家賃1万円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回 (ウサギとくま)
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布団から食卓まで1歩

こちらでも掲載して欲しいというありがたい感想を戴きましたので、掲載します。3年近く前から連載しているものであり、初期のものは色々と見苦しい部分があるので、そちらを修正しながらの投稿となります。話の内容自体は変わりませんが、ギャグや会話のやり取りが変わると思います。


 布団の上に胡坐をかきながら、六畳ある自分の部屋をぐるりと見渡す。

 築30年の古参物件にしては、目に見えて気になる汚れや損傷はない。

 俺が越してくる前から、大家さんがこまめに掃除や修繕を行っていたのだろう。

 風呂は共用だが、トイレは部屋にある。何より大学に近い。

 ここはいい物件だ。

 一ヶ月過ごしてきて、改めてそう感じる。

 端的に言って素晴らしい、自分にはもったいないほどの良物件。

 

 ――が、しかし。

 

 この部屋に越してきて一ヶ月、俺の周りで妙な出来事が起こり始めた。

 はっきりとは分からないが、何かが起こっている。それだけは確かだ。

 

 ついでに言うと、明らかに俺以外の何かしらの存在がこの部屋にいる様な気もする。

 その何かは気配も感じないし、姿を見たことも無い。

 ただ、何かがいる気がする。

 ずばり言おう。

 

 この部屋、幽霊いんじゃね?と。

 

 そもそも、だ。

 まずこの部屋の家賃を聞いたときにおかしいと思うべきだったのだろう。

家賃1万円。

 くっきりぽっきり丁度1万円だ。1コインならぬ1ペーパー。

 幾らなんでも安すぎる。

 一般的な人間であったら、まず何かしらの陰謀を怪しむところだが、残念ながらこの部屋に越してくる前の俺は一般的な人間ではなかった。

 正確に言うならば、一般的な人間が持つほどの財産を持っていなかったのだ。

 念願叶って大学に受かったのはいいものの、入学金、借金、その他もろもろを払い終わった時には、俺の手元には一枚のお札しか残っていなかった。わずか1万円。

 こうなれば闇金(ダークマネー)に手を出すしかねぇ、とダークサイドへと落ちかかっていた俺は『痴漢が出ます!』と貼られた電柱に寄りかかり、ふと地面にこのアパートのチラシを見つけた。

 

『家賃1万円ポッキリ! 美少女大家もついてくるくる!』

 

 眼の前に蜘蛛の糸が降りてきた。

 俺はそのチラシを見るやいなや、他の連中に先を越されてはならぬ、とそのアパートへ向かった。

 その時の俺は阿修羅をも凌駕し、他に糸に群がる連中がいたなら毒ガスを使ってでも蹴散らす、そういった荒ぶりようだった。

 幸い糸を奪い合うような相手はおらず、その日にアパートの104号室を契約した。

 ちなみに大家はかなり美少女であった。やったね。

 

 それから一ヶ月。

 俺は不可解な現象に直面している。美味い話なんてないものだ。

 

 つい先日現在俺が直面している妙事を踏まえて、大家さんに『この部屋出るんじゃないスカ? どうなんスカ? ええおい?』と問いただしたところ、

 

『え、えええっ? な、何を言ってるんですかっ? え、出る? 出るって何がですか? あ、もしかして私の体の一部分が出てるとか出てないとかそういう話ですかー? もうやだー、エッチなのはいけませんよ一ノ瀬さん? うふふー』

 

 と、大変うざ可愛いリアクションをされた。

 ちなみにその時の大家さんは箒をレ○レのおじさんの様な速度で前後に動かし、目は石川賢に出てくるようなグルグル目であった。怪しい。

 

 なにかある。俺は大家さんのリアクションからそう確信した。

 

 しかし現象の正体が幽霊だとして……幸か不幸か、俺に霊感の様なものは一切ないようで、ハッキリとした証拠を見つけることができないでいる。

 もしかすると幽霊なんてものはいなくて、俺の脳に何らかの異常があり、そのせいで何かがいると錯覚しているという可能性もある。

 その場合は速やかにプリズン病院へ行かなければならない。

 檻の中で一生過ごすのとかマジ勘弁なんで、脱走する予定も並列して立てつつ。

 

 ともかく、いるのかいないのか、だ。ハッキリさせておきたい。

 俺の勘違いなのか、はたまた本当に『いる』のか。

 

 俺は答えを出すために、大学へ向かった。

 

 

 

※※※

 

 

 

 俺の数少ない友人に、遠藤寺という人間がいる。

 大学に入った頃からの付き合いだ。

 互いに大学には友人がおらず、入学式後から何だかんだと行動を一緒にしている。

 

 俺は大学内に二つある内の近い方の食堂に入った。

 テーブルを中心に雑談をしたり、カードゲームをする生徒の集団をすり抜け、一番奥へ向かう。

 食堂の一番奥にはテーブル郡からポツリと離れて一つだけテーブルが存在する。

 壁や観葉植物の死角になっており、未だこの席の存在を知らない生徒もいるかもしれない。

 

 そこに遠藤寺はいた。

 実質そこは遠藤寺の専用席だ。

 うどんを啜っている遠藤寺の正面に座る。

 

「……おや、今日授業は無かったはずじゃ?」

 

 椅子を引く音で気付いたのか、遠藤寺が顔を上げながら言った。

 つるんと音を立てて麺が、遠藤寺のほんのり赤い唇に挟まれ吸い込まれていく。うどんが羨ましい……俺も遠藤寺の唇に吸い込まれたい……。

 

「ふむ? ボクの顔に何か付いてるかい?」

 

 相変わらず見ているだけでこちらが眠くなってくるようなジト目でこちらを見つめてくる。相手に威圧感を与えるその目だが、俺はもう慣れた。

 次に目に入るのは、ふんわりウェーブがかかった肩まである茶髪……の上で自己主張するドでかい真っ赤なリボンだ。

 リボンだ。リボンなのである。

 いい年してとかそういうレベルではない。

 こんなリボンをつけている大学生は現状、眼の前にいる遠藤寺だけだろう。

 そして着ているのはフリフリのロリータファッション。

 

 言っておくが遠藤寺は飛び級してきた小学生でもなければ、未だ中学生に間違えられる様な合法ロリでもない。

 それなりに小柄で童顔ではあるが、どれだけ頑張って見ても高校生に見えるかギリギリのところだ。

 

 そんな女性がフリフリのロリータでリボンである。加えてどことなく芝居がかった口調。そして一人称はボク。

 

 そりゃ友達もできないだろう。

 そしてそんな彼女しか友達がいない俺はなんなんだろうか。

 多分友神(友達を作る能力を司る神)は俺のことが大嫌いなんだろう。いや、もしかすると逆に大好き過ぎてツンデレっぽく『ほ、他の奴なんて近づかせないんだから!』とか職権乱用をしてるのかも……?

それならよし! 

 

「授業は無い。遠藤寺、お前にちょっと相談があってな」

 

「ボクにかい? それは嬉しいね。ボクは人に頼られるのが三番目くらいに好きなんだよ」

 

「へー」

 

「2番目はうどんだ」

 

「知ってる」

 

 毎日食ってるからな。最早見慣れすぎて、遠藤寺がうどん以外の物を食べてると違和感すら覚える。やっぱりうどんは遠藤寺に限るな。

 

「言うまでもないことだけど、1番好きなのは……推理をすることさ」

 

 遠藤寺は推理大好き人間である。そして学生の傍ら、探偵業を営んでいる。ハッキリ言うと変人だ。

 

 しかし変人ではあるが、知識量は凄まじい。

 今まで数多の難事件をその知識、推理力、財力(こいつん家マジ金持ち)で解き明かしてきた。

 その難事件だけで、アニメにして1クールほどの番外編ができるだろう。タイトルは『遠藤寺の極めて不本意な名推理』でどうだろうか。

 

 ともかく何らかの相談をするのにはうってつけだ。

 俺は早速、現在自分の部屋で起こっている出来事について話してみた。

 

「……ふぅん、幽霊ね」

 

「ああ」

 

「君がそんなオカルトじみた存在を信じていることに、ボクは驚くよ」

 

 

 俺がオカルトを信じてない? それどこ情報よ。

 俺ほどオカルトっつーかファンタジー好きな人間はいないぜ?

 モンスター娘とかめちゃくちゃ好きだし。

 

 それにサンタさんの正体を知ってなお、サンタさんへのお手紙を続けてるくらいファンタジーを信じてるし。

 しかし、サンタさんマジ日本語うめぇ。

 ただ俺の妹と筆跡がクリソツなのが少し気になるけど。

 

「だって仕方ないだろ? 実際明らかにおかしいことが起こってるんだ」

 

「ふむ。具体的には何が起こってるんだい?」

 

 遠藤寺には俺の部屋に幽霊的なものが出る、としか話しておらず、具体的なことは話していない。

 そうだな……。

 俺はここ一ヶ月で起こった出来事を頭に浮かべた。

 

「まず、部屋が綺麗だな」

 

「それはあれかい? 自分が掃除好き、ということを言いたいのかい?」

 

「いや、そうじゃない。俺は越してきて一ヶ月、一度も掃除をしていない。なのに埃の一つも積もらない、窓はピカピカ、トイレの蓋に顔が映る。廊下はスケートできるくらい磨かれてるんだぜ?」

 

「……」

 

 遠藤寺は『何で一回も掃除してないんだよ……』みたいな顔で俺を見た。

だってしょうがないジャン。

 そういうのってさ、普段の習慣でしょ?

 俺って今まで掃除なんてしたことないし。

 むしろ実家にいた頃は、妹が絶対にさせてくれなかったし。

 自分の部屋くらいは自分やるって言っても、ギラギラした目の妹に押し切られてたし。

 

 どーでもいいけどエロ本の中身をすり替えんのとかマジ勘弁して欲しい。

 さえない草食系の青年が小悪魔ちっくなロリに誘惑される系とか、俺あんまり食指が動かないんだけど。

 でもそのジャンルしか残ってないから読まざるをえない。

 え? もしかして実の妹に調教されちゃってる?

 あはは、まさかナ!

 

「他には?」

 

「朝起きたら食事ができてる。学校から帰ってきても同じく」

 

「……昼は?」

 

「ほれ、これ弁当」

 

 俺は遠藤寺の前に弁当箱を置いた。

 中身はタコさんウインナー、卵焼き、一口ハンバーグと定番のものが入ってる。

 そして美味い。

 ちなみに大学用の鞄の中にいつの間にか入っているのだ。

 

「確かに。ここ1ヶ月で君という人間をある程度は理解したが、どう考えても料理をしそうにない」

 

 遠藤寺は眉間にシワを寄せ、右手で顔を覆った。

 

「……もしかして、食後の皿も気付けば洗われてたり?」

 

「よく分かったな」

 

「君今までに遅刻してきたことないよね?」

 

「まあな。何か朝スッキリ目が覚めるんだよ。起きる時も心地よい揺れと共に。まるで誰かに起こされてるみたいに」

 

 遠藤寺はフゥとため息をついた。

 

「君、それ幽霊じゃなくてお嫁さんじゃないのかい?」

 

「いや俺結婚してねえし」

 

「知ってるよ……ふむ」

 

 遠藤寺はうむうむと唸り始めた。珍しい。

 いつもだったら俺の質問や相談に対して、ものの数秒かからず『それはだね』と皮肉気に微笑みながら答えを返してくるのに。

 これはもしかすると遠藤寺探偵もお手上げですかな?

 お、つまり次は助手的立場にある俺がこのロートルを下して、主人公になったり?

 いいね!

 あ、でも俺推理とかできないな……。

 いや、これからの時代、専門職一辺倒だけではやっていけない。

 探偵だって推理以外の何かが必要として然るべきだ。

 そして俺にできるのは……脱ぐくらいか。

 こ、これいいんじゃなイカ?

 犯人を追い詰める時、おもむろに脱ぎ出す探偵。犯人を押し倒す。

『犯人はあんただ。今からあんたの謎(ボディ)を俺が解き明かしてやんよ』暗転。

 何やかんやで犯人が白状。自首しようとする犯人を引き止め囁く。

『あんたを警察には渡さねえ。俺ンとこで罪を償いな』

 一話毎に増えていくヒロイン。プレイの幅も増していく……そして伝説へ。

 はいきた!

 これ海外狙えるで! 人気出てズルズル引き伸ばしてメインキャラ殺したりして話題性を再燃させようとする展開が見えた!

 

「しかしそれが幽霊の仕業だとしたら……幽霊という存在の認識を改めなければならないね。幽霊ってのは基本的に誰かを怖がらせるものだと思っていたけど……ふむ。幽霊にも色々いるのか、はたまた何らかの目的があるのか」

 

 俺がゴールデングローブ賞を受賞し、隣にエマ・ワトソンを侍らせている光景から現実に帰ってくると遠藤寺が鞄から眼鏡を取り出した。

 何の変哲もない、普通の黒縁メガネだ。

 俺に眼鏡属性はないので、それに欲情することはない。

 

「これを君にあげるよ」

 

「え、何で?」

 

 どういうことだろうか。

 眼鏡を俺にプレゼント?

 なんだ遠藤寺は眼鏡フェチだったのか。

 しかし残念ながら俺とは相容れない。俺は眼鏡ってやつが大嫌いなんだ。

 人間ってのは素の状態、神に与えられた肉体そのものが美しい。

 ピアスや刺青、眼鏡や指輪、そんなもん糞喰らえだ!

 はぁ、やれやれ俺とコイツの関係もここまでか。

 

 俺は遠藤寺に絶縁を申し出ようと、受け取った眼鏡を振りかぶった。

 

「それは少し特殊な眼鏡でね」

 

 振りかぶった手をさながら竜の様な動きで戻した。

 え? 特殊な眼鏡?

 ……。

 透ケルトングラァァァスッ!(必殺技っぽく)

 

 俺はおもむろに眼鏡を装着し、目の前の遠藤寺を穴の空くほど見つめた。

 だが透けねぇ! 微塵も透けねぇ!

 遠藤寺の着痩せしている(と思われる)瑞々しい肢体が見えん!

 

「その眼鏡をつけると、普段は見えない物が見える……らしい。ちょっとしたツテで手に入れた物でね、ボクはオカルト方面には興味がないんで持て余していたんだ。ま、もしかすると今日君に渡す為にボクの手元に来たのかもしれないね、ははっ」

 

 『運命は繋がっている、なんてね』とか痛いことを言いつつ笑う遠藤寺を無視して、俺は身体の全能力を視力に集中した。

 視ることに集中しすぎて心臓の鼓動すら弱まっていく。頭はぼぅっとしてきた、血液がうまく循環していないんだろう。

 しかし、それでも。

 俺の魂(イノチ)を削っても、遠藤寺の服の下が見えることは無かった。

 

「何も見えざらんや!」

 

「こんな人の集まっている所にはいないんじゃないか? 『そういうの』は。まあ、常識的に考えて、だけど」

 

「常識なんてぶっ飛ばせよ!」

 

 んだよ糞!

 これから少年漫画レベルのエロ展開が繰り広げられるんじゃなかったのかよ! エロ展開だったら売れるだろうが!

 ふざけんなよ糞編集! 第二の矢吹神になりたくねーのかよ!

 

 裸も見れない眼鏡なぞ不要! へし折ってやる!

 

「あ、その眼鏡はね、何やら結構有名な職人が作った物みたいでね、世界に三つしかない。価格にするとしたら……ま、こういうのは無粋かな? 小さな国くらいは買えるかもしれないけどね。でも、それはもう君の物だから、好きにするといいよ。ただせっかくプレゼントしたんだ、大切にはして欲しいけどね」

 

「……これからよろしくね、眼鏡様」

 

 今日この日、俺は眼鏡に屈した。

 自分より価値のある存在に媚へつらうのは人として当然だろう?

 これから俺は眼鏡様の意思に従い、眼鏡を普及していこうと思う。

 ただ忘れないで欲しい。

 心まで眼鏡に屈したわけではないと。

 いつか眼鏡レジスタンス(コンタクトは可)のリーダーとして立ち上がると。

 未来への宣誓をしつつ、俺は眼鏡を装着した。

 度は入っていなかった。

 

 

■■■

 

 

 適当に遠藤寺と駄弁った後、早々に大学から出た。

 友人の少ない俺にとって、大学というのはただの勉学の場だ。

 間違っても友達とモ○ハンをやる場所じゃない。

 一応サークルに属しているといっても、幽霊部員だ。

 

「……ふふ」

 

 幽霊部員の俺の家に、幽霊(らしき物)がいるなんて……皮肉だな。

 これで俺が幽霊(ゴースト)という名でかつて、不良達を震え上がらせた伝説の不良狩りだから更にドン!(寝る前にする妄想の話です)

 俺のチャリの名前はゴーストシップ!(これは本当)

 中学生の頃好きだった女子に『あ、いたの? あははっ、ごめん。君って何か幽霊みたいだよね、存在感のないところとか』と言われたことあり。

 幽霊のカルテット……か。

 あれおかしいな? 何か胸が痛い……。

 

「どうして人は黒歴史を掘り出そうとするのか。埋めたままでいいのに」

 

 人の業の深さに涙を流しつつ、アパートへ到着。

 アパートの庭にはいつも通り大家さんがいた。

 今時和服を着た大家さんなんて、は彼女くらいじゃないだろうか。

 そもそもこの人いくつなんだろう……。

 かなり歳下に見えるけど……女ってやつは分からんからな。

 あのピチピチした肌は化粧によるコーティングであり、下には砂漠地帯が広がっているかもしれない。

 

「ただいま大家さん」

 

「あらー? 一ノ瀬さん、お帰りなさーい。学校は楽しかったですか?」

 

「ええ、まあ。友人達との交流は、それ自体が本を読むこと以上に勉強になります」

 

「わー、友達全然いないのに、そういうこといえちゃうポジティブさ! 一ノ瀬さんのそういうところカッコイイと思います!」

 

 ニコニコと満面の笑みを浮かべる大家さん。

 この人の相手をするのもそれなりに楽しいが、今は自分の部屋の幽霊だ。

 大家さんには悪いが、早々に切り上げさせてもらおう。

 

「あ、ちょっと用事があるんで――」

 

「おやおや? わっ、その眼鏡お似合いですね!」

 

「お目が高い。流石美少女大家を職業としていることはある、見る目が違いますな!」

 

 俺の中で大家さんに対する好感度が20ほど上がった。

 

「やだもぅ、美少女大家だなんて……照れるじゃないですかっ。私の好感度が200も上がちゃっいましたよっ」

 

「いえいえ。謙遜しないで下さい。俺はこのアパートで暮らせて本当に嬉しいです……大家さんみたいな美少女(びしゃうじょっ)!に毎日会えますからね」

 

「はふぅ……。今ので好感度が5000も上がっちゃいました。もう、一ノ瀬さんは好感度を上げるのが上手いですねー……上げるのが上手い男――上げマン! ヨッ、上げマン! カックイー!」

 

「今の発言で大家さんに対する好感度ゲージが無くなりました。さようなら」

 

「攻略対象外に!? なにゆえ!?」

 

「一言多いんですよ大家さん。せっかく美少女で大家なんですから、もっと自分を大切にして下さい。下ネタなんてもっての他です」

 

「し、下ネタ? わ、私なんか破廉恥なこと言っちゃったんですか!? あわわぁ……」

 

 天然だったのか……。

 顔を両手で覆い座り込んだ大家さん。

 俺の中で好感度ゲージが復活した。

 

 俺の中の好感度ゲージは現在3本である。

 大家さん、遠藤寺そしてサンタさんだ。

 何気にサンタさんの好感度が一番高いのは、恐らく毎日のようにメールを交換しているからだろう。

 残りの二人にはもっと頑張って欲しいものだ。

 

 何だかんだで大家さんと駄弁っていたら、2時間も経っていた。

 もう辺りはすっかり日が暮れたが、よくよく考えると夜は『そういうの』が活発に活動する(ような気がする)のでよしとしよう。

 

 大家さんと別れる前『最近、この辺りで痴漢が出るらしいから一ノ瀬さんも気をつけてくださいねー』と言われた。一番気をつけるべきなのは大家さんの方だと思うけど。

 

 大家さんから貰った大根を手に、自分の部屋へ入った。

 

「ただいまー」

 

 当然返事はない。

 この部屋に住むのは俺一人……多分だが。

 それが今日明らかになる。

 

 六畳部屋の中心にある丸机、そこには今日も夕食が用意されていた。

 オムライスとサラダ、コーンスープである。

 ホカホカと湯気を立て、俺の空腹中枢を刺激する。

 さて、取りあえずは飯を食べてから真実を解き明かそう。

 正体を暴くやいなや『ウォォォォォォォォ! 我の正体見たなァァァァァァ! 殺してやるぅぅぅぅぅWRYYYYYYYYYYYY!!!』なんて幽霊ムーブ(幽霊特有の動き。緩急の付け方が匠)で襲われたらたまったもんじゃない。

 飯食って体力を充実させてからだ。

 幽霊が悪い幽霊だった時のことも考えないといけないからな。

 もしやすると俺が中学生の時に鍛えた我流アーツ『カポエラン』が役に立つかもしれない。

 あれ、対人間じゃないモノ用だからな。

 

「しかし相変わらず美味いなぁ……こんな飯作れるお嫁さんが欲しいわ」

 

『ガタタッ』

 

「……なんだ?」

 

 部屋の隅から何かがぶつかる音がした。

 

 食事の手を止め、じっと部屋の様子を伺う。

 しかし、これといって変わった様子もない。

 音もこれ以上する気配はない。

 

 こういうことはよくある。

 俺が突然全裸になったり(一人暮らしの特権)、妙にハイな気分で(一人暮らしだとタマにある、異様なテンション)おもむろに繰り出したバク転を失敗した時とか、政治番組を見ながら自分流の『日本をよくする方法』を声高々に語っている最中突然『猿のようなセッ○ス!』と叫んだ時とか……そういう時にこんな音がする。

 やはり何かいるのか?

 この部屋に幽霊がいるかも、と考えたのは三日ほど前だ。

 それまでこの音は俺の史実に無い動き(イリーガルアクション)が世界を動かした際に発生した世界の軋みのようなものだと思っていたが……。

 

「ごちそうさま。今日もとても美味しかったです」

 

 飯も食い終わり、俺は眼鏡を手にとった。

 遂にこの部屋にいるナニカの正体が明らかになる。

 俺の精神的不調による妄想なのか、はたまた『ナニカ』がいるのか、実は大家さんが勝手へ部屋に侵入して飯作ったりしていたのか……。

 この眼鏡によって全てが明らかになる。

 

「さーて、舞台の幕開けだぜ――その前に風呂に入っておくか」

 

 飯を食い終わった後は、無性に風呂に入りたくなる。

 入らないとモヤモヤするし、風呂上がってからでいいか。

 俺は用意されていたパジャマを手に取り、部屋を出て共用の風呂に向かった。

 

「おっと」

 

 風呂へと歩いている時、まだ自分の手に眼鏡があることに気づいた。

 眼鏡ケースを探す、がない。

 部屋に置き忘れたようだ。

 このまま脱衣所に置いておくのは怖い。何せ小国家が購入できるほど価値があるものだ。

 部屋に戻っておいてくることにした。

 

 部屋の入口のドア。

 このアパートは妙に部屋のドアが重い。

 恐らくは老朽化が原因だと思われる。

 パワータイプの俺ですら、両手でなけりゃ開けられないほどだ。

 両手を使おうとしたが、手に持った眼鏡が邪魔だったので、とりあえず装着した。そして思い切り扉を開けた。

 

 靴を脱ぎ、短い廊下を抜け、六畳間の襖をあける。

 

 

――全裸の少女がいた。

 

 

 少女は鼻歌なんぞを歌いながら、俺が食べ終わった食器の後片付けをしていた。

 機嫌がよさそうだ。

 小ぶりな尻が揺れている。

この揺れが世界に生中継されれば、きっと戦争も終わるだろう、そう思った。

 

「つっつくつー、つっつくつー、今日も完食うれしいなー、明日は何にしようかなー、らんらんらー『今日は……同じ布団で寝ないか?』な、なんちゃってー! まだ早い! まだ早いよ! 隣でいっぱいいっぱいですからー、残念!」

 

 珍しい髪の色をしている、真っ白な、光の加減によっては銀色にも見える。

 肌は白い。全体的に小柄で、身長170cmの俺より頭二つ下くらいだろう。

 胸は控えめだ。

 しかし、こう、明け透けに裸を見せられると、逆に興奮しないな……。

 やはりチラリズムこそが正義!

 やっぱり父さんの言葉は正しかったんだ!

 正義はあったんだ!

 

「辰巳君はお風呂ー、おふろージャブンジャブン! 私は洗い物ー、じゃぶんじゃぶん! 二人でジャブジャブ、ジャブ漬けだー……っと。あれ?」

 

 ノリノリな少女の視線が入口にいる俺へと向いた。

 少女はムッと眉を寄せ、人差し指を立てた。

 

「こらっ、早すぎるでしょっ。鴉もびっくりだよ。肩まで浸かって100数えてないよね、絶対! むぅ……風邪ひいちゃうよ? まぁ、ひいたら私が看病するけど……ってそれが目的かっ? 策士だなー。よっ、現代の孔明!」

 

 何が孔明だ! あんなもん相手は狭いとこにおびき寄せて『今です!』とか叫ぶだけの簡単なオッサンじゃねーか。

 男だったらやっぱり呂布だろ。

 ちなみに自慢話になるが俺、中学生の時自分のこと呂布だと思ってた。

どういうことかって言うと、朝俺が教室に入るとクラスの連中が俺見て『い、一ノ瀬だ……うわぁ』とか怯え気味に言うの、超小声で。

 いや、もう俺マジで朝から肩すくめまくり。おいおいクラスメイツ、俺のことビビリ過ぎだろと。俺カタギには手出さねぇから。

 ははっ、懐かしい過去だぜ。

 ……あ、あれおかしいな? 武勇伝の筈なのにどうして涙が出ちゃうの?

 

「あー、困ったな。辰巳君がお風呂入ってる間に、洗い物とか洗濯とか済ましときたかったんだけど……まぁ、辰巳君が寝た後でいいかな? 辰巳君一回寝たら馬鹿みたいに起きないし、ふふっ」

 

 なんだと。

 

「よしそうしようSo she yo! 決定! 辰巳君が寝てから、辰巳君の寝顔を1時間……いや、2時間、うん。2時間見て、それから家事だっ。そうと決まれば、辰巳君がよそ見をした隙にサッとお布団ひこうかな。辰巳君って結構馬鹿だからねー『あれ? 布団がいつの間に……? 俺無意識にしたのかな?』なんて! そーいう所もかわいいなー」

 

「ちょっと馬鹿って言い過ぎじゃないですかね?」

 

「えー、でも馬鹿って言っても、いい意味での馬鹿だよ? いい意味の、長所的な部分で」

 

「そうか、いい意味でなら……まあいいか」

 

「そーそー……ん?」

 

 つまらない真面目より楽しい馬鹿って言うもんな(今作った)

 しかしこの少女、一体何者なのか。

 なぜ俺の部屋で、家事をしているんだろうか、全裸で。

 意味が分からない。

 いや……何かが俺の中で繋がろうとしている。

 まさか、そういうことなのか?

 

 少女は訝しげな目でこちらを見ている。

 

「え、えーと……あれ? 辰巳君?」

 

「イカにも」

 

「あ、あれれ? お、おかしいな……これってどういうことなのかな? わ、私の気のせいなのかな? ……も、もしかして私のこと見えちゃったりしてる?」

 

「見えるか見えないかで言うなら……まあ見えてるな、全部」

 

「……はわっ」

 

 少女の顔が真っ青になった。

 次いで自分の身体を見下ろし真っ赤に。

 途中で黄色を挟んでいれば、信号になったのにな。

 

「――はわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 少女は悲鳴をあげ、グリングリンと周囲を見渡し、テーブルの下に潜り込もうとし頭をぶつけ、頭を抑えながら涙目で押入れの襖を開け、毛布を引っ張りだし、その毛布にくるまった(この間およそ3分である)

 かたつむりの様にくるまり、涙目で俺を見つめる少女を見て、俺は全て理解した。

 目の前にいる存在の正体を。

 

 全裸、勝手に人の部屋に侵入、見知らぬ少女――全てのピースが繋がった。

 

 汝の正体見たり!

 

「――君は最近この辺りを荒らしている痴漢!」

 

 QED……俺はクールに呟いた。

 



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トイレまで壁蹴り2回

 謎の全裸少女との遭遇してから、次の日。

 講義が一限目からある俺は、朝の準備を済まし早々に家を出ることにした。

 

「い、行ってらっしゃい……辰巳君」

 

 ぎこちない様子で手を振ってくる少女(装備・毛布)にぎこちない挨拶を送って家を出た。

 

 昨夜は取り合えす色々あった。

 話すべきことは多岐に渡ったが、生憎と遅くまで話せるほど時間に余裕はなく『明日学校から帰ってから続きをしましょう』と、早々と床に着いたのだ。

 問題の先送りともいう。

 結局分かったのは、少女が痴女ではなく幽霊であるということだけだ。

実質殆ど何も分かっていない。

 

 アパートの庭に出る。

 入学して一ヶ月、春真っ盛りで温かな日差しが俺を包み込む。

 庭を通ると、いつもの如く大家さんがいた。。

 家庭菜園の側で屈みこんでいる。

 

「育てー育てー、私の愛をしっかり吸い込んで育って下さいねー。ぐんぐん育って最終的に私の胃を満たしてくださいねー」

 

 食われる為に大きくなれ、とは言われる方はどんな気持ちなんだろうか?

 食される側の野菜の気持ちになってみる――動けない、気持ちを伝えることもできない、ただ自分の身体を意思とは関係なく肥大させていくことしかできない。そしていい具合に育ちきると……噛み砕かれ消化される。絶望、絶望、絶望――その言葉が体に纏わり付いた。。

 な、なんてことだ……。目の前の大家さんが野菜を育てる可愛らしい天使ではなく、絶望を培養する悪魔に見える。

 

『た、たすけて……』

 

 今の俺には聞こえてる、野菜達の救いを求める声が。

 お、俺は今までそんな気持ちの野菜を食していたのか。

 ひ、ひどい……酷すぎる。

 ここは真実を知った人間として、野菜達の人権を守る為に立ち上がるべきじゃないのか!

 野菜にだって命はあるんだ! 野菜の人権を守れ!

 あ、でも俺今眼鏡教の信者だしナー。

 信者とレジスタンス2足の草鞋履けるほど器用じゃないし。

 うん、野菜達には今の現状に甘んじてもらうことにしよう。

 大丈夫大丈夫。痛覚とか無いんでしょ?

 

 俺が野菜達を守る為に立ち上がり、そして即座に座り込むという波乱に満ちた意思の変更を行なっていると、背後に立つ俺の気配に気づいたのか、大家さんが振り向き立ち上がった。

 満面の笑みと共に、ペコリと一礼。

 

「あ、一ノ瀬さんっ、おはよーございます! 今日もいいお天気ですねー!」

 

 朝からキラキラ眩い笑顔を浮かべる大家さん。

 貴方の笑顔は空にきらめく太陽よりも眩しい、なんて花輪君みたいな返事で返そうとしたが……今日の俺、そういう気分じゃねーから。

 つーか、結構怒ってるんだよね。

 怒髪天が空を貫きまくってるんだよね。何で怒ってるかって、アレだよ。幽霊の件だよ。入居するとき何も問題はない部屋だって、ハッキリ言われたのに。

 

「ご飯はしっかり食べましたか? お漬物無くなったら言って下さいよ? 夜更しは体に悪いですからあんまりしちゃ駄目ですよ……って、私も人のこと言えませんけどね、てへへ。昨日も深夜アニメ見るために頑張っちゃいましたっ。てへぺろっ」

 

 おどけた調子で舌を出す大家さん。

 俺を心配してくれるお母さんっぷりに、俺の怒りゲージはゆるゆると降下していった。

 いかん、いかんよ!

 頑張って踏みとどまってくれ、怒りゲージ!

 今日はこの向日葵の様な笑顔を浮かべる少女に一言言ってやる筈だろ?

 怒りの伴わない発言なんて痛くも痒くもない!

 怒りをエンチャント!

 

 俺が怒りエンチャントの一撃を食らわせようとした瞬間、その先の先をとった大家さんに出鼻をくじかれた。

 

「そう言えば一ノ瀬さん、聞いて下さいよぉ。今日の朝、私大変だったんですよっ。朝起きて冷蔵庫から牛乳パック取り出して一気飲みしたら……」

 

「男前ですね」

 

「清楚な大家さんの意外な一面、ってやつです。で、一気飲みしたら、もう酸っぱくて酸っぱくて! 思わず天井に向かって『へぶしゃん!』って散布しちゃいましたっ。朝から顔も身体も牛乳まみれで……ひどい目に遭いましたよー。ちなみに牛乳が腐ってたんじゃなくて、気まぐれに買った飲むヨーグルトだったってオチなんですけどねっ」

 

「はい、どーも。朝からオチ付きの微エロ萌え話、ありがとうございます」

 

 『え、えろくないですよ!』と頬を膨らませて、割烹着を両手でギュッと握り締め抗議してくる大家さん。

 普通の面相(かお)の俺だったら『はいはいすいませんぬ。大家さんは清純派でしたよね』とか言いながら大家さんの頭を撫でて、大家さんは『そうですよっ、私は清楚でお淑やかななお姉さんなんですからね! あ、あとお姉さんの頭を撫でたりしちゃいけませんっ』なんてラブペロ(ラブコメ+イチャイチャペロペロ)展開が繰り広げられるわけだが。

わけだが!

 そんな展開を望んでいた諸君らには悪いが、今の俺、心の面相(かお)、『怒り』に切り替えてるから。

 アシュラマン的な意味でな!

 

 ああ、憎い、憎くてたまらんぜ……!

 今の俺には何もかもが『怒り』の対象にしかならぬ。

 例えば目の前に対する大家さんの容姿に対しても怒りが湧く。

 何だこの黒髪おかっぱは! ちょっと一部層を狙いすぎじゃないんですかね!

 自分の身長よりちょっと長めの箒を懸命に動かす様子が癪にさわるぜ! 

 そして何だその甘々斎藤○和ボイスは! 耳が幸せになっちゃうでしょ!?

 あとあんた微妙にボディタッチが多いんだよ! 惚れてまうやろ!

 

 ……ふぅ。

 取りあえず胸の内に湧いた怒りを吐き出すことができた。

 さて、本来の目的、大家さんへの追及を始めようか。

 

「ところで大家さん、俺の部屋のことなんですけど」

 

「はい? 一ノ瀬さんのお部屋ですか? えっと……なんでしょう? あっ、もしかしてこの前、庭で秋刀魚を焼いた時の煙が入っちゃってましたかっ? ご、ごめんなさい、今度から気を付けますねっ」

 

 俺の部屋はどうやら風の通り道になってるらしく、よく部屋にいると窓から外の匂いやら声が入ってくる。大家さんの鼻歌なんかも聞こえてくるので、それをBGMにしながら勉強するのも乙なもの。この間なんか『20代前半が懐かしいと感じるアニメソングメドレー』が大家さんの歌声で流れてきて、勉強どころではなかった。

 それはいい。非常にいい。

 お裾分けに戴いた秋刀魚も大変おいしゅうございました。

 

「違います。この前……三日くらい前でしたっけ。俺大家さんに聞きましたよね? 『俺の部屋、ナニカ出るんじゃないですか?』って」

 

「……はて? そ、そんな話しましたっけ? いやぁ、して無いと思いますよ、はい。あっ、確かその時はお風呂に入ってまずどこを洗うか、みたいな話をしませんでしたか? あははっ」

 

 えー、マジで?

 何で俺の記憶分野ちゃん(萌えキャラ。眼鏡かけた金髪ツインテール司書)ったらそんな重要な記憶忘れちゃってるの?

 ちょっと思い出してくれよ。あぁ? 何が涙目で『わ、わたしのデータベースには無い記憶ですぅ……』だ! 可愛いから許す!

 

「しらばっくれないで下さい。あの時の大家さん、態度がおかしかったですよね? ……あの部屋、何かあるんですよね?」

 

「い、いえですから。そ、そんな、ねえ? 親御さんから預かってる大切な息子さんをそんな曰くつきの部屋に案内するわけないじゃないですかっ、あはははっ」

 

 サッサッサと箒で地面を掃きながらぎこちない笑みを浮かべる大家さん。目があちらこちらへ泳いでいる。怪しい。

 額から浮き出た汗がたらりと首筋まで垂れ、僕はいつかこの汗の流れに乗せて素麺流しがしたいんだなぁ(大将風に)

 

「だ、大体何かあるって、何があるんですか? 一ノ瀬さんは何か見たんですか?」

 

 ここだ!

 俺は大家さんの発言に『異議アリ!』の心の叫びと共にその決定的な言葉(証拠)を突き出した。

 

「何か、ね。ええ見ましたよ。この目でハッキリとね」

 

「……ゴ、ゴクリ」

 

「――幽霊、ですよね? 女の子の幽霊、それがあの部屋にいる『ナニカ』です」

 

「……う、ううう……!」

 

 俺の決定的な言葉は、大家さんにダメージを与えたようだ。

 しかし未だ大家さんの眼は敗北を認めていない。

 

「……ゆ、幽霊? あ、あははっ、そんな幽霊なんて、非科学的なものいるわけないじゃないですかー。い、一ノ瀬さんはきっと親元から離れた寂しさで、ちょっと頭がおかしくなってるんですよっ、うんっ。大丈夫です! 大家である私に任せて下さいっ。さ、今すぐ一緒に病院へ行きましょう! 私がついてますから、安心して下さい!」

 

 それ絶対檻のついた病院でしょ?

 やだよ、もー。

 ただでさえ法律(ルール)っつー名の檻に閉じ込められてんだ、シャバでくらい自由にさせてくれよ!

 あ、ちなみにここで俺が病院に行くことを肯定すれば『プリズンブレイカー辰巳! ~第一話 女看守の心の鍵を盗め~』に派生するから。

 まあ、需要ないから派生とかしないけど。

 だって今の日本でそんな煤にまみれた青年がムショから脱走するなんてニッチなもん流行らんぜ?

 やっぱり矢吹神を見習って、みんなおっぱいとかギリギリへの挑戦とかすればいいと思う。

 でも監獄○園は別な。俺あれVシネ辺りで実写化すんの希望してっから! と、思ってたらアニメ化していた。規制とか大変だと思いますけど、頑張ってください。メデューサには期待してます。

 

 大家さんの手が俺の手を包み込むようにギュっと握った。

 温かくて柔らかい。

 

「ねっ、ねっ? 一ノ瀬さん疲れてるんですって。ほら、学校も色々大変なんじゃないですか? 勉強とか、人間関係とか、サークル内の痴情のもつれとか」

 

 まあ、学校が大変というのは概ねあってる。

 何が大変かっつーと、そりゃ友達がいないことですがね。

 遠藤寺だって全ての授業を一緒に受けているわけじゃない(アイツ『中世における拷問史~実践編~』とか常人にはノーセンキューな授業を嬉々としてとってるからな、俺はついていけん)

 だから学校内に一人ぼっちになる時間が結構あるわけ。

 その時に気になるのは周りの視線だよ。『あの人一人よ? 侘しくないのかしら?』みたいな。自過剰とかじゃなくて、実際にかなり向けられてると思う。

 

 ん、いや待てよ? よく考えると大学内に一人でいることなんてそうそう珍しいことじゃなくなイカ?

 いくら友達が多い人間でも、ゼミやら何やらで一人になることもある。

 あれ? だったら何だ俺に向けられるあの視線の数々は?

 ちょっと記憶分野ちゃん、視線向けられた時の音声、再現してよ。

 

『ねー、あの男の子』『あ、知ってる。あのフリフリ女といつも一緒の子だよね』『遠藤寺さんだっけ、カワイイけど痛いよね』『痛い痛い』『拙者、遠藤寺殿に骨折しやすい部位をバットで殴られたいでござる』『あんな子と一緒にいるってことは、多分あの子もちょっと変なのかな』『多分ねー。類は友を呼ぶって言うらしいし』『せ、拙者の同類でござるか! フォヌカポゥwww』

 

 あ・い・つのせいかよ!

 ざっけんな! 通りでただ教室の場所聞いてるだけなのに引き気味な態度ばっかとられてると思ったわ!(その時は前向きに、俺が放つモテオーラが逆に近寄りがたいのかな、って思っといた)

 悪いが俺のモテルート開拓の為に遠藤寺には一人で4年間を過ごしてもらうか。

 あ、でも……オレ、トモダチノツクリカタ、ワカラナイ……ウゥ。

 いつか現れる(と思われる)多数の友人たちか今いる可愛い(けどちょっと変)な異性か……。

 よし、とりあえず保留で。

 

「そ、そうですよ。幽霊なんているわけないですよ? 幽霊なんてないさーふんふんふーん」

 

 ピューピュー口笛を吹きながら目を逸らす大家さん。

『疲労が精神に負担を~』とか『統合失調が~』とか『不思議なアリスが~』とか『TSUTAYAの延滞金が~』とか言い訳がましく述べ、話を誤魔化そうとしているはまるっとお見通しだ。

 

 はぁ、こうなったら仕方がない。

 ここは大家さんをおもむろに押し倒し、『そのピーピーとやかましい口を綴じナ。閉じネェなら俺の口で塞いでやんヨ。後はあんたの謎(ボディ)に聞くだけさ』って感じのニュー探偵スタイルで行くか……。

 ところで着物の下は何も履かないって言うけど、大家さんの場合はどうなんすかね。

 あ、いや別にいやらしい気持ちで考えてるわけじゃないけどね。

ほらあくまで学術的好奇心っていうか……俺文系だし(文系ならしょうがない)

 

「あのさ、大家さん。ネタは上がってるんですよ。色々と周りから聞いたんですけどね……あの部屋、俺が越してくる前にも『出た』らしいじゃないですか」

 

「はわわっ、ど、どこでそれを!?」

 

 いや、まあどこっつーか、その幽霊本人なんすけどね(笑)

 本人の発言だから、恐ろしく信憑性がある。

 本人曰く、俺の前にも色んな人間が入居してきて、彼女の姿を見て退去していったらしい。

 

「今まで越してきた人、みーんな速攻で出てったらしいじゃないですか。で、みんな言ってたらしいですね?」

 

「い、いや、ち、違うんですよ……」

 

「とぼけるのはもう無理ですよ? 出てった人はみんなこう言ってました『化け物が出た』ってね」

 

「はぅ……」

 

 俺の言葉(ダンガン)で論破された大家さんはふらりとよろめいた。

 勝った! 勝ったぞ!

 お部屋の幽霊さんありがとう!(ちなみにその幽霊さん『化け物だなんて酷いと思うよね!』といたく憤慨されておった)

 

 大家さんが俯き、30秒の時が過ぎた。

 俺が勝利の感慨に浸り、DOYA顔を決めていると、大家さんは亀の様な動きでゆるゆると顔をあげた。

 

「……す、ずびばせんでした……!」

 

 ひっでぇ顔だった。

 顔はりんごみたいに真っ赤だし、両の目からは濁流の様にボロボロと涙がこぼれ落ちている(俺はこの光景を『大家さん悲しみの滝.jpg』として記憶野に保存した)

 

「ご、ごめんなさい……っ! 嘘ついてっ、ぐすっ……本当にすいませんでした……!」

 

 あーあー泣ーかっしたー、こんなちまい子泣かしよったー。

 俺は小学校の終わりの会で『一ノ瀬君が私のことずっと見てくるんです……うぇぇぇ』とちょっと心当たりがなさすぎる冤罪をかけられたことを思い出した。

 まあ、あの頃は『一ノ瀬を陥れる会』みたいなんが発足してたからな……小学生の俺は一体何をしたんだろう。

 

 大家さんはボロボロ涙を流したまま、俺に突撃してきた。

 すわ自滅覚悟の特攻か、と構えたものの、大家さんは俺の腹に顔を埋めただけであった。

 

「あ、謝りますから……! だ、だから出ていかないで下さいっ! お、お願いですぅ……!」

 

 グリグリと俺の腹に顔を押し付けてくる。

 今俺のTシャツ(ユニクロ産980円)は大家さんの流した涙やら鼻水で、べっとべとの透ケルトンTシャツに進化しているだろうが……不快感は無かった。

 むっさい男の鼻水が手に付着したら速攻でその手を切り落とすけど、それが美少女の物なら……な?

 

「へぐっ、えぐっ……」

 

 全く、泣いてる女の子には適わねえーな。

 

 俺の心の面相は怒り面から慈愛面へと切り替わった。

 慈愛に満ちた今の俺は、目の前の存在が愛しくてしょうがない。

 俺の腹に顔をうずめ、涙やら鼻水を擦りつけてくる大家さんに対し仏スマイルで対応、仏掌で頭を撫でる。

 やれやれ、命拾いしたな……。

 今の俺が慈愛面でなく怒り面であったなら……グーで顔殴ってたよ?

泣いてるとか美少女大家さんとか関係ねえ、『オゴォッ』とかリョナ好きな悲鳴をあげさせて。

 しかもただのグーじゃない。

 母親から貰った頑丈な腕時計を巻きつけたグーだ。美少女を時計パンチした時、俺はもう一つ上の段階にいけるかもしれない(その時には胸を張って、自分の前世がこの世界を統べていた王であることを声高々に叫ぶのだ。んで、前世が俺のシモベとかのたまう電波的な女がやってくるわけ、当然超美少女)

 

「やれやれ」

 

 取りあえず泣いている大家さんを泣き止ませないとな。詳しい話も聞けない。

 

 アパート正面に住む一軒家のオバさん(噂好きのマダム。彼女にかかれば噂は容易く全世界に発信される)が、近所のオバさん連中を集めまくってるが気になる……。

 合体してキングマダムでにもなる気か? ゴールドだけは持ってそうだな。

 

 俺は興味津々なマダム達の視線が集まる中、大家さんをまるで恋人にするように泣き止ませるのであった。



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TSU○AYAまで走って3時間(実話)

 そういえば俺の自己紹介が遅れてたな。ここらで一つぶちかまして差し上げようか。

 え? 野郎の自己紹介なんていらない?

 ふぇぇ……ボク男の子だよぉ……。

 これでいいか?

 

 俺の名前は一ノ瀬辰巳。

 それなりに普通の高校を卒業し、それなりに普通の大学に入った、どこにでもいる普通の大学生だ。

 家族は今年高校に入った妹が一人、豪快な母親(牛乳を煮込んだものに野菜を入れ、それをシチューだとかのたまって食卓に出す)、行方不明の父親(職業冒険家、最後に『群馬に行く』と言ったきり、連絡はない)の4人家族だ。

 現在は親元を離れ、大学近くのアパートで一人暮らしをしている。

 つい最近一人暮らしでなく、二人暮らしであることに気づいたが……その話はおいおいと。

 容姿は普通だと思う(でもそれは一般的な感性であって、俺の中では俺≧キアヌリーブス)

 ただ唯一普通と違う部分を上げるとするならば、年中首に巻いているマフラーだろうか。

 大学進学祝いに妹から貰ったものだが……これ外れねーの。

 絶対呪われてる。

 近くに教会もないし、近所の雑貨屋に解呪石も売ってないんで、取りあえず諦めている。

 趣味はサブカルチャーを少々、リアルタイムで見る深夜アニメはたまらんでゲソ!

 嫌いな食べ物は特にない。が、あえて言うなら牛乳を煮込んだものに野菜をぶちこんだだけの冒涜的な鍋かな。

 彼女いない暦=年齢、つってもほら、別にモテないわけじゃなくてさ、女性と話す機会が無かったていうか、女子が俺の姿を補足するなり『あ、一ノ瀬だ。あの顔見て。あれ絶対私達がチョコくれるとか勘違いしてる顔よ。ふふっ、あげるわけないじゃん、バーカ。泥でも食ってろ』ウワァァァァァァ!

 

 ……ふぅ。

 ま、俺の自己紹介はこんなもんか。

 あ、言っとくけど、俺の個人情報とか漏洩したらマジでキレっから。

 俺キレっとマジみさかいないぜ?

 具体的にはお前ん家の犬『何か常に口からバターの匂いがする』ってご近所さんに吹聴する奥義(ザ・ムラハチブ)お見舞いすっから。

 そこんとこヨロシク!

 しかし個人情報ってのはどこから漏れるか分からんから怖い。

 情報化社会の弊害ってやつだな。

 この間も全く知らない番号から『しまくろファッションです。この度そちらの近くに店舗を新しく展開しまして、近い内に説明会を開こうと思っています。無料で手に入るプレゼントも用意してますので是非、いらして下さいね!』とか超カワイイ姉ちゃんの声で詐欺確定な電話があったわけ。

 しまくろファッションとやら、一つ言っておくぞ……。

 

 俺の部屋にある服――妹が買ってきた服だから!

 自慢じゃないけど自分で買いに行ったこととかねーから!

 もうちょっとリサーチしてから声かけろよ。

 

 

※※※

 

 

「……ぐすっ、すんっ」

 

 大家さんが俺の鳩尾辺りに顔を埋めて、鼻を啜っている。

 やれやれ、やっと泣き止んだか。

 さっきまでわんわん泣き喚いて大変だった。

 

 周囲を見渡すとどこから沸いたか、マダムの軍勢(恐らくこの地域に棲んでる全マダムが集結していると見た)が遠くから俺達のことをOA(オバサンアクション。手首のスナップを利かせ、こちらを煽ってくる行動。主に『ヤァネェ』なんて言葉と共に発動される)しながらジッと見つめている。

 俺は覇気の伴った魔眼を発動し、マダム達を追い払おうとしたが、マダム達のレベルはざっと俺の8倍ほどであり、完全にディスペル(無効化)された。流石はマダム。スーパーで『豚』と呼ばれ半額弁当を荒らしていることはある。

 

 俺が改めてマダム達に対し戦慄を覚えていると、完全に泣き止んだ大家さんが、ゆるゆると俺の鳩尾から顔を離した。

 そしてペテペテと数歩下がり、はにかむ。

 

「……てへへ。は、恥ずかしいところを見せちゃいました……。この歳になってあんなに泣くのは久しぶりです」

 

 真っ赤に充血した目で「そ、それにしても女の子を泣き止ませるのは上手ですね? 今までに何人もの女の子を泣かせてきたんじゃないですか?」とかちょっと話題をずらそうとしている大家さん。

 そんなことよりさっきの大家さんの言葉『は、恥ずかしいところを見せちゃいましたね』って言葉、凄くいいと思う。

 今は『見せちゃいましたね』だけど、そのウチ『わ、私の恥ずかしい所……み、見てください……(裾を自分で持ち上げつつ)』って言葉を聞く方向で行こう。もちろん俺の部屋でな。

 

 大家さんは照れ顔から、真面目な表情に切り替え、ペコリと頭を下げてきた。

 

「……すいませんでした。今まで黙ってて。本当に……ごめんなさい」

 

「いえ、俺もちょっと言い方が悪かったって言うか……大家さんを追い詰める様な言い方になってしまって、反省してます」

 

 してねーけどな。

 それどころか大家さんの泣き顔見れてラッキーとか思ってるし。

 おっといけねえ。これ以上いらんことを考えると俺の性癖が『泣き顔フェチ』であることがバレてしまうな!

 え、泣き顔のどこがいいかって? ……零れ落ちた涙が鼻筋を通って首までたどり着く光景とかマジ幻想的じゃん。

 

「じゃあ、聞かせて下さい。あの部屋のこと」

 

「はい……で、でも」

 

 大家さんが上目遣いでチラリと俺を見上げてくる。

 何を考えているのかはすぐに分かった。

『あの部屋の秘密を知っても……私のこと好きでいてくれる?』

とかそんな感じだろう(多少恋愛寄りの思考)

 

「別に聞いたから『ハイ、じゃあ出て行きますね』なんて言わないですから。そもそもこんなに安い部屋他にないですし」

 

 あと大家さんカワイイし。隣人がまるで死んでるかの様に静かだし。いつも飴くれる小学生住んでるし(全く、最高な小学生だぜ!)。まあ、マダムのボス的存在がアパートの目と鼻の先に住んでるのがネックだな。それ以外はよし。

 できれば近くにT○UTAYAの一軒は欲しかったなってのが本音だけど。

 そしたらそこのAVコーナー商品を全網羅して『禁書目録』なんて二つ名で恐れられるのであった~一ノ瀬辰巳パーフェクトガイドブック P32~より抜粋。

 

「それを聞いて安心しました。一ノ瀬さんが出て行ったら……私とっても寂しいですから」

 

 「な、なんちゃって、えへへ」なんて照れながら上の台詞をおっしゃる大家さん。

 ……え、嘘、マジで?

 これってちょっと俺に惚れてる系じゃねーの? い、いやそんなのありえるはずがない……でももしかして……もしかしてワンチャンあるかも? たまたま大家さんが俺みたいな男がタイプな趣味の悪い女の子だったとしたら……ありえる。

 

 ヤダどうしよう……。好かれてるかもしれないって思ったら、何かますます大家さんが可愛く見えてきた……。

 家事万能で性格もよくてナイスバディ(人によっては)な女の子か……俺この子と結婚するわ。

 もうこれでルート確定やな!

 

「このアパートでゲームの相手してくれるの一ノ瀬さんだけですし。いなくなったらすっごく困ります」

 

 まあ、分かってたけどな!

 いや、本当に。

 この世で俺にLOVE光線向けてくる女の子なんていやしねえのは、この世界に生れ落ちた時点で分かってたことだし。

 だから痛くも痒くもないね。

 ただちょっと……胸の辺りがチクンとする、それだけさ。

 そうだ、この気持ちを歌にしよう……世界中の俺と同じ様な人間に送る歌を……題名は『童貞っていいな』で。

 そしてどっかの動画辺りで初音ミクに歌わせたこの歌が大ヒットするわけ。

 メディアでも取り扱われ、俺ん所にも『あの素晴らしい歌の作曲者』みたいな煽りでテレビカメラが来るわけ。

 え、あの曲を作ったきっかけですか? ……ええ、昔僕が怪我をして入院した時にある一人の女の子と出会ったのが始まりですね……。彼女の病は重く、しかし彼女はそれを感じさせない明るさで……。え? 事実と違う? いいんだよ、みんな美談が大好きなんだから、捏造しても。

 

 俺は試写会で大爆笑をお見舞いする予定のギャグ(今のところ、俺の名前の辰巳を『タッチミー』って感じで捻るギャグを土台としている)を考えつつ『で、俺の部屋のことなんスけど』という顔で大家さんを見た。

 大家さんは少し躊躇している様子で、それを振り切るかのようにぷるぷる首を振り、話し始めた。

 

「……はい。あの部屋、104号室にその……幽霊、さんが出始めたのはは4年ほど前からです」

 

 そうなのか。

 てっきり何十年も前からあの部屋に住み着いているとばっかり。

 ちなみに大家さんは俺と同じく、全く霊感がないようで、今まであの部屋で幽霊自体を見たことはないらしい。

 つーか幽霊さんって。

 幽霊にもさんを付ける、そういう所すごい大家さんっぽいけさぁ……。

自分よりも明らかにロリ(年下)にさん付けるってのはねぇ……いや大家さんも同じロリではあるけど。

 ただちょっと違うのは俺にとって、大家さんは裸を見たくなるタイプのロリだけど、あの幽霊の裸は……まぁ、あれもあれでいい物だな。

 つまるところロリは正義ってことだな!(真理)

 

「今年に入ってからも、突然入居者の人が出て行って。それからすぐに新しい人が越して来たんですが、その人も三日と経たずに出て行って……それが何回も続いていたんです」

 

 三日、か。

 随分と早い。三日坊主ならぬ、三日退居ってやつだな。

 

「それでその内、『何かが出る』って噂が流れ始めて……あの部屋に越してくる人が誰もいなくなりました。幸い他の部屋の人達は噂とか気にしてないって言ってくれたんですけど。でもずっと部屋を空けておくと、噂が加速していくと思って、何とかしないとって考えて……」

 

「で、1万円ですか」

 

「……ハイ」

 

 

 大家さんは申し訳なさそうに俯いた。

 相当切羽詰っていたのだろう。アパートの一室がいつまでも空いている、ついでに妙な噂付きで。そんなことが広まったら、将来的に他の部屋にも越してくる人間がいなくなるだろう。

 故に取りあえず誰かを住まわさなければならない、だからこその1万円(エサ)か……。

 そしてそのエサに釣り上げられた俺。

 

 しかし分からないのが、『あんな幽霊』にビビッて出て行く奴らだ。

 あんなチビっ子幽霊(カワイさ当社比3倍)に「う、うらめしや~」なんて迫られても、「かわい~い」なんてほのぼのとした気持ちになるだけだろ。

 前住んでた奴らどんだけチキンなんだよ。

いや、チキンなんて言ったらチキンにも失礼だな。

 よし、この鮭野郎!

 え、何で鮭? ああ、俺が遠足の時に妹が作ってくれた鮭弁当を一人で食ってたら、トンビがヒューって飛んできて、やっこさん俺の弁当箱から鮭のみを奪い飛んで行ったのよ。俺思わず『ヒューゥ』なんてセクシーな姉ちゃんに愛用する口笛をしちゃったの。

 その時悟ったね。鳥>魚ってな。

 それ以来俺、水棲系のモン娘(モンスター娘)から鳥系のモンスター娘に乗り換えたわけ。

 ンー、ハーピーは正義!

 

「あの、その幽霊のことなんですけど」

 

「や、やっぱり怖かったですか!? だ、大丈夫です。今まで騙していたお詫びですっ、私が一ノ瀬さんのお部屋に寝泊りしてその幽霊から一ノ瀬さんを守りますっ」

 

 そいつはグッドな提案だ。つーかそれでよくね?

 同じ部屋で過ごす二人、その距離は様々なイベント(主に風呂トイレでの遭遇)を経て接近していく。

 そして結ばれる二人。

 後はアパートという閉じられた世界の中で蜜の様な甘くドロドロした日々を過ごしていく……。

『大家さん。ジッとしてて下さい。今ティッシュで拭きますから』

『もぅ……いつまで大家さんって呼ぶ気なんですか? こ、こんな事までしておいて……』

『分かりましたよ。……大家。ハイこれで満足ですか? ……あっ、ちょっとそんな急にそこはまだ敏感(略』

 ……ふぅ。

 

「その幽霊のこと詳しく知りたいっていうか……今まであの部屋に住んでた人の話とか聞きたいんですけど」

 

「敵を知り、己を知れば何とやら、ですね!」

 

 何言ってんだこの人。

 何でちょっとドヤ顔なの?

 いや、可愛いからいいんだけど。

 

「分かりました。今まであの部屋を使っていた人達、ですね。私も越していく前にちゃんと何があったのかは聞いておきましたから、大丈夫ですっ」

 

 そうして大家さんは、俺の前にあの部屋を使っていた連中(鮭野郎)のことを語り始めた……。

 

 

※※※

 

~戦場帰りのニック(37)の場合~

 

 ん? ああ、なんだ、またあの話を聞きたいのか?

 はっ、あんたも物好きだな。いいぜ聞かせてやるさ、何度でもな。

 俺がこのアパートに来た理由は知ってるな?

 ああ、そうだ。あの戦場に生き残ったからだ。

 あの硝煙と血の匂いに満ちた戦場。

 俺はあそこで生き残った、生き残っちまった。

 本来なら俺はあの戦場で死ぬ運命だった……マイクがいなけりゃな。

 ああ、マイクはいい奴だった。

 マイクの話すジョークはいつも俺たちを楽しませてくれた。

 あのジョークはもう一生聞けねえ……一生な。

 あの塹壕の中、俺とマイクは二人きりだった。

 弾丸がすぐ側を跳ねる穴蔵、俺たちは気楽にもタバコを吹かしていた。

 いつものことだって、ヘラヘラしながらな。

 ただ、まあ、そうやってヘラヘラ過ごして来て、残ってるのが俺とマイクだけだった。

 俺たちは分かってたんだ、次に死ぬのはどちらかだって。

 俺は別に死んでもよかったよ、俺みたいなクズはどうせ戦場から離れても生き場所はねぇって。

 マイクには才能があった。生きる才能がな。

 だから俺はマイクに生き残って欲しかったんだ。

 でもマイクは死んだ。

 俺を庇って死んだ。俺みたいなクズをな。

 それから俺は生き残ってこの国にやってきた。

 何のことはない、マイクが生前この国に来てみたいって言ってたからさ。

 特に目的もなくこの街にやってきて、ただ安いってだけでこのアパートを借りた。

 アパートを借りたその夜、俺は暗がりの中に何かを見た。

 最初俺はそれがマイクの亡霊に見えた。

 あまりにも不確かで、朧気だったからだ。

 だが違った。

 あれは、俺が見たあれは……死神だった。

 血塗れで濁った瞳の女……死神だったんだ。

 俺はすぐにそいつの目的が分かった。

 やっぱりあの戦場で死ぬのは俺だった。

 が、何の手違いか代わりにマイクの奴が連れていかれちまったんだ!

フ○ック!

 俺は怒りに任せて懐のベレッタを死神に撃ち込んだ、全弾をくらわせてやったさ。

 が、死神の奴ピンピンしてやがる。

 生憎俺はビル・マーレイじゃない。

 次の日、俺はそのアパートを出た。

 当然生きる為さ。死神から逃げる、その為にな。

 俺は生きる、マイクの代わりに。

 アイツがしたかったことを全部俺がやるんだ。

 死神になんて負けやしない。

 話はこれで終わりさ。

 さ、俺はそろそろここを離れるぜ?

 そろそろ死神の奴に嗅ぎつかれるだろうからな。

 次の目的地?

 ああ、何だって言ってたかな……アキ、アキバハラ? 

 確かそんな地名だ。

 それが終わったら……一度故郷に帰ってみるかな。

 キャロラインにプロポーズの答えをもらってないからな。

 じゃあな、酒美味かったぜ。

 

 

 

~クローズドサークル大好き五反田弘(45)~

 

 ……またあの話か?

 もう私はあの件とは関係が無いと何度言えば分かるんだ!

 ええい、もういい分かった!

 これが最後だぞ?

 そして何度も言うが、この話の出所が私であることは絶対に外部に漏らすな。

 あの日、私はとても気分が悪かった。

 ミステリー小説大好きオフなんてものに参加したのがそもそもの間違いだった。

 どいつもこいつもミステリーが大好きだとほざいておきながら、何だ!

東野圭吾? アガサ? 

 馬鹿馬鹿しい! 他にもっと読むべきものがあるだろうに!

 特にあのゴスロリ服を着た変な女と来たら……この私を『自分が認めたものしか読まない狭量な人だね。そんなんで人生はつまらなくないのかい?』などと……!

 

 私はその下らない集まりを早々に見限り、帰宅した。

 そこそこ綺麗に掃除された廊下を通り、自分の部屋へ。

 ふと、自分の部屋であるはずのそこが、どこか別の場所の様な気がした。

この感覚はどこかで感じたことがある。

 そうだ。これは某有名ミステリーの舞台になった山荘へ泊まった時の感覚だ。

 あの山荘には昔本当に殺人事件があり、小説はその話を元にしたと聞き、恐怖と好奇心が混ぜこぜになった、あの素晴らしくも寒気が走る……あの時の感覚だ。

 なぜ私の部屋で……。

 私はここで引き返すべきだった。

 しかし愚かにも私は六畳間に何の心構えもなく入った。

 そこにあったのは死体であった。

 血まみれの少女の死体。

 銀色の髪に血が染みこみ、不思議と綺麗に思えた。

 少女に近づく。

 小説の文章では伝わらない、濃密な『死』がそこにあった。

 私は不謹慎にも、笑っていた。

 死者を笑う、それは何と冒涜的な行為だっただろう。

 しかし、その時の私は嬉しくてしかたがなかった。目の前で少女が死んでいる、そして私の部屋で。まるでミステリー小説のようだ。

 その時、私は確かに『探偵』だった。

 部屋は密室、現場にある痕跡、遺体に残されたメッセージ。

 私は定石通りそれらを調べ、瞬く間に犯人を特定した。

 密室であるこの部屋に入るためには、私が持っている鍵がいる。

 現場に荒らされた形跡はなく、この部屋の住人もしくはそれらに近しい人間が怪しい。

 遺体の首には手の型……絞殺だ、手の大きさから推定して、一般的に男性か。

 ふと、私は何気なく自分の手を見た。

 手には無数の引っ掻き傷があった。首を絞めた犯人の手につく傷が。

 犯人は私だった。

 探偵の私は犯人でもあったのだ。

 私は犯人を見つけた喜びと自分が犯人であったことの絶望をミキサーにかけた様な悲鳴をあげた。

 気付けば私は包丁を持っていた。

 そうか、遺体の血は殺害した後にこれで刺したのか、なるほど。

 私は遺体を見た。

 遺体は立ち上がり、こちらをジッと見つめていた。

 血にまみれた美しい少女だ。

 私が殺した美しい少女だった。

 少女の口が動き、こう呟いた。

 

「い た か っ た よ」

 

 私は逃げ出した。

 そしてそのまま帰ることはなかった。

 あれから時間が経ち、私は今も少女から逃げている。

 本当にあれは私がしたのか、それともただの幻だったのか。

 それを確認する術もなく、私は逃げている。

 ……。

 これで終わりだ。

 くれぐれも言っておくが、この話は……。

 あ、ああ、ああああああああああ!

 いる! そこに少女が! 私が殺した少女がいる!

 い、いやだ!

 ここはあの部屋なんだ!

 こんな部屋になんていられない! 私は出て行く!

 

 

※※※

 

 他にも『窓に! 窓に!』とか叫んで消息不明になった人やら、一緒に住んでた恋人に『ここは俺に任せてお前は逃げろ!』とか行ったきりやっぱり行方不明になった人の話が続いた。

 

 その人たち今もリビング(生きてる)してるんでしょうねぇ。

 話を聞いた俺の感想がそれだった。

 つーか俺がいる104号室と話で聞いた連中の104号室って同じ部屋か?

 平行世界かなんかじゃねーの?

 登場人物(ゆうれい)がちょっと別人過ぎやしませんかね。

 おばけ(舌っ足らずな声で)とAKUMA(デスボイスで)くらい違うんすけど。

 

「俺の部屋にはとんだ化け物がいるようですな」

 

「大丈夫ですっ、私に任せてください! こう見えても私、幽霊とかには強いんですよっ」

 

 バンバンと架空の銃を撃つジェスチャーをする大家さん。

 それってゲームですよね。

 現実(リアル)に妄想(ゲーム)持ち込むとか……ちょっとひく……。

 そもそも幽霊とか銃きかなくね?

 ここはやはり俺の『カポエラン』がベールを脱ぐ展開か……。

 滾ってくるぜよ……!

 

 大家さんといかに効率よく幽霊をぶちのめすか談義をしていると、ちょっと洒落にならない時間になってしまったので「スイマセン。ちょっとアレ(講義)がコレ(遅刻)なんで……」とジェスチャー付きで話を中断する。

 若干寂しそうな大家さんの笑顔と、手をヒラヒラと振られつつ「頑張って勉強してきてくださいね!」の声援を受け、俺は大学に向かうのだった。

 アパートの門を出るとマダム達の『ヒューヒュー』って囃し立てる声がマジうぜぇって思った。

 あと、マダム達の中に紛れていた小学生に貰った飴が超うめぇって思った。

 そんな飴を食べられる俺って特別な存在なんだなぁって思った。



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コンビニまで全力疾走4分(ただし衣服は着用しないものとする

 大学に着き、早足で大教室に向かうも、時既に遅し。

大教室のドアは両開きに開かれており、そこから授業を終えた学生達がぞろぞろと吐き出されていた。

 俺は何となく、その光景は朝、電車のホームで見る光景に似てるなって思った。

 どっちも吐き出される人間が気だるそうな顔してるし。

 

 そんな有象無象の生徒の中、明らかに周りから浮いている生徒がいた。

 まあ、遠藤寺である。

 遠藤寺の周りはエアポケットの様に、ぽっかり人がいない部分が存在するので、非常に分かりやすい。

 俺が「おーい遠藤寺!」と声をかけると、遠藤寺じゃない奴ら(ザ・モブの人達)がギョロリとこちらに視線を向けてきたので、俺は『あァ? 誰だよでけぇ声出してんのは?』みたいな顔で後ろを振り返った。

 視線を向けてきた連中のそれが俺の後ろへと流れていく。

 その隙に俺は雑踏をスルスルと抜け遠藤寺へと接近した。

 これぞ奥義!……あ、いや何も浮かばねぇ。

 

 遠藤寺は両開きのドア辺りで立ち止まり、首を傾げながら周囲をきょろきょろと見渡していた。

 ここで俺が背後から忍び寄り『だ~れだ?』みたいな中性的な声を出しつつ胸を鷲掴み、遠藤寺が『キャッ、もうっ、たっちゃんたら! え~い、私もこうだ!』なんて俺の胸を鷲掴み。そうすることで百合の花が咲き乱れ、この学園に新たなサークル『ゆるゆり部』が発足したら……勿論入ってくるのは女の子、しかも同性にしか興味が無い子ばっかり。

 俺や遠藤寺、そして新しく入ってきた女の子達でキャッキャウフフな毎日……それって凄く淫靡だなって。

 しかし、俺はいくら中性的だといっても男に変わりは無い。

 俺が女の子だと勘違いして入ってきた女の子達にもバレてしまう(合宿とかで)が、俺達にとって性なんてものは既に超えてしまっていた壁だった。

『辰巳先輩! わ、わたしのお姉様になって下さい……!』

『で、でも僕……男の子だよぉ』

『そんなの関係ありません! 偉い人にはそれが分からないんです!(そーだそーだ、と他の女の子達の囃し立てる声)』

『だったら行こうか? 僕たちの……境界線の果てに!』

 

~ご愛聞ありがとうございました! 一ノ瀬先生の妄想が聞けるのは俺の脳内だけ!~

 

 ……ハァ、やれやれ。

 また新たなルートの可能性を見つけてしまった。我ながら人生の開拓に余年がないな……。

 よし、まずは俺が中性的にならないとな。

 よくよく考えると俺ってかなり中性的だし。

 高校の時にやったメイド喫茶でも何やかんやで女装してメイドさんすることになったし、みんなから写メとられまくりで、文化祭が終わった後も『おい一ノ瀬お前またメイドさんやれよ』とか言われる始末。おいおいクラスメイツ、今は授業中だっての! こーら、脱がすなって。もう先生もよそ見してないで止めてくださいよぉ。ンモー、女物の下着は流石に勘弁だよぉ~。

 

 

「……ん? 何やら鳥肌が立つほどのおぞましい情念を感じたかと思えば……君か」

 

 遠藤寺が振り返って俺を見た。

 ふんわりヘアーとその上に乗ったリボンがフリフリ揺れた。

 

「で、どうしたんだい? こんな時間に。もう授業は終わってしまったよ。てっきりサボったものかと思って、君の分のノートも取っておいたんだが」

 

「それは貰っとく」

 

 友達想いのフリフリガールだ。ここが欧米なら感謝のキッスを差し上げるところだが、残念ながらここは日本。日本はハンバーガーとか火縄銃とか輸入する前にまず、挨拶にキッス制度を取り入れるべきだったと俺は言いたい。

 

 今日のファッションは水色を基調とした涼しげなロリファ(ロリータファッション)だ。アクセントの白が目に優しい。ズバリ! テーマは青空と見た!

 赤い口紅が太陽みたいでベネ!

 

 出入り口であるドアの前で立ち止まっているので、周囲の視線がかなり痛い(てめえら超邪魔みたいな)

 俺は不特定多数に視線を向けられると吐いちゃうタイプ(だから泣く泣くアイドルは諦めた)だから、勘弁して欲しい。

 取りあえず遠藤寺のすべすべした手を掴み、いつもの食堂へと向かった。

 

 食堂のいつもの席へ。

 俺は早々に席に着くが、遠藤寺が座る気配がない。

 椅子の傍に立ち、何やら興味深そうな表情で自分の右手を見ている。わきわきと開いたり閉じたり。

 

 何だ? 右手が自我でも持ったのか?

 あ、いいなその設定。

 ある日自我を持った右手に振り回される毎日。んでそのウチ他にも体の一部に自我を持つ人間とかが現れて、まぁバトル展開だな。

 部位を生かした攻撃とか、そのウチ能力とかも出たり『全てを食らう右手オールイーター』『語りすぎた二枚舌ダブルトリック』『翼のない肩甲骨フォーリンエンジェル』『制御できない目オプティックアイズ』『暴れ尻(ヒップヒップヒップ!)』……みたい、な?

 これで一本書けるか……いや、まだ煮詰めたりないな。

 取り合えず妄想脳に保管しておこう。

 

「ミ、ミギィ……ぼ、防御頼む」

 

「……」

 

 既にプロローグまで考えた俺の妄想小説の名台詞に、全くツッコミを入れる様子がない遠藤寺。

 無視? いや、別に無視されようがどうってことなウワァァァァァァァッ!

 やめて! 無視せんといて! 俺ただでさえ少ない友達に無視されたら寂しさパンデミック!

 

 一ノ瀬を殺すには寂しさを与えてやればいい~一ノ瀬史十章 永遠のライバル、ザ・デスキングの言葉より抜粋~

 

 遠藤寺は俺が触れた部分をさすさすと擦っている。

 

「……異性に腕を握られたのは初めての体験だ」

 

 え~、何その聖処女メイデン発言。

 女に幻想抱いてる処女厨にはさぞ受けるわな。そうやって人気稼ぐのが遠藤寺のスタイルってわけだ。

 じゃあ俺も言ってやんよ。

 

――女の子の手握ったのとか初めてっ!

 

 ンー? 言ってみたのはいいが、これ人気出んのか? 何か自分で言ってて哀れみを感じるわけだが……。

 あ、ちなみに妹相手ならいくらでも手とか足とか考えうる握れる部位は全て握ったことあるが、まあノーカンだろ。妹相手だしな。

 

「男性の手は思っていたより、ゴツゴツしているんだね」

 

 未だ手を擦る遠藤寺に「そうかい。まあ取りあえず座れよ」と言い急かすようにテーブルを揺らした。

 遠藤寺は「……ん」とかちょっと普通の女の子っぽいトーンで言いながら、席に着いた。席に座るも、まだ俺に握られた方の手をニギニギと開いたり閉じたりしている。

 

「……ふむ、ふむ。なるほど……ほうほう」

 

「何だよさっきから、気色悪い」

 

 ホーホーってお前は梟かよ、と続けようとしたが、流石に女を鳥呼ばわりするのはどうかなって思ったんでやめといた。

 ここで遠藤寺が『……ニャン』とか言ってたら、おいてめぇは猫ちゃんかよ。かわいいにゃん!って言って差し上げるんだがな。

 遠藤寺に猫耳か……。既にゴスロリファッションでかなりキャラ稼いでるのに、その上猫耳は……いや、最近はミニスカ・ブレザー・マント・金髪・ツインテール・ロリ・鬼畜・ドS・眼鏡・貧乳・魔女という要素を纏めて詰め込んだ化物みたいなキャラがいるし、問題は無いか。

 

 俺の気色悪い発言に、遠藤寺は『ムッ』と眉をひそめた。

 

「気色悪いとは心外だね。今ボクは異性に始めて腕を握られ、若干の戸惑いと共に仄かな羞恥心を感じているのだが……それを気色悪いの一言で済まされるのは、正直寂しい」

 

 んな自己分析し過ぎな女には萌えねえーよ。

 こいつどんだけ客観的なんだよ。

 大体羞恥心感じてるなら感じてるなりで、大家さんまでとは言わないけど頬染めたり……あ、よく見たら赤い……つーか桃色?

 や、やだ何その反応……かわいいにゃん!

 

「まあ、この感覚については後ほど家に帰ってからゆっくり考察してみるとするよ。……それで、どうだい?」

 

 さて、本題だとばかりに遠藤寺は切り出した。

 

『どうだい?』

 

 あぁ? 何がだよ?

 俺こいつのこういう主語抜きで、いきなり『君は分かってるだろうけど』みたいな話の始め方、結構嫌い。

 これってさ、つまりあれだろ。

 あくまでも主観的な考え方だけどさ、会話ってのは武士同士の決闘みたいなもんじゃん。

 礼に始り、切り合う。そして敗者に礼、それで終わるわけ。

 会話もさ、主語(礼)って超重要。

 それがこいつの場合はあれだ。

 いきなり出会い頭に『パウッ』って切りかかっちゃう。そういうのって凄く冒涜的だよな。

 現在に生きる武士もののふである俺はコイツに一言言ってやりたい。

 

『お主! それではあまりにも人の道から外れていなイカ!』

 

 ってな。……あれ? おかしいな。何かイカ娘っぽくなったぞ。

 つまりイカ娘=武士?

 イカ娘は武士だったんだよ!

 いや、俺は常々思ってたよ。あの凛とした立ち振る舞い、義に対する厚 さ、人を思いやる心――イカちゃんこそが現在の武士だ!

 俺なんかせいぜいが足軽だヨ……。

 

 俺が思春期の足軽らしく被った傘の角度なんかに悩んでいると、遠藤寺は「ふむ」と首をかしげた。

 

「どうやら、主語もなしにいきなり本題入ったことが気に障ったのかい? だったら謝るよ」

 

 え、何で俺が考えてること分かんの? ニュータイプ? 見聞色? ダービー?

 

「でもボクの言い分も聞いて欲しい。確かに君の思う通り、会話における一連の流れは重要だ。でもこうは思わないかい? 大学生活というのはそれこそ湧き出る泉の様に時間が有り余っている。でもいくら有り余っていても大学生活にもモラトリアム、時間は有限なんだ。時間の泉はいつか枯れる。ボクはできるだけ君との会話を長く楽しみたい、この大学生活の内にね。だからこそ、できるだけ言葉を省きつつ、たくさん話がしたい。これはまぁ……一種の乙女心とも取れるかな」

 

「お、おう……」

 

 やっべ、何言ってんのか分からんね。

 え、モラトリアム? 神器か何かの名前? 二階級神器《モラトリアム》とか?

 カッコいいじゃねえか……。

 

 えっと、要するに『もっといっぱい色んな話がしたいから、つい言葉が足りなくなっちゃうの、ごめんにゃん』(cv水橋)ってことか?

 ああ、そういうことね。

 

「おーけー分かった。よしお前の言い分は分かった。じゃあズバっと本題に入ろう」

 

「あまり伝わった気がしない様な……まあいいか。ん、じゃあ改めて本題に入らせてもらおう。……どうだい?」

 

「何が?」

 

「え、いやだから……え?」

 

 遠藤寺が『え? コイツマジで?』みたいな目で見てきた。

 

「その……君がボクをここまで引っ張ってきたのも、その話をする為なんじゃなかったのかい?」

 

 別にあのまま教室の前にいたんじゃ、周りの視線がウザかったからだ し、ここに来たのは他に行く所が無いからだけど。

 そういう旨を伝えた。

 

「うーん、昨日君の話を聞いて、夜中まで色々考えていたのが馬鹿みたいだ」

 

「考えていた? 何を?」

 

「……君の部屋に出たっていうナニカの話だよ」

 

「ああ、それか!」

 

 ああ、そうだったそうだった。

 そう言えば今日はコイツにそのことを話そうと思ってたんだっけ。

 何か結局部屋の幽霊も拍子抜けするほど怖くなかったし、すっかり忘れてたわ。

 

「ああ、そうそう。その話をしようと思ってたんだ」

 

「……本当かい? 忘れてたんじゃないのかい?」

 

 ただでさえ鋭い目を更に細めて視線を向けてくる遠藤寺。

 視線が物理的作用しそうだ。

 具体的に言うと俺の体に穴が開く。

 

 俺が「マジでマジで」と頭の足りない高校生の様に連呼していると、遠藤寺は「はぁ」とため息をついた。

 

「分かった。それで、結局どうだったんだい? 何か見えたのかい?」

 

「ああ、見えた見えた」

 

 俺は昨日自分の部屋で見たものについて語った(全裸云々は抜きで)

 

 遠藤寺は少し驚いたように目を見開いた。

 

「……本当に幽霊が? どれ、ちょっとこの紙に書かれた模様を見て、それが何に見えるか答えてくれないか?」

 

「いや、俺正常だから。それ綺麗なチョウチョに見えるから」

 

 唐突にロールシャッハテストを繰り出してくる遠藤寺は、一回マジで自分で受けた方がいいと思う。ちなみにロールシャッハテストは対象が正常か異常であるかを判別するテストみたいなもので、見せた模様が何に見えるかでまともかそうでないかを判別するのだ。ここだけの話、チョウチョに見えたのは嘘で、スク水幼女がプールから上がって座った後の地面に残ったお尻の形に見えたが……みんなには内緒だよ?

 

 遠藤寺は興味深そうに、頷いた。

 

「いや、何と言うか……幽霊か。本当に存在していたとは。その眼鏡もてっきりただの伊達眼鏡とばっかり思っていたけど……いや、世の中まだまだボクの知らないことは多いね」

 

「何だと」

 

 すっかり俺の一部分になった眼鏡様に大して何たる言い様。

 お前マジで眼鏡様ディスってっと、眼鏡の縁の部分がゴキ○リでできてる特注眼鏡がサンタさんから漏れなくプレゼントしちゃうぞ?

 形状記憶ゴ○ブリ。あれ、もしかして俺とんでもない存在生み出しちゃった?

 世界大丈夫?

 

「さて、本当に幽霊が出て、君の頭もしっかりしている……はず」

 

「いや、しっかりしっかりしてるから」

 

「と、なると幾つかのプランを破棄。残るは3つほどか。精神に異常をきたしている方向の方がやりやすかったんだけど……」

 

 頭がパーの方がいいとか、どんな友人だ。

 俺なんでこんな友達しかいねーの?

 ギャルゲに出てくる女の子の好感度教えてくれる都合のいい親友みたいなのいねーの?

 あ、でも最近は妹とかが教えてくれたりするんだよな。

 ウチの妹、教えてくれるかなぁ……無理だよなぁ。

『兄さんを好きな人の好感度? ゲームの中の女の子ですか? それともアニメの? え、現実の? ……まだ現実に未練があったんですか? てっきり既に見限ったものかと』

 俺だって自分の子供とキャッチボールがしたいんだい!

 

「3つあるプランの内、選ぶのは君だ。さて、まず一つ目だが……」

 

「だから何の話だよ?」

 

「何のって……君が置かれている状況を改善するプランだよ」

 

 え、それを夜遅くまで考えてたのか……?

 何この子、めっちゃいい子やん……。

 こ、今度こそ俺に気があったり……あ、でもただの勘違いだったら……。

 

「どうしてそこまでしてくれるんだ……?」

 

「どうしてって……君のことが好きだからだよ」

 

 ルート確定!

 大家さんなんていらんかったんや! 遠藤寺最高や!

 

 はぁ、改めて見ると遠藤寺めっちゃ可愛ぇ。

 (多分)服の下にある若干ムチっとした体とかマジ天使。

 そして一ヶ月共にいながら全く手を出す気配の無かった俺、マジ我慢強い。

 つまり……俺が……最高ってことなのか? 俺ルートも探しておくか……。確実に平行世界とか絡んでくるルートになるな。

 

 遠藤寺はいつも如く、皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「君はいつもボクの元へ興味深い事象を運んできてくれる……最高の相棒さ。ちなみに言っておくと、今まで異性として君を意識したことはないよ」

 

 トドメまできっちり刺していきやがった!

 今までって一度もかよ……うわ、結構凹むな、これ。

 え、ってことはなに? コイツもしかして百合畑の人?

 あー、つまりPY(プロジェクトユルユリ)始動ってこと?

 ンモー、こうなることが分かってたら、妹に化粧の方法とか習っとくんだった!

 一度でいいから『これが……僕?(鏡見ながら)』とか言ってみたーい。

 

「まあ、異性を意識した経験すらまだ無いんだけどね。だけど君の手を握られて生まれたこの感情……」

 

「え?」

 

「いや、なんでもないさ。さて、三つのプランだけど……一つ目は、ボクのツテで霊媒師、退魔師を呼び、その幽霊を退治する」

 

「退魔師か……」

 

 アリだな、特に美少女退魔師だとなおよし。

 今まで魔を狩ることしか知らなかった少女、俺と接する中で情緒を育み、最終的に『お前と会って、色んなことが知れた……楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと……恋も』みたいな展開がベネ!

 PC版ではその後に『房中術の訓練の……相手になって欲しい』って展開になるよ! みんなソフマップにダッシュだ!

 

 遠藤寺が指を2本立てて言う。

 

「二つ目はその眼鏡を破棄する。前の生活に戻り、何もいない、気のせいだったと日々を過ごす」

 

「今更無理だろ……」

 

「大丈夫さ、つい3日前まで『ナニカ』がいることにさえ気付かなかった鈍感な君なら、ね」

 

 うぅ……どうせ鈍感って言われるならツンデレヒロインが珍しくデレて『おい、急に顔を赤くしてどうしたんだ?』『う、うっさいバカ! ……もう、鈍感なんだから……』みたいな方向でお願いしたかったよ……。 

 

 

「そして最後。最後は……まぁ、そのアパートから引っ越す。幽霊から物理的に距離を置く。正直これが一番お勧めだね」

 

「なるほど。確かに一番いいかもしれない。だが大きな問題が一つある」

 

「それは?」

 

「マネーだよ! 今の俺の戦闘力マネーパワーじゃ、あのアパート以外に住める場所なんてねーんだよ。俺のマネー力(ちから)舐めんなよ?

「そうか……」

 

 うむむ、と唸る遠藤寺。

 さあ、どうする?

 俺のマネーで住める様な物件を紹介してくれんのか?

 ま、無理だろうけどな。

 

 俺の挑戦的な視線に、遠藤寺は何故か視線を若干逸しながら言った。

 

「あー……ボクのマンションは広いんだ。使ってない部屋もいくつかある。その、もし君が嫌じゃないなら……」

 

「あァ? 何それ、お家自慢? ていうか俺、別に広い部屋とかいらねーし。人間六畳ありゃ、充分なんだよ。それをお前らみたいな金持ちはとにかく広さを求める……掃除する人の気持ちとか考えたことあるか? まあ、お前ん家にはメイドとかいてやってくれんだろうけど」

 

「いや、君、それ……」

 

「何だよ?」

 

「……何でもないよ」

 

 おっ、珍しく遠藤寺を論破してやったぞ。

 え? ブーメラン? 何のこっちゃ。

 

「で、部屋が何だよ。マンションが広いから何だってんだよ」

 

「いや、何でもない。……よく考えるとかなり早計だった。うん、一ヶ月やそこらの関係で家に引き込むなんて、流石に親友でもどうか……うん、早計だった」

 

「何か言ったか?」

 

「いやいや何でも」

 

 ハハハと笑いつつ手を振る遠藤寺。

 

「で、どれにする?」

 

 遠藤寺は指を二本立てた。

 一つ目か二つ目、どちらにするかってことだろう。

 俺の答えは決まっていた。

 

「どれも選ばない。四つ目の選択肢だ」

 

「四つ目? ふむ、四つ目か。へぇ、面白いね。なるほど……聞かせて貰ってもいいかい?」

 

「ああ、いいぜ」

 

 俺は四つ目の選択肢を遠藤寺に告げた。

 遠藤寺はそれを聞いて目を丸くした。

 

「君、それ正気かい? やっぱり一度病院に……」

 

 だからプリズン病院はイヤだっつーの!

 何で皆して病院に入れたがるんだか!

