フェイル (フクブチョー)
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第一罪 こうして彼は間違えた

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国辺境、南西バン族領……

 

そこは地獄と言って差し支えない光景が広がっていた。

 

帝国の圧政に対して反旗を翻したバン族は辺境で決起した。

すかさず帝国は鎮圧部隊十二万を差し向けたが辺境の地理に詳しく、環境の厳しさに一般兵では歯が立たなかった。

 

焦った帝国が派遣したのが若いが実力派の将軍二人。

 

帝国最強の呼び声が高い碧髪の美女、エスデス。

質実剛健な指揮能力を持つ灰色の髪を三つ編みに束ねた麗人、ナジェンダ。

そして最強の右腕と呼ばれる緋色の髪の美男子にして、知勇兼備の副将、ヴァリウス。

 

この三名の指揮下の下、第二次バン族征伐が行われた。

 

だが先の討伐戦とは違い、今度は帝国の圧勝であった。

 

その最大の理由は帝具。始皇帝が帝国を永遠に護るために英知を結集させて作らせた四十八の武具。

 

その中で今回使われた主な帝具は二つ。

 

無から氷を生み出し、操る魔法のような力

 

 

魔神顕現 デモンズエキス

 

 

一度燃えるとその命の灯が消えるまで燃え続ける蒼い焔の剣

 

 

業火剣爛 バーナーナイフ

 

 

人知を超えた力を持つ武具で地理の有利を圧し潰し、才知溢れる副将の策がバン族の奇襲を屠る。

 

戦いは1日で終結した。

 

敗北したバン族達に対して出された命令は虐殺、強奪。

 

戦士達は殺され、村は焼かれ、奪い、食らい、犯す。人間の七つの大罪を欲望のままに行う姿があった。

 

その様子を満足げに見下ろすのは氷の魔神の力をその身に宿した女傑。風に揺れる足首近くまで伸ばした美しい青い髪。軍服の下窮屈そうにしている豊満な胸。女性にしてはかなりの長身でスラリとした美しい脚。正に女傑の名にふさわしい姿だ。

 

彼女が率いる兵達も紛れもなく強者であり、弱者を踏みつける事に快感を覚える人種である。この命令に皆喜んだ。たった二人を除いては……

皆が力に酔いしれる中、まだ人として正しい感覚を持っている人間がいた。

醜悪な死臭と性臭に嘔吐感を感じ、彼らの行いを間違っていると心から思える者。

大きな銃をその背にかけ、灰色の長髪を三つ編みに束ねた美女。名はナジェンダ。まだ彼女はちゃんと人間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………そしてもう一人……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村の中で一際大きな騒ぎが起こる。まるで何かが爆発したような音。残党がいたか、と女傑が新たに兵隊を送り込み、掃討に向かわせるが、誰も帰ってこない。

 

この戦いを通して初めて女傑の顔に不信感が浮かぶ。彼女の兵はそれぞれが猛者だ。残党如きにやられる程ヤワではない。異常事態、もしくはまだ見ぬ強者がいたのでは、と現場へと女傑本人が向かった。

 

そこで見た物は、信じられない光景だった。

 

バン族の村の家屋、震える可愛らしい娘を路傍に転がる死体から庇うように抱える母の亡骸。その親子を護るように立つ血みどろの幽鬼。

無論バン族の戦士ではない。そうだったなら信じられない光景などではない。聡明な女傑ならば容易く予想出来る範疇である。そうではなかった。

 

そう、その男は此方側の人間だったのだ。それも雑兵ではない。卓越した戦闘能力を持つ彼女の兵らが一刀の下、軒並み殺されたとしても不思議でない人物。彼女が自身の右腕として最も信頼し、数え切れない戦場を共に背中と命を預けて戦った無二の相棒だった。

 

彼の代名詞と呼べる燃え盛る剣を片手にだらりと腕を垂らし、虚ろな目で虚空を見上げる。彼の周りにはつい先ほどまで彼の部下であった兵の屍体の山が積まれていた。

その事実が告げるのは反逆。

 

「何故だ」

 

氷結の女神から漏れる心が抜け落ちたような言葉。事実彼女の心はここで一度死んだのかもしれない。

 

「………………どういう事だ?ヴァル。説明しろ、正当な理由をな」

 

ーーーー何を言っているんだ、私は。

 

「………………………………」

 

男は答えない。ただ牙を握りしめ、此方を見やる。

 

「返答次第ではお前といえど許さんぞ」

 

ーーーーああ。違うんだヴァル。そんな事を聞きたいんじゃない

 

「………………悪いな、エディ。限界だ」

 

ヴァルと呼ばれた男はようやく虚ろな目を来訪者に向ける。謝意と悲哀、そして確かな敵意を込めて。

 

「もう俺は……お前に着いていけない」

 

確固たる意志を持って応える。嘗ての猟犬は今や餓狼と成り果てた。

 

「震えるこの子の目を見てようやく目が覚めた。俺はこんな事をする為に軍人になったんじゃない」

 

ーーーーだから逆らったと?私との絆よりそんな豚の怯えた目を選ぶと?そんな裏切り、あまりに酷いじゃないか、相棒

 

あの雪の夜からお互い変わった。それは認める。だがそれでも2人はずっと一緒だと信じてた……いや、今も信じてるのに。

 

「ーーーーーーそうか」

 

吐き出された息とともに出たのは諦めたかのような言葉、理解してしまったような言葉。

 

「それは私に逆らうと理解していいんだな」

 

言いたくない言葉が出てしまう。強者としての矜持が彼女の意志を無視して言葉を紡ぐ。

 

「そう聞こえなかったのか、帝国最強。もうゴメンなんだよ。肉が削げ落ちた骨しかない獲物に牙を突き立てるのは」

 

「強者の誇りを捨て、責務を捨て、弱者に寄り添いたいと?私がそんな事を許すと思うのか」

 

違う、お前にいいたいのはそんな事じゃない

 

「あんたがどう思おうと知るかよ………別に許しを請うつもりもない。立ち塞がる者は………燃え散らす」

 

「この……私であろうとも……?」

 

答えないでくれ、ヴァル。頼むから

 

「誰であろうと、だ。エスデス。俺の………親友」

 

「ふ、ククククク」

 

笑いが込み上げる。止まらない。嗤う以外に何をしていいかわからない。

 

「イイぞヴァル!よく吠えた。コレが最後のデート(殺し愛)だ!」

 

剣を抜き放ち、突きつける。もう止まらない、止まれない。友情も、信頼も、それ以上も残っている。それでも炎と氷は止まらない。

 

「だが、思い上がるなよ炎狼のヴァリウス。勝てると思っているのか?この私に。帝国最強、常勝不敗。私の氷は燃えカスの炎など通さん」

 

「そうだな。多分正しいのはお前で間違っているのは俺なんだろう。それでももう俺は………正しいだけの人殺しはもう嫌なんだ。たとえ間違っていても………俺は人を護りたい。だから……」

 

ゆらりと碧く燃える剣を構える。一分の隙もなく、最大の警戒をもって。

 

「来いよ相棒……燃え散らしてやる」

 

「ハッ、イイぞ燃えカス。その最後の残り火圧し潰し、惨めな死をくれてやる。誰にも渡さん。お前の全て、私が奪う」

 

二人の剣に氷と炎が纏われる。お互い実力は知り尽くしている。加減など出来るはずがない。

 

二人の思い出が脳裏を駆け抜ける。辛い思い出も、憎む思い出もたくさんあった。だがそれを遥かに上回る救いがあった。あの雪の夜から二人で生きてきた。一人では決して得られない暖かさがあの思い出の中にあった。彼女に残った最後の人間らしい温もり。それを斬り捨てるという未来。一瞬だけ泣き顔が浮かぶ。だがそれも咆哮がかき消した。

 

「エディぃいいいいいい!!!!」

「ヴァルゥウウウウウう!!!!」

 

焔と氷がぶつかり合う。お互いを溶かし、お互いを消す。発せられるスチームは二人の周りを吹き飛ばす。相反する二つの激突。熾烈の極み。

 

こうして彼らは間違えた。これが彼が犯した最初の我儘(間違い)だっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕闇の中、村が燃え盛る。それは先ほどの赤い炎とは異なる。碧の炎。一度燃えれば尽きるまでその火は消えないこの世ならざる焔。

焔の周りには数え切れない氷壁が張り巡らされている。もう村があった形跡は跡形もない。残っているのは剣を杖に寄りかかる男と瓦礫を背にもたれかかる美女。蒼炎に護られた子供。そして夥しい血飛沫の跡のみだった。

 

倒れているのは氷の女神で立っているのは焔の狼。フェンリル(神殺しの狼)はなったのである。

剣を杖に立ち上がる。もう止めを刺すことは出来ない程狼は満身創痍であった。

 

「待っ………て」

 

背を向けて助けた子供を抱き上げ、歩き始める男に女が叫ぶ。いや、叫んだという声量ではない。だがそれでも彼女は命を振り絞って叫んだのだ。

 

豪火の音で女の叫びはかき消される。たとえ聞こえていてもこの男は歩みを止めないだろう。コレはそういう男だ。わかっている。この世の誰よりわかっている。

 

それでも叫ばずにはいられない。

 

「行か………ないで……ヴァル」

 

焔の中に男が消えていく。行ってしまう。あの美しい思い出と大好きな熱が手からすり抜けてしまう。

 

ああせめて一度、抱きしめて

 

最後に浮かんだ一言と共に彼女の意識が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血みどろの体に鞭を打ち、歩みを始める。もう今すぐ大の字になって寝てしまいたい。だがそれは出来ない。それをするのはせめてこの村から離れてから。

 

こんな使い方をしてはいけないとは思いつつ剣を杖に歩く。今だけは許してくれ相棒。神殺しをやりきった後なんだ。

 

ふと右に視線をやる。見られていることに気づいたからだ。満身創痍でも戦士としての本能が新たな襲撃者に身を備えさせた。

 

「ナジェンダ………将軍」

 

振り返った先にいたのは銃を構えた帝国の将。何度か軍議で話をした事がある。聡明で、実力もあり、優秀な人物だったと記憶している。

 

ーーーーーいま彼女と戦ったらヤバイな……

 

そんな事を思いつつ、壁にもたれ掛かりながら剣を構える。自分を目覚めさせてくれたあの子を助けるまでは死ねない。

 

「………………まだ戦うつもりなのですか」

 

もう身体は半分死人だというのに来るなら来いと言わんばかりに目に戦意を漲らせ、剣を構える。

 

「出来ればもう戦いたくはないが…降りかかる火の粉は燃え散らす」

 

「………………そうですか」

 

銃を下ろす。自分ではこの半死人ですら勝てる気がしない。そもそも戦うつもりなどなかった。彼がどういう戦士か知りたかっただけだ。

 

「これからどうするつもりなのですか」

 

「さあな。別に帝国を倒そうなんて大志は今の所ないよ。この子を生きて育てなきゃいけないからな」

 

左手に抱き抱えた子供を見やる。死闘の殺気に充てられたのか、気を失っている。

 

「アンタこそどうするんだ」

 

俺を見逃すんだ。彼女は理性を持った人間なのだろう。優秀で正義感溢れる将がこのまま狂った帝国で将軍をやり続けるとは思えない。

 

「………………」

 

「アテがないなら一緒に来るか?」

 

「私もいずれ帝国を離れます。ですがそれは今ではない」

 

「………………そうか」

 

それだけで全てを理解した。

 

ーーーーアンタは帝国と真っ向から戦うのか……

 

茨の道だ。俺が歩む道より遥かに険しく、長いだろう。彼女が行うのは将軍という立場を最大に利用し、兵力と情報を集めてからの離反。だが組織に属するなら翻意は隠しきれるものでは無い。長くいればいるほど危険だ。

 

「ならエディも殺せないな」

 

「はい」

 

これからもしばらく軍に属するなら将軍に恩を売れるこの絶好の機会を逃せるわけが無い。確かに今ほどエディを殺れるチャンスはほとんど無いだろうが、それでも一度あったのだ。ならば可能性はゼロでは無い。

それにこの事件の証人もなしに一人で帰還するわけにもいかない。部下は何人か生きているだろうが部下ではダメだ。口裏を合わさせたという疑いを晴らすためには自分と同格の証人がひつようとなる。ならば目の前の利益より未来の利益を取るのが将の器だ。

 

「これからエスデス将軍はお困りになるでしょうね」

 

ナジェンダも彼の事はよく知っている。エスデスも決して愚かではないが、こと頭の回転や戦略に関しては彼の方が一枚上である事は気づいていた。事実エスデス軍で軍議に出席するのも策を考えていたのも彼だし、相手の策を看破し、戦略を立てるのも彼であった。

 

ヴァリウスが思考し、エスデスが実践し、取りこぼしをヴァリウスがサポートする。完璧を誇るエスデス軍は彼によって支えられていたといって過言ではない。

 

「なに、帝国は強い。人材も豊富だ。俺の後釜くらいいるさ。あんたも大変だろうが、頑張れよ」

 

「副将もお元気で」

 

ヒラッと手を振ると再び剣を杖に、再び歩き始める。

 

「……ああ、名前も変えないとなぁ。大丈夫だとは思うがヴァリウスとは名乗っていては危険だ」

 

さてどんな名前にするか、と思案を巡らせていると腕の中で身じろぎする気配が伝わる。

 

「よう。お目覚めか?お嬢ちゃん」

 

「………………お兄さん」

 

スッと手を伸ばして血で赤黒くなった男の頬をそっと撫でる。殺されそうになっていた彼女を助けたからか、それとも夢うつつなだけなのか、どちらかはわからないが血塗れの彼を警戒している様子はなかった。

 

「傷だらけ」

 

「メイクだコレは。お嬢ちゃん、名前は?」

 

「………………ファン。お兄さんは?」

 

「俺はヴァリウ……じゃないじゃない。間違えた」

 

「間違えたさん?変わったお名前」

 

「ちげーよ!そうじゃなくて………いや、そうだな」

 

顎に手を当て、考え込む。そんな彼を見てファンと名乗る黒髪の少女は小首を傾げる。

 

「俺の名前はフェイルだ。よろしくな、ファン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が次第に朽ちゆくように、国もいずれは滅びゆく。

千年栄えた帝国も今や腐敗し、生き地獄

こうして間違えた男の間違った英雄譚が始まった




ふと思いつきで書いてみました。連載続けるかどうかは感想で判断したいと思います。因みにバン族討伐の時はまだ三獣士は現れておらず、ヴァリウスの後釜という設定にしています。ファンのモデルは林冲です


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第二罪 頂点を超えさせる為に

 

 

第二罪 頂点を超えさせる為に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い地下室。上半身裸で寝そべっている人物がいる。髪は燃えるような緋色、瞳の色はルビーを思わせる紅玉。10人いれば10人が美形だと思う整った顔立ちをした20近い……いや、目を閉じていればもっと若く見える。少なくとも10代後半の青年。だが彼を形容する最も目立つ外観はそれではなかった。

 

寝そべって露わになった背中には無数の傷跡。剣で刺されたような刺し傷が数え切れないほど刻まれており、身体には火傷の跡が至る所にあった。

 

その背中に跨っているのは女だ。薄汚れた白衣に腰まで伸びた茶がかった黒髪。左目にモノクルを掛けた美女。名はチサト。医者である。

 

「イッて……」

 

背中にかけられた消毒液の痛みに思わず顔を顰める。戦闘の痛みは慣れと麻痺で我慢できるがコレは何度やっても慣れない。

 

「自業自得だ。全く……何をやったらこんな重傷になれるんだ?お前でなければ間違いなく死んでいるぞ」

 

「うるせーな。女神様と派手に喧嘩したらなれるんじゃねえの」

 

「減らず口が叩けるなら大丈夫そうだな。ほら、身体を起こせ。包帯巻くから」

 

「痛っ!!おいもっと労われよ!怪我人だぞ俺!」

 

「フン」

 

強引に身体を起こされ、ミシッと音がなったのではないかと思うほど激痛が身体を奔る。

 

流石に怒りを覚えたフェイルはチサトを睨みつける。が、続けようとした文句は止まってしまった。

 

「なんでお前が泣きそうなツラしてんだよ」

 

「………………うるさい」

 

彼の手配書は既に帝国中に広められた。帝国を裏切り、味方を皆殺しにした超一級犯罪者。既に死体の可能性もあるという情報も回ったらしい。

 

それを耳にした時の彼女の心の内はこの男にはわかるまい。征伐に出て怪我をし、その治療をする時でさえ胸が潰れそうになるというのに……

今回はその比ではなかった。手紙が届いた時には腰が抜けてしばらく立てなかった事をハッキリと覚えている。

 

「ほら、終わったぞ」

 

慣れた手つきで包帯を巻き終わるとポンと一度背中を叩く。立ち上がり、取り敢えず用意したローブに身を包み、傍らに視線を向けた。

 

「まだ目覚めないのか」

 

「ああ。一度名前を聞いたっきり全然……この子はどうだ」

 

「傷だけならお前など比較にならんほどの軽傷だ。痕も残らんだろうよ。だが……心はな」

 

ハアと溜め息をつく。同時に彼も息を吐いた。面倒ごとは先に済ませるのが心情だというのに、目覚めてくれなくては何も進められない。

 

あの死闘から既に一週間が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の新しい名前を聞いた途端、黒髪の少女は再び眠りについた。心身ともに疲れ果てているだろう。無理もないと思いつつ、片手に抱き抱えて歩き続け、この居住区に辿り着いてそろそろ3日が経つ。それでもこの子は眠り続けている。

 

まさか死んじゃいまいな。と何度か口元に耳を近づけるとスウスウと規則正しい寝息は聞こえてくるので安心する。

 

「さてはて……これからどうなるか」

 

歩き続けて辿り着いたのは帝都の西のはずれ。とあるゲスが太守を行っている領地だ。

 

一度帝国の精査で不審点を見つけた俺は此処に来たことがある。その時色々な悪事を暴き、そこで知り合った文官に情報を提供してやった。彼とは一晩膝付き合わせて話をした。能力はそこそこで大きな正義感はないが、誠実な男だったし、領民に対して善良だった。友好関係はすぐに築けた。

 

三日前に彼の屋敷を訪ね、事情を説明すると小さくはあるが、雨風を凌ぐには充分な小屋を集落に提供してくれた。

 

「悪いな、ロード。突然押し掛けて」

 

「何を仰いますか、ヴァリウス様。帝国軍の悪逆無道に逆らって子供を護るなど本来なら褒め称えられなければならない行為。それをこんなボロ屋しか用意できない私が恥ずかしい」

 

「相変わらず実直な男だな。しかし少し意外だったな。まだ太守は引き摺り下ろせていなかったか」

 

情報提供を行ったのは確かについ最近の事だが賄賂に人狩りといった明らかな違法行為を行っていた太守だ。すぐに彼によって告発されるモノと踏んでいたが、此処の情勢は変わっていなかった。

 

「お恥ずかしい。彼の周りにはヤツのお陰で甘い汁を啜ってきた取り巻きが数多くおりまして……まだ確たる証拠が掴めておらず………」

 

「なるほど、腐っても太守か。本丸は簡単に落とさせてはくれんな。で?外堀はどうだ?」

 

「そちらはもう手配は済んでいます。ヤツらを除く事さえ出来れば後の処理は万全です。しかし、私如き文官に兵力など皆無で……」

 

「そうか………で?俺に何をさせたい?まさかタダで此処を提供してくれる訳ではないんだろう?」

 

「はっ。証拠を揃える事に尽力は致します。ですが最終的にはやはり武力に訴える事となる可能性が高くなります。その時に副将の力を貸して頂ければ」

 

予想の範囲内だ。こいつの地位で武力行使は難しい。最後の一手が最大の悩みどころだったはずだ。そこに転がり込んだ俺という強力な駒。味方に引き入れたいと思うのは必定だ。

 

「いいだろう。いざという時には俺が出てやる。だが俺からも条件がある」

 

「聞きましょう」

 

「まず医者の手配だ。俺の馴染みで帝都にチサトという女がいる。元軍医で今はスラムに住んでるハズだ。彼女に手紙を一通頼む」

 

医術の心得は多少あるが、素人に毛が生えた程度の技量だ。エキスパートの診断は欲しい。それに表に出さないようにしているが、俺の傷も相当重傷だ。出血は焼いて塞いだが、原始的な治療法にも程がある。キッチリとした治療を受けなければならない。

 

「それは承りました。他には?」

 

「俺の存在は内密にしてくれ。名前も今はフェイルと名乗っている」

 

「それも了承しました」

 

「最後に一つ。これからは狩人として生活すると思う。良い狩場や素材を高く売れる店、それとこの街の見取り図なんかをくれ」

 

「了承しました。すぐに用意させましょう」

 

「すまん、助かる」

 

一度深く頭を下げる。慌てたように頭を上げるように懇願された。

 

「ではすぐに書状をスラムへ送ります。内容は?」

 

「ウルスから依頼があるだけで良い。下手に詳しく書いて手紙を検閲されて俺の存在がバレたら色々面倒だからな」

 

とっさに思いついた本名のモジリだが帝都に来た時からの付き合いであるあの女ならコレで俺だとわかるだろう。

もちろんエディに見られても俺だとバレるだろうがその可能性は限りなく薄い。

 

「委細承知しました。後はお任せを」

 

「頼む」

 

その後食事でもと言われたがそんな気力は残っておらず、俺もその夜は泥のように眠りこけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手紙を受け取ったチサトはすぐに彼の居住地に駆けつけ、自ら真っ赤に染まった包帯を巻き直す凄惨な姿にしばらく唖然としていたが、すぐに治療を施してくれた。フェイルの治療が終わった後、ファンの事も診察してくれたが、俺の応急処置が適切だったのか、こちらに関してはほぼやる事がなかったらしい。

 

治療が終わると今回の事件に至った経緯の説明を求められ、包み隠さず全てを話した。話が終わると、呆れられたが安心したような顔で俺をその豊満な胸の中に抱き寄せたのを覚えている。

 

その後、ロードに頼んでチサトがこの街で開業医を始めた。一度手を掛けたなら最後まで診るのが主治医の義務と以前のスラムでの放浪医を辞め、腰を据えることにしたらしい。

 

帝都のハズレなだけあって狩場にも困らず、狩人としての生活も軌道に乗り始めた。

 

こうして一週間の月日が流れようとしている。

 

心に大きな傷を負った少女のカサブタは恐らく睡眠なのだろう。長く時間をかけて傷を塞いでくれればいいと体に大きな傷を負った狼は思っている。

 

「どうするんだ?ヴァル。この子」

 

「おい教えただろう。オレのことはフェイルと呼べフェイルと。お前はどうしようと思うんだよ」

 

「そりゃ帝都のしかるべき施設とかに入れてやるしか……」

 

「……………今後お前、俺に対して無責任だの自分勝手だの言うなよ。お前の方がよっぽど無責任だ」

 

「じゃあどうする」

 

「さてな。復讐に生きるというなら皇拳寺にでも叩き込むか。市井で穏やかに生きたいというならロード辺りに頼んで養親を見つけてもらうか…………」

 

なんにせよこの子次第さ、と安らかな寝顔に視線をやる。綺麗な子だ。睫毛も長く、顔立ちも整っている。眠っている姿はとてもあの地獄を経験したとは思えない。

 

「早く目ぇ覚ませよな」

 

コツンと少女の額にデコピンをかます。こんな程度で彼女が起きる事はない事はフェイルもチサトも知っている。何度か頬をペチペチ叩いたが眉をひそめもしなかった。

 

だからまだ瞼は開かないだろうと思っていたのに、その予想は覆された。閉じられていた瞼はパッチリと開き、アメジストを思わせる紫紺の瞳がハッキリとフェイルを捉えている。

 

驚きに目を見開くフェイルに女医の痛い視線が突き刺さる。

まさにお前の理不尽な暴力のせいで起きたのだ、と非難されているようだ。

 

「よう、ファン。ようやくお目覚めだな。俺が誰かわかるか?」

 

笑みを浮かべながら、デコピンした額を撫でるようにそっと頭に触れる。少し周囲を見回した後、コクンと頷いた。

 

「………………此処は?」

 

「俺の家だ。自分がどうして此処にいるか分かるか?」

 

また頷く。目尻に涙を溜めながら。あの虐殺の夜も覚えてしまっているらしい。精神に異常をきたす程のダメージは脳は記憶しないものだ。この子は憶えていないんじゃ、という淡い期待は崩れ去った。

 

「みんな…………死んじゃった」

 

「………………ああ」

 

「貴方達が…………殺した」

 

「っ!!」

 

チサトがガタリと反応する。それは違う!と叫ぼうとしたのだろう。だがフェイルは手を翳し、チサトの叫びを止めた。

 

「そうだ。俺たちが殺した」

 

「……………………………」

 

しばらくの間泣きじゃくる音と嗚咽の音のみが狭い室内に響く。少し好きに泣かせてやるつもりだった。

 

「………………お前はこれからどうしたい?」

 

音が少し途絶える。嗚咽の音は続いていたが、俺の言葉に耳を傾ける気はあるようだ。

 

「俺を殺したいというなら構わん。まだお前に殺されるわけにはいかんがいつでも掛かってこい。市井で平和に生きたいというならそれもいい。金と水と食料をやろう。人並みの生活が出来る環境も用意する」

 

「………………」

 

「お前はどうしたい?」

 

泣きじゃくる音はまだ続いた。

 

「何で…………私を……助けたの?」

 

また返答に困る問いを、と思いながら質問の答えを探る。子供だったから、お前の母親の勇気に敗北したから。理由は山ほどある。

 

さて、どう答えようと思案していると答えを待たずにまた少女が口を開いた。

 

「私も…………みんなと死なせてくれれば良かったのに」

 

それを聞いた途端、フェイルの頭で考えられていた答えが全て吹き飛んだ。

 

「甘ったれたことを抜かすな!!クソガキ!!」

 

「っ!?」

 

「俺が貴様を助けた理由?知るかんなもん!!知ってどうする!!それを聞いたらお前は死ねるのか!?終わった過去に理由を求めるな、どーでもいいくだらねえ!!」

 

「ヴァルっ、そんな言い方……「いいかファン!死ぬ筈だったお前を助けたのはこの俺!俺がお前にとっての神だ!その事実だけわかってりゃあそれでいい!!」

 

立ち上がって俺を諌めようとしたチサトを手で制し、言葉を続ける。今のこいつに優しい言い方ではダメだ。過去に引きずられて、死に引きずられる。今は駆け引きの時ではない。俺と死神の綱引きだ。綱引きを制するのに必要なのはパワーだ。

 

「だが俺を救いの神にするか死神にするかはお前次第だ!俺の質問に答えねえならそのくっだらねえ望み叶えてやる!チッセエ命燃え散らしてそれで終わりだ!!だが俺を利用して希望を繋げたいなら俺に従え!コレがお前にする最後の質問だ!」

 

スウと息を吸い直し、憤怒に染まった表情を真摯に問いかける顔へと変える。先程とは打って変わって静かに、だが燃える熱意と瞳を持って問いかけた。

 

「お前はこれかどうしたい?」

 

「………………たい」

 

「声が小さい!!ハッキリと!!」

 

「っ!!強くなりたい!!」

 

ずっと眠り続けていたからか、フェイルの部屋に響くような大声ではなかった。だがその心の咆哮は確かに緋色の髪の青年に届いた。

 

「もう誰も失わないくらい…………誰でも護れるくらい…………強く…」

 

「………………わかった。お前の望み。俺が必ず叶えよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「引き取るぅ!?」

 

温かいスープを呑ませてやるとファンは再び眠りについた。真っ赤に染まった包帯を変えながらチサトは眼鏡の奥の緑柱石の瞳を大きく見開いた。

 

「ああ。もう決めた」

 

「自分の立場わかってるのか!?」

 

「わかってるよ。うっせえな」

 

逃亡生活をするフェイルにとって足手まといはない方がいいに決まっている。子連れの一匹狼など否が応でも目立つ。

 

「あいつは俺が強くしてやらなきゃいけない。コレは他人に任せちゃいけない。違うか」

 

「そりゃ……お前より強い奴なんてそれこそエスデスか、堅物ジジイぐらいしかいないだろうが」

 

「そう、頂点を知ってる人間なんて一握りのさらに砂粒だ。武術を教えるだけの事は他の奴でも出来るだろうが、奴の求める強さはその辺のフツーに強いだけで得られる強さじゃない。俺には無理だった」

 

護る強さ。俺も一度この強さを求めて研鑽を積んでいた時期があった。だが俺は結局その力は得られなかった。俺が手に入れられたのは壊す強さと燃やす力だけだ。

 

「あいつは頂点(オレ)より強くならなきゃいけねえんだ。それが出来る可能性を持つ人間は俺が知る限り三人しかいない」

 

「エスデス、ブドー、そしてお前…………か。なら帝国の正規軍に入れてやったらどうだ。彼女の経歴はまっさらだ。お前がある程度仕込んでから軍に入れてやれば……」

 

「あのなぁ。あんな伏魔殿にガキ叩き込んでまともな神経して出世できると思うのか?」

 

「それは…………」

 

「少なくとも俺は出来なかった。心を殺さなきゃやってらんねえ仕事ばかりだったし、結局この俺すらそこから逃げた。そんな事したら俺の二の舞だ。あそこではどんなに上手くやっても得られる強さは俺程度が限界だ。それじゃあ意味がねえんだよ」

 

包帯の交換が終わり、ローブを羽織り直す。あーまだギシギシいってんな、と自分の体なのに何故か他人事のように思いながら肩を回した。

 

「本気…………なんだな」

 

「もちろん。てゆーかお前こそ本気か?こんな田舎で開業医やるなんざ、腕が泣くぞ」

 

「医は仁術。病める者が一人でもいるなら医者はそれでいい。場所は関係ない」

 

「ご立派。医師の鑑」

 

からかうな、と一発ど突かれる。ロードに貰った酒を共に呑んだコイツも今夜は此処に泊まると言い出した。そして俺がソファで寝かされた。家主なのに……

 

こうして脱走兵と孤児と女医の繋がりが見えにくい奇妙な共同生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*とあるゲスが太守を行っている領地
チュッパチャプスちゃんの故郷
*そして俺がソファで寝かされた。家主なのに……
男は床で寝ろと言わない分チサトさん優しい……かな?







温かいコメントのお陰で連載していく事を決めたフクブチョーです。チサトのモデルはあの新妹魔王が通う学校の保険医です。次回はチュッパチャプスちゃんを登場させる予定です。コメントお待ちしています。


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第三罪 潜入感と先入観

 

第3罪 潜入観と先入観

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間が派手に転倒した鈍い音がズシャリと上がる。

倒れ込んでいるのは槍を持ったショートボブの黒髪の美少女。槍を肩の後ろに掛けた緋色の髪の青年がその姿をやれやれと言わんばかりに眺めている。

 

「ハア……戦闘種族のバン族にいただけあって基本は出来ているんだが…………武器の扱いに関する身体の使い方がなっちゃいねえな」

 

一通りの武器を与えてみたところ、槍裁きに最も才があると判断したフェイルは槍の扱い方を重点的に教え込んでいた。

その稽古方法はフェイルが繰り出す槍を直接その身に受けさせ、痛みと技を身体に叩き込むという荒稽古。

手取り足取りで教えてやる事もできるが、経験上その手の技は稽古でしかその威力を発揮できない。体感する以上の稽古方法をフェイルは知らない。

 

「また派手にやっているな」

 

呆れたようにチサトが救急箱を持って此方にやってくる。どうやら今日の問診は終わったらしい。

 

「ほら立てファン。休憩だ。チサトに診てもらえ」

 

「………………はい、お師様」

 

ふらっと立ち上がり、またフラフラ、チサトの元へと向かう。するとチサトが駆け寄ってやり身体を支えてやる。

 

「もっと優しく教えてやる事は出来ないのか」

 

「厳しくしてくれって言ったのはコイツだし、こんな教え方しか俺は知らん」

 

文句があるなら辞めろ、恨みたきゃ幾らでも恨め、とファンには言い聞かせている。その上でファンは不満一つ漏らさない。なあ、と声をかけると力強く頷いた。それぐらいでなければ困ると彼女自身の目が叫んでいる。

 

「そう、その目だファン。その目をしている限りお前は強くなる。いいかファン。自分の力量を勝手に見極めるなよ。どこまでも誰よりも強くなると思い込み続けろ。歩みを止めるな、諦めるな。世界の誰もが諦めたとしても、この俺すらお前の前で諦めていたとしても、お前だけはそれでも、と立ち上がれる人間であれ」

 

「ハイ!!」

 

力強く答える己の弟子に何故か笑いが込み上げる。まだ世界を知らない子供を馬鹿にしているわけでも、侮っているわけでもない。それでもなんとも言えない喜びに似た感情が湧き上がってきた。

 

「治療が終わったらメシの支度をしておけ」

 

そう言い置いて自宅を出る。今日はロードのヤツに呼び出されている。内容の予想がつく故にぶっちゃけ面倒だが借りがある分の働きはしなければならない。

 

剣を腰に差し、歩き始めると追いかけてくる気配が背中を刺した。

 

「ヴァル」

 

「お前に俺をフェイルと呼ばせる事を俺はもう諦めたが、頼むからフルネームで呼んでくれるなよ。俺の為だけじゃない、お前の為にも、だ」

 

「わかっている。私も命は惜しいさ…………で?実際あの子はどうなんだ」

 

言葉足らずではあるが質問の内容は大体わかる。そしてまだ伸び代が見えないのでなんとも言えないのが本音ではあるんだが……

 

「筋は悪くない。才能はある方だ。だが、突出はしてない。化物(俺たち)とは比べ物にならん」

 

「そうか……」

 

彼女も元とはいえ軍医だ。パッと見て最強クラスとの天凛の差はわかっていたのだろう。意外そうな声はあげなかった。

 

「この世界には才あるヤツが多い。もちろん凡才の方が圧倒的に多いが、それこそ帝都には天才と呼ばれる戦士が何人もいる。あいつもそこには食い込めるだろう。だが知ってると思うが、天才では魔神には勝てない」

 

「………………そうだな「とは限らない」

 

この男にしては珍しい持って回した言い方に不快に感じるというよりは不思議そうにチサトは眉をひそめる。フェイルが瞳に宿す感情はフフンと言わんばかりに愉悦のようなものが混じっている。

 

「さっき言っただろう。絶対的な才能の差は確かに存在する。が、それは精神で覆せる範囲だ。努力は才能を凌駕しない。だが才能ある者の意地はさらに才ある者を凌駕する事もある。諦めないという力。それが彼女にあればフェンリル(神殺し)がなる可能性はある」

 

「お前のようにか?」

 

「まさに」

 

ふと我に帰る。ガラにもなく喋りすぎた。チサトもその事に気づいたのだろう。ムカつく顔でニヤついてる。

 

「喋りすぎたな…………夕刻には帰る。ファンの勉強を見てやってくれ」

 

「何で私が……お前が教えてやればいいだろう」

 

「俺は勉学は師につかなかった。俺の知識の九割は帝都に来てから読み漁った本から得たものだ」

 

彼は戦略や戦術を誰かに教わるという事はしなかった。フェイルにとって本こそが勉学の師だった。

 

「それでいいじゃないか。お前が読んだ本を読ませてやれ」

 

「脱走兵がそんなモノを手に入れられると思うか?それに俺は書物で手に入れた情報を実践することで生きた知識とした。実践のない知識などクソの役にも立たん。だがあいにく知識を実践できる土壌がここには無い。だからお前の生きた知識を与えてやってくれ」

 

ーーーーもう完全に時間切れだ。急ごう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、太守の館。

 

 

自分が追い詰められ始めている事に気づいた太守は宝物庫の財産を集めていた。近い内に大きなパーティを催し、その騒ぎに乗じて姿をくらます算段をつけている。今は信用の置ける側近と金で雇った臨時の使用人に高飛びの準備をさせている。

 

「む?……この帳簿は……」

 

不審点がないかチェックをしていた帳簿の中で見事に粉飾されている部分があった。今までの偽証はやはりどこか違和感があり、見つけるたびに太守が手を入れていたのだが、この帳簿は完璧だった。こちらの意思を完全に汲み取り、そして不自然のない記載がなされている。

 

「おい」

 

「は、いかがいたしましたか、御主人様」

 

「この裏帳簿を作ったのは誰だ」

 

「ああ、彼ですよ」

 

側近の一人が指差した先にはせっせと荷造りをしている男。背は高く、体格もガッシリとしている。腰に剣を差しているのが少し気になるが、この治安の悪さでは無理もない。

 

「金で雇ったのか」

 

「はい、典型的な善悪で動くタイプではなく、金銭で動く賢く醜い人間です。有能ですし、金さえ与えておけば信用出来ます」

 

「奴を呼べ」

 

「承知しました。おい、フェイル」

 

「はい」

 

燃えるような緋色の髪に紅玉の瞳を宿した青年が振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーよし、大丈夫。気付かれてない

 

太守の側近の一人の格好をした初老の男が同僚に話しかけられた。違和感なく会話を終わらせ、仕事に戻る。何気ない日常の一つであったが、初老の男の心中は安堵と不安で埋め尽くされていた。

 

この初老の男、実は本人ではない。とある少女の変装である。名はチェルシー。背中まで伸ばした茶髪にヘッドホンが特徴的な可愛らしい美少女だ。

しかし変装した彼女の見た目には全く少女らしさはない。背丈も本来の彼女の物とは全く違う。もちろんこの国にも変装の技術はあるがこんな事は通常不可能だ。

 

だが通常の不可能を可能に変える武具がこの国には存在する。そう、帝具だ。

 

変身自在 ガイアファンデーション。

 

誰にも扱えない故にこの屋敷の地下で封印されていた完璧な変装を可能とする帝具。決して戦闘向きではないが使いようによっては下手な武器よりよほど脅威となる恐るべき道具。

 

侵入に困難な地下で偶然この帝具を発見した彼女は一目でこの帝具は自分を呼んでいると直感した。

帝具との相性は第一印象をどう感じるかで九割方決まる。強烈な魅力を感じた彼女との相性は抜群だった。

 

使用して帝具の能力を把握した彼女は常々太守のやり方に不満を感じており、この力を使って太守を害そうと計画していた。

 

賢明で慎重な性格のチェルシーはいきなり行動に出ることはせず、どの程度自分がこの帝具を扱えるかを試していた。今回の側近との接触もその一つ。側近にすら違和感なく近づける事を証明したチェルシーはいよいよ行動に出る事を決意していた。

 

ーーーーあ……

 

視界の端に太守の姿が過る。相変わらず下卑た顔でなにやら喋っている。どうせまた何か悪企みでもしているのだろう。

見られないように気をつけながら睨みつける。

 

ーーーーいずれ私が……「どうやって姿を変えてるか知らんが、そんな殺気丸出しじゃ変装の意味がないぞ」ーーーーっ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーこうもアッサリと信用されるとはな……

 

貰った金貨を手の中で弄びつつ、新たに渡された帳簿を片手に抱え、屋敷の廊下を歩く。ロードのヤツに用意させた身分のおかげで金で雇った使用人を演じれているとはいえ、まさか裏帳簿を一手に任せられるとは思わなかった。こっそり活動している分、有能な人材が不足しているのもわかるが、あまりに迂闊だ。

 

「バカなのか……焦ってんのか………両方か」

 

 

数日前、ロードに呼び出された彼はついに実力行使に出る事を告げられた。結局確たる証拠は得る事が出来なかったらしく、財産を横領している現場を取り押さえる事にしたらしい。フェイルに頼んだ依頼は太守達の動きを把握するため、彼の屋敷に潜入して欲しいというモノ。最新の情報こそが戦況を決めるという事をよく知っているかつての副将はコレを了承。ロードが手を回して潜り込む事に成功した。

 

下働きとして任された雑務の一つに書類整理があり、その中の不審点を上手く消してやった。仮にも太守を任されたほどの文官だ。結果を知った上でコレを見れば誰かが上手くやったという事は気づく。高飛びするにあたって有能な人材は喉から手が出るほど欲しているはずだ。いずれ重要な役割が回ってくる、最悪でも彼らの動向を掴める程度の位置には行けるだろうと踏んでいた。

 

しかし、抜擢されるのが想像以上に早かった。

 

ーーーーどこも人材不足……てわけか。軍人時代の苦労を思い出すな。やはり実際に見てみないとわからん事ってのはあるな

 

頭に浮かんだのは死者が出る程の厳しい訓練に音を上げた兵隊たち。エディの圧倒的カリスマのおかげで志願者こそ多かったが、ほぼ初日で命を落とした。俺の助手候補もその中にいたのだが、エスデス軍に所属する最低条件は強い事。文官出の兵隊など相手にもされず、事務仕事はほぼヴァリウスで回していた。

 

ーーーーまああいつに振り回されるのは嫌いじゃなかったがな。

 

彼女が遠慮なく頼れるのは俺しかいなかったし、何も俺に投げっぱなしにするわけでは無い。共に考え、学び、戦ってくれた。二人なら出来ないことなどないと本気で信じていたし、証明してきた。俺の誇りの一つだった。

 

そういや俺の後釜見つかったのかな、などと身勝手な心配をした所で過去を振り返るのはやめた。それより今だ。

 

ーーーー順調過ぎて逆に怖いが…………ま、そこまで警戒がいる相手でもないか。

 

さて、仕事仕事と書斎のノブに手を掛けると同時に殺気を感じ取る。

 

気配の主は男だった。ロードから渡された資料で見た事がある。確か太守の側近の一人だ。

 

ーーーー妙だな、ヤツは太守派の人間のハズ……

 

未熟ではあるが純度の高い殺気だ。側近が放つモノではない。

 

ーーーーてことは別人か?変装にしては精度高すぎだけど……

 

それでもフェイルは十中八九別人だろうと当たりをつけた。戦場で一番やってはいけない事の一つが思い込みだ。先入観は視野を狭める。強敵とは常に非常識に行動する。決めつけは奇襲の格好の餌だ。

 

ーーーー確かめてみるか……

 

気配を消し、静かに近づき、睨みつけている男に見える誰かの肩に手を掛けた。

 

「どうやって姿を変えてるか知らんが、そんな殺気丸出しじゃ変装の意味がないぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




チェルシー登場。今後の動きは考え中。酷評でも良いのでコメントよろしくお願いします。


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第四罪 星

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー私が背後の気配に気づかなかった!?

 

肩に触られて慌てて振り返った先にいたのは長身にいかにも戦士然とした体格の美丈夫。焔のような緋色の髪にルビーの瞳が輝いている。

 

ーーーー…………綺麗

 

一瞬その鮮やかな赫に目を奪われる。ああ、やっぱりと言わんばかりに納得したような顔つきをされてようやく我に返った。

 

「な、なんの事ですかな?私は「あー、そういうのイイって。変装技術は大したモノだがお前さん自身は素人だろう?重心の置き方から言って女か?特別な訓練は受けてないな。役人見習いといった所か」

 

ズバズバ推理を的中させる目の前の美男子に言いようの無い恐れが生まれる。昔読んだ書物に人の心が読めるサトリという怪物が脳裏に浮かんだ。

 

「ーーーーと、此処で話すのも何だな。ちょっと来い」

 

無造作に男の手首を掴んで部屋に引き込む。本来の彼女の姿ならまるで襲われる直前のような画だが、今の二人ならまるで父の姿を見られるのが恥ずかしい青年のような絵だ。

 

カチャリと鍵が掛けられる音がする。自分の唇の至近距離には精悍な美男子の顔がある。思わずドキリとしてしまうのは思春期の乙女のサガだろう。

 

「ココならいいだろう。さて、話を聞こうか。先ずは変装解きな。腹を割って話そうじゃないかフレンド」

 

初対面の人間に対してあまりにフランク、かつパーソナルスペースにずかずかと入り込む態度に少し狼狽する。だが不思議と不快感はない。

 

ーーーーイケメン補正かな?

 

などと馬鹿な事を考えつつ、ガイアファンデーションを解除する。もうどう言い訳してもこの美しいモンスターは騙せないだろう。

 

「………………これはこれは。女だとは思ってたが想像以上に若い嬢ちゃんだな。馬鹿弟子より三つ四つ上程度か?名前は?俺はフェイルだ」

 

「フェイル?随分変わった名前ね。何か欠陥でも持ってるの?」

 

「ほっとけ。俺が考えた名前だ。お前は?」

 

「私はチェルシー。貴方の言った通り役人見習い。あの変装はこの道具のおかげ」

 

化粧箱のような物を前に持ち出し、中身を開く。中身も見た目は化粧道具だが、何とも言いようのないオーラを感じる。

二重底になっている事は一目見て解った。確認するために開けてみるとそこには何の変哲もない飴玉で埋め尽くされている。

 

「お前飴好きすぎだろう」

 

「なんか咥えてないと口が寂しいのよね〜」

 

一本取り出し、慣れた手つきで袋を開け、口に咥える。この子にとってはタバコのような物なのだろう。健康に良いとは言えないが、タバコよりはマシかと思い直した。

 

「やはり帝具か…………文献で見た覚えがある」

 

「?テーグ?危険種の名前?」

 

「ああ、パンピーには知らない奴も多いのか。昔帝国で作られた四十八の超兵器の一つだよ。こいつの名前はたしかガイアファンデーションだったはずだ」

 

「へぇ、そんな名前なんだ。てゆーか貴方詳しいね」

 

「こう見えてエリートだったんだよ、俺は」

 

過去形という事は役職を追われたのだろう。珍しい事ではない。佞臣暗君とは有能な人物を疎む。左遷された能力ある文官をチェルシーは多く見てきた。

 

「で?何であんな殺気丸出しで太守を見てた?まあ大体わかるが」

 

「ならいいじゃない」

 

「直接聞きたいんだよ」

 

先を予測する事は大事だが、それに囚われすぎるのもよくない。予測など必ず外れるものだ。生の情報こそが大切である。

 

「隙を見て消すつもり」

 

「ほーらいるんだよこういう短絡思考。お前さん賢いんだろうが、まだまだ嬢ちゃんだな」

 

ム、と表情に不満が浮かぶ。悪の根源を断つ事の何が短絡思考なのか、彼女にはまだ分からなかった。

 

「お前も役人見てきたんなら知ってるだろう。今の帝都の文官なんざあんなクズばっかりだ。もしお前さんが今の太守を消しても、また新しいクズが就く可能性が高い」

 

「………………」

 

あっ、と一度反応したきり、反論してこない。良い太守が就く可能性もあるじゃないか、と言うことも出来たが、都合のいい可能性を信じて行動する事の愚かさは彼女にも分かった。

 

「別に落ち込む事はない。お前さんを責めてるわけでもない。人間の八割はそういう考え方をするものだ。だが古来暗殺で大事を成せたヤツはいない。もっと先を見据えて、全体を俯瞰する目を持たなければならない」

 

「なんか先生みたいね、貴方」

 

「人に物を教える事が多かったからな。昔も今も」

 

主となって兵の鍛錬をするのはエディだったが、彼女の仕事はは実戦の指揮がほとんどだった。細かい教育や鍛錬メニューの制作は副将のヴァルが主に請け負っていた。もちろんそのメニューをエディも目を通していたが、己の万能の副官を心から信頼していたため、反省会や強化訓練の監督はヴァルに任されていたのだ。

 

「で?先生。私はこれからどうすればいいの?」

 

昔の俺なら、「テメエのやるべき事ぐらいテメエで考えろ」と怒鳴っていただろう。自分で考えて行動出来ない奴は戦場では死ぬ。戦場で生きる者は強い者ではない。もちろん強いに越した事はないが、圧倒的な戦闘力をもつ戦士であろうとも流れ弾でアッサリという事態を何度も見てきた。思考を止めず、状況を理解し、変化できる者こそが”強い”ではなく、”手強い”と呼称される戦士だ。

だが目の前の少女は俺の部下ではない。まして軍人でもない。いきなり考えて行動しろ、というのも酷だろう。

それにこの口ぶりから言って俺が今の太守を消すために動いている事くらいは理解している筈だ。なら敵味方の区別をつける為に今後の動きを指示しておくのも悪くない。

 

「取り敢えず、お前さんは何もするな。今まで通り仕事してればいい。素人が下手に動いて警戒されても困る。いずれ俺があの太守を燃え散らして新たに用意している正しい為政者を据える。その時まで待っていろ」

 

「イエス、ボス」

 

 

 

 

 

 

 

思わぬ話し合いが終わった後。

フェイルは言いつけられた仕事を終えて、屋敷の中に用意された使用人の部屋でロードへの報告書を作成していた。

 

…………食糧や金の流れから言って彼らが動くのはやはり近日中のパーティの後。隠し通路の見取り図は今作成中。二日後には完成予定。

 

ーーーーこんなモンかな……

 

取り敢えず書き上がった。窓を開けて夜風に触れる。涼しいというより冷たさを感じる風が頬を撫でる。幼少の頃から身を刺すような冷たい風に吹かれていたからか、陽だまりの暖かい風よりはこちらの方がヴァリウスは好きだった。

 

 

空には満点の星空が広がっている。空の星には白以外の光を持つ星がある。

 

 

 

ーーーー変わらないな、お前たちは……

 

 

 

 

 

ヴァル

 

なんだよエディ

 

 

幼い頃、あの雪の夜が終わり、二人で生きてきて、パルタスの村で獲物がいなくなり、二人で旅に出た頃。寒さをしのぐ為、二人で抱き合って眠っていた……

 

 

星には色があるのもあるんだね

 

色?

 

 

まだ星の知識など皆無だった頃だ。星には白以外の色があるなどまるで知らなかった。そもそも、星などちゃんと見た事がなかった。それはエスデスも一緒だろう。

 

 

ほら、あそこ。緋い星がある。その隣には碧い星。

 

 

夜の闇に向けて指をさす。ナイフを握り、野生で生きてきた少女の手は見た目には小さく、可愛らしい。だが何度もその手に触れてきた緋の少年は自分と同じくらい硬い手だというのを知っている。

 

 

………………ホントだ。白くない。緋と碧がある。

 

ヴァルと私みたいだね!

 

俺たち?

 

うん!碧い星が私!緋い星がヴァル!

 

 

ね?、と笑いながら、隣で寝転んでいる少年の緋色の髪を触る。自分とは対照的な色の彼の滑らかで艶やかな緋の髪が少女は大好きだった。

 

 

ヴァル、知ってる?星ってね、少しずつ動いているように見えるけど、実は動いてるのは私達でホントは動かないんだよ。だからあの星はずっと一緒にいるの

 

へえ〜、知らなかった。

 

ね?それも私達みたいじゃない?

 

なんで?

 

私達は絶えず動いてる。場所だったり、時間だったり。でもどれだけ動いても私の隣には貴方がいる。ね?そうでしょ?

 

………………そうだな、俺はずっとエディの隣にいる。

 

 

お返しとエディの碧く長い髪を撫でる。首元までしかない少年の髪とは違い、少女の髪は腰まである。梳き通すように指を通し、頬を撫でる。エディと呼ばれる少女は愛おし気に梳き入れられた手に頬を寄せる。この仕草をすると少女はいつも目を細め、少年の手に頭を預ける。温もりを目一杯に感じ取れるように意識を研ぎ澄まさせる為だ。剣だこまみれで硬く、決して触り心地のいい手ではないだろうに甘えた猫のようにヴァリウスの手を感じる。

 

 

ヴァル、ずっと一緒だよね?

 

ああ、もちろん。

 

好きだよ、ヴァル。大好き

 

俺もだよ

 

 

小さな二つの唇が拙い動きで合わせられる。まるで獣同士が傷を舐め合うようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー予定は未定だな……

 

緋と碧の星を見ながら昔を思い返す。あの頃はこんな事になるとは夢にも思っていなかった。

 

人はよく星に例えられる。この国にはまさに星の数ほど人がいる。そのほとんどは白の光だ。だがその中で一際明るい碧と緋がある。まるで理から外れたように異なる色を宿した星。

 

ーーーー本当に俺たちみたいだな……

 

成長し、色々な事を知り尚更そう思う。俺たちは人と呼ぶには人から色々とかけ離れている。

 

ーーーーん?

 

よく見てみると緋の星の隣に小さく光る星がある。あまりに小さくてわからなかったが確かに光があった。

おかしな話ではない。宇宙では絶えず新しい星が誕生している。それも人とよく似ていた。

 

ーーーーあの星(ファン)を一際輝く星にするか、それとも碧の光に呑まれてしまうのか……

 

その星がどんな光になるかは環境次第。それは人と星の異なる点の一つだった。

 

「強くしてやろう。俺が出来る限り……」

 

戸を閉じ、カーテンを閉め、明日に備えて眠った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーヴァル……

 

まだ療養中であり、設えられた自分の部屋で安静にしているエスデスは自室から夜空を見上げていた。今やこの世の全てが色褪せて見える。唯一輝いているのは思い出だけ。

 

今、光を放っていたのは夜空に輝く二色の星によって思い返していたヴァリウスと同じ思い出。

 

ーーーーあの頃から……いや、その前からずっと世話をかけていたな

 

隣にいるのが当たり前過ぎて、いなくなって初めて気づいた。私はあいつに頼りすぎていた。振り回し過ぎていた。幼少の狩りでも、そして成長した今でも……

男はもちろん、秘密裏に女子供を殺す事もさせて来た。

 

でも信じてくれヴァル。お前にそんな負担を掛けていたなんて本当に知らなかったんだ。

ただ秘密裏に行わなければならない事案だったから、不要な犠牲を出さない為にも最も氷の女神が信頼できる手練れの駒を使った…………誓ってそれ以外の思慮など持っていなかった。傷つけるつもりも、ましてや追い詰めるつもりなんてかけらも無かったのに……

 

いつからだろう、あの男の無垢な笑顔が見れなくなったのは…

 

多くの戦場を彼と駆け抜けた。冬空の下、狩りをしていた時は確かにその明るい、輝く笑顔を見せてくれていた。軍人となり、力を振るっていた時も彼は笑顔を見せていた。自分と同じように快感を感じていたはずだった。返り血をその緋い髪に浴び、緋の美しさと比べたらはるかに劣る赤を全身に纏わせながらも彼は挑戦的に笑っていた。

 

そう……

 

 

相手が戦士であれば

 

 

帝国という伏魔殿でのし上がる為には汚い事に手を染める必要もあった。帝国の特権階級達がその権威を利用し、我欲を貪る。その手伝いとして、邪魔な良識派の文官達を家族もろとも屠る。実をいうと、この行動だけは焔の狼の独断だった。

 

エスデス自身はターゲットさえ屠れば、後はどうでもいい。寧ろいずれ起こしてくれる反乱を期待し、戦いを楽しむ為に何人か生かしても構わないとさえ思っていた。しかし、炎狼は完全主義者だった。

 

反乱の目など微塵も残さない。完膚なきまでに燃え散らす。一度倒した敵に再び苦労させられるなどゴメンだった…………いや、万能の副官の才をもってすれば、復讐者など歯牙にもかけない存在だろう。

 

正しい復讐者を二度も燃え散らすという事に耐えきれなかったのだ。

 

それも強者の特権と氷の女神は半ば女神の意思を無視した焔の狼を責める事はせず、まるで気に留めなかった。

そんな日々を過ごすうちに狼の瞳から焔は消えていき、淡々と命令をこなす、躾けられた猟犬のような冷たい目をとなっていった。

 

ーーーーすまない……すまない、ヴァル。ごめんなさい

 

 

漏れそうになった嗚咽を堪える為に包帯で巻かれた手で胸を抑える。己の罪深さと彼への憐れみ、そして後悔がどんな刃よりも女神の胸を抉る。

 

ーーーー信じて、ヴァル。貴方を追い詰めたいなんて動機は一切無かった。あったのは強者の矜持とたった一つの私欲……相棒と駆け抜ける未来……

 

どれほど二人が返り血で染まろうと、雄々しく明日へと駆け抜ける。

 

それだけを望んで闘ってきた。

それが氷の女神が犯した一つの罪(フェイル)

 

そんな罪に罰が降る。

 

炎狼が牙を剥いた。己の……いや、己と炎狼であれば思い通りにならぬ事などないと有頂天となっていた女神と思い込んでいた哀れな女。そんな愚かな小娘の喉笛を狼が神千切った。

しかも最強の誇りを最も傷つける生き恥というおまけ付きで。

 

だが傷ついた女神にとっては、そのオマケは最高のギフトだった。

 

今帝国では既に手配書が回っている。だがあの男がいつまでもこの国に留まるような愚を犯す真似をするワケがない。もう既に遠い国の空の下にいるだろう。盲点を突いてこの国のどこかに潜んでいるのだとしてもあの狼を捕らえられる人間などいるはずが無い。少なくとも帝国には。

 

一度別れてしまえば、二度と出会えぬ程この世界は広い。

もう会えないかもしれない。だがそれはあくまで可能性。

 

二人とも生きているなら可能性はゼロではない。ならば諦める理由は無い。

 

ああ、神様……生まれて初めて貴方に祈ります。

伝えたい言葉が、素直になりたい気持ちがあるから…………どうか、もう一度だけ……

 

 

夜空にボロボロの手を伸ばし、傷ついた哀れな女が女神として見事に甦るのはもう少し先の話……




*ああ、神様……生まれて初めて貴方に祈ります。
範馬(薄い)だって祈ったんだからいいよね?


書いてて誰だよコイツ。こんなのエスデス様じゃねえよ!とは自分でも思ったのですが筆が止まらなかった。後悔はしてなくもない。本人に見られたら間違いなく殺されるじゃ済まないでしょうが。では次回で隠遁生活編は終了。次はなんにも考えてない←オイので気長にお待ちください。それでは感想お待ちしています。


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第五罪 弟子は幾つになっても可愛い

 

 

 

 

屋敷には煌びやかな光と喧騒に包まれている。中に並べられているのは色とりどりの晩餐と上品な音楽で埋め尽くされている。今夜はパーティが地元の盟主達を呼んで行われている。このパーティの目的の表向きは太守と有力な地主達のコネクションを強め、支持を集める親睦会である。

そして当然、裏向きがある。

 

己の立場が危うい事を悟った太守が派手な宴を行い、影が薄くなる隙に、財宝を掻き集めて姿を消すための隠れ蓑である。その準備は着々と進行しており、後は庭に仕掛けた花火を爆発させ、狂言のテロを起こし、その騒ぎに紛れて側近達とこの場を去るのみとなっている。

 

ーーーーそろそろか……

 

丸々と太った中年の男。名はタルカネという。賄賂に横領、果ては人狩りに怪しげな怪物まで研究しているという噂のある男だ。

懐中時計を取り出し、時間を計り始める。多少モタついても逃げれる自信はあるが、無駄な動きはできるだけしたくない。

 

ーーーー五、四、三、ニ、一……

 

零、と数えた瞬間、屋敷の灯りが一斉に消える。シャンデリアも天井から落下したらしい。闇の中でガラスの破砕音が派手に鳴り響いた。

 

ーーーーこんな予定はなかった!!

 

狼狽する。こちらの手の者が気を利かせた可能性もなくはなかったが、はっきり言ってありがた迷惑だ。狂言のテロリストの顔もわからず、誰が人質になったかもわからないこの状況で自分が消えたら間違いなく自分達の仕業にされる。そうなってはコッソリと消える事は出来ない。財宝を持ち逃げしたとバレては、帝国の行政機関が動くだろう。そうなっては逃走に関して素人の自分達では逃げ切る事は難しい。

 

だがそんな心情を無視するように事態は進んでいく。扉が派手に破壊される音が鳴り、大勢の人間が進入する足音が響く。

 

ここで太守は作戦を変更する。

 

「この部屋の人間を全て殺せ!!」

 

この部屋で警備を任せていた屈強な戦士達とテロリストに命令を飛ばす。

テロリストは我々を皆殺しにし、財宝は彼らが持って逃げたというシナリオに書き換えた。

 

一瞬の静寂の後、屋敷に血飛沫が舞った。響き渡る阿鼻叫喚。その隙に用意していた隠し通路へと駆ける。

 

ーーーー宝物庫じゃ!

 

あそこには既に財宝を持ち出すために雇った人間達を待機させている。自分が命令すればすぐに動くだろう。

 

ーーーー後はあの怪物達を解き放てば……

 

一目散に走りながら、とある科学者と一度フラッと訪れた錬金術士の協力によって作られた怪物の解放も頭をよぎる。

 

ーーーー妙じゃな……

 

宝物庫へと近づいていくが、一向に人の気配がしない。どういう事かと訝しんでいると……

 

 

 

 

コツ………………コツ………………

 

 

 

 

 

こちらに近づく足音が響く。足を止めた。

 

闇の中から現れたのは彼にとっての死神。

血塗られた大剣を手に持ち、悠然と佇む緋髪と紅い瞳を宿した青年と彼に付き従うように後ろを歩く槍を持った黒髪の少女。

 

「き、きさまは…………」

 

「やあ、お早いお着きだなぁ、タルカネ殿」

 

ブンと一度大剣を振るい、血糊を飛ばし、肩にかける。この炎を纏ったような美男子を太守は知っていた。

 

「テメエのフェイル(間違い)を教えに来たぜ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宴前日の夜…………

 

 

太守達の計画を全て暴き、報告したフェイルはロードに呼び出されていた。

 

手紙によって伝えられた場所へと到着し、部屋のドアを開けると数は少ないが武装した兵隊達と知ってる顔いくつかに迎えられた。

 

「お待ちしておりました、フェイル様」

 

間違えた、3つだった。

 

「おいロード。状況は大体理解してるが説明しろ。何でウチの馬鹿弟子とアホ毛ヤブがいる?」

 

「誰がヤブじゃ」

 

ゴツンと殴られる。コツンではない。ゴツンだ。明らかに拳でない鉄製の何かで殴られた。恐らくナイフの柄だ。

 

「チサトお前…………それは流石に痛いぞ」

 

ちょっと泣きそうになりながらチサトの手首を掴む。淑女然とした美しさのせいで忘れがちだが、彼女は一流のナイフ使いでもある。

 

「余計な事を言うからだ馬鹿め」

 

「志願したのです。お師様」

 

頭を摩りながら今一度チサトに文句を言おうとしていた所にファンが割って入る。話が始められないと判断したらしい。生意気な。

 

「秘密裏に兵役の募集を行いましてね。チサトさん伝いに志願して来たのですよ」

 

「ちゃんと選考したんだろうな、贔屓なしで」

 

「彼女の実力は私よりフェイル様の方がご存知なのでは?」

 

フン、と鼻で笑う。軍医とはいえ、かつてあのエスデス軍にいたのだ。実力は折り紙つきだ。

 

「ファン。同行は許可してやる。だがお前は俺と行動だ。実戦を見る事がお前の今回の稽古だ。学(まな)ぶは真似(まね)ぶだ。見て真似て学べ」

「はい!」

 

「チサト、お前は待機だ。後方支援チームの指揮を取れ」

 

「positive」

 

「もう俺はお前の上官じゃない。その返事はやめろ」

 

さて、個人的な指示は終わった。部屋に集まった人間達全員に注意を向ける。

 

ーーーーほう、いい面構えだ。

 

ロード達が集めた兵隊達は正義感に溢れた男達だ。クズを消す為の命令を今か今かと待っていた。

 

ーーーーげ……

 

待機している集団の中に一際黒い気配を感じ取り、視線を向けてみると知った顔があった。俺が気づいたことに気づいたのだろう。ニヤリと口角を歪めて一人の老婆と無表情の中に確かに喜びの色を見せた美少女がこちらに近づいてきた。

 

「やあ、噂じゃ死んだと聞いていたんじゃが生きとったのか。妖怪小僧」

 

「テメエに言われたくねえよババラ。妖怪より妖怪のくせしやがって。まさかテメエらまで雇われてるとは……」

 

艶やかな黒髪を後ろに纏めた可愛いらしい少女に視線を向けると犬の尻尾のように束ねた髪を揺らして緋色の髪の青年に擦り寄ってくる。

 

「ヴァリウス!」

 

「久しいなタエ。ずいぶん大きくなった」

 

「久しぶり。噂なんて信じてはなかったけど健勝そうで安心した」

 

「おう、あとヴァリウスはよせ。今はフェイルと名乗っている。それで呼んでくれ」

 

「お師様、知り合いですか?」

 

「ヴァル。紹介しろ」

 

明らかに知り合いとわかる三人の空気に弟子と女医が問いかける。老婆はともかくこの少女は明らかにヴァリウスに好意を寄せている。そして自分と同じ弟子のような呼び方をしている。二人は気が気でなかった。

 

「こいつらは暗殺結社、オールベルグ。暗殺専門の傭兵だ。仕事の都合上顔を合わせる機会が何度かあってな。この妖怪がババラ」

 

「どーも」

 

「こっちはタエコ。昔俺が拾った捨て子だ。ある程度育てた後で信頼できる筋に預けた。一応剣のイロハも叩き込んでいる。言ってみればお前の姉弟子だ」

 

ファンの頭を撫でてやりながら紹介してやる。ファンがペコッと頭を下げると同時にタエも礼を返した。

 

「そちらの紹介はいらないよ狼小僧。小僧の女に嬢ちゃん。はっきり言ってどうでもいいしねぇ」

 

ム、と眉を歪めて二人が一歩近づこうとしたがフェイルがそれを止める。落ち着け、と目で指示した。

 

「気をつけろ、暗殺技能という点において、このバーさんは俺以上だ」

 

「「ヴァル(お師様)より!?」」

 

明らかに狼狽する。二人にとって最強の存在であるヴァリウスが自分でこのような事を言うとは予想していなかった。

 

「勘違いするな。単純な戦闘力では無論俺の方が上だ。だが暗殺ってのは強けりゃいいってモンでもない。擬態が必要な時もある。このババアはそれが実に上手い」

 

「そこが下手なのがお前の小僧たる所以じゃな。溢れる強さを隠せん人種。あの小娘と同類。割れ鍋に綴じ蓋。良いコンビじゃないか、と思っておったんじゃがな」

 

口ぶりからどうやらエスデスと袂を分かった事は知っているらしい。

 

「ヴァリウス、実は優しいから」

 

「気をつけろタエコ。常に優しい男より普段傲慢で自信家な奴がふと優しさを見せるこのような男の方が遥かに厄介じゃ。油断するとあっという間に奈落の底に叩き落されるぞ。そこの女のように」

 

グ、と息を飲む気配をチサトが見せる。そして反論しない。おかしいな、俺はいつでも謙虚で寛大なハズなのに……

 

「貴方もヴァリウスの弟子なのか?」

 

「は、はい」

 

「そうか、私もなんだ。名前は?」

 

「ファ、ファンです」

 

「私はタエコ。貴方の姉弟子。よろしく」

 

元弟子と今の弟子が握手を交わす。会って間もないハズなのに二人には既に見えない絆が出来たようだ。

同門というのはそれだけで親しみが湧く。人によっては血より濃い絆となる者さえいる。

 

「かつては敵だが今回は仲間だ。頼りにさせて貰うよ炎狼」

 

「……………チッ、お喋りが過ぎたな。チサト」

 

視線で指示を出す。一字一句違えず読み取ったかつての軍医は頷いた。

 

「傾注(アテンション)!!」

 

チサトの檄に全員が佇まいを正す。緊張感が空気を支配する。視線が一斉に俺へと向いた。

 

「今回の作戦はこの地にのさばる腫瘍どもの一斉切除だ。この一刀で全てに決着をつける。だが己が正義だと思うな。我々の仕事は詰まる所、悪だ。どんな理由があろうと殺しは殺しだ。自分に酔う奴は死ぬ。覚えておけ」

 

空気が重くなる。空気につられてテンションが上がり、浮かれてる奴もかなりいた事には気づいていた。

 

「だからこそ無用な殺しは許さん。抵抗しない者、降伏した者は殺すな。俺たちは悪であり、間違った存在だ。だが間違いには種類がある。間違え方が正しいフェイルを成せ!友の明日の為に!!」

 

雄々しい鬨の声が上がる。肌がビリビリと震える。諌めるのも大将の仕事だが、ノせるのも大将の仕事だ。エスデスと違い、カリスマに乏しい俺はアゲるのにいつも苦労する。

 

「お見事でした」

 

「皮肉か」

 

「?いえ、本心ですが」

 

本当に意外だったのだろう。目を丸くしてキョトンとしている。オッさんのキョトン顔なんてキモいだけだな。

 

「いや、こっちの話だ。作戦実行はフタマルサンマルだ!解散!!」

 

「ヴァリウス」

 

それぞれが己のやるべき事に戻り始め、喧騒が空気を支配し始めた時、ババラがフェイルに再び近づいてきた。

 

「コッソリ近づくな。お前は存在が軽いホラーなんだから。あとヴァリウスって呼ぶな」

 

「ほう、そうかい」

 

スウ……

 

「なあヴァリウス、この件が片付いたらヴァリウスに頼みたい事があるんだヴァリウス。ヴァリウス後で時間を作っておくれヴァリウス」

 

「燃え散らされたいか」

 

「ババラはヴァリウスにホラーって言われたのがイラついたんだよヴァリウス」

 

「タエ、久しぶりに真剣で組手をやろうか、折角だ。10本ほどつけてやろう」

 

「やめてください死んでしまいます」

 

すぐさま謝る。体力も腕も人間の秤を遥かに超えてる彼とそんな事を10本もやっては本当に死んでしまう。

 

「後で少し時間を作っておくれ。頼むよ」

 

「………………分かった」

 

めんどくさそうだが断る方が面倒だ。

 

「面倒そうな話ですね」

 

聞こえていたらしい。側で控えていた同じ黒髪の弟子だがボブカットの現在の弟子がコソッとボヤいてくる。良い傾向だ。危機の察知と頭の回転は中々速くなってきている。

 

「生きてたらそういう事もある。まっすぐ歩けないのが人生だ。だがうねる道の中でも、自分の在り方を変えれば興は割とある。自分の目で見て、肌で感じて、発見して、理解する。そういう生き方をしていると他の人間には見えないモノが見えてくる」

 

ポンポンと艶やかな黒髪を叩く。今の彼の回り道の興を慈しむように。

 

「俺だってフラフラしてばっかりよ。まっすぐ歩いてたつもりだがいつの間にか獣道で砂まみれだ。それでも歩みを止めるわけには行かねえだろ。人生なんて八割が面倒で出来てんだ。回り道を楽しめよ、ファン」

 

「ハイ、お師様」

 

「へえ、ちゃんと師匠してるんだな」

 

「うっせ」

 

空いた片手でチサトの頭を軽くはたいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作戦は実行された。秘密裏に作った通路から俺が選んだ少数精鋭達が侵入する。他の人間には屋敷外に出る通路の封鎖を任せた。

 

警備は既に斬り伏せた。流石に屋敷内の警備を任せられているだけあって並以上の戦士達だったが、炎狼に狼見習い。オールベルグを筆頭に彼らは並の秤を遥かに超える。

 

「ほう、いいぞタエ。腕を挙げたな」

 

細身の剣を腰に収めた愛弟子に素直な称賛を送る。教えたのは剣の基礎と心構えくらいのモノだったのだが、ババラに鍛えられたのか、それとも独学か、自分にあったアレンジが加えられ、俺のスタイルを元にした自分の新たなスタイルとして確立させている。

言葉にしてしまえば簡単だが鍛錬だけでも才能だけでも出来ることではない。

 

「下を見て安心するな……常に上を見て悩みながら生きろ」

 

懐かしい言葉だ。自信をつけて慢心気味になっていたかつての少女に送った説教(きょうくん)

 

「私の前には常に貴方がいたから」

 

「憶えてたか。マジメだねぇ」

 

「お蔭で私の教育が中々浸透せん。既に炎狼の色に染められている」

 

得物を収めながらババラがボヤく。無色だったタエコの心には既に鮮やかな緋が塗られている。もし俺がババラだとしても塗り潰すのは困難だろう。

 

「それに比べてファン、なんだお前は。全力を尽くす事と無茶をする事は違うぞ」

 

明らかに無理のある動きをしていた今の弟子に注意を向ける。自分でも背伸びをしていた事は分かっていたのだろう。しゅんと悲しそうな顔を浮かべて俯く。

 

ーーーーこういう所が分からないのもまだまだ小僧だね。

 

ババラは幼い少女の胸の内を理解していた。久しぶりに戦うというのに二人はまるで本当の師弟のように……いや、実際師弟なのだが、現在の弟子より遥かに見事なコンビネーションを魅せていた。その事が彼女には面白くないのだ。

炎狼の弟子となってまだまだ期間は短いが、それでも今最も彼の近くで生活し、弟子として彼に教えを受けているのは自分なのだ。

 

負けたくない……

 

そう思うのは必然だろう。

 

「反省しているならいい。いいか、本当の戦争ってのは丁半博打はしないんだ。決死の戦いをしなければならない時もあるが、それ以外で殺し合いなんてやろうとするな。俺たちがヤるのは一方的な殺し。無茶が必要な時は修業を重ねた技術で補え。わかったな」

 

「はい!!」

 

フェイルに怒気はあまり見られない。初めての実戦だ。俺が隣にいるとはいえ、緊張もするだろうし、空回りもするだろう。そこをフォローするのも師の務めだ。

 

「ババラ、パーティ会場の指揮はお前に任せた。兵隊達も預ける。いいな?」

 

「指揮官はお前だ。従うよ。だがお前はどうすんだい」

 

「俺の見取り図で空白部分だった地下へ向かう。あそこは新参の文官では調べきれなかった未知だ。他のヤツらに行かせるのは少々不安だ。最強戦力で向かいたい」

 

「タエコはどうする?使うかい?」

 

「屋敷内の人間は数だけは多い。手練れが二人はいるだろう。いいさ。俺とファンで充分だ」

 

「全滅させていいのかい?」

 

「リストに挙げた人間は殺すな。既に勧告したお蔭で数は少ないが良識派もいるからな」

 

「暗闇の中で分類しなきゃならんのか。難しいね」

 

「お前がそんなしょっぱい使い手かよ」

 

夜目が利く事も腕も知っている。もちろん万が一というのは常にあるが、あまり心配してはいなかった。

 

「来い、ファン。コッチだ」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下に通じる扉を蹴破り、侵入する。途中そこそこ出来る牢番達と出会ったが所詮はそこそこ。一蹴した。

 

今はゆっくりと地下を歩いている。つい先ほど遭遇したタルカネは俺から逃げるように走っている。と言ってもフェイルから見ればその動きは鈍重の一言。歩きでも絶対にその姿は見失わない。

 

限界が来たのだろう。走っていたタルカネは荒い息を吐きながら膝をついて倒れこむ。

 

ーーーー此処は……

 

周りをよく見てみると檻で塞がれた部屋が辺りを埋め尽くしている。どうやらこの辺りは牢獄のようだ。

 

ガチャンと何か音がした。視線をタルカネに戻す。息も絶え絶えなこの男に特に警戒はしていなかった。が、何か妙な事をしたらしい。

 

「ヒヒヒ……残念だったな小僧。コレでお前達は」

 

言葉はそこで途切れる。炎狼の牙がタルカネの首を喰い千切った。下卑た笑いを浮かべたまま絶命した。

 

「とりあえずはコレで終わりか」

 

後はババラ達がうまくやるだろう。

 

ーーーーん?

 

何やらムームーと音が聞こえる。俺の間合いからはかなり離れていたため気づかなかった。

 

あいつは……?

 

両手両足を縛られ、牢の片隅で横たわっているのは先日顔を合わせた少女。名はチェルシー。未熟だが確かに戦士の心を狼に感じさせた存在だ。憶えている。

 

「ヘマやらかしたな、未熟者め」

 

檻を一瞬で斬り裂き、自由のきかないチェルシーの元へと向かう。手枷も壊し、猿轡も外してやった。

 

「プハッ!」

 

「よう、調子はどうだ?お嬢さん」

 

「そんな事言ってる場合じゃない!!なんでサッサと斬らなかったのよ!貴方がスイッチ押させちゃったからあの化け物達の檻が解放されちゃったじゃない!!」

 

殲滅戦は加速する。




次で流浪編は終わると言ったな。アレは嘘だ。
書いてる途中でババラとか勝手に登場してくるんだもんな〜。フェイルも驚いたでしょうが、筆者が一番驚きました。コレからは零要素も入ってくる予定です。それでは感想よろしくお願いします。


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第六罪 力の片鱗

第六罪 力の片鱗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に踊る危険種を一刀の下屠る。だがまるで気は抜けない。どこから溢れているのかわからないが、危険種の数はいまだ数え切れない。ババラは苦戦していた。

 

闇の中で標的を消すのはこの老婆と少女には造作ない事であった。

だが唐突にどこかの扉が外れるような音が響き、次の瞬間、闇の中で躍動する獣達が殺到した事により、流れは一気に変わった。

 

危険種達に敵味方の区別はない。誰彼構わず食らいつき、その命を奪う。対して自分達はリストにあった人間は守りつつ、この危険種達と戦わなければならない。

さらにこの危険種達は通常とはまるで異なる存在だった。

強さも勿論だが、なにより見た目がおかしい。異なる獣と獣が混ざったような姿をしており、胴を両断した程度ではすぐには死なない。地面を這いずりながらも牙を突き立てる。腰を抜かしている文官達にとっては胴から下がなくとも充分に脅威たり得る。

 

ーーーーロクでもない実験の試作品かねぇ……

 

顎を潰しながら思考する。帝国の狂った研究の一つである動物実験など腐る程見てきた。ここまで異常な技術が必要な物は初めて見たが、現象は理解できる。

 

「ババラ!!」

 

後ろから 迫る危険種には気づいていた。今のタエコからの警告はその事ではない。

 

地面が大きく揺らぐ。地面というよりは屋敷が揺れたのだろうが体感では変わりない。衝撃に一瞬気が取られる。

 

戦場で命を失うには充分過ぎる隙だ。

 

ババラに危険種達が上空から殺到するーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、まだ生きてるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハズだったーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズチャと雫が落ちる嫌な音。煌めく刃は危険種達を一太刀で両断していた。

 

ババラの前に立つのは背中に茶髪の少女を背負い、大剣を右手に持った緋い戦士。

 

続いて黒髪ボブカットの少女が地下から現れる。全速力で駆け抜けたのだろう。その息は荒い。

 

「遅い!何をやっていた!」

 

「おまっ助けられといてその言い草……」

 

ブンと血飛沫を払いつつ剣を肩にかける。呆れたような言葉をババラに向けながらも、視線は危険種達に向けられている。こいつらの異常性は先の一太刀で気づいている。

 

「ヴァリウス!」

 

タエコが駆け寄ってくる。フェイルの背中に立ち、細身の剣を構え直す。

 

「おう、どうやらややこしい事になってるくせえな、弟子。具体的にどういう状況だ?三十字以内で簡潔に述べろ」

 

「無理です!」

 

「じゃあババラ、こいつらの特徴は?明らかに普通じゃねえだろ、三十字以内で簡潔に述べろ」

 

「何だいその出題形式!気に入ってんのかい!やめなウザい!私も詳しくはわからんよ。少なくとも胴を両断した程度じゃ死なない、コイツら」

 

「なるほど、それで顎を潰してるワケか」

 

「分かったらサッサと手伝ーーーー」

「バーナーナイフ、Lv.1。湧きでろ、アカイヌ」

 

ババラのことばを遮り、手に持った大剣から赤い炎が発せられ、フェイル達の周囲を覆う。その炎の波から犬のような猫のような、炎の獣の姿が湧き立つ。ブンとフェイルが大剣を一振りするとアカイヌと呼ばれた炎の獣達は危険種の群れに襲いかかり、噛みつく。

断末魔を挙げながら危険種達が燃え散らされていく。いかに強力な生命力を持とうと骨まで燃え散らされては生きてられるハズがない。

10程の時間が立つと危険種達は灰になった。

 

自分達があれ程手こずった敵を帝具の力が大きいとはいえ瞬殺。

そしてこれ程の力を持つ帝具だ。扱いの難しさが並でない帝具の中でも最高クラスの難易度に位置するであろう武器をこうも軽々と使いこなす目の前の男に戦慄する。

 

「この程度に手こずっているようではまだまだ」

 

バーナーナイフの能力を解除する。炎を纏った剣は通常の大剣に戻った。腰に剣を収める。

 

「……………流石」

 

「おお〜、お見事。瞬殺じゃん」

 

恍惚とした表情を浮かべるタエコとファンの傍ら、フェイルの背中に乗った少女は飴玉を咥えながら遠くを眺めるように手でヒサシを作る。

 

「おい、いい加減降りろ。もういいだろう」

 

「やぁだ❤︎気に入ってるの、ココ」

 

猫が甘えるように緋髪の青年の背中に頬をすり寄せる。逞しく、柔らかく、力強く押し返してくる筋肉質な背中が心地いいらしい。

その姿をタエコとファンがジト目で見ているのが可愛らしい。

 

「その子はなんだい?知り合いかい?」

 

「さっき拾った。まあ今回の俺の情報屋みたいなもんだ」

 

地下の異常性に気づいたチェルシーは再び調査に潜ったらしい。その時、この危険種の姿を見てしまい、捕らえられ、牢獄に転がされたそうだ。

 

「コレで終わりか?」

 

「私が知る限りはこれくらいかなぁ。でも私を使ってなんか実験しようとしてたっぽいしまだあるかも」

 

「そういえばさっき屋敷が揺れたの。原因は何か知っておるか?」

 

「まあこれ以上の化け物が現れる事はないだろうけど」

 

段々と戦闘モードをOFFにしていく最中、大広間のエントランスが破壊される。その爆風や瓦礫がパーティ会場に飛び込んできて、中にいた戦士達も動きが止まる。

 

乗り込んできたのは全長10メートルはあろうかという人型の巨大危険種。腕は機械仕掛け、額には人間の上半身のような物が飛び出ている。

 

「あーあ。チェルシーが余計な事言うから」

 

「わ、私のせいじゃないでしょ!!」

 

竜の鳴き声のような咆哮が闇夜に轟く。それが合図だったらしい。

全員が弾かれたように動く。タエコとババラはリストにあった人間達を救出し、会場の外へと退避し、フェイルとファンは巨大危険種に向かって跳躍した。

 

「お師様!ドコを狙えば?」

 

「足下!アキレス腱を狙え!取り敢えず一度コカすぞ!」

 

「はい!!」

 

危険種のスタンプを躱しつつ、足下へと潜り込む。踵の少し上をめがけて槍を突き通す。

 

ーーーーなっ!?

 

体重を乗せて放った一撃は想像以上に硬い手応えで弾き返される。師も同じような状況らしい。片手で振るった大剣が弾き返され、少し仰け反っていた。

 

ーーーー堅いな……

 

バーナーナイフを起動すれば斬れるだろうが出来ればソレはしたくない。俺一人ならともかく、背中のチェルシーがバーナーナイフの高熱に耐えられるとは思えない。

 

ーーーー焼切り(やぎり)をやるにはLv.2まで起動する必要がある。Lv.1はただの炎だから使えたけどそれ以上は背負いながらじゃ使いにくい。

 

全力で動けば斬れない事もないだろうがそれは出来ない。そんな事をすればたちまちチェルシーは緋の狼の背中から振り落とされるだろう。そしてこの少女は戦闘に関して素人だ。この鉄火場に置き去りにするのは忍びない。

 

スタンプが再び繰り返される。加減をしながら躱し、考えを張り巡らせる。

 

ーーーー斬れずに倒すなら重心を崩さなきゃならん。それさえ崩せれば子供でもコカせられる。

 

「湧きでろ、アカイヌ」

 

炎の獣が再び湧き立つ。パチリと指を鳴らし、足に噛みつかせた。一気に足下から炎が燃え上がる。炎を見たのは恐らく初めてなのだろう。致命傷ではないだろうに熱さと痛みに動揺していた。

 

「焼狼(しょうろう)」

 

アカイヌとは比べものにならない大きさの炎の狼が剣から放たれる。その炎はまっすぐ上空へ打ち出され、危険種の顔面へと食いついた。それと同時にフェイルも跳躍する。

 

「グォ……」

 

顔面を襲う熱に、一歩下がるため足をあげる。その瞬間を逃さず胸元に凄まじい威力の蹴りをカマす。

人間を倒すのに重要なのは力ではない。体のバランスだ。柔術に力を使わずに体格の小さい者が大きい者を投げ飛ばす技があるように、重要なのはタイミングと間合い、そして重心の流れだ。

重心を崩していた危険種に後方への衝撃が加えられた。高度な知性を持たない彼に態勢を整える術はない。

屋敷の壁を派手に破壊しながら背中から倒れる。身体の上に乗り、額目掛けて駆け抜ける。

 

「喰狼(どんろう)」

 

燃え盛る顔面に向けて剣を翳す。するとまるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように赤い炎は剣へと集束されていった。

 

紅く輝く剣を振りかぶり、額に飛び出ている人間の上半身へと剣を突き刺す。

 

ーーーー外がダメなら中からだ。

 

「キメラだろうが…………巨大危険種だろうが……」

 

 

 

 

俺の前では全てが燃える!

