称えてくれるさ」

 

 あの後、上条がインデックスに愛(?)の鉄槌を食らわし、流れるように店員さんに向き合ってまだ来ていない注文をキャンセルし、テーブルの上の――すべて綺麗に完食していた――料理を下げてもらい、ようやく本題の話に入った。

 

 インデックスはまだガミガミと文句を言い、佐天はそれを苦笑しながら宥めつつ、上条はそれをはいはいと受け流している。

 土御門は、上条がインデックスに触れる際、一瞬ピクリと右手を動かし、改めて左手で拳骨したのを見て、少し悲しそうに目を伏せたが、サングラスの為か、誰にも気取られることはなかった。

 

「さて。今日集まってもらったのは、他でもない」

 

 と、土御門は気持ちを切り替えるように、明るい口調で切り出し、自分に注目を集める。

 

 

「――佐天涙子。君に目覚めた、能力の話だ」

 

 

 その言葉に、佐天は居住まいを正し、ゴクリと生唾を呑んだ。

 場も一気に真剣な空気になり、インデックスも口を閉じる。

 まず、上条が土御門に問いかけた。

 

「……お前がわざわざ説明するってことは、やっぱりあれは超能力じゃないのか? 俺はてっきり、幻想御手(レベルアッパー)の影響の残滓かと思ってたんだが?」

 

 上条の問いに、土御門は首を横に振った。

 

「いや、それはない。念の為に調べたが、昏睡状態から目覚めた後も強化した能力を使えたって奴は一人もいなかった。一度たりともな。…………お前も、それは試しただろう?」

 

 そう言って、土御門は佐天に問う。

 佐天は項垂れつつ、答えた。

 

「……はい。目覚めてから一度試しましたけど、能力を発動することすら……」

 

 上条は、そんな佐天を悲しげに見つつ、表情を切り替え、再度土御門に問いかける。

 

「じゃあ、やっぱり魔術か?……でも、能力開発を受けたこの街の学生は、魔術を使うことは出来ないんだよな? 確か、無能力者でも?」

 

 上条は、最後はインデックスに目を向け、問いかけた。

 インデックスは大きく頷く。

 

「そうなんだよ。だから、るいこの能力は魔術でもないと思うんだけど……」

 

 インデックスは最後の方の言葉を濁した。

 上条も戸惑った。超能力でも、魔術でもない、異能。上条も、さすがのインデックスも、まったく見当がつかない。

 

 上条は、諦めて土御門に目を向ける。上条だけでなく、インデックスも、佐天も土御門を見た。

 土御門は、大して勿体ぶることもなく、簡潔に答える。

 

 

「簡単に言うならば、佐天の能力は魔術で超能力を強化したものだ」

 

 

 土御門の言葉に、上条は怪訝な反応を示す。

 

「それってつまり……どっちも使ってるってことか? でも、それじゃあ――」

「いや、簡単に言えばってだけで、仕組みはもう少し複雑だにゃ。まずカラクリは、その俺がやったお守りだ」

 

 そう言って土御門は、佐天のカバンに付けている二つのお守りの片方を指差す。

 

「こ、これですか?」

「ああ。実は、それは俺の実家の――土御門家の代物でな。」

 

 土御門は、にやりと得意げに笑って答えた。

 

 

「――人工的に作り出した、疑似精霊が宿っている」

 

 

「ええ!?」

 

 インデックスがその言葉に驚愕し、上条と佐天は呆気にとられる。

 

「そ、それって、そんなにすごいの? インデックスちゃん?」

「す、すごいなんてものじゃないんだよ! も、もとはるが言う土御門家って、あの安倍清明の土御門家だよね!? ジャパニーズ陰陽師が精霊の作成に乗り出してたなんて、私も初耳なんだよ!」

「……ああ、残念ながら、そこまで大層なものじゃないぜい」

 

 興奮するインデックスとは対照的に、土御門は淡々と言い募る。

 

「元々、陰陽師――というより土御門(うち)では、精霊という存在を、事象改変――火を起こしたり、風を生み出したりっていう、いわゆる魔術だにゃ――を発現させるための出入口と考えていたんだ。つまり、こちらが精霊に自分の意志を魔力と共に伝えて、その魔力を元に精霊が術者の意志に沿った事象改変を行う、といったプロセスだと。……まぁ、これも陰陽道の一つの流派に過ぎないんだけどにゃ。俺は、まったく違う風水が専門だったし」

「……つまり、世間一般――という言い方も変だが、魔術師の中で世界的に広まっている精霊とは、また違うものってことか」

「そうだ。天使なんかとはまた違う――言うならば、術式の一部ってことだにゃ」

 

 そこまで説明すると、インデックスはなるほどと言った表情で、おとなしく席に座る。

 だが、佐天はさっぱり分からないようで、真剣な顔をしているが、無意識に首を傾げている。

 

 土御門は説明を続行した。

 

「まぁ、そんなこんなで、ある日誰かが考えた。だったら、“あらかじめ精霊をこちらで作ってしまえば、もっと強力な術式を、スムーズに行えるんじゃないか”、とな。それで、行われたのが、人工精霊の作成だ。……だが、元々精霊――少なくとも、当時彼らが考えていたような精霊――なんて、存在すら不確か。結果、作っては見たものの、効果はいまいち検証しづらく、中にはまったく効果を生まないものもあったそうだ。……その内、徐々に他の魔術文化に触れるようになり、もっと効果的な魔術知識を得て、精霊文化は衰退していった」

「……そっか。だがそうなると、どうしてお前はそんなものを持っていて、そして佐天にそのお守りを渡したんだ?」

 

 上条の疑問はもっともだった。

 

 言うならば、その人工精霊は大昔に失敗した実験成果に過ぎないはず。

 なぜ、今になってそんなものを持ちだして、なおかつ佐天に授けようと思ったのか。

 

 土御門は、ニッと笑い、上条の右手を指さした。

 

「前に、カミやんは自分の右手――幻想殺し(イマジンブレイカー)について色々と話してくれたなにゃ~。その右手は世界の基準点で、カミやんが生まれる前も色々な形で存在していたって」

「……まぁ、人に言われた考察だけどな。それも、あくまで似たようなもので、これと同じものとは限らないし」

 

 インデックスと佐天はほえ~といった表情で呆気にとられる。

 自身の思っていたよりも、上条の能力のスケールが大きくて驚いているようだ。

 

「――それに、俺なりの考察を加えてみた。つまり、異能の力――超能力や魔術は、“世界を在るべき状態から外れた形に改変する力”なんじゃないか、とな。だから、基準点であるカミやんの右手――幻想殺し(イマジンブレイカー)によって、打ち消す――世界を元の形に戻すことが出来る」

「なるほど……すごいんですね! 上条さん!」

「いや、あくまで土御門の推測だからな」

 

 上条は苦笑といった表情を浮かべる。

 

 前回の世界では、あの魔神になりそこなった男――オッレルスに似たようなことを言われた。

 上条の右手は、というより幻想殺し(イマジンブレイカー)は、世界を歪める力である魔術を使ったことによる弊害を避けるため、元の形を思い出すための基準だと。

 

 そんな魔術師の願いの、夢の形である、と。

 

 この世界に来て、あの戦いを経て、前回より“深い部分”で幻想殺し(イマジンブレイカー)を使えるようになったが、まだまだ自分は自分の右手のことをよく知らない。

 

 上条は、それを痛感していた。

 

「……それで。それが今日の話とどうつながるんだ?」

 

 上条が話を、佐天の能力の話に戻す。

 

「――つまり、超能力も、魔術も、仕組みや方法はまるで違えど、事象の改変って結果は同じだってことにゃ。つまりどっちも、世界に歪みを齎す手段なんだ」

 

 土御門の言葉に、上条、インデックス、佐天の動きが止まる。

 上条の表情が心なしか引き締まり、インデックスもプロとしての顔を見せる。佐天はただ一人少し戸惑いを隠せないでいた。

 

 土御門は、そんな面々を見て、少し愉しげに話す。

 

「そして、その歪みを齎す力の強さが、超能力で言うレベルだ。もっというなら『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』の強さだな。佐天は、幻想御手(レベルアッパー)使用時には能力が使えたことから、カミやんのように何らかの特殊な事情があって能力が使えないというわけじゃない。単純に演算能力不足と、あとは自分だけの現実(パーソナルリアリティ)――事象改変能力の不足が原因だ」

「……そ、そうですよね」

 

 佐天が改めてお前の単純な力不足だと言われて落ち込むが、上条が土御門に言い放つ。

 

「つまり、それを人工精霊のお守りで解決したってわけか?」

 

 その言葉に、佐天はハッとする。

 そうだ。よく分からないが、自分はあの時能力を使えた。それも幻想御手(レベルアッパー)使用時よりも、はるかに強力な能力を。

 

 土御門は、再びニヤリと笑い、言う。

 

「賭け、だったがな。……今回、佐天に渡した精霊は、本来別の精霊と併用して使うものなんだ。いうならば、“特定の歪みが起きやすいよう”に“特定のエリアを改変”する、といったところか。そうやって、自身の攻撃を強化するのに使われるんだ。だからこそ、佐天の貧弱な改変力で、あれだけの威力が発現した」

「ひ、貧弱……」

 

 遠慮のない物言いに少し凹んだ佐天だが、その通りだ、と思った。

 

 自身の手の中にあるお守り。この中にいるという精霊が手助けしてくれたからこそ、自分はあれだけの力を発揮できた。

 

 そこに、上条が再び疑問を呈す。

 

「……仕組みはなんとなく分かったが、それって結局魔術を使ったってことじゃないのか? なんで佐天は無事なんだ?」

「そうなんだよ。能力開発を受けた人が魔術を使ったら、全身の血管が破裂して血みどろになるはずなんだよ!」

「そうなの!?」

 

 佐天は驚愕した。あの時、魔術に心奪われて使ってみたりしたら、自分はそんな目に遭っていたのか、と。

 

 土御門は笑って答える。

 

「その点は心配いらないぜい。その人工精霊は、いわゆる自律型――自我をもっているからな。事象改変は、精霊自身の魔力で行う。だから、扱い的には霊装と同じ。魔力を流すわけじゃないから、副作用はない。……強いて言うなら、そうやってお守りに触れることによって、精神に同調するってことくらいか。つまり、身に付けておくことで、精霊に心を読まれているんだよ」

「え!? そうなんですか!?」

 

 佐天は驚き、思わず身を仰け反らしてお守りを注視する。

 

 だが、なぜか手放そうとは思わなかった。

 

「ああ。そうやって、同調することで、所有者がどういった能力を――事象改変を行いたいかを読み取るんだ。……もっと言うなら、同調することで、所有者の人柄を把握する。この精霊にはさっきも言った通り自我があるから、そこでこの精霊に認められなければ、何もしてくれない。……こういったところが、使い勝手が悪くて廃れた要因でもあるんだけどにゃ」

 

 土御門の説明をぼけっと聞いていた佐天は、その言葉に何とも言えない不思議な感情を抱く。

 

 すると、上条が優しい表情で、佐天に言った。

 

「つまり、佐天はその子に選ばれたってことだな」

 

 佐天は思わず、上条を見る。

 

 上条はすげぇなと言って笑っていた。

 

 インデックスも優しい表情で佐天を見つめる。

 

 

 佐天は、特別な力というものに憧れ続けた少女だった。

 

 だが、特別な力はことごとく佐天を選ばなかった。

 

 

 そのことにどうしようもなく苦しみ、嫉妬し、嘆いたこともあった。

 

 

 だが、ついに舞い降りた。

 

 佐天を選んでくれた、特別な力が、今、佐天の手の中にある。

 

 

「……何度も言うようだが、その精霊には自我がある。今は、お前の力になってくれるが、嫌われたらお前の元から離れていくぞ。……精々、愛想を尽かされないようにしとくんだにゃ」

 

 土御門は、言葉は厳しいが、優しい口調で言った。

 

 佐天は、溢れそうになる涙を袖で拭いながら、両手の中にふんわりと包み込んだお守りを優しく見つめつつ、語りかけるように言った。

 

「はい。……あたしを、選んでくれて、ありがとう。……これからも、よろしくね。」

 

 

『了解です! マイマスター!』

「――――へ?」

 

 

 自分の呟きに可愛らしい返事が返ってきたことに、佐天は呆気にとられ、間抜けな声が漏れた。

 その事に、上条達は訝しげな反応をするが、佐天はそちらには気づかない。

 

 なぜなら、佐天の両手の中――お守りに腰かけるように。

 

 

 手の平サイズの、背中に透明な羽を生やした美少女が、こちらをニコニコしながら見ているのだから。

 

 

 佐天は混乱する。思考が真っ白になる。

 

 少女はふわりと、自身のその羽を小刻みに高速に動かすことにより宙に浮かぶ。

 

 その姿は、精霊というより、むしろ――

 

『こちらこそ、よろしくお願いします!』

 

 自身の顔のすぐ近くに、その光輝くような笑顔を向けられた佐天は、なんかもう可愛いからいっか、と色々な疑問を自己処理(ほうき)した。可愛いは正義。

 

「うん。よろしくね! あなたのお名前は?」

『私、まだ名前とかないんです……こうして、マスターの人とお話したの初めてで……ですから! ですので、よかったら、マスターが私にお名前つけてください!』

「え!? そんなの困るよ……あたしネーミングセンスとか自信ないし……」

『いいえ! マスターに付けていただきたいんです! もし、マスターがつけてくれたら、私、その名前をずっと大事にします!』

「そっか……じゃあ、頑張って付ける。……えぇと……みなさんは、どんな名前がいいと思います?」

 

 と、佐天が他の人たちの方に目を向けると、なぜか三人とも優しい顔をしていた。

 

「……え? どうしたんですか、みなさん?」

「大丈夫だ、佐天。俺たちが付いてる」

「……そこまで、うれしかったんだな。俺も、そこまで喜んでくれるなんて嬉しいぜい。だから、自分をしっかり持て!」

「……だいじょうぶ。たとえ、るいこが普通じゃ見えないものが見えるイタイ子でも、わたしはずっと友達だからね!」

 

 最後のインデックスの言葉で、佐天は自分の状況に気づき、顔を真っ赤にして猛抗議する。

 

「ち、ちがいますよ! 別に幻覚を見てるわけじゃないんです! ここにちゃんといるんですよ! っていうか、精霊ってこういうものじゃないんですか!?」

 

 佐天の抗議を聞いて、上条は土御門に問いかける。

 

「……そうなのか?」

「いやぁ~。何しろ大昔のものだからにゃ~。俺もお宝感覚で持っていたものだから、詳しいことは知らないんだぜよ。だが、自我を持った精霊を宿していることは確かだからにゃ。もしかしたら、所有者にだけ姿が見える機能があってもおかしくはない。と、思う。…………佐天が、正常ならば、にゃ」

「せい! じょう! です!」

 

 佐天が涙目で抗議していると、上条ははははと笑い、佐天に言う。

 

「だが、そうなると、佐天は相当その子に気に入られたんだな」

「――え?」

「名前、付けてやれよ。頼まれたんだろ?」

「あ――」

 

 そこで、佐天は再び、この子の名前について考える。

 

 佐天が縋るような目で上条を見ると、上条は――

 

「大丈夫だ。佐天が一生懸命悩んでつけた名前なら、きっと気に入るさ」

 

 佐天はその言葉を受け、インデックスに顔を向ける。

 インデックスは、花が咲くような満面の笑みで佐天を勇気づけた。

 

 二人の励ましに背中を押され、再び精霊の少女と向き合う。

 

 精霊の少女は、にっこりと笑って、佐天の言葉を待っていた。

 

 佐天もそれに気合いを入れた笑顔で応え、自身の心に湧き上がってきた、その名を伝える。

 

 

「うん、決めた。あなたの名前は――美羽(ミウ)。美しい羽で、美羽。あなたのその綺麗な虹色の羽からつけてみたんだ。……どう? 気に入ってくれた?」

「……ミウ……それが、私の名前……はい! ミウはすっごく気に入りました! ありがとうございます! マスター!」

 

 

 佐天は凄く嬉しそうに微笑む。

 

 それだけで上条達は、佐天に頼もしい友達が増えたのだと分かり、嬉しく思った。

 

「……まぁ、これでとりあえず一通りの説明は終わりだ。カミやん。間違っても、あのお守りに右手で触るなよ」

「分かってますよ。佐天の大事な友達だしな。……さて、とりあえず昼飯でも注文するか。この後、俺たちは力仕事が待ってるしな」

「ホント!? じゃ、じゃあ、このページが食べたいんだよ!」

「お前はさっき散々食ったろうが! それからページで注文すんのやめろ!」

「あんなのオードブルですらないんだよ! まだまだメインディッシュはこれからかも!」

「ま、まぁまぁ……一応、私、ステイルさんと神裂さんから生活費はもらってますから……」

「……それ、この後使う分残ってるのか?」

「…………私服を我慢して、残りの夏休みを制服で過ごせば、何とか……」

「…………佐天」

 

 佐天が目を逸らしながら言った言葉に、上条の涙腺が崩壊した。

 

「だ、大丈夫ですよ! 御坂さんや白井さんは校則でいつも制服ですし! 初春も風紀委員(ジャッジメント)で制服なことも多いですし! むしろ、浮かないっていうか!……そ、そりゃあ、女の子ですし、あたしの数少ないアイデンティティですけど、イ、インデックスちゃんの笑顔に比べたらそんな――」

「店員さん!! 今すぐ、このページの料理持ってきて!! あと、このケーキも彼女(さてん)に!!」

「……ふっ。カミやんの分の昼飯は、俺が奢ってやる。思う存分、男を見せろ、カミやん」

「ああ……。恩に着るぜ、土御門」

 

 思わず目の端から美しい雫を流した佐天を見た時、すでに上条(ヒーロー)は立ち上がっていた。

 

 三十分後、パスタを一皿ずつ頼んだ上条と土御門よりも早く、一ページ(ステーキ類)分の料理を食い果たしたインデックスに絶句しながらも、楽しいランチタイムは幕を閉じた。

 

「ど、どうだ、インデックス。……満足したか?」

「う~ん。まぁ、五分目ってところだけど、とりあえずやめとくんだよ。夕ご飯もあるしね」

「「なん……だと……」」

「……前回、よく破産しなかったな、カミやん」

 

 インデックスのこの倍はイケます宣言に、顔を青くしながら上条と共に絶句した佐天だったが、とりあえず空気を変えようと、上条に話かける。

 

「え、えぇと、上条さん、今日は本当にありがとうございます」

「あ、ああ、大丈夫大丈夫。佐天も、コイツの食費に悩まされたらいつでも言えよ。また奢るから」

「い、いえ、もちろんそれもなんですが。……今日の、この後の……」

「ああ。そっちの方こそ、もちろんだ。こういう時に、男手は必要だろう。遠慮はなし! 困った時は、お互い様だ」

 

 そう言って、上条達は席を立ち、ファミレスを後にする。

 

「それじゃあ、行こうか」

「腕が鳴るにゃ~」

「はい! よろしくお願いします!」

「よろしくなんだよ!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――と、いうわけで、木山春生の証言の元、数人の実験の被害に遭った置き去り(チャイルドエラー)を保護。あなたの部下に管理させてるわ~。これで、幻想御手(レベルアッパー)事件についての報告力は以上よぉ」

「了解しました。その子たちの容体は?」

「バイタルは安定してるわぁ。……けど、さすがの親船さんのチームでも、木山の言う通り目を覚ます目途力は立たないそうよぉ。引き続き、研究力は続けるそうだけどぉ。木山はそこまで重い罪にはならないそうだから、釈放し次第すぐにチームに合流力できるようにするわぁ」

「ご苦労様です、操祈ちゃん。本当にありがとうございました。上条くんにも労いたいのですが、今日は、彼は?」

「し~ら~な~い~わ~よ~。今日は用事力があるからって、私一人で親船さんに事件の報告力をしてこいって言って行っちゃったんだものぉ~。なんかぁ、私抜きであの後でっかい事件力に首突っ込んだみたいだしぃ~。最近、構ってくれなくてつ~ま~ん~な~い~」

「女王。駄々っ子みたいに手足をバタバタするのは、止めてください。いくら派閥の者がいないからと言って自由過ぎます」

「ふふ、いいのよ。操祈ちゃんが我儘を言ってくれるのは、私と上条くんと縦ロールちゃんくらいだもの。ここでくらい言わせてあげましょう」

 

 ここは、学園都市統括理事――親船最中の執務室。

 

 食蜂操祈と縦ロールは、親船から依頼を受けた幻想御手(レベルアッパー)事件の解決報告をすべく訪れていた。

 

 しかし、適宜、縦ロールは親船に事件の捜査状況を報告していたため(実際、上条も電話ではあるが、きちんと解決報告をしていた)、これは形式上のもので、言うならばきちんと区切りをつけるといった側面が大きかった。

 

 なので、残りの時間は、堅苦しいのは抜きにしてのガールズトークとなるわけだが、ここ最近上条とあまり会えていない食蜂は少し不貞腐れ気味で、親船と縦ロールに愚痴を零す感じになっていた。

 

 その年相応の可愛らしい行為に、親船は微笑ましく、縦ロールはため息を吐きながら聞き役に徹していた。

 

「最近、どうもほっとかれている感じがするのよねぇ~。幻想御手(レベルアッパー)事件も後半は別行動力が多かったしぃ~。佐天さんや、あの新入りのいんで……なんだったかしら? いんてぐらんすちゃん? だったかしら?「インデックスさん、ですね」そう、インデックスちゃん、ばっかりに構ってぇ~。いつのまにか御坂さんとも絆力を深めてるしぃ。初春さんや白井さんは言うまでもなくだしぃ。……面白くないわぁ」

「ぶっちゃけましたね。それが本音ですか」

「そうよぉ! もっと、私に構ってほしいのよぉ!」

「ふふ。可愛いわねぇ、操祈ちゃん」

 

 親船は、そんな普通の子供のように青春を謳歌する食蜂を、本当の娘を慈しむように見ていた。

 

 食蜂も親船の前では無意識の内に十四才の女の子でいられた。

 

「もぉ! 上条さんは何してるのよ! また何か事件力に巻き込まれてるのぉ!?」

「いえ、今日はもっと平和的な日常編の用事ですよ」

「…………え? 縦ロールちゃん、上条さんの用事力がなにか知ってるの?」

「? ええ。幻想御手(レベルアッパー)事件の資料をお借りしに、177支部へ立ち寄らせて頂いた時に、白井さんにお会いしまして――」

「え? え? 白井さん? 白井さんも一緒なの?いったいどうい――」

 

 

「――上条さんは今日、佐天さんとインデックスさんのお引越しを手伝うそうです。なんでも、上条さんのお部屋のお隣にお引越しなされるとか」

 

 

 食蜂は硬直する。

 

 常盤台の女王が、ひきつった顔で面白リアクションをするほど、その話は衝撃的だった。

 

 

 そして、数秒の沈黙。

 

 親船が、テーブルの緑茶を上品に啜った数秒後――

 

 

「なんなのよ、それぇ~~!!!!!」

 

 

 完全防音の室内に、女王の叫びが響いた。

 




 次回も、穏やか日常編。

 でも、相変わらず僕は何気ない会話というのが恐ろしく苦手だ。

 いつか西尾先生のような面白い軽快な会話劇というのを書いてみたいなぁ。


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青春〈ラブコメ〉

青春物語。
そうタイトルにつけているのに、全然それっぽいことが書けてなかったので。ちょっと意識してみました。


 

 ファミレスでの食事の後、上条と土御門と佐天とインデックスは、初春、白井、御坂と合流し、佐天とインデックスの新居――――つまり上条が現在暮らしているアパートへと足を進めていた。

 

「にしても、ずいぶん静かな住宅地ね。アンタ、確か公立校の無能力者よね。なんでこんないいところ住んでんの?」

「……まぁ、上条さんにも色々ありましてね。ある時、同居人が増えまして。その関係でな」

 

 御坂の問いかけに対する上条のその言葉に、土御門とインデックスを除いたメンバーが、ギョッとする。

 

「え!? 同居人!?」

「だ、誰ですか!? お、女の人ですか!?」

「い、いやいや男ですよ。決まってるだろ。上条さんに女の子と同棲なんて、そんな素敵イベント発生するわけないでしょうが(お、男……だよな、あいつ)」

 

 上条は御坂と佐天の鬼気迫る勢いに、たじろぎながらも答える。

 

「ていうか、白井と初春は知らなかったっけ?」

「知りませんよ! なんか、学生寮から引っ越したって話は聞いてましたけど……」

「同居人の話は初耳ですわ。ですから、私たちが何度かお邪魔しようとしても、やんわり有耶無耶にしてましたのね」

「あぁ……そうだったか。食蜂とか縦ロールはちょくちょく来るから、てっきり話した気になってたよ」

 

 上条の発言に超電磁砲ガールズはイラッとしたが、殺気をオーラとして纏うだけで、なんとか抑えた。

 

 一番先頭を歩く上条はまったく気づいてないが、土御門とインデックスは恐怖で青ざめている。

 

「そ、そうだ、もとはる! もとはるはとうまの同居人について知ってるの!?」

「あ、ああ。もちろんだぜい。俺は元々、カミやんの隣人だったからにゃ~。今回みたいにカミやんの引っ越しを手伝ったりしたぜよ」

 

 インデックスが必死で話を変えようと土御門に話を振り、土御門も意図をくみ取りその流れに乗る。

 土御門の話に四人が少し食いついてきたのを察して、土御門はさらに会話を広げようとしたが、その必要はなくなった。

 

「お。もう来てるみたいだな。あそこが俺が住んでて、これからは佐天とインデックスも住むアパートだ」

 

 そう言って上条が指さす先には、上条が住んでいた学生寮と同じくらいの大きさの建物。

 

 周りが大きなマンションだらけで少々見劣りするが、建物自体は古いわけではなく、むしろ新築の綺麗な建物で決してみすぼらしいわけではない。

 

「へぇ~。大きくはないけど、悪くないんじゃない」

「ええ。周りは大きな建物ばかりですけど、日当たりは問題ないようですし」

「外観も綺麗で、シンプルだけどオシャレです!」

 

 そう。学生寮のような無機質な建物ではなく、シンプルながらもオシャレな、まさしく住居にしたい建物である。

 

 敷地内にはすでにトラックが来ており、佐天の引っ越し用具が届いているようだった。

 

「ここが私とるいこの新しい家なんだね! とっても綺麗なんだよ!」

「そうだね。急に引っ越せって言われた時は、どうなるかと思ったけど……」

 

 

 佐天は、今回の引っ越し騒動が起きた日のことを思い返す。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『え? 引っ越し?』

『ああそうだ。佐天、悪いが引っ越してもらえないか?』

 

 病院の中庭でサッカーを楽しんでいた佐天とインデックスを呼んで、上条はそう言った。

 

 突然の宣言に一緒に集まった初春達も動揺するが、次の佐天の問いかけに対する上条の答えに、その動揺は驚愕へと変化する。

 

『えぇと、どこにですか?』

 

 

『え? 俺んちの隣にだけど?』

 

 

 

『『『『ええええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!!』』』』

 

 

 

 四人の少女のつんざくような絶叫に、上条と隣にいた土御門、そしてインデックスは涙目で蹲る。

 

 しかし、そんなこと知ったこっちゃないと、少女達はものすごい勢いで上条に詰め寄った。

 

『ど、ど、ど、どういうことよ!! なんで佐天さんがあ、あ、あ、アンタの隣の部屋に!!』

『決まっちゃったんですか!? もう佐天さんルート確定なんですか!?』

『場合によっては、不純異性交遊、強制猥褻で、ジャッジメントですわよ……』

『え、え、え? 何? どういうこと? そういうこと? そういうことなの!?』

『ちょ、ちょっと待って! 説明する! 説明するから! とりあえず、白井はその鉄芯を仕舞え!』

 

 四人が落ち着いた頃、上条は大きく息を吐いて、ゆっくりと話し出す。

 

『さっきも説明した通り、インデックスは魔導書を103,000冊記憶している魔導書図書館だ。その知識は、魔術サイドからすれば喉から手が出るほど欲しい代物なんだ。……それこそ、多少手荒な真似をしてでもってくらいには、な』

『魔術……』

『いまだに、理解し難いですけど……』

『さっきいた赤髪の人とポニーテールの人がそうなのよね』

『魔術はあるんだよ!!』

『……まぁ、今はそういうものだって感じで聞いてくれ。巻き込まれないのに越したことはないんだから』

 

 上条は、ここで顔を引き締め、真剣な口調で言った。

 

『で、だ。インデックスを預かる以上、俺達にはインデックスを守る義務が生じる。インデックスに万が一のことがあったら、コイツの所属するイギリス清教――ひいては魔術サイド全般を敵に回し……戦争が起こる可能性がある』

 

 戦争。

 

 平和な日本の学生にはあまりに縁のない強い言葉に、四人の少女は表情を強張らせ、緊張する。

 

 そんな彼女達を察してか、上条は少し雰囲気を柔らかくして、話を続けた。

 

『まぁそんな建前は別にしても、友達のインデックスが危険なんだ。だから守る。その為には、って話だ』

 

 そう言って、上条は佐天の方を向いた。

 

『インデックスには、佐天が必要だ。だから、これからインデックスは佐天と一緒に暮らしてもらう。……そして二人を守る為に、俺が守護者(ガーディアン)として、なるべく二人の傍にいる必要がある』

『それで、カミやんの隣の部屋に引っ越してもらうって話に繋がるんだにゃ~』

 

 一通りの説明が終わると、まず御坂が文句を言った。

 

『ちょ、ちょっと待って! 理由は分かったけど、なんでコイツなの!? 私でも――』

『お前は常盤台の寮暮らしだろうが。それにな、俺が選ばれたのはそれだけじゃないんだよ』

 

 上条は、全員を見渡すように言った。

 

『この街では、魔術の話は基本ご法度だ。魔術を知ってるってことは、それだけでトラブルに巻き込まれる可能性が上がる。……お前達に話したのは、インデックスの支えになって欲しいからだ。だが、なるべくなら、知らないに越したことはないと思ってる。……お前達を巻き込んで申し訳ないと思っているが――』

『――そんな、私たちは』

 

 上条の言葉に否定しようと声を上げた初春を、上条は手で制し、分かってるからと苦笑しながら首を振る。そして、もう一度真剣な表情を作り、全員に言い含めるように――

 

『――なにより、インデックスを狙ってくるのは、魔術師だ。此奴らははっきり言って、科学の常識は通用しない。だからこそ、あいつ等との戦闘経験がある、俺が適役なんだ。…………土御門は基本科学側の人間だから、魔術師との戦いに向いているとはいえないしな』

 

 上条はそう言い切った。

 

 土御門に関してはだいぶ捻じ曲げたが、土御門に関しての正しい情報を言うわけにはいかず、自分たちより少し魔術(そっち)方面に詳しい人、くらいの認識になるように誘導した。これ以上、土御門に踏み込むと、今度は科学サイドの暗部に関わることになってしまうから。

 

 

 だが、彼女達にそんな印象操作は届かなかった。

 

 いや、そんな必要はなかった。

 

 なぜなら、今、彼女達は別の意味で衝撃を受けているのだから。

 

 

 上条当麻は、自分たちの恋する男は――

 

 

――今まで、自分たちの知らない所で、どれだけの窮地を乗り越えてきたのだ?

 

 

 彼の全てを知っている、などと思い上るつもりは毛頭なかったが、しかし、あまりにも、自分は彼について何も知らないのだと知った。

 

 

 上条は、少女達がそんな葛藤をしていることなど露知らず、話を進めようとする。

 

『……とりあえず、こんなところだ。他に聞きたいことはないか?――――インデックス?』

 

 少女達を見渡すように問いかける。

 

 すると上条は、インデックスが悲しみを携えた目で自分を見ていることに気づいた。

 

『ん? どうした? インデックス?』

『……とうまは、今までに何度も、魔術師と戦ってきたの?』

『……まぁ、そうだな。』

『……じゃ、じゃあ……私が傍にいると、もっといろんなことに巻き込んじゃう……』

 

 上条は、俯いたインデックスに、ふっと優しく微笑みながら、左手で頭を撫でる。

 

『……そんなこと、おまえは気にしなくていい』

『……で、でも――』

 

『お前はやっと、我儘を言っていい立場になったんだ。自分の幸せを、追い求めていい状況になったんだ。――――お前はもっと、笑っていいんだよ、インデックス』

 

 上条は、慈しむようにそう言った。

 

 何かを懐かしむように、深い、慈愛の籠った笑顔で。

 

 大事な宝物を扱うように、優しく撫でながら、そう語り掛けた。

 

『…………とうま』

『お前は、その日食べたい夕飯でも考えていればいいんだよ。それを邪魔する奴は、みんな俺が追い払ってやる。……それに、お前の力が必要になるときが、きっと来る。そん時、助けてくれればそれでいい。――な?』

 

 インデックスは、その真っ白な修道服で涙を拭いながら、真っ白に輝く笑顔で応えた。

 

 何かから、解放されたように。自由な笑顔を輝かせた。

 

 

『うん!』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、あれよこれよという間に今日という日を迎えたわけで、ここに来るまでまったく実感が湧かなかったけれど。

 

 でも、いざこうなってみると、今日までそれなりにあった、今までとは変わる環境などに対する不安とかより、新しい何かが始まるというワクワクが大きいことに気づく。

 

「うん! とっても楽しみ! 行こうか、インデックスちゃん!!」

「うん、るいこ!」

 

 そして、そのままエレベーターで、五階へと上がる。

 

 そのまま少し右側の通路を進み、上条はある部屋の前で立ち止まった。

 

「ここが、佐天達の新しい部屋だ。その右隣が、俺の部屋な」

 

 ガチャと扉を開け、インデックスがその新しい部屋の中へ真っ先に侵入する。

 

「うわぁ~。広いね!」

「ホント……」

「元々、複数人で住むことを想定して作られてるからな。詳しい間取りは黄泉川先生宅を想像してくれ」

「誰に説明してるんですの……」

 

 そこは、学生が住むには明らかに不釣り合いな、いわゆる一般住宅の家。

 

 インデックスは目を輝かせているが、佐天は少し申し訳なさそうな様子だ。

 

「ほ、本当にいいんですか? こんなところに、家賃無しで住んじゃって……」

「気にするな。俺も家賃無しだし。……それに、こっちも申し訳なく思ってるんだ。こっちの都合で、問答無用に引っ越しなんてさせちゃって。……友達とも離れ離れにしちまったし……」

「い、いいんですよ! 友達とは、学校で会えますし! それにココ、柵川中とも近いですし!」

「そう言ってもらえると助かる。……友達は呼んでも構わないが、その時は言ってくれよ。インデックスはこっちで預かるから」

「は、はい。……それじゃあ、お言葉に甘えて――」

 

 そう言って、佐天は上条に向かって、深々と礼をした。

 

「――これから、お隣として、よろしくお願いします」

「よ、よろしくなんだよ!」

 

 インデックスも慌てたように、佐天に続く。

 

 上条は、それに優しく笑って応えた。

 

「おう。なんかあったら、いつでも頼ってくれ!……それじゃあ、早速荷物を運ぶか。いくぞ、土御門」

「了解だにゃ~」

「あ、あたしたちも行きます!」

「私たちも行きましょうか」

「はい、お姉さま!」

「機械系のセッティングなら任せてください!」

 

 そして、その日の午後を丸々かけて、佐天・インデックス家の引っ越し作業は行われた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 

 初春や御坂、白井と共に、佐天とインデックスの引っ越しパーティが行われた。

 

 

 …………“上条の”家で。

 

 

「それでは! 佐天さんとインデックスちゃんの新たなる門出を祝して! かんぱ~い!」

「かんぱ~い!!」

「かんぱいなんだよ~!」

「……引っ越しって、新たなる門出でいいのかしら?」

「まぁ楽しそうですし、良しとしましょう」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て! 引っ越しパーティをするのはいいが、何で俺ん家なんだ!? せっかくの新居でやればいいじゃん!?」

 

 上条が高々とジュースを掲げた面々にツッコむと、全員がしら~と答える。

 

「え~。でも、上条さんの家も見たかったですし」

「べ、べつにアンタの同居人が気になったわけじゃないんだから!」

「――と、お姉さまも言っておられますし」

「それに……せっかくの新居を汚したくなかったっていうか?」

「まぁ、おいしいものが食べられればいいんだよ!」

「お前ら、フリーダムだな!!」

 

 上条は大きくため息を吐きながら、ドカッとカーペットに腰を下ろす。

 まぁ、上条も本気で追い出そうと思って文句を言ったわけではない。っていうかここまで来たら諦めている。もう料理もあらかたテーブルに準備されているし。

 

 上条がジュースの買い出しから帰ってきて、なぜか上条家に料理が並べられていた時――――部屋を見てみたいと言われ、カギを開けてしまったのだ。もちろん自分と同居人の個室にはカギを閉めておいた――――土御門に同居人が帰ってこないよう足止めを頼んでおいたので、まぁいいか好きにさせておこうと保護者的な目で見ている。

 

「で? それで? 上条さんの同居人の方はいつ帰ってくるんですか!?」

「う、初春! 近い、近い!!……たぶん、今日は夜だよ。知り合いの子供の子守りで遊びに行ってるみたいだからな」

「え~。見たかったです」

「……はぁ。また今度、紹介してやるから。な?」

「っ! は、はい! ありがとうございます!」

 

 上条に頭を撫でられて、あっという間にやり込められる初春。

 

 そこに――

 

「う~い~は~る?」

「さ、佐天さん……」

「ほら、こっちきなよ。早く食べないと、インデックスちゃんが全部食べちゃうから」

「い、いや、私は、そこまでお腹すいてな――」

 

 初春が佐天にドナドナされていく。その様を上条が遠い目で眺めていると、上条の隣に白井がポスンと自然に座ってきた。

 

「それにしても、上条さんの部屋にしては随分と片付いているんですのね」

「おおっ! 白井いつの間に!…………ま、まぁな。俺も結構、支部に泊まったりするし。同居人も普段はソファーで寝ているだけだから、あんま散らからないんだよな」

「確かに物も少ないですし…………あら?」

 

 白井は、部屋の一角に、他の家電とは一線を画くレベルで本格的(こだわっている)と分かるコーヒーメーカーを見つける。

 

「上条さん。あれは――」

「ああ。同居人がものすごくコーヒーだけにはこだわる奴でな。金に物を言わせてあれ買ったんだよ。自分でメンテナンスして、自分の好きな味を常時出せるようにしてな。おかげで俺もコーヒー派になっちまった。この部屋にもコーヒーの匂いが染みついてるだろ?」

「確かに…………ですから、支部にもコーヒーメーカーを購入したのですね。てっきり、味の違いも分からないくせに通ぶってる、俺ブラックコーヒー飲めるんだぜアピールかと」

「ただの中二病じゃねぇか! え? 俺、そんな風に思われてたの!?」

 

 驚愕する上条をクスクスと笑う白井。

 上条は、その大人びた白井の仕草に少しドキッとするが、すぐに赤い顔を見られないように、顔を背ける。

 

「……上条さん?」

「な、なんでもないぞ、なんで……も……」

「………………」

 

 すると、顔を背けた方向に、冷たい表情の御坂がいた。

 

「な……なんだ、御坂?」

「…………別に。ただずいぶん、黒子にデレデレしてるわね。このロリコン」

「べ、別にデレデレなんてしてねぇよ!」

「どうだか。鼻の下伸ばしちゃってさ~」

「伸ばしてねぇよ!」

 

 言い合いをする二人を見て、白井は大きく息を吐いた。

 

(まったく……お姉さまはまだ……自分の気持ちは認めても、素直にはなれないってことなのでしょうか?……まぁ、電撃を出さないようになっただけでも成長ですかね)

 

 いつの間にか尊敬するお姉さまを恋愛面ではずいぶん上から目線でみるようになった白井。

 そんな白井を余所に御坂と上条は言い合いを続けるが、なんだかんだで御坂は嬉しそうである。

 白井は、そんな御坂を見て、クスッと微笑ましい思いになる。

 

 

 白井は気づいている。自分たち四人が、全員同じ人が好きだという、この状況の歪さを。

 おそらく佐天も、初春も気づいているだろう。ようやく自分の気持ちに気づいた――というより認めたばかりの御坂はどうだか分からないが。

 

 だが、それでも上条を取り合って、この友情が壊れるような真似はしたくない。

 恋愛を甘く見ている子供の意見かもしれないが、それでもどちらかを選ぶなどということは、白井は出来ないし、したくなかった。

 

 第一、そんな真似をしたら、上条は自分が悪者になったり、姿を消したりして、自分から身を引くだろう。基本的に鈍感だけれど、自分の大事なものの危機には人一倍鋭い、この男は。

 

 そんな男を、親友達が恋敵というこの状況で、どうやって落とすのか。

 

 今の白井には、どうしたらいいのかなどまるで分らないが、ただ諦めるつもりも、毛頭なかった。

 

 

(……そうですわね。今だけは、このままで――)

 

 

 いつまで続くか分からない、危うい均衡状態だけれど。

 

 今この時が幸せなのは、紛れもない事実だから。

 

 

 こんな青春物語も悪くない、と。

 

 白井は、この関係の歪さを、今は見ないふり、気づかないふりをすることに決めた。

 

 

「……ったく、どうして御坂はあそこまで俺に食って掛かってくるんだ?」

「ふふ。お姉さまにも問題はありますが、原因は間違いなく上条さんだと思いますわよ」

 

 なんだよそれ、と上条がグラスを持ち上げるが、その中身はいつの間にか空になっていた。

 

「あれ? 空だ。……しょうがない、新しく出すか」

「あ、それならわたくしが――」

「いや、いいよ。……料理もなくなりそうだし、ついでに軽く食べれるものでも作るか」

 

 上条がじと~とした目を向けた先には、右手にピザ、左手にハンバーガー、そして口でパスタをバキュームのごとく吸い込んでいる白い猛獣がいた。

 

 それを他の人達は3D映画を見ているような目で眺めている。いや、そんな感動的な感情は皆無だが。

 

 上条はよっこいせといった感じで、膝に手をやりながら立ち上がった。

 

「白井は悪いが、アイツがこれ以上暴走しないように見てやっていてくれないか」

「……あれをどう止めたらいいのか……わたくしには皆目見当もつきませんが……」

 

 確かに。と上条は内心同意しつつ、見ているだけでいいから、と白井に告げながら、キッチンへと向かう。

 

 そこに――

 

「あ、上条さん。あたしも何かお手伝いしますよ。少しは料理できますから」

 

 女子メンバーの中では一番料理が上手い佐天が、髪を結わえつつキッチンに入る。後ろで初春が頭の花をしおらせてぐったりしていることには敢えて触れず――

 

「お、そうか。なら手伝ってくれ。エプロンはそこの引き出しに入ってるから」

 

 と、教えつつ、まずは飲み物を用意する。

 いつもはインスタントコーヒーと缶コーヒーくらいしかないこの家も、先程こんなこともあろうかと上条が飲み物と食材は大量に買っておいたので、まだストックはある。

 

 金の心配をしなくていいのはなんて素晴らしいことなんだ、というのは、上条が逆行して一番感じていることだった。

 

 2Lペットボトルをテーブルに置き、再びキッチンへと戻る。

 

 目の前で相変わらず暴力的なまでの食欲を発揮するインデックスを見てこれからの佐天の生活に憂いを覚えつつ、ちょくちょく差し入れてやろうと決心した上条の横に、エプロンをつけて髪をポニーにした佐天が立った。

 

 その初めて見る家庭的な雰囲気を醸し出す佐天の姿が新鮮で、上条は再びドキッとする。

 

「さて。それじゃあ、何を作りましょうか、上条さん!」

「あ、ああ、そうだな。あんま手の込んだものを作る時間もないし、サラダと適当に炒め物なんかどうだ」

 

 上条は(ヤバい、なんか今日俺やけにドキドキしてねぇか!? 久しぶりに自分ちに女の子が居るから緊張してんのか? 前なんてずっとインデックスと同居してただろうが! それに食蜂とかあいつ等とかちょくちょく来るし! 今更動揺するほどのことでもないだろう!! 精神年齢は数万歳だろうが!! 自分を保て、上条当麻!!)と、内心の葛藤を胸中の奥深くに捻じ込み、しれっとした顔で料理を開始する。

 

「へぇ~。上条さん手際いいですね? 料理得意なんですか?」

「まぁ、ずっと一人暮らしだったからな。それなりには。今も、昔も、同居人は何もしてくれないし」

「? 前も、誰かと同居してたんですか?」

「!? い、いや、何でもない! 何でも!」

「?」

 

 と、危ういことを口走りそうになりながらも、何とか料理に集中し、冷静になる。

 

 しばらく他愛もない会話を時折交わしながら料理を続けていると、ふと、騒がしいリビングと、それを温かい目で見ながら二人で料理するこの状況が、何かみたいだなぁと上条は思えてきて――

 

「――ああ。何だか、家族みたいだな。俺達が夫婦でさ」

「!!? ふ、ふ、ふふふふふ……うふ??」

「――? ――!! あ、ちょっと待って、今の無し! なんでもないですのことよ!!」

 

 佐天がこれでもかというくらい顔を真っ赤にさせ、いつもなら自分が何を言ったのかも気づかない鈍感上条も、その姿にドキッとしながら頬を紅潮させる。

 

 だが幸いにもリビングのメンバーは気づかなかったらしく、そのまましばらく気まずい空気が流れながらも、黙々と料理を続けた。

 

 

 やがて、佐天が俯いたまま、ポツリと話し始める。

 

 

「……上条さん」

「な、なんだ?」

「あたし、何だか、夢みたいです」

「え?」

「……ほんの少し前まで、あたしは、ずっと諦めながら生きてました」

「…………」

「特別になることを諦めて、それでも憧れを捨てられなくて、暴走して、目の前が真っ暗になって」

「…………」

「そんな暗闇から、初春が救い出してくれて。――そして、あたしは、インデックスちゃんに出会いました」

「…………」

「本当に、夢みたいです。……それだけでも、夢みたいなのに、土御門さんは、私に特別な力をくれました。ずっと憧れていた、特別な力を。……でも、上条さん……」

「……どうした?」

 

 佐天は、そこで声を震わせて、湿らせて、吐き出すように言った。

 

「…………あたし、こんなに恵まれていていいんでしょうか?……あたしなんかが、インデックスちゃんの傍にいて。……ミウのマスターで……いいんでしょうか? あたしなんかが――」

「あたしなんかが、なんて言うな。お前は、そんな風に蔑ろにされるような人間じゃない」

 

 上条は、先程までの照れを微塵も感じさせない、真剣な表情で佐天を見据える。

 

 佐天も、その瞳はわずかに潤んでいたが、上条から目を逸らせなかった。

 

「土御門は言っていただろう。ミウは自我を持っていて、心を開いた人間にしか扱えないって。……つまり、佐天は選ばれたんだ。他の誰でもない、佐天涙子を、ミウは選んだ。お前じゃなきゃダメだったんだよ。……それに、ミウはあくまで、能力を使いやすくするだけだ。1を10にすることは出来ても、0を1にすることは出来ない。……だからさ、佐天――」

 

 

「――お前はもう、能力を使える筈だ」

 

 

「……え?」

「ほら、やってみろ」

 

 上条は優しく、佐天を促す。

 

 佐天は、そんな瞳に勇気づけられながら、手の平につむじ風を起こすのをイメージする。

 

 

 目を瞑り、んっ!と力む。

 

 

 そして、恐る恐る、目を開くと――

 

 

 

――そこには、ささやかながら、だけど確かに、一つの小さなつむじ風があった。

 

 

 

 佐天の表情が、どんどん喜色ばんでいく。

 

 

「あ…………あ………あ……」

「――な。……佐天。お前が今、手にしている力は、他人から与えられた物ばかりじゃない。お前が、苦しんで、足掻いて、そして手に入れた、紛れもない努力の結晶なんだ。……他の誰でもない、佐天涙子だから。それは、手に入れることが出来た力なんだ」

「………………か、上条さん……あたし――」

「それに――」

 

 上条は当たり前のことだと言い聞かせるように、佐天の頭を撫でる。

 

「インデックスの一番傍にいるのは、お前以外ありえないよ。……ステイル達も、そう言ってただろう」

「あ――」

 

 佐天は、上条のその言葉で思い出す。

 

 

 あの日、ステイルと神裂、アウレオルスと別れた日のことを――

 

 




……ええ、書いてみて分かりました。
ラブ。そしてコメディ。苦手分野でございます。
いつか克服したいでござる。

次回は、前半は前章の後始末、後半は今章の本格的な始まり、って感じになると思います。


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別れ〈たびだち〉

 
 今回は、ちょっと長め。

 途中、ちょっと鬱陶しい半角カタカナの表現がありますが、読み辛かったら読み飛ばしてもらっても構わないです(笑)



 病院の中庭。

 

 そこには、右腕は吊っているが歩けるようになり、無事退院が決まったステイル。そして神裂、アウレオルスがいた。

 

 その前には、上条、佐天、土御門、そしてインデックス。

 すでにインデックスは瞳に涙を浮かべており、それを見てステイル達は悲しそうに微笑んでいる。

 

「インデックス、泣かないでください。またきっと会えますから」

「ああ。僕達は、離れていても仲間だ。必ず、また会える」

「……でも……ステイルもかおりも……今まで、ずっと、わたしの為に……」

 

 インデックスは二人の元に駆け寄った。

 神裂は、そんなインデックスを優しく抱きしめながら告げる。

 

「いえ……私たちは、何もできませんでした。あなたを救ったのは……あのお二人です。あの方たちなら、きっとこれからも、あなたを守ってくれるでしょう」

 

 そう言って神裂は、上条と佐天に目を向ける。

 

「……もちろん、私も、これからもあなたを守ります。守り続けます。あなたの危機には、たとえこの星の裏側からだろうと駆けつけることを、ここに主に誓いましょう」

 

 神裂は慈愛の表情と共に、インデックスにそう誓った。

 

 そしてステイルは、ザッザッと迷いのない足取りで、上条と佐天の前に立つ。

 

 佐天は大柄なステイルに気圧されたが、上条は瞬きひとつすることなくそれを迎えた。

 

 ステイルは、重々しく、振り下ろすようにその言葉を告げる。

 

「上条当麻」

「ああ」

「一応、礼は言っておこう。インデックスは君達に預ける。だが、あの子に傷一つでもつけてみろ。――僕が、必ず、君を殺しにいく」

「ああ。それでいい。それがいい。俺達の関係は、これが一番の形だ」

 

 

 友情も、信頼も、尊敬も必要ない。

 

 二人の間には、共通の大事なもの。そして、それを守りたいという心。

 

 それだけ。そのために、お互いを使う。

 

 自分達はただ、それだけでいい。

 

 

 上条はニヤリと不敵に笑い、ステイルはフンッと不快そうに吐き捨てる。

 

 そしてステイルは、佐天の方を向いた。

 佐天は巨漢のステイルから降り注がれる視線の鋭さにビクッとするが、ステイルは突然膝を折り、神に祈りを捧げるかのような姿勢で、跪いた。

 

「――え?」

「まずは、感謝をさせて欲しい。インデックスを助けてくれて、本当にありがとう。貴女のおかげで、彼女に笑顔が戻った。まずはその事に、最大級の感謝を。……あなたのような人と、インデックスが巡り会えたこと――そのことに、我らが主に、深く、感謝します」

「え? え?」

 

 佐天は凄く動揺して、思わず上条に目線で助けを求めるが、上条はまた別の意味で驚いていた。

 

(神父っぽいステイルを初めて見た……)

 

 彼はそんなステイルに聞かれたらすぐさま魔女狩りの王(イノケンティウス)なことを考えていた為、佐天のSOSに気づかなかった。

 

 佐天はう~う~と唸りながら、それでも何か言わねばと、言葉を紡ぐ。

 

「で、でも……本当にいいんですか?……あたしは、インデックスちゃんが苦しんでいる時、何も出来ませんでした。……インデックスちゃんを救ったのは、上条さんや、みなさんです。……みんなインデックスちゃんを助ける為にずっとずっと頑張ってきたのに。……それなのに、あたしが――」

 

 段々と俯き、声を沈ませていく佐天。そこに下から、救い上げるような声が届く。

 

「それは、あの子の笑顔を取り戻してくれたのが、君だったからだ」

 

 ステイルは跪いた姿勢のまま、顔だけを上げて佐天に言葉を投げかけた。

 

「聞けば、君はこの街でも特別強い存在じゃないのだろう?……それどころか、何の力も持たない、一般人だそうじゃないか。……それでも君は、君らにとっては異分子であるインデックスの傍にいてくれた。尽くしてくれた。――あの子を笑顔してくれた。友達になってくれた。……僕は、彼女がこの街で一番最初に出会ったのが君で、本当に良かったと心から思う」

「……ステイルさん」

「僕は、これからは彼女の傍に居られない。……だが、君になら、彼女を託すことが出来る。……どうか、彼女の笑顔を、絶やさないでくれ」

「――ッ! は、はい!」

 

 ありがとう、とステイルは立ち上がり、佐天と握手を交わす。

 

 その時の彼の表情は、上条が前の世界で決して見ることが出来なかった、十四歳の少年としての穏やかな笑顔だった。

 

 そして、直ぐにその表情を苦々しく歪め、ステイルは上条を睨み据える。

 

「いいか、上条当麻。お前は責任を持って、インデックスと彼女を守れ」

「分かってる。っていうかお前、俺にだけ当たりきつくない?  何? 俺のこと嫌いなの?」

「今更気づいたのか?」

 

 上条とステイルのバチバチの争いに、佐天と神裂は苦笑を禁じ得ない。

 だが、インデックスの「仲良くしなきゃダメなんだよ!」という言葉で、二人ともすぐに矛をしまうのだから、分かりやすい男達である。

 

 そして、神裂がそっと佐天に歩み寄った。

 

「――これを。土御門につくってもらいました。毎月の生活費は振り込ませていただきます」

「え!? そんな!? こんなのもらえませんよ!!」

「いえ、受け取ってください。必ず必要になりますので」

「ああ。佐天、もらえるものはもらっておいた方がいい」

「え!? で、でも――」

「インデックスの食欲を……知ってるだろ」

「あ。……はい。……謹んで、受け取らせていただきます」

「……ご迷惑を、おかけします」

 

「? すている。かおりたち何を話してるの?」

「大丈夫。君は何も気にする必要はない」

「?」

 

 そんなリアルな家計事情問題も話し合いつつ、別れの時間は近づく。

 

 

 そして上条は、一人の錬金術師の前に歩み寄った。

 

 

「アウレオルス……」

「改めて礼を言うぞ、上条当麻。お前のおかげで、私の人生は無駄ではなかったと実感できた」

「――ッ!!」

 

 アウレオルスは、今回の戦いでインデックスを救う為に、黄金錬成(アルス=マグナ)を完成させ、使用した。

 

 今はまだそこまで広まっていないが、情報が拡散することは防げないだろう。

 魔術界の情報網は、そこまで甘くない。

 いずれローマ正教はアウレオルスを処罰しようと追っ手を送る。いや、すでに送っているだろうが、この情報が伝われば更なる強敵が送り込まれるだろう。

 

 アウレオルス=イザードは、これから先の一生、逃亡生活を送ることになる。

 

 そして――

 

「そして、誓おう。私は二度と、黄金錬成(アルス=マグナ)を使わない。もう、生命というものを、軽んじないと約束する」

「――――ッ」

 

 アウレオルスの表情は、あの時の絶望が嘘だったかのように爽やかだった。

 

 実際、彼の言葉に嘘はないのだろう。

 

 もう彼は、自分の人生の使命を終えたと思っている。そして、今はもういつ死んでもいいと思っているのだ。

 

 

 上条は、確かに黄金錬成(アルス=マグナ)を否定した。アウレオルスの命を粗末にするやり方に激怒した。

 

 だが、黄金錬成(アルス=マグナ)を使うことなく、ローマ正教の追っ手を生涯躱しきることなど、不可能だ。

 

 上条は、俯き、肩を震わせ、言った。

 

「……死ぬな」

「ん?」

 

 上条は、アウレオルスの胸倉を掴み上げ、顔を寄せ、小さく、だが重々しく吐き捨てる。

 

「絶対に死ぬな……ッ。お前が死ねば、黄金錬成(アルス=マグナ)は解け、インデックスの蘇った記憶は失われる。……そのことを……忘れるな……ッ」

「――!!」

 

 上条は、結局こういう方法でしか――インデックスを、彼の最も大事な存在(じゃくてん)を引き合いに出さなければ、一人の男を死から回避させることも出来ない自分に怒りを、そして無力感を覚える。

 

 そして、上条は尚も言い募る。

 

「だから……生きろ。……無茶苦茶言ってるは分かってる。俺が言えた義理じゃないのも理解してる。……けどッ!……お前が死ぬなんてバッドエンド……許容できるほど……大人になれねぇよ」

「……済まない。だが、私はもう……黄金錬成(アルス=マグナ)は――」

 

 

「もう一つ、手はあるよ」

 

 

 そう言ったのは、ステイル=マグヌスだった。

 

 上条は、アウレオルスの胸倉を掴む自分の手に、自然と力が入るのを感じた。

 その方法は、その抜け道は、上条当麻は知っていた。

 

 だが、それは――

 

「憮然、本当か?」

「……ああ。それは――」

 

 上条は、歯を喰いしばる。無力感を、噛み締める。

 

 ……自分は……自分は、また――

 

 ステイルは、冷淡に告げる。

 

 

「――僕の炎で、君の顔を別人に整形することだ。」

 

 

 その言葉に、佐天とインデックスが驚愕し、反発した。

 

「え!? で、でもそんなの――」

「ダメなんだよ! なんで、アウレオルスが――」

 

 

「ローマ正教――十字教の中でも世界最大の宗派。奴等を敵に回したんだ。その手から逃れるには、アウレオルス=イザードという人間を形式上でも殺すしかない」

 

 

 背後から、土御門が容赦なく告げる。

 

 残酷な、現実を告げて、幻想を砕く。

 

「その為の偽造死体はこっちで用意する。念の為、後でステイルに燃やしてもらえば、判別は不可能だろう。下手人はステイル――――それで構わないな」

「……ああ。インデックスの救出時に割り込まれたと言えば、向こうも納得するだろう。お前とインデックスの関係は知っているわけだからな。……それでいいな、錬金術師」

 

 ステイルは、そうアウレオルスに尋ねた。

 

 アウレオルスはしばし沈黙し、黙祷するように沈黙し――毅然と言い放つ。

 

 

「歴然。それが最善であることは、揺るぎない。甘んじて、アウレオルス=イザードは、その死を受け入れよう」

「――ッ!!!」

 

 

 上条の拳が、出血するかのではないかという程に、強く、強く握りしめられる。

 

 顔は俯き、歯はギチギチという音を発するほど食い縛られる。

 

 

 誰もが幸せで、みんなが笑顔。

 

 そんなハッピーエンドを目指したはずだった。

 

 

 だが、アウレオルスは、その顔を変え、名を変え、それまでの人生の全てを抹消し、まったくの別人にならなければいけなくなった。

 

 

 アウレオルス=イザードという人間を、殺さなくてはならなくなった。

 

 

 これの……こんな幕引きの、どこがハッピーエンドだというのだろう。

 

 

「……己を責めるな、上条当麻。私は、この結末に、この上なく満足している」

 

 アウレオルスは語る。言葉通り、何の後悔もないという、満ち足りた顔で。

 

 そして、項垂れる上条の肩に手を置きつつ、佐天に顔を向ける。

 

「少女よ」

「は、はい」

 

 そして、同じく嘆いていたインデックスの肩を支えていた佐天は、アウレオルスの言葉を受け、彼の方を向いた。

 

「私も、彼らと同じだ。君になら、インデックスを任せられる」

「……アウレオルスさん」

「歴然。君となら、インデックスは、きっと幸せになれるだろう。…………ただ、一つ、私の傲慢な願いを、聞きとめてもらっても構わないか?」

「……もちろんです。……あたしに、出来ることならば」

 

 佐天は、重々しく頷く。

 

 そしてアウレオルスは、見たことのない、綺麗な微笑みを見せて、言った。

 

「インデックス」

「……ん?」

 

 

「いつか、もう一度、君に会いに来てもいいだろうか?」

 

 

 上条の、震えが止まる。佐天も呆然とする。

 

 インデックスは、その真っ赤に充血した目をこすりながら問う。

 

「……え?」

「私は、これから一度死ぬ。そこから、新たな人生を確立するのは、並大抵の困難ではないだろう。……だが、上条当麻に言われて気づいた。そう、私の命は、私一人のものではない。これまでのインデックスが積み重ねた、かけがいのない思い出も背負っている。……だから、私は死なない。必ず帰ってくる。……だから、インデックス。そして少女よ。その時は――名前も姿も変わっているだろうが――また会って、その光輝く笑顔を見せてくれるか?」

 

 上条は、もう何も言えなかった。

 

 コイツは、自身の選択に微塵も後悔していない。

 

 自身が辿るべき末路を、その全てを受け入れる覚悟を持っている。

 

 

 そして、その苦難を乗り越えた先の未来を―――希望を、見据えている。

 

 

 そんな男を憐れみ、見下す資格など、自分にはない。

 

 そんな男の生き様を否定し、もっといい未来があったはずなどとぬかすのは、傲慢以外の何物でもない。

 

 

 インデックスを、後ろから佐天が優しく抱いた。

 

 インデックスは鼻水を啜りながら、涙がこぼれないように懸命に笑顔を作る。

 

 佐天も最高の笑顔をもって、一人の男の新たな門出を送り出した。

 

 

「――もちろんなんだよ! あうれおるす!」

「――インデックスちゃんと一緒に、ずっと待ってますから!」

 

 

 アウレオルスは、それに満足気に頷いた。

 

 上条は、顔を上げることは出来なかったが、アウレオルスの胸を、右拳で軽く叩いた。

 

 

 そして、アウレオルスは歩き出す。

 

 その傍にステイルが、そして神裂が続いた。

 

 

 インデックスと佐天は去り行く三人に手を振り続け、上条は俯いたまま拳を握り続けた。

 

 土御門は、そんな上条の背中を、無感情でただ眺めていた。

 

 

 

 こうして、一人の少女を救うために戦い続けた戦士たちは、それぞれが新たに進むべき道へと、旅立っていった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

――佐天と上条は回想を終え、少しの間、沈黙する。

 

 そして、上条は手元でサラダの盛り付けの最終段階を終えながら、佐天に言った。

 

「――ステイル、神裂、そしてアウレオルス。誰一人として、お前がインデックスの傍にいることに反対した奴なんていなかった。それどころか、皆お前を信頼して、インデックスを任せていったんだ」

「……はい」

「……いつか、アウレオルスが帰ってきた時、胸を張って、インデックスと最高の笑顔で迎えてやれ。……それが、一番だ」

「……はい!」

 

 上条は、目に見えて明るくなった佐天を、優しい笑みで見つめる。

 

 佐天は基本的に明るいムードメーカーだが、一度深みに入って落ち込むと、とことん思いつめてしまう傾向があることを、上条は最近気づいた。

 

(……そういうところは、なるべく俺がサポートしないとな)

 

 佐天はまだ中学一年生の十三才なのだから、なるべく重いものは背負わせたくない。

 

 上条はそう思いながら、無心で料理を続けていると――

 

「出来ましたね! サラダと炒め物の完成です!」

「――お? あ、ああ、出来たな」

 

 気が付いたら料理が完成していた。

 

「上条さん! さっそく皆の所に運びましょう!」

「――ああ。お~い。料理の追加だぞ~!」

「待ってたんだよ!」

「ちょ、アンタ、まだ食べるの!?」

「底なしですわね……」

「――はっ!? 私は、今まで何を……?」

 

 再び上条家は騒がしい喧騒に包まれる。

 

 女三人寄れば姦しいというが、これだけ個性の強い女子が五人も集まると、それは凄まじいものがある。

 

 上条はため息を吐くが、決して不快ではなかった。

 

 

 インデックスの暴れっぷりを、佐天が宥めようとして、それを御坂がサポートしつつ、初春がドジを踏んで状況を悪化させ、白井がそれを呆れながら見ている。

 

 

 上条はなぜだかこのハチャメチャな光景が微笑ましく見えていた。

 

(たまには、こういうのもいいのかもな……)

 

 そう思い、上条がお手製サラダをテーブルへ運ぼ――

 

 

「か~み~じょ~さ~ん!!! 正妻の登場だゾ☆!!!」

「女王。乱入はいいですが、その登場はやめてください。正直イタいです」

 

 

 上条家の扉が荒々しく開き、伸びやかな少女の声が響いた。

 その後ろからすごく疲れた感じの少女が続くが、金髪の少女は勝手知ったる我が家と言った風にズンズンと中へと進む。

 

 

「食蜂!? どうしてここに!?」

「どうして、じゃないんだゾ! 何でこんな楽しそうな場所に私を呼んでくれなかったのぉ? 薄情力高過ぎなんだゾ!」

「い、いや、元々引っ越しの手伝いっていう力仕事だったし。お前、そういうの嫌いだろ?」

「……すみません、上条さん。私が口を滑らせてしまい……」

「大丈夫だ、縦ロールは悪くない。……そうだよな。これだけ呼んで、自分だけ呼ばれなかったら寂しくなるよな。ゴメンな、食蜂」

「……んふふ……私は懐力が深いから、許してあげる☆。もう仲間外れにしないでね♪」

 

 頭を撫でられてすぐに機嫌が直ったちょろい女王はあっという間に上条の懐に潜り込む。そしてピタっと上条の体に己の豊満な胸を密着させる懐力の深い食蜂操祈。

 頬を紅潮させうっとりとした目で上条を見つめるが、付き合いの長い上条は良くも悪くもこういった行動に慣れていて動じない。

 

 だが、この状況を黙って見ていられない者がいた。

 

「あ、あ、あ、アンタ何してんのよ!!?」

「あらぁ~。居たの、御坂さん? 存在力が薄すぎて気づかなかったわぁ~」

「なんですって~!!! いいからさっさとそいつから離れなさいよ!! アンタも!! いつまでされるがままになってるのよ!!」

「いや、いつものことだし。……っていうか、何で御坂が怒ってるんだ?」

「そ、そ、それは、あ、あ、あ、アンタが――」

「あらぁ~。あなたがインデックスちゃんね。私は、食蜂操祈でス☆ よろしくね♪」

「よろしくなんだよ、みさき! それと、そこのアップルパイとって欲しいんだよ!」

「いや、今インデックスちゃん辛味チキンを山程頬張ってたよね!? その食べ合わせはどうなのかな!?」

「佐天さん、もはやインデックスさんに食事関係のツッコミは不要ですよ。彼女ならきっとステンレスでも食しますよ」

「いや、それはもう人間じゃないよね!?」

「……上条さん。彼女はシスター……ですよね? 確か、シスターは暴飲暴食は禁止されているはずでは……?」

「お、おう。今更、そんな根本についてのツッコミが入るとは思わなかったぜ。……まぁ、本人が幸せそうだからいいじゃねぇか。野暮なことはいいっこなしだ。多少のことには目を瞑ろうぜ、縦ロール」

 

 モウ、マドロッコシィンダヨ!!

 

 ガキンガキンガキン

 

 キャァ~! アップルパイゴト、ワタシノテガクイチギラレル~!!!

 

 インデックスチャン、オチツイテ!! ダレモトッタリシナイカラ!!

 

 ナントイウ、カミツキ……ホントウニカノジョナラステンレスヲモカミクダキソウネェ……

 

 バカナコトイッテナイデ、インデックスチャンヲトリオサエルノヲテツダッテクダサイ!!

 

「…………」

「……………………多少?」

「……あ、あ~その~。あ! そういえば、御坂! お前、さっき、何言いか……け……て――」

「…………………………」

「……え~と。御坂、さん?」

「ひ、人の、話は、最後まで聞け、馬鹿ぁ~!!」

「ふ、不幸~~~~~だぁ~~~~~!!!」

 

 

 

 

 

「…………………………………………カオスですわ」

 

 

 食蜂達の乱入で、ただでさえ騒がしかった様相が、完全に収拾のつかない混沌となる。

 

 あっちでこっちでトラブルが起こる中、白井は完全に悟りきった瞳で、ゆっくりと上条特製コーヒーを啜った。

 

 あ、美味し。たまにはコーヒーも悪くないかも。なんて現実逃避気味に堪能していると。

 

 

 再び玄関の扉が、勢いよく開け放たれた。

 

 

 

 

 

「おォォォい!!!! なァァに人様の家で面白可笑しく騒いでくれてやがるンですかァ!!? 全員纏めて愉快で素敵なオブジェにしてやろうかァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 そのチンピラのような怒声によって、混沌となっていた部屋の喧騒は静まり返る。

 

 全員の注目がリビングの扉に集中する中、そこに立っていたのは、白髪痩身赤目の少年だった。

 

「……あァン? なンだァ、このふざけた状況は? 乱交パーティの真っ最中ですかァ?」

 

 黒字に白線で独特の模様が描かれた半袖のTシャツにジーパンというスタイル。

 その血のように赤い瞳は、無造作に視線を振り撒くだけで、まるで飢えた獣が獲物を探しているかのようで、少女達を軒並み恐怖させた。

 

 ガシャンと少年は缶コーヒーが大量に入ったコンビニ袋を投げ捨てる。

 

 少女達はそんな何でもない一挙動にすら怯えていたが、そんな少年に無遠慮に言葉を投げかける者達がいた。

 

「あ、一方通行(アクセラレータ)!? お、お前、何で? 打ち止め(ラストオーダー)と出掛けてるはずじゃ――」

「はァ? オマエ、今何時だと思ってやがンだ? とっくにガキはお寝むの時間だろうがァ」

 

 上条は携帯で時刻を確認する。

 午後の八時。確かに、寝るには早いのかもしれないが、子供を連れまわすには相応しくない時間だった。

 

「やっほぉ! お久しぶりね、第一位さん☆」

「……第五位か。久しぶりってわりにはしょちゅう来やがるな、テメェも。……後ろで震えてるバンビ共は、オマエのお友達か?」

「ちょ、ちょっと、食蜂?」

 

 食蜂は一方通行(アクセラレータ)と何の気負いもなく会話をこなしたが、御坂は食蜂の言葉のある部分が気になった。

 

 対して一方通行(アクセラレータ)はここにきて初めて御坂を認識したようで、一瞬体がビクッと硬直したのを、上条は見逃さなかった。

 

 これが嫌だったから一方通行(アクセラレータ)の足止めを土御門に頼んだのに、と内心焦る上条だったが、こうなっては少しでも早くこの会をお開きにして、一刻も早くみんなを――もっと言えば御坂を帰らせなければならない。

 

 一方通行(アクセラレータ)が帰ってきた以上、隣の部屋には彼女達は帰ってきているだろうから。

 

(……いつかは言わなければいけないことなんだろうが、それにしてもこんな形でバレるのは避けたい。……ちゃんとした場を作って、本人達だけで会わしてやるべきだ)

 

 御坂はそんな上条の葛藤を余所に、一方通行(アクセラレータ)をチラチラと見ながら食蜂に問いかける。

 

「あ、アンタ、今、第一位って言った?アイツが第一位なの?」

「そぉよ~。御坂さん、超能力者(レベル5)の癖に知らなかったのぉ?」

「知らないわよ! 他の超能力者(レベル5)なんてアンタしか!! っていうか、なんでアンタ第一位と知り合いなのよ!?」

「えぇ~。だってそりゃあ、彼、上条さんの同居人だしぃ~。私、何回もここに来たことあるし☆」

 

 食蜂は御坂を挑発するつもりで言った言葉だったが、御坂も、そして話を遠巻きに聞いていた少女達(インデックスを除く)も、別の所に驚愕した。

 

 

「「「「ど、同居人んんんんん!!!!」」」」

 

 

「うわッ!?」

「ちょ、なにぃ~」

「…………はァ」

「?」

 

 四人の驚愕の叫びに、上条と食蜂は耳をやられ、一方通行は大きくため息を吐き、インデックスは事態を把握できずに可愛らしく首を傾げた。

 縦ロールは一人、まぁそうなるわな、といった感じで距離を取り、話についていけないであろうインデックスの世話に回ろうと移動した。

 

「ど、どういうことなの!? あ、アンタ、第一位と同居してんの!?」

「あ、ああ。……そんなに驚くことか?」

「驚きますよ!! 一体全体どういう事情があって一緒に住んでるんですか!?」

「……まぁ、色々あったんだよ。色々」

「色々って――」

「あ~~も~~!! また今度、質問には出来る限り答えてやるから、今日はもう解散だ、解散!! 一方通行(アクセラレータ)も帰ってきたことだしな!」

「……そうですわね。お家の方のご迷惑になられるでしょうし。……と、いうよりお姉さま。私たち、ひょっとしたら門限をオーバーしてしまったのでは?」

「――あ」

 

 白井の言葉で、渋々といった感じだが、徐々に帰り支度を始める一同。

 後々面倒くさいことになるだろうが、とりあえずこの場を収めることは出来たようだ。

 

「え? もう帰るの? せっかく、縦ロールがおいしそうなお菓子を用意してくれたのに!」

「隣なんだから持って帰ればいいだろうが」

「それじゃあ、上条さん。お邪魔しました」

「また、支部でお会いましょう」

「後でじっくり話を聞かせてもらうからね」

「えぇ~。もう、帰らなきゃダメぇ? 来たばっかりよぉ。融通力利かなすぎぃ、縦ロールちゃん」

「ダメです。女王が外泊など以っての他です。下の者に示しがつきません。」

 

 最後に佐天が、上条と、そして一方通行(アクセラレータ)の前に立つ。

 

「えぇと……それじゃあ、上条さん。……それから、一方通行(アクセラレータ)、さん。……これから、お隣として、色々迷惑をかけてしまうかもしれませんけど。……どうか、よろしくお願いします」

「ああ。これから、よろしくな」

「……あァ」

 

 佐天は最後にニッコリ笑い、他のメンバーと合流した。

 

「それじゃあ、帰ろっか」という御坂の言葉と共に、全員がリビングを後にしようとする。

 

 それを見送る上条に、そっと一方通行(アクセラレータ)が近づいて耳打ちした。

 

「ココに越してくるってことは……あいつら、訳有りか?」

「…………ああ。前言った、もう一つの世界の方の、な」

「……なるほどなァ」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、佐天を、そしてインデックスを眺めた。

 

「……オマエは、守りたいものを、守れたのか?」

「……まだ途中だ。これから先もずっと守り切ることが、俺のやるべきことだからな」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、一瞬上条の方を見て、何も言わず、再び前へと視線を戻す。

 

 

 こうして、佐天とインデックスの引っ越しパーティは幕を閉――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ~ん!! ヒーローさんにお土産渡すの忘れてたから持ってきたよぉ~!! ってミサカはミサカは空気を読まずに突入してみたり!」

 

 

 

――じなかった。

 

 

 

 その小学生くらいの小さな女の子は、すでに廊下に出ていたメンバーのことなど目にも入らないといった風に、スルスルと間をすり抜け、リビングに突入し、目的の人物を発見する。

 

「あ!」

 

 そして、満面の笑みで少年に向かってダイブした。

 

「ヒーローさ~ん!! ってミサカはミサカはこの体のサイズを最大限に活かしてヒーローさんの胸の中に飛び込んでみたり!」

 

 上条は少女を軽々と抱き留める。

 だが、心の中では焦りがピークでマックスだった。

 まずい。まずいまずいまずい。

 

 だが、事態はもうどうすることも出来ない。

 一方通行(アクセラレータ)も手を額に当てながら大きく溜息を吐いていた。

 

 そして、ドタドタと響く足音。

 

「ちょっと、今の誰ですか!?」

「子供みたいでしたけど」

「そして、すごく――」

 

 

「「「――御坂さん(お姉さま)にそっくりでした!!」」」

 

 

 初春、佐天、そして白井が声をハモらせながら、一斉に叫ぶ。

 

 その後ろで食蜂と縦ロールは苦笑いを零している。

 

 

 そして、御坂美琴は、目の前の光景に唖然としていた。

 

 

 上条当麻に抱き着いているのは、自分の子供の頃の姿と瓜二つの少女。

 

 

 だが、自分には、妹はいない。

 

 そのはず――

 

 

 

「あ、お姉さまだ~。お姉さま~とミサカはミサカは念願の初対面に歓喜してみたり♪」

 

 

 

 その少女は――――自分をお姉さまと呼ぶその少女は、たったったと子供らしい軽快な足取りで駆け寄り、自身の腰のあたりに抱き着いてきた。

 

 御坂は唖然としながらその少女を受け止める。もう、何が何だか分からない。

 

 

「「「お、お、お、お姉さま~~~~~!!!!!!」」」

 

 

 三人の親友の叫び声を、どこか現実感の湧かない情報として処理しつつ。

 

 

 目の前の、一方通行(アクセラレータ)の苦虫を噛み潰したような表情と、上条当麻の戸惑いつつも温かい目つきが、やたら印象に残った。

 




 ようやく妹達編っぽくなってきたかな?

 これで日常パートは終了。

 そして、長い長い事件パートへ……


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妹達〈シスターズ〉


 早くもこのサブタイを使ってしまったぜ……


 

 結局、事情説明を求める超電磁砲(レールガン)ガールズに押し切られ、上条は事情を簡単に説明してやる事にした。

 

 先程までにぎやかにパーティが行われていたソファーに少女達を座らせ、上条と一方通行(アクセラレータ)、食蜂はそれと向かい合うようにカーペットに腰を下ろした。

 縦ロールはいつの間にか用意したスイーツをインデックスに提供し、話の邪魔にならないように隔離している。ていうかインデックスの扱い酷いな。

 

「……それじゃあ、上条さん。説明していただけますか?」

「……ああ。だが、今から話すことは、学園都市にとって秘中の秘、絶対の極秘情報って奴だ。学生どころか教員やそんじょそこらの研究員すら知らない。……万が一にも、他言無用だ。――いいな」

 

 ギンッ! と、強制的に背筋を矯正させられるような、鋭い上条の眼光。

 

 その有無を言わせない迫力に、少女達は唾を呑みこみながら、重々しく頷く。

 

「……よし。それじゃあ、打ち止め(ラストオーダー)。こっちに来て、自己紹介しろ」

「は~い♪」

 

 そう元気よく返事をして、御坂の傍らに居た少女は、トコトコと歩いて胡坐をかいている上条の膝の上に座った。

 

 そして、向かい合う御坂達に、にこやかに笑いかけながら、自身の名を名乗る。

 

 

「私は検体番号(シリアルナンバー)20001号――打ち止め(ラストオーダー)だよ! 改めて、よろしくねお姉さま! ってミサカはミサカは高らかに自分の名前をコールしてみたり!」

 

 彼女は無邪気に、朗らかに言った。

 

 

 だが、御坂は限界だった。混乱の極致だった。

 

 

 自分と同じ――いや、自分の少女時代に瓜二つの――見知らぬ少女。

 

 

 そんな人物が、自分のことをお姉さまと呼び、まさしく姉として慕ってくる。

 

 

 そして何より、そんな存在が、自分の知らない所で、上条や食蜂と親交を深めていた。

 

 

 もう訳が分からない。御坂は立ち上がり、その年端もいかぬ少女を怒鳴った。

 

 

「――いい加減にして!! 何なの、アンタ!! なんで私とそっくりなの!! お姉さまって何!?」

 

 

 ビクッと打ち止め(ラストオーダー)が怯える。上条は御坂を止める為に立ち上がろうとした。

 

 だが、完全に頭に血が上っている御坂は、それらが目に入らず、そのまま、決して言ってはいけない言葉を吐き出した。

 

 

 

「私に、妹なんていない!!」

 

 

 

 その言葉に、打ち止め(ラストオーダー)の体がピクリと硬直するのと。

 

 

 バリィィン!! と、一方通行(アクセラレータ)がテーブルを叩き割るのはほぼ同時だった。

 

 

「きゃぁ!!」

 

 佐天と初春が悲鳴を上げる。

 

 透明なガラス製の高級感あるテーブルは粉々に砕け、御坂は思わず我に返り、若干怯えた様子で一方通行(アクセラレータ)に向き直った。

 一方通行(アクセラレータ)の華奢な拳には、傷一つなかった。

 

 ギロリと、その白い少年の真っ赤な瞳が御坂を睨み据え――

 

 

「やめろっ!!」

 

 

 上条は立ち上がりかけていた一方通行(アクセラレータ)の肩を、その右手で抑えつける。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、文字通り血走っているかのようなその真紅の目で上条を睨みつけるが、上条はまるで怯むことなく、それを真っ向から受け止めた。

 

 

 しばしの静寂。食蜂以外の全員が、二人の男の睨み合いを固唾を呑んで見守る中――

 

 

「……ちっ」

 

――と、一方通行(アクセラレータ)は舌打ちをしながら、ドカッと再びカーペットに腰を下ろした。

 

 皆が息を吐いてホッとする中、それでも一方通行(アクセラレータ)は変わらず御坂を鋭く睨む。御坂は悲鳴を漏らしかけるが何とか耐えた。だが、一方通行(アクセラレータ)の方を見ることは出来ず、俯き、ソファーに再び腰を下ろして、膝の上で拳をギュッと握る。

 

「……片付けますね。上条さんはお話を続けてください」

「……すまない、縦ロール」

 

 先程までインデックスの給仕をしていた縦ロールが、自然と掃除用具を取り出して上条達と御坂達の間に入り、ガラステーブルの残骸を処理する。

 

「……打ち止め(ラストオーダー)。あいつ等は全員帰ってるか?」

「うん! 今日は調整もないから! って、ミサカはミサカは空気を変えるべく不自然に元気よく答えてみたり!」

「悪いが、ここに呼んできてくれるか?」

「了解っ! ってミサカはミサカは我が家に向かって元気よく駆け出してみたりぃ~!」

 

 上条の膝に座っていた打ち止め(ラストオーダー)は、ぴょんと立ち上がると、そのまま廊下に向かって駆けていった。

 

「……打ち止め(ラストオーダー)、さん、のお家はどこですの? 一人で行かせてしまって大丈夫でしょうか?」

 

 今度は白井が重たい沈黙の時間を失くそうと恐る恐る質問する。

 それに、上条は淡々と答えた。

 

「あぁ、大丈夫だ。アイツ等の家は佐天達の家とは反対側の、この部屋の隣だ。いくら打ち止め(こども)でも、隣の部屋の行き来くらい、この時間でも一人で出来るだろう」

「え、そうなんですかっ!?」

 

 それを聞いて佐天達は驚愕するが、一人、御坂は爛々とした目で上条を睨みつける。

 

「……アンタ……どこまでっ……」

「………………」

 

 色々な感情の詰まった御坂の睨みを、上条は動じずに受け止める。

 

 室内に、再び重たい沈黙が満ちた。

 

 その静寂を壊すように、ガチャと玄関の扉が開かれ「連れてきたよ~! ってミサカはミサカは元気よく帰還を告げてみたり!」という打ち止め(ラストオーダー)の甲高い声とトタトタという慌ただしい足音が聞こえる。

 

 そして、それに続く数人分の足音。

 

 まず、打ち止め(ラストオーダー)が部屋の中に入ってくる。

 

 

「ただいま~とミサカはミサカは再びヒーローさんにダ~イブ――と見せかけて、ヒーローさんに怒られて少し落ち込んでるあなたに向かってダ~イブとミサカはミサカはフェイントをかけてみたり!」「うぜぇ」「反射!?」という打ち止め(ラストオーダー)一方通行(アクセラレータ)のやり取りに誰も注目しないほど衝撃的な光景が、そこにあった。(怪我をしないようにベクトルを操作して跳ね返しているところに彼の不器用な優しさを感じる)

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)の後から部屋に入ってきたのは、常盤台中学の制服を着た、五人の――御坂美琴。

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)のように少女時代の姿ではない。正真正銘、現在の中学二年生、十四才の御坂美琴と、瓜二つで、同一といっていいほどそっくりだった。

 

 双子や遺伝といったレベルではない。天に任せた采配では、ここまで同一には創れない。

 

 まさしく、人が、自らの意思で、作らなくては、こうはならない。

 

 

 白井達は、開いた口が塞がらない。打ち止め(ラストオーダー)の時は、似ているとはいっても外見年齢に差があったから、それこそ本人が言うように妹のように見ることが出来たが、これは違う。衝撃が違う。

 

 友達と全く同一の顔が、存在が、五人。御坂本人を含めて、六人が同じ空間にいるのだ。

 違和感で、混乱でどうにかなりそうだった。さすがのインデックスもケーキを食べる手を止めて「……みことがいっぱいなんだよ」とフォークを落としていた。

 

 しかし、そんな彼女達よりもはるかに強烈な衝撃を受けている少女がいる。

 上条、一方通行(アクセラレータ)、食蜂、縦ロールの事情を知っている四人の視線は、その少女に集中する。

 

 

 少女は――御坂美琴は、顔面を蒼白させ、額から不健康な汗を流し、わなわなと全身を震わせながら。

 

 

 自身と唯一異なる部分――感情をまるで映さない瞳で自分を見つめる五人の“自分”を恐れるかのように、忌避するかのように――拒絶するかのように、一歩、後ずさりながら、叫ぶ。

 

 

「あ、」

 

 

 わなわなと、唇と肩を揺らして、ブルブルと震えるながら指さして、叫ぶ。

 

 

「――アンタたち、一体何者なのよ!!」

 

 

 キーン、と御坂の叫声が、室内に反響する。

 

 

 白井達は、固唾を呑んで御坂を見守る。

 

 上条達は、神妙な顔つきで、御坂と瓜二つの少女達の方を見た。

 

 

 五人の、御坂と同一の少女――その中で、最も御坂に近い位置にいた少女が――一瞬アイコンタクトで上条とやり取りし(上条は少女に頷いた)――一歩前に出て、淡々と、無感情に言った。

 

 

「初めまして、お姉様。私は――私たちは、『妹達(シスターズ)』。学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)である御坂美琴(オリジナル)の、『量産能力者(レディオノイズ)計画』によって“製造”されました。御坂美琴(おねえさま)の――」

 

 

 

――体細胞クローンです。

 

 

 

 彼女はそう淡々と自らの出生を語った。自己紹介した。

 

 

 御坂は、目の前の存在から逃げるようにさらに後ずさり、ソファーに躓き、その上に倒れ込む。

 

 

「み、御坂さん!」

「御坂さん!」

「お姉様!」

「みこと!」

 

 四人の少女が駆け寄るが、御坂はブツブツと「……うそよ……こんなの……」と呟くばかりだった。

 

 それを見て、上条は立ち上がり、御坂に歩み寄って、見下ろすようにして言った。

 

「……どうする、御坂。……今日はここまでにしとくか?」

 

 上条はそう言った。そこには気遣いが込められていたが、それが御坂に向けられたものなのか、それとも別の誰かに向けられたものなのかは、御坂には分からなかった。

 

 だが、それでも確かなのは、“ここまで”という言葉。それが意味するのは、まだ何か続きがあるということ。

 

 

 ここまで衝撃的なことよりも、先の、奥の、闇があるということ。

 

 

「……いいわ。全部、聞く。……聞かせて」

 

 御坂はゆっくりと体を起こしながらも、上条の目をしっかりと見据えて答えた。

 

 上条は「……そうか」と答えた後、白井達に目を向けて言った。

 

「……悪いが、白井。佐天。初春。それに、インデックス。……ここからの話は、御坂と、こいつらのプライバシーに関わる問題だ。……出来れば、席を外してもらえるか。……詳しくは、後日、本人から聞いてくれ」

 

 白井達は、しばらくは逡巡していたが、やがて頷き、部屋を後にする。

 

「……そうですね。私たちは、帰った方がいいみたいです」

「まずは、御坂さんだけが聞くべきですね」

「お姉様。何かありましたら、わたくしはいつでも力になります」

「……そうだね。みこと。それからクールビューティーたち、ラストオーダー、またなんだよ」

 

 上条は四人を玄関まで見送った。

 

 そして玄関前で、最後にもう一度、念を押す。

 

「……お前ら。今日、聞いた情報だけでも、知っていたらヤバい極秘情報だ。絶対に漏らすなよ。…………そして、なんでお前らにそんな危ない情報を教えたか、なんだが」

 

 上条は、少し顔を俯かせる。

 そんな上条に四人は不思議そうな顔をしたが、上条は顔を上げると、毅然と答えた。

 

 

「あいつ等の、友達になって欲しいんだ」

 

 

 上条は、目を見開く四人に対し、更に続けた。

 

「……アイツらは、今言ったような事情を抱えているから、アイツらの存在を知る人間は少ない。……そして、悔しいが、受け入れてくれる人も。だが、アイツ等も立派な命だ。アイツ等も、一人一人が、命ある人間だ。好きなものがあって、笑って、泣いて、喜ぶ――普通の女の子なんだよ。……御坂には、いつかは話さなくてはいけないと思っていた。……そして、御坂に一番近いお前達にも……話したいと。……お前達に迷惑をかけてしまうことになるかもしれない。もしかしたら、命を狙われてしまうことになるかも。……だが、お前達は、俺が、全力で守る。絶対に守る。……だから、怖がらずに、またアイツ等に……会ってやってくれないか?」

 

 上条は、そう言った。懇願するように、頭を下げた。

 

 そんな上条に、白井達は、目を見合わせ、当然のように、言った。

 

 

「「「「あたりまえです(わ)(なんだよ)!」」」」

 

 

 その迷いのない、まっすぐな言葉に。

 

 

 上条は、安心したように、微笑んだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条がリビングに戻ると、妹達(シスターズ)五人は縦ロールがすっかり綺麗にガラステーブルの破片を片付けたカーペットに律儀に正座しており、打ち止め(ラストオーダー)は今は食蜂の膝に座っていた。縦ロールは食蜂の背後に立っていて、一方通行(アクセラレータ)は部屋の隅の壁に寄りかかっている。

 

 そして御坂は、ソファーに腰かけながらも、両肘を膝に乗せ、両手を口元に持ってくる体勢で懊悩としていた。

 

 上条は縦ロールに目線で座るように促すと、自身は御坂の隣に座り、「さぁ。何から聞きたい?」と促した。

 

 御坂はしばらく考えた後、「……じゃあ、まずは」と切り出す。

 

「――そもそも、どうやって私のクローンを作ったの? 私は、もちろんそんな実験にも研究にも協力した覚えはない。いくら学園都市の科学力だって、何もないところからは――」

「あら、御坂さん。とぼけてはダメよ。あなたはこの計画力にバッチリ協力しているわぁ」

 

 そう言って、食蜂は御坂の言葉を遮り、煽るように嘲笑する。

 御坂は瞬時に沸騰し食蜂を怒鳴り散らそうとする――が、食蜂の顔を見て、その表情を見て、頭が急激に冷える。

 

 打ち止め(ラストオーダー)を膝に乗せた食蜂には、いつも御坂を煽る時の笑みはなかった。

 

 ただただ冷静に、冷徹に、御坂を糾弾していた。

 

 

 いつまでこの子達の前で被害者面するつもりだと。

 

 

 お前は、紛れもない、加害者だと。

 

 

 だが、御坂にはやはり、何の身に覚えもない。

 

「そ、そんなこと言われても、私は――」

 

「筋ジストロフィー」

 

 食蜂は、尚も言い募る。

 

 御坂美琴を、追い詰める。

 

 

「かつて、この難病の治療に繋がると“唆されて”、提供したでしょう?――あなたの、御坂美琴の“DNAマップ”を」

 

 

 その言葉によって、御坂の脳裏に、幼き日の情景がフラッシュバックした。

 

 

 記憶の海から、引っ張り出される。

 

 

 御坂が、目の前の打ち止め(しょうじょ)と同じくらい、幼かったあの日。

 

 

 目の前に、苦しむ筋ジストロフィー患者達の様子を見せられ。

 

 

 少女の、淡く、純粋な正義感と義務感に付け込んで。

 

 

 正しい医者の仮面を被った黒い笑顔と、差し出してきた右腕。

 

 

 御坂は、それをとった。確かに、御坂美琴はあの日、片棒を担いだ。担がされた。

 

 

 いいことをしたと、意気揚々と、私は。

 

 

「…………ぁ……ああ……」

 

 

 まさか。

 

 

 あの時のアレが。

 

 

 だが。あれは。あの人達を救う為に。

 

 

 苦しむ人を。助ける。その為に。私は。

 

 

「はっ」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が、嘲笑う。

 

 

「人工的に脳味噌弄くって、超能力者を大量生産しよォなンて考える学園都市(やつら)だぞ。そンな人道的な(イイ)ことに精を出すはずねェだろうが。どいつもこいつも頭イカレてンだよ」

 

 その第一位の言葉に、御坂は木山春生の言葉を思い出す。

 

 

『……君は私と同じ、絶望に限りなく近い運命を背負って……』

 

 

 絶望に限りなく近い運命。

 

 

 それは、この事、なのか。

 

 

「……だが、実験は失敗したんだ」

 

 上条の言葉に、御坂は顔を跳ね上げる。

 

「『量産能力者(レディオノイズ)計画』――この計画は、さっきアイツが言った通り、“超能力者(レベル5)”を量産することが目標だったんだ。……だが、御坂のDNAをそのままコピーしても、その強度はせいぜい異能力者(レベル2)。よくて強能力者(レベル3)程度らしい。ここにいる五人も、二人が強能力者(レベル3)で、三人が異能力者(レベル2)だ。――つまり、実験は失敗する、ということが樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)による演算の時点で分かり、計画は頓挫した」

 

 学園都市の学生の六割が無能力者(レベル0)という現状では、100%確実に、それも単価18万円で、異能力者(レベル2)とはいえ能力者を作れるというのは一見利潤を生むように思えるが、国際法に完全に違法しているというリスクを犯しながらも、兵器としては商品価値のない程度の能力しか発現できないのであれば、やはり割に合わないということだろうか。

 

 いや、学園都市の研究者は、そんなわかりやすいこと――利益目的では、そもそも動かない。奴等が動くのは、ただただ自身の中に巣食う歪んだ知的好奇心のみ。

 

 ここでは、ただ、超能力者(レベル5)超能力者を大量生産できるか? その証明のみが目的で、それが叶わないから止めただけに過ぎない。

 

 

 御坂は一瞬安堵するが、今の言葉に違和感を覚えた。

 

 

樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)による演算の時点”、で?

 

 

 それは、実験の結果失敗だったというわけではなく、その『量産能力者(レディオノイズ)計画』は、計画段階で頓挫――つまり、実行されなかったということ、ではないのか?

 

 

 では、なぜ。それならば、一体どうして。

 

 

 こうして、妹達(シスターズ)、目の前にいるのだ?

 

 

「だが。学園都市はそんなことで諦めるような物分かりのいい連中じゃなかった」

 

 アイツ等の欲望と狂気は無限大だ――と、上条は吐き捨てるように言った。

 

 そう。この街の研究者は、ただその知的好奇心のみによって動く。

 

 そして、それを満たすためなら、決して手段を選ばない。

 

 それが例え、どれほど悍ましく、恐ろしく、歪んだ、許されない手段であろうとも。

 

 

 悪夢はまだ終わらない。始まってすらいない。

 

 

 ここからが、本当の絶望だ。

 

 

「――これは、何もお前だけの問題じゃない。いろんな人間を巻き込み、いろんな思惑が絡み合い、いろんな悲劇が、それによって生まれたんだ」

 

 

 上条は、語り出す。

 

 

 食蜂が。一方通行(アクセラレータ)が。縦ロールが。

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)が。五人の妹達(シスターズ)が。

 

 

 そして、御坂が。

 

 

 その物語に、神妙に耳を傾ける。

 

 

 

「――始まりは五年前。俺が十才の頃の話だ」

 

 

 

――俺は、金髪星目の少女と、白髪赤目の少年に出会ったんだ。

 

 

 

 上条当麻は、そう切り出した。

 

 

 物語を、紡ぎ出した

 





 次回、過去編へ。


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心理掌握〈メンタルアウト〉


 過去編、スタート。

 超電磁砲の新刊まだかなぁ。


 

 五年前。

 

 とあるどこかの研究所。 

 

 

 食蜂操祈――八才。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「やぁ、久しぶり! 僕のことを覚えてる!? 小学校の頃、同じクラスだったよね!?」

 

 嬉しそうに話す白衣の若い男。

 

 彼は、目の前のロボコップのようなマスクを装着した“壮年の”白衣の男性に嬉しそうに話しかける。

 壮年の男は口元を愉悦に歪ませ、言葉を返した。

 

「いや、残念ながら覚えていないな」

「え? 本当に!? なんだよぉ、あんなによく遊んだじゃないかぁ」

 

 そう言って若い男は、徐に懐からタバコを取り出す。

 

「おや? 君は確か、タバコを吸わないんじゃなかったかな?」

「はぁ、何言ってんだよ、吸うわけないだろう。俺が昔からタバコの煙すら嫌悪していたの知ってるだろう」

「だって、吸おうとしているじゃないか」

「“いいんだよ”。だって、これは“タバコ”なんだから」

 

 そう言って、壮年の男が予め机の上に置いてあったライターを手に取り、火をつける。

 

 そこで壮年の男は、傍らに控えていた少女に言った。

 

「食蜂くん。もういいよ。解いてあげてくれ」

 

 少女は若い男に向かってリモコンを向けて、ピッとボタンを押した。

 

「――え?」

 

 その瞬間、若い男は、動きを停止させ――

 

「っっ!! ご、ゴホッ、ゴホッ お、おえぇぇ」

 

 途端に咳き込み、咽あがり、唾を口内に大量に溢れさせ、近くの研究員が持ってきたバケツに向かって吐き出した。

 

 少女はそんな男を気持ち悪いとばかりに一瞥した後、退屈そうに顔を背けた。

 

「大丈夫かね?」

 

 壮年の男は、若い男からタバコをさっと奪い、近くに待機させていた自動清掃ロボに向かって放り投げた。

 

 副流煙も完璧に清浄する空気清浄機能を併せ持つそのロボが去ったのと同時に、ようやく嗚咽が収まった若い男が壮年の男に向き直った。

 

「……え、えっと、今のが――」

「そう、彼女の能力だ」

 

 男達の、そしてこの部屋に待機していた他の数名の科学者達の目が、一人の少女に集中する。

 

 だが、当の少女は彼らに一切の関心を示さない。変わらずつまらなそうに虚空を見上げていた。

 

「私を君の幼馴染の誰かと置き換え、そのタバコは“大丈夫な”タバコだと都合よく誤認させたんだ」

 

――何の根拠もなく、そうであると思い込まされたんだ。

 

 それを言われて、男はゾっとした。

 

 一切、違和感を持てなかった。それが当たり前だと疑いもしなかった。

 

 

 自身の記憶を、自身の心理を、完全に掌握されていた。

 

 

 自分という存在が、目の前の少女に、完全に支配されていた。

 

 

 記憶、感情、嗜好、そして思考。

 

 

 これらを全て自由自在に弄ばれ、書き換えられたら、それはもう、自分という存在が殺されるということと、同義ではないか。

 

 

 自分の体を、別人に乗っ取られるのと、同義ではないか。

 

 

 自分という存在が、ただの操り人形(マリオネット)に貶められる。あんなリモコンの、ボタン一つで。

 

 

 これが、『心理掌握(メンタルアウト)』。

 

 

 将来、能力者達の最高峰――“超能力者(レベル5)”の一角を“担うことになる”、精神能力系最強の能力者“となる”逸材。

 

 

 科学者たちの嬉しそうな高笑いが響く中。

 

 その若い男だけは、つまらなげに佇む少女を、畏怖の篭った目で見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「順調に能力は成長しているようね」

 

 実験が終了し、期待以上の成果を出せたことの喜びが、いや悦びが滲み出ている声で、先程の壮年の科学者と同様にロボコップのようなヘルメットを装着している若い女性科学者が、横を歩く食蜂に話しかける。

 

 この装置は別におふざけで身に付けているわけではない。

 精神系能力者である食蜂に、自分達の思考を読まれないようにするための処置だ。

 

 故に、先程の若い男に対する実験のような時以外は、この研究所の全て科学者達は、食蜂の前に姿を現す時には欠かさずこのヘルメットを身に付けている。

 食蜂の方もそんなことは百も承知だったが、別にそんな処置にムキになる程、彼らに興味もないので放置している。

 

 食蜂は、彼女の問いかけともいえないような呟きに、ぶっきらぼうに答える。

 

「……そう。よかったわね」

 

 自身の能力のことにも関わらず、まるで他人ごとのように答える食蜂。

 

 彼女は食蜂と同性で一番年が近いということで(それはつまり一番若いということだ。それでも当然二十歳を超えている)食蜂の世話係のようなものを任されており、この研究所の科学者達の中で最も食蜂と接する機会が多いのだが、この二人の間にフランクな言葉遣い以外は親しみを表す要素は皆無だった。

 その事に心痛を覚えるような心は、この二人のどちらにもないのだけれど。

 

「……それでぇ? 今日はもう帰っていいのぉ?」

「そうね。最後に“アレ”を見ていきましょう。大分、完成に近づいたの」

 

 そう言って、彼女を例の場所へ案内する女科学者。

 

 食蜂はそれを聞いて、ただでさえ低いテンションを更に落とした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 若い女科学者が食蜂を連れてきたのは、とてつもなく巨大な二本の試験管の中に浮かぶ右脳と左脳を見上げることが出来る絶好のスポットだった。

 

「ほら、ここまで大きくなったのよ。『外装代脳(エクステリア)』の完成は、もうそう遠くないわ」

 

 まるで、頑張ったご褒美はもうすぐよ、と言わんばかりに、食蜂の大脳皮質を切り取って培養し肥大化させた巨大脳を見せつける女科学者。

 

 狂っている。改めて、食蜂はそう思った。

 

 だが、本当に狂っているのは、そんな悍ましいものを目の前にこうして突きつけられても、少し気分が悪くなる程度の影響しか受けない自分なのかもしれない。

 

 こんな研究(もの)が正しくないなんてことは、八才の自分にすら分かる。

 

 だが、それでも、面倒くさい程度の拒否感しか持たず、流されるままに言いなりに実験に協力している自分も、彼女に、彼女等に負けず劣らす、壊れているのかもしれない。

 

 嬉しそうにぺちゃくちゃと食蜂を――内心では食蜂という作品を育てている自分達を、だろうが――褒め讃える女科学者の言葉を聞き流し、自身の脳のクローンを、彼女は光のない星色の瞳で見上げながら、思う。

 

(……ああ。本当に、くだらない)

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 食蜂はあの後、手術衣のような真っ黒の服からお嬢様小学校の制服にドレスチェンジし、一人で街を散策していた。

 

 寮まで送ると言われたが、まだそんなに暗い時間ではなかったので、それを固辞したのだ。

 

 

 一人になりたかった。

 

 

 だが、それでも心が晴れなかった食蜂は、自分でもよく分からない葛藤に駆られ、道行く人達に片っ端に能力を使い、その人達の心を読んだ。

 

 心を読むくらいの単純な作業なら、今の未熟な自分でも、リモコンのボタン操作一つで瞬時に出来る。

 

(あ~、だりぃ。なんで、こんなことやらされるんだよ、面倒くさい)

(……また能力が上がらなかった。幼馴染のアイツはどんどん上に行ってるのに……どうして……)

(また、アイツしつこく付きまとってくる。キモ。鏡見てから出直してこいよ、クソが)

(どいつもこいつも低レベルの屑共ばっかりだな。うっとうしい。みんなまとめて滅びねぇかなぁ)

 

 

(……あぁ。くだらない。本当にくだらない)

 

 

 道行く人達の、暗く、醜く、気持ち悪い心の声に、食蜂のテンションはどんどん下降していく。

 

 悩みや葛藤を抱える人間には、大きく二つのパターンがある、と食蜂は考えている。

 

 一つは、自分と同じ葛藤を抱える人間を見つけ、悩んでいるのは自分だけじゃない。ダメなのは私だけじゃないと安心し、自己を慰める人間。

 

 もう一つは、自分が抱える悩みなどに悩まされない、もしくは悩んだ末に克服した人間を見つけ、自分もいつかはああなれるかもと、希望を抱く人間。

 

 どちらかと言えば、食蜂は前者の人間だ。

 

 食蜂は現在の自身を取り巻く環境をくだらないと認識しているが、だからと言って自分と違う環境を生きる人間が尊く素晴らしいと思っているかと言えば、そうではない。

 

 はっきり言って、素晴らしい人生などない。と、八才にして、すでに彼女はそう悟っている。

 

 

 人間という者は、感情がある。心がある。

 

 

 それだけで、人間という者は、汚く、醜く、くだらない。

 

 

 自分を、含めて。

 

 

 すでに精神系の能力者として凄まじい速度で成長している彼女は、この街の誰よりも人の心というものに密接に触れる彼女は、すでに人間というものにそう見切りをつけていた。見限っていた。

 

 そんな彼女が、食蜂操祈が、いったい何を期待して、道行く人達の心を読んだのかは、本人ですら分からなかった。最強の精神系能力者となる逸材である彼女も、幼い自身の心は持て余してしまっていた。

 

 通行人の心を読めば読むほど、自身の心に処理しきれない何かが積み重なっていくのを感じて、少女はリモコンを下ろした。

 

 はぁ……と大きなため息を吐き、とぼとぼと俯きながら歩く。

 

超能力者(レベル5)となることが分かっている”彼女には、昔から、この街に足を踏み入れ初めての身体検査(システムスキャン)を行ったその時から、数多くの科学者達が彼女に目をつけ、近寄ってきた。

 

 そして、ある日を境に、それは急速にレベルを増した。

 

 実験と研究の対象にされる頻度、密度が決定的に増え、最近だと学校よりも研究所にいる時間の方が長いくらいだ。

 

 彼等は、どいつもこいつも濁った眼で、食蜂を見つめる。

 

 例外なく、大きく汚い欲望と野望を抱えていた。誰一人として救いようがないほど狂っていた。

 

 賢しい彼女が、この街の本当の姿を知るまで、そう時間はかからなかった。

 

 

(……親船さんくらいかしらね。唯一善人力を認めてもいい人は)

 

 テクテクと歩く。宛てもなく歩く。

 

 ここは学園都市。学生が総人口の八割を占める街。つまり、その中のそれなりの割合が小学生であり、彼女くらいの子供が一人で歩いていても、別に不自然な光景ではない。

 

 だが当然の常識として、俯きながら歩いていては、行き交う人にぶつかったりもする。ごくありふれた日常のワンシーンだ。

 

「いたっ」

「ん?」

 

 ぶつかった相手は食蜂よりも年上(まぁ、彼女は八才だから、いくら学生の街とはいえど大概の人が年上なんだが)で、声からして男子のようで、彼女だけが倒れ込む形となってしまう。

 

 だが、その声もまだ声変わりの始まりくらいの少年の声だったので、彼もおそらくは小学生なのだろう。

 

 少年は、倒れ込んだ食蜂に、まだ筋肉が付きすぎていない細い腕を伸ばす。

 

「悪い。ちょっと急いでたんだ。怪我はないか?」

 

 食蜂は機嫌が悪かったのと相まってじとぉと少年を睨みつけるが、少年はたははと額に汗を滲ませ気まずそうにするものの、手を引っ込めようとしないので、しぶしぶその手を取った。

 

「本当に悪かった。何か埋め合わせでも――」

「大丈夫よぉ、別に。それじゃあ」

 

 新手のナンパだったら面倒だ。そう思い食蜂は立ち去ろうとするが――

 

「あ、おい。これお前のか?」

 

 先程の少年がさらに食蜂に声をかける。

 

 うっとうしい。まさか本当にナンパだろうか。だとしたら相当な変態だ。私は八才なのだけど。

 

 出来れば関わりあいになりたくなかったが、すでに食蜂のストレスは限界で、上手くやり過ごすことなど出来そうになかった。

 

「一体、なに――」

 

 食蜂は苦々しい表情を隠そうともせずに、荒々しい言葉と共に振り向いた。

 

 

 彼が持っていたのは、食蜂の生命線であるリモコンだった。

 

 

 サッと血の気が一気に引く。

 

 食蜂は少年にズンズンと詰め寄り、バッとリモコンを引っ手繰った。

 

 少年は、その食蜂の剣幕に目を見開いたけれど、すぐにへらっと笑った。

 

「やっぱりお前のだったのか。大事なものなのか? もう落とすなよ」

 

 食蜂は、少年の笑顔を訝しげに眺める。

 

 何なんだ、この男は。見た目は自分より二つくらい年上の、おそらくは小学五年生か、六年生。本来ならそこまで警戒することもないのだが、この街ではそんな常識は当てにならない。

 

 小学三年生である八才の自分が、あんな暗部に関わっているくらいなのだから。用心するに越したことはない。

 

 もしかしたら、今の研究所と対抗するどこかの組織が送り込んできた刺客なのかもしれない。自分と接点を持ち易くするために、こんな子供を派遣したのかも。

 

 この辺りは、子供ならではの数段飛ばしの話の飛躍というものだけれど、今の彼女の精神状態は不安定といってもいいほどグラグラだった。そして、そんな飛躍が決して的外れではないことが多々あるのも、学園都市である。

 

 バッと、彼女はリモコンを少年に向ける。

 

 少年は頭に?マークを浮かべたような表情をしたが、食蜂は構わず、能力を発動した。

 

「悪いけど、覗かせてもらうわよぉ」

 

 ピッと、リモコンのボタンを押す。

 

「?」

 

 少年が何か違和感を覚えたのか、“その右手で頭を押さえる”。

 

 

 その瞬間、リンクが断ち切れたかのように、少年の思考が一切読めなくなった。

 

 

「!!?」

 

(……え? 何? 失敗? この私が!?)

 

「……えぇと、大丈夫?」

 

 突然わなわなと震えだした食蜂に、少年は気遣わしげに声を掛ける。

 

「やっぱ、どっか怪我したのか? 何なら知り合いの先生がいる病院がこの近くだから紹k――」

 

 ピッと、再度能力を発動する。

 

「――ん? なんだ、なんかのノイズか?」

 

 うっとうしい蚊をあしらうように、少年は右手で頭を掻き毟る。

 

 再び途切れる能力。一瞬繋がるもののすぐに切れてしまう回線に、食蜂は混乱した。

 

(……なんで? どうして? こんなこと今までなかったのに!?)

