甘えろ! クー子さん (霜ーヌ。氷室)
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八坂家の食卓に異常あり

 真クーはジャスティス!
 今作は、Arcadia様にも投稿しています。
 クーまひっていいよね、スティンガー君?


「なんですとぉ!」

 ニャルラトホテプの叫びが八坂家のリビングに響いたのは、連休初日の朝食を食べ始めてすぐのことだった。

 母親、八坂頼子(17)への出来る嫁アピールのため、キッチンに突撃しようとした混沌を撃退し(太陽から獲ってきたフェニックスのお肉、だとかいうものが懐から転がった)、ハムエッグに自分の卵を使用させようと暗躍するシャンタッ君をハスターに押し付け、結局サラダを盛り付けている母親の横で、メインのフライパンを担当することになった真尋である。

 調理中に、いかほどのムスコニウムが吸収されたことか。

 それはさておき。居候を含め八坂家の住人全員が席に着き、両手を合わせたタイミングでニャルラトホテプの通信端末、iaiaPhoneが全ての涙を宝石に変えそうな着信音を鳴らし、そして冒頭に戻る。始めから、説明など、されていなかったッ!

「ちょっと待ってくださいよ! そんな急に言われても困りますよ」

 ニャルラトホテプが立ち上がって通話、というかもはや叫んでいる。耳栓が無ければ身体が竦んでしまいそうな大声だが、そこは慣れたもの。母親は落ち着いて、ハスターとシャンタッ君はじゃれつきながら、クトゥグアはニャルラトホテプの皿に手を伸ばして、それぞれ普通に食事をしている。

 真尋も例外ではなく、これから厄介事に巻き込まれる可能性を考え、活動(主に脳みそアッパー系な這い寄る混沌へのツッコミ)のためのエネルギーの確保に勤しんでいる。慣れとは偉大である、人は成長するのだ、してみせる。

「あぁ、ハイハイ。分かりましたよ、それじゃ食事中なんで」

 電話を切り、やれやれと溜め息を吐いて席に着いたニャルラトホテプは、頭を軽く振る。綺麗な銀髪がそれに一瞬遅れて揺れる様はまるで深窓の姫君にも見えるが、その性根が真逆であることを、真尋は一ヶ月にも満たない付き合いでよく理解している。

「惑星保護機構からか?」

 サラダを小皿によそいながら、それとなく聞いてみる。

 そもそもニャルラトホテプの知り合いという奴らは限られている、とある蜘蛛神の寝取り達人(NTRマイスター)以外、全員八坂家にいる状態なくらい友達がいないっぽい。ならば、上司、もしくは同僚からの電話と予測したのだが。

「今さらりと鉄バット持った混沌を無視……いえ、彼女も別の世界線でしたね。そして、残念ながらハズレです。なんですか真尋さん? 私の事が気になるんですか、んもうそれならそうと早く言っていただければ私の隅々までお見せしましたのにぃ。ささ、部屋に行きましょう、私の部屋にしますか? それとも初めてはやっぱり男の子の部屋ですかね? あ、いえいえいきなりそんなにがっつくとははしたないですね。ご安心を、私は慎みにおいても頂点に立つ這い寄る混沌です! まずはお風呂場でお互いの身体を洗いっ子するのが十全ですねお友達、英語で言うとディアフレンド!」

 百面相の様に表情と話題を変えるニャルラトホテプに対し、真尋はただ食事に使っていたフォークを皿に置いて、懐から新たなフォークを取り出す。それだけだ、それで過程は無く結果だけが残る。

「いやぁ、サラダ美味しいですね。常に一日の基本である朝を支えて来たのは、一握りの野菜であると、ノーデンスも言ってましたしね」

 知らねーよ、と思いながら更に表情を変化させるニャルラトホテプを見て、フォークを懐に戻す。強大な兵器は使用するのではなく、ちらつかせて威圧に利用するのが外交だと、真尋は言葉ではなく心で理解している。

(しかし、本当に百面相だな。いや千面相か、ニャルラトホテプだけに)

「……少年、思ったほど上手いことは言えてない」

「だから、心を読むなよ」

 相変わらず、何故か真尋の心中をギャグ限定で察知した、紅いツインテールは無表情ながらもどこかドヤ顔で言った。口の周りを黄色に染めながら。

「ほら、黄身が付いてるぞ。こっち向け」

「……ん」

 手近にあったナプキンで、クトゥグアの口を拭ってやる。

 シャワーを終えた犬を拭いてやる気分だ。

「く、クー子。真尋さんにお口拭き拭きしてもらうために、わざと汚しておくとは、あざといな、さすがクトゥグアあざとい。真尋さん、事後でしたらいくらでも拭き拭きできますよ、私の下のおくわがたっ! かまきりっ! ばったっ!」

 風切り音に同期するように止まったニャルラトホテプの言葉に、首を傾げてそちらを見ると、左右のモミアゲとアホ毛――邪神レーダーにフォークが絡まっていた。投げたのは真尋ではない。

 ならば。

「ニャル子さん、今は食事中よ?」

 予想通り、邪神ハンターの腕前でこの八坂家を買った母親だった。顔こそ笑っているが、言外にこう言っている。飯時に下ネタはやめろと。

 いや、恐ろしい事に目も笑っている。何が恐ろしいって、談笑中の相手をフォークで貫きかねない凄みがあるのだ。コワイ!

「がたがたがたがたがたきりば……は、はい。ご飯、美味しい、です、とて……って、なんじゃこりゃあ!」

「今度はなんだ?」

 どうやら、この期に及んでも静かにするつもりはないらしい。自らの感情が処理できない奴はゴミだと教えてやるべきだろうか?

「わ、私の手付かずのハムエッグが、何故か真っ二つに!」 ニャルラトホテプが指差すそこには、綺麗に黄身も白身もハムも半分無くなっているハムエッグの姿があった。とろりと流れだしている黄身は、真尋が拘って半熟にした証だ。

「……ニャル子、わたしのが半分残ってるよ」

「ああ、ありが……って、これあんたの仕業でしょう? さっき私のお皿の上でなんかやってたでしょうが!」

 差し出された皿に、珍しくクトゥグアに礼を言おうとしたが、犯人の特定が同時に済んだため、ギロッと睨み付ける行動に移すニャルラトホテプであった。

 エスカレートしたら止めればいいかと、真尋は食事を再開した。とりあえず、自信作であるハムエッグに取り掛かることにする。

「何故こんな暴挙を! あんたは、ハムエッグの黄身も、愛した男も半分に切り分けるんですか!?」

「……ニャル子、少年は切り分けられない」

「うごっふ!」

 不意討ち気味の発言に、うっかり黄身で盛大に口を汚してしまった。なんでこの生きている炎は、ニャルラトホテプに対して好意を明け透けにしているのに、真尋に対しても事も無げにこんな事を言うのか。

 言った張本人が、相変わらずの無表情な事に何か釈然としないまま、ナプキンで口を拭う。

「あ! ……ぅう」

 その行為の意味に気付いた真尋の苦悩を余所に、二柱の会話は続く。続くったら続く。

「……ニャル子、誤解しないでほしい。わたしは別にニャル子からハムエッグを奪いたかったわけじゃない」

「誤解も六階も、主八界も三千世界もありませんよ。現にあんたは私からハムエッグを切り取って行ったじゃありませんか」

「……でも、わたしの分の半分はまだ食べてない。少年のハムエッグは絶品、それはニャル子も認める所のはず」

「ええ、それはまあ」

「うん、まひろくんのハムエッグ、おいしいよ。ね? シャンタッ君」

 みー、みー。

 今まで背景に徹していたハスターとシャンタッ君も同意する。本来なら嬉しい話なのだが、ちょっと今真尋は混乱している。

「……そう、少年の料理の腕は確か。でもハムエッグの特性上、焼き加減や油の染み込み、つまり味に微妙な差が出るのは当然の事」

「いや、まあ私達の邪神の舌なら、その微妙な差も分かりますがね。あんた、料理しないじゃないですか」

 その言葉に、露骨に肩をすくめるクトゥグア。

「……別に料理が出来なくても、料理の味は分かる。絵が描けなくても、漫画の良し悪しは分かるように。それが理解出来ないニャル子じゃないでしょう?」

「うぐぅ」

 本来、自分のフィールドであるはずの舌戦で押されるニャルラトホテプ。どうも今日のこいつは……いやハムエッグ以前は普段通りだった、急に精彩を欠いたように見えるのも、何か裏があるのだろう。例えば、今さら伏線を張るのを思い出した小説書きみたいに。