 

 

 

「燃え散れ」

 

体内に突き刺された剣から喰われた炎に加え、さらに新たな炎が放たれる。Lv.1の炎で皮膚から焼いた時は薄皮一枚焼いた程度だった。だがいくら外が堅い者だろうとナカはヤワい。紅く輝く剣から放たれる炎は危険種の体内を喰らい尽くし、暴れまわった。

 

目から、口から、耳から、ありとあらゆる危険種の穴から炎が溢れる。しばらくのたうち回っていたが、時期に動かなくなり、最後には全身から燃え上がった。

 

トンッと何かが落ちた音が聞こえた。

 

回避するように飛び下がったフェイルが着地したのだ。黒髪の弟子が駆け寄ってくる。お疲れ、と頭を撫でてやる。

 

「終わったの?」

 

背中から声が聞こえる。燃える危険種を見ながら簡潔な一言を述べた。

彼女もこの土地のために戦っていた人間の一人だ。心中は察して余りある。

 

「取り敢えずはな、これからロードの治政が始まる。まあ悪いようにはしないだろうよ」

 

「先生、一つ聞いていい?」

 

「一つな」

 

「貴方……一体何者なの?」

 

今回の戦い、一番近くでフェイルの戦闘を見ていたのは彼女だ。その強さは素人でも充分に感じる事が出来た。少なくとも、彼女には彼より強い人間など想像がつかない。だからこそこんな所で傭兵のような真似をしている事が信じられなかった。どんな所でも高禄で召し抱えられるだろうに。

 

「なんだ、そんな事か。教えてやろう」

 

背中から下ろしながら快活に笑う。その精悍な顔から浮かぶ無垢な笑顔にチェルシーの胸が高鳴った。

 

「俺の名はフェイル。テメエの間違いを教える狼だ」

 

この人の下で学びたい、そう思った。




*まあこれ以上の化け物が現れる事はないだろうけど
この小説も死亡フラグ満載
*湧きでろ、アカイヌ
昔、火事の事を炎の形がそう見える事からアカイヌやアカネコと呼んでいた。決してマダオな声の海軍大将の事ではない
チェルシー加入〜。ヒロイン候補は今の所ナジェ、タエコ、チェルシー、エスデス、ぎりぎりファンの五人です。これから増えるかもしれませんがそれはこれからの私の思いつき次第です。それでは感想よろしくお願いします


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第七罪 人と獣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂が部屋を支配していた。夜の闇の中で蝋燭の火のみが光となって照らされている。

多くの資料が積まれているその部屋は執務室らしい。一人の男が長机に向かい、少女がその手伝いをしている。

 

その部屋にヒッソリと近づく少女が一人。口に飴玉を咥え、茶髪お肩の後ろまで伸ばした美人というよりは可愛い少女だ。名前はチェルシー。

 

気づかれないようにそーっとドアのノブに手をかけたその時……

 

「ノックもしねーのかよ」

 

こちらを見透かしたかのような言葉にびくりと身体を震わせる。するとキィという音とともにドアが独りでに開いた。

 

「あ、あの〜……」

 

執務室の中に入り、緋色の髪の美男子に声をかけるが、彼は無視して書類に没頭する。

 

「ヴァルという人に言われてきました!ココで働かせてください!」

 

「いらん」

 

「ココで働かせてください!」

 

「まだ言うか……」

 

「ココで働きたいんです!!」

 

「だぁああまぁああれぇえええ!!!」

 

腰間の剣から炎が噴き出る。一瞬でチェルシーの前に立ち、短剣でチェルシーの頬を撫でる。

 

「誰がお前のようにグズで腹黒で臆病な奴を雇うって言うんだい!!なんの役にも立たないのが目に見えてる!!」

 

憤怒の感情と共に短剣で頬をペチペチ叩く。少し加減を間違えれば頬が斬れてしまうような危ない行為。男の目が唐突に相手を見下すような目に変わる。

 

「それとも何か?誰もが嫌がるようなつら〜いきつ〜い仕事を死ぬまでやらせてやろうかい?」

 

恐怖の感情で茶髪の少女が震える。返答次第ではこの緋の男は本当に短剣で斬りつけてくるだろう。

先程と同じ静寂であるが、まるで磨き上げられた剣のように張り詰め、緊張した空気が執務室を支配する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………で?いつまでやってるんだ?お前ら」

 

茶がかった黒のロングヘアに白衣を纏ったモノクルの美女が呆れたような言葉を三人にかける。その瞬間、部屋の緊張は一気に霧散した。

 

「来るのが早いチサト。ココからが面白かったのに」

 

「これやんないと弟子にしてくれないって言うから〜」

 

「お前ビビり方がイマイチだぞ。せっかく変装の帝具持ってんだ、演技を磨け大根役者」

 

今の寸劇は偉大な作家が書いた有名な物語の一幕だ。一度やってみたかった。

 

「すみませんねぇ大根で!!精一杯やらせて頂きました!ねぇいいでしょ!?弟子にしてよ!」

 

「て言われてもなぁ。ウチは託児所じゃねえんだ。このご時世、いちいち路頭に迷ったガキ弟子にしてたらキリがねえぞ」

 

「だが路頭に迷わせたのはお前だろう」

 

「寝言を言うな、俺は俺の仕事をしただけだ。その後の結末は俺の感知する所ではない」

 

「無論わかっている。だが目の前の敵と戦う為に剣を振るのが兵の仕事、戦いの後の着地点を模索し、先の戦いを見据えてペンを振るのが将(俺たち)の仕事だと言っていただろう」

 

「もう俺は将ではない。狼だ」

 

「だが将の器を持つ狼だ。器の位置は変わったかもしれないが器は変わっていない。ならばこぼれ落ちる雫を受け止めるのが器の役目だろう」

 

「なんだよ、随分コイツの肩を持つな」

 

「私も零れ落ちた雫だ。お前に拾って貰わなければ私はどうなっていたか本当にわからない。立場上やはり気持ちは入る」

 

ケッ、と心の中で舌を打つ。別にコイツを掬いとったつもりはない。有能な人材だったからスカウトしただけだ。

ハアと大きくため息を吐く。過去の自分は間違っていた事もある。しかし自分の行動全てを否定するつもりもない。

 

コイツを掬いとるのは間違っているのかもしれない……でもその間違いは恐らく間違え方が正しい間違いなのだろう。それに俺の行動の結果で起こってしまった事なら目の前でこぼれ落ちる雫くらいは掬いとってやるのが俺の義務(フェイル)か

 

「おい飴玉、名前は?」

 

「あれ?名乗ってなかったっけ?チェルシー」

 

「チェルシー、俺の下につくのは色々危険が伴うぞ。市井で生きていた方が幸せだったと思う事もあるかもしれん。とばっちりで火の粉を食うこともあるだろうぜ」

 

「大丈夫、ヤバくなったら逃げるから」

 

「金持ちになれる可能性は低いぞ」

 

「別に私は金持ちになりたい訳じゃないよ。私が私らしく生きられればそれでいい」

 

瞳の中に焔が灯っているのが解る。ハアと一つ息を吐く。俺の近くにいる女はどいつもこいつも似たような目をしやがって……ホンット苦手だ。この色の焔は…

 

「勝手にしろ」

 

「ええ、勝手にしますとも。先生」

 

今度は音を出してケッと吐き捨てる。チサトその顔やめろイラつくから

 

「今夜はファンと泊まれ。歳はお前より下だが姉弟子だ。今夜の内に色々教われ。ムダ飯喰らいを側に置くつもりはない。明日から色々働いてもらうぞ」

 

「先生は今夜どうするの?」

 

「今夜はチサトの診療所に泊まるさ。明日には俺の寝具をあの部屋に入れる。家具の整理はしておけよ。チサト、いいか?」

 

「タダでは泊めないぞ」

 

「いくらだ」

 

チサトはその問いには答えず、一度唇に指を当て、肩に手をやる。何かのハンドサインのようだ。読み取ったフェイルは今日何度目かのため息を吐き、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日、深夜――――

 

チェルシーにはファンと同じ部屋にソファを与えてやり、フェイルは今夜だけはチサトの診療所に宿泊した。

 

今はチサトの酌で酒を飲んでいる。ハンドサインの意味は”今夜一献いかがですか?”だ。軍にいた頃からこいつとは何度か飲む機会があった。女と二人で酒を飲むというのはエディに知られたら何かと面倒だ。そこで取り決めたサインの一つである。

 

無二の親友だった二人だが、共に酒を酌み交わす事はあまりしなかった。エディも飲まないという訳ではない。しかし好みはしなかった。頭の回転が鈍くなるし、何より体に異常が起こる。戦士として、好まない心情は理解できる。

 

チサトが持つ黒い瓶から注がれるのは米から作られた透明の液体で出来た酒だ。東の外れの国から伝わった技術により造られた。少々クセはあるが、なかなか滋味深い。チサトやタエコの故郷の酒と聞いている。

 

「地元の酒に比べればまだまだ未完成だがな」

 

空いた盃に透明の液体を注ぐ。自分で酒を造るだけあってコイツも中々酒豪だ。

 

「実に興味深いな。是非一度口にしてみたいものだ」

 

「もう身軽な立場だろう。弟子の育成が終われば私の故郷へ来るといい。私のような黒髪の人間ばかりだが良いところだ」

 

「嫌いじゃないぞ、お前の髪の色は」

 

艶やかなカラスの濡れ羽色を撫でる。指に掛かることなど一切なく、滑らかに梳き通る。

 

「何者にも塗り潰せない……強い色」

 

「ん……緋もそうだろう」

 

「緋も混じわればいずれ黒くなる。潰しにくい色ではあるが黒ほどではない。事実俺はかつて一度色を忘れた」

 

心を無くせば人間は白くなる。ヴァリウス副将はかつて心と頭を真っ白にして作業をこなしていた。

 

「碧はどうだったんだ」

 

「あいつは変わらねえさ。本質的に俺とは心の強さの格が違う。表面的に色を足されはしたがあの碧は変わらなかった。だから惹かれたし、憧れた」

 

瓶の酒をチサトの盃に注ぐ。やはり酒は人と呑む方がうまい。

 

「おお、ヴァルに酒をついでもらう時が来るとは……お互いそんな立場ではないと承知しているが、やはり少し恐れ多いな」

 

「細かい事言ってると酒が不味くなるぞ」

 

「うむ、どれどれ…………おお!炎と獣の味がする!」

 

「酔ってるなお前……」

 

苦笑しながらフェイルも盃を突き出す。嬉々として盃を満たす。これ程美味い酒はお互い久しぶりだ。

 

ーーーー何を飲んでも、何を食っても血の味しかしなかったからな……

 

酒を嗜み始めたのはいつからだったか。少なくとも人を斬れば鮮血が噴き出し、自分が汚い紅に染まる事に驚きもしなくなった頃だったのは憶えている。

 

何を飲んでも、何を食べても、鉄の味が口を支配した。

脳裏には常に血の雨が降り続いていたからだろう。気の持ちようで人間の感覚は大きく変わる。たとえ瞳は違う物を写していても、彼の頭の中には常に阿鼻叫喚の地獄が行われていた。

 

ーーーーっと……

 

ガラにもなく昔の事を思い出していた。俺もそれなりに酔っているらしい。頭が重い。

 

盃を持つ手にそっと女らしいほっそりとした指が添えられる。いつのまにか伏せていた顔を上げる。酒のせいなのか、それとも他の理由か、潤んだ淡緑の瞳が俺を心配そうに見つめている。どうやら相当怖い顔をしていたらしい。

 

「悪いな、くだらん事を思い出していた」

 

「ヴァル……」

 

両手で俺の手を握りこむ。震えていた。俺が震えているのか、それともこいつが震えているのか、それは見ただけではわからない。目の前の女が俺を癒そうとしている事だけはわかった。

 

握られた手を解き、頬を撫でてやる。酒と色で紅潮した白い肌が青白い月光に照らされ、実に美しい。

 

顎へと指を移し、撫でてやる。序所に唇へと位置を上げていく。手首から瓶の酒を濡らす。あっという間に指は酒まみれになった。

 

「舐めろ」

 

少しトーンを落とした声音で命令する。ビクッと一度震えると、紅い舌を出して節くれだった俺の指を懸命に舐める。

 

ガチャンと盃がひっくり返る。チサトがテーブルの上に身を乗り出し、酒で濡れた俺の指を両手で握りながら夢中で舐めているからだ。

 

指を口の中に突っ込み、チサトの舌を蹂躙する。少し驚いたような顔をしたが、従順に受け入れ、表情を蕩けさせ、目をうっとりと潤ませ、懸命に舐め回す。

 

「ん……ヴァル❤︎……こくっ」

 

口の中にたまったとろりと流れ落ちる熱い涎と酒を飲み込む。喉の動きに合わせて俺の指を引き抜いた。

 

「あっ……」

 

まるで父と繋いでいた手を急に放された子供のような顔と不安げな声をあげる。普段あれだけ凛としている女が実に可愛いい。本質的にドMなのは変わってないらしい。

 

チサトの涎が滴る濡れた俺の指を今度は俺が舐める。

コクリと息を呑む。緋の男の姿は壮絶なまでに艶めかしく美しい。

 

「ヴァル……」

 

這い寄るようにヴァリウスの胸によりかかり、懸命にしなを作る。息のかかる距離まで顔を近づけ、逞しい首に腕を回し、キスをせがむ。

 

ヴァリウスは嗜虐的な笑みを浮かべ、秘所を撫で、髪を梳いてやる。だが肝心な事はしない。絶頂させる事も愛を交わす事もしない。ただ風が撫でるように弄ぶだけだ。

 

「意地悪しないでぇ…」

 

「ハハッ」

 

普段なら逆さにしても出ない声の高さと言葉に思わず笑みがこぼれる。この男の本性もエディと同じドSだ。似た者同士とは究極に仲が良くなるか、不倶戴天の敵になるかのどちらかだ。エスデスとヴァリウスは前者だった。

しかし当然夜の相性は良くなかった。彼らの情事は生理現象であると同時にどちらが攻め勝つかという勝負でもあった。

 

ーーーーあまり虐めてやるのも可哀想か。

 

襟に隙を作ってやる。チサトにとってそれは緋の戦士が脱がせていいという許可に他ならない。パアッと顔に喜色が広がる。

 

「来い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人で眠るには狭いベッドの上で黒髪の美女は緋の狼の肩に頭を預け、重なり合うように眠っていた。

ふと目が醒める。エディ以外の女との情事の後はいつも眠りが浅い。油断出来ないと言った方が正しいか。

 

肩の重さに視線を向ける。この女にしては珍しく、甘えるように身を寄せている。

 

ーーーーいつもこうなら可愛いんだがな……

 

艶やかな黒髪を撫でてやる。身じろぎをしたかと思うと大きな眼を開き、俺を見て微笑んだ。

 

「おはよ……」

 

「悪い、起こしたな」

 

「ううん。起きたくて起きただけ」

 

腰まで伸ばした艶やかな黒髪を掻きあげながら身を起こす。揺れる豊かな乳房と乱れた髪に女の身体の中に残った快楽の甘さによる恍惚とした表情が恐ろしく煽情的だ。

仰向けに寝ていた身体の向きを変えて覆い被さるようにフェイルの逞しい身体の上に抱きついた。

 

「もう少しゴネると思ったよ」

 

「何が」

 

「チェルシーを受け入れるの」

 

「お前が援護射撃したクセに何言ってんだ」

 

呆れたように背中を撫でる。きめ細やかな肌が触っていて心地いい。

ハァっ、と艶かしい息を吐いた。

 

「んっ❤︎……それでも、これ以上厄介ごとはゴメンだと言うと思った。お前は優しいからな」

 

この男の歩く道はいつも危険が伴う。ファンは自分が抱え込んだ厄介ごとだ。彼が守ろうとするのは解るし、その義務がある。だがチェルシーは違う。だからこそこれ以上危険に晒すようなマネはしない筈だ。彼のツテを頼れば市井として平穏な暮らしを与える事くらいは出来ただろう。

 

「治世であればそうしたかもしれんがな」

 

「乱世……か。やはり優しいな。不器用だけど」

 

枕元に置いてある煙管を咥える。フェイルは普段タバコを呑まない。しかし時々吸う。チサトもそれを特には止めない。医者なのだから思うところもあるだろう。しかし依存性になる程底の浅い男ではない事はよく知ってる。己を制御する術を知りすぎる程知っている男だ。

何も言わずチサトが煙管に火をつける。スウと吸い込み甘い匂いと共に煙を吐く。

 

「勘違いするな。今のご時世、市井にだっていつ危険が襲いかかるかわからん。後になって奴がくたばったなんて知ったら寝覚めが悪すぎる」

 

「……………素直じゃないな。そんな所、嫌いじゃないがな」

 

フンと鼻で笑いモクモクと煙管を吸う。この手の状態になった女にはマジで対応するのは愚の骨頂だ。会話を避けるためにもしばらく喫煙に集中しよう。

 

そんな態度が気に食わなかったのか、チサトは急に咥えていた煙管を取り上げる。唐突な行動に緋の狼が精悍な顔に怪訝な色を見せる。

慣れた手つきで煙管をコンと叩き、灰を捨てる。まだ残っていたのに何すんだ、と視線で訴え、返せと手を出す。

 

拗ねたように頬を膨らませ、背中に煙管を隠す。

 

「なんだよ」

 

「私と煙管どっちが大事なんだ」

 

「急になんだよ。面倒クセーこと言うな。返せ」

 

「もう今日はお預け。火も出してやらん。それより宿泊代を払ってもらおう」

 

「もう払っただろう、3発も。いい歳してお盛んだな」

 

チサトはフェイルの部下ではあった。しかし歳だけならチサトの方が上だ。ちなみにエスデスもフェイルの一つ上。

 

「失礼だな、私はまだ二十代だ。それに女はな、歳を取る方が性欲が旺盛になるんだよ。それとも私では不満か?」

 

眉に不快の皺が大きく刻まれる。脳裏には碧い髪の氷の女神が浮かんでいる事だろう。

 

「過去を責められても困るぞ」

 

「責めてない。だが比べられていると思うとやはり怖い」

 

「そんなんじゃねえよ。エディと俺は。あいつとのSEXは生理現象の作業だった」

 

戦闘で昂ったあいつを鎮めるのはいつも俺の役目だった。強烈な自制心のお陰で他の連中には知られていない。あいつのそんな姿を知っているのは俺だけだ。

鎮めるやり方は素手での近接格闘や武器を使った超高速戦闘など手段は様々。その一つがSEXだったというだけだ。

腹が減ったから食事を取る。それ以上の意味は獣の交わりにはない。

 

「じゃあ私とはどうなんだ?」

 

フェイルの傷だらけの胸に手を置き、トンっと押す。不安定な状態で体を起こしていたフェイルは苦もなくベッドに体を沈められた。

フェイルの顔の両サイドに手をつき、覆い被さる。目を情欲の炎を燃やし、豊かな乳房を目の前で揺らした。

 

「ま、作業よりは愛のある行動じゃないか?一夜の愛だが」

 

「では今からは獣の交わりといこうか」

 

「今の俺の口、タバコ臭いと思うぞ」

 

「私は気にせん」

 

「やん、男らしい」

 

貪るようにフェイルの唇を奪う。どうやら今だけは狼が喰らわれる立場らしい。

 

「もう一回……ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




序盤の寸劇はもちろんジブ◯。そして大事な所は見せられないよ!感想や評価があまり無いので不安です。酷評でも低評価でもいいのでよろしくお願いします。


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第八罪 未来を創る牙達と錬磨する者達

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さびれたとある教会周辺。硬質な何かがぶつかり合う音が響く。人の気配はあまりなく、居住地とは言いにくい建物だ。

元教会なだけあり、庭の広さはかなりある。人が派手に喧嘩しても充分な広さだ。

人の影は3つ。一人は長身痩躯。インナーにローブという身軽な装いをしている男。片手に持った木剣で残り2つの影の烈火の如き攻撃を軽くいなしている。

 

残り2つの影の大きさには大きな差がある。一人は男の腰程度の高さしかない少女だ。名前はファン。黒髪にショートのボブカット。黒を中心とした大陸風の着物に金をあしらった服に身を纏った少女だ。あと二、三年もすれば誰もが目を奪われるであろう美少女になるだろう。

 

もう一人は同じ黒髪。しかし背中まで伸ばしたロングを後ろに纏めた麗人。優美な曲線を描いた美女であり、背丈は女性にしては高く、男の肩くらいはある。やや吊り上った目元が勝気な印象を与えてくるが、それでも視線を集める美女だ。服装は見る者が見れば一目で特殊だと分かる物を着ており、お洒落も何も考えていない服装だが、逆にそれが彼女の美しさを際立たせている。

 

二人とも木剣と木槍を握りながら、汗塗れに必死の形相という若い娘がしてはいけない顔をしている。対する男は涼しい顔で木剣を振るっている。

 

カァンと一際大きな音が鳴る。それと同時に二人の少女が吹っ飛ばされた。

 

「90点……1000点満点で」

 

息ひとつ乱さず、木剣を肩に背負いながらズバリと採点を二人の弟子に告げる。採点に対して二人の少女から答えはない。ただ息を荒げ、必死で呼吸を整えている。

 

「悪い方から批評してやるか。30点(ファン)。相手の土俵で戦おうとしすぎだ。俺を相手に速さで挑んでどうする。槍は間合いがあってこそ有効となる武器だ。もっと己と己の武器の持ち味を活かせ」

 

「………っ!………っ!!(答えられない)」

 

「次、60点(タエ)。読みがまだまだ甘い。2手先3手先は読めるようになっているが決め手を読まれるという事に無防備すぎる。確実に本命を当てたいならその直前で相手を崩せ。決めの一撃ってのは威力がある反面最も隙が出来やすい。こちらが読んでいる事を相手も読んでいるという事を念頭に置いて戦え」

 

「ハァ……ハァ…………はい」

 

「アッハハ!二人ともボロカス〜」

 

教会周辺を走りながらチェルシーがケラケラ笑う。彼女にはランニングを命じている。

 

「お前が笑えた義理かチェルシー!お前は点数以前の問題だって事を忘れるな!!」

 

「だぁって私走るしかやらせて貰えてないじゃん!!」

 

「やかましい!!何をやるにしてもなぁ!体力がいるんだ体力が!!」

 

「うぇ〜〜ん、鬼〜〜!!」

 

ぐちぐち言いながらも懸命に走る。どうやら真面目に弟子をやる気はあるらしい。そうこうしている内に大の字になって横たわっている二人が何とか起き上がった。その中でファンの顔には不審が浮かんでいる。

自分の得点の低さは甘んじて受け入れている。が、姉弟子への評価が低すぎる。ファンの目から見た限り、彼女の戦いぶりは自分の倍程度の得点の強さではないはずだ。

 

その思考を読み取ったからか、あるいは元からそのつもりだったのか。師の言葉には続きがあった。

 

「それともう一つ。お前、脳のリミッターを無理矢理解除する技を覚えたな?」

 

「………………はい」

 

人間は身体機能を無意識下で7割程度に抑えている。それを外す方法は幾つかある。そのどれもが並大抵の努力では身につけられない。

 

「その修練と努力には素直に賞賛するが、そんなモンに頼らなければならない戦い方はするな。脳のリミッターってのは人間がハッキリと知らせてくれる数少ない信号なんだ。それを外し、命を切り売りするような戦いはするな」

 

今度は何も答えず俯く。どうやらイマイチ納得していないらしい。目線を合わせる為にかがんでやる。コレはしっかりと教えてやらなければならない事だ。

 

「いいか、己の今の為ではない。己と己の大切な何かの明日の為の戦いをしろ。忘れるな、結局未来の為に生きる意志を持った人間こそが一番強いんだ……俺はそれを身をもって知った」

 

ファンの母の強さを身で知り、そしてその強さでエスデスに勝利した。いざという時、己を奮い立たせてくれるのは未来への希望だ。

 

「強さだけならお前はもう充分強いよ。だがその強さはいつか折れる強さだ。硬いだけじゃない。もっとしなやかな強さを身につけろ。一陣の風となれ。オールベルグの息吹なんだろう、お前は」

 

風は鉄をも貫く硬さを持つ事もあれば包み込むような柔らかさもある。だから風は厄介なのだ。

 

「はい!!」

 

「よし、んじゃ次はファンと乱取りだ。実戦に勝る修業はない。実戦を重ねろ。強化する所は俺が指示して訓練してやる。とりあえずやり合え」

 

『はい!!』

 

強く返事をし、二人が戦い始める。その様子を見ながらフゥと一つ息をついた。

 

「やってるね」

 

ゆらりとまるで何もない所から現れたかのように気配が立ち上る。ババラだ。接近には気づいていた為、特に驚きはしないがコイツに背後に立たれると妙に怖い。恐ろしいとかじゃなくて、振り返ってはいけないモノがいるかのような感覚がする。

 

「何か用かババラ。てゆーかお前らいつまで此処にいるんだよ。仕事は終わったろうが」

 

暇なのかオールベルグは、と少し呆れたように嘆息する。タエコはともかく、ババラとあまり交流したくはないのだろう。元は敵だったのだから無理もない。

 

「次の仕事には随分間があるらしいからねぇ。タエコも此処に滞在したがっているし、丁度良い」

 

「タエはいーんだよ、お前だお前!お前が側にいると息苦しくてしょうがねえ。さっさと帰れ」

 

「で?どうだい?あの三人は」

 

「おーい、聞いてんのか〜。タエは驚く程強くなったよ。アンタに鍛えられてるのが良くわかる。俺に言わせりゃまだまだ隙は多いが流石に筋は良い」

 

「まがりなりにもオールベルグの死神を名乗らせてるんだ。ザコでは困る。新入り二人は?」

 

「ファンはまだまだこれからだ。幸い伸び代はある。二年……いや、一年で一流にしてみせる」

 

「走ってる方は?見込みあるのかい?」

 

「一通り診たけど……ありゃ戦闘向きじゃないな。だが気配の消し方には光るモノがある。暗殺、もしくは情報屋タイプだな」

 

「アンタその手の仕事仕込めるのかい?」

 

「俺に出来ん事などない」

 

ふふん、と自慢げに鼻を鳴らし、胸を張る。他の人間が言えば傲慢極まりない。しかし何故か説得力がある。言葉の裏に実績があるのを知っているからだろうか。"若造が…"と憎々しげに吐き捨てるだけに留まった。

 

「で?」

 

「で、ではわからん。なんだい?」

 

「俺に話があるんだろうが。早く言え。話だけなら聞いてやる。引き受けるかどうかは知らんが」

 

「実は革命軍から依頼が来ている」

 

ホウ、と感心したように息を吐く。オールベルグに感心したのではない。革命軍に感心したのだ。彼女らを雇おうと思えばかなりの金がいる。ロードも今回の件で相当散財したと聞いた。革命軍の動きも段々と本気になってきたという事なのだろう。

 

「まあこちらの提示する額は用意出来てないからまだ正式に引き受けた訳ではないがねぇ」

 

「高いのは承知で依頼してきたはずだ。時間はかかってもいずれ整えるだろうよ」

 

「そこであんたに同行を頼みたーー」

「断る」

 

遮ってキッパリ切り捨てる。こいつらに頼んでくるという事は相当にタフな仕事と容易に予想がつく。それに帝国関係者と事を構えるとなると顔バレしている俺はやりにくい事この上ない。

 

「キツい仕事になるというのはわかっている。だからこそお前に同行してほしい」

 

「知るかテメエでなんとかしろい。お前もプロだろうが」

 

「タエコの命も危険に晒されるかもしれんねぇ」

 

盛大に舌打ちする。流石に老獪だ。フェイルの痛い所をよく知っている。

 

「標的は?」

 

「まだわからん。暗殺用に鍛えられている子供達の部隊とだけ聞いている」

 

「子供……」

 

少年兵というのは世界中どこにでもいる。このご時世だ。売られたガキにはその手の仕事に放り込まれるヤツも少なくない。

それでも……やはり……

 

「私では殺す事しか出来ん。それはタエコも同じさね。だがお前なら……」

 

「買い被るな。俺もお前と同じだ。何も考えず、ただ壊す事しか出来なかった」

 

木剣と木槍で戦う二人を再び見やる。少し余裕があるタエコに対して、ファンはもう必死の形相だ。

 

「救済(それ)が出来るとしたらそれはきっとあの二人のどちらかだろうよ。俺達には出来なかった事をあいつらなら出来るかもしれない」

 

緋の狼が己よりも己の弟子を誇るように笑みを浮かべる。彼にとって、彼女らは自分が生きた唯一の証だ。恐らく自分が賞賛されるよりあの子達が褒められる方が嬉しいのだ。

 

「お前、将来親バカになりそうだねぇ」

 

「ほっとけ」

 

あ、決着ついた。予想通りタエコの勝ち。チェルシーもそろそろ限界っぽい。一度休憩にしてやるか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チサトが調理した料理を食いながらフェイルは新聞を読んでいる。他の三人はもう息も絶え絶えで箸の進みも遅い。食欲などもう遠くの彼方へと消えている。

 

「ちゃんとメシを食えよお前ら。摂食ってのは戦士が果たさなければならない義務だ。早飯早ションは戦士の務めだぞ」

 

「あんだけ走らされて………ご飯なんて食べれないよ」

 

青い顔をしながらパスタにフォークを絡めてボソッと呟く。もし今何か胃に入れれば乙女としてあってはならないことが起こるのは明白だった。ファンも似たような反応である。タエだけは無理矢理詰め込むように食べている。

 

「いいから食え。ゆっくりでいい。吐いてもいいから食え。人間何するにしても食う事から始まるんだ。人ってのは食わなきゃ飢えて死ぬ生き物だ。今の時代このメシが食えなくて死ぬヤツがゴマンといるんだ。頑張れ」

 

「うぇ〜〜い」

 

「………………(こくっ)」

 

「わかった」

 

三者三様に返事を返す。返事に満足したのか、フェイルは新聞へと目を戻した。

 

「比較的平和そうだな、今の帝都は」

 

後ろから声がかかる。料理を終えたチサトが此方へとやって来たのだ。エプロンを解きながらフェイルの背後に立ち、新聞を覗き込んでいる。

 

「今の帝都は病気でいう潜伏期間だ。小康状態とも言うかな。病魔に侵されてはいるがそう簡単に毒は全身には回らんさ」

 

「もう少し早く決壊するかと思っていたが……中々しぶといな。帝国という堰は」

 

「当たり前だ。普請に千年かかっている」

 

そう、今は雌伏の時なのだ。帝国にとっても、革命軍にとっても。

 

いずれ堰き止められていたダムは決壊し、国は大いに荒れるだろう。今はその為の力を蓄える時。

ファンにタエコ、そしてチェルシー。彼女ら程タイプの違う逸材が俺の元に一同に介した事が偶然とは思えない。恐らく他にも在野に散っているまだ見ぬ強者達が今は牙を研いでいる事だろう。次世代を担う者たちとして。

 

ーーーーエディの元にもきっと……

 

未来を担う者たちが集っていると何の根拠もないが確信していた。

視線を己の三人の弟子に向ける。

 

ーーーー死なせたりするものか……

 

さあ、どうするエディ。この十年に一度の逸材三人を相手にお前の弟子はどう戦う。お前はかつて言ったな?どこかに自分を熱くさせてくれる敵はいないものか、と。なら俺は熱くなったお前を止める人間を見たい。俺(化物)じゃない。人間を相手にしてだ。きっと俺がお前にトドメを刺せなかったのは必然だった。

 

未来を創るのも、過去を終わらせるのも、俺たちのような化け物を殺すのもきっと人間であるべきだと思うから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーヴァル?

 

太陽が煌めく空を見上げる。鼓膜が震えたわけではない。それでも愛しい声が聞こえた気がした。

 

ーーーー懐かしいな…

 

離れ離れになってそれ程時間が経ったわけではない。共にいた時間と比較すればそれこそ瞬き程の時すらも経っていないだろう。

それでも氷の女神にとっては今までの人生と匹敵するほど長い時間と感じていた。

 

「エスデス様?」

 

己の新しい副官が怪訝な顔で此方を見やる。大臣の策略により牢獄に繋がれていた壮年の元将軍、名はリヴァ。ヴァリウス程ではないが武人としても指揮官としても一流の将だ。

 

「どうかしたんですかぁ」

 

小柄な少年が気の抜けた顔つきで問いかける。その顔立ちは整っていてかつ中性的。パッと見少女に見えなくもない美少年だ。

 

「ん?なんかあったんですかい?」

 

上官の変化にまるで気づいていなかった最後の一人。身長二mはあろうかという大男。

彼の名はダイダラ。一度エスデスに叩きのめされた最強を目指す男だ。

 

この三人がヴァリウスの後釜を務めている。ヴァリウスが抜けた穴を何とか三人で埋めている。一人一人が並を超える戦士であるが、それでも炎狼の抜けた穴は埋まりきっていない。

勿論教育はしている。しかし人とは一朝一夕では育たない。育てるという事の大変さを改めて思い知っている。

 

ーーーーあいつには当分頭が上がらんな。

 

部隊の教育もほぼ炎狼に一任していた。人一人を育てるだけでも大変なのに、あの男は何百人という人間の訓練をこなし、練度を高めていた。最強と呼ばれる攻撃力を育てたのは彼と言っても過言ではない。

 

苦笑しながら首を振る。その姿に三人とも仰天する。この三人にとっての女神が笑う時はいつも嗜虐的な笑みだ。それが今は何かを慈しむように笑った。驚いても無理はない。

 

ーーーーヴァル……どうやら私達は思ったより繋がっているらしいな

 

きっと彼が自分の事を考えてくれたのだ。何の根拠もないが確信していた。私達はまだ繋がっている。心も…体も……そして僅かだが血も。

 

ーーーーきっとまた会える。その機会が来たら決して逃しはしない。楽しみにしているぞ、なあ?愛しのヴァリー

 

子供の頃に呼んでいた名を心の中で呼ぶ。女の子みたいだからやめて、と可愛らしく嫌がっていた事は昨日の事のように覚えている。再会した時には絶対この名で呼んでやろうと誓いながら。




*俺たちのような化け物を殺すのもきっと人間であるべきだと思うから……
ヘルシングさん的発想。フェイルも最も怖い生き物は人間だと思ってます

次回は少し時間が経った後の舞台となります。誰を死なせて誰を助けるかは考え中です。それではコメント、評価、よろしくお願いします。


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第九罪 誇り高き小狼として

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの惨劇の夜から3年の時が経った。ババラは依頼が正式に申し込まれるまで拠点に戻る事にし、この地を去った。しかしタエコだけはフェイルの元に留まり、修行する事を決断した。ババラも仕事が入れば直ちに戻る事を条件にそれを了承した。

 

二人の弟子を武で鍛え、一人の弟子には隠密機動を叩き込む。三人の弟子を育て上げる傍ら、フェイル自身も医師であるチサトから医術を学んでいた。怪我の絶えない修行の日々にいちいちチサトを煩わせるわけにはいかない。フェイル自身が医術を身につける必要があった。三年の研鑽の結果、今や緋の狼はヘタな医者よりよほどいい腕となっている。

フェイルにとっては寝る間もないほど忙しい日々であるが、同時に比較的平和な毎日を五人は過ごしていた。

 

今日もまた三人の狼見習いは修行をしている。ファンとタエコが素手で乱取りをする傍ら、チェルシーは化粧道具を構え、フェイルの前に立っている。

 

「行きます!」

 

一瞬で全く別人へと変身する。まるで超能力だ。

 

「木」

 

フェイルの呟きに反応し、一瞬で木に変身する。変身自在ガイアファンデーション。その武具の力は変身対象を人間のみに縛らない。使用者の能力次第でどんな姿にも変われるのだ。

 

「鳥、花、猫、俺」

 

次々に違う姿へと変身していく。変身の間もほぼない。一秒に満たない時間で変貌していく。

 

「霧」

 

初めて変身が止まる。何とかしようと化粧道具を必死に操るが変わらない。

 

「あ〜〜〜っ!!やっぱ気体は無理ぃいーーー!!」

 

変身を解いて元の姿に戻り、大の字に寝そべる。草の匂いと堅い感触がチェルシーを迎えた。

 

「バカ野郎、テメエで限界を決めるなと何度言ったら分かる!固体オンリーなんて制約はガイアファンデーションにはねえんだから理論上可能なはずだ。今すぐ出来ろとは言わねえが出来ないなんて口にするな!俺の弟子に諦める奴はいらねえぞ!」

 

「鬼いぃぃ…」

 

「鬼なものか。いいか、生き物や個体だったら咄嗟に化けた時、そこにあるのが不自然な物に化けてしまう可能性がある。そうなっては帝具の存在を知ってる奴ならバレかねん」

 

俯いて黙り込む。彼が為にならない修行をやらせる筈がない事はこの三年でよく知っている。修行の時は鬼より厳しいが、誰より弟子想いの師だ。

 

「その帝具の能力は使いようによっては確かに脅威だ。ヘタをすると俺のバーナーナイフより。しかしバレたらお前は終わりだ。最低限の事は叩き込んだが、タエコクラスの手練れを正面から相手にしなければならない状況になったらもうどうしようもない。だが気体に化けられるようになってみろ。安全性は跳ね上がる。お前の安全の為にも努力は続けろ。いいな」

 

「は〜〜い」

 

「はいは伸ばさない」

 

ーーーーま、変身速度は良くなったけどな。

 

最初は化けるのに10秒近く掛かっていた。実戦に置いて10秒の隙は10回は殺せる隙だ。初めて見た時、遅い上にドヤ顔してくるチェルシーに迷わずゲンコツを落としたものだ。

気配の消し方も磨き上げた。今はもう実戦で充分に使える戦力となってる。

 

素手で乱取りしている黒髪コンビに目を向ける。三年で大きく成長したバン族の少女は艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、身長もチェルシーと同程度の高さまで伸びた。

 

三年前にはかなりあった実力差も随分と縮まった。調子次第でタエコとなら10本やれば4本は取れる程になっている。

それでも今回はタエコの勝ちのようだ。ファンが突きにいった腕をタエコが絡め取り、組み伏した。

 

「そこまで」

 

「………………負けました」

 

差し出されたタエコの手を取り、立ち上がる。ファンの身体に付いた土埃を姉弟子が払ってやる。

 

「やっぱりまだ敵わないなぁ」

 

「気にすることない。貴方は凄く強くなってる。たった三年で驚くほど」

 

「甘やかすな、言ってやれ言ってやれ。妹弟子とは違うのだよ、妹弟子とは!と」

 

カカカと上機嫌に犬歯を見せて狼が笑う。二人とも一日一日で成長が見て取れる。師としてこれ程痛快な事はない。

 

「お師様、私に冷たくないですか」

 

「てゆーかお前が甘いんだ。いくら俺の教えを直接受けているとはいえ、タエはお前より遥かに長い時間を鍛錬と実戦に費やしてきたんだ。ましてや相手はお前の姉弟子だ。そう簡単に超えられると思うな」

 

一瞬でシュンとなる。垂れた耳が見えるようで可愛い。苛めたくなる。

 

「でもまぁタエコと無手で百手以上持つようになったのは悪くない。お前もしっかりと成長してるよ。心配するな」

 

パアッと華が咲く笑顔を見せる。相当嬉しかったのだろう。うーむ、わかりやすい上にチョロい。この辺はなんとかせねばならんな。

 

「てゆーかなんで素手の特訓なんてやってんの?武器使いでしょ?二人とも」

 

戦闘に置いては並に毛が生えた程度のチェルシーが首をかしげる。素手の特訓なんてしてる暇があるなら武器の特訓すればいいのにという事だろう。事実チェルシーにはナイフ術しか教えてない。

 

「いくら武器使いだろうと資本は身体だ。体術を鍛えといて損はない。それに武っていうのは一芸を極めたら他のも何となく身についてんだよ。似た動きも多いし」

 

槍の技でもそのまま無手で使える技もあるし、剣の技でも手刀で使える技もある。

 

「一つの技を覚えるには多くの動きを覚える必要がある。そうしてる内に気づかない間に色んな事を学んでる。それが極めるということだ。それにあってはならないが武器を失う事もある。別に武器が武人の魂だとか変な事を言う気はない。所詮武器ってのは消耗品だ。帝具だろうと例外じゃない。俺のコイツもいずれ壊れるだろう」

 

ポンポンとバーナーナイフの柄を叩く。並の剣より遥かに頑丈だがどれ程優れていようと物である以上、いつかは壊れる。

 

「その時剣が手にないからもう戦えないじゃすまんだろう。そんな状態で弟子を戦場にやるのは師の怠慢だ。どんな状況でも諦めるなとは言ったけど負け戦をしろとは言ってない。ヤバくなったら逃げていい。絶対諦めちゃいけねえのが生きる事。それを忘れず、どんな状況でも戦える自信がある戦士こそが強いんだ」

 

思わず聞き惚れる。この男は普段鬼のくせに時々優しいから始末に負えない。

 

フェイルが不意に空を見上げる。敵意のようなものはない。何となく気になった。すると山間から一匹の鳥が飛んでくる。

 

ーーーーなんだ?

 

バサバサと羽を広げ急ブレーキをかけて俺の上で旋回し始める。腕を上げてやると手首のあたりに止まってきた。

 

「何〜?先生鳥にもモテるの?」

 

「いや、どっちかっていうと動物には嫌われてる」

 

エディはそうでもないのになぁ〜とボヤきながら降り立ってきた鳥を確認する。

種類はマーグファルコン。非常に知性が高く、訓練された奴なら通信役にもなる危険種だ。案の定足首に手紙が括り付けられている。

 

「手紙ですか?」

 

「ババラから?」

 

「らしいな」

 

内容は革命軍からの依頼が正式なものとなった事とタエコの返却。そして俺とファンとチェルシーへの同行の依頼。

 

「ようやく来たな」

 

「依頼ですか?」

 

「て事は実戦?よーっし!待ってました!!」

 

「思ったより時間が掛かった」

 

「コレは革命軍が金を用意出来なかったというより、標的が動かなかったんだろう。彼らもこの三年、もしくはもっと長い間修行していた筈だ」

 

読み終えた手紙を畳むと同時に手から落とす。カチャンと腰の剣の鍔を鳴らすと一瞬で燃え散った。

 

「おお〜〜。お見事」

 

紙一枚を燃やすのに丁度いい調節された火力にチェルシーがぱちぱちと拍手を贈る。コレが意外と難しい事を茶髪の少女は知っている。

 

「今すぐ移動?」

 

「いや、装備を整えたらババラが迎えに来るそうだ」

 

今回の仕事場所はラクロウらしい。此処からの方が確かに近い。

 

「よし、お前ら!最後にランニングだ!俺も走るから付いて来いよ!」

 

「「はい!」」

 

「え〜〜!!また走るの〜〜!もう実戦なんだから疲れ残すような事はやめようよ先生」

 

「バカ野郎、実戦を控えているからこそ身体を慣らしておくんだろうが。走れない戦士に勝利はないぞ。憶えておけ」

 

「はいはい」

 

「はいは一回。それが終わったら一度家に戻るぞ。ファン。お前に武器(オモチャ)を買ってやる」

 

「私の武器ですか?既にお師様から貰った槍がありますが」

 

「アレはテキトーにかっぱらった槍だ。アレで実戦は心許ない。俺が依頼した鍛冶屋に鍛えて貰った槍がそろそろ出来る頃だ」

 

くいくいと袖口を引っ張られる。引力の先にいたのは物欲しそうな顔をした二匹の狼見習い。この3年間、この子達はみんな分けへだてなく育てた。もちろん鍛錬の内容はそれぞれで違った事もあるけれど、厳しさも密度も皆同じで特別扱いをした事は一度もない。それが今回、初めて崩れた。しかも緋髪の男からのプレゼント。羨ましく思うのも無理はないだろう。

 

「先生!私には?プレゼント無いんですか?」

 

「お前にはコレだ」

 

ヒョイと投げてやったのは俺が狩人時代から愛用している短剣。刃紋は実用特化。斬れ味は抜群。怜悧な美しさを持った白銀の光沢を持つナイフだ。危険種、ダイアウルフの牙を素材として作られている。

 

「俺のナイフだがもう俺には必要ない。お前にやる」

 

「やった!ありがとう!」

 

「ヴァリウス、私には?」

 

「お前の剣は充分業物だ。それ以上の剣はそうそう無いぞ」

 

分かっているけど納得してないという顔で俺を睨む。確かに他2人の弟子にはプレゼントしているのに最も古参の弟子の自分に何もなしというのは少し理不尽かもしれない。

 

「まあ鍛冶屋に付いてくるのは好きにすりゃいい。そん時気に入ったモノがあれば買ってやろう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

ペコッとポニーテールが舞うほど勢いよく頭を下げる。うむ、と一つ頷き、四人揃って最後のランニングを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町外れのとある商業地区。もう此処までくると帝都に近い。腕の良い職人は基本的に金に任せて帝国にヘッドハンティングされる。しかしごく稀に腕とプライドを持ち合わせた職人が帝国から離れて暮らしている。今から行く店はそんな職人がやっている店の一つ。軍人時代、個人的に関わりがあった。

 

「一応言っておく。お前ら、覚悟しとけよ」

 

店の戸をノックする前に一応三人の弟子に忠告する。三人揃って小首を傾げる姿がなんか面白い。

 

一呼吸してから戸を叩く。しばらく待ったが返事はない。気は進まないけど名前を呼ぶ事にしよう。

 

「アレックス。俺だ。起きているか?」

 

どさっと大きな音がした後、少し地面が揺れるほど重くどっしりとした足音が聞こえてくる。どうやら来客に警戒してたらしい。

 

鍵が外れた音がし、勢いよく扉が開け放たれる。

覚悟しておけ、という言葉の意味の一端を三人の弟子は理解する。

フェイルも体格に恵まれている方だ。筋肉のつき方はもちろん、上背も並じゃない。180センチ以上はあるだろう。

だがそんなフェイルが華奢に見える程現れた男は大柄。腕は縄が盛り上がったような筋肉の塊。胸板など岩のようでまるで大きな山を連想させる男だ。

金のヒゲにキューピーのような髪型がなお威圧感を与える。

 

「よ、ようアレックス。お姉さん元気ーーー」

「ヴァリウス殿ぉおおお!!」

 

「だぁああああ!!ヤメろヤメろ!そういう事しに来たんじゃねえんだよ!!旧交はこないだ温めただろうが!!」

 

烈火の勢いで抱きついてくる筋骨隆々の大男を必死で食い止める。あの勢いで抱きつかれたら心から尊敬する師でも無事では済まない事は容易に想像がつく。

 

「あ、あのー先生……その筋肉モリモリのおじ様は?」

 

「彼はアレックス・アームストロング。武門のっ……名門貴族っ……アームストロング公の子息でっ……凄腕の錬金術士だっ」

 

「錬金術士?」

 

「未知の金属とかっ、謎の液体とかっ、その手の帝具の元になったって言われるっ、特殊な素材を扱うっ……職人をそう呼ぶっ………事実っ、帝具を作った人間のほとんどはっ……そういう特殊な技術を持ってたっ……らしいっ!!」

 

なんとか組み伏せる。力比べは一応フェイルの勝ち。様子から察するに結構辛勝だったみたいだ。

 

「ハァ………相変わらずの馬鹿力だな。腕痛い」

 

手首をぷらぷら振る。本当に痛そうだ。

 

「流石はヴァリウス殿。我が全霊の筋肉を持っての抱擁でしたが、かわされましたか。ところでこの少女達は?」

 

「話しただろう、俺の弟子だ」

 

「………………まさか依頼されていた槍を扱うのはヴァリウス殿ではなく……」

 

「こいつだ。名はファン。バン族の出身だ」

 

「バン族っ!?」

 

驚きに目を見開く。この男はバン族討伐の一件は知っている。驚くのも無理はない。

 

「貴方は地獄を見た少女に再び地獄を見せるおつもりですか!!」

 

「この子が望んだ事だ」

 

「いかんぞ少女よ!せっかくヴァリウス殿が血生臭い世界から救いだしたのだ。再び戦火に戻るようなマネはしてはいかん!復讐は愚か者の選択だ!何も生まんぞ!!」

 

ヴァリウスに何を言っても無駄だと判断したのか、ファンの肩を掴んで説得する。あまりの剣幕と迫力に黒髪の少女は少したじろぐ。それでもしっかりと目を見て言葉を返した。

 

「私は復讐なんて望んでません。私はただ守る力が欲しい。今度こそ、どんな理不尽がやってきても大切な人を守れる力があればそれでいいんです。ですから……私に守る力をください」

 

頭を下げる。その真摯な言葉にアレックスは目尻に涙を貯める。相変わらず激情家だ。善人の証拠だけど、軍人には向いてない。

ファンがただ復讐に生きるだけの女だったなら、俺は弟子には取らなかった。こいつの望みは最初から今まで変わってない。守る為に強くなりたいと望んだ。復讐を望まず、未来の大切な誰かを守る力を望む。どれほどの心の強さが必要だっただろう。帝国最強、常勝不敗などと彼も散々言われてきた。しかしこの3年間、三匹の狼見習いに負けっぱなしの毎日を送っている。それが悔しくもあり、嬉しくもある。

 

「………………御用意した槍をお持ちいたします。しばらく待っていてください」

 

店の奥へと引っ込んでいく。姿が見えなくなってようやく全員がホッと息を吐いた。

 

「予想以上でしたね……」

 

「悪い人ではないのはわかるけど」

 

「暑苦しいね……」

 

ファン、タエコ、チェルシーの順で感想を述べる。庇ってやりたいが概ね事実である為庇えない。苦笑を返すのが精一杯だ。

 

「まあ、そう言うな。いい奴なのは間違いない。例えばお前ら、俺が何の前触れもなくお前らに紅茶の差し入れとかしたら飲むか?」

「飲むわけないじゃん!」「絶対飲まないでしょうね」「飲まない」

 

三人がほぼ同時に即答する。この三年間を思い返したのか、チェルシーは頭を抱えながらエビ反りし、ファンとタエコは少し顔が蒼くなっている。

 

「この三年でどれだけその手の嫌がらせをされた事か……!」

 

「あの手この手で地面をのたうちまわらされましたね」

 

辛いを超越した痛い飲み物や少し触れただけで針が飛び出る仕掛け、崩れる椅子や燃え盛るマッチなどなど、暇を持て余してフェイルが作ったイタズラグッズに彼らは三年の間、それはもうフェイルを笑わせてくれたのだ。

 

「コッチが必死で苦しんでるのに当人はゲラゲラ腹抱えて笑うだけだし……」

 

「確かにこちらに被害がなければ面白いのは否定できませんけど」

 

「やられたら最悪だよね」

 

「欲しかった答えではあるけど、君たち息揃い過ぎね」

 

打ち合わせでもしたかのようにぴったりと揃った返答に苦笑を浮かべる。自業自得だから仕方ないとはわかっている。

 

「だけどアレックスは何度騙されても飲むぞ。てゆーか飲ませても平然としてるから単に効いてないだけかもしれんが、それでも凄いだろ?友人を疑うという事をしない」

 

「そこまで行くと馬鹿なんじゃないの」

 

「信頼しているのでしょう。お師様を」

 

「両方正解だろう。それに見ろ、此処に並んでる武器の数々を」

 

「確かに、見た事ない武器がいっぱい……」

 

店内に飾られている様々な武器に皆目を奪われる。刃の先が三日月のようになっている剣や三又に別れた奇怪な形状の槍。やたら細身の片刃の剣など普段お目にかかる事のできない武器がズラリと並んでいた。

 

「この剣とか扱いにくそ〜。先生はコレ使える?」

 

「扱ったことないからわかんねえな。どうやって使うんだコレ」

 

ククリナイフと書かれた剣を手に取る。剣と呼ぶには余りに斬りにくそうな形状だ。剣に限らず、様々な武器を扱ってきたフェイルでもコレを武具に戦場に出るのは難しい。

 

「ヴァリウス殿、お持ちいたしました。ご注文の品です」

 

店の奥から布に包まれた細長い棒を持ってアレックスが現れる。パッと見は槍に見える。しかしこれ程の珍品が並ぶ店でただの槍が出てくるとは思えない。

 

「安心しろ、コレをデザインしたのは俺だ。そんなとんでもねえ品でないのは保証するよ」

 

布を解き、その武具の全てを露わにする。

 

「コレは……」

 

長さは約2.0メートル。作りは鋼鉄。槍の穂先に斧、その反対側に突起が取り付けられている長柄の武器。槍に似ているがどう見ても槍ではない。

 

「俺が考案した新しい槍だ。こいつは突くだけでなく、斬る、引っかける、叩き斬るといったおよそ武器が持つ全ての性能を一つにした槍だ」

 

持ってみろ、とファンに手渡す。手を離すとその重さに思わず取り落としそうになった。華奢な少女には余りに似合わない重厚感ある武器だ。

 

「用途の広さは他の武器を圧倒する。その代わり重い。多芸だからそれぞれの性能の武器を器用に使いこなし、使い分ける適切な判断と迅速な対応、そして技術が必要な武器だ。扱いの難しさは槍の比ではない」

 

「でも使いこなせれば……」

 

タエコの騒然とした呟きに緋の狼はニヤリと得意げな笑みを浮かべる。使いこなせればどんな武器より脅威となる。戦いの幅も圧倒的に広がる。

 

「こ、こんな凄い武器……私に」

 

「お前まだまだヘッタクソだからな〜。ザコの内は武器の強さに助けてもらいな」

 

「で、でも以前お師様はおっしゃったじゃないですか。ヘタクソの内に強力な武器を持つのは勧めないって。私なんて……」

 

「そうだな。武器の強さを己の強さと勘違いし、力に溺れて自分を見失い、鍛える事を怠った最強を俺は1人知っている」

 

人の領域で極限まで強くなったかつて俺が尊敬したあの男。名はブドー。元祖帝国最強。

しかし、その男も帝具を手に入れ、変わった。武器の強さのおかげで彼自身が弱くなってしまった。

 

「だがお前はそうはならんだろう」

 

「どうして……?」

 

「お前は俺の弟子だからだ」

 

この男には珍しい、穏やかな声音での答え。耳元で囁かれた優しい声に思わず顔を真っ赤にして俯く。目頭が熱くなるのがわかる。どうしようもなく恥ずかしく、そして嬉しい。

 

「大事なのはテメエを鍛え続ける事。実力を維持するのではない、進化し続けろ。下を見て安心するな、上を見て悩みながら生きろ。のたうち回ってジタバタしろ。苦しみ、足掻け。その積み重ねがいつかお前を強くする」

 

ーーーだから持ってけ

 

ポンと頭に手をやり、そのまま撫でてやる。弟子の艶やかな黒髪を愛おしげに。

 

「強くなれ、ファン。いずれ俺より」

 

「……ありがとう……ございます」

 

感情の雫が地面を濡らす。アレックスも泣いてたけど暑苦しいから見たくない。

 

「……………たま〜〜にこういう事するから手に負えないよね〜〜。我らのお師様は」

 

「?手に負えるとか思った事あるの?チェルシーは」

 

「無いよ、初めて会った時から一瞬たりとも」

 

でも面白くない、飴を噛み砕く。タエコは相変わらず無表情だけど内心では不満が燻っているのがわかる。かつて自分も言われた言葉だ。彼女の大事な宝物の一つ。それを独占したいと思うのは人として当然だ。

 

「あの、お師様。この武器の名前は?」

 

「ああ、まだ決めてなかったな。どうしようか」

 

「ヴァリウス殿、我輩に一案が。エクセレントANDエレガント「却下。アレックスもう喋るな。そこで腕立て伏せでもしてろ」

 

腕を組みながら思案を巡らせる。新たに作った武器だから確かに銘は無い。しかし炎狼の弟子の武器が無銘というのは許しがたい。

 

「クラム……」

 

「は?」

 

「よし、そいつの銘はクラムだ。今決めた」

 

「クラム?なんか可愛い響きね」

 

武器らしからぬ名前にチェルシーが小首を傾げる。タエコも名前の意味がわからないという顔をしている。意味を理解していたのは本当に腕立て伏せをしているアレックスだけだった。

 

「クラム(ガラクタ)とは……また皮肉な」

 

異国の言葉でガラクタを意味する言葉。新しい武器だ。扱える人間は今の所1人もいない。確かに一般的な武人から見ればまさにクラム、ガラクタだ。

 

「そいつをガラクタにするか、それとも掘り出し物にするかはお前次第だ。練磨を忘れるなよ、小狼(シャオロン)」

 

「はい!!」

 

こうして戦場に向けて、小さな狼達の牙が揃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。オリキャラ登場。というかまんま豪腕の錬金術士の少佐ですけどね。オリヴィエは出せるかどうか微妙です。エスデスとキャラかぶる点も多いですし。詳しい展開はまた後日。それでは感想、評価、よろしくお願いします


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第十罪 感謝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しイライラしながら店のドアに背を預ける。クラムの料金を払うと、ファンの体格に合わせるための微調整をするとの事で少し時間が出来た為、アレックスの店を出た後、タエの買い物に付き合わされる事になった。

目的は単なる買い物。ファンにクラムを贈ってやり、チェルシーにはナイフを贈った。自分だけ何もない事にヘソを曲げたタエコに何か買ってやる約束をしてやったのだ。

アレックスの店はほぼ武器専門であった為、雑貨類は置いていない。アクセサリーが幾つかあったけどゴテゴテしていてはっきり言って趣味が悪い品ばかりだった。

ロープやスリングが欲しかった俺はしばらく商業地区を歩く事にし、その間にタエコに買ってほしい物を決めろと言い置いた。旅の雑貨を揃え、とある物を購入し、あらかじめ決めておいた集合場所でタエコ達を待った。が、一向に来ない。

痺れを切らしたフェイルは探しに出る。女三人揃うと姦しいというのはよく言った物で騒がしい女の集団は目立っていた為すぐに見つかった。驚いた事に普段口数の少ないファンやタエコまで頬を紅潮させ、アクセサリーを見ている。

 

声を掛けようかとも思ったが、珍しい楽しそうな彼女らの表情に自然と心が暖かくなり、もう少し待ってやる事にした。

 

………………そんな優しさを見せたのが間違いだった。

 

軽く半刻は経ったがまだ決まらない。エディの買い物はそこまで長くなかった。戦闘以外に興味が低かったからか、それとも同行している俺が素っ気なかったからか、今となっては真実はわからない。見積もりが甘かったのは否定できない。我慢していたが遂に声をかける。

 

「タエ、まだ決まらないのか」

 

「ッ……師父。いつからそこに?」

 

俺の気配に気づかなかった事に驚いたのだろう。この女にしては珍しく動揺を表情に見せて狼狽える。

いつまでもヴァリウスと呼ばせるわけにはいかないのでほかの呼び方をしろと命令したところ、師父に落ち着いた。響きは悪くないので気に入っている。

 

「半刻程前だ。いい加減戻らねえとババラと入れ違いになる。まだ決められねえってんなら俺が決めるぞ」

 

「はい!是非お願いします!」

 

ガバッと俺の手を掴んで見上げてくる。なんだ、こんな事ならサッサと声かければ良かった。

 

「え〜〜!タエコずる〜!」

 

「………………抜けがけ」

 

「違う、機を見るに敏と言って欲しい」

 

「お前らにはもう買ってやっただろう。また今度だ今度」

 

雑貨屋に入り、アクセサリーを見る。イヤリングやペンダントなど色々あるがどれも戦闘で邪魔になりそうだ。食指が動く品はあまりない。

 

ーーーーん?

 

紅い石があしらわれている鉄の棒が目に入る。簡素だが美しい。何かよくわからないので手に取った。

 

「コレは……カンザシ?聞いた事ない名前だな」

 

「師父。それは東方の髪留めだよ」

 

「ほう、お前の故郷の品か。誰に聞いた?」

 

捨て子だったタエコにはアクセサリーの知識など皆無だったはずだ。ババラが教えたとも思えん。もちろん俺も教えてない。

 

「チサトが前に教えてくれた。女が付けるアクセサリーだって」

 

なるほど納得した。改めてカンザシを見てみる。

紅い石は何かの華を模している物らしい。髪留めならば戦闘にも邪魔にはなるまい。

 

店主に渡し購入する。値切って銅貨2枚で済ませた。半泣きだったが構う事はない。この手の雑貨屋は値切ってナンボだ。

 

「ホラ、大事に使えよ」

 

手渡したが、受け取らない。訝しげにタエコを見ると縛っていた髪を下ろし、俺に背を向けた。

 

「畏れ多いけど……師父が縛ってくれないか?」

 

「構わんがお前、色気づいたな」

 

苦笑しつつ長い黒髪をかきあげ、纏めてやる。その時何度かうなじに手が触れる。頬を染めて"んっ”と悩ましげな声をあげる姿が色っぽい。

そのまま慣れた手つきで髪を編み込み、カンザシを差す。カンザシを使って髪を作ったのは初だけど、女の髪の手入れをしてやった事はガキの頃含め、数え切れないほどある。エディやチサトなど俺が抱く女にはなぜかロングが多い。まあどちらかというと俺の好みがロングなのもあるのだろう。一夜を過ごした後、乱れた髪を手入れしてやるのはいつも俺の役目だった。

 

「よし、こんなモンだろ」

 

セットした髪が崩れないように軽く頭をはたく。タエコがサッと俺に向き直る。

思わずほう、と息を吐いた。

濡羽色に僅かに見える銀と紅がよく映える。アップに纏めた髪も良く合っている。首から上だけ見ればまるで高貴な身分の御姫様(おひいさま)のようだ。髪一つで女は化けるな、と改めて実感した。

 

「いいじゃないか。綺麗だぞ。黒には銀と緋がよく似合う」

 

「ありがとう、師父」

 

頬を紅らめ、俯く愛弟子が可愛い。頭を撫でてやると腰のあたりに衝撃が来る。目の端に茶色が翳ったのは気づいていた。

 

「先生!次は私もだからね!私リボン欲しいな〜〜!」

 

「………いいなぁ」

 

ファンはタエコを羨むというより、俺に抱きつくチェルシーに向けて羨望の瞳を向ける。ファンはここまで素直に自分の気持ちを表す事が出来ない。良くも悪くもファンは奥ゆかしい。欲が無いと言った方がいいだろうか?

 

ーーーーチェルシーくらいにはあってもいいんだけどな。

 

無能の欲深ほど面倒な物もないが有能の無欲もまた厄介だ。対価を求めない人間は二心を疑われる。欲は人生の薬味のような物なのだ。多すぎると食えた物ではないが、適量であれば人生(料理)を素晴らしく味付ける。

 

「戻るか……」

 

買った雑貨を纏めて、背中に背負う。抱きついていたチェルシーを引っぺがし、ファンへと視線をやる。

 

「………………ファンちゃん、何してんのチミ」

 

少し目を離した隙に屋台へとへばりついていた。先程まで無かったからどうやら移動型の食い物屋らしい。塩水で冷やした鉄鍋の中で生クリームに牛乳と砂糖を混ぜて作った氷菓子を販売している。店の名は甘えん坊というようだ。筆で書かれたと思われる暖簾が掛かっている。

 

「い、いえ別に!初めて見る食べ物だなぁと思っただけで!」

 

「なにそれ!おいしそう!」

 

「見た事ない……」

 

吊られて2人の弟子も屋台に物欲しげな顔つきでへばりつく。瑞々しい輝きを放つ白い氷菓子に女三人は夢中になっていた。

 

「お前ら……みっともないからやめてくんない!俺がちゃんと食わせてないみてえじゃねえか!」

 

食欲がなかろうと腹一杯まで食わせてやっているというのに本当に失礼な連中だ。深夜の危険種の狩りの苦労を小一時間説明してやろうか。

 

「先生のご飯って肉とか魚とか小麦ばっかじゃん。こういうのは食べさせてもらってないよね〜」

 

ビキッと音が鳴るほどフェイルに青筋が立ち、ゴィンとチェルシーにゲンコツの音が鳴る。確かにフェイルの料理は美味なのだがガッツリ系ばかりではある。女子としては不満なのも分かる。

しかし四人分の食い扶持を一人で稼ぎ、料理を作っているフェイルに対してこの態度は殴ってしまっていいだろう。

 

「はぁあーーーっ!はぁあーーーっ!」

 

相当痛かったらしい。膨れ上がったタンコブを抱えて地面をゴロゴロ回っている。

 

「ハァ……オヤジ、それくれ。3つ」

 

「はいよ」

 

銅貨を三枚渡し、円錐型コーンに詰められた氷菓子を手早く3つ作る。手つきは慣れたもので瞬く間に出来上がった。

 

「ほらよ、溶ける前に食っちまいな。その代わり、今日の昼飯はそれだぜ、いいな?」

 

「はい、いただきます」

 

「師父、ありがとうございます」

 

「せ、先生……私にも……」

 

横たわりながらも腕を必死に伸ばし、氷菓子を受け取ろうとする。地面に叩きつけてやろうかとも考えたが、食い物を粗末にする訳にはいかない。クリームの先を俺が舐める。

 

「あーーーーっ!!」

 

「………………ほう、コレは珍味」

 

エディとの付き合いで甘味は何度か口にしているけれど、こんなに冷たく、甘い菓子は初めて食べた。帝都で売れば、コレはスイーツ界で革命を起こすかもしれない。

 

2人の弟子も同じ感想に至っているらしい。基本無表情のこいつらが目を丸くし、しげしげと白い氷菓子を見つめている。

 

「どうだ、美味いか?」

 

「………………驚嘆に値する。今まで生き残ってて良かった」

 

「そこまでか……」

 

「先生!もいっこ買って!私の分!」

 

「お前はコレだ」

 

ぐわしと親指と人指し指でチェルシーの顎を掴み無理やり口を開ける。そしてそのまま残った氷菓子を丸々一気に放り込んでやった。

放してやると暫く咀嚼し、額を抑える。冷たさが頭に来たんだろう。アレは痛い。

 

「どうだ美味いか?」

 

「つへはふてあひなんてわはんないはほ(冷たくて味なんてわかんないわよ)!!」

 

「悪い、何言ってるかわかんねえ」

 

唇を真っ青にしてフェイルに噛みつくチェルシーを焔の狼はケラケラ笑い、2人の黒髪の乙女もクスクス忍び笑いを漏らす。フェイルにイジメられる率が高いのはダントツでチェルシーだった。

 

「ほら。本当にもう戻るぞ。時間切れだ」

 

「はい」

 

「覚えておいてくださいよ先生!帰ったら絶対この埋め合わせしてもらいますからね!!」

 

「ん?リアクション芸人は熱湯じゃないと成り立たない?ああ、悪かったな。次はアッツアツのコーヒーをストローで飲ませてやろう」

 

「絶対やりませんからね!!このドS師匠ーーー!!」

 

背中から愛弟子の怒りと楽しさが混ざった叫びが聞こえる。タエコは俺に対してよくそんな事が言えるなぁと感心し、ファンは苦笑をもらしている。

そして気がつくと俺も笑っていた。挑戦的な笑みでも、嗜虐的な笑みでもない。心から愉快と感じての笑顔だった。

 

ーーーーそんな笑い方なんざ忘れたと思ってたのにな……

 

自嘲するようにもう一度笑みをこぼす。この笑みは何度か覚えがあった。しかし笑みに込める感情は三年前とはまるで異なる。

 

ーーーーありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。次回は舞台がようやくラクロウへと移ります。それでは感想、評価お待ちしています。挿絵に関してもお願いします。


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第十一罪 血の先にあるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜、帝国きっての大河、紅河。砂に多くの鉄分が含まれており、太陽の加減によっては紅く映る事からその名が付けられた。

多くの水害を生み出し、多大な被害を生んできたが、同時に多くの文明を築いた帝国の母とも呼べる偉大な河川。

その水上を航行する客船。ラクロウに向けて出ている定期船であり、一般人も多く搭乗している。昼間は中々の喧騒に包まれていた。しかし今は深夜。当然乗客は眠っており、船は静かなものだ。

しかしデッキで煙管を吹かしている青年が一人いる。外見は20になるかどうかというくらいの若者。事情があって今はフェイルと名乗っている。燃えるような緋色の髪が青白い月明かりに照らされ、幻想的な美しさを放っている。

アレックスからクラムを受け取り、一度自宅へと帰ると、チサトに置き手紙を残してババラは先に目的地へと向かった。手紙に書かれていたのは合流場所と海路を取れ、という事。人数分のチケットも同封されており、船でラクロウへと向かう事となった。

 

煙管を吹かす表情には苛立ちの色が濃く見える。整った眉は僅かに顰められ、煙管を咥えた口はへの字に曲がっている。一度大きく息を吸った。

 

「いつまでデロデロやってんだテメエは」

 

煙を吐きながら何かに声をかける。よく見ると甲板から顔を出してうつ伏せになっている影が一つある。

髪は背中まで伸ばした茶髪。ヘッドホンにリボンがチャーミングな美しいというよりは可愛らしい少女。歳は10代後半。名はチェルシー。緋髪の青年の弟子である。

船に乗ったのはどうやら初めてらしく、ひどい船酔いに苛まれ、フェイルに介抱を頼んだようだ。

 

「うぇえ………ぎぼぢわるい。口の中酸っぱい……先生、水」

 

真っ青な顔で水を要求するチェルシー。普段のフェイルであればここで喉が焼けるようなキツいアルコールとかを渡すところなのだが、今回は本当に気分が悪そうなので瓢箪に入れた普通の水を渡してやる。

 

口をゆすいで大河へと吐き出す。あまり褒められた行為ではないけれどこれ程大きな河だ。チェルシーの胃液程度で汚れはすまい。

 

「うう……なんでタエコとファンは平気なのよ」

 

「あいつらは三半規管の鍛え方が違う。どんな場所でも戦えるようにと俺がみっちり仕込んだからな。シケてる海でもない限り酔いはせん」

 

「先生も全然平気そうですし」

 

「俺に弱点はない」

 

「悔しいけど否定できませんね」

 

傲慢一直線の台詞だがこの男が言うとなぜか不快ではない。それだけの実績を確かに果たしている。

 

唐突に師が戦闘準備を整えた。先ほどまでの隙の無い佇まいからいつでも動ける状態にシフトする。

突然の気あたりに充てられ、再び嘔吐感が襲いかかる。師がこの状態になったという事は何かしらの危険が迫っているという事だがこの男が隣にいる今なら大丈夫だろう。

 

「大丈夫ですか?」

 

儚げな優しい声音が二人の耳朶を打つ。声からは敵意はまるで感じられない。

とりあえず敵意は無い事に安心したのか、高めていた闘気を抑え、師が振り返る。

 

「誰だアンタは?」

 

「申し遅れました。私はチョウカク。旅の僧です」

 

長髪に獣のサレコウベで作った被り物。身長はフェイルと同じくらいだが体格は華奢。顔立ちは中々整った優男だ。

 

「フェイル。医者だ」

 

「助手ですゔ……」

 

真っ青な顔でチェルシーも挨拶を返す。そのまま嘔吐。仕方ないとはいえ人に挨拶するにはあまりに失礼な態度だがチョウカクと名乗る男はにこやかに笑ってチェルシーへと跪いた。

 

「この水をお飲みなさい。私が特別に調合したものです。楽になりますよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「待て、勝手に飲むなチェルシー」

 

躊躇いなく飲もうとしていたチェルシーを止める。このご時世、見返りなしの親切ほど怖いものは無い。

そしてこの男からはみょうな匂いがする。人ならざる者の気配。俺やエディのような化け物じみた強さを持つという意味ではない。本当に人ではない何かと対峙している感覚に陥っていた。

 

「金は大してないぞ」

 

「いつでも作れるものです。そんな物を要求するつもりはありませんよ」

 

「なら何が望みだ。理由なく人助けするヤツなんてもうこの国にはいないだろう」

 

「何も望みません。コレは私の為なのです」

 

「私の為?」

 

反芻するとコクリと一度頷く。

 

「善行こそが人を人たらしめるのです。徳を積む事は死後の安寧に繋がるでしょう」

 

「坊主らしいセリフだな」

 

宗教など鼻で嗤う男が吐き捨てる。

神の存在など信じた事は1度たりともなかった。彼が信じた物は己の能力と己の半身である相棒の2つのみ。それはかつても今も変わらない。

手酷く裏切りはした。本気で刃を交え、殺す気で燃え散らした。それでも彼女への信頼は消えていない。それは恐らくあいつも同じだろう。

お互い隠し事をした事はある。それでもお互いを疑った事は1度もない。

 

「貴方は不思議な人ですね」

 

目の前の坊主が俺を見ながら微笑する。

 

「は?」

 

「貴方からは光が見える。一見相手を焼き尽くすほど眩しい光なのに、その熱はとても優しい。純粋で、危うくて、そして美しい。貴方に惹かれる人は多いでしょう」

 

「ますますハァ?」

 

眉のシワを深め、チョウカクを見る。悪意はなさそうだし嘘をついてる訳でもなさそうだ。だからこそ意味がわからない。宗教に深く携わった人間でイッちゃってるヤツは何人か見た事があるけれどこいつはそんな風には見えない。

 

「わかるなぁ、それ」

 

嘔吐感がひと段落したらしい茶髪の少女が同意するように呟く。

 

「きっと自分の事は近すぎて見えないんだよ、先生。貴方には人を惹きつける何かがある」

 

人を惹きつける何か……ねぇ。

 

「もう楽になったのか」

 

「あ、言われてみれば…」

 

若干青ざめてはいるが顔には落ち着きが戻っている。本当に効いたんだろう。

医術を学んだ今だから分かる。こいつは錬金術士が扱う特殊な液体だ。

 

「どこでソレを手に入れた」

 

「自分で調合したのですよ」

 

「お前………錬金術士なのか?」

 

「いえ、僧ですよ。少し人には見えないモノが見えるだけです」

 

思わず眉をひそめる。視線に不審なモノが宿る。

背後に立たれた時から特殊な気配を感じてはいた。特に強さは感じない。その気になれば瞬きする間で屠れる。けれど何故かコイツに隙を見せられない。

 

「お前、それを使って何をするつもりだ」

 

「さあ?何をするのでしょう。私もわかりません。ただ……」

 

空を見上げる。人に見えないモノが見えるというこの男の目には夜の空に一体何が見えているのか、少し気になった。

 

「人の希望となる事が出来れば、と思っています」

 

「………………そうか」

 

特に嘘を言っている様子は無い。あまり敵意を向け続けるのも疲れる。警戒のステージを一段引き下げた。

 

「先生」

 

「なんだよ」

 

「ちょっ、睨まないでよ先生、怖い!」

 

「生まれつきだ」

 

眉を歪めたまま振り返ってしまったからか、何やら睨んだように見えてしまったらしい。

 

「整った顔してるぶん余計怖いんだからもう………まあいいや。あれ、何?」

 

チェルシーが指を指す。つられて見てみると夜の闇の中で赤く揺らめく光が見える。それが何か、チェルシーは一眼ではわからなかった。

ヴァリウスは分かった。見慣れた己の武器の一つだったから。

 

「村が……燃えてる……」

 

「え?火事?」

 

「いや、自然の炎ではあんな風にはならん。恐らく誰かが村を燃やしている」

 

そこまで言うと坊主は河に飛び込んだ。俺は呆れた。アンタが行って何になる。経でもあげてやるつもりか、と嘲った。何も出来ない奴がポーズだけをとって行動する。そんな人間を腐るほど見てきたし、そんな人間は吐き気がするほど嫌いだ。

 

何も出来ない奴は何もするな。理想だけを口にして俺たちを化け物と呼ぶな。俺たちをそう呼んでいいのは同じ土俵で戦っている才ある戦士だけだ。

 

ヴァリウスは基本的に人間を憎む。醜く、汚い。彼を本気で怒らせるのはいつだって人間だけだった。

そんなヴァリウスでも愛するモノがある。才だ。

 

才ある人間は美しい。それがどんな才能でもいい。磨き抜かれた剣や鍛え抜かれた馬が美しいように、ひとつの何かを目的を持って磨き上げた人間とは美しい。

 

だからヴァリウスは人間を愛している。憎さは変わらずある。だからこそ人を、人材を愛した。憎しみがあるから愛がある。

 

『なら、お前に何か出来るのか?』

 

出来るさ、なんでも

 

『友を護ろうとして、力を手にして、知識を身につけ、戦い、そして何が残った?』

 

うるさい

 

『血の雨と死体の山だけじゃないか』

 

違う

 

『何もない。お前には何も残らない。一生かけて守ると誓った友との絆すらない』

 

黙れ

 

『お前に残ったのは人を殺せる力だけだ』

 

黙れ!!

 

無意識に拳を握り込む。時期に血が噴き出るだろう。それでも力を緩めることはなかった。

 

 

ふわり

 

 

手に柔らかな感触が訪れる。驚き、視線を下に向ける。

 

炎狼の瞳に写ったのは三人の少女。手を握ったのはかつて助けたファンという名の黒髪の少女。

もう一人は不安げな顔で俺を見上げているカンザシを差した女。ファンと同じ黒髪だが後ろに束ねている。

最後の一人は亜麻色の髪にヘッドホンをつけた美少女。何かを待っているかのような目で俺を見つめている。

 

いつの間にか全員が集まっていた。同室のチェルシーがいなくなったことを心配したのか。何の気なしに甲板に偶然来ただけなのかはわからない。それでも今の状況を理解していて、俺の指示を待っている事だけは分かった。

 

「行くか……」

 

「はい!」

 

「行きましょう、師父」

 

「ま、肩慣らしには丁度いいじゃない」

 

各々覚悟を決めた目で戦闘準備をする。牙を磨き、爪を研ぐ小狼(シャオロン)達。その姿が過去の自分とダブる。

 

ーーーー憎たらしいな。どいつもこいつもドンドン師に似てきやがって……

 

それが愛しく、憎らしい。

 

「で?どうやって行きますか?」

 

「オーシャンドラゴンに化けろチェルシー。全員それに乗って飛んでいくぞ」

 

「ええ!?無理無理!空飛ぶのもやっとなのに人三人乗せて飛ぶなんて絶対無理!」

 

「チェルシー、私達は無理って言っちゃダメだよ」

 

「師父、どうしますか?」

 

「しょうがねえな」

 

腰の剣を抜き放つ。青い炎を剣に纏わせ、振りあげる。

 

「まさか紅河を干上がらせるつもり?無理だよ先生!いくらバーナーナイフでもーーー」

「チェルシー、後で説教だ」

 

「ゔぇっ!?」

 

振り下ろす。

斬撃に乗って炎が飛ぶ。海が割れたように土が見え、一直線に道が出来た。

 

「ほら、急ぐぞ。走れ」

 

「「はい!!」」

「え!?マジで!!」

 

躊躇いなく俺たち三人が飛び降りる。遅れてチェルシーも飛んだ。そして水が押し寄せてくる。

 

「きゃあああああ!!溺れる!いや私化けれるから溺れないけど怖い!」

 

「泣き言言う暇あったら走ろう」

 

「急げぇえええええ!!」

 

緋色の髪を踊らせ、押し寄せる目の前の波を燃え散らしながら河を走る。もう苛立ちはなかった。

 

『あるじゃないか』

 

鼓膜を震えさせない声が聞こえる。その声は優しく暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 




*チョウカク
後の安寧道教主。黄色の頭巾は被ってない
感想、評価、よろしくお願いします。


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第十二罪 放った炎が還る場所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは………」

 

大河を渡りきり、炎が見えた方向へと駆け抜け、たどり着いてみると、そこには火の海が広がっていた。

元は小さな村だったのだろうが今はもう人の住める状態ではない。フェイルたちもこれ以上近づくことは出来ないでいた。

 

「酷い……」

 

3人の速度に途中からついてこれなくなった為、フェイルにおぶさったチェルシーが背中越しに呟く。見えるだけでもかなりの数の焼死体があるのがわかる。

 

「早く消さないと」

「タエ」

 

火に近づこうとしたタエコをフェイルが止める。その口調は真剣そのものだ。

 

「迂闊にこの炎に近づかない方が良さそうだぞ」

 

懐から包帯を取り出し、火につける。瞬く間に包帯が燃え始め、火に包まれた。その上に瓢箪に入れられた水を注いでみるが、火の勢いはまるで衰えない。

 

「ウソ……」

 

「俺のバーナーナイフと似たような炎らしい。迂闊に近づくと焼け死ぬぞ」

 

腰に差した剣を抜き放つ。炎に向けて剣を掲げた。

 

「師父、何を……」

 

「俺の前では全てが燃える」

 

バーナーナイフから碧い炎が放たれる。蒼炎が炎を呑みこみ、燃え散らしていく。同じ特殊な炎でも炎の格が違うようだ。

しばらくすると村を覆っていた炎は全て無くなった。

 

「生き残りを探すぞ。急げ」

 

『はい!』

 

村の中へと入り、生きている人間がいるかを確かめる。

 

「師父!子供が1人!」

 

村から少し外れたところに火傷を負った少女が倒れていたらしい。すぐさま駆けつける。

 

ーーーーこれは…

 

「遅かったか……」

 

内臓が焼けてしまっている。もう助からない。薬草を飲ませてやるがコレはいわゆる麻薬に近い薬だ。強引に痛みを忘れさせることが出来るだけ。それでもせめて痛みからだけは解放してやりたかった。

 

「痛かっただろう。よく頑張った」

 

激痛で歪められていた顔は落ち着きを取り戻す。コレでまだ暫くは生きられるだろう。数時間の延命に過ぎないが、それでも彼女が笑顔を見せてくれたのが救いだった。

 

3人の弟子達が一斉に武器を構える。フェイルも腕に少女を抱き抱えながら剣を抜き放つ。誰か複数の人間が近づく気配を感じ取ったからだ。足音からして素人ではない。

森の奥から現れたのは耐火服やマスクをした男達。それぞれが手に火炎放射器を持っている。

 

「焼却部隊か……」

 

軍にいた頃に聞いた事がある。人も物も何もかも焼き尽くす証拠隠滅及び皆殺し用に作られたという部隊。エスデス軍には俺がいたから世話になった事は皆無だったが……

 

「ヴ、ヴァリウス副将軍!?」

 

一際大きな火炎放射器を持った男が俺の顔を見て叫ぶ。マスクをしているため顔はわからない。胸に大きな傷を負った殺人鬼のような姿の大男。チェルシーが青ざめるのも無理ない出で立ちだ。

 

「師父、知り合いですか?」

 

「いや、初対面。まあ帝国軍人なら誰が俺の事を知っててもおかしくない」

 

ーーーーそれに興味ない人間の事なんざ覚えてられねえしな

 

軍人なんて数え切れないほどいた。印象に残った者なら忘れないがその他大勢など覚えてられるはずがない。

 

「だがそのタンクには覚えがある。火炎放射器として有名な帝具だ。確かルビカンテだったか?お前が隊長か?名は?」

 

一際大きな火炎放射器を抱えた男に向けて剣を突きつける。

 

「ボルスといいます。いきなり炎が消えたので不審に思い戻ってきましたが、まさか貴方様と鉢合わせるとは……」

 

放射口を俺に向けて呆然と呟く。今の彼の選択肢には俺を殺す事も入っているだろう。なにせ俺は第一級犯罪者だ。

 

「ボルス君、なぜお前達はこの村を焼いた?一見して普通の村のようだが……」

 

「この村は革命軍と通じていると報告がありました」

 

そして上から焼けと命令があったから焼いた……か。三年経っても相変わらず思考停止しているな、帝国軍人は。俺もこうだったかと思うとゾッとする。

 

「よしんばそうだとしてもなぜこんな幼子まで巻き込むやり方をした?この子に一体なんの罪がある?」

 

「誰かがやらなければならない事です」

 

その答えに思わずため息が漏れる。予想してはいた答えだ。だからこそ吐き気がする。

 

「その少女を、ヴァリウス様。そして貴方様も投降してください。さもなければ貴方様まで焼き払わなければならなくなります」

 

「なんだ、随分とお優しいな。悪・即・焼がお前らのスタイルじゃなかったか?」

 

「私は優しくなんてありません。貴方様の事は以前から尊敬していました。出来れば戦いたくありません。いかに副将軍といえどこの人数差相手に女子供を連れて戦えないでしょう?どうか賢明な判断を」

 

3人の小狼達が殺気立つのがわかる。足手まとい扱いされて怒る程度には彼女達は力とプライドを身につけた。

 

ーーーー4対20か………勝てんとはいわんが……

 

ここで彼らを皆殺しにしたら事件となり、帝国が調査に出てくる可能性がある。その場合、下手人が俺とバレる事はないだろうが、俺にたどり着く可能性はゼロではない。

 

ーーーーつまり、俺が何もせずこいつらをファン達に叩きのめしてもらうのが一番いい。

 

女にボコにされたとは彼らも報告出来ないだろう。それに彼らの仕事も概ね終わっている。瀕死の子供1人くらい見逃すはずだ。

 

「ファン、タエ」

 

名前を呼ぶとコクリと頷く。何をやるべきかはわかっているようだ。

 

ハンドサインを送る。意味は“殺さず、素早く”だ。殺ってしまったら連中も引けなくなる。かといって殺す気がない事を悟られるわけにもいかない。ハッタリとは本気に見えなければ意味がないのだ。

 

サインを読み取り、再び頷くと同時に飛び出し、ファンは石突きで、タエコは峰打ちで瞬く間に八人を気絶させた。

状況を理解できず、混乱しているボルス以外の雑魚の動きをチェルシーが止める。ピアノ線を一瞬で張り巡らせ、首元を僅かに切り警告したのだ。

 

 

動くと殺す、と

 

 

最も戦闘力のない彼女に瞬時に命を握られた彼らは何も出来なかった。

 

唯一回避行動を取り、戦闘態勢を取っていたのはボルスのみだった。ルビカンテを起動しようと構えるがその動きも止められる。フェイルが瞬時に間合いを詰め、喉元に剣を突きつけたのだ。

 

この間、僅か二秒。

 

ボルスはようやく理解した。狼の牙を突き立てられ、人質とされていたのは自分達だったのだと。

 

ボルスが状況を把握した事を確認するとフェイルが威圧するように笑い、親しげに話しかける。

 

「どうだろうボルス君。ここは一つ、度量の広いところを見せてこの子の扱いは俺に任せてくれないか」

 

このままでは再びこの子は焼き殺されてしまうだろう。どのみち消える命ではある。それでも彼女にそんな苦しみを二度も味わせるわけにはいかない。

 

「そ、そんなわけには「それとも……」

 

 

このまま俺達とヤるか?ボルス……

 

 

ガチャリと剣を鳴らし、喉元を僅かに斬る。

 

「勘違いするな。コレは交渉ではない。命令なんだよ、ボルス君。返事はハイかYesしか認めない」

 

帝国の恐怖が己の中に染み付いているからか、ボルスはまだ迷いを見せている。任務失敗のツケがそこまで怖いのだろうか?