 

 食蜂は、今度はまた別の通行人に能力を行使する。

 

(あ~。課題だるっ。学園都市なんて能力が全てなんだから、能力開発の授業だけやってくれればいいのによぉ)

 

 思考が読める。能力は正常に作動する。

 

 ならば、おかしいのは自分ではなく、この男なのか?

 

 食蜂は、目の前の少年に対する警戒心を強めた。断片的に覗けた思考から、この男が自分を狙った刺客ではないことは分かったが、だからと言ってこんなイレギュラーな男を相手に無警戒でいられる程、食蜂は性善説を信じているわけではなかった。

 

「? ??」

 

 食蜂の目まぐるしく変わる表情に、少年は完全に置いてけぼりだったが、ここでようやく食蜂の方から少年に声を掛けた。

 

「……あなた。名前は?」

 

 食蜂は、警戒してますと言わんばかりの訝しげな表情と身を守るような体勢で問いかける。この辺は八才の少女の子供らしい部分が現れた形だ。

 

 だが、少年は苦笑しながら、その辺りには触れてあげずに、安直に答えた。

 

 

「上条当麻だ。よろしくな」

 

 

 こうして、食蜂操祈は、上条当麻と出会った。

 





 次回はロリ蜂さんとショタ条さんの微笑ましいイチャイチ――いえ、なんでもないです。

 


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兎〈アクセラレータ〉


 今回は、あの兎少年との邂逅――


 

 上条当麻は、逆行者だ。

 

 この世界は上条にとってはコンティニューした世界。つまり二度目の人生を歩んでいる最中だ。

 

 だが、彼には複雑な事情があり、元々のエピソード記憶のストックは高校一年生の十五歳の夏から冬までしかない。まぁ、その密度が常人の比ではないのだが。

 

 

 何が言いたいのかといえば、上条当麻が食蜂操祈と出会うのは、これが初めてではないということだ。

 

 

 すでに、何度目の出会いなのかは分からない。

 

 

 だが、これまた複雑な事情が絡まって、ある時点からのこの二人の出会いは、そのすべてが初対面となった。

 

 

 それも、一方通行の初対面。

 

 

 上条当麻は、食蜂操祈に対する記憶を、保てなくなった。

 

 

 その悲劇は、その運命は、前回の世界の最期まで覆ることはなく、ついぞ奇跡が起こることはなかったけれど。

 

 

 しかし、この世界の上条当麻には、その運命は作用しない。

 

 

 記憶――つまり心はどうあれ、体の方は完全に無傷の健康体の体が新築されたのだから。

 

 

 だから、この上条当麻は、食蜂操祈のことを忘れない。

 

 

 二人の思い出は、記憶は、この世界では正常に積み上がっていく。

 

 

 これも、ある意味、小さな奇跡と呼べることなのかもしれない。

 

 

 

 上条当麻と食蜂操祈。

 

 

 

 残酷な悲劇によって、哀しき運命によって、完全に分かたれた、二人の物語は。

 

 

 

 夢のような奇跡を持って、新しい世界で、今、再び、動き出した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そんな二人は、運命的な出会いを――再会を――再開を果たして、今は肩を並べて仲良くお茶している――

 

 

「………………」

「…………え~と」

 

 

――というわけではなかった。というより、上条はめちゃくちゃ警戒されていた。

 

 先程、お互い名前を名乗り合い(食蜂も逡巡の末、本名を名乗った。パッと偽名も思いつかなかったし、悪い人には思えなかったからだ。不気味な人間だとは思っているけれど。いや、気味が悪い、というのが正しいか)、とりあえず何となくベンチに並んで座っているが、先程から食蜂はじ~と上条を観察し、かといって上条が食蜂の方を向くとサッと顔を背けるといった行動を繰り返している。

 

 

 前述の通り、上条は逆行者だ。

 

 見た目は子供だが、頭脳――というより精神年齢は、数万歳。大人というか普通に老師とかになれるレベルである。本来の十才児は、年下の女の子とこんな空気になった場合、余程の兄力(あにりょく)の持ち主でなければ気まずくてダッシュで逃げてしまうかもだが、精神レベル老師がそんな思春期入りたての男子みたいな醜態を晒すわけにはいかない。なんとか話題を捻りだして場を持たせようとする。

 

「あ、え~と、食蜂? お前、何か飲むか? そこの自販機で何か買ってくるけど――」

「いいわよぉ、別に。初対面の人に奢ってもらうような義理力なんて皆無だもの」

 

 そ、そうですか……。なんて言いながら席を立ち、自販機へと向かう上条。食蜂はその後ろ姿を変わらずじぃ~と見つめながら、彼の背中に向かって恐る恐るリモコンを向け、彼が自販機でジュースを選んでいる内に、えいっと再びトライした。

 

(……ん~。こっちの世界に来てから、こんなにがっつり年下の女の子と関わるのは始めてだから、対応に困るな。……なんか知らないけど警戒されてるし。……断られたけど、やっぱりジュースでも買ってやるか)

 

 読めた。食蜂は、ほっと一安心する。

 

 どうやら自分の能力に対する特別な耐性を持つ特殊な人間というわけではないらしい。

 

 

 そこで、食蜂の胸中に、ふと先程のような荒んだ気分が再燃する。

 

 

 あれだけ人間の汚い内面を嫌悪している癖に、その内心が読めなくてはこんなに不安な気持ちになるなんて。身勝手にも程がある。

 

 

 食蜂は、力なくリモコンを上げ、能力を解除しようとするが――

 

 

(あ~。でも、あの子は一体何が好みなんだ? 振る舞いとか着てる制服からしてそれなりのお嬢様なんだろうが……。こんな怪しさ満点の試作飲料が口に合うのか?……ん~――

 

 

 ブツッ と再び、食蜂が能力を解除する前に、強制的に回線が切断された。

 

 

 再び目を見開く。腕を上げたままの姿勢で硬直する。もう訳が分からない。

 

 食蜂は、目の前の少年を完全に持て余していた。八才が言うセリフではないが、今までの人生で出会ったことのないタイプの――カテゴリの男だった。

 

 

(……こんな人、見たことないわぁ)

 

 

 当の本人は いや御坂は絶対特殊例だしなぁ。とかブツブツ言いながら、右手でツンツン頭をガシガシと掻いている。

 

 やがて、よしと気合を入れコインを投入し、飲料を二つ購入してベンチへと戻ってきた。

 

「悪いな、遅くなった。」

「い、いえ、いいのよぉ」

「?」

 

 食蜂は上条の目を見ることが出来ず(照れというより困惑で)俯いていたが、上条はそんな食蜂の態度をまだ警戒されているのだろうと解釈し、「ほれっ」と缶ジュースを一つ差し出した。

 

 食蜂は、先程心を読めた部分で上条が自分の分のジュースも買ってくれたことを知っていたので(何を買ったかまでは読めなかったが)、そのまま素直に受け取った。上条もそのことに疑問を持つことなく、彼女の隣に腰かけて、プシュッと自らの分のジュースを開けて、飲む。

 

 食蜂も若干テンパっていたのか、ジュースでも飲んで落ち着こうとプルタブを開け、グイッと中身を煽る。

 

「ブファッ!!」

 

 ……ラベルを確認せずに。

 

 ゴホッゴホッと咽る食蜂の背中をさすりながら、やっぱりかと気まずげな表情で苦笑する上条。

 

 だんだんと呼吸が落ち着いてきた食蜂は、涙目&紅潮した頬のままで上条をキッと睨みつけながら、叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと何よぉ、これぇ!?」

「……え~と、す、『西瓜紅茶』です。やっぱり、お嬢様は紅茶かなって?」

「え、西瓜!? レモンとかアップルとかじゃなくて西瓜!? あの野菜の仲間の!?」

「さ、さすが、お嬢様。博識でいらっしゃる」

「そんな問題力じゃないわよぉ! あなた、なんてもの飲ませるのよぉ!? 思いっきり咽ちゃったじゃない!!」

「……あ~。やっぱり、口に合わなかったか?」

「……ぐっ」

 

 上条は悲しそうに目を伏せる。

 

 そんな態度をとられると、いくら食蜂とはいえど強く出れない。これは上条の好意で奢ってもらった品なのだ。それも、自分がずっと警戒した態度を取っていた故に、いわばお近づきの品としてくれた物。

 

 それに味を良く吟味したわけではない。ファーストインパクトが強すぎて思わず吐き出してしまったが(よく考えればお嬢様として完全にアウトなリアクションだった)、別に毒というわけではないのだ。……おそらく。自販機で売っているのだから商品として認められたということだろう。別に西瓜アレルギーというわけではない。この一件でトラウマになっていなければ大丈夫だ。

 

 ならば、上条の顔を立てるという意味でもセカンドチャレンジくらいはしてもいいだろう。これで口に合わないと確信出来れば、はっきりと言おう。このチャレンジにはそれくらいのリターンがあってもいいはずだ。

 

 そう思い、食蜂は生唾を呑みこみ、えいっと目を瞑って、再び西瓜紅茶を体内に取り込む。

 

 ゴクリ。

 

「………………」

「ど、どうだ?」

「…………飲めなくは、ない」

 

 そう。飲めなくはなかった。だが、本当にそこ止まりだった。

 

 これからも愛飲したい味ではないし、かといって残すのももったいない。といったまさしく五十点の味。

 

 なんだろう。ひどく、空しい。

 

「しょ、食蜂! よかったら、こっち飲むか!? 一口飲んじまったが、それでもよければ!」

 

 上条は、食蜂(こども)のそんな寂しげな表情に居た堪れなくなったのか、自分の飲みかけのジュースを差し出す。これが逆行前なら某ビリビリ中学生が顔を真っ赤にして電撃を纏うところだが、食蜂操祈はっさいは少し顔を赤くしたが、取り乱すような真似はしなかった。これは別に御坂が八才児より恋愛面で子供だとか揶揄してないよ本当だよ。

 

 だが、食蜂は先程の西瓜紅茶の一件を思い出し、上条が差し出したジュースに伸びた手をピタッと止めた。

 

 そして、若干の怯えが混じった目で(無理もないが)上条に問いかける。

 

「ち、ちなみに、これはなんて名前のジュースなのかしらぁ?」

「ああ、『ザクロコーラ』だ」

「もう! まともなのはないのぉ!?」

 

 

 八才児の魂の叫びが、高らかに響き渡った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、食蜂と上条はしばしそのベンチに隣り合って座り、何気ないことを歓談した。

 

 初めは得体の知れない上条に委縮していた面もあった食蜂だが、涙目になるくらいゲホゲホと咽るというお嬢様としてかなりギリギリ(アウト)な姿を見せてしまったことで吹っ切れたのか、かなり自然体を見せることが出来るようになっていた。元々自意識が高い子供であるが故に、一度悪い姿を見せてしまったのでもうどうにでもなれという心境だった。

 

 上条の方も、食蜂の態度がフランクになると緊張も解け、年上のお兄さんといった態度を自然ととれるようになった。

 

 

 お互い、時間が経つにつれ、笑顔が増えていく。

 

 

 そして空の色が少し橙色を帯びてきた頃――

 

 

「――あぁ。もうこんな時間か。そろそろ帰らなくっちゃな」

「――え。…………え、ええ。……そうねぇ」

 

 先程までの笑顔が一気に姿を消し、ショボーンと顔を俯かせる食蜂。

 

 それを見て上条は苦笑し、その頭にポンッと手を乗せる。

 

「――あ」

「別にもう会えないってわけじゃないだろ? 俺もこの辺に住んでんだ。見かけたらいつでも声かけていいから」

「……な、なんで、私が声かけなくちゃいけないのよぉ!」

 

 真っ赤な顔で上条の手を乱雑に振り払う。

 そしてベンチから飛び降りて、上条に背中を向けたまま夕陽をその一身に浴びて、真っ赤になった顔を誤魔化すように、言った。

 

「あ、アナタから声を掛けなさいよ! それが、殿方の礼儀力ってもんでしょぉ!……そ、そしたら、また……時間、とってあげるわぁ」

 

 そう言って、てててと走っていく食蜂の背中に向かって、上条は「……ああ。約束するよ!」と、声を張り上げた。

 

 食蜂は、その言葉を受けて、堪え切れず、自身の頬が緩むのを感じた。

 

 そして、上条の姿が大分小さくなった頃、振り向いて、ずっと気づいていながら隠していたことを、大声で告げた。

 

「それと~~~!! アナタ、いそいでたんじゃなかったのぉ~~~!!」

 

 そう捨て台詞を残し、ふふふと無邪気に笑い、今度こそ、食蜂は走り去った。

 

 必ず訪れる、再会に、胸を躍らせて。

 

 

 

 

 

 一方、上条は食蜂の最後の言葉を受けて、ハッとフリーズし、バッと近くにある時計を見上げ、サッと冷や汗を流しながら、再びフリーズし、絶叫した。

 

 

「……ふ、不幸だぁぁぁぁぁぁああああ!!!」

 

 

 そして、上条は待ち合わせ場所の公園へと全力疾走する。

 

 

 学友達との待ち合わせ時刻は、とっくの昔に過ぎていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

(あぁ……くっそっ。アイツ等、まだ公園にいっかな?)

 

 今日は本来、学校帰りに公園でサッカーをする約束を同じクラスの友人達としていた。

 

 上条は、現在十歳の小学五年生である。無能力者の上条は、同じく無能力者の子供達が集まる、ごくごく平凡な学校に通っていて、そこで出会った友人達と、学園都市の中とは思えない、ごくごく平凡な日常を謳歌していた。

 

 もちろん、そこは上条当麻。日常茶飯事的にトラブルに巻き込まれてはいるが、それでも「また上条だよ」と笑い流される程度のトラブルで、上条の記憶にあるような、前世の数々の大事件とは比べ物にならないような、平和な日常を送っている。

 

 

 そう、平和。まさしく、上条当麻は平和を謳歌していた。

 

 

 まだ上条は前世の知り合い達とは誰とも会っていない。少なくとも、自身の記憶にある知り合いとは。ごくごく偶に両親と連絡を取り合っているくらいだ。

 

(よし、着いた! どうやらアイツ等、まだいるみたいだな)

 

 

 

 だが、今日この日、食蜂とはまた別の、彼自身の記憶に強烈に残っているある人物と、“再会”する。

 

 

 

(……ん?)

 

 

 

 待ち合わせの公園。

 

 その入口で、中で楽しそうにサッカーに熱を上げる上条の学友達を見つめる、一人の少年。

 

 

 

(…………あれって――)

 

 

 

 その、まるで今にも折れそうな枯れ木のごとく細い体で、全世界の女性が羨む様なシミどころか擦り傷一つない真っ白な肌。

 

 

 そして、一度その目に映したら決して忘れることの出来ない、神秘的な白髪と、爛々と輝く(あか)い瞳。

 

 

 上条当麻は知っている。覚えている。忘れることなど、出来るはずがない。

 

 

 かつて、上条当麻は、この男と命懸けで殺し合った。

 

 かつて、上条当麻は、この男と共に強敵に立ち向かった。

 

 

 学園都市最強で最凶の能力者――学園都市第一位。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)

 

 

 上条が記憶している姿よりずいぶんと若い、というより幼いが、あの特徴的な白髪と赤い目は、人違いということはありえないだろう。

 

 

 だが、違和感があった。

 

 

 いや先程も自身で思った通り、彼は上条が知る彼よりも幼いし、何より正確には上条が知る彼“ではない”別の存在なのだから、違和感などあって当然なのだが、それでも上条は訝しんだ。

 

 少しの間、立ち止まり、一方通行(アクセラレータ)を眺めながら考える。

 

 そして、気づいた。

 

 

 彼は、尖っていない。

 

 

 上条が一方通行(アクセラレータ)に対し常に感じていた、ギラギラした感じというか、周りを拒絶し、周囲に振り撒く敵意のようなものが、抜け落ちている。

 

 というより、まだ身に付けていないというべきか。

 

 だからこそ今の彼からは、前世の彼には決して抱けないようなイメージを持ってしまった。

 

 

(……なんか、兎、みたいだな)

 

 

 自分で例えて、そのあまりに自分の知っている一方通行(アクセラレータ)とのイメージの相違に、上条は思わず吹き出す。

 

 

 

 そうだ。誓ったじゃないか。

 

 

 あの完璧な世界を、どこまでも追い求めると。

 

 

 その第一歩が、今、ここから始まるんだ。

 

 

 上条当麻のコンティニューが。ニューゲームが。

 

 

 その一人目が一方通行(アクセラレータ)というのも、なかなか意外性があっていいじゃないか。

 

 

 今のコイツは、まだ妹達(シスターズ)を一人も殺していない。あの悲劇は、生まれていない。

 

 

 あの光景のように、あの世界のように、妹達(シスターズ)を一人残らず救う。

 

 

 そんな優しい世界を、目指すことが出来る。

 

 

 

 上条は、ギュッと拳を握り、足を前に踏み出す。

 

 一歩、一歩、踏みしめるように歩く。

 

 

「……よぉ。何やってんだ、お前?」

 

 

 上条は、必死に平静を装って、声を掛ける。

 内心では、心臓がこれ以上ないくらい活発に鼓動しているが、それを押し殺して、決して表情と声に表れないように、あくまで初対面の少年を演じる。

 

 彼は、一方通行(アクセラレータ)は、上条に声を掛けられてビクッと肩を震わし、身を捩らせ、キッと上条を睨みつける。

 さっきの食蜂と似たような感じだなぁ、そんなに俺は怯えられるようなオーラを出しているのだろうか、と内心で落ち込みながら、上条は笑顔を作る。

 

「……お前も、俺達と一緒に遊ばないか?」

 

 その言葉に、一方通行(アクセラレータ)は呆気にとられて顔を上げた。

 

 瞳に表れていた怯えが、微かに期待と喜びに変わった――ような気がした。上条にはそう感じた。

 

 

 

 

 

 上条は思った。

 

 

 俺は、一方通行(アクセラレータ)のこんな表情は知らないと。

 

 俺は、アイツのことを、何も知らなかったと。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)と初めて出会ったとき、上条は問答無用で一方通行(アクセラレータ)に殴りかかった。

 

 あの時の上条当麻にとって、あの時の一方通行(アクセラレータ)は、懸命に生きている妹達(シスターズ)を、自身の目的の為に躊躇なく殺す、倒すべき悪だった。

 

 

 上条は、どうして一方通行(アクセラレータ)がそんな実験に参加するまで“追い詰められた”のか、知ろうともしなかった。

 

 

 最初から最後まで、一方通行(アクセラレータ)を、悪だと断じて、打倒した。

 

 

 

 二度目に出会ったのは、ロシアの雪原。彼は何かに藻掻き苦しんでいた。

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)を守る。妹達(シスターズ)を守る。

 

 ただ、それだけの為に。

 

 必死に自分の罪に苦しみ、それでも彼女等を救う――守る存在で在りたくて。

 

 

 上条当麻にとって、一方通行(アクセラレータ)は、この時、悪ではなくなった。

 

 一度罪に落ちても、そいつがずっと悪でいなければならない道理はない。なんて、上から目線で見直した。

 

 

 ならば、何故、その時にでも気付けなかったのか。思い至らなかったのか。

 

 

 そこまで必死に、彼女達を守ろうと“することが出来る”アイツが、どうして一線を踏み越えてしまったのかを。

 

 

 それからも、一方通行(アクセラレータ)とはちょくちょく顔を合わせたけれど、果たして自分はアイツのこと、知っていたか。知ろうとしたか。

 

 色眼鏡で見てはいなかったか。

 

 自分は無能力者(レベル0)で、アイツは超能力者(レベル5)――それの第一位。

 

 アイツは、俺とは違うと、どこか一線を引いていなかったか。

 

 

 ふざけんな。そんなの、超能力者(あいつら)を実験動物扱いしているこの街の研究者達と何も変わらない。

 

 

 今、こうして、俺達と一緒に遊びたがっているコイツは、普通の子供だ。

 

 

 誰かと一緒に遊びたい、ただの子供だ。

 

 自分も仲間に入れて欲しい、ただの子供だ。

 

 

 友達が欲しい、ただの、普通の。

 

 

 俺たちと同じ。

 

 

(……馬鹿野郎)

 

 

 上条は前世の自分を叱咤する。お前は何をしてきたんだ。何を見てきたんだ。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、悪なんかじゃない。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、最強なんかじゃない。

 

 

 ただの、不器用で、寂しがり屋の――普通の人間じゃないか。

 

 

 

 

 

 上条は先程とは違う、正真正銘の、溢れ出た笑顔と共に、左手を差し伸べる。

 

 

「さぁ、来いよ! 一緒に遊ぼうぜ!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)を、怪物にしてしまったのは。

 

 コイツに手を差しのべなかった、コイツの手を取らなかった、俺達だ。

 

 

 俺達がコイツを怪物だと断じたから、コイツは本当の怪物になってしまった。

 

 

 だが、今なら、まだ間に合うはずだ。

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 

 上条は、待ちきれないとばかりに、一方通行(アクセラレータ)の手を自分から掴んだ。

 

 

「行こう!」

 

 

 上条は、一方通行(アクセラレータ)を引っ張って、学友達の元へと走る。

 

 

 そうだ。まだ、間に合う。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、何の力もない上条の左手を、『反射』しなかった。拒絶しなかった。

 

 

 受け入れてくれた。

 

 

 だから、まだ、間に合う。

 

 

(――一方通行(アクセラレータ)は、俺が絶対に怪物になんかさせやしない)

 

 

 大幅な遅刻に対する学友達の大ブーイングに平謝りをしながら、上条はそう、改めて誓った。

 





 ようやく過去編の主要人物が出揃いました。

 さてさて、どこまで続くことやら……


 ……あれ? これ妹達編だよね?


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初恋〈はじめて〉

 ふと見たら日間ランキング二位! ありがとうございます!

 評価の数字も上がっていて歓喜感激です! これからも頑張っていきます!


 

 上条と食蜂が“再会”し、“再開”したあの日から、数日後。

 

 学校から帰宅した上条当麻がランドセルを寮の自室に放り投げて外に飛び出して何気なく街をぶらついていた時、前方にキョロキョロと周囲を忙しなく見回す蜂蜜色の髪の女の子を見つけた。

 

 上条は、その少女の名前を、先日の出会いでしっかりと脳に刻んだ記憶を、正常に引っ張り出して呼びかける。

 

 約束通り、呼びかける。

 

「おい、食蜂!」

 

 その声に、食蜂はぱぁっと自身の髪の色のように光輝く笑顔で振り向く。

 

 上条はその笑顔を見て優しく表情を緩めるが、食蜂はその上条のリアクションでハッと我に返り、髪の毛を右手でふわっと背に払い、平静を装った。

 その子供らしい見栄の張り方に上条は苦笑しながらも、あえて指摘せず、彼女の元に歩み寄る。

 

「案外、すぐに会えたな」

「そうねぇ。……まぁ、私は別にどっちでもよかったけどぉ」

 

 ふいっと顔を背ける食蜂。だが、先程までの自分の態度を鑑みて、強がりだということを気づかれていることを悟っているのか、その耳は真っ赤だった。

 

「と、とにかく! 約束通り、そちらから見つけて声を掛けてくれたことは、感謝してあげるわぁ。なら、こちらも約束を守って、こう見えて忙しいんだけど、時間を取ってあげるんだゾ☆」

 

 そう言って、食蜂はふふっと笑った。

 

 やっぱり子供は笑顔が一番だな。そんな風に思った上条は、ありがとうと綺麗に笑った。

 

 

 食蜂の顔は、今度は頬まで真っ赤になった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――で。また、このベンチか。どっかの店とかに入らなくていいのか?」

「別にいいわよぉ。人が多いところは好きじゃないしぃ、行こうと思えばいつでも行けるもの」

 

 そう言って食蜂はブラブラと足を振りながら、こないだのベンチにて上条と隣り合って座る。

 

 食蜂は、こないだの警戒心丸出しな態度とは打って変わって、ニコニコとご機嫌な様子だった。

 上条は、そんな食蜂を見て微笑ましい気分になりつつ、よっと立ち上がり――

 

「よし。じゃあ、前と同じように、そこの自販機でジュースでも―—」

「ちょちょちょ、止めなさいよぉ! 何考えてるのよぉ!」

 

 食蜂が慌てて立ち上がり、その手を掴んで必死に止める。

 

「こないだ悲惨力の高い目に遭ったの忘れたのぉ! 主に私が!」

「い、いや、ちゃんと美味いのもあるんだって。今度は『西瓜紅茶』じゃなくて別の買ってくるから」

「……じゃあ、私もついていくわぁ」

 

 食蜂は上条と一緒に、この学園都市に来て初めて、自動販売機というものと真正面から対峙する。

 そこに君臨していたのは、食蜂操祈という八歳児の飲料というものに対する概念を破壊する商品達だった。

 

「………………」

「それじゃあ、何がいい? ここは定番の『ヤシの実サイダー』か? それとも、こないだ俺が飲んでた『ザクロコーラ』にするか? 炭酸が苦手なら『ウィンナーソーセージコーヒー』とか『レインボートマトジュース』とか。個人的には、いつか『カツサンドドリンク』にはチャレンジしてみたいと思って――、あ『ガラナ青汁』と『いちごおでん』はやめておいた方がいい。地獄を見ることに――」

「………………ねぇ」

 

 食蜂は、楽しそうにチャリンチャリンと手の中でコインを弄ぶ上条の袖をくいくいと引きながら、引き攣った顔で見上げる。

 

「やっぱりどこかお店に入らない? おいしい紅茶が飲める所を知ってるの。この近くなのよぉ」

「え、でも――」

「ねぇ、お願ぁい。何ならご馳走するからぁ」

「いや、さすがに小学生に奢ってもらうわけには――。……って、そこまで嫌なのか」

「………………」

 

 ふいっと顔を背ける食蜂を見て、上条はやっぱり御坂(アイツ)は特殊例だったんだなぁとしみじみ実感した。あのスカートの下に短パン少女は自販機にチャイサーッ!してまで愛飲していたというのに。

 

 いや、上条も一般人なら食蜂のリアクションの方が正常だと思うが――

 

「だいたい何なのよぉ、この悪意に満ちたラインナップはぁ! 一個もまともなのがないじゃない! どいつもこいつも混ぜるな危険を嬉々として混ぜ混ぜしたみたいな組み合わせばっかりだしぃ! わざとやってるんじゃないのぉ!」

「……もしかして、あんまり外で買い物とかしないのか?」

 

 上条の言葉に、食蜂はピタリと止まる。

 

 確かに学園都市の自販機はいわゆる実地テストを兼ねているため、奇抜な、大衆受けするか分からない実験品がぞろぞろと並ぶ。

 

 だが、それでもこの街に住んでいれば、もはやそれは当たり前のことであり、別に自販機に限らず、コンビニなどに並ぶ飲料や食料もそういったものばかりだ。今更そこまで目くじらを立てるようなものではないのではないか、と上条は思っていた。

 

 記憶喪失の上条も、転生前に約半年、転生してから五年。だいぶ、そういったこの街の常識というものに慣れてきたからこその意見だったが――

 

「ど、どういうことぉ?」

「ああ、いや、間違っていたら悪いんだが、なんとなくお前がお嬢様なんじゃないかと思ってな。服とか、振る舞いとかで。そんで、お嬢様って言ったら、学び舎の園ってイメージが俺の中であるもんだがら。あんまり、こういった実験製品とか慣れてないんじゃないかと」

 

 上条の推論は概ね当たっていた。食蜂は確かに学び舎の園の学生で、その中でもトップクラスのお嬢様だ。別に学び舎の園の中に閉じこもりっぱなしで、男という生物を見たことないというまでの世間知らずでもないが、こういった実験製品を口にしようと思うほどに庶民の感覚を有しているわけでもなかった。

 

 だが、食蜂はなぜか猛烈に恥ずかしくなり、上条に顔を赤くしながら食って掛かる。

 

「な、なぁにぃ? 私が世間知らずのお子ちゃまだって言いたいわけぇ!?」

「いや、そこまでは言わねぇよ。別に学び舎の園の外の連中にもこういうの苦手で、コンビニやスーパーで無難な、それこそ学園都市の外で売ってるような飲料を飲む奴もいるしな。ちょっと疑問に思っただけ――」

「言っておくけどぉ!」

 

 食蜂は上条の言葉を遮り、ビシッと告げる。

 

 なぜかこの男に子供扱いされるのは、我慢ならないというよりはすごく嫌だった。焦りのような感情に突き動かされて口が勝手に動く。

 

「私はこう見えてもすごく優秀なのよぉ。この街で一番の精神系能力者で、超能力者(レベル5)目前って言われてるんだからぁ!」

 

 胸に手をやり、どうだとばかりに宣言する食蜂。だが食蜂は、それを言った瞬間に猛烈に後悔した。

 

 超能力者(レベル5)はこの街の学生の、まさしく頂点に君臨する存在。だからこそ、そのことを知ったもの達の食蜂に対する態度は、大きく二つに分けられる。

 

 

 つまり、畏怖と羨望。

 

 怖れるか、羨むか。

 

 

 どちらにせよ、自分とは違うと、食蜂のことを切り離す。壁を作る。

 

 

 学園都市の超能力の中でも、特に気味悪がられる、精神系能力の頂点ともなれば、尚更だ。

 

 

 そんなことは、もうとっくに思い知っているはずなのに。

 

 

 食蜂の脳裏に、あの研究所の、ロボコップのようなマスクをしている研究員達の姿が浮かぶ。

 

 

 

「へぇ、そうなのか。食蜂はまだ小さいのに、頑張ってるんだな」

 

 

 

 そう言って上条は、食蜂の頭を優しく撫でた。

 

 頑張っている子供にご褒美を与えるように。変わらずに、食蜂を子供扱いした。

 

 

「な、なによぉ。……あなただって、子供の癖にぃ」

「はは。でも、お前よりは年上だ」

 

 食蜂は口を尖らせ、顔を俯かせながら、上条に悪態をつく。

 

 だが、その手を振り払いはしなかった。

 

 

(……この人は、本当に変わってるわぁ)

 

 

 その手の温かい感触に、食蜂の口元が、柔らかく緩んだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――ん?」

 

 食蜂の頭を撫でていた上条が、何かに気づいたような声を上げ、その手を離した。

 少し寂しそうな顔をした食蜂だったが、そんな子供っぽいことは言えず、何も言わずに上条の目線の先を追う。

 

 そこには、人が行き交う道の中で四つん這いになって、涙を流しながら何かを探す女の子がいた。

 

 黒い髪で、二本の三つ編み。年は食蜂と同じか、一つ下くらい。

 

「何をやっているのかしらねぇ。って、ちょっと!」

 

 食蜂が気が付いた時には、上条はすでにその女の子の元へ駆け寄っていた。

 

 そして、泣いているその子に目線を合わせるように膝を折ってしゃがみ込み、優しく声を掛ける。

 

「どうした? 何か失くしたのか?」

 

 その声に、すでに涙と鼻水で真っ赤でグシャグシャの顔の女の子は、ぐずりながらも声を絞り出す。

 

「……お、おまもり」

「お守り?」

「ママに、も、もらった、おまもり……ど、どこかに、おとしちゃったぁ……だ、だいじな、おまもりなのにぃ…………う、うぇぇぇ」

 

 そこまで言って再び涙を溢れさせて、ぐずり始める女の子。

 上条はそんな女の子の頭を撫でて宥めた。

 

 食蜂は、そんな上条の後ろに立ちながら、顎に手を当てて考える。

 

(……お守りかぁ。この科学の街では、持っている人はほとんどいないでしょうねぇ。……だからこそ、あの清掃ロボットにゴミとして処理されている可能性力も、かなり高いかもねぇ)

 

 この少女は膝を泥だらけに汚しながらも、こんな人通りの多い道を地を這ってまで探していた。

 

 それだけ大事なものなのだろう。

 

 だが、こんな道端に落としてしまったのなら、まさしく清掃ロボットが見逃すはずがない。

 

 残念だけれど、おそらく――

 

 

「分かった。俺が一緒に探してやるよ」

「ほ、本当!?」

「ああ」

「わぁい! ありがとう、お兄さん!」

「!?」

 

 上条の言葉に、泣いていた女の子は笑顔を輝かして大喜びする。

 

 食蜂は驚愕し、上条の手を引いて、女の子から少し離れる。

 

「な、なんだよ」

「ちょっとぉ、そんな安請け合いしていいのぉ!? お守りなんて、この街じゃあゴミ扱いされてとっくに処理されていてもおかしくないのよぉ」

 

 声を潜めて忠告する食蜂に、上条は不敵に笑って答える。

 

「でも、見つかるかもしれない。こんなに必死に探すほどに大事なものなんだ。諦めるのは、最後まで足掻いた後でいいだろう?」

 

 そうあっさりと言い切る上条に、食蜂は呆気にとられて、上条の手を引く力が抜ける。

 

 そして上条は、再び女の子の所に歩いて行った。

 

「それで、落とした場所に心当たりはあるのか?」

「……ランドセルにいつもつけてたんだけど、今日家に帰ったら、ないことに気づいて。……学校の先生に聞いたんだけど、お守りの落し物はなかったって」

「となると……学校の中か、通学路か。よし、まずは通学路を探してみよう」

 

 上条はくるりと振り向き、食蜂と向き直る。

 

「そういうわけで、悪いな。今日はこの子の方を優先させてくれ。この埋め合わせは、必ずするから」

 

 そう言って、女の子とどこかに行ってしまいそうになる上条を、食蜂は慌てて止める。

 

「ちょ、ちょっとぉ。……分かったわよぉ。私も行くわよぉ!」

 

 そして食蜂は心にモヤモヤを抱えながら、上条と一緒に女の子の落し物を探すことになった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 空は完全にオレンジ色に色づき、段々と黒が混ざり合ってきた。

 

 上条達はすでに女の子の寮から学校までの道を数往復し、学校の中や、寮の女の子の部屋の中まで隈なく調べたが、それでも見つからない。

 女の子は、途中何度も泣き出しそうになりながらも、その度に上条に励まされ、なんとか頑張って堪えていた。

 

 今は、上条が人通りの多い道の人目を集めながらも、生垣の中に顔どころか上半身まで丸々突っ込み、まさしく隅々まで探している。

 

 食蜂は、女の子が上条から少し離れている場所を探しているタイミングを見計らって、声を掛けた。

 

「……もう、いいんじゃない?」

 

 上条の尻だけ出ている情けない姿が、ピクと動きを止めた。

 

 食蜂は、そんな姿の上条を笑うことなく、だが理解出来ないといった表情で、淡々と告げる。

 

「ここまで必死に探したんだもの。あの女の子も、アナタを責めたりしないわよぉ。……もう、十分足掻いたじゃない。終わりにしましょうよ」

 

 そう。もう十分、体裁は保ったはずだ。

 

 自分は泣いている女の子を見て見ぬ振りをするような酷い男ではないという言い訳は、十分に説得力をもつだろう。

 これだけ“いいこと”をしたのだから。

 結果は伴わなかったのかもしれないが、それでも十分褒められる行為だ。

 

 これ以上は、上条にとって何の得にもならない。

 

 だから、もういいだろう? もう十分だろう?

 

 食蜂は、そう問いかけた。

 

 だが――

 

 

「何言ってんだ。まだ、“何もしてないだろう”。あの子がまだ諦めてないんだ。部外者の俺が、勝手に見切りをつけるわけにはいかねぇよ」

 

 

 食蜂は、再び目を見開く。

 

 上条は草だらけの頭をひょっこりと出し「あ、もしかして寮の門限とかあるのか? じゃあ、無理して付き合わなくてもいいぞ。今日は本当に「――どうしてぇ?」――?」

 

 ありがとう、と続けようとした上条の言葉を、食蜂の掠れ出た呟きが遮る。

 

 食蜂は体を震わせながら、訳が分からないといった風に、上条に問いかける。

 

「どうして、そこまでするのぉ? あなただって、これだけやって見つからなかったんだから、もう見つかる可能性力なんか、ほとんどないって分かってるんでしょうぉ?……なのに、どうしてぇ?……あなたにとって、なにか利益力になることがあるのぉ?」

 

 

 分からなかった。

 

 

 上条が、見知らぬ女の子の、ただのお守りなんかの為に。

 

 

 別に、失くしたところで何の損もない。聞くところによれば、彼女の母親がまさしくお守りとしてあげただけの、ただのお守り。誰かの形見というわけでもない。今度の長期休暇の時に地元に帰省して事情を話したら、しょうがないわねとでも苦笑されて新しいものが買ってもらえるだろう。それくらいの、その程度の代物だ。

 

 

 それだけのものの為に。そんなものの為に。

 

 

 身を粉にして、服をどろどろに汚して、道行く人達に何をしているんだと嘲笑されながら。

 

 

 それでも、必死に、探し続ける。

 

 

 そこまで尽くす、理由とはなんだ?

 

 

 上条は笑う。

 

 

 泥だらけの顔で。擦り傷だらけの顔で。草だらけの顔で。

 

 

「泣いている女の子の為に動くのに、小難しい理屈なんてどうでもいいだろう?」

 

 

 食蜂は、今度こそ絶句した。

 

 

「見つかるかもしれない。それだけで十分だ。俺が一緒に探すといった時の、あの子の笑顔を見ただろう。あの子はあんな風に笑えるんだ。だったら、探すさ。たったそれだけで、あの女の子のあの笑顔が取り戻せるかもしれないんだから。それ以外に、理由なんかいらない」

 

 

 そう言って、上条は再び生垣の中に突っ込んでいく。

 

 

 食蜂は、動けなかった。

 

 上条のその姿を眺めるだけで、身動き一つとれなかった。

 

 

 見たことがない種類の人だとは思ってはいた。

 

 変わっている人だとは、分かってはいた。

 

 

 だけど、違う。この人は、今まで出会った人間達とは、本当に違う。

 

 

 人には、感情がある。心がある。

 

 

 それだけで人間という存在は、汚く、醜く、くだらない。

 

 

 そう、思っていた。

 

 

 みんな打算と計算で動いて、自分にとっての利益の為に動く。

 

 

 自分にとっての目的の為に、快楽の為に、願望の為に、動く。

 

 

 その為にしか、動かない。

 

 

 そのはず、だった。

 

 それが、人の心というものに、世界で最も身近に触れてきた、食蜂操祈の――『心理掌握(メンタルアウト)』の出した結論だったはずだ。

 

 

 見切った、見限った、人間というものの、答えだったはずだ。心理だったはずだ。真理だったはずだ。

 

 

 だけど、目の前の、この少年は違う。

 

 

 こんな人は、はじめてだった。

 

 

 自分が出した結論が、まったくもって当てはまらない。

 

 

 なぜ、ここまで見返りなく、他人に尽くすことが出来る?

 

 

 なぜ、そこまで嬉しそうに。なぜ、そこまで迷いなく。

 

 

 食蜂は、肩にかけているハンドバッグから、震える手でリモコンを取り出す。

 

 

 この少年の、頭を覗けば、それを理解できるのか?

 

 

 食蜂は、ゴクリと生唾を呑みこみながら、リモコンを、四つん這いで生垣に突っ込む上条の、剥き出しの背中に向け、ゆっくりと、ボタンをおs――

 

 

 

「あ、いた!るいこちゃ~ん!」

 

 

 突然、背後から聞こえる女の子の声。

 

 振り向くと、その女の子はお守りを失くした女の子の友達のようで、一目散に彼女の元に駆け寄っていく。

 

 上条も生垣から顔を出し、その様子を見守った。

 

「はい、これ!」

「――え?」

 

 女の子は、彼女に向かって、嬉しそうに何かを差し出す。

 

 彼女はそれを受け取ると――

 

 

「あ! あった~! ママのお守りだぁ!」

 

 

――あの光輝く笑顔を、満開に咲かせた。

 

「せんせいから電話がきてね。るいこちゃんがお守りを探してるみたいだから、自分たちの荷物に紛れ込んでないか、調べてみてって。探してみたら、私のランドセルに入ってたの。……ごめんね、るいこちゃん」

「ん~ん、いいの! 届けてくれてありがとう!」

 

 そう言って届けてくれた女の子の手を、るいこちゃんと呼ばれた女の子は両手で掴んでぶんぶんと振り回す。

 

 るいこは上条達の元に向かって来て――

 

「お兄ちゃんとお姉ちゃんも、一緒に探してくれてありがとう! 見つかったよ!」

「そっか、よかったな!」

「……もう、失くしちゃダメよぉ」

「うん!」

 

 そうしてるいこは、届けてくれた女の子と手を繋いで帰っていった。

 

 上条は、パッパッと膝の汚れを払いながら立ち上がり、その後ろ姿を優しい目で見送る。

 

「……よかったのぉ? 結局、アナタが何もしなくても解決したみたいよぉ。無駄に汚れただけじゃない」

 

 上条はその言葉に、口元に笑みを浮かべて答えた。

 

 

「いいんだよ。お守りが見つかって、あの子に笑顔が戻ったんだ。最高のハッピーエンドじゃねぇか」

 

 

 その言葉の通り、上条の顔は満足気に満ち足りていて、おいしい所を掻っ攫われたとか、骨折り損のくたびれ儲けだったとか、そういった徒労感のようなものは皆無のようだった。

 

 

 食蜂は、その横顔に見惚れた。そして、自分の頬が、心が、急速に熱をもつのを感じる。

 

 

 美しいと、思った。彼の心は、きっと、これまで無数に触れてきた、どの心よりも温かく、光り輝いているのだと、そう思った。

 

 

 食蜂はそっと、リモコンをバッグに戻す。

 

 

 この人の心は、決して能力で覗き見ないと、食蜂は誓った。

 

 

 これは、この人の傍にずっといて、ゆっくりと知っていくべきものだと。

 

 

 ゆっくりと、知っていきたいと、そう思った。

 

 

 この人の傍に、ずっといたいと。この人を傍で、ずっと見ていたいと。

 

 

 そう、思った。

 

 

 

 

 

 そんな食蜂の心情を余所に、上条は嬉しそうに言った。

 

「それにしてもいい友達だな。明日の学校で渡せばいいだろうに、わざわざ家を飛び出してまで来てくれるなんて」

「……友達、ねぇ」

 

 食蜂はそれをお前が言うかみたいな気持ちを押さえて、その単語を反芻する。

 

 すると、上条はふと思いついたといった感じで、食蜂に尋ねた。

 

「そういえば、お前友達はいるのか?」

「……………………そうねぇ。まずは、どこからが友達なのか、その定義をはっきりと教えてくれるかしらぁ?」

「あ、もういいや。無神経なことを聞いて悪かったな」

 

 上条は気まずげに目を逸らす。

 

 食蜂はその対応に却ってムキになって反論した。

 

「なによ、なによぉ! そうよ、いないわよ !悪い!? 何? 友達力が皆無なのが悪なの!? 友達がいないと死ぬのぉ!?」

「わ、悪かったって! 泣くなよ!」

「泣いてないわよぉ」

 

 食蜂は鼻を啜る。

 

 食蜂は、前述の通り最近碌に学校には行けておらず、元々精神年齢が高いこともあってか、同世代の友達というのが皆無だった。

 

 元々、人間不信な所もあるので別に特別欲しいとは思わなかったが、それでも道行く同世代の子供達の楽しそうな、先程の女の子達のような関係を、羨ましいと思ったことなどないかと言われれば嘘になる。

 

 上条は、頬を膨らましながら拗ねる食蜂の頭に手を乗せ、宥めるように言った。

 

「……お前にも、きっと出来るさ。あの子達みたいな、素敵な友達がな。その時は、俺にも紹介してくれよ」

「……別に、友達なんていらないわよぉ」

「拗ねるなって」

「拗ねてないわよぉ」

 

 こんな自分は子供っぽいとは思っていたが、上条が構ってくれるのが嬉しくて、その日、食蜂はずっと拗ねていた。

 

 上条はご機嫌取りの為に再び自販機でジュースを買おうとしたが、食蜂はそれを必死で止めた。

 

 

 そんな少し馬鹿馬鹿しいやり取りが、食蜂にはなぜかすごく楽しかった。

 

 





 今回は丸々、食蜂さん回。もうこの子がヒロインでいいんじゃないかな? 愛しくてたまらないんだけど。
 一方さん? シスターズ? 知らない子ですね。

 …………いえ、嘘です。次回からちゃんと出ますですはい。



 ……編集が終わってまた日間ランキング見たら、なんと一位になってました。

 なんていうかもう……ありがとうございます。その言葉に尽きます。

 読んでくださっている全ての方に感謝を。

 少しでもこの作品を面白くして、応えることが出来たらと思います。


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友達〈アクセラレータ〉

 サッカーより野球派の作者がお送りします。

 スポ根って小説で表現すんの超難しいね。


 ……スポ根?


 

 そして、食蜂とお守り探しをした日から、また数日後。

 

 上条当麻が珍しく何の不幸もなく、待ち合わせ時刻に間に合うペースで公園へと向かっている時、前方に白髪の少年を見つけた。

 

(お!)

 

 上条は、彼の近くに駆け寄り、声をかける。

 

「よう!」

「…………」

 

 彼もこちらに気づいたが、コクリと頷くだけで、何も言わない。

 だが、上条はめげずに話しかける。

 

「これから、またこないだのとこでサッカーやるんだけど、お前も来ないか?」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、その言葉に分かりやすく嬉しそうにしたが、再びオロオロと狼狽える。

 そんな一方通行(アクセラレータ)の様子を、行きたいけれどどうしたらいいか分からないのだと、上条は勝手に解釈した。

 

 すると、上条は右手で一方通行(アクセラレータ)の手をとる。

 

「な、行こうぜ! つまらなかったら、すぐに帰ってもいいからさ!」

 

 そうして上条は、半ば強引に一方通行(アクセラレータ)の手を引いて走る。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、突然自分の世界に現れた異質な存在の背中を呆然と眺めながら、されるがままに引っ張られて行った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「お、やっと来た」

「相変わらず遅ぇな、上条」

「何を言う。今日は、帰り際に先生にたまたま見つかって軽い雑用をやらされただけなんだ。上条さんは絶好調ですのことよ」

 

 上条達が公園に着くと、そこにはこないだ一方通行(アクセラレータ)が混ざった時と同じようなメンバーがいた。

 

 皆、半袖短パンという小学生男子らしい腕白なスタイル。この学園都市では珍しく、純粋な運動能力のみのサッカーに熱を上げる、健康的な少年達だ。

 

 ふと彼らは上条が手を引く白髪の少年に気づく。一方通行(アクセラレータ)は自分に多くの視線が一挙に集まったことに対し少し体を震わせるが、彼らの一方通行(アクセラレータ)に対するリアクションは割と好意的だった。

 

「お、こないだの奴か」

「ああ。偶然会ったから連れてきたんだ。コイツも一緒にやろう」

「いいぜ。元々、二十二人の正式なサッカーじゃねぇんだ。一人でも多い方が楽しい。ちょうど今日は上条入れて奇数だったから助かる」

「上条はたどり着けるかどうか半々って感じだから人数調整ムズイんだよな」

「今日は上条無しで偶数だったから、ぶっちゃけ来ないことを祈ってたんだが、ソイツが入るなら上条も仲間に入れてやってもいいぜ」

「おい、そんな裏事情暴露は求めてねぇ。っていうか、なんでわざわざバラした? 正直がいつもいつも正解とは限らないぜ?」

「よし! ソイツと上条は同じチームな。さっそくやろうぜ!」

 

 一方通行(アクセラレータ)が、上条と学友達の弾む会話について行けずオロオロとしていた所を、リーダーっぽい男の子が話を切り上げ、早速キックオフとなった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条チームと、リーダーっぽい男が率いるチーム。それぞれ四人と四人の、四対四。

 

 この公園はブランコや滑り台などと言った定番遊具の他に、ちょうどフットサルくらいの大きさのゴールが、それまたフットサルコートくらい離れた位置に二つある。フットサルコートのようにフェンスで区切られてはいないのだが、小学生が八人で遊ぶには十分くらいのスペースだ。

 

 小学生数人で放課後に気楽に遊ぶには学校の校庭は広すぎるし、本格的なフットサルコートは中学生や高校生によって占領されてしまう。

 その点、ここは遊具などがあることから分かるように小学生もしくはそれ以下向けの施設なので、上条達のような小学校高学年の児童にとっては居心地がいい場所なのだ。

 

 元々無能力者の健全なサッカーなので大きな危険はないし、このコートから遊具まではそれなりに離れているので、結構思いっきりやれる。

 元気を持て余した血気盛んな男子達が暴れるには、かなりうってつけのシチュエーションなのだ。

 

 

「おらぁ!!」

 

 敵チームの一人が強烈なシュートを放つ。

 

「どらぁ!!」

 

 だが、上条チームのキーパーの少年が、全力でパンチングセーブ。

 

 小学生は、成長が速い。それがのめり込んでいるものならなおさらだ。

 上条達がサッカーにハマったのはここ最近だが(少し前まではドッジボールだった)、元々ここのメンバーは体を動かすのが大好きで、体育なんかじゃもの足りねぇという益荒男達なので、みるみる内に要領を掴み、今ではちょっとした同世代のクラブサッカーチーム相手でもまともに渡り合えるくらいには成長していた。まったく小学生は最高だぜ!

 

 だから、自然と勝負にも熱が入る。

 

 これが放課後の気楽なお遊びということを揃いも揃って忘却していて、全力で勝ちに行っていた。

 

「よし、ナイスセーブ! こっちだ!!」

 

 ボールを呼んだのは、この中で唯一精神的に大人(?)ながら、そんなこともすっかり忘れて、ただがむしゃらに勝利を目指す男、上条。

 

 抜群の信頼を寄せるエースストライカーの呼びかけに、キーパーの少年は答える。

 

「頼むぞ上条!」

 

 スローインの要領でボールを投げ、一直線に上条の元に送る。

 それを胸トラップで確実に受けながら、上条はキッと鋭く相手ゴールを睨む。

 

「!!」

 

 だが、相手チームのリーダーは、ニヤリと不敵に笑った。

 

 上条の運動神経、勝負強さは当然相手チームも織り込み済みだ。

 

 だからこそリーダーは、上条にボールが渡った瞬間に二人でプレスをかけるようにチームメイトに指示を出していたのだ。

 

「くっ!」

「終わりだ上条!」

「おとなしくボールを寄越せ!」

 

 上条は必死でボールをキープするが、プレスはどんどんプレッシャーを増していく。

 

 ……まさか四人サッカーで複数人によるプレスを仕掛けてくるとは、と歯噛みする上条は、だがその時、自分を囲む二人の隙間から、一筋のパスルートを見出した。

 

「い……っけぇ!!」

「な――」

「なんだと!」

 

 ディフェンスの合間を抜けたそのパスは、まるで吸い込まれるように――――一方通行(アクセラレータ)の足元に届いた。

 

「!!」

 

 その見事なパスに全員が驚愕するが、中でも一番驚いていたのは一方通行(アクセラレータ)だった。

 

 前回混ぜてもらった時は、まさしく立っているだけで、結局最後まで一方通行(アクセラレータ)にボールが渡ることはなかった(一方通行(アクセラレータ)を仲間外れにしたわけではなく、一方通行(アクセラレータ)本人が今日のように思ったよりもレベルが高いサッカーに引いていや驚いていて、上手く動くことが出来なかったのだ)ので、今日もきっとボールに触れることはないだろうと思っていたのだ。

 

「悪いけど、通さないよ」

「!!」

 

 だが、すぐにキーパーを除いて唯一上条へのプレスに参加しなかったリーダーが、一方通行(アクセラレータ)へのディフェンスについた。

 

 一方通行(アクセラレータ)は慌てる。当然、サッカーなど生まれてから一度もやったことがない。シュートどころかドリブルの仕方すら分からない。

 

 リーダーが右足を差し込む。

 

 まずい、とられ――

 

 

「こっちだ!!」

 

 

 どこからか聞こえた、上条の声。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、その声に突き動かされるように、リーダーが向かってくるのに背を向けるような恰好で、踵でボールを軽く蹴り、リーダーの大きく開いた股の間にボールを通し、華麗に躱す。

 

「な――」

 

 そして体を回転させボールに追いつき、上条へのパスを出そうとする。

 

「させるかぁ!」

 

 だが、そこに先程上条へとプレスをかけていた一人が、上条と一方通行(アクセラレータ)の間に割り込む。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、構わず左足を振り向く。

 

 

 ここから先は、一方通行(アクセラレータ)にとっては完全に無意識だった。

 

 

 ボールをミートする瞬間、一方通行(アクセラレータ)は自身の左足が与えるベクトルを操作する。

 

 

 すると、その足の振り、足の向き、ボールのインパクトポイントなどからは想像できない、というより物理的に不可能な方向に、ボールは“跳ね上がる”。

 

 

「はぁ!?」

 

 二次関数のグラフのような鋭すぎる放物線を描き、そのボールは上条の元へとたどり着く。

 

「いくぜっ!」

 

 上条は、左足で地面を踏みしめ、跳び上がる。

 

 そして、空中のボールを、その右足で捉え――

 

 

――ガンっ

 

「あぶっ!?」

 

 不幸にも風に乗って飛ばされてきた空き缶が、上条の目を直撃した。

 

 上条の右足が捉えたボールは、ものすごい威力のシュートとなり、見事にゴールバーを捉える。

 

 当たり前の物理法則に従い、ものすごい威力のまま反射されたそのボールは、不幸にも上条のダメージ負いたてホヤホヤの顔面にヒットする。

 

「フガッ!」

 

 しばらく、顔面に張り付いたままのボールは、やがて重力に負けてポトリと落ちる。

 

 漫画のように、上条の顔面に真っ赤なボールの跡を残したまま――

 

「……ふ、こう……だ」

 

 バタンッと背中から地面に倒れる上条。

 どっ、と呆気にとられていた学友達は、大声で笑った。

 

 上条の不幸は、すでに笑い話になるくらいに友達間では浸透している。

 

 今日も上条がやらかしたと、皆が涙を目尻ににじませながら笑う中――

 

 

「…………は、ははは。ははははは」

 

 

 一人の白髪の少年が、その日初めて口を開き、お腹を抱えて笑っていた。

 

 

 その顔は、前世の上条は決して見ることのなかった、白いキャンバスのように無垢な笑顔で。

 

 

 上条は、地面に仰向けに倒れながら、それを目に捉え、柔らかく微笑んだのだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 夕暮れに染まる、河川敷。

 

 上条当麻と一方通行(アクセラレータ)、黒と白の少年は、橙色の眩しい光を浴びながら、並んで歩いていた。

 

「いやぁ! 遊んだ遊んだ!」

 

 

 上条はん~と背筋を伸ばしながら、楽しそうに歩く。

 

 

 平和だ。

 

 

 長閑で穏やかな日々。

 

 

 上条は、それを大切に享受する。

 

 

 この日常の、かけがえのなさを知っているから。

 

 

 だからこそ、一日一日を、噛みしめるように過ごす。

 

 

 こうして、無事に帰宅できる一歩一歩を、踏みしめるように歩く。

 

 

「…………」

「……ん?」

 

 上条は、その足を止めた。

 

 隣を歩いていた一方通行(アクセラレータ)が、急に立ち止まって、俯いていたから。

 

「……どうした? お前の家、こっちじゃなかったのか?」

 

 上条の問いかけにも、彼は答えない。

 

 上条は、少し後ろにいる一方通行(アクセラレータ)の元に行こうと、足の向きを変えようとした。

 

 

 その時。微かに、声が聞こえた。

 

 

「……ん?」

 

 上条は首を傾げる。

 

 その仕草に、伝わらなかったと察した一方通行(アクセラレータ)は――真っ白な肌が、夕陽と相まって、上条には真っ赤に見えた――顔を上げて、その言葉を絞り出した。

 

「……あ」

 

 

 

「ありが、とう」

 

 

 

 上条は目を見開いた。まさか、あの一方通行(アクセラレータ)が、上条当麻(このおれ)にありがとうというなんて。

 

 上条は無性に嬉しくなった。体の奥から湧き出すむず痒い感情に突き動かされ、ニシシと笑いながら返す。

 

 

「何言ってんだ。俺達は、友達だろ。また一緒に遊ぼうぜ!」

 

 

 その言葉に、一方通行(アクセラレータ)は、とても嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 平和だった。

 

 

 

 まるで、上条当麻が、前の世界の最後に目に焼き付けた、あの『しあわせな世界』のように。

 

 

 

 みんなが笑顔で、みんなが幸せだった。

 

 

 

 だが、この世界は、あの世界ではない。

 

 

 

 事件もある。失恋もある。借金もある。

 

 

 

 不幸もある。

 

 

 

 そんな当たり前の世界だ。

 

 

 

 

 だから、学園都市の闇は、当たり前のように希望を刈り取り。

 

 

 

 

 

 絶望を、生み出す。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「それじゃあ、今日は帰らせてもらうわねぇ♪ お疲れ様ぁ~☆」

 

 そう言い残し、食蜂操祈は研究所を弾むような足取りで後にする。

 

 その様子を、研究者達は、ロボコップのようなマスクの下を、無表情のまま見送った。

 

 

 

 

 

 六角形のテーブルに会する研究者達。

 

 暗い室内でそのテーブル周辺のみを照らす人工的な光の中、彼らは意見を戦わせていた。

 

 

 その議題は、彼女、食蜂操祈――『心理掌握(メンタルアウト)』について。

 

 

「やはり、ここのところの彼女の態度は目に余る」

「元々実験に対しては協力的ではなかったが、ここ最近は明らかに非協力的ですね」

「……何か、原因に心当たりがある者はいるかね?」

 

 この中で一番若く、食蜂と一番接する時間の長い(親しいわけではない)女性研究員が挙手し、発言する。

 

「それなのですが……ここ最近、彼女が学外で交友する男子児童が出来たそうで」

 

 その言葉に、ざわざわと騒ぎ出す研究者達。

 

 すると、テーブルの一番上座に鎮座する壮年で禿頭の研究者が、両手に顎を乗せたままの恰好で言葉を紡いだ。

 禿頭の彼が言葉を発すると、途端に他の研究者達は口を閉じ、大して張り上げてはいないが重々しいその言葉は、若い女性研究者の元に問題なく届いた。

 

「その児童の詳細は掴めているのかね?」

「は、はい。――その少年の名は上条当麻。食蜂より二学年上の小学五年生で、第七学区の平凡な公立小へと通う――無能力者(レベル0)です」

「無能力者、だと?」

 

 禿頭はその報告を聞いて訝しげな反応をする。他の研究者もまたざわめきだすが、再び禿頭が口を開くと同時に、彼等は一斉に口を閉じた。

 

「何故、『心理掌握(メンタルアウト)』はそんな少年とコンタクトをとっているのだね?」

「……不明です。念の為に背後関係を探らせましたが、正真正銘“表”の人間のようです。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)などとのつながりもありません」

「……そうか。ならば、即刻しょぶ――」

「ただ――」

 

 禿頭の男が冷酷に、だが何の気負いもなく淡々と出そうとした結論を、女性研究員は気まずげに遮る。

 男は彼女を睨みつけたが、彼女はその視線に怯えながらも、自分の持つ最後の情報を提出する。

 

「こ、これは、あくまで目撃情報でしかないのですが――――この少年が“第一位”とも交友関係を構築しているとの……情報が入っています」

 

 その情報に、研究者達はその日一番の騒めきを見せた。

 

 第一位(アクセラレータ)は、この時すでに学園都市最強の座を手中に収めることが出来るほどの才能を、開花させ始めていた。

 

 そんな彼の、逆鱗に触れる可能性。上条当麻という無能力者を処分するということには、そういったリスクがあるということだ。

 

 そうでなくても、この学園都市において、第一位――『一方通行(アクセラレータ)』の価値は、他の能力者、他の超能力者とも比べ物にならない。

 

 研究所や“闇”といったレベルではない。彼にみだらやたらに手を出したら、もっとこの街の深い場所から、下手をすれば『窓のないビル』の怒りを買ってしまうかもしれない。

 

 

 禿頭の男は、しばらく黙考していたが、やがて呟くように、言葉を漏らした。

 

「……このまま、食蜂操祈で研究を続行しよう。……上条当麻に関しては、今の所は置いておく」

 

 研究員達は彼の言葉に息を呑んだが、声に出して騒ぎ出すような真似はしなかった。

 

「……よろしいのですか?」

 

 そんな中、髭面の研究員が、探るように、恐る恐る確認をとる。

 禿頭の男は、それに目くじらを立てることなく、吐き出すように淡々と告げた。

 

「わざわざ“蟻”を切り捨ててまで、彼女に費やしてきたのだ。……今更の路線変更は容易ではない。……それでも最悪の場合は乗り換えるが、『外装大脳(エクステリア)』の完成には彼女が不可欠だ。それまでは、彼女を繋ぎ留めなければならん」

「……それでは、どういった手を打ちましょうか。上条当麻を処分出来ないとなると――」

 

 癖のある髪と眼鏡が特徴の研究員の言葉に、禿頭の男は、その日初めて、表情を愉悦に歪ませた。

 

 

「アレを使おう。上から押し付けられて以来どうにも正直持て余していたが、時間稼ぎにはなるだろう。……我々『才人工房(クローンドリー)』の悲願の結晶である『外装大脳(エクステリア)』。その完成まで、彼女には女の子らしく、お人形遊びでもしていてもらおうじゃないか」

 

 

 禿頭の男のその言葉に、六角形のテーブルに座る研究者達は、一様に邪悪に嗤った。

 

 

 

 

 

「なぁにぃ? 今日の実験力を消費したなら、私もう帰りたいんだけどぉ?」

「ごめんなさいね。今日は、あなたに会わせたい子がいるの」

 

 若い女性研究者の後ろに続きながら、食蜂は不機嫌を隠そうともせず、不平不満を漏らす。

 今までの食蜂なら、例え内心はどうでも、ここまで表に出さなかったはずだ。

 

 女性研究者は、現在の食蜂の危うさ(自分たちにとっての、という意味の)を改めて再認識しながら、いつも食蜂の実験を行っているのとは別のフロアへと移動する。

 

(……このフロア、というかいつものフロア以外のフロアに足を踏み入れたのは初めてねぇ)

 

 食蜂はこれまで、いつも自分が実験を行うフロアと、エクステリアのフロア以外は立ち入りを禁止されていた。(エクステリアにも、研究者が許可し、同伴の上でないと立ち入りを禁止されていた)

 

 食蜂本人は、別フロアなど大して興味もなかったので、今までその事に対する不満(今更、その程度のことで、という意味で)は感じなかったが、改めて足を踏み入れると、ついついあちこちに目をキョロキョロと走らせてしまう。

 

 だからこそ、前を歩く女性研究員が立ち止まり、目の前の部屋のドアをガチャと開けたことに気づくのが遅れた。

 

 食蜂は周りを観察するのを止めて(といっても、特別珍しいものは見つからず、無機質という印象しかなかった。今まで自分がいたフロアと何も変わらない)その部屋に向かって歩く。

 

 すると、女性研究者の声が中から漏れていた。

 

「――どう?――調子の方――会わせたい人が――」

 

 どうやら誰かと話しているらしい。

 会わせたいといっていた人が、中にいるようだ。

 

 食蜂は半開きになっていたドアを開けながら、躊躇なく足を踏み入れる。

 

 

 

 そこには、おそらく自分より年上の、中学生くらいであろう茶髪のショートカットの少女がいた。

 

 

 

 自分と同じように黒い手術衣を身に纏い、壁に背をつけ凭れながら、木のコルクで栓をしていて中に少量の水が入った瓶のようなものを持っている。

 

 彼女は、部屋に入ってきた自分を、クリッとした真ん丸の瞳で見つめ、首を傾げた。

 外見年齢とはそぐわない幼い仕草に、食蜂は小さな違和感のようなものを感じたが、彼女がふいっと自分から目を背けたことで、不快という程ではないが、心の中で溜息を吐いた。

 

(無愛想なヤツねぇ……)

 

「紹介するわね。――」

 

 そんなお互いの第一印象を交わし合っていた少女達に構わず、女性研究員は口元だけを明るい笑顔で――口元以外はメンタルガードによって見えないのだが――言った。

 

 

 

「――彼女は、“0号(プロトタイプ)”。“通称”『ドリー』よ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 一方、こちらは、全く別の研究所。

 

 

 

ドガンッ!!!!!! と重々しい衝撃が響く。

 

 

 超強化ガラスで仕切られた実験ルームでの轟音に、安全圏にいるはずの研究者が思わず体を震わせる。

 

 そして、不安定に揺れる瞳で、目の前のモニターに表示される数値を見る。

 

 息を呑んだ。

 

(――なんだ、これは?……あまりにも、成長が早過ぎる……っ!?)

 

 彼は。彼等は。

 まるで水族館の水槽のように、見世物のように隔絶された強化ガラスの向こう側――――“対一方通行(アクセラレータ)用”の実験ルームの中に、一人佇む白髪の少年に目を向ける。

 

 その、畏怖の篭った、恐怖で満ちた瞳を。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、そちらの方にまるで目を向けない。

 ただ、顔を俯かせ、楽しそうに笑うだけだ。

 

 

『友達だろ。また一緒に遊ぼうぜ!』

 

 一方通行(アクセラレータ)は、無邪気に笑う。

 

 だが、その笑みは、安全圏の暗いモニタールームから覗く彼等には、この上なく不気味に映った。

 彼等の分厚い色眼鏡を通した結果、あの無垢な笑顔は、真っ白な笑顔は、悪魔の笑みにしか見えなかったのだ。

 

 元々、彼等は一方通行(アクセラレータ)を利用し、その研究成果でのし上がってやろうと目論んでいるわけではない。

 

『特力研(特例能力者多重調整技術研究所)』についこないだまで在籍していた一方通行(アクセラレータ)の、次の正式な在籍場所が決まるまで、なぜか預かっていて欲しいと“上”から指示されたのだ。

 

 それ故に彼等は、こんな自分達の身に余る怪物を保護しなければならない立場になっている。

 

 確かに、潜在能力は凄まじい。怖気が走る程に。

 確かに、彼の能力は強力で強大で、何より希少だ。背筋が凍る程に。

 

 けれど、彼等にとっては。彼等如きにとっては。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、まるで人間が決して手を出してはいけない次元の存在のように思えた。

 

 

 それは、ここ最近の急激の能力の開花を目撃して、見せつけられて、日に日に増していく思いだった。

 

 

 ただ、ただ。恐かった。

 

 

「……一体、彼に何があったんだ。なぜ、ここまで急激な成長を――」

 

 彼の個人的な心境としては“成長”などという前向きな言葉を決して使いたくはなかったが、名目上、彼を管理し、その能力を高めることを仰せつかっている立場上、そう評した。

 

 すると、上からのサポート人員(という名の監視役、だとこの研究所の研究者達は思っている)である黒服の男が、サッと彼の背後に現れ(彼にはそう思えた程、気が付いたらそこに居た)、彼に耳打ちをした。

 

「――どうやら。最近、第一位に友達が出来たそうです。その事がメンタルに影響を与えているのではないかと」

「はぁ? 友達だと?」

 

 彼は思わず大きな声を出して、疑問を呈した。疑問というより、そんな馬鹿な、何を言っているんだ、と発言者をせせら笑うような、嘲りの篭った声だった。

 

 普段なら、上からの使者だと確信している目の前の男に、立場上は自分が上だと分かっていても、決してこんな応対はしないのだが、聞かされた内容があまりにも突拍子がなかった。

 

 友達?

 

 この化け物に?

 

 

 ありえない。

 

 

 そんな思いが透けて丸見えだった。

 

 

 だが、データはそれを否定している。目に見えて、数値は異常な伸びを見せている。

 学園都市の能力は、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』によって発現する。そして、それに精神状態は大きく影響する。

 

 

 もし。万が一。

 

 彼に友達というものが出来たのだとして。それが彼に“良い”影響を及ぼしているのだとしたら。

 

 

 彼は、生唾を呑んだ。

 この男は、良くも悪くも自分という器を知っている。

 自分如きの研究者には、一方通行(アクセラレータ)という怪物(さいのう)を完成させることなど不可能だろう。この少年は、自分の手に負える存在ではない。

 

 だから、彼が求めるのは、このまま、彼が次の研究所に送られるまで、無難にやり過ごすことだ。

 ゆえに、彼が恐れるのは、このまま、彼が成長しすぎて、自分達に牙を向けられることだ。

 

 もし、彼が、この目の前の強化ガラスの敷居を、壊そうなどと考えたら?

 

 もし、彼が、自分をこんなところに閉じ込め、高みから自分を見下ろす研究者(わたし)達を、叩き潰そうなどと考えたら?

 

 

 彼は、良くも悪くも、自分というものを知っていた。

 

 

 自分達がそんな反逆(こと)をされてもおかしくないことをしているという、それくらいの自覚はあった。

 

 

「……き、君に、一つ。頼みたいことがある」

 

 

 彼は、黒服の男の目を見ず、ただただ一方通行(アクセラレータ)のデータを羅列するモニターを凝視しながら、そう言った。

 

 

 黒服の男は、口角を釣り上げ、彼の指示を二つ返事で了承した。

 

 




 だんだんと、不穏な空気が……

 シリアスさんがアップを始めたようです。


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0号〈ドリー〉


 楽しい日常は罅割れ、闇が覗く。


 食蜂操祈は、久しぶりに登校できた小学校からの帰り道、研究所に向かう途中に、見知ったツンツン頭の少年を見つけた。

 

「あ、上条さ~ん!」

「お、食蜂じゃねぇか」

 

 上条は道で迷っていたお祖母ちゃんを送ったり(なぜ学園都市に老婆が?)お産間近の妊婦さんを助けたり(だからなぜ学園都市に妊婦が?)しながら、今日も同級生とのサッカーに大変遅刻していた。いや、別に学園都市に老婆や妊婦がいてもいいのだろうが、明らかに絶対数が少ないであろうその両者に平日の帰り道に連続で遭遇するのはさすが上条さんです。さす(かみ)

 

 もう遅刻過ぎて逆に穏やかな気持ちで(開き直るともいう)のんびりと公園に向かっていたら、ここの所あまり見かけなかった食蜂が駆け寄ってきた。

 

「そういえば久しぶりだな。元気だったか?」

「まぁ最近ずっと研究所に篭りきりだったからぁ。今日だって本当に久しぶりの登校力の確保だったのよぉ。まったく義務教育をなんだと思ってるのかしらぁ」

 

 そう言って、腰に手を当てて不満を表す食蜂。

 だが、上条は食蜂の機嫌がそれほど悪くないことに気づいた。

 

「それにしては随分ご機嫌だな。何かいいことでもあったのか?」

「……え? そう? 私、機嫌力が高いように見えるの?」

 

 自分の頬をこねて不思議そうに首を傾げる食蜂。その可愛らしい仕草に上条は口元を綻ばせた。

 

「ああ。やっと友達でも出来たのか?」

 

 その言葉に、食蜂はこないだ出会った年上ながらもまるで妹のような少女の姿が思い浮かぶ――が、すぐにそれをありえないと振り払う。

 

(……ちがうわぁ。あの子はあくまで実験の一環で関わっているだけ。……それにあの子は―――)

 

 上条は急に俯いた食蜂に訝しげに声を掛ける。

 

「食蜂? どうかしたか?」

「……いいえ、なんでもないわぁ。……残念だけど、まだ“私の”友達っていうのはいないわねぇ。中々、私に釣り合うとなると難しぃわぁ」

 

 食蜂はくるりと上条に背中を向ける。

 

「――それじゃあ、私は行くわねぇ。今日もこれから研究所なの。本当に嫌になるわぁ」

 

 すると食蜂は首だけ上条に振り返り、そう言った。

 

「――そっか、頑張れよ!」

 

 上条の言葉に最後にもう一度振り返って手を振ると、今度こそ食蜂は去って行った。

 

 

 最後の言葉を残した時の食蜂の顔が笑顔だったことで、上条は自然と優しい瞳で食蜂の背を見送っていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「みーちゃん!」

 

 部屋に入った食蜂を、ドリーはぱぁっと輝くような笑顔で迎えた。

 食蜂は、自分のものではないその渾名で呼ばれて、苦笑するようにして彼女の元に向かう。

 

「今日も来てくれたんだね!」

 

 食蜂に駆け寄り、抱き着くドリー。

 

 その幼い行動に食蜂は苦笑するが、お腹の部分にゴツゴツと当たる感触に、寂しげな表情をする。

 

 対するドリーも、食蜂の髪に顔を埋め、少し寂しげな表情をして、身体を離した。

 

「――きょうはなにしてあそぼうか!」

 

 

 

 

 

「わーい♪ わたしのかちぃー♪」

「……くッ。まさか、パイロットになったのに負けるなんて……途中までは独走状態だったのに……っ」

 

 なんか、誰よりも早く主人公と仲良くなるけれど、あと一歩が踏み込めなくて、その内ドンドンライバルが増えてきて、最後は涙を隠して主人公が別の女の子の所に行く背中を押す羽目になる幼馴染ヒロインみたいな人生だった……と、自分が負けたゲームを分析していて、なぜか背中に嫌な汗が流れた。

 

(……ゲーム! 所詮ただのゲームよ! 予言力なんて皆無なんだから!)

 

 食蜂は未来に対して漠然とした不安を抱きつつも、まるで哺乳瓶でミルクを飲む赤ん坊のようにご機嫌にペットボトルの水を飲むドリーに目を向ける。

 

 あの自分が、食蜂操祈が、このようなパーティゲームに興じることになるなんて、本当に嘘みたいだ。

 学校では露骨な嫌がらせこそは受けていないけれど、休み時間に喋るような友達など碌にいない。

 最近になってようやく楽しい時間が過ごせるような存在が出来たけれど、彼とは街でばったり会った時に話すくらいで、約束をして一緒に遊ぶなんて友達のようなことは、まだ出来ていない。

 

『――友達でも出来たのか?』

 

 食蜂は目の前のドリーを見つめながら、先程の上条の言葉を思い出す。

 

 

 楽しくパーティゲームで遊んだ自分達は友達なのだろうか?

 

 シャボン玉を作って遊んで笑い合った自分達は友達なのだろうか?

 

 ぬいぐるみでおままごとをした自分達は友達なのだろうか?

 

 ペットボトルをゴミ箱に投げ入れるなんてくだらないことで盛り上がれた自分達は友達なのだろうか?

 

 

 分からない。

 

 だけど、一つ確かなのは。

 

 

 ドリーとみーちゃんは友達でも。

 

 

ドリー(この子)”と“食蜂操祈(わたし)”は、知り合ってすらいない他人だということだ。

 

 

「――ねぇ。みーちゃん」

 

 そんなことを考えて、顔を俯かせていた食蜂は、ドリーのそんな呟きに顔を上げる。

 

 ドリーは、密室であるこの部屋の、高い建物の乱立によってほとんど視界が埋まっている窓から覗ける、ほんの小さな空を見上げながら、言った。

 

 

「――けんきゅーじょのそとって、どんなところなのかな?」

 

 

 ドリーはこの研究所から、もっと言えばこの部屋の中から出られない。

 

 彼女は内臓をいくつか機械で代行しなければ動けない程の重病人だから、と研究者は言っていた。

 それを100%信用したわけではなかったが、彼女の体に人工臓器が埋め込まれているのは、食蜂もこの目で見た紛れもない事実だった。

 

「ガッコウっていうのもいってみたいけれど、もし、からだがなおったら、かわいいみずぎきて――」

 

 天真爛漫という言葉が似合い、いつも明るく笑顔なドリーが、その外見に相応しい食蜂から見たら大人びた――憂いある表情で呟く。

 

 

「――ウミっていうところに、いってみたいなぁ」

 

 

 コンクリートジャングルから垣間見える青空に向けて、純粋な未来(きぼう)を語るドリー。

 

 八才の食蜂には、そんな彼女のささやかな願いに対し、何と言えばいいのか分からなかったが、顔を背け、ボソボソと、恐る恐る、手探りで、言葉を一生懸命探して、呟いた。

 

 

「い、いつか……あなたの体が治ったら……私が、外出許可をとって……海くらい……連れて行って……あげるわよぉ」

 

 

 食蜂は柄にもないことを言っている自分に無性に恥ずかしくなった。

 

 それでもドリーの反応も気になるので、ちらっと彼女の方を振り返ると――

 

 

 

――ドリーの体が、不自然に傾いていた。

 

 

 

バタッ!――

 

 

――と、先程まで自分が幸せになった人生が繰り広げられていたパーティゲームの上に倒れ込むドリー。

 

 

「――え」

 

 

 食蜂は、何が起きたかも分からず硬直した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、いつかのように公園でサッカーに興じる上条の級友達を眺めていた。

 

 あの日からちょくちょく一方通行(アクセラレータ)は上条達のサッカーに混ぜてもらっていた。だが、その時は決まって上条が一方通行(アクセラレータ)の手を引いて、仲間の輪に引っ張り込んでくれた。

 

 だが、この日はまだ上条は来ていなかった。

 そして、一方通行(アクセラレータ)が一歩踏み出すことを躊躇する理由がもう一つ。それは――――

 

 

「お、来てたのか。そんなとこにいないでこっち来いよ!」

 

 すると、傍から傍観していた一方通行(アクセラレータ)に気づいたリーダーっぽい男の子が、一方通行(アクセラレータ)に向かって手を挙げて呼びかけてきた。

 

 一方通行(アクセラレータ)は迷ったが、彼等の目が全員こちらを向いていたので、意を決してゆっくりと一歩を踏み出した。

 

「いやぁ、助かったよ。今日は上条がいつにも増して遅くてさ」

「どうせいつも通りの不幸だろ。先に初めてようぜ」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、少年達の輪の中にいながらも、昨日の実験の終わりに黒服に言われた言葉が脳裏にこびり付いていた。

 

 

 あの日、実験を終えて帰ろうとしていた一方通行(アクセラレータ)の前に突如その男は現れ、そして淡々と、問答無用に言い募った。

 

 

 

『――――など――ない』

 

 

 

 うるさい。一方通行(アクセラレータ)は唇を噛みしめる。

 

 

 上条の級友達はチーム分けで揉めているようだ。だが一方通行(アクセラレータ)の耳には全く入らない。

 

 

 あの日の黒服の、一方通行(アクセラレータ)の心を抉った言葉が、何度も何度も脳内に響く。

 

 

 

『お前――など――いな――』

 

 

 

 ……うるさい。うるさい! 聞きたくない! 聞きたくない聞きたくない聞きたくない!!

 

 

 例えどれだけ頭の中から追い出そうとしても、こびり付いたようにその言葉は消えない。

 

 

 いやだ。何であんなこと言ったんだ。何であんなことを言われなくてはいけないんだ。

 

 

 ……僕は、僕は、ただ――

 

 

 

「――なぁ、大丈夫か――」

 

 

「うるさぁい!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が、何かを振り払おうと、振り祓おうと腕を振り回す。

 

 

 

 バキッ!、と。

 

 

 何かが折れ、何かが終わる音が響いた。

 

 

 

 少年の絶叫が、夕方の公園に轟き渡る。

 

 顔を俯かせる一方通行(アクセラレータ)を気遣って声を掛けようとして、腕をへし折られた少年の元に、級友達が一斉に駆け寄った。

 

 

 それを、一方通行(アクセラレータ)は呆然と眺めていた。

 

 何か取り返しのつかないことをしてしまったという感触だけが、心の中に確かな実感として圧し掛かった。

 

 

 冷や汗が垂れ、呼吸が荒くなる。

 

 

 そんな混乱の中でも、黒服のあの言葉は消えてくれず、少年の腕が砕ける音と共に、脳内に響き続けた。

 

 

 

『お前に、友達などいない』

 

 

 

 

 

『お前は怪物だ。地獄に落ちても忘れるな』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 食蜂は一瞬フリーズした後、彼女の元に駆け寄った。

 

「ちょ、ちょっと!! ドリー!!」

 

 ドリーの体は不自然に痙攣し、呼吸も不規則で、汗も一目で不健康なそれと分かるものを流していた。

 

 食蜂は、そんな状態のドリーを見ているのが怖くて怖くて、彼女の手を握りながら、大声で叫ぶ。

 

「ドリー!! しっかりしてよぉ、ドリー!!」

 

 そんな食蜂の叫びが届いたのか、ドリーは必死に、口元を緩め、笑顔を作った。

 

 そして、口を動かし、何かを伝えようとする。食蜂は、それは何としても聞かなければならないものだと、子供ながらに理解し、泣きそうになるのを必死で堪えて、彼女の口元に耳を近づけた。

 

 

 

「……おなまえ、きかせて?」

 

 

 

 食蜂は、その時彼女には全てが筒抜けだったのだということを理解した。

 

 思わず目を見開いた彼女の瞳に映るのは、まるで姉のように自分を見つめるドリー。

 

 

 彼女はとっくに気づいていた。

 

 気づいていて、それでも、自分と一緒に遊んでくれた。友達のように。

 

 

 食蜂は、彼女の手を両手でしっかりと握り、懺悔するように言った。

 

 

「……操祈……ッ。食蜂、操祈よぉ」

 

 

 食蜂の瞳から、涙が一筋流れる。

 

 

 ドリーは、食蜂が一緒に過ごしたわずかの時間の中でも、たくさん自分に見せてくれた笑顔の中で、最も儚く、最も綺麗な笑顔で、こう言ってくれた。

 

 

 

「みさきちゃん」

 

 

 

「ともだちになってくれて、ありがと――」

 

 

 

 

 そして、ドリーは死んだ。

 

 

 

 

 食蜂操祈はその日から、ドリーと共に過ごしたあの部屋に、一日中閉じこもるようになった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あ~。すっかり遅くなっちまったな。アイツ等まだいるかな?――――ん? なんだ、あれ?」

 

 食蜂と別れ、のんびりと公園に向かっていた上条は、何やら前方に人だかりが出来ていることに気づいた。

 

 不審に思った上条は、子供の体格を生かして人混みの中を潜り抜ける。

 

 その途中、ボソボソと呟いている人達の話し声が断片的に聞こえた。

 

『なにこれどうしたの? また能力者が暴れたのか?』

『でも、こんな風に警備員(アンチスキル)がエリア封鎖するなんてよっぽどだろ? スキルアウトの集団抗争とか?』

『いや、なんでも暴れてるのは子供らしいぜ。それも一人』

『はぁ? ガキ一人相手に警備員(おとなたち)がこんな大騒ぎしてんのかよ。いくら能力者だからって――』

『それが、そのガキ恐ろしく強ぇんだってよ。なんでも――』

 

『――真っ白い髪で、目が真っ赤で、まるで――』

 

 

『怪物みたいだって』

 

 

 上条は、心臓が握り潰されたかのような錯覚に陥る。

 

 そして、一瞬足が止まり――

 

 

「……な、なんだよ、それ」

 

 

 震える声で呟いた後、人混みの集団をぶつかり合うことなど考慮に入れずに突き進んでいく。

 周りの人間が顔を顰め、舌打ちしていることなど一切目に入らずに、ただひたすら一歩でも前に進む。

 

 そしてついに人混みを抜けると、そこには、物々しい武装を身に纏った警備員(アンチスキル)の集団がいた。

 

 その身に纏うのは防弾チョッキ、そして頭部を守るヘルメット。

 その腕に抱えるのは、この時代において学園都市でも最新鋭の殺傷用のライフル。

 

 そんな、今にも戦場へと繰り出せるような、戦う為の装備を纏った集団が、目の前のテープで仕切られた向こう側の別世界に集結していた。

 

 

 だが、このテープを挟んだ向こうの別世界は、昨日まで上条が普通に幸せに暮らしていた場所で。

 

 

 級友達と共に――そして、あの白い少年と共にサッカーを楽しんで、今日も楽しく遊ぶはずだった公園も、この目と鼻の先にある。

 

 

 向こう側の、別世界にある。

 

 

 上条は歯を喰いしばって、その世界を分かつテープを潜り抜けた。

 

 

「――な!? 何しているお前!?」

「ここは一般人は立ち入り禁止だ!!」

 

 見知らぬ少年の暴挙に、テープの向こう側に居たヘルメットを被って素性が分からない警備員(アンチスキル)達は、少年を止めようと一斉に群がってくる。

 

 だが、上条はそれを避け、翻弄し、掻い潜っていく。

 

 目指すは、あの公園。

 

 そこに居るかもしれない、白い少年を助ける為。

 

 

 前の世界では敵だった。この世界では友達になれた。

 

 

 助けると誓った、あの少年を、怪物にしない為に。

 

 

(待ってろ、一方通行(アクセラレータ)!! 今――)

 

 

 だが、そんな上条の体が、強烈な衝撃で抑え付けられる。

 

 

「――がぁっ!?」

「おとなしくするじゃん!! おい、何してる!! コイツを安全な場所に放り投げろ!!」

 

 警備員(アンチスキル)――黄泉川愛穂は、子供とは思えない力で暴れる上条を必死で抑え付けながら、同僚に向かって怒声を浴びせた。

 

 やがて完全武装の大人の男二人がかりで上条を抑え込み、黄泉川は立ち上がって上条を見下ろす。

 

「……坊主。ここは危険じゃん。だから、お前はさっさと――」

「離せ!! 離してくれ!! 俺は行かなくちゃいけないんだ!!」

 

 大人らしく子供を諭そうと、努めて穏やかな言葉を語りかけようとした黄泉川は、上条の鋭い眼光に思わず口を閉じてしまう。

 その迫力は、とても小学生が出せるようなものではない、と警備員(アンチスキル)としてそれなりの修羅場を潜ってきた黄泉川は感じた。

 

「……お前、一体――」

「黄泉川先生!! アンタ、何やってんだよ!! 子供を守るのが、アンタ達警備員(アンチスキル)の仕事なんじゃないのか!? 誇りなんじゃないのかよ!! なんだよこれ!? 子供一人に完全武装の大人達が寄ってたかって問答無用で捩じ伏せるのが、アンタ達のやるべきことなのかよ!!」

 

 少年の言葉は、黄泉川が唇を噛みしめ、この少年がなぜ自分の名前を知っているのかという疑問を持たせないほどには、彼女の心の痛いところを突いていた。

 黄泉川は、少年から目を逸らしつつ、答える。

 

「……分かってるじゃん。悪いようにはしない。癇癪を起した子供を宥めるのも大人の仕事じゃん。私が責任をもって保護する――」

「それじゃあ、遅いんだよ!!」

 

 上条はアスファルトの地面に言葉を叩きつけるように吠える。

 

「俺は助けるって誓ったんだ!! アイツを怪物にしないって!! アイツを孤独(ひとり)にしないって!! 俺は!! 俺はぁ!!!」

 

 

 崩れてしまう。幸せな世界が。

 

 

 終わってしまう。完璧な世界が。

 

 

 憧れ、縋り、求め、焦がれた――優しい世界が。

 

 

 ……いやだ。

 

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 

 

 上条は……ギリッと唇を噛みしめ、宙に向かって右手を伸ばす。

 

 

 迂闊にも、その幻想を殺してしまう右手を。

 

 

 

 ドゴォッ!! と爆音が響いた。

 

 

 

「な、なんだ!!」

「どこだ!!」

「げ、現場に向かった奴等から連絡が途絶えました!」

「すぐに増員を送れ!! 現状の把握を最優先しろ!」

 

 ざわめく集団。

 

 そんな中、黄泉川は上条に目を向ける。

 

 

 上条は、宙に伸ばした右手を震わせ、か細く、その呟きを漏らす。

 

 

「…………一方通行(アクセラレータ)

 

 

 上条は、その右手を弱弱しく握りしめる。

 

 

 当然のように、その手は何も掴めてはいなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、無骨なヘリや戦闘機が旋回する真っ青な空を眺めながら、漠然とそんなことを思う。

 

 

 自分の周りには、銃口を向け、一方通行を360度囲む、ヘルメットにより顔すら判別がつかない警備員(アンチスキル)達。

 

 

 だが、一方通行(アクセラレータ)にはそんな有象無象は目に入らず、先程彼等によって避難させられた、自分と遊んでくれた少年達の最後の顔が思い起こされる。

 

 

 腕を砕かれた少年を守るように、一方通行(じぶん)から守るように、彼等は一方通行(アクセラレータ)の前に立ち塞がった。

 

 

 震える体で。怯えに満ちた目で。

 

 ただ友達を、一方通行(アクセラレータ)から、怪物から守る為に。

 

 

 

『お前は怪物だ。地獄に落ちても忘れるな』

 

 

 

「――ッ!!」

 

 一方通行(アクセラレータ)が俯きながら、唇を噛みしめ、拳を握る。

 

「動くなぁ!!」

 

 ジャキ! ジャキ! ジャキ!、と。

 

 少年を囲む警備員(アンチスキル)達が、一斉に銃を威嚇の意味で構え直す。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、何の反応もみせなかった。

 

 

 ただ、一心不乱に考えていた。

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 

 

 

 

「……やはり、こうなったか」

 

 公園内の監視カメラからの映像を眺める研究員の呟きを、傍らの黒服は黙って聞いていた。

 

 研究員が諌めのつもりで黒服の男に頼んだ忠告は、研究員の想定と真逆の結果を生み出したが、男はいつかはこうなるのではないかという懸念を常に抱き続けていたので、戸惑いよりも諦念の方が大きかった。

 

 警備員(アンチスキル)達が徐々に距離を詰める。

 

 だが、男はそんな彼等を嘲笑うかのように、自分の“上”に連絡を入れる。

 

 あんな(もの)で、あの少年は止められない。そんなことは、男は嫌という程理解していた。

 

 

 その背後に、いつの間にか黒服の男はいなかった。

 

 

 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 

「――ゆっくりと、刺激しないように近づけ。確実に確保できる距離になったら動くんだ。……この少年がデータ通りの能力者なら、暴れ出したら我々に手に負える相手ではない」

 

 彼等は、まるで檻から逃げ出した猛獣を相手にしているかのように、一方通行(アクセラレータ)に向かってくる。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)には分かった。

 

 彼等が、あの無骨な装備の中の体を震わせ、あのヘルメットの下の瞳を恐怖で揺らしていることが、嫌という程伝わった。

 

 

(……どうして。どうして、そんな目で、僕を見るんだ……)

 

 

 研究所の研究員達。

 

 

 一緒にサッカーで遊んだ級友達。

 

 

 そして、この警備員(アンチスキル)達。

 

 

 みんな、みんな、同じような瞳で、一方通行(アクセラレータ)を見る。

 

 

 恐怖で震え、自分とは違う生物を見る目で、一方通行(アクセラレータ)を排斥する。

 

 

 突き離し、一人ぼっちにする。

 

 

 孤独にする。

 

 

「――っ」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が、天を仰いだ。

 

 

 そんなちょっとした挙動にも、警備員(アンチスキル)達は過剰に反応し、銃を怯えるように突きつける。

 

 

 だが、一方通行(アクセラレータ)はそんなものには全く取り合わず、意に介さず――――彼のことを思い出す。

 

 

 

『さぁ、来いよ! 一緒に遊ぼうぜ!』

 

 

 

 自分の手を引き、仲間の輪に入れてくれた。

 

 

 

『俺達は、友達だろ』

 

 

 

 こんな自分を、友達だと言ってくれた。

 

 

 彼は。彼なら。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、ゆっくりと公園の入り口に目を向ける。

 

 

 もしかしたら、彼が来てくれるかもしれない――――助けてくれるかもしれない。ヒーローのように。

 

 

 そんな都合のいいことを、期待してしまった。

 

 

 幻想を、抱いてしまった。

 

 

 

 そこには、彼ではなく、あの黒服の男がいた。

 

 

 

 男は、満足げに愉悦の表情をしていた。

 

 

 その表情は、どんな言葉よりも、鮮烈に語っていた。

 

 

 

――どうだ? 言った通りだったろう?

 

 

 

『お前に、友達などいない』

 

 

 

『お前は怪物だ。地獄に落ちても忘れるな』

 

 

 

 

――お前は、孤独(ひとり)だ。

 

 

 

 

 その瞬間、一方通行(アクセラレータ)は泣き叫び。

 

 

 

 暴れ狂い、怪物になった。

 

 

 

 

 その日、第七学区の三割が崩壊した。

 

 

 たった一人の、白い少年によって。

 

 

 

 真っ白な怪物によって。

 

 

 





 怯える兎のようだった少年は、出会いを経て友達を得て、そして――孤独になった。

 こうして彼は、真っ白な怪物になった。


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怪物〈アクセラレータ〉


 怪物は、笑う。

 泣いているかのように。
 


 

 上条当麻は、崩壊したビルの残骸の中を潜り抜け、瓦礫を乗り越えながら、走り続ける。

 

 時折地響きのような衝撃が走る。その度に、何度転倒したかも分からない。

 

 それでも、上条当麻は走り続けた。探し続けた。

 

 そして、ついに見つけた。

 

 罅割れたアスファルトの上から上条が見上げるのは――――歩道橋の手すりの上。

 

 

 そこに、一方通行(アクセラレータ)は立っていた。

 

 

 寂しげな背中で。一人ぼっちで。

 

 返り血一つ浴びていない、真っ白な姿で。

 

 

 彼はこちらに背中を向けている。

 

 上条は、痛む体を無視して、大声で呼びかけようと息を深く吸い込む。

 

 

「――――ッ!!」

 

ギュンッ!!!!!!、と高速の物体が音を切り裂く。

 

 

 上条の声は、上条の背後から飛び去っていった戦闘機の衝撃でかき消された。

 

 

 その戦闘機は、急旋回し、そのまま一直線に突っ込む。

 

 

 

――――歩道橋の上に佇む、白い少年に向かって。

 

 

 

「!!!???」

 

 上条は目を疑った。

 

 

 戦闘機だけではない。

 

 

 上条の前方――一方通行(アクセラレータ)の前方は、学園都市の最新鋭の兵器の集団で埋め尽くされていた。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が更地へと変えた一帯を補うかのように、無限の兵器群が地平線から現れる。

 

 

 それは、まさしく戦争だった。

 

 

 

 科学の最先端の学園都市と――――たった一人の、十歳の少年の。

 

 

 

「……なんだよ、これ……」

 

 

 上条は、ただ茫然と佇むことしか出来なかった。

 

 

 異能の能力しか打ち消せない右手は、こんな残酷な現実をぶち殺すことは出来ない。

 

 

 目の前の悪夢は、性質の悪い幻想ではなく、紛うことなき現実だから。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の為に、友達の為に、あの一人ぼっちの背中の為に、少年は何も出来ない。

 

 

 上条当麻とは、あまりにも無力だった。

 

 

 無人戦闘機が最高速度を維持しながら一方通行(アクセラレータ)に向かって特攻する。

 

 

 それを援護するように、兵器の大軍勢が白い少年に向かって一斉に砲撃を開始した。

 

 

「…………やめろ」

 

 

 上条の呟きは、誰にも届かない。

 

 

「…………………………………あは」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、俯かせていた顔を上げて、壊れたように笑った。

 

 

「あひゃぎゃはひゃはははぎゃひィひゃぎゃはあはくきゃがきゃひゃはあは!!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、笑った。

 

 

 両手を大きく広げ、身体を大きく仰け反らせて。

 

 

 空に向かって、本当に楽しそうに。

 

 

「……………………やめろぉっ」

 

 

 上条の呟きは、誰にも届かない。

 

 

「ぎゃははははっははははっははっはははははっはっはははっはははは!!!!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、笑う。

 

 

 空に向かって、本当に楽しそうに。

 

 

 涙を流しながら、本当に寂しそうに、怪物は、笑う。

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 上条の叫びは、誰にも、届きやしなかった。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)に銃弾砲弾の豪雨が炸裂する。

 

 

 その一つたりとも、一方通行(アクセラレータ)に傷一つ、汚れ一つつけることは叶わない。

 

 

 彼は、その身に降りかかる、その全てを善悪問わず反射する。

 

 

 そして無人機戦闘機が、一方通行(アクセラレータ)に突っ込み――――爆発した。

 

 

 その爆風すらも、一方通行(アクセラレータ)は反射する。

 

 

 だが、その余波にさえ、上条当麻は為す術もなく吹き飛ばされる。

 

 

 ガンっ!! と、上条は瓦礫に後頭部を強打した。

 

 

 意識が遠のく。視界がゆっくりと閉じる。

 

 

(……一方、通、行……)

 

 

 薄れゆく意識の中、絶え間なく降り注ぐ科学兵器の炸裂音。

 

 

 その中でも一方通行(アクセラレータ)の悲しい哄笑が、上条の耳に届き続けていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「やれやれ。あの厄介者がやっと死んだと思ったら、今度は食蜂君に不具合ですか」

「あんな子にも、人の情があったんですねぇ」

 

 いつかと同じ、暗い室内の六角形のテーブルに会する研究者達は、いつかと同じように、食蜂操祈――『心理掌握(メンタルアウト)』についての会議を行っていた。

 

 食蜂が、ドリーが死んでから研究により一層精を出さなくなったことに関しての対策を挙げることが、この会議の大きな目的となる。

 

「それにしても、最後の最後まで使えない人形だったな。時間稼ぎも碌に出来んとは」

「ただの造り物のクローン人間(にんぎょう)だ。長く保たないことは分かってはいたことだが……これでは逆に計画に支障を来たしただけだ」

「……まぁ、あれに関しては、すでに“上”の人間が回収したことだし、もう我々が関わることもないだろう。それよりも我々が考えるべきことは、食蜂操祈のメンタルをどう回復させるかだ」

「学園都市最強の精神能力者の精神状態の改善に頭を悩ませなければならないとは……皮肉な話ですな」

 

 そして彼等は一つの命の終わりについてあまりにもあっさりと見切りをつけて、それ以降ドリーについての話を切り出すものはいなかった。

 

 まるでドリーなど、初めからいなかったかのごとく。

 

「そして、君たちは聞いたかな? こないだの“第一位”が起こした事件のことを」

「ええ。おそらく彼は、しばらく表舞台に出ることはないでしょうな。……なにせ、彼を引き取ったのは『木原』ですから」

 

 丸メガネに茶髪のオールバックの科学者が、ここぞとばかりに進言する。

 

「ならば、前回の会議で保留となっていた“上条当麻”の処分を、今こそ実行すべきでは?」

 

 その言葉に一同は閉口し考察したが、リーダー格として六角形の頂点の位置に坐する禿頭の男は、神妙な口調で言った。

 

「――いや、彼を処分するのはまだ早い」

 

 その呟きに、一同の目は彼に集まるが、彼は淡々と更にこう続けた。

 

 

「上条当麻には、食蜂操祈のメンタル改善に役立ってもらう。――そして、その後、改めて処分しよう」

 

 

 研究者達は、一様に大きく頷いた。

 

 その中で一番若い女性研究者は、ふと思いついたといった感じで何気なく問う。

 

「しかし、あまり上条当麻に対する彼女の依存度を不用意に上げてしまうと、彼を処分した後に今度こそ回復不可能なダメージを受けてしまうのでは?」

「確かにその可能性もあるが、その時は――」

 

 

「――彼女も折を見て処分すればいいだろう。エクステリアが完成してしまえば、むしろ彼女は邪魔だ」

 

 

 

 ピッ、と。

 

 

 

 その小さな電子音を皮切りに、一人、また一人と席を立ち上がり、部屋を後にする。

 

 

 彼等の瞳には、大きな星のマークが光っていた。

 

 

 

 

 

 そして、暗い室内に残されたのは、縦長の六角形のテーブルのもう一つの頂点に鎮座する少女。

 

 これまでの会議中ずっと醜い研究者達に背を向けていた彼女は、暗室の中で唯一光に照らされたテーブルと向き直り、リモコンを手で弄びながら呟いた。

 

 

「――ま、こんなとこだろうとは思っていたけどぉ。それでも――」

 

 

 

 

 

「いい加減、うんざりだわ」

 

 

 

 

 

 彼女の瞳に輝く星々が、この時は妖しい光を放っていた。

 

 

 

 

 

 その日、天才級の人間を人工的に量産するという目的で活動していた研究機関――『才人工房(クローンドリー)』は、壊滅した。

 

 

 

 たった一人の、八才の女の子の逆鱗に触れたが故に。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 浮かれていたのだろう。

 

 

 平和な世界を、完璧な世界を。事件もない、借金もない、失恋もない、そんな理想の世界を見せつけられて。

 

 

 自分の命と、天秤にかけて。

 

 

 世界を選んだ。命を捨てて、命懸けで。

 

 

 その結果、送られた、逆行した――――この第二の世界。

 

 

 ここが『あの世界』でないことはとっくに分かっていた。

 

 

 それでも、穏やかだった。自分が過ごした元の世界の半年間とは違って、平和だった。

 

 

 事件もあったのだろう。借金もあったのだろう。失恋もあったのだろう。

 

 

 それでも平和だったのだ。穏やかだったのだ。

 

 

 このまま、こんな日がずっと続けばいいのに。

 

 

 そんなことを考えてしまうくらい――浮かれてしまっていた。

 

 

 この右手が幻想殺し(イマジンブレイカー)である限り、そんな幻想(ゆめ)が叶うはずないのに。

 

 

 上条当麻は、自身の腕に刺さっている点滴を、力いっぱい引き剥がす。

 

 

 行かなくてはならない。

 

 

 何としても、救わなくてはならない。

 

 

 あの寂しげな背中を。あの気弱な少年を。

 

 

 上条当麻の友達を――――あの学園都市最強の第一位である一方通行(アクセラレータ)を、救い出さなくてはならない。

 

 

 悲劇は、起きた。

 

 

『あの世界』では存在しなかったであろう悲劇は、もう起きてしまった。自分はそれを回避できなかった。

 

 

 上条当麻(おれ)は、また、魔神(オティヌス)に負けた。

 

 

 だが、だからといって、ここでこのまま寝ていていい理由にはならない。

 

 

 ここから先、起こるであろう悲劇を、見過ごす理由にはならない。

 

 

 この世界を、『あの世界』に、少しでも、一歩でも、一つでも、近づける努力を放棄する理由にはならない。

 

 

 あの理想の光景を諦める理由にはならない。

 

 

 この幻想だけは、この右手にも殺させやしない。

 

 

 上条当麻は、自分と同じようにあの悲劇の被害者達が収容されている病院から、フラフラの足取りで抜け出した。

 

 

 頭に巻いた包帯を無理矢理剥がし、歯を食いしばりながら痛む体を動かし、進む。

 

 

 前の世界の最後に焼き付けた――――笑顔と、幸福と、圧倒的な奇跡で満ちていた、『あの世界』を求めて。

 

 

 決して掴めぬ幻想だと分かっていても。

 

 

 上条当麻は、足掻き、苦しみ、縋り、その手を伸ばし続ける。

 

 

 儚き幻想を打ち砕く、その右手を携えながら。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ガシャァン! という鉄格子の牢が開けられる甲高い音が、一方通行(アクセラレータ)を浅い眠りから覚醒させた。

 

 そういえば音を反射するのを忘れていた……と、考えながら、はたして今はいつなんだろうという思考に入る。

 

 自分がここに入れられてから、果たしてどれくらい経ったのだろう? 一週間? 一か月? ひょっとしたら一日も経っていないかもしれない。

 

 

 あの日から、あの何かが終わってしまった日から、一体どれくらい経ったのだろう。

 

 

 いつこの牢屋に入れられたのかも不明だ。大体こんな檻が一方通行(じぶん)にとってどれほど意味があるというのか? 出る気になれば、この檻どころかこの建物、この街、ひょっとすればこの国、この世界すらも破壊することも出来るのに。今はもう、そんな気力すら湧かないが。

 

 

 自分は一体、これからどうなってしまうのだろう。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、白い少年は、何も見たくないとばかりに蹲っていた。

 

 

 そんな彼の前に、誰かが歩み寄り、立ち止まる。

 

 

 先程入ってきた人間だろうか。あれ程のことを仕出かした自分に、気休めの牢とはいえ中に入ってくる人物がいるとは思わなかった。

 

 

 だが、どうでもいい。一方通行(アクセラレータ)は顔を上げずに、更に縮こまるように蹲る。

 

 

「オイ、さっさと起きろクソガキ」

 

 

 荒々しく振り下ろされた言葉は、少年にとって聞き覚えのある声だった。

 

 

 ゆっくりと顔を上げると、そこには顔の左半分を刺青で彩った金髪で白衣の男が見下ろしていた。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、この男を知っている。

 

 

「夏休みは楽しかったかぁ? 今日からまた俺がお前の先生だ。特力研の時とは違って、今度はみっちりとお世話して、しっかりと完成させてやっから、号泣しながら感謝しろ」

 

 

 その男――木原数多はしゃがみ込んで、蹲る一方通行(アクセラレータ)に目線を合わせる。

 

 

 対する一方通行(アクセラレータ)は、そんな彼を見ているのかないのか、まるで光が入り込んでいない真っ暗な瞳で呆然とするだけだった。

 

 

 木原数多は、そんな一方通行(アクセラレータ)の壊れ具合を見て、満足気に微笑んだ。

 

 

 

 その日、学園都市第一位――一方通行(アクセラレータ)は、学園都市の表舞台から忽然と姿を消した。

 

 

 

 その後、数年間に渡り、彼の足跡のその全ては、一切不明のままであった。

 

 

 

 その空白の時間の詳細を知るのは、窓のない部屋の主と――――一部の『木原』のみである。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

才人工房(クローンドリー)』を壊滅させたあの日から、数日。

 

 

 食蜂操祈は『外装大脳(エクステリア)』を完全に乗っ取ることに成功した。

 

 

 すでに研究員は全員が食蜂操祈の支配下にある。メンタルガードを整備する研究員を支配していたので、芋づる式に支配を広げることが出来た。

 そこから派生し、エクステリアの整備を担当していた職員達も支配下に入れ、これで食蜂の目を盗んでエクステリアに手をつけることは不可能となった。

 

 今は徐々に外部のエクステリア計画の関係者へと洗脳の手を広げているが、いずれ完全に食蜂の支配下に落ちるのは時間の問題だろうと思われた。

 

 

 これで、上条当麻へ危害が及ぶ心配も、おそらくは無くなった。

 

 

 

 食蜂操祈は、そんなことを考えながら、あのベンチで『西瓜紅茶』をちびちびと飲んでいる。

 

 

 これから一体どうしたものか。色々なしがらみが一気に消えて、逆にやることがなくなってしまった。

 

 

 心にポッカリと、大きな空洞が出来てしまったかのようだ。

 

 

 だが、このまま自分がこうして放置されているということもないだろう。またすぐに『才人工房(クローンドリー)』のような研究所が、『心理掌握(メンタルアウト)』に目を付けて接触してくるに違いない。

 食蜂操祈が、普通の小学生に、普通の女の子に、戻れるわけがない。

 

 

 この街は、そこまで才能のある人間に優しくない。

 

 

 そうなると、自分はもうあの少年に会うべきではないのだろう。

 

 

 自分のような人間に関わるということがどういうことか、それを今回の一件でとことん思い知った。

 

 

 

『上条当麻には、食蜂操祈のメンタル改善に役立ってもらう――そして、その後、改めて処分しよう』

 

 

 

 この街の闇に関わるということが、どういうことかも今回の一件で嫌という程に思い知らされた。

 

 

 

『ともだちになってくれて、ありがと――』

 

 

『それにしても、最後の最後まで使えない人形だったな。時間稼ぎも碌に出来んとは』

 

 

 

 この街は、歪んでいる。

 

 

 八才の食蜂操祈は、それを改めてはっきりと理解した。

 

 

 

(……あぁ、本当に、くだらない……)

 

 

 食蜂は、空になった西瓜紅茶の缶を手の中で弄びながら、少し離れた所にあるゴミ箱を見る。

 

 

『もしかして、入らないの?』

 

『はァーーー!? はァーー!!? こんなの楽勝だモン!!』

 

 

 食蜂は、もう二度と会うことが出来ない“友達”との何気ない思い出を思い起こし、ベンチで座ったまま、ポイッとゴミ箱目がけて空き缶を放り投げた。

 

 案の定、空き缶はゴミ箱を大きく外れて、カンカンカンと地面を数回バウンドして、見当違いの方向へと転がる。

 

 

 そして、通りすがりの少年が、それを拾い上げた。

 

 

 食蜂は興味のない眼差しを向けていたが、その少年の姿を見て、目を見開く。

 

 

 

「…………かみ、じょう、さん」

 

 

 

 来た。来てくれた。

 

 もう二度と会わないと決めていたはずなのに、あっさり会えて心臓が高鳴るほど嬉しかった。

 

 こんな彼との縁の地で佇んでおいて何を言っているのだと言われるのかもしれないが、それでも食蜂は嬉しかった。

 

 

(……もしかしたら、彼なら――)

 

 

 そんなことを思ってしまうくらいには、ドリーを失った今、食蜂にとって上条は唯一無二の存在だった。

 

 

 だから、食蜂は思わずベンチから飛び降りて、彼の元に駆け寄った。

 

 

 そして、ようやく気づいた。

 

 

 彼の異変に。彼の豹変に。

 

 

 上条当麻は、食蜂が放り投げた空き缶に目を向けたまま、食蜂が知らない暗い声で言った。

 

 

「――食蜂。お前、確か超能力者(レベル5)クラスの能力者だって言ってたよな?」

 

 

 食蜂は、思わず立ち止まった。

 

 

 そして、呆然と、問い返す。

 

 

「……か、かみ、じょう、さん?」

「それなら、学園都市統括理事の一人……親船最中を知らないか? それがダメなら貝積継敏でいい。居場所を知らないか?……俺は、そいつ等に会わなくちゃいけない」

 

 

 だが、食蜂の戸惑いと、そして怖れが混じった呟きも、まるで上条には届いていないようだった。

 

 

 上条は、空き缶を力いっぱい握りつぶしながら、爛々と血走った瞳と、圧倒的な闘気を放ちながら、吐き出すように言った。

 

 

 

「俺は――もう、失うわけにはいかないんだ……ッ」

 

 

 

 食蜂は、その言葉を聞いた瞬間、気づいた。

 

 

 この人も、失ったんだ。

 

 

 そして、自分も壊れてしまった。

 

 

 私のように。

 

 

 食蜂が見蕩れ、見惚れた、あの美しい心を持っていた少年でさえ、この街の闇は壊してしまう。

 

 

 なんで、どうして、私たちばかりこんな目に遭わなくてはいけないんだろう。

 

 

 高々と聳え立つビル群の中にポッカリと存在する公園のベンチの傍に対峙する自分達。

 

 

 それは、まるで決して自分達を逃がさないとばかりに閉じ込めるビルの森の、檻のようだった。

 

 

 そして、十才と八才の少年と少女は、あまりにも小さく――そして無力だった。

 

 

 食蜂は、空き缶を震える手で握り潰し続ける上条の右手を、そっと両手で包み込んだ。

 

 

 お互いの傷を嘗めあうように、食蜂操祈は上条当麻に寄り添い続けた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――その後、俺は食蜂の仲介で親船最中とコンタクトをとり、あの人の薦めで風紀委員となった。……これが、上条当麻(おれ)と、食蜂操祈、一方通行(アクセラレータ)の出会いだ。……ここから全てが始まった」

 

 

 上条当麻は、長い物語に、一先ずそう区切りをつけた。

 

 

 御坂美琴は閉口している。五年前、まだ自分が小学生だった時に、同じく小学生だった彼等は、想像を絶するような体験をしていた。

 

 学園都市の闇の深さを、幼心で垣間見ていた。

 

 凄まじい経験で、とんでもない悲劇だと思う。

 

 だが――

 

「……それは、分かったけど。でも、それが今回の件とどう繋がるの?」

 

 肩書き上は無能力者で一介の風紀委員(ジャッジメント)に過ぎない上条と、超能力者(レベル5)の食蜂操祈と一方通行(アクセラレータ)がどのようにして繋がりを持ったのかは理解したが、それでも上条が語った物語は、あくまで上条と食蜂、そして上条と一方通行(アクセラレータ)の物語で、御坂美琴は――――ましてや、妹達(シスターズ)は関係していないように思えた。

 

 その疑問に答えたのは、御坂の横に座る上条ではなく、御坂の正面で打ち止め(ラストオーダー)を膝に乗せて座っている食蜂だった。

 

 

「……ドリーは、クローン体を長持ちさせる為のデータ収集力の獲得用のモルモットとして造られたのよぉ」

 

 

 食蜂は、打ち止め(ラストオーダー)の髪を撫でながら呟く。

 

 

「その後、量産されるクローンの実験のための、ねぇ」

 

 

 そして、食蜂は御坂を真っ直ぐ見据える。

 

 御坂は、その食蜂の眼差しにより、ある仮定を推測した。

 

 

「……ま、まさか……」

「ええ。その実験が――『量産能力者(レディオノイズ)計画』よぉ」

 

 

 

「いうならばドリーは、あなたの一人目の“妹達(いもうと)”なのよ」

 

 

 

 御坂が絶句するのと同時に、打ち止め(ラストオーダー)が表情を曇らせ、上条と一方通行(アクセラレータ)が歯噛みする。

 

 五人の妹達(シスターズ)は、表面上は変わらず無表情だった。

 

「……そ、そんな、前から、この計画は……」

「ええ。だって、そもそもその為に、彼等はあなたのDNAマップを入手力したんですものぉ」

「……それくらい、“妹達(シスターズ)”を使ったこの一連の実験は、学園都市上層部(やつら)にとっても重要な実験だったことだ」

 

 食蜂の言葉に、上条が吐き捨てるように言い、そしてギリッと右拳を握りしめる。

 

「……あの時、すでに……ッ。俺は、全ての妹達(シスターズ)を救うことは出来なかったんだ……ッ。すまない、御坂。……打ち止め(ラストオーダー)。……お前たちッ」

「……謝らないで、ヒーローさん。ってミサカはミサカは包容力のある女を演じてみたり」

「ええ、あなたが謝るようなことは決してありません。とミサカは憂いある瞳による上目遣いでお子様な上位個体とは桁違いの包容力で圧倒します」

 

 騒ぎ出す二人の妹達(シスターズ)を見て、上条は苦笑する。

 この子達が自分に気を遣って明るく振る舞ってくれているのは明らかだ。この子達は、このような気遣いが出来るくらい優しく、綺麗な魂を持った人間だ。

 

 そして上条は、彼女達の心遣いに応えるように、顔を上げ、いまだにショックが抜けきらない御坂と向き直る。

 

「……続き、聞くか? 御坂」

「……ええ」

 

 こちらと目を合わせようとしないが、首肯の気配は伝わったので、上条も御坂の方は向かずに、顔を前に向けて話す。

 

「……ドリーの一件で、クローンの製造技術を確立した奴等は、満を持して『量産能力者(レディオノイズ)計画』に着手した――が、さっき言った通り、その計画は『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』による演算の時点で頓挫した。……だが、その計画は、また別の大きな実験に流用されることになる」

 

 

 上条が語る過去語りも、いよいよ本格的に佳境に入る。

 

 

 なぜ、妹達(シスターズ)は量産されたのか?

