死神教室≒暗殺教室 (黒兎可)
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第0話:逆行の時間

※超ネタバレ注意警報発令中
本作は原作第15巻以降の重大なネタバレを含みます。閲覧の際はご注意をください。
また冒頭部は「こうなるかな?」という感じで書いてますので、後々変更されるかもしれませんがあしからず。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――終わりましたよ、雪村先生)

 

 

 私はいつでも、皆さんを見守って居ます。ヌルフフフ……。

 

 地上最強の生物兵器「殺せんせー」による、彼を殺すための暗殺教室は、終わりを向かえた。

 分断される己の両手――黄色いその触手と共に、解体され、分断されていく意識。

 徐々に自分の内部のパルスが千切れて行く事を感じ、彼は、殺せんせーは微笑を浮かべた。

 

(この子たちなら、もう大丈夫)

 

 男は。地上最強生物だったその男は、今、おそらくもう二度と味わう事のない幸福感に身を委ねていた。

 自らの教え子の姿も、声も、もう聞こえない。目の前にいるはずの彼等に、もう「全てに触れる事のできる」手さえ、伸ばすことは叶わない。

 

(辛い決断をさせてしまったかもしれない。諦めきれない決断をさせてしまったかもしれない)

 

 只、例えそうであったとしても。彼等ならこの先、心配しないでいけるだろう。

 他でもない、自分と「彼女」との教え子なのだから。

 

(願わくば、貴女と一緒に眠りたかったところですが……、流石に許してはもらえないようですね。ま、死神ですし)

 

 苦笑いが男の口に浮かぶ。もはや姿という概念もない彼であったが、しかしその意識は確かに、寂しそうに微笑んだ。やや唇が吊りあがった、「二つの姿」が合わさったような笑みであった。

 ヌルフフ。

 生徒たち一人一人の顔を思い浮かべ、別れの言葉を思い、深く息を吐く。

 

(行き先は地獄か、あるいは虚無か……。どちらにせよ貴女の居る場所には、程遠いでしょうね)

 

 体内の反物質のサイクルが終わりを向かえる。それらはまるで渦を描くように中心へ、中心へと向かう。

 ある種のブラックホールのようなその渦に、彼の意識は飲み込まれていく。

 押しつぶされ、押しつぶされ。

 圧縮された思考の中で、彼は聞いた。

 

――何になりたい。

 

 二度と聞くはずのなかった声。しかし確かに聞こえたその声は、触手のものだ。

 己を作り変えた触手。今や己自身となった触手。断末魔さえ上げることもできず、力つきていく触手。

 自分が後戻りできなくなった元凶であり――同時に、彼等と自分との間に「絆」を作った、この手。

 

(どうしても叶えられるなら―ー)

 

 走馬灯のように流れる、今までの記憶。それらを俯瞰し、今一度、彼は思った。

 

(――もう一度、教師になりたい。

 「あの子」を今度こそ、きちんと見てあげて、導くことの出来るような。

 そして「あの子達」を見守ることのできる、「あの人」に恥じる事のない、そんな教師に――)

 

 そして、その意識は完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

「――んせい、先生! 大丈夫ですか?」

「…………ッ! はぁ、はぁ、はぁ」

 

 男は立ちくらみを起し、バランスを崩した。

 その場にいた少年が支えたことで転倒は免れたものの、普段の男からは考えられない失態だ。

 何が失態か。体調が悪い程度、仕事が多少辛かろうが、それの何が問題だ。

 そんな表の常識が一切通用しないほど、裏社会は修羅の国である。

 そんな世界の路地裏で、少年は、彼の顔を心配そうに覗き込んだ。

 

「先生、大丈夫ですか? すごい汗ですけど」

「……はい、大丈夫です。ちょっと夢を見まして」

「夢ですか?」

「白昼夢、というやつでしょうか」

 

 力なく微笑む彼の顔は、いつになく白い。元々男性にしては色白な方だったが、今はより一層悪い。まるで悪い酒にでも酔ったかのようだった。

 心配する「弟子」の頭を軽くなで、彼は周囲を見回す。

 

(ここは……?)

 

 その場所には見覚えがあった。

 まだ、彼がかつて「死神」と呼ばれた殺し屋だった頃。

 世界の全てに憎悪の種を抱き、血と破壊と暗殺をふるっていた、そんな世界。

 間違いなく自分はその頂点たる「死神」であり、拾ったばかりの弟子に色々と教え込もうとしている途中だった。

 

(しかし何て濃密で、滑稽な夢でしょうか。全く、私が教師など)

 

 思わず自嘲げな笑みを浮かべる死神。黒髪の整った容姿が、そんな風に笑うのを弟子は初めて見た。だが、その表情が訝しげなものに変化する。

 

(……いえ、本当に夢だろうか。夢なのだろうか)

 

 死神は、常人を上回る能力を身に付けていた。自惚れなく、ある種の天才であるといえる。

 その才能全てを「他者を殺す」ために磨き、この世の真理たる破壊の体現者として彼は振舞ってきた。

 

 だからこそ、おかしい。

 そんな自分の脳に、一瞬の夢であったとしても、そんな分析不可能な物語が、「一瞬たりとも全ての情報を落とさず残さず」記憶されているという、この有様が。

 

 そして、彼は目を見開き、気付いた。

 

(……まさか、記憶だけタイムスリップした、とでも言うのでしょうか)

 

 否定の言葉が脳裏を過ぎるが、しかし死神は、その自分の言葉に反論できてしまうほどに、優れた知識を持っていた。以前大学教諭となっていた事があった。無論仕事のためである。その際に得た知識が、ある仮説を提唱した。

 

 すなわち――反物質のサイクルによって構築される、ワームホールである。

 

 馬鹿な話だ、と自分でも思う。だがしかし、逆に彼にはその説を否定することが難しかった。いや、否定したくなかった。

 

 彼は、反物質によって変化した細胞、触手の言葉が聞こえたのだ。

 そして彼は、変質した後の彼は、触手に願ったのだ。

 

(……我ながら妙なことを考える。だがしかし――)

「――確かめてみる、価値はあるかもしれませんね」

「?」

 

 不思議そうな顔をする弟子を、死神は愛おしげな目で見つめ、まるで我が子にするかのごとく抱き上げた。

 

「そういえば、名前をまだつけていませんでしたね」

「先生?」

「仁愛(ニア)、なんてどうでしょう」

「……よくわかりませんけど、先生がくれたものなら、大切にします」

 

 彼の言った言葉が、というよりも漢字が、少年にはいまいち伝わって居ない。

 

「ニア。私はこれから、日本に行こうと思います」

「ジャパン?」

「そこで私は、どうしても確かめなければならないことがあります。そしてそれが真実ならば――ひょっとしたら、私は、私の手で悲劇を一つ、回避することが出来るかもしれません」

 

 不思議そうにしている弟子に、死神は、聖人のごとく微笑んだ。

 さて、これから長いぞ。死神はさもそう言うかのように空の満月を見上げ、にこにこと笑った。

 

「ヌルフフフフフフ」

「先生、気持ち悪いです」

 

 しゅん、と悲しい顔になる死神。

 案外と弟子は、師匠に容赦なかった。

 

 




イケ殺せんせーとあぐりをいちゃいちゃさせたくて、衝動的に書き始めた。後悔はしている。

コメントの際は、以下の注意点を留意してご指摘などしていただけるとありがたいです。

・作者は暗殺教室好きですが、週刊だけで追ってる都合上けっこう忘れてるところあります。
・なので生徒描写の際とか、ところどころ「コイツこんなこと言わねーよ!」なところが出てくると思われます。
・そういった際は、そっとご指摘いただけるとありがたいです。より暗殺教室原作よりにできるなら、それに越した事はないというか作者的にはむしろご褒美です
・別に普通の感想も受け付けています。↑は突っ込み所があったり誤字ったりしてたらお願いという程度で大丈夫です
・なお今後の展開は、原作の展開次第で改稿、冒頭部のパラレル化など有りと考えていただけると助かります。どんでん返しとかまだありそうですしね・・・。

それではごゆるりと、お付き合いくださいませ。ヌルフフフ
 
【(:月)巨 =3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3


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第1話:遊戯の時間

第一話は出来る限り原作寄せです。




 

 

――カツ、カツ、カツ。

 

 古い校舎の中を、規則正しい足音を鳴らして歩く人間が一人。

 視点は高く、廊下を見下ろす形となる。

 一歩ごとにぎしぎしと鳴るこの校舎は、なるほど手入れが行き届いていない。

 壊れこそしないものの、教育設備としてこれほど杜撰、冷遇されているものもあるまい。

 

「ヌルフフフ」

 

 不気味な笑い声をあげるシルエット。

 朝の学校に、不穏な気配が染み渡る。

 

 潮田渚は、教室で息を呑む。

 3-Eと書かれたプラカードがゆれる、小さな教室。

 

 ガラガラガラ、と扉が引かれ、「彼」は教室に入ってきた。

 渚に限らず、クラス全員が息を呑む。

 それだけみんな、目の前のその存在に気圧されているのだ。

 

――バン。

 

 出席簿が教卓に置かれる。

 

「――ええーそれでは、ホームルームをはじめます」

 

 アカデミックドレスに、三日月をあしらった大きなネクタイ。

 それを着用する「彼」は、黒髪の、長身の、整った容姿をした男性だった。

 

「日直の人は号令を」

 

 にこ、と微笑む彼に、渚は震え声で「起立!」と呼びかけた。

 

――ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャッ!!!!!!

 

 立ち上がると同時に、生徒たちは各々が武器を構えていた。拳銃や機関銃である。銃刀法どこいった、と言わんばかりに、男子も、女子も、全員が一斉に射撃できるようにセッティングして、彼の方へと銃を向けていた。

 

「気を付けッ」

 

 そんな現状であっても、生徒たちに向けて少しだけ両手を上げながら、彼は一切余裕を崩さない。

 

「れ――」

 

 礼と渚が言い終わる前に、射撃がフライング気味に開始された。

 ズバババ、と銃撃音が響く。発射される弾丸は、BB弾の雨あられだ。決して実銃ほどの威力も速度も出て居ない。しかし成人男性でも、しっかりと狙いを付けられた遠距離射撃を避けるのは、なかなか困難極まるだろう。

 

 しかし、教卓の彼はにやりと微笑み、アカデミックドレスを翻して空中を舞った。

 

 突然の動きに茫然とする生徒たちをさしおいて、彼はどこからか取り出した、黄色い、ゴム製の人形(蛸のような笑顔のキャラクター)を左手に一つ、ダーツのごとく投擲。

 一瞬にしてその足が銃口を塞ぎ、無力化をさせる。

 なおも彼に向けて飛び交う弾丸を、まるでワイヤーアクションのごとく回避しながら、彼はにこやかな顔のまま続けた。

 

「おはようございます。発砲したままで結構ですので、出欠をとります。

 磯貝君――」

 

 起用に出席簿を落とさないようにしながら、彼は名前を読みあげる。

 生徒の返事が弾丸飛び交う教室に響く。

 

「すみませんが銃声の中なので、大きな声でお願いします」

 

 当たり前である。

 きちんと大声を返す生徒にふっと微笑みながら、彼は出欠を取り続ける。

 

 玉は一度たりとも、教師のローブに接触すらしていない。

 あれほどひらひらした長いものであるのに、何故当らないのか。

 やがて生徒のうちで弾切れ、銃弾の装填し直しが始まる。もっともバラバラに補給する事で、弾丸の雨が途切れる事はない。しかしそんな隙を見逃さず、男は黄色いタコ人形で、無双し続ける。

 

 やがて名前が呼び終わる頃には、皆へとへとになって椅子に座っていたり、床に腰をついていた。

 

 

「――はい、遅刻なしと。みなさん元気でいいですねぇ。暗殺は健康第一ですよ、先生とても嬉しいです♪」

 

 男性はにこにこ、上機嫌そうに微笑む。

 何ごともなかったかのように教卓に立つ男性教師に、疲弊する生徒達。

 

「早すぎだし……」

「一斉射撃で駄目なのかよ」

「てか何だよこの変なゴム人形……、と、取れない!」

「キモい」

 

 彼は何故かしゅん、となった。どうも想定外の反撃だったらしい。

 と、そんな彼の頭に、ハリセン(!)が振り下ろされた。

 

「何やってるんですか、『吉良八(きらや)先生』!」

「ゆ、雪村さ――雪村先生!? 今日は午後からという話では、な、何故こんな早くからッ」

 

 今までの超然とした様子がどこへやら。

 突如現れた女性教師を目の前に、生徒たちの担任たる彼は悲鳴じみた声を上げた。

 

 

「一昨日から何かみんなの様子がおかしかったので、カマをかけたんですよ。

 まったく、朝一番からこんなこと、やっちゃ駄目って言いませんでした!」

「わかりましたから雪村先生、どうか、どうかご容赦を――ぎゃふん!?」

 

 ぷりぷりと起こりながら、彼の顔にハリセンで往復ビンタをする彼女。このクラスの『副担任』たる女性、雪村あぐり だ。ショートカットに動きやすそうな格好、シャツに描かれた「ドス鯉」という大きな筆字が、妙なインパクトを齎す。

 

 そんな彼女だが、言ってることだけ抜き取るとこちらの方が結構まともであるが、やってることはぱっと見、どっちもどっちであった。

 

(((((うわぁ……)))))

 

 何とも言えない顔で、そんな二人の様子を見る生徒たち。「今時マジでギャフンとか言っちゃうのか」とか、「朝一番じゃなければいいのかよ」みたいな空気が教室に漂う。

 

「……はい、それでは吉良八先生は少しお疲れのようなので、一時間目は私がやります」

「……あ、あの、雪村先生? 私別に――」

「駄目です」

「あ、ハイ」

 

 この教室において、生徒達の上に立つのは間違いなく彼だ。

 そしてその彼を見事に御する彼女こそ、この教室、真の頂点である。

 進級後しばらくたって、この3-Eの生徒たちが理解した一つの真理であった。

 

 元気なく地面でうずくまり、いじけたようなポーズをとる担任教師。そんな彼に、女子生徒の質問が行く。

 

「……で、何なのこれ、吉良八先生」

「先生の前世です」

 

 意味が分からない。

 

「愛される容姿でしょう?」

 

 困ったように笑う彼に、生徒達の意見は(駄目な方向に)一致をみた。

 

「じゃあ、一時間目が始まる前に銃と玉を片付けましょう」

「「「「ええ~」」」」

「文句言わない! その分少し早めに休憩するから、頑張って」

「「「「おっしゃー!」」」」

「ヌルフフフ。流石ですね雪村先生は」

「何他人事みたいに言ってるんですか吉良八先生?」

「はい?」

 

(僕等は、殺し屋。僕等のターゲットは先生、ということになっている)

 

 散らばった弾丸を片付けながら、渚は今まであったことを思い返す。

 先生は「残念残念、数に頼りすぎては個人個人の思考が疎かになりますよ、ヌルフフフ」と相変わらず独特な笑いしていた。

 

「もっと工夫しましょう、でないと――最強の『殺し屋』たる先生は、倒せませんよぅ? 」

 

 生徒と一緒に掃除をしながら、担任たる彼は得意げにそう言った。本来なら教卓でにやにや生徒たちを見回しながら言う台詞のはずだが、現在そこにはあぐりがいる。要するにペナルティなのだろう。

 

 ちなみにそんな彼、吉良八 湖録(きらや ころく)は常々そんなことを言うが、みんな大して本気にしていない。

 確かに運動神経はずば抜けてるし、勉強を教えるのは上手だし、結構凄い人なんだろうとは思われているが、雪村あぐりに尻に敷かれている様は、誰がどう見ても自称たる「最強の殺し屋」と、結びつくわけはなかった。

 

「いや、っていうかさ。本気で前に言った事、守ってくれんのかよ!」

「いやそれ以前にコレ、当たっててもわかんないでしょ。ただのBB弾だし」

 

 渚の前後の席、前原陽斗と杉野友人が不満を漏らすが、吉良八はさして気にした様子はない。

 では実演しましょうか、と言って、弾丸をいくつか混めて拾い、自分の手首に向けた。

 一度自分の首に指をさして、彼は話す。

 

「言ったでしょう? これは防衛省のとある人と先生が共同で開発した『訓練装置』だと」

「まずそこから意味がわからないんですけど~」

「このチョーカーをつけている人間を、この銃で射撃すると――」

 

――ドウウウウゥンッ!

 

 今まで教室で響いていた銃撃音の中で、最も重い音が響いた。

 しんと静まり返る教室に、手をひらひらさせて吉良八は解説を続ける。

 

「……先生耳が良いので、こういう音はちょっと苦手です。

 ともかく当ればこのように、クラスの誰もが聞いてもわかるようになっています。また銃の側面にあるディスプレイに、狙撃成功の文字が出て居るでしょう?

 このダメージを蓄積すると、最終的には出血音みたいなものが出ます。皆さんが狙うべきは、その音ですね。

 ですが、これらは当然特殊な装置ですので、体はともかく目等に入ったら大変危険です。先生と『遊ぶ』目的以外では使用は、決してしないよう禁止します。いいですね?」

 

 息を呑む生徒たち。改めて彼の特殊さが際立ったともいえる。

 そんな周囲を見回して、吉良八は唇をつり上げて、ニタニタと嫌な笑いを浮かべた。顔が美形な分勿体ない。

 

「まあ、勝てるといいですねぇ卒業式前に」

 

 ヌルフフフ、と笑いながら、そそくさと片付けを促す吉良八先生。

 渚は何とも言えない顔で、教室中を見渡す。

 

 そんな一瞬――吉良八を見つめる雪村あぐりの、寂しそうな微笑を見た。

 

(椚ヶ丘中学校3ーEは……「暗殺教室」)

 

 始業のベルが、今日も鳴る。

 

 

 

   ※

 

 

 

 授業は、昼前。

 教卓では担任が、白いチョークで手馴れたような英文を書いていた。

 英文にはそれぞれ色のチョークでラインが引かれており、それぞれ四つある。

 

「――はい、ここで問題です。磯貝くん、この四つの先生人形のうち、仲間はずれは?」

「え、えっと……」

(((((カラバリあったのかよ)))))

 

 青、白、桃、緑のタコ(?)人形を取り出し、吉良八は問題を出す。

「青?」という不安げな答えに、にこにこ笑って彼は大きな丸を両手で作った。

 

「正解! 青の例文だけ、"How to"の用法が少しばかり違います。では一番上の文章『Can you tell me how to use this knife?』から和訳していきましょうか。まず――」

 

 吉良八が文章の解説をする最中、潮田渚に声がかけられる。となりの席の『茅野あかり』だ。黒髪の短いツインテールに、メガネをかけている。一見引っ込み思案そうな印象を受けるが、実際そうでもないのは進級時に明らかになっていた。

 

「(三日月、昼間だけど見えるよね)」

「(うん……)」

 

 彼女の指し示す先は、大きく抉れた月があった。

 彼等がちょうど「二年生」の中ごろか。月が巨大な爆発と共に、おおよそ七割が消え去り三日月型になってしまった。詳しいことは何一つ不明で、現在原因究明中とニュースでは言っている。

 

「(先生のネクタイも三日月だよね。何か関係あるのかな? 防衛省の人がどうのこうの言ってたし)」

「(流石にそれは……)」

「(だよね~)」

 

 にこにこ笑う彼女に、渚は苦笑いを返した。あの日は本当に突然だったと、彼は記憶している。何の脈絡もなく、突然月がああなってしまった。おかげで地球の自転がどうのこうのと、偉い学者さんとか科学者たちが騒いで居るらしい。

 適当にニュースをチェックしている渚でさえ、小さい頃に見ていた科学番組とかに出てくる先生が大慌てでニューススタジオをかけ回っていたことは、インパクトがそれなりに大きい。

 

「――とこの様に、『ネズミが月を(かじ)った結果、ビスケットのように粉々になってしまった』という文章を導きだせるわけです」

 

 考えていたこととシンクロしたためか、びくっとなる渚。にこやかな視線だけで「どうかしましたか? わからないところありますか?」と聞いてくる吉良八。

 

(……いやいや、まさかね)

 

 少し慌てながら首を左右にふると、彼は頷いて解説を続け――。

 ぺしん、とチョークで弾丸が一つ叩き落される。

 

「……中村さん、暗殺は授業の妨げにならないようにと言ったはずですよ?」

「すみませ~ん」

「集中してない証拠ですねぇ。罰として、雪村先生に付きっきりで教えてもらいなさい」

「ええ!?」

「あはは」

 

 苦笑いこそ浮かべるも、椅子を持って来て中村莉桜の真隣に座り、雪村先生は特に反対もなくじぃっとノートを見て、レクチャーしていた。間近で先生に色々やられて、非情にやり辛そう。確かに罰になっているといえる。

 

(……そもそも先生の登場からして大きな事件だったよなぁ)

 

 渚が思い出すのは、吉良八が最初に教室に来た時のこと。

 

『はじめまして。私の教え子が月をやった犯人です』

(((((……は? いや、嘘でしょ)))))

 

 不謹慎な第一声と共に、彼はクラスに頭を下げた。『来年には地球もやられてしまいます。大変ですねぇ……』と軽く続けるかの教師。硬直したクラスに対して、何一つフォローするつもりはなかったらしい。

 更に続いた言葉で、生徒たちの混乱は極致に至った。

 

『君達の担任になりました吉良八湖録です、どうぞよろしく』

(((((まず三つ四つツッコませろッ!)))))

 

 ちなみにこの時点で、例のキャラクターのぬいぐるみが八体、それぞれ左右の指と指の間に挟まれていた。

 新学期、進級してわずかな期間。まだ大して仲良くなっていないクラスの意見が、初めて「ほとんど」一致した瞬間だった。

 

『ええっと……、まず何から話したらいいかしら』

『雪村先生、これどういうこと?』

 

 当時、担任教師「だった」雪村あぐりに、倉橋陽菜乃が困惑しながら聞く。

 色々と説明が続いたが、彼女の話を端的にまとめると、次のようになる。

 

『要するに、先生はここの理事長にケンカ売って、みなさんの担任になりに来たと言うことです。二月から担当だった雪村先生は、今年は私の準備が終わるまでは仮担任だったわけですね、ヌルフフフ』

『えっと……、何すか? その訳わかんない理由』

『事実ですから。まあせっかく先生を「やる」のなら、自分が「楽しく」できそうなことをやるのが一番でしょう。ねぇ、雪村先生?』

 

 あはは、と少し困ったように笑うあぐり。ちなみに渚の横で、茅野も同様の笑みを浮かべていた。

 

『さて、みなさんの話は雪村先生からたっぷりしっぽり聞いて来ましたよ~? 今日皆さんの顔を見て確信しました。みなさんこう思ってるんじゃありませんか? 「どうせ自分なんて」。あるいは「所詮エンドのE組だから」とか。所詮何をやってもクズだの何だの言われるのだから、努力とか勉強なんて意味ないと』

 

 これを聞いた瞬間、大半の生徒たちが「ああ~何か元気付けるようなことを言うんだろうな~」とやる気をなくす。この学校の3-Eは、エンドのE組。早い話、問題児や教師が放棄した生徒たちが集められるクラスだ。

 少なからずE組の生徒は、ドロップアウトもいれば見捨てられた生徒もおり、こういった綺麗事は、他の同年代に比べて更に嫌がっている部分があった。

 だが、次の一言で事態は一変する。

 

『いいじゃないですか、そんなに勉強がいやなら、学校来て遊んでも。家に帰れば親の目もありますし、なにより友達居ますからねぇ』

『『『『『ええええええッ!?』』』』』

 

 たまに有名塾講師などが常識の反対の事を言って授業をして、メディアの注目を引いたりすることはあるが、幾らなんでも担任の言葉ではない。隣でにっこりしつつも、あぐりとて大層苦笑していた。

 ただし、と当たり前のように吉良八の言葉が続いた。

 

『だったら先生も一緒に遊びましょう。題して――「暗殺教室」です』

 

 ヌルフフフ、と妙な声と共に微笑んだ吉良八。

 かくして、3-Eは暗殺教室となった。

 

 暗殺教室、といっても実際に殺すわけではない。

 「生物兵器を殺すわけじゃないので、殺人罪が適応されてしまいますからねぇ」とのことだが、その切りかえしの意味を生徒たちがわかるわけはない。

 三日前までに先生がゲームとルールをいくつか指定し、それぞれのルールで先生を打倒すること。

 時にそれは実戦、殺し合いを想定したような動きを大きく取り入れる。

 もし先生を倒せれば、倒した生徒は一年間自習。最悪授業を受けなくてもいい。

 そしてゲームは、常に学校で行われること。

 

 生徒たちと吉良八先生が取り交わした、一つのゲームということだ。

 

『ルールなしで戦ったら、間違いなく君達は私に勝てませんよ? なにせ私は――元「最強の殺し屋」ですし』

 

 ヌルフフフと笑う彼の動きは、その自称に違わず恐ろしいものであった。捕らえるどころか、追いかけていた全員が教室に帰ってくると、例のぬいぐるみと一緒にスポーツドリンクが置いてあったり。あるいは染めていた髪がいつのまにか彼の手によって綺麗な七三分けにされていたり。

 

『先生を倒すにはどうしたら良いか、ですか。そうですねぇ……。一流の殺し屋みたいに、なるしかありませんねぇ。大丈夫、先生の授業を受ければ、みなさん素晴らしい殺し屋になれますよ?』

(((((いいのか、それで))))

 

 皆さん胸を張れる暗殺をしましょう。

 こうして日数が経過し、今日に至る。

 

 生徒たちは、未だ誰一人担任を打倒しえていない。

 

 

 

   ※

 

 

 

 お昼のチャイムが鳴り響き、授業は一旦お開き。

 

「雪村先生、今日はちょっと四川風にしてみたんですよ。一緒にどうですか?」

「わぁすごい。私、食べてみたいです」

「ただし食事中、会話は全部中国語です」

「えっと……」

「何事もチャレンジですよ?」

「わ、わからなかったら教えてください……」

「はい勿論。ああそうだ、君達の中にもチャレンジしたい子が居たら、職員室まで来て下さい? 味は保障しますよ、ヌルフフフ」

「あ、じゃあみんな、ちゃんと食べるのよ~」

 

 そんな風に仲よさげに退室する二人だが、それに対する感想は「ラブラブね」というものと「先生が先生に教えてらぁ」というものの二つが大半を占めていた。

 