 

「正気も正気だ。つかこれ以外選択肢ねーし、色々考えてきてくれたお前には悪いけどな」

 

「……おや、珍しい。ボクにそんな言葉をかけるなんて。何だか今日の君は優しいね。普段なら『色々考えてくれたテメェには悪いけど……完全に無駄足だから!』なんて言葉でボクの乙女心を削るのにね」

 

「俺そこまでクズじゃねーよ」

 

 冗談だよフフフと笑う遠藤寺。

 どうでもいいけど、遠藤寺の笑顔って結構怖い。

 口元は笑ってるんだけど、目元は普段通りジトっとした睨みつけてるような眼だから、なんか相手を殺す前に拷問にかけるのが趣味なヒットマンみてぇ。

 

 俺が選んだ四つ目の選択肢を遠藤寺は拍子抜けするほどあっさり受け入れた。

 

「まあ君がそうしたいなら、それでいいさ。それで困ったらいつも通り、ボクに相談すればいい」

 

 コイツのこういう淡白なところは好きだ。

 必要以上に踏み込んでこない。俺も同じくアイツには必要以上に踏み込まない。

 

 心地よい関係ではあるが、たまに少し寂しく思う。

 本音を言えば、俺はもっと遠藤寺のことを知りたい。

 家族のこと、中学高校の学生生活のこと。

 恐らく遠藤寺は聞けば、答えてくれるのだろう。

 

 ただ、問題は俺の方なのだ。

 この大学で出来た初めてのそしてただ一人の友人。

 未だ遠藤寺のパーソナルスペースが分からない。

 近づきすぎて、悪い感情をもたれたら、面倒くさいと思われたら。

 そんなことばかり考えてしまう。

 多分こういう距離の測り方は中学や高校生の時に友人との関わりの中で自然と覚えるのだろう。

 俺にはその経験が圧倒的に欠けていた。

 

 欠けていたそれを大学で学びたくて、俺は迷走している。

 タイムリミットはいずれ訪れる。遠藤寺の言うとおり、大学生活も無限ではない。

 まだ大学生活が始まり一ヶ月とはいえ、人との接し方の糸口さえ見えない現状に、焦りを覚える。

 大学生にもなってこんな事を思うのは些か幼稚だとは思う、それでも俺は少なくても一緒にいて楽しいと思える友人達と過ごせる居場所が欲しいのだ。

 遠藤寺はその第一歩だった。

 

 幽霊の話は取りあえず保留し、俺と遠藤寺は取り留めのない会話を交わした。

 遠藤寺は俺が振るどんな話題にも興味を示し、話を広げてくるので、何気ない会話が全く苦にならない。

 

 講義に向かうと席を立つ遠藤寺を、俺は呼び止めた。

 最後に一つ、どうしても言いたいことがあったのだ。

 これだけは言っておかなければならない。

 じゃないと後悔してしまう。

 後悔だらけの人生を歩んできた俺からすれば、大した進歩だと思う。

 

 俺は言いたかったことを遠藤寺に向かって言った。

 

「退魔士の子のアドレス教えてくれ!」

 

 と。

 遠藤寺は俺の質問に答えることなく手を振り、去っていった。

 畜生デース……。

 



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ジャスコまでワープ5回(ワープ1回につき、23万円)

 大学で遠藤寺と駄弁り、その日の残りの講義は出なくていいタイプの講義(テストの点さえ良ければ、出席しなくてもいい)だったので、早々に帰宅することにした。

 大学の門から駅まで真っ直ぐ伸びる下り坂の途中で脇道に入り、そのまま進むとそこそこ広い商店街だ。商店街のアーケードを抜けると住宅街がある。

 そのまま住宅街を3分ほど歩けば、俺が住んでいるアパート『一二三荘』がポツンと建っている。

 

 しかし大家さんには悪いが、相変わらずセンスの欠片もない名前だ。

 こんな名前じゃ通りがかった時「おっ、いい名前だ。ちょっと住んでくか」みたいなノリの住民は来ないだろう。

 

 俺みたいなヤングセンシスト(センス溢れる若者)が名づけるとしたら――『僕らはみんな楽し荘』これだな。

 なんかこう『俺らめっちゃ楽しいんすよwww』って感じの仲のいいサークルみたいな雰囲気、伝わってくるだろう?

 

 お、いいじゃんこれ。ちょっと大家さんに改名を勧めてみるか? あ、いや別に改名してから住民が増えたって金取ろうなんて思わないよ。ただ名前の由来を聞かれたとき『かつてこのアパートには才能溢るる若者が一人住んでおった……彼はあらゆるこの世の不義と戦い、常にこの世界の行く末を憂いておった。そんな彼が圧政を敷く君主に対し、その牙を食らいつかせるのは当然のことじゃったじゃろう……』みたいに始まる壮大なサーガで俺のことを語ってほしい。

 

 アパートの敷地内に入る。

 当然だが、朝方にアパートの前で集まって駄弁っていたマダム達は既にいなくなっていた。マダムもああ見えて忙しい。帰ってくる子供や亭主の為に夕食を作らないといけないからな。

 

 敷地内に入るとそこそこ大きな庭がある。

 この庭には大家さんの家庭菜園やら、製作者不明のブランコ、何が棲んでいるか不明な池が存在している。

 アパートの建物はぼろいが、俺はどことなく懐かしさを感じられるので好きだ。田舎のお婆ちゃん家のような安心感がある。

 

 そんな愛すべきアパートの庭に大家さんがいた。

 俺に背を向け、箒を懸命に動かしてる。この人は俺が見るとき、いつも箒で庭を掃いているんだけど、他に仕事とかしてるのだろうか。

 いや、そもそも大家さんの仕事ってなに?

 俺が昔プレイしたゲームじゃ、大家さんはアパートの住民を守る守護者的な存在だったわけだが。え、何のゲームかって? エロゲだよ。言わせんな恥ずかしい。

 

 大家さんは機嫌よく、鼻歌なんかを歌いながら箒をサクサク動かしていた。

 

「さっさっさー、お掃除お掃除楽しいですー。お掃除お掃除――えーい! やぁー! ――ふふふ、油断しましたね? ただ掃除をしていた、そう思い油断した貴方の負けです。これぞお掃除戦闘術――クリーンアーツ! ……あ、やっぱりクリーニングコマンド、の方がよかったでしょうか、うむむ」

 

 個人的には掃除殺法~箒ノ一~とかがいいと思いますねぇ。

 それにしてもか~わ~い~い。誰にも見られてないと思って自分の世界に入ってる大家さん、いやここは敢えておーやしゃん(こずぴぃっぽく。誰? ああ、俺の嫁)と呼ぼうか。

 箒を構え片足でピョコンと立っているポーズがクソ可愛い。

 

 あ、もしかして俺が部屋で電灯の紐相手にボクシングとかしてたのも、傍から見ればあんな感じだったのかな?

 あれ? でもその現場を妹に見られた時の妹の顔「……こういう人とは絶対結婚したくない」みたいな軽蔑顔だったんですけど……。

 俺と大家さん同じことをやっているのに、一体どこで差が付いたのか……。

 

 俺は複数に分割した思考の内の一つにその考察を任せ、そろそろと大家さんの背後から近づいた。

 このまま大家さんの二次性徴を迎えてないだろう小さな胸を鷲掴み『お~れだ』と囁く。大家さんは振り返って『やんっ、部屋まで待てないんですかっ?』って言うけど待てるわけねーだろうが! もう我慢できなぁい!(ゴリラっぽく) そんなイチャイチャができる仲になりたいんですけど、どうすればいいのか。ひたすらカブを貢いで好感度を上げるしかないのか。

 

 今の好感度で胸なんか鷲掴みしたら、恐らく速攻でポリンスメンが来ちゃうだろう。

 今の好感度できるコミニュケーションを実行することにした。 

俺は大家さんの頭頂部が見える辺り、ほぼ真後ろに立った。大家さんのオカッパ頭を迂回するように、手をするすると伸ばす。

 

「だ~れ――」

 

「奥義からの連携技! ニノ太刀! ぶおんっ!」

 

 大家さんが箒を掃く動きからそのまま、勢いよく箒をスイングした。

 箒の先の部分が俺の顔面目掛けて鋭い風切音と共に接近してくる。

 なかなか速い……が、それだけだ。動きが直線的過ぎる。俺ほどの猛者(プロ)相手だと、有効的とはいえない。

 欲を言えばそのこの一閃の他に全く同時に死角から襲い掛かってくる二閃、三閃が欲しいところだ(この複数の三閃は全く同時に存在するとする)

 俺は大家さんの放った箒が顔面に当たる寸前、地面を一息で9回ほど蹴った。

 瞬間的に圧縮されたエネルギーをコントロールし、後ろへ下がる。

 周りから見れば突然、俺が大家の3メートルほど後ろに現れた様に見えるだろう。しかし未だ大家さんの背後には俺がいる。

 同時に二人の俺が存在している。当然片方は残像だ。

 

「フッ、残像だぶっ!」

 

 馬鹿な……当たった、だと?

 俺は後ろへ回避したはず……なっ、後ろにいる俺が……消えた。

 残像はあっちだったのか。

 もう分かってると思うけど、今までの一連の流れ、全部俺の妄想なんで。実際は大家さんの後ろに立ってたらバチコンと箒で叩かれたわけで。

 

「ふふふ、またつまらぬモノを切って……切った? はて?」

 

 俺のSMAAAASH!!した大家さんは、箒の柄を地面に突き立て決めポーズをとろうとしたところで何かの手応えがあったことに疑問を覚え、首を傾げながらくるりとこちらに回転した。

 ズザザと箒の柄がコンパスでしたかの様な半円を描く。半円が完成する直前、大家さんと俺の目が合った。

 目と目が合った瞬間、大家さんはニコリと笑みを浮かべ口を『お』の形に開いた。

 

『お』兄ちゃん? あー、すいません。もう妹枠は埋まっちまってるんですわ。

 大家さんさえ良ければ、ロリ姉っつー個人的に優遇したい枠が残ってるんすけど。

 

続いて大家さんはクパリと口を開け『か』の形にした。

 

『おか』?

 

 いやー、確かに俺ってサッカーの監督としての才能はあるけどさ(プロサッカーチームを作ろうで証明されている)

 だからって岡ちゃんはねぇ……。眼鏡かけてねーし。

 

「おかえり――」

 

 オカエリ?

 誰それ? もしかして俺の守護霊の名前? ミカエル的な?

 え、俺に守護霊とか、いたんだ……。

 は、恥ずかしい……だってずっと見られてたってことでしょ?

 あんなこともそんなことも……もう恥ずかしくって今すぐ人界から去りたい!

 あ、でもよくよく考えるとウチの幽霊も俺のアレ(アブノーマルプレイの略)やソレ(ソロアブノーマルプレイの略)を散々見てるわけか……だったら今更か。

 

「お帰りなさいっ、一ノ瀬さ――ってきゃあああっ!?」

 

 満面の笑みから反転、大家さんの視線は自分の持つ箒と俺の顔面に残った殴打跡を一瞬の内に三回ほど往復し――布を割くような悲鳴をあげた。

 ンモー、悲鳴はやめてってばぁ。

 ほら、まだマダムが家から出て来ちゃったじゃーん。

 まるで壁に耳あり障子にマダムだよぉ(などと意味不明な供述をしており)

 

「そ、その顔……!」

 

 顔のことは言うなよ!

 俺だって好きでキアヌ・リーブス似かつそれ以上の容姿で生まれてきたわけじゃないやい!

 あーあ、毎朝鏡を見るのが憂☆鬱!

 

「ご、ごめんなさいっ、誰もいないと思って……あわわっ」

 

 えらいこっちゃと、箒を持っていない方の手で口を覆う大家さん。

 俺は架空の奥義でちょっと気になってる男の子をぶちのめした大家さんの心情トラウマをくみ取り、ヒラヒラと顔の前で手を振った。

 

「あ、全然大丈夫じゃないですから。(ショック死するほどには)痛くないです。というか当たる寸前に身体を背後にずらした(と思い込んでます)んで、実質的にはダメージゼロ(だったらいいのになぁと)です」

 

 俺はバトル漫画でよくある『無傷、だと? そうかっ、当たる瞬間に後方に飛んでダメージを軽減したんだ』を参考にして、大家さんのフォローすることにした。

 

「で、でも顔が赤くなってますよ!?」

 

「はい赤いですけど? 青いよりはいいですよね?」

 

「え……あ、はい。青かったら大変ですね」

 

 俺はトークアウェイ(論理のすり替え)を行なった。

 今起こっていることよりも重い事案をあげることで「今のコレって別に大したことなくね」と誤解させる手法である。

 

「で、でもでも……」

 

「大家さん、ただいま帰りました」

 

「あ、はいっ。お帰りなさいっ」

 

 にぱっと笑いペコリと頭を下げる大家さん。

 ははは、コイツちょろいわ。もう俺のことぶん殴ったの忘れてやがる。

 これでいつか『はいこれ(プレゼント』『え、これ……こんな高そうな物、貰えません!』『ばーか。今日は俺と大家さんが付き合い始めて一年だろ?』『……あっ、嘘、私……ど、どうしましょう! い、今すぐ買い物に……!』『いいんですよ』『でも!』『分かりました。じゃあプレゼントの代わりに……その指輪俺に付けさせて下さい』『え……はい。あっ、そ、そこって……』『……そういうことです』『こ、こちらこそ……そ、その末永く、宜しくお願いします』的な展開が有効だな。

 エンディングが見えた!

 ただその時の俺は高そうな指輪を買えるほどの財力を有しているのか……いざとなったら妹銀行に融資を頼むか……。

 

 母親銀行に融資を頼もうとかほざく分割思考の一つを鈍器で殺害し、「じゃ、大家さん。俺部屋に帰りますんで」と大家さんの横を通り、部屋へと足を向けた。が、不思議なことに足が止まる。体が動かない。

 はて、誰か時間系の能力でも使ったか……?

 

「あの、大家さん。ちょっと腕離してもらえませんか?」

 

「だーめです」

 

 今日の朝は遠藤寺の腕を掴み、昼には大家さんに掴まれる、まるでサンドイッチみたいなライフ(そうか?)

 大家さんは笑顔のまま、俺の右腕を掴み離さない。

 

 な、何なんだ一体……まさか掃除戦闘術の奥義を見せた相手を生かして逃がすわけにはいけないとかそういう……?  弟子になるから命だけは!

 ただ弟子の仕事ってのは夜のお世話も入るんですかねぇ……入るんだったら、俺、結構凄いよ? ベッドの中限定で、主従逆転……しちゃうかも?(この妄想は一ノ瀬妄想集~ベストバウト編~に収録予定! みんな脳内本屋さんへゴー!)

 

 土下座も辞さない覚悟の俺だったが、俺の覚悟むなしく大家さんはその無慈悲な鉄槌(コトバ)を俺に叩きつけた。

 

「一緒に私の部屋に来てください。ちゃんと手当しないと傷が残っちゃいますよ」

 

 どうやら大家さんはあまりチョロくなかったようだ。

 俺はずるずると大家さんの部屋に引きずられていった。

 初めて入った大家さんの部屋は、向日葵の様な匂いがした。

 

 

※※※

 

 

 大家さんの部屋から開放され、頬に湿布を貼った俺は自分の部屋へと向かった。

 ふと大学のことを思う。

 大家さんと話していた時の『楽しい気持ち』がみるみる消失した。

 大学生活は楽しくない。もっと楽しくなかった中学・高校生活よりはマシだといえ、また別種のつまらなさを感じる。

 授業を受けている時、キャンパス内を一人で歩いている時、一人で食事をしている時、それを感じる。

 自分の居場所がない。

 どこに居ても、まるで他人の家にいる様な不安定な心地。

 どうやったら楽しいキャンパスライフを過ごすことができるのか。

 一ヶ月経った今でも、分からない。

 これがあと4年も続く、それを考えると、反吐が出る様な気分だった。

 

 あー、駄目だわ。

 もっと楽しいこと考えないと。

 楽しいこと、楽しいこと……そうだ。

 楽しいことはすぐ傍に転がってたんだよ!(灯台下暮らしイズム)

 今、俺の部屋には――全裸の美少女がいるんだ!

 

 家に帰ったらほぼ全裸のメイドさん(申し訳程度のメイド要素→カチューシャ、ガーターベルト)が出迎えてくれる、そういうシチュが俺の妄想集にある(一ノ瀬辰巳ピンクイメージ~12巻~)

 限りなくそれに近い現実がすぐ近くにある。全裸美少女が家にいる日常、それってすっごい理想郷やん。

 この世にわずかに残った理想郷それがすぐ傍に!(他の理想郷? そうだなぁ……すぐ隣の可愛い幼馴染が住んでて「何で最近俺の部屋来ないんだよ?」「……だってあんたの部屋の匂い嗅いでたら胸がドキドキして……な、なんでもないっ」「なんでもない、ねえ。この映像、なんだと思う?」「……っ! これ、あんたの部屋の……」「そう。俺の部屋でお前が、俺の体操服顔に押し付けてヌハハハハ! 我が覇道成就せり!」「流石でございます魔王様!」「美しい少女(12~14才限定)以外の全ての人間を滅ぼしたぞ! ヌハハ! 我のハーレム完成せり!」……ん? 何か途中で妄想が混じったぞ?

 

 いいや、今は全裸美少女だ。

 

 陰鬱な心が一瞬の内に満開の桜模様になった。

 やれやれ、美少女の裸一つでそうも変わるとは、現金な心だぜ……でもそういうの嫌いじゃない、ぜ。

 

 俺は期待感に胸を膨らませ、自分の部屋の扉を開いた。

 そのままタックルする勢いで短い廊下を駆け抜け、六畳間に続く襖を開く。

 

「あっ、お帰りなさい、辰巳君」

 

 美少女が迎えてくれた。

 ただ俺の求める美少女とは違った。

 具体的にいうと衣服を着用していたのだ。どっかの学校指定のジャージであった。

 

「……」

 

「あ、えっとその……学校はどうだった? お腹空いた?」

 

 俺のメンタル大暴落。

 そのまま闇墜ちして魔人化し、三千世界の全てを掌握する『魔王・辰巳~美少女以外全滅セヨ~』ルートに突入しかけたが、グゥという自らの腹部から鳴る音で延期することにした。

 良かったな世界。

 

 俺の腹の音を聞いた幽霊少女は、にへらと笑みを浮べた。

 

「すぐにご飯作るね!」

 

 と腕まくりしながら言うのだった。

 

 廊下に備え付けてあるガスコンロに駆けてく少女を見ながら、六畳間のテーブルの前に座る。

 ぼーっとしながら、料理を作る少女を見ていると視線に気付いたのか「見ないでよー」と六畳間と廊下を隔てる襖を閉められた。

 

 あ、今の同棲してる恋人っぽいな、と思った。

 

「……い、今の何かすっごい同棲してる恋人っぽかったかも。……にへへ」

 

 襖の向こうからそんな声が聞こえた。

 

 

※※※

 

 

 ほどなくして少女が料理をテーブルに並べ(八宝菜と餃子)「どうぞ!」と笑顔で言う少女に軽く頭を下げ、食べ始める。

 おいしかった。

 ただ俺の言う『おいしい』は妹曰く「兄さんは何を食べてもおいしいと言うので、正直張り合いがありません。もっと語彙を増やして出直して下さい」とのことなので、こう言おうか。

 すっげぇおいしい。

 食べてる間、少女はテーブルの上に両肘をつき、その上に顔を乗せ、にやにやしながらこちらを見ていた。

 

「ごちそうさまでした」

 

「お粗末様でした!」

 

 少女が皿を下げる、手馴れた動きだった。

 彼女はそうやって、今まで俺の皿を下げていてくれたのだろう。

 今まで突然皿が消失していたのに不信感を抱いてなかった俺って、相当ヤバくなーい? 

 

 少女は再び襖の向こうに消え、襖の向こうからは皿同士がこすれる音と流水の音が聞こえた。

 数分して、少女は手を拭きながら現れた。

 

「……ふぅ」

 

 何か掛け替えのない物を見るような目で、部屋をくるりと見渡す。

 くるりくるり、と瞬きもせずに、ゆっくりと。

 そのままその視線は俺に。ジッと少女は俺を見つめ続けた。

 まるで網膜に焼き付けるかのように。

 心の中の宝箱に仕舞いこむように。

 

 そして少女は何かを振り切るかのように、一度大きく頷いた。

 

「……うん、じゃあわたし行くね」

 

 少女は小さな鞄を手に、そう言った。

 はて? 行く? 

 人はどこから来てどこに行くのか、常に考えている俺だが、未だ答えは分からぬ。

 ただこれだけは分かる、最後に行き着くのは母なる海だってこと。俺を導いてくれ! イカちゃん!

 

「行くって……え、なに?」

 

「だってわたしのことバレちゃったから。もうここには居られないよ」

 

 少女は「えへへ」と笑った。

 俺は知った。

 笑顔は楽しいときだけじゃなく、寂しいときにも使えるんだって。

 

「ほんとはね、ずっとここに居たかった。ここで辰巳君のお世話をしたかった。ずっとずっと……辰巳君がいつか出て行くまで」

 

「……」

 

「楽しかったよ辰巳君。人生でいっちばん楽しい一ヶ月だった。幸せで幸せで……死んじゃいそうになるくらい。……最後にこうやって辰巳君と話せて良かった。辰巳君、元気でね。風邪とかひかないでね。何日分かのご飯は冷蔵庫に入れてるから。それがなくなったら……あの、大家さんって人に助けてもらって。それからそれから……ぐすっ。……じゃっ、ばいばい」

 

 言葉の途中で涙を浮かべ、それを見られまいと俺に背を向けた。

 そのまま部屋の外に向かってゆっくりと歩き出した。

 一歩一歩。

 踏みしめるように。

 少女の一歩はただの一歩じゃなく、色んなものを振り切るかの様な重い一歩だった。

 背中に見える哀愁は少女の秘めた感情を具体化していた。

 

 少女は最後の一歩を踏み出す前に、くるりと振り返った。

 

「さよなら……好きだった人。幸せになってね」

 

 そして再び背を向け、歩き出す――

 

「いやいやいや、意味分からんから」

 

 外へ出ようとする少女の脚を、座ったままの俺の手が掴む。六畳間って結構狭いので、十分に手が届いた。

 少女は「ふぎゃっ」とか尻尾を踏まれた猫の様な悲鳴をあげ、顔から畳に突っ伏した。

 ガバっと腕立て伏せの要領で身体を起こし、こちらに向き直る。

 少女の鼻は赤く畳の跡がついており、目の端には小粒な涙が溜まっていた。

 少女はがおーっと吠えるかの様に口を開く。

 

「な、なにするのっ?」

 

「いや、何すんのよっつーか……何自分の世界入っちゃってる系なわけ?」

 

 最近流行りの世界系ってやつか……?

 俺自分の世界入んのは好きだけど、他人が自分の世界に入り込んでるの見るのって嫌いなんだよね。

 

「え、出て行く? それがまず分からん。凄い急展開だな」

 

 まるで俺が中学の時に書いてたラブコメ小説みたい(ある日空から女の子が落ちてきた! 彼女は自分が宇宙人でお婿さんを探しに来たって言うんだ! え? ボ、ボクがお婿さん!? → ハァ、あれから3年。昔は良かったなぁ、水だっていくらでも手に入った。コンビニに行けばいくらでも食べる物が手に入った。今じゃランキングの上位に入らないと肉も食えない……嘆いてばかりもいられない、か。さて、87位をぶっ殺して、オレが次の87位になってやるさ。ん、87位は女か。……コイツ、どこかで……見たような……気のせいか)

 瓶に入れて海に流したあの原稿用紙400枚にも及ぶ壮大なサーガは、今頃どこの国に流れ着いたのかな?

 

 俺がとある原住民の手に渡り神から託されたこの世界の成り立ちを記す本として祀られているだろう小説に思いを馳せていると、少女は震える声で言った。

 

「だ、だから……! わたしがいるの、辰巳君にバレちゃったから出て行くの!」

 

「何で俺にバレると出て行くわけ? なに君ツル?」

 

 絶対襖を開けないで下さいね? 絶対ですよ? 絶対ですからね!?な童話の話である。

 あの昔話で俺が感じたのは、何でツルが出て行くって言ったときに押し倒して自分のモノにしなかったってこと。

 そこは鬼畜っぽく「どこ行くんだよ? お前はオレの大切な金鶴なんだ……逃がさねえよ。お前は大切な……金鶴なんだよ」ってジュウジュウカンカンしとくべき、そう小学生ながら思った。

 

「つ、鶴じゃないけど……わたし幽霊だもん」

 

 だもん、の言い方がすっごい子供っぽーい。

 でも『あなたにしか……見せないんだもん(28歳・処女)』って書くと、すっげえエロティック。

 これ文字の魔力ね。

 

「うん、幽霊だろ。で、何で出て行くわけ? 幽霊って正体バレたら出て行く掟とかあんの?」

 

 だったらしょうがない。

 掟ならしょうがない。

『掟だから、掟だから夫じゃない男に体を許しても……いいんだもんっ』(やっぱりエロイね)

 

 少女の涙に塗れた目は、何かありえないモノを見る様な目で、俺を見ている。

 

「だ、だって……わたし幽霊だよ? 幽霊なんだよ? し、死んでる……んだよ? こ、怖いでしょっ」

 

 いや、死んでるって言っても、見た目普通の美少女ジャン?

どっか臓物はみ出てたり、骨がはみ出てたりしてたら確かに怖いけどさ(新ジャンル・ハミデレ)

 足もしっかりあるし、普通に触れるし。

 あれ? もしかしてこの女の子、自分が幽霊とか勘違いしちゃってるだけの普通の女の子なんじゃね?

 あー、あるよね。そういう自分は特別な存在だっていう妄想。

 かくいう俺も、中学生の時、自分がこの世界と似て非なる世界『アルハザット』で魔王を守護する四神将の一人、深闇のリクルスって名前の銀髪イケメン(実は魔王よりも実力があるが、面倒くさいので隠している)って妄想してた。

 いや……あれは妄想だったのか?

 よくよく考えてみると、妄想にしては……妙にリアルな設定だった。

 最後の戦いで深手を負って別世界の赤ん坊に転生して……もしやあれって妄想じゃなくて転生前の記憶なんじゃ……?

 そ、そうかっ。どおりで妙にリアルな夢も見ると思った! 俺ってリクルスだったんだ! ……そうだ。高校時代に隣に座っていたあの女の子、俺を見た時「リ、リクルス……」って吃驚した表情で言ってたっけ……。

まさかあの子も転生してたのか……?

 ええい、こうしちゃおれん! 今すぐあの子に会いに行こう!

 確かこの辺に住んでたはず……あっ! あの子が黒い影に襲われてる! ああっ! お、俺の右手から剣が!? な、名前……? そうか、この剣の名前は――『リ・ワールド(創世の剣。所有者の思念を読み取り、所有者の望む未来を引き寄せる)』 ←ここまで妄想(new

 

「ほ、ほらっ、わたし浮くんだよ? 壁だって通り抜けれるんだよっ?」

 

 少女はふわりと浮いたり、畳に潜ったりした。

 あ、やっぱ幽霊か。

 俺だってクラスで浮くことはできるけど、畳には潜れないな……(ただ数分前まで女の子が寝ていた布団ってミステリースポットには是非ともいつか潜りたい)

 

 怖いでしょ怖いでしょっ?と半ばムキになって連呼してくる少女に、俺は肩をすくめた。

 まるで、子供だ。駄々をこねる子供。

 そんな子供に生活を支えて貰っていた男ってだーれだ? はい俺。

 

「怖くないな、全然。まだ将来に対する漠然とした不安感の方が怖い」

 

 しかもあれ、夜中に急に襲い掛かってくるの。……あれ? 何か幽霊っぽいな。

 幽霊と将来に対する不安の相似性を述べよ。

 どっちも地に足がつかない(あ、これマジで上手くね?)

 

「ほ、本当に……怖くないの?」

 

「だから怖くないって」

 

「ほんとのほんとに?」

 

「本当だって」

 

 ん? もしかしてあれか。

 俺が怖がるから出て行くって言ってるのか。

 

「じゃ、じゃあわたし……もしかして出て行かなくても、いいの?」

 

「つーか出て行かれたら困る。俺お前がいないと(食事・洗濯・掃除・その他etcが)駄目なんだ」

 

「はぅっ」

 

 少女は宙に浮いたまま胸を押さえた。

 ボッとジャージから露出した首から上の肌が赤く染め上がった。

 おや、どこかで何かのポイントが上昇する音が聞こえた気がするぞ?

 

「そ、そうなの……? わたしが出て行ったら、辰巳君……困るの?」

 

「ああそうだ。(俺が家事をしなくなった)責任、とってくれよ」

 

「ふぁゃあっ!?」

 

 少女は上の様な奇声をあげ、部屋の隅に吹っ飛んだ。

 胸を押さえながらぜーぜーと荒い息を吐いている。

 俺の言葉、もしかして破邪の気、纏ってる?

 

 少女は大きく息を吸い、吐くを数回繰り返し、ピンと背筋を伸ばした。

 そのまま俺に近づき、赤みがかった真剣な表情の顔を俺に向けた。

 

「わたしで……いいの? わたし、幽霊なんだよ?」

 

「幽霊とか、妖怪とかどうでもいい。ただここに居て(家事をして)くれたらな……」

 

「――っ」

 

 少女は本当に心から欲しい物を手に入れた子供の様な表情を浮べ、俺に飛びついてきた。

 幽霊らしく予備動作のないその動きに、俺は全く対応できずそのまま押し倒された。

馬 乗りにされ、身体をぎゅーっと抱きしめられる。

 

 いやー! 本性出しおったでこの子! 祟り殺されちゃう!

 助けて雪菜ちゃーん!(妹の名前)

 

「わ、わたしっ、ずっと辰巳君の傍にいるからっ。辰巳君が死ぬまで傍にいるからっ。好き! 大好き!」

 

「重いな!?」

 

「わたしいいお嫁さんになるから!」

 

「あ、頑張って下さい」

 

 幽霊だろうと少女の願い、特にお嫁さんになりたいというピュアな想いは是非とも支えてあげたいと思うのが俺だ。

 協力してあげたいのだが、この歳で所帯持ちはちょっと勘弁して欲しい。

 少女には悪いが、お友達兼同居人のままでいて欲しい。

 いいよね、お友達って、超便利な言葉。

 俺が中学の時に告白して「お友達でいようね」って言ったあの子は元気かな? 実際お友達どころか「一ノ瀬に告られた~やだぁ~」「かわいそぉー」みたいな展開だったわけですけどね。

 あの時の俺に世界を混沌に陥れる類の力があったなら、即発動してたよ。

 残念ながら俺にそんな力は微塵もなかったわけだけど。よかったね世界。

 

 

 こうして、俺と幽霊少女の生活は改めて始まったのである。



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アニメイトまで……え? ……無い……だと

 俺が中学生の頃、こんなことがあった。

 夕方俺が部屋で漫画を読んでいると、着替えを持った小学生の妹が部屋に入ってきたこう言った。

 

「兄さん、お風呂が沸きました。冷めてしまうので、早く行きましょう」

 

 って。その頃、俺は普通に妹と一緒に風呂に入っていた。

 別にそれがおかしいとは思ってなかったし、いつまで一緒に入るもんなんなんだろうなぁとそう思っていた。その日までは。

 その日学校で、こんな会話を聞いたのだ。

 

 クラスメイトの女子達の会話だ。

 

『昨日さぁ、オヤジが一緒に風呂入ろうとか言ってさー』

『うわマジで! それキモ!』

『だしょー? つーか中学生にもなって一緒に入るわけないっつーの』

『小学生までよねー』

『そうそう。大体イケメンならともかく、オッサンの毛深くてダルンダルンの裸なんて見たくないっつーの』

『……ん、いや、毛深くてダルンダルダンの裸もさ、まー、ね。ほら……それはそれで味があるっていうか』

『え?』

『……』

 

 この会話を聞いて俺は思った。

 俺もいつか妹に『兄さんとお風呂に入るとか気持ち悪くて無理! 5万円貰っても無理!』なんて言われるかもしれない、と。

 だから言われる前に自分の方から断ることにしたのだ。

 

「今日は一人で入るわ。……つーか、今日からは別々に入ろうぜ」

 

「どうしてですか?」

 

「ほら俺もう中学生だし、お前ももう高学年だろ? なんつーか、お互いさ、なんていうか……なあ……分かるだろ?」

 

「……兄さんがそう言うなら、分かりました」

 

 妹はそう言って部屋から出て行った。

 ただその時何故か、妹は残念そうな顔を仄かに赤く染めていた。

 

 次の日、母親に『女の子の裸に興味を持つのはそういう歳だから仕方ない。でも小学生の妹の裸に興奮するとかお前マジ救えねーわ』とかどん引き顔で言われた。

 どうやら妹が母親に『兄さんが私に欲情して襲ってしまいそうなので、今日からは別々にお風呂に入るらしいです』と報告したらしい。

 この経験から伝えたいのは、事実ってやつは個人によって曲解されるってこと。

 本当に伝えたいことは、ちゃんと一から十までしっかり伝えなきゃいけないってこと。

 

 

 

 

■■■

 

 

 さて、4番目の選択肢である『そのまま幽霊の同居する』を選んだわけだが。

 俺と幽霊子(仮称)は部屋の中心にある食卓を挟んで向かい合っている。

 幽霊子は先ほど前のテンションの上がりっぷりはどこへやら、借りてきた猫のように大人しく座っている。

 

「一緒に住む上で、君に一緒に聞いておくべきことがある」

 

「……う、うん」

 

 少女は遂に来たか、そういった何かをこらえるかの様な顔で頷いた。

 そのまま胸の奥にあるとても辛いものを吐き出すかのように、口を開く。

 

「……うん。わたしが死んじゃった理由、それはね……」

 

「いや、それはどーでもいい」

 

「ええっ!?」

 

 少女はガクリとうなだれた。

 そりゃそうだろう。

 何が好きで他人の死因なんてものを聞かなければいけないんだよ。

 下手すりゃトラウマものだ。

 この世界が中学生の頃、俺が構想を練っていた漫画トラウマバーサス(トラウマを使い戦う漫画。トラウマ使いは相手に自らのトラウマを武器にして攻撃できるのだ! 我ながらなかなか面白い出来だったんだけど、登場人物の抱えるトラウマのネタが尽きて、俺自身のトラウマを使ったら、登場人物が……なんか全員死んだ。何を言ってるか分からないと思うが、俺も分からない……)だったら、喜んで聞くけどさ。

 

「ほ、本当に知りたくないの?」

 

「ああ、過去ムカシより現在イマだろ? 過去ムカシのことなんてどうでもいい。俺とお前の現在イマはこれからなんだ。……俺とお前の現在イマはこれからなんだよ」

 

 俺は何か良い事言った風に締めた。

 別に死因とか聞いて夜トイレに行けなくなるのが怖いとかじゃない。

 トイレで思い出したけど、昔よく怖い映画を見た後の夜、妹が部屋を訪ねてきて『……に、兄さん。あ、あのコンタクトを落としてしまって……ちょっとトイレまで着いて来てくれませんか?(もじもじ』みたいなことがあった。

 ああ可愛かったなあ、あの時の……俺。

『やれやれ仕方ねえな』とか言いながら、もし妹が来なかったら怖くて一人でトイレなんて行けねえし、いざとなったら窓からライフシャワー(生命の雨)する覚悟してたし。いやあの時は若かった。

 ただライフシャワーは諸刃の剣。一度でもしてしまえば、倫理が崩壊し、もう自分の部屋の窓からライシャることが癖になってしまう……ゆめゆめ気を付けることだ、かつて過ちを犯した人間の言うことは聞いておくべきじゃよ。

 

 俺がかつて手にしていた諸刃の剣について考えていることなんて知る由もない幽霊子は、上目遣いでこちらに問いかけてきた。

 

「じゃ、じゃあ聞きたいことってなに?」

 

「年齢だよ年齢」

 

「へ? 年齢? 何で?」

 

「いいから教えるんだ。お前は、一体、何歳、なのか」

 

「う、うん……」

 

 俺の発する妙なプレッシャーに押されたのか、少女は若干後退りをしながら頷いた。

 でも、これってすっごい重要。

 この子の年齢によって、ヨージョラチカンの罠が発動し、俺がギルティーかそうでないかが決まるのだ。

 この歳で豚箱にインは勘弁だよ~。

 

「えっと、わたしはじゅうよ――」

 

「よし待とう。ちょっと待とう。うん、言うのを忘れた。死んでからの年数も含めてくれ」

 

「え? えっと……」

 

 少女は指を折り、ぶつぶつと呟いた。

 おねがいゴッド! 俺の願い聞き届けたもう!

 

「んと……今年で19になるね」

 

 イエス! イエスイエス!

 神様ありがとう! 今度の三箇日は旨いもん供えるよ!(鯖の味噌煮)

 なんだよも~、殆どタメじゃんこの子~。

 ちょっと気遣って損した!

 

「ヘイ、ヨロシクな」

 

「う、うん。何で急にフレンドリーになったんだろ……ん、でもいっか。よろしくね辰巳君!」

 

「HAHAHA!」

 

 最大の懸念事項はクリアされた。

 これさえこなせばもう憂いもない。

 

 その後、俺は特に取り留めもない質問を少女にした。

 

「そういえば塩かけるとやっぱヤバいのか?」

 

「んーん。別に何ともないよ。あーでも、しょっぱいのはあんまり好きくないかな」

 

 なるほど、幽霊に対してソルトアタックは効果がないらしい。

 

「お経とかは?」

 

「お経ってあれでしょ? 頭ツルツルのおじさんがするヤツだよね? 何回か聞かせて貰ったことあるけど、別にどってことなかったよ」

 

 被除霊経験(すっげえ言葉)アリか。

 そりゃ何年も幽霊やってれば、あるだろう。

 んー、塩もお経も効かない、と。あれ? 幽霊無敵じゃね? ゴ○ブリ並みな生命力じゃね?

 

「飯とかは?」

 

「食べられるよ。でも、食べなくても別に何ともないよ。お腹は空くけどね」

 

 へー、死んでも腹は減るんだー。

 ん? つまりアレか。仮に俺が死んで幽霊になっても普通に腹は減るわけだ。

 だったら墓前には好物を常に常駐させておいて欲しいものですなぁ。

 よし、妹にメールをしておこう。

 

『俺が死んだときは、墓前には年中、鯖の味噌煮を供えておいて下さい』

 

 さて、次は……

 

「ね、ねえ辰巳君……」

 

 俺が次の質問を考えていると、少女はチラチラとこちらに視線を寄越しつつ、もじもじと言葉を発した。

 

「あのね、もっと辰巳君は知りたいっていうか、辰巳君が最初に聞いておくべき質問っていうか、そういうのがあると思うの辰巳君。ね、辰巳君」

 

 もっと俺が知っておくべきこと、だと?

 俺はまだ未熟な若輩者であり、知るべきことは多々ある。

 その中で今、知っておかなければならないこと……。そうか!

 

「排泄関係ってどうなってるんだ?」

 

「うわー! わー! わぁー!」

 

 その怪アヤカシ大声を用いてこちらを驚嘆せしめん。

 突然大声で怒り始めた少女に俺たじたじ。

 幽霊ってやつはよく分からんね……。

 いや、実際気になるじゃん? するのかしないかは元より、ふわふわ浮いてる状態でシたらやっぱり無重力みたいにアレもふわふわ浮くのかな、とか。

 ふわふわ浮いたソレがうっかり開けていた小窓から出ていっちゃって、秋空にフライアウェイして、偏西風に乗って世界へ……。

 世界中に人が空にたゆたうソレを見た時、その時、一瞬とはいえ世界は一つになる……そいういった世界の統一をライフワークとする人間に、俺はなりたい。

 

「違うでしょ! そーじゃなくて最初に聞くべきこと! 常識的に考えて!」

 

 常識的? え、幽霊がそーいうこと言っちゃうワケ?

 幽霊がいる以上、現在の一般的な常識ってのは根本から覆ってると考えるべきでしょ?

 素で言ってたら鼻で笑われる空想も、今となったらその存在を否定することはできないってわけ。

 つまり俺が長年追い続けている妖怪、筆下ろし女もただの空想なりえない(ちなみにどんな妖怪かっていうと、これ語ると長くなるからまたの機会に、な)

 

 俺が本気で常識について考えていると、少女はムスッとした表情で俯いた。

 俯いたまま、小さな声で言う。

 

「……なまえ」

 

 なまえ? な(まいきなんだよお)まえ?

 いや、違うだろ。この場で恐喝に至る言葉はない。

 なまえ……名前か!

 

「……辰巳君、わたしの名前興味ないんだ」

 

 頬を膨らませてそっぽを向いた少女。

 

 おやおや拗ねていらっしゃる。

 つか、完全に忘れてたわ。幽霊にも名前あるんだよな、そりゃ当然か。

 オケラだってアメンボだって水虫にだって名前はあるんだ……雑草なんて草はないんだよな。

 

 生活の初日から不和が発生しても面倒なので、フォローの言葉をかける。

 

「いや、興味あるある」

 

「……でも、聞かなかったもん」

 

「俺って好きな物は最後まで取っておく性格じゃん。だから、さ」

 

 これは本当。

 だからギャルゲーとかでも、気に入った子は最後に攻略する。

 で、気に入った子に限って、実はルートないとかね……もう、ね。

 もうヒロイン追加の要望メール送るのは疲れちゃったよ……。

 その点、渡良○準にゃんのシナリオを追加してくれた某メーカーには頭が上がらない。その他メーカー様にはユーザーのニーズにばっちり応えるその姿勢を是非見習っていただきたい。

 

 少女はまだブスッとした表情をしながらも、こちらに視線をよこしてきた。

 

「……ほんとに? ほんとは興味あるの? 嘘じゃない?」

 

「本当本当。俺って今まで嘘吐いたことないし」

 

 恐らく嘘吐きの8割が使ってるであろう言葉に、少女はさっきまでの不満顔が嘘のようにパッと笑った。花が咲いたような満面の笑み。

 

「そうなんだっ、よかったっ。辰巳君、わたしの名前興味ないんだと思って落ち込んじゃった。でも、あるって分かってすっごく嬉しい! えへへっ」

 

 少女の笑みは俺のハートに刃となって突き刺さった。

 ほ、ほほう、やるじゃないか。俺の罪悪感をここまで刺激するとは……。これだから子供って苦手。無意識に人の罪悪感を煽ってくるもんな。いっそ罵ってくれたほうが楽だわ。

 

 さて、ここまで来たら名前を聞かねばならない。

 幽霊子も結構カワイイと思うんだけど。

 

「じゃあ、君の名前を教えてくれ」

 

 俺の言葉を聞いた少女は、大切な宝箱から取り出した宝石を目の前に掲げるかのように、その言葉を紡いだ。

 

「わたしの名前はね。――エリザ」

 

「……え?」

 

 外国籍の方でしたか……そうですか。

 う、ううむ。何で相手が外人ってだけでこうも腰が引けてしまうのだろうか。

 これは俺だけじゃないはずだ。日本人なら殆どの人が持っている感覚だと思う。

 やっぱりあれか、外人=アメリカ人=体デカくて強そうってイメージから苦手意識があるのか?

 

 でも、よくよく考えたら俺、アメリカ人に勝てるわ。タイマンって前提だけどな。

 アイツらの強みは馬鹿でかいバーガー食ってデカくなった体――つまりパワータイプだ。

 あの丸太みたいな豪腕から繰り出される拳を一撃でもくらえば……一発でノックアウト。

 だが昔の偉い人は言った「当たらなければどうということはない」と。

 あれは確か……織田信長だっけ。

 うん、そうだ。長篠の戦いで火縄銃の弾幕をくぐり抜けながら言った格言だった。

 そんな格言に乗っ取り、かつてスピードキングの異名を持った俺は相手の拳を交わしつつ華麗に接近。

 自慢の拳を避わされ唖然としている相手の顔面に俺のナックルが抉り込む――寸前に相手の拳銃がズドン! あっ、俺撃たれた!? 

 やっぱり銃には勝てなかったよ……アイツら基本子供から老人まで銃装備ってのがなぁ。銃社会マジ怖い。

 

 しかしいい響きの名前だ。

 名付け親はさぞセンスがよかったのだろう。

 何となく、口ずさんでしまう名前だ。

 

「エリザ、か」

 

「……辰巳君が初めてわたしの名前呼んでくれた。……えへへ、嬉しいなぁ」

 

 名前を呼ばれただけなのに、胸をギュッと握り締めちゃう乙女っぽい仕草とかマジ現代人が捨て去った夢の欠片。

 なんだかそんな反応されると、俺のこと好きみたいじゃん?

 いや、どうなんだろうか……さっき押し倒してきた時も俺のこと好きとか言ってたような……。俺のことを好き? 

 まさか、ありえない。

 俺は自分が他人に好かれるような人間でないことはハッキリと理解している。

 嘘と妄想で固めた何一つ誇れる物を持たない、それが俺だ。ラノベとかに出てくる主人公の『冴えないボク』には、大体なんだかんだいって人を引き付ける魅力とか長所があったりするけど、俺にはそんなものはない。断言できる。

 

 もしそんな俺を好きなんて言ってくれる存在がいたとしたら……それは、砂漠に落ちたゴマほど稀有な存在じゃないだろうか。

 仄かな、本当に仄かな期待感を抱いてしまう。

 

「あ、あのさ。ちょっと聞きたいんだけどさ……何で俺の世話とかしてくれたわけ?」

 

 俺は名前を呼ばれて頬を緩めている少女にそう問いかけた。

 

 率直に俺のこと好きなの?なんて自意識過剰レイジバーストな発言はできない。

 だって間違ってたら恥ずかしいもん!

 もしそんな質問をして「……は? 何言っちゃってんの? え? もしかして勘違いさせちゃった? ゴメンネゴメンネーーwww」なんて指さされつつ言われたら、俺ショックで胞状分解する自信がある。

 

 だからこその遠回り発言だ。

 俺に好意を持ってくれたから、俺の身の回りの世話をしてくれたんじゃないか、そんな淡い希望。

 世話をされる俺と、脅かし追い出された前の住民達、その差は一体なんなんだろうか。

 

 俺の質問に、少女はじんわりと赤くなった顔を俯かせ、ポツポツと震えの混じる声で言った。

 

「……あのね、さっきも言ったけど……辰巳君のことが好きだから、だよ」

 

 愛は絶対ビクトリー!

 愛はあったんだ! 愛はすぐ傍にあったんだよ! 俺超愛されてた! 父さん母さんありがとう!

 いやぁ、やっぱり愛か。愛って世界を巡るファンタジー粒子なんだね。興奮しすぎて自分でも何言ってるのか分かんないけど。

 

 目の前の少女の反応から、今の『愛』が友人としてのいわゆる『Like』ではないことは決定的だ。つまり『LOVE』だ。『LOVE』、何て心地のいい響きなんだろう。

 なんか俺自信持てたよ! 俺なんかでも愛されるんだ!

 愛は平等、愛受給資格の条件は『心がある生物』であること!

 

 しかし、なぜ俺を好きになったんだろうか……。

 別段捨てられた猫に傘を差してあげたり、子供をトラックから庇ったり、異能を持たないボクが敵の刃に貫かれそうなヒロインの前に躍り出て「なんでっ、私の傷はすぐ治るのに! どうしてこんな真似を!?」「……それでも、君が傷つくのが、イヤだった、から」な自己犠牲に走ったりしたことは無いのに。

 まさかあの一目惚れとかいう――都市伝説、か?

 そうだ。幽霊だっているんだ、現実にはありえないような都市伝説が現実にあってもおかしくない。

 

 俺が自分に向けられた愛を噛み締めていると、エリザが頬を伏せたまま語り始めた。

 

「……最初はね。他の人たちと同じように、追い出そうとしてたんだ。でも辰巳君ってば、わたしがいくら脅かしても、全然気付いてくれないんだもん。今までたくさん追い出してきたわたしのプライド、粉々だった」

 

 最初は敵だと思っていた……うん、イイネ!

 そういう展開俺だーいすき。

 それで徐々に俺のいいところとか見つけて「……この人、本当は凄くいい人間なんじゃ……って馬鹿! 何言っちゃってんのわたし! 人間はみんな悪魔、そうでしょ!」とか葛藤しちゃうんだ。

 揺れ動く心の機微ってなんであんなに切ないの? 教えてアルムのもみの木さん。

 

 ちなみに俺を含めた住民を追い出そうとしていた理由は単純に『怖いから』らしい。

 幽霊の癖に人間が怖いとか正直噴飯ものだよね。だけどまあこの子まだ、じゅうよ――んん! 十九歳らしいじゃん。

 そりゃ知らない大人が同じ部屋にいるとか恐怖以外のなにものでもないよね。

 つーか俺だって例のマイクさんだとかと一緒に暮らすの無理。絶対掘られる(友情を掘り下げるって意味で)

 

「辰巳君全然気づいてくれないから、どうやって追い出そうかって悩んで、辰巳君のこと3日くらいずっと観察してたの」

 

「されてたのか……」

 

 思い出せば、確かに何かに見られている感覚はあった(後付け)

 ただ俺って町とか歩いててもギャルとかの視線釘付けにしちゃうし、それの延長線だと思ってた(勘違い)

 

「それで観察してたら辰巳君……ぜんっぜん家事しないの。料理もお掃除もお洗濯もなーんにも。わたしびっくりしちゃった」

 

 何がびっくりしたかよく分かりませんね。

 一人暮らしを始めたからって、必ずしも家事をしなければならないなんてこと、あります?(あります)

 確かに俺全然家事しなかった。

 つか、3日目にして餓死寸前だった。

 

「辰巳君がお腹がぐーぐーうるさくて……あんまりにも可哀想だから、ついご飯作っちゃって。その時だけの例外ってそう思ってたのに……辰巳君がおいしそうにご飯食べてる姿見たら、なんかこう……胸の奥がキュンって」

 

 ほほう、それは恐らく母性本能というやつですな。

 ヒモなんかはそれを刺激する異能スキルが必須だとか。

 それを俺は先天的に持っていた……?

 俺って自然発生型の異能力者スキルホルダーだったってこと?

 

「それからもつい、ご飯作ったりお洗濯とかお掃除してたら、なんて言うのかな……この人はわたしがいないと駄目だなーって思って」

 

 あー、それ典型的なヒモパターンですわ。

 ヒモは甘いところ見せちゃ駄目だよー。アイツらどんどん調子乗るから。

 

「だらしなく寝てる辰巳君の傍でお掃除とかしてたら……自分がお嫁さんになったみたいで……それで辰巳君が旦那さんに思えてきて、それで、それでね! ……い、いつの間にか好きになってたの。……な、なんかこういうこと言うの恥ずかしいっ」

 

 キャーなんて真っ赤顔を手で覆いつつ言っちゃうエリザさん。

 いや、キャーって言いたいのはこっちなんすけど。

 何で今更自分の駄目っぷり、いや最早クズっぷりを他人に語られないといけないわけ? これ新手の拷問?

 つーか幽霊さん、それって錯覚だわ。

 典型的な離婚推奨夫婦の妻側だわ。

 旦那はあんたのこと必要だけど、よく考えてごらん。奥さんは別に旦那がいなくても何にも困らないってこと。

 ほら、さっさと子供連れて出て行っチャイナ!

 

 好きってさ、色んな種類あるけど……こういうのってどうなの?

 いや、好きって言ってもらえて嬉しいんすけど、やっぱ好きってのは対等でなくちゃ駄目じゃん? なんつーか完全にこの子優位だよね。

世話してあげてる、みたいな。私がいなくちゃ、駄目みたいな?

 

 いや、まあ実際そうなんですけど! そうなんですけど!

 ……そうだ、俺の大人のテクでこの雌の体に快楽を味合わせてやればいいんじゃね?

 家のことやってもらう代わりに、俺は快楽を与えてやる。

 そうすることでいわゆるwinwinの関係が……ってこれまるっきりヒモの考えか。

 だがいい考えじゃないか? 

 ただ問題は俺が童貞だってことなんだよな。妄想の中では百人切りの英雄なんだけど。

 

 まあ、とにかく目の前の少女が俺のことを好きらしいことは分かった。

 

「何で家事をしてくれていたか、それは分かった」

 

「う、うん」

 

「で、まあここからが本題なんだけど」

 

 さて、本題に行こう。

 今までこの質問は避けていたが、しないわけには行かない。

 この質問をしなければ、お互いこれから生活していく上で、シコリの様な物が残ってしまう。

 シコリは取り除く。

 俺はそのシコリ(質問)を口にした。

 

「――何で全裸だったの?」

 

 と。

 次は何かな?とちょっとわくわくした表情の少女の顔が固まった。

 パリパリと表情が剥がれ落ち、現れたのは先ほどの好意を伝えてきたのとは違う顔の赤さと、動揺のせいかグルグルと渦巻いた瞳とふるふる震える唇だった。

 

「――あ、あれはぁ! ち、ちがくて! そーいうんじゃなくて! そ、そのなんていうか……違うの!」

 

「何が違うのかな」

 

「だ、だから……違うの! べ、別に変な意味で服を着てなかったんじゃないのぉ! 違うの!」

 

 違う違うってなあ……そんな言葉で無罪証明できたらナルホド君いらねえだろうが!

 ちゃんとした証拠を寄こせよ、そしたら納得してやるさ。

 

『自分の姿を認識していない男の前。全裸で家事をしていた。しかもノリノリであることから、常習犯だと思われる』

 

 誰が見ても痴女の証明でしかないこれを、覆す証拠があるのかねぇ……。俺はないと思う。

 

 さて痴女幽霊のお手並み拝見といくか。

 

「……ち、痴女とかじゃないの! わたしが服を着てなかったのには、ちゃんと理由があるの!」

 

「お聞かせ願いたいですな」

 

「だ、だから、その……辰巳君はわたしのこと見えてないし……そう! 暑かったから! 暑かったから服脱いでたの! あの、その……暑すぎて服がどっかに、あれなの……逃げたの! だって暑かったから! 夏真っ盛りだもん!」

 

 いやイエーイめっちゃ春デイだったんですけど。

 暖かくはあっても、暑いなんてこと全くなかったんですけど。

 しかし分かりやすく錯乱してるな……。

 言っている意味が全く分からん。これは地雷だったか?

 

「だってわたし幽霊だから……幽霊だから暑いと服が逃げちゃうの! べ、別に辰巳君の前で裸でいることが気持ちよくなってたとかそーいうんじゃないの! 奇数日は裸の日なんて決めたりしてないの! わ、わたし痴女じゃないから!」

 

「ええそうですね。君は痴女じゃないですね(棒)」

 

「だよね! わたし痴女じゃないよね!」

 

 追い詰められた人間特有の勢い強めな笑顔を浮かべる幽霊子さん改めエリザさん。

 まあ、痴女ではないけど、露出狂の一種ではあるよね。

 人は誰だって潜在的にそういう面があるらしいけど、ぶっちゃけ見えてないからって男の前で二日に一回のペースで全裸るとか、ちょっとひくよね。

 

「よかったっ、わたし痴女じゃないんだ! えへへっ、痴女なんていなかったっ」

 

 何か言い訳がましく「痴女はいない」と連呼するエリザを見て、俺は優しくなっている自分に気づいた。

 人は自分より駄目な人間を見ると、安心する。

 俺はその時、限りなく自分より駄目な面を持つ少女を見て、安心していた。どうやら上手くやっていけそうだ。

 

「……ん?」

 

 携帯が震えた。メールが来ていた。

『せっちゃん』――妹からだ。

 恐らくさっき俺が送ったメールの返信だろう。

 

≪ふざけた遺言は死んでからお願いします≫

 

 死んだら遺せねーよ。

 

≪もしかして本当に死ぬ気ですか? でしたら事前に連絡していただかないと、色々な準備があるので。できれば死ぬ際は3ヵ月前までに連絡いただけるとありがたいです≫

 

 じむてきー。

 超じむてきー。

 兄として妹がしっかりしてくれるのは嬉しいけど、もっと俺のことに触れてー。兄ちゃん悲しいわー。

 

≪鯖の味噌煮を墓前に欲しいとのことですが、そういう物を置くと腐って臭いを発するので他の人に迷惑です。実際兄さんがそっちに引っ越す前に食べ残した鯖の味噌煮が、兄さんの部屋で凄まじい臭気を発していますから≫

 

 片付けてー、ねー片付けてー?

 もう一ヶ月だよー?

 えー、一ヶ月放置ーマジでー?

 もう部屋に残してるイカちゃんのねんどろいどとか、絶対鯖の味噌煮の風味が香ばしくなってるじゃーん。

 鯖の臭いのイカ娘とか誰得なんだよー。俺得だわ。ただでさえペロペロしたいイカちゃんに鯖の臭い付いてるとか無敵じゃん。……ん? 匂い付きフィギュア……これは売れるんじゃなイカ?

 

≪流石に私もあの臭いの部屋で寝るのは限界なので、そろそろ片付けます≫

 

 そうして、マジで。いや、鯖云々は流石に冗談だとは思うけど。

 ……ん? しかし、何で俺の部屋で寝てるんだウチの妹は? 冗談か?

 

 

≪近いうちに兄さんの様子を見に行きます。見られたら困る物は片付けておいて下さい。一人暮らしをこれ幸いと無垢な幼女を監禁しているでしょうから、それもきっちり処分しておいてください≫

 

 んー、お前の兄さんは幼女を監禁するタイプの人間じゃないゾー?

 実家にいた時もそんな片鱗見せたこと無かったよねー?

 

 俺はふとエリザを見た。

 

「これから服はちゃんと着ないと……やだなぁ。でも辰巳君が見てるしちゃんとしないと嫌われちゃう。……はぁ、同棲するのって大変。でも……これから楽しそう、ふふふっ」

 

 何やら葛藤している様子のエリザさん。

 さて、幼女は監禁していないが、幽霊少女が同棲しているけど……まあ大丈夫だろう。

 うん、きっと大丈夫大丈夫。

 何かフラグぽいけど、気のせいだろう。

 

「じゃあエリザ。これからよろしくな」

 

「うん!」

 

 

――後に俺は、全然全くこれっぽちも大丈夫じゃなかったことを思い知るのだが……それはまた先のお話。



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最寄りの派出所まで全裸スキップで7分(ただ、捕まる)

俺、人に自慢できることって殆どねーけど、ただ一つだけちょっぴり自慢できることがある。

それは寝起きの良さ。

『寝』の方は子供の頃からの強みで、一旦布団に入るとものの数分でグゥグゥ。これには付き合いの長い妹も「兄さん、のび太君みたいですね」なんて尊敬の言葉あり。

俺とのび太君って結構似てると思う。部屋に人間じゃないナニカが住んでるし。アッチは青い狸with未来の道具でこっちは銀髪の美少女with家事万能……どっちを選ぶかはあなた次第。

あと俺って射撃も結構上手い。縁日の射的で『最終話のガンダム』の二つ名を頂戴して、屋台のオッサンを震え上がらせ、最近じゃ出入り禁止にされちまった。

最近眼鏡かけてるから、またのび太君との接点が増えた。

まあ、俺とのび太君の類似性はひとまず置いとこう。

 

寝起きの『起き』の部分だ。

これはこの部屋に引っ越してから、一気によくなった。

多分部屋の環境や風水的に、この部屋が俺の寝起きにとても合うのだろう。

遅刻なんて一度もない。

 

『た、辰巳……お主は私が怖くないのゲソ?』

 

ところで俺は現在、大好きなイカちゃんの夢を見ている真っ最中だった。

もし海の家れもんじゃなく、俺の家にイカちゃんが現れたらってIFの話。

 

『だって、私は人間じゃなくて……イカでゲソ。お主達とは違うでゲソ』

 

怖い、か。確かに怖いな……君の可愛さが。

どこからどう見ても、普通の可愛い女の子にしか見えないな。

 

『なっ、なにを言うでゲソ!? お、お主は馬鹿じゃなイカ!?』

 

ハハハ、よっちゃんイカみたいな赤くなっちゃって……ンモー、イカちゃんがオワコンとか言ったやつどこの誰だよ。

こんな可愛いイカちゃんをディスるとか、俺には考えられないね!

オチがない? あのさぁ、そう言うってことはテメェの日常には毎日オチがあんのか? ないだろ?

イカちゃんってさ、つまるところ人生じゃん。だから人生にオチとか無粋なモンいらないわけ。

お分かり? 分かったらさっさとイカちゃんのねんどろいど買ってこいや。

 

『お、おおっ!? こ、これは何でゲソ!?』

 

おっと、部屋が揺れてるな。

これは俺が目を覚ます前兆だ。

じゃあ、俺そろそろ行くよ。

 

『……い、行ってしまうのでゲソ? また、来てくれるのでゲソ?』

 

ああ、来るよ。

また今夜に、な。

 

俺の意識は上へと引っ張られていく。

俺とイカちゃんが住むアパートの部屋の天井を突き抜け空へ。

揺れは更に大きくなっていく。

この揺れがまた心地よく、それでいて眠気を散らす。

 

「――きーてー!」

 

おや、今日は揺れ以外にも声が聞こえるぞ?

これは今までに無かったことだ。

ふむ、これもまた成長か。

声と揺れで俺の意識はみるみる覚醒へと向かっていった。

天蓋を突き抜けた瞬間、俺の体に重力の負荷がかかった。目を覚まし、現実の俺の部屋の布団の中に戻ったのだ。

眠気が霧散し、脳が覚醒する。

そして目をパチリと開いた。

 

「あ、起きたっ。おはよー、辰巳君」

 

銀髪の少女が俺の顔を覗き込んでいた。

や、やだ……すっぴんなのに……恥ずかしい。

 

ムクリと体を起こし、その反動で俺の体の上に乗っていた少女がフワリと上昇した。

頭上から少女が声をかけてくる。

 

「今日もちゃんと起きて偉いねー、辰巳君。ご飯食べよっ」

 

嗅覚は台所から漂ってくる香ばしい味噌の匂いを捕らえていた。

それよりも俺はある事実に気付いてしまった。

 

先ほどの揺れ、アレはこの子が俺を起こして発生していたらしい。

そしてその揺れは、今までずっと共にあった。

つまり――俺今まで自力で起きてたわけじゃないのね、と。

 

あと夢から覚めた今だからこそ、言うけど――イカちゃんもいいけど鮎美さんも可愛いよね!

 

 

※※※

 

 

 

昨日と同じく、正面に少女を見据え、朝食をとる。

秋刀魚を口に運ぶ俺を、何が楽しいのか、にこにこ笑いながら見つめてくる少女。

食事中に完全に意識が覚醒した俺は、ふと少女の前に食事がないことに気付いた。

 

「……何で、お前んとこ朝飯ないの?」

 

「えっ? だって、わたし幽霊だし」

 

昨日の会話を記憶野から引き出す(金髪ツインテールの司書があっちやこっちと図書館を走り回ってるイメージ、あっこけた!)

鼻の頭に絆創膏を貼った司書ちゃんから記憶を受け取り、俺はお礼にと司書ちゃんの頭を撫で――朝から俺なに考えてるんだろう……。

確か昨日この子はこう言っていた『幽霊でも餓死はしないが、お腹は空く』と。

 

「幽霊でも腹減るんだろ? 食えばいいじゃん」

 

「で、でも……二人分作ったらお金かかるし……」

 

「いーよ別に。そんな切羽詰ったほど金ないわけじゃないし」

 

実際結構切羽詰ってるけど、いざとなったら俺の後ろには妹銀行がある。

更にその背後には母親銀行が(これは最終手段。命を捨てる覚悟がないと利用しないように!)

 

「それに一人で食ってもつまらんし」

 

一人で食べる食事の空しいこと空しいこと。中学生の俺は自分の身を守る為に昼休みは一人になる必要があった、その時の食事の辛いこと辛いこと……って、だから何で朝からこんなテンション下がること思い出さなきゃいけないんだよ。

あー、朝は駄目だ。

いつものバリバリ上げてく感じが出ない。

 

俺の言葉に、少女はまるで飼い主に餌を渡され「食べてもいいの?」と恐る恐る様子を伺うリスの様に言った。

 

「……じゃ、じゃあ……わたしも一緒に食べるっ」

 

テテテ、と台所に駆けてく少女。

まだ余りがあったのだろう。

お盆に載せてきたそれを食卓に並べ、少女は白い歯が見えるほど口を開いて「いただきます!」と言った。

 

 

※※※

 

 

出席点重視の授業があるので、朝から大学に行くことにした。

いくら大学に近くても、1限目から出るのはしんどい。

まだ寝ていないと渋る体に鞭を入れる。

妹コーデの服を着て、鏡の前に立ち髪形をセットする。

俺の髪の毛はなかなかわがままだ。

生半可なワックスじゃ、すぐにおねんねしちまう。

だから俺は近所の薬局で言った。

『ハードを超える……インフェルノなワックス、ありますか?』って。

そして俺の手元にあるのがこれ『フェニックス』あの幻想の生物であるフェニックスのタテガミの様な荒々しい髪形をも可能とする超ハードワックスなのだ。

これを手に一つまみし……髪に馴染ませる。

立てて立てて立ててたまに揉む。そうすることで躍動感が生まれる。

髪は命だ。

死んだような髪形じゃ、女も落せねえ。

だからまずは立てろ! いいから立てろ! 生命の象徴のように立てるんだ!

そうしてできあがったのが俺の髪形――一ノ瀬フェニックスSTYLE。

風に吹かれようが、雨に濡れようが、変わらないその髪形――まさに不死鳥!

俺は不死鳥の生命力を得て、一気にテンションが高まった。

そのまま幽霊子に「言ってくるフェニ!」と叫び、出撃!

 

「あ、辰巳君っ、ちょっと待って」

 

出撃は中断された。

ふわぁと宙をスライドしてくる少女。

やれやれ、出撃迫った俺を止めるとは命知らずな女だ……なんて思っていると、頭の上に何やら温かい物が落とされた。

これは……蒸しタオル!

そしてその蒸しタオルを少女の手がゴシゴシと動かす。

 

『ケーン!』

 

不死鳥ヘアーが断末魔の悲鳴をあげた。

いくら生命力溢れる不死鳥でも、蒸しタオルだけには適わない。

 

『いや、マジで濡れタオルだけは勘弁な』

 

哀れ不死鳥は生まれる前の卵に逆戻り。

つまりぺったんこヘアーってこと。

 

「お、おまっ、一体何を……してくれるんですかねぇ!?」

 

「え? 寝癖を直した……だけだよ?」

 

「寝癖じゃねーよ! ヘアースタイルだよ! フェニックスなんだよ!」

 

俺の生命力溢れる主張にも、少女は『ちょっとこの人何言ってるか分かりませんね……』みたいな怪訝な表情を浮かべた。

 

「だって辰巳君、それどこからどう見ても……寝癖にしか見えないよ?」

 

あーもうやだ。これだから女子供は困る。

女には分かんないのかねぇ! あの髪形の素晴らしさが! 

……ん? 女にモテる為の髪型なのに……女には理解できない……?

俺は恐るべき矛盾にぶち当たり……時間がヤバいのでその矛盾の考察を放棄した。

しかたないが、髪形もナチュナルのまま、部屋を出る。

 

 

※※※

 

 

重い扉を開け、部屋の外に出る。

心地よい冷気が肌をサラリと撫でた。

天気は快晴、空は青一色だった。

 

さて、学校へ……というところで、俺は妙な物を見つけ立ち止まった。

俺の部屋の扉、そのすぐ隣の壁を背にして何かがいる。

つーか大家さんが箒を抱きかかえて座り込んでいた。

 

「……どういうことだよ、おい」

 

俺の脳が早々に理解を放棄した(ホウキだけにね!)

何だろう、こんな画像どこかで見たことがある。

電車の中でスナイパーライフルを構えて眠る中学生の……あんな感じだ。

つまり大家さんって殺し屋?

大家は仮の姿で真の姿は裏社会で恐れられる『仕込み刀の童女』だったりするの? なにそれカッコイイ! ズルイ!

まあ俺も前世で四神将の一人だったって真の姿があるから、対等かな。

 

「……むにゅむにゅ……それは違いますよぉ……それはウナギじゃなくてドジョウですってばぁ……」

 

なにその寝言?

え? ウナギ、ドジョウ? ……大家さんも、そんなエッチな夢見るんだ。

常日頃からエッチな夢を見ている俺は、大家さんに共感を覚えた。

よーし、大家さんとの話題が一つ増えたぞ! 今度『ウナギやドジョウもいいですけど、電気ナマズもニュルニュルビリビリして凄いですよ』って言っチャオ!

 

とりあえず春とはいえ、朝から外で寝るのには寒い。

俺は大家さんの肩を揺すった。

 

「おーい、大家さん」

 

「……んぅ……いえ、ですからそのヌルヌルはローションとかじゃなくて……ローションってなんですかぁ? ……へむ?」

 

ぱちりと大家さんの大きな瞳が開いた。

瞳は未だゆらゆらと定点が定まらず、覚醒後の朧気な意識に引っ張られるように、ふらふらと周囲に向けられる。

と、その視線が俺をロックオンした。

ふにゃり、と寝起きスマイルを浮かべる大家さん。

 

「……一ノ瀬さぁん、おはよーうございますー」

 

ペロペロしていいですかね?

つーかここでペロペロしないで何がペロリストか!

ここだけの話、俺ほどのペロリストになっちゃうと、女性に会ったとき「どれくらいペロペロできるか」ってのでその女性の価値を判断しちゃうんだよね。

その点、大家さんは合格。

P値が大体27000くらい。これ人類としては相当高い方。

まあ、イカちゃんは18億くらいあるけど、イカちゃん人類じゃねーし。

 

「んんー、んー……はれ? ……一ノ瀬さん?」

 

徐々に意識がハッキリしてきたのか、言葉も超舌足らずな状態からまあ舌足らずな状態へシフトする。

目をゴシゴシと擦り、周囲を見渡す。

 

「……私、寝てましたか?」

 

「ええ、まあ。寝ているといえば寝てましたし、寝てないと言えば嘘になります」

 

「……うわぁー、これは恥ずかしいところを」

 

寝起き顔を見られるのが恥ずかしいのか、和服の袖で顔を隠してしまう。

大家さんの恥ずかしい所、見せていただきありがとうございます。

代わりに俺の恥ずかしい所も見せましょうか?

ただ俺の恥ずかしいところは、尋常じゃないほど恥ずかしがりやさんで……。

優しい声とふんわりタッチをして頂ければ、窓からチョコンと顔を出しますよ、フフ……。

 

「……!」

 

と、俺はその大家さんの口の端に、垂れる涎を見つけてしまった。

もし、大家さんがこれに気付いたら『寝顔を見られた上に涎まで!? もう死ぬっきゃないnight!(昼なのに)』なんて軽くトラウマを負うカモ……。

俺は素早くハンカチ(パリッとアイロンがかけられている)を取り出し、たこ焼きをひっくり返す要領で大家さんの口元をかすめた。

涎をデストローイ!

俺は大家さんの涎付きハンカチを手に入れた!

やった! 大家さん三大秘宝の一つを手に入れたぞ! あと大家さんの脱ぎたて足袋と使い終わった歯ブラシを手に入れたら三大秘宝が揃う!

三大秘宝を手に入れた俺は……一体、どうなっちまうんだ!?(多分豚箱にイン)

 

「して、大家さん。何でこんなところで……?」

 

「……は! そうです! そうなんです! 一ノ瀬さん、大丈夫でしたか!?」

 

そりゃまあ一ノ瀬さんは大丈夫でしたけど。

大家さんの方は大丈夫じゃないみたいですね。

やっぱりこんな所で寝るから、頭に酸素がいかなくて……。

 

「大丈夫って……何がですか?」

 

「何がって、幽霊さんとの勝負ですよ! 昨日決着をつけるって、言ってたじゃないですか!」

 

あー、そういえばそういう話、しましたね。

いや、決着をつけるとは言いましたけど、別にバトるつもりじゃなかったんですよね。

 

「私心配で昨日はずっとここで待機してたんですよ! もし一ノ瀬さんの悲鳴が聞こえたなら、すぐさま飛び込んで加勢するつもりで、ふんすっ」

 

鼻息荒くしてるとこ悪いんですけど、そーいう展開はねーから。

良く見ると大家さん、かなりの戦闘態勢だ。

割烹着下の着物は肩まで捲くりあげて、太もも辺りで短く縛ってるし。

額には『武神装甲』って鉢巻までしてるし。

箒も良く見れば、いつもの箒と若干違い毛先がすんげえ尖ってる。

大家さん最終決戦仕様みたいな感じ。これねんどろいどで出たら買うわ。イカちゃんの隣に並べる。

 

「でもよかったです、無事で……もう心配で心配で」

 

でもあなた寝てましたよね。

あと俺一回ビックな悲鳴あげたと思うんすけどね。

いや、言わないけど。

 

「で、勝負の方はどうなったんですか? 勝ったんですか? それとも負けて……あれ? で、でも負けた場合一ノ瀬さんは……? あ、あの一ノ瀬さん、つかぬことを伺いますが……一ノ瀬さんですよね? 一ノ瀬さんの中の人、入れ替わったりしてないですよね? 乗っ取られたり、してないですよね?」

 

この人は一体何を言ってるんですかね?

俺が一ノ瀬じゃなかったら、一体誰が一ノ瀬をやるんです? 一ノ瀬は俺しか、いないんです! 

つーか大家さんちょっと甘いわ。

世の中の勝負が勝ち負けしかないと思ってる。

そうじゃない、世の中には勝負には勝ったが結果的には敗北条件を満たしていることもあるし、負けたけども勝利よりもずっと大切な物を手に入れる、そういうことがあるんだ。

例えば俺は高校の時の体育際の打ち上げには呼ばれなかった。それって一見負けっぽいけど、実際は打ち上げした連中が全員、先生の差し入れの寿司食って食中毒起こした。これってつまるところ俺の勝ちだよな。

つまりそーいうこと。

世の中winとloseだけじゃ語れねーんだよ。

だから俺は言ってやった。

 

「ま、ボッコボコにしてやりましたわ」

 

「わあ! スゴイ! 幽霊をボコったんですか!」

 

「ええ、まあバッキバキですね。幽霊も『命だけわぁ、お助けぇ』てなもんで。まあ、今じゃ舎弟みたいなもんですわ」

 

「ス、スゴイです! ストロング! ストロングですよ一ノ瀬さん!」

 

「幽霊に物理攻撃が効かないって言った昔の人はアホですね。……魂さえ篭ってれば、幽霊も物理法則の名の下に、ですわ」

 

「意味は分かりませんがスゴイです! かっこいいー! 一ノ瀬さんかっこいいです!」

 

キラキラした目で俺を見てくる大家さん。

俺は嘘を吐いてるけど、この場合の嘘は誰も傷ついてないからいいと思う。

嘘ってのは本来こういう風に使うんだよ。

今、俺の嘘は眼の前の女の子を喜ばせてる、それってスゴイ素敵。

 

「というわけで、あの部屋の幽霊については大丈夫です。俺があの部屋にいる限り、二度と悪さはさせませんから」

 

「……はふぅ。なんてお礼を言えばいいか……私にできることなら、何でもします。今、なにかして欲しいことはありませんか? もー、私、一ノ瀬さんに感謝し過ぎて、この気持ち、もう……どうすればいいんですかっ」

 

まあ、とりあえず今日の夜、俺の布団にこっそり入ってきてください。そんで『……来ちゃいました。もう、分かりますよね……女の子に恥をかかせないで下さい』的な体から始まるラブストーリーを一つお願いしますわ。

最終的に気持ちが通じていれば、始まりはどうだっていいタイプだから俺。

極論を言えば、憎しみから愛に終わってもいいってこと。

『あの頃私はお前を殺そうと思っていたが……そうしなくてよかった。お前がいない世の中なんて、考えられない』みたいなVS元暗殺者とのピロートーク大好き!

 

「お礼とかはいいですよ。あの部屋、このアパートに住ませてくれている……これ以上大家さんに望むことなんてありません。俺このアパートに住むことができて、本当に幸せですから」

 

これは本音。

俺このアパートで大家さんと出会ってなかったら、大学の空気に馴染めないでソッコーおうちに帰ってたと思う。

大家さんがいなかったら、マジで引きこもりになってた。

大家さんの何気ない優しさは俺にとって、大学に残るギリギリの命綱だった。

 

「一ノ瀬さん……」

 

そんな俺の言葉に若干目を潤ませながら、両手を胸の前で組んじゃう大家さん。

これは好感度上がったね。

 

「……えへへ、嬉しいです。このアパートをそんなに好きになってくれていたなんて……」

 

「いや、まあ……はい」

 

「ふふふ」

 

何だか照れるな……。

 

「と、ところで! その髪形なんですけど!」

 

「……!?」

 

シット!

うっかり髪形のこと忘れてたぜ!

やっばいわ! こんな無防備ヘアーじゃあ、大家さんに嫌われちゃう!

 

「い、いやこの髪形はですね、その何ていうか幽霊が勝手に……!」

 

「いいと思います、すっごく」

 

「……なに?」

 

これは予想外の展開。

てっきり『フェニックスじゃない一ノ瀬さんとか、タマちゃんのいないバンブレみたいなもんですよねー』とか言われると思った。

 

「もうちょっと短くすればもっといいと思いますよっ。やっぱり今までの髪形がアレでしたから……でも、気付いてくれてよかったです。一ノ瀬さん今までの髪形気に入ってたみたいだから、私は何も言えませんでしたけど……やっぱり凄くアレでしたからっ。自分で気付いてくれてよかったです」

 

「……その、スイマセン。アレっつーのは、何すかね?」

 

「アレはアレですよー。えーと、何ていうか……『あんな髪形にするくらいなら、まだカイワレ大根を植えてた方がマシ』みたいな、アレです」

 

……。

 

「いやー、一ノ瀬さんがあの悪夢から目を覚ました今だから言っちゃいますけど、あの髪形はないですよー、ふふっ。あんな髪形で世紀末世界に行ったらヒャッハーな人達にも『ヒャア! だっせえ髪型だぜ!』なんて言われちゃいますよねー」

 

「……」

 

モヒカントゲ付きの連中、以下、だと?

 

「もし、朝起きてあの髪型になってたら、私は迷わず剃ります……それくらいアレでしたよ。本当に目がさめて良かったですねっ」

 

「……もう、いい。やめてくれ」

 

これ以上俺を虐めないでくれ。

そうかー、アレかー。

よく考えたら俺と初めて会った人間って、まず俺の頭見てそれから目を逸らすんだよな。あんまりにも俺の髪形が神々しすぎて直視できないからだって、思ってたけど……俺ポジティブ過ぎだろ。

近所の小学生にも指さして笑われてたし(そん時は小学生の未熟な精神が俺の偉大な髪形を見るに足りず発狂して笑っていたと思った)

つーか言えよ。誰か言ってくれよ。

『その髪形正直変ですよ』ってよォ……。

何で誰も指摘してくれねーんだよ。

俺は現代社会における人間関係に希薄さを感じた。

 

もっとさあ、他人に興味持とうぜ?

道端で血まみれになって倒れてる女の子いたら、即家に連れ帰ったりさぁ。

んで、その子を追う組織の人間に『何故無関係のその子を庇う』なんて聞かれたら『困ってるヒトがいたら誰だって助けるだろうが!』みたいに言い返せるタイプの主人公になろうぜ。

続編でまた違う子助けて前助けた子に『もうまた女の子助けて! この節操なし! ……で、でもそういうとこが……好き』俺も好き!

 

どん底まで落ち込む俺を尻目に、大家さんは俺の周りをクルクル回り「ほほう」とか「いいわぁ」なんてため息交じりの声を出している。

 

「……何すか?」

 

「え、ええっ? あ、ああ、えっと……大学終わったら、その……髪切ってあげましょうか?」

 

「……何で?」

 

「それは勿論私好みに、んんっ――ほ、ほらっ、一ノ瀬さん貧乏ですから、散髪に行くお金ないんじゃないですか?」

 

そこまで貧乏ではねーよ。

この人俺をどんだけ貧乏だと思ってんだよ。

いや、確かに地面に落ちてる金見つけて、それがボタンだって分かったときマジ泣きしたこととかあったけどさあ。

「ど、どうかしたんですか」って泣いてる俺を大家さんが見つけて「100円玉じゃなくて、ボタンでした……ボタンだったんですよぉ!」とか言ったことあったけどさあ。

でもその時の俺、大学に入学して勇気出して行った新歓コンパの自己紹介でお茶の間失笑レベルに滑って、精神的に参ってたからであって……。

……お、おうぅ、あの時のことを思い出すと吐きそうになる。

 

「……あの、そもそも大家さん、髪切った事とかあるんですか?」

 

「え? ああ、はいそれは大丈夫です。こう見えて私、昔は美容師を目指してましたから」

 

指をピースにしてチョキチョキと開閉をする大家さん。

意外な事実だ。

しかし、何だって美容師の道から大家へ。

とても興味がある話だが、長くなりそうなのでまた今度聞くことにしよう。

 

「あー、じゃあまた今度お願いします」

 

「はいはいー。腕が鳴りますねっ」

 

「じゃ、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。車に気を付けて下さいねー」

 

俺は大家さんと別れ、門近くでいつもの小学生が俺の髪を見ながら『グッ』と親指を立てられ飴を貰い、アパートから出たのであった。

飴は黄金糖だった。

今の俺の苦い気持ちを皮肉るかのように、それは甘かった。



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大学までこの近道を通れば8分(ただしその前を陣取るデスクラッシャーを倒せたら、な)

 時間が経つのは早いもので、幽霊少女が俺の前に姿を現してから、1ヶ月の時が過ぎた。

 その一ヶ月の間に、それはもう波乱万丈なイベントの数々が――特に起きることはなかった。

 それもそうだろう。

 もともと見えないだけでそこにいた存在が、ただ見えるようになっただけなのだ。

 そうそう生活環境は変わらない。

 

「朝だよ辰巳くーん。起きてー、おいしーご飯があるよー」

 

 朝、いつも通りエリザに起こされ、一緒に朝食をとる。

 

「いただきます」

 

「召し上がれー」

 

 ここでちょっと怖い話を一つ。

 俺が着けている眼鏡だが、当然眠る前には外して眼鏡ケースに保管する。

しかし。朝起きる時、夜中ふと目が覚める時――何故か装着しているのだ。

 エリザに聞いても、知らないと言う。

 もしかしたら、この眼鏡、夜な夜な勝手に動き出して俺の顔までやってきてるのか?

 い、いや……まさかな。そんなことありえないし。

 

 顔を洗い、最近大家さんにカットしてもらった髪を申し訳程度にセットする。

 パジャマを脱ぎ、私服に着替える。ちなみにこの時、エリザは「ひゃぁっ」とか言って真っ赤な顔で台所に逃げていく。んでこっそりこっちを覗いてる。

 俺も異性の裸に興味がある年頃の事情は理解しているつもりだから、ちょっとサービスしながら着替える。

 気分はフルモンティ。焦らすように服を脱ぎ、無駄に回ったり、ポーズを決めたり。ついつい見られていることに興奮して、脱がなくてもいいモノまで解☆禁――という辺りで時計見てヤッベェってなる。

 宇宙刑事バリに服を瞬着して、玄関へ。

 

「行ってらっしゃーい!」

 

 エリザの声を背に、アパートの部屋から出た。

 アパートから出ると、時間帯によって大家さんと会えたり、会えなかったりする。今日は会えた。

 いつもの様に箒で庭を掃いている大家さんだが、今日はどうも動きが軽やかだ。

 鼻歌もかなりアップテンポで、箒で掃く音に合わせて一人ライブをしている模様。

 このまま見ていたら、箒をエアギターにしたり、エア客弄りをしそうだ。

 それも楽しそうだが、あまり時間がないので普通に「おはようございます」と挨拶をする。

 

「あ、一ノ瀬さん。おはよーございますー、いやぁ、いいお天気ですねぇ」

 

「ですね。それにしても大家さん、今日は何か機嫌がいいですね?」

 

 いつもニコニコ笑みを浮かべている大家さんだが、今日はいつもに増してにこやかだ。

 何かいいことでもあったのかな?

 俺の予想は当たっていたらしく、大家さんは「えへへ」と若干照れながら

 

「大したことじゃないんですけど……昨夜、すっごくいい夢を見たんですよー」

 

「夢、ですか」

 

「はいー。たかが夢と侮ることなかれ、夢から覚めたら気分爽快で、今日も一日頑張りましょー!とそんな次第です」

 

 あー、分かるそれ。

 とてつもなくいい夢見た後の目覚めって最高だよね。

 一時的にとはいえ、自分の人生は最高なんじゃないか?って錯覚してしまう。

 俺も見知らぬ可愛い女の子といちゃいちゃする夢を見て起きた朝、何となくいい出会いがありそうだなぁって思ったことがある。

 ちなみにこの話のスゲェとこは、その夢の中の彼女とその日に出会うことができたってとこ。

 まぁ、子持ちだったんだけどね。しかも二児の母。夢もキボーもねぇ。

 しかし、大家さんがここまで機嫌よくなる夢か。俺、気になります!

 

「で、どんな夢だったんですか?」

 

「んふふー、内緒です!」

 

 人差し指を小さな唇に当て、パチリとウインクをする大家さん。

 あー、内緒かー。

 女の子が言う『内緒』って言葉いいよね。

 それだけで例えどんなことでも許せちゃう。

 俺もし自分の頭に爆弾が仕掛けられてその停止番号を大家さんしか知らないって状況で、大家さんが『停止番号? 内緒です、フフフ』って言われたら『内緒か。だったらしょうがないな』って諦めて爆散しちゃう自信あるもん。

 ただ個人的に言うならば『内緒』って言葉は、放課後の教室で仲良くなった教育実習のセンセイに言われたいものだね。

 『他のみんなには……内緒よ?』いやぁ、この言葉だけで広がる無限のシチュエーション。せんせぇ、ボクのここが病気になっちゃったよぅ……。

 

 しかし『大家さん』の『内緒』の『夢』か……。

 そんな素敵ワードが三つもならんでしまうと、どうしようもなく、こう……滾っちまうよね、妄想が。

 一体どんな夢だったんだろ……。

 俺のHENTAIを司る部位(ワイシャツ着たおっぱいでかい女教師)は間違いなくエロイことだって告げてるけど……。

 こんな天真爛漫で無邪気な笑顔浮かべてる女の子が、内心そんなドエロス抱きながら『内緒です!』なんて言うか?

 いや、言わねえな。こんな穢れている世の中だけど、大家さんだけは清らかであってほしい。

 ンー、きっとあれだ。夢の中で宝くじが当たったとか、そーいう感じだろ。

 

「あ、ちなみに一ノ瀬さんは昨日、どんな夢見ました?」

 

 大家さんはそんなことを聞いてきた。

 俺? 俺はまあ自分の前世である銀髪イケメンの力をふとしたことで取り戻して、現世の生活を乱す連中と戦ってる系の夢だったけど……。

 夢の最後に実は仮面をつけた敵のボス的キャラが大家さんだったっていう、超サプライズな展開があったわけだけど……。

 言えねぇ……そんな夢見てたなんて言えねぇ……。

 そんなことしたらイタイ夢を見る俺=イタくてキモイが成立しちゃうじゃーん!

 

 つーわけで、ぼかすことにした。

 

「大家さんが出てきました」

 

「へっ? わ、私ですか!?」

 

 嘘を成立させるにはほんの一粒の真実を混ぜること。

 これって地味に重要。

 

「ええ、はい。大家さんが出てきました。それもあんな(仮面着けて、スケスケヒラヒラした衣装)格好で」

 

「どんな!? ど、どんな格好だったんですか!? え? でも、夢で私がそんな格好で……ええ!?」

 

 大家さんは俺の些細な言葉にばたばたと混乱した。

 ククク、メダパニっておるわ!