 

 

 一体、どのような悲劇が生まれたのか?

 

 

 一方通行(アクセラレータ)に、食蜂操祈に、そして上条当麻に、一体何があったのか?

 

 

 御坂美琴は、一体どれほど知らなかったのか?

 

 

 上条は、神妙に、その物語の核となるフレーズで、過去へと扉を再び開いた。

 

 

 

「その実験の名は――『絶対能力者進化(レベル6シフト)』」

 

 





 過去編は終わらんよ。もうちっとだけ続くんじゃ。

 ……むしろ、これからが本番ですはい。

 過去編が本編の、この妹達編。最後までお付き合いいただけたら幸いです。


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絶対能力進化〈レベル6シフト〉


 今回はいわゆる導入部分。



 

 上条当麻と食蜂操祈、そして一方通行(アクセラレータ)

 

 幼い三人の少年少女が、大切なものを失って、何かが壊れてしまったあの日から、およそ四年が過ぎた。

 

 

 上条は食蜂の仲介によって親船最中とコンタクトをとることに成功し、学園都市統括理事という後ろ盾と、そしてこの街の“より深い場所”の情報源を手に入れた。

 

 この街の表舞台で平穏に生きていては、気づくことすら出来ない。そんな悲劇の情報源を。

 

 

 

『立場が欲しい。悲劇を未然に防げる立場が。幸せを取り戻すんじゃない。失う前に気づける立場が。その為には、できるだけ高い立場――学園都市のことを、そして“もう一つの世界の事情”も知ることが出来る立場、あんたの力が必要だ』

 

 

 

 四年前――十歳だった上条少年が、当時すでに学園都市統括理事だった親船最中に言い放った言葉だ。

 

 獣のような目だった。この世界そのものを嫌悪しているかのような、そんな爛々と輝く瞳だった。

 

 親船最中は、そんな少年を憐れみ、立場を与えた。

 

 風紀委員(ジャッジメント)

 学園都市の治安維持を目的とした組織。“合法的”に、苦しむ人達を救い出せる立場を。

 

 そして、同じく親船最中は、上条にもう一つの勅命を与えた。

 

 

 上条少年がなぜか知っていた、もう一つの世界――“魔術サイド”に関するトラブルの解決である。

 

 

 もちろん上条当麻は科学サイドの人間で、それも学園都市でもトップクラスの機密に希少な“能力者(げんせき)”である。

 よって、自分から勝手に魔術サイドの問題に関与することは出来ない。機密漏洩ではなく、自身が稀有な“サンプル”であるがゆえに。

 

 だが、同時に上条当麻は、学園都市の技術の結晶である“超能力”を持たない“無能力者”でもある。

 それを理由に、それを建前に、上条当麻は魔術サイドの問題を解決することを、“上”から押し付けられるようになった。

 

 まさしく詭弁。矛盾するその二つの理由を、都合によって使い分ける、都合のいい道具扱い。

 

 

 親船最中がそうなるように仕向け、上条当麻が希望し、獲得した立場だった。

 

 

 だが、“上”から回されるトラブルは全て、学園都市の不利益を未然に防ぎ、利益を守るような事件ばかりだった。

 より正確にいうには、学園都市に関与しない、魔術サイド内の内輪揉めのようなトラブルには関わらせてもらえなかった。

 

 上条当麻の出撃の許可は下りなかったのである。

 

 

 よって、上条が“前の”世界で知り得ている悲劇の火種を消すような、未然に防ぐような手だてはほとんど出来なかった。

 

 

 当然、だからといっておとなしく引き下がる上条当麻ではなく、親船達の独自のネットワークで学園都市の仄暗い企みをいくつも潰したが、それでもやはり親船や食蜂といえども限界はある。零れ落ちるほんの表面を掬い上げる程度で、悲劇の根本はまるでその全容すら掴めなかった。

 

 

 そして、上条当麻は痛感する。かつての自分は、『前の世界』の自分は、本当に無知なガキだったのだと。

 

 

“今の”上条当麻になった時、すでに隣にはインデックスがいて、すでに自分は彼女の守護者(ガーディアン)だった。

 

 確かに、巻き込まれる不幸(じけん)はそのほとんどが魔術絡みで、世界規模の大事件だらけだったけれど、それ故に上条は知らなかった。否、気づかなかった。

 

 

 自分が暮らし、帰る場所であったこの学園都市に、真っ黒な、どす黒い闇が、ここまで広く、深く蔓延っているだなんて。

 

 

 気づかなかった。いや、気付かないふりをしていたのか。

 

 

 妹達(シスターズ)も、風斬氷華も、恋査も、あくまで学園都市でも“とびっきり”の奴だと、あんなのはほんの一部で、俺達の帰る場所であるこの場所はかけがえのないものなのだと、そう信じ込もうとしていたのか――

 

 上条当麻は、歯を食いしばり、右拳を握りしめながら、学園都市の闇の深さと、魔術サイドの今にも起こり得るであろう悲劇に対して何も出来ない自分に対する暗い感情に耐えながら、戦い続けた。

 

 

 

 そんな中で、強いて挙げるなら、土御門と“前”よりもはるかに早くコンタクトを取れたことは成果といっていいだろう。

 

 親船や食蜂にすら話せなかった“前”の世界についての情報を、共有できる人間が出来た。上条自身の経験として知っている悲劇は、そのほとんどが魔術サイドの出来事で、上条は基本的に門外漢だった為、的確な対処が分からなかったのである。

 

 上条は、この街に貼り付けにされた自分に変わって、魔術サイドの問題に対して動いてくれる人手が欲しかった。

 

 土御門という男は、こういう暗躍のような活動に関しては自分よりも一枚も二枚も上手であると、上条は確信している。完全に信じてもらえたとは思えないが、少なくとも考慮はしてくれるだろう。『前の世界』の情報などという荒唐無稽な話も、くだらない妄言だと一顧だにせず、真実が否か裏付けをとろうと動いてはくれるはずだ。土御門はそういう男だ。それだけでも十分にありがたい。

 

 

 

 こういった形で、上条当麻は、この四年間を濃密に過ごしていた。

 

 

 一つでも多くの悲劇を救う。起こる前に。広がる前に。少しでもこの世から駆逐する。

 

 

 悲劇を、闇を殺す。

 

 

 上条当麻はまさに身を粉にして、この世界に尽くした。

 

 

 この世界から、悲劇を失くす為に尽くし続けた。

 

 

 あの『しあわせな世界』に、少しでも近づける為に。

 

 

 戦い、戦い、戦い続けた。

 

 

 

 だが、それでも、一方通行(アクセラレータ)の行方は、依然として、手がかりすら掴むことが出来なかった。

 

 

 

 そうして、上条当麻の中学三年生の冬休みが始まる頃。

 

 

 その情報は、届いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「なっ!? 量産能力者(レディオノイズ)計画が再び動き出しているだと!?」

 

 

 親船最中の執務室。

 本来なら学生はおろか、そんじょそこらの大人達ですら入室を許可されない文字通りのVIPルームに、十四歳の少年の怒声が響いた。

 

 それを受け止めるのは、三人の女性。

 一人は、この部屋の主であり、この情報を上条に伝えた張本人である――親船最中。

 一人は、上条と同じく沈痛な面持ちで俯いている中学一年生の少女――食蜂操祈。

 一人は、そんな食蜂の傍らに立つ同じく中学一年生の少女――縦ロール。

 

 縦ロールとは、上条が食蜂と共に親船最中の元を訪れた後、最初に解決した事件の時に、上条が食蜂と共に救った少女だった。

 その後、彼女は上条と食蜂を敬愛し、食蜂操祈の右腕となって、こうしてこの集会のメンバーへと加わった。

 

 この三人に、上条当麻を加えた、四人。この四人で、たった四人で、これまで数多くの事件を解決し、悲劇を防ぎ――防げなかったいくつかの悲劇も、解決し、解消してきた。

 

 

 そして、この日。

 

 再び新たな悲劇に立ち向かうべく、親船最中は、満を持してその情報を上条に開示した。

 

 

 量産能力者(レディオノイズ)計画。

 

 

 上条当麻は、この計画を知っている。この悲劇を知っている。

 

 

 だが――

 

 

 この事件は――

 

 

「どうしてだっ!? この計画は、樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)による演算によって凍結したんじゃなかったのかッ!?」

 

 

 上条は『前の世界』の経験から、この計画があの悲劇の実験へと繋がることは知っていた。

 

 だから当然、上条は事前に親船にそれとなくそのような実験がある可能性を示唆し、その情報を集めてもらえるように頼んでいた。

 

 

――が、それは結果的に失敗に終わった。

 

 

 そもそもが学園都市の最高傑作である超能力者(レベル5)の量産という、いうならば学園都市の悲願ともいうべき目的を掲げているプロジェクトである。

 当然、学園都市でも最高クラスの優先度で、まさしく総力を挙げて、それでかつ秘密裏に進められていた計画である。

 

 いくら親船最中が統括理事の一人とはいえ、彼女は穏健派――いうならば、圧倒的少数派である。

 

 しかも、ここ四年間で彼女は上条達と共に、いくつもの学園都市の裏の悲劇を食い止めてきた。

 その数字は、その実績は、それだけ学園都市の闇の企みを阻止してきた――学園都市の利益を潰してきたということだ。

 

 当然すでに、親船最中――そして上条当麻は、学園都市の“上”からはブラックリストとしてマークされていた。

 

 そんな状態でそれでも上条を庇いつつ統括理事の椅子にしがみつき続ける彼女の政治的手腕は凄まじいが、結果として、上条達は量産能力者(レディオノイズ)計画を未然に防ぐことが出来ず、後からその計画が企画段階で凍結したという情報を手に入れただけだった。

 

 それを聞き、食蜂も複雑そうではあったが、ドリーを生み出した実験が犠牲を生むことなく凍結したことに、納得しようとしていたようだった。

 

 だが、ただ一人――上条当麻だけは険しい顔のままであった。

 

 なぜならここまで、上条が経験した“前の”悲劇の通りに事が進んでいたからだ。

 

 

 このままでは、あの一万人以上の命が失われたあの実験が始まってしまう。

 

 

 その前に、何としてもあの実験を計画している連中を見つけ出し――そして、一方通行(アクセラレータ)を保護する。

 

 

 何としても、もう一度話をするんだ。そして、絶対にあの悲劇を“繰り返さない”。

 

 上条があの悲劇に巻き込まれた――首を突っ込んだのは、“今”の上条になってすぐ――来年の夏休み。来年の八月。

 

 もう、後一年もない……。

 

 だが、後一年はある。

 

 上条はそう思っていた。

 

 

 が――

 

 

(――なんでだっ!? あの実験は来年の八月だろっ!? あの実験が動き出していなかったら、量産能力者(レディオノイズ)計画に学園都市が価値を見出すはずが――)

 

 

 

 

――すでに、あの実験が動き出していたら?

 

 

 

 

 上条の、動きが止まった。

 

 

 そんな上条を痛ましげに見つめながら、親船に代わり、食蜂が後を継ぐように話始める。

 

「――確かに、異能力者(レベル2)程度しか量産できない量産能力者(レディオノイズ)計画に学園都市は見切りをつけた……。でも、奴等は別の――同様に学園都市の悲願ともいえる重要力の高い計画に、これを流用することにしたのよぉ」

 

 

 上条には、食蜂の言葉は届いていなかった。

 

 

 自分が、とんでもなく愚かな思い込みをしていたことに、ここにきてようやく気が付いたからだ。

 

 

 確かに、上条当麻があの悲劇に首を突っ込んだのは、来年の夏休み――八月の後半のことだった。

 

 

 だが、思い出せ、上条当麻。お前は、あの時、間に合わなかったはずだ。

 

 

 まったくもって、間に合っていなかったはずだ。

 

 

(……俺があの実験を知った時は、すでに“一万人以上”の妹達(シスターズ)は殺されていた。――つまり、あの実験は、あの時よりも“はるか前”から行われていたんだ……ッ)

 

 

“かつて”、上条当麻は、あの狂気の実験が行われている最中、颯爽と乱入し、一方通行(アクセラレータ)をやっつけて、御坂妹を、御坂美琴を、約一万の妹達(シスターズ)を――悲劇のヒロイン達を救った、ヒーローとなった。

 

 それまでに犠牲になった、約一万人の妹達(シスターズ)のことなど、気づきもしなかった癖に。

 

 自分はいつだって、事件が起こって、悲劇が起こって、誰かが泣いて、悲しんで、絶望に暮れてからしか間に合わない、遅刻ばかりの受動態ヒーローだった。

 

 

 誰かの“悲劇ありき”でしか成立しない――偽善使い(フォックスワード)のヒーローだった。

 

 

「――その計画の名は」

 

 

 自分は、いつだって――

 

 

「――『絶対能力者進化(レベル6シフト)』」

 

 

 

――悲劇が起こってからしか、気づけない。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、食蜂操祈はその実験の概要を説明した。

 

 それは、上条が『前の世界』で得た情報と、ほとんど変わりはなかった。

 

 曰く、今現在学園都市が抱える能力者の中で、まだ見ぬ絶対能力(レベル6)へと到達し得る可能性を持つのは超能力者(レベル5)の第一位――一方通行(アクセラレータ)のみである。

 

 曰く、『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』の演算の結果、第三位――超電磁砲(レールガン)を百二十八種類の戦場で百二十八回殺害すれば、一方通行(アクセラレータ)絶対能力(レベル6)へと進化(シフト)出来る。

 

 曰く、実現不可能なそれを、超電磁砲(レールガン)の量産計画である『妹達(シスターズ)』を使用し、二万種類の戦場で二万人の妹達(シスターズ)を殺害することで、代用可能だと『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』の演算により判明。

 

 そこまで読み上げ、食蜂は言葉を切った。

 

 これ以上は不要だ。

 

 実現可能。この言葉だけで、学園都市の狂った科学者達が、たとえそれがどれほど非人道的で悍ましい手段だとしても、躊躇わずに口元を醜悪に歪めながらエンターキーを押す人種であることなど、ここにいるメンバーは骨の髄まで思い知っている。

 

 

 そして、食蜂は表情を変えずに――上条を見た。

 親船も、縦ロールも、そして食蜂も、彼の言葉を待っている。

 

 上条は、食蜂の言葉を、終始俯きながら受け止めていた。

 そして、顔を伏せたまま、ゆっくりと吐き出すように言う。

 

 

「……食蜂」

「なぁに?」

「……その実験が、実行に移されるのは、いつだ?」

「今夜」

 

 食蜂は間髪入れずに応える。

 

 顔を跳ね上げる上条の目を真っ直ぐに見据えながら、食蜂は言った。

 

 

「今日の夜。絶対能力者進化(レベル6シフト)計画――その第一次実験が行われるわ」

 

 

 上条は、その食蜂の言葉をしっかりと受け止める。

 

 今日。今夜。

 

 あの悲劇の計画の――第一次実験が行われる。

 

 第一次実験。一回目の、最初の実験。

 

 始まりの、殺害。

 

 

「つまり――今夜の実験をぶっ潰せば、まだ、誰も死ななくて済むんだな?」

 

 

 上条は、鋭い目つきで、食蜂に問う。

 

 食蜂は、間髪入れずに返した。

 

 

「ええ。……どうする?」

「止めるさ」

 

 

 上条は、力強く立ち上がった。

 

 

「絶対に助ける。誰一人として死なせない。――『妹達(シスターズ)』も、そして、一方通行(アクセラレータ)も。……今度こそ、絶対に救ってみせるっ!」

 

 

 あの時、上条は何も出来なかった。

 

 

 あの時、上条はすでに救えなかった後だった。

 

 

 だが、今は、まだ救える。まだ、手が届く命がある。

 

 

 上条は、何かを掴みとるように、右拳を握りしめる。

 

 

 

 その時、疼くように、右手に痛みが走った。

 

 

 





 展開がかなり無理矢理だったと思います。

 未熟ですいません。


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罠〈アイテム〉

 また少し短めです。



「今現在、妹達(シスターズ)は00001号から00005号までの五体が生み出されているらしいわぁ。すでに学習装置(テスタメント)による学習を終えていて、後は実験に使用されるのを待つのみ……という段階みたいねぇ」

「……使用、か。相変わらず、妹達(シスターズ)を消耗品のようにしか考えていないんだな」

 

 上条と食蜂と縦ロールは、親船が手配してくれた車――運転手はもちろん親船が手配した信頼できる大人だ。一応、後部座席との間には透明な防音装備の壁で仕切られている――に乗っている。一番右側に上条。真ん中に食蜂。そして左側に縦ロールといった配置だ。

 

 食蜂の言葉に対し忌々しげに吐き捨てた上条。食蜂は“相変わらず”という言葉が引っかかったが、ここでは何も言わずに、続けて更に得ている情報を告げた。

 

「……二万通り用意している戦場の内、後半は街中力を使用するみたいだけど、前半は研究所内で極秘に行うみたい。もちろん、後半の街中での戦闘も、一般人に見つからないように最低限の配慮力は高めるんでしょうけど。とにかく今日だけで何回実験を行うかは分からないけれど、その全てを屋内力で消費することは間違いないと思うわぁ」

「……それは、今から向かう研究所で間違いないのか?」

 

 その研究所は、親船最中が、そして食蜂操祈が、持てるコネクションと能力を駆使して手に入れた情報により、絞り込んだ場所だった。

 

 だが、食蜂は上条のその言葉にこう返した。

 

「……正直に言って、罠である可能性力は高いと思うわぁ。……だって、今まで必死に調べてきて得られなかったのに、実験当日(きょう)になっておあつらえ向きにこんな情報力を獲得できるなんて、出来過ぎてるものぉ」

「……それは、もうすでに実験は行われているという可能性もあるってことか?」

「いえ、実験自体は今日であることは間違いないと思うわぁ。それは色々な奴の頭の中を覗いて得た情報だもの。……まぁ、それすらも囮という可能性を捨てきれないのが、この街の面倒くさい所だけれどぉ」

「しかし、この研究所の場所というのが、唯一、親船様のネットワークから手に入れた情報の中で、わたくしたちの裏付けがとれなかった情報なのです」

 

 正確には、親船が手に入れたいくつかの研究所候補の中から、食蜂達の手に入れた情報で絞り込んだ結果、最も可能性が高いとされるのが、今、上条達が向かっている研究所なのである。しかし、それでも確証を得るには至らなかった。

 

「つまり――本当の実験が行われるまでの時間稼ぎとして、その研究所に誘い込み、あわよくば俺達を排除しようとしているというわけか?」

「その可能性は大いにあります。……ですが」

「私達は、これ以上の情報力は獲得していないわぁ。つまり――」

「――ああ。やることは一つだ」

 

「罠だとしても、乗り込むしかない。……どちらにせよ、今から向かう研究所には、奴らの息がかかっている可能性は高いんだ。俺がその罠に正面から乗り込む間、食蜂達は秘密裏に潜入し、本物の実験場を掴んでくれ」

 

 上条は窓の外を見ながらそう言い放った。

 

 それに対し、縦ロールと食蜂は少し顔を暗くする。

 

「……大丈夫ですか? 奴等はおそらくこちらの戦力を把握し、殲滅し得る罠を用意していると思います。それに単独で挑むなど、いくら上条様でも――」

「いや、情報収集なら食蜂の能力は不可欠だし、食蜂の傍に縦ロールはいるべきだ。俺がその刺客を引き付けきれなかった時の場合に備えてな。――大丈夫だ。俺はこういうのには慣れてる」

 

 そう言って縦ロールの不安を吹き飛ばそうと笑いかける上条。

 だが、縦ロールはその笑顔を受けて、暗く表情を沈ませる。

 

 そして、彼等の間にいた食蜂が、上条に語りかけた。

 

「……上条さん。177支部が、新しい後輩力を入手したんですってねぇ」

「ん? ああ」

 

 去年、支部に新しい風紀委員(ジャッジメント)が上条の後輩として入った――あの、白井黒子である。

 

 上条はその時、自分の記憶の姿よりも随分と幼い白井を見て、かなり驚いたのを覚えている。

 だが、その性格はまさしく自分が知る白井を思い起こさせて、三年ほど先輩であり年上である自分に、無能力者で男だという理由で随分と生意気な態度で突っかかってきた。

 

 しかし、相手は小学生で、しかも今は直属の後輩という立場から、それは上条に随分と微笑ましいものに映り、上条はまるで白井を子供のように、妹のように――今の上条からすればまさしく子供であった――扱って、それが逆に白井の癇に障るという悪循環。

 

 結局、とある強盗事件に彼女と一緒に巻き込まれ、上条の先輩である固法と上条、そして白井自身の活躍で解決したあの事件まで、上条と白井は――一方的に――犬猿の仲だった。

 

 その時に白井と一緒にいた花飾りの少女も見たことがあったなぁと上条が思い返していると、食蜂は言った。

 

 

「なら、こんなところで死んではダメよぉ」

 

 

 上条は食蜂に向き直る。食蜂は、上条の左手に自身の右手を乗せながら、淑やかな声で囁いた。

 

 

「あなたには、まだやらなくてはならないことが、たぁくさん残ってるんだから」

 

 

 そう言って、食蜂は微笑む。

 

 上条は左手の手の平を返して、食蜂の右手を握りながら言った。

 

 

「――あっ」

「……分かってる。約束だ、食蜂。――俺は、絶対に死なない」

 

 

 そうだ。自分は死ねない。死なない。こんなところでは、死ぬわけにはいかない。

 

 

 これは、あの『しあわせな世界』へと近づける、その一歩に過ぎない。

 

 

 上条当麻は知っている。この後、この世界では――“あの”世界ではない、この世界では。

 

 

 数多くの事件が起こる。数多くの悲劇が起こる。

 

 

 そして、その度に、救えたはずの命が、失われる。

 

 

 自分は、上条当麻は、それを救わなくてはならない。ヒーローに、ならなくてはならない。

 

 

 

『奴等は助けてくれたから誰でもよかったんだ。お前の代わりに誰かが助けていれば、その信頼と好意は別の誰かに向いていた。――【上条当麻】になんて、誰だってなれたのさ』

 

 

 

 久しぶりに、あの魔神のことを思い出した。

 

 

(……ああ、そうかもしれない。別に俺がそこまでする必要なんかないのかもしれない。俺なんかが出しゃばらなくても、うまいこと世界は回るのかもしれない。全てを救おうなんて傲慢で、俺が動くことで悲劇が加速して、却ってあの世界が遠ざかってしまうのかしれない)

 

 

 だが、それでも、上条当麻は止まらない。止まれない。

 

 

 上条当麻はそういう人間なのだ。そういう風に稼働してしまう人間だった。

 

 

 瞼を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる。

 

 

 四年前の、あの日。上条当麻が、友達を救えなかった、あの日。

 

 

 崩壊した、第七学区。

 

 

 歩道橋の上に、ポツリと佇む小さな背中。

 

 

 降り注ぐ兵器。鳴り響く轟音。かき消される己の絶叫。そして、そんな中でも聞こえてくる、白い少年の笑い声。

 

 

 泣いているような、哄笑。

 

 

 ギリっ……と、右拳を力強く、力強く握りしめる。

 

 

 あんな光景をただ黙ってみていることなど、上条当麻には、絶対に出来ない。

 

 

 例えそのせいで、世界を敵に回すことになったとしても、上条当麻は躊躇わない。

 

 

 力がなくとも、資格がなくとも、正義がなくとも、意味などなくとも。

 

 

 それでも上条当麻は、目の前の悲劇を、理不尽を、不合理を、決して許容など出来やしない。

 

 

 それに背を向け、右拳を(ほど)くことなど出来やしない。

 

 

 上条は目の前の運転席と後部座席を仕切る透明な壁にあるボタンを押しながら、運転手に言った。

 

「――ここで大丈夫です。下ろしてください。ありがとうございました」

 

 そして、上条達は車を降りた。

 

 まだ目的の研究所までは歩いて十分はかかるが、あまり近くまで近寄り過ぎるとそれこそ罠が張ってあって、この運転手を巻き込んでしまうかもしれない。

 

 このあたりはまだ人通りもあるそれなりに大きな通りだ。それほど大騒ぎになるようなトラップはないだろう。

 

 三人でお礼を言って、車が発進したのを確認すると、三人は顔を寄せて言った。

 

「……それじゃあ、こっからは別行動だ。まず俺が突っ込む。その五分後に、二人は別口から潜入しろ。連絡はこの専用の携帯から。回数は最小限に。現場での各自判断を最優先。生きて帰ることを第一に考えろ」

「りょうか~い♪」

「承知しました」

 

 そして三人は頷き合って、上条と食蜂・縦ロールは反対方向に向かって歩き出す。

 

 

(……オティヌス。お前は、今もどこかで俺のことを見ていて、相変わらず馬鹿なことをしていると笑うのかもしれない。……だが、これが俺だよ。どうしたって変えられやしない。……お前に完膚無きまでに叩き潰された俺だけど、それでもこれだけは変えられない。……お前が片手間に創り出した、あの世界。あんなのを一度でも見せられたら、目指さずにいられるなんて出来やしないさ)

 

 そして上条は、この四年間で身に付けた歩行技術で、周りの一般人に不信感を抱かせない程度で、尚且つ尾行がいた場合振り切れるように歩き、目的の研究所へと辿り着いた。どうやら尾行の類はいなかったようだが。

 

 空はまだ明るい。当然、中では多くの研究員が働いているのだろう。

 

(……さて)

 

 上条は、路地裏に入り、事前に食蜂達に用意してもらった偽造の入館証を首に下げ、草臥(くたび)れてある程度の使用感のある白衣を羽織り、伊達メガネをかけてそのまま正面から入る。

 

 ここは入口すぐ横の扉に入館所をかざして電子ロックを外し、建物内に入れるという仕組みになっているようだ。

 

 上条は当然のように設置されている扉上の監視カメラに目を向けることなく、歩行ペースを変えずに流れるように入館証をかざす。

 

 そして、そのまま中へと入った。

 あまりにもスムーズに達成できた侵入に、上条は眉を顰める。

 

(――簡単過ぎる。いくらなんでも甘過ぎだ。……人の目や電子ロックはともかく、学園都市――それも『妹達(シスターズ)』の研究なんてやってる所だったら、監視カメラでの不審者割出くらい自動(オート)で設定してあってもおかしくないはず。というよりあってしかるべきだ)

 

 無能力者の上条には、電子機器を狂わせるなんて御坂のような能力(ちから)はない。

 

 上条は自分を一応追いかけはしている監視カメラを睨みながら、ここは自分を抑え込む(ダミー)であることに確信していた。

 

(……さて、どう出てくる? 俺を殺して排除する気なら、この建物に入った瞬間に銃器を構えてる連中が配備してくるだろうから、あくまでここで軟禁して時間稼ぎか?……その時は別行動をしている食蜂達が上手くやってくれるだろうが――)

 

 上条は研究所内を進む。

 表向きには活動しているように見えるが、人が一人もいない。

 資料などは回収しきれていない部分もあるが、ここが罠に指定されたのは急遽だったのだろうか。

 

(だとすれば好都合。今夜行われる実験の本命の場所のヒントがあるかもしれない)

 

 もうすでに自分の侵入はバレているだろうし、いっそのこと片っ端から資料を漁ろうか。

 上条はそう思い、一応廊下の前方、後方を確認して、次の瞬間、扉が開いていたその部屋に飛び込んだ。

 

 そして手近な端末の電源を入れつつ、伊達メガネを外しながら、そこらに散らばっている紙の資料を読む。

 

(……だが、ここが奴等が指定した罠だとしたら、なぜ徹底的に資料を廃棄しなかった?……これもダミーの資料で俺をここに足止めするための(トラップ)の一環?……本当に余裕がなかったとして、この不十分な退避状態でも俺をここに誘い込んだ理由はなんだ?……それくらいこの罠に対する信用度が高い――俺を確実にリタイアさせるに足る戦力が用意されている?……ここの奴等はあくまでただの研究者。……だとしれば、雇ったのか? それは、一体――)

 

 端末の起動が終わり、上条は片っ端からデータを漁る。

 この四年で、初春飾利(ゴールキーパー)御坂美琴(エレクトロマスター)ほどではないにせよ、専門家の足元レベルくらいにはコンピュータ技術も磨いていた。

 

(――『妹達(シスターズ)』の成長記録ばかり。ここはそういう施設なのか? 絶対能力者進化(レベル6シフト)に関しては……やはり情報収集は食蜂に――)

 

 

 

 

「お目当ての情報は超見つかりやがりましたか?」

「――!」

 

 

 

 

 上条は背後に聞こえた声に向かって、手元にあったキャスター付きの椅子を投げ飛ばす。

 

 その声の主はそれに動じることなく、上条に向かって弾き返す。だが、すでに上条はその場から飛び去っていて、乱入者と向き直っていた。

 

 

「――っ!?」

 

 

 上条は、その乱入者の姿を確認して、改めて絶句していた。

 

 

 乱入者は少女だった。

 

 見るからに自分よりも年下――中学一年か、もしかしたら小学生かもしれない、幼いといっていい外見年齢の少女。

 

 白いTシャツの上にノースリーブのオレンジのパーカー。下は足の付け根ほどの丈しかない真っ白の生足を剥き出しにするホットパンツ。靴はローファー。

 

 

 そんな彼女は――そんな少女は、パーカーのポケットに両手を突っ込みながら、こちらを冷たい眼差しで見据えていた。

 

 

「――その身のこなし、情報通り超堅気の人間ってわけではなさそうですね?」

 

 

 上条当麻は彼女を知っている。

 

 それはこの世界ではなく『前の世界』。ほとんど会話を交わした記憶はない。知り合いの知り合いという関係だった。

 

 

(……確か、浜面の――)

 

 

 そうだ。確か彼女達は――

 

 

「――『アイテム』、か……」

 

 

 上条は思わず口に出して、そう呟く。

 

 すると、目の前の少女――絹旗最愛の無表情が崩れ、より鋭い目つきで上条を睨む。

 

 

「私達のことを超知ってやがるんですか。……なら、生きて帰すわけにはいきません。ここで超死んでください」

 

 

 絹旗は上条に向かって突撃する。

 

 上条はそれを舌打ちをしながら迎え撃った。

 

 

(……くそっ。よりによって、“第四位(レベル5)”を擁する暗部組織が相手かよっ!)

 

 

 

 今、ここに、『前の世界』ですら実現しなかった――上条当麻vsアイテムが幕を開けた。

 

 

 




 前回、今回と少し短めの話が続いたので、次回はその分長めで。

 やっと最愛ちゃんを出せたぜ!


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窒素装甲〈オフェンスアーマー〉

 感想たくさんありがとうございます!
 さすがアイテム! そして(ある意味)浜面!w


「クソッ! よりによって俺達が“(あたり)”かよッ!!」

「確かにここは元々量産能力者(レディオノイズ)計画の研究所だから、絶対能力進化(ほんめい)様に比べれば優先度低いんだろうけどさ……この扱いはあんまりだぜぇ」

「もう妹達(シスターズ)はある程度のクオリティで量産できるシステムは完成したから、あとは設計図と部品と材料があればどこでも作れるって判断したらしいぜ。俺達の何年もの努力がUSB一つで纏められるのはなんか侘しいものがあるよな……」

「そう思うならつべこべ言わずに手を動かせ。ここに残しておいてその汗と涙の結晶を二重の意味でパクられたら侘しいなんかじゃすまねぇぞ」

 

 上条当麻が絹旗最愛(アイテム)と交戦している頃、研究所の裏口付近のある一室ではいまだに移送が終了していないデータ類を持ち運ぶ、または消去している数名の研究者達がいた。

 

 警備が全くといっていいほど機能していなかった正面入り口とは違い、こちらは堅牢な警備だった。

 

 明らかに身のこなしからプロと分かる護衛役が、段ボールを運ぶ研究者の付近をうろついている上、こちらに入ってくる車、そして出ていく車を、一つしかない裏口(いりぐち)で監視カメラとガードマンによりチェックする。

 

 日中ということでこちら側にもあからさまに物々しい装備の部隊はいないが、それでも見る人が見れば明らかに何かがあるということは分かる人の流れだった。

 

「にしてもなんでこんなに急いで逃げ出さなくちゃならないんだ……。ここを囮にするにしても、もっと余裕をもって教えてくれればこんなに慌てずにすんだのによぉ」

「どうも相手も相当な奴等らしいぜ。噂によれば、あの第五位がいるらしい。そいつに事前に情報が洩れる可能性があったから、こんな夜逃げみたいなスケジューリングで逃避行ってわけだ」

「なるほどぉ。でも分かっていても癪よねぇ。それってぇ、私達の研究所だけじゃなくってぇ、私達の研究データ自体も最悪盗まれてもいいって切り捨てられたってことじゃなぁい?」

「ん?……あぁ、そう考えてみればそうだな。たくっ、“上”の連中も何考えてるんだか。たった一体しか作れない絶対能力者(レベル6)に予算と月日をかけるんだったら、それをこっちの研究に使って、超能力者(レベル5)の量産の可能性にかける方がはるかに価値があるだろっ」

 

 ぶつくさと文句を言いながら資料を纏めている研究者達の中に、一人の黒髪の女性研究者がいつの間にか混じっていた。

 ふとそちらに目を向けた一人の男の研究者だったが、その横顔は共にここで働いていた旧知の同僚だった為、そのまま資料に目を移し愚痴を続ける。

 

 

 彼女はその彼を一瞬見遣りながら、“どうやら気づかれなかったようだ”と――『食蜂操祈』はそのまま会話を続行する。

 

 この研究者は、すでに件の第五位――『心理掌握(メンタルアウト)』食蜂操祈の術中だった。

 

 

「それにしても、私達こんなにのんびりしていていいのかしらぁ。その実験を潰そうと動いてる連中って、もうこの研究所に忍び込んでるかもしれないのに」

「一応、暗部の組織を雇って護衛に置いてるらしいけどな」

「ああ、見た。だけどなんか全員女だったぞ。それもかなり若い。っていうか子供」

「まじか。急に不安になってきたわ」

 

 ピタ。と、資料を読む『食蜂』の手が止まる。

 そして、ゆっくりと視線を上げて、この部屋にいる三人の男を見た。

 

 彼らは全員資料に夢中で、こちらを見向きもしていない。

 

 食蜂はゆっくりと、懐からリモコンを取り出して、彼らの記憶に直接アクセスしようと――

 

 

 

「ひぃぃぃぃぃいいいいい!!!!! お願いですからやめてくださぁい!! 外部の人間に計画を漏らしたら僕が殺されちゃいますぅぅぅううう!!!」

「どうせ最悪侵入者に見られても構わないってレベルの情報なんだろうがっ! いいからさっさと見せなさいよ、暇なのよ!」

 

 ん? とその室内の研究者達が全員外――つまりこの部屋の扉の方へと、手元の資料から視線を移す。彼らの背後からリモコンを突きつけようとしていた食蜂はそっとリモコンを戻し、彼らと同じように扉に目を向ける。

 

 そして、位置的に『食蜂』が最も扉に近かった為、そのまま開いている扉から廊下を覗き込む。

 

 

――そこには肥満体の男を椅子にしている美女がいた。

 

 

 パッと見、そういう系のお店のサービスのように見えなくもない。

 

 男の方は一応白衣を着ているが、その顔面に汗を垂れ流し、心なしか息が荒い。眼鏡がベトベトである。

 

 女の方は、腰近くまである長い茶髪を括らずに無造作に見せびらかすように払い、その長い足を組みながら細長い指でノートPCを操作している。腰かけているものを視界に入れないようにすれば、優秀なオフィスレディにも見えるかもしれない。が――

 

「ぎゃはははは!!! なに!? 第一位はこんな面白そうなことやらされてんのか!? ただの作業ゲーじゃねぇか!! 努力値稼ぎかよ!!」

 

 突然、その美貌を崩して大口を開けて下品に笑いだした。一見清楚な第一印象があまりに見事に崩れる有り様に、そっと覗き見ていた『食蜂』も軽く引いてしまう。

 

 その時、椅子になっている男が、荒い呼吸のままその女に問いかける。

 

「あ、あの、いいんですか?……お仲間の方は、侵入者の迎撃に向かったんじゃ」

「ああ? どうせ侵入者は情報通りなら無能力者(レベル0)一匹でしょ。それならあの二人で十分よ。第五位は戦闘力は皆無だし、もう一匹大能力者(レベル4)がいるらしいけど、そいつは第五位にべったりっていうから来ないでしょ」

 

 そして、彼女はノートPCを畳んで、妖艶に笑いながら言った。

 

「むしろ、私なら正面から一人突っ込ませて、それを囮にして裏口から“本命”を侵入させる。だから私がここに居んのよ。のこのこやってきたネズミを捕まえる為にね」

「――ッ」

 

『食蜂』は息を呑み、そっと室内に戻った。

 

 他の研究員は外の様子は気にはなるものの、あまり関わらない方がいいと思ったのか、すでに資料に目を移していた。なんだかんだで仕事熱心な連中だ。

 

 だが、『食蜂』は、見かけ上は一応資料探しに戻ってはいるものの、内心は焦燥が渦巻いていた。

 

(……不味いわぁ。あれは第四位――ってことは(トラップ)の正体は暗部組織『アイテム』。まさか彼女達が送り込まれてくるなんて……想定外力髙過ぎよぉ)

 

 確か『アイテム』は、学園都市上層部の暴走の阻止や、不穏分子の排除が目的の組織のはず。学園都市統括理事長の直轄部隊である『メンバー』とかならともかく、なぜアイテムが? むしろ彼女達は、おそらくは湧いて出てくるであろうこの実験を私的に利用しようとなどと企む輩の排除などが仕事なのでは?

 

(……そこまでして、この実験を成功させたいということかしらぁ? 第一位のパワーアップに繋がる実験の遂行の手伝いなんて第二位は動かないだろうし、事実上の最強戦力の投入、というわけかしらぁ)

 

 

 それとも、彼女達の投入を決断されるほどの不穏分子として、自分達は断定されてしまったのか。

 

 

 第五位と幻想殺し(イマジンブレイカー)という希少価値では、もはや逃れ切れない程に、学園都市の逆鱗に触れてしまったのか。

 

 

 ……だが、今の食蜂が懸念すべきはそちらではない。第四位――『原子崩し(メルトダウナー)』の彼女ではなく、同じくアイテムの一員である――

 

 

「――むぎの」

「ん? 滝壺? どうしたの?」

 

 廊下から聞こえてきた声に、『食蜂』が思わず硬直する。

 

(……『能力追跡(AIMストーカー)』――滝壺理后)

 

 そう。『食蜂』が危険視するのは、麦野よりも彼女である。

 

 もし、彼女と接触してしまい、AIM拡散力場を“記憶”されてしまったら、例えどれだけ“顔”を変えようと、確実に捕捉されてしまう。

 

 自分の本体は今、縦ロールを近くに置いて、別所で待機しているが、この『食蜂』がバレたら、その本体の位置も捕捉されてしまうだろう。そうなると第二陣を送り込むことも出来なくなり、結果としてこれ以上の情報収集は不可能になる。

 

 食蜂操祈という、こと情報収集においては、学園都市最強どころか、全世界でもトップクラスであろう『心理掌握(メンタルアウト)』に、まさかこんなジョーカーをぶつけてくるなんて。

 

 今ここで顔を会わせて接触するわけにはいかない。食蜂はいますぐそこの扉から飛び出したい衝動に駆られたが、実行すればその時点で滝壺に捕捉される。いや、その前にそんなあからさまな行動をしたら麦野に撃ち抜かれて終わりか。

 

『食蜂』は、廊下の二人の言葉に耳を傾ける。

 

 そして、滝壺はそののんびりとした口調のまま、言った。

 

 

「――さっき、きぬはたの携帯から、“男の声”で電話があった」

「……はぁ?」

 

 

「……うん。きぬはたとフレンダ、負けちゃったみたい」

 

 

 その言葉に、麦野と『食蜂』は息を呑んだ。

 

「……へぇ」

 

 その麦野の呟きは、怒りと少しの愉悦が篭っていた。

 

「で、その男はなんて?」

「“仲間を返して欲しくば、こっちに来い。そうすればコイツ等には手を出さない”――だって」

「ぷはっ! なんだ、そのお約束な展開は!」

 

 そう言って麦野は楽しそうに笑い――

 

「ぶひっ!!」

「面白ぇ。そのお約束に乗ってやろうじゃないか」

 

 立ち上がるついでに(いす)をヒールで蹴とばした。

 滝壺は悶え苦しむ(いす)を視界にすら入れずに、麦野に問いかける。

 

「……行くの?」

「まぁ、このまま図に乗らせたままだと癪だしね。外にいる下請けの連中の何人かをここに寄越して。気休めだけど、さっさと済ませてちゃっちゃと戻ってくればいいわ」

 

 そして、二人分の足音が遠ざかっていく。

 

「気の乗らない仕事だったけど、思った以上に面白そうじゃない。“親船”の子飼いっていうから対して興味もなかったけど、ここまで私をコケにしてくれたんだ――」

 

 口元に、その細く長い美しい指を当て、麦野沈利は楽しそうに呟いた。

 

 

「――ブ・チ・こ・ろ・し・か・く・て・い・ね」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 遠ざかっていく足音に、食蜂は同室内の同僚(仮)達に気づかれないように、そっと息を吐く。

 

(……どうやら助かったみたいねぇ……()は)

 

 だが、すぐに表情を引き締める。

 

(……それにしても、上条さんは。この短時間で『アイテム』二人の撃破力はさすがだけど……それでも相手は第四位。それに上条さんのことだから、その二人も殺してはいないだろうしぃ、実質『アイテム』を一度に同時に相手にするようなもの。……まぁ、『能力追跡(AIMストーカー)』は上条さんには効かないでしょうけど)

 

 食蜂は、一刻も早く本命の研究所の情報を探し当てなくては、と自分の仕事を遂行しようとして――

 

 

 

「What?……一体、何をしているの?」

「ぐぅぅ……ぬ、布束さん」

 

 再び外から、今度はこんな会話が聞こえてきた。

 

(……布束、ですって?)

 

 食蜂は、事前に調査していた際に印象に残っていたその名前に反応し、耳を傾ける。

 

「そ、それが……護衛に雇った暗部の連中が侵入者に苦戦しているようでして……今、全員総出で撃退に向かった所です」

「……そう。なら、データの撤去を急がなくてはね」

 

 そう言って彼女は、『食蜂』がいる部屋とは廊下を挟んで反対側にある、地下へと繋がる階段に向かう。

 

 

 布束砥信。

 

 高校二年生の十七歳でありながら、『量産能力者(レディオノイズ)』計画時代から関わっていた、いわば古株。

 

(…………そうねぇ。賭けてみる価値力は高そうかしらぁ?)

 

 少なくとも、今、食蜂と同じ部屋にいる三人や、麦野に椅子にされていた男よりは、“上”の人間だろう。

 

『食蜂』は、懐から拳銃を引き抜くように、そのリモコンを取り出した。

 

 

 

 

 

「――布束、砥信さんよねぇ」

 

 布束は地下へと繋ぐ階段を降りている最中、頭上からそんな間延びした女の声で呼びかけられた。

 

 彼女は魚類を思わせるギョロ目を、振り返ってその声の主に向ける。

 その女は見覚えのある人間だった。直接会話を交わしたことはないが、この研究所で何度か見かけたことがある。

 

 だが、目の前の、いや目の上の彼女は、布束の薄い記憶では絶対にしないであろう尊大な態度で屹立していた。

 口元を妖艶に歪ませ、普段は一本の三つ編みに纏めていた髪を解き、思わずみるものを惹きつけてしまう高貴な雰囲気を感じさせる――ことを計算し尽くしている所作で、髪を払う。

 

 そして、そんな彼女の後ろには、まるで女王に仕える奴隷のように、四人の男の研究者が傅いている。

 

 布束砥信は、それを見て、表情を変えず、目の色も変えず、ただ淡々と言った。

 

「Indeed。あなた、『心理掌握(メンタルアウト)』ね」

「ご明察♪」

 

 そして『食蜂』は、布束に向かってリモコンを突きつける。

 

 傲岸不遜の女王が戯れに臣下を甚振る様な笑顔で。

 

「そのご自慢の優秀な頭の中、覗かせてもらうわねぇ」

 

 小さな電子音を皮切りに、学園都市最強の精神能力が、布束砥信の頭脳を蹂躙した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻と食蜂操祈、そして縦ロールの三人は、学園都市統括理事の“穏健派”――親船最中の私兵として、学園都市の裏を牛耳る権力者達からは“親船派”と呼ばれ、疎まれている。

 

 彼らが学園都市の闇の悲劇を探し出す情報網となるのは、主に親船最中の統括理事としてのパイプ、そして学園都市最強の精神能力者――食蜂操祈の『心理掌握(メンタルアウト)』だ。

 

 中でも食蜂の情報収集力は学園都市でも随一で、読心、洗脳、催眠、ありとあらゆるガード不能の反則手をもってして、秘密や機密を根こそぎ暴かれてしまう。

 

 よって食蜂操祈は、学園都市の暗部組織である『アイテム』のことも当然の如く知り得ていた。その役割、メンバー構成、そして各人が持つ能力の詳細すらも。

 

 

 だが、ここで一つ明らかしなければならない前提条件がある。

 

 食蜂や親船は、自身の持つ情報網を学園都市に張り巡らせていて、防がなくてはならない悲劇の予兆を感知したら、すぐにでも動けるように日夜暗躍している。

 

 しかし、その獲得した全ての情報を、自分達の仲間である上条当麻に明かしているわけではない。

 

 これは、上条を騙しているということでは有り得ない。役割の違いだ。

 

 

 上条当麻という男の性質は、チェスの駒に例えると『兵士(ポーン)』だ。目の前の明確な目標に向かって、ただ真っ直ぐに突き進む。それが上条という男を最大限に活かす使い方であり、適した在り方だ。

 断じて、策謀を巡らせ、大局を見て戦略を練る男ではない。

 

 その役割を、“親船派”で担っているのが、『(キング)』であり、『女王(クイーン)』である親船や食蜂だ。

 彼女達が、有象無象に集まる莫大な情報の中で、真に対処すべき案件を、真に対処すべきタイミングで介入するかを判断し、そこで初めて上条に情報を与え、事の解決にあたるのだ。

 

 

 万が一、その悲劇の情報を選別せずに有りのままに全て上条に伝えたら、どうなるか。

 

 その時上条は、自分の体が動く限り、昼夜を通して、それら全ての案件の解決に尽力するだろう。

 

 それで、己の体が悲鳴を上げ、ズタズタに傷つき、ボロボロに成り果てたとしても。

 

 例えそれにより、己の命が失われようとも、上条当麻は止まらない。そういう風に出来ている。

 

 そういう風に、壊れてしまっている。

 

 今は年月の経過によりある程度収まったように見えているが、食蜂と親船は忘れていない。

 

 

 あの日。食蜂操祈を通じて、親船最中の元を訪れたあの日。

 

 この世界の全てを憎む様な目。この世のありとあらゆる悲劇を憎悪する瞳。

 

 

 上条当麻は、危うい。それは二人の共通認識だった。

 

 

 つまり、食蜂と親船は、あまり上条に情報を与えていない。

 

 その悲劇への介入を決めた時のみ、その案件に関する情報のみを与えるようにしているというわけだ。

 

 だからこそ上条当麻は、『前の世界』の記憶以外の真新しい情報というのは、以外にもあまり知り得ていなかったりするのだ。

 

 

 だが、そんな食蜂が、まだそれらに関わることが確かではない時に、上条に事前に教えていた情報が、二つあった。

 

 一つは、暗部組織『スクール』。そして、もう一つが、同じく暗部組織『アイテム』。

 

 より正確に言えば――学園都市第二位と、学園都市第四位。

 

 学園都市の裏の世界に戦いを挑むにあたって、いつか激突してしまうかもしれない、二人の超能力者(レベル5)

 

 

 それは、食蜂操祈なりの、上条当麻へと忠告でもあった。

 

 

 どうか、真正面から、彼らに挑まないでくれと。

 

 

 上条当麻が、愚直な『兵士(ポーン)』であることは、承知の上で。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 だが、そんな食蜂の願いも空しく、上条当麻は今ここに、暗部組織『アイテム』と相対してしまった。

 

 目の前にいるのは、第四位ではないにせよ、無能力者の上条よりは遥かに格上の存在である、大能力者(レベル4)

 

窒素装甲(オフェンスアーマー)』――絹旗最愛。

 

 空気中の窒素を操ることで自動車を持ち上げるほど強大な攻撃力(オフェンス)や、『窒素の壁』を自動展開する強硬な防御力(アーマー)を誇る、『アイテム』の前衛を務める少女。

 

 と、上条がここまで絹旗について知っているのは、一重に食蜂による事前の教授のお陰である。上条自身は『前の世界』では絹旗については“浜面って奴の仲間”くらいの認識しかなかった。

 

 だが、今はその強さを、恐ろしさを、知識という形で把握している。

 

 そんな彼女と対峙してしまった上条は――

 

 

 バサッ! と、彼女に向かって身に付けていた白衣を放り投げた。

 

 

「っ!?」

 

 絹旗最愛は戦闘力の高い大能力者(レベル4)だが、そんな彼女はまだ成長しきっていない小柄な子供に過ぎない。

 

 上条が彼女の頭上に広げた白衣は、絹旗の視界を真っ白に覆った。

 

 そこで絹旗は、距離を取るように後退する。狭い一室を脱し、廊下へと戻る。

 ここで無闇に突っ込んで行ったりしない。下手な拳銃などは絹旗には効かないが、最悪白衣によって動きが捕らわれてしまう可能性もある。

 

 事前に彼女に与えられた上条当麻という男の情報は、絹旗にここで後手に回らせる程の脅威は与えていた。

 

 無理に深追いをする必要はない。この扉の前で待ち伏せていれば、標的(かみじょう)は逃げられないのだから。

 

 そして絹旗は腰を落とし、上条が飛び出してくるのを待つ。仮に飛び出してこなくとも、白衣が地面に落ちたら今度は自分が部屋に飛び込み、追い詰めればいい。

 

 そうして、知らずの内に宙を舞う白衣に目を奪われていた絹旗の足元に、カランと何かが転がってきた。

 

 それは――

 

「――しまっ!」

 

 

 カッ!! と強烈に発光する。

 

 

 咄嗟のことで完全に目を塞ぎきれなかった絹旗は、その閃光に目を焼かれた。

 自慢の防御力も光までは防げない。

 

 だが絹旗は、ここで大きく両手を開いた。すでに焼かれてしまった両目の前にいつまでも無意味に両手を上げておくなどという愚行は犯さない。

 目で追えなければ気配で感知する。パニックに陥らず、変わらず腰を落として両手を広げる体勢を維持する。

 

 暗部組織『アイテム』として、この年齢でも数多くの修羅場をくぐり抜けてきた歴戦である少女は、その場に置けるベストの選択を選んだ――はずだった。

 

 

 パリーンっ! と、何かが突き破られるような破砕音が響き。

 

 

 グッ! と、頭を掴まれ、背後から力づくで押し倒された。

 

 

「な――ッ!?」

 

 絹旗は為す術もなく地に伏せられる。

 頭を掴まれたまま、そのまま別の手で利き腕を拘束された。

 

 いつの間に背後を取られたのか――それはどうでもいい。すぐに立て直したとはいえ、閃光弾によって数瞬呆気にとられたのは確かだ。手練れならば、その隙に自分の背後に回り込むことも出来るだろう。

 

 だが、そこではない。絹旗が信じられないのは、自分の頭を掴み、押し倒したことだ。

 

 もっと言うのなら、自分に“触れられた”ことだ。

 

 

 自分の――絹旗最愛の能力は、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』。

 この能力は、とある計画により生み出された能力で、かの“第一位”の演算パターンにより最適化された自動防御能力がある。

 

 それは、学園都市最強の防御能力――『反射』を疑似的に再現した、『窒素の壁』。

 本人の意思に関係なく、常に三百六十度どこからの攻撃も防ぐその疑似最強の盾は、絹旗本人も気づかない完全な不意打ちにおいても防御する、まさしく『装甲』。

 

 もちろん絹旗の能力の性質上、あくまで窒素のみを扱っているので、第一位のように攻撃を『反射』することも出来ず、周囲の窒素がなくなれば発動できないなどという弱点も存在するが――だが。

 

 無能力者の何の変哲もない“手”の侵入を拒めないような、こんな風に無遠慮に頭を掴みあげられることを許すような、そんな柔な絶対防御では有り得ないはずだ。

 

 

(……まさか……あの噂は超本当だったってことですかっ!?)

 

 

 たった三人の“親船派”。

 

 奴等の中で最も厄介なのは、超能力者(レベル5)の一角の『女王(クイーン)』ではなく。そんな女王に付き従いその身を守る大能力者(レベル4)の『騎士(ナイト)』でもなく。

 

 そんな彼女らを率いる――無能力者(レベル0)無能力者レベル0の『兵士(ポーン)』である。

 

 何故なら、その男の前では、例えどんなに強力な超能力であろうと、その全てが意味を為さない。

 

 学園都市の闇に戦いを挑み続けるその男は、全ての超能力を否定する男である――と。

 

 そんな、まさしく都市伝説のような、信憑性などまるでない噂話のみが跋扈する、その正体不明の風紀委員(ジャッジメント)

 

 それが――

 

 

「仲間はどこだ?」

 

 その男――上条当麻は、絹旗を地に伏せながら問いかける。

 

 否、それはもはや尋問に近かった。

 

「……さぁ? 超知りません――ねッ!?」

 

 絹旗は不貞腐れる子供のように不敵に吐き捨てたが、その言葉を最後まで言い切る前に、上条が左手で絹旗の右腕を締め上げた。

 

 その技は人体のどの部位に力を加えれば効果的に痛みを与えられるかを計算され尽くした、風紀委員(ジャッジメント)に必須の暴徒鎮圧用の関節技(サブミッション)

 

 それを受ける絹旗最愛は、普段滅多に味わうことのない種類の痛みに戸惑い、一瞬揺らぐ。楽になりたい、こんな痛みを味わい続けたくない、とそんな言葉が脳裏に過ってしまう。上条の技は、まさしくそういった効果を与える為に極められた種類の技だった。

 

「……もう一度聞くぞ? 仲間はどこだ?」

 

 絹旗は一度、水面に顔を出す魚のように口をパクパクと開け――それでも、不敵に口元を歪めた。

 

 

「……超、知りませんね」

 

 

 上条は、ピクリと、絹旗の腕を締め上げるその腕の動きを止めた。

 

 

 絹旗最愛は、まだおそらくは中一かそれ以下の年の、まさしく少女だ。

 

 だが、それでも、彼女の歩んできた人生(みちのり)は、そんじょそこらのスキルアウトなど鼻で笑うような絶望と苦難に満ち満ちている。

 

 学園都市の闇で、生き残り続けてきた歴戦の少女である。

 

 彼女は屈さない。数々のスキルアウト達を屈服させてきた“程度”の痛みなどで、絹旗の心はまるで折れなかった。

 

 馬鹿にするように、馬鹿にするなというように、不敵に、笑ってみせた。

 

「…………」

 

 上条は、そんな彼女の――

 

 

――上から、飛び退くように離れた。

 

 

(!?)

 

 絹旗は急に自由の身になったことに戸惑いながらも――ガコンッ! という音に顔を上にあげる。

 

 

 そこから無数のぬいぐるみが降り注いできた。

 

 

 絹旗はその物体の正体を把握すると、すぐに『窒素の壁』が再び展開されていることを確認し――上条を見る。

 

 上条は一瞬、その右手をピクリと動かすも、すぐにさらに後ろに飛び去る。絹旗から――そしてぬいぐるみから距離をとるように。

 

 だが、この距離ならば関係ない。絹旗はそう判断する。

 

 例え、奴がどのような手段で能力を無効にしようとも――

 

 

――このぬいぐるみ群は、紛うことなき“ただの”爆弾なのだから。

 

 

「BANG! って訳よ♪」

 

 ドドドドドドドドッッ!!! と、廊下内の限られた空間が爆炎に埋め尽くされる。

 

 その爆風は、絹旗に、そして少し離れた場所にいた上条にも容赦なく襲い掛かる。

 

 爆発の衝撃により、廊下の床が破壊され、地下の広い空間に躍り出た。

 その空間は、パイプや機器類がそこら中に配置されていて、まるでボイラー室のようになっていた。

 

 そこに――絹旗最愛は華麗に着地する。

 

 そして、彼女の隣に一人の金髪の少女が降り立った。

 

「にゃ~はは! 撃破! 私、標的げ~きは☆! これで特別ボーナスは私のもんだ~! あ、絹旗~! いやぁ~さすが私って感じ? 結局、出来る女は華麗に一撃で決めるって訳よ~! 絹旗もこれを機に年上の(レディ)をもっと敬――ちょっ! 痛い! 痛いって訳よ! なんなの!?」

「いえ、その華麗なレディ(笑)に先程殺されかけたので、超腹いせです」

「いや爆弾で窒素諸共吹き飛ばしたのは悪かったって思ってる訳よ! でも絹旗は予備の液体窒素持ってるし! ぬいぐるみと一緒に防護服も落としたじゃない!」

「こんな戦争中の防災頭巾みたいなので超防げるわけないでしょう。私のお洒落パーカーに焦げでもついたら超弁償ですよ」

「いたたたたた! 分かった! 私の特別ボーナスでパーカーでもなんでも新しいのかってあげるから、とりあえずこの関節技を解いて欲しいわけよ! どうしたの!? さっきあのツンツン頭にやられてた分の八つ当たりって訳!?」

「いえ、そんなことは超ないです。でも今の口振りだと随分最初の方から文字通りの高見の見物決め込んでたみたいですね。もっと早く超助けに割り込めなかったんですか?」

「…………テヘペロ☆」

「……………」

「いたたたたたたた!! き、絹旗! レディの関節はそんな方向には曲がらないってわけよぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 

「――アイテムってのは、随分楽しそうな組織なんだな?」

 

 

「「!!?」」

 

 その声に、絹旗と金髪の少女――フレンダ=セイヴェルンは反射的に臨戦態勢をとった。

 

「……超倒せてないじゃないですか」

「え、いや、でも。間違いなく爆発には巻き込まれた訳よっ!」

「ああ、その防災頭巾じゃないが、これで身を守ったんだ」

 

 その男は、少女達に一歩ずつ近づき、徐々にその姿を現す。

 

 

 そこにいたのは――多少服に焦げ跡を残すものの、五体満足の上条当麻だった。

 

 

「……あの時の、白衣ですか」

「ちょ!? そんなもので防げるような柔な爆弾じゃないってわけよ!」

「ああ、これは特別製だ」

 

 上条はボロボロになった白衣を放りながら、二人の少女に向かって言う。

 

「ここに俺達を誘い込んで罠を張っていることは予測していたからな。だから、それなりの装備はしてきたさ。さっきの閃光弾もその一つ。ちなみにこの白衣は防弾防刃、そんで能力者対策に防火防電防水機能なんかも付いてる。まぁ、気休め程度だけどな」

 

 警備員(アンチスキル)に支給される正規装備にははるかに及ばない。と上条は自嘲するように言う。

 

 そして、絹旗とフレンダに向かって、不敵に言い放つ。

 

「大変なんだぜ。無能力者の分際で、能力者(おまえたち)に立ち向かい続けるのは。いつも必死だ。こういう小細工も必須だ」

 

 だがな、と上条当麻は腰を落とし、腕を引いて、右拳を握り締める。

 

 それを受けて、絹旗も腰を落とし、フレンダも身を引いた。

 

「それでも、俺はお前らを止めるぞ。例え、どれだけ身の程知らずだろうと……お前らが、誰かが泣いているのを見て見ぬふりをして、自分達の為だけに誰かを傷つけ続けるってんなら……そんなんが自分達の生き方で、変えられない在り方だってんなら――」

 

 

 上条と、アイテムの二人の少女の視線が交錯する。そして――

 

 

 

「――まずは、そのふざけた幻想をぶち殺す!!!」

 

 

 




 上条の白衣は親船のコネで手に入れたもの。
 あくまで上条が言う通り気休めで、死なないこと――致命傷を避けることを目標に作られたもの。つまり、超痛いはず。しかも消耗品。一回耐えればいい方。
 たぶん、今回の爆弾も上条以外ならこの白衣着てても普通に死んでた。


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最終信号〈ラストオーダー〉

 上条と食蜂。

 それぞれの場所で、それぞれの戦いが続く。

 一つの目的の為に。


 

 ダッ! と、上条は駆けた。

 

 そして、それを迎え撃つように絹旗最愛も上条に向かって駆ける。対照的に、フレンダは一歩下がるように距離を取った。

 

 上条と絹旗、両者の距離が一気にゼロになる。

 

(さっき……この男の身体が離れた瞬間に、私は能力が超使えるようになった)

 

 絹旗は小さな体躯を活かして上条の懐に潜り込み、その胴体に拳を叩き込もうとする。

 

(つまり――こいつが能力を無効化できるのは、対象と直接接触しているのが超条件!!)

 

 もし遠隔的に能力を無効化出来るのならば、初めて相対したあの時、白衣を投げつけるなどという小細工をせず、その場で能力を無効化すればよかった。能力が使えなければ、絹旗最愛はただのか弱い(重要!)女の子なのだから。

 

 だが、ここまで接近してもなお、絹旗は能力を使えている。ならばやはり触れなくてはならないのだという自らの仮説はかなり的を射ていると、絹旗は断定した。

 

 しかし、その“触れる”というのもかなり曖昧な言葉だ。

 それは身体のどこでも触れていればいいのか、または自分から触れるのではなく相手から触れられるのでも条件を満たすのか、それら次第で絹旗がとれる選択肢も大きく限定される。

 

 例えば、今のこの状況――絹旗は上条の懐に潜り込み、能力である『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を発動している状態で、上条の胴体に拳を叩き込もうとしているこの場面。

 

 だが、もし敵の能力無効化が、絹旗の『窒素の壁』のように全身に適応されて、尚且つ受動的にでも効力を発揮するものならば、この絹旗の攻撃はただの女子のか弱いパンチとなる。

 

 そうなれば、大したダメージを与えられずに、その場で拘束されて、今度こそ絹旗は決定的に敗北するだろう。

 

 

 そこまでの可能性を考慮に入れて――それでも絹旗は特攻した。

 

 

 例え拘束されても、敵の攻撃手段はあくまで人間の暴力の範囲を出ないだろう。奴は自らを無能力者だと言っていたし、それがブラフだとしても、能力無効化能力を持っている以上、学園都市の超能力は一人一種類という大前提の元、別の能力を持っているとは考えにくい。

 

 ならば、数発は耐えられる。それに、さっきとは決定的に違う一つの要因――

 

 

――自分の後ろには、フレンダがいる。

 

 

 最悪、自分が拘束されようとも、それにより上条の動きを止め、その隙にフレンダに攻撃させればいい。

 

 二対一というこの状況を、絹旗は最大限に利用する。それを卑怯などと思う者は、この場にはいない。

 

 

 学園都市の暗部で生きる鉄則は、ただ一つ。

 

 

 勝って、生き残る。

 

 生き残ったものが、勝ちだ。

 

 

(超もらいましたッ!!)

 

 そして、その拳が上条の腹を捉えようとした、その瞬間――

 

「っ!?――な」

 

 

 パァン! と、その拳が上条の右手によって弾かれた。

 

 

 再び絹旗の窒素装甲(オフェンスアーマー)を破っての攻撃――防御。しかし、絹旗は動揺を押し殺し、崩された体勢のまま、その弾かれた勢いを利用して、身体を捻って上条の足を刈り取るように地を這う蹴りを放つ。

 

 上条はそれを後ろに飛び去ることで躱すが、距離が開いたその瞬間に絹旗は体勢を立て直し、再び上条に肉薄する。

 

 そのまましばし互いの拳を交わし合う肉弾戦を演じる様相となるが、そんな中でも絹旗は上条の能力に対して考察を続けていた。

 自分はこうして能力を使って戦えている。だが、奴の身体に触れる時のみ、その能力が解除され、攻撃が弾かれてしまう。

 

 それに加え、絹旗は上条の戦い方にも疑問を覚えていた。

 上条の肉弾戦の能力は高い。絹旗は自身の能力『窒素装甲(オフェンスアーマー)』の性質もあってか、近接戦闘に対しては多大なる自負を持っていた。それこそ、超能力者(レベル5)とでもやり合えると思っている程、こと肉弾戦においては自分は無敵に近いと、自惚れではなくそう客観的に判断していた。

 

 だが、目の前の男は、そんな自分と真っ向から、能力を使わずに互角以上に渡り合っている。インパクトの瞬間に自分の能力を無効化されるので能力を使っていないわけではないのだろうが、それでも肉体強化などを自身の身体に施さずに単純な体術のみで戦えている事実は変わらない。性別、体格に差はあるが、それでもそんな“誤差”をひけらかす奴等は無数に薙ぎ倒してきた絹旗は、目の前の男に戦慄する思いだった。

 

 だが、それでも違和感を覚える。上条の戦い方――というより、その体捌きに。

 

(なにかの武術?……いや、それにしては体捌きに効率のようなものが超感じられません)

 

 この世に数多存在するそれぞれの武術には、長い年月の研鑽によって最適化された各々特有の体の動かし方のようなものがある。

 人はそれを流派と呼ぶが、上条の戦い方はそういったものとはまた別の、むしろ真逆の不合理な動き方のように思えた。

 

 絹旗は上条に右回し蹴りを放つ。上条の首を狙った大きく足を上げる上段蹴り。上条はそれを後ろに躱すことで避けた。

 

 が――それにも絹旗は疑問を覚えた。

 

(今のも、能力を無効化出来るなら躱すのではなく受けるはずです。回し蹴りのようなアクションの大きい攻撃――私のように身体が小さいと、そのあとの隙も大きい。わざわざ下がって、相手に体勢を直す時間を与えるなんて……超不合理です)

 

 絹旗はそのまま再び上条に突っ込んで、拳を放つ。それを、上条は右手で弾き――

 

 

――その時、絹旗は気づいた。上条が、己に右手でしか触れていないことに。

 

 

 初めにいきなり組み敷かれて関節技を決められたのが印象的過ぎて忘れていたが、あの時自分の頭を掴まれたのも――右手だった。それにより、能力が使えなくなったのだ。

 

(……まさか、能力を無効化する条件は右手で相手に触れること?……つまり、能力を打ち消せるのは超右手“だけ”ってことですか?)

 

 絹旗は弾かれたまま距離を取り、上条と向かい合った。

 

 そして、信じられないといった驚愕の表情で上条を見る。

 

 

 なんだそれは?

 

 

 今までこの男は、そんな弱点だらけの武装のみで、この学園都市の暗部を敵に回し続けてきたというのか?

 

 右手。それは確かに人間の最大の武器なのかもしれないが、身を守る盾としてはあまりに小さく、頼りない。

 

 

 そんな、ほぼ丸腰に近い状態で、目の前の男は、いったいどれだけの修羅場を潜ってきたのだろう。

 

 それは、この独特の体捌きに顕著に表れている。右手を最大限に生かしたといえば聞こえがいいが、完全に右手頼りの、右手依存の体捌き。

 

 そんな不安定で、不効率で、不完全な体捌きが、戦い方が、こんなにも洗練されてしまうほどに、目の前の男は右手一本で、拳一つで、戦い続けてきたのだ。

 

 

 戦い、生き残り続けてきたのだ。

 

 

 そのことに、学園都市の暗部に住まう絹旗最愛は、戦慄を――恐怖を感じざるを得ない。

 

 

「どうした? もう終わりか?」

 

 

 一歩、近づいてくる上条に、絹旗は身体を開いて膝を軽く曲げて溜めを作りながら警戒する。

 

 

 ……本来なら、能力を暴いた時点で恐れるに足らないはずだ。

 

 もしこの仮説が正しく、能力を打ち消せるのが右手だけなのだとしたら、一発でいい。

 

 

 右手という小さな魔の手から逃れ切り、たった一発、ただ一撃を胴体にぶち込めば、絹旗の勝ちだ。

 

 

 奴は、右手以外はただの普通の人間なのだから。

 

 

 大能力者(レベル4)の能力を駆使すれば、殺さない方が難しいほどの、脆く、普通な人間なのだから。

 

「――っ」

 

 だが、まるで見えない。

 

 あの右手を掻い潜り、目の前の男に一撃を叩き込む自分が、まるで想像できない。

 

 それぐらい、目の前の男は、上条当麻は、レベルが違う。

 

 それなりにこの街の暗部を見てきたつもりの自分よりも、はるかに積み重ねてきたであろう戦闘経験値が違い過ぎる。

 

「お前の仲間は――」

 

 上条は絹旗に語り掛ける。まるで、怯える子供をあやすように、何気なく。

 

「――お前が戦っている間、どっかでなにかやってるようだな」

「……戦闘中に余所見とか超余裕ですね? 私の相手など片手間で十分ってことですか?」

「いや、お前は強いよ」

 

 上条は絹旗の自嘲する言葉を、悲しそうに否定した。

 

「……きっと、たくさんの戦いを経験してきたんだろう。……その歳で――本来なら、学校に行って、友達作って……普通の女の子やれてるはずの時間も、きっと戦い続けてきたんだろうな……」

「……超、哀れんでやがるんですか?」

 

 絹旗はこれまで以上の敵意を――殺意を滲ませて上条に吐き捨てる。

 

 ふざけるな。確かに自分は、人よりも“不幸な”人生だったかもしれない。

 

 顔も知らない実の親によって学園都市に捨てられて“置き去り(チャイルドエラー)”となり、暗闇の五月計画などという妙な実験の被検体にされて、その後も『アイテム』として学園都市の暗部で人殺しをして生きてきた。

 

 徹頭徹尾、物心ついた頃から今の今まで、ずっと日の当たらない、真っ暗な日陰で生きてきた。

 

 

 でも、それでも、自分は懸命だった。死にもの狂いで生き続けてきた。

 

 間違っても、こんな初めて会った人間に、哀れまれるような惨めな生き様ではない。

 

 そんなことをされて、そんな風に侮辱されて、笑って許せるような、薄っぺらな物語ではない。

 

 

 だが、上条は絹旗のそんな激昂を、力なく首を振って否定した。

 

「……気に障ったならすまない。断じてお前を哀れんだわけじゃないんだ。……ただ――」

 

 上条はそこで、雰囲気を豹変させて、言葉に怒りを滲ませた。

 

 その呟きには、耳にした絹旗がゾッとするほどの、怨嗟の念が込められていた。

 

 

「――今までそれに気づきもしなかった、自分が許せないだけだ」

 

 

 その呟きに込められた感情に、そして何より、その言葉の内容に、絹旗最愛はただ恐怖した。

 

 なんだ? こいつは何を言っている? 何を抱えて、何処に向かっている?

 初めて出会った人間の過去の悲劇を、当たり前のように自らの責任だと思い込み、血が滲むほどに拳を握りしめながら悔いている。

 

 なんだ? なんなんだこいつは?

 ここまで壊れた人間が、どうしてこんな風に立っている? 今も尚、こうして存在出来ている?

 

 絹旗は、無意識に、一歩後ずさった。

 

 

 その時――上条に向かって複数の魚型のミサイルが飛来した。

 

 

「――っ!?」

 

 上条は瞬時に物陰へと駆け出し、絹旗も弾かれるように距離をとった。

 

 そして、そこにフレンダが合流する。

 

「大丈夫、絹旗?」

「……ええ、それよりも準備の方は超万端ですか?」

 

 絹旗は先程感じた恐怖を誤魔化すように、平坦な口調でフレンダに問いかける。

 フレンダはそれに対して胸を張るように「もちろんっ! 元々このフロアは私向きだと思って下調べと下準備はそれなりにしてた訳だしね」と答え、続ける。

 

「結局、あんなチート能力相手にまともに異能バトルなんてやってもしょうがないって訳よ。だったら、話は簡単。いつも通りやるだけ」

「超いつも通り、ですか」

「そう」

 

 フレンダは、口元を醜悪に吊り上げ、酷薄に笑う。

 

 

「いつも通り、人間を殺すように。結局、無能力者(にんげん)なんて、面白いように簡単に死ぬって訳よ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ピッ という電子音が目覚ましとなり、彼女は覚醒した。

 

(――!……ここは?)

 

 布束砥信が“自分の”意識を取り戻し、辺りを見渡すとそこは、自分の最後の記憶――階段の上から見知った顔の別人にリモコンを向けられたその時の場所とは、まるで別の場所だった。

 

 ここは、あの階段をさらに降りて、深く潜った場所――自分が、あの後向かおうとしていた目的地に続く、とある場所だった。

 

 

「――ここが、妹達(シスターズ)の製造場所ってわけねぇ」

 

 

 少し離れた場所で、あの時自分にリモコンを向けていた同僚科学者――否、学園都市最強の精神系能力者、超能力者(レベル5)の第五位『心理掌握(メンタルアウト)』の傀儡は呟いた。

 

 布束は、彼女を操る少女に向かって答える。

 

 自分達の目の前に無数に広がる、人が一人スッポリと入るような巨大な試験官の樹海に目を向けながら。

 

「Exactly。――ここが、彼女達の出生場所にして製造場所。この中で、受精卵から十四日間で彼女達は完成するわ」

 

 製造日数――十四日。単価にして十八万。

 まるで家電でも生産するかのように、彼女達はここで製造される。

 そして、この広大なフロアに無数に鎮座する巨大な試験官は、そんな製品(かのじょ)達を効率的に量産する為に作られた工場だ。

 

『食蜂』は、その試験官を険しい表情で見上げている。

 

「……でも、ここには一人分の残量力もないわねぇ」

「Right。デリケートな扱いが必要な妹達(シスターズ)の移送は一番最後になるのではと踏んでいたけれど、さすがに(あたり)の場所には残してはいないようね」

 

 その言葉を聞いて、食蜂は少し疑問に思った。

 

 確かにここは懸念していた通り囮の研究所なのだろう。だが、こうして妹達(シスターズ)の製造ラインがあるということは、それなりにここは重宝していた研究所ではないのか?

 

 自分達も独自に捜査していたとはいえ、ある程度今回のこの情報は相手側に誘導されたものだ。それを承知で自分達は乗り込んできた。

 

 だが、だとすれば、なぜわざわざこんな重要度の高い施設を囮に誘導した?

 捨石に利用できる施設など、この実験を牛耳るほどの権力者なら簡単にいくらでも用意できるであろうに。

 

 肝心の妹達(シスターズ)はここには一体も残っていない。だが、この製造ラインだけでもかなりの有益な情報だ。

 

 むしろ、それが狙いか?

 ある程度重要な施設を襲わせて、それを餌にして時間を稼ぎ、実験を確実に行おうと?――だが、一回こっきりの実験ならまだしも、今夜行われる実験は、これから二万回も行う内の、第一回に過ぎない。これから一万九千九百九十九回も実験は続くというのに、これは少し大きすぎる犠牲ではないか?

 

 確かに学園都市ならば、理論と金さえあれば、同様のものなどそれこそ量産できるのだろうが――

 

 

(――考えすぎ、にしては大きすぎる疑念力よねぇ)

 

 食蜂はそんな気持ち悪い感覚を抱えながらも、布束に話しかける。

 

「――それで、あなたはここで妹達(シスターズ)に、その懐のプログラムをインストールするつもりだったのよねぇ?」

「……ええ」

 

 そう言って、布束は懐からUSBメモリを取り出す。

 布束が彼女達の為に用意した、感情プログラム。

 これを彼女達にインストールすることで、命令にただ従順するだけの彼女達に感情を生み、それにより実験にイレギュラーな要素を持ち込む。それが布束の当初の計画だった。

 

 それが、どのような結果を生むのかは、分からない。

 

 何も変わらないのかもしれない。逆に、彼女達を苦しませる結果となってしまうかもしれない。

 

 それでも、誰か一人でも、彼女達の声に耳を傾けてくれる人がいるなら――

 あの第一位の心を、少しでも揺さぶることが出来るのなら――

 

 だが、そんな想いも、そんな計画も、実行する前から失敗に終わってしまった。

 

「However、それも彼女達がいなければ意味がないわ。……まぁ、そもそも作戦というにはあまりに不確実で、曖昧なものだったしね」

 

 布束はそう呟きながら、その小さなUSBを手の中で弄ぶ。

 

 それを見て、『食蜂』は素っ気なく言った。

 

“彼”ならば、きっと今の彼女にこういうだろうと。

 

「――それでも、そのUSBは、あなたが彼女達の為に、実験を止めようと動いた証拠力でしょう?」

 

 布束は、その特徴的なギョロ目を小さく見開いて、『食蜂』に向ける。

 

『食蜂』はそんな彼女と目を合わせず、照れたように手元を弄りながら言った。こんなことは本来は“彼”の領分で、自分でもらしくないと思いながら。

 

「それなら、それは大事にとっておきなさいな。……いつか、それが実を結ぶ日が、来るかもしれないでしょう?」

 

『食蜂』が照れながら、自身の内から湧き上がってくる妙な痒みと戦いながらも言い切ったその言葉に、布束はこれまで見たことのないような優しい微笑みを浮かべる。

 

「……ふふ、ありがとう。らしくないことを言わせてしまってごめんなさいね」

「~~~~っっ、それでぇ! もう、本題に入るわよぉ!」

 

『食蜂』はこの話を無理矢理切るように大声を出すと、途端に声色を変えて布束に問い詰めた。

 

 

「――“20001”番目の妹達(シスターズ)。そんな子が、本当にこの研究所にいるのぉ?」

 

 

 それはいつもの食蜂の口調通り少し間延びした言葉だったが、込められていた迫力は誤魔化しを許さないものだった。

 

 そもそもが、食蜂はこの問いに関する答えを、すでに布束の記憶を読み取った時に得ている。だが、それでもあえて本人の口から言わせたのは、それほどまでに信じられないことだったから。

 

 布束は、おそらくそんな食蜂の胸中も察した上で、力強く肯定した。

 

 

「Right。生み出される二万体の妹達(シスターズ)、その司令塔となる、まさしく上位個体。――最終信号(ラストオーダー)は、おそらくこの研究所にいるわ」

 

 




 サブタイがネタバレ……だと(戦慄)

 いや、本当にゴメンなさい。どうしてもほかにいいサブタイが思いつかなくて……。

 まぁよく考えれば、罠(アイテム)←の時もそうでしたね。

 センスが欲しい。切実に。こういうとこで出るよなぁ、センス。


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爆弾魔女〈フレンダ=セイヴェルン〉

 今回はタイトル通りvsフレンダです。



 

 魚型のミサイルを回避した後、上条は物陰に身を潜め、絹旗とフレンダの様子を伺っていた。

 

(……合流したか。さて、どう来る?)

 

 上条は絹旗最愛、ここにはいない滝壺理后、そして第四位の麦野沈里の能力は把握している。

 

 だが、目の前のあの金髪の少女――フレンダ=セイヴェルンの能力だけは把握していない。

 正確には能力者なのか、それとも無能力者なのかも把握していない。

 

 食蜂曰く、彼女はこと戦闘において能力を使用しないらしい。だが、かといって滝壺のように後方支援用員というわけでもない。

 

 彼女が使うのは――爆弾。そして(トラップ)

 

 まるで人間が人間を殺すように、人間を殺す人間の少女。

 

 そんな彼女は、こちらを見てにやりと笑うと、絹旗とともに建物の奥へと駆けだした。

 

(……誘ってるのか)

 

 あまりにも分かりやすい誘導。

 だが、それはこの状況では愚策とはなり得ない。

 

 なぜなら、彼女達『アイテム』に課せられた任務は、この研究所からのデータ移送が済むまでの間の研究員の護衛と、侵入者の撃退。撃滅ではない。

 いうならば、ここで上条を取り逃がしても、結果的に研究員(データ)を守ることが出来れば任務達成なのだ。

 

 だが、上条はそうはいかない。上条の目的は、ここで、この研究所にて、本来の実験が行われる場所の情報を得ること。何の情報も得ずにここで立ち去ることなど出来ない。

 

 フレンダはこう思考する。

 

 上条はアイテム(じぶんたち)の情報を知っていた。ここにいたことには驚いていたようだが、それでも何かしらの侵入者撃退部隊がこの研究所に配備されていることは織り込み済みだったようだ。だが、上条は来た。自分達を確認した後も、逃げることなく向かってきた。

 

 それはつまり、どうしても達成しなくてはならない目的があるということ。

 そして、それを達成するには、少なくとも上条の方は、自分達を撃破する必要があるということだ。

 

 つまり、上条は自分達を追ってくる。そう、フレンダは踏んでいる。

 

 そして上条は、フレンダがそう踏んでいることを踏んだうえで、それでもその策に乗る。乗らなくてはならない。

 

 現状、彼女達こそが、最も有力な情報源なのだから。

 

(……行くか)

 

 上条は意を決し、フレンダと絹旗の後を追った。

 

 彼女達は今いる大きな空間から隣の大きな部屋へと繋がるトンネルのような通路に入る。

 

 上条は、この暗い空間の足元、もしくは壁面に爆弾が仕掛けられているのかと注意深く観察しながら、速度を緩めることなく足を踏み入れる。

 

 その時、フレンダはにやりと笑いながら――

 

 

 ジッ。と、壁面のテープを発火させた。

 

 

 ドアや壁を焼き切る特殊ツール。それを利用し、導火線に火をつける。

 

 そのテープは――導火線は、一気にトンネルの天井に向かって走り――

 

「ッ!?」

 

 格子状に亀裂が走って、倒壊した。

 

 天井が瓦礫群と変わり果てて上条に向かって降り注ぐ。

 

 倒壊前にトンネルから脱したフレンダは、その凄惨な有様を見てご機嫌に笑い――

 

「一丁上がりって訳よ!」

 

 パチーンと指を鳴らして勝ち誇ったが――

 

 

 ダッと飛び込むようにトンネルを脱してきた人影があった。

 

 

「…………え?」

 

 顔を引き攣らせながらその人影に顔を向けると――フレンダに向かって不敵な笑みを向けている上条がいた。

 

 倒壊といっても、全ての瓦礫が同時に降り注いでくるわけではない。

 

 そして上条は、発火した導火線によって、落ちてくる瓦礫の形や大きさなどを把握できた。

 

 それにより、そして何より長年の経験(ふこう)により、生き埋めになりかける、天井が倒壊するなどの修羅場は数多くこなしてきている上条は、最も生き残る可能性が高いルートを瞬時に見極め、恐怖により身体を竦ませスピードを落とすなどのタイムロスを一瞬たりとも行わず、トップスピードでその道を駆け抜けた。

 

 フレンダと絹旗は再び逃げる。心なしか先程の誘導と違いフレンダは全力疾走な気がした。

 

 絹旗は淡々とフレンダに向かっていう。

 

「……あれが超普通の無能力者(にんげん)に見えますか?」

「つ、次よ! 結局、次が本番って訳よ!」

 

 フレンダは最高速度では自分達を上回る上条相手に巧みにルートを限定しながら逃走することでなんとか距離を保つ。

 

 そして予め爆弾をセットしておいたポイントに誘導し、最高のタイミングでリモコンのスイッチを押す。

 

(今!!)

 

 だが、上条の読みはフレンダのその上を行く。

 

 爆発の瞬間を読み切り物陰に身を隠し、時には何処からか拾い上げた瓦礫や鉄板を使って、その全ての爆発を防ぎきる。

 

「っっ~~!! もう~~!! なんで死なないって訳!?」

 

 そして上条は、フレンダ達の追跡を続けながら、並行して分析も続けていた。

 

(……このぬいぐるみ爆弾、どうもあのリモコンで爆発させているみたいだな。あくまでフレンダの遠隔操作。センサーで自動爆破するものじゃない)

 

 なら少なくとも地雷などは仕掛けていないか、と思考しながら上条はフレンダ達を追い続ける。

 

 振り切れない上条相手に業を濁したのか、フレンダは絹旗に抱きかかえられながら上へと跳んだ。その先には別のフロアへと繋がる道がある。

 

 さすがの上条も生身であんな跳躍は出来ない。

 よって、金属製の壁際に備え付けられた階段に向かって駆けだす。

 

 フレンダ達を注視しながら上を向いて走っていると――

 

 

――通路を抜けた先で、死角に爆弾が仕掛けられていた。

 

 

(――しまっ!?)

 

 だが、自分はフレンダから目を逸らさなかった。彼女は絹旗に抱きかかえられた際に、リモコンは仕舞っていた筈――

 

 上条はその時、そのぬいぐるみが今までとは違い、時計を抱えていることに気付く。

 

 

(タイマー式かッ!?)

 

 

 上条は遮二無二に前方に向かって飛び込む。

 

 バンッとぬいぐるみが爆発する。それはそれまでのものとは違い爆風ではなく破片を飛ばすものだった。

 

 

 上条は拾っていた鉄板を空中に投げ出す。それにより破片は弾かれ、間一髪事なきを得た。

 

 が――

 

(……これで拾った瓦礫は弾切れか。……今度、まともに爆弾を食らったら終わりだな)

 

 上条は冷静にそう考えながら、再び階段に向かって疾駆する。

 

 その様子を、フレンダと絹旗は上から見下ろしていた。

 

「……まさか時限式陶器爆弾までクリアされるなんてね」

「……フレンダ?」

「……大丈夫よ。結局――」

 

 フレンダはリモコンを取り出して、上条を見下すように笑う。

 

 

「――これで、ジ・エンドって訳よ♪」

 

 

 ピッと、こちらを見上げる上条に見せつけるようにそれを押した。

 

「!?」

 

 瞬間、上条が駆け上がっていた階段の安定感が失われ、背筋がゾっとするような浮遊感に襲われる。

 

 

 階段が、消失した。

 

 

 まるでパズルを崩したがごとく階段がバラバラになり、ごっそりと上条がいた周辺のみが落下した。

 

「どんなにしぶとい人間でも、重力には勝てないって訳よ! さすがにこの高さから落下す……れ……ば?」

 

 勝ち誇って高笑いしようとしていたフレンダの表情が引き攣る。

 

 隣にいた絹旗も、口を開けたまま固まっていた。

 

 

 上条は、“(せい)”にしがみついていた。

 

 正確には、階段が隣接していた壁面に走っていた鉄骨――壁面を強化する為の鉄骨にしがみついていた。

 

 足場はない。ただ己の両腕の筋力のみで。

 

 

 そして、すぐに懸垂をしているかのように身体を持ち上げ、そのまま高スピードで移動する。壁面を登る。今の自分は格好の的だと分かっているのだろう。そして、階段が残っている部分が近づくと、振り子のように己の身体を振って、跳んだ。

 

 ガっ! と端を掴み、グイッと体を引き上げる。

 

 そして、フレンダと絹旗を見上げた。いや、見上げるというほどの距離でもない。

 

 

 すぐ目の前にいる。すぐ目の前まで追いつかれた。

 

 

「ッ!?」

 

 絹旗はフレンダを抱え一目散に奥のフロアへと駆けた。

 

 抱えられるフレンダは、もう完全に怯えている。

 

「ひぃぃぃぃいい!!! 何あれ!? 何あれ!? SAS○KE!? 完全にターミ○ーターじゃない! アイルビーバックって訳よ!」

「超落ち着いてくださいフレンダ。このままだと埒があきません。超協力プレイと行きましょう」

「で、でも、それだと特別ボーナスが」

「このままだと任務失敗で、特別ボーナスどころか私達が麦野に超抹殺(ターミネート)されます」

「う、うぐぅ……」

 

 フレンダは悔しそうな顔をしながらも、結局は麦野が怖かったのか、「……分かったって訳よ」と了承した。

 

「でも、どうするの? 言っておくけど、その先は袋小路って訳よ」

「……ええ。これからフレンダはあそこで――」

 

 絹旗はフレンダの耳元に口を近づけて囁く。

 

 その作戦を聞いて、フレンダは頬を引き攣らせて、言った。

 

 

「……え? マジで?」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 布束を先導に、『食蜂』は研究所の奥深く、地下深くへと潜っていく。

 

 その間、布束はこんな話を食蜂に聞かせた。

 

量産型能力者(レディオノイズ)計画が、絶対能力者進化(レベル6シフト)に転用されると決まったのは、本当についこの間のことなのよ」

 

 布束は量産型能力者(レディオノイズ)計画に参加していた研究者の一員だったが、彼女は作られたクローンの“教育”が主な役割だったので、計画段階――クローンの製造“前”に頓挫したその計画には、実はそこまで深く関わっていなかった。

 

「それが、急に絶対能力者進化(レベル6シフト)への転用が決まって、私達はすぐに、これまであくまで理論上で止まっていた計画を、すぐに実行しなくてはならなくなった」

 

 それで、出来上がったのは案の定、レベル2~3の欠陥電気(レディオノイズ)達。

 

 その時、初めて布束も、学習装置(テスタメント)による妹達(シスターズ)の“教育”を行った。

 

「はじめに五体しか製造しなかったのは、これまで理論上でしかなかった仮説を実証してみるため。樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)のお墨付きがあると言っても、やはり実際にやってみなければ分からないことも多いしね」

 

 つまり、クローンを製造する実践的なノウハウを入手することが必要だったのだ。

 

「……まぁ、実際にはそれ以前にも何体か、プロトタイプを作ったりはしてたようだけれどね」

「…………」

 

 食蜂の脳裏に、いまだに彼女の心の一番やわらかい場所を占める少女の顔が浮かぶ。

 

 だが、前を歩く布束は、そんな彼女の顔色の変化に気づかずに、さらに話を進めた。

 

「――それで、クローンの量産のノウハウを確立した私達は、そのまま一気に上からの命令通りに二万体のクローンを製造する手筈を整えた」

「……ねぇ、少しいいかしらぁ? 前から疑問力が高かったんだけど、それっておかしくないかしら?」

 

 ここまで、ただじっと布束の話に耳を傾けていた『食蜂』が、ここで話を遮り疑問をぶつけた。

 

「なぜ一気に二万体もの妹達(シスターズ)を製造する必要があるのかしらぁ?……こういっては何だけれど、デメリットしかないように思えるだけれど」

「……分からない。そこは私も疑問だったのだけど、そこは上からの、かなり強い要望によりそういうことになったそうよ」

 

 食蜂は、二万体を一気に製造するというやり方に疑問を覚えていた。

 

 クローンの寿命は短い。それに、樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)のお墨付きがあるとはいえ、たった五体のデータのみで一気に製造しきってしまうというのもおかしな話だ。

 二万体ともなると、秘匿するだけでも一苦労だろうし、それなら実験の都度、必要な分だけ製造して、積み重ねたデータをその度に上乗せして活用するのが、最も実験のクオリティを高めるやり方であると、食蜂は考える。そう考えると、一気に二万体を製造するというやり方には欠点しか見えない。

 

 製造してからの学習装置(テスタメント)による学習の方に力を入れるつもりだろうか? どうせ実験で殺してしまうのだから、身体の方は最低限のスペックさえあればいい、と?

 

 それでも腑に落ちない。今から二万体の製造を行っても、後半の妹達(シスターズ)が使用されるのはかなり先になる。その間に不安定なクローンの身体が不具合を起こす可能性は、少ないとはいえない。

 

 その時は新しいのを作ればいい、と学園都市の科学者はいかにも言いそうだが、それはただの二度手間だ。

 

(……それとも、二万体を揃えることで生まれる特別な意味が何かあるのかしらぁ?……でも――)

 

「――それでも、二万体の製造を待たずに、実験は始まるのねぇ」

「……ええ。これも上からの強い要望、というより命令ね。一刻も早く、第一次実験を遂行しろとのことよ」

 

 それにより、試作品ともいうべき五人の妹達(シスターズ)が早速使用されることとなった、というわけだ。

 

 これは、考えられる理由が多すぎて理由は推測できない。

 

 単純にまだ見ぬ絶対能力(レベル6)というものを一刻も早く実現させたいのか、それとも二万回もの回数を繰り返さなくてはならない実験なので出来る限り効率的に動かしたいのか、それとも第一位が気まぐれでやれるうちにやれるだけ進めておきたいのか。

 

 どちらにせよ、学園都市の上層部は、この実験に多大なる興味と、何やら表にしていない思惑を抱いている。それは間違いないと食蜂は確信した。

 

「――それにより、どこかの誰かが恐れを抱いたのかもしれないわね」

「……件の末っ子ちゃんのこと?」

 

 布束の呟きに、先程彼女の記憶を読み取ったことでその意味を理解している食蜂が相槌を打つ。

 

 布束は「Right」と、いつも通り言葉の最初に英単語をつけ、ポツリポツリと語る。

 

「元々、最終信号(ラストオーダー)は、二万体量産時に一緒に作られる予定だったのよ。直接実験には関係のない個体だし、それにそもそも少し立ち位置も役割も特殊な個体でね。――だから、私も彼女がもう作られているなんて話はまるで聞いていなかった」

「……それでも、二万体のクローンの製造がまだ始まっていないにも関わらず、その子は優先的に作られた」

最終信号(ラストオーダー)はね、妹達(シスターズ)安全装置(ストッパー)でもあるのよ」

 

 布束は足を止める。それに少し遅れて『食蜂』も足を止めた。

 

 彼女達の目の前には、これまでとは違い、暗証番号を入力するテンキー、網膜認証の為のカメラなど、明らかに厳重なセキュリティの扉。

 

 布束は、そのテンキーに膨大な桁の暗証番号を入力し始める。

 それと平行して、『食蜂』に話の続きを語る。

 

「二万体ものクローンを、こちらに抵抗させないように“教育”しているとはいえ、なんの安全装置(セーフティ)も施さずに放置しておくほど、学園都市の科学者は勇敢ではないわ。例え彼女達に感情が芽生え、科学者(わたしたち)に反旗を翻しても、それを上から押さえつけて命令を下せるのが――上位個体(ラストオーダー)

「……ミサカネットワーク、ね」

「Right。さすが、そこまで読み取ってたのね」

 

 妹達(シスターズ)の最大の特徴である、ミサカネットワーク。これにより彼女達は、記憶や経験といった情報を共有することが出来る。

 

 彼女達は、一つの大きなネットワークでつながっている。

 

 これにより、彼女達は殺された前の個体の経験を十全受け継いで、次の個体へと引き継げる。

 

 こうして彼女達は、(どうほう)を失う度に、強くなる。

 

 それ故に彼女達は、強敵との戦闘により進化(レベルアップ)するという第一位の実験相手を務めることが出来るのだ。

 

 だが、この最終信号(ラストオーダー)による安全装置とは、そんな彼女達の絆であるミサカネットワークを利用する。

 

 

 全ての個体をつなげているということは、そのネットワークの主――上位個体の命令が、瞬時に全ての個体に適応されるということだ。

 

 

「たった五体のクローンでも、彼らは恐れたのよ。第三位――『超電磁砲(レールガン)』のクローンという名前をね。……それほどまでに、この街での超能力者(あなたたち)のネームバリューは大きいのよ。良くも悪くもね」

「……それで、御坂さん(かのじょ)を生涯敵に回すような真似をしていたら世話はないけれどねぇ」

 

 それでも、食蜂操祈はいまいち釈然としなかった。

 

 それだけの理由で、最終信号(ラストオーダー)の製造が早められるだろうか。それも、わざわざこんな囮に使われる研究所で。

 

 これだけ厳重なセキュリティの扉の中ということは、あえて灯台下暗しを狙ったのかもしれない。この場所も本当に研究所の最奥で、とてもではないが重要なものがあると知らなければわざわざ向かうことがない場所だ。

 

 それでも、自分でいうのもなんだが、こちらには『心理掌握(メンタルアウト)』がいる。100%嗅ぎ付けられないなどなぜ言い切れる? それならば、例え所在はばれても直ぐには手を出せないような場所に隔離しておくべきでは?……いや、その為のアイテム――その為の滝壺理后か。上条対策としては過剰戦力だと思っていたが、それだけではなく、心理掌握(メンタルアウト)対策も併用ということでアイテムは派遣されたのか?

 

 だが、それでも。

 

 

 今、食蜂操祈は、最終信号(ラストオーダー)の元に辿り着いた。

 

 

 話を聞く限り、最終信号(ラストオーダー)はまさしくブラックボックス。この計画における心臓部であることは間違いない。

 

 つまり、チェスでいうならば、取られては負けのキング。絶対に守り抜かなくてはならないはずの王。

 

 ……これで、いいのか? 自分達は、敵の思惑を超えて、計画の心臓部へとたどり着いたのか?

 

 

 消えない。

 

 

 気持ち悪い違和感が、消えない。

 

 

「――最終信号(ラストオーダー)は、おそらくはまだ培養器の中にいるわ」

 

 布束はそう言った。食蜂は言われるまでもなく理解していた。

 

 先程も言ったように、最終信号(ラストオーダー)はこの計画の最重要人物。

 

 彼女を手に入れれば、妹達(シスターズ)を全て手に入れることと同義。

 

 

 そんな存在を“縛る”にはどうするか?

 

 

 簡単だ。檻から出さなければいい。大事に閉じ込めておけばいい。

 

 

 吐き気がするほど、合理的だ。

 

 

「もうすぐ開くわ」

 

 布束が言う。彼女はテンキー入力を終え、網膜認証へと移っていた。

 

「ここは実験の関係者の中でも一部の研究者しか知らず、足を踏み入れられない場所。……けれど、全くの無人ということは考えられないわ。だから――」

「分かっているわぁ」

 

 それでも、そいつが第四位ということはありえないだろう。

 

 第一位も、第二位も、第三位でもありえない。

 

 ならば――

 

 

「――私に任せなさい」

 

 

――第五位(かのじょ)の敵ではない。

 

 

『食蜂』は、リモコンを取り出し、不敵に妖しく微笑んでみせた。

 

 




 前回、ルビミスしてました。

 無能力者(レベル0)→無能力者(にんげん)

 場面転換前の、フレンダの最後の台詞です。
 どうでもいいところかもしれませんが、直しておきました。


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幻想〈ゆめ〉

今回で一応、vsフレンダ・絹旗は終わりです。

今回は丸々一話、上条サイド。


 

 上条が絹旗達を追ってその奥の部屋に侵入すると、そこにはフレンダ=セイヴェルンが待ち構えていた。

 

 その部屋は広く、天井は高い。

 照明などはなく薄暗くて、空間の全容は完璧には把握できないが、上条が今入ってきたこの場所以外は残る三面全てが壁で、つまり――

 

「――行き止まりか」

「……見ての通りって訳よ」

「それで? 鬼ごっこの次は隠れんぼか? 絹旗って奴がいないみたいだが」

 

 上条の目の前には、フレンダ=セイヴェルンただ一人が立っている。

 

 つい先程まで一緒にいた絹旗の姿はどこにも見えなかった。

 

(……これだけ薄暗い場所だ。あの小さな体で隠れるくらいはいくらでも出来るだろう。……不意討ち狙いか? それとも逃げ出して、残る二人の応援を呼びに行った?)

 

 上条はそんな風に推測しながらフレンダを挑発するが、彼女は何も答えない。

 

 すると上条は「……まぁいい。こうして一応追いつめた格好になる訳だ。風紀委員(ジャッジメント)としてやることをやっておこう」と、一度瞑目し、鋭くフレンダを見据えて言い放つ。

 

「投降しろ、フレンダ=セイヴェルン」

「…………」

「……別にお前達をどうこうしようって訳じゃない。今日の所、今の所はな。とりあえず今回に限っては、この実験について知っていることを教えてくれればいい。……お前達だって、まさかこの実験を死んでも成功させたい、なんて思ってる訳じゃないんだろ?」

「――はっ」

 

 上条の物言いに、フレンダは吐き捨てるように笑う。

 

 そして、フレンダはコツコツと靴音を立てながら、上条との距離を縮めずに、少年を中心に回るように歩き出す。

 

「まぁねぇ。確かに私は、正直上の連中がどうしようと、何をしようとどうでもいい、心底興味ないって訳よ」

「なら――」

「でもね」

 

 そして立ち止まり、腰を折って口元の歪んだ笑みを向けながら、上条を嘲笑するように、挑発するように言った。

 

「お断り、って訳よ」

「……」

「そもそもこの期に及んで風紀委員(ジャッジメント)なんて名乗らないでほしい訳よ。結局、まともな風紀委員(ジャッジメント)が、こんな所に居る訳ない(・・・・・・・・・・)。ここに、今この状況にこうして居合わせている時点で、アンタはすでに(こっち)側の人間でしょう? つまり、私達の同類って訳よ。どうしようもなく同じ穴の貉って訳よ」

「……つまり、俺のことが信用できないってことか?」

「逆に、どうして信用できるか教えて欲しいって訳よ。まぁそれ以前に、私は依頼主の目的とか、消す相手が善人とか悪人とか、そいつが歩んできた人生とか、結局どーでもいいんだけど、ね♪」

 

 フレンダはくるりと回り、暗闇の中に――闇の中に逃げるように、上条から少し遠ざかる。

 

 上条はフレンダの姿を見失わないように、一歩距離を詰めながら問い詰める。

 

「――それが、お前の答えなのか?」

 

 上条の鋭い口調に、フレンダは踊るようなそれを止め、首だけ振り返り上条に返す。

 

「何? もしかして改心とか期待してたって訳? 寝言は寝てから言わないとただの戯言って訳よ」

「本当にないのか? (こっち)の世界に置き忘れたものは? これだけは失いたくないって大事なものは? お前の帰りを待ってくれる人が! 『アイテム』のメンバーとしてじゃなく、ただの“フレンダ=セイヴェルン”としてのお前を、大切に思ってくれてる存在は、本当にいないのかよ!」

 

 フレンダのまさしく神経を逆撫ですることを狙った言葉にも、まるで動揺することなく、一切躊躇することなく上条は続ける。

 

 上条のその言葉で、フレンダの脳裏に二人の人物が浮かぶ。

 

 自分と同じ美しい金色の髪と透き通るような青い目を持つ少女と。

 セミロングの茶髪に黒系フードが特徴の小柄で泣き虫な少年を。

 

 だが、だからと言って上条の言葉が、フレンダの心に感銘を与えたかといえばそうではない。

 

 むしろ逆だ。フレンダは、むしろ上条の言葉に怒りすら覚えていた。

 

 なぜ、会ったばかりの敵に、今日この時を終えれば永遠に会うことはないだろう赤の他人に、こんなことを言われなければならない。

 

 こんな見ず知らずの敵に。撃退すべき侵入者(インベーダー)に。

 

 フレンダは、この目の前の風紀委員(ジャッジメント)に、フレンダ=セイヴェルンの綺麗な部分に土足で踏み込まれた気がした。

 

「……アンタに、いったい私の何が分かる訳?」

 

 故に、フレンダは忌々しげに上条を睨み付ける。

 

 だが、上条は怯まない。一切、フレンダの心に踏み込むのを躊躇わない。

 

 なぜなら、先程までこちらの心理を掻き乱そうとしていたフレンダが、こちらを忌々しげに、けれど明確に“フレンダ”として見ているのだから。上条の言葉を聞いているのだから。

 

 だから躊躇わない。上条は言葉を投げ掛ける。全力で、ぶつける。

 

「殺す理由じゃない! 殺さない理由でもない! そんなもんじゃなくて、帰る理由は!? こんなクソッたれな“闇”から抜け出して、日の当たる“表”に帰る理由はないのか!? お前が人の命を奪うことに何の抵抗も持たなくなるくらい、その両手を血で染めて、その爆弾で色んなものを吹き飛ばしてきた奴だろうが、それがフレンダ=セイヴェルンの全てじゃねぇだろ!?――本当にお前にとって(こっち)の世界ってのは、そんな風にヘラヘラ笑って簡単に手放しちまえるようなものなのかよ!」

 

 扉を背に立つ上条は、部屋の外の光を背に浴びながら、右手を差し伸べる。

 

「――お前が一歩を踏み出すなら、俺はその手を全力で引っ張り上げてやる」

 

 薄暗い暗闇の中のフレンダに向かって、全てを打ち殺す救いの手を差し伸べる。

 

 

「学園都市の“闇”は、必ずこの俺がぶち殺す!!」

 

 

 その叫びは、その薄暗い空間全てに響き渡った。

 

 場を沈黙が満たす。

 

 フレンダは、俯きながらそのフワフワとした金髪で表情を隠して、上条は、ただ真っ直ぐにその右手を伸ばし続けた。

 

 やがて、フレンダがその小柄の身体を震わせる。そして、上条に背を向けたまま、その顔を天井に向かって勢いよく挙げた。

 

 

「にゃ~~~~~ははははははははははははははははははははは!!!!!!」

 

 

 フレンダは笑う。お腹を抱えて、身体を小刻みに震わせて、瞳に涙を溢れさせながら爆笑する。

 

 上条は、そんなフレンダを、ただ右手を差し出しながら無表情で見つめていた。

 

 やがてその哄笑が収まってきたころ、フレンダは再び顔だけを振り向かせながら、瞳を涙で潤させたまま――儚げに笑う。

 

 

「――結局、初対面の男にそんな風に口説かれても、残念なくらいに響かないって訳よ」

 

 

 フレンダはそのまま身体も振り向かせ――その勢いで何かを投げる。

 

「!?」

 

 上条はついにその時右手を戻し、警戒する。だが、その軌道は上条から少し外れていた。

 

(なんだ? ここにきてこいつがそんなミスをするわけ――!?)