 

「心配するな、君は別に任務失敗したわけではない。全滅の時間が少しズレるだけだ。誰も君を責めんさ…」

 

今度は剣を鳴らすだけでなく殺気を叩きつける。かつて帝国最強と呼ばれた男の本気を込めて。

 

「隊員全滅という大失態を犯すより余程良いだろう?」

 

そこでようやく心が折れた。

一度頷き、体の強張りを無くす。戦闘態勢を解いたのだ。隊長が降伏した以上、隊員は従うほかない。武器を捨てて手を挙げた。

 

視線をチェルシーへと送る。意図を理解した彼女は糸の拘束を解いた。ファンとタエコもそれぞれの得物を収める。

 

「わかっているとは思うが俺の事は他言無用だ。報告出来ないだろうとは思うけど一応言っておこう」

 

「………………わかっています」

 

「ならいい。任務ご苦労」

 

行くぞ、と目で指示を出し、少女を抱き抱える。

 

「ああ、先人として一つアドバイスをしてやろう」

 

立ち止まり、横顔でボルスを見る。

 

「テメエが悪人だとわかっているなら、冒した罪と奪った命を忘れるな。放った炎を忘れた時、その炎はお前を焼き尽くすぜ」

 

ーーーーいつか俺も……

 

腰の剣の柄を叩き、前へと向く。そのまま森の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬のおかげで痛みを忘れている少女の息が少しずつか細くなっていく。気管支も焼けてしまったらしい。フェイルの腕の中で眠るように息を引き取った。

 

「お師様……」

 

目に涙を浮かべてファンが俺の裾を掴む。かつての自分と被るのだろう。助けてやりたかったと握った手の力が訴えていた。

 

「ファン……死もまた救いだ。この子は最期、人として死ねた。その事を忘れないでいてやれ」

 

師の言葉に力強く頷く。一度目元を拭うともう涙は見えなかった。

 

「お前達も決して忘れるな。コレが帝国の今だ。力のない者は死ぬしかない世界。強さが唯一の正義であり、弱さは悪である。弱さは死に値する罪である世界だ。生きていられる無辜の民は一割に満たんだろう」

 

少女の穏やかな死に顔を見ながら三人は師の言葉を噛みしめる。この理不尽な乱世に抗う覚悟をする為に。

 

「そんな世界をお前達が終わらせるんだ。他の誰でもない、お前達がな」

 

ポンとチェルシーの頭に手を置く。

 

「随分と大変そうだね〜。今は終わりが全く見えないよ」

 

苦笑いを浮かべながらチェルシーがボソリと溢す。その意見は尤もだ。俺にすら見えないのだから。

 

「貴方の弟子をやるのは命がけだよ、師父」

 

「だからこそお前達に言うんだろーが。誰にでもできる事を俺の弟子に言うかよ」

 

思わず緋色の髪の男を見つめる。彼がこのように彼女達を認めている発言をする事は非常に珍しい。少なくとも本人の前で言うのは初めてだ。

 

「強くなれよ、お前ら。大切な何かを護れるようになれ。なあに心配するな。その時間は俺が作ってやるから」

 

『ハイ!!!』

 

力強く返事をした三人の弟子の頭をそれぞれ撫でてやる。

 

「さて、この子の墓を作ってやらなんとな」

 

「それは私に任せて頂けませんか?」

 

身体中ずぶ濡れになり、息を切らして森から現れたのはチョウカクだった。その異様に四人四様の反応を見せる。

どうして此処が分かったのか、何故今まで現れなかったのか、疑問は数多く浮かんだが、フェイルの頭に浮かんだのは一つだけだった。

 

ーーーー泳ぎ切ったのか……あの大河を。

 

紅河を渡りきるなど、超人的身体能力を持つフェイルですら驚く諸行だ。いくら超人でも所詮は人。傍目からはほぼ海に見えるあの河を泳いで渡りきる事は彼でも無理だ。

 

「なんだ坊主。まだいたのか」

 

それでも動揺は見せず、今更来た事に呆れたような口調で振り返った。

 

「申し訳ありません。私に戦闘力は皆無ですので」

 

「そうは見えんがな」

 

普通に話し合う二人を三人の弟子が異様な目で見やる。明らかに異端な彼らがいるステージを彼女達は見る事しか出来なかったのだ。

 

「ま、俺は医者だ。仏さんの扱いは坊主に任せよう」

 

「ありがとうございます」

 

地面に寝かせていた物言わぬ少女をチョウカクが抱き上げ、踵を返していく。その様子をフェイルは黙って見過ごしていた。

 

「焔の光さん」

 

「は?もしかして俺の事か?」

 

「貴方はこの国をどう思いますか?」

 

「無視かクソ坊主」

 

眉に深くシワを作り、腕を組む。名前を教えたにもかかわらず、変なアダ名で呼んでくる坊主に不快感は隠せなかった。自分は名前を覚えられずによくやるのだが……

 

「この国では多くの人間が立ち上がります。そんな人間の事を権力ある人間はウジやハエと呼ぶ」

 

「間違った表現ではねえだろう」

 

「ええ、私もそう思いますよ」

 

二人のあまりの言葉に弟子達は気色ばむ。誰よりも彼の事は尊敬しているが、人間的にどうかと思う事は少なくない。それでも信頼は失われる事はない。彼がこの手の言葉を弟子の前で言う時には大抵裏がある。

 

「国が腐るからウジが沸く」

 

「その通りです」

 

二人の言葉にハッとなる。その様子を師が意地の悪い顔でニヤニヤと見ていた。

 

「なんだお前ら。ウジ発言を不謹慎とか思ってたのか?そんな考え方こそが不謹慎だ」

 

「いや、プラスイメージに捉える方が難しいでしょ!ウジだよウジ!私達人間!」

 

「いつからテメエらウジを見下せるほど偉くなった?俺の弟子に人権などあると思うなよ」

 

「私達の存在価値、ウジ以下!?」

 

「人間の存在価値なんざ昆虫どころか植物以下だぞ。憶えておけ」

 

四人の様子を見ながら人ならざる僧侶は笑いをこぼす。彼には四人の間にある強く暖かい絆が見えている。ヴァリウスという光に惹かれた三人の虫……というよりは狼。

 

ーーーー決して明るい運命が待っているというワケではなさそうですが……

 

それでも彼にとって四人は眩しく映る。これ程強い本物の絆を彼はこの国では久しぶりに見た。

 

「いずれウジ(かれら)を生み出した事をこの国は後悔するでしょう。彼らはいずれこの国を照らす光となる。貴方のように」

 

「俺は光なんて大層なモンじゃねえよ。狼だ」

 

「私はそんな人達と共にこの間違った世界を救いたい」

 

無視かコラ。終いにゃ斬るぞ。

 

「行くぞお前ら。回り道をし過ぎた」

 

ここから陸路だ。海路より遥かに時間がかかる。俺たちなら陸路でも充分間に合うだろうが急いだ方がいい。

 

「フェイルさん」

 

呼ばれるが足は止めない。どうせ大した話ではあるまい。聞く気にはなれなかった。

 

「呼んでるよ先生、いいの?」

 

「坊主の説教は嫌いでな」

 

足を屈め、跳躍する。慌ててファン達も後に続く。数秒も立たない間に四人の狼の姿は闇へと消えさった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー行ってしまいましたか……

 

彼らしいと思わず笑みがこぼれる。出会って数時間と立っていないが彼の人となりはわかり過ぎるほどわかる。

 

素っ気なく、他者を寄せ付けない、誇り高き狼。

そんな彼を放っておけない者たちが慕って集まる。そしてそんな者たちを優しい彼は放っておけない。足手まといとわかっていても一度背負ってしまえばもう彼は彼女らを捨てられない。狼とは誰より仲間を大切にする。

 

「貴方とはまた会えるでしょう。私にだけ見える未来がそう言っています」

 

 

知るかクソ坊主

 

 

鼓膜を振動させない炎狼の返事が聞こえた気がし、声を出して笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*ピアノ線を一瞬で張り巡らせ、首元を僅かに切り警告したのだ。
チェルシーには暗殺術を叩き込んでいる。忍び糸を操る事も出来る。
*最も戦闘力のない彼女に瞬時に命を握られた彼らは何も出来なかった
暗殺者にとっては強くない事は立派な才能。それなんて渚君?なんて言わない

後書きです。そろそろ期末試験ですね。更新速度がまた遅くなるかもしれませんが皆さん頑張りましょう。今回はボルスさんの死亡フラグがおっ立てられました。死んでしまった少女はもちろんあの時チェルシーが化けた少女です。コメントでは違うフラグと捉えられていたようで若干展開に迷いましたが、当初の予定のままで行きました。今回も最後までお読み頂き、ありがとうございます。それでは感想、コメント、よろしくお願いします


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第十三罪 無駄を楽しめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乗り合い馬車に揺られながらファンは隣に座る青年の横顔を見つめていた。鴉の濡羽色を思わせる艶やかな黒髪の美少女は、しばしば己の師を横目で見ていた。

 

精悍な顔つきで馬車の窓から外を眺めているのは燃えるような緋色の髪を風に靡かせ、窓に肘をかけている青年。本名はヴァリウス。親しい者にはヴァルと呼ばれている男だが今は事情があってフェイルと名乗っている。

 

何処か遠くを見つめるような瞳で佇んでおり、頬につけられた細かな傷を撫で、嘆息する。憂いを帯びたその姿は妙に色っぽく黒髪の少女は思わず見惚れる。

いつも見慣れている筈の彼の横顔なのだが、それでも胸を締め付けられる。彼は時折このような寂寥感を滲ませる顔をする時があるのだ。

 

ーーーーその目の先には何が……誰が写っているのですか、お師様

 

じっと見つめていると己の弟子の視線に気づき、横目でこちらを見る。するといつもの自信に満ち溢れた精悍な顔つきに戻り、ん?と笑いかけてくる。そのギャップに思わず赤面し、俯いてしまう。

 

「師父」

 

若者の向かいに座る黒髪をアップに纏めた少女が言葉を紡ぐ。そろそろ停留所に着く頃合いだ。一度頷き、タエコの隣で眠っている茶髪の美しいというよりは可愛いという形容が似合う少女を見やる。こんなゴトゴト揺れるのによく寝れるものだと男は苦笑をもらし、視線に殺気を込めた。

 

「ファッ!?」

 

バネでも仕掛けられていたかのような動きで身体が跳ね上がる。空中に浮かび上がると一瞬でナイフを構え、すわ、何事か!とキョロキョロ辺りを見回す。すると彼女の視界には苦笑を続ける己の師と忍び笑いを漏らす二人の姉弟子が写る。

 

ーーーー危機察知能力は三人の中でもピカイチだな。

 

状況を理解すると警戒を解き、椅子の中に身体をうずめる。はぁ〜と大きな溜め息付きで。

 

「先生……心臓に悪い起こし方やめてよ……寿命が100年縮んだじゃない」

 

「チェルシー、どれだけ生きるつもりなんだ…」

 

呆れたようにファンがチェルシーを見やる。こんなやり取りも今はすっかり日常だ。

 

「停留所だ。そろそろ降りるぞ。用意しておけ」

 

己の武器をそれぞれ身につけ、荷物を背負う。少し回り道をしてしまったがようやく到着したようだ。

 

 

「帝国第二の都、もう一つの帝都、ラクロウだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお……」

 

突然の寄り道をした事により、やむを得ず陸路を取ったフェイル達は少し時間がかかりながらも、目的地に到着した。

身分上正しい順路を取れない彼らは大きく回り道をし、できるだけ人気の無い路を選んできた。よって今、彼らは小高い丘の上にいた。見下ろせば既にそこには巨大な街が広がっている。

 

「すっごい。コレほんとに人が作った物なの?街っていうか小さな国みたい」

 

田舎暮らしが長かったチェルシーには眼下に広がる大都会がまるで別世界のように写った。

巨大な石畳に並び立つ屋敷。一体どれ程の時間と文明を掛けて作られた物なのか、彼女には想像がつかなかった。

 

「どれ程大きかろうとただの街だよ。そこまで興奮する必要ない」

 

冷めた口調で艶やかな黒髪を後ろに束ねた少女がボヤく。この数年間、オールベルグの死神として国中を渡り歩いたタエコにとって、どれ程栄華を極めた街であろうと街以上の感想は無い。

 

「どんな街だろうと関係無い。与えられた仕事をこなすだけ」

 

真剣な目つきでファンもつぶやく。自分だけの武器を手に入れてから初の大仕事に良くも悪くも緊張しているらしい。他の事に気を配る余裕は無いようだ。

 

「何だ、つまらないことを言うなぁ二人とも」

 

二人の華奢な肩にガッシリとした腕が回される。長袖を着ている為外見からはわからないが、触れれば一度でわかる鍛えられた腕だ。

 

触れられた感覚で今後ろに立っているのは己の敬愛する師だとわかる。しかしそれでも違和感がある。

 

チラリとチェルシーを見ると信じられない物を見たような顔をしている。しかも少し頬は紅潮している。まるで絶景を見て興奮しているかのようだ。

 

おそるおそる振り返ると眼に入ったのは信じられない師の姿だった。

 

燃えるような緋い髪は背中近くまで伸ばされている。身を包んでいるのはなんとエスデス軍の軍服。軽く化粧をしており、いわゆる女装なのだがその美しさは圧倒的だ。

 

「せ、先生……その格好……」

 

「なんだ?笑ってもいいんだぞ」

 

「笑えませんよ……綺麗すぎて」

 

「変装……ですか」

 

「ああ、アレックスのトコで出発前に色々と買った」

 

その美しさに呆気にとられていたタエコが気を取り直したようにヴァリウスの格好の説明をする。

帝国第1級犯罪者としてその顔が知れ渡っている。顔が分からないようにしなければならないのはわかる。それでも女装は想定外だった。

 

「それにその服……」

 

緋髪の美女が纏っている服はチェルシーすら知っている。エスデス軍の軍服。さすがに副官のエンブレムは隠しているが紛れもなく本物の衣装。3年前に見て以来、殆ど着ている姿は見ていなかった。わざわざ己の過去を晒すような真似をする事はしなかった筈だ。

 

「どうだ?エディが着てたのを参考に俺の軍服をウィメンズにアレンジして仕立てたんだ。似合うだろう」

 

「すっごくお似合いですけど、でも何で……」

 

「このカッコしてると皆ビビって話しかけてこないし、それに聞き込みとかでも何かと都合がいい。人間ブランドに弱いからな」

 

隊員証であるデモンズエキスのエンブレムが入った紋章を見せる。確かに勇名轟くエスデス軍の一員というだけで人は道を開ける。しかもレプリカでなく紛れもなく本物のエスデス軍の軍服とそのエンブレム。威圧にはこれ以上効果的なものもない。

 

「それに見る奴が見れば歩く姿だけでもある程度実力は見抜ける。俺が下手に一般人の変装したら逆に怪しまれる」

 

その点はこの服着てりゃあ不審には思われねえからな、と呟く。エスデス軍の人間は一兵卒であろうと他の軍なら超一線級の手練だ。この服を着ることが許されているものはそれだけで強者の証を持つ者だ。

 

「でもそれなら私達も………」

 

もう既に一般人などという枠は全員遥かに越えている。その心配も尤もだろう。

 

「俺と同行してりゃ問題ないだろう。エスデス軍の副官が雑魚なわけないからな。んな事より見てみろお前ら。この景色を」

 

三人の前に躍り出てバッと手を翳す。その先には人間が今の文明の全てを尽くして造られた絶景が広がっている。

 

「夕焼けに紅く染まる湖、現代の技術の粋を集めた建築物、眼下に広がる全てが一流だ」

 

「でも私、相場を知らないからなぁ〜」

 

確かに見事な街並みだとは思うが、どう凄いのかが具体的にわからない。

 

「だからこそ見ろ。これが間違いなくこの世界のトップの技術が込められた街だ」

 

軍にいた時から資金集めの一環として建築に携わる事は多々あった。だからこそヴァリウスにはその凄さがわかる。これを作る為に一体どれだけの人が脈々と受け継がれてきた技術を駆使してコレを創り上げたのか。

 

「今は確かに強さが正義の時代だ。だがいつかそんな世界にも終わりが来る。終わらねえ物なんてこの世に存在しないからな。その時狡兎死して走狗煮らるなんてのは乱世では茶飯事だ。通常の兵隊アリならそれでもかまやしねえが俺の弟子にはそれは許さん。お前達は乱世にももちろん必要だが治世ではもっと必要な人間にならなきゃいけねえんだ」

 

彼女らを弟子に取ったのはこの国の未来を彼女らに見たからだ。新しい国造りには古い国の内情を知っている人間が必ず必要になる。その時、政治家や文官のみの力ではダメだ。それでは再び帝国が造られるだけになる。戦士の目で、暗殺者の視点で、国の暗部を理解した人間が行わなければならないのだ。

 

「その時、お前達にできる事を今の内に可能な限り増やしておかなきゃいけねえ。そしてどんな分野でも一流になる為には本物の一流を知らなきゃならねえ」

 

いいか、未熟者ども……

 

「手取り足取りで身につけた技術は所詮人マネにしかならん。実際に目で見て、体感する。そうして初めてその技術が自分のものになる」

 

「でも、そんなの今は必要ないんじゃ……」

 

強くなる事以外、何もかも無駄だと今は思っているバン族の少女が呟く。それも無理ない事だ。少女は短い人生の中で人の醜い所を多く見すぎた。治世の時に戦うという事は即ち人の為に戦うという事だ。ファンはタエコやチェルシー、そして己の師の為なら命をかけて戦う覚悟がある。それでも見ず知らずの誰かの為に何かをしたいとは思わない。それは他の二人もほぼ変わらなかった。

 

ーーーーま、今はわかんねえか……

 

俺以外の誰かに彼女らは助けられた事がないのだ。

 

「戦いだけなんてつまらん人生だぞ?体験した本人が言うんだから間違いない。最近になってわかったが、人生って奴は無駄を楽しむもんだ。無駄を重ねたほうが人生は面白い。これも俺の実体験よ」

 

なあ、俺の無駄共。と炎の狼が犬歯を見せて笑いかける。

 

「でも無駄な事やるのってめんどくさくない?」

 

「めんどくせえのが人生だろ?楽しめよ」

 

得意げに言い放つのは身勝手な理屈。だがこの男が言うと何故か受け入れてしまう。

 

「少なくとも周りを見渡すくらいの余裕は持っておけ。いくらデカい実戦の前だからっていっぱいいっぱいになってちゃ視野が狭くなるし、いざという時動けなくなる。せっかく大都市に来たんだ。適度に遊べ」

 

意外な発言に三人とも目を丸くする。遊ぶ暇があるなら鍛錬しろ、鍛錬しないなら死ねを地で行く彼の発言とは思えない。

 

「そんな眉間にしわ寄せで聞き込みしてもだーれも答えちゃくれんぞ。もっと自然に、朗らかに振る舞え」

 

さて、長話になっちまったな。と一度伸びをする。ババラと天狗党の待ち合わせは夜だから余裕はある。取り敢えず街を見て回るか。

 

「行くか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラクロウの側を流れる川、白狼河。そこで水遊びをしている集団がある。大人が一人、少年少女合わせて八人の集団だ。少女同士が取っ組み合いをしたり、水を掛け合ったりと傍目で見ていて微笑ましい光景に見えなくもない。

だが彼女らの動きは見る者が見れば一眼で只者ではないとわかるものだった。間違いなく鍛えられた武人たち。それもそのはず。彼らは元皇拳寺最強、羅刹四鬼の一人であった男に鍛えられた子供達であり、今回のヴァリウス達のターゲットなのだ。

今は注目を集め、敵を誘き寄せるため、派手に動いている最中だった。

 

ーーーーちょっと派手に騒ぎすぎかもしれねえがなぁ……

 

彼らを纏める男、元羅刹四鬼ゴズキは少し辺りを気にするように見渡した。少女達は皆、見目麗しい。通りかかった男達の視線を集めるのは無理ない事だった。

初のデカい実戦の前にリラックスさせる事が目的だったし、それは概ね成功していたけれど、あまり目立ち過ぎても良くない。

 

ふと、視線が一つの集団に止まった。最初は無意識だったがすぐその理由に思考が届く。

 

ーーーーバケモンだ……

 

緋い髪の美女が茶髪の少女の頭に肘を置いたり、周りの黒髪の少女達と談笑したりなど、一見楽しげな旅の集団に見える。しかし彼女らの……特に真ん中の背の高い女の実力は見ただけでも異常である事は分かった。

 

ーーーー歩く姿がすでにハンパねえ。実力は最低でも将軍級か?一体何者……

 

そこでようやく服装に目がいく。勇名轟く帝国の中でも最強の軍の軍服。皇拳寺の門下など目ではない。一人一人が高弟並みの実力をもつと言われるエスデス軍の正装。

 

ーーーーあの怪物の軍の人間か……強えハズだ。しかし……何で……

 

恐らく精査か何かだろうと当たりはつけるがそれでも疑問は消えない。あのもう一人の怪物が消えてから三年。エスデス軍がその手の仕事をやったとは聞いてない。

 

ーーーーま、関わり合いにならなきゃいいか

 

少なくとも敵ではない。ならばそれでいい。万が一対峙するような事になれば、自分が出れば丸く収まるだろう。エスデス軍の人間は暇潰しで皇拳寺に来ることが多い。自分の顔は知ってるハズだ。ならば殺し合いにまで発展はすまい。

 

それ以上彼女らの事は考えず、視線を外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「振り向くなお前ら、自然に振る舞え」

 

チェルシー達にじゃれる振りをしながら三人の耳元で囁く。全員自分達に向けられた視線には気づいていた。だからこそ下手に反応しては警戒される。

 

「お師様……やはり」

 

「ああ、強いな。あの八人。タエ並み……ヘタすりゃそれ以上の使い手もチラホラ」

 

子供達への評価を告げる。その言葉に全員顔が引き締まる。師以外で最も腕が立つのがタエコだ。その緊張は正しい。

 

「オッさんの方は昔見たツラだな。名前は忘れたけど確か皇拳寺で見た覚えがある」

 

「皇拳寺?確か先生がかませ四鬼って呼んでた人?」

 

ーーーーあ〜……確かにそんな事言ったっけな

 

皇拳寺といってもピンキリなのだが、それでも羅刹四鬼クラスまでいくと決して弱くはない。それどころかかなり強い部類と言っていい。それでも何故か彼らはかませ扱いされる。何か別の神の意志的なもので。

 

「まあヤツ単体ならかませ扱いしてもいいんだが……腰に差してるモノが少し特殊だから一概にそうとは言えんな」

 

「………………まさか帝具ですか?」

 

頷く。あの刀は有名だ。文献でも読んだ。まず間違いない。

 

「一斬必殺村雨。俺の業火剣爛バーナーナイフと同じ刀の帝具。どんなかすり傷でもこの刃に触れると呪毒により即死するまさに一斬必殺」

 

三人とも青ざめる。擦り傷一つで死に追いやる武器などヤバすぎる。己の師の身体が傷だらけなのは知っている。実戦では師ですら傷を負う事はあるのだ。それが許されない相手……

 

「まあ実戦なんざ一撃もらえば終わりと思って丁度いいんだがな。それでもそれは理想だ。理想は追うものだが求めてはいけない」

 

「お師様、それでは……」

 

「確証はないけど……多分な」

 

 

 

 

 

ヤツらが今回の標的だ

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
ふとランキングとマイページを見てみると何故か3位にランクインしてお気に入りの数が五百を越えてる……だと。
驚くより先に何故?という感情が真っ先に出てきました。ありがとうございます!試験直前ですが頑張ります!それでは感想、評価よろしくお願いします!あと、私は麻子の大ファンです


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第十四罪 歯車は狂いだす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らは暗闇の中にいた。時間による物ではない。環境のせいだ。辺りは鬱蒼とした森に囲まれ、陽はあまり届かない。

その場所は修験者達がよく訪れる魔境。ジフノラの樹海。

辺りは常に暗く、多くの危険種達が潜む危険地帯。通常、そんな場所に人が、まして子供が来る事などまずあり得ない。

しかしその場所には今日、多くの子供達が入らされていた。どん底の不景気の為、親に売り払われた子供達。彼らを引き取ったのは軍のとある施設。彼らは特別な訓練を施され、今日はその中からさらに素質のある子供を選び出そうという選定試験が行われていた。

多くの子供達が迷宮のような森に悩まされ、出口を見つけられず彷徨う中、しっかりとした足取りで戦っている女の子がいる。

よく似た二人だ。恐らくは姉妹なのだろう。傷ついた妹を姉が背中に庇い、ナイフを構えている。姉の紅い瞳には強い意志が籠っていた。

彼女らの前には傷ついた危険種が牙をむき出しにして対峙している。彼女と危険種の戦いももう終盤。今の所、少女が有利な状況のようだ。

 

ーーーークロメは……私が護る!!

 

危険種に向かって飛びつく。戦場では先手必勝。傷のせいか、反応が遅れた危険種はモロにそのナイフは首筋に刺さった。引き抜き、飛び退く。

 

ーーーー終わりだ!!

 

大きく振りかぶり、脳天に最期の一撃を加えようとした時、ガサリと物音がした。

突進をやめ、急ブレーキをかけると同時に飛び下がる。新手が現れたのなら真っ先にそちらを警戒しなくてはならない。

 

しかし其処にいたのは新手ではなかった。敵意はなく、痩せ衰えた小動物。恐らくその危険種の赤ん坊だ。

 

ーーーー子供……

 

相手の戦う理由が其処にあった。そして自分の戦う理由は後ろにある。自分の為ではない。護りたい家族の為……その為に戦っていた。その理解が紅い瞳の少女に躊躇を生んだ。

 

 

その一瞬が野生では死を分かつ。

 

 

子を守る手負いの危険種など最も警戒すべき猛獣。その猛獣の前で見せてしまった致命的隙。食らいつかれないなんてあり得ない。

 

開いていた距離が瞬時になくなり、少女の上に乗りかかった。肩を爪で抑えつけ、牙が顔面を食い千切らんとする。傷ついた妹では姉を庇えない。

 

ーーーークロメっ!!

 

最期の刹那で妹を想うがもう彼女に出来ることは何もなかった。

 

 

その瞬間……

 

 

危険種の五体が木っ端微塵になる。正確にはこの表現は間違いなのだが、紅い瞳の少女にはそうとしか見えなかった。

 

危険種のその血を全身に浴びながら屍となった危険種の向こうに目を向けた。

 

男の子だ。若い……というより幼い。恐らく10代前半。少年と青少年の間といったところの年の頃だ。燃えるような緋い髪に自分とは違う、宝石のような鮮やかな紅い瞳をした美少年。

 

紅い瞳の少女は唐突に現れた恩人を思う。自分達と同じ境遇の少年かとも考えたがそれはあり得ない。自分達は競争相手。つまりは敵同士。不意打ちをしてくることはあっても助ける事などあり得ない。

それ以前に歳が合わない。幾ら若いといっても彼の歳は確実に10を超えている。自分達は売られた子供。どんなに歳上でも二桁はいかない。

 

ならこの少年は一体何なんだ?

 

 

「まったく、メシくらいゆっくり食わせろよな」

 

 

溜め息をつきながらナイフの血を拭う。片手には干し肉を持っており、それを噛みちぎりながら少年の顔色には呆れが強く浮かんでいる。

 

「君達のような子供をこんな危ない森で16人見た。事情を訪ねても口を閉ざして慌てて森の奥へと消えるばかり。一体何をやっているんだ?君達は」

 

話しかけられているのはわかっているが少女は答えようとは思わなかった。敵か味方かよくわからない相手に無駄に口を利くわけにはいかない。

 

フンと鼻で息を吐く。特に答える事に期待はしていなかったと言わんばかりの呆れ顔。答えないならここにいる意味もない。少年はこの場を去ろうと背を向けた。特に彼女達にも興味はない。少年がこの修験者の森にいる理由はただの修行と狩りなのだから。

 

「ねえ、お嬢ちゃん」

 

背を向けたまま声をかける。返事は期待していなかったが誰もが通る道だから言っておこう。

 

「相手にどんな事情があろうと野生でトドメを迷うな。そしてトドメの時ほど注意深く、かつ迅速に行動しなければならない。最期の一撃ってのは油断の一撃に限りなく近い」

 

変わらず表情は見えない。それでも何故か彼が笑ったような気がした。

 

そのまま森の奥へと消える。姿が見えなくなってからようやくその思考に行き着いた。

 

「名前……聞くの忘れた」

 

コレがヴァリウスとアカメ。後に帝国を恐怖のどん底に叩き落とす二つの異なる紅い瞳の最初の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーん……

 

任務前で川べりで休んでいた黒髪の少女の意識が覚醒する。どうやら眠っていたようだ。

 

ーーーー昔の夢……か

 

パンパンと両頬を叩いて気合いを入れ直す。これから任務なのだ。しっかりしなければ。自分の役目は水中に逃げた敵の掃討。

 

一度深呼吸し、水の中へと潜る。もう先ほど見た夢の事は忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅く沈めていた意識が覚醒する。誰かが近づく気配を察したからだ。しかしその気配が洞窟から伝わってきたので特に警戒はしていない。これはもう戦士の本能だ。

 

ーーーーまた中途半端に古い夢を……

 

時は過ぎ、夜。合流場所へと向かい、しばらく待っていたフェイル達だったが、ババラは一向に現れなかった。あまり一つの場所に留まっている事も危険だと判断したフェイルは今夜は野営をする事にし、合流場所から少し離れた洞窟で一夜を過ごす事にした。

弟子達を寝袋で寝かし、フェイルは壁に背を預け、剣を抱えて座りながら毛布にくるまり、眠っていた。野営をする時はいつもそうしている。

寝にくそうだが慣れてしまえばどうという事はない。彼の人生の中では横になって眠ることの方が少ないくらいだ。

 

「お師様……起きていますか?」

 

「寝てるよ」

 

目を瞑ったまま返事をする。オロオロと慌てる気配が伝わる。軽い冗談だったのだが彼女は己の師の返答をどう受け取っていいのかわからない様子だ。

 

「久々に出たな。眠れないのか?」

 

「………………はい、炎を見てしまったので」

 

目を開けてみるといたのは予想通り大陸風の衣装を纏った黒髪の美少女。焔の狼の二番弟子。キッチリと畳まれた寝袋を持って来ている。

 

彼女がこういった事になる事はいままでにも何度かある。幼い頃、故郷が炎に焼かれたトラウマから目を閉じるとその時の光景が蘇る事があるらしい。そういう状態になった時、彼女はいつもフェイルの元へと出向く。あの夜、炎と刃から己を護ってくれた師の隣で眠ると彼女は安心して眠れるのだ。

 

成長し、時が経つにつれ、その頻度は減ってきていたのだがそれでも時々眠れずにフェイルの寝所を訪れる。チサトは時が解決すると言ってたがはてさて完治はいつになる事やら。

 

くるまっていた毛布を地面に引き、ポンポンと叩く。ここで寝ろと所作で示した。

 

ぱあっと表情を明るくさせ、フェイルの隣に滑り込むように寝転がる。華奢な身体を抱きしめ、髪を撫でてやるとあまえるように鼻を鳴らして俺の胸に頭を擦り付けてくる。師が狼だからか、動物のようなやつだ。

 

「〜〜♫」

 

穏やかな低い声で歌ってやる。エディと二人で旅をしていた頃に何度も歌ってやった曲だ。奴は芸術に関してはまったくセンスが無かったため、曲の良し悪しなどまったくわからなかったが、寝る前になると決まってせがんだ。

 

撫でてやっているうちにファンは小さな寝息を立て始めていた。色々と大きくなって来てはいるが寝顔はまだまだあどけない。それでも弟子の成長を思い、笑顔が溢れた。

 

ーーーー本当にどんどん大きくなるな……

 

育つという事の凄さに改めて感嘆する。この小狼は教えた事は何でも覚えるし、教えてない事もいつの間にか出来るようになっている。俺もそうだったのだろうか?なぁ、エディ。

 

自分の狩りの師匠の事を思いながら目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大都市ラクロウといえど深夜、それも川辺となると人もいない。河の水も闇に埋め尽くされ、中は何も見えない。

 

そんな何も見えない暗闇の中、火を焚いて座っている一人の青年がいる。炎の中には豚型の危険種、イベリコがある。どうやら男は食事しているらしい。

ファンを寝かしつけた後、起こさないようにねぐらから出て、ババラとの合流場所である木に括られた目印のハンカチの下で待っていたのだが一向に来ないため腹が減り、近くにいた危険種を適当に狩り食事していたのだ。

 

 

ーーーーチッ……もっと具体的に時間を聞いておくんだった。

 

肉にかぶりつきながら悪態を漏らす。待たされるという事が嫌いなフェイルは少しイラつき始めていた。深夜という事で変装は解いている。ババラに余計な誤解をさせても面倒だ。

 

ーーーーん?

 

水音が跳ねる音が聞こえた。その時点で既に異常を察した。

 

腰の剣の鯉口だけは切っておく。ヘタに抜いて警戒させると面倒だ。かといって無防備なのもまずい。これくらいの警戒が丁度いい。

 

暫く水音が聞こえた後に音も何もかも消え去った。どうやら誰かが水辺から上がってきたようだ。

 

ーーーー子供……か?

 

現れたのは闇より黒い髪を腰まで伸ばし、血を思わせる深紅の瞳を持つ少女。細身の剣を持ち、全身はずぶ濡れ。顔立ちは整っているが無表情。

 

ーーーーちょっとタエに似てるな

 

相手もフェイルに気づいた。唐突に手に持った剣を振りかざし、かなりあった間合いを一瞬で詰めた。

 

「まったく、メシくらいゆっくり食わせろよな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し時間は遡る。黒髪の少女、アカメは河の中に潜伏していた。彼女のチームは革命軍雇われの傭兵、天狗党の襲撃が行われており、アカメは残党の処理。つまり河へと逃げた連中を仕留める役割を任されている。

 

河の中に飛び込んでくる天狗党の連中は粗方片付け、討ち漏らしがないか確認しようと、一度河から上がったその時だった。

 

闇の中で火が燃えている。そこに佇む一つの人影。最初は特に何とも思わなかった。先ほどまで河の中にいた天狗党の連中がこんな所で焚き火などしているわけがない。大方、旅人が暖を取っているのだろうと推察していたのだ。

 

 

その男と目が合うまでは……

 

 

闇の中であっても紅玉を思わせる美しい緋の瞳はこちらを見ていることを鮮明に伝えていた。目と目が合ったのも分かった。その瞬間、少女の身体に戦慄が走った。

 

肉食獣に目をつけられたかのような感覚。背筋が凍りつき、毛が逆立つ。今までまったく感じたことのない脅威。

 

父に鍛えられたこの8年間で、それなりに強敵への耐性はあるはずだった。事実自分より強い人間に勝利を収めてきたのだ。それなのに今は自分を抑えつけることが出来なかった。

 

気がついたら腰の剣を抜き放ち、駆け抜けていた。目の前の男は座っている。しかも何か手に持っているようだ。あの状態なら攻撃する事はほぼ不可能。ならば先手必勝。

 

手に持つ剣の銘は桐一文字。一度斬るとその傷は治らない臣具と呼ばれる特殊な武器。帝具程の性能はないが充分に強力な武器。その一刀が男の背中に向けて振るわれた。

 

 

「まったく、メシくらいゆっくり食わせろよな」

 

 

背後から唐突に声が聞こえた。襲い掛かってきた食事の後ろに瞬時に回り込んだのだ。その言葉を聞いた瞬間、何故か少女の脳裏に緋がよぎった。

 

ーーーー体捌きすら見えなかった!!

 

驚愕しつつも声が聞こえた音源に向けて少女は再び刀を振るう。彼女は思考と行動を完全に切り離して戦える戦士なのだ。

 

目にも留まらぬ見事な太刀筋で剣が縦横無尽に振るわれる。だが男は事も投げにヒョイヒョイ躱す。まるで当たる気配がしない。

 

しかしアカメにはこのまま斬撃を繰り出すしか選択肢はなかった。この攻撃の波が止んだ時こそが己の敗北の時だからだ。そんな覚悟が功を奏したのか、状況は唐突に激変した。

 

男の体勢が大きく崩れたのだ。水場の近くだったため、ぬかるんだ泥か何かに足を取られたのだろう。そのまま仰け反るように身体を後ろに反らした。

 

ーーーーもらった!!

 

刀を構え、無防備になった上半身につきたてようと振りかぶったその時……

 

少女の手から刀が吹き飛んだ。

 

仰け反った状態のまま男が足を振り上げる。繰り出されたケリは利き腕を捉え、刀を吹き飛ばす。

 

あり得ない体勢から反撃されたという事実に彼女の身体が驚きで一瞬硬直する。その一瞬はこの男に取って致命的な隙。

 

そのまま両足でアカメの首に絡みつき、地面に押し倒し、馬乗りになった。

 

「はい、残念賞」

 

両腕を脚で封じながら肉にかぶりつく。お前など片手間で充分だと言わんばかりのその姿に憤るというより諦観の情が湧き上がる。

 

「腕は悪くない。迅さも素晴らしい。だがまだまだ隙が多い」

 

まるで教官のように良い点と悪い点を指摘する。顔は暗くてよく見えなかったが、月に差していた雲が時間と共になくなり、月明かりで男の顔が露わになる。

 

 

「トドメの時ほど注意深く、かつ迅速に行動しなければならない。最期の一撃ってのは油断の一撃に限りなく近い」

 

 

夢の少年と同じ事を言った男は緋色の髪に紅玉の瞳を宿した青年だった……

 

二つの紅い瞳が交わり、千年続いた帝国の崩壊の歯車が回り始る……

 

 

 

狂々、狂々(くるくる、くるくる)と……




*まるで教官のように良い点と悪い点を指摘する。
もはや職業病

最後までお読みいただきありがとうございます。どうしてこうなったぁあああ!!キャラが私の頭の中で勝手に動く〜〜!やべーよ終着点がまったく見えねえよ!誰か私の代わりに続き書いて!とまあ泣き言言いながら頑張りたいと思いますので感想、評価よろしくお願いします!


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第十五罪 戦士の矜持

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……殺さないのか」

 

「アホくさ、女騎士かお前は」

 

マウントポジションを取ったまま何もしようとしないフェイルに黒髪の少女が尋ねると呆れた顔をしながら答え、モシャモシャと焼けた肉を咀嚼する。

 

「私は貴方を殺そうとした」

 

「んなモン俺にとっちゃ道ですれ違った時に人と肩がぶつかったようなモンなんだよ。あ、コラ大人しくしろ」

 

ケツの下でもがく少女を脚で締め上げる。鍛えられたいい身体だ。そして女とは思えない程の力と完璧な剣さばき。刀の扱いは筋力ではないという事はフェイルもよくわかっているが躱しながら惚れぼれするほど美しい太刀筋だった。

 

ーーーーこの子の才はうちの三馬鹿に匹敵するか……或いはそれ以上の逸材だな

 

まだなお暴れる天才少女にすこし困ったように眉をひそめる。この子想像以上に頑固だ。

 

ーーーー参ったな。これ以上締め上げたら折れる。

 

才ある者の未来をいたずらに潰すのは俺の趣味ではない。さてどうしたモノかと悩みながら肉にかぶりついたその時。

 

 

グギュルルルル……

 

 

地響きかとまごう程見事な腹の音。見下ろしてみるとフェイルがかぶりつく肉を凝視しながらヨダレを垂らしている。

 

ーーーーちゃんとゴハン食べてないのか、この子は……

 

今時飢えた子供など珍しくもないが、飢餓状態であれ程の動きは出来ないはずだ。ならただの食いしん坊か。小柄の大食いはたまにいる。

 

「食うか?」

 

片手に骨つき肉をプラプラさせながら提案する。するとばっと視線を逸らし、煩悩を払うかのように頭を振った。

 

「もう暴れないってんなら食わせてやってもいいぞ」

 

「………………」

 

おーおー心が揺れてる揺れてる。もう一押しだな。

 

「ああ。自己紹介がまだだったな。俺はエスデス軍所属、視察部隊隊長、フェイルだ。怪しい者じゃない。黙って俺の言う事を聞くなら今回の件は不問としよう。どうだ?」

 

エスデス軍の身分証エンブレムを見せると目を見開いた。世間知らずそうな少女だったが流石に帝国一の人気と実力を誇る超精鋭部隊の事は知っているらしい。

止めの一撃。メチャクチャ美味そうにこんがり焼けてる骨つき肉を鼻先に持って行き、香ばしい匂いをジックリ嗅がせてやった後、喰いちぎって魅せた。

 

もともと降伏などに痛みを用いるのはナンセンス。機密を自白させたり、寝返らせたりする事より、痛めつけるのが目的の場合だったらエディのやるような拷問でもいいが、このような場合はそれではいけない。苦痛とは訓練次第で耐えられるものだし、もし落ちても心から屈服した訳ではないから、得られる情報がガセの可能性が多分にある。

 

だが悦楽は違う。

 

悦楽の我慢は人間出来ないようになっている。それも当たり前で、悦楽とは本人にとって喜ばしい正の感情。それを受け入れずに耐える事など人間の構造上不可能。

 

案の定、脚から力が伝わらなくなる。脱力した状態。完全な降伏宣言。

 

ーーーー堕ちたな……こいつ

 

後に帝国を震え上がらせる二人にしては、なんとも呑気な和解の方法だった。

 

「ああ、聞いてなかったな。お前さん、名前は?」

 

「………………アカメ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拘束を解いてやり、新しい肉を焼いている間、ヒマだったフェイルは持ってきていた書物を読んでいる。紅い瞳の少女は目をキラキラさせて焼けるイベリコを眺めている。

 

「そんなに肉好きなのかお前」

 

「肉以上の食べ物などない」

 

視線を肉に向けたまま答える少女に呆れたような顔で見やる。先ほど足に伝わってきた手応えから言って、彼女は充分な食事と鍛錬を積んでいる。食欲旺盛な事は戦士として立派な能力だがここまで来ると意地汚い。

 

「貴方こそさっきから何を読んでいるんだ?」

 

「大麦畑で掴まえて」

 

「?何だそれは」

 

「この本のタイトル。サルンジャーぐらい知っておけ」

 

帝国でかなり著名な作家だ。読書家のフェイルはもちろん、大して本を読まない人間でも名前くらい知っている。お前も読むか?という意味で本を差し出してやった。

 

「私は字が読めない」

 

珍しくはない。今の帝国でマトモな教育を受けている人間の方が稀有だ。

しかしそんな人間を放って置けないのがヴァリウスという男だった。

 

「豚の丸焼きには時間がかかる。文字を教えてやろう。一つ、物語を話してやる」

 

驚きにアカメは目を見開く。それも当然だ。このご時世、身寄りのない子供が文字を憶えるという事は子供が鳥を見て「空を飛びたい」と言うような夢みたいなものだったのだ。

本を閉じ、少女の隣に座り、語り始める。それはありふれた英雄譚。臆病者と呼ばれた少年が戦士となり、魔を打ち倒し、英雄と呼ばれるようになっても臆病なのは直らなかった、強くて弱い戦士の物語。

故郷の北の大地では本など買えるはずもなく、書物なんて一冊もなかった。しかし唯一ヴァリウスの手元にあったのがこの物語が書かれた本だった。

 

物語を話しながら文字を教える。

焼ける肉に夢中になっていた少女も段々と物語に集中していく。一息つくために筆と口を止める。

 

「素敵な話だ…」

 

「だろ?俺の好きな話でな」

 

「もう少し話して」

 

「いいとも、これなら全部ソラで話せる」

 

何千回も読み返し、ページが擦り切れるまで読んだ話だ。一言一句に至るまで完璧に憶えている。

 

語り終え、ペンで最後の文字を綴る。子供が読む童話だ。そんなに長い話ではない。

 

「お、そろそろ焼けたな」

 

焼けたイベリコを炎からあげる。こんがりと上手に焼けた豚から香ばしい匂いが湧き立つ。話に夢中だったアカメは我先に飛びついてきた。

瞬く間に豚を捌き、骨つき肉にかぶりつく。

 

ーーーーおお、見事な腕前と食い方だ。

 

「美味い……」

 

味付けほとんどしてねえんだけど……よくあんなに美味そうに食えるな。

 

自分の肉には塩をかけて食べる。まあ豚の危険種の中では高級な部類なので肉の旨味のみでもイケるが、一流の腕を持つ料理人としては少し物足りない。

 

「おいガキ、塩使うか?」

 

「必要ない」

 

「そうか……しかしお前さん見事な腕前と食いっぷりだな。太刀筋は随分と皇拳寺の色が強い。門下生か?」

 

「いや、私は父に鍛えられた暗殺者……あ、間違えた。皇拳寺の門下で武者修行中という設定だった」

 

……………聞かなかったことにしてやるか、あー俺いま肉に夢中で何にも聞いてないわ〜、マジっべーわ〜。

 

噛みちぎり、書き上げた原稿を整理する。ちゃんと写本にしないとバラけて読めたモンじゃない。

持っていた糸で縛り書状に纏め、懐にしまおうとしたら何やら視線を感じた為手を止める。

 

先ほどまで肉に夢中だった少女は食う手を止め、俺の手を一点に見つめている。俺の手というか恐らく原稿。

 

何やら言いたそうにモジモジすると手に持った肉を差し出しながら俺に近づいてくる。眉間に冷や汗がにじむ顔つき見る限り、かなり断腸の想いらしい。

 

「こ、この肉をあげるから……その……ソレを……」

 

「言われなくてもやるよ。その為に写本したんだし。ただ、その代わり条件がある」

 

「これ以上の肉はやらんぞ!」

 

「ちげーわ!てかいらねーわ!!コレでちゃんと文字の勉強する事!それが条件だ!」

 

「………………そんな事でいいのか」

 

肉でないなら金銭の類を連想していたアカメは予想外の条件に唖然とする。

 

「いいんだよ、ガキはワガママ言うのが仕事だ。いっぱい頼っていっぱいごねて自由に生きろ。そうやって学んで、泣いて、大きくなる」

 

ハアと溜め息をつき、苦笑しながら少女を見やる。3年前の黒髪の槍使いを少し思い出してしまった。

 

「お前、ウチの弟子に少し似てるな。真面目で、頭かたくて、優等生だ」

 

食べながら何気なく男が呟いたその一言を聞いた時、黒髪赤眼の少女に戦慄が奔った。

 

幼い頃から絶対服従を強いられてきた。何か言い返そうとすると力でねじ伏せられ、最愛の妹とも引き離された。自分達に自由などまるでなかった。

その事に疑問を持った事など一度もなかった。勿論不平不満は何度もあった。それでも疑問は持たなかった。

 

だがこの男はそんな彼女にとっての当たり前を笑って否定した。もっと迷惑をかけていい。もっと頼っていいんだ、お前はガキなんだから、と。

 

そんな言葉の意味を理解したその時……

 

少女の頬が濡れた。

 

緋髪の男が目を見開いてこちらを見てきて初めて自分の目から雫が落ちている事に気がつき、慌てて眼を拭った。

 

子供が誰かに頼る。そんな当たり前が彼女の人生には欠落していた。誰かを護るのはいつも彼女だった。そして唐突に与えられた優しさと力強さ。護られるという幸福。その手放し難い暖かさに心が揺るがされるのは無理ない事だろう。

 

ーーーーこの子は…………

 

苦労したのだろうな、と判る。この若さでウチの弟子に匹敵するであろうあの強さ。己の弟子も苛烈に修行させた。勿論愛情を持って育てた為、彼女らはまっすぐ育ったが、それでも致死量ギリギリの修行をさせてきた。この子も彼女らに負けない程苛烈な修行を重ねてきたのだろう。そして実力に反比例するかのような知識量の乏しさ。頭の出来は決して悪くないのにも関わらず、だ。まともな人生は歩んではいまい。

 

「おい、アカメ」

 

「………………?」

 

近くに座り顔をハンカチで拭ってやる。かなり乱雑に扱う。その方が気が紛れるはずだ。下手に優しくすると心の傷が深くなる。

 

「ーーーーったく、女とはいえ戦士がボロボロ泣いてんじゃねえよ」

 

「私は…………戦士ではない」

 

「そうか、なら丁度いい。お前は今日から戦士になれ。強い戦士ってのは自分の為に涙なんて流さねえ。自分の為に流していいのは汗だけだ。覚えておけ」

 

ハンカチを持たせてやり、フェイルは立ち上がった。もう充分待ったがババラは来ない。これ以上此処にいても意味はないと判断した。

 

「あ…………」

 

受け取ったハンカチを困ったように持ち上げ、こちらを見上げる。人から物をもらうという事をあまりしてこなかった彼女はその布をどう扱っていいのかわからなかった。

 

「おいガキ。お前は一体何の為に戦う」

 

「………………?何の為?」

 

昔なら妹の為だと迷いなく答えられた。だが今は違う。強いて言うなら命令だから、だ。

 

「何もないなら、次会う時までにお前は戦う理由を見つけろ。くだらん理由でその剣を振るっていたらその時は俺がお前を斬る。その時までハンカチは預けておく。いつかきっと返しに来い」

 

ーーーーいつかお前もこの国の真実を知る時が来る。その時彼女がどんな選択をするのか……場合によってはあの子達とやり合うことになるかもしれん。まあそれもまた一興。

 

「お前は自由なんだからな」

 

そう言い置いてその場から姿を消した。闇に紛れたのか、超スピードで誤魔化したに過ぎないのか、それはわからない。いなくなって初めて小さな狼となった黒髪の少女はこの思考に行き着いた。

 

「ジフノラの森での事……聞くの忘れた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洞窟へと戻っていると何やら喧騒の音が聞こえた。どうやらソプラノの声が言い争っているようだ。歩いていた歩幅を早め、ねぐらへと向かう。

 

「お師様は!?お師様はどこ!?チェルシー!タエコ!」

 

「知らないよ!周囲警戒にでも出てるんじゃないの?」

 

「ファン、落ち着いて。師父なら大丈夫。あの人が世界一強いのは私たちが誰より知ってるじゃない」

 

「でも!戦場じゃどんな強者でも死ぬ事はあるって言ってた!こうしてる間にお師様に危険が迫ってたら……ああああ……」

 

ファンが半狂乱状態でタエコとチェルシーに縋り付いている。そうしなければ彼女は今にも一人で外に飛び出そうとしかねないからだ。

 

「守らないと…………今度こそ、絶対!!」

 

隣で眠っていたはずなのに、起きたら消えていた為、何かあったのかと不安になったらしい。相変わらずネガティヴなヤツだ。

 

「俺がなんだよ、ファン」

 

ポンと頭に手を置いてやる。聞きなれた俺の声に反射的に反応し、飛びついてきた。タエコとチェルシーはホッとした顔をしている。俺が無事だったからというよりは厄介ごとが解決したという方が正しそうだ。

 

「お師様……!私に黙ってどこに行ってたの……」

 

「お前は俺の母ちゃんか?どこに行こうが俺の勝手だ。いちいちお前の許可をもらうつもりはねえ」

 

「どこにいるかわからないと守れないじゃないですか!」

 

「いつからお前は俺の気を使えるほど偉くなった。俺を守るなんざたわけた事言える余裕があんならテメエの心配してろ」

 

「でも!……私にはもう……貴方しかいないから」

 

ソレを言われると弱いな……まったく、育て方間違えたかな……いや、コイツのコレは生来のもんか。

 

「ーーーーったく、お前らみたいな半人前おいて死ぬなんて事はしねえから安心しろ」

 

「うんっ……」

 

俺の胸に頭を擦り付けてくる。髪の毛を梳いてやりながら心の中で溜め息をついた。

 

ーーーーエディもその傾向があったからわかるがこの子、ヤんでそうだなぁ……医学でもクサツの湯でも治らんとチサトは言ってたけど。そのうち俺かこいつが守ると決めた誰か、拉致カンされるかもしれん。

 

なんか娘の将来を心配する親父ってこんな感じかなぁと頭を撫でてやりながら思った。俺まだ二十代前半だけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*子供が誰かに頼る。そんな当たり前が彼女の人生には欠落していた。
イヤミか、キサマ!!
*そのうち俺かこいつが守ると決めた誰か、拉致カンされるかもしれん。
タツミきゅん、拉致監禁フラグ樹立
後書きです。アカメ、狼菌感染。発病まではもう少し時間がかかります。それまでには公式でナジェとの出会いと説得やって欲しいなぁ。間に合わなければオリジナルで書きますけれど零と食い違うかもしれませんがご了承ください。そしてまだ終わりが見えない。将来的にタツミ出すかもまだ決めてない。それでは感想、評価よろしくお願いします!


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第十六罪 芽生える不審とパンデミック

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二つの紅い瞳の邂逅が終わった翌日の夜、夜の渓谷から姦しい黄色い声が響く。そこでは暗殺者として育てられた少女達が一時の休息を過ごしていた。

 

渓谷の中にある隠された秘湯で旅の疲れと襲撃の緊張を解している。数は全員で四人。それぞれが異なる個性を持った美少女達だ。

入浴が終わり、男子チーム達に交代を告げに行く際にポニーテールの少女が一つゲームを思いつく。気配を消してヒッソリと近づき、男子チーム達が普段どんな話をしているか盗み聞きしようという悪巧みだ。

 

「ね、面白そうじゃない?」

 

赤みがかかった茶髪をポニーテールに束ねた少女が仲間達に共犯を促す。皆で覗けば怖くない、という心理は理解できる。

 

「でもポニィ。チーフにはバレるんじゃ…」

 

小柄な体格には不釣り合いなほど豊かな胸をしたショートボブの茶髪に榛色の瞳の少女が不安そうに呟く。チーフと呼ばれる少年は彼女達の仲間の中でも一つ抜けた実力を持つ。その不安は概ね正しい。

 

「大丈夫大丈夫!遊びなんだし、一度でいいからチーフに雑魚め!って言ってみたかったんだ〜。ね、行こうよツクシ!コル姉も!」

 

コル姉と呼ばれる抜群のスタイルをした金髪碧眼の少女はやれやれといった感じで笑う。本名はコルネリア。苦笑しつつもその企画の楽しさに少し惹かれているといった様子だ。

 

「面白そうだけど……ねえ、アカメはどうする?」

 

「私はいい」

 

予想通りの言葉に思わず鼻で息を吐く。この黒髪の美少女はお風呂から上がってからずっとブツブツ呟きながら書物ともう一つ別の紙に書かれた文字列とにらめっこしている。いや、正確には襲撃が終わってからずっとだ。人から貰ったというその紙にはとある物語とアルファベットが書かれているという事を字が読めるコルネリアだけは知っていた。

 

「じゃ、私もいいかな。二人で行っておいでよ。私達は此処で待ってるから」

 

「えー。皆で行こうよー」

 

「でも、此処を空にするわけにもいかないでしょ?私達はいいから行っといで」

 

「うーん、それもそっか……じゃ、ツクシ。行こ!」

 

「う、うん!」

 

物音をほぼ立てず、二人の少女が森の中へと消える。いなくなったのを確認するとコルネリアはアカメの隣に腰掛ける。

 

「昨日からなに読んでるの?アカメ」

 

「読んでいない。読むために勉強しているところだ」

 

勉強ねぇ、と少し不思議そうに妹分を見やる。確かに文字を知らないのだから物語が読めないのは当たり前だ。しかしもう彼女は言葉を知らない乳飲み子ではない。単語の知識はちゃんとある。ならば文字の発音が解れば読めるはずだ。

 

「ねえ、アカメ」

 

「?何だ?」

 

「コレ、なんて発音する?」

 

「e(エ)だ」

 

「じゃあコレとコレでは?」

 

「da(ダ)だ」

 

「うーん……」

 

正しく発音できている。なら一体なぜ未だににらめっこを続けているのか……

 

ーーーーあら?

 

よく見ると物語が書かれた紙には多くの線が引かれている。この線には一体どんな意味があるのか。

 

「うーん……もがな…………言わずもがな……何かの変形か?それとも発音が間違っているのか……ダメだ、わからない」

 

「………………あ〜」

 

近づいた事でブツブツ呟いていた内容がようやくわかった。字が読めても意味がわからなかったため、本の内容が理解できなかった。それで読み方が間違っているのではないかと逡巡していたというわけだ。

 

「アカメ、それは言うまでもなく、とかそういう意味の言葉よ。発音は合ってるわ」

 

「………………!コル姉はコレが読めるのか!!」

 

「ええ、ロウセイの村で文字を習ったから」

 

「なら、この言葉の意味を教えてくれ!一体なんの事か全くわからないんだ」

 

線が引かれている字を指差し、教えを請いてくる。内容は、《無聊》、《一縷の望み》、《老獪》、《炯眼》など、なるほど確かにそのまま読んだだけなら意味がわかりにくいものばかりだ。これなら確かに読めなくても不思議はない。

 

「アカメ。ちょっと見せて」

 

書物を受け取り、書かれている物語を読む。それは少し変わった英雄譚。英雄譚とは基本的に完全無欠の戦士が主役となる事が多い。だがこの主人公は違う。欠点や弱点が多くあり、そしてそれ以上の優しさや仲間を思う強さを持つ少年だった。

 

「素敵な話ね……ねえアカメ、これ誰に貰ったの?パパ?」

 

「違う。けど言えない」

 

「言えない?」

 

「それがこの物語と文字を教えてもらう条件だったから」

 

「怪しい人じゃないの?」

 

「それは大丈夫。その人、帝国軍人だったから」

 

「軍人?」

 

「うん、あのエスデス軍のエンブレムを持ってた」

 

「エスデス軍!?」

 

田舎者の自分達も知っている音に聞こえたあの最強の軍。そこに属している人間は皆、鬼のごとき強さを持つと聞いている。帝国に属しているという点では自分達の先輩と呼べる人物だ。

 

「そんな人といつ会ったの!?」

 

「昨日の夜、白狼河の近くで。なんで来たのかは知らない」

 

「ヘェ〜。どんな人だったの?」

 

「歳は若かった。多分二十代前半くらい。それと……」

 

「それと?」

 

少し考え込んだ後、あの素直でない男の行動やねじ曲がった優しさを思い出したのか、クスッと笑ってコルネリアを見上げる。

 

「凄く変な人」

 

コルネリアは思わず息を呑んだ。それなりに長い付き合いの中で基本的に無表情な彼女のこんな笑顔を見たのは初めてだったから。

それから色々話を聞いた。敵であるはずの自分にアドバイスをくれた事、暖かい肉を食べさせてくれた事、無償で文字を教えてくれた事。本を書いてくれた事、全てを。

話を聞きながらコルネリアの目からウロコが何枚も落ちる。そんな人がいる事にも少なからず驚いたが、今まで父の言う事に絶対服従だった事を自覚させられた事に最も驚かされた。

 

「ね。その人どうだった?強い?」

 

「強い。今までやりあった誰よりも」

 

「あ、やっぱ強いんだ。アカメより強かった?」

 

「もう全然。私なんて足だけであしらわれた」

 

「へー!!」

 

何度目の心からの驚愕だろう。アカメのキルランクはNo.7。自分達の中では最も低い数字だが、それは8年前の試験、それも妹という足手まといを抱えてでの話。今現在の実力でいえば彼女は恐らくNo.3である自分の次か、下手をすれば同等の強さを持つ事にコルネリアは気づいていた。そのアカメが子供扱いされたというのは俄かに信じがたい話だ。父ですら難しいかもしれない。

 

「一体どんなゴリラなんだか。ガイよりゴリラだったりして」

 

「いや、線は細かったぞ?綺麗なヒトだった」

 

「キレイぃ?!」

 

アカメがこんな形容詞を使ったところは初めて見た。他人を見た目で形容するという事自体、この花より団子な少女には珍しい事なのだが、それ以上に意外な形容詞を聞いた事で思わず変な声が出てしまった。あまり男性に使う表現ではないから尚更だ。

 

ーーーー綺麗な男の人ねぇ……そんな人、いるのかしら

 

身近でギリギリ思い当たるのがチーフであるナハシュだが怜悧すぎてそういう対象には見れない。いくら磨き抜かれた鋭いナイフが美しくても所詮はナイフ。綺麗と思うより先に怖いと思ってしまう。

変態チックなグリーンはもちろん、ガイなど論外だ。ゴツゴツしくて暑苦しく、好みの対極にいるため散々の告白も全て袖にしている。

 

「それよりコル姉。この言葉の意味を教えて欲しい」

 

「ああ、ハイハイ。えっとこれはね……」

 

その男の事は一旦頭の隅にやり、アカメに文字を教える。

 

数日後、普段姉のように頼られ、可愛がるのは自分であるが故に、愛されたい願望を持つ金髪碧眼の少女が自分の好みにどストライクな容姿を持つ、人と才気を愛する美丈夫に出会い、その事を真実だと知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラクロウの街、トウシ町。

 

人口はダントツに多く、一見街は賑わっている。

その賑わいの中、異様な空気を発している地域がある。

先頭を歩くのは燃えるような緋色の髪を背中まで伸ばし、首元をネックウォーマのようなもので隠した美女。すれ違えば誰もが振り返るその美貌もその一団を目立たせている要因の一つではあったが、最大の原因はそれではなかった。

彼女が纏っているその服。軍服のみを見ても一般人はその軍人の所属などはわからない。しかし、彼女の胸に刻まれたそのエンブレムは帝国民であれば誰もが知るものだった。

それはエスデス軍の紋章。知っているものはデモンズエキスのトレードマークと知っている。そして知らない者でもこのエンブレムが最強を誇る証だという事は知っている。

 

それに加えて彼女の堂々とした所作。隙のない佇まいに凜とした空気がその異常さを際立たせる。歩く姿がすでに強者。誰が見ても特級の使い手と分かる。それが彼女……いや、彼の発するオーラがこの威容の最大の原因だった。

 

彼がここまで一見愚挙に見える行動をしているのは幾つか理由がある。一つは一向に合流出来ないババラを呼び寄せるため。エスデス軍の人間がこのタイミングでラクロウにいるという事は真っ先に自分を連想させるはず。ヘタをすれば中央に伝わりかねないデメリットはあるが、確実にババラの判断の方が早いと判断しての行動だった。

そしてもう一つが周囲警戒及び情報収集に当たっているチェルシー達が活動しやすいようにする為だ。変装の帝具を持つチェルシーとその護衛にファンを充てている為、とくに心配はしていないけれど、注意はこちらに向けていた方が彼女達が安全だし、何より異常事態が起これば敵も必ず動く。それを見逃すほど間抜けな鍛え方はしていない。

 

ーーーー餌にするなら間違いなく俺が適任。

 

その考えの元、フェイルは傍らに控えるタエコと共に活動していた。

 

「師父…」

 

警戒に引っかかる奴を注意深く観察しながら歩みを進めているとタエコが師の袖を掴む。何だ、と視線で返答するとこちらに近づく老婆が一人。

 

ーーーー来たな…

 

「すみません、軍人様。少し道を尋ねたいんじゃが…」

 

人の良さそうな顔つきの婆がメモを取り出し、こちらに近づいてくる。軍人もにこやかにそれに答える。

 

「はい、どうかしましたか?お婆さん」

 

「此処に孫が住んでおりましてな。地図と住所はあるんじゃが道がわからなくて…」

 

老婆が地図と白紙の上に書かれた住所を見せる。緋色の髪の軍人もそれに合わせて背を屈めた。

 

 

[ターゲットは誘い出した。天狗党は既に全滅。宿はあけがらす。そこで待つ]

 

 

地図の中に小さく書き込まれた文字を読み取り、一度頷いた。周りに聞こえない程度の声でババラが呟く。

 

「襲撃者の強さは恐らく羅刹四鬼クラス。決して油断するな」

 

「わかったよお婆さん。この道を突き当たりに行って右のタバコ屋のすぐ側だ」

 

「ありがとう。軍人様。これで夜までに孫に会えます」

 

一度深く頭を下げ、路地の向こうへと消えていく。その様子を姿が見えなくなるまで見届けた後、タエコに振り返った。

 

「合流時間は今夜、場所はあけがらす。それまで俺たちはエスデス軍の人間として行動する。B地点でキャンプの設置と炊き出しの手伝いをしておけ。話はもう通してある」

 

「了解した。師父は?」

 

「責任者として俺も同行する。金も渡さなきゃならないしな。行くぞ」

 

「了解。しかしこれって軍人の仕事なのか?」

 

「今の帝国じゃあんまやらねえけどな。エスデス軍のイメージアップの為に俺が何度か引き受けた仕事でマジであったんだよ。このご時世、飢えた人間は腐る程いるからな。エディは一切参加しなかったけど」

 

面倒ごとは全部俺に押しつけてたからな〜、とぼやく。とことん戦い以外に興味のない人間だった。

 

「チェルシー達にはどうやって伝える?」

 

「ほっとけ。特に隠密行動しているわけでもない俺の宿泊先の情報くらい自分で掴めないでどうする。それが出来なきゃ今夜奴らは野宿で充分だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、狼達のターゲットである一団も街に入っていた。男子陣達は情報収集及び、標的の確認の為、外で活動している。より良い休息を取る為に高級宿を手配したゴズキはアカメ達を連れて街を歩いていた。

 

その足がふと止まる。引き連れている少女の一人がある一点を見つめ、足を止めていたからだ。視線の先には職もなく、金もない痩せ細った人間達。

 

「此処もだ……」

 

呆然とした様子で呟かれる声には優しさと哀れみが多く含まれている。こんな人間、今の帝国には溢れかえっている。すっかり慣れてしまったゴズキは何とも思わないし、ゴズキに洗脳されている少女達も深刻には考え込まないが、アカメだけは違った。

 

「こんな大都市での生活でもあんなに厳しいのだろうか……」

 

「本当だ……私たちの村とは全然違う」

 

ゴズキは心の中で盛大に舌打ちする。あんなカスにいちいち構ってはいられないが、ココで思っている事を正直に言う訳にはいかない。思考停止にさせない為、彼女らに行っている洗脳は比較的緩いものだ。ちょっとしたキッカケでその封は破られかねない。ここでの対応を間違える訳にはいかない。

 

「ま、仕方ねえわな。貧富の差ってのはどこにでもあらぁな。そして戦争が始まっちまったらその格差はさらにデカくなる。俺たちが平和を守る事が彼らを救う唯一の手段なのさ。あとは政治家がなんとかしてくれる」

 

「そ、そうだね!頑張らなきゃ!」

 

少女達の顔に安堵が戻る。取り敢えずの対応は概ね出来ただろう。

しかしゴズキは見逃さなかった。自分の言葉を鵜呑みにせず、飢えた人間達を見つめる紅い瞳の少女を。そして本当にそれでいいのか、と疑わしげな目をしている碧眼の少女も……

 

ーーーーコイツらのメンタルはまだ染まりきってねえな。ま、今は問題ねえけど

 

時間の問題だと決めつけ、前を向こうとすると再び意識が持っていかれる。鉄と鉄がぶつかる盛大な音が辺りに鳴り響いたからだ。

 

「麦粥の炊き出しですよーーーー!!皆様ご自由にお召し上がりくださーーーい!!」

 

中性的なアルトの声が辺りに響く。その声はまるで上質な金管楽器のように美しく、よく通る声だった。声を出したであろう人物は緋色の髪を後ろに束ねた美女。粥を作ったのは彼女だったのだろう。珠のような大粒の汗を流しながら鍋をかき混ぜている。そのすぐそばで黒髪を後ろに束ねた少女が器に粥を持っている。

 

音に反応するように貧民達がわっとキャンプに集まる。そのあまりの勢いに設置されたテントが潰れてしまいそうだ。

 

「押さないで!!まだまだたっぷりありますからーー!!」

 

地域の人間も手伝ってはいるがどうみても手が足りない。言葉や態度の端々に殺気が見え隠れする。

しかしそこで働く人間達は皆真摯な眼差しをしており、飢えた民を救おうとする気概があった。その事に気づいたのは少女達の中では2名のみ。

 

「彼らを手伝ってくる。宿には先に行っておいてくれ」

 

その紅い瞳を輝かせ、アカメが彼らのテントへと向かう。ゴズキが止める間もなかった。こうなってはもう止めようがない。子供達はともかく、自分があまり目立つわけにはいかない。

 

「しょうがないわね、私も行ってくるわ。アカメだけじゃ道とか不安だし。パパ。先に宿に入ってていいよ」

 

「あ、ああ。頼む、コルネリア」

 

やれやれと言った様子でコルネリアもアカメの後に続く。

 

そう、気づいたのはこの二人。狼の教えを受け、間接的にその思想を理解した人間達だった。

 

その2人の様子を油断ならない目で睨むゴズキ。

 

ーーーーあまりいい兆候じゃねえな……

 

アカメはともかく、コルネリアまでこちらの指示を聴かず動いたのは初めてだ。かけていた安全ピンが外れかけているのかもしれない。

 

「お父さん?」

 

残された2人の不安げな瞳がゴズキを見上げる。一度頭を振り、切り替え、笑顔を見せる。

 

「ああ、悪りぃな。もうすぐ宿だ。行こうぜ」

 

内心の疑心を最も自分を妄信している少女達二人に悟られないように注意しつつ、宿へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーあっつ…

 

吹き出る汗を拭いながら鍋の前に立つ。薄着をしたい所だがあまり脱ぐと骨格で男とバレる。まあバーナーナイフの熱に慣れているフェイルであれば耐えられない暑さではない。それに難民達は絶えまなくやって来る。まだまだ粥はあるとはいえ、どんどん新しく作らなければパンクする。

 

ーーーー大局的に見ればあんま意味ねえ行為なんだけどな

 

こんな事は所詮焼け石に水だ。根本を改善しなければ貧しさというのは解決されない。そんな事はこの万能のかつての副将軍は百も承知だ。政治の面でも世渡りが下手なエスデスの面倒を見ていたのは彼なのだから。それも一つの真実だと言うことは理解している。

 

しかしそれは所詮飢えたことのないご立派な部屋で勤務をする政治家の真実だ。かつて戦闘力しかない子供二人で食うや食わずの旅をしていたヴァリウスは貧民の真実をその身で体感していた。本当に飢えている時、未来の事を思う余裕などない。たった一杯の水が、一杯の粥が未来を繋げる。貧民というのは基本的にしぶとい。本当に危ない所を脱したら2度とそうならない為になんらかの行動を起こす。

かつての自分がそうだったように。

 

救われた事など一度もなかったけれど、危険種の肉を自分が食べず、大事な相棒に全て与え、エスデスを飢えさせた事がないというのは己の誇りの一つだった。

 

後になってその事に気づいたエスデスがヴァリウスを問い詰めた事がある。するとまるで成人女性に太陽はどちらから登るのか、と聞かれたような、何当たり前の事を聞いてるんだお前は、という呆れた顔をして答えた。

 

『もしエディが弁当持ってて俺がエディの目の前で腹へって死にかけて倒れたら、お前どうする?』

 

『………………ヴァルに全部あげる』

 

『そーゆー事』

 

それだけ言って礼を言わせる隙もなくその場を去った事をエスデスは未だ鮮明に覚えているというのはまた別の話だ。

 

目の前の今を助けるために行動するという事をヴァリウスは信条としている。今を生きられず、どうして未来を生かす事が出来るだろうか。

 

「師父!」

 

鋭い声が背中にかかり、思考が停止する。はいはい、わかってますよ。

 

「あの!」

 

鍋から器に粥をよそっている最中に声がかかる。手を止めずに声で対応する。

 

「はいはい!ちゃんと全員分ありますから!列に並んで待っててください!」

 

「あ、そうじゃないの」

 

予想を否定された事でようやく話しかけてきた相手に興味を持った。視線を向けると腕まくりをして細く白い腕を見せる金髪の少女と麦粥をチラチラ見る黒髪の少女2人が目に入る。確かに2人とも健康的で飢えているという様子はない。

 

ーーーー?あの黒い方、どっかで見たような…………ダメだ、忘れた

 

「もしお邪魔でなければお手伝いをさせて欲しいの。ダメ?お姉さん」

 

「いいの?給料なんて出ないよ?」

 

「いいのよ、ヒマだし。困った時はお互い様でしょ?」

 

フッと笑みを浮かべ、鍋の火を止める。この国にまだこんな若者がいた事が少し嬉しかったのだ。それに今は猫の手でも欲しい。

 

「タエ」

 

「はい」

 

「この二人を配膳係に。お前は私を手伝いなさい。じゃ、2人ともよろしくね」

 

『はい!!』

 

操り人形だった彼女らが少しずつ殻を破り、新たな黒狼と金狼として生まれ変わろうとしている事を炎狼が知るのはもう少し先の話……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




狼菌の感染者がどんどん増えていきますね。感想、評価、よろしくお願いします。活動報告でローレライについての事も書いてあるのでよろしくお願いします!