 

「い、一ノ瀬さん! ゆ、夢の中の私は、そ、そんな格好で……一ノ瀬さんと何をしてたんですかっ!?」

 

 大家さんが想像する『そんな格好』でどんなんだろ。

 あと、別に何かしたとかは言ってないんだけど。

 

「内緒です」

 

「ず、ずるいですよ!」

 

「大家さんだってどんな夢を見てたか内緒にしたでしょう? だから俺も夢の中の大家さんについては内緒です」

 

「そ、そんなぁー」

 

 教えてくださいよーと縋り付いてくる大家さんを、講義に遅れるからという理由で引き剥がし、俺はアパートの敷地から出た。

 

 

※※※

 

 

 

 ウチの大学は駅から長い一本坂があって、その上にドンと鎮座している。

 坂の途中にはファーストフード店とか、ゲーセンとか普通の八百屋とかがごちゃごちゃ混じってる商店街になってて、夕方には子供連れの主婦とか講義終わりの学生がごっちゃになって、なんつーかサラダボウルみたいな感じになる。

 俺が住んでるアパートからちょっと歩くとその坂道の横から合流できる。

 そしてえっちらおっちら大学へ向けて登る。

 登るっつっても、そこまで角度がキツイわけじゃない。でもやっぱり朝から歩くのはシンドイ。

 原付とかかっ飛ばしてく奴ら見ると、俺も原付買おうかな、とか思う。

 でも買わない。金ないから。

 ただ手に入れる方法はある。

 遠藤寺だ。

 ちょっと前にアイツと飲んでた時に、どうしてもアイツが食ってた豚ペイ焼きが食いたくなったの。

 んで、頼んでも『ボクが口をつけてるから』とか『いじきたない』とか断られた。

 で、ちょっとカチンときて隣に座ってガンガン押しながら『頼む! 頼むから! ほんの少し! 先っちょだけでいいから!』って酔った勢いで頼んで、それでも断るからもっとガンガン押して、一旦酔いの限界を超えたのか記憶が飛んで(タマにある)、気付いたらアイツに膝枕されて豚ペイ焼き食べさせて貰ってた。

 何が起こったのか良く分からないけど、この経験で分かったのは、アイツ本気で頼むと結構聞いてくれるってこと。

 だから俺が本気で『げんつきー! げんつきがほぢいの~!』とか駄々こねまくったら、多分買ってくれると思う。

 しないけどな。

 友情って、そんなんじゃないしな。

 

「くはぁ……ねむ」

 

 欠伸を噛み殺す。周囲を見ると俺と同じく欠伸をして気だるそうな学生らしき奴らがちらほら見えた。

 そんな連中と坂を歩いてると、俺も他のヤツと同じなんだなぁって仲間意識を勝手に感じてちょっと嬉しくなる。

 で、そいつらが見知った顔見つけて固まりが大きくなっていくと、俺みたいな固まりから弾かれた人間は肩身が狭くなる。

 やっぱ俺、他のヤツとは違うんだなぁって。

 こーいうのって、中学生の頃によくなるらしいけど、俺は未だにそれを引きずっている。

 少しでも居心地が悪くなると、そこは自分の場所じゃないって、そう思ってしまう。

 多分大家さん辺りにこんなこと話したら『考えすぎですよ。もっと気楽に行きましょう』みたいに言われるんだろうな。

 気楽に行くってなんだろう。

 

 とか考えてるウチに大学に入った。

 真っ直ぐに講義のある教室に向かう――前に掲示板を見に行くことにした。

 ウチの大学……というか普通の大学もそうだと思うけど、掲示板は二種類ある。

 学校側からの連絡が貼られている掲示板(教務部からの呼び出しとか、提出物の催促とか)とその他の掲示板。

 その他の掲示板には、サークル主催のイベントの告知とか、サークルのミーティングの集合場所とか、個人に対する個人的な告知(今日のモンハン、3階の休憩スペース的な)とか、そういうのだ。

 

 俺はその他の掲示板の方を見に行った。

 目的はサークルの告知辺り。

 俺は幽霊部員ながら、あるサークルに属しているので、一応自分の属しているサークルの告知は見ることにしているのだ。

 といってもまあ、2週間ほど顔を出していないので、そろそろ忘れられてる頃だと思うけど。

 で、見た。

 

『学生番号31404 一ノ瀬辰巳 これを見たら速やかに部室へと顔を出すコト。これを無視したならば、お前の息子がEDになる』

 

 と書かれた紙が貼られていた。

 やめろよ~、俺の家族に手を出すのはやめろよ~。

 つーかまだ生まれてない人間、今のところ生まれる予定の片鱗すらない人間を呪うのはヤメテー。

 

 俺のこと憎からず思ってる女の子がこれ見て『……え? 一ノ瀬君って子供いたの? そ、そっか……ははっ。最初から、叶わない恋だったんだね』って橋から身投げしたらどう責任取るつもりなんですかね。

 そんで未練抱えたまま幽霊になって、永遠にその橋の下に囚われたりしたら……そしてたまたま通りがかった俺が、彼女を見つけてなんやかんやで家まで連れて行ったら……『ちょ、ちょっと辰巳君? この子誰? また他の子に優しくして! ……でも、そういう所好きになったんだけど』あ、言うなこれ。アイツは言うわ。

 いや、そもそも幽霊が家に二体も居たら、俺に気が滅入ってしまう。

 幽霊って時点でキャラ被りしてるしな。話が展開しづらいし。

 新キャラで新展開欲しいなら、幽霊に負けないインパクト……吸血鬼とか欲しいな。

『がおー、お前の血を吸っちゃうゾー』みたいな、ね。

 

 ちなみにこの掲示板サークル専用のスペースがあって、サークルの名前毎に貼られる場所が決まってる。

 それで俺の名前が貼ってあるサークルの名前。

 

『闇探求セシ骸』って名前。

 

 闇にシンジツってルビが振ってあんの。

 そうだね。何のサークルか分からないよね。

 うん、俺も分からない。今のところオカルト研究会的なサークルだと思ってるけど。

 

 何だってこんな分けの分からないサークルに入ったのか。

 俺だって最初はテニスサークルとかいわゆる飲みサーに入ろうとしたさ。たださ。

 サークル勧誘の時に黒いローブ来た女の子にいきなり『……あら、アナタ。アチラ側を見た人間ですね』って言われたんだよ。

 俺アチラ側ってのが良く分からなかったけど、多分俺の中に記憶としてある前世の世界のことだと思ったから『……へえ、見えるのか?』って返したの。

 ローブの子が『はい、見えます。私のはそういうチカラですから』ってニヤリって笑ったから、俺も触発されて『いい眼だ。ただまだ未覚醒段階らしいな』『なに、を?』『俺は見たんじゃない――アチラに居た』『な――!?』『チカラは失ったけどな』『面白い、ですね。まさかこんな辺境の学校でアナタの様な逸材に会えるとは――』って会話をして、のせられるままにサインしたら、いつの間にか入部してた。

 その時のことを思い出すと未だに夜ワァァァァァァァッってなる。

 ちなみにアチラ側を見た云々ってのは、俺だけじゃなく声をかけた人全員に言っていたそうだ。

 

 俺は告知を無視することにした。

 このサークルの会長、正直苦手なのだ。

 色々と理由はあるが、とりあえずはこのまま幽霊部員を続けて、そのウチ忘れられる方向で進めて行きたい。。

 

 講義室に入ると、一直線で教室の前の方の左側へと向かう。

 まだ誰もいないスペースにリボンがとても目立つ少女がいた。

 遠藤寺である。リボンの自己主張がかなり激しいため、人ごみに紛れてもすぐに探し出せるのがあのリボンの利点だろう。

 

「うーす」

 

 声をかけつつ、隣の席に座る。

 講義の予習かなにか分からないが、何かをルーズリーフに書き込んでいた遠藤寺は顔を上げ、こちらを見た。

 

「やあ、おはよう。今日はちゃんと授業に来たようだね」

 

「当たり前だろ。俺ってば超真面目人間だし」

 

「昨日の授業に来なかったのはどこの真面目人間かな?」

 

「さあな、知らん」

 

 遠藤寺と駄弁っていると、教授が入ってきて講義が始まる。

 大学の講義室ってのは結構独特な雰囲気がある。

 真面目に授業を受ける人間、授業を全く聞かずに内職をしている人間、こそこそと隣の席の人間とお喋りをする人間、馬鹿でかい声でダチと駄弁り教授に注意される人間、携帯ゲームで遊ぶ人間、同じ部屋にそんな人間達が詰め込まれているのだ。

 ちなみに俺は真面目に授業を受けるタイプの人間。

 だって講義中に喋るような相手……いないし。

 遠藤寺は講義を聴くのと内職を平行にしてるから、話しかけるのに戸惑うし。

 

 俺も最近流行りエア友達ってのを作ってみるかな?

 エア友達さえいれば、大学で1人で居ても寂しくないし……。

 エア友達がいれば、1人じゃ入りにくい焼肉店にも入れる。映画だってカップルを気にせず堂々と見られる。あれ? エア友達、いいことずくめじゃね?

 

 よーし、俺エア友達作っちゃお! 俺、なんか子供の頃、イマジナリーフレンドとか居たらしいし、エア友達作成も上手くいきそうだ。

 どうせなら可愛い女の子がいいよね。黒髪でお姫様カット、服はそうだな……ちょっと遊んでる風のがいいかな。ミニスカでちょっと露出が多め。胸の大きさは控えめ、身長は俺と同じがちょっと低いくらい。

家事も万能。今風の格好だけど性格はドが付くほど清楚。で、俺が他の人と話していると嫉妬して袖を引っ張ってきたりなんかして……。

 あ、これ雪奈ちゃんだわ。妹の雪奈ちゃんだわ。8割くらいウチの妹だわ。

 

 そういえば雪奈ちゃんは元気してるだろうか。ウチの妹結構可愛いからタチの悪い虫が寄ってくるのが心配。まあ、雪奈ちゃん馬鹿じゃねぇし、そんな悪い虫は無視するだろうけど。無視だけに。

 

「……むむ」

 

 実家にいる妹のことを考えていると下腹部に猛烈な尿意を感じた。

 妹のこと考えてて、尿意を感じるって一見変態っぽいけど、ただの生理現象だから。そこは誤解しないで欲しい。

 だからイカちゃんのこと考えてて、下腹部がもぞもぞしちゃうのも生理現象なんだよ? 誤解しないでね。

 

 ちょっと講義終了まで我慢できないタイプの尿意だったので、席を立ちステルス状態で講義室から退出する。

 

 トイレに入りさっさと用を足してトイレの外へ――と、男子トイレの出口に一人の人間が立っていた。

 気配も感じさせない登場に、思わずジッパーを上げる手が止まる。

 

「やあ、どうも一ノ瀬後輩。久しぶりデスね」

 

 目の前の変わった格好――黒いローブを着て黒い三角帽子を目深に被った女性は、親しげに片手をあげて言った。

 

 どうやら相手は俺を知っているようだ。

 ウーン、誰だろう……ちょっと覚えてないかも。

 変わった格好してるけど可愛い声だ。

 前髪が長いせいで、目が隠れちゃってのがもったいないなぁ。

 黒い三角帽子に黒いローブ、まるで魔法使いみたい!

 お? とすると彼女の右手にあるのは魔法の杖かな?

 

「何度も何度も呼びかけを行っていたのデスけど、一向に来る気配がないので、こちらから向かうことにしました」

 

 呼びかけ? 黒魔術的な? 召喚?

 ンー、覚えがありませんなー。

 中学生の頃『目覚めよ勇者よ……』って声が1月ほど脳内に響きわたったことがあったけど、あれもストレス性の幻聴だったし……。

 中学生二年生の春だったか、あまりにも現実が辛くなって、ある時家の鏡を見たら妙に鏡面が波打ってたから、ああこりゃ異世界への扉かって、現実世界への未練を2秒で振り切って飛び込んだら当然のように鏡が割れて30針を縫う怪我したし……。

 高校生一年生の夏だったか、妙に親しげな女性に声をかけられてホイホイついてったら、クソ高い壷買わされたし……。

 ンー、こういうのに本当いい経験がねぇな。

 

「すんません。人違いじゃないっすかね? 俺、壺とかに興味ないですから」

 

「いえいえ、ワタシが探していたのはアナタで間違いないデスよ。ずっと、探していました」

 

 ずっと探していた、か。

 小学生の頃、友達とかくれんぼしてて、俺が鬼になった瞬間みんな家に帰ったせいで、俺、次の日の昼までずっと探してたって苦い記憶があるんだよね。

 次の日、のうのうと授業受けてた連中見て、俺は鬼にトランスフォームした。

 今思えば、あれで俺の人生のレールが切り替わったのかもしれない……。

 

 黒いローブの女性は、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべ、俺に手を差し出してきた。

 

「さあ、行きましょうか一ノ瀬後輩。――アチラ側へ」

 

 『アチラ側へ』その言葉で俺は眼の前の女性が誰だか思い出した。ってのは嘘で、本当は会った時から分かってたんだけどね。

 こんな個性的な格好した女、この大学に一人しかいねーし。

 俺はすぐさま反転し、窓から逃げようとしたところで、ここが3階だったことを思い出し、バンジキュウス!

 そ、そうだ……このトイレと講義室は殆ど距離がない。

 助けを――

 

「たす――」

 

「困りますネ。――スリープ」

 

 黒ローブ女は睡眠誘発系の呪文を唱えながら、右手に持つ杖を俺の腹部へと押し当てた。

 途端バチバチとした青白い光が杖から放出される。

 

「ァモンギィッ!」

 

 まるで体の内側が爆発したかのような衝撃に、俺の意識は吹っ飛んでいった。

 意識を失う瞬間、俺は思った。

 

 それ、スリープじゃなくてサンダーでしょうが……と。



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県内ならどこへでも9秒(これが縮地を超えた縮地――縮々地)

前回までのあらすじ

 

『組織』の中の仮面付きに追い詰められた俺、一ノ瀬辰巳――前世名『深淵のリクルス』

仮面付きの一撃が俺の急所を捉える寸前、かつての愛剣《リワールド》の 能力の一端を引き出すことに成功――形勢は逆転し、反対に俺の一撃が相手を捉えた。

 相手の仮面を破壊する一撃、崩壊する仮面。そしてそこに現れたのは――日常の象徴である彼女の顔。

 

 大家さんだった――

 

「大家、さん?」

 

「……お見事、と言っておきましょうか。野良能力者さん? それとも普段通り、一ノ瀬さんと呼んだほうがいいですか?」

 

「ど、どうして貴方が!? まさか――」

 

「洗脳でもなければ人質をとられて無理やりやらされてる、なんてことないですよ? これが私の本来の姿です。大家として、あなたをずっと監視していたんですよ、ふふっ」

 

「そんな――」

 

 不敵な笑みと共に去る彼女を追うこともできず、ただ絶望に浸る一ノ瀬辰巳。

 家には帰れない、路地裏で夜を超す。

 そんな彼の元に一人の少女が現れる。

 もう一つの日常の象徴である彼女。

 彼女もまた、仮面にて顔を隠していた。

 

「……遠藤寺?」

 

「いや、違うよ。ボクの名前ははジョーカー。――能力を支配する方法、知りたくはないかい?」

 

ジョーカーとの会合はこの世界に一体何をもたらすのか?

崩壊していく日常、気づかない内に踏み込んでいた非日常。

光は一体どこにあるのか、闇の中に落ちていく俺には分からない。

 

 

次回、第8話――『覚醒-Awakening-』

 

俺は君に問う――

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

「――深淵(カオス)を感じたことがあるか」

 

 というところで目が覚めた。

 まさか遠藤寺まで関係者(アチラ側)だったなんてな……我が夢ながらスゲェ展開だぜ。ただあの夢って俺の人間関係を元に構築されてるっぽいから、あと出てくるのって妹くらいしかいねーんだよね。あとイカちゃん。やっべえ、イカちゃんが敵になったら、俺確実に寝返るわ。

 

 さて、目も覚めたところで現状の確認をしよう。

 

 ここ……暗い、お香みたいな香りがする。俺……座ってる。俺……座ってる椅子に縛られてる。俺……なんかお腹の辺りがピリピリする。

 

 こんなもんか。

 

 ここから導き出される答えは――拉致監禁。

 

 え? マジで? 俺ってば拉致られちゃってる?

 困るってそーいうの、ちゃんと事前に連絡してくれてないと。それ相応のリアクションとれないじゃん。

 さっきトイレしてきたばっかりだから、あまりの恐怖に失禁ってリアクションもできねぇし。

 ほんと娯楽性を理解してくれない誘拐犯って困る。

 

 やれやれ――

 

「だ、誰か助けて……!」

 

 暗闇の中、俺は助けを求めた。

 

「――フッフッフ……目が覚めたようデスね」

 

 声は俺のすぐ目の前から聞こえた。

 しかし声の主の姿は見えない。部屋の中に満ちる闇がその姿を覆い隠している。

 助けが来たか……とは思えなかった。だって笑ってるし。どう考えても俺を拉致った側の人だわ。

 

 俺は目の前の(恐らく)誘拐犯に対し、恐怖を堪えながら話しかけた。

 

「だ、誰だ? お、俺をどうするっていうんだ? や、やめてくれ……美少女小学生達の保健体育の授業の教材として使われるなんてイヤダ! ヤダヨー!」

 

「随分と都合のいい解釈デスね」

 

 あと美少女しか泊まれないホテルのオーナーもイヤだー!

 美少女しか服役してない刑務所のただ一人の看守もいやだー!

 女子中学生の寮の管理人なんて、妹を人質に取られてもやらないぞー!

 まんじゅうこわーい。

 

「で、俺に何の用ですかね? 会長」

 

「おや、気付いてましたか?」

 

 ぼぅと目の前に蝋燭の火が灯った。

 小さな灯りに照らされて現れたのは、小さなテーブル。そしてそのテーブルに両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せる全身を黒いローブで包んだ女性だ。

 女性は頭まですっぽりローブを被っており目元が見えず、顔は口元が見えるだけだ。その口元を歪ませて笑う。

 

「こんばんは、一ノ瀬後輩。元気そうでなによりデス」

 

「元気じゃないんですけど。お腹ビリビリしてるんですけど」

 

「フッフッフ……」

 

 人を拉致っといて悪びれもせず意味深に笑う怪しい女性。

 この人こそが俺が(一応)所属しているサークル『闇探求セシ骸』の会長、デス子先輩だ。

 本名は知らないから、俺が勝手にそう呼んでるだけだけど。

 

「この闇の中で、更に隠蔽術式を行使した魔布を纏ったワタシの正体を見破るとは……流石『こちら側』だけありますね、フフフ……」

 

「いや、この学校でそんな格好してるの先輩しかいませんし……。つーわけでさっさと縄を解いてください」

 

「まーまー、そう急ぐことはないデスよ。時間は……まだまだあるのデスから。そう……まだまだ、ね」

 

「いや、ねーから。俺講義の途中だから。つーか今何時ですか?」

 

「今は10時頃デスね」

 

 10時か……講義が9時半に始まったから、実際拉致られてから、殆ど時間は経ってないってわけか。

 だったら下手に駄々こねるよりも、先輩のお遊びの付き合って、解放してもらった方が早いかもしれない。 

 

「用件は何ですか? さっさと済ませて下さいよ」

 

「おや、従順デスね。そういうところ、好きデスよ」

 

 フフフとか怪しげな笑み浮かべる人に好きって言われても、嬉しくない。

 これで先輩が、ローブを持ち上げるほどの豊かな胸の持ち主じゃなかったら、横っ面叩いて帰ってたけどな。

 よかったな先輩、あんたのおっぱいに感謝しとけよ。

 

「では、本題に入りましょうか。――一ノ瀬後輩、定期報告を」

 

「は? 定期報告? 何のですか?」

 

「ふむ、ここに入部した際、掟について教えておいたはずデスが……」

 

 あァ? 掟?

 それってアレ? 部室で見せられた長ぇ巻き物みたいなやつ?

 覚えてないわー、先輩の胸ガン見すんのでいっぱいおっぱいでしたから。

 

「覚えてないデスか。ならしかたないですね」

 

 じゃあ俺帰っても――

 

「では改めて一から『掟』について説明するとしましょう」

 

 ですよねー。

 

 先輩はローブの胸元から、巻物を取り出して、眼前に掲げた。

 胸元を引っ張った時に肌色のプリン体が一瞬見えて、すぐさまその映像は俺の脳内図書館未成年立ち入り禁止フロア――通称ピンクゾーンに保存された。今夜はこの映像の試写会といきますか。無論0.5倍速で、な。

 

 先輩は巻物をテーブルの上に広げ、ゲフンと咳払いをした。

 

「掟一――『汝、同胞を裏切ることなかれ』。このサークルに入った人間同士、絶対に裏切らない、そういった掟デスね」

 

 人類みな仲良しこヨシ!をモットーにする俺的にはかなりいい感じの掟だけどさ……それってどこまでなの?

 具体的にさ、裏切りってのはどういうもんなの? 友人同士の借金の踏み倒しは入るの? マラソンで『最後まで一緒に行こうな』って言って先に行っちゃうのは? 敵に寝返ったけど、実は敵の動向を探るためだったとかの展開は? TOA(テイルズオブアルヴィン君)はありなの? 裏切りの定義ってナニ? 

 

 モテない仲間の中で先に結婚しちゃったらやっぱり裏切り者になっちゃうの?

 でも恋とか愛ってさいわゆる治外法権(アウトサーダー)じゃん? 愛の前には法律とかモラルとか投げ捨てるものだろ。

 よく地球侵略に来る地球外生命体も『愛』の存在を知って『地球カ……。マアイイ、今ハ目を瞑ロウ。コノ胸ニ芽生エタ感情ノ正体ヲ知ルマデハ……』とか言って母星に帰っちゃうのが常じゃん。

 そう考えると愛ってやっぱ超越物質だよな。恋人を救うか世界を救うかって選択を迫られたら、俺最高即で恋人選ぶもん。

 つまり何が言いたいかって言うと、世界を選んだライナーは死ねってことかな。

 

「掟二『情報は共有すべし』これはこの世あらざる現象、存在を発見、体験したら報告し、互いに共有する掟デス」

 

「……」

 

 ちなみにこのサークルは『この世の不思議現象や魑魅魍魎を観測し、考察する』といった活動を行っている。言いたくはないが涼宮さんのところのハル……いや、何も言うまい。

 

 しかし、この世にあらざる現象か……。

 あ、やっべーわ。これめっちゃ引っかかってるわ。

 やっぱそうだよなー。

 現在進行形で、俺の家に<あらざる現象>と書いて<カワイイ奴>いるもんなー。

 いや、ほんと……

 

――イカちゃんの可愛さはこの世あらざるよなあ!

 

 まあ報告しねえけどな

 だってあんまりメジャーになったりしたら、俺だけのイカちゃんじゃなくなるもん!

 先輩が『なんデスって? よし、じゃあそのイカちゃんとやらを捕獲しにアナタの家に行きましょう』とか言ったら、俺全力で先輩をナックルオブデスることになるだろうし。

 

「掟三『月二回の会合には必ず参加すべし』これは言わなくても分かりますね? 何故、前回の会合を欠席したのか、それを問いただす為に、今回はこんな荒っぽい方法をとらせてもらった次第デス」

 

 んだよもー。大学のサークルでしょ? もっと気楽でいーじゃん。

 テイクイットイージーで行こうよ。

 どうせ会合たって、UFOを見たとか、どこぞのネッシー(ネス湖)ならぬチンポジー(チンポー湖。本当に存在する)の目撃情報がとか、一緒に映画撮影してた先輩が実は宇宙人だったとか、みずほ先生のはちみつ授業でねっちょんねちょんとか……そういう下らない噂話でも語り合うんでしょ? 薄暗い部屋で、ロウソク囲んで。

 やだよ俺、そんなカビでも生えそうな会合。

 俺の輝かしいモテロードには不要だっつーの。まあ、まだモテロードの入り口すら見つけてないけどね。

 

「お陰でワタシ、○タミの宴会料理を一人で平らげることに……」

 

 先輩はその時のことを思い出したのか、表情に影を落とし、げんなりと溜息をついた。

 

 会合ってただの飲み会のことですか。

 てっきり真っ暗な部室で儀式るもんだとばかり……。

 

「フフフ……周りは仲良さげに盛り上がってる中、ワタシは1人、フライドポテトを肴にカシスオレンジをちびちび……1人でビンゴを回し、数字を読み上げ、カードに穴を開ける……」

 

 ただでさえ闇寄りな声を更に沈み込ませていく先輩。

 ぶっちゃけかなり申し訳ないと思っています。

 幽霊部員とはいえ、新人の俺が飲み会に参加しないとか……。

 マジねーわ。今はサークルだからいいけど、これが会社だったら、間違いなく上司に目を付けられるレベル。

 

「……いや、すいません。でも俺、飲み会があるなんてこと知らなくて……」

 

「知らなかった? 毎日掲示板に告知をしていたのに? 会合までのカウントダウンもしていたのに? 校内放送も行っていたのに?」

 

 そ、そこまでしてたのか……。

 そういえば、掲示板に貼ってた紙も毎日変わってたな。

 

『会合まで一週間デス! 』

『会合まで6日デス! ビンゴ大会もありますよ!』

『会合まで――』

『会合まで――』

『会合まで――』

『遂に明日が会合デス! 一発芸の準備は十分デスか? ワタシはできてますよ……フフフ。腹筋に気をつけることデス……』

『とうとうこの日がきました! 今日の夕方6時! 遅れたら呪いますよ!(何らかの事情により遅れる際はワタシにメールを一つお願いします)』

 

 掲示してたのを見たとき、エブリデイ更新の力の入れ具合に、『一体何が始まるんです……?』って感じで逆に近寄り難かったわけだが。

 しかし校内放送までやってたのか……。

 そういえば食堂とかで聞いたような気が……。

 でも俺学校の中にいる間は、かなり五感制御してますから……ほら、悪口とか遮断する為に。

 

「さて、基本的な掟をあげましたが……一ノ瀬後輩、アナタは二つの掟を破りました。裏切りの掟、会合の掟。掟を破った人間には罰が下ることは知ってますね?」

 

 知らねーよ。何で大学のサークルで罪とか罰とかあんだよ。

 ただまあ、罰の内容によっては、それを甘んじて受け入れることもやぶさかではない……。

 『美人家庭教師にエッチな本が見つかって説教される(ただし家庭教師はウブっ子で、顔を真っ赤に染めながら行うものとする)』的な罰だったら、喜んで受け入れるがね……。むしろウェルカム。

 

 さあて、センパイ。あんたは俺にどんな罰を与えてくれるんですかねぇ。

 ちょっとワクワクしてきたぞ。

 

「で、先輩。罰ってのは一体?」

 

「罰の内容――それはとても恐ろしく冒涜的でかつ陵辱的なものデス。一ノ瀬後輩の自尊心を破壊し、身も心もシュレッダーにかけられたかのようにバラバラに引き裂きます。二度と掟を破る、この組織を裏切る、そんなことを考えなくなる、いやそもそも考えるという行為すら不可能に……フフフ」

 

 おーい! 最後! 最後なんか人権侵害の匂いがしますよー!

 なんか、脳に頭空ける的な行為じゃねーの?

 ちょっと待ってよ、現代ですよ? 現代社会でこんな人のお脳味噌を迫害するような行為が許されていいわけ?

 いや、ダメだろ。言っとくけど俺、ここから無事脱出できたらこのサークルのこと全部暴露っちゃうよ?

 

 実は組織とか言いながら、先輩一人しかいないワンマンサークルだってこと!

 俺がサークル入部したその日、俺が退室した後「や、やったやった! 遂に部員ゲットデス! ……嬉しいデスっ」ってぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでたこと!

 弁当を食べてる時、ものすっごい笑顔なこと!

 結構な頻度でローブに躓いて転ぶこと!

 黒いローブの下、実は下着だけ!

 先輩は寝るとき、全裸派!(靴下除く)

 俺の中学生時代のあだ名は『倒れたままのダルマ』!

 世界のどこかには幼女が統治してる国が存在する!

 もしも世界が素直になれない幼馴染だけの村だったら!

 俺はまだ本気出してないだけ!

 

 全部ある事からない事まで捏造して……言っちゃいますよ?

 それがイヤなら、秘密が漏れないようにしっかり確実に俺にトドメを刺しておくべきですぞ!

 ……ん? おかしいな、俺が助かる方向じゃなくなったぞ?

 

「世にも恐ろしい罰、それは――」

 

 先輩は口元を歪ませながら、呪詛を呟くような口振りで言葉を紡いだ。

 俺は悟った。俺の人生、ここでDEAD ENDだって。だって出会い頭に人に睡眠魔法(という名のスタンガン)ぶちかますクレイジーガールだぜ?

 肉体的に死ぬ、もしくは社会的に俺を殺すことだって躊躇するはずがない。

 

 俺の脳裏に大切な人たちの幻影が浮かんだ。

 

 雪菜ちゃん、エリザ、大家さん、母様、先立つ不幸をお許し下さい。

 俺、一ノ瀬辰巳は、このド田舎の大学で生涯を終えることになりそうです。

 雪那ちゃん、実家の俺の部屋、天井に隠してる一ノ瀬辰巳×ドラゴンボールのクロス漫画、燃やしておいてください。

 エリザ、畳の裏に貼り付けてる18禁書目録、近所の中坊の帰り道にさりげなく置いてあげて下さい。

 大家さん、俺のこと見上げてる時、タマに服の隙間からキワドイとこ、見えたりしてたこと黙っててスイマセン。

 お母様、中学1年生の夏、俺に下の毛が生えた情報を近所にリークしまくったこと……絶対に許さねえ! おかげそれから1年間、マダム達の視線は俺に釘付けだよ! 中学生の繊細な心は傷ついたよ! 俺あの世に行ったら『俺は地獄でもいい! だがあの女だけは絶対に天国に行かせないでくれ!』って天使の偉い人に頼んどくから! ざまあみろ!

 

 ……ふぅ、これで死ぬ準備はできた。

 だが、俺もただでは死なねえ。死ぬときは、会長、あんたも一緒だぜ?

 まあ、縛られてる状態で相打ちにはできないから、あの世で<デス子先輩、毎週金曜日はノーパンデー!>って噂を広めとくくらいしかできんな。

 あんたがあの世に来たとき、道行く天使達に週一でいやらしい視線を向けられる謎、解けるかな?

 

 俺は次回(あの世)への布石を打ちつつ、デス子先輩から罰を受けいれる覚悟を決めた。

 先輩は罰についてこう言った。

 

「次回の会合の幹事、それを全て――アナタに任せます」

 

 まるで死の宣告をするように、重々しい口調で……そう言ったのだった。

 

「は?」

 

 聞き間違いかと思った。

 だって罰にしては軽すぎる、っていうか特に罰になってねえ。

 罰ってのは普通、正月に親戚が集まった居間で甥っ子に「お兄ちゃんは学校卒業してから今は何してるの?」って尋ねられたり、自作の小説を母親に朗読されたり、父親が突然「オレ、仕事やめてユーチューバーになるわ」とか言い出したりすることでしょ?

 

 こんな飲み会の幹事なんて、罰でもなんでもない。

 

 だから俺は「へ?」って間抜けな感じで聞き返した。

 

「いや、罰って、それだけですか?」

 

 俺の言葉に先輩は、挫折しダークサイドに堕ちんとする主人公を見下ろすように笑った。

 

「フ、フフ、フフフ! どうデス!? 恐ろしいでしょう!? 全て、デスよ? お店の予約方法や入店方法の確認で頭がいっぱいになり、まともな日常生活を送れることはできないものと思っておいた方がいいデス。おタバコはお吸いになりますか?と聞かれたときの対応法……アナタに分かりますか? ラストオーダー、グラスコウカンセイ、ゴヨウノサイハソチラノボタンヲ、ホカノオキャクサマハナンジゴロイラッシャルノデショウカ……未知の言葉に怯えるアナタの顔が浮かびます――フフフ……!」

 

 ローブの裾で口元を隠しながら笑うデス子先輩を見ながら思った。

 この人も、友達、いないんだな……って。

 多分、この歳になるまで居酒屋に行ったこと、なかったんだろうなって。

 初めての居酒屋に一人で……俺はその光景を脳裏に浮かべ、そっと心で涙した。

 

「フフフ……! どうデス? 頭を下げ、心の底から請うならば……ワタシが作った『居酒屋予約の書~予約から当日の精算~』これを貸してあげることもやぶさかではありませんが?」

 

 ローブから取り出した手書きの冊子をまるで賢者の石の様に見せびらかしてくるデス子先輩に「分かりました。その罰受けましょう。でもそれはいりません」と返した。

 すんなりと罰を受け入れた俺に、先輩は「恐怖を知らないというのは……本当に滑稽デスね」とか言いながら不敵に笑った。

 

 というわけで次回の会合の幹事を任せれた俺は、早々と縄を解いて貰い、部室から退出することにした。

 退出する直前

 

「あ、言い忘れていましたが……」

 

「はい?」

 

「その髪型、似合ってますよ」

 

「あ、どうも……ありがとうございます」

 

 不意にかけられた言葉に、俺から出た言葉は嘘偽りない、真実の言葉だった。

 人に褒められたり、お礼を言われたりするのは、何というか……痒くなる、心が。

 それは多分、俺の心がそういった言葉に耐性がないからだろう。他人との関わりが極端に希薄だったから。

 

「どうしました? 顔が赤いデスよ?」

 

「い、いや何でも、ないです」

 

 あちらからすれば、何とはない社交辞令的なものだろうが、どうしてこうも恥ずかしいのだろうか。

 くそう、俺の心よ、もっとエヴォれよ! エヴォって『はい? 髪型っすか? あー、もうこれで20回目だわー。似合ってるって言われたの20回目だわー』とか言い返せるようになってくれ。

 そんなんじゃいつまで経ってもモテロードに入れないぞ! 入り口どころか、その存在すら怪しいところだけども。

 

「髪型を変えたということは……やはり失恋デスか?」

 

「一言多いな!」

 

 真顔でそう言った先輩に返した俺の言葉は、俺の心から出た嘘偽りないツッコミだった。

 やはりって何だよやはりって……。

 

 部室から出ると、廊下の照明は全て落され、アラウンドダークネス、深い闇に覆われていた。

 

「はぁ?」

 

 人の足音、気配が全くしない。

 おやこれは? と携帯を見てみると現在時刻は22:00。

 夜の10時ですか、そうですか。嘘は言ってないですね。

 俺12時間近く失神してたわけですね。

 

「あの女……単位落としたらどうしてくれるんだよ」

 

 責任とって養ってくれるんでしょうね。言っとくけど三食鯖の味噌煮付きTSUTAYAまで3分、起床時と就寝時にキスがないと養ってやられないんだから!

 鯖の味噌煮は缶詰でも可!

 

 俺は妄想内で先輩を筆舌しがたい恥辱に塗れさせながら帰宅した。

 帰宅中に気づいたのだが、不思議なことにトイレから出た後あげていなかったズボンのジッパーが上がっていた。

 ジッパーを上がったということは、そこに人為的な力が加わったわけだ。しかしそれを俺が行うのは、気絶していた為不可能。

 つまり俺が気絶している間に、何らかの力が俺のジッパーに発生したとしか考えられないわけだが……一体なにが。

 わ、分からない……帰ったらでんじろう先生に電話で聞いてみよーっと。

 

 家に帰ったら、エリザが「遅い!」とカンカンに怒ってた。

 

「こんなに遅くなるならちゃんと連絡してよっ、心配したんだからっ」

 

 とちょっと涙目で言っちゃうエリザに『別に辰巳君がどこで何をしようがあんたには関係ないでしょ!』と俺の乙女的な部分に出てきて言ってもらおうと思ったが、女ってやつは怒っていると手がつけられないことは知っていたので、下手な言い訳をしないで有りのままあったことを話した。

 

「大学の先輩にスタン狩られて、こんな時間までお寝ンネしちまってました。すまんこって」

 

「辰巳君のバカっ! もう知らないっ!」

 

 と更に怒らせてしまった。エリザは「そこのご飯勝手に食べたらいいよ! レンジでチンして温めればいいじゃん! サラダはチンしたら許さないからっ」と言い放ち、押入れの中にスーっと消えてしまった。

 世の中ホントのこと言えばいいってモンじゃないんだなぁ、じゃあホントのコトってどこで言えばいいの? 穴掘ってそこに叫ぶの? 現代社会で外に漏れないくらいの穴掘ったらポリスメンに叱られちまうなあ……世間は世知辛い、とか思うのだった。



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世界中どこへだって10秒(これが縮地を超えた縮々地を超えた――縮々々地!)

 幽霊との同居を始めて、俺の日常は凄まじい変化を遂げた……なんてことはなく、フツーの日々が過ぎていった。

 

 部屋に幽霊は増えようが、俺を取り巻くセカイは変わらない。

 

 同居人が1人増えたくらいで、人生のレールが大きく変わることなんてないらしい。 

 

 

 そんなある日。

 

「ふんふんふふーん

 

 部屋で育てているカイワレ大根に水をあげている幽霊少女の背を見て、俺はあることに気付いた。

 

 少女はふわふわと浮きながら、手作りの如雨露で水を降らせている。

 俺は彼女を見て、このまま寝転がってテレビを見ているフリをして柔道の授業でさせられた運動(仰向けになって左右の足を交互に床を蹴って進むヤツ)で彼女の下まで行けばパンツが見れるんじゃないだろうかという画期的なアイデアを思いついたが、それとは別に彼女が着ている服を見て、あることに気付いたのだ。

 

 今彼女の服は、どこぞの学園の制服。昨日はどこぞの学園のジャージ。

一昨日は制服、その前はジャージ、その前は制服、たまに上ジャージ下制服のスカート、以下ループ。

 

 俺は思った。

 

 あれ? それ以外の服、見たことないなぁって。

 

 だから聞いてみた。

 

「なあ、エリザさあ」

 

「ん? なーに?」

 

「ジャージと制服以外の服ねーの?」

 

 俺が聞くと、エリザは「あー」とちょっと気まずそうな顔でうなずいた。

 

「そうだねー。無いねー、でも別に大丈夫だよ。上手いことローテーションしてるし」

 

「二着でローテもなにもねーだろ」

 

 組み合わせ4種類しかねーじゃねえか。

 あ、いや、でも下をパンイチ(ウィッチスタイル)にすれば、もう少し増えるか?

 ただパンイチだと恥ずかしがって料理作ってるときとか、俺の視線が気になってモジモジしちゃうんじゃ……それも含めてのファッションか。

 ファッションって奥が深いな……。

 

 ただファッション云々はおいといて、同居している人間の服が二着しかないのは由々しき事態だ。ひいてはこの家の主である俺の沽券に関わる。

 

「なんか服買いに行くか」

 

「い、いーよっ、大丈夫だよっ。 ……そ、そもそもそんなお金ないし」

 

「あのなぁ、そんな服の一着や二着買えないくらいの貧乏だと本気で――」

 

「はい」

 

 少女は制服のスカートの中から何かを取り出した。

 俺には見覚えのないそれは、世間一般でいう『通帳』というものだった。

 エリザは通帳の中身を開き、パラパラと捲り、「ここ」とあるページを俺に見せた。

 そのページに現れた現在の預金総額である数字は、何だか見ているだけで尿を我慢している時のようなもにょもにょした感覚に陥る、非常に心もとない数字であった。

 この通帳の持ち主はさぞ幸薄い顔をしているのだろう。

 

 エリザは俺が誰ぞの通帳を見たのを確認した後、俺に同意を求めるかのようにコクリと頷いた。

 

「ね?」

 

「いや『ね?』じゃねーよ。その尿もにょな数字がどうしたよ」

 

「尿もにょ?」と首を傾げるエリザ。

 そのどこかの誰かさんの預金通帳が、俺に何の関係があるのか。

 

 エリザは通帳を閉じ、俺に向けて表紙を見せてきた。

 そこにある名前――『一ノ瀬辰巳』

 へえ、あんたも一ノ瀬っていうんだ……?

 

「これ辰巳君の通帳だよ」

 

「は? 俺の……通帳? え、いや……え?」

 

 その尿もにょな貯金額が……俺の?

 あ、いや確かにそれくらいだろうとは思っていたけど、実際に目にすると……。

 

――うわっ、俺の貯金額、低すぎ……?

 

 具体的な数字は敢えて言わないけど、この数字だと初めてベジータ襲来してきた時、悟空負けちゃうな……。

 

 そもそも俺、通帳作った覚えが無いんだけど。

 

「辰巳君いっつもお金とかその辺に放り出しとくでしょ? だからわたしが作ったの、ネット使って」

 

 カチカチとエアマウスをエアクリックするエア少女。

 

 我が家のマネー事情はこの女が掌握してたのか……。

 いや、別にいいんですけどね。

 害はないし。助かってるし。

 

「わたしも頑張って節約とかしてるんだけどねー、やっぱりカツカツなんですよ。カツカツ」

 

 一丁前に主婦の様な口を聞きやがる。

 

 節約か……。部屋でカイワレを育ててるのも、俺に大学帰り公園でペットボトルに水を入れるようにさせてるのも、食事後に『皿洗いのスピードが上がって水道代が減るから』って理由で頭を撫でさせるのも節約ってわけか……。

 

 ほんまエリザちゃんの節約っぷりは心に染みるで……。

 よーし、ここは俺も何か節約して家計の手助けをしよう!

 んー、そうだな……よし! 自分のホームページを開設して、前々から脳内で進行してるイカ娘二次を掲載! アフィでボロ儲け! はいきたこれ!

 

「だから、わたしの服なんて買う余裕ないの。ただでさえ、わたしの分のご飯作るようになってから、カツカツ度が増したのに。ムリだよー」

 

 にへらと笑いながら顔の前で手をぶんぶん振る少女。

 

 そんな少女を見て、俺は自分が情けなくなった。

 家事全般をさせている上に、服を買ってやる財力もない。

 俺ってサイテーじゃないか? こんなんじゃ、イカちゃんにも嫌われちゃうよ……。『人間的にクズじゃなイカ?』とかタイトルコールみたいに言われちゃうよ! 嫌だぁー!

 

 俺はスクリと立ち上がった。

 

「え? どこ行くの?」

 

「服を……用意してくる」

 

「え、でもお金が……。……っ! だ、駄目だよ辰巳君! いくらなんでもその辺を歩いている女の子から服を奪い取るなんて!」

 

「しねーよ。お前俺をなんだと思ってるの?」

 

 んなコトしたら、速攻で豚箱インからのネックギルティ(絞首刑)のコンボだろうが。

 つーかそんなスキルあったら、アキバでトリップしてるわ。

 

「ち、違うの? そ、それじゃあ……命を引き換えに練成するの!? そ、その気持ちは嬉しいけど……やっぱりダメ!」

 

「だからちげーよ」

 

 俺の命安すぎね? 何で女の服如きと等価交換なんだよ。

 

「いいから黙って待ってろ」

 

「で、でもぉ……」

 

 女の感傷には付き合ってられないので、無視して部屋を出た。

 

 向かう先は101号室。大家さんの部屋だ。

 

 右手で三回ノックすると中から「どなたですかー?」と甘ったるい舌足らずなボイスが返ってきた。このままノックで『あ・い・し・て・る』ってモールス信号を送って大家さんルートに途中したい誘惑に駆られたが、大家さんにモールス信号解読技術が無ければ、ただ無言でノック音が続くホラー的空間が構築されそうなのでやめておいた。

 

 普通に「ども、一ノ瀬です」と言い返す。

 

「あ、はーい。ちょこっと待ってくださいねー」

 

 と言われ、10秒ほど待つと目の前のドアが開いて、その隙間からぴょこんと大家さんが体を出した。

 大家さんの姿を見た瞬間、俺は衝撃に体を仰け反らせた。

 

「あははー。一ノ瀬さん、おこんばんはー」

 

 大家さんが……眼鏡をかけている。

 ちょっとやぼったい感じの縁が太く黒い眼鏡だ。

 

「お、大家さん、それは?」

 

「はい? ……あ! ちょ、ちょっ、これは、その……眼鏡、です」

 

「Exactly(その通りでございます)」

 

「……うぅ。うっかりかけたまま出てきちゃいました。……似合ってないですよね? あ、あの他の人には内緒にしてて下さいね?」

 

 よーし! 大家さんのプライベートゲッツ!

 いいじゃんいいじゃん。ぶっちゃけ小さなお顔に対して、眼鏡が大きすぎるせいで似合ってないけど、そこがギャップがあって、何か……いい。

 俺のなんちゃって眼鏡じゃなくて、ちょっとかけ慣れてるのがまたよし! 眼鏡キャラ不人気の呪いは今打破された! みみみ先輩の時代は来た!

 

「大家さん顔小さいですから、眼鏡大きく見えますね」

 

「で、ですよね! だからイヤなんですよぉー。なんか眼鏡にかけられてる、みたいな感じがして」

 

 『眼鏡にかけられる』という言葉に俺の性欲を司る部分が、反応したが、何故だかわからない。

 

「あ、それで私に何か用ですか? もしかして遊びに来てくれたんですかっ? だったらちょうどよかったですっ、『絶対包囲INF』手伝ってください! あれ、もー、昨日から50回くらいトライしてるんですけど、一向にクリアできなくて!」

 

 じゃあー、俺、昔、蟻に酸かけられてその時に感じた不思議な刺激が忘れられずに今日も過酷な最前線で戦う……って設定のペイルウイングしますねー――とノリノリで参加しようとしたが、脳内司書ちゃんが『服の件!』ってカンペを出してきたから、本来の目的を思い出した。

 

 ああ、そうだった。俺は苦笑しつつ言った。

 

「あー、スイマセン。遊びに来たわけじゃないんですよ」

 

「え? あ、あー、そうなんですか? 残念です」

 

 少ししょんぼりする大家さんに、罪悪感がちりちり。

 

「ちょっとお願いがあって」

 

「お願い、ですか? いーですよ、何でもお願いしちゃって下さい」

 

 落ち込んでいた様子から一転、大家さんはパッと笑顔を浮かべた。大家さんって頼み事とかされるの好きなんだよね。

 

 それはそれとしてさ……モー、大家さんすぐそうやって『何でも』とか言っちゃうー。俺はさ、紳士だから『何でも? だったら大家さんのさくらんぼが食べたい!』とかを妄想で済ましちゃうけどさ。世の中俺みたいな優しい賢狼だけじゃなくて、むしろ飢えてる狼、いわゆる餓狼の方が多いの。

 そこんとこ大家さんは分かってない。男が持つ野生ってやつを知らない。そんなんじゃ、配達員を装った狼のぱっくんちょ(性的な意味で)されちゃうよ?

 ここは、一つ俺が男の怖さってヤツを教えてあげないとな。一ノ瀬辰巳の人間試験、ここに開始!

 

「あの、実はウチの幽霊がちょっと……急に反抗してきて。恥ずかしながら追い出されてしまって……」

 

「ええ!? ホントですか!? わ、分かりましたっ、私が行って成敗を――」

 

「いえ大丈夫です。一晩立てば落ち着くでしょう」

 

「は、はあ……そういうものなんですか?」

 

「それで、今日、ちょっと寝る場所がなくて。もし良かったら……大家さんの部屋で、一晩明かせたらなあ、と」

 

 さあどうだ?

 ちょっと仲よくなったくらいで、男ってやつはすぐに調子に乗る。

 一晩泊まるだけ? 何もしない? ただ寝るだけ? ――んなわけねーだろ! 一晩泊めたらもう既にコンバートしたも同然だろうが! 通信ケーブル直結確定だろうが! ユンゲラーがフーディンになっちゃうんだよ!

 

 そんな男の恐ろしい欲望を前に大家さんは平然とした顔で言った。

 

「いいですよー。あ、パジャマだけは用意してて下さいね。私の服を貸してもいいんですけど、流石に大きさとか無理だと思いますし」

 

 「ぶかぶかですよー」なんて言いながら割烹着の袖からちょこんと指の先を出しちゃう大家さん。

 

 あ、ダメだわこの人。

 防御力低すぎ、男舐めてんわ。いつか男関係で泣きを見るね。んで、乱れた服のまま俺の部屋にやってきて『え、えへへ……わ、私、汚れちゃいました……』的なNTR展開になるね。んで俺が『大家さんは汚れてませんよ。俺が全部……忘れさせてやんよ……』的なNTRゲーの純愛EDに突入しちゃうね。

 でも見捨てることはできない。今まで色々とお世話になった人だ。この人のおかげで俺はこうして大学生活を送っていられる。

 

 守りたい、この向日葵の様な笑顔。

 

 次はこれだ。

 俺は頭をカリカリ掻きつつ、明後日の方を向きながら、チラチラと大家さんを見つつ次の台詞を吐いた。

 

「あ、実はその、俺って……同じ布団に誰かいないと、眠れないんですよ。だから、その、えっと一緒の――や、やっぱり、な、なんでもないですっ。この話はノーゲーム(なかったこと)に!」

 

 さて、さて。

 ここまで来れば、もう分かるだろう。男はいつだってあんたを狙ってるんだよ。

 だからさ、いつか現れる王子様が来るまでは防御力を高めてほしい。俺からの願いだ。

 

だが――

 

「お、同じお布団ですか……。えっと、あー……はい。わ、分かりました。そうですね……はい! いいでしょう。同じお布団で寝ましょう」

 

 「しょうがないですねー、一ノ瀬さんってば。甘えたい年頃ですか? お家が寂しくなっちゃったんですか、ふふっ」なんて母性的な笑みを浮かべちゃう大家さん。

 俺は戦慄した。

 

 ――なんて――ノーガード戦法――。

 

 おい、なんだよこれ……。この大家さん、バケモノかよ……。

 もうここまで言えば、男ってやつが分かるだろ!?

 男はいつも牙を剥いてて、いつでもあんたの首に食らいつこうとしてんだよ!

 何で分からないの? もしかして誘ってるの? まさか大家さんに限ってそんなことはあるまい……。

 だとすると何で? こんな露骨に狼アピールしてるのに――も、もしかして。ただ単に俺が男と思われてないだけ? 生物学的にはそれなりに男なんすけど……。

 

 でも、そう考えると辻褄が合うよな。俺の前で大家さんがやたら無防備なこととか……(胸チラの件)

 普通ちょっと仲良くなったくらいで、男を部屋に上げないよな。

 でも、それが全く異性として認識していないなら話は違う。

 異性として認識されてない状態から始まる恋なんて……ないよ。

 

「で、でも私のお布団すっごい小さいですから……か、かなりくっつかないといけませんね! えへへっ」

 

「はい、そうっすね……」

 

「一緒にゲームしましょうね! こ、今夜は寝かせませんよ?……なんちゃって!」

 

「あ、スイマセン。俺やっぱり帰ります……」

 

「えぇ!? お、お泊りは!?」

 

「お泊りはない。いいね?」

 

「あ、はい」

 

 俺は肩を落としながら、大家さんの前から去った。

 辛いヨ……ちょっと気になってる女の子から『男として見てないから』って言われるのは、嫌いって言われるより辛い……。

 

 俺のメンタル値はみるみる下がっていった。

 もし眼の前に拳銃が落ちていたなら、即座にロシアンなルーレットに挑んでいただろう。そんなどん底メンタルのまま部屋に帰る。

 

 部屋には両手を胸の前で組みながら、こちらを案じているエリザがいた。

 

「あっ、辰巳君おかえり。……え、えっと……どうだったの、かな?」

 

「すまない……俺、無力だ。女の子の服一つ用意できねえなんて……屑だ。……俺ってほんと屑」

 

 ああ……気分がどん底まで沈んていく……。

 こんなに落ち込んだのは、高校の時に好きだった女の子を映画に誘ったら『その日家の用事があるから』って断られて、仕方が無いから妹と映画行ったら、映画館でイケてる大学生風の男とイチャイチャしてるその子を見た時以来だわ。

 その日の晩から、3日3晩相手の男がイ○ポになる呪いをかけ続けたのは、よく覚えている。

 ちなみに俺の呪いは全くきかず、それどころか相手の男は精力絶倫になったらしい……(クラスでその子が話してるのを聞いた)

 でも、最近テレビの『大家族スペシャル』でその子が9児を抱える肝ッタマ母さんになっているのを見て、何だか微笑ましい気持ちになった。

 

「だ、大丈夫だよっ。わたし服カワイイ服とかなくて全然大丈夫だし! ほ、ほらっ、幽霊だから他の人には見えないから……ねっ?」

 

 エリザが俺の周囲を飛び回りながら、そんなことを言う。

 俺の失敗をフォローしてのことだろうが、その健気な言葉の数々が逆に俺の精神にダメージを与えていることに気付いているのだろうか。

 

「ほ、ほらっ。辰巳君が行ってる間に、ドーナツ作ったのっ。お豆腐使っててヘルシーだよー。ねっ、一緒に食べよっ?」

 

 それにしても優しい女の子だ、それに比べ俺のクズっぷりたるや……。

 本当にこのままでいいんだろうか。俺の人生このままどん底街道まっしぐらでいいの? 魚でいったら海底を這うもの(ヒラメ)だぜ?

 ヒラメとか……もし、海の中でイカちゃんに出会っても無視されちゃうよ……。

 

 そんなのは嫌だ!

 

 俺は、そう……イルカだ!

 世界で二番目に知性溢れる生物、イルカでありたい!(ちなみに一番はネズミ、人間は三番目だって。映画で見た)

 それで運命的にイカちゃんと出会って『お主、なかなか知性溢れる顔してるでゲソ。一緒に侵略活動しなイカ?』って誘われ鯛!

 

 絶望的な状況にこそ光は現れる。

 俺にとっての光――これが俺のイカちゃん攻略ルートだ! 俺は! 俺は――

 

「俺はイルカだ!」

 

「辰巳君!? ど、どうしたの? た、辰巳君はイルカじゃないよ?」

 

 俺の海洋生物宣言に心底心配した様子で語りかけてくるエリザ。

 何だか頭がパーになっちゃった子を心配するような接し方だが構うまい。とにかく今の俺はイルカだ。イルカになった青年だ。

 

 俺は再び立ち上がり、玄関に向かった。体が軽い。こんなの初めて!

 今の俺なら何だってできる気がする。大統領だってぶん殴ってみせらぁ! 

 

 部屋を出る前に、エリザへと振り返る。

 

「なあエリザ、俺の生き様、しっかりと目に焼き付けろよ?」

 

「え? あ、う、うん。……うん?」

 

 俺は再び、大家さんの部屋の扉の前にいた。

 そして力強くノック。

 

「はいはーい、どちら様ですかぁ……って、一ノ瀬さん? あ、やっぱりお泊りですかっ?」

 

 「今夜はフィーバーですねっ」と両手を合わせながら満面の笑みを浮かべる大家さん。

 俺は大家さんとお泊りという誘惑をつらぬき丸で貫き心の中のゴミ箱に放り投げた(ゴミ箱を空にはしなかった。いつか元に戻す予定)。

 

 そしてイルカの様な流線的な動きで、頭を下げる。

 

「大家さんっ! ――服を下さい!」

 

 

■■■

 

 

 俺の発言に何の誤解をしたのか、顔を真っ赤にして、随分長い沈黙の後、俯いたまま着ている服を脱ぎだした大家さん。

 事情を説明し、今家にいる幽霊に着る服が無いことをしっかりと伝えた。

「ああ、はいはい! そーいうことですか! び、びっくりしましたよ……いきなりルートに入っちゃったかと……」とか意味不明なことを言う大家さん。

 そして服を取りに部屋へ……と思いきや、足を止めた。

 

「……んー?」

 

 何故か大家さんの反応はあまり芳しくない。

 俺の予想では『あっ、そういうことですか! おっけーだにゃん!』とか快い返事を返してくれるものだと思っていたが。実際は顎に人差し指を当て、何やら思案顔をしている。

 

 どうしたんだろうか?

 

「あの、俺、何か変なこと言いましたっけ?」

 

「いや、変なことというか……幽霊さんに服なんているんですか?」

 

 ここでまさかの幽霊差別発言。

 まさか大家さんの口から特定種族を蔑視する言葉が出るなんて思いもしなかった。いや、そりゃあ人間なんだがら、苦手や嫌いな相手がいるのは当然だけど。

 大家さんだけは、全てを受け入れる母なる海のような人間であって欲しかった。

 

「い、いや幽霊っつても、ほら着るものないと裸なわけで……」

 

「裸だと何か問題あるんですか? 幽霊なのに?」

 

 きょとんと童女のような仕草で首を傾げる大家さん。そんな愛らしい仕草とは裏腹に、言っていることは残酷この上なかった。

 

 なんてナチュラルに幽霊を差別するんだ……!

 確かに誰だって妬み恨みの感情は持つよ。それでも大家さんにはそういう差別的発言はして欲しくなかった。俺みたいな奴に優しくしてくれる大家さんは全てを受け入れる広大で恒久的な優しさを持って欲しかった。

 

 まあ、それはそれとして幽霊をディスるのはいただけませんな。

 ただでさえ最近カワイイ幽霊ちゃん出てくる漫画とか増えてきたじゃん? 夕子さんとかひな子ちゃんとかぼたんちゃんとか……。

 そういう風潮の中で幽霊ちゃんディスっちゃうと、ファンからのバッシングが怖い……大家さんそれ理解してるのかな?

 

「んー、ちょっと待って下さいね」

 

 大家さんはそう言うと、ぱたぱたと足音を立てながら部屋の中へと戻っていた。

 一分もしない内に戻ってくる。その手にあるのは……スケッチブック?

 

「幽霊ちゃんっていうのは……」

 

 大家さんがスケッチブックを胸の前で固定し、ペラリペラリとページを捲っていく。

 大家さんは身長が低いので、俺の視点からだとページの中身、大家さんが書いたであろうイラストがちらちらと見えた。

 

 大家さん絵上手いな……。

 漫画とかアニメのキャラが、整合性のないパラパラ漫画の様にくるくると現れては消えていく。

 限定的動体視力スキルB(アニメとかで主人公の部屋のフィギュアとか棚の漫画のタイトルを完璧に読み取ることができる)持ちの俺には、一瞬で過ぎさるそれらの絵をはっきりと観ることができた。

 

 あ! キュアピースだ! お、次はアナスタシア(シャドハってゲームのキャラ)だ! 次は夕子さんか……相変わらずペロペロしたくなるソックスだ。そこからの――グリフィス! テーマ性を全く感じられない面子ですね。

 

 と、それらのキャラの中で全く見たことのない、マフラーをつけた男のキャラが見えた。

 そのマフラー男は結構描かれている頻度が多いようで、かなり枚数が多い。そして書き込みも他のキャラと比べるとかなり濃い。んー、一体何のキャラなんだ? 大家さんがここまで熱をあげるマフラー男……一体何者なんだ。

 

「こーいうのですよね?」

 

 と、大家さんがこちらにページを見せてきた。

 そこに書かれていたもの……幽霊。ただ幽霊って言っても、貞子ちゃんや夕子さんみたいな人間的な感じではなく、白い餅に目と口を付けたような……絵本の表紙を飾るような『オバケ』みたいな絵であった。

 寝ない子誰だ?みたいな。申し訳程度についてるリボンが女の子を表しているっぽい。

 

「その、幽霊さんを差別するわけじゃないんですけど……私の服じゃ、幽霊さんにはフィットしないと思うんです。ほら幽霊さんの手って凄い短いですし。ズボンとかスカートも……履けないですよね?」

 

 あー、そうか。大家さんって幽霊見えない人だったっけ。

 そりゃ誤解するわな。

 今まであの部屋で幽霊ちゃん見た奴らは、逃げ出すように部屋を出たみたいだし。大家さんが幽霊の姿について知る機会はなかったってわけか。

 

 俺は大家さんの誤解を解いた。

 

「えっ? と、ということは……普通に人間っぽい幽霊ちゃん、なんですか?」

 

「ぽいっつーか、まんま人間ですね。ご飯とか食べますし。夜は寝ますし」

 

「はー、なるほどー。それなら服もいりますねー。……ん?」

 

 うんうんと頷いていた大家さんだが、ふと眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべた。

 

「あ、あの……一ノ瀬さん?」

 

「はい一ノ瀬さんですけど、どうしました?」

 

「い、いや……一ノ瀬さんって、幽霊ちゃんと一緒に住んでるんですよね?」

 

 何を今更……つーか、そもそも大家さんの広告トラップに引っかかって入居したんですけど……。え? 本当に何で今更?

 

「一緒に住んでる幽霊ちゃんは、『おばけなんてないさ』の幽霊みたいなお餅っぽい幽霊……じゃあない」

 

「違いますよ」

 

 つーかそれだと今まで出ていった奴ら、何でそんなおばけにビビって逃げてったって話になるわけですけど。特にニックとか言う軍人。

 

「人間と変わらない、女の子と一緒に暮らしてる、わけですよね?」

 

「浮いたりすり抜けたりする以外は、まあ普通ですね」

 

「普通の女の子……同棲……」

 

 大家さんはわなわな震えた。

 

「だ、だめですよっ!」

 

「え? な、何がですか?」

 

「お、女の子と一緒に同じ部屋で暮らすなんて駄目ですよ! そ、そんな羨まし――いや倫理的に! 倫理的に問題があります!」

 

「い、いや……そう言われても……」

 

「親御さんから預かった大切なお子さんを、女の子と一つ屋根の下でなんて……駄目ですよっ! 羨ましい!」

 

 一体大家さんはどうしたんだ? 確かに女の子と一つ屋根の下で暮らすとか、一般的には問題あると思うけど……幽霊じゃん。

 しかも、一緒に暮らすことになったのも大家さんの策略に引っかかったからなんだけど。

 

「駄目って言われても、どうすれいいればいいんですか? 出て行けと? 行っておきますけど、俺ここ出ていったら行くとこないですよ?」

 

 まあ最悪、遠藤寺ん家行くけど。それが部室で寝るか……どちらにしろまともな生活を送れそうはねえな。

 

「で、出て行けなんて言いませんよ。で、でも……女の子と一緒に……こ、困りましたよこれは! 一ノ瀬さんが出ていくのは問題外ですし、でも女の子と同棲……下手したら幽霊ちゃんのルートに……くっ、こうなったら仕方がありません!」

 

 どうやら何かが決定したようだ。

 

「大家として、親御さんから預かった大切な子供さんが異性と一緒に暮らしているなんて認められません。しかし、一ノ瀬さんはあの部屋以外に行く場所がない」

 

 まあ、あの世って場所ならいつでも行けますけどね(米笑)

 

「ですから、その……私が定期的に、一ノ瀬さんの部屋に行き、問題が無いか確かめます」

 

「問題? 問題ってなんですか?」

 

「それはその……こう……あれやこれが……なんやかんやで……ねえ?」

 

 顔を赤くしてこちらに同意を求めてくる大家さんマジ大家さん。

 あれやこれやについて具体的に説明を求めたいところではありますが、下手したらポリスメンがカミングスーンなので自重した。

 

「流石に大家として、越権行為なのは分かってます。住民のプライバシーを侵害するあってはならない行為……ですが、どうか分かって欲しいんです。これも一ノ瀬さんを想うが故の行為と! 一ノ瀬さんの部屋に行く為の理由が欲しいとかそういうのじゃないと!」

 

 グっと力強く俺の手を握ってくる大家さん。

 やっべ、何か知らないけど感動した! 俺のことをここまで想ってくれるなんて!

 

 俺の中の冷静を司る部分(ローブを深く被った老人……に見せかけてローブを外すとマブい女の子)が『でも、それって大家がプライバシーを侵害する根本的な理由にはなってないですよね。そもそも幽霊が居るって知ってて住まわせたのはアナタですよね? 今さらどうこう言えるんですか?』とか囁くけど、その声は小さすぎて俺の耳には入ってこなかった。

 

「よく分かりませんが、分かりました。それなら好きな時に俺の部屋に来てください。別になんの問題もないことを見せてあげますよ」

 

 ただ、たまにスカート履いてふわふわ浮いてるエリザの下をわざとらしく通って、上を見上げる的な行為に耽ってる時がありますが、その時以外に来て下さいね。

 

 そんなこんなでこの日以来、俺の部屋に大家さんが訪ねてくることになった。

 大家さんが訪ねてくる度に、部屋の中にいる何かを威嚇したりするけど、理由は分からない。

 

 エリザは

 

「あ、キモノの人だ。あの人ここに住んでた人が出ていった後とか掃除に来るから、知ってるよ。たまにご飯とかとか持ってきてくれてたから、結構好きなんだっ」

 

 大家さん曰く、お供え物を捧げることで、一刻も早く成仏してくれるようにとのことらしいが……まあ言わなくてもいいだろ。

 

 こうしてエリザの服に、大家さんの私服が追加されることになった。



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太陽系内なら11秒(これが父さんの遺した船――縮地号!)

 我が家の食生活について語っておこう。

 

 以前、この家にエリザがいることを知らない状態の話である。

 俺がふとテレビを見ていてカレーかなんかのCMが流れ、呟く「カレー食いてぇなー」と。

 そうすると突然まるで最初からそこにあったかのように、テーブルの上に紙が一枚。

 紙にはカレーのレシピがつらつらと書かれている。

 俺、そのレシピ通りに買い物をする。家に帰り、食材を保存。

 

 ~時間経過~

 

 暫くぼんやりいていると、何とテーブルの上には見た目から食欲を誘うカレーが! 

 俺手を合わせて食べる。

 ンー、旨い! レシピの中にホールトマトがあったからか、酸味が聞いててベネ! ご飯が進む進む!  

 ……え? 今日もカレーおかわりしていいのか? よしおかわり!

 

 以上が我が家の食卓に食事が並ぶまでの行程である。

 

 纏めると俺が食べたい物を呟くとその材料が書かれた紙が現れて、その材料を買ってくるといつの間にかその料理ができていたのだ。

 

 今思うと明らかに全てがおかしいのだが、当時の俺は特に不思議には思っていなかった。

 何故かレシピが現れ、何故か料理が用意される、そんな奇妙な出来事を日常として受け入れていたのだ。

 

 多分その頃の俺は、遠藤寺ともそこまで親密じゃなかったし、大家さんともまだ距離があったりで、精神的に余裕が無かったから……そこまで深く考えなかったからだと思う。。

 

 そして現在、彼女(幽霊)の存在が明らかになった今、余計な手順を踏む必要はなかった。本人に食べたい物を申告すればいいのだ。

 簡略化が進む昨今、この部屋にも簡略化の波がやってきたのだ。

 俺はその波に乗りまくり、いずれは大学の講義、テスト、就職活動を簡略、更には面倒な飲み会、上司との接待ゴルフ、気だるさしか残らないワイフとの営み、父兄参観を簡略化し、そのままお墓にインしたい……。

 憂鬱な時そんな終末的な思考をしてしまう。こんな俺を励ましてくれるお便りはいつでも募集中(美少女限定)

 

 俺は洗濯物をぺてぺてと畳む幽霊少女に向けて言った。

 

「ハンバーグが食べたい」

 

 少女――幽霊少女ことエリザは振り向いた。

 ここで特筆しとくべきことが一つ。

 エリザは俺に背を向け、正座の姿勢で洗濯物を畳んでいた。そのまま振りかえる、反転するということは膝を支点にして回る、もしくは立ち上がり180°回転した後に座る、といった方法があるわけだ。

 しかし彼女のとった方法は違った。

 ふわぁっと正座のまま浮き、ゆらぁと宙で横回転、そしてこちらに向き直ったところで再びふわぁと沈む。

 幽霊ムーブメントここにあり!(だからなんだって話)

 

 こちらに向き直ったエリザは顎に人差し指を当てつつ返答してきた。

 

「ハンバーグ? いいよー! えへへ、わたしハンバーグこねるのって楽しいから好きっ」

 

 そんな微笑ましいことを言うこの子も、大人になったら『カレシの○○○こねこねすんの楽しいから好き、スパァ……(煙を吐く音)』とか言っちゃうんだろうなぁ。時間の流れって残酷! 誰か時間を止めて! 俺を高みへと導いて!

 あ、でもよく考えたらこの子幽霊だから大人にならないのか……。

 幽霊最高やな! みんな幽霊になればこの世の不満とか全部無くなるんじゃね?(破滅的思考) 少なくともロリコン、ショタコンの皆様は大勝利だな。

 

「ハンバーグの材料はねー……っと」

 

 俺はチラシを切ったメモを彼女の前に出し、いつもの様にレシピを書いてもらった。

 後はこの材料を買って来て、エリザの料理を作ってもらうだけだ。

 俺は財布を持って立ち上がった。

 

「ちゃっちゃと買いに行ってくるわ」

 

「うん、お願いっ――あ、ちょっと待って」

 

 俺の前に差し出したメモを突然引っ込めるエリザ。

 

 な、なんだよ……この開いた口(手)はどうすればいいんだワン!

 俺は眼の前に差し出された骨付き肉を突然引っ込められた犬の様な目でエリザを見た。

 

 メモを抱え込んだエリザは少し迷った様に口を開いた。

 

「……やっぱり駄目」

 

「あ?」

 

「辰巳君、買い物行っちゃ駄目」

 

 あァ? 今こいつ何つった? 駄目? 駄目っつったの?

 え? 何様? 何様のつもりで俺の行動を制限しようってわけ?

 俺の行動を制限できんのは、ポリスと妹とイカちゃんだけだぜ?

 なにお前イカちゃんなの?違うよね。イカちゃんではないよね。

 どちらかといえば俺の方がイカちゃんに近いよね。二足歩行してるとことか。

 

「辰巳君は一人でお買い物に行っちゃだめっ」

 

 まだ言うか……イカちゃんでもねーくせに。

 

 一体何を根拠に――まさか。

 ま、まさかこいつ……気付いたのか?

 気づきやがったのか!? あの事実に!

 

 現在この部屋の家主は俺である。

 当然だろう、俺が家賃を払っているのだから。そして無論主導権を握っているのは俺……普通ならそのはずだ。家賃を払っている者が主導権を握る、それは世の中の常だ。

 だがこの家では違う。

 この家で主導権を握っているのは――眼の前のエリザだ。

 彼女はこの家の衣食住の住以外を全て担っている。彼女が突如「伏せカードオープン! <家事放棄!>」したら、俺はもれなく死ぬ。とりあえず餓死する。そういう意味で彼女は俺の命を握っていると言っても過言ではない。

 

 この事実にてっきり気付いていないものだと思っていたが……そこまで馬鹿じゃなかったか。

 

 ああ、いいだろう。

 言うことを聞いてやろうじゃないか。飯の為だ。犬の真似だろうが、何だろうがやってやるよ。だが一つだけ言わせてもらいたい。

 

 ――どうか人語だけは奪わんといて!

 

 それ奪われたら俺、身も心も犬になっちゃう!

 美少女に飼われるワンワンライフも魅力的っちゃあ、魅力的ではあるが、俺はまだその階級には至っていない。そこまで人間捨てる気ないし、捨てる予定もまあ、今のところない。将来的には分からないが。

 

 俺はそれだけは忘れないようにしつつ、立った状態から両手を前に伸ばし、前のめりに倒れた。犬にトランスフォームするのだ。

 犬になり「どうか我輩にハンバーグを買いに行かせて欲しいワン(犬なのに我輩ってのがミソ)」と切なげに囁くのだ。

 かつて容易く妹に小遣いをねだることを成功させた切なげな囁きに、耐えられるかな?

 

 俺がトランスフォームの最終段階まで至った時、エリザは言った。

 

「わたしも一緒に行くっ」

 

 と。

 想定外に発言に俺のトランスフォームは中断、中途半端に腰を曲げていたので、そのまま畳みに突っ伏した。

 突っ伏したままの姿勢のままエリザを見上げる。

 

「あ? 一緒に……何で?」

 

「だって辰巳君、いっつも高いお肉とか買ってくるんだもん! もったいなくていつもウーって思ってたの! だからわたしも一緒に行って、買う物選ぶ!」

 

 スカートを両手でぐっと握り、訴えかけてくる。

 

 確かに俺、値段とかあんまり気にせず買い物してたっけ。

 うーん、なら選んでくれた方が出費の痛手も気にせず、いいんだけど。

 

「いや、別にいいんだけどさ。……確かエリザってこの部屋から出られないんだよな?」

 

 いつだったか、そんな話をしたはずだ。

 幽霊は一度とり憑いた部屋からは出ることができないらしい。

 その他幽霊には独自のルールが色々あるらしい。やれ幽霊の姿が全く見えない人にはラップ現象などの物理的作用も観測できない、見える人間の中にもハッキリ見えたり朧げにしか見えないなど差がある、幽霊は食事をとる必要が無い、夜12時以降に食事を与えると分裂する、犯人は真ん中の死体、ラストに自由の女神象が出てくる、本編のデンゼル○シントンは何度かループしてる、コテージに集まった連中は全部主人公の別人格、キックアスのクロエちゃん可愛い……などなど。

 色々とエリザから幽霊事情について聞いたが、結局本当に知りたかった排泄関係の件がどうなってるかは教えてもらえなかった。これに関しては継続した調査でその内、ハッキリとした答えを出せると思う。

 

「それは大丈夫。辰巳君、ちょっと立って」

 

 畳みに突っ伏して一ノ瀬たたみ君になっていた俺にそんな指示を出すエリザ。

 取り合えず言われた通りに立ち上がる。

 

「それから、しゃがんで」

 

「これでいいのか?」

 

 現在俺は畳みの上でうさぎ跳びの状態になっているわけだが。

 このまま部屋の中を何十周して、ダンスでもしろってか?そういう儀式をこなすことで、幽霊の制限を解除できんのか?

 でも、儀式ってのはイケニエが必須だよな……。イケニエって大体処女の生き血とかだよな……俺も一応処女ではあるけど、それで代用できるのかな?

 

 俺が自らのアナル・バジーナちゃんについて思いを馳せていると、背後にエリザ立つ気配を感じた。

 あれ? マジでバジーナちゃん出撃? ちょ、ちょっとまだ心の準備が……。慌ててバジーナちゃんを手でガードしようとするが、やっこさんの行動はそれより早かった。

 

「じゃ、じゃあ……えいっ」

 

「ぬっ!?」

 

 想像していたのとは違う衝撃が俺の身体を襲った。

 背後から首に回されるエリザの真っ白な腕。そのまま更に背中にかかる体重。

 いわゆるおんぶの状態だ。

 懐かしい、子供の頃を思い出す感覚だった。昔もこうして雪奈ちゃんをおんぶしたっけ。転んで泣きじゃくった雪奈ちゃんを背負った帰り道。今でも覚えている。

 まあ、今は俺が雪奈ちゃんにおんぶに抱っこの状態なんですけどね(笑)

 

 さて、亀の甲羅の様にエリザを背負った状態になったわけだが。

 取りあえず立ち上がる。

 

「わわっ。た、立ち上がるなら言ってよっ。び、びっくりしたー」

 

 前兆無しに立ち上がった為、エリザの身体がビクリと震えた。

 同時に背中に当たっている小さいながら柔らかい何かも震え、俺の将軍様が暴れん坊将軍に進化しそうになった(将軍様は普段城の中で大人しくしてるけど、ちょっとテンションが上がると勝手に城から出ちゃう困った将軍なんだ)

 

 小娘(しかも幽霊)の胸の膨らみの動揺してるなんて知られたら恥ずかしいので、毅然とした態度でエリザに問いかける。

 

「おっぱ――んん。で、この状態に何か意味があんの?」

 

「うん、あるよ。こうして人にとり憑いてるとお家からも出られるの」

 

「へー」

 

 ただ、そうでもしないと自分の住処から出られないってのは、不便だなぁ。

 俺、死後の就職先は無制限覗き放題特典付きのの幽霊にしようかなって考えてたけど、もう少し別の方向も考えよっと。個人的には死んだ後に死体を美少女ネクロマンサーに回収されて、彼女を守るキョンシーとして日々過ごすルートを探してるんだけど、今のところ入り口すら見つかっていない。

 

「じゃ、行こう辰巳君! ……えへへ」

 

「いきなり笑ってどうしたよ」

 

「え? あ、えっと……辰巳君とお出かけするの、初めてだから……」

 

 恐らくは頬を染めているであろうエリザの発言に、俺の顔も赤くなった。無条件に向けられる好意に戸惑いよりも嬉しさが勝った。

 ただ同時に不安な気持ちも存在した。いつか彼女が俺に向けているこの好意が尽きた時、彼女は一体俺にどんな表情を向けているのだろうかということだった。

 心の隅でそんなことを思う。思わなければきっと楽なのに。

 

 

 

■■■

 

 そんなこんなで商店街に向かった俺たち。

 恐らくは本当に久しぶりに外に出たであろうエリザの興味は尽きることなく、見る物全てにその好奇心を向けていた。年相応の行動は微笑ましい。

 これからは一緒に外出する機会を増やそう、そう思った。

 

「わわっ、お野菜安い! あっ、あそこのスーパー、タイムセールなんてやってたの!? 商店街のスーパーってネットに情報が載ってないから……ああ、もう! もっと早く知りたかった!」

 

 ただもっと好奇心の対象を年相応にして欲しい。好奇心が完全に主婦のそれだ。

 

「もー辰巳君! コンビニで食材買うの禁止! めんどくさくても商店街で安いの買ってきてっ」

 

「……すいません」

 

 いつも俺が買ってきた食材のレシートを見てうんうん唸っている彼女には頭が上がらない。

 コンビニは近くて便利だけど、ちょっと割高なのだ。商店街の方がずっと安い。だがこの商店街には少し問題があって、出来るだけ近づきたくない……。

 そんな俺の想いも知らず、背後霊ちゃんは次々と俺に指示を出してきた。

 

「あ、次っ、あそこ! ティッシュペーパー買って!」

 

「へ、へいっ」

 

「卵1パック98円!? う、うそ……。そ、そんなことって……! た、辰巳君ダッシュダッシュ! 早くしないと売り切れちゃうよぉっ」

 

 エリザ船長の指示に従い、スーパーの中を駆け巡る。食材という大海を割って走る俺は最早ただの船だ。

 振り返り船長――エリザの顔を見る。……イキイキしていた。ちょっと目が血走っていた。

 そう、まるでスーパーの半額弁当を荒らす主婦達のように……。

 本当に連れてきて良かったのだろうか。俺はちょっと後悔し始めていた。

 

「これお一人様1パックだから……1回お店出てからもう1回買おうっ」

 

「そ、それって駄目なんじゃ……」

 

「みんなやってるからいいのっ」

 

 もしかするとエリザの中の未知なる扉を開いてしまったのでは……?

 野菜コーナーの角をドリフトしつつ、そんな事を想った。

 

「よし……これで今月かなり食費が浮くから……この調子で節約できたら、ふふっ、ふふふっ……」

 

 背中のエリザが何やらぶつぶつと呟いている。

 そこはかとなく嫌な予感がしたが、もう俺は走り出してしまっていた。もう戻れない。

 

「辰巳君! あれ! 最後の一つ! ――ああっ!? た、辰巳くんーーーーっ!!」

 

 ただこんなに元気なエリザを見られるなら、まあいいか、そう思った。

 突撃級の主婦の突進を真正面から喰らい、宙に舞いながら……そう思った。

 

 

■■■

 

 

 

 商店街のアーケードの中にある、肉屋の前に来た。

 俺の前では主婦とその娘だろう5才くらいの女の子が並んでいる。

 肉屋の親父(坊主、ハチマキ)は暑苦しい笑顔で応対している。

 

「さあ奥さん! 何にしますかい!」

 

「そうねぇ……今日はすき焼きにしようと思っているんだけど……」

 

「すき焼き! わーい」

 

 母親の言葉に両手を上げてぴょんぴょん跳ねながら喜ぶ娘。心が潤うほのぼのとした光景だ。

 肉屋の親父もいかつい顔をほっこり破顔させている。

 

「わたしこのお肉がいいー」

 

「おっと嬢ちゃん目の付け所がいいね! そいつぁうめえぜ! テイストグットだぜ! 」

 

「あら、でも高いわねぇ」

 

 家計を司る神である主婦にはホイホイ出せる金額ではないのだろう。

 だが母親としては娘のいい肉を食べさせてやりたい。

 そこで母親はこんな行動をとった。

 

「ねぇお肉屋さぁん……ちらり。もうちょっと安くならないかしら……ちらり」

 

 ロングスカートを持ち上げてのチラリズム粒子散布である。際どい所までスカートを持ち上げ、見えるか見えないかギリギリの位置で降ろす。そんな扇情的な行為を繰り返す。

 店の前を通りがかったオッサン共の目がスカートのアップダウンに釘付けになった。

 

 当然目の前でそれを見せつけられている肉屋の親父も釘付け――

 

「ちょっと奥さんそういうのは困りますって! いやいや本当に!」

 

「そう言わないで……チラリラリ」

 

「困るって言ってるでしょうが! そんな事するなら帰ってくれ!」

 

「あら、残念」

 

 どうやら肉屋は真面目なオッサンだったようだ。母親のパンチラインにも真剣に迷惑している様子。

 昨今、性に惑わされ道を外す人間が多い中、見上げたオッサンだ。

 

 ふと、母親の痴態を見上げていた娘が肉屋に声をかけた。

 

「ねーねーおじたん」

 

「ん、何だい?」

 

「……ちらり」

 

 子供は親のオウム鳥(格言っぽい)

 母親の行為を真似し、拙い手つきでスモックを持ち上げる。これには俺を含め、周囲のオッサン達も苦笑い。

 俺も子供ができたら、迂闊な真似はしない様にしようって思った。

 

 さて、娘の背伸びし過ぎな行為を見た肉屋のオッサン。

 これまた注意するのかと思いきや――

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

 大興奮。

 

 カウンターから身体を乗り出して幼女の痴態に見入っている。目を血走らせ、鼻息をフンフン鳴らし、歓喜の雄叫びをあげている。

 

 日本は終わったなって思った。

 

 少なくともこの肉屋は終わってる。

 あとまんまと高い肉手に入れて娘に「ナイスよ!」とか親指立ててる母親も終わってる。

 ああ、終末の時は近いな……。

 

 母親と娘が去り、俺は肉屋と相対した。

 よし、ここは先ほどの親子を見習うとしよう。

 

 俺は両の人差し指を頬に当て「おじたーん、このお肉もっと安くしてちょーらいっ」と首を傾げながら可愛らしく言った。

 

 これぞ奥義~幼児性限定開放~である。開放の段階は参式から零式まであり、今のは参式だ。つまりこれ以上に俺は幼児性を開放できる。

 ……この意味が分かるか?

 

 さて、俺の幼児性解放をずっきゅんハートにぶち食らった肉屋のオッサン。

 中指をおっ立ててこう言いやがった。

 

「おい坊主。てめぇミンチにされてぇのか?」

 

 坊主頭に青筋を浮べ、今にも肉切り包丁で、俺をミンチよりもヒデェことにしそう。

 

「お、おいおいオッサン。さっきの幼女との差はなんだよ。俺もまけてくれよ」

 

「ふざけろカスが! 15年おせえんだよ! 死ね! 死んで肥料になれ!」

 

 客に暴言吐きまくりの肉屋とかマジないわぁ……。しかもこのオッサン、どうやらショタもいけるらしい。

 一体ポリスメンは何をやってるんだか。すぐここに豚箱にインすべき人間がいるというのに。

 

 俺に一しきりの暴言を吐いたオッサンはようやく落ち着いたのか、何かに気づいたかのように「ん? てめぇは……」と俺の顔を見ながら言った。

 

「てめぇ、例のアパートにに最近入居した坊主か」

 

「何回かこの店に来てるんですけど……」 

 

「うっせーよ。野郎の顔なんて一々覚えちゃいねぇ」

 

 それについては同感。

 男の顔なんて覚えたって一銭にもならないよねー。まあ、チャイナドレスが似合う男の娘なら別だけど。

 

「辰巳君。あのお肉っ」

 

 背中にくっ付くエリザが俺の肩越しからニュキリと指を突き出し、ショーケースの中の肉を指す。

 

「おっさん。この肉をくれ」

 

「ちっ。なんで男なんぞに肉を売ってやらねえといけねえんだよ……。もっとロリロリした女の子に売って『オジさんのウインナーもどうかな?』とか言ってみてえよ……クソ!」

 

「おっさんマジで捕まんぞ……いやマジで」

 

「ハッ、ポリ公なんぞに捕まるかよ! 俺に触れられるのは幼女だけだっつーの!」

 

 俺はオッサンの堂々とした駄目人間発言に戦慄を覚えた。

 どうしてこうもまあ、商店街に響きわたる声でそんな性癖を暴露できるのか。周りの店の連中もさぞドン引き……している様子はない。オッサンの奇行に慣れているのか、全く無視している人間、聞き流している人間、同意している人間、オッサンに粘っこい視線を向けている魚屋のオッサン……と、そんな様子だ。

 お分かりだろうか。この商店街には変態しかいない。俺がここを避ける理由はこれだ。

 

 オッサンが肉を包んでカウンターの上に出した。

 

「ほらよっ。おら280万だ、さっさと払え。そして失せろ」

 

 さきほどこっそり撮影したオッサンが幼女に食い入る映像を警察に送りつけようと思ったが、エリザが「た、辰巳君。お、怒らないで、ね? ね?」と耳元で囁くので、くすぐったくて怒りも失せた。

 

 俺は財布を取り出し、札を一枚抜き出した。と、札と一緒に財布の中にあった写真も出てしまった。

 ヒラヒラとオッサンの目の前に落ちる写真。

 俺は写真を拾いあげようとするが、それよりも先にオッサンが凄まじい速さで写真を取り上げた。

 

「こ、これは――!?」

 

 オッサンの目がくわっと見開かれる。限界まで開かれた目が血走っており、ぶっちゃけ怖い。

 背中のエリザも「ひっ」と小さく身体を震わせた。俺もちょっと漏らしそうになった。

 

「お、おっさんさん……あ、あのその写真、返してくれませんかね」

 

 写真を食い入るように見つめるオッサンに、ちょっと腰が引ける。

 一体あの写真の何がオッサンの琴線に触れたのか。

 

 オッサンは全身を震わせながら、震える口で呟いた。

 

「こ、これは――SSランク……SSランクじゃねーか!」

 

 オッサンは俺に写真を向ける。

 そこに写っているのは――どこぞの高校の制服を着てる大家さんだ。桜が舞う校門の前に立っており、はにかみながらピースをしている。ちなみに今と容姿は変わらない。

 この写真は以前、大家さんの部屋にお邪魔になった時見せてもらったアルバムで、俺が「この大家さんマジキュートですね」と言ったところ「あげます!」と満面の笑みでプレゼントされたのだ。

 実は「キュートですね……で、いつ頃の写真なんですか?」と真相を追求しようとしたのだが……にへにへ笑う大家さんを前に、結局聞くことができなかったのだ。

 

「俺が持ってる最高ランクでも精々Aランク……いと羨ましいじゃねーか! 小僧!」

 

 オッサンが変になってきた。

 

「あ、あのランクとかってなんすか?」

 

「何だ知らねえのか? 仕方ねえ、説明してやる。この町に大家ちゃんのファンクラブがあるのは知ってるだろ?」

 

「いや、初耳なんですけど」

 

 まあ、大家さん可愛いし、ファンクラブがあってもおかしくはないか。

 

「ファンクラブ内で大家ちゃんの写真がやり取りされてるんだよ。レア度によってランクを付けられてな。基本は写真同士のトレードだけだが……ここだけの話、高ランクのやつは金銭で取引されてるって話だ」 

 

「色々と終わってますね」

 

 背後でエリザが「うんうん」と頷いた。

 

「しかしSSランクをこの目で見ることができるとは……もう死んでもいい」

 

 今度はうっとりした目で写真を見つめるオッサン。頬をピンクに染めるハゲのオッサン。無性に通報したくなった。

 

「なあ、ものは相談なんだが……この写真、譲ってくれねえか?」

 

 先ほどまでの態度はどこへやら、真摯な表情で言うオッサン。

 

「無論タダとは言わねえ」

 

 その発言にエリザがピクリと反応した。

 

「……臨時収入……貯金が増える……えへへ」

 

 エリザちゃんらしからぬ邪な感情に満ちた呟き。まあ、そういう黒い部分もペロペロしたくなる要因の一つになってますけどね。

 

 オッサンはバンとカウンターを叩いた。

 

「この店をやるッ!」

 

「馬鹿か!」

 

 思わず普段はやらないタイプの突っ込みをしてしまった。

 しかし突っ込まざるをえなかった。

 あまりにも刹那的な生き方……このオッサン近い内に間違いなく破滅する……!

 

 馬鹿と言ったことでキレるかと心配したが、写真欲しさに夢中なオッサンは気にしなかったようだ。

 

「店だけで足りねえなら、俺の命も賭ける!」

 

「お、おいおい……」

 

「それで足りないなら俺の母ちゃんの命も! 従兄弟で入院中の華京院の命も! ホームステイしているインド人、アブダルの命も賭ける!」

 

 巻き込まれた人達はたまったもんじゃないだろう。特にインド人の人。

 

 俺はオッサンの熱意に気圧されていた。

 下手に断れば、俺の命が危うい。冗談ではなく、本気でそう思った。殺しても奪い取る、狂気に満ちたオッサンの目からはそういった『凄み』が感じ取れた。

 これ以上関わりたくない。俺はオッサンからできるだけ早く離れる為に、写真を手放すことにした。

 

「い、いや店とかいらないんで……写真はあげるっす」

 

「な……ん、だと? お、おいそれはマジで言ってんのか? 俺たちの命だけで、この写真を譲ってくれるのか?」

 

「いや、命はもっといらない……」

 

 貰ってどうしろって話だ。

 いや、待てよ。

 

「あの、入院中の華京院さんとやらは……」

 

「ああ、レースゲームにハマり過ぎて失明しかけた36歳のサラリーマンだが……どうだ?」

 

「お大事にと」

 

 もし、華京院さんとやらは美人なOLさんだったら、別の展開があったかもしれない。少なくともこの世界線ではそういう展開は無さそうだ。

 

 俺はオッサンに写真を差し出した。

 

「店も命もいらないんで……どうぞ」

 

「マ、マジで言ってんのか……小僧……」

 

「ええ、まあ」

 

「お、お前……何ていい小僧なんだ……よく見るとなんだ、おまえ……結構、いい体してんな」

 

 オッサンの俺に向ける顔が幼女に向けるそれと等しくなってきたので、 早々に立ち去ることにした。

 肉を取り、背を向ける俺をオッサンが呼び止める。

 

「お、おい小僧! お前名前は!?」

 

 俺は走り出しながら答えた。

 

「遠藤寺です! ボクの名前は遠藤寺です……! じゃあ、これで!」

 

 俺は走り出した。あの夕日に向かって。振り返ることはなかった。

 友人の名前を使ったことに罪悪感はない。アイツだって許してくれるはず。多分。

 

 「いつでも買いに来いよ! 安くしとくぜ! ……ちゅ」というオッサンの声を背に受けながら、帰宅した。

 最後のキス的なものは、写真に対するものだったのか、それとも俺への投げキッス的なものなのか、それは誰にも分からない。神でさえも。

 

 色々と恐ろしい事実を知ってしまった買い物だったが、鼻歌を歌いながら気分よく料理を作るエリザを見て、まあいいかなと思った。



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並行世界移動を小ジャンプ12回(他の並行世界を滅ぼす力――縮地機械神・マタタキ!)