 

 フレンダが投げたのは、これまでのようなぬいぐるみ爆弾ではなく――小さな、香水サイズの瓶だった。

 

 そして、それは地面に落ちると共に割れ――爆発する。

 

(ッ!? 爆薬か!?)

 

 その炎は――爆炎は、一気に上条の回りを取り囲むように勢いよく燃え広がった。

 

「な――!?」

 

 さらにフレンダがリモコンを押すと、どこかで小さな爆発が起こり、上条の背後のシャッターが勢いよく閉まる。

 

 だが、すでに上条の退路は炎によって塞がれている。なぜこのタイミングで、と訝しんだ上条は――

 

 

 ゾクッ と寒気を感じ、すぐに頭上に目を向ける。

 

 

 シャッターと反対側――先程まで向かい合っていた、フレンダの頭上。

 

 

 そこに、上条の胴体とちょうど同じくらいの太さを持つ、彼女にとって手頃なサイズの鉄骨を振りかぶっている――絹旗最愛がいた。

 

 

 彼女達の作戦はこうだった。

 

 構造はシンプル。フレンダが囮となって上条の注意を引き――フレンダが「マジで?」と言ったのはここだ――絹旗が隠れる。

 

 そして予め引いておいた導火線のサークルの中央に上条を動かし――誘導し、炎の壁で囲む。

 

 その瞬間、混乱している上条の気を逸らす為、シャッターを派手に下ろす。

 

 

 そして、最後に本命、上条の隙を最大限に大きく作ったところに――

 

 

――絹旗最愛による、その大能力(レベル4)の力にものを言わせた、ただ単純の圧倒的物理攻撃。

 

 

 上条当麻の右手が通用しない、ただ人間を確実に殺害する処刑方法。

 

 

「超これで――」

 

「――チェックメイトって訳よ!」

 

 

 次の瞬間、一本の鉄骨が、雷槍のように、一人の少女の細い腕から、上条当麻に容赦なく振り下ろされた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 絹旗は炎の壁の傍に着地する。

 

 橙炎は凄まじい衝撃により暴れ狂っていて、鉄骨はその中心部に突き刺さっている。

 

(……さすがに、超これで――)

 

 例え上条当麻がどれほど規格外の無能力者でも、あの中にいて存命であるとは考えられない。

 

 思わぬ苦戦を強いられた戦いであったが、暗部にいればこんなことはよくあることだ。

 

 大事なことは、今回も、こうして生き残れたということ。――ただ、それだけだ。

 

 

――お前が一歩を踏み出すなら、俺はその手を全力で引っ張り上げてやる

 

 

 揺らめく炎をぼーと見つめていた絹旗の脳裏に、先程、フレンダに向かって上条がぶつけていた言葉が反芻する。

 

 あの時、自分はフレンダの頭上に控えていて、同じ空間にいた絹旗は、響き渡ったあの言葉も当然聞いていた。

 

 

――学園都市の“闇”は、必ずこの俺がぶち殺す!!

 

 

(――超、馬鹿馬鹿しい)

 

 世界一科学が発展した、人口の八割が学生の学園都市。

 

 そんな、ある意味夢のあるキャッチコピーとは裏腹に、この街の実態は、どこまでも研究者や権力者達の“大人”達が、被験者である学生(こども)達を支配する実験場でしかない。

 

 一度この中に足を踏み入れられ、才能という名の価値を見出されたら、もう二度と自由はない。

 

 外周を壁で覆われたこの街は、まさしく檻だ。

 

 自分達は、その中でも最も深く、最も暗く、最も黒い場所にいる。

 

 それが“闇”。学園都市の暗部。

 

 その実態を、その存在を、一端でも垣間見たら、とてもではないが言えないはずだ。

 

 そこから抜け出して、再び日の当たる世界に帰りたいなんて。

 

 ましてや、その闇を、祓うだなんて。

 

「…………」

 

 フレンダがその差し伸べられた手を弾いたのも当然だ。自分だってそうする。

 

 学園都市の闇は、それほど深く、怖い。

 

 底などまるで見えない。どれほど広がっているのかも分からない。

 

 確かなのは、すでにそのドロドロとした闇は、自分達の身体をどうしようもなく蝕んでいて、そこから抜け出し、振り払い、綺麗さっぱり洗い流すことなど不可能だということだ。

 

 ましてや、その闇の全てを、たった一人の無能力者が祓いきるなど、夢物語だとしても笑えない。

 

(こんな……私達ごときに超あっさり始末される奴なんかになんて――超不可能です)

 

 絹旗は炎を見つめるのをやめて、フレンダと合流しようと歩いていく。

 

「……フレンダ、どう――――!?」

 

 絹旗がフレンダの姿を認めると、その姿に絶句した。

 

 

 フレンダは顔面に蛍光色の塗料を食らい、口にテープを張られて地面に伏せられていた。両手は後ろ手に手錠で拘束されている。

 

 

(ま、まさ――!?)

 

 絹旗は背後に足音を感じて振り返るが、その瞬間、顔面に衝撃が走った。

 

 

 上条当麻は絹旗最愛の左頬に右拳を突き刺す。

 

 

 絹旗の小さな体は宙を舞い、フレンダの近くまで吹き飛ばされた。

 

「んーー!!(絹旗ーー!)」

 

 口を塞がれているフレンダは必死で叫ぶが文字通り言葉にならない。

 

 上条はすぐさま絹旗の元へ駆け寄り、体躯をその右手で押さえつける。

 

(く――ッ、能力が――)

 

 拳の衝撃から立ち直る前に能力を封じられ、悔しそうに表情を歪める絹旗。

 

 上条はそのまま絹旗の両手をフレンダと同様に後ろ手に拘束し、持っていた風紀委員(ジャッジメント)ご用達の手錠で拘束した。

 

「……レディの身体にいつまでも超気安く触ってんじゃねぇですよ」

「悪いな。お前の場合はこうしてないとこんな手錠はすぐに壊されちまうだろうから、このままでいさせてくれ」

 

 上条は手錠をした後も、その右手で絹旗を押さえつけていた。上条自身も地面に伏せている格好の彼女達と同じように地面に腰を下ろすが、それでも右手は絹旗を押さえつけたままだった。

 

「……超、どうして――」

 

 絹旗は理解できなかった。あっという間に無力化されてしまった口惜しさもあったが、それよりもどうして上条が五体満足でいることが分からなかった。

 

 それを察したのか、上条は絹旗の上から淡々と言った。

 

「単純に、鉄骨を食らう前に、炎の壁に突っ込んで突破しただけだ」

 

 上条は本当に何でもないかのように言った。あまりに感情が込められていなくて、絹旗は最初、上条が何を言っているのか分からなかった。

 

「確かに炎は熱いが、“それだけ”だ。別に鉄やコンクリートでできているわけじゃない。その気になれば、“生身でも突破できる”。ましてや上から鉄骨が降ってきてるんだ。誰でもそうするさ」

 

 上条はそれが当たり前のことであるかのように淡々と言った。まるで子供でも知っている世界の常識のように、炎に突っ込むのが当然だと言った。

 

 絹旗も、口を塞がれているフレンダも絶句する。

 

 確かに、炎の壁と、降り注ぐ鉄骨、どちらが脅威かといえば鉄骨かもしれない。どちらが危ないか、どちらの方が殺傷力が高く回避すべき攻撃かといえば、おそらく後者だろう。

 

 しかし、それを瞬時に判断し、割り切り、猛スピードで襲い掛かる鉄骨に足を竦ませず、身体を硬直させず、混乱せず、困惑せず、恐怖せず、自分の背丈以上に高く聳え立ち、燃え盛る炎の壁に躊躇なく突っ込むことを、この男は一刹那も逡巡することなく実行したのだ。

 

 絹旗はその時、自分の横に腰かけている上条の左腕に火傷を見つけた。おそらく右腕も同様なのだろう。決して軽傷ではない。おそらく炎の壁を抜けた時のものだ。

 上条の詳細な表情までは薄暗くて見えなかった。少なくとも、痛がってはいない。苦痛で表情を歪めてはいない。それが当然の代償だと、当たり前のように受け入れているように絹旗は感じた。

 

 上条はまず炎を抜けると同時に持ち歩いている暴徒追跡用のペイント弾をフレンダの顔面にぶつけて視界を封じ、そのまま風紀委員(ジャッジメント)の訓練で腕を磨いた技で倒れ込ませ、叫ばれないように口を封じ、手錠をかけた。

 

 次に身を隠してフレンダを放置して囮に使い、そのまま絹旗の背後に回った。

 

 フレンダと絹旗の決め技に、ここまで冷静に対応した。

 

 

 上条当麻は、確かに無能力者だ。

 

 異能の能力しか消せない右手と、あとは誰でも扱えるような小道具のみしか武器はない。

 

 だが、逆に言えば、それだけの武器で、何年間も幾つもの修羅場をくぐり抜けてきたのだ。

 

 

 絹旗最愛は見誤った。

 

 上条当麻の最大の武器は、その右手ではなく、積み重ねてきた圧倒的な場数による――経験値だということに。

 

 

「…………ッ」

 

 それでも、絹旗は諦めない。必死に身動ぎして、上条の右手の拘束を抜けようとする。

 

 油断しているのか、今の上条は絹旗を右手で押さえるのみで、身体全体で圧し掛かったりはしていない。絹旗のすぐそばに腰を下ろしている状態だ。

 

 なら、一瞬でも右手が離れたら、一気に能力を発動して脱出を――

 

「――無駄だ」

 

 だが、上条は冷たく言い放つ。絹旗はその冷たい声色にびくっと動きを止めてしまった。

 

「お前は起き上がれないさ。“そういう風に”押さえているからな。――だから、もう無駄な抵抗はやめろ」

「…………っ」

 

 絹旗は悔しそうに顔を伏せる。上条はそんな絹旗から顔を背けるように炎を見遣りやながら、問い掛けた。

 

「……話してくれないか。今夜行われる、本当の実験場所を」

「…………」

 

 絹旗は答えない。それでも、何も言わなかった。

 

「…………分かった」

 

 上条は瞑目し、そう呟いた。

 

 そして、そのままフレンダに目を向ける。

 

「それで、フレンダは――」

「んーー!! んーー!!(言う!! 言うって訳よ!!(知らないけど)だから助けてぇ!!)」

「…………そうか、分かった。お前らは大した奴等だな」

「んーー!! んーー!!(ちょ、分かってないって訳よ!! お願い解放してぇ!!)」

 

 なおも暴れるフレンダだが、上条はすでにフレンダを見ておらず、何やら唸っていた。

 

 そして、やがて意を決したかのように膝を叩くと――そのまま絹旗の身体を(まさぐ)り始めた。

 

「……超何してるんですか」

「…………」

「……超ロリコンです?」

「違う。俺は年上の寮の管理人のお姉さんタイプを愛している」

「女子の顔面を殴打して身動きが取れない少女の身体を無許可で触りまくる男のそんな言葉をどう信じろと?」

「状況証拠だけで有罪判決確定な状況である自覚はあるが違うんだ。…………よし、あった」

「っ!」

 

 絹旗は歯噛みする。

 

 上条が探し当てたのは、絹旗の携帯だ。決して絹旗少女の柔肌の感触を楽しみたかったわけではない。断じてだ。

 

 そして、そのまま履歴の一番上の番号に連絡する。

 

『……もしもし、きぬはた?』

「アンタは麦野沈利か? それとも滝壺理后か?」

『……だれ?』

「通りすがりの風紀委員(インベーダー)だ。――早速だが、絹旗最愛とフレンダ=セイヴェルンは、俺が倒した」

『……本当?』

「こうして絹旗の携帯から話しているのを証拠と思って欲しい。それで、本題なんだが――“仲間を返して欲しくば、こっちに来い。そうすればコイツ等には手を出さない”。……場所はこの携帯のGPSを辿ってくれ」

『……わかった。むぎのに聞いてみる』

「悪いな、助かる」

 

 そのまま上条は会話を終えて、携帯のGPSをONにしたまま、絹旗から見える、だが手の届かないところに携帯を置いた。

 

 絹旗はそれを一瞥して、すぐに上条を見上げるようにして睨み付ける。

 

「……超、どういうつもりですか。まさか、本気で麦野と()り合うつもりですか?」

「やるしかねぇだろ。お前らは死んでも話さなそうだしな」

「むーー!! むーー!!(話す! 話すってば!!(何も知らされてないけど)だから解放して、麦野に殺されちゃう!!)」

 

 絹旗はフレンダをスルーしながら上条に言う。

 

「……麦野は、超能力者(レベル5)の第四位ですよ?」

「らしいな」

「……本気で勝てると思ってるんですか?」

「……なんだ? 心配してくれるのか?」

「――――ッッッ!! 誰が!!!」

 

 絹旗は激怒した。

 

 何故かは分からない。だが、目の前のこの男が気に食わなかった。

 

 

 まるで悟りきったかのような表情をして、それでも口にするのは馬鹿みたい幻想ばかり。

 

 

 自分が傷つくのは何とも思わずに淡々と受け止めて、だが、こうしている今も自分達はただ身動きを封じるだけで――

 

 

「――私達を、超拷問したりはしないんですか?」

「…………」

「んーー!! んんーー!!(ちょっ!? 絹旗、何言ってるって訳よ!!?)」

 

 上条は細めた目を絹旗に向ける。絹旗はそんな上条を激情の込もった目で睨み返した。

 

「超欲しい情報があるんでしょう? そのために私達を殺さないんでしょう? それなら、どうして拷問でもなんでもして聞き出そうとしないんですか? そっちの方が、麦野とバトるよりもはるかに安全で超お手軽じゃないですか? なんでなにもしないんですか? 女子の顔面を殴って、さっき私の柔肌を超弄んでおいて、この期に及んでフェミニストでも超気取ってるんですか?」

「………………」

「……アンタは、超中途半端なんですよ」

 

 絹旗は吐き捨てるように言った。

 

 普段の絹旗は、こんな風に敵を煽るようなことはしない。無意味に食い掛かったりしない。

 

 今の状況のように絶体絶命のピンチに追い込まれても、虎視眈々とチャンスを狙って、機会を窺って、ひっそりと息を潜めているようなタイプだ。

 

 少女でも、年端もいかない女の子でも、絹旗最愛はプロの暗部なのだから。

 

 けれど今の絹旗は、プロとしてあるまじきことに感情を御せていなかった。

 

 ただただ目の前の、自分を見下ろす目の上の男が気に食わない。

 

 それがどういう感情だかも分からずに、ただ完全に持て余していた。

 

「学園都市の闇を殺す? 超私達を救う? そんな大言壮語を宣ってるくせに、超中途半端なんですよ! 本当にアンタ如きにそんなことが超出来ると思ってるんですか!?」

 

 上条は、息を切らせながら叫ぶ絹旗に、静かな声で、こう答えた。

 

 

「出来る、出来ないじゃない。やるか、やらないか――でもない。やらなくちゃいけないんだよ。それが、俺の使命で、運命で、宿命で、贖罪で、罪で、罰で――」

 

 

 

「――――幻想(ゆめ)なんだから」

 

 

 

 その時、その言葉を口にした時、上条は笑っていた。

 

 

 その笑みは、嬉しそうで、恥ずかしそうで、苦しそうで、悲しそうで、今にも壊れてしまいそうなくらい儚かった。

 

 

 否、壊れている者の笑みだった。

 

 

 美しい幻想に憑りつかれている者の笑みだった。

 

 

 絹旗のあれ程に荒れ狂っていた激情が、嘘のように消え去っていた。

 

 

 直接向けられたわけでもないフレンダも、その笑みに動きを止めていた。

 

 

 その後、上条と彼女達は、一切の言葉を交わすことなく、ただ時間だけが過ぎて――

 

 気が付くと、上条当麻は立ち上がっていた。

 

 絹旗からその右手を放して解放していた。絹旗がそれに気づいて困惑していると――

 

 

 その時、閉じられたシャッターを灼熱の光線が突き破ってきた。

 

 

 それは偶然か、それとも絹旗やフレンダの近くにいると見込んで狙って撃ったのか、真っ直ぐに上条当麻に向かって襲い掛かった。

 

 それを、上条は突き出した右手で受け止める。

 

 キュイーン!! という破砕音と共に、激突は終わる。

 

 シャッターに空いたドロドロに溶けた穴から、二人の女が登場した。

 

「よお、お二人さん。どうやらまだ殺されてないみたいね?」

 

「……フレンダ、絹旗、だいじょうぶ?」

 

 一人は、その麦色の長髪をたなびかせ、威風堂々と歩いてくるまさしく美女と呼ぶべき女傑――超能力者(レベル5)、第四位、原子崩し(メルトダウナー)、麦野沈利。

 

 もう一人は、無造作な髪に上下ピンクのジャージ、だがその整った顔立ちとスタイルは美少女と呼ぶに相応しい、上条と同年代か少し年上程の少女――大能力者(レベル4)能力追跡(AIMストーカー)、滝壺理后。

 

 

 今、ここに、この空間に、暗部組織『アイテム』が全て揃った。

 

 

 上条当麻(インベーダー)を、撃退――排除するために。

 

 

 麦野はその美貌を台無しにする狂気的な嗤いを、この場のただ一人の男――上条当麻に向ける。

 

 

「さぁて、この私に殺されてぇっていう自殺志願者は、テメーか?」

 

 

 その殺意に、上条は不敵に笑って答える。

 

 

「初めまして、麦野さん。会えて光栄だ」

 

 




ついに、第四位と邂逅。

でも、まだバトルは始まりません。

次回は丸々一話、食蜂サイドのお話しです。


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芳川桔梗〈あまいおんな〉


 科学者と科学者。

 女と女の、静かな戦い。


 

 プシュと炭酸の缶を開けたような気の抜けた音と共に、シェルターのように頑丈に閉ざされていた筈の扉は開かれた。

 

 部屋の中央にそびえ立つのは、大きな試験官型の培養器。

 

 その傍らに立っていた、一人の白衣の研究者は、正規の手順を踏んで足を踏み入れてきた二人の侵入者に目を向けた。

 

「……あら、まさかあなたがここに辿り着けるとは思わなかったわ。――いえ、ここに来るとは思わなかった、という方が正しいかしら? 布束砥信さん」

「……Indeed。私の方は、まさかあなたがという気持ちと……それでも、ああやっぱりという感じね。……芳川桔梗さん」

 

 布束は、目の前にいる見知った女性を、その特徴的なギョロ目で真っ直ぐ見据えた。

 

 芳川桔梗。

 

 布束と違って二十代後半の妙齢だが、一切の化粧気がなく、格好も洗いまわされたジーパンにTシャツ、そしてそれと対比するように新品のような白衣という出で立ちの女性。

 

 彼女は布束と違って正真正銘絶対能力進化(レベル6シフト)の研究者だ。だが、彼女の専門は遺伝子研究で、それを買われてこの実験にスカウトされたこともあって、妹達(シスターズ)の製造過程にも芳川は携わっていた。その関係で、二人は親交とは言わないまでも、面識はあった。

 

 そんな彼女――芳川桔梗だからこそ、こうして妹達(シスターズ)である最終信号(ラストオーダー)の傍にいても決して不思議ではない。むしろ適任といえよう。

 

 だが――

 

「……それにしても、あなた一人ぼっちなのかしら?」

「……言い方に棘があるわね。まぁ、友達は多い方ではないけど。あなたと同じでね」

「…………」

「ふふ、ごめんなさい。子供相手に大人気なかったわね。……ええ、一人よ。ただでさえ少ないスタッフは、みんなデータ移送と、そしてついに今晩に始まる第一次実験をこの目で見ようと出払っちゃってね。まったく、研究者っていう人種はみんな子供よね」

「……それで、一人ぼっちでお留守番ってわけ?……いえ、“二人”、だったわね」

「…………」

 

 今度は芳川が口を閉ざした。布束の目は、芳川の隣の培養器に向いている。

 

 太いパイプのような培養器の中には、何本ものコードにつながれた、十歳前後の裸の少女。

 彼女は目を閉じて培養液の中を漂っていて、まるで生まれる前の母親の羊水の中で眠る胎児のように穏やかだった。

 

 通常の妹達(シスターズ)は、お姉様(オリジナル)の御坂美琴と同様に十四歳の肉体まで成長させられるはずだが、目の前のこの少女は明らかに幼かった。

 

 まだ製造を始めてから十四日経っておらず成長途中なのか――それとも、あえて、このままにしているのか。

 

「…………」

 

 布束は何も言わず、その魚のように感情を伺えない双眸を芳川に向けた。

 

 だが、芳川は、その目から彼女が言いたいことを読み取ったかのように苦笑し、こう言った。

 

「……どうして最終信号(ラストオーダー)を製造していることを教えてくれなかったの、って顔ね?」

「…………」

「まぁ、理由はいくつかあるわ。この子は実験に使用する個体ではなかったから学習装置(テスタメント)による教育は必要なかったとか、この子は完全に絶対能力進化(こっち)の管轄だったとか。――まぁ、一番の理由は、今この状況から分かるわよね」

 

 芳川は優しく、年上の大人が年下の子供を諭すように言った。

 

「あなたが、妹達(シスターズ)に対して、危険な程に“同情”してたからよ」

「…………」

「いつしか彼女達を見るあなたの目は、造り物の実験動物を見る目ではなく、一人の人間として見る目に変わっていた。……それを危ぶんだ上の人達は、今回の『始まりの五体(ファーストライン)』の性能に問題がなかったら、その時点であなたをこの実験から切り離すつもりだったのよ。そんなあなたに、最終信号(ラストオーダー)に関しての情報など、降りるはずがなかった」

 

 そういってニコリと笑う。布束はそれに対して何も言わなかった。

 

 そんな様子の布束に、芳川は優しい笑みのまま続ける。

 

「……でも、まさかこんなに早く動くとは思わなかったわ。……確かに妹達(シスターズ)を全員救うには今このタイミングしかないけれど、それでもあなたは何の勝算もなく動くような子じゃないと思っていたわ」

「…………」

「……それとも、何か勝算を見つけたのかしら?」

 

 そして芳川は、優しい笑みのまま――布束に銃を向けた。

 

「…………」

「……さすがに最終信号(ラストオーダー)を任されたんだもの。テニスラケットすら持ったことない私だけど、拳銃くらいは持つわ」

 

 芳川の手に握られているのは、学園都市の暗部が持っているような最先端技術の兵器ではなく、外の世界でも売っていそうな、弾も二発程度しか撃てないような護身用の小さな拳銃。

 

 だからこそ、芳川のような、これまで一度も銃など持ったことのない人間でも扱えるような、殺傷用の兵器。

 

「……私は甘いから、急所を狙うような度胸なんてないけれど、それでもあなたのような能力者でもなければ戦闘職でもない研究者に当てるくらいのことは出来るわ」

「…………」

「……ごめんなさいね。あなた達には何の恨みもないけれど、それでもこれが――私の仕事なのよ」

 

 大人としての、仕事なのよ。――そう、芳川は呟いて、カチリ、と、撃鉄を上げる。

 

 その銃口を向けられている布束は、瞑目し、しばらく黙っていたが、ここで吐き出すように言葉を発した。

 

 

「…………Certainly。その通りね、あなたは、“甘いわ”」

 

 

 布束の言葉に、ゆっくりと引き金に向かっていた芳川の指が止まる。

 

「……そもそも、本当に実験のつつがない進行を考えているのなら、私にこんなに長々と背景を語ったり、わざわざゆっくりと見せびらかすように銃口を向けたりしない。ここに私が――実験を妨害する可能性のある不穏分子が姿を現した時点で、問答無用で射殺するべきでしょうに」

「…………」

「それが出来なかったのは、あなたが“甘い”から――」

 

 

「――もしかしたら、妹達(あのこたち)を救えるのではという可能性を、この期に及んで捨てきれないからよ」

 

 

 ぴくっと、銃身が震える。

 

 芳川の顔には、すでに年上の優しい微笑みなどはなく、表情は険しく固まっていた。

 

「……あなたは、前からそうだったわ。妹達(シスターズ)に可愛らしい下着をプレゼントしたり、五つ子のような五人のそれぞれの特徴を見つけようとしたり、まるで赤子のように何も知らない彼女達の疑問に一生懸命付き合ってあげたり。……妹達(あのこたち)を人間のように見てたというのなら、私よりもよっぽど顕著だったわ」

「…………」

「……それでも、私と違って、こうして今でも実験に、それも最終信号(ラストオーダー)なんて心臓部を任されているのは、あなたが優秀であるということ以上に――甘いから」

「…………」

「それが、優しさではなく甘さ(・・・・・・・・・)だから。どれだけ情を移そうと、最後には大人として仕事を選ぶと、上は確信しているからよ」

「……そうね。私は甘い。優しいのではなく甘い」

 

 芳川は、自嘲するように呟きながらも、それでも銃口を下ろさずに言った。

 

「……私は、最後には逃げる人間だもの。……中途半端に同情して、中途半端に手を差し伸べて――それでも、最後には手を放して、背を向ける。何かを背負える強さがない。……だから私は、こうして妹達(あのこたち)が殺されると分かっていながらも、こんなところに隠れている。ただ、逃げ込んでいる」

「……なら、どうしてあなたは動かないの? もうあなたは、手の届くところにいるのに?」

 

 布束は、芳川の背後の最終信号(ラストオーダー)に目を向ける。

 

 

 だが、芳川は自嘲するように、微笑んだ。

 

 

「……それが、大人になるってことなのよ」

 

「…………」

 

 

 それに対して、布束は何も言わなかった。

 

 

 何も、言えなかった。

 

 

 逆に、芳川は布束に問いかける。

 

 

「……どうしてあなたは、そんなに強くなれたの?」

 

 

 布束は、ただ一言、簡潔に告げた。

 

 

 

「ある日、ヒーローに会ったのよ。――たった一言で、私の世界を変えてくれた、そんな風紀委員(ヒーロー)に」

 

 

 

 ピッと、電子音が響く。

 

 その一瞬で、芳川桔梗は、自身の身体のコントロール権を失った。

 

 否、奪われた。布束の横にいた、これまでなぜか“意識から外していた”研究者の女性に。

 

 

 布束は、ガクリと肩を落とし、気絶したかのように俯く元同僚に対してこう思った。

 

 

 もしも、あの日、あの少年に出会わなかったら、自分も彼女のようになっていたのだろうか。

 

 

 叶うならば、いつか彼女の元にも、そんなヒーローが現れば……

 

 

 そして、自嘲する。

 

 

 こんなことを考えてしまう自分は、彼女に負けず劣らず甘いのだと。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――……あったわぁ。この人の記憶の中に、今夜行われる第一次実験場所が。……どうやらそこに五人とも送られているようねぇ」

「……面倒をかけたわね。わざわざ彼女と話をさせてくれて」

「……まぁ、あなたにはお世話になったしねぇ。貸しにしておくわぁ」

 

 本来なら、この部屋に入って部外者がいた場合(この場合は『食蜂』達が部外者なのか?)、すぐさま『食蜂』が『心理掌握(メンタルアウト)』で無力化する手筈だった。

 

 だが、相手の姿――芳川桔梗を確認した時、前を歩いていた布束が後ろ手に『食蜂』を制したのだ。

 

「私達はすぐにこの場所に向かうわぁ。そして、このくだらない実験を止める」

「……最終信号(ラストオーダー)は使わないの?」

「彼女はあくまで安全装置よぉ。妹達(シスターズ)を操れるといっても、まだ彼女達は五人しかいない。それじゃあ、クーデターにもならないわぁ。それに――」

 

「――この実験は第一位『一方通行(アクセラレータ)』を止めない限り、根本的には止まらない」

 

 その『食蜂』の言葉に、布束はただ重苦しい黙答を返した。

 

「…………」

「もちろん、最終信号(ラストオーダー)はこちらの切り札になるわぁ。彼女がこちら側にいれば、奴等はこれ以上妹達(シスターズ)を製造できなくなる」

「……それなら、彼女はここから出さなくてはね」

「いいえ、それは出来ないわぁ」

「なぜ?」

「……彼女、培養器の中でしか生きていられないように細工力を高められてるみたいなのぉ」

 

 最終信号(ラストオーダー)の危険性は、当然彼らも認知していた。

 それ故に、それに対しての安全装置を――安全装置に対する安全装置を用意していたのだろう。

 

 布束は再び培養器の中で眠る少女を見つめる。

 

 少女だ。十四歳の肉体年齢だった、自分が面倒をみてきた妹達(かのじょたち)よりも、さらに幼い無垢なる少女。

 

 この小さな身体も、おそらくは最終信号(しょうじょ)を、より扱いやすく、より無力にするための、安全装置なのだろうか。

 

 これほど非人道的な実験に手を染めているくせに、自分達の身を守ることに対しては、何重にも予防線を引いている。

 

 思わず吐き捨てかけたが、自分も紛うことなきそんな連中の一員なのだと気づいて、それが自嘲に変わる。

 そんな思いを払拭せんと、布束は『食蜂』へと振り向き、言った。

 

「私がここに残るわ」

「そう、ならお願い」

 

 そんな布束の言葉を、頭の中を覗くまでもないとばかりに、間髪入れずに食蜂は予知して返した。

 

 布束は珍しく苦笑する。そんなに自分は分かりやすい表情をしていたのだろうか。無表情にはそれなりに自信があるのだが。いや、この目の前の女性を操っているのは、この街最強の精神能力者――この街で最も人の精神を、心理を知り尽くしている少女だ。その能力を使わずとも、こちらのちょっとした仕草から、それなりの思考予知くらいやってのけるだろう。

 

 布束は、その表情を今度こそ普段通りの無表情に変える。

 

 だが、『食蜂』には、これまで見た彼女のどんな表情よりも、色濃く彼女の思いが表れているように思えた。

 

「お願い、実験を止めて頂戴。……私に、こんなことを言う資格も、こんなことを頼む資格もないことは分かっている。……私はどうなってもいい。それでも、彼女達のことは救って欲しい。――身勝手な研究者の、身勝手な理由で作り出された……それでも誰よりも純粋で、無垢で――そして、誰よりも人間な、妹達(かのじょたち)を」

 

 最終信号(ラストオーダー)という切り札は手に入れた。

 

 だが、それでも、今日の第一次実験を止めなければ、確実に一体の妹達(シスターズ)は殺される。

 

 そして、実験そのものに致命的なダメージを与えなければ、奴等は決してこの実験を止めないだろう。

 

 絶対能力(レベル6)という幻想を、決して手放しはしないだろう。

 

 それこそ、次に狙われるのはこの培養器の中で眠る最終信号(ラストオーダー)だ。奪還か――それが出来ないと判断されれば処分か。

 

 そして、新たな安全装置(ラストオーダー)を作り出し、再び妹達(シスターズ)の量産を再開し、何事もなかったかのように実験を続行する。

 

 誰かが、幻想をぶち殺さなくてはならないのだ。

 

 そして、それが出来るのは、食蜂操祈が知る限り、たった一人しかいない――

 

 彼女は、『食蜂』は、布束の目を真っ直ぐ見据え、答える。

 

 

「――ええ。私“達”に任せなさい」

 

 

 そして『食蜂』は、布束砥信に背を向けて、出口に向かって歩き出す。

 

 その後ろ姿は見慣れた同僚のものにも関わらず、布束が思わず女王のような気品を感じてしまう所作だった。

 

「――ここは任せるわぁ。すぐにこっちの手の者を寄越すから。上の移送作業とかち合うわけにはいかないから、それが終わってからになるだろうけれど、それまで息を潜めて潜伏力を高めておきなさい。絶対に見つかってはダメよぉ。一応、上にいる研究者と、そこの人の支配は、この建物を出るまでは継続しておくから、今のうちに彼女は縛っちゃいなさい」

「……ええ。この往生際の悪い大人も、実験を止めてくれれば、きっとこちらに協力してくれる」

 

 そうすれば、きっとこの子も、この狭い培養器の中から出て、自分の足で駆け回ることが出来るのようになるだろう。

 

 そんな、布束のある種楽観的な展望が伝わったのか、『食蜂』は口元を緩める。それが微笑ましいと思ったが故なのか、それとも呆れられたのか、人の感情の機微には目の前の彼女と違って明るくない布束には分からなかった。

 

「――それじゃあ、ありがとう。彼女をよろしく」

 

 そういって『食蜂』は、食蜂操祈は、この部屋を出て、最後の戦場へと向かった。

 

 そんな彼女の背中を見届けた後、布束は内から堅牢な扉を閉めて、言われた通り使用されていないコードを見繕って芳川の手を後ろ手に回して縛る。

 

 

 そして布束は、自分が変わったあの日、とある風紀委員(ヒーロー)と出会った日の事を思い出していた。

 

 





 次回は、おそらく布束さんの回想シーン。

 むぎのんとのバトルはもう少しだけお待ちを……。


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布束砥信〈かがくしゃ〉

 少し脇道に入らせてください。
 ちゃんと最後の方に、上条サイドに戻るのでご安心を。


 

 実験動物(モルモット)に感情移入する奴は、科学者失格だ。

 

 その常識は、布束砥信という科学者もやはり持ち合わせていた。当然のように、習性のように、まるで外部から予め強制的にインプットされたかのように身についていた感覚だった。

 

 改めて疑問を持つことすらなかった。それこそ食事を摂り、睡眠を摂り、呼吸をする、そんな、改めてなんでそんなことをするのかと聞かれると逆に一瞬戸惑ってしまうような、聞かれるまでもなく“そういうもの”だからという言葉が一番しっくりきてしまうような、皮肉にも科学者としてはあるまじき、もはや理屈ではなく本能に刷り込まれていた常識だった。

 

 実験には、当然信憑性の高いデータが必要で、それを得るためには莫大な数の(モルモット)を使用する。

 

 それが当然で、むしろそうしないことは在り得ない程の、揺るぎない不文律だった。

 

 

 だから布束砥信も、初めは“彼女達”をそういう目で見ていた。

 

 

 今回のモルモットは、たまたま姿形が人間で、容姿が可愛らしい少女である。それだけだった。

 

 人の形をして、人のように喋って、人のように動く、ただそれだけのモルモットだった。

 

 

 布束砥信は、そんな常識を持つくらいには科学者で、そんな常識を受け入れるくらいには――世界に絶望していた。

 

 

 自身も、世界も、歪んで見えていた。

 

 

 

「外の世界とはどのようなものなのでしょう?――――と、ミサカはふと意味ありげな呟きを漏らします」

 

 

 

 だから、そんな言葉には、そんな当たり前の疑問には、すぐに返答することは出来なかった。

 

 なぜなら、それは布束にとって、なぜモルモットを殺していいのか、という質問と同じくらい、答えるまでもない問いだったからだ。

 

「…………」

 

 だが、この時の布束は、ここで自分の世界観を正解と教えるのが正しくないことくらいは気づけた。例え、その答えが布束にとって不変の真実でも。

 

「……Why、どうしてそんなことを聞くの?」

 

 布束は、動きをピタッと止めてしまうほどの衝撃を、目の前の人造物(クローン)から受けたことなど微塵も表さず、無様に吹き出したりすることもなく、そっと紅茶の入ったティーカップをテーブルに置いて、冷静に問い返した。

 

「いえ、そういえばミサカ“達”は、この研究所の中の景色しか知らないと、ミサカは今更ながら自分の行動範囲の狭さに失笑します」

「…………そう、景色」

 

 ミサカ達という言葉から、先日00005号まで製造された自分の後輩達と、否、“妹達”と、きちんと“ミサカネットワーク”でつながっていることが確認されて、これで必要最低限の性能は保てていることに内心で確証を得ながら、布束は目の前のクローンがふと呟いた“景色”という言葉が自分の胸に残っていることに違和感を覚えた。

 

 そう、布束という科学者にとって、もはや家であり、職場であり住処であり、生息地であるこの研究所という場所は、目の前の彼女にとっては――彼女達にとっては、文字通りの世界なのだ。

 

 他ならぬ自分がそうインプットした、彼女達の世界。

 

 自分と同様に、そうなるように設定したエリア。

 

 

 布束砥信にとっても、ここが世界だ。ここだけが世界だ。

 

 

 研究という作業が己の全てである布束にとって、その作業を行う作業場である研究所は、彼女にとっても同様に、世界そのものだ。

 

 

 だからどうしたというわけでもないが。

 

 

 別に自分は閉じ込められてここにいるわけではない。誰かに強制されてここにいるわけでもない。ましてや他者によってインプットされたわけでもない。

 

 

 自分で選んでここにいるのだ。自分で、外の世界というものを切り捨てて、研究所のみを自分の世界とした。

 

 

 自分で選んで、切り捨てて、手に入れた。

 

 

 だが、目の前のクローンは違う。

 

 

 彼女には、選ぶ権利などなかった。初めからそれしか渡されていない。

 

 

 彼女は外の世界を知らない。知らないから、切り捨てられない。手に入れたこともないから、手放すという選択肢すら持てない。

 

 

 そして、彼女はもうすぐ死ぬ。そのまま死ぬ。

 

 

 外の世界というものを、知識としてすら知らないで、殺される。処分される。

 

 

 無数に収集するデータのbyteとなる。その為に彼女は生まれたのだ。

 

 

 そして死ぬのだ。その為に、その為だけに。

 

 

 それは当たり前のことだ。だって、彼女達はモルモットなのだから。

 モルモットがデータの為に死ぬことなど当然のことだ。これまでだってずっとそうだった。今更、聞き返すことが恥ずかしいくらいの、世界の常識だ。布束砥信の世界の不文律だ。

 

 

 だって目の前の、この首を傾げる少女は、たまたま人間の形をした、可愛らしい少女の容姿をした、モルモットなのだ。

 

 

 たまたま人間の姿形で、人間の言葉を喋って、人間のように動く――

 

 

「それじゃあ、見てみる?」

 

 

 そんな言葉が零れたことに、誰よりも混乱しているのは、きっと布束本人だった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 布束砥信は、ミサカ00001号と共に、リフトに乗ってこの研究所の屋上を目指している。

 

 このイベントは、本来実験が後半に移り、外部研修の直前に行われるべきものだった。

 

 第一次実験に使用されるこの00001号は、研究所内で――屋内で第一位と戦い、そして殺される。一歩も外に出ることなく、その一か月に満たない生涯を儚く終える個体だ。

 

 だから、こんなことは本来、全く持って必要ない。

 

 実験プランにイレギュラーしか与えない越権行為だ。

 

「外の空気は甘いのでしょうか? と、ミサカは自身が甘党であることを暴露し、唐突な女子力アピールを行います」

「……さぁ? 少なくとも、私は甘いと感じたことはないわね」

 

 それどころか、外気をおいしいと思ったことすらない、と心中で吐き捨てながらも、布束は自身の行動の理由を把握出来なかった。

 

 なぜ、自分はこんなことをしているのだろう。どうしてか、自身の感情と行動をコントロールできない。

 

 無表情に00001号の言葉へ返答しながら、布束は冷静に自身の奇行の原因を探ろうとする。

 

 だが、不明だ。まるっきり意味不明だった。あまりにも、普段の自分の行動原理と合致しない。まるで何かに憑りつかれたかのようだとまで考えて、自分の科学的な指向の思考回路と相容れな過ぎて、少し冷静になった。

 

 そうだ。きっとこれは単純な興味だ。

 

 外の世界を知らない彼女がこの世界を見たら、一体どんな感想を抱くのか?

 

 それに対して興味があるのだ。科学者として、気になるだけだ。

 

 ……いいだろう。大した手間じゃない。どうせ、今日は一日彼女と会話をして、その思考パターンをデータとして手に入れるのがノルマなのだ。なら、別段趣旨が外れているわけではない。布束はそう結論付けた。

 

 

「……着いたわ」

 

 そして、屋上に辿り着き、その扉が開く。

 

 真っ先に感じたのは、不快なまでの眩しさだった。

 

「――っ、今日は日差しが強いわね」

 

 ああ、そういえば朝だったのか、と布束は今更のように思った。

 

 思えば、日光など浴びたのはいつぶりだったか。

 

 思わず顔を顰めながらも、そっと00001号を見る。

 

 

「――――――――」

 

 

 彼女は、受け入れていた。

 

 

 全身で、その全てを受け止めていた。

 

 

 日光を、風を、外気を、気温を、湿度を、熱を、涼を、薫りを――

 

 

――外の、世界を。

 

 

「…………どうかしら? 初めての外の感想は?」

 

 

 布束は、そんな彼女の表情に目を奪われながら、また自分の意思とは関係無しに零れてしまった呟きを漏らす。

 

 

 00001号は、ゆっくりと、まるで陶然としているかのように、言った。

 

 

 

「――眩しい。……世界とは、こんなにも美しいものだったのですね」

 

 

 

 布束砥信は、外の世界を切り捨てた少女だった。

 

 

 彼女にとって世界とは、醜く、歪んだものであったが故に。

 

 

 だが、目の前の彼女は、生まれたてのクローンは、初めて見た世界を、眩しく、美しいと言った。

 

 

 布束が不快に感じた眩しさを、彼女は全身で堂々と受け止めた。

 

 

 布束が醜いと感じた世界を、彼女は当然のように美しいと称した。

 

 

 当然のように、常識のように、教えられてもいないのに、その無垢なる心は美しいと受け止めた。

 

 

「……そう、ね」

 

 

 そうだ。きっと、この景色は美しいのだろう。

 

 

 それを醜く感じてしまったのは、きっと己の心が醜かったから。

 

 

 だからきっと、彼女は美しい。

 

 

 彼女達の心は、こんなにも美しい。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その日を境に、布束は彼女達をモルモットと思えなくなった。

 

 むしろ、自分よりも――この世界を歪で、醜いものにしか見えない自分よりも、よほど高潔で、人間らしい生命だと思えてならなかったからだ。

 

 こんな気持ちで、とてもではないが妹達(シスターズ)学習装置(テスタメント)での刷り込みなど出来るはずもなくて、やり方だけ指示して、自分はあろうことか、外の世界――研究所の外へと繰り出している。

 

 ついこの間まで、勝手に見限って切り捨てていた、研究に関する用がなければ間違いなくずっと出ないままであっただろう、外の世界に。

 

 

 彼女が――彼女達が、美しいと称した、美しいはずの、外の世界に。

 

 

 まさか、この自分が、用もなく、宛てもなく、ただフラフラと散歩をする日が来るなんて。

 

 

――眩しい。……世界とは、こんなにも美しいものだったのですね

 

 

 我ながら単純だと、自嘲する。

 

 あのたった一言で、不変だと勝手に悟っていた価値観をバラバラに破壊された。

 

 だが、それでも、自分にはやはり、この世界が美しいとは思えない。

 

 この明らかに異常な学園都市という箱庭を、ニコニコと笑顔で行き交う人達が、不気味で仕方ない。

 

 それは布束砥信が、この箱庭の支配者側――研究者だから言えることだと、彼らは言うかもしれない。

 

 だが、布束に言わせれば、超能力なんてものが一般科学として認知された空間など、それだけで異常だと、それだけでなぜ気づかないのだと吐き捨てたくなる。

 

 なのに彼らは、そんなにも異常なことを、当たり前だと受け入れている。疑問に感じない。

 

 当然のように、習性のように、それがこの世界の不文律だと言わんばかりに、常識化している。

 

 だが、それを理解して、異常であることを受け入れて、まるで逃げ込むように研究所に閉じこもり、その異常な空間の手助けをしていた自分は、おそらく彼ら以上に歪んでいるのだと、布束は改めてその結論に達した。

 

「おいアンタ、ちょっと待てよ」

 

 ぼおとそんなことを考えながら歩いていると、向かいから歩いてきた誰かとぶつかった。

 

 ここ近年、ずっと研究所に閉じこもりきりだった布束は、無意識に人を避けて歩くという、一般人ならそれこそ習性のように体に染みついている動きすらままならなかった。

 

 そんなことを思い、布束は改めて、当たり前というものの不安定さを理解する。

 

 当たり前。常識。当然。習性。不文律。

 

 そんな風に定義されるものの中で、いったいどれほどのものが、本当に揺るぎない不変なのだろうか。

 

 

「おい、テメー聞いてんのか!」

 

 ぶつかった何者かに肩を掴まれ、強引に向き合わされた。

 

 見るとそいつは男で、格好を見る限り俗にスキルアウトと呼ばれる者のようだった。

 

 布束は向かい合った男を、その魚のような感情の篭らない瞳で見上げながら、ただ黙ってそんなことを考える。

 

 何も言わない布束がさらに癇に障ったのか、襟首を掴み上げて凄むスキルアウト。

 

 その時、スキルアウトが布束の着ている制服の襟首のバッチに気付いた。

 

「……テメー、長点上機か。エリートだからって調子に乗ってんじゃねぇぞコラあ!」

 

 バッチを見るだけで長点上機だと看破する程度には布束の所属する高校のことを知っていたスキルアウトだったが、それでもまったく怯むことなく、むしろ布束の態度がエリート故の見下しだと判断し、さらに激昂する。

 

 長点上機の生徒ということは、それだけでもとんでもない能力者だという可能性も十二分にあるのだが、白衣を着ている布束は能力者ではなく研究者だと判断したのか、それともそこまで思い至らなかったのか、どちらにせよ、布束はこのスキルアウトから解放されなかった。

 

 さぁ、はたしてどうしようか。布束はいい加減面倒くさくなってきて、嫌々ながらもこの状況の解消へと、その頭脳を使い始めた。

 

 それにしても、やはり慣れないことはするものではない。数年ぶりの――いや、記憶にある限り初めての“散歩”で、これだ。

 

 どうしても自分には、こんな世界が美しいとは、とてもではないが思えない。

 

 布束は思わず溜め息を吐いた。それが、スキルアウトの少年の堪忍袋の緒を切ったらしい。

 

「……テメー」

 

 少年が拳を振り上げる。それを布束は冷めた目で見つめていて――

 

 

――ガシっと、布束に当たる前に横から伸びた手がそれを止めた。

 

 

「……なっ、誰だッ!」

 

 その手を振り払うようにスキルアウトが距離を取ると、その拳を止めた男は、布束を庇うように前に出て、自身の右腕の腕章を見せつけて言い放つ。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だ! 真昼間から下らねぇことしてんじゃねぇッ!」

 

 

 布束は突如現れた少年の背中に一瞬呆然とし、そのままスキルアウトの方へと目を向ける。

 

 スキルアウトは忌々しげに表情を歪めるが、これ以上は割に合わないと判断したのか、少年から逃げるように去って行った。

 

 少年は「……ったく、なんでこの街はあんなんばっかなんだ……」と、今週に入ってついに二桁に達したこういった事案に辟易していると、ふと振り返り「大丈夫か?」と布束に声をかける。

 布束は「……ええ、ありがとう」と無表情で返すと、少年は笑顔を浮かべ、ふと彼女の白衣の下に着ている制服を見て、何かに気付く。

 

「……長点上機? ってことは年上ですか。すいません、タメ口聞いて」

「いいのよ、分かれば」

 

 布束は意外とそういうのに厳しい。もしこのままタメ口のままだと、助けてもらった相手だろうとローリングソバットを叩き込んだかもしれない。そうなる前に直してもらってよかったと思った布束は、ふと少年が汗をかいていることに気付いた。

 

 もう季節柄、そこまで気温は暑くないはずなのに。むしろ寒いくらいだ。

 

「……Why、どうして、あなたは風紀委員(ジャッジメント)なんてやっているの?」

 

 そんなに汗だくになってまで、どうしてそんなことをするのか、布束には理解できなかった。

 

 なぜ、そんなにも身を削ってまで、人助けなどをするのか?

 

 この醜い世界に、尽くすのか?

 

 

「――あなたには、この世界が美しく見えるの?」

 

 

 その問いに、ツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)の少年は驚いたように目を見開いた。

 

 布束は、この質問はあまりに突っ込み過ぎたと思った。研究者の悪い癖だ。自身の頭の中で話を進め過ぎて、それを相手も分かっているものだという体で話してしまう。

 

 ごめんなさい、忘れてと質問を取り消そうとした布束の言葉よりも先に、その少年は答えた。

 

 

 

「俺は、美しい世界が見たいです。――この世界を、美しい世界にしたい」

 

 

 

――“あの世界”みたいに、黄金の世界にしたい。

 

 

 その呟きは、その前の言葉で衝撃を受けていた布束の耳には届かなかった。

 

 

 美しい世界を見たい。

 

 

 その言葉は、布束のドロドロとした葛藤を吹き飛ばした。

 

 

 そうか。自分は羨ましかったんだ。この世界を、美しいと感じることが出来る美しい心を持った“彼女達”が。

 

 

 歪んで、汚れてしまった自分には、見えない景色を見ている“彼女達”が。

 

 

 それを認めたら、それを受け入れたら――やるべきことが見えた気がした。

 

 

 手遅れかもしれない。ただの自己満足かもしれない。

 

 

 それでも、少しでも、彼女達のようになりたい。心の汚れを、少しでも落としたい。

 

 

 そうすれば、自分にもこの世界が、少しはマシに見えるだろうか。

 

 

 布束は、自分の言ったクサいセリフに対して表面上は何の反応も見せない布束に対して少し頬を赤くして焦っている年下の風紀委員(ジャッジメント)に対して、普段あまり動かさない表情筋を使って、ささやかな笑顔を浮かべて、言った。

 

 

 

「ありがとう。私も、美しい世界を見れるように、頑張ってみるわ」

 

 

 

 

 

 

 自分を救ってくれたヒーローとの、たった一度の邂逅の思い出を振り返り、布束は微笑む。

 

 

 この暗い地下室を出て見る世界は、あの時よりは、少しは綺麗に見れるだろうか、と。

 

 

 そして、彼も今頃、美しい世界を見るために、同じようにどこかで戦っているのだろうか、と。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 両者は、向かい合う。

 

 

 上条当麻と麦野沈利。

 

 二人は相まみえたその瞬間から、お互いの双眸を睨み付け続けて、一切その視線を逸らさなかった。

 

 

「――絹旗。そこに転がってるフレンダを連れて、こっちにきな」

 

 

 麦野は上条から目を逸らさずに、絹旗に命ずる。

 

 上条と麦野の対立に目を奪われていた絹旗はビクッと肩を震わし、そして今、自分が自由の身であることに気付く。

 バキンッと手錠を破壊し、フレンダの元へ行って彼女の拘束を破壊しながら、麦野に顔を向ける。

 

 自分が自由の身であるということは、戦えるということだ。

 

 なら、この場で麦野と自分の二対一で――なんならフレンダも入れて三対一で挑んだ方がいいのでは? それを問う為の視線だった。

 

 

 だが、麦野の表情に浮かんでいる笑みを見て、その考えを捨てる。

 

 ああ、これは相当キテいると。

 

 

 そのまま絹旗はフレンダを抱えて麦野と滝壺の元へと向かう。その際に、ちらりと上条を見るが、麦野同様にその目は絹旗達に――自分が捕えた人質の脱走にまるで無関心だった。

 

 口のテープをはがされたフレンダは、そのまま麦野の元へ駆け寄ろうとする。

 

「麦野ぉ~~~!! 信じてたって訳よぉ~~!!」

「フレンダ、それから絹旗も。アンタたち、今回のギャラ無しね」

「~~~~ぁぁぁ」

「……超、了解です」

 

 絹旗は顔を俯かせながらも、結局は負けて敵の手に落ちてしまったのだからしょうがないと納得する。

 

 対してフレンダはそのままがっくりと膝から崩れ落ちて「大丈夫だよ、フレンダ。私はそんなフレンダを応援してる」と滝壺に肩をポンと叩かれていた。

 

「それで、滝壺。“どう”なの?」

「――うん。やってみる」

 

 滝壺は、あらかじめ麦野に手渡されていた透明なケースから、手の上にそっと粉末を取り出し、口に含む。

 

 カッと目を見開く。そして、いつもよりも僅かに感情を出して、言った。

 

 

「――ダメ。むぎの、この人、全くAIM拡散力場を感じない(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 AIM拡散力場とは、この学園都市の教育を受けた能力者達、または原石といった者達が、無意識に発してしまう微弱な力のことである。

 

 それは、例え強度(レベル)0の無能力者であっても、わずかながらに発しているもので、滝壺理后の『能力追跡(AIMストーカー)』はそれを記録し、たとえ地球の裏側だろうと文字通り追跡する能力なのだが――

 

 

「――こんな人、初めて」

 

 

 滝壺は茫然と上条を見る。

 

 そう、能力者なら、この街の学生なら、例え無能力者(レベル0)であろうと発しているのが、AIM拡散力場だ。

 

 それを、全く発していない、全く感じないというのは、滝壺にとって大人を除いては初めて見る存在だった。

 

「……へぇ」

 

 麦野は面白そうに、その口元を妖しく吊り上げた。

 

 そして、相変わらず上条から目を逸らさず、滝壺達に言った。

 

「絹旗、フレンダ。アンタ達は滝壺を連れて下がりなさい」

 

 その言葉に、三人の顔色は変わる。

 

 真っ先に食って掛かったのは絹旗だった。

 

「で、ですが――」

「あいつには滝壺の能力は効かない。そうなると、言っちゃ悪いけど滝壺は弱点でしかないわ。アンタ達も、さっきまでの戦いで無傷ってわけじゃないんでしょ。――なら、私一人の方がいいわ」

「……で、でも」

「アンタ達はさっさと下がって、データ移送してる研究者の護衛に行きなさい。いい?――これは命令よ」

 

 フレンダもやんわりと言ったが、麦野はにべもなく切り捨てる。

 

 なおも不満そうな絹旗に、フレンダは滝壺と一緒に首を振った。

 

「ごめんね、麦野。足引っ張っちゃって」

「……ごめんね、むぎの」

「…………」

 

 そんな三人に対し、麦野は優しい声色で言った。

 

「アンタ達が私の心配なんて百年早いのよ。さっさと済ましてすぐに合流するわ。だから早く行きなさい」

 

 そうして、絹旗達は何度もこちらを振り返りながら、去って行った。

 

 

 残されたのは、一人の男と、一人の女。

 

 

 一人の無能力者(レベル0)と、一人の超能力者(レベル5)

 

 

 ここで、これまでずっと黙っていた上条が、ようやく言葉を発する。

 

「……いいのか、仲間を逃がしても。四対一で圧倒した方がよかったんじゃねぇの?」

「自惚れんな、乳臭いガキが。テメー如き、私一人でも勿体ねぇくらいなんだよ。――それにアンタは、この私が、徹底的に嬲り殺すって決めてるのよ」

 

 そして麦野は自身の周囲に、四つの眩い真っ白の光球を浮かび上がらせた。

 

 

「私が思いっきりやるには、アイツ等がいると邪魔なのよ」

 

 

 直後、その光球が美しくも不健康な閃光へと変わり、即死級の光線が圧倒的な殺意をもって上条当麻に襲い掛かった。

 




 布束のエピソードは元々書く予定ではなく、ふと書いてみたものなので蛇足かもしれませんが、個人的には割と気に入ってます。

 お待たせしました。次回から、vs麦野、本格スタートです。


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第四位〈むぎのしずり〉

 お待たせしました。
 上条当麻vs麦野沈利で、丸々一話です。
 楽しんでいただけたら幸いです。


 

 その光線は、まさしく光の如き速さで放たれた。

 

 だが、上条当麻は冷静沈着に、避けれる線、避けられない線を瞬時に感覚的に理解する。

 身体を傾け、腰を落とす。それにより、四本中三本の光線が、上条の身体を掠めるように擦過する。

 

 そして、残る一撃を、上条は右手で受け止めた。

 キュイーンという、もはやお馴染みとなった幻想を殺す破砕音。

 超能力者(レベル5)の宣戦布告の号砲を、上条は眉ひとつ動かさず、一歩もその場から動くことなく防いでみせた。

 

 だが、相手は麦野沈利。その程度で臆するような甘い怪物ではない。

 

 むしろ不敵に、むしろ暴力的に、よりその凶暴な笑みを深める。

 ゆっくり、一歩を踏み出す。

 

 怪物が、歩みだす。

 

 その嗜虐的な笑みのままに、第四位は自身の周囲に白球を浮かべながら、無差別に破壊を振りまきつつ、上条当麻に向かって歩みを進める。

 

 さすがの上条も、チッと大きく舌打ちをしながら距離を取るように駆け出す。

 

 その様を見て、心底愉快だと言わんばかりに、怪物は嗤う。

 

「ぎゃははは!! いい様だねぇ! どこまでも無様に逃げてみろ! どこまで逃げようと最終的には愉快な死体にしてやるけどなぁ!」

 

 上条は背を向けて逃げる。そして時折躱しきれない光線を、降りかかる火の粉を払うように右手で打ち消す。

 

 そして、麦野は瞬時に見抜いた。

 

「はっ、どうやらそのお得意の無効化能力は、その右手でしか使えない欠陥品みたいね」

「……さぁ、どうかな?」

 

 上条は強がって見せたが、内心ではその観察力に歯噛みしていた。

 

(ちっ、さすがに超能力者(レベル5)か……)

 

 超能力者(レベル5)とは、その桁外れに強力な能力と、強烈な個性(パーソナリティ)が印象に残りがちだが、それ以外にも彼らには特筆すべきものがある。

 

 それは、頭脳。

 

 学園都市産の超能力は、頭脳による演算が肝となっている。

 それぞれの能力に計算式があり、それを演算することによって能力は発動する。そして当然、その演算能力が高いほど、強力な能力を発動することが出来る。

 

 つまり、上位能力者ほど、演算能力が高く、ひいては優秀な頭脳を持っているといえる。

 

 そして、目の前にいる怪物は、学園都市の頂点の七人の一角。

 

 世界最高の頭脳が集まるこの学園都市で、最高位の頭脳を持つ女傑である。

 

「ったく、こんな弱点だらけの雑魚野郎に、絹旗とフレンダは何してんだか。こんなの、いくらだって殺せるだろうが、よッ!!」

 

 麦野は光線を発射し、上条の周りの巨大な周辺機器を焼き切った。

 

「――ッ!!」

 

 そして、巨大な金属塊が雪崩のごとく降り注ぐ。

 

 ズササササァァという轟音の後、麦野はゆっくりと上条に向かって近づいた。

 

 だが、麦野はその落下物を避けきり、麦野が光線を振りまいたときに開けてしまっていた穴から密室より脱出する上条の姿を捉えた。

 

 当然、逃げたわけではない。それは、わざわざこちらを振り向き、麦野と目を合わせた上条を確認した麦野にはよく分かっていた。

 

「……かっ。つくづく私の癇に障るのが上手い男ね」

 

 麦野はこれが誘いであることなど微塵も気に掛けず、むしろ足掻いて見せろと言わんばかりの勇壮な歩みで、上条が抜けた穴へと向かう。

 

(……それにしても、よく避けるわね。例え能力を消せる右手を持っていたとしても、あれだけの『原子崩し(メルトダウナー)』を捌ききれる奴がどれだけいるか……単純な経験値? それとも、能力を消す以外に何か特別な能力が?)

 

 麦野は堂々と歩みを進めながらも思考を怠らない。あの無能力者の風紀委員(ジャッジメント)が、自身の同僚である絹旗とフレンダを撃破したことは紛れもない事実だ。その部分では、麦野は上条を侮るつもりなどない。

 

 だが、その事実を踏まえても、麦野は恐れない。自身の勝利を微塵も疑わない。

 

 それは自惚れでも、驕りでもなく、ただの自負。

 

 奴よりも己の方が強いという、強者の圧倒的な自信。

 

 これが超能力者(レベル5)。どんな小細工も歯牙にかけず、己の力のみで全てを破壊する、圧倒的な暴力の持ち主。

 

 麦野沈利は、学園都市の第四位の座に相応しい覇者の風格の持ち主だった。

 

 

 対して上条当麻は、先程の空間に比べて道幅が急激に狭くなった通路を行きながら、少しの痺れをみせる右手に目を向ける。

 

(……重い攻撃だった。単純な威力だけなら、御坂の電撃よりも上かもな)

 

 もちろん、それだけで麦野の方が御坂よりも強いと断じることは上条には出来ない。御坂の強みは一撃の威力よりもその多様性だと上条は思っているし、麦野はまだ能力の底を見せていないだろう。

 

 だが、どちらが怖いかというのなら、間違いなく上条は御坂よりも麦野を選ぶ。

 

 それは、能力の上下云々ではなく、ただ単純に――麦野が、人を殺せる人間だからだ。

 

 その全てを貫く圧倒的暴力を、躊躇なく人に向けて発射できる人間だからだ。

 

 だから、どちらがより怪物なのかと言われれば、間違いなく麦野だ。

 

 

 ドゴォォーーン!! と、上条が逃げてきた穴を豪快に破壊して広げながら、麦野は姿を現す。

 

 その様は、その姿は、まさしく怪物。圧倒的な強者。

 

「みーつけた♡」

 

 蕩けるように笑いながら、麦野沈利は破壊を振りまく。

 

 そして、一歩、一歩、そのハイヒールとリノリウムの床で音を奏でながら、スポットライトを浴びる女優のように悠然とした足取りで、上条に向かって歩みを進める。

 

 上条は、思わず笑みを浮かべながら冷や汗を流す。

 

 間違いなく、この世界に逆行してから今まで戦ってきた敵の中で、最強で、最恐で、最凶だった。

 

 麦野沈利は、超能力者(レベル5)の第四位の称号に恥じない、正真正銘の怪物だった。

 

(前の世界じゃあ浜面の仲間だったから、“話せば分かる奴等”だと思ってたのは……見込みが甘すぎたか)

 

 目の前の縦横無尽に全てを破壊しながら迫ってくるあの怪物を相手に、どんな言葉をぶつければ戦いを回避できるのか、欲しい情報を話してもらえるのか、まるで想像もつかない。

 

 そもそも上条は、相手を説得するということが得意な人種ではない。

 

 これまでの戦いでも、ただ己の気持ちを、怒りを、我武者羅に相手にぶつけるだけだった。

 

 許せない者を糾弾し、己のエゴをぶつけ、認められない幻想をぶち殺すだった。

 

 そうやって戦い、そうやって勝ち残り、そうやって負けてきた。

 

 だが、上条のそんな戦い方は、彼女達には届かなかった。

 

 フレンダ=セイヴェルンには差し出した手を弾かれ、絹旗最愛には激昂されて拒絶された。

 

 

 上条当麻の言葉では、彼女達は救えなかった。

 

 

 そんな上条が、そんな敗者が、麦野沈利を救えるはずが――理性的に暴れ狂う目の前の怪物を救えるはずがない。

 

(――でも、そんな彼女を、そんな彼女達を、お前は救ったんだよな、浜面)

 

 上条が前の世界で彼女達を見たのは、浜面仕上が彼女達を救った後だった。

 

 上条当麻ではない別のヒーローに、救われた後だった。

 

 上条は彼女達(アイテム)とはほとんど面識はなかったけれど、あの元スキルアウトの少年を中心に形成された彼と彼女達だけの空間は、少なくとも上条にはとても綺麗なものに見えて。

 

 きっと浜面が、麦野と、絹旗と、そして滝壺と、色んなものを乗り越えて、必死に頑張って手に入れた掛け替えのないもので。

 

 間違っても、そこにいた彼女達は、今の彼女達のような表情はしていなかった。

 

 

「おいおいどうしたぁ? 今更ビビッて金玉縮み上がっちまったかぁ? 心配しねぇでも、その粗末なもんと一緒に判別不能なくらいブッ飛ばしてやるよ!!」

 

 ついに麦野は、上条と数メートルという距離まで接近していた。

 

「それともお仲間と私を引き離すのが目的か? だが、今頃あっちには滝壺が――」

「一応、聞いておくが――」

 

 上条は麦野の言葉を遮りながら、真っ直ぐ麦野を睨み据えて言い放つ。

 

「――今夜行われる、第一位の実験の場所はどこか知らないか?」

 

 その言葉か、それとも上条の迫力を増した眼差し故か、麦野は自身の言葉が遮られたことによって細めていた不満げな眼差しを、再びあの好戦的な笑みへと変えて、言った。

 

「――さぁ? 知らないわね」

 

 だが、上条はその反応に――絹旗やフレンダとは違う反応に、逆に麦野は何かを知っていると確信した。

 

 考え込む上条に、麦野は「聞きたいことはそれだけ?」と挑発的に問いかけ、対して上条は「……ああ」と少し間をおいた後、麦野に向かって挑戦的な笑みを負けじと返しながら宣う。

 

「――後は俺がお前に勝った後に、ゆっくりと聞かせてもらう」

「……遺言はそれでいいわね」

 

 麦野の周囲に光球が浮かぶ。上条も腰を落とし片足を引いて右拳を握った。

 

「そういえばアンタ、どうして第一位の実験を止めようとしてる訳? 第三位の為? それとも親船最中の為?」

 

 麦野のついでと言わんばかりの適当な問いに、上条は一瞬呼吸を止めた後、はっきりと言い放った。

 

 

 

――結局、初対面の男にそんな風に口説かれても、残念なくらいに響かないって訳よ

 

 

 

――……アンタは、超中途半端なんですよ

 

 

 

(……そうだよな、浜面。俺はお前じゃない。お前は俺じゃない。前の世界で、こいつ等を救ったのは、上条当麻じゃなくて、浜面仕上だ)

 

 前の世界で、上条当麻は彼女達の悲劇には気づきもしなかった。

 

 彼女達を蝕む闇を取り払い、その手をとって引っ張り上げたのは、自分とは別のヒーローだった。

 

(……けどそれは、今こうして目の前で、学園都市の暗部であることを享受している彼女達を見過ごす理由にはならない。彼女達を救うことを、諦める理由になんかならないッ!)

 

 かつて浜面は、彼女達を救う為、それこそ死にもの狂いで足掻いたのだろう。

 

 自分と同じ、いや、自分以上に無能力者という立場で、恵まれないポジションで、本来は物語のやられ役でしかない境遇で、それでも諦めずに、藻掻いて、足掻いて、戦って、立ち上がって、立ち向かって――ヒーローになったのだ。

 

 誰に与えられたわけでもなく、自力でヒーローを勝ち取った。大事なものを、自分の手で守り、救い出すために。

 

 ここで、絹旗最愛を、フレンダ=セイヴェルンを、滝壺理后を、麦野沈利を――『アイテム』を救うことを諦めるということは、そんな『浜面仕上』の戦いを、血を、汗を、涙を――思いを、踏みにじるということだ。

 

 今この場に、浜面仕上はいない。あの誇り高きヒーローはいない。

 

 なら、俺が代理だ。

 

 諦めない。食らいつく。

 

 例え、本来の自分の役割ではないのだとしても、呼ばれていなくても、求められていなくても、何度弾かれ拒絶されても――何度でも、その手を差し伸ばし続ける。

 

 それが、あの世界の全てのヒーローの努力を踏みにじり、全てをなかったことにしてしまった自分の責務だ。

 

 あの黄金の『しあわせの世界』を壊してしまった、上条当麻のやらなくてはならない咎だ。

 

 だから言う。だから叫ぶ。高らかに、上条当麻は胸を張って言い放つ。

 

 

「――友達を救い、学園都市の闇をぶっ殺すためだ!」

 

 

 何度でも、何度でも宣言しよう。

 

 フレンダには笑われ、絹旗には激怒された戯言だけれど、それでも上条は再び吐き出した。

 

 真っ直ぐに燃えるような瞳で麦野を見据えながら、臆することなく、恥ずかしげもなく言い放った。

 

 対して麦野は、そんな上条の宣言を受けて、あっさりと一言。

 

 

「あっそ」

 

 

 フレンダのように笑うわけでも、絹旗のように激怒するわけでもなく、ただどうでもいいと言わんばかりに、興味の欠片も示さなかった。

 

 上条の決死の叫びは、麦野の心を揺さぶるどころか触れさせてすらもらえなかった。

 

 麦野は懐からカードのようなものを取り出し、ピンと親指で宙に放った。

 

 一際好戦的な笑みを浮かべ、麦野は唄うように言った。

 

 

「それじゃあ、その温ぬるい幻想(ゆめ)の中で死になさい」

 

 

 長方形の中にいくつもの三角模様のカードに、麦野の『原子崩し(メルトダウナー)』が直撃する。

 

 そのカードを介することで必殺の光線が無数に増殖し、上条に弾幕のごとく降り注いだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 拡散支援半導体(シリコンバーン)

 

 学園都市第四位――『原子崩し(メルトダウナー)』の連射が出来ないという弱点を補うべく、麦野が持ち歩いているアイテムだった。

 

「さぁ、いつまでそのちんけな右手一本で生き残れるかしら?」

 

 上条は鋭く目を細め、腰を落とす。

 

 そして、その必殺の光線の豪雨が上条に降り注いだ。

 

 

「―――――ッッッッ!!!!」

 

 

 上条は唇を渾身の力で噛み締めながら、全力で回避する。

 

 身を屈め、転がりまわり、縦横無尽に走り続けた。

 

 右手を我武者羅に振り回す。

 

 前兆の感知。

 上条当麻が無数の修羅場を、生死の境を潜り抜けてきた結果、その身に着けた生存本能の集大成ともいうべき戦闘技術。

 

 能力者が自身の能力を発動する際に生じる、本人も無自覚な意図しない微弱な周囲の変化――前兆。

 それを理屈ではなく本能で察知し、能力が発動する前に対処を開始する。

 

 上条当麻という人間の、類まれなる戦士としてのセンス。これにより、上条当麻は数々と規格外の怪物と、その右手一本で渡り合ってきた。

 

 これは、“前の”世界の『一方通行(アクセラレータ)』が推測したものだ。

 

 そして、今、同様に超能力者(レベル5)の頭脳を持つ麦野沈利も、似たような違和感を感じ取っていた。

 

(……あいつの動きには、気持ち悪いくらい無駄がない。あのふざけた右手だけに頼り切ってるのなら、あんな動きは出来ない。そのほとんどを避けて、どうしても避けきれないものにだけ、あの右手を使ってる)

 

 どんな手段を用いているのかは知らないが、奴はこちらの能力の“察知”をしている。

 

 麦野はそのことに確信を抱いた。

 

 だが、それを確信してもなお、麦野は笑う。

 

 

“その程度”で、超能力者(わたし)を止められると思ったら大間違いだと。

 

 

 麦野は口元を醜悪に歪めながら、再びシリコンバーンを取り出す。

 

「ったく、夢見る童貞野郎が」

 

 麦野はそう吐き捨てる。

 

「――ッ!?」

 

 廊下の終点――三方が壁に囲まれた袋小路に追いつめられた、上条に対して。

 

 

 

「その程度で、この街の『闇』をどうにかできるとでも思ってんのかッ!!」

 

 

 

 逃げ場のない上条に、麦野が放ったシリコンバーンによる『原子崩し(メルトダウナー)』の弾幕が上条に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 通路が完全に崩れ去り、再び広く吹き抜けた空間に出た。

 

 ここは、先程までのボイラー室ではなく、もっと大きな機器の為の空間のようで、下は暗く底が見えない。

 足場となるのは作業員用が一人しか通過出来ないような幅の通路と、縦横無尽に張り巡らされたこちらも人一人が歩けるような太さのパイプのみ。

 

 

 麦野はその空間を見下ろしながら、そのパイプの一つにしがみついている上条を、凶悪な笑みを浮かべながら見下ろしていた。

 

 

「……はっ。生命力はまさしくゴキブリ並みだな、害虫野郎」

 

 上条はボロボロになった有様でも、目だけは変わらず強い意志をもって睨み付けるように麦野を見上げた。

 

 

 上条が使ったのは、足元に張ってあったフレンダの置き土産――導火線。

 

 上条は先程組み敷いた際に没収しておいた発火器具をそれに叩きつけ、着火させ、床を自ら崩した。

 

 つまり、前方後方左右に逃げ場のなかった状況から、下に逃げ道を作ったのだ。

 

 

 当然ながら、麦野の拡散された『原子崩し(メルトダウナー)』の全てを避けられたわけではなかった。

 身体の中心部を貫きそうなものは右手でなんとか防いだが、肩や足を掠めるものは防ぎきれず、結果としてかなりのダメージを負った。

 

 そして、逃げた先の空間は、先程のような廊下ではなく、底が見えないほどの広大な空間だった。元々フレンダがトラップとして設置したものを起動したのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

 

「くっ!」

 

 上条は痛む体の節々を無視しながら、なんとか身体を持ち上げようと試みる――が。

 

「わざわざ待つわけないでしょうが」

 

 麦野は嗜虐的な笑みを浮かべながら、自身の周囲に白球を浮かび上がらせる。

 

「――っ!?」

 

 上条はそれを見て、パイプの上に乗り上げるのを諦め、下を見る。

 

 上条は、覚悟を決めた。

 

 大きく足を振って、ブランコのように勢いを手に入れながら――パイプから手を放す。

 

 自分の身体の周囲を必殺の光線が通過し、宙を舞う。

 

 身体の内部に氷塊をぶち込まれたような強烈な寒気が上条を襲った。

 

「――っ、はぁ! はぁっ!」

 

 が――なんとか上条は細い細い通路に着地し、念願の足場を手に入れる。

 

 四つん這いとなり、暴れ狂う心拍を落ち着かせるべく全力で呼吸を整える。

 

「――ッ!!」

 

 上条は仰向けになり、両手を交差するように盾を作った。

 

 そこに、躊躇なく飛び降りた麦野の強烈な踏みつけが襲う。

 

「っ!? ぐぅ……ッ」

 

 ミシッと骨が軋む。ヒール部分でなかったのがせめてもの救いか。

 

 だが、体勢としては仰向けで耐える上条と、全体重をその足に乗せる麦野という構図が出来上がってしまった。

 

「へぇ~、よく防いだわね。全く不気味なくらいの反射神経だわ」

 

 この一方的に追い詰めた状況への愉悦を隠そうともせず、麦野は上条を文字通り足蹴にする。

 

 対する上条は必死に耐えるも、通路は人一人がなんとか通れるというもので、右にも左にも逃げることが出来ない。

 

 麦野は何度も、何度も何度も、その長い脚を振り下ろしながら、上条を甚振り続ける。

 

「これが現実よ」

 

 麦野は見下すように見下ろしながら、上条に言った。当然、その足蹴を続けながら。

 

「どんだけ素敵で真っ白な幻想(きれいごと)を謳おうが、それよりも圧倒的な暴力(ちから)で真っ黒に塗りつぶされちまう。これがこの街の暗部だ。確かにテメーは絹旗に勝ったんだ、それなりにやるんだろうが――」

 

 そして、嘲笑するように吐き捨てた。上条を踏み続けながら、出来の悪い子供を躾ける様に。

 

 

「――これが超能力者(げんじつ)だ。テメーら無能力者(ガキども)がいくら囀っても、笑えるくらい何も変わらねぇ」

 

 

 その言葉は、痛いくらいに現実を突いていて、的を的確に射ていて、だからこそ、上条当麻の心に深く鋭く突き刺さった。

 

「この学園都市は、夢見る子供に優しくない。生まれ変わったら、現実認めて就活でも始め、なッ!」

 

 

 そして、上条は、振り下ろされたその足を――右手で掴んだ。

 

 

「――っ!」

「……確かに、俺の言葉はただの綺麗事かもしれない。……現実を直視してないガキの戯言かもしれない」

 

 上条は、その渾身の力で振り下ろされる足を、右手一本の力で押し返しながら、ゆっくりと身を起こす。

 

 麦野は一歩後ろに下がり、その手を振り払うように足を引き戻した。

 

「けどな、メジャーリーガーを目指す野球少年だって、バット振る所から始めるんだ。諦めずに毎日素振りしてれば、絶対に夢は叶うなんて言うつもりはない。……だが、それを目指すことは、その為に戦うことは、決して否定されるものなんかじゃないはずだ」

 

 上条は立ち上がり、再び右手を握って、麦野沈利に相対する。

 

 

「……俺の言葉に説得力がないってんなら、今、ここで見せてやるよ――超能力者(レベル5)のアンタを倒して、俺の幻想(ゆめ)を!!」

 

 

 その言葉と共に、上条当麻は特攻する。人一人分の幅しかないこの通路では、もはや小細工は必要ない。

 

 ただ、突っ込む。真っ直ぐ、相手に向かって、一直線に。

 

 麦野は歯を食い縛り、怒り狂って叫んだ。

 

 

「な……めんなガキがぁぁぁぁああああ!!!!」

 

 

 光球を作り出し、発射する。こちらも小細工などいらない。上条当麻には逃げ道などないのだ。

 

 たった一発。その超能力者(レベル5)の第四位に君臨する『原子崩し(メルトダウナー)』の圧倒的な破壊力を、目の前の身の程知らずの無能力者(おろかもの)に向かって、レベルの差を――現実を、思い知らせるように。

 

 そう、一発。逃げ場がない故に、たった一つの限定されたルート。

 

 あれほど振りまかれた『原子崩し(メルトダウナー)』の雨を受けて、ここまで生き残ってきた上条当麻に察知できないはずがない。

 

 真っ直ぐに、己の頭部を吹き飛ばす軌道で放たれた光線。

 

 

 上条はそれに対し、右手を振り上げるようにぶつけることで上方に弾き飛ばした。

 

 

「――な、」

 

 麦野が絶句する。

 

 ただ打ち消すだけが幻想殺し(イマジンブレイカー)の使い方ではない。

 

 上条は、この右手の利点も、弱点も、使い方も、誰よりも熟知している。

 

 

 これまですべて馬鹿正直に打ち消してきたのは、今この瞬間の為。

 

 

 至近距離からの真っ向勝負、必殺の弾幕を潜り抜け、この右手が届く位置で、最大限の隙を作り出す、この瞬間の為。

 

 

「しま――ッ」

 

 

 超能力者(レベル5)の第四位――『原子崩し(メルトダウナー)』の麦野沈利の顔面に拳を突き刺す、今、この瞬間の為に。

 

 

「楽勝だ、超能力者(レベル5)

 

 

 無能力者の愚者の右拳が、超能力者を吹き飛ばす。

 

 

 

 こうして、暗部組織『アイテム』は、たった一人の風紀委員(ジャッジメント)に撃破された。

 

 

 




 次回、vsアイテムの決着。


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疫病神〈かいぶつ〉

 これは壊れてしまったヒーロー――上条当麻の物語。


 

 立場が逆転し、地面に仰向けに倒れ込んだ麦野に、上条は馬乗りになって右手で肩を掴んだ。

 腫れ上がった顔に笑みを浮かべ、麦野は演算は出来るが能力が発動出来ないことに内心で舌打ちをしながら、上条に向かって挑発するように言う。

 

「はっ、倒れた女を躊躇なく馬乗りで押さえつけるとか、がっついてるなぁ童貞は、猿並みだな」

「悪いが、こっちも時間がないんだ。さっさと本題に入ろう」

 

 上条は麦野の戯言に取り合わず、まっすぐ見据えて問いかける。

 

「今日の実験はどこで行われる?――一方通行(アクセラレータ)は、どこだ?」

 

 その上条の様子に、麦野は笑みを引っ込めて、問い返す。

 

「さっき言ってたお友達ってのは、第一位の事か?」

「……ああ」

 

 上条は麦野の言葉に、自身の心の内を伝えようと吐き出すように答える。

 

「……俺は、一方通行(アクセラレータ)を救わなくちゃいけないんだ。……今度こそ、絶対に助けなくちゃならない。だから――」

「――はっ」

 

 上条の絞り出すような言葉に、麦野はこらえきれないとばかりに笑みを漏らす。

 

 そして――

 

 

「ははははははははっははははっはははははははっはははははははははっははは」

 

 

 麦野は笑う。狂ったように、壊れたように哄笑する。

 

 さすがの上条も、自分の大事な思いを馬鹿にされたように感じ、声に怒気が混じる。

 

 

「………………何がおかしい?」

 

 

 思わず麦野の肩を掴む右手の力が強くなる。

 

 だが、麦野はそれに対して顔を顰めることすらせずに、見下ろされている立場でも構わず、上条を見下すように言う。

 

 

「ふざけてんじゃねぇよ、オナニー野郎」

 

 

 上条はその言葉に頭が真っ白になる。

 

「な――」

「テメーの本心はそれじゃねぇだろうが。第一位を助けるとか、この実験を止めるとか、クローン連中を救うとか、そんなのは全部詭弁だろうが」

「なっ!? ふざけんな、そんなわけ――」

 

 

「お前のそれは、全部テメーの自己満の為だろうが?」

 

 

 上条の吐き出しかけた言葉は、麦野のその侮蔑したような笑みと言葉に、完全に塞き止められた。

 

「気持ちいい幻想(ゆめ)に浸りてぇんだろ? ずっと優しい世界に閉じこもっていてぇんだろ? その為に、自分の周りを“お前の好きなように作り変えてぇんだろ”?」

「違うッ!」

「違わねぇよ。お前のそれはただの自己満だ。お前の理想の世界を作るために、お前の幻想(ゆめ)とそっくりにするためにこの世界を好き勝手に弄りてぇんだ? 闇を払う? 友達を救う? いい様に言ったもんだな? やってることは自分の為に誰かを殺す私らと何が違う?」

「違うッ! 違うッ!」

 

 違う。断じて違う。

 

 俺は、この世界をあの世界に少しでも近づけたいだけなんだ。

 

 

 あの、事件も、失恋も、借金もない、誰の涙も、どんな悲劇も存在しない、あの黄金色の誰もが『しあわせな世界』に。

 

 

 そうすれば、みんな幸せで、みんな笑ってて、誰も泣いてなくて、そんなハッピーエンドはないだろう?

 

 

 だから、だから俺は――

 

 

 

「お前は私よりも――誰よりも狂ってるよ」

 

 

 

 上条は燃えるような瞳で麦野を睨み付ける。

 

 だが麦野は、上条を見下すような、侮蔑するような――哀れむような、瞳を止めない。

 

 

 上条はポケットの中から取り出し、あの発火装置を左手に握った。

 

 銀の尖った先端を下に、持ち手を手甲に血管が浮かび上がるほどに強く、固く握り締める。

 

 

「自分が歪んでることに気付いているくせに、必死に気づかないふりして正当化する。すでに後戻り出来ねぇレベルでぶっ壊れてやがるくせに、何の変哲もない顔で笑いやがる。その綺麗で、素敵で、真っ白な幻想(ゆめ)に自分から囚われてやがる。――今までいろんなクズ野郎を見てきたが、ここまで取り返しがつかねぇレベルで狂ってる野郎は初めてだ」

「………………黙れ」

「本当に――」

 

 

 麦野はそこで、挑発的な笑みを止めて、本当にかわいそうなものを見るように、目を細めた。

 

 

 見ていられないと、哀れむように。

 

 

 

「――救えねぇ野郎だ」

 

 

 

 その言葉で、上条の視界は真っ白に染まり、音が消えた。

 

 

 必死に塞き止めていた何かが決壊し、必死に閉じ込めていた何かがこじ開けられた気がした。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 上条は左手を振り上げた。

 

 

 その尖った銀の先端が、照明を受けて光る。

 

 

 麦野は眩しそうに目を細めたが、身動ぎ一つしなかった。

 

 

 上条は涙を流しながら、その凶器を持った左手を振り下ろす。

 

 

 触れられたくない部分を、必死で守るように。

 

 

 認めたくない現実を否定し、心地よい幻想(ゆめ)の中に逃げるように。

 

 

 

 その尖った銀の先端を――無抵抗に横たわる麦野沈利に向けて、渾身の力で振り下ろした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ガキンッ! と、その銀の先端が通路の金属の床に突き刺さって折れるのと、上条の携帯が震えるのは、ほぼ同時だった。

 

 

「…………」

「…………はぁ…………はぁ…………はぁ………………」

 

 

 上条は顔を俯かせて荒い息を吐く。麦野はそんな上条をただ無表情に見上げていた。

 

 しばし両者沈黙し、ただ携帯の振動音だけが響く。

 

 上条は、ゆっくりと携帯に手を伸ばした。

 

 

「…………ああ、俺だ。…………ああ。わかった、よくやった。………………ありがとう。……すぐ、そっちに向かう」

 

 

 上条は通話を切り、ダランと両手を揺らす。

 

 そして、俯いたまま、麦野と顔を合わせないまま、彼女の肩を掴んでいた右手を放し、麦野の身体からゆっくりと立ち上がった。

 

 

――そして、ポツリと、何かを呟く。

 

 

 そのまま上条は、ゆっくりと、ふらふらと、人一人分の幅の通路を出口に向かって進む。

 

 麦野に背を向けたまま、一度も振り返ることなく、彼女の前から遠ざかる。

 

 

「…………」

 

 

 麦野は、ゆっくりと立ち上がると、自身に背中を向けたままフラフラと遠ざかっている上条の背中を凝視し――自身の周囲に白球を浮かべる。

 

 

 そして、その細く長い指を、上条の背中に向けて――

 

 

「…………」

 

 

――そのまま、上条の姿が見えなくなるのを見送った。

 

 

「…………チッ」

 

 

 麦野は懐から携帯を取り出し、電話を掛ける。

 

 

『――もしもし、麦野? 絹旗です』

「ああ、私。アイツに連絡しておいて。上条当麻(インベーダー)は、言われた通りちゃんと“施設から撃退した”って」

『…………超、了解です』

 

 

 絹旗も麦野との付き合いは長い。

 

 あえて麦野が撃退という言葉を選んだ理由を、彼女も察しているのだろう。

 

 

 察しているが故に、そこに触れずに“仕事”の話を続ける。

 

『――こっちの移送準備も完了しました。……麦野はどうします?』

「……ああ、ちょっと疲れたからアンタ達だけで進めていいわよ。あとはダミーの研究所からさらにダミーの研究所に移送するだけでしょう?」

『……わかりました』

 

 そこで仕事の話は終了したが、なぜか絹旗は通話を切らない。

 

 その理由を察した麦野は大きく溜め息を吐く。

 

 

『……あ、あの、麦「――絹旗」』

 

 

 そこで麦野は、声色を鋭く変えて、絹旗に釘を刺す。

 

 

「今日のことは――いいえ、“上条当麻”のことは忘れなさい。いいわね」

『…………』

 

 

 

「アイツと関わると、確実に“不幸”になる。――あれは、そんな疫病神(かいぶつ)よ」

 

 

 

 麦野は、そうはっきりと言い切った。

 

 電話口の向こうの少女は、しばらく沈黙すると、やがて消え入りそうな声で、泣きそうな少女のように『……はい』と漏らし、通話を切った。

 

 

 麦野は携帯を仕舞うと、上条が出ていった通路の方を見遣る。

 

 

 小さい背中だった。

 

 今にも折れてしまいそうな、砂の城のようにさらさらと崩れてしまいそうな、そんな背中だった。

 

 

 

――友達を救い、学園都市の闇をぶっ殺す為だ!

 

 

 

――超能力者(レベル5)のアンタを倒して、俺の幻想(ゆめ)を!!

 

 

 

――うわぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!

 

 

 

 救えない少年だった。

 

 

 親船派の上条当麻といえば、すでに学園都市の裏の世界でも、それなりに名が通っている。

 

 裏の世界にも首を突っ込んでくる風紀委員(ジャッジメント)ということで悪目立ちしているだけだが、逆に言うのならそれほど疎まれるくらいには、上条は学園都市の闇を垣間見ているということだ。

 

 

 にも関わらず、まだ高校生にもなっていない中学生の少年が、超能力者(レベル5)の自分を前にしても、学園都市の闇を払うと堂々と言ってのける。

 

 

 言ってのけて、しまえる。それは明らかに異常なことだ。

 

 

 確かに闇の世界には、上条よりも幼い少年少女はうじゃうじゃと存在する。絹旗もその一人だし、この実験の関係者の第三位も、上条の仲間の第五位も――そして、奴が救うと言った第一位も、確か上条と変わらない歳のはずだ。

 

 

 どいつもこいつも碌な目に遭っておらず、多かれ少なかれ、歪み、壊れ、狂っている。

 

 

 それがこの街――学園都市だ。

 

 

 だが、そんな街の暗部で生きてきた麦野でも、あれほどの壊れ者は見たことがない。

 

 

 一体どんな悲惨な目に遭えば、あんな風に盛大に、あんな風に徹底的に――

 

 

 

 

 

『俺は、ただ……悔しいだけなんだよ』

 

 

 

 

 

――あんな風に、優しく狂えることが出来るんだろう。

 

 

 少年は呟いた。

 

 

 ただ悔しいんだと、泣きそうな顔を浮かべながら、ただ一言、そう呟いた。

 

 

 何が悔しいのかは分からない。少年がどんな目に遭ってああなり、ああなってしまい、あんな風に壊れてしまったのかなど想像もつかない。

 

 

 だが、それでも少年は、戦っている。

 

 

 歪んでしまっても、壊れてしまっても、狂ってしまっても。

 

 

 それでも少年は、ただ『みんなのしあわせ』の為に、止まることなく戦い続けている。

 

 

 絹旗と戦い、フレンダと戦い、そして超能力者(レベル5)の第四位――麦野沈利との戦いですら、少年にとっては前哨戦に過ぎない。

 

 

 ボロボロの身体で、フラフラの足取りで、壊れた少年はそれでも向かった。

 

 

 救うべき友達が、敵として立ち塞がる――学園都市第一位が待ち構える、新たな戦場に。

 

 

「――はっ、気持ち悪ぃ」

 

 

 気持ち悪い。

 

 

 善性過ぎて気持ち悪い。善行過ぎて気持ち悪い。

 

 

 なんて歪んだ、正義のヒーローなんだ。

 

 なんて救えない、正義のヒーローなんだ。

 

 

 あんなのと関わってしまったら、確実に皆が不幸になる。

 

 

 誰かの幸せの為に戦っているヒーローが、新たな不幸を生み出し続ける――。

 

 

 麦野は笑う。その皮肉を嘲笑うかのように、上条当麻が出ていった、照明が心許ない明かりを照らす出口に向かって。

 

 

「……精々無様に足掻くといいわ。――学園都市の闇は、アンタみたいなやつが祓いきれるほど薄くない」

 

 

 あんな危ういヒーローが打倒できるほど、学園都市の絶望は温くない。

 

 

 だが、それでもあの少年は立ち向かい続けるのだろうと、麦野はなんとなく思った。

 

 

 何度負けようと、何度裏切られようと、何度繰り返そうと、何度でも、何度でも立ち上がって、立ち向かって――そして、傷つき、壊れていくのだろうと。

 

 

 もはや、取り返しがつかないほどに壊れているのに。

 

 壊れているからこそ、まるで古びたレコードのように、何度も同じことを繰り返す。

 

 

「救えねぇ野郎だ」

 

 

 麦野は――嘲笑するように吐き捨てる。

 

 

 そしてそのまま、上条が出ていったのとはまた別の出口に向かって、明かりから背を向けるように、悠然と歩みを進めるのだった。

 

 

 暗く、昏い、闇の中へ。上条とはまったく違う、ヒールを鳴らした力強い足取りで、悪役(ヒール)は暗闇に染まっていく。

 

 

 望むところだと、言わんばかりに。

 

 




 闇が、暴かれる。

 歪んだヒーローの、抱える闇が。

 それでも、ヒーローは、戦い続ける。

 すでに止まれない程、壊れてしまっているから。


 もう彼には、それしかないから。


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無敵〈レベル6〉

 やっとあの白いのとクローン少女を再登場させることが出来ました。


 

 車内は、重々しい沈黙で満ちていた。

 行きと同様に親船最中の部下が運転する車にて、合流を果たした三人。

 本来の身体に戻った食蜂操祈、その身体を護衛していた縦ロール、そして上条当麻。

 

 食蜂は、戻ってきた上条を見たときに、目を疑った。

 

 まるで別人のような目だった。だが、見覚えがある瞳だった。

 

 あれは、四年前のあの日と、同じ瞳だ。

 

 

『立場が欲しい。悲劇を未然に防げる立場が。幸せを取り戻すんじゃない。失う前に気づける立場が』

 

 

 あの、この世界全てを憎んでいるような。

 

 

 そして何より、自分自身を憎悪しているかのような。

 

 

 そんな、暗く、昏い、真っ黒な目。

 

 

 まるで、この街の闇のような、底が見えない程に真っ暗な瞳。

 

 

 食蜂はギュッと両手を握りしめ、上条に声を掛ける。

 

「あ、あの、上条さ――」

「――食蜂」

 

 だが、それを制するように、何も言うなと言わんばかりに、上条が先に口を開く。

 

 食蜂の方を見ずに、ただ窓の外の景色を睨み付けるように眺めながら。

 

「――この先に、一方通行(アクセラレータ)はいるんだな?」

 

 その、何かを堪えるかのような声色に、食蜂はただ「……ええ」としか言えなかった。

 

 それ以降、目的地に着くまでの間、上条が口を開くことはなく、縦ロールは無力感を噛み締め俯く女王の肩をそっと抱くことしかできなかった。

 

 

 時刻は、夜の十時。

 

 

 冬の空に闇が広がり、辺りが真っ暗に、真っ黒に染まる中、上条達は最後の戦場に向かう。

 

 

 絶対能力進化(レベル6シフト)に終止符を打ち、五人の妹達(シスターズ)と――ひとりぼっちの第一位を救う為に。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 あれから何年経ったのだろう。

 

 あの日から。全てが壊れ、全てを失い――本来在るべき姿へと戻った、あの日から。

 

 

『お前は怪物だ。地獄へ落ちても忘れるな』

 

 

 この身が、己という存在が怪物であると思い知らされてから、いったいどれほどの月日が経ったのだろう。

 

 

 あの後、一方通行(アクセラレータ)は木原数多の元へと再び送り届けられ、それこそ数多の実験を行った。

 

 どのような内容だったかは、白い少年は覚えていない。彼の優秀な頭脳はそれらを記憶していて、思い出すことは可能なのだろうが、少年にとってはどうでもいいことだった。

 

 何も考えず、ただ淡々とこなした。求められる結果を出し続け、その規格外なデータを提供し続け――

 

 

――そして、気が付いたら一人だった。

 

 

 奴が自分に対しての興味を失ったのか、知りたいことはすべて知り尽くしたのか、理由は分からないが、気が付いたら、木原数多は一方通行(アクセラレータ)の元からいなくなっていた。

 

 その後も、数々の研究機関が一方通行(アクセラレータ)に目を付け、『一方通行(アクセラレータ)』に――学園都市第一位の能力に目が眩んで、少年の元を訪れた。

 

 虚数研、叡知研、霧が丘付属――どれもこれも、負けず劣らず学園都市に染まっていた『暗部』だったが、その全てが早々に一方通行(アクセラレータ)を手放した。

 

 すでに真っ黒に染まりきった彼らでさえも、一方通行(アクセラレータ)には恐れを抱いた。

 

 

 それほどに、一方通行(アクセラレータ)は怪物だった。

 

 

 その度に一方通行(アクセラレータ)は、自分の怪物さを思い知らされていった。

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 俯くように立ち止まり、肘にかけていた缶コーヒーが入ったレジ袋ががさりと音を立てる。

 

 そこに下卑た声の集団が現われ、少年を取り囲んだ。

 

「おい、テメーが第一位か?」

 

 一方通行(アクセラレータ)の正面に立ち塞がった男が、少年を見下ろすように睨み付ける。

 

「おいおい、まだガキじゃねぇか」

「細っ、ガリガリのひ弱くんじゃんよ~」

「これ楽勝じゃね? こいつぶっ倒せば俺が学園都市最強?」

「何それカッコいいww おい、俺一人でやらせろよ。こいつタイマン余裕だってw」

 

 超能力者(レベル5)の第一位。

 

 学園都市最強。

 

 その称号は、時にこういった輩を誘き寄せる。

 

「つ~わけで? 悪いけど、俺らの名誉のために死んでくんね?」

 

 鉄パイプを肩に掛けた正面の男は、嘲笑を隠そうともせずにそれを振りかぶり、無抵抗の少年に向かって躊躇なく振り下ろす。

 

「……うぜェ」

 

 

『うるさぁい!』

 

 

 あの時の、叩き折ってしまった骨の音が聞こえた気がした。

 

 

 次の瞬間、その路地裏に、学園都市最強の怪物に興味本位で噛みついた愚か者達の絶叫が木霊した。

 

 

 

 

 

「――チッ!」

 

 彼の足元に蹲り苦悶の声を漏らしているスキルアウト達に向かって、一方通行は心の底から忌々しげに舌打ちをする。

 

 

 学園都市最強?

 

 こんな雑魚共に暇つぶしのように挑戦される程度の存在が?

 

 

 ムシャクシャした思いを抱えながら、路地裏を出る。

 

 

――すると、パチパチという拍手の音が左手から聞こえた。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)はそちらを向くと――――目を見開き、驚愕を露わにする。

 

 

「……ッ、て、メー、は――」

 

 

 忘れるはずはない。忘れられるはずがない。

 

 その男は、一方通行(アクセラレータ)にとって、全てを終わらせた元凶だった。

 

 

 そして、一方通行(アクセラレータ)に、己が怪物であると思い知らせた男だった。

 

 

 

『お前は怪物だ。地獄に落ちても忘れるな』

 

 

 

 その黒服の男は、一方通行(アクセラレータ)の記憶の中の格好そのままに、変わらず黒服にサングラスという出で立ちだった。

 

 男は拍手を止めると、まるで旧友と再会したかのような気安さで、口元を歪めた笑みと共に、少年に声をかける。

 

 

「久しぶりだな。――そして、相変わらずだな、一方通行(アクセラレータ)

 

 

――変わらずに怪物のようで安心した。

 

 

 そんな言葉が聞こえてきそうな笑みだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「てめェ……何しにきやがった。今更、俺に何の用だ」

 

 一方通行(アクセラレータ)は殺意を隠そうともせずに男を睨み付ける。

 

 少なくともこの男に好意的な印象などあるはずがない。

 

 そしてあの時以降、一度も姿を見せなかったこの男が、今になって自分に接触してくる意味が分からなかった。

 

「今の私は、あの頃とは違う研究所に勤めていてね」

「そォかよ。再就職おめでとー」

「そこで、現在新たな計画(プロジェクト)を進めているんだ。是非とも君に参加してもらいたいと思ってね」

「……はァ? てめェ、何を――」

 

 

「――その計画(プロジェクト)は、『絶対能力進化(レベル6シフト)』というんだ」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は呆れたような表情を引き締め、その単語を繰り返す。

 

「レベル、6?」

「ああ。樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)のお墨付きだ。この計画(プロジェクト)が成功すれば、学園都市の常識が再び覆る。――面白そうだとは思わないか?」

「――カッ。興味ねェな。他ァ当たれや」

 

 一方通行は吐き捨てるようにして答えた。

 

 絶対能力(レベル6)と聞いて、なるほどこの男が自分に接触してきた理由は分かった。そんな計画なら、超能力者(レベル5)の第一位――現時点でこの学園都市で最もその目標(レベル6)に近い存在である自分に白羽の矢は立つだろう。そういった意味では、多少なりとも面識のあるこいつが交渉人に選ばれるのも、分からなくはない。

 

 だが、だからといって自分がその計画(プロジェクト)に乗るかどうかは別問題だ。絶対能力者(レベル6)とやらに興味があるわけでもないし、何より――

 

(――そォいった企みが見え見えなこいつ等の思惑に乗るのは、心底気に食わねェ)

 

 一方通行(アクセラレータ)は、黒服の男に背を向けて歩き出す。

 

 だが、黒服の男は、そんな一方通行(アクセラレータ)反応(リアクション)などお見通しだと言わんばかりに、歪んだ笑みを隠そうともせず、少年の背中に向かって言い放つ。

 

 

「今の怪物である現状から、変わりたくはないのか、一方通行(アクセラレータ)

 

 

 ピタと、足が止まる。

 

 そして、振り向き――先程とは格違いの殺意をもって、黒服の男を睨み付ける。

 

 

「――何が言いてェンだ、三下」

 

 

 その、まさしく学園都市最強の殺意に、さすがの黒服の男も冷や汗を流さずにはいられなかった。

 

 だが、必死に笑みを保ち、自分が今ここで殺されるかもしれないことを覚悟しながら、震えそうになる唇を必死に動かし、言葉を紡ぐ。

 

 

「き、君は、確かに学園都市最強だ。だが、『最強』止まりでは、君を取り巻く環境は、今のまま、何も変わりはしない」

「…………」

 

 一方通行の放つ殺意は、まったく衰えない。

 

 だが、黒服の言葉を力づくで止めようとはしなかった。

 

 黒服はそのことに内心安堵しながら、その言葉を告げる。

 

絶対能力者(レベル6)となり、『最強(レベル5)』から『無敵(レベル6)』となれば、君は怪物とは別の何かになれるかもしれない」

 

 それは詭弁だ、と一方通行(アクセラレータ)は思う。

 

『最強』な時点で、これなんだ。この怪物なんだ。それよりも強い、それよりも怖い『無敵(なにか)』になってしまったら、より醜悪で、より凶悪な怪物になるだけだ。

 

 だが、と一方通行(アクセラレータ)は思う。

 

 

 そうなれば、もう誰も自分に近づいてこないかもしれない。

 

 

 もう誰も、一方通行(アクセラレータ)に挑もうなどとは思わないかもしれない。

 

 

 みんなが欲しがる『最強』などという椅子は誰かに譲り渡して、自分はそれとは別の、全く別のカテゴリーの『無敵』という枠に一人で――

 

 

――それは、とても素敵なことではないのか?

 

 

 一方通行(アクセラレータ)のそんな思案を見てとったのか、黒服の男は一言告げ、去って行く。

 

「また会いにくる。ぜひ、前向きに検討してくれ」

 

 黒服が去っていく中、一方通行(アクセラレータ)は路地裏を覗き込む。

 

 そこでは、数人のスキルアウトの少年達が、一方通行(アクセラレータ)がへし折った手足の痛みに悶え苦しんでいた。

 

 そして、頭上の空を見上げる。どんよりと曇った、冬の曇り空を。

 

 

「――待て」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、去っていく黒服の背中を呼び止めた。

 

 

「その実験の、詳細を教えろ」

 

 

 黒服の男は、手に入れた成果に、醜悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 そして、来る、十二月二十四日。

 

 皮肉にも聖なる夜に、この狂気の実験は幕を開ける。

 

 

 指定された、とある真新しい建物の研究所。

 

 真っ白なパーカーを着た真っ白な少年は、その研究所の入り口で待ち構える男の元へ歩み寄った。

 

 

 その黒服にサングラスの男は、歪んだ笑みを浮かべながら、その少年を歓迎した。

 

 

「よく来てくれた、一方通行(アクセラレータ)

 

 

 両手を広げて、地獄へと迎え入れるように。

 

 

「これで君は、『無敵』になれる」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、顔を俯かせたまま、その言葉に何も答えなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 重々しい両開きの自動ドアが、その密閉された真っ白な実験ルームに純白の怪物を迎え入れる。

 

 その室内に歩みを進めるのは、一方通行(アクセラレータ)超能力者(レベル5)の第一位。学園都市最強の能力者。

 

 

 これは、最強である彼を、無敵にする為の実験だ。

 

 

 その部屋にて怪物を待ち構えるのは、同じく超能力者(レベル5)の第三位――『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴、のクローン体。

 

 

 妹達(シスターズ)。その00001号。

 

 

 プシュゥゥと音を立てて、巨大なドアが締め切られる。

 

 

 こうして、この空間には、怪物とクローンの二人きりとなった。

 

 

「……よォ。オマエが実験相手ってことでイインだよなァ?」

 

 一方通行(アクセラレータ)が挑発的に言い放つ。

 

 ゴーグルを着用し常盤台中学の制服を身に着け――無機質なハンドガンを持つ少女は、それに対し淡々と言い放つ。

 

「――はい。よろしくお願いします、とミサカは返答します」

 

 彼女はハンドガンをリロードしながら答える。

 

 それを見て、一方通行(アクセラレータ)は冷たく目を細めた。

 

(……銃、か)

 

 

 

 

 

 以前、あの黒服の男から聞いた話を思い出す。

 

『“超電磁砲(レールガン)”のクローンを、二万体殺すだと?』

『古来より、レベルアップの最大の方法は実戦経験と相場は決まっている』

 

 受け渡された資料を見て、一方通行(アクセラレータ)は訝しげに声を上げる。

 

 クローンの製造は国際法で禁じられている――などとは、今更こいつ等に言ったところでしょうがないことだろう、と少年はそこには何も言わない。それを言うのなら、ある意味自分の存在の方が余程悍ましいのだから。

 

『二万体の妹達(シスターズ)を、二万通りの戦場で倒す。それにより、君は絶対能力(レベル6)へと進化(シフト)出来る』

『……超電磁砲(オリジナル)は複数体用意出来ねェから、妹達(クローン)で代用ねェ。相も変わらず、てめェらは愉快なくらい頭のネジが吹き飛ンでやがンな』

『誉め言葉と受け取っておこう』

 

 

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は一度目を瞑り、意識を切り替える。

 

 00001号は銃を色々なポーズで構えながら、まるで初めて父親に遊んでもらえる子供のようにはしゃいでいた。

 

「チェックは万全です。と、ミサカは初の実戦への意気込みをアピールします」

 

 確かに代替品(クローン)というくらいだから、御坂美琴(オリジナル)程のスペックは持たないのだろう。

 

 だが――

 

(………………)

 

 一方通行(アクセラレータ)妹達(シスターズ)の戦闘能力スペックに対する分析をする一方で、目の前の少女の様子に違和感を覚える。

 

 

 

 

 

『彼女達は人形だ』

 

 そう、目の前の黒服の男は言った。

 

『君を“無敵(レベル6)”にする為に必要になった、だから作る。それだけの人形だ。躊躇う必要はない』

『…………』

『なぜなら彼女達は――』

 

 

 

 

 

 00001号は、首を傾げながら言う。その瞳に、怪物を気遣う色をわずかに宿しながら。

 

 

 

 

 

『――君の為に作られたのだから』

 

 

 

 

 

「ところで、あなたに対して発砲許可が下りているのですが――本当にいいのでしょうか」

 

 

 

――さぁ! 来いよ! 一緒に遊ぼうぜ!

 

 

 

 

 

 その、怪物を恐れない瞳に、一方通行(アクセラレータ)は――

 

 

 

【それでは――】

 

 

 この真っ白な密閉空間の唯一の窓。

 

 まるで箱庭の様子を観察するかのように高見から見下ろす白衣の研究者達は、決して巻き込まれない安全圏から宣言する。

 

 

 

【――絶対能力進化(レベル6シフト)第一次実験を始めてくれたまえ】

 

 

 

 その言葉を、気怠げに聞き流す一方通行(アクセラレータ)

 

 対して00001号は、むんと気合を入れて、与えられた役割を果たすべく銃口を一方通行(アクセラレータ)に向ける。

 

 

「先手必勝です」

 

 

 バンッとハンドガンの引き金を引く。

 

 その銃弾は、一直線に一方通行(アクセラレータ)に襲い掛かり――

 

 

――拒絶するように弾かれた。

 

 

 その事象に、00001号は目を見開く。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、彼女の事すら目に入れずに、ただ俯いていた。

 

 00001号はそのまま距離を取り、一方通行(アクセラレータ)に向かって発砲し続ける。

 

 

 だが、その中の一発たりとも、少年の白を汚すことすら叶わない。

 

 

 彼は、孤高なまでに白かった。真っ白だった。

 

 

 

 

 

 実験監視ルームでは、歪んだ歯列の中に下品な金歯を持つ研究者の一人が、後ろに控える黒服の男に声をかけた。

 

「おい、彼はまるで反撃しないが、大丈夫なのかね?」

「お前! ちゃんと説得したんだろうな!」

 

 狼狽したようにこの実験の主導者の一人である天井亜雄は黒服に詰め寄る。

 

 だが、黒服の男は上司である二人の男の言葉にもまるで動じず、笑みを崩さない。

 

 

「ご安心ください。彼は()りますよ。――奴の性根は、真っ黒なまでに怪物なのですから」

 

 

 その時、彼ら三人の言い合いにまるで興味を示さず、ただ淡々と実験を眺めていた金髪白人の男が、ポツリと言葉を漏らした。

 

 

「動きましたよ、彼」

 

 

 

 

 

(……なンだァ、こりゃあ)

 

 弱い。圧倒的に弱すぎる。本当に超能力者(レベル5)のクローンなのか?

 

 だが、それ以上に、何度攻撃を弾かれても、そのひ弱なハンドガン一つで自分に向かい続けてくるあの少女の姿勢が不快だ。

 

(……これじゃあ、あのクズどもの掃除と何が違う?)

 

 00001号は大きく距離を取り、再びハンドガンを一方通行(アクセラレータ)に向け――

 

 

――そこに、白い少年はいなかった。

 

 

「え――」

「ふざけてンのか、てめェ」

 

 背後に回った一方通行(アクセラレータ)は、優しく、そっと、壊れ物を扱うかのように少女に触れる。

 

 が、たったそれだけのことで少女は、暴走車に跳ねられたかのように凄惨に吹き飛んだ。

 

 大きく三回バウンドし、呻き声を漏らしながら、動かなくなる。

 

 

「…………」

 

 

 これが現実だ。これが怪物だ。

 

 

 ただ触れるだけで、すべてを傷つける。

 

 

 何かを壊す、ただそれだけの暴力の化身のような能力(ちから)

 

 

 最悪の気分だった。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)はさっさと帰ろうと出口に向かう。

 

 

 だが、巨大な両開きの扉は開かなかった。

 

 

「……おォい、さっさと開けろ。見ればわかるだろ、俺の勝ちだ」

【ああ、見ればわかるよ。――彼女はまだ、息をしている】

 

 金歯の研究者は、その下品な金歯を見せつけるように口元を歪めながら言った。

 

 

【第一次実験は、まだ終わっていない。その実験体を処理するまでがプログラムだ】

 

 

 処理?

 

 

【クローンが活動停止するまでが実験だ】

 

 

 活動停止?

 

 

【さぁ、戦闘を続けてくれ】

 

 

 それは、つまり――殺すということか。

 

 

 ……知っていた。聞いていた。分かっていた。

 

 当然、それも考慮し、覚悟した上で、この実験に参加したはずだった。

 

 

 

――うるさぁい!