「……だから、ニャル子にも二通りの味を楽しんでほしい」

 そう言って、ニャルラトホテプの皿に自分のハムエッグを乗せる。断面だけなら元からそういう形であったみたいに、ぴったりだった。

「あーうー、分かりましたよ、そこまで言うなら食べますよ、真尋さんが作ったハムエッグですしね」

 このまま続ける愚を悟ったか、それともクトゥグアの言葉に一定の正当性を感じたのか、ニャルラトホテプはハーフ&ハーフのハムエッグが乗った皿を、自分の前に置く。

 真尋としても自分の作った物を評価してもらえるのは喜ばしい。ようやく収まった動悸に安堵して、この騒動の発端であるクトゥグアに目をやると。

「……はぁ、ん、ふぅ。わたしとニャル子の卵が、くちゅくちゅって混ざりあってる。あぁ、これだけで妊娠しちゃうぅ」

「変態だーー!」

 そして台無しだーー!

「あ、あんたハムエッグに薬とか仕込んでねえでしょうね!」

 クトゥグアは酷い有様だった。

 頬を赤らめ、目を潤ませて、口からはMADなどで便利に使えそうな声を艶やかに吐き出して、身体は小刻みに震えている。真尋からはテーブルの下がどうなってるか見えないが、見えなくて良かったと本気で思う。見えていたら、恐怖のサインを発して紙の中に取り込まれてしまいそうだ。

「……人を愛するのに、薬を使うなんて邪道」

「信用ならないんですよ、あんたみたいな肉欲優先邪神が何気なく差し出してきた物なんて!」

 お前が言うな、と言いたい真尋である。例えばいつかの温泉の時とか。

「……ニャル子、わたしはニャル子の子供を産む事だけを目的としていない。重要なのは、恋人繋ぎをしながら教会に向かう意志だと思ってる、ここに教会を建てよう? あ、少年おかわり」

 ここに教会を建てる時点でかなり即物的だと思うのだが、そこにつっこんでいたら朝食が終わらないので、無言で茶碗を受け取ってやる。

「っ!」

「……少年、どうしたの?」

「なんでもない」

 ただクトゥグアの指が茶碗と一緒に触れてしまっただけだ。それだけに過ぎないのだが、頬がフォーマルハウトの様に熱い、クトゥグアだけに。

「そ、そうだニャル子!」

「んぐんぐ、何ですか真尋さん? その謎の気恥ずかしさを隠すために無理に話題を変えようという感じの声色は」

 そこまで分かっているなら、何も言わずに話題に乗ってほしいのだが、きっと無駄だろう。こいつは、空気など読むな、という格言を悪い方向で実行し続ける事に定評のある這い寄る混沌なのだから。

「いや、さっきの電話って結局なんだったんだ? 僕達、っていうかクー子やハス太は関係無いのか?」

 先ほど外れだと言っていたので、惑星保護機構に関係無いのは分かったが、それ以外でも厄介事の可能性はある。むしろその可能性以外が見当たらない。ならばこいつは、なんのかんのと理由を付けて真尋を巻き込むに決まっているのだ。ならば最初から覚悟しておきたい、どこぞの神父も覚悟は幸福だと言っていたし。

「ああ、いえあれは私の私的な用件なんで。っていうかぶっちゃけ……」

 ニヤリと笑って、急に言葉を切る。

 特に理由があるわけでもなく、単にわざとらしい溜めの演出だろう。

 そして実際そうだった。

 

 

「私の両親からなんですけどね」

 



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食事が普通に終わらないのは、どう考えてもお前らが悪い

「りょう……しん?」

 今ニャルラトホテプはなんと言った? りょうしん……良心? いや、こいつにそんなものがほとんど無い事は分かり切っている。

「それじゃあ、まさか」

 『両親』と言ったのか? 両方そろった親と書いて両親。別に上手くはないが。

「ニャル子……」

「はい、どうしたので? そんな空気爆弾に追い詰められたアトムみたいな髪をした高校生みたいな顔をして」

 ニャルラトホテプは平然そのもの、汗もかいていない、呼吸も乱れていない。つまり。

 あと関係無いが、何故か余市の顔が脳裏に浮かんだ。

「お前、木の股とか細胞分裂とかで産まれたんじゃなかったのか? 親とか普通にいたのか!」

「酷すぎる! っていうか、親の話題とか出したことありますよね? それともあれは別の世界線でしたっけ? 少なくとも、私の不肖の兄には会ってますよね?」

 ナイトゴーントも月まで吹っ飛ぶ勢いで、掴み掛かって来た。ぶっちゃけ冗談のつもりだった、七割くらい。正体が這い寄る混沌なので、完全には疑念は晴れないが。

「普通に恋愛結婚ですよ、うちの両親。宇宙メリッサ攻防戦で敵として出会ったんですが、互いのシャンタク鳥が不時着してしまい、旧き者も凍える極寒の雪山でにっちもさっちもミッチーも行かなくなったんで、仕方なく協力して暖を取ったのが馴れ初めだそうです」

 語るうちに、どんどん熱が上がるニャルラトホテプ。そもそも宇宙メリッサ攻防戦ってなんなのか分からないが、どうせこの場限りのネタだろう。

「雪山で遭難かぁ、懐かしいなぁ。私とあの人が結婚を決めたのもそれが原因だったのよ」

 と、ニャルラトホテプの本当は無かったかもしれない胡散臭い話に割り込んで来たのは、意外にも母親の頼子だった。

「おお、真尋さんのお母様もですか、これはなんたる偶然」

「本当ね。思い出すわ、その頃は未熟でフォークだけじゃ獲物を仕留められないから、予備で持っていっていた火属性の大剣と太刀で雪を溶かして、温泉を作ったのよね」

「え、本当ですか? うちの両親も、宇宙CQC大空を駆ける死んだ魚の目をしたサイファーソードで温泉を作ったそうですよ」

 と、相変わらず容易に話は脱線して、雪山話に花が咲いている。真尋としては、両親の恋愛話とか気恥ずかしくって仕方ない。

「それでですね、誕生日を逆算すると、どう考えても私が仕込まれたのはこの時なんですよね」

「ぐっふぅ!」

 食後のお茶が、鼻の方まで行ってしまった。いきなり何を言い出すのか、この脳みそ混沌燃料(有害)は。そしてこの話が創作であることが確定した、お前第一子じゃないだろ。

「うん、その……ね? ヒロ君も多分この時仕込……」

「か、母さん!」

 真尋は叫んだ、声の限り叫んだ。その続きは言わせない、自分の心まで放してしまいそうだから。

「今、食事中だから!」

 いや、食事中以外でも言わせるわけにはいかないが。

「え、あ、うん、そうよね。私ってば、うっかりさん」

 酒でも入っていたかのようだったテンションがどうにか収まったようだ。頬を少し染め、コホンと咳払いをする母親は十七歳という自称に違わず、可愛いと真尋は思う。

 思えば真尋の初恋は母親だった。思いっきり顔が似ているので、今もそうだったら水面に映った自分の顔に告白しかねないが。

「ええと……そういえばニャル子さん、お兄さんいたのね」

「な、何を言ってイルルヤンカシュ、もといいるのです、真尋さんのお母様!?」

 変わった話題の矛先が、ニャルラトホテプのもっとも触れて欲しくないところを貫く、いや母親の事だから話題のフォークか。

「え? さっき不肖の兄って言ってたじゃない。話し振りからするとヒロ君は会ってるのよね? どんな人だった?」

「あー」

 ニャルラトホテプの兄、ニャル夫。確かに真尋は会った事がある……あるのだが。

「あ……? あ……?」

 ニャルラトホテプの人生最大の汚点、というか妹へのコンプレックスから幻夢境の神々を皆殺しにしてしまった、ぶっちゃけ犯罪者。身内にそんなものがいる事が知られてほしくない妹から直々に、無関係な野良ニャルラトホテプとして処理されてしまった、ある意味可哀想な奴だ。