 一人暮らしを始めるうえで覚悟していたことが一つある。

 

 それは――奴との対決だ。

 

 奴ってのは、黒くてテカテカしててカサカサ動く、主に台所で見かけることが多い――奴だ。

 俺はアレが物凄く苦手で、もし奴と相対して仲間が『ここは俺に任せて先に行け!』なんて行ったら、これ幸いと『はい喜んで!』と居酒屋のノリで置いて逃げちゃう……それくらい苦手だ。

 見た目も、生態も、羽音も……全てがおぞましい。だってアイツら意味が分からない。顔なくなっても生きてるとか……んで暫くしてから死ぬけどその死因が餌食べられなくて死ぬからとか……マジ怖い、理解不能。

 ん、そういうえば愛と勇気が友達のパンの人も顔なくなって生きてるよな……ついでにあの人も怖い!

 

 実家にいた頃、アレが出た時はウチの頼もしい妹ちゃんが無表情で踏み潰してくれていた。

 そんな時、俺は妹ちゃんの背後で『これが人間様の力だぜ!』ってはやし立てるのが仕事だった。その後妹ちゃんが足をこちらに向けて『汚れてしまったので、綺麗にして下さい』って言われて足をぺろぺろするのも仕事だった(こっちは願望)

 

 だが、今は違う。

 今の俺は一人暮らし。正確にはエリザとの二人暮らしだ。

 もし仮にアレが出たら、俺はなんとかしなくてはいけないだろう。か弱い女の子であるエリザにやらせるわけにはいかない。

 

 俺がやるしかない。

 

 そうやって覚悟を決めていたある日、とうとう奴が現れた。

 正直今まで一度も遭遇しなかったのは、奇跡かもしれない。

 奴はどこにだっている。

 いくらこの部屋がエリザによって、綺麗で清潔に保たれていても、だ。

 奴らはどこにでも蔓延し、人の生活領域に侵入してくる。

 

 奴は仰向けで漫画を読んでいる、俺の腹の上にポトリと落ちてきた。

 

「……?」

 

 最初『とうとう俺の元にも空から落ちてくるヒロインが現れたのかしたら?』なんて思った。

 それが現時的思考でないと思い、じゃあエリザちゃんが膝枕ならぬ腹枕でも求めてきたのかな?とか思いつつ穏やかな表情で腹の上を見たら……奴がこちらをジッと見つめていたのだ。

 

 黒光りする体躯、蠢く触覚……奴――ゴキブリである。

 

 思わず俺の心の中の『いつでも帰っておいで』区画にある海の家れもんに逃げそうになった。

 でもたかがGさんがお腹の上に落ちてきただけで妄想の中に逃げてたら、イカちゃんに嫌われれる、そう思ってなんとか踏みとどまった。

 そして俺がここで気絶したら、次はエリザが標的になる。エリザとイカちゃんの為、俺は命をかけて踏みとどまった。

 

 今にもディラックの海に入水自殺しそうな意識を必死で止め、台所で洗い物をしているエリザに声をかけた。

 

「……エ、エリザー。ちょっと新聞紙取ってくれるかな?」

 

 冷静に、慌てず、騒がず。

 手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に……俺の心の先生の言う通りに。

 

「んー? なに辰巳くん?」

 

 エリザが台所からこちらに視界を向ける。

 瞬間、その動作に反応したのか、Gさんが羽を広げて飛び立った。

 

 ――エリザに向かって!

 

「え? にゃわぁぁぁぁぁぁー!?」

 

 自分の顔に向かってくるGさんに恐怖の悲鳴をあげるエリザ。

 悲鳴と取り落とした皿が割れる音が響き渡る。

 

 まずい。

 このままではエリザが大変なことになってしまう。

 具体的にはGさんに驚いたショックで転倒、皿洗いに使っていた泡が飛び散りエリザの顔にかかり、卑猥な一枚絵が――!

 

 それはそれでいいんじゃない? 心の中の悪魔が囁く。

 適度なエロスは天使的にもありですよ? 心の中の天使も囁く。

 

 ただ、それでも――俺は嫌だった。

 例えラッキースケベ的な展開を否定してでも……エリザにはいつも笑っていてほしい。

 悲しい顔なんてしてほしくない。

 

 俺がエリザと初めて会ったあの日、彼女が泣きながら言った『一人は寂しかった……』その言葉を聞き、ずっと彼女の笑顔を守っていこうと思ったのだ(そんな話あったっけ?と思う方。正解。これは俺の捏造)

 

「――!」

 

 Gさんがエリザの元に辿り着くまで、殆ど猶予がない。それこそ刹那。

 俺の体は驚くほど軽く、そして俊敏に動いた。

 立ち上がり、すぐ傍にあった漫画雑誌を手に取り丸める。そしてGさんを追い越しエリザの前に立つ。

 その動作をほぼ同時に行えた。

 

 普段の俺からは考えられない動き。人間の可能性。

 人は本当に守りたいものができた時、その可能性が開花する。

 

「た、辰巳君!」

 

 背中からかけられるエリザの声。

 守らなきゃいけない。戦わなければ守れない。今まで闘争とは無縁の人生だったけれど。闘いの本質が理解できた。

 闘うことは守ること。守る為に戦うのだ。

 この本質は決して間違ってなんかいない。

 だって今の俺は、こんなにも力が溢れてくる――心の奥の熱、信念から。

 

 Gさんは耳障りな羽音を響かせながら、俺の元へ向かってくる。顔に。

 

 俺は正眼に丸めた雑誌を構えた。Gさんが俺の射程距離に入る。

 

「――シッ!」

 

 体が自然に動いた。

 腕を動かす動作、腰を捻る動作、踏み込む動作――まるで昔からこの動きを知っていたかのように。

 

 それは記憶を参照した動き。……記憶?

 俺にそんな記憶はない。武器を持って闘った記憶なんて……ない、はず。いや、記憶の奥、もっとも原初の記憶、赤子の頃の更にその奥に――その記憶はあった。闘争の記憶。

 剣を奮い、魔力を放ち、荒野を駆け抜けた記憶が。

 

 ……なんだこの記憶は。矛盾している。赤子の前? そんなのまるで前世……前世? 前世の、記憶

 

 それを自覚した途端、原初の記憶の奥にあった枷が外れ、膨大な量の記憶が流れ込んできた。

 溺れそうになりながら、その記憶に触れる。

 前世、四天王、魔界、勇者、深淵……深淵の……リクルス。

 そうか、そうだったのか……、今全てを理解した。

 俺の存在、この世界での意味を。

 

 ゴキブリは恐らく自分が斬られたことに気づくことはなかっただろう。

それほどに速く、そして鋭く、現実離れした剣の軌跡だった。魔法のような。

 それを俺が……行ったのだ。

 奇跡も、魔法も……あったのだ。

 

「た、辰巳君? 大丈夫?」

 

 背中からかけられたか弱い言葉に、振り返る。

 少女、エリザがこちらを気遣うような表情で見つめていた。

 

 彼女を守る。この力で。

 俺はもう二度と失わない、大切なものを。二度と離したりしない。

 どこにもいかないよう、彼女の小さな体をしっかりと抱きしめる。

 

「へ? あ、え……は、はわぁ!? た、辰巳君!? ど、どうしたのいきなり!? こ、こんなお昼から、こ、こんなの……だ、だめだよ……」

 

 やんわりとした拒絶の言葉を吐きながら、体をこちらに預けているエリザ。

 俺は彼女の頬を手を当て、その唇に――

 

 

■■■

 

 

「……めだよ辰巳君。辰巳君ってば!」

 

 ん? んん?

 おかしいな。急に真っ暗になったぞ。え? もしかしてコンシューマー版? 暗転して事後? ンモー、こんなの絶対おかしいよ!

 これから俺とエリザのちゅーちゅートレインが出発するところだったのに、そこをカットするとかなに考えてんだよ!

 責任者出てこい! こんなの、俺が許さないぞ!

 

「たーつみくーん! 起きて、もう起きてよー!」

 

 待ておかしいな、色々混乱してる。一体何が起こったんだ?

 取りあえず目を開けてみる。

 

「あ、辰巳君! よかったー……もう心配したよ」

 

 視界に入ってきたのは、ドアップのエリザの顔。

 あれ? やっぱり事後? キンクリしたシーンは後に出るPC版で?

 

「辰巳君、大丈夫? 痛いところない?」

 

「え? いや……ないけど、あれ?」

 

 記憶を整理してみよう。

 部屋でごろごろしてたら、Gが俺のお腹に落ちてくる→Gエリザの所に飛んでいく→俺前世パワーに覚醒、Gをブチ殺す→エリザとちゅっちゅ→暗転。

 で、今に至るわけだが。

 

 エリザはさっき『起きて』って言ったよな。

 つまりさっきまでのは……夢?

 全部夢、なのか? 全部? 全部ってどこからが夢なんだ?

 覚醒したところ? それとも今日部屋でごろごろしてたところ? いや……そもそも俺がこのアパートに越してきたのは……現実なのか?

 今こうしてここにいること自体、現実とはいえるのか?

 俺が認識している現実は……本当に現実なのか?

 今ここにある世界は、誰かが見ている夢……胡蝶の夢じゃないと、言えるのか?

 

 と俺がマトリックス的思考に陥っていると、優しいエリザちゃんが説明してくれた。

 

「びっくりしたよー。辰巳君いきなり気絶したんだよ? わたし驚いてお皿割りそうになっちゃたよー」

 

「き、気絶? 俺が?」

 

「うん。なんか『ミッシェルさん助けて!』って言いながら泡吹いて気絶したの。……ミッシェルさんって誰?」

 

 フィギュア4レッグロックが得意な肉食系美人だよ。

 

 いや、しかし何で俺は気絶したんだ?

 理樹きゅんじゃあるまいし、ナルコなんとか煩ってないし。

 

そんなことを思いつつ、現状把握しようと部屋を見渡したら……

 

『……』

 

 背後にいたんですよ、Gが。

 ふわふわと宙を浮いてこっちをジッと見てるの。

 

 ここで悲鳴をあげながら気絶しなかったのは、すぐ側にエリザがいたからだろう。

 二度も気絶した無様な姿を見せるわけにはいかないと俺のライオン(実はノミ)ハートが頑張ってくれたからだ。

 ズリズリと後ずさり、宙に浮いたGから距離をとっているとふと奇妙なことに気づいた。

 

『……』

 

 Gが動かないのだ。

 機敏な動きがウリのGが全く身動きもせず、宙に留まっているのだ。

 不思議な事に羽を広げてもいない。

 これは一体……。

 

「お部屋ちゃんと綺麗にしてるんだけど、どうしてもゴキブリって出ちゃうんだよね」

 

 俺が今まで直接的に出さなかった名詞を、平然とエリザは呟いた。

 ほんのり眉を寄せた困り顔で。まるで『今日の夕食なににしよう、迷うなあ』と思っているような顔で。

 

「こ、これ一体どうなってるんだ? 何でその……Gが、浮いてるんだ?」

 

「へ? ああ、これねー、わたしがやってるの。えっと……幽霊的な力で?」

 

 小首を傾げながら言っちゃうエリザは可愛い。

 だがそれはそれとして、俺は納得した。

 エリザは幽霊だ。俺が彼女を認識する前から、この部屋では物が勝手に浮いたり、何もない場所から物音がしていた。

 それはエリザの力だったのだろう。

 幽霊なら、そういうことができてもおかしくない。

 

 それはそれとして、いくら幽霊的パワーで動きがとれないとはいえ、いつまでも部屋に俺の最悪の天敵が浮いているのは気分がいいものではない。

 先ほどからジッとこちらを見ている様な気がして、正直気が気ではない。

 

「エ、エリザちゃん。できればそのG、早くどうにかしてくれると、うれしいんだけど」

 

 自然とへりくだってしまうのは仕方がないことだ。

 だってこのままエリザがふとした拍子にプンスカ怒ったりなんかしたら、あのGが俺にぶつけられるのは自明の理だからだ。

 エリザは優しいからそんなことしないだろうけど。

 

「うん、分かった。じゃあ辰巳君、窓開けてもらってもいい?」

 

「あ、はい!」

 

 俺はとてもいい返事をしつつ、窓をガラリと開けた。

 さあ、森へお帰り。もうここには近づくんじゃないよ。もし帰ってくるとしたら、美少女に擬人化してからだよ……。

 

「さ、どうぞ」

 

 窓の横でドアボーイの如く、構える俺。

 

「はーい」

 

 エリザは右手をスイと上げた。

 そのままGを窓の外へと――飛ばすかと思いきや、上げた右手をぐっと握り締めた。

 ガッツポーズをするかのように、平然とした顔で。

 

 Gは俺とエリザの中間地点に浮いている。

 俺からはGの姿がハッキリと見えている。

 

 エリザが右手を握り締めた瞬間――Gを包んでいた不可視の力が凝固し、縮むような錯覚を覚えた。

 いや、それは錯覚ではなかった。

 だって……

 

『ピギィ!』

 

 まるで周囲の力で圧壊されたかの如く、その体は粉々に霧散したのだから。

目の前で弾け飛ぶGの体。

 不可視の力は未だ存在し、その肉片はその中に漂っている。

 

「はいっ、おーしまい。よいしょー」

 

 エリザは一仕事終えてスッキリした笑顔で、右手を前に振るった。

 Gの破片がふわふわと窓の外へと運ばれていく。

 俺はなんとも言えない顔で、それを見送った。

 

 そうか……エリザってゴキブリとか普通に殺っちゃえるタイプだったか……。

 俺が守ってやるって思ってたけど、そうだよな……今までウチの全部の家事やってたんだよな……。

 多分ゴキブリとか出ても俺が気づかないうちに処分してたんだろうな……。

 それも知らず守るとか……俺ってほんとバカ。

 

 

 

■■■

 

 

 Gの脅威が失われ、再び台所仕事に戻ったエリザに俺は問いかけた。

 

「エリザはその……ああいう虫とか怖くないのか?」

 

「ん? 虫? 子供の頃は怖かったけど……もうわたし大人だしっ、今はぜーんぜん」

 

 にへへ、なんて笑っちゃうエリザに、じゃあGがお腹に落ちてきてお漏らしそうにそうになった俺って子供なの?と問いかけようとしたが、それは残酷な真実を招きそうなんでやめといた。

 実際、俺のプライドは守られたわけだし。

 エリザには俺が虫が嫌いってことは、バレなかったわけだし。

 

「でも、辰巳君」

 

「ん?」

 

「虫が怖くて気絶しちゃうなんて……可愛い!」

 

「……知ってたのか」

 

 悪意なく俺を可愛いとか言っちゃうエリザに、お前の方が可愛いにゃん!とか言って飛び掛ったらどうなるだろうと思いつつ、見た目年下の女の子に可愛いと言われて赤面する俺ってひょっとして可愛いんじゃないか……?そんなことを思いつつ、赤面した顔を隠すように居間に戻って漫画を読み直すのだった。

 

 

 

■■■

 

 

 後日、アパートの庭掃除をしている大家さんに出会ったときにこんなことを聞いてみた。

 

「大家さんってゴキブリとか大丈夫な人ですか?」

 

「大丈夫か大丈夫じゃないかでいうと……まあ、実写映画を見に行った後に電話レンジで過去に飛んで無かったことにしたいくらいですね!」

 

 大家さん見に行ったんだアレ……。

 

「いや、そういうことじゃなく。ほら、部屋でいきなり出た時とか、どんな感じかなーって」

 

「はあ。部屋でですか。虫の1匹くらい、そんなの別に……」

 

 と大家さんは言葉を途中で止め、思案顔になった。『いや、ここは……うん』と小声で呟いている。

 と、大家さんはぱっと顔を上げ、両手を口横に持ってきてヨヨヨ……不安そうな表情を浮かべた。

 

「えっと私……すっごく怖いです! 悲鳴とかめっちゃあげちゃいます!」

 

「あ、やっぱりそうなんですか?」

 

 よかったイメージ通りだ。

 

「そういう女の子って可愛いですよね」

 

「か、可愛いっ、ですか? ……やった!」

 

 実際虫とか怖がって可愛らしい悲鳴あげちゃう女の子っていいよね。

 守ってあげたくなるっていうか……いや、実際俺はエリザに守られてるんだけど。

 それはそれとして、母性本能をくするよな。

 俺なんかイカちゃんが早苗に迫られて涙目のシーンで何度……ふぅ。

 

「雷とか怖がる女の子もいいですね」

 

「へ? 雷ですか? あんな自然現象……めちゃくちゃ怖いですー! 想像しただけでキャー!」

 

 大家さんが気のせいかワザとらしい悲鳴をあげながら俺に抱きついてきた。

 雷を想像しただけで悲鳴あげちゃう大家さんマジ大家さん、悲鳴がワザとらしいけど。

 大家さんの悲鳴に反応したのか、近所のマダムが集まってきてマジ勘弁。あんたら魔物かよ。

 

「お、大家さんちょっと離れて欲しいなあって」

 

「へ? あ、ご、ごめんなさい……ちょ、ちょっと調子に乗りすぎちゃいました、えへへ……」

 

周りのマダムが見ていることに気づいて、大家さんは頬を赤く染めつつ俺から離れた。

 俺の中の天使と悪魔が腕を組みつつ『何でそこで諦めるんだよ! もっとギュッとしろよ! この童貞!』とか罵ってくる。あんたら仲いいね。 結婚すれば?

 

 しかしよかった。

 大家さんが虫を見て悲鳴あげちゃう系のガールで本当安心。

 平然とした顔でゴキブリつぶす女の子は一人で十分!

 

 と、俺と大家さんの間の地面を何か黒くて小さい物がサッと走った。

 どこかで見たようなそれは、つい最近、家の中で見た、ような……。

 それは多分、とってもゴキブリだなって。

 

 俺がその姿を捉え、ハッキリと正体を見極める直前――

 

「えーい」

 

 と気の抜けた掛け声と共に大家さんが笑顔を浮かべながら、箒の背でその黒い物を潰していた。

 

「やりましたっ、今年4匹目です! ……はっ」

 

「……」

 

 俺の信じられないものを見るかのような視線に、大家さんは眼に見えて慌て始めた。

 

「……い、いや、違うんですよ」

 

「なんか今の虫っぽかったですよね?」

 

「そ、そうですか? いやー、私は違うと思いますけど」

 

「でも黒くてゴキブリくらいの大きさでしたよね」

 

「そうとは限らないんじゃないですかねー、あははー」

 

「俺にはそう見えましたけど」

 

「私には見えませんでしたよ」

 

「でも、明らかに何か潰しましたよね?」

 

「いえ、何も。ただ何となく箒の背でトンってやりたくなっただけですよー」

 

「じゃあ、箒の背見せてください」

 

「だ、だめですよー」

 

「何でですか?」

 

「もー、辰巳さんってば、女の子が見ちゃだめだって言ってる場所を見たいなんて変態さんですか? ふふっ」

 

「……」

 

「……」

 

「もう、学校行った方がいいんじゃないですかー? 遅刻しちゃいますよ?」

 

「そうですね」

 

 議論は平行線を辿り、俺は何も見なかったという結論を出した。

 笑顔でGを潰す大家さんはいない。そう、いないんだ。こんなの絶対おかしいと思うけど……いないといったらいないんだ。

 わざわざ最後に残った希望を自ら潰す必要はない。

 俺は本当の気持ちから目を背けつつ、学校へ向かうのだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

「会長はゴキブリとか好きそうですよね。黒魔術的な意味で」

 

「きゃ、きゃっ! ど、どこ!? どこにいるの!?」

 

「……いや、いないですけど」

 

「……」

 

「……」

 

「ゴホン。さて一ノ瀬後輩。アナタに伝え忘れた掟が一つあります。このワタシの前で、その名を口にすることを許されない、いいデスか? 仮に呼ぶとすればそう――例のあの人と」

 

「その名ってゴキ――」

 

「ストップ! 奴らに嗅ぎつかれます! 命が惜しければその名前は口にしないよう! ……ゆめゆめ気をつけることデス……フフフ」

 

「……」

 

「……フフフ」

 

「ゴキブリ」

 

「あああ、もう! やめてってば! 怒るよ!?」

 

 今日分かったのは、先輩が可愛いってことだった。



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俺は友達が少ない(縮地は置いてきた……これからの戦いについていけない)

 ――俺は友達が少ない。

 

 とか言うとラノベのタイトルっぽいが、実際俺には友達が殆どいない。

 20年ちょっとの人生を通して、その数は片手で数えられるほどだ(しかも妖怪人間ベムの手)

 

 その数少ない現在進行形の友人が、遠藤寺だ。

 

 遠藤寺について語ろう。一言で言うと変わった女だ。

 

 大学生にして、巨大なリボンを装備しており、私服は年中ゴスロリ。

 目つきはいつも人を観察するかの如く鋭い。

 うどんが好き。自分のことをボクとか言っちゃうボクっ娘で、実家はかなりの金持ちらしい。

 何よりも『謎』という物を愛しており、自分の周囲で起こる事件に大小問わず首を突っ込む。その生態から出身は魔界だという説が濃厚(俺の中で)

 俺のことをワトソン的な存在だと思っているのか、首を突っ込んだ事件にいつも俺を引きずりこむ。

 

 強い。事件解決時に犯人が襲い掛かってくることが多々あるが、基本ワンパンでKO。

 

 服装のせいで分り辛いが、ほどよく肉がついたむっちりとした体型(居酒屋で膝枕をしてもらった時に確信した)

 

 いい匂い。柑橘系の匂いがする。風呂にフルーツとか浮かべて入ってるらしいから、そのせいかも。

 

 ずらっと羅列してみたが、こんな感じだ。

 やはり変わっている。浮いていると言ってもいい。実際遠藤寺は大学でもかなり浮いていた。

 容姿的な意味でもそうだが、大学内で探偵業的なものをしているのもその要因の1つだろう。

 

 そんな変わっている遠藤寺が、俺のようなフツメン(顔がじゃなくて、存在的な意味ね)とどうして友達でいるのか?

 

 それこそが――最大の謎だ。

 

 よし、上手いこと言えたし、窓から大家さんを視姦しよーっと!

 おや、大家さん……木に引っかかった風船を取る為とはいえ、そんなにジャンプしたら下着が……! み、見えない……ナンデ!? 明らかに見えるくらい捲れてるのに、ま、まさか――大家さん、はいて――

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「ノーパンスタイリスト!!」

 

 というところで目が覚めた。くっそ、もう少しで夢の中とはいえ大家さんの秘密の小部屋を拝見できたのに……!

 もう1回寝るか? あ、でも同じ夢を見れるとは限らんしな……。肉屋のおっさんに賢者の石を見せつけられる夢なんて見た日にはトラウマでアズカバンに引き篭もるわ。

 

「……」

 

 と、視線を感じたのでそちら――今座っている食堂のテーブルを挟んで向かいに目を向けると、遠藤寺がいつも通りジトっとした目で俺を見ていた。

 俺は口についた涎を拭い、片手を上げた。

 

「おはよう遠藤寺」

 

「ああ、おはよう。ところで君、もしかしてだけど。もしかしてだけど、ボクの話の最中に寝ていた、ということかい?」

 

「えっ」

 

 そうだ。さっきまで遠藤寺から最近この界隈で起こっている謎の事件についての話を聞いていたんだった。

 その途中で睡魔たんがおいでおいでしてきたから、その手を握ったら寝てしまったというわけだ。

 まあ、昨日夜更かししたからしょうがない。

 エリザとおままごとしてた

 最初は普通にサ○エさん遊んでたからな。最初は軽いノリで付き合ってたけど最終的にすげえ盛り上がった。最初はサザエさん的なな世界観だったのに、最終的に銀河○英雄伝説みたいな展開に発展してしまった。深夜テンションって怖い。

 

「ね、ねてないけど」

 

「本当に? 今おはようと言わなかったかい?」

 

「それはね、お砂糖と言ったんだよ。おはようとお砂糖似てるしな、聞き間違っても仕方がない」

 

「そうかい? じゃあお砂糖遠藤寺とはどういう意味かな?」

 

 しつけーなこいつ。お前が砂糖みたいに甘くて可愛いってことだよ!とペロペロしながら叫ぼうとしたが、物理的に不可能なのでやめた。

 

「……お砂糖遠藤寺取って、って言おうとしたんだ」

 

「そうかい、どうぞ」

 

 うーん、学食のカレーに砂糖をかけちゃう困ったちゃんになってしまったぞ。

 いや、意外といけ……ないな。まあ食べるけど。せっかく遠藤寺に奢ってもらった物だし。

 

「本当に寝ていなかったのかい?」

 

「だから寝てないって」

 

「本当に?」

 

「だから本当だって」

 

「じゃあ、ボクがしていた話の内容は?」

 

 話の内容、か。

 さっぱり分からん! だって寝てたもの。いや、少しは覚えているか、プロローグ的な部分だけ。

 最近この辺りでいかにも怪しい男が、怪しい行動をしているとか。

 

 なんだ、タキシード仮面か。

 

「大丈夫だ遠藤寺。その人怪しいけど悪い人じゃないから。どちらかといえば正義の味方だから」

 

「へー、随分詳しいね。しかし奇声をあげながら忍者走りで商店街を駆け抜けていたり、小学生女子のスカートを捲り上げていたとの報告もあるんだけど」

 

「それアカン人やわ」

 

 完全にアウトじゃん、その人。セーラー戦士助ける類の変態じゃないわ。別の変態だわ。

 変態番付に乗るが議論されるレベルの変態だ。

 

「そんな変態がこの辺りにいるのか!?」

 

「ああ、その話をさっきからしていたのだけど」

 

「そ、そうだったな、うん」

 

 しかしそんな変態がいるのか。

 許せんな……大家さんを守る為にも、この事件俺が解決してやる!

 イカちゃんの顔にかけて! 違う! イカちゃんの名にかけて!

 

「しかし参ったよ。今回の事件はボクの専門じゃない。ボクは謎を解決したいんだ。変態を捕まえたいわけじゃない」

 

 遠藤寺の口から変態ってワードが出るとこう……フフ。いやいや何がフフだよ俺。遠藤寺にそういうこと言われない願望でもあるのか? ……ないとは言えないですね。

 

「でも頼まれたんだろ?」

 

「……そうなんだよ。依頼者はボクを何でも屋と勘違いしているらしい」

 

 上の方でも言ったと思うけど、遠藤寺は趣味と実益を兼ねた探偵業を行っている。

 そこそこ事件を解決してきたので、そこそこ依頼も増えているのだが、中にはこのようなお気に召さない事件もあるのだ。

 

「大変だな遠藤寺も」

 

「他人事のように言っているけども」

 

 遠藤寺はいつも通り口角を釣り上げるだけの、独特な笑みを浮かべた。

 

「当然君にも手伝ってもらうよ、相棒」

 

「変態に関わりたくないんすけど」

 

「ボクもだよ。だから今回は君に任せる。実はもう1件依頼があってね、そちらの方が実に興味深い」

 

「俺一人で変態と戦えと?」

 

 遠藤寺来ねえのかよ! 戦闘になったらどうするんだよ! 今まで戦闘面では遠藤寺のバリツに任せきりだったのに!

 つーか探偵の相棒役としての俺って、悲鳴をあげる役くらいなんだよね。あと人質にされる役。

 

「フフフ……大学の生徒会で起きた事件。生徒会長の下着が全て消失し、行方不明に。副会長が食堂で下着の繊維を発見し、そこから行方を追っているところだが……膨大な量の下着は一体どこへ消えたのか、謎だ」

 

 一番の謎は下着の繊維から会長の下着だと見抜いた副会長の鑑定眼だと思うんですけど。

 つーか、それ副会長が犯人じゃねーの?

 

「さて、ボクはそろそろ捜査を再開するよ。君も頑張ってくれ」

 

「一緒に! 一緒に行ってくれよ! 一生一緒に行ってくれや!」

 

 変態と孤独な戦いに赴く俺の動揺が、三木道さんの歌詞みたくなってしまった。

 

「……今のは胸にきた。何故かわからないけど。一生、か。フフ……君と一生を過ごすのも、考えたら楽しそうだ。フフフ……」

 

 いつも通り鋭い目で口角を釣り上げなら笑い去っていく遠藤寺。

 対する俺は泣きそうだった。

 だって怖いもん! 変態と戦うとか、そもそも俺の戦闘力はそこらの小学生並みなのに! 低学年の!

 

「エ、エリザに手伝ってもらって……イカンイカン」

 

 小学生のスカートを捲り上げる変態なんかに、エリザを会わせたくない。じゃあ別の誰かに……誰か……誰もいない。

 だって俺は友達少ないから……(タイトル回収)

 

 仕方ない、一人で行くか。いざとなったら土下座して命乞いすればいいしな。

 

 

 

■■■

 

 

 まずは情報がいる。

 とりあえず小学生女子の知り合いに会うことにした。家へ。

 

 アパートの門をくぐると、大家さんがホースで水を撒いていた。

 

「あははははっ、わーいっ、気持ちいいー」

 

 何だ天使って外界に降りてきてたのね。全裸系の天使じゃなくて残念だが……大家さんマジ天使!

 普段の割烹着の裾と袖を捲って、くるくる回りながら水を撒く大家さん。あー、浄化されるー。

 

「えーい、ウォーターブレード! ぷしゃー!」

 

 ホースの先を指で押してできた鋭い水流。それを刀のように振る。

 俺も昔よくやった。懐かしい。

 

 大家さんに近づいていく。

 一瞬、大家さんが来ている和服の袖から脇が見えた。ほんの僅かな時間だったが、俺じゃなきゃ見落としてたね。

 

「そりゃー! 『な、なんだと……禁鞭をここまで扱うとは……やはり天才か』びしびしー!」

 

 今度は鞭のように水流を振るう大家さん。セリフ付きだ。

 びしびしされたいなあと思いました。

 

 大家さんからびしびしされる妄想をしつつ、ゆっくり近づき声をかけた。

 

「楽しそうですね、大家さん」

 

「はい? い、一ノ瀬さん!?」

 

「ええ、まあ一ノ瀬さんですけど」

 

「い、いつから見てたんですか!?」

 

「ウォーターブレードの辺りから」

 

「……ぬわぁ」

 

 顔と晒した手足を真っ赤に染めて俯く大家さん。

 可愛すぎる。

 はぁ……デュエルしてぇ……。真剣デュエルで命と命をぶつかり合わせてぇよ……。

 

「ち、違うんです……一見はしゃいでいた様に見えますけど、違うんです」

 

 なおも水が流れるホースをぶんぶん振りながら、あわあわと言い訳をする大家さん。

 

「へー、ところで大家さん」

 

「子供じゃないですから! ああすれば効率よく水を撒けるからであって」

 

「うん。分かりました。で、大家さん」

 

「……あ、呆れちゃいました? いい歳してあんな風にはしゃいで」

 

「いや、正直可愛かったですけど。で、大家さん」

 

「か、かわっ、可愛かったですか! そ、そうですか……それなら、よかったかも……えへ」

 

 きっと今すげぇ可愛い表情してるんだろうなぁ。anotherなら萌え死んでるだろうなぁ。でも見えない。

 だってさっきから大家さんの出している水(意味深)が俺の顔面直撃してるから。避けても追尾してくるし。命中率高いわ。

 

 

 

■■■

 

 

 

 謝りながら俺の全身を拭いてくる大家さんに別れを告げ、目的地へと向かった。

 アパートの裏手、建物の影になっている部分に目的の少女がいた。

 白いワンピースに麦わら帽子を被ったショートカットの少女。

 格好とその容姿は夏以外のなにものでもなかった。

 

 俺はロリコンに間違われないようなオーラを出しつつ、麦わらロリ子に接近して、片手をあげた。

 

「おっすおっす。元気か?」

 

「……」

 

 影の中蹲り、アリの観察をしていたらしい少女が顔を上げた。

 ジッとこちらを見つめる。くりくりとした愛らしい瞳に俺が映った。

 

「……」

 

 少女は無言のまま傍らに置いていたスケッチブックを手に取り、さらさらとマジックを走らせた。

 笑顔でスケッチブックを見せてくる。

 

『ロリこんにちは!』

 

「……」

 

『間違った。ロリコン、こんにちは、だった! えへへ』

 

 舌をぺろりと出し、照れる少女。

 

「あのね、前も言ったけどね、俺ね、ロリコンじゃないの」

 

『え~、でもその顔どう見てもロリコンじゃん』

 

「顔のことは言うなぁ! てめぇ小学生だと思って調子乗ってると……イワスぞ?」

 

『ロリコン弱いのに、いきがるなよ。あんまり強い言葉を使うと、弱く見えるぞ』

 

 俺と少女の仲は大体こんな感じだ。

 

『で、なにか用? もう今日の分の飴はあげたよね?』

 

「ああ、ちょっと聞きたいことがあって」

 

『私の胸の大きさ?』

 

「びっくりするほど興味ない。アナ○と○の女王並みに興味ない」

 

『それは相当興味ない感じだ……』

 

 腕組みしてウムウムと頷く少女。

 こんなんでも女子小学生だ。きっと怪人物について少しは知っているはず。

 

「近頃怪しいヤツ見なかったか?」

 

『ほい』

 

 速攻で指さしてくる少女。

 

「違うよ。俺は怪しくないよ。俺はいい辰巳だからな」

 

『具体的に言って。どう怪しい感じ? 毎日近所の小学生に飴をねだっちゃうダメな大学生?』

 

「それ俺だけど、違う。小学生のスカートを捲りあげる変態がいるんだ。聞いたことないか?」

 

『かなりレベルの高い変態だな。近所に住んでいる大家さんの頭を撫でながら服の隙間から見える胸を覗く変態がいるけど……それとタメをはるレベルだ』

 

 それも俺だ。

 

「いや、覗いてないから。見えちゃうだけだから」

 

 本当にもう、大家さんの油断っぷりたるや……ねぇ。今後もその無防備を貫いていて欲しいものです。主に俺の精神安定の為に。

 

 いかんな。この小学生と話していると俺の知能レベル下がってしまう。

 

「で、見たことあるのか? 情報提供してくれたら、アイスくらい買ってやるぞ」

 

『ん? 今なんでもって言った?』

 

「言ってねーし。つーかどこでそんな言葉覚えてくるんだ?」

 

『……』

 

 そして無表情で俺を指さす、と。そうか俺が変な言葉教えてるんだった。

 汚れない少女を汚していくのはたまらんな……。

 

 今ではこんな感じだが、俺が越してきた頃はかなり内向的な少女だった。目も合わせてくれなかったし、そもそもある程度の距離まで近づくと逃げる。ちなみに俺相手だからというわけではなく、誰に対してもそうだったらしい(シュワちゃんみたいなパパが言ってた)

 

 それがいろいろあって今ではこんな具合だ。一体誰のせいなのか……責任の所在はしまっちゃおうね。

 

「で、その変態について聞いたことは?」

 

『ないなー』

 

「使えねー」

 

『でも見たことはある』

 

「マジで!? ど、どんなヤツだった? 強そうだった? 不意打ち武器アリで勝てそう?」

 

 少女はスケッチブックにマジックを走らせた。

 

「……」

 

 無言でスケッチを見せてくる。書いてあったのは矢印。

 俺を指す矢印。

 

「こっちにいるのか」

 

 矢印を避ける。

 

「……」

 

 少女がスケッチを動かし、矢印が俺を再び指す。

 俺が動く。矢印がついてくる。動く。ついてくる。

 

「犯人は……チープトリック? 俺取り憑かれてる?」

 

『たわけ。お前ですよ』

 

「犯人は……俺?」

 

 なんてこった。犯人は俺だったのか。スゴイザンシン! 探偵役が犯人の話なんて今までになかった……え、いっぱいある?

 

「俺は変態じゃない!」

 

『こないだ。わたしが転んで膝擦りむいたでしょ?』

 

「あ、もう治った?」

 

『ん』

 

 と、少女はワンピースの裾を持ち上げ、膝小僧を露出した。

 傷ひとつない、すべすべとした膝小僧があった。

 さすがに若いと回復が早い。俺なんか先週エリザの寝ポルターガイストでできた青痣まだ治ってないからな。

 

『絆創膏貼ってくれてありがと』

 

「べ、別にお礼を言われたくてやったんじゃないし!」

 

『ほら、これだろ。いやしんぼめっ』

 

 飴を手渡してくる。これマジで美味いんだよなー。あれ、餌付けされちゃってる?

 

「で、それと俺が犯人なのと何が関係あるんだよ」

 

『だから今の。今のがまさに女子小学生のスカートを捲り上げる変態の図』

 

「……え?」

 

『見る人が見る角度で見たら、完全にアウト』

 

 た、確かに。偶然通りがかった人がこの光景を見たら、小学生女子に無理やりスカートを捲らせているように見えるかもしれない。

 つまり犯人は……俺?

 

「そ、そんなバカな……」

 

『よしよし』

 

 呆然とする俺の頭を背伸びして撫でてくる。

 

『はい、これも女子小学生に体を触らせる事案ね。別に変なことしてるわけじゃないのにね。大人の誤解って怖いよね。大人になりたくないわー』

 

「……俺も」

 

 まあ、俺はもう大人になっちゃってるけど。

 子供の頃になりたかった大人とは全然違う、想像もしてなかった大人に。なりたくてなったわけじゃないんだけどな。もっと子供でいたかった。

 

『もんだいかーいけつ☆ よかったね!』

 

 影から出てキラキラした太陽の光をまとった少女を見て思う。子供だけが持つ無垢の光だ。俺もこんな風にキラキラしていた頃があったのかもしれない。

 いつからこのキラキラしたものは消えてしまったのか。今となっては分からない。悲しいねバナージ。

 

 謎の変質者については解決したので、前々から気になっていたことを聞くことにした。

 

「ところで前から聞きたかったんだけど」

 

『あっつーい。ん、なに?』

 

「答えづらかったらいいんだけどさ。……あ、いややっぱりやめようかな」

 

『お前のそういうところ面倒くさい。わたし……友達にしなくてもいい遠慮の仕方だよ、それ。だから友達少ないの』

 

「リアルに傷つくからやめて。……え、友達って」

 

『で聞きたいことって? 法に触れない類のなら、なんでも答えるけど』

 

 この小学生、俺のこと友達と思ってくれてるのか。

 嬉しいな、普通に。うん、普通に。

 

「じゃあ聞くけど」

 

『ん?』

 

「何でずっと筆談なんだ? ……その、もしかして、病気とか……いや、ごめん」

 

 このアパートに着てから彼女に避け続けられた俺だが、懲りずに彼女に話しかけ続けていた。そんなある日、ついに彼女からこちらにコミニケーションをとってくれたのだ。言葉ではなく、筆談という手段を使って。

 そこにどんな意味があるのか。遂に聞いてしまった。

 

『別に。ただの無口キャラだけど』

 

「キャラかよッ!?」

 

 俺のツッコミはアパート中に響き渡ったとさ。

 

■■■

 

 

 

「で、事件は解決したのかい?」

 

「まあな。そっちは?」

 

 何日か経って、俺と遠藤寺はいつもの場所で事件の報告をしていた。

 流石に犯人は俺だったとは言い辛かったので、犯人を見つけてボコボコにした後、2度と悪さはしないようにSEKKYOUした……と嘘の報告をしたが。

 さて、遠藤寺の方はどうだったのだろうか。

 

「ああ……凄まじい事件だった。まさか副会長が……」

 

 やっぱり犯人副会長かよ。

 俺が想像した通りだ。

 

「会長を庇って刺されるとは……」

 

「マジで!? ど、どどどどういう!? なにゆえ!?」

 

「突入した地下室で見たのは、会長の下着を触媒に召喚した悪魔……」

 

「で? んでんで!?」

 

「続きは後にしよう。それよりも今日、授業が終わってから行くお店についてなんだけど」

 

「悪魔は! 悪魔の話聞きたいんだけど!」

 

 悪魔の話の続きはWEBで。

 あとこの界隈を騒がせていた犯人はやっぱり俺だったぽいぽい。

 奇声を上げて云々は、エリザを背負ってタイムセールに向かっていた途中を目撃されたらしい。

 あまりのショックに引き篭もろうと思ったけど、エリザが笑顔で送り出してくれるから、できないのであった。



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さよなら辰巳くん……どうか死なないで(やめろーっ!! 縮地ーっ!!)

午前中最後の講義が終わり、俺と遠藤寺は一緒に講義室から出た。

 

「今日の弁当は何かな? 最近はこれが楽しみで楽しみで」

「……すっかり幽霊に餌付けされているね」

 

遠藤寺が呆れたように言うが、こればっかりは仕方がない。

エリザの作る食事は本当に美味いのだ。

生活費を切り詰める為に、安くて品質が悪い食材を使っているのにも関わらずだ(たまに大家さんがいい食材を差し入れしてくれる)

どうしてこんなに美味いのか、本人に聞いてみた。

 

『美味しさの秘訣? ん~とね。それはその……あ、あ……愛、かな? ……にゃ、にゃんちゃって!』

 

とか言ってた(顔真っ赤にして)

それを聞いた俺は笑いながら『そっか。ありがとな』なんて言いながら頭を撫でてたけど、内心心臓バクバクして枕に顔を埋めてバタバタしたかった。

エリザの乙女っぷりも相当だが、俺のもかなりのものだと思う。

 

「はぁ……エリザたんギザかわゆす」

「あまり言いたくはないけどね、人間じゃないものに肩入れし過ぎるのもどうかと思うよ。物語の中でも人間と人外の関係は悲しい終わり方をするのが常だ。それよりももっと生身の人間に目を向けた方がいいと思う。……例えば、すぐ近くにいる……ボクが言いたいことは分かるだろう?」

「え、なんだって?」

「……」

 

お、遠藤寺の唇がわなわな震えているぞ。

珍しい反応だ。脳内HDDに保存しとこーっと。

 

遠藤寺は何かを諦めるようにため息を吐いた。

 

「……ふぅ。ところで今日の夜は暇かい? 依頼人からいいワインがある店を聞いたんだけど」

「たつみお金ないでち」

「この間の依頼の報酬で奢るよ。そもそも君と一緒に飲みに行って君に支払わせたことがあったかい?」

「……いつも、その……ありがとう」

 

ここで衝撃の事実判明。実は飲み会に行くと毎回遠藤寺に奢ってもらっているのだ。

参ったな……俺の株、爆下がり過ぎ? え、もともと底辺? あ、そうですか。

 

「では6限が終わってからいつもの場所で。さて、食堂に行こうか。今日のうどんは何にしようか……」

 

こころなしか嬉しそうな遠藤寺の背を見ながら、食堂へ向かう。

遠藤寺が廊下の角を曲がり姿が見えなくなった瞬間――俺の背に何か硬い物が押し付けられた。

 

「――そこで止まるのデス」

「ひ、ひぃっ」

 

反射的に立ち止まり、ポケットから財布を取り出そうとする。

 

「動くな、デス。お金はいりません。こちらの言うことを聞く、それだけデス」

「は、はい! 何でも聞きます! だから殺さないで……!」

 

まさか平和な大学の構内で背中に硬い物を押し付けられるとは、誰が思うだろうか。

白昼堂々、小学生女子のスカートを捲りあげる変態が現れる世の中だ、大学に強盗が出ることもあるだろう。

 

「た、助けてぬ~べ~…!」

 

学校だし、一番可能性のある救世主を呼んでみたけど、来なかった。ドラマ出てくるから忙しいもんね。

 

俺は強盗の言う通り、身動き一つとらなかった。

俺は英雄じゃない。テロリストを撃退する妄想はすれども、実際に行動に移す実力を伴ってはいない。

蛮勇犯すは愚か者なり……惨めでもいいからガンガン命乞いをしていのちをだいじに!(今作った格言)

何でもいいから生きて帰りたいよ! 生きて帰ってパインサラダを食べたい!

 

「フフフ……素直な一ノ瀬後輩は好きデスよ」

 

耳元に吐息が伝わる距離で、強盗が囁く。

くっ、一体誰なんだ……この硬い物とは別に押し付けられる柔らかい双山から察するに、相手が女性であることには違いないのだが、しかも相当大きなお山の持ち主。

……あれ? 相手女の子? だったら余裕じゃん。俺って生物学的にはいわゆるメン(男)だし、いくら何でも女の子には負けないし。

 

ククク、俺を捕えたと思って安心している強盗よ――俺の美技に酔いしれるがいいッ!

 

「一ノ瀬流奥義サンダークロス――」

「あ! 動いてはダメと……えいっ」

「な゛の゛です!」

 

相手の防御を無効化しつつ必殺の一撃を放つ奥義を出そうとした瞬間、薄暗い廊下をプラズマ現象の様な光が照らし、俺の全身を稲妻が駆け抜けた。

ビクンビクンと体が痙攣し、その後廊下に倒れる。。

ゆか……つめたくてきもちいい。綺麗だわ……天井。

 

「全く、動いてはダメと言ったのに……仕方がない後輩デス。部室まで運びましょう」

 

うっすらと薄れていく意識と、引きずられていく体。

俺は願った。

どうか後ろの処女だけは勘弁して下さい、と。

 

 

■■■

 

父の遺した宇宙船『縮地号』に乗り、愛犬縮地丸と宇宙を旅するタツミ。

住人の口と肛門が人間とは逆という衝撃的な惑星を発ち、次なる惑星を目指す。

そんな時、旅の途中に発見した『イベントホライゾン号』に残されていたロボット『マーヴィン』が起動、暴走を始めた。

 

「わんわんわーん(パンドラム症候群だわん!)」

 

何とかマーヴィンを取り押さえ、その辺に捨てたタツミ達。

だが、暴走による損害は大きく、近くの惑星に墜落してしまう。

 

「わんわんわん!(助けてヨーダ!)」

 

墜落した惑星には、遺跡が一つあるのみ。

遺跡に書かれている文字は解読できなかった、一つの言葉以外は。

 

その言葉は――『マタタキ』

 

タツミ達は遺跡の奥で眠る1人の少年を見つける。

少年はタツミと同じ容姿をしていた。

 

「わんわん!?(ご主人と同じ顔!?)」

 

タツミが少年に触れた瞬間、光が溢れた。

少年が目を覚ます。

 

「俺の名前はタツ・ミ。――世界を破壊する縮地破壊神マタタキのパイロットだ。お前は……そうか、お前がこの世界の俺か」

 

胎動する遺跡、遺跡はその姿変える、その姿はまるで――破壊の神。

 

 

※※※※

 

 

(一ノ瀬辰巳の脳内)で絶賛連載中の2作品がまさかのコラボレーション!

この世界もマタタキによって破壊されてしまうのか? それとも真の黒幕が現れ何やかんやで二人が手を組むのか!

 

劇場版一ノ瀬辰巳脳内劇場『縮地機械神マタタキVS縮地号~ビューティフル・ドリーマー~』同時上映『大家さん12歳の夏休み』

公開日未定! 公開場所未定! 来場された方には漏れ無く『エリザちゃんとお風呂で一緒ポスター』『肉屋のおっさんと巡る温泉旅行2泊3日券』をプレゼント!

続報を待て!

 

 

 

 

■■■

 

 

「エリザと温泉旅行の方がいいなぁ……」

 

一瞬脳裏に映った肉屋のおっさんお風呂ポスターを焼却処理し、俺は目を覚ました。

 

周囲は闇に覆われており、一切の光がなかった。

体を動かそうにも、椅子に座った状態で縛られているようで、全く身動きが取れなかった。

だが、不思議と不安感はない。それどころかこの闇に心地よささえ感じている。

恐らくは俺が『闇』に属するものだからであろう。闇はに生きてきた俺にとって、暗闇は味方だ。

何より仮に全裸でいても、通報されないというのが素晴らしい。

ここだけの話、裸族(自分の部屋では基本全裸の種族)の俺にとって、全裸こそがもっとも落ち着くスタイル。

エリザが来てから、そのスタイルが貫けなくなったが……これはチャンスじゃないか?

いまがそのときじゃないか?

これを逃したら、もう全裸でいる機会なんて風呂の中くらいじゃないか?

ええい、ままよ! 俺は今、限りなく自分になる!

 

「キャストオフ!」

「目覚めて第一声がそれデスか……相変わらず面白い後輩デスね」

 

闇の中から、滲みだすかのように聞こえる女性の声。

その声は俺の正面――正確には縛られているせいでズボンを半分ほどしか脱げなかった俺の正面から聞こえた。

 

「フフフ……ようこそジプシー、我が神秘のサークルへ」

 

ぼぅ……とロウソクの火が灯り、声の主が見えた。

黒いローブを被り、その顔は目から下しか見えない。

だが俺は知っている。我々はこの女性を知っている!

ていうかこのパティーン5回目くらいなんですよね……。

 

「あのパイセン、スタンガンでビリッとやって拉致るの、マジ勘弁して欲しいんですけど……」

「スタンガンではないデス。『闇ノ雷撃柱』――かつて雷神トールがミョルミルと共に使ったとされる神器デスよ」

 

俺アベンジャーズ見たけど、そんな防犯グッズ出てなかったと思う。

 

「ていうか、マジで命に何らかの別状がありそうなんで……」

「大丈夫デス。これは体には無害デスよ。愛すべき後輩に害する物は使いません」

 

その口調でダイジョウブデースって言われても、全然大丈夫じゃなさそう……。もし何かあっても人生はリセットできないんですよ? サクセスモードも。

 

「つーか普通に呼んで下さいよ。何であんな強盗じみたことするんですか?」

「一応授業が終わってからという配慮はしましたよ。……それに、この格好で明るい場所で話かけるのは少し恥ずかしいのデスよ」

 

もじもじする先輩。

だったら着なきゃいいじゃん! と言っても聞かないんだろうな。キャラだって言われたらそこまでだし。

俺だってマフラー外せって言われても外さないしな。俺の場合外せないんだけど。

 

「で、用はなんですか? 定例会合この間したばっかりですよね。俺腹減ったんで、飯行きたいんですけど」

「おやおや、いつから会合が定期的なものだけだと錯覚していました? 今日は緊急会合デスよ……フフフ。緊急時に突発的に開かれる会合、それが緊急会合デス」

「そんなんあったら、俺安心して大学歩けないんですけど」

 

嫌だ……何で背中を気にしながら日常生活を送らなければいけないんだ……。

仮に俺がモテロード爆走中で、七股修羅場道を流出していたなら、甘んじて受け入れるけどよぉ。

見つからないもん! モテロードないもん! もう人間界にモテロードは存在しないと薄々感じている今日この頃。天国か地獄、はたまた来世に存在しているのでは?と脳内議会ではそんな意見も。この意見が可決され次第、明日への扉~next life~に飛び込む所存です。

 

「まあ安心して下さい。緊急会合はそんなに頻繁にはありませんよ。せいぜいワタシが突然一ノ瀬後輩に会いたくなった時だけデス」

「つまり予測は全くできないってことじゃないですか! ヤダー!」

「……ふむ。分かりました。これからは緊急会合を行う際は、5分前にLINEで知らせるとします」

 

譲歩したったで、と言いたげな先輩。どちらにせよその5分間は地獄なんですけど。

……いや、待てよ。つまり言いかればその5分で先輩が確実に現れるというわけだ。

たまたま! たまたま俺がトイレでお花を摘んでいたら? どうなる? ねえ、どうなっちゃうの? ゼロはこんなこと教えてくれないだろうし、実際にやってみるしかないな!

あくまで知的探求ですけどね。

 

と、俺が知的探求という名のムフフイベントについて思いを馳せていると、俺のお腹からかなり前に流行った女性芸人のギャグの様な音が聞こえた(表現が周りくどい)

 

「……おや、今の音。もしかして一ノ瀬後輩、空腹を感じているのデスか?」

「そりゃそうですよ。もうお昼時ですよ、つーかさっきも言いましよ」

「空腹、デスか。ワタシには無縁なものデス。ワタシは悪魔に魂を売った身、そういった人間的な欲求が非情に希薄で……」

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

先輩の言葉を遮り、先輩のお腹からそんな音が聞こえた(マジで)

 

「おや、今の音は? 先輩、もしかして……空腹を感じて」

「違います」

「ですが今の音は」

「き、気のせいデス! 幻聴以外のなにものでもないデス!」

「幻聴ですか、でも……」

 

俺はテープレコーダーを取り出し、数秒前録音した音を再生した。

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

こんな音が再生された(マジで)

 

「や、やめなさい! やめるのデス! いや、その前に何で録音をしているのデスか!? 意味が分からないデス!」

 

そりゃまあ、いつか法廷に出た時の為に……というのは冗談。

ここだけの話、俺はそこまで仲が深くない相手と会って会話をする時、こうやって会話を録音している。

何故かって? そりゃ家に帰って、自分の発言に変なところがなかったかを確認する為だ。

みんなやってるだろ? で、ああこの時こう言えばーってバタバタするじゃん?

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

「あははは」

「何を笑っているのデスか!? そ、そんなに人のお腹の音がおかしいのデスか!」

 

珍しく先輩が余裕を失っている。こりゃいいな。電撃の仕返しといこう。

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

「ちょ、やめっ、連続再生はやめっ……フフッ」

「あれ? 先輩今笑いました?」

「わ、笑ってなどいないデス。ワタシは悪魔との契約により喜びという感情を『くおえうえーーーるえうおおお』ブフッ! や、やめて……!」

 

先輩はローブの袖で口元を隠し俯いているが、体の震えから笑っているのは確定的だ。

ひゃあ! たまねえたまんねえ! もっとだ! もっと倍プッシュだ!

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

「や、やめてっ……お、お願いだからやめてっ……何でもするから……っ」

 

ん? 今何でも(ry。じゃあもっと押そうか。

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおくお、うえうえ、くおうえーーーるえうおおおるえう……うおおおおおおおおお!』

 

「ラ、ラップ調っ……にっ、しないで……!」

 

『うおおお! うおおおお! くおおおおお! くるおおおおお! くえるおおおおおおお!』

 

「わ、分かったからっ……もうワタシの負けでいいから……!」

 

よし最後のトドメだ!

 

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

『くおえうえーーーるえうおおお』

 

『――たす、け……て』

 

「「!!!?????」」

 

 

 

■■■

 

 

 

捨てた。

 

「さて、何の話だったでしょうか」

 

先輩がしきり直すように、両手を叩き言った。

その目は不自然なほど、部屋に隅にあるゴミ箱を見ていない。俺、今日は神社でお祓いしてもらおーっと。

 

「お腹が空いたって話ですよ。もう1時っすよ。先輩も空いたでしょ?」

「……ワタシはほら、悪魔の契約で……感情がアレで」

「この間の飲み会でカマコロ(カマンベールコロッケ)8つも食べてたじゃないっすか。その後ラーメンも」

「あ、あれは違います。悪魔との契約によって、定期的に食物を多量に摂取しなければならない時期があって、たまたまあの日がそれに該当したのデスよ」

 

この人の設定、かなりガバガバなんだよなぁ。そこがいいんだけど。

 

「俺弁当あるんで、食べていいですか?」

「ええ、構いませんよ」

「じゃ、縄解いて下さい」

 

実はまだ縛られていたりする。

縛り方が上手いのか、縄がいいのか分からないが痛みは全くないが。

……まさか、あのローブの下……いやいや、まさか、そんな……まさか、ね

だが可能性は否定できないので、寝る前行われる今日の一ノ瀬脳内議会の議案にあげておこう。

今日の議案はこれと『はたして大家さんは処理をしているのか』か……。主に『している。している所を目撃してしまい、涙目にしたい』『してない。というかそもそも生えてないし、生える予定もない。そのことを言及して涙目にしたい』の意見が対立しそうだが……ここで俺もひとつ『処理は処理でもあっちの処理は?』という燃料を投入して、議会を荒らすか……。フフフ、今日の議会が楽しみ。

 

さて、腹の虫も無視できなくなってきたし、さっさと縄を毟りとってもらうか、このままじゃ蒸し焼きになってムスっとした表情を浮かべてしまうぜ(少し苦しいけど5コンボ達成!)

 

「それは無理デスね」

「は?」

「解いたら逃げるでしょう?」

「はい!」

「フフフ、素直デスね」

 

だってこの部屋辛気臭過ぎるもの! 先輩とこそこそ駄弁る時はいいけど、飯くらい日の当たるところで食わせてくれや!

 

「だったら、どうやって食べろと? ま、まさか犬のように……?」

「いえ、流石にそこまで外道なことが言わないデスよ……」

「だったら、ハイエナのように……?」

「一ノ瀬後輩? 大丈夫ですか? な、何か悪い物でも食べたのデスか?」

 

おっとイカンイカン、先輩がちょっとヒいているぞ。

美少女に命令されてそういうことをするって願望もあるにはあるけど、俺の中でかなりレベルが高い欲望だ。まだお前が出てくるのは早い。いずれ、な。

 

「ふむ。ではそうデスね……。この間の約束を果たす、というのはどうでしょう?」

「この間?」

「前回の会合、一ノ瀬後輩が幹事をしたあの時の約束デスよ」

「や、約束?」

 

首をかしげる俺。

先輩はローブから見える顔の部位をうっすらと赤く染めた。

 

「あ、あの時後輩は嫌がるワタシに無理やり口を開かせ、ワタシの口にたこわさをねじ込みました……まさか忘れたとは言わないデスよね?」

 

無理やり口にたこわさ? なにそれ? え、何かの隠語? たこイコールが成立する隠語ってなーんだ?

いやいやいや、待て待て待て。

思いだそう……記憶分野ちゃん頑張って!

擬人化した記憶分野ちゃんがグッと親指を立てた。

おっ。もう見つかった? なに? アルコールによって映像データが破損している? 音声だけ? 

まあいいわ。よし再生。

 

『ほら、先輩っ、たこも食べなきゃ! わさわさ食べなきゃいかんでしょうが!』

『一ノ瀬後輩……ちょ、ちょっと近いデスよ』

『何が近いんですか! 駅までですか!?』

『うーん、まさか一ノ瀬後輩にこんな積極的な一面があったとは……普段間に感じている壁が嘘のようデスね……フフ。……ちょ、ちょっと一ノ瀬後輩、それはワタシの箸で、ちょっと……ちょっと待って』

『ほら口開けて下さいよ! できるできる! 先輩ならできる! お米食べろよっ!』

『いや、それたこわさ……恥ずかしいデス……は、恥ずかしいってば、もうっ、仕方ないなぁ……』

 

音声が飛びます。

 

『先輩どうですか? おいしいですか?』

『……はい、デス。じゃあそろそろ箸を……』

『追撃のセカンドブリット!』

『……デス。もぐもぐ……そ、そうデス! 交代! 交代しましょう! 次はワタシの番デス!』

『ずっと俺のターン!』

『……むむぅ。わ、分かった、分かったてば。その代わり! 次! 次の会合の時はワタシがするからね! いい?』

『や、優しくしてくれるなら……』

『じゃあ決まりね! ……ふふっ、楽しみ』

 

音声再生を終了します(リピートします?)

しない。

 

え? 誰コレ? 誰コレって誰と誰? え、もしかしてこの男俺?

え、全く覚えてないって言うか……いつも遠藤寺と飲み会行っても途中で記憶飛んでたけど……。

え? 俺こんなんなの? 酒飲んだらこんなのなの? 教えてハニー!

いや、落ち着け。

それよりも相手はデス子先輩か? デスデス言ってるからそうだと思うけど……本当に?

 

マズイ、これ以上考えると闇の飲まれそうだ。帰ってゆっくり考えることにしよう!

 

「じゃ、おつかれーっす」

「どこに行こうと言うのデスか? さて、これが一ノ瀬後輩のお弁当デスね」

「ああっ、いつの間に!」

 

テキパキと目の前のテーブルに弁当が広げられる。

うわぁ、エリザのお弁当おいしそーう。桜でんぶのハートマークだー。

ハートの中心にYESって書いてあるけど、何がYESなのか意味が分からん……。辰巳君の食べっぷり、イエスだね!ってこと?

 

「……一ノ瀬後輩、確か一人暮らしだったと思うのデスが」

 

いつの間にかすぐ横に椅子を移動して座っていた先輩が言った。

その声は、不安と警戒心が混ざったような問いかけるような声色だった。

 

「はい、1人暮らしですけど」

「デスよね。……もしかしてデスけど、多分ありえないとは思うのデスけど……一ノ瀬後輩には付き合っている女性がいたり……するの?」

「いや、最近めっきりごぶさたで……」

「……付き合っている、おと――」

「それ以上はいけない!」

 

何がいけないって、色々いけない。

それが疑われた時点で真実じゃなくても、俺はとてもショックを受けてしまう。

具体的に言うと、今年いっぱいは大学に来れないほどに。

家でイカちゃんを愛でながらエリザを眺めて『利根ちゃん可愛すぎて足の間をくぐり抜けたい艦隊』でランキングトップに君臨する未来が見える……!

それもそれで……。

 

「付き合ってる男女、動物、無機物はいません! 妄想の中で上○彩と付き合ったことがあるだけです(しかもピュアな付き合い)」

「そっか。……ん? つまりこれは一ノ瀬後輩が作ったもので……あっ」

 

何か凄まじい誤解をされた気がするが、男と付き合っていると思われるよりマシだ。

 

「……可哀想な一ノ瀬後輩。せめてワタシが食べさせてあげることが、慰めになるでしょう……」

「え、何か同情されてる?」

「はい、口開けて……あーん」

「あ、はい」

 

この後めちゃくちゃあーんされた。

 

 

■■■

 

 

 

「……ふむ、今日の会合はここまでにしましょうか」

 

いつも通りテーブルを挟んだ正面に座り、組んだ手に顎を乗せながら言う先輩。

その表情が暗闇ながら、何かをやり遂げた満足感に満ちていた。

対する俺は先輩の手が尋常じゃなく震えていた為にできた口内の傷で、口の中がカーニバルだよ!

まあ美少女の先輩にあーんしてもらったんだ。これで満足するしかねぇ!

 

しかし、会合って飯食っただけじゃねーか!

その為に俺先輩のサンダー(物理)食らったわけ?

 

「フフフ……」

 

しかし先輩を糾弾することはできない。だってあんなに満足そうなんだもの。

 

「では……」

 

先輩がパチンと指を鳴らした。

俺を縛っていた縄がスルリと落ちる。

 

「いや、ナンスカ今の?」

「フフ、闇の力のちょっとした応用、デスよ」

 

ドヤと言いたげな口元。是非ともその技、教えていただきたい。俺、その技で戦った相手の女の子の服だけを細切れにするんだ……え? ただし真っ二つ?

 

「じゃ、俺授業あるんで」

「はいはい。しっかり学び、単位を落とすことのないように。試験前には顔を出さなくてもいいデスが、1度は来るのデスよ」

「えっと、何でですか?」

「過去問を渡す為デスが……何か?」

 

その時、初めて先輩が先輩だったことを思い出した。

何を言っているか分からないと思うが、フィーリングで分かって頂きたい。

 

俺は立ち上がり、扉へ向かった。

扉を開ける寸前、先輩が言った。

 

「おっと、一応言っておきますが、今日の集合時間は18時デスよ」

「集合? えっと……え?」

「会合、デスよ。前にも言ったはずデスよ。昼の会合があった日には夜の会合……あなたの言葉で言うなら『飲み会』、があると」

「いや、聞きましたけど……今日のって緊急会合、ってやつですよね?」

「緊急だろうがなんだろうが会合は会合デス。先輩命令デス、分かりましたね?」

「はぁ……」

 

先輩命令なら仕方ないか。それに先輩と飲むの楽しいしな。

ただ、ちょっと飲む量を考えた方がいいかもしれない。

今まで飲むだけ飲んで酒の酔いに流されていたけど……記憶が無くなるのってよく考えたらヤバイんじゃないか?

少し自重しよう。遠藤寺と飲みに行く時もな。

でも遠藤寺めちゃくちゃ飲ませて来るんだよなぁ……しかも何かを期待するみたいな表情で。

 

酒は飲んでも飲まれるな。闇の力にも呑まれるな。時代という名の激流に飲み込まれ、僕たちは生きていく。飲み込まれた後に待ち受けるのは希望かそれとも(今日のポエム)

 

しかし何か忘れているような……。



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ここは……一体?(ここは死んでいった縮地が向かう場所――縮地墓場だ、コーホー)

大学受験に合格した。

入学案内やらでパンパンに膨らんだ封筒を手にそう報告した俺に、リビングで新聞を読んでいた母親はこう返した。

 

「へぇ、そりゃおめでとう。じゃあ1週間……は短いか。2週間以内に住むとこ見つけて出て行け。ん? 言わなかったっけか? ウチの爺さんの遺言でな、子供は高校卒業までは面倒見ろ、その後は独り立ちさせろってのがあってな、まあそういうこと」

 

 と。

 まあ、いくらなんでも実際には追い出されないだろうし、受験勉強終わって少しくらいのんびりしたかったし、見たかったアニメ溜まりまくってたしで、2週間だらだらしてたら……2週間後――

 

「じゃあ元気でやれよ。荷物はアレだ、後で送ってやる。そんくらいの金は出してやるよ」

 

 と言いながら、マジで家から放り出された。

 ポーンと、玄関から放り出された。

 

「えぇ……」

 

 そんなこんなで俺は着の身着のままで、家から出ることになってしまった。

  所持金は貯金箱に入っていた1万円のみ。

 

「嘘……俺の貯金、少なすぎ」

 

 銀行に口座も作っていなかったので、これは俺の全財産だ。

 だが仕方がない。

 俺は学生をやっている傍ら、やれプロデューサー、やれ提督、やれ狩人、やれ神殺し(ゴッドイーター)、じゃぶじゃぶ課金したくなるような射幸心を煽りまくられる団長、やれ、やれ、やれやれだぜ……とまあ、色んな職業を兼任してたので、金がないのだ。最近になって親方も始めたしな。

 お仕事してるのにお金がないことの矛盾について、指摘があるとは思いますが、そこはまあ……な。

 

 あと純粋にアニメのDVDとかフィギュアとか買ってるからね、ちかたないね。ガン〇ソードのボックス買っちゃったからね。

 

「しかし、一人暮らしかー」

 

 全く考えていなかった、と言うと嘘になる。

 そういう選択肢も考えてはいたが、実家の快適性や大学までの距離、自信の家事スキルの無さを考慮し、実家から大学に通うつもりだった。

 もし突然家事やら何やらをやってくれる可愛い女の子が空から降ってきたら、もちろん1人暮らし確定だったのだが。ついぞ空から美少女が降ってくることはなかった。地面の下からも出てこなかったし、宇宙から侵略しても来なかった。自称魔法少女のレインボーゆりかも現れなかった。ザンタ〇ロスを探しに来たリ〇ルとも遭遇することはなかった。

 

「遂に来るべき日が来たか……」

 

 とうとう俺に巣立ちに日が来たというわけだ。

 まあ、こうなったら仕方がない。

 この1万円で住むところを見つけるとしよう。

 大丈夫、1万円もあるんだ、何とかなるだろう。

 

 俺は1万円冊をポケットに入れ、とりあえず大学から近い方がいいという考えのもと、大学がある駅へ向かった。

 

 

■■■

 

 

 見つかりませんでした。

 

「……やべぇよ」

 

 じわじわと冷や汗が流れ、背中がびしょびしょになる。

 正直甘かったと言わざるを得ない。

 1万円あれば、1人暮らしとか余裕だと思ってあの頃の俺(具体的には3時間前)をはっ倒したい。

 

 駅近くの不動産屋を尋ねたが、費用1万円から住める家なんてなかった。曰く、1万円で住める家賃のアパートなんてない。敷金礼金って知ってる? 社会舐めてる? 大人しくママの脛でもペロペロしときな! とのことだ。

 口が悪い店員に「うっせ! ペロペロできるもんならしてるわ!」と負け犬の遠吠えをしつつ、他の不動産を巡ってみたが、どこも大体そんな感じだった。

 

「1万円って……安いんだなぁ」

 

 子供の頃、1万円があれば何でもできると思ってた。

 だが、実際はこれだ。先ほどまであれほど力強く感じていた1万円札が頼りなく見えてしまう。

 まるで敵の時は強かったのに、味方になったら明らかに低スペックになったキャラのような……(○リー、てめぇのことだよ)

 

「ぐぬぅ……」

 

 家に帰ることはできない。だがこのままでは下手すれば公園一夜を明かすことになるかもしれない。

 すぐそばの電柱に寄りかかりながら、最悪のパティーンを脳裏に描いていると、侵略したくなっちゃう軽快なBGMと共に携帯電話が震えた。

 携帯を取り出す、妹ちゃんからのメールだった。

 

『お元気ですか兄さん。変態行為、具体的にはその辺りの小学生のスカートを捲るなどの行為をして、警察のお世話になっていませんか?』

 

「なっていませんよ」

 

 うーん、妹のこの……。

 雪菜ちゃんの平常運転っぷりときたら……こんな調子で学校でうまくやっていけてるのかな?

 

『住む家は見つかりましたか? 私の予想では今頃、たった1万円で住む家なんて見つからないということを知り、ショックのあまり電柱に寄りかかっていることだと思います』

 

 監視されてるのかな?

 俺の現在のポーズどころか、預金残高まで把握している雪菜ちゃん。だが、いつものことだ。

 

 『雪菜ちゃんは何でも知ってるなぁ』と言うと『ええ、何でも知ってますよ。兄さんがいつ糖尿病になるかも教えましょうか?』と冗談交じりに答えちゃうのがウチの妹(もしかしたら冗談じゃなく、マジだったかもしれない)

 

 俺とは違い、何でも完璧かつそれ以上にこなしてしまう。雪菜ちゃんはそんなパーフェクト妹だ。そんな妹に劣等感を感じることはなかった。そのあまりな完璧振りに嫉妬すら覚えなかったからだ。 あと俺とおなじ種族とは思えないほど超可愛いし。胸は小さいけど。

 ちなみに現在イギリスの留学中。帰ってくるのは来月だ。帰ってきたらデースをつけるイギリス系女子にキャラ変していないかちょっと不安。

 

『1つ世の中を知って絶望している兄さん。言っておきますが、兄さんが思っている3倍は世の中厳しいですよ』

 

 まず妹のメールが厳しい。

 住むとこなくて絶望しているのに、更に追い打ちかけてくるとか……。

 だが、俺は知っている。雪菜ちゃんが鞭をビシバシ叩きつけた後は、あんま~い飴が待っているということを……!

 

『生きる希望を失い、公園のブランコに頭を打ち付け自殺されでもしたらかないません』

 

 そんなアグレッシブな自殺はしない……。

 俺死ぬ時は、ヒロインを庇って敵の刃に貫かれるって決めてるし(その後の覚醒込み)

 

『いくらかお金を都合しましょう』

 

 いやっほーう! 予想通り!

 

 妹に頼って情けない、プライドあるの?――だって?

 そんなもの俺にはないよ……。

プ ライドとかいう不定形なものに縛られるなんてまっぴらごめん! 縛られるなら美少女(表の顔は清楚な生徒会長。だが裏の顔は昼に溜まった鬱憤を解消する為に、スクール水着と蝶の仮面を付け変身! 夜な夜な好みの男達を縛っては調教する危ノーマル系女子)にお願いしたい。

 

『ですが、条件があります』

 

 まあ、そうなるな。

 いくら雪菜ちゃんでも、ノーリターンで俺を助けてくれるとは思えない。しかも恐らく母親から、俺の手助けをしないように言われているはず。そのリスクを背負って俺を助けてくれるんだ。

 俺もそれに答えなくちゃ、男がすたるってもんだ。

 

 大概のことなら聞こう。

 パシリにもなるし、肩だって揉むし、最近告白されるのが面倒くさいから彼氏のフリしてって言われたらやるし、プロレス技の実験台になってと言われたら是非お願いしたい。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 携帯が震え、雪菜ちゃんが言う条件が提示された。

 

『今後の人生、永遠に私の言うことに従い、ありとあらゆる面において私の手となり足となり働くこと』

 

 ……うん。

 それってつまりアレだよな。犬になれってことだよね。

 

『簡単に言えば、永久に私の犬になってもらいます』

 

 あ、やっぱりそうなんだ。

 兄を犬にしたい妹、うーん……もしかしたらと思ってたけど……ウチの妹ちょっとおかしい。

 前兆というかそういう伏線も今までの人生であったけども、信じたくはなかった。

 ちょっと変わってるだけで、可愛い妹だって信じていたかった。

 

『さあ、兄さん。どうします? 兄さんも知ってると思いますが、私、自分のモノは大切にする性分ですよ。……自分のモノは、ね』

 

 つまりアレでしょ? 言ってしまえば私のモノになれば、世界を見せてやる的な覇者的表明でしょ?

 そういうの勘弁! 俺人の下に付くのって死ぬほど嫌いだし、さっきも言ったけど縛られるのも遠慮願いたい!

 雪菜ちゃんの胸がもうちょっと大きかったら、揺れてた(俺の心がね)かもしれないけど……。

 

『兄さん。私のモノになりますか? なりませんか?』

 

 なりますに丸付けても、この場合可愛いお人形さんハーレムじゃなくて妹のワンワンライフが待ってるからなぁ。

 

「……はぁ」

 

 雪菜ちゃんにお断りメールを送りつつ、ため息を吐いた。

 雪菜ちゃんから金を引っ張ってくるルートも潰れたし、どうしようか。

 

 とりあえず今日は友だちの家に泊めて……と考えたら友達がいないことに気づいて吐きそうになった。

 

「おぇぇぇ」

 

 さっきよりも深く電柱により掛かる。

女 子高生がこちらを見てスマホをパシャパシャしているが構わない。

 勝手にツイートでも何でもすればいいよ。炎上した暁には、炎上のショックで落ち込んでいる君を慰めに行くから覚悟しとけよ!

 

「……ん?」

 

 ほぼ電柱に抱きつく形になっていた俺の視界に、1枚にチラシが入ってきた。

 

「んんん?」

 

『家賃ぽっきり1万円! お風呂は共有で部屋にトイレ付き! 今なら可愛い大家さんも付いてくる! 場所はこちら! よろしくメカドッグ!』

 

 一瞬、『付いてる大家さん』に見えて、何が付いてるんだろうとかアストルフォちゃん的な男の娘的思考に走ってしまったが、慌てて引き戻す。

 1万円……1万円ちょうど!

 なんてご都合主義的展開! 渡りに船! 千客万来! 因果応報! 痴漢冤罪!

 

「これが運命の選択か……」

 

 チラシを手に取り不敵に笑い、その場を去る。

 目指すはチラシのアパート。家賃1万円のアパート。

 こりゃ乗るしかねえな! このビッグウェーブに!

 

 

■■■

 

 

 チラシを頼りに歩き、そのアパートに到着した。

 門にはアパートの名前である『一二三荘』と書かれた大きな表札があった。

 門からアパートまでのスペース(庭と言っていいのか)がかなり広く、池や何故かブランコまでありどこか学校のような印象を受けた。

 肝心の建物は1階建てであり、外観的に年季を感じさせる老朽化は見られるものの、しっかりと掃除が行き届いた好感の持てる建物だった。

 

 門を抜け広めの庭へ。

 まずは大家さんに会って、例の部屋について聞かなければならない。

 

 ちなみに美少女という部分には期待していない。

 今まで自称美少女の人間を見て美人と感じたことなんてないし。大体『美少女制服女子衝撃のデビュー』とか言っておきながら、合ってるのは『衝撃』って部分だけだったりな。パッケージで「お、いいね」って思って買っても、中身がブタゴリラそっくりの女が出演してたりな。

 はい、エッチなビデオの話ですけど、なにか?

 

「さて、自称美少女の大家さんはどこかね」

 

 ぐるりと庭を見渡す。庭にいなかったら部屋にでもいるのか……と思っていると、庭の隅、日当たりのいい場所にベンチがあるのを見つけた。

 そしてそのベンチに横たわる人影。

 近づいてみる。

 

 輪郭がはっきりする距離まで近づくと、その人影が和服割烹着を着た少女であることが分かった。

 少女は合わせた両手を頬に当て、体を丸め寝息を立てている。ベンチには先ほどまで役割を果たしていたであろう箒が、立てかけられていた。

 

「すぅー……すぅー……」

 

 少女の顔から目が離せなかった。

 幼いながらも整った顔立ち。閉じられた瞳、小さな鼻、果実を連想させる柔らかく瑞々しい唇。

 日差しのせいか汗を吸った黒髪が、紅潮した頬に斜線を描くようにかかっていた。

 

「……」

 

 見惚れていた。小さな雷に打たれたかのような衝撃が、体の中をざくざくと走る。心臓が脈打つのを感じる。

 触れてはいけない、そう思った。

 この光景はこのまま、永遠にここにあって欲しいと思った。

汚されてほしくない、このまま時間が止まって欲しい、心の底からそう思った。

 今この瞬間の為に俺の人生はあった、そんな馬鹿げたことを思ってしまい、しかしそれを肯定したいと思った。

 彼女を守る為ならば世界中の人間に敵対してもいい、そう思った。

 

「……えへへ……お饅頭がいっぱい……こわーい……くぅ……」

 

 色々と表現してはみたものの、ざっくり言うと――ずっきゅんハートでめろめろきゅん! ……大丈夫か俺?

 

 いや、実際こんなに可愛い存在を見たのは生まれて初めてだ。

とうとう二次元からの侵略が始まったかと思った(ちなみに脳内議会で無条件克服賛成が全会一致で確定した)

 

「この子が大家さんか? まさか、そんな……いやいやいや……」

 

 そんな美少女大家みたいな都市伝説が存在するわけ……漫画じゃあるまいし……。あんたもそう思うだろ?

 

「……んん。くぁー……ふぁ」

 

 少女がぴくりと体を震わせ、丸めた体をぐっと伸ばした。

目を覚ましたらしい。

 

「……っと。んー、お日様が気持ちよくてつい寝ちゃいました。……あ、汗かいちゃってます。今何時かな?」

 

「2時です」

 

「うわっ。30分くらい寝ちゃってましたかー、いかんいかん。……まだ眠たいですねぇ……ふわぁ」

 

 ベンチに腰掛け、眠気を払う為か、顔をふるふると振る少女。汗が飛沫のように飛び散り、俺の顔にかかった。やったぜ。

 

 割烹着からハンカチを取り出し額の汗を拭う、そして目の前の俺に気づいた。

 少女の睡魔を払いきれていない瞳と俺の瞳がぶつかる。

 

 ぼんやりとした目と同じように、開ききっていない口が言葉を紡いた。

 

「……ジャイス?」

 

 首を傾げながら紡がれた意味不明な言葉。

 ジャ、何? ジャ……ジャスコ? ハハハ、まさかな。ジャスコはもう死んだんだ……いくら呼んでも帰ってこない。もうジャスコは消えて、俺達もイオンと向き合うべきなんだ。

 

「ジャイス……はれ? これ夢……かぁ。ジャイスが現実にいるわけないですよねぇ……そろそろ起きようっと」

 

 少女がぼーっとした、夢を見ているかのような虚ろな表情で俺を顔を見つめる。

 あまり人に注目されるが苦手な俺は、顔を背けながら言った。

 

「あ、あのすいません。俺このアパートに用があって……」

 

「……へっ!? あ、ああ、はいっ。あ……これ現実ですかっ、びっくりしました! す、すいませんっ、えっとえっと……」

 

 完全に覚醒したのか、目を大きく開きバタバタと手を忙しなく動かす。

 

「大家さんに会いたいんですけど」

 

 俺はこの言葉に一縷の希望をかけた。ロリ大家さんが存在するという小さな、本当に小さな希望に――

 

「えっ? 大家ですか? えっと……私が、その……このアパートの大家さんだったりします」

 

 ぱんぱかぱーん!! 辰巳くん大勝利! ロリ大家さんは実在したんだ! こんなに嬉しいことはない! マジで!

 

「あ、そうなんですか。ちょっと大家さんにお話がありまして」

 

 心の中で行われている狂喜乱舞のカーニバルを悟られぬよう、努めて冷静に、若干棒読み気味に話を進める。

 

「あ、もしかして入居希望の方ですか?」

 

「そうです」

 

「あー、すいません。今お部屋の方が満室で……本当にごめんなさい。わざわざ訪ねてきたのに。あっ、お茶だけでもどうですか?」

 

 謝罪の後、花が咲いたような弾ける笑顔を浮かべる大家さん。

 俺はチラシを取り出した。

 

「で、でもこのチラシで募集を……」

 

「……あ」

 

 大家さんの顔に、先ほどとは拭ったはずの汗が浮かんだ。

 笑顔が固まる。

 

「……そ、そのチラシどこで?」

 

「駅近くの電柱でですけど、なにか?」

 

「い、いえいえ! ……全部剥がしたと思ったのに……ど、どうしましょう」

「部屋いっぱいなんですか?

「い、いや本当は1部屋だけ……そのチラシの部屋は空いてるんですけど……でも」

 

 でも、なんだろうか?

『 でも……あなたみたいな人はちょっと、生理的に……』ってこと? そんなこと言われた日には俺、この場で何らかの手段を以って焼身自殺しますよ?(何らかの手段→吸血鬼に覚醒)

 それが嫌ならさっさと部屋を見せてくださいよ!

 

 俺の熱意が伝わったのか、相変わらず汗を止めどなく流す大家さんは「……じゃあ、部屋行きましょうか」と諦めたように言った。

 

■■■

 

 扉を開けて家賃1万円の部屋の中に。

 正直、1万円の部屋だから多少の汚さや劣化は覚悟していた。

 だが実際

 

「ここ本当に1万円なんですか?」

 

「はい、そうです……よね?」

 

「何で俺に聞くんですか? めっちゃいい部屋じゃないですか! 綺麗だし、古さも感じないし」

 

 室内は埃一つ落ちておらず、窓ガラスもピカピカだ。

 俺の部屋とは大違い。

 

「綺麗ですか。えっと、一応私が毎日掃除しているので……あはは」

 

「そうなんですか。掃除上手なんですね、本当に汚れ全然ないし」

 

「そ、そうですか? え、えへへっ。お掃除が趣味なんですよ! 綺麗になると凄く気持ちよくてっ」

 

 俺の言葉に照れ笑いを浮かべ、楽しそうに体を揺らす大家さん。

 うーん、行動があざと可愛い。こりゃあざとさを司る神アザトゥースに愛されてるに違いない。

 

 部屋を見渡すとタンスやテレビ、エアコンが目に入った。

 

「あの、この家具って」

 

「前の入居者さん達が逃げ……けふんけふんっ。退去した時に置いていった物ですよー。まだ新しいし、バリバリ動きますよ」

 

「もし、入居したらこれって……」

 

「使って下さいっ。……あ、いや、もし入居するなら、ですけど……あはは」

 

 家具付きでこの広さ(六畳)で押入れもあって美少女大家さんも付いて1万円……。

 住んじゃゃうぅぅぅぅ! らめぇぇぇ! こんな好条件な部屋、辰巳住むって言っちゃうのぉぉぉぉぉ!

 

 というわけで言った。

 

「住みます」

 

「えっ」

 

「1万円ですよね。現金でいいですか? ていうか今日から住んでもいいですか? ……あ、もしかして敷金とかそういうのって……」

 

「い、いえいえ! 丁度1万円ですよ! ……え、住むんですか? も、もうちょっと考えた方が……。あの学生さんですよね? 親御さんと相談して――」

 

「――帰る家、ないですから」

 

 俺は窓の外を見ながら、何らかの過去を感じさせる表情で呟いた。

ここで『あははっ、全然似合ってないですよー』とウケを狙う寸法ですよ。

 

 が、大家さん予想外のリアクション……!

 「はわぁ……」とため息を吐きながら頬を染めて言った。

 

「……か、かっこいい」

 

「え?」

 

「あ、いやいや! 何でもないですよジャイス!?」

 

「いや、辰巳なんですけど。一ノ瀬辰巳です」

 

 コロコロと表情を変わる人だ。見ていて面白い。

 それはそうとして、何としてでもこの部屋を借りたい。是が非でも。

 

「お願いします! どうしてもこの部屋に住みたいんです!」

 

「で、でも……他にも探した方が」

 

「いや、この部屋以外目に入りませんよ!」

 

 よし、ここで一気に攻める!

 俺の中に眠る褒め殺しの才能よ! 今だけでいい! 目覚めてくれ!  持ってくれよオラの体っ!

 

「このアパート一目見た時から気に入りました! 名前もセンスありますよね!」

 

「あ、ありがとうございますっ。ここ私のお祖母ちゃんから引き継いだんですよー。子供の頃からずっとここで大家さんがしたくて、夢が叶って毎日楽しくてしょうがないんですよー!」

 

「何ていうか、いいですよね! 昔の情緒を感じさせるというか……周りが新しい家ばっかりの中、心から安らげるというか」

 

「ですよねー! 一ノ瀬さん分かってる人だー」

 

 ぎゅっと手を握ってくる大家さん。

 手に伝わる柔らかさと暖かさが心地よく、俺の脳髄を麻痺させる……。

 イ、イカン! ここで駄目になっては駄目だ! 応援してくれイカちゃん! 伊東○イフの同人誌みたいに!

 

「庭にブランコとかいい感じです!」

 

「子供の頃、アレで遊んだんですよー。い、今でもたまに遊んだり……」

「池もいいですね! 明らかに浮いて……いや、個性的な感じで!」

 

「あの池、私が大家さんになってから作ったんですよー。えへへっ、そんなに褒めてくれて作った甲斐がありますっ」

 

 ちなみに俺は嘘を吐いておらず、心の底から思ったことを伝えているぞ。

俺は勢いよく頭を下げた。

 

「お願いです。俺この部屋に住みたいんですっ。大家さん、俺……この部屋に住みたいです!」

 

「そ、そこまで言われたら……もー、住んでください! こんなにこのアパートを気に入ってくれた人は初めてです! むしろこっちからお願いします!」

 

「やった! 流石美少女大家さん!」

 

「そ、そんな美少女なんて……照れるじゃないですかーっ。もーもー! よーし、特別ですよっ。この部屋の家賃半分の5千円にしちゃいますぅ!」

 

「それはいけない」

 

 俺は慌てて止めに入った。

 何だかよく分からないが、5千円はまずいと思う。いや、安くなる分にはいいんだけど……でもアカン。

 何ていうか、根本的に駄目というか、宇宙の法則が乱れるというか……何言ってんだろ俺。

 

 とにかく俺はこの部屋に1万円で住むことになった。

諸々の手続きをする前、大家さんが

 

「あの、一ノ瀬さん。この部屋に入ってから、こう、なんていうか……何か感じたりしましたか?」

 

「え? いや、いい部屋だなぁとは思いましたけど」

 

「そ、そういうことじゃなくて。えっと……寒気とか? あと視線を感じるとか?」

 

「いや、そういうのは全く」

 

「全く、ですか? ちっとも? ぜーんぜん?」

 

 一体大家さんは何が言いたいのか。その言い方だとまるでこの部屋に何かあるみたいじゃないか。

 

「あの、この部屋って何かあるんですか?」

 

「ひゃいっ!? な、なんか!? な、なななんかって何ですか!?」

 

「いや、それを聞いてるんですけど」

 

 露骨に目を泳がせる大家さん。

 

「……た、例えばですけど。例えば! 一ノ瀬さん、この部屋にその……幽霊、が出るとしたら……どうします?」

 

「幽霊?」

 

「は、はい」

 

 幽霊ってアレだよな。血まみれで内蔵とかボロってはみ出してて、テレビから出てきて脱出不可能なデスゲームを仕掛けてくるチェーンソー持ったヤツ?

 俺あんまそっちには詳しくないから、よく分かんないけど、そんなんが部屋に出たら……

 

「当然出ていきますけど」

 

「で、ですよねぇ」

 

「火放って」

 

「洋館物のラスト!?」

 

 俺の言葉を聞いた大家さん、目を閉じ「む、むむむ……」と唸り始めた。

 何か迷っているような、そんな様子。

 

そ して大家さんはカッと目を開いた。その目は決意に満ちていた。

 

「こ、この部屋には……何も……何もありません!」

 

「そ、そうですか」

 

「はい、大丈夫です! ……だ、大丈夫ですよね? 全く何も感じないなら……うん」

 

 無理やり納得するかのように頷く大家さん。

 

 手続きを済ました後、最後の掃除があるから2時間ほど時間を潰してきて欲しいと言われた俺は、大人しくそれに従った。

 部屋を出る前に、改めて部屋の中を見渡す。

今日からここで住む、そう考えると少しの不安とそれ以上にワクワクする。

 初めて親元から離れて生活する。

 

 少し大人になった気がした。

 

 

■■■

 

 

 あの日から数ヶ月、大家さんが隠したがっていた秘密は

 

「ふんふんふん、お料理するよー♪ じょ、お、ずに、にゃにゃにゃにゃにゃー」

 

 今、目の前で楽しそうに料理をしている。

 最初、幽霊と同居することになって、どうなるか少しは不安を感じていたが、今はすっかり慣れてしまった。

 俺が想像していたひとり暮らしとは随分違うけど、まあそれなりに……いや、かなり楽しくやってる。

 多分俺思うよりずっと、エリザの存在は精神的に脆い俺を支えていてくれている。

 

 家賃1万円で可愛い幽霊が憑いてくる生活。

 できるなら、ずっと続いて欲しい。叶わない願いかもしれないけれど。

 

 ――家賃1万円風呂共有トイレ付き駅まで縮地2回。

 

 俺は今日も、そしてこれからもこの部屋で日々を過ごしていく。

 

 

 

 

 

 

 何だか終わりっぽいけど、まだまだ続くんじゃよ。



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未定

とある何でもない日の夕方。

 

「エリザさ、風呂っていつ入ってんの?」

 

 俺の口から漏れた何気ない一言。本当に何気ない、何の意識もしていない言葉だった。

 普通の人間なら、いきなりそんなこと言われたら『え、なんだって?』とか『ぷんすこっ』とか『お、それ聞いちゃう系? カァーつれーわ!』なんて反応をするだろう。

 だが、どうやら幽霊の彼女はヒトではない(分かりにくいパロディ)。エリザは俺の予想外のリアクションをとった。

 

「え?」

 

 先ほどまでふわふわと宙に浮いて機嫌良く縫い物をしていたエリザが、俺の些細な一言を聞いて……ポトリと床に落ちたのだ。さながら蚊取り線香に捉えられた蚊の如く、床にぺしゃりと落ちたのだ。

 この場合に落ちるは重力に引かれて落下するという意味の落ちるであり、女騎士の『堕ちる』ではない。だが堕ちたエリザ『ダークエリザ』はいつか見てみたい。心優しいエリザが闇堕ちしたことによって、俺をどんな目で見てくるのだろうか、俺気になります!