「いやでも、やっぱり男だったんだよなぁ。今さらながら思うと、四月頭頃って、雪村先生けっこう浮かれてたじゃん?」

「いやいや男っていったって、あんな漫画みたいなの居てたまるかよ。アイツこの間、校庭の整備しながらテストの採点してたんだぜ?」

「マジぃ!? どうやってんのよッ」

「そのうちプールとか走るぞ、水の上走るぞ」

「オレ、あのタコみたいなののイラスト付きで返ってきた」

「ていうかアイツ、雪村先生より教えるの上手くない?」

「おい、本人いないからいいけど言ってやんなよ」

「でもわかる~。放課後に数学の勉強教わって、なんだか計算早くなったも~ん」ちなみにその時ゴムナイフをかまえて振り下ろし、軽く腕を決められながら教わっていたりする。

 

「何者なんだろ、あいつ」

 

 その言葉には、誰一人反応がない。

 

「……まあでも、所詮勝ってもあんま意味ないんだよなぁ。結局E組だし」

 

 誰かが言ったその自嘲した言葉に、クラス全体が暗い笑みに包まれる。事情を勘案すれば仕方ないかもしれない。彼等自身、学校全体からは「負け組」扱い、カースト最底辺として扱われているわけである。

 吉良八が提示した条件であっても、勝利できなければ意味はないのだ。

 

(そうだ。先生に言わせれば「殺し屋の卵」な僕達だけど、所詮それを除けば只の中学生)

 

「おい渚、ちょっと付き合えよ。一緒に作戦考えようぜ?」

 

 寺坂竜馬、村松拓也、吉田大成。柄の悪い三人につれられて、渚は校庭へ。

 以前彼等から言われた、「吉良八先生」の弱点メモをできてるか聞かれた。

 

「い、一応。えっと、まず絶対的に、雪村先生には勝てない」

「「「そりゃみんな知ってるだろ」」」

「いや、それがさ。たぶんなんだけど、吉良八先生は――」

「って、いやそうじゃねぇ……。別にオレたちは知らなくてもいいんだよ。ほら」

 

 渚に耳打ちすると、寺坂は「秘策」の入った小袋を彼に手渡した。

 刈上げをがりがりし「しくじんなよ?」と笑いながら声をかける。

 

「……」

 

『渚のヤツ、E組行きだってよ?』

 

 渚の脳裏には、過去の記憶がフラッシュバックする。周囲がどんどん自分から離れていき、やがて一人ぼっちになるイメージが重なる。

 

「……? あれ、先生」

「おや渚君。どうしました」

「先生こそ、その……? えっと、本当どうしました?」

 

 吉良八は帽子がずれ、ネクタイがよれよれで、顔面はハリセン痕がいくつも残っており、疲れたように微笑んでいた。表情だけはにこやかだったが、どこか哀愁を誘う。

 

「いえね。その、食事中につい雪村先生を『お手入れ』したら、『これじゃお昼になりません!』と怒られちゃいましてね……。抵抗した結果です」

「えっと」

(どんな手入れしたんだろう)

 

 いや、それよりなぜ雪村先生ばかり、いつもこの先生に勝てるのだろう。もっとも渚は、例の弱点メモで何となく理由に心当たりはあったが。

 

「質問していいですか? 先生」

「ヌル? ふふ、答えら得る範囲ででしたら」

「先生にとって、雪村先生はどんな相手なんですか?」

「ストレートに来ましたねぇ……。う~ん、大事な人に違いはありませんが……」

(そこは認めちゃうんだ)

 

 吉良八湖録は一見すると、生徒たちへの対応と雪村あぐりへの対応に差はないように見える。ゆえに生徒たちからはあぐりがある意味最も恐れられているわけだが(それ以上にみんな仲良しではあるが)、問題はそこではない。

 

 おそらくこの先生は、あぐり相手の時だけ手を抜いているのだ。

 いや、抜いているわけじゃないのかもしれない。ひょっとしたら無意識で、彼女には敵わないのかもしれない。

 

 だからこそ、弱点を探るという意味でも、渚はそのことを追究した。

 

 吉良八は、しばらく悩んだ後、少し照れくさそうにこう答えた。

 

「あまり昔の話をするのは恥ずかしいのですが、渚君なら良いでしょう。口は硬い方でしたしね。『前』も」

「?」

「いえいえ。何でもありませんよ。これから言うのは、ちょっと内緒にしてください」

 

 何だ何だ? と渚は彼の顔を見る。

 

「雪村先生は――先生にとって、先生みたいな人だったんですよね」

「先生にとっての?」

「そう。私が今、こうして君達の担任をしている直接の理由は、間違いなく雪村先生ですよ?」

 

 彼女からは、先生として一番大事な事を教わりました。

 

「まあ本人は覚えていない……というよりも、知らなくて当たり前なのですが。私もまだまだ未熟ですしねぇ」

 

 渚は、ふと不思議な感覚に囚われた。この完璧超人みたいな人が未だ未熟であると言った事に。

 ふふ、と微笑むと、彼は渚の頭をぽんぽんと撫でた。

 

「誰もが欠けているものがあり、誰もが持っているものがある。先生はちょっと人より多く持って居ますけど、ただそれだけのことですよ。言うなれば、それだけ多く持っていれば、それだけ多くの人と繋がっていると言う事でもありますね」

 

 渚は、はっとした顔をする。

 では授業に遅れないようにと、吉良八に声をかけられてもどこか遠い目をしている。立ち去る彼の背中をちらりと見て、渚は呟いた。

 

「先生は、色々な人と繋がったから、多くのものを持っている」

 

「……だったら分からないよね。色々な人ともう、繋がれない僕らのことなんて」

 必要とされず、認識すらされない人間の気持ちなんて。

 

 かつての担任教師の苛立ちが目に浮かぶ。自分の評価がお前のせいで下がったと、延々と渚を攻める言葉。

 後暗い感情が渦巻き、そして、一つの、方向性も何もない目的が完成する。

 

「……だったら、勝てるかもしれない」

 

 ――先生にだって、僕は見えて居ないのかもしれないから。

 

 不意に浮かべた渚の微笑みは、日中だと言うのにかげり、黒い色をしたものだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「テーマにそって短歌を作ってみましょう。最後の七文字を『触手なりけり』で〆てください」

「「「「はぁ?」」」」」

「先生、字あまりです」

「良いところに気付きましたねぇ竹林君。今回はまともな初台詞ですね」

「はい?」

「先生! 触手は先生の趣味でありますか!」

「岡島君、口調がおかしくなっていますよ? まあ詳しく話したいというならば、後でというなら先生も別にやぶさかでは……雪村先生、そっとハリセンを抜くのは止めてください。さ、授業を続けますよ~」

「あの、本当に触手なりけり、で?」

「はい。出来たら先生のところに持って来てください? チェックするのは、文法の正しさと触手をどれだけ美しく表現できたか。例としては――」

 

 授業は続く。そこはかとなく独特な空気で。

 ちなみに教室の奥で、学校に来た時のすっきりした格好から、控え目にオシャレした感じの格好になっているあぐり。かのTシャツはどこへと消えたのか、地味に少し胸元を(上から見た場合)強調する格好になっており、ヌルフフフ、と吉良八は少し鼻の下を伸ばしていた。

 

 出来たものから今日は帰ってよし! とは言うが、いきなり素人がそうぽんぽんと文章を思い付けるわけもなく。

 第一、触手を美しく、のあたりに先生の色眼鏡がありそうで、あまりやる気になって居ないクラスだった。

 

「先生、しつもーん!」

「……はい、何でしょうか茅野さん」

「先生の名前、変わってると思うんだけどさあ? あれってどういう意味なの?」

「意味、ですか?」

 

 そういえば、湖録(ころく)って全然文字のイメージが出来ないな、みたいな会話が交わされる。みな一様に、触手なりけりから意識をそらしたいらしい。

 

「どちらかというと、字ではなく音で選んだみたいですね」

「音?」

「はい。何だか犬とかみたいですけど、先生、結構気に入ってますよ? さ、ではその疑問を出す調子で、作ってみてください」

 

 ヌルフフフ、と笑いながら彼は再び生徒達を見回し、鼻の下を伸ばした。

 ちらりと背後を確認する渚。あぐりが吉良八がどこを見てるのかを察し、赤くなりながら身を庇うようにそらした。前を見れば、残念そうに肩を落す吉良八先生。

 正直すぎである。

 

(でも、今ならいける)

 

 立ち上がる渚。背後で寺坂がにやりと笑った気がするが、そんなことは無視して前進。

 茅野が、渚が持つ配られた用紙の裏に模造ナイフを隠していることに気付くが、何も言わない。

 

「おや渚君。出来ましたか?」

 

 微笑む先生に、渚は思う。

 

(先生は、雪村先生といる間はすごくリラックスしている)

(さっきの鼻の下を伸ばした顔もそうだ。だから茅野の質問へも反応が一瞬遅れた)

 

(この人は、変わってるけどいい人なんだろう。でも――だから、僕らはより思ってしまう)

(どこかで見返さなきゃいけない。やれば出来ると、親や友達や先生たちに)

(そして何より――僕自身と、周りのみんなとに)

 

 やれば、できる。

 呪いのようにその言葉を思い返し、渚は振りかぶって模造ナイフを振り下ろした。

 

 当たり前のようにそれを指先で受け止め、ひねり、奪い取る吉良八。

 

「言ったでしょう? もっと工夫を――」

 

(――でもだけど、それで何が変わるっていうんだ)

(認めさせなきゃ)

(だからどんな手を使っても――まずこの先生に)

(「僕等」みたいな、繋がれない人達のことを)

 

「ニュ?」

 

 突如、吉良八の胸に倒れこむ渚。その両腕は当たり前のように開かれ、抱擁した。

 その首には、緑色をしたパイナップルのような装置が取り付けられており――。

 

「ヌニャ!?」

「湖ろ――先生!!?」

 

 あぐりの叫び、吉良八の言葉と同時に、寺坂がスイッチを押し――次の瞬間に起こった事は、三つ。

 

 まず一つ、窓ガラスが一部大破。

 二つ、校庭で爆発が起きる。

 

 どちらも吉良八が引き起こしたものだ。超人的な速度で腕を動かしゴムナイフでグレネードもどきを弾き飛ばし、それが窓ガラスに接触するより先に投擲。そうとしか説明使用のない現象だった。

 

 二つ目の段階で教室は唖然としていたが、しかし三つ目はもっと恐ろしいものだ。

 

 スイッチを押した格好で茫然としている寺坂と、ガッツポーズをとろうとしていた残りの二人に、たいそう面白い物でも見るように、吉良八がいい笑顔を浮かべたことだ。

 

「な、渚!? 大丈夫!」

「え、えっと……、何とか」

 

 爆発の余波で跳ね飛ばされたかに見えた渚だったが、実際の所服に焦げ痕一つ残って居ない。

 茅野が渚の背に手をやり、抱き起こす。たまたま席が近かったから動きやすかったのか、他の周囲は未だ、眼の前で一気に起こった事態で混乱しているところのようだ。

 

「大丈夫でしたか? 渚君」

「え、ええ……」

 

 当たり前のように手を差し伸べてくる吉良八に、渚は戸惑いながら手をとった。

 

「雪村先生。私にここはお任せを。

 さて、寺坂。吉田。村松。首謀者は――やっぱり君等三人ですね? 渚君に自爆をさせようとしたのは」

 

 そして、吉良八は満面の笑みを三人に向ける。

 どうしたことだろう。その笑顔はいつも以上に優しげであるはずなのに――細められた目に宿るそれは、全く持って笑って居ない。ド怒りだ。

 

「い、いや――」「渚が勝手に――」

 

「では、少し先生の気分も味わってみましょうか」

 

 不意に、一瞬で。

 あまりに素早かったからか、あまりに意表を突かれたからか。

 気が付いたら、吉良八は三人の背後に回り、チョーカーを首に付けていた。

 

「生憎、生徒たちも怒りはするでしょうし、断罪させるのも駄目だとは思うので、ここは先生がやりましょう。

 ちなみに――あの妙に大きくて痛々しい音は、銃じゃなくチョーカーから出ます」

 

 手に持っていた予備のチョーカーが鳴り響く。教室中が最初から静かだったせいか、その音はより鮮明に、鼓膜を突き破るほど肉薄して聞こえた、きがした。

 

 ざわり、と三人の顔が歪む。すっと銃を構える先生に――あまりに「相手に気取られず」「狙撃するのは慣れてますよ」という動きに、腰をぬかしかけたようだ。

 

「先生はマッハ20とは言いませんが、プロですので、それなりに早く動けます」

 

 何のプロだ、と聞く生徒はいない。

 何か、聞けば自分達が重大な何かに足を踏み入れてしまいそうで。

 

「大丈夫。決して君達に危害は加えません」

 

 にこりと笑うと、彼は銃に安全装置をかけ、くるくると回転させる。

 

「ですが、加えないだけです」

 忘れてはいけませんが、ゲームは「脱落」できませんよ?

 

 その言葉に含まれた意味に、生徒たちは一瞬理解が遅れる。

 

「今後もし、今のような手段で仕留めにきたなら――もっとハードなルールを用意しましょう」

 

 この瞬間、渚たちは悟った。自分達に逃げ場はないのだと。世界中又にかけて逃げても、所詮只の時間かせぎにしかならない。どうしても逃げたいのなら、この男を打倒するしかないのだと。

 

「な、何なんだよてめぇ! 迷惑なんだよ、いきなり来て遊ぼうとかいいやがって、暗殺教室とかッ! 迷惑なヤツを迷惑に倒して何が悪いんだよッ」

「いえ、方法自体は咎めませんよ。特に渚君の、肉薄までの体運びは満点です。あまりの自然さに、先生は見事に不意をつかれました」

 

 でもッ!

 

「君達三人は渚君を。渚君は自分を大事にしていません。そんな人間に殺せる資格などありません。自分を、仲間を大事にできないなら、そもそも勝てるはずもないのです。繋がりを持つというのは、そういうことです」

 

 人に笑顔で胸をはれる、自分に恥ずかしくない暗殺をしましょう。

 

「君達全員、それが出来る可能性を秘めた有能な暗殺者の卵です。先生は、君達に倒されるのを楽しみにしてますよ?」

 

 状況は、あまりに殺伐としている。ゲーム感覚であるとはいえ、教師と生徒たちが殺し合いをしているのだ。

 片方はターゲット。片方は暗殺者側として。

 

(でも、なんだか普通に嬉しい、気がする)

 

 茅野に礼を言って、席に戻る渚。渋々席につく三人たちを見た後、先生の方を見る。

 相変わらず先生は、にっこりと微笑んで居るだけ。

 

(だけれど――どこか寂しそうな目に見えるのは、気のせいかな)

 

 少しだけそう思いつつ、渚は彼と目を合わせる。

 

 

『――先生、ごめんなさい』

『――オレを、殺してください』

 

 

 わずかに吉良八は以前のことを思い出し、含み笑いを浮かべる。

 

「ヌルフフフ。窓は明日には張り替えて起きましょう。今日ばかりは我慢してください」

「えっと、はい……」

「それは結構。……ああ、それから渚君?

 先生は、君達に全然倒されるつもりはありません。最後の最後まで君達に勉強を教えて、暗殺を教えて学校を卒業させるつもりです」

(((((暗殺教えるの!?)))))

「では問題です。そんな生活が嫌なら君達は、どうしますか?」

 

 渚は、しばらく押し黙る。

 

(……だったら僕は、いや、「僕ら」は)

 

「……卒業するより前に、先生を倒します」

 

 不敵に微笑む渚に、吉良八は満面の笑みで答えた。

 

「ええ、結構ですよ?」

 

 にこにこと笑いながらも、彼は窓ガラスの破片を塵取と小さな箒で回収していた。片付け終わると、さらっと机の上に乗せ、そして一言。

 

「さ、短歌を作りましょう。終わるまで今日は帰しませんよ~?」

「「「「「いや、今更そこまで戻るの!?」」」」」

 

 クラス全体が、さっきまでのやや抜けた空気に戻る。

 がやがやと会話が走り、どうしたら作れるかという話し合いが各所で開始。もっとも数分後には雑談となるのだろうが、今だけは彼等は真面目に取り組んでいる。

 えへんと胸を張って、子供じみた仕草をする吉良八に、茅野がぼそりと呟いた。

 

「ころせんせー、こういうところがいいよねー」

「……殺先生?」渚が反応する。

「ん? だってほら、湖録先生でしょ? だからころせんせー。実際にたぶん、私達が束になてかかっても殺せないわけだし」

「そう言われると、案外あってるのかな……?」

 

 そんな会話を交わしていると、誰も出て来ないのか「ころせんせー」がちらりと聞く。

 

「……ところで渚君、本当に和歌はできていなかったんですか? さっき」

「えっと……」

 

 別に答えに困るような話でもないのだが、渚は少しだけ、回答に躊躇した。

 

 

 




あ、あぐりさんのターンはまだまだこれからやで・・・!
ともかく、まずはこれまで。今後はちょっと原作と違う展開になっていくと思います。

※6/14 少しだけルール変更


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第2話:伸ばし方の時間

原作からの乖離はすこーしずつ。


  

 

 

 雪村あぐりは、大層困惑した。

 

『お姉ちゃん、良い人そうで良かったねー。かなり変わっているみたいだけど』

「うぇ!? な、ななな――」

 

 電話の先にいるのは、彼女の妹。 

 風呂上り、着替え途中でかかってきた彼女からの電話。本心としては「せめてドライヤーか、下着くらいつけさせて」と言ってしまいたかったが、時間帯が遅かったこともあって無理を言うのも少しどうかと考えた。

 

 バスタオル一枚。扇子で扇ぎながら、あぐりは話を促した。ちなみに百円ショップで買って来た「真珠の指輪を身に付けた豚」のキャラクターが、いつものごとく彼女のセンスを如実に表している。

 

 向こうも「あんまり時間とらないからさ」と言ったので、まあいいだろうと聞くことにしたのだ。

 そんな矢先、落されたのが核弾頭とあっては、流石に狼狽する他ない。

 

「べ、別に、あの人とはそんなんじゃ――」

『ええ~? だって、ころせんせでしょ? 前に聞いたお姉ちゃんの授業のこととか手伝ったり、前の婚約者のことで色々力になってくれたりしたのってさぁ』

 

 妹は、姉の前の婚約者に対する敵意をきっちり言及する。自分が支配する相手に対して、どこまでも加虐する部分について、嫌悪感をにじませた。

 

「……もう、そんなこと言わないの。いい?」

『お姉ちゃんがいうならいいけどさ。前の人、やっぱり私好きになれないし。それにくらべたら、何かエッチっぽいけど、よっぽど善人だよ。みんなちゃんと勉強見てくれるし、色々手回ししてくれたりするし』

「……うん、凄いのよねあの人」

 

 感慨深そうに言うあぐりに、電話の向こうは悪戯っぽく聞く。

 

『でも、お姉ちゃんが好きになったのって、そーゆーすごいところだけじゃないんだよね、たぶん。見ててわかるよ~、たまーにすごく熱っぽい目で見てる時あるし』

「だ、だから何を――」

『もうみんな公認なんだし、いっそ堂々と付きあっちゃえば?』

「お、大人をからかうんじゃありませんッ!」

 

 割合、彼女にしては珍しく無意味に怒った。

 真っ赤な顔でうーうー唸っているその声に、受話器からくすくす笑みが零れた。

 

『うん、うん、やっぱりお姉ちゃんには幸せになって欲しいからさ。私、嬉しいよ?』

「うぅぅ……」

『じゃあ、また今度話そうね。ころせんせーも一緒にさ』

「う……。うん。ごめんね、いつもその、スパイみたいなことさせちゃって」

『だーいじょーぶ! 名字変えてるのは私の都合だし、演技は得意なんだから。これもレッスンのうちうち。バレてもちゃんとするからさ』

「本当に大丈夫?」

『うん。だってさ、私も今、かなり楽しいし』

 

 その言葉を聞き、あぐりはほっと一息ついた。

 またねーと電話が切れ、スマートフォンの受話器ボタンを押す。

 

 視線を向けた先は、クラスの名簿。

 

「……」

 

「何かお困りのようですねぇ、あぐりさん」

「きゃああああああああああああああああああああああッ!」

 

 背後からかけられた声に顔を真っ赤にして、全力で体を抱き、飛び上がる雪村あぐり。

 後ろを向くと案の定、緩んだ顔で鼻血を垂らしながら、ヌルフフフと微笑む「彼」の姿があった。

 色々な意味で圧倒的な防御力の低さを露にする、現在のあぐりの格好に、酷く幸せそうな顔をして胸元を中心に眺めている「ころせんせー」こと「吉良八 湖録(きらや ころく)」であった。

 

 当たり前だが、あぐりは顔を真っ赤にして部屋の隅に後ずさった。

 

「な、い、一体いつから入ってきたんですか『死神さん』!」

「先ほどからですが。ほらほら、あんまり慌てるとタオルが落ちちゃいま――、相変わらずのセンスですねぇ、その柄。三毛猫柄ですか」

「それらしいこと言いながらまじまじと、み、見ないで下さいよもう。この、不法侵入。変態。タコ教師」

「全部否定できないところが何ともダメージ大きいですね……」

 

 真っ赤になりながら静かに言葉を重ねる彼女に、彼は僅かに身を引いた。

 

「……まあ色々な意味でそこのところ、今更な気もしますけどねぇ、私達の場合。

 真面目な話ですが、ベランダの窓は閉めておいた方が良いと思いますよ? 女性の一人暮らしなんですから」

「今圧倒的にそれを理解させられましたよ」

 

 まだ緩んだ顔のまま鼻血を拭き忠告する有様には、圧倒的に説得力が足りて居ないのと同時に、圧倒的に説得力があるという矛盾した現象が起こっていた。

 

「そんな、今の時間で上ってきたんですか? それこそ今時は通報されますよ」

「いえ、ですから近所の住人が家に入る夕暮れの終わり時を狙って上って、今の今までずっとベランダでスタンバイしてました」

「もっと悪質じゃないですか!」

 

 あぐりの脳内には、テキトーに描かれた吉良八が地面からひょいひょいと壁を昇り、ベランダのところで横になってずっと窓ガラスをみているイメージが映った。

 

「というか、えっと、お夕飯食べてないんですね」

「はぁい。サプライズのためには、身を削りますよ?」

 

 悪質なサプライズは心臓に悪いです。

 あぐりの一言に、以降善処します、と苦笑いを浮かべた。

 

「うー、仕方ないですねぇ。ちょっと残り物になっちゃいますけど、食べて行きます?」

「是非! っと、それは別にして、あぐりさん。なにやらお困りの様子でしたが?」

「……」

 

 生徒の名簿を取り出し、彼女は吉良八に見せる。書かれた名前の中で、指差されたものに彼は「ああ」と納得を示した。

 

「そうですねぇ。やっぱり『彼』が、最初のポイントになると思います。おそらく最初の難敵にして、最大の壁の一つでしょうねぇ」

「死神さんでも、ですか?」

「ええ。おそらく私が時速マッハ20で動き、複数の触手を持ち、脅威的な再生能力と愛されフェイスを持っていたとしても、相当に手を焼かされそうです」

「例えが妙に具体的というか……」

「いえいえ。ともかく……、生憎『今の』私は生身ですから。『暗殺教室』を掲げた時点で、最初の接触としては覚悟しておくべきでしたねぇ」

 

 停学が解けるのはもう少し後ですが、と前置きし、彼はあぐりの顔を見て微笑んだ。

 

「色々と準備は必要でしょうし、その時はお力を貸してください」

「あ、はい! 当たり前ですよ? 『私達』の生徒なんですから」

 

 にこりと微笑み、吉良八の胸をネクタイごしに軽く叩くあぐり。吉良八は吉良八であぐりの両肩に手をおき――。

 

 なにやら二人の間に妙な空気が流れ出した、そのタイミングで。

 「五人の生徒が歌う名状しがたい独特な青春サツバツソング」のサビが鳴り響く。

 

「ひゃいいいいいいいぃぃッ!」

「お、おっとっと、失礼ッ」

 

 がばっと両者は飛びはね、体を背けあう、吉良八はポケットから、その鳴り響いてるスマホを取り出し、名前を見た。

 

「防衛省からですねぇ」

「はあ。席外した方がいいですね。

 ……あ!