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第十七罪 誰が為の牙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ〜〜」

 

ふわりとした金髪にサファイアを思わせる青い瞳が特徴的な美少女が空になった鍋の前でへたり込む。珠のような汗を滝のごとく流し、体から蒸気が湧き上がり、頬は紅潮している。その姿はどこか艶っぽい。

 

ーーーー体力には自信あったんだけどなぁ……

 

同じように座り込む黒髪の同僚を眺め、元気に後片付けをする紅い髪の美女を見ながらそんな事を思う。彼女らは優秀な暗殺者だ。戦闘となれば一昼夜戦う事も出来るだろう。しかし、その手の労働とこの手の労働は使う神経が違う。彼女のようになるには慣れが必要だろう。

 

「お疲れ様」

 

へたり込む二人の目の前にコトリと二つの皿が置かれる。先程まで自分達が扱っていた麦粥だ。持ってきたのは黒髪を後ろに束ねた無表情な少女。

 

「えっと……コレ……」

 

「手伝ってくれた二人の為に師父が取っておいた分。報酬代わりだからどうぞ食べて」

 

「………………いいのか?」

 

「若いうちから遠慮などするな。出されたものは素直に食べろ、ガキども」

 

この場を取り仕切っていたであろう美女が纏めていた緋い髪を降ろしつつ、此方に笑いかける。つい最近どこかで見たようなその笑顔に少し戸惑いながらもまずアカメが皿を手に取る。続いてコルネリアも粥を口に運んだ。

 

「………………美味しい」

 

「肉汁はないが美味い!」

 

一口食べるともう止まらない。一気に掻っ込むアカメとスプーンの往復が早くなるコルネリア。素朴ながらも地味豊かな味わいと適度な塩の味付けが疲れた身体に染み渡る。

 

ーーーーお粥なんて初めて食べたけど、こんなに美味しいなんて……

 

夢中になって食べる二人の側に彼女らも座り、自分達の分を食べ始める。

 

「とこほふぇあなふぁふぁひぃは」

 

「何を言ってるかわからん。口の中のものがなくなってから喋れ品のない」

 

辟易した顔つきでアカメを嗜める。この人物は下品な物が基本的に嫌いだ。決して自分も高貴な生まれではないはずなのに、この手のマナー違反がカンに触る。その弊害と恩恵を最も受けたのは必然的にエスデスだった。彼女の社交場での振る舞いはヴァリウスによって作られたといって差し支えない。

 

「ご、ゴメンなさい。ほらアカメ、呑み込んで」

 

「ん…………っくん。ところで貴方達はどういった人物だ?見た所一般人ではない」

 

「軍服を見てわからないか?帝国軍の者だ」

 

「わからないから聞いている」

 

タエコの言葉にアカメが返す。教えてもいいか、とタエコが師に視線を向け、緋色の髪の美女は頷いた。

 

「エスデス軍所属、視察部隊隊員、タエコ」

 

「下に同じく、エスデス軍所属軍医、チサト」

 

チサトと名乗る美女が身分証を見せる。そこに刻まれたエンブレムを見て二人とも大きく仰け反った。完全に予想の斜め上の身分の人物達だった。

 

「で?貴様らは?」

 

この質問に思わず顔を見合わせる。父に決して自分の素性をバラすなと厳命されているが、この人物達に嘘をついていいものか判断がつかなかったのだ。

 

「ワケありなら詳しくは聞かんが?」

 

「い、いえ、私達は皇拳寺門下の者です。今は武者修行の旅で各地を行脚しています」

 

「ほう、佇まいから素人ではないと思ってはいたが中々大物だ。名は?」

 

「私はコルネリア。こっちはアカメ」

 

「初めまして」

 

ペコッと頭を下げ、すぐに戻す。今度は黒髪の方が口を開いた。

 

「フェイルという人はどこにいる?あなた方の隊長のはずだ」

 

「隊長はもう宿に入ったはずだ。なんだお前、隊長の知り合いか?」

 

「いくつか教えを受けた。あの人には恩と確かめたい事があったから会いたい。どこの宿にいる?」

 

「そりゃ教えられん。そこから先は身内の情報だ。迂闊には喋れんさ」

 

「……………そうか」

 

皿に残った麦粥を一気に流し込み、立ち上がる。それに続くようにタエコも立ち上がった。

 

「では、我々はこれで。隊長には私から礼を言っていたと伝えておこう。食い終わったら皿は適当に捨てておけ、いくぞタエコ」

 

「あ、待って!」

 

黙ってチサトに続こうと背を向けたタエコ達を呼び止める。最も聞きたい事を聞いていない。

 

「貴方達は……人の幸せとはどのように守れると思う?」

 

切実な響きを含んだ声に足を止める。そしてその問いの答えは難しい。時代を問わずその問いに悩み、苦しむ者は大勢いる。軍医を名乗る美女をその1人。今は彼女なりに答えを出してはいるけれどそれが正しいかどうかはわからない。

 

「さあな、人の幸せなんてのはそれぞれだ。他人が勝手に決めていい事ではない」

 

「………………でも」

「それでも一つだけ確かに言える事がある」

 

飢餓に苦しむ人間が多くいるこの国は不幸な人で溢れているだろうと続けようとした言葉は遮られる。

 

「人を斬る事で人は幸せにはならん。そいつを斬る事で救われる人間もいるかもしれないが、そいつが斬られた事で悲しむ人間も必ずいるからだ」

 

二人とも息を呑む。自分達が今まで信じてきた事を真っ向から否定され、そしてその真実に納得してしまったから。

 

「私達は軍人だ。人を斬る事が必要な時もある。だがその理由を考えずに剣を振るう者にはなにも成せず、いずれ折れる。そんな奴は命令を下す者の意思を体現する道具でしかないからだ。それは人でありながら人でない。どれほど強力な剣であろうと壊れる時は必ず来る」

 

かつて己は魔神の牙だと思い込んでいた男の独白。あの時彼はなにも考えない、ただあの美しい魔女に飼われた狼だった。

 

「私達が…………道具?」

 

呆然と呟く。ただ父の命ずるままに人を斬り続けてきた。それは意思のない操り人形が糸のまま繰り手に操られるのと何が違うだろう。コルネリアはその言葉に頭を殴りつけられたような気がした。

アカメは己の中にあった蟠りが解けていくのを心で感じていた。疑問だった殺し。大好きだった定食の女将を斬った時のあの涙の理由。その全てに感じていた違和感が氷解していった。

 

ーーーー私は……父の刀なだけだ……

 

その自覚は忘れかけていた自我を目覚めさせ、彼女らの視野を大きく広げる一助となった。

 

「憶えておけヒヨッコども。大切な誰かの為に120%の力を出せる。そんな奴だけが本当に強くなれるんだよ」

 

「誰かの………為……」

 

緋色の髪の美女の軍服の裾をタエコが握る。私が強くなるのは貴方の為だと掴んだ指の強さが訴えていた。

 

ーーーーそうだ、私だって最初はクロメの為に……

 

「そんな強さ……私、知らない」

 

ギュッと拳を握る黒髪の少女の傍ら、金髪碧眼の拳士が道に迷ってしまったかのような心細い声で呟いた。

 

「だろーな。今は迷ってもいいさ。貴様はまだ若い。大いに迷え。でもいつかわかる時は来る。その時、どうするかは」

 

トンとコルネリアの心臓を指差し、人差し指で軽く押す。

 

「貴様の心の針に従え。私が今言ったことがわかるお前の心ならきっと正しい道を教えてくれる」

 

そう言葉を残し、二人は彼女らと別れた。その背中を見送る中、小さな声でアカメが呼びかける。

 

「コル姉……」

 

「…………なに?アカメ」

 

「私達は……今のままでいいのだろうか」

 

同様の思いはコルネリアの中にもあった。敬愛する父の命ずるままに戦う。その事になんの躊躇もなかった。しかし一度でも違和感を憶えてしまえば過去を振り返る事はできる。理不尽な要求。人を殺す事で平和が訪れるという矛盾。気づいてしまえばなぜ今まで疑問に思わなかったか、不思議なほど妙な行動が父と自分達にはあった。

 

国の為だと父は言う。力で屈服させ、己を父と呼べとあの男は言う。その事に納得していた。考えてみればおかしな話だ。彼がいくら父だと思えと言っても、私がいくらパパと呼んでも彼は父ではない。

 

言葉は嘘をつく。その事に気づいてしまった。なら何を信じればいい?それは行動だろう。やってきた事は嘘をつかない。

 

そしてその行動を見直すと…………

 

ーーーーううん、まだそう決めるのは早い。あの人の事だって私はまだ言葉でしか知らないじゃない

 

「今はただ目の前の任務を遂行しよう。あの人も言ってたじゃない。いずれわかる時が来るって。それまではさ、仲間を守る為に戦おう」

 

「………………ああ、そうだな」

 

二人の背中が見えなくなり、コルネリアとアカメも踵を返した。言いようのない蟠りを二人の心に残して…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師父……」

 

「ん?どうしたタエ」

 

二人きりに戻り、尾行されていない事を確信したタエコが師に呼びかける。二人の身分を聞いて気になった事が出来た。

 

「皇拳寺の門下って、昨日師父が言ってた……」

 

「さあ?わからんぞ?間合いの取り方や重心の置き方にその色は見られた。本当に門下生かもしれん」

 

昨夜、皇拳寺の門下生を名乗る暗殺者の女と会ったという話は三人には告げていた。警戒するのは当然だろう。

 

「師父の名前も知ってた。昨夜あの黒髪の方と会ったんじゃないの?」

 

「暗くて顔はよくわかんなかったんだよな。太刀筋見れば一発でわかるだろうけどあの場で見せてくれとは言えんし。あ、エディの軍なら別に言えたか、手練に喧嘩ふっかけんのはよくある事だし」

 

「ならやっぱり…………あの場で斬れば良かったんじゃ…」

 

細みの剣に手を掛けながら今からでもと殺気を滲ませる彼女の肩に手を回し、抱き寄せる。女にしては高身長の彼女だがフェイルと比べると華奢も華奢。抱き寄せながら力入れると折れちまいそうだな、と心で苦笑しながら自分の肩にもたれ掛けさせた。

 

「し、師父……その、あの、こんな所では……心の準備が……往来だし、人目あるし、下着普通のだし……」

 

「なに色気づいてんだお前は。それと最後の関係ねーし。そういきなり殺気立つな。俺より喧嘩っ早いなお前は。ババラはどういう教育してんだ。あいつも二言目には殺すでいかん。いいか、古来暗殺で大事を成した奴はいねーんだよ。タケチしかり、カワカミしかり」

 

前者は暗殺者集団の黒幕だった人物であり、後者は実際暗殺を行っていた人物だ。知っているものは知っているが一流の名ではない。

 

「彼らは反逆者。名を馳せるのは難しい」

 

「ばっか、反逆者でも凄えのは幾らでもいるぜ?サイゴウを見ろ、南部の全ての武人を一手に纏め上げた人物だ。ヒデヨシもだ。彼は言ってみれば農奴からのしあがった簒奪者だがそれでも天下を盗んだ大泥棒よ。俺の弟子ならそれぐらいを目指してみろ」

 

「無茶だ……」

 

無茶なものかとぐりぐり頭を撫でる。それぐらいの期待をして、フェイルは彼女を弟子にしたのだ。実際に出来るかどうかはともかく、志はそれぐらい高く持ってもらわねばならない。

 

「あの子達の目はまだ綺麗だった。昔の俺のように汚れてない、濁っていない。ならまだ帰ってこれる余地はある」

 

「あの子達を救いたい、と?」

 

「そんな事は言わん。そこまでしてやる義理もないしな。彼女らが帰ってくるのだとしたら自分の足でだ。それが出来てから初めて少し考えるかな」

 

「………………そっか」

 

抱き寄せられた肩に体重を預ける。こうしてこの人に二人きりで甘えるのも久しぶりだ。あの二人と合流するまで役得とさせてもらおう。コレぐらいはいいだろう。

 

「疲れたか?」

 

「ううん。こうしたいだけ」

 

「そっか」

 

特になにも言わず、されるがままにしてやる。彼女にとっては俺が唯一頼れる家族だ。二人の時くらい好きにさせてやるとしよう。

 

側から見れば女同士が寄り添いあった格好で二人は今日の宿へと歩き始めた。




*大切な誰かの為に120%の力を出せる
100%中の100%<120%
*タケチ
武市半平太。幕末の土佐勤王党の志士の黒幕。決してロリコンではない、フェミニストでもない。多分。
*カワカミ
河上彦斎。尊皇攘夷派の熊本藩藩士。佐久間象山を暗殺。つんぽではない。ヘッドホンもつけてない。きっと。
あとがきです。なんかこの小説、ひたすらフェイルが説教しかしてない気がする。早くバトルに持っていかなくては……でも皆さん勝手に動くから……たとえの人物には中国の人を出したかったのですが中国史あんまり知らないので幕末の志士となりました。筆者、幕末大好きです。それでは感想、評価、よろしくお願いします


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第十八罪 女は時として男よりムッツリである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、ここね……」

 

「多分……」

 

聞き込みが終了し、情報収集をある程度終わらせたチェルシーとファンはエスデス軍の人間が滞在しているという宿へと到着した。

帝国第二の都、ラクロウを1日で駆けずり回った二人からは流石に疲労の色が濃く見受けられる。

 

「凄いところだな」

 

恐らく旅館街なのだろう。似たような宿が立ち並ぶ中、他とは少し離れた場所に一際見事な造りの旅館がある。その異様はもはや屋敷と呼べるシロモノだ。一目見て高級旅館だとわかる。

 

「オールベルグって随分ぜーたくしてるのね……先生今回ギャラ幾ら貰ってるのかな」

 

「チェルシー、そんな事より早く報告に行かないと」

 

入り口に近づくと従業員らしき和装の女性が現れる。高級旅館の女将らしく、その所作には一部の乱れもない。

 

「ーーーーいらっしゃいませ。お寒い中、ようこそお越しくださいました」

 

うやうやしく頭を下げる妙齢の美女の態度に思わずファンが狼狽える。このようにへり下った態度をされた事は彼女の人生において経験がない。どう対処するかわからなくても無理はないだろう。

そんな様子を察してか、チェルシーが一歩前に出て、そこそこある胸を張り応対した。

 

「フェイルって人の連れなんだけど案内して貰えるかな?」

 

「はい、お伺いしております。どうぞ此方に」

 

手を奥へと向けながら二人を誘導する。和の趣が強く出された館内の廊下は畳敷きであり、敷居の高さが肌で感じられる。足に伝わる未知の感覚に二人とも内心では動揺していた。

 

「こ、こんな床、見た事ない」

 

「ファン、キョロキョロしないで。田舎者に見られちゃうから」

 

「私たち二人ともその通りだろう」

 

「先生の弟子がみっともないとこ見せちゃダメでしょ」

 

ハッと口元に手をやり、一度深く頷く。そこからは毅然とした態度で歩き始めたのだが、見るものが見れば背伸びをしている様子はバレバレだった。しかし、そこは流石プロ。たとえ田舎者だろうとお客への敬意を微塵も忘れる事なく、二人を案内した。

 

「此方になります」

 

スッと戸の前に座り込み、少しだけ戸を開ける。そして今度は一気に戸を開け放った。

 

戸の向こうには期待通りの人物達がいた。1日ぶりの再会に二人ともホッとすると同時にドキリと胸が高鳴る。いつもの艶やかな緋色の髪は少し濡れており、心なしか紅潮している男の肌にへばりついている。浴衣の間から露出する鍛え抜かれた美しい肢体も全体的に湿っている。大股開きに足を組む己の師の姿はなぜか扇情的であり、心臓と下腹部にキュッとした刺激を与えた。

 

「フェイル様、お連れ様がお見えになりました」

 

「ああ、ご苦労さん。メシは先程言った通りに頼む」

 

「かしこまりました。それではどうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」

 

両手を畳につけ、頭を下げるとそっと部屋を退出していった。

 

「ふうっ……」

 

二人とも同時に息を吐き、その場に座り込む。その衝撃のせいか、それとも別の何かのせいなのかはわからないが、フェイルの膝に頭を乗せて眠っていた黒髪の少女もはだけてしまった胸や太腿を直しながら身体を起こした。

 

ーーーーヤリやがったな、こいつら……

 

ファンは全く気づいていない様子だがチェルシーは敏感に察した。チラチラとヴァリウスを不安げに見つめるその視線の熱っぽさ、明らかに温泉のせいではない汗をほんのりとかいて頬を朱に染めている。そしてはだけた胸と首筋に一瞬見えた虫刺されのような赤い跡。

 

「今夜はお楽しみだったのかしら?」

 

皮肉げに笑いながら緋色の髪の男を睨む。初めてタエコがヴァリウスに抱かれたのは三年前だ。翌日の彼女の歩く姿の僅かな違和感と腰を痛めた姿は今でも忘れられない。

それを知った自分もその日の夜に抱いてもらった。痛みももちろんあったがそれ以上の快楽があり、水の中で浮かんでいるような心地で眠れた夢のような一夜であった。

翌朝の下腹部の痛みが夢では無いことを鮮烈に教えてくれたが……

 

今小狼(シャオラン)の中でその手の経験が無いのはファンだけとなっている。三人の中で最も幼いし、月のモノが来るようになったのも結構最近のことだったりするのでそれはしょうがない。

 

だからファンにはまだこの手のことはわからない。経験がないのに事態を推察する事など出来るはずがないのだ。

しかしチェルシーは違う。人の三倍は空気の読める女だと自負しているし、こういう話も三度のご飯より好きなタイプだ。心理戦においても最強の領域にある師の様子からは絶対にわからないが、身内には心情が結構ダダ漏れな黒髪の姉弟子の異常がわからないはずがない。

 

「ああ、いい湯だったぞ。部屋に風呂がついてるというのは素晴らしい」

 

とぼけた様子のヴァリウスを一度ジロリと睨んで追求を止める。自分も二人に隠れてそういう事をヴァリウスとヤった事はある。今回それがタエコだったというだけだ。それにいちいち目くじら立てていたらこの三年間、タエコと共に暮らす事など出来なかった。

無論、この人の特別にはなりたい。だがそれは情事でなれるモノではない。それなら彼は特定ではあるが多数の特別がある。いや過去に火遊びはしてそうだけど……炎狼だし。

その中でこの人の一番になりたい、と思うのは女のサガだ。彼にとって私だけが特別でなければ嫌だ。今その地位に最も近いのは推察する限り、エスデス。次点がファンかチサトだろう。尤も、ファンは娘的な意味が強い。

この男はその辺の自覚が足りない。私達の事をどう思っているか訊ねれば大切だと即答してくれるに違いない。だがその大切はあくまで特定多数の大切であって唯一無二ではないのだ。

 

ーーーーこの人は誰にでも優しいわけじゃない。私達にすら厳しい時は鬼のように厳しい。それでも優しくしてくれるのは私達だけだ。だから彼の特定になろうと女は努力する。

 

寄りかかりたいと思える女になればいい。今は寄りかかってばっかりだけど……だから横一線である今はこれ以上しつこくしない方がいい。

それにファンの前でこれ以上その手の話はしたくない。この子は清らかなままでいて欲しいと切に願う。ファンは姉弟子に当たるけれど、家族としては私が姉のつもりだから。

 

「ハァ……ま、いーや。それよりハイ、報告書」

 

「おう、ご苦労」

 

紙の束を受け取り、パラパラと目を通す。本当に読んでいるのかと疑いたくなるがこの男はコレだけで本当に大まかな内容は読み取ってしまうから恐ろしい。いずれ俺を超えろと彼は口癖のように私達に言うけれどその山の高さと険しさに時折目がくらむ。

 

「なるほど、大体分かった。お疲れさん。今日はもう休め。明日は早えぞ」

 

「え〜〜!温泉は〜〜!!」

 

「今は疲労を回復する事に専念しろ。流石に疲れたツラをしているぞお前ら。眠らせてやろう」

 

急に立ち上がったと思うとヴァリウスは部屋の壁に掛けてある楽器を手に取った。恐らく旅館のインテリアの一つだろう。

 

「お師様、それは?」

 

「ん?ああ、二胡(アルフ)って言う弦楽器。知らんか?」

 

「知らなーい」

 

「私も知らないです」

 

「知らない」

 

二本の弦を弓で引く事で音を出すこの国の伝統的な楽器だ。ヴァリウスにとっては暇つぶしの良き友である。

 

ゆったりと指が動き出す。同時に柔らかな音色が奏でられ始めた。師から爪弾らかれる旋律に三人とも聞き惚れる。音楽など詳しい事は全くわからないがそれでもこの音色が美しいという事だけはわかった。

 

ーーーーたった二本しかない弦からどうやってこんないろんな音が出せるんだろう……

 

この人に弱点がない事は知っている。私達の間ではヴァリウスと書いて”何でも出来る”と読むぐらいだ。それでも本当にこの人は同じ人間なのかとたまに思う。本当に辺境出身なのかと疑いたくなるくらいだ。戦闘力はともかく、この手の教養が必要な技術は辺境では絶対に得られない筈だ。

 

夢誘うような旋律に身を任せているうちに身体が段々と宙に浮いているような気分になり、いつの間にか三人の意識は闇の中へと沈んでいった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間が流れ、深夜……

 

初の大きな仕事の緊張からか、それとも昼にあったあの人の言葉が頭から離れなかったからか、コルネリアは深夜に目が覚めてしまった。

 

せっかくなので露天の大浴場でひとっぷろ浴びる事にする。寝汗もかいてしまったし、何よりスッキリしたかった。

 

ーーーー色々考える事はあるけど、今は任務に集中しないと!

 

チーフであるナハシュがいない今、リーダーは自分なのだ。迷っていては闘えない。

 

大浴場へと向かい、脱衣所に到着する。流石に深夜の時間帯は人がいないだろうと思い、意気揚々と露天の扉を開ける。

 

………………しかしその期待は見事に外れる事となる。

 

「ちょっとタエコ!もう少し身体低くしてよ!見えないでしょ!」

 

「チェルシーこそ乗り出しすぎだよ!バレるって!」

 

「こ、こんな事していいのか……あ、お師様来た」

 

タオル一枚身体に巻いた三人の少女が竹で仕切られた壁にへばりついている。見る限りどうやら覗きをしているようだ。

 

「お、お師様って意外と肌白いんだね……ドキドキ」

 

「うわー、相変わらずスッゴい身体してる〜。腹筋ヤバい」

 

「傷だらけ……歴戦の戦士の証」

 

ゴクリと三人揃って唾を飲んでいる。声を聞く限り、どうやらかなりセクシーな男の人が入っているらしい。そしてその人は彼女らの知り合いらしい。

 

ーーーー最近は女の方が覗くのが普通なのかしら?

 

先日身内でも似たような事をした為そんな事を思ってしまう。

放って置くべきかとも思ったがそこは思春期女子。セクシーな男の裸への興味が打ち勝った。

 

「あ、あの〜」

 

「なに!今忙しいんだから後にして!!」

 

「覗きたいならその辺の穴から見て!この旅館女性に優しいがコンセプトらしくて女湯からなら覗けるとこ結構あるから!」

 

「は、ハイ……」

 

スゴスゴとその場から離れ、違う穴から男湯を覗いてみる。

 

 

 

その時、彼女の時が止まった……

 

 

 

濡れそぼった燃えるような緋色の髪、月明かりに照らされた白い肌、湯の温度により紅潮した頬。筋骨隆々ではあるが、それでも野卑ではない、彫刻のような美しい身体。そして何より……夜空を見上げる濡れた紅玉の瞳……

 

ーーーーキレイ……

 

思わず見惚れ、ぼーっとその鍛え抜かれた美しい裸体を眺めていると全身に凄まじい傷跡が刻まれている事に気づく。火傷や擦過傷など様々あるが、切り傷が一番多い。

 

ーーーーこの人、戦士なんだ…

 

「ちょっとチェルシー!やめてよ重い!」

 

「狭いんだからしょうがないじゃない!文句あるなら他のとこ行きなよ!」

 

ーーーーあんなに騒いで大丈夫なのかなぁ……

 

さっきからあの人ずっとプルプルしてるし……あ、桶掴んだ。

 

綺麗な男の人は3つ桶を拾うと魂込めて上空へと投げる。もはや覗く事より場所取りで争っていた彼女らはその姿は見ていない。

 

カポンっといい音が三回鳴る。それと同時に起こる黄色い悲鳴。どうやら桶の中は冷水で満たされていたらしい。三人とも身体を震え上がらせて湯船の中に飛び込んだ。

 

「うるせえんだよテメエら!!覗くんならせめて忍べやぁあああああ!!」

 

その怒号にビビった私も即湯船へと避難したのだった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、酷い目にあった」

 

「チェルシーのせいだろう」

 

「だから私は止めとこうって言ったのに……」

 

「「ノリノリだったくせになに言ってんのよムッツリ!」」

 

普段より格段に早い時間に、そしてぐっすりと深く眠った彼女らも深夜に目が覚めていた。というより、誰かが歩く気配で目覚めてしまったのだ。歩いていたのは当然ヴァリウス。どこに行くのかと気になり、チェルシーが化けて2人を先導し、三人で後をつけた所、大浴場へと向かった事が判明し、覗きに来たというワケだった。

 

浴衣姿がよく似合う可愛らしい三人が取っ組み合う。本気でないのは様子から見ればわかるけどあまりといえばあまりに気安い三人に驚かされる。

 

ーーーー私たちもハタから見ればこんななのかな?

 

「貴方もごめんなさい。怖かったでしょ?ウチの先生」

 

争いからなんとか逃れた茶髪の少女が飴玉を咥えながら此方を見てくる。その瞳には純粋に謝意が込められている。

 

「い、いいのいいの!怖い物には慣れてるし、いい物も見られたから!それに……」

 

髪を後ろにまとめた少女を見やる。格好が違うから最初はわからなかったが、昼間のエスデス軍の人だ。ぜひもう一度会いたいと思っていた。

 

なのだが……

 

「あの〜、私貴方になにか気に入らない事したかな〜?」

 

警戒心バリバリで此方を見てくるタエコに話しかける。仲間以外の同年代の同性なので仲良くしたいのに……

 

「ああ、ゴメンね。この子無愛想なの。誰にでもこんなだから、気にしないで。悪い子じゃないから」

 

「いえ、わかるわ。私の友達にも似たようなのがいるから」

 

アカメの事が脳裏に浮かぶ。優しい子なのだけどいつも無表情で何考えてるかわかりにくい。この人もそういう人なのだろう。

 

「友達……か。いいな」

 

ファンの口から小さな声で呟かれた声はたまたま辺りに響き、全員の耳に届いてしまった。

 

「あ、私にはその……あまり友達って呼べる人いないから……」

 

「なによファン。私達は友達じゃないの?」

 

「タエコやチェルシーは仲間、家族だ。お師様がそう言ってくれた。とても大切だけど友達とは少し違う」

 

言わんとする事はわかる。家族と友は違うというのも一つの事実だろう。しかしコレはまだ世界を知らない少女の価値観。人の絆とは気の持ちようだ。誰かの為に何かが出来る人物であれば、それはもう友と呼べるのだ。

 

「ねえ、貴方達、しばらく此処に滞在するの?」

 

「ウチのボス次第だけど、多分ね」

 

「ふーん、ね?私でよかったらまた一緒に話さない?私もしばらく此処にいる予定だから。私はコルネリア」

 

「ああ、コレは申し遅れました。私はチェルシー。コッチのポニテはタエコ。下ろしてるのはファン」

 

「よろしく」

 

「……………(ペコッ)」

 

「なんだ、随分仲良くなったな、お前ら」

 

首にタオルをかけ、浴衣姿で待合室に現れたのは先程の美男子。濡れた髪が光によって眩く輝く。この美丈夫は光を反射する事も出来るのだ。

片手にはミルクの入った瓶が4本、指の間に挟まっている。

 

「先程は失礼したな。コレは詫びだ。受け取ってくれ」

 

指の間から一本、ミルク瓶をコルネリアに差し出す。

 

「い、いえいえ!わ、私も失礼な事しちゃってましたし!お気になさらず!」

 

「おや、お見苦しいモノもお見せしてしまったか。なら尚更受け取ってくれ。コレでお互い手打ちとしよう、フレンド」

 

あまりにフランクな態度に少したじろぐ。でも不思議と不快ではない。この男なら許してしまう独特の雰囲気がある。

 

「そ、それなら……頂きます」

 

「うむ、よろしい。オラ、お前らにもくれてやる。覗き魔共」

 

「わーい!ありがとございマーース!」

 

「ありがとう、師父」

 

「ゴメンなさい……」

 

返事でそれぞれ性格でてるな、と苦笑しつつ腰掛ける。

 

「プハーっ!美味しい!なんで風呂上がりの牛乳ってこんなに美味しいのかしらね〜」

 

「俺様の肌を見た後ならなお美味かろうよ」

 

「あん、先生。怒っちゃイヤ。思春期の衝動に駆られただけなの」

 

あざとく男の裾を握りながらしなを作る茶髪の少女にトスっと手刀が落ちる。いた〜いと頭を抱えて舌を出す姿は可愛らしいがイラっとする。

かまうだけ調子に乗るだけだなと判断したヴァリウスは同席している金髪碧眼の少女に向き直った。

 

「名乗りが遅れたな。俺はフェイルと言う。よろしく」

 

「え?フェイル?」

 

昼間アカメが会いたいと言っていた人だ。

 

「チサトから聞いている。昨晩あった嬢ちゃんの友人らしいな。名は確か……」

 

「コルネリアです」

 

「そうそう、コルネリア。皇拳寺の門下生だとか、エリートだな」

 

「エスデス軍の人に言われても皮肉にしか聞こえませんよ」

 

戦闘能力のエキスパートで揃えられた一人ひとりが一騎当千の武者達の集まり。入隊基準も厳しければ入ってからも鬼のように厳しい事で有名な部隊。人気も実力も帝国屈指だ。

 

「そうでもない。所詮ウチは新設の軍だ。腕は立つが頭はカラの奴も多い。もちろん凄えのもいるが、殆どはエリートなどとても呼べん。その名に最も相応しいのは俺の知る限りブドーの近衛だけだろう」

 

「ブドー大将軍……」

 

帝国軍の頂点に立つ最強の戦士にして指揮官。あの男がいる限り、帝国軍の屋台骨は揺らぐ事はあっても崩れることはないだろう。

 

「………………」

 

「……?先生?どうかした?」

 

急に振り返って一点を睨むヴァリウスの姿にチェルシーが不安げな声を上げる。なんでもないと首を振り、ポンと頭に手をやった。

 

「もう夜が明ける。少し長話をし過ぎた。戻るぞ」

 

はーいと返事をしたチェルシーに従うように他2人も黙ってヴァリウスについていく。

 

「またなコルネリア。今度会う時は……こんなに優しくしてやれねえかもしれんけど」

 

「エスデス軍の苛烈さは聞いてます。出来れば訓練とかの場には会わないようにしたいですよ」

 

その言葉にヴァリウスはフッと笑い、手を振って背を向ける。後ろの視線がなくなった時、チェルシーに囁く。

 

「あの女が外に出るようなら後を尾けろ」

 

「あ、やっぱ敵なの?あの子」

 

「多分な。だが100パーセントの確証はない。証拠が得られるまでは泳がせておけ」

 

ババラから預かった今回のターゲットの人相書きを渡しておく。

 

「そいつらと接触するようならクロだ。だが発覚してもすぐには手を出すな。俺の指示を待て」

 

「りょーかい。そんな危ないこと言われなくてもやらないけどね〜」

 

「ではお師様はこれからどうされるつもりなのだ?」

 

「俺は少し出かける。ちょっと気になることがあるんでな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確実にこちらを見ていました。肉眼では捉えていないでしょうが、何かを察知されたと考えた方がよろしいかと」

 

「炎狼の瞳は私の作った『目』に匹敵するって事かしら?流石はスタイリッシュな副将軍様ねぇ」

 

「本日あの男は出かけるとのことです。此方に来るようなら基地を変えた方がよろしいかと」

 

「ありがと『耳』。すぐに此処は引き払うわ。でも何もしないで引くのは少し不本意ねぇ。せっかく創り上げた私の試作品も簡単に燃やされちゃったのだし、このまま引き下がるってのは収まらないわ」

 

「しかし下手に手を出してはこちらが危険です」

 

「……………そうね、ゴズキに連絡を取りましょう。あの場所を教えてあげなさい。強すぎて扱いきれなかったアレをぶつけさせて貰うわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




評価、コメントよろしくお願いします。


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第十九罪 二匹の狼王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯ブラシを咥えたまま遠くを見つめるようにボーッとしている少女がいる。

かなりマヌケな表情にも関わらず、彼女の持つ容姿の高さゆえにそんな姿も可愛らしく見えてしまう。

美しい金髪も寝癖でモッサリともりあがっており、碧い瞳は未だ生気を失っている。起き抜けという事を考えてもヒドイ状態だ。

 

「コル姉大丈夫?起きてる?」

 

赤みがかった茶髪をポニーテールにまとめた少女が声をかける。しかしその呼びかけも彼女を現実に引き戻すには足りないようだ。彼女の頭の中はただ一人の男で埋め尽くされている。

 

ーーーーあの人……

 

昨夜出会った緋い光の君。鍛えられた体躯。ルビーを思わせる紅い瞳。燃えるような緋色の髪。切れ長の目に長い睫毛。

まるで一つの芸術品のような完璧な容姿を持つ人だった。表現力と語彙力の乏しい自分では綺麗という言葉以外で彼を形容する事ができない。

 

「はぁ……」

 

艶めいた溜息が少女から漏れる。熱病に浮かされたように頭がボーッとする。彼の笑顔を思い出すだけで胸が痛い。

 

ーーーーアカメが綺麗な人って言ってたけど今ならよくわかるなぁ……あの人、いま何してるのかな……

 

一目惚れという感情を知らない彼女は正体不明の胸の痛みに苛まれながら、また一つ、息を吐いた。

 

 

 

 

同時刻……

 

 

 

 

「…………うーん」

 

ヴァリウスは頭を掻きながらとある高台へと来ていた。

昨夜感じた視線、常人を遥かに超える視力を持つヴァリウスですら視認する事は出来なかった。だが方向はわかった。その方角を頼りに敵がいそうな所を探しているのだが…………

 

「まずいな……罠の感じがしてきた」

 

俺の目で見えなかったって事は相手も視認出来てはいないはず。なら俺が気づいた事に相手は気づいていないと思い、調査に乗り出し、奇襲を仕掛けてやるつもりだったのだけれど……

 

ーーーーこの匂い…………油か

 

バーナーナイフ対策。つまり昨夜の監視は帝具の存在と俺の正体に気づいている人物ってことだ。

 

帝国関係者の可能性は高い。ならなんとか斬っておきたい。エスデスにバレた可能性も一瞬よぎったがそれはあり得ない。あいつならこんな面倒くさい罠や作戦など張らず直接来るだろう。作戦というのは正面からぶつかっては勝てない相手に必要なものだ。

 

何より対策が中途半端過ぎる。この程度でバーナーナイフを封じることはできない。

 

ーーーー戻るか……っ!!

 

背筋がゾッと寒くなった瞬間、その場から横っ跳びに跳躍する。次の刹那で足場が吹き飛んだ。もしあのまま立っていたら無事では済まなかっただろう。

 

この一撃をキッカケに次々とボコリと土が盛り上がる音がする。土の中から現れたのは人型に近い危険種。体躯は三メートル近くあり、今の一撃から見て、身体能力はかなり高い。腕にはボルトなど、明らかに人の手が加えられた改造が見られる。

 

「なんだこいつら?」

 

自分は戦士である前に狩人だ。狩人として通常の軍人の百倍危険種と戦ってきた自負がある。それでもこのような危険種を見たのは初めてだった。未知の相手に少し警戒が高まる。

 

ようやく土中からの出現が終わった。数は恐らく50程度。

 

「なるほど、テメエらが俺を殺すために用意された戦力ってワケか」

 

殺気を込めて睨みつける。すると一体が素早い回避行動を取った。

 

ーーーーヤツがこの場のリーダーか……

 

そちらに向けて一歩足を動かすと危険種達はそいつを護るようにヴァリウスの前に立ちはだかる。

 

ーーーーへえ、少しだが知性もあんのか……

 

「そいつを斬られたら困るのか?それともそいつに何か秘密があるのか?」

 

声をかけても唸るぐらいしかしてこない。どうやら言葉は話せないらしい。ちょっと残念。

 

「おっと…」

 

後ろから襲い掛かってきた連中をステップで躱し、振り向きざまに3体ほど斬り捨てる。斬った手応えは人より少し硬く、ねばった感じがした。

 

「なるほど。筋力任せだが悪くない速さだ。コレを50……それに加えて、バーナーナイフの封印。確かにたいていのヤツならコレで仕留められるだろうけど……悲しいねぇ」

 

喋りながら一人、また一人となます斬りにしていく。危険種から振るわれる拳は空を切り、狼の牙は一太刀で三体を同時に屠る。

 

「何が悲しいってこの俺がこの程度の戦力で斃せると思われたって事が悲しい」

 

ブンと剣を振り、付いた血を払う。そのまま剣をリーダーらしき危険種に突きつけた。

 

「テメエが持ってるソレ。すぐに貰いに行ってやるから待ってろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間のスペックを大きく超えています。全滅は時間の問題です」

 

「問題ないわ。コレはただの時間稼ぎなのだから。今のうちにあの小娘共の所へ行きなさい、α(アルファ)…………いえ、ヴァリウス」

 

αと呼ばれた炎の狼と同じ顔をした人間が彼女らの元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロね」

 

コルネリアの尾行を終えたチェルシーが宿へと戻り、休息を取っていたババラとファン達に見てきた事を伝えていた。

 

「そうか……やはりね」

 

得心した顔でババラが頷く。既に一度接触していたババラはその答えを予想していた。少女達から闇の世界の住人の気配は感じなかったが、彼女らを率いていた男からは見知った匂いを感じ取っていた。

 

「いやー、さっすが先生。あの人の予想通りでしたよ。尾行に私を選んだのも間違いなく正解でしたね。何にでも化けれるようにしてもらって本当に良かった」

 

一瞬漏らした僅かな緩みにコルネリアとその連れは敏感に反応してみせた。気づかれたのは人気のない場所だった。もしファンかタエコが尾行をしてとっさに隠れたとしても人影すら目立つあの場所では間違いなく発見されていただろう。とっさに木に化ける事ができる自分だったから尾行が成功したといっても過言ではない。

 

ガイアファンデーションの性能を知り、何にでも化けれるようになれ、と訓練してくれたのはヴァリウスだった。未来予知のような己の師の慧眼に恐れ入る。

 

「強いですよ、彼ら。とんでもなく」

 

「そうかい。で?お前らは私の言う事聞くのかい?」

 

「概ね従えとは言われてるけど、バトるのは俺の指示があるまではやるなって……」

 

「そうかい、まあお前ら二人には期待しておらん。タエコ、お前は?」

 

「私は自分の判断で行動していいって言われてる」

 

「なら旅館の方はアンタに任せるよ。機が来ればやれ。男共の方は私がやる。金髪のガキの方は相当キツそうだからねえ」

 

「わかった」

 

「では私達は……?」

 

何も振られなかったファンが不安そうな声を上げる。見ればわかる。この少女はかなりの手練だ。遊ばせておくには惜しい戦力だ。しかし彼女らは炎狼の子飼い。勝手にオールベルクが動かすワケにはいかない。

 

「お前達はタイザンへと向かえ」

 

「「お師様!(先生!)」」

 

旅装に身を包み、顔を概ね隠した男が現れる。フードから溢れる緋い髪が彼の人を自分達の師だと伝えていた。

 

「小僧、戻ったか」

 

「ああ、少し野暮用でな。襲撃食らったよ。ま、かませにもならんかったが」

 

「で?何か掴んだのか?」

 

「ああ、一人生かして吐かせた。帝国の暗部がタイザンに陣取っているらしい」

 

ファンへと向き直る。指示を出すのだろう。

 

「タイザンの雑魚の掃討をお前達に任せる。チェルシー、サポートしてやれ。俺は本命を殺りにいく」

 

「わかりました」

 

「りょーかい」

 

茶髪の少女が飴玉をコロリと口の中で転がす。その瞳には穏やかならぬ光が宿っている事をタエコとファンだけは気づいていた。

 

「途中までは先生も来てよ。雑魚以外がいたら困るし」

 

「あのなぁ、俺はお前らのお守りをしてやる暇はない」

 

「あるでしょ?タエコやババラと違って特に任務とかないんだし、ねえいいでしょ?初めての実戦だから保険は欲しいのよ」

 

少し眉をひそめ逡巡し、諦めたようにハアと溜息を吐く。これ以上の問答を重ねても無駄だと思ったのだろう。

 

「わかった。だが俺は手を出さんぞ。手練がいたとしても貴様らで対処しろ。わかったな」

 

「はーい」

 

「………………」

 

それぞれが準備を整え、立ち上がる。行動方針は決まった。

 

「動くぞ」

 

『了解!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………ねえ」

 

旅館を出て、三人でしばらく歩いていると唐突にチェルシーが前を歩く男に声をかける。

 

「なんだ?無駄口を叩くな」

 

「不機嫌ねえ。お喋りくらいいいじゃない。幾つか聞きたい事があるんだけど」

 

怪訝な目つきで後ろを見やる。手短かに言え、と視線で投げかけた。

 

「バーナーナイフはどうしたの?」

 

「少し調子が悪くてな。今は整備に出している」

 

「それって貴方以外の人が触れば無事じゃ済まないんでしょ?」

 

「適合者は何も俺だけじゃない」

 

「フーン……でもそれ私が触った時凄く怒ったじゃない」

 

「当たり前だ。適合するとは限らんのに不用意に触るからだ」

 

「フーン……」

 

 

 

 

 

 

笑わせないでよ

 

 

 

 

 

 

ピアノ線が張り巡らされる。同時にチェルシーはナイフを構え、ファンはクラムを袋から取り出した。

 

「私達の先生はね、バーナーナイフに触らせるなんて私達が危険にさらされることさせないのよ。誰より厳しいけど、私達を愛してくれてるから!貴方、一体誰!?」

 

「お前は……私達のお師様じゃない」

 

背を向けたまま男は動かない。そして二人とも動けない。人目のない所に移動したかったから彼の言う通りに動いていたが、同時に現状は誘い出されたという事。下手に動けば致命的隙となる可能性が高い。

 

「……………いつからわかった」

 

「最初からよ。貴方には常人の10倍鋭いと先生にお墨付きをもらってる私のビビりセンサーが反応しなかったもの」

 

敵になるとは全く思っていないがそれでもヴァリウスの側にいると自然と身が引き締まる。隣にいてもその尋常ならざる強さと気配に圧倒されるからだ。

 

「いくら顔だけ似せても貴方からはなんのヤバさも感じないのよ!」

 

「そうか…………ならもっと早く行動すべきだったな」

 

そう男が口にした瞬間、ファンのクラムがヴァリウスを語る偽物へと突き刺した。

 

「え?」

 

あまりの呆気なさに愕然となる。私達に向けられた刺客なのだ。師よりは弱いという事に疑いはなかったがそれでも多少は手練を予想していたのだ。

 

しかし彼の役目はあくまで餌だったのだ。ここまで釣り出された時点で彼女らの失敗は確定していた。

本物のヴァリウスを襲った未知の危険種が辺りから湧き出る。あっという間に囲まれ、逃げ場は無くなった。

 

「コレは……やっばいね」

 

「お師様は大丈夫かな」

 

「あの人ほど心配が必要ない人もいないよ。それより自分達の心配しましょ」

 

二人の小狼(シャオラン)が背中合わせに立つ。それだけで何とでも戦える気になれる。血よりも濃い絆が二人に力を与えてくれた。

 

「後ろ、任せるよ!ファン!」

 

「任せて、私が守る。チェルシー!!」

 

師のいない状況での二人の狼、初陣の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「α、殺されました」

 

「あら、やっぱ整形手術で顔だけ似せたαシリーズじゃ狼の弟子は騙せないわね。私の帝具のおかげでソックリに作れてハッタリには良かったのに」

 

あまり公に顔を出す男ではなかったとはいえ、やはり帝国内部の人間であれば彼の事を知っている人間も多く、恫喝やブラフではこの上なく威力を発揮する、虎の威ならぬ狼の威だったのだ。

 

ーーーーまあいいわ。整形手術なんていくらでも出来るし、もう一つの方法も順調だしね……

 

「耳。炎狼に当たらせた方はどうなってるかしら?」

 

「もう既に全滅しています。持たせた手紙を読み取って、動き出しています」

 

「さすがね、想像以上に早かったけど鉢合わせにならなければそれでいい。時間稼ぎにはなったわ。例のアレは?」

 

「ゴズキが既に解き放ちました。あの二人の速度ならもう時期邂逅するでしょう」

 

その報告を聞き、女口調の男がニヤリと笑う。その闘いのデータは何としても欲しく、そして興味深いものだった。結果次第で今行っている研究にとって自分が行っている事の正しさの証明にもなりうる。

 

「目に監視はさせているわね」

 

「はい『耳!聞こえるか耳!』

 

例の秘策を監視させていた目から切羽詰まった声が聞こえる。どうやら緊急事態が発生したらしい。

 

『スタイリッシュ様に報告しろ!アルファの発覚が早かったせいで罠の位置が狂った!このままでは炎狼の弟子と彼らが鉢合わせになる!!』

 

「っ!?スタイリッシュ様!」

 

耳からの報告内容をそのまま伝える。すると一瞬動揺したがすぐにまた笑ってみせた。

 

「いいじゃない、役者は揃ったわ。ショウのはじまりね。ゾクゾクするわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもう!数が多いなぁ!」

 

ピアノ線で新型危険種の動きを制限しつつ、ファンがクラムで貫く。必要ならチェルシーがナイフでトドメ。そのスタイルで戦い続け、戦闘は有利に進んでいた。しかし周りを取り囲む圧倒的な物量に二人とも疲労は隠せなかった。

 

「「ーーーーっ!?」」

 

二人同時に東の方角へと向く。周りを取り囲む強力な危険種よりも遥かに危険な存在が東から来ている事を二人とも感じていた。

 

 

そしてその予感は現実となる。

 

東の方にいた危険種達が全て薙ぎ払われる。現れたのは予想もしていなかった怪物。彼女ら二人ともその名も知らない。

 

「な、何よ…………アレ」

 

「化け物……」

 

圧倒的な存在感に瞬時に打ちのめされる。その眼光に睨みつけられただけで完全に戦意が折れてしまった。

 

怪物が前足を振り上げ、一振りする。その瞬間、二人に死が過ぎったのも無理ない事だっただろう。

 

辺り一帯が広野に変わる。周りにいた新型危険種達は跡かたも無く木っ端微塵となり、その手の先に生者の存在はあり得ない

 

 

 

 

 

 

 

 

ハズだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺も話に聞いた事があるだけだったんだがな」

 

青い焔を纏った剣が二人を包み、極死の一撃から二人を守った。同時に陰る真の緋色。何度も護られてきた見慣れた逞ましい背中。

 

「超級危険種、バトルウルフ。その圧倒的な強さ故に獲物がいなくなり、絶滅したという伝説の狼。まさかこんな所でお目にかかれるとは」

 

「「先生!!(お師様!!)」」

 

「よう、お前ら。生きてるか?」

 

後ろを振り返る事無く声を掛ける。流石のヴァリウスもこの怪物相手によそ見を出来る余裕はない。

 

「グォオオオアアアア!!」

 

大気を震わせる咆哮が轟き、狼はヴァリウスを睨みつけ、牙を剥き出しにする。唐突に現れ、自分の一撃を防いだ人間に最大級の警戒を示していた。

 

「炎牢」

 

バーナーナイフから放たれた炎が二人を包みこむ。

 

「お師様!!」

 

「そこから動くなよ、お前ら。まあ動けないと思うが」

 

本来敵を動けないように縛る技だが牢獄というのは時として護りのシェルターになる。

 

「バトルウルフよ。全ての狼の王に位置するという、誇り高き狼。伝説に恥じぬその威容に敬意を表する。かくいう俺も人に狼と呼ばれる男でね」

 

剣から青い焔が湧き出て、ヴァリウスの周りを取り囲む。Level.2の全力展開。その異様はまさに業火絢爛。

 

「どちらが狼の王に相応しいか、勝負といこうじゃねえか!狼王、バトルウルフ!!」

 

二匹の狼の王の激突が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。バトルウルフのつもりです。ヘタクソだなぁ!はくりょくがない!でもここの挿絵は入れたかったので後悔はしてません。それではコメント、評価よろしくお願いします。


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第二十罪 強みの違い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十数年前、とある広野……

まだ幼さを残した、一兵卒に過ぎない軍人が二人、戦闘の跡地に佇んでいた。

一人はエストックを腰に差し、碧空色の髪に青い瞳を持つ美少女。名はエスデス。愛称はエディ。もう一人は片刃でありながら、肉厚な刀身をした長剣を握った美少年。燃えるような緋色の髪を汚い朱で染め上げた戦士。名はヴァリウス。親しい者は彼の事をヴァルと呼んでいる。

 

男の方は多くの傷を負い、戦場に立っていた。それもそのはず。帝国軍の撤退時、殿に無理やり据えられ、事実上たった一人で千以上の敵を食い止めていたのだ。しかもこの時、まだ帝具は持っておらず、純粋に己の力量と策略のみで戦い、そして勝利を手にしていた。

 

「お前は強いな、ヴァル」

 

「は?」

 

戦闘が終了した後に発せられた相棒の言葉に頭から派手に血を滴り落ちさせる男は眉をひそめる。エスデスは男と比べるとかなりの軽傷だった。大切な片翼であるエスデスに殿などという貧乏くじをやらせる事は出来ない。

その人生の大半の時間を共に過ごしてきた女の言葉に耳を疑う。相手の力量などとっくの昔に知っているはずなのに改めて嚙みしめるように言われたその言葉の意図がわからなかった。

 

「えっと、俺今バカにされてる?」

 

「まさか。私と共に歩けるのはお前を置いて他にいないという確信に変わりはない。それでも強さとは常に変化する。お前の場合は状況次第で本領が発揮されると言った方が正しいか」

 

ヴァリウスの額から流れる血を指に取り、そのまま口に運ぶ。唇は朱に染まり、白い肌に一筋の赤が流れた。一見猟奇的に見えるがこの女がやると何故か色っぽい。

 

「お前は一対一の戦いを好む。だがそれはお前の気が楽になるというだけで本領ではないという事を今日初めて知った」

 

「そんなに強かったか?今日の俺は」

 

「ああ、今まで見たどんなお前より激しかった。私の知らないヴァリウスだった。これだからお前は面白い。いや、やはりお前はこうでなくてはな」

 

まるで自分が褒められているようにヴァリウスを誇る。日ごとに美しくなっていく半身だがこういう所は変わらない。

 

「故に私も願うのだ。この狼の主たりうる者であろうとな」

 

「その狼っての誰が言い出したんだ?気に入ってるけどよ」

 

「無論、私だ」

 

ハアと一つため息をつくと今度は自分の手で額の血を拭った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5メートルを越える巨躯を持つ白狼は困惑していた。

 

振り下ろした己の一撃で生きている者がいる。それどころか自分の攻撃を完全に防ぎきった者が目の前にいる。その事実に理解が及ばなかったのだ。

あまり長い生涯ではなかったが、自分の一撃が無傷で防がれるという事は一度もなかった。白狼の意識がはっきりとしだしてから幾つかの戦いを行ったがそのどれもが一撃で終了した。

誰にもできなった事をこの雄はやってのけた。

 

彼の生まれは実は野生ではない。科学によって鉄の子宮から生み出された試験管モンスター。通常のバトルウルフと比べて圧倒的に経験値は少ない。故に強敵への免疫はゼロに近い。困惑の原因はここにあった。

 

目の前に立つ燃える剣を持つ人間を見下ろす。自分の周囲にも焔が張り巡らされており、その熱は狼の警戒心を煽る。

しかしそれ以上に戦慄させたモノが目の前にいる。

 

ーーーーコイツダ……

 

人口とはいえ、バトルウルフに刻まれた王者の遺伝子が警鐘を鳴らす。

 

ーーーー辺りを取り囲む焔よりも、あの燃える剣よりも……キケンなのは、目の前に立つこのニンゲン。

 

牙を剥き出しにし、背を奮い立たせる。睨みつける眼光と殺気の強さはそれだけで並の戦士なら卒倒されかねない。

 

しかし目の前の雄は動じない。しっかりとこちらを見据え、一分の隙も見せず半身に剣を構えている。

 

瞬時にバトルウルフが距離を取った。その圧倒的な速度は辺りに豪風を巻き起こす。炎のベールの中で護られた二人はその風を触覚で感じる事はできないのと同時に視覚でその動きを捉える事も出来なかった。

 

「速いなんてモンじゃない……」

 

戦慄するチェルシーから呟かれたその一言。それ自体を否定する気はヴァリウスにもない。しかし今の一連の動きの中で最も特筆すべき事はそれではなかった。

 

「流石だよ、バトルウルフ」

 

狼王のカンなのか、それとも生まれつき備わった物なのかはわからない。それゆえに感嘆する。己がそれを身につけるにはかなりの年月と経験を要したから。といっても周りから見れば早過ぎる速度で身につけているのだが……

 

ーーーー俺の間合いギリギリ外で構えている。バーナーナイフの力を使って範囲を広げようとした矢先にそれを察知して安全圏に逃げやがった。

 

野生において最も重要な事は危機への察知だ。強さを理解している者は強さを警戒する。恐怖も畏れも全て飲みくだし、力に出来る者こそが真の強者と呼べる戦士だ。

 

ーーーーその辺をエディはわかってるような、わかってねえような……頭ではわかってるんだろうが体感してねえんだろうなぁ

 

人の強さは状況により変化するという事を知っている彼女ならわかってはいるはずだ。それでもあいつが誰かを畏怖するなんて見た事ない。

まあそれは今はどうでもいい。それより目の前の危機に対処しなければならない。

 

逃げという選択をさせた事で王者の誇りが傷ついたのか、白狼は打って変わって攻勢に出た。鋭く尖った爪が振り下ろされる。

 

後ろに飛び下がり、威力を受け流しつつ剣で受ける。それでもあまりの威力に硬質な金属音が鳴り響き、身体が吹き飛ばされた。

 

ーーーーゲッ!?

 

宙に浮き、身動きが自由に取れなくなったヴァリウスにバトルウルフが噛みついてくる。バインディングだ。今の状態のヴァリウスにソレを避ける術はない。

 

「ぉおおおおおおおお!!!」

 

上空から襲い掛かる牙をバーナーナイフで防ぎ、ブーツで牙を踏みつけた。

 

ーーーーっっっ!?ヤバっ!!

 

伝わってくる尋常ならざる威力。百戦錬磨のヴァリウスでも未知のパワーだった。力勝負は話にならない。

 

ーーーーバーナーナイフLevel……

 

噛み潰されるその刹那で火力を最大放出しようとした瞬間、再び白狼は距離を取った。吐き出されたヴァリウスは唸りを上げて吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 

「先生っ!?」「っ!!」

 

初めて見る師が圧倒される姿にチェルシーは悲鳴をあげ、ファンは息を呑んで青ざめる。その光景に二人とも恐怖した。

 

「いたた……流石にスゲえな。身体能力じゃボロ負けか」

 

「お師様ぁ!!」

 

砂煙りをバーナーナイフで薙ぎ払い、立ち上がる。コメカミから血が滴り落ちるその姿が不安だったのか、泣きそうな声でファンが叫ぶ。

 

ーーーーあぁ、そうだ。あいつら見てんだったな

 

あんまヤられてる姿を見せちまったら、あいつらが心配で白髪になっちまう。

そう思うと身体から力が湧き出た。そうだ、俺は負けるわけにはいかない。こいつらの前では俺は無敵でなくちゃいけないんだ。

 

俺の間合いのギリギリ外で身構えるバトルウルフに剣を突きつける。ヴァリウスは吹き飛ばされながらも焔の盾を自身の前に展開している。あれ程の隙を見せながらも彼が追撃してこない理由はここにあった。

 

ーーーーそれでも俺に追撃できなかったワケではないだろうに。恐らく未知の敵への警戒とリスクを恐れたか……多分天然モノじゃねえな、ヤツは。

 

強さへの免疫がないから不必要に警戒する。侵すべきリスクを取ってこない。それは野生の世界ではありえない。いかにバトルウルフといえど産まれてすぐ最強になる訳ではない。強敵と戦い、喰らい、育まれていく。それが野生の成長。紅玉の瞳の青年も碧空色の髪の美女もそうだった。己より強い相手とは幾度となくぶつかった。それでも彼らは勝利を収め、強くなっていったのだ。

 

ーーーーま、それを差っ引いても厄介だけどな。

 

神速と呼ぶに相応しい速度にあの顎の力。こちらが攻撃の態勢に入る瞬間、ヤツは間合いの外へと瞬時に逃げられる。飛び道具も考えたがヤツの速度を相手にバーナーナイフで遠距離から焔を撃っても効果は薄いだろう。

 

「おわっと!!」

 

考え事をしているうちに再びバトルウルフの爪が振り下ろされ、横っとびに躱す。基本的に野生動物の動きは単純だ。爪による攻撃も振り下ろすか、薙ぎはらうかの二択。動作も大きく、ヴァリウスにとってはいわゆるテレフォンパンチであるため、受ける事は無理だが避ける事はできる。

 

スピードといい、パワーといい、スペックではこちらの惨敗。なら何で埋めるか。

 

ーーーー知恵と経験、技術、そして策略《タクティクス》

 

まずはスピードを封殺する!!

 

「陽狼《かげろう》」

 

剣から放たれた焔が揺らめき、ヴァリウスを取り囲んだと思ったら、その炎の中から緋色の髪の青年が六人も浮き上がった。焔による陽炎。それがバーナーナイフの特殊な焔と炎狼の技倆より、ヴァリウスの姿を象ったのだ。

 

信じられないその光景にバトルウルフの動きが一瞬硬直する。その躊躇が炎狼の反撃開始の合図となった。

 

六振りの剣から放たれた炎が逆巻き、津波のように襲い掛かると同時に6人のヴァリウスも飛び出す。

 

通常とは異なる青い焔に触れる事を恐れたバトルウルフは風圧で薙ぎはらう事を選択する。その選択は概ね正しい。それでもデメリットは存在する。

 

風の勢いで焔はバトルウルフにかかる事はなく、ヴァリウスの攻撃は見事に防がれた。

しかし直接触れなかった事で白狼は気づく事が出来なかった。

 

そこに本体がいない事に《・・・・・・・・・・・》

 

ヴァリウスは炎の勢いに紛れて白狼の背後に回り込んでいたのだ。

 

「たち登れ…」

 

 

昇狼・嵐、業火剣爛!!

 

 

狼の形をした無数の焔が螺旋に重なり、バトルウルフを中心にまるで竜巻が立ち昇ったような檻が出来る。まさに焔の台風だ。

 

天まで立ち昇った焔の竜巻に白狼は脱出を試みるが、あまりの熱に失敗に終わる。あのまま突っ込んでいたら出ることは出来たかもしれないが、消すことのできない焔による確実な死が待っていただろう。

 

「この狭さならスペックの差はハンデにならねえよなぁ、狼王」

 

今度は陽炎ではない本体が正面に立ち、バーナーナイフを突きつける。竜巻の中心の広さは約百平方メートル程度。この程度なら

 

ーーーー中心に立てば、全てが俺の間合いだ

 

炎の壁から無数のヴァリウスが湧き出る。それは焔で作った分身。しかしバトルウルフにはそうは見えない。使い方次第で虚も真実となる。

どんな威力の攻撃でも当たらなければ意味はない。

 

的を絞らせない事でパワーを封じる。

 

どの対象に攻撃していいかわからなかったバトルウルフの一瞬の硬直の内に今度は炎狼がその牙を突き立てる。二度目以降は効果が薄れるため、陽炎による幻影の攻撃は何度も使える技ではないが。

 

ーーーー1撃入れば充分……

 

「燃え散れ」

 

その一言と同時にバトルウルフの体内に突き立てられたバーナーナイフから青い炎が溢れ出る。尽きることのない特殊な焔はバトルウルフの体内を縦横無尽に駆け回り、その体躯を内部から燃え散らす。

 

グォオオオアアアア……

 

白狼から放たれる断末魔が辺りを振動させる。その叫び声に小狼達(シャオラン)は震え上がった。

 

「お、お師様は……お師様はどうなった!?」

 

その答えは数瞬後に現れた。ズゥンと地響きが鳴ったと思うと二匹の狼を包んでいた炎の竜巻は消え去り、倒れ伏し、燃え盛る白狼の前に師が立っている。

 

「経験不足ゆえだな。用心深さも過ぎれば毒になる。不必要に俺を警戒したのがお前の敗因だ」

 

バーナーナイフの能力を解除し、腰に剣を収める。自分達を包む炎の檻がなくなった瞬間、ファンはヴァリウスの元へと走った。

飛びついてくるファンをしっかりと受け止める。

 

「お師様、ご無事ですか!?」

 

「見りゃ分かるだろう。ピンピンしてるっての」

 

「でも傷だらけじゃん。手酷くやられたねぇ、先生」

 

新しく取り出した飴を咥えながらゆっくりと近づいてくる茶髪の少女。なんて事のない態度を取っているが、心臓はまだバクバクいってる。流石に今回は肝が冷えた。彼女の中の揺るぎない最強が傷ついた姿を生で見てしまったのだから無理もない。

 

「しょうがねえさ。超級とは何度かやった事はあるが今回のはマジで伝説の危険種だったからな。俺もいくらか覚悟した。しかし……」

 

考え込むように黙りこくる。何かあったのか、と見上げてくる弟子達の頭を撫でてやりながらなんでもない、と首を振った。

 

………………一体誰に作られたんだ、あのバトルウルフは

 

野生でないなら作った者がいるはずだ。しかしそんな事が出来る人間にヴァリウスは心当たりがなかった。帝具使いなのだろうとは思うけど。

 

ーーーー俺にぶつけてきたって事はいずれ出会う事にはなるんだろうが……

 

「ーーーーっと、そんな事よりタエはどうした?お前らと一緒じゃないのか?」

 

「タエコは宿の方の標的を殺りに行ってるよ。尾行した結果、完全にクロだったから」

 

「なに!?」

 

まずい。もし相手が昨日会ったアカメかコルネリアだった場合、殺られる可能性もある。エスデスに言わせれば弱かったタエが悪いと一蹴するのだろうがヴァリウスは違う。

タエコもコルネリアもアカメもこんな所で死なせていい才ではない。

 

「場所は!?」

 

「B区画の廃墟跡で、だって」

 

そこまで聞くとヴァリウスは駆け抜ける。その後ろ姿を見てチェルシーとファンも慌てて走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「決着がつきました。ヴァリウスの勝利です」

 

「あらあら、それは想定外。肉体能力では圧倒的な差があったのに理解不能ねぇ。でも聞く限りスペックの再現は出来てたみたいだし上出来だわ。私の研究の正しさの証明にはなった」

 

「では我々は撤収しましょう。この場にこれ以上留まるのはリスクしかありません」

 

「そうね。もうデータは充分取れたわ。こちらに火の粉が飛んでくる前に引くとしましょう」

 

「エスデス将軍には彼の事を知らせますか?」

 

「まさか。炎狼含め、最高の素材が四体もいるのよ。独り占めしたいじゃない」

 

それに…………

 

γシリーズの試験に耐えうる素体をみすみす渡すわけにはいかないしね。

 

その言葉は心にしまい、白衣を着たオッさんと2名の同行者はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 




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第二十一罪 二つの目的

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町外れの人気のない廃墟、荒げたい息を必死に嚙み殺し、代わりに玉の汗を流しながら二人の少女は敵と対峙していた。

 

一人は背中まで届く長い艶やかな黒髪をアップに纏めた美少女。整った顔は戦闘による緊張感と疲労で紅潮しており、どこか色っぽい。一見怜悧に見える切れ長の瞳には強い戦意の炎がともっており、激しくも冷たいその闘気は彼女の美しさを引き立たせていた。

細身の長剣を握りしめ、一分の隙もなく構えを取っている彼女の名はタエコ。ヴァリウスの弟子であり、オールベルグの死神の一人。凄腕の剣士であると同時にまだまだ発展途上。戦士としても、女としても成長し続けている真っ只中の少女だ。

 

そんな彼女と対峙しているコルネリアという少女もまた才を持つ戦士だ。ふわりとしたウェーブのかかった蜂蜜色の金髪に青い瞳。その瞳は疲労と毒により若干翳りを見せてはいるが、まだまだ生気に衰えはない。

白のブラウスに黒のタイツと飾り気のない格好だがその抜群のスタイルの為か、特にタイツは優美な曲線を描き、彼女の魅力をよく引き立たせている。そして外見的に最も異様と言えるのが彼女が持つ武器だった。

手甲と呼ぶにはあまりに大きく、そして精巧な作りの武具。一般には見られないその特殊な得物はかつての皇帝が帝具に追いつく為に作らせた臣具と呼ばれる武具。優れた武器ではあるが、あまりに大きな欠陥を持つため、世に出回る事なく封印されている兵器だ。

コルネリアが使っている臣具の名は粉砕王。使用者に剛力を与える臣具。使い方に難があり、誤ると自分にもダメージが来るというデメリットをもつ兵器。その装甲の強さは鋼鉄並で、タエコが放つ斬撃を何度も受け止めている。

 

二人が闘い始めてすでに暫くが経つ。タエコが奇襲の一撃を喰らわせたと同時に自分の真の身の上を明かす事で戦いの火蓋は切って落とされた。

力ではコルネリアに、技ではタエコに分があった。コルネリアの圧倒的なパワーをタエコが炎狼仕込みの技で凌ぐ。実力は拮抗しており、まさに死闘と呼ぶにふさわしい闘いとなっている。

だが均衡は少しずつ崩れ始めていた。主因はやはり武具の差。実力が互角なら、いや互角だからこそ使用している武器の差は如実に現れる。業物ではあるが、所詮ただの剣であるタエコに対し、拳から放たれる風圧すら武器にできる粉砕王とでは取れる戦術に圧倒的な差がある。表に見える展開だけを見れば押しているのは現在コルネリアであった。

 

しかし達人同士の戦いになればなるほど、駆け引きというものがある。

 

タエコの尋常ならざる斬撃にすら耐える粉砕王だがそれでも所詮は道具。道具が持つ限界という絶対の法則には逆らえない。

 

ーーーータエ、こいつを斬ってみろ。

 

かつて師が己に課した修行の一つで大木を木刀で斬るという物があった。何事もやってみなくてはわからないという精神を叩き込まれているタエコに無理という言葉はない。何のためらいもなく訓練用の木刀を木に向かって振り抜いた。

 

結果はもちろん惨敗。派手に打ちつけた事により手は痺れ、思わず蹲ってしまった。

そんな愛弟子を見ながら狼は犬歯を見せて快活に笑う。無様な姿を見せた事により、小さな狼はシュンとうなだれる。もし耳としっぽがあれば情けなく垂れ下がっているだろう。

 

ーーーーハハハ。そんな顔をするな。真剣ならいざ知らず、木刀では俺でも一撃では無理さ。だが……

 

タエコが取り落とした木刀を拾い上げ、大木の前で腰だめに構える。

裂帛の気合いと共に大木目掛けて木刀が何発も振るわれる。暴風の如き勢いで放たれる連撃は段々と大木を抉り、遂には薙ぎ倒してしまった。

そのあまりの偉業にポカンと惚けているとコツンと頭を木刀で小突かれた。

 

ーーーーなにボーッとしてんだ馬鹿弟子。いいか、この世界には一撃で相手を戦闘不能に出来る使い手もいるにはいるが、そんな奴ぁごく稀だ。一撃で倒せない敵や壊せない障害ってのは必ずある。だがどんな強固なモノにも限界がある。それを壊す事ができないなんて絶対に思うな。一発でダメなら二発、二発でダメなら三発、百発でダメなら百一発食らわせてやれ。たとえ千の強度を持つモノでも千一の威力には耐えられない。次の一発でソレは壊せるかもしれない。そう思って一撃一撃に魂を込めて撃ち込め。

 

その教えの通り、タエコはコルネリアの手甲の一点に斬撃を集中して撃ち込む事で粉砕王の破壊を試みている。その甲斐あって手甲には僅かに亀裂が入り始めていた。数多の修羅場をくぐり抜けてきたタエコの経験によるカンで推察する限り、その限界はあと一発か二発と読んでいる。そしてその読みは概ね正しかった。

 

「黄塵」

 

自身の武器である剣を水平に持ち、拳で隠す構え。これにより刀身が見えないため、剣の間合いが分からなくなり、敵は迂闊に攻める事ができなくなる。

 

その危険性は承知した上でコルネリアは間合いを詰めた。受けさえすれば一撃の威力が致命傷にならない以上、不必要に恐る事はない。力と武具で押し切る。その戦術は間違っていない。事実、タエコから繰り出される剣戟を見事に受け、豪快な前蹴りをタエコに喰らわせる事に成功している。

 

「グッ……光風!!」

 

速度重視の斬撃。本来であればまさに光の速度で放たれる一撃だが内部に蓄積されたダメージにより、キレ味は見る影もない。渾身の一撃もコルネリアに完全に防がれてしまう。

 

「調子悪そうね。粉砕王のダメージは内部に蓄積される!」

 

「ガッ!?」

 

コルネリアから繰り出される凄まじい蹴りを腹部に喰らい、吹き飛ばされる。腹筋に力を入れる事で幾らかダメージは軽減されたがタエコ程度の内功では防ぎきれる威力ではない。

 

しかし、距離ができた事はタエコにとって幸いだった。

 

身体を相手に対して半身で構え、腰を落とす。殺気を思い切り叩きつける事で相手の動きを縛り、後の先を取るカウンター剣技。

 

「花風………寄らば斬る!」

 

間合いに踏み込めば斬られる。その認識がコルネリアに躊躇を生ませた。迂闊に踏み込まず距離を取る。

 

ーーーーヤバ、奇襲の一撃でもらった毒が回ってきた。私もそろそろ限界。タエコももう余力はないはず。

 

「終わりにしよう、タエコ」

 

「うん、コルネリア」

 

カウンター狙いのタエコから仕掛ける事はあり得ない。動くのはコルネリアから。

コルネリアは拳圧により発生する風の弾丸をぶつけるという、粉砕王だからできる攻撃手段を選択する。タエコもあらゆる攻撃に対処しようとしているだろうがどんな凄腕の剣客も風は斬れない。この場での選択としては満点と言える。

 

気合いと覚悟を込め、拳を打ち込もうとしたまさにその時……

 

 

廃墟から轟音が鳴り響く。新手かと思った二人が音源に向けて視線を向けると同時に紅い流星が二人のど真ん中に駆け抜け、砂塵が舞い上がった。

 

砂煙りが晴れると、二人の目に飛び込んできたのはこの数日で目にした事により、記憶に新しいエスデス軍の軍服。副隊長の証であるエンブレムが刻まれた羽織は誰かを包み込むように覆われており、地面には男がクッションとなるように抱きかかえられている。

 

「あいたたた………天然モノじゃねえとはいえ、流石は伝説の危険種。少し侮ったな。やっぱ手負いの獣ほど怖えモンはねえ。生きてるか、二人とも」

 

「な、なんとか……」

 

「お師様!お怪我は!?」

 

「あー、大丈夫」

 

ゴキゴキと不穏な音を鳴らしながら首筋を抑えて立ち上がったのは燃えるような緋色の髪に紅玉の瞳を宿した緋い光を放つ美青年。

タエコはもちろん、コルネリアもその男の事は知っていた。戦闘中にもかかわらず、二人の頬が戦闘の高揚とは違う意味で紅く染まり、コルネリアはドクンと一つ大きく鼓動を鳴らした。

 

「師父……どうしてここに」

 

「フェイル……さん?」

 

あっけに取られる二人を見ながらヴァリウスは現状を把握した。

 

「そこまでだお前ら。剣を引け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

既にタエコたちが戦いを始めていると聞かされたヴァリウスがその場を後にしようと足に力を入れ、膝を曲げたその時だった。

 

命の火が消えるその刹那、最期の力を振り絞ってか、それとも刻まれた王者のプライドか、体内から燃やされ、瀕死だったバトルウルフがカッと目を見開いたのだ。

 

ザワとヴァリウスの背中が泡立った時にはもう遅い。命をかけた最期の一撃が狼王の爪が振るわれていた。その刹那、攻撃の方向にはファン達がいる事に気づく。手遅れになる0.1秒早く気づいたため自分だけなら避けられるが、ソレを実行したら二人に逃れられない死が待ち構えている。

 

「チッ……」

 

ーーーーよけれねーじゃねーか

 

辺り一面を更地に変える一撃が振るわれる。後ろに飛び下がる事で威力を流しながらバーナーナイフで受ける。吹き飛ばされる師に巻き込まれる形でファンとチェルシーも上空に打ち出された。

 

「きゃああああ!?」

 

「う、うわわわわっ!?」

 

「ぉおおああああっ!?」

 

奇声を上げながら3人が空を駆ける。その姿が見えなくなったとこほで誇り高き狼は地面に横たわる。

 

その安らかな死に顔は王の威厳に溢れていた。

 

 

 

 

 

 

空を飛びながらヴァリウスはファンとチェルシーをかばうように抱きしめ、自分の身体が下になるよう態勢を変える。同時に落下地点と推察される場所に爆炎の用意をする。バーナーナイフから放たれる爆風をクッションにする心算だ。

 

横目で見えたのは明らかに人気のない廃墟。壁は石作りでこの勢いでぶつかればヴァリウスといえど痛いでは済まない。

 

腰から僅かにバーナーナイフを抜き、焔を放つ。空気の流れを熱で操り、酸素と水素を一点に集中させる。

 

ーーーー爆ぜて混ざれ!!

 

廃墟の一角で爆発が巻き起こる。水素爆発。爆風により勢いが軽減される。それでも止まる事はなく、3人の飛翔は激突するまで止まらない。一層二人を胸の中で抱きしめ、来るべき衝撃に備えた。

 

「ーーーーカハッ!?」

 

予想通りの衝撃に体内の空気が吐き出され、肺が呼吸の仕方を忘れる。鈍い音を鳴らしながら、狼の一団はなんとか止まった。

 

「あいたたた………」

 

止まってから身体の状態に異常がない事を確認し、立ち上がる。ひどい打ち身だが骨に異常はなさそうだ。

 

ーーーーまったく、トドメを忘れるとは、俺もヤキが回ったな。実戦から少し離れすぎたか……

 

「天然モノじゃねえとはいえ、流石は伝説の危険種。少し侮ったな。やっぱ手負いの獣ほど怖えモンはねえ。生きてるか、二人とも」

 

「な、なんとか……」

 

「お師様!お怪我は!?」

 

跳ね起きて縋り付くファンにまだ座り込むチェルシー。飛びついてきたファンを安心させるように頭を撫でてやる。

 

「あー大丈夫、大丈夫」

 

撫でながら状況を確認する。辺りを見渡すようにグルッと視線を向けると構えを取ったまま、突然の珍客に唖然とする二人が見えた。

 

ーーーーなるほど、吹っ飛ばされたのは不幸中の幸いだったか。どうやら間に合ったらしい。

 

二人の状況も確認した。タエコのダメージも、コルネリアの現状も正しく把握する。十中八九、タエコの勝利だろう。

 

「師父……何故ここに?」

 

「フェイル……さん?」

 

「そこまでだお前ら。剣を引け」

 

今朝からずっとコルネリアの心の中にいた男が唐突に現れた為、あっけに取られていた意識が強い意志を込められた声をかけられた事で現実に戻される。力強くも美しいバリトンに心惹かれるが、戦意を込めて睨みつける。タエコが敵だったという事は上官である彼も敵である可能性は高い。

 

「貴方も私達を狙う革命軍の刺客なんですか」

 

「No way。俺はオールベルグとは無関係だ。だがそこの女は俺の弟子でな。面倒を頼まれたのさ。俺はあくまで保険よ」

 

「ではこちらの味方でもないという事ですね」

 

「それについては否定しねえよ」

 

言い終わる直前でコルネリアが拳を振るう。目にも留まらぬ速さと暴風をまとった威力で唐突に放たれた拳はコルネリアに必中を確信させた。

 

しかし拳に伝わる手応えがそれを否定させた。

 

目の前の緋い戦士は剣を鞘から僅かに抜き、柄頭を拳の中心に突き立てる事でコルネリアの一撃を防いでみせたのだ。

 

ーーーー私の粉砕王の最高の攻撃をこうも容易く……

 

完全にこちらの動きを見切っていなければ出来ない防御だ。しかも柄頭などという面積の小さい物で拳を受けようと思えば、拳の中心で受けなければならない。そんな絶技、父ですら出来るかどうかわからない。それをこの男はなんでもない事のようにやってのけたのだ。

 

「コレだからヒヨッコは引き金が軽くて困る。まあ落ち着けよコルネリア。俺は確かにタエを守りに来たがそれだけが主の目的ではない」

 

「っ!!私を殺す事かしら!!」

 

彼我の圧倒的な実力差は今の一瞬の攻防で充分わかった。なら武具の優位性でその差を埋めれば良いだけの事。粉砕王に込められる剛力の全てを拳に込めてもう一度構えを取った。

それに応じてタエコも腰の剣に手を掛け、ファンはクラムを握りしめたがフェイルは片手で二人を制した。

 

「粉砕王!!」

 

裂帛の気合いと共に剛撃と呼ぶにふさわしい一発が放たれる。その圧力は粉砕王の名に恥じない一撃だ。

だが目の前に立つ男は人を超えた狼。

 

 

「花風」

 

 

一陣の風が吹き抜けたかのようにコルネリアの頬を撫でる。金髪碧眼の少女から放たれた渾身の一撃はあっさり外れ、勢いそのままにヴァリウスの側に跪く。同時に粉砕王のみが砕け散り、コルネリアの急所に鈍い痛みが奔った。

 

ーーーー私………なにされた?

 

ヴァリウスの一連の動きがまるで見えなかったコルネリアは訳も分からず倒れこむ。その間に炎狼はその牙を腰間に納めた。

 

「確かにお前の武器は強力だ。その手甲ならちっとやそっとでは壊れんだろう。だからタエコは一点に斬撃を積み重ねる事で負荷をかけ続けた。そうやってその手甲の限界を超えたんだよ」

 

ま、使い古された手ではあるがな、と肩を竦めつつタエコの髪を撫でてやる。子供扱いに若干不服そうだが目元は緩んでるし、頬も紅く染まっている。まんざらでもなさそうだ。

 

「そんな………」

 

愕然となるコルネリアだったが心中を驚愕で満たされていたのはタエコも同じだった。

 

ーーーー今のは間違いなく……私の花風だった。

 

そう、ヴァリウスが先ほど行った事は結果だけ言ってしまえばカウンター。振るわれたコルネリアの拳に対して迎え撃っただけにすぎない。しかしそれはあくまで結果のみを言った場合だ。

 

己の結界の中に入った全てを迎え撃つ技、花風・寄らば斬る。一撃の威力が己を上回る相手に用いられる交叉法の絶技。自分がこの技を会得するまでに一体どれ程の時を掛けた事だろう。それをこの男はいきなり実戦で使ってみせたのだ。

もちろんタエコの技をヴァリウスは知り尽くしている。根幹となる技術を自分に与えたのは彼だし、ババラとの修行の成果はこの三年で出し尽くした。でも違う。

 

知っている事と実際に出来るという事は。

 

その間には天と地ほどの差がある。

 

それを自分のを遥かに上回るキレと技術でやってのけられたのだ。その理不尽に驚愕するのも仕方ない事だろう。

 

ーーーー腕を斬らずに手甲だけを斬るなんて神業、私には出来ない。

 

それをタエコが思うと同時にコルネリアもその事実に至る。手甲は完全に破壊しているにも関わらず、肝心の自身の右腕は無傷だ。

いくら手甲をしていると言っても、皮膚と完全に密着している訳ではない。もちろん、手と手甲の間の距離など限りなくゼロに近い。だがゼロではないその空間をヴァリウスの剣は斬り裂いたのだ。まさに紙一重を超えた神業。

 

「お前ほどの使い手なら分かるだろう。あのまま戦っていればお前はタエコに殺されていた」

 

「………………なら、貴方の他の目的って…」

 

「そう……」

 

 

 

君を守るためだよ、コルネリア

 

 

 

蹲るコルネリアに狼が手を差し伸べ、微笑みかける。その時、3人の小狼は人が狼に魅了され、狼に変わる瞬間を……かつての自分たちの姿を見てしまい、三匹同時に深く溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 




*爆ぜて混ざれ
水素爆発なのだがヴァリウスは原理を理解していない。何となくテキトーに空気を操ったら出来るようになっただけ。以来感覚でこの技を使っている。ちなみにこの爆発を見ても大きな狼になったりしない。

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第二十二罪 真実を知る為に

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

炎狼が差し出した手を取り、少女が立ち上がる。その表情はまるで夢を見ているかのように惚けており、心ここに在らずという様子だ。

 

「ウォッホン!」

 

チェルシーのわざとらしい咳でようやく現実に帰ってくる。真っ赤になりながら慌てて体を引いた。

 

「とりあえず落ち着いたか?」

 

愛弟子達の反応に苦笑しながらコルネリアに問いかける。そういえば自分はさっきまで戦っていたのだったと思い出し、体に活力が戻るが、グラリと体幹がゆれる。毒がついに全身に回ったらしい。もう戦える状態ではない。

 

「オールベルグの毒を貰ったか。タエ、解毒剤」

「ない」

「うそこけ、あるだろう」

「ないったらない」

 

無表情のまま、プイッと顔をそらす。コルネリア程ではないにしろ、自分もかなり傷ついているというのに、敬愛する我が師は敵の心配ばかりしているのが気に入らないのだ。チェルシーとファンだけは表情と声に拗ねている色があるのがわかった。

 

ハアと一つ嘆息すると自分が持っている薬をコルネリアに渡す。オールベルグの毒の組成は大体知っている。コレを飲めば死にはしまい。

 

「ほら、飲みな。飲んだらしばらく安静にしてろ。タエ、こっち来い。手当てしてやる」

 

ふくれっ面をしながらもフェイルの言葉に従い、受けた傷跡を見せる。腹部など服の下に当たる部位も患部であったため、フェイルは触診した後、脱ぐように告げる。すると黙って脱ぎ始めたため、コルネリアは口に含んだ甘苦い液体を噴き出した。

 

「あーあ、貴重品なのに。調合大変なんだぞソレ」

「な、な、何当たり前みたいに真っ裸になってるのよタエコ!」

「師父にはもう数え切れないほど見られている。今更だ」

「お子ちゃまねコルネリアは。初々しいわー、私にもそんな時があったよ。でも今じゃもう全然ね。もっとすごいトコまで見せちゃってるしね〜?タエコ」

「お師様、ドコを見たんですか?」

「どこと聞かれると難しいな。全部?」

 

ドタバタした四人の掛け合いを見て体から力が抜ける。先程まで本当に命懸けの死闘を演じていたというのに、タエコも他の二人も完全に安心しきっている。この男がいれば何か起きてもなんの問題もないと信じているからこそのリラックス。

 

コルネリアは呆れると同時に羨ましいと素直に思う。彼とそんな信頼関係を築く事が出来れば自分も彼女らのようにこの美丈夫に甘える事が出来る。誰かに甘えられるという事は姉貴分であったコルネリアが最も欲している願望だった。

 

「さて、手当したは良いがまた暴れられても困るし色々聞きたい事もある。悪いが手足は縛らせて……」

 

唐突に空気が張り詰め、ヴァリウスの眉間にシワが寄る。同時に三人の弟子達も戦闘態勢を取る。見られているとハッキリ分かった。

 

物陰から現れたのは武装した複数の影。連中への面識はヴァリウス達にはなかったが、コルネリアだけは僅かに憶えがある。つい先日戦い、斃した連中達だったからだ。

 

「何だ、こいつら」

「天狗党の………残党」

 

コルネリアの呟きを耳聡く聞き取る。天狗党の名前はババラから聞いていた。今回の件で手を組んだ革命軍派の組織だったはず。金髪碧眼の少女が青ざめるのはわかるがどうにも炎狼は腑に落ちなかった。やられた仲間の敵討ちに来たというには連中から怒りは感じられず、下卑た欲望といった負の感情が感じられたからだ。

 

「敵討ち、というには貴様らからは義憤が感じられんな。何しに来たテメエら」

「俺たちは天狗党に潜伏してた帝国の密偵だよ」

 

おお、聞いてもいないのに正体教えてくれた。そしてここまで聞けばなんとなく連中の目的は察する。

 

「俺たちはゴズキの旦那に命令を受けててな。もしそいつらの誰かが負けたり敵の手に落ちそうになったら殺せってよぉ〜」

「殺す前にはナニをしてもいいって言われててなぁ。お前らには感謝してるゼェ?そんな美味そうな女を仕留めてくれてよぉ〜」

 

舐め回すような視線がコルネリアに注がれる。寒気が走ったのか、それともこれからの悲惨な未来を想像したのか、俺の軍服を握りしめてブルリと震えたのが感じられた。

 

「そ、そんな………嘘よ。パパがそんな事言うわけ……「負けたヤツは弱かった」

 

震える華奢な身体を抱き寄せる。力強く、情熱的に。心に落とされた寒さが少しでもマシになるようにという願いが武骨な戦士の手に込められる。その熱は正しく怯える少女に伝わった。

 

「そして弱さは悪。今の帝国では死に値する罪。それが真実。驚く事じゃねえさ。エディもゴズキも間違っていると俺は思わねえ」

 

ヴァリウスは身をもってその事を証明し続けてきた。数えきれない罪を裁いてきた。

 

「だがそんな真実(フェイル)を変えるために俺は、いや俺たちは戦っている」

 

その言葉を肯定するように三匹の小狼達も牙を構える。ファンはクラムを握りしめ、チェルシーはピアノ線を操り、タエコは長剣に手をかけた。

 

「それと、今の帝国の真実でも一つだけ間違っていないモノがある。獲物を狩っていいのは狩られる覚悟がある奴だけだという事」

 

そして焔の狼も柄に手をかける。そこで襲撃者達はようやく気づいた。片殺しの狩りは殺し合いに変わったという事に。

 

「それに気づかなかった事が………テメエらの間違い(フェイル)だぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、こんなモンだな」

 

戦いはあっという間に終結した。言うまでもなく圧勝。元々の実力差も違いすぎたし、この結果は火を見るよりも明らかだった。ヴァリウスが立ち上がる。もうこれ以上この場にいても意味はない。今頃ババラが別働隊の連中を叩いている頃だ。あまり心配はしてないが結果は見に行かなければならない。襲撃者を一人だけ生かしておき、ゴズキ達の動きはすでに吐かせた。

 

「行くぞお前ら」

『はい』

「あ…………待って!!」

 

コルネリアはほっぽり置いてこの場から去ろうとしたヴァリウス達を慌てて止める。何か言わなければ、と思ったのだが、怪訝そうに顔だけ振り返り、こちらを見つめる紅い瞳に胸を射抜かれ、黙りこくってしまう。

 

「なんだよコルネリア。解毒剤を飲んだとはいえ、まだマトモに動けないだろう。そこでしばらく大人しくしてろ。旅館に戻るんならそれからにしな」

「で、でもあなた達、パパを殺しに行くんでしょ!そんな事……」

「あーもー、なんでこんな目に遭ってもまだ奴を信じるのかねぇ、このお嬢さんは」

 

ヴァリウスは大きく嘆息するけれどタエコ達はその気持ちがわからなくはなかった。

ありえない事だがもし師が彼女達を裏切ったとすれば絶対になにか事情があったのだと真っ先に思うし、自分の目で確認しない限り、ヴァリウスの事は疑えないだろう。

 

そしてその心情はヴァリウスにも理解はできた。彼も他の誰を疑ってもエスデスを疑う事はしなかった。まあ彼はそれはそれ、これはこれと行動できる男だったので縛られる事はなかったけれど。

 

また一つ大きく息を吐く。いくら言葉を尽くしてもこの子には通じないだろう。なら少し荒療治になるが連れて行くしかない。

 

「コルネリア、真実を知る勇気はあるか?」

「…………それは」

「俺は別に無理に知る必要はないと思う。ゴズキを信じるってんならそれも一つの道だ。俺たちと戦ってお前が勝利した。代償として粉砕王は失ったといえばきっと戻れる。少しゴズキと離れたいというならそれもそれだ。お前は死んだって事にしちゃえばいい。破壊された粉砕王を持っていけば説得力もある。後は俺が上手くやってやる」

 

無理に辛い真実を知る必要もない。提案は魅力的かつ現実的だ。どちらを選んだとしてもこの男なら上手くやる。その確信はコルネリアにもあった。しかしそのどちらを選んだとしても一つだけコルネリアには見逃したくない点があった。

 

ーーーーこのどっちを選んだとしても、私はこの人と一緒にはいられない。

 

何が正しいのか、どう生きればいいのか、まだ彼女にはわからない。それも当然だ。コルネリアはまだ誰かに導いてもらって当たり前の少女なのだから。

 

「それでも、知りたい。私は今何も知らない。今まで何で戦ってたのかも、私が何者なのかさえ………知らないと私は進めないと思うから」

「…………どこかで聞いたセリフだな」

 

チラリと長剣を腰に納めた愛弟子を見やる。拾って育てて適当な家に預けてやろうとした時、弟子にしてくれと頼み込んできた時、タエコも似たような事を言っていた。

 

「いいだろう、連れて行くだけ連れてってやる。ただし、物陰から見るだけだ。直接関わる事は許さん。そのあとどうするかも面倒みないからな」

「はい!」

 

どこかで聞いたようなその返事と態度に狼たちはまた溜息を吐く。最後の話はまた覆るんだろう未来を憂いながら、自分達の例がある故、止める事もできない歯痒さを紛らわす為にはこうする他になかったから。

 

「お前らの別働隊の逗留地は」

「郊外の外れの山だけど」

「なら案内を頼む。連れて行くんだ。少しは役に立ってもらうぞ。行くぞお前ら。ババラの事だから大丈夫だとは思うが、ゴズキは帝具使いだ。ヤバい可能性がないとも言えん。急ぐぞ」

『了解!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。うわぁ、気づけばフェイル書くの久しぶり。なんか人気イマイチなかったので放置してたら更新してほしいというありがたいメールやコメントを頂いた為、頑張ろうと思います。それでは感想、評価お待ちしています。他にもFAIRYTAILローレライの支配者と落第騎士の英雄譚で連載しておりますのでそちらもよろしくお願いします。


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第二十三罪 炎狼死す

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーなんとかなったか。

 

戦いに敗れ、爆発四散したババラの死体を見ながらゴズキは一つ嘆息する。強いだけでなく手強く老獪な相手だった。実戦経験が足りない発展途上の子供達では手に負えない敵だっただろう。自分が相手にできて良かった。

 

ーーーー成果もあった。コレで宿の連中が無事なら今回は撤収でいいだろ。

 

一度宿に戻るぞ、と口を開きかけたその瞬間、砂埃が一気に舞い上がる。唐突な何かの襲来にゴズキは新手と思い、再び臨戦態勢を取る。

ゴズキが構えを取る前に砂埃が払われる。竜巻の中心に立っていたのは緋色の髪に紅玉の瞳を宿した炎の剣を操り、最強の証を持つ軍服を纏った青年。

 

ーーーーこ、こいつは……

 

「ヴァリウス………副将軍」

「うわ、やっぱわかるか」

 

バツの悪そうな顔をしながら炎狼が戦場に舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る。

コルネリアに教えられた場所に向かっている最中、すぐ近くで地響きが鳴るほどの轟音が響く。フェイルが駆けつけたとき、もうババラ達の戦闘は終局へと向かっていた。ババラはすでにゴズキと交戦していて、皇拳寺羅刹四鬼の十八番、身体操作でゴズキが攻め、熟練の技量でババラが凌ぐ。実力伯仲の死闘が演じられている。

タエコ達には茂みで伏せておくように告げ、フェイルも戦闘に参加しようとしたその時、極死の一太刀がババラを掠め、村雨の呪毒により、絶命。最後の抵抗として、己の体の中に仕掛けた火薬で自爆した。

 

「今のは……」

 

爆音に真っ先に反応したのがタエコだった。このタイミングで起こった爆発ならそれはババラが起こしたものだと考えるのはオールベルグとして自然だ。

 

「ババラが………負けた」

 

歯ぎしりの音が聞こえた瞬間、ヴァリウスはタエコを抑え込んだ。あと1秒抑えるのが遅ければタエコはゴズキに突っ込んでいただろう。

 

「落ち着けタエコ!ババラで勝てなかった相手にお前が勝てるわけないだろう!」

「でも!「でもじゃねえ!!オールベルグの死神だってんならいつ死んでもおかしくない覚悟はしていたはずだろう!真の意味で仇が取りたいならここは堪えろ!」

「…………っ!!」

 

タエコは握った拳を地面に叩きつける。無駄だとはわかりつつも、何かに当たらなければこの気持ちをごまかす事は出来なかった。

 

「お師様、これからどうしますか?」

「ババラが死んだ時点で俺たちの仕事は終わりだ。依頼主がいないのにこれ以上命をかける必要はない」

「でも先生どうするの?コルネリアに真実を見せるって言ってたじゃない」

 

このままトンズラしてはそれを教える事はできない。つまりヴァリウスがゴズキに姿を見せる必要がある。変装道具も今は手元にはないから素顔を見せなければならない。

そしてソレはヴァリウスにとってリスクしかない。

 

「コルネリ……長いな。コルネ……じゃなんかアレか。リアでいいか?」

「え、私?私に愛称?」

 

ヴァリウスはよく人に愛称をつける。短い名前の人間ならそのままだが、呼びにくかったり、呼ぶのが手間な名前には簡単に呼びやすい愛称でその人を呼んでいる。エスデスやタエコがそうだ。

そんな何の気なしに行うヴァリウスの行動を、コルネリアには特別に感じられた。仲間達にも姉貴分としてコル姉とか呼ばれていたが歳上の男性にそんな気安く呼ばれた事などなかった。しかも相手はこの男。心が浮つかない筈がない。

 

「えー、いいじゃん。コルネにしようよ。なんか可愛いし。癖っ毛だし」

「俺がなんかヤダ。何故か口の中が甘くなる。リアの方が呼びやすいし。てそんな事はどうでもいい。お前、まだ知りたいか?」

「え………はい」

 

お前と呼んだ時、少し落ち込んだ様子を見せた後、力強く頷く。その目を見た後、ヴァリウスはため息をつき、頭を掻いた。

 

「お前ら、ここから動くな。これからゴズキを此処に連れてくる」

「え!?姿見せるの!?いいの!?」

「仕方ねえだろう。真実を教えるって約束しちゃったの俺だしな。ただし、絶対にお前らは姿を見せるなよ。色々めんどくなるから。あ、チェルシー、コレ借りるぞ」

「え、いいけど……とゆーか先生、ソレ何に使うの?」

「まあ見てろって」

 

返事を待たず、ヴァリウスが跳躍する。本音を言えばついていきたい。けれど本気で動き始めた師についていける人間は此処にはいない。チェルシーにできる事は硬く拳を握りしめたタエコを宥めることぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァリウス……副将軍」

「うわ、やっぱわかるか」

 

舌を出す。バレる可能性はもちろん頭にあったがこうも早く正体を知られるとやはりあまりいい気はしない。

 

「いや、もう副将軍じゃありませんでしたかい?今日は一体何のようで」

「なに、見知ったツラを見たんでな。ちょーっと頼みごとをと思ったまでよ」

「父よ、この男は誰だ」

 

ブロンドの少年がゴズキに近寄る。ババラから預かった人相書きに比べてかなり髪が長い。恐らく帝具か臣具の力だ。臣具の事はあまり知らないが変身するというものは帝具にもある。似たようなものがあっても不思議ではない。

 

ナハシュの言葉にゴズキは答えない。何か一つ隙があれば直ちにこちらの首を喰い千切れる怪物が相手だ。他のことに構ってはいられない。

 

ーーーーあの女の犬がトチ狂ったとだけは聞いていたが……なるほど、確かに虚ろな目だ

 

焦点の定まらない紅玉の瞳を見てゴズキはさらに身を引き締める。心のない人間なら帝具の使い方次第でまだやりようはある。隙があれば村雨を一太刀浴びせるくらい出来る。しかし今この男は自分を見失いつつある。そのくせ強い。迂闊に動けば殺されかねない。獣と同じだ。

そしてこの獣は3年前、あの氷の魔女をも噛み砕いた。ならこちらに勝ち目はない。

 

「落ち着けよ。別にやるつもりはない。ババラを斬ったことに関しても責める気は全くねえよ。負けたこいつが弱かった。そんだけだ」

「…………では何のご用で?」

「まあココで話してもいいんだが……」

 

視線を子供達に向けてやる。彼らの前では話せない事もあるだろう、と目で語った。

 

「少し歩こうか、えーっと名前なんだっけ?」

「ゴズキですよ、炎狼殿」

 

逃げる事はできない。この狼から逃れられる人間などこの世に一人しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………このあたりで良いか」

 

森の中の開けた場所でヴァリウスが歩みを止める。後ろからゴズキもついてきていた。その胸中は少し複雑だった。

 

ーーーー隙だらけだ……あの狼とは思えねえ

 

しかしゴズキは攻めあぐねている。並みの戦士ならこのまま斬って捨てる事も出来たかもしれない。だが目の前の怪物は並みの秤など遥かに超えている。この程度の擬態はこの男なら朝飯前だ。誘いだとすれば自分は指先一つ動かした瞬間、自分は跡形もなく燃え散らされる。

 

「いい子達だな」

 

抜くべきかどうか迷っていると声が掛かる。抜く事はいつでも出来る、と柄から手を離した。左手だけは鯉口を握りしめて。

 

「警戒するのはわかるが、やる気ねえって言ってんだろ。その物騒な左手外せよ」

「申し訳ねえですが、コッチも命は大事なんでね。悪いがこのままでいさせてもらいますぜ」

 

やれやれと言わんばかりに肩を竦め、鼻を鳴らす。「まあいい」と呟き、続けた。

 

「見てすぐ分かる。強いな、あの子達」

「まだまだヒヨッコですがね」

「それは当たり前だ。俺さえヒヨッコだった時があった。能力だけならlエスデス軍《ウチ》でもやれる素材だ」

 

その事に関して異議はない。確かにまだ実戦経験に欠けるため、一流どころ相手では少し不安はあるがそれも遠くない未来に解決される事だろう。

 

「別に聖人君子みたいな事は言わねえ。帝国の戦力として彼らを育てるのは構わん。だが真実を隠したまま人を殺させるのはやめろ。あの子達は操り人形じゃない。人間だ」

 

言葉の意味は正しく分かる。何が言いたいかも全て伝わっている。しかしそれは出来ない。自分に忠実な駒とするには真実はできるだけ隠さなければならない。

 

「悪いですがそれは出来ませんねぇ。あいつらに戦闘以外の思考力はいらねえんですよ。奴らぁ剣だ。それ以上の価値はねえし、必要もねえ」

 

予想通りの答え過ぎてヴァリウスは吐き気がした。そんな生き方もありといえばありだ。自分もかつてはそうだった。余計な事を考えなくていいという点では気楽でもある。だがそれでは人間である意味がなくなる。

NOと言うのは意志の力がいる。場合によっては覚悟もいる。Yesというだけなら機械でも出来る。

 

「彼らは機械になっちゃいけねえんだ。この国を本当に思うのなら真実を伝えた上で戦わせてやれ。お前に恥じる事がねえなら出来るはずだろう」

「恥じる所がありまくりなのは俺なんかよりアンタの方がよっぽど知ってるはずでしょう」

「…………まーな」

 

子供は純粋だ。善の方が好きな子供の方が圧倒的に多数だろう。命を捧げてまで悪として戦おうなどまず思わないだろう。

 

「だから奴らには俺に心酔させて忠実な道具にする必要があるんですよ。道具に意思なんていらねえんですからねえ」

「なら聞くが、お前はこのまま帝国で人殺しを続けてどうするつもりなんだ。この国が間違っているのはわかってるだろう。このまま人斬りを続ける事を何とも思わねえのか、てめえは」

「思いやしませんね!死ぬ奴は弱かった!それこそがエスデス軍(アンタら)のポリシーだろう!」

「…………結局てめえはコバンザメ、か」

 

もう話す事はない、と背を向ける。その動きは相変わらず緩慢で隙だらけだ。

 

ーーーー今だ!