 

(あ、やべ。まずいこと言っちゃった?)

 

 尋常じゃないそのリアクションを見て、俺は今更後悔した。

 床に落下したエリザは、ゆっくりと体を起こし、ゆっくりと四つん這いのまま俺の方を向いた。そしてシャカシャカと素早い動きで四つん這いのまま俺に迫ってきた。

 

「うおっ」

 

「な、何で!? なんでどうして!?」

 

 獲物に追い詰められたリスのような、今にも泣き出しそうな……っていうか実際目の端に涙を浮かべたエリザは、あぐらをかいている俺を真正面から見つめてきた。

 

「ねえ辰巳くんっ? も、もしかして、もしかして……わ、わたし臭いの!? に、臭っちゃってるの!?」

 

 その言葉を吐いたエリザは、それはもう混乱していて、パニックを起こした子供のようだったよ……(孫に語り掛ける風に)

 それはそうと、実際エリザが臭いかどうかは後に置いておいて、エリザのような美少女が臭いっていうのは、かなり興奮する要素であると思う。

これに関しては否定派もいるだろうけど、俺は肯定派だ。美少女が臭い、いわゆるギャップだ。人はギャップに惹かれる。

会社では冗談の一つも言わない糞真面目な女上司が夜はSMのキングだったり、男と遊びまくりのビッチが実は惚れた相手には尽くしまくる一途系女子だったり、半人前以下のへっぽこ魔術師が実は無限の……だったり。

 人はそういったギャップに惹かれてしまう。ちなみに俺も基本的に人見知りだけど、漫画とかアニメの話題の時はすげぇお喋りになるってギャップがあるから、惚れてもいいよ?

 近づいてきたエリザを落ち着けるように、穏やかな声で話しかけた。

 

「いや、臭くないと思うけど」

 

「ほんとに!? ほ、ほんとに臭くない?」

 

「いやいや本当だって」

 

「ほんとに? ……そ、そっか。よかったー」

 

 未だ涙を浮かべたままほっと胸をなでおろすエリザ。

 が、何かを決意するかのように、その口がキっと結ばれた。

 

「……い、一応確認して。ちゃんと確認してくれたら納得するから」

 

 俺が答えるのを待たず、そのまま近づいて体を預けるように俺の胸元に頭を押し付けてくる。『いくらなんでもこんな至近距離から匂いなんてかげるか! ちょっと冷静になれよ! ロックユー!』と俺のワイルドな部分がズズイと前に出てきそうになったが、ほぼ真下にあるエリザの頭から香る髪の匂いでディラックの海に還った。

 一言で言うといい匂いだった。頭に顔を近づける。シャンプーの匂いなのか、エリザ本来に匂いなのか、俺のスメルリストにない、いい匂いが鼻腔内に満ちた。

 何だろうか、いつまでも嗅いでいたくなるような、魅惑的な香り……やめられない止まらない。

 

「た、辰巳くん? 確認してる? ちゃ、ちゃんと確認してる?」

 

 うっせえ! ちゃんと確認して、スメルリストに『毎日寝る前に嗅ぎたい匂いです。これから成長していくにつれて洗練されるであろう期待を込めて☆4.6で!』ってコメント付きで登録したわ!

 

「く、くすぐったいよぉ。た、辰巳くん、も、もうっ」

 

 気づけばエリザの銀髪に顔を押し付けるようにして匂いを嗅いでいた。エリザがくすぐったそうに、身をよじる。

 い、いかんこれは罠だー! 確認のためにエリザの髪を匂う辰巳。だが、それはエリザの巧妙な罠だったのだ(ビクンビクン)

 

「ひゃ、ひゃんっ、た、辰巳くん、そこはダメだって……!」

 

 なんということでしょう。今やエリザの匂いを嗅ぐマシーンとなった俺は、その歩みを進め、気がつけば未踏破地域である、首へと到達していた

。髪の毛とはまた違う、別次元の匂い。髪の毛というある意味人体の付属品ではなく、生のエリザの匂い。その衝撃たるや、具体的な匂いの説明で文庫換算10ページはいきそうだ!

 そんなことになると『正直この辰巳はキモイ 24歳男』『幻滅しました、辰巳くんのファンやめます 15歳アイドル』『蝕を起こしたくなるくらいショックです 年齢不詳ゴッドハンド』『世の中クソだな 26歳警察官』みたいなご意見を頂戴して、後の人気投票に影響が出るかもしれない。自重しよう。

 何かフルーティな香りがした、これくらいシンプルでいい。

 

「も、もー。お返しにわたしも嗅いじゃうんだからっ」

 

 などと言いつつ、俺の胸元のスメルを嗅いでくるエリザ。

 

「や、やんっ、や、やめっ」

 

 今のは俺の声だ。ぐりぐりと押し付けるように匂いを嗅いでくるので、俺の敏感な部分が敏感サラリーマンになってしまったのだ。

 

「ちょ、エリザ。ストップ!」

 

「……くんくん」

 

「はいさいっ、これでおしまい! ちょっと離れ……エリザ?」

 

「……くんくん」

 

「エ、エリザさん?」

 

「……」

 

 先ほどまで『ひゃん』やら『んんっ』とか『やんっ(これは俺か)』みたいな可愛らしい悲鳴をあげていたエリザだが、今は無言だ。

無言だが、すんすんと小さな呼吸は聞こえる。

 俺の胸元にすっぽりと収まるように体を預けている為、その顔は見えない。

 

「お、おーい。エリザー。エーちゃん。えの字、えの助、えーたん、戯言遣い」

 

 繰り返し呼びかけ、更に色々な呼び方で呼びかけるが反応はない。仕方がない。

 

「タツミクラッシュ!」

 

「あいたっ」

 

 タツミクラッシュとは、一ノ瀬辰巳の顎を相手の頭部に振り下ろす技である。一ノ瀬辰巳がこの技を編み出したのは、中学3年生の夏、あの忌まわしき夏の日……ラブレターを貰って向かった校舎裏にはクラスの中心的存在であるAが待っていて……(思い出したら胃が痛くなってきたので、今日はここまで)

 

「しょうきにもどったか?」

 

「え? えっと、何が? って、わぁっ! い、いつの間にこんなにくっついて……た、辰巳くんっ」

 

 先ほどまでの奇行は記憶から消失したのか、何故か俺を責めるような視線を向けるエリザ。

 

「わ、分かるけど! 男の子がそういうのに興味があるってのはわ、分かるけどっ」

 

 そういうのがどういうのか、是非詳しく、非常に詳しく聞きたい。

 

「まだ早いからっ、も、もうちょっとだけっ、じ、時間が欲しいかなぁって……ね?」

 

 何でガツガツ行き過ぎて年上のお姉さんに窘められる年下彼氏みたいな図になってるわけ?

 もー、女の子のこういう部分ってほんと分かんない! この経験が元で『女より男っしょ』って感じで俺が衆道に飛び込んだら、誰か責任とってくれんの?

 

「そ、それよりっ、その……どうしてわたしがお風呂に入ってないと思ったの?」

 

「ああ、それなんだが」

 

 俺はそれを思い至った要因を脳裏に思い浮かべた。

 

・昨日のエリザの私服は○カチュウの着ぐるみ

 

・エリザは誰かに取り憑いていないと外に出れない

 

・エリザは辛い物を食べると目が><←こうなる

 

・エリザの寝言は意味不明なものが多い。例→『金星ガニが……』『見て辰巳くん、今動いたよ!』など。エリザが寝てる押入れから聞こえた。

 

・幽霊だって汗をかく

 

 5つほどワードが浮かんだが、これ関係ないのばっかだな。最後の寝言は気になるけど、多分複座型のロボットに一緒に乗ってる夢かな?

 

 さて、まずはこれ『エリザは誰かに取り憑いていないと外に出れない』だ。本人の話では、エリザはいわゆる地縛霊であり、この部屋に縛られている存在だ。だからこの部屋から出ることができない。

 だが、例外として誰かに取り憑く(接触)している状態だと、外に出ることができる。

 

 そして風呂場があるのは、この部屋の外。アパートにある共有風呂だ。その風呂にエリザは一人では行けない。俺が風呂に行く時に憑いてきた記憶もない。

 つまりエリザは風呂に入っていないという考えに至ったわけだ。

 

 ところで話は変わるが、共有風呂という言葉に『キャー、タツミさんのエッチ!』的なムフフイベントを期待しているそこのあなた。

そんなものはない! 今までの生活の中で、大体誰がどの時間に使用するか分かるし、そもそも風呂に誰か入ってたら分かるし。

 が、一度だけ混浴イベントがあった。相手は俺が入っているのに気づきながらも、浴室に入ってきて一緒に湯に浸かることになった。

その相手は、いつも飴くれる女子小学生……のパパさんだった。なんか『最近娘は目に見えて活発になってきた。君のおかげかもしれないな』なんて渋い声でお礼を言われた。その後『ところで最近、娘があまりよろしくない言葉、いわゆるネットスラングを使用するようになったんだが、何か知らないかね』って言われたから、多分それ妖怪の仕業ですよって言って逃げた。そんな水に流したい苦い思い出(風呂だけに)

 

 話は逸れたが次、『幽霊だって汗をかく』これだ。これは先ほどの相互匂いクンカクンカ活動の際に、改めて確認した。エリザの首元にはうっすらと汗が浮かんでおり、幽霊だって汗をかくというのが再確認できたわけだ。

 まあトイレも行ってるし、汗もかくわな。ちなみに部屋とトイレの距離の関係上、かなりの確率でトイレ内の音が聞こえてしまうのだが、エリザは毎回『今からお化粧直しに行きますので、これを』と俺にヘッドホンを装着させてくるので、大丈夫だ(何が?)

 当然外すこともできるのだけど、それをやってしまうと変な趣味に目覚めてしまいそうなので、自重している。

 

 汗をかくということは、体が汚れるということ。体が汚れるということは、風呂に入って体を清めなければならない。

 そしてこの部屋に風呂は存在せず、風呂に行く為にはこの部屋の外に出なくてはならない。

 

――つまり……あれ? どういうことだ?

 

 エリザは部屋の外に出れないから風呂に入れなくて、でもいい匂いがして、でも汗はしっかりかいているから体は汚れる。

 矛盾しているぞ。これは一体……うーん、エリザは清めの炎を使えるフレイムヘイズの可能性あり?

 

「おかしいな。どうなってるんだ? エリザ風呂ってどうしてるんだ? 部屋の外だから、風呂には行けないだろうし、それにしてはいい匂いだし……え、実際風呂には入ってないの?」

 

「は、入ってるよぉ! お、女の子だよ、わたしっ。入ってるに決まってるでしょっ」

 

「でも実際問題風呂まで行けないだろ?」

 

「いや、それは……その……」

 

 俺の指摘に、エリザの目はあちらこちらへ泳ぎ始めた。さて、どうでるか?

 

「……お、女の子には色んな秘密が……あるんだよ?」

 

 出たよ! 女の子の秘密出たよ! もうそれ言われたら俺何も言えないじゃん! その魔法の言葉ってズルイ!

 いや、言論は自由のはずだ、俺だってその魔法の言葉が使えるはず。よし、今度外出先で職務質問されたら『男の子には色んな秘密があるんだよ?』って言って切り抜けよっと! まあ、多分最寄りの派出所に連行されるだろうけど。

 

 しかしどうしたものか。エリザの表情や仕草を見る限り、嘘をついてはいないようだ。エリザは嘘をつく時、両方の人差し指をツンツンとつつき合う癖があるからな。今はその癖が現れてない。

 だが、ますます分からん。

 

「も、もう辰巳くん! 女の子のお風呂事情なんて気にしちゃダメしょ! ほ、ほらっ、おやつにしよ! 今日は辰巳くんの大好きなフィナンシェだよ?」

 

 おやつか。丁度小腹が空いて……ん?

 

 おやつという言葉に、俺の視線は四畳半と玄関を繋ぐ廊下にあるキッチンに向かった。

 キッチン。古いが現役バリバリのコンロとそこそこの広さのシンク、そしてすぐ隣に冷蔵庫。……シンク。頑張ればエリザくらい小柄なら何とか、体を浸せるシンク。

 

(……まさか)

 

 俺の脳裏に、恐ろしい仮説が浮かんだ。そしてその仮説は、今までの証拠を立証してしまっていた。

 

「エ、エリザ……お前、まさか台所で……」

 

「え? ――ち、違うよ!? そ、そそそそそんなっ、台所をお風呂代わりにしてるなんて、ありえないよ! 台所はご飯作るところ! お、お風呂なんてまさかそんな……あるわけないよ」

 

 嘘が下手だな、エリザ。

 

 エリザの両人差し指の動きは、今の発言が嘘であることを示していた。

 確定だ。エリザは今まで、台所で水浴びをしていた。俺がのうのうと浴室で温まっている間、この狭いシンクで体を清めていたのだ。

 

「……なんてこった」

 

「た、辰巳くん!? 泣いてるの!? だ、大丈夫? お、お腹痛いの? 膝枕する!? 撫で撫でしてあげようか!?」

 

「ごめんな、今まで気づかなくて。辛かっただろ、あんな狭いところを風呂代わりにして、女の子なのにな……」

 

「だ、だから違うの! お風呂はちゃんと入ってるし、台所をお風呂代わりにしてるなんて――」

 

「俺の目を見て、嘘じゃないって言えるか?」

 

「……嘘つきました、ごめんなさい。ずっと台所をお風呂にしてました。で、でも、快適だったよっ? わ、わたし体小さいから、すっぽり入っちゃうしっ、ついでに台所のお掃除もできるし!」

 

 取り繕うように続けるエリザの発言に、俺の罪悪感はザクザクと蹂躙されていった。

 自分の間抜けさに涙が出る。エリザが台所で風呂に入っていたのもそうだが、エリザに嘘をつかせてしまったのも。そして台所で湯浴みをする美

少女幽霊なんてレア過ぎる光景を目撃しなかった己の運命に対する怨嗟に。

 

「本当にごめんな。何かして欲しいことあるか? お詫びに今なら何だってするよ」

 

「え? だったら、一緒にお布団で寝るのを週2日から3日に増やして……じゃなくてっ! わたしが勝手にしてたことだから、辰巳くんは悪くないの!」

 

「とりあえず風呂入るか」

 

「え!? さ、さすがにこのシンクに二人は無理だと思うよ?」

 

 そりゃそうだろう。そんなことしたら、俺とエリザが密着し過ぎて融合、新しい生物が今度ともヨロシクしちゃうわ。

 

 混乱しているエリザを尻目に、俺は風呂の用意を始めた。いつもは1人分だが、今日は2人分。エリザがいるから、アヒルのおもちゃとかも必要か。

 

「ちょ、ちょっと辰巳くんっ。え、お風呂? お風呂って……え!?」

 

「エリザって石鹸何使ってんの?」

 

「わ、わたしは手作りの牛乳石鹸……じゃなくて! い、一緒に? も、もしかして一緒にお風呂入るの!?」

 

「そう言っただろ。さ、エリザも準備しろよ」

 

「いやいや! お風呂だよ!? お風呂ってことは裸なんだよ!? まだ結婚もしてないのに、裸を見せ合うなんてダメだよっ!」

 

 あ? 俺が見えないのをいいことに、全裸で過ごしてたのはどこのゴーストだよ。とか昔の黒歴史を突きつけてもいいが、多分泣くな。

 

「水着着るに決まってるだろ」

 

「え、水着? で、でもわたし水着なんて……」

 

「この間、大家さんに貰った服の中にあったぞ」

 

「あ、あったっけ?」

 

 あ、そうだ。大家さんの水着というレアリティ高すぎる逸品に目が眩み、アイテムボックス『辰巳と秘密の小箱』に仕舞い込んだんだっけ。

 

「あるから。だから行くぞ」

 

「で、でも……その……」

 

「そりゃ、男と一緒に風呂入るのは嫌だろうけど、そこは我慢――」

 

「嫌じゃないよ!」

 

 食い気味に言ってきた。

 

「い、嫌じゃないけど……むしろ凄く嬉しいけど……何か順番が……好きな人とお風呂は、もっとこう、後の方というか……辰巳くんがわたしの体に飽きちゃう可能性が……」

 

「ここの風呂は超気持ちいいぞ。浴室に温泉の素がいっぱいあって、好きなの使ってもいいんだぞ?」

 

「……うっ」

 

「風呂も広いしな。成人男性が2人入っても余裕が……あ、いや今のはなかったことに。それにアレだ。風呂の壁にでかい絵が書いてるんだぞ?」

 

「ふ、富士山のやつっ?」

 

「それは行ってからのお楽しみだ」

 

 ここを見ているあなただけ正解を先に公開! 正解は――『フルアーマーユニコーンガンダムの絵』だよ! お湯をかけるとデストロイモードになるオーバーテクノロジー付き! 大家さん作。

 

 俺が差し出す誘惑の数々に、最初は渋っていたエリザもとうとう諦めた。

 

「……一緒に入る」

 

「よし、行くか」

 

 そういうことになった。

 あとは俺の理性がデストロイモードにならないかだけが心配だが、これコンシューマー版だからダイジョーブでーす。

 

 

■■■

 

 

 

「えっと……お待たせっ」

 

 押入れが開いてエリザが幽霊特有のふわふわムーブで出てきた。

 

「お、お部屋の中でこんな格好、ちょっと恥ずかしいねっ」

 

 言葉の通り恥ずかしさを感じているのか、その顔には朱色が指している。さて、エリザが言うこんな格好とは。ずばり、スクール水着である。

 紺色の、室内の光を反射する艶を持つ、学校指定の、スクール水着だ。

 

「よし」

 

 俺は人知れずガッツポースを取った。

 何故かは分からないが、そうするべきだと思ったからだ。

 

 しかし、このスクール水着……。

 

「これって学生が着る水着なんだよね? えへへっ、変な感じ」

 

 変な感じにはなりそうなのは同意だが、このスクール水着、大家さんから譲り受けたものなのだ。

エリザは窮屈さやその反対を訴えていないということは、大体大家さんとエリザの体型は一緒ということで……。

 いや、それはいいとして、俺のインターネッツ知識が正しければ、あのスクール水着の形状はいわゆる旧型というやつ。

 旧型を知らない人の為にあくまでネットから入手した知識から説明するが、前身頃の股間部の布が下腹部と一体ではなく分割されており、下腹部の裏側で重ねられて筒状に縫い合わせてあるものであり、なぜそのような形状をしているかと言うと一説では胸元から入った水を逃がす為だとか成長に応じた伸縮性を実現させる為だとか、俺的には前者がいい、何故なら未成熟な女子の胸元から入った水流は股間部から抜けていくその流れになんとも言えない魅力を感じるのだ、ここだけの話俺はその水流になりたかった。水流になり、女の子の水着の中とプールを往復するそんな現象へと進化したい。

 まあ、ネットから得た知識の話だから鵜呑みにしないでね。

 

 話は戻すが、この旧型スクール水着、使用されていた年代は敢えて具体的な数字は出さないが、結構前だ。果たして大家さんはこのスクール水着を着ていたのだろうか、それともただのコスプレないしはそれに近いプレイに使用していたのだろうか。

前者だとすれば、以前から俺の脳内議会で度々上がる議題『大家さんロリBBA説』が信憑性を帯びてくる。

だが、俺は敢えて真実から目を閉ざした。

 大家さんが幾つなのか、それを考察するのはいい。だが答えを出すことはしない。謎というのは、それを論じている内が最も楽しいものだ。一度答えを出してしまうと、一時はその熱も燃え上がるが、後は冷めるだけ。

曖昧な物は曖昧にしておいた方がいい、俺が今までで生きてきて得た持論だ。

 何が言いたいかって言うと、○ラピカと○ズマは性別をはっきりさせない方がいいってこと! あんなに可愛い子が女の子のはずないし! 

 

「じゃあ、行くか」

 

「うんっ」

 

 久々にまともな風呂には入れて嬉しいのか、ぴょんと跳ねながら返事をするエリザ。

 そんな姿を見て俺の心もほんわか温かくなった。俺の心もぴょんぴょんするんじゃ~。

 

「いつも通りおんぶすればいいんだよな?」

 

「うん、いつもごめんね」

 

 遠慮がちな声色と共に、背中にかかるほんのわずかな重み。重いわけなんてなかった。心地よい重み。幽霊だから軽いのか、それとも女の子だから軽いのか。

俺には分からない、だって男の子だもん。

女の子を背負った時に感じる、心の中から染み出てくるこの暖かさはなーに? 分からない、だって男の子だもん。

この子を守らなきゃって思う、使命感にも似た想いはなーに? 分からない、だって男の子だもん。

男の子も大変なんだよ。だって女の子の前だと精一杯意地っぱりにならないといけないんだもの。

 

 と、俺が男心溢れるポエムを奏でていると、別の男の子の部分、いわゆる股間にある真理の扉がぎぃぎぃ音を立てて開き始めた。

 いや、開き始めたというか起動し始めたというか……とにかくアカン。

 

「わっ、た、辰巳くんの背中あったかい……そっか。きょ、今日はいつもと違って服着てないから……」

 

 原因は明白だった。俺の背中に当たる柔らかい感触、決して大きくはないが、無限の潜在能力を秘めた胸、それが今日は当社比10倍ほどの柔らかさを弾き出しているからだ。

 柔らかすぎてダメになる。『絶対おっぱいには勝てなかったよ』みたいな早すぎる即落ちコンボを決めてしまう。

 

「落ち着け……!」

 

 小声で真理の扉を諌めるが、そこは俺であって唯一俺でない部分、理性が届きえない場所だ。収めようと思って収められる場所ではない。

 

 普段ならともかく、今はいかん! なにせ今俺が身につけているのが、ボクサーパンツみたいなピチっとした水着とマフラーのみ。

水着は、まずい……(ビジュアル的に)

 仮に真理の扉が全開になった場合、俺を信用して体を預けてくれるエリザの信頼を確実に裏切るだろう。

 ヘタしたら明日から口を聞いてもらえなくなる。それはまずい。

 

 こうなったら、アレをするしかない。

 家族の顔を浮かべる、アレだ。アレは諸刃の剣、下手をすれば自ら致命傷を負いかねない自滅の刃。だが今真理の扉、いわゆる○んこを落ち着ける為にはこれしかない!

 

 俺は家族の顔、一番先に浮かんだ雪菜ちゃんの顔を思い浮かべた。

 

『もう兄さんは仕方ないですね。ほんと、私がいないと速やかに死ぬんでしょうね』

 

 いつもの冷ややかな表情と次いでに酷いセリフが脳裏に浮かんだ。傷ついた。

 だが、これで真理の扉も閉ま……何でさっきより開いてるの? 何で妹の顔浮かべて勢い増しちゃってんの?

 

『もう兄さんってば、ふふふ……』

 

 やめてー、脳裏に浮かぶ雪菜ちゃん妖艶な笑みやめてー。開いちゃうから! 真理の扉開いちゃうから!

 くっそ、母さんだ母さん。母さんの顔を浮かべよう。

 

「……ふぅ」

 

 効果は覿面で、真理の扉は猛烈な勢いで閉まり、次いでに鎖で雁字搦めになって、錠前が30個くらいついた。あれ? これはこれで大丈夫? これでEDになったとか洒落にならないよ?

 

「辰巳くん? どーしたの? お腹痛いの?」

 

 背負ったエリザが頬と頬を擦り付けるように、顔をぐっと突き出し心配そうな声を出した。

 

「あ、もう大丈夫だよエリザ。俺、これからも頑張っていくから」

 

「う、うん……うん?」

 

 俺の中で行われていた小さな戦いはエリザに感じ取られることなく終結を迎えた。水着の中の戦争~完~

 

 それはそれとして、エリザから与えられた胸の柔らかさは、俺の心の中にある『secret base ~エリザがくれたもの~』にしっかりと保管しておいた。これは2039年に公開予定! 乞うご期待!

 

 

■■■

 

 

「「さむい!」」

 

 部屋入り口の扉を開けた途端、俺とエリザは揃って同じセリフを吐いた。日は暮れ、アパートの庭にある筈のブランコが見えないくらい、すっかり夜の闇に染まっていた。

 

「さ、最近暖かくなってきたと思ったけど、夜はまだ寒いね辰巳くん」

 

「そ、そうだな」

 

 夏を間近に迎える今日このごろだが、水着一枚で外に出るにはまだ寒すぎた。

 だが、引き返しては風呂にいけない。

 

「ささっと行くか」

 

「うん。辰巳くん、その、もっとくっつくともっと暖かくなると思うから……もっともっとくっついていい?」

 

「ああ、うん。いいよ」

 

「やったっ」

 

 エリザの密着度が更に増して、何だかどえらいことになりそうだが、幸い俺の股間は反応しない。もう、しない。

 正直エリザは幽霊の体質からか、ちょっと体温が低いのでくっつかれると俺の体温が下がるのだが……あんな期待込めた声色で言われたら断れない。

 

 と、向かうべき風呂の方から、目にやさしい暖色系の和服を着た少女、大家さんが歩いてくるのが見えた。

 大家さんは歩みは俺の部屋の方へ向かっており、その手に持っているタッパーから、今日も何らかの差し入れを持ってきてくれたことを察した。

 感謝の意を込めて、先手を取る。

 

「大家さん、こんばんわ。いい夜ですね!」

 

「あ、一ノ瀬さん!」

 

 俺の呼びかけに笑顔を浮かべ、ぱたぱたと駆け寄ってくる。大家さんの履いている赤い鼻緒の草履が発するぺたぺたという音が廊下に響いた。

 大家さんがこちらに近づいてきて、その表情が笑顔→あれ?→いやいやまさか→い、いやいや……→う、うそやん→ナンデ!?と近づく距離に応じて変化した。

 俺の正面に立つ。その評定を困惑と羞恥が混ざったような複雑な表情だった。

 

「な、ななななななんて格好しているんですかー! な、なんて格好、何て格好!」

 

 と頬を染めながら、至近距離でガン見してくる大家さん。

 

「いや、いやいや……ふふふ。これはこれは……まさかの隠しイベント……えへへ」

 

 至近距離で笑う大家さん。

 きっちり1分間ガン見してきた後、手に持っていたタッパーを俺の部屋の中において、再び俺の目の前に戻ってきた。

 

「はい。……きゃぁっ! 一ノ瀬さん、何て格好してるんですか、もーっ!」

 

「はいじゃないが」

 

 両手で自分の目を隠しながら、悲鳴をあげる大家さん。指の隙間から目がバッチリ見えている。

 可愛らしい悲鳴をあげる可愛らしい大家さん、対する俺の態度は彼女のそれに反比例していた。

 

「なんすか今の流れ」

 

「な、なにがですか?」

 

「混浴露天風呂に若いお姉ちゃんが入ってきた時のおっさんみたいにガン見してきたじゃないですか」

 

「ちょっ、一ノ瀬さん!? なんてこと言うんですか!? やめてくださいよ!」

 

「いや、ツッコミ待ちかなって」

 

「わけの分からない格好でわけの分からないことを言わないでくださいよ!」

 

 ぷんすか、と箒片手に言う大家さん。さっきの大家さんは俺が見た幻か何かか? 

 

「ってそうですよ! なんて格好してるんですかっ、そんな下着一枚で! ……武装解除の魔法でも食らったんですか?」

 

「UQ○ルダーあれどう思います?」

 

「まあ一言で言うと……キリエちゃんマジペロペロですよねー」

 

「ねー」

 

 大家さんとの漫画談義に花が咲いた。大家さんはかなり上位レベルのオタであり、同じく半神クラスの俺と話が合う唯一の人間だ。可愛いだけでなく、趣味も合う、この縁は大切にしていきたい。いや、マジで。

 

 話が盛り上がり、自分だったらM〇手術のベースの生物を何にするかの話になった辺りで、肩がトントンと叩かれた。

 背後を見ると、エリザがちょっと頬を膨らませて「むー」と不満気な表情をしている。大家さんとの話に夢中になりすぎてしまった。いかんいかん。

 

「で、やっぱり私だったらカエンタケをベースに――」

 

「あ、すいません大家さん。俺風呂行くとこなんですよ」

 

「お風呂ですか? あー、ごめんなさい引き止めちゃって。そうですよね、一ノ瀬さん下着一枚だからそりゃお風呂に行くところなんですか!?」

 

 途中からスゴイ勢いで疑問形になったぞ。

 

「だ、ダメですよ! いくらなんでも下着一枚でお風呂まで行くとか、アパートの風紀的にも……」

 

「いや、これ、水着なんで」

 

 パンツじゃないから恥ずかしくない理論だ。

 

「あ、そうだったんですかぁ。もう私ったら勘違いしちゃって、えへっ。そりゃお風呂に行くんだから水着を着ますよね。……一ノ瀬さん水着でお風呂に入っちゃう系の人なんですか!?」

 

 ガビーンと効果音が見えるような驚き方をする大家さん。一々リアクションが面白い大家さんは嫌いだ……。ごめん嘘、大好き。

 

 しかし水着を着ている理由を説明するのは面倒だな。

 エリザと一緒に入る為なんて説明した日には『そんなエリザちゃんだけズルい! 私も私も!』なんて言いながら俺のファンが集まっちゃうだろうし。そんな俺のファン、いわゆる『辰巳君を愛するスール達が所属する~海百合会~(部長はイカちゃん)』と一緒にお風呂でおしくら饅頭状態を妄想していたら、残りの思考力で

 

「入っちゃう系の人です」

 

 と適当に答えてしまっていた。

 俺は度々、こうやって適当に物事を答えては自らの首を締めることになるのだが、これがいわゆる辰巳イズム。身に染み付いた癖と罪は永劫纏わり付くのだ、ククク……。

 

「はわわ……これはまさか……いつでも混浴イベント……一気に距離を……」

 

 俺の適当発言を真に受けた大家さんだが、あっちはあっちで何やら思案顔でぶつぶつ呟いている。

 さて、俺の妄想お風呂イベントも、唯一の男である辰巳が浴槽の中で女の子達の下敷きになるありがちなオチを迎えたので、ぼちぼち風呂に行こう。

 

「じゃ、大家さん行ってきます」

 

「……へ? あ、は、はい。えっと……近いうちに!」

 

 大家さんが何を言っているかよく分からないが、それを追求できるほど俺の体に余裕はなかったので、さっさと風呂に向かった。

 それから普通に風呂に入った。久しぶりに広い風呂に入れて嬉しそうなエリザの顔を見られたのでよかったと思いました。明日も一緒に入ろうと思いました。



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Sleeping Beauty~前編~(縮地もいい歳だし嫁でも探すべ? 斜向かいの遠当てちゃんはどや? え? 好きな子がいる? 発勁さんってお前……まだ諦めておらんのか)

「――エリザの寝顔が見たい」

 

 呼吸をするより自然に口から零れれてしまった言葉に、慌てて口を閉ざす。

 当のエリザ本人を見てみると、パソコンの画面を頭突きでもせんばかりの距離で見つめており、どうやら俺の呟きは聞かれなかったようだ。

 

「……ふぅ」

 

 危ねぇ危ねぇ……こんな呟きはエリザの耳に入ったら……どうなるんだろうか? 『へっ? 寝顔? は、恥ずかしいからヤダ……よ』なんて真赤な顔で言うかな? それとも汚物を見るかのような蔑んだ目で見てくるかな?

 おそらく前者だろうが、最近俺の中では『エリザに罵られたい院』が設立後、急速にその勢力を増しているので、後者を求める声もあるのだということを知って頂きたい(誰にだよ)

 

 それにしても思わず呟いてしまったが、俺の中でエリザの寝顔を見たいという願望はムクムクと大きくなっている。

 何故見たいのかと問われれば『人間だもの』『見たいから』『それが答えだ!』などと要領を得ない言葉でしか返せない。だが見たいのだ。

 あのエリザが無防備に眠る姿を見たい。どんな顔で寝ているのか、どんな寝言を呟いているのか、彼女が奏でるイビキはどんな音色なのか、口から流るる涎の輝きは……想像するだけでも摩訶不思議アドベンチャーだ。

 

 しかしこういうことを考えていると『一ノ瀬殿がまた変態なことを考えておられるぞ』とdisられる気がしないでもない。確かにちょっと変態的な面があることは認めるしキャラ紹介でも『言葉に出さないタイプの変態』って書かれてるけどさ。でもこの世界に生きる人間は何かしら変態的な一面を持っていると思うんだよ。それが人間だろ? 今まで少しでも変態的なことを考えた経験がない人間がいたら出てこいよ! もれなく俺の変態オーラを中にサッと注入してやんよ! 

 

 俺を変態だと罵しりたいなら罵ればいい 罵ってもいいさ――あんたが美少女ならな。むしろ美少女かつ罵りとは無縁な心優しい性格だったらもっとベネ!

 好きに罵ろうが、ネット上に拡散しようが、記者会見で報道しようがいい。

 だが美少女、いや美少女幽霊の寝顔が見たいという願いはそんなに変態的だろうか。俺はそうは思わない。別にパンツの匂いを嗅ぎたいとか汗を舐めたいとか言ってるわけじゃないんだし。……あ、汗舐めたいは言ったことあったっけ。まあいいか。

 

 難しい顔でパソコンと睨めっこするエリザを見る。

 

「うーん、今月の広告収入はあんまり増えてないなー」

 

 人は最も無防備な瞬間、それが睡眠中だ。普段はテキパキ家事をして、ちょっとドジっちゃうエリザが無防備な姿を晒す瞬間を見たい。というかもうそのことだけしか考えられない。エリザの寝顔見ないと一生後悔するわ。○サトさんだって『自分自身の願いの為に!』って言ってたしな。

 つーわけで、本作戦をオペレーション《スリーピングビューティ》と名付ける。全力を持って完遂するように!

 

 しかし、いざ寝顔を見ると言っても現状かなり問題が多い。

 何せエリザと暮らし始めてから今日まで、1度も彼女の寝顔を見たことないのだから。

 

 寝る時間は俺より遅いし、朝起きるのも俺より早い。

 具体的に言うと、寝る前はエリザの希望で『お話』を語っている内に俺が眠り、朝は俺が起きた時には既に朝食を用意している。

 俺より先に寝るな、俺より遅く起きるな、そんな前時代の遺物とも言えるような様式を体現する尽くしちゃい系ヒロイン、それがエリザだ。そして尽くされる系主人公の俺。すっごい幸せだけど、来々世までの運を使い果たしちゃった様な気がして怖い。来世の俺、打ちっぱなしのゴルフボールとかになっちゃってそう。

 まあ来世のことは来世の俺に任せて、今を楽しむことにしよう。

 

 だが作戦の前に、一つ懸念事項がある。

 他人に寝顔を見られるのって、どうなんだろうかってことだ。

 

 以前、(俺の中で)アイスフェイスと呼ばれるほど冷たい表情しか浮かべない雪菜ちゃんのあどけない寝顔を見ようと、夜中に雪菜ルームに忍び込んだことがあった。

 しかし、俺が部屋に入った瞬間に目を覚まし、その寒気が走るような冷たい表情に獲物を狙う狩人のような笑みを浮かべ『……どうやら、やっと薬が効いてきたようですね』って言って、俺を布団に引きずり込もうとした。恐らくは寝ぼけていたであろう奇行だが、あまりにも恐ろしく、正直に侵入した目的を告げると1年に1度くらいしか見られないレアな表情(真っ赤な顔)で俺をボコボコにして、最終的に鼻をへし折られた。翌日、通学した俺の負傷に対してクラスメイトが誰一人として触れて来なかった件と合わせて非常に痛々しい思い出だ。

 

 この事件から考えるに、女性にとって寝顔を見られるのはかなり(禁忌)タブーなんじゃないかといういこと。

 だが禁忌と聞いて燃えるのが俺という男。

 エリザには是非とも作戦の同意を頂きたい。

 

 つーわけで聞くことにした。

 自信が運営するサイトの更新が終わったのか、近所のスーパーのチラシがまとめてあるサイトを眺めているエリザの背に声をかけた。

 

「なあエリザ、いいかな?」

 

 具体的なことを聞かず同意だけ得る。

 エリザの銀髪がサラリと流れ、振り返りながら答えた。

 

「へ? 何が?」

 

「いいかな?」

 

「えっと、何の話かな辰巳くん?」

 

「いいかな?」

 

「……よく分からないけど、別にいいよー!」

 

 やったぜ。

 こうして俺はエリザから直々許可を貰い、オペレーション《スリーピングビューティ》は発動した。

 

 

~1日目~

 

 

 取りあえず遅くまで起きておくパターンで攻めてみることにした。

 しかし、少々恥ずかしい話なのだが、この歳で夜更かしといったものを上手く遂行できた試しがない。

 

 例をあげてみよう。俺の経験談だ。 

 友達同士のお泊り会でも定番の『お前好きな奴いんの?』をする前に就寝、友達同士でキャンプに行って定番の『なあ、女子のテントに行ってみねえ?』が遂行される前に就寝、友達同士のクリスマス会で定番の『プレゼント交換はんたーい! だって私のプレゼント渡す相手は……一之瀬君だけだもん!』も始まる前に就寝、友達同士で大晦日に集まって定番の『わたし……年越しの瞬間に告白する!』『ずるい! 私だって一之瀬君に……108つの鐘よりもたくさんの想いを伝えたい!』『あたしだってお節料理がずっと続いても飽きないくらい一之瀬君が好き!』って恋のから騒ぎを観戦する前に就寝。

 それほど俺の夜更かし苦手は業が深い。何が一番恐ろしいってお察しの通り、都合のいい一ノ瀬君大好きイベントが起こる以前に、そういう行事に一切誘われたことがないってこと。

 

 唯一夜更かし……というか完全徹夜をした期間が、高校受験の1週間前だ。希望していた学校への学力が足りなかった俺は、俺に厳しいことで定評のある雪菜ちゃんに泣きついた。雪菜ちゃんは『全く、兄さんは仕方がないですねぇ……ふふふ』と冷たい表情に隠し切れない笑みを浮かべ、それから6日間、雪菜ちゃん式スパルタ勉強術が幕を開けた。

 正直あの6日間は思い出したくない。眠ることなく机の前に向い、少しでも睡魔に負けそうになったら雪菜ちゃんの鞭が飛ぶ。鞭といっても物理的な物ではない、精神的なものだ。俺の心を抉る言葉のナイフ。今思い出しても涙が溢れ、軽く3日は引きこもりたくなるそれらは、俺の心を穴だらけにする代わりに確かな学力を与えてくれた。次いでに軽い悪口にはビクともしない鋼の心も。

 最後の1日、鞭の後に来た飴は……穏やかな眠り。一緒に徹夜をして流石にちょっと頭がおかしくなった雪菜ちゃんが『今日は安息日です。布団を整えておいたので、一緒に寝ます。拒否権はありません』とか言い出したのだ。連日の徹夜に頭がパーマンになっていた俺は『あ、ハイ』と素直に頷き、人生で最も穏やかな眠りについたのだった。

 後日、合格したお礼に初めて俺から雪菜ちゃんを遊びに誘って、色々あったのだがこれはまた別のお話……。

 

 話は逸れたが、あの6日間で出された雪菜ちゃん特性のコーヒーは、それはもう眠気を抑えてくれた。あれを飲むと零号機がロンギヌスを宇宙に向かって投擲した時に弾け飛んだ雲のように、眠気が吹っ飛んだものだ。多分ヤバイ物が多分に含まれていただろうが、今こうして元気に生きているから……うん、まあ大丈夫かな。

 あれほどの物は必要ないが、眠気覚ましにコーヒーは必要だ。

 

 いつの間にか俺の背後に回り込み肩を揉んでいた(恐らく無意識に『肩凝ったかな』とでも呟いたと思われる)エリザに、肩越しに問いかける。

 

「なあエリザ。コーヒーってウチにあったっけ?」

 

「コーヒー? コーヒーって、あの苦くて黒いのだよね? ないけど……えっと、ミロならあるよ?」

 

 ミロはあるのか……。

それはそれとして、苦くて黒いという言葉に太いを付け足すだけであら不思議! え? 何が不思議か分からない? そうか……わからないか、この領域の話は。

 しかしコーヒーはないか。だったらある所に行けば良い話。

 

「ちょっと出てくるわ」

 

「え? もう7時だし危ないよ。どこ行くの? ついて行こうか?」

 

「いや大家さんの所に行くだけだから」

 

「そっか。じゃあ、足元に気をつけてねー。あっ、寒いからこれ着て行ってね。あ、あとこのタッパー持って行って。『この間頂いたじゃが芋とてもおいしかったです。ポテトサラダを作ったのでお口に合うか分かりませんが、召し上がってください』って言っておいて」

 

 お嫁さんというよりは、お母さんみたいなエリザちゃん。アリだと思います。ロリ母というジャンル需要あるらしいし。雷ちゃんは俺の母親になってくれる艦娘だし。鈴谷には姉になってもらいたい。幼なじみは榛名で、隣の席は摩耶。でち公はオリョール行って来い。

 

 部屋を出て20秒も経たず目的の扉の前に到着。

 

 夜分遅めなので、心持ち静かにノックを3回した。ノックして、すぐに中から「はーい」と相変わらず聞くだけで頬が緩んでしまうような可愛らしい声が返ってきた。

 足音がパタパタと聞こえ、目の前の扉がゆっくり開いた。

 夜は眼鏡をかける習慣なのか、以前見た黒縁眼鏡を装着した大家さんが、開いた扉から顔だけ出しながら

 

「えー、ウチにN〇Kはありません、ではっ」

 

 とシンプル過ぎて逆に行けるのではと思わされる撃退方法を披露し、そのまま部屋の中に引っ込もうとした。

 慌てて、扉の隙間に足を挟み込む。

 

「ひぃっ! いつものN〇Kの人ならこれで帰るのに!? な、ないですから! テレビも2台あって地上波どころかBSもアニマックスもバリバリ見れますけど、N〇Kだけは見れないんですっ! ほ、ほんとですからっ!」

 

「いや、落ち着いて下さいよ大家さん! 俺ですって!」

 

「ひぇぇ……N〇Kと俺俺詐欺が合わさって最強に――ってこの声、一ノ瀬さんですか?」

 

 どれだけN〇Kを恐れているのか。親でも殺されたのか?

 声を聴くまで俺と気づかなかったらしく、大家さんは安堵した表情で胸をなでおろした。次いで俺の顔を見て恥じらいと、一瞬夜闇がパッと明るくなったと錯覚するような眩い笑顔を浮かべた。

 

「びっくりしちゃいましたよっ、えへへ。こんな時間にどうしました? もしかして遊びに来てくれたんですかっ?」

 

 子供のようにあどけない笑顔を浮かべる大家さんには悪いが、本来の要件を告げる。

 

「大家さんコーヒーとかあります?」

 

「へ? ええ、ありますよー。普段は飲まないんですけど、夏やら冬の締切前には、濃いコーヒーとレッド〇ルは必需品ですからねー」

 

 大家さん生産者の方かよ。まあ前に見せてもらった絵とか、超上手かったしおかしくはないか。

 俺は基本的に消費者スタイルを貫いてきたが、そろそろ脳内で進行しているイカちゃんとのラブラブ恋愛黙示録がラノベ換算で10巻に到達したので、同人作家としてデビューしてもいいかもしれない。サークル名? 一ノ瀬ライフとか?

 

「よかったらでいいんですけど、コーヒー御馳走になってもいいですか?」

 

「ええ、いいですよー。それくらいお安い御用です! ――けど、あの……」

 

 どうしたことか。笑顔で話していた言葉の途中、急に頬を染めてもじもじと人差し指を突き合わせ始めた。

 

「も、もしかしてなんですけど……そ、それって……夜明けのコーヒーを一緒に飲みたいとか、そういう意味……」

 

「ではないですね」

 

「で、ですよね! そーですよね! い、いえいえ分かってましたよハイ! そんなそれなんて(ryみたいな美味しい展開はないですよね!」

 

「大家さん、結構時間遅いんで……声が」

 

「ですよね! 大きいですよね! あははははっ」

 

 恥ずかしさを誤魔化すかのように笑う大家さん。あんまり声が大きいと、近所マダムがポップするから勘弁願いたい(マァムがポップと見間違えたそこのアナタ……握手しよう)

 

「え、えっと、じゃあお部屋の中にどうぞー」

 

 大家さんが扉を開き、室内の灯りに夜の影が侵食された。それに伴い、首から上しか見えてなかった大家さんの小さな体が見えてくる。扉が開くにつれて以前お邪魔した時にも感じた、向日葵のような爽やかな香りが徐々に濃くなった。

 大家さんは――ジャージを着ていた。ちょっと色褪せた赤色に白いラインが走る、ちょっと古い学園ドラマとかで見るタイプのジャージ。サイズが合っていないのか、袖が余っていわゆる萌え袖になっているのが蝶サイコー。

 胸元のゼッケンは……外されたのか他の赤より若干濃い赤が残っていた。残念、大家さんの本名が分かるチャンスだったのに。

 

「一ノ瀬さん? 何をジッと見てるんですか? え、えっとですね、チラッと見るだけならいいんですけど、あんまりガン見されると、その……ね」

 

 何を勘違いしたのか、胸元を隠す大家さん。当然ジャージのジッパーを上まで上げているので何も見えない。いつもの和服だったら、胸元がお留守になってて肌色地帯が見放題だったのに残念! 

 ん? 大家さんの発言、あれって俺がチラ見してたのに気づいて……ま、まさかね。そんな筈ないよね。そんな『気づいてたけど見逃してた』みたいな感じだったら、俺、恥ずかしくて心の岩戸に篭っちゃうよ!(岩戸を開ける方法? 原作通りとだけ言っておこうか)

 

「いや、大家さんってジャージとか着るんだなぁ、って思って」

 

「え、ジャージですか? ん? あっ――」

 

 一瞬しまったという表情を浮かべ、素早い動きで扉の内側に隠れる大家さん。追従するように扉も閉まり、室内から溢れていた光が夜の影に逆襲されるように侵食された。

 そろそろと首から上だけを扉の隙間から出す。奇しくも(訪ねてきた時と)同じ構え……!

 

「み、見ましたよね?」

 

 肌をじんわりと赤く染めて、尋ねてくる。

 見ました? 一体なにをだ? そんなパンツを咥えたパンツを見られた転校生のようなパンツを見た記憶はないパンツ。

 

「ジャ、ジャージ姿ですよぉっ。部屋にいる間はジャージを着ているなんて、すっごいダサいじゃないですかぁ! ふ、普段は和服なんですよ! た、たまに、本当にたまにジャージを着てるだけなんですっ」

 

「いや、何焦ってるんですか? ジャージdisってんですか?」

 

「だ、だって大家と言えば和服だって言ってたんですよ……」

 

 誰だそんなこと言ったのは。大家さんを困らせるなんて、この俺がぶっ飛ばしてやるぜ!

 

「一ノ瀬さんが言ったんじゃないですかっ!」

 

 俺だったのか。大家さんを困らせるなんて、もぅマヂ無理。自害しよ……。

 

「も、もしかして覚えてないんですか!? 『大家さんって本当に和服似合いますよね。何ていうか漫画のイメージですけど、大家といえば和服、みたいなイメージありますよね。その点、大家さんは和服が似合ってるから、マーベラスですね!』って言ったじゃないですか!」

 

 言っただろうか。一体何話で言ったか……履歴を探っても出ないな。ただ俺が言いそうではある。

 

「ああ、言いましたね。……たぶん」

 

「何か小声で言いませんでした?」

 

「いえいえ」

 

 扉の隙間から見える大家さんの顔、その目は涙目になっていた。涙を浮かべでちょっと責めるような目で睨みつけてくる大家さん。コレ以上俺を萌えさせてどうするのだろうか。こんないつもいつも萌えさせられてたら、責任取って結婚でもしてくれないと割に合わんな。

 

「うぅー……だから一ノ瀬さんの前では、絶対に和服を着て出るようにしてたのに……不意打ちはずるいですよ! 来る時は事前にメールを下さいっ」

 

 先輩といい大家さんといい、何でこう事前連絡を求めるのだろうか。ヤグチる時に困るからか?

 

「ちょっと着替えてくるんで、外で待っててくださいっ」

 

 言うやいなや、大家さんはバタンと扉を閉じた。が、すぐに開き再び顔を覗かした。

 

「た、例えばですけど……和服をいつも着てるロリ系のヒロインがパジャマを着てたとして。キャラ通り和服っぽいパジャマか、ロリさを極限まで活かすふりふりとしたパジャマか、ギャップ萌えを狙ったセクシーランジェリーか……一ノ瀬さんならどれががいいと思います?」

 

「うーん」

 

 なかなか難しい質問をしてくる。

 ここは『一之瀬ヒロインルート希望ランキング』で10年連続3位に位置している『〇リヤスフィール・フォン・アインツベルン』を例にしてみようか。

 要するに相手に何を求めるかだろうな。彼女に『姉』のような面を求めるならセクシー、『妹』を求めるならフリフリパジャマ(敢えて無邪気性を押し出した全裸でも可)、『同棲感』を求めるなら裸ワイシャツ、『無人島感』を求めるなら貝殻とかぶれない葉っぱ、『未来感』を求めるならピッチリボディスーツ、『野生感』を求めるなら腰ミノ。

 ぶっちゃけイリヤたんなら何でも似合うわ! 型月はさつきルートもいいけど、はよイリヤルート作れや! ついでにエリザベート=バートリーちゃんのルートもキボンヌ。

 

 というわけで、答えを返した。

 

「その人に合っていれば何でもいいと思いますよ」

 

「何でもが一番困るんですよぉっ!」

 

 その後、パジャマに着替えた大家さんに部屋の中へ招かれ、コーヒーを頂いた。

 俺が飲んだ大家さんのコーヒーは思っていたより苦かった。何となくイメージ的に砂糖とミルクをたっぷり淹れて甘くした物を飲むと思っていたので、意外だった。それを大家さんに言うと

 

「ふふっ、まだまだ一ノ瀬さんの知らない私はたくさんあるんですよ。私ももぉっと一ノ瀬さんの知らない面を知りたいですねー、えへへ」

 

 と言って笑った。その笑顔が今までに見たことがない、可愛らしさの中に色気を含んだものだったので、不覚にも顔が熱くなってしまった。

 え、パジャマ? それはまた別のお話。だた凄かったとだけ言っておこう。

 

 

■■■

 

 その後、妙に話を引き延ばそうとする大家さんに礼を言って部屋に戻った。

 そして普段通り布団に入り、『お話』を求めてくるエリザに俺が中学生だった頃の話をした。と言っても学生生活は聞かせられるものではなかったので、主に家族でどこに行ったとかの話だったが。

 

「で、北海道旅行の時、家族と別れて雪菜ちゃんと2人で行動してたんだけど、うっかりすすきのの風俗……ぐぅ」

 

「あ、寝ちゃった」

 

 話の途中だが、今日は別の目的があるので寝たフリをすることにした。 うっすら目を開けると、布団に入った俺のすぐ横で自分の腕を枕に顎を乗せてうつ伏せになっていたエリザが「よいしょ」と腕立て伏せの要領で体を起こした。

 

「辰巳くん、おやすみー。いい夢見てね」

 

 思わず胸に飛び込んでしまいそうなくらい母性溢れる笑みを浮かべるエリザ。そのまま眠る俺の顔に自分の顔を近づけてきて、何をするかと思えば……頬にキスをしてきた。驚いて『ンヒィ!』みたいなキモイ声が出そうになったけど、思い切り飲み干した。その飲み干した『ンヒィ!』がどこに行ったか……それはまた別のお話。

 

「……えへへっ、また明日ね。いつか起きてる辰巳くんにキスできる日が来るといいなぁ……なんちゃって!」

 

 はにかんだ笑みを浮かべる。そのままスゥっと足音を立てない滑るような動きで部屋の端にある机に向かい、小さな電灯を点けた。

 

 あれ? 寝ないのか?

 

 薄目で観察していると、どこから取り出したのか青い毛玉と棒針が現れ、ぬいぬいしだした。ぬいぬいマジぬいぬい! ぬいぬい? ぬいぬい……ぬいぬーい!? ぬいぬい……ぬい、ぬ……い。

 ぬいぬいってのはつまり、編み物ってことだよ。言わせんな恥ずかしい。

 

「エリザが夜なべをして~手袋編んでるよ~今年の冬は寒かろうて~せっせと編んだのです~」

 

 眠ってる俺に気遣ってか、小さな声で歌うエリザ。この歌もキャラソンに収録されるんですか!? やったね!

 エリザ視線は編んでいる手袋と眠っている俺へと交互に移動している。実に楽しそうだ。いや、本当に。

 しかし俺の為に手袋を編んでくれてるのか……えらいネタバレ踏んじまったよオイ。貰った時どんなリアクション取ればいいんだ? いくら俺が鶏頭だっつっても、流石にこんな印象的な場面忘れんぞ。

 

 演劇部見学して演技の勉強でもしようか……と考えていると、いつの間に編み物が終わったのか、次は俺のズボンを取り出していた。

 

「んっと……あっ、膝の所穴が開いちゃってる……。では塞ぎましょう、そうしましょう」

 

 と独り言を呟くや、針と糸でぬいぬいしていく。そのワザマエは実にお見事で、瞬く間にズボンに開いた穴は塞がれた。

 

「ああっ、こっちにも開いてる! うーん、大きいなぁ……これは縫うのは無理かー。よしっ、これを使おう」

 

 またしてもどこからか取り出したのは……鯖のワッペン。鯖のワッペン!? あんのそんなの!?

 ワッペン業界のバリエーションに驚いていると、エリザはズボンの穴を鯖ワッペンで塞いでしまった。

 そうか……俺の服に何故か鯖やら可愛いキャラクターのワッペンが貼られていく謎の現象が解き明かされてしまったぞ……。

 そういえばエリザが見えるようになる前から、この現象は起きてたっけ。この現象の正体に気づいていれば、もっと早くエリザの存在を発見できただろうに……。遠藤寺も毎日俺の服見てるんだから、何か言ってくれればいいのに。

 

 その後、エリザはいくつか俺の服を確認した後、ワイシャツのアイロンをかけ、家計簿をつけ、やっと眠るかと思えば眠る俺に寄り添い10分ほど顔を見つめ、パソコンをカタカタし、眠る俺に寄り添って顔を見つめ、明日の朝食の軽い仕込みをして俺の顔を見つめ、俺の顔を見つめてから……俺の意識が落ちた。

 

 翌日、いつも通り朝食の匂いとエリザの声に起こされた。

 エプロンを着けて、炊飯ジャーからご飯をよそうエリザに問いかける。

 

「なぁ……昨日っていつ寝た?」

 

「え、わたし? ふつーに辰巳くんが寝た後に寝たよー」

 

「そうか……」

 

 楽しそうに食卓を準備するエリザに『嘘だ!』と突きつけるほど空気の読めない俺ではなかった。

 

 こうして1日目は終了、作戦は失敗に終わった。



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Sleeping Beauty~中編~(縮地と発勁さんは何だかんだあって結婚しましたとさ)

~2日目~

 

 

 前日の反省を活かし、今日……というか明日はエリザより早く起きる作戦でいくことにした。

 とは言っても、今までの生活ではエリザに起こしてもらってばかりで、自分で早起きをする自信が全くない。

 

 そういえば実家に居た頃も雪菜ちゃんに起こしてもらってた。個人的には隣に住む幼なじみに起こしてもらうシチュエーションに非常に憧れていたが、残念ながら隣に住んでいたのはギネスに挑戦していると思われるレベルの超浪人生と反対隣にたった一人で住んでいる無職のオッサンしかいなかった為、その夢が叶うことはなかった。ホラ吹き過ぎて『ピノキオおじさん』と呼ばれていたあのオッサンは元気だろうか。『僕はね鼻じゃなくて、別の部分が伸びるんだよ』って笑って言ってたけど、今考えるとヤバイこと言ってたんだなって思う。

 

 まあオッサンのことはいい。今はどうやってエリザより早く起きるかだ。

 

 ここで『よーし、これを機に自分で早起きする癖をつけるんだぜ~』と奮起するなら、人間としてかなり将来性が見込めるが、あいにく俺はそういった将来性とは無縁な人間だ。できるだけ他人におんぶに抱っこスタイルを維持していきたい。

 

 というわけで、エリザ以外の誰かに起こしてもらうことにした。とは言っても身近で起こしてくれる人間なんて大家さんくらいしか浮かばないし、昨日大家さんには夜更かし作戦を手伝ってもらったばかりで流石に連続して頼むのは忍びない。

 

 ここは誰かにモーニングコールでも頼むか……。

 

■■■

 

 大学の講義が終了後、サークルの部室に行ってみた。目的はデス子先輩だ。デス子先輩なら、可愛い後輩のお願いをホイホイ聞いてくれるような気がする。

 

 デス子先輩が着替え中だったらいいなぁ、と淡い期待を抱いて3回ノック、返事が帰ってくる前に扉に手をかけた。

 

「闇に飲まれよ!」

 

 今思いついたサークルの挨拶と共に引き戸タイプの扉を開く。

 珍しいことに室内は、開かれたカーテンから入ってきた外の光で満たされていた。基本的に先輩に拉致られて闇の中で目覚めるか、事前に行くことを伝えて真っ暗な室内に入るかのどちらかだから、今回のように明るい室内に入るには初めての体験だ。

 

 室内を見渡すと普段先輩と向かい合わせで座っている赤いテーブルクロスのかかった丸テーブルの前に、先輩がポツンと一人で座っていた。テーブルの上にはいつも置いてある水晶球や蝋燭の代わりにマ○ドの包み紙が散乱していた。あと開いた状態のノートパソコン。

 どうやら食事&パソコン閲覧中だったらしい。

 先輩は普段と同じ黒いローブを着て、ポカンとした表情でこちらを見ている。その表情を言葉にするなら『何故、一ノ瀬後輩がここに……』といった感じだろうか。

 

「な、何故一ノ瀬後輩がここに……?」

 

 ビンゴ! クイズの優勝商品はその食べかけハンバーガーでいいよ! そして副賞を頂けるならその食べかけハンバーガーを先輩の目の前でゆっくり蹂躙するようにじわじわと食べる権利を頂きたい……!

 

 俺は後ろ手で扉を閉めつつ、口をいい感じに突っ込みやすい形に開いて驚いている先輩に近づいた。

 え? 何を突っ込むかって…? そんなのあんた次第だろ。まあ、俺ならちくわを突っ込んで、その中にチーズを……いかんいかん、コレ以上は迷惑思考条例違反に引っかかる。

 

 俺は可愛げのある後輩っぽいポーズをとった(挿絵よろ)

 

「来ちゃいました」

 

「く、来る時は事前に連絡をしてからと、あれほど……!」

 

 一人メシの邪魔をしたからか、険のある口調で説教モードに入ろうとした先輩。だが言葉の途中でその視線がテーブル上にあるバーガーの包みに向かった。

 

「……っ!」

 

 ローブから見える表情(といっても頭まですぽり被っているので、口元しか見えない)が焦りに変わった。表現するなら\やべえ/といった感じだろうか。

 黒いローブから伸びる手がサッとテーブルを走り、照り焼きバーガーを掬い上げそのまま先輩の胸元からローブにインした。ローブを押し上げる膨らみが、普段の2割ましほど大きくなる。

 普段見せないタイプの素早さを披露した先輩は、何事もなかったかように口角を釣り上げた。

 

「さて、一体何のようデスか?」

 

「先輩ってジャンクフードとか食べるんですね」

 

「はて? 何を言っているのデスか一ノ瀬後輩? 闇に生きるワタシは人間界の食物を口にすることはありません。ジャンク? フード? ……うーむ、ワタシの辞書には存在しませんね」

 

「さっき食べてたじゃないっすか」

 

 先輩が回収し損ねた包み紙を指さす。空の包み紙を含めて、この場にあるハンバーガーは4つ。ちょっと食べ過ぎなんじゃないでしょうか。まあいいけど、よく食べる女の子って個人的に好きだし。もぐささんマジもぐもぐ!

 

 俺の指摘を受け、先輩の手が残像を残しつつテーブルを走った。テーブル上にあった空の包み紙が消失した。そして先輩の胸の膨らみが更に大きく。

 

「いえ、食べてませんが? 闇に生きるワタシの主食は……ワイン。ヤギの頭蓋骨に汲んだワインを摂取しているのデスよ、フフフ……」

 

「先輩織田家の人なんすか?」

 

 どうやらジャンクフードを食べていたことは、なかったことにして欲しいらしい。しかし無理がある……飲み会で普通に山盛りポテトフライを食べていた過去は消せない……! なかったことにしてはいけない……!

 ただ先輩の設定破綻はいつものことだし、あまり突っ込んでパンピーになったら面白くないので、ここは先輩の希望通り、見なかったことにしておこう。これ『超法規的処置』ね。

 

 さて、さっさと本題に入るか。

 

「で、先輩話なんですけど……」

 

「その前に一度この部屋を出て下さい」

 

「へ、何で?」

 

 確かにお食事と趣味の邪魔をしたのは悪いけど、いきなり出てけって……。

 俺と先輩の仲なんですから、そこはもうちょっと多めに見てくれても……。いや、そもそも俺と先輩の仲ってなんなんだ? サークルの先輩と後輩? 先輩曰く『同じ闇を抱いた同士』? 今更だけどどうにも色気がねーな。できれば揉んだり揉まれたりする仲に発展したいんだが……帰ったらyaho○知恵袋に方法を尋ねてみるか。

 

「いや先輩。ちょっと話があるだけで……」

 

「部屋から出て下さい」

 

「いや、でもすぐに……」

 

「いいから」

 

「でも」

 

「いいから早くして。早く。お願いだから」

 

「はい」

 

 先輩の圧力が篭った言葉に押し出されるように、部屋を出た。

 扉の前で待っているとまず室内の電気が消え、何かを動かすような音が聞こえた後に何か重い物が落ちる音と「キャッ」と小さな悲鳴が響き、また電気が点いた。それから3分ほど何かを動かしたり、カーテンを閉めたりする音が聞こえ、再び電気が消えた。

 

「では入りなさい」

 

 部屋を出てから5分、扉から聞こえてきた厳かな声に従い部屋に入った。

 部屋に入ると普段ここに来る時と同じく、真っ暗な室内に蝋燭がポツンと立ったテーブルが見えた。そしてテーブル前に座り、いつものポーズ(ゲンドウのアレ)をとる先輩。

 

 色々ツッコミたかったが、ここで突っ込みを入れても何も解決しないということを知っていないので、スルーすることにした。

 

「フフフ、さあどうぞ……迷えるジプシーよ」

 

 先輩の向かいに座り、早速要件を伝えることにした。

 

「明日モーニングコールしてくれません?」

 

「はぁ!?」

 

 先輩がガタンと音を立てて立ち上がり、何故か室内の電気が点灯した。

 

「ちょ、ちょっといきなり何を言っているのデスか!? びっくりして電気が点いちゃったじゃないデスか!」

 

「何のシステムだよ」

 

 先輩の感情と部室内の電気が連動してんのか? だったこの室内で先輩が一人遊び(一人遊びの意味が分からない君はそのピュアマインドを大切にしてね)してたら、電気が点いたり消えたり点いたり消えたりラジバンダリ……最後に爆発するかのように電気が光り、そして冬に吐いた熱い吐息のようにゆっくり消えていく……。最高じゃないか! そのシステム、是非我が社にも導入したい!

 

 可愛い後輩のお願いに、顔を赤くしてもじもじと可愛い反応をする先輩。

 

「も、モーニングコールなんて……そ、そんな彼女じゃないんだから……」

 

 先輩の中ではモーニングコールをするイコール彼氏彼女の事情という式が構築されているらしい。

 取り敢えずモーニングコールをして欲しい事情……といっても本当のこと『同棲している可愛い幽霊にゃんの寝顔を見たいにゃん!』を言っちまうと、先輩のUMA大好き魂に火を着けて最終的に大火傷しちまいそうなので、誤魔化すことにした。

 事前に考えていた『愛用の目覚まし時計が壊れて、起きられそうにないので助けてほしい』といった旨のことを伝える。

 

「お願いします!」

 

「いきなりそんなことを言われても……そもそもワタシもあまり朝が……」

 

 渋る先輩。そりゃいきなりこんなことを言われて二つ返事で了承する人なんていないだろう。俺だって後輩の女の子が同じようなこと言ってきたら『コールだけでいいのかい、プリティガール?』と直に起こす方向へ誘導尋問するだろう。

 これも想定していた。ここでこう行く。

 

「先輩しか頼める相手がいないんです!」

 

「……そ、そうなの?」

 

「はい。俺こんなこと頼める友達なんていないし……先輩しか、先輩しか……いねーんですよ」

 

 哀愁の表情を浮かべ、先輩心をこちょこちょくすぐる様にか弱い声で呟く。最後の方、ちょっとニナチャーンみたいな口調になったけど、問題ないだろう。

 俺は知っている! 先輩はマミさんばりに先輩風をビュービュー吹かしたがるタイプだということを……! 可愛い後輩にお願い事をされると、喜んじゃう人だということ……!

 

「へ、へー……そうなんだー」

 

 口元にニヤつきから、満更でもない様子が伺える。クリティカルヒット! 先輩のハートをキャッチ! 

 ま、親父はもっと上手くキャッチするな、キャッチする時罪悪感を感じないからね。

 実際、先輩を騙しているような気がして、チクチクと罪悪感を感じていた。

 だが、この罪悪感を乗り越えなければ、エリザの寝顔は見られない!

 

「そっかー……うん、いいよ。あ、いや……げふんげふん――いいデスよ、フフフ。我ら同じ『闇』を抱く者同士、それくらいの頼み容易いデス」

 

 どうやら上手く行ったようだ。これで先輩からのモーニングコールを取り付けることができた。

 これでミッションコンプリート! 

 

 目標を達成した俺は、先輩の膝に置かれているノートパソコンに興味がいった。

 先輩がどういうサイトを見ているか……俺、気になります!

 

「先輩ってパソコン持ってたんですね。どんなサイトとか見てるんですか?」

 

 作戦が上手くいった俺は、勢いに乗っていた。普段は他人のインターネッツ事情なんてパーソナルな領域に踏み込もうとしないのだが、高揚感がそれを麻痺させていた。

 

「……んー」

 

 先輩はチラリと膝元を見た。その口元に浮かぶのは……逡巡か。

 これはやってしまったかもしれない。人には入ってほしくない領域があって、その領域を侵犯することで人間関係は簡単に壊れる。そういう経験があった。学習能力のない、俺。

 

 俺は慌てて「やっぱり何でも……」ないです、と発言をなかったことにしようとした。

 だが、その前に先輩の口が、先ほどの迷いを吹き流すように、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ふむ……そろそろ一ノ瀬後輩に教えてもいいかもしれませんね」

 

 先輩は奥義を伝授するトーンで重々しく言葉を発した。

 どうやら、先輩のパーソナル・スペースに踏み込むことができたらしい。胸を撫で下ろす。今のは危なかった。今まで築き上げた仲に罅を入れる行為だ。軽率過ぎた。

 だが、まあ結果的には先輩の新しい一面を知ることができそうだ。

 

 さて、先輩の口からどんな言葉が出るのか。

 

「今まで言っていませんでしたが、ワタシは最初からこちら側――『闇』側の存在ではありませんでした」

 

 先輩は恥じるように言った。

 

「アレは高校2年生の夏デス。その頃のワタシは自らの『闇』に気づくこと無く、その他大勢の普通の人間と同じように退屈な日々を過ごしていました。ええ、それはもう退屈な、まるで眠っているような日々でした」

 

 遠い目で語る先輩。

 JKの先輩かぁ……普通にJKしてたって言われても信じられんなぁ……。

 

「他の人間と同じように大学受験を控えていたワタシですが、常に胸の内に違和感を抱えていました『何かが違う』と。デスがその何かが何なのか分かるはずもなく、ただ漫然と流されるまま、自分から動くこともなく過ごしていました。ひたすら受け身で、他の人間と同じような行動をとり、同じようなつまらない話を繰り返して、安心している自分がいました。実に愚かなことデス。そしてそのまま、退屈で当たり前なその他大勢が踏み均した盤石なレールの上を、世界に囚われた傀儡のように歩いて行く……その筈でした。それを見つけるまでは」

 

 先輩は熱の入った口調で、カタカタとキーボードを叩いた。

 

「この――『黒ノ軌跡』を!」

 

 ババーンと効果音を付けるならそんな感じで、ノートパソコンをこちらに向ける先輩。

 パソコンの画面には、大きな文字で先輩が先ほど言った『黒ノ軌跡』という文字がデカデカと表示されていた。

 その下に5行ほどの文章、更に下がって話数とサブタイトルらしき物が見えた。

 どうやらこのサイトは小説投稿サイトで、表示されているのは誰かしらが投稿した小説のページらしい。

 

 タイトルから香ばしい……背中が痒くなっちまう痛々しいオーラを感じる。

 

「小説ですか?」

 

「ええ、このサイトは『小説家になってやろう』という小説投稿サイトで……まあそこはいいデス。本題はこの『黒ノ軌跡』デス!」

 

 どれだけ思い入れがあるのか、先輩は珍しく上ずった口調で続けた。

 

「ワタシは偶然この『黒ノ軌跡』を見つけ、暇つぶしにと読み始めました。最初はただの暇つぶしと思っていたのデスが、読んでいく内にどんどん引き込まれ、気がつけば自らの胸の奥に何かが現れたのを感じました。いえ、現れたのではなく本来あったものに気づいた、と言うべきデスか。それは『闇』デス。ワタシの胸の奥深く、根源とも呼べる場所にそれは根付いていました。そしてワタシはそれを自覚すると同時に目を覚ましたのデス。今まで見えていた世界から霧が晴れるような感覚。この世には嘘と欺瞞が満ちており、それらを見通す真実の眼が開き、闇の奥に潜む失われた者達の声を聞く耳を手に入れました。そう、ワタシは真実の自分を手に入れたのデス! それからのワタシについては、このサイトに投稿している『闇を見通すモノ~覚醒~』に詳しく書かれているので、どうぞよろしくデス」

 

「さり気なく自分の作品をアピールしましたね」

 

 要するに先輩が邪気眼に目覚めた原因ってことだろ。多分超純水培養の汚れないピュアJKだった先輩にとって、この小説が刺激的過ぎたってことか。人間何が原因で目覚めるか分からんね。

 まあ、分からんでもない。ひよこじゃないけど、最初に見たもの、経験したものってびっくりするほど印象に残るもんな。俺だって初めて読んだチャ○ピオンでイカちゃん見て以来、あまりの可愛さに日常生活でイカ食えなくなったもん。

 

 さーて、先輩を悪い子にしちゃった痛い小説の中身はどんなもんかね。

 最終更新が……昨日か。先輩が高校生の時にプロローグが投稿されて、月1話のペースで現在まで更新してるわけね。結構長いシリーズだな。

 

 まずはあらすじか。どれどれ。

 

 『十ノ瀬竜也は一見どこにでもいる中学生だ。だが、その正体は夜を駆け、闇に潜む『魔態』を屠る――執行者だった。かつて所属していた退魔の組織『身食らう蛇』から抜けた彼は、自身が憧れていた平凡な日常を謳歌していた。だが、彼の持つ『因子』は魔を引き寄せる。平凡な日常を守る為、彼は呪われし力を行使する。――これは彼の残した軌跡。ここに記されているのは、彼が残した軌跡の欠片――黒ノ軌跡』

 

「……」

 

「どうデスか一ノ瀬後輩? あなたも闇に生きる者なら、何か感じたのでは?」

 

「え、ええ……感じましたよ」

 

 俺の答えに先輩が『本当ですか!? やはり一ノ瀬後輩は運命の……』とか嬉しそうに言っているが、それどころじゃなかった。

 俺は感じていた、恐ろしい悪寒を。露出した心臓にナイフを突き付けられるような、恐ろしい感覚。

 あらすじを読んだ瞬間、背筋に汗が溢れお尻の辺りまでびしょびしょになった。

 

 何も痛々しいあらすじを読んで鳥肌が立ったとか、そういうわけじゃない。これくらいの小説はいくらでもあるし、まだまだ『濃さ』は低い。世の中にはもっと凄い、業の深い小説がある。

 だったら、何故こんなにも怖気を感じるのか。

 

 

 

 この小説が――俺が中学生の頃に書いた小説にそっくりだからだ。

 

 

 

 これにつきる。タイトルを見ても気付かなかったが、あらすじを読んだ瞬間気づいてしまった。

 俺が昔書いた小説をあらすじってるし、何より主人公の名前も一緒だ。

 

「……偶然という可能性も」

 

 たまたま内容が被って、たまたま主人公の名前が一緒なだけかもしれない。

 可能性に縋るような気持ちで、1話を開いてみた。

 

 完全にメイドイン中学生の俺だった。

 

「ひぃぃぃぃ!」

 

 恐ろしさの余りに椅子から転げ落ちてしまう。突然の俺の奇行に、突っ込み役である筈の先輩は『やはりこの出会いは運命……同じ闇を持つもの同士の運命』とかニヤニヤした笑みを浮かべながら絶対運命黙示録厨になっていたので、反応はなかった。

 

 しかしマズイ。マズイっつーか、吐きそう。

 押入れの中に閉まったはずの黒歴史が、どうしてよりにもよってワールドワイドなウェブに流出しちゃってんの? 押入れから世界って……田舎から出てきた女の子が一躍ハリウッドスターなシンデレラストーリーじゃねーんだから。

 

 あれか。人の黒歴史を集めてばら撒く、鼠小僧的な義賊でもいんのか? 

 いや、ネズミはちゅーちゅー鳴くじゃん。で、黒歴史ってのは大体中学生の頃に作られるから……その……ちゅう繋がりで……言ってみただけ、です。

 

 待て待て真面目に考えよう。よくネットで芸能人のプライベート写真とか個人情報がウイルスで流出してるってのはよく聞くけど、物理的に保管してる物がネットに流出するなんてありえるか? ウイルスってそこまで進化してるわけ? そんなもん人的に力が加わらない限り――

 

「あ」

 

 思い当たる節はあった。あってしまった。

 携帯を取り出し、妹……雪菜ちゃんに『兄ちゃまの部屋、押入れの中にある段ボール箱、開けたら呪うと書いた張り紙』とだけ打ち、送信。20秒で帰ってきた。

 

『開けましたが……何か?』

 

 ウチの妹がウイルスだッた件について。

 あ、あの妹……開けやがった! パンドラの箱を開けちまいやがった!

 妹が行った、いともたやすく行われるえげつない行為に戦慄する。わざわざそれっぽく呪いの札まで作って封印してたのに、どうして開けちゃうかなぁ……。呪われたい年頃なのか?

 

 だが箱自体は中学の教科書が詰まってて、本命の小説はダンボールに作った偽底の下に隠していたはず……! 仮に偽底に気づいても正しい手順を踏まないと、仕掛けが発動して小説が消滅するはず……!

 

『なにやら箱の底に稚拙なトラップが仕掛けられていましたが、2秒で解除できました』

 

 3ヶ月かけて作ったトラップを2秒で解除されちゃった……。 

 くそ、どうして処分しておかなかったんだ俺! 

 

『兄さんが高校生になった夏休み、掃除中に見つけ、兄さんが書いた小説を発見しました。そして将来の目標に『小説家』を抱いていた兄さんの為に、こっそりネットに投稿しておきました。素人の皆様の酷評を受けて叶わない夢は早々に放り出して堅実な職業を目標にして欲しいという妹の切なる想いからでしたが……余計なお世話でしたか?』

 

 確かにそういう夢を抱いてた時期もあったけどさぁ……。何でよりによって中学生の時に書いた小説とかアップロードしちゃうかなぁ。余計過ぎて怒る気にもなれん。

 

『感想がいくつか集まった辺りで兄さんに見せ、現実を直視してもらおうと思っていたのですが……どうも兄さんの書いた小説は流行から外れていたのか、純粋に面白くなかったのか……1話につき1つしか感想が付きませんでした。それも毎回同じ人です。名前は……「闇の住人」でしたか』

 

 その闇の住人とやら、恐らくだが俺の目の前にいる。

 

 『他の人の感想がつくように時間を空けて、月に1回更新していたのですけど……結局先日の更新まで他の人の感想が付くことはありませんでした。それにしても毎月欠かさず感想を付けてくれたこの人も、相当な変わり者ですね』

 

 目の前にいるんだけど、変わり者については否定できない。

 

『昨日の更新でストックが尽きましたので、兄さんには新しい話の執筆をお願いします』

 

 中学一ノ瀬先生は体調不良の為、永久にお休みを頂いております! つーか無理に決まってんだろうが。

 今の俺が続きを書いたら、主人公以外全員女の子にして相手の服を芸術的に破った方が勝ちってルールに変更したバトルラブコメになるっつーの。それでもいいなら書きますけどね。

 

 しかしパンドラの箱を開けたことで、恐ろしい真実が解き明かされてしまった……。

 先輩がこんな感じになってるのって、もしかして俺のせい? 俺が残した黒歴史が先輩の人生捻じ曲げちゃった感じ? ノーマルJKからノーマルJDになる予定が、ワープ進化を遂げて闇を抱える美少女大学生になっちゃった?

 いや、そんな人の人生変えちゃったみたいな重い真実突き付けられても、俺どうすりゃいいんだよ……。 大学生なのに中学生の娘が2人もできちゃったくらい重い……。DADDYFA○Eの新刊はいつ出るんですかね。

 

 俺が頭を抱えていると、運命厨から抜けだした先輩が首を傾げた。

 

「どうしたのデス一ノ瀬後輩? 何か悩み事でも?」

 

「いえ、実は一人の少女の人生を大きく捻じ曲げてしまったかもしれない、ということに気づいてしまって」

 

「はて? よく分かりませんが……その少女は後悔しているのデスか?」

 

 話題の中心が自分であることなんて露知らず、そんなことを言う先輩。

 後悔……しているようには見えないか。まあ、楽しそうにやってるし……端から見ればバリバリ人生謳歌してる。

 

「楽しそうにはしてますけど……」

 

「だったらいいのでは? そもそも人生というものはそんな簡単には変えられませんよ。一ノ瀬後輩がその人の人生を変えてしまったと思っていても、案外アナタが何をしなくてもその少女はその人生を歩んでいたのかもしれませんよ」

 

「そ、そういうものですか」

 

「ええ、そういうものデス。おっと、今の言葉は『闇』を抱く同士としてではなく、あくまで人生の先輩として聞いて下さいね」

 

 1つしか変わらないのに、隙あらば先輩風を吹かせてくる先輩。

 取り敢えず色々なお詫びと責任をとる意味で、頑張って『黒ノ軌跡』の続きを書こうと思った。

 

 その後、先輩と他愛もない雑談に耽り、最後にもう一度モーニングコールの約束を取り付けてから、帰宅した。

 

 家に帰り、夕食を食べると早めに寝る旨をエリザに伝える。

 モーニングコールは取り付けたが、少しでも早く起きる可能性を高めておいた方がいい。

 

「ま、まだ6時だよ? そ、それに今日のお話は……?」

 

「今日は休み」

 

 ぶーぶーと頬を膨らませるエリザに「明日は今日の分多く話すから」と宥め「多くって、辰巳くんいつも途中で寝ちゃうから意味ないよ……」と不満顔を浮かべる彼女に背を向け、眠ることにした。

 睡魔はあっという間にやってきた。

 

 

■■■

 

 

 翌朝、俺は自分を呼びかける声に起こされた。

 

「おっはよー、辰巳くん! 今日は雨だよー、ジメジメしてやーな感じだけど――元気だしてこっ」

 

 ジメジメした空気を吹き飛ばすような笑顔を浮かべるエリザだった。

 どうやらエリザより早く起きる作戦は失敗したらしい。

 

「おはようエリザ。今何時?」

 

「8時だよー」

 

 台所へ向かってトテトテ歩きながら返してくる。

 おかしい……先輩には6時頃のモーニングコールをお願いしていたはず。

 

 携帯を見てみるが、着信記録は残っていない。

 エリザが食事の準備をしている間に、電話をかけてみることにした。

 

 電話口から着信音が流れ続け、そろそろ留守電に切り替わる……というところで、相手に繋がった。

 

 

『ふぁい……わたしですけどぉ』

 

「名乗って下さいよ。パーソナルデータをもうちょっと公開してくださいよ」

 

 誰か分かんねーよ。ていうか、舌足らず過ぎて聞き取りにくい。とてもじゃないが先輩の声とは思えない。

 

『えっとぉ……ハンバーガーとか好きでぇ……コーラも大好きですぅ。でも一番好きなのはぁ……にへへぇ――ないしょっ』

 

「あのすんません。これ先輩の携帯で合ってますよね? どっかの幼女と繋がってたりしませんよね!?」

 

 それはそれで非常に使い道はあるが、今は先輩の携帯だ。番号間違って教えられたのか? いや、でも前にかけた時は繋がったし……。

 

「先輩! 昨日の約束の件なんですけど」

 

『きょうは早くおきて……いちのせ君に……モーニング……モーニングコーヒーをかける』

 

「なんすか先輩? 俺のこと嫌いなんですか?」

 

 俺の名前を呼んでるし、どうやら先輩の携帯で合ってるらしい。だがどうにも様子がおかしい。

 怪しい黒魔術のやりすぎでスパイラルマタイしちまったか……?

 

『モーニングスターで……たたく。できるだけこっせつしやすいぶいを……たたく、ぶいはかいを、する』

 

「それ報酬どころか賠償請求しますけど……」

 

 うーん困ったぞ。全然話が繋がらん。

 相変わらず続く先輩のパラッパラッパーなトークに頭を抱えていると、電話の向こうからノックらしき音とドアを開ける音が聞こえた。そして近づいてくる足音。

 

『もうっ、お姉ちゃん! いい加減に起きなさいっ!』

 

『あぁ……美咲ちゃんらしきひとだぁ……』

 

『らしくないよ! そのものだよっ! 昨日早く寝ないから起きれないんでしょっ? よく分かんないけど、遅くまで電話の文章考えてて! 結局起きれてないじゃん! モーニングコールするから早く起こしてねってあたしに投げっぱで! 時間になって起こしたけど起きなかったじゃん! あとで絶対ぐちぐち言う癖に!』

 

『よくわかんないけどごめんね。お姉ちゃん……ほら、闇だから……あさほんとダメなの。闇にいきる闇にんげんだから、日の光はほんと、ダメなの。はやくにんげんになりたい……』

 

『やみやみやみうるさいっつーの! いいからっ、布団から出なさいっ!』

 

『お布団とっちゃやだぁー』

 

『いーいーかーら! 出てきて……って、あれっ!? お姉ちゃん……だ、誰かと電話してるの?』

 

『わからん。あはは』

 

『いやいや笑ってる場合じゃないから。え、誰にかけてんの? ちょ、ちょっとやめてよ、知り合い? いや、知り合いでも困るし、知らない人でももっと困る……』

 

『いちのせくん』

 

『誰だよ! あ、いや、お姉ちゃんの話題によく出る人か……ん? いや、アカンでしょ! 待って待って色々待って。ちょっと取り敢えず……電話没収』

 

『アイフォン返してぇー』

 

『アンドロイドでしょ。……ごほんっ。えっと……あの……も、もしもし?』

 

 完全に蚊帳の外だった俺だが、ここでようやく話に入れた。

 何だか本当によく分からんが、電話向こうのやりとりを聞く限り、今先輩の携帯を持っているのは先輩の妹らしい。

 そういえば、妹がいるって話はちらほら聞いていた。

 

 取り敢えず待たしてもアレなので、対応する。

 

「もしもし。えっと……一ノ瀬ですけど。先輩の……」

 

『は、はいっ、妹です!』

 

「……っ」

 

 電話口から聞こえた元気な声に、耳がキーンとなった。

 

『み、美咲です! 高校2年生です! 空手を少々嗜んでいます! 趣味はランニングです! 好きな食べ物はハンバーガーです!』

 

「あ、はい。一ノ瀬辰巳です。大学1回生で、趣味はアニ……いや映画鑑賞です。好きな食べ物は鯖の味噌煮です」

 

『そうですかっ』

 

「う、うん」

 

『……』

 

「……」

 

 沈黙を表す「シーン」という音が響いた(気がした)

 気まずい。顔を見てない分、相手の表情が分からないので更に辛い。

 

『――あ、あのお姉ちゃん料理得意なんですよ!』

 

「え、あ、うん」

 

『鯖の味噌煮も! ……あ、ごめんなさい。今のナシで。料理は期待しないであげて下さい。で、でもっ! えっと、あのウンチクっていうんですか!? トリビアみたいなのいっぱい知ってて……す、凄くはく、はく……そう博識なんですっ!』

 

 困ったぞ。会ったことないタイプの人間で、対応方法が全くわからない。つーか会っても居ない。どうすんのコレ。どうすんのこの感じ。

 

『それに凄く優しいんです! あたしが小学生の頃――』

 

「うん。で、そのお姉ちゃんに代わってもらったりは……」

 

『……そ、それは、ちょっと……あの、今アレなので……』

 

「アレ」

 

『は、はいアレで……ちょっと厳しくて……。は、初めてできた男友達の人をヒかせるのは、妹的にもナシかなーと。で、ですので! 3分! いえ、10分でいいので時間を下さい! 何とか! 何とかしますから! お、お願いですからさっきの姉を姉と思わず、できれば忘れてあげて下さい!』

 

「わ、分かった。うん、待つわ」

 

『あ、ありがとうございます! ……お姉ちゃんの友達になるくらいだから、覚悟してたけど普通にいい人っぽくてよかったぁー』

 

 多分小声で言ったんだろうけど、丸聞こえだからな妹ちゃん。

 

 そして10分……を超えて20分後、俺の携帯がなった。

 表示されていた名前は『先輩』。画面をスライドして、耳に当てる。

 

『フフフ……おはようございます、一ノ瀬後輩。約束通り、モーニングコールを進呈デス。感謝の言葉は不要デスよ……これくらい闇の力を持ってすれば容易いので』

 

「色々ナメてますよね?」

 

 俺は生まれて初めて、先輩への言葉から敬意を取っ払った。

 

『おやおや、どうしました一ノ瀬後輩? 朝から機嫌が悪いようデスね。悪いものでも食べましたか?』

 

「いいもん食べましたよ」

 

 先輩が再起動する間にな。

 

「先輩、頼んでおいてなんですけど、モーニングコールが2時間ほど遅れてるんですけど」

 

『……おや、そうでしたか。申し訳ありません、どうも最近、人間だった頃とくらべて時間の感覚が曖昧で……』

 

「……」

 

『お、怒ってる?』

 

「いや、怒ってませんよ」

 

『そ、そうデスか。ん? なんデスか美咲ちゃん? それを読む? はぁ……えっと、今度の日曜、ワタシの家で、食事でも、どうですか――い、一ノ瀬後輩? ちょ、ちょっと失礼しますね』

 

 そう言うと床に携帯を置いたのか、電話口から布を擦るようなノイズが聞こえた。

 そして聞こえる姉妹同士がじゃれ合う声。

 

『何で勝手にこういうことしちゃうの!?』

 

『お姉ちゃんが変なことばっか言うからフォローしてあげたんでしょ!? あんなん普通の人ドン引きだよ!? むしろあたしがドン引きしたわ!』

 

『一ノ瀬君は普通じゃないからいいの! あ、いや、一ノ瀬後輩は普通じゃないからいいんデス!』

 

『何で言い変えてんの? え、もしかして大学でそういうキャラ作ってんの!? ちょ、ちょっと信じられない……!』

 

『いや、その……こっちの方が闇のアレで……普段はほら、一般人に紛れ込む為のフェイクで……』

 

『家でも外でも普通じゃん! そんな喋り方初めて聞いたよ!』

 

 そんなやりとりを聞いていると、いやぁ姉妹って本当にいいもんですねぇと自分の心が穏やかになっていることに気づいた。

 作戦は失敗したが、先輩の新たな一面が見れたことでよしとしよう。

 

 しかし明日こそは……明日こそは作戦を成功させてみせる……! 