 あ、えっと、風邪引いちゃうんで、その、着替えてきますね……」

 

 顔を赤くして笑いながら、あぐりはそそくさと寝室を後にする。

 よくよく考えると色々アブないシチュエーションだったと、「死神」はあぐりへ内心懺悔しながら通話ボタンを押した。

 

『吉良八か?』

「はい、ころせんせーですよ? 二週間ぶりくらいですかねぇ。チョーカーの方の『テスト』は問題ないですよ。今後そちらの訓練でも使って大丈夫なはずです」

『いきなりだな。だが、それは助かる……、ん、殺せん……? ああ、下の名前の方か』

「はい。生徒がつけてくれました。それで、本日はどのようなご用件でしょうか? 『烏間さん』。

 ヌルフフフフフ」

 

 電話をしているうちに、吉良八の顔は先ほどまでの気の抜けたものではなく、教鞭をとっている時の教師らしい顔付きになっていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 椚ヶ丘中学校3-E。

 山奥に在るこの旧校舎。その裏手にて、長身のシルエットがなにやら新聞を読んでいる。

 

 ペットボトルにつめられた鮮やかな色合い。漂う香りはトロピカルジュース。

 長いストローをそれに突っ込んで飲みながら、ウッドチェアに寄りかかり、彼はタブレットをスクロールしていた。

 

「It's boring for me that the big topic with the moon is written by an American newspaper. Aren't there any fascinating topics?」

 

 流暢な英語である。画面に表示されているタイムズ誌(有料)には月の欠けた写真が載せられており、概ね、内容もそれ一色。

 面白いニュースよりもそればっかりで、どうやら退屈なようである。

 

「メジャーリーグの情報は載せてくれているだけまだマシというところでしょうか。

 ヌルフ、久々にアんメーリカの友人と、ネット通話も良いかもしれませんねぇ。ん~」

 

 アカデミックドレスを着込んだ彼は、吉良八 湖録(きらや ころく)は、「さて、そろそろですかねぇ」とぼそりと独り言を呟いた。

 最近では生徒からもっぱら「ころせんせー」と呼ばれており、彼自身も気に入っているようだ。

 

 そんな様子を影から見つめる生徒が二人。

 ボールを構えている少年と、メモ帳を構えている少年。

 杉野友人と、潮田渚だ。

 

「(メモ通りだな。この時間帯にここに居るってのは。サンキュー、渚!)」

「(うん。杉野、頑張れ。今回のルールは「授業中以外、銃を使わないでせんせーに一撃与える」だったから、ボールはルール違反にならないはずだよ)」

 

 笑いあう二人は、今度こそ「暗殺(仮)」を成功させようとしていた。

 言いつつ渚は、もう一つ別なメモ帳を取り出した。「ころせんせー」用のメモ帳とは別のメモ帳である。

 

 開いたページ上部に「杉野」と書いた。

 どうやら、これから彼の動き等を観察するようである。

 

 胸を一度叩き、杉野は軟式ボールを取り出した。表面には、接着剤で固定されたBB弾。只のBB弾ではなく、「ころせんせー」とのゲームを想定して作られた(らしい)BB弾だ。

 特殊なチョーカー型装置を付けた対象に当てれば、警報というか銃撃音が鳴り響く仕組みである。

 

「(『自由な学校生活』は、俺達のものだ!)」

 

 木の影に隠れて、投球フォームをとる杉野。足が掲げられ、体を捻る。

 

(僕等は『殺し屋』。ターゲットは『先生』、ということになっている)

「――えいッ!!」

 

 渚が見守る中、杉野の弾丸は直線状に飛んだ。距離が短いからか、それは一切のぶれを感じさせない。

 しかしアマチュアらしく、速度の面では然程と言えた。

 もっとも普通、奇襲ではこのくらいの速度であっても効果覿面である。

 

 だが残念ながら今回の場合、相手の方が一枚も二枚も上手であった。

 

「――おはようございます、二人とも」

 

 言いながらターゲットは椅子の上に立ち上がり、ケープの下から「黄色いタコみたいな笑顔のキャラクター」が張り付いた金属バット(!)を取り出し、サウスポーのフルスイング。

 

 打ち返すのかと思いきやベクトルを上部へと逸らし、投球は高く、高く上がった。

 

「挨拶は大きな声でしましょうね? 杉野君に、渚君?」

「え? え?」

 

 にっこりと、歯を見せながら爽やかな微笑み。

 困惑する杉野。渚もびっくりはしていたが、反射的に「お、おはようございます」と頭を下げた。

 

 やがて再度落下してくる球を、ころせんせーは帽子を外して、その中に入れた。

 

「せんせーの指定した今日のルールに当てはめて、それから外れずなお自分の得意なフィールドで勝負する。軟式でやってくれているあたり『暗殺教室』の趣旨を理解してくれているようで、先生嬉しいですね。

 更にグッドアイデア! この方法なら銃が使える日でも、発砲音もなく使えるでしょう」

 

 ですが。

 

「残念ながら時速700マイル以下なら、先生にとってはさほど脅威ではありません」

「ま、マジで!?」

 

 杉野は顎をあんぐりとする。開いた口が塞がらない。

 当たり前だ、日本のプロ野球でいうなら記録速度は時速100マイル(約161km)前後がせいぜい。

 

 700マイルとか、もはや人外の領域である。

 というか、その自称が正しいならもはやマッハの域だ。

 

 速度自体理解していないものの、冗談半分だろうなぁと思いつつ渚はそれを「ころせんせー」のメモの方に記録した。

 

「倒せると良いですねぇ、卒業前に。まあ、本当に卒業直前だと意味ありませんが」

 

 ヌルフフフ、とにたにた嫌らしく笑いながら、彼は帽子をグローブのように使いつつ立ち去る。

 ああいう表情さえなければ二枚目なのに、と渚は思った。

 

「さ、ホームルームがはじまりますよ?」

「……はい」

 

 立ち去る殺せんせーの背後で、杉野はため息一つ。

 

「……やっぱ、俺の球じゃ無理なのかな」

「杉野……」

 

 目に見えて落ち込む友人に、渚は言葉が見つからなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「はい。ではこの『汚れっちまった悲しみに』から続くフレーズですが――」

 

 黒板にチョークで記述しながら、ころせんせーは今日も授業をする。

 

(先生は、月を七割蒸発させた生物……の先生だと言っている)

(来年の三月には、地球も破壊されてしまうという)

(他人事のようにそれを言う先生は、どこまで本気なのかよくわからない)

 

 渚は今日のメモを見返しながら、ころせんせーの解説を聞く。

 

(ともかく、そんなことを言う先生が、突如僕等の担任になった)

(やる気、元気のなかったクラスに、先生が一つのゲームを挑んだ)

 

(――模擬の実践的な方法で先生を倒す『暗殺教室』。成功すれば―― 一年間自習!)

 

 微妙に凄いのか凄くないのかわからない報酬だが、ともかくクラスは全体的にやる気になっていたようだ。

 現在、一応は先生の授業を受けていることからもそれが窺える。

 

 授業に出て学べば、それだけ先生打倒の成功率も高くなる、とのことらしい。

 そんな渚の考えていることも知らずに、容姿だけなら二枚目なころせんせーは、にこりと微笑んだ。

 

「(ね、渚)」

「(ん?)」

 

 と、考え込んでいると隣の席の茅野あかりが、耳に口を寄せ、ひそひそ話。

 

「(杉野元気ないよね。今朝暗殺失敗したんだって?)」

「(うん……。それからアイツ、すっかり元気なくして)」

 

 生徒用メモの「杉野」と書かれたページを開き、渚は目を落す。そこに書かれた一連の流れを見て、茅野は頭を傾げた。

 誰も成功していない暗殺、というか打倒。ことさら何度もため息を繰り返すほどに落ち込んでいる彼に、どうしたのだろうというところか。

 

 と、そんな風に会話をしていると、突如ころせんせーが空中を舞い(!)、菅谷創介の教科書を持ち上げる。

 

「菅谷君、先生はもっとキラキラしてますよ?」

「少女漫画!?」

 

 菅谷のテキトーな落書きに、赤ペンで目の大きな絵が上書きされていた。瞳の中に星が沢山ある絵柄は、非常に少女漫画チックなものであった。

 

 ちなみに格好は中原中也仕様である。

 相変わらず、ころせんせーのテンションは生徒に難しかった。

 

 そんなこんなでチャイムが鳴り、午前の授業は終了。

 

「それではみなさん、今日先生は用事があるので、これにて失礼します」

「用事?」

「ええ。ちょっと、防衛省の知り合いとお仕事ですね」

(((((ぼ、防衛省?))))

「午後の授業は雪村先生に代行してもらいますので、みなさんきちんと受けましょうね? ……というか受けてくださいね、お願いしますよ? 本当に」

 

 何度も念押しするころせんせー。

 何かとクラスの副担任、雪村あぐりに頭が上がらない彼のことだ。後の事が怖いのか、しきりに頼み込んでから教室を後にする様は、やはり三枚目というか、ギャグキャラチックであった。

 

「……何なんだアイツ」「てか、前も防衛省がどーのこーの言ってたよなぁ」

 

 クラス内で彼が何者なのかということについて話し合われはするが、今の所決定的な回答は得られていない。

 

「ていうかアレ、絶対嘘でしょ。遊びに行ってるんじゃないの?」

「そうかな。結局チョーカーとか、ゲームの道具の謎も解明されてないしぃ」

「先生もさ~、たまにはお土産とか買って来てくれるといいのにね~」

「いや、あの先生のお土産だよ? 色々困るんじゃない」主にセンス面で、駄目な方に信頼と定評のあるころせんせー。

「食べ物ならいいんじゃないかなー、残らないし」

「現実的ね……」

 

 教室で交わされる、クラスメイトの会話。

 そんな中で、杉野がとぼとぼ肩を落して教室から外へ。

 誰も気付かず食事を取り始めている。

 

「渚~、一緒に食べよ?」

「あ、茅野、神埼さん」

 

 そんな彼の背を、唯一渚だけは目で追っていた。

 

 

 

   ※

 

 

 翌日の同時間帯。 

 

「……はぁ」

 

 ため息をつきながら弁当を置く杉野。何処か覇気の感じられない物腰だ。

 校舎の外、グラウンド手前の階段で、彼はため息をついた。

 自分の右手をにぎりながら、じっと見つている。

 

「――磨いておきましたよ? 杉野君」

「こ、ころせんせー?」

 

 突如背後からかけられた吉良八の声に、杉野はびくりと体を振るわせる。

 彼が昨日の朝に投球した球が、ぴかぴかに磨かれていた。

 

「雪村先生と食べないんですか? お昼」

「食べますよ? ねえ」

「あ、ははは……」

 

 ころせんせーの後ろには、若干頬を赤くしながら雪村あぐりが照れていた。両手にはお弁当箱二つ。

 本日はワンピース姿で、一見するとまともな格好に見える。

 がよく見て見れば、デザイン的には例のタコ型マスコットを模したものであり、スカートは六本の触手モチーフ、両肩はそれぞれ二本ずつの触手モチーフ、背中には変なスマイルといった有様であった。

 

「……ていうか何食ってんの、せんせー」

「携帯保存食の試作品です。これ一本で一日分の野菜です」

 

 食べます? と言って見せられるのは、誰がどう見ても小さな最中にしか見えない代物。ただし中はあんこやクリームなどではなく、ぎとぎとしい鮮やかな色合いだ。

 一体どこが野菜なのか、甚だ疑問である。

 

 反射的に断ると「美味しいのに」と、ヌルフフフと笑いながらバクバク食べる。

 説得力は何一つ感じられなかった。

 

 ご一緒しましょう、と三人で校舎横の階段に座った。

 

「杉野君、どうしたの? お昼。さっきあんまり食べてなさそうだったけど」

「あんまり食欲なくて」

「無理にとは言わないけれど、食べないと体調崩すわよ?」

「ヌルフフフ、では先生用のお弁当から、から揚げでも一つ。はいあ~ん」

「むぐ!?」

 

 彼がわずかに口を開いた瞬間、狙ったようにから揚げを箸で突っ込むころせんせー。

 横暴気味ではあったが、むせないよう前歯でロックする程度の位置にしたりと、きちんと配慮はあった。

 

 嫌そうな顔をしながらも、から揚げに罪はない。

 杉野はしぶしぶそれを食べた。

 

「……普通に美味しいです、雪村先生」

「ふふ、ありがとう。まあ昨日の夜の余りモノなんだけどね」

「ヌルフフフ、雪村先生の料理は家庭的ですよねぇ」

「嫌味にしか聞こえませんよ? 吉良八先生の料理を食べちゃうと、ちょっと自信なくしますもん」

「いえいえ、これ本心ですよ。食べてて殺伐とした世の中を忘れられる安心感があります」

「……ころせんせー、そんなに凄いんですか?」

「もし吉良八先生がから揚げを作るなら、たぶん朝から起きてタレから仕込んで、油もきちんと良いものを使うんじゃないかしら。鳥にも切れ込みとか入れたりして」

「運動会か何かですか?」

「ヌルフフフ」

「あとたぶん、私のこと気にしてタレはしょうがだけでニンニク使わないし、油も何か特殊な分離機? でいくらかカットしたものにするだろうし」

 

 随分と細かく、詳しい予想である。

 実際に作ってもらったことがあるのだろうか。

 胸を張るころせんせーに、杉野は苦笑いを禁じえなかった。

 

「教育も暗殺も、健康が一番ですからねぇ。

 それはそうと杉野君、昨日は良い球でしたねぇ」

「よく言うよ。考えてみたらBB弾の雨あられを余裕綽々で避けるんだから、当るはずないよな」

「君は、野球部に?」

「あっ ……前はね」

 

 前? と杉野の顔を見るころせんせー。

 

「……E組は、部活禁止なんですよ。吉良八先生」

「ヌル?」

 

 あぐりがころせんせーに解説をする。成績が悪くE組になったのだから、生活は勉強第一。それでいて学校行事は継続して存在しており、E組は更に嘲笑の対象となる。

 

「随分な差別ですねぇ。ふむ、あの条件で食いついた理由、そこら辺にも理由がありそうですね」

「……でも、もう良いんだ。見ただろ? 遅いんだよオレの球」

 

 バカスカ打たれてレギュラー落されて。

 

「それから勉強もやる気なくなって、今じゃE組だし――」

「杉野君」

 

 ふと横を見れば、ころせんせーはにやりと、普段の彼らしくない二枚目な笑顔を浮かべていた。

 

「先生から一つ、アドバイスをあげましょう」

 

 

 

「(……先生たち?)」

 

 そんな彼等の様子を、渚は窓から見ていた。授業の課題提出のために先生を探していたのだ。

 

「(杉野と何話してるんだろう)」

「渚、どしたの?」

「あ、茅野」

 

 ざっくりと現状を見ると、彼女はふと、不安げな顔を浮かべる。

 

「ころせんせーもしかして、昨日の暗殺を根に持ったりして――」

「ええ!?」

 

 なお彼女の表情は、不安げなものになる直前に一瞬ニヤリとなったのだが、渚の視界には入っていなかった。

 慌てる彼に、茅野はのらりくらりと一言。

 

「雪村先生もいるから、大丈夫じゃないかな?」

「でも、本気出したら雪村先生だってたぶん……。行かないと!」

「あ、待ってよ渚~」

 

 駆ける渚と追う茅野。

 

「「って、何だあれ!?」」

 

 渚たちが入り口に立つ頃には、杉野は大リーグ養成ギプスのごとき謎の機械に全身を包まれていた。バネに引っ張られて動き辛そうである。

 

「雪村先生、何やってんですかころせんせー!」

「えっと、何て言ったらいいかしら……。一応、危害は加えてないみたいだけど」

 

 ちなみに彼女の手元にある、ころせんせーの分のお弁当は既に完食されていた。

 

「ヌルフフフ。杉野君、それは防衛省が開発した、生物の身体機能を分析する装置です人間型あるいは人間『サイズ』の生物の分析のために作られたものですね」

 

 何でもかんでも防衛省の名前を出せば、通ると思って居るのだろうかこの教師は。

 渚も茅野も杉野も完全に意見の一致した顔をしている。

 

「さて、ではアドバイスです」

 

 と、言われた瞬間渚は「杉野」のページを開く。

 

「昨日見せたクセのある投球フォーム。メジャーに行った有田投手を真似ていますね?」

「むぐ……ッ!」

「でもねぇ」

 

 胸についたパネルのボタンを操作して、ころせんせーは装置を外す。メジャーの巻き取りのごとく集るバネと、その最終的に表示される数値を確認して、「やはり」と言ってから彼は続けた。

 

「有田投手に比べて、君の肩の筋肉は配列が悪い。彼のような剛速球は投げられません。どれだけ真似をしようが無理なものは無理です」

「!?」

 

 杉野が目を見開いて、絶望に染まる。

 渚はメモをしながらも、しかし、静かに呟く。

 

「な――」

「何で、先生にそんな断言できるんだよ」

「ヌル?」

 

 渚は、普段の彼らしくない表情だ。ペンを持つ手を強く握り閉めるその様に、茅野も杉野も意外なものを見る目をしている。

 

「僕等がエンドのE組だから……、落ちこぼれは何やっても無駄だって、言いたいの!」

「……」

「渚……」

 

 しばしの沈黙が場を支配する。

 

「そうですねぇ。何故無理かと言いますと――」

 

 だが、おもむろにころせんせーは、胸からタブレット端末を取り出し、操作して渚たちに提示した。

 

「――先ほど本人に確かめましたので」

『あー……』

「「「た、確かめたんならしょうがない!?」」」

 

 タブレット端末の画面の向こうで、有田投手が何とも言えない表情を浮かべていた。これほどテレビ電話の機能で、衝撃を受けたこともあるまい。

 

 ちなみにこれサインです、と言いつつ懐から色紙を取り出すと「タコ教師」と言う殴り書きと有田選手のサインが記入されていた。

 

「な、何何、一体どういうわけ、どうしてそんな!?」

「先生、有田さんとは親友(マブ)ですから。以前一緒に練習したこともありまして――」

『昔話とかふっざけんなこのエロ教師! これから試合なんだもう切るぞ!』

「「「思いっきり罵倒されてる」」」

 

 ちなみにころせんせー、その言葉を受けて涙目である。さもありなんといったところか。

 しかし友人というのは本当のようで、「忙しいのであまり出てくれませんが」と言いつつ見せられたアドレス帳には、きちんと投手の本名が記載されていた。

 

「ともかく、君は有田投手のスタイルを真似ても意味はありません。ですが一方で、肘や手首の柔らかさは君の方が素晴らしい。鍛えれば彼を大きく上回る才能があるとも言えますねぇ」

 

 杉野の右腕をとりながら、くるくると回すころせんせー。

 はっとする杉野。確かに彼の手首はやわらかく、前後に大きく曲がるようであった。

 

「才能の種類は一つではない。君の才能に合った方法(あんさつ)を探してください?」

 

 ヌルフフフ、と笑いながら彼等に背を向ける。

 「あ、じゃあまた後でね」とあぐりもそれに付いていく。

 

「……ひじや手首が、オレの方が?」

 

 確認するように繰り返す杉野。そして今一度自分で試して、安堵した表情を浮かべた。

 

「俺の、才能か……!」

 

「良かったね杉野」

「うん、そうだね」

 

 彼の方を一瞥して、渚はころせんせーの背を見つめる。

 同時に、渚は思った。

 

(……ころせんせーの言葉は、今確かに説得力を持っていた)

(でもそれは、やっぱり有田選手に聞いた、という部分が大きい)

 

「あ、課題出さないと」

 

 杉野に手を振って、渚は走る。

 

(……つながりって、そういう意味でも重要なのかな)

 

 ころせんせーのメモ帳に記入してから、渚は声を掛けて二人を呼び止めた。

 

「嗚呼、課題ですね。チェックしましょうか。……そして渚君、何か聞きたそうな顔をしていますね?」

「……防衛省とか、あと有田選手とか。色々あってやっぱり思うんですけど、先生って何者なんですか?」

「ヌルフフフ……」

 

 曖昧に微笑みながら、ノートを添削するころせんせー。

 渚は思う。最強の殺し屋というその名乗りが、どうしても彼の挙げる名前や組織と一致したイメージを呼び起させない。

 

「――渚君。先生は、ある事情から教師を『させてもらって』います」

 

 その言葉に、あぐりが少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。

 

「……例え何があっても、先生の過去が何であったとしても、その前に今は君達の先生です」

 

 さらさらと、流れるように赤ペンを入れると、彼は渚の手元にノートを返却した。

 

「例え一年後に何が起こっても、『私がどうなっていても』。君達と向き合うことは、地球の終わりと天秤にかけても、お釣りが来るほどに重要なことです」

 

 学生も暗殺も、真剣に向き合ってくださいね?

 

「まあ、後者は相当難しいとは思いますけど。ヌルフフフ……。行きましょうか、雪村さ――雪村先生」

「……はい」

 

 立ち去るあぐりところせんせー。二人を見つつ、渚は今聞いた言葉を聞いて、ふっと微笑んだ。

 

「……採点速度の早さはともかく、後ろに変な問題書くのはやめてくれませんか?」

「ヌニャ!?」

 

 これじゃペナルティだよ、と言いながら、返却されたノートに書かれた問題に苦笑いを浮かべた。

 ちなみに問題は「この触手の外周の長さを求めよ。なお□と△の合計した角度は90度以内とし、円周率は3.14で求めよ」というものであった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 後日。 

 

「ヌルフフフ、見てください雪村先生。点数がちょっと上がりましたよ!」

 

 昼休み、微笑みながら数学のテストを採点するころせんせー。

 あぐりは、校庭を見つつ微笑み返した。

 

「やっぱり、続ける気になってくれたみたいですね」

「何事もやる気が肝心ですからねぇ。彼の場合、そこはどちらも一連托生といったところでしょう」

「元々真面目な子だから、周りがちゃんと『見て』あげれば、もっと早く立ち直れたのかも」

 

 少し思いつめるような表情をするあぐりに、「貴女は充分、見ていると思いますよ?」ところせんせー。

 自分の三倍近い速度で採点をする彼に、彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 

「…… 一年後。どうしても、貴方がやらないといけないんですか? 『死神』さん」

 

 普段教室で見せるのとは、少し違った色の表情だ。

 ころせんせーもそれが分かって居るからか、普段あまり見せる事のない、自嘲げな笑顔を浮かべる。

 

「……元はと言えば、私の失敗です。烏間さんたち防衛省と色々協力はしていますが、いざとなれば、私も『反物質』を使わないといけないかもしれません」

「でも……ッ、そんなことしたら貴方も――」

「あぐりさん」

 

 ころせんせーは、立ち上がる彼女を手で制する。

 椅子に座ったのを確認して、彼は続ける。

 

「私は、本当に感謝してるんですよ? 今ああして渚君や杉野君が、投球の練習をしているのを見られるのだって。こうして貴女と二人で一緒にいられることだって。充分……、充分すぎる程に幸せな人生です」

「……」

「だから、そう思いつめないでください。笑顔の貴女が一番素敵ですよ」

 

 力なく投げ出された手に、ころせんせーは自分の手を重ねた。

 丁度そのタイミングで、窓がこん、こんと叩かれる。

 

「おやおや。ヌルフフフ……。」

 

 窓を開けると、杉野がグローブをして身を乗り出す。

 

「先生、ちょっと倒したいんだけど、来ない?」

「ヌルフフフ、懲りませんねぇ。雪村先生、ちょっと残りの採点お願いしますね?」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 そんなやりとりを見つつ、渚は思う。

 

(僕等の先生は、正直倒せる気がまったくしない)

(でも不思議と、僕等をやる気にさせる、ころせんせーの『暗殺教室は』――ちょっと楽しい)

 

 あぐりに手渡されたテストのプリント。五十点満点中三十二点の、杉野の回答用紙だ。

 そこには彼の文字で「少しあがりましたね、Congratulations!」と記入されていた。

 

 

 




あぐりといちゃいちゃする他に、マッハ20じゃなくなった先生が生徒にどう対処するかっていうのも、考えていて楽しいところです。
では、今回はここまで。

※7/29 後々のことも考えてタイトル変更しました


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第3話:完封の時間

このサブタイトルがやりたかった。
そして某探偵ネタも一度は入れたかった。


  

 

 

 烏間惟臣は自他共に認める堅物である。

 女心の機微など分かりもしないし、仕事に心血を注いでおり、禁欲的と言われる。

 

 本質的な部分はともかくとして、それなりに真面目に生きていたつもりだ。

 

 だからこそ分からない。

 どうして、あのひょうきんな「殺し屋」に目を付けられたのかが。

 

 ――ヌルフフフ、あなた、防衛省の烏間さんですね?

 

 あの日、男は夜道で「死神」に出会った。

 その日から、まるで「死神」の掌の上で踊らされてるような錯覚を覚える時がある。

 

 

【(:月)巨:ニュル? どうしましたか、烏間さん

 K.T.:……何でもない。それより画像のダウンロードは終わったか?

【(:月)巨:ええ しかし、どうしたものでしょうかねぇ

 

 省内の一室にて、烏間はノートPCを起動している。

 私物ではなく、当然組織の預かり品だ。

 

 そこに映し出されている画像は、やや不鮮明。

 夜の海か。水面にてミサイルの爆発に巻き困れている「十本足の触手を持つ」「帽子を被ったような」シルエット。足をつかって飛行機を巻きこんでいるように見える。

 色や細部までは判別できず、ぶれた画像でうっすらシルエットがとられられるのみ。

 

 K.T.:この”C”だが、観測されたのは昨晩、地中海でだ。

【(:月)巨:危ないですねぇ でも一度遊びに行きたいって言ってましたから、そこら辺が理由でしょうか

 K.T.:”C”そのものの情報について、俺はそこまで詳しく知らん。重要なのはそっちだ。お前の目から見て、どうだ?

 

 烏間は、PCのチャットに打ち込む。

 専用回線を使った特殊な通信であり、またアプリケーションも防衛省がこの「対特殊状況用セクション」に対応する形で作ったものを用いている。

 

 ゆえにほとんどセキュリティ面での心配はないのだが……。あえてチャットを利用しているのは、音そのものが館内に漏れる可能性も考慮してのことである。

 それほどまでに、ことは国家機密レベルなのだ。

 

 烏間の言葉に、相手は少し時間を置いてから打ち込んだ。

 

【(:月)巨:これ、完全に遊ばれていますね

 K.T.:何だと?

【(:月)巨:だってほら お手玉じゃありませんか?

 

 言われて見ると、爆発を背にしながらも、触手は戦闘機を三つほどテキトーにいじっているように、見えなくもない。

 

【(:月)巨:あー申し訳ありませんが、本日はもう宜しいでしょうか?

 K.T.:どうした?