 まあ、地球人の精神を無防備な丸裸にした事は万死に値するので庇うつもりは無いし、ニャルラトホテプがどんな暴走をするか分からないので真尋も触れたくない話題なのだが。

 とりあえず助け船を出してやるかと、真尋が頭を捻ろうとした瞬間。

「い、嫌ですねー、兄では無くスーパー眷属大戦UXの主人公のニックネームのことですよ!」

「え」

 なんか宣いはじめやがった。

 そのままトンプソン機関銃の様に次々と、ないことないことを母親に吹き込んでいく。

「いやぁ、当初は普通の真面目君だと思ったんですけど、三部でいきなり学園仕舞人みたいな発言するようになっちゃいましてね。別人に入れ替わっただとか、催眠術だとかチャチなもんじゃ断じてありそうな変わりっぷりでしたね!」

「あの、話の流れからそうはならないと思うんだけど?」

「いえいえいえいあいあいえいえ、気のせいですよ真尋さんのお母様。私に兄なんていません。ね? クー子! ハスター君!」

「ふぇ? う、うん。ニャル子ちゃんにおにいちゃんがいるって話は聞いたことないよ」

 突然振られたハスターだったが、ニャルラトホテプの期待に充分に応える返答をした。幼なじみの証言なら母親も信じざるを得ないだろう。

 しかしこいつは、一体いくつの頃から兄を封印していたのだろう?

「ねね? ハスター君もそう言ってるじゃないですか、真実から出る誠の証言は決して否定されないんですよ。ほらクー子! あんたも私に兄なんていないって証言しなさいよ!」

 勢いのままさらにクトゥグアにまで証言を求めるニャルラトホテプ。真実ってなんだっけ?

「ん、クー子?」

 クトゥグアは茶碗を持ったまま、無言を貫いている。珍しいものだ、想い人に呼ばれれば空と地と海の狭間にだって飛んで行きそうな性戦士が。

「ちょっと、シカト決めてくれるんじゃねえですよ!」

 ニャルラトホテプの怒声を受けても微動だにしない。

「クー子?」

 流石に真尋は心配になる。真尋の脳内に浮かんだのはSF小説等でよくある、宇宙人にとって未知の病原体に感染してしまい免疫も無いから死に至る、というあれだ。

 あの図体はデカいが、所々抜けてる惑星保護機構のことだ、予防接種が完璧でなかった、という事も充分あり得る。

「おい、クー子しっかりしろ!」

 出会った当初は、さっさと出ていけと邪険に扱っていたが、ほんの少し前、過去に渡ってまで取り戻した『日常』。ニャルラトホテプも、シャンタッ君も、ハスターも、ルーヒーも、もちろんクトゥグアだってそこに入っている。

「クー子! 返事をしろクー子!」

 熱は、ダメだクトゥグア星人だけに平熱が高過ぎて手を当てたくらいでは判断が出来ない。

「クー……子」

 何が出来る? 自分に。クトゥグアの熱が移ったように、脳がまともな思考をしてくれない。

「クー……」

「……zzz」

「は?」

 よく耳を澄ますと、クトゥグアの口からいやに規則正しい寝息みたいなものが聞こえる。というかこれは。

「えい」

 鼻を摘んでやる。

「……ふ、んん、くぅぅ、はっ!」

 ツインテールがビクリと動き、紅い瞳が開き、そのまま鼻を摘んでいる真尋を見つめる。

「……おはようボンジュール、少年は何をしているの? 夜這い?」

 脳天に軽くチョップをしてやる、寝落ちをしても茶碗を放さないところは評価すべきだろうか?

「……くすん、少年のS」

「まったく、心配させるなよ、本当に」

 減らず口に軽くでこぴんを追加して、自分の席に戻る真尋。

「うふふ、ふーんヒロ君ってそうなんだ」

 何故か母親から、慈母と下世話が混ざった表情で見つめられ、恥ずかしくなった真尋は話題を強引に変えたい。もしくは貝になりたい、川底に落ちて考えるのをやめそうだが。

「で、で! どうしたんだよクー子、食事中に寝るなんて珍しいな」

 小柄ながらに食欲旺盛なクトゥグアは、本当によく食べる。その割りには体型がまったく変わらないが。本文詐欺と名高いニャルラトホテプと比べても、コンパクトだ。色々と。

 そんなクトゥグアが、食事よりも睡眠を優先するなどよっぽどの事だ。

「……ん、夜遅くまでカレルレンで色々読んでたから」

「カレルレン?」

 また知らない単語が出てきた。いい加減この宇宙人達は、相手に伝える努力をするべきではないか、と真尋は常々思っている。もしくは、誰か解説役が欲しい、ロンドンの貧民街辺りでスカウト出来ないだろうか。

「クー子、あんたまだ幼年に居座ってたんですか? あんたも物好きですね」

「とりあえずニャル子、説明してくれ三行で」

「ア、ハイ」

 さて、今回のお約束は。

「幼年はカレルレンの通称で。

 カレルレンは宇宙二次創作投稿サイトでして。

 えー、あー……真尋さん、私にもおかわり戴けますか?」

「思い付かなかったのか!? 珍しく三行で終わったけど、二行しか思い付かなかったから、余分な一行を追加しただけか!」

 ほとんど引ったくる形で、茶碗を奪い白飯をよそってやる。

「で、宇宙二次創作……いやニュアンスで分かるけど、相変わらずなんでも宇宙を付ければいいと思ってんな」

「そんな事私に言われても困るんですがね。まぁ、知っての通り娯楽を作る事に関して地球人の右に出る種族はいません。が、続きが気になるとか、この展開が気に入らなかった、なんかの理由で自分で書きたくなるのが人情じゃないですか?」

「んー、まあ分からないでも無い……かな? 僕はやったことはないけど」

「駄菓子菓子、もといだがしかし、もとより娯楽製作に適性が無い上に、素人が作った作品。玉石混淆どころか、浜の真砂が尽きても尽きない悪魔の種の中から砂金を探すに等しい状態でして。しかも、クリエイター気取りのいらんプライドのおかげで、いやに閉鎖的かつ高圧的な場所になっちゃって、徐々に奇妙な廃れ方しちゃったんですよね」

 なるほど分からん。もとより二次創作をあまり嗜まない真尋には、よく分からない世界だ。

「……最近はマナーの悪いお客さんを追い出して、徐々に奇妙な復権を果たしつつあるよ。それに未熟な作品が多くても、作品に掛ける情熱が感じられればそれで満足。プロには創れない作品も多いし、それでうっかり批判や誤字脱字の指摘やらをしていたら、パソコンと朝チュンしてた」