 俺は頼りになる親友の姿を脳裏に浮かべ、姉妹の仲良さ気な声をバックミュージックにしつつ食事をとるのだった。

 



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Sleeping Beauty~後編~(幸せな生活は長く続かなかった。始まったのだ――異世界からの侵略が)

~3日目~

 

 タッツミーン! 皆元気? 俺は一之瀬辰巳。タツミン星からやってきたタツミン星人なんだ。タツミン星人はさびしくなると死んじゃう(死因:涙で溺死)から、恐らくは兎の祖先だと思われるよ! 主食はサバの味噌煮! 趣味はネットサーフィングとフィギュアの鑑賞! 服のチョイスは妹! 

 

 え? タツミン星人についてもっと知りたい?

 

 そうか……。

 そんなの俺が知りたいよ……何なんだよタツミン星人って……。何で大学最初のコンパで俺はウケ狙ってそんな自己紹介しちゃったんだよ……。結局周囲ドンドンビキビキで、遠藤寺しかウケてなかったよ……。お酒の力ってホント怖い。

 まあ、今思えばあの自己紹介が無ければ遠藤寺が俺に興味を持つこともなく、そうなったら俺は完全に絶対ナル孤独者だったわけだ。そう考えたらあのぶっ飛び自己紹介もよかったのかもしれない。

 

 なんで今遠藤寺のことを思い浮かべているかというと、今から遠藤寺に会いにいくからだ。

 会ってエリザの寝顔を見る為のいい知恵を頂こうと思っている。一休さんに縋りつく新右衛門さんの如く。

 

 そういうわけで俺は朝から大学にえっちらおっちら向かっていた。道中に妹である雪菜ちゃんにメールを送る。

 

『雪菜ちゃん……寝顔が見たいです』

 

 と。正直自分でも狂気の沙汰としか思えない。いくら連日失敗続きだからって無謀が過ぎる。女神が出る泉に身投げをするような暴挙。平気で大破進軍しちゃう恐ろしさ。女子校に全裸突撃する蛮行。

 だが遠藤寺に頼んでも失敗する可能性を考え、少しでも選択肢を増やしておきたかったのだ。備えあれば嬉しいし。

 

 送ってしまってからちょっと後悔していると、1分も経たずメールが返ってきた。

 

『寝顔がみたいですか? 普通なら恋人でも作ればいいとアドバイスをするところですが、兄さんは現在の輪廻の輪にいる限り恋愛とは無縁なのでこれは却下します』

 

 なに俺って現世どころか来世でも恋愛とは縁がないの? 

 

『であれば。さっくりそこら辺を歩いている女性を捕まえて監禁すればいいのでは? そうすればお縄につくまで好きなだけ寝顔を見ることができますよ。……いえ、よく考えると兄さんに監禁された時点で、兄さんの内面から溢れる下衆さを感じ取り普通の女性は自害しますねこれも却下です』

 

 兄を精神的に追い詰める妹がいる、これってトリビアになりませんか? そうですか、なりませんか。

 

『深夜の駅前にでも張ってみてはどうです? 運が良ければ酔いつぶれたOLの寝顔を見ることが……いえ、兄さんが深夜に出歩くだけでも即通報の可能性が……これも却下ですね』

 

 されるかされないかで言えばされるけどさぁ……でもさぁ……。

 

『と言うわけで兄さんが寝顔を見ることは不可能です。いえ、待ってくださいその縄を置いて下さい。ショックで命を絶つのはまだ少し早いです』

 

 しねーし。

 

『流石に寝顔を見られなかったなんて下らなすぎる理由で自殺した兄さんのお葬式に出るのは、それこそ死ぬほど嫌ですので、これで譲歩してください』

 

 と返ってきたメールには画像が添付されていた。

 開いてみる。

 

 何故か元俺の部屋にあるベッドで眠っている雪菜ちゃんの画像。

 ご丁寧に真上、真横、部屋の入り口からと様々な角度から撮っていた。

 なんつーか、グラビアJKのプライベート風イメージPVみたいな感じ。

 

 こんな作りもん見え見えの寝顔写真集なんて俺が今求めてるもんじゃねーんですよ! 俺が見たいのは養殖ものの寝顔じゃなくて、もっとこう……無防備さ全開の天然寝顔なんだよ!

 まあ、これはこれで頂いておきますがね! 

 

 そんなメールのやりとりを終えると、目的であるいつもの場所に辿り着いた。

 遠藤寺と俺が拠点としている場所、学生食堂の一角。

 昼時の学生食堂の喧騒から隔絶された一種の異界。柱と観葉植物で遮られた死角。

 

 遠藤寺は今日もそこにいた。

 

 頭に付けた大きなピンク色のリボンと、黒一色のゴシックロリータファッション。

 異界に存在するに相応しい、相変わらず独特なファッションだ。なんか魔女っぽい。

 

 遠藤寺は涼しげな表情で本を読んでいた。タイトルは『ロートレック荘殺人事件』。俺の中に眠るネタバレ魂がむくむくと沸き上がってきたが、遠藤寺ちゃん、ああ見えてネタバレとかしたら本気でキレるタイプなので自重した。いや、マジで怖いの。ただでさえ怖い目で睨みつけてくるの。無言で。

 

「よっこらしょ」

 

 俺は椅子を引き、遠藤寺の正面に座った。本に没頭しているのか、遠藤寺が俺に気づいた様子はない。

 そのままジッと遠藤寺の顔を見つめてみる。うーん、相変わらず綺麗な顔だ。俺が首から上だけを集めるタイプのサイコパス、もしくは美しい顔を集めることが武勇に繋がる部族だったなら、さっくり首から上をカットして週に5日は顔を見つめるデーを設ける自信がある。首から上を集めるといえば、最近ヒロインが実はみたいなエロゲが……イカンイカン、静まれネタバレ魂よ。

 

 しかし遠藤寺、俺の存在に本当に気づかない。ちょっと無防備過ぎやしないだろうか。俺だからこうやって正面から視姦するだけに努めているけど、他の人間だったら邪な行為不可避だろう。下からパンツ覗いたりとか。上からブラチラ覗いたりとか、横から腋チラ覗いたりとか、鎖骨クンカクンカするとか……鎖骨にお酒溜めて啜ったりとか……そういう変態もいるってこと、遠藤寺は分かっているのか?

 

 俺が思うに、遠藤寺には圧倒的に危機感が足りていない。もっとこう……自分がイヤらしい目で見られるかもしれないっていう危機感を持つべきだと思う。言ってやりたい『お前、もしかして自分が下着を見られないとでも思ってるんじゃないか』って。

 だが遠藤寺のことだ。俺がそんな忠告をしても『ん? ボクの下着なんて面白くもないもの、見たい人間なんていないだろう?』なんて真顔で言うかも。ありえる。そんな遠藤寺に言いたい。ここにいるぞ!と。少なくとも俺は遠藤寺のスカートの中に顔を突っ込んで深呼吸をしたい。スカートの中は真っ暗で心細くなるかもしれないけど、その中に煌めくパンツを見て『パンツは○かった』みたいな名言を残したい(○の中身は不明。白かもしれないし、黒かもしれない。もしかしたら無かもしれない。覗いてみるまで分からない、これがシュレディンガーの猫ってわけニャ)

 

 大いに脱線したが、遠藤寺には人並みに危機感を持って欲しい、これが本音だ。だが頭でっかちな遠藤寺には言葉じゃ伝わらない。言葉で伝わらないなら……行動で示すしかないだろう。実際に覗いてから『ほらね。こうやって覗かれることもあるんだよ』と優しく声をかけよう。親友のパンツを覗くなんて罪悪感が半端ないけど、遠藤寺の為だ。遠藤寺がパンツを覗かれるどころか盗撮されて何やかんやで薄い本みたいな展開になってほしくない。そんな俺の切なる思いを分かって頂きたい。下心などない、と。分かった? よし、じゃあ行こうか。

 

「おっと、小銭を落として~」

 

 流石にいきなり机の下に潜り込んだら不審者感丸出しなので、小銭を転がす。小銭は食堂の床を転がり、上手いこと遠藤寺の靴に当たり停止した。遠藤寺の顔を見る。

 

「……」

 

 相変わらず熱心に読書をしている。それを確認してから、俺は机の下に潜り込んだ。

 

「おうふ!」

 

 ワックスをかけたばかりなのか、体を支える手が滑ってナチュラルに土下座をしてしまった。額を床に打ち付ける。床から伝わる冷たさで脳が『俺何やってんだろ』と冷静な思考を伝えてくるが、それを振りきって四つ這いのまま前に進んだ。机は小さい。すぐに目的の場所、遠藤寺が座る椅子に辿り着いた。

 

 最初に目に入ったのは、遠藤寺が履いている靴。底が厚い黒のパンプスだ。先端に赤いリボンが付いている。頭にもリボン付けてるし、遠藤寺って本当にリボンが好きだな、リボンが好きだからゴスロリ着てるのか、ゴスロリ好きだからリボンが付いているのか……これっていわゆる卵が先か鶏が好きかみたいな話? よく周囲の学生が『いい年してリボンってw』『あれくらいの年でリボンが許されるとか、佐祐理さんくらいだよねーw』と笑っているのを見るけど、俺は遠藤寺のリボンが好きだ。基本的に遠藤寺は武道(多分バリツ)をやっているからか歩く姿勢とかがすっごい綺麗で、身体とか全然揺れないけどリボンは揺れる。ふりふり揺れる。そのギャップがいい。そしてまあ……リボンが純粋に似合っているってこともある。

 

 さてお次は靴下だ。今日はどんな靴下かな? 個人的に遠藤寺の魅力の一つは絶対領域だと思っているのでニーハイを履いていて欲しい。ニーハイと素肌の境界のちょっと盛り上がったところ……辰巳、好きぃ! まあオーバーニーもタイツもガーターベルトも好きなんでつまり何でも好きな全方位超長距離射程捕捉型性癖持ちの俺が一番強い。

 

 で、靴下を見てみる。すると妙なことに気づいたんですよ……。最初は変わった色の靴下だなぁって思って……肌色の靴下なんてあるんだーと驚いたんですよ……。で至近距離でマジマジ見るとね……無いんですよ。靴下がね、無いんですよ。

 

「は、履いてない、だと……?」

 

 い、いかーん! 今スグDVD化で消える不自然な光もしくは不自然な湯煙を彼女に! ……いやいや落ち着け俺。履いてないのは靴下だ。靴下だからダイジョブ。靴下だから恥ずかしくないもん。

 

 改めて遠藤寺の足を見てみる。やはり履いてない。素足だ。生足だ。普段は靴下に覆われているムッチリとした足が、眼前に広がっている。絶対領域という限られた面積の肌しか見たことがなかったので、衝撃的だった。衝撃!素足編!

 しかし素晴らしいムッチリ具合だ。太すぎず細すぎず、そしてシミ一つ無い美肌。俺の中で『挟まれたい』という未だ感じたことがない未知の感情が生まれた。蟹の様な感情。今すぐ挟まれたいガニー。

 最早哺乳類という殻を捨て去って、甲殻類の殻を纏い畜生本能に身を任せた俺は、それはもう息のかかるほどの至近距離でその足をガン見したとさ……(蟹だけに昔話風)

 

「――少し息がくすぐったいな。見るのはいいけども、少し離れてくれないか?」

 

「あ、ごめん」

 

 天から降ってきた声に、ほぼ無意識に従った。肌色いっぱいだった俺の視界に、遠藤寺の下半身全体が映った。目の高さにはつるつるした膝小僧がぴったりと並んでおり、そこから上は挟まれ帯である太ももが、トンネルに入っていく新幹線のようにスカートの中に伸びていた。残念ながら足をぴったり閉じているせいでスカートの中は暗黒領域と化していた。

 うーん葉賀ユイ……いや歯がゆい。後3cm……いや2cmで十分ですよ。2cmでいいから開いて欲しい、その願いを天に向けて祈ってみた。

 

「ちょっと足を開いてくれたら嬉しいんだけど」

 

「……いや、流石にそれは……困る。何というか……足を見せるのはいいが、そこから先は親友同士の戯れじゃすまないと思う」

 

「だったらどうすればいいんだ! どうすれば見せてくれるんだ!?」

 

 金か!? 金なら俺の親友の遠藤寺が腐るほど持ってるぞ!?

 まあ、俺は持ってないな……うん。どれくらい貯金あるかすら自分で把握してないし、エリザ任せだし。

 いつか将来大金持ちになったら、ANIMATEをカネの力で無双したいものじゃー、です。

 

「どうすればって、それはまあ……親友より先の段階に行けばいいと思うけど」

 

 なるほど、親友より先に進めばスカートの中を見放題なのか。しかし親友より先ってなんだ? 超親友? 心の友と書いて心友? 真友? 魔友? まおゆう? ……あれ、何の話してたっけ?

 

 と、ここで俺は気づいた。俺がさっきから話している天の声って誰? メタ的なことを言うとcvが遠藤寺の中の人とそっくり。そっくりっつーか同じ。つまりこの声の主=遠藤寺? バーロー?

 

「え、遠藤寺?」

 

「そうボクだ。やあ元気かい? ――ところでボクの足はどうだい?」

 

 遠藤寺の顔は見えない。だが怒っているような声には聞こえない。どちらかと言うと期待感に満ちたような、若干の緊張を含んだ……そんな声だ。

 

 感想を述べる前に、取り合えず気になっていたことを聞いてみた。

 

「な、何で素足なんでしょうか?」

 

「ん? ああ、この間大学内を歩いている時、君が素足をさらけ出している生徒をこれでもかと熱心に見ていたからね。隣で歩いているボクの声が届かないほどに。だから素足に興味があるのかと思って試してみたんだ」

 

 女子大生ってホント馬鹿。あんな水着みたいなショートパンツ履いて生足曝け出しよってさぁ……そりゃ見るだろ! 親御さんに悪いなーとか思いつつ見ちゃうでしょうが! 俺は悪くねぇ! 

 

 しかし遠藤寺さん、俺が素足に興味ありそうだから試してみたって……なに俺って実験動物扱い? モルモット? そりゃ美少女に身体を弄繰り回されたいって欲望は誰にだってあるだろうけどさぁ……。

 それはそれとして感想を求められたからには返すのが礼儀だろう。

 

「いや、まあ……凄い綺麗だけど。多分、この大学にいる女子の中じゃあ、一番きれいな足だと思う」

 

 偽りも脚色もない心から取り出したばかりの新鮮ピチピチな感想。

 普段だったら言えないだろうけど、机の下にいて顔を見ていない今なら言えた。こういう時、モテロード爆走する主人公だったら面と向かって笑顔浮かべながら言えるんだろうな。俺にはこれが精いっぱい。

 

「そ、そうかそうか。ふむ……自分の足を褒められたのは生まれて初めてだけど……嬉しいものだね。何だろうか、胸の奥が仄かに温かい。高揚感もある。大学にいる女学生はファッションショーでもやっているのかと問いたくなるような女性ばかりだけど……少し気持ちが分かった気がする。なるほど、これは挙って着飾る理由も理解できる……独特な快感だ」

 

 珍しく上ずった声で捲し立てるような早口。今遠藤寺はどんな顔をしているのだろうか。

 気になってテーブルの下から這い出る。勿論入ったところから出た。出口はもう一つあったけど、それってつまり正面、いわゆる這いよれ遠藤寺さん状態で、遠藤寺という山を登らないといけない。それはそれで登山魂が刺激されるけど、今の俺にはレベルが高すぎる。

 

 テーブルの下から這い出て、咳払いをしながら着席した。遠藤寺を正面に捉える。

 遠藤寺は仄かの頬を赤く染め、その口は両サイドにつりあがっていた。擬音を付けるなら『にやにや』だ。

 

「ふふっ。お粗末様でした、とでも言えばいいのかな?」

 

 からかうような口調で問いかけてくる遠藤寺に、少しむっとしたがら返した。

 

「……俺が来たのっていつから気づいてた?」

 

「君が席に着いた時には気づいていたさ。いや、君が食堂に入ってきた時にうっすらと気配を感じてはいたけど」

 

 ぱねぇー。遠藤寺さんの円の範囲すげぇー。ノブナガさん涙目っすわ。

 

「いや、でも……熱心に読書してたじゃん」

 

「いくら本に夢中だからといって、親友の君の存在に気づかないなんてことあるはずないだろう?」

 

「だったら声掛けてくれよ」

 

「いや、そうするつもりだったさ。それから席を立ってボクの装いを見てもらおうと思っていたんだ。……まさか席の着くなりいきなり机の下に潜り込むとは思わなかったよ。思わず声をかけるのも忘れうくらい滑らかな動きだった」

 

「いきなり?」

 

「そう、いきなりわざとらしい口調で小銭を落としたよね」

 

 席に着くなりいきなり? いや俺の主観時間では5分ほど席に座ってたはずだ。だが遠藤寺が嘘を言っているように見えない。遠藤寺の感じている主観時間と俺が感じた主観時間の相対性。よし、これを特殊な相対性理論と名付け、卒論のテーマにしよう。

 

「ま、いいさ。君に足を見せるという本日の目標は完遂した。うん、満足だ。……さて、では君の番だよ」

 

「え? 俺の番って……俺も生足になれと!?」

 

 いや、まあなれって言うんならなりますけど。でも処理とかしてないし……いや、してたらしてたでキモイか。

 

 俺がズボンを捲り上げるか上げまいか一瞬悩むと、遠藤寺が呆れたような表情で言った。

 

「……違う、そうじゃない。君、ボクに何か用があるんだろう?」

 

「あ、そうだけど。え? 俺言ってたっけ?」

 

 実の所、今日はノーアポだ。多分この時間に食堂来たら遠藤寺がいるだろうなーと思って来ただけだ。

 事前に用件を伝えていたら、円滑に話が進むだろうけど、俺は遠藤寺との回りくどい会話が大好きなので、伝えてなかったのだ

 

「ほぼ四六時中一緒にいたら、顔を見ただけで何を考えているかぐらい分かるさ。それにボクは探偵だよ?」

 

 「君の振る舞いから推理することも朝飯前だよ」と人差し指を立てる遠藤寺。

 こりゃうかつにエロいことも考えられねぇな。まあ、昔から俺は顔に出ないタイプの助平って言われてるからその辺は大丈夫か。

 遠藤寺との雑談は惜しいが、仕方ない。本題に入ろう。

 

「あー……俺んちに幽霊いるじゃん」

 

「ああ、いるね。ここだけの話、君が精神を病んで幻を見ている可能性も未だに少しは考えているんだけれど……あの幽霊だね?」

 

「それ初耳だし、俺心患ってないからその可能性は捨てて」

 

 これを冗談で言ってないから困る。素面で『おまえ、頭でえじょうぶか?』と言っちゃう遠藤寺さんは当然のように友達がいない。まあ、俺もだけど。

 

「で、君の家に出没するようになった……いや、君が入居する前からいたんだっけか。その幽霊がどうしたんだい? 今まで見せていた新妻のような献身的な態度は演技で、遂に本性を現したのかい?」

 

 楽しそうな遠藤寺。ちなみに本性云々の疑惑は俺の中にほんのわずかにだが存在する。だからこそ、今回の作戦で寝ている姿を通してエリザの本音を聞きたいと思っているわけだ。

 

 遠藤寺はエリザが本性を表した体の話を続けた。

 

「それなら前も言ったように、ボクの家に来るといい。家賃なんてケチ臭いことは言わないさ。ただボクの助手としてもっと働いてくれたら御の字だ」

 

「助手とかいって、前みたいに孤島の洋館に連れていったりするのはもう勘弁してくれ……ってそうではなく」

 

 俺の脳裏にあの惨劇の1泊2日が浮かんだ。もう第一発見する度に悲鳴をあげる役はコリゴリだよ~。

 

「おかげ様で幽霊とはうまくやってるよ」

 

 毎日一緒に風呂に入ってるくらいには上手くやっている。『辰巳君と……これからもずっと入りたいな』ってモジモジしながら言っちゃうエリザちゃんマジ綺麗好き。

 

「だったら何が問題なんだい?」

 

「うん。じゃあまあ単刀直入に言うけど」

 

「ふむ」

 

「寝顔を見たことないんだよな。で、寝顔見たいから協力してくれって話」

 

「なんだそんなことか」

 

 遠藤寺は「やれやれ」と肩をすくめた。

 

「寝顔が見たい、ね」

 

 そして目閉じて3秒ほど間を開けてから

 

「……寝顔?」

 

 と眉を寄せて言った。ちょっと何を言っているか分からない、みたいな顔だ。

 

「そう寝顔。寝ている時の顔な」

 

「いや、寝顔の意味は分かる。君が幽霊少女の寝顔を見たくてボクの元へ相談に来た、それはまあ……分かった」

 

「話は早いな。じゃあ早速――」

 

「いやいや待ちたまえ。要件は分かった。だが理由が分からない。君が寝顔を見たいという理由を考えてみたけど、ちっとも分からない」

 

 遠藤寺は食堂という場にふさわしくない、緊迫した表情を浮かべた。

 遠藤寺は推理中毒を患っているので、分からないことがあるととてもイライラするのだ。

 

「ちっとも分からんの? どうした名探偵」

 

「……ぐぬぬ。……君が寝顔を見ようと色々試みているのは分かる。最近……そうだな2日ほど前かな。コーヒーを飲んだだろう? 若干口臭にコーヒーの匂いが混じっている。それに普段より幾分か目が冴えているように見える。寝顔を見る為に夜更かしをしようとしたんじゃないか? そして失敗した。その流れで考えるなら、次に対象よりも早起きをしようと君は思うだろう。そしてそれも失敗した。そしてボクの元に来た。いや、その前に……君の交友関係から考えると……家族辺りにでも相談したんじゃないか?」

 

 俺の行動を次々と当てる遠藤寺。まるで前回前々回のあらすじのような内容だ。

 

「そこまでは分かった。だが君の動機が分からない。何故同居している幽霊の寝顔を見たいと思うんだ? そこに何の意味がある? 寝顔を見ることで君に何の得がある?」

 

 むしろ得しかないと思うんだけど。

 

「ただ見たいからじゃダメなのか?」

 

「ああダメだね。物事には理由があって然るべきだ。誘拐にも殺人にも……そして寝顔を見ることにも」

 

 そこに並べちゃうと寝顔を見ることが犯罪みたく思える。

 まあ、そこまで言うなら理由を教えよう。遠藤寺が納得するかは置いておいて。

 

「理由か。――可愛い幽霊の可愛い寝顔を愛でたいからだ」

 

「……」

 

「なんだその顔は」

 

「これが本邦初公開、ボクが生まれて初めて浮かべる『嫉妬と呆れ』が混ざったなんとも言えない表情だよ」

 

 確かにそんな感じの表情だ。なんともいえない感がなんともいえない。

 

「本当にそれだけの理由なのかい?」

 

「まあ、うん。ていうかたかが寝顔を見たいってだけで高尚な理由を求められても困る」

 

 俺は改めて遠藤寺に、現在の状況について伝えた。

 エリザは俺より早く起きて、遅く寝る。夜更かしも試したが無駄で早起きも失敗した。残る手段は遠藤寺の策か、雪菜ちゃんの策を借りて狭い部屋に監禁して四六時中観察をする、くらいしかない。

 

「……はぁ」

 

 遠藤寺は組んだ手に額を載せて溜息を吐いた。表情から嫉妬が抜け、呆れだけになっている。

 

「どうかしたか?」

 

「いや、なんでボクはこんな意味の分からないことを相談されているのか、と。そう思ったら溜息が出た。君、一応聞くけど幽霊少女の寝顔を見たいのかい? それとも寝顔だったら誰でもいいのかい? 後者だったらボクが協力しても……」

 

「いや、前者だな」

 

「……あ、そう」

 

 遠藤寺の寝顔も見たいが、今はエリザだ。2人同時に寝顔見るなんてできないからな。

 昔の人は言った。二兎を追うものはズッ友だよ……って何言ってんだ俺。

 

「……はぁぁぁぁぁ」

 

 遠藤寺が今まで見たことのない、それはもう長くて深いため息を吐いた。

 朝食に食べたのか、リンゴの匂いが仄かに香る。うーん、愛媛産かな?

 

 遠藤寺が顔を上げた。笑っていた。いつものニヒルな笑顔ではなく、自嘲的な力ない笑み。

 

「……何が一番悔しいって、こんな下らなくて会った事もない幽霊に塩を送るような相談をされているのに……君に頼られていることを嬉しいと感じている自分にだよ。はぁ……これが……惚れた弱みってやつかな」

 

「幽霊に……塩……」

 

「君、人の言葉の中に面白いフレーズを探すのはやめろ。今最後の方、凄く恥ずかしいことを言ったんだけど。……何を言っているんだボクは、まったく……」

 

 遠藤寺が白い頬をうっすらと赤く染めていた。そりゃ惚れた云々なんて言葉使うのは遠藤寺だって恥ずかしいのだろう。

 俺の中の検索エンジンが『もしかして:恋』とか勘違いするから、その手の言葉は本当に勘弁してほしい。遠藤寺が俺のことを好きなのが知っているが、それは友人としてのものだ。普段から本人が明言しているだけあって、それは間違いない。そもそも遠藤寺の辞書には恋愛って言葉ないっぽいしな。

 

「それで何とかなりそうか?」

 

「まあ……要するに幽霊少女を眠らせればいいんだろう?」

 

「ああ。でもだからってバーリトゥード(何でもあり)はダメだぞ? 氷で作った鈍器で後頭部を殴って眠らせるとか走ってるジェットコースターの上でピアノ線を使って何やかんやで眠らせるとか」

 

「何で〇ナンみたいな方法なんだい?」

 

 お、通じるのか。流石ミステリーものなら古今東西読んでいると豪語するだけある。

 

「まぁ……ないこともないよ」

 

 遠藤寺は自分のカバンを漁り、何やら錠剤の入った瓶を取り出した。

 

「これは即効性の睡眠薬さ」

 

「……」

 

「分かるよ。君のその顔『そんなもの効くのか?』『何故そんな物を持ち歩いている?』そんな疑問だろう」

 

 正解。

 

「前者から答えると……効く。ある事件で知り合った自称天才発明家の老人が作ったこれは……非常に効く。1錠でちょうど30分、幼児から成人男性、老人問わず眠らせる。副作用はない」

 

「怪しすぎること山の如しなんすけど」

 

「だが非常に重用している。それが後者の理由だ。ボクは今でこそ、そこそこ名が売れて『漆黒衣探偵――遠藤寺』と呼ばれているが」

 

 まずその二つ名が初めてなんすけど。

 

「まだ名前が売れてない頃、事件に巻き込まれて真相が分かり解決しようにも探偵という肩書が信じてもらえなかった。そこでこの薬を使って適当にそれらしい人間を眠らせ探偵七つ技術の一つ、声真似を使って事件を解決していたのさ。最近でも、信じてもらえない時はこの手段を使っている」

 

「お前小〇館に訴えられるぞ」

 

「というわけで、これを持って行くといい」

 

 そのまま瓶をスライドさせてくる。

 

「いや……この手段はどうなんだ?」

 

 いくら寝顔を見たいからって、薬使ってまで眠らせるのは人としてかなり……畜生にも劣るのではないだろうか。

 

「だが他に方法があるのかい?」

 

「……いや、ないけど」

 

「なら使うといい。余談だがその薬を服用すると、非常に心地よい眠りにつくことができる。30分の睡眠で、9時間ぐっすり眠ったような質のよい睡眠をね。君の話を聞くにその幽霊少女は十分といえる睡眠時間をとっていないように思う。普段お世話になっている代わりにこれを使って休んでもらう、そう考えれば君の罪悪感も少しは薄れるんじゃないかな?」

 

 そう聞くと自分がやろうとしていることが善行なのではと思う(錯覚)

 それにもう手段がない。ただでさえ交友関係が狭い俺は、他に相談する相手がいないのだ。

 これしかない。

 

 俺は瓶を受け取った。ラベルに小さく『くれぐれも悪用するんじゃないぞ』と書かれていた。大丈夫なのか。

 

「ふむ。どうやら本当に服用してもいいものか、不安なようだね。じゃあ、試してみよう」

 

 そう言うと遠藤寺は柱と観葉植物の隙間を指した。

 

「あそこに今にも倒れそうな体で課題に取り組む男子学生がいるだろう?」

 

「ああ」

 

 遠藤寺の言葉通り、指差す先には6人がけのテーブルに教科書を広げ、目を血走らせた状態でシャープペンシルを走らせている男子生徒がいた。額には『背水の陣』と書かれた鉢巻。目の下にできたクマは男子生徒が1徹や2徹どころではない徹夜を続けているだろうことを思わせた。口の端からは自分でも気づいていないのか余裕がないのか涎がダラダラと垂れている。

 耳を傾けてみた。

 

「――ケヒヒヒッ! ケヒッ! ケヒヒッ! ウヒヒッ! きょ、今日中に課題を提出できなかったら……留年確実ゥ! しゅごいッ! ウフフッ! 留年したら実家に帰って幼なじみと……結婚するプロミスゥッ!(約束) ヘケッ! 限りなくゴリラに近い幼馴染(アダ名:カイザーコング)と……結婚しちゃうのぉぉぉぉぉぉほぉっ! ……イクッ!」

 

 ビクビクと痙攣しながらそんなことを言っていた。

 うーん、人間って追い詰められるとあんな風になっちゃうらしい。ああはありたくないですね。

 あの課題の量と何よりも彼の状態、確実に今日までに課題を仕上げるのは不可能だろう。

 

「であの今にも爆発しそうなダイナマイト系男子がどうした? お得意のタンテイ=ジツを使って介錯、ネクストライフに送ってやるのか?」

 

 それをしてあげた方が彼の為だと思った。甘くもないし優しくもないこの世界では、彼の人生は詰んでいる。コレ以上彼の人生が上方修正される予定はないだろう。早々に今の人生からログアウトして次の人生に賭けた方がいいと思う。もしかしたら次の人生は異世界で奴隷ハーレムとか築けるかもしれないしな。

 

「まあ、見ているといい。この錠剤をボクの探偵技術の一つ、狙撃で……弾く」

 

 遠藤寺が手のひらに載せた錠剤をデコピンで飛ばした。錠剤は観葉植物の隙間を抜け、見事カイジ(人生詰んでる)系男子の口にインした。

 即効性の名に恥じず、男子学生はテーブルに額を打ち付ける勢いで眠った。

 

「……」

 

 遠藤寺はいつも通り鋭い目つきを浮かべたまま、器用にどや顔を浮かべた。

 男子学生は食堂に響き渡り大きないびきをかき眠り続けた。その顔は先ほどの(人生の)崖っぷちにいる男のそれではなく、大好きな母親に抱かれる少年のようなあどけなく安らかなものだった。

 

「……うーん、むにゃむにゃ。やーいブース。お前のアダ名今日からカイザーコングな!……むにゃりむにゃり」

 

 アダ名付けたのてめえかよ。ゴリラと結婚するのも自業自得のような気がしてきた。

 

 そのまま30分、柱の影から男子学生を観察した。30分と分かっているんだから、席で待っておけばいいと俺が言ったが「いや、しっかりと効果があるか最後まで観察した方がいい。その方が君も納得するだろう」という遠藤寺の強い主張により観察を続けることになった。30分は短かった。柱の影で遠藤寺と密着しながら過ごす30分間はそれはもう短かった。授業の30分より圧倒的に短く感じた。これも相対性理論かもしれない。

 

 そして30分が経ち、男子学生が目を覚ました。

 

「……はっ。俺……寝てたのか」

 

 貴重な30分を費やし、さぞ後悔するかと思いきや

 

「何だろうか……凄く、気持ちが落ち着いている。ははっ、何をピリピリしてたんだろうな。俺、今まで生き急ぎ過ぎてたんだな……目が覚めたよ」

 

 先ほどまで血走っていた目は知性の揺らめきを感じさせるそれに代わり、纏う雰囲気は悠久の時を生きた賢者の様。憑き物が落ちたような表情。

 

「課題、か。これくらい今の精神的山頂に上り詰めた俺なら……今日中に終えることも容易い。だがそれよりも大切なものがある。アイツに会わないと。田舎で待ってるアイツに。ずっと好きだったんだ。恥ずかしくて言えないまま都会に出てきたけど……どれだけゴリラの様な容姿でも……好きなものは好きだったんだ。ははっ、何だ好きだって認めちまえば楽だな。よし、課題は昼までに終わらせよう。それから田舎に帰る。帰ってアイツに告白する。告白のセリフはどうしようかな? 動物園のゴリラに興奮するようになった責任、とってもらうんだから……これにするか」

 

 今や精神的超人になった彼は、圧倒的な余ーラ(余裕+オーラ)を放ちつつ食堂を去った。

 彼が進む道はバッドエンドかハッピーエンドか。それは誰にも分からない。神ですらも。

 

 男子学生を見届けて、遠藤寺が振り返った。

 

「どうだい?」

 

「いや……どうなんだアレ?」

 

 このままだとあの男子学生、ゼロから始める田舎生活~ゴリラ系幼なじみといく~みたいな展開に進みそうなんだけども。これ明らかに一人の人間の人生を操作しちゃったような……。

 

「さて、効果も確認できただろう? ふむ、そろそろ昼時か。君今日は昼食を持ってきていないんだろう? うどんで良かったら奢るよ。ああ、そうだ。前から試してみたかったカップル限定うどんという物があるんだが、よかったら協力してくれないか?」

 

 遠藤寺は去っていた学生に何の思う所もないらしく、上機嫌で食券販売機に向かった。

 

 俺の手元にはたんまり錠剤が入った瓶が。

 使うべきか使わざるべきか、それが問題だ。

 

 まあ、今はお腹が空いたので遠藤寺が笑みを浮かべながら運んでくる巨大なうどんを食べるとしよう。

 カウンターに貼ってあるメニューを見た。

 

 『カップル限定うどん:ルール……箸は1膳だけしか使えず。破ったカップルは破局します』

 

 俺はやれやれ系主人公のようにやれやれを連呼しながら、いつもの席に向かった。



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エピローグ

「本当にこれでよかったのか……」

 

 昼食後『ゾンビ映画における最も高い生存方法は面白黒人になること~cvエディ・〇ーフィー~』という色んな意味で頭がおかしい講義を受ける遠藤寺と別れ、俺はアパートへの帰り道についていた。

 去年の誕生日に雪奈ちゃんが買ってくれたお洒落な肩掛け鞄の中には、遠藤寺から渡された即効性の睡眠薬がたんまり詰まった瓶が入っている。

 効果の程は確認できたが、本当にそれを使ってしまっていいのか、俺の胸に罪悪感が靄のように漂っている。

 

「だがもう、他に方法がないんだよなぁ」

 

 他に方法がないイコール他に相談できるような知り合いがいないということである。俺のコミュニティ狭すぎ……。

 まあ、正直今のコミュニティで満足しちゃってる部分もあるけど。十分に楽しいし。

 友達とか増え過ぎたらアレだ、フラグ管理とかヘイト管理とか大変なんでしょ?(ゲーム脳)

 

 そんなことを考えながら歩いていると、アパートに近くまでたどり着いた。

 今見える角を曲がれば愛すべきアパートが見える。

 

 さて、今日の大家さんへの第一声はどんな感じにしようか。タツミン星人行ってみるか? ノリのいい大家さんなら合いの手入れてくれるか? だが滑った時の痛さは骨折の比ではない……。

 

 なんてことを考えながら歩いていると、すぐ側の電柱脇にある、よく見るタイプのゴミ箱が――ガタガタと……動いたぁ(森本レオ風)

 

「わぁぁぁぁぁい!?」

 

 俺は悲鳴をあげた。遠藤寺のおかげ(せいとも言う)で、普通の死体では気絶しないくらいメンタルが鍛えられた俺でも、突然ゴミ箱が動き出したら叫んでしまう。

 住宅街に俺の悲鳴が轟いた。

 幸いお昼過ぎでテレビ番組をウキウキウォッチング中なのか、近所のマダム達は召喚されなかった。

 昼過ぎでよかった。朝方とかだったら旦那を会社に送ってそのまま世間話モードに入ったマダム達がわんさか沸いてきちゃっただろうからな。

 そのマダム達を薙ぎ倒す爽快アクション『マダ無双』の発売マダー?

 

 俺が悲鳴をあげつつ慌てて逃げ出そうとすると、ゴミ箱の蓋がバンと持ち上がった。

 そして現れたのは――蓋を持ち上げる腕、麦わら帽子、少女の顔、白いワンピース。

 同じアパートに住む女子小学生だ。麦わら少女は両手でゴミ箱の蓋を持ち上げ(サザエさんのOPのアレを想像するといい)、おびえた表情でキョロキョロと周囲を見渡している。

 一通りクリアリングを行うと、愛用のスケッチブックにこれまた愛用のマジックペンをさらさら走らせた。

 

『静かに!』

 

 見せられたスケッチブックにはそんな文字が書かれていた。ちなみにスケッチブックを両手で持っているので、支えられていた蓋は頭の上にのっている。麦わら帽子onゴミ箱の蓋。

 

 俺は先ほど悲鳴をあげてしまった恥ずかしさを誤魔化すように、未だ周囲の警戒を怠らない麦わら少女に心持ち強気で話しかけた。

 

「……何をやっているのかね? 何でゴミ箱に入ってんの? 履歴書に書けないタイプの趣味か?」

 

『趣味なわけねーでしょうが! 隠れてんの! ハイドしてんの!』

 

 なーんだ隠れんぼか。深刻な表情してるからよほどの事だと思ったぜ。

 しかし隠れんぼって、随分と子供らしい遊びを。いっつも蟻の観察してたり、その蟻の巣の前に餌を置いたり、他の巣と交流するように仕向けたり……蟻の巣経営シュミレーション『アリシティ』してる姿しか見てないから意外だ。

 この子も普通の小学生と同じってことか。

 

 最近公園とかで頭突き合わせて携帯ゲーム囲んでいる子供達見かけるけど、あーいうのはいかんよね。やっぱり外で遊ぶなら、こういうアナログな遊びしないと。

 

「ふふふ……」

 

『なに慈愛の表情で見てんだキモイ! さっさと消え――』

 

 膨れっ面を浮かべる少女だが、突然その顔が真っ青になった。ジワリと目の端に涙が浮かぶ。

 

『も、もう駄目だぁ。おしまいだぁ……見つかっちゃったぁ……』

 

 絶望的な表情。死を迎える者のそれ。見つかったって……鬼に?

 最近の隠れんぼって、凄いリアルっつーか、演技がかってるのね。まあ、子どもの遊びってそういうところあるよな。鬼に触られたら死んだことなーとか、砂があるところはサメがいることなーとか。そうやって設定作ることで盛り上げてるんだよね。そうやって培ったノウハウが大人になった後、夫婦間のイメージプレイにも役立つんだろうね(台無し)

 

 しかし、この麦わら少女。演技が堂に入り過ぎだ。マジで殺人鬼にでも追われてるみたい。将来は女優かな? できることなら、子供向け教育番組から新人女優知名度向上の為だけに作られた映画、少年漫画原作の実写映画、誰でも知ってる小説原作の映画主演、ハリウッド映画へ……といった具合にエリートコースを進んで欲しい。

 まあ人生何が起こるか分からないし、途中でグラビアからAVってルートもあるだろうけど、それはそれで……ね。 

 

 俺がそんな下衆い未来予想図を描いているとは思いもしないだろう少女。それどころではない様子で震えていた。

 

『や、やつが来る……』

 

「鬼?」

 

『あたしはここにいないってゆって! なんでもすろから! おわがり!』

 

 焦りと手の震えで、スケッチブックの文字に誤字が目立つ(この誤字は意図的な誤字なので指摘はいりません。何を言っているのか分からないが、分かって欲しい)

 

 少女の遊びに巻き込まれて俺は微笑ましい気持ちになった。少女達の遊びに触れ合うことで、少しだがかつての童心を思い出したのだ。何より遊びに混ぜてもらうのが嬉しい。

 よーし、パパ頑張っちゃうぞー。

 

「分かった分かった。鬼が来ても別方向に行ったって言うから」

 

『ありがとう……ほんとうに……ありがと』

 

「で鬼が明後日の方向に行きそうになったら、馬鹿もんルパンはここだー!ってゴミ箱の蓋開ければいいんだろ?」

 

『ぶっこおすぞ! FACK!』

 

 スケッチブックに描いたおっ立てた中指を見せ付けてくる。

 

『いいからふつうにかくまえばりりの! よけいなことすんあ!』

 

「はいはい」

 

 少女は再びゴミ箱の中へ戻った。

 蓋が少し持ち上がり、そこからジッと視線を感じる。

 

「さてさて、どんな可愛らしい鬼が来るやら」

 

 できるならちょっと嫉妬深いヤンデレタイプの鬼は来てほしいっちゃ!

 

 1分も経たず鬼とやらはやってきた。

 角の向こうから、サクサクと足音が聞こえる。次いで声。

 

 

 

「――どこだ……。どこにいやがる……。はぁはぁ……」

 

 

 

 ……なんだろうか。思っていたより、声が野太い。少女と同年代の子供にしてはちょっと……年季が入りすぎてるような。

 ズズンと体に響くような低い声。

 

「麦わらちゃん……怖くないよー……へっへっへ……出てきて遊ぼうよ……」

 

 足音と声が近づく。近づくにつれ背後にあるゴミ箱ががたがた揺れる。隙間から漏れ出る押し殺した恐怖の声。

 ふと、シャツの背中がが張り付いていることに気づいた。汗をかいているのだ。それも多量の。

 額や首元、至るところから汗が流れる。口内が乾き、舌が上顎に張り付いた。

 心臓が今すぐ逃げろと言わんばかりに早打つ。が、足が動かない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 鬼の声じゃない吐息が聞こえた。これは俺の声だ。無意識に呼吸が荒くなっている。

 なんだこれは。いったいなんなんだこのプレッシャーは。

 

「この先かなぁ……?」

 

 鬼の声がすぐそこ、目の前にある角から聞こえた。この先にいる。

 逃げようと思った。だが足が動かなかった。逃げるならもっと早く逃げるべきだったのだ。俺は選択を誤った。バッドエンド。

 

 角から影が見えた。大きい。想像以上に大きい影。

 鬼の濃密な雰囲気が角から一気に漏れ出す。

 

 

 

「――みつけたぁぁぁっぁぁぁぁ!!!」

 

 

 鬼は身長180cmを越える大男で、血走った目と膨れ上がった筋肉の固まりで……鬼以外の何物でもなかった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 そんな物が角から飛び出してきたから、俺は悲鳴をあげた。本日2回目の悲鳴。

 俺は思った。大学を出る前にトイレに行っておいてよかったと。もし行ってなかったら、誰得サービスシーンが展開されたであろう。

 そんな誰得サービスシーンが見たい危篤(誤字にあらず)な方いるなら、まあ……期待に応えていつか、な。

 

「見つけたぞ麦わらちゃん!……って違うじゃねえか!」

 

「うわぁぁぁぁ!……え?」

 

 鬼の声が聞き覚えのある声だったので、取りあえず叫ぶのを止めて鬼の姿を見た。

 180cm筋肉モリモリの大男、ピンク色のエプロン、片手に持った虫取り網、完全に禿げ上がった頭にハチマキ、鬼と見間違えるような恐ろしい顔。

 

 肉屋のオッサンだった。

 

 映画シャイニングの有名なシーンみたいな強烈な顔をしていたオッサンだが、俺の顔を見るなりその顔をしかめた。

 

「んだよ! てめえかよ。くっそ、こっちにいるような気がしてたんだけどなぁ」

 

 キョロキョロとあたりを見回すオッサン。

 俺は恐る恐る問いかけた。

 

「あ、あの……何やってるんすか?」

 

「ああ? 日課の大家ちゃまウォッチングの途中だよ。で、その途中で無茶苦茶可愛いロリを見つけたんでな、捕まえようとしてた」

 

 当たり前のように意味不明なことを言うオッサン。

 どうやら、麦わら少女のかくれんぼの相手はオッサンだったらしい。

 そりゃあんだけ震えるわ。

 

 しかし、聞き捨てならない言葉が一つ。

 

「……大家ちゃまウォッチング?」

 

「なんだてめえ知らねえのか? 俺達の星、いとしいあの人、永久幼女、至高天、黄金の幼女、幼精王オベイロリ――まあ呼び方は色々あるが、その大家ちゃんを視姦する楽しい楽しいレクリエーションのことだよ」

 

 なんだ、俺がいつもやってることか。

 

「非公式ファンクラブ【OOO(おっすおっす大家さん)】の規則で、アパートの敷地内に入れねえからな。出待ちしてんだが、今日は外れみたいでどうにも姿を見せてくれねえ。涙を呑んで帰ろうとしたら……麦わらちゃんが現れたんだよ!」

 

 オッサンの気合に入った呼びかけに、背後のゴミ箱が揺れた。

 

「いやぁ、俺としたことが大家ちゃまの近くにあんなすんばらしいロリがいたとは、気づかなかったぜ。あの子はいいぜぇ、纏ってる炉気がハンパねぇ。そんじょそこらのロリコンじゃ、視界に納めただけで精神的に去勢されちまう。10年に、いや100年に一人に逸材! まさか、この極東の片田舎にいるとは、仏様でも思うめえよ」

 

「仏様もそんなとこで引き合いに出されるとは思ってもいないだろうな」

 

 鼻息荒く語るおっさんには悪いが、俺は今すぐにこの場を去りたい。

 ロリロリ連呼するオッサンの近くにいたら、俺まで同種に思われる。

 

「つーわけでおい。麦わらちゃんを見なかったか? こっちに逃げたとはずなんだが……おっとどんな子が言ってなかったな。一言で表すなら――『L〇の夏号表紙を飾ってそうな田舎麦わら少女』って感じか」

 

 あまりにも酷すぎる例えだが、なるほどと納得してしまう俺がいた。

 

「で、どうなんだ?」

 

「いやぁー……」

 

 背後にあるゴミ箱からは、恐怖に震える少女の気配が漂ってくる。恐らく距離的に俺にしか聞こえないであろう、小さな小さな嗚咽も。

 ここはまあ、人として当たり前の行動をとるべきだろう。流石にここで少女を差し出すという外道にはなりたくない。

 

 だが、待てよ。オッサンの目的はなんだ? ただロリとお話がしたい、健全な遊びがしたい、年経た自分がロリと触れ合うことであの頃の思い出に浸りたい。そういう無垢な願いを抱いているならどうだろうか。

 見た感じ、人殺して店に並べるタイプのサイコパスに見えるオッサンだが、心は綺麗な宝石のように輝いているかもしれない。人は見かけで判断してはいけない。

 

 というわけで聞いてみることにした。

 

「ちなみに……その子を捕まえてどうするんです?」

 

「ん? まあ……そうだな。取りあえず家にお持ち帰りしてスモック(園児の服)を着せた後――」

 

「あ、もういいです」

 

 完全にyesロリータyesタッチの人じゃねえか。

 執行対象待ったなしのサイコパス……!

 何故ポリスはこの男を放置している……! 俺の職質してる暇あったら、まずこのオッサンを豚箱にぶち込んで欲しい……! 俺のたった一つの望み……!

 

 当初の目的通り、少女を助けることにした。

 俺が今まで歩いてきた道を指さす。

 

「あー、そういえばそれっぽい女の子とすれ違った気がしますね」

 

「あっちか?」

 

「はい」

 

「そうかそうか。じゃさっさと追いかけるぜ!」

 

 オッサンが大股で俺がさした方向に歩いて行く。背後のゴミ箱から安堵の溜息を感じた。

 

 と、数歩歩いたところでオッサンが立ち止まる。

 

「そういえば言い忘れてたんだけどな」

 

 背を向けたままで語るオッサン。

 

「可愛いロリには特有の空気、つーかオーラか? そういうもんがあるんだよ。俺はそれを炉気って呼んでんだよ」

 

 女子力みたいなもんか? 

 

「で、俺レベルの猛者になるとその炉気を感じ取ることができる。自慢じゃねえが、30メートル内なら家の中にいようが完全に一人一人識別できる」

 

「本当に自慢になってない……」

 

「ちょっと離れたところにデカい炉気が一つ――これは大家ちゃまだな。で、だ。すぐ近くから薄い炉気――これはお前だ坊主。何で男のお前から炉気を感じるか……これはまあいい。尋常じゃないほど濃い時もあるし、今日みたいに薄い日もある。前々から疑問だったが……大家ちゃまの近くに住んでるから、その炉気が身体に染みついてるのかもしれねえな、すっげえ羨ましいなおい!」

 

 なおも背を向けたままのオッサン。

 

「いや、オッサンのスカウター特技自慢はいいから。何が言いたいんだよ? さっさとオッサン目的のロリを追いかけたらどうだ?」

 

「ああ、悪い悪い。じゃあ率直に言うぜ?」

 

 オッサンが振り返る。

 その顔は――捕食者の眼。獲物を前にした獣の表情。

 

「てめえの後ろにあるゴミ箱……怪しいよなぁ、おい。炉気がそこら辺から漂ってくるんだよなぁ。かなり小さめのゴミ箱だが、小さな女の子くらいだったら隠れられるんじゃねぇか?」

 

「え、エ〇パー伊藤だっていけると思うよ?」

 

「いいからどけ! そのゴミ箱からぷんぷん匂ってくるんだよっ! ゴミの匂いじゃとても隠しきれない、ロリ特有の匂い――炉臭がなぁ!」

 

 ずかずかと筋肉の固まりが俺に迫ってくる。思わず道大名行列を前にした農民のように道を空けそうになるが、そうすると後ろの少女がエライことになってしまう。

 

「ちょ、ちょっとオッサン。一回待とう! 落ち着いてくれ!」

 

「いや待たねえぜ! 邪魔をすんならてめえでも……つーか、今の炉気の薄いてめえだったら躊躇いなくぶっ飛ばすぜ?」

 

 オッサンの目はマジだった。マジで俺を排除するつもりだ。

 オッサンは強い。そしてロリを前にしていることで、パッシブスキル【ロリコン】が発動し、身体能力も上がってるだろう。なんだったら、大家さんが住んでるアパートの近くということで、地形効果の補正も受けてるかもしれない。

 

 オッサンを止められるか? ……無理だ。というより、平時で不意打ち武器アリという条件付きでも勝てる気がしない。

 だからといってここで退けば、少女に一生残るトラウマを植えつけてしまう。

 多感な時期に刻まれたトラウマは、人間の成長を著しく阻害する。俺のように。

 

 考えろ。オッサンを止めて少女を助ける方法を……! 他に助けを呼ぶ暇なんてない。

 何か、何かないか……!? 

 

 瞬間、俺の脳内に閃くものがあった。

 鞄に手を突っ込み、遠藤寺から譲り受けた飴の瓶を取り出す。

 

「――オッサン! 飴を! 飴でも食べないか!?」

 

「飴なんていらねえよ夏! 悪いが今から飴なんかより、もっと甘いもんを戴く予定なんでなぁ!」

 

「いや、この飴は……お、大家さんが口の中でコロコロしたやつなんだ」

 

 バカか俺は! そんな見え透いたっつーかありえないウソに引っかかるわけが――

 

「なんだとっ!? その瓶の中全部か!? 集めたのか!? おまえとんでもない変態だな! やるじゃねえか!」

 

 引っかかった挙句に褒められたぞ。

 オッサンは鼻息を荒くして、俺が差し出した瓶を見つめている。

 

「何回だ!? 何回コロコロした飴だ!?」

 

「え、何回? えっと……8回、くらい?」

 

「8kr!? 8krだとッ!? 8KrつったらSSクラスに相当するブツじゃねーか!?」

 

 オッサンが謎の単位と謎の階級を叫んだ。

 

「くれっ! 何でもするから! お前のことこれから『お兄ちゃん』って呼んでやってもいいから!」

 

「やだよ! 何そのlose-loseな提案!? 誰も得しないだろ! い、いーよ。何もいらないからあげるよ」

 

「お前本当にいい奴だなぁ! うっひょお! 頂きマース!」

 

 オッサンは俺の手から瓶を奪い取り、風呂上りの牛乳を飲む勢いで瓶の中身をひっくり返した。

 錠剤がざらざら音を立ててオッサンの口に流れ込む。

 

「大家ちゃまの8krキャンディーマジデミゴッドデリシャスだよぉぉぉぉっぉぉぉ――う……ぐぅ」

 

 そして昏倒した。崖から巨大な岩を落としたような、重々しい音が住宅街に響いた。

 地響きのような鼾を鳴らすオッサンは、それはもう幸せな寝顔をしていた。

 

 先程までオッサンが持っていた瓶を見る。空っぽになっていた。

 食堂で1錠服用した学生が眠った時間から計算して、80錠近く服用したオッサンは一体どれくらいの間……まあいいか。

 

「いい夢見ろよ」

 

 オッサンを道の端に寄せ、ゴミ箱に近づく。蓋を空けた。

 

「……」

 

 少女は気絶していた。オッサンが発するプレッシャーに耐えられなかったのだろう。

 俺はごみ箱から少女を抱え上げた。軽い。少女の柔らかさと特有の甘い香りが……いや臭いわ。マジで臭いわこいつ。ゴミの臭い凄いわ。

 

 ゴミの臭いが染み付いたヒロインって需要あるのだろうか。

 まあ、ゲロ吐くヒロインが増えてきたり、主人公の家燃やすヒロインが存在するくらいだから、そういうヒロインもアリなのかもしれない。

 

 少女を抱えアパートに戻りながら、そんなことを考えた。

 

 あとはこの姿を近所の人間に目撃されないことを願う。

 

■■■

 

 

 少女を送り届け、ゴミ臭い理由を説明していたら、すっかり夕方になってしまった。

 

「はぁ、結局今日もダメだったか……」

 

 俺はアパートの扉前で肩を落とした。

 少女を助けたのはいいが、結果的に薬を全て失ってしまった。

 これでエリザの寝顔を見る手段はなくなった。完全に八方塞がりだ。

 

 ここまでエリザの寝顔を見る手段が失敗するのは何らかの意志すら感じる。もしくはここはエリザの寝顔を見ることができない世界線なのか? 

 どう足掻いても失敗する……俺はただエリザの寝顔を見たいだけなのに。

 

 ただエリザの可愛らしい寝顔を見て、できるなら寝起きの言葉でも寝言でもいいから、彼女の本音を聞きたかっただけなのだ。

 彼女が俺の側にいる本当に理由を。

 

 初めて彼女が俺の目の前に現れたあの日、彼女は俺を世話する理由を『俺が好きだから』と言った。

 それから結構な時間が経ったが、今でもあの言葉が本当だったかどうか俺には分からない。

 

 だって俺だぞ。俺なんかを好きになる人間……いや幽霊か。そんな存在が本当にいるのか?

 何も誇れるものを持っていない、どこにでもいる『冴えない僕』それが俺だ。人の記憶に残らないモブ、その他。実際中学生、高校生と俺のことを覚えている人間がどれくらいいるだろうか。

 ……いや、中学時代に関しては別だな。覚えてるだけなら、結構な数がいるはずだ。

 

 そんな俺を好きだというエリザ。

 あの日以来『好きだから』という言葉について、今日まで深く触れたことはない。

 だが、そろそろはっきりさせておくべきだ。

 彼女との生活をこれからも続けるのなら、彼女の本当の意思を聞かなければならない。

 

 例え今までの俺に向ける好意が全て演技だったとしても。

 

 まあ正面から『お前本当はどう思ってるの? 俺のこと好きとか嘘っしょ。ハーン?』なんて聞けないチキンだから、こうして回りくどすぎる方法をとっているわけだが。

 

「まあ、また別の方法を考えるか」

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 扉を開け六畳あるマイルームに入ると、窓から入ってくる夕日が体を覆った。その眩しさに思わず目を逸らす。

 

 

 カーテンを閉めようと窓に近づいていくと――窓のすぐ下、少し乱れた布団に横たわるエリザがいた。

 

 

 猫のように体を丸め、穏やかな寝息をたてる少女。窓から差したオレンジの夕日がスポットライトのように彼女を照らしていた。スポットライトに照らされた舞台の上で眠る少女。舞台の下から眺める俺。

 

 綺麗な光景だ。

 

 真夜中の美術館にひっそり飾られる絵画。誰にも触れられていない天然の宝石。生まれて初めて見た雪。

 美しさを例えようと出てきた言葉の数々がどれも陳腐に思える。

 

 剥き出しになった心に嵐のような感情が吹き荒れた。

 

「――」

 

 言葉を失った。綺麗なものがそこにあった。

 日常にある些細な光景の筈なのに、現実感を感じさせない。

 

 そんな光景が自分の部屋にあり、目の前に存在することを未だ信じることができない。

 

 時間にして5分ほど、体感的にはその何十倍にも感じた時間俺は立ち尽くし、エリザが覚醒する余波を感じた。

 

「……んぅ」

 

 小さな唇から靄のような吐息が紡がれ、追従するようにエリザの小さな体が布団の上をごそごそと無軌道に動いた。

 布団との摩擦で青いスカートが捲れ、シミひとつない白い太腿が露わになった。

 

「……ふわぁー」

 

 気怠げに体を起こしながら、夕日が眩しいのか目をくしくし擦る。

 寝起き特有の緩慢な動作で布団の上に正座となり、ゆっくりと目を開いた。焦点の定まらない青い瞳が部屋のあちこちを飛び回る。そして目の前にいた俺を捉えた。夕日とは違う、眩しいものを見るように目が細まった。口がへにゃりと未完成の笑顔を浮かべた。

 

「辰巳くんだぁ……」

 

 エリザは覚醒しきっていない、とろんとした眠気の残った声で呟いた。普段の聞いていて心地いいハキハキした声とは違う、泡がぽつぽつ弾けるような不安定な声。

 

「えへへぇ……」

 

 エリザは四つ這いのまま、ふらふらとこちらに近づいてくる。サリサリと膝が畳を擦る音。うっすらと赤くなる膝小僧。

 そのまま俺の足元までやってきて、胴の辺りに抱きついてきた。

 

 決して重くはない圧力が体にかかり、場の流れに任せるように尻もちをついた。

 

「たつみくんだぁ……いい匂いがするー」

 

 あぐらで座る形となった俺の首元に手が回される。必然的にすっぽりと密着するエリザの体。

 

「すきなんだぁ……。こうやって起きてすぐに辰巳くんの体をギュッとするの、すごいすきなのー……」

 

 眠気が覚めるにつれて聞き取りやすくなる言葉。

 エリザが頭を俺の心臓の辺りにぐしぐし擦り付けてくる。

 

「……だいすき。わたしね、今人生で一番幸せなの。大好きな辰巳くんのお世話をして、一緒にご飯を食べて、毎日行ってらっしゃいとお帰りなさいをするの。ぜーんぶね、わたしの人生になかったもの、今は全部あって……嬉しくて幸せ。いつ死んでもいいくらい幸せぇ」

 

 俺の心臓に語りかけてくる言葉。人の嘘に敏感な俺が……いや誰が聞いても嘘偽りない本当の言葉。演技ではありえない言葉が心に染み込んでくる。

 

「わたしね、辰巳君のこと――」

 

 次の来る言葉が分かってしまった。

 

「大好き」

 

 心のすぐ側で囁かれるその言葉。純粋な、ただ好意だけで作られたその言葉が俺の心を揺さぶる。

 

「大好きだから側にいたい。ずっとずっと一緒にいたいの」

 

 覚醒しきったのか、それともまだ眠気があるのか、エリザが話す言葉には熱が伴っていた。吐息の熱と言葉の熱。

 あの日、初めてエリザの姿を認識したあの日と同じ言葉。あの時は混乱からか流してしまった言葉を、しっかりと受け止める。本気で俺のことを好きと言ってくれているこの言葉を。

 エリザは最初から本当のことしか言っていなかった。

 変わっていない。初めて見たあの日から、今日までエリザはずっとエリザのままだった。 

 

「辰巳君は? わたしのこと……迷惑じゃない? わたしのこと……好き?」

 

 俺の顔を見上げながら言っているからだろうか、不安の感情が混じった言葉が伴う熱が俺の顎辺りを撫ぜた。

 

「俺は……」

 

 こんなに可愛くて優しい少女に好意を向けられる、幸せで当然だ。幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。

 

 涙が出そうになる。

 こんな俺を打算抜きで好きと言ってくれる存在。今までの人生にはなかったもの。

 今日まで心の片隅で抱いていた彼女への小さな不信感が霧散した。

 

 彼女と過ごした今日までの日々は、とても楽しかった。自分のことを肯定してくれる存在がすぐ側にある日々が、こんなにも安らかで心満たされるものだとは思わなかった。

 好きにならないはずがない。

 好きには家族とか恋人とか友人とか色々な種類があって、俺が抱いているそれがどんなものかは分からないし、エリザが俺に向けているものと同じか分からないけど、好きであることに違いはなかった。

 

 伝えなければならない。エリザの顔を真っ直ぐ見て、言葉だけじゃなくて心まで伝えるべきだ。そう思った。

 

 俺は視線をすぐ下に向け、エリザの顔を見て言葉を伝えようと――

 

 

 

 

『嬉しいな。私も一之瀬君のこと、好きだったんだ』

 

 

 

 

 

 ――したが、できなかった。

 

 先程までエリザの温かい言葉に包まれていた心から、染み出るように湧いて出てきた過去の言葉が俺の体を硬直させた。

 エリザの顔を見ることができない。好きだと言ってくれたエリザの顔を――見ることができない。エリザの顔を見て好きだといえない。

 だって、あの時みたいにエリザの顔が、好きだと言ってくれた顔が、今のエリザの顔があの時の彼女と同じだったら。

 

「辰巳君?」

 

「あ……ああ。俺もその、エリザのこと好きだ。好きって言っても……ほら、まあ色々あるけど」

 

「ほんとに? 辰巳君もわたしのこと好き?」

 

 俺が彼女の向けた言葉は本物だ。ただ顔を見て言わなかっただけ。

 そしてその言葉はしっかりとエリザに伝わったようだ。 

 

「辰巳くんも幸せ? そっか……そうなんだぁ……。よかったぁ……。えへ、えへへっ……嬉しいなぁ」

 

 ギュッと俺を抱きしめながら、堪えきれない幸せを噛みしめるようにつぶやくエリザ。

 

 結局、俺は最後までエリザの顔を見ることができなかった。きっと幸せな笑顔を浮かべていたであろう、エリザの顔を。

 

 だから気付かなかったのだ。心の底から幸せに浸っているエリザに起こっていた些細な変化に、気づく事ができなかった。

 

 後悔はいつだって取り返しのつかない段階になってから、目の前に現れる。

 そして代償を求めてくるのだ。重い代償を。

 いつだってそうだったし、これからもそうなんだろう。

 

 この日の後悔に対する代償を払うのは、もう少し先の話だ。

 いつも通りどうしようもなくなったその時。

 蝉の鳴き声が煩わしい、夏の日。

 

 エリザが消えてしまう、その時だった。

 



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......んだよ、意味が分かんねえ(異世界からの侵略から1ヶ月。生き残りが集まった避難所で暮らしていた俺は縮地力とかいう謎の力に目覚め、謎の組織にスカウトされたのだった)

変わらないものなどない。

 

 どんなものであっても、時間と共に変化していく。

 

 

 俺が一人暮らしを始めて3ヵ月、その間様々な変化が起こった。

 

 生活環境、人間関係、そして俺自身。

 

 

 今まで停滞していた変化が、ここに来て一気に進んだように感じる。

 

 あの頃の灰色の止まったような時間。思い出したくもない日々。

 

 

 このまま変化に身を委ねれば、あの頃はなかったことになるのだろうか。

 

 なかったことにできるのだろうか。

 

 よくどんな辛くて苦しい過去でもその経験が役に立つって言ってる人がいるが、俺はそうは思わない。

 

 俺の過去は思い出す度に惨めで泣きそうになるし、今でもあの頃の出来事が頭をよぎる度に足が止まってしまう。役に立ったことなんて一つもない。

 

 忘れたくても忘れられない思い出。どこの誰でもいいから記憶を都合よく消去してくれる装置を発明して欲しいものだ。

 

 

 そんなことを考える今日この頃、俺はちょっとした悩みを抱えていた。

 

 

 エリザのことである。

 

 

 

 

 ■■■

 

 

 

「で、こうやって……ここをぐにぐに摘んで、あ、優しくね? それから指の先でちょんちょんって」

 

 

 エリザの手が妖しくも滑らかに動く。俺はその動きをジッと観察していた。

 

 一瞬エロい想像した貴方には悪いが、別段猥褻行為をしているわけではない。

 

 現在時刻は夕方の16時。俺とエリザは夕飯である餃子を作っているのだ。

 

 

 まあ、エリザから「辰巳君も一緒にやろ! たのしーよ!」と誘われたからなんだが、たまにはこういうのもいい。

 

 今まで料理に携わったことのない俺だが、これを機に料理を覚えるのもいいかもしれない。

 

 正直毎日エリザに料理を作ってもらって俺はただ待っている現状にちょっとした罪悪感を覚えていたのだ。

 

 

 エリザの手本通り、白くてぺらぺらな皮にたねを包み、形を整える。

 

 

「こんなもんか?」

 

 

「わわっ、辰巳君すごーい。それワンちゃん? 可愛いねっ。でもそれじゃ焼けないねー」

 

 

 ぱちぱちと拍手をしながら、多分悪気なくディスってくるエリザ。

 

 どうやら俺が餃子を作ると犬っぽくなるらしい。

 

 

 ちょっとムッときたので、先ほどより集中してもう1つ作る。

 

 

「どや?」

 

 

「あ、分かった! それブドウだ! ブドウでしょ?」

 

 

「いや、クイズしてるわけじゃねーから。もういいよ。俺には才能ないわ」

 

 

 別に餃子作る才能なくても生きていけるし。料理できなくてもいいし。レンジがあれば何でもできる!って昔の人は言ってたし。いや、レンジ使えるの?って聞かれたらまあ無理なんですけど。

 

 餃子すら作れないのに生きていけるほど世の中甘くないという意見もあるとは思いますが、その意見はしっかり拝聴してゴミ箱にポイする所存でございます。

 

 

「そんなこと言わないで一緒につくろーよ。ね、ほら、わたしが作り方教えてあげるから」

 

 

 と言うとエリザは正座した状態からフワリと宙に浮き、俺の背後へと回った。

 

 

 この話から読んだ早漏さんはびっくりして『え? 何この子カッパーフィールドの系譜?』と混乱するかもしれないので、ネタバレするとエリザ=幽霊である。

 

 幽霊と暮らしている俺? 普通の人間だよ。ちょっとキアヌリーブスに似てるだけの……な。

 

 

 ここらで初見の人のために、ちょっとエリザと俺を軽く紹介しておこう。『初見ですが、帰ります』なんて言われたら寂しいもんな。

 

 

 エリザは見た目14歳くらいの銀髪可愛い幽霊少女である。今日の格好はピンクのスカートにハートの中によく分からん英字が描かれた白いシャツ、その上からエプロンを羽織っている。

 

 足は最近街で見かける膝の部分が猫の顔になってるニーソックスを履いててカワイイにゃん。最近夏も近づいて暖かくなってきたし、ニーソックスは蒸れて大変じゃないかと心配している。

 

 一方の俺は蒸れる心配なんてないザ・裸足である。

 

 ここだけの話、裸族(家の中で全裸の人。詳細画像? あの夏で○ってるでも見たら?)である俺だが、エリザと暮らし始めて裸るわけにもいかず最低限のオシャ裸として、家の中ではずっと裸足でいるのだ。どうでもいい? そうですか。

 

 

 彼女は俺がこの部屋で一人暮らしを始めるより、ずっと前から住んでいた先住幽霊である。

 

 現在、俺と彼女は手を取り合って仲良く衣食住を共にしている。

 

 家事は全てエリザがしてくれている。では俺は何をやっているかというと……何もしてないんだなこれが。

 

 

 エリザはふわふわと浮きながらテーブルを迂回し俺の背後に回りこんだ。そのまま背中越しに両手を伸ばし、俺の手を優しく握る。

 

 

「力抜いてね?」

 

 

 耳の側で囁かれる言葉がくすぐったい。

 

 俺はエリザの言う通り手の力を抜いた。

 

 脱力した俺の手を、覆うようにして握ったエリザの手が操作する。

 

 

「こーやって、形を作って。それからぐいぐいって優しく閉じていくの。そうそう……ほらっ、できた! やったねっ」

 

 

 嬉しそうに笑うエリザ。目の前にはお手本ともいえるような形の餃子があった。

 

 

 対する俺は背中にあたる感触に妙な違和感を覚えていた。

 

 なんというか……ね。当たってるんですよね。尋常じゃないほど柔らかさを伝えてくる胸と、それから……ね。

 

 胸のほら……アレが。アレって言うのはアレだよ。クリスマスツリーの上に飾る星、鏡餅の上のみかん、聖帝十字陵の頂上に立つシュウ……ここまで言えば分かるでしょ?

 

 それがツンツン当たってやがるんですよ! つまり何が言いたいかって言うと。

 

 

 ――エリザさん、ノーブラじゃないですか?

 

 

 それが気になってしょうがないんすよね。

 

 いや、別にノーブラが悪いとかそう言ってるわけじゃないんだよ。むしろ善だし。どんどん広まっていけばいいと思うし。でも広がり過ぎはノーだね。広がり過ぎてブラが根絶されたら困る。夏の暑い日のブラ透けも未来永劫伝えて行きたい立派な文化だし。

 

 

 エリザの話だ。

 

 ノーブラが初めてなわけじゃない。というよりエリザは定期的にノーブラな日がある。具体的には月・水・金の3日間。週に3日はノーブラの日があるのだ。

 

 

 何故そんなことを知っているのか?

 

 別に俺が相手がノーブラかそうでないかを判別できる魔眼を持っているわけではなく、単純にエリザと過ごしてきた日が長いので、着けているかそうでないかを判別できるようになっただけだ。着けてなかったらちょっと揺れるからね。

 

 

 だったら何が気になっているかって言うと……今日木曜日なんだよね。ノーブラデーじゃないんだわ。ノーノーブラデーなのだ。

 

 

 この1週間エリザを観察してたけど、日曜もノーブラだったから、ノーブラデーが5日に増量している。

 

 この事実が何を示すかというと……分からん! さっぱり分からん!

 

 

 同居している少女のノーブラデーが増えました。その意味は?

 

 知らん! 全く理解できん!

 

 

 本人に向かって聞くわけにもいかないし、こうやってただ考察することしかできないのだ。

 

 

 ただ一ついえること。ノーブラデー増量が始まった日は分かっている。あの日だ。

 

 

 エリザが改めて俺に『好き』と言った日。そして俺もエリザに抱いている感情を伝えた日。

 

 あの日からエリザは変わったのだ。

 

 

 なにもノーブラだけのことじゃない。

 

 他にも変化は見られた。

 

 例えば体への接触。以前まで外へ出かける時のおんぶやら、うっかりハプニングの時くらいしか接触はなかったが、最近は増えた。

 

 今も……

 

 

「じゃ、もう1個一緒につくろー。あ、これだとやりにくいね。えっと……あ、わたしが前に座ればいいのか」

 

 

 と言いながら背中から回りこみ、あぐらをかいた俺の上に座る。つまり俺自身が椅子になることだ……。

 

 エリザの小さな体がすっぽりと入り込む。

 

 俺の体に背を預け、顔を見上げてはにかむ。

 

 

「えへへー、辰巳君の膝って凄く座り心地いいねっ」

 

 

 とまあこんな様子だ。

 

 こうして隙を見ては体の接触を行使してくる。

 

 

 全く困ったものです……。いやマジでな。ただでさえ可愛いのに、そんなぽんぽん体に触ったりくっつけてきたらさぁ……どうなるのこれ?

 

 俺だって男なわけで。そりゃまあ……色々と危ない。危険がデンジャーだ。おっすおっす大家さんならぬ、おっきおっき大家さんしてしまう。

 

 いくら思春期を遥か昔に終えた俺もさあ……始まっちまうよ! 一体何が始まるっていうんです? ――第2次思春期だよ。

 

 このままだと狼にトランスフォームして、瞬く間にリベンジポルノからダークサイドムーンにまっすぐゴーだよ! 何言ってんのか分かんねえけど!

 

 

 危ない時は例の如く、秘技『母顔想起』を使用してるんだけど、これもまあ最近多様し過ぎたからか効果がなくなってきた。恐ろしい想像だが、いずれは母親の顔を思い浮かべた瞬間に興奮してしまうという大事故に繋がってしまいそう。

 

 

「じゃ、また手借りるねー。えへへっ、辰巳君の手って……おっきいね!」

 

 

 あぶなーいっ! その手のワードはいかーん! 俺の脳内辞書ツールは無駄に高性能でそういう妖しい言葉は勝手に『辰巳君の○○っておっきいね』ってモザイクをかけてしまう!

 

 くっそー……パッシブスキル『桃色E単語』にこんな弊害があったとは……。

 

 

 ていうかエリザさん……。気のせいとは思いたいんですけど……なんか、こう太ももに当たる感触が立体的というか、柔らか過ぎるというか……。

 

 ノーパ……いやいや。まさかそんな、ねえ。

 

 そういう健康法があるのは知ってるけど、それを実践してたら間違ってもこんな風に接触してきたりしないだろうし。

 

 このスカートの生地が薄い。そうに決まってる。

 

 

 だが、そろそろエリザには美尻……いやビシリと言っておくべきだ。共同生活を行う上で風紀というものは大切じゃないかと。

 

 あんまり日ごろからべたべたしすぎるのは、エリザの将来的な人格形成にも問題をきたすのだと。

 

 そんな風に男慣れしちゃうと、将来は男をコロコロ転がす尻軽ビッチになっちゃうよ、と。

 

 ここは年上として(と言っても年は殆ど変わらないんだけど)、言ってやるべきだ。

 

 

「なあエリザ」

 

 

「なぁに?」

 

 

 俺は意思を固めるように深く息を吸った。そして言葉と共に吐く。

 

 

「……もうちょっと深く座った方が安定するんじゃないか?」

 

 

「あ、ほんとだね!」

 

 

「あはははっ」

 

 

「えへへっ」

 

 

 今日も一之瀬家は平和です。

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「というわけなんだ遠藤寺」

 

 

「ふむ。同居している幽霊少女が最近ベタベタしてきて困る、か。」

 

 

「そうなんだよ。もっとこう恥じらい? そういうのを大切にして欲しいんだよなー」

 

 

 大学のいつもの場所。正面に座る遠藤寺はいつものようにうどんを食べていた。

 

 俺はそんな遠藤寺に最近のエリザの目に余るベタベタっぷりを相談していた。

 

 

 遠藤寺は箸を置いた。

 

 

「それはそうと」

 

 

「何だよ」

 

 

「今ボクが食べているこの熱々のうどんを、君の顔面に叩きつけても……いいかな?」

 

 

「微塵もよくねえよ! 何で今の話を聞いた後に、俺の顔面にうどんを叩きつける発想に至るわけ!?」

 

 

「いや、すまない。自分でも分からないが、君の話を聞いていると胸の奥底からドス黒い未知の感情が沸いて来てね。それが『やっちまえ』とボクに囁いたんだ」

 

 

 いつものように無表情な遠藤寺だが、よーく見ると不機嫌なオーラが感じ取れた。

 

 

 このゴスロリファッション+リボン装備の少女の名前は遠藤寺。俺と同じ大学に通う、唯一の友人だ(『大学で友達一人とかwww』と俺をディスろうとしているそこの貴方、ちょっと待って欲しい。まずは自分の姿を鏡でみてくれ。美少女か? 美少女なら好きなだけディスっていい。それ以外は漏れなく朽ちろ)

 

 

 趣味と実益を兼ねて『探偵』をしており、俺の相談を快く聞いてくれる素敵な友達だ。

 

 間違ってもいきなり人の顔に熱々のうどんをぶっかけてくるクレイジーガールではない。

 

 

 遠藤寺は不機嫌なオーラを纏ったまま続けた。

 

 

「あと未知の感情がこう言えと囁いてくる」

 

 

「なんと?」

 

 

「ちょームカつく」

 

 

「!?」

 

 

 遠藤寺の口から出てきたありえない言葉に、俺は驚愕した。

 

 だってよ、遠藤寺なんだぜ……? 基本的に頭よさげなことしか言わない(うどんに関しては別)遠藤寺が、そこら辺の女子高生とかが使いそうな言葉を使うなんて……。

 

 うーん、遠藤寺がそんな言葉を発する発端となった未知の感情……俺気になります!

 

 

 当の遠藤寺は何やら満足げな顔をしていた。

 

 

「……うん。少しスッキリした。今まで使ったことない言葉だけどいいじゃないかこれ。今度から何かあったら使うとしよう」

 

 

「やめて」

 

 

 そんな台詞使ってたら、遠藤寺のキャラが壊れちゃうよお!

 

 ん? ギャップ萌え? ……そうか、そういうのもあるのか。

 

 

「さて、未知の感情も消えたところで君の相談を受けようか。……何の相談だったかな」

 

 

「ああ。エリザが最近ボディタッチっていうの? 体への接触が多くてさ、何かにつけて体をくっつけてくるんだよ」

 

 

「……そうか。そういう話だったね。なるほど……ふむ。ボクから言える言葉は――」

 

 

「うんうん」

 

 

「リア充爆発しろ」

 

 

「遠藤寺さん!?」

 

 

「すまない。また未知の感情が……しかし初めて言った言葉だけど、中々にスッキリする言葉だね。今度から街を歩いていて職務質問されたら使ってみよう」

 

 

 ここでまさかの新事実。俺と遠藤寺にはよく職務質問されるという共通点があった……!

 

 なるほど、親友同士、こうした共通点があるものなのか。全然嬉しくねえわ。

 

 

 しかし……

 

 

「なあ遠藤寺。もしかして怒ってる?」

 

 

「怒る? ボクが? クククッ! 君は相変わらず面白いことを言うね。怒る? くくくっ、ボクに向かってそんなことを言う人間は君が初めてだよ」

 

 

 覚醒した主人公にボコられる中ボスのような台詞を吐く遠藤寺。

 

 何がツボに嵌ったのか、珍しく爆笑している。といっても普段の表情のままなのでこわい、です。

 

 

「いいかい? ボクは探偵だ。そして探偵に最も必要なものが何か分かるかい?」

 

 

 うーん……オペラかキューティクルか痛がりの灰色狼か……。あれ? 遠藤寺に当てはまる要素がないぞ?

 

 

「それはね――感情のコントロールだよ。冷静な感情と完璧な推理はイコールなんだ。間違っても怒りなんて振り幅の大きい感情に振り回されるなんてことはあっちゃあならないんだよ」

 

 

「割りばしバキバキに折りながら言っても説得力が……」

 

 

 本人は否定しているが、遠藤寺ちゃん激おこらしい。そしてどうも自分が表現している感情が、怒りだとは気づいていないっぽい。

 

 怒ってる自覚がない遠藤寺もカワイイ!と言いたいが、あの割り箸みたいにバキバキにされそうなので自重した。

 

 

 どうにも今回の相談は遠藤寺さんには不評なようだ。

 

 なぜだろうか。

 

 

「というわけでボクは怒っていないよ。だがまあ一般的な人間だったら、人の惚気話をこれほど聞かされたなら……殺意を抱くと思うね。おっと、一般的な人間の場合であって、ボクは違うよ? 何度も言ってるけど、ボクは怒ってもいなければイラつきもしていない。親友である君が同居している少女といちゃつこうがそれを本人の口から聞かされようが……怒ることはありえない。理解したかい?」

 

 

「あ、はい」

 

 

 別に惚気話をしてるわけじゃねーんだけどな。

 

 どうやら、この話は遠藤寺相手には相応しくないらしい。

 

 

 遠藤寺がクールダウンするまで、待つことにした。つるつるうどんを啜る遠藤寺を眺める。

 

 ふとうどんを啜る唇が、いつもより若干赤みを帯びていることに気づいた。あれは、口紅か? 

 

 珍しい。格好こそこんな感じだが、遠藤寺が服装以外に装飾――化粧をしているのを見たことがない。

 

 一体どういう心境の変化だろうか。

 

 

「……何をジッと見ているんだい? 見ていてもあげないよ。一口しか」

 

 

 何を勘違いしたのか、うどんを摘んだ箸を差し出してくる遠藤寺。

 

 まあ貰えるものは病気以外貰っておく性分なので、戴いておく。

 

 うーん旨い! うどんにこだわる遠藤寺が、ポケットマネーで質のいい材料を横流ししてるだけあってその味は無類である。 

 

 

 うどんを食べ終わる頃には、遠藤寺の不機嫌オーラも霧散していた。

 

 

 遠藤寺は深くため息を吐いた。

 

 

「この間の相談もそうだが、君がボクに持ってくる相談事はどうしてこうもボクの専門外のものばかりなんだい? やれ幽霊が家にいる、やれその幽霊の寝顔が見たい、そしてその幽霊がべたべたしてきて困る。……ボクは探偵だよ? もっとこう――家族が誘拐されたが諸般の事情で警察には相談できないとか、祖父が亡くなって遺産相続をするんだけど『今から記す人間を私の館に集めろ』と書かれた意味深な遺書が出てきた……そんな相談はないものなのかい?」

 

 

「パンピーな俺に無茶言うなっつーの」

 

 

 ほんまこの推理厨は……。

 

 そうそう〇ナン君の手を借りるような事件なんてないっつーの!

 

 でも何だかんだで専門外の相談でも引き受けてくれるのが遠ちゃんのいいところ。

 

 文句の後、助言を与えてくれた。

 

 

「それで君はその幽霊にどうして欲しいんだい?」

 

 

「いや、まあ……もう少しスキンシップを控えてもらえたらいいんだけど」

 

 

 このままべたべたされたら、流石の俺もやばい。

 

 未成年に手を出すなんて……いや、待てよ? 確かエリザって14歳の時に死んで5年経ったから今は19歳ってことだよな? あと1年経ったら……問題ないんじゃないか? 

 

 9歳の壁ならぬ19歳の壁を越えてしまえば……合法? エリザは合法? どうなんだ? 幽霊に俺達人間の法律は準じられるのか?

 

 今はアレだから、次の機会に遠藤寺に相談することにしよう。

 

 

「だったらそう言えばいいさ。もう少し距離を置いて欲しいと。今までの話を聞く限り、その子は聞き分けのいい性格のようだ。君がそう言えば素直に聞くだろう?」

 

 

「いや、まあ……そうなんだけど」

 

 

 遠藤寺の言う通りだ。エリザに直接言えばそれで済む話だろう。

 

 

 だが――

 

 

『「辰巳君は? わたしのこと……迷惑じゃない? わたしのこと……好き?」』

 

 

 不安が混じった表情で問いかけてきたエリザの顔が頭から離れない。

 

 あの日からエリザの態度が変わって、それを拒絶したらあの時のエリザの言葉まで否定してしまうような、そんな気がするのだ。

 

 

「……煮え切らないね。折れた割り箸で刺してもいいかい?」

 

 

 一瞬で不機嫌オーラを纏う。

 

 

「よくねえよ。……ほんとに機嫌悪いな。大丈夫か?」

 

 

 俺の問いかけに遠藤寺はため息を吐いた。

 

 

「……すまないね。怒ってはいないが……冷静ではないのは認める」

 

 

「変な相談した俺が悪いな。今度から相談は控えるよ」

 

 

「いやそれは違う。前も言ったが君からの相談を受けるのが嫌なわけじゃない。それどころか親友である君から相談をされるのは、その……嬉しいんだ。初めてできた友人に頼られている、それが。悪いのはボクだ。未知の感情くらいで冷静さを失う未熟なボクが悪い」

 

 

 自分に言い聞かせるように遠藤寺は言った。

 

 

「正直怖いんだ。未知はボクにとって歓迎すべき好物そのものだけど、この未知の感情は……解き明かしてしまったら、ボクが変わってしまうような気がして」

 

 

 悩む遠藤寺を初めて見た。いつも自信満々で、余裕に満ちた遠藤寺だけど、こんな風に人並みに悩むこともあるらしい。

 

 それをもたらしたのが恐らく俺であり、俺の中でそのことに対する罪悪感と独占欲染みた優越感が胸の中で混じりあった。

 

 そんな遠藤寺にかける言葉は何だろうか。

 

 

 考えるより前に、自然と言葉は出た。

 

 

「まあ、あれだ。お前が変わっても……ずっと親友でいるよ」

 

 

 全く吟味せずに思ったことをそのままの口に出したが、この雰囲気の中では正しい言葉に思えた。

 

 実際に遠藤寺は俺の言葉を受けて……

 

 

「……ずっと親友、ね。今までだったら胸に響く心を打つ言葉に違いないんだろうけど、今のボクはとても不満に思っている。自分でも何故だか分からないけど」

 

 

 あれ!? なんで不機嫌!? これ正解だろ! 俺達ずっと友達だよな!って魔法の言葉だろ!?

 

 

 その後、ツンとした雰囲気を崩さない遠藤寺だったが、授業の時はいつも通り隣に座ってくれたし、俺が教授に当てられた時はこっそり答えを教えてくれたりしてくれた。

 

 

 その授業が終わり別々の講義を受けるため別れた。

 

 去り際

 

 

「……別に怒っていないけど、今日の講義の後……飲みに付き合ってくれたら許す」

 

 

 とそっぽを向きながら言ったから今日は遠藤寺記念日にしようと思った。



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しゅっくち!(縮地特有のくしゃみ。もう何かネタが尽きたんでこれで……)

――いち……せ…うはい……

 

「……ん?」

 

 授業が終わり大学構内を遠藤寺と歩いていると、ふと誰かに呼ばれた気がした。

 現在俺達が歩いているのは、大学の1号館と2号館を繋ぐ廊下だ。周囲を見渡すもあるのはリノリウムでできた床と外を眺めることができる窓、廊下にポツポツと配置されている休憩スペースの3人がけの小さなテーブルと椅子だけだ。

 

「おや、どうかしたのかい?」

 

 立ち止まり周囲を見渡す俺に、遠藤寺が首を傾げつつ聞いてきた。

 

「いや、なんか名前を呼ばれた気がしてさ」

 

「ふむ? だが辺りに人影はない様子だけど。そもそもこの大学内に君の本名を知っているような稀有かつ酔狂な人間がいるのかい?」

 

「お前は今かなり酷いことを言った」

 

 俺の名前を知ってるだけで酔狂とか……よくもまあそういうことを真顔で言えるよな遠藤寺って。多分悪意はなく、本気で言ってるだろうし。そこも性質が悪い。

 しかし、まあ……遠藤寺の言葉も一理ある。

 酔狂とまでは言わないが、この大学で俺の本名を把握している人間は珍しいだろう。

 顔を知っている知り合いと名前を知っている知り合いとでは大きく差がある。顔なんて1回見れば興味なくても頭の片隅には残るけど、名前は少しでも相手に興味を持たないと頭の片隅にも残らない。俺の名前を覚えるほど俺に興味を持つ奇特な人間なんて早々いないだろうし。

 

 ふと気づいたけど、遠藤寺って俺を名前で呼んだことないんだよな……。

 かれこれ3ヵ月近くの付き合いになるが、遠藤寺の口から『一之瀬』や『辰巳』、『たっちゃん』『たーくん』『たっつん』『たーたん』『たー』といった、俺の名前に関する言葉を聞いたことがない(ちなみに最後の方は恋人に呼んで欲しい呼び方)

 

 遠藤寺の顔を見る。

 

「ん? ボクの顔に何か付いてるかい?」

 

 何かってそりゃ一見すると睨まれているみたいで恐縮しちゃうけど慣れると見られるだけですんごい気持ちよくなっちゃうジト目やら、思わず口を使って収穫したくなるようなプルンプルンな唇がついてますけれど(しかも年中収穫できる!)