【(:月)巨:生徒に早寝早起きを提唱しておいて、自分が一切守って居ないのは体裁も悪いので・・・ 授業に差し支えも出そうですし

 

 無論防衛省内の人間なら、こんな言葉許されるもんではないが、あくまで「彼」は外部の人間なのだ。

 頭を振って返信すると、「申し訳ありません」と文面だけは謙虚な言葉が返って来た。

 

【(:月)巨:=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3=3

 

 もっとも直後にこのような返信を寄越すあたり、相手の気質が窺い知れる。

 

「……本当にコイツは。『あの時』とは大違いだ」

 

 嘆息する烏間の言葉に、答えるものは誰もいない。

 部下の「監視」報告曰く、見ていて胸焼けするとのこと。

 

 ただし、死神があらかじめ告知していた通り、警護をつけたのは間違いではなかったようだ。

 

「このまま行くと本当に、俺にも仕事が回ってくるかもな」

 

 死神に手渡された「3-E」のクラス名簿を見つつ、烏間は苦笑いを浮かべた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「はい。お昼休み開けで早速ですが体育の授業です。

 本日はこの本『悪魔だって満腹な交渉術~元女子高生探偵が語る~』を使って授業をしていきたいと思います」

「いや、ころせんせー、体育なのに何で交渉術?」

「そんなのより、せんせーのワイヤーアクションみたいなのとかー、教えて欲しいな~」

「まあまあ。では、これから配るプリントをよくお読みになってください」

 

 椚ヶ丘中学3-Eの校庭は、校舎の手前にある。

 つい何週間か前まで整備が行き届いていなかったのだが、担任教師たるころせんせーこと「吉良八 湖録(きらや ころく)」が昼休みにちょっとずつ整備し、今では本校舎よりも小さい物の、普通のグラウンドと呼べる程度の代物にはなっていた。

 

 そんな場所でジャージ姿の生徒たちに、ころせんせーはプリントを配る。最初に言った本の、本日授業で使う分のページをコピーしたものだ。

 

「先方の都合がつけば本日、これの著者さんに講演に来てもらう予定でしたが、生憎今頃は飛行機の上だそうで。

 さて、では最初のページを見てください?」

 

 なおちなみに、ころせんせーの格好はアスリートが着ているタイプの、割と体に密着するものである。すらっとした全身が思いの他綺麗で、言動さえずっと落ち着いていれば二枚目なことを改めて思い起させる。

 右の手袋の位置を調整して、せんせーは一枚目に書かれている文章を読みあげた。

 

――忘却とは、停滞のこと。

  その先は、緩やかに死が待つばかり。

  飛び方を忘れ 敵を忘れ、しまいには鼠より無力な地を這う鳥になり下がるようなもの。

 

――だから私は忘れない。

  どれほど辛い記憶でも、悲しい別れでも。

  忘れなければ、私はまた進化することが出来るのだから。

 

「解釈の仕方にもよりますが、記憶とは、経験値です。

 こなした経験こそ忘れなければ、積み立て式に知識も技術も増えていき、何事か巨大なことを成し遂げることも可能だといえます。

 では、その前書きの部分をふまえて、今日これからの授業を受けて見てくださいね? 次のページの『調査歩法』の部分から――」

 

 

 

「――ふぅん、楽しそうじゃん」

 

 足音をたてない走り方を実戦する生徒達を眺めるシルエット。背丈は低くはないが、ころせんせーほど高くはない。格好は着崩した制服姿。左手に持つ「いちご牛乳」のパックがちょっとキュート。

 授業終わりの時間十五分ほど前に現れて、彼は生徒達の動きをじっと観察していた。

 

「では、今日の体育はここまで。皆さん遅れないように準備してくださいね、ヌルフフフ」

 

 着替えの時間も含めて、チャイムが鳴るより先に解散させるころせんせー。

 生徒達のざわめきを聞きつつ、ライン引きを片付ける。

 

 その姿は、どこかいつもと違って、何か物足りないような感覚を覚える。

 

「……あ、そうか雪村先生か。そういえば雪村先生どこだろ?」

「たぶん準備中じゃない? ほら、六時間目小テストだし」

「何で体育で終わりじゃねーんだよなー、今日」

 

 潮田渚、茅野あかり、杉野友人の三人は、そんなことを言いながら移動していた。

 校庭でまだしゃべっている生徒たちの中では、割合校舎に早く向かったメンバーだ。

 

 だからこそ、渚は気付いた。

 赤系の色に染めた髪の、男子生徒に。

 

「――よー、渚君。久しぶり」

 

 にこにこと微笑んで言う彼。さほど感慨もないような声音だ。

 まるで毎日会っている友人へ向けた一言のようでもある。

 

 しかしそれはあり得ない。

 渚が彼を見るのは、かなり久々だからだ。

 

「か、カルマ君! 帰って来たんだ」

 

 渚の言葉に、赤羽 業(あかばね かるま)は、にっと無邪気に笑った。

 

「へえ、アレが噂の『殺先生』かー」

(……? 何だろう、呼び方に何か違和感が)

 

 渚たちに軽く手を振った後、彼はそそくさと足を進める。周囲の生徒達の視線はほぼ無視。

 いつの間にかトレードマークのアカデミックドレスに着替えていた(!)ころせんせーに、カルマは「思っていたより普通だなぁ」と笑った。

 

「赤羽 業君。停学明けはもう少し後だったと思いましたが、本日はどうしました? 大歓迎ですけど」

(((((大歓迎なんだ)))))

「いいじゃん別に。みんな『楽しそうなこと』してるって聞いてたら、家で腐ってるのも馬鹿らしくてさ」

「それもそうですか。ですが赤羽君、事前連絡はしてくださいね。そうすれば『君も』楽しめるようにメニューを組みますから」

「あ、ははは……へぇ、そうっすか。あ、あと下の名前で呼んでよ。そっちの方が気安いし」

「そうですか」

「とりあえず宜しく! 『殺先生』」

「こちらこそ、楽しい一年にしていきましょう――カルマ君」

 

 差し出された右手対して、ころせんせーも微笑み、黒手袋をした右手を差し出し返す。

 それを握るカルマだったが――数秒後、その笑顔が獰猛なものに変わった。

 

「……へぇ、どうして気付いたの?」

「いえいえ。ちょっとした『経験則』でしょうかね」 

 

 にこにこと微笑む担任教師。

 その手を握った状態で、カルマは牛乳パックを相手の顔に投げる。

 ころせんせーは、しかし余裕を崩さずそれに応対。軽く右側に半身を捻りこれを躱す。

 またニ撃目の、左手に隠し持っていたナイフも手首を「右手で」握られて、回避された。

 

 唖然とするカルマ。現在も相手の手を「にぎっている」はずの、己の右手を確認した。

 

「――嗚呼、ちなみに今カルマ君が握っていた手は、ちょっとだけ実物に似せて作ったものです」

 

 カルマが握っていたのは、ころせんせーの右手の手首から下「だけ」であった。生の手のようでもあったが、しかし言われて見ると確かに、その感触は「固めの粘土」と「割り箸」で構成されたものだった。

 

「君の性格だと、なんとなく最初から『王手』を狙ってくるような気がしましてねぇ。いえいえ、念のため準備しておいた甲斐がありました。ヌルフフフ」

「どういうことだ?」

「カルマ君、寺坂君に右手を見せてあげてください」

 

 左のナイフを取り上げた上で、ころせんせーは促す。

 言われてカルマは「敵わないな」という風に笑い、ころせんせーの作った右手モドキを落した。

 開いた手を見て、生徒たちが驚く。

 

「ナイフもBB弾と同じく特殊な素材ですから、確かに切って貼り付ければ効果はありますが、実際にやった生徒は君が初めてです。

 他の生徒たちのアドバンテージをものともしないその発想力、大変結構です。もう二、三捻りを加えれば、せんせーも一本取られたかもしれませんね」

 

 にやにや微笑みながら、カルマの頭をなでるころせんせー。

 カルマも照れたように笑って居るように、見えなくもないが、口元が明らかに歯軋りしてるようにガタガタいっていた。

 

 対象的な二人を見つつ、茅野が渚に近寄る。

 

「渚、カルマ君ってどんなヒト?」

「あー、うん、二年間一緒のクラスだったんだけど……。二年生の時、続けざまで暴力沙汰で停学くらって」

 

 E組は、成績不振やクラス内での外ればかりが集められるわけではない。カルマのように、実際的にドロップアウトしていた生徒もまた同様である。

 

「でも、ある意味この場で一番優等生といえるかもしれない」

「どーゆーこと?」

「凶器とか騙し打ちとかなら、カルマ君が群を抜いてると思う。今日はせんせーにやられたけど、そもそも僕等じゃ考えもしない手をとってやったわけだし」

「あ、そっかー」

「それに――」

 

 渚は分析する。ある意味、先生が提示した『暗殺教室』に、クラスの中ではカルマが一番向いているだろう。

 今も普通そうな外面を装ってはいるが……、何だかんだで頭も良かった彼のことだ、おそらく頭の中では、今回の分析とかが行われているだろう。

 

 授業開始の時にせんせーが言った言葉ではないが、彼はきちんと経験をモノに出来る人物だ。

 せんせーから一歩離れて、カルマはにこりと微笑んだ。

 

「じゃあ先生。明日、見学に来ていいですか? 今日は出直してきます」

「ええ。出欠にはカウントされませんが、リハビリもかねて良いでしょう」

 

 微笑みながらナイフを返すころせんせー。それを受け取り一発入れようとするが、軽く手の甲を裏返させられ、手首を極められるカルマ。

 何一つ反抗させない――いつも以上に徹底したその応戦具合に、カルマはにやりと笑った。

 

「……せんせー、ひょっとしてビビってる?」

「何のことでしょうか」

「俺が『聞いてた』話じゃ、もっとせんせー緩い相手だと思ったけど」

「聞いていた、ですか……。むしろその情報が、どこから出てきたかが気になりますねぇ」

「じゃ、そんなのもまた後日ってことで」

 

 一度会釈してから、カルマは背を向けてその場を去る。

 

「――逃げるなよ、ころせんせー」

 俺がきっちり、(ころ)してやるからさぁ。

 

 カルマの獲物を見つけた肉食獣めいた笑み、渚は何とも言えない表情を浮かべた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「――あーもしもし、烏間さん。ちょっと拙いことになりました。ええ、あの、例のモノは出来て居ますか? はいはい。えーあの、突貫で送ってもらえるとありがたいです。はい。

 ええ、保険ではあるのですが、下手すると生徒の命が関わってくるところですので。

 ……ええ、はい。お願いします」

 

 六時間目。

 クラスは小テスト中。

 しかしころせんせーは、現在教室にはいない。どこに居るかと言えば、旧校舎の裏の山にある森。その中にある一本の木の上で、携帯端末で電話をしていた。

 

 ちなみに彼の足元では、誰がどう見てもスナイパーにしか見えない華奢な男性が、泡を噴いて伸びている。

 それを一瞥して、ころせんせーは言う。

 

「それから、例の件――結構真剣に検討お願いしますね、烏間『先生』」

 

 電話の向こうの「本気だったのか!?」という叫びを聞きつつ、ころせんせーは通話を切った。

 直後、スナイパーを引き連れて地面に落下。膝で上手い事衝撃を殺して着地し、周囲に声をかける。

 

 現れた黒服サングラス姿の男女数人に、ころせんせーは微笑みながら会釈した。

 

「相変わらずのお手際、見事です」

「いやー、いつも済みませんねぇ。私達のわがままのせいで」

「いえ、職務ですから。ただ今回は、我々のミスと申しますか……」

「いえいえ、それこそですよ。では、お願いします」

 

 頭を下げる隊長のような大柄な黒服男性。彼にスナイパーを手渡すと、両手を後ろに手錠でしばり、部下二人に引き渡した。

 

「最悪、私はどうでも良いので、『彼女』と生徒たちだけでも守ってください」

「いえ、我々の警護する職務には、最重要として貴方も含まれて居ます、吉良八『顧問』」

「堅苦しい呼び方はナシにしましょう。今は『ころせんせー』です」

 

 敬礼する隊長とそんな会話を交わしながら、ころせんせーはその場を後にした。

 

「さて……。『前回の』カルマ君と、今回のカルマ君に違いはさしてなさそうですが、妙ですね。そうなると、何故途中で身を引いたのか」

 

 ころせんせー ――殺せんせーの記憶にある、出会った頃の赤羽業。とにかく自分の裏をかき、怒りを誘発させて「教師」としての在り方を折ろうという気概が見て取れた。

 

 言いながら飄々と森の中を駆けていくころせんせー。

 その動きはアスリートのようでいて、しかし両手は足とクロスする形で出しているわけでもない。

 そのノートのページ上部には「対初期カルマ君用チェックシート」と書かれていた。なおチェック項目は「ジェラート:今回は買ってない」「財布:持ち歩くべし」などといったようなことが羅列されている。

 

「マッハ20ならもう少し無理もできたのですけど、生憎今はどう頑張っても、1出れば良い方ですし。

 まったく『柳沢』も、反物質ばかりではなくもっと純粋に身体強化でもすれば良かったものを」

 

 なお独り言だが、マッハ1出てる時点で人間技ではない。

 

「『この時点』のカルマ君は、教師への不信感で一杯な自暴自棄。だからこそ非道な真似も平然と出来たと思うのですが……、はて、そういえばゲームなどの詳細、一体誰が教えたのでしょうか」

 

 色々と考えているうちに、何時の間にやら校舎へ到着。直前でスピードを遅くし、ゆっくりと校舎の中へ入る。

 教室では小テストの回収が始まっており、雪村あぐりが忙しく動いていた。

 

「雪村先生、お手数おかけしました」

「――吉良八先生?」

 

 あぐりは、何故か妙ににこにことしながらプリントをまとめつつ、ころせんせーを見つめる。

 

「どうされました?」

「吉良八先生のセンスも、色々と、うふふ……」

「はい?」

 

 わけのわからない一言である。

 だがしかし、反射的にころせんせーの脳裏に電流走る。

 あわててカルマの机の方を見ると、そこにはある雑誌が開かれ、ナイフで机に付きたてられていた。

 

「――あ、あれは、先生が今朝買って来て家で読もうと思っていた週刊誌! しかもセミヌード袋とじが丸々切り取られて、存在自体なかったことにされているッ!!?」

「「「「「全くオブラートに包みもしなかった!?」」」」」

 

 漢らしく全部口走ったころせんせーに、生徒たちは皆一様にツッコんだ。

 教室中が微妙な表情を浮かべているのはそのせいか。いや、むしろ吉良八に対して同情的というか、生暖かい目というか。

 

 特に一部の男子生徒らは、表紙を飾っている美女(なお胸を強調するポーズをとっている)の肢体が彼等も見られなくなった事実に涙しているような、いないような。

 

「ヌニャ!? い、一体何時の間に……ッ! しっかり隠していたはずなのに……ッ!」

 

 丁度そのタイミングで、ころせんせーのメールに着信が入った。

 

「ヌル?」

 

送信元:赤羽カルマくん

件名 :見つかったよね?

本分 :職員室の床の下に落ちてたから、拾ってきたんだ。せっかくだし雪村先生にも見せたよ

 

「ヌニャアアアアアアアアアア!!!!」

 

 絶叫するころせんせー。さもありなん、袋閉じの破られ方が、妙に乱雑だと思った。

 背後を振り返れば、聖母のような微笑を浮かべながら、あぐりが右手に数枚のカラーページを握りしめていた。

 

「吉良八先生」

「え、えっと、はい」

 

 反射的に答えるころせんせーに、彼女は追い討ちをかける。

 ちなみに本日のブラウスは、ファンシーな色合いにチェック柄と「般若面」であったため、ある意味状況には合っているといえた。

 

「先生、仮にも教育者ですよ? 学校になんてもの持ち込んで来ているんですか」

「は、はい、おっしゃる通りで……」

「隠してれば良いって問題じゃありません。この間だってタブレットを使って、自宅PCにあるグラビアアイドルの映像とか見ようとしてましたよね?」

 

(((((雪村先生言わなきゃ、それ誰も知らなかったんじゃ……)))))

 

「大きければ誰でも良いんですか? どうなんですか、吉良八先生?」

(((((注目するところ、やっぱそこなんだ)))))

「あ、いえ、あの、雪村さ、雪村先生、その――」

 

 しどろもどろになろうがなるまいが、雪村あぐりは容赦しない。

 普段以上に物腰は丁寧ではあるが、丁寧なのは物腰だけである。

 足元では『ある種の規則をもった地団駄』が連続して踏まれていた。

 

「吉良八先生は、後で職員室で聞かなきゃならないことがありますから、放課後は『みっちり』居残りです」

「……はい」

 

 終始微笑みっぱなしのあぐりの言葉に、しばらく反抗しようという意志があったようだが、結局頭を下げて、吉良八は項垂れた。

 

 女子生徒たちからさえ、黄色い声すら上がらない。

 クラスメイト一同、やはり3-E最強は彼女だと改めて再認識した瞬間であった。

 

 その情景に同じく言葉を失いながらも、しかし渚はカルマの席を見ながら考える。

 

(効果的ではあるんだけど……でも何だろう)

(何だか少し、寂しい気がする)

 

 そう思いながら、渚はメモの新しいページを開いて「カルマ君」と記入した。

 

 

 




ころせんせーは、殺せんせーのデータを引き継いだ死神です。なので弱点とかもそれなりに引き継いではいます。

というわけで、今回は前編後編です。次回お楽しみに


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第4話:完封の時間・2時間目

※ルールを一撃決殺方式から、ダメージ累積方式に変更しました。
 第1話も同様に手直ししてますので、あしからず。


  

 

 

「じゃあな、渚~」

「うん、また明日」

 

 放課後、渚は椚ヶ丘駅にて、メモ帳の確認をする。

 

 ころせんせーの弱点メモや、クラスメイトたちの情報メモ。

 前者はアクロバティックな身体能力、時速換算700マイル並の感知といったものに加え、かっこつけるとボロが出る、おっぱい(特に大きな方)などどうしようもない弱点メモも多数見える。

 後者は生徒に対して殺せんせーが言った言葉や、渚自身が観察した事柄。そして、他の生徒たちの技能で自分でも応用できるもののメモなどだ。

 

「つながり……、つながり……」

 

 渚の脳裏には、ころせんせーの二つの言葉が過ぎる。

 

 自分を大切にする。

 才能の種類は一つではない。

 

「って言っても、まだカーブ投げられるようになったくらいなんだけどなぁ」

 

 苦笑いしつつメモをしまう渚。

 そんな彼の耳に、背後の言葉が聞こえる。

 

――おい、見ろよ渚だぜぇ? なんかすっかりE組に馴染んでんだけど

――ダっセェ、ありゃもう戻ってこれねぇな

 

 渋い顔をする渚。

 

――しかも停学開けの赤羽までいんだぜ?

――うわ最悪っ! 死んでも落ちたくね~。てか落ちねぇし、みんな一緒のクズだろ

 

 そんな言葉と同時に、ガラス瓶の割れたような音が響いた。

 慌てて振り返る渚。近くで「うひゃあ!」と叫ぶ女子の声も聞こえた。

 

「――へぇ、死んでも嫌なんだぁ。じゃあ死んでもいいよね? 死ねば一緒にならないし♪」

 

 軽く微笑みながら、緑色の割れた瓶をかつてのクラスメイト達に向ける少年。カルマだ。服装は私服で、その分制服姿よりも威圧感のある格好だった。

 

 二人の男子生徒が慌ててその場から去る中、渚に近寄る茅野あかり。

 

「ひゃあ、すごいねカルマ君」

「……あれ茅野? 家こっちだっけ」

「ううん、買出し。おかず思い付かなかったから」

 

「ハハッ、やるわけないじゃん。また停学とかなる暇ないし」

 

 薄く微笑みながら、独り言のように言うカルマ。だがその歩みは渚の方を向いている。

 

「カルマ君……」

「でさ、二人とも。聞きたい事があるんだけど」

 

 顔を見合わせる二人。

 駅ビルの方へと歩きながら、渚たちに笑いながらカルマは聞く。

 

「渚君、結構ころせんせーのこと詳しいらしいじゃん?」

「うん、まあちょっと」

「じゃあさ。ころせんせー、雪村先生と仲良いけどさぁ? 付き合ってるのかな」

「う~ん……」

「一応違うんじゃないかな?」

 

 茅野が二人に口を挟む。少し訝しげな顔をしているが、カルマに促されて続ける。

 

「付き合ってたとしたら、もうちょっとお――、雪村先生も余裕あると思うし」

「そうかもね。でも、雪村先生が近くに居る時、せんせー色々と隙多くなるんだよね。あと、二人でよく一緒にお昼食べてるし、デレデレしたりしてるし、一人悶々と映画のチケット投げ捨てたり」

「ふぅん? ――嗚呼、ふふ」

「「?」」

 

 頭を傾げる二人に、カルマはいっそう良い笑顔を浮かべた。

 

「すっげぇくだらねぇこと考えた」

「……カルマ君、雪村先生に危害加えたら駄目だよ?」

「いや、多分大丈夫じゃないかな? やるつもりはないよ。

 ……ふふ、でも俺さぁ。嬉しいんだ」

 

 怒ったような茅野の視線を気にせず、微笑みながらカルマは進む。

 ICカードで駅に入り、渚たちを向いて言った。

 

「――ちゃんとした先生を、俺の手で殺せるなんてさ、ふふ……」

 

 前の先生は、自分で勝手に死んじゃったから。

 

 言葉を失う渚たちに背を向け、手を振って彼は立ち去る。

 その直前の目は――筆舌に尽くしがたいほどの、深く黒い感情が見え隠れしていた。 

  

 

 

   ※

  

 

 

「やれやれ、相変わらず手ごわい生徒だ。お陰でこう、先生としての威厳とか台無しじゃないですか」

 あぐりさんにも、こってり絞られてしまいましたし。

 

 とある集合住宅にて、吉良八湖録はそう言いながらお茶を入れていた。自分で入れた熱々の緑茶を、めっぽうふーふー言いながら様して、ちびりこびり飲む。

 

 スーツ姿の彼は、アカデミックドレスを開きながら、多数確認できる内ポケットに、色々とモノを入れ始めた。例のタコマスコット系のアイテム各種。ペンや包丁、バット、くぎ抜き、消しゴム、縫いぐるみから果てはBB弾銃まで。

 謎のバリエーションである。

 

 それ以外では、部屋は閑散としている。学校で使う教科書やファイルなどは存在しているものの、これといって彼個人を強く認識させる類のものはない。

 

「100%マニュアル対応で何とかなると思うほど甘くは見ていませんでしたが、しかし警戒度はちょっと上げた方が良いでしょうか。さて、どうしましょうかねぇ」

 

 しかし口で言うほど、彼は、ころせんせーは苦労していないように見える。

 にこにこと微笑むその様は、手の掛かる子供を見つめるような眼差しをしていた。

 

 と、そんな時にチャイムが鳴る。

 

「ニュル? はい、少々お待ちを……って、あぐりさん?」

「こんばんわ、湖録さん。これお土産、カルマ君についての情報」

「おお、ありがとうございます」

 

 A4サイズのファイルを手渡す彼女。

 ふふっと微笑みながら、ビニール袋を片手に持ち、ボストンバッグをぶら下げる雪村あぐり。格好は、昼間に来ていたものの能面バージョンだった。もっとも私用ということもあってか、ボタンは第二まで外されたラフな格好である。

 おじゃましますと言う彼女を中へ導きながら、ころせんせーは不思議そうな顔をする。

 

「わお、相変わらず私物少ないですね。……でも、”タコせんせー”人形は相変わらずと」

「まあアイデンティティみたいなものですし。それで、如何しましたか?」

「あれ、今日六時間目中に『伝え』ませんでしたっけ。家の近所で夜間工事が入っちゃって、ちょっと五月蝿くって……」

「ああ。でしたら、近くにあるシティホテルでも紹介し――」

「せっかくなので遊びに来ました、ということで一つ。徒歩で行き来できる距離ですし」

「……わかりました。冷蔵庫は、ある程度は自由にしてもらって結構ですよ」

 

 洗面所で手を洗い、にこりと微笑みながら、吉良八の家の台所へと足を運ぶあぐり。ビニール袋から色々と野菜を取り出し、冷蔵庫を確認。そして吊るしてあった”タコせんせー”エプロン(要するに殺せんせーの顔が書かれた黄色エプロン)を装着し、じゃきーん、と謎ポーズをとってから調理開始。

 

 慣れた手つきで野菜を洗い、皮を剥くあぐり。

 吉良八は、服を片付けたり資料を整理しながら、そんな背中を眺める。

 

「大丈夫ですか? 『死神』さん」

「……何がでしょうか?」

 

 彼に背を向けたまま、あぐりは気遣うような事を言う。気のせいだったらごめんなさいですけど、と前置きをして、

 

「なんだかいつもより、少し疲れていたように見えたので」

「……まあ、あぐりさんのせいでもありますが」

「そ、それを除いた上でですよ。カルマ君のことです」

 

 そうですねぇ、と死神は顎を撫ぜる。

 

「『完璧な殺し屋』をしていた頃の私ならいざ知らず、今の私の場合は、少し気を抜くだけで、あっという間にゲームオーバーさせられてしまいますからねぇ。それこそ『プロト律さん』でも装備していれば、また違うのでしょうが。緊張状態を維持しなければ、ですから多少なりとも、大変ですね」

「えっと、びびってるってことですか?」

「びびってないです」

 

 死神、見栄を張る。

 鍋に蓋をして、死神の方へ向かうあぐり。

 

「んん……、何か私にできる事はありますか?」

 

 不安そうに覗き込む彼女に、ソファに座りテレビをつけながら彼は言った。

 

「そうですねぇ……。現状は、そちらからの情報も踏まえて、カルマ君の性格自体は想定通りではあるのですが、だからこそ多少、気がかりな部分もあります。後はちょっと明日、カルマ君にかかりきりになると思いますので、その際のフォローをお願いします」

「わかりました」

 

 と。あぐりは、ふと彼の隣に腰を下ろして、近寄る。

 二人の距離はゼロを切り、死神の右腕の内に入り込む形になる。

 

「……あぐりさん、どうしましたか?」

「んん……、何となく」

「そうですか。ヌルフフ、今日は肉じゃがですか?」

「はい。ちゃんと甘めに煮ますよ?」

 

 彼の右肩に自分の頭を寄せるあぐり。死神はしばらく左頬を搔いて困った顔をしていた。

 だがしかし、何かを思い着いたように彼女の体を見ながら、真面目な顔でほっぺをつつく。

 

「……その、座ったままで良いので、出来れば腕を寄せて上げてもらえませんか?」

「? えっと……」

 

 困惑するあぐりだったが、色々と今の体勢と見比べて、彼が何を意図しているのか閃いた。

 自分の胸元をかくしつつ、赤くなりながら抗議。

 

「――ッ! す、少しは反省してくださいッ」

「済みません、性分なもので」

「それ冗談じゃなくて、本気で言ってますよね?」

「当たり前ですよ、『貴女のせい』なんですから。ヌルフフフ」

 

 彼のその口調に反した爽やかな笑顔に、嘘偽りは一つもなかった。

 

 

 

   ※

 

 

――ガラガラガラ

 

「おはようございます」

 

 朝の3-Eに、いつも通りのアカデミックコーデで現れるころせんせー。

 ただしクラス一同、みな下を向いたまま。

 

「んん? どうしましたか皆さ――」

 

 そして、ころせんせーは固まる。

 教卓の上には、以前から何度も配っている「タコせんせー」の縫いぐるみが、これでもかとナイフで滅多刺しにされていたからだ。

 

「せめてメーカーロゴのスノー印くらい残しておけば良いものを……」

 

 笑顔のまま固まるころせんせーに、あ、ごめーんと白々しい声がかけられた。

 

「机の上にあったの、邪魔だったから片付けといたわ。後で捨てるから、どっか置いといてー」

「……はぁ。いらないと言うのなら、まず自分で処分なさい。あるいはせんせーに返すか」

 

 ため息を付くころせんせー。今まで生徒たちにしつこいくらい配ってきていた、タコせんせーグッズ。無論停学中のカルマの机にもあったのだが、しかし、まさここまで露骨にやられるとは。

 

 雑多になったゴミを袋に詰めながら、ころせんせーはカルマに歩み寄る。

 

(――来なよ、先生。じわじわ殺していってやるからさ♪)

 

 微笑むカルマ。心の内には鉄ナイフ。

 向ける敵意はどこか陰湿で――どこか寂しいものだ。

 

(本質を見通す頭の良さと。どんなものでも使いこなす器用さ。そして、思い切りを実行する行動力)

(それら全てを、他者とぶつかり合うために使っている)

 

 カルマを見ながら、渚は考察する。考えながらメモに記述し、その手際について考える。

 

 と、歩み寄るころせんせーの足が止まる。

 

「ヌルフフフ、見せてあげましょうカルマ君。先生は、暗殺者を決して無事では返さない――」

 

 アカデミックドレスに手を突っ込み、目を光らせにやりと笑うころせんせー。

 驚いて、カルマは口を半開きにする。

 その先生の姿は、どこか普段は感じられない凄みを放っており――。

 

 素早く取り出した黄色い”タコせんせーお弁当箱”を即座に展開し、中にあったお米やら肉じゃがやらを彼の口に詰めし込む。

 

「――ッ! ケホ、何、何!」

「その顔色ではロクに朝食もとっていないでしょう。せっかくですから、せんせーの『第二』お弁当をおすそ分けです」

(((((第二!? 二食同時に食べるの!!?)))))