 

ヴァリウスの視線がゴズキから外れた瞬間、ゴズキは村雨の柄に手を掛け、斬りかかった。もし察知されて避けられたとしても背を向けているこの体勢なら充分に回避が可能だ。

 

ーーーーえっ…

 

ゴズキがそう思うほど呆気なく戦闘は終わった。ゴズキの咄嗟の動きに反応し、回避行動を取ったのは流石だったがその動きはやはり遅い。少なくとも村雨をかすらせるには充分だった。呪毒は瞬く間に心臓に達し、死に至らしめる。

 

そのまま無言で地面に倒れる。この刀に斬られて死ぬ者はこの倒れ方が多い。何があったかわからないと混乱したまま死んでいく。帝具の能力を知らないものなら当然だろう。

 

「…………悪いですが、アンタの首には手配がかかってるんすよ。もらいますぜ」

 

首を切り落とし、袋に詰める。即死したおかげか、思ったより出血は少なく、難なく作業は終わった。

 

「しかしコイツはつくづく反則な刀だぜ。まさかこんな簡単に炎狼を殺せるなんてな。はっはははは!」

 

首のない死体を置いてゴズキはその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




心配してください、死んでますよ。それでは感想、評価よろしくお願いします


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第二十四罪 踏み出された最初の一歩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コレはヴァルではない」

 

ゴズキから塩漬けにされて帝都に届いた首。炎狼が討ち取られたと聞いて飛んできたエスデスが中身を確認した瞬間、安堵したように吐かれた息と発せられた第一声がコレだった。

 

「えっ。ですがこの顔はどう見ても……」

「何を言っている。全然違うだろう」

 

何を言っているんだという表情で首をかしげる。誰の目で見ても箱の中の首はヴァリウスのものだったが、エスデスだけは本気で不思議がっている。

 

諦めたように一つ息を吐くと生首を引っ張り上げ、確認する。

 

「顔も違うが、何よりあるべきものが無い」

 

本人すら知らない、幾度も体を寄せ合い、夜を過ごし、彼の後ろで危険種に乗り、体を重ねてきた彼女だけが知る体の特徴。

 

首の裏に刻まれた自分の咬み傷。幼い頃に自分がつけ、それ以来何度も確認している。自分だけが知るその傷が愛おしかった。彼が眠るたびにその傷を指で撫で、舌で舐め、唇を寄せた。見間違えるはずが無い。

 

「しかし、これはどう見ても……」

「ああ、もういい。信じられないのなら構わん。別に信じてもらおうとも思わんしな。私がわかっていればそれでいい」

「では手配書はどうしますか」

「破棄していい。どうせそんなもので奴は捕まえられん。手配書が無くなればヴァルも多少緩む。その方が捕まえやすい」

 

首を元に戻し、部屋から出て行く。もうこの場に用は無い。

 

しばらく廊下を歩いていく。その姿はいつも通り毅然としており、凛々しさに溢れている。

 

帝国に与えられている将軍としての自分のプライベートルームの扉を開け、部屋に入り、鍵を落とす。

 

その瞬間、膝から崩れ落ち、しゃがみ込む。そして搾り出すように一言を出した。

 

「良かった……」

 

ヴァリウスが殺されたと聞いて、あり得ないと自分に言い聞かせながらもゼロでは無い可能性を思い、心が凍ったような感覚に襲われていた。

 

「本当に……良かった」

 

ーーーー生きている事がわかった。それだけで充分だ。

 

「いつか必ず会いに行く。待っていてくれ、ヴァル」

 

その目には新たな希望の光が灯されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時はしばらく遡る。ファン達は町を出るためにこの町に初めて来た時にも通った小高い丘の上にいる。そこにはゴズキに斬られた首のない死体もいた。

物言わぬ骸がひとりでに燃え上がる。もちろん自然発火などではない。人が意志を持ってその死体を燃やした。

 

その実行犯は緋色の髪に紅玉の瞳を宿した先ほど殺された男と同じ顔をした青年。手にはピアノ線と燃え盛る炎の剣が握られている。

 

「なんとかなったな」

 

まだ燃えていないピアノ線のみを回収し、骨まで焼き尽くし、灰になった事を確認すると振るわれた剣の風圧で灰は風の中へと消えていった。

 

そう、先ほど斬られたヴァリウスは彼本人ではない。チェルシーとファンを罠にかけようとして現れた自分の顔をした偽物をピアノ線で操った死体人形。表情や態度はバーナーナイフの能力、陽炎で作っていた。

 

彼本人が現れてあの場でゴズキを斬っても良かったのだがそれをするとあの子供達が路頭に迷う。全員の面倒を見てやる気はヴァリウスには残念ながら起きなかったし、何よりコルネリアの前でゴズキを殺すマネは出来なかった。

今回、ヴァリウスがしなければならなかったことは彼の口から真実を語らせ、そして殺せないなら追っ手がかからないようにするためには、自分が殺されるしか無い。うまくゴズキに殺されるという偽装が必要だった。

コレでヴァリウスは公に死んだという事になれる。勿論顔を堂々と晒すことは出来ないが手配書はなくなるだろう。コレがあるとないとでは天地の差がある。危険を冒した価値は充分にあった。

 

「先生ってホントに器用ね。私も結構自信あるけどやっぱ敵わないよ」

「当たり前だ、お前とはキャリアが違うんだよ」

 

借りたストリングスをチェルシーに返す。もともとはヴァリウスが狩猟用の罠に使っていた危険種の素材を元に作った強靭な糸。しかし今はもうチェルシーのモノだ。

 

一人足下から崩れ落ち、絶望に表情を染めている金髪碧眼の少女の元に歩み寄る。すべての、とはいかないが自分達の存在意義の真実はまだ子供と呼べる年頃の少女には重すぎた。

 

「リア」

「……………………」

 

答えない。それでもいい。続けた。

 

「言っておくがゴズキは外道の中ではかーなりマシな方だ。伏魔殿の中枢の帝都から離れた場所での活動だからってのもあるが、奴は奴なりにお前達を想っているんだろう。ただし、都合のいい殺戮道具として、な」

 

まるで寒空の下に放り出されたかのように両手で二の腕を抑え、震え始める。一体自分は何をしてきたのか、自分が殺してきた人間は本当に悪人だったのか。そうでないのなら……いったいどれほどの罪を背負ってしまったのか。

その自覚と恐怖に震えているのだ。

 

「リア、お前は今まで何の理由も考えず、ただ目を瞑って拳を振るってきた。だが今はもう違う。もう目は開かれた。その震えは進化の証だ。誇っていい」

 

寒さから彼女を守るように、膝を立て肩を握ってやる。炎狼の熱が伝わったのか、震えは少し小さくなった。

 

「今のお前なら世界が正しく見えるはずだ」

「…………うん」

 

ようやく返事を返す。ゴズキがかけた封印はフェイルによって安全ピンが外され、ゴズキ自身がその封を解いた。ゴズキの指示のみを盲信してきた彼女の視界は今、大きく開け放たれている。

 

「その上で問おう。お前はコレからどうしたい?」

「…………わからない」

 

仕方ない事だろう。視界は開けたと言っても心はまだ何も知らない幼子に等しい状態。暗闇で目を閉じていた人間が突如太陽の下で目を開けたら何も見えないのと同じだ。

まして未来をどうするかなど大人にすらわからない事もある。この国の現状では明日をどう生きるかさえ不明なのだ。まだ守ってもらう人間が必要な年齢である彼女ならなおさらだ。

 

それでも、この子はいま答えを出さなければならない。酷な事かもしれないが、そうでなければこの子は一人で立てないだろう。俺たちと来いと言うのは簡単だけれど、それではヴァリウスが第二のゴズキになるだけだ。彼と来るというならまず本人の見識を広げなくてはならない。だからこそタエコはババラに預けて旅をさせた。チェルシーは彼女なりに帝国の現状を理解していた。そしてファンは自分で守ると決めた。

 

「けど、もうパパ……いえ、ゴズキにはついていけない」

「だろうな」

「何が正しいかなんてまだ私にはわからない。確かにゴズキが間違っているのはわかったし、貴方についていきたいけど、貴方が正しいかどうかもわからない」

「それでいい。わからないって事は恥じゃない。それを知る事こそが大切なんだ。その連なりを人は知識と呼んでいる」

「…………知識」

「そうだ、自分で見て、感じて、発見して、理解する。そうして初めてお前だけの知識となり、その連なりがお前の世界を彩る」

「世界を……」

「そうさリア。お前は一つの真実を知った事で世界が変わったろ?今はまだ絶望が大きくて灰色にしか見えないかもしれない。でもよ」

 

フェイルが手を広げた小高い丘から広がる先には水平線に沈まんとしている見事な夕焼けが世界を紅く照らしていた。その景色はまさに絶景。ゆっくりと空を見た事などなかったコルネリアはその光に圧倒された。

 

「見ろよリア。世界はこんなにも美しいじゃないか」

「ーーーーうん。知らなかった」

 

絶望に打ちのめされた表情に希望の光が差し込む。目には生気が戻り、身体からは少しずつ力が湧いてくる。

 

「ーーーー私、帝都に行く」

 

夕日から目を逸らさず、生まれたての金狼が吠えた。

 

「ホントは貴方についていきたいけど、それじゃダメだと思う。だから私、この国で何が起きてるのかを、帝都で……この目で確かめる」

 

その答えに笑みがこぼれる。出して欲しかった満点の答えだった。

首にかけている十字架のネックレスを外す。エスデス軍の軍服の一部だ。

 

「お前にコレをやろう。コレがあれば大抵のところは寝床を出してくれる。生活するくらいは出来るだろう」

「フェイルさん……」

「帝都を見てきた後でいい。いつかきっと返しに来い。お前の心の針の答えを見つけて。強くなれ、リア。強くなる理由を見つけて」

 

ネックレスを手渡し、コルネリアの癖っ毛を優しく梳き、撫でる。その心地よさに金狼の目は少し潤んだ。

 

「帝都はいま伏魔殿だ。ゴズキがお子様だったと思えるほどの悪漢、卑劣漢が待ち構えているだろう。だがそれでいい。迷え、リア。迷って、考えて、行動しろ。その一つ一つがお前をもっと強くする。その時、ソレを返しに来い」

 

最後に強くくしゃりと乱雑に搔きまわし、コルネリアに背を向ける。三匹の狼がその後に続いた。

 

「待ってるぜ、リア。そんな日が来る事を……いつまでもな」

 

一匹の狼と三匹の小狼が黄昏の夕闇に姿を消す。手にした十字架とリボンをギュッと握りしめ、それで髪を後ろに括る。いわゆるアップにしないポニーテール。かつて帝国にいた頃、ヴァリウスがしていたヘアスタイル。軍にいた頃、エスデスに合わせてか、それとも彼女の命令だったのか、ヴァリウスは長髪だった。燃えるような長髪を後ろに束ね、戦場を駆ける姿は有名だ。

コルネリアはその事を知っていてこのヘアースタイルにした。つまりそれは自分もいつか彼の後を追うという意思表示。

 

「私、強くなるよ。強く、大っきくなる。待っててね」

 

金狼が一人で歩き出す。夜の寒さを伴って吹いた向かい風が何故か心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったの?先生」

 

タエコとコルネリアが戦っていた場所に戻り、死体を偽装していたヴァリウスにチェルシーがそんな言葉を掛ける。今のご時世、行き倒れの死体などスラムに行けば溢れかえっているため、死体の調達は簡単だった。何の事を言っているのかよくわからなかったので黙って作業を続けていると予想通り続きがあった。

 

「コルネ一人で行かせちゃって。大変なんでしょ?今の帝都って」

「まーね。魑魅魍魎の跋扈する町と言って過言じゃねえな」

 

見繕ったコルネリアと似た骨格の女性の死体に壊れた粉砕王を装着させ、燃やす。跡形もなくなるほど黒焦げに。ここまですれば今の検死技術なら帝具でも使わない限り死体の身元はわからない。これに粉砕王を着けさせていればまず騙せる。

 

「てっきり仲間にするのかと思ってました」

「だから俺は託児所じゃねえんだっての。路頭に迷ったガキいちいち弟子にしてたらとんでもない大所帯になっちまうっての。よし、こんなもんかな!」

 

死体の偽装を終わらせる。処理が終われば長居は無用だ。素早く撤収の指示を出す。ババラも死んだ。もう俺たちがこれ以上ココで活動する意味も無い。

 

それに死んだ事にしたとはいえ、ヴァリウスがこの町にいた事は確実に伝わる。もし調査などされては足がつくかもしれない。サッサとこの町から去る必要があった。

 

四人が全速力で駆け抜け、町外れの乗り合い馬車に乗りこむ。町から離れてしばらくが経つとようやく全員力を抜いて座り込んだ。

 

「疲れたぁあ。初陣長かった〜〜。センセ〜、肩揉んでけれ〜〜」

「寝言は寝て言え。タエ、お前はこれからどうする?オールベルグに帰るか?」

 

流石のタエコも疲れが隠せないのか、珍しく疲労を表情に出して座り込む彼女に尋ねる。

もともとタエコがヴァリウス達と行動しているのは幾つかの偶然が重なっての事。本来ならヴァリウスのそばにいたはずの人間では無いし、下手をすればラクロウで命を落としていた可能性さえあった。仕事が終わった以上、古巣に帰る必要はあるだろう。

しかし、タエコから出たのは否定。ヴァリウスにとっては少し意外、ファンとチェルシーにとっては当たり前の言葉だった。

 

「ババラがいなくなった以上、もうあそこにいてもしょうがない。師父が許してくれるならこれからはあなた達と行動を共にしたい」

「…………そうか、まあ可愛い弟子だから俺はいいけど。お前らは?」

「異論無いでーす」

「もう私たちは家族です」

 

満場一致で可決。タエコもオールベルグを抜け、フェイルと共に行動する事となった。

 

そこからは平和な道のりだった。町を出た後、行きと同じく、船に乗り、全員が無事にヴァリウスの居室に帰還した。帰る日時をヴァリウスが手紙で知らせていたおかげか、家で彼女が待っていてくれていた。薄汚れた白衣に腰まで伸びた茶がかった黒髪。左目にモノクルを掛けた美女。名はチサト。フェイルの元部下であると同時に医術を学んだ師でもある。食事も湯もすべて用意してくれていた。

 

全員が生きて帰ってきた事にチサトも大層喜び、娘達が負った傷は懸命に治療してくれた。

その結果、ファン・チェルシー・タエコの三人は体力の消耗も鑑みてしばらくの絶対安静を言い渡される。

それでも後に残るような怪我は無い事を確認され、ヴァリウスは胸をなで下ろす。その際漏らした「良かった」という呟きをチェルシーに聞かれてしまった。

 

「先生ツンデレ?うわー!可愛いーー!やっぱり私たちの事大好きなんだね?私も大好きだよ❤︎先生♫」

 

甘えるようにすり寄ってくるチェルシーに顔を真っ赤にするファンとタエコ。全く可愛げがあるんだかないんだかわからない。アホなこと言ってないで安静にしてろ、と一発拳を落として、それぞれの寝室で寝かせる。

 

そこでようやくヴァリウスの手当が始まる。毅然と振舞ってはいたが今回ヴァリウスが負った傷も軽くはない。バトルウルフとの死闘で負った怪我も、二人の弟子を庇って受けたダメージも常人なら死んでいて何らおかしくないモノだったのだ。

 

「まったく、誰より強いくせにどうしてお前はいつもいつもこんな怪我をして帰ってくるんだ」

「しょうがねえだろう、ガキ共のお守りもしなきゃいけなかったんだから……ーーッつ」

 

消毒液の痛みに思いっきり顔をしかめる。しかめたフェイルの顔に負けないくらい、チサトの表情も同時に歪む。愛しい人間の傷だらけの姿は何度見ても慣れない。

 

「ーーーーお前が泣いてどうすんだよ」

「…………うるさい。お前もとっとと休め」

 

治療を終えるとさすがのヴァリウスもすぐに眠りにつく。それから二週間は全員静養に充てる事となった。

 

そして身体もある程度回復し、それぞれが鍛錬に戻り出したある日の事だった。

 

「ヴァル」

 

往診から帰ってきたチサトが手紙を一つ持ってヴァリウスの自宅を訪ねてくる。

 

「どうした?」

「少し外に出る事になった。護衛を頼みたい」

「護衛?お前に?」

 

取りようによっては失礼な発言だがこの反応も無理はない事だった。かつてエスデス軍の一員だった彼女の実力は折り紙つきだ。並の戦士など及びにもつかない。その彼女がヴァリウスを護衛に付けたいという意味は、その用事の重要度と危険度の高さが相当なものである事を意味する。

 

「依頼された内容は?仕事先は?」

「プトラだ」

「マジか。外国じゃねえか。一体何の用件で?」

 

眉唾ものなのだが、と一つ断りを入れる。話半分で聞けという事なのだろう。頷き、会話を促す。

 

「不老長寿に関わる調査、だ」

「ーーーージョフクの報告書か……!!」

 

そして役者は異国へと集結し始め、焔と凍の再会の時が迫りつつある事を今はまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。ラクロウ編ようやく終了〜!いかがだったでしょうか?面白かったと思って頂ければ幸いです。そしてようやく始まる墓守編!書きたくって仕方なかった!ココが終わればオリジナル挟んで零を終わらせて本編に突入するか、もしくは最終回を迎えさせるか迷っています。その辺は感想などで決めたいと思いますのでよろしくお願いします。ちなみにジョフクとは本当に秦の始皇帝が不老不死の妙薬を探させに派遣した詐欺師の名前です。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。それと低評価ももちろん受け付けていますができればその理由もお聞かせください。よろしくお願いします


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第二十五罪 予感と古傷

 

 

 

 

 

 

 

 

千年の繁栄の礎を作り上げた男、始皇帝。彼は時の栄華を極め、地位と名誉、そして権力。およそ人間が現状で手に入れられるモノの全てを手に入れた。

そんな男が最後に欲する物は皆共通している。

 

それは未来。

 

男は自分と自分が作り上げた国の未来をも手に入れようとした。自分の死期を悟り、死を受け入れた皇帝は国を守る護り手として、人材と技術と財力の粋を尽くして彼は武具を作り上げた。

 

それが帝具。人智を超えた、物理法則すらも覆す……いや、正確には覆してはいないのだろう。なまじそう見える力があるから勘違いしやすいが、物理の壁というのは想像以上に高く厚い。だが高度に発達した科学は魔法と区別がつかない。そんな力を持った帝国を不滅の存在とするための超兵器。

 

しかし、彼は死期を悟っても、そんな超兵器を作り上げても、自分の生を諦めたわけではなかった。

不老不死、栄華を極めた者が皆欲する愚かな夢と欲望。

 

持てる力の全てを尽くして始皇帝はこれを求めた。

情報にも高値がつけられ、報酬を得るために多くの技術や薬が集められた。しかしその大半は根も葉もないくだらない技術や噂。中には口にすれば確実に死ぬ水銀を不死の薬だと言うものすらあった。

結局、その悪夢が叶う事はなかったが、何も得られなかったわけではない。くだらない石ころの中には宝石もかくやというホンモノも存在していたのだ。錬金術もその一つ。当時は錬丹術と呼ばれていた物質変遷の技術。

そういったホンモノを発見した人物の名前はほぼ同一人物の物だった。その人物こそがジョフク。始皇帝が派遣した学者の中で不老不死に最も近づいた男。

 

彼は自分が発見した物を報告するため、研究成果や調査結果を文献や石碑に纏めた。帝国に送られるべきだったそれらの資料は千年の時を経て、現在では世界各地へと散らばってしまっている。

文献には現在失われてしまった技術や文明について多くの事が書かれており、その希少価値は帝具に匹敵する。

それが『ジョフクの報告書』。中には不老不死についてすら書かれている物さえあると言われている。人によれば血眼になって探している者もいる。それ一つを求めて命を落とした者さえも。

 

この資料に関わることは死の可能性が常にある。危険度は帝国の闇に勝るとも劣らない。

 

ーーーーそんなモノに関わるのなんざ、俺でさえゴメンだってのに……

 

異形の生物の背中に乗って、異国の空を滑空しながら、風に紅い髪を靡かせる美丈夫が大きく一つ溜め息を吐く。整った眉には疲労と諦観がない交ぜになったシワが深く刻まれている。若者の名はヴァリウス。今はわけあってフェイルと名乗っている。かつて帝国に仕え、炎狼と呼ばれた最強の戦士。

 

「先生、元気ないね。だいじょぶ?飴食べる?」

 

飴を咥えた亜麻色の髪の少女が男の顔を覗き込んでくる。彼女の名はチェルシー。美しいというよりは可愛らしいという形容が似合う少女。人懐っこさと警戒心を解かせる親しみやすさは猫を彷彿とさせる。

 

「ああ、気にするな。面倒はいつもの事だしな」

「え?なに?今回の仕事ってヤバいの?」

「俺が溜め息吐きたくなる程度にはな」

「げっ…」

 

乙女にあるまじき反応だが無理もない。世界最強と信じている己の師がヤバい事を否定しないという事は自分達にとっては相当ヤバい事に違いない。

 

「ファ〜ン〜。私達今度こそ死んじゃうかも〜」

「うひゃんっ!?」

 

師のローブにしがみついて震えていた艶やかな黒髪を腰まで伸ばした大陸風の衣装を纏った少女にチェルシーがしなだれかかった瞬間、可愛らしい声をあげて飛び上がる。

空飛ぶ動物に乗って上空高く飛ぶという未体験の事象に彼女は怯えきっていた。もし落下などすればたとえ師といえど死ぬ事に疑いはない高さを捕まるところさえなく高速で飛翔しているのだ。全身を襲う容赦のない空気抵抗にバン族の少女、ファンが恐れを抱いても仕方ない事だろう。

 

「ち、ちちちチェルシー!?こんなところでしがみついたりしないで!私は今貴方が思っている以上に恐れてるんだ!というかよくそんな余裕あるな貴方達!」

「そう?風が気持ち良いじゃない。ねえ、タエコ」

 

セミロングの黒髪をアップに纏め、簪を差した少女に声をかける。美しいが無表情な彼女は一度頷きを返した。すらりとした均整のとれたスタイルに佇まいは他の二人にはない艶がある。

この三人の少女達はみなヴァリウスの弟子。それぞれに素晴らしい才覚を持つ原石にして、小さな狼。恐らくは今こそが伸び盛りの少女達は日々メキメキと成長している。

 

「随分とイヤミな溜め息だなヴァル。私への当てつけか」

「No way。お前の頼みとあればたとえ火の中、水の中ですよ。My master(我が師よ)

「やめろ私はヴァルに何も教えてない。貴方こそが私の師だ。それは貴方がどんな立場になろうと変わらない」

 

薄汚れた白衣に茶がかった黒髪の美女、チサト。元エスデス軍軍医にしてヴァリウスの元部下。路頭に迷っていたところを彼が拾い、鍛え上げた戦士。

そして今回の一件を医師連盟に依頼された闇の医師。ジョフクの報告書の中には医療に革新的な技術をもたらす資料も多く存在する。医師にとってはまさに宝の山。しかし戦闘能力を持たない彼らにジョフクの報告書の調査は不可能だった。

そこで高い戦闘力をもつチサトにお鉢が回ってきたというワケだ。

 

「俺はヘタに手を出さねえ方が良いとは思うがな」

 

アレはパンドラの匣だ、とヴァリウスは思う。かつてジョフクの報告書の一部を彼は見た事がある。内容は専門的すぎて原理や理屈はまるで理解できなかったが、その技術はまだ人が持って良い次元のものではないという事だけはわかった。

分を過ぎた力は身を滅ぼす。今自分が腰に下げている剣も剣が認めなかった使用者を一体何人燃え散らしてきたかわからない。欲こそが人間を発展させてきたという事にヴァリウスも疑いはないが、求めてはいけないものというものも存在する事を彼は知っていた。

 

「それは私も同意見だ。ジジイどもは回収を命じてはいるが、私は発見次第焼却、もしくは破壊するつもりだ」

「連中が聞いたら泣くな」

「仕方ない。どんな素晴らしい技術も………いや、素晴らしい技術だからこそ悪用する者は必ずいる」

「悲しいねぇ、人間ってのは。それと同時に恐ろしい」

「そんなに凄いの?ジョフクの報告書って?」

「場合によっては帝具以上の価値がある」

「うわ〜……なんか帰りたくなってきた」

「奇遇だな、チェルちゃん。俺もだよ」

 

チサトの頼みでなければ一も二もなく断っていたところだ。情報とは恐ろしい価値を持つ。内容によってはそれ一つを持っているせいで一生命を狙われ続ける者さえいる。その場限りの脅威というならヴァリウスもここまで嫌がりはしなかったが、もし発見してしまってはたとえ破壊したとしても文献の内容を知ったという可能性は残る。しかも内容はジョフクの報告書。富と権力を極めた老害どもにありとあらゆる手を使われて追い回されるのは目に見えている。

いや、ヴァリウスがソレをされる事は恐らくないだろう。死んだ事になっている人間だし、チサトも今回の同行は依頼主に知らせていない。狙われるとしたらチサトだ。

 

ーーーー結局同じことだがな…

 

チサトには大きな恩がある。彼女もヴァリウスに恩義を感じているため、今は貸し借りはない状態とも言えるが、それでもヴァリウスにとってチサトが特別な女だという事に変わりはない。もし彼女の命の危機が訪れたのならヴァリウスは必ずチサトを守るだろう。己の全てを懸けて。

 

ーーーーまったく、どうしようもないな、俺も。

 

帝国から離反し、身軽になったかと思えばいつの間にかまた多くの大切なモノを背負いこんでいる。決して戻りたいと思うワケではないが、そういった意味では軍人だった方が楽だったかもしれない。あの時彼の背に乗っていた大切な存在は碧髪の女神ただ一人だったのだから。

 

ーーーーっ………

 

首筋の裏に手を伸ばす。なぜかわからないが昨日からずっとエディの事を少しでも想うとこのあたりが疼く。何かあるか?と弟子たちに聞いてみると古い小さな傷があると言っていた。

 

ーーーー嫌な予感がするな……

 

あいつを想わない日などあの夜から一度もなかったというのに、痛み出したのは昨日からが初めてだ。

嫌な予感がする。頭の中がピリピリするような、胸の中がもやつく様な感覚。嫌な予感は当たるというが、それは当たり前だ。嫌な予感にはたいてい根拠があるのだ。仕事で大きな何かをしなければならなかったり、危ないと薄々分かっているとところに行かなければならなかったりなどの自分にとって良くない何かがあるかもしれないとわかっている時、人は通常とは異なる感覚に襲われる。それが嫌な予感の正体だ。

 

「しかしこんな乗り物、いつ調達したんだ?」

 

現在、ヴァリウス達の一団は特級危険種、エアマンタに乗って空にいる。危険種を乗り物にするという事自体はそこまで珍しくはないが、それはたいてい大きな組織が長い時間と手間暇を掛けてようやく出来る偉業だ。しかしヴァリウスは今日いきなりコレを用意してきた。疑問に持つのは当然だ。

 

「プトラは遠い。馬を乗り継いでも1ヶ月はかかる。だがこいつなら3日もあれば着く」

「答えになってない。いつ調達したのかを聞いている」

「言っても信じないだろうから言わない」

「信じるさ。私がヴァルを信じなかった事など一度もない」

 

小さく息を一つ吐く。その言葉に嘘はない事を彼女のかつての上官は知っていた。

 

「昨日」

「ははっ、冗談だろう?」

「ほらな?」

 

皮肉げに口角を歪める。別に今ので自分を信じなかったなどと言う気はない。信じられないのが当たり前なのだ。

 

「非常識が人生の大半以上身近にいるとそれくらいは身につく」

 

技術は何事も見て盗むのが最も効率が良い。この手の事をヴァリウスは達人中の達人から盗んだ。それでも師匠にはまだ及ばない。エスデスならその日のうちに用意しただろう。

 

「私にも非常識がいるがそんなものは身についていないぞ」

「安心しろ、エディの軍にいたってだけでお前は充分非常識だ」

「そんな事より先生。そろそろ行く先教えてくれない?この辺り、なんか渓谷ばっかりで人がいそうな気配ないんだけど」

 

景色を見る余裕があるチェルシーがついに行き先を尋ねる。人気がないというのはないだけの理由が必ずある。人がいないというのはそれだけで充分な恐怖だ。行き先が不安になるのは正しい。

 

「プトラの地。古代から商隊の中継基地として機能してきた渓谷地帯だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プトラ。帝国北西に位置する国外の僻地。自然の要害を形成する渓谷地帯は守に安く攻めるに難い土地。帝国、北の異民族、西の異民族、パルタス、どの勢力にも支配されることなく、独特の文化を形成しているまさに異国。

 

「じゃあ、そこにいる人達って強いんですか?」

 

任務の上で最も重要なことをファンがたずねる。今は全員エアマンタから降りて地上を歩いていた。

ファンの考えは至極真っ当だ。追い詰められているとはいえ北の異民族や西の異民族が未だ帝国に支配されきっていないのはその実力が高いからに他ならない。ならばプトラもそうだと思うのは当然だろう。

 

「それもないとは言えねえが、それだけが理由じゃねえのさ」

「?じゃあ何で?」

「何でだと思う?」

 

イタズラな笑みを浮かべて三人の弟子に逆に問い返す。教えるのは簡単だが何でも自分が告げては成長できない。自分で考えられない戦士は長生きしない。そういった連中はたいてい視野が狭いからだ。

 

「ん〜〜。帝国からは遠いから?」

「そして他の勢力は自分の身を守るのに精一杯だから」

「どちらも間違ってないが満点はやれんな。じゃあヒント。遠くても自分の事で精一杯でも勢力が土地を侵略する理由は?」

 

新たな問いかけに三人とも頭を抱えて唸る。が、ほぼ三人同時に閃き、パッと顔を上げた。

 

『攻めるだけの理由がそこにあるから!!』

「exactly」

 

ヴァリウスが笑い、チサトが拍手を送る。だいぶ論理的な思考が出来るようになってきている。

 

「プトラは痩せた土地だ。ぶっちゃけ苦労してまで手に入れる価値がねえんだよ」

「だが歴史ある土地だ。そして歴史があればあるほど古代の王とは偉大な扱いを受ける。国によってはもっとも神に近い存在とさえされている王もいるくらいだ。そして王には多くの御供がされている。それこそ金銀財宝がな」

 

ほえーとチェルシーだけが感心する。もと役人見習いなだけあって彼女は財宝の価値を正しく理解しているが、タエコとファンには言葉以上のことは知らない。

 

「そして宝には番人が付き物だ。墓守と呼ばれている連中がそこを守っている」

「強いの?」

「多分な。今回の俺らの目的は連中の強さの源となっているモンだ」

「鍛錬や才能ではない、と?」

「コルネリアが持ってたような特殊な武具?」

「おそらくそれに近い。ジョフクの報告書には帝具に応用されている技術も数多くあると言われている」

 

医師連盟が手に入れた情報。それは秘術を利用した墓守達の存在についてだった。連中が手に入れたジョフクの報告書に書かれていたのは土地の名前のみだったらしい。それについて詳しく知るために彼らに依頼をしてきたのだ。

 

「しかし不親切な地図だ。墓の大まかな場所しか書かれてねえ。コレはちょっと手こずりそうだぜ」

 

プトラの街で手に入れた地図は実にいい加減だった。墓の地図も一階までしかない。俺一人ならともかく、こいつらとこれで出向くのは危険すぎる。

 

「お前らは街で待ってろ。ちょっと俺一人で偵察してくる」

「ええっ!?だ、大丈夫なの?やばいんでしょ墓守の奴らって!」

「大丈夫だよ、別にドンパチしに来たんじゃねえんだ。秘術についての情報を得られれば俺らの用は終わる。お前らに来てもらったのは異国を見ておくことは確実にプラスになると思ったからさ。それに人数が多いと警戒もされる。一人の方が安全なんだよ。俺が戻るまでは街にいろ。指示が必要な時はチサトの判断を仰げ。わかったな」

 

全員頷きを返す。

 

「チサト。頼むぞ。ここじゃコレもあまり通用しないからな」

 

エスデス軍のエンブレム。自分のはもうコルネリアにやってしまったが、チサトのはまだある。ここまではそれが大いに役立ってくれたがここはもう異国。流石のエスデス軍の威光もほぼ無意味な土地だ。

 

「お前に限って心配はいらないとは思うが……気をつけろよ」

「ああ、だがもし3日経って俺が戻らなかったらお前達はセーフハウスに戻れ。いいな」

「positive」

「やめろってソレ」

 

苦笑し、一度コツンと拳を合わせると、ヴァリウスはローブで全身を包み込み、渓谷へと向かった。

 

ーーーーさて、面倒な事になったな

 

先ほどは偵察と言ったがアレは嘘だ。今回の一件、彼女らに関わらせるのは少し荷が重い。戦闘タイプのファンやタエコはともかく、チェルシーがもし墓の中で逸れるような事になれば救出はヴァリウスといえど困難。

 

ーーーーこの3日で全てに決着をつけてやる。

 

その決意のもと、緋髪の狼は墓へと出向いた。

この時ヴァリウスは自分が焦っていることを自覚していた。出来るだけ早く今回の一件を片付けなければならない。その思いがヴァリウスを突き動かし、普段使わない危険種での移動という荒技を使わせるに至った。

 

ーーーー取り越し苦労なら良いんだけど……

 

昨日から疼き始めた首筋を掻きながら炎狼は闇の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます。ついに始まりました墓守編。いかがだったでしょうか?今回の話から弟子達は命の心配ないのかなとお思いのそこの貴方。安心してください。彼女達が今回最もヤバいです。詳しくはまた後日。頑張っていこうと思いますので小説に対する感想、評価よろしくお願いします!面白いと思っていただければ幸いです。


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第二十六罪 妬みの視線

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ起きてたのか?」

 

煎じた薬湯を持って階下から上がってきたヴァリウスが声をかける。隔離されている部屋の扉を開けたら眠っている黒髪の少女の側に佇む二人の小狼がいた。

弟子が三人揃って暫くが経った頃、ファンは熱病を患った事がある。少し悪性の病だったらしく、想像以上に深刻な状況にまで陥っていた。

昼夜を問わずチサトとヴァリウスが駆け回り、献身的に看病をしたお陰でなんとか峠は越えた。今はチサトと交代で様子を見ている。

 

おい、起きろとペシペシファンの頬を手の甲で叩く。汗だくで真っ赤な顔をした彼女に水差しを差し出す。

 

「寝たままでいいから飲め。人肌にしてるけどゆっくりな」

「はい…」

 

水分と薬湯を飲ませてやる。暫く喉を嚥下する音のみが聞こえ、その音も聞こえなくなる。飲み終わった事を確認したヴァリウスは頭の熱冷ましのタオルを交換する。

 

「…………ごめんなさい」

「謝るな。病は気からだ。負の感情が心を占めると治るもんも治らん。申し訳ないと思うならとっとと治せ。わかったな」

「…………」

 

納得していない感情が読み取れる。一度大きく息を吐くと立ち上がった。

 

「安心しろ、治ったら病でサボった分鬼の………いや、狼のシゴキをしてやる」

「っ…………はい、ありがとうございます」

 

快方に向かい始めたからか、周りに気を使う余裕が出来始めたようだ。あまり側にいると逆に良くないと思い直し、チェルシー達にも外に出るように告げた。

 

「ファン、どう?」

「ようやく落ち着いた。まだ予断は許さんが、まあ死にはしないだろうよ」

「そう、よかった」

 

二人とも胸を撫で下ろす。足手纏いだからと先ほどまで一階に追い出されてていたので二人は心配しか出来なかった。

 

「安心したならサッサと寝ろ。明日も地獄の鍛錬だぞ」

 

毛布を一枚取り出し、それを床に敷いてファンの部屋の前ですわる。同時に剣を抜き、懐紙を取り出した。どうやら手入れをしようとしているらしい。

 

「先生はどうするのよ」

「俺はもう少し様子を見る。今日は廊下で睡眠だな」

「なら私も付き添う」

 

ヴァリウスが陣取っていた隣に二人とも腰掛けた。その様子を見て僅かに眉をしかめる。自分の体を万全にしておく事は戦士の責務だと何度も言っているのにこの行動は理解できない。

 

「私だってあの子の姉のつもりよ。看病くらいしてあげたっていいじゃない」

「…………稽古は手加減しねえからな。それでいいなら勝手にしろ」

 

懐紙を咥えて打ち粉をし、剣の手入れを始める。いかな帝具といえど所詮は剣。放置していれば錆びるし、斬れなくなる。コレは必要な作業だ。

 

「ねえ、その咥えてるのってなんか意味あるの?」

 

整備を始めて暫くが経った頃にチェルシーが声をかける。しかし咥えた状態で返事をすることも出来ない。同じ武器を扱うタエコに説明してやれ、と目で命じた。

 

「懐紙を咥えることで喋れないようにする。唾が跳んだり、息が吹きかけられたりしたら錆びるし、斬れにくくなるから」

「それもあるけど、刀身を前にして喋らない為の戒めなんだよ、コレは」

 

整備が終わった刀を和紙で拭きながらヴァリウスが続きを答える。

 

「剣のメンテってのは女と同じでな、そいつに向き合ってる時に余計な事したり考えたりするとヘソ曲げる。いざという時言うこと聞いてくれなくなる」

「ホントに?」

「変なムラが付いたり他人にやらせたりするとそいつのクセがつくんだよ。まあ刹那の狂い程度の差だがその刹那が生死を分ける時もある」

 

出来た、と一つ呟き、刀身を月明かりにかざす。磨かれ、妖しく輝く刀身は淡い月明かりに透かすと紅みを帯びる。刃が燃えるように赫く揺らめき、霞がかった輝きを見せた。

その美しさにチェルシーとタエコはグッと息を呑む。バーナーナイフの刀身は何度も見た事がある。何もないところで見ればただの剣だというのに、師がこの牙を手に取ると、物言わぬ鉄の塊にまるで命が吹き込まれたかのように豹変する。恐ろしいと同時に美しい。

 

「一歩間違えれば怪我しかねんしな。余計な事をしないってのは大事だ」

「なるほど……ねえ先生、ついでに聞きたいんだけど」

「なんだよ」

「先生ってファンが熱出した時からずっと寝てないよね」

「?まあ昨日は山場だったしな。それが?」

「出来れば夜更かしのコツとかあったら「ない、寝ろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………まだ起きてたのか?」

 

暗闇の中、待機を命じられた宿の入口に座り込む少女の影に白衣を着た美女が話しかける。闇の中で頭を動かしたのがなんとなくわかった。

 

「チサトさん」

「はは……眠れなくってさ」

「ごめんなさい…」

 

佇んでいた影は三匹の小さな狼。元オールベルグの死神、タエコ。暗殺特化の殺し屋チェルシー。バン族の槍使いファン。それぞれが武器を握りしめ、タエコだけは細身の長剣を抱いている。

もうじき日が昇る。約束の2日目が終わり、最後の3日目に差し掛かる頃合いだ。チサトは休むように言ったのだが、三人ともその言いつけを守りはしなかった。いや、守れなかったという方が正しいだろうか。

 

「今日で約束の3日目か…」

「帰ってこないね、先生」

 

剣を抱えて座っていたタエコがギュッと自分の肩を握りしめる。彼女が抱えている剣は業火剣爛・バーナーナイフ。師の愛剣だ。彼の分身と言っても過言ではないかもしれない。炎を操る危険種の牙から作られた物で、もし相性のよくない者がその剣に触れると、その者は業火に焼き尽くされる。また、力のない者がその剣を振るうと生命の炎が一気に燃えちらされる。そんな危ない剣を彼女は大事そうに抱きしめていた。

 

この剣の本来の使用者、ヴァリウスは今回、墓の中に入る前にコレを置いていった。

 

『いざという時はコレで自分達を守れ』

 

そう言ってタエコに剣を託した。観察していた限り、自分を除けばこの剣と最も相性がいいのは弟子の中では彼女だと判断し、預けていた。そしてその判断は正しかった。タエコが触れてもバーナーナイフの炎は彼女を焼き尽くす事はなかったのだから。

 

『扱えなくてもいい。適当に炎を撒き散らして壁を作るだけで相当に時間は稼げるはずだ。いざという時以外使う事は禁ずるが本当にやばくなったらコレを使って逃げろ』

 

自在に操れなくても消えない炎というのはそれだけでかなりの脅威だ。撒き散らすだけで鉄壁のガードになるし、これ以上ない攻撃にもなる。たいていの相手ならまず倒せるし、最低でも逃げられる。

 

『お師様はどうするんですか』

『俺はココで戦うからよ』

 

頭を指差してニッと笑う。いつも大人びている男だが時折このようなイタズラ小僧のような顔をする。親しい者にしか見せないそのギャップがまたたまらなく魅力的だ。

 

『じゃ、行ってくる』

『ちょっとヴァル』

 

ローブを手に取ったヴァリウスをチサトが肘をつかんで止めた。

素手でも人外の強さを持つ自分達の師が武器をおいて戦場に向かうという事に弟子達はなんの不安も抱かなかったがチサトだけは違った。ヴァリウスがバーナーナイフを置いていくという事は自分の牙を一つ抜いていくという事だ。それは炎狼がただの狼になる事を意味する。

もちろんヴァリウスの強さの源はバーナーナイフなどではない。そんな事はかつての腹心の部下だった彼女は良く知っている。しかし比較的安全圏にいる事を命じられた自分達に牙を置いていく事を許す理由にはならない。

 

『何を考えてる?これから死地に赴くんだろう。自分の手札をわざわざ減らしてどうするんだ』

『だからドンパチしに行くんじゃねえって。今回武力行使は飽くまでも最終手段だ。連中も別に戦いたい訳ではないだろ。そうなら引きこもりやってる理由の説明がつかん』

 

このご時世、戦いたければ場所は幾らでもある。人間一所に収まり続けるのは意外と難しい。いくら安全でも内にこもっていればそこに飽きるし、外に興味が出てくる。その好奇心こそが人類を進化させてきた。

しかし聞いた限りでは連中は襲撃者には容赦しないが近くの町を襲ったとかそんな話は聞かなかった。少なくとも積極的に戦いに出向く連中ではなさそうだ。

 

『俺は大丈夫だから、この子達を守ってやってくれ。頼むよ、チサト』

『…………気をつけろ』

『わかってるからそろそろローブ離せ、寒い』

『貴方は意外と寒がりだな、今思えば夜もそうだ。私からくっつく事もあるがそれより貴方が私を抱き寄せる事のが多い』

『うわっ、偏見。やめてくれる?北の辺境出身がみんな寒さに強いとか思わないでくんない?』

『寒いのは嫌いか』

『嫌いって程じゃないけど好きくはない』

 

そう言ってローブで顔と身体を覆い、ヴァリウスは一人で墓へと向かった。今思えば無理やりにでもバーナーナイフだけは持たせるべきだったと心底悔やむ。時間が経てば経つほど嫌な予感しかしない。

 

「一昨日から三人ともあまり寝てないだろう。少し休め」

「だ、大丈夫です。眠くないので……」

 

そこまで言ってハッとなる。ファンが熱を出した時、ヴァリウスは全く眠い様子など見せず、ずっと彼女の看病をしていた。それは師の体力や精神力が卓越しているからだと思っていたのだが……

 

ーーーー違ったんだ。多分そんな事より大切な事があったから……

 

自分の睡眠より優先すべき事がある。自分の身体より心配な人がいる。それが彼の眠気を忘れさせていたのだ。その事にようやく気付いた。

 

「大事に……されてたんだなぁ、私たち」

 

知ってた事だ。三人の中で誰より足手纏いの自覚がある自分だからこそ知っていた事なのに実感していなかった。自分が危ない窮地を守られた時には気付けなかったのに師が危ないかもしれない時に気づくとは……

守護られるのが当たり前になってしまったのはいつからだろうか。自分の甘さにヘドが出る。彼には間違いなく強くしてもらったし、成長もさせてもらったけど、彼のせいで人としてはとても弱くなってしまったらしい。

 

「行こうよ、皆」

 

武器を握って立ち上がったのはタエコだった。師の最初の弟子にして恐らくは一番弟子。

 

「師父の言う事をただ聞くだけが私達のやるべき事じゃないと思う」

 

オールベルグの死神の一人として、ある程度独立して動いていたからか、タエコは他二人の弟子より臨機応変に動く能力を身につけていた。ヴァリウスの指示には絶対服従のファンや危機察知能力の高いチェルシーには未だない力だ。

 

「ええっ!?本気で言ってるの!?待機って言われたじゃん!絶対先生怒るよ!アレやらされるよ!良いの!?」

「師父の無事が確認できるならそれでいい。お説教も罰も地獄の鍛錬も覚悟する。全部差し引いても充分お釣りがくる」

 

師の剣を鞘越しに握りしめたタエコの黒い瞳は決意の炎に燃えている。こうなった彼女を止められる人間はこの場にはいない。

一度溜め息をつき、チサトが一歩前に出る。

この手の目をした人間は止められない事を彼女は身を持って知っていた。かつての上官の姿がタエコとダブる。どれだけ無茶な任務だろうとこの目で彼は成し遂げてきた。ずっと隣で見てきた。

 

「夜明けまで待て。それで帰ってこなければ墓の近くで待とう。あいつは街にいろと言っただけだ。外に出てはいけないとは言っていない。これならヴァルとの約束を破った事にもならん」

「でもチサト、手遅れになったら…」

「コレが最大の譲歩だ。聞けないというなら私とこの場で戦っていけ。私を殺せたら好きにすると良い」

 

ナイフを懐で握り、殺気を込めて睨みつける。聞けないというなら腕の一本は取ってやろうと本気で考えている。

 

「…………わかった」

 

チサトが本気なのを感じ取ったからか、再び力なく座り込む。ハラハラした様子で見守っていたチェルシーは大きく息を吐いて姿勢を崩した。

 

ーーーー早く帰ってこい、ヴァル。

 

世界を紅色に染める光を見つめながらこの日と同じ色を持つ男に向けて心中で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡り、2日前。ヴァリウスは参っていた。

 

「ドンパチしに来たんじゃねえってのに……」

 

褐色の肌をした死体の上に座りながら大きく嘆息する。恐らくは墓守だろう連中が、自分の姿を見た途端に聞く耳持たずの問答無用で仕掛けられた。自衛の為に拳を振るったが予想以上にしぶとく、中途半端な攻撃では参ったをしてくれなかったため少し力を入れて殴ったらコロッと死んでしまった。

素手での実戦は久しぶりだったため、少し加減を間違えた。おかげと言っては何だが感覚は大体つかんだ。次以降は殺さず仕留める事も出来るだろう。

 

「しかし噂通り面白い術を使う連中だ」

 

体の一部を危険種に変えるなどといった変身系の技術は聞いた事がある。実際に目にした事はないがそういった技術を応用した帝具もあると文献で目にした事もある。たしかにこの技術をうまく用いれば寿命を延ばす事も出来るだろう。流石はジョフクの報告書。素晴らしい。

 

ーーーーだが退屈な連中だったな。

 

秘術により凄まじい膂力を手にしたおかげで技術のある使い手は殆どいなかった。性能に頼りすぎている。

確かにこれほどの身体能力なら大抵はスペックで仕留められるだろう。しかし自分はもちろん大抵のジャンルには含まれない。いくら早くともああも初動の気配がバレバレではいなすのは容易だ。

 

「まあそれは良い。それより、気になるのは……」

 

妙に連中が殺気立っていること。自分の姿を見た時、敵の一人は『こいつは強そうだ』と言った。こいつ()という事は他にも此処を訪れている奴がいるという事。

 

ーーーー恐らく第三勢力がいやがるな。こりゃタイミング悪かったか?

 

疼く首筋を掻く。嫌な予感の正体がこの程度だというなら良いのだが。

 

ーーーー…………っと。

 

何かが近づく気配を感じ取り、そちらを見る。すると現れたのは四人の褐色の肌を持つ墓守と二人の若い男女。

内1人には見覚えがあった。

 

「貴方は………」

「えっ、アカメ?あの人知り合い?」

 

自分とは少し異なる色をした紅い瞳の少女が驚きに目を見開きながらこちらを見ている。もう1人の眼鏡の少年はヴァリウスの姿を見て驚いているアカメに驚いた様子を見せている。

 

「これはこれは……どこかで見た顔だと思ったら」

「貴方が上が送ってくれたという援軍なのか」

「急いで来たから詳しい事は知らねえが、多分な」

 

ヴァリウスの事を帝国軍人だと思っているアカメの言葉に調子を合わせておく。どうやら考えていた第三勢力は彼女達らしい。なら出来れば敵に回したくはない。

 

「まあ積もる話は後だ。今はお客さんの相手をしよう」

 

手をローブから出し、ダラリと降ろす。一見隙だらけの立ち姿だが見るものが見ればまるで隙などない事がわかる。

 

「こいつらは出来そうだ!!」

 

髑髏の首飾りを二つ付けた墓守が戦力を分析する。佇まいから只者ではない事は分かったらしい。

 

「下がれお姫様。ついでだ、守ってやる」

 

少女を背に隠すように一歩前に出る。堂々としたその背中は広く逞しい。

 

「フェイル!殺さないで!捕獲で頼む!」

「仰せのままに」

「囲んで仕留める!!」

 

4人が一気にヴァリウスに襲いかかる。多方向からの同時攻撃。通常なら回避が望ましい手段だが……

 

退屈そうに息を吐くと同時に襲いかかった三人が宙に吹っ飛ぶ。その挙動が見えたものはこの場にはいなかった。

 

「不用意に間合いに入ってくるんじゃねえよ、つまんねえ奴らだな」

 

唯一回避行動を取っていた最後の1人に目を向ける。その者は鳥に変身出来るらしく、今は空高くに逃げていた。

 

「…………つ、強過ぎる。秘術もなしで」

 

先ほどの一撃、彼が避けられたのは幸運以外の何物でもない。変身速度が他の三人より早かったのと鳥であるがゆえに拳圧が強ければ強いほど勝手に吹っ飛んでいく、つまり相手の拳の威力に助けられただけだった。

 

ーーーー気絶させられた仲間をみすみす渡したくはないが……

 

これ以上突っ込んでは自分が死ぬだけだという事を理解した彼は空を飛んだまま逃亡を図った。人狼もそれを黙って見逃す。バーナーナイフを持ったヴァリウスなら仕留める手段は幾らでもあったが、素手の今では流石に攻撃は届かない。それに元々戦いに来た訳でもない。そのまま逃がしてやった。

 

「流石野生が混ざってるだけある。危機に聡い」

 

不敵に笑い、拳をローブに収める。ヴァリウスを見る2人の若者はポカンと口を開けていた。

 

「なんつーマヌケヅラしてんだお前ら。此処は実戦だぞ、気を引き締めろ」

 

その一言でアカメは気配が律する。流石に切り替えが早い。重要な能力だ。

 

「しばらくぶりだな、アカメ。語学の勉強は進んでるか?」

「会いたかった。会ってお礼を言いたかった」

「別にいいよ礼なんて。俺が勝手にやった事だ。ラッキーくらいに思ってろい。それより現状を聞かせてもらうぞ。さっきも言った通り俺は急いで来たから連中やお前らの詳しい事を何も知らねえんだ。話してくれ」

「わかった。実は……」

 

今回自分達が此処に来た理由、先行部隊の敗北など、ゴズキから伝え聞いている事をアカメがヴァリウスに説明し始める。その様子を見ながら眼鏡の少年、グリーンはモヤつく気持ちを抑えきれなかった。

 

ーーーーあんなアカメ、初めて見た。

 

声音には喜色が浮かび、仲間達には見せないいつもと違う笑顔を浮かべながらヴァリウスと接する彼女は可愛らしくはあったが同時に腹立たしい。自分には見せてくれないアカメを出会って間もないこの男には見せている。そしてこの男もそれが当たり前のように受け入れている。

コレがなんの魅力もない普通の男なら此処までイラつきはしなかったが、目の前の青年はとてつもない強さに加え、男のグリーンから見ても非の打ち所がない美青年だった。完璧過ぎるがゆえに怒りを覚える。

 

ーーーー僕だって、あのくらい……

 

物事を冷静にみることに長けている彼がどうしようもなく揺らいでしまっている。その事にも腹が立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第二十七罪 子連れ狼、墓へ行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アカメが先に行ったぁ!?」

 

グリーンの報告を受け、ゴズキが眉を顰める。それもそのはず。彼らに任せたのは情報収集。勝手な先行を許した覚えはない。捕虜は連れて帰ってきているのだから確かに命じた仕事は果たしているがそれは彼女の勝手な行動を許す理由にはならなかった。

 

「なんで止めなかったグリーン!」

 

怒鳴りつける。当然だ。彼には妹が行方不明になって焦っているアカメの制御を厳に言いつけた。それがこの結果では怒りもする。

 

「そ、それが……アカメは連れ去られたみたいなもので」

「…………負けたのか?」

 

墓守と交戦したという事は知っている。報告を聞く限り、実戦経験が乏しい子供達ではヤバイ相手だ。敗北して捕虜と共になんとか逃げてきたというのならまだ事情はわかる。

 

「いや、それが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。ヴァリウスは困惑していた。

今黒髪赤眼の少女、アカメから聞いた話によると、墓に供えられている金銀財宝は帝国から盗んだ物だとの事だった。しかしコレはおかしい。

 

一口に帝国といっても広い。地方などは理不尽な重税を主として、貧困の極みだ。プトラ周辺の帝国領地に金があるとはとても思えない。

それにチサトの話によると彼ら墓守は何年も引き篭もりをやっていると聞いている。コレはおそらく真実だろう。帝国の上層部の話など霞ほどの信用もないが、チサトが自分に嘘を言うなどありえない。

つまり、今回の連中の目的は略奪、もしくはそれに近い行為だろう。その行動理由は意外でもなんでもない。さもありなんだ。困惑する理由はそれではなかった。

 

ーーーーソレを俺はこの子に言うべきか?

 

迷っていたのはそこだった。アカメの将来を思うなら話した方が無論良い。罪のない命を狩った時の辛さは自分が誰より知っている。

しかし一応ヴァリウスは帝国軍人として活動している(事になっている)。もしコレを言ってしまえば多少頭の回る小賢しい奴ならヴァリウスの正体を疑う。まして今自分はエンブレムを持っていないのだ。それがあれば話してやっても良かったのだが、無い以上、事態をややこしくしないためには黙っているのが一番良い。

 

ーーーーそれにこの子に迷いを与えるのも良くないか。

 

考えた末に、ヴァリウスは言わない事を選択した。

 

「なるほど、話は大体わかった。お前らはこいつら回収して仲間んとこに戻んな。色々と情報がいるんだろう」

「ああ、貴方も一緒に…」

「俺はこのまま墓の中に入る」

「な!?」

 

信じられない一言が緋色の男の口から出る。危険性は先ほど説明した。この聡明な男ならアカメなどより遥かに的確に現状を理解しているだろう。それなのに、一人で突貫すると言ったのだ。

 

「聞いていなかったのか!?あの中は危険な罠や敵が一杯なんだ。そんな状況で突っ込んだら」

「アカメ……」

 

舐めてんのか

 

殺気を込めて睨みつける。初めて出会ったときに感じた、圧倒的な圧力。その凄まじいオーラに息を呑んだ。

 

「たかが罠や改造人間程度でこのエスデス軍(オレたち)がやられると思ってんのか。そんなもんオレの知る究極の改造人間に比べたらハトとエビルバードぐらい差があるわ」

 

エビルバード。帝国に生息する特級危険種の名前だ。戦闘力は高く、狩るには武装した狩人が数十名がかりで挑まなければならないとされている。

 

「偵察だの情報収集だの、そんなのは弱者どもで勝手にやってろ。オレはオレのやり方でやらせてもらう」

 

立ち上がり、墓へと歩き始める。

 

「で、でも」

「それに」

 

まだ何かを言おうとするアカメに言葉をかぶせる。

 

「妹が囚われてるんだろう?まあ女の捕虜ならすぐ殺される事はねえとは思うが、それでも最悪の可能性はある。急ぐに越した事はない」

「っ!?」

 

自分の為に急いでくれるという事。今の自分では力が足りなくてできない事をやってくれると彼は言ったのだ。

 

「仕事のついでにな。ついでな、ついで!」

 

ぐしぐしと頭を撫でる。こちらを見させないという為もあった。たぶん紅くなってるから。

 

「な、なら私も…「バカ、足手纏いだ。いいからお前は仲間と後から来い」

 

一人でならどんな罠だろうと突破できる自信はあるが、この子を一緒にとなると絶対とは言えなくなる。もちろん彼女は手練れだ。貴重な戦力としてカウントできる。しかしまだ実戦経験が浅い。油断や焦り、若さは才能ではどうしようもない。そういう事はもっと安全圏から学ばせる必要がある。野生動物が怪我をした草食動物を使って狩りをさせるのと同じだ。

その事を告げると一回黙ったが、キッと強い瞳でこちらを見上げた。

 

「貴方が味方ならこれ以上安全な所もないだろう」

「ワガママ言うな、テメエの事ぐらいテメエで守れ」

「ガキはワガママ言うのが仕事なんだろう?」

 

黙り込む。かつて自分が彼女に言った言葉だった。

いっぱい頼っていっぱいごねて自由に生きろ。

 

「その事で学んで、泣いて、大きくなって、貴方との約束を果たす。その為にも私は一緒に行く」

「…………」

 

あの夜、彼女に与えたハンカチを取り出し、見せつける。

 

「私は自由なんだよな」

「…………やだこの子賢い」

 

自分の言質を盾にしてくるとは思わなかった。それもこの短時間で思いついた。この少女を愚かだと思った事はなかったが想像以上に頭の回転が速い。

諦めたように頭を掻く。一度出した言葉を撤回するわけにもいかない。

 

「知らねえぞ、後でお前んとこのボスに怒られても」

「わかっている」

 

大きく息を吐いた。この目をした人間にはやはり弱い。

 

「おいメガネ君。こいつらの事は君に任せる。適当に情報絞り出したら追いかけてきな。この子の安全は俺が責任持つから」

「お、おいアンタ」

「それと、こいつの事も適当に言っといてくれ。なんなら俺のせいにしちゃっていいから」

 

問いかける言葉を無視して踵を返す。大きく踏み出したその背中にアカメが続いた。

 

「あ、アカメ!」

「ーーーー?」

 

仲間からかけられた言葉に足を止める。しかし、なんと声をかけていいかわからないのか、グリーンは黙り込んでしまう。

 

「おい」

 

なかなか来ない同伴者に苛立ったのか、足を止めて呼びかける。するとまるでグリーンに声をかけられた事などなかったかのように、慌ててヴァリウスの背中を追いかけた。

 

「もたもたしてたら置いてくぞ、雑用係」

「す、すまない」

 

ーーーーアカメ……

 

エスデス軍の彼を止める事もできない。グリーンに出来ることはその背中を睨む事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで援軍に来たっていうエスデス軍の人に、雑用係とか言われて連れてかれちゃって…」

「マジか……」

 

アカメが自分から同行したがったというところは伏せてゴズキに告げる。

上が援軍を送ってくるという話は聞いていた。じーさんは間に合えば御の字と言っていたので期待はしていなかったのだが、あのエスデス軍の人間なら驚異の速度で駆けつけてきたとしても不思議ではない。

そしてあそこの軍の人間は基本的に戦闘狂の集まり。絶対的リーダーであるエスデス以外の命令はまず聞かない。間違いなく帝国最強の軍なのだが、エスデス以外にとって、とてつもなく扱いの難しい悍馬でもある。

 

ーーーー連中ならやりかねん……か

 

露払い。罠の下見。最悪捨て石。そう言ったことを自分より弱い奴にやらせるというのは間違いではない。迷宮の踏破の方法としては正しい。

 

ーーーーコレはもうグリーンを責められねえなぁ

 

同じ立場なら自分でもアカメを差し出したかもしれない。味方ならこの上なく頼りになる存在だが敵に回せば恐ろしいなどというものではない。やろうと思えば連中は自分の軍の10倍以上の数の相手とさえ互角に戦うことが出来る。そんな化け物軍団の一人と殺し合いなどゴズキでもごめんだ。

 

「すぐに尋問を始めるぞ。情報が揃い次第すぐに調査に向かう」

 

『了解!』

 

誰もが各々準備を始める中、グリーンだけは俯いていた。

 

「お前が悪いわけじゃねえ。気にするな」

 

ゴズキが肩をたたく。その後悔も間違いではなかったが胸を占めていたのはもっと違う事だった。

 

ーーーーアカメ……あんな男をあんなに信頼して……

 

見た事のない表情で彼の隣を歩くアカメの姿が脳裏から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先行した子連れ狼は墓の入り口の前に到着した。扉は不自然なまでに開け放たれている。

 

「罠だな」

「罠だ」

 

聳え立つ四角錐の建造物の前で二人は同じ結論に達した。

 

「どうする?」

「飛び込む。俺の後から来い」

 

言い終わるか終わらないかのうちにフェイルは墓の中へと踏み出した。

その瞬間、内部の隠し扉がいたるところから開き、危険種がうじゃうじゃと湧き出る。その光景は流石のヴァリウスにも嫌悪感が背中を走った。

 

そして地下からは仮面を着けた魔獣が這い出てくる。他の湧き出た危険種とこいつは別格の強さを持っている。

 

ーーーーバーナーナイフがあれば雑魚は瞬殺なんだが……

 

持ってこなかった事を少し悔やむ。強い武器の便利さを一度知ってしまうと不便にはなかなか戻れない。

 

「アカメ、雑魚は任せる。デカブツは俺がやってやる」

「わかった!葬る!」

 

二人とも同時に駆け出す。湧き出た方の危険種は一匹一匹にそれ程の強さはない。アカメが剣を振るたびに次々になます切りにされていった。

 

ーーーーへぇ、真っ当に戦ってくれる相手ならまず問題なさそうだ。

 

注意を払いながら大型危険種の相手をする。タッパがデカいだけはあり、一撃の威力はなかなか高い。ヴァリウスでも正面から受けたいとは思えない攻撃だ。

 

「ガウッ!!」

 

振り下ろされる一撃を難なく躱す。

 

「まずは小手調べ……」

 

大振りによってできた隙目掛けてアッパーを見舞う。

 

ーーーー硬いな…

 

今の一撃がそれほど有効打で無い事が手ごたえでわかった。すぐさま距離をとる。案の定、先ほどまでヴァリウスがいたところに尻尾が振り下ろされた。

 

「タフだな!パワーは申し分なし!スピードもある!肩慣らしにはちょうどいい!」

 

危険種を上回る速度で墓の内部を飛び回りながら笑う。肉弾戦でこれほどのレベルの危険種はそうそうお目にかかれない。狩人の血が騒いだ。

 

「うおっと!」

 

自分の足元が剣山に変わる。どうやら普通の罠もあるらしい。周囲の警戒も怠るわけにはいかなそうだ。

 

ーーーーげ…

 

罠に気を取られた一瞬の躊躇が隙を呼んだ。大型危険種、メレトセゲルは尻尾で加速し、飛びかかってくる。

 

「フェイル!」

 

比較的余裕のあるアカメはフェイルの窮地に思わず声を上げる。しかしその心配とは裏腹にヴァリウスは口角を上げ、その場で踏ん張った。

 

それの意味するところは力の勝負。

 

牙がヴァリウスを噛み砕かんと迫る。その卓越した動体視力でヴァリウスはその牙を素手で掴んだ。

 

「ォおおおおおおおおおお!!」

 

石畳に跡が奔る。凄まじい勢いはヴァリウスの両足を交代させ、墓石は踏ん張ったその威力で抉れた。

 

土埃と共にようやくその勢いが止まる。煙が晴れたその時、アカメの目に映ったのは信じられない光景だった。

 

上下から襲ってくる牙を片手ずつで受け止め、食い止めたヴァリウスの姿。さすがに疲労の汗が滲んでいるが自分の数倍以上ある巨体を相手にこの男は力で食い止めたのだ。

 

「おう、どうしたデカブツ。この程度………か!!」

 

両手で掴んだ牙を砕く。葉を破壊された危険種はその痛みにのたうち回った。生物を問わず、顔面には神経が集中している。麻酔なしで健康な歯を抜歯したようなものだ。その痛みは尋常ではない。

 

「おう、デカブツ。言葉はわからねえだろうが、わからねえまま感じ取れ。ケツまくって逃げるんならこれ以上はやらないでやる。さあどうする?」

 

殺気を込めて睨みつける。要は気あたり。人間には腕がないと中々通じないがこと危険種はコレに敏感だ。しかも自分の最大の武器を砕かれた。もうメレトセゲルに戦意は喪失している。

出てきた地下へと逃げていった。

 

それを確認し、一つ息をつく。何とか殺さずに追い払えたらしい。

 

「フェイル!」

 

雑魚の相手を終えたアカメがこちらに駆けつけてくる。顔には安堵と少しの猜疑が浮かんでいた。

 

「…………逃げた……のか?」

「ああ」

「でもなんで?まさか言葉が…」

 

通じたのだろうか。と本気で思う。ここの墓守たちは動物と混ざったような能力を使う。なら逆がいても不思議とまでは思わない。

 

しかしそんなアカメのマジメな考えを隣の緋色の戦士は笑い声が否定した。

 

「ハハハハハ!そんな訳ねえだろう!ピュアだねえアカメちゃん!よくこんな仕事やれるもんだ!ハハハハハ!」

「う、うるさい!どうせ歴戦のプロとして私は甘いとでも言いたいのだろう!?」

「まさか。褒めてるんだよ。こういう仕事をお前のようなポンコツのままでやるのはとても難しい。スゴイぞアカメ。誇っていい。俺には出来なかったことだ」

 

笑いが混じってはいたがその言葉は真剣だった。笑われてはいるが、からかってはいないことは分かった。

 

「じゃあなんでヤツは逃げたんだ」

「野生動物の恐怖への反応だよ。まあ野生動物に限ったことではないがな」

 

入り口から上へとつながる多くの階段を見ながら説明する。

 

「野生では脅威に対する時、反応を大別して二種類に分けることが出来る。戦うか、逃げるか、だ」

 

動物とは基本的に損得勘定で動く。勝てる見込みがあり、そして勝てば利があるというなら戦うし、まず敵わないと思ったり、戦うだけの価値がなければ逃げる。戦うと逃げるは積極、消極の差はあれど同じ気に属する。

 

「この恐怖に対する反応を野生ではfight or flightと呼ばれている。ヤツは俺と戦うより逃げる方が得だと判断したんだよ」

 

壁をコツコツと叩く。違うか、と一言漏らした。

 

「…………じゃあ何で逃した?仕留めようと思えば貴方なら出来ただろう」

 

生かしておいては後にまた脅威になるかもしれない。殺せるものなら殺しておく。それがアカメにとっての常識だった。

 

「もちろんお前さんの言う事が正しい。だが俺は軍人である前に狩人でな。狩りってのは増えすぎた野生種を間引き、適正な自然環境を守る為に行われる自然保護の行為。いたずらに殺す必要のない命を殺めることはあってはならないし、殺したならしっかり食う。それが俺のポリシーでな。だから殺さなかった。アレを食うのは少し難儀だ」

 

その辺をエディは忘れちまったっぽいがなぁと心の中でボヤく。

 

「…………言っとくけどあんなの喰っても絶対マズイぞ。殴った感じ、肉は筋っぽかった」

「ハッ!?」

 

ヨダレを垂らして危険種が逃げていった先を眺めていたアカメの頭をコツンと叩く。相変わらず食い意地が張っている。あんな物によく食欲が湧くものだと少し感心した。

 

「こ、これからどうする?きっとこの先にも罠があるんだろう?」

「ああ、だが警戒しても始まらん。慎重に進むと」

 

そこまで言ったところで硬直する。黒髪の少女は上へと繋がる階段に安易に足を掛けようとしていた。

 

「バッ!?」

 

バカ野郎と告げる前に足が階段に乗る。すると足元が開き、奈落が開かれた。底には死の棘が何本も待ち構えている。骸骨が数個突き刺さっていた。

 

「き、キャアアアアア!?!」

「くそっ!!」

 

重力のままにアカメが落ちていった穴に向かって躊躇なく突っ込む。壁面を蹴り飛ばして加速し、何とかアカメに追いつく。

 

「借りるぞ!俺の首に手を回せ!」

 

腕の中で抱きとめる。アカメも指示通りヴァリウスの首に抱きつく。少女の腰の剣を抜き取り、壁に突き立てた。同時に両足で踏ん張り落下の勢いを食い止める。

二人分を支えた剣は何とか棘が突き刺さる寸前で止まった。

 

「…………この手の迷宮は目に見えるものを迂闊に信じる事がまず第一に犯す過ちだ。壁面を叩いて調べてみたところ、上の空間は氷山の一角。本当の墓地は地下にある」

「そ、そうだったんだ……」

 

コツコツとまた壁を叩きながら説明する。恐怖からか、それとも別の原因か、アカメの心臓はうるさいくらいにドクドクと鳴っている。

 

ーーーー聞こえていないだろうか?

 

この窮地の中で第一に考えたのはそんな呑気な不安だった。

 

「ーーーーったく、予想に違わぬ足手纏いっぷりだぜ。そう何度も助けねえからな」

「ご、ごめんなさい」

「よろしい、もう二度とするなよ」

「…………それで終わり?」

 

失敗は死に直結する。今までミスをしたら酷い叱責や罰を受けた。しかももし今彼に助けられなかったら死んでいたに違いない失態。これで終わるとは思えなかった。

 

「終わったことを繰り返しても意味ないだろう。一回反省したら引きずらなくてよし。さて、おいアカメ。ちょっと背中回れ」

 

言われるがままにする。ちょうど負ぶさるような形になった。

 

「…………これからどうする?」

「確かめた感じ周囲で何処かに繋がる道はなさそうだ。なんとか登って元の場所に戻る」

 

壁の取っ掛かりに指で掴むと壁から剣を抜いて腰に差す。二人分の体重を支えるその握力にアカメは心中で驚嘆した。

 

「…………どうやって?」

「気合いと根性」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。遂に本格的に墓での戦いが始まります。先行したヴァリウスに待ち受ける脅威とは。目指せ、あと4話くらいで墓守編終了。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。あと、ダンまちで新しく連載も始めました。他の作品共々、そちらもよろしくお願いします。


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第二十八罪 身の程知らず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く………うぁ…」

 

苦悶の声が黒髪の少女から漏れる。それもそのはず。彼女は今、呼吸が困難な状況に追いやられていた。

 

「戦の才は認めるが……まだまだ若ぇのぉ、身の程知らずめ」

「うぁ……あ……」

 

赤眼の少女、アカメは今、死の淵に立たされていた。喉笛を掴まれ、握りつぶさんばかりの凄まじい握力で絞められている。

才ある少女に死を与えんとしているのは見た目は初老の男。長い顎髭に黒髪、褐色の肌をした戦士。名はウェネグ。墓守の長を名乗っており、墓守の特徴とおおよそ一致する容姿を持つ。が、他の墓守と違う点が幾つか存在した。

 

一つは強さ。基礎戦闘力が他の墓守とは段違い。戦闘経験も自分を遥かに凌ぐ。戦いの駆け引きで勝てる相手ではなかった。

 

そしてもう一つが秘術。いま、初老の男の外見はその辺りの動植物とは明らかに違った。角が生え、牙が見え、爪が異常に伸びている。

彼の変身対象はヌビスという超級危険種。プトラの地では神獣と呼ばれ、崇められている伝説の危険種。その破壊力、回復力共に野生の動物などを遥かに上回る。

 

自分を遥かに上回る圧倒的なスペックに老獪な戦術。今のアカメがタイマンで勝てる相手ではなかった。

 

「嫁にしたい程の強さじゃったが……あいにく我は一筋なのでな」

 

死ね、と言葉には出さない代わりに一層の力が腕にこもる。もうアカメにも意識は無くなりかけていた。

 

ーーー私は……まだ……しね、な…クロ……メ

 

足掻く。が、体に力が入らない。冷たい闇が背中に迫る。視界が赤く染まった。

 

ああ、そういえばあの人は今、どうしているのだろう?生きているだろうか?

 

視界が赤く染まったからか、最期の数瞬で紅い髪の同行者の存在が脳裏に蘇る。彼の名前は……

 

「フェイ……る」

 

それは音とも呼べないような掠れた振動。想いがこもっているかどうかなど聞いただけではまずわからない。

しかし、その音に何の感情もこもっていなかったかと言われれば嘘になる。一度目は修験者の森で、二度目はこの墓場で、自分を護ってくれたその人物はアカメにとって最後のヨスガであり、希望だった。

 

首の圧迫が無くなる。宙に浮いていた体は重力に従って落下する。しかし固い地面の衝撃は全くない。その五体を力強く、暖かい手がしっかりと支えた。

 

「待たせたな」

 

彼女の紅い希望が、笑みを浮かべて立っていた。

 

ーーーー……うん、待ってた……かも

 

その声は喜びと恥ずかしさで言葉にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一歩進むごとに罠が発動し、次から次へと襲いかかる。そのことごとくを避けるか壊すか斬るか殴るかしながら突き進む二人の人影があった。

一人は黒のローブをはためかせ、紅い髪を靡かせる男。眉目は秀麗、体躯は長身痩躯。街を歩けば大抵の女は顔だけで引っ掛けられそうな美青年だ。

もう一人は少女だ。艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、細身の片刃の剣を手に持っている。こちらもまたかなり顔立ちは整っている。十人いれば九人が美少女と言うだろう。一人は野生的過ぎてそういう対象に見れないかもしれない。

二人にはもう一つ共通点がある。両方とも紅い瞳を宿しているという事だ。尤も、厳密には同じ色ではない。男は紅玉のような鮮やかな紅の瞳を持ち、少女は鮮血のような緋色に近い紅の瞳を宿していた。

 

男の名はヴァリウス。かつて炎狼と呼ばれた軍人にして今は事情によりフェイルと名乗る自称軍人。トレードマークとも呼べる愛剣は現在弟子に預けている。しかし素手でも尋常でない戦闘力を持つ戦士だ。

少女はアカメ。戦士としても女としても伸び盛り真っ盛りの輝きを放っている。

偶然にも目的地を同じくした二人は行動を共にしていた。というより勝手にくっついてきたという感じだが。

 

アカメが落ちた奈落から気合いと根性で這い上がったヴァリウスは墓の中への進入に成功していた。しかし掴むところも少なく、かつ二人分の体重を支えながらの崖登りの強行軍は相当の時間を必要とした。

 

ーーーーしかし思ったより鈍ってるな。イメージと身体の動きに少し差がある。

 

だからこの罠の大群は良いサビ落としになる。罠を突破しつつ、ヴァリウスはカンを取り戻していく。

 

「ははっ、アスレチックのようだな。エディが好きそうな仕掛けだ」

「罠があるとっ……聞いてはっ…いたがっ」

「大歓迎されてるみたいじゃねえか。先行したお前らのお仲間のお陰だろうな。雑用係、マッピングサボるんじゃねえぞ」

「わかってる!」

 

唐突にヴァリウスが壁を殴る。何事かと一瞬動揺したが、脊椎が破壊された墓守が地面に落ちた。

壁に擬態していた敵がいたのだ。それをヴァリウスは見抜いていた。

 

「よくわかったな」

「フェクマで一ヶ月も狩りしていりゃ、嫌でも気づくようになる。おら雑用、口より手と足動かせ。置いてくぞ」

 

凄まじい速度でかけていた二人が急停止する。墓全体を揺らすような地鳴りが響いてきた。

 

「この地鳴りは……」

「こういうのが聞こえる時は大抵……うわ、やっぱりアレだ」

 

巨大な鉄球が目の前から転がり込んでくる。このままでは確実にプレスされるだろう。

 

「どうするアレ、私が斬ろうか?」

「やめとけ、ああいうのは壊すと大抵なんか仕掛けがある。ガス系だったら即詰みだ」

 

すぐ横の壁面を蹴り壊す。大の大人が通れる大きさではなかったが小柄な少女一人くらいなら収まりそうな穴ができる。

 

「えっ、きゃっ!?」

 

首根っこを引っ掴むとその穴に彼女を投げ込む。

 

「てめえはそこで大人しくしてろよっと」

「フェイル!!」

 

状況を確認した時には、目の前を鉄球が通過する。しばらく地響きが鳴り続いた。音が遠のいていき、安全な事を確認すると穴から出る。

 

ーーーー不器用なのは知ってたけど……どうせ助けるならもっと優しく助けてほしかった

 

そうしたら今の何倍も彼にときめく事が……

 

ーーーーときめく?

 

心の中に浮かんだ感情の名前に疑問符が浮かぶ。彼からもらった本のおかげでその感情の意味はよく知っている。けど不思議だった。本の中のヒロインが持つような感情を自分が持った事が信じられなかった。

 

ーーーーこの感情は……いったい何なんだろう。

 

「ねえ、フェイ……ル?」

 

なんでも知っていて、なんだって教えてくれた青年を求めて、墓の廊下に出る。しかし期待した、生涯で初めて綺麗と思った青年の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーあーあ…はぐれちまった。そして迷った。クソ、マッピング俺もやっときゃ良かった。

 

広大な墓の中を一人で彷徨いながら頭を掻く。壁の上隅に跳躍し、張り付くことで鉄球を躱したまではよかったのだが、隠し扉が仕掛けられており、あっという間に違う空間へと放り出されてしまった。

 

ーーーー参ったな、ここまで早くバラけちまうとは…

 

可能性のうちに入っていなかったかと言われれば入っていたと答えざるをえないが、こんなに早く逸れる事になるとは思わなかった。地下なので外の時間が正確には分からないが、弟子達と別れてから周辺調査の時間も込みで、恐らく2日は経っている。

 

ーーーーチェルシー達を連れてこなくてよかったぜ。もし此処で戦わせていたら確実に守りきれず死人が出てたな。

 

じっとしてるわけにもいかない。そろそろ帰ると約束した頃合いだ。まあ戻らなければ撤退しろと命じているからそこまで心配してはいないが、出来れば時間通りに無事な姿を見せてやりたい。壁から伝わる足音や気配を頼りに走った。

 

ーーーー複数の人の気配。近づいてくる。

 

止まる。相手がこちらに気づいていて仕掛けてくるなら、備えておかなければならない。それに気配は二方向から近づいてきていた。

 

ーーーー来る!