 

 名前の話だっけ。

 いつも遠藤寺が俺を呼ぶときは『君』や『親友』といった呼び方で、親からつけられたそこそこ気に入っている名前をその口から聞いたことがない。

 俺は血界の眷属とかじゃないので、名前を知られても痛くも痒くもない。というか普通に知ってて欲しい。友人である遠藤寺が名前を知らないなんてことがあったら超ショックだ。 

 俺は内心ちょっとドキドキしながら尋ねた。

 

「え、遠藤寺さ……俺の本名って知ってる?」

 

 俺の質問に遠藤寺は呆れたように肩をすくめた。

 

「また君は唐突に……いや、君が突拍子もないことを言うのは今に始まったことじゃないか。名前? ああ、もちろん知ってるとも。――一ノ瀬辰巳、だろう?」

 

 俺は遠藤寺にばれないようにこっそり安堵のため息を吐いた。

 

 ここで『君の名前かい? ああ、そうだった。君にも名前はあるんだったね。えっと、ヌケサク、だったかい?』みたいなこと言われたらショックのあまり石化して、鉱石と生物の中間存在となって考えるをやめたくなるところだ。

 

 それはそれとして遠藤寺に初めて名前を呼ばれたわけだけど、呼ばれた瞬間、胸がこう『トゥンク……』みたいな音を立てて波打った。普段名前を呼ばれない人から名前を呼ばれるのってこんなにドキっとするのね。

 アニメとかで普段苗字で呼ばれてるヒロインが主人公から初めて名前で呼ばれて『キュン』ってしちゃうのを見てチョロイン乙って思ってたけど……こりゃ乙るわ、恋に。

 余談だけどギャルゲーとかで主人公のことを『さん』とか『君』付けで呼ぶ丁寧形ヒロインが、ルートに入って主人公から呼び捨てを強要されて勇気を振り絞って名前を呼んだ瞬間に恥ずかしそうに照れる展開……好きかも。

 

「最初に会ったときに互いに自己紹介しただろう? まあ、君が自己紹介しようがしなかろうが、ボクが調べようと思えば名前から家族構成、世帯年収から両親の恋愛遍歴、中学生時代のあだ名、小学生の頃教師のことを何回「お母さん」と呼んでしまったか……それくらい調べるのは容易いけどね」

 

 サラッとプライバシー保護の原則(バリア)をぶち破る発言をしてくる。

 何が恐ろしいってこの遠藤寺、本気でそれができちゃうってこと。遠藤寺のタンテイ=ジツにかかれば国家機密すらちょちょいのチョイサーだろう。

 俺はもしかすると恐ろしい人間と友達になってしまったんじゃないだろうか……今更恐ろしくなってきたぞ。

 

 ていうか遠藤寺、もしかして俺の中学生時代のこととか知ってんのか? ……知ってたらイヤだなぁ。

 

「ま、しないけどね。仕事で知り合う相手のことは完膚なきまでに調べるのがボクの信条だが……プライベートは別だ。それに……君のことは調べたくない」

 

「なんだよ。俺にそこまで興味がないってことか?」

 

 調べて欲しい……。俺のエロ本購入履歴とか調べてそこから導き出された性癖を暴いて『こ、こういうのが好きなのか……ふ、ふーん』って感じで翌日にその性癖に合わせたファッションしてこられちゃたら、俺、速攻で遠藤寺に告白しちゃうよ……。え? 俺の性癖? 白いワンピースの下に白いスクール水着を着て頭にはイカの頭部に似た――(以下娘の描写が続く)

 

 俺の問いかけに遠藤寺はその鋭い視線で俺を真正面から捉えたまま答えた。

 

「いや違う、逆だよ。興味がある。大いにね。それこそ骨の髄まで君のことなら何でも知りたいと思っている。だがね、ボクはあくまで君自身の口から聞きたいのさ。君がどういう人間でどういう人生を送ってきたのか、何を見てどう感じるのか、どんな人間関係を経て……そしてどんな異性に心を奪われたのか。その全てを君自身の言葉で聞きたい。君の主観だけの、君の感情が篭った言葉で聞きたいのさ」

 

「……トゥンク」

 

 俺は思わず遠藤寺から顔を逸らした。遠藤寺からの視線を頬の辺りにジットリ感じてその部分が熱い。

 

 遠藤寺ってこういうこと真正面から真顔で言うんだよね。普通の人間ならストッパーがかかってまず言わないような誤解を招く発言。

 異性の思わせぶりに発言でバッキバキに痛い目を見た過去がある俺だから耐性があるし問題なけど、他の男だとまず間違いなく『あれ? コイツ俺のこと好きじゃね』って勘違いするわ。将来、遠藤寺がそういう厄介毎に巻き込まれないように、少し助言しておこう。

 

 俺は遠藤寺から顔を逸らしたまま言った。

 

「お前って凄いよな。そういう誤解を与えかねない台詞を平気で言えるし。でもな俺だからいいけど、他の奴にそんなこと言ったらさ、アレだぞ? 面倒くさいことになるぞ? 絶対勘違いされるだろうし、勘違いした奴が奴がストーカーになったり――」

 

「ボクはいつだって君に対しては本音しか言わないさ。それに君も勘違いしている。いくら僕でもこんな言葉平然と言えるわけないだろう?」

 

 そう言うと遠藤寺はいつも通り鋭い目つきのまま、俺の右手をとり自分の頬に持っていった。

 持って行かれた右手を視線が追ってしまう。そのまま遠藤寺の顔を正面から見つめる。

 よく見ればほんわずかに朱色が混じっている遠藤寺の頬は、見た目では考えられないほど熱を持っていた。

 

「なんなら胸にも触ってみるかい? 今いい具合に心臓が脈打ってるけど」

 

「あ、いや……いいです」

 

 チキンっぷりを発揮した俺を見て、遠藤寺が何やら勝ち誇ったような表情を浮かべた。

 

「どうした親友? 随分と顔が赤いよ?」

 

「……ぐっ」

 

「どうも君は直接的な好意の言葉に弱いらしいね、フフフ……」

 

 してやったりと言わんばかりの遠藤寺の顔に、俺は呻くことしかできなかった。

 

「犯人との駆け引きもいいけど、こんなむず痒い感情の駆け引きも実に面白いね」

 

 遠藤寺が俺の右手を離した。引っ込めた手に残った遠藤寺の熱がなかなか消えない。

 

「じゃ、今日の夜は楽しみにしてるよ。今日は色々と聞くよ……君を勘違いさせるようなことをね。――また後で、親友」

 

 そう言うと遠藤寺は、俺に背を向けヒラヒラと手を振りながら歩き去って行った。

 残されたのは所在なせげに佇む俺。

 ふと右手で自分の頬を触ってみた。右手から感じる熱はやはり熱く、遠藤寺の熱と混じり熱くなりすぎた俺の右手は最早感覚すら無くなっていた。

 

■■■

 

 遠藤寺が視界から消えた後、どこからか声が聞こえてきた。

 

「……うはい。……せ……こう……はい」

 

 やっぱりだ。誰かが俺を呼んでいる。

 周囲を見渡すも、やはり人影はない。

 

 もしかしてアレか。昔患った幻聴が再発したのか? もー勘弁して下さいよー。中学の時に『聞こえますかイチノセよ、今あなたの心に直接呼びかけてます』とか脳内ボイスに誘われて『そう。その水に飛び込んで下さい。世界がクリアを待っています……さあ!』って言われて異世界召喚キタコレとばかりに異世界への門と思わしき川に飛び込んだら、当然のようにただの濁った川で俺泳げないし、通りがかった人が助けてくれたのはいいけど、脂ぎったオッサンで大丈夫って言ってるのに人工呼吸されそうになるし……幻聴にはトラウマしかねーんだよ! あれ? あの時、本当に未遂で済んだんだっけ? うっ頭が……。

 

 声は徐々にハッキリと聞こえるようになってきた。

 

「……ククク……こちらですよ。さあ、こちらに来るのデス。そう……ワタシが発する闇の波動に導かれるのデス……」

 

 闇とか言ってるし、これ絶対やばいタイプの幻聴だわ。

 ホイホイ言葉に従ったら第二、第三ののトラウマ作るやつだわ。きっとあれだ。このまま幻聴に従って歩いて行った先がぼったくりバーで一しきりボラボラされた後でお酒注いでくれてたネーちゃんが実は隣に住んでる43歳の化粧しまくったババアで……何だかんだで知らないガキの認知を迫れるちゃうんだ。そうに違いない。

 

「さぁ来るのデス……我が波動を感じとるのデス……おじぎをするのだ……」

 

 波動とか言っちゃってる人にまともな奴はいねーよな。

 よし無視して帰ろう。帰ってエリザと一緒にホラー映画でも見よーっと。

 あの子幽霊の癖にホラー映画とか超怖がるから面白可愛いんだよなー。んで「きゃっ」とか可愛らしい悲鳴をあげつつ俺に抱き着いてくんの。ただ俺は俺でホラー映画とか超苦手で、ゾンビランドですらちょっとしんどいくらい。そんな俺は一体誰に抱き着けばいいの?

 

「さ、さぁ……早く、早くしてください……お願いデスから……こっちに来て下さい……」

 

 なんか幻聴さんの様子がおかしいな。何やら切羽詰っているような、若干苦しげな感じだ。

 まあ知らんけど。幻聴さんは幻聴さんで大変だと思うけど、俺は現実に生きている身だからね。幻聴は頭の中でじっとしていてくれ。

 

 

 

「こちらへ……こちらへ来るのデス、さあ……さあ――た、助けてぇ……一ノ瀬くぅん……」

 

「あ、この声もしかして先輩ですか!?」

 

 よくよく聞けば妙に聞き覚えのある声に、慌てて再度周囲を見渡す。しかし廊下にそれらしき人影は見えない。この声の主が俺の予想通りの人なら、すぐに見つかるはずだ。あの変わった格好してる先輩が見つけにくい状況とか、ハロウィンの時くらいだし。

 声に従い、遠藤寺と歩いてきた道を引き返しながら探していると……休憩スペースであるテーブルの一つ、そのテーブルの下に何やら黒い物体が蠢いていた。

 

「助けてぇ……出れないよぉ……」

 

 黒い物体は一見、たっぷりゴミに詰まったゴミ袋に見えた。どうやら声の主はこのゴミ袋らしい。ゴミ袋から靴らしき物体が二足生えている。

 ん? つまり先輩=このゴミ袋? 

 まさかな……俺の尊敬する先輩がゴミ袋のはずないし。

 

「い、一ノ瀬くーん……え? も、もしかしてもう行っちゃったの? ま、待って―! 私ここにいるよー!」

 

 沈黙していると、俺がいなくなったと誤解した先輩らしき物体が、慌てた様子でごそごそ体を揺らした。

 足の生えてる場所から考えるに、お尻辺りだろう部位がフリフリ揺れた。

 

 しかし見た目はアレだが、随分と可愛らしい声だ。もしこの声の持ち主がラジオ番組をしていたら、毎週かかさず聴くし人数限定の公開録音なら他の参加者をアレしてでも参加するだろう。

 例えるなら、そう……妖精の声。夢の中へと誘われたくなるような魅惑的な声だ。

 よし、このゴミ袋のことを『ダストフェアリー』と呼ぼう。……なんか自給230円くらいの喫茶店で働いてそうな名前だな(怖ろしく知名度の低い元ネタ)

 

「いちのせくぅーん……私ここにいるよー……うぅ」

 

 よくよく見るといつもの黒いローブを纏った先輩が、土下座をするような姿勢でテーブルの下に潜り込んでいるだけだった。状況から察するにどうやらテーブルの下から出られないらしい。

 何やってんだこの人……。

 

 俺がいなくなったと思った先輩は、『しくしく』とオノマトペを織り込んだように悲しげに呟いた。

 

「うぅ……一ノ瀬君行っちゃったみたいだし、わ、私もしかしてずっとこのまま? い、嫌だよ……このまま死んじゃって明日の朝刊で『〇〇大学にて女性の変死体? 女性は何故か黒いローブを被ったまま死亡しており……』みたいなニュースになったらどうしよう……。そんなニュースが流れたら美咲ちゃんが学校で虐められちゃうよ……!」

 

 『やーい、お前のねーちゃんゴミ袋ー』とクソガキが喚く光景を幻視した。許せん! その呼び方していいのは俺だけなんだぞ!?

 

「こ、こんな所で死にたくないよぉ……。そ、それに、まだ一ノ瀬君ともお話ししたいことたくさんあるし。――えいっ。えいっ!」

 

 先輩がローブに包まれたお尻を揺らしながら体を揺らす。テーブルがガタガタ揺れるが、先輩が出てくる気配はない。

 ローブがテーブルの足に挟まっているからか、ローブの生地が突っ張って体のボディラインがはっきり出ている。

 前々から思っていたが、やはり先輩ってかなりのナイスバディに違いないよ。要チェックや!

 

「な、なんで出られないの? こ、このっ――あああっ!? 今なんかビリっていった!? 破ける音がした!?」

 

 それは大変だ!と先輩を凝視するが、残念ながらローブの裾の部分が少し裂けていただけだった。

 艦〇れの大破イラストみたいに、都合よくお尻の部分だけ破れて下着が見える展開を期待していたのに……。

 

 流石にこれ以上は見ていられない。俺は先輩(のお尻)に声をかけた。

 

「あの、先輩らしき人。大丈夫ですか?」

 

「へあっ!?」

 

 ガコンと音を立てて、テーブルが一瞬浮いた。

 頭をぶつけたらしい。

 

「い、痛ひ……。あっ、この声……一ノ瀬君!? よ、よかったぁ……てっきり気づかずに行っちゃったのかと……」

 

「そんな所で何してんすか?」

 

 テーブルに潜り込むのが趣味なのかな? 最近流行ってるらしいじゃん。机の下でキノコ育てたり、むぅりぃーとか言ったりハイライト消したりするの。何の話かって? 俺の大好きなアイドルの話に決まってんだろ! 元ネタ言わせんな恥ずかしい。

 

「じ、実はね、ちょっと困ったことになっちゃって……あ、いや――けふんけふん!」

 

 先輩はわざとらしく咳をした。

 先程の甘えた子供のような声から、いつもに無理やり作った低音の声に。

 

「フフフ……よくぞ聞いてくれましたね我が同志、一ノ瀬後輩よ。実はこのテーブルの下になんとカオスゲート――闇の世界の入り口があることをワタシの魔眼『ダークアイ』が看破したもので、思わず飛び込んでしまったのデスよ。おっと、既にゲートは閉じられていますよ。ワタシが接触した事で『アチラ側』にも気づかれたみたいデス。あっという間にゲートを閉じられてしまいました。中々に早い対応――もしかすると超級者以上の手練れが対応したのかもしれませんね。デスが収穫はありました。何と近いうちにアチラ側では準超越者級の魔人が終結し、会合を開くという情報が……」

 

「はい」

 

「フフフ……」

 

「……」

 

「フフ……」

 

「……」

 

「フ……」

 

 俺と先輩(のお尻)の間に静寂を表す『シーン』というオノマトペが通り過ぎた。

 

「で、本当は?」

 

「……あー、一之瀬後輩の後ろ姿が見えたので声をかけたのデスが、すぐに知らない人が隣に歩いているのに気づいたもので……ついとっさに隠れてしまいました」

 

「なんで隠れるんですか……」 

 

 と、呆れたように返した俺だが、先輩の気持ちは大いに理解できる。気軽に話しかけることができる仲のいい友達相手でも、友達の友達がいたら何故か話かけるのを戸惑ってしまう。

 コミュスキル高かったら「おっす〇〇。あれ? そっちの誰? ダチ? ○○のダチなら俺のダチみたいなもんだな! 俺□□、よろしくな!」みたいな『ズッ友の友達もズッ友だょ』みたいな感じで話しかけれるんだろうな。まあ、俺には一生縁のない話だけど。

 

 この黒いローブを纏った、テーブルの下から抜け出せない不審者丸出しの人物は――デス子先輩。

 俺が所属しているサークル『闇探求セシ骸』の会長だ。

 先輩は一言でいうと……オカルトマニアだ。日々、非日常的なオカルトを求めており、このサークルもそういったオカルトに纏わる情報や事件などを集めるサークル……らしい。

 らしいというのは、実際活動している姿を見たことがなく、いつも拉致られて部室で駄弁ったり居酒屋で飲み会をしているだけだからだ。

 言動は中二病丸出しの痛い人だが、テストの過去問を渡してくれたりよく生徒を当ててくる教授から当てられにくくする方法などを教えてくれる優しい先輩的な面がある。

 ローブの下の素顔を見たことはないが、この可愛らしい声だ。きっと中の人も可愛いに違いない。だからってみんなは可愛い声の声優さんを無闇に画像検索するんじゃないぞ? ショックを受けたくないならな。一之瀬お兄さんとの約束だ。

 

「一之瀬後輩。その、できれば……このテーブルから出るのを助けて頂けると……」

 

「ダークなんとかで何とかしたらどうですか?」

 

「い、いや魔眼『ダークアイ』は……その……せ、精神に作用したり隠されている物を見破るメンタル属性のアレなので、その物理的なアレはちょっとアレで……」

 

 い、いかん……先輩の中二設定に早くもボロが出てきたぞ!

 このままガバガバになった中二設定を後で何とか持ち直そうと頑張る先輩は見ていて微笑ましいのだが、同時に心が痛くなる。かつての自分と重ねてしまうからだろうか。

 自分の傷が開く前にさっさと助けよう。

 

「分かりました。ちょっと待っててください」

 

 先輩が潜り込んでいるテーブルに近づく。予想通り、テーブルの足にローブが挟まっていた。恐らく慌ててテーブルに潜った際にテーブルが浮き、その時に挟まってしまったのだろう。

 

「先輩。俺がテーブル持ち上げるんで、その隙に出て下さい」

 

「わ、分かりました! では合図を決めるとましょう。一之瀬後輩が『Verderb(破滅の)』、それに合わせてワタシが『Windhose(竜巻)』と詠唱するのでその隙に――」

 

「せーの!」

 

「あ、はい!」

 

 俺がテーブルを持ち上げた隙に、先輩がカサカサとテーブルから這い出してきた。

 普段の先輩が見せない滑稽な動きに思わず軽く噴出してしまった。

 

「……ふ、ふぅ。やっと出られました……よいしょ」

 

 四つんばいの態勢だった先輩が、疲れたような動きで椅子を支えに立ち上がった。

 お尻しか見えていなかった姿の全体像が目に入る。と言っても全身ローブなので、特筆すべきことはないのだが。いや、這い出てた時に床と擦れたのか、ローブが捲くり上がって普段は見えない足が膝上くらいまで見えている……! 肌白いっ……いや、白すぎるぞこれは……! 違う、素肌じゃない、これは……白タイツ! ローブの下、まさかの白タイツ……! 

 

「はぁ、はぁ……長く辛い戦いでした……」

 

 ただテーブルに服を挟んで出られなくなっただけなのだが、モンスターと一戦やらかした後のように疲れている先輩。

 ローブから露出している肌に、うっすら汗が浮かんでいてエロい。

 

 息を整えた先輩は、俺に向き直った。

 

「ところで一ノ瀬後輩の隣を歩いていた、とても奇抜な格好をした女性は誰デスか? ……どうしました一之瀬後輩? 何やら理解し難いものを見る目でワタシを見て」

 

 黒いローブ来てる先輩が奇抜な格好って言っても説得力がないデース。

 

 しかし遠藤寺と俺の関係か。まあ、親友だよな。かけがえのない唯一の親友。俺あいつとだったら『俺たちずっと親友でいような』みたいなギャルゲーのバッドエンド迎えてもいいと思ってるし。

 

 ここで『友達ですよ』と本当のことを言ってもいいが、そろそろ先輩との仲も深まっただろうし、冗談の一つも許されるだろう。

 女と仲良くなりたいなら、冗談を磨きなって昔近所に住んでた『ほら吹きの銀二』ってオッサンが言ってたし。銀二さん最後に会ったとき『俺な。お星さまになるんだぜ? 誰よりも早く落ちる、一番綺麗なお星さまにな』って冗談いってたけど、今思えば銀二さん完全にヤの付く人だったし、完全に『鉄砲玉』になるって意味にしか聞こえないんだよな……。

 

 さて、冗談ね。どうせ冗談を言うんだから、先輩をめいっぱい驚かせたい。そう思ったらスルリと言葉はでてきた。

 

「彼女ですね」

 

「ほほう、なるほどなるほど――って彼女!? ほ、ほーう……なるほど。か、彼女デスか……へー、そうデスか……はー。あ、いや待って下さい。この間、一ノ瀬君後輩に彼女はいなかったって言ってたじゃない! ……言ってたデスよね?」

 

 さすが先輩。キャラがブレブレだ。

 

「あー、彼女……遠藤寺、俺はえんどりんって呼んでるんですけどね。あいつ、ああ見えてすげぇ恥ずかしがり屋で自分が彼女だってこと内緒にしてくれって言うんですよ。でも、俺と先輩の仲ですから明かしちゃいました。これ禁則事項ですよ?」

 

 俺の冗談は効果てきめんで、先輩は戸惑いを隠せない様子でギュッと自分のローブの胸元を握った。

 口元はひくひくと微動している。

 

「へ、ヘェー……はー……そ、そうデスか。よ、よく秘密を明かしてくれました、う、う……嬉しい、デス、よ。……はぁ」

 

 分かりやすく戸惑っていた先輩だが、深くため息を吐くと何故か回れ右をして先程まで自分が挟まっていたテーブルに潜り込み始めた。

 

「え、どうしたんです先輩? な、なんで出てきたばっかりのテーブルにまた戻ろうと……」

 

「ちょっとその……アレです……カオスゲートに用事が」

 

 そういうと先輩は完全にテーブルの下に潜り込んでしまった。

 

 テーブルのの下に潜り込んだまま、もそもそと体を動かす先輩。次いで携帯の呼び出し音が聞こえた。

 

「……あ、三咲ちゃん? ……い、今大丈夫? ううん? 泣いてないよ……ぐすっ。あのね、お姉ちゃんがこの間言ってた後輩の子ね……うん、そう。な、なんかね……恋人いたんだって……ぅん。うんうん……ふぐっ。ご、ごめんねっ、今度家に連れて行くって約束してたのに……っ、だめなお姉ちゃんでごめん。……ありがとね。三咲ちゃん優しいね。うん、うん……え? えっと……よく分からないけど……あんまり鍛えてるようには見えない、うん。最近ちょっとポチャッとしてきて……うん。え? 真夜中に背後から襲われて対応できるタイプか? ど、どうかな? 分かんないけど……え? た、たぶん背後から頭を思い切り鈍器で殴られたら普通に死んじゃうタイプだと思う……。えっと美咲ちゃん、何かブンブン振る音が聞こえるけど……え? 素振り? 部屋の中で?」 

 

 どうやら例の妹ちゃんに電話をしているようだ。テーブルの下で聞き取れない部分が多いが、このままだと不味い気がする。このままじゃ、バッドエンドに直行しそうな気がする。しかもタイプムーンのゲームとかのバッドエンドに。

 

 慌ててテーブルの下にいる先輩に呼び掛けた。

 

「せ、先輩! ストップ! 嘘ですから!」

 

「……え、嘘?」

 

「はい嘘です! 彼女じゃなくて普通に友達です!」

 

「お友達? 普通の?」

 

 普通かと聞かれると、明らかに普通じゃないタイプの友人だが、ここで先輩を刺激する必要はないだろう。

 

「はい普通です。普通の友達です」

 

「限りなく彼女に近い友達とかじゃなくて?」

 

「限りなく友達に近い友達です。つーか俺、彼女いない歴生まれてからずっと更新中なんで……」

 

「そ、そうなの? へー……そうなんだぁ」

 

 俺の彼女いない暦年齢を聞いた先輩の声は何故か嬉しそうだった。

 人がモテないのを聞いて悦ぶのって人としてどーなの? 先輩愉悦サークルも掛け持ちしてんの?

 

 先輩が再びもそもそと這い出してくる。

 ローブで隠れてよく見えないが、目元が若干赤い気がした。

 

「ただの友達……なの?」

 

「ただの友達です。それ以上でもそれイカでもない」

 

 俺は念押しするように言った。アルフォース○イドラモンはカッコいいね。

 だが、俺の言葉に先輩の口元は「むむぅ」と曖昧な形で歪んでいる。納得していない様子だ。

 

「本当にただの友達? あ、あのね。三咲ちゃん――妹から聞いたんだけど、最近友達って言いながら、その……キスしたり、一緒に寝たりする友達関係もあるんだって……だから、その……」

 

「はぁ? 何すかその得体の知れない友人関係は? どうせ口裂け女みたいに都市伝説の類でしょ」

 

 全く妹にそんなことを吹き込まれて信じちゃうとか先輩ってばチョロイのな。

 そんな俺の理解を超越した友人関係なんて存在するわけないじゃん。

 

 俺はスマホで『キス 友達』と入力して検索してみた。

 

 ――そしたら出るわ出るわ……。

 

 あくまで遊びの感覚で異性とキスする『キス友』、一緒の布団で寝る『寝る友』。そんな情報がネット上に乱舞していた。

 どうやら俺が知らない間に『友達』という概念は随分進化していたらしい。

 

 つーか何これ!? 俺が高校通ってたときこんな羨ましい友達関係なんてなかったぞ!

 くっそ……あと数年遅く生まれていれば……俺にもこんなキス友ができて恋人でもない女の子達と朝のHRちゅっちゅ、お昼休みちゅっちゅ、帰りのHRちゅっちゅ、俺と一緒に帰りたくて下駄箱で待ってた後輩とちゅっちゅ、家で妹とお帰りちゅっちゅ、モニターの中の利根ちゃんと夜戦ちゅっちゅ……そんな素敵なキスマイライフが待ち受けてたのに! あ、最後のは普通にやってたわ。

 

 ……い、いや、待てよ。今からでも遅くないんじゃ……?

 そう、例えばだ。遠藤寺はかなり常識に欠けているところがある。普通に生きてたら絶対知りっこないレアな情報とか知ってたりするけど、反対に子供でも知ってるような当たり前の常識を知らないことが結構ある。

 友達に関してもそうだ。遠藤寺は俺と知り合うまで友達がいなくて、友達関係というものに疎いらしい。たまに友達としてはちょっと刺激ある行為が見られるし。

 そんな遠藤寺に今得たばかりのキス友やら寝る友などの情報を友達の常識と吹き込んだら――これワンチャンあるで!

 

 俺は今しがた思いついた恐ろしい作戦を胸の内に秘めた。もう少し練り込んだ方がいい。今夜の脳内議会はこれだな。

 

 妹ちゃんに吹き込まれた情報に踊らされ落ち着かない様子でそわそわしてる先輩に言った。

 

「何回も言いますけど、普通に友達です。一緒に授業受けたり、昼飯食ったりする普通の友達ですよ」

 

 天才が集められた孤島に連れて行かれて殺人事件に巻き込まれたりもするけどな。

 

「ほ、ほんとに?」

 

「ええ、本当です」

 

「……そっかぁ」

 

 先輩が非常に分かりやすい安堵のため息を吐いた。

 ため息とともにローブの胸元をギュっと握っていた先輩の手が、ゆっくりと開かれた。

 

「もぅ、本当にびっくりしたよぉ……はぁ、本当によかったぁ」

 

 『よかった』を繰り返す先輩。

 そんな先輩をジッと見ていたら、俺の視線に気が付いたのか先輩が「んっん!」と咳払いをした。

 ローブについた埃を叩き落とし、いつもの如く「フッフッフ……」と黒魔術系の笑みを浮かべた。

 

「――まあ、一ノ瀬後輩に恋人がいるなどというのは嘘だと最初から気づいていたのデスが。一ノ瀬後輩のように深い『闇』を抱いた存在が放つ波動に、常人が恋人なんて近い距離にいて正気を保てるはずがありませんからね」

 

「人をワキガみたいに言うのやめてくれません?」

 

「しかし……フム、先ほどの女性、なかなかに興味深い……」

 

 お? こんな所にキマシタワーが生える兆しあり? キマシタワーに百合の花が乱舞しちゃう?

 俺花粉症だけど百合の花だけは大好き! 見るもよし! 嗅ぐもよし! 撮るもよし! 

 

「一ノ瀬後輩の友人となると相当な変人なのでは?」

 

「先輩。話したこともない人間をディスるのやめた方がいいよ」

 

 俺は正論を以って先輩を諭した。

 

「まあ変わってるっちゃあ変わってますけど」

 

「やはり! 一之瀬後輩ほどではないとはいえ、彼女からもかなりの波動を感じました……! 恐らく只者ではないのでしょう……!」

 

 先輩は手に汗握るといった面持ちで口元に笑みを浮かべた。

 

「ワタシの推測では彼女は――代々竜脈を守りし破邪の霊力を生まれ持った巫女」

 

「じゃないですね」

 

「ではこの街に巣食っている魔の物を刈る為にバチカンから派遣されたシスター?」

 

「ノー」

 

「ふーむ。この街に古来より住み着いてる吸血鬼の一族……」

 

「ナイ」

 

「ならば、そう――かつて存在した人外を狩る一族の生き残りで、人間社会に紛れる人外に出会ってはその本性を剥き出しにしてハンティングに耽る殺人鬼……!」

 

 ある意味近い。殺人鬼とかを相手取る方だけど。

 

「いや、SOA(そんなオカルトありえない)ですから。アレですよ。アイツ探偵なんですよ」

 

「ほう探偵デスか! ……へー、そうデスか、なら別にどうでもいいデスー」」

 

 自分の分野じゃないと知るやいなや、先程まであった熱意はどこに行ったか興味を放り出す先輩。これは友達できませんわ。興味なくてもあるふりをするコミュニケーション術って人間関係ではかなり重要なんだぜ? 俺もそれに気づいたの最近だけど。

 

 完全に興味を失ったのか、それ以上遠藤寺に対する追求はなかった。

 

 先輩は何かを思い出したのか、ポンと手を打った。

 

「そうだ、一ノ瀬後輩。今からお暇デスか?」

 

 夜に遠藤寺と飲みに行くから、それまでは暇だな。

 

「ええ、まあ」

 

「では部室に行きましょう。少々、一ノ瀬後輩と共用したい情報がありましてね」

 

 特に拒否する理由もないので、歩き出した先輩についていった。

 先輩の後ろについたことで、先程破けたローブが広がってチャイナ服のスリットみたく太ももが露わになっていることに気づいた。だが俺は指摘することをしなかった。何故かって? それはその……普段露出しない先輩の太ももがじっくり視姦できるいいチャンスだからですが何か? 白タイツに覆われた先輩の太もも……んー、グッド!

 

「ワタシのネットワークに入ってきた情報なんデスが。どうもこの街に人魚の肉を食した少女がいるとか」

 

「人魚の肉? それってアレですよね。不老不死の……」

 

「ほほう、一之瀬後輩、知ってましたか。流石ワタシの見込んだ同志だけありますね」

 

 まあ、高橋留美子の漫画で知ったんですけどね。

 

 しかし人魚の肉か。そんなん手に入ったら、まず近所の麦わら小学生に食わせるね。永遠にロリ、素晴らしいじゃん。ロリは期間限定だから価値があるって意見には同意するけど、永遠のロリも人の夢の一つじゃん? 叶えたくなるじゃん? え、金朋? あれはまた別……。

 

 廊下を歩いていると、向こうから男子生徒が歩いてきた。俺は先輩の後ろからすぐ真横に並んだ。

 

「見た目は和服を着た少女なんデスが、どうもこの街にある昔の写真にちらほらとその姿が確認されており、その頃と今で全く見た目が変わっていないとか……」

 

「へー。写真が残ってるんですか。それは結構信憑性ありますね」

 

「……ところで一ノ瀬後輩。いつの間にか、随分とその……近くはないデスか? 距離が」

 

「そうですか?」

 

 俺は露出した先輩の太ももを隠すような位置にいる。

 言われてみれば少し近すぎる気がしないでもない。

 実際俺の腕に先輩の肩とか当たってるし。でもしょうがない。こうでもしないと他の人間に先輩の大切な部分が見られてしまうからだ。

 

「……まあ、別に構わないのデスが。……いや、一気に距離が近づいて戸惑いはあるけど、むしろウェルカムなんだよね……」

 

「先輩何か言いました?」

 

「いや何も言ってないよ! あ、じゃなかった。……何でもないデスよ。さて、今日はこれからその人魚の肉を食べた少女が生息するらしい場所を訪ねるつもりなんデスが……一ノ瀬後輩も一緒にどうデス?」

 

 先輩とフィールドワークかー。

 先輩の格好を見る。真っ黒なローブを頭まですっぽり被った格好。

 

「ちなみにですけど。その格好で行くんですか?」

 

「えっ? あ……ダメ、デスか?」

 

 先輩の声に不安が混じった。

 考えてみる。先輩と並んで外を歩く光景を。

 恐らくは間違いなく周囲の視線に晒されるだろう。先輩は顔を隠しているからしい。だが俺は完全にメンを晒さなければならない。色々な意味で苦しい。

 

 けど……まあいいか。先輩がこの格好にこだわるのには何か意味があるんだろうし、それを尊重したい。

 そもそも、ゴスロリファッションが私服の遠藤寺としょっちゅう街中を歩いている。奇異の視線に晒されるのは慣れたものだ。

 

「いいですよ。行きましょうか」

 

「……本当に? この格好デスよ?」

 

「だからいいですって。先輩はその格好で行きたいんでしょ?」

 

「……」

 

 先輩はジッと俺の顔を見た。ローブで見えない筈の先輩の目から、今まで感じたことのない感情が伝わってきた気がした。

 

「ありがとうね」

 

 先輩の口から、作った声ではない幼さを残した少女の声が発せられた。

 

 先輩が咳払いをする。

 

「フフフ……! では行きましょうか一ノ瀬後輩! 目的の場所に行く前に、部室に行きますよ」

 

「え、なんでですか?」

 

「何を言っているのデスか。まさか一ノ瀬後輩はその格好で外に出る気デスか? 忘れているかもしれないデスが、我々は闇に生きる者、その正体を知られてはならないのデス」

 

「つまり?」

 

「今日この日の為に、ワタシが自ら魔力を込めて……『闇探求セシ骸』の正式装備、この『闇の衣』を作っていたのデス! 一ノ瀬後輩の分を!」

 

「え」

 

 妙にウキウキモードに入った先輩にノーとは言えず、俺は部室へと連行された。

 

 この日、この街に存在する変態番付が更新されたのだが、俺がその番付の存在を知るのはまだ先の話だ。



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これが――俺の縮地力?(遂に手に入れた力。斬ったものを万物問わず任意の距離を一瞬で移動させる――縮地刀《マタタキ》)

ある日の午後。

 

 食堂でエリザが作った弁当を食べ終わった俺は、その足で自宅への帰路についていた。

 

 午後からも授業はある。……が、どうにも出席する気にならなかった。

 

 やる気の問題だ。

 

 今日は何となくやる気が午前中までしか維持できなかったのだ。

 

 

 午後までやる気が維持できなかった要因は色々ある。

 

 いつも飴くれる小学生が風邪ひいてて飴貰えなかったり、通学中に肉屋のオッサンが小学校の前でにやけているのを目撃したり、午前中は遠藤寺と違う授業で遠藤寺と会えなかったり、1人で昼食を摂ることになったり……と色々あるが、一番大きいのは、朝に大家さんと会えなかったことだ。

 

 

 朝、学校に行く前に大家さんとお喋りするのは俺にとってやる気を充電する重要な機会なのだ。

 

 可愛らしい大家さんの溌剌とした(それでいてあざとい)仕草や言葉を味わうとそれだけで来世分まで生きる気力が湧く気がする。

 

 そんな大家さんとのグッドコミニュケーションがなかったのだ。

 

 それだけで午後の授業に挑むやる気は失われてしまった。

 

 

 そういう日は早々に帰るに限る。

 

 

「それに大学生ってサボってなんぼってところあるしな」

 

 

 サボっていることにまだ罪悪感を覚えているのか、自然と自己弁護の言葉が出てきた。

 

 これで開き直るようになれば、もう立派なサボリ常習者だ。

 

 まだ言い訳をしている時点で、俺は大丈夫……のはず。心の底から常習者になれば罪悪感なんて覚えてないはず。

 

 

 実際たまにしかサボってないし……。『テストだけ出れば余裕っしょ』とか言って最初の授業以来1度も出席していない頭の悪そうな奴に比べれば……。ああ……でもどうなんだろ。イカちゃんは1回でも授業をサボるような奴、嫌いかなぁ……。だったら嫌われたくないし、今からでも皆勤賞狙うけども。でもぶっちゃけイカちゃんって漫画のキャラで現実には存在……イカンイカン! それを考えちゃイカん! 

 

 

 二次元愛好家にとって至ってはいけない結論にたどり着こうとした思考を、頭をぶんぶん振ることで追い出す。

 

 イカちゃんはいる。まだ俺の前に現れていないだけで、この広い海のどこかにいるんだ。いいね。

 

 そういえば最近イカちゃんのこと考えるのが少なくなってきた気がする。

 

 代わりに遠藤寺とかエリザとか先輩とか、身近な人のことを考えるのが多くなってきた。

 

 これっていいことなんだろうか。

 

 

 それはそれとして、遠藤寺にLINEでメッセージを送る。

 

 

『午後からの授業サボサボするので、代返よろしくお願い』

 

 

 という文章を打ちながら歩く。

 

 授業中のはずだが、遠藤寺からの返事はすぐに帰ってきた。

 

 

『了解です。一応聞いておきますが、授業に来ない理由はなんですか? 体調でも崩しましたか?』

 

 

 遠藤寺はメールやLINEだと普通の敬語で正直戸惑う。

 

 最初返事が来たとき、業者からのメールと思って消去しかけたくらいだ。

 

 何となく気分が乗らないので、と返信。

 

 

『そうですか。あまり褒められた理由ではありませんね。できればそういった理由で授業に来ないのは控えて欲しいと思います。それに1人で授業を受けるのは正直退屈です。隣に君がいるとそれだけで退屈な授業もそれなりに楽しいと思えます。明日はちゃんと来てくださいね』

 

 

「……」

 

 

 正直リアクションに困る内容だ。

 

 隣に俺がいた方が楽しいって言うけど、一緒に授業受けててもアイツ真面目に授業聞くだけで俺と雑談するわけでもないし……。

 

 

 LINEの画面を睨みつけるように歩いていると、突然

 

 

「そこのおにーさん」

 

 

 と声をかけられた。

 

 いきなりかけられた声に、スマホから視線を上げ声の主を見る。

 

 ポニーテールが似合うジャージ少女が、ランニング状態で足を止め、こちらを見ていた。

 

 こちらを諭すような表情。

 

 周りを見るが、俺以外に人はいない。

 

 俺に話しかけているのか。

 

 少女は俺の手元を指差した。

 

 

「歩きスマホは危ないからやめた方がいいよ」

 

 

 どうやら歩きスマホを注意されたらしい。

 

 高校生くらいだろうか。見知らぬ相手を注意するのは相当勇気がいる行為だろうに、それも年上相手に。

 

 気持ちのいい正義感。素直に好感を持った。

 

 スマホをポケットに入れ、頭を下げる。

 

 

「そうだな危ないしな。ありがとう注意してくれて」

 

 

 俺が素直に謝罪とお礼を述べると、ジャージ少女はニンマリと満足げな笑みを浮かべた。

 

 歯並びのいい白い歯が太陽に照らされてキラリと光った。

 

 あの歯で手首の出っ張ったところアマガミされてぇ……そんな欲求が生まれたが、それを表に出すとポリ公がカミングスーンなので、心の奥に閉まった。

 

 

「ん! じゃあねおにーさん!」

 

 

 少女は元気の篭った声でそう言い、ポニーテールを揺らしながら走り去っていった。

 

 汗の混じった残り香が風に運ばれてきた。

 

 

「スポーツ少女か……いいな」

 

 

 自分の中に無かった新たな嗜好が生まれるのを感じた。

 

 中学高校と部活に縁のなかった俺にとって、初めてのタイプだ。

 

 何だかよく分からんが……いい。

 

 よし、今日の脳内議会には『スポーツ少女萌え』を議題にあげよう。あまり白熱し過ぎて『谷○子のどこに萌えを感じるか』みたいな議題までいかないように、俺が調整しなければならない。これ理性担当の辛いところね。

 

 

 しかし、あのジャージ少女、どこか引っかかる。会ったことがないはずだけど、何故か覚えがあるというか……。

 

 それにあの顔。誰かの面影を感じてしまう。

 

 多分気のせいだろうし「君、どこかで会ったことない?」なんてナンパ王道セリフを吐いたら、それこそポリ公のお世話になってしまうだろう。

 

 2度と会うこともないだろうし、気にすることもないか。

 

 

 そんなことを考えながら、スマホを取り出し、遠藤寺に伝言を送る。

 

 

『いつも代返ありがとう。お前にLOVE☆ズッキュン!』

 

 

 スポーツ少女と出会って若干テンションが上がったのか、文面も少々ノリ気味だ。

 

 

 このときの俺は気づかなかった。メールの宛先が間違っていたことに。

 

 遠藤寺ではなく――雪菜ちゃんにメールを送っていたことに。このことに気づくのは、もう少し後の話だ。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 夏になり厳しくなってきた暑さを避けるように影を歩き、やっとこさアパートに辿り着いた。

 

 汗で服が張り付いて不快に感じる。

 

 

 まだ本格的な夏にもなっていないのに、この暑さは正直しんどい。

 

 夏本番になったら、俺は一体どうなってしまうのだろうか。

 

 溶けてバターになってしまうかも……まあ、その時はそこそこ高級な食パンに塗られて、できることなら大家さんに食べられたいね。

 

 

 食べられるで思い出したけどこの間、ビルくらいの大きさになった大家さんに丸呑みされる夢を見たんだけど……俺大丈夫かな。夢って人間の深層心理とか表すらしいけど、そんな夢を見る俺ってどうなんだろうか。

 

 

 何はともあれ大家さんだ。朝補給できなかった大家さん成分を補給しなければならない。

 

 今の俺には早さよりも何よりも大家さんが足りない。足りないで思い出したけど、ボク達には野菜が足りないってラノベが昔あったね。全然関係ない話だね。

 

 

 アパートの門をくぐり、周囲を見渡す。感覚を鋭敏にして、大家さんの痕跡を探す。気分は○ィッチャーだ。

 

 だがこの時間に庭を掃いていることが多い大家さんの姿は……なかった。

 

 大家さん特有の向日葵のような匂いの残滓も感じない。

 

 

「はぁ……」

 

 

 可愛いジャージ少女との遭遇で若干満たされたやる気が、一瞬で底をついてしまった。

 

 今日は大家さんと会えない日らしい。憂鬱だ。

 

 

 肩を落としながら庭を突っ切り部屋に向かう。

 

 

 庭を突っ切る際、大家さん手作り家庭菜園とかなり大きめの池を通る。

 

 

 この池、かなり大きく長さが10メートルほどある。そんな巨大な池がある庭はどれだけデカいんだよとか、これ絶対最初の方の描写より庭でかくなってるだろといった突っ込みが入ると思いますが気にしないで欲しい。彼岸〇に比べたら可愛いもんだろ。

 

 

 その池の側と通る際、妙なことに気づいた。池の水面が揺れている。風も吹いていないのに。

 

 少し気になって池に近づいた。

 

 

「ん?」

 

 

 岩でできた池の囲いに足をかけ水面を観察していると、水中に小さな黒い影が見えた。

 

 影は徐々にその面積を増やしていく。

 

 何かが浮き上がってきているのだ。

 

 

「なんだ?」

 

 

 観察を続ける。

 

 影は結構な大きさになり――ザバっと音を立てて水面を突き破った。

 

 

「――ぷはぁ! やりました! 私の勝ちですねっ!」

 

 

 何かが喋りながら水面から現れたので、あ、これ斧落としたら金銀パールの斧とかにして返してくれる系の女神だわって思った。

 

 女神はスクール水着を着ていた。脇を恥ずかしげもなく露にして、右手を突き上げていた。

 

 

「これで28戦14勝13敗1引き分け――ふっふっふ、まだまだ私もいけますね! ブーちゃん、貴方の敗因は一つ、魚介類ということにあぐらをかいていたことです! 人類舐めとったらいかんですよー!」

 

 

 勝利の笑みを浮かべていた女神は、水面を心なしからしょんぼりしながら泳ぐ背びれに向かって言った。ブラックバスだろうか。

 

 女神は架空のカメラと観客に向かってダブルピースをしている。

 

 

「はい、ダメかと思いました。でも応援してくれてるみんながいたから、頑張れました! ちょうきもちいい!」

 

 

 そして架空の勝利インタビューらしき行為。

 

 事情はよく分からないが、何か勝負のようなものに勝ったらしい。

 

 

 で、よくよく見たら池の中から女神は……スクール水着を着た大家さんだった。まあ女神には違いないわな。

 

 普段は和服を着ていて滅多に露出しない肩やら脇が丸見えで、俺は喜びと賞賛を表すように親指を立てた。ついでに軽く写メった。

 

 

 満足するまで写メったので、学校の池で飼っている亀に餌をやるポジションで、大家さんに声をかけた。

 

 

「どうも大家さん」

 

 

「へ? この声は……一ノ瀬さんですか? ドーモ。イチノセ=サン、オオヤサン=サンです」

 

 

「どーもオオヤサン=サン、イチノセ=サンです」

 

 

 俺は陸から、大家さんは水の中から挨拶をした。

 

 挨拶は大切だ。挨拶をしない人間はクズといってもいい。

 

 

「で、何やってるんですか大家さん」

 

 

「やーですねぇ、見て分かりませんか? 泳いでるんですよー。いやー、例年通りなら我が家の池開きはまだまだ先なんですけどねー。ほら、最近暑いじゃないですか。というわけでいつもより早く池開きです!」

 

 

 池開きなる行為が何か分からないが……確かに最近は暑い。日中もそうだが、夜ともなると日本特有のじめっぽい暑さが部屋に蔓延する。

 

 我が部屋にはエアコンなんて高度な文明の利器はない。ではどうやってその暑さを乗り越えるかというと……秘密だ。だがヒント一つだけあげるなら――ネクストタツミズヒント! 『エリザの体温は低い』これだ。発達した幽霊の体温はエアコンと変わらない……何言ってんだ俺。

 

 

「そうだっ、一ノ瀬さんも一緒に泳ぎませんかー? 冷たくって気持ちいいですよー」

 

 

 水面から首だけを出していた大家さんが、岩で作った池の囲いに上半身を乗り出しつつ言った。

 

 アシカショーのアシカみたいだ。

 

 そのままオイデオイデと手招きをしてくる。

 

 

 対する俺はちょっと及び腰。

 

 

「いや、流石に何がいるか分からない池の中に入るのはちょっと……」

 

 

「えー? だいじょーぶですよ! この池に住んでるのは優しいお魚ちゃんや蛙さんや水棲昆虫、可愛いワニちゃんなので、安全ですよー?」

 

 

「明らかに生態系ぶっ壊してんのがいるんですけど」

 

 

 ワニって言ったか? ワニなんてグレネード食わせて爆殺されるイメージしかないけど……実際はマジでヤバイんだよな。何か嚙む力が生物の中で一番凄くて、2トンとかあるとか……。美○蛮さんのざっと10倍だ。そんなヤバイ生き物がいる池とか、マジで穏やかじゃないわね……。

 

 

「さあさあ、遠慮せずに。あ、もしかして一ノ瀬さんって金槌だったりします? だったら私が泳ぎ方教えてあげますよっ。私こう見えて泳ぐのすっごい上手いんですから! 学生の頃、おてんば人魚ってあだ名つけられてましたからっ」

 

 

 電気属性に弱そうなあだ名だ。

 

 

「いいえ、俺は遠慮しときます」

 

 

「まあまあそう言わずに。ザバンと入っちゃいましょうよ。流石にそのまま入ると危ないので、水着に着替えてからですけど。あ、でも……下着でも大丈夫かも……な、なんちゃって!」

 

 

「ですからパスで」

 

 

「あ、もしかして溺れたりするの心配してます? だいじょーぶです! 私、こう見えて水難救助の資格も持ってますから!」

 

 

「いいですって」

 

 

 繰り返し否定する俺に、流石に何かおかしいと気づいたらしい。

 

 

「……あ、あの一ノ瀬さん? さっきからなんか、こう……距離を感じるんですけど」

 

 

「いやぁ、気のせいじゃないですかね」

 

 

「で、でも何ていうか……私を見る目が何やら痛い子を見る目なんですけど」

 

 

 隠していたつもりだが、俺の視線は思っていた以上に素直らしい。

 

 正直に言うと俺は、若干大家さんに対してひいていた。

 

 想像して欲しい。もし貴方が学生で憧れの先輩がいて、ある日その先輩が学校の池でザバザバ泳いでいるのを目撃したらどう思う? ブラックバスと競争して。しかも超楽しそうに。まず間違いなく距離を置くだろう。 

 

 もしここがプールなら、ジュニアアイドルのイメージPVみたいに健全かつさぞ魅力的な光景だろう。だがここは池だ。藻とか浮いてるし、大家さんの言葉が正しいなら、夢の水棲生物王国状態だ。

 

 

 大家さんは俺の態度に違和感を覚えたのか首を傾げ、腕を組んで何やら考え込んだ。

 

 そして徐々にその顔を真っ青にした。

 

 

「い、いや……まさか。――あ、あのー……た、例えばですよ? 例えばの話なんですけど! 自分の敷地内にある池で泳いでる女の子がいたとして、一ノ瀬さんはその子を見てどんな感想を抱きます?」

 

 

「やべえ奴がいるぞって思います」

 

 

「マジですか!? ヤベエですか!? な、なんでですか? あ、じゃあアレは!? 家の庭でビニールプールで遊んでる子供は!?」

 

 

「可愛いと思いますね。もし大家さんがビニールプールで水遊びしてたら、さぞ魅力的に映るでしょう」

 

 

「池なら!?」

 

 

「正直ひく」

 

 

「うわあああ!」

 

 

 大家さんが悲鳴をあげた。悲鳴が水面を揺らす。

 

 

「うわぁぁぁん! 一ノ瀬さんにひかれたぁ! 嫌われたぁ!」

 

 

 立ち泳ぎをしながら涙を流す大家さん。なかなかにシュールな光景だ。

 

 

 とか観察してる場合じゃねえ!

 

 

「ちょ、大家さん!? そんな大きな声で泣かないで下さい!」

 

 

「そりゃ泣きますよ! 良い年してワンワン泣きますよ! よくよく考えてみたら、家にある池で泳いでたら私だってドン引きですよ! 昔から泳いでたから疑問とか無かったですけど、これよく考えたらかなり変な子じゃないですか!? 池で泳ぐとか! 好感度が流れ去っていきますよ! 池だけに! うわぁぁぁぁぁん! 自分で言ってて全然上手くないよぉぉぉっ」

 

 

 ボロボロ涙を流す大家さん。

 

 大家さんの涙で池の嵩が増えたように錯覚してしまう。

 

 

 ヤバイ。何がヤバイってこの光景を見られたら俺がヤバイ。

 

 大家さんを泣かせてる時点でかなりギルティーなのに、傍から見るとこれ俺が大家さんと突き落として泣かしたように見えるんじゃないだろうか。

 

 実際は大家さんが自主的に泳いでたんだけど、事実が捻じ曲がるなんて珍しくもないもんな。アニメ化における○ュッケバインとか。

 

 

「サブヒロインは嫌だ……実質メインヒロインの10分の1くらいしかルートがないヒロインは嫌だ……」

 

 

 何やら意味不明なことを言いつつ、目からハイライトを消し体を掻き抱く大家さん。

 

 ここで俺の好奇心が爆発して『滑りだぁぁぁい!』と某帽子のように叫びだしそうになったが、何とか抑えることができた。

 

 

 俺はなんとか大家さんを泣き止ませようとした。

 

 

「だ、大丈夫ですって! さ、下がってませんから! むしろ上がってますよ! ほ、ほら……池で泳いじゃうとかマジでワイルドですよ! 可愛い大家さんにワイルド感が合わさって最強ですよ!」

 

 

「……ほ、ほんとですか? 嫌いになってませんか? 魚臭いんだよこの半漁ZINが、とか思ってませんか?」

 

 

「何言ってるんですか。俺が大家さんのことを嫌いになるなんて……絶対ありませんよ。例え何があっても」

 

 

 俺は本心で答えた。

 

 確かに池で泳いじゃう大家さんには若干ひいたが、それで大家さんを嫌いになるわけない。

 

 それに俺、モビルスーツの中じゃゴッグとか好きだしな。ジオン水泳部最高!

 

 

「い、い……」

 

 

 大家さんが顔を伏せた。

 

 ぷるぷると震えている。水中、ぷるぷる震えている……これは……俺の想像が正しければ……今すぐ池に飛び込むべきじゃなイカ!?

 

 心の中のナポレオンが『ハイニョーシルバー!』と勢いよく叫んでいる。

 

 ワニに嚙まれて命を失うリスクよりも圧倒的なリターンがある。その可能性だけで十分だった。

 

 よし飛び込むか!

 

 

 しかし俺の想像した行為(いわゆるCC。シーシーと読む)とは違ったようで、顔をあげた大家さんは何やら感極まった顔をしていた。

 

 どうも感動で震えていたらしい。

 

 

「い、いちのせさん……わ、私……嬉しいです……! 一ノ瀬さぁん!」

 

 

「ちょ、おまっ……!」

 

 

 感極まった大家さんが俺の脚にしがみ付いて来た。

 

 体がバランスを崩しそうになる。これがゾンビなら喜んでサッカボールキックをお見舞いするのだが、相手は大家さんだ。そういうわけにはいかない。

 

 

「トキメキました! チョロインって言われてもいいです……! 私、今の言葉嬉しかったです……! キュンキュンしましたっ」

 

 

 体の密着度を高めるように深くしがみついてくる大家さん。

 

 最近エリザのご飯はおいしいし、春だから食が進むしで、体が緩みきった俺はそれに耐えることができず……池に落ちてしまった。

 

 水の中で特徴的なヒレと牙が目立つB級映画に引っ張りだこの生物らしき何かと目が合い、慌てて水面に顔を出す。

 

 同じように水面から顔を出している大家さんが目の前にいた。

 

 

「ぶはぁ!? 大家さんマジで勘弁して下さいよ! ていうか今さっきサメ……!」

 

 

「ご、ごめんなさい。つ、つい一ノ瀬さんの言葉が嬉しくて……ゆ、許してニャン?」

 

 

 クソが! 可愛いから許しちゃう!

 

 

 1度池に飛び込んでみると冷たくて気持ちいいし、スク水の大家さんが近くにいるしで、結局泳いでしまった。

 

 結果オーライってやつだな。

 

 でも、防水スマホがちょっと壊れて画像が全部吹っ飛んでたのはショック。これはもう大家さんに責任を追求するという名目で撮影会を開くしかないな……。

 

 

 

■■■

 

 

「あははー。2人ともびしょびしょですねー」

 

 

 池から上がった俺たちは、大家さんの部屋に向かっていた。体を拭いてくれるらしい。

 

 俺は部屋で着替えるからいいと言ったが、大家さんがどうしてもと聞かなかったのだ。

 

 池に引きずり込んだ責任を感じているのだろうか。

 

 

「先にちょっと着替えてくるんで、そこで待ってて下さいねー」

 

 

 大家さんの部屋に案内されて、指示通り敷かれたタオルの上に座る。

 

 大家さんはというと、部屋の中にある大きなクローゼットの中に入ってしまった。

 

 クローゼットの中から、ごそごそ衣擦れの音が聞こえる。どうやら中で着替えているらしい。

 

 大家さんがスク水を脱ぐところを想像して、興奮よりも寂しさを覚えてしまった。もう大家さんのスク水は見られないと思うと、悲しい。大家さんのスク水の似合いっぷりたるや、彼女の為にスク水が生まれたのではないかと錯覚してしまうほど。恐らくはスク水を司る系の神にそれはもう愛されているのだろう。

 

 

「あっ、これその辺に置いといてもらえますか?」

 

 

 とクローゼットの中から大家さんの手だけが出てきた。手には先程まで着ていたスク水が握られている。

 

 慌てて受け取る。

 

 当然ながら湿っている。だがそれでいて温かい。大家さんの残滓を感じる。

 

 スク水を持っていた手が引っ込んだ。そのままゴソゴソ音が再開された。

 

 今大家さんは全裸……いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない。

 

 

「ゴクリ……」

 

 

 生唾を飲み込みながら、自分の手にあるスク水を見つめる。

 

 なんてこった……。まさかこんな風にして大家さんの脱ぎたてのスク水を手にすることになるとは。こんなイベント死海文書にも書いてなかったぞ?

 

 俺の人生でこの先、大家さんの脱ぎたてスク水を手にするなんてイベントが起こるだろうか。いや起こるまいよ。

 

 自分の中で悪の部分がむくむく成長しているのを感じる。

 

 

 成長した悪はこう囁いた『選べ!』と。

 

 

 

 

・貰う

 

・ギる

 

・頂く

 

・ゲットする

 

・受け賜る

 

・拝借する

 

・パクる

 

 

 

 脳内にそんな選択肢が浮かんだ。黙って返すという選択肢はないらしい。

 

 だが脳内議会でも全開一致でパクる方向で進んでいる。理性である俺はそれを止めなければならないのだけど……現物が自分の手にあるという誘惑には勝てなかった。『しょうがないよ。辰巳君は悪くない、うん』よし。脳内エリザからも許可が出たことだし、戴いてしまおう。

 

 

 だがどうする? このまま懐に収めたところで、無くなったことに気づいた大家さんにすぐバレるだろう。

 

 そして速やかに通報……はないか。だが、少なくとも大家さんの好感度は下がってしまう。

 

 

 方法はないか。例えばそう……他に代替品があれば……。

 

 代替品? そうだ!

 

 

「思い……出した……」

 

 

 俺の脳内に過去の記憶が蘇った。メタ(具体)的に言えば10話の記憶を。

 

 あの日、大家さんから大量にエリザの服を貰った。そしてあの中に――

 

 

 俺は大家さんに気づかれないようにこっそり部屋を出て、猛ダッシュで自分の部屋に帰った。

 

 タックルする勢いで部屋に飛び込む。

 

 

「辰巳君おかえりなさーい――そして行ってらっしゃい!?」

 

 

 部屋に入るやいなや、俺が帰ってくるタイミングを見計らっていたのか玄関にいたエリザの脇を通り抜け、秘密の小部屋からスク水を回収した。

 

 そのまま速攻で大家さんの部屋に戻る。

 

 

 そして……今持って来たスク水と脱ぎ立てのスク水を……すり替える!

 

 それを鞄に仕舞う!

 

 

「――ミッションコンプリート」

 

 

 ほぼ無呼吸で部屋を往復したので、息が苦しい。

 

 だが俺はやり遂げた……俺はやり遂げたのだろうか……?

 

 鞄の中には確かにスク水の重みがあった。どうやら本当に成功したらしい。

 

 

 大家さん3種の神器の1つ『脱ぎたてスクール水着』を手に入れた――!

 

 

 やったぜ! あと2種類を手に入れた暁には、晴れて大家さんに求婚を申し込めるとか……!

 

 

 喜びの余り脳内ポイズンベリー状態の俺がガッツポーズを取っていると、クローゼットがパタンと開いて、和服に着替えた大家さんが出てきた。

 

 

「はいはーい。お待たせしましたー。いつもの大家さんですよー……ってどうしました一ノ瀬さん? ガッツポーズなんかして」

 

 

「はぁ!? な、なにがですかぁ!? どこからどう見てもいつもの一ノ瀬辰巳ですけど!? 普通の大学に通ってるんですけど!?」

 

 

「お、落ち着いて下さいよ一ノ瀬さん」

 

 

 人生最大のイベントをクリアした俺の内心は未だ興奮冷めやらない。

 

 普通ではない俺の様子に大家さんが戸惑っているのか首を傾げたまま、タオルを手にして俺の背後に回った。

 

 

「と、とにかく体拭きますから……なんかさっきよりも濡れてませんか?」

 

 

「き、気のせいですよ」

 

 

「まるで全力疾走と後ろめたいことを同時に行ったような冷や汗が……」

 

 

 この時以上に『気のせい』という言葉を多用する日は、2度と訪れないだろう……。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

「ささ、一ノ瀬さん。タオルで拭きますねー」

 

 

 タオルを渡してもらえば自分で拭くと言ったが、聞き入れられなかった。お詫びのつもりとのこと。

 

 されるがままに体を拭かれる。

 

 小さな体で一生懸命俺のの体を拭く大家さん。

 

 他人に体を拭かれるのなんて久しぶりだ。

 

 昔、学校帰りの大雨に降られて泣きながら帰ったら、ぶつくさ言いながらも体を拭いてくれた母親を思い出した。

 

 

 体を拭かれながら、大家さんの部屋を眺める。

 

 俺の部屋と同じ間取りの6畳の部屋だ。先ほどのクローゼット以外に、丸テーブル、化粧台、テレビ……とどこにでもある女性の1人部屋。

 

 が、そのどこにでもある部屋、俺の部屋だとただの壁に当たる部分に――引き戸がある。

 

 引き戸の先は……隣の部屋だ。

 

 何と大家さん、大家権限で隣の部屋との壁をぶち抜いて使用しているのだ。ついでに言うと隣の部屋にも同じような扉がある。つまり3部屋を繋げているってことだ。

 

 隣の部屋は超デカイモニターが鎮座しており、それを囲むように○ァミコンから最新ゲーム機が置いてあるゲーム部屋。

 

 その隣の部屋は、天井まで届く巨大な本棚がみっちり詰まった漫画部屋だ。

 

 

 初めて大家さんの部屋に上がって、俺がゲームや漫画を好きって話をしたらもじもじ恥ずかしそうにしながら、その部屋を見せてくれた。

 

 大家さんと同じ趣味があって嬉しいと思うより、自分より圧倒的に上を行くその趣味のコレクション率に敗北感を感じたのは懐かしい。

 

 

「それにしてもアレですねー。時間が経つのは早いですねー」

 

 

 大家さんが体を拭きながら言った。

 

 俺は頷いた。

 

 

「ですね。もうここに越してきて3か月ですか」

 

 

「ええ。あっという間でしたねー」

 

 

 大家さんの言う通り。この3か月はあっという間だった。俺の人生で最も濃い3か月だった。

 

 大家さんと出会ってこのアパートで初めて1人暮らしを始めて、大学で遠藤寺に出会って、デス子先輩のサークルに入って……それからエリザと出会った。自分が1人暮らしだと思っていた1ヶ月間は実はエリザとの2人暮らしだと知って、それから2ヶ月。

 

 何が驚きって色んなことがあったわりにはまだ3ヵ月しか経ってないんだよな。○イの大冒険と同じくらいの時間しか経ってないとか……。

 

 

「一ノ瀬さんと初めて会ってからもう3ヵ月も経ったんですねー」

 

 

「初めてといえば、あの日大家さん庭で寝てましたね」

 

 

「……うっ。お、覚えてましたか……だ、だってあの日、すっごく暖かったですもん!」

 

 

 はっきりと覚えている。

 

 それくらい鮮烈な記憶だった。ロリ大家さんなんて漫画くらいでしか見たことが無い生き物に、初めて出会ったのだから。

 

 

 眠っていたことを指摘された恥ずかしさを誤魔化すように、大家さんが咳払いをした。

 

 

「そ、それにしてもですね。最初に一ノ瀬さんを見たときは、すっごく驚きましたよー」

 

 

「驚いた?」

 

 

「はい、それはもう。何せあの私が考えた空想のキャラであるジャイス――げふんげふん! い、いやアレです。えっと……そうです! そうですよ! 春なのにマフラーをしてる一ノ瀬さんを見て凄く驚いたんですよ!」

 

 

 途中『あ、やべえ』みたい口調になった大家さんだが、苦し紛れに証拠を突きつけるなるほ〇君のように俺のマフラーを話題に出した。。

 

 

 マフラー? 

 

 

 ……あ、俺ってそういえばマフラーしてたんだっけ。そうだよ。 

 

 何か俺自身うっかり忘れてたし、殆どの人が忘れたと思うけど……マフラーしてたんだった。やべー……自分のことながら完全に忘れてた。こんなんじゃイラスト化した時に『なに勝手にアクセサリー増やしてんだよ! 原作じゃこんなんなかった』って原作厨のラッシュをお見舞いされるところだった。ついでに言うと眼鏡もしてるんだよな。

 

 今更だが俺やべーな。メガネにマフラーとか、滅茶苦茶キャラ立ち過ぎじゃね? こりゃヒロインを差し置いてフュギュア化待ったなしだな。その際はマフラーは勿論、流○馬みたく盛大にたなびいたデザインにして欲しい。

 

 

 それにしてもこのマフラー、着けているのを忘れるくらい付け心地に違和感がないんだよな。

 

 服はまだじっとり湿ってるのに、マフラーは完全に乾いてるし。

 

 

 でも春なのにマフラーってやっぱり変なのかね。

 

 

「やっぱりこのマフラー気になります?」

 

 

「ええそれはもう。だって一ノ瀬さん、ずぅっとそれ着けてるじゃないですか。暑くないんですか?」

 

 

 暑いか暑くないかでいうと、そりゃ暑い。

 

 風通しのいい素材で作ってくれたからか、この季節にしてはそこまで汗をかかないが……暑いものは暑い。

 

 だが外そうと思っても外せないのだ。

 

 恐らくはこれを編んだ雪菜ちゃんの呪いがかかっているのだろう。呪いなんて信じていなかった俺だが、幽霊がいると分かった今はありえる話だと思っている。

 

 

「もう慣れましたから」

 

 

「そうですかー。でも……似合ってますよ。それがあるお陰で、遠くからでも一ノ瀬さんが分かりますから」

 

 

「あはは、ありがとうございます」

 

 

「個人的にはバスターソードとかも似合うと思うんですけど……どうです?」

 

 

「何が?」

 

 

 マフラーの話から、何でバスターソードの話になるんだろうか。

 

 大家さんは悔しそうな声で「惜しかった……! もう少し上手いことやれば、一ノ瀬さんジャイス化計画が進展していたのに……!」と意味不明なことを言っている。

 

 

 大家さんに頭を拭かれている時に気づいたが、このタオル大家さんの匂いがする。

 

 もしかすると大家さんが体を拭いたタオルなのかもしれない。

 

 普通だったら、自分を拭いたタオルを使いまわすなよと怒るべき場面だろうが、俺にとってはGOHOUBI以外のなにものでもなかった。なんだったらタオルだけでなく、大家さんが使った箸や歯ブラシを使いまわしてもいい。というかお願いしたい。

 

 

「それにしても、最近の一ノ瀬さんは楽しそうでいいですねー」

 

 

 脈絡なくそんなことを言われたので俺は「へ?」と間の抜けた声で返してしまった。

 

 

「楽しそう、ですか?」

 

 

「はいー。毎日が充実してるっていうか……いわゆるリア充? みたいな?」

 

 

「リア充って俺には縁遠過ぎる言葉なんすけど……」

 

 

 生まれて初めて言われた。

 

 が、今の生活が充実しているかそうでないかと聞かれると……かなり充実している。

 

 

 大学に入る前の生活が無味乾燥じみた心が動かないものだっただけに、今の生活は毎日がキラキラ輝いている。

 

 朝起きてエリザとご飯を食べて、大家さんに見送られて、学校で遠藤寺と授業を受けてデス子先輩とサークル活動をする。帰ったら大家さんが迎えてくれて、エリザの作った夕食を食べる。

 

 これといって大きなイベントのない日々だが……楽しい。毎日心が動くのを感じる。

 

 大家さんに言われたことで自覚した。今の生活は楽しい。

 

 

 大家さんがクスクス笑いながら、続けた。

 

 

「初めて会った頃と比べると大違いですよ。特に目がキラキラしてます。」

 

 

「目、ですか?」

 

 

「はいー。初めて会った一ノ瀬さんの目は、こうなんていうか……えっと……」

 

 

 大家さんが口淀んだ。

 

 思い当たる節があったので、言ってみる。

 

 

「金魚すくいで最後まで底の方に残っちゃう金魚みたいな目、ですか?」

 

 

「あ、それ! それですそれ! ……あっ、いや……そ、そうではなく。そ、そうです! こう、何ていうか、繰り返し同じ漫画を読んでるみたいなつまらなそうな目です、はい!」

 

 

 途中フォローする発言が入ったが、どうやら金魚の目は正解らしい。

 

 これ、昔、雪菜ちゃんに言われた言葉なんだよな。雪菜ちゃんって基本的に俺に対してキツイこと言って楽しんでるところがあるから、この言葉も本気にはしてなかったんだけど……大家さんに言われた以上、間違ってはいないらしい。

 

 

 実際、今の生活を送るまで俺の人生は正直かなりつまらないものだった。

 

 普通の小学校生活を経て、退屈とはいえないが辛い中学生活。それから灰色の止まったような時間の高校生活。

 

 一番多感な時期である中学生の頃の記憶は辛い記憶しかなく、高校生活の記憶は恐ろしいほど残っていない。

 

 だが今は違う。毎日の生活が色濃く、新鮮で温かい記憶が蓄積されている。

 

 それもこれも周囲にいる人間のお陰だろう。

 

 

「やっぱりアレですか? 大学生活が楽しいからですか? あ、そうだ! お友達は増えました?」

 

 

「いや、ずっと友達は1人だけですね。でも、まあ……いい奴ですよ。一緒にいて楽しいし」

 

 

 初めて遠藤寺と友達になった日、そのことを大家さんに報告するととても喜んでくれた。

 

 その後、一向に友達が増えない俺に対して色々助言はくれたものの、今のところ友達は遠藤寺だけだ。

 

 俺は満足しているが、大家さん的にはもっと俺に友達が増えて欲しいと思っているらしい。

 

 

 俺の報告にちょっと残念そうにため息を吐いた大家さん。

 

 

「……もっとお友達がいた方が楽しいですよ? ……あ、でもあんまり増やしすぎると今度は私と遊んでくれなくなるジレンマ……ぐぬぬ」

 

 

「それです。あんまり友達多いと大家さんと遊べないですからね。そう思うとあんまり友達作る気にならないって言うか」

 

 

「友達できないのをサラッと私のせいにするの止めてくださいねー」

 

 

 グシグシと抗議するように頭を拭われる。

 

 

「あとはそうですねー。一ノ瀬さんが特に楽しそうに見えるようになったのは、幽霊ちゃんのことがあってからですね」

 

 

 確かにそうだ。エリザが一緒に暮らすようになってから、俺の生活は更に潤いを増したように感じる。

 

 自分を肯定してくれ、好意を持ってくれる相手との生活は心地がいい。

 

 テレビとか見てて何気なく呟いた一言に対して答えてくれる存在がいるのは、些細なことだが嬉しいものだ。

 

 何よりも毎日の食事が本当に美味い。最近ますます料理の腕に磨きがかかって、外で食べる食事に物足りなさを感じてしまうこともある。

 

 

 最初こそ他人と生活することに対して、多少の不安感はあったが……今はエリザがいない生活なんて考えられない。それくらい俺の生活の一部になっている。

 

 

 だが、何よりも俺の生活が楽しいのは、この人がいるからだろう。

 

 

「でも今の生活が一番楽しいと思える理由は他にあるんですよ」

 

 

「ほほーう? 気になりますね。あ、もしかしてぇ……可愛い大家さんがいるから、なんちゃって!」

 

 

「あ、それです」

 

 

「ふぃっ!?」

 

 

「あいたぁ!?」

 

 

 大家さんが小鳥の鳴き声のような声を出して俺の頭を小突いた。

 

 

「あ、ご、ごめんなさいっ! びっくりして手が滑っちゃって……。え、えっと……何か私が難聴系主人公じゃなかったら、今、一ノ瀬さん……私といるのが一番楽しい理由とか何とかかんとか……」

 

 

「そう言いましたよ。今更ですけど、俺によくしてくれて本当にありがとうございます。いつも遊んでくれるのも、親元を離れて寂しさを感じてる俺を気遣ってくれてたんですよね」

 

 

「い、いや最初はそういう面もあったんですけど……。一ノ瀬さん、すごい趣味が合うから普通に遊ぶのが楽しみって言うか……下心もありありっていうか……あ、最後のはなしで!」

 

 

 大家さんへの感謝の言葉は自然と出てきた。

 

 

 ずっと一緒だった雪菜ちゃんたちと離れた1人きりの生活に、言葉には出さないが寂しさを感じていた。

 

 そんな俺を大家さんは気遣ってくれた。

 

 生活する上で困ったことがないか、大学で友達はできたか、学校は楽しいか……。

 

 まるで母親みたいな言葉だが、その雰囲気は長年連れ添った友人のようであり、俺は彼女に何でも話すことができた。

 

 大家さんと話すと元気が出て来るし、かったるい帰り道も大家さんが出迎えてくれると考えれば足も軽くなる。

 

 

「大家さんといると楽しいですよ。あんまり考えたくないですけど、もし大家さんがこのアパートの大家さんじゃなかったら、俺、金魚の目どころか売れ残って捨てられた鯛焼きの目をしてたかもしれません。だから、その……ありがとうございます。大家さんでいてくれて」

 

 

 感謝の言葉を伝えるのはどうしても慣れない。言葉もかなり支離滅裂だ。

 

 俺が人としてのレベルが低いからだろう。人との付き合いが希薄だったツケが今になってきてるってわけだ。

 

 でも、こういう勢いがついた時じゃないと言えない。

 

 

「大家さんと会えて本当に幸運だったと思います。来来世くらいまで運を使ったかもしれないですけど、まあそれでもいいと思ってますし」

 

 

「ちょ、ちょっと一ノ瀬さん……すとっぷ! そ、その言葉は私に効く……!」

 

 

「もし大家さんといなかったら俺、一人暮らしする決心つかないで実家に引きこもってたと思います」

 

 

「ま、まってまって……セーブ! セーブさせて下さい! え、こんな胸キュンイベントくるなんて聞いてないですよ……! 準備してないですよぉ……」

 

 

 大家さんが何やら言っているが、ここで言葉を止めてしまうと次いつ言えるか……。

 

 今の勢いで言いたいことを言っておきたい。

 

 時にはテンションに身を任せるのも重要って対○さん家のレオ君が言ってたしな。

 

 

「だから……ありがとうございます。お礼言うくらいしかできませんけど、心の底から感謝しています。1人暮らしを始めた俺のすぐ側にいてくれて……ありがとうございます」

 

 

 ずっと言いたかったことを言えた。

 

 言い切ったことで胸の奥に生じた満足感がぼんやりと暖かい。

 

 

 ここで俺はハッと我に帰った。

 

 感謝の言葉を伝えるという、普段しないことをしたせいかどうも勢いづいて喋り捲ってしまった。 

 

 思い返してみると、どうも恥ずかしい……いや、キモイことを色々言ってしまった気がする。

 

 

「……うぅ……ぐぅぅ……」

 

 

 背後から大家さんの苦しんでいるような声が聞こえた。

 

 俺の感謝が長文かつあまりにもキモ過ぎたからか?

 

 くそっ、感謝って難しいな……。もっと正面から『いつもありがとうございマース!』って感じで感謝のバーニングラブをするべきだったか?

 

 

 首を回して、大家さんの方を見ようとする。

 

 

「わあっ、こっち向いちゃダメですっ」

 

 

 が、頭を抱きしめるように固定されたため、後ろを向くことができなかった。

 

 

「い、いま私、あかん顔をしてるから見ちゃダメですっ。て、ていうか一ノ瀬さんなんですか急に! こ、こういうのはもっとこう事前にお知らせしてくれないと困りますよっ。……私、そういう直球の言葉に弱いんですからぁ」

 

 

 ほういいことを効いた。大家さんは直球の言葉に弱い、と。

 

 ここでまさかの共通点。

 

 俺もなんだよとっつぁん(誰だよ)

 

 

「ぜ、ぜったい見ないで下さいよ……ああ、もう……顔が熱い……!」

 

 

 『絶対』『熱い』の言葉が最早フリにしか聞こえなかったが、今はそういう雰囲気じゃないので自重した。

 

 

「何かすいません。急にこんなこと言って」

 

 

「本当ですよっ。本来ならもっとこう、今から真面目かつ胸をキュンキュンさせるような台詞を言いますよー、みたいなBGMを流してからでしょうよ!」

 

 

 三種の神器を持ってこいってクエストより難しい要望だな……。

 

 

「……ふぅ。もう、いきなりそんなこと言われたから、びっくりしましたよ。でも……嬉しいです。私の存在が一ノ瀬さんの『楽しい』の中心になってるのは……う、嬉しいですけど……かなり照れますね。……照れ過ぎて死にそうなんですけど……うぅ」

 

 

 後頭部から伝わる大家さんが発する熱で、汗をかいてきた。

 

 頭を抱きしめられているからか、大家さんの言葉が吐息すら感じられるほど近く、くすぐったい。

 

 あと、大家さんの胸が後頭部に当たって幸せ。

 

 

「……むむぅ。本来なら『可愛い大家さんがいるから』って私の言葉の後に一ノ瀬さんが『は、はぁ? そんなわけないでしょう?』みたいにドギマギしながら言って私が『どうしたんです一ノ瀬さん? 顔が赤いですよ。図星……ですか?』的な一ノ瀬さんを大人の私が手玉にとるみたいな展開を予想していたのに……箱を開ければ照れ殺されているのは私……! 何を言っているのか自分でも分かりませんが、私も何をされたのか分かりませんでした……!」

 

 

「大家さんってアレですよね。テンパると饒舌になるタイプですよね」

 

 

「人が照れくささを誤魔化そうとしてるところを冷静に観察しないでくださいっ」

 

 

 抗議するようにギュギュウと頭を締め上げてくる。

 

 非力な力で痛みはないが、それ以上に胸が後頭部に押し付けられる。俺が探していた圧迫祭りの会場がこんな所にあったとは……。

 

 

「ぐぬぅ……このまま責められっぱなしだと、納得いきません。というわけで私からも、一ノ瀬さんに言いたいことがあります」

 

 

 先ほどの早口気味の言葉から一転して、落ち着いた口調に変わった。 

 

 

「――私もなんですよ」

 

 

「はい?」

 

 

「一ノ瀬さんは、私と一緒にいて楽しいって、そう言ってくれましたよね。――私もですよ」

 

 

 それはつまり――

 

 

「私こんなんですから、アパートのほかの皆さんは私のことを娘だったり、孫にするみたいに接してくるんです。それがイヤってわけじゃないんですけど、やっぱりどこか距離を感じちゃうんですよね。大家と店子だから距離があって当然なんですけど。でもやっぱり少し寂しさと感じたりするんです」

 

 

 いつも楽しそうな大家さんに、そんな悩みがあるなんて知らなかった。

 

 

「私が差し入れとか持っていくと『えらいね』って褒めてくれるんですよ。何ていうか料理を覚えたばかりの子供が頑張ってるのを見守る……みたいな感じで。確かに私は大家になって日が浅いし、先代……おばあちゃんに比べると威厳とかはないと思いますよ。でも……もうちょっと同じ視点で接してくれると嬉しいって、そう思ってたんです」

 

 

「大家さんは立派に大家さんやってると思いますよ」

 

 

「えへへ、ありがとうございますっ。で、一ノ瀬さんは私のことをまるで友達みたいに、凄く身近に接してくれるんですよ。差し入れ持って行くと凄く喜んでくれますし、一緒にゲームをするとお互い手加減抜きで楽しんでる、自然に。一ノ瀬さんといると大家って立場でありながら心の底から一緒に楽しめるんですよ」

 

 

 大家さんがいくつかは知らないが、色々大変なこともあるんだろう。

 

 俺が知ってる限り、このアパートには大家さんと歳が近い人間はいない。

 

 今まで等身大の彼女と接してくれる相手はいなかったんだろう。

 

 俺が普通に友達のように、言い換えれば慣れ慣れしく接している――

 

 

「それだけですか?」

 

 

「それだけですよ。それだけのことが嬉しいんです」

 

 

 そう言って大家さんは、俺の頭を抱きしめる腕をギュッと強めた。

 

 

「だから私も――楽しいですよ。一緒にいて、一ノ瀬さんが私といて楽しいと思っている以上に……私はもっともっと楽しいと思ってます」

 

 

「大家さん……」

 

 

「だから私も――ありがとうございます。……えへへっ、お返し成功ですね」

 

 

 大家さんがくすくす笑っているのが、後頭部越しに伝わる。

 

 感謝を伝えてよかったと思った。やっぱり感謝って大切だな。 

 

 あとは正面からこういう言葉を伝えることができればいいんだろうけど、まだまだ難しそうだ。

 

 

 後頭部の拘束が緩んだので、体ごと振り返る。

 

 

「あ。も、もう……見ちゃだめって言ったのに」

 

 

 大家さんは照れくさそうに笑っていた。

 

 その顔は頭から首の後ろまで真っ赤になっていた。

 

 

「大家さん顔赤いですね」

 

 

「一ノ瀬さんもですよ」

 

 

 いつも言わないような感謝を伝えて、大家さんからも感謝を伝えられたせいだろうか。

 

 顔が熱い。

 

 

「えへへ」

 

 

「あはは」

 

 

 大家さんの笑みに釣られるようにして俺も笑った。

 

 ひとしきり笑いあった後、俺と大家さんは無言になった。

 

 だが、嫌な感じの無言ではない。心地のいい雰囲気だ。

 

 お互い思っていたことを伝えたからだろうか。心が通じ合った気がする。

 

 大家さんとの間に、見えない空気の糸みたいなものを感じた。

 

 

「……」

 

 

 大家さんが突然目を閉じた。

 

 

「……ん」

 

 

 大家さんがそのまま口を突き出した。

 

 

 大家さんが目を閉じたまま、20秒ほど経過した。

 

 一体なんなんだろうか。

 

 ジッと見ていると、大家さんが震える口を開いた。

 

 

「――え、えっと……まだ、ですか?」

 

 

「は?」

 

 

「へ!? い、いや流れ的に……え!? 違うんですか!?」

 

 

「だから何がですか?」

 

 

 大家さんが言っている意味が分からない。

 

 目を開けた大家さんが、落ち着きなく部屋のあちこちに視線を向ける。

 

 口が金魚のようにパクパク開いたり閉じたりを繰り返す。

 

 挙動不審以外のなにもでもなかった。

 

 

「で、でも……えぇー!? 今がその時だって感じだったじゃないですかぁ!?」

 

 

「何すか? ゲッター○ボの主題歌がどうしたんですか?」

 

 

「いやぁぁぁっ!」

 

 

 俺が本気で理解していないことを悟ったのか、更に顔を真っ赤にして目をグルグルと回した大家さんはそのままクローゼットに飛び込んでしまった。

 

 

「どうしたんですか大家さん!?」

 

 

「ルート突入だと勘違いして内心ガッツポーズしてた大家さんはいません! 私今からタイムマシンを探しに旅に出ます! さっきのなかったことにします! うわぁぁぁん! 恥ずかしいよぉぉぉ!」

 

 

 クローゼットを前に呆然と立ち尽くす俺。

 

 

「コミニュケーションって難しいな……」

 

 

 大家さんの奇行の理由が分からない俺は、まだまだコミニュケーションのレベルが低いんだろう。

 

 いつか大家さんが何をしたかったのか、分かる日が来るのだろうか。

 

 だとしてもそれはだいぶ先の話だろう。

 

 そう思った。



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縮地四天王第一の刺客――早歩きの雅夫(雅夫の異能は早歩きを行っている状況限定で――時間を止める))

俺『……うっ。ここは一体……どこだ? 砂浜……か? 何で海になんかいるんだ俺は……?』

 

俺『確か大学に行ってて……それから……うっ、頭がっ。思い出せない……』

 

俺『何も思い出せない……家族は? 住んでる場所は? 名前……そう名前を思い出せる。俺は――一ノ瀬辰巳』

 

辰巳『思い出せるのは……それだけか。ん? 誰か近づいてくるぞ』

 

???『むむっ、そこにいるのは誰でゲソ!』

 

辰巳『……え?』

 

???『こんな真夜中に砂浜にいるなんて……怪しい奴でゲソ!』

 

辰巳(真っ暗だった砂浜に、月明かりが差し込み彼女を照らした。スポットライトに照らされた彼女は愛らしく、それでいて美しい……)

 

辰巳『き、君は?』

 

???『私はイカ娘! 人類を侵略するためにやってきた海の使いでゲソ!』

 

 それが俺と彼女の出会いだった。

 そしてその日から、海の家れもんでの波乱万丈な生活が始まるのだが、この時の俺はまだ――

 

 

 

 

■■■

 

 

「――し、ら、な、い……と。うん、できたぞ。あとは投稿するだけだな」

 

 日曜日の昼前。俺はパソコンに向かってキーボードを打っていた。

 最初は講義で出たレポートを書いていたのだが、いつの間にか昔書いた俺×イカちゃんSSのリメイクを書いていたのだ。最新話では異世界に迷い込んだ俺とイカちゃんがいくつかクエストをこなし、新しく入ってきたパーティメンバー(ダークエルフ)に優しくする俺にイカちゃんが嫉妬する展開を連載中なんでよろしく。リメイクverは今連載しているのとちょっと展開を変えるつもりで……え? 興味ない? マジで?

 

「んんー……!」

 

 長時間座ってパソコンを見ていたからか、体を伸ばすとボキボキと骨が鳴った。気持ちいい。

 ふと、いい香りが部屋に漂っていることに気づいた。

 

 時計を見る。そろそろ昼時だ。

 

「エリザー」

 

 廊下にある台所に向かって声をかけた。

 調理中なのか体を仰け反るようにしてヒョコンと顔を出すエリザ。

 

「はいはーい。辰巳君なーに? もうすぐお昼ご飯できるよー」

 

「お、そうか。今日は何だ?」

 

「今日はねー、カツ丼だよー」

 

 メニューを聞いた途端、腹の虫がグーと鳴った。

 昼からカツ丼とか……最高じゃなイカ! 暑いからスタミナつけないといけないしな!

 

「あとお素麺もね」

 

 ここ1週間食べ続けているものの名前を聞き、ちょっとげんなりした。

 大家さんが大量にくれた素麺だが……実家の雪菜ちゃんからも送られてきたので、消費が追いつかない。

 美味いのは美味いんだが……流石に飽きる。

 実家にいた頃も夏は素麺ばっかりだったし、こればっかりは夏の風物詩として諦めるしかないのだろうか。

 まあ、かなり腹減ってるし、食卓に並んだら結局全部美味しく戴いちゃうんだろうけど。

 

「私がやるから座ってて」と止めるエリザを振り切り、皿を食卓に並べる。

 俺にできるのはこれくらいだ。ていうか少しは手伝わないと、申し訳が無い。ただ座って料理の準備ができるのを待つほど、まだ亭主関白になりきれない。

 

 そうこうしてる内に、食卓には昼食が並んだ。

 今日のメニューはカツ丼と素麺と卵焼きとソーセージ入りの野菜炒め。

 どの料理もかなり量が多いが……まあ問題ないだろう。

 最近俺はよく食べる。料理が美味いのは勿論だが、残さずに完食するとエリザが嬉しそうにするのだ。

 その期待に応えようと、食べているうちに気づけば全て完食できるようになっていた。胃のキャパシティが上がったのかもしれない。

 

 しかしカツ丼の食欲を煽るジューシーさもさることながら、錦糸卵にキュウリにさくらんぼと色々と盛り付けられた素麺も涼しげで美味そうだ。

 さっき飽きてきたって言ったけど撤回。素麺は飽きない。色々食べ方あるしな。キムチ乗せたり、納豆混ぜたりしても美味い。

 

 エリザと向かい合って手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「うん、召し上がれー」

 

 そして食す。今更言うまでもないが、その味は無類だった。箸が止まらない。

 カツ丼で胸焼けするのを感じたら、素麺を食べる。素麺の涼やかな喉越しを堪能したら、再びカツ丼へ。合間に卵焼きと野菜炒めを食べる。

 カツ丼、素麺、卵焼き、野菜炒め順番に食べたり、時には逆に食べてみたり。

 ともかく食べ続ける。ひらすら食べる。

 

「はいお茶どうぞ」

 

 ちょうど水分が欲しかったタイミングで、湯のみにお茶が満たされた。

 冷たい麦茶だ。夏はこれに限る。

 そして食べる。食べて食べて食べまくる。うおォン俺はまるで人間火力発電所だ。発電した電気は主に脳内妄想に活用されてます。

 

「えへへ」

 

 ふと顔を上げると、エリザが優しげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

「どうしたエリザ。俺の顔なんか見て」

 

「へ? あはは……辰巳君が美味しそうにご飯食べてくれるから嬉しくて……ずっと見てたいくらい」

 

「そうか。見とれるのもいいけど、エリザも食べないと」

 

「うん。食べるよー」

 

 お返しとばかりに、エリザが食べているのを見つめる。

 エリザが箸を取り、素麺を掴んだ。そのままツルツルと素麺を吸い上げるようにして食べた。

 音を立てない、上品な食べ方だ。

 前から思っていたが、エリザはところどころの所作に気品が漂っている。

 食事の時もそうだが、たまにふわふわ飛ばずに歩いているとき、その歩き方も綺麗に整っている。

 

 もしかしてエリザっていい所の出だったりするのかな? 