 そう語るクトゥグアは、無表情なのは変わらないがどこか誇らしげだった。

「そっか、でも身体には気を付けろよ? お前が倒れたら皆心配するんだからな」

「……少年も?」

「ま、まあな」

「……ん、これから気を付ける。心配させてごめんなさい」

 目を伏せて謝罪をするクトゥグアを見て、真尋の胸に暖かい物が芽生えたのを感じた。

「あれ、おかしいですね? なんか真尋さんの好感度がクー子の方に振り切るぜっ! してません?」

 何故か絶望までのタイムを測っているかの様な表情をしているニャルラトホテプに、真尋は忘れかけていた疑問を投げ付ける。

 本当に……本当に、なんて長い廻り道。喋りすぎニャル子。それしか言葉が見付からない。

「なぁニャル子、で両親からの電話はなんだったんだ?」

「え、今さらその話題に移るので? てっきり終盤のくだらないオチの伏線になるかと思ってたんですが。あーあのですね……」

 そう言って再び言葉を溜めるニャルラトホテプ。天丼は三回までを忠実にやるつもりか、この這い寄る芸人は。

 

 

 

「せっかくの連休なんで帰省しろ、って言われただけですよ?」



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朝・食・終・了

 八坂真尋は、まだ家を出て生活したことがない。

 まだ高校生という未熟な年齢であるし、何より母親がムスコニウムなる超時空謎栄養素を求めるので、まだそうする事を許してはもらえないだろうし、そうするつもりもない。

 両親に依存しているつもりはないが、いずれ出ていかなければならないなら、まだ家族と一緒にいたいと思う真尋である。

 なので、帰省というのがどんなものなのか知識はあっても実感としては分からない。

「帰省か」

「はい帰省です。寄生、英語で言うとパラサイトブラッドではなく帰省です」

 だからニャルラトホテプが久々に実家に帰るのがどんな気分なのか、真尋は少し興味がある。地球に来る以前、こいつが実家暮らしなのか一人暮らしだったのか聞いた事はないが、娘がいきなり辺境銀河の片田舎に配属され一ヶ月も経てば、会いたくなるのが人情だろう。

 這い寄る混沌も人の親というわけだ……いや、その理屈はおかしい。

「で、どのくらいに出発するんだ?」

 こいつらの宇宙渡航技術がいかほどの物かは知らないが、シャンタッ君では宇宙に出られないし、瞬間移動的なサムシングはこいつらの恩師の固有技能らしいし。まさか実家に帰るのにおねがいティーチャーするわけもないだろう。だったら、なんらかの公的機関を使うのだろうから、スケジュールは結構キツいのではないか。

 だが、件のニャルラトホテプは。

「え? 出発ですか? なんの……ああ、デートのお誘いですか? まさか真尋さんからお誘いいただけるなんて、立てる端から折られていくフラグに、吹雪の中でも目立つように血を付けたり、ビームにしてみたり、やっと……やっとニャル子の努力が実ったんですね! いやぁ、真尋さんは強敵でしたね」

「は? 何言ってんだよお前、実家に帰るんだろ?」

「一体、いつ私がそんな事を言いました?」

 わざとらしい上目遣いで見つめてくる這い寄る混沌。いつの間にかボタンを二つ外していて、白い肌と深いのかよく分からない可変式谷間を強調している。あざといな、アザトースの部下だけに。

「……少年、あまり」

「分かってるから、心を読むな! で、どういう事だ? さっき分かりました。とか言ってただろ?」

 周りを見回すが、全員からNOと言えない日本人的に肯定が帰ってくる、きっと黄衣の王も「肯定だ」と言ってくれるだろう。

「うー、にゃー……だって実家まで乗り換え面倒なんですもん」

 アホ毛も力なく垂れ下がるニャルラトホテプ。流石にそんな理由で両親に嘘を吐いたのはいただけない。誠意をもってネゴシエーションに当たろうと思った瞬間、何かおぞましい言葉が漏れたのを真尋の耳は捕えてしまった。

「それにうちの両親って、テンションが高くって疲れるんですよねぇ。別に嫌いってわけじゃないんですけど」

 テンションが高くって疲れる? この這いテンションニャルラトホテプがそう言ったのか?

「なあ、ニャル子……お前の両親ってどんな人達なんだ?」

「えーと、そうですね……なんか兄妹みたいにそっくりでして。確か昔親戚から、家族三人共そっくり、でもニャル子ちゃんは結構おとなしい。って言われました……まあなんていうか私のアッパーバージョンと言いますか、私を究極の凄まじき混沌とするなら、両親はライジングな究極ですね」

 真尋は頬が引きつっているのを感じる、さらに汗が吹き出る、どす黒い気分にまでなりそうだ。

「ですんで、私としましては帰省などしないで、真尋さんときゃっきゃうふふして過ごしたいんですよねぇ」

 ニャルラトホテプは茶を啜り、肩の荷を下ろした顔をしている。

「なあニャル子、お前帰らないとまずいんじゃないか?」

 もうこれで連休中は安心という戯けた幻想は。

「え? どういう事ですか」

「だってお前の両親がお前そっくりなら……」

 真尋の一言がぶち壊す。

 

「地球に直接来そうじゃないか?」

 

「あー、え?」

「這い寄る混沌らしいメンタルで、恐らくお前が一番やってほしくない、母さんとの情報交換とかしかねないと思うんだが? 言っとくがそこまでやったら、僕は止められないからな」

 急に娘の居候先にやってきて場を混乱させる。ニャル夫の事を筆頭に知られたくない情報が赤裸々に白日の元に公開する。もし立場が違えば、ニャルラトホテプなら嬉々としてやるだろう。

 帰省したくないが、帰らないともっとまずい事態になる。思い付く限り「一番怖い」マフィアを敵に回した現状、それを理解したニャルラトホテプは。

「詰んだああああああああああああああ」

 絶叫した。

「くっ……う、うぅ。確かにうちの両親ならやります、やらない理由が無い! ならば仕方ありません、帰省するしか無い! ですんで真尋さん! 私の実……」

「ノゥ」

 生憎だが、そう来るのは読んでいた。ニャルラトホテプの勢いが五百キロで突っ込んで来る重トラックでも、二キロも前から察知出来ていれば避けるのは容易い。

「そんな、イエスと言ってください!」

「絶対にノゥ、悪いけど宇宙に出る事になるお前の頼みなんて、自動的にノゥとしか言わない事にしてるんだ」

「やはり真尋さんの青春ラブコメは間違っていますよ! 普通ヒロインの頼みをノータイムで断る選択肢なんて選んだらバッドエンド一直線じゃないですか。だったら、私と一緒に実家に来ないでください」

「イエス」

「馬鹿な、ノゥとしか言わないはず! うう、せっかく両親に、自慢の婿の誕生を伝えるチャンスでしたのに」

「……ニャル子、わたし一緒に行きたい。ご両親に、ニャル子を焦熱の儀式に誘って炎帝の抱擁みたいに愛した者として挨拶したい」

「はぁ? 馬鹿ですかあんた、クトゥグア星人をニャルラトホテプの母星に連れて行けますか。つかなんです? そんな一方的な久遠の絆、言葉を降魔の剣と化し断たんと欲しますよ!」

 相も変わらず騒がしい連中だと真尋はため息を吐くが、クトゥグアを案じた様に聞こえてちょっと頬が緩む。不倶戴天の仇敵な種族同士だが、こいつら個人は仲のいい喧嘩友達と感じられる。