 

 

 

 もう、あんな思いをしなくて済むように。

 

 誰も、自分の手で、傷つかなくて済むように。

 

 

 圧倒的な無敵に。正真正銘の孤高に。

 

 

 だから、この実験に参加した。

 

 

「……了解、しました」

 

 

 00001号は、激痛が走っているはずの身体を引きずって、ハンドガンへと手を伸ばす。

 

 

 だが、この現状は何だ?

 

 

 自分よりもはるかに弱い相手を、徹底的に傷つけて、そんなことの為に自分はこの実験に参加したのか?

 

 

 こんなことを、もう二度としなくて済むようにする為じゃなかったのか?

 

 

 自分の手で、あんな風にボロボロになるものが、二度と現われないようにする為じゃなかったのか?

 

 

 俺は、あとこんなことを二万回繰り返すのか?

 

 

 それも、ただ傷つけるだけではなく――その命を踏み潰して。

 

 

 

――あれは人形だ。

 

 

 

「ミサカは……」

 

 

 00001号が、一方通行(アクセラレータ)に銃を向ける。

 

 

 自分をボロボロに痛めつけた恨みなど微塵もなく、ただ与えられた役目をこなす為に。

 

 

 

――君に殺される為に生み出された、破壊すべき人形だ。

 

 

 

「……命令に……従います」

 

 

 意志ある人形は、生まれたばかりのクローンは、その陳腐なハンドガンの引き金に指を添える。

 

 

 その弾丸は、自らに反射される死の弾丸であるにも関わらず、無表情に、無感情に、ただ与えられた役目を果たす為に。

 

 

 そんな少女を前に、一方通行(アクセラレータ)は――

 

 

 

 

 その時、プシュゥゥと、空気が抜けるような音と共に、閉ざされた密閉空間が解放される。

 

 

 

 

【なッ――】

 

 金歯の研究者の慌てるような声と共に、監視ルームが慌てだす。

 

 

 だが、一方通行(アクセラレータ)はそちらに構わず、開いた扉を注視していた。

 

 00001号も、銃を下ろし、茫然とただその扉の先を眺めている。

 

 

 開いた扉から現れたのは、黒い少年だった。

 

 

 真っ黒な学ランに、中には白いパーカー。

 

 一方通行(アクセラレータ)とは対照的なまでに黒い髪のツンツン頭。

 

 

 そして、右腕の腕章を見せつけるようにして、宣言する。

 

 

 狂気の実験を止めるべく、怪物とクローンのみが存在を許された戦場で、その殺し合いを止めるべく、高らかに。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だッ!! 今すぐこのふざけた実験を止めろッ!!」

 

 

 現れたのは、上条当麻だった。

 

 

 上条当麻が、立っていた。

 

 

 処理されようとしている妹達(シスターズ)を助けるべく。

 

 

 本当のひとりぼっちになろうとしている、一方通行(ともだち)を救うべく。

 

 

 風紀委員(ヒーロー)は、見参した。

 

 




 妹達編、最終決戦――開幕。


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女王〈しょくほうみさき〉

 上条が一方通行に戦いを挑む傍ら――あの女王も暗躍する。


 

 一方通行(アクセラレータ)は、目の前に立つ少年を忘れたことはなかった。

 

 

 人生で、たった一人の友達。

 

 

 己の人生で、唯一の“人間だった時間”をくれた少年。

 

 

 手を引いてくれて、一緒にサッカーをして、夕暮れの河川敷を一緒に歩いた――

 

 

「――オマエが、なンでここに……」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の掠れた呟きに――

 

 

「決まってんだろ」

 

 

――上条は、はっきりと、真っ直ぐ白い少年の目を見ながら言い放った。

 

 

 

友達(おまえ)を助ける為だ」

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の胸を、莫大な何かが貫く。

 

「……あ――」

 

 思わず手を伸ばしかける。

 

 だが、その伸ばしかけた手を見て、気づく。

 

 この真っ白な手は、すでに真っ赤なのだ。

 

 あの日。何かが壊れ、終わってしまったあの日。

 

 無数の兵器群を圧倒し、学園都市の闇の世界へ引き戻されたあの日から、この身はすでに怪物なのだ。

 

 否、自分は、一方通行(アクセラレータ)という存在は、この『一方通行(アクセラレータ)』という名を、能力を――超能力を与えられたその日から、二文字の苗字と三文字の名前――ありふれた人間としての名を忘れてしまったその日から、自分は、学園都市最強の、この世界最悪の怪物なのだ。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、ゆっくりと、手を下ろす。

 

 

「――なに、寝言言ってンだてめェは」

 

 

 切り捨てる。

 

 自分を助けに来たなどとほざく“元”友達を。

 

 怪物を救うなどと血迷っている人間を、突き放す。

 

 

 口元を歪め、哄笑を漏らし――悪党を演じる。

 

 

「俺は、学園都市最強の一方通行(アクセラレータ)だ。てめェみたいな三下なンざお呼びじゃねェンだよ」

 

 

 お前は(こっち)に来るなと、叫ぶように。

 

 

 上条はそんな一方通行(アクセラレータ)の態度を受けて、一瞬悲痛に表情を歪めると、ゆっくりと一歩、近づいてくる。

 

「……お前は、本気でこんな実験に参加してんのか?」

「ああ、もちろンだ」

 

 更に一歩、距離を詰める。

 

「……この実験は、二万体の妹達(シスターズ)を殺すんだぞ。……何の罪もない命を、懸命に生きてる命を。……それでもお前は、絶対能力(レベル6)なんてものの為に、その犠牲をよしとするのか?」

「……何言ってやがる。こいつ等は人形だろ。俺様のレベルアップの為に作られてンだ。俺が壊して何が悪い」

 

 一歩、一歩、上条と一方通行(アクセラレータ)、黒と白の二人の距離が、縮まっていく。

 

「――ッ! ふざけんな、一方通行(アクセラレータ)! テメーはそこまでして怪物になりてぇのか!!」

「違ェ、初っ端から間違ってンぞ三下! 俺はもォ怪物なンだよ! とっくの昔に怪物なンだよ! 誰も触れることが出来ねェ、触れたもンみンなぶっ壊しちまう無様な怪物だ!」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、両手を広げて哄笑する。

 

 

 怪物である自分をひけらかすように、これが怪物だと嘲笑うように。

 

 

「だからこそ! 俺は『無敵』になるのさ! 誰も近づこォとすら思わねェくらいの、圧倒的な力! 最強を超えた無敵の絶対! だからこそ、俺は――――ッッ!!!」

 

 

 そこから先の言葉は、一つの拳が言わせなかった。

 

 

 上条の右拳が、一方通行(アクセラレータ)の顔面を貫く。

 

 

 触れられないはずの最強の怪物に、当然のように拳を叩き込んだ。

 

 

 そのことに、誰よりも驚愕しているのは一方通行(アクセラレータ)だった。

 

 生まれて初めて味わう拳の痛み。

 

 それよりも、『反射』の壁を確かに張っていたはずの自分に触れたことに対する衝撃で目を見開いていた。

 

 

「――何が、触れたもんみんな壊しちまうだ。見ろ、俺の右手は全く壊れていない(・・・・・・・・・・・・・)。これのどこが怪物だ」

 

 

 上条は倒れ込む一方通行(アクセラレータ)を、見下ろすように、すぐ傍に寄り立つ。

 

 

「お前は怪物なんかじゃない。ただの俺の友達だ」

 

 

 そして、言い放つ。

 

 自分の力に怯え、あまりにも脆い世界に怯え、たった一人の無敵という孤高に逃げようとする臆病な少年に、無垢な白い友達に向かって――

 

 

「それでもお前が一人になることを選ぶっていうなら、このふざけた実験を続けて無敵なんかに逃げようっていうなら、俺は何度でもお前を殴る! 殴ってでも止めてやるっ!!」

 

 

――学園都市第一位に対し、その宣戦布告の言葉を。

 

 

「――この右手で、そのふざけた幻想をぶち殺す!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 監視ルームは、分かりやすく混乱に陥っていた。

 

「お、おい、奴は誰なんだ! 部外者がどうして立ち入っている! 警備の連中は何をしているんだ!」

 

 天井がそのボサボサの髪を掻き毟りながら誰にともなく叫び散らしている。

 金歯の男も負けず劣らず狼狽えていて、黒服の男は携帯でどこかに連絡をとっていた。

 

「聞いているのか貴様! 状況を説明しろ!」

 

 誰も答えないことに耐えかねたのか、天井は近くにいた黒服の襟を掴みあげ、声を裏返しながら詰め寄る。

 

「じ、実験ルームの前に用意していた警備の連中と連絡が尽きません。扉前の開閉スイッチを守護していたはずなのですが――」

 

 

 

「――残念だけど、今頃み~んな上条さんの拳で気絶しているわよぉ」

 

 

 

 その時、監視ルームの扉が開いて、間延びした声が室内に響いた。

 

 そこにいたのは、妹達(シスターズ)と同様に常盤台中学の制服に身を包んだ、二人の女子生徒だった。

 

 

 一人はウェーブのかかった金髪の少女。もう一人は薄紫色の縦ロールの少女。

 

 

 場違いにも程がある風貌だが、この場にいる研究者(おとなたち)で、その金髪の少女の名を知らないものはいなかった。

 

「しょ、食蜂操祈!?」

「『心理掌握(メンタルアウト)』がなぜここに!?」

 

 彼女にこの部屋に踏み込まれた時点で、多少の距離を取ることなど意味がないことは分かっているのに、天井と金歯は後ずさるようにして十三歳の少女から遠ざかる。黒服の男も無意味だと分かっていても身構えずにはいられなかった。

 

 食蜂操祈は、奴隷の抵抗を嘲笑する女王のように、そんな彼らを見下しながら言う。

 

「あらぁ~。そんな寂しいこと言わないでいただけるかしらぁ? “私達”がこの実験にどれだけ興味をもっていたかは、とっくにご存じでしょうに」

「くっ……なら、あの小僧は親船の子飼いかッ」

「くそッ! 高い金を払って、わざわざ第四位(レベル5)まで雇ったというのに! 役立たずが!」

 

 さすがにこんな大それた実験を仕切っている連中なだけはあり頭の回転は速いのか、食蜂の一言で事の有様を理解する。

 

 そして、すでに状況が詰んでいることを。

 

「さて、無駄な抵抗は止してもらおうかしら。こんな素敵な実験を考えるくらいなんだから、お利口さ加減には自信力が高いのよねぇ。この状態なら、たとえその懐の拳銃を抜いて撃つよりも、私の能力の方が早いわよ、黒服さん」

「――ッ」

 

 この場で唯一戦闘力というものを有している黒服の動きも、リモコンを向けた食蜂によって制せられる。

 

 他の連中も、鋭い目つきで右手を突き出している縦ロールの威圧によって、完全に動きを封じこまれていた。

 

「い、いったい我々をどうするつもりだ」

「勝手にその汚い口を開かないでぇ、不快力しか生まれないわぁ。私達が聞きたいことは、ただ一つ」

 

 そして食蜂は、酷薄な笑みをさらに深めて言った。

 

 

「この施設に運び込まれた、あと四人の妹達(シスターズ)の居場所よ」

 

 

 その言葉に、彼らは揃って唾を飲み込んだ。

 

「……“あれ”を回収してどうするつもりだ。……もし“あれ”が目的ならば、製造方法を教えてやらんことも――――ッ!」

 

 金歯の男が食蜂と交渉しようとしたが、言葉の途中で急に意識を失ったかのように勢いよく倒れ込んだ。

 

 そのことに天井と黒服は叫びかけるが、それを制するように食蜂の冷たい言葉が響く。

 

「――言ったわよねぇ、汚い口を開くな、って。アンタ達は、黙って聞かれたことだけを答えていればいいんダゾ☆」

 

 口元に手袋をつけた細い指を当て、可愛らしく笑みを作る食蜂。

 

 だが、その目と口調は、氷のナイフのような冷たさと鋭さを孕んでいた。

 

「「――――ッ」」

 

 黒服と天井は冷や汗を流しながら黙り込む。

 

 その様子を見て、嘲笑うかのように食蜂は乾いた笑みを漏らす。

 

「アハッ。あなた達、頭脳力をひけらかしている割には、状況が読めてないのねぇ。……欲しい情報なんて、アンタ達の頭を覗けばすぐに手に入るのよぉ。これはアンタ達の腐った頭の中を見たくないから、聞いてあげてるだけ」

 

 女王が、支配する。

 

 食蜂操祈は酷薄に笑う。見下すように、嘲笑う。

 

「もう一度聞くわぁ」

 

 拳銃を突きつけるように、リモコンを向ける。

 

 天井も、黒服も、十三歳の超能力者(レベル5)に完全に呑み込まれていた。

 

「残る四人の妹達(シスターズ)は、どこにいるの?」

 

 天井も黒服も動けない。口を開けない。

 

 そこにあるのは信念ではなく、ただ目の前の怪物への恐怖だった。

 

 

「彼女達は、別棟の一室にまとめて隔離していまス」

 

 

 だが、そんな中あっさりと、金髪の男は妹達(シスターズ)の隠し場所を暴露する。

 

「な、お前――ッ!?」

 

 ピッ、と小さな電子音。

 

 それにより、天井と黒服は突然ガクリと動きを止める。

 

 食蜂はその金髪の男に近づき、笑みを零した。

 

「――やっぱり、あなたはこっちについてくれると思ってたわぁ。中々いい男じゃなぁい。上条さんのつ・ぎ・に☆」

「……やはり、これは私に対するふるいというわけですカ。彼らを切り捨てられるかどうか」

「いつ裏切るか分からないような手駒はいらないわぁ。これで洗脳しないでいてあげる。頭の中は覗かせてもらうけどねぇ。もちろん、こいつ等のも」

 

 再び響くピッと電子音と共に、食蜂操祈の『心理掌握(メンタルアウト)』が彼らの脳内を蹂躙する。

 

 記憶、知識から、それぞれの事柄に対する感情、思惑、それらすべてを食蜂は把握していく。

 

 

 そして、浮かび上がってくる、この実験の黒幕。

 

 

「――――ッッ!!」

「っ!? じょ、女王!」

 

 くらりとふらつく食蜂に、縦ロールは慌てて駆け寄る。

 

 食蜂は一筋の汗を流し、顔色を若干青くしながらも、金髪の白人の研究者に向かって笑みを向ける。

 

「……なるほど、そうよねぇ。こんな大がかりで、何よりとびっきりイカれてる実験に、“あいつ等”が関わっていないはずがないわぁ」

「……その様子だと、この実験の提唱者の名を読み取ったらしいですネ」

「実験の、提唱者? 女王、それはいったい――」

 

 

「――木原、幻生」

 

 

 食蜂が告げた名に、縦ロールは驚愕を露わにする。

 

 

「木原、幻生……それは、木原一族の――」

「……ええ。あのイカれた一族の中でも、かなり有名な重鎮よぉ。……またトンデモないネーム力の持ち主が出てきたものだわぁ」

「……それで、どうするのですか? この街を――あの『木原』を敵に回してでも、あなた達はこの実験を止めマスか?」

 

 金髪の男――カイツ=ノックレーベンは、食蜂を試すように彼女の目を見据える。

 

 食蜂はそんなカイツに不敵に笑い返す。

 

「当然よぉ。上条さんと共に行くと決めた時点で、私はとっくの昔に世界中を敵に回す覚悟力だって保持してるわぁ」

「――わたくしもです。例えどのようなことがあっても、この身は生涯、女王と上条様に捧げる覚悟はできております」

「……さすがに忠誠力が大き過ぎよぉ、縦ロールちゃん。ぶっちゃけ重いわぁ」

 

 まぁ、人の事は言えないけどぉ。と苦笑する食蜂から、眼下の二人の少年の戦いへとカイツは視線を移していた。

 

「……ですが、その覚悟も、彼が勝たなくてはすべてが水の泡でス。一方通行(アクセラレータ)が最強である限り、この街は何度でも同じことを繰り返すでしょう。――彼は、第一位に勝てるのですカ?」

 

 白い怪物に、その拳のみで真っ向から立ち向かう、風紀委員(ジャッジメント)の腕章をつけた少年。

 

 まともに考えるなら、勝ち目などあるわけがない、賭けにしても無謀すぎるギャンブルだ。

 

 だが、食蜂操祈は、はっきりと言い切る。

 

 愚問だといわんばかりに、その十三歳としては豊満すぎる胸を張って。

 

 

「当然よぉ。上条さんが負けることなんてありえないわ」

 

 

 そして、食蜂もその戦いに目を向ける。

 

 想い人が、学園都市最強の怪物へと立ち向かうその姿を目に収め、そっと心中で呟く。

 

(……そうよね。上条さん)

 

 脳裏に過るのは、ここに来るまでの車中の様子。

 

 まるで四年前へと戻ってしまったかのような、張り詰めた、危うい姿。

 

 一体、『アイテム』――第四位との戦いで、何があったのか。

 

 だが、食蜂には、祈ることしかできない。

 

 上条当麻の無事を――そして、勝利を。

 

 彼は戦っているのだ。その身を賭して、妹達(シスターズ)を、そして一方通行(アクセラレータ)を救う為に。

 

 ならば、私は自分の役目を全うする。

 

 食蜂は踵を返し、監視ルームを後にしようとする。

 

 首だけ振り返り、女王のような毅然とした態度で、縦ロールと、そして新たに配下となったカイツに向かって言う。

 

 

「――私達は、妹達(おひめさま)を保護に行くわぁ。エスコートしてもらうわよぉ」

 

 




 愚者と女王。
 
 二人の戦いは――佳境を迎える。


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抱擁〈しあわせ〉

 生まれたばかりの生命が感じる、初めての温もり。

 その温かさは、冷めたい人形だった少女の心に、優しく染み渡る。



 

 一方通行(アクセラレータ)は、その燃えるような瞳を、ぐちゃぐちゃの心境で受け止めた。

 

 その少年は、怪物である一方通行(じぶん)を、微塵の揺らぎもない眼差しで、燃え盛るような眼差しで、臆することなく見据え続ける。

 

 こんな色の瞳を受けたのは、本当にいつ振りだろう。

 

 もしかしたら、それこそ目の前の少年と生き別れた四年ぶりかもしれない。

 

 あの木原数多ですら、みるみるうちに怪物ぶりに磨きをかけていく一方通行(アクセラレータ)に対して、徐々に恐怖の色を隠せなくなっていき、彼と目を合わせなくなっていった。

 

 あの『木原』ですら、そうなのだ。

 

 

 自分は――一方通行(アクセラレータ)とは、それほどの怪物なのだ。

 

 

 なのに、今、自分の目の前に立ち、あろうことか、その一方通行(アクセラレータ)を見下ろすこの少年は――

 

 

(……カッ。なンつー顔してやがる)

 

 強い意志を湛えた瞳――間違った道へ進もうとしている友達を、その身を持って止めようとする瞳だ。

 

 なんというひどい悪夢だ。

 

 

「……はァ? 誰が、誰を止めるってェ?」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、ぐらりとふらつきながら立ち上がる。

 

 口元の血を拭いながら、凶悪に笑ってみせる。

 

「面白ェが、笑えねェな」

 

 あろうことか、よりにもよって、こんな自分を――友達だと?

 

「殺したくなるくらい、笑えねェよ」

 

 そして、笑みを消し、憎々しげに、目の前の少年を睨み付ける。

 

 

 ふざけるな。無敵に逃げて何が悪い。孤高に逃亡して何がおかしい。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)という怪物に関わったものは、総じて大きな傷を負う。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)という怪物が触れたものは、それが何であれ致命的に破壊される。

 

 

 それは、被害妄想でも、誇大広告でもない。

 

 

 ただの事実だ。真っ白な少年の、無垢な心に残酷に刻まれた、全てその目で見て、その手で作り出してきた、容赦ない現実だ。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)という、真実だ。

 

 

 そんな存在に、そんな怪物に――友達など、いていいはずがない。

 

 

 そんなことはあってはならない。

 

 

 だって、そんな大事な存在がいたら――――誰も救われないじゃないか。

 

 

 壊してしまうと分かっている大事なものなんて、救われないだけじゃないか。

 

 

「俺を助けるっつゥンなら……上条」

 

 

 怪物は、笑みを向けた。

 

 

 自分を助けにきたという少年に。

 

 

 かつて自分を救ってくれた、友達になってくれた存在に向かって――――悲しく笑った。

 

 

 

「俺の前から、今すぐ消えてくれ」

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、立ち上がりかけていた膝を折って、再び両手を床に着ける。

 

 

 その体勢は、まるで懇願するかのようだった。

 

 

 そして、その両手によって――――床が爆散する。

 

 

 その儚い挙動とはまるで比例しない破壊の余波が、上条を襲う。

 

 

「――くッ!?」

 

 上条はそれを大きく飛び退くようにして躱し、大きく円を描くようにして一方通行(アクセラレータ)を挟むような位置取りだった00001号の元へと駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

「は、はい。致命的な負傷はありません、とミサカは状況がまるで読み取れない困惑を隠してとりあえず聞かれた質問に端的に回答します」

 

 00001号はその言葉通り、無感情なはずの表情に困惑の色を出して、突如自分を庇うように現れた少年の背中を見上げる。

 

「あ、あの、あなたは? 実験はどうなったのですか? とミサカは己の突発的な不測の事態への弱さを露呈します」

「言っただろう、実験は中止だ。永久にな。だから――」

 

 上条は首だけ振り返り、クローンの少女に言った。

 

 

「――お前達は生きるんだ。これからは実験の為じゃなく、普通の、世界に一人だけの女の子としてな」

 

 

 00001号は、その言葉を受けて、まるで大量のエラーが発生したかのようにフリーズする。

 

 

「……理解、出来ません、と、ミサカは……ミサカは……」

 

 

 00001号は――生まれたての生命(クローン)は、壊れたレコードのように、言葉を、意味を持たない言葉を、ただ思い浮かぶがままに、目の前の背中に向かって投げ掛ける。

 

「ミサカは、実験の為に作られた個体です。……定価十八万円で量産される、模造品です。……いくらでも替えが利いて……壊されるために作り出されて……なのに……どうして?」

 

 00001号は、目の前の少年の行動が、まるで理解できない。

 

 少年の行動は、自身が学習装置(テスタメント)によって教育(インプット)された知識や常識とは、まるで逸脱しているからだ。

 

 助けられているという実感すら湧かない。ただ己の中にある情報(じょうしき)との矛盾による疑問(エラー)だけが湧き起こり続けた。

 

 

 自分は今日、ここで殺されることで役割を終えるはずだった。

 

 

 そして、自分の(けいけん)はミサカネットワークによって次の個体(ミサカ)に受け継がれる。

 

 

 それが00001号(ミサカ)の与えられた人生(やくめ)のはずだった。

 

 

 なのに、目の前の少年は、それを突然強引に滅茶苦茶にした。

 

 

 少年は言う。人形としての人生(やくめ)を何の疑問もなく享受しようとしていた少女に向かって、振り返ることすらせず、すげなく言い放つ。

 

 

 

「そんな事情(こと)知ったことかっ! 俺はお前を助けるっ! 死ぬことは許さないっ! だから黙って俺に助けられとけ!!」

 

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 

 少年の言っていることは、何一つ00001号には理解できない。

 

 どうしてこんなことをするのか。こんなことに意味はあるのか。

 

 

 実験を止める? どうやって? それならば自分達はどうなる? 何をすればいい? 役目は? 命令は? 生きるとは? 死とは? 分からない。分からない。

 

 

 00001号には、何も分からない。

 

 彼女には、あまりにも何もかもが足りなかった。

 

 

 生まれたばかりの少女は、あまりにも幼かった。

 

 

 ただ少女は、その背中を見つけ続ける。

 

 

 目の前の少年は、決して大柄というわけではない。言葉通り、年相応の少年の背中だった。

 

 

 だが、00001号には、その背中は大きく、逞しく――そして、痛ましく見えた。

 

 

 破壊を振りまく白い悪魔に向かって、その背中は一直線に特攻する。

 

 

 右の拳だけを握りしめて、散弾のごとく目の前を覆う瓦礫群の中に、臆することなく雄叫びをあげて。

 

 

「……っ!」

 

 

 なぜだかは分からない。

 

 だが、00001号は、その背中を見つめ続けながら、まるで痛みを堪えるように、ギュッと、胸を押さえるように手を握った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 清潔感溢れる無機質な廊下を、女王が闊歩する。

 

 食蜂操祈は、その黄金の髪を靡かせながら、気品すら感じる足取りで、堂々と道の真ん中を進んでいた。

 

 後ろに控えるのは、一人の女生徒と、一人の白人の研究者。

 まるで従者のごとく追従する両者は、だがその様子は対象的だった。

 

 女生徒――縦ロールはこの状況に対して何の疑問も持たず、ただ敬愛する主の引立てとなるべく恭しい態度を崩さず、食蜂の斜め後ろを歩く。

 対して白人の研究者――カイツは目の前の状況に冷や汗と空笑いを堪え切れなかった。

 

 確かにこの実験の上層部の連中は軒並み制覇したが、もちろんあの連中だけがこの実験に関わっている研究者の全てではない。

 なのでこのように研究所の中を堂々と歩いていれば、他の研究者と当然のごとくかち合う。

 

 が、そんな有象無象は、前を歩く超能力者(レベル5)の前ではただの背景に等しい。

 

 姿を現すや否や、小さな電子音一つですぐさま軍門に下る。

 

 まるで平伏するように、道を譲って、跪き、頭を垂れる。

 

 

 その様は、まさしく女王を敬う奴隷の如くだった。

 

 

「――あ、あの、無力化するだけならここまでする必要はないのでは?」

「これは、ただの女王の趣味です」

「…………そうですカ」

 

 縦ロールはこっそりと耳打ちをしてきたカイツに目を合わせることすらせず平然と答えた。

 

 常盤台の女王は、色んな意味で女王だった。

 

 カイツはもはや何も言うことはせず、ただひっそりと食蜂達の後に続いた。

 

「ねぇ、妹達(シスターズ)がいるのはあの部屋でいいのよねぇ」

「ええ、おそらくハ。私は計画全体の警備担当だったので、彼女達には深くは関わっていませんが」

「……ということは、あのダミーの研究所に『アイテム』なんていう物騒力が高すぎる過剰戦力を投入したのは貴方だったのねぇ。まぁ、その件は色々片付いた後でゆっくり追求するとしてぇ――」

 

 そして食蜂は、名も知らぬ一人の研究者を操って扉を開けさせ、躊躇なく突入する。

 

「っ!? あなた達はなに――」

「はぁ~い、お邪魔するわねぇ☆」

 

 ノックどころか扉前で逡巡することすらせず、その歩みの速度を一切緩めぬまま一気に侵入し、無粋にも女王の視界に入った二名の女性研究者をリモコンの電子音と共に瞬時に支配する。

 

 ガクンと糸が切れたマリオネットのように動かなくなった彼女らを完全に無視して、食蜂達は部屋の中にいた四人の少女達に目を向ける。

 

 食蜂の傍らに立つ縦ロールは、その光景に生理的嫌悪感――否、生理的恐怖心を覚えたように一瞬息を呑み、そしてそんな自分を嫌悪するかのように顔を俯かせた。

 

 それも無理もない、と食蜂は思う。平然としているカイツが異常なのだ。

 

 

 なぜなら、顔も、身体も、表情さえも全く同一の――といっても全く感情が読み取れない無表情だが――存在が、お揃いのように全員真新しい常盤台中学の制服を身に着け、こちらを無感動に見つめているのだ。

 

 

 思わず本能的に警戒してしまうには、十分すぎる程に異常な光景だ。

 

 その中の一つの個体が、全員の気持ちを代弁するかのように答える。

 

「失礼ですが、あなた方は何者でしょうか? と、ミサカは突然の侵入者の正体を問い詰めます」

 

 食蜂はそんな彼女らを見て、一度ギュッと唇を噛み締めて湧き上がる把握しきれない色の感情を抑え込み、気品ある笑顔を作って、答える。

 

「初めまして、私の名前は食蜂操祈よぉ。単刀直入に言わせてもらうと、あなた達を助けに来たわぁ」

 

 その食蜂の言葉を受けて、これまでずっと無表情だった、質問をしてきたその妹達(シスターズ)の、目の色が変わった、と食蜂は感じた。

 

 表情自体は変わらず無表情だけれど、確かに瞳に困惑の色を感じ取ったのだ。

 

 すると、彼女とは別の妹達(シスターズ)が、恐る恐るといった風に食蜂に問いかける。

 

 

「あの――助けるとは、どういうことでしょうか? と、ミサカは困惑を露わにします」

 

 

 その言葉に、食蜂の横の縦ロールが、珍しく素の感情を出して呆気の声を漏らした。

 

 食蜂は眉根を潜め、カイツは目を閉じたまま何も発さない。

 

 すると、三人目の妹達(シスターズ)が言葉を発する。

 

 

「ミサカは、実験に参加し、計画(プログラム)通り処理される以外の、生き方を知りません。と、ミサカは自分の箱入り娘っぷりに驚きを隠せません」

 

 

 さらに、残る一人の妹達(シスターズ)も続ける。

 

 

「ミサカを助けるということは、ミサカは殺されないということでしょうか? そうしたら、ミサカはどのように生きていけばよいのでしょうか? 何をして、どのように、生きればいいのでしょうか? と、ミサカは途方に暮れます」

 

 

 そして、初めに食蜂に疑問を投げかけた妹達(シスターズ)が、再び全員の胸中を代弁するかのように問う。

 

 

「あなた達は、ミサカ達を助けて、ミサカ達に何を求めているのですか?」

 

 

 縦ロールとカイツは、妹達(シスターズ)と同様に食蜂の方を向く。

 

「……私達が、あなた達に求めるものねぇ?」

 

 一身に視線を集める食蜂は、くすりと笑って彼女に向かって歩き出す。

 

 そして、問い掛けてきた妹達(シスターズ)の手を取って、笑いかける。

 

 

 

「幸せになりなさい」

 

 

 

 ただ、そう告げた。

 

 

 生まれたばかりの命に、母親が腕に抱える我が子に、慈しみを込めてそう願うように。

 

 

 食蜂は、生きる意味を求めている妹達(いのち)に、そう優しく告げる。

 

 

「私はただ……“あの子”の分まであなた達には、精一杯生きて欲しいだけよぉ。そして、願わくば……あなた達があなた達の幸福力を獲得出来たら……そう願っているわぁ。――だから、これが、あなた達を助ける上で、私が要求する、あなた達への対価力よ」

 

 その食蜂の言葉を受けて、その妹達(シスターズ)は、目を見開き、思わず顔を俯かせる。

 

「……幸せとは、どのように獲得するものなのでしょうか、とミサカは尋ねます」

「分からないわぁ。幸せの形は、人それぞれ違うもの。――私の幸せが、あなたにとっての幸せとは限らない。……だから、それはあなたが自力で模索力を尽くして、自力で手に入れるしかないわぁ」

「……ミサカに、見つけられるでしょうか? と、ミサカは抑えきれない不安を露わにします」

「大丈夫よぉ」

 

 

 食蜂は少女を優しく抱き締める。

 

 

 少女は、初めて感じる感触と温もりに戸惑うが、なぜかそこから抜け出そうとは思わなかった。むしろ、ずっと味わっていたい心地よさを感じていた。

 

 

 人工的に作られた少女は、初めて感じる人の温もりに、形容できない感情が、自身の内から溢れ出すのを感じる。

 

 

(……これが、抱擁というものですか。と、ミサカは――)

 

 

 食蜂は、そんな少女の耳元で囁く。

 

 

「あなた達が、これから羽ばたく外の世界は……色々な不幸もあるけれど、それ以上の幸福力で満ちているわぁ。……私はそう信じている。だって私は、上条さんや――こうしてあなた達にも出会えたのだものぉ」

 

 

 食蜂はギュッと少女を抱き締める。己の言葉を、誰よりも自分に言い聞かせるように。

 

 

 自分が、彼女達が――そして彼が、これから歩んでいく道は、紡いでいく物語は、決して不幸(バッドエンド)ではないと。

 

 

 幸福(ハッピーエンド)に、決まっていると。

 

 

 絶対に幸せになっ(ハッピーエンドにし)てみせると。

 

 

 自分も、彼女達も――そして彼も。

 

 

 外の世界、と聞いて、食蜂の腕の中の妹達(シスターズ)は、少し前に、00001号が見たという映像を思い出す。

 

 彼女がミサカネットワークにあげて、五人の姉妹達で共有した、あの光景を。

 

 

 あの美しい光景。美しい世界。

 

 

 あそこには、幸福が溢れているのか。

 

 

 見つけられるのだろうか。

 

 量産品の自分が。モルモットの自分が。替えの利く自分が。かけがえが溢れている存在の自分が。

 

 

 人形(クローン)の自分が、“しあわせ”になれるのだろうか。

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 

 

 でも、一つ間違いのないことは、分かっていることは、自分は今、助けられたということだ。

 

 

 自分を包み込んでくれたこの人に、救われたということだ。

 

 

 そして、もう一人――

 

 

「――上条さんというのは、今現在00001号の前で戦っている人のことですか? と、ミサカは幸せそうにあなたの巨乳に顔を埋めて使い物にならない00002号に代わって質問します」

 

 その00005号(いもうと)の言葉に00002号はバッと食蜂から身体を離す。心なしか無表情のはずのその顔は朱色に染まっているように見えた。

 

 食蜂はそんな00002号の可愛らしい反応に微笑みながら、00005号の方を向いてその質問に答える。

 

「ええ。彼と一緒に、私達はあなた達を助けに来たの」

「……どうしてそこまでするのですか? と、ミサカは気まずさを堪えて恐る恐る問いかけます」

 

 00005号はそんな言葉とは裏腹に、全く表情を変えることなく、むしろ食いつくように食蜂に問いかける。

 

「……今現在00001号の見ている戦いの情報が、ミサカネットワークを通じてリアルタイムで送られてきています。……ミサカには、理解できません。……どうしてあの少年は、あそこまで必死に戦うのですか? とミサカは再度問いかけます」

 

 妹達(シスターズ)に、幸せになって欲しい。

 

 食蜂のそんな想いは、抱き締められた00002号だけでなく、他の三人にも伝わった。理解できたかは別の問題として。

 

 

 だが、だからといって、第一位の怪物に拳一つで立ち向かう、上条当麻のことは分からなかった。

 

 痛い。痛かった。身体の中の何かが痛んだ。胸の中の何かが悲鳴を上げている。

 

 上条当麻の戦いを見ている00001号の痛みが伝わったのか、それとも少年の戦う姿がネットワークを通じて少女達の何かを刺激しているのかは分からない。

 

 

 だが、おそらくは何か理由があるのだと思った。食蜂とはまた違う、少年には少年の戦う理由が。自分達を助ける理由が。

 

 

 それが分からない。理解できない。

 

 

 それを、00001号は、00005号は――妹達(シスターズ)は、知りたいと思った。

 

 

 少年の戦う理由を――上条当麻のことを、知りたいと。

 

 

 食蜂は、そんな彼女の問いに、瞬間、辛そうに表情を歪めて――

 

 

「……きっと、幻想(ゆめ)の為よ。……あの人が、ずっと憧れてる、幻想(ゆめ)の為」

 

 一度も、話してくれないんだけどねぇ。と、食蜂は悲しそうに笑う。

 

 その泣きそうな笑みが、なぜか00002号の心に、感情が未成熟な妹達(シスターズ)の柔らかい心に、刻み込まれた。

 

 

 そして、食蜂はその先の言葉を、グッと飲み込む。

 

 この先は、食蜂が00002号に語った言葉とは矛盾するが故に、言葉にするのを躊躇った。

 

 上条当麻が、その幻想に向かって手を伸ばし続けた姿を、誰よりも近くで見続けてきた食蜂が思うこと。

 

 その言葉を飲み込んで、別の言葉を口にする前に、00003号の無機質な言葉が、それを伝えた。

 

 

「みなさん、即座の回避行動を推奨します、とミサカは――」

 

 それを言い切るよりも前に――建物全体が大きく震えた。

 

「きゃぁっ!」

 

 縦ロールの少女らしい甲高い悲鳴が発せられた直後――――天井に巨大な亀裂が走り、崩壊した。

 

 

 食蜂は、それを呆然と見上げながら、ふと自分が言いかけた言葉を思い返していた。

 

 

 

――きっと、上条さんは許せないんだと思うわぁ

 

 

 

――この世界に溢れている、どうしようもなく蔓延っている、“不幸”が

 

 

 

 

 

――そんな不幸が跋扈している、そして、それを許容している“この世界”が

 

 

 

 

 

 そして、そのまま情け容赦なく、巨大な瓦礫群は食蜂達を呑み込んだ。

 




 次回は、上条サイド。

 上条vs一方通行をたっぷりとお届けします。


 それと、原作の一年前で食蜂さん貧乳じゃね? というご指摘を頂きました。
 原作を読み返しました。表紙で気づきました。ペッタンコでした。
 ペッタンコでした。
 すいません。願望入りました。母性の象徴に顔を埋めて欲しかったんです。

 なので、この物語では食蜂さんの成長期が一年か半年早く来たということでお願いします。巨乳なりたてということでお願いします。やったね、食蜂さん。

 今後はなるべくこういうことはないようにします。混乱させてしまい申し訳ありませんでした。


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孤高〈アクセラレータ〉

食蜂さんの脅威の胸囲成長速度に関しての言い訳&謝罪を、前話のあとがきに載せました。
混乱させてしまった方、本当に申し訳ありませんでした。


「……理解、できません、とミサカは呆然と呟きます」

 

 00001号は、目の前の光景を眺め続けながら、ふとそのような呟きを漏らす。

 

 すでに、あの無機質ながらも冷たいまでに清潔感に溢れていた空間の名残はない。

 

 

 どこもかしこも床が罅割れ、生々しい地面を露わにしている。

 

 そして、あちらこちらに散在する瓦礫群。それらはすべて、目の前の白い少年の足先によって抉り出されたものだった。

 

 

「うぉぉおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 自身に向かってくる、たった一人の無能力者を撃退する為に。

 

 

「―――ッ!! くっそが!!」

 

 一方通行(アクセラレータ)は苛立ちを露骨に示しながら強く地面を踏む。そんなことをしなくとも、彼なら足先で軽く地面を突くだけで、十分すぎるほどの破壊を生み出せるというのに。

 

 その挙動こそが、学園都市最強の怪物の、精神的な余裕のなさを表していた。

 

 その土石流の弾幕を、上条当麻は必死に避けようと全力で走る。

 

 だが、完全に避けきることは叶わず、上条の横腹に拳二個分ほどの大きさの瓦礫が直撃する。

 

「が、はっ!!――――ッ!」

 

 だが、上条当麻は止まらない。

 

 そのまま崩れかけたバランスを保ちつつ方向転換する為、身体を大きく傾け、地面に手を突きながら、その回避の速度を落とすことなく、そのまま一方通行(アクセラレータ)に向かって特攻する。

 

 ひたすらに、ひたむきに、真っ直ぐに、一方通行(アクセラレータ)に向かって走り続ける。

 

 その様を見て、一方通行(アクセラレータ)は忌々しげに歯を食いしばり、00001号は眉を落とす。

 

 

 先程から、上条が一方通行(アクセラレータ)に向かって宣戦布告したあの瞬間から、全く同じことの繰り返しだった。

 

 

 上条当麻は一方通行(アクセラレータ)に向かって特攻し、一方通行(アクセラレータ)は上条当麻を撃退する為に地面を抉り出す。

 

 

 ただ、そのことの繰り返しだった。

 

 

 上条の方の真意は明らかだ。

 

 こんな何もない無機質な空間では、上条に出来る小細工はなかった。

 

 そもそも、上条如きが思いつき、実行できるような小細工など、一方通行(アクセラレータ)には――学園都市最強の能力者にはまるで通じない。

 

 彼には全て『反射』されてしまう。

 

 上条が出来るのは、この右手で殴ることのみ。

 

 だがら走る。一方通行(アクセラレータ)に向かって、ひたすら愚直に、何も考えていない愚者のように、ただ走る。

 

 

 対して一方通行(アクセラレータ)は、初めのその一撃を食らったことで、なぜか上条には反射が通じないことは分かった。

 

 ならば、答えは単純だ。

 

 近づけなければいい。上条が己に触れられないように、拒絶すればいい。

 

 自身のベクトル操作能力があれば、触れることすらせずに相手を打倒することなど造作もない。

 

 一方通行(アクセラレータ)の手によれば、この世の全てが、この世界全てが、敵を殲滅する凶器となり得る――――はずだった。

 

 

 だが、目の前の少年は、全く倒れない。

 

 

 何度排除しても、一向に諦めない。

 

 

 それが、一方通行(アクセラレータ)には理解できなかった。

 

 

(……なンだよ)

 

 

 すでに何度土石流を浴びせたかは分からない。

 

 その中のたった一発でも、まともに食らえばただでは済まない威力にしたはずだ。

 

 

 それでも上条は、生半可な攻撃は躱してみせ、たとえ攻撃を食らっても、何度でも再び立ち上がってみせた。

 

 

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

 

 

(………………なンなンだよォ)

 

 

 すぐさま立ち上がり、足を止めず、この一方通行(アクセラレータ)に向かって突っ込んでくる。

 

 

 あの、燃え盛るような闘志を剥き出しにした瞳で、一方通行(アクセラレータ)を貫き続ける。

 

 

 愚直に、真っ直ぐに――恐れることなく、一方通行(かいぶつ)に向かって。

 

 

「アクセラレータぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 

 

 その右手を、差し伸ばし続ける。

 

 

 怪物であるはずの自分に向かって、何度でも。

 

 

 何度でも、何度でも――何度でも。

 

 

 上条の伸ばされた右手が、一方通行(アクセラレータ)に届こうとした、その瞬間。

 

 

「ッッ!!…………なンだってンだよ!! てめェはよォォォォおおおおおおおお!!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、その細い脚を、まるで地面を踏み抜くように勢いよく振り下ろす。

 

 

 その虚弱な細い足は、筋力ではなく能力によって、豪快に地面を爆発させた。

 

 

「――ッッ!!!」

 

 

 それは、今までの中で一番の大波。

 

 一方通行(アクセラレータ)の身体を隠してしまうような、間近に迫っていた上条と己の間にまるで壁を作ったかのような巨大な土石流。

 

 

 怪物に迫る無能力者(にんげん)の行く手を阻む――――まるでもうやめてくれと懇願するかのような、無慈悲な一撃。

 

 

 その大いなる自然災害の如き一撃に、無力な無能力者である上条当麻は為す術がなかった。

 

 

 吹き飛ばされる。軽々と、高々と打ち上げられる。

 

 距離が近づいていた分、大波に呑み込まれなかったことを幸いというにしては、重すぎる致命的な一撃だった。

 

 

 ダンっ!!! と、実験ルームの後方の壁に叩きつけられ、そのまま落下する。

 

 

 00001号はその様を目で追って、反射的に口を大きく開くが――何も発さずに口を閉じ、何かに駆られるように、痛む全身を引き擦りながら、上条の元へと向かう。

 

 

「……大丈夫、ですか、とミサカは安否を確認します」

 

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、肘を使って匍匐前進のようにゆっくりと、00001号は少年の元へと向かう。

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 

 少年が、なぜこんなにも必死に戦うのか。傷ついても、傷ついても、あんなにも一方通行(アクセラレータ)に立ち向かって行ったのか。

 

 

 相手は、学園都市最強の能力者。超能力者(レベル5)の第一位だ。

 

 

 こうなることは、目に見えていたのに。

 

 

「……ミサカは……ミサカは……」

 

 

 分からない。何と言って声を掛けていいのか。自分はこの少年に何をすればいいのか。

 

 分からない。分からないけど、何かしなくてはと思った。何かしたいと思った。

 

 でも、どうすればいいのか分からない。これまでインプットされた情報を、ただ指示通りに遂行していただけの妹達(シスターズ)の思考回路では、処理しきれない感情の渦巻きに、00001号は、だんだんと顔を俯かせてしまう。

 

 

 ザッ と、音がした。

 

 

 00001号が顔を上げる。

 

 

 

 少年は――上条当麻は、立ち上がっていた。

 

 

 

 すでに傷がない場所を探すのが困難な程に、満身創痍だった。

 

 額からは真っ赤な血を流し、背筋を伸ばすことも出来ずに前傾姿勢で、今にも膝に手をついてしまいそうだけれど、それでも少年は立ち上がっていた。

 

 

 あれほど一方的に嬲られ、自身の攻撃が届いたのは不意討ち気味の最初の一発のみ。

 

 そんな誰がどう見ても勝ち目のない一方通行な戦い(ワンサイドゲーム)を、何度も、何度も、何度も繰り返したというのに。

 

 

 それでも、上条当麻は、戦うのを止めない。

 

 

 その右拳を、固く握り締めるのを、止めはしない。

 

 

「……理解、出来ません……と、ミサカは、目の前の光景を疑います。……あなたの行動を、疑います」

 

 

 00001号は、すでに少年は立ち上がっているにも関わらず、さらにもう一歩、肘を使って這いつくばりながらも、少年に近づく。

 

「……どうして、そこまでするのですか?……なぜ、そこまでして戦うのですか?……ミサカのためですか?……それとも――」

 

 00001号は、上半身をゆっくりと起こしながら、一方通行(アクセラレータ)一方通行アクセラレータを見遣る。

 

 

 白い少年は、まるで幽霊を見たかのように、愕然とした表情で固まっていた。

 

 

 恐れているようなその表情は、とても圧倒的な実力で一方的に蹂躙している者とは思えないほどに、追い詰められているかのようだった。

 

 

 その、弱弱しい姿の最強に、ポツリと、00001号は問いかける

 

「――彼の、ためですか?」

 

 心なしか、少し悲しげな00001号に、上条は簡潔に言った。

 

 

 

「――自分のためだよ」

 

 

 

 00001号は、驚愕の表情で、再び視線を上条に戻す。

 

 上条は、00001号でも、一方通行(アクセラレータ)でもなく――――己の足元を睨み付けながら、吐き出すように言う。

 

 

「――見たい景色がある。辿り着きたい場所がある。求めている世界がある」

 

 

 上条は、語る。

 

 

 それは、00001号にかもしれないし、一方通行(アクセラレータ)にかもしれない。

 

 

 ついさっき徹底的に否定された麦野沈利にかもしれないし、ずっと一緒に戦ってきた食蜂操祈にかもしれない。

 

 

 それとも、今もどこかで見ているかもしれない――――あの魔神にかもしれない。

 

 

「そこでは、誰もが笑っていて、誰も傷ついていなくて、みんなみんなしあわせなんだ」

 

 

 上条当麻は、語る。

 

 

 自分自身に言い聞かせるかのように。己に向かって再確認するかのように。

 

 

 惜しげもなく、恥ずかしげもなく、荒唐無稽で、非現実的な――――己の幻想(ゆめ)を。

 

 

「その世界では、誰も彼も笑ってなくちゃいけない。しあわせでなくちゃいけない。一方通行(アクセラレータ)も――――そして、もちろんお前も。お前達も」

 

 

 そうして、上条当麻は、右拳を、固く、固く握る。

 

 

 何かを掴み取るように。何かを掴み取ってみせると、決意するように。

 

 

「その為に、俺は戦う。――――戦わなくちゃ、いけないんだ」

 

 

 

――たとえ、この世界で死ぬことになろうとも。

 

 

 

 上条当麻は、そう呟いて――駆け出した。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)に向かって、ボロボロの満身創痍のまま。これまでで、最も速い特攻だった。

 

 

「ぉぉぉぉぁぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

 

 

 00001号は、反射的に上条に向かって手を伸ばす。だが、それはまるで届かない。

 

 

 ただ走り去っていく上条の背に向かって、手を伸ばすことしかできなかった。

 

 

「――――ッ」

 

 

 声が出ない。言葉が出てこない。なんと叫べばいいのか分からない。そもそも、何をしたいのかも分からない。

 

 

 少年を止めたいのか、それすらも分からない。

 

 

(……ミサカは……ミサカは…………っ)

 

 

 感情が渦巻く。どうしようもなく持て余す。

 

 

 自分一人分でも扱いきれない感情が、ミサカネットワークを通じて何人分もの感情が膨れ上がり、荒れ狂い、もうどうしたらいいのか分からなかった。

 

 

 正体不明の何かが、胸の中のどこかの場所に流れていく。熱くなる。

 

 

 そして、それが、なぜか瞳から溢れ出してきた。

 

 

 もしかしたら、その思いは――――助けたいという気持ちだったのかもしれない。

 

 

 自分達を救おうとしてくれている上条を。

 

 

 そして、途方もない、はるか遠く、高い場所にある何かに手を伸ばし続ける上条を。

 

 

 あんなにも痛々しく戦い続ける少年を。

 

 

 誰よりも悲劇的な運命を背負う少女が。少女達が。

 

 

 身勝手な大人達の私利私欲の為に製造され、彼らにとって都合のいい自意識を植え付けられて、ボタン一つで生み出され、機械越しの指示によって殺される――――そんな境遇に、そんな運命に、流されるままの少女達が。

 

 

 なぜだかは分からない。分からない。分からない。彼女達は何も分からなかった。

 

 

 それでも少女達は、まるで何かに突き動かされるように、上条当麻を助けたいと思った。

 

 

 本来救われる側のはずの彼女達が、分不相応にも、自分達を助けてくれるヒーローを、助けたいと願った。

 

 

 だが、そんな少女達は、あまりにも無力で、届かない背中に手を伸ばし、怪物(アクセラレータ)の元へと走る勇者(かみじょうとうま)を、ただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、ずさっと一歩、後ずさった。

 

 膝は震え、怯えるように、さらにずさっと、もう一歩後ずさった。

 

 ありえない。ありえない。ありえない。

 

 

(ありえねェ……あの一撃を受けて、どォして立ち上がれるンだ? どォして走れるンだ?――どォしてアイツは、諦めねェンだッ!?)

 

 

 今まで何人も、何人も一方通行(アクセラレータ)に向かって牙を剥いた者達がいた。

 

 そいつ等の大半は興味本位やお遊び半分、利益目的のクズ共だったが、中には真剣に大真面目に学園都市最強の座を欲して立ち向かってきた者や、いつかどこかで恨みを買って命懸けで復讐しに来た者もいた。

 

 だが、そいつ等は、一つたりとも例外なく、一方通行(アクセラレータ)という怪物の力の“片鱗”を垣間見ただけで、漏れなく全員心が折れた。

 

 最後には恐怖に染まった瞳や、化け物という捨て台詞と共に、一方通行(アクセラレータ)の元から去っていく。走り、逃げ去っていく。

 

 

 だが、目の前のこいつは、上条当麻という少年は――

 

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!! アクセラレータァァァァァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 折れない。屈さない。そして、止まらない。

 

 

 そんな存在に――一方通行(アクセラレータ)は恐怖した。

 

 

 かつて、彼らが自分に向けていたように、恐怖に染まった瞳で、その姿を捉えてしまった。

 

 燃え盛るような意思を放つ眼で、真っ直ぐに一方通行(アクセラレータ)を射竦めたまま、この空間全てに響き渡るような猛々しい雄叫びと共にこちらに向かってくる、一人の無能力者の姿を。

 

 

「――――ッッッ!!!」

 

 

 そして、恐怖に囚われた怪物は――――最悪の悪手を選択する。

 

 それは皮肉にも、かつて別の世界の『一方通行(アクセラレータ)』が、生まれて初めての敗北を味わった時と、同じ行動だった。

 

 

「…………ギィィィィィィィャァァァァァアアアアアアア!!!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、地面を押す足のベクトルを操作し、爆発的な加速力を得ながら――――向かってくる上条に向かって突っ込んだ。

 

 

 両者の距離が、一瞬で零になる。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は両手を突き出している。その手が一瞬でも身体に触れれば、人間など容易くその命を散らす。血液を逆流させ、内部から風船のように破裂させられる。

 

 それは、特異な右手を持つ上条も例外ではない。主人公(ヒーロー)だろうと例外ではない。能力を打ち消すのはその右手だけなのだから、逆をいえば、右手以外の何処に触れても、上条当麻は死亡(はいぼく)するのだ。

 

 

 だが、そんな結末は訪れなかった。

 

 

 恐怖に囚われて行った一方通行(アクセラレータ)の特攻は、悲しくも恐ろしく単調で。

 

 

 上条当麻は、触れたら一瞬で死亡するその両の手を、最小限の動きで無駄なく回避し、その交差際――

 

 

「――ッッッ!!!!」

 

 

――一方通行(アクセラレータ)の顔面に、再び渾身の右拳を叩き込んだ。

 

 

 その場で一方通行(アクセラレータ)は仰向けで地面に叩きつけられた。

 

 

 上条は荒く息を吐き、00001号は無能力者が学園都市第一位を打倒したその光景に目を見開き、そして、一方通行(アクセラレータ)は――――

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 負ける。負けた?――最強の、自分が? 怪物の自分が? 無敵になるはずの――このオレが?

 

 

 負ける。負けた。敗北者。

 

 

 じゃあ、自分は――一方通行(アクセラレータ)はどうなる? 無敵にはなれず、絶対にはなれず、最強のまま。いや、最強ですらなかったのか?

 

 

 なら、現実は変わらないのか? 世界は変わらないのか? 一方通行(アクセラレータ)はこれからも怪物のままで、誰かを傷つけながら生きていくのか? 世界を破壊しながら過ごしていくのか?

 

 

 薄れゆく意識の中で、一方通行(アクセラレータ)は手を伸ばした。

 

 

 上手く思考出来ない。ただ、それでも欲した。力を欲した。

 

 

 無敵になりたい。絶対になりたい。

 

 

 ひとりぼっちになれる力を。孤独じゃ駄目だ。そんなものじゃ足りない。

 

 

 孤高に。誰も手の届かない高みに。誰も存在しない世界に。ひとりぼっちの位階(ステージ)に。

 

 

 友達? そんなものは、いらない。

 

 

 傷つけ、壊してしまうに決まっている『大切』なんて欲しくない。

 

 

 近づくな。近寄るな。頼むからこっちに来ないでくれ。手を差し伸べるな。

 

 

 もう嫌だ。あんな思いはしたくない。元々自分には分不相応なものなのだ。

 

 

 怪物が人間と一緒にいられるわけがないだろう。

 

 

 幻想(ゆめ)を見ることは簡単だ。それに浸っていられる間は幸せだ。

 

 

 それでも、夢はいつか覚めてしまう。夢が幸せであればあるほど、現実に戻った時に報いを受ける。

 

 

 ああ、認めよう。一方通行(アクセラレータ)は最強なんかじゃない。最強なんかじゃ、ありえなかった。

 

 

 ただの臆病な怪物だ。傷つくのが、傷つけるのが、怖くて怖くてたまらない、ただの臆病者だ。

 

 

 だから逃げる。そうだ逃避だ。オマエに言われた通り、孤高に逃げるんだ。

 

 

 誰もいないひとりぼっちなら、誰も傷つけなくていいから。

 

 

 だから、俺は勝たなくちゃいけねェ。最強じゃなくても、無敵にならなくちゃいけねェ。

 

 

 もっと力を。もっと力を。もっと力を。

 

 

 この世の何よりも圧倒的で、あの世の全てよりも絶対的な、前人未到の『無敵』へ。

 

 

 誰も何も到達し得ない――――ひとりぼっちの領域へ。

 

 

 常識を捨てるんだ。そうでなくては、目の前の非常識な無能力者には勝てない。

 

 

 既存のルールを全て捨てて、その上で可能と不可能を再設定(リセット)するんだ。

 

 

 目の前にある全ての条件をリスト化し、その壁を取り払え。

 

 

 そして、手に入れるんだ。新たな力を。

 

 

 …………これでいい。それでいい。

 

 

 俺は怪物だ。ならばいっそ、誰からも恐れられ、近づかないような圧倒的な怪物に。

 

 

 暗い、暗い、真っ暗で真っ黒な闇の中で、それすらも寄せ付けない程の黒い、漆黒の怪物に。

 

 

 だから頼むよ。行かせてくれ。ついてこないでくれ。

 

 

 

 

 

 イイ加減、諦めてくれよ、上条。

 

 

 

 

 

 そして、一方通行(アクセラレータ)の意識は、真っ白に、真っ暗になった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条は、ぐったりと倒れた一方通行(アクセラレータ)を見て、表情を暗くする。

 

 

 

――お前のそれは、テメーの自己満の為だろうが?

 

 

 

 第四位に言われた言葉が、再び上条の心を責めたてる。

 

 

 結局自分は、ただ一方通行(アクセラレータ)を殴り飛ばすことしかできなかった。

 

 

 友達だ、救うんだとほざいておきながら、結局暴力に訴えることしかできなかった。

 

 

 こうやって、片っ端から殴り飛ばして、無理矢理彼ら彼女らを、自分に都合よく捻じ曲げていく。

 

 

 そうすることで、本当に自分の幻想(ゆめ)は叶うのだろうか。

 

 

 そんなことして手に入れた光景が、作り上げた世界が、あの『しあわせな世界』に届くのだろうか。

 

 

「…………」

 

 

 上条は、何かから目を逸らすように、一方通行(アクセラレータ)に背を向けて、まずは意識のある00001号を介抱しようと少女の元へ向かう――――と。

 

 

 00001号が、上条の背後を見て、絶句していた。

 

 

 何かを感じ、上条はゆっくりと後ろを振り向く。

 

 

 馬鹿な。そんなはずはない。

 

 二発。しっかりと全力の拳を顔面に叩き込んだ。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が、最強であるが故に打たれ弱いはずの第一位が、そんなはずが――

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、立ち上がっていた。

 

 

 

 先程の上条のように、背を曲げ、今にも膝に手をついてしまいそうな、今にも崩れ落ちてしまいそうだが、それでも一方通行(アクセラレータ)は立ち上がっていた。

 

 

 学園都市最強の怪物は、まだ終わっていなかった。

 

 

「……一方通行(アクセラレータ)。もう――」

 

 

 上条は、そんな痛々しい一方通行(アクセラレータ)の姿に表情を歪め、手を差し伸ばそうと――

 

 

 

 

――その時、白い怪物の背中から、“漆黒の翼が噴射された”。

 

 

 

 

 上条の、右手が止まる。

 

 

 そして迸る強烈な衝撃に、思わず上条はその手で顔を守り――――黒い柱を見上げた。

 

 

 ヒーローが呆然と立ち尽くす前で、怪物は勢いよく天を仰ぐ。

 

 

「――ipwj孤hq」

 

 

 無機質な呟きに、上条が一方通行(アクセラレータ)を見る。

 

 だが、真上を向く彼の表情は、窺うことは出来なかった。

 

 

 そして、絶叫。

 

 

「ガァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!」

 

 

 その咆哮は、これまでのどんな攻撃よりも、上条当麻を傷つけた。

 

 

 上条当麻の、ヒーローの心が、軋み、悲鳴を上げた。

 

 

 彼には、その叫びが、破壊を振りまくその姿が、その白い怪物が。

 

 

 

 泣いているようにしか、見えなかった。

 

 

 

 四年前の、あの日のように。

 

 

 

(……俺のせいなのか……これは、俺の……俺の……)

 

 

 

――俺を助けるっつゥンなら……上条

 

 

 

 噴出される黒い翼が、実験ルームの天井を貫く。

 

 

 上条は、そんなことは気にも留めず、顔を俯かせ――――右手を、だらんと下した。

 

 

(俺は――)

 

 

 

――俺の前から、今すぐ消えてくれ

 

 

 

(――一方通行(ともだち)を…………………………救えなかった)

 

 

 

 そして、傲慢なヒーローを罰するかのように、瓦礫の豪雨が上条に降り注いだ。

 




長かった妹達編も、終わりが近づいてきました。


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00001号〈ヒロイン〉

 ヒロインとは、決して救われるべき囚われのお姫様だけを意味しない。

 ヒロインとは、決してヒーローに救われるだけの、弱者ではない。


 

「――はっ!!」

 

 一人の少女の鋭い覇気により、宙に浮いていたその瓦礫群は四方八方へと吹き飛ばされた。

 

 バッ!!! と、まるで卵から産まれるように、瓦礫群のドームの中から七人の人間達が姿を現す。

 彼ら彼女らは、建物の倒壊現象を五体満足で切り抜けていた。

 

 その立役者は、超能力者(レベル5)の第五位の女王ではなく、彼女の傍で侍る従者の少女だった。

 

「ふぅ~、さすがにちょっと死亡力を覚悟したわぁ。ありがとうねぇ、縦ロールちゃん」

「――いえ。それよりも女王、お怪我はありませんか?」

 

 縦ロールは崇拝する主からの誉め言葉を恭しく受けた。

 食蜂は従者の言葉に大丈夫だと返すと、すぐに妹達(シスターズ)の身の無事を確認すべく声を掛けた。

 

「あなた達は大丈夫?」

「――ええ、ミサカ達は四人とも無事です、とミサカは返答します」

「あ、あの、私も無事でス」

「そう。それにしても、一体何が起きてるのぉ?」

「…………」

 

 カイツの言葉を一言で流すと、彼に顔すら向けずに食蜂は辺りを見渡す。

 

 真新しかった研究所は、すでに廃墟となっていた。

 

 周囲はすっかり暗く、その黒い闇の中をぱらぱらと雪が舞っている。

 皮肉にも、こんな悲劇が起きた聖夜は、幻想的なホワイトクリスマスとなっていた。

 

 辺り一面はすべてが瓦礫と成り果てていて、無事な場所など見当たらない。まるでミサイルでも撃ち込まれたのかという有様だ。

 

 そんな中、妹達(シスターズ)が全員、心なしが俯いているようにも見える。無表情ながら誰一人顔を上げていなかった。

 

(…………?)

 

 そのことに気付いた縦ロールは、食蜂にそのことを伝えようと主の方に顔を向けた。

 

 食蜂は、夜空を見上げて硬直していた。

 

 縦ロールもそれに倣い、目線を空に上げる。

 

「――――なッ!?」

 

 縦ロールも、その驚声を放った後、言葉を発することが出来なくなった。

 

 

 

 巨大な漆黒の柱が、天を貫いていた。

 

 

 

 すっかり暗くなった夜の闇に紛れていて発見が遅れたが、一度気づくとそれはあまりにも異様だった。

 

 いや、闇の中だからこそ、闇の黒さに呑まれないほどの漆黒のその柱は、言いようのない不気味さを放っていた。

 

 

 縦ロールは、ゆっくりと黒い柱の根元に視線を移す。

 

 

 

 そこに、一匹の白い悪魔が立っていた。

 

 

 

 その黒い柱は――否、その黒い翼は、白い悪魔の背中から生え――噴出しているようだった。

 

 

「グッッッギャァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」

 

 

 咆哮の如く叫び散らすその様は、まさしく悪魔。

 

 

 暗い冬の夜空の下、美しい白雪が舞う中、黒い破壊の翼を携える――――白い悪魔。

 

 

 縦ロールは理解する。縦ロールは直感で理解させられた。

 

 疑いようがない。他に解答はない。それ以外在り得ない。

 

 

 あれこそが、あの存在が、あの悪魔が――――学園都市最強の、超能力者(レベル5)の第一位。

 

 

 この学園都市で、最も怪物な存在。

 

 

 一方通行(アクセラレータ)

 

 

 奴こそが、一方通行(アクセラレータ)

 

 

「――――――ッッッッ!!!!!!」

 

 

 恐怖。恐怖しかない。

 

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 

 縦ロールは己の身体を抱きしめて、ひたすら震える身体を押さえつけた。

 

 歯がガチガチと音を鳴らす。悲鳴を上げることだけは必死に堪えた。

 

 思わず後ずさりしようとして瓦礫に足をとられ、尻から無様に倒れ込む。

 

 

 だが、それを恥ずかしいとは思わなかった。それよりもただただ怖いと思った。

 

 

 なんだ? なんだ、あれは?

 

 

 人は、否、生物は――――あそこまで化け物になれるのか?

 

 

 あれ程の怪物になれるのか? なってしまうのか?

 

 

 あれが超能力を極めた頂点だというのなら、自分が、自分達が、この学園都市の学生達が“常識”として使っている超能力とは、一体なんなんだ?

 

 

 私達は――この街の学生達は、一体どんな研究(しょぎょう)の片棒を担がされている?

 

 

 

「――――上条さんは?」

 

 

 

 恐ろしく平坦な口調で、食蜂はポツリと呟いた。

 

 その言葉に、縦ロールはハッとする。さすがのカイツも顔を真っ青にしていて、今の今までそのことに思い至らなかったようだ。

 

 

 そうだ。あの白い黒翼の悪魔が、一方通行(アクセラレータ)の成れの果てだというのなら――

 

 

――その一方通行(かいぶつ)と戦っていたはずの上条当麻は、一体どうなったのだろうか?

 

 

 縦ロールの脳裏に最悪の――だが最も有り得るケースの想像が過ぎる。おそらくは、食蜂の脳裏にも。

 

 

 そこに、一人の妹達(シスターズ)――00005号が、そんな彼女達の想像を否定した。

 

 

「あの方は、生きています。とミサカはお二人に告げます」

 

 

 その言葉に、食蜂と縦ロールは彼女に向かって振り向く。

 

「本当ですか!?」

「………」

 

 驚愕を露わにする縦ロール。食蜂は力強い眼差しで00005号を見据えていた。

 

 その瞳を受けて、00005号は、さらにその言葉を続ける。

 

 

 

「……あの方は――」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――――はッ!?」

 

 上条が気付くと、最初に目に入ったのは圧倒的に黒い夜空だった。

 

 点々と目に入る白い光が自分の頬に舞い落ち、冷たい感触を感じた後、それが雪だと分かった。

 

 

 そんなことを妙に冷静に思考していると、自分の身体に覆いかぶさっている少女に気付く。

 

 

 そして、上条の意識はそこでようやく本格的に覚醒し、その少女の顔を覗き込む。

 

 

「………っ!?……お前……どうして?」

 

 

 呆然と問いかけた上条の顔を、額からべっとりと血を流した少女――00001号が、頬を緩めながら、安心したように見つめた。

 

 

「……よかった。とミサカは安堵します」

「何言ってんだ!! お前――――どうして!?」

「……ミサカにも、よく分かりません。……気が付いたら、勝手に身体が動いていたんです。とミサカは正直に申告します」

 

 

 あの時、上条の心は確かに再び折れかけ、降り注ぐ瓦礫を感じても、回避行動を起こせなかった。

 

 

 

 そんな上条を救ったのは、本来救われる側のはずの妹達(しょうじょ)――00001号だった。

 

 

 

 満足に動くことも出来ないほどに痛めつけられたはずのその身体を、這って動くのがやっとだったはずのその身体を、今まで受動的に受けた命令だけに忠実だった少女が、上条の危機を救う為に、初めて自分から動かしたのだ。

 

 初めて、自分の意思で、行動を起こしたのだ。

 

 

 上条を、救う為に。

 

 

 生きることすら放棄しようとした、ヒーローを救う為に。

 

 

 上条は気付く。

 自分達の周りは夥しい数の瓦礫が散在していて、自分と00001号がいるこの小さな場所のみが、ぽっかりとご都合主義のように無事だった。

 

 

 まるで、奇跡のように。

 

 不幸を呼び寄せる右手を持つはずの自分が、享受できるはずがないほどの優しい奇跡だった。

 

 

 ならば、この奇跡は、間違いなく少女の功績で。

 

 

 自分は、間違いなく、この救われる側の少女(ヒロイン)であるはずの彼女に、救われたことを示していた。

 

 

 

 ポタッ と、上条の頬に何かが垂れる。

 

 それは、冷たい雪でも、しょっぱい涙でもなく――――温かい血だった。

 

 自分に覆いかぶさり、人形のように無表情だったはずの顔を優しげな微笑みに変えて見下ろす、この少女から流れる、この少女に流れている、温かい血だった。

 

 

 その温かさは、間違いなく少女が、無機質な人形ではなく、生きた人間であることを示していて。

 

 

 

 上条は、ふと何かが壊れるのを感じた。

 

 

 

 自分はどこかで、思い込んでいなかったか?

 

 あの『しあわせな世界』を作るとか言っておきながら、この世界で死ぬことになろうともとかカッコつけておきながら、幻想(ゆめ)だなんだと語っておきながら。

 

 どっかで、心の片隅とかで、思い込んでいなかったか?

 

 

 これは、少し変わっているけれど、なかなか終わらないけれど。

 

 それでもやっぱり、これは、この世界は、魔神オティヌスが作り出した世界で。

 

 いつかどこかのタイミングで、ガラスが割れるみたいな音と共に綺麗さっぱり消え去って、あの見渡す限りに真っ黒で真っ暗な空間に変わって――否、“戻って”、どこからともなくオティヌスが現われて、答え合わせみたいな問答が始まるんじゃないかって。

 

 

 

 あの世界で、幾つも幾つも見せられた世界の、見せつけられた絶望の、一つに過ぎないんじゃないかって。

 

 

 

 言うならば、たとえ失敗しても、なんなら死んでしまうようなことがあっても。

 

 気が付いたらあの何もない真っ暗な世界に戻って――コンティニューできるんじゃないかって。

 

 

 微塵も思っていなかったと言えば、やはり嘘になるのだろう。

 

 

 自分はどこかで、この世界の現実(リアルさ)を、認めていなかったのかもしれない。

 

 

 

 この世界に生きる人達の、かけがえのなさを、上条当麻というヒーローが、一番、誰よりも、認めていなかったのかもしれない。

 

 

 

 この世界で生きる人達を、ガラスが割れるように世界が壊れる度にリセットされ、別の世界に送られる度に復活する、キャラクターのように、NPCのように、上条当麻は思っていたのかもしれない。

 

 

 あの魔神が創った幾つもの世界の、その中の一つに過ぎないと、高を括っていたのかもしれない。

 

 

 シミュレーテッドリアリティ。

 世界が作り物で、自分が、そして自分以外の人間が、その中の登場人物に過ぎないと思い込む“病”。

 

 誰よりも漫画のような事件に巻き込まれ、いつも騒動の中心にいる。中心になってしまう。

 

 そして魔神オティヌスによって、実際に世界が何度も作り変わるということを、その目で見せつけられてしまった。そんなことが可能なのだと、有り得てしまうのだと、見せつけられてしまった。

 

 そんな上条当麻という人間は、ヒーローで、主人公だからこそ、そんな病を患ってしまったのだろう。

 

 

 

 だが、それは、その世界で懸命に、たった一つの命を燃やして、たった一度の生涯を送る人間(キャラクター)達にとっては、なんと傲慢で、なんと侮辱的な向き合い方なのだろうか。

 

 

 

 必ず救うとか、絶対に助けるとか、どれだけカッコよく、ヒーローのようなセリフをぶつけたとしても。

 

 

 

 この世界をどこか見下している、偽物だと思っているヒーローに、救える存在などいるわけがない。

 

 

 

――結局、初対面の男にそんな風に口説かれても、残念なくらいに響かないって訳よ

 

 

――……アンタは、超中途半端なんですよ

 

 

――お前は私よりも――誰よりも狂ってるよ

 

 

――俺の前から、今すぐ消えてくれ

 

 

 

 そんな存在(ヒーロー)の言葉が、誰かに届くはずがない。

 

 

 

 関わった人達を、片っ端から不幸にするだけだ。

 

 

 

 きっと誰よりもこの世界の存在を認めていなかったのは、上条当麻だったのだ。

 

 

 

 自分の理想の世界を、文字通り命を懸けて守りたかったあの世界を奪った、この世界が、憎くて、憎くて、堪らなかった。

 

 

 

 だから作りたかった。だから帰りたかった。あの黄金の世界に。この世界ではない、あの『しあわせな世界』に。

 

 

 

 

 だけど、上条のそんな幻想は、今、ぶち殺された。

 

 

 

 傲慢なヒーローの右手ではなく、一人の少女の温かい血によって。

 

 

 

 かけがえのない命を感じさせる温かさによって。

 

 

 

 

 少女は笑う。これまでの無表情からは考えられない程に穏やかに。

 

 

 あれほど荒れ狂っていた胸の中の感情が、今は嘘のように静かで、尚且つ満たされていることを、00001号は感じていた。

 

 

 00001号は、そっと、上条の頬に優しく手を当て、語りかける。

 

 

 

 

 

「ミサカは、あなたを助けることが出来ましたか?」

 

 

 

 

 

 お得意の言葉尻の口癖は言わせなかった。

 

 

 上条はがばっと上半身を起こし、力の限り00001号を抱き締めていた。

 

 

 00002号が食蜂にされたのとは大違いの、荒々しい独りよがりな抱擁。

 

 

 けれど00001号は、00002号に負けないほどに満たされた笑みを浮かべていた。

 

 

 温かい。それに、息が苦しいほどに締め付けられているのに、苦しさではなく、別の感情が湧き起こってくる。

 

 

 まるで、求められているようで、必要とされているようで。00001号は、これもまた一つの抱擁の形なのだと受け止めた。

 

 

 上条当麻は、情けない顔を見られることを恥じるように、少女の肩口に顔を埋めながら、言った。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 誰かを救い続けてきた主人公(ヒーロー)が、誰よりも救われるべき悲劇の少女(ヒロイン)である妹達(シスターズ)の少女に。

 

 

 

 

 

「――助けてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

 その言葉は、00001号の心に優しく染み渡っていった。

 

 

 思わず、上条の背中に、己の両腕も回す。そして、優しく、優しく抱き締めた。学んだばかりの、抱擁という知識を活用して。

 

 

 これが、幸福というものなのかもしれないと、00001号は思った。

 

 

 人それぞれ違うという、幸福の形。

 

 

 ならば、自分が今感じている、この感情が。正体不明の、この湧き起こる温かさが。

 

 

 00001号(わたし)にとっての幸福だと――『しあわせ』だと。

 

 

 そうであって欲しいと、これまで自身の生すら願わなかった少女は、心から願った。

 

 

 

「――なら、次は俺の番だな」

 

 そして、ゆっくりと00001号から離れ、上条当麻は立ち上がる。

 

 右拳を再び握りしめ、少女に背を向けながら、自分に言い聞かせるように宣言する。

 

 

「俺は、一方通行(アクセラレータ)を助ける。助けてみせる」

 

 

 上条と00001号の目線の先には、背から黒い翼を噴射して――――もだえ苦しむ最強の姿。

 

 

「グギャァアァァァアァァァァアアアアアァァァァアアアアアアァァアアアア!!!!!!!!」

 

 

 おそらくは、その新たな力を制御できていないのだろう。

 

 がむしゃらに黒翼を振り回し、自分の周りを破壊で埋め尽くしていく。

 

 

 そうして怪物は、ポツリと、孤独になっていく。

 

 

「――認めるか。一人になんて、絶対させない。俺が、絶対に――」

 

 

 上条当麻は、ゆっくりと息を吸い込む。

 

 

 そして、ギンと眼光を鋭くし――――今、再び、一方通行(アクセラレータ)に向かって、駆け出した。

 

 

 

「――その幻想を、ぶち殺す!!!」

 

 

 

 上条当麻は、駆ける。

 

 

 泣いている一方通行(ともだち)を救う、ただそれだけの為に、右の拳を握り締めて。

 

 

 白い少年を呑み込もうとしている、真っ黒な『無敵(かいぶつ)』に向かって。

 

 

 ヒーローのように。

 

 

 今度こそ、ヒーローに、なる為に。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後ろ姿を、00001号は見送っていた。

 

 

 そして、ギュッと、胸の前で手を握り締める。

 

 

 今度は、なんだかざわざわとした感情が胸の中に溢れてきた。

 

 

 でも、00001号は、上条の背中から目を逸らさない。逸らしてはいけないと思っていた。

 

 

 

 

 その時、00001号の、意識が飛んだ。

 

 

 

 

 まるで、何かに乗っ取られたかのように。

 

 

 

 

 何かが、乗り移ったかのように。

 

 

 

 




 ヒーローの隣に立ち、誰もを救うヒーローを救う、そんな強い女性。

 それもまた、ヒロインだ。


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ヒーロー〈孤独な怪物を抱擁する友達〉

 妹達編、クライマックス。
 vs一方通行、決着。


 

 上条当麻が一方通行(アクセラレータ)の『黒い翼』と相対するのは、これが初めてではない。

 

“前”の世界――“元”の世界で上条当麻は、第三次世界大戦時のロシアの雪原で、『一方通行(アクセラレータ)』が激情のままに振るう黒い翼と戦い、そして勝利している。

 

 あの時の『一方通行(アクセラレータ)』はすでに黒い翼を使うことが初めてというわけではなく、激情に駆られていたものの、きちんと自分の意思をもって、その黒い翼を武器として使っていた。

 

 そういう意味でいえば、黒い翼に呑み込まれかけ、その力を制御できずに、その力に使われている目の前の一方通行(アクセラレータ)は、かつてのそれよりも大きな脅威ではないのだろう。

 

 

 だが、今はそれ以上に、上条当麻の状態が悪かった。

 

 

 縦横無尽に暴れる黒い翼。そんな中、上条はその右手で、その黒翼を払い、祓い、吹き散らす。

 

 先程までと同じように、無数の土石流と戦った時のように、とにかく前へ進む。

 

 黒い翼が作り出す闇の中を、右手で掻き分けながら、少しずつ、少しずつ前へ。

 

 

“前”の戦いの時、上条は打ち消しきれない量の圧倒的な破壊力を持つ黒い翼を、掴み、ひねり、安全地帯を作り出すことで打倒した。

 

 そのことは上条が意図して行ったことではなく、前兆の予知も合わさった本能の行動の結果だったが、それ故に上条は、この極限状態でも無意識に同様の行動を選択することが出来た。

 

 

 今の一方通行(アクセラレータ)は黒い翼の力に目覚めたばかりなので、その翼の数は巨大な一対――二翼のみ。分裂させるなどの細工は出来ない。

 

 ならば、一本を掴み、もう一本にぶつける。そうすれば、あとは一気に近づき、再びこの右拳を以て一方通行(アクセラレータ)を叩き起こすことで、全てが終わる。

 

 

 そして、今度こそ言葉を届けるのだ。一方通行(アクセラレータ)に届くような言葉を。己の中の確固たる想いを。

 

 

「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 上条当麻目がけて、横薙ぎに振るわれる左の黒翼。

 

 

 そして、少しの時間差を置いて、袈裟斬りのように斜めに振り下ろされる右の黒翼。

 

 

 上条は迷わなかった。本能で選択した。

 

 

 左の黒翼を、掬い上げるようにして掴み、もう一方の翼に叩きつけようとする。

 

 

 

「――ッ!!!」

 

 

 

――が、その時、上条の膝の力がガクンと抜けた。

 

 

 

 それは、必然だった。

 

 

 上条当麻は認めたのだ。ここは、紛れもなく“現実”の世界だと。

 

 夢でも、幻でも、ましてや異世界でもない。

 

 魔神オティヌスが作り上げたものか否かは未だ判別がつかないが、それでも、ここは懸命に生きる人間達が、その温かい命を以て、しあわせになる為に戦っている、正真正銘の現実世界だ。

 

 

 ならば、当然そこでは、当たり前のことが、当たり前のように起こる。

 

 

 例え、上条当麻がヒーローであろうと、彼を主人公にした物語が紡がれていようと。

 

 

 彼を中心に、世界が回っているわけではない。

 

 

 幾つもの奇跡が起ころうと、それと同等以上の悲劇も生まれていて、それは平等に振り撒かれる。

 

 

 不幸を呼び寄せる右手を持つ少年にも、奇跡のような幸運が訪れることもあるだろう。

 

 

 それでも、例え物語のクライマックスでも、最終決戦でも、白雪が舞う聖なる夜だろうと、迷いを断ち切って覚醒しようと。

 

 

 

 限界は、ある。

 

 

 

 膝の力が抜け、バランスを――支えを失った体は、当然のように黒い翼の軌道をずらすことなど出来なかった。

 

 

 

 黒い翼の闇が、上条の右手首の下――――幻想を打ち消せない、何の変哲もないただの人間の身体へと侵食する。

 

 

 

 なんてことはない。ただの必然だったのだ。

 

 

 

 今日という日。十二月二十四日の聖夜。きよしこの夜。

 

 

 上条当麻は、数々の強敵と激闘を繰り広げた。

 

 

 

 絹旗最愛。

 

 フレンダ=セイヴェルン。

 

 

 そして、二人の超能力者(レベル5)

 

 

 第四位――麦野沈利。

 

 

 第一位――一方通行(アクセラレータ)

 

 

 

 その戦闘のダメージは、確実に上条の身体に蓄積していて、そして、当然のように限界がきた。むしろ、ここまでもったことが、一つの奇跡だったのだ。

 

 

 

 そのツケが、当たり前の限界が。

 

 

 たまたま訪れたのが、この、絶対に負けられない、クライマックスだったという、ただそれだけの話。

 

 

 ただ、それだけの悲劇。

 

 

 いつも通りの、不幸だった。

 

 

 

 ずばばっ!! と、切断音が響いた。

 

 

 

 否、それはむしろ潰す、呑み込む(・・・・)といった方が近いかもしれない。

 

 あまりのも鋭く呑み込まれたことで、そのような音が聞こえたのかは分からないが、とにかく――

 

 

 

――上条当麻の右手が、右腕が消えた。

 

 

 

 破壊され、千切れ、潰された。

 

 

 これまで、数々の幻想をぶち殺してきた、上条当麻の唯一無二の能力(ちから)であり、武器であり、相棒であり、文字通りの右腕だった、上条の右手が――

 

 

 

――幻想殺し(イマジンブレイカー)が、敗北した。

 

 

 

 それを、上条は蓄積したダメージに加え、その右手を失った激痛から薄れゆく意識の中で、漫然と理解した。

 

 

 

 ヒーローが、負ける。

 

 

 

 それは、物語の中ではあってはならないことで、それが起こり得るということが、上条のいる今ここが、まぎれもない現実であることを示していた。

 

 

 

 けど

 

 

 でも。

 

 

 それでも。

 

 

 

 

『それで?/escape 君は諦めるの?/escape』

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻は、すでにその時、意識を失いかけていた。

 

 

 だから、自信がない。

 

 その言葉を、そんな言葉を聞いたかどうか、この戦いが終わった後、この物語が終わった後に思い返しても、いまいち自信が持てなかった。

 

 

 それでも、例えこれが幻聴だろうと、夢であろうと、妄想だろうと、それでもいいと思った。

 

 

 

 なぜなら、『彼女』とのその『会話』は、一言一句、自分の返答も含めて――――“心”に刻み込んでいるんだから。

 

 

 

『ようやく“出てこれた”と思ったらずいぶんとまぁ情けないことになってたり/backspase、ちょっとはマシになったと思ったらいきなり死にかけるし/return。まぁ、上条ちゃんらしいといえば上条ちゃんらしいのかもしれないけどさ/return』

 

 

 

 よく喋る『声』だった。その声は上条の後ろから聞こえてきたが、当然ながらこの時の上条に背後を振り向く余裕などあるはずもなく、ただその『声』に耳を傾けた。

 

 

 

『それで、上条ちゃん/escape? どうするの/escape? このままカッコ悪く死んじゃうの/escape? それともカッコ良く逆転劇を見せてくれるの/escape?』

 

 

 

――決まってるさ。

 

 

 

 上条はその時、背後の『声』に向かってこう返した。

 

 

 

――諦めない。諦めてたまるか。例え、右手が潰されようと、俺は絶対に一方通行(アクセラレータ)を助ける! 妹達(シスターズ)も一人残らず、絶対に救い出す!!!

 

 

 

 その上条の返答に、背後の『声』の主は、嬉しそうに口角を吊り上げる。

 

 

 

『もしここで死んだら/backspace、オティヌスとかいうヤツにもう一度会えるかもしれないよ/escape? あの『しあわせな世界』に――――もしかしたら、“元の”世界にだって、帰れるかもしれないんだよ/escape?』

 

 

 

 その『声』の問いに、上条は少しの間を空けて、こう返した。

 

 

 

――それでもだ。俺は助ける。……正直言って、俺はまだ、“あの世界”を求めている。当たり前だ。自分が死んでも守りたかった景色なんだ。そう簡単に忘れられるはずがない。

 

 

『…………』

 

 

――でもさ、今ここで、俺だけ退場してその世界に逃げるのは、違うと思うんだ。この世界だって、みんな一生懸命に生きて、悩んで、苦しんで、それでもしあわせを求めて戦ってる、本物の世界なんだよ。だったら俺は、この世界にしがみつくさ。俺にどこまで出来るか分からない。オティヌスみたいに、全員残らず漏れなく最高の形には出来ないかもしれない。でも、少しでも、あの世界に近づけたい!! あの世界を目指したいんだ!! それを途中で放り出したままじゃ、俺は帰れないよ。

 

 

『……それは、誰のため/escape?』

 

 

 上条は、ふと笑いながら答えた。

 

 

 00001号に対して言ったのと、まったく同じ言葉を。

 

 

 まったく違う心境で。

 

 

 

――自分のためだ。

 

 

 

 上条は言った。堂々と、言ってのけた。

 

 

 その答えが、歪で、狂っていて、気持ち悪いものだと分かった上で、認めた上で、それでも言った。

 

 

 自己満足の綺麗ごとを、それでも貫くと。

 

 

 

――この先、この世界が俺の歩んできた“未来”へとつながっているのなら、これからたくさんの悲劇が起きる。……俺がいなくちゃダメだ、なんて思い上がるつもりはないけど、それでも、悲劇を知っている人間がいれば、少なくても回避できる悲劇はあるはずなんだ。なら、俺はそれをしたい。悲劇が起こらない未来を、俺は見たい。俺が見たい。

 

 

 

 上条は語る。新たなる、己の幻想(ゆめ)を。

 

 

 

――俺がいなくても大丈夫な世界を、俺が作りたい。……そうすれば、その時初めて、俺は胸を張って、この世界からいなくなれるような気がするんだ。その時初めて、俺は元の世界に帰ることを、自分で許すことが出来るような気がするんだ。

 

 

 

 それは、ある意味で究極の自己否定。

 

 

 

 上条当麻という存在の、全面否定。

 

 

 

 己がいなくても成り立つ、上条当麻が存在しない世界の創造。

 

 

 

 上条が、いまだにあの『しあわせな世界』に憑りつかれていることを、如実に現している幻想(ゆめ)だった。

 

 

 

『……そ、っか/return』

 

 

 

『声』の主も、それを感じ取ったのだろう。

 

 だが、その声には落胆よりも、懺悔の思いが込められているように感じた。

 

 

 今の上条には、何を言っても届かないだろう。

 

 

『しあわせな世界』を、失う覚悟もなく、むしろ究極に肯定した上で、予期せず失ったことで、上条はあの世界を、さらに己の中で美化し、神聖化している。

 

 

 あの世界を作り出すことが、究極の幸福だと信じている。

 

 

 だからこそ、この上条当麻は揺るがない。

 

 壊れた状態で、定まってしまった。固まってしまった。

 

 

 それも、全ては、あの時、自分が間に合わなかった(・・・・・・・・・・・)から。

 

 

 だからこそ、『声』の主は、こう返した。

 

 

 傷つき壊れた少年の幻想(ゆめ)に、歪であろうとも前を向こうとしている少年の、無垢であるが故に悲しい幻想(ゆめ)に。

 

 

 

 

『それじゃあ、いつか『元の世界』でまた会おう、上条ちゃん/return』

 

 

 

 

 その『声』に、上条はただ一言、こう答えた。

 

 

 

――ああ!

 

 

 

 そして、一瞬にも満たない、一刹那の会話は終わり。

 

 

 上条は、ぎりっと歯を食いしばって、その黒い翼を睨み付ける。

 

 

 

 

 

 そして、上条の右腕から――巨大な竜が飛び出した。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 それをはっきりと目撃したのは、その戦いを見守り続けていた少女――食蜂操祈。

 

 縦ロールとカイツを、研究所の倒壊に巻き込まれた他の研究者達の救助に行かせ、自分は残る四人の妹達(シスターズ)の護衛も兼ねて、上条当麻と一方通行(アクセラレータ)の戦いを見守り続けていた。

 

 

 上条があの黒い翼に突っ込んでいった際に、急に四人の妹達(シスターズ)が意識を失って倒れこみ、慌てていたところに――――その竜は姿を現したのだ。

 

 

 天を貫く黒い翼に引けを取らない巨大さのドラゴンは、まさしく上条の右腕から飛び出していた。

 

 

 そのドラゴンは、一方通行(アクセラレータ)の黒い翼を、文字通り食らい尽くす。

 

 

 死肉を貪るように、生々しく、豪快に、食らっていく。

 

 

 その様を、食蜂操祈は、茫然と眺めていた。

 

 

(……あれは、何? あれは、上条さんの能力(ちから)なのぉ?)

 

 

 目の前の光景が、とても現実とは思えない。

 

 

 闇の中、白い悪魔の黒い翼を、巨大なドラゴンが食らっているその光景は、例えこの街が学園都市だとしても、現実感に欠ける光景だった。

 

 

 だが、揺るがないのはこれは間違いなく現実で、そのドラゴンを繰り出したのは、自分の想い人であるということだ。

 

 

「………………ッ」

 

 

 食蜂は、上条に目を向けて、何かを堪えるようにギュッと胸を押さえる。

 

 

 だが、決して目を逸らさなかった。

 

 

 一瞬でも目を逸らしたら、二度と上条と近づけないような、そんな気がしたから。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そして、その光景を眺めていたのが、もう一人。

 

 

 00001号の身体を借り受けた、ミサカネットワークの『大きな意識』――通称『総体』。

 

 

 彼女は、上条が身投げしたあの『しあわせな世界』において、管理者オティヌスの支配外にいた、上条当麻以外の数少ない存在の一人だった。

 

 

 だが、彼女はその世界で大きな失敗をした。

 

 上条が高層ビルから身を投げる時、彼を助けようと伸ばしたその手が――――届かなかったのだ。

 

 

 そのままビルの下を覗くと――――すでに上条の姿はそこにはなかった。

 

 念のためにビルを降りて、その落下地点を探しては見たけれど、上条当麻の死体はなかった。

 

 あの悲劇のない世界においては、死体はすぐさま消失するシステムなのかとも思ったが、オティヌスと直接的な関わりがない『総体』には確認しようがない。

 

 

 そして、この『総体』には、上条当麻を探す時間はなかった。

 

 

 この『総体』は、先程上条に言った言葉の通り、『元』の世界の『総体』だ。一万人以上の妹達(シスターズ)が殺された上で、その殺害の結果も“学習”した上で構成されている“大きな意識”。

 

 ゆえに、二万体全てが生き残っているあの『しあわせな世界』では、今いる『総体』の形を保てなくなり、別の何かに書き換わってしまうのだ。

 

 

 それは、今のこの世界にも同様のことが言える。

 

 

 全ての妹達(シスターズ)を、一人残らず助けようとしている上条当麻。

 

 その思いが遂げられたら、きっと、この『総体』はこの世界で二度と発現することはないだろう。

 

 

 今ここで、こうして発現できていることが、何かによって引き起こされた大きな奇跡だ。

 

 

(……もしかしたら、この00001号(からだのこ)の願いのおかげかも/return)

 

 

 そんなロマンチック(ごつごうしゅぎ)なことを思ってしまうくらい、有り得ない出来事なのだ。

 

 

 だからこそ、再び会うのであれば『元』の世界だと、そう『総体』は言った。

 

 

 そんな『総体』は、右手にドラゴンを携えて、今まさに漆黒の翼の闇から白い少年を助け出す上条の背中を見て、悲痛に表情を歪める。

 

 

 上条は今回の物語で、この世界のかけがえのなさを認めた。

 

 

 それは確かに上条に再びヒーローとして立ち上がる力を与えたが、それは同時に、この世界に上条当麻というヒーローを生み出したことと同義だ。

 

 

 皮肉にも、上条の思いとは裏腹に、これからたくさんの人間が、上条当麻というヒーローに救われていくのだろう。

 

 

 そして、たくさんの人間達にとって、上条当麻はかえがえのない存在になっていく。

 

 

『元の世界』の、彼ら彼女らのように。

 

 

 上条当麻は気づいているのだろうか。

 

 

 自分が、『元の世界」で、どれほどの人達に慕われ、想われているのか。

 

 

 上条当麻という人間を失うことで、いったいどれほど嘆き悲しむことになるのか。

 

 

 そして、上条はこの先、この世界でも同様の存在になっていくのだろう。

 

 

 だが、それでも、自分という『総体(そんざい)』が『元の世界』にしか存在できないように、いつか、上条は決断しなくてはならない。

 

 

 

『元の世界』に戻るのか、それとも、この世界に留まるのか。

 

 

 

 上条は、この世界を自分が必要ない世界にして、『元の世界』に帰るという答えを出したが、はたしてそんな結末(エンディング)は訪れるのだろうか。

 

 

 上条当麻というヒーローは、そんなことが可能な存在なのだろうか。

 

 

 

「……それでも私は、あなたに『元の世界(わたし)』を選んでほしいな/return」

 

 

 

 間に合わなかった自分には、そんなことを言う資格はないのかもしれないけれど。

 

 

 

 そして、上条の右手のドラゴンが、完全に黒い翼を食い尽くした時、『総体』は目を瞑った。

 

 

 00001号(この子)は、上条当麻(かれ)を救ってみせた。なら、安心して、彼のことを任せられる。

 

 

 

 そして、次に目を開けた時、00001号と共に、他の四人の妹達(シスターズ)もその意識を覚醒させた。

 

 

 

 その時には、全てが終わっていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 上条当麻の右手から現れたドラゴンが、黒い翼を喰らい尽くしていく。

 

 

 その咢が黒を喰らうごとに、一方通行(アクセラレータ)は、自分が何かから解放されていくかのように感じていた。

 

 

 己を戒めていた闇が、より強大な何かに蹂躙され、呑み込まれていく。

 

 

 そして、完全に黒い翼が消滅すると、暴れ狂っていた悪魔のような怪物は、白い少年へと戻っていた。

 

 

 先程まで叫び散らしていたのが嘘のように、穏やかな顔でゆっくりと倒れ込む。

 

 

 上条は、それを右腕で受け止めた。

 

 

 黒い翼に呑み込まれたはずのその腕は、その部分の制服はなくなっていても、人間の腕として元通りとなっていた。

 

 

一方通行(アクセラレータ)

 

 

 上条は、怪物だった少年に言った。

 

 

 

 

「俺と友達になってくれ」

 

 

 

 

 白い少年は、上条のその右腕に己を委ねた。

 

 

 もう立っていることも出来ないということもあるが、それでも、委ねようと思った。

 

 

 傷つけるのが嫌だった。失うのが怖かった。それでも――――やっぱり、求めていた。

 

 

 一人で立っていられないのならば、誰かを頼ってもいいのかもしれない。

 

 

 許されるのならば、委ねたい。

 

 

 こんな自分でも、こんな化け物でも、こんな、怪物でも。

 

 

 弾いても、拒絶しても、何度その手を振り払っても。

 

 

 

 こうして自分を助けてくれる――――友達と言ってくれる、この存在(ヒーロー)にならば。

 

 

 

 

「――ありがとう」

 

 

 

 

 白雪が舞う聖夜。きよしこの夜。 

 

 

 白い悪魔は、真っ白な怪物は、この日――――生まれて初めて、本当の友達を得た。

 




 次回から、妹達編のエピローグ。


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エピローグ 終わっていた悲劇。そして始まる姉妹の物語

 それでは、エピローグです!(これで終わるとは言ってない)


 

 

 

「――こうして、俺達は絶対能力進化(レベル6シフト)を止めることが出来たんだ」

 

 

 こうして、長い、長い昔語りは終わり、部屋の中を沈黙が満たした。

 

 

 部屋の中のメンバーの視線は、御坂美琴に注がれる。

 

 誰よりも事件の渦中の存在で在りながら、数多くの激戦を潜り抜けることでなんとか集結したその悲劇を、結局最後の最後まで、その存在すら知らずに、ずっと光の世界にいた少女を。

 

 

 その少女が闇の存在を知らずに済むように、どれだけの人間が戦ってきたを、少女は――御坂はようやく理解した。

 

 自分がいったい、どれだけ上条当麻に守られているだけの、箱入りの姫君(ヒロイン)であったかを、御坂は思い知らされた。

 

 

 上条は、そんな御坂の胸中を察しているのかいないのか、俯き続ける御坂の方を見ずに、事件(ものがたり)後始末(エピローグ)を語り始める。

 

絶対能力進化(レベル6シフト)は半永久的に凍結した。あれは一方通行(アクセラレータ)が最強であるということを前提にした実験だったから、俺が曲がりなりにも一方通行(アクセラレータ)に勝てたことで、その前提を覆したからな。……まぁ、全員が全員納得した訳じゃなさそうだったけどな」

「なにしろ研究所自体の崩壊力がすさまじかったから、もちろんカメラなんかも軒並み全滅で、映像は残ってなかったしぃ、奇跡的に死亡者はいなかったけど、全員残らず研究者の奴等は気絶してたしねぇ」

「……今から考えれば、本当によく死んだ奴いなかったよなぁ。洒落にならない大怪我した奴等はいっぱいいたみたいだけど」

「はっ、殺されねェだけありがたい話だろうが。あンなクズ共」

 

 そういって白けた視線を上条に向けられた一方通行(アクセラレータ)は、不貞腐れたようにそっぽを向く。

 

 上条も少しは心が痛むけれど、それでも妹達(シスターズ)に対して行った仕打ちを考えると、同情するのもおかしな話なので、これ以上恨まないことでその感情に折り合いをつけ、さらに話を続ける。

 

「それから、妹達(シスターズ)はその実験の後、全員冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生の病院に匿ってもらってたんだ。……妹達(シスターズ)はクローンだから、そのままだと肉体的な寿命が、すごく短いらしくてさ」

「えっ?」

 

 その上条の言葉に、重く俯いていた御坂がバッと顔を上げ、上条を見つめた。

 

 その表情を、その瞳を見て、上条は、少なくとも御坂が妹達(シスターズ)を失うことに、恐怖を覚えていてくれていることが分かり、微笑んだ。

 

「大丈夫だ。その辺を治す為に、冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生が頑張ってくれたんだ。この半年で、その件は大分改善された。だからこそ社会勉強も兼ねて、妹達(シスターズ)だけで生活するなんてことが出来てるんだ。ほら、俺達の部屋の隣に住んでるって言ったろ?」

 

 その言葉を受けて、御坂はゆっくりと六人の“妹達”の方に目を向ける。

 

 打ち止め(ラストオーダー)が安心させるように満面の笑みを浮かべ、その他の五人の妹達(シスターズ)も無表情ながらもコクリと頷いた。

 

「俺と一方通行(アクセラレータ)がここに住んでるのは、妹達(シスターズ)に対する護衛も兼ねてるんだ。……もう絶対能力進化(レベル6シフト)は凍結してるけど、まだ実験の再開を狙ってる奴もいるかもだからな」

「元々、上条さんが第一位さんと同居してるのも、それを防ぐ為なのよぉ。樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)はまだまだ健在力全開だから、実験プランを練り直して再開とかもあり得るからねぇ」

「……でも、どんな実験をしようと、すでに絶対能力者(レベル6)に到達しうるのは一方通行(アクセラレータ)だけだって演算結果が出てる以上、絶対に一方通行(アクセラレータ)には接触してくる」

「かっ、そン時はスクラップにしてやるがなァ」

「そ、そうなんだ……」

 

 そう。すべてはもう終わったことで、その事件の後処理ですら、御坂は関わらせてはもらえなかった。

 

 いや、違う。自分は気づかなったんだ。思いもしなかったんだ。

 

 

 自分が幼い日に、軽はずみに行った行動の結果、どんな悲劇が生まれたか。

 

 そのことで、どれだけたくさんの人間が、戦っていたか。

 

 自分は何も知らず、何も気づけなかった。

 

 

 だから、上条達を恨むのは、筋違いなのだろう。

 

 けど、それなら――

 

 

「――私は、どうしたらいいの?」

 

 

 ポツリと、御坂は呟いた。

 

 その言葉に、一方通行(アクセラレータ)と食蜂操祈は、真っ直ぐに御坂を見据えた。

 

 その視線を受けて、御坂は視線を合わせられず下を向いて、唇を噛み締め、ギュッと制服のスカートの裾を握る。

 

 

 分かっている。今更だってことは。

 

 自分は上条や食蜂達が戦っている時、何もしなかった。

 

“妹達”が苦しんでいるときに、何も出来なかった。

 

 誰よりも当事者のくせに、自分は最後まで傍観者ですらなかった。

 

 

 完全に、部外者だった。

 

 

 そんな自分が、今更何かをしたいだなんて、烏滸がましいのかもしれない。

 

 

 それでも、もう部外者でいたくなかった。

 

 だって、だって、彼女達は――

 

 

「御坂」

 

 ビクッと、思わず震える。

 

 御坂を呼びかけた上条の声は、優しく穏やかだったのに、責められるかもしれないと思ってしまった。

 

 怯えるように、上条と向き直る。

 

 上条は、そんな御坂を優しく見つめていた。

 

「もう妹達(シスターズ)は、全員日常生活が問題なく送れるくらいには体調は問題ないんだ。まぁ、一応週一で冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生の所に通ってるけど、それでも一般的な生活を送る分には問題ない。……そこで、だ。本人達や冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生、それから布束さんや芳川さん、食蜂や一方通行(アクセラレータ)、縦ロールと何回も話し合っていたことがあるんだ」

 

 そして、上条はそこで真剣な表情を作り、御坂に向かって、覚悟を決めて言った。

 

 

妹達(シスターズ)を、学校に通わせようと思う」

「――――え」

 

 

 御坂は呆然とする。そして、その言葉を理解した時、立ち上がって慌てだした。

 

「え!? ちょ、だって――――アンタ、正気なの!?」

「ああ。そこで、御坂に頼みがあるんだ」

 

 上条は立ち上がった御坂を見上げるようにして、真っ直ぐに言い放った。

 

 

「彼女達に、名前を贈ってほしいんだ」

 

 

 今度こそ、御坂は動きを止め、硬直する。

 

 御坂は、胸の中から不思議な感情が湧き起こってくるのを感じた。

 

 

「……名前? この子達に、私が?」

「ああ。学校に通うとなると、仮でも名前や戸籍がいる。多少強引だけど、こいつ等は御坂の一年年下の五つ子の妹ってことにしようと思うんだ。で、打ち止め(ラストオーダー)は少し歳の離れた末っ子の妹ってことで」

「そういうことなので末っ子、ちょっとパン買ってこいや、とミサカは姉妹の上下関係を知らしめます」

「むぅ~~~!! ミサカは上位個体なのに!! ってミサカはミサカは見た目っていうハンデキャップに嘆いてみたり」

「こら、まだ上条様のお話の途中ですよ」

 

 00005号と打ち止め(ラストオーダー)のじゃれ合いも、それを窘める縦ロールの声も、御坂には届いていないようだった。

 

 ゆっくりと掠れるような声で、御坂は上条に問いかける。

 

「……そ、そんなこと、本当に出来るの?」

「入学の方は、親船さんの権限で何とかしてくれるそうだ。……もちろん、見た目とかの面で、御坂の方にもいろいろ言われると思う。だから、この話は御坂の許可をとってからと思っていた。……どうだ? 了承してもらえないか?」

 

 上条が、御坂を気遣うような声色で問いかける。

 

 00005号も、打ち止め(ラストオーダー)も、縦ロールも、口を閉じて御坂の言葉を待った。

 

「――な、なんで、私なの?」

 

 御坂の言葉は、涙声のように震えていた。

 

「だって、私は、何も知らなくて……。アンタ達が戦ってたことも……妹がいるなんてことも知らなくて……何も出来なくて……この子たちにひどいことも言って……それなのに」

 

 御坂は、ついに涙を零しながら――――懺悔するように、言った。

 

「――私なんかが、この子達に名前を贈るなんて……」

 

 その時、一人の妹達(シスターズ)――00001号が、御坂の事を、優しく抱きしめた。

 

 抱擁した。

 

「ミサカは、お姉さまから名前を頂きたいです。とミサカは所望します」

 

 御坂は目を見開く。

 

 自分と全く同じ姿形の妹達(シスターズ)。そんな存在に抱き締められているのに、全く嫌悪感はなかった。

 

 彼女達を初めて見たときのような、生理的恐怖は、最早微塵もなかった。

 

 温かい。本当に、彼女達は温かかった。

 

「ミサカ達は、お姉さまのことをまったく恨んでいません。とミサカは当然のことを言います」

 

 そして、さらに続いて00002号が、御坂を優しく抱き締める。

 

 自分が食蜂にされた時のように、優しく、包み込むような抱擁を。

 

「なぜなら、お姉さまがあの日、DNAマップを提供してくれたおかげで、ミサカ達はこうして生まれてくることが出来たのです。とミサカは感謝します」

「ミサカ達は、誰一人として殺されていません。とミサカは自分達の無欠っぷりをアピールします」

「そして、お姉さまは言ってくださいました。とミサカはここばかりは真面目に決めます」

 

 00003号、00004号、そして00005号が、御坂を慰めるように周りに集まる。

 

 

「ミサカ達のこと、妹だって! すっごく嬉しかったよ! ってミサカはミサカは上位個体らしく決めセリフを掻っ攫ってみたり!」

 

 

 そして、00001号と00002号の肩に飛び乗るようにして、打ち止め(ラストオーダー)が満面の笑みで、御坂に言った。

 

「――あ」

 

 

――だって、私は、何も知らなくて……。アンタ達が戦ってたことも……妹がいるなんてことも知らなくて

 

 

 そうだ。自分はごくごく自然に言っていた。

 

 

 彼女達のことを、妹だと。

 

 

 心の中で、気が付いたら認めていた。

 

 

「おのれ、ミサカが言うはずだった決め台詞を、末っ子の分際で。とミサカは憤慨します」

「や~い、や~い、捕まえてみろ~! ってミサカはミサカは己のコンプレックスの身体の小ささを活かして逃亡を企ててみたり~!」

 

 

 目の前で明るくはしゃぐその姿は、まさしく子供で。

 

 

 己と同じ姿形をしていても、全然違う一つの命で。

 

 

――お姉さまがあの日、DNAマップを提供してくれたおかげで、ミサカ達はこうして生まれてくることが出来たのです。とミサカは感謝します

 

 

 そして、自分と同じDNAを持つ、同じ血が流れている。

 

 

 御坂美琴(わたし)妹達(いもうとたち)なのだ。

 

 

 御坂は、00005号と打ち止め(ラストオーダー)のはしゃぎあいを眺めている00001号を、後ろから、彼女の背中に顔を埋めるようにして抱き締める。

 

「? お姉さま?」

 

 

 

「……ありが……とう」

 

 

 

 こんな私を、姉と呼んでくれて。

 

 

 

 震えながら、押し殺したように言葉を漏らす御坂(あね)に、00001号(いもうと)は何も言わず、背中を貸し続けた。

 

「あ~~!! 00001号ずる~い!! ってミサカはミサカはいい雰囲気に乱入してみたり!」

 

 やがて元気いっぱいの打ち止め(すえっこ)に見つかり、そこに00005号が、そして他の妹達(シスターズ)が、御坂の元へ一斉に集まった。

 

 

 上条達はそっと部屋の片隅に移動して、その様を優しい眼差しで眺めていた。

 

 

 仲良くじゃれあうその光景は、しあわせそうな姉妹以外の何物でもなかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あ、私、これから毎日ここに来ることに決めたから」

「え、は、う、ええ!?」

「ちょ、ちょっと御坂さん!? 何言ってるのぉ!?」

 

 その後、しばらくして。

 何か吹っ切れたような表情をした御坂は、上条に向かってそんなことを言い放ち、傍にいた食蜂が分かりやすく狼狽えた。

 

 今、目の前では四人の妹達(シスターズ)と縦ロールがガールズトークをし、打ち止め(ラストオーダー)一方通行(アクセラレータ)とじゃれあっている。

 そんな様を少し離れた場所で、上条と食蜂、そして御坂と00001号が眺めていた。

 

「だって名前よ、名前。そんな気軽につけていいものじゃないし、やっぱりその子を表すしっかりしたものをつけたいじゃない? なら、しっかりとあの子たちのことを知りながら考えたいわ。学校に通うのも、どうせ二学期からでしょ。それに夏休みだし」

「そ、それはそうだけど……でも、白井がなんていうか」

「どうせ黒子はこの夏休みも風紀委員(ジャッジメント)で忙しいわよ。それにここに来れば佐天さんとも、インデックスとも会えるしね」

「あ、あらぁ、御坂さん。常盤台のエースともあろうお方が、夏休み中、殿方の家に入り浸るのは如何なものかしらぁ?」

「何を言ってるの食蜂? 私は妹と友達の家に遊びに来るだけよ。たまたま、その間に殿方の家があるだけよ」

「ぐぬぬぬ」

 

 御坂のふふんという笑みに、食蜂が女王に相応しくない表情で悔しがる。

 

 食蜂はこの時、大分長い過去編を挟んだので忘れていたが、上条の家に上がることが出来るという、長年自分(達)だけが持っていたアドバンテージをなくしたことに気付いた。

 

 御坂が言った通り、これからは佐天はお隣だし、白井も初春も御坂のように何かと理由をつけてこの家を訪れるようになるだろう。

 

 どんどん自分のアドバンテージが減っていく。その事に焦りを覚えるいまだ想い人を下の名前で呼ぶことが出来ない乙女な女王、食蜂操祈。

 

(だ、大丈夫よぉ! なんせ、上条さんと一番付き合いが長いのは私なんだからぁ!)