 うーん、今更だけど、エリザの出自について尋ねる機会を逃した気がする。

 まあ、そう慌てんでもいいか。その内聞けばいいし。

 

 ジッと見ている俺に気づいたのか、エリザが恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「なーに辰巳君? も、もうそんなに見られたら恥ずかしいよぉ」

 

 食事姿見られるくらいで恥ずかしがってたら、本当に恥ずかしい所見せるときに困るよ、マドモワゼル?と紳士風に言おうとしたが、その台詞自体が紳士とは程遠かったので、自重することにした。

 

 食事を全てたいらげ、手を合わせる。

 

「ごちそうさま、今日も美味しかった」

 

「お粗末様ー。デザートにケーキも焼いてるからねー」

 

 通りで甘い匂いがすると思った。

 しかしケーキってウチにオーブンなんかないはず。

 それをエリザに聞いてみると、炊飯器でケーキを作っているとのこと。

 炊飯器でケーキ作るとか、VHSをPS3で見るくらい意味不明だったが、実際に作ったケーキを前にするとそんな些細な疑問はどこかへ吹き飛んでしまった。

 

「チョコケーキだよー。生クリームも作ったから、たっぷりかけて食べてね」

 

 もちもちふわふわしたケーキに生クリームをたっぷりつけて食べた。

 ほんのり苦くはあったが、生クリームの甘さとあわせって非常に美味かった。

 敢えて言うなら、エリザの顔に生クリームが付着するアクシデントを期待したが、そんなことは無かった。残念だ。仕方ないので妄想の中で補完する。え? おいおい舐めとってくれってエリザさん、大胆ですね……。

 

 しばし妄想(大家さんも乱入してきて百合要素マシマシ)に耽る。

 食後の妄想は非常に有意義なものだ。

 

「ふんふんふふーん。にゃんにゃかにゃんにゃーん」

 

 食器を洗うカチャカチャした音とそれにあわせるようなエリザの鼻歌。

 それを聞いていると、満腹感もあってか瞼が重くなってきた。

 そのまま睡魔に抗うことなく、眠りについた。

 

 

■■■

 

 

 目が覚めると、夕方になっていた。

 窓から夕日が差し込んで体を包んでいる。この眩しさで起きたらしい。

 体を見ると薄いタオルケットがかけられていた。

 タオルケットには1人分くらいの膨らみがある。

 

 そっとタオルを捲り上げると、俺の胴辺りに抱きついてるエリザがいた。

 穏やかな寝息を立てている。

 

「えへへぇ……待ってよ辰巳くーん……あはっ、つめたーい。もう、お返しだー……むにゃむにゃ」

 

 雪合戦の夢でも見てるのか?

 夢の中ではどうかは知らないが、現実の一ノ瀬辰巳は『赤い雪原』と二つ名で呼ばれるほど雪合戦において並ぶものがいない猛者だ。エリザよ……夢の中の俺を倒せ。そして現実で合間見えようぞ! あと俺を倒しても『氷雪魔女』ことウチの妹が控えているので、頑張ってね。

 

「つかまえたー……にへへ……ちゅー……」

 

 しかし今日は平凡な1日だった。

 朝からレポート書いて、イカちゃんのSS書いて飯食って、昼寝して……うん、平和だ。

 もっとやるべきことがあるだろうとか、下らない過ごし方だな……なんて思う人もいるかもしれないが、俺はこういうのんびりした過ごし方が好きだ。出きれば老後もこんな風に過ごしたい。問題は俺が老人になる頃までイカちゃんが連載されてるかってことだが……まあ大丈夫だろう。それまで人気は続くはず。俺の見立てでは近いうちの人気が再燃して再アニメ化。大手スポンサーがついて、昔のサザエさんみたく週2回放送される予定。

 

 とスマホを見ると、メールの着信を知らせる光が点灯していた。

 エリザを起こさないように手を伸ばし、スマホを取る。

 

 送り主は――せっちゃん。妹の雪菜ちゃんだ。

 一体何の用件だろうか。この間みたいに俺が中学生の時に書いたポエム『学校の廊下は人生のレール~俺は窓から飛び降りる~』を音声ファイル付きで送ってくるのは止めて頂きたい。

 どうやら画像や音声ファイルが添付されてはいない。ただのメールのようだ。

 

 内容は――

 

『こんにちは兄さん。明日が毎月恒例のアレの日ですが、お忘れではないでしょうか? 準備はしていますか? 限りなく鶏に近い脳をお持ちの兄さんのことですから、恐らく忘れているだろうと思って確認のメールを送りました』

 

 兄を鶏扱いする妹ってどうなの? コケにしてんの? 鶏だけに。

 まあATM扱いされるよりはずっといいけどさ。

 

 しかしアレ、だと? 月1回のアレとか……下ネタですか雪菜ちゃん! ちょっと兄ちゃんお前をそんな風に育てた覚えは無いぞ。

 いや……違うか。雪菜ちゃんは俺が下ネタを言おうものなら、何か(恐らく棒状の物)をチョキンと切るジェスチャーをするくらい下ネタが嫌いだからな。

 文面から察するに、俺もそのアレの対象みたいだ。俺って男だから月1回のアレはないしな……あったとしたら第2のシュワちゃんとして『ジュニア2』の主人公に抜擢されるわ。

 とすると……アレってアレか!

 

 俺はカレンダーを見た。明日の日付に赤丸がついていた。アレの日だ。

 

 そうか。もうそんな日か。すっかり忘れてた。

 

『では、明日の10時にメールを送りますので。くれぐれも寝ていた……なんてことはないように。返信が確認できなかったら、兄さんの部屋にあるお人形さんを10分ごとに焼却炉に突っ込みます』

 

 思考が完全にテロリストのそれだな……。

 俺の可愛いお人形ちゃんたちの為にも、明日はちゃんと起きないとな。

 

 

■■■

 

 

 その家独自のルールってのが、どこの家にもあると思う。

 例えば、日曜日の昼食は家族全員で鉄板焼きを食べるとか、休日は家族揃って買い物に出かけるとか、食事中はテレビをつけないとか、いくら暑くても扇風機は7月になるまでと出さないとか、カレーに大根を入れる……とか。

 他人からすると『え、なにそれ? おかしくね?』と思われるようなルールも、その家庭で育ったなら常識として刷り込まれている。そんなルールだ。

 

 そしてウチにも変わったルールがあった。

 それが月の1度のアレの日だ。

 

 アレ――身体測定だ。

 

 ウチ、正確に言えば俺と雪菜ちゃんの間には月に1度身体測定を行って互いに確認をするってルールがある。

 身長と体重を測って、お互いに確認するのだ。

 

 家の柱で背比べをしてどれだけ成長したかを確認するってイベントがあるだろ。それに近い。

 そのイベントが今も継続しているのだ。

 どうして今でもとか、何でそんなことを……なんて聞かれても困る。

 何となく止めときが分からなかったし、子供の頃からやってたから理由なんてない。

 成人しても親と風呂に入ってる子供とかいる。アレと一緒のようなもんだ。

 

 そのイベントは俺が1人暮らしを始めてからも続いていた。

 月に1度、自分の体を写メって送りあう。

 

 今日はそのイベントの日だ。

 

 朝食後、半そでと短パンに履き変える。準備は完璧だ。

 10時きっかりにスマホが振動して、雪菜ちゃんからのメールが届いた。写真つきだ。

 

 写真を開くと、学校の水着だろうか、競泳水着を着た雪菜ちゃんが鏡に映っていた。

 ほぼ直立不動で、面白みもない写真だ。

 何より顔がこちらを見下すような冷たい表情で、スクール水着を着た雪菜ちゃんにそんな顔で見下ろされたら変な趣味に目覚めてしまいそう。

 

 しかし相変わらずスレンダーな体型だ。

 全体的にシュッとしている。腰にはモデルが羨むような美しいくびれがある。

 足とかも外人モデルかよって言いたくなるくらいすげー長い。

 肌のケアも怠っていないからか、シミなんて全く見られない。映像でもその滑らかな肌を感じ取れるほどだ。

 中学に入った頃から常に腰までの長さに保っている髪も、丹念に手入れをしているのが分かる艶が光り輝いている。

 

 誰が見ても完璧だと羨む体だ。――胸を除いてだが。

 恐らくこれ以上、雪菜ちゃんの胸は大きくならないだろう。中学生の頃に止まってしまった成長。

 本人は『ただの脂肪でしょう? それくらいで一喜一憂する人が哀れに思えますね』と気にしてはいない様子。

 だが俺は知っている。彼女が夜な夜な密かに豊胸マッサージをしていることを……! 

 

 自分の体の一部の成長を気にしている――彼女がそんな俗っぽい悩みを持っているのは俺が完璧な彼女に感じる数少ない親近感だ。

 もし、これが無ければ俺は彼女に対して距離を置き、こうやってメールをすることなんて無かったかもしれない。胸が小さいことが、俺と彼女を繋いでいる絆のようなものだ。その絆に感謝したい。

 ありがとう、胸が小さくて。本当に……本当にありがとう……。それしか言う言葉が見つからない。

 

『体型に変化はありません。体重は0.3kgほど増加しましたが、身長が0.5cmほど伸びていたからでしょう。報告は以上です。早く兄さんも送ってください。こんな面倒くさいこと、早々に終わらせたいので』

 

 また、身長が伸びたのか……。このままだと追い抜かされるかもしれないぞ……。

 

 そういえば俺が1人暮らしを始める際、いい機会だしこのイベントを終わらせてもいいのではと雪菜ちゃんに言ったことがある。

 だが答えはノー。理由を聞くと、俺の測定結果を見ることで、俺がちゃんと生活できているかを把握するためとか。

「仮に体型が大幅に変わるほど不養生をしていたなら、即刻家に帰ってもらいます。兄さんが孤独死したとして、迷惑がかかるのは妹の私なので」とのこと。

 エリザのお陰もあってか、俺は健康そのものだし、今まで雪菜ちゃんに生活の問題点を指摘されたことはない。

 今回も大丈夫だろう。

 

 よし、後でパソコンのほうに写真を移すとして、俺もさっさと写真を撮ろう。 

 

「エリザー。すまんけど、いつもの写真撮ってくれ」

 

「オッケーだよー。えへへっ、わたしもこれ楽しみなんだー。写真撮るのって楽しいよねっ」

 

 自分で自分の全身像を撮ることはできないので、毎回エリザに撮影してもらっている。

 エリザと遭遇する前? 何とか頑張って撮ろうとしてたけど失敗しまくってたら、いつの間にか撮影できていた。 後で聞いたら、エリザがこっそり撮影を手伝ってくれていたらしい。

 

 カメラを構えるエリザの前に立つ。俺はカメラを前にすると変顔をしてしまうタイプだが、流石に雪菜ちゃんに送る写真で変顔をする勇気はない。

『兄さん。ふざけないで下さい。今送られてきた写真の顔に整形させますよ?』とか言われそうだからな。

  

「よし。じゃあ頼む」

 

「うん。いくよー……ハイチーズ!」

 

 スマートフォンから某有名ネズミの『ハハッ』という甲高い笑い声が響いた。

 現在設定しているシャッター音だ。特に意味は無い。

 

「あははははっ」

 

 シャッター音を聞いたエリザが笑う。よく分からんが、このシャッター音が相当にツボらしい。

 

「あははっ、あはっ、あはははっ……ふぅ。ご、ごめんね?」

 

 一しきり笑った後、目の端の涙を拭うエリザ。

 箸が転がってもおかしい年頃なのだ。シャッター音で爆笑してもいいだろう。

 

 カメラを真面目な表情でジッと見るエリザ。その顔が笑顔に変わった。

 

「うん。上手くとれたよっ」

 

「いい感じか?」

 

「うん! 辰巳君かっこいいよー!」

 

 ちょっと照れながらスマホの画面を覘く。エリザの言う通り、ブレや逆光もなくしっかり撮影できていた。

 画面の端に透明がかったゴ〇ブリや魚、大根が写りこんでいるが、まあいつものことだ。どうやらエリザが撮影すると、この部屋でお亡くなりになったものが写りこんでしまうらしい。いわゆる心霊写真だ。

 最初こそビビりまくったが、今は慣れた。それどころか大根の幽霊なんてレアリティ高いもの見れてラッキーと思っている。この特性を利用して有名なミステリースポットで心霊写真をとって出版社に送りつけて一儲けすることを考えたけど、俺もエリザもお互いにホラーは苦手なので、その計画は頓挫した。

 

「兄さんは元気です。警察のお世話になることもなく、穏やかに過ごしています……と」

 

 軽く現在の近況を文章にして、先程の写真を添付。送信した。

 すぐに携帯が振動した。

 メールかと思ったら……電話らしい。

 相手は勿論雪菜ちゃんだ。

 メールは来るが、電話がかかってくるのは久しぶりだ。あれかな? 久しぶりに兄ちゃまの姿を見て、寂しくて声を聞きたくなったのかな? 俺も俺で久しぶりに雪菜ちゃんの声を聞けるので、百年ぶりの世紀末が来たとばかりに胸がドキ☆ドキ。そのドキ☆ドキを悟られないように、普段の調子で電話に出た。

 

「はいもしもし一ノ瀬です。雪菜ちゃん、どしたの?」

 

『――糞豚野郎』

 

 開口一番、電話口から聞こえたのはそんな言葉だった。

 無防備な心に言葉の刃(氷属性)が突き刺さり、数字にして13くらいのダメージを受けた。

 もしかしてドM専用窓口と間違ったのかしらと思ってスマホを見るが、やっぱり電話の相手は雪菜ちゃんだった。

 

 なおも電話口からの攻撃(精神)は続く。

 

『ファットユー』

 

『オークの下っ端』

 

『ドーナツばかり食べているアメリカの警官』

 

『カロリーモンスター』

 

『死因は脂肪による溺死』

 

『肉纏い達磨』

 

『太ってるタイプのニート』

 

 新雪にツララを落としたような、冷たくそれでいて殺傷性のある声が俺の耳を侵す。

 俺は罵声を気持ちよくする機関(マゾヒズムエンジン)が搭載されているから大丈夫だけど、一般人なら間違いなく舌を噛み切って自害するだろう攻撃力の高さ。い、いかん……! エンジンが許容量を超えた罵声のせいでオーバーヒートを……! 泣きそう……!

 

 一通り言いたいことを言ったのか、間を置くように吐息が聞こえた。

 

『兄さん、久しぶりですね。お元気でしたか?』

 

 人をディスるだけディスったあとに普通に挨拶をしてくるウチの妹は頭おかしいと思う。

 

「あのさ。久しぶりの電話なのにさ。何なの? 人ことを肉とか何とか……」

 

『ごめんなさい兄さん。兄さんから送られてきた写真を見て、気が動転してしまって』

 

 気が動転って、雪菜ちゃんには似合わな過ぎる言葉だ。

 どんなときだって冷静沈着な彼女が珍しい。

 初めてブラを買いにいった時も、戸惑うどころかいつもの調子で店員さんに質問して逆に困らせたくらいだぞ?(この件は番外編『雪菜ちゃんが初めてブラを買って、何だかんだで俺が原付に轢かれる話』に収録してるぞ)

 

 そんな雪菜ちゃんを驚かせるなんて、さっきの写真に何か問題でもあったのか? 

 それともやっぱり久しぶりに見た兄さんがあまりにもカッコメンでキュンってきちゃったとか? いかんいかん、ヨスガはいかんぞ? 

 

『ですか私の気持ちも察してください。兄さん、この1ヶ月に何があったんですか?』

 

「え、何がって……何が?」

 

『体型の話です。先月先々月と送られてきた写真は健康そのものの写真でした。突然メガネをかけていたことには少々驚きましたが、生意気にもお洒落をし始めたのだと、そう思いました』

 

 それもこれもエリザのおかげだ。

 あと、兄のことを生意気に思わないで。

 

『正直、兄さんのことを侮っていました。生活力皆無の兄さんのことですから実家を出て1週間ほどでで私に泣き付いてくると思っていたのに、もう3ヵ月。1人暮らしが兄さんを真人間に変えたのかと納得する一方で、兄さんが私の手から離れたようで若干の寂寥感を感じていました』

 

 その言い方だと俺が真人間じゃなかったように聞こえるんですけど。

 

『でも、どうして今月に入ってこんなに……太っているんですか? この1ヶ月の間に何があったんですか?』

 

 困惑したような雪菜ちゃんの声。

 困惑しているのは俺もだ。雪菜ちゃんが驚くほど、体重が増加しているなんて自分では全く感じない。確かに食べる量は増えたけども。

 

『写真から見るに、おおよそ3.2……いえ、3.1㎏でしょう。先月から増えているはずです』

 

 写真を見ただけでハッキリと数字を出されてしまった。

 だがいくら、雪菜ちゃんでも写真だけでそこまで分かるはず無いだろう。

 きっとアレだ。1月ぶりに俺の姿を見たから、勘違いしているんだ。そうに違いない。

 だが、念のために確認しておこう。

 

 ニコニコしながらこちらを見ているエリザに言う。

 

「エリザ。体重計ってある?」

 

「体重計? ん、ちょっと待ってねー」

 

 エリザが持って来た体重計に乗ってみる。

 体重計に表示された数字を見るも、自分の体重なんて把握していないから正直分からん。

 

 一緒に体重計を見ていたエリザが笑った。

 

「あははっ。先月よりちょっと増えてるねー」

 

「え、先月よりって……記録してるのか?」

 

「うん。あ、一応身長も記録してるけど……そっちは……」

 

 伸びてない、と。まあいいんだけど。

 エリザが持って来たノートには俺の体重やら、食べた食事の量、その時の感想などエリザが書いたイラスト付きで記されていた。

 

『オムライス……美味しそうに食べてくれた!』

 

『ゴーヤチャンプル……苦手みたい。凄く苦そうな顔で食べてた。でも全部食べてくれた!』

 

『ビーフストロガノフ……3回もお代わりしてくれた! 「このビーストガノンドロフ美味しいな」って言ってくれた! 違うけど別にいっか』

 

『野菜炒め……わたしが人参を除けてると「好き嫌いはダメだぞ」って怒られた。でもそう言いながらわたしの人参食べてくれた! 代わりに辰巳君が残してたピーマン食べてあげた!』

 

『すき焼き……わたしがお肉を取ろうとしたら「それまだだから」って怖い顔で言われた。わたしがジッとしてたら、無言でお肉とかお野菜をお皿に乗せてくれた。ちょっと怖かったけど……何かかっこよかった』

 

『お鍋……やっぱり怖い顔でジッとお鍋を睨んでた。よくわかんないけど……たまにはいいかも』

 

 パラパラと捲ると、そんな感じでエリザの一言コメントが書いてあった。

 俺が販売担当なら、長期的な展開も見込んで上司に出版を打診しちゃうくらい、エリザの想いが篭もった本だ。

 流石に自分が書いたものを見られるのが恥ずかしいのか、エリザは照れくさそうに笑っていた。

 つーか俺も恥ずかしいんですけど……俺の恥ずかしい勘違いも載ってるし……。

 

 いや、今は体重だ。

 体重は雪菜ちゃんの指摘通り、3.1㎏増えていた。

 

「本当だ。太ってる」

 

『……兄さん? もしかしてですけど……誰か部屋にいるんですか?』

 

 雪菜ちゃんの声に殺気がエンチャントされた。

 いかん、いつもの癖でエリザに話しかけてしまったが……これはまずいぞ。

 雪菜ちゃんのことだ。俺が美少女と同棲しているなんてことを知ったら『ついに監禁してしまいましたか。いつかはやると思っていましたが……残念です。では兄さん、警察にお世話になってその無様な醜態をお茶の間に晒す前に命じます――自害しなさい』って具合に積極的に死ぬことを勧めてくるはず……!

 

 ここは誤魔化すしかない。

 

「え、誰もいないけど?」

 

『ですが今、誰かに話かけていたようですが?』

 

「いや、それは……その……あれだ。独り言をね」

 

『何やらエリザ、と。名前も呼んでいたようですが?』

 

「あのね、一人暮らしが長く続くとね、独り言の相手にも愛着が湧くんだよ。そりゃ名前も付けるよ」

 

『……』

 

 電話口から、何かを探るような気配を感じた。

 

『……兄さん以外の息遣いや気配は感じない、と。本当にただの独り言のようですね。兄さん、独り言の相手に名前を付けようが人格を作ろうが勝手ですが……手遅れになる前に病院に行った方がいいかと』

 

 おっと、これはかなり引かれたな。

 まあ、エリザの存在がバレて自害を強要されるよりかはマシか。

 

『――ともかく。体型の変化から見て、兄さんがまともに生活できているか、という面に非常に疑問を抱きました。兄さんには即刻そのアパートを引き払ってもらい、実家に帰って頂きます』

 

「はぁ?」

 

急すぎる展開に思わず抗議の言葉をあげた。

 

「何でそうなるんだよ」

 

『初めに言ったでしょう。兄さんが1人暮らしをする上での条件として、自己管理は徹底する、と』

 

 言ったような気がする。

 

『ですので兄さんには実家に帰ってきて頂きます。そして私の支配――もとい管理のもと健全な肉体を取り戻してもらいます』

 

 俺の脳裏に雪菜ちゃんの管理のもと、受験勉強に挑んだあの日々が浮かんだ。

 確かに雪菜ちゃんが人を管理する手腕は素晴らしい。最早人を管理することが運命付けられたかのような天才的な采配。こんな俺ですら自分よりそこそこレベルの高い今の大学に入学できたくらいだ。

 だが、雪菜ちゃんが俺に行った教育は恐ろしいものだった。

 

『フィギュア爆破式教育』

『オカズ画像クラスの男子顔に加工式教育』

『恥ずかしい過去インターネット流出式教育』

『痛々しい写真辛うじて知り合いには分かる程度に加工してインターネットに流出式教育』

 

 と、思い出すだけで鳥肌が立つ恐ろしい教育の数々。というかネットに流出しすぎ。

 そんな恐ろしい過去を思い出して「じゃあお願いしまーす」と雪菜ちゃんに身を委ねるほど俺はバカじゃない。

 

「待った待った! ちょっと体重が増えただけだろ? それくらいで実家に帰るとか……」

 

『1月で3kgですよ? このまま増えていけば1年で36kg、10年で360kg増える計算になります』

 

「ねーよ」

 

 どんだけ頑固な棒グラフなんだよ。山も谷もないじゃん。

 

 雪菜ちゃんたまーにこういう発言するんだよな。真面目な顔と口調で言うから、本気で言ってのかふざけてんのか分かりづらい。

 

 ともかく、実家に帰ることは避けたい。

 

「分かった。じゃあ、元の体重に戻せばいいんだろ? そうすれば文句はないよな?」

 

『……ええ。できればの話ですが』

 

「やってやるよ」

 

『分かりました。そこまで言うのなら――1週間。1週間以内に3kg減量してください。それができなければ、実家に帰っていただきます』

 

 妹である雪菜ちゃんの言うことを何故素直に聞く必要があるのか。そう思うかもしれない。

 だが、雪菜ちゃんには俺が1人暮らしをする時に大きな借りを作ってしまったのだ。だからしょうがない。

 

『では1週間後を楽しみにしています。私は今から兄さんの部屋を片付けておきますので』

 

 既に失敗する気でいやがる……。

 

「じゃあ1週間後に。あ、あとアレだ。……久しぶりに声聞けてすげえ嬉しかったよ」

 

 短い会話だったが、メールではない、生の声を聞けたので楽しかった。

 色々問題はある妹だが、両親以外の唯一の肉親だ。誰よりも大切に思っている……恥ずかしいから言わないけども。

 

『……』

 

 電話の向こうから戸惑うような感情が伝わってきた。

 

「どうかした?」

 

『……いえ。兄さんが少し変わったような気がして。前はそんなこと言わなかったのに』

 

「そんなことって?」

 

『私の声が聞けて嬉しいなんて……いえ、まあ……いいです。……悪い気はしませんから』

 

 雪菜ちゃんはそう言って電話を切った。

 電話を切る直前、かすかに笑う声が聞こえたが……気のせいだろう。 

 

 ふぅ……しかし厄介なことになったな。

 1週間中に3kg痩せなかったら実家に送還か。

 

「たーつみくんっ。何の電話だったの?」

 

 電話が終わるまで待っていたのだろう。エリザが背中から手を回して抱きついてきた。

 ほぼ全体重をかけられているが、重さは殆ど感じない。リンゴで例えると3個分くらいか?

 

 そうだ。エリザにも言っておかないと。

 

「何かダイエットすることになった」

 

 俺の発言に首を傾げるエリザ。まあ、当然の反応か。

 

「3kg太ってただろ。だからダイエットしないと」

 

「えぇー? 大丈夫だと思うよ? だって、ほらお腹だってそんなに……あははっ、ぷにぷにー」

 

「摘まむな摘まむな」

 

「絶対これくらいの方がいいよ! 今くらいが一番健康的な体型だと思うし! ……そ、それに今の辰巳君ギューってした時気持ちいいし」

 

 もじもじと頬を染めながらそんなことを言うエリザ。

 エリザがデブ専の可能性が浮上してきたが、今は重要なことじゃない。

 

 とりあえずダイエットをする以上、料理を作るエリザにも協力してもらわなければならない。

 ダイエットできなければ実家に帰らないといけないということを告げると、流石のエリザも顔を強張らせた。

 

「え!? わ、分かった! じゃあわたしも協力する! 辰巳君がいなくなっちゃうなんて絶対イヤだもん!」

 

「ああ頼むよ」

 

「うん。頑張ってヘルシーなご飯作るね! ……あ」

 

 エリザが何かに気づいたような声をあげた。

 台所から漂ってくる甘い匂い。

 

「チ、チーズケーキ作ったんだけど……ど、どうしよう?」

 

 エリザには悪いが、ダイエットをする上でケーキなんてカロリーの高いものは間違いなく敵だろう。

 俺は確固たる意思を持ってエリザに告げた。

 

「――ダイエットは明日から始めよう」

 

 と。

 明日って今さ!とか言った人がいるらしいが、明日は明日だろう。明日できることは明日やればいい。

 明日からダイエット生活のスタートだ。



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縮地四天王第二の刺客――兎跳びの吾郎(吾郎は世界で唯一縮地ができる兎である。雅夫はオフの日にそんな吾郎を見に来たのだが、その途中車に轢かれて死んだ。……死んだのだ)

 

 朝。

 俺はエリザが作っている朝食の香りを楽しみながら、パソコンの前に陣どっていた。

 カタカタとキーボードを打つ。

 今は俺が1年近く書き続けている長編小説『イカ×オレ』の番外編を執筆中だ。

 番外編は主人公である俺とイカちゃんが艦○れの世界に迷い込んで、俺は提督にイカちゃんは艦娘になって過ごすといったほのぼの日常系の話だ。

 イカちゃんの艦種は『イカ釣り漁船』で全く戦力にはならないが、そこはまあ俺が愛を持って錬度を上げている。

 イカちゃんばかり贔屓する俺に他の艦娘が嫉妬しちゃうから、ほんともー提督って大変!

 今回の話は俺がどうにかして利根ちゃんの足の間を潜り抜けようと奔走する話なんだが……非常に難産だった。だがそれだけに完成した今の達成感は心地がいい。

 

「よし、投稿だ」

 

 ターンとエンターキーを押す。

 自分が書いた作品を投稿する瞬間は未だに緊張する。果たして読んだ人に楽しんでもらえるのか。感想は付くだろうか。前の更新で応援してくれた人が急に手のひらを反して来たりしないだろうか。

 そんな緊張感。だがその適度な緊張感が心地良い。

 

「……って、いつもの癖で更新しちゃったけど。……違うんだよ!」

 

 ツッコミを入れてくれる人がいなかったので、自分でツッコミを入れる。

 何で俺は朝から小説を書いてるんだよ。何が『作戦その2。居酒屋の暖簾と勘違いしてくぐろうとする』だよ。頭おかしいじゃないの?

 

 昨日のダイエット宣言から夜を跨ぎ、俺は朝からダイエット方法についてネットで調べていた。

 俺自身、今まで雪菜ちゃんが完璧にカロリー計算をした料理を食べてたので太った経験は無く、ダイエットなんてものに縁が無かった。 そうなれば現代っ子の俺はインターネットに頼らざるをえない。

 そうして朝からザブンザブンとネットの海を泳いでいたわけだが……。

 

 ダイエット情報多過ぎぃ!

 検索しただけでも何万とダイエットについてのサイトが出てきた。

 内容も「ダイエットに効く筋トレ」とか「私のダイエット記録」とか「〇〇堂のサプリだけ飲んでたら80kg以上あった私の体重が……!」とか「ダイエットをしたいそこのあなた。ここをクリックして下さい。いますぐナウ!」などなど。イカにも怪しいサイトから一見有用そうなサイト、その他諸々の情報に溺れてしまった。つまり情報の取捨選択に失敗してしまったのだ。

 ネットは便利だし、情報も溢れるほど手に入るけど、どれが正しいのか分かる能力がないと逆効果なんだよな。

 ダイエットについて調べようと思っていたのに、ダイエットの知識がないとまともな情報か判断できない……そんな矛盾。

 

 そんな矛盾に翻弄されていると、気づけばお気に入りの投稿SSサイトにアクセスしていた。完全な現実逃避だ。

 そうなれば後は野となれ山となれ。お気に入りのSSが更新されていたのでそれに触発されて俺も自分が手掛けている作品を更新してしまったのだ。

 

 つまり一言で言うなら……何の成果も得られませんでした!

 そういうわけだ。

 

「辰巳くーん。朝ごはん用意できたよー」

 

 エプロンを着けたエリザがおたまを片手に言ったので、朝食タイムだ。

 食事を食べていると、エリザが聞いてきた。

 

「あ、どうだった? ダイエットについて何か分かった?」

 

「いや、正直サッパリだな」

 

「そっかー。ごめんね、わたしも全然詳しくなくて……」

 

 申し訳なさそうに眉を下げるエリザ。

 エリザも生前はダイエットを意識したことがなく、幽霊になってからは全く体型が変わらないらしい。

 どうやら幽霊というのは、生前の姿のまま姿が固定されてしまうらしい。

 ずっと今のままの姿だ。そして怪我なんかもしない。

 言ってみれば不老不死みたいなもんなんだよな。いや、死んでるんだけど。 

 この事実を知った破滅型思考のロリコンが『じゃあ、今いるロリを全員アレしたらこの世界はロリ天国になるんじゃね?』と暴挙に走ることを避けるため、この秘密は墓の中まで持っていこうと思う。

 

 エリザと食事を食べながら、今後について考えることにした。

 本屋に行ってダイエット専門の書籍を購入する、または図書館に行って借りる。近所にダイエットコースがあるジムがあるからそれに体験入門してみる。

 色々考えてみたけど……面倒くせ。

 こういう時はあれだ。あいつに聞くに限る。

 

 困ったときの遠藤寺さんだ。

 

 

 

■■■

 

 

 

 食堂内は閑散としていた。

 現在時刻は午前10時。昼時ともなれば学生でごった返すこの食堂も、この時間は殆ど人がいない。

 友達同士で雑談してたり、1人で携帯を弄ってたり、机に突っ伏している生徒がいたり、そういう奴らがちらほら見えるくらいだ。

 食堂の奥、いつもの場所に向かう。

 いつも通り遠藤寺が席に座って――いなかった。

 

「あれ?」

 

 まあ、アポも取ってないし、いなくても当然なんだが。

 

「でも、まだ残り香を感じる」

 

 テーブルに近づくと遠藤寺特有の柑橘系の香りを感じた。

 ついでにいつも遠藤寺が座っている椅子に触れてみる。

 温かい……。まだ遠くには行っていないはず。

 よく見るとテーブルの上に遠藤寺のであろう単行本が置いてあった。

 席を外しているだけで、すぐに戻ってくるのだろう。

 

「よし、座って待つか」

 

 俺は遠藤寺を待つことにした。

 遠藤寺の体温が残る椅子に座る。

 普通、人が座って間もない生暖かい椅子ってのは気持ち悪いもんだけど、これが遠藤寺の温かさって感じると、こう……フフフ。未来永劫座っていたくなるよね。何ともいえない背徳感のある温かさ。この熱を利用した発電で一儲けできないだろうか、みたいなことを考えていると、後頭部を突かれた。若干湿り気のある感覚。

 振り返る。

 発電エネルギーの源たる遠藤寺がいつものジト目で人差し指を突き出していた。

 

「こら。人の席で一体何をしているのかな君は?」

 

「いや、別にお前の席じゃないだろ。ここ食堂だぞ? パブリックスペース、いわゆる公共の場だ」

 

「いいや、違うね。この席に限ってはボクの席だ。椅子の背もたれを見てみるといい」

 

 何言ってんだコイツ、と思いながら今座っている椅子の背もたれを見た。

 

『遠藤寺専用椅子。許可なく座ったものには罰金10万円を処す』

 

 と書かれていた。

 遠藤寺が指を引っ込め、胸の前で腕を組んだ。

 

「ボクは潔癖症だからね。他人が座った椅子は使いたくないのさ。だからその椅子の権利を買った。――お金でね」

 

 フフッと皮肉気な笑みを浮かべる遠藤寺。

 俺はコイツYTAO(やっぱりちょっと頭おかしい)だわと思いつつ、罰金払わされては適わんので、そそくさと正面の椅子に移動した。

 遠藤寺がゴスロリスカートの裾を抑えながら金で買った椅子に座る。

 

「……ん、椅子が温かいね。ボクは冷え性だから助かるよ。ありがとう」

 

「席暖めておきました……って誰が猿やねん」

 

 BASA○Aでの持ちキャラが秀吉な俺は即座に反応してのけた。

 しかし潔癖症の癖に、俺が座ったあとも普通に座るのな。いや、座る前にファブリーズとかで丹念に消毒されたら、ショックで吐くと思うけど。

 

「どこ行ってたんだ遠藤寺?」

 

「ん? いや、別に大した用事じゃないよ」

 

「じゃあ教えてくれていいじゃん」

 

「……花を摘みにね」

 

 へー、何それ。すっごい乙女っぽいじゃん。

 最近うっすら化粧とかするようになってきたし、遠藤寺さん女子力上がってるわ。

 でも自分磨きもほどほどにね。唯でさえ遠藤寺さんマジ美人なんだから、女子力上げすぎたら遠藤寺の魅力に気づいたナンパ男とか寄ってくるだろうし。俺、遠藤寺が見ず知らずのチャラ男と仲良さ気に歩いてるの見たら、間違いなく世を儚んだ辞世の句を読んでから命を絶つわ。

 

 花を愛でる趣味がバレたからか、ほんのり頬を赤く染めた遠藤寺が咳払いをしてから口を開いた。

 

「ところで……授業はないはずだけど、どうかしたのかい?」

 

「お前に会いに来たんだよ」

 

 言ってしまってから、やっちまったと後悔した。

 こんな胸キュン台詞お見舞いしちゃったら、男に免疫のない遠藤寺のことだ。勘違いして「嬉しい! 抱いて! 今すぐナウ!」みたいに発情する可能性もないとは言えない。

 いや、まず無いだろうけど確率は0ではない。0ではない限り発生しうるイベントだろう。

 宝くじの1等が当たるよりも低い確率だろうけど……やべーな、本当に起こっちゃったらどうしよう。

 今日は勝負下着じゃないし、できれば後日にして欲しいな。

 だが、どうしてもというのなら相手をしてもいい。でも初めてが食堂とかマニアックすぎるので、できれば高級ホテルの最上階でお願いしたい。あ、でも……橋の下とかも……ワイルドでいいかも。

 

「……はぁ」

 

 どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。

 遠藤寺は俺の言葉に胸キュンして服に手をかけたりする様子も無く、それどころか露骨に嫌そうな表情でため息を吐いた。

 露骨と言ってもちょっと眉を寄せたくらいの些細な変化だが、3か月の付き合いがある俺にはしっかりと分かった。言葉にするなら「うわ、面倒くせ……」といった感じだろうか。

 

「お前、そんな露骨に嫌そうな顔しないでくれよ」

 

「顔に出ていたかい? それは申し訳ない。だけど、君の顔を見てこの後の展開が予測できてしまったものでね」

 

「予測?」 

 

「当てて見せよう。――君、また面倒な相談事を持って来ただろう?」

 

 俺も顔に出やすいタイプなんだろうか。

 

「よく分かったな」

 

「分かるよ、君の顔を見ればね。……はぁ、こういう時、自分の洞察力がイヤになるよ」

 

 やれやれとかぶりを振る遠藤寺。

 

「で、今度はなんだい? ……どうせまた君の家にいる幽霊関係のことだろうけど」

 

 相談する前から、目に見えて不満な表情を浮かべる遠藤寺。

 どうも遠藤寺にエリザ関係の相談をすると不満になる傾向がある。

 何でだろうかと考えるが、遠藤寺が幽霊に興味が無いからくらいしか思い当たらない。

 

 だが、今日の相談にエリザは関係ない。

 俺は今日の相談について遠藤寺に話した。

 

「ダイエット?」

 

「ああ、そうだ。ダイエットだ」

 

「ダイエットってのは世間一般でいう……あのダイエットかい?」

 

 俺からダイエットなんて言葉が出るとは思っていなかったのか、遠藤寺は少し驚いた顔をした。

 おっ、もしかして興味ひいちゃったかな?

 

「なるほどダイエットね。ふーん。少し興味が……ないね。驚くほど興味が湧かないよ。毎度の話だけど、ボクの興味が湧かない話題を持ってくることに関しては右に出るものがいないね」

 

 何かしらんが褒められたのか?

 

「……はぁ。しかし君ダイエットって。まだ幽霊に関する相談なら分かるよ。幽霊なんて常識外のものを普通の人間に相談したら頭がおかしいと思われるからね。でもダイエットって……これ、もうボクじゃなくてもよくないかい? こんな相談ボクじゃなくてもできるだろう?」

 

 確かに。言われて見ればそうだ。

 遠藤寺の言う通り、最近困ったら何でも遠藤寺に尋ねる癖がついてしまっている。よくない傾向だ。

 他に聞く人間はいくらでもいたはずだ。例えば大家さん……はないか。あの人もたいがいダイエットからほど遠いしな。となると先輩……も『ダイエット? はて? そんな儀式は存じ上げませんね』なんて言われそうだ。

 雪菜ちゃんは……いや、ないか。俺を実家に連れ戻そうとしている張本人だしな。

 じゃあ肉屋のオッサンだったら……『ほぉ? 痩せたいのかてめえ。だったら丁度いい、今店に出す肉が足りなくてなあ』みたいな怖いこと言われそう。

 他には……あれ、いないぞ。俺のコミニュティってこんなもん?

 

 じゃあ、やっぱり遠藤寺しかいないじゃん。

 だが当の遠藤寺は乗り気じゃない様子。

 どうにかして遠藤寺をその気にさせなくては。いや、その気にさせようがさせまいが、最終的には相談に乗ってくれるだろうけど、どうせならお互い気持ちよくいきたいしな。

 

 そういえば最近、遠藤寺って乙女度が増してきたし、女性扱いされると結構満更でもない感じなんだよな。

 そこを責めるか。

 

「ほら、遠藤寺ってダイエットに詳しそうじゃん」

 

 世間一般的にダイエットといえば女性が励んでるイメージがある。

 つまりダイエットに詳しい=女子力が高いということになるのではないだろうか。

 そう思っての発言だ。

 俺の予想では『……まあそうだね。ボクも生物学的には女性に分類されるし、一般的なダイエットの方法くらいは熟知している。そう女性だからね。仕方ない、女性として君に教えてあげるとしよう』そんな展開を期待していた。

 

「……」

 

 が、どうにも雲行きが怪しい。

 俺の言葉を受けた遠藤寺だが……サッと真顔になった。いつもの皮肉気な笑みも呆れるような視線もない、ゼロの状態。人形めいた表情と言えばいいのか。人形のように可愛らしいって言い方もあるけど、さっきまで普通に表情があった相手から急に表情が消えると実際コワイ!

 

「……へぇ、面白いことを言うね。ボクがダイエットに詳しそう、今そう言ったかな?」

 

「あ、うん。そう言ったけど」

 

 面白いと言う割りには、遠藤寺が面白がっている様子はない。

 

「つまり君はこう言いたいのかな? ボクにはダイエットの知識が必要。ボクにはダイエットが必要だと」

 

「いや、そういうこと言ってるわけじゃ」

 

「いいや、そうに決まってるね!」

 

 珍しく声を荒げた遠藤寺。その表情を見ることはできなかった。

 何故なら遠藤寺の右手が俺に伸びてきて、その手が俺の鼻の上から頭部までをガッシリ掴んだからだ。

 いわゆるアイアンクローだ。

 

「お、おい落ち着けよ遠藤寺。いったいどうしたんだよ?」

 

「ハハハハハ。ボクは落ち着いているよ。いつだったか君に言っただろう? 探偵はどんなときだって冷静でいなくちゃいけない。だからボクは冷静だ。いいかい?」

 

 冷静な人間はいきなり人にアイアンクローかまして来ないんですけどね。

 突然の奇行に俺は混乱した。

 一体先ほどの発言の何が遠藤寺をこの行動に走らせたのか。 

 

 しかし、このアイアンクローとやら、初めて食らったけど……なんだろう。凄いドキドキする。

 握られている皮膚のすぐ下に重要器官である脳が存在していて、命の危機を感じているからか、それとも単純に俺がMだからなのか……その答えを出すにはまだ足りない。さあ、遠藤寺よ、もっとギュッとするのだ! ああ、たまんねえ! たまねえたまんねえ!

 どうにかしてアイアンクローを行った原因を突き止めて、今後も遠藤寺からアイアンクローを戴きたくなった時にすぐさま発動できる安定したシステムを構築したい。

 

 アイアンクローに慣れたことで気づいたが、俺の頭を掴んでいる手が若干震えている。これは動揺だろうか。

 遠藤寺が動揺している……非常に珍しいことだ。

 俺はジッと待つことにした。

 待つこと3分。長いようで短い3分間。

 遠藤寺の手がゆっくりと俺の頭から離れた。

 遮られていた視界が開き、遠藤寺の苦虫を噛み潰したような表情が目に入った。

 

「……いきなりすまなかったね。痛くなかったかい?」

 

「いや、別に何とも無いけど。ていうか本当にどうしたよ?」

 

 俺の問いかけに、迷う素振りを見せる遠藤寺。

 ゆっくりと口を開いた。

 

「君の発言があまりに図星だったので、動揺してしまった」

 

「動揺?」

 

「まさか君に看破されるとは思っていなかったよ。どうしてボクが、その……太ったことに気づいたんだい?」

 

 太った? 遠藤寺が?

 いや……そう言われても、目の前にいる遠藤寺を見ても全く太ったようには見えない。

 それを確かめるためには、服の下の体を見ないといけないわけで……そういう方向に進めるにはどうすりゃいいんだ? 『じゃあ、ちょっと確認しますねー』って服の下に手を突っ込んでもいいのか?

 

「ああ、そうだ。君の言う通り、ボクは少し太った。確かに世間一般で言うダイエットが必要だ。だがね、それもこれも君のせいだぞ? 君とつるむようになってから、飲酒の機会が以前より明らかに増えた。君に会う前のボクはせいぜい週末に書庫に籠ってワインを1本開けるくらいだった。それが今となっちゃあ、週に5日は君と飲み歩いている。ボクは大学生か!」

 

「いや、大学生だろ」

 

 大学生は酒飲んでなんぼってところがあるからな。

 ていうか何だこの流れ? 何で俺が責められてるんだ?

 

「食事に関してもだ。ボクは元々少食でそこまで食べないのに、君が目の前でとてもいい顔をして食事をするから、ボクまで箸が進むんだ。その君の顔を肴にしてお酒が進むし。そりゃ太るよ。そりゃ太ってしまうよ! 太らざるをえないよ!」

 

 ドンと机を叩く遠藤寺。

 今までに見たことがない遠藤寺の剣幕に俺は「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。

 

「家でもふと君の顔が浮かぶとそれが食事時なら、条件反射的に食が進む。……ボクは犬か!」

 

 なんだよ全部俺のせいかよ。もういいよ。そうやって世界中の悪いことは全部俺のせいにして、最終的に俺が死ぬことで怒りの矛先を霧散させる計画、タツミレクイエムが成功してから好きなだけ泣けよ。だが扇は許さん。決してな。

 

 しかし遠藤寺にもそんな悩みがあったとは。同じく体重を気にしている同志として親近感が沸く。

 

「じゃあ、ちょっと飲みに行くの控えるか。俺たち目的が同じみたいだし」

 

 俺がそう言うと遠藤寺は、テーブルをたたく手を止めた。

 そして何かを考え込むように顎に手を当てた。

 

「いや、それは軽率だ。問題を解決する際、問題そのものを潰す方法は誰にでもできる。だがボクは好きじゃないね。いいかい? ボク達は人間なんだ。人間は考える生き物。思考停止しちゃいけない。そうだね……よし、いいことを考えた。この間、駅の近くにサラダのBARが出来たんだ。あと、一駅離れた所に、豆腐料理の店があったはず。今後はそういった重くない食事を摂る場所でお酒を楽しむことにしよう。いいかい?」

 

「あ、はい」

 

 畳み掛けるような言葉を前に、反射的に頷いてしまった。

 

 俺は改めて、遠藤寺にダイエットについて尋ねた理由を伝えた。

 あくまで女性としての遠藤寺に尋ねたこと。

 別に遠藤寺が太って見えたことを遠まわしに伝えたわけではないこと。

 

「……つまり、ボクは自分で藪を突いて勝手に自爆したってわけか。ハハハ……滑稽だね。実に……滑稽だよ」

 

 力なく自嘲気味に笑う遠藤寺に、俺は声をかけることはできなかった。

 ここで『俺はムッチリした女の子も好きだよ』って声をかけてもいいが、だから何だよって切れられてることは明白だろう。

 

 しかし遠藤寺も体重とか気にするんだな。やはり遠藤寺も女の子ってわけか。

 これから遠藤寺に対して体重のことを聞くときは気をつけよう。タツミ覚えた。

 

 改めて遠藤寺にダイエットの方法について尋ねた。

 

「ボクからは一般的なダイエットの方法しか教えられないけど、それでいいのかい?」

 

「ああ、それでいいよ」

 

 遠藤寺の言葉は、ネットで転がっている有象無象のどの言葉よりも信じられる。

 

 そして遠藤寺から語られたのは、本人が言っていた通り、ダイエットの基本的なことだった。

 重要なのは2つ。

 

 食事制限と運動だ。

 

 食事制限については問題ないだろう。エリザに任せておけばいい。

 だから問題は運動だ。

 

「運動といっても色々あるけどね。効率的なのは水泳だと言われているよ。アレは体に負荷のかかる水中での全身運動だからね。近くに泳げる場所があるならオススメするよ」

 

 水泳できる場所か。

 つい最近大家さんが泳いでいたアパートの庭が思い浮かんだけど……あそこ、ヤバイ生き物たくさん住んでるんだよな。大家さんが言うのは、最初はメダカとかアメンボとか普通の生き物しかいなかったのに、気づけば訳の分からないカオスな状態になっていたとか。そんな所で平然と泳ぐ大家さんマジタイプワイルド。

 まあ、ないわな。リスクが高すぎる。あんな所で泳いだら脂肪を落とす前に命を落っことすわ。

 

「泳ぐ以外で何かないのか?」

 

「ふむ。だったらジョギングだね。最初はウォーキングから始めてもいいけど、手っ取り早く体重を落としたいなら、走ったほうがいい」

 

 走るか……。

 俺、走るのって苦手なんだよな。基本移動が徒歩のゲーム並みに日常生活でも極力走らないし。

学生時代でも走るのっていったら、授業が終わって夕方アニメに間に合うように走るくらいだったし。

 授業のマラソンとかも辛くて仕方がなかった。携帯ゲーのリセマラなら苦にならないんだけどな。

 

 しかしもっとこう……お手軽に行かないものだろうか。

 

「なんか、こう……飲むと痩せるお薬とか――」

 

「ないよ。そんな夢物語の産物が現実に存在するわけないだろう。少し考えれば分かるだろう」

 

 食い気味かつ若干キレ気味に言われた。

 飲むと都合よくお休みしちゃうお薬を常備していたとは思えない言葉だ。

 

 どうやら地道に走るしかないらしい。

 今日帰ってから……いや、明日の朝から始めることにしよう。

 

「しかし、いきなりダイエットなんて、どういう風の吹き回しだい?」

 

「あー……実はな」

 

 遠藤寺に説明した。

 妹と月に1回写真を送りあっていること。妹に体重が増えたことを指摘されたこと。

 1週間以内に体重を落とさなければ、実家に強制送還させられること。

 

 内容が内容だけにちょっと引かれるかと心配したが、遠藤寺の表情を見る限りその心配はないようだ。

 遠藤寺は俺の話を聞いて興味深そうに微笑んだ。

 

「ふぅん。妹、か。君、妹がいたんだね」

 

「あれ、言ってなかったっけ?」

 

「ああ、初耳だよ。しかし……ふふっ。3ヵ月目でようやく家族構成の一端を引き出せた、というわけだ。まだまだ君について、ボクが知らないことは山ほどあるんだろうね。焦れるような感情はあるけど……これがなかなか心地いい」

 

 遠藤寺はその辺にいる女の子みたいにくすぐったそうに笑い、鞄の中から手帳を取り出した。

 そしてペンで何やら手帳に書き込む。

 

「なにその手帳?」

 

「これかい? 今まで得た君についての情報をまとめている手帳さ」

 

「へー……え?」

 

 サラっと言ってのけたが、なに勝手に人の個人情報まとめてくれてんだコイツ。

 

「簡単な日記も兼ねていてね。えっと『今日、突然太っていると指摘された。衝撃の余り前頭葉の辺りを握りつぶしてしまいそうになったが、どうやら誤解だったようだ』と」

 

「心情を素直に書きすぎだろ。こえーよ」

 

 もし遠藤寺が何かしらの犯罪で捕まったとき、この手帳は間違いなく重要な証拠になるだろう。

 

「『どうやら彼には妹がいるらしい。実に興味深い情報だ。妹はどんな防寒着を身に着けているのだろうか』」

 

「いや、夏でもマフラーつけてるの俺だけだから。一族全員が着用強いられてるわけじゃないから」

 

 遠藤寺は一体俺を何だと思っているのだろうか。

 

 遠藤寺が手帳を鞄にしまった。

 

「しかし兄妹同士で身体情報を交換しあってるなんて、変わっているね」

 

 遠藤寺に変わっていると言われるとか遺憾の意以外の何物でもないけど、間違っていないから言い返せない。

 

「まあ、そういった変わったイベントなら我が家にもあったよ」

 

「へぇ。どんな?」

 

「毎年誕生日に、拉致されて見知らぬ場所で目を覚ますのさ。場所はその年によって様々で、廃屋、閉鎖された精神病院、どこぞの国にある古城の地下牢、今にも沈みそうな客船の一室……そこから自分の探偵としての力を駆使して脱出。見事脱出したら、そこにはクラッカーを構えた家族達が迎えてくれる……というサプライズイベントがあってね。毎年のことだから、もうサプライズでも何でもないけど、これが結構楽しみでね」

 

「お前よく人んちのイベントを変わってるとか言ってのけたな」

 

「フフフ。去年は毒ガスが充満する廃校から脱出するイベントだったが、これがまた冷静さを養ういい訓練になったよ」

 

 何かウチのイベントがすげえ大したこと無い気がしてきたわ。

 つかなにそのイベント。もしクリアできなかったらどうなっちゃうの? 毒ガスってマジな毒ガス? それとも毒ガスと偽った吸っちゃうと体がトロントロンになっちゃうガス?

 どっちにしろ正気とは思えんな。他所様の家族を悪くは言いたくないけど……俺遠藤寺の家に生まれなくてよかった。

 

 その後もどれだけ予算かけてるんだよとツッコミを入れたくなるサプライズイベントを聞いて食欲が無くなる俺。一方の遠藤寺はスペクタクルなイベントの思い出を語って空腹になったのか、席を立ってうどんを購入してきた。

 

 ツルツルとうどんを啜る遠藤寺。

 遠藤寺は肉うどんが好みのようだが、今日はワカメうどん。そういえばここ数日はワカメやら野菜うどんなどヘルシーな昼食だった気がする。

 体重を気にしているのは間違いないようだ。

 

 少し早いが俺も昼食を食べることにした。

 エリザが持たされてくれた弁当箱を取り出し開く。

 

 ヘルシーな食事にすると言われていたので、弁当箱いっぱいの野菜なんかも覚悟していたが……普通の弁当に見えた。

 米も入ってるし、ハンバーグ何かも入ってる。

 

「ふーん。玄米か。ちゃんと食事も考えているんだね。こっちは……おからのハンバーグか。相変わらず手の込んだ食事だ。……見ているだけで君への想いを感じるよ」

 

 遠藤寺がうどんを啜りながら、ジトッとした目で弁当の評論をしてきた。

 フハハ、羨ましかろう! しかもご飯の上に海苔でハートである!

 食べてみると……まあ、いつものことながら普通に美味かった。ありがとうねエリザちゃん。

 残さず召し上がり、早めの食事を終える。

 家にいるエリザに向けて、ご馳走様と頭を下げた。

 

 そういえば俺がいないときのエリザって何してんだろうな……。

 気になるからDLCで番外編を希望するわ。200円までなら払う。

 

 遠藤寺の食事風景を眺めていると、携帯が振動した。

 雪菜ちゃんからのメールだ。

 

『残り6日』

 

 とだけ書かれていた。

 こえーよ。シンプルさで恐怖と焦りを煽ってくるパティーンだ。

 俺が怖気づいているのを予想して、くすくす笑っている雪菜ちゃんが想像できる。

 くそっ、雪菜ちゃんなんかに絶対負けないんだから!

 

「メールかい?」

 

「ああ、妹から。ダイエット頑張れってさ」

 

 ワカメを箸で摘みながら首を傾げる遠藤寺に言った。

 

「ふぅん。仲がいいようで何よりだ。しかし君の妹か……個人的になかなか興味がある。君という面白い人間と血の繋がった存在に対する興味でもあるが……まあ、将来懇意にするかもしれない、という点でもどういう人間か知っておきたいね」

 

 あまり他人に関心を示さない遠藤寺にしては珍しい。

 百合の木はどこにでもニュキニョキ生えてくるし、遠藤寺と雪菜ちゃんが百合の木から舞い散る花の下でチュッチュする展開もありうる。大切な親友と妹が百合な関係になるとか……NTR要素も込み込みでお得じゃない? こりゃ見逃す手はねーぜ!

 

「写真あるけど見るか?」

 

「うん、見たいね」 

 

「可愛い写真と、凄い可愛い写真と、物凄い可愛い写真があるけど、どれにする?」

 

「……普通の写真はないのかな?」

 

「普通に可愛い写真ならあるけど」

 

「じゃあ、まあ……それで」

 

 何やら疑惑の視線を向けてくる遠藤寺。手帳を取り出し、サラサラと何かを書き加えている。「……シスターコンプレックスの気あり? 要観察継続」みたいなことを呟いている。

 誰がシスコンだよ全く。失礼しちゃうわ!

 だってどの写真も可愛いんだから、しょうがないだろ。

 まあ、遠藤寺も雪菜ちゃんの写真を見れば納得するだろう。驚く顔が楽しみだ。

 

 スマホを取り出し、ロックを外す。

 待ち受け画面が表示され、ポップアップしたメニューにタッチして写真が入ったフォルダを選択――

 

「ちょ、ちょっと待った」

 

 しようとしたところで、遠藤寺から待ったがかかった。

 遠藤寺が箸でうどんを掴んだまま、片方の手の平を俺に向けていた。

 

「なんだよ?」

 

「いや、今君のスマホの画面が目に入ってね。恐らくはボクの見間違いだろうけど、その画像が……ボクの写真だったように見えたんだ。いや、間違いなく見間違いだろうけど。君がボクの写真を待ちうけ画面にする理由がないしね。だけど少しでも疑問を持ってしまったらそれを解消するまで我慢できないのが、ボクの悪い癖でね」

 

「ははは、確かに遠藤寺ってそういうところあるよな」

 

「我ながら困った癖だよ。些細な疑問も見逃せなくてね」

 

 うどんを掴んだままやれやれとかぶりを振る遠藤寺。

 そんな遠藤寺を見て笑う俺。

 どこからどう見ても平和な普通の食堂の光景だ。

 

 俺は遠藤寺の疑問を解消するため、スマホの画面を遠藤寺に向けた。

 

「ほら、遠藤寺の写真だ。で、雪菜ちゃんの写真なんだけどな」

 

「待て待て待て待て。あまりの予想外な展開に、君の妹への興味なんか明後日の方向に飛んで行ったよ」

 

 じゃあ、明後日にまた聞かれるのか?

 そんなことを考えていると、遠藤寺が素早い動きで俺からスマホを奪い取った。

 は、早い……! 俺じゃなくても見逃しちゃうね。

 

 遠藤寺は奪い取ったスマホを食い入るように睨みつけた。

 

「……や、やっぱりボクの写真だ。とりあえず聞くけど……こ、これ、いつから待ち受けにしていたのかな?」

 

「1週間くらい前からかな」

 

 その前はスクール水着で戯れる大家さんを待ち受けにしていた。

 その前は編み物をするエリザ。

 

 遠藤寺は困惑と羞恥が混ざったような複雑な表情でスマホの画面を見ていた。

 

「……り、理由を聞かせてくれないかな? 何を思ってボクの写真を待ち受けに? いつどうやって撮ったのかはこの際どうでも……よくはないけど! まずは理由を。ボクを納得させる理由を聞かせてくれないかな?」

 

 スマホを持った手を震わせながら問いかけてくる遠藤寺。額には汗が浮かんでいる。

 確かに……納得は全てにおいて優先するもんな。

 しかし遠藤寺を納得させる理由か。

 

「理由って言われてもな」

 

 待ち受けにしている写真は遠藤寺がこの席に座って、読書をしている写真だ。

 空調の風が当たってなびいた髪をかきあげる仕草を奇跡的に撮ることができた。

 

「綺麗だと思ったからやった。反省はしていない」

 

「きっ!?」

 

 遠藤寺が普段あげないタイプの声を出しながら席を立った。

 テーブルを押しのけながら勢いよく立ち上がったので、勢いよく移動してきたテーブルが俺の鳩尾に直撃した。

 

 遠藤寺の動揺が伝わっているのかテーブルがカタカタ揺れている。

 遠藤寺は深く息を吸い、大きく吐いてから席に着いた。

 

「……綺麗って君、そういう冗談は笑えないな」

 

「い、いや冗談とかじゃなくて。ほら、例えばさ、道を歩いててふと虹が見えたら写真撮ったりするだろ? で、上手く撮れたら何回も見たくなるじゃん。そしたら待ちうけにするだろ? そんな感じで遠藤寺の写真を待ち受けにしたんですけど……」

 

 最後の方の声は遠藤寺の顔がこちらを探るような疑惑の表情になっていたので、小さくなってしまった。

 

「……嘘は言っていないようだね。その……つまり、ボクの写真が君にとって何度も見たくなるような価値があった、と。そういうことかい?」

 

「あ、ああ。そうなんだけど……え、もしかしてマズかった?」

 

「当たり前だろう。勝手に写真を撮った上に、それを待ち受け画像にしていたとか、常識的に考えて普通はマズいに決まっているだろう? まあ、気づかなかったボクもボクだけど……」

 

 遠藤寺から常識について諭されてしまった。

 そ、そうだったのか……。これってマズいことだったのか。

 実家にいた頃、雪菜ちゃんに同じことして注意されるどころか『待ち受け画像にするならこちらにしてください』って指示されたくらいだから、問題ないと思ってた。大家さんも『特別に一ノ瀬さんだけは著作権フリーですよー』みたいに自画撮りの写真くれたし。

 うっわ、遠藤寺のこと常識ないと思ってたけど、俺も人のこと言えんな……。

 

「ごめん。えっと……全部消した方がいいかな?」

 

 そう言うと遠藤寺は、深くため息を吐いた。

 俺の顔を見ずに、自分の髪を弄りながら言う。

 

「まあ……いいさ。ああは言ったけど、ボク自身君に対して怒りやそれに近い感情は抱いていないし、戸惑いはしたけど、どちらかというと嬉しいという想いの方がある。自分でも不思議だけどね。君にとって価値の存在ある存在であるということが分かったからかな」

 

「そ、そうか……」

 

 よく分からんが許してもらえたようだ。

 

「ただ、今後写真を撮るなら一声かけてからにして欲しい」

 

 何言ってんだこいつ。被写体がカメラ意識しちゃったら、自然な写真なんて撮れないでしょうが!

 これだから素人は困る。

 ん? でもカメラを意識して不自然な挙動になる遠藤寺も……アリだー!

 今後はカメラを意識した被写体という素材も考慮しつつ、より素晴らしい写真を撮って至福を肥やすことを誓いまーす。

 

「ん。全部ってことは……他にもボクの写真が?」

 

 遠藤寺は何気に隙が多いからな。シャッターチャンスも多い多い。

 まあ、隙が多いって言っても周りに他人がいないって時限定だけどな。

 

 スマホを操作して遠藤寺フォルダを開く。

 

「……いつの間にこんな量を。君、盗撮の才能があるね」

 

「いらねーよそんな才能」

 

「しかしなかなか上手く撮っているね。自分で言うのも何だけど、被写体が綺麗に映っている」

 

「遠藤寺って写真映りいいからな。俺みたいな素人が撮ってもいい絵になるんだよ」

 

 お陰で撮影スキルが低い俺でも、かなりペロペロしたくなる写真が簡単に撮れる。

 遠藤寺は俺の発言に対して、肩をすくめた。

 おどけたような仕草だが、その頬は仄かに紅潮していた。 

 

「しかし撮られっぱなしってのもシャクだね」

 

 遠藤寺がいつもの皮肉気な笑みを浮かべて、思いついたとばかりに言った。

 

「そうだ。君の写真を撮らせてもらおうか。そしてボクの携帯の待ち受けも君にしよう。これで手打ちということにしようと思うが……どうかな?」

 

「え、嫌だけど。俺写真撮られるのってあんまり好きじゃないし」

 

 遠藤寺は美少女可愛いからこの世界にいくらでも写真っていう痕跡を残してもいいだろうけど、俺なんかの痕跡残してもしょうがないだろ。

 

 俺の発言に遠藤寺は笑顔を浮かべた。

 普段浮かべる皮肉気な笑みではなく、童女のような純真な笑み。

 

 その笑みを浮かべたまま、右手で俺の顎を掴み固定し、左手で構えたスマホでぐにゃりと変顔になった俺を撮影した。

 そのままスマホの待ち受けにされる俺の変顔。

 「何か文句でも?」と言いたげな顔の遠藤寺に、当然文句はあったがそのまま顔をトマトみたいに潰される危険があったので泣き寝入りするしかなかった。



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縮地四天王第三の刺客――仮面雅夫(雅夫は改造人間である。車に轢かれた彼は謎の組織の手で蘇り薬漬けによる洗脳の結果、悪の組織と戦うヒーローとなったのだ)

 

「ボクは調べ物があるから図書室に行くけど、君はどうする?」

 

 右手で持った俺の変顔アップを待ち受けにしたスマホを満足そうに眺めつつ、反対の手に持ったハンカチで優雅に口を拭う遠藤寺。

 昼食を食べ終わり、現在の時刻は12時30分。

 今日の授業はもう無いし、どうせだから遠藤寺に付き添って図書室で○ラックジャックでも読もう。それか、○ッコケ三人組でもいいかな。 

 

 そういうわけで、遠藤寺と一緒に図書室へ向かう。

 道中、他の生徒からの視線を浴びる。遠藤寺と一緒に過ごして長いし、こういった視線にも慣れた。

 視線に含まれる言葉だって感じ取れる。『あ、アイツだ』『なにあの格好?』大きく分けてこの2種類。前者は遠藤寺を見たことがある人間、後者は初めて遠藤寺を見た人間の視線だ。その視線の数々は容赦なく遠藤寺に降り注ぐが、遠藤寺が気にした様子はない。気品を感じさせる歩みは決してぶれることはない。ちなみに俺に向けられる視線は……ない。遠藤寺が目立ちすぎるせいで、俺という存在は完全に影になっているからだ。もしかしたら突然全裸になったとしても、誰も俺に気づかないかもしれない。……ん、閃いた。この現象を『幻のシックスマン』現象と名づけよう。この現象を利用すれば――みたいなことを考えていると、何かに手を引かれた。

 

「ほら、何をぼんやりしてるんだい? 時間は有限なんだ」

 

 そう言って俺の手を引く遠藤寺。遠藤寺に手を握られるにも慣れたものだ。遠藤寺も慣れた様子で……あ、ちょっと顔赤い。

 

 図書室に向かって歩いていると、途中俺が所属しているサークル『闇探求セシ慟哭』の部室の前を通った。

 そうだ。デス子先輩に挨拶でもして行こうかな。

 せっかく遠藤寺も一緒にいることだし、先輩を紹介してもいいかもしれない。

 遠藤寺ってば、俺以外に友達いないからな。ここらで一つ、友好関係を広げてもいいかもしれない。

 先輩なら遠藤寺のいい友人になれそうだ。

 2人とも変人……いや、ちょっと変わってるし、相性はいいだろ。

 

 部室扉の前で急に立ち止まった俺に、手を引いていた遠藤寺が若干つんのめった。

 

「こんな所で立ち止まってどうしたんだい? 次の講義が始めるまでそんなに時間は無いんだ。早く行かないか?」

 

 そう言って手をグイグイ引いてくる遠藤寺。

 その勢いを利用して遠藤寺の体を押し倒し『こ、これは事故だ!』と無実を証明したい欲望に駆られたが、今は遠藤寺に先輩を紹介する方が重要だ。

 

「ここさ、俺が所属してるサークルの部室なんだよ」

 

「……サークル?」

 

 詳しくは話していないが、俺がサークルに入っていることは遠藤寺に説明している。

 俺が取ってない講義を遠藤寺が取っている時、俺は手持ち無沙汰になる。1人で時間を潰すことになる俺に対して遠藤寺が気を遣ってくるのでそういう時に、サークルの部室で暇を潰してくると言っているのだ。

 

「サークルというのは……君がたまに言っている……あの?」

 

「そうそう。お前が講義受けてる間、ここで時間潰してるんだぜ」

 

 なんせいつ行っても先輩がいる。

 少なくとも俺がここを訪ねて、先輩がいなかったことがない。

 ……先輩、授業とか受けてるのか?

 

「……そ、そうか。なるほど……ふむ」

 

 何故か表情に気まずいものを浮かべ、俺の顔と部室の扉を交互に見る遠藤寺。

 妙な反応だ。

 

「え、なにその反応?」

 

「いや……その、な、何でもないさ」

 

「明らかに何でもある反応だろ。言えよ」

 

 遠藤寺は申し訳なさそうな顔で口を開いた。

 

「その……本当に実在していたんだなぁと、そう思って」

 

「は? どゆこと?」

 

「てっきりボクと離れて一人孤独な時間を過ごすだろう君が、ボクに心配をかけさせないように作った架空のサークルだとばっかり……」

 

 なに? つまり遠藤寺の中では、俺って『遠藤寺が講義受けてる間、ちょっとサークル行ってくるわ』とか言いながら、一人寂しく時間を潰してた可哀そうな子になってたわけ? クビになったサラリーマンが出社するフリして公園でブランコをキコキコしてるが如く? 

 あ、だからいつもその後で合流した時、妙に優しくしてくれてたんだ。へー、些細な疑問が解☆決!(横ピース)

 

 何勝手に勘違いしたうえ、人を哀れんでくれてるんですかね。

 この女、マジでどうしてくれようか。その界隈(主にインターネット)では『ナチュラルボーンカッター』と呼ばれた俺のアイコラ技術でアレしてやろうか。

 

「……う。そんな目で見ないでくれ。勝手に勘違いして申し訳ないと思っているよ。それに正直、ボクと一緒にいない時の君に居場所があって安心してたよ」

 

 誤魔化しているわけでもなく、心の底から俺を案じた言葉。

 うっわ。コイツマジでずるいわ。そうやって人のことディスった後に案じてくるとか……まあ嬉しいですけどね。ありがとね。

 

「で、その部室の前で立ち止まってどうしたんだい?」

 

「サークルでいつもお世話になってる先輩がいるんだけど、ちょっと遠藤寺に紹介でもしようかなぁって」

 

「紹介?」

 

 首を傾げる遠藤寺。

 

「うん。その人、デス子先輩っていうんだけどな。結構変わってるけど、世話焼きで優しいし、あと結構変わってるしお前と合うと思うんだ。変わってる人だけど、実際付き合ってみると面白いし」

 

「……君がボクをどう思ってるか今一度問いかけたくなる紹介ありがとう。ふむ。もしかしてだけど君、ボクに友達を紹介しようとしているのかな?」

 

 話が早い。

 遠藤寺は博識だ。様々な方面の知識と情報を持っている。

 遠藤寺は友達ができるし、都市伝説とかの情報を求めてる先輩には情報源ができる。これぞwin-winだ。

 そして俺は可愛い女の子同士がキャッキャウフフする百合の花満開な光景を目にすることができる。最高だ。

 もしかすると2人が仲良くなりすぎて、俺を置いて買い物に行ったり遊びに行ったりするかもしれないけど……それはそれで。その光景を隠れながらこっそり眺めるっていう若干NTR要素を含んだ願望も満たされるし。やべーな、いいとこだらけじゃん。俺人生の勝ち組だわ。最早優勝だわ。

 

「……正直あまり気乗りがしないな」

 

「え?」

 

 俺の邪悪な展開を見破られたのか?

 いやいや、俺のポーカーフェイスは完璧なはず。どこからどう見ても、助兵衛心なんて微塵も無い、友達の輪を広げたいだけの人畜無害青年って顔のはず。

 

「友達、ね。そもそもその『友達』という存在自体、ボクの人生には無縁の物だったんだ。ボクはこんな……君の言葉を借りるなら、変わり者だろう? そんなボクに世間一般の『友達』という存在なんて縁が無いと、物心ついたときには思っていた。今の今になるまでね。君がこうして目の前に現れるまで、こうやって心を許して、何の利害もない会話を交わせる相手が現れるなんて思っても居なかった」

 

 遠藤寺は俺の顔を見ながら続けた。

 

「つまり君はイレギュラーなんだ。ボクの人生にとってはね。本来、ボクが歩む人生には決して関わるはずの無かったファクター、それが君なんだ」

 

 つまり俺はイレギュラー(例外)ってことか?

 や、やめてくれよ……。そんなイレギュラーだとかファクター(因子)とかシンギュラリティ(特異点)だとか言われたら再燃しちゃうだろ!

 ブラックヒストリー(黒歴史)という名の闇からいっぱい引っ張りだしたくなっちゃうじゃん! この歳で右手が疼きだしたらどうしてくれんの? 当然の流れで右手に包帯とか巻いて『怪我でもしたのかい? じゃ、じゃあボクが……君の右手の代わりになろうかな』みたいなこと言ってくれるの? 遠藤寺の日々? 防御もお願いできるのか? 

 落ち着け俺、中二病は先輩だけで十分だ。

 

「何が言いたいかって言うと……うん、そうだね。十分なんだよ。ボクの人生で『友達』という枠は君で一杯なんだ。これ以上増えることはない」

 

 世界に1人だけの友人認定されて、嬉しいっちゃあ嬉しいけども。

 はいそうですかって引き下がれるほど、俺の計画――YMO作戦、つまり『Y(百合の花を)M(愛でる)O(オペレーション)作戦』は甘くないぜ!

 こんな風に断られる可能性も作戦の内。

 

「そうか……」

 

「そういうことだ。ボクのことを想って提案してくれた君には悪いけどね。……うん、ボクのことを考えてくれたことは、その……とても嬉しいよ」

 

 照れているのか、若干頬を染めながら言う遠藤寺。

 普通の人間だったら、こういう時恥ずかしくて相手の顔なんて見られないはずだろうけど、遠藤寺はガッツリ見ながら言ってくる。

 まあ、俺は普通の人間だから、そんな遠藤寺の視線向けられたら恥ずかしくて顔を逸らすわけですけど。

 

「……んんっ。分かった、遠藤寺の言葉はよく分かった。だがお前は勘違いしている」

 

「勘違い?」

 

「そうだ。お前は『友人』という枠は一つで十分、そう言ったな?」

 

「ああ、言ったよ」

 

 よし言質は取れたぜ。今の言葉が遠藤寺の堅牢な城壁を崩す最強の矛となる。

 遠藤寺は言った。友人は1人だけ、と。

 つまりその枠から俺が外れれば、その枠は空くということだ。

 

「なぁ遠藤寺……」

 

 俺は遠藤寺に近づいて、馴れ馴れしく肩を抱いた。

 一瞬遠藤寺の体がビクリと震えたが、今日までこんな風に身体的に距離が近づいたことは何度でもある。

 出会った頃なら、突き飛ばされていただろうけど、今は慣れたものだ。実際飲みに行ったときとか、最初は机を挟んで正面同士で座ってるけど、いつの間にか隣に座ってほぼ密着して飲んでるしな。

 

「……ち、近いな君。一体なんだい? その……ここはいつ人の目が来るか分からないし、できればこういうのは2人だけの時に……」

 

「俺とお前って友達か?」

 

「なんだい薮から棒に。その筈だろう?」

 

「そうか。俺は違うと思ってる」

 

「……んん? そ、それはつまり……その、友達以上、と。そういうことかな?」

 

「……」

 

 俺は答えなかった。言葉は必要ないからだ。

 俺の沈黙を是と受け取ったのか、遠藤寺は表情こそ冷静そのものだが、口をわずかに震わせていた。

 しかし、コイツめっちゃええ匂いするわ。甘味値高めの果物みたいな匂い……苺みたいな。思わず練乳ぶっかけたくなるわ。今日は黒一色にゴスロルファッションだし、練乳の白が映えるだろう。だが残念ながら手持ちの練乳はない……残念だ。今度からチューブの練乳携帯しとこ。

 

「……ここだけの話、その……ボクも、そう思っていたよ。確かにボクと君の関係を表すに『友人』という言葉は不相応じゃないかと、そう思っていた。まさか君の方からそういった話が出るとは思っていなかったけど」

 

 なるほど。遠藤寺もそう思っていたなら、話が早い。

 

「色々考えてはいたんだが、ボクと君を繋ぐ関係として近いのは……あ、あくまで近い関係だけど。それは、世間一般で言う、こ――」

 

「『親友』」

 

 そう親友だ。

 ここらでハッキリさせておこう。俺と遠藤寺の関係は友人以上親友イカの辺りをフワフワしていた。

 俺は遠藤寺のことを唯一無二の親友だと思っていたし、遠藤寺も俺を呼ぶときは『親友』と呼んでいた。

 だがハッキリと親友の関係にあったか、そう言われると疑問だ。

 そもそも友人と親友の違いは何かという話だが、そんなのは分からない。恐らく誰にも。

 だからこそ、ここら辺でハッキリと言葉にしておくことが必要だと思った

 俺と遠藤寺は親友。

 

「……親友?」

 

「そう、親友だ」

 

「も、もう一声……はないのかな?」

 

「は?」

 

 何を言ってるんだこいつは。親友の上ってなんだよ。義兄弟とか? 

 いや、流石にそこまでは……まだ早い……よ。

 

 遠藤寺は何か言いたそうに『いや、その……』『もっと、こう……』『その、なんだ』みたいな短めな言葉を口をパクパクさせながら呟いた。

 だが、それがハッキリと言葉になることはなかった。なので続ける。

 

「親友だろ、俺とお前。違うか?」

 

 ここでもし『は? 何を言っているんだ君は? 親友? バカバカしい。ボクは君のことを辛うじて友人としか思っていないよ。それを親友? 君それはちょっと図々しいだろう。厚かましい。いっぺん死んでみる?』なんて言われたら、ショックのあまり自作のポエムをネットに流出して憤死する。死んで地獄行って可愛い鬼の子と恋人になってから浮気して嫉妬に狂った鬼の子に電流を流されるっちゃ!

 

「……ああ、そうだね。親友、うん。ボクと君の関係性はそれだね。うん、ボクもそう思っていたよ」

 

「本当に? 何かあんまり納得してない感じだけど」

 

「いや、そんなことはないよ。……はぁ」

 

「ため息出てるけど」

 

「出てないよ。……はぁぁ」

 

 おかしいな。ここは『親友――なんて素敵な響きだ』みたいに感動する場面なんだけど。

 滅茶苦茶ため息吐いてるし、拍子抜けした顔してるし。

 

 ま、まあいい。俺と遠藤寺は親友。問題はここからだ。

 

「で、俺と遠藤寺は親友だ」

 

「そうだね。……はぁ」

 

「ため息やめて。で、そうなると空くよな」

 

「空くって何が?」

 

「遠藤寺の中の『友人』枠だよ。言ったよな、友人枠は1人で十分って。今お前の中の友人枠は空っぽ、つまり誰かを受け入れる余裕があるってわけだ」

 

 そう、これこそが俺の対抗策だ。

 友人枠は無いなら友人枠を作ればいい。

 

「……いや、あくまでアレは比喩的に言ったわけで……いや、まあいいか」

 

「と、いうことは?」

 

「分かった。君が言ってるその先輩、紹介されるよ。君がそこまで会ってほしいとそう言うなら、会うよ。君の顔を立てると思ってね」

 

「やったぜ」

 

 YMO作戦第一段階成功!

 遠藤寺が諦めたような表情なのは気になるけど、とにかく上手くいったぞ。

 

「ちなみにそのデス子先輩とやら、あくまで女性のような呼び方はあだ名で、実際は男性だったり……」

 

「いや、女性だけど」

 

「……そうか。だったら、なおさら会っておくべきだね」

 

 というわけで、遠藤寺を紹介しようと部室に入ろうとしたが……部屋の扉には鍵がかかっていた。

 部屋の中に気配も無いので不思議に思っていると、扉の隙間には一通の便箋が挟まっていた。

 

『一ノ瀬後輩へ』

 

 と書かれた便箋。この大学で俺のことを後輩と呼ぶ人間はデス子先輩だけだ。

 これは先輩から俺に宛てられた手紙だろう。

 つーか先輩って、結構……字が下手なんだな。何つーか、普通に下手。読めないってことはないけど。

 

『我が親愛なる闇の同士――一ノ瀬後輩。この手紙を読んでいるということは、一ノ瀬後輩は我が闇探求セシ躯の本拠地に来たが、ワタシが不在だったということでしょう。ワタシは今、自宅にて休息をとっています。我が妹の戯れに付き合い町内を走ったことで人間でいうところの筋肉痛を患ったわけで……忌々しきは人間の体デス。ワタシが真の姿である『闇の躯』となれば肉の体を捨て魔力で構成されたアストラル体となりこのような痛みとは無縁になるのデスが……まだまだその日は先のようデス。つきましては当分の間、部室は閉鎖します。ワタシがいない間も、闇に生きる同士として決してサボることのないように。そしてどうしてもワタシに助言を求めたいことがあるのなら、電話を下さい。待ってます。基本的に朝の9時頃から夜中の3時頃までは大丈夫なので、好きな時にかけて下さい』

 

 と書いてあった。

 へー、先輩もランニングとかするんだ。ていうか筋肉痛で学校休むとかどんだけだよ。

 

「すまん。先輩今日はいないみたいだ」

 

「そうかい。少し残念だね。会ってみたかったんだけどね。……本当に残念だよ。」

 

 そう言う遠藤寺の顔は残念そうな表情ではあるけども、何かを企んでいるような闇を感じさせた。

 

 

 

■■■

 

 

 遠藤寺様の有難いダイエットアドバイスを戴いたその日の晩、風呂に入ってサッパリした俺とエリザは食卓に着いていた。

 ちなみに今日は汗を流す為、いつもより長湯だった。

 エリザが湯船の中で楽しそうにアヒル隊長と遊ぶ一方、俺はどうすればエリザに気づかれないようにお風呂のお湯をゴクゴク飲めるだろうかという難問に挑んでいた。エリザの汗がじっくり染み込んだお風呂の湯。当然俺の汗も染み込んでいるだろうが、俺なら自分の汗が溶けた部分は避けてエリザのお湯だけを飲むことができるという根拠のない自信に満ち溢れていた。そういった根拠のない自信が俺の原動力なのだ。

 

 さて、風呂が終われば次は夕食だ。

 風呂上りのいい匂いを振りまきながら、エプロンをフリフリしながら料理を作るエリザを見る。ガン見し過ぎると「恥ずかしいよー」と言って台所と六畳間の隔てる襖を閉じられてしまうので、こそこそ見る。テレビを見ながらチラリとエリザを見る。たまに視線が合う。エリザがはにかむ。可愛い。衝動的に金を払いたくなる可愛さだ。『いつも可愛くてありがとう。好きな物を買うんだよ』とか言いながらポケットに諭吉さんを捻じ込みたい。そしてそのお金を自分の為じゃなくて俺の為に使って欲しい。みたいなことを考えていると

 

「お待たせー。ご飯できたよー」

 

 とエリザがお盆を運んできた。てきぱきと食卓の上に夕食を並べていく。手伝おうとするも「だめー」と笑顔で拒否されるから、ただひたすら待つ。待てと命令された犬の如く。

 

 さて、今日の夕食だが――ラーメンだ。

 湯気を立てたどんぶりの中に麺が沈んでいる。その上にはもやしや海苔、あとは……めんまみーつけた。

 どこからどう見ても、普通のラーメンだ。

 

「これ、ラーメン?」

 

 俺はわずかな可能性にかけた。

 一見ラーメンに見えるが、これはそう……ラーメン以外の何物でもないな。

 

「そうだよー」

 

 やはりラーメンだった。

 ラーメンってかなり高カロリーだったような……。

 俺ダイエット中なんだけど。

 おかしいな。朝にエリザが『ダイエット用の食事は任せろー』って言ってたのに……。

 エリザを見る。

 

「熱いうちに食べてねー」

 

 ニコニコしていた。

 ここで『俺は遠慮しておきます』と言えるシタン先生がいたら、出てきてほしい。少なくとも俺は言えない。

 エリザのこの笑顔が悲しそうに歪むのを想像するだけで胃が痛くなるし、そもそも凄い旨そうだし、腹が減って我慢ができない。

 ……よし、明日からだ。明日から頑張ろう。今宵はラーメンを楽しもうじゃないか。

 そうと決まれば早速食べよう。鉄は熱い内に打て、ラーメンは熱い内の食えって言うしな。

 

「いただきます」

 

「どうぞー!」

 

 手を合わせて、箸を持つ。

 湯気を立てるどんぶりに箸を差し込み、ナルトやワカメ、メンマを避けるように麺を掬い上げる。

 掬い上げた麺をジッと見る。醤油ベースだろうか、香ばしい汁が麺に絡んでツヤツヤと輝いている。

 食欲を誘う見た目と匂い。

 腹の虫が辛抱たまらんと先ほどから胃の辺りをガンガン蹴り付けている。

 待て待て落ち着け。もう少し香りを楽しませてくれよ。

 

「えへへー」

 

 エリザは相変わらずニコニコしたままこちらを見ている。

 毎回のことだが、エリザは俺が最初の一口を食べるまでジッと見つめてくるのだ。

 本人曰く『趣味』とのこと。俺もエリザが家事をしているのを見るのが趣味だし、似た物同志かもしれない。

 しかし可愛い女の子が家事してるのを見るのは分かるけど、俺みたいな男が飯食うの見て何が楽しいのか。

 

 俺が麺を見つめていると、エリザが何かを思いついたかのように口を尖らせた。 

 

「フーフーした方がいい?」

 

 恐ろしいほど魅力的な提案をしてくるエリザだが、それをさせちゃうと唯でさえ底辺を走っている俺のクズっぷりが地下に潜りクズによるクズのためのクズだけの王国を建国しちまいそうなんで、さすがに遠慮した。未だ見ぬ国民たちには悪いが、俺はまだ辛うじて地上にいたい。

 

 掬い上げた麺を口に含み――一気に啜り上げる。

 口内に侵入してきた汁の絡んだ麺。それを咀嚼すると違和感を覚えた。

 妙に歯応えがある。噛み切るのに普通の麺より力を要する固さ。バリカタだとかモチモチだとかそんなもんじゃない、グニグニとした歯応え。

 ゆっくりと咀嚼し飲み込む。

 熱を持った麺が喉を滑り落ちていくのが心地よい。

 だが何だ今の感触は……?

 

「これは……一体……?」

 

 俺が問いかけると、エリザが「ふふーん」と満足げな笑みを浮かべて言った。

 

「こんにゃくだよー」

 

 こんにゃくだと?

 こんにゃく……アニメ化……うっ、頭が……。

 

 この弾力ある感触――そうかこんにゃくか!

 確かに言われて見ればそうだ。言われてから気づいたが、ほんのわずかにこんにゃく特有の生臭さを感じる。

 だが、それもコクのある醤油の匂いにかき消されて殆ど感じない。

 

 満足げな表情のエリザは続けた。

 

「ネットで調べて、作ったんだー。こんにゃくってすっごいカロリー控えめだからね! ダイエットに最適だよ。明日はこんにゃくのステーキ作るよ。他にもお刺身とか煮物とか色々できるし。えへへっ、こんにゃくって万能だね!」

 

 確かに。

 ラーメンにもなるしステーキにもなる。こんにゃくってスゴイ……俺は素直にそう思った。

 食べるだけじゃなくて翻訳したり異世界でクッションになったり、数多の可能性を感じる。それに切り目を入れればオ……いかんいかん、食べ物を粗末にしちゃいかんぞ。間違ってもカップラーメンにいい感じの穴を開けたり、片栗粉をチンしてXにしたり、アレをソレしちゃいけないぞ? 仮にエンジョイしたとしても、ちゃんと残さず食べること。一ノ瀬お兄さんとの約束だぞ。

 

 ラーメン特有のシコシコ感は無いものの、歯応えのある触感に珍しさもあってかこんにゃくラーメンは美味しく戴けた。

 デザートにコーヒーゼリーも出てきて、満腹になった。

 うん、エリザも頑張って食の面で俺をサポートしてくれているし、俺も自分にできることを頑張ろう。

 改めてそう決意し、明日からジョギングする旨をエリザに伝えた。

 

「おぉー、すごい辰巳君! やる気いっぱいだぁ! すごいすごい!」

 

 まだ実行してもいないのに、成し遂げたかのように拍手をしてくるエリザ。

 ここで「やっぱり止めた」と言うとエリザがどんな反応するかという悪戯心が沸いたが、それやっちゃうと間違いなくクズの地下帝国と魔王として君臨することになるから、その願望は地下帝国に作ったダンジョンの最奥に仕舞いこむことにした。

 

「で、明日は5時くらいに起こして欲しいんだけど」

 

「うん、分かった。ジャージとかタオル用意しておくねっ」

 

 ああ、そうか。走るんだったらジャージとかもいるんだよな。完全に失念してたわ。

 いそいそと箪笥からジャージやら何やらを取り出すエリザ。

 俺のだろう、青いジャージの上下を畳みの上に置く。

 続いて俺の物よりも随分小さい、ピンク色にジャージを取り出した。あれは大家さんから貰った服の中にあったジャージ。

 エリザはそのピンクのジャージと青いジャージを広げて、俺に見せてきた。

 

「ほら見てみてー。肩のところにね、辰巳君の大好きな鯖のワッペン付けてるんだ。お揃いだねー」

 

 鯖のワッペンが付いた俺のジャージと、小さいジャージの2着を交互に見せてくる。

 相変わらずエリザ手作りのワッペンはクオリティが高い。これで鯖だけに固執せずキャラ物とか作ればそこそこ稼げるんじゃないか?

 いや、それよりも何故小さいジャージを取り出したのか? しかもピンク。どっちか選べってことか? 無理だろ、パツンパツンとかそういうレベルじゃねーぞアレ。ゴンさんみたいになるぞ。

 

「辰巳君といっしょ~、いっしょにランニング~」

 

 が、俺の心配は見当違いだったようだ。

 どうもピンクのジャージはエリザの物らしい。一緒に来る気満々のようで、遠足前日の子供のような期待感に満ちた笑顔を浮かべながら、鼻歌を歌っている。

 俺は恐る恐る問いかけた。

 

「もしかしてエリザも来るつもり、だったり?」

 

「うんっ。……え? ダメ、なの?」

 

 俺の言葉に、EZS(遠足前日スマイル)から一転、TAS(当日雨でショック)な表情に移り変わる。

 そんな悲しげな表情で言われたら、無条件承認しちゃうぅぅぅぅぅ! 一緒においでって言っちゃうのおぉぉぉぉぉ!

 いかんいかん落ち着け俺。

 

 エリザが一緒に来るのはちょっとどうかと思う。

 何せエリザと来たら俺を甘やかすことにかけたら右に出る者はいないとこの界隈では有名だ。大家さんも最近グイグイ来てるとこの界隈では噂になっているが、エリザには適わない。キングオブ甘やかせ。それがエリザだ。

 そんなエリザが一緒となると……。

 少し試してみよう。

 

「あのさエリザ。今からちょっと質問するけど、答えてもらっていいか?」

 

「え? う、うん。何でも聞いてっ」

 

 俺に質問されるのが嬉しいのか、目をキラキラさせはにかむ。もし尻尾があれば、ぶんぶん暴れまわっているだろう。

 お、そういえば大家さんから貰った中に、猫耳と尻尾もあったっけ。美少女幽霊であるエリザに猫耳尻尾が加わったら……もう分かんねえなコレ。

 とにかく今はエリザへの質問だ。

 

「じゃあ第1問。えー……朝、俺に5時に起こして欲しいと言われたエリザは、そのとおり俺を起こそうとしました。ですが俺が起きる気配はなく『今日はいいや。明日にするわ……むにゃむにゃ』そう言いました。――どうする? はい、エリザさん」

 

「はい!」

 

 手を上げて元気に返事をするエリザ。

 予習をバッチリしてきた生徒の如く自信満々の表情だ。

 

「一緒に添い寝する!」

 

 はい、不正解ね。

 

「じゃあ第2問。ジャージに着替え