「はいはい、喧嘩しないの。乗り換え面倒なんでしょう? だったらニャル子さん早く出ないと、ね?」

「ああ、はい真尋さんのお母様。あ、そうだハスター君、ビヤーキー貸してくれませんか。あれならひとっ飛びで到着するんですが」

 ビヤーキー。宇宙空間ならば亜光速で飛行出来るハスターの眷属……という名のサポートメカだ。きっと人型に変形し、劇場版ではハスターのサポートをするも巨大な敵に破壊されるに違いない。

「ご、ごめんニャル子ちゃん。あんまり宇宙にいくとおもってなかったから、いまコスモじゃないんだ」

「ああ、喚装に時間掛かりますからねあれ。せめて戦艦に搭載したら喚装コマンドが出るくらいしてほしいもんです。で、今は何の形態なんですか? 地上踏破用のストライカーです? それともまさかの決戦用のライトニングですか?」

「え? ダイバーだけど」

 何故こいつは時間があまり無いと言っているのに雑談に花が咲くのか。あと戦艦ってなんだ、これ以上地球に厄介な物を持ち込んでほしくはないんだが。

「はあ! ダイバー? なんだってわざわざ据え置きのスーパー眷属大戦OGで削除された微妙な形態に」

「だ、だって……水のなかにはいれたら、ふたりきりになれるかな。って」

 金髪の少年は顔をゆでダコみたいに染めて、人差し指をツンツンとしている。ハスターだけ……やめておこう。

「そ、そういえばニャル子ちゃんって地球に宇宙船で来たんじゃなかったっけ? なんかレトロな……」

「ハスター君、原作の面白さを再確認するため、とかリアルにSAN値が下がる気分を味わう。とか無かったんですよ」

 ニャルラトホテプはいつの間にか幼なじみの肩を掴んで、笑顔で冬のナマズみたいに黙らせようとしていた。

「ふぅ、さてではニャル子は、ちょっと帰省の準備をしてきます……と、真尋さんのお母様」

 ハスターを解放したと思ったら、今度は母親に話し掛ける。こいつは話を進めるつもりは無いのだろうか?

「なにかしらニャル子さん?」

「シャンタッ君はどうしましょうか? 確か今日、お母様は『獲物を屠る《狩人》の会』ドイツ語で言うと、イェェェェエエーガーァッ! に出席して、ハンター仲間に新たなオトモ候補としてシャンタッ君を紹介したいと仰っていましたよね?」

 確かにそんな事を、何日か前に言っていた。血に餓えた(偏見)ハンターの前に、この珍妙なマスコットを連れて行って大丈夫なのか、と一抹の不安を感じる真尋である。

「ああ、そうね。でもシャンタッ君も、久々にお家に帰りたいでしょう?」

 みーみー、みみー。

「なんと、シャンタッ君! いつもよくして貰ってるお礼にお母様にその身を託すそうです。関羽もびっくりの義の将に成長しましたね」

「あら、そうなのシャンタッ君? だったらニャル子さん、この子は責任をもって私が預かるわね」

 みー、みー。

「よーし、いい子にしてるんですよシャンタッ君! お土産に、少尉はいらない5thルナニンジンを買ってきてあげますからね」

 みーー!

 なんだかよくわからない宇宙製野菜に喜ぶシャンタッ君、まだ頬が赤いハスター、自室に向かうニャルラトホテプを見て、以前よりも間合いが近くなったように思う。これが家族になるという事か。

「家族かぁ」

「……どうしたの? 少年」

 結局四回おかわりしたクトゥグアが、こちらを向く。

「いや、なんでもないよクー子」

 なんでこいつとの間合いだけ曖昧なのか疑問に思いながら、頬に付いたご飯つぶを取ってやる。

 目と目が合う瞬間熱くなったのは、クトゥグアの熱気が漏れただけだろう、きっと。

 

   ***

 

 そこからは早かった。まるで残り文字数が少なくなって、慌てて巻きに入ったみたいに早かった。

「では、行ってまいりますが……ハスター君、あなたを信頼してますよ? もしクー子が真尋さんに破廉恥な真似をしようとしたら、いいんちょとして歯車的小宇宙で止めるんですよ? ハッピー、うれピー、よろピクね? ですよ」

「ふぇえ!」

 なんで玄関で全員が集まっている状況で、そんな前提からしてあり得ない事を言うのか。

「ほら、時間が無いんだろ。ハス太を困らせてないで、さっさと行けじゃあな」

 頭を押して、ハスターから離してやる。しかし幼なじみの男女なのに色気がまるで無いなこいつら。

「ちょっと真尋さん、じゃあねなんて言わないでください、またねって言って、せめてさよならの時くらい微笑んでくださいよぉ」

「はぁ、別に遅くても明後日には帰って来るんだろ? そん時には、おかえりって言ってやるから」

 既に家族の間合いになってしまったのだ、特に気負いも無く言ったのだが、何故か目元を手で隠してしまった。

「おい、ニャル子?」

「五秒待ってください、すぐ終わります!」

 宣言通り、五秒で背中を向けて目を擦ったニャルラトホテプは、ニカッと笑って敬礼して。

「では、ニャル子行ってきます。ニコニコ這い寄って帰って来ますんで、ちゃんとおかえりって言ってくださいね。約束ですよ?」

 そう言って駆けて行ってしまった。

「うふふ、ヒロ君も罪作りね」

「ちょっと、母さん!」

「それじゃあ私達も行くわね。さあシャンタッ君急ぐわよ、最優先事項よ」

 みー!

 さらに、母親とシャンタッ君も逃げる様に、終始ニヤニヤしながら行ってしまう。

「なんだったんだ」

 ため息一つ。まだ昼前なのに、既に何回も吐いてる気がする。

「まひろくん、そ、そのねちょっといいかな?」

「なんだよハス太?」

「えとね、ぼく今日およばれしてて、その」

 また赤くなるハスターを見て、真尋はニヤニヤしてしまう。つまりまた逢引の誘いを受けているのだ。

「いいよ、大丈夫だから行ってこいよ」

「う、うん! ありがとう」

 自分の部屋に荷物を取りに行ったハスターを見ていると。

「……少年、お母さんに似た顔」

「う」

「……それと」

「なんだよ?」

 

「……わたしとの間接キスはどうだった?」

 

 ああ、本当にクトゥグアの炎は熱いな。脳も心も、心臓も灼くほどに。



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真尋とクー子のΩΩΩ

「あぁ、ハス太を行かせたのは失敗だったかな」

 そう呟いて、またもため息を吐く真尋である。もしツイッターであったら、朝から延々と『はぁ』だけ書き込んでいる状態だ、間違いなく知り合いから心配の電話が掛かってくる。誰だってそーするだろう、真尋もそーする。

「はぁ」

 しかし、まさか彼女持ちの弟分に、彼女無しの自分が、デートに行かないでなどと言えるわけがない。明らかに嫉妬であり、嫉妬は大罪だ。

 以前何かのロボットアニメで、嫉妬をしている事を認める事で必殺技を会得していたはずだが。真尋はこれ以上人間離れした技能など必要無いので、嫉妬には無自覚でいたい。そもそもそのキャラは後に嫉妬で裏切ったし。

 なのだから、ハスターには今日一日で順調にルートを進めてもらいたい。そう、もはや彼の風の神性を欠片も年上扱いしていない真尋である。

 さて。

 先ほども話に上ったが、八坂真尋に恋人はいない。彼女も彼氏もいたためしは無い。

 そんな真尋のキスの経験は、幼少期に母にした事を抜かせばゼロ……ではない。ないのだが、最もインパクトの大きかった、口と口の貪られる様なキスは、妙な話、相手が真尋の肉体であった。

 ならば、ガラス越しはアリではない真尋の経験は、頬への一回と、ついさっきの間接という事になる。マスコット? それはのうりん、もといノーカンだ。

 ついでに、こないだの幻夢郷で……いやあれは確定していない。赤字で書かれていなかった。

 うん、本当にハスターには男になって来いと、意外と引き締まってると一部に評判の胸を張って言えるだろう。

 