 

 己を鼓舞することが出来る理由づけが付き合いの長さだけになるのは幼馴染ヒロインとしてはかなりやばい黄色信号なのだが、果たしてこの傲岸不遜ながらも初恋に奥手な女王は気づくことが出来るのだろうか。

 

「これからは、たくさんお姉さまと会えるのですか? とミサカは沸き立つ心を押さえながらウキウキで問いかけます」

 

 御坂は無表情ながらもどこか瞳を輝かせる00001号(いもうと)の頭を、優しい眼差しと共に撫でる。

 

「……ええ。これからは、出来るだけ会いに来るわ」

 

 その姉妹の微笑ましい一幕を、上条は優しく見つめる。

 

 こんな光景を見るために、己は右拳を振るったのだと、満たされるような気持ちになる。

 

「そういえば、この子達はどこの中学に通うの?」

 

 御坂がそう上条に問いかける。

 上条はそういえば言ってなかったと思いながら「この話は佐天達もいる所で話そうと思ってたんだけど」と話し始めた。

 妹達(シスターズ)に関する話で佐天の名前が出てきたことに首を傾げる御坂に、上条はその答えを言った。

 

「五人の妹達シスターズは、00001号と00002号が強能力者(レベル3)で、残りの三人が異能力者(レベル2)なんだ」

「へぇ、そうなの」

「ちなみに打ち止め(ラストオーダー)強能力者(レベル3)な。そんなわけで、五つ子として一つの学校に編入させるよりも、二人と三人で別々の学校に行かせる方が、混乱が少ないと思うんだ。もちろん、双子なのかとか聞かれたら五つ子と答えるようにはする。街中で五人とかで歩いてる時に見つかって騒ぎになるのは面倒だからな。それでも、いきなり五つ子として編入するよりは、まだ受け入れやすいと思う」

「まぁ、双子や三つ子ならまだしも、五つ子ってなかなかいないわよね。もちろん、いることはいるんでしょうけど」

「ああ、そんなわけでだ――」

 

「――00001号と00002号には“常盤台中学”。00003号と00004号と00005号には“柵川中学”に編入してもらおうと思ってる」

 

 上条の言葉に、御坂が一瞬呆気にとられ、驚愕を示す。

 

「え、常盤台(うち)!?」

「ああ。これは、親船さんとも話し合って決めたことだ」

 

 上条は御坂の驚愕を織り込み済みであるという風に、話を続ける。

 

「常盤台中学なら、お前や食蜂――超能力者(レベル5)が学校内でサポートが出来る。これは柵川中学も同じだ。日常生活を送ることが出来るとはいえ、やっぱりまだまだ妹達(シスターズ)のみんなは常識知らずだ。彼女達のことを知っていて、サポートしてくれる存在が必要だからな」

「……そうね。確かに」

「それと、護衛という理由もある」

 

 上条はそこで、語気を鋭くして御坂に言い含める。

 

妹達(シスターズ)は、超電磁砲(おまえ)のクローンなんだ。それだけで、利用しようとする奴等は必ず現れるはずだ。絶対能力進化(レベル6シフト)とは関係がなくてもな。そんな時、超能力者(レベル5)のお前達が傍にいれば、それだけで抑止力になる」

「……佐天さんや初春さん――柵川中学の方はどうするの?」

「それは、一方通行(アクセラレータ)が見張ってくれている。柵川はこっから近いし、実質今の一方通行(アクセラレータ)はニートみたいなもんだからな。一日中暇してるし」

「かァァァァみじょうくゥゥゥゥン!!!! 愉快な戯言がきこえたンですけどォォォォ!!!」

「ちょ、アクセラさん!? こんな室内でベクトルを操作しないで!! ぎゃぁぁぁ!!! 不幸だぁぁぁあああ!!!」

 

 その様を呆れたように見ていた御坂は、ちょいちょいと袖を引かれる方を見ると、00001号が御坂の方を見つめ、そして――

 

「――ミサカは、お姉さまと同じ学校に通えるのですね。とミサカは期待に胸を膨らませます」

 

 無表情ながらも、やはりその瞳はどこか輝いてみえて。

 

「……そうね。私も嬉しいわ!」

 

 どうしようもなく、その姿が愛しく感じた。

 

 

 

 

 

「……御坂さぁん。ちょっとシスコン発症してない?」

「ちょっ! ばっ! 何言ってんのよアンタは!!」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 あの後、さすがに帰らなくてはまずいだろうということになり、上条は御坂を寮に送り届けていた。

 

 食蜂は最後まで食らいつこうとしていたのだが、今日くらいは御坂と一緒に行かせてあげるべきだろうと縦ロールが食蜂を押さえつけたのだ。

 

 その際に、御坂と縦ロール、共にゲコ太を愛するゲコラー同士のアイコンタクトによって、見事なコンビネーションがなされていた。縦ロールの主君への忠誠を揺るがすとは恐るべしゲコ太。

 

「もうすっかり日が沈んでも蒸し暑くなってきたな」

「しょ、SHOWねっ!」

 

 帰り道、お互いの間に会話はなく、というより上条はちょくちょく思いついたことを呟いて沈黙をなくそうとするのだが、御坂はなぜかテンパって意味の分からない返しをし、会話が全然生まれない。

 

 やがて、全く無意味な時間を浪費し、御坂の暮らす常盤台の寮が見えてきた。

 

 御坂は大きく深呼吸をし、真っ赤に染まった頬をパァン! と両手で叩いた。

 

「ど、どうした御坂!?」

「か、蚊が止まったのよ!」

「両頬に同時に!?」

「うっさい、黙りなさい、焦がすわよ!」

「なんで!?」

 

 御坂は大きく深呼吸をし、そして、ついに意を決して、言った。

 

 

「アン――いえ、上条当麻!!」

 

 

 そして、御坂は両手を膝に着け、勢いよく頭を下げる。

 

 

 

「ありがとう!!――――私の妹達を、助けてくれて!!」

 

 

 

 上条は、純粋に驚いた。

 

 

 悪い奴じゃないことは知っていた。優しい奴だとは分かっていた。

 

 

 それでも、どこか素直じゃないこの少女が。

 

 変に意地っ張りで、超能力者なのに子供っぽいこの少女が。

 

 

 自分に向かって、上条当麻に向かって頭を下げて、こんなにも真っ直ぐにお礼を言うなんて。

 

 

 言うことが出来るなんて。

 

 

 御坂は、頭を下げたままなおも続けた。

 

 

「もし、アンタが実験を止めてくれなくて……何人もの妹達(シスターズ)が犠牲になっていたら、きっと私は、自責の念で壊れてた。……あの子達の姉だなんて、絶対に名乗れなかったと思う」

 

 

 そんなことはない、と上条は叫びかけた。

 

 

 確かに“前の”世界において、一万人以上の妹達(シスターズ)が犠牲になってしまったあの世界において、御坂は本当に追い詰められた。

 

 絶対に敵わない一方通行(てき)に殺されることで実験を止めようなどと血迷ってしまうくらい、御坂は壊れかけた。

 

 

 それでも、御坂美琴はそんな軟な少女ではない。

 

 

 最後には、あの学園都市最強の前に、妹を守る為に立ち上がり、立ち塞がり、堂々と、この子は自分の妹だと、言ってのけることが出来た、そんな強い少女だった。

 

 

 だが、そんな上条のおせっかいなど吹き飛ばすように、御坂は勢いよく顔を上げる。

 

 

 それは羞恥故か、それとも決心の強さ故か、この夜の暗さの中でも真っ赤に染まっていると分かる顔で、表情を凛々しく変え、上条に向かって宣言するように言い放った。

 

 

 

「私は、これからあの子達を守り続ける! 二度と、あの子達の悲劇を見逃さない! 見過ごさない! それが、あの子達の“姉”として、私が一番誇れる生き方だから!」

 

 

 

 上条は、その宣言を聞いて、口を大きく開いて呆気にとられ――そして、ふっと笑みを浮かべた。

 

 

 やはり、御坂美琴は強い少女だ。

 

 

 凛々しく、カッコよく、そして美しい。

 

 魂が、心が美しい。誰よりも真っ直ぐな心を持つ、光の世界の超能力者(レベル5)

 

 

 きっと彼女なら、誰よりも立派な“姉”となるだろう。

 

 

 上条は口を開いて、頑張れと言おうとした――が、それは何かが、少し違う気がした。

 

 

「――そうか。頑張ろうぜ、御坂!」

 

 

 そうだ。御坂だけじゃない。

 

 

 俺も、一緒に守りたい。

 

 

 あの無垢なる少女達が、しあわせになっていく道のりを、この右手で切り開いてやりたい。

 

 

 そんな思いを込めて、御坂のことをじっと見据えると、色々と限界だったのか、御坂は真っ赤な顔をさらに真っ赤にして。

 

「じゃじゃじゃじゃそういうことだから!! ま、ままままままま」

「落ち着け落ち着け、御坂、なんかよく分からねぇがとりあえず深呼吸しろ」

「うっさい! 落ち着いてるわよ! 焼き焦がすわよ!」

「理不尽!」

 

 御坂はそのまま上条の横を通りすぎていく。

 

 そして、去り際に――

 

 

「――またね」

 

 

 と、呟きながら、寮のエントランスへと駆けて行った。

 

 その後ろ姿が消えるのまで見送って、上条は大きく息を吐く。

 そして、常盤台の寮に背を向けて帰っていった。

 

 夜空を見上げると、星座に疎い上条でも知っている、夏の大三角が輝いている。

 

 

 まだまだ、上条の波乱の高一の夏休みは、始まったばかりだ。

 

 

 たまにはこんな夜空を眺めながらゆっくり歩くのもいいかな、なんて上条が思っていると――

 

 

 

『御坂ぁ!!! 貴様何時だと思ってるんだっ!!! 門限って言葉の意味をその身体に叩き込んでやろうかぁ!!!』

『い、いや、あの、これには深い訳が……黒子! 黒子ぉぉおおおおお!!!!』

 

 

 上条は後ろも上も向くことなく、ただ一心に前だけを見据えて、後ろから聞こえる絶叫から逃げるように夏の夜道を全力で駆け抜けた。

 




 これで妹達編は終わりじゃないよ! もうちっとだけ続くんじゃ!

 なんと、次回もエピローグです!
 妹達編のエピローグは上中下の三篇方式となります。

 ……どうしてこうなった(笑)


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エピローグ 少女達との再会。そして繋がっていく青春の物語。

 中編です! 今回は彼女達とのあれやこれやです!


 

 御坂美琴に絶対能力進化(レベル6シフト)に関する昔語りを行った、次の日。

 

「デート、デート! ヒーローさんとデート~! ってミサカはミサカははしゃいでみたり!」

「はは。おい打ち止め(ラストオーダー)、あんまり走り回るなよ」

 

 上条は打ち止め(ラストオーダー)に付き合ってお出かけしていた。

 

 ぶっちゃけ子守だ。

 

 

 この日は、昨日の宣言の通りに御坂が朝から上条家を訪れてなぜか同じくらい早く来ていた食蜂と一悶着を起こしたり、騒ぎを聞きつけたのかそれとも別口で遊びに来たのか佐天とインデックスも現れたり、ならばついでにと昨日のこととこれからのことも兼ねて白井と初春も呼んで妹達(シスターズ)と改めて顔合わせしたりと、なかなか賑やかだったのだが、あまりに賑やかすぎて夜型ニートな第一位がキレた。

 

 結局彼女らはみな上条家を(なぜか住人のはずの上条も纏めて)追い出され、しょうがなく隣の佐天家へと場所を移すこととなったのだが、ここで遊び盛りの打ち止め(ラストオーダー)が外に遊びに行きたいとごねだしたのだ。

 

 けれどまだ白井達に詳しい事情を話終えていなかったので上条はどうしたもんかと苦笑いだったのだが、そこで食蜂がそっと助け船を出してくれた。

 どうせ長い話になるのだから、自分がそれを代わりに話すので、その間は打ち止め(ラストオーダー)に付き合ってあげたらどうかと。

 

 ここ最近、上条は中々忙しかったので、妹達(シスターズ)そして打ち止め(ラストオーダー)の世話をずっと一方通行(アクセラレータ)に押し付け気味だったし、上条自身にも気分転換が必要だろうという、食蜂の配慮だった。

 

 上条はそれを了承し、こうして打ち止め(ラストオーダー)と久方ぶりの平和な時間を過ごしているというわけである。

 

(後で他の妹達(シスターズ)とも話す時間を作らなきゃな……)

 

 楽しそうにはしゃいでいる打ち止め(ラストオーダー)を見ているだけで、上条はここ最近の疲れが溶けていくのを感じていた。微笑ましげに細める瞳は穏やかな父性を感じさせる。

 

 ちなみに打ち止め(ラストオーダー)はちゃんとしたそれなりのお洒落な可愛らしい子供服を着用している。

 退院後、はじめてのお出かけの時に、なぜか上条のYシャツのみといういろんな意味で危なすぎる格好で外の世界に飛び出そうとしたときは、上条と食蜂は全力で止めたものだ。

 

 たまの日曜日を家族サービスに使う全国のお父さんもこんな気持ちなのだろうかと、上条がゆったりとした足取りで打ち止め(ラストオーダー)の後ろを歩いていると――

 

「わっ!」

「にゃっ!」

 

 どんっ! と、打ち止め(ラストオーダー)が対向歩行者とぶつかってしまう。どうやら相手も子供だったようで、お互いに尻餅をついてしまった。

 

打ち止め(ラストオーダー)っ!」

 

 上条は急いで駆け寄る。どうやら怪我はないようだった。

 

「いたた……ってミサカはミサカはちょっと反省してみたり」

「まったくだ。少しは落ち着け」

 

 よっ、と打ち止め(ラストオーダー)の脇に手を入れ立ち上がらせる。

 

「ごめんな、大丈……夫……か……?」

 

 そして、ぶつかってしまった子に謝ろうと目を向けると――

 

 

「……にゃあ、大体、お姉ちゃん、痛い……」

「もう! 何やってんのよ、フレメア! 結局、前を見ないで走り回るからこうなるって訳よ!」

「そうよ、フレメア。後先考えずにその場のノリで生きてたらフレンダみたいになるわよ」

「ですね。その時になって後悔しても超手遅れです。超フレンダです」

「ちょっと!? オフの日くらい姉の威厳ってものに気を遣ってよ!?」

「大丈夫。私はそんなせめてフレメアの前でくらいはいい恰好をしたいフレンダを応援してる」

 

 打ち止め(ラストオーダー)とぶつかったのは、フワフワの金髪にベレー帽をかぶったフランス人形のような、おそらくは(外見)年齢は打ち止め(ラストオーダー)と同じくらいの十歳前後の少女。

 

 そして。そしてそして。

 

 その後ろからぞろぞろと現われたのは、その金髪少女と瓜二つの見覚えのある少女と、茶髪で白のTシャツにノースリーブの赤のパーカーともうそれ下着なんじゃねぇのってくらいの足の付け根ほどしか丈のないショートパンツのこちらも見覚えのある少女と、上はくたびれたよれよれのTシャツに下はピンクのジャージのやっぱり見覚えのある少女と、ボディラインが下品にならない程度に強調される紫色の服を着たウェーブのかかったロングヘアの忘れたくても忘れられない見覚えしかない美女。

 

 

「あ」

「げ」

「ん?」

 

 ぶっちゃけ『アイテム』の皆さんだった。

 

「……チッ」

「…………」

 

 そして、目が合うなりいきなり絹旗に舌打ちをされた上条はちょっと傷ついていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 なんだこれは? と絹旗最愛は思った。

 

「だから絶対にハンバーグセットこそファミレスメニューの王道にして至高なの! ってミサカはミサカは何もわかっていないお子様なあなたに宣言してみたり!」

「にゃあ! 大体、お前こそ何もわかってない! このフワフワのオムライスこそが真のファミレスの頂点にして帝王なのだ!」

 

 場所はいつものファミレス。

 

 アイテムのみんなでたまのオフの日や、仕事前や仕事終わりに集まったりするいきつけのファミレスの、いつもの六人用のテーブル。席順としては一番奥の窓際の席に滝壺、その隣に自分。そして自分の向かいにはフレンダ、その隣――滝壺の対面の向こう側の窓際の席に麦野といつもの配置。

 

 そして、フレンダの隣にフレメア。まぁ、これはいい。たまにあることだ。

 ある時、偶然が重なってアイテムのメンバーに存在が露見した、フレンダの妹のフレメア。フレンダは複雑な表情をしていたが、バレてしまった後はこうしてたまにオフの日に集まるときに、家で一人寂しい思いをさせるよりはとフレンダが連れてきたりするようになった。

 そんなことは昔のフレンダ――昔のアイテムではありえなかっただろう、などと絹旗は考えて、すぐにそんなことを考えている場合じゃないとその思考を振り払う。

 

 問題なのは、そのフレメアの対面――自分の隣に座り、テーブルに身を乗り出しながらフレメアと熱いファミレス談義を繰り広げているフレメアと同じくらいの年のアホ毛が特徴的な少女――幼女?

 

 こいつは誰だ。なぜ、アイテムの女子会に普通に混じっているのだ?

 

 そして、何より――

 

「ほら、ドリンクバー行ってきたぞ。さすがに七人分は多いな。初めてこのお盆使ったよ」

「遅いわよ、さっさと寄越しなさい」

「上条、一番サバ缶に合いそうな奴は?」

「ヒーローさん! ミサカはヤシの実サイダーがいい! お姉さまが好きなんだって! ってミサカはミサカは好奇心に突き動かされたり!」

「にゃあ、なんだ、飲んだことないのか? 大体、私はあんなものは三年生の時には卒業して――」

「はいはい、喧嘩すんな。打ち止め(ラストオーダー)、ファミレスのドリンクバーにそんなラインギリギリの飲み物は置いてない、ノーマルサイダーで我慢しろ。フレメアはオレンジな。って、サバ缶に合う奴ってなんだよ……ウーロン茶でいいか? で、麦野さんはアイスティーでいいすか? で、滝壺さんはどうします?」

「……なんでもいい」

「じゃあ、とりあえずアイスコーヒーで。そんで絹旗はなにがい――」

 

 

「ってか超何やってんですかアンタはぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!」

 

 

 絹旗最愛は激怒した。

 

 夏休みのファミレス。

 それなりに盛況だった店内は一瞬シーンと静まり返ったが、そこは学園都市。

 一秒後には何事もなかったかのようにそれぞれの会話に戻り、息を荒げた絹旗に上条は平然と話しかける。

 

「なんだ、ドクターペッパーは好きじゃなかったのか? なら、こっちのメロンソーダを――」

「超そういうことじゃないんですよ! どうしてアンタがここに――ってか、なんでドリンクバーにドクペが!? これも相当な超ギリギリドリンクでしょう!?」

「嫌なら俺が飲むけど」

「貰いますよ! 超大好物です!」

 

 この我が道を行くC級感がたまりません! と、絹旗が変なテンションで上条からドリンクをひったくると、麦野が鬱陶しそうに、フレンダが心配そうに声を掛ける。

 

「うるさいわねぇ、絹旗。久しぶりの休日だからってはしゃいでるんじゃないわよ、フレンダじゃあるまいし」

「……大丈夫、絹旗? 暑いから、水分補給だけはしっかりした方がいいって訳よ」

「私!? 私が超おかしいんですか!?」

 

 なぜだ。なんで私がツッコミポジションなんかやらされているのだ? 本来、このポジションにはもっと相応しい世紀末帝王がいるはずなのに。

 

 混乱し過ぎて自分でもなんだかよく分からないことを考えてしまっている絹旗は、とりあえず上条が持ってきたドクターペッパーを口にする。氷を入れすぎることも入れ忘れることもなくばっちり絶妙な量を入れている心遣いが逆に憎たらしい。

 

「――って、なんでこっちに超座るんですか、アンタ!!」

「え? だって向こう側いっぱいだし」

 

 元々このテーブルは六人掛け。

 

 すでにアイテム+幼女コンビが座っている以上、上条はこうして絹旗の隣に座って――

 

「わ~い、ヒーローさんの膝の上~! って他の妹達(シスターズ)に露骨に自慢してみたり!」

 

――打ち止め(ラストオーダー)を膝の上に乗せてスペースを確保するしかない。

 

 はしゃぐ打ち止め(ラストオーダー)。グヌヌヌとなぜか妙な対抗心を燃やすフレメア。慣れないツッコミに疲労する絹旗。サバ缶に食らいつくフレンダ。文字通りの意味で電波を受信する滝壺。そしてこんな女子力の高いテーブルで悠々とメロンソーダを味わう上条。

 

 間違いなく、満員御礼のこの店内でも最も存在感のあるテーブルだった。

 

 

「――さて」

 

 

 そんな中、上条がドリンクバーを往復している間にフレンダと同様に堂々と飲食店に持参した自前の食物(シャケ弁)を完食した麦野が、箸を置いて、口角を吊り上げた笑いを向けながら、テーブルに肩肘を突いて、上条に語り掛けた。

 

 

「――久しぶりね、壊れ物のヒーロー」

 

 

 その麦野の言葉に、フレンダはごくっと(サバを)呑み込み、絹旗はドクペを吐き出しかけるが何とか耐える。

 

 フレメアと打ち止め(ラストオーダー)は可愛らしく首を傾げ、滝壺の感情はよく分からない。

 

 

 そして、上条は――

 

 

「――ああ。久しぶりだな、麦野さん。再会できて光栄だ」

 

 

――と、微笑んでみせた。

 

 

 それを見て、麦野は「――ふぅーん」と笑い、好戦的な笑みを深めながら続けた。

 

「――アンタは相変わらずみたいね。(こっち)の方にもちょくちょく青臭い武勇伝が流れてくるわ。あれだけ言ったのに、全く懲りてないみたいね。マゾなの?」

「いえいえ、上条さんは正真正銘のノーマルですのことよ。……そっちも相変わらずみたいですね、麦野さん。あれだけ言ったのに。マゾなんですか?」

「あぁん?」

「なんでもないです」

 

 麦野がとんでもない表情で睨み付け、上条は条件反射で謝罪した。

 

 そして何事もなかったかのように麦野が話を再開する。その目線は一瞬、打ち止め(ラストオーダー)へと向けられた。

 

「……それが、第三位のクローンってわけ」

「まぁ、その中でも特殊ですけどね」

 

 上条が打ち止め(ラストオーダー)の頭を撫でる。

 

 クローンと聞いてフレメアが首を傾げたが、それを察した上条が「打ち止め(ラストオーダー)、ここのドリンクバーにはソフトクリームもあるんだ。やってきたらどうだ?」と教え、目を輝かせた打ち止め(ラストオーダー)はフレメアの手を引っ張って楽しげに駆けていった。フレメアは戸惑っていたが、満更でもなさそうだった。

 

 その様子を上条が見送っていると、麦野が呟くように言った

 

「……正直、アンタが第一位に勝ったのは予想外だったわ」

「麦野さんにも勝ちましたけどね」

「黙れ、殺すぞ」

「すいません」

 

 本気で殺気を向けるのはやめて欲しいと上条は思った。

 

「――だが、それでも尚、学園都市の闇は、些かも衰えちゃいない。奴等にとって、アタシら“能力者”は、ただの駒で、ただの道具で、ただのモルモットに過ぎない。――それが、例え超能力者(レベル5)であろうとね」

 

 その麦野の言葉は、学園都市の闇にどっぷりと浸かり、それでもなお『アイテム』という組織を率い続けてきた者が放つ重みに満ちていた。

 

 フレンダも、絹旗も、ズシンと重たい何かが全身に圧し掛かるのを感じる。

 

「――それでもお前は、この学園都市の闇の底知らなさを思い知った今でも、あんな戯言を真顔で吐けるのか」

 

 麦野は上条を真っ直ぐに見据えた。

 

 その眼光で、上条の瞳を貫いた。

 

 

 上条は、間髪入れずに答えてみせた。

 

 

「――ああ。学園都市の闇は、絶対にぶち殺すさ」

 

 

 上条は、微笑んでいた。

 

 

 あの時のように絶叫するわけでもなく、ただ淡々と。

 

 

 それが当たり前のことのように、気負わず、堂々と。

 

 

 フレンダと絹旗が呆気にとられる中で、上条はなおも麦野に言う。笑いながら、不敵に言いのける。

 

「だから、早めに麦野さん達も再就職の為に就活でもしてた方がいいですよ。俺が闇をぶっ殺したら、うちの第一位みたいにニートになりますよ」

 

 その言葉には、ついに麦野も呆気にとられた。

 

 顔を俯かせ、くくくと笑いを零し、そして――

 

 

「――ははははっはははっはははははははっはははっはは!!!!」

 

 

 と、高笑いした。

 

 絹旗の時のように店内の注目が集まり静まり返ったが、なんだまたあのテーブルかと流され、今度の沈黙も短かった。

 

 麦野もそんな背景の反応などどうでもいいとばかりに思う存分笑い続け、息が整ったところで、再び上条に好戦的な笑みを向けて、言った。

 

「本当に救えない奴ね。一皮剥けても狂ってるなんて」

「別に俺は狂ってても、壊れてても、救えなくても構わないよ。あなた達が救われればそれでいい」

 

 二人は笑う。

 

 上条当麻と麦野沈利は、不敵に、好戦的に、笑みを交わし合う。

 

 フレンダと絹旗は、そんな二人をただ眺めていた。

 

 

「――行くわよ、アンタ達」

 

 

 そして、麦野は立ち上がる。

 

 それに慌てたようにフレンダが麦野に言った。

 

「む、麦野!?」

「ほら、アンタはあっちで馬鹿やってるフレメアを連れてきなさい。ったく、姉妹揃ってフレンダなんだから」

「どういう意味!? もう完全に私の名前が蔑称って訳よ!?」

「げ、打ち止め(ラストオーダー)まで何やってんだ。やってることが完全にフレンダじゃねぇか」

「アンタにまで言われるともう内輪ネタですらなくなってるって訳よ!?」

 

 うがー! と荒れるフレンダと一緒に上条は、ソフトクリームコーナーで一体どれだけの高さのソフトクリームを崩さずに作れるかという謎の勝負を繰り広げている二人のロリっ子を回収に向かう。

 

 その後ろ姿を眺めていた絹旗は、ふと麦野を見る。

 

 麦野は首に手を当て「ったく、最悪のオフだわ」と呟いているが、その顔には好戦的な、凶悪な微笑みを浮かべていた。

 

 麦野ともすでにそれなりの長さの付き合いになる絹旗は、麦野の機嫌が言葉ほど悪くないことを察した。

 

 そして、二人のロリっ子は店員さんに笑っていない笑顔で窘められ、店員さんはぐるんっと上条とフレンダの保護者コンビにその笑顔を向け、帰れと噴き出す黒いオーラで言外に告げた。麦野が言い出さなくても、どちらにせよお茶の時間はここで強制終了なようだ。

 

 そのままフレンダと何やら言い争いをしながら(フレメアは打ち止め(ラストオーダー)と言い争いをしていた)戻ってきた上条に、麦野は凶悪な笑みを携えたまま言う。

 

 

「またいつか会うでしょう。とびっきりどす黒い闇の中で」

 

 

 そしてそのまま先に店を出ようとして、首だけ振り返って言う。

 

 

 とびっきり凶悪で、とびっきり妖艶な笑みで。

 

 

「その時は、ぶ・ち・こ・ろ・し・か・く・て・い・ね♪」

 

 

 そして、そのままもう振り返ることなく、第四位はファミレスを後にした。

 

 

 その後ろを滝壺、絹旗、そしてフレメアが続いた。

 

 滝壺は眠そうにしながらも上条に小さく手を振り、フレメアは打ち止め(ラストオーダー)に牙を剥きながら去り際にいーっ!と威嚇した。この短時間でずいぶん仲良くなったものだ。

 

 絹旗は一度立ち止まって、鋭く上条を睨み付ける。

 

「…………」

「…………」

 

 だが、お互い何も言うことはなく、絹旗は先にファミレスを出た麦野達を追った。

 

 そして、その後に続こうとフレンダが歩き出す。

 

「……さて、それじゃあ、結局私も帰るって訳よ。……もうアンタも私達にはかか――」

「――待て」

 

 上条は麦野や絹旗達とは違って、フレンダのことは肩を掴んで引き留めた。

 

「な、なによ」

 

 フレンダはそのことに戸惑い、恐る恐る振り返って上条を見上げる。

 

 上条は、フレンダのことを真剣な瞳で見下ろしていた。

 

(……え? 何? まさかの私ルートって訳? あの流れじゃ普通麦野か絹旗じゃ…………け、結局私の美貌が何よりの罪ってわ――)

 

 フレンダは、何かを覚悟したように真っ赤に頬を染めてギュッと目を瞑った。

 

 そして上条は、右肩だけでなく左肩にも手を添えて、そしてはっきりと言い放った。

 

 

 

 

 

「――あいつ等の分もドリンクバー代払ってくれよな」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 フレンダ=セイヴェルンは激怒した。

 

 必ず、あのツンツン頭のあん畜生に吠え面をかかせてやると決意した。

 

 

「あ~~~~~もう~~~~!!!! 絶対いつかアイツぎゃふんと言わせてやるって訳よ!!!」

 

 

 フレンダは肩を怒らせながらずんずんと第十五学区を歩いていた。

 

 ひとりぼっちで。

 

 突然、五人分のドリンクバー代を請求されたフレンダは、もちろんファミレスのドリンクバーなのでそこまで高いわけではなかったが、アイテムのフレンダのポジション的に会計を待ってくれてるとかそんなことはやっぱり全然なかった。

 

 普通に置いてかれていた。麦野や絹旗ならまだしも、普通に最愛の妹にも置いてかれてた。

 

 おかしい。私の妹がこんなに薄情なはずがない。

 

 なんかだんだん麦野達に染まってきた気がする。これだから絶対に麦野達にフレメアのことは知られたくなかったのに。

 

 

(……別にそういうわけじゃないか)

 

 

 フレンダは冷静になり、頭の後ろで手を組みながら、オシャレスポットである第十五学区を歩く。

 

 別にフレンダの秘密主義はいまに始まったことではない。

 それがたとえ命を預ける同僚でも、たった一人の家族の妹にさえ、フレンダは多くのことを隠している。

 

 アイテムのメンバーに妹の存在を隠していたり、フレメアに自分が学園都市の暗部で働いていることを話していなかったり。

 

 いや、そんな重い事柄に限らず、もっともっと単純なこと。

 

 例えば、こうして仕事のないオフの日、フレメアが友達と遊んでいたりしていて自分の時間がとれる時、どこでどんな風に過ごしているのか、とか。

 

 

 どんな“友達”と、どんな“日常”を過ごしているのかとか。

 

 

 フレンダは歩きながら携帯端末を起動し、ふと気まぐれにメモリーを眺める。

 

 自分は、個人としてはそれなりに顔は広い方だとは思う。

 連絡先を知っている数は四桁に上る。

 携帯のメモリーに入っている数=友達の数という新時代の悪しき慣習に則るなら、自分は相当に友達が多い部類なのだろう。

 

 だが、断言できる。

 

 その中の誰一人として、本物の、真っ白で真っ新なフレンダ=セイヴェルンを知っている人間など、存在しないと。

 

 全員に何かしらの秘密を抱え、全員に何かしらの嘘をつき、全員に何かしらの隠し事をしている。

 

 もれなく全員だ。全員が全員、それぞれ違った『フレンダ=セイヴェルン』を見ているのだろう。

 

 そんなものが、はたして友達と呼べるのか?――などと考えて、らしくない、柄じゃないとすぐさま思考を断ち切る。

 

 あの男のせいだ。あのツンツン頭のふざけた輩のせいで、こんな自分らしくない考え事をし、知らず知らずの内にフレメアや麦野達と合流に向かうわけでもなく、第十五学区などに足を進めている。

 

 見えてきた。

 目的地は学園都市で最もおしゃれなスポットであるここ第十五学区の『中心地』――ダイヤノイド。

 

 その上層のマンションエリアは、莫大な財産と一緒にたくさんの知られたくない秘密を抱え込んでしまったVIP達が、最も欲する『安心』を提供する空間。

 

 その、ある意味で最もフレンダに相応しいその場所は、世界で唯一、フレンダが無防備になれるシェルターだ。

 

 その場所に、無性に行きたくなってしまった。

 

 あの少年に、今日ふいに出会ってしまったから。再会してしまったから。

 

 半年ほど前のあの日、フレンダは上条の言葉を、差し延ばされた手を弾いて、拒絶した。

 少年が語り掛けてきた言葉の内容自体は、確かにフレンダの心に届き得るものだった。

 だが、いかんせん、その言葉には重みがなかった。心に触れはしても、まるで響かなかった。逆に、己の心の大事な部分に不用意に侵入され、荒らされた気がしてすごく不快だったことを覚えている。

 

 そう、覚えている。少年が自分に――自分達に向かって放った言葉を、その一言一句を、不覚にもこの半年間、忘れずに記憶し続けている。

 

 そして、少年は結果を残した。あの第一位を撃破し、『木原』の企みを打倒した。

 

 さらに、今日再会した少年は、変わっていた。

 

 まるで生まれ変わったかのように、一皮剥けていた。

 

 あの麦野に真っ向から対峙し、微塵も揺らがなかった。

 

 その姿を見て、その言葉を聞いて――――まさか、揺らいだのか? この私が?

 

「……超、戯言って訳よ」

 

 だから、これは再確認だ。フレンダという存在が揺るがないように、鏡を見て、自分を見つめ直すのだ。

 

 あの部屋で。唯一自分が、きちんとフレンダになれる、あの場所で。

 

 明日からも、無数のフレンダを作る為に。その場に合った、その場に適したフレンダである為に。

 

 これが、それが――――フレンダ=セイヴェルンなのだから。

 

 

 その時、ふと前に人影が見えた。

 

 この十五学区という空気に当てられているのか、不安げにきょろきょろと回りを見渡す小柄な少年。

 

 セミロングの茶髪の髪が、真夏だというのにすっぽりと被った耳付フードからこぼれている。それと対比するように下は生足を出したショートパンツで、パッと見はまるで少女のようだ。

 

 その小学生か中学生の狭間くらいの外見年齢の少年は、フレンダ=セイヴェルンが見知った、四桁を超える携帯のメモリーのデータの一つに名を連ねる少年だった。

 

 あの日、あの時の言葉で、どうして自分は、あの無垢なる最愛の妹と同時に、彼の姿を思い描いてしまったのだろう。

 

 今まで会ったのは数度。フレメアと比べてはるかに交流は少なく、あの膨大なメモリーの知り合い達の中でも知り合い度のランキングは低い方の少年だろう。

 

「…………」

 

 フレンダは気が付いたら、少年の元へと歩み寄っていた。

 

 フレンダは少年の後ろから近づいているので、少年はまだ彼女には気づかない。

 

 まぁ、ここで会ったのも何かの縁だし、別に自分はコミュ障というわけでもないし、ましてや嫌いな相手であるとか全然そんなことではないわけだ。

 

 ……というか、友達。うん、友達だ。友人。ダチ公。フレンダ‘sフレンド。

 

 あの四桁メモリーの全員が友達とかはさすがに言うつもりもないけれど、目の前のこの少年は、間違いなく友達と言っていいだろう。少なくとも自分は、それくらいにはこの少年のことは気に入っている。

 

 なら、オフの日にばったりこうして街中で出くわしたら、挨拶くらいはした方がいいよね。

 

 うん、違いない。間違いない。QED、証明完了。

 

 フレンダはそんな自分の中の結論にうんうんと納得し――――素早く腰を落として、クラウチングスタートを決行した。

 

「かぁぁぁぁぁああああのぉぉぉぉぉおおおおおおちゃぁぁぁあああああああん!!!!!!!」

「きゃぁーっ!?」

 

 大好きな友達に思わず全力疾走して飛び掛かって抱き締めたら、あろうことか悲鳴を上げられてしまった。

 

 なんてことだ。怖がらせないように、もっと積極的に愛を伝えねば。

 

「加納ちゃぁん! 会いたかったよ! 超会いたくて堪らなかったって訳よ! だからもっと触らせてもっと抱き付かせていっそ舐めさせてぇぇええ!!」

「きゃーっ! ぎゃーっ! ぎゃーっ!」

 

 なぜか少年の悲鳴が止まらない。加納はよく見たらなんだか瞳が潤んで震えていた。

 

 やべ、なんか興奮してきた。フレンダの中の何かのスイッチが入った。

 

 フレンダの手が涙目の少年の身体を淫靡に撫で回す。学園都市最強のオシャレスポットのオシャレストリートというバリバリのオシャレ屋外で。少年は頬を赤く染めて羞恥をじっと耐えた。

 

「ふっふっふっ。結局、加納ちゃんも男の子って訳よ。さぁ、お姉ちゃんと一緒にちょっとそこのダイヤノイドのマンションエリアまで行こうか。ぐへへ」

「ぎゃああああああああああああああっ!?」

 

 その後、その地区の優秀な風紀委員(ジャッジメント)がすぐさま駆けつけたので、加納の手を引いてフレンダは再びロケットスタートで逃げ出した。

 

 だが、そんなオフの日まで逃亡劇を繰り広げるフレンダは、とても楽しそうだった。

 

 その日、フレンダは加納神華を十五学区内の色々な店に引っ張り回し、時々スイッチが入りかけてその度にその地区の風紀委員(おまわりさん)と逃走中ごっこをしながら、騒がしい休日を過ごした。

 

 

 結局、フレンダの足が、その日ダイヤノイドに向かうことはなかった。

 

 

 こんな騒がしくも馬鹿馬鹿しい―――まるで青春を楽しんでいるかのような日常を、フレンダはその日、友達と過ごしたのだった。

 

 




 まだだ……まだ(エピローグは)終わらんよ……

 エピローグとはなんぞや。


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エピローグ 舞台の裏側。そして蠢き出す新たなる物語。

 これにて、妹達編、本当に終幕です。


 上条と打ち止め(ラストオーダー)はあのファミレスでの一幕の後、コンビニでアイスを全員分購入し、自宅に向かって帰路を歩いていた。

 

 そろそろ白井達にも事情を説明し終わった頃だろう。食蜂に押し付けてしまって申し訳ないと思っているが、あの話を語ることは上条にとっても相当にエネルギーを使うので、二日連続で話すことにならないで正直ほっとしているというのが本音だった。

 

 だからだろう。こうしてアイスを追加で買ってきたのは。上条の罪悪感の現れと言ってもいいかもしれない。

 

(後で食蜂にお礼しなきゃな……)

 

 彼女にとっても、決して軽い過去ではないのだ。

 

 それくらいあの事件は、多くの人間を巻き込んだ痛ましい悲劇だった。

 

 前をはしゃぎながら歩く打ち止め(ラストオーダー)の小さな背中を見ながら、ふと上条は思い返す。

 

 

 あの時、自分が一方通行(アクセラレータ)に負けていたら、今も実験は続いていたのだろうか。

 

『前の世界』で、自分が絶対能力進化(レベル6シフト)に巻き込まれたのが時期的にちょうど今頃なので、順当に実験が行われていれば、今頃はおよそ一万体の妹達(シスターズ)が殺されていることとなる。

 

 それは、間違いなく悲劇だ。

 

 だが、ふと思う。

 

 

 逆にいえば、およそ一万体の妹達(シスターズ)が、この世に生を受けていたということを。

 

 

 ピタッと、上条の足が止まる。

 

 それは、ずっと考えていたことだった。考えまいとして、どうしても考えてしまうことだった。

 

 上条は実験を食い止めた。妹達(シスターズ)が、本格的に量産される前に。

 

 結果、この世に生まれたのは、五人――打ち止め(ラストオーダー)を入れて、六人の妹達(シスターズ)

 

 

 それは、つまり――生まれるはずだった、19995体の妹達(シスターズ)――

 

 

――19995もの、尊い命を、奪ったということではないのか?

 

 

 上条当麻は、『前の世界』で、自分のせいで一万人もの妹達(シスターズ)を殺してしまったと嘆く御坂に、こう言った。

 

 

――お前がDNAマップを提供しなければ、彼女達は生まれることすらできなかった、と。

 

 

 皮肉にも、上条はそれを実現させてしまった。

 

 殺されるのは防いだ。――だが、その結果、彼女達は生まれることすらできなかった。

 

 それは、殺すよりも、よほど罪深いことではないのか?

 

 そんな想いが、そんな罪悪感が――そんな後悔が、事件からおよそ半年たった今でも、残り火のようにずっと心に燻っている。

 

 

 自分は、本当にあの事件を、ハッピーエンドに導けたのか、と。

 

 

「ヒーローさん」

 

 気が付いたら打ち止め(ラストオーダー)が、立ち止まり俯いていた自分を見上げるようにして目の前にいた。

 

 上条は少し驚き顔を上げるが、打ち止め(ラストオーダー)はまるでいたずらが成功したかのように無邪気に微笑み、そして可愛らしく首を傾げながら、上条に言った。

 

「ありがとう! って、ミサカはミサカは感謝してみたり」

「……ん? ああ、これか? 別にいいさ。ちょうど俺も食べたかったしな」

「む~、それじゃないよ、ってミサカはミサカはあざとく唇をすぼめてみたり」

 

 上条がアイスの入ったビニール袋を掲げて苦笑すると、打ち止め(ラストオーダー)がいかにも不満といった様子で頬を膨らます。

 

 じゃあ、何についてのお礼なんだ? とばかりに今度は上条が首を傾げると、打ち止め(ラストオーダー)はクスリと笑いながら上条から離れ、そして可憐に振り向き、花が咲くような笑顔で告げる。

 

 

「ミサカ達を、助けてくれてありがとう!」

 

 

 それは、これまで何度も彼女達から――とりわけ感情が豊な打ち止め(ラストオーダー)からは、何度も言われた言葉だった。

 嬉しくないわけがない。だが、あくまでも個人的な感情――野望といってもいいかもしれない、そんなものの為に拳を振るった上条としては、どうしてもむず痒いものだったのも確かだ。

 

 だが、この時は――思い悩み、後悔すらもしていたこのタイミングで、まるで見透かしているかのようなタイミングで告げられた、その満面の笑みの感謝は、上条の心をダイレクトに揺さぶった。

 

 思わず呆気にとられる。

 

 だが、その感情は染み込むように上条の全身に、まるで潤いを与えるかのように行き渡っていく。

 

 だから、上条も自然に、こう返していた。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)は、恥ずかしくなったのか、それとも嬉しくなったのか。

 

 くるりと再び前を向いて、一直線に走りだす。

 

 その様子に、上条は「危ないぞ。また人にぶつかるなよ!」と優しく声を掛けると、小走りでその後を追う。

 

 

 自分が、本当にハッピーエンドを掴めたのかは分からない。

 

 

 上条が目指した理想郷では、確かに一方通行(アクセラレータ)が二万体の妹達(シスターズ)を、二万個の命全てを助け出したのだから、もっとうまく出来て、もっとよりよい未来(けつまつ)に導くことが可能だったのかもしれない。

 

 

 自分はそこに、たどり着けなかったのかもしれない。

 

 

 だが、それでも、助けることはできたのだ。

 

 ありがとうと言ってくれる誰かを、助けることはできたのだ。

 

 

 なら、後悔だけは、もうしない。

 

 

 それは、今ああして楽しそうに笑っている彼女の笑顔を、否定してしまうことになるから。

 

 

 上条は、ギュッと右拳を握る。

 

 ならば次は、もっと素晴らしい未来(けつまつ)を。文句の言えないくらいのハッピーエンドを。

 

 必ず掴み取ってみせると、上条はそうこれからの未来に向けて誓った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そんな上条当麻の優しい日常を、その『人間』は空中モニターに映し出し、血のような(あか)い液体で満たされた巨大な試験官の中で、逆さまの状態に浮きながら眺めていた。

 

 

 その『人間』――アレイスター=クロウリーは、ヒーローの日常を、微笑みを浮かべたような表情で。

 

 

「……ご機嫌だな、アレイスター」

 

 そんな不気味な窓のないビルの一室に、一匹のゴールデンレトリバーが紛れ込んでいる。

 

 その犬は――否、『彼』は、当たり前のように試験官の中の『人間』に向かって語り掛ける。

 

 この異様な光景を客観視する存在のいないその空間は、学園都市の中でも、いやこの世界の中でも、最もスポットライトが当たらず、それでいて最も物語の中心でもある場所だった。

 

「それで、手筈はどうだ?」

 

 アレイスターはそのゴールデンレトリバーの質問には答えず、逆に質問を返した。

 

 その態度に特に気を悪くした様子でもない『彼』は、淡々とその質問に答える。

 

 

 

「今、検体番号(シリアルナンバー)20000号の妹達(シスターズ)を、この学園都市から“輸送”することが完了したとの連絡が入った。――――これで、全世界にアンテナを配備するという目的は達したな」

 

 

 

 その報告に、アレイスターはさらに笑みを深め「……そうか」と返した。

 

 ゴールデンレトリバーの彼も、そしてアレイスターも、ヒーローの――上条当麻の日常が映し出されているモニターへと目を向ける。

 

 

 ヒーローは知らない。自分が止めた事件が、そもそもアレイスターがこの目的の為に、そこからヒーローの目を逸らし、注目を集めるべく用意された舞台であったことを。

 

 

 その為に、一方通行(アクセラレータ)を一時期まったく彼に相応しくない仮の研究所に送り、上条当麻と接触させ、トラウマを植え付けたことを。

 

 

 そして、そのトラウマをトリガーとして、プランを大幅に進めて“黒翼”を発動しやすくするように、木原数多による“教育(かいはつ)”に注文をつけていたことを。

 

 

 

 アレイスター=クロウリーが、上条当麻の『逆行』に、気づいていることを。

 

 

 

「……ふん。おそらくは、あの“魔神”共の誰かの嫌がらせか何かだろうが。……まぁいい。おかげで、興味深いことも、『この世界』では起きている」

 

 そうしてアレイスターは試験官で浮いている状態で、当然コンピュータに一切触れることなくモニターを操作し――――三人の人物の画像を表示する。

 

 

 一人は、上条当麻――幻想殺し(イマジンブレイカー)をその右手に宿し、アレイスターの『プラン』の要を為す少年(ヒーロー)

 

 一人は、一方通行(アクセラレータ)――学園都市第一位の最強の能力者で、こちらもアレイスターの『プラン』の『第一候補(メインプラン)』を担う少年(ヒーロー)

 

 一人は、御坂美琴――学園都市第三位の光の世界の超能力者(レベル5)で、アレイスターの隠れたお気に入りの、秘めた可能性を持つ少女(ヒーロー)

 

 

 そして、アレイスターは一層笑みを深め、さらに二人の人物の画像を出現させる。

 

 

 一人は、黒い長髪に白い髪飾りの、何の変哲もない普通の少女(モブキャラ)――――だった、人物(キャラクター)

 

 逆行した主人公(ヒーロー)――紛れ込んだ異分子により、最も大きな影響を受けた存在。

 

 

 全く新しい可能性を得た――新たなヒーロー“候補”。

 

 

 

 そして、もう一人は、これまで“物語(ストーリー)”に登場していない人物(キャラクター)

 

 

 この世界に、本来存在し得ない人物(オリキャラ)

 

 

 否、本来、この世界に存在していた筈(・・・・・・・)の存在。

 

 

 ある意味で、最も『この世界』に――――この“物語”に、密接に関わる存在。

 

 

 それは――

 

 

 

「だが、それでは『プラン』に影響が出るのではないかね?」

 

 ゴールデンレトリバーである彼――木原脳幹は、そう尋ねた。

 

 

「問題ない。すでに修正済みだ」

 

 

 この部屋に存在するのは、一人の人間と、一匹のゴールデンレトリバー。

 

 

 そして、もう一人、ここには存在している。

 

 

 だが、それは言葉を語らない。ましてやこの状況を、一人と一匹のやり取りの客観視など出来るはずがない。

 

 

 その存在は――その少女は、アレイスターと同様に、一つの巨大な試験官の中に浮かび上がっていた。

 

 異なる点は、きちんと頭を上に足を下にした状態で浮かんでいることと、その頭や体中のそこらにコードが伸びていること――

 

 

――そしてそれが、幼い少女であることだ。

 

 

 数々の人物画像によって隠れているが、いまだリアルタイムで映し出されているヒーローの日常で、ヒーローの傍ではしゃいでいる、あの少女と瓜二つの存在が、今、物語の中心にして影であるこの空間に存在している。

 

「――検体番号(シリアルナンバー)20001号『最終信号(ラストオーダー)』は、プロトタイプである00001号から00005号のみのネットワークを束ねる、仮初の、いわばローカルネットワークの司令塔だ」

 

 そして、アレイスターによって秘密裏に製造されていた、00006号から20000号までの“正式な”妹達(シスターズ)、それらが作り出す、全世界に網を張り巡らせた広大なネットワーク――それらを束ねる別の司令塔が存在する。

 

 

 否、アレイスターが製造させた。

 

 

 本来の、妹達(シスターズ)の司令塔である、上位個体(ラストオーダー)

 そんな彼女よりも、更に上位に存在するのが、この試験官の中に揺蕩う少女。

 

 

 検体番号(シリアルナンバー)――――20002号。

 

 

「――『最上位個体(クイーンミサカ)』。これが手元にあれば、プランに大きな影響はない」

 

 

 学園都市の王者は、不敵に笑う。

 

 

 物語を影で操るその存在は、紛れ込んだ異分子(イレギュラー)さえも歓迎しているかのようだった。

 

 

 まるで、自らの脚本(シナリオ)をより面白くしてくれる存在を、迎え入れるかのように。

 

 

 

「私の『プラン』は揺るがない。それを証明してみせよう。――――魔神共よ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――ダァッ……!?」

 

 

 打ち止め(ラストオーダー)と歩く帰り道。

 

 上条当麻は対向者と肩がぶつかった。

 

 

 そう、肩だ。ぶつかったのは肩にも関わらず――――なぜか右手に激痛が走った。

 

 

 これがスキルアウト相手だったならばいつものことなのだが――そして全力の追いかけっこが始まるのだが――幸いにも、上条にとっては本当に珍しく幸いにも、ぶつかったのは気の弱そうな少年だった。

 

 上条は、ズキンズキンと痛む右手を訝しく思うも、右手にはやはり何の傷もなく、捻ったりもしていないようだった。

 

「ご、ごめんなさいすいません勘弁してくださいなんでもします許してください三百円しかもっていません!!」

「まてまてまてまて流れるように土下座をするな、何もしないから。――――ほら、立てるか」

「は、はい。……ありがとうございま――――――ッ!?」

 

 上条が差し延ばした左手を掴み、顔を上げた少年は、上条の顔を見て目を見開き驚愕する。

 

「……ん? どうしたんだ?」

 

 上条はそんな少年の様子に疑問を感じるも、少年は顔を俯かせ「……なんでもないです。ありがとうございました」と早口で言って、そのまま走り去ってしまう。

 

 上条はそんな少年の挙動に訝しいものを感じるも、自分を呼びかける打ち止め(ラストオーダー)の方へと向かっていき、少年に背を向けて歩き去った。

 

 

 

 

 

 そんな上条の背中を、ズキズキと痛む右手を押さえながら、その少年は眺めていた。

 

 

 その瞳には、さまざまな感情が宿っているようだった。

 

 

 尊敬。嫉妬。憎悪。

 

 

 そして――――憧憬。

 

 

「…………」

 

 

 くるりと、その眩しい光景(せなか)から、目を背けるように歩き出す少年。

 

 

 これが、上条当麻(かみじょうとうま)神定影(かみじょうえい)

 

 

 物語(ストーリー)の中心でスポットライトを向けられ、光の中をひた走る、選ばれし主人公(ヒーロー)と。

 

 

 その陰に埋もれ続ける、主人公(ヒーロー)に選ばれなかった――――『上条当麻』になれなかった少年(かげ)の。

 

 

 主人公(イレギュラー)が紛れ込んだこの“物語”における避けられない邂逅――――二人の“幻想殺し”の邂逅だった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 そこは、その男にとっての王国だった。

 

 瓦礫群に埋もれ、満足に屋根すらない廃墟。

 半年前、とある二人の少年の――学園都市最強の能力者と、学園都市最強の無能力者の決闘が行われた、元研究所。

 

 物語での役割を終え、忘れ去られたかのように修繕すらされておらず、無造作に放置されたその場所に、清潔感の欠片もない薄汚れた白衣を身に纏った男がいた。

 

 その男は、天井亜雄。

 

 かつて、シンデレラストーリーを夢見た渾身の計画を、たった一夜にして打ち砕かれた哀れな男。

 

 彼は血走った眼で端末を叩きつつ、時折不気味な含み笑いを漏らしながら、いまだ狂気に憑りつかれていた。

 

「ひ、ひひ、まだだ……まだ私は終わらんよ……一方通行(アクセラレータ)……そして、あの忌々しい風紀委員(ジャッジメント)の小僧を……必ず、必ずこの手で絶望させて見せるッ!!」

 

 そして、勢いよく端末のエンターキーを押し、唾を撒き散らしながら高らかに吠える

 

 

「――この、第三次製造計画(サードシーズン)妹達(シスターズ)でなぁッ!!!!」

 

 

 天井は両手を開き、薄汚れた白衣をはためかせながら、その存在の目覚めを歓迎する。

 

 

 

 

 

 半年前、瓦礫に埋もれながらも奇跡的に生還した天井を待っていたのは、自身の前人未到の大出世に繋がるはずのビッグプロジェクトの永久凍結の知らせだった。

 

 妹達(シスターズ)の損失。一方通行(アクセラレータ)の敗北、実験継続の拒否。

 そして、なぜか学園都市上層部が決定した、樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)による再演算の許可の剥奪。

 

 それにより、他の研究者達も実験継続を断念した。

 継続が困難だったということもあるが、何より上層部が樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の使用を許可しないということは、すでに上層部は実験続行を望んでおらず――見限られたということなのだから。

 

 だが、それに天井だけは納得できなかった。

 

 自身が心血を注ぎ、途方もない出世が約束された計画が、前人未到の偉業を成し遂げるはずの実験が、たった一夜にして夢物語に成り果てた。

 

 幻想を、完膚なきまでに打ち砕かれた。

 

 天井亜雄は、そんな悲劇に耐えられるほど、強い人間ではなかった。

 

 形式的に紹介された次の就職先を知らせるペラペラの薄い一枚のプリントをぐしゃぐしゃに丸めて地面に叩きつけた。

 

 絶望と憤怒に身を震わせた天井は、全ての元凶を一方通行(アクセラレータ)と上条当麻とし、自分を直接打ち倒した食蜂操祈のことすら眼中から外して、他の全てを投げ捨て、ただがむしゃらに復讐することを誓った。

 

 

 そうすることでしか、そんなことでしか、天井は前を向けなかった。

 

 

 

 そして、この半年間、天井はたった一人で戦い続けた。

 

 廃棄された研究所を幾つも渡り歩き、妹達(シスターズ)の製造方法から、学習装置(テスタメント)による教育のメカニズム、ミサカネットワークの構築方法の原理まで、かつて部下に指示を出すだけで己が関与していなかった分野の知識も貪るように漁り尽くした。

 

 たった半年でそれらの知識を全て身に着けたことから、天井は間違いなく天才と呼ぶべき人間の一人だったのだろう。

 

 それも一重に、壊れた人間だけが出せる狂気の力故なのか。

 

 

 だが、今日というこの日、天井の半年間の狂気は、ついに身を結んだことになる。

 

 

 何度も試行錯誤を繰り返した。

 

 学習装置(テスタメント)による教育を終えながらも、暴れる彼女を無理矢理試験管の中へと再び閉じ込め更なる肉体的成長を推し進めたりもした。

 

 

 天井が求めるのは、復讐の為の兵隊だった。

 

 

 断じて、一方通行(アクセラレータ)の成長の為の兵糧に過ぎなかった、前回のようなひ弱なクローンではない。

 

 

 あの最強のヒーロー達を打倒する可能性を持つ、精強な軍。

 

 

 その為に、天井亜雄は、妹達(シスターズ)を強化する必要があった。

 

 

 もっと強く、もっと恐く、もっと黒く――もっと、最低(ワースト)に。

 

 

 小奇麗な人形など必要ない。

 

 

 求めるは、ヒーローを打ち砕く悪役(ヒール)

 

 

 自身のどす黒い欲望を叶える、真っ黒な手先。

 

 

 物語から退場した一人の男が自分の為だけに作り出した、本来登場の予定はなかった、番外の個体。

 

 

 

「さぁ、生まれろ!! お前は番外個体(ミサカワースト)だ!!」

 

 

 

 プシューと音を立てて、天井が彼女の為に作った一回りサイズの大きい培養器が開く。

 

 中から不健康な黄色の培養液が漏れ出し、そこから全身を濡らした全裸の少女が姿を現す。

 

 その姿は、すでに少女と呼ぶにはあまりにも妖艶だった。

 

 これまでの妹達(シスターズ)よりも数年歳を重ねたような、少女よりも女という言葉が相応しいかもしれない、高校生くらいの外見年齢の彼女。

 

 

 ごくり、と。天井は生々しく唾を飲み込む。

 

 自分が作り出した生命体に、思わず天井は目を奪われるのを感じた。

 

 

 その大きな胸、なめらかなくびれ、張りのある臀部、水分を弾く瑞々しい肌。

 

 

 自身のどす黒い復讐心を遂げる為に、尋常ならざる狂気にものを言わせて作り上げた彼女に、あろうことか天井は、ついに宿願を果たせる歓喜よりも、雄としての性的興奮を真っ先に感じた。

 

 自分が材料から作り上げた兵士に、欲望に染まった下卑た感情を向けた。

 

 

 それを受けて、全裸の生まれたての少女は露骨に表情を歪めた。

 

 

「――それで、あんたがおとーたまってことでいいのかな?」

 

 

 不快な感情を一瞬で引っ込めて、仮面のような無機質な笑みを浮かべて、番外個体(ミサカワースト)は天井に言った。

 

 試行錯誤の末に完成した彼女は、すでに学習装置(テスタメント)による教育は重ねて受けていた。

 知識をインプットして、さらにそれを部分的に削除し別の知識を植え付ける。

 そんなことを繰り返した彼女の感情面は、天井にとって幸か不幸か、いい具合に歪んでいた。

 

 彼女の言葉に、茫然としていた天井は我を少し取り戻す。

 

「……あ、ああ。私が君を作った……君のご主人様だ」

 

 だが、その天井の言葉には、威厳や、ましてや狂気のようなものも残っておらず、ただ彼女に邪な感情を向ける、愚鈍な男のものでしかなかった。

 

 いまだ天井の目線は、彼女の豊満な胸や、美しい肌、そして剥き出しの秘部に注がれている。

 

 天井の理性は、この調子で番外個体(ミサカワースト)を量産し、最強の兵隊を作り出すのだと喚いているが、すでに欲望が描く未来予想図は、目の前のこの美女を無数に侍らせ、自分のこの手で思うがままに蹂躙することで埋め尽くされていた。

 

 これが、この男の限界だった。

 

 番外個体(ミサカワースト)を作り出す。その偉業を成し遂げたことにより、この半年間ずっと限界ギリギリに張り詰めていた天井の狂気は、完全に使い果たされた。

 

 本来、復讐心などというものは、心に凄まじく負担をかける。

 

 ただ保つということだけで、常人には果てしない重荷となるのだ。

 

 壊れてしまった男は、皮肉にも、自身が作り出した番外個体(ミサカワースト)によって、完全にただの凡庸な男へと成り下がってしまった。

 

 否、壊れた男は、自身が作り出した生命によって、凡庸な男へと“直る”ことが出来たのだ。

 

「――さぁ、君もいつまでもそんな恰好では寒いだろう。……温めてやるから、こっちにこい」

 

 天井は、そういって彼女に背を向け、いまだ残っている数少ない屋内スペースへと足を進める。

 

 良くも悪くも、今の天井亜雄は、雄の欲望に囚われた、ただの男でしかなかった。

 

 

 だが、そんな凡庸な男が、いつまでも役割を与えてもらえるほど、この物語は甘くなかった。

 

 

「ねぇねぇ、おとーたま。――――悪いけど、今は夏だよ」

 

 

 がす。っと、重い音が、倉庫内に響く。

 

 番外個体(ミサカワースト)の手から放たれた鉄釘が、天井の頭を貫いていた。

 

 

「自分で創った兵士(むすめ)に興奮しちゃうような変態(ちちおや)は、殺されちゃっても文句は言えないよね、おとーたま♪ ミサカ、反抗期でゴメンね」

 

 

 今度こそ、物語から決定的に退場した哀れな凡庸な男は、醜い驚愕の表情のまま、かつての自分の王国だった地にて、確実に死亡した。

 

 バチャ、バチャと、水たまりではしゃぐ子供のように音を立てて、黄色い培養液を踏みしめながら、番外個体(ミサカワースト)は穴だらけの天井から降り注ぐ日差しの下に移動した。

 

 白色の日光が、いまだ全裸の番外個体(ミサカワースト)の、濡れた肢体を美しく照らし出す。

 

 それは、薄汚れた倉庫内で、近くに無残な死体が転がっているにも関わらず、とても美しく神聖な光景であるかのように輝いていた。

 

 番外個体(ミサカワースト)は、生まれて初めて浴びる日光を受けて気持ちよさげに目を瞑りながら、愛おしそうに、散々脳髄にインプットされた、生まれる前からの仇敵の名を呟く。

 

 

「……一方通行(アクセラレータ)……それに、上条当麻、か」

 

 

 子供のように無邪気に、ヒーローを殺す為に生まれた少女は、呟く。

 

 

 

「早く会いたいなぁ……ミサカ、早く殺したい♪」

 




 一か月間、ありがとうございました! いやぁ、長くなるとは思ってましたが、ここまでとは……。綺麗にちょうど一か月でまとまりましたね。なんか嬉しいです。

 次は少し他の作品を進めたいので、またしばらく間が空くと思います。たぶん、次は来年になるかなぁ?

 でも、さすがに今回ほどは長くならないと思うので、なるべく早く帰ってこれるように頑張ります!

 次は、少し特殊なお話しになると思います。
 たぶん、主役は――食蜂操祈。
 上条が禁書目録編を戦っている間、どうやって木山春生の生徒達を助けだしたのか、その辺りを描ければと思っています。

 それでは次章――「乱雑解放編」(仮)でお会いしましょう。
 ※まだ書き始めてもいないので、内容は急に変更になる可能性もあります。もしかしたら上手いこと内容が浮かばず、御使堕しになるかもです。その時はご容赦ください。

 魔術サイド……遠いなぁ。


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御使墜し編
有給休暇〈なつやすみ〉


明日から君、来なくていいわよ。


御使堕し(エンゼルフォール)?」

 

 夏休みも終盤に差し掛かった、とある日。

 

 なんとか小萌先生特製の補習テストを一夜漬けで乗り切った上条当麻は、誰もいなくなった夕暮れの教室で、金髪サングラスにアロハシャツの男と机を挟んで話し合っていた。

 

 話題は、二周目の高校生活を送る上条が、一周目のこの時期に体験した、世界中を巻き込んだとある大魔術的事件について。

 

「――あぁ。なんだっけか、セフィロトの()? てのが関わってて……確か、天使を人間に下ろして、その天使の居た場所を空席にするっていう術式だった筈だ。その結果、世界中の人間の外見と中身がビリヤードみたいに連鎖的にランダムに入れ替わって――最終的には天使と戦ったりしたんだ」

「……なんというか……それだけで一本の神話が作れちまいそうなスケールの話だな。それを夏休みの宿題レベルでこなしちまう辺りが、カミやんらしいというかなんというか」

 

 開けた窓から身を乗り出すような形で座り込む土御門は「だが、冗談抜きでそんなレベルの魔術は、それこそローマ正教でも数年単位の綿密な準備をして、それでも成功する確率なんてほんの数%レベルの難易度の儀式が必要な筈だぜい」と言いながら、上条に向かって問う。

 

「そんな世界をひっくり返すレベルの、世界の仕組みを根本から変えちまうレベルの大魔術を成功させてみせたのは、一体どんな魔術師だったんだ?」

「俺の父親だ」

 

 は? ――と、不敵な笑みを崩さなかった土御門が、この時、初めて呆気に取られていた。

 上条は、そんな土御門の方ではなく、夕陽が落ちてきた窓の外を頬杖をつきながら眺めながら、感情の篭もらない声で続けた。

 

御使堕し(エンゼルフォール)を作動させたのは、俺の父親――上条刀夜(とうや)だったんだ」

「……まさか、カミやんの親父さんが魔術師だったとはな」

「いや、俺の父さんは魔術師じゃない。どこにでもいる、ごく一般的なド素人だ」

 

 はぁ? と、本格的に首を傾げ始めた土御門に、上条は大まかな真相をあらかじめ告げた。

 

 上条当麻の父――上条刀夜は。

 幼い頃から『不幸』な出来事に巻き込まれるが故に『疫病神』と呼ばれ続けた息子、当麻の為に。

 気休めとは知りながらも、世界各地に仕事で出向いた際に、ご当地のお土産や民芸品などの『オカルトグッズ』を買い集めていた。

 

 そして、最終的に三千を超える数となったそれらが、上条夫妻が暮らしていた一軒家の、それぞれ魔術的に絶妙な位置に()()()()配置された結果、上条夫妻が『海』へと赴いたことがトリガーとなって、『御使堕し(エンゼルフォール)』という前代未聞の大魔術を引き起こしてしまった――という顛末らしい。

 

「……なんというか、流石はカミやんの父親というべきなのかにゃ?」

「まぁ、俺も真相を知った際はなんだそりゃと思ったもんだが。実際にあの時はとんでもないことになってたんだぜ?」

 

 天使『神の力』をその身に堕とした少女――サーシャ=クロイツェフはミーシャ=クロイツェフと名乗り、天使の力を解放して元に居た『座』へと戻るべく、御使堕し(エンゼルフォール)の術者である刀夜を殺そうとしたり。

 その時、刀夜一人を殺す為に世界を焼き尽くす『一掃』を放とうとするなど、本当に世界の終わりに近い光景が繰り広げられた。

 

「それでも、カミやんはなんとかしたんだろう?」

「なんとかしたのは、土御門、お前だよ。父さんがやらかした御使堕し(エンゼルフォール)の真相を突き止めたのも、その儀式場になった俺んちをぶっ飛ばして解決したのもな。俺は何もしてない。……何も出来なかった」

 

 今、思えば。

 自分はあの事件の時、狼狽えるばかりで、本当に何も出来なかった。

 

 天使の力を発動して暴れたミーシャを止めたのも神裂火織だったし、事件の真相を暴き解決したのも前述の通り土御門元春だった。

 

 上条がやったことは、父親を害そうとした土御門の前に立ち塞がり、完膚なきまでにのされただけ。それも土御門が我が身を省みずに儀式場を破壊するのに魔術を使用しようとするのをどうせ十中八九止めようとするからという理由で動けなくされただけで――言ってしまえば、自分はプロとしての土御門の足を引っ張ることしかしていなかった。

 

 そんなことを言い訳がましくぽつぽつとこぼしていると「カミやん目線だとカミやんフィルターが掛かってるからにゃー。その辺りは信用出来ないんだぜい」と言ってからからと笑う。そして「――で? こんな時間にまで学校に残ってそんな話をしたってことは、これからその御使堕しが起こるってわけかい?」と言って窓枠から尻を退かして降りた。

 

「いや、さっきも言った通り、御使堕し(エンゼルフォール)は父さんが買い集めたオカルトグッズが、たまたまそういう配置になって発動した偶発的なもんだからな。当時の土御門曰く、下手に動かすともっと別のとんでもない効果が生まれるかもしれないってことだったから――“二週目(こっち)”に戻ってきてから、父さんにはもうそういうオカルトグッズを買い集めるなって言い含めてある」

 

 だから、あんなことはもう起こることはないと思うけどな――と、上条は鞄を手に持って席を立ちながら、土御門に言う。

 

「それでも、この間、父さん達からもうすぐ引っ越して新居に移り住むっていう連絡が来てさ。……それは前回にはなかったことだし、ちょっと嫌な予感がして。ないとは思うけど、一応、お前には『前』にこういうことがあったってことくらいは、耳に入れといてもらおうと思ってな」

「信頼されてるようで恐悦至極だにゃ~。カミやんの英雄譚は、それだけでも物語(はなし)として十分面白いから、これからも新作を楽しみにしてるぜい」

 

 上条はそんな土御門の戯言を鼻で笑うと「悪かったな、こんな時間まで引き留めて」と言って、教室を後にしようとする。

 土御門は、そんな上条に向かって言った。

 

「面白い話を聞かせてもらったついでだ。てことは、『絶対能力進化(レベル6シフト)』と同じく、前回じゃこれから起こる筈の事件をカミやんはもう解決済みってことだろ? これから少しは暇が出来るんじゃないかにゃー。どうだい、明日、偶には普通の高校生みたく夏休みをエンジョイしないかにゃ?」

 

 前回は出来なかったことだろうと、土御門は上条を誘うが「お誘いありがとうよ。けど、前回と違って上条さんは風紀委員(ジャッジメント)やってるもんで、夏休みも休日返上でお仕事ですのことよー」と言いながら、土御門に背中を向けたままひらひらと手を振る。

 

 土御門は「つれないにゃー」と言いながら口を猫にしながら、級友を見送った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「あ、上条君。明日から君、来なくていいわよ」

 

 次の日――上条当麻は風紀委員の先輩、固法(このり)美偉(みい)に唐突に肩を叩かれた。

 

「――え? …………リストラ、でせうか?」

 

 上条は優しい笑顔で告げられた言葉に呆然としながら手に持っていた(溜め込んでいた)書類をばら撒く。

 

 そんな悲しいヒーローの姿に、同僚たる白井黒子、初春飾利もあ~と言う目を送った。

 

「遂に、始末書じゃ誤魔化せないようなことをやらかしちゃいましたか。上条さん」

「累積警告かもしれませんわよ。イエローカードもたんまり溜まってましたものね。その書類と同じくらい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ中学生ズ! 上条さんはそんなラフプレーを働いたじ……か……く……は――」

 

 上条は女子中学生の後輩達の手厳しい言葉といつかこうなると思ってましたばりの哀れむような視線に反射的に反論しようとするが、だんだんと声のトーンと頭部の角度が下がってくる。

 

 確かに、上条はこれまで度々、風紀委員の本部から警告を受けている。

 別の支部の担当地域の不良(スキルアウト)を独断で壊滅させたり、本部から静観命令を受けている事件にも独断で介入したり、合同捜査作戦にも参加せずに独断で動いたり、とにかく独断で行動しまくってきた。

 成果も挙げるが故にお咎めだけで済んでいたことはあるが、お陰で本部からも他支部からも覚えは最悪であり、書いてきた始末書も今さっきばらまいた書類の枚数では足りないくらいだ。というより、今さっきばらまいた書類の一割くらいは未完成の始末書だ。

 

 白井や初春が言うイエローカードという例えも決して的を外れてはいない。

 というか、本部のお偉いさんから次同じことやらかしたら分かってんだろうなあ~んということを直接本部に呼び出されて言われたことも一度や二度ではない。

 

 だが、しかし、確かにイエローカードはめちゃくちゃ鼻先にくっつくくらいまで突きつけられていたのかもしれないが、ここ直近で何かとどめになるようなことを上条自身はやらかした記憶はない。

 

 ついこの間、幻想御手(レベルアッパー)事件のことでめちゃくちゃ怒られたばかりだが、もう涙目になるくらいに色んな先輩や大人(もちろん固法先輩にも)に怒られまくったが、結局は通常の1.5倍のボリュームの始末書を書くことで許された筈だ。

 

 駄目だ。検討がつかない。取り敢えず謝ろうと上条はいつも通り土下座をしながら謝罪しようとして――。

 

「――違うわよ。いや、全く違わなくはないけど。ぶっちゃけ上条君のリストラを望む声は本部では大きいけど」

 

 少なくともまだレッドカードは出てないわよ。ギリッギリね――と、床に両膝をついて土下座スタンバってる上条の眼前に、親指と人差し指の間を限りなく狭くして突きつける固法は、はあと大きく溜息を吐いて上条に向かって言う。

 

「……上条君。あなた、夏休みに入ってから休んだ?」

 

 入院以外で――と。

 固法は呆れ果てるように言った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――有給消化?」

 

 と、いうわけで。

 出勤して早々に事務所を追い出された上条は、そのまま食蜂と縦ロールと合流し、親船最中の執務室に来ていた。

 

 いつも通りの報告会を終えた後、己が告げられた戦力外通告の真相を、他の面々が紅茶を頂く中、自分用に縦ロールが淹れてくれたホットコーヒーを飲みながら上条はざっくりと告げた。

 

 それに対し、食蜂は首を傾げながら上条に向かって疑問を呈す。

 

「風紀委員にも有給制度が存在してたの? これまで上条さんがそんなものを取っていたような記憶力は皆無なのだけれど」

「本来、その名の通り、風紀委員は各学校に設置された委員会のようなものですからね。名目上は、夏休みも毎日義務的に出席するようなものではないのですよ」

 

 風紀委員(ジャッジメント)とは、学園都市の治安維持組織として設立されたものではあるが、生徒(能力者)によって形成されるという性質上、本来の活動の場は各学校の校内だ。

 

 しかし(今思えば一周目でも普通に白井などは学外でもバリバリ取り締まっていたが)上条の二周目であるこの世界では、その原則が少し変更されている。

 

 本来、各学校にそれこそ委員会として『支部』が置いてある筈の風紀委員だが、そもそもが能力者が跋扈するこの学園都市において治安維持を担当するというだけで、大多数の学生達にとっては二の足を踏む役職だ。

 

 それも「子供達を危険に晒すわけにはいかない」「子供達に危険を蹴散らすだけの力を持たせない」という縛りの元、装備も非殺傷性のゴム弾や信号弾など最小限のものばかり(白井の鉄芯は自前のものだし、上条の特殊装備は親船によるコネ入手の代物だ)。

 

 さらに、風紀委員となる為には、九枚の契約書にサインして、十三種類の適正試験を突破し、四ヶ月に及ぶ研修で優秀な成績を残さなければならない。

 

 学級委員になることすら押しつけ合う昨今の若者の中で、これだけの高いハードルを超えてまで、言ってしまえばボランティアに近い激務をこなすことになる風紀委員になりたいというものが、果たしてどれだけ集まるというのか。

 

 学園都市の治安維持と謳っている以上、求められているのは『外』の世界の風紀委員のような髪型や服装の乱れを注意することではない(勿論、それも風紀委員の仕事の一部ではあるが)。

 

 警備員(アンチスキル)という、大人達による武装治安維持組織がある上で、それでも学生達による、子供達による治安維持組織が設置された理由は、大きな声では言えないが――『能力者には、能力者を』だろう。

 

 つまり、風紀委員には、超能力を悪用する学生を止めるという仕事が求められる。

 だが、それは少なくとも、トラブルを起こす学生以上の『能力』が必要となる業務だ。

 

 ここで、この学園都市の常識について話は戻るが。

 超能力開発を人工的に行うこの街は、実に住人の八割が学生だが、その六割は無能力者(レベル0)なのだ。

 

 つまりは、学校に一人も能力者がいないという学校も、普通に存在する。

 また、能力者は居たとしても、学園都市の能力は強能力者(レベル3)まで到達してようやく実用的と言えるレベルだ。

 

 そんな能力者など、この学園都市に果たして何人いるというのか。

 

 長々と語ってきたが――とどのつまり。

 能力者トラブルを解決出来る程の風紀委員など、この学園都市においてもほんの一握りの人材のみだということだ。

 

 つまり、上条にとって二周目のこの世界においても、同じレベルの(無)能力者が集まる学校に通う生徒を取り締まることは可能だということで、活動範囲を『校内のみ』としている風紀委員は、一周目と同じく存在している。

 

 しかし、中には校外でのトラブル解消も任務とした、特別な『支部』も同時に存在する。

 白井黒子や初春飾利など卓越した能力や技能を持った風紀委員を集めて結集させた、いわばエリートが集まる、学校の枠を超えて精鋭が集まる特別支部。

 

 上条当麻も所属する『177支部』は、いわばそういった支部の一つなのだ。

 

 だからこそ、上条が風紀委員となった五年前から、上条は夏休みも冬休みも碌に休みもせずに、東奔西走しながらトラブル解決に務めてきたわけだが――。

 

「――ああ。それが何故か、今になって問題視されたんだ。あの風紀委員(ジャッジメント)はいつもずっと働いているが、子供を労働力としてそこまで酷使するのはいかがなものか、ってな」

 

 その言葉も分からなくはない。

 本来、いくら能力者とはいえ、一つの都市の治安維持を中学生や高校生にやらせるのはいかがなものかという意見は、風紀委員という制度が生まれたからずっと消えない火種だ。

 

 しかし、学園都市で生まれるトラブルの大きな要因が能力トラブルである以上、能力者ではない警備員(アンチスキル)の大人達のみで解決するのは難しい。能力者に対抗するには武装が必要だが、武装とはいわば武器である以上、やり過ぎてしまう危険性が常に付き纏うからだ。

 

 そういった意味合いも込めて、校外を対象とする風紀委員の存在が必要視されたわけだが、しかし本分が学生である以上、休日も完全拘束するのは無理がある。他の学生との兼ね合いもある。

 

「初春も白井も固法先輩も、ちょくちょく休暇は取っていたみたいだ。元々が委員会である以上、他に用事があったら休むことは当たり前に出来てたしな」

 

 だが、上条だけは、よっぽどのこと(親船経由でもたらされたトラブル解決など)が無い以上はずっと制服姿に腕章を身に着けながら街をパトロールしていた。それが遂に見つかり、そういえばアイツずっと働いてね? とお偉いさんに問題視される結果となったのだ。

 

「それは、しょうがないことでは? むしろ、今までが異常だったというか……」

「完全にワーカーホリック力過剰だったものね。これを機に少し休んだらいいんじゃない? 大きな事件も解決に導いたことだし」

 

 縦ロールと食蜂はそう言って上条を宥めるが、上条は「……確かに、これだけならそうおかしなことじゃないんだけどな」と険しい表情を隠そうとしない。

 それは、177支部で固法に強制的に有給を取らされた後、他でもない親船から電話連絡を受けていたとある事柄が理由だった。

 

「……それで、親船さん。本当なのか? 俺に学園都市からの『外出許可』が降りたって」

 

 食蜂と縦ロールは、その言葉に今度こそ驚愕する。

 親船は「……『外出許可』というよりは、『外出命令』と言う方が適切かもしれないような口ぶりでしたけどね」と、溜息を吐いて語る。

 

「上層部曰く、何故か()()()()()、学園都市第一位の能力者『一方通行(アクセラレータ)』が無能力者(レベル0)風紀委員(ジャッジメント)に撃破されたという()()()()が流れているそうです。それにより、上条君、あなたを打倒して学園都市最強にチャレンジするという()()()が、今、巷で流行りつつあるようで」

「な、なによそれぇ~!」

 

 親船最中の言葉に、食蜂がテーブルを叩いて腰を浮かせながら叫ぶ。

 上条は険しかった顔にさらに眉根に皺を寄せた。

 

「どういうことなのよぉ。上条さんが第一位に完全勝利力を見せたのは()()()()のことよぉ。これまで何の噂もなかったのに、どうして今になって――」

「先日にお話した、御坂様や佐天様らから漏れたのでしょうか」

 

 驚愕の様相の食蜂の横で、縦ロールがタイミング的に最も怪しい可能性を口にするが「いや、御坂達はこんなことを軽々しく話す奴らじゃない」と上条が庇い、縦ロールが「失言でした。申し訳ありません」と恭しく頭を下げる。

 

「一般人からのリークではないでしょう。タイミング、そして噂が広がる速度から考えて、間違いなく上層部の息の掛かった勢力が意図的に拡散しています」

「で、でもぉ、理由は何? 絶対能力進化(レベル6シフト)の再開を目論んでいる連中からしたら、第一位の最強力を疑われるような噂の拡散なんて逆効果なんじゃ――」

「――だとしたら、目的は他にあるってことだ」

 

 上条は、そう言って、前回と同じ流れを生もうとしている何者かに向けて目を細める。

 風紀委員(ジャッジメント)の強制有給。学園都市からの外出許可(命令)。そして、上条打倒による学園都市最強へのチャレンジの流行(ブーム)

 

 三つの線が繋がる先の、その見えない目的とは。

 

「上条君を、このタイミングで学園都市の『外』へと出したがっている何者かがいる。そう見て間違いないでしょう」

 

 親船最中の言葉に、上条は重々しく頷く。

 

 上条当麻は逆行者だ。

 二周目の世界を生きる上条は、この世界でこれから起こるであろう様々な事件を知っている。

 

 しかし、一周目に置いて禁書目録(インデックス)守護者(ガーディアン)であった上条にとって、巻き込まれた事件の殆どが『魔術サイド』にて発生するものだった。

 だからこそ、上条は風紀委員(ジャッジメント)となったこの五年間において、正確には親船最中と出会ってからのこの五年間において、あらゆる手段を用いて、自身を学園都市の『外』へと出られるように手を尽くしてきた。

 

 だが、学園都市の学生といえば、いわば学園都市の技術が詰まった『商品』でもある。

 一般的な学生でも機密保持や各種工作員からの拉致の危険性を考慮して、『外出許可』が降りることは相当に難しい。

 

 それが高位能力者や、上条のような特異な『原石』ならば尚更のことだ。

 だが、それを考慮しても、この五年間の上層部の頑なさは、二周目の上条をもってしても異様といえるものだった。

 三枚の申請書、血液中への極小機械の注入への同意、保証人の確保、全て完璧のこなしても、まるで許可が降りる気配すらなかった。

 

 確かに、自分の右手は特異だが、それでも学園都市側としての上条当麻への姿勢は『何か不思議な右手を持ってるけど、ただの無能力者ですよ、そいつ』というものであった筈なのに。

 まるで、上条当麻を頑なに学園都市の『外』へは出すまいという意思が働いていたかのように。

 

 だが、今日になってまるで人が変わったかのように、まるで追い出すかのように上条の『外』への道が強制的に用意された。

 ずっと望んできたことではあるが、その道の整備のされ方が余りにも露骨で、喜びよりも警戒心が先に立ってしまう。

 

 その上、上条にとっては、不気味さを感じる、もう一つの大きな理由があった。

 

(……なんだ? ここまでの展開が、余りにも一周目のあの時と同じだ)

 

 今日、夕陽が差し込む放課後の教室で土御門に語った――御使堕し(エンゼルフォール)事件。

 あの時も、上条は一方通行(アクセラレータ)を打倒したことで学園都市中のスキルアウトに狙われることになり、ほとぼりを冷ますという理由の元、学園都市の外へと出され、御使堕し(エンゼルフォール)事件へと巻き込まれることになった。

 

「……ちなみに、学園都市の『外』へと出た後、ここに行けみたいな指示もあるのか?」

「そこは、通常通り保証人の所(親元)へと向かうようにと。ああ、それと、急な話だからということで、旅行先を都合してくれたそうですよ。ご家族の分も」

 

 親船がそう言って差し出してきたとは、見覚えがあり過ぎる――海の家『わだつみ』のパンフレット。

 色々と思い出深い、一周目で御使堕し(エンゼルフォール)事件の舞台となった、神奈川県某海岸にて営業している色々とギリギリな宿泊施設である。

 

 これにはつまり、ここなら遠目から護衛してやるけど、別の所で好き勝手に夏休みしてて拉致られてもこっちは責任取りませんからと、学園都市からの外出先を実質指定しているようなものである。

 

 どうしても上条当麻を、この時期にあの寂れた宿泊施設に送りたい『誰か』がいるらしい。

 いや、目的は――上条当麻と上条刀夜を会わせることか?

 

「まぁ……上の誰のどんな目論みかは分かりません。もしかしたら本命は、上条君を『外』に出した上での『中』かもしれませんしね」

 

 上条は親船のその言葉にハッと目を見開いた。

 そうだ。自分は確かに御使堕し(エンゼルフォール)のフラグは事前にぶち殺したが、一周目でも自分が海の家『わだつみ』で世界の危機に直面している間に、この学園都市で何か別の事件が起きていたかどうかは全く知らない。

 

 いくら二周目の世界の時系列が『今の』上条当麻が誕生したその後に追いついたとはいえ、幻想御手(レベルアッパー)事件のように、上条当麻が関わらなかった大事件というものは無数に存在している。自分が知ることすら出来なかった悲劇も、この世界には当たり前のように存在している。

 

 ならば、今回の急な学園都市外への上条放逐も、上条を学園都市の外の世界での事件に関わらせるのではなく、これから学園都市の中で起きる事件に上条を関わらせない目的故の行動ということもあり得るのだ。

 

 もし、そうならば、自分はいかにしてこの上層部からのお前ちょっと外行ってろバカという命令に背き、いつものように独断行動をするかを考えなければならないのかと思考の方向を変えようとしていると。

 

 親船は「しかし。今回ばかりは、そんな上層部の思惑に乗るべきだと、私は思うのです」と、上条に向かって微笑みながら言った。

 

「――え? どういうわけだ、親船さん」

「あなたが私の元へとやって来て、風紀委員(ジャッジメント)となってからの五年間。私の力不足で、あなたを学園都市の『外』へと出してあげることは叶いませんでした。……しかし、ようやく、その機会を用意してあげられるのです。私は、正直に言って嬉しい」

 

 その微笑みは、学園都市統括理事としての顔ではなく、まるで一人の母親のような表情だった。

 

「これまでの五年間、あなたは本当によく頑張ってくれました。この機にゆっくりと夏休みを楽しんできてください。そして――ご両親に、あなたの元気な姿を見せてあげなさいな」

 

 上条は、その言葉に何も言えなくなってしまった。

 確かにこの五年間、いや、上条が二周目の世界に逆行してから、この学園都市に足を踏み入れてからと考えるとおよそ十年もの間、上条当麻はこの学園都市の『外』に出ていない。

 当麻が両親に会う機会は、年に一度の『大覇星祭』くらいだ。

 それも上条が風紀委員(ジャッジメント)となってからは、能力者が直接ぶつかり合うこの祭りにおいては大忙しとなるため、この五年間は親子の時間をゆっくり作れたとは言い(がた)い。

 

 そんな後ろめたさがある中で、親船最中はそんなつもりはないだろうが、人の親としての表情でそんなことを言われたら、間違っても孝行息子などとは言えない自覚のある上条当麻としては無碍には出来なくなる。

 

「……そうですね。親船様のおっしゃる通りです」

 

 親船の援護射撃をしたのは女王の傍に仕える側近――縦ロールだった。

 

「ただでさえ、我々学園都市の学生からしたら、ご家族と顔を合わせる機会というのは貴重なものです。どのような思惑の元であれ、これは上条様が身を粉にしてきた献身が報われて得られた休暇でしょう。ごゆっくりと水入らずの時間をお過ごしください。学園都市の留守は我々に任せていただければ」

「え~。私も一緒に行きたいわぁ。いい加減上条さんのご両親に挨拶もしたいし、水着で悩殺力満載なアピールもしたいんだぞぉ」

「女王。いい話をしているので邪魔をしないでください。それと私はもう上条さんのご両親に挨拶を済ませましたよ。未だに上条さんのご両親に名前を覚えてもらえないのは女王が直前でいつもへたれるせいです」

 

 唐突な側近の裏切り発言に「いつの間にっ!?」と驚愕する、この五年間の大覇星祭の全てにおいて上条夫妻への挨拶へのチャレンジに失敗し(顔を真っ赤にして直前逃亡)、未だに名前を覚えてもらえない幼馴染み系ヒロイン食蜂(しょくほう)操祈(みさき)

 

 その間「帆風(ほかぜ)潤子(じゅんこ)と申します。上条様にはいつもお世話になっております」と、まるで見合いの席のように優雅に挨拶を決めていた、縦ロールこと帆風潤子。ちゃっりと読者よりも(作者よりも)先に上条夫妻に本名を覚えてもらうことに成功する。ちなみに上条当麻もそこで初めて本名を知った。(「お前、帆風っていうの!?」「これからも縦ロールで結構ですよ。可愛くて気に入っています」)。

 

 思っていた以上に自身が出遅れていることにわなわなし始める女王に「そもそも超能力者(レベル5)の女王に外出許可など降りるわけがないでしょう」と溜息を吐く側近。

 そんな二人を見て微笑していた上条は「……分かった。留守は頼むな、食蜂、縦ロール」と言って親船最中と向き合う。

 

「分かった。学園都市の『外』に行こう。何かあったら、すぐに知らせて欲しい」

 

 まるで出先でも携帯電話を手放さないビジネスマン(ワーカーホリック)のような口ぶりの上条に、親船最中は苦笑を返した。

 




こうして物語は、遂に学園都市の『外』へと飛び出す。


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帰省〈がいしゅつ〉

つまらない不束者ですが! 末永くおいしくいただかれます!


 上条当麻は(そういえば、いつもは有無を言わさず唐突に巻き込まれるから、こうして丁寧に旅支度をするのは久しぶりだなぁ)なんて暢気なことを思いながら、鞄一つにラフに纏めた荷物を肩に担ぐと、今日もソファで横になりながら本を顔に被せている同居人に出発の挨拶をしていた。

 

「そんじゃあ、行ってくるな」

「あァ」

「週末には帰ってくる。名産品とかない所だから土産とかは期待しないでくれ」

「あァ」

「学園都市でトラブルがあったら、親船さんか縦ロールからお前の携帯に連絡がいく手筈になってるから、何かあったら頼むな」

「あァ」

「いつもみたいに腹が空かないからってコーヒーばっか飲むなよ。ちゃんと白いご飯食べるんだぞ。ただでさえ、おまえいつまで経ってもガリガリなんだから。鍛えろとは言わないが三食きちんと――」

「アァァアアアア!!! うっせェェェェェ!!! てめェはオレのおかァさんですかァァアアアアア!!?? さっさと行けェェ!! んで二度と戻ってくるなァァアアア!!!」

 

 上条はいつものように癇癪を起こし始めた第一位に「週末には帰るよぉ」とひらひらと手を振りつつ、何かが割れた音を意識から排除して、そのままスニーカーの靴紐をしっかりと結んで立ち上がり部屋を出た。

 

「あ、おはようございます! 上条さん!」

 

 ガチャンと扉が閉まる音と同時に、横からそんな声が掛かった。

 上条は、はぁと一度小さく溜息を吐くと、頑張って笑顔を作りながら「……あぁ。おはよう、佐天」と挨拶を返す。

 

 そこには、ついこの間、上条家の隣の部屋に引っ越してきた中学一年生の無能力者(レベル0)の少女・佐天涙子が、夏らしいノースリーブと五分丈のパンツ姿で笑顔を向けていた。

 

「………………」

 

 上条はそれを見て笑顔を固まらせていると、その視線は佐天の横に並んで、同じくこちらに笑顔を向けている少女達に向けられる。

 

「おはようなんだよ、とうま!」

 

 いつも身につけている『歩く協会』という法王級の防御結界である真っ白な修道服を脱いで、真っ白なノースリーブワンピースに着替えている少女・インデックス。

 

「おはようございます、と、ミサカはあなたに初めて見せる勝負服が変に見えていないかもじもじします」

 

 だんだんと感情表現が豊富になり、今も恐らくは生まれて初めて身につけたミニスカートの裾を押さえながら顔を赤くする、スカート丈はいつも身につけている常盤台の制服とあまり変わらないと気付いていない少女・ミサカ00001号。

 

「ふふ。何を恥ずかしがっているのですか、数分だけお姉様。こういうのは堂々とした方が()えるのです、と、ミサカは今流行りの(キてる)オシャレ服を纏ったことによる昂揚感を抑えきれずにニヤニヤします」

 

 十代女子向けのファッション雑誌に『この夏はこれで決まり!』という見出しの元に紹介されていたものをマネキン買いした爽やかな服装で、無表情ながらもむふーとしている少女・ミサカ00005号。

 

 以上、四名の(外見年齢は)中学生の女子達のやる気まんまんな服装と――もれなく全員がその手に持っている旅行鞄を見て。

 

 これから両親の元への帰省を予定している男子高校生(彼女なし)上条当麻は、半分以上諦めの篭もった、けれど問わずにはいられなかった最終確認を彼女達に尋ねた。

 

「……あのさ。最後にもう一回だけ言うけど、俺がこれから向かうのは、ただの俺の実家と、クラゲ大量発生中でお客さんゼロのハズレビーチですよ? ……それでも、おたくらは学園都市の最新鋭プールではなく……俺の帰省に同行するでオーケー?」

 

 四人の女子中学生は、ぐっと流れるように親指を立てた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 一度行くと決めたからには、百戦錬磨の上条当麻、そこからの行動は素早かった。

 

 前の世界では上条と両親(+従妹の竜神(たつがみ)乙姫(おとひめ))は海の家『わだつみ』での現地集合だった。

 しかし、どうせ外に出るならと上条は前の世界よりも出発の予定を早め、上条家の新築に立ち寄り、刀夜が上条の忠告通りにオカルトグッズの蒐集をやめているかの確認と、万が一集めているようなら『海』に行く(最終トリガーを引く)前に対処しようと、親船の執務室からの帰り道、歩きながら刀夜に電話を掛けた。

 

 すると、思ったよりも引っ越しの日は早く、明日にでも学園都市を出なければ間に合わないということが分かり(万が一にも配置されてしまったら術式解除はプロの魔術師の手を借りなくてはならなくなる。最悪、前回のように儀式場(上条家)ごと吹っ飛ばすしかなくなる)、自分も早めに行って引っ越しを手伝うという名目で、上条家新居へと向かう約束を取り付けた。

 

 そして上条は両親との通話を終えると、そのまま土御門へと連絡を付ける。

 何故か話の流れが前の世界の御使堕し(エンゼルフォール)事件をなぞっていること、そして数日の間だけ学園都市を離れることになったことを告げると、土御門は――。

 

「――確かに。嫌な予感がするな」

 

 語尾ににゃーを付けずにシリアスな声色で、自分も学園都市を抜けて影ながら上条に同行することを告げた。

 その際に「それはそうと、やっと巡ってきた機会なんだから、有効活用はしなくちゃいけないにゃー」と、魔術サイドとのパイプの強化の意味も兼ねて、神裂(かんざき)火織(かおり)も連れてくると約束した。

 

 いや、そのメンバーだとますます前の世界の御使堕し(エンゼルフォール)をなぞっていると上条は思ったが、万が一、前の世界と同じく御使堕し(エンゼルフォール)が発動したら、神の力(ガブリエル)を押さえられるのはそれこそ神裂しかいないと考えて了承した。

 

 勿論、何事も起こらず、普通に引っ越しを手伝って、高校生にもなって気恥ずかしいが両親と旅行し親孝行をして、夜の時間にでも旅館を抜け出して土御門や神裂とこれから起こる魔術サイドの事件に対しての対策会議でも出来れば、それに越したことはない。有意義な夏休みといえるだろうが。

 

 上条の右手が、幻想をぶち殺す右手が、そんなハッピーエンドを導いてくれるのか――。

 

「…………」

 

 そんなことを考えながら握った右手を見ていると、第一位の莫大な奨学金で住居とすることを許されている高級アパートへと辿り着いていた。

 

 エレベーターで五階に上がり、家の鍵をポケットから取り出した位の所で、そういえばと思い、そのまま自宅の隣の部屋――先日、越してきた佐天とインデックスの部屋のインターホンを鳴らした。

 

 佐天とインデックスには、自分が守護者(ガーディアン)として守り易いようにという理由で、わざわざ引っ越してもらっていた。

 なのに、そのほんの数日後に自分は帰省で学園都市を離れるなどあまりにも身勝手な言い分だと思ったのだ。

 

 勿論、自分がいない間は一方通行(アクセラレータ)に彼女らのことは頼むつもりだが、それでも自分の口からちゃんと説明するのが筋だろうと、上条は隣部屋のインターホンを鳴らす――と。

 

「はいは~い。どちら様ですか~?」

 

 インターホン越しの会話もないままに開けられたドアから姿を見せたのは、髪が少し湿ったままのパジャマ姿の佐天涙子だった。

 

「あれ? 上条さん、こんばんは。どうしたんですか?」

「い、いや」

 

 ふわっと香ってきたシャンプーの匂いに一瞬ドキッとした上条だったが、部屋の中からかしましく聞こえてくる声に「誰かお客さんか?」と話を逸らす。

 

「あぁ、妹達(シスターズ)ちゃん達が遊びに来てるんですよ。今日はパジャマパーティなんです」

 

 さっきまで御坂さんも居たんですよ。白井さんに門限だって連れて帰られちゃいましたけど、と佐天は言う。

 

 上条は本当に御坂は毎日来てるんだなという苦笑と、妹達が佐天達と上手く馴染めているようでよかったという微笑を浮かべると「そっか、邪魔して悪かったな」と返した。

 佐天は「いいえ。でも、こんな時間に何の用ですか?」と首を傾げた。

 

 なんだかんだで、時刻はすっかり日が落ちて、既に夕食時となっていた。

 まだ寝るような時間でもないが、あんまり少女達のパジャマパーティを邪魔するわけにもいかないと、上条は「ああ、ちょっと佐天とインデックスに報告があってな」と、早めに要件を済ませようと口を開く。

 

「急な用事が入ってな。明日、学園都市の『外』に帰省することになったんだ」

 

 そこからは、流石は恋愛脳の女子中学生、その行動は素早かった。

 

 がしっと上条の腕を掴んで、シャンプーの香りが充満するパジャマだらけの(外見年齢は)女子中学生で一杯の部屋の中に連れ込むと、すぐさま女子会(議)と上条への尋問が始まった。

 

 まずはその帰省の話がどこまで広がっているのかを確認し、食蜂と帆風(縦ロール)は知っているが参加出来ない、御坂と白井と初春にはこの情報は届いていないことを確認した後、自分達も参加すると上条に向かってものすごい勢いで詰め寄った。

 

 それは流石に無理だと上条は断ろうとしたが、佐天は自分は無能力者(レベル0)であり『外』に出るハードルは低いこと、風紀委員(ジャッジメント)の仕事もないこと、守護者(ガーディアン)というなら自分とインデックスは一緒に行った方がいいと猛烈な勢いでまくし立てた。

 

 結果、『(ゲート)』で追い返されたら大人しく帰ることを条件に佐天とインデックスの同行は(渋々ながら)許可した上条だったが、流石に妹達(シスターズ)はまだ退院したてなんだからと上条は説得しようとした。

 

 だが、それでも諦めない妹達(シスターズ)に、上条はこうなれば本職に説得してもらおうとカエル顔の医師・冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)に電話を掛けると。

 

「大丈夫なんだね。むしろ、新しい環境からどんどん新しい刺激を受けるべきだ」

 

 まさかの全肯定だった。

 プロからのお墨付きを得たクローン達はミサカ達も連れて行けと大合唱を始め、結果、混乱を避ける意味でも五つ子は無理、せめて双子(ふたり)までと(そこは冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)も賛成した)言ったことで、そこからは某限定ジャンケンばりのシリアスなジャンケン合戦が始まり――結果。

 

 見事、ミサカ00001号(一女)ミサカ00005号(五女)が権利を手に入れた。

 

 二女はしょんぼりし、三女は床に四つん這いになり、四女は窓の外の夜空を眺め、末っ子(打ち止め)は五女に煽られて頬を膨らませていたが――流石にそれ以上は覆らず。

 

 その後は、帰省旅行の詳しい日程を聞き出し、その行程に(クラゲだらけの)海があると分かると、明日の出発を何とかお昼までずらして、開店と同時にセブンスミストで新しい水着を買う時間を捻出して――今朝の大分早い時間に、隣の部屋から響くばたばたで上条が目を覚ますと言った一幕を経て。

 

 今に至る。

 

 上条は「……不幸、なのか?」と、(外見年齢は)女子中学生四人を引き連れての帰省となったことに、一人小さく呟いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 前の世界でのこの場面でのインデックスの件からそうかもとは思ってはいたが、やはりというか案の定というか、(ゲート)警備員(アンチスキル)は佐天やインデックスは勿論、00001号も00005号も見事にスルーだった。

 

 お役所仕事ばりの流れ作業で無痛注射針(モスキートニードル)で血管内に極小発信機(ナノデバイス)を流し込み(インデックスだけは今回も暴れに暴れた。右手で頭部に触らないようにするのにものすごく神経を使った)、タクシーでいざ学園都市の『外』の世界へと旅立った。

 

 初めは余りにもゆるゆるなセキュリティに呆れ顔の上条だったが、すぐにこれも恐らくは上条当麻を『外』に出したい何者かの根回しによるものなのだろうと表情を引き締めた。

 

 既にこうして親船が手配したタクシーに乗って学園都市の『外』へとそいつの目論み通りにまんまと出て来てしまった身分では、どれだけ警戒していようとそいつの思惑に乗るしかないのだろうが、だからといってまるっきり無警戒でいるわけにはいかない。

 

 何はともあれ、まずは新居の確認だ。

 御使堕し(エンゼルフォール)を防ぐことは大前提――その上で、自分が知っている事件(トラブル)の前倒しや、自分の知らない新たな事件(トラブル)が発生する可能性も視野に入れて行動する必要がある。

 

 だが、今は――後部座席ではしゃいでいる四人の女子中学生の笑顔を守ることを第一に考えようと、上条は助手席にてふと小さく微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 途中、何度かPA(パーキングエリア)での休憩を挟みながらも、上条(+女子中学生×4)ご一行は、神奈川県某所の住宅街へと降り立っていた。

 

 上条夫妻と竜神乙姫と合流後は、刀夜が借りたワンボックスカーで向かうことになっているので、タクシーの運賃を某第一位から借りたクレジットカードで支払い、上条が電話からメモした住所が書かれた紙を片手に徒歩で新居へと向かう。

 

(……俺の記憶にある、前回の上条家があった場所とは、ほんの少しずれているか……)

 

 前の世界において、逃亡犯・火野(ひの)神作(じんさく)が逃げ込み、最終的に土御門の『赤ノ式』によって吹き飛ばされた木造二階建ての建売住宅。

 

 九州地方を中心に展開する大型ショッピングセンター、その唯一の神奈川県内の支店を、地図上で旧住所(上条の記憶内にしかない住所だが)と挟むような座標に、この世界での上条家の新築は存在した。

 

(……まぁ、引っ越す前の住所も、俺の知る場所じゃあなかったんだが――)

 

 そう。そもそもの話、火野神作とやり合った、あの思い出深き旧上条家は、この世界では存在すらしていない――らしい。

 らしいというのは、上条はそれを直接確認したわけではなかったからなのだが、刀夜から聞いた話では、この世界の上条当麻の生誕地、つまり実家は、駅からは近いが決して広くはない賃貸マンションだったようだ。

 

 これまたようだというのは、今の上条当麻がこの二周目の世界に降り立ったのは、上条少年が学園都市に足を踏み入れたその瞬間であり、それから今日までのおよそ十年に渡って上条は学園都市の『外』に出たことがないので、これまた直接この目で確かめたわけではないからだ。

 

 大覇星祭でそんなことが発覚した時、上条は思わずヤシの実サイダーを吹き出したものだが、風紀委員(ジャッジメント)制度の微妙な違いといい、一周目の世界と二周目の世界では細かい差異があることは確かなので――それが、この世界は決してあの世界ではないという、確かな証左でもあるのだが――上条はその場では何も言わなかったのだが、こうして見知らぬ地が実家となる光景を見ると、決して思うことがないでもなかった。

 

 記憶喪失である身としては、それも一度通った道ではあるのだけれど――全て失った場所に新たな思い出を植え付けるのと、一度植え付けた場所にまた新たなそれを植え直すのでは、やはり感覚が違うように感じた。

 

(……ひょっとしたら……これが本当の“喪失”ってやつなのかもな)

 

 上条はそんな複雑な心境を抱きながら、前回のそれとは違う、少し小綺麗な、いってしまえば高級そうな住宅街をメモを片手に歩きながら、上条は遂に――『上条(KAMIJYOU)』と書かれた表札を見つけた。

 

「ここなの? とうまのおうち」

「へぇ~。綺麗ですね!」

「…………まぁ、建てたばっかの新築だからな」

 

 目の前にはシャッターの降りたガレージ(まだマイカーは購入していないらしいが。明日の旅行もレンタカーだ)と、玄関へと続く階段があった。

 

 佐天の言うとおり、汚れ一つない綺麗な白い家だった。

 豪邸という程に巨大ではないが、二階建てで、広くはないが庭もある。

 

 上条刀夜という男が、父親として、家族を幸せにする為に獲得したマイホーム。

 派手ではないが、決して小さくない偉業。その確かな証。

 

(……すげぇな。父さん)

 

 上条は、息子として、父親に対する尊敬を少なからず上書きしながら、階段を上った。

 

「さて、じゃあ中に入るぞ」

「そ、そうですね。……今更ですが、ちょっと緊張してきました」

「はは。そんな大層なもんじゃねぇよ。ただの俺の家族だ。いつも通りでいい」

 

 だから緊張するんですよぉとぶつぶつ呟く佐天を先頭に、四人の外見年齢女子中学生(現役:1、修道女:1、クローン:2)を引き連れ、上条当麻は見知らぬ実家の扉を開けた。

 

「とうさーん、かあさーん、ただいまぁ」

 

 扉を開けた上条の目に、まず真っ先に飛び込んできたのは――ごく普通の傘立てだった。

 

 木刀の一本も差さっていない、全て傘のみが中身の傘立て。

 上条はほっと息を吐いた。

 

 赤いポストの置物もない。

 玄関の近くに檜も植えられていない。

 見る限り、見渡す限り、ごく普通の、ごくごく普通の、ただの民家だ。

 

(……よかった。父さんはきちんと、オカルトグッズ蒐集をやめてくれたんだな)

 

 これで、この世界でも御使堕し(エンゼルフォール)が発生するかもという懸念は完全に消えた。

 上条が四人の少女達を玄関内に招き入れながら安堵していると「はいはい、お待ちしていましたよ、当麻さん」と廊下の向こうからぱたぱたというスリッパの足音が聞こえてくる。

 

 四人の少女達は、上条の母に会うという緊張からか表情を引き締めていたが――いざ本人が登場すると、その顔を揃って呆け顔に変えた。

 

「あら? あなた達が、当麻さんの後輩の方達かしら?」

 

 上条の母・上条詩菜は、十年ぶりの帰省に息子が四人の女子連れという状況に対し微塵も臆することなく、その柔和な笑顔を来客に向ける。

 

 対し、現役中学一年生とクローンの長女は、その衝撃から言葉を返すことが出来ない。

 上条はそんな少女達に対して苦笑する。

 

(分かるなぁ。俺も初めて母さんを見た時は本気で父さんの犯罪行為(ロリコン)を疑ったもんだ)

 

 どこからどうみても二十代後半(おねえさん)にしか見えない詩菜だが、その正体はしっかりと刀夜と同い年である。

 御坂美鈴(の母親)といい、学園都市の違法技術をこっそりと横流ししているのではと疑うレベルの外見なので、初対面の少女達が衝撃を受けるのも仕方ないといえる(佐天は兎も角、00001号は正しく自分こそ学園都市の違法技術の産物であるのだが)。

 

 しかし、その点、この二人は心臓が違った。

 

「はじめまして、とーまのおかあさん! わたしはインデックスっていうんだよ!」

「あらあら。元気なご挨拶をありがとう。私は当麻さんの母親で、上条詩菜っていいます。初めまして。……ん? インデックス? 目次ちゃん?」

「初めまして。未来のお義母様。ミサカは仮名ミサカ00005号ですと、ネットで調べた完璧な角度のお辞儀を披露しながら完璧な第一印象を演出します」

「あらあら。素敵な自己紹介をありがとう。えっと、みさか……ごごうさん? 仮名?」

「はい。正式な本名は今現在お姉様が絶賛模索中ですので、命名が済みましたら後日改めて自己紹介させていただきますとミサカは――ふぐ」

「ああ! この子達は俺の風紀委員(ジャッジメント)の後輩の先輩の妹なんだ! 二人のことはミサカととりあえず呼んでくれないか!?」

「あらあら。随分と複雑な関係なのね? でも、二人ともミサカちゃんじゃ混乱しちゃわない? ほら、お顔もそっくりだし。双子ちゃんかしら? あなたのお名前は?」

「み、ミサカはミサカ00001号といいます! み、ミサカのことは気軽にみーちゃんと――」

「ミサカと! 呼んで! くれないか!」

 

 上条はぺらぺらと衝撃の自己紹介をする00005号とがちがちと迷走の自己紹介をする00001号の口を塞ぎながら詩菜相手に勢いで押し切る。

 

 流石に未命名の妹達(シスターズ)を連れてくるのはやはり無理があったかと思いながら苦笑いで誤魔化す上条。

 そこに「当麻。無事に着いたか」と、廊下の奥から声が届く。

 

「よお、当麻。久しぶりだな。――おかえり」

 

 現れたのは、詩菜と違い年齢通りの外見の男だった。

 無精髭を生やし、体は崩れてはいないが筋肉質でもない、身長はすらりと高いがモデル体型と言うほどに足は長くない。

 だが、どこか当麻に似た顔立ちに浮かぶのは、見るものを安心させる人たらしの笑顔。

 

 上条刀夜。

 大きな外資系の企業に勤める会社員であり、夢のマイホームを手に入れたばかりの父親は、どこかやり遂げた満足感のある笑みを浮かべて、新居に足を踏み入れた我が子を迎えた。

 

「ああ。……ただいま」

 

 そして上条は、そんな両親の笑顔の出迎えに、心からすんなりと、そんな帰宅の挨拶を返すことが出来た。

 

(……不思議だ。さっきまで見覚えのない、居心地の悪い場所とすら感じてたのに。父さんと母さんに出迎えられただけで、途端に我が家だって思えちまうなんてな)

 

 我ながら単純だと気恥ずかしさを誤魔化すように靴を脱いで廊下に上がろうとした時、「それにしても、当麻――」と、刀夜が顎髭をなぞるようにしながら、父親の微笑みからゲスな笑みへと表情を変化させて、上条の後ろに並ぶ四人の女子達へと視線を移す。

 

「新たな我が家に早速、四人も後輩女子を連れ込むとは、随分と甲斐性を養っているじゃないか。父さんは嬉しいぞ」

「あらあら。当麻さん的には年下が好みなのかしら? それとも女子中学生フェチなのかしら?」

「おい! そこの面白夫婦! 息子の帰省早々、思春期男子が一番不愉快な親子コミュをかますんじゃない!」

 