「きちんと食べれば、健康優良児に近づけますねぇ」

 

 生徒たちの内心の突っ込みはともかく。ころせんせーの突然の行動に、カルマは口を押さえながら反抗的な目を向けた。

 

「カルマ君。先生はね、錆びてしまった心の刃を、手入れするのです」

 

 今日一日、本気でかかってくると良い。 

 そのたびに私は君を手入れする。

 

「放課後までに、君の心と体をピカピカにしてあげましょう」

 

 浮かべている表情自体は、普段とそう大差ない。

 だがしかし、その言葉と身振り手ぶりとには、普段からは考えられもしない「本気」度合いが伺い知れた。

 

 カルマはそんな笑顔を向けられても――僅かに汗をかいてはいたが、不敵に笑い返した。

 

「……やれやれ、これじゃ寺坂じゃちびっちまうよなぁ」

「誰がちびるか! てめぇ喧嘩売ってんのかッ!!」

「こらこら、もう授業始めますよ? あ、カルマ君はお弁当、早く食べましょうねぇ」

 

 一度注意してから、ころせんせーは教卓へと向かう。

 なお、持ってきた残骸はカルマの机の脇にぶら下げてた模様。

 

(……あ、それでもお弁当は食べるんだ)

 

 カルマは壮絶に笑いながら、しかし弁当を撒き散らかすようなことはしなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 そこから先の展開は、まさに一方的だった。

 無双状態と言っても過言ではない。

 

「カルマ君、銃を抜いてから射撃するまでが遅すぎます」

「カルマ君、家庭科なんですからエプロンはしないと」ちなみにタコせんせーエプロンである。ポケットの上に「雪村」と名前がマジックで書かれていた。

「カルマ君、せっかくですから一緒に食べましょうか。駄目ですよーきちんと噛む回数は多くしないと」

「カルマ君――」

「カルマ君――」

「カルマ君――」

 

 カルマにかかりきりの際は、あぐりに授業のメインを執らせ。

 吉良八自身は、何一つ気負わずカルマの手入れに入る。

 

(ころせんせーは、ちょいちょいドジだし弱点も多いし、慌てれば反応速度は人並みに落ちるけど)

(でも、どんなにカルマ君が不意打ちに長けていても――)

 

 たった今、教室を歩きながら教科書の解説をしている瞬間。

 カルマがナイフを抜こうとした一瞬で、額に「タコせんせー」人形が付きつけられる。

 

「赤ガエルはまたも失敗して戻ってきた。ヌルフフ、私はそろそろ退屈しはじめている」

 

 文章を読みながらも、昼休みの間に付いただろう寝癖を綺麗に整え始めるころせんせー。

 

(――ガチで警戒している先生相手じゃ、この「暗殺」は無理ゲーだ)

 

 渚は改めて、ころせんせーの凄まじさに戦慄する。

 放課後になっても、何一つカルマが先手をとれない。

 

 昨日の応対がまるで嘘のように、面白いようにころせんせーの掌の上だ。

 

 放課後後者裏にて、爪を噛みながらカルマは策を練る。

 場所は崖の上。渚がそんな彼を見つけて、声をかけた。

 

「カルマ君。焦らないでみんなと一緒にやってこうよ。あの人にマークされちゃったら、どうあっても一人じゃ倒せない。明らかに普通の先生とは違うんだから」

「……先生、ねぇ。嫌だよ。俺が()らなきゃ、意味ないんだ。

 変なところで死なれたら困る」

 

 ふっと微笑むカルマ。渚は、彼の言葉の意味を計りかねる。

 と、そんな二人にころせんせーとあぐりがやって来る。

 

「今日は沢山、先生に手入れされちゃいましたねぇ。まだまだ向かってきても良いですよ?」

「ちょっと、吉良八先生。もう少し言い方が――」

 

 にたにたいやらしく笑うころせんせー。完全に舐めきった顔に、あぐりも思わず注意を入れる。

 もっとぴかぴかに磨いてあげます、という彼に、カルマは立ち上がり、二人の前に立って笑った。

 

「確認したいんだけど、二人って『先生』だよね?」

「はい」

「?」

(……何だろう、この質問)

 

 わずかに嫌な予感を覚える渚。

 

「ころせんせーはさ、命をかけて生徒を守ってくれるヒト?」

「……もちろん。物理的に他の先生よりも無理は利きますし、大体のことでしたら」

 

 嘘偽りのないだろうその言葉を受けて、カルマは微笑んだ。

 

「よかった。なら、(ころ)せるよ――」

 

 あぐりの腕を引き、カルマは走る。

 そして銃を構えつつ、あぐりを崖から突き落した。

 

「――確実に」

「にゃッ!」

 

 驚いた声を上げたが――雪村あぐりは、カルマに寂しそうな目を向けていた。

 

 

「なっ!」

 

 渚も驚いて駆ける。しかし、間に合わない。

 既に吉良八が自分を追い越しているという事実に目を見開くも、しかしそれでも、飛び降りそのものを阻止することは不可能だ。

 

「さあ、選べ」

 

 そして言いながら、カルマも崖から飛び降りる。

 あぐりとは反対方向に、だ。

 

 渚は覚った。昨日行っていた「くだらないこと」の正体がこれだと。

 同時に、他のクラスメイトでは思い付いても決して実行しないだろうこと。

 

 なにせ雪村あぐりは、ころせんせーと同じかそれ以上に、3-Eに心を砕いている先生。

 あの寺坂たちでさえ、彼女を極端に邪険にすることはない。

 それなのに実行し得てしまったのは――(ひとえ)につながりが足りなかったからか。

 

 あるいは別な理由からか。

 

 

(さあ、どうするどうする? 「聞いていた」話が正しければ、このくらいじゃアンタは問題ないはずだ。

 このまま俺を助けるために落ちれば、銃撃を受けてジエンド。かといって見捨てれば、アンタの大事な人は救えるが教師としてジエンド!)

 

 落ち行くカルマの意識に、走馬灯のようなものが映る。

 

 かつて恩師だと思っていた担任。何かと問題を起す自分を引き受けてくれていた理解者。

 彼の言った通り、カルマは自分を信じて拳を振るった。自分を信じて――当時の3-Eの生徒を助けた。

 それが切欠で、トップだった生徒に手傷を負わせたとされ、掌を返される。

 

(ハハッ、やべぇな。本格的にこれは――)

 

 その瞬間、カルマの中でその恩師は死んだ。

 しゃべる糞袋は、例えどんな姿をしていたとしても只の糞袋。

 

 彼自身の背を押して、身を呈してくれた教師はどこにも居ない。

 剥がれ落ちた醜いガイコツが、いくら喋ったところで何もない。

 

(そいつに絶望したら、俺にとってそいつは死んだも同じだ)

 

 その場で暴れ、後は放置したカルマ。結局その後のことは、もうどうでも良くなっていた。

 停学だの何だの言ったところで、所詮もう、彼の尊敬した先生はいないのだ。

 

(――さあ、先生たち。これで「依頼」は完了だ。

 アンタは俺の手で「殺して」やるよ! さあ、どっちの死を選ぶ?)

 

 

「――烏間『先生』!」

 

 

 だがしかし、カルマが聞いたのは、未だ聞き覚えのない名前であった。

 

 そしてそう叫んだ後、ころせんせーはカルマ目掛けて飛びこむ。

 

(――へぇ? じゃあ)

 

 一瞬驚くが、落ちてくる彼に容赦なく射撃するカルマ。

 空中ゆえ何度か外れたが、何発かはころせんせーへ当る。顔面は腕でガードこそするが、その視線は全く揺るがずカルマを見据える。

 

(……何だよ、その目)

 

 吉良八湖録は、ただただ、じっと見つめる。

 崖を蹴った推進力で、カルマが落下するよりも早く彼へと向かう。

 

 彼の担任、ころせんせーは、何一つ軽蔑すらせずカルマをただただ見つめていた。

 

(――やめろよ、その目は)

 

 距離がどんどん狭まり、ついに手を伸ばせば届く距離へ。

 カルマの射撃もがんがん当たり、ついに銃の画面に「あと一発!」とさえ表示された。

 だというのに。

 

(――やめろってんだよ、そんな目!)

 

 ただただ慈しむように、ころせんせーはカルマを抱きしめる。

 そのまま背に銃を当てて一発引き金を引けば終わり。

 

 だというのに――不思議と、カルマの人差し指に力は入らなかった。

 

「カルマ君、ワンポイントレッスンです」

 

 ころせんせーはそのまま体を捻ると、空中で足を地面へ向けて、木を蹴り飛ばした!

 まるでアクション映画のヒーローの一シーンである。が、やっているのはリアル教師だ。

 

「――先生に見捨てるという選択肢はない。アレを御覧なさい?」

「? ――ッ! は!?」

 

 カルマをお姫様だっこして跳ぶころせんせー。向かう先はあぐりが落された場所だ。

 だがしかし、その先の地面には、ワイヤーと紐で張られたネットが木々の間に敷かれていた。

 

 そのほぼ中心点で、あぐりはスカートを押さえて周囲を見回している。

 

「これは、防衛省が『ある生物』を封じ込めるために開発した、特殊ワイヤーを応用したものです。

 見た目に反して多いに柔軟性のある物体で、なおかつちょっとだけネバネバします。あぐりさん、大丈夫です? 痛くありませんでしたか?」

「あの、ちょっと、お尻が……」

 

 ワイヤーの上に着地すると、ころせんせーはカルマを下ろして、あぐりの手を引き起こす。

 カルマの方を見て、苦笑いするころせんせー。

 

「いや焦りました。準備していたのと反対方向に飛びましたので」

「なん、で……」

「君の担任ですから。予測は付きますし、言ったでしょう? 先生は、先生たちは見捨てません」

 

 反射的に、カルマは銃を構える。

 しかし、ころせんせーは微笑んだまま。

 

 ただただ、カルマのことをじっと見つめる。

 

「――私はね、生徒(きみたち)の手を、掴んだ手を『二度と』離さないと決めてるんです。

 流石に今回のようなことが何度もあると、先生も辛うじて人間なので身が持ちませんが……。

 それでも、信じて飛び降りてもらえると、嬉しいですね」

 

 カルマはその表情を見て、今度こそ、顔から緊張が抜けた。

 茫然とする彼に手を貸し、立ち上がらせ、ころせんせーは抱きしめる。

 

「……あは。こりゃ駄目だわ」

 ――少なくとも、先生としては殺せないし、死にゃしない。

「依頼なんか、果たせそうにないや」

 

 あぐりが見守る中、カルマはそっと、弱弱しく吉良八に抱擁を返した。

 

 

 

   ※

 

 

 

「カルマ君、平然と無茶したね……」

「むむむ……」

 

 崖の上に戻ると、渚と茅野がいた。渚は困ったように微笑み、茅野は明らかにカルマに敵意を向けている(可愛らしいものではあるが)。

 

「別にぃ? 今のが考えてた範囲じゃ、一番殺せると思ってたんだけど」

「じゃあ、何でそのことにおね――雪村先生を巻き込んでるのさ!」

「か、茅野?」

 

 ド怒りの茅野。そんな彼女を、あぐりは「まあまあ」となだめる。

 

「おやぁ? もうネタ切れですか。報復用の手入れ道具はまだまだ沢山ありますよ?」

 

 じゃきーん、と言わんばかりに袖からいくつかの道具を取り出すころせんせーに、一瞬面倒そうな顔をするカルマ。と、そんな彼等の背後から、見慣れぬ男性が現れた。

 

「止めておけ吉良八。いくら予想していたとは言え、本来なら問題行動だぞ。赤羽もお前も。なにより、お前はともかく彼女に負担をかける必要はないだろう」

 

 長身で、がっしりした体格の男性だ。黒服を身にまとい、きびきびとした出で立ちは生真面目さを感じる。

 見るからに堅物、という印象を抱かせる彼に、渚たちは「誰?」という顔をした。

 

「俺は、防――」

 

 ス、ところせんせーが手で彼の言葉を制する。そのまま足で『規則的な地団駄』を踏みながら、ころせんせーは続けた。

 

「彼は、烏間惟臣(からすま ただおみ)さん。先生の友人で、今後おそらく近日中に配属される、皆さんの体育の先生です。

 本日は、ワイヤーネット張ったり動かしたりするのを手伝ってもらいました」

「知人だ、知人」

「体育の……? 何で」

「……俺は、元々特殊部隊での戦闘経験がある。この男が提案したゲームで、何かと役立てることも教えられるだろう」

(((ころせんせー、やっぱ何者!?)))

 

 生徒たちが聞きたいだろう事は華麗にスルーして、烏間先生に頭を下げるころせんせー。

 本日は本当に助かりました、と丁寧に言った次の瞬間のヌルフフフに、烏間の眉がぴくぴく動く。

 筆舌に尽くしがたい情動があることは、一目で充分理解できた。

 

「ところでカルマ君」

 

 ころせんせーは、立ち去る前に、彼にひそひそ話。カルマもカルマで「やっぱり知り合いだったんだ」と応対する。

 渚はよくわからないまでも、その光景をメモした。

 

「ヌルフ、やはり『あっち』もあっちで動いて居ましたか。さて、どうしたものでしょうか……」

 

 ころせんせーの独り言に、あぐりも彼と似た様な難しい顔を浮かべた。

 

「……まあ、後で考えましょう。では、みなさん今日は帰りますか」

「あ、先生一つ聞いていい? どうしてさっき、雪村先生のところで逃げなかったの? あのまま俺に撃たれると思わなかったの?」

「ニュル?」

 

 ころせんせーは、これには得意げに微笑んで答えた。

 

「言ったでしょう、先生は君を見捨てないと。それから――残弾くらいは確認しておきなさい?」

 

 ヌルフフフ、と微笑みながら、ころせんせーはあぐりの背を押して立ち去る。

 言われて、カルマは自分の銃の底を確認。

 

 BB弾は、もうゼロだった。

 

「まさか撃たれながら数えてたのかよ。ははは……。こりゃ、マジで倒し(やり)甲斐ありそうだ」

(暗殺に行った殺し屋は、ターゲットにぴかぴかにされてしまう)

 

 先ほどまでとは違う色の笑みを浮かべるカルマに、渚は思う。

 

(それが――僕等の、『暗殺教室』)

 

 そんなことを考えつつ、渚は今にもカルマに飛びかからんとする茅野を押さえるのが、精一杯だった。

 

 

 




というわけで、カルマの時間でした。
二周目ゆえせんせーも一周目の手抜かりはないと考えたのですが、それでも所々綻びは見つけられるだろうという感じで。

あとあぐりを巻きこんだのは、それだけ自分の方には跳ばないだろうと考えていたからです。そして、彼が言う「依頼」とは、果たして・・・

さて次回までに茅野の機嫌は直っているのか? こうご期待です。


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第5話:大人達の時間

現時点だと、そんなにあぐり先生を烏間先生たちと絡ませられない・・・

それから、ある理由からそんなに修羅場りません


  

 

 

「お、イケメンの先生さん久しぶりだねぇ!」

「ええ。久々に給料に余裕が出来ましたので」

 

 早朝、学校が始まる前の時間帯。

 大手コンビニエンスストア、6sixから出てくる長身のシルエット。アカデミックコーデに太い三日月が縫われたネクタイ。

 

 聖者のような微笑は、きっと見るものすべてを安心させる。そんな整った微笑を浮かべる青年だ。

 もっとも見た目から年齢が分かり辛い容姿を、彼は、吉良八湖録はしているのだが。

 

「日本の駄菓子のクオリティはやはり素晴らしい。健康無視してでも買いに来る価値はありますねぇ……、ニュル?」

 

 ――止めて下さい!

 

 そんな女性の声を聞けば、足を止めるは自然な流れ。

 状況を見守りながら、口元に手を当てる。

 

 助けるために思考しているように見えるのは、流石は聖職者だからか。

 それとも、柄の悪い男達に囲まれて、車に押し込まれようとしている女性の胸元に目が行って鼻を押さえているからか。

 まあ、ここは彼の名誉のために前者ということにしておこう。

 

「わ、私、これから赴任先の学校へ行かないと――」

 

 ブロンドヘアの美女である。白いスーツ姿で、胸元はやや広く開いていた。

 そんな彼女をいやらしい目で見る男たち。

 

「へぇ、アンタ先生なんだ……。うらやましいな生徒たち」

「俺たち頭めっちゃ悪ぃからさ。放課後色々(ヽヽ)補習して――」

 

「――では車ナンパの正しい手順を教えてあげましょう」

 

 そして、当たり前のようにその場に吉良八は乱入する。

 

 あっという間に全員の背後に回りこみ、てきぱきと折りたたんで車につめる。

 ここまでで普通に素人は意味が分からない。がしかし手馴れた様子で、彼はドアの窓を明けて指を立てた。

 

「補習その1、基本的なマナーは守りましょう。嫌がられたら距離を置く。断られれば諦める」

「ああ? てめぇ何を――」

 

 ――スパァンッ!!

 

 突如、吉良八が車のドアを叩く。

 表からみれば軽く小突いた程度にしか見えなかったが、しかし内部はそれで済まない。

 運転席から全員、耳を押さえて黙り込む。

 

 音が響いた瞬間、車内はまるで拳銃でも突きつけられたかのように黙り込んだ。

 

「補習その2、ナンパしない人間にも迷惑をかけないこと。周辺にいる人達を不愉快にさせず、万が一なったらフォローに回れる、節度と余裕のある大人になりましょう。いいですね?」

 

 にこりと微笑みながら、ころせんせーはノックするようにジェスチャーで右手を動かした。

 

「補習その3。社会道徳は守りましょう。ナンパはゲームです。力技で勝利したところで、それは自分の無能さを露にするだけに他なりません。連行や送り狼など三流、三流。一流を目指すならば、送られ狼を目指しなさい」

 

 何を言ってるか分からないと言う顔をしていたが、しかし何度か繰り返されるノックの仕草に、彼等はただ頷くほかなかった。

 

 退散する車を背後に、吉良八は微笑みながら彼女に手を差し伸べた。

 

「大丈夫ですか?」

「――あ、ありがとうございました!」

 

 思わず、といった風に抱きつくブロンドの女性。

 両肩に手を置いて、密着されない程度に吉良八は距離をとっていた。

 

「You are very cool guy! I'll never forget your kindness as long as I live!」

「ニュル……、Not at all. It's no big deal」

 

 流暢な英語でえらく感謝されたことに一瞬驚くも、すぐさま流暢な英語で謙遜を返す吉良八。

 

「あのところで……、椚ヶ丘中学への行き方、ご存知ですか?」

 

 彼女のその言葉に、吉良八は「やっぱりか」と言わんばかりの表情を浮かべた。

 

「何と言うか、やはり避けられないのでしょうね。ある種運命的といいましょうか」

「……? あ、あの、口説かれてますかひょっとして」

「あ、いえ、誓ってそんなことはありません」

 

 

 

「……あれ、ころせんせー何やってるんだろ」

 

 学校に向かう途中、潮田渚はころせんせーこと吉良八を見つけた。なにやらブロンド美人に、英語を使って応対している。

 

 道案内か何かだろうか。でもあの様子を見る限り、格好つけようとして失敗したような慌てっぷりだ。

 

「おっはよー渚! 何メモとってるの?」

「か、茅野!? お、おはよう」

 

 手元に「ころせんせー用」と書かれたメモ帳を取り出して、色々と記入していると、クラスメイトの茅野あかりが声をかけてきた。メガネをくいっとあげて、渚の手元を注視する。

 距離が近かったため、渚は半歩後退した。

 

「いや、先生の弱点とか書き留めてるんだ。そのうち、何かヒントになるかと思って」

「ふぅ~ん」

 

《ころせんせーの弱点その1:カッコつけるとボロが出る》

 

「その弱点、役に立つの?」

 

 ぺらりと他のページもめくる茅野。

 

《身長:背筋を伸ばしたら180cm超えるかも》

《特技:超身体能力。映画みたい》

《体重:見た目より重いっぽい》

《座右の銘:文殺両道》

《生年月日:不明》

《弱点:雪村先生》

 

「……あんま役、立たなそうだね。暗殺」

「そ、そのうちそのうち。杉野の時とか、少しは役立ったし」

 

 困ったように微笑む渚だが、メモを書く手は止まらない。

 

(僕等は殺し屋。椚ヶ丘中学校3-Eは――『暗殺教室』)

(そして僕等以外は……名だたる進学校のエリートたち)

 

 今日もまた生徒と教師の、狙い、狙われの一日がはじまる。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

「防衛省から通達済みとは思いますが、本日から私も体育教師として、E組のサポートに入らさせていただきます。彼等(ヽヽ)の警護および監視は勿論ですが、あちらの事前契約にあった範囲に準じる形で、生徒達には技術面、精神面のサポートをする必要があります。

 教員免許は有していますので、そこのところはご安心を」

「ご自由に。二人共(ヽヽヽ)、生徒達の学業と、安寧を大事にね」

「……では、失礼致します」

 

 烏間 惟臣(からすま ただおみ)の言葉に、椚ヶ丘中学理事長たる浅野 學峯(あさの がくほう)は鷹揚に答えた。背を向け窓を見下ろし、表情が窺えない応対ではあったが、拒否されなかったという事実を踏まえ、烏間はその場を後にした。

 

 いつものごとく黒服の烏間とその部下。以前ころせんせーと話し合っていた、隊長のような男だ。

 

「物分りの良い理事長ですね」

「見返りとして、それなりに金は積まれたからな。『奴』から我々との契約に提示された条件と、それがなかった際に発生しただろう費用に比べれば、はした金ではあるんだろう。

 だが都合が良いのは確かだな」

 

 通路に誰も居ないからか、部下と話す烏間の口調はいっそう饒舌だ。

 

「――『地球を滅ぼせる怪物』が居て、しかもそいつは軍隊でも殺せない上に、世界中を未だ彷徨い歩いている。

 こんな秘密に対処するのは、我々国と、『あの男』くらいで良い。

 だからこその、保険ではあるんだろうがな」

 

 烏間の一語一語には、事の重大さに対する本気度合いが伺える。正面を見据える姿勢は、やはりどこか堅物だ。

 だからこそ、不意に聞こえた声に、彼は耳を疑った。

 

「――やっば! このまま落ちたらE組行きかも……」

「マジかッ!? あそこに落ちたら絶望しかないぞ!

 学食もない。便器は綺麗になったらしいけど、設備も整ってない隔離校舎で、学校中からクズ扱い。

 超絶頭良い成績出さないと戻ってこれないッ!」

 

――まさにエンドのE組だぜ。

 

「落ちるくらいなら死んだ方がマシなんじゃないか?」

「だ、だよなぁ……。あいつらみたいにならないよう、頑張らなきゃ」

 

 窓から外を見下ろしてみると、登校中の生徒たちが、誰一人として地面を向いて顔を上げていない。否、向いているのは地面ではなく、手に持った教科書やノートからか。

 

 切迫した危機意識に、少年少女らが突き動かされている。

 

「……聞いていた通りだな。極少数の生徒を激しく差別し、大半の生徒へ優越感と緊張感と持たせ、専念させると。合理的で、我々としても隔離校舎は『極秘任務』には打ってつけだが……」

 

 言葉には出さなかったが、烏間が言わんとしていることを、隊長の男も理解していた。

 

――切り離されたエンドの彼等は、たまったものではないだろうな。

 

 その後、隊長の男が任務のためチームと合流するまで、両者の間に会話はなかった。

 色々と今の状況に思うところがあるのだろう。烏間は難しい顔をして、山道を登る。

 

「あ、烏間さん、おはようございます! ひょっとして今日から?」

 

 見覚えのある生徒だ。まだクラスの顔と名前を完全に把握し切れていない烏間だが、茅野あかりのことは、ある事情から一番最初に覚えた。

 竹の先端に「訓練用特殊ナイフ」をくくりつけたものを数本もつ彼女に、烏間は挨拶する。

 

「嗚呼おはよう。今日から俺も教師として、君達に教える事になる。よろしく頼む」

「そーなんだ。じゃあこれからは烏間先生だー」

 

 呼びなれないその末尾に、烏間は反応が数瞬遅れた。

 

「……ところで、吉良八はどこだ」

「あー、それがさあ? ころせんせー色々あってクラスの花壇荒らしちゃったんだけど、そのお詫びとして――」

 

――ニュルッフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!!!!!

 

「ハンディキャップ暗殺大会を開催してるの」

 

 響くころせんせーの笑い声に、烏間は額を軽く押さえた。

 

「ほぅら、お詫びのサービスですよぉ?

 こんなに身動きできないせんせーは滅多に居ませんッ!

 手足を縛って木から吊るされて、八分間とはいえど大幅に制限されて、しかも一発でも当てた生徒には駄菓子袋一つ進呈!