 

凄まじい速度で跳んで来たのは長い茶髪を後ろに束ねた快活な少女。肌は白く、恐らくはアカメの仲間と思われる。

 

ーーーーうわ、追いつかれたか、とっとと用件をすませねえと面倒な事…………にっ!?

 

両手で少女のヒザ蹴りを受け止める。向かってくる彼女からは殺気が放たれていた。

 

「お、おい!なんの真似だ!?」

「問答無用だ!平和を乱す墓守め!!」

「待て待て、オレァ墓守なんかじゃねえって!見ろ!肌の色白いだろうが!」

「聞く耳持たないわね!」

 

凄まじいケリのラッシュがヴァリウスに殺到する。クリーンヒットはさせず、全て払い落としてはいるが、防ぐ腕が痺れる。小さな体軀からは考えられない程の威力だった。

 

「お父さんに敵か味方かわからない相手は取り敢えず殺せって言われてるのよ!」

「あちゃあ…完全に洗脳されちゃってる系か。頭の弱いタイプの典型だ。こりゃ現実見せると精神崩壊する可能性があるな」

 

恐らくこの子の世界はかなり狭い。唯一の彼女の心の拠り所となっているのは恐らくゴズキ。コルネリアと違い、これはもう救いようがない。使い潰されるまで暗殺道具として生きる道しか彼女には残されていないだろう。

 

考え事をしながら交戦するヴァリウスに対し、茶髪を後ろに束ねた少女、ポニィは戦慄していた。

相手は変身していない。つまりまだ秘術は使っていないにも関わらず、腕だけでヨクトボトムズで強化されたポニィの蹴りを難なく捌いているのだ。しかも最初の一撃以外は一歩も動いていない、そんな事が出来る相手をポニィは初めて見た。

 

攻防の最中に僅かに隙が出来る。そこを目掛けてポニィは蹴りを放つ。

 

ーーーーはい食いついた。

 

難なくポニィの足を取る。先ほど見せた隙は誘導させるためにわざと作ったモノ。脳筋タイプはこの手のフェイントに必ずと言っていいほど引っかかる。

足首を掴み、壁面に思いっきりぶん投げた。

 

「おおっとぉ!?」

 

ーーーーおお、猫みてえだな。

 

投げられている最中、空中で一回転し、壁面を足場に着地した。見事な動きと反応だ。頭はアレだし青さもかなりあるが身体能力で言えばうちの弟子を上回るかもしれない。

 

ーーーー頭悪そうなのが玉に瑕か。典型的な鉄砲玉タイプだな。ブレインが側にいる場合、中々厄介だが単体ならそこまで脅威ではない。

 

「へえ、ちょっとはやるじゃない」

「まあね」

 

構えを取る。この子には幾ら言葉を重ねても敵判定を脱する事は出来ないだろう。こうなったら動けない程度に打ち倒す。

 

「けど素手でアタシに勝とうとか……身の程知らずめ!」

 

再び跳躍し、蹴りを放つ。しかし今度は真正面から受け止め、足首をとった。

 

「はは、身の程知らずか。人に言う事は結構あったが言われたのはずいぶん久しぶりだ」

 

足首を掴んだまま、高く掲げる。空いている足で抵抗するように蹴りを放ってきたが、ヴァリウスの危険種の牙をも砕く凄まじい握力で握り込む事により、相手の動きをコントロールした。ミシリと嫌な音がなる。

 

「ンギッ!?」

「アドバイスだ。実戦において無駄に跳躍するな。空中じゃどうしても動きが制限される上に攻撃も読みやすい。勢いが出るから強い一撃が出せるつもりでいるんだろうが、軸足が地についてない技の威力なんてこんなもんだ」

「い゛だだだだだ!?」

「…………さて、俺としては殺す気は無いんだけど……また暴れられても面倒だ」

 

片手上段に振りかぶる。まるで刀で誰かを唐竹割りに斬るような構え。

 

「手加減は一応するが……頭は守れ。死ぬなよ?身の程知らず」

 

振り下ろす。石畳に思いっきり叩きつけた。

 

「へぇ」

 

振り下ろしたポニィを見て初めて感嘆の声を漏らす。

 

「意識があるか。やるじゃないか」

「あ……あ……ああ」

 

せり上がった横隔膜が言葉を発する事を許さない。肺の活動も一時的に停止している。何とか気絶だけはしていなかったが、もうろくに身体を動かす事は出来なかった。

 

「運が良ければお仲間が助けてくれんだろ。墓守に見つかった時はまあご愁傷様。身の程を弁えなかったお前が………ってうわぁ」

 

気配を感じた方向に視線を向けてみると今度は褐色の肌にドクロを腰につけた小柄なおかっぱ頭の少女が現れた。彼女の名はカショックと言った。

 

ーーーー間違いなく墓守。腰につけてるドクロの数は四つ。見た感じから言っても今までのよりは強そうだな…

 

「侵入者共……仲間割れか?」

 

仰向けに倒れるポニィを見て墓守は現状を判断する。そう思われても仕方ないなとヴァリウスは苦笑した。

 

「え………あなた……墓……もりじゃ……」

「だーから言ったじゃん。違うって。てめえはもう少し視野を広げる努力をしな」

 

ぐるりと一度、肩を回す。さて、連戦になるがどうという事はない。ようやく身体があったまってきた所だ。

 

「ふん、まさか素手で私に挑もうとはな。身の程知らずめ」

「まったくどいつもこいつも。井の中の蛙は時々なら面白いがこう立て続けで来られては少々飽きるな」

「ほざけ!!」

 

うねる様な動きでこちらに迫る。その滑らかさはまるで蛇の様だ。

 

「ほう、柔拳の使い手か。多種様々揃えてらっしゃることで」

 

捉えどころのない拳に少し驚く。まさに複雑怪奇。こちらの腕を絡め取る様にスルリとうねった。

 

「捕らえた」

「どうかな?」

 

スウと息を吸う。ヴァリウスは瞬間的に筋肉を緩めると、裂帛の気合いを込めて全身をパンプアップさせた。

 

ーーーー正しい拳と書いて……

 

「正拳!!」

「何!?」

 

拘束が解ける。吹っ飛ばされたカショックは慌てて態勢を整えた。

 

「まさかあの状態になった蛇から脱出できるものがいるとはな」

「結構いると思うぜ?特に東方の拳法家にはな」

 

いまヴァリウスがやったのは三戦の応用。敵がどこからどういう力をかけてこようがただ鋼のごとく身体をしめることで攻撃を弾き飛ばす。簡単に言えば全身を握った拳に変える様な技。関節技などが入る余地はない。

 

「どうした?大道芸はもうおしまいか?」

「チッ、調子に乗るな。どちらが大道芸か教えてやる!」

 

再びラッシュが始まる。しかし今度はそう簡単に関節を取らせてくれない。

 

ーーーーもう見切ったのか!?

 

「野生に頼りすぎだ。本能で攻撃してくるもんだから古強者の俺様はカンで攻撃が読める」

 

ーーーーちっ、立ち技ではダメか。寝技に引きずり込んで。

 

「リーチで負ける相手に姿勢を低くしちゃダメだろう」

 

顎を爪先で蹴り上げる。無防備になった喉元に足先を固めて突き入れた。

 

「ガハッ!?」

 

吐瀉物を撒き散らし、膝を折り、頭を下げる。その姿はまるで許しを乞うているかの様だ。

 

「大道芸はどちらかわかったか?身の程知らず。受講料は貴様の命だ」

 

踵落としで脳天を砕く。いかな秘術といえど頭を潰されては死ぬしかない。

 

「ふぅ……まあまあ強かったな。良い馴らしにはなった」

 

首を鳴らす。ようやく身体がイメージに合い始めた。

 

「じゃあなポニテ。常人なら丸一日は動けねえだろうがお前なら一刻もあれば動ける様にくらいはなるだろう。運が良ければ死にはしないと思う。じゃあな」

 

ヒラっと手を振ると墓の奥へと姿を消した。

 

ーーーーあんな強い人も……いるんだ…

 

籠の中に取り込まれた少女、ポニィは世界の広さを垣間見た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポニィと別れた後、ヴァリウスは罠が発動するのも、自分の侵入を敵に報せるのも御構い無しに縦横無尽に走り回っていた。

 

ーーーーああクソ、アカメのヤツ、マジでどこにいるのかわからねえ。

 

あいつのお仲間の部隊が来たってことはそれなりに時間が経ってしまったということ。このままでは3日で帰るという弟子達との約束を完全に破ってしまう。まあ自分が戻らなければ帰れと指示を出してはいるため、そこまで心配はしてないが、心配されているだろう。それなのに自分はまだ帰還のめどすら立っていない。

 

「うぉおおおおい!アカメぇえええええ!!どこだぁああああ!」

 

出来れば使いたくなかった最終手段を使う。侵入どころか、自分の居場所すら敵に教えてしまう愚行中の愚行。だが自力で発見できない以上、アカメ自身に居所の情報をもらうしかない。そのために一番手っ取り早い情報は音だった。

 

「返事しろぉおおおおおお!!!早く出てこねえとテメエんちに頼んでもいない出前が山ほど届くゾォおおおおお!!ピザとか届いちゃうぞぉおおおおおお!!!いーのか俺金払わねえからなぁあああ!!!」

 

呼びかけというよりもはや恐喝。俺ならかくれんぼしていても居所を白状するだろう。屋内な事もあり、この声はかなり響いた。周辺にいるのならまず聞こえたはずだ。にも関わらず、返事はない。

 

ーーーー考えられるパターンは、三つ。

 

一、ただの屍のようだ

二、単純に聞こえていない

三、聞こえていても声が出せない状況

 

ーーーーくそ、せめて3であってくれ!

 

「アンタ、僕らの住んでる場所、知ってるのかよ」

 

か細い声だったが聞こえた。明らかにさっきの叫び声に対するレスポンス。音源を振り返り、その場所に向けて跳躍する。すると角を曲がった所に入り口で会ったメガネ君が倒れていた。

 

「メガネ君!」

「グリーンだ……」

 

駆け寄り、ザッと体の状態を見る。そこそこ傷つけられてはいるが、命に関わるほどではない。先ほど自分が痛めつけた少女と同程度か、それ以下だろう。

 

「おいメガネ君、アカメの居場所、知らねえか?罠で逸れちまってな。探してるんだ、どこにいる?」

「それは………」

 

グリーンはアカメの居場所を知っている。つい先ほど、アカメに窮地を救ってもらっていた。長を名乗る老人と出会ってしまい、交戦となったのだが、自分の実力で敵う相手ではなく、早々に追い詰められてしまった。その時、割って入ったのがアカメ。そのまま戦闘となり、高速移動しながら戦い始めた二人はもうこの場にはいない。でもそう離れてはいないだろう。

 

しかしその事をこの男に教える事にグリーンは躊躇した。アカメに見た事もない顔をさせたこの男。カッコいい戦士。綺麗な人。そんな彼が気に入らなかったから。

 

「グリーン」

 

紅玉の瞳が彼を捉える。そのまっすぐな光に後ろめたさのある彼は目を背けた。

 

「あの子が大切なら、教えろ」

 

…………悔しい。

 

この男のように、助けると断言できる強さを持っていない事も、今アカメのために出来る事がその居場所の検討を教えるしかないという事も。

 

黙ってアカメ達が消えた方向を指差す。それがグリーンにできた精一杯だった。

 

「ありがとう」

 

一言置いた瞬間、その姿は見えなくなった。

 

ーーーーああ、くそ……

 

 

カッコいいなぁ

 

 

それだけを最後に思い、グリーンの意識は闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*ポニィを振り下ろす。石畳に思いっきり叩きつけた。
きっと、青竹を一振りでバラバラにする。ポニィちゃん、敗れたり!(宮本武蔵並感)


*返事しろぉおおおおおお!!!早く出てこねえとテメエんちに頼んでもいない出前が山ほど届くゾォおおおおお!!ピザとか届いちゃうぞぉおおおおおお!!!いーのか俺金払わねえからなぁあああ!!
嫌がらせどころかもはやテロ




後書きです。墓守編あと2話で終わる予定。アカメが驚くほど乙女やってるなぁ、コレでええんかなぁと思いながら書いています。次はファン達弟子組も登場します。多分。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第二十九罪 過ぎる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目も髪も何もかもが燃えるように赤い青年は同じ色の瞳を持つ少女を背中に庇うように半身で立つ。両腕をダラリと垂らした姿は一見すると隙だらけに見えるが………

 

ーーーーこいつは強えのぉ……

 

先ほど蹴り飛ばされた墓守の長、ウェネグはヴァリウスの強さを一目で見抜いた。佇まいに一本の芯がある。滲み出るオーラが大気を揺らし、まるで炎が人間の姿になったようだ。

 

「なんだコイツ………他の連中とは少し毛色が違うな」

 

ヴァリウスも相対する敵の異形を感じ取っていた。これまでのような一般的な動植物の変身ではない。明らかに危険種がモデルだ。それも相当等級の高い。特級以上なのは間違いないと百戦錬磨の狩人の感が告げていた。

 

「ヌビスって言ってた……」

 

掠れた声が背中にかかる。喉を締め上げられ、気管系が傷ついたのだろう。首肯を返し、休んでいろ、と指で指示した。

 

「なるほど、超級危険種の力か。今のアカメちゃんにはちょっと荷が重いかな?」

 

スピード、パワー、どれもが劣る相手に勝利するためには戦略が必要となるが、それもまだまだ若い彼女ではこの老獪な墓守にはかなうわけが無い。唯一希望があるとすれば若さゆえのエネルギーだが、アカメは感情に乏しく、平常心を常とするタイプ。実力にブレが出にくく、アベレージで高い力が発揮できる。しかしその分、爆発力がない。その手の力を出しにくい戦士なのだ。

 

「さて、逃げた嫁の事も気になる。悪いがサッサとケリをつけさせてもらうぞ」

「俺はあんまやる気ねえんだけど……まあ、今更か」

 

ここまでで何人か墓守を殺している。もうドンパチをしに来たわけじゃないと言っても無意味だろう。

 

床を蹴ったのは同時。二人の姿がかき消えた。アカメが消えたと思った瞬間、鈍い打撃音が墓に鳴り響く。二人の拳が相手の頬を捉えていた。

 

石板が割れ、二人の足元がめり込む。速度は互角に近い。

 

連続して打撃音が鳴り続ける。その威力は凄まじく、振動が時折大気を震わせた。二人の戦いは高速戦闘に移行していく。

 

凄まじい打ち合いの末、ウェネグが吹き飛ぶ。制したのはヴァリウス。追撃に跳ぶ。

瞬時にウェネグは態勢を整えた。追撃に跳躍したヴァリウスに対して炎を吐き出す。躱せる間合いではない。炎はヴァリウスを覆った。

 

「ぐっはっはっ!勝負あり……っ!?」

 

炎の中から現れたのは無傷のヴァリウス。火傷どころか服すら燃えていない。いや、正確に言えば、羽織っていたローブは燃えている。炎の盾とする為、ローブを繰り出し、高速回転させることで火を誘導したのだ。

マワシウケ。東方の武術、カラテの技の一つ。極めればどんな攻撃だろうと防御できる受け技の最高峰。加えて相手は炎狼と呼ばれた男、ヴァリウス。炎の扱いには慣れきっている。

 

「俺を焼き殺したいなら、バーナーナイフ以上の炎を繰り出してこい」

 

右ストレートがウェネグを捉える。身体は吹き飛ばされ、壁を破壊し、めり込んだ。

 

ーーーーなんちゅう剛力!さっきの若造以上の力!

 

先ほどウェネグが殺した妙なスーツを着た若者も凄まじい怪力だったが、この男はそれすら超えている。しかもパワーは負けている上にスピードも互角、下手をすれば上回られているくらいだ。

 

ーーーーここ数十年で間違いなくピカイチの手練れ!コレはサッサと呪いを発動させんとマズイのぉ……

 

アカメと違い、明らかに自分より強い相手に戦慄する。しかし、自分より格上の相手に対する勝ち方をウェネグは心得ている。

 

王家の呪い。受けたダメージを相手に流し込む秘術。相手が強ければ強いほどこの呪いは効果を発揮する。

この時、ウェネグにはまだ焦りはなかった。どんなに強い相手だろうとこの力で殺せなかった者など存在しなかった。今回もその例外ではないと確信している。

しかしそれが芽生えたのは怪訝な顔で腕を回す緋色の髪の青年のこの一言を聞いた後だった。

 

「すこし本気を出しただけでもうズレた……やっぱ相当なまってんなぁ」

 

眉を潜め、不服げな顔で呟いた。今までの戦いはヴァリウスにとって準備運動。体をほぐす作業でしかなかった。ゆえに全力の動きはしていなかったため、イメージと身体の動きとの差は僅かだったのだが、すこし全力を出すとまたズレが生じてしまった。

 

「だがそういう意味では貴様は最適だな。適度によく動くし、適度に反撃してくる。タフネスも申し分なし」

 

本物の怪物と毎日戦っていたヴァリウスにとってウェネグの動きは早すぎず、遅すぎない丁度いい速度だった。

 

「いい踏み台だよ、お前。悪いけど慣らしにしばらくつき合ってもらうぞ」

 

ーーーーハッタリか?

 

ウェネグがそう思ったのは仕方ない事だろう。今見せた動きだけでも最強と断ずるに相応しいモノだった。これ以上が存在するなど信じられなくとも不思議ではない。

 

その言葉がハッタリでない事を行動で教えられる。

 

ヴァリウスの姿が再びかき消える。今度は危険種の動体視力を持つウェネグすらも一瞬見失うほどの速さだった。

 

ーーーー速い!!

 

なんとかガードが間に合うが防いだ腕ごとなぎ倒す勢いで拳が振るわれる。堪らず態勢が崩れた。

 

尻尾で崩れた身体を支える。近接戦では勝ち目がないと悟ったのか、下がって距離を取るが……

 

「遅い」

 

既に回避方向に回り込んでいたヴァリウスが回し蹴りを放つ。コレも尻尾でなんとか蹴りの軌道をズラし、クリーンヒットは避ける。

 

ーーーー息つく暇も……!

 

既に目の前に出現し、拳を振りかぶっている。なんと早く、なんと容赦なく、なんと強い。今まで戦ってきた過去最強の敵と比べても、まるで比較にならない。ヌビスすらこの男には敵わないのではないかとさえ思える。

 

ーーーー強い……この我をもってして強すぎると思える程に………

 

「だからこそ……貴様は死ぬ」

 

笑みが浮かぶ。もう呪いは発動されている。この下段の打ち下ろしが放たれた時が、この強過ぎる男が死ぬ時という確信があった。その未来は数瞬後、現実となるだろう。

 

「さらばじゃけえのぉ、強き者よ」

 

目を閉じ、身体を固める。来るべき衝撃に備えるためだ。無防備にこの男の一撃を食らえばいかなタフな自分と言えど死ぬかもしれない。

 

しかし、予期した衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。不審に思い、目を開けてみると振り下ろされる拳は自分の眼の前で止まっている。

 

ーーーー寸止め?一体なぜ……

 

目の前の状況が理解できなかった。ココでヴァリウスが攻撃の手を止める意味はないはずだ。しかし、ウェネグを見下ろす炎狼の目は何かを訝しむように細められていた。

 

「妙だな、ジジイ。先ほどまでのアンタの実力なら完全に防御出来ないまでも、クリーンヒットさせない程度の事は出来たはずだ。それなのにアンタはいま、完全な無防備の状態で俺の拳を受けようとしている。この一撃の威力がわからない程、鈍な使い手でもねえだろう」

 

相手の力量を正しく計れていたからこそ芽生えた違和感。通常ならありえない行動をウェネグが取った事により、ヴァリウスは拳を止めるに至ったのだ。

 

「考えられる可能性は、俺の攻撃を受ける事でアンタになんらかのメリットがあるって事」

 

この場合のジジイのメリットは俺へのダメージか、あるいは死。結論が予想できるなら切り札の効果も大体予想がつく。

 

「受けたダメージを俺にも喰らわせられる、そんなところか。危険種に変身している貴様ならタフネスには自信がありそうだし、先ほど言ってた『だからこそ貴様は死ぬ』の意味も得心がいく」

 

ーーーー辿り着きおった!ほぼノーヒントの状態から、予測不能の秘術に……

 

驚愕するウェネグだったが、驚くほどの事ではない。実際エスデスなら驚かないだろう。

以前、軍にいた頃、誰かが副将軍の強さの秘密について尋ねた者がいた。ヴァリウスの持つ最も非凡な能力はなにか、と。エスデスは迷う事なく洞察力だと答えた。

 

相手の力量を見抜くという事に関して、ヴァリウスはエスデスすら超えている。充分天才の部類に入るヴァリウスだが、才覚においてはエスデスより劣る。そんな彼が彼女との差を埋めたもの。それは経験。

彼女が一の危険種と戦う間に十の危険種と、一の鍛錬をこなす間に百の鍛錬を、そうしているうちにヴァリウスは才能に匹敵する力、洞察力を身につけたのだ。

 

『ヤツは決して相手を過大評価も過小評価もしない。正しく相手の底を見切り、確実に勝てる戦略を立てる。目に見える効果は出にくい能力だが、敵に回すとコレほど厄介な物もない』

 

あのエスデスをもってして厄介と言わしめた能力が、ウェネグの違和感を感じとり、秘術の正体を看破したのだ。

 

「当たりか。ジジイの割に心情が顔に出る。引きこもりの弊害だな」

 

冷笑しながら立ち上がる。ゆっくりと距離をとり、中間距離に踏ん張った。

 

「どうやら一撃必殺の狼パンチはやめといた方が良さそうだな。お前を殺せても俺が死んじゃう可能性は大いにある。だがタネが割れた手品ならやりようはいくらでも、だな。相当痛い上に楽には死ねねーぞ?覚悟しておけ」

 

拳の骨を鳴らす。戦略においても、心理戦においてもヴァリウスが圧倒していた。決着は時間の問題だろう。

 

ーーーーこのまま任せておけば……

 

確実に勝てる。ヴァリウスの背中に守られながらそんな事を少女は思う。思った瞬間にゾッとした。

 

ーーーーいつから他人に頼りきるような事をするようになったんだ、私は……

 

仲間を守り、妹を守るため、今まで必死に強くなった。誰かを守る事はあっても守られる戦いをした事などほとんどなかった。

しかしこの墓での戦闘において、アカメはずっと守られていた。その心地よさに酔ってしまった。守られへの免疫のなさがこの状況をなんの抵抗もなく受け入れさせてしまったのだ。

 

ーーーーまだ体は満足に動くというのに、できる事はまだまだあふたいうのに、何を寄りかかっているんだ、私は。

 

「お姉ちゃん!!」

 

懐かしい声が耳朶を打つ。音の先にいたのはこの世で誰よりも愛する愛しい家族の姿。

 

『いつか、お前が強くなる理由を見つけろ。その時、そのハンカチを返しに来い』

 

初めてフェイルに会った時に言われた言葉が妹を見て蘇る。

 

ーーーーそうだ………私の理由は……

 

 

妹を守る事。

 

 

刀を握りしめる。立ち上がった時、もうアカメは守られる少女ではなく、一匹の黒狼と化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェイル」

 

肩を掴まれ、名を呼ばれる。驚き、振り返るとヤル気マンマンで立つアカメの姿があった。

 

「ありがとう。ココからは私がやる」

「…………オイオイ、正気か?負けるぞ」

 

ウェネグに視線を戻しつつ、呆れたような反応を返す。つい先ほど殺されかけたというのにものの数分で交代を申し出るなど、浅はかとしか言いようがない。決して思慮浅い少女ではない事をヴァリウスは知っていたため、尚更だ。

 

「さっきのフェイルとの戦闘を見て、ヤツの動きはもう見切った。今度はさっきのようにはいかない」

「けどな……」

 

もう一度視線をアカメに向ける。そして驚く。明らかに先ほどよりも強い気配を発している。威圧感で言えば、ウェネグを凌駕していた。

 

ーーーー冷静沈着で自然体、実力にブレのないタイプの戦士かと思っていたんだが………

 

見誤っていたことに気づく。おそらくこの自然体を常とする闘い方は後付けで矯正されたスタイルだったのだろう。本質は真逆だった。

 

ーーーー感情によって大きく戦闘力に影響が出るタイプ。俺やエディの同類

 

エスデスの場合、感情の昂りが、ヴァリウスの場合は守る者の存在が戦闘力を上昇させる。プロファイルが非常に困難で、戦う上で最も厄介な戦士。それがアカメという暗殺者の核だった。

 

「私の成長を見せたい相手が目の前にいて、守るべき存在が私を見ている。今の私は確実に強い自信がある!やらせてくれ、フェイル。絶対に勝つ」

 

ーーーー目の色が変わった……

 

その目は弟子達(あいつら)の目。瞳の奥に炎を宿し、不屈の光が輝いている……狼の目。

 

ーーーーまったく、やっぱり弱いね。この目には、どーしても

 

拳を収め、背を向ける。一度だけアカメの肩を叩いてヴァリウスは下がった。

 

「完膚なきまでに葬りされ」

「positive!」

 

アカメが前に出る。ヴァリウスは壁にもたれかかった。一応ヤバくなったらいつでも助けに入れる用意だけはしておいた。

 

「雑談は終わったかいのぉ?」

「待っていてくれたのか」

「まさか、襲い掛かれんかっただけじゃ。あの男に隙がなかったけぇ」

 

視線を外していた時でさえ、攻撃しても叩き伏せられる未来しか見えなかった。交代してくれるというならコレほど歓迎すべきこともない。

 

ーーーーそれにどうやらこの女をあの男は随分と大切にしとるようじゃけぇのぉ。殺さず人質にしてから嬲り殺しにしてくれるわ

 

念のため、秘術は発動しておく。この女も油断出来るほど甘い使い手ではない。

 

「行くぞ」

 

言葉が終わるか終わらないかのうちに刀を抜き斬る。想像以上の速度にウェネグは回避に失敗する。

 

ーーーー先ほどよりも明らかに速い!?

 

胸元を僅かに斬られる。秘術が機能し、アカメも同じ箇所に切創が奔った。構わず剣を振るう。

 

ーーーー若さが良い方に出たか!じゃがこんな浅い傷ならすぐに再生………

 

危険種に変身している今なら傷の治癒力も尋常ではない。瞬く間に回復するはずなのに、斬られた傷はいつまで経っても塞がらず、血は流れ続けた。

 

ーーーー回復しない!?なぜ?

 

臣具、桐一文字。一度斬った傷は決して塞がらない力を持つ刀。その凶悪さは帝具に匹敵する。

 

ーーーーコルネリアもそうだったが、こいつらは全員帝具に近い異能を持つ武具を持っているらしいな。ヤツの傷は塞がらないのに対し、アカメの血は徐々に止まっている。どうやら武器の特性までは反射出来ないらしい。

 

その事にアカメ自身も気づいていた。なら倒し方は決まった。

 

「少しずつ膾斬りにしてやる。楽には死ねないぞ?覚悟しろ!」

 

浅く、少しずつ斬っていく。これならアカメも多少傷つきはするが、致命傷にはならない。対してウェネグは傷が塞がらない為、一撃で殺す事は出来なくとも、出血を止めることもできない為、徐々に、だが確実に死に至る。ヴァリウスがアカメだったとしても似たような戦法を取った事だろう。

 

命の危険を察したウェネグは敢えて傷を受ける戦い方から本気でアカメを殺す戦法にシフトする。無数の拳や蹴り、炎がアカメを襲う。しかし、そのすべてにアカメは見事な対応をして見せた。

 

ーーーーなるほど、俺の戦いを見ながらあいつも戦ってたってワケか。やはりコイツも実戦型だな

 

心が震える。素晴らしい才能だ。下手をすればこの子の剣はいずれ俺たちに届き得るかもしれない。

 

もうウェネグは敵ではない。完全に凌駕している。ヴァリウスはアカメの戦いを安心して見ることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死闘は静かに決着した。無数の切創が刻まれたウェネグは血みどろの姿で倒れ伏す。アカメも傷だらけになりながら倒れたウェネグに油断なく剣を向けていた。

 

満身創痍の身体が震えている。息も荒く、刀を力強く握りすぎて、手からは血が滴り落ちていた。トドメを刺そうとしてか、アカメはウェネグに近づいていく。

 

「はーっ、はーっ、はーっ!!」

 

興奮状態にある事は誰の目にも明らかだった。そんなアカメを後ろから包み込むようにヴァリウスが止めた。ガチガチに固まり、白くなった冷たい手に炎狼が暖かなぬくもりを添える。

 

「アカメ、息を整えろ。大きく深呼吸だ。ゆっくりでいい。少しずつだ」

 

美しくも優しい声音がアカメを癒す。言われた通りに大きく息を吸って、吐いた。

 

刀の柄から一本ずつ指を外していく。冷たく凍りついた手は優しい炎の暖かさで溶けていく。

ーーーーあったかい……

 

人の温もりを久しぶりに肌で感じた。暖かさがアカメの心に平穏を与えていく。

「素晴らしい戦いだった」

 

最強の戦士から出たのは心からの賞賛。

「だが同時に………難しい戦いだった。刹那の狂いがお前に死をもたらしただろう」

 

薄氷を踏むかのような危険な綱渡り。それをこの子はやってのけた。

 

「致死量ギリギリの毒を飲む戦闘は最前線では避けられない。こういう死闘はこれからきっと増えていく。自分の力量、限界を決して見誤るな。興奮で我を忘れるな。どんな時でも自分の状況を確認しろ。頭は冷静に、感情は腹の底に秘めて戦え」

「…………はい」

 

回していた腕を解く。黒髪の剣士はもう落ち着きを取り戻していた。

 

「説教はここまで。行ってこい………いや、迎えてやんな」

「…………?」

「お前の理由が待ってるぜ?」

 

トン、と。

 

軽い足音が聞こえた。恐らく高いところから落ちてきた誰かの着地音。音源に向けて振り返る。するとアカメにとって最愛の存在がこちらに走ってきていた。

 

「お姉ちゃん!」

「クロメ!」

 

妹が姉に飛びつき、姉も愛しい存在を抱きしめる。姉妹が遂に再会を果たした。

 

ーーーーやれやれ、笑ってる時は年相応に可愛いじゃねーか

 

そんな所も弟子と似ている。

 

「ははは………麗しい姉妹愛じゃのぉ」

 

しわがれた声が下から聞こえる。

 

「まだ生きてたか、タフだな」

「我に勝ったからといっていい気になるなよ?戦える同胞はまだまだ100人はおる。もう詰んどるよ、お前らは」

「なんだよ、100人ぽっちか。たいした事ねえじゃねえか」

 

笑って返したが、内心で少し焦る。野外戦なら100人いようがやりようは充分にあるが、この狭い墓で多勢に無勢で来られたら少し面倒だ。

 

「まだ生きてるなら聞いておくか。てめえらのその秘術ってのはどうやって身につけたんだ?」

「どうやってもない。単なる血筋じゃ。模倣しようとしても無駄じゃけぇのぉ。残念じゃったな」

 

恐らく初代は違うのだろうが、いまやその技術は失われてしまったらしい。ならもうこの墓に用はない。サッサと退却するか、と思っていると何かが大挙してくる音が墓に響いた。

 

ーーーーチッ、援軍が来やがったか。面倒な……

 

拳をポケットから出し、戦闘態勢を整える。どさくさ紛れはそこそこ得意とするところだ。

 

しかし現実として現れたのは予想外の展開。血みどろになった大勢の墓守達がこの部屋になだれ込んできた。この事実が告げる事は墓守達の敗北。

 

「ーーーーっ!?」

 

古傷がズキリと痛む。同時に芽生える嫌な予感。ヴァリウスはまだ息のある墓守に駆け寄った。

 

「どうした?一体何があった?」

「つ………強過ぎる」

 

その一言を呟いて、息絶える。つまり誰かにやられたという事。恐らくは帝国の援軍だろう。

それはいい。結果として敵対行動を取ってしまったヴァリウスにとって墓守側がやられる事は基本的に利益しかない。

しかしヴァリウスには最悪の展開が脳裏を過ぎった。その理由は、援軍に対する墓守の印象だ。

 

強過ぎる、と言った。敵に対してこの形容を用いるのは戦士としてありえない。

 

相手の強さを認める事は大事な事だ。ヴァリウスも自分より劣る敵であろうと、強いと感じた事は幾度となくある。

 

しかし違う。強い、と認める事と強過ぎる、と観念してしまう事は。

 

過ぎるという形容は自分が劣る事を認める表現だ。戦場でやってはいけないことの一つが思い込み。たとえ、自分が実力的に劣るとしても、それを完全に認める事をしてはならない。

 

ーーーーだがコイツはそれをした!しかも雑魚じゃない。人外の能力を持つこいつらが、だ!!

 

そんな表現を用いなければならない相手をヴァリウスは二人しか知らない。

 

ーーーーまさか……まさか!

 

アカメが言っていた帝国からの援軍は………

 

ーーーー来ているのか、エディ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堂々と、悠然と、正面から闊歩する一人の女傑。彼女が歩いた後には氷漬けにされた死体や血みどろに倒れる墓守の姿が数え切れないほどあった。

 

「変身能力を持つ獲物。なかなか面白い連中だ。コレだけでも危険種を乗り継いで急行してきた甲斐があったというものだが……」

 

足首近くまで伸ばした青い髪を風に揺らしながら、嗜虐的な笑みを浮かべる。軍服の下窮屈そうにしている豊満な胸。女性にしてはかなりの長身でスラリとした脚。

全てが凍えるほど美しい魔神の前に立つのは四匹の狼。墓の入り口近くでうろついていたところを見つかったのだ。

 

「フフ………フハ………」

 

魔神の様子がおかしい。普段の彼女であればありえない所作。何度も何度も前に立つ四人の構えを見る。重心の取り方、間合い、佇まい。その全てを視線がなぞった。呼吸は切れぎれになり、瞳は歓喜に揺れている。己を抱きしめるように腕を回した。

 

そう、彼女は知っていた。この構え、佇まい、そして何より………この狼の眼を。

 

忘れた事など一度もない。この眼に魔神は恋をしたのだ。

 

「ーーーーはハ……アハハ……」

 

鼓動が早鐘を打つ。膝が笑い、腕が笑う。3年の月日を経て、かの輝かしい記憶が魔神の頭の中に奔流した。

 

「はははははっ、アハハハハ!ハハハハハーーーーっ!」

 

笑わずにはいられない。ああ、あの愛しい炎が己の中で再び燃え上がる。

 

「まさかこんな所でお前に会えるとはな!」

 

自分の前で構えを取る四人を見ながら、魔神は自分が従えていた狼を呼ぶ。かつて共に研鑽し、磨き上げた武の匂いをエスデスはこの四人からは感じ取ったのだ。歓喜が己を支配する。笑う、嗤う、嘲笑う。

 

「変わっていないな、お前は!いい構えを面白い連中に教えたものだ!才気ある者を愛し、人を育てる事が何より得意とする!ああ嬉しいよ、本当に変わっていない。コレが私を置いていって、お前が得た者たちか!!」

 

笑いがおさまる。今度は悲しみに表情を落とした。

 

「教えてくれよ、ヴァル。コレが、私を捨ててまでお前がつかんだ者なのか?それほどの価値がこいつらにあったのか?なあ、なんで………」

 

私を捨てたの?

 

理由の想像はついている。その事を何度も悔やみ、何度も謝罪した。そして、その先で得た物は怒りだった。

かつて負けた自分に対する怒り。あの夜、抉られた傷が疼くたびに、あのとき敗北した己の弱さを呪った。この世の不条理は全て己の弱さが悪い。その事を誰よりわかっていても、この怒りは収まらなかった。

 

「もう誰にも渡さない。お前の全て、私が奪うよ…ヴァリウス」

 

さあ、私の狼が命を賭して護った者達よ。拷問室にまで案内してやろう。私の狼について、知ってる事を話してもらおう。ようやく掴んだ紅き尾なのだ。もう決して逃さない。

 

ーーーーさあ、愛しい人狼。あの夜の続きを始めよう。

 

氷の魔神と神殺しの炎狼の邂逅が近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。ついにエスデスが登場。再会の時が迫ります。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします!


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第三十罪 再会と再開

 

 

 

 

 

 

 

 

『勝てない敵に勝とうとするな』

 

彼女達を弟子にとってからしばらくがたったある日、3対1の実戦稽古を行った。3人とも師匠の教えを受けた事で強くなった自覚はあった。3人がかりなら流石に少しは勝ち目があるかと思い、望んだ戦いだったが、結果は惨憺たる物だった。

 

大の字になって動けない3人に赤髪の狼、ヴァリウスはそんな事を言った。

 

『多少は実力もついて自信が出来てきた事だろう。それはいい。自分の力を正しく信じれるヤツは手強い。だがお前らは最近少し過信ぎみだ』

 

武に生きる者ならば誰もが通る道。納め始め、確かな実力をつけ始めたが故の当たり前の自負。慢心と呼ぶにはあまりに僅かな感情。しかしその僅かが戦場では命を分かつ。

 

『でも自分より強い敵に出会っちゃったらどうするの?』

 

飴玉を取り出し、咥えながら茶髪の少女、チェルシーが問いかける。今でこそ最強と呼ぶに相応しい力を持つ師だが、かつては彼より強い敵もいた筈だ。今まで彼がくぐり抜けてきた修羅場の中でそんな人がいなかったとはとても思えない。

 

『実力差を埋めるのは作戦(タクティクス)だ。持久戦に持ち込んだり、人数をかけたりとかがオーソドックスだな。それでも勝てなきゃ逃げる』

『逃げるぅ!?』

 

どんな状況であろうと諦めるな、と耳にタコが出来るほど言われた言葉に真っ向から逆らう行動を取れと言われ、チェルシーから変な声が出た。ファンとタエコも目を見開いている。

 

『諦めの定義を間違えるな。俺はお前らに負け戦をしろとはひとっことも言ってねえぞ。ヤバい相手なら逃げていい。俺だって勝てない相手からは逃げてきた』

 

その相手の名は国家という。軍人であったあの頃、自分の信念や心はこの強大な敵に隷従する事で逃げていた。

 

『絶対諦めちゃいけねえのが生きる事。死ななければいつか勝機は必ず出てくる。どんな強大な敵が相手だろうと、誰もが生きる事を諦めてしまう怪物が相手だろうと、お前らは、それでもと生き残れる人間であれ』

 

四人は戦慄していた。恐怖に身体がすくみ、畏れが心を砕く。強くなったからこそわかる、圧倒的な力の差を目の前の美しい魔神から感じていた。

強敵との耐性はあるつもりだった。それも当然だ。帝国最強の一人と毎日のように剣を交えていたのだから。

しかしそれは此方を傷つけるつもりのない、安全な稽古での立ち合い。多大な手加減をしてもらっている事は知っているつもりだったが、改めて現実を思い知らされた。

 

ーーーー間違いない……顔も姿形も今まで知らなかったけど、そんなもの聞かなくても分かる。

 

見覚えのある軍服。風に揺れる碧空色のロングヘアに寒気を感じるほど澄んだ碧の瞳。長身に尋常ならざる美貌。

 

ーーーーコレが……頂点(エスデス)!!

 

三弟子のうち、二人は似通った思考をしていた。チサトはこの難局をどう乗り切るかに頭を必死に回転させていた。

 

しかしたった一人。

 

艶やかな黒髪を波立たせ、紫紺の瞳に怒りを宿し、形の変わった槍を握り潰さんばかりに掴む少女に誰も気がつかなかった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その邂逅は突然だった。

 

約束の3日目となり、夜明けまで待ってもヴァリウスが帰る兆しは見えなかった。炎狼の最初の弟子にして恐らくは一番弟子、タエコの提案に従い、プトラの墓近くにまで行き、三人の少女と一人の元軍医は待つ事を決めた。

この行動はヴァリウスの命令を破るものだ。彼は帰らなければホームに戻れと指示を出していたにもかかわらず、四人はその指示を無視し、行動を取っていた。説教も罰も地獄の鍛錬も覚悟しての行動だった。その覚悟があったからこそ、監督を任されたチサトも許可したのだ。

 

途中、墓守と思わしき人間と幾度か戦ったが、四人は難なく撃退に成功している。

強くなったなと元軍医、チサトが思う中で、状況は激変した。

 

別の道から阿鼻叫喚の声が聞こえる。同時に危険種の遠吠えのような物も響いてきた。

 

「「「「ーーーっ!!?」」」」

 

四人同時に一斉に武器を構えた。その行動は殆ど反射に近い。寒いと感じたから身体が震えるように、雷が光ったら目を瞑るように、何かから身を守る為の本能的な行動だった。

 

「(ーーーー何か来る!?)」

「(危険種?いえ、足音が聞こえない。人間!)」

「(…………この圧力、存在感、私は知っている。この魔神を!)」

 

三者三様に未知の敵を感じ取る中、チサトだけはこの人物が誰かを確信し、そしてヴァリウスの指示を守らなかった事を後悔していた。

 

ーーーーなぜあいつがこんな所に!?いや、もうそんな事を考えている場合ではない。全部後だ。逃げるか?でも此方が感じ取ったという事はヤツも私達の存在には気づいている。スピードで此方は彼女に圧倒的に劣る。そんな相手に無防備に背中を向けるのは自殺行為!

 

なら戦うか?もうそれしか道は残されていないとはいえ、その決断をするにはかなり勇気が必要だった。その強さを実際に肌で感じ取った事があるから尚更だ。

 

そして魔神はその姿を見せる。血に濡れた白い肌に対照的な蒼い長髪。かつて師が仕えた死神は相も変わらず美しかった。

 

「変身能力を持つ獲物。なかなか面白い連中だ。コレだけでも危険種を乗り継いで急行してきた甲斐があったというものだが……」

 

しばらく少女達を見て目を剥く。そして普段の彼女であればありえない所作を取る。何度も何度も前に立つ四人の姿を視線がなぞった。呼吸は切れぎれになり、瞳は歓喜に揺れている。己を抱きしめるように腕を回した。

 

「フフ………フハ………はははははっ、アハハハハ!ハハハハハーーーーっ!」

 

こちらを一瞥もせず、魔神が笑う。この隙に逃げられないかと一歩チェルシーが後ずさった瞬間、チサトが手首を掴む。

 

「(背中を見せたら、やられるぞ)」

 

握った手の強さが、逃走を禁じた。その選択は正しい。こちらがflightという気を発した瞬間、魔神はfightを選択し、そして終わる。

 

「まさかこんな所でお前に会えるとはな!変わっていないな、お前は!いい構えを面白い連中に教えたものだ!才気ある者を愛し、人を育てる事が何より得意とする!ああ嬉しいよ、本当に変わっていない。コレが私を置いていって、お前が得た者たちか!!」

 

戸惑う三人。一体誰に話しかけているのかわからない。自分達が眼中にない事だけはわかる。チサトは彼女が見ている存在がわかった。

 

「教えてくれよ、ヴァル。コレが、私を捨ててまでお前がつかんだ者なのか?それほどの価値がこいつらにあったのか?なあ、なんで………」

 

彼の愛称が出てきても、すぐに師を連想する事は出来なかった。普段、彼の本名を呼ぶ事などないし、もうフェイルが彼の名前として定着してしまっていたからだ。

 

「もう誰にも渡さない。お前の全て、私が奪うよ…ヴァリウス」

 

碧の瞳がようやく四人を捉える。帝国最強が確かに敵としてこちらを見据えた。

 

「普段なら拷問室に案内してやるところなんだが、今の私にそんな余裕はない。すぐに答えろ。ヴァルはどこにいる?」

 

答えなければ殺す。そういう殺気が目に宿った。その瞬間、四人の背筋に寒気が奔る。標的が自分達になった事を殺気で感じ取った。

 

「うわぁあああああ!!」

「ばっ!?」

 

臆病ゆえか、真っ先に動いたのはチェルシーだった。ナイフを握りしめ、跳躍する。

 

チサトが止めようとした時にはもう遅い。いつの間にか抜かれていたレイピアは既にチェルシーに肉薄していた。

 

「…………っ!」

 

タエコの剣がギリギリのところでレイピアを逸らす事に成功していた。太刀筋が見えたわけではない。視認できた事は何かが光った事のみ。当てる事に成功した理由はたった一つ。同等の速度を体感した事があったから。

 

次の瞬間、大きく飛び下がる。取った距離は己の間合いから倍以上の長さ。

 

「…………ゴメン」

「集中して」

 

謝罪する茶髪の妹弟子を叱咤する。タエコにチェルシーを責める気はまったくない。この場にいる誰もがチェルシーの行動を間違っているとわかっていながら責められない。極寒の中で身震いが止められないように、圧倒的な恐怖の中、闘気で自身を守ろうとした彼女の行動を誰が責められるだろうか。

 

「よく防いだ。ヴァルによく鍛えられていると見える」

 

初めてエスデスの眼中に弟子たちの姿が入る。僅かながら興味の対象が彼女達そのものに移った。

 

「…………ん?」

 

興味を持ったからか、気配に気づく。怯えや逃走の気配の中、一人だけ異質な気を発している事がわかった。

 

「ほう……」

 

誰もがエスデスから距離を取る中、たった一人だけ自分の間合いから出ていない戦士がいる。艶やかな黒髪を揺らし、紫紺の瞳には敵意と憎悪を漲らせている。

 

「…………エスデス」

 

絞り出されるような声でその名が紡がれる。

 

「私の事を………覚えているか」

「私は弱い者を覚える事はない」

「そうか」

 

言葉が終わるか終わらないかの瞬間、クラムで突きかかる。その速度は凄まじい。常人ならわけもわからず突き殺される速さ。

しかし相手が悪すぎた。余裕の表情でかわす。

 

「この程度では……」「ないに、決まっているだろう!!」

 

一撃目を放った瞬間、ファンはすでに槍を引き戻していた。刹那に重ねられた突きがエスデスの頬を掠めた。

 

信じられないという表情で傷跡を撫でる。そこには僅かに、だが確実に赤い滴が伝っている。

 

「今度は覚えていられそうか?哀れな最強」

「貴様……」

 

恍惚とした笑みが浮かぶ。傷をつけられた事など、相棒を除けばいつ以来か。しかも力量で言えば己より圧倒的に劣る相手に。

 

「私の名はファン!誇り高きバン族最後の生き残りにして、炎狼の三弟子が一人!お前を殺す者だ!!」

 

その言葉を聞いて、碧髪の美女から冷気が立ち上る。怒りが露わになったことが、誰の目で見てもわかった。

 

「…………そうか、お前が………3年前、私の狼を惑わせた女か!」

 

氷の魔神と化した戦士が、戦いの火蓋を切った。

 

氷の柱が荒れ狂う。四人とも何とか反応し、かわすか、逸らすかに成功していたが、それが精一杯。

 

「くそっ!やるしかないか!」

 

先陣を切ったのはタエコだった。腰間の一刀に手をかけ、加速する。スピード、パワー、共に劣る相手に小細工は逆効果。最高最速の攻撃で突貫する。

 

ーーーー竜巻!!

 

脳のリミッターを解除する。師には禁じられた技だが、温存する余裕はない。

 

「光風!!」

 

襲い来る氷の氷柱を斬り伏せる。斬り伏せながらも前に進む。瞬く間に神速に達したその踏み込みは彼我の距離を一瞬でゼロにした。

 

「速いな。だが真っ向勝負は100年……」

 

迎え撃とうとしたレイピアの動きが止まる。いつの間にか巻きつかれていたピアノ線。その先には先ほど無茶な突撃を行っていた茶髪の少女がいた。

 

ーーーーいつの間に……

 

直接巻きつけたのではその瞬間バレる。というか糸を繰り出した時に察知されるだろう。実際武器を拘束した今もほぼノータイムでバレた。糸の拘束が解ける。

しかし、それでもほんの一刹那程度、動きを止める事には成功した。タエコが居合を繰り出すには十分な隙。

 

氷の剣でタエコの居合を受け止める。この顕現速度は流石の一言。3年前より帝具の扱いがかなり上手くなっている。

しかし彼女は気づいていなかった。タエコの後ろでチサトが追随している事に。

 

「ぉおおおおおお!!」

 

掌底がエスデスの氷の剣を砕く。東方の武術、カラテ。皇拳寺拳法と少し似ている。チサトの故郷の戦場格闘技だ。

 

『ーーーーっ!?』

 

地面から唐突に立ち上る氷の剣山。追撃を加えようとしていたチサトとタエコを止めるには充分な威力を持っている。あと半歩踏み込んでいれば串刺しだっただろう。

 

「いやあっ!!」

 

自由になったレイピアで二人を突き殺そうと構えた瞬間、ファンが既にクラムを振るっている。裂帛の気合いで突き出された槍がレイピアを弾いた。

 

「いい連携だ」

 

完璧な呼吸でお互いを守り合う四人の姿を見て感嘆の息を漏らす。何も知らないエスデスがこの連携の見事さを評価するのは当然だが、弟子達にとっては当たり前の事だった。

3年という月日を重ね、同じ師から技と心を学んだのだ。体得した技と呼吸が言葉となり、互いの意思を伝え合っていた。そうでなければあっという間に終わっていただろう。

一対四とはいえ、そこそこ渡り合えている。しかし四人に余裕はなかった。

 

ーーーー消耗が激しすぎる。たった一つの駆け引きにこんなに体力を奪われるなんて…

 

何か一つでも間違えれば即死に至るギリギリのやり取り。緊張感は計り知れない。一撃繰り出すのにこんなに疲れたのは初めてだった。耐えられているのは実戦経験の豊富なタエコとチサト。怒りが身体を上回っているファンの三人。既にチェルシーはもう肩で息をしている。この四対一の状況、長くは保たせられない。そしてこちらは誰か一人でも欠けた瞬間、終わる。

それはエスデスから見ても明らかだったのだろう。狂気の笑みを浮かべ、今度は向こうから仕掛けてくる。

 

「くっ、このぉ!!」

 

チェルシーが糸を張り巡らせ、突撃を防ごうとするが、時間稼ぎにもならない。

 

ーーーーならば……

 

身体を相手に対して半身で構え、腰を落とす。殺気を思い切り叩きつける事で相手の動きを縛り、後の先を取るカウンター剣技。

 

「花風……よらば斬る!」

「無駄だ」

 

構えを見ただけで技の全貌を見抜いたエスデスは無数の氷柱を顕現させる。

 

「ヴァイスシュナーベル」

 

氷の槍がタエコ目掛けて一斉に飛翔する。

 

「グッ……ぉおおおお!!」

 

前方から押し寄せる無数の氷の礫。何とか全て斬り伏せるが、こうなっては後の先もクソもない。太刀を振り切った状態で完全に無防備になってしまう。

 

「まず一人」

 

突き出されるレイピア。しかしそれはタエコではなく、別の何かに向けて振るわれていた。金属音がなる。地に落下したのは一振りのナイフ。自分に向けて投げられた物の正体を見たその時、ターゲットがタエコからナイフを投擲したチェルシーへと移った。

 

「そのナイフ、なぜ貴様が持っている」

 

チェルシーが隠れていた場所に瞬時に現れる。逃げる間も隠れる間もなかった。

 

「そうか、ヴァルからもらったのか」

 

鋒が目の前に突きつけられる。もう糸も使い切った。チェルシーに戦う術はない。

 

「動くな!動いた瞬間、こいつの頭を串刺しにする」

 

チェルシーを救うべく動こうとした三人の動きを一言で硬直させる。逆らえば彼女は本気でやる。その事を三人は本能的に察してしまった。

 

「ヴァルの居場所を答えろ。そうすればもう少し生かしておいてやる」

 

寒気が走るほど冷たく、美しい瞳がチェルシーに向けられる。逆らえば死。待ち受ける自分の未来を察するには充分な冷たさだ。

 

「ごめんなさい、先生」

 

彼の居場所を言ってはいけない。言えばきっと師匠は殺される。しかしこのままでは自分達が死ぬ。チェルシーから出た謝罪の言葉は自分に屈した言葉だとエスデスが取ったことは当然と言える。

その緩みがチェルシーに背中に携えていた長剣を掴ませることを成功させた。

 

「私………此処で死ぬかも」

 

震える手でバーナーナイフを構える。謝罪の言葉は師の教えに背くことへの謝辞だった。

 

「そうか、なら死ね」

 

レイピアが振り上がる。

 

「燃えろぉおおおお!バーナーナイフぅううーー!!」

「無駄だ。貴様のような弱い奴に扱える代物では……」

 

言葉が止まった。突如左右から現れた影がチェルシーに飛びつく。二つの影はチェルシーの手を握っていた。影の正体ははタエコとファンだった。

二人の行動にエスデスが気付けなかったのは二つ理由がある。

 

一つはもちろんファン達が気配を絶って動いていたから。その手の技術は師に真っ先に叩き込まれた。隠密起動に関して、彼女達はトップクラスといえる。

それでもエスデスを攻撃対象とした動きだったなら、彼女はすぐに気づいただろう。しかし、そうでなかったことが二つ目の理由。ただ、チェルシーを支えるための行動。三人の絆がエスデスの死の鋒を逸らしたのだ。

 

「私たち一人一人じゃ無理でも……」

「三人なら……届くでしょ」

「貴様っ……!?」

 

レイピアを繰り出すがもう遅い。長剣から炎が湧き出る。ヴァリウスのように制御もコントロールも出来ていない。ただ撒き散らされるだけの赤い炎。未熟も未熟な帝具の使い方だ。

けれど、そんな未熟な炎でも壁には充分なる。摂氏六百度を超える熱き光はエスデスにバックステップを強いた。

 

ーーーーだが所詮一時しのぎ!

 

エスデスの肢体に氷がまとわりつく。バーナーナイフの炎をデモンズエキスの氷で相殺できることは3年前、既に実証済み。炎に突貫し、殺す。この程度の炎なら充分可能だと判断した。その想定は間違っていない。

 

しかし、三人が作り出したこの数秒が、この場にいる全員の………いや、帝国の未来をも動かした。

 

「下手クソ」

 

声が聞こえる。ある者は三年間、弟子達は三日間聞いていなかった、慣れ親しんだ愛しい人の声。

 

「ーーーーっ!!」

 

その声に向けてエスデスはレイピアを突き出した。返ってきた手応えはフワリとした感触。

 

ーーーーコレは……

 

今エスデスが繰り出したのはただのレイピアではない。帝国最強の混じりっ気なしの本気の一撃だ。それをこうも容易くいなせる者などそうはいない。しかもそれは弾くような乱暴なものではなく、エスデスの腕さえ気遣うような、柔らかい受け方だった。

 

ーーーーこんな事ができるのは……!

 

歓喜の笑みがエスデスから溢れる。炎のカーテンの向こうから現れたのは火に負けないほど紅い緋色の髪に紅玉の瞳。エスデスが三年間、そして弟子達が三日間待ち続けた顔だった。炎が剣に収束していく。真の主を得た魔剣の炎は彼に付き従うように纏われていく。

 

「こうやるんだよ、魔法使いの弟子。まあ魔法が使えただけ努力賞くらいはくれてやる」

「お師様!」

 

三人の少女を守るように前に立つ。紅玉の瞳はしっかりとかつての親友を捉えている。

 

「待っていたぞ、私の人狼!」

「お前の間違い(フェイル)を伝えに来たぞ、エスデス」

 

役者は揃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お気に入り千件突破しました。読者の皆さま、ありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願いします。最後までお読みいただき、ありがとうございました。ついに再会してしまった魔神の炎狼。死闘の末、導かれる未来は……次回で墓守編終了となります。オリジナル編を挟んで無印に突入しますので宜しくお願いします。
励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第三十一罪 二つ目の約束を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の闇のなかを風が吹きすさぶ。

一年中雪が降る地、北の辺境。

危険種を狩り、その素材や食物で生活する二つの異民族が存在する。そのうちの一つであるパルタスの少年が一人、闇の中で息を潜めていた。

北の辺境には国境がある。

一つは帝国との国境。もう一つはそれぞれの異民族の国境だ。

後者の国境周辺で少年は危険種を狩るべく待ち伏せをしていた。

走っているのはスノウリザードの集団。階級は一級危険種。大人でもそう簡単には狩れない強い危険種だが、少年には関係ない。

走ってくる一頭に馬乗りになり頸動脈を手に持ったナイフで切り裂く。

一撃で絶命し、他のリザード達は何処かへと逃げて行った……

どうやらこいつがこの集団のボスだったらしい。

 

「あーー!!逃げちゃった~~!!ちょっと君!!なんて事すんのよ!?」

 

少年と同じ様に待ち伏せしていたんだろうか、岩陰から可愛い女の子が出てきた。歳は少年より少し上に見える。青と緑が混ざったような長い髪をしている。

 

「お姉ちゃん誰?僕君に何もしてないけど…」

 

防寒用の帽子を取り、はっきりと顔をみせる。白い毛皮のハットから現れたのは周囲の白に逆らうかのような緋色の髪に紅玉の瞳。まるで炎が人の姿になったかのようだ。

 

「君のせいで狙ってたリザードの集団逃げちゃったじゃない!!今日はお父さん達は何処かへ大きな狩りをしに行っちゃったからご飯は私が捕まえなきゃいけなかったのに~!!」

 

ナイフを片手に地団太踏む女の子。

スノウリザードをこんな華奢な女の子が一人で狩るつもりだったのだろうか……少年は若干呆れる。無茶にも程がある。

 

「お姉ちゃんそんな事しなくて正解だったと思うよ?あのリザードはすっごく強くて危険なんだ。君じゃ殺されちゃってたよ」

「え?何いってんの?あんな奴ら敵じゃないよ。私特級危険種のエビルバードも一人で狩ったことあるもん」

 

特級危険種……今のトカゲより遥かに強い危険種だ。

 

ーーーーこの子可愛い見た目に反してすっごい強い…

 

「君の方こそ意外だったなぁ。私より年下っぽいのにあいつら狩れるなんて……貴方、パルタス族よね?名前は?」

 

纏っている衣服の紋章から、彼が自分と同じ狩猟民族であることを読み取った。同じ事を少年もしている。彼女が纏うキルトの刺繍はパルタス特有のものだ。

 

「ヴァリウス。君は?」

「私はエスデス。長の娘で、いずれ貴方の長になる女よ」

 

エヘンと小さな胸を張る。狩猟民族の長に女がなるなどあまり聞かない話だが、パルタスの唯一の正義は強さ。これほどの強さがこの歳であるなら、確かにない話ではない。

 

「じゃあ僕が一番の臣下だね」

「シンカ?なにそれ」

「部下の事だよ。君のお父さんにもいるでしょ?」

「…………聞いたことあるかも。お前は俺の右腕だ、とか」

「そうそう、それだよ」

「私の右腕はコレだよ。貴方じゃないよ?」

「キミ強いんだろうけど、知識が足りてないねぇ」

 

自身の右腕を掲げる彼女を見て笑いが溢れる。しかし仕方のない事でもある。自分にはなぜか手元に本があったから学べたが、こんな北の辺境でまともな教育など受けられるはずがない。

 

「我が主よ、御食事にお困りなのではないですかな?」

「別に困ってはないけどまた獲物探すのは面倒かな」

「では臣下として初めての忠義としてこちらの獲物を献上致しましょう」

「ホント!?賛成賛成!一緒に食べよう」

 

そして僕らは山合いの風があまり吹かない場所へ行き火を起こして肉を食べた。

そこで一緒に他愛ない話をする。最近狩った獲物の話。大トカゲの素材の取り出し方のコツ。色々話した。

 

「君は面白いね。物知りだし、強いし」

「少なくとも今は君のが強いよ。」

 

多分事実だ。特級危険種は狩れなくはないが一人でやるのは相当辛い。でもこの子は難なく一人でやっているそうだ。

 

「ねえ、君には友達っている?」

「まあ、何人か」

 

頭の中に知り合いの顔が浮かぶ。いい奴、悪い奴、様々いた。

 

「私にはね、一人もいないんだ」

 

表情に少しだけ寂寥を滲ませて呟く。そうなる気持ちも理解できた。この歳で特級危険種を屠れる強さを持つ少女だ。近寄りがたく思ってしまうのも無理はない。人とは普通と異なるものを受け入れる事は容易にできない。人前で狩りをする時はヴァリウスも擬態をしていた。

 

「別にそれが寂しいとは思わない。弱い者は強い者についていけない。私は特別だってことも知ってる。でも……」

 

やっぱりちょっとつまんないよね

 

一人で上り詰める快感も否定はしない。けれど競い合う相手がいない事はつまらなかった。その事も少年は理解できる。友達付き合いも確かにあったが、素の自分を晒した事は親にさえない。

 

「時々感じるんだ。私がこの世界の人間じゃないみたいな……この世でたった一人みたいに感じる、変な気持ち。別に痛みも苦しみもないけど、ちょっとつまらない」

「な、ならさ!」

 

立ち上がる。同じ思いをしている少女に、何かを言わずにはいられなかった。この子と自分は似ている。二人とも特別で、自分に仲間なんていないと本気で思っていた。

 

「僕が君の友達になるよ!どんな時でも、君がどんなに先に行ってしまったとしても、僕が君も一緒にいてあげる……それで」

 

僕が君を助けるよ

 

「そうだね、君なら出来るかもね。強いもんね」

 

少女が笑顔を見せる。笑った顔は年相応の可愛らしい女の子だった。

 

ーーー約束ね?

ーーーうん、約束!

 

二人は指切りをした。数日後、二人は許嫁として両親に引き合わされ、再会する。そして約束通り、10年以上の時を二人は片時も離れず、共に過ごす事となる。戦う時も、食事をとる時も、眠る時も。比喩ではなく、二人は片時も離れることなく共にいた。

そして現在も、その約束は破られていない。二人は今確かに離れ離れとなっているが、誰よりも先を走り続ける彼女から、彼は今も決して置き去りにはされていない。

そして二つ目の約束は10年以上の時を経て、果たされる事となる。

死もまた救いである事を、多くの戦場をくぐり抜けてきた二人はもう知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首筋の傷が焼け付くように痛む。ヒリヒリとした痛みがヴァリウスに襲いかかっていた。

 

ーーーーああ、くそ。やっぱ当たるな、嫌な予感は。

 

ヴァリウスをもってしても危険と言わざるをえない状況。しかし、最悪の状況ではなかった。弟子達が誰一人命を失っていない。かなりギリギリだったようだが、間に合った。

 

「やっと会えたな、炎狼のヴァリウス。まさかこんな所でとは思わなかったが………いや、だからこそ、私たちは運命というわけか」

「…………」

「しかし流石だな、元エスデス軍副将軍、ヴァリウス。先ほどの受け、見事だった。変わっていないようで嬉しいよ」

 

耳慣れた、けれど久々に耳にする北の辺境特有の美しい発音が耳朶を打つ。確かに3年という時が経った。久々と感じて何らおかしくない時の長さ。しかし共にいた時間と比べれば遥かに短い期間。それなのに、この三年は二人にとって己の人生と匹敵する長さだった。

 

ーーーー変わってないなぁ、お前も……

 

変わらぬ長い碧色の髪。まだ上があったのかと思えるほど、凄まじく綺麗になった姿。何もかも鮮明に覚えている。忘れられるはずがない。

 

「貴方は……少し弱くなったのではないですか?将軍」

 

迫り上がる恐怖から逃れるために、そして自分が平静を取り戻すために、持って回った言い方をする。

 

「なんだ、悲しいな。昔のように、エディと呼んでくれよ、ヴァリー」

 

子供の頃の自分の愛称を口にされ、眉が引きつる。彼の事をヴァルと呼ぶ人物も少ないが、この呼び方を知っているのは間違いなくエスデスだけだ。

 

「なんだ、やっぱりコレは気に入らないか?」

「…………まあな」

「そうか。だがしばらくはこの呼び方をさせてもらうぞ。なにせ3年だ。少しは嫌味も言わせてもらう」

 

それを言われるとぐうの音も出ない。あの夜、心から信頼してくれていた親友を裏切り、傷つけたのは紛れも無い事実だ。

 

「師父……」

「先生、やっぱりこの人が……」

 

目の前の人物について、弟子達はとっくに心当たりが付いている。それでも、生で見るのはファンを除いて初だ。

 

「エスデス軍将軍、エスデス。かつて戦場を共に駆け抜け、背中を預けた俺の相棒。俺の元上官にして、俺が知る限り、最強の帝具使いだ」

 

彼の紹介を聞き、妖しく口角が上がる。彼の打算のない自分への評価が嬉しかったのだ。

 

「輝かしい黄金の日々だな。たった3年だが、今では全てが懐かしいよ」

「鮮血の日々の間違いだろうが」

 

伏魔殿の帝国でのし上がるために、築き上げた首の山は明晰な二人の頭脳を持ってしても、数え切れない。

 

「それも否定はせん。だがそれだけではなかった。少なくとも、私にとっては」

「…………………」

 

ほんの少し、悲しみを交えたエスデスの言葉にヴァリウスは答えない。彼女に嘘はつけないからだ。しかしその言葉を肯定するわけにもいかなかった。人を殺し、己の心を殺す日々を認めるわけにはいかない。

答えないヴァリウスに対して悲しげな笑みを浮かべ、視線は彼が守るように後ろにかばう四人の弟子達に向けられた。

 

「そいつらがこの3年でお前が得たものか?確かに中々面白い連中ではあった。お前の弟子を名乗るだけはある」

「…………」

「しかし恨み言は言わせてもらうぞ。私を置いて他の女を選んだ挙句、身を隠すとは……繊細な私の心は傷ついたのだぞ?どうしてくれる」

 

ーーーー繊細って……

 

危険種でも素手で平気で殺せるお前が何を言っていると言いたいが、何とか堪える。先ほどエスデスが言ったことは紛れもなく事実だ。

 

「俺を殺す権利は、まああるだろうな」

「まさか、謀反を起こされるのは主の罪だ。そのことに関してお前を責める気は毛頭ないさ。あの夜は実に楽しかった」

 

だから、と一歩前に出る。威風堂々とした支配者の佇まい。その圧倒的なオーラに弟子達は呑まれ、ヴァリウスは戦慄した。

 

「もう一度、私の元に戻ってこい。炎狼のヴァリウス」

 

衝撃が全身を貫いたが、驚きはさほどない。予想出来る言葉の一つではあった。

 

「我が軍門に戻ってこい。私たち二人で、全てを手に入れるために!」

 

手をこちらに差し出す。本当に変わらない、不遜とも思える傲慢な立ち姿。しかしそれを不遜と思くことはヴァリウスには出来なかった。やはりこの魔神は誰より強く、そして美しい。

 

「敵前逃亡は重罪だ。時効はない。俺が作った軍律だ。俺は元々オネストには煙たがられてる。あいつは喜んで俺を銃殺刑にするだろうよ」

「心配するな。ヤツも私の力を欲している。戦力が増えるなら歓迎するさ。実際、今のお前の後釜はその優秀さ故に死刑になるところを拾った男が主となって勤めている」

「…………俺はお前を斬った男だぞ」

「飼い犬に手を噛まれたくらいで慌てていては、優れた猟犬は飼い慣らせんさ。あの夜、お前と交わした剣戟、百三十八合一つ一つが私の宝だ」

 

ーーーーアレを宝と言えるのか、お前は…

 

ヴァリウスにとっては今までのどんな剣より辛く痛かったというのに。

 

「無論、そこの四人……一人は見覚えがあるな。その四人も手厚く保護しよう。何ならウチに入れてもいい」

「エディ、やっぱり俺はもうお前の下にはつけないよ」

 

エスデスにとっては、彼の事を考えた上での譲歩だったのだろうが、完全に裏目だった。この四人をあの伏魔殿に入れる?そうさせない為に弟子にしたというのに、そんな事になってしまっては本末転倒だ。それならここで殺された方がまだ良い。

 

握った剣に力がこもる。同時に発するfightの気。お前との話はもうここまでだと宣言した。

 

「イイぞ、それでこそだ。それでこそ我が人狼と呼ぶに相応しい。ああ、嬉しいよ。その気高い魂は失われていなかったのだな。私の元を離れたから、ソレがあるという事実は少し複雑だがな」

 

碧髪の魔神もレイピアに力が篭り、威圧感は空を覆った。並の使い手では殺気が強すぎて動く事も出来ないだろう。

 

「お師様……」

 

不安げな声が背中から聞こえる。先ほど自分達が戦った時とは比べ物にならない圧倒的な本物の殺気に身体が竦んでいる。言いつけに背いた事への後ろめたさもあるのだろう。表情には恐怖と申し訳なさの二つが混ざっている。タエコやチェルシーも同様だ。チサトは後悔の色がさらに濃い。

 

ヴァリウスに叱る気はなかった。確かに命令を守らなかった事に関する怒りはある。しかし今は生きていてくれた事への賛辞がソレを上回った。

 

「まったく、俺が戻らなかったら帰れって言ったってのによ」

「っ!……ごめんなさ「俺に謝ったって仕方ねえだろうが」

 

ビクッと震える。聞こえたのか、二人も同様の反応を見せた。

 

「…………よく頑張った」

 

確かに出しておいた指示は守らなかった。だが教えは守った。絶望的な戦力差のある相手に対しても、生きる事をあきらめなかった。

 

ばっと顔が上がる。その表情を確認する余裕はなかった。視線はもうエスデスから外せない。

 

「最後の命令だ。逃げろ」

「な、なんで!?私達も一緒に戦います!五人でやればきっと…」

「言わせるな」

 

苛立ち混じりの声が響く。足手纏いと言いたくなかった。この子達のおかげでこの三年間、自分のままで生きてこられたのだから。

 

「早く行け。俺も後で追いつく。それとあの拠点はもう引き払え。その後はどこへなりともいけ。お前達は自由に生きるんだ」

「でも!………でも」

 

私は、まだまだ半人前で……だってホラ、こんなに弱いのよ?四人がかりでかろうじて渡り合うのが精一杯で……

 

師に縋り付く弟子を仕方ないなと言わんばかりの目で見つめる。艶やかな黒髪に手を置いた。

 

「お前達に言う事はもうねえよ。教えられる事は全て教えた。あとは自分自身で成長するんだ。お前達は今日で卒業だ」

「お師様……っ」

「これ以上「約束したじゃないですか!」

 

遮る。涙まじりの声が続いた。

 

「いつか貴方より強くなって、私が貴方を殺すって……それが私たちの絆だって……」

 

自分の仇であり続ける事で、彼女に生きる意志を与え、彼女を強くした。

ずっと自分を守ってくれた。ずっと自分と一緒にいてくれた。厳しくも、愛情を持って育ててもらった。

 

「もう貴方は私の家族なんです!大切な事をたくさん教えてもらった、かけがえのない人なんです!それなのに……こんな所に置き去りにしろって言うんですか。こんな所で見捨てろって言うんですか!そんなこと……」

 

出来るわけないじゃないですか。

 

最初は仇だった。この男を利用して、強くなるつもりだった。それが……

 

3年の思い出が脳裏に蘇る。手取り足取り、戦い方を教えてもらった。喧嘩もいっぱいした。同年代の仲間が出来て、楽しく修行出来た。病気になった時、寝る間を惜しんで看病してもらえた。

 

仇であったこの人を、憎むどころか、愛してしまった。

もう、この人なしで生きていくことなんて、考えられない。

 

仕方ないなと笑う。出来の悪い弟子を見る師匠の目。この三年間で何度も見てきた、彼の優しい目。

 

「それが聞けただけで……俺はもう充分だよ、ファン」

「お師……さま」

「行け、ファン。今度こそ俺の家族を守らせてくれよ」

 

トンと手刀を下ろす。倒れるファンを優しく抱きとめた。

 

「チサト、後の事は任せる。こいつらを頼む」

「…………positive」

「タエコ。三人の核はお前だ。力の使い方を間違えるな」

「…………ヴァリウス」

「チェルシー。お前の能力の高さは俺が保証する。だが自分の力を過信するなよ?自信を持つことと、自分を高く見積もることは違うぞ」

「…………先生。帰ってくるよね。あの家に」

 

涙ぐむ彼女に首肯を返す。聡明な彼女は半分以上師の嘘に気づいていた。しかし、己の中の揺るぎない最強が負ける姿が想像できなかったことが唯一の縁だった。

 

「話は終わったか?」

 

碧髪の美女が口を開く。どうやら別れの言葉くらいは言わせてくれたらしい。

 

「なんだ。待っててくれたのか」

「弱い奴に興味はないからな。貴様もそれ、サッサとどけろ」

 

後ろの四人を指差す。もう闘いたくて仕方ないという顔をしていた。

 

「行け、これ以上俺を困らせるな」

「信じています。先生」

 

四人の姿が掻き消える。見えなくなった事を確認し、炎狼はエスデスに向き直った。

 

「…………戦う前に、一つだけ聞いておきたい」

 

バーナーナイフを鞘にしまう。これを聞くまでは戦わないという意思表示。丸腰の彼と戦うわけにもいかない。エスデスも戦闘態勢を解いた。

 

「お前は……自分をなんだと思っている?」

「…………?」

「帝国に仕官する将軍か?兵士か?それとも戦士か?それか……狩人か?」

 

人間にはその人物を成す核が必ず存在する。それが強固であればあるほど、その人物は手強い。

ヴァリウスは狼。仲間を守り、仲間を育てる、集団の長だ。

 

「…………狩人だな」

 

十ほど数える間で、考え、出した答えは最後者。彼女の根幹をなしてきるのはパルタスの誇りだった。

 

「私は確かに戦士で兵士だが、そうである前にやはり狩人だ」

「………そう答えると思っていたよ。俺もやっぱりパルタスだから」

 

どれほど力をつけても、立場が変わっても、流れる血は変わらない。彼にも純度の高い狩人の血が流れている。

 

「なら、もうよせ、エディ」

「何をだ?」

「狩りってのは増えすぎた野生種を間引き、適正な自然環境を守る為に行われる自然保護の行為だ。いたずらに弱者の命を狩ることでは断じてない。それが俺たちパルタスの誇りのはずだ」

 

狩る相手は強き者。パルタスの前に立つのは強者のみ。野生においては弱肉強食。しかし我らは強肉強食。それが彼らの教えであり、矜持だった。

 

「エディ、自分を狩人だというのなら、その誇りを失うな。矜持を無くすな。それを失えば俺たちは屍の上に立つただの殺戮者だ。狩人(オレたち)はそれになってはいけない」

 

真摯に言葉を紡いだつもりだった。言葉足らずも、己の中の意志を懸命に伝えたつもりだった。

けれども、氷の女帝から返ってきたのは冷笑のみ。

 

「らしくもないことを言う。弱者などただ淘汰されるのみ。私達が狩ろうが狩るまいがそれは変わらん。戦いの中で生き残るのは屍の上に立つ強者のみだ。私は選ばれた。そしてお前も選ばれた。神に、そして私に!最後だ。私と共に来い!ヴァリウス!」

 

ーーーー…………やるしか、ないか

 

目に力がこもる。戦意の炎が宿り、男は一匹の狼と変貌した。

 

「悪いがこの国にもう一度仕える気も、お前の狼に戻る気ももうない」

「私ももうお前を逃すつもりなど、ない」

 

そして女神も彼の記憶のままに、戦士と化す。冷たい殺気と燃える殺気がぶつかり合った。

 

「15分……」

「?」

「あいつらが確実に撤退するために必要な時間だ。連中の足なら15分あれば充分に逃げ切れる」

 

その言葉を聞いて、彼の意図を理解する。一対一の戦いを好む彼だが、最強のヴァリウスは背中に守る者がいる時。そのことをエスデスは知っていた。

 

「今から15分間、確実に俺は強いぞ」

「そうでなければな!さああの夜の続きを始めよう!私の人狼。そうでなければ私たちは始まらない!」

 

一度目を閉じ、深呼吸する。3年前は半分錯乱状態で戦った。だが今は違う。明確に、自分の意思で戦おうとしている。彼女と剣を交えるには色々な意味で覚悟が必要だった。

 

もう脳裏に思い出は蘇らない。過去との決別は3年前に済ませた。今思う過去はたった一つ。初めて出会った時に交わした、二つ目の約束。

 

『僕が君を助けるよ』

 

「あの雪の夜の約束を、今こそ果たそう、エスデス」

 

弱者は死に、強者が生き残る。それも真実ではある。しかし絶対ではない。自分達の根に巣食っているこの間違った信仰から彼女を救う。

 

たとえそれが死という形であったとしても。

 

「行くぞ」

「来い」

 

三年の時を経て、氷と炎が再びぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ついに再び二人が激突します。墓守編、終わらなかったorz。今度こそ次回で終わらせます。励みになりますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第三十二罪 炎狼のとっておき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓の内部に破砕音が木霊する。行われている戦闘の激しさを物語っていた。

 

ーーーーなんだ、こいつらは……

 

首に多くの骸骨をぶら下げた老人は思う。此処にきてしまった事の後悔を。

侵入者が現れたという報告を受けた彼はその打倒の為に自身の部下を何人か送ったのだが、結果は全滅。

仕方なくリーダーの自分が討伐に出向いていた。現役は退いたとはいえ、まだまだ高い実力を持っている。特に接近戦においては絶対の自信を持っていた。

 

意識が遠のく中で、一際大きな破砕音が聞こえる。誰かが壁に叩きつけられたようだ。

 

瓦礫の中から男が出てくる。若い。歳は二十歳そこそこといったところだ。燃えるような赤い髪に紅玉の瞳。額からは鮮血が流れている。どうやら叩きつけられたのは彼らしい。

対峙しているのは彼と対照的な色を纏った軍服の女性。氷を思わせる碧髪碧眼。軍帽には斬撃の跡が刻まれている。

 

常人なら死んでいてなんらおかしくない……事実自分は致命傷だったというのに、男は何事もなかったかのように女へと跳躍した。

 

ーーーーあの一撃を受けて、どうして平然として……

 

秘術を使っているわけではない。なんらかの人工的な強化を施されている様子でもない。信じられないタフネス。モデルは熊。白兵戦において哺乳動物では最強に位置し、耐久力は長に次ぐとさえ言われている自分が耐えきれなかったというのに。

 

得意の白兵戦に持ち込み、二人まとめて始末する腹だった。

しかしそれは実現することなく、終わる。

気が付いた時にはもう彼の心臓はなくなっていた。体から血とともに魂が抜けていく。薄れゆく意識の中で見えたのは、優れた動体視力を持つ墓守の目を持ってしても捉えきれない凄まじい速度の剣戟。

 

そう、この墓守は二人の剣戟の余波だけで胴体をなくしてしまうダメージを受けたのだ。

 

ついに意識が闇に落ちる。墓守最後の実力者は絶命した。

 

断っておくが、彼は決して弱くない。墓守の中でも有数の強さを持つ。接近戦においては長に次ぐだろう。

ただ、単純にこの二人が桁外れに強いのだ。

 

甲高い金属音が鳴り響く。剛の一撃のぶつかり合いにより、二人の体が弾け飛ぶ。

男の頬からは一筋の血が伝う。女は無傷。

 

余波のみで人を殺せる帝国最強の戦い。まだまだ始まったばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦いは熾烈を極めた。能力も太刀筋も知り尽くした二人の全力を尽くした決戦が展開されている。

野生の牙と必殺の剣舞が交錯する。幾度となく攻守が入れ替わり、正面から激突した。

まさに3年前の再現………と言いたいところだが現実はそうではなかった。凄まじい攻防の末、競り負けるのは決まって緋色の狼。何度目かの炸裂音が彼を吹き飛ばす。今度は空中で態勢を立て直し、着地した。額を伝う血を拭う。

 

「流石に強いな」

 

一分の隙もなく構えるヴァリウスを見て、魔神の口角が上がる。二人ともあちこちに擦過傷のような傷が出来ている。頭の血は派手に見える分、ヴァリウスの方が深そうではあるが、損傷の度合いに大きな差はない。

一撃が致命傷となる死闘の中で、二人は一見互角の戦いを繰り広げているように見える。

しかし、それは誤りである事を知っていたのは当人同士のみである。この差は三年という時の使い方の差だろう。

 

ヴァリウスは半身になって細身の剣を碧髪の女性の眼前に突きつける。まだバーナーナイフの能力は起動させていない。そしてそれはエスデスも同じであった。

カツン、と小石の音がなる。二人の姿が掻き消えた。

 

「ガッ!?」

 

剣尖が交錯し、血飛沫が舞い上がる。脇腹が消し飛んだかと思うような刺突がヴァリウスを掠めた。逸らす事には成功していたというのに。

 

態勢を瞬時に立て直し、目の前に迫る極死の斬撃を防ぐ。コンマ1秒の遅れが死をもたらす戦闘の中、紅髪の戦士が思ったことはたった一つ。

 

ーーーー強い!

 

最初は互角に見えた二人の戦いだったが、じりじりと彼我の差が現れ始める。押されているのは3年前、勝利を収めた狼だった。

 

「いい動きだ。衰えていないな、ヴァリー」

 

賞賛しつつも、彼の記憶より重く、早く、強い攻撃が繰り出されていく。ヴァリウスの体は少しずつ、だが確実に刻まれいった。超高速で繰り出される怒涛の斬撃を奇跡的に凌いでいたが、劣勢なのは認めざるをえない。

 

ーーーーどんどん速くなってやがる!俺もまだ余力はあるが、温存してる量は明らかにエスデスが上!

 

この洞察は間違っていない。隠している実力に差があるのは明らかだ。

 

「ついて来いよ、私の炎狼。こっちはようやくあったまってきたところだ」

「俺もだ」

 

既に常人なら生涯たどり着けない境地で戦っている二人だが、その言葉に嘘はない。お互いまだ帝具の力は使っていないのだ。

エスデスはまずは純粋な力量での勝負を望んだ。そしてそれはヴァリウスにとっても望むところ。自分たちが本気で帝具を使えば周囲への影響は計り知れない。まだ遠くには逃げてないであろう弟子たち。そしてまだ墓の中にいるアカメの事を考えても、異能の力は使わないほうがいい。

それに全帝具でも五本の指に入る性能を持つバーナーナイフだが、筆頭に位置するデモンズエキスに比べればその格付けは若干落ちる。地力の勝負の方がまだ拮抗して戦えるというヴァリウスの計算だった。そしてその計算は間違っていない。

 

たった一つの誤算を除いて…

 

ーーーー強くなっている!3年前より、まだ上があったのかと思えるほどに!