 上条がいつも通りの上条夫婦を発揮し出した両親に突っ込みを入れるのと同時に、ぐいっと前に出た佐天が、一体どこで購入したのか、綺麗に包装された菓子折を突き出しながら、真っ赤な顔でこう言った。

 

「あ、あの! つまらない不束者ですが! 末永くおいしくいただかれます!」

 

 きっと色々と言いたいことが混ざって大変面白いことになってしまったであろう、この佐天の上条夫婦に対する自己紹介は、これから長きに渡って一人の少女の枕に叫び込まれることになるのだが。

 

 それは彼女の名誉の為に、ばっさりと割愛させていただこう。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後、顔面を真っ赤に沸騰させた佐天涙子が、上条よりも早く上条家新居のトイレの中へと駆け込み、数分間に渡って悶え苦しむというハプニングこそあったが、上条と両親の再会、女子中学生ズの自己紹介というイベントは比較的恙なく終了し、そのまま本日のメインイベントである、上条家の引っ越し作業の手伝いへと移ることになった。

 

 引っ越し業者こそ手配しているものの、やはり力仕事は山のようにあり、上条という男手の活躍の場は豊富で、上条は夜までの間、みっちりと額に汗して働くことになった。

 その間に刀夜に念を押すように、オカルトグッズを買い集めていないか尋ねてみたが。

 

「ああ。もう、あんなものに頼ろうとは思わないさ。――お前があれだけ胸を張って、自分の手で『しあわせ』を目指すのだと、そう言ってくれたのだから」

 

 刀夜はそう言って、どこか労るように上条の髪を撫でた。

 それは一瞬だったが、上条は何かを見透かされているように感じて、刀夜の目を見ることが出来なかった。

 

 だが、オカルトグッズを買い集めていないというのは本当のようで、上条がこの日に開けた何箱もの段ボールの中にも、お土産もお守りも一つたりとも入ってはいなかった。

 

 風呂場に亀の置物もないかも確認したが、そこではインデックスが薄手のワンピースにシャワーをぶちまけてスケスケになるというハプニングがあっただけで何もなかった。上条の頭部に歯形が刻まれただけでとても平和でした。

 

 女子陣は詩菜の指揮の下、新居の掃除や小物や服の収納に精を出していた。

 初めは緊張していた佐天や00001号も、不思議な包容力を持つ詩菜に絆されたのか、フリーダムさと非常識さが余りにもあんまりなインデックスや00005号から目を離せなくなってそれどころじゃなくなったのか、気が付けばすっかりと肩から力が抜けたようで、かしましくも楽しげな時間を過ごしていた。

 

 そして、すっかり日も暮れて引っ越し業者も仕事を終えて上条家を後にし、今は佐天と00001号が詩菜の夕食作りを手伝い、インデックスと00005号が夕方アニメにコメンテーター気取りで解説とコメントをしている頃。

 

 上条は、新居に確保されていた『上条当麻の部屋』の扉の前にいた。

 

「…………」

 

 二階への階段を上りきった先の正面のドア。

 流石にとーまの部屋と書かれた札などは掛けられていないが、こうして滅多に帰省しない自分の為にも一室を用意してくれることに、上条はむずがゆい何かを覚える。

 

 反射的にノックしようとしたが、ここは他でもない自分の部屋だと思い出し、腕を下げる。しかし、他人の部屋に無許可で這入ろうとしているような、後ろめたい罪悪感のようなものは消えない。

 

 だが、いつまでもこんな風に立ち尽くしている方が不審だと、上条はドアノブに手を掛け、ゆっくりとその扉を開ける。

 

 電気の点いていない真っ暗なその部屋は、ちょうど半年前まで上条が暮らしていた学園都市の学生寮と同じくらいの大きさの部屋だった。キッチンやテレビはないが、ベッドと本棚は用意されていて、後は未開封の段ボールがいくつか置かれている。

 

 刀夜と詩菜が、賃貸マンションの旧上条家から、『上条当麻』の私物だったというものを片っ端から詰め込んだ代物だ。

 流石に上条が学園都市に行く前の私物だから、今の上条が必要としているものはないだろうが(子供服などは詩菜が大事に保管しているようだ)、それでも当麻の物だからと、何を捨てて何を残すのかの取捨選択権は当麻にあるといって、目につく物は全て持ってきてくれたようだ。

 

「………………悪いな」

 

 上条は、他人の宝物箱を勝手に開けるような気分になりながらも、ゆっくりと一つ目の段ボールを開ける。

 

 中に入っていたのは、十年以上前に放送されていた戦隊ヒーローのフィギュアだった。覆面姿のライダーの変身ベルトや、怪獣と戦う光の巨人の人形もあった。

 二つ目の段ボールに入っていたのは幼稚園の卒業アルバムだった。幼い上条少年はいつもどこかに傷を作っていて、周りに友達が集まっている写真は少ないが、決して涙は流さず必死に笑顔を作っているような表情ばかりだった。

 三つ目の段ボールに入っていたのは家族旅行の写真だった。先程の幼稚園のそれとは違い、当麻少年も心からの笑顔を見せている。幼い少女も写っている。おそらくはこの子が上条の従姉妹の竜神乙姫だろう。『疫病神』と疎まれながらも、両親や親族の温かい愛情に囲まれて育った少年の『しあわせ』が、ここにはあった。

 

 上条当麻は――そのどれもを、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……他人のアルバムを見るよう、とは、よく言ったもんだな。……これらは全部、()()()()()()()()の筈なのに)

 

 自分はかつて、インデックスを守る為に記憶を失った上条当麻から、まるでバトンを受け継ぐように生まれた『上条当麻』だ。

 

 周囲の人間全てにそれをひた隠し、ずっと嘘を吐いて生きてきた。

 嘘と共にあるのが『上条当麻』であると言っても過言ではない程に、自分は騙し騙し生きてきた。

 

 ずっと他人の人生を歩んでいるような気持ちだった。

 アイツの立ち位置を、上条当麻の財産を、間借りしながら生きているような気持ちだった。

 

 自分は自分だと、記憶を失っても何も変わりはしないと――『上条当麻』は、上条当麻だと。

 

 そう言い張るのは簡単だ。だって、自分に全てを奪われた上条当麻は、もうどこにもいないのだから。

 何も言えなくて、何も出来なくて――だからこそ、自分は上条当麻の分まで、『上条当麻』でなくてはいけなくて。

 

(……でも、それは違った。()()()()()()()()()は――もう一人、居たんだな)

 

 それもかつての一人目の上条当麻とは違う。

 彼は自分の意思でインデックスを守る為にいなくなったが、この【上条当麻】は――この世界で六歳まで確かに生きていた、この家族の愛情に包まれていた幼き【上条当麻】という少年は。

 

 上条当麻が逆行してきたことにより、その存在を乗っ取られた【上条当麻】は――ただ純粋に被害者だ。

 

 上条当麻という簒奪者によって、その全てを奪われた、ただの不幸な少年だ。

 

(……ひょっとしたら、覚えているのかもと思った。何らかの何かでこの身体に乗り移ったのだとしたら、前の時みたいに脳細胞が破壊されているわけではないこの身なら、どうにかすれば、【上条当麻】の記憶は思い出せるのかと思っていた)

 

 だが、それは儚い幻想に過ぎなかった。

 こうしてかつての【上条当麻】の思い出を突きつけられても、他人のアルバムを覗いているような罪悪感しか覚えなかった。

 

 思い出せる気配がない。生き返る気配がない。

 突きつけられる――【上条当麻】は、死んだのだと。

 

 他でもない、『上条当麻』が、この世界から殺したのだと。

 

「………………ッ!!」

 

 分かっていた筈だ。

 時間軸を逆行する、平行世界へ漂流する、そんな魔神の力でもなければ不可能な奇跡が、何の代償もなしに享受出来る筈などないのだということは。

 

 この世界は、オティヌスが作り出した、『しあわせ』な黄金の世界ではない。

 

 事件もある。失恋もある。借金もある。

 誰かの犠牲の上に成り立つ――歪みのない不完全な世界だ。

 

 都合のいいだけの奇跡なんて起こらない。幻想をぶち殺す右手は、そんな儚い希望すらも容赦なく破壊する。

 

『疫病神』と呼ばれた少年は、別の世界から来た本物の『疫病神』に不幸にもいなかったことにされた――ただ、それだけの真相だった。

 

「――当麻」

 

 上条が床に膝を着けて、【上条当麻】のアルバムを眺めながら打ちひしがれていると、再び上条当麻の部屋のドアが開き、廊下の明かりが差し込んでくる。

 

 そこにいたのは、上条刀夜だった。

 

「どうした? 電気すら点けないで」

「……いや、つい、懐かしくてさ」

 

 咄嗟とはいえ吐いた『嘘』に、最早、反射的なまでに吐いてしまうようになってしまった『嘘』に、上条は再び己の心を影が覆うのを感じる。

 

 しかし、そんな表情は決して見せずに、上条当麻は仮面を被る。最早、己の皮膚にまで同化したといえる程に馴染んでしまった仮面を。

 

 刀夜はそんな上条の表情ではなく、上条が広げていた家族旅行の写真のアルバムを上から覗き込む。

 

「ああ。これはお前が学園都市に行く前に、最後に行った旅行の写真だな。懐かしい。お前も覚えてくれていたのか」

「……あぁ」

 

 そしてまた、『上条当麻』は『嘘』を吐いた。

 

「初めは三人で行く予定だったんだが、お前にもうすぐ会えなくなるというので、乙姫ちゃんが寂しがってなぁ。どうしても着いていくって聞かなかったんだ。お陰で賑やかでとても楽しい旅行になったが」

「……あぁ」

「乙姫ちゃんは明日、ここに来ることになっている。お前に会えるのをとても楽しみにしていたぞ。そうだなぁ、お前が高校を卒業するタイミングにでも、また一緒に旅行に行こうか。お前はもう親と旅行なんて恥ずかしいかもしれないが」

「……いや、そんなことねぇよ。……そうだな。それもいいかもな」

 

 その時まで、果たして自分がこの世界にいるのかは分からないが。

 

 もし、『上条当麻』が元の世界へと帰還した時――果たしてこの身体は、一体どのようなことになるのだろうか。

 

 元の【上条当麻】の意識が復活を果たすのだろうか。それとも、まるで抜け殻のごとく、上条当麻という人間が死を迎えるのだろうか。

 

 分からない。分からないが――どうか、前者であってくれと思う。

 

 そこだけは、希望のある都合のいい奇跡であってくれと。

 全部の不幸は、この『疫病神』が引き受けるからと。

 

「……あぁ。楽しみだ」

 

 そして『上条当麻』は、また再び――『嘘』を吐いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 夕食は、季節外れの鍋になった。

 

 いやそこは引っ越し蕎麦とかじゃないのという上条の突っ込みを聞き届ける者はおらず、他人の新居だというのに遠慮という概念を知らない暴食シスター、そしてそのシスターの暴食加減を主に家計という意味で思い知っている中一女子、そしてなんか面白そうだからフェスティバルには基本的に参加しとけ精神の五女が、ゴングが鳴る前に鍋レオンと化した為、上条も一足遅れにせめて肉一切れだけでもと急いで箸を伸ばした。

 

 詩菜はそんな食欲溢れる十代パワーをあらあらと言いながら見守り、ちゃっかりそんな詩菜の隣の席を確保した一女は鍋レオン達が争う戦場の中から一人分をバランスよく小皿に確保し(未来の)姑への点数稼ぎとばかりに詩菜へと差し出して出来る(未来の)新妻っぷりをアピる。

 

 刀夜は、初めはそんな無法地帯な食卓を呆然と眺めていたが――。

 

「こんな賑やかな夕食は、本当に久しぶりだ」

 

 そう呟いて、己が獲得したマイホームでの初めての夜を、本当に嬉しそうに噛み締める。

 

 詩菜はそんな夫の笑顔を本当に温かい笑顔で眺めて。

 

 白菜と豆腐しか手に入れられなかった己が戦果にがっくりと肩を落としていた上条も、そんな両親を見詰めて、ゆっくりとたっぷり出汁が染み込んだ野菜を咀嚼する。

 

 ああ、これが――家族の味なんだと。

 

「――美味い」

 

 その日の夜、上条は本当に久しぶりに、ぐっすりと眠れた。

 




上条当麻は、見知らぬ実家で、己が知らない【上条当麻】を知る。


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残された人々〈いっぽうそのころ〉

……やられ(たわ)(たわぁ)(ました)(ぜェ)


 

 上条当麻御一行が、学園都市を後にし、上条家新居へと足を踏み入れたその頃。

 

 学園都市――常盤台中学学生寮近くのホットドック店にて。

 

 昨今の我が国にしては真夏にも関わらず清々しい程度で落ち着いている気温と日差しの中、木陰の下のテーブルにて、荒々しくホットドッグに齧り付きながら、御坂美琴は力無い笑みを浮かべながら呟いた。

 

「……やられたわ」

 

 御坂美琴が、妹達(シスターズ)の存在を知ったあの日から欠かさず続けている彼女達の住居への訪問。

 今日もいつも通りの時間に訪れたら、そこに居たのは00003号(三女)一人だけだった。

 

 その理由を問うと、何と上条当麻の帰省に、佐天とインデックスと00001号と00005号だけ同行したというではないか。

 

(流石は佐天さん。……私にはまだちょっと無理な行動力だわ)

 

 どちらにせよ、超能力者(レベル5)の自分では学園都市外への同行などという許可は降りなかっただろうが——しかし、その恋する女子としての黒さとアグレッシブさは、普通の女子中学生の御坂美琴としては、尊敬半分、やってくれたな半分という気持ちだった。

 

 まぁ、食蜂やら白井ならば兎も角、佐天となると御坂としては恋敵や曲者というよりは友達や後輩という面が強い為、余り強く恨みに思うことも嫉妬することも出来ない。

 

 これが果たして好意から来るものなのか、それとも無意識に敵ではないと思っているのか——能力による戦闘(バトル)戦闘ならばまだしも、女子中学生としての初恋を巡る恋愛(バトル)において、果たして自分と佐天にどれだけの戦力差があるというのか。

 

 少なくとも女子力という面では自分にそれほどアドバンテージがあるとは思えないが——そういった自覚はあるものの、今は自分の恋心と向き合うのに精一杯で、目の前でイチャイチャされていたり、その相手が食蜂(しょくほう)操祈(みさき)でもない限りにおいては、今の自分ではそこまで嫉妬心を燃やすことが出来ない。情けないことだという自覚はあるが。

 

 その点においては、自分は生まれて半年のこの妹にも、既に追い抜かれてしまったのかもしれない——と、御坂は、目の前で同じホットドッグを食べながらも、露骨に頬を膨らませている00003号を見遣った。

 

「……まーだへそ曲げてるの? しょうがないじゃない。ジャンケンで負けちゃったんだから。流石に五人は連れて行けないでしょ。そこはアイツや冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生が正しいと思うわよー」

「目の前にチケットがぶら下げられていたのに、横から同じ顔をした奴に掻っ攫われた悔しさは、お姉様には分かりません、とミサカは初めから蚊帳の外にいた今章ではモブキャラのお姉様に露骨に八つ当たりします」

 

 ぷいっと、御坂から顔を背けながら、もそもそとホットドッグを頬張る00003号に「……こうして学園都市に残されてる時点で、あなたも今回はモブキャラよ」と、苦笑しながら妹の拗ねを宥める御坂。

 

「それにしても、アイツも本当に忙しいわね。この間、幻想御手(レベルアッパー)事件とやら禁書目録(インデックス)の件が終わったばっかりなのに。次は学園都市の外までお使いなんて」

「今回は何かの事件ではなく只の夏休みと聞いていますが、とミサカは自分達だけ新しい水着を新調してうきうきだった姉と妹を思い出し、再びムカムカを蘇らせながら回想します」

「まぁ、そうらしいけど。あれだけいつも忙しそうに走り回っている奴が、只の休暇で終わるわけないよなーって」

「それはフラグという奴ですか? とミサカはお姉様にオススメされた漫画という娯楽で得た知識を活用しながら問い返し——むぐ」

 

 マスタード付いてるわよっと御坂は三女の鼻のマスタードを拭いながら、残っていたホットドッグを口に放り込みつつ立ち上がる。

 

「あっちのことはあっちに任せましょ。アイツが付いてるんだから、何が起こっても大丈夫でしょーよ。それより、あっちが楽しんでるならこっちも負けないくらい楽しみまないとね。夏休みも残り少ないんだから」

 

 取り敢えずは00001号と00005号に負けないくらい可愛い水着を買ってあげる、と00003号の手を取って御坂は立ち上がらせると、00003号は口元を綻ばせながら、こちらもホットドッグを全て食べ終え、ごくんと嚥下したその勢いのまま、笑顔の(オリジナル)に向かってこう言った。

 

「そうですね。水着も勿論欲しいのですが、ミサカ達の名前もそろそろ欲しいです、とミサカは締め切り間近の作家にプレッシャーを掛ける編集者のように追い詰めてみます」

「うっ……。ご、ごめんね、色々と考えてはいるんだけど……なんか考えれば考える程、どれもいいようなどれも悪いようなって感じでドツボに嵌まっていく状態といいますかなんといいますか」

「今回の00001号と00005号は勢いで乗り切ると言っていましたが、今後誰かに自己紹介する機会がミサカ達にもいつ訪れるか分かりませんので、とミサカは残り少なくなった夏休みの宿題はよやれやとお姉様に携帯のカレンダー画面を突きつけながら脅してみます」

 

 御坂は、あははと笑って誤魔化しながらも、00003号の分のゴミを預かりながら、くるりと背中を見せつつゴミ箱に向かう。

 

 ここ数日、毎日のように妹達(シスターズ)の部屋へと通い、彼女達が第一印象よりもずっと個性が異なる、正しく五つ子のような姉妹なのだということが、御坂には分かってきた。

 

 00001号(一女)は、姉妹の中で一番クールであり、一番恥ずかしがり屋であり、いざという時は思いもよらない強さを見せることもある少女。

 00002号(二女)は、姉妹の中で一番おしとやかであり、一番引っ込み思案な所はあるが、それがかわいらしく物静かな少女。

 00003号(三女)は、姉妹の中で一番子供っぽいところがあり、一番寂しがり屋で、だからこそ一番素直な少女。

 00004号(四女)は、姉妹の中で一番負けん気が強く、一番我が強いが、とても責任感が強い少女。

 00005号(五女)は、姉妹の中で別格にフリーダムで、どうしてこんな個性が芽生えたのかと疑問を抱くくらい不思議なキャラだが、だからこそ一番内面が読み取れない少女。

 

 最終個体(末っ子)は、絵に描いたような天真爛漫な少女で、フリーダム具合でいえば00005号と負けないが、しかしその見た目と反してとても賢く包容力のある女の子だ——本当にみんな可愛くて、愛おしくて、だからこそ、彼女達に相応しい素敵な名前をと張り切ってしまう。

 

(でも、だからといってあの子達に不便を掛けたら本末転倒よね……)

 

 学校に通うのは二学期からとはいえ、既にこうして妹達(シスターズ)は街を自由に出歩いている。

 これから多くの見知らぬ人と、妹達は関わっていくのだろう。

 その上で、名前というのは彼女達という『個人』を示すのに必要不可欠なものだ。

 

(……夏休みの宿題、か。……真摯に向き合わなきゃね。一夜漬けなんて(もっ)ての外)

 

 御坂はホットドッグのゴミをゴミ箱に捨てて、00003号の元へと戻る。

 

「ごめんね、お待たせ。じゃあ、行こっ——か……?」

 

 姉が戻るとそこには——(00003号)をナンパしている、小綺麗な好青年が居た。

 

「あのー、御坂さんですよね? 僕ですよ、覚えてないですか? おかしいな、何度も会っているじゃないですか」

「いえ、ミサカはお姉様ではなくてですね、とミサカはこいつしつけえなと人違いであることを真摯に訴えます」

「ほ、ほら! やっぱり御坂さんじゃないですか」

「いえ、このミサカというのはミサカ達のキャラ設定による口調によるもので——」

「おらぁッ! 人んちの妹をなにナンパしてくれてんよ、このチャラ男がぁッ!!」

 

 ごふっ! と、某風紀委員(ジャッジメント)のツンツン頭の先輩からかつて本気で怒られた為に電撃を控えた一撃を、具体的には主に自動販売機相手に日頃からトレーニングを重ねているハイキックを、御坂は(00003号)をナンパしていたと思われる見た目好青年に叩き込んだ。

 

「大丈夫? 変なことされてない?」

「え、ええ。と、ミサカは自分の無事に安堵するよりも先に相手方のダメージを心配してしまう程の一撃を食らったナンパ男に同情します」

 

 00003号は、自分の両肩を掴んでこちらの顔を覗き込んでくる御坂に、足下で転がる男性を指差して尋ねる。

 

「そ、それよりも大丈夫ですか、お姉様。どうやらお姉様のことをご存じのようでしたが、とミサカはこいつ知り合いなんじゃねぇのとナンパ男とお姉様の関係性を問います」

「知り合い? 私にこんな夏の陽気に身を任せてナンパなんて愚行に走るような知り合いなんて――」

 

 と、そこで、御坂は動きを止めた。

 

 頬を真っ赤に腫らせて、その端正な顔を押さえながら立ち上がったのは、残念ながら覚えのある顔だった。

 

「イタタタ。あ、あれ? 御坂さんが――二人?」

 

 海原(うなばら)光貴(みつき)

 ここ最近、御坂美琴の周囲をうろついていた男であり、常盤台中学校の理事長の孫として、これまでは穏便にやり過ごしてた――間違ってもハイキックなどを叩き込んでは大変面倒なことになること請け合いな人物だった。

 

「妹……さん、ですか?」

 

 そして、心配していた妹の自己紹介シーンも唐突にやってきた。

 

 どうする? どうすんのよ? ――と、00003号がじぃーと自分を見詰める視線を感じる。

 

「……はは」

 

 とりあえず笑って誤魔化すことにした。

 

「……いえ、あの――こちらの方は、妹さん、ですか?」

 

 無理そうだ。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻御一行が、学園都市を後にし、上条家新居へと足を踏み入れた、その頃。

 

 学園都市――統括理事・親船最中の執務室。

 

「……やられたわぁ……ッッ!!」

 

 机に突っ伏しながら悔しさに悶えているのは、ついにはポッと出の新人ヒロインにまで両親への挨拶イベントを先越された、未だ相手方の両親に顔も覚えられていない幼馴染み系ヒロイン・食蜂操祈。

 

(……ま、まだよ! まだ御坂さんは上条さんのご両親とは面識がない筈! まだご両親と挨拶を済ませたヒロインの方が少ない筈よぉ! 出遅れてない! 私は出遅れてないわぁ!)

 

 初めは先頭を走っていた筈なのに、次々と抜かれて遂にはまだ自分よりも後ろを走っている人間を見てまだ私は最下位じゃないと自らを鼓舞する、ヒロインとしては黄色信号が点滅し始めた食蜂。

 

 時系列的には間近に迫った大覇星祭にて、件の御坂美琴と、ついでに今回まだ挨拶を済ませていない残る三人の妹達(シスターズ)(つつが)なく上条夫妻への挨拶を済ませることになることを、ちなみに彼女はまだ知らない。

 あとついでにいえば、ツンツン頭が風紀委員になってからの五年間で、白井黒子と初春飾利(あとついでに固法美偉)はもう既に挨拶を済ませていることを、この出遅れ女王はまだ知らない。

 

「女王。あまり可愛いらしくない声で悶えるのはおやめください。彼女が怖がっています」

「あ、あの、大丈夫ですか? とミサカは食蜂様が何か変なものを食べてしまったのではないかと気が気でありません」

「ご安心ください、00002号。何も食べなくとも女王は時折このような発作を起こします」

 

 何か自分の信頼する側近からとんでもなく馬鹿にされたような気もするが、食蜂は何も聞こえなかったことにして来客に引き攣った笑顔を返した。

 

「だ、大丈夫よぉ、00002号ちゃん。それよりも、お話聞かせてくれてありがとうねぇ」

「お役に立てましたでしょうか? と、ミサカは不安げに上目遣いで問います」

「勿論よぉ。……正直、佐天さんを侮っていたわぁ。これからは警戒力を増大させないとねぇ」

 

 そう言って食蜂は、今更手遅れ感が酷いが、優雅に足を組んで紅茶を口に含みながら体裁を整える。

 

(……確かに佐天さんは一般的には只の無能力者。インデックスちゃんも、不法侵入者ではあるけれど、学園都市の殆どからはその価値は分からないでしょう。……それでも、0000

1号ちゃんと00005号ちゃん――妹達を学園都市の外に出すというのは、流石に意外力が高かったわ)

 

 学園都市一有名な超能力者、御坂美琴の体細胞クローンである『妹達』。

 彼女達は分かりやすい、学園都市の、科学サイドの『闇』であり最奥のブラックボックスの一つだ。

 

 それを、念密な事前プランがあったわけでもなく、昨晩の思いつきで決めた同行に、それも『(ゲート)』から真正面の外出など、それこそ超能力者の食蜂や御坂の外出以上に、通常ならば認められないだろう。

 

(なのに、こうもあっさりとそれが認められるなんて。……学園都市は、本格的に妹達に価値を見い出していない? それとも、上条さんを『外』に出すことと同じように、妹達を『外』に出したい理由力が存在していた、とか?)

 

 だとしたら随分と杜撰な計画だ。上条が妹達を連れて行く可能性など、殆どなかったに等しいのに。

 それともこれはあくまでも偶然で、連れ出したら儲けものとくらいに考えていたのだろうか。

 

 それとも、『外』に出しても、『中』にいようとも、彼等にとっては()()()()()()()――?

 

「あ、あの、食蜂様? とミサカは何か怖い顔をさせてしまうことをしてしまったかと不安げに襲われます」

「っ! いえ、何でもないわぁ。最近は御坂さんに独占されていたから、こうしてあなたと一緒の時間が過ごせて嬉しいのよぉ」

 

 現時点では情報が少なすぎる。

 考えても答えが出ないことは、考えすぎても意味がない。

 

 妹達に関しての学園都市側の価値観に対する情報は、後で徹底的に洗い直そうと食蜂が決意を固め直した所で「……それにしても、海かぁ」と食蜂は思考を切り替える。

 

――ウミっていうところに、いってみたいなぁ。

 

 かつて、友達となってくれた少女の、今際の際の願い。

 それがこんなに早く果たされることになるなんてと、感慨深さ半分、そしてもう半分は――。

 

(――出来れば、一緒に見たかったなんて思うのは……傲慢というものかしらね)

 

 そんな、寂しさのようなものも感じながら、食蜂は00002号に問いかける。

 

「でも、あなたたちはネットワークで繋がっているのだから、00001号ちゃんや00005号ちゃんが得た『外』の情報も共有しているのでしょう? なら、あの子達の経験力も、あなた達の経験力となるのだからよかったじゃない」

 

 食蜂のそんな笑みと共に掛けられた言葉に、00002号は俯きながら答える。

 

「……確かに、ミサカ達はミサカネットワークによって、あらゆる情報を共有出来ます。……しかし、ミサカ達の自我が芽生えるにつれて、その在り方は少しずつ変化しています。とミサカはミサカ達の最新情報を解禁します」

「変化力?」

 

 00002号は、食蜂の言葉にこくりと頷き、そしてぽつりぽつりと繋げた。

 

「分かりやすく言えば、他の妹達には知られなくないことは、隠すようになったのです。とミサカはプライバシーという概念が適切かと解説します」

「……なるほどねぇ。つまりは、群体としての『妹達(シスターズ)』の他に、個人としての『00002号(シスターズ)』として確立しつつあるということね」

 

 食蜂は、その言葉に真剣な顔で頷いた。

 それは軍用量産型兵器として生み出された『妹達(シスターズ)』にとっては当初は想定されていない機能だろう。

 

 全ての情報や経験を共有しているが故に、彼女達は無限に成長するクローンとして、彼の学園都市第一位を絶対能力者(レベル6)へと押し上げるに足る『経験値』として認められていたのだから。

 

 しかし、この世に生まれた生命の一つとしては、一つの妹達(しまい)の在り方としては、とても健全な成長だと、食蜂は思った。

 

「素晴らしいじゃない。それはつまり、あなたたち一人一人が、一つの生命として自立力を発揮し始めたということでしょう」

冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)先生もそうおっしゃっていました。無論、共有すべき情報は今でも共有していますし、あの方とのあれやこれやを自慢する意味でネットワークに挙げてくる個体もいるのですが、とミサカは今まさにあの方とのツーショット記録をネットワークにアップしてくる00005号(いもうと)に対して殺意を燃やしながら答えます」

 

 そ、そう、と、どうかミサカネットワークは、人間達が構築するインターネットのように、人間の嫌な面をこれでもかと凝縮したような代物にはならないで欲しいと願いながら、食蜂は相槌を打つ。

 

「つまり、簡単に言えば、共有したいと思う情報は共有出来るし、共有したくないと思う情報は上げないことも出来るし、受け取らないことも出来るのです。とミサカは最新のミサカネットワーク事情を食蜂様に報告します」

「……なるほど」

 

 それはある意味では、ミサカネットワークの利便性を失ったともいえる改変だ。

 情報の取捨選択が出来るということは、取るべき情報を捨ててしまう選択ミスが生まれるということでもある。

 

 それでも、そこから生まれるプライバシーともいえる概念は、今でもだんだんと五色に分かれてきた妹達の個性を、さらに明確に色分けすることになるだろう。

 

 つまりそれは、これまでは機械的に処理するだけだった情報を、仕分ける回路が五種類に増えるということ。

 

 そうなると、一概に改悪とはいえないと、食蜂は考える。

 何より、知られたくない、共有したいという感情が生まれることは、妹達にとってはかえがえのない成長だと思えるのだ。

 

「それで……ですね、とミサカは本題に入るべくもじもじしながら意を決して言います」

 

 すると、目の前の生まれて半年ほどの少女は、同じ時期に生まれた姉妹の中でも殊更に引っ込み思案な少女は、言葉通りもじもじと、頬を赤く染めながらも指を擦り合わせていたが、ゆっくりと消えゆくような声で言った。

 

「……今回の帰省で、ですね……きっと00001号と00005号がネットワークにアップするであろう景色(がぞう)を、ミサカは受け取らないようにしようと思うのです、と、ミサカは表明します」

「え? そうなの? どうして? あなたたちにとって初めての『外』の景色でしょう?」

 

 以前、布束砥信によって初めて研究所の外に連れ出された時に見た『外の世界』に対する感動を、嬉しそうに目の前の00002号(この子)が語ってくれた時のことを、食蜂はよく覚えている。

 

 自分にとっては科学の檻としか思えない学園都市(この街)の景色ですら、初めて触れる妹達(この子たち)にとっては心打つ絶景に感じたのだ。

 

 そんな妹達にとって、初めて見る海というものは、果たしてどんな風に映るのだろう。

 自分には想像も出来ないが、きっと素晴らしいものだろう。0号(あの子)も、あれだけ憧れていたのだから。

 

 ならば、そんな体験こそ姉妹で共有するべきなのではと疑問に思う食蜂に、00002号は、恥ずかしそうにもじもじしながら言った。

 

「初めては……食蜂様と……あの方と、一緒がよくて。……と、ミサカは……ミサカは」

「尊い」

「女王!?」

 

 気が付いたら巨乳に00002号を埋めていた。

 理由? 可愛すぎるのが悪いと言わんばかりに、しあわせプレス(意味深)の力をどんどんと増しながら、食蜂は全力で愛を注ぎながら叫ぶ! 愛するその子の酸素を奪いながら!

 

「ええ! 勿論よ絶対に観に行きましょう! あなたと上条さんと私の三人で! ええ、ええ、それこそがしあわせの形よ、今決めたわ! 世界一美しい海を見せてあげるわ新婚旅行はやっぱりハワイかしらね!」

「女王! 女王! 00002号のタップする腕がだらんと下がっています! もう限界そうなので解放してあげてください!」

 

 少し先の未来ではあるが、そのハワイにも噂の上条パイセンは御坂美琴と共に訪れる事件があるのだが、それを食蜂はまだ知らない。

 

 常盤台の女王のヒロインへの道は、まだまだ長く遠く険しい。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 上条当麻御一行が、学園都市を後にし、上条家新居へと足を踏み入れた、その頃。

 

 学園都市――風紀委員177支部では。

 

「…………やられましたわ」

「…………やられましたね」

 

 ピンク髪のツインテールの少女と、黒髪に花飾りの少女が、それぞれの手持ちのデスクでずーんと肩を落としていた。

 

「まさか、昨日の今日でもう学園都市の外に出て帰省とは……相変わらずあの方は読めないですの」

「それにちゃっかり同行しちゃう佐天さんも佐天さんですよ。抜け目ないというか何というか」

 

 まぁ、でも、佐天さんはそういう人だと、初春は妙に納得していた。

 好きなものに対する憧れが強くて、自分に自信がなく躊躇う時もあるけれど、いざという時の行動力はとても真っ直ぐで力強い。

 

 そして、無能力者(レベル0)ということもあるが、ある意味で上条当麻の周辺では珍しい“――普通”な女の子だ。

 オシャレに敏感で、向こう見ずで、なにより今の佐天にとっては――恋愛こそが全てだろう。

 

 佐天だけが唯一、十代の女子らしく、恋愛が全てになり得るのだ。

 自分や白井のように風紀委員として職務を抱えていない、御坂や食蜂のように超能力開発に対する実験協力も必要ない。

 

 この学園都市で珍しい、学校と友達と恋愛だけで形成された青春。

 そんなありふれた、けれどこの学園都市だからこそとても貴重な“当たり前”を、佐天涙子は満喫出来る。

 

 常に非日常の世界に突発的に飛び込み、日常の世界を守る為に戦い続けている上条当麻という少年にとって、そんな彼女はとても希少なキャラクターとなるだろう。

 

 守るべき日常の象徴――上条にとって佐天は、そんな存在になり得るかもしれない。

 

「……本当に、強敵だなぁ」

 

 佐天自身は、御坂や白井や初春のように、上条が飛び込む非日常で隣に立つことが出来ないことに苦悩していたようだけれど。

 帰るべき日常でヒーローの帰還を信じて待ち続けているというのも、立派なヒロインの形だと初春は思う。

 

 いや、むしろ上条の周囲のことを考えれば、そちらの方が競争率が低いポジションなのでは――と、机に突っ伏しながらむむむと考え込んでいると。

 

「はぁ。まぁ、こんな所で今更うんぬんと唸っていても、行ってしまったものはしょうがないですの」

 

 そう言って初春よりも幾分か早く気持ちを切り替えたらしい白井が立ち上がると「上条さんが帰省し、固法先輩が上条さんの有給届けを本部に提出しに行った今、片付けなければならない仕事は山積みですから」と呟きながら、普段は上条専用と化しているコーヒーメーカーでホットコーヒーを淹れると、自分用と来客用の二杯を持って、この佐天一行抜け駆け話を持ち込んでくれた情報提供者の元へと歩いて行く。

 

「お話、ありがとうございますの、00004号さん。これ、上条さんがお気に入りのブレンドですのよ。一緒に飲みましょう」

「いただきます。とミサカはあの人の匂いがしますと若干危ない発言と共にコーヒーの香りを味わいます」

「ねぇ、白井さん。私の分はないんですか?」

 

 白井は00004号とは向かい側のソファに座り、カップを両手に持って嬉しそうにコーヒーを飲む00004号を見守る。

 

「ねぇ、白井さん。私の分はないんですか? 白井さーん」

 

 一口飲んで、その苦さに顔を顰めるも、憧れの人の好きなものだからと頑張って飲もうとするのは、どこか意地っ張りで子供っぽい、自分の憧れの人と似ている。

 

 顔や体型だけではない。やはり、妹達(シスターズ)御坂美琴(お姉様)の妹なのだと、そう感じることが出来る。

 というか、御坂(お姉様)が自分には見せないような萌え仕草を見せてくれているようで興奮する。やばい涎が。ぐふふ。

 

「ちょっと、聞いてますか白井さーん」

「もう鬱陶しいですの! というか机から立ち上がったのならご自分でお淹れなさいな!」

 

 自分の妄想を肩を揺さぶることで強制的にストップさせた初春を露骨に邪険に扱いつつ、何か寒気を感じたのか気が付いたらコーヒーを飲むことを00004号が中断していたので、仕方ないと白井は真面目な話に移る。

 

「それで。00004号さんは、上条さんが戻るまで風紀委員の仕事をお手伝いしたいと、そういう要件でよろしかったですの?」

「はい。痛恨にもジャンケンに敗れてしまったミサカですが、だからといって姉や妹がネットワークに上げる露骨な煽りメモリにただ指を咥えてぐぬぬする夏休みを過ごすつもりはありません、とミサカは負け犬のままでは終わるつもりはないと腕を捲ります」

 

 無表情で常盤台の夏服の短い袖を捲る00004号の仕草に、真面目な表情の裏でひゃっはーしている白井(変態)が目の前にいるのだが、謎の悪寒を感じるだけで00004号は目の前の危機に気付くことが出来ない。

 

 00004号は、ゆっくりと袖を直しながら続ける。

 

「あ、あの方がいると、危ないから駄目だと言われてしまうので。あの方が留守にしている間に、あの方のお仕事がお手伝い出来るようになりたいのです、とミサカは自分が使える女だとアピールする方向に舵を切ります」

「なるほど。留守を守るのではなく、職場で肩を並べることで隣に立ちたいと。……その気持ち、すごくよく分かりますの」

 

 白井はうんうんと頷きながらも、内心でちょっと不味いと思っていた。

 風紀委員として現場で肩を並べるというのは、最近、ちょっとアピール不足気味な白井にとっては唯一といっていい、他のライバルに比べての白井の強みだった。

 

 ここで00004号にもそのポジを奪われたら、自分が上条にアピールすることが出来る数少ないポイントが奪われてしまうかもしれない。

 

 だが――。

 

「で、でも00004号さんは異能力者(レベル2)でしたわよね。この177支部は街中で起きた能力者トラブルを解決することも職務ですの。正直言って、かなり危険なことに巻き込まれる可能性がありますわよ」

「覚悟の上です。確かに、ミサカは00001号や00002号(あね)達やお姉様ほどに強力な能力は使えませんが、妹達(シスターズ)として学習装置(テスタメント)によって刻まれた戦闘知識があります、とミサカはそんじょそこらの不良(スキルアウト)程度には遅れは取らないとアピールします」

 

 ああ、やっぱりと、白井は嘆息する。

 この00004号は、他の妹達と比べても負けん気が強く、言ってしまえば頑固なのだと、他でもない御坂美琴が聞いていた。

 

 つまりそれは、御坂美琴とそっくりだということ。

 こうと決めたら絶対に曲げず、困難に直面しても諦めるということを知らない。

 

 そして――何より。

 

「……駄目、でしょうか?」

 

 御坂美琴にそっくりな顔で、そっくりな表情で、そんなことを言われたら。

 他でもない、御坂美琴の妹に、そんな可愛いおねだりをされて、この白井黒子が断れる筈もなかった。

 

「……分かりました。けれど一先ずは、上条さんが戻るまでの間だけですよ」

「いいんですか? 白井さん」

「仕方ないですの。お姉様も少し前に風紀委員見習いのようなことをやっていましたしね。固法先輩は私が説得しますわ。けれど、正式に風紀委員となるには、二学期に入って学籍を得てからきちんと手続きを踏んで――」

「いえ、それも勿論なんですが――」

 

 初春がこっそりと白井の耳に口を近づけて囁くように言う。

 

「白井さんの唯一のアドバンテージを捨てるような真似をして」

「ぶっ殺、ですの」

 

 あなただって最近は佐天さんの後塵を拝してばかりじゃないですの、やめてください頭の花を毟らないでください、と、白井が初春をヘッドロックしてお前最近生意気だなあーんとパワハラを噛まそうとしていますが風紀委員177支部はいじめなど存在しない笑顔溢れる楽しい職場です。

 

 白井は、そこではぁと初春の首に腕を巻いたまま溜息を吐くと、涙目の初春が「白井さん?」と問いかける。

 

 そこで白井は「ご覧なさいな、初春」と言って目線を誘導すると、そこには。

 

「――やった♪ とミサカはガッツポーズします!」

 

 無表情ながらも、口元に笑顔を作って。

 小さく呟くように、自分の足で踏み出した一歩を噛み締める少女が居て。

 

「……あんな顔をされたら、我が儘を叶えてあげたくもなりますの」

「……そうですね」

 

 そう言って白井は初春と顔を合わせると、初春を解放して「それでは00004号さん。さっそくパトロールに出かけましょうか」と、00004号に向かって声を掛ける。

 

「言っておきますが、風紀委員は厳しい仕事です。例え、お姉様の妹君だろうと、見習いであろうと、指導に手を抜くつもりはありませんことよ」

 

 白井は00004号の袖に腕章を着ける。

 それは、訓練所を卒業したばかりの新人風紀委員が、若葉マーク代わりに身につける腕章。

 00004号がずっと憧れの視線を向け続けた少年が、いつも身につけているそれにそっくりな腕章。

 

「覚悟はよろしくて?」

 

 白井が不敵に笑いかける。

 00004号は、色々な感情が篭もった無表情を、ぐっと引き締めながら敬礼した。

 

「――はい。よろしくお願いします、先輩、とミサカは決意を新たに気合いを入れて返答します!」

 

 その後、「……先輩呼び。……萌え」と言って、少しの間、白井(変態)が使い物にならないハプニングが発生したりしたが。

 

 こうして、00004号の風紀委員体験記は幕を開けた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻御一行が、学園都市を後にして、上条家新居へと足を踏み入れた、その頃。

 

 学園都市――とあるファミレスにて。

 

「ずるい、ずるい、ずるい~~~!! ってミサカはミサカはじたばたと手足をばたばたさせてみたりぃ~!!」

「…………やられたぜ」

 

 注文したハンバーグセットが届くまでの僅かな時間を利用して、ここに来るまでの道中ずっと両頬をリスのように膨らませていた打ち止め(ラストオーダー)は、今正に狙い時とばかりに、身体いっぱい使って不満をこれでもかと露わにしていた。

 

 そんな子供の癇癪を宥めるという、大変キャラに合わない面倒くさい役割を押しつけられた真っ白な少年は、「……面倒くせェ」としっかり口に出してぼやきながら、この状況を作り出した同居人に心中で死ぬほど文句を言っていた。

 

(このガキが大人しく留守番役なんかに納得出来るわけねェだろォが。絶対にこうなることが分かって俺にガキの守り役を押しつけやがったンだよ、あのヒーロー。帰ってきたら覚えとけよ、クソが)

 

 まぁ、当のヒーローも突然の帰省に女子中学生四人を同行しなくてはならなくなった身の上、さらに内二人(インデックスと00005号)は間違いなくトラブルメーカーとして活躍すること請け合いなので、その上、更に目を離したら何をしでかすか分からない打ち止め(ラストオーダー)も引き受けることは出来なかったのだろう。ジャンケンに負けてくれて正直ほっとしてくれたに違いない。

 

「てか、いい加減、飲食店でジタバタするのはやめやがれ。埃が舞うだろうがァ」

「イタッ。暴力反対ってミサカはミサカは憤慨してみたりぃ~」

 

 学園都市第一位の手加減に手加減を重ねたデコピンにより、頬の膨らみはそのままだが、大人しくはなってくれた打ち止め(ラストオーダー)に、ドリンクバーの薄いコーヒーに更にイライラを募らせる一方通行(アクセラレータ)は溜息を吐く。

 

「にしても、こンなところに俺を連れ出してよかったのかァ? 一応、俺はあのヒーロー様の留守中、他の妹達の護衛を請け負ってるンですがねェ」

「あなた、ミサカが来るまで爆睡してたじゃない。って、ミサカはミサカは職務怠慢を指摘してみたり」

 

 その時、打ち止め(ラストオーダー)が注文したハンバーグセットが届き、不機嫌だった打ち止め(ラストオーダー)の表情が喜色満面になる。「ご注文は以上でよろしいですか?」「大丈夫でェす」と店員を送ると、早速、打ち止め(ラストオーダー)がメインのハンバーグにフォークを勢い良く突き刺す。

 

 ナイフを使えよ……と、一方通行がもう面倒くさいので心の中だけで呟いていると、ソースを口元にべったりと着けた打ち止めが「他の姉妹のことは心配しなくて大丈夫だよ、ってミサカはミサカは太鼓判を押してみたり」と会話を続ける。

 

「00002号はみーちゃんと、00004号は白井さんと初春さんと一緒にいるみたいだから。ミサカがあなたを連れ出してここに来る時は部屋でひとりぼっちで拗ねてた00003号も、今はお姉様と一緒にいるみたい、ってミサカはミサカは上位個体らしく部下の行動を把握していることをアピールしてみたり」

「はっ、口をべったり汚して何が上司だ、威厳ゼロだな」

 

 一方通行はテーブルに備え付けてある紙ナフキンで乱雑に打ち止めの口元を拭うと「むぅ、もっと優しくして? ってミサカはミサカは色っぽくおねだりしてみたり」「色気を語るのは十年早ェぞ、ガキンチョ」と打ち止めの戯れ言を一蹴し、「で? なんで、テメェは俺をこんな所に連れ出したんだァ?」と理由を問う。

 

「理由なんて特にないよ? ただ単に00001号と00005号だけがヒーローさんと遊びに行くのがずるいから、ミサカはあなたで我慢してあげるのってミサカはミサカはプランBで妥協してみたり」

「はっ、そりゃあどォーもォー」

「それにヒーローさんがいなかったら、あなた本格的に家でひとりぼっちで寝ているだけだから。流石にそれは可哀想だし、ってミサカはミサカはヒーローさん以外に友達がいないあなたの将来をそこはかとなく憂いてみたり」

「そりゃァ、どォーもありがとォー!」

「ぐぐぐぐぐぐぐぐだから優しくしてぇ~! てミサカはミサカは唇が剥がれる危険性を示唆してみたりぃぃぃい!!」

 

 拭いてから二秒で再び汚した打ち止めの口元を、一方通行はごしごしと拭う。そこには子供に痛い所を突かれた怒りなどまるで込められていない。流石は第一位。子供の世話をやらせてもそつがない。ないったらない。

 

 むう、あなたなんてもう知らないってミサカはミサカはハンバーグにだけ真摯に向き合ってみたり、と打ち止め(ラストオーダー)がハンバーグに集中し始めるのを、一方通行は溜息を吐きながら眺めて呟く。

 

「はっ。それにしても飽きねェなぁ。何度目だァ? 何かにつきゃあ、ここのハンバーグセットをお強請りしやがるけどよォ」

「……飽きるわけないよ、ってミサカはミサカはフォークを置いて意味深に声のトーンを落としてみたり」

 

 一方通行の言葉に、打ち止めは食器を静かにテーブルに置いて、そして言う。

 

「――だって、あなたとヒーローさんに連れてきてもらった、ミサカの初めてのご飯だもの、ってミサカはミサカは大切な思い出っ! って満面の笑顔を浮かべてみたり!」

「…………」

 

 打ち止め(ラストオーダー)の、言葉通りの輝くような笑顔に「……だったらもっと味わって食いやがれ」と言って、窓の外に視線を動かす第一位。

 

 すると――そこで一方通行(アクセラレータ)は、自分達を狙うような()()()()()()()()()()

 

「…………ガキィ。ちょっとしゃがめェ」

「え? なに? ってミサカはミサカは――あ、ちょっ、あぶッ」

 

 突如として身を乗り出して顔を近づけてきた一方通行(アクセラレータ)に、打ち止めは頬を染めて慌てたが、途端に赤く染まったその顔面は、真っ白なライスの上に押しつけられることになった。

 

 一方通行(アクセラレータ)は、打ち止めの頭を下げて窓の外に視線を移すが――そこには既に、こちらを見据えてた何者かの気配は感じない。

 

「…………おい。なにゼロ距離で米食ってンだクソガキ。食い意地張るのもいい加減にしやがれ。出るぞ」

「ぷはっ! ミサカにそんな野生児キャラを付けないでってミサカはミサカは正統派ヒロイン路線を希望したり! ってもう出るの? まだハンバーグ残ってるんだけど!」

 

 米粒だらけの顔を勢いよく上げてキャンキャンと吠える打ち止め(ラストオーダー)を半ば強引に引っ張る形で窓際の席から引き剥がした一方通行は「夜にはもっといいもン食わしてやる。だから至急、ミサカネットワークで他の妹達に注意喚起を促せ」と打ち止め(ラストオーダー)に命令を出す。

 

(…………こりゃあ、ヒーロー不在の学園都市で何かが起こるかもしれねェって親船の予測は、あながち的外れじゃねぇかもな) 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、どういうことと問うてくる上位個体の手を引きながら、どこかを睨み据えて言う。

 

上条当麻(ヒーロー)不在の学園都市で、よからぬことを企むバカが居るって話だ」

 

 きっと、その命知らずな何者かは知らないのだろう。

 

 例え、ヒーローはいなくても、今、この学園都市には。

 

 とびっきり怖くて頼もしい、悪党(ダークヒーロー)がいるということを。

 

 凶悪な笑みを浮かべる学園都市最強の第一位の手を、強く握り返しながら、打ち止め(ラストオーダー)は思った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 一方通行と打ち止めがファミレスでハンバーグセットを食していた、その傍。

 

 学園都市に無数に屹立する、とあるビルの屋上。

 

「へぇ。暢気に幼女とランチタイムなんて洒落込んじゃってるから、半年でどれだけ平和ボケしちゃったのってがっかりしたけど、そこまで致命的に錆び付いてはいないみたいだね」

 

 それは白い女性だった。

 アオザイと呼ばれる真っ白なベトナム民族衣装を身に纏っている高校生ほどの外見年齢の女性は、豊満な胸部を初めとする体のラインを強調するようなその服を、ビル風に靡かせながら呟く。

 

「これだけ離れてて、しかもミサカが一瞬だけ込めた殺気に瞬時に反応した。それだけあの幼女が大切なのかねぇ。もう只のお飾りの司令塔なのに」

 

 吐き捨てるように、見下すように笑った――その時、白い女性はぴくりと身体を硬直させて、そしてにんまりと凶悪に笑う。

 

「りょ~か~い。引き続き何か動きがあったら教えてちょ~だい。1()0()0()3()2()()()()()()♪」

 

 ふふふと、その凶悪なアオザイの女性は笑う。

 

「そっかぁ。()()()()()()()()()()()()()()()。ざ~んねん。二人同時にぶっ殺せると思ったのににゃあ。まぁ、メインディッシュは後に取っておくのも一興か」

 

 世界中に配備された同胞――否、型式としては旧式の量産型のネットワークに割り込ませてもらっているといった方が正しいが――からの報告に、番外の個体は機嫌よさげに笑う。

 

「……楽しそうに笑っちゃってまぁ。自分達がどれだけおぞましい目的で作られたのかも忘れて。自分達が知らない所で、自分達と同じ存在がどれだけおぞましい目的で動かされているのかも知らないで。子供(ガキ)ってのは無邪気で羨ましいにゃあ」

 

 あぁ――殺したい。

 全く感情の篭もらない声で、悪意を集約する機能を持つ人形は。

 

 番外個体(ミサカワースト)は、一方通行(アクセラレータ)最終信号(ラストオーダー)を、遠い場所から眺めながら言う。

 

上条当麻(ヒーロー)が帰ってくる前に、一方通行と最終信号(アイツラ)をぶっ殺したら、どんだけぐちゃぐちゃなことになるかな?」

 

 ふふ。うふふ。と、恍惚に笑う。

 ヒーローを殺し、ダークヒーローを殺すべく生み出された悪役(ヴィラン)は、平和な世界を楽しそうに眺めていた。

 

 あぁ、どんな風に、台無し(ぐちゃぐちゃ)にしてやろうかと。

 

 その時、再びびくりと、番外個体の身体が硬直する。

 楽しい時間を邪魔されたように不機嫌に舌打ちをすると、誰にともなく呟くように言う。

 

「……分かってる。アンタの計画(プラン)を邪魔することはしないわ。ちゃ~んと、あの主人公(ヒーロー)どもの物語(せいちょう)の為の悪役(かませ犬)になってあげるわよ。でも――」

 

 殺し(勝っ)ちゃってもいいんでしょ? ――と番外個体が返すと、それ以上、最上位個体を通じた返答はなかった。

 

「……そんなに、計画外に生み出された番外個体(ミサカ)制御(コントロール)下に置きたいのかしら? それとも、ミサカじゃそんな大番狂わせ(ジャイアントキリング)は起こせないと高を括ってる?」

 

 上等だとも。元々、誰にも望まれずに生まれた存在だ。

 ただ一人、歪んだ狂気によって番外の個体を作り出した科学者(ちちおや)も自ら殺した身だ。

 

 既に、自分の勝利を願う者など存在しない。

 誰も、自分の生存を喜ぶ者など存在しない。

 

 上等だ。上等だとも。

 だからこそ、悪役(ヒール)として、勝利を目指す甲斐があるというものだ。

 

「――絶対に殺すよ。ミサカは、ただそれだけのミサカだから」

 

 そう呟き、番外個体(ミサカワースト)は、背中からゆっくりとビルの下へと落下した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 番外個体(ミサカワースト)が、とあるビルの屋上から落下する映像を。

 

 巨大なフラスコの中から逆さまになりながら、その『人間』は見ていた。

 

「やれやれ。天井君も、面白いながらも面倒な存在を生み出してくれたものだ」

 

 人知れず生み出された番外の個体。

 だが、この学園都市の全てをその手中に収める支配者――学園都市統括理事長・アレイスター=クロウリーは、当然として、この枠外(イレギュラー)妹達(シスターズ)の誕生を把握していた。

 

 そして、生みの親を誕生と同時に殺害し、数分と立たずに天涯孤独となった彼女に、すぐさまお気に入りのゴールデンレトリバーを派遣し、自らの手の内へと引き込んだのがついこの間のこと。

 

 上条当麻や一方通行(ヒーロー)達の目を盗んで世界中へと配備した、00006号から20000号までの妹達(シスターズ)によって構築された本命のミサカネットワークへと加入させ、その悪意を蒐集しやすいという特性を利用して、ヒーロー達の成長を促す為のヴィランとして利用することとしたのだ。

 

「やはり、彼女を計画(プラン)に組み込むのは無理があるのではないかね?」

 

 ゴールデンレトリバーの言葉に、アレイスターは「問題ない」と決まりの台詞を返す。

 

「元々、妹達は一方通行の成長に利用するつもりだった。『黒翼』までこぎ着けたとはいえ、当初の計画を大幅に前倒したからな。黒から白へと到達させる為に、番外個体は非常に有用な(ピース)となる」

 

 それは、進行方向から右にずれた車を思い切り左にハンドルをきって修正するような、ひどく危なっかしいものにゴールデンレトリバーには思えた。一度加えた修正によって生じた歪みを再び強引に修正する、それを繰り返していく内に、歪みはどんどん大きくなっていくような。

 

 しかし、ゴールデンレトリバーは何も語らなかった。

 そんなことは、この『人間』も把握しているだろう。そもそも、この『人間』の想定通りにことが進むことの方が少ないのだから。

 

 だが、例えそのような危険性を有していたとしても、今の一方通行(アクセラレータ)は余りにも最強過ぎる。

 本来ならば作り出していた筈の弱点も、この世界では生まれていない。

 その上、上条当麻という存在が、一方通行を精神的にも強くしすぎてしまった。

 

 本来ならば、超能力者(レベル5)という『超能力』を制御下に置きやすくする為に、彼等は強烈な個性(パーソナリティ)と共に、精神的な歪みを持ちやすいように教育(調整)する。

 

 だが、一方通行(アクセラレータ)の根本に潜ませる筈の孤独という歪みを、上条当麻は解消した。

 その上で、打ち止めや妹達といった守るべき者を得た今の一方通行は、名実共に最強として完成されてしまっている。

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()、アレイスターとしては困るのだ。

 彼はもっと壊れて、もっと追い込まれて、もっともっと高みへと上ってもらわなければならない。

 

 その為に、アレイスター=クロウリーは、一方通行(アクセラレータ)という主人公(ヒーロー)となるべき登場人物(キャラクター)を作り上げたのだから。

 

(……確かに、そういう意味では、あの番外の個体は第一位の起爆剤へとなりうるだろう)

 

 しかし、それは博打であることは確かだ。

 吉と出るか、凶と出るか――全ては、これからの賽子の転がり方次第だ。

 

 ゴールデンレトリバーは失笑する。

 当初は出る目すらも全て制御(コントロール)していた筈なのに、今では神に祈らなければならないとは。

 

 これは、そんな魔神(かみ)を殺す、魔法(オカルト)を滅ぼす、物語(プラン)であった筈なのに。

 

「――それで? 子供に聞かせるべきではない大人の話は終わったか、アレイスター」

 

 その時、この『窓のない部屋』にいる、『人間』、『最上位個体』、『ゴールデンレトリバー』以外の、正真正銘の『学生(こども)』が声を掛けた。

 

 金髪にサングラスにアロハシャツの少年――土御門元春は、この学園都市の支配者にこう語りかける。

 

「こちとら旅行の出発を遅らせて呼び出しに応じてるんだ。さっさと要件を済ませてくれ。今度は俺にどんな汚いことをやらせるつもりだ?」

「今回、私が君に頼むのは、至極簡単なことだよ――その旅行の出発を一日遅らせて、今晩はここに泊まってくれれば、それでいい」

 

 何? ――と、土御門が言葉を失う。

 そんな土御門の絶句に気にも留めずに、アレイスターは更にこう続ける。

 

「あぁ、そうだ。ついでと言ってはなんだが、君が今回の旅行の同居人として誘っているお連れの魔術師にも、一泊遅れるように連絡をしておくといい。しっかりと、()()()()()()()()()()()()()()()とな」

 

 その言葉に、土御門はサングラスの奥の眦を鋭くして、アレイスターに問い掛ける。

 

「…………貴様。何をする気だ?」

 

 アレイスターは、土御門の方を見ることすらせずに、どこも見ていないような、何もかもを見通しているかのような目で、誰にともなく呟く。

 

「私は何もしない。起こるべきことが起こるだけだ」

 

 そう、それが、この世界の正しい流れだと。

 

 何かに、誰かに向かって、神に祈らない『人間』は言った。

 




上条当麻のいない学園都市で、新たに何かが騒めき出す。


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御使堕し〈エンゼルフォール〉

今回も、お前の手に世界がかかっているんだ。


 夏休みも終了のカウントダウンが始まった、八月某日。

 天気は快晴。恐らくは今日も三十五度を超す猛暑日になるだろう。

 

 まだ太陽が登り初めて数時間だが、エアコンがない上条家新居の『上条当麻の部屋』にて、上条は身体に掛けていた筈のタオルケットを蹴飛ばして既に寝苦しさに悶えていた。

 

 そんな中、ガチャッと勢いよくドアが開け放たれる音と共に、「おにぃちゃーん!」という甘え成分100%の声が響く。

 全国の妹がいない男子達が揃って拳を握り締める、朝甲斐甲斐しく兄を起こしにきてくれる妹の登場である。

 

 だが、待って欲しいと普段は幻想をぶち殺す側で右拳を握り締める系男子である上条当麻は、半分寝ぼけたまま釈明する。()()()()()()()

 

 ああ、じゃあなんですか? 毎朝起こしにきてくれる系幼馴染みですかぁ? 喧嘩売っとんか、カミやん! と何故か脳内の青髪ピアスに胸ぐらを捕まれた所で――上条当麻の土手っ腹に衝撃が響いた。

 

 すわ、まさか本当に青ピの呪いかと、思わず身体を起こして――少年は絶句する。

 

 

 寝起きの上条の腕の中に、天草式十字凄教の五和が居た。

 

 

「……………………え?」

 

 上条当麻は、今度は脳内も含めて絶句する。

 

 数秒間、何も考えられない時間が経過した。

 

 そして徐々に、本当にゆっくりと回転を再開する上条のお馬鹿な頭脳。

 

 寝起きの汗を掻いてベタベタな身体に、Tシャツ一枚の五和の身体が密着している。

 おしとやかな性格のくせに何故かいつもその見事な身体のラインを強調するようなぴっちりとした服装が印象的な少女。今も不自然に胸部だけが盛り上がっているぴっちぴちのTシャツだ。

 

 黒目がくりりとした大きな潤んだ瞳と、上条の間抜けに開いた両目が真っ直ぐに見つめ合っている。恥ずかしがり屋な五和としては、あり得ない程の至近距離で。

 

 呆然としている上条を見て、可愛らしく小首を傾げる五和。

 それだけで寝起きの脳が沸騰してしまいそうな破壊力だが、そんな破壊神五和様は、次の瞬間、更に的確に上条当麻(童貞)を殺しにかかってきた。

 

 

「どうしたの? おにいちゃん?」

 

 

 上条当麻の脳は、顔面と共に情けなく沸騰し、馬乗りになっている五和を吹き飛ばして、一目散に洗面所へと向かった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 ばっしゃばっしゃとキンキンに冷えてやがる水道水で顔面に集まった血液を散らすことを試みること、都合十度。

 なんとか沸騰した熱が収まってきたところで、上条当麻はTシャツに染み込んだ汗を絞るように、胸の辺りを握り締める。

 

 どくんどくんと、心臓が全身に血液を巡らせる音が聞こえる度に、体温が下がっていくような錯覚を起こす。

 

(……落ち着け。俺はこの世界では、まだ五和に会っていない筈だ。そんな俺に対して、あの五和があんな距離感で接してくるのも、ましてや俺をお兄ちゃんと呼ぶことなんて絶対にあり得ないっ!)

 

 ならば、考えられる可能性として上げられるのは、大きく分けて三つ。

 

 一つ目は、上条当麻が思い出せない、この世界の上条当麻が0才から6才の間にどこかで五和と出会い、お兄ちゃんと慕われる程の関係性を築き上げた可能性。

 二つ目は、逆行する以前に体感で数万年という時を経験したにも関わらず一向に悟りの境地とかに辿り着けなかった為に現役高校生クラスで健在な童貞力により作り上げた妄想という可能性。 

 

 一番はともかく二番とかだったら半ば本気で自殺を検討しちゃうくらいの黒歴史だが――未だ収まる気配を見せない、手で押さえた場所から響き続ける鼓動は、残念ながら男子高校生の性欲故ではなく……有り体に言って、嫌な予感という、上条当麻にはよほど馴染み深い感覚だった。

 

 本来ならば、こんな所で油を売っている場合でも顔を洗っている場合でもない。

 確かめなければならない。もしくは、受け止めなければならない。

 

(……だが……そんなわけ……だって――)

 

 上条は、洗面所に隣接している空っぽの風呂場を覗き込む。

 昨日も(女子中学生が使用する前に)利用した風呂場。そこには、昨日と同じく、水場を守る守護獣として見立てられる『亀』のオモチャはない。

 

 冷蔵庫の上にも電子レンジの上にも『金』の守護獣となる虎はいなかった。

 玄関も『南』向きではないし、そこに『赤』いポストもなかった。

 

 三千どころか、この家には一つも、オカルトグッズのおの字も存在しないのに――ッッ!

 

(……なんでだ!? どうして――)

 

 その時、洗面所で水を流しっぱなしにしている上条の背中に声が掛けられる。

 

「あらあら。当麻さんは朝の洗顔に命を賭けているスタイルなのかしら? 出来れば我が家の水道代を考慮してほしいのだけど」

 

 声は――女性だった。

 いつかのように、幼くはない。だが――その声色は、()()()()()()()()()()()()()

 

 上条詩菜の声色ではない身体が、上条詩菜としての台詞を話している。

 まるで、俳優が、その役柄を演じているかのように。

 

「――――ッ!?」

 

 上条がゆっくりと振り返る。

 そこには、『上条詩菜』の寝間着を纏った、色の強い長い金髪に碧眼の女性が立っていた。

 

(……っ!? ()()()()()()()()ッ!?)

 

 これまた、上条当麻が知っているけれど、この世界では未だに出会っていない筈の女性。

 そんな女性が、まるで母親が息子に向けるような瞳を、上条当麻に向けていた。

 

「…………あぁ。悪い、寝ぼけてた。……父さんは、まだ寝てる?」

「刀夜さんなら、私が起きた時に起き始めてたみたいだけれど」

 

 上条は水道を止めると、詩菜の言葉の途中で洗面所から出る。

 すると、入れ違いに洗面所へとやってきていた『少女』達とぶつかりそうになる。

 

「あ、申し訳ありません。とミサカは衝突に対する謝罪と合わせて、あなたに初めて見られる寝起き姿に恥ずかしさを覚えます」

「おはようございます、上条さん。……って、なんか変な感じですね。へへ」

 

 そこには、おそらくは寝起き姿を見て見られることに年相応の恥ずかしさを覚えているのだろう『少女』達がいた。言葉の感じから、恐らくは00001号と佐天だろうか。

 

 だが、上条には、目の前の二人の姿が、上条当麻が見たことのないどこかの別の少女のように見えていた。

 この世界でまだ出会ったことがないというわけではない。恐らくは前の世界でも、上条が出会うことのなかった少女。

 

 00001号の姿は、恐らくは中学生くらいの左右にお団子を作った黒髪の少女だった。

 佐天の姿は、子供の落書きのような顔に見える三つの宝石を後頭部に埋め込んでいる少女だった。

 

「…………ッッ!!」

 

 上条は二人が見たことのない少女に変化していること、そして何より恐らくは佐天だと思われる少女の頭頂部のそれに絶句しかけたが――これが、この現象が上条の頭に浮かんでいるそれなら、佐天のそれは佐天の異常ではなく、今、佐天の『外見』になっている、どこかの別の少女のそれだ。

 

 上条は必死に唾を飲み込んで言葉を堪えながら「……ああ、おはよう。二人とも」とだけ言って、足早に二人の横を通過する。

 

 少女達は不思議そうな顔をしていたが、上条は構うことなく、恐らくはリビングで布団を敷いて未だ寝ているであろうインデックスと00005号の『外見(すがた)』を確認することもなく、途中、階段を降りてきた『五和』をやり過ごしながら、足を止めずに――両親の寝室へと向かった。

 

(……これが、()()()()ならば――もしかしたら、今回も……)

 

 違うと信じたい。だが、それと同時に、()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()――その時は。

 

 自分は、この現象をどうやって止めればいい。

 今の上条の最大の武器である『逆行』――模範解答の所持、それが委細通用しない戦いに、その身を投じることになる。

 

「……ッ! 父さんっ!」

 

 前の世界で、この世界的大魔術事件――『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こした犯人である、上条刀夜。

 

 その男は既に起床していて、寝室から繋がっているベランダに出て、その全身で日光を浴びていた。

 

「――おう。おはよう、当麻。……はは。こうしてお前におはようと言えるのは、本当に久し振りだな」

 

 振り返り、そう言って笑う父親の姿は――()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、恐らくは全世界の人間が知っている顔――()()()()()()のものだった。

 

「っっっ!!!」

 

 上条は、ただ唇を噛み締める。

 

 刀夜は――犯人ではなかった。

 

 だが、もう疑いようはない。

 この世界でも――『御使堕し』は、間違いなく発動してしまった。

 今も、この世界のどこかに、『天使』は堕とされ彷徨っている。

 

 だが、その最大の手がかりは、こうして失われた。

 上条刀夜ではない、上条当麻の知らない誰かが、こうしてこの大魔術を発動させた。

 

 容疑者は、全世界の人間。

 

 上条当麻は、この世界の住人として真っ(さら)な状態で、この世界の危機に立ち向かわなくてはならない。

 

「……ああ。おはよう、父さん」

 

 上条にとっては、いつも通りの不幸な朝だった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 夏。

 それは、気温と湿度の上昇と共に、なんだか気分もハイになっていく開放的な季節――だったのも、少し前までの話。

 

 毎年のように三十五度超えを連発し、異常に高い湿度と相まって、世界一不快な暑さと称されるようになった日本の夏は、エアコンの効いた室内で過ごすのが健康的と言われるようになった。

 

 今日もいつものように日中は体温超えの気温となり、下手すれば四十度に届くかもしれないと――幼稚園児のキャスターが伝えていたことを思い出し、上条当麻はパラソルの日陰の下で溜息を吐く。

 

(……暑い。どうなってるんだ、この『世界』の暑さは……ッ。『前回』はここまでしんどい暑さじゃなかったぞ)

 

 こんな気温、こんな快晴の炎天下、その上、クラゲの大発生という条件まで重なると、わざわざ大金を払って貸し切りにしなくても自然と貸し切り状態となる。

 

「そぉれ!」

「きゃあ! 冷たいんだよ~!」

 

 後頭部に人間の顔のように宝石が埋め込まれている黒髪の少女――の外見(すがた)の佐天と、ボブカットの茶髪にスレンダーな小柄な少女――の外見(すがた)のインデックスがお互いに水を掛け合って遊んでいる。

 

 海パン姿でレジャーシートの上で体育座りをしている上条は、目線の先でそれはもう楽しそうに夏を満喫する四人の少女を見詰めていた。

 

「……これが、海……というものなのですね、と、ミサカは初めて眺める大海原に感嘆の溜息を――ぷ」

「そぉれ。とミサカはセンチメンタルな雰囲気を醸し出す数分だけ姉に、日本のアニメの水着回なるもので学習した正しいきゃっきゃうふふというものを実行します」

 

 上条は、頭の左右にお団子を作っている少女の姿の00001号と、色白碧眼の肩にかかるくらいの金髪の少女の姿の00005号が、生まれて初めてみる海ではしゃぐ姿を、慈愛の篭もった瞳で見詰めていた。

 

(……00005号の『外見(すがた)』になっているのは……確か、イギリスで会った『新たなる光』の、フロリス、だったか? ……こんなことになってなきゃ、もっと目に焼き付けたかったんだがな。まぁ、アイツ等自身にとっては何の変化も起こっていないんだから……いい思い出になってるといいんだが)

 

 そんな、はりきって海水浴場に来たものの運転手役をこなして本番が始まる前に疲れちゃったお父さんが一人ぽつんとレジャーシートに置いてけぼりで荷物番に(勝手に)任命されたみたいな格好になっている上条の後ろから、ざくざくと砂を踏みしめる音が近づいている。

 現れたのは、上条みたいな勝手に父性を感じているだけのなんちゃってお父さんではない、正真正銘の本物の父親だった。

 

「おう、当麻。何やってるんだ、そんなとこで。他の観光客もいないみたいだし、荷物番なんて律儀にやらなくて大丈夫だぞ。お前もあの子達と混ざって遊んでこい」

 

 上条はそんな父親の言葉に「……ああ、悪いけど俺はそんな気分じゃ――」と言い掛けて、後ろに回した首をピタリと止める。

 

「ん? どうした、当麻。ふふ、俺もまだまだイケているだろう? 最近、ジム通いを始めたんだ。そろそろ真面目に運動不足を解消しなくてはと思ってな」

 

 そんな戯言は上条の耳を右から左に何の抵抗もなく通り過ぎていた。確かに、目の前の父親の腹筋は年齢不相応には見事に割れているが、それは上条刀夜の健康の為の(続くかは大いに疑問な)運動習慣の賜物ではなく、偉大なる合衆国大統領が主に女にモテる為に鍛え上げた成果である。

 

 上条の目は、そんなおっさんの身体ではなく、その隣の母親の水着姿に向けられていた。

 ここで上条は、己の余りにも迂闊な失態に打ちのめされることになる。

 

(……そうだ……俺は知っていたッ! 御使堕し(エンゼルフォール)なんかに気を取られていたが……例え、御使堕し(エンゼルフォール)が発生しようともしなくとも、何らかの手を打たなければ、この悲劇は確実に訪れるとっ! 俺は知っていた筈だろうがッ! 何のための『逆行』だッ!)

 

 そう、それは、避けられた筈の悲劇だった。

 ただ一言、なんだったら今朝の出発前にでも、上条が母たる詩菜に、高校生の息子がいる母親たる詩菜に、こうぶつけるだけでよかったのだ。

 

 年甲斐のない水着はやめろ――と。

 

 その怠慢の結果が、母親の姿で再現されるか、そうでないか、ただそれだけの現実に過ぎなかった。

 

 前の世界でのこの神奈川県某所の海岸においては、幼児体型(インデックスの姿)でそれは披露された。その光景は余りにも痛ましく、決して記憶から消える筈のないの悲劇を思えば、事前にその回避の為の手回しを怠るなど、上条当麻の失態と称するに他ならない。

 

 だが、今回のそれは、『前回』のそれとは真反対の破壊力を放っていた。

 これが等身大の上条詩菜(ははおや)の姿で再現されてもまた匹敵する破壊力を放っていただろうが、それともまた別ベクトルで放たれる、正に破壊の名に相応しい衝撃だった。

 

 そこには、『ヒモ』と呼ばれる部分が透明なビニールで出来ている、隠すべき部分(ポイント)に直接布を当てているように見える大人(バカ)水着を纏った――オリアナ=トムソン(上条詩菜)がいた。

 

 はっきり言おう――めちゃめちゃ似合っていた!

 主に男子高校生が大歓喜的な意味でッッ!!

 

「…………………………はっ! げんころッッ!!」

「当麻さんっ!?」

「何故、唐突に自らの頬を殴打したんだ当麻っ!?」

 

 上条が突発的に己の幻想(性欲)をぶち殺したのを見て、思わず駆け寄る詩菜と刀夜。

 だが、そのオリアナの暴虐的な肢体を覆うには余りにも頼りない水着姿で屈む詩菜(母親)から、思わず全力で顔を背ける、お姉さんタイプが好みである健康な男子高校生上条当麻。

 

(……くそっ。インデックスの時も色々な意味でヤバかったが、オリアナの場合はなんてことはない、正統派の意味でヤバい! ていうか似合い過ぎだろっ! 普通にオリアナの私物なんじゃねぇのかこのエ○水着っ! アイツこういうの好きそうだしッ!)

 

 と、脳内でこの世界ではまだ出会っていないオリアナに勝手に風評被害を与えていると、そこは女性として伊達に年数(経験値)を重ねていない詩菜、上条(息子)の挙動を見て、母親半分女半分の笑みを浮かべて言う。

 

「あらあら。当麻さん的には、この水着(恰好)がお気に召さないのかしら? それともお気に召したのかしら?」

「なにぃ! 当麻! 確かに母さんは今も衰えぬ美人さんだが、例え当麻だろうと渡さないからな! それはそれとしてやはり親子だな。この水着の良さが分かるとは。何を隠そう、この水着は父さんから母さんへのプレゼントで――」

「貴様ぁ! やっぱりかぁ! オカルトグッズ分の余った金で、何を課金してやがるっ! 息子と女子中学生がいる海岸で自分(おっさん)の性癖をご披露してんじゃねぇ! そういうのは夫婦の寝室だけに留めとけッッ!!」

 

 金髪碧眼のナイスバディの肩を抱く合衆国大統領という危なすぎる絵面に向かって、躊躇なく右拳を振るうことが出来る系男子上条当麻の咆哮は、女子中学生達の教育に悪すぎるという理由で、上条家の(夜の寝室的な意味での)闇を葬ることに成功した。

 

 そして、海には二・三着異なる水着を持ってくる系女子力を誇る詩菜が、比較的健全な水着(それでもエロく見えてしまうのは、上条の目にはオリアナに見えているからだと必死に己に言い聞かせた上条であった)に着替えたのを確認すると、佐天達にちょっと疲れたから部屋で休むと言って上条は海岸を後にした。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 わだつみの家の自分に宛がわれた部屋に入り、すぐさま水着から動きやすい私服に着替えると、上条は土御門に向かって電話を掛ける。

 

(何はともあれ、まずは土御門と合流することだ。アイツも既に学園都市を出ている筈。……言葉だけの説明と実際に体験するのでは訳が違う。混乱していないといいんだが)

 

 そうは言うものの、実際に土御門が狼狽(うろた)えている姿など、上条には想像も出来ない。

 出会ってからの印象故か、それとも何度も窮地を導いてくれたからか、上条にとって土御門とは、まさしく『プロ』という言葉の体現者だった。

 

 神裂やステイルも上条にとってはプロの魔術師だが、それぞれの扱う強力な魔術故か、上条にとっては彼等を表すには『魔術師』という言葉が先に出てくる。

 

 しかし、土御門は、普段は魔術を行使出来ないからか、学園都市側のスパイとしての顔も見せるからか、上条にとっては、土御門こそ、感情のままに状況に流されることしか出来ない『素人』の自分とは対局の、まさしく『プロ』のエージェントだった。

 

 親船最中の子飼いとして、学園都市の闇の中で動く機会が増えた今の世界においても、上条は土御門の立ち振る舞いを何度も参考にした。

 言ってしまえば、上条にとっては一種の憧れの姿であり、誤解を畏れずに言わせてもらえるのならば、土御門は上条にとって最も頼りにしている存在といっても過言ではないだろう。

 

 そんな土御門元春が、例え世界規模の大魔術の直後でも、慌てふためいている姿というのは想像出来ない。

 だが、一つ気がかりなのは、部屋に戻り、真っ先に確認した携帯に――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 事前に御使堕し(エンゼルフォール)に対する可能性の話を交わしていたにも関わらず、こうして御使堕し(エンゼルフォール)が発動して数時間が経過しているのに、未だに土御門側からの接触がないこと。

 

(……前回の土御門達は、確か御使堕し(エンゼルフォール)が発動した時はイギリスに居たと言っていた。その後、アイツ等は発生源が上条当麻(オレ)の周辺であることを突き止め、すぐに俺に接触してきた。()()()()()()()()()()

 

 しかし、この世界では、全く何の接触もない。

 そのことを不審に思いながら、上条はコール音を繰り返す電話を耳に当てながら思考する。

 

(……いや、待て。確か、前回、土御門や神裂が御使堕し(エンゼルフォール)の影響を中途半端で止めることが出来たのは、発生源の日本から遠く離れたイギリスの、それも城塞みたいな結界の中に――『距離』と『結界』があってこそ、難を逃れたって言ってた。だが――)

 

 今回の世界で土御門は、()()()()()()()()()()()()

 その上、上条当麻の『外出』に遠目から同行するようなことも言っていた。

 

 つまり――土御門は、ロンドンには戻っていないということになる。

 そこまで考えて、上条の背中から冷たい汗が噴き出す。

 

(……まさか、俺が中途半端に未来を明かして、ずらしちまったから……今回、土御門は完全に御使堕し(エンゼルフォール)に吞まれてしまったってことか――!?)

 

 上条がそんな思考に至った瞬間、電話が繋がり『もしもし……カミやんか?』と、土御門との電話が繋がった。

 

 一瞬、安堵しかけた上条だったが、まだ確信は出来ない。

 通話の向こう側の土御門が、全く別人の『外見(すがた)』をしているかどうかは、電話では判別出来ないのだから。

 

「……土御門。今の状況が分かるか?」

 

 故に、無意識に声のボリュームを落として尋ねる上条に、土御門はふっと笑って。

 

『おいおい。事前に忠告してくてたのはカミやんだろう? その上で吞まれちまうようなヘマは土御門さんはしないぜよ。俺は土御門元春だ。見た目もイケメンなおれっちのままだぜい』

 

 その言葉を聞いて、改めて安堵した上条は「そうか。なら、早速だが土御門、合流しよう。今、俺は――」と早口で言い募ろうとしたが『――と、いいたいところなんだがにゃー』と土御門が上条の言葉を遮るように言う。

 

『本当に不甲斐ない話なんだが、カミやん。御使堕し(エンゼルフォール)を完全に防ぐことには失敗した。どうやら今俺の姿は、他の人間には()()()()に見えるらしい』

「――あ、そうか。いや、それは気にしないでいい。『前回』のお前達もそんな状態だった。それでも俺にはちゃんとお前が土御門に見える筈だ。だから――」

『あの『部屋』の結界でも完全に防げない程のものだったのか、それともあえて防がなかったのかは俺には分からん。しかし、アイツをある意味信用して自前の結界を更に構築しなかった俺のミスでもある。だから、この状況は俺の自業自得だ。本当にすまない、カミやん」

「……? だ、だから気にしないでいいって。俺にはお前がしっかりと土御門に見える。その筈だ。だから、早く合流しようぜ。お前の力が必要なんだ」

『――いや、()()()()()()()

 

 土御門はそう断言した。

 そんな電話の向こうからは――パトカーのサイレンの音が聞こえる。

 

『俺の姿は今――他の人間からは、()()()()()()()()()()()()()らしい』

 

 上条は――絶句する。

 

「――――ッ!!」

 

 そして、そのまま勢い良く部屋を飛び出し、階段を駆け下りて、全く見たことのない知らない眼鏡少年の『外見(すがた)』に変わっているわだつみの家の店主の息子からチャンネルを奪って、テレビをグルメ番組からニュースへと変える。

 

「あ、ちょっと――」

 

 この麻黄(まおう)という名前の少年は、『前回』は御坂妹の『外見(すがた)』になっていた。

 

 インデックスは『前回』は青髪ピアスだった。だが、『今回』はアイテムの絹旗最愛になっていた。

 竜神乙姫は『前回』は御坂美琴だった。だが、『今回』は天草式十字凄教の五和になっていた。

 上条詩菜は『前回』はインデックスだった。だが、『今回』はフリーの運び屋であるオリアナ=トムソンになっていた。

 

 御使堕し(エンゼルフォール)は、天使を人間の身体に堕とすという術式だ。

 人間に堕ちた天使がその中身を追い出して、追い出されたその中身が別の誰かの中に入り、そしてまた中身を追い出して、といった連鎖によって、世界中の人間の『外見(すがた)』と『中身(こころ)』が入れ替わるといった仕組みになっている。

 

 よって、『外見』と『中身』の組み合わせはランダムである。それ故に、『前回』はそうだったからと言って、『今回』もそうではないというのは納得が出来る。

 だから、前の世界ではアイドルの『一一一(ひとついはじめ)』に周囲の人間からは見えていた土御門が、この世界でもそうとは限らないことは理解出来る。

 

 しかし、だからと言って――。

 

『――現場から中継です。本日未明、都内の新府中刑務所から脱獄した死刑囚・火野神作が、この神奈川県○○市で目撃されたとの情報があり、警察は現場周囲一帯を立ち入り禁止として、現在緊迫した空気が流れて――』

 

 火野(ひの)神作(じんさく)

 確かに、『前回』の御使堕し(エンゼルフォール)の事件においては、この男もある種のキーパーソンだった。

 

 しかし、結果としてはそれは的外れの推理で、彼はある意味で巻き込まれただけの部外者だったわけで――故に、今回の事件においてはまったくの無関係で終わる筈の役者で。

 

「……お前、まさか」

『いやぁ、面目ないにゃー』

 

 電話の向こうでそんなことを間延びした声で言う土御門だが、その息は荒く、どこか疲れが見えるようだ。

 

 土御門は『自分の状態がどうなっているのかを確かめないままに『外』に出たのは失敗だった。自分が注目を集める存在になっているって知っていたら、いくらでもやりようがあったんだがな』と言いながら、徐々に声を潜めていく。近くに警察官でもいるのだろうか。

 

 上条は、無意識に土御門に合わせるように声のボリュームを調節しながら「大丈夫なのか? 万が一にでも逮捕なんかされたら――」と言い、土御門も『こんなとこで易々と捕まるようじゃ、スパイ(ダブルフェイス)なんて務まらないんだぜ。……まぁ、それでも、すぐにそっちに合流は正直、難しい』と答えて、言う。

 

『カミやん。悪いが、そっちはそっちでなんとかしてくれ』

 

 その言葉に、上条は思わず息を詰まらせる。

 土御門にも言ったが、『前回』の御使堕しにおいて、上条は終始流されることしか出来なかった。

 

 解決に導いたのは他でもない、土御門だ。

 その上、今回の御使堕し(エンゼルフォール)において、上条の逆行の知識は役に立たない。

 犯人も、トリックも、全く異なる犯行が行われたこと――それしか分からない。

 

 上条は思わず唾を飲み込む。それだけで色々と伝わったのか、電話の向こうの土御門は『大丈夫だにゃー』と間延びした声を返す。

 

『何もカミやんだけでなんとかしろって言ってるわけじゃない。既にねーちんも向かっている筈だ。俺も時間は掛かるだろうが、そっちに向かう。……だが、この儀式はいつ完成するか分からない。未確定だが、しかし、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 土御門は力強く、荒れた息を整えることもなく言った。

 

『一刻も早く解決する必要がある。その為に、俺を待つことなんかするな。……いつもいつも悪いが、今回も、お前の手に世界がかかっているんだ、カミやん』

 

 幸運を祈る――そう言って、通話は切れた。

 

 上条は、己の不幸を嘆くことも忘れ、幻想を殺す右手で携帯を握り締めた。

 




こうして、幻想を殺すヒーローは、何も持たない両手で、新たなる御使堕し(エンゼルフォール)に挑む。


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女湯〈おふろかい〉

かぽーん


 わだつみの家が見下ろせる場所にある、坂道の上の小さな食堂。

 潮風に限界まで痛めつけられながらも時代を感じさせる木造建築のお土産処が、土御門から指定された、神裂(かんざき)火織(かおり)との合流場所だった。

 

 その店の構造上、茹だるような炎天下でも当然ながら空調など効いていない。

 だが、何故か薄着というわけでもないのに汗一つ掻いておらず正座のままピクリともしない店主のお婆さんから、まるで機械仕掛けのような錆び付いた動きで作ってくれたかき氷を購入し、申し訳程度のパラソルの下のテーブルでそれをちびちびつまみながら、上条当麻は神裂の到着を待つまでの間、考えを巡らせていた。

 

(――まず、現状の確認からだ)

 

 とりあえずは土御門と合流してからということで、ここまで碌に現状の整理すらしていなかったことに、上条はかき氷をかっくらったことで襲ってきた痛みと一緒に頭を押さえる。どれだけ自分が、前の世界でも今の世界でも、土御門元春というクラスメイトにおんぶにだっこだったから分かろうというものだ。

 

 だが、今回はその頼りになるプロを抜きに事件を解決に導かなくてはならない。

 神裂が来るまでの間に、やるべきことを明確にすることくらいはしておかなくてはならないだろう。

 

(わかりきったことだが、解決すべき問題は『御使堕し(エンゼルフォール)』――天使を地上に堕とすというこの術式の、儀式場を破壊するか、術者を倒すかをする必要がある)

 

 本来ならばローマ正教のような大組織でも綿密な準備と膨大な計算の元に構築された大術式が必要となるレベルの大魔術。

 

 当然ながら、そんじょそこらの魔術師がやろうと思って出来るものではない。

 それこそ――前の世界の上条刀夜のように、奇跡に奇跡が何重にも重なったような"偶然”でもない限り。

 

(……そうだ。『御使堕し(エンゼルフォール)』なんて、早々偶然起きるようなもんじゃない。ましてや、父さんは今回は犯人じゃない。……なら、なんだ? 今回は、()()()()あの時とは別の偶然が起きたっていうのか? ()()()()? 前回と同じこの時期に?)

 

 有り得ない――と、上条は氷を噛み締める。

 

 確かに、この世界でも前の世界と同じ事件は起きている。

 絶対能力進化(レベル6シフト)や、禁書目録(インデックス)の学園都市来訪などだ。

 

 だが、そこには様々な人物の思惑や想いが絡み合っていて、それらは結果として起こるべくして起こり得るものだった。

 しかし、この『御使堕し(エンゼルフォール)』に関しては、たった一人の人物の、それも本人は意図していない偶然による産物だった筈だ。

 

 上条刀夜という父親が、息子の為に掻き集めた小さな想いの結晶。

 それが本当に偶々、『御使堕し(エンゼルフォール)』という形で結実してしまった――ただ、それだけの不幸だった筈だ。

 

 そして、それは今回の世界においては上条が未然に防いだ。

 刀夜はオカルトグッズを掻き集めるのをやめたし、かつて儀式場となった上条家にはお守りは一つも存在しなかった。

 

(……なら、今回の世界では別の誰かが、()()()()同じ時期に、別口で『御使堕し(エンゼルフォール)』を実行したってことになる……が――)

 

 改めて思う――そんなことがあり得るのかと。

 

(まるで俺が前もって行った先回りなんて無意味だって言われているような感覚だ。……今回の、強引な俺の学園都市外への追い出し、そして、追い出したその次の日に発生した『御使堕し(エンゼルフォール)』……まるで、何としてもこの世界でも『御使堕し(エンゼルフォール)』を発生させて、それに()()()()()()()()みたいな意思を感じる)

 

 考えすぎだろうか。

 ()()()()、この世界には意図的に『御使堕し(エンゼルフォール)』を発生させたいと目論む勢力があって、()()()()、この時期にそれに成功したのだろうか。

 それとも、前の世界の上条刀夜のように、まるで意図せずに()()()()この時期に、()()()()御使堕し(エンゼルフォール)』を発生させることに成功させてしまう者が――そんな不幸な人が、いたのだろうか。

 

(……どうにも気持ち悪さが消えない。……だが、こうして『御使堕し(エンゼルフォール)』が発生してしまったこと、そして、意図的であれ偶然であれ、それを引き起こした犯人がいて、どこかに儀式場があることは確かだ)

 

 ならば、上条がやるべきことには、やはり変わりはない。

 犯人の打倒、もしくは儀式場の破壊――それを一刻も早く行うこと。

 

 例え、それがどこかの誰かの思惑通りだとしても――掌の上で踊っているだけだとしても。

 

「…………ッ」

 

 上条がいつのまにか食べ終わっていたかき氷の空き容器を持って立ち上がり、金属の網目状のゴミ箱にそれを捨てた――その直後。

 

「――上条当麻」

 

 ツンツン頭の少年のその首元に、長い日本刀の切っ先が添えられた。

 

「……よう。久し振り――ってほどでもないか」

 

 神裂――と、上条は反射的に後ろを振り返ることもせず、穏やかに微笑みながら両手を挙げて言う。

 

 長刀をピクリとも動かさずに添えたままの、ヘソ出しTシャツに片足切り落としジーンズのポニーテールの高身長の女性――神裂火織は、そんな上条の対応に唇を噛み締めながらも、もう一度「……上条当麻」と呟き、押し殺した低い声で問い詰める。

 

「あなたは……今、世界中でどんなことが起こっているのか……理解していますか?」

「……大体は。朝起きたら、周りの人達の『外見』と『中身』が入れ替わっててビビったよ」

「…………単刀直入に言います」

 

 神裂は、二メートルはあろうかという日本刀の切っ先を、片手だけで悠々と支えながら、更に数センチ、上条の首へと近づける。

 

「――『御使堕し(エンゼルフォール)』を、引き起こしたのはあなたですか?」

 

 上条は、そんな神裂の言葉に、ゆっくりと瞑目し――そして目を開け、はっきりと答えた。

 

「違う。俺じゃない」

 

 神裂の日本刀の切っ先が、僅かに震える。

 反射的に彼女の喉元からさらなる言葉が飛び出すのを遮るように、上条は「逆に聞きたいんだが――」と、振り返らず、言葉だけで神裂を制する。

 

「そんなことを聞かれるってことは、この魔術は――やっぱり俺を中心に発動しているのか?」

「……ええ。その通りです」

「世界中に影響を及ぼす程の魔術の発動源にいて、なおかつそいつは魔術の影響を受けていない――なるほど、いかにも怪しい条件が揃ってる。犯人扱いも当然だな」

 

 不幸だぜ、と、上条は笑う。

 戦闘のプロたる『必要悪の教会(ネセサリウス)』の魔術師であり、世界で二十人もいない『聖人』たる神裂に、首元に日本刀を突きつけられているのに。

 

 この男は、上条当麻は、まるで震えることなく微笑んでみせている。

 

「……どうして、笑えるのです。……上条当麻」

 

 神裂は、日本刀を退けることはせず、しかし、声にはどうしようもない程に感情を見せながら問い掛けた。

 

「…………あなたは、何か知っているのですか? 何かを知っているから、そうも冷静でいるのですか?」

「買い被りだ。俺は何も知らない。冷静でもない。ぶっちゃけ、何も分からないから途方に暮れていた所なんだ。お前が来てくれて助かった」

「っ! ……こうして、殺されかけているのにですか?」

「お前は殺さないよ。何も分からない俺だけど、それぐらいは知ってる」

 

 神裂火織は、こんな風に人を殺せる魔術師(おんな)ではないと。

 そう、いっそ親しみすら湧いているかのような声色で笑ってみせる上条当麻が――神裂には、理解出来ない。

 

 まだ、上条が神裂と顔を合わせるのは、これが二度目である筈だ。

 そして、その両方とも、自分は上条に敵意を向けている。言葉を選ばずに表すれば――殺そうとしている。

 

 たった二度しか顔を合わせておらず、そのどちらも己を殺そうとしてきた相手に、背後を取られ、首元に刃を置かれているのに――この男は

 

 どうしてそんな風に、笑って信じることが出来るのだ。

 

「……あなたは…………何を、知っているのです?」

「俺は何も知らない。知っているとしたら、それは俺がどうしようもなくちっぽけで無力だってことだ」

 

 だから、お前の協力が必要だ、神裂――と、上条はここで初めて振り返る。

 

 それが余りにも迷いのない挙動であった為、神裂が咄嗟に刃を退けなければ、上条の皮膚が切れていたかもしれなかった――紙一重だった。

 だが、上条は、それこそ神裂が刃を退けることを知っていたかのように、動じずにただ真っ直ぐに神裂の目を見据える。

 

「俺が疑わしいのなら、ずっと俺の傍にいて監視すればいい。だが、俺は犯人じゃない。俺を殺しても、この『御使堕し(エンゼルフォール)』は何も解決しない」

「……それを、どのように証明するというのです?」

「俺はあらゆる異能の影響を受けない。だが、学園都市で能力開発は受けている身だ。万が一、魔術を発動したら、身体はボロボロになってる筈だろ」

「っ!」

 

 上条はそう言って、Tシャツを捲り上げて己の無傷な腹筋を披露する。

 神裂は咄嗟に赤くなった顔を背けて、目だけでその割れた腹筋を凝視した。

 

「ほら。この通り、なんともなってねぇ。俺は回復魔術の影響も受けねぇから、一晩でここまで綺麗に治癒することは不可能だろ」

「わ、分かりました。分かりましたから服を戻してください!」

 

 自分はへそ丸出しなのにどうして人の腹筋には顔を赤くするんだと上条は疑問に思ったが、前の世界では言葉では言い表せられないような(セクハラ)に遭った意趣返しはこれくらいにしておくかと話を戻す。

 

「信じてくれたか?」

「……いいでしょう。ですが、依然としてあなたが第一容疑者なのは確かです」

「ああ、それでいい。どっちにしろ、真犯人は見つけ出さなくちゃいけないし、無関係だって言い張ってこの件から降りるつもりもない」

「…………」

 

 神裂は、無関係(犯人でない)ならばどうして好き好んで魔術(こちら)側の問題に首を突っ込んでくるのかと疑問に思ったが――どちらにせよ上条当麻(第一容疑者)を解放するつもりのない自分が言うことではないと溜息を吐く。

 

 上条は先程までかき氷を食べる為に座っていた白い椅子に座り、テーブルの周りに用意されていた他の椅子を指して「お前も座れよ、神裂。好き好んでこのクソ暑い日光に当たりたいわけじゃないだろ」とパラソルの下に招き入れる。

 

 終始、この男のペースだと思ったが、無理に突っぱねるような誘いではないと、再び溜息を吐いて神裂は椅子に座る。

 

「それで。あなたはどの辺りまで把握しているのですか? 今回の『御使堕し(エンゼルフォール)』について」

「大まかな所は土御門から電話で聞いてる。人間の位に堕とされた天使の影響で、椅子取りゲームみたいに人間の『外見(うつわ)』と『中身(こころ)』が入れ替わっているって話だろ」

 

 上条の言葉に「まぁ、その程度まで理解していれば問題はありません」と言いながら、上条を鋭く見据える。

 

「そして、我々の目的は、未完成であるこの『御使堕し(エンゼルフォール)』の完成を食い止めること。つまり、術者の打倒か、儀式場の破壊です」

「そんで、その肝心な術者の最有力候補が、魔術の中心点であり、影響を受けていない、ワタクシ上条当麻である、と。……しかし、解せないのがそこなんだよな」

 

 ……? そこ、とは? ――と、神裂は首を傾げるが、上条はそれには答えず眉根を寄せて思考する。

 

 前回の『御使堕し(エンゼルフォール)』の時も、上条は中心点にいる影響を受けていない人物として第一容疑者とされた。

 だが、前回の『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人は上条刀夜だった。結果としてみれば、上条のすぐ傍にいた刀夜が犯人であったのだから、中心点にいたとされてもしょうがなかったのかもしれない。

 

 しかし、今回の『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人は刀夜ではない。無論、上条当麻でもない。

 そうなると、前回の教訓を組み込めば、上条当麻の近くにいる刀夜ではない人物となるのだろうが――しかし、少なくともこのわだつみの家に一緒に来たメンバーは全員の入れ替わりを確認している。

 

「……なぁ。お前等の言う、中心ってのは、一体どのレベルでいうところの中心なんだ?」

「……? 問いの意味が分かりかねますが」

「そうだな、いわゆる地図の縮尺の問題というか、中心点の半径の話だ」

 

 つまり、上条当麻という一個人を中心に広がっているという話なのか、それとも中心とされるエリアの中に上条当麻という影響下にない人物がいたという話なのか。

 

「そうですね……その話でいうと、後者の方が近いでしょうか。あなたから魔術の発信源たる魔力を感じての中心点という話ではありません。何しろ、全世界を影響下とする大魔術ですから。その発信源が日本列島のこの辺り、そして、そこにいかにも怪しいあなたという容疑者がいた、という話です」

「……なるほどな」

 

 いかにも怪しいなどという的確に傷つく言葉もあったが、そうなるとまだ話が分かる方向に繋がってくる。

 上条当麻の周辺というよりは、わだつみの家の近辺ということか。

 

 こうなると、容疑者は増えるが、手がかりが消失するという事態は避けることが出来る。

 

(それでも、砂粒を探す範囲が砂漠から砂浜になったってだけのことで、依然として光明が見えたって程じゃない。前の世界では『御使堕し(エンゼルフォール)』が発生してから一日後、時間で言うと明日には解決出来たが、今回もそう出来るとは限らないし、そもそもとして()()()()()御使堕し(エンゼルフォール)』が発動してるとは限らない。土御門も、あのお土産の配置を少しでも変えたら全く別の術式になっていた危険性もあるとか言っていたしな)

 

 そうなると、制限時間が少なくとも明日までは残ってるなんて甘い考えで臨むのもよくないだろう。

 一刻も早く解決する――そのスタンスだけは崩さないに越したことはない。

 

「誰か他の容疑者に心当たりがあるのですか?」

「……いや。だが、少なくとも、俺と一緒にこの海に来たメンバーは、全員が『御使堕し(エンゼルフォール)』の影響下にある。アイツ等は容疑者から外して問題はないと思う」

 

 そこまで言って、上条はふとあることを確認していないことに気付いた。

 

 確かに入れ替わりは行われているが、その組み合わせは前の世界の『御使堕し(エンゼルフォール)』とはまるで異なるものだ。

 土御門も、他の人からは『一一一(ひとついはじめ)』ではなく、『火野神作』となっているように見えるらしい。そもそも、それが原因で合流することが叶わないのだから。

 

 故に、上条にとっては神裂火織本人に見えている時点で結界を張ることには成功したのだろうが、それでも、他の人間にとって神裂は別の誰かに見えていることになっている可能性もある。

 

「ところで、神裂は今、他の奴等からは誰に見えているんだ?」

「え゛?」

 

 上条の問いに、神裂は分かり易く声を濁らせた。

 具体的には「え」に濁点がついたような声色で。

 

「いや、土御門から聞いているだろうけど、アイツは逃亡中の脱獄犯に見えるようになっちまっているみたいだからな。あらかじめ教えておいてもらえると、一緒に行動する上で俺もサポート出来るだろうし」

「……笑いませんか?」

 

 何その前フリ、と上条は身構える。

 とはいえ、土御門で火野神作は使用されているし、母親のオリアナver大人(バカ)水着、お父さんは大統領まで経験した身である。何より、前回の神裂はあのステイル=マグヌスに見えていたのだ。

 

 今更、どんな名前が出てこようとも――内心はどうあれ――表面上の動揺は見せない自信がある。魔神(オティヌス)相手に何万回という地獄を見せられた精神年齢仙人な上条当麻をなめないでいただきたい。

 

「非常事態なんだ、笑わねぇよ。で、誰なんだ? もったいぶるなって」

「……みん……です」

 

 え? なんだって? ――と、鈍感系に加えて難聴系も発症しかけた上条に、顔を真っ赤にした神裂が、やけくそ気味に吠え立てた。

 

「ですからっ! 超機動少女(マジカルパワード)カナミンですっ! こすぷれとかいうんですか、どうやらそのような物語の登場人物の扮装をした女性に見えるらしくてですねぇ、えぇえぇ、朝から色々な人に指を指されるわ子供たちに握手を求められるわ大きなリュックサックを背負った男性に写真を求められるわ土御門には爆笑されるわッッ!! 初めは神がどんな罰を私に課したのかとっておい笑わねぇって言ったよなど素人がッッ!」

 

 無理だった。

 仙人だって笑うわこんなもんと、上条は開き直りながら日本刀を抜いた神裂からの速やかなる逃走を図るのだった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 かぽーん、と。

 古き良き使い古された謎の擬音が鳴り響くそこは、小さな露天風呂だった。

 

 お風呂回である。

 

 上条が前の世界で訪れた時には露天風呂どころか男湯と女湯と分かれてすらいなかった(男が入浴中は男湯、女が入浴中は女湯と、立て札によって役割が変化する湯船が一つあるだけだった)というのに、この世界のわだつみの家には、なんと豪勢なことに露天風呂が付いているのだ。もう海の家というよりも立派に小さな旅館であった。

 

 前の世界ではステイルとして周囲から見られていた神裂が入浴する為に、上条が見張り番を務めていたりしたが(そしてその役割を立派に果たせなかったことは明白だが。主にカミジョー属性的な意味で)、この世界においては門番(ガードマン)上条にお呼びは掛からなかった。

 

『なるほど。つまりカミやんは、ねーちんの裸体を合法的に拝むチャンスを一個失ったというわけか』

「いや、例えお前の思い描いてるであろう未来予想図がそのまんまやってきたとしても、一つも合法じゃないからね。裁判無しで俺の首が飛ぶだけだからね。ギロチンじゃなく日本刀オアワイヤーで」

 

 そして、女子風呂で繰り広げられているであろうキャッキャうふふとは法を破らなければ(もしくは首が飛びかねないリスクを背負わなければ)縁が繋がらないヤローである上条少年はというと、この世界では無事に女性の外見を手に入れた(超機動少女だが)神裂が女子中学生ズとお風呂回を繰り広げている間に、わだつみの家周辺の暗い森の中へと入り、警察勢力から追われている逃亡犯(と見られている)の男とこっそり連絡を取っていた。

 

「そんで、お前は大丈夫なのか。一応、まだ捕まってはいないみたいだが」

『あたぼうぜよ。……だが、学園都市の外だからって甘く見てはいたが、日本の警察は殊の外優秀だな。これ以上は近づくことが出来そうにない。やっぱり、俺は今回は電話参加になりそうだ』

 

 上条は近くの木に背中を着けながら「……そうか」と呟く。その呟きが、思っていた以上に不安げで、思わず自嘲してしまった。

 どうやら未練がましく『プロ』の合流の期待を捨て切れていなかったらしい。

 

 だが、電話で意見交換出来るだけでもありがたい。

 上条は、おそらくは限られているであろう僅かな時間を無駄にしない為にも、これまでの状況を簡潔に土御門に説明する。

 

 上条刀夜が犯人ではないこと。

『前回』の儀式場たる上条家には『オカルトグッズ』は一つも配置されていないこと。

『前回』とは入れ替わりのパターンが異なっていること。

 

 そして、それでも『御使堕し(エンゼルフォール)』は発動してしまったこと。

 

「……どう思う? 土御門」

 

 上条は何の具体性もない、ほとんど丸投げのような質問をプロに投げた。

 流石にそれではどうかと思ったのか、上条はぽつりぽつりと、自信なさげにずっと心の片隅にあった不安を吐露した。

 

「実際、そこまで()()()()ってのは重なるものなのか? いや、言ってみれば前の世界の父さんの件もたまたまの究極的な積み重ねの産物みたいな経緯だったから強くは言えないんだが……それでも、だ。()()()()、前回と同じ時期に、()()()()、似たような経緯で俺が学園都市を追い出されたタイミングで、()()()()、父さんとは違うどっかの誰かが、()()()()御使堕し(エンゼルフォール)を発動したって――そんな、()()()()が存在するのか?」

『つまり、カミやんはこう言いたいんだな――これは、()()()()なんかじゃないと』

 

 電話の向こうの土御門は、上条の迷いの篭もった言葉を、プロらしく冷静に、冷徹に纏めて力強く告げる。

 

『上条刀夜のように無自覚ではなく、意図的に、計画的に、この御使堕し(エンゼルフォール)という歴史的な大魔術を決行した何者かが、この世界には存在している、と』

「……荒唐無稽だと思うか?」

『いや、俺も前者のようなたまたまの積み重ね説よりは有力だと思うぜよ。だがまぁ、それだとどうして前の世界のカミやんの世界では御使堕し(エンゼルフォール)が二度起こらなかったのかという疑問も生まれるが――』

 

 それは、そいつが計画していた時期よりも早く上条刀夜が御使堕し(エンゼルフォール)を発動させたが故に実行の必要がなかったのか、それともそいつは前の世界では失敗したのか――所詮はイフの話であるが故に無限に可能性の枝葉は広がるが、兎も角、確実に言えることが一つ。

 

『この世界でも、御使堕し(エンゼルフォール)は発動した。それはつまり、どうしても御使堕し(エンゼルフォール)を発動させたい何者かは存在するってことだろう。そいつが犯人か、それとも黒幕なのかはともかくな』

「……黒幕? 前の世界の父さんの件も、裏で糸を引いていた存在がいたってことか?」

『あくまで計画の一部として、()使()()()()()()()()()()()()()()()かもしれないがな。だが、これはあくまで御使堕し(エンゼルフォール)が発生した理由だけだ。()()()()()()()()()については、まだ理由が足りない』

 

 もう一つのたまたま? ――と上条が疑問を問う前に、土御門は端的に告げる。

 

『時期だよ。前回、上条刀夜が引き起こした時期と寸分違わずのこのタイミングで、その何者かは御使堕し(エンゼルフォール)を引き起こした。それはつまり、その何者かは()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。そして、それを知っていた何者かは、カミやんをその時期に合わせて学園都市の外へと送り出すことが出来た』

「……おい、土御門。それって――」

 

 ああ――と、土御門は、携帯端末を握る力を込めて、その言葉を覚悟を持って、主人公(ヒーロー)に告げる。

 

「カミやん。その何者かの黒幕は――お前の『逆行』に気付いている」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 お待たせしたね。

 それでは、薄暗い森の中で繰り広げられる、きな臭い野郎共の会話シーンから、ぐっと視点を移動させよう。

 

 もわっとした湯気で満たされた、男子禁制の壁の中の桃源郷へと。

 はい、かぽーん。

 

「これが、ジャパニーズろてんぶろなんだねっ、るいこっ! そういえば、さっきから鳴っているかぽーんってなんなの? どこから響いているの?」

「それは触れないお約束なんだよ、インデックスちゃん」

 

 短い茶髪にスレンダーな肢体を隠そうともせず、初めて見る露天風呂というものに目を輝かせる少女を、彼女と同じくらいの背丈の同じく薄い胸をこちらはタオルで隠している少女が微笑ましそうに見守る。

 

 そんな彼女達の横を、金髪碧眼の英国人らしいスタイルの少女が駆け抜け、とうとジャンプして熱々の湯の中へと飛び込んだ。

 

「一番乗りですっ! とミサカは誰よりも早く一番風呂というものを全身で堪能すべく最短距離をって熱っ!」

「こら、数分だけ妹。何から何までマナー違反です。事前調査を怠ったのですか、とミサカは姉らしく妹を叱りながら生まれて初めて味わう温泉というものを足先からゆっくりと堪能します。…………ふう。いい」

 

 かけ湯という文化など知るかとばかりに一番熱い場所に慣らしなしで飛び込んだ金髪碧眼を呆れたような目で眺めながら、頭の左右にお団子を作ったままの少女は、ぴちょんぴちょんと足先で温度を確かめながら、ゆっくりと肩まで湯の中に沈めていく。

 

 生まれて初めて味わう温泉。感想は……いい、だけだった。それに全てが込められていた。

 

「ふふ。それ以外に言葉は出てこないよねぇ。温泉はいいものだよ、うん。……あれ? そういえば、あの人は?」

「まだ来てないみたいなんだよ。おーい、はやく来るんだよ~。おんせん、きもちーよ!」

 

 そんなクローン少女達に続いてゆっくりと温泉に浸かった少女達の言葉に「……今、行きます」と、遅れること数分、彼女は女子中学生だらけの温泉に姿を現した。

 

 慎ましいスタイルの少女達と比べ、その肢体は暴虐的の一言だった。

 すらりと長い足に見合った高身長に、引き締まった腰、豊満な胸部、いつもはポニーテールに結んでいる長い黒髪は、解きながらも湯に浸からぬように簡易に纏め上げていた。

 

 だが、湯に浸かっている女子中学生達からは、そんな大和撫子な和風美人とは、また違った風に見えているようで――。

 

「遅いんだよ、カナミン!」

「いいお湯ですよカナミンさん、とミサカは手招きします」

「ミサカと同じ失敗を繰り返してはなりません、超機動少女(マジカルパワード)カナミン。まずは掛け湯からです、とミサカは身を持って学んだお風呂のマナーというやつを享受します」

「ほらほら、裸の付き合いってやつですっ! こういうのも旅行の醍醐味だと思いますよ。ここで出会ったのも何かの縁ですし、深めましょう、絆!」

 

 何故か女子中学生達に大人気のかんざきかおり18さいであった。

 いや、人気なのは超機動少女(マジカルパワード)カナミンかもしれないが。

 

(……どうしてっ!? どうしてこうなったのでしょうっ!?)