 クトゥグアと二人きりにさえならなければ。

 

「……ん、これはわたしの想像力が足りなかった? 海に漂って生存も、想像の外だったけど」

 その相手、炎の神性クトゥグアはソファーに座らずにわざわざそれを背もたれに、床に腰を下ろして分割二画面の携帯ゲームをやっている。

 確か以前は、背面タッチパッドのあるゲーム機をやっていたが、どうやらこいつは熱狂的に好きなハードがあるだけで、ライバル会社の商品は買わないという宗教にハマっているわけではないらしい。

 この性質は人間関係にも表れているようで。ニャルラトホテプを病的に愛しているが、幼なじみの唯一の男という本来なら色々ToLOVEるなポジションになりそうなハスター。ニャルラトホテプの高校時代を知る親友である銀アト子。地球で出来た親友である暮井珠緒。そんな自分の火焔の自由恋愛を妨げかねない面々にも普通に接しているし。母親やルーヒー達ともよく話しているように思う。

 一方的に恋敵認定している真尋にさえ、その炎を向けるつもりは無いみたいだ。ルルイエランドでの邂逅時には無慈悲な灼熱をくれるつもりだったと聞くが、現在は愛人にすると宣言されていて。

 

 それが真尋には気に入らない。

 

 恋敵と認識されている事も、愛人止まりにしたいという事も、間接キスの話題を振ったくせにいつもと変わらずゲームをしている事も。そして、その事にイライラしている自分が気に入らない。

「って、いかんいかん、落ち着け僕」

 男のヤンデレは見苦しい。そう真尋は、以前読んだ漫画に出てきたヒロインに片恋していた医者の息子を見て学んだはずだ。

 ちなみにその漫画は、青少年らしい欲求を発散する為の、こっそり隠し持っている物なのだが、母親や這い寄る混沌にはいつばれるか分かったものではないので処分しようかとも思っている。

 譲ってくれた中学時代の友人には悪いが、過激な純愛といった感じだった一巻はともかく、全三巻の大半が真っ黒いあれを見られたら、趣味と人格を疑われそうなのでやはりさっさとどうにかしよう。

 この幼げな生きている炎に軽蔑されたくはないし。

「いや、そうじゃなくて」

 なんでいちいちこいつが思考に引っ掛かるのか、と首を振って考えを元に戻す。

 そう、この電流が流れるコースを鉄の棒で進んで行くかの様なイライラについてだ。別にこれを最後まで維持しても百万円が貰えるわけでは無いので、さっさと解消しよう。

 Q・なんでクトゥグアにイライラするのか?

 A・少しはクトゥグアに意識して欲し……。

「いや、これ以上いけない」

 この思考はマズい。終わりの無いのが終わり、なループに突入しかねない。僕ってほんとバカ。

 では、その前の思考。クトゥグアのハードの好みについて……。

「これも止めとこう。変につつくと今回のオチが、宇宙ゲハ論争という最高に最悪なくだらない事になりかねない」

 またもため息を吐いて、いい加減この不毛なたった一人の宇宙論争を締めくくる事に決めた。きっと二人きりなんて特殊な状況に、粘膜が幻想を生み出したのだろう。

 だったら、積んである本でも読もうかと立ち上がろうと思ったら。

「……じー」

 真紅の双眸が、紅蓮の弓矢の如く真尋を射ぬいていた。

「クー……」

「……少年、何しているの?」

 クトゥグアはソファーに後頭部を乗せて、上下逆さにこっちを見つめてくる。そんなはしたないポーズをするから、Tシャツの襟元が大変な事になっている。ニャルラトホテプらと違い、本当に小さいので致命的な部分が見えかねない。

 ちなみに、Tシャツの胸元には『踊り子号』と書かれている。多分母親が旅行のお土産に買って来た、サイズ間違えだろう。真尋も同じ物を持っている、ダサ……個性的なので着ていないが。

「べ、別になんでもない。ほら髪が足に当たってくすぐったいぞ」

「……当てているの。少年、嘘はよくない。若いうちのタイタス・クロウは買ってでもしろって言うけど、頭の上であんな凄SANな声を出されたら、気になって夢に少年が出てくる」

 器用に、背筋その他を使い真尋の足に頭を乗せるクトゥグア。

 いわゆる膝枕となってしまい、高めの体温と香水みたいな香りに、真尋の心臓が刻む血液のビートが燃え尽きるほどヒートしかねない。

 ちなみに、クトゥグアから香るのは白梅香。

「若いうちのタイタス・クロウってなんだよ」

「……例えば、一○○万Gの借金を背負ったり。お金を貸したら前の借金以上の額を背負ったり。呆れるほど有効な戦術の演出がくどいと総ツッコミを受けたり?」

「それ、なんか別のクロウじゃないか?」

 それで会話終了。と、クトゥグアが頭を打たないようにゆっくり足を引き抜こうとしたが、がっちりホールドされた。

「……少年、話は終わっていない。わたし公務員だよ? 相談くらいできるよ?」

 スリープモードにしたゲーム機を抱えて、膝枕の体勢で見つめてくるのが公務員として正しい姿ならば、現代版ジュゲムが承認されても仕方ない。

「……ん、正直な少年は好き」

「茶化すな。単にハス太がちゃんとエスコート出来てるか心配なだけだ」

 嘘は言っていない。真尋の思考の一割にも満たない話題だが。

「……ハス太君の事?」

 クトゥグアが少し不満そうな空気を発する。

「なんだよ?」

 

「……てっきり、珍しく二人きりだから、少年は緊張してくれてるんだと思ってた。わたしがそうだから少年もそうだと嬉しい」

 

「んなっ!? ぼ、僕はニャル子じゃないんだぞ」

 流石は炎の神性というべきか、真尋の体温はクトゥグアが口を開く度に上昇している。メルトダウンという爆弾を抱えた怪獣王を彷彿とさせる。

 ちなみに真尋は、バーニングよりもヒートウォーク派だ。

「……知っている。部屋中に紅い薔薇の花をいっぱいに敷き詰める準備はあるよ? 八坂家の最後の守りだから毒薔薇だけど」

「それ、僕はアウトだよな!」

「……魚座のクトゥグア星人は毒に免疫があるから、血液交換すれば大丈夫。伝説のアフーム=ザ・エックスが少年にも反応するかもしれないけど。それに……」

「これ以上僕に変な設定を付与しようとすんな。で、それに、なんだよ」

 ようやくいつもの、色気の欠片も無い空気に真尋は安堵。

「……体液交換で、少年の赤ちゃんが出来ちゃうかも」

 出来ませんでした。声と表情にはっきりと浮かんだ色に、真尋の熱量は再び混沌の炎に包まれる。

「出来ねえだろ血液じゃ」

「……シュブ=ニグラスなら、イケる。あ、思い出した。ハス太君、昔結構モテてたから女の子のエスコートは得意だと思う」

 茹った頭にも聞き逃せない話題がいきなり飛び込んで来た。あの小動物邪神が? 真尋は目線で続きを促し、クトゥグアは軽く首肯する。

「……黄衣の王の格好よさと、意外と荒々しい戦い方から、ワイルドの黄魅と呼ばれてた。普段のぽわんとした感じだと、マイルドの黄魅扱いだったけど。で、シュブ=ニグラスの子から結構熱愛を受けてたよ? ハス太君まるで気付いてなかったけど」