 

刺突を受け流す。引きと同時に踏み込み、横薙ぎに剣を振るった。並の相手ならとっくに一刀両断だが、彼女は並の秤を軽く超えている。あっさりと間合いを取られ、かわされた。

 

「ふむ、私の攻撃をここまで見事に防いだものなどこの3年で一人もいなかった。ああ嬉しいよ。変わらぬお前でいてくれたことが、私は嬉しい」

 

一瞬で2度の突きが繰り出される。ほぼ同じ軌道で繰り出された2段突き。二つ目の突きがヴァリウスの頬を掠めた。鮮血が舞う。

かつて互角だった力量には今や明らかな差が出ていた。この差は過ごしてきた時間の使い方の差。後進の育成に力を注いでいたヴァリウスに対し、エスデスは常に最前線で戦い続けていた。最強クラスにおいて、この差はあまりに大きい。

怠けていたウサギに対し、勤勉なウサギは走り続けていたのだ。

 

「ゆえに願うよ。炎の狼が私の元で再び傅く事を」

「その狼はもう死んだんだよ!」

 

防戦に回りつつ、喰らいつく。確かに彼我の実力はあちらが上だが、ついていけないというほどではない。ならば駆け引きで充分に対抗できる。

 

「ああ、懐かしいなヴァル!私たちはいつもこうだった!」

 

エスデスと戦う時、才覚で劣るヴァリウスは基本的に受け身。格下が格上を打倒する戦法の一つ、カウンター。洞察力に優れるヴァリウスが得意とするスタイル。稽古を含めれば、エスデスとは数え切れないほど刃を交えてきたヴァリウスだが、彼女と戦う時はだいたいこのスタイルだ。

 

「私がオフェンス、そしてお前がディフェンス。一見すればお前が押されているように見えるが、ほんの僅かの緩みでこちらの首が喰い千切られる。素晴らしい緊張感だ。やはりお前との戦いは楽しい」

 

取っている戦術は真逆だが、二人ともスペックは似ている。パワーでも、テクニックでも十二分に戦えるが、どちらかというとスピードよりの万能型。しかし取っているスタイルは真逆。コレはコンセプトの違いだった。

エスデスの思想は【攻撃こそ最大の防御】。攻めとは野生の戦術。相手が攻めることが出来ない状況にあれば攻められることはない。そして攻めずに獲物を狩れる筈がないという信条。彼女は防御すら攻撃のために行う。才能を磨き上げてきた戦士の戦い方。

ヴァリウスの理念は【防御こそ最大の攻撃】。防御とは達人の戦術。攻撃は動物でも出来るが、防御は熟練にしかできない。相手の取れる戦術を全て潰せば敵は丸裸になる。防御により詰め将棋のように追い込んでいくことこそ最大の攻撃だという信条。己と技倆を磨き上げてきた男の戦い方。

どちらも正しく、どちらも優れた戦術だ。甲乙はつけがたい。

 

だがそれでも……今はヴァリウスの分が悪い。

 

「防戦一方では決して勝てんぞ。さあ、どうする炎狼。さあさあさあ!ここから如何にひっくり返す?」

 

レイピアの一閃が再び頬を掠める。この瞬間、ヴァリウスはスピードで対抗するのを諦める。剣を腰だめに構え、踏ん張った。

この構えをエスデスには見覚えがあった。

 

「…………さっきの女の技……抜刀術か」

 

花風、寄らば斬る。カウンター剣技。タエコの技だ。しかし使い手が違えば技の威力は大きく変わる。

 

「面白い」

 

レイピアを胸元に立て、突きの構えを取る。突進術の構え。レイピアという武器の特性を最大限活かす構えだ。

 

「私の火力が勝るか……お前の技が勝るか……勝負といこう」

 

その呼びかけに応えられる余裕はない。彼の全神経は、今エスデスの一挙手一投足に注がれていた。

 

エスデスの姿が掻き消える。刹那遅れてヴァリウスも。数瞬後、交錯し、現れた二人は互いの武器を振り切った状態で停止していた。

 

緋髪の男が崩れ落ちる。肩に巨大な切創が走っていた。

 

「さすがだ。間違いなく心臓に突き刺さる筈だった一撃が、見事に逸らされた」

 

振り向いたエスデスの胸元にも斬撃の跡が奔っている。だがヴァリウスと比べ、その傷跡は明らかに浅い。

 

誰もが視認できない超高速の空間の中、突きかかるエスデスのレイピアをヴァリウスは抜刀術で捉えてはいた。しかしヴァリウスの想像を上回る突きの威力でバーナーナイフの剣が弾き飛ばされたのだ。武器破壊に失敗したヴァリウスは瞬時に切り返し、エスデスの腕への攻撃に切り替えた。瞬時に狙いを察したエスデスは斬撃の軌道を変える事でかわしてみせたのだ。

 

どれだけのフェイント、技術を入れただろう。どれだけの力をこの刹那に込めただろう。けれど……

 

ーーーー届かないっ……

 

力も、速度も、技も、今の魔神の強さには届かない。

エスデスも同じ感想に至ったらしい。

 

「狼と狩人。どちらの力量が上か、それはもうわかった。ではそろそろ、魔神となるとしよう」

 

エスデスの周囲が舞い上がる。冷たい波動が空間を支配した。

 

ーーーーついに来るか……

 

バーナーナイフを握りしめる。死闘が加速する覚悟を決めた。

 

「さあ、私を見ろよヴァル。強くなったと見惚れるがいい」

 

ドクンと一つ、心臓がなる。熱くなる体と裏腹に下がる気温。纏わりつく冷気。魔神に付き従うかのように、氷が彼女に纏われていく。大地が鳴動し、壁面が凍りつく。

 

狼も剣を眼前に掲げる。一度深呼吸をした後、カチリと剣を鳴らした。

黒の炎が剣から溢れる。バーナーナイフが繰り出せる最強の炎。お互い掛け値なしの全力をさらけ出していた。

 

「こうして全力を振るうのもあの夜以来だな。さあ信じているぞ、私の炎狼。早々に死んでくれるなよ?」

「理不尽だな、相変わらず」

 

デモンズエキス、最大展開!!

バーナーナイフ、レベルMax!!

 

第二ラウンドのゴングがなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の少女が墓の内部を駆け抜ける。フェイルが破壊した出口への最短距離までの道を辿って。

 

ーーーーフェイル、どこへ?

 

倒れこんできた墓守たちの話を聞いたフェイルは血相を変えて地上へと向かっていった。迷路のように入り組んだプトラの墓。クロメ達を助け出し、長の死は墓の崩壊に繋がるとわかった今、もう此処に用はない。時期に墓が崩れる事を彼に伝えなくてはならない。

 

その事をアカメは仲間達に主張したのだが、それが受け入れられることはなかった。クロメの事は仲間達に任せ、自分は仕方なく単独行動をとる事となった。最初はクロメも付いてくると言ったのだが、負傷している彼女に無理をさせるわけにはいかない。もう最大の敵も倒した。墓の脱出さえできればクロメに危険はないと判断した。

そしていま自分がしている廻り道は確実にクロメを危険に晒す。なら仲間達と脱出させたほうが安全だ。

 

ーーーーん?

 

自分たちが入ってきた入り口に近づいてきたとき、何かが蒸発するような音が聞こえる。同時に鳴り響く戦闘音。誰が戦っているのかはわからないが、誰かがいる事は確かだ。

 

ーーーーこっちか!

 

音のする方向へと向かう。外の光も見えた。自然と足が早くなる。

 

「フェイル!」

 

部屋に入り込んだ瞬間、愕然とする。信じられない光景がそこにあったからだ。探していた男は確かにいた。

 

氷の柱に磔にされ、胸を剣で貫かれた姿で……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは本当に偶然と言っていい事態だった。

お互い死力を尽くして戦ったせいか、それとも別の要因か、唐突に足場が崩れだし、その一部にエスデスのブーツが取られた。

 

ーーーー今だ!!

 

押されていたヴァリウスが最後の力を振り絞ってバーナーナイフを展開する。

 

「昇狼・嵐、業火剣爛!!」

 

この戦いで唯一と言っていいヴァリウスの勝機。此処で決められなければ敗北が決定する。ディフェンシブに戦いながら、来ると信じて待っていた千載一遇。逃すはずがない。

この部屋を埋め尽くすほどの炎の竜巻。流石のエスデスといえど避ける事は不可能の筈だった。

 

ーーーーえっ……?

 

気づいたとき、捉えたと思ったエスデスの姿は消えていた。

目の前から消えるということ事態は珍しくない。超高速のこの死闘。何度も目の前からいなくなったと感じる超スピードは体感していた。

けど今は違う。いくら超スピードといえど、二人の動体視力と反応速度を持ってすれば、その動きを見ることは出来る。事実出来ていた。だからここまで戦えていたのだ。

しかし今は違う。本当に唐突に目の前からいなくなったのだ。まるで最初からいなかったかのように。自分だけが取り残されたかのように。

 

瞬時に気持ちを立て直し、周囲の警戒へと切り替えたのは流石といえる。しかしそれでも今は遅すぎた。

 

ヒヤリと何かが侵入する感触が胸元に来る。正確な表現ではないが、そうとしかヴァリウスには感じられなかった。

 

ーーーーバカな……

 

気づいた時にはもう戦いは決着していた。エスデスは自分にレイピアを突き立て、身体を持ち上げている。

 

ーーーーいつの間に……

 

「ガハッ……」

 

鉄臭い熱い塊が喉元に湧き上がり、耐えきれずに吐き出す。どうやら内臓を幾つか傷つけられたらしい。それも当然だ。無数の氷の剣で何度も貫かれたのだから。

 

ーーーー何が……何やら……もうワカンねぇ

 

突き刺さったレイピアを握りながら笑いが漏れる。笑ってしまうほどの進化だった。

 

「さすがだヴァリー。私に奥の手を使わせるとは」

 

魔神も無傷というわけではなかった。頭からは血が滴り落ち、体中に火傷の跡がある。

 

ーーーー実力だけじゃない。帝具の扱い方もあの頃とは段違いに上がっている。

 

「お前……何……した?」

 

本当に何が起きているか分からなかった。今ここで起きているのだからあり得なくはないのだろうが、現実にありえない事をされたとしか思えない。

 

「これこそが私の最終奥義。お前を2度と逃さぬために編み出した最高の技だ」

「ゴブっ……」

 

聞いてもわからなかった。辛うじてわかったことは己の胸から剣が生えている事のみ。

 

「帝具の……力か?」

 

現実的に最も考えられる原因だ。帝具の力は人の想像を絶する。何が起きてもおかしくないと全てに警戒し、思考を柔軟にする事は帝具使いならば持ってしかるべき能力だ。美しき氷の女神は肯定の笑みを浮かべた。

 

「私に奥の手を使わせたのはお前が初めてだ。本当に流石だよ、我が人狼。お前はやはり恐ろしい」

 

パチリと指を鳴らす。一瞬で氷の柱に磔にされた。これでもうハナクソほじることも出来ない。

 

「だからこそ、お前が欲しい。炎狼のヴァリウス。誓うよ。もう2度と負けはしない。だから、お前の牙を我が手によこせ」

「…………」

「もうお前一人に重荷は負わせない。この三年間で私も様々な事を学んだ。もう決して、お前に辛い思いはさせない」

「現在進行形で、辛い思いをしてるんですけど」

「だからこれ以上お前を傷つけさせないでくれ。お前と戦う事は楽しいが、同時にとても辛い。コレは本当だ」

 

ああ、そうだろうな。お前が俺に嘘をつくとは思ってねえよ。

 

「もう2度と誰にも負けねえか……出来るだろうな、お前なら。いや、俺たちなら、か」

「ああ、私がオフェンス。お前がディフェンス。共に足りない部分を補うことでどんな戦場も怖くなかった。敵などいないと信じれた。証明してきた。私の誇りだった」

「…………」

「そして、何より楽しかった。北の辺境に篭っていては見られなかった世界を見せてくれたと、今でも深く感謝している」

「そうだな……俺も、お前がいたから戦えたって所はあるよ」

 

あの幼き日の約束があったから、俺は戦ってこれた。

 

「私もだ。ヴァル。お前がいてくれたから、私は戦ってこれた」

 

頬に手が添えられる。氷を操る魔神であろうと、手は優しいぬくもりを持っている。

 

「ヴァル、私は……」

「おぉおおおお!!」

 

絶叫が部屋に響き渡る。二人とも互いに集中していたため、侵入者に気づかなかった。音源を見てみると長い黒髪に鮮血の赤の瞳を宿した少女が刀に手をかけて走っていた。

 

ーーーーアカ……

 

驚きにヴァリウスが目を見開いた時、猛然とアカメはエスデスに斬りかかった。唐突な乱入者にもエスデスは即座に対応してみせる。レイピアが桐一文字を受け止めた。

 

「なんだ貴様は。墓守ではないようだが」

「フェイルから離れろ!」

 

そのまま撃ち合う。しかし実力差は圧倒的。数合と持たずアカメの剣は弾き飛ばされた。

 

「弱い奴が私の前に立つな。死……」

 

硬質な破砕音が鳴る。氷が砕けたような音だ。振り返ると氷柱を握りしめてこちらに襲いかかるヴァリウスの姿があった。あの磔にされた状態から腕力のみで氷を砕き、拘束から逃れたのだ。

 

「くっ!?」

 

なんとかガードするので精一杯。腹部に衝撃が来る。ヴァリウス渾身の回し蹴りがエスデスの腹を捉えていた。吹っ飛ばされる。ヴァリウスはバーナーナイフを拾い、胸元の傷を炎で焼いてふさぐと、アカメの元へと駆けた。

 

「なんで来た?逃げろって言っただろうが!」

「でも!…………でも…」

「ああ、もういい。早く逃げろ。出口は直ぐそこだ」

「フェイルも逃げよう。もうじき墓が崩れる!長が死ねばここも壊れるんだ!」

「そんな事になってんのか………うおっ!?」

 

地面が揺れる。正確には墓全体が揺れていた。長が死んだのだろう。墓の崩壊が始まっている。チラリと直ぐそこにある出口を見た。

 

「コレは……もう長く持たねえなーーーーっ!?」

 

ズシャリと瓦礫を蹴る音がする。蹴りごたえはかなりあったが、やはりあの程度で倒れてくれる相手ではない。

 

「行け、アカメ」

「…………何言ってる?もう戦いは終わっただろう?フェイルも」

「アレで終わるタマなら苦労はねえよ」

 

バーナーナイフを構える。土煙の中に人影が見えた。

 

「…………やってくれたな」

 

殺意のこもった碧眼が赤い瞳の少女を捉える。恐怖が一瞬でアカメを飲み込んだ。

 

「う、うわぁあああああ!!」

 

恐怖から逃れるためにアカメが取った行動は無謀な突撃だった。それは奇しくもチェルシーと同じ行動原理。圧倒的な恐怖の中、闘気で自身を守ろうとした行動。

 

本人が己の行動の愚かさに気づいた時にはもう遅い。手にした刀は弾き飛ばされ、極死の一撃が彼女に迫っていた。

 

ーーーーっ!?

 

クロメを残してまだ死ねない。頭部だけは腕でガードを固め、来る斬撃に備えた。

しかし、来るべき痛みはいつまで経っても訪れない。目を開くと視界に入ったのはレイピアで腹部を刺された赤髪の戦士の姿だった。

 

「フェイ……っ!?」

 

黒髪の少女の細い腕を掴む。一瞬、アカメがあっけにとられているその刹那で出口に向けて思いっきり投げた。

 

ーーーーあっ……

 

吹き飛ばされるその刹那の空間で、アカメは聴いた。

 

ーーーー行け、アカメ……

 

 

生きろ!

 

 

目の前が瓦礫で崩れる。気づいた時には、もうアカメは墓の外へと出ていた。

 

「フェイル!」

 

もう一度、墓の中に入ろうとする。しかし見えない引力にそれを止められた。背中をグリーンに羽交い締めにされていると気づいたのはその時だった。

 

「何してるのアカメ!もうダメだよ、間に合わない!」

「離してグリーン!フェイルが、フェイルが!!」

 

ひときわ大きく地面が揺れる。かろうじて墓の形を保っていたピラミッドが崩れ落ちた。

 

ーーーーそんな……

 

「フェイルぅううウーーー!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崩れゆく墓場の中で、二人は向き合った。男は血が滴り落ちる胸を押さえながら、構える。もう墓も崩壊寸前だ。恐らくこれが最期の一合になる。

 

『まだ戦うのか?』

 

鼓膜を振動させない声が自身の内から聞こえてくる。

 

『もう15分は稼いだじゃないか。その体でこれ以上戦う事に何の意味がある?お前が戦闘態勢を解けばエディもこれ以上は戦わないだろう。降伏しろ』

 

腹部に刺さったレイピアを筋肉で締め付ける。抜けない事を察したエスデスは素早く飛び下がり、氷で剣を作り出した。

 

『何の希望があってお前はまだ戦うんだ』

「まだ戦うのか、ヴァル」

 

何の偶然か、自身の心の声とエスデスの声が重なる。おそらく二人とも俺にこれ以上戦わせたくないのだろう。

 

「その体では万が一にも希望は…」

「ガタガタうるせえ」

 

二人の声を遮り、レイピアを腹から引き抜く。盛大に腹から血が出たがしょうがない。あの状態で戦う事は不可能だ。炎で傷口を焼く。

 

「希望なら残したさ……とっておきのを4つ」

 

俺が戦う理由には充分すぎる希望だ。

 

「…………そうか」

 

氷の剣を構える。この誇り高き戦士に言葉を尽くすつもりはもうなかった。

 

「だが希望も、執念も、狼だろうと……私の前では全てが凍る」

「どうかな?俺の牙は全てを燃え散らす」

 

この戦いが始まって以来、最大級の炎と氷が立ち上った。焔と氷がぶつかり合う。お互いを溶かし、お互いを消す。発せられるスチームは二人の周りを吹き飛ばす。相反する二つの激突。熾烈の極み。三年前の再現。

 

数日後、帝国中に号外がばら撒かれた。

三年前、味方の虐殺を行った大罪人。炎狼のヴァリウス、逮捕。帝国地下牢にて収監。刑罰は審議の末に決定予定、と。

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。墓守り編終了〜!何とかコンパクトにまとまった……纏ったよね?次回からはオリジナル。ケモノなあいつや抜けたあのこが出てくる予定です。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第三十三罪 巨星、墜つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、お前だな。最近スラムで暴れてるっつう不良女は」

 

若い男の声が背中から聞こえる。振り返ってみるとやはり若い……というより幼い。第一印象は紅いか綺麗のどちらかだろう。確実に自分より年下の少年。それなのに纏う軍服は彼によく似合っている。

 

「誰だキサマは」

「この区画の警備を担当しているお巡りさん。君のような目つきの悪いオネーさんの相手も俺の仕事」

 

栗色がかった黒髪の美少女は眉をひそめ、息を吐く。つまりいつもの警備とは名ばかりのくだらない軍人という事だ。自身の階級を免罪符に、近づいてくる輩は何人もいた。自分で言うのもなんだが、整った容姿と男を引き寄せる体つきをしている自覚はある。そういう相手は会話を返すだけで調子にのる事を知っていた。黙って構える。叩きのめせばいいだけの事だ。

 

「へえ、拳法家か。聞いてるぜ。人を効率的に壊す方法を知ってる女だって。医者の娘かなんかなのかな?」

 

差している剣を腰から外す。そのまま遠くへと放り投げた。

 

「何のつもりだ。言っておくが私は手心など加えないぞ」

「ああ、そうするがいい。俺は手加減するけどな」

 

侮辱とチサトは受け取ったが、事実はそうではない。相当の使い手だと認めたからこそ、素手の勝負を挑んだ。

皇拳寺以外の拳法家と拳を合わせる機会は稀だ。放っておいても強くなる相棒に負けないように、少しでも多くの技術を体感しておきたい。

 

「行くぜ」

 

 

 

 

 

 

「おい!聞いたか?例の話!」

「ああ、ついに捕まったんだろ?あの人」

 

号外を手に、民草たちは様々な話をしている。帝都では今、この話題で持ちきりであった。

それもそのはず。帝国軍の威信を大いに傷つけ、軍の基盤を盛大に揺らした大罪人の逮捕。威信を取り戻すためと、敵対勢力への脅しの意味も込めて、必要以上に大げさな情報伝達を帝国は行っていた。

 

仲間殺し、帝国へのクーデター計画、敵前逃亡、新聞に載っている彼の罪は数え役満だ。しかし、それを見ながら、都民達は皆不思議に思っていた。

 

「けど未だに信じられないねぇ。副将軍様がそんな事をしただなんて」

 

そう、ヴァリウスは帝国で唯一と言っていい、親民派の将軍だった。軍が行ったボランティアや炊き出しにはほぼ確実に彼の名前があった。彼の恩恵を受けた者達はそれなりにいる。

 

「しかし、恐らくこれから軍は割れるぞ」

 

目端が利く者はこれからの未来を予想していた。この新聞の内容が真実なら間違いなく極刑。けれど人材としてこれほど有能な人間もいない。良識派の文官や将軍は彼の死刑を止めようとするだろう。

 

「でもこんな事ができる人を帝国が生かしておこうと思うかねぇ」

 

青い顔をしながら新聞の写真を見る。そこにはこの号外の中で唯一脚色されていない真実がある。

 

崩壊した巨大なピラミッド、周囲一帯焼き尽くされた焼け野原に、不自然な氷だけが不規則に残されている、まるで天変地異でもあったかのような映像だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「認めない」

「なんで!」

 

チェルシーが新聞を机に叩きつける。直接的な行動に移してはいないが、他の二人も思いは同じだった。

 

「このままじゃ先生は殺される!多分もうそんなに日は残ってない!こんな所に隠れてないで、私達も……」

「それをお前達にはさせないと私はヴァルと約束した」

 

帝都に行って彼の奪還を敢行しようと主張する弟子達。本音でいえばチサトも今すぐ帝都に飛んで行きたかった。あの魔神と再び戦ったのだ。きっとたくさん怪我をしているはずだ。きっと酷い拷問を受けているはずだ。すぐにでもあの人を助けたい。それが無理なら、せめて治療がしたい。

 

けれどそれを実行するわけにはいかない。彼は自分達に生きろと言った。

 

「チサトは悲しくないの!先生のことこんな有る事無い事めちゃくちゃ書かれて!こんなにボロボロにされて悔しくないの!」「そんなわけがあるか!!」

 

チェルシーの怒声を上回るチサトの怒声が掻き消す。

 

「悔しいに決まってるだろう。悲しいに決まってるだろう。だがだからといって向こう見ずに突撃してどうなる。貴様は本物の頂点を見て、戦って、何も思わなかったのか!」

 

黙り込む。何一つ言い返せない。3年という月日をあの人にみっちりと鍛え上げてもらった。それなりに実力つき、自信もつきつつあった。実戦でも自分達の力は通用した。最前線であろうと戦えるという自負が彼女達にはあった。実際に確かな結果と力が伴ってきたからこそ生まれた僅かな慢心。

しかしそんなものはもう消し飛んでしまっている。逃げながらの遠目からではあるが、師とエスデスの戦いは少し見た。今まで見た事がないヴァリウスの姿だった。あのバトルウルフと戦っていた時より、遥かに強く、激しい戦いだった。

 

「貴様らごときが帝国に突っ込んで何になる!あのヴァリウスでさえ敵わなかった相手なんだ!貴様らの惰弱な牙では傷一つ付けられはしない!台風の中に虫が飛び込む様なものだ。吹き飛ばされて、叩き付けられ、終わる!そんな事をさせるためにヴァルはお前達を鍛えたわけではない!」

「…………でも……でも」

「宮殿には私も何度か入った事がある。内部の警備を務める近衛の強さはヴァルの折り紙付きだぞ。あのエスデス軍と比べても遜色ない程にな」

 

警備態勢の監督を行ったのはブドーとヴァリウスの2名だった。腹心の部下であったチサトは彼の手伝いをしていた時に彼が漏らした言葉を聞いた事がある。

侵入者対策の罠もドッサリとある。保身にだけは長けた連中がここに居れば大丈夫と創り上げた城。突破は自分でさえ困難だと言っていた。

 

「…………私のせいだ」

 

ずっと俯いていたファンが小さな声で呟く。後悔の色が強く残った涙まじりの声は全員に聞こえていた。

 

「私が、あいつにクラムで仕掛けたから…」

「違う、ファンのせいじゃない。あの場面ではもう戦闘以外の選択肢はなかった。元はと言えば私が師父の命令を無視して墓なんかに向かったから」

「やめろ、誰のせいとか言うな。あの場にいた全員がヴァルの指示を無視してあそこに向かう事を決めたんだ。誰のせいでもない。責任を取るのは指揮官の仕事だ。お前らなんかが私からそれを取り上げるな。私はその件でお前達を責めることはしない。罰しもしない。楽になろうとするな」

 

自己を責めることで、誰かに罰を与えてもらう事で、救われる事もある。しかしチサトはそれを弟子達に許さなかった。悩み、苦しみ、後悔する。それこそが狼の教育方針だったからだ。克服するのも自分の手でなくてはならない。

 

チェルシーが自分の荷物を纏め始める。といっても旅の途中であったため、それほど多くはない。バッグを幾つかとガイアファンデーションだけだ。

 

「チェルシー、どこに行く?」

「止めても無駄よ。私は行く」

 

背を向けたまま答える。続いた。

 

「確かに私の力なんてあの人達に比べたら足元にも及ばない。私一人が楯突いたところで木っ端微塵にされておしまいかもしれない。先生が私にそんな事を望んでいない事も分かっている」

 

いつかこの国のために、お前達の力が必要になる時がきっと来る。

 

この言葉が師の口癖だったから。

 

「けど私はこの国や、帝国の民のために戦う気なんてないよ。私が戦いたいと思った人も教えを受けたいと思った人もこの世でたった一人だけだから」

 

昔は地位や名誉、お金がチェルシーにとって最も大事なものだった。それらの力は凄い。人を奴隷にする事も、人殺しや人狩り何て事をも可能にする。かつて働いていた太守の非道に唾棄しながらも、その力の凄まじさは認めざるをえなかった。

だがあの日、彼女は出会ってしまった。そんなくだらない、誰かに与えられた権力など一笑に伏すような、圧倒的な個の力。壊すのではなく、守るための強さ。人を初めて美しいと思った。

金や権力の力を今も否定する気はない。この乱世が終わったら、それを求める事もきっとあるだろう。今は無理だけど、平和になれば豊かな、そして暖かな時を過ごしたいという願望はある。

しかしそれは、ここにいる家族達が全員揃っていなければ意味がない。

 

『お前は少し見切りが良すぎるなぁ。悪いとは言わねえがそれだけではいけない時期が必ず来る。もっと足掻けよチェルシー。人間ジタバタしたっていいんだ。誰もが諦めるような状況でも、この俺すらお前の前で諦めていたとしても、お前だけはそれでも、と立ち上がれる人間であれ』

 

ごめん、先生。もう一度だけ、貴方の教えに背く。でも、私は貴方の弟子であり続けたい。貴方の教えに背いても、貴方に教わった魂にだけは背きたくないから。

 

「この世に100と0はない。あの人を死なせない可能性はまだ残っている。なのに私はまだ何も足掻いてない。ジタバタしてない。それを叶えられる可能性がまだ1パーセントでもあるなら、私は諦められない」

 

ーーーーコイツ……

 

こちらを見返すその瞳を見て、チサトは息を呑んだ。あまりに似ていた。あの紅き狼の目と。

 

『俺が残る』

 

いつだったか、まだエスデス軍が今ほど主戦力として扱われていなかった時、捨て駒役の殿を命じられたことがあった。その時、最後まで残ると言ったのが彼だった。

 

『比較的狭い峠道だ。ここを使えば勝算はある。エディは撤退の指揮を頼む。最後方は俺がやる』

『わかった。頼むぞ副隊長』

 

当たり前のように男の提案を受け入れる。本当なら自分も残って戦いたかったが、撤退戦は超攻撃型の彼女にはあまり向いていない。どちらかというと守りの戦いを得意とするヴァリウスの方が適任だ。

 

『無理です!相手はただでさえこちらの隊の10倍以上の数なんですよ!最後方などほとんど兵力は回せません。実質副隊長一人でこちらの10倍の戦力と戦うようなものです!』

『だがこれが最も被害が出ない』

『ご再考してください副隊長。あなたの命は兵卒のモノとは違うんです。他の誰が死んでも、貴方だけは生きなければならない!』

 

それが指揮官の……大将の責務だ。その事をこの男が知らないはずはない。

 

『お前の言っていることは確かに真実だ。命は何にだって一つだが、その重さは全く違う』

『でしたら……』

『だが誰も死なせない道が今、確かに目の前にある。そして俺はまだその道でもがいてもいなければ何も試してもいない』

 

べっ、と舌を見せる。戯けたような仕草だが、目は違う。その紅玉の瞳の奥には決意の炎が燃えている。

 

『これは俺の持論だがな。この世に100と0はない。可能性が1パーセントでもある内は、いや、そんなものがないとしても、俺は諦められねえな』

 

そして彼は残り、千人以上の敵をたった一人で足止めし、見事に生還を果たした。限りなくゼロに近い。だがゼロではない可能性に彼は勝ったのだ。

 

他の二人も荷物を纏め、自身の得物を引っさげ、隠れ家から出ようとする。

 

「行こう、チェルシー。他の誰が諦めたとしても、私達はあの人の命を諦めちゃいけない」

「私も行く。今度こそ守るんだ。私に残った最後の家族を」

 

全員があの時のヴァリウスと同じ目をしている。もう言葉で止める事はできない。力ずくでなら出来なくもないだろうが、それはしたくない。

 

「待てお前達」

「だから止めても無駄だって。安心しなよ、貴方にこんな無茶な決死行に付き合わせる気はーーー」

 

遮るようにパラリと投げられたのは一通の書状。宛名にはナジェンダと書かれていた。

 

「帝都にいる私の唯一の知り合いの将軍だ。彼女宛に書状を送る。獄中の様子や情報を彼女から得る」

「チサト……」

「私だって、あいつの命を諦めるつもりはない」

 

ーーーすまない、ヴァル。私達はお前が思っていたよりバカらしい。けどわかってくれ。お前にもあるだろう?

 

初めて出会った頃の事は思いだす。

 

私たちにも世界より大事なものがあるんだ。

 

「行こう、帝都へ」

 

そして狼達は向かう。この時代の激動の渦の中心へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国宮殿、その監獄区域。表では地獄と言って差し支えない状況が繰り広げられていた。

アイアンメイデン、四肢の断裂、熱湯の釜茹で。痛みに嘆く声、もう殺してくれと懇願する声。様々な多くの阿鼻叫喚が上がっている。

そんな場所の地下では多くの人間が牢の中に繋がれている。その中にいる人間もまた様々。ゴロツキに軽格。大臣に逆らった文官、賄賂などに手を染めず、罪を着せられた軍人、囚人の地位や危険度が上がれば上がるほどその牢獄は地下深くへと向かっていく。

その中でも最深部、表に出せないような罪を犯した大犯罪者や危険人物が繋がれている場所、その中でも最も深い場所で閉じ込められている人物がいる。

地下深くへとつながる螺旋階段を一人の武官が降りていく。体格は筋骨隆々、まさに軍人といった風格の壮年の男性。

彼の名はブドー。名実ともに帝国軍頂点に立つ男だ。

 

「大将軍?なぜこのような場所へ?」

 

獄卒の一人が彼の姿を見て驚愕する。彼のような地位にいる人間がここに来る事はほとんどない。たった一回、将軍が来た事があるが、それはここに繋がれている囚人との関係を考えればまだ理解できた。

しかしまさか、現在帝国の武において頂点に座する男が来るとは思わなかった。

 

「あの男はどうしている」

 

獄卒の疑問には答えず、ここに来た目的の人物の動向を聞く。

 

「お、奥に繋がれています。今のところ大人しくしていますが」

「そうか……ご苦労」

 

奥へと向かう。概ね予想通りだ。ここまで来て無様にジタバタする男ではない事は知っていた。

 

ーーーーっ……

 

厳重な柵の向こうに見えた男の惨状を見て息を呑む。血みどろの四肢は頑強な鎖で繋がれており、両手は上に吊るされている。全身で怪我をしていない場所はなく、一見すれば死んでいるのではないかとさえ思う。しかし聞こえる荒い息遣いと闇の奥で光る紅玉の瞳がそれを否定した。

 

「また随分と手酷くやられたな」

 

檻に向けて声をかける。意識はあるらしく、音に反応し、顔を上げた。

 

「息はあるのか?ヴァリウス」

「これはこれは……ブドー大将軍」

 

最奥に繋がれている特級手配犯罪者の名はヴァリウスといった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新章オリジナル突入しました。5・6話で纏める予定です。感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。


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第三十四罪 それぞれの思い

 

 

 

 

 

 

 

設えられた帝国宮殿の一室。決して華美というわけではないが、立派な部屋だ。家具はすべて揃っているし、広さも一人が住んでいるとは思えないほど広い。この不景気の世でこれほどの部屋を帝国から与えられているというだけで、ここの住人の位の高さが伺いしれる。

そんな部屋の住人は今一通の書状を握りしめ、唇を噛んでいる。内容は宮殿内部への手引きを嘆願したものだった。

 

ーーーー出来るわけないではないか

 

灰色髪を三つ編みに束ねた麗人、ナジェンダは悔しさに口から血を滲ませている。

手紙の主とは顔見知り程度の仲だが、彼女が助けようとしている人物に関して、ナジェンダは顔見知りどころではない感情があった。

ヴァリウスの逮捕はもちろん彼女の耳にも届いている。帝国の欺瞞情報が高らかに宣伝されている事もだ。怒りも感じている。地団駄を踏む思いだ。

それでも、今自分が動く事はできない。ようやく整い始めた帝国からの離反計画。慎重に事を進め続け、自分に従ってくれる部隊をまとめ上げ、遂に行動に移す計画が成りつつある時に起こった事件だった。

ここで今、下手に自分が動くわけにはいかない。能力を買われて若くしてのし上がった彼女だったが、ただでさえその清廉な振る舞いのせいで帝国では疎まれており、離反の疑いを持たれた事もある。計画のためにここ数年は大人しくしていた。その甲斐あって、計画も遂行寸前まで進んでいる。今、不審な行動をしてしまえば計画に支障が出る可能性は多分にある。それはわが身の破滅を招くだけでなく、自分についてくると言ってくれた部下達も全て台無しにしてしまう事になる。

 

出来ない………でも……

 

書状をもう一度見る。熱意溢れる文面だ。何としても彼を助けるという気概が文字を見るだけで感じ取れる。

 

ーーーーヴァリウス副将軍………

 

ナジェンダは彼の事をずっと以前から知っていた。初めて会った頃を思い出す。まだ彼の方が自分より階級が高かった頃だ。

 

『何?失態をおかした?』

 

帝都の警備の指揮を執っていたナジェンダの部下は自身の判断によって本来されていた指示とは違う行動を取った。そして結果は惨敗。惨憺たる状況となってしまった。直属の上司であったナジェンダは全軍の指揮を執っていたヴァリウスに報告に上がった。

 

『この度の失敗。責任者の解雇は避けられないかと』

『ダメだ。現場の判断を責めることなど出来ないだろう。俺だって似たような事は何度もしてきた』

『ヴァリウス様の場合は正しい判断でした。貴方の英断によって軍が救われた事は数え切れません』

『結果論さ。博打もあったんだぜ。彼を責める事は少なくとも俺には出来ないなぁ』

『しかし、それでは帝都の民達の追求が……』

『責任の取り方は一つじゃない』

 

軍服を着て、執務室の椅子から立ち上がる。

 

『彼には厳重注意を。警備を担当していた都民への陳謝は俺がしよう』

 

この一言を聞いた時、ナジェンダは耳を疑った。今までの上官はできるだけ自身に責任が及ばないように、なすりつけるなど当たり前だったし、酷いものには自身が被害者となるために罪をでっち上げる者さえいたからだ。

 

『ぐ、軍の末端の失敗にヴァリウス様が頭を下げては帝国軍全体のイメージが…』

『一時的な損失など恐れるな。現場の責は指揮官にある。ここの指揮官は俺だ。そして指揮官は部下がいてくれて始めて意味が生まれる。お前も覚えておけ。国とは人こそが財産であり、信用とは積み重ねだ。民がいなくして軍はありえない。責任を果たす事が俺の仕事だ』

 

その揺るぎない背中と民に慕われる彼の姿は今でも鮮明に覚えている。いつか自分も下の者を守れる、彼のような民に慕われる軍人となろうと決意はあの時芽生えた。あの人は覚えていないかもしれないけれど、あの後、彼の指揮下を離れるまで、何度か手ほどきと教えを受けた。筋が良いと褒めてもらえた。あの時の震えるような喜びの疼きが今でも体に残っている。

 

何年もあの人は副将軍の地位にとどまっていたため、三年前には自分の方が階級は上になってしまったが、彼を尊敬する心は今でも全く変わっていない。助けたいという思いは誰よりある。

 

ーーーーせめて、あと一月早ければ……

 

まだこちらも手を回せたのに……

 

ーーーいや、まだ判断するのは早い。せめて一度、彼女達に会ってみよう。それぐらいの事は出来る。行動を決めるのはチサト達の意思と計画を聞いてからだ。

 

立ち上がり、部屋を出る。時間を作るための根回しをしなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国には現在、最強と目されている人物が3名いる。帝都に住まう人間ならば、全員がこの3名の名を挙げられるだろう。

 

まず真っ先に上がる名がエスデス。現在帝都で最も人気と実力を兼ね備えているカリスマ。その苛烈さは誰もが知っているはずなのに、実際訓練で死人すら出ているというのに、彼女の軍への志願者は後を絶たない。

 

2人目はかつてエスデスの陰に隠れていたおかげで、3年前の知名度はさほどでもなかったが、この3年間で帝国中に轟いた悪名。あの一騎当千の鬼揃いのエスデス軍相手に千人斬りを果たし、脱走した最凶の凶手、ヴァリウス。

 

どちらもここ数年で現れた天才の名だ。帝都の民にとっては記憶に新しい戦士。

しかし、この2人の知名度を遥かに上回る人物がもう1人いる。古くからの帝都の民ならば先の2人よりまず真っ先に上がるであろう男。ここ数年で名を挙げた2人とは違い、長年最強と呼ばれ続けた武人。

それこそがブドー。帝国唯一の大将軍にして、名実共に帝国軍の頂点に君臨し続ける武人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「副将軍」

 

壮年の男が燃えるような緋色の髪を背中まで伸ばした長髪の青年を呼び止める。

 

「…大将軍」

 

虚ろな赤の瞳が彼を捉える。その淀んだ色を見て、男は息を飲んだ。

凛々しい軍服に身を包んだ長身痩躯の青年が振り返った。整った顔立ちはこけており、目元にはクマが出来ている。軍人にはこのような男がたまにいる。人を殺す事に慣れ、疲れ、感情を殺してしまった者。初めて彼に会った時の彼の輝きはもう見る影もない。今はまるで凝り固まった血のようなドス黒い赤だ。

 

「昇進の話、断ったそうだな」

「……ええ、まぁ」

 

何度かヴァリウスの元へ届いていた将軍職への推薦。これを彼は全て断っていた。

 

「何故だ?将軍と副将軍では扱える権力に大きな差がある。いつまでもサブの地位に甘んじているお前ではないだろう」

「生憎……これ以上この国で偉くなる気はちょっと起きないんですよ」

「……あの女の為か?」

「まあ、半分は」

 

昇官の話を断る事ができる理由の一つとして、エスデスが彼を手元から離したがらないというのがあった。いくら他者からの推薦があっても、本人の意思と直属の上官の意思が同じであれば、それを突っぱねることができる。

 

「もう半分は?」

「秘密です」

 

ため息をつくのを必死で堪える。この数年で何度この人からこの問いをされたかわからない。事情を話しても良いのだが、堅物のこの人にこの手の話をするのは面倒だ。

 

「話はそれだけですか?」

「……これからバン族の討伐に出ると聞いたのでな。少し様子を見に来たのもある」

 

ウソではない。まさか十万の帝国軍が一万のバン族に敗れるとは流石に大臣も思っていなかった為、この遠征はかなり急に決定された。軍の編成を預かる彼には相当の無茶振りがされた事だろう。それでも完璧な編成をやってのけた事は先ほどこの目で見て確認した。

 

「編成は完了していたようだな、良くやった」

「いえ、慣れておりますので大した事では。ではこれで」

 

敬礼をして、踵を返す。まだやる事は残っている。早く向かわなければならない。

 

「ヴァリウス」

 

副将軍ではなく、名前で呼んだ。そういう時は大将軍としてではなく、手解きをした1人の師として話をする事を意味する。

 

「いま少し耐えろ。外の害虫の駆除が終われば内部のクズの掃除に移る。お前の力はその時こそ必要になる」

 

武門の名門の当主として、政には口を出してこなかったブドーだが、いまの帝国の現状は放置できるものではなかった。

彼が薄汚い仕事や意に沿わぬ冷酷な虐殺に手を染めている事も知っている。心情は察して余りある。

 

「正しい帝国を私とお前、2人の手で取り戻す。それまでは任務に励み、自身の地位を少なくとも将軍までは上げておけ。お前が偉くなる事がこの国を救う事だと思えよ」

 

話は終わったと思ったのか、振り返る事なく歩き始める。

 

ーーーー申し訳ありませんが、それはありえませんよ、大将軍。

 

心中で先の答えの返事をする。

この国でこれ以上偉くなってしまったら……俺はもう俺でいられなくなるだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯りひとつない闇の中、こちらに近づいてくる足音が聞こえる。重厚感のある音だ。それでいて力強く、無駄がない。相当な実力者だと足音だけでわかる。

 

浅く沈めていた意識が覚醒していく。体を動かそうとするも上手くいかない。体の自由は四肢に巻きつけられた鎖によって縛られていた。両腕は吊るされている。牢獄の中でここまで厳重な拘束がされる囚人は流石に珍しい。しかし、彼を知る者であればこの厳重な拘束は当然と断ずるだろう。いや、コレでも緩いというかもしれない。

 

「また随分と手酷くやられたな」

「これはこれは……」

 

比較的明るい声が聞こえてきたため、ブドーは少し驚いた。どうやら見た目よりはかなり余裕があるらしい。擬態かもしれないが、それでも擬態するだけの余力はあるという事だ。

そして少し驚いているのはヴァリウスも同じだった。足音で只者ではない事は分かっていたが、まさか帝国の武の頂点がこの国で最も低い場所に赴いてくるとは思わなかった。

 

「生きていたか、ヴァリウス」

「お久しぶりです、ブドー大将軍」

 

牢獄の前に立つのは筋骨隆々とした壮年の男。かつてはヴァリウスすら尊敬を払っていた武の頂点。

 

「お前と会うのはバン族の遠征出立前以来か。まさかお前と再び会うのに3年も掛かるとは思っていなかったぞ。それもこんな場所になるとはな」

「予感はしていたでしょう?」

「脱走する予感はしていなかった。重圧と理不尽に潰れてしまいそうな予感はしていたがな」

 

遠征の前にワザワザ自分を訪ねに来ていた事を思い出す。今思えば、心配されていたのだろう。そして見事に裏切った。

 

「で?今日は何の御用で?」

「貴様と腹を割って話をしに来た」

 

ドカリと座り込み、目線を合わせてくる。逃げる事も、偽る事も許さない、頑固オヤジの目。これは長くなりそうだと予感する。同時に笑みもこぼれた。久々に拝む彼の目が少しおかしかった。

 

「何故だ?何故貴様ほどの男が、あのようなバカな真似をした?」

「さあ?何でとかどうしてとか、あの時はそんな理性的な事を考えられる頭ではなかったのでね」

 

本音だ。後先を考えての行動ではなかった。ただ、自分の我儘を押し通しただけ。正しさなど欠片もない。

 

「言い訳を期待していたなら申し訳ありません。貴方に赦しをもらえるだけの理由はないですよ」

「ヴァリウス、貴様は聡明だ。貴様ほどバランスの良い男を、私は見た事がない。そのお前が、なぜ遠からずこうなるとわかっていて、このような行動に出たんだ」

「……………」

「お前のその腕と未来を無駄にするような真似をした?」

「…………無駄になどしていない」

 

紅玉の瞳がブドーを真っ直ぐ見つめる。その目を見てブドーは息を呑んだ。

 

「未来に掛けてきた」

 

闇の中で爛々と赤い光が放たれる。その輝きはまさに紅玉。立派な軍服に身を包み、凛としていたあの時には見られなかったあの輝きが、このような満身創痍、血みどろの姿になって戻っている。ブドーが彼と出会ったばかりの頃に見た、あの輝きが戻っていた。

 

「あなたこそいつまでオネストの暴走を許している。もう武官だなんだは言ってられる状況ではない。外の敵にばかり目を向けていてはいずれ帝国は内部から腐り落ちるぞ」

「だが今ヤツを処断すれば確実に帝国に混乱を招く。その間に外から攻撃を受ければそれこそ帝国は崩壊する」

「ブドー、貴方も大将軍なら大局をみろ。もう領地の一つや二つを気にしている状況ではないんだ」

 

彼が今言っている事は、死に至る病に罹っているというのに感染性の皮膚病を気にしているようなものだ。感染を引き起こす病原の対策をしているうちに癌の進行は容赦なく進む。

 

「皮膚病で起こる壊死の一つや二つくれてやれ。心臓さえ止まらなければ皮膚病は治す余地があるが、内部で生じる病は手遅れになってしまったらもう死ぬしかなくなるぞ」

「帝国は強い。千年の時を重ねて積み上げられた我が国はそう簡単には滅びん。内部からはな。だがいかに頑強な城壁でもアリの穴から崩れる事もある。外敵に対する万難を排してからでも、内部の改革は間に合う」

「軍人の本質を思い出せ。外敵を排除する事が軍の役割ではない。自国の防衛が何よりも優先すべき軍の仕事だろう。千年の時を経て国が積み重なっていると貴方は言うが、それは違う。この国はもうどうしようもないほど老朽化してしまったんだ」

 

いつの間にか高度な政治の話となっている。お互いを説得をしようとしているからだろう。ブドーもヴァリウスも舌戦をするつもりは無かったのだが、国や民を思うからこそ議論となってしまった。

 

「だがそれも当然だろう、なにせ千年、この国は歳を重ねてきたんだ。それだけ歳を食えば老いて朽ちても仕方ない。故に帝国は仕組みそのものを変えなければならない時が来ているんだ。時の為政者達はその事を知っていた。時代に応じて、国の有り様を変えてきた。だからこそ、千年という時をこの国は永らえたんだ」

「…………」

 

黙り込む。言っていることの正しさは武官の彼でも理解できた。

 

「だが如何に偉大な為政者でもいずれは死ぬ。そしてその次にそんな為政者が出るとは限らない……いや、帝国が繁栄する定めにあるのなら出たのだろう。人物を生み出すのは天命だ。それは歴史が証明している。だが今、この国にそんな政治家はいない。国を治める人材は減り続けているのに、武に優れた人物は現れる。まるで帝国を滅ぼすべき人材を次々と生み出すかのように、な」

 

歴史に名を残すような偉人が現れるのは決まって時代の節目だ。平穏な時にそんな人物はまず現れない。人を生み出すのは天の気まぐれだ。時代が必要としているからこそ、才気ある人物が現れる。

 

「もう時代の流れが、天命がこの国は一度滅びなければならないと言っているんだ。腐った木から湧き出てくる無限の虫をすべて駆除する事など出来はしない。木ごと焼きはらうってんなら話は別だが、それでは今の幼い陛下もろとも焼き殺す事になってしまう」

「貴様……」

「怒るな、俺がそうしたいと言っているわけじゃない。俺個人としてはそこまではするべきではないと思っているんだ。もし国が滅ぼされたとしても、民は残る。国がなくなりでもすればもっとも困るのは言うまでもなく帝国民達だ。滅ぼすところまでしてしまってはせっかく鍛え上げてきた貴方の近衛も潰れてしまう。内戦の乱で国が疲弊してしまえば、それこそ外部の侵入を許す事になる。帝国の、特に軍閥の力は必要だと俺は思っている。だがこのままでは永遠に内乱は続くぞ」

「乱を恐れて、国の改革がなるか。佞臣が減っていけばいつかはこの国も正道を歩むだろう」

「矛盾しているぞブドー。乱を起こさせないための外敵の排除じゃなかったのか?それにその道はあまりに危うい。貴方は純粋すぎる」

 

正道を歩んできた弊害か、彼は政治に関して無知だ。

 

「外敵の完全排除など、今の帝国では不可能だ。このままではいつか内から外から乱が起き、激発する。これはもう時代の流れだ。国そのものが無くならない限り止めるすべはない。如何に帝国が強大でも耐えられないぞ。必ず負ける。負けるべくして、だ」

「戦とはやってみなければわからん」

「本気で言っているなら俺は貴方を軽蔑するぞ」

 

本当の戦争は勝ち負けはやる前から見えているものだ。一兵卒には無理かもしれないが兵でなく将であるなら見えなければならない。負けるとわかっていてもやらなければならない戦というものも確かにある。

 

「今まで帝国はそんな戦をやった事は無いはずだ。その時が来ればただ負けるではきっと済まないぞ。千年の時を重ねて積み上げられたその強さで己が身を焼き払い、守るべき民達を無為に死なせる。そんな戦いをする事になる」

「そんな事はありえん。私がいる限りそんな事は絶対させん!」

 

そうだな、そうかもしれない。それだけの力は彼と彼の統率する部隊にはある。

 

「貴方がその場にいられるとは限らない」

「…………………」

 

ーーーー衰えていないな、この男は

 

闇で輝く紅い瞳を見ながら、心中で感嘆する。この男は強いだけではない。頭の回転が早く、視野が広く、そして何より見る事に優れている。天命、時勢、人の目に写らないこれらのモノがこの男には見えている。

 

ーーーゆえに、惜しい。

 

時代を一つの水とするのなら、軍人や政治家ができる事はその流れを変える事くらいのものだ。しかしこの男は流れを支配し、水を生み出す事すら可能にする。武官と文官、二つの才能を兼ね備えているからこそできる事だ。エスデスにもその才がないとは言わないが、彼ほど時勢を見る事には長けていない。おそらく興味がないからだろう。

 

「確かに私1人では防げんかもしれん。だが、私と同等の力を持つ者がもう1人いれば話は変わる」

 

ーーーああ、やっぱそうなるか…

 

議論を交わした事を紅髪の囚人は少し後悔する。こうなる事は分かっていたというのに、つい語ってしまった。だからこそ議論の時は敬語を止めていた。もう俺は貴方の部下ではないと言外に言い含めていたのだ?

 

「…………戻る気はないか?ヴァリウス」

「悪いがこの国に仕える気はもう一切ない」

 

紅玉の瞳に戦意の炎すら灯し、見返す。彼の元に戻れるくらいならエディの元に戻っている。

 

「国ではなく民の為と思えないか」

「この国を内側から変えるのはもう無理だ。民の為を思えばこそ、帝国に仕えることはもう出来ない」

 

静寂が辺りを支配する。同時にぶつかり合う二人の闘気。屈服させんと襲うブドーの気をヴァリウスの気が跳ね返す。数十秒が経った頃、大きく溜息を吐く声が闇の中に響いた。

 

「残念だ……」

 

立ち上がり、背を向ける。今はこれ以上言葉を重ねても無駄と悟った。

 

「私は………エスデスよりもお前を高く評価していた」

「過大評価だ。能力で言えば文武ともにエディの方が俺より上だよ。間違いない」

 

ただ、戦い以外に致命的に興味がないから、将以上の働きをしないというだけだ。

 

「それを決めるのはお前ではない……」

「痛い所だ」

 

懐からブドーが時計を取り出す。忙しい身だ。予定は山積している事だろう。俺にばかり拘っていられる筈がない。立ち上がり、背を向けた。

 

「今日のところはこれまでにしておこう………また来る」

「もう来ないでくださいマジで」

 

敬語に戻る。切実な響きが多分に混じっていた。

 

「お前に残された時間は少ないぞ、ヴァリウス」

「帝国に残された時間も中々に少ないだろう」

 

フッと笑ったような声が聞こえてくる。バカにしたような笑いではない。お前らしいという郷愁の意味がこもった声だった。

 

闇の中に巨体が消えていく。完全に見えなくなったところで大きく息を吐いた。

 

「もう出てきていいぞ」

 

闇に向けて声を掛ける。しばらく何の音もしなかったが、恐る恐るといった様子で螺旋階段に隠れていた人影が近づいてくる。

 

「よう、メシの時間だな。待ってたぜ、シェーレ」

 

闇の中から現れたのはメガネをかけた可愛らしい少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがきです。いかがだったでしょうか?天然ちゃん登場!かつて軍にいたという彼女ならここで登場しても違和感ないかなぁと思い、参加させました。頼むから零でシェーレちゃんの追加設定はされないでくれよ……それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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第三十五罪 獣を冠する少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの役に立ちたい。

 

そんな事を願う少女は人からこんな事を言われていた。

 

『あいつは頭のネジが外れている』

 

そう陰口を叩かれている事を少女は知っていた。そして自身にもその自覚はある。何をやってもドジばかりで、人に多くの迷惑をかけてきた。

しかし、とある事件をきっかけに頭のネジが抜けているからこそ、自身に殺しの才能がある事を知った少女はこの才能を活かし、人の役に立つため、軍の門を叩いた。

この自覚は間違っていない。頭のネジというものを感情と呼ぶのなら、このネジが抜けている事は殺しにおいて大きなメリットがある。

 

人を殺しても何とも思わないことができるということだ。

 

普通の人間がこの境地に至るまでには相当の慣れが必要になる。結局最後まで、その境地に至る事が出来ない人間もゴマンといる。

あの炎狼もその一人。自分の感情を捨てるという事が彼には最後まで出来なかった。コレがあるとないとでは実戦において大きな差が現れる。良心というのは意外にバカにならない枷なのだ。彼女には確かに殺しの才能があった。

 

しかし人生の大半を一般人として過ごした彼女は、当然即戦力ではなく、多くの兵士と訓練に放り込まれた。

才のおかげか、実力自体はメキメキと上がっていった。しかし当たり前だがドジが治ったわけではない。

訓練中に自身の不注意により事故を引き起こした少女、シェーレは牢獄の番に左遷されてしまったのだ。

 

もともと持ち前のドジのせいで軍では浮いた存在であった。環境が変わろうと人の言うことは変わらない。

 

『あいつは頭のネジが外れている』

 

 

 

 

小さな足音が闇の中で響く。地下へと続く長い階段を一人の少女が食器を持って駆けていく。

 

ーーーあっ…

 

器の中の食べ物が溢れそうになる。自分がドジな事を自覚している彼女はこぼさないように細心の注意を払っていた。日に三度、少女はこの家畜のエサ同然の食事を持って、階段を降りていく。

 

 

 

 

事故の後、少女は軍法会議にかけられた。その時、国のありようの疑問点を口にしてしまった少女は降格が決定。こうなってしまってはもう軍に彼女の居場所はない。

上司である男に、少女は監獄における世話係を任じられた。早い話が奴隷扱いである。足を引っ張る事も多かった少女のこの人事異動に安堵した者も少なくなかった。

 

この人事に少女も初めは理不尽を感じていた。そしてこの地下牢の世話係を奴隷に任せる理由もすぐにわかった。

この牢獄を支配しているのは本物の闇だった。帝都の夜など比較にならない、目の前にある自分の手のひらさえ見えない、まるで怪物に飲まれたような、光の一切がない、暗闇。

なるほど、普通の人間ならろくに進まないうちに竦み上がってしまい、動けなくなるだろう。しかしこの少女は少し普通とは違う。確かに恐ろしい暗闇だが、普通の人間ほど恐怖を感じてはいなかった。まさに適任。外れた頭のネジはこのような場でも役立つ事を知った。

 

不快に思いながらもこなしていた仕事だった。

しかし、ある日を境に少女の思いは大きく変わる。

 

いつものように仕事をしていた時、唐突に少女はとある男の世話をするように監獄の署長から命令された。

監獄にしては珍しく、署長は女性だった。艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、切れ長の瞳を持つ見目麗しい女性なのだが、いつも額に目のようなものを付けている不思議な人。名前はリィという。いつも何かを耐えるように眉を顰めている人だった。

 

言われるがままにその男がいる牢へと食事を運んだ。最初は少女も不安だった。真っ暗な階段の最深部に位置するその牢獄に繋がれた人間とは一体どのような極悪人なのだろう、と。

 

そして少女はあの紅い瞳と出会う。

 

今まで見てきたどんな囚人とも違った。怒りや欲望にギラつく狂人でも、怯え、恐れ慄く敗者の姿でもなかった。ハタから見れば死人のような大怪我を負っているにも関わらず、その瞳は凛々しく光り、堂々とした気品溢れる姿が闇の中で光っていた。

 

ーーーーこんな人がいるなんて…

 

仕事を済ませた後、少女はすぐに署長の元へと向かった。一体彼はなんの罪を犯し、どんな理由であの牢獄に繋がれているのか、と。すると彼女は眉間のシワを更に深く刻みこむと、新聞紙を一枚こちらに寄越した。どうやらあの人に関わる情報が書いてあるらしい。しかし、字の読めない少女にこんなものを渡されても無用の長物だった。

 

「貴方はなんでこんな所に閉じ込められてるんですか?」

 

少女は意を決して男本人に聞いてみることにした。彼と口を聞くことは本来禁止されている。だが、こんな地獄の底のような場所で自分達の行動が見られているとも思えない。大罪人と話す事の恐怖はあった。この人ならば、あの頑丈な鎖や鉄の牢獄など簡単に破れるのではないかとさえ思った。そんな恐怖を彼の魅力と自身の好奇心が上回った。

 

「…………ああ、俺に話しかけてるのか」

 

男の反応は鈍かった。まさか自分に話しかけているとは思ってなかったのだろう。闇の中で声が響く。

 

「嬉しいな。退屈で死にそうだった所なんだ。お礼になんでも答えたいところなんだが、もう一度言ってくれないか?さっきのはあまりちゃんと聞いてなかった」

 

満身創痍の身体に似合わず、気力のある力強いテノールだった。こちらを怯えさせないよう、優しい声音を使っているのが伝わる。

 

「貴方はなんでこんな所に閉じ込められてるのですか?何か悪い事をしたのですか?」

「………ああ。女子供が聞いたら夜も眠れなくなる程悪い事いっぱいやった。だから此処に閉じ込められてるのさ」

 

話をしてみて、少女の疑念はますます深まる。人は彼の事を狂人だの鬼だの言うがそんな風にはとても見えない。理性と知性のある聡明な人としか思えなかった。

 

「でも、署長が言ってました……あの人は正しい事をしたから此処にいるんだって。でもこの国で正しい事をするのは罪なんだって」

「ほう、なかなか物が見える奴がいるみたいだな。だがなメガネちゃん。今のは少し間違っている。正しい事をするのが罪なんじゃない。弱い事が罪なのさ。この国じゃな」

 

そして俺は弱かったから此処にいる、と彼は答えた。帝国の兵士として戦ってきた少女は彼の言うこともわかる。しかし納得はしていない。弱いだけでこんな目に遭わされる人がいるなんてこと、あって良いはずがない。

 

「私は……誰かの為に役に立つ事がしたいんです」

「素晴らしい事だ。君のような人間がもっと増えればこの国もよくなるかもな」

「でもこの国は……一部の特権階級の人だけが守られてて……後はゴミ屑同然に扱われています。軍はもう民の為に戦う組織ではない」

「…………だろうなぁ」

「私は誰かの役に立ちたくて軍の門を叩いたのに……もう傷つけることしかしていませんでした」

「……………………」

「戈を止めると書いて、武。武術とは弱い人を守るための術だと私は教わりました」

「…………そうか」

「弱い事は本当に罪なんですか?武とは誰かを守る為にあるのではないのですか?」

 

一つ息を呑み、答えを待つ。この人ならば違う答えをくれるんじゃないか。そう期待して。

 

「そうだ。この国では弱い事は罪だ。所詮この世は弱肉強食。強い者が生き、弱い者が死ぬ。それはどんな世界でも変えられない絶対の真実だ。君が言っているのは願望ありきの甘ったれた戯言だ」

「…………そう、ですよね」

 

語られたのは無慈悲な言葉。突きつけられたのは残酷な真実。目尻に悔しさとやるせなさを湛え、俯く。

しかし、この男の言葉には続きがあった。

 

「だがそんなつまんねえ事言う奴より、甘ったれた戯言を実現しようとしている君の方が俺は好きだよ」

 

ハッと顔を上げる。見えた彼は血の跡で汚れていたが、笑顔だった。

 

「いつかその戯言が真実になる国がきっと来る。その時に備えて、君はもっと強く賢くなる事だ。そうすれば君の望みはきっと叶う」

 

話はそこで終わってしまった。とても意義のある会話だったが、結局彼が何をやったのか、具体的な事は聞けずじまいだ。

仕方ないので与えられた新聞を読もうとしたが、やはりにらめっこ以上の事は出来なかった。

 

「読めないならあの男に読み方を習ってみるといい。きっと教えてくれるはずだ。教育が好きな男だから」

 

にらめっこしかしない自分を見かねたのか、署長が打開策を教えてくれた。

正直そんな面倒な事をするより手っ取り早く署長の口から教えてもらいたかったのだが、虚言をペラペラと話すのは性に合わんと言って教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく底が見えてくる。この世の黒を全て集めたような闇の深淵。その中でか細く、けれど力強く煌めく紅い光が見える。その輝きを目指して少女は歩く速度を上げる。

誰かの役に立ちたいではなく、今は彼の役に立ちたいと思い、震える足を踏み出していく。

暗闇への恐怖を、無感情ではなく、温かな気持ちや期待によって乗り越え、歩き続けていた。

 

ーーー?

 

人の気配を感じ、階段の陰に隠れる。闇の中で何やら話し声が響いていた。

 

ーーー誰か、いる?

 

こんな所に自分以外の誰かが来るとは思わなかった。思わず隠れてしまう。しばらく息を殺して潜んでいると、重厚感ある足音が階段を上っていく。どうやら話は終わったようだ。

 

「もう出てきていいぞ。メシの時間だな?待ってたぜ、シェーレ」

 

掠れた声が響く。同時にジャラリと鎖が動いたような音がなる。明らかに自分に向けてかけられた声だ。螺旋階段から出て、あの紅い光に向かって歩みを進める。

 

堅固な鉄格子に閉ざされた牢獄の中、頑強な鎖で四肢をつながれているのは、赤い血で全身を化粧したやつれ果てた青年。数日前に死体同然の惨状で収監された男だ。

艶のない紅い前髪が掛かっており、素顔は隠れている。しかし時折見える目の光は、若き覇気で輝いていた。

 

「すみません、お待たせしました」

「なあに、こう見えて結構忙しい身でな。暇潰しには困ってねえよ」

「こんな所で暇なんて潰せるんですか?」

「ああ、勿論だとも。例えば、あとどれくらいでメシの時間かと予想したりな」

 

それで暇が潰せるとはとても思えませんが……

 

「失礼だな、籠の中の鳥だろうと、大空を夢見ることくらい出来る。それだけで十分時は過ごせるさ」

 

心の中で思っただけの事をこの男は正確に読み取る。

 

「あの………さっきの人は……?」

「俺の元上司だよ。勧誘されてたのさ。俺様ってば優秀だからな」

「その………檻に」

(つながれてる貴方がですか?)

「バッカ、優秀だからこそ恐れられて繋がれてんだよ。俺はこう見えてエリートだったんだぜ?」

 

この青年は凄まじく聡明で、この程度の簡単なやりとりなら言葉を発さなくても当意即妙に察してくれる。元々しゃべる事が得意ではないシェーレにとって、このようにまともに意思疎通出来る人間は貴重だった。

 

「さて、お喋りも良いがハラが減った。メシにしてくれ」

「あっ……はい!」

 

野菜クズと麦をドロドロになるまで煮込んだ、もう料理とすら呼べない代物。

服で手をよく拭って綺麗にすると、シェーレは直接器から掬って格子の間から差し出し、男に食べさせた。

こんな食事の方法は普通しないのだが、この男に関してはこうするしかないのだ。牢の中の彼にはどんな些細なものでも渡してはならない決まりがある。

両手両足鎖で繋がれているというのに警戒しすぎではないのかと普通思うが、仕方ない。この達人は如何なるものでも武器にする事が出来る。紙片一枚ですら、この男であれば鋭利な刃物へと変貌する。

だから匙も用意されておらず、器も格子をくぐらない程度の大きさのものだ。

 

「まあ仕方ない。さんざ狼と言われてきてはいるが、ホントに犬食いしたくはないからな」

 

気持ちはわかりすぎる。大の男がこんな食事のやり方をしなければならないというのは辛いだろう。

そして彼を不憫に思いつつ、少女は最近は役得と思ってたりする。傷ついた彼の精悍な顔はゾクリとする程魅力がある。その彼の唇に触れ、乗った食事を掬い取る為に指が口に含まれ、指の間を舌が這う。ぬめりとした感覚が手をくすぐる度に、シェーレには正体不明の甘い疼きに悩まされている。

 

「ご馳走様……」

 

こんな食事を日に三度。毎日繰り返している。そしてこの後、すでに恒例となった二人の秘め事がある。

 

「さて、昨日はどこまで教えたかな」

 

格子から手を出す。出血多量と栄養失調により痩せ衰えた乾いた掌。シェーレはロウソクを置き、彼の手に指を動かす。

 

(あ、い、う、え、お)

 

文字を一つずつ綴っていく。署長に言われたあの日から彼には字を習っていた。

 

「よし、アルファベットはもう大丈夫だな。じゃあ此処からは会話禁止。筆談だ」

 

しばらく文字のみで会話をする。体の調子はどうなのか。怪我の具合は大丈夫なのか。少女の指が綴った内容は彼を心配するものばかりだった。文の途中で指が止められる。

 

「違う、文法が間違ってる。こうだ」

 

鎖で制限された腕を何とか動かし、節くれだった指を格子から出す。彼の人差し指が自分の人差し指と重なる。指先どうしがくっついたまま、彼はゆっくりと正しい文法を伝えるべく指を動かす。

 

少女は自分の視線から字を綴るだけだが、彼は反対側から自分に教える為、こちらが見やすいように鏡文字を綴っている。一つ二つの文字なら誰にでも出来るが、文章となるとその難易度は跳ね上がる。しかし彼は何の淀みもなく、流麗に文字を綴った。

 

「まったく、お前さんは意外と覚えが悪いな。メガネしてる奴は頭良いというのは偏見だったか?」

「す、すみませ……」

 

申し訳なくなり、謝ろうとすると笑って首を横に振った。

 

「幸か不幸か、俺の弟子は物覚えのいい奴ばっかでな。こういう手のかかる教え子というのもまた違った可愛さがあると知った。お前とのこの時間は新鮮で面白い」

「…………」

 

褒められてるのか貶されてるのかわからない言葉だった。どういう顔をしていいのかわからない。

 

「さて、それじゃあもう一度最初から。ほら、指出せ」

「あっ……はい!」

 

それからしばらく、時を忘れて二人は文字を綴り続けた。シェーレは客観的に見ても優秀とは言えない生徒だったが、とても熱心で真面目な聴客だった。一文字一文字丁寧に紡いでいく。

 

───まるで鏡のような子だ

 

良くも悪くも純粋で、真っさらな子。だからか、こちらの誠意には誠意で返してくるし、ピッチを早めれば、相手もピッチを上げてくる。

あの三人の弟子たちはこうではなかった。三人ともそれぞれのペースを持っており、こちらが多少弛めようが早めようが、自身の持つ速度で歩む。才気のある奴はこのタイプが多い。他人がどうしようが関係ない。どこかマイペースなところがある。

 

ジュっと火が消え掛ける音が鳴った。音源を見てみるともうロウソクの残りが少なくなっている。これ以上やるとシェーレが帰れなくなる。

 

「よし、今日はココまで。続きはまた明日だ」

「…………はい」

 

少し肩を落として、食器を持ち、短くなったロウソクを掲げる。寂しそうな横顔が火に照らされた。

 

「あ、あの……」

「ん?」

「…………また、教えてくれますか?」

「ああ、もちろん。君は俺にとって貴重な暇潰しだからな。まあ長くは教えてやれんだろうが心配するな。少なくともあの新聞が読めるようにはしてやる」

「…………はい」

 

少し顔に陰ができる。後ろめたさがある事は何となく伝わった。

 

小さな足音が闇の中に響く。手に持つ新聞の内容について、まだ全部はわからない。しかし見出しに書かれている事や、冒頭の記事のタイトルはもう読める。

 

仲間殺し、帝国へのクーデター計画、敵前逃亡、ほぼ全ての軍規違反の罪状がズラリと並べ立てられている。この新聞を読めるようにしてくださいと頼んだ時、書かれている内容は全て真実なのかを尋ねた。彼は自嘲するように一度笑うと、こう言った。

 

『何が書かれてるかはよく知らんが、まあ大抵本当のことだろう。あの頃の俺は今ほど丸くなかったからな』

 

最初はこの言葉を信じていた。唯一理解できる顔写真は確かに目の前の彼と同じ顔を写していたが、およそ人と呼べるような目をしていなかった。血走り、虚ろで、まるで長年壁にこびりついた血のようなドス黒い赤。この写真の人ならこんなことをしても不思議はないと思える狂人の目だった。

 

今はそんな事、カケラも思っていない。あのような紅玉の美しい瞳を持つ彼があんな事をするなど信じられない。失ってしまったかつての友人以外で初めて信じられる人だった。

しかし、その彼が、この新聞の内容は真実だと言った。もう何がなんだか、わからない。

 

分かっているのはたった一つ。自分が新聞を全て読めるようになるだけの時間は残されていないだろうという事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三人の少女は圧倒されていた。敵などにではない。当然だ。彼女たちが立っている場所は戦場などではないのだから。

 

「どうした、何をやっている。ぼーっとしていたら逸れるぞ」

 

先頭を歩くチサトが振り返る。三人が付いてきていない事に気づいたからだ。

 

「ち、ちょっと待って。人だらけで歩きにくくて……よくチサトはそんなスルスル歩けるね」

 

人の壁に阻まれながら、なんとか歩く。経験したことの無い空気に三人とも圧倒されていたのだ。

帝国第二の都、ラクロウ。あの栄えた都がまるで比較にならない、大都会。石畳に並び立つ屋敷。ところ狭しと建てられた店。一体どれ程の時間と文明を掛けて作られた物なのか。

 

───コレが帝都か!

 

普段冷静なタエコとファンすら平静を保てないでいる。いまこの世界で最も繁栄している都市だ……少なくとも、表向きは。この反応も無理ない事だった。

 

「急ぐぞ。まずはスラムに行く。私の拠点がまだ残っているはずだ」

 

かつてヴァリウスが退役したチサトのために用意した拠点だ。スラムの店などいつ荒れ果ててもおかしくないが、それでも区画というものが存在する。ヴァルが設えただけの事はあり、チサトの拠点はスラムの中でもかなり格式の高い場所だ。そう簡単に手出しは出来ない。半ば帝国が作ったアンダーグラウンド。ここに手出しするという事は帝国に叛逆する事と同義だ。

 

「そんな所に私達が入っていいの?姿を見せた途端、ガッチャンとかならない?」

 

チェルシーが手枷を嵌められたような仕草で手首を合わせる。半ば帝国の管理区に入るような事を言われたのだ。この懸念も当然だ。

 

「そのつもりなら帝都に入った時点で私達はとうにお縄だ。いくら管理してると言っても、ゴミ捨て場の管理をしているようなものだ。お偉方も利益以外は見ていない。それも当然だ。汚い物を進んで見たいと思う奴もいないからな」

 

───それに、あの女が私達に興味を示すとも思えんしな

 

あの場にはヴァルがいた。あの女の第一目的は彼だ。取り逃がしていたならともかく、捉えた今、自分達を手配することになんの意味もない。

 

「ーーん?」

 

馬の嘶きが響き渡る。同時に悲鳴も。

 

「なんの騒ぎだ?」

「サーカスか何かかなぁ?見に行こうよ!」

 

チサトが止める間も無く、チェルシーがファンの手を引き、音の発生源へと走る。ナジェンダの手紙の返事が来ない限り、まだ動けないと聞かされたからか、三人の心に少し余裕が出来たらしい。ファンもやれやれと言う表情を見せながらも2人についていった。

 

「よ、よせ三人共!見ない方が」

 

チサトが止めた時には、もう人垣をすり抜け、その現場にたどり着いてしまっていた。

 

「え………何、これ」

 

帝都のメインストリート。馬車が二台は通れそうな広い通りのど真ん中。みずぼらしい、痩せた少年が両手両足を縛られ、猿轡をした状態で打ち捨てられている。それだけならこんな人だかりは出来ないだろう。少年の視線の先に人を集めた最大の理由がある。

 

「あのひと、馬なんかに乗って、何するつもりなの……」

 

嗜虐的な笑みを浮かべ、少年を見下ろしているその人物は身なりは立派だ。それなりの地位の人物だと見受けられる。しかし、彼からは何人も見てきた、そして師に教えてもらったクズの匂いがした。

 

「まさか……」

「帝国の貴族が以前から行なっている悪趣味なゲームさ。自分の奴隷をああやって……」

 

そこから先を言葉にするのは流石のチサトも憚った。しかし意味は寸分の狂いなく三人に伝わる。

 

「止めなきゃ…」

「バカ!此処では暴れるなと厳命したはずだ!」

「でも!「コレが帝国の常識なんだ!怒るな!」

 

ファンの腕を掴んで止める。ここで暴れられては何のために帝都に来たのか分からない。

 

「私達は何をしに来た!あいつを助けに来たのだろう!これを成し遂げる事もはっきり言って至難の技だ!これ以上難易度を上げてどうする!」

「でも………でも……」

「大義のためには切り捨てなければいけない事もある。いずれこの国が滅ぶ時、奴も相応の罰を受ける。だから今は耐えろ」

 

ファンの手を握るチサトの腕も震えている。本心では奴を八つ裂きにしたい。けれど理性の力で必死に押しとどめているのだ。

 

蹄鉄の音がなる。距離をとることで勢いをつけ、思いっきり踏みつけようと言う魂胆なのだろう。倒れた奴隷も必死に抵抗する。その弾みでか、猿轡が外れた。

 

「ははは!いいぞもっと抵抗しろ!ゲームは難易度が高い方が面白い!」

「頭を踏めなきゃ負けですよ、兄上」

「ギャハハハ!」

 

下卑た笑い声が通りに響く。その下品な声を誰も止めようとしない。

 

ついに馬が走り始めた。一直線に倒れている奴隷に向かって走り出す。

 

「た、助けて……誰か」

 

奴隷が取り巻いている人垣に助けを求める。誰もが目を合わせないように視線を地に伏せた。

 

「たすけてぇええええええ!!!」

 

 

プツリと、何かが切れた。

 

 

グシャリ。

 

何かが潰れる湿った音がする。誰もが奴隷が踏みつけられた音だと思った。さすがに現場を直接見る勇気はなかった者たちが、視線を再び奴隷へと戻す。しかし見えたのは予想していたものとは違っていた。

 

少年の拘束は槍を持った黒髪の少女に外されていた。少年を守るように腰に細身の剣を差した美女が立っており、茶髪の少女は馬が動かないように見えない何かで縛っている。そして馬上にいたはずの貴族が胸に赤い斬撃の跡を残し、落馬していた。湿った音の正体はコレだったのだ。剣を鞘に収める音が甲高く響き渡る。

 

「バカ者どもが……」

 

小さな呟きだったが、静寂が辺りを支配していたためか、よく響いた。

 

「ゴメン……貴方が言う事もよくんかるけど……」

「コレを仕方ないと見逃してしまったら、私達は…」

「あの人に顔向け出来なくなる」

 

ワッとざわめきが再び戻った。それは歓声のようにも、悲鳴のようにも聞こえた。

 

「き、貴様ら!よくも兄上を手にかけたな!帝国の貴族である我々に手を出せばどうなるか」

 

懐から銃を取り出そうとした男の言葉が途中で止まる。銃を持った腕ごとタエコが切断した。

 

「ファン!早くその子を!」

「わかってる!君、大丈夫?走れる?」

「あ、貴方たちは……」

「ただの通りすがり……さて、逃げるにしてもどこに行くか」

「そりゃあスラムしかないだろうね」

 

三人とは違う声が会話に入って来た。貴族の護衛と戦っているタエコを除いて新手に目を向ける。2人とも武器を構えた。

 

「そんな物騒な物向けないでよ。私は貴方たちの味方だよ。あんたらがやらなきゃ私がヤッてた」

「…………貴方、誰?」

 

ナイフを構えたチェルシーが油断なく間合いを詰める。現れた人物が只者でないことは本能が察していた。

 

───強い人特有のヤバイ人の気配……野生の獣を相手にしてるような、そんな錯覚。多分先生と同種の人間…

 

金色の髪に豊満な肢体を持つ美女にチェルシーが持った第一印象は師とどこか似ている、だった。

 

「私の名はレオーネ。スラムじゃちょっとは名の知れた女さ」

 

 

 

 

 

 




後書きです。レオーネ登場!さぁどうやって話に収集つけよう……エンディングがまるで思いつかない。手探り手探り書いていきます。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです


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第三十六罪 そして獣が集結する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スラムのとある一角で稚拙な擬音が鳴る。一つの影が宙を待って地面に落ちた音だ。

続いて響く硬質な金属音。影を吹っ飛ばした者が腰に剣を納めている。もう戦いは終わった。

 

「ま、待て………この野郎」

 

この場から去ろうとする二つの人影に声がかかる。倒れた女が必死になって絞り出していた。

 

───なんでテメエはいつも私にトドメささないんだ……

 

声は出なかったが、その意思を込めて睨みつける。この男はいつもそうだ。こっちが暴れていると必ず止めるくせに、トドメをさすことも、牢にぶち込むこともしない。ただ、戦闘不能にしてこの場を去る。そんな事をもう何度も何度もされていた。

挑み掛かる強い少女の琥珀色の瞳を見て男が微笑する。その笑顔はレオーネの目には少し儚げで、そして美しく映った。

 

「まったく、野良猫が根性だけはいっちょまえか。未熟で生意気、嫌いじゃねえなぁ、お前みたいなの」

 

笑う男はジッとこちらを見つめてくる。何度か対峙した事はあったが、ここまで近くで顔を見られたのはお互い初めてかもしれない。

 

「…………へぇ、いつも眉間にしわ寄ったツラしか見てなかったから知らなかったが……なかなか綺麗な顔してるじゃないか。せっかく美人に生まれたんだ。もっと淑やかに生きたらどうだ」

「ーーーーっ!?な、何言ってんだテメエ!」

 

怒りが肉体を上回る。もう精も根も尽き果てた状態だったにも関わらず、飛び跳ねるように襲いかかってきた。

しかしそれも無駄な足掻きだった。首筋に鈍い一撃が加えられ、再び地面に沈み込む。

 

「ガッ……」

 

───何されたかすら……分かんねー

 

暗転する意識の中で自分に起こった事を正しく認識することはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やいこらヴァリウス!!」

 

スラムの子供達に何やら教えていた彼に怒鳴り声が叩きつけられる。一つ嘆息すると紅い瞳が彼女を捉えた。

 

「のこのこと1人でこんなところに出歩くとは不用心だったなぁ。今日こそテメエをぶちのめしてやるぜ!そこのチビどもさっさとどけろ!」

「はぁ……お前たち。今日の授業はここまで。お家に帰りな」

『はいセンセー!』

 

紙束を持って子供達が三々五々に散っていく。見えなくなったのを確認するとようやく彼はレオーネの正面に立つ。

 

「またお前か……よく飽きないな、野良猫」

「へっ、喧嘩に飽きるもクソもあるかよ!今日こそ決着つけてやる!」

 

帝具の力を発動させる。百獣王化、ライオネル。獅子に変身し、身体能力や回復力を飛躍的に上昇させる帝具だ。

飛びかかる。そしていつものように叩きのめされる。こちらが怪我をしない程度にしっかりと手加減されて。首元に鋒を突きつけられた。

 

「…………」

 

フッと息を吐くと鋒を引く。背を向けると同時に腰の鞘に剣を収めていた。

 

「っ、待てテメエ!なんでいつもいつもトドメ刺さないんだよ!!」

「…………もうちょろちょろすんな。お前に構う時間が惜しい」

 

顔だけをこちらに向けて彼はそれだけを答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、レオーネはとあるスラムの繁華街で倒れ伏していた。そこは帝国が営業を行っている娼館。娘たちの春を売っているだけなら真っ当な商売だったが、彼らは女と同時に薬を売っていた。そしてそこの娼館で働く娼婦たちはほぼ例外なくクスリ漬けにされている。その中にはレオーネの友人もいた。

 

怒り狂ったレオーネはそこの連中を皆殺しにすべく走った。帝国国営の娼館が相手となれば色々と問題も生じるが、そんなことに構ってはいられない。八つ裂きにしてやらなければ気が済まない。

 

───アレだ……!