 

 おとななかんざきさんは立派に愛想笑いが出来る。苦手分野なのは認めるが。

 しかし人生経験がいい意味で浅い女子中学生ズには十分に通じるようで、内心でテンパりまくっている神裂の混乱は上手く誤魔化せているようだ。何故か異様に歩みが遅いカナミンの湯船への到着をいまかいまかとニコニコしながら待っている。

 

 そもそも、上条当麻に連れられて、神裂がわだつみの家へとやってきたのはほんの数刻前の話。

 

『カナミンだっ! すごい、旅行ってすごい、まさか本物のカナミンに会えるなんてっ!』

 

 真っ先に食いついたのは、色々と上から目線で批評しておきながら毎週楽しみに視聴しているインデックスだった。

 

 神裂は頑張ったがどうしてもインデックスはコスプレという文化を理解してくれず、神裂を本物のカナミンだと信じて疑わない。

 それに00005号が加わり、00001号も元ネタは分からないまでもなんだかすごい人なんだという認識を固めてしまい、結果、キラキラした瞳の三人の少女に囲まれる羽目になった神裂。

 

 ただ一人、佐天だけは目の前の年上女性がコスプレ少女だということを理解したが、佐天は普通の女の子なので、旅行先までがっつりとコスプレしている一人旅の女というなかなかに強いパーソナリティの持ち主であるという認識をこちらは固めてしまっていた。

 そして、人生経験の少ない女子中学生である佐天は、そんな目で見ていることを上手く愛想笑いで誤魔化すことが出来ない。結果、頑張って隠そうとはしているものの隠しきれない生暖かさがダイレクトで神裂火織を襲うことに。

 

 キラキラした瞳×3、絶妙な生暖かさ×1、笑いを堪えきれないド素人のニヤニヤ笑い×1に囲まれた神裂火織は、ぶっちゃけ心が折れそうになり、夕食を手早く食べ終えて早く上条当麻の首根っこを掴んで成敗しようとそれだけを考えて自己を保っていると――彼女よりも早く(もちろんお替りをたっぷりした)夕食を食べ終えたインデックスが、神裂に向かってこう言ったのだ。

 

 一緒にお風呂に入ろうよ――と。

 

 そして、今に至る。

 

(……おのれ、上条当麻。自分は早々に姿を消して……覚えていなさい)

 

 結果、ただニヤニヤしていただけで何もしていない上条へとヘイトを向けることでしか目の前の現実に耐えられない神裂――そんな彼女の綺麗な背中を、ぽんと押す小さな手があった。

 

「うわぁ。綺麗な肌だね、カナミンさん」

「ひやうっ!」

 

 ははは、ひやうだって――と笑う声の主を、神裂は振り向いて確認する。

 そんな彼女の手を取って引っ張るのは、自分がかつて故郷に置いてきてしまった一人の少女だった。

 

 どきっと高鳴る心臓は、その顔を見て――そして、ぶるんと揺れるその胸を見て、ある意味収まる。

 

「……立派になりましたね、五和」

「五和? 私の名前は乙姫だよ、カナミンさん」

 

 その言葉にハッとした神裂は「……そうでした。すいません、乙姫さん」と、旧知の少女の顔をした、上条当麻の従妹である竜神乙姫にそう返して、大人しくその手を引かれながら言う。

 

「それなら――私の名前はカナミンではなく、神――ッ!?」

 

 ちょうど名前の話になったので、少なくともカナミンと呼ばれるのだけはやめさせようと神裂は訂正しようとするが、そこでつい先程の少女達に対する自己紹介で、神裂火織と見られないのであればと、作った偽名があったのを思い出す。

 

 少なくとも、インデックスと佐天涙子は、神裂火織が魔術師であるということを知っている。

 そんな存在が上条当麻と行動を共にしていると分かれば、彼女達に無用な心配を掛けてしまうと、そう上条と事前に打ち合わせての偽名だった。

 

「か、カミサキカオルです。カナミンではなく、そう呼んでください」

「えー、でもそんなにカナミンにそっくりにコスプレするんだから、カナミンのこと好きなんでしょ? インデックスちゃんも喜んでるし、いいじゃん」

 

 そう自分の言葉を笑顔で却下する乙姫。その、五和では絶対に有り得ない行動と、そして、五和が最後まで自分に見せなかった遠慮のない笑顔を見て、神裂の表情が思わず固まる。

 

(……でも、それは――私が、させなかっただけで……本当の五和でも、作り出せた筈の表情(かお)……なのでしょうね)

 

 神裂は結局、乙姫に引っ張られる形で、女子中学生でぎゅうぎゅうになった露天風呂の中に引っ張り込まれる。

 

 決して大きな風呂ではないので、女六人の肌が触れ合うかもというくらいの人口密度だが、神裂以外は特に戸惑うことなく、内三人が温泉初体験とあって楽しそうにきゃっきゃうふふしている。

 

「にしても、カミサキカオルって、なんだか神裂さんにそっくりな名前だよね」

「そういえばそうなんだよ。なんだか、しゃべり方も似てる気がする」

 

 神裂(カナミン)は思わず噎せる。

 唐突に鋭い面を見せる少女達に、カミサキさんはぎこちない愛想笑いを浮かべながら言う。

 

「き、気のせいでしょう? 世の中には似ている人が三人はいるといいますし」

 

 本来なら、神裂さんを知らない筈のカミサキさんが否定するのはおかしいのだが、嘘が下手過ぎるカミサキさんはそれに気付かない。温泉に入っている筈なのに冷や汗が止まらない。

 

 そして、自由すぎる女子中学生ズの温泉女子トークは、どんどんと流れるように逸れていく。

 

「そういえば、神裂さんは元気にしてるかな? まだ、あれからそんなに経ってないけど」

「……だいじょうぶなんだよ。かおりも、すているも強いから。ずっと、わたしの為にがんばってくれてたんだから。すこしはゆっくり休めてるといいんだけど」

 

 湯船を縁取る石に胸を乗せるようにして、お尻を浮かせながら夜空を眺める茶髪の少女。

 その、見たこともない『外見』の少女の微笑みが、はっきりとインデックスの表情と重なって、神裂はハッと目を見開く。

 

 この少女は、ずっと自分達が救いたかった少女――インデックスなのだと。

 絶望に囚われ続けていた彼女が、同世代の女の子達と、こんな風に一つの温泉に浸かって笑い合う――こんな夏休みを過ごすことが出来ているのだと。

 

(……ああ。いいんですよ、インデックス。私達は、あなたがこんな風な日を過ごしている……その事実だけで、その全てが報われているのですから)

 

 改めて、彼女がハッピーエンドを手に入れることが出来たのだと、実感する。

 そして、そんな彼女の笑顔を守り続ける為にも、何としても、この御使堕し(エンゼルフォール)を解決しなくてはならないと決意する。

 

(ありがとうございます、佐天涙子。あなたにインデックスを任せて……本当によかった)

 

 神裂は、楽しそうにインデックスと肩を触れ合わせて笑顔を交わしている少女を――佐天涙子の『中身(こころ)』が入っている、スレンダーな薄い身体の『外見(うつわ)』の少女を見遣る。

 

 そして、その『外見(うつわ)』の少女の――頭部に埋め込まれた、顔のように見える三つの紅い宝石を見て、目を細める。

 

(……恐らくは、何らかの魔術的な意味を持って施されている仕掛け……なのでしょう。私如きでは、これが何のための仕掛けなのかは詳細を掴むことは出来ませんが。……インデックスがこれを認識することが出来れば即座に看破してくれるのでしょうが)

 

 それでも、詳細が分からなくとも、ただ破壊するだけならば、はっきり言って今の状況では容易だ。

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)――上条当麻の右手に触れてもらえば、恐らくはこの仕掛け自体は破壊出来る。あの右手は、よく分からないけどとりあえず壊しとこが許される、魔術師からすれば理不尽の権化のような反則(チート)だ。

 

 しかし、ここで一つの疑問が生まれる。

 例え、今、この仕掛けをあの右手で破壊したとして――その結果は、御使堕し(エンゼルフォール)が解決したその後、元の身体の持ち主に対しても反映されるのだろうか。

 

(……これは、なにもこの宝石の顔の少女だけではない。今、現在、この魔術の影響下にある全ての人間に対して考えられる危険性だ)

 

 この御使堕し(エンゼルフォール)という魔術は、天使を人間の身体に堕とし、その『中身(こころ)』を追い出して、その『中身(こころ)』が別の人間の『外見(うつわ)』に入ることで、『外見(うつわ)』と『中身(こころ)』の組み合わせが入れ替わるというものだ。

 

 つまり、身体ーAに、心ーAで、個体ーAが通常の状態とする場合。

 身体ーAに、心ーBが入り込み、個体ーBとして存在しているのが、御使堕し(エンゼルフォール)の影響下にある今の状態だ。

 

 そこで、御使堕し(エンゼルフォール)が発動中の今、個体ーBが何らかの事情で怪我を負ったとしよう。

 そして、すぐさま御使堕し(エンゼルフォール)が解決し、怪我が治癒する前に術が解けたとする。

 

 そうなると、個体ーBが負った怪我の影響は、果たしてどうなるのだろうか。

 個体ーBとして負った怪我であるから、そのまま個体ーBとして戻ってくる身体ーBに引き継がれるのだろうか。それとも、術中に個体ーBの身体であった身体ーAに残ったままなのであろうか。

 そうなると、身体ーAの本来の持ち主であった個体ーAは、何の身に覚えもない怪我を、術が解けた途端に背負うことになる。

 

(いや、擦り傷くらいならば不思議なこともあるですむかもしれない。けれど、これが今後の身体活動に深刻な影響を及ぼす程の大怪我であったならば? いや、それどころか、()()()()()()()()()()()?)

 

 これは決して有り得ない仮定ではない。

 御使堕し(エンゼルフォール)が全世界規模を影響下に置いている大魔術であり、既に発動してから一日が経過しようとしている――ならば、この間に世界で一人も命を落としていないとするのは、やはり無理があるだろう。

 

 そうなった場合――術が解けた時、死者として世界から消えているのは。

 世界に認識されていた個体ーAなのか、それとも活動停止してしまったであろう身体ーBの本来の持ち主である個体ーBなのか。

 

 だが、もし、後者なのだとしたら――身体は死んでしまったBと、心が死んでしまったAは、果たしてどうなるのか。

 残った身体ーAに、残った心ーBが入り、新たな個体ーAとして生きていくのだろうか。

 

 神裂は、温泉に入っているにも関わらず、思わずゾッとしてしまった。

 御使堕し(エンゼルフォール)――この術式は、自分達が思っている以上に、恐ろしい大魔術なのかもしれない。

 術式が完成してしまっては取り返しがつかなくなる。だからこそ、術式が完成する前になんとかしなくては――これが、これまでの基本姿勢だったが、それが既に間違っていたのかもしれない。

 

(術式が完成していない現時点ですら、既に取り返しのつかない事態となっている……こうしている今も、取り返しのつかない影響が、着実に世界へと及ぼしている……?)

 

 それに、単純に『外見(うつわ)』と『中身(こころ)』を入れ替えると言っても、様々な特殊パターンも存在するだろう。

 

 例えば、匂いを頼りに現世に存在する幽霊のような存在がいるのならば、彼女は『中身(こころ)』はあっても『外見(うつわ)』と呼べるものはあるのだろうか。

 

 例えば、ロマンを解するゴールデンレトリバーのような存在がいるのならば、彼の『外見(うつわ)』に入った『中身(こころ)』は、自らが犬の身体に入ったことに何の疑問も持たずに暮らすのだろうか。食事は? 排泄は? そんなことが可能なのだろうか。

 

 例えば、二万体のクローンネットワークに存在する大きな意思と呼べる存在がいるのならば、人と呼ぶことすら悩んでしまうような希薄な存在ではあるけれど、そこに『中身(こころ)』があるのならば、この御使堕し(エンゼルフォール)の連鎖の対象内なのだろうか。

 

 そのように様々な特異な状況も鑑みると、決して『外見(うつわ)』と『中身(こころ)』の数は一致しない。あぶれる特殊パターンが出てくる。

 もっと言うのであれば、そんなどこかにいるかもしれないという特殊パターンの前にも、ずっと身近にもっと真剣に考えなくてはならない矛盾のパターンは存在する。

 

(……なんでしょう? 上条当麻? いえ、彼はそもそも、この御使堕し(エンゼルフォール)の連鎖の範囲外にいる。彼と術者だけは、そもそもが御使堕し(エンゼルフォール)の『前』と『後』を考えなくてもいい存在。……そう、『前』と『後』、すなわち『外見』と『中身』の食い違い。……そうです。そもそも――)

 

 神裂火織。彼女は、御使堕し(エンゼルフォール)が発動している現在、()()()()()()()()()()()()()()()()

 この世界のどこかに存在していた、超機動少女(マジカルパワード)カナミンのコスプレ少女として存在している。

 

 だが、御使堕し(エンゼルフォール)の世界の原則として、身体ーAに心ーBの組み合わせでは個体ーBとして認識されるというものがある。

 しかし、現在の神裂火織は、神裂火織の元々のパーツをA、カナミン少女の元々のパーツをBとすると――身体はA、心もA、しかし個体としてはBとして認識されているということになる。

 

 そうなると――どういうことなのだろうか。

 この世界のどこかにいるカナミンのコスプレ少女、彼女が、身体もB(自分)、心もB(自分)のまま、周囲からはA(神裂火織)として認識されているという状況にいるのだろうか。

 

 同じことは土御門元春にもいえる。

 彼は現在、身体もA(土御門元春)、心もA(土御門元春)だが、周囲からはB(火野神作)として認識されている。

 

 そして、御使堕し(エンゼルフォール)における特殊なパターンといえば、神裂火織は知るよしもないが、上条当麻が前の世界で経験した『ステイル=マグヌス』というパターンがある。

 

 前述の通り、前の世界の神裂火織は、周囲からはステイル=マグヌスとして認識されていた。

 つまり、心はA(神裂)、身体もA(神裂)、個体はB(ステイル)という状況だ。

 

 しかし、その時の海の家わだつみの店主――彼は心はC(店主)、身体はB(ステイル)、個体はC(店主)という状況だった。

 つまり、ステイル=マグヌスという心ーBは、世界のどこかにあぶれて存在していたことになる。

 

 だが、心=個体という法則に従うならば、その心ーBという存在によって生まれる個体Bーステイルという存在が、神裂が個体Bーステイルとして認識されている以上、()()()()()()()ことになるのだ。

 

 つまり、神裂や土御門のような、外見ーXと中身ーXの入れ替えは防いだものの、個体ーYとして認識されることは防げなかったというパターンが存在すると、個体ーYの重複という世界の矛盾を引き起こしてしまう。

 それは、御使堕し(エンゼルフォール)の世界では、個体ーXという存在が不明という事態であるともいえる。

 

 今、この世界において、超機動少女(マジカルパワード)カナミンのコスプレ少女として見られている神裂火織、逃亡中の脱獄囚である火野神作として見られている土御門元春の代わりに。

 

 神裂火織として、土御門元春として、過ごしている誰かがいるかもしれない――あるいは、そんなものはどこにもいなくて、この世界から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 冷たい汗が神裂の綺麗な首筋をつたり、温泉の中へと消えていく。

 

(……つまり御使堕し(エンゼルフォール)という現象は、矛盾に満ちたひどく不安定な、不確定な世界。……この状態が長引けば長引くほど……世界にとてつもない負担を強いることになる。それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 長々と語ってきたが、結論は一つだ。

 それも何も変わらない――やるべきことは一つだけ。

 

 一刻も早く、この御使堕し(エンゼルフォール)を解決する――しなくては、ならない。

 

「……ごめんなさい。私は先に上がらせてもらいますね」

「え~、もうあがるの?」

「もう少しゆっくりしましょうよ。いろいろお話聞きたいです」

 

 神裂は少女達の引き留めに苦笑を返すと、その艶やかな肢体を温泉から上げて、少女達に言う。

 

「どうか、旅行を楽しんで。素敵な思い出を作ってください」

 

 それだけが、神裂火織の純粋な願い。

 Salvere000――救われぬ者に救いの手を。

 

 誰かをこの手で救う為、神裂火織は戦場へと戻る。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 空気が、変わった。

 

「……悪い、土御門。切るぞ」

『何か動きがあったかにゃー』

 

 電話口の向こうのプロは、上条の言葉調子だけで察知する。

 だからこそ、上条は詳しいことは何も述べず、ただ「そっちも何かあったら連絡をくれ」とだけ言って、通話を終了し、携帯をポケットの中に仕舞って、暗い森の奥へと視線を向ける。

 

「…………」

 

 そして、上条は。

 一度だけ女子中学生達が入っているであろう露天風呂の方角を見遣ると、そのまま何の躊躇もなく、光から遠ざかるように、光に危機を近づけまいとばかりに森の中へと歩みを進める。

 

 何の武器も持たず、薄いぺらぺらの夏着で、蚊の吸血すらも防ぐことが出来ないような軽装で――ただ、右手の指をぼきぼきと鳴らしながら。

 

 そして、比較的開けた場所に出ると――そこには、月光を浴びる赤いシスターが居た。

 

 齢は十二、三といったところか。小学生から中学生の、見るからに細く小柄な、明らかに少女と表現すべき子供。

 緩やかなウェーブのかかった金髪。目を覆うような前髪によって相貌ははっきりと見えないが、僅かに露出した部分だけでも人形のように整った顔立ちであることが窺える。

 

 それだけならばモデルにでもなれそうな外国人の可愛らしい女の子だったが、身に着けているものがそんな平和な感想を打ち消す程に強烈だった。

 

 ワンピース型の下着のような露出の多い拘束衣のようなインナースーツ。

 その上から羽織っている血のように赤い外套。

 

 太い首輪のような手綱(リール)

 腰のベルトから垂れるペンチ、金槌、L字釘抜き(バール)、ノコギリといった――いわゆる、()()()()

 

 明らかに、一目見ただけで、彼女が平和な日本の温泉旅館に相応しい存在でないことが理解出来る。

 彼女のような存在が登場する今、ここは、徹底的に世界の裏側なのだと理解させられる。

 

「――問一。術者は貴方か?」

 

 赤いシスターはノコギリをくるくると回しながら、ピクリとも表情を変えずに上条に問い掛ける。

 

「問一をもう一度。『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしたのは貴方か?」

 

 上条は少女の問いに答えず、両手をフリーにしたまま――両手を広げて、凶器を振り回す少女に、微笑みを向けながら尋ねる。

 

「お前の、名前は?」

「…………」

 

 赤いシスターは、ぐっと身を屈めて、溜めを作るようにしながら、それでも律儀に「……解答一」と小さく呟き。

 

 己の名を、はっきりと答えながら、上条当麻に直撃する。

 

「――()()()()()()()()()()

 

 上条当麻は、その名前を聞いて。

 

 鋭いノコギリの刃が自身に猛烈な勢いで迫っているにも関わらず、いっそ安心したように微笑んだ。

 

「――()()()()

 

 ミーシャ=クロイツェフ――()()()()()()()()()()()()

 

 前の世界に置いて天使をその身に下ろした巫女が、この世界でも上条当麻の前に現れた。

 

 己が名を――ミーシャ=クロイツェフと、そう名乗って。

 




上条当麻は、血のように赤い外套を纏った『天使』と遭遇する。


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ミーシャ=クロイツェフ〈×××××〉

………………そういうことかよ。



…………ちくしょう。


 

 赤いシスターが、果たして本当に上条当麻の首を両断しようとしていたのかは分からない。 あるいは首元に刃先を突きつけるだけの脅しであったのかもしれないし、疑わしきは罰せよと殺しても構わないという心持ちだったのかもしれない。

 

 しかし、どちらにせよ、ミーシャ=クロイツェフの放った攻撃が、上条の肌に届くことはなかった。

 

 ミーシャが上条の身体の至近距離に近づいたその時、ミーシャの小柄な身体が弾けるように遠ざかったからだ。

 

「無事ですかっ! 上条当麻!」

 

 上条の背後の暗い森から姿を現したのは、風呂上がりの神裂火織だった。

 相当に慌てて出て来たのか、その艶やかな黒髪は濡れていて、海の家わだつみの備え付けの安物の浴衣が危うくはだけている。おそらくは下着を着けていないのだろうと分かる程に。

 

 だが、上条はそれを僅かに振り向いて確認すると、すぐさまに顔を正面に向け直して「助かった。ありがとう、神裂」とだけ返して、再び体勢を整えてノコギリだけでなくL字釘抜き(バール)も取り出したミーシャに視線を注ぐ。

 

「彼女は何者ですか?」

「ミーシャ=クロイツェフというらしい。それ以外は何も聞いてないが、俺のことを『御使堕し(エンゼルフォール)』の術者かと聞いてきた」

「要求一。まだその問いに対する回答を得ていない。速やかに答えよ」

 

 上条は、つい先程、己に対し容赦なくノコギリを振り回してきた少女に対し、やはり微笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄っていく。

 

「ああ、そうだったな」

「ちょっ、上条当麻っ!?」

 

 大丈夫だと神裂に向かって微笑みかけながら、その笑みを再びミーシャへと向けて、両手を広げながら上条は言う。

 

「違う。俺は犯人じゃない」

「問二。それを証明する手段はあるか」

 

 上条のゆったりとした歩み寄りに、露骨に警戒を強めながら、ミーシャは腰を落とし、ノコギリとL字釘抜きを構えながら問い直す。

 

「悪いが、信じてもらうしかない。この右手は、あらゆる異能を打ち消す力がある。だから俺には魔術が使えない」

 

 そう言いながら、上条が右手をミーシャへと伸ばす――と。

 

「――っ!?」

 

 ミーシャは何の変哲もない右手から、何の武装も所持していない少年から、ノコギリとL字釘抜きを交差して身を守るように、ザッと後ろに跳んで距離を取る。

 

「…………」

 

 上条は、右手を差し出した格好のまま、薄い微笑みを浮かべてその挙動を観察し。

 

「…………」

 

 神裂は、そんな上条の背中を、表現の難しい表情で見遣っていた。

 

「――数価。四十・九・三十・七。合わせて八六」

 

 ズシン、と、まるで地震のような大気の揺れを感じた。

 

 すると上条の頭上から、水の柱が真っ直ぐに降り注いでくる。

 

(っ!? 水道管、いえ、海水!? いくら海が近いとはいえ、これほどの魔術を!?)

 

 神裂も思わず頭上を見上げる。

 すると、赤いシスターがぽつりぽつりと、機械的に口を動かす。

 

「照応。水よ、蛇となりて剣のように突き刺せ(メム=テト=ラメド=ザイン)

 

 水の柱が蛇のように鎌首をもたげ、無数の分裂した槍となる。

 己に向かって真っ直ぐに降り注いでくる大口を開けた一匹の蛇を、周囲にドスドスと人体を貫く攻撃が降り注いでいるのを委細構わずに、一歩も動かずに、上条はまるで雨粒を受け止めるように、ただ右手を翳すことで破砕した。

 

 キュイーンッという、幻想を破壊する音が響く。

 水柱が魔術的意味を失い、ただ雨のように降り注ぐ水飛沫となる。

 

 上条はそれをシャワーのように浴びながら、やはり変わらぬ微笑みを向けた。

 

「――理解してくれたか?」

 

 その言葉に、神裂火織は難しい表現不可能な表情を浮かべ、ミーシャ=クロイツェフは、その表情は変化させなかったものの、数瞬の間を空けて「……正答。貴方の言葉の正当性を理解した。この解を、容疑撤回の証明手段として認める」と呟き、ノコギリとL字釘抜きを仕舞いながら上条に言う。

 

「……少年。誤った解の為に刃を向けたことを、ここに謝罪する」

「気にするな。紛らわしい俺が悪い。それに、傷一つ負っていないしな」

 

 上条は振り返って神裂に笑みを向ける。が、神裂は上条に笑みを返すことが出来なかった。

 

 確かに、結果として上条は傷一つ負っていない。

 だが、唐突に出会い頭にノコギリを振り回され、何の断りもなく殺人級の魔術をぶつけられた。

 

 そんな正体不明の刺客に対し、怪我をしていないから全て許すと、あまつさえ紛らわしい状態にある自分が悪いとさえ言ってのける――この少年は。

 

(……思えば、インデックスの記憶を取り戻した際も……そうでした。彼は、『しあわせなハッピーエンド』の外側に、躊躇なく自分を置いた。それが最善だと、当然のように)

 

 まるでヒーローのようだと、神裂は思っていた。

 我が身を省みず、救われぬ者に救いの手を求めて、片っ端から救い上げてしまう、正しくヒーローのような右手の持ち主だと。

 

 しかし、それ故に、神裂は上条に対し、どこか不気味さのようなものも感じていた。

 それはまるで物語に置ける『舞台装置』のようで、同じ世界で同じ視点の高さで生きる登場人物ではないかのような違和感。

 

 何を考えているのか分からない、善性過ぎるヒーロー。

 その正体が、なんとなく、分かった気がした。

 

(……ああ。そうか。彼は、どこか私と――『魔術師(わたしたち)』と似ている)

 

 Salvere000――救われぬ者に救いの手を。

 この身に、この魂に刻み込んだ、魔術という反則(チート)に手を伸ばしてでも叶えたい願い。

 

 叶えたい願いがあってもどうしても叶えられなかった――だからこそ、魔術という世界の仕組みを歪める掟破りに手を伸ばした、()()()()()()()

 

 救いの手を伸ばしながら、誰よりも救いを求める者達。

 遙か遠い理想郷を心に抱きながら異端を進む歪んだ者達。

 

 そう、彼はきっと――。

 

「問三。しかし、貴方が犯人でなければ誰が『御使堕し(エンゼルフォール)』を実行した術者なのか。中心点は確かにここの筈だが……心当たりはあるか、少年」

「その辺りのことは場所を変えて話さないか。お互いの自己紹介もまだだしな。一旦、宿に戻ろう。神裂も湯冷めしちまうだろうしな。なぁ、神裂」

「――え、ええ。分かりました」

 

 神裂は一度頭を振って、上条とミーシャと合流する。

 

 誰よりも歪んだ正義のヒーロー。

 片っ端から人を救う、誰よりも救われるべき少年。

 

 神裂は、己が理想の体現者とも思えた少年の真実の一端を前に、小さくギュッと胸の前で手を握った。

 

 

 

「問四。ところで、貴殿のその衣服の着用方法は正しいのか」

「……神裂。流石に目のやり場に困るから、宿に戻る前に浴衣は直してくれよな」

「――――っっっっっッッッッッッ!!!!」

 

 気付いていたのならもっと早く言ってくださいっっ!! ――と鞘に収まった日本刀を振り回す顔を真っ赤にした大和撫子の絶叫と。

 不幸だぁぁぁぁああああああああ――と本来は聖人さんに対して禁句となっていることも忘れて飛び出した口癖を轟かせる少年の叫びが真っ暗な森の中に響いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 まだ女子中学生ズはお風呂タイム中、上条夫妻も夜の海岸散歩デートにでも出かけているのか、わだつみの家の二階の宿泊部屋エリアはとても静かに閑散としていた。

 

 浴衣を直した神裂を最後尾に引き連れ、間に真っ赤な外套の下に拘束衣のようなインナーのシスターという強烈過ぎるキャラ物を挟んで、上条は使用人のおじさんと思える中年の男性とのすれ違いを苦笑いで乗り越えながら、彼女らを自分用に宛がわれている客室へと案内した。

 

 一応、上条当麻は子供組唯一のヤローということで、思春期男子に(あるいは思春期女子に?)配慮した結果、一人部屋ということになっているが、旅先のテンションに任せた女子達がトランプ片手に突入してくることも十分にあり得る可能性なので、情報交換は手早く済ませようと、上条当麻、神裂火織、ミーシャ=クロイツェフはお互いの素性や目的などを恙なく紹介し終えた。

 

「ロシア成教、『殲滅白書』ですか。私達、イギリス清教の『必要悪の教会(ネセサリウス)』とは、また違った形の実戦部隊ですが――」

 

 御使堕し(エンゼルフォール)が全世界を影響下に置いている魔術である以上、遠いロシアが客人が訪日してもまるでおかしな話ではないが――神裂は少し違和感を覚える。

 その違和感が具体的に何に対して感じているものなのか神裂は具体的に答えが出せなかった。

 

「とにかく、仲間は一人でも多いに越したことはない。一緒に頑張ろうぜ、ミーシャ」

 

 上条はそんな神裂の懊悩を余所に、懲りずにミーシャに右手で握手を求める。

 しかし、ミーシャはそんな上条の手をやはり取らず、窓際の位置を確保しながら「要求二、それよりも具体的に話を進めたい」と、意外にもミーシャがこの会議の進行役を務める形で議題を提供した。

 

「先程の私の質問に速やかに答えよ。少年、貴方はこの『御使堕し(エンゼルフォール)』の実行犯に対する心当たりはあるか?」

「そうだな。一刻も早く解決出来るように、話を先に進めよう」

 

 上条はミーシャと神裂の間に胡座を掻いて座りながら、「これはさっき、俺のもう一人の仲間である土御門と電話で話して浮かび上がった仮説なんだが――」と前置き、暗い森の中での密談の内容を明かし始めた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻の逆行に気付いている黒幕がいる。

 衝撃は確かに大きかったが、同時にある種の安心も上条に与えていた。

 

 それはつまり、この世界が上条の夢の中、あるいは高層ビルから落下中に見ている走馬灯のようなそれではなく、明確に、前の世界と繋がっている、確かな『世界』だということの証明でもあるからだ。

 

 上条当麻の逆行知識による悲劇の未然防止――それを阻もうとしているという黒幕は、果たしてオティヌスなのか、それとも他の何者かなのか。

 

 それは分からないが、一つ確かなのは、それを今、ここで考えてもしょうがないということだ。

  

(……それに、それが俺と違う、別の『逆行者』だという保証もない。ただ俺の逆行に気付いている『現地人』だという可能性もある)

 

 何はともあれ、今、ここで考えるべきことは、その上条当麻の逆行に気付いているという黒幕の正体ではなく、その黒幕が糸を引いているかもしれない、この世界で起きた『御使堕し(エンゼルフォール)』の解決である。

 

 土御門とこうして会話出来る時間も限られている。

 何でもいい。何でもいいから、次に進むための道標が欲しい。

 

 その為には、一切の手がかりを失ってしまったこの状況から、何らかのとっかかりを見つけることだ。

 

 どこかにある筈だ。

 違和感は? 矛盾は? 突破口は?

 

 その後、およそ数分に渡って土御門と会話を重ねたが、これといっためぼしい手がかりもなく、諦め掛けたその時だった。

 それは既に何度目かも分からない、上条が愚痴のようにこぼした言葉からだった。

 

「……なぁ。本当に、そんな偶然があるものなのか?」

 

 ()()()()の異様なまでの重なり。

 違和感を覚えずにはいられないが、そもそもが前の世界で上条が経験した『御使堕し(エンゼルフォール)』が、そういったたまたまの不幸なまでの重複による産物だったのだ。

 

 だから、どんな何者かの思惑が絡んでいるとはいえ、今回も仕組みとしてはそうだったのだろう。そういった結論に落ち着いた筈――だが。

 

「それがそもそもおかしいんだ。前の世界の父さんが作り出した儀式場、あれだって本当に奇跡的な条件が重なって出来たものだった。それが、たまたまもう一個あったっていうのか? 今回の『御使堕し(エンゼルフォール)』の中心点も、前回と変わらず()()なんだろ?」

 

 そう。御使堕し(エンゼルフォール)の中心点――発生点は、日本の神奈川県某所、つまり上条当麻がいる、今、ここだ。

 だからこそ、この場にいて何の影響も受けていない上条当麻が術者の第一容疑者となっている。

 

 しかし、そうなると、この日本の神奈川県に、あの奇跡的な条件を満たした儀式場が、上条家以外にも()()()()存在していたことになる。

 

 それとも、上条刀夜以外の誰かが、何者かが、何年も掛けて何の変哲もない住宅をゆっくりと儀式場へと作り上げたとでもいうのか。

 

「なぁ、土御門。心当たりはあるか? この日本の神奈川県を縄張りにでもしてる『御使堕し(エンゼルフォール)』を企むような魔術結社とか。あるいは、有名な魔術師が根城にしている場所があるとか。……土御門?」

『――いや、そうか。なるほどにゃー。それは盲点だった。確かに、考えるべき可能性だった』

 

 上条の言葉に、土御門は何か思い至ったかのようにうなり、上条の質問には答えずに『……なぁ、カミやん』と、再び質問を返してきた。

 

 

『この世界の上条家は、前の世界の上条家とは住所がはじめっから違ったって言ってたよな?』

 

 

 

 

 

××× 

 

 

 

 

 

 深夜。

 上条当麻は神裂火織とミーシャ=クロイツェフを引き連れ、駅前へと出てタクシーを確保し、女子小学生が運転する(ブレーキとかアクセルに足が着いているのかと不安になるほどの身長だった。本人がそれに全く違和感を覚えていないことに、この御使堕し(エンゼルフォール)下の世界の歪さのようなものを改めて感じる)車に乗って、目的の場所までやってきた。

 

 九州地方を中心に展開する某有名ショッピングセンター、その唯一の神奈川支店。

 その場所を、現上条家から地図上で挟み込むような座標にある、平凡な木造二階建て住宅。

 

 前の世界の上条の記憶では、この何の変哲もない民家に、正真正銘の脱獄犯が立てこもっていて、警察が周辺を包囲していたので、神裂がなんたら結界を張り巡らせて道なき道を行き、ようやく辿り着けた場所だったが、今回は家の真ん前までタクシーでやってくることが出来た。

 

 この世界の上条家へと女子中学生ズとやってきた時と同じように、上条は某第一位から預かった真っ黒なクレジットカードで料金を支払うと、乗客を下ろしたタクシーが夜の闇の中へと消えていくのを見送って、改めてその家を眺める。

 

(…………同じだ)

 

 この世界の上条家は、駅に比較的に近いが狭くて古い団地マンションの一室であったらしい。そして、ついこの間、念願のマイホームを手に入れた訳だが――前の世界の上条家は、正しく目の前の、このどこにでもありそうな木造二階建て建売住宅だった。

 

 いや、記憶にあるそれよりも、どこか古くて痛んでいるように見える――のは、前回、上条がやってきたのが日中で、今が暗い深夜だからだろうか。周辺住宅も夜更かしをするような生活リズムの人間はいないようで、街灯もろくにないからか、まるで幽霊屋敷のようにおどろおどろしく見える。

 

「……ここが、土御門の言う、地脈上最も怪しい場所ですか?」

「……ああ。少なくとも、日本の神奈川県においては、『御使堕し(エンゼルフォール)』なんて規格外の大魔術の儀式場とするには、一番怪しい物件なんだと」

 

 神裂やミーシャには上条は言葉を濁してそう説明していた――嘘は、吐いているが、言ってはいないつもりだ。

 なにせ、この場所は、この住宅は、前の世界において『御使堕し(エンゼルフォール)』の儀式場となった前科のある場所なのだから。

 

 土御門曰く、こういうことらしい。

 

『この世界のカミやん家の場所が変わっている。これはもっと注目すべきポイントだったんだにゃー』

 

 上条はその言葉を聞いた時、訝しく眉を潜めるだけだった。

 確かに上条としては小さくはない衝撃を受けた『改変』ではあったが、前の世界と今の世界で異なるポイントなど少なくない。

 

 言ってみれば、学園都市の上条の住居だって、既に前の世界で最後まで(ここでいう最後とはオティヌス戦前までという意味だが)住んでいた学生寮から引っ越している。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に、寂しく思うことはあっても疑問に思うことはなかったのだが、プロの魔術師はそんな素人認識に異を唱える。

 

『カミやんの話を聞く限り、前の世界で上条刀夜が発動させた、その『おみやげ術式』ってのは、いわゆる風水を使った術式なんだろう? 適した方角に、適した位置に、適した意味を持つ偶像を配置し、無数の魔術的意味を持たせる。……聞けば聞くほどに、そんなおまじないの積み重ねで『御使堕し(エンゼルフォール)』なんて大魔術を発動させちまった刀夜は、まさしくカミやんの父親って感じなんだが――そう、()()。そんな大それた大魔術に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 土御門は、硬質の声で上条に言った。

 表情が見えない電話越しだが、きっとあのサングラスの向こう側で、いつもの目をしているのだろうと上条は思った。

 

 風水を専門とする陰陽師――土御門元春は素人上条に言う。

 

『風水とは、部屋の間取りや家具の配置によって回路を作り上げる魔術だ。だが、それだけじゃない。()()()()()()、その家の下に流れる龍脈、地脈がそもそも見当外れの場所じゃあ話にならない。ちょっとした要塞を作るならまだしも、たまたま大魔術を発動させようなんて奇跡の重ね着を要求するならば、その条件も間違いなく揃っていた筈だ』

 

 そもそも、オカルトグッズは『中身』だった。

 あの木造二階建ての建売住宅という『一等地』に用意された『器』があってこそ、『御使堕し(エンゼルフォール)』という大魔術は()()()()発生し得た――と、いうことか。

 

『確認してみる価値はあると思うぞ、カミやん』

 

 土御門は上条に言った。

 

『前の世界の上条家があった場所――そこに、今、どんな人間が住んでいるのか。そもそも誰か住んでいるのか。家が建っているのか。空き地なのか。……空振り上等で、バット振ってみる価値はある筈だ』

 

 その直後――上条はミーシャの気配に気付き、通話は終わった。

 

「…………入ってみよう」

 

 家はあった。それも、前の世界の上条家と瓜二つの、全く同じデザインの家が。

 果たして、この世界ではどこの誰が住んでいるのか――表札を確認しようとした上条だったが、それよりも先に、上条は見つけてしまった。

 

 薄暗くてよく見えない闇の中で、はっきりと姿を現した――玄関近くに植えてある、背の低い檜の木を。

 

「………………」

 

 巣箱のついた檜の木――敷地の入口に置かれた小鳥が止まって休む宿り木――()()

 

「………………っ」

 

 心臓が嫌な風に高鳴る。

 上条は焦りのような何かに突き動かされるように、玄関を開けて勝手知ったる――見ず知らずの誰かの住居へと不法侵入する。

 

「――上条当麻っ!」

「…………」

 

 神裂の咎めるような声にも答えず、己の背中についてくるミーシャの気配にも構わずに侵入した上条の目は、再びそれを捉える。

 

 南向きの玄関に置かれたポストの置物――『南』の属性色に合わさる『赤』いポスト。

 

「――――ッッ!!」

 

 風呂場に向かう。

 最早、この家の持ち主である見知らぬ誰かに対する配慮などなかった。

 

 荒々しく開けた扉の先には、亀がいた――『水』の守護獣となる『亀』のおもちゃが。

 

「…………決まりだ」

 

 ここはまるで、上条の記憶の中であるかのようだった。

 何もかもがあの『御使堕し(エンゼルフォール)』を発動させた儀式場となった、前の世界の上条家そのもの。

 

 まるで上条の記憶を読んで、『御使堕し(エンゼルフォール)』を発動させる為に再現させたかのようだった。

 

(……いや、本当にその可能性はあるのか? 心を読むくらい、学園都市の能力者なら……。いや、俺の傍には常に学園都市最強の精神系能力者である食蜂がいる。……だが、俺の外出許可を軽々しく出したり止めたり出来るレベルの地位にいる奴が『黒幕』なら、超能力者(レベル5)の能力を再現するとかいう兵器も自由に使い放題なのか?)

 

 上条が他人の風呂場を覗き込むような体勢で額に右拳を当てながら唸っている背後から「上条当麻っ!」と、神裂が鋭い声で呼びかける。

 

「説明してください。何がどうだというのですか?」

「……ああ。悪い。……取り敢えず、『ここ』で確定だ」

 

 露骨に顔色を悪くしている上条だが、己についてくるように脱衣所の中にいる神裂とミーシャに、最低限の説明をしなくてはと口を開く。

 

「土御門の専門は風水だ。そんで、地脈的に最有力の場所に行くならってことで、いくつかの条件(ポイント)を教わってたんだが――それが、怖いくらいに一致してる。……敷地の入口にある巣箱のついた木、南向きの玄関にある赤い置物、そんで風呂場にある水の守護獣……後で土御門に写真を送って確認を取るけど……十中八九、この家が『御使堕し(エンゼルフォール)』の儀式場で間違いない」

 

 上条の言葉に、ミーシャは一切動じずに、神裂は瞠目する。彼女は「……風水は、私としては専門外なのですが……」と口にしながら、周囲を――何の変哲もない民家を、まるで心霊スポットで幽霊を探すように眺めると。

 

「……本当に? このような民家から? ……そのような魔力は感じないのですが」

「一つ一つはおまじないに近いものらしい。それこそ、気分転換の模様替えで参考にするくらいのレベルの――だが、それが無数に積み重なると『御使堕し(エンゼルフォール)』なんてとんでもないレベルの災厄をも呼び込む」

 

 神裂は「……なんと緻密な……」と、それこそ途方もない計算と執念の上で成り立っているのであろうという儀式場を改めて呆然と眺める。

 それを何の計算もなく、ただ息子を思う心一つで無意識に成し遂げてしまったのが、前の世界の上条刀夜だ。土御門が「幻想殺し以上の番外」と言ってのけるのも納得の規格外っぷりである。

 

(……問題は、この世界でこの儀式場を作り上げたのが、果たしてどうなのかってことだが)

 

 そいつは何らかの手段で上条当麻の脳内を読み取ったのか、それとも独力の計算と努力でここまで辿り着いたのか――それとも、上条刀夜のように、まったくの偶然の代物なのか。

 

 もし最後者なら、もはやこの土地に家を建てたものは無意識の内にこんな儀式場を作り上げてしまうという別のオカルトが発生しているのような気もするが。

 ここまで途方もない()()()()が重なってしまうのなら、そのようなトンデモ説でもあながちなしだと一蹴出来ないから恐ろしい。

 

「けれど、これが魔術的に構築されたものならば、あなたの右手で破壊してしまえば、全ての決着が着くのでは?」

「…………いや、これだけ絶妙にいくつもの『おまじない』が重複した上で成り立っている儀式場は、下手に俺の右手でその内の一つだけを壊したら、その結果『別の何か』が改めて発生しちまう危険性があるらしい。……それこそ、『御使堕し(エンゼルフォール)』級のとんでもないなにかが」

 

 上条はそう言って乱雑に己のツンツン頭を掻き回すと「……とりあえず、手がかりを集めよう」と言って、女性陣二人を脱衣所から出そうとする。

 

「兎も角、儀式場は見つかった。あっさり破壊してすんなり解決ってわけにはいかなかったけど……その辺りはどうにかして土御門にこの現場を見てもらってから意見をもらおう。――俺達がこれからやるべきことは、ここから術者にどうにかして辿り着くことだ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 その後は、上条と神裂とミーシャ、各自手分けしてこの家から手がかりを探すこととなった。

 

 上条が前の世界でこの家を訪れたのは、火野神作の立て籠もり事件の時だけだったので、あの極限状態で隅々まで覚えていたわけではないが、どこを見ても既視感のようなものでいっぱいだった。

 

 だが、懐かしさのようなものは微塵も感じない。

 他人の家だ。いや、勿論、他人の家ではあるのだが――例え、ここが上条当麻の生家だったとしても、きっと自分は何も感じないのだろう。あのアルバムを見た時のように。

 

「…………」

 

 上条は一通りめぼしい場所を見た後は、リビングへと向かった。

 真っ先にミーシャが向かった為に自分は後回しにしていたが、他のどの部屋を見ても、奇妙なまでにこの家の家主のパーソナリティが見つからない。

 

 むしろ、あらゆる場所におまじないと思われるオカルトグッズがあって、下手に右手を使えない上条は深くまで探ることも出来なかった為、前の世界において『上条刀夜の写真』という、事件の真相を暴くに至ったキーアイテムを見つけた場所に行くことにした。

 

 勝手知ったるといった足取りで真っ直ぐにリビングへと向かう。

 途中で二階を散策していた神裂とも合流する。

 

 この世界では例え犯人の写真があったとしても()()()()()()()()()犯人の姿を確認した所で、その犯人が自分の知っている人間とは限らないのだから、すぐさま犯人発見とはいかないだろうが。

 

(それでも、手がかりは多いに越したことはない)

 

 犯行現場から犯人の手がかりを探すのは捜査の鉄則だ、と警察でも警備員(アンチスキル)でもない不法侵入者上条は、これまた勝手知ったるとばかりにリビングの扉を開ける。

 

 そこも、やはり記憶の中と瓜二つだった。まるでドラマのセットのように。

 

「ミーシャがいませんね」

 

 神裂の言葉通り、ミーシャ=クロイツェフの姿はなかった。

 自分達と同じように既に始めに訪れた場所の探索は終えて、別の部屋にでも行っているのだろうか。それにしても、自分か神裂のどちらかとすれ違っていてもいい筈だが。

 

「…………」

 

 上条が真っ直ぐに向かったのは、前回、問題の写真立てがあった戸棚だった。

 

 この家が『御使堕し(エンゼルフォール)』の儀式場だと確信を得た時、なぜ真っ直ぐにここに向かわなかったのか。

 前回、目に焼き付けることの出来なかった『上条家』を、改めて見て回りたかったのだろうか。

 

 それで得たい物を得ることが出来たのか――だが、一つ、確信を得たことがある。

 

(……きっと、この家は、俺と――いや、『上条当麻』と無関係ではない)

 

 懐かしさを感じた訳ではない。むしろ、懐かしさは微塵も感じなかった。

 だが、ずっと、この家を訪れてからずっと――右手が微かに疼いている。

 

 完全に無事な、全く破壊されていない健康な脳細胞が、ではない。

 右手が――幻想を殺す右手が、何かを上条に訴えている。

 

 それはきっと、()()()()()()()()()()()()

 

(……俺が、逃げずに向き合わなければならない何かだ)

 

 上条は問題の戸棚を真っ直ぐに見た。

 そこにはやはり、雑多に詰め込まれた海外のオカルトグッズの中に、ぽつりと、奇妙に埃を被っていない写真立てがあった。

 

 そう。前回の上条家と瓜二つとずっと描写してきたが、この家には記憶の中のかつての上条家とは唯一違う点が存在する。

 初めそれは前回と違って深夜だからだと思っていたし、今も近隣住民に己らの不法侵入が露見しないように電灯も点けずに行動しているからだと――しかし、徐々に目が慣れていくにつれ、その違和感は増すばかりだった。

 

 大きな違いではない。

 違うのは――人の温もりの差だ。

 

 前回の上条家は、物に溢れてはいたものの、詩菜の掃除が行き届いていたのか雑多な印象はなかった。立て籠もり犯が警察勢力を迎え撃つ為に策を講じて細工していたということを踏まえても、平和な時は平和な家だったのだろうというのが窺える程にだ。

 

 だが、今は、火野神作がいるわけでもないのに、妙に家の中の空気が重苦しい。

 埃が溜まっていた箇所もいくつもあるのに、オカルトグッズだけは妙に丁寧に配置されていて。それに妙に冷蔵庫の中やゴミ箱にビール缶があるのも――いわゆる、嫌な予感というものを膨れ上がらせていた。

 

 写真を手に取る。

 そこには――幼い少年と、一組の夫婦が映っていた。

 

 見たことのない、ごく普通の、他人の家庭だ。

 少なくとも上条当麻の知らない世界――その筈、だ。

 

 前回の写真には、幼い上条当麻、詩菜となっていたインデックス、そして入れ替わっていない上条刀夜が映っていた。

 構図こそ同じだが、そこに映っている母親も、そして子供も、まるで見たことのない人達だった。そして――父親も。

 

(…………ん? いや、この男……どこかで?)

 

 いや、男だけは既視感がある。

 ぼんやりと、だが、どこかで見かけたのか?

 

 御使堕し(エンゼルフォール)の中心点はここだ。

 つまり、わだつみの家からここへ向かってきたのだから、その道中にでもすれ違っていたのか。

 

 もし、その男を見つけて、この家の家主と同一人物ならば、この男は入れ替わっていない――つまりは『御使堕し(エンゼルフォール)』の術者となる。

 

(ミーシャはそれに気付いたのか……? だとしたら、マズいな。アイツが先に術者を見つけたら、()()()()()()()()

 

 上条は早速追いかけようと思って写真を戻そうとする――が、そこに、もう一葉、別の写真があることに気付く。

 写真と、その奥に隠された――分厚い、日記帳のようなものがあった。

 

 前回にはなかったものだ。上条がそれを取り出してみると、その写真は先程の家族写真のようなそれではなく、母親だけが写ったものだった。

 

 それも、顔だけが――輝くような笑顔が、かえって物寂しさを強調する、まるで――。

 

「………………」

 

 上条は、ゆっくりと、その手に取った分厚い日記帳を手に取る。

 

 そして、それを開き、中に目を通すと――初めの数ページを読んだだけで、上条は全てを理解した。

 

 

 

 

 

「………………そういうことかよ。…………ちくしょう」

 

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 まだ夜が明けぬ暗い内に、上条と神裂はその家を後にした。

 

 

 上条はその際、はっきりと、その家の表札の名を心に刻んだ。

 

 

 

 そこには、こうあった――『神定(KAMIJYOU)』と。

 

 

 




それは、上条当麻が逃げ続けていた――逃げずに向き合わなければならない何かだ。


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父親〈ヴィラン〉

僕は、ヒーローに倒されるべきヴィランというわけだ。


 朝日を存分に浴びて輝いてた筈の海が、突然真っ黒に染まった。

 

 いや、海ではない。

 月が沈み、太陽が昇って真っ青になっていた空が、再び強制的に夜へと戻されたのだ。

 

 宙に月が浮かぶ。

 それも数時間前までの半月ではなく、禍々しい程に不気味に輝く満月が。

 

「………………」

 

 男は何も言わず、早朝の散歩の足を止めて、ぼんやりと空を眺めるだけだった。

 

 天体制御(アストロバインド)――『世界を終わらせる力』が猛威を振るう、正しく終焉のような光景を前にしても、まるでつまらない映画を見るかのような瞳を崩さない。

 

 蒼い月の周りに光輪が出現し、様々な形の光の筋が天空に出現する。

 何億何十億という魔法陣が、更に巨大な魔法陣を築き上げる。

 

 正しく――『神の力』。

 その名にふさわしい天使が、その名にふさわしい力を、たった一人の人間を殺す為に振るおうとしている。

 

「…………世界の、終わりか」

 

 まるで死刑を執行される直前の囚人のような、なにもかもを達観したような口ぶりで、そう男が呟くと。

 

 

「終わらせねぇよ。世界も――アンタも」

 

 

 海を、空を眺めていた男が、ゆっくりと後ろを振り返る。

 

 そこには、男にとって見ず知らずの少年がいた。

 会ったのはたった数度――このわだつみの家に、()()()()同時期に宿泊していた団体客の一人。

 

 それだけに過ぎない筈の少年は、今にも怒鳴り散らしそうな怒りの篭もった目で、今にも泣き出しそうな悲しみに満ちた目で――そして。

 

 今にも死んでしまいそうな、罪悪感でいっぱいの瞳で――男を見詰める。

 

「君は誰だい?」

 

 男は言う。

 写真よりもずっと痩けた頬、伸びた髭、濃くなった隈――疲れ切った、老けた顔で。

 

 なにもかもを諦めたような声で、少年の名前を問う。

 

「――()()()()

 

 少年が自らの名前を告白する。まるで、罪を認めて自首するかのように。

 

 疲れ切った男は、少年の名前を聞くと、世界の終わりの光景にも動かなかった表情を動かし――瞠目した。

 

「……そうか。君が」

 

 それは、怒っているかのような、悲しんでいるかのような、申し訳なさそうな――そして何より、疲れ切ったように呟かれた言葉だった。

 

 やっぱり、結局の所、最後には、こうなってしまうのかと言わんばかりに。

 

 上条はそんな男に――神定(かみじょう)(けん)という、犯人に、言った。

 

「……もう、やめにしようぜ」

 

 少年の言葉に、疲れ切った男は、疲れ切ったように――力無く笑った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 簡単な真相だった。

 答えはずっと、自分達の目の、手の、届く場所にあったのだ。

 

 考えてみれば、考えてみるまでもなく、それは確定的に明らかだった。

 この『御使堕し(エンゼルフォール)』の発生源は日本の神奈川県――上条当麻の周辺だった。

 

 それこそ、前回の犯人が上条刀夜だったように――上条当麻の傍に居た人物だったように。上条当麻の視界の中に居続けた登場人物だったように。

 

 今回の犯人たる、神定剣もまた、上条当麻の視界の中にいた。

 

 上条当麻が気付かなかっただけで。上条当麻が気にも留めなかっただけで。

 上条当麻が――この物語の登場人物だと、認めていなかっただけで。

 

 彼はずっと――()()はずっと、この世界で生きていた。

 この物語の、この世界の、重要な登場人物だった。

 

 その筈――だった。

 

「………………」

 

 上条は、なにもかもを諦めたような顔で、頭上に広がる世界の終焉を眺める男を見る――しっかりと、見る。

 

 前の世界の『御使堕し(エンゼルフォール)』の時、わだつみの家の店主の外見はステイル=マグヌスだった。裸にオーバーオール姿のその息子は御坂妹になっていて、外見的に大変危うかったのをよく覚えている。

 

 しかし、今回の世界に置いては、店主も、その息子も、妻も、皆、上条の知らない人物の姿になっていた。

 

 正直に言うと、正直に罪を告白すると、上条当麻はわだつみの家の主人の本来の姿――つまり、前の世界でいうところのステイル=マグヌスになる前の姿がひどく曖昧だ。

 後者の印象が強すぎてというのもあるだろうが、前の世界で学園都市の超能力者(レベル5)だのローマ正教の神の右席だの、イギリスの王家だの合衆国の大統領だの、果ては魔神なんてものとまで相対した上条にとって、もう二度と訪れることのないだろう海の家の管理人一家の顔まで一々しっかりと覚えていることなど出来なかった。完全記憶能力者でもあるまいしと。

 

 これは上条当麻が特別に薄情な人間というわけでもない。

 一般人でも、これまで訪れたホテルや旅館のスタッフの顔を全てはっきりと記憶しているといった人間の方が珍しいだろう。特に、上条にとっては、既に十年以上前の記憶なのだ。魔神オティヌスとの体感時間数万年の時間の戦いを含めたら、それこそ遙か過去のことだ。

 

 そんな前の、()()()の顔など、覚えている方が難しい――これが、上条当麻の罪の一つだった。

 もっといえば、今回の『御使堕し(エンゼルフォール)』においては、上条当麻がわだつみの家に訪れた時には既に術式は発動していた――つまり、わだつみの家の管理人一家の姿は、この時には既に入れ替わっていた。

 

 知らない一般人の姿から――知らない一般人の姿へ。

 だが、上条当麻は、彼等のことを疑いもしなかった。

 

 入れ替わりの有無の確認――それを確かめようともしなかった。

 前の世界において彼等は無関係だったから? 前の世界の、逆行前の知識が役に立たないということは、とっくに分かっていた筈なのに。

 

 彼等は一般人だから――魔術師でもなく、学園都市の住人でもない、只の一般人だから。

 上条当麻の物語には関係ないと、無意識に排除していた。

 

 だからこそ、ずっと視界の中にいた犯人に気付けなかった。

 知らない一般人の中に紛れ込んでいた、どこにでもいる普通のおじさんに気付けなかった。

 知らない一般人から知らない一般人へと入れ替わっていた管理人一家に紛れていた――()()()()()()()

 

 上条当麻がスタッフの一人だと思っていた。そう文章として認識するまでもなく、無意識にそう思っていた。

 それが、自分達と()()()()同時期に宿泊してた外部の人間であり、その男こそが、今回の事件の犯人であったことに、全く思い至らなかった。

 

 上条が宿泊していた部屋へと向かう時にすれ違ったことに、ミーシャの方が早く気付くような有様だった。

 

 上条が写真立ての裏に隠れていた日記帳を発見したあの後、上条はあの時の男こそが今回の犯人であること、ミーシャはこの男を殺して事態の解決を図ろうとしていると――そして、()()()()()()()、『()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()を説明し、神裂へと対処を託した。

 

『ミーシャの中に、天使が……っ!?』

『ああ。土御門に調べてもらった。ロシア成教の殲滅白書に、ミーシャ=クロイツェフなんて奴はいない。サーシャ=クロイツェフって奴ならいたらしいけどな。……それに、ミーシャってのは、ロシアだと男の名前なんだろ?』

『っ!? ……たしかに、偽名だとしてもおかしいとは思ってはいましたが……そうなると、ミーシャは……いえ、彼女の中にいる天使の正体は――』

『……ああ。そこでだ、神裂。お前に頼みたいことがある』

 

 上条が頼んだのは、天使『神の力』の足止め。

 前の世界でも神裂火織が成し遂げた偉業だが、だからといって、今回の世界でも上手くいくとは限らない。

 いくら神裂が『神を裂く』力を持つ聖人だからといっても、天使の力は文字通り位が違う。

 天使は容易く世界を『一掃』する力を備えている。その気になれば、簡単に世界を滅ぼせる。簡単に世界を終わらせた魔神に破れた戦歴の持ち主である上条にとっては、正しく恐怖そのものだ。

 

 しかし、上条はそれを、神裂に託した。

 かつて上条刀夜と向き合うのは上条当麻の役割であると吠えたあの時のように、神定剣と向き合うのも、上条当麻の役割であると、そう思ったのだ。

 

 上条当麻の役割――上条当麻の業、か。

 向き合うのは、上条当麻という存在の罪であるかもしれないけれど。

 

 まるで崖の上での真相解明パートであるかのような、この状況。

 追い詰められているのは――果たして、どちらなのか。

 

 奈落の底へと堕ちるのは、犯人(ヴィラン)か、それとも探偵(ヒーロー)なのだろうか。

 

「…………日記、読ましてもらった。アンタの家にあった、二枚の写真の裏にあった日記だ」

 

 車よりも速く走れる神裂を、ミーシャの追跡の為に先に行かせ、普通の人間の速度しか出せない上条は、行きと同じようにタクシーでこの海岸に帰ってきた。

 

 そして、その道中の車内、他人の家の、他人の日記を、他人の分際で熟読していた。

 だが、書かれていた内容は、とても他人事とは思えない――人生だった。

 

 他人事(ひとごと)ではない――物語だった。

 

 上条は日記帳を剣に返した。

 剣は、それを受け取ると、やはり疲れ切ったような顔のまま答えた。

 

「……そうか。あの家を見たのか。さぞかし滑稽だったろうね。家族の為に何も出来ず、何も救えず、ただ『お守り』に縋ることしか出来なかった、哀れな男の哀れな末路は」

 

 疲れ切った男は、目の前の少年が己が住居に不法侵入したことも、日記を盗み見たことも、何も咎めずに、ただ自嘲するように笑うだけだった。

 

 その全身をずたずたにするような痛々しい笑みに、上条の方の表情が歪む。

 

 男は、世界の終焉の空を眺めながら「……さて。どこから自供(はな)したらいいものか」と呟くと、「君も日記(これ)を読んだなら分かっていると思うが――やはり、こう切り出すべきだろう」と言って、語り始める。

 

 彼の、()()の――上条当麻が目を背け続けていた、その物語(じんせい)を。

 

 

「僕の息子はね、『疫病神』と呼ばれていたんだ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「僕の息子は、生まれつき『不幸』な子供だった。

 

「息子が買うくじは当たることなく、引いたおみくじは全て大凶。これくらいならなんてことのない笑い話だが、ことはそんなレベルではなかった。笑えない話だ。誰も、誰もね。

 

「息子がボールを道路に出してしまったらほぼ確実にトラックが通りすがる。息子が電車に乗ろうとしたら人身事故が起こる。工事中の道を通りすがると頭上からレンチが落下する。……僕と妻は、常にびくびくしながら過ごしていたよ。運が悪い子だなぁなんて微笑ましくいられたのは本当に初めだけだった。周囲もだんだんと不気味な子を見るような目で見てきた。――そして、ある日、決定的な事件が起きた。

 

「幼稚園の遠足で配られたおやつだ。それを食べた、息子を含めた園児全員が食中毒になった。

 

「幸い、全員命は助かった。原因もそれを用意した近所の菓子店の不手際だった。だが、それでも、彼等は口を揃えて息子にこう言った。

 

「お前のせいだ、疫病神――とね。

 

「理解出来なかったよ。だが、息子の同級生だけじゃない。彼等の父兄、幼稚園の先生、果ては当の菓子店の店主まで、息子を悪魔か何かを見るような目で見てくるんだ。

 

「それからの数年間は、まさしく地獄だった。

 

「噂は街中に広がり、テレビカメラまで来た。今ほどSNSが普及していない時代だったが、だからこそ、かな。文字通りの口コミで広がる風評被害はとても生々しく、禍々しいものだったよ。世界そのものが息子の敵のように思えた。

 

「息子は不幸なだけで、何もしていないのに。

 

「僕が変わってやれればと何度も思った。果てには、妻は不幸に生んでごめんなさいと息子に謝る程だった。

 

「このままでは本当に息子は『不幸』になる。僕は、決意したよ。根拠のない迷信や風評被害には流されない、世界で最もそんなものからは縁遠い街へと、息子を送ろうとね。

 

「そう、僕は、息子が幼稚園を卒園したと同時に――学園都市の小学校へと、息子を入学させたんだ」

 

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 神の力と神を裂く者との激闘の音が、ここまで響いている。

 

「………………」

 

 その詳細を知っている上条はともかく、何も知らない筈の剣は、それでも何も動じることなく、何もかもを諦めているかのような口ぶりで、己の息子の物語を語り続ける。

 

「――だが、あの科学の街でも、息子の不幸は治らなかった」

 

 疲れ切った男は、言葉程に失望の込められていない調子で言う。

 否――既に失望など、絶望など、飽きる程に、諦める程にやり尽くしたと言わんばかりに。

 

「いや、不幸の頻度は比較的に下がったと言っていた。それでもなくなったわけではなく、そして学園都市という特殊性故か、巻き起こる不幸は、巻き込まれる不幸は、外の世界よりも遙かに厄介で、恐ろしいものになったという」

 

 同じく、幼稚園卒園から学園都市に入り、それから十年もの間を過ごし――数々の不幸に巻き込まれてきた上条は、その光景が嫌という程に理解出来た。

 

 まるで同じ時を過ごしてきたかのように――その物語を、一緒に体験してきたかのように。

 

「そして、何よりも僕が間違ってしまったのは――息子を一人にしてしまったことだ」

 

 この時、初めて神定剣は、言葉に感情を込めて、拳に力を入れて握り締めた。

 唐突に男の表面に浮かび上がってきたそれは――父親としての、何かに対する激情なのか。

 

「息子にとって、この世界で味方と言えるのは、僕と妻だけだった。あんな幼少期を過ごしてきたんだ。友達の作り方など知る由もなかった息子は、案の定……新天地で孤立してしまった。不幸がなくなったならばまだしも、息子はトラブルに巻き込まれ続けたからね。……そんな息子に手を伸ばしてくれた者達もいたらしいが……やがて、己の傍で巻き起こる不幸で傷ついていく彼等を、息子の方が遠ざけるようになった」

 

 そして――神定剣は、天を仰ぐのをやめて、振り返り、上条当麻の方を向いた。

 

 だが、その瞳は、終焉の空を眺めるのと同じように。

 

 達観と、諦念と――そして、僅か以上の。

 

「数年経ったある日のことだ。今と同じくらいの時期に、私は息子を『(こちら)』に呼び戻した。……既に地元(こっち)では息子に対する風評被害もある程度は薄れていたしね。……それに、何だったら別の地方でも、息子が望むなら海外にでも移住するつもりでもいた。『学園都市』でも駄目ならば、せめて僕達は息子の傍に居ようと。息子の傍に居ることが出来る環境でやり直そうと。……息子も僅かばかりの笑顔を見せてくれた。だが――その時だ」

 

 上条は息を吞む。

 疲れ切った男の顔が、真っ黒に染まった。

 

 痩けた頬も、伸びた髭も、濃い隈も、全てが彼の――神定剣という男の絶望を表していた。

 

 上条当麻は知っている。

 彼の日記(じんせい)を盗み読んだ罪人は、その余りにも痛ましい不幸を知っている。

 

 この世界は――悲劇がある。

 失恋もある、借金もある。事件も――起こる。

 

 上条当麻が見ないふりをしてきた、悲劇的な不幸で満ちている。

 

 

「――――妻が、死んだ」

 

 

 どこか遠くで、世界を滅ぼす攻撃を放つ音が聞こえる。

 それを神裂が防いだのか、超常の戦争の轟音が、どこか男の話から現実感を奪う。

 

 しかし、男の痛々しい微笑みが、上条の胸に激痛を送り、諭す。

 

 これは間違いなく、上条が防げなかった不幸だと。

 

「……旅行に出かけようと思ったんだ。息子が学園都市へと帰る前に、家族で思い出を作ろうとね。……この旅行を楽しんでもらって、息子に帰る場所があるということを……いつでも帰ってきていいんだよと、そう思ってもらえるように」

 

 それは、父親が電車の切符を買おうと家族から離れた時だった。

 地元の駅の人混みの中から、包丁を握った男が、息子に向かって唐突に一直線に飛び出してきた。

 

 犯人は何でも希望の大学に合格できずに落ちぶれ、気が付いたら借金で首が回らなくなった男だったらしい。

 何もかもに絶望し、どうして人生が上手くいかないんだと嘆いていたら、そこに楽しそうに笑う、かつて自分が受験生だった時に話題になっていた『疫病神』を見つけたという。

 

 元凶を見つけたと、男は警察の取り調べで供述した。

 

 己の『不幸』は全て――あの『疫病神』のせいだと。

 

「息子を襲った凶刃は――息子を庇った妻の腹に突き刺さった。……私が駆けつけた時には、男は周りにいた大人達に押さえつけられながら哄笑していて……息子は血塗れの妻に抱かれていた」

 

 救急車で病院に運ばれた神定(うた)は、翌日を迎えることなく死亡が確認された。

 旅行に行くことも、それどころか家に帰ることも出来ず、見知らぬ病院のベッドで最期の時を迎えた。

 

「息子は――謝り続けた。僕に、そして、妻の遺体に。不幸に生まれてごめんなさいと、世界中の罪を、その小さな身体に背負っているかのように」

 

 神定剣は、上条当麻に――微笑みながら言った。

 

「――何故なんだ? どうして、僕の息子はこんなにも不幸なんだ?」

 

 上条は、強い波を背にする、真っ暗な瞳の父親を見詰める。

 

 何も言えない。

 ヒーローは、壊れたように微笑むヴィランとなった男に。

 

 どこにでもいる普通の父親――であった筈の男に、その幻想をぶち殺すことしか出来ない右手を握り込むことしか出来ない。

 

「……息子は、そのまま『学園都市』へと帰って行った。まるで檻の中に逃げ込むように。妻の……母親の葬儀に出席することもなく。……以来、一度も『外』の世界に出て来たことはない」

 

 母の葬儀に出席しなかった息子を責めるようなニュアンスはまったくなかった。

 むしろ出席しないでよかったと、剣は思っていたことを、上条は知っている。

 

 その葬儀は、遂に疫病神が母親をも殺したという陰口で満ちていたと――日記を読んだ、上条は知っているからだ。

 

 そのページに残っていた何粒もの涙の痕は、果たしてどのような涙であったのか。

 上条当麻は、それを想像することも出来ない。

 

「何も出来なかった。僕は、何も出来なかった。妻の命を守ることも。息子の心を守ることも。……何も出来なかった僕は、一心不乱に仕事に明け暮れた。世界中を飛び回り、時折、息子が送ってくれる手紙だけを頼りに生きていた。……そんな息子の手紙の中に、君のことが書かれていたんだよ」

 

 上条当麻くん。君のことがね――と、神定剣は、微笑みながら言った。

 

 神定親子の物語に、上条当麻が登場した、その時のことを。

 

 不幸に押し潰されるような人生を送っていた少年の前に現れた、不幸だと喚きながら学園都市を駆け回る少年の存在を。

 

「その少年は、息子に負けず劣らず不幸な少年だったらしい。……いや、信じ難いことだが、あの息子よりもその少年は、常にとんでもないトラブルに巻き込まれ、命がいくつあっても足りないような、波瀾万丈の日々を送っている少年だったそうだ」

 

 それこそ、同じ学区内とはいえ、別の小学校にもその伝説が届くような存在だったという。

 少年は、当然のように興味を持った。

 これまで出会ったことのない、同じ境遇の少年――同じ不幸を背負った少年。

 

 もし、そんな存在がいるのならば。

 その少年ならば、その少年だけは――生まれて初めての期待を胸に、その少年がいるという小学校をこっそりと訪れ、待ち伏せ、そして観察を続けた。

 

 僅か、一週間だった。

 少年は、思った。

 

 ()()

 

 彼は、自分と同じ、不幸(かわいそう)な少年ではない。

 

 違う――違う――違う。

 

 彼は、自分とは、全く違う。

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 その少年は、笑っていた。

 降りかかる不幸を嘆きながらも、最後には周囲の人間を笑顔にしていた。

 

 その少年は、強かった。

 どれだけ理不尽な騒動に巻き込まれようとも、その困難を己が力で乗り越えて解決してしまう程に強かった。

 

 その少年は、優しかった。

 誰よりも己が窮地に陥っているのに、まず第一に泣いている人間に手を差し伸べた。

 

 その少年は、不幸に負けず、世界を相手に戦っていた。

 

「ただただ不幸を嘆き、ただただ不幸に負けて、ただただ不幸を憎んでいた自分と違い……その少年は、まるで世界の中心にいるような輝きを放っていたと。――まるで」

 

 主人公(ヒーロー)のように――と。

 

 その少年の父親は。

 上条当麻のようになれなかった少年の父親は、言った。

 

「息子は言っていた。僕は、なれなかったと。『()()()()()()()()()()()()()()()()』と。……涙が染み込んだ手紙を受け取った時、僕は心から思ったよ。――ずるいってね」

 

 どうして、君のような存在がいるのだとね――神定剣は言った。

 

 上条当麻になれなかった少年の父親は――もしくは、上条当麻になれたかもしれなかった少年の父親は。

 

 この世界に突如として現れた異分子に。別の世界からやってきた主人公に。

 

 真っ暗な、何もかもを諦めたような瞳を向ける。

 

「……すまない。理不尽だとは分かっている。君は息子に何もしていない。ただ、僕らには出来なかったことを、平然と当然のように行っているだけでね」

 

 眩しすぎるんだ。主人公(きみ)の輝きは。一般人(ぼくたち)のような存在にとってはね――神定剣は、そう上条に背中を向けて言った。

 

「息子の心は完全に折れてしまった。手紙の頻度も段々と減っていった。……大覇星祭などのタイミングで僕から学園都市を訪れても、息子は会ってさえくれなくなった。……無力感で押し潰されそうになった僕は――ニコチンとアルコールとオカルトに縋った。……その末路が、あの家だ」

 

 そう言って、男は懐から取り出した煙草を咥えて火を点けた。

 煙を吸い込んだ瞬間、痛々しく咳き込んだ。それでも、男は煙を肺一杯に吸い込む。まるで、自らの身体を痛めつけるように。

 

「……君のような主人公(ヒーロー)が、こうして見ず知らずのおじさんの前に立つということは、あのオカルトにも何かしらの意味があったのかな。……それも、見当違いな方向で」

「……あの家は、『御使堕し(エンゼルフォール)』という、世界を終わらせちまうかもしれない術式の儀式場になっちまってる。……今、俺の仲間がその術式で降りてきた天使と戦ってる。もう、一刻の猶予もない」

「……そうか。天使、それに世界を終わらせるときたか。なるほど――()()()。あながち、願いに反していると言い切れない所が、何より救えない」

 

 神定剣は、煙草の灰を携帯灰皿の中に落としながら、ゆっくりと上条の方へと振り返る。

 

「――僕は、ヒーローに倒されるべきヴィランというわけだ」

「…………」

 

 上条は、ゆっくりと神定剣の元へと歩み寄っていく。

 剣は、抵抗らしい抵抗も見せず、ただ諦めたように微笑んでいた。

 

「……僕を、殺すのかい?」

「…………どうして、こんなことをした?」

 

 両手を広げて無抵抗のヴィランは、ヒーローの最後通牒にこう微笑んで答えた。

 

 かつては誇りを持って言えていた――今では空虚に響いてしまう言葉を。

 

 

「愛すべき、息子の為に」

 

 

 主人公の拳が、空しい音と共に、一人の父親の頬に突き刺さった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 身の丈以上の日本刀を振るうポニーテールの侍は――神を裂く者という真名を持つ魔術師・神裂火織は、それを見た。

 

 天使『神の力』が作り出した夜空、何億何十億という魔法陣が描かれた、この世の終焉たる光景。

 

 その海の中を泳ぐように、一体の竜が世界へと飛び出した。

 

 ミーシャは一度そちらの方へと目を向けたが、竜は『神の力』など目も向けずに、そのまま頭上を飛び去っていく。

 

 その竜の尾の先は、かの少年がいるべき、わだつみの家の前の海岸から伸びているような。

 

(……これは……あなた、なのですか? ――上条、当麻)

 

 かつてインデックスに施されていた『自動書記(ヨハネのペン)』から吐き出された『竜王の殺息(ドラゴンブレス)』――それを飲み込むが如く、己が右手を『竜王の咢(ドラゴンストライク)』へと変化させた上条当麻。

 

 その光景を思い出した神裂火織は、天を翔る竜を見て、ただ(おのの)くことしか出来なかった。

 

 

 やがて竜は、地平線の彼方へとその身を伸ばし――全てを終わらせた。

 

 巨大な満月が焼失し、真っ暗な海が元の眩い青色を取り戻していく。

 

 

 とある一軒の民家に竜が降り注いだ――そんな都市伝説が、一時のみ世界を駆け巡ったが、すぐに飽きたのか風化し、その民家は有り触れた煙草の消し忘れによって焼失したことになった。

 

 

 こうして、全世界を巻き込んだ魔術事件――『御使堕し(エンゼルフォール)』は終結した。

 

 




少年の小さな右拳が、ちっぽけな父親を空しく打ち抜く。

天を駆ける竜が、とあるちっぽけな民家を喰らう。


こうして――世界は救われた。

救われぬ者を、救えぬままに。




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ヒーロー〈主人公になれなかった少年〉

――ありがとう。ヒーロー。


 

 前回と違い、上条当麻はしっかりと意識を保ったまま、元の姿となった女子中学生ズと共に、『学園都市』へと帰ってきた。

 

 あの後、上条は天使『神の力』が身体に入った後遺症か、ぐったりと眠り込んでしまったミーシャ――否、サーシャ=クロイツェフの介抱を神裂に任せて、頬を真っ赤に腫れ上がらせた神定剣と共に、今回の儀式場となった『神定家』へと、再びタクシーで向かった。

 

 そして、入れ替わりが解けたことで自由の身となった土御門と合流して、『神定家』へと辿り着いた上条が見たものは。

 

 柱一本残さずに破壊され尽くした――かつて『神定家』があったとされる更地だった。

 

「…………」

「確かに、ここは龍脈としては恐ろしい力が通っている場所だが、肝心のオカルトグッズは見事に効力を失っている。これなら『御使堕し(エンゼルフォール)』はおろか、何の魔術も発動する恐れもないだろう」

 

 プロたるエージェント、風水を専門とする陰陽師――土御門元春は、膝を折ってその地の土に触れながら、そう断言する。

 

 上条はその言葉を聞いて、隣に立って呆然と破壊された我が家を見る剣に、向かって言った。

 

「………………悪かった」

「…………」

 

 それは『御使堕し(エンゼルフォール)』を解決する為とはいえ、長年暮らしてきた家を破壊したことについてなのか。または、もっと別の意味が込められていたのか。

 

 上条は、それ以上何も言わなかった。

 剣も、ただ一言、こう返すのみだった。

 

「……君は、何も悪くない」

 

 剣は、そのままふらふらと、どこかに向かって歩き出す。

 

「元々、仕事道具はオフィスに置きっぱなしだ。海外を飛び回っていてね。この家は最早、寝に帰るだけの場所だった。……息子も、何年も帰ってきていない。……ただの――残骸だ」

 

 神定剣は、『跡地』を、一度だけちらりと見ると、再び前を向いて歩き出す。もう、振り返ることはせずに。

 

 しかし、その足取りは、まるで幽霊のように不確かで。

 

 どこに向かおうとしているのか、目的地すら決まっていないかのような、どこに行けばいいのか分からない迷子のようだった。

 

 上条はその背中に向かって何かを言おうとする。

 だが、何と言えばいいのか――まるで、分からない。

 

 幻想を殺すことしかできない英雄(ヒーロー)は、幻想を砕いた、その先の道を指し示すことが出来ない。

 

 例え、それがどれだけ歪んでいても、間違った逃避だったとしても、それを支えに生きている人間はいる。この世界には、そんな弱い生き方でしか生きれない存在もたくさん居る。

 

 この世界は、そんな一般人(ひとたち)で溢れている。

 

「……………………」

 

 上条当麻は、かつて、第三次世界大戦を引き起こし、世界を救おうとした男に向かってこう言った。

 

 俺様は、『世界中』なんていうものが、どれだけ広い場所なのか分からん人間だと言った男に向かって――こう、言った。

 

 なら、これからたくさん確かめてみろよ――と。

 

(……俺はフィアンマに偉そうに言えるほど、『世界』なんてものを知ってたのか?)

 

 ()()()()()()()()()()()()、半年も経っていなかった身の上で。

 ずっと、ずっと、世界の命運を賭けた第一線上なんて場所を渡り歩いていた戦争屋が。

 

 この世界で、当たり前に暮らす人々の顔を、一体どのように思い浮かべていたっていうのだろう。

 

(……『世界中』の人々が、しあわせで、完璧な――黄金の世界)

 

 近づけることが出来ると思っていた。

 出来なくてもやらなくてはならないと思い、この世界に来た十年間、戦って、戦って、戦い続けてきた。

 

 だけど、上条当麻は、やっと思い出した。

 あの『魔神』はこう言っていた――あの世界は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 ならば――上条当麻という悪魔が、こうして生まれてしまった時点で。

 

 あの世界は、どう頑張っても、作り出せないということではないのか。

 

(…………俺が、いたから。……俺が――この世界に、来てしまったから)

 

 上条は、まるで救いを求めるように、震える幻想を殺す右手を、遠ざかっていく痩せこけた背中に向かって伸ばす。

 

 疲れ切った男は、丸めた背中越しに、小さく呟く。

 

「……マンションの一室を新たな家とするくらいの蓄えはある。住所さえあればいい。どうせ、僕も息子も、碌に帰らない『我が家』なんだ」

「……お前は、これからどうするんだ?」

 

 男の生きる希望を、縋る幻想(オカルト)をぶち殺した少年は。

 上条当麻という存在を持って、彼の息子の『居場所』を、『役割』を奪い取った少年は。

 

 夢も希望も横からがっさりと奪い取って、さあ君は何がしたいと突きつけるような、そんな罪深い質問を問う。

 

 打ち倒したヴィランに、ヒーローは救いを求める。

 

 疲れ切った男は、振り返ることすらせずに、そんな傲慢な問いに返した。

 

「――――さあ?」

 

 どうしたらいいと思う? ――ヒーローは答えられなかった。

 

 答えなど期待していないとばかりに、男の歩みは止まらなかった。

 

 その小さくなったとある父親の背中が見えなくなるまで、食い縛った歯と共に、右の拳を握り締めるしか出来なかった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

『――本日、目撃者の通報を受けて、逃亡中だった火野神作氏が、神奈川県某所で再逮捕されました。男が立て籠もっていた民家は住民が留守の時を狙われ――』

 

 学園都市の大型モニタで語られるニュースは、壁の中の住民である学生達にとっては興味の外なのか、誰一人真剣に耳を傾けている者はいない。

 

 上条当麻も、そんなニュースを右から左へ聞き流し、数日ぶりに右腕に風紀委員(ジャッジメント)の紋章を身に着けながら、パトロールと称して俯きながら街を歩く。

 

 

 

 あの後、再びわだつみの家に戻った上条は、女子中学生ズと一緒に再び海水浴に連れ出された。

 本来の姿に戻った佐天、インデックス、00001号に00005号、そして何気に初めて見た竜神乙姫が楽しそうに遊ぶ姿を、お父さんポジで砂浜に敷いたレジャーシートの上で眺める上条当麻。

 

 そんな上条を少し心配げに見詰める刀夜と詩菜に、ふと、昔の『上条当麻』がどんな少年だったのか尋ねてみた。

 

「元気な男の子だったさ。『疫病神』? 誰だ、そんなことを言った奴は。確かにお前はやんちゃで、他の子よりも少しばかり運が悪い子だった。生傷は絶えなかったな。だが、それだけだ。お前のことをそんな風に言う奴は、誰も居なかったさ」

 

 確かに、あんまりにもよく怪我をする子供だったから、神社とかにいく度にお守りは必ず買っていたがな――そう笑う刀夜に、上条は、それじゃあどうして俺を学園都市に入れたんだと問うと「私の仕事上、海外出張が多くなりそうだったからな。長期間家を留守にしてしまうことも多くなるし、お前も学園都市の超能力に興味を示していただろ」と、笑顔で答えた。

 

 己の右手を見詰めながら、上条は「……そうか」と呟いた。

 

 

 

 そして、その日の夕方。

 わだつみの家にて上条夫婦や竜神乙姫と別れた上条当麻御一行は、そのままタクシーで直接『学園都市』へと帰還した。

 

 上条らが住んでいるマンションの前では第一位、第三位、第五位とその側近、風紀委員の後輩二名と妹達が勢揃いで待ち構えていて一悶着あったりしたが、上条の様子が少しおかしいことにその場に居た全員が気付いていたのか、割とすぐに解散になった。

 

 

 

 翌日――目覚めてすぐさま、上条は風紀委員177支部へと向かい、腕章を腕に付けて、パトロールへと出かけた。

 

 夏休みも終盤へと差し掛かり、学生達も少し浮ついた、けれどどこか寂しげな雰囲気があった。

 

 上条は、ただただ第七学区を彷徨い続けた。

 途中、騒ぎやトラブルを見つけると、まるで習性のようにその中へと飛び込み、右拳を振るう。

 

 

 そんな中、不良(スキルアウト)にとある絡まれた少年を上条当麻は助けた。

 

「――大丈夫か?」

「……はい、ありがとうございます」

 

 上条はこの日、何かを考え続けるように俯いていた。

 少年はいつも、何かに怯え続けるように俯いていた。

 

 だからこそ――気付けなかった。

 

 その右手が掴んだ右手が、一体どのようなものなのか。

 

 ズキンッッ!!! ――と、激痛が走った。

 

 まるで自分が触れたものを拒絶するように。

 あるいは磁石で同じ極を近づけて、反発し合うように。

 

 そして、二人の少年は顔を上げて、お互いの存在に気付く。

 

 少年の方は上条当麻を知っていたのか、自分を助けた顔を確認すると、露骨に様々な表情を浮かべて、尻餅を着いたまま俯く。

 

 対して――上条当麻は、その顔を思い出していた。

 つい先日、打ち止め(ラストオーダー)と共に街を散策した時に肩がぶつかった少年として――()()()()

 

「――――っ」

 

 どうして、忘れていたのだろう。

 どうして、この顔を、今の今まで忘れていることなど出来ていたのだろうか。

 

 自分は知っている。上条当麻は知っている。

 目の前のこの存在を。目の前の、見ず知らずの少年の――()()()を。

 

 この十年で、学園都市のどこかで、少年が自分を見つけたように、自分も少年を見かけていたから――違う。

 

 もっと前。学園都市を訪れた上条当麻に憑依するように現界した、この世界へと降り立った――()()()()()()に。

 

 逆行する以前の、前の世界のどこかですれ違っていたわけでもない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

――いつまで寝ぼけてるつもりなのよ、『上条当麻』!!

 

 

 それは――平和で、くだらないことで大真面目にふざけまくって、けれど皆が笑顔で楽しんでいる世界。

 

 

――誰もがいつかやってやると夢見ていても、真正面から実行するのは『カミやん』以外にゃありえないんだぜい?

 

 

 争いも事件もトラブルもあるのだろうけど、それでも、どんな目に遭ったとしても、例え誰も足を踏み入れていない闇の中でも――この場所に帰ってこられるならと。

 

 

――『とうま』! わたしの「おでん欲」はこんなもんじゃおさまらないんだよ!

 

 

 明日も明後日も明明後日も、こんな毎日が続くのだろうと心の底から思えるような世界。

 

 

 

――……なん、なんだ、あれ? あの、見たことも聞いたこともない、『上条当麻』と呼ばれていた……あいつは誰なんだ?

 

 

 

 そんな世界を、()()()()()()()()()

 

 輪の外で、教室の片隅で、一番端っこで、一番隅っこで。

 

 名も無き一般人Aとして、その世界で暮らす、世界中の中のたった一人として。

 

 物語に登場出来ない存在として――ひとりぼっちで、かちかちと震えながら見ていた。

 

 

 目の前の少年が。尻餅を着きながら俯く少年が。

 

 上条当麻とは似ても似つかない、身長も、体重も、目鼻立ちも髪色も、何もかもが違う存在が。

 

 輪の中で、皆に囲まれて、笑顔に満ちた世界で『()()()()()()()()()()を。

 

 

 

――()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 かつて、魔神オティヌスはそう言った。

 

 事実――そうなのだろう。

 主人公(ヒーロー)とは、言ってみれば物語の舞台装置に過ぎない。

 

 悩める人が居て、その悩みを解決してくれる存在がいれば、子羊にとってはその者こそヒーローだ。

 

 逆に、この世界でたった一人の選ばれし存在にしか救えない存在がいるとするのなら、その方こそよっぽど悲劇だ。

 ならばその悩める子羊は、世界中でそのたった一人に奇跡的に巡り逢えなければ生涯救われないままなのか? もし巡り逢えたとして、そのヒーロー候補が失敗したら? その後の子羊はやはり一生救われないのか?

 

 それならば、ヒーローなんて誰でもなれた方がいいに決まっている。

 ()()()()その悩める存在の涙に気付いた誰かさんが、その涙を拭う為にヒーローになるのが一番美しい形じゃないか。

 

 選ばれしヒーローなんていない。

 例え、舞台装置でも。換えの利く電池でも。

 

 助けたいと願った人が泣いている。

 それだけで立ち上がっていいはずだ。

 

 だから――上条当麻は、かつて、『上条当麻』の世界にこう言った。

 

 あの絶対の魔神に向かって。

 己が切り捨てられた、見ず知らずの誰かに全てを奪われた世界に向かって。

 

 それは、俺なんかの意のままにならないくらい、彼らが自由で価値があって尊重されるべきという表れだと。

 

 全てが己に痛みしか与えないとしても、こっちの都合で勝手に均していいものではないと。

 守るべき、ものだと。

 

 ()()()()――()()()()()()

 

(…………これは、お前の仕込みなのか……オティヌス)

 

 どこかで見ているのだろうか。

 あの全知全能の神は、こうして伸ばした手を下ろすことすら出来ない無様な人間を見て嗤っているのだろうか。

 

 結局、前提から間違っていた。

 あのしあわせな黄金の世界を目指して戦ってきた、この十年間――その始まり(スタート)から、致命的に間違っていた。

 

 この世界に降り立った、学園都市へと足を踏み入れた上条当麻に乗り移ったその瞬間――上条当麻が、この世界に誕生したその瞬間。

 

 その第一歩と共に、上条当麻はとても大切なものを踏みにじっていた。

 

 かつて全知全能の魔神に立ち塞がってでも守ると吠えたものを。

 決して穢してはならなかった、越えてはならなかった一線というものを、あの初めの一歩で既に上条当麻は踏み越えていた。

 

 これは、はじめから完全無欠のハッピーエンドなど存在しない物語だった。

 

 一頁目の一文字目でケチの付いた、誰かの『不幸』が前提の物語だった。

 

 上条当麻は、伸ばし続けていた右手の拳を、ギュッと握った。

 それは決して掴まれることのないものだと――目の前の存在からは、決して求められない存在の手だと、気付いたから。

 

 だから代わりに上条は、声を投げかけた。

 俯く少年に。自分とは似ても似つかない少年に。

 

「…………名前を、教えてくれないか」

 

 上条当麻が、決して救うことの出来ない少年に。

 

 もしかしたら、いや、きっと。

 

 この世界の『上条当麻』となるかもしれなかった――『()()()()()()()()()()()()()に。

 

 上条当麻に、『上条当麻』を――居場所を、役割を、役名を、存在意義を――その全てを奪われた『()()』な少年に。

 

 この世界での、新たな名前を、問う。

 

 教室の隅っこの席で、誰の輪にも入れない、一般人Aとなった『元主人公』は言う。

 

 

「――神定(KAMIJYOU)

 

 

 ゆっくりと、その少年は俯いた顔を上げる。

 

 父親と同じ色の瞳に込められているのは――溢れるような尊敬、燃えるような嫉妬、煮えたぎる憎悪。

 

 そして――そして――そして。

 

 まるで、ヒーローを見るかのような――憧憬。

 

 

神定(かみじょう)(えい)

 

 

 神定影――神によって定められた、影。

 

 どこかの『神』によって、強制的に(モブキャラ)へと配役変えを再設定された存在は。

 

 力の無い微笑みを浮かべて、主人公(ヒーロー)の手を借りずに起き上がり、そして、すれ違うようにそのまま路地裏を出て行く。

 

 上条は振り返る。何かを言わねばと――だが、何を?

 生まれてきてすいませんとでも言うつもりか。今日から君が『上条当麻』だと、こんな主人公(もの)は君に返すからと。

 

 そんな妄言は、噛み締められた上条の口によって強制的に飲み込まれる。

 

 ゆっくりと、ふらふらと、遠ざかっていくその背中は――父親と同じ、弱々しい一般人の歩みで。

 

 とてもではないがヒーローなどには見えない、ごくごくありふれた、どこにでもいる高校生のもので。

 

 結局、上条当麻は何も言えなかった。

 自分が救えなかった少年に。自分が救えなくした少年に。

 

「…………………ッ」

 

 誰もいなくなった路地裏で、上条は――己が右拳を、ビルの壁に向かって叩き付ける。

 

 そして、この世界に来て初めて――はっきりと、大声で、その名を天に向かって吐き出した。

 

 

「――っっっ!! オティヌゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥスッッッッーー!!!!」

 

 

 それは喉を震わせ、まるで大地をも震わすような咆哮だった。

 

 いくら路地裏とはいえ、今、ここはまだ夜も更けていない学園都市だ。

 どこで誰が聞いているかも分からない。それこそ何事かと自分のような風紀委員がやって来るかもしれない。

 

 だが、そんなことも構わず、上条当麻は叫んだ。

 どこかで見ているであろう『神』に向かって、己を破った宿敵に向かって。

 

「……もういいッ! もう十分だろっっ! ――俺の負けだ……ッ。だから、こんなことはもうやめてくれよ……ッ」

 

 先程の咆哮とは違い、まるで命乞いのように弱々しい呟きだった。

 言っていることは真逆だが、もう終わりにしてくれという懇願という意味では同じものかもしれない。

 

「俺を終わりにしたいなら終わりにすればいい。俺を壊したいならもうとっくに壊れてる。……これ以上、何の意味がある? ただただ俺が苦しむ様が見たいのか……ッッ」

 

 分かっている。本当は分かっている。

 あの魔神は――オティヌスは確かにこう言っていた。

 

――お前は外的要因から来る危機的状況を、どういうわけか奇妙に切り抜けていく性質を持つ。死すべき時に死ねないのはお前にとっても最大級の『不幸』かもな。

 

――だから自分で選んで、自分で決めろよ。

 

「……ああ。そうだったな、オティヌス」

 

 そういえば、これはそういう話だった。

 

(悪と断じられるべきは、やっぱり……やっぱり、俺の方だったんだ)

 

 これは――上条当麻が、自分で自分の命にケリを着ける物語だった筈だ。

 

「分かったよ、オティヌス。……今度こそ、死に場所を探そう」

 

 今度こそ、確実に死ぬことが出来る場所へ。

 

 清掃用のゴンドラに受け止められることも、「過去」の世界に迷い込むこともない――安心安全に絶対確実に、全てを終わらせることが出来る場所へ。

 

 ゆっくりと上条が、ビル壁から背中を剥がし、路地裏から外へと歩き出した――その瞬間。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 上条当麻の頬を――『右拳』が貫いた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

「――――グァッ!」

 

 その拳は途轍もなく弱々しいものだった。

 恐らくは人など殴ったことのない、殴った方が拳を痛めるようなパンチ。

 

 だからこそ、上条は拳が当たった左頬よりも――右手に信じがたい激痛を感じた。

 磁石の同極を近づけたことによる反発にも似た拒絶反応が右手の中で荒れ狂う。それはきっと、目の前で拳の痛みに顔を顰めている少年も同じ筈なのに。

 

 上条は尻餅を着いたまま顔を上げる。先程までとは逆の構図。

 

 そこには、かちかちと歯を鳴らして、痛み故なのか涙を浮かべて。

 

 瞳を先程までとはまるで違う色で燃やしている少年が――神定影がそこにいた。

 

「…………ふざけるな……ッ」

 

 もう殆ど効力の残っていない()()()()()()()を押さえながら、少年は震える声を漏らす。

 

「僕から何もかもを奪っておいて……はいはい死にますからお願い許してなんて、そんなことが通ると思ってるのか……っ」

「……………」

「ああ、そうだよ! 『()()()()()っ! 『上条当麻』になんて誰だってなれたかもしれないっ! それは本来は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! でもッッ!! だけどッッ!!」

 

「それは少なくともっっ!! そんな風に適当にリセマラ感覚で捨てていいもんなんかじゃないんだッッ!! 人から奪ったもんをそんな簡単に投げ捨ててんじゃねぇよっっ!!」

 

 ナメんなッッッッ!!!! ――神定影は、そう吐き捨てた。

 きっと生まれて初めて出す声量で、説教なんて生まれて初めてやるくせに、それでもただ、思ったことを吐き出すように、その『悔しさ』を、目の前の簒奪者(主人公)に向けてぶつける。

 

「ああ、悔しいよ! こんなの悔しいに決まってるッ! ……僕が何をしたって言うんだよ。まるで主人公の特別な個性(パーソナリティ)に対する裏付け設定みたいな『不幸(悲しい過去)』を背負わされて、ずっと散々な目に遭ってきたのに、ある日突然唐突に、やっぱお前よりも相応しい人材がやってきたらいいわって、与えられてたことも知らなかった『役目』を奪われて、この右手には『残滓』だけが残った。……別にさぁ、主人公になりたかったわけじゃないよ。ヒーローになれるなんて思ったことは生まれてこの方一度もない。……ただ、親を悲しませない子供になりたかった。普通に友達作って、青春して、卒業して――そんな『当たり前』が欲しかっただけなんだ。……なのに、この『右手』は異能も碌に打ち消せないのに『不幸』だけは地味に引き寄せて、僕はそんなちっちゃい不幸を跳ね返すことも出来ないくらい弱くてッ!! 母親を庇うことすら出来ない僕がヒーロー? 主人公? 馬鹿げてるよ狂ってるよおかしいだろこんなの! こんな弱い雑魚キャラに出来上がっちまった僕に、今更そんなもんを満足気に押しつけんなよッッ!!!」

 

 神定影は、生まれて初めて出す声量に声を枯らしながら、荒れた息を整えるように激しい呼吸音を漏らす。

 

 上条は、そんな神定の言葉を、真っ直ぐに受け止めていた。

 

 きっと本来は何人もの人々を、それこそ世界だって救うかもしれなかった少年の言葉を。

 

「……僕は、なれなかったんだよ。『上条当麻』にって話じゃない。もし仮に、僕の名前が『上条当麻』だったらって話じゃない。僕の右手に『幻想殺し』が宿り続けていたらって話でもない。……断言してもいい。例え、そんな『上条当麻』がこの世界に存在していたって、何の力も持たない、あなたという『一般人A』の方が、間違いなくヒーローとしてこの世界で活躍してたって」

 

 上条当麻を、ずっと陰で見続けてきた僕が言うんだから間違いない――そう、神定影は言った。

 

 上条当麻という存在によって、神定影という存在に『再設定』された、本来の主人公は。

 

 己の全てを奪った簒奪者を、笑みでもなく、怒りでもなく、ただただくしゃくしゃに歪めた表情でヒーローを見下ろす。

 

「……確かに、もしあなたがいなければと思ったことは何度もあった。そうすれば、僕は『主人公』になれたんじゃないかって。『ヒーロー』になれたんじゃないかって。……『上条当麻』になれたんじゃないかって。でも、これは、僕の()()だ。僕の後悔で、僕の人生で、僕の物語だ。あなたを妬むのも、あなたを憎むのも、全部全部、僕の感情だ。僕の、僕だけのものだ。勝手に分かった気になるな。分かった風に同情なんかすんな。可哀そうなものを見る目で見るな。上から目線で罪悪感で潰れてんな。何様なんだよ、テメェはッ!!」

 

 神定影は、みっともなく垂らした洟を啜り、涙をゴシゴシと袖口で乱暴に拭いて、真っ赤になった瞳で、上条当麻に向かって言う。

 

「だから――()()()()()()()()()()()()()()()。あなたに憧れたのも、誰のものでもない、僕だけの感情だ。これは例え、あなたにだって文句を言わせない。僕以上に不幸な環境でも、負けず、折れず、腐らず、戦い、救い、生き続けたあなたを! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っっ!!」

 

 

「生きろよッ! ()()()()っっ!! 魔神なんかに負けるなよヒーローッッッ!!! あなたは世界に()()()()()()()()()()んだから!!!!」

 

 

 神定影は――神にそう定められた影は。

 

 地面に倒れ伏せる光に向かって、そう両手を広げて渾身で叫ぶ。

 

 そして、思い出したかのように右手を掴んで俯くと、そのまま不安定な足取りで、ふらふらと上条に背を向けて歩き出していく。

 

「……あなたの代わりなんて誰もいない。『上条当麻』は、もうあなただけしかいない。僕だって、今更押しつけられるのはゴメンだ。僕は、僕の人生を生きるので精一杯なんだから」

 

 去って行くその背中を、上条は真っ直ぐに見詰めた。

 

 自分の居場所を奪った者に、自分の役割を奪った者に、自分の全てを奪った者に対して。

 

 震える身体を押さえて、震える心のままに、その全てを曝け出しぶつけてくれた存在に。

 

 これまで何も言えなかった、遠ざかっていく背中に向かって――膝を立てて、着いていた尻を上げて。

 

 立ち上がりながら、立ち上がる力をくれた偉大なる背中に向かって、上条当麻はこう穏やかに呟いていた。

 

 

 

「――ありがとう。ヒーロー」

 




かつて、主人公になれるかもしれなかった少年がいた。

そして主人公になれなかった少年は。

今も、世界のどこかで、世界でたった一人の少年として、自分の物語を生きている。


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エピローグ 世界の真相。そして明かされる終焉の刻限。

 

 かつて上条当麻が暮らしていたものと同じような、この学園都市では有り触れた学生寮。

 

 何の因果か、かつての上条のように同じ七階に住んでいる神定(かみじょう)(えい)は、今日もいつものようにコンビニのお釣りとして受け取った五百円玉を落とすという不幸に落ち込みながらも、無事に夕食の入ったビニール袋片手に帰宅した。

 

(……昔のままの不幸具合だったら、きっと財布をまるごと落とすか弁当を回復不可能なダメージが残るレベルで落とすか……そういった意味では、これはマシになった方なんだ)

 

 幻想殺しとしての力が上条当麻に移り、この右手には最早、かつて幻想殺しが宿っていた『残滓』が残っているだけなので、不幸のレベルもかなりマシにはなってきていた。

 

 だからこそ、神定はこうして、物語の表舞台とは縁遠い場所で、ごく普通のどこにでもいる高校生として生きている。

 

「…………ただいま」

 

 神定がこうして誰もいない部屋に帰宅の挨拶をするのは、只の癖のようなものだった。

 家族しか味方がいなかった神定が、無意識に家族という存在を求めている証なのかもしれないが。

 

 しかし、今日に限っては神定のただいまに、返事をする存在が、神定の部屋の神定のベッドで勝手に横になりながらテレビを見ていた。

 

「おかえりー、影。どうだった? 上条当麻は?」

 

 神定を迎えたのは、白いを通り越して完全に青ざめた顔色の少女だった。

 ひらひらと防御力ゼロの丈の白いチャイナドレス。ぶかぶかの袖と額に貼られた特異な札が特徴的で、神定は初めて見た時、咄嗟にキョンシーという死体妖怪を連想した。

 

 見るからにどこにでもいる平凡な高校生の部屋には相応しくない、一目見て只者ではないと分かる存在。

 

 だが、神定はそんな異常に対し、むしろ道行く一般人よりも気安げに返す。

 

「……今日も来たの、娘々(ニャンニャン)

 

 神定はちらちらと大事な所が大変危うい娘々(ニャンニャン)という少女に構わず、テレビのリモコンを奪い取って、娘々(ニャンニャン)の寝転がるベッドを背凭れにするように座り込み、エクササイズ講座のDVDを紹介する通販番組から夕方のニュースを放送する報道番組へと回す。

 

 娘々(ニャンニャン)はそのことに文句を言うでもなく「そりゃあ来るよぉ。今日は平凡で退屈な影の人生に珍しいビッグイベントがあったでしょ」と言って、ベッドの上で胡座を掻く。何かとは言わないが履いていない娘々(ニャンニャン)にとっては、アングルによっては大変危険というか防御力ゼロな体勢だ。

 

 だが、神定はそんな(姿だけは)美少女の素敵ショットに興味ゼロなのか、振り向く挙動すらみせずに淡々と答える。

 

「そんなに退屈なら、僕の人生なんか見なければいいのに。そんなに暇なの? ――『魔神(かみさま)』って」

「そりゃあ、わたしら『魔神(かみ)』から見たら、(えい)レベルの一般人なんてどうでもいい有象無象だけど――これでも少しは責任を感じてるんだよー。基本的にわたし達は、救いを与える存在だからさ」

 

 かみさまだからね――と言って、娘々はその青白い綺麗な足を神定の肩に乗せる。両足を両肩に乗せる感じだ。

 

 これまたアングルによっては、最早、神定の顔がモザイクの役割を果たすわけだが、やはり神定は全く動じず、ニュースを見ながらスマホを弄っている。

 

「少なくとも、この世界で影の人生が滅茶苦茶になったのは『魔神』のせいなわけだしさ。あ、わたしじゃないけどね」

「それは何回も聞いた」

「だからこそ、多少無理して、こうしてフォローに来てるわけじゃん。アイツに気付かれないようにここに来るのはそれなりに大変だったんだよ。お陰で結構なパワーダウンして、こうしてここにいてもこの世界は壊れないで済んでるわけなんだけどさ」

「それも何回も聞いた。有り難いフォローなんてしてもらった記憶ないけどね」

 

 精々が、知りたくもなかった『世界の真実』とやらを多少教えてもらった程度だ。

 神定はスマホを左手に持ち替えて、なんとなくその右手を見詰める。

 

「幻想殺しは、その魂の輝きに引き寄せられるように宿主を選ぶ。だからこそ、影よりも幻想殺しの主により相応しい存在がこの世界に来てしまった時点で、神浄の討魔の真名の持ち主が移り変わった時点で、世界の法則をねじ曲げてでも幻想殺しは上条当麻へと移ってしまった。まあ、これは幻想殺しが宿る物体を移り変えていく世界の基準点だから起こった現象だけどね。影は元々、真名だけしか条件を満たしてなかったから、『本物』が現れたらそりゃあそっちに行っちゃうよね~」

「…………それも、何回も聞いた」

 

 神定は、触れた異能の能力をやんわりと削っていくくらいしか出来なくなった己が右手を見詰めていると「……ねぇ、娘々」と珍しく自分から娘々へと話しかける。

 

「上条当麻は、学園都市に足を踏み入れたその時に、この世界に降り立ったって言ってたよね」

「お。影が上条当麻の話を自分から聞きたがるなんて珍しいじゃん。なんだいなんだい、本人と会って興味が出たかい」

「娘々」

 

 神定がうりうりと己の頬を指でぐりぐりしてきた魔神の手を鬱陶しそうに払い除けると、娘々は「そうだよぉ。その時から、影も主人公(仮)から立派な一般人(モブ)へと格下げされたのであった」と、責任を感じているというわりにはどうでもよさげに語る。

 

「……でもさ。そうなると、この世界には元々上条当麻が居たってことにならないか? なんで幻想殺しは、そもそも最初から、別の世界から歴戦の上条当麻がやってくるまで、この世界の上条当麻じゃなく、神定影の右手なんかに宿ってたんだ?」

「お、やっと聞いちゃう? もう、何年もずっとその矛盾を匂わせてたのに、全然聞いてこないんだもんなー。まあ、かみさまからしたら人間の十年なんてたいしたことないんだけどね。私は魔神の中でも特に歴史が古いからその辺りは寛容――」

「娘々」

「もう、分かったよ。相変わらず影は何年経ってもノリが悪いなぁ。そんなだから友達が出来ないんだよ」

 

 歴史が古い魔神とやらに現代的なノリの悪さを指摘され(ましてや友達がいないことも)露骨に溜息を吐く神定に、娘々はあっさりと告げる。

 

 誰も得しない、残酷なだけの世界の真実を。

 

 だからこそ、今日まで聞くに聞けなかったネタばらしを。

 

「答えは単純だよ。この世界に――()()()()()()()()()()()()

 

 ズブッと、その宝具(パオペイ)へと変化する指先を神定の頬に突きつけながら、古代中国由来の尸解仙は言う。

 

「強いて言うなら、君こそが『上条当麻』だったんだよ。言ったよね。幻想殺しは、君の神浄の討魔って真名に引き寄せられたんだって。でも、十年前に、真名も魂の輝き兼ね備えた上条当麻が現れた。それで、君は上条当麻ではなく、神定影になった」

「……それはつまり、その瞬間、僕は上条当麻って名前から、神定影って名前になったってことだよね」

「正確に言うなら、()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()んだけどね」

 

 その瞬間、それまで『上条当麻』として生きてきた六年間が、『神定影』として生きてきたということになった。

 

 だけど、それでは矛盾がまだ残っている。

 上条当麻は、その世界で生きていた【上条当麻】の身体に乗り移るような形で、この世界に降り立ったのではなかったか。

 

 それまでその世界で生きていた【上条当麻】が『神定影』だというのなら――上条当麻は、一体、どこの誰に乗り移ってこの世界にやってきたというのか。

 

()()()()()()。上条当麻は、あの瞬間、この世界に誕生したんだ。()()()()()()()()()()()()()でね。そもそもオティヌスが、あの世界で何回上条当麻を殺して生き返らせてを繰り返したと思ってるのさ。そもそもアイツは本質的に生み出すものだよ。だから、あの瞬間、上条当麻という存在がいるという世界に『再設定』したのさ」

 

 あの瞬間――それまで生きてきた【上条当麻】は『神定影』という形に『再設定』された。それまでの【上条当麻】として生きた人生も、『神定影』として積み重ねたもの()()()()()()()()()

 

 そして、新たにやってきた異分子、異世界からやってきた『主人公』の居場所(ポジション)を『再設定』する為に、この世界に()()()『上条当麻』という『存在(うつわ)』を作った。

 

 上条当麻が、上条当麻として過ごした空白の六年間を、あたかも存在したかのように後付け設定し(作り上げ)た。

 上条刀夜も、上条詩菜も、もしかしたら竜神乙姫を初めとする親戚一同も――まるで、主人公を最初に決めて、後から人物相関図を埋めるべく設定していくかのように。

 

「お陰で、色々と相違点とか矛盾が生まれてるみたいだけどねー。まぁ、これまでと違って同じ世界をベースに『見方』を変えて別の世界のように見せている()()()()()()()()から、あちこち綻びが生まれてくるんだよ」

「なんだよそれ……やりたい放題かよ……そんなのいつまでも続くの?」

「きひひ! ()()()()()()()()()!」

 

 娘々は神定の安物のベッドが軋む勢いで立ち上がって言う。

 

「元々、ここは『上条当麻がいないことを前提にした世界』がベースに作り上げられた世界だよ。でも、上条当麻がいて、後乗せサクサクで無理矢理ご都合合わせを繰り返すごとに、世界は悲鳴を上げていく。元々、長持ちしない設計なんだよ」

「……ふーん」

 

 神定影は、己の住まう世界の致命的な欠陥を暴露されても、何もかもを諦めたような瞳のまま、ごろんと頭をベッドに乗せた。

 

 そこには履いていない上に丈の短いチャイナドレスで、足を開いて仁王立ちしている娘々がいる。

 神定は、ローアングルから見上げるような体勢で、けれど一切の興奮が含まれない低血圧な声色で問うた。

 

「なら、世界が終わるまで後どれくらい?」

「うーん。そうだねー」

 

 青白い顔の神様は、可愛らしく凶悪な武器に変わる指先を己の顎に着けて考え込むようにし、明かす。

 

 世界に蓄積される矛盾(ダメージ)の量にもよるけど――と、ニコッと笑い、その世界に住まう一般人Aに向かって、この世界の主人公すら知らない秘密を。

 

「本来の歴史で、オティヌスが世界を終わらせるまで――そこまで持てば奇跡じゃない?」

 




 これは、始まり(ゼロ)で終わる物語。終わることが、失うことが前提の世界の物語。


 幻想に取り憑かれた主人公(ヒーロー)は、未だにそのことを知らずに、幻想を殺す右手を握り続けている。










PS

このシリーズについて、今後の更新に関するお知らせを、活動報告に載せさせていただきました。
続きを楽しみにしていただいている読者の方がいらっしゃれば、目を通していただければと思います。


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