「へえ」

 かなり興味深い話なのだが、魚の小骨じみた引っ掛かりを感じている。

 確かこいつはアラオザルで、黄衣の王となったハスターにこう言っていた。

『……かっこいいからたまになればいいのに』

「…………」

 分かっている。クトゥグアとハスターの付き合いが、たかが三週間程度の真尋よりも遥かに長い事を。

 これは大罪だと。これは醜いと頭では分かっている。

 でも、人間はそんなに綺麗にも便利にも出来ていないのだ。

「なぁクー子、お前ってハス太をどう思ってるんだ?」

 クトゥグアも自分を意識してくれていると知って芽生えた暖かい物が火種となって、真尋の醜い部分を加速させる。

 その醜さを目の当たりにしたクトゥグアは。

「あ」

 微笑んで下から手を伸ばし、真尋の頭を撫でた。

「……ハス太君は親友だよ。ニャル子とも、少年とも違う関係。姉弟みたいな、兄妹みたいな関係。多分、十年経ってお互いの子供が将来結婚するといいね、って笑ってお酒を飲む関係」

 一瞬、クトゥグアはどこか遠くを、きっと真尋の知らないハスターとの思い出を見て、どこか達観した笑みを浮かべる。

 その表情が、いつもより遥かに大人びて見えて。

「……少年やニャル子と違って、絶対に結婚なんかしない関係だよ」

 真尋の中の嫉妬の炎が鎮静化するのが分かる。

「そっか」

 お返しとばかりに、クトゥグアの頭を撫でてやる。

「ごめん、変な事聞いた」

 そのお返しにと、クトゥグアがさらに撫でてくる。

「……ん、いいよ。少年とお話するの楽しいから……えへへ」

「なんだよ?」

 真尋の左手とクトゥグアの右手、互いのなでなでが究極のバランスで、さらなる域にプログレスしそうだ。

「……少年、二人きりじゃないとできない事いっぱいしよ? いっぱいお喋りして、一緒にお出かけしたい」

 嫉妬が去り、すっと爽やかな風が吹くくらい落ち着いた頭で思う。どうせ夕方にはハスターが帰って来るのだ、その前に真尋も出来る事はやっておきたい。

「そうだな、準備してくるからちょっと待ってろ」

「……うん、極めて了解、少年」

 起き上がったクトゥグアは、そのまま上着を羽織る、犬の尻尾みたいにツインテールが揺れている。

 その様子を横目で見ながら、自室に戻る真尋。

「えーと、財布はっと」

 思わず歌でも歌いたい気分を抑えながら財布やその他を準備していると、自分の服が目に止まった。

「あー、結構汗かいた……よな?」

 そう、これから女子と出掛けるのだから、清潔な服に着替えるのはマナーだ。例えば、母親が買って来たタンスの肥やしになっているTシャツとか。

「よし、これでいいか」

 上着を羽織り、軽く髪を整え玄関に向かう真尋。

「お待たせ」

「……ううん、わたしも今来たところ」

「なんだよそれ」

 互いに笑って、靴を履きながら真尋は思う。

 この臆病にも名無しの感情に名前を付けられる程度に、今日は何事も無く過ごせますように。

「よし、行くか」

 世の中には、伏線やフラグと言った概念がある。それは蜘蛛の糸の様に絡み合いながら人生に影響を及ぼすのだ。

 

 だから、真尋の願いも虚しく蜘蛛の邪神に出会ったのは必然だったのだろう。



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真尋さんクー子の 蜘蛛の食卓

「ご注文は、以上でよろしいでしょうか?」

 そう言って、小学生にしか見えない店員は真尋達のテーブルから去って行った。

 現在二人がいるのは、近場にあったファミレスの四人席だ。まずは腹ごしらえ、もっと洒落た店に連れてってやりたいが、悲しいかなバイトもしていない高校生には金銭的に無理な話だ。ところで、真尋とクトゥグア、向かい合って座る二人は、果たして周囲からどう見えるのだろう。

 そんな事を考えながら対面のツインテールを見つめていると。

「……今の店員さん、ニャル子に声がそっくり」

「ああ、確かに似てたな」

 なんと言うか、美術科で絵を描いていたり、新劇場版で新たな魔法少女でもやりそうな声だ。

 魔法少女。ニャルラトホテプ。

「やめとこう、封印していた物を無理に掘り返す必要は無いよな」

 まあ、物語のセオリー的には復活してしまうものだが。忍養成学校に眠る妖魔とか。

「……少年、何を考えてるの?」

「いや、ニャル子が魔法少女やった時の事だよ」

 あれは珍しく、真尋が暴走した話だった。ニャルラトホテプ本人に話すつもりはまったく無いが、お喋りしたいクトゥグアとなら、笑い話にも出来るだろう。人はいつか時間だって支配できるのだから。

 と思ったのだが。

「……ん、少年」

 クトゥグアは、形のいい眉を寄せ、無表情なまま表情を強ばらせる。器用な奴だ、指輪か腕輪で補正しているのだろうか?

「どうしたんだよ?」

「……わたしと二人きりなのに、他の女の子の事を話さないでほしい……」

 珍しい。というか奇跡に近い。あのクトゥグアが、最愛のニャルラトホテプの話題を嫌がるとは。

「……って言うと、恋人同士っぽく見える?」

「おい」

「……でも、他の女の子の事を話してほしくないのは本当のこと」

 そう言われてしまっては是非も無い。炎の神性相手では、本能寺など一瞬で焼失してしまう。

「じゃあ」

 だったら聞きたい事がある。話したい事がある。

「クー子の話がいいな」

「……わたし?」

 さっきから気になって仕方ないのだ。誕生日に、好きな色、好きな食べ物。クトゥグアの事が知りたくて仕方ない。まだ真尋は、クトゥグアの好きな音楽も知らないのだ。

「……カレルレンの、特に質の悪かった輩を、知り合いのニューロやリアリティーハッカーと一緒にアク禁にした武勇伝とか?」

「ネット上のお前って、基本無双スペックだよな」

「……アヤカシ、マネキン、バサラだと自負している」

 いや、わけがわからない。クトゥグアの事が知りたいのに、さらに謎が増えてしまった。

「……じゃあ、クトゥグア・ヴィ・フォーマルハウトには夢がある」

「夢なのはいいが、胸元を広げるなはしたない」

 真尋だけならいい……やっぱりよくはないが、公共の場であるここには他にも男性客がたくさんいる、結界があるから大丈夫なのかもしれないが、やはり見られたくない。なるほど、独占欲とはこういうものか。