 さあ、誰か勝ちとる猛者はいないかー!」

「「「「「条件に駄菓子(それ)つけてる時点で、当てさせるつもりないじゃんッ!」」」」」

 

 生徒達の反応をよそに、酷くニタニタ笑いながら楽しそうなころせんせー。

 なめている。なめくさっている。

 

「ど、どぉ渚」

「う、うん。見た通りかな……」

「あの状態でBB弾すらかすらないのか……。というか、もはや暗殺と呼べるのか?」

「あ、烏間さん……。って、待てよ? せんせーの弱点からすると……」

 

「ヌルッフフフフフ! 無駄ですねぇE組の諸君ッ! このハンデをものともしないスペックの差! 君達が私を倒すなど、夢のまたゆ――あっ」

 

 ばきり、ところせんせーの頭上で枝が折れる音が響く。

 どさり、と落下するころせんせー。

 

 生徒たちと、ころせんせーとの時間が止まること約一秒。

 

「「「「「……今だやれええええええええええッ!」」」」」

「ヌニャ!? し、しまったッ!」

 

 ごろごろ転がりながら、生徒達の私刑(リンチ)をぎりぎり回避するころせんせー。

 未だかつてない程の慌てっぷりである。

 

「な、なんでこれで当らないんだよ!」

「槍外れちゃった!」

「ていうかせんせー、飛び跳ねないでキモい!」

「あ、私当った!」原寿美鈴がすっとサムズアップをして、銃の画面を高らかに掲げた。

 

「弱点メモ、役に立つかも……」

「う、うん……。よし、どんどん書いていこう!」

 

 ころせんせーのメモを取り出す渚。ちなみに烏間は、目の前の情景にちょっと白目剥いている。

 

「ふ、服とロープとガムテープが絡まって……、嗚呼ちょっと! こうやらないで! こうなったら――超・軽業ァ!」

 

 生徒のナイフの一撃を交わし、そのナイフに足のロープを引っ掻け解くと、吉良八は即座に飛びあがり、ひょいひょいと生徒たちの間を抜ける。

 そのまま何と恐ろしい事に、校舎の壁を蹴って上って、屋根の上まで上がってしまった(!)。「ちくしょー、逃げやがった!」という声に対して、勝ち誇るころせんせー。

 

 口で拘束をぱっぱと外すと、両手を上に掲げてガッツポーズしながら、腹立たしいほどにドヤ顔を決める。

 

「ここまでは来られないでしょう! 生物としてのポテンシャルから違うんですよ! ヴァーカッ! ヴアアアアアアカッ!!」

 

 のけぞりながら大声で更に笑い声を上げるころせんせー。もはや三枚目とかそんな次元ではない。

 後少しだったのにと悔しがる生徒たちなど知った様子もなく、ころせんせーはしばらく大笑いした。

 

 そして疲れたのか、腹を押さえて数秒後。

 

「ふぅ。……明日出す宿題を三倍にしましょう」

「「「「「器小せぇ!」」」」」

 

 

 

   ※

 

 

 

 改めて教室。朝の3-Eに、サツバツとした空気が伝染する。

 

「今日から君達に体育を教える烏間だ。色々と変わった経歴だから、君達に格闘技なども教えられる。もし吉良八のゲームでわからないことがあったら、相談にも乗れる。今後とも宜しく頼む。

 そして……」

「外国語の臨時講師の、イリーナ・イェラビッチと申します♪ 皆さん宜しく♡」

「ニュル……」

「……」

 

 新任教師の烏間に、男子生徒も女子生徒もそれなりに驚かされる。まずE組に複数教師がつくという時点で稀なのだ。副担任が居る時点でかなり異例でもあるらしい。

 ちなみに今副担任をしている雪村あぐりだが、彼女は去年は担任教師をしていたらしいことを、渚たちは聞いていた。

 

 ともかく、そんな教員の追加が、新に二人。どちらもそれなりに容姿が整っている。

 烏間の方は一部女子生徒たちからの視線が熱い。男子からも、「暗殺教室」ゲームに対する効果を期待されてか、歓迎ムードではあった(なお一名、ひたすら酢昆布を食らっている女生徒がいたが)。

 

 問題は、その隣にいる三人――より厳密に言えば、一人と二人についてだ。

 

「すっげー美人」

「おっぱいやべぇな!」

「で……、なぜベッタベタなの?」

 

 その一言につきる。新任教師のイリーナ・イェラビッチ。黒ずくめの烏間と逆に白いスーツ姿で、金髪ブロンド、プロポーション抜群。

 そんな彼女が、どうしてかころせんせーの右腕にべったり張り付いているのだ。

 

 どこか見ていてイライラする部分がある。

 というか、その横で明らかにイライラしている女性が一人。

 

「……」

 

 にこにこ微笑んではいるが、ころせんせーに寄り右手を後ろに回している。彼の表情が優れないあたりからして、つねってでも居るのだろうか。

 

「……体育の全体的な能力向上と、本格的な外国語に触れさせたいという学校からの意向だ。

 何分至らない点も多いとは思うが、一年間宜しく頼む」

「お願いしまぁす♪」

「……はい、お願いします」

「ゆ、雪村先生少しご容赦を……。

 と、ともかくそんなわけで、体育の授業は以降烏間先生が。英語の授業は半分がイリーナ先生が受け持つことになります。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」

 

「「「「「は、はい……」」」」」

 

 メモを取り出す渚に、茅野が声をかける。 

 

「なんか、すごい先生来たね。烏間さんはともかく、イリーナ先生特に」

「うん……」

「雪村先生、ライバル出現?」

「どうだろ、あの様子だとう~ん……。でも、何か暗殺のヒントになるかも」

 

 言いつつ渚は、じっところせんせーの動きに注目する。あぐりが彼の背後から手を外すと、彼女はイリーナを引き離そうと動いた。

 

(いつも雪村先生と一緒なころせんせーが、知り合ったばかりの女の人にべたべたされても戸惑うと思う)

(こういう場合、いつも変な顔を浮かべるせんせーは、どんな反応だ)

 

 ころせんせーの視線は、自分の右腕を挟む谷間に集中する。

 

「んんニュルッフー♪」

 

「(いや普通にデレデレじゃねーか、顔)」

「(何のひねりもない顔だね)」

「(う、うん。あと雪村先生怖い)」

 

 小声で生徒達が話すように、雪村あぐりはにこにこしてるんだか溜め込んでるんだかわからない表情となって、やがて普段のころせんせーもかくやという速度で動いて、イリーナの両肩を掴んで引っ張った。

 

「イリーナ先生、生徒たちの前ですから押さえてください」

「Oh, I'm sorry. Because he was a too nice man, I have only clung」

「んん、Please discern time, place, and occasion. By the way, I've known him for a lot of time.

Are you so right, Mr.Kiraya?」

「にゅ、ニュル……」

 

 突如英文で会話を始めたあぐり。生徒たちは突然であったため、ほとんどがよくわからないようだ。

 流石は元E組担任。一人で全教科みていただけはあるということか。

 

 そして僅かにころせんせーの腕をとり、少しだけ抱きしめ、胸が当るようにしているあたり、明らかな牽制である。

 

 なお帰国子女ゆえ、唯一両者の言葉を完全に理解していた中村莉桜は「け、結構露骨!」と言っていたり、言っていなかったり。

 

 そして鼻の下を伸ばすころせんせーである。

 皆もうわかっていたことであったが、ころせんせーの弱点に「おっぱい」が正式に刻まれた瞬間だった。

 

 なお烏間が完全に置いてけぼりになっていることは、今更言うまでもない。

  

 

 

   ※

 

 

 

(この時期、このクラスにやって来る先生)

(ころせんせーも含めてだけど、結構な確率で二人ともたぶん只者じゃない)

 

 渚の予想は、案の定当りだった。

 

 校庭に響く生徒たちの声。

 体育の授業でグラウンドにて響き渡るそれらは、どこか平和を思い起させる。

 

 ――その生徒全員が、手に模造ナイフ(えもの)を持って居なければの話だが。

 

「八方向から正確にナイフを振れるように。狭間、竹林、速度が遅い!」

 

 腕を組み指示を飛ばす烏間先生。否、烏間教官だ。

 シャツの袖をまくるその姿は、鬼とまでは言わないが、軍隊の教官じみている。

 きっかけは、停学が開けて普通に登校してくるようになったカルマのこんな一言だった。

 

「烏間先生、格闘技とかって教えられるって言ってたよね? どの程度のものだったりするわけ?」

 

 それを受けた烏間は「なら、一度実践してみるか」と軽く言った。

 軽く言っただけで、体育の授業が完全にナイフの授業と化してしまった。

 

 今までころせんせーが教えなかったより実戦的な技術を、生徒達は一心不乱に練習していた。

 

「ニュルフ、ちょっと寂しいものがありますねぇ……」

 

 そんな様子を、烏間の横で愚痴るころせんせー。服装は上着を脱いだスーツ姿。

 この格好だと、妙に太い三日月ネクタイがダサイ。圧倒的にダサイ。

 

「この時間はどっか行ってろと言っただろ。『彼女』の機嫌でもとってこい」

「……そうさせて頂くとします」

 

 ヌルフフフ、と肩を落してトボトボ歩くころせんせー。背中からは哀愁の二文字が漂っていた。

 

「よし、授業を続けるぞ」

「でも先生、これって意味あるんスか? 天井とか蹴り飛ばして避けられそうな気がするんですけど」

 

 前原の言葉に、烏間は態度を変えない。

 

「基礎は身に付け、積み上げるほど役立つ。何事も同じだ」

(同じ?)

 

 烏間の話を聞きながら、渚はふと、今までの授業のことが頭を過ぎる。

 

「磯貝君。前原君。前へ」

 

 言われた通り出てきた二人に、ナイフを俺に当ててみろと言う烏間。

 困惑する二人に、にやりと笑いながら一言。

 

「二人がかりで掠りでもすれば、全員に焼き肉を奢ってやる」

「「やります、やらせてくださいッ!」」

 

 現金なものである。

 がしかし、体幹を揺らさずスライドするように動き、時に受け流し、掴み取り、攻撃のベクトルを捻じ曲げる烏間の動きに、二人は対応できない。

 

「このように多少心得があれば、素人二人のナイフくらい俺でも捌ける」

(すごい――)

 

 即座にメモを取り出す渚。

 最後とばかりに突進する二人の両手を掴み、器用にダブル一本背負いをする烏間。

 ちゃんと腕を引いて事故らないように調整するあたり、余裕と、それから腕力があるのだろう。 

 

「俺に当てられないようでは、銃弾を『見て』『避ける』あの男に当てられる確率は皆無だろう」

(((((え、そんなに凄いのころせんせー?)))))

 

 突如開かされた情報に、生徒達はちょっと困惑した。

 

「少なくとも俺に当てられるようになれば、勝率はぐんと上がるだろう。

 ナイフや狙撃、暗殺に必要な基礎の数々。通常の授業に加えて、これらも取り入れて俺から教えさせてもらおうと思う」

 

 淡々と語る烏間の姿勢は、完全にプロフェッショナルのそれだ。

 すげー、と杉野の声が聞こえる。渚をはじめとして、3-Eも大体同意見だ。カルマでさえ、にやりと笑った顔に少し汗をかいている。

 

 解散の一言と共に、生徒たちは片付けを始めた。

 

「……ん?」

 

 視線を感じ、烏間は校舎の方を見る。

 職員室……は見る必要もない。重要なのは生徒たちの居る側だろう。

 

 窓を開け、生徒達の様子を伺う彼女。英語担当のイリーナだ。

 

「……」

 

 暗がりのせいか、その表情は酷く凍てついて見えた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 昼休み。

「タコせんせー」の顔したボールが、青空に飛ぶ。

 

 ころせんせー対生徒たちで、どうやらドッジボールをしているようだ。

 せんせーがボールに全く触ろうとしないあたり、杉野が実践したような形で、触れればせんせーにダメージの入るようにBB弾かナイフが貼り付けられているのだろう。

 

 一人「ヘイパス、ヘイ暗殺!」と笑うころせんせー。流石にゲームにならないので、ころせんせーチームには渚、茅野、倉橋、岡島が居た。

 

 そんな様子を、職員室から見守る二人。

 烏間とイリーナ。新任教師二人である。

 

「……色々準備してきたけど、まさか色じかけでいけるかもしれないなんて思わなかった」

 

 学校だろうが何だろうが関係なしとばかりに、煙草を取り出して吸うイリーナ。生徒たちに見せていた態度とは、色々大違いである。

 

(イリーナ・イェラヴィッチ。職業、本職の「殺し屋」)

 

 携帯灰皿を向けながら、烏間は彼女の経歴を思い出す。

 

(美貌と対話能力にはじまり幅広い手段を持ち、いかなるターゲットをも魅了し、ガードの硬い相手も至近距離から容易く殺す。潜入、接近を高度にこなす暗殺者、だったか。さっき「奴」から渡された資料では)

「正直、我々としては何故君が、こんな場に呼ばれたかが少々理解できない。まさか本当に、英語を教えるために来たわけでもあるまい」

「そんなの、私だって同じよ。ただ私の師事した殺し屋から『この殺し屋を、やれるものなら殺してみなさい』と言われて……。

 そりゃ、手続きとかはそっちでカバーしてもらってますし、色々楽だったけど、それ以上にわけわかんないっての。防衛省の烏間さん?」

 

 ため息をつきながら、イリーナは眉を寄せる。どうやら彼女も困惑があるようだ。

 

(どうやら、「死神」の情報まで詳しくは知らないようだな)

 

 それだけ判断すると、烏間は彼女がどういったルートを通じて派遣されたのかを考察する。

 少なくとも言っている言葉に嘘がないと仮定すれば、おそらくその師匠筋と、吉良八との間で何らかのやりとりがあったのだろう。

 ひょっとしたら、その師匠筋本人が呼ばれる手はずだったのかもしれない。

 

 とすれば、相手が面倒くさがって彼女を送ってきたか。

 

「(いや、生徒たちにとってある意味適任といえば適任なのか)」

 

 こと教育面で見た場合、彼女の手練手管は多少なりとも、吉良八の「暗殺教室」に役立つ部分もあるだろう。

 問題があれば逐次対処していくことになるだろうが、今からそれを考えるものでもあるまい。

 

「ただの殺し屋が学校が雇っているというのは流石に問題だ。こちらの契約通り、表向きのためきちんと教師の仕事もやってもらうぞ。無論、暗殺も国内の法律でカバーできるよう、ギリギリまでしか――」

「んふ。私はプロよ?」

 

 イリーナは得意げな表情をして、席を立つ。そのまま部屋の戸に手をかけ、がらがらと引いて、

 

「そんなもの、考えるまでもなく終わらせて見せるわ?」

 

 閉まる扉を見て、烏間は再度校庭を見る。生徒たちと戯れるころせんせー。相談しあい、どうやったらころせんせーに一撃与えられるか、真剣に相談しあっている。

 もっともそんな中で、言葉攻めでころせんせーを動揺させているだろうカルマは、やはり頭一つ抜きん出ているのだろうが。

 

「……まあ、殺せないだろう」

 

 イリーナの先行きを予想しつつ烏間は思う。

 

(生徒も教師も、嬉々として「暗殺」のことを語っている)

(どう見ても、今のこのクラスは異常な場所だろう)

 

 渚と茅野が相談し合いながらメモをとる姿は、よく見かける光景だ。

 

(だがこの学校で、生徒が最も活き活きとしているのは――)

 

 パッド端末を取り出し、烏間は「とある画像」のファイルを開いた。

 

(――このE組ではないかと、俺には思えてならない)

「ここまで、明らかにおかしな状況だというのにな。主に奴のせいで」

 

 

 そこに映し出されていたのは――どす黒い十本足の触手を持つ生物に、八本足の触手を持つ装置を背負い、対峙する吉良八湖録の姿であった。

 

 

 




ビッチ先生本領発揮は次回
ちなみにころせんせー、派遣される相手の条件は指定しましたが、誰が派遣されるかとかの連絡は全部丸投げしてました

あと、英文の和訳って欲しいですか?
意味わからなくても展開に関わらない程度にはしていますが


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第6話:方法の時間 

ようやく名簿の時間を手に入れた・・・!
まあ進行速度にあまり関わりありませんが。


  

 

 

「あの、イリーナ先生」

「……?」

 

 生徒達と戯れるころせんせーの元へと行こうとした彼女を呼びとめたのは、雪村あぐりであった。ちなみに今日の格好は、午後の授業を考慮してか白衣姿である。

 下に着用しているブラウスの背中は例のごとく彼女のセンスが炸裂しているはずだが、隠れているためぱっと見は大人しめに見えた。

 

「煙草は止めた方がいいですよ? 体に障りますし、授業もありますし」

「授業……? 自習でもさせておけば良いでしょ。

 あとファーストネームで気安く呼ばないでくれるかしら。いくら形式上同僚でも」

 

 ころせんせーこと吉良八に見せた態度とは、大きく違う。

 眉間を暗くしながら煙を吐き出すその仕草は、こちらが素だろうと簡単に予想できるものだった。

 

「あの男の前以外で先生を演じるつもりもないし。

 あとせめて苗字で呼びなさい。イェラビッチ様とか、そういう風にね」

「……そういうの、逆に生徒たちの前で言わない方が良いと思いますよ?」

「は? どうしてよ」

「いえ、カルマ君とか辺りが中心に……。まあ忠告というか、少しでも頭に留めておいてください――」

 

 イリーナ先生。

 あぐりは、彼女の言葉を無視してファーストネームを呼ぶ。

 

 ぴくり、と眉が動くも、イリーナが咎めるより先にあぐりが言葉を続ける。

 

「……貴女がどういう立場の人なのか、なんとなくわかりました」

「わかった?」

「雰囲気というか……、結構身近にいるもので。貴女の同業者は」

「ふぅん? アンタも変な人生歩んでるのね、雪村」

「あぐり、で結構です。むしろ私達(ヽヽ)は最後までイリーナ先生と呼び続けますから」

「そう。……言ってる事よくわかんないけど、いいわ、あぐり。

 それで、何の用かしら」

 

 にやりと笑うイリーナ。

 少しだけばつが悪そうに、あぐりは頭を掻く。そして、指を一本立てた。

 

「本当なら少し縄張り主張するつもりだったんですけど、勘違いだったみたいですので……、気が変わりました。

 私と一つ、ゲームをしませんか?」

 

 あまりに予想外の言葉に、イリーナは不審げな顔をする。

 

「たぶんイリーナ先生は、これからあの人(ヽヽヽ)に挑戦するおつもりなんでしょうけど……。それに対する賭けです」

「賭け?」

「ええ。もし吉良八先生に挑んで、負けたとしたら――挑戦続けるのは構いませんけど、ちゃんと先生らしく授業をしてください」

「はぁ?」

 

 わけがわからない、とイリーナ。前提としてまず彼女は負ける気がしていないわけだが、それに加えて負けた後の話までされているのだから、聞いていて虫の居所が悪くなる。

 

 しかし、あぐりの目は真摯そのものだ。騙し易そうではあるが、そう提案してくる理由までがわからない。

 

「……逆に聞くけど、その賭けって私にメリットってあるわけ?」

「―― 1億円」

 

 ぴくり、とイリーナの表情が動く。

 

「もし貴女が成功して、彼が教師を続けられる程度に殺さないでくれたなら、それくらいあげますよ?

 支払いは私じゃないんですが」

「……そんな金、一体どこから出るのかしら」

「蛇の道は蛇、ということで」

 

 態度が何一つ変わらないあぐり。微笑む立ち姿は、平凡な女教師にしか見えない。

 しかし見方を変えれば、堂々としたその態度が彼女の言葉に言い知れぬ説得力を与える。

 

 言ってることはかなり滅茶苦茶であるが、しかし、イリーナの今回のターゲットは、彼女の師匠が「挑戦」してこい、と言って送り出した相手だ。

 事実、防衛省とつながりがあり、英語教師として赴任するのに何ら問題も発生させなかったほどだ。

 

 実際のところ、ターゲットたる彼は彼女の赴任には手をつけていないため、イリーナが彼を狙っている事に気付いてもいないだろう。

 

 むしろその上で、相手のバックについているはずの防衛省が自分のような相手に手を貸しているあたり、相手の意図が透けてみえる。

 

 最初から、イリーナの暗殺が失敗するという前提で組まれているのではないかと。

 

(……舐められてるわね)

 

 煙草を携帯灰皿に入れながらも、イリーナは舌打ちをする。

 事実その通りであり、先ほど話し合っていた烏間も断定するほどである。

 

 そういう意味では、今回あぐりが提案して来たこの話は、むしろ唯一彼女の暗殺が「成功」するかもしれない、という可能性を提示しているものに近い。

 

 気に入らないが、今回の仕事においては一番マシ(ヽヽ)なのが、あぐりの賭けであるとも言えた。

 

「……いいわ。やってやろうじゃない」

「ありがとうございます」

 

 にこり、と微笑むあぐり。

 ころせんせーのそれとは異なる種類であるが、しかし滲んだ感謝は真っ直ぐなものだった。

 

 両者に共通するそれは、おそらく「相手や生徒を想う心」だろう。

 

 イリーナには、いまいち理解できない感覚である。

 だが差し出された手を、握り返しても良いかというくらいには、不機嫌さは晴れた。

 

「……あ、せっかくですから、お近づきの印にこれを」

「……何よ、これ」

「実家の方で今販売している、『タコせんせー』ってキャラクターのグッズです。よかったら――」

「ダッサ……。人気あんの、これ」

「結構売れてるんですよ? 今年中には都内にあるお店の雑貨ステーショナリーコーナーとかでも売りますし」

「こんなのが!? Are you sane that you talk about that!!?

I cannot understand Japanese seriously……」

 

 ただ、彼女から手渡された「タコせんせースマホケース」(殺せんせーの顔がついたスマホカバー、ちなみにピンク色)のセンスだけは、正直意味がわからなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 午後、英語の授業。

 堂々と尊大な態度を隠さず、イリーナは3-Eに向かって言い放った。

 

「教師なんてするつもりもないから。私の事は、イェラビッチお姉様とでも呼びなさい?」

 

 唐突な豹変に、教室中の反応が遅れる。

 だがしかし、当たり前のように3-Eはお行儀が良いクラスではなかった。

 

「……で、どーすんの? 雌犬(ビッチ)ねえさん」「略すな!」

 

 カルマの呼び名に反射的に突っ込みを入れたイリーナ。侮辱されたのだから当然の反応。

 がしかし、

 

「ビッチねえさんどーすんのさ?」「ビッチねえさん、授業してくれよー?」「そうだよビッチねえさん」「一応ここじゃ先生なんだろビッチねえさ――」

「ビッチビッチ五月蝿いわねッ!!!!」

「つまり、貴女が僕等のビッチと――」「おぉ、ビッチ様ぁ!!」

「しばくわよガキ共ッ!」

 

 磯貝、前原、中村、菅谷と続けざまに連呼され、流石にダメージを受けたようだ。

 自尊心にぐさぐさ刺さる刺さる。

 トドメの竹林と岡島に、思わずチョークを投げた(ちなみに前者はカルマがテキトーに投げた消しゴムで防がれる)。

 

 面白いぐらいにペースが乱れるイリーナ。

 ふざける子供に、容赦の二文字は存在しない。

 

 嗚呼これか、と彼女は思わずあぐりの言葉を思い出す。

 急に、棘のある応対をしたことが何だか悔やまれた。

 

「ころせんせーを殺しに来た殺し屋、ねぇ……。なんだかぞっとしない話じゃん。

 でもさ、クラス総がかりで未だ倒せ(ころせ)ないモンスター先生。ビッチねえさん一人でやれるわけ?」

 

 ころせんせーの自称がどこまで本気なのか、3-Eクラスは未だ半信半疑だ。

 だがそうであるにしても、イリーナの作戦には多少興味があるのだろう。

 

 やや小馬鹿にしながらも、カルマは彼女の言葉を待つ。

 

「ガキが。大人には大人の、もっとクレバーなやり方があんのよ」

 

 対するビッチねえさんも、上から目線では負けていない。

 渚を指名して立たせると、カツカツと歩み寄り――!

 

 ――ズキュウウゥン!

 

 不破優月の脳裏に、吐き気を催す邪悪が投影された。別にシビれも憧れもしないが。

 簡単に言うと、渚の唇がイリーナによって奪われたのだ。

 

「おおおッ!」「へぇ」「うわ……」「おー」

「な、な~~~ッ!!?」

 

 複数の生徒が、特に隣の席の茅野が過剰に反応する。

 だが、それで終わらないのがプロのクオリティ。

 

 わずか五秒ほどで、渚の口内は大人気ない強引さに三十回強蹂躙された。

 

 抱きしめられる渚。力なく青い顔をしている。耳下で何やら囁くと、イリーナはテキトーに離して(一応)座席に座らせた。

 

「いい? 有力な情報とか持っている子は話しに来なさい? 女子には女子用にオトコも用意してあげるし」

 

 突然の暴挙に、教室はそれなりに衝撃を受ける。

 グラウンドの方を指差すイリーナ。そちらの方には、三人ほどの明らかに大掛かりな荷物を装備した男達が歩いてくる。

 

(……た、たぶん彼等もプロだ)

 

 状況と、それからどこか「本能的」に、渚は彼等の正体を看破した。

 

「いい? 技術も人脈もあるのがプロの仕事よ。実力ってのは、こういう繋がりのことを言うの。

 ガキは外野で大人しく拝んでなさい。

 あそうそう、少しでも私の仕事(あんさつ)を邪魔したら――殺すわよ?」

 

 不意に取り出された金色のピストル。それを構える彼女には、確かにプロの殺し屋を自称するだけの説得力が溢れていた。

 

(……気絶するほど上手いキス。従えて来た屈強な男達。

 そして何より、殺すと言う言葉の重み)

 

 少なくとも、彼女がプロの殺し屋であることは、もはや疑いようもない事実だった。

 

(でも、同時にクラスの大半が感じた)

 

 この先生は――嫌いだ。

 不穏な空気が、教室に立ちこめる。

 

 それに気付かず、イリーナは窓を開けて男達と相談を始めた。

 

 もっとも、そんな空気ごときで一切へこたれない生徒は居るわけだが。主にカルマだが。

 

「で結局授業どーすんの? ビッチえねさ――」

「だからしつっこいわね! ちょっと待ってなさいッ」

 

 男達との会話を思わず一時中断して、黒板の手前に走る。

 チョークでガリガリと書き出す彼女に、おお、と渚たちは唸った。

 

「まず、正確な発音と言語体系を把握ッ! BとVの区別も付かないで将来会話できると思うな、グローバル社会なめんなッ!」

 

 悲痛な叫びである。荒々しく書かれた「-Vic」と「bitch」。それぞれに付随する意訳まで、雑ではあるが一応書かれていた。

 

「vの発音は正しく下唇を軽く噛むこと! 良い? ブ、イ、じゃなくて、ヴ、イ。ほら実践!」

(((((その気になれば授業、普通に出来そうじゃん)))))

 

 クラス中の内心の突っ込みはあったが、とりあえず実行するくらいには「暗殺教室」の環境にならされている3-Eであった。

 

「そうそう♪ そのまま過ごしてれば静かで良いわ。私、これから仕事だから」

(((((何なんだこの授業ッ!)))))