 

小細工は性に合わない。チンピラとしての喧嘩の経験は豊富でも、実戦の経験は皆無だったレオーネは愚かにも正面から突撃してしまった。

突入した序盤は帝具の力もあり、八面六臂の活躍を見せていたのだが、流石に国営施設。護衛や警護のレベルもチンピラとは段が違うため、徐々に追い込まれていった。

 

「おい、そろそろ」

「はっ」

 

首魁らしき男が部下に指図する。すると仲間たちは一斉にマスクをつけ始めた。その様子をレオーネがいぶかしんだ時にはもう遅かった。

 

───うっ……

 

部屋の中の空気が鼻に届く。醜悪な匂いが獣化し、強力になった彼女の嗅覚を刺激した。思わず後ずさり、顔をしかめる。

 

───薬品……

 

グラリと視界が歪む。上下左右が定かでなくなり立つことも出来なくなってしまった。しゃがみ込む。その瞬間、腹部に衝撃が走った。

 

「ガハッ!?」

 

吹っ飛ばされる。相当の威力で蹴られた。態勢を整えて立とうとしても上手くいかない。

 

「やっと大人しくなったか、手こずらせやがって」

 

金色の髪を掴まれ、引き上げられる。ろくに動けないレオーネはただ首魁らしき男を睨みつけることしか出来なかった。

 

「へぇ、おまえよく見りゃ悪くねえ顔してんじゃねえか。ちょうどヤク漬けで廃棄処分になったヤツがいるんだ。たっぷり調教してやってから取り替えてやるよ」

「ふざ……けるな……誰が……お前らなんかの……」

 

黒の胸巻きが引き裂かれる。レオーネの豊かな乳房が露わになった。背中から踏みつけられ、地べたに這いつくばる。

 

「こ、殺して……やる」

「すぐにそんな事もどうでもよくなる。ほら、テメエら。こいつを例の……」

 

首魁の言葉はそこで止まる。ガラリと正面の扉が開け放たれた。そこにはボロボロの姿で立つ男が1人。

 

「ゼン、てめえ何やってる。見張りは…「つ、強え……」

 

倒れ臥す。後ろの影間から1人の男がゆっくりと姿を見せた。

紅い髪に紅玉の瞳を宿した、炎が人の姿になったかのような美青年。

 

「だ、誰だテメエ……」

「俺を知らないとは……所詮はスラムのモグリか。それとも俺がまだまだなだけか。ちょっとショック」

 

やれやれと一つ息を吐く。呆れた視線はそのまま這いつくばっているレオーネに向けられた。

 

「跳ねっ返りもここまで来ると笑えんな。バカだバカだと思ってはいたが、ここまでとは」

「ヴ、ヴァリウス……」

 

悠然と歩く。部屋に立ち込める匂いで状況は大体察していた。

 

「すまない、遅くなった。子供達の説明では曖昧でな。この辺りの娼館一軒一軒回っていた」

 

苦笑交じりの呆れ顔でこちらに近づいて来る。羽織っていたローブを肩からかけてくれた後、流血している箇所に何やら塗ってきた。薬だろう。膏薬の匂いがする。

 

「…………おい、またバカが乗り込んできやがったようだ。今度は男だ。構わねえ、ぶち殺しちまいな」

 

辺りに響くように大声で叫ぶ。しかし反応した者はいなかった。

 

「呼んでも来ねえよ。ここにいる連中以外には全員寝てもらった。なかなか通してくれなかったもんでな」

 

まだこいつの効力も全然だな、と手の中にある紋章を弄ぶ。知っている者は知っている。最近帝国軍で新設された新進気鋭の精鋭部隊のエンブレムだ。

 

「だがいずれこの紋章一つでどこにでも入れるぐらいにのし上がってやるぜ」

「なんなんだテメエはぁあああああ!!」

 

取り巻きの1人が襲いかかる。そしてまるで跳ね返されたかのように中天に舞い上がった。ヴァリウスは逆手に剣の柄を握っている。

 

「名乗ろう。帝国軍所属、第一特務隊エスデス軍副隊長、ヴァリウス」

「と、特務隊って………聞いたことあるぜ……帝国軍で新設された、遊撃担当の精鋭部隊……その副隊長」

「今日は民草からの軍への依頼の元、参上させてもらった。貴様らには幾つか罪状も上がっている。悪いが容赦はしないぞ」

「ふ、ふざけるな!俺たちは帝国の指導下の元で…」

「そう言ったことは白州でいいな。さあ、軍に来てもらう」

「と、特務隊だからなんだってんだ!ここだけでも三十人近く戦闘員がいるんだぜ?纏めてたたんじまえ!」

 

リーダーの檄に護衛たちが一斉に襲いかかる。その様子を見たレオーネは流石に彼の窮地を思った。

 

「に、逃げろ……いくらあんたでもこいつら全員の相手は……」

 

どんな業者でも数の暴力には逆らえない。ましてはこいつらは帝国正規兵並の練度を持つ。

しかしそんな心配とは裏腹に、男は不敵に笑う。

 

「お前はよくやったよ。余計な心配してないで休んでろ」

 

腰間の剣を抜く。その一振りで先に突っ込んできた5名ほどは吹き飛んだ。

 

「俺を殺したければ、魔神以上のヤツを連れてこい」

 

薄れゆく意識の中、人は壁にめり込むということを知った。

次に目が覚めた時、レオーネは治療を完璧に終えられた状態で自身のねぐらにいた。数日後、風の噂であの娼館は取り潰されたということを聞いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、野良猫。いるんだろう?出てこいよ」

 

赤髪の軍人が東屋でキセルを吹かしながら、誰もいないように見える背後に向かって話しかける。十ほど数える時間が立つと上空から彼の隣へと金髪の女が降り立った。

 

「いつから気づいてた?」

「3日前」

 

レオーネが彼を尾行し始めた時からだった。つまり最初からバレていたということ。

 

「気づいてたならなんで放っておいたのさ」

「だから貴様にいちいち構ってられないんだよ俺は。仕掛けてくる様子もなかったから捨て置いたが……いい加減目障りでな」

 

こちらを覗き込む彼の表情には呆れのような、感心のような、どちらとも言えない感情が混ざっている。

 

「で?何の用だ?今日は喧嘩しに来たわけじゃないんだろ?」

「…………」

「先日のことの礼ならいらねえぞ。仕事だからな」

 

見返りを民に求めていては軍人はやっていられない。基本的に嫌われてナンボの存在なのだ。軍人が感謝される日など永遠に来ないに越したことはない。

先にそんな事を言われてしまってはもう改めて礼も言えない。仏頂面に不機嫌の色をにじませ、レオーネは口を開いた。

 

「…………おまえ、なんでいつも私のこと見逃すんだよ」

「…なんで、か」

 

煙交じりの息を吐くと彼は空を見上げた。つられてレオーネも空を見る。この帝都は常に動いており、昨日と同じ光景は一度としてないが、空の色だけは例外だった。

 

「野良猫。お前、異民族の出身だろう?」

 

整った顔立ちの中に野性味を持つレオーネ。西の異民族に良く見られる風貌だ。それでいて帝国民の面影もある。恐らくこの推測は当たっている。

 

「……知らないさ。私は気づいたらこの街にいた。親の顔も、見た事ない」

「…………そうか」

 

彼の口角が上がる。時折見せる物憂げな笑み。そんな彼を見るとレオーネの胸はきゅっと締めつけられる。正体不明のこの感覚がレオーネをイラつかせた。

 

「俺も親の顔は知らんのだ。物心つく前に死んだとだけ聞かされた」

「ふーん、よくある話だな」

「ああ、よくある話だ」

 

そっけないレオーネの冷淡な答えに苦笑を返す。この男はどんな表情を浮かべても悲しみの色が混じる。

 

「野良猫、お前は俺がどう見える?人間に見えるか?」

「…………はぁ?」

 

何を言っているのかわからなかった。彼が人間以外の何に見えるというのか。いや、確かに強さで言えば人間とは思えない。帝具の力で獣化した自分を子供扱いするほどの実力を持っている。そこは確かに人間離れしてはいるだろう。しかし彼が聞いているのはそんな事ではきっとない。

 

「俺はな。強くなる必要があった。俺の居場所を作るためにはソレが不可欠だったから。俺が隣にいたいと思うヤツのそばにいるためには、人であることをやめなければならなかった。俺は人間だけど、人間じゃいられない。そんな存在だったのさ。そうやって前だけ見て走ってたら、いつのまにか炎狼なんて呼ばれるようになっていた」

「…………………」

「だから獣に変身して戦うお前を見て驚いた。人でありながら、獣。そんな奴が俺以外にいるなんて思わなかったから」

 

帝具の能力に驚くことはもうない。超常の力に関してはこの数年で充分見慣れた。それでも獣化したレオーネの姿には驚かずにはいられなかった。

そして俺と戦う時の楽しそうな目を見てしまった。強敵を求め、戦うことが楽しい。そんなあいつの面影を。

 

「お前と俺は少し似ている。だからお前を殺せなかった」

「はっ、何それ。あんたらしくないね」

「ふ……そうかもな」

 

レオーネの嘲笑に対してまた彼は悲しそうに笑った。

 

「それにな、お前の気持ちもわかる。あの辺りの連中は本当に救いようのない奴らばかりだ」

 

目の前の少女は理由なく暴れるという事はしなかった。彼女が人に拳を振るうだけの動機は常に存在していた。そして心情的に言って、やり過ぎを除けばこの野良猫の言い分は正しかった。

しかし軍人として帝国の富裕層を傷つけさせるわけにはいかない。彼女が暴れる理由の大前提には気に入らないという不満のはけ口がある。それを悪人に対して行なっているというだけ。だから初めて叩きのめした時以降、標的を自分に向けさせるよう誘導した。

 

「野良猫、力が余ってんなら軍に来い。暴れる場所には事欠かんぞ」

「ケッ、宮仕えはゴメンだね」

「そうか……だがそろそろ俺にかなわない事くらいは理解しただろう。いい加減突っかかるのはやめろ」

「うるさい、ケンカってのは負けを認めない限りなく負けじゃないんだ」

「ははっ、その通りだ。ケンカの勝敗はそれでいい。またいつでも掛かって来い。だからあんま弱い奴相手に悪さすんなよ、野良猫」

 

ポンポンとあやすように頭を叩くと、剣を腰に差し、立ち上がった。

 

「っ、おいヴァリウス!人の事を野良猫野良猫言うんじゃないよ!」

「なら名を言え。そしたらもう2度と野良猫とは言わん」

 

あっ、となる。確かに彼に名乗った事は一度もなかった。

 

「…………レオーネ」

「レオーネ……獅子の乙女か。勇ましい名だな。俺はヴァリウスだ」

「知ってるよ!」

 

ハハハと笑うとその場を後にする。一分の隙もなく歩くその姿を撫でられた頭を抑えながら見えなくなるまで見つめていた。

その日以来、彼はスラムに現れる事はなくなった。数日後、帝国に彼とエスデスの名前が轟いた。海外の最前線で八面六臂の活躍を見せる最強の狼として。

 

そして数年の時が経ち……

 

「…………なんだよ、コレ」

 

レオーネは久々に彼の顔を見た。手の中には炎狼が逮捕され、処刑を待つ身となったという記事が載っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………よし、ここまで来れば大丈夫だろ」

 

肩を弾ませながら金髪の女が息を吐く。彼女の後を追ってきた4人もそれなりに息を切らしていた。スタミナや機動力に関して彼女たちは真っ先に鍛えられた。体力には自信のあった4人なのだがそれ以上にこの突然現れた獣じみた女の身体能力が高かったのだ。

 

「あなた……一体何者?」

「だからレオーネだって。スラムのなんでも屋さん。マッサージ師としての活動が最近のメインかな〜。この辺りのことなら大抵のことは知ってるから何でも聞いてね?」

 

ほら、おウチに帰んな、と助けた少年を解放してやる。一度深く頭を下げると、彼はどこかへと走っていった。

 

「で?私にだけ自己紹介させておしまい?」

「あ、ああゴメンなさい。私はチェルシー。コッチのポニテがタエコでロングなのがファン。片眼鏡はチサト」

 

4人の中で最も社交的なチェルシーが全員を紹介する。名前を呼ばれた三人も一度頭を下げた。

 

「しっかし度胸あるねぇ、三人とも。この帝都であんなマネが出来る奴がアイツ以外にいるなんて思わなかったよ」

「あいつ?」

「ああ、あんたらもきっと名前くらいは知ってるよ。そいつは」

「談笑しているところ申し訳ないが、あまり悠長に構えてはいられなくなった。レオーネといったな?ここの場所は三年前と変わっていないか?」

 

レオーネの言葉を遮り、チサトが地図を見せる。スラムは町並がコロコロ変わる。三年も経てばほぼ別世界といって差し支えない。しかし目的の場所はその例外に当たる。一応帝国とも繋がりのある酒場のため、易々と転居したりはしないのだ。チサトが道を聞いたのは念のためである。

 

「へぇ、あんたらも此処に用があるのか。実は私も呼ばれててさ。めんどくさくて放置してたんだけど……ん、気が向いた。ついでだから案内してやるよ。こっち」

 

指をクイと曲げると先頭に立って歩き始める。足取りは軽やかでかつ迷いがない。道は知っているらしい。

 

「……信用していいの?」

 

警戒心を滲ませながらチェルシーがチサトに耳打ちする。このご時世、無償の善意ほど怖いものはない。亜麻色の髪の少女はかつて師に教わった事を忘れていなかった。

「道は私の記憶とも間違っていない。それに何かするつもりならあの時お前達を助けたりはしなかったろう。あの状況なら自分が逮捕されてしまう可能性もあったんだ。そこまでして私達を詐欺に嵌めるメリットはないさ」

 

まだ少し納得のいかない表情を見せてはいたが、一応の理解は示した。一度頷くと懐のストリングスを握りしめ、チェルシーは後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ついた。此処だ」

 

歩いて数分、スラムにしてはなかなか大きく立派な酒場へと到着する。表向きは帝国に上納金を納めている国公認の酒場だが、実際は様々な人種がごった返すサラダボウルであり、革命軍とも繋がりがある。酒場の名前はTIMといった。

 

「此処のマスターが変人でさぁ。帝国とも、革命軍とも繋がってる。相当のタヌキだ。店の名前の由来は左右どちらから読んでも同じように読める存在だからTIMなんだってさ」

 

左右対称。利益さえあれば誰にでも協力する。それがマスターの方針だった。扉を開けると一気にざわめきが押し寄せてくる。なるほど、此処でなら内緒話もしやすいだろう。木の葉を隠すのは森の中に限る。

 

「ほら、行くよ。カウンターまで行かなきゃ」

 

逸れないようにレオーネはチサトの手を掴もうとするが、自然な動作で避ける。行き場をなくした華奢な手の持ち主は一度苦笑すると人ごみの合間を縫って歩き始めた。4人もそれに続く。

 

「へい、マスター」

 

空いたカウンター席に座り込む。コインを一枚、指二本を使ってテーブルに置いた。

 

「何にする?」

「ジン・ビーム」

「代金は?」

「ミハエルの奢りで」

 

コインを受け取り、テーブルの奥へと消えて行く。その様子をファン達は呆然とした表情で見ていた。

 

「ん?なに見てるんだ?私の案内は此処までだ。こっから先は私の都合だよ」

「………」

「ああ、さっきのやりとりは暗号でさ。あなた達には「……私たちも」

 

チサトが懐に手を伸ばす。胸元から取り出したのは先ほどレオーネがカウンターに置いたコイン。

 

「全く同じ事をしようとしていたんだ」

「…………へぇ」

 

口角が上がる。只者ではないとは思っていたが、こいつらも軍がらみで帝都に来ているようだ。

 

「あんたら、なにしに此処に来た」

「…………ある男を、救い出すために」

「なるほど。たまにいるね、そういう人。恋人?」

「いいや、師だ」

 

師か、と一つ呟く。そんなものがいた記憶はレオーネにはなかった。

 

「そういうお前こそ一体何者なんだ」

「私はただのチンピラさ。つい最近腕っぷしを買われて革命軍にスカウトが掛かってね。組織に属するのは面倒そうだから放置してたんだけど……死ぬ前に一度拝んでおきたい顔があってね。ちょっとツテが必要になったのさ」

「レオーネ」

 

無精髭を生やした男が彼女の名を呼ぶ。ついて来いと顎で指示を出してきた。

カウンターの奥にある酒蔵へと案内される。何か石の配置を変更すると、ワインセラーが動き、隠し扉が現れた。

 

「ここから先はワシは感知せん。何かあったら呼べ」

 

マスターがカウンターへと戻って行く。無人となった酒蔵の隠し扉のノブを回した。

 

「やあ、レオーネといったな。待っていたぞ。悪いがこの後人と会う約束をしていてな。早速本題に入らせてもらう」

「はじめまして女将軍さん。それってこの人達のこと?」

 

レオーネが半歩身体を引く。陰になって隠れていた4人の姿が露わになる。

 

「ナジェンダ……将軍」

「チサトさん……」

「ああ、やっぱり知り合いだったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チサトとナジェンダが予期せぬ形で再会した一方、その酒場で処刑について情報を集めている者がいた。ローブを頭から被っているため、顔は分かりにくい。なかなか高身長だが体躯は華奢なため、恐らく女性だと思われる。手にはあの号外が握り締められており、ローブの隙間からは輝くような金髪の癖っ毛が見えた。

 

「フェイルさん……」

 

待っていてください。必ず、私が……

 

酒場を出たその人物は地下牢がある方向へと歩みを進めて行く。傷だらけの拳を握りしめて。

 

かつて狼に救われた者たちが、集結しはじめていた。

 

 

 

 

 

 




あけおめことよろ〜!フクブチョーです。新年一発目は原作完結記念をかねてフェイルから筆を取らせて頂きました。いかがだったでしょうか?それでは今年もフェイルをよろしくお願いします。励みになりますので感想、評価もよろしくお願いします。


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第37罪 前夜

 

 

 

 

 

 

 

鍛錬場で膝をつく。全身には汗がビッシリと浮かび上がっており、相当ハードな訓練をした後だというのが誰の目にもわかった。しかもその汗の主は女性だというのだから驚きだ。佇んでいるのは灰色のロングヘアを三つ編みに束ねた麗人。名前はナジェンダ。帝国軍幹部候補に名を連ねる期待の若手だ。

 

───何をやってるんだ、私は……

 

オーバーワークな事は分かっていた。しかし、鍛錬を止める事は出来なかった。体を酷使していないと、余計な事を考えてしまうから。

 

───この国で将軍となる事を目指してずっと戦ってきた。だが……

 

偉くなればなるほど、この国の闇が目につく。変える為には偉くなるしかないのだが、それでもこれ以上先に進む事にナジェンダは恐れを感じていた。

 

「浮かない顔してるな」

 

タオルとともにそんな言葉が空から降ってくる。声の主が誰かは知っていた。この上官は自分より先に来ていて、そして同じ鍛錬メニューをこなしていたのだから。

 

「…………流石ですね、ヴァリウス隊長」

 

自分は動けなくなるほどきついメニューだったというのに、この男は軽く息を弾ませ、汗を掻いている程度。まるで永久機関を備えているかのような男だ。見た目の尋常ならざる美しさも相まって、本当に精緻なロボットか何かのようにさえ思えてくる。

 

「俺は生まれ育った場所が特殊だったんだよ。常に重りをつけて生活してたようなものなのさ。北の辺境で十年暮らせば体力なんて嫌でもつく」

 

あそこは標高も高く、空気も薄い。普通に生活してるだけでも心肺機能が鍛えられる。ましてあそこで危険種どもと生きるか死ぬかの戦いを繰り広げて来たのだ。備わったボンベが違いすぎる。

 

「あんたも真面目はいい事だし、努力するのは素晴らしい。こん詰めるのも時には必要だろう。でもあんたはまだ若い。無茶に鍛えると身体を壊すぞ」

 

タバコを懐から取り出し、咥える。いつの間に火をつけたのか、もうタバコからは煙が上がっていた。

 

「…………タバコの方が体に良くないと思いますが」

「ど正論だな。だが水が清過ぎれば魚も住まなくなる。こうして偶には不純物を体に取り入れて、清濁併せ呑む事も将には必要なのだよ」

 

笑ってしまう。上官とはいえ、自分よりも歳下の少年が、そんな事を言う姿が少し可笑しかった。

 

「そうそう、そうやって表情緩めて、煙を吹かすくらいの余裕がないとこの国ではやってけないよ。張り詰めすぎた弦はいつか必ず切れる」

 

だから適度に力を抜いてけ、と煙を吐き出し、タバコを一本差し出す。

 

「吸う?」

「…………いただきます」

 

初めて吸った煙の味は、苦く、けれどどこか甘かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオーネは後悔していた。この場に彼女達を案内した事は間違いだったかもしれない。少なくとも自分がこんなに気まずい窮屈な思いをする必要はなかったはずだ。

 

向かい合うナジェンダとチサトの間には冷たい、けれど激しい対立の空気が支配している。お互い無言で睨み合う。こうなったきっかけはナジェンダの一言だった。

 

「つまりあの人を死地において貴方達は逃げたということか」

 

今回ヴァリウスが逮捕された顛末を聞いたナジェンダは避難の色を込めた目で結論を出したのだ。

 

「やはりあの時、お止めするべきだった」

「それは貴方ならあの状況でもどうにか出来たという意味か」

「私ならまずそのような状況にしなかった。あの方を信じ、指示に従っていただろう。そして隊長一人であればむざと捕まるような戦い方はしなかったはずだ。貴方達が逃げる時間を稼ぐために、彼はあの怪物と真っ向勝負をしなければならなかった。貴方達の指示を無視した行動が、彼を死地に追いやった」

 

その言葉に、四人とも何も言い返せなかった。彼女の言った事は恐らく事実であるから。

 

「あの方を今の状況に追いやったのは、貴様らだ」

 

流石に気色ばむ。そこまで言われて黙っていられるほど四人とも出来た人間ではない。

 

「あー、皆様方。喧嘩も大いに結構ですがねぇ。そんな事よりも優先しなきゃならないことがあるんじゃないですかい?」

 

空気がピリピリし始めた事を肌で感じ取ったレオーネは軽い口調で空気を壊す。これ以上こんな居心地悪い空間に居たくはなかった。

 

「そうだな。今はこれからの事を考えなくてはならない」

 

その言葉に納得を見せた弟子達も取り敢えず黙る。過去の事を悔やんでも仕方ない。後悔ならここに来るまでに十分やった。今は彼を救う事に全力を注がなければ。

 

「処刑の日取りは?」

「まだ正式に決まったわけではないが……恐らく一週間後。時間は正午。処刑はエスデス将軍とブドー大将軍。2名の手で行われるとされている」

「….…それはまた豪勢な」

 

この国の武の頂点に立つと言われる三人が一堂に会する事になる。そんな事は軍にいた時ですら滅多になかったというのに。

 

「結論から言って、その前に彼を助け出す事は不可能だ。地下牢の警備は厳重だ。此処に侵入するだけでも至難の技だろう」

 

その事については弟子達も異論ない。宮殿の警備を担当した経験のあるヴァリウス本人が言っていた。平時にあそこに突入するのは単独では俺でも無理だと。厳密に言えば突入はできる。だが生きて出るのが一人では無理だと言っていた。

 

「…………隙ができるとすれば処刑当日って事ね」

 

無理だと断言したというのにナジェンダは諦めていない。それはつまり突破口があるという事だ。そして万物に言える事だが、付け入る突破口とは動き始めた時にこそ起きる。ヴァリウスも言っていた。機とは敵が弱っている時ではない。相手が万全の状態で優位に立っている時こそがその瞬間だと。

 

───流石ですね、ヴァリウスさん。貴方の教育を受けていることが会話だけでよくわかる。

 

ほんの短い時間ではあっても、手ほどきを受けたナジェンダだからこそ、彼女らからあの人と同じ匂いを感じ取った。

 

「大臣はこの処刑を最近落ち始めている帝国の威信回復に利用するつもりらしい。闘技場を借りきって、民衆も集めて大々的にな」

「…………なるほど、ブドー辺りは頭が痛いだろうな」

 

民衆を集めるという事は警備上どうしても穴ができる。わざわざリスクを増やすような真似をしようというのだ。エスデスは敵が現れる事は歓迎するだろうが、警備を一任されているブドーにしてみれば溜まったものではない。

 

「だが此方としては好都合だな」

「ああ、貴方達が侵入する隙を作ってやるくらいは今の私でもきっと出来る。私は好き勝手動けないが、別口で頼んでいる組織もある。あなた達には処刑当日、彼らと連動して動いてもらう。それまで派手な動きはするな」

「………………」

「1日でも早く動きたい気持ちはわかる。だが無計画に動いて、それがバレたらあちらの警備態勢がさらに厳しくなる。今の方法が最も彼の生存率の高い作戦なんだ。それでも助けられる確率は限りなくゼロに近い。これ以上状況を難しくするな。彼の弟子だというなら理解しろ」

 

不服そうな3人の弟子を見てナジェンダがクギを刺す。何としてもあの人を助けたいのはナジェも同じだ。だからこそ危険とわかっていながら薄氷を踏むような綱渡りをやっている。

 

───納得はしてなさそうだが理解はしたか。

 

これ以上何を言っても無駄だと判断した灰色髪の将軍は懐から処刑場の見取り図を取り出し、作戦についてチサトと議論を始める。何が出来て、何が出来ないかをお互い忌憚なく言い合い、詳細を少しずつ詰めていった。

 

「…………なぁ」

 

黙って見ていたレオーネが二人に呼びかける。邪魔をするかとも思ったが、聞かずにはいられなかった。

 

「ああ、レオーネ。すまない。本来なら今日はお前と話をしに来たんだったな。チサト、悪いがこの話は後に──」

「それはいいよ。私も完全に敵に回る前にヴァリウスにはちゃんと会っておきたかったから。だから私もこの作戦に協力するのは吝かじゃないんだけどさ」

「………?」

「なんでアンタはそこまでしてあいつを助けようとするのさ。元上司だからってだけじゃ、ここまでしないよね。貴方がアイツに味方する奴らを炙り出してこの4人をハメようとしてないって保証はある?」

 

場の空気に緊張が奔る。弟子達もその可能性を考えていなかったわけではないが、師を救うとっかかりはもう彼女らしかいない。罠を覚悟でそれでも希望を求め、藁にすがった。そのことを口にしなかったのは掴む藁さえ無くなることを恐れたからだ。

弟子達では聞けなかったことをレオーネは聞いてくれた。それはありがたい事ではある。しかし……

 

「ちょっと、レオーネ」

 

堪えきれずチェルシーが声を上げる。罠だったとしても彼女らからすれば、チャンスと言えるこの交渉を決裂させるわけにはいかない。たとえ警備隊が手ぐすね引いて待っていたとしても、帝国の奥深くに潜れるというのは好機だ。罠に嵌めたと思っている敵は御し易い。

 

「ゴメンね。でもやっぱりコレは聞いとかないとさ。それに迷いがあっちゃみんなだって思いっきりやれないだろ?」

 

人生の大半をスラムで生きてきたレオーネは騙し騙されに染まりきっている。疑う事が日常である彼女にとってこの疑問は当然だった。

 

「もう一度聞くよ。なんでアンタはあいつを助けようとするのさ」

 

それが聞けない限り、そしてその理由で納得できない限り、レオーネはこの作戦に協力できない。

 

「…………元上官だから、というのも嘘じゃない。でも、もちろんそれだけじゃない」

「…………」

「私は……あの人が好きなのさ」

 

何かを懐かしむような、遠い目を向ける。手にはタバコが握られていた。かつて彼に勧められた銘柄。できるだけ体に悪いものは摂取せず、完璧な体調管理を続けていた聡明なナジェンダが唯一摂取している明確な不純物。きっと彼があの時差し出してくれなければ、生涯取る事はなかっただろう。

 

『生死の境を生きる奴はな、毎日完璧な体調管理スケジュールをこなしつつ、致死量ギリギリの毒を躊躇いなく飲めるやつだ』

 

畑で育てられた植物より道端に生えてる草の方がしぶとい。体に良いものだけ摂ってたらタフさが身につかない。しなやかな強さが無いものは脆い。

 

彼がいつも言っていた言葉だ。真実もあるが、それ以上にきっとタバコを吸う言い訳だろう。それとこれとは話が別だ。これを話している時の彼も自覚はあったようで、笑っていた。

しかしナジェは彼のそんな所が好きだった。

 

「そういうお前はどうなんだ?見た所隊長とは顔なじみのようだが」

「アンタと似たようなもんさ。ボコボコにされてはアドバイスされて、偶に優しくされてた悪友だよ」

 

その一言を聞いて誰もが笑みをこぼす。ここにいる全員に覚えがあった。

 

「私たちは全員、彼にボコられた借りと恩がある。纏めて返してやる…とまではいかないだろうが、ギャフンとくらいは言わせてやろう」

 

後にこの場にいる全員が、帝国を崩壊させる組織の中核を担うメンバーたちとなり、歴史に名を残す偉業を成し遂げるのだが、それは別の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍靴が床を鳴らす硬質な音が闇に響く。浅く留めていた意識が浮上する。その足音だけで尋ね人が誰かわかった。

 

「随分やつれたな、ヴァル」

 

碧空色のロングヘアを揺らし、氷のように冷たく、美しい瞳が闇の中で煌めく。現れたのは鎖に繋がれた狼の元主。溢れる覇気と威圧感はいささかの翳りもないが、体中に包帯や湿布など怪我や火傷の手当てを受けた跡が見受けられる。

 

「随分大げさに包帯巻いたな。そこまで大怪我負わせてないだろ」

「まともに動く許可を医師にもらうのに今日までかかった。こんなに怪我をしたのは間違いなく三年ぶりだ」

 

座り込む。手にはブラウンシチューが盛られた皿があった。

 

「エビルバードのシチューか。懐かしいな。お前の得意料理だった」

「覚えていたか。嬉しいよ」

 

スプーンでひと匙、シチューをすくい取る。そのままこちらに差し出してきた。

 

「食べるか?」

 

鎖を引きずる音が鳴る。断られるかとも思ったのだが、そのつもりはないようだ。口を開けた。

 

「美味しい?」

「ん……美味い」

 

ゴロリとした大きな肉片が乗っていたのだが、躊躇いなく食べる。流石だ。ロクな食事も与えられず、鍛錬もしていない。筋肉は衰える一方のハズなのに、肉を噛み切る力はまだあるらしい。体力は削られても、気力は些かも萎えていない。

 

「ふふ……懐かしくも新鮮だな。あの時食べさせて貰っていたのはいつも私だった」

「二人で旅をしていた時か……あったな、そんな事も」

 

あの惨劇の夜を経た後の思い出。ヴァリウスを鍛えると同時に姉貴分としてエスデスは彼を甘やかしていたのだが、時には甘えてくる事もあった。寝る前に唄をせがんだ事、共に眠った事。食事もそのひとつ。偶に食べさせてと口を開いてくることがあった。

 

「…………考えは変わらないか?」

「……………………」

 

黙秘は肯定と変わらない。雄弁な沈黙だった。

 

「今ならまだ間に合う。私の軍門に入れば、超法規的にお前の罪を赦す。話はついてるんだ」

「くどいなエディ。この国に仕える気はもう一切ない」

「国ではなく、私に仕えると考えろ」

 

───……それは無理だよ、エディ

 

盲目的にお前に仕える事が出来たのなら、あの反逆の夜は起こらなかった。それが出来なかったから、俺は今こうしているのだ。

 

「哀れだな」

 

俺たちはもう、自分の為だけに戦うなんて事は出来ない。それをするには俺たちは強くなり過ぎた。

 

「なあエディ。強いってのは哀れだな」

 

自分のために戦っているつもりでも、その強すぎる力は何かを巻き込み、そして誰かの為になってしまう。

 

「俺たちはいつだって、誰かの代わりに戦わなくちゃならないから」

 

言っている意味が理解できないのだろう。そういう事が二人の間にはままあった。それでいいと二人とも思っている。嘘をついたことはないけれど、隠し事をしたことは二人ともある。全てを理解する必要なんてない。互いが互いを愛している。それだけが理解出来ていればそれでいい。本気でそう思っていた。

しかし今、生まれて初めて、彼を理解できないことに氷の女神は苛立った。

 

「…………処刑の日取りは明日の正午。全帝都民の前で行われる」

 

檻の鍵を開け、入ってくる。そのまま彼の胸へと倒れこんだ。鎖で繋がれているヴァリウスは動く事は出来ない。

 

「処刑を行うのは私とブドーだ。その重症に加えて、ロクに休息も取れていない最悪のコンディション。お前に勝ち目は絶対にない」

「どうかな。わからないぜ。この世に100と0はない」

「私ももうここに来ることは出来ない」

 

軍服のボタンを外す。窮屈そうに押し込められていた豊かな胸が露わになる。血塗れの彼の首に腕を回した。

 

「だからせめて……今夜だけは」

 

闇の中で二つの影が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手の中にある一通の手紙を玩びながら女がため息をつく。服装は大道芸人を彷彿とさせる衣装を纏っている。番傘を肩にかけ、腰掛けた椅子をグラグラ揺らしていた。

 

「はぁ〜」

「メラ様、どうしたんですか?」

 

メイド服を来た女性が声を掛ける。彼女のこのような不機嫌というか、不満げな姿を見たのは随分久しぶりだったからだ。

 

「ちょっと嫌な依頼が来ちゃったのよ」

 

メラ様……メラルド・オールベルグは嫌そうに手紙を指でつまむ。依頼人は革命軍と繋がりのある将軍で、報酬も良いため、無下には扱えない。しかし依頼内容は気にいるものではなかった。

 

「男と寝ろとかですか?」

「そんな依頼して来たら依頼人ごと殺してやるわ……ま、内容はそれに近いけど」

「え!?」

 

メイド服の少女、ギルベルタが本気で焦る。先ほどは冗談で言った事だったが、本気で恋をしてしまっているメラルドが男を相手にするところなど考えただけでゾッとする……多少興奮もするが。

 

「内容はなんなんですか?」

「男を、助けろだって」

「護衛任務ですか?それなら今までだって……」

「そう、何度かあったわね。もしコレがただのVIPとかなら私だってここまで憂鬱にはならないけど……見てよこれ」

 

手紙を見せる。そこに書いてあった名前を見て、ギルベルタも眉をひそめた。

 

「まさかよりによって散々煮え湯飲まされたこいつを助けろなんて言われるとわねぇ」

 

オールベルグ殿へ。炎狼のヴァリウスが捕まった事は情報通の貴殿らならもう御存知の事と思う。この傑物を無為に死なせる事は国家の損失に等しいことを貴方達なら理解していただけるだろう。ついては彼の救出を依頼したい。もちろん報酬は充分に支払う。協力してほしい。

 

ナジェンダ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「処刑場の警備……ですかい?」

 

次の仕事内容を聞かされたゴズキは眉を顰めた。警備態勢という点なら帝都以上に堅固な場所はない。選りすぐりの精鋭である近衛に今はエスデス軍もいる。わざわざ自分たちが呼び出される理由がわからなかった。

 

「ああ、お前ももう聞いているだろう。炎狼のヴァリウスの処刑は一週間後と決まった」

「らしいですな」

 

生きていた事にゴズキはそこまで驚かなかった。いくら帝具の力があったとはいえ、あそこまであっさりヤツがやられるのはやはりおかしい。自分が知らない全く未知の帝具の能力でもあったのかもしれない。何らかの仕掛けがあったと見るのが自然だった。

 

「処刑は帝都の闘技場で大々的に行われるとのことだ。一般都民も多く集めるらしい」

「それはまた……」

「彼は良くも悪くも民に慕われる将軍であった。未だあの方への恩を忘れていない連中は民にも、軍の中にも少なからずいる。この混乱に乗じて内外から何らかの動きがあるかもしれない。ブドー将軍の近衛は外部の警戒に回される。エスデス軍は帝都内の警備に配属が決まった。監獄と将軍の護送にどうしても彼ら以外の手練れがいる」

「それで俺らに白羽の矢が立った訳ですか」

 

正直に言ってあまり気は進まない。あの炎狼にこれ以上関わることは子供達にとって、特にアカメにとって良くない。彼の事を新聞で知ってから、ずっと思い悩んでいることは気づいていた。

しかし断ることもできない。ゴズキは諦めの息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方、監獄で彼の世話をしているそうね」

 

今日の食事を持って地下牢へと向かうシェーレを呼び止める。後ろにいたのはローブを頭から被っている人影。顔は分かりにくい。なかなか高身長だが体躯は華奢なため、恐らく女性だと思われる。

 

「ここの一番地下にいる人に会いたいの。案内をお願いできない?もちろん、やれる事なら何でもやるわ」

「あの、貴方は?ヴァリウスさんと知り合いなんですか?」

 

あの闇の中に自分から行きたいという人間が自分以外にいるとは思えなかった。いや、自分が思っている以上に顔の広い人である彼ならば会いたいという人間の一人や二人いても不思議はないのかもしれない。でも、顔も素性も隠した相手をあの人に会わせたいとは思わなかった。

 

そんな警戒心を読み取ったのか、女性は顔を隠していたローブを外す。現れたのは少し煤けた、けれど輝きはある金色の髪が舞い踊り、天覧の空を思わせる青い瞳が姿を現した。

 

「私はコルネリア。あの人に救われた女よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が次第に朽ちゆくように、国もいずれは滅びゆく。

 

千年栄えた帝国も、今や腐敗し、生き地獄。

 

緋色の狼を救いたい者、大罪を犯した戦士を裁く者、彼を手に入れたい者、それぞれの意志を抱え、彼女たちは行動を始め、運命の日を迎える。

 

人の形をした魑魅魍魎の住まう街で主義、思想、信念を完全に違えた彼女らは、揺るぎない思いを胸に───

 

 

決戦に挑む

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書きです。完全オリジナルって難しい。絡ませる予定じゃなかったアカメ達やオールベルグまで出てくるし……誰か一人くらいは死なせないとなぁ。でも誰も死なせたくない……そんなジレンマ。やっぱり原作ですでに死んでる人が殺しやすいなぁ。つまり最初の犠牲者はタエ……ゲフンゲフン、なんか最終章っぽく締めちゃったけどどうやって収集つけよう?それでは、励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。


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第三十八罪 狂った歯車が動き出す

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前、帝国で行われた武道大会。国中の腕自慢達が集うこの日、三名の子供が大会に参加していた。

 

一人はオールベルグ次期首領として鍛え上げられた少女。メラルド・オールベルグ。腕試しとして軽く変装し、並み居る屈強な男達を退けていた。

 

メラルドは外の世界、特に男の弱さに失望していた。自身は強いという自負はあった。だが、外界の戦士達がこれほど弱いとも思っていなかったのだ。

 

───私より強い敵なんていないんじゃないかしら

 

そう思ってしまっても、無理ないことだったのかもしれない。

しかし、その自負は次の準決勝で打ち砕かれた。それがこの大会に参加していた二人目の子供だった。

 

燃えるような緋色の長髪に、紅玉の瞳を宿した少年。どこか特徴的な民族衣装に身を包んだ中性的な美男子。名はヴァリウスといった。

 

一目見て強いとわかった。男相手に容赦するつもりもなかった。素手とはいえ、本気でやった。

 

そして格の違いを思い知らされた。男に組み伏せられ、命を握られたのは、後にも先にもあの一度だけだった。

審判の敗北宣言の後、首元に突きつけられた手刀の鋒が引かれる。決着がついた後、彼は一瞥もくれず背を向けた。

 

あの時の屈辱は未だに残っている。敢え無く倒されたことではない。いや、それはそれで屈辱だったが、それ以上の屈辱があった。

 

───まるで私のことなんて見ていない…

 

ルビーを想わせる紅い瞳はメラルドの姿を反射していたが、自分の事など完全に意識にない目だった。ただ自分は作業の一つとして打ち倒されただけだった。彼の目に写っていたのはたった一人。

 

そのまま決勝戦となり、対面から次の対戦相手が闘技場に上がる。その姿を認めた紅い髪の少年は不敵に口角を上げる。大会に参加していた最後の子供も挑戦的に笑っていた。

 

碧空色の髪に氷を思わせるアイスブルーの瞳。少年とよく似た民族衣装に十字が刻まれた紋章が特徴的なカチューシャをした美少女。名前はエスデスということをメラルドが知ったのは少し後になってからのことだった。

 

審判の開始の合図とともに二人がぶつかり合う。二人の戦士が見せた戦いは見た目から受ける印象とは対照的だった。氷を連想させる美少女の戦い方は火のように苛烈な攻め。彼女は防御すら攻撃のために行う。

対して炎が人の姿になったかのような少年の戦い方は氷の冷たさを思わせる冷静な守り。烈火の猛攻の一つ一つを見切り、反撃を繰り出すカウンター。まさに暴力と武力のぶつかり合い。その凄まじさを目で追えたのは闘技場の傍らで二人の戦いを見ていたメラルドだけだった。

 

この戦いを通して、メラルドは知った。エスデスが相手ととことん戦いたい戦士とすれば、彼と自分は無駄な戦いをしない暗殺者なのだと。そして人間には必ず届かない壁があるという事を……

 

 

 

 

「おいおい、何をそんなにブチギレてんだよ、アンタ」

 

ターゲットの護衛を務めていた紅い長髪の男は困惑していた。襲撃者の相手をするということに関しては戸惑いはない。だが、自分の姿を認めた途端、こいつはターゲットなど目もくれず、こっちに殺気を向けてきた。

 

「覚えてないか……ないでしょうね。アンタは」

 

剣を構えて困惑する男の様子を見て、更に苛立ちが増す。変装していたからわからないという理由では絶対にない。自分など彼にとっては眼中にない路傍の石だったからこそ、覚えていない事をメラルドは知っていた。

 

「今度こそ殺してやるわ。あの時みたいにルールはなしで、容赦なくね」

「あの時?どこかで会ったか?」

 

蠢く黒い何かの大群と剣から溢れた炎がぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、あいつを助ける日が来るとはねぇ」

 

処刑当日の深夜、牢獄の前で憂いに沈む美女に牢獄の門番を務めていた男たちは見惚れてしまう。しかし傘を差した美女は息を吐いていた。これまでの事を思い返し。

 

仕事柄、彼と鉢合わせになる事は何度かあった。その度に殺してやろうと戦いを仕掛けたが、結果は全敗。命からがら逃げ出すのがやっとだった。

恨み重なるこの男を救う為に自分達が動く羽目になるとは。

 

「でもしょーがねーじゃねーですか。あのナジェンダ将軍からの依頼じゃ」

 

ゆくゆくは国の中心になるであろう傑物だ。恩を売っておいて損はない。

 

「そう、この依頼の良いところはそこよねぇ。あの男を牢屋から出せとは頼まれたけど、命を守れとは言われてない。つまり出してしまってからは私の自由にできるって事」

 

酷薄な笑みを浮かべる。その顔だけでメラルドが何を考えているかはわかった。

 

「ナジェンダに恩を売りつつ、て事ですか?メラ様キツぅ」

「私が男相手にキツくなかった事なんてあったかしら?」

 

ないけど任務にまで持ち込んでくるとは思わなかった。これではどのみちあの男の命は明日まで持つまい。

 

───ん?

 

さて、牢獄に突貫しようと監獄の様子を見てみると、違和感がある。宮殿内で既に騒ぎが起こっている。いつものように完璧な監視体制ではない。

 

───誰かが何かをしている?それともあの気にくわない男が最後の足掻きでもしているのかしら?

 

なんにせよ、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「行くわよ」

『はっ!』

 

 

 

 

 

───ん……

 

意識が覚醒する。聞き覚えがあるような無いような足音が彼の意識を目覚めさせた。

 

───シェーレ、じゃないな。処刑当日の明け方に客?一体誰が…

 

紅い髪の男、ヴァリウスは身体を起こす。もう手枷はされていなかった。昨晩エディに邪魔だと破壊されている。まあこんな物なくても今更逃げやしないが。

 

牢獄の扉が開く。鍵まで持っているのかと驚いたが事実とは異なる。鍵は見事に一刀両断されていた。早い話が檻を斬っていたのだ。

 

「随分……乱暴な……客だな」

 

声が掠れる。昨日から何も食べていないどころか、水一滴飲んでいない。そのうえ、昨夜は体液という体液を奪われている。もちろん彼も彼女から色々と奪ったが、消費量で言えばこちらの持ち出しが圧倒的に多い。

 

竹筒が転がってくる。中には水で満たされていた。

 

「土産だ。飲め」

 

顔を上げる。来客は思いがけない人物だった。自分とよく似た、けれど異なる紅い瞳に闇よりも濃い黒髪を腰まで伸ばした少女。

 

「…………アカ……メ」

「久しぶり、だな。ヴァリウス───いや、フェイル」

 

闇の中で紅い瞳がこちらを捉えていた。

 

「お前……なんでこんな所に」

「明日の処刑まで、貴方の護衛を命じられた」

 

桐一文字をそのまま彼の首元に突きつける。

 

「護衛にしては……随分物騒だな。俺を殺しに来たの間違いじゃないのか」

「間違いじゃない」

「なら夜這いか?2晩連続は勘弁してほしいところだな」

「っ──違う!!この剣が目に入らないのか!」

「刃物持って女が寝所に忍び込んで来たのは初めてじゃないからな」

 

頬を赤くしながら金属音をわざとらしく鳴らす。脅しているつもりなのだろうが、殺気がまるでないので脅されている感覚はフェイルにはない。それに、暗殺にしろ、夜這いにしろ、武器を持ってくるということは多い。暗殺が日常の帝都で活動していれば、こういう機会は腐るほどあった。

 

「で?俺を殺しにきたっていうならそれでも構わないが、どうせ明日の昼には死ぬ身だ。軍規違反を犯してまでヤる価値はないんじゃないか?」

「貴方を、他人の手で殺させたくないんだ。フェイル」

「よく言われるな、そのセリフ。お前で5人目だよ。女の中で流行ってんのか?」

「くだらない事を言ってないで、死ぬ前に答えろ」

 

桐一文字の鋒が首筋に触れる。これ以上軽口を言ってはホントに斬られそうだ。

 

「貴方は何で帝国に逆らった?」

「……それ聞いてどうする?俺が言うこと信じるのか?」

「信じる」

 

迷いなく断言してきた彼女に驚く。まさかここまで俺を信頼しているとは思わなかった。

 

───この子に迷いを与えるようなことは、言わないつもりだったけど

 

「──いいだろう。土産に持ってきてくれた水の礼だ。俺はあくまで軍人だから、政治に関しては門外漢だが、知っている限りのことは話そう」

「帝国中で貧困をたくさん見てきた。あの人たちは何でずっと苦しんでいる?」

「帝国が国として機能していないからだ。肥大化しすぎたこの国は辺境まで手を回せないでいる。それに、大臣が意図的に財を辺境から搾り取って帝都に集めているからな。貧困が解決するはずが無い」

「…………大臣が腐敗の原因ということか?」

「まさに。まあそれだけが原因と言う気はないがな。奴は腐敗の中心に座することは間違いない」

 

真実の一端を聞いたアカメは彼の言葉に逆らう事なく、黙して聞いていた。頭の中で揺さぶられていることがフェイルの目にも分かる。この話を出来たのが自分で良かったと心から思う。もし悪意ある人間がこの話をしていては、虚実交えた作り話で騙され、精神的に堕とされていたかもしれない。

 

「驚きはしないんだな」

「聞いた事はないでもない話だったから」

 

オネストほど大手を振って悪事を働いている悪党もいない。情報量の多寡はあるが、真実は誰もが知っているだろう。

 

「あと、これは前から思ってた事だから、先達として、一つアドバイスしてやろう」

 

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヴァリウスは動き始めた。突きつけられた刀に噛みつき、捻りあげる。思いがけない反撃にアカメは武器を失った。

間髪入れずに蹴りが下段に振るわれ、体制を大きく崩す。そのまま足で組みつかれ、馬乗りになった。

 

「悩んでいるのも分かるし、俺の両腕が拘束されていると言う状況もあるんだろうが、油断しすぎ。あと暗殺者にしては感情にムラがあり過ぎ」

「父さんにも指摘されてる……私はプロ失格だって」

「ああ、大バカだ」

「お、大バカ?!」

 

流石に普通ではいられない。犯罪者にここまで貶される覚えはない。キッと睨みつけると、アカメの思考はそこで止まってしまった。

 

「──俺と一緒だ」

 

傷だらけになりながらも朗らかな笑顔を見せる。その笑みはずきりと胸を痛めるほど魅力的だった。足の拘束が解かれる。

 

「プロ失格だとは思う。長生きできないともな。現に同類の俺は明日殺される。それでも俺は機械みたいなプロの暗殺者より、お前みたいなポンコツの方が好きだよ」

「す、好きって……」

「ああ、身勝手を許されるのなら、お前はそのままで強くなって欲しい」

 

イタズラ小僧のようにニシシと笑う。戦場で見た彼と目の前で歯を見せる男が同一人物とはとても思えない。それ程までにあの時と今とではオーラに差がある。

 

けど、その差がアカメの心を強く締め付けた。そんな所も堪らなく魅力的だ。

 

取り落とした刀を拾って今一度彼の眼前に突きつける。もう今度は油断しない。妙な動きを見せればすぐ斬るつもりで刃を向けた。

 

「へ、変な事を言うな!貴方と話しているといつもおかしくなる。いつもいつも……何で私の心をいつも乱す!?何で私の心にいつも貴方がいる!」

「しっ!」

 

再びアカメの手を握り、こちらにグイッと引き込む。倒れこむようにこちらの胸の中に飛び込んできたアカメの体をを足で挟み、寝具がわりに渡された薄布で自分の体ごと覆った。

 

そして十ほど、数える時間が経った時、闇の中で足音が響く。重厚感ある鉄靴の音が3人分。おそらく軍人だろう。鍛えられた足運びをしている。

 

「へぇ〜、こいつが僕たちの前任者かぁ」

 

ボーイソプラノの声が闇の中で響く。続いて2メートルはあろうかという巨漢が現れ、最後に壮年の男性が姿を見せる。3人とも立ち姿だけで相当の手練れと分かる。そして何より……

 

「久しぶりだな、ヴァリウス君」

「これはこれは…リヴァ将軍。変わった衣服を召されていますね」

 

来訪者の1人はヴァリウスも知っていた。かつて帝国で知勇兼備の将と称えられた勇将、リヴァ。仕事上、顔を合わせたことも何度かある。

 

「こいつがヴァリウスかよ。ずいぶん優男じゃねえか。ホントにエスデス様に匹敵するほど経験値持ってんのか?」

「私は三年前の彼しか知らんが、その時でさえ、お前より遥かに強かったぞ、ダイダラ」

「でも今は殆ど死にかけって感じだね。ねえ、ヴァリウスさん。あんたが死んだら顔の皮、貰っていい?」

「良い趣味してるな少年。まあ、死ねば無言さ。好きにすれば良い。名前は?」

「あ、ニャウって言ってね。今はエスデス様の僕をやってまーす。まあ、貴方の後輩だね」

 

後輩?そういえばエディ、俺の後釜は複数でやってるって言ってたっけ。という事はこいつらが…

 

「ところであんた、さっき誰かと喋ってた?鍵も壊れてるし」

「さあ?地下牢は呻き声でしょっちゅう響いてるからな。間違えたんじゃないか?あと、鍵はエディが壊したんだ」

 

エディというのが誰か、分かったのだろう。面白くなさそうな顔をしてフン、とそっぽを向いた。敬愛する将軍を愛称で呼んだことが気に入らないらしい。良くも悪くも、あいつは人を夢中にさせるのが上手い女だ。

 

「驚きましたね、リヴァ将軍。貴方ほどの方がエスデス軍の副官で収まっているなど」

「今の身分すら過ぎた光栄だ。私はエスデス様に救われてからは、あの方の僕だ」

 

なるほど、あの女の為なら死ねるペットを三匹作ったか。しかし将軍まで虜にするとは…相変わらず大したカリスマだ。

 

「で?今日はどう言った用向きだ」

「べっつにー。エスデス様に逆らった愚か者の顔でも見にきただけだよー」

「副官の仕事がそんなに楽になったとは驚きだ。俺の時は超ブラックだったのに。羨ましいね」

「ニャウ、適当な事を言うな。明日の護送は我々が務めることになったから、その挨拶に来たのだよ。ヴァリウス君」

「それはそれは……わざわざご足労、痛み入ります。将軍」

「私は、君のことを認めていた。勇猛で理知を備え、民を思える、君のその手腕に私は尊敬を覚えたものだよ」

「買い被りです。俺は必要があったから動いていたに過ぎない」

「こちらに戻る気は無いかね」

 

またその話か、と若干ウンザリする。その気はないと伝える事すら面倒だった。

 

「貴方のことは俺も聞いています。官僚に嵌められ、罪人に身を落とした」

「そして、私はあの方に救われた」

「あいつの副官を務めるのは大変だろう。俺が一番よーく知ってる」

「苦労などと思った事はない。薄汚い連中すら媚を売ってくるほどの力を、私はあの方から頂いた。君も今の国に絶望する気持ちはわかる。だがエスデス様なら君の罪さえも」

「別に、俺は官僚達がどうなろうと、どうでもいいのさ、昔っから」

 

眼中にあったのは己の主人だけだった。彼女の右腕であることが、かつての俺の全てだった。それは今も恐らく変わっていない。俺はあいつを愛しているからこそ、敵対する道を選んだ。

 

「官僚に絶望した貴方にとって、今のポジションは心地いいのだろう。だがそんな事に俺は興味がないね。俺が戦う理由はあの頃と何一つ変わっていない」

「今も、エスデス様の為に虜囚に甘んじている、と?」

「そうだ」

 

10数える程の時間、無言で睨み合う。諦めたように息を吐いたのはリヴァが先だった。

 

「挨拶は終わりだ。行くぞ、ニャウ、ダイダラ。それとヴァリウス君。私はもう将軍ではない。あの方の下僕だ。その事を忘れないでいてくれたまえ」

「じゃあな炎狼。明日はせいぜい、暴れてくれや」

「べー」

 

ヒラっと手を振る巨漢の男に続いて、中性的な少年が舌を出して闇の中へと消えて行く。足音が聞こえなくなってようやく、フウと息をついた。

 

「アレが俺の後釜か……俺と違って従順そうだな」

 

エディも鍛え甲斐のある事だろう。リヴァは微妙だが。

 

「おいアカメ。もういいぞ。危なかったな」

「危ないのはお前の命だろう!」

 

鼻先に剣が掠る。斬れはしなかったが、冷ややかな感触が肌を撫ぜた。

 

「ああ、そういや忘れてた。俺暗殺されそうになってたんだっけ」

「………………」

 

鋒が落ちる。アカメの両腕も力なく落ちた。

 

「最後に、二つ聞きたい」

「何なりと」

「何で私に文字を教えた?」

「んー、特に理由はないな。趣味?」

 

あるいは職業病。

 

「プトラの墓場で何故私を助けた!何故私に生きろと言った?!貴方1人ならこんな事にはならなかったんじゃないか!コレは趣味とは言わせないぞ!答えろ!」

 

───趣味もなくはないんだがなぁ

 

1番の理由はもちろん違う。

 

「お前に、この国の未来を見たから」

 

死にゆく俺とは違う。帝国が崩壊すれば、エディはきっと自分が第二の帝国になろうとするだろう。その時、俺が戦えればいいが、恐らくそれは叶わない。ならば、かつてあの魔神に仕えた炎狼として、何より、あの雪の夜に約束を交わした友として、あの魔神を倒せる人材を1人でも多く残さなければならない。

 

「お前の目が俺とよく似てたから」

「……私の目は貴方ほど綺麗じゃない」

「そんな事はないさ。見事な真紅だ。綺麗だよ」

 

息を呑む。眼前に死の刃をつけつけられながら、彼はまた笑った。自嘲でもなく、冷笑でもない、心からの笑みを彼は浮かべた。

カランという音と共に刀が手から滑り落ちる。

 

「───……もう、やめた」

「いいのか?」

「私にお前は……殺せない」

 

うるさいほどに胸がまだ鳴っている。布団の中に引き込まれた時からずっとだ。あのとき、無防備にさらされた彼の心臓が目の前にあったというのに、アカメは微動だにできなかった。ほんの少し、力を入れれば刺せたというのに……

 

───私の方が、壊れそうだ……

 

高鳴る胸を握りしめる。一度だけ頭を振るとアカメは立ち上がった。

 

「さようなら」

「ああ、待て」

 

去ろうとする背中を止める。黒髪の少女は視線だけ後ろに向けた。

 

「あの3人のこと、知ってるか?」

「……エスデス将軍直属の部下、リヴァ、ニャウ、ダイダラ。3人で副官を務めていると聞いている。通称は三獣士。凄腕の軍人だ」

 

なるほど、あの3人がエディが鍛えた戦士達か。それにしても三獣士とは……俺への皮肉か、単にあいつが獣が好きなだけか……

 

「アカメ」

 

止まったままの背中にもう一度声を掛ける。言うべきか迷ったが、小狼のその頼りない背中を見てしまっては言わざるを得なかった。

 

「何もするなよ。絶対に誰とも戦うな。俺のことは全力で見捨てろ。お前の命の使い道はここじゃない。いいな」

 

心を読まれた小さな狼はビクリと一度、肩を震わせる。返事をすることなく、黒髪の少女は闇の中へと同化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『前段作戦の内容を話す』

 

闇の中を掛ける三匹の狼達は前日まで練りに練られた作戦の内容を思い返していた。

 

『いいか、処刑当日は獄中の監視の数が少なくなる。一般市民も多く集める彼の処刑の警備に獄中の兵隊達も回されるからだ』

 

その言葉は正しかった。牢獄の入り口にすら警備の人数は数える程。制圧するまでに彼女達であれば2秒かからない。

 

『帝都内部へのルートは私が構築する。侵入自体は容易にできるだろう。問題は入ってからだ』

 

1人だけ生かし、地下牢の地図を手に入れる。まさに地下迷宮と呼ぶにふさわしい様相だ。ナジェンダから渡された資料だけでは間違いなく迷っていただろう。

 

『隊長がどこに入れられているかは私にもわからない。恐らく最深部だとは思うが、そこまで波風立てずに事を進めるのは不可能だろう』

 

「ここ、かな。見取り図の中で不自然に空白になってる区画がある。万が一この地図が奪われた時のことを考えて、先生の居場所をわざと空白にしたなら…」

 

『中は恐らく、少数精鋭が守っているはずだ。各所で脱獄を促せば対応に追われ、後手に回る。隊長の居場所の検討がついたなら、出来るだけの檻を壊せ!派手に暴動を起こさせろ!』

 

「みんな!鍵は壊したよ!どんどん逃げろーーーー!!」

 

そんな叫び声と同時に鍵が壊れた囚人達が一斉に檻から飛び出す。地下に囚人達の怒号が響き渡った。

 

数分後、警報音が地下牢に鳴り響く。伝声管越しに、牢獄長の叫び声が轟いた。

 

「ぜ、全区画に通達!非常事態発生!何者かの手により、第0階から地下一階の独房が解放された!総員、戦闘配置!コレは演習ではない!繰り返す!コレは演習ではない!!」

 

 

時代が激動する運命の日が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第三十九罪 牙がぶつかる音がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警告音が監獄全体に鳴る。地下かつ密室なこの場所ではこの手の音は尚更よく響く。

しかしヴァリウスが繋がれているこの場所は監獄の中でも最深部。厳重に閉じられた扉の向こうにある牢獄。ここまでは流石に警報の音も聞こえてこない。

 

しかし……

 

───なにかあったな……

 

浅く沈めていた意識が異変を感じ、覚醒する。百戦錬磨の戦士である炎狼は肌に感じる空気からこの監獄に異常が起こった事を確信していた。

 

───まさか……

 

いや、そんなはずは無いと言い聞かせる。自分の事は見捨てろと厳命した。チサトにも頼んだ。この帝国で数少ない信頼できる自身の腹心だ。あの三人が勝手に動こうとすれば止めてくれるはず。

 

幾らでも脳裏によぎる不吉な仮説を否定する理由は思い浮かぶ。しかし、嫌な予感が消えない。首筋の傷が疼く。

 

「───来るな……来るなよ」

 

心からの願望は闇の中で薄く響き、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喧騒に包まれる地下、対応に追われる看守達の中で一人、落ち着いて行動する人物がいた。

 

「リィ署長!」

「状況を報告しろ」

 

艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、切れ長の瞳を持つ見目麗しい女性。投擲用の短剣を身体中に纏っており、額に目のような道具を付けている。人によっては不気味に見えるそれを帝具と知っている者は数名である。

 

「はっ、第0階から地下一階にかけて独房が解放されている模様。賊は徐々に深部へと侵入していっている様子です!」

「やはり外部からの手か。今賊達の位置は地下二階層以下か」

 

リィが目を閉じる。同時に額につけられた目のような帝具が開いた。

 

五視万能・スペクテッド

 

それがいまリィが使用している帝具の名だ。能力は異常視力。額に装着することで、使用者は五つの異常視力を得ることができる。

 

「遠視」…夜間や霧などに左右されず、はるか遠くまで見通せる能力

 

「洞視」…相手の表情を読み取り、思考を読み取る能力。観察力の究極系

 

「未来視」…筋肉の動きで相手が次にどんな行動を起こすか、正確に予測する能力

 

「透視」…相手が武器などを隠していないか、衣服を透かして見る能力

 

「幻視」…相手がもっとも愛する者の姿を、その目の前に浮かび上がらせる能力

 

この五つである。今リィが使っているのは遠視の力。光が届かない闇であろうと彼女にはハッキリと見える。

 

───こいつらか

 

地下二階層、独房の鍵を破壊している集団を見つけた。若い女の侵入者達だ。自分が見覚えないという事は、少なくとも手配された犯罪者ではない。

 

───……いい動きだ。今から追っても二階層には間に合うまい

 

「地下四階層の守備を固めているのは上から派遣された軍人達だったな」

「はい!エスデス軍直下、三獣士の皆様です!」

「ならば最悪でも即殺はされまい。地下の守備にこちらからはザングを向かわせろ。コレの使用も許可する」

 

額から帝具を外し、手渡す。この監獄に勤める者達は全員スペクテッドが装着可能か調査があった。その結果、使えるのは自分と首切り役人として監獄に従事している彼の2名だった。

 

「署長は如何しますか?」

「私は出入り口の警護に移る。この監獄の脱出口はあそこだけだ。逃げようとする者達を水際で食い止める。貴様らは解放された囚人達を一人でも多く制圧しろ」

「positive!」

 

命令を出しながら、リィは侵入者達の目的をおおよそ理解していた。監獄という地獄にわざわざ飛び込んでくる理由など、多くはない。そして処刑当日の深夜というこのタイミング。尋ね人が誰か、容易に推察できる。

 

───ヴァリウス様……コレでいいんですよね

 

一度彼の獄舎に顔を見せに行った時、ヴァリウスは自分に言った。俺を殺すことに全力を尽くせ。お前が動く時は今ではない、と。

 

かつて炎狼に恩を受けた狼未満は迷う心を引きずったまま、自身の持ち場に移った。

 

 

 

 

 

 

 

階下へと走りながら、三匹の小狼は計画通りにいかないことに焦っていた。

 

「署長ってヤツいないね……ひと目でも見れれば変装出来るのに」

 

リボンのついたヘッドホンを身につけ、飴玉を咥える少女、チェルシーはまだ変装が出来ないでいた。

 

「思ったより動きが早い…帝国軍人なんてあいつ以外全員無能かと思ってたけど……署長ってヤツは違うっぽいな」

「守りの大切さを理解しているのだろう。いい長だ」

 

看守達の動きを見て、野性味はあるが、整った容姿をした少女、レオーネは嘆息し、変わった形の槍を持つ黒髪の美少女、ファンは状況を的確に把握する。獄中の混乱は予想以上に早く収まっていた。コレは署長が先頭に立って指示を出したおかげだろう。

 

「静かにこっそり命大事に、のプランAはダメ、かぁ」

 

プランA計画では署長室にいるはずのその人にガイアファンデーションを用いて化け、内部のゴタゴタに紛れて、こっそり地下へと侵入する計画だったのだが、未だ四人とも偽装はできていないでいる。あわよくば護送中を装って静かにヴァリウスと脱獄できる最良の計画だったのだが、是正が必要となりそうだ。

 

「こうなったらスピード勝負。さっと行ってパッと助けよう」

「そうね、プランBで行こう。タエコ、しばらく深部に侵入出来れば、退路の確保に移って。ルートはパターンAで」

「わかった。ヴァリウスをお願い」

「ファンとレオーネは私と。荒事があったらお願い」

「いいけど…お前も少しはヤれよ」

「チェルシーは私が、守る」

 

静かに安全に遂行する計画から即断速攻、少しでも早くというプランに変更する。三人の中で最も腕利きのタエコは退路確保の為の外敵の処理。何かと器用なチェルシーは鍵の開錠のため、救出班に分かれた。

 

「じゃあ行動開始。各員、死なない事を心がけて。タエコもヤバイ相手だったらやらなくて良いから」

「わかった。その時は四人でやろう」

 

タエコが踵を返す。瞬く間に上階へと登っていく。逃走ルートの敵を掃除に向かった。

 

「さ、急ぐよ」

 

屋根伝いなど、人目につきにくい移動を続けていた4人は階下を下り、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛んで火に入る夏の虫ってヤツをホントに見たことは俺ぁなかったんだが…」

 

村雨を腰の鞘から抜きつつ、ゆっくりと歩く。眼の前に立っているのは黒い虫の大群を引き連れている妙齢の美女。艶やかな黒髪に大陸風の衣装が特徴的な女。

 

「まさか人間と虫の両パターンを見られることになるとは思わなかったぜ」

 

騒動が起こり、出入り口の警備を強化するため、ゴズキは部下を連れてこの場に来ていた。

 

「テメエ、オールベルグだな」

「メラ様、ここは私が」

「ダメよギル。こいつ、男だけど強いわ」

 

メイド服姿で彼女の側に控えていた大柄な女性が拳の骨を鳴らしつつ前に出ようとしたのを止める。男と戦うことはメラルドは好きでは無いが、怪しく美しい刀を持つこの壮年の男の相手を部下二人にさせるには危険過ぎる。

 

「ギルとドラは後ろの二人をお願い。こいつは私がやるわ」

「了解」

「承知しました」

「スズカ、メズ。やれ」

「はーい」

「ったく、なんで育児放棄クソ親父の命令なんて聞かなきゃいけないんだか」

「メズ」

「わかってるよ、やればいいんでしょやれば」

 

現皇拳寺羅刹四鬼の二人が前に出る。帝都の警備に駆り出された正規兵の代わりに、少数精鋭で監獄を護衛するため派遣された手練れだ。

 

「場所を移すよ。メラ様の虫に巻き込まれたくないんでね」

「好きにすれば。同じ事だから」

「こちらも移りましょう。貴方が虫に喰い殺されたければ別ですが」

「フフフフフ、虫に責められるってのも悪くないけど、仕事だから我慢しよう」

 

四人がこの場から離れる。気配が感じられなくなったのを確認すると、ゴズキとメラルドは戦闘態勢に入った。

 

「虫ケラが。一匹残らず潰してやる」

「男相手には容赦しないわよ」

 

黒く蠢く大群がゴズキに襲いかかる。その全てを村雨が撃ち落とす。元羅刹四鬼にして帝具使いの手練れと危険種に分類される害虫を自在に操るオールベルグ首領が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

「あー、キタキタ」

 

楽しげな声と共に暗闇の中を躍り出る。凄まじい速度で監獄を駆け抜けていた女達の足が止まった。

 

「三人か……ねぇ、誰が誰の相手する?」

「女ばっかりかよ。対して経験値持ってそうじゃねえなぁ」

「油断するな。どんな相手であろうと全力を尽くせ」

 

少女と見紛う中性的な容姿の少年。大斧を担いだ大柄な男。そして彼らを束ねる壮年の男性。一目見て只者ではない迫力を纏った者達が闇の中から現れる。

 

「…………なに、こいつら」

「多分、此処の警備の連中だろうけど」

 

警戒の度合いが一段高くなる。今現れた三人の纏っている軍服はかつて師が着ていたものだからだ。恐らくこいつらは……

 

「名乗っとこっか。僕はエスデス様直属の僕。三獣士、ニャウ」

「同じくエスデス様の僕、三獣士、ダイダラだ」

「エスデス様の副官。三獣士、リヴァ」

 

やはりというべきか。エスデス軍。それも巷で名を聴く三獣士。恐らく鬼揃いのエスデス軍の中でもこいつらは最上位の強さを持つ軍人。

 

各々、武器を構える。簪で髪を飾る少女は腰の剣に手を掛け、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美女は形状の特殊な槍を握りしめる。そしてヘッドホンを着け、飴玉を咥えた少女は見えない程細い強靭な糸と師から貰った大切な短剣を構えた。

 

「炎狼のヴァリウスの弟子、我こそ死神、元オールベルグの息吹、タエコ。無常の風、汝を冥府に導かん」

「同じく炎狼が弟子、チェルシー。臆病が長所だけど、やる時はやるよ」

 

迷いなく、そして誇り高く自分を炎狼の弟子だと宣言した二人に、ファンは少し気後れする。彼の弟子だという自覚はあったが、自分はこの二人とは違う。私は復讐のために彼を利用した。この二人のように名乗る事に今までは抵抗があった。

 

だが、今は違う。

 

───利用するためじゃない。私の家族を取り戻す為に、私は戦う。

 

「炎狼が三弟子の一人にして、バン族最後の生き残り、ファン!推して参る!!」

 

氷の女神と炎の狼の弟子。三年をかけて育てた次世代を担う戦士達の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コッチです」

 

関係者以外使用不可の通用口からコッソリと侵入する二つの影がある。一人は底の厚い眼鏡に繁華街でよく見られるチャイナ服を着た少女。軍でヘマをやらかした為、監獄に出向されていた女、シェーレ。ローブを纏い、顔を隠した人物の手を引いて階下へと下りる。

 

「ゴメンね、手引きするような真似させちゃってさ」

「気にしないでください。もう帝国に未練もありませんので」

 

ローブの少女、コルネリアの頼みを聞いた時、シェーレはもう帝国を出る覚悟を決めていた。ヴァリウスの教育のおかげで、今は大概の書物は読める。その甲斐あって、今まで見えなかったものも見えるようになっていた。このまま帝国の圧政に手を貸していては人の役に立ちたいという自分の望みを叶える事は不可能だともう理解している。

 

「それより足元気をつけてください。ここからかなり暗くなりますから」

「大丈夫。私、野育ちだから夜目が利くのよ」

 

灯など一つもない夜の森で訓練を受けてきた。あの闇に比べれば、蝋燭一つとはいえ、光があるこの状況はコルネリアにとって昼間と変わらない。

 

危なげなく階段を下っていくコルネリアを見ながら、シェーレは安堵していた。此処まで来ることが出来れば戦闘の可能性はほぼ皆無だからだ。蝋燭があるとはいえ、10センチ先さえ見えないこの暗闇。コルネリアのように夜目が利く者か、シェーレのように慣れている者でなければ、身動きさえ取る事は難しい。戦闘などまず不可能。

 

───少なくともヴァリウスさんを檻の外に出す事は問題なくできそうですね。

 

この監獄の出口は一つしかない。荒れるとすればそこからだと考えたシェーレの判断は間違っていない。そもそも、この最深層には看守もいないのだから。

しかし、末端であるシェーレは知らなかった。刑の実行のため、監獄の兵隊が帝国の警備に出払った代わりに秘密裏に育てられた暗殺部隊が少数精鋭で地下の守りについていた事を。

 

そして、その暗殺部隊はコルネリアと同じ環境で訓練された戦士達だという事を。

 

「う……そ」

 

あともう一つ、階層を下ればヴァリウスの檻に到着する。そんなところで彼女達は出会った。

 

「コル姉……なの?」

「ポニィ…」

 

赤みがかかった茶髪をポニーテールに纏めた少女が、愕然とした表情を見せる。

 

そして

 

「…………」

「アカメ」

 

赤い瞳を宿し、心に迷いを抱えたの黒狼が、シェーレとコルネリアという、炎狼を救うと決意した二匹の狼の前に現れた。

 

 

 

 

 

 




後書きです。現在の状況
メラルドVSゴズキ

三獣士VS三弟子

アカメ&ポニィVSコルネリア&シェーレ

とまあこんな感じですね。ついに狼達がぶつかり合います。はてさて生き残るのは誰なのか。作者にすらわからないって言う……ゴホン、それでは励みになりますので、感想評価よろしくお願いいたします。面白かったの一言でもいただければ幸いです。時間が掛かっても、感想には必ず返信します。


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第四十罪 牙が砕ける音がする

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこの人が好きだった。クロメ以外で初めて家族と思える仲間ができた。その中でも彼女は特別だった。

 

コルネリア。優しくて、凛々しくて、美しい。女性陣の中では最も年長で、包容力があって。本当に素敵な人だった。妹を持つ姉としてこの姉貴分に強く憧れを持っていた。この人のようになりたいと思った。

 

だからこの人が死んだと知った時は本当に悲しかった。家族と呼べる仲間を初めて失ったあの時の喪失感は忘れようもない。

 

コルネリアが生きていたら。そんな事、数え切れないほど考えた。何度も何度も夢に見た。

だから、生きていてくれたらどんな形の再会でも心から喜んだだろう。たとえ自分の事を忘れてしまっていたとしても。

 

けれど、今は喜べなかった。こんな所での再会は、比喩でなく、本当に夢にも思わなかったから。

 

「コル姉……生きてっ」

 

駆けよろうと動き始めたポニィを止める。自分以上にコルネリアに懐いていた彼女だ。気持ちはわかる。自分もできる事なら駆け寄り、抱きしめたい。だが、他ならぬ炎狼によって広げてもらった視野のおかげで、彼女がここにいる意図のおおよそを察していた。だから動けなかった。

 

「コルネリア……」

「久しぶりね、アカメ。ちょっと見ない間に綺麗になったんじゃない?ポニィは相変わらず───」

「コルネリア。質問に答えて欲しい」

 

左手で刀の鯉口を切る。その様子を見てコルネリアは成長したなと心から感じた。自分はフェイルによって目を覚まされ、帝都で見聞を得てようやく広がった視野を、この子は暗部に所属したまま成し遂げたのだ。

 

「何しにここに来た?」

「…………」

「生きていてくれたのは本当に嬉しい。けど、返答次第じゃ、あなたといえどこの剣を抜く」

「コルネリア、急ぎませんと時間が…」

「ごめんシェーレ。ちょっと待って」

 

隣に立っている眼鏡をかけた少女がコルネリアを急かす。わかってると一度頷く。ここまで順調に来てはいるが、未だ自分達は分水嶺にいる。少しでもリスクは少なく行動しなければならない。

しかし、彼女たちとこの場で出会ってしまっては、もう衝突は避けられない。いや、ポニィだけなら避けられたかもしれない。だが、この目をしたアカメから逃れられるとは思えなかった。

 

「そんな怖い顔しないでよアカメ。私は貴方達の敵になったつもりはないわ」

「味方をしに来た訳でもないはずだ」

「それはまあ、そうね」

 

積極的に戦うつもりはないが、なんの波風も立てずに出来るとは思っていない。

 

「…………今更私達のところに戻ってきてとは言わない」

 

───そのつもりならとっくに戻ってるはず。自分と同じように、あの紅い狼に教えられ、この国に疑問を持ったからこそ戻らないのだろう。その気持ちはわかる。自分も同じだから。

 

刀の柄に結び付けられた紅い布を握りしめる。その布はフェイルに出会ったあの日、彼からもらったハンカチだった。元は白かったのだが、先日彼の檻を訪ねた際に彼の血で染まっている。昨晩に返そうと思ったそれは、刀にくくりつけられている。彼の死を見過ごすと決めた時、この傑物のことを忘れないという誓いをこの血染めのハンカチで形にした。

 

「何もしないで、このまま帰って。そうすれば私達も何もしない。だから……」

「悪いけど、それは出来ないわ」

 

手甲を嵌める。以前にはなかった装備だ。恐らく粉砕王が破壊され、新たに用意したのだろう。徒手で対武器に対応するために。

 

「アカメ、貴方もわかるでしょう?あの人はこんな所で失ってはいけない人よ。国や民を本気で思うなら──」

「もういい、喋るなコルネリア」

 

腰間の剣に手を掛ける。そんな事は彼の処刑が決まったあの日から、夜の数だけ考えた。彼の死を幇助することが正しいのか。自分は何のために剣を取ったのか。コルネリアが何を言いたいかくらい、言われなくても全部わかる。

 

───言葉を尽くしても、無駄か

 

「大人になったね、アカメ。割り切り方が上手になった。無愛想の中に感情がある子だったのに。元仲間としては喜ぶべきことだけど、元姉貴分としては少し悲しいわね」

「ア、アカメ。本気でやるの?相手、コル姉なんだよ!?」

「コルネリアは私がやる。ポニィは後ろのを」

「ごめん、シェーレ。戦えるよね?」

「あまり期待はしないでください」

 

腰から短剣を抜く。素質があるとはいえ、軍の門を叩いた時はあまりに普通過ぎたシェーレは扱いの難しい強力な武器を扱うだけの技量はない為、軽く、小回りの効くコレを得物に選んでいた。

 

アカメ、コルネリア、ポニィ、シェーレ。大小はあれど、炎狼と一度は触れ合った者たちが、ぶつかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦闘時、1番やってはいけないことはなんだと思う?

 

三年間の修行の折、一度問われたことがある。

 

「引き際を誤ること」

「油断をすること」

「守れないこと」

「答えに個性が出てるな。どれも間違いとまでは言わないが、正解でもない。正解は思い込みだ」

『思い込み?』

 

これは催眠のようなものだと師は言う。

 

「過小評価の上には驕りが。過大評価の下には卑屈がある。敵を自分の中で大きくしすぎては勝てる物も勝てないし、小さくしては足元をすくわれる」

 

いいか、覚えろ

 

「向き合う敵の力量をしっかり見切れ。何が出来て、何が出来ないかを正確に把握しろ。頭は冷静に。感情は腹の底に秘めろ」

「で、でもさ先生。実戦では想定外な事象はいつでも起こりうるって言ってたじゃない。そんな時動揺せずに自然体でい続けるなんて、いくらなんでも難しくない?」

 

チェルシーの言うことは一理ある。してはいけないことだが、実際ヴァリウスですら実戦で動揺したことは幾度となくあった。

エスデスであれば、ヒートアップする事でその驚きを克服するが、感情を前面に押し出すタイプではないヴァリウスとその弟子達にそれは出来ない。故に、そういう時の対処法も炎狼は当然心得ていた。

 

「スイッチを作れ」

『スイッチ?』

「そう、言葉でも動作でも何でもいい。自分の中で揺るがず決めるルールだ。俺の場合は言葉。『燃え散らす』って言った時、どんな状況だろうと一度頭をクリアにするって決めている。あ、そんなことで自然体に戻れるのかってツラだな。まあ実感しないとわからないかもしれないが、これがなかなか効果的だ」

 

思い込みは催眠の一種。なら催眠を解くために最も手っ取り早い手段は何か?

それは催眠の上から新たな催眠をかけて上書きすることだ。

 

「ルーティーンってのは効率的に動くためという理にかなった意味もあるが、自己催眠の意味もある。だから本来自分で適したものを編み出す方がいいんだが……これが結構時間かかるんだよな」

 

故に未熟なうちは誰かにスイッチを作ってもらうことが多い。精神状態をコントロールすることも師匠の仕事だ。

 

「慣れないうちは動作がいいだろう、それも感覚を伴う。そうだな……お前達のスイッチは───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オウラァ!!」

 

石畳が粉砕される。鳴り響く派手な破砕音。しかし、地下に響いているのはそれだけではなかった。帝国の地下監獄。最も地獄に近い場所にはまるで似合わない不協和音。耳障りではない。耳障りならこの場においては不協和音足り得ない。その音色は美しく、典雅で芸術的といっていい代物だった。

 

「へへっ。音にやられた身体でよく避けたじゃねえか、てめえら!」

 

床を叩き割った大男が武器を構える三人の少女を褒める。モーション丸出しの大振り、攻撃の掛け声、隠そうともしない殺気。炎狼の弟子たる彼女らなら当たる方が難しい攻撃だったが、それでも三人はその褒め言葉を素直に受け取っていた。

 

「…………二人とも気をつけて。足元濡れてる」

 

足場の変化にファンが気づく。よく見ると割れた床から水が漏れでていた。どうやら今の一撃で地下水が漏れでてきたらしい。足を取られないよう注意を払う必要がある。

 

「そんなことよりなんなのコレ……身体に力入んない」

 

息をかみ殺すヘッドホンをつけた亜麻色髪の少女、チェルシーは今自分達に襲っている異常を告げる。気のせいではない事を残りの二人も共有していた。

 

「この音のせい、かな。多分帝具」

 

最も戦闘経験豊富な黒髪の少女、タエコは異常の原因を推測する。大男がご名答と答えた。

 

「軍楽夢想・スクリーム。音色を聴いた者の感情を自在に操る帝具さ。まあ催眠術みてえなもんだな」

「ダイダラ。喋りすぎるな」

「いいじゃねえかリヴァ。こいつら帝具持ってねえみてえだし。このままじゃ有利過ぎてロクな経験値にならなさそうだしよ」

「驕りが過ぎるのがお前の弱点だ」

 

軍服を着た壮年の男がダイダラを諌める。笛を吹いていた中性的な顔つきの少年も手にした笛を外した。弱体化にはもう十分成功している。これ以上三対一の状況を続けさせるのは危険と判断する。

 

「さてと。そろそろ僕も参戦するよ。早くこのお姉ちゃん達の顔貰いたいし、これだけ弱ってれば後は楽勝……」

 

その言葉が途中で止まる。ほぼ同時に三人は同じ動作をした。

 

『お前達のスイッチ。起動の合図はまず動作だ。歯で指を軽く切る。僅かな痛みは感覚と意識を呼び覚ますことに適している』

 

親指を歯で軽く食いちぎる。三人の唇が紅く染まった。

 

『次はスイッチをオンにするパスワードだ。一言、それでいて自分が奮起できる言葉がいい。これだけはお前達が決めろ』

 

「生きる」

「竜巻」

「守る」

 

三人の纏う空気が変わる。立ち姿は軽やかになり、全身から漲る力を感じ取れた。スクリームの効果が明らかに薄れている。

 

「こいつら、何した?」

「恐らくは自己催眠の一種だ。弱者の知恵だが悪くはない。切り替えには効果的だ」

 

そう、これは弱さを克服するための術。エスデスのように、生まれながらにして最強と誇る者であれば必要のない技術だ。無論ヴァリウスも充分に強者の位置に属する。しかし、人生で最も長く共に過ごした者と比べれば、己は弱いという認識は常にあった。

 

「先生は弱さを恥じたことはなかった。戈を止めると書いて武。強さを止める弱さこそが凡人(私たち)の力なのよ」

「なるほど、さすがはあの方の弟子だ。面白い。ならばお前達の武器、見せてもらおう」

 

壮年の男の指輪が鈍く光る。同時に溢れ出ていた地下水がまるで生き物のようにうねり、三人に襲いかかった。

 

「なっ!?」

「避けて!」

 

タエコが水の槍を薙ぎ払う。手応えは硬い。人を貫く威力は充分にある。

 

「君たちと戦うのが地下であったことは、幸運か否か」

「水が動いた……帝具か。氷使いの部下らしいね」

「でもこんなちょっとの地下水しか操れなかったところを見ると、先生やエスデスみたいに何もないところから生み出せるわけじゃない。ならあの二人とは格が違う。勝機は充分ある」

「私とエスデス様の格が違う?そんな当たり前のことを勝機に見出すなど、笑わせる!!」

 

さっきよりは大きい槍が、数を増やして作られる。しかしそのどれもが炎狼の三弟子の脅威とはなり得なかった。

 

「あの帝具、派手には使えないみたいね」

「地下だからよ。水で埋まっちゃったら味方の邪魔をしかねないもの」

 

彼女らの分析は正しい。つまり、この戦い。リヴァの役割は主にサポートだろう。水の槍の間合いはこちらのそれをはるかに上回る。反撃のリスク無しで攻撃できるメリットは大きい。遠距離で刺されに来られたら厄介だ。

 

「───っ、待て!ダイダラ!」

 

巨体の男が突進する。リヴァの制止の声は彼には届かない。標的は艶やかな黒髪を簪で纏めた美女。見たところ、彼女が最も手練れ。だが初戦は女。自分はパワータイプの戦士で、速度は少し劣るが、それでも通常のレベルから見れば充分早い。女のカウンターなど恐るに足りない。

 

「うぉおおおるぁああああ!!!」

 

巨大戦斧を振り上げる。ダイダラの動きに対し、タエコは半身で構え、腰を落とす。取った構えは黄塵。自身の武器である剣を水平に持ち、拳で隠す構えだ。刀身が完全に隠れるため、ある程度腕のある使い手ならば迂闊に攻めることができなくなる。

しかし、ダイダラには関係ない。あの細腕で振るわれる剣など、彼にとってはまるで脅威ではない。

 

凄まじい振動と轟音が地下に響く。コンマ数秒遅れてタエコも剣を抜くが、遅い。

ダイダラの放った一撃は地下の石床を深く破壊した。地下水は更に溢れ、床全体は満遍なく濡れた。

 

衝撃から逃れたタエコは大きく飛び下がる。同時に鳴るチャンっという甲高い接着音。黒髪の剣士は実戦の最中だというのに、既に納刀していた。

 

「ハッ、うまく逃げやがったな。だが、次はどうかな?」

 

斧を持ち上げ、何かをしようとする。二挺大斧ベルヴァーク。並外れた膂力がなければ使えない斧の帝具。その奥の手は投擲武器としての使用が可能であるということ。中心から二挺の斧に分離することが可能であり、投擲された斧は勢いが続く限り敵を追跡する。地下の様な適度に広く、逃げ場は少ない密室ではその威力は凶悪の一言に尽きる。この斧の飛翔を止める事は難しい。

ダイダラは帝具の奥の手を使おうとする。しかし、その動きは中断される。彼の視界が傾いてしまったからだ。

 

「んあ?」

 

踏ん張ったが、耐えられない。前のめりになって倒れこむ。

 

「──え?」

 

振り向くと信じられない光景が視界に入る。下半身は直立不動でしっかりと立っていた。しかし、ダイダラは地面に伏している。字面だけで見ればあり得ない状況だが、この現実に矛盾はない。

 

上半身と下半身が別々にならなければいけないという条件はあるが。

 

「高らかに気合の声を叫んで、モーション丸出しの大振り。威力、速度、共に並」

 

黒髪の剣士は冷ややかな目で真二つになった大男を見下ろす。

 

「隙を見せるな。大振りをするな。予備動作は最小限に、決して敵にこちらの動きを読ませるな」

 

三年間、口を酸っぱくされて言われ続けてきた、炎狼の教えの一つ。

 

「私達は世界最強の男の剣を毎日受けてきた。貴方程度の攻撃、当たる方が難しい」

「て、めえ……」

 

半分になった上半身を暴れさせる。しかし、戦意とは裏腹にその動きは緩慢そのもの。まさに甲羅をひっくり返され、のたうつ亀。その動きも大量出血により、意識を失うことで止まる。

 

「ダ、ダイダラ……」

 

呆気なく敗北したダイダラの姿にニャウは愕然とする。驕りがあったのは事実。しかし、それを差し引いても彼は強い。少なくとも、あの鬼揃いのエスデス軍でトップに君臨する三獣士にふさわしい実力を持っていた。

それをここまであっさりと。

 

足音が地下に響き、意識が戦場に戻る。ダイダラを瞬殺した女剣士は彼の死体を蹴飛ばし、一瞥もせず、自分たちに対峙した。

 

「次はどっち?それとも命が惜しいから引く?どちらにしても早くして欲しい。こっちには時間がない」

「このっ」

 

突っ込もうとしたニャウをリヴァが止める。肩を掴む手には強い力がこもっていた。

 

「感情的になるな。認めろ。若いが、強敵だ。油断するな」

「…………りょーかい」

「ファン、チェルシー。気を緩めないで。今のは殆どドサクサ紛れ。本番はここから。隙を見せれば今度は私達がこうなると思って」

「わかってる」

「臆病さでは誰にも負けないから」

 

炎狼と氷の魔神、二人の最強の弟子達の潰し合い。死闘はここから加速し始める。

 

 

 

 

 

 




後書きです。久々の更新。いかがだったでしょうか?けどやっぱりダイダラは瞬殺真っ二つが似合いますね。強いキャラのはずなのになんでだろう?
実は筆者、長くに渡って執筆恐怖症でした。というのも、以前書いていた小説で盗作扱いを受けて以来、いくら書いても、他の小説で同じ表現をしていないかという考えが過ぎり、ビビって書けなくなってしまったのです。今もビビりまくっていますが、また同じ扱いを受ければ消せばいいだけかと思い直し、開き直ることにしました。今後も頑張っていこうと思いますので、感想、評価よろしくお願いします。面白かったの一言でもいただければ幸いです。


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