 あ、ヘアピンを着けた店員さんが何故かクトゥグアを見て、ガッツポーズしていた。

「……ん、わかったやめる」

「素直でよろしい。で、夢がなんだって?」

 実際興味がある真尋に促され、炎の神性は蕩々と語り始める。

「……そう、わたしは何故か荒野を彷徨っていた。行けども行けども不毛の大地ばかり、口笛も聞こえない」

 なんで口笛が関係あるのか分からないが、一生懸命真尋に伝えようとする姿が大変可愛らしいのでよし。

 ……別人の思考が乗り移った気がする。

「……どれだけ歩いただろう。旅の始まりはもう思い出せない所まで来たとき、わたしは扉を見つけた」

「扉?」

「……そう、荒野には似合わない立派な扉。その怪しさにわたしは直感した」

 いったん言葉を切って、お冷やを口にする。

「それで?」

 無口系のキャラだと思われがちだが、案外語り手のセンスはあるらしい、真尋はクトゥグアから目が離せなかった。

「どうなったのですか?」

「…………」

「………………直感、そして確信した、何かレアアイテムがあると。突撃決定」

「危ないだろ、おい」

 戦闘民族クトゥグア星人ならば、虚弱貧弱無知無能な地球人よりも安全かもしれないが、もうちょっと自重してほしいのだ。心配で仕方ない。

 悪魔は泣かないと言うが、邪神は泣く事を真尋はよく知っているし、自分が泣く事など言わずもがなだ。

「……一ターンの間、命中百パーセント。どんな攻撃でも一回は必ず避けて、移動後に使えない武器も使えるから大丈夫だと思った」

「それに、夢の中では突拍子も無い事が起こるものですから、クー子さんを怒らないであげてください真尋さん。ふふふ、心配なのはわかりますけどね」

 確かに過保護だったと反省する。自分はこんなキャラだったか、と思うが、今日の真尋は紳士的なのだ。多分。

「ああ、話の腰を折って悪かったな、僕から話を振ったのに」

「……ううん、少年が心配してくれて嬉しかったからいいよ。ありがと、少年」

「う」

 静かだが、はっきりとした言葉に、またも頬が熱くなるのを感じる。今日何度目だろうか。火事と喧嘩は江戸の花と言うが、赤面と溜め息は真尋の花となるかもしれない。

「……それで、扉に入ったわたしは……絶叫した」

「え、なんで?」

「……その声で目が覚めたから分からない。明らかに喉のリミットをオーバーした声だった。声優さんって凄い。あとなんでか、とりあえず幻夢境のヒュプノスの子供に会いたくなった。不思議」

 首を傾げるクトゥグアの疑問には残念ながら答えられない。

「……ドリンクバー取ってくるけど、少年の分はどうする?」

「あ、悪いな、適当でいいぞ」

 二人分のグラスを持って、小走りで行く後ろ姿を見ると、自分が行くべきだったか、と反省する。

「いいえ真尋さん、殿方のなんでもしてあげたい、という心理も理解できますが、女の子の何かしてあげたい、という邪炎心(おとめごころ)も理解してあげてください」

「…………」

「……お待たせ少年」

 真尋がぼおっとしているうちにクトゥグアが、飲み物が注がれたグラスをテーブルに置いた。

 真尋の目の前に、チョコレートが薄まったみたいな飲み物が鎮座している。

「適当に、って言ったけど、これなんだ?」

 パッと見はココアかチョコレートミルクに見えるのだが、それよりなんというか水っぽく感じる。

 クトゥグアの事だから、宇宙SANの変な食材を混入させたりはしていないと思うのだが、ドリンクバーに備え付けられている商品にも見えない。

「……少年は、ドリンクバーでオリジナルブレンドとかやらない?」

「ああ、あんまりファミレス来ないから、最近はやってないけど、昔は色々やったな」

「飲み物で遊んじゃいけない、と思う一方、普通に美味しいのが出来るんですよね。カルピスソーダとオレンジジュースで、ビール。とかニャル子がよくやっていました」

「…………」

「…………」

「で、これは何を混ぜたんだ?」

 オリジナルブレンド。その言葉に憧れるのは子供だとも聞くが、なら真尋は子供のままでもいいと思う。遊び心を失ったら、きっと人の心の革新などあり得なくなる。ただ必要な所だけ大人になればいい。

「……ココア☆ソーダ☆クエン酸」

「いや、おかしいだろ、特に最後」

 あと、なんで歌うように言ったのかも小一時間。可愛かったので、真尋の心は和んだが。

「……まずは飲んでみてほしい。外見だけではリアルさは伝わらない、味もみておこう。の精神が必要」

「あ、ああ、別に飲めない物が入ってるわけじゃないしな」

 せっかくクトゥグアが作ってくれたのだ、変な材料が入っているなら別だが、ここで飲まなきゃ男が廃る。

 クトゥグアの気合いのレシピから伸びるストローに口を付ける。初めにキノコを食べた人間を尊敬しながら。

「ん、これは……」

「……どう?」

「うん、予想外にいいんじゃないか? ココアのコクとあと二つの酸味がいい感じに混ざって、ハーモニーって言うのか?」

 なお、この感想は個人のものです。同様の感想を得られなくても、当局は一切責任を負いません。

「……本当、よかった。じゃあわたしも」

 朗らかに微笑んだクトゥグアは、身を乗り出して。

「あ」

 つい数瞬前まで真尋が口付けていたストローを、ためらいなく口に含んだ。

「お、おい! 何やってんだよ」

 グラスの水位が五センチほど下がった。

「……おいしい。あ、わたしのブレンド別のだから、気になった」

「いや、そうじゃなくて」

 男が口にした物を口にするというのは、その、立派なカップル的な行為に思えて、頭が茹ってしまう。

「いえいえ、むしろワンランク上のバカップル的な行為ですよ。ふふふ微笑ましい」

「…………」

「………………これは中々上手くいった。ココアにソーダが加わって倍、予想外にクエン酸が働いて更に倍の四倍……決めに少年の味もして三倍されて、美味しさ十二倍。ハス太君特製の、バッファローミルクスペシャルを上回る」

 どうして、こいつは、真尋の理性をガリガリ削ろうとするのか。もう自分の理性がゼロになっても、狂戦士の魂を胸に突貫して来るのだろうか? その結末をなるべく頭の隅でぼっちになってもらいながら、多少意地悪な口調を意識する。

「クー子、せっかく僕と二人きりなんだから、他の男の事を話すなよ」

「……あ」

 熱はどんどん高まって、真尋を侵していく。けれど、その熱がだんだんと気持ち良くなってきた。熱狂+アドレナリン+オーバードーズと言ったところか。

「こう言ったら、恋人同士に見えるんだろ?」

「……ん、ごめんなさい少年」

 心地よい沈黙が数秒、このまま時が止まればいいのに、と思いながらどちらからともなく笑いあう。

 そんな真尋とクー子だけの世界は。

「お待たせしました」

 店員さんが運んできた料理に打ち砕かれた。別に恨みはしないが。

「申し訳ありません、前よろしいでしょうか?」

「あ、はいぃ?」

 思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。何故か店員さんの腰には、日本と……いや気のせいだ、もしくは何かの企画なのだろう。

「ご注文の品、以上でよろしいですか?」

 流石はプロ、真尋の奇声にも反応せず、てきぱきと料理をテーブルに並べ終えていた。

「はい、大丈夫で……」

「すみません、追加よろしいですか? このキノコ祭フェアの、キノコ尽くしセットをお願いします。あと、キノコの丸焼き盛り合わせの三人前も」

「…………」

「…………」

 店員さんは、そのまま去って行った。

「今の方、真尋さんに声が似てらっしゃいましたね。ああ、わたくしの事は気にせずに、お先に召し上がってください」

「いただきます」

「……いただきます」

 フォークとナイフを手に、二人は食事を開始する。やはり熱々のうちに食べるのが一番だ。

「……少年、こうしてるとスッポンを捕りに行った時を思い出す。二人で作ったから、とても美味しかった。あの時少年に助けてもらった事、忘れてないよ?」

 そうはにかむクトゥグアが、可愛らしくて、真尋はただ正直な気持ちを告白する。

 

「なあクー子……スッポンって、なんの事だ?」

 

 嬉しそうなのはいいのだが、真尋の記憶にはガオンされたみたいに引っ掛かる物がない。

「……あ、ごめん。これ虚憶だった。あれも媒体が小説だったから、基本世界と勘違いしてた」

「お前らは、別世界の話をしないとどうにかなっちゃうのか?」

「……次元の壁を越えれるエネルギーは、わたしたちの宇宙CQCだけだから」

「ああ、わたくしの初出もそれの本体でしたね」

「……クー子」

「…………何?」

「そろそろいいと思うんだ」

 思えばよく我慢してきたと思う。

 

「「なんでいるんだ(の)? アト子」」

 

 せっかくの二人きりを邪魔されて、多少不機嫌に睨み付けると、この和服美邪神は。

「そういうところです」

 その微笑みを見て、真尋は蜘蛛の巣に絡め捕られる獲物の気分を理解した。



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