 

 ヘイトは溜まる一方である。

  

 

 

   ※

 

 

 

「怪しい三人組を昨日、呼び込んだそうだな。そういう話は通達されてなかったぞ」

「ああ。腕利きのプロたちよ。口は硬いし、今じゃ私に無償で手足になってくれる。

 仕込みは終わったし、もう殺るわ。渚から、弱点も色々聞いたし」

「そうか。まあ、精々頑張れ」

「……やっぱり、アンタらはそういうスタンスよねぇ。言っておくけど、プロを舐めないで頂戴」

「変な事は言った覚えはない。精々とは、英語で言えば Strenuous だ」

 

 翌日の早朝。

 校舎裏にて、イリーナと烏間との会話である。

 

 やけに自身満々なイリーナに一応烏間はエールを送ったが、どうやら何か癪に障るらしい。

 烏間的には「やれるだけやってみればいい」というスタンスなのだが、どうやらその上から目線というか、結果を予期した上での言葉が気に喰わないのだろう。

 

 烏間の前から立ち去る彼女。その背中は、振る舞いほど大きなものには見えない。

 まあなるようにしかならないだろう。そう考えて、烏間は授業の準備に取り掛かる。

 

 ぞろぞろとジャージ姿の生徒たちが集る。全員が授業に取り組むわけではないが、それでもどうであれ烏間の教え方に変わりはない。

 

「「「「「おはようございます、烏間先生」」」」」

「おはよう。今日はまず最初に射的。終わり次第球技をしていきたいと思う。じゃあ、脇を締めて――」

 

 烏間の指導は、やはりというべきか中学生に教え込むレベルではない。

 使用する武器がBB弾銃だということも忘れるほどに、説明は実銃を想定した扱い方だ。

 

(やっぱり、特殊部隊上がりってのが気になるな)

 

 考えながらも、渚は前原たちの狙撃を見て、メモを取る。「あっちゃー、もうちょっと左上にしないとかぁ」というような小言さえ、簡単にまとめて記述していた。

 

「……お? おいおいマジかよ!」

 

 三村航輝が唸る。そちらを見れば、ころせんせーがビッチねえさんの後を、デレデレしながらついていくところだった。

 

「なんかガッカリだなー。ころせんせー、あんな見え見えのに引っかかって」

「……烏間先生。私達、あの人のこと好きになれません」

 

 生徒らの言葉に、烏間は目を閉じる。

 

「すまないな。だがわずか一日で準備を整える手際。殺し屋として一流なのは確かだろう」

「……本当に殺し屋なんですね。結構普通そうなのに」

「そんなものだ。殺し屋だろうが何だろうが、『普通』は人間だ。マッハ20で動く、複数の触手を持つ生物などそうは居ない」

(((((何で例えがそう、具体的なんだろう)))))

 

 とか何とか言っていると、ふと、あぐりがきょろきょろと周囲を見回しながら歩いて来るではないか! 昨日に引き続き、今日も白衣姿である。

 

「ゆ、雪村先生?」 

「あ、みんな。吉良八先生知らない?」

「奴なら今、イェラビッチに引きずり込まれたところだ」

 

 あー、とあぐりは苦笑いした。

 

「じゃあ、ひょっとしたら準備してきたの、無駄にならなかったかー ……」

「準備?」

 

 頭を傾げる渚に、あぐりは手持ちのバッグから何かを取り出す。

 

 それは、半纏だった。

 まっ黄色で、裏にニコちゃんマークじみた笑顔の描いてある。

 

「……せんせー、それって『タコせんせーはんてん』とか言い出さない?」

「おー、よく分かったね倉橋さん」

(((((一体何に使うつもりで持ってきたんだろう……)))))

 

 生徒ら大半の疑問に対して、果たして、倉庫から悲鳴が上がる。

 いや、悲鳴というよりは……。

 

 少なくとも、聞いていたあぐりが半眼になって倉庫を見つめるくらいには、必要以上にアレな喘ぎ声であったことに違いはあるまい。

 

 ここで「行って見ようぜ!」と言える勇者は前原陽斗か。何だかんだで岡島大河よりは、前原の方が色々と経験豊富なことも手伝ってだろう。

 

 渚たちが到着すると、倉庫の入り口を開けてころせんせーが出てきた。

 めちゃめちゃ良い笑顔である。

 まるで

 世界中が平和になった知らせでも受けたような、爽快感すら感じさせる笑みだ。

 

 口元が、だらしなくニタニタしてさえいなければ。

 

 「おっぱいはッ!?」と確認を取る岡島に、「女の人に対してその呼び方はないでしょ!」とあぐりのハリセンが落された。

 

「いやぁ、もう少し『楽しみたかった』ところですが、皆さんとの授業の方が楽しみですから。

 あ、雪村先生。おはようござ――ヌニャ!」

 

 スパァン! と炸裂するあぐりのハリセン。流石にちょっと怒り顔である。

 

「な、中で一体何が――ッ!」

 

 渚たちは、煙漂う校舎の入り口から出てきた、ビッチねえさんに驚愕した。

 

 端的に言うと、ブルマである。というか体操服である。

 胸には「イリ――――ナ」というように、テキトーに書かれたゼッケン。

 髪は後ろで纏められ、頭には赤いハチマキ。

 

「び、ビッチねえさんが健康的でレトロな服にされてる!!?」

 

 突っ込みに大して、反応する余裕すらないイリーナ。ぜいぜい頬を上気させながら、ゆらゆら揺れていた。

 

「ま、まさか、一分足らずであんなことを――うぅ」

(((((どんなことだ!?)))))

 

 どさり、と倒れる彼女に、一同が同時に思った。

 渚の視線に対して、ころせんせーは見たこともないような無表情で返した。

 

「さてねぇ。大人には大人の手入れがありますから」

「悪い大人の顔だ!」

 

 ちなみに倉庫の中で倒れている男衆三人が、こぞってころせんせーに尊敬の念を向けた顔をしていたことは、完全に余談であった。

 

「さあ、授業はまだ終わってないでしょう。烏間先生のところに戻りましょうか!」

「「「「「はーい」」」」」

 

 ヌルフフフフと笑いながら生徒を誘導するころせんせーたち。

 倒れ伏すイリーナは、恥辱(健全レベル)と屈辱に肩を震わせていた。

 

「許せない……、こんな、こんな訳の分からない無様な失敗初めてだわッ」

 

 ハチマキを解きながら、彼女は思い返す。

 

 色仕掛けで倉庫へ誘導し、実銃の雨あられにさらせば確実と考えた。

 しかし実際のところ、全く恐ろしい事に三人分の自動連射の弾幕をものともせず、しかも彼等の目の前で「手入れ」までされる始末。色々な意味で、もうあの三人をあのターゲットに差し向ける事はできないだろう。

 

 完全に三人の心をがっしり掴み、尊敬の念すら(色々な意味で)集めている。

 

「この屈辱、プロとして絶対返して――!」

 

 と、ふわりと肩にやわらかな感触。

 黄色い布地は薄手ではあるが、どこか着用者を安心させる大きめの作りとなっている。

 

「大丈夫ですか? イリーナ先生。色々されたと思いますけど」

 

 困ったように微笑みながら、雪村あぐりは彼女に半纏をかけてあげていた。

 明らかに気遣いである。衣服の種類こそ残念なセンスであるが、おおこれぞジャパニーズカインドマインド。

 

 イリーナは数秒硬直した後、両目に涙を溜め。

 

「貴女は女神か、あぐりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!!」

「へ? あの、イリーナ先生!?」

 

 とにかく、あぐりの足に縋り付いて泣いた。

 まあ、色々と仕方あるまい。

 

 

 

   ※

 

 

 

「いやぁ、ごめんね? 手伝ってもらっちゃって」

「人数分の器具を一度に運ぶのは、先生二人でも限界があるでしょ?」

「ヌルフフフ、お陰で一回で済みますねぇ。流石クラス委員のお二人。頼りにしてますよ?」

「ま、先生がマッハで往復できたら一回で住むんだろうけどさ」

 

 ちなみに以前、ころせんせーが杉野友人に言った700マイルであるが、時速換算にするとマッハ1の約90パーセントほどだったりする。

 それはともかく。ころせんせーと雪村あぐりは、クラス委員の片岡メグと磯貝悠馬に器具運搬を手伝ってもらっていた。

 

「こういうことは、手伝ってくれる気持ちが嬉しいものだから」

「そういうことですね、ヌルフフ……」

「……ころせんせー、どうしたの?」

「ヌルフ……」

 

 ちなみにころせんせー、左頬が妙に赤い。まるで何かやわらかなもので長時間ぶたれたみたいな。

 その原因となった場所に二人とも駆けつけはしなかったので、詳細は後で知る事になるだろう。

 

 もっともあぐりが「ふん」とツーンとした態度をとったので、犯人は一瞬でわかるわけだが。

 

 理科室に到着して扉を開けると、生徒が数人飛びかかる。

 しかし当たり前のようにそれをアクロバットに滑空して避け、ころせんせーは道具を配り始めた。

 

「こら、荷物運搬は危ないから、置き終わるまで待ちなさい!」

 

 ちなみに本日のルールは「午前中に当てる」こと。若干テキトーさが強い。

 そして生徒の作戦も、段々なり振り構わなくなってきていた。

 

 あぐりたちの持っていた道具も設置し終えた後、ころせんせーはにこにこと微笑んだ。

 

「三人分のナイフ、避けながら、準備、終わらせやがった……」

「前原君。私だから問題ありませんが、友人間で重い荷物を持っている相手なら、ふざけて襲いかからないでくださいね? 大惨事しか待ってません」

「当たり前じゃん……」

「大丈夫か?」

「い、磯貝ぃ……」

 

 やはりこれくらいの不意打ちでは駄目だ。カルマがニヤニヤ笑って、ころせんせーの動きを観察していた。

 

「さあ、授業を始めましょう!」

 

 

 

「とりあえず、彼等にちゃんと謝るんだ。話はそれからだ。このままここで暗殺を続けたいのならな」

 

 職員室に戻るなり、パソコンを操作しながらな烏間の一言である。

 

「……どういうことよ」

「雪村先生から言われなかったか? このまま授業せず自習を続けたら、数回もせず学級崩壊状態だろうに。

 先天的な超能力者でも、エゴの反動としてペナルティを負うくらい常識的な考えだ」

「後半全然何言ってるかわかんないんだけど……」

 

 あぐりに散々慰められて(といっても愚痴を聞かせ続けただけだが)、ようやく立ち直ったらしいイリーナ。

 色々と余裕がなくなっているのか、思わず机を叩き、叫んだ。

 

「……でも、私教師の経験なんてないのよ! 本職だけに集中させてよ――」

「……仕方ないな。付いて来い」

 

 イリーナを促し、烏間は廊下を歩く。

 向かう校舎の奥は、現在E組が授業中だ。

 

 なお、きちんと給料日直後なので駄菓子没収という暴挙には打って出ない。

 

「あ、あの、先生……」

 

 と、奥田愛美が小さな声で立ち上がる。メガネにお下げ、どこか気の弱そうな反応だ。

 ころせんせーに促されると、彼女は両手に持っていたメスフラスコ三本を突き出した。

 

「――あの、毒です飲んでくださいッ!」

(((((ストレートに行ったな!!)))))

 

 不安そうに見上げる彼女に、ころせんせーとあぐりは顔を見合わせた。

 

「……奥田さん、先生一応人間ですから、飲んだらたぶん死んでしまいます」

「だ、駄目ですか……?」

「……では、ルールをちょっと変えましょう。

 先生が、奥田さんのこれらの毒物の正体を当てます。正解ならせんせーの勝ち、失敗ならせんせーの負けで、それぞれの回数分のダメージを負いましょう」

 

 確かにそのルールなら、ゲームとして成立するだろう。

 

 ちなみに烏間とイリーナは、そろって仲良く白目剥いている。

 

 ころせんせーは瓶を一つ一つ開け、手で香りを嗅ぐ仕草。

 

「……この香り、水酸化ナトリウムですねぇ」

「酢酸タリウムですね」

「……奥田さん、王水まで一人で作っちゃうのは、せんせー感心しませんよ?」

 

「せ、正解です……」

 

 当たり前のように全てを当てるころせんせー。

 やっぱりか、みたいな空気が流れ始めているが、そんなもの流れている時点でおかしい。 

 

 当てられてしまったことに落ち込む彼女に、ころせんせーは微笑んだ。

 

「生徒独りで毒を作るのは、安全管理上見過ごせませんよ。作業中の死亡事故なんてざらです。いくら好きだからといっても、甘く見てはいけません」

「はい、済みませんでした……」

「じゃあ、そうですねぇ。今日は特別授業としましょうか」

「へ?」

「先生実は、こんな資格も持っていましてねぇ……」

 

 ささっと懐から取り出したパッド端末。操作して表示された写真は、ニヤニヤ笑いながらピースを決めるころせんせーと、彼が手に持つ「毒物劇物取扱責任者」の合格証だった。

 

「時間もまだありますし、今日はこのまま君と一緒に毒物を作って見ましょうか」

「あ、はい!」

「雪村先生、カーテンを閉めてください」

「……わかりましたから、無茶はしないでくださいね」

 

 トントン、と足元で『規則的に踏み鳴らす』と、ころせんせーは中央の机で準備に取りかかる。

 

「ターゲットと一緒に毒薬作るって……」

「あはは……」

 

 茅野も渚も、また微妙な表情だ。

 別に飲ませるものを作るわけでもないだろうに、渚は律儀にもメモに「奥田さん」のページを準備した。

 

 生徒たちや烏間、イリーナの見守る中、ころせんせーの特別授業が始まる。

 せんせーの指示に従い、薬物をビーカーに入れていく奥田。水を中心に薬物を化合していく。

 

 作りながらも、せんせーはトークを絶やさない。

 

「君は、理科の成績は良いんですけどねぇ」

「でも、それ以外はさっぱりで。言葉の良し悪しとか、複雑な感情表現とか、何が正解か曖昧で……。

 だけど数式や化学式は、絶対に正解が決まってるから。他のことは、必要ないです」

「ヌルフフフ……」

 

 しばらく経たないうちに完成する液体。せんせーは、すぐさまコルクでそれに詮をした。

 

「さて、奥田さん。君に今作ってもらったこれ、何だかわかりますか?」

「えっと……、たぶん、シアン化カリウムですか?」

「はい正解です。皆さんには、青酸カリと言った方がわかりやすいでしょうか」

 

「「「「「青酸カリ!?」」」」」

「青酸カリ!!!」

 

 飛び退く周囲の生徒達と、ガタと突如、立ち上がる不破。

 喜色が浮かんでいる顔は、一体何に琴線が触れたというのだろう。

 

 目の前で完成した、たぶん日本一ポピュラーな毒物の一種。

 渚たちは、一歩遠ざかる。

 

「さて奥田さん。問題です」

 

 ころせんせーは、にこりと微笑みながら、

 

「――これを私が、誰かに投げつけると言ったら、君はどうします?」

「へ?」

 

 突然の質問に、彼女は目を見開いて、硬直した。

 

「現在蓋をしているので、そこまで害はないといえます。ですが開封されれば、当然危険ですね。危ないですし、かかれば被害を負います。水に溶けている時点で既に相当なアルカリ性を示しているわけですからねぇ。しかも量が量ですし、無傷ではいられないでしょう。

 さて、どうします?」

「ど、どうしますって言われても――」

 

 止める、と断言できないのが痛い。

 ころせんせーがその気になれば、生徒たちの反抗など雀の涙に等しい。

 もしそんなことをされれば、彼等に太刀打ちが出来るわけはないのだ。

 

 にこりと微笑みながら、せんせーは続けた。

 

「無論、せんせーにそんな危険思想はありません。でも、そういうことをする人間も居ないわけではありません。天使のような顔をして悪魔が近寄ってくることなんて、日常茶飯事です」

「はい……」

「だからこそ、そういった『騙す』ことにも、『騙されない』ためにも、国語力というのは必要なものですよ?」

 

 はっ、とした顔で、奥田はころせんせーの顔を見る。

 渚はメモを開始した。

 

「どんなに優れた毒を作れても、何も考えずに作り手渡せば、利用されて終わりです。先ほど渡されたこの三つとて、同様ですねぇ」

 

 それぞれの蓋を開け、ころせんせーはてきぱきと色々な瓶から物を取り出し、中に注ぎ込む。

 

「そうですね……、渚君。君がせんせーに毒を盛るならどうしますか?」

「へ? う~ん……。せんせーが好きなジュースのペットボトルに注いで入れて、疲れてそうな時に渡す、かな」

 

 注目されて、戸惑いながらも渚は答えた。

 

「人を騙すには、相手の気持ちを知る必要がある。

 そして受け取ってもらえるよう、言葉にも工夫をする必要がある。

 上手に毒を盛るために、必要な方法(もの)が『国語』です」

 

 青酸カリと王水を除き、中和が終わったろう液体たちを廃棄するころせんせー。

 王水はといえば、大量の水を流しながら少し、少しずつ流す。

 

「君の理科の才能は、将来みんなの役に立てられることでしょう。それをより多くの人にわかりやすく伝え、使ってもらうために。毒をわたす国語力(ほうほう)も鍛えてください?」

「――は、はい!」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべる奥田に、教室が何とも言えない笑顔に包まれる。

 カルマがははと笑い、一言。

 

「やっぱりみんな、暗殺以前の問題だよね」

 

 

 

「……何よ、あれ」

「わかるか? 水曜6時間目のテスト同様だが――奴は、生徒に合わせて『問題を作っている』」

「……」

 

 烏間は、言葉を失うイリーナに続ける。

 苦手や得意に合わせて、クラス全員の全ての問題を作り分けている。

 それを中心にまた、生徒たちの問題解決にも手をかける。彼流に言うなら「手入れ」しているわけだ。

 

「――奴の教師の仕事っぷりは、まだ一年もやって居ないにも拘らず完璧に近い。

 わかるな? 生徒と教師。アサシンとターゲット。あくまでも『命のやりとりをしない』範囲でだが、この奇妙な場所では、誰しもが二つの立場を両立させている。

 お前がプロであることを強調するならば……、見下した目で生徒を見るな。

 彼等と我々は、ある意味では『対等』だ」

 

 立ち去る烏間に、イリーナは言葉を発さなかった。

 ただ――強く唇を閉ざし、じっと自分の手を見つめ。

 

「……あぐりが言ってたのは、こういうことかしら」

 

 少しだけ泣きそうな目をして、小さく笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 さて、後日英語の授業。

 

「ヌルフフフ、すっかり馴染みましたねぇ」

「まぁ、一応な」

「いえいえ助かりましたよ? 私がやっても、単なる嫌味になってしまいますし」

「だからといって、俺とてそういうのはよく分からん」

「やはり烏間先生は、結構無自覚みたいですねぇ。

 ……それにしても、完全にいじられキャラですね」

 

 教室内で「ビッチ先生」「ビッチ先生」連呼されることに、ブチ切れるイリーナの姿がそこにはあった。

 

「まあ、無視されるよりは大分マシだろう。一応謝ったみたいだしな」

「ヌルフフフフフフフ」

 

 要するに、イリーナは普通に授業するようになったのだ。

 まあ普通というには、英語の例文に取り出したものが「ベッドの上での君はすごい」だの何だのである時点で充分アレだが。

 

「なめてんじゃないわよ、このクソガキ共ッ!」

 

 しかしそれでも、生徒達にブーイングされるよりも先に、彼等と馴染むことが出来たのは事実。

 そんな様を見つめながら、ころせんせーはパッド端末を開く。

 

「一昨日ロヴロさん(ヽヽ)に確認したところ、今回のこれは私の依頼という以外に、彼女自身の技能増強も兼ねてのことだそうで」

「技能?」

「何だかんだで、彼女も一点突破型ですからねぇ。潜入と色仕掛けだけ(ヽヽ)では、首脳規模の暗殺など実行できません。まだまだ修行中ということですね」

「……嫌に実感のこもった発言だな」

「事実ですから。知ってるでしょう? 烏間先生は」

 

 にたり、と笑うころせんせーに、烏間は何とも言えない表情になる。

 

「さて、ではあぐりさんと、問題作りの続きをしましょうかねぇ。多少時間がとれるようになって、以前よりもスケジュールが楽になりました」

 

 ヌルフフフと笑いながら廊下を歩くころせんせーに、烏間は少しだけため息をついた。

 

 

 

 そんな光景を、教室中の騒ぎと「並行して」渚は観察していた。

 会話までは聞こえない。だが、二人が色々と相談しあっていたことは間違いない。

 

(正確なところはよくわからないけど、たぶん今回も、ころせんせーたちが動いたんだろう)

(猛毒を持った生徒でも、銃弾を隠し持った美女でも、みんな只の生徒や女性にされてしまう)

 

 生徒の笑いと、教師の絶叫が響く教室の中。

 

(……まだまだカルマ君を除いて、せんせーを打倒に迫れる生徒はいないみたいだ)

 

 渚もその流れの中に溶け込み、一緒に大声で笑った。

 

 

 なおその隣で、イリーナが机を叩くたびに揺れる巨乳に、涙目を浮かべながら「うがー!」と叫んでいる茅野が居るのは、完全に余談である。

 

 

 

 




わかりにくい烏間先生のアドリブ台詞。


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第7話:片鱗の時間

  

 

 

 椚ヶ丘中学3-Eは「暗殺教室」である。

 だがそれ以前の問題として、3-Eはドロップアウトクラスだ。

 

 成績、生徒の傾向や教員によって完全に振り分けられているここの中学において、彼等は「他の生徒に悪影響を及ぼさないように」という名目で、隔離校舎に就学させられている。

 

 圧倒的な差別教育であり問題になりそうだが、実際の所成果を挙げているため黙認され、むしろ今後この方法が奨励される可能性さえある。

 おまけにもっと手続き的な話をすると、学校案内や入学関係の書類のチェック項目に、しっかりと明記されているのだ。

 

 ともかくそんなわけで。山の中腹ほどにある特別校舎(ちなみに経路は獣道すれすれ)の彼等が、学校のイベントに参加するために、温情措置など与えられはしない。

 本校舎の優秀な生徒に合わせろ、というスタンスがとられている。

 

 よって、学校関連の行事の際には、E組の生徒らは山から下りて行かなければならない。

 

 磯貝、前原、岡野の三人はとぼとぼ足を進める。

 

「急げ。遅れたらまたどんな嫌がらせされるか……」

「前は花壇掃除だったっけ。本校舎の」

「ありゃキツかったなー。ウチと比べて広すぎるっての」

「前原ほとんどサボってただろ!」

 

 会話する三人は、どこか力がない。流石に山から本校舎のある盆地まで下っているだけある。

 耐え切れなくなってか、岡野ひなたは叫ぶ。

 

「――もう、何で私達だけこんな思いしなきゃいけないの~~~~!!!!」

 

 絶叫は、酷く感情がこもっていた。

 

 なお注意すべきは、もし本当に山から下りてくるだけならば、E組の生徒たちもそこまでダメージを負わないという点だ。

 E組は規律を守るため、他のクラスより先に整列していなければならないという決まりごとがあった。

 

 無論、安全にゆっくり歩けば到底休憩時間ごときで間に合う距離ではない。

 

 例えば本来なら橋があるはずのルートは、崩れて生徒が流されていたり。

 あるいは道中で毒をもつ爬虫類と第一種接近遭遇したり。

 

 事情があって遅れた所で、情状酌量の余地はない。

 

 彼等が強要される回答は、常に肯定(イエッサー)只一つ。

 

「や~もう、勘弁してぇ……」

 

 茅野あかりをはじめ、渚、杉野、菅谷、神埼、奥田の以下六名。道中にて遭遇した危機的状況(野生動物)により、疲弊。

 なお、非情に可哀そうな状態になって疾走していた岡島によって窮地を救われるも、とてもじゃないがこのまま下りられるわけもない。

 

「大丈夫か」

「あ、烏間先生……」

「焦らなくて良い。今のペースなら充分間に合う」

 

 決して生徒らを落ち着けるための方便などではないだろう。酷く生真面目な態度で生徒に接するこの教師は、あくまで現実主義者。効率を考えて、無駄な嘘をつかない。

 

 とそんなタイミングで、絶叫しながらイリーナが転がるように走ってくる。

 

「だらしねぇなあ、ビッチ先生」

「ヒールで走ると倍つかれるのよッ! 大体、休憩時間終わってすぐ移動なんて、聞いてないわよ……」

 

 生徒たち同様、息絶え絶えだ。

 何とも言えない顔で見つつ、渚は烏間に確認を取る。

 

「烏間先生、ころせんせーは?」

「ああ、奴なら……」

 

――ヌルフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!

――にゃああああああああああああああああああああああああああああああッ!

 

「……とまあ、ああいう訳だ」

「「「「「いやいやいや」」」」」

 

 会話をしていると、上空からころせんせーの笑い声と、あぐりの悲鳴とが木霊する。

 おおかた例のごとく、ハリウッド映画じみた立体機動を駆使して木々を伝い、山を下っているのだろう。あぐりを抱えて。

 

「流石に奴も、生徒たち全員の安全を見ながら移動する余裕はないらしい……。そうだな、そのうちパルクール系の技術も教えた方が良いか……」

「パルクール?」

「ああ。街中だろうと山中だろうと、どこであろうと自由に移動できる障害物競走から派生したスポーツ、と言えば良いか……。

 熱心だな。そのメモをとる習慣は、維持した方が良い」

 

 まっすぐ渚を見ながら言う烏間。さあ行くぞと全員に言い、先頭に立つ。

 諦めながらも肯定する生徒たちと、ふぇえええ!? みたいな声を上げて嫌がるイリーナが対象的だった。

 

 

 

「お疲れ様でした皆さん。ヌルフフフフ」

 

 例のごとく不気味な笑い声をあげつつ、ころせんせーは岡島の体から蛇だの何だのを引っぺがし、袋にまとめて放り込んでいた。珍しくアカデミックコーデではない普通のスーツ姿(ネクタイはそのまま)だが、生憎生徒たちも反応するだけの余力はない。

 疲弊し、体育館の入り口でくたばっている生徒達。そのまま休ませてあげたいところだが、残念ながらそうも行かない。

 

 特に体力のある生徒が主導になって、彼等を体育館へと促した。

 ダレながらも、寺坂グループ四名でさえ渋々追従するあたり、後のペナルティの面倒さが窺い知れる。

 

 しばらくしてから流れ込んでくる、A~D組の生徒達。

 皆一様に面倒そうに、私語につつまれて集る。

 

 E組は整列して言葉もほとんどないが、規則遵守を強く強制されているという他に、立っている以外にもう体力を使いたくないということが原因か。

 

「渚君、おつかれ~。わざわざ山の上からこっち来るの大変だったでしょ~」

「ヒッヒヒ」

 

 かつての級友、田中と高田の二人に、疲れた顔で少し溜息をつく渚。そんな様子も目に留めず、二人はげらげらと笑う。

 

(月に一度の全校集会。僕等の差別待遇はここでも同じ)

 

 渚だけではない。大半の生徒たちが周囲から嘲笑の対象とされている。

 特に寺坂あたりがヤバいと言えばヤバい。それでも堪えているあたり、後のペナルティが(以下割愛)。

 

(僕らはその状況に、長々と耐えなければいけない)

 

 なお生徒の方は別にして、教師間ではそこまで露骨に応対はされていない。

 わずかに距離をおき、ころせんせーがあぐりの壁となっているというのもあるかもしれないが。

 

 生徒がそろい、集会が開始される。

 学校長の松村が、はげた頭をなでながら演説する。

 

『――ええまあつまり、君達は全国から選りすぐられたエリートです。今後とも、社会に大きな影響を与える、強い人財となっていくでしょう。この私が、そして私の毛根にかけて保障します』

 

 体育館に笑いが漏れる。これはもはや、校長鉄板ネタだ。教育に毛根を捧げた、という本人の自称に偽りがないのは、歪ながらも学校が学校として機能していることそのもので証明されていると言える。

 ただし、残念ながら単純に学校が歪んでいることもまた事実であった。

 

『でも? 油断してるとどーしょーもない誰かさんたちみたいに、なっちゃいますよぉ?』

 

 人が良い人間に見えても、環境と与えられた役職では充分に歪む。

 スタンフォード監獄実験を例にするまでもなく、会場はE組差別が蔓延していた。

 

 わざとらしいほどの嘲笑が木霊する。生徒達は多くが俯いている。『ああ君達笑いすぎです、落ち着いて』と言いはするが、状況からして説得力はなかった。

 

「(なあ渚)」

「(菅谷君?)」

「(そういやカルマってどうした)」

「(サボリ)」

「(マジかよ、あのヤローだけ!?)」

 

 ちなみに、こんな面倒そうな場所に当たり前のように赤羽業(あかばね カルマ)はいない。停学組というか、以前から問題行動の多かった彼のことだ。今更一つ二つ罰則があったところで、痛くもかゆくもないのだろう。

 

「(成績良くて素行不良って、こーゆー時羨ましいよね)」

 

 力なく笑う渚は、視線を教員側に振る。

 

 あぐりは両手を握って、何かを堪えるような顔を浮かべていた。生徒達に近いもの“がある”が、どこかそれは己の力不足を悔いているようでもある。

 対してころせんせーはと言えば、両目を閉じて爽やかに聞き流していた。子守唄でも聞いているように、その態度に変化はない。

 

(やっぱすごいな、ころせんせー ……)

 

 流石にメモは取り出さず、渚は集会に集中した。

 

 

 

「(所謂、社会生活の予習。底辺部分を露骨に見せつけあげつらわせることで、そうはなるまいと危機感をあおり強く育てる。差別対象があった方が、人間何だかんだで伸びますからねぇ。生物的性質として)」

 

 ちなみにころせんせーはといえば、手に取るように理事長の考えを読みながら、体育館のカメラに微笑を送ったりしている。おそらく向こうなら、こちらの「わかってますよ?」というメッセージを受け取ることだろう。

 

「(――まあ、貴方が『合理』で動くのなら、私は『効率』で動くまでですがね)」

 

 ヌルフフフ、と気付かれない程度の小声で、彼は不気味な笑いを上げていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

『続いて、生徒会からの発表です。生徒会は準備を――』

 

 集会の話が続く中、烏間が他の教師に頭を下げる。何を言うまでもなく礼儀正しい。

 酷く丁寧な応対に、婦人教師が頬を染める。アイドルでも見るような目だ。

 

「(あんな先生居たか?)」「(すごくシュッとしてる)」「(カッコいい……)」

 

 他クラスの声もわずかに聞こえる。

 

 と、E組側の女生徒二人に声をかけられて、なにやら怒っているらしい。

 背後にいる吉良八にも何か言うように言うが、どこ吹く風だ。

 

「(E組の先生?)」「(なんか仲良さそう……)」「(いいなー。ウチのクラス、先生も男子も顔面偏差値底辺だしぃ)」

 

 む、とした反応が返るが、件の言葉を言った生徒はどこふく風。

 と、再びどこからか会場がざわざわし出す。

 

 幾人かの男子生徒がそちらの方を見て、たまげた。魂消た、と書くのが自然なくらい、言葉を失った。

 

 歩いて来たのは、絶世の美女だ。それこそ映画や雑誌でしか見たことのないブロンドヘアの美人。スタイルは中学生で想像できないほどのもので、堂々とした歩き姿は、男性女性問わず視線を独占する。

 

 クールな眼差しがあぐりと交叉すると、軽く微笑んで手を振る。

 無論、イリーナ・イェラビッチだ。

 

「(ちょwwww)」「(何だあのものすげーガイコクジン!?)」「(やべー、やべー!)」

 

 烏間の時以上の反応の良さである。

 

 そんな彼女を見て、杉野が思わず愚痴る。

 

「(ビッチ先生、さっきまであんなにヘバってたのになぁ)」

「(プロだからってことなのかな)」

「(見栄っ張りなだけだろ)」

 

 渚たちからも散々な言われようであるが、まあこれも愛されてこそである。

 以前のように露骨に不機嫌さを巻き散らさない彼女は、今やE組になくてはならないビッチ先生だった。

 

 無論「ビッチ先生」と連呼されれば牙をむくが。

 

 あぐりと少し会話をしてから、彼女は烏間の隣に足を運ぶ。

 

「(あいつもE組の先生なのか……?)」「(かっこいい……)」「(ていうか、担任も爽やかだし)」「(ネクタイがダサいけど、それさえなければねぇ……)」「(なあ、あの美人と副担任の地味なのと、どっちの方が胸大きいかな?)」「(こら男子!)」

 

 椚ヶ丘中学3-E。四人の教師が並ぶ様は、どこか言い知れぬ存在感があった。

 

 となりのイリーナに、烏間は聞く。

 

「(もう大丈夫なのか?)」

「(あら、気遣ってくれるなんて、ようやくアンタも私の魅力が――)」

「(大分醜態を晒していたからな。立ち直りが遅いと後に支えるだろう)」

「(朴念仁ッ! あぐりにスポドリ貰って飲んだわよ。無駄に気がきくわよね、あぐりは)」

「(そうか。……で、何しに来た? 臨時講師は強制出席ではなかったと思うが)」

「(今更ぁ? 別に、私もここの先生じゃない)」

 

 自覚出てきたんですかねぇ、と烏丸の隣でころせんせーがにやにやする。

 

「(あと、本校舎の様子っていうのも見てみたかったし……。いまいち冴えないわね)」

 

 教師陣や生徒の浮かべている表情など。全体的に見渡して、どうやら彼女のお眼鏡には適わなかったようだ。

 ちなみにそんなこんなやっている隣で、あぐりの隣に移動してなにやら話し合って準備している。

 

『――はい、今皆さんに配ったプリントが、「生徒会行事の詳細」です』

 

 え? と声が体育館の隅側から上がる。

 磯貝が順番的に代表して質問するが、返答は案の定。

 

『……あ、ごめんなさい? 3-E組の分、忘れたみたい。

 すいませんけど、全部記憶して帰ってくださぁい』

 

 ははは、と会場中から嘲笑が漏れる。

 優しげな表情をするメガネの生徒だが、やはり言葉や態度には棘があった。

 

『ほら、E組の人は記憶力も鍛えた方が良いと思うし』

(自分だって出来もしないくせに)

 

 僅かに、渚の表情が陰る。

 

「何これ、陰湿じゃない」

「まあ、これだけで終わればな」

「?」

 

 烏間の言葉にイリーナが違和感を覚える。が、すぐにその答えが出た。

 

「渚、渚、はい」

「茅野?」

 

 と、隣の方からプリントが回される。よく見れば、それは「他のクラスに配られているもの」とほぼ同じプリントであった。

 どうやら後ろから横に流される方法で手渡されているらしい。

 

「――磯貝君。問題ありませんね? 丁度良いことに全員分予備(ヽヽ)があったようですし」

「……? あ、――あ、はい! 問題ありません、続けてください!」

 

 ころせんせーの微笑みを受けて、活気に満ちた表情を浮かべる磯貝。

 この手回しの良さは、流石ころせんせーと言うべきか。

 密かに「いえぃ♪」という具合に、あぐりと拳をごっつんこしあっていた。

 

 一本壇上は面を食らう。

 

『へ? うそ誰だよ、笑いどころ潰した奴ッ』

 

 見事に彼の笑いどころは、「死神」によって暗殺されたようだ。

 くすくすと忍び笑いが漏れる。どこからかは言うまでもない。

 

『あ、いや、ゴホン。では続けます。えー、生徒会の今後のスケジュールについて――』

 

「(何をやったんだ?)」

「(園川さんには感謝してます)」

「(……生徒たちの護衛(ヽヽ)に回してる方から引き抜くなら、事前に連絡を入れろ!)」

 

 烏間の言葉に、ころせんせーは悪びれずヌルフフフと微笑む。

 イリーナはよくわからなかったものの、おそらく烏丸の部下を使って事前に原本を入手していたのだろうと判断した。

 

 ちなみにE組に配られたプリントの右上には、あぐり手描きの「タコせんせー」の絵がプリントされている。

 

「(何ていうか、これでこそころせんせーだよね)」

「(……うん)」

 

 茅野の言葉に微笑む渚に、先ほどの陰りは見えなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「先行ってるぞ~、渚」

「うん杉野、飲み物買ったらね」

 

 杉野と別れた後、渚は自販機へ向かうが、ぐい、と腕を引っ張られる。

 

「あれ、ビッチ先生?」

「渚ちょっといらっしゃい」

「へ? いや、僕これからヨーグルト――わああ!」

 

 周囲から見えないエリアまで連行すると、ビッチ先生はにやりと笑った。

 

「今ならあの男も居ないし、丁度良いわ? アンタさあ、あいつの弱点全部手帳に書いてあるらしいじゃない。

 その手帳、お姉さんに渡しなさいよ」

「うぇッ」

 

 あからさまに嫌そうな反応である。

 

「いや、役立つ弱点はこの間話した分だけだよ。後他にも色々メモしてるだけだし」

 

 以前イリーナがころせんせー暗殺に挑戦した際。彼女は彼の弱点を、渚から聞きだしていたのだ。

 三人組との話し合いがある程度終わった後、渚を職員室に呼び出して。

 

 もっともその時に話した分の「動きを封じないと意味がない」「五感がちょっと鋭い」というのが、どれほど生かされたかは定かではないが。

 

 だがイリーナは話を聞いていない。

 

「そんなこと言って、肝心なところ誤魔化す気でしょ。いいから出せってばこのッ! 窒息させるわよ?」

「うわッ!」

 

 ぐい、とイリーナに抱きすくめられる渚。

 単に胸に顔を埋めさせているわけでもなく、適確に首をロックして、呼吸器を押さえている。

 

「いや、苦しいから! やめてビッチ先生!」

「ほらほら、とっとと渡してしまいな――ぎゃふん!」

 

 ぱしぃん! とハリセンの音が響く。

 彼女の背後に、あぐりと烏間がスタンバイしていた。

 

 ぎゃーぎゃー文句を言う彼女の髪を掴み、デリカシーもへったくれもなく連行する烏丸。

 

「渚君、だいじょ――」

「渚、大丈夫? 巨乳の世界に洗脳されたりしなかった?」

 

 あぐりを押しのけて、茅野がわけのわからないことを言いながら渚に顔を近づける。

 別に色恋的な話でもなく、その表情は

 

(;゜Д゜)

 

 とでも言うべき、謎の危機感に満ち溢れていた。不破が居れば「ギャグ漫画顔」、竹林がいれば「萌キャラがしちゃいけない顔」と形容しそうである。

 

 ちょっと引きながら「何さそれ」と言いつつ、渚は立ち上がった。

 

「えっと……?」

「あはは……。茅野さんが、イリーナ先生に連れて行かれる渚君を見つけて、まあ、その流れで」

 

 ハリセンを折りたたみつつ、あぐりは苦笑い。さもありなん、他に浮かべる表情もない。

 茅野に礼を言うと、今度こそ渚は自販機へ向けて歩きだした。

 

 

 

「おい、渚」

 

 百円で買える牛乳を手にとったそのタイミングで、渚は後ろから声をかけられた。

 

「高田君と……、えっと……? ごめん、ど忘れ」

「田中だよッ! 何で俺の方忘れるんだよ! ポピュラーだろこっちの方が!」

 

 残念ながら、モブ度でいえば高田より田中の方がレベルが上のようだった(僅差ではあるが)。

 しばらく叫んだ後、高田の方がメガネをあげて言う。

 

「お前等さ、ちょっと調子乗ってない?」

「ほぇ?」

「集会中も笑ったりしてよ。周りの迷惑考えろよ」

(お、大きなブーメランだな)

 

 案外、渚は冷静に突っ込みを入れそうになった。

 

「E組はE組らしく、せいぜい下向いてろよ」「どうせもう人生詰んでるんだし」

「……?」

「おい、何だその不満そうな目」

 

 そんな渚たちの様子を、烏間とイリーナは遠くから見つける。 

 

「渚じゃない、どうしたのかしら」

「……全くこの学校は――」

 

 歩み寄ろうとした烏間の肩を、ころせんせーが掴んだ。

 

「何をする、吉良八」

「まあ見てなさい。たぶん大丈夫でしょう」

 

 あの程度で屈する渚君ではありませんから。

 

 何故かそう断言するころせんせーに、烏間は訝しげな目を向ける。

 烏丸の小脇に抱えられているイリーナも同様だ。

 

 ころせんせーは、にやり、と不敵に微笑んだ。

 

「まだまだ期間はそう長くありませんがね。私達と『つながり』を持てた彼等は、そうヤワじゃありませんよ」

 

 彼の言葉を受け、烏丸は一応は見守る体勢に入った。

 

 

「何とか言えよE組、殺すぞッ!」

 

 

 叫ばれ、掴みかかられる渚。身長が小さいこともあって、面白いように揺さぶられる。

 周囲の生徒は、それを見て鬱憤を晴らしているようだ。

 

 だがしかし――渚の脳裏には、ある疑問が涌いた。

 

(殺す?)

 

 普段、暗殺教室と称して担任と戦っている3-E。そこにおける今までの日々が。まだ短いながらも過ごしてきた、存外楽しい日々が、途端に彼の頭の中に流れ出す。

 

 生意気な相手に苛立ちを向ける。そんな目の前の二人の顔を見て――しかし、渚は動じなかった。

 

 脳裏に描くのは、カルマの笑い。

 

(物怖じしちゃ駄目だ。相手が誰だろうと、余裕を持って)

「ふふ――」

「……あん?」

 

 渚の微笑みに、田中が眉間に皺を寄せる。

 だが――そんなもの、この際何一つ関係なかった。

 

 

「――本当に殺そうと思ったことなんて、ないくせに」

 

 

 その一言を言った瞬間、渚の中で何かが「かちり」と、はまる音が聞こえた。

 ただ単に微笑んでいるだけ。だがしかし、今まで渚の中で見過ごしてきた「何か」が。先ほど体育館の中で胸にしまいこんだような「何か」が。ころせんせーにかわされて、褒められた「何か」が。家で塞ぎこんでいる自分の内にわだかまる「何か」が――。

 

 一つの殺意(ちから)となって、わずかに、その微笑から漏れた。

 

 呻きながら、飛び退く二人。渚の得体のしれない迫力に、気圧されたのだろう。

 進む渚の進路を、もう妨害しようとはしない。

 

「じゃ、またね。……はあ、飲んでも大きくならないんだよなぁ」

 

 手元の牛乳を見て愚痴を言う渚。だがしかし、田中も高田も、そんなこと耳に入っては来ない。

 

「……何だ、今の」

「……さ、殺気?」

 

 例えるならそれは、小動物だと思っていた相手の口から、まるで獰猛な蛇の毒牙が覗いたような――。

 

「――ほらね。言ったでしょう。我々の(ヽヽヽ)生徒は、何せ()る気が違いますから」

「「……」」

 

 烏間もイリーナも、これには言葉を失った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……エンドのE組が、一般生徒を押しのけて歩いていく。

 流石に『急』では、合理的とは言えない」

 

 窓ガラスから見える青空を背景とする、学園長室。

 逆行に照らされて、彼の顔は見えない。

 

 しかし鋭い視線が、学内に張り廻らされた監視カメラの映像より、とある一事件を映し出していた。

 

「多少、釘は刺しておく必要はある。『彼』を許可したのはある意味このためでもあるが、力関係が逆転しては本末転倒だ」

 

 私にとっては、何よりもの優先事項なのだから。

 

 そう言いながら学園長――浅野 學峯(あさの がくほう)は、鋭い視線を画面に向けた。

 

 

 




原作よりちょっぴり獰猛な渚君


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第8話:挫折と立ち直りの時間

ちょっとポケモンに浮気してました。そんなこんなで、テストの時間編です。



椚ヶ丘中学教員紹介――私達が、夢の実現を応援します!

 

 生徒達の成長をバックアップする本学の教員一同をみなさんにご紹介します。

 高度成長教育を支えるスペシャリスト集団。生徒様と共に、今後より一層成長いたします!

 

 

 

○責任者

 

浅野學峯:椚ヶ丘学園創始者、現理事長

Profile :少人数の私塾講師から身を起こし、僅か十年足らずで本学を築き上げた、教育界の風雲児。その手法は海外からも注目を集め、日夜マスメディアでも精力的に活動している。時に自身が教鞭をとり、生徒達の成長に手を添える。

 

松村茂雄:校長

Profile :様々な学園で教鞭をとり、公立学校で教頭をしていた時代に浅野と出会う。以降彼の情熱に感銘を受け、自らそれを実現させる学校の校長となる。対外面に精力を注ぐ浅野に代わり、学園の顔として今日も努める。

 

飯山徳三:教頭

Profile :松村校長の信頼を置く、まさに本学の懐刀。生徒間、教師間の問題問わず、多くの事柄にチャレンジする姿勢が教師間でも高く評価されている。

 

 

 

○3年生

 

宍戸和彦:3-A担任

Profile :椚ヶ丘の中でもさらに選りすぐられた俊英が集う。そんなA組を時に優しく、時に厳しくまとめあげる。またトップ環境に追い詰められる、生徒達のメンタルケアに定評がある。

 

沢渡静江:3-B担任

Profile :生徒達とのチームワークに加え、教師間でのチームワークを強くする教師。文武両道をモットーに、A組に次ぎ高い成績を納めている。その懐の深さから、生徒達からは母親のように慕われている。

 

小林正夫:3-C担任

Profile :ベテランゆえ、堅実で充実した日々を生徒達に約束する。理念は、ずば抜けた成績や目を見張る実績などなくとも、こつこつと努力をする生徒達こそが宝。

 

大野健作:3-D担任

Profile :教育熱心で、指導力に優れた体育教師。子供達に親身になるその姿勢は、学業のみならず様々な面でも生徒たちの力になる。何事にも体当たりで望む姿勢は、椚ヶ丘中学の未来に新たな風を巻き起こす。

 

 

 

○2年生

 

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 

 

 

○スペシャリスト教員

 

矢野雄介:英語教師、テストアドバイザー

Profile :担当する学年多数。担任教師たちと相談しあい、作り出される問題は教師たちからの信頼も厚い。

 

安井直道:家庭科教師、椚ヶ丘学園食堂特別料理顧問

Profile :教科のみならず、本場イタリアで修業してきた手腕は時に給食でも発揮される。

 

黒川信夫:数学教師

Profile :何を置いてもスピーディーな授業は、生徒たちの理解力を鍛えることに成功している。

 

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 

寺井 清:体育教師、野球部顧問

Profile :技術特化型の教育は、顧問をつとめる野球部の経歴を、次々と塗り替える。

 

     ・

     ・

     ・

     ・

     ・

 

 

 

○特別強化クラス(3-E)専属教師

 

吉良八湖録:3-E担任

Profile :成績不振者たちを集めたE組担任教師。赴任してまだ間もないが、幅広い知識や様々な手腕により、生徒たちの学力のみならず学生生活上の問題解決にもあたっていく。

 

雪村あぐり:3-E副担任

Profile  :前任のE組担任。浅野の意向で本年より副担任。担任のサポートできない範囲や、若手ながら複数の教科を受け持てるポテンシャルを使い、E組に手を差し伸べる。

 

烏間惟臣 :3-E体育教師

Profile :勉学特化の3-Eを、運動面、健康面からサポートする。その効率的な身体操作の教え方は、浅野でさえ舌を捲く。

 

Irina Jelavic:3-E外国語教師

Profile :英語を中心に、第二外国語以降も一人で教える事のできる教師。スピーキングに重点を置いた授業は、わかりやすく身になり易いと好評。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……何、これ」

「職員室からくすねてきたんだけどさ。今年の学校案内だって。渚君、これどー思う?」

 

 カルマが手渡した椚ヶ丘中学のパンフレットを見つつ、渚は何とも言えない表情をした。

 渚の座席を中心に、生徒達が数人集ってパンフレットを覗きこんでいる。

 とりあえずー、と倉橋陽菜乃が一言。

 

「烏間先生はずっとかっこいいけどさー?

 ころせんせーも黙ってればイケメンなのにねー」

「「「「「うん、うん」」」」」

 

 周囲の生徒たちから、圧倒的な同意が得られた。

 パンフレットに記載されている写真は、黙っていること、優しげに微笑んでいること、特殊な笑いを浮かべて居ないことなどあいまって、全員が同意するレベルで二枚目だ。小さな写真ながらも、何人かぱしゃぱしゃ写真をとっている。

 

「雪村先生が美人なのは、まあ、わかるとして……」

「えっへん!」

「何で茅野っちが胸張ってるの……? というか、巨乳嫌いの茅野っちがご機嫌!?」

「それより、ビッチ先生がちゃっかり記載されてるのがすげーって」

「どのタイミングでこれ印刷したんだろ……」

 

 生徒たちの色々な感想が飛び交う中、渚はふとかつての担任や、理事長の部分に視線が行く。

 

「いやー、懐かしいよねぇ」

 

 カルマもそれは同様のようだ。むしろ彼の方が、元担任に注ぐ視線のぎらつき具合が強いが。

 

(……理事長の、浅野學峯。ころせんせーがケンカして、ここにやって来たという話だったはず)

 

 最初に吉良八が3-Eにやってきた時の事を思いだして、渚はふとメモを見返す。既にページが半分埋め尽くす勢いだ。

 

「……長いようで短いというか。そういえば、もう中間テストだったっけ」

 

 そんなタイミングで、がらがらがらと教室の戸が開けられる。

 入ってきたのは、彼等のターゲットたるころせんせーと、愛すべき副担任の二人だ。

 

「やあ皆さん、おはようございます。さあ席について――やっぱりカルマ君でしたか。一応確認サンプルなので、これから烏間先生やイリーナ先生にもこれで大丈夫か確認をとるものなので、返してください」

「……あの、せんせー、何ですか、そのプリントの山」

 

 位置的に近かった片岡メグが、思わず手を挙げ確認を取る。

 が、これは一度スルーするころせんせー。

 

「さあ皆さん。今日も始めましょうか」

「「「「「いや、何を?」」」」」

「学校の中間テストが迫ってきています。そんなわけで今日の午前授業は、テスト対策の強化勉強を行いたいと思います」

 

 高速で動ければ一時間で充分なのですが、と苦笑いをしながら、あぐりと共にプリントの山を配り始める。

 

「雪村先生と一緒に、毎週水曜日六時間目に小テストをしていますね? その感覚を応用して、皆さん一人一人に合わせた問題と解説、苦手科目の対策テキストを作りました。

 問題を解いても良し、解説だけ読んでも良し。

 分からないところがあれば、随時先生が勝手に対応していきます」

(((((勝手に?)))))

 

 要するに、遠目で見て生徒の手が止まってたらそっちに飛んでいくという宣言である。

 

 それぞれのプリントの表紙には、教科の名前が手書きで記述されている。しかも明朝体でだ。

 

「はい、寺坂くん」

「くだらねぇ。ご丁寧に表紙全部手描きまでして……。

 ――つーか、何で俺だけNARUTOなんだよ!」

 

 複数教科なためか、寺坂に手渡されたプリント束の表紙は、木の葉隠れのマークが書かれていた。フリーハンドっぽいのに、妙に慣れた手描きであった。

 

(マッハとかまではいかないけど、ころせんせーはどんどん早くなってると思う)

 

 ころせんせーの解説文を読みながら、問題を解いてみる渚。波形グラフの数値の条件について、確かに渚が分かり辛い部分が、話し言葉で「手描きで」書かれている。

 

(ビッチ先生たちが来たおかげもあるかもしれないけど、こうして僕等一人一人に対して問題を作る量や速度が、小テストの問題量の増え方とかから見ても、以前の倍できかないくらいになっている)

(この加速度的なパワーアップは……、パンフレットに書いてあった「赴任してまだ間もない」というところが、原因なのかな)

 

 渚のころせんせーに対する印象は、慣れているが、どこか手探りというようなものか。人に教える事、諭すことなどは酷く手馴れているのに、歪なくらいポテンシャルの発揮の仕方が手探りだ。

 

 まるで、今までレーシングカーに乗っていた人間が、急に軽自動車に乗り換えてレースに出ているような――。

 

(……何にしても、アサシン(ぼくら)には厄介なターゲットで――)

 

『ここまでわかりましたか? 渚君』

 

 あぐりが書いたと思われる「タコせんせー」の小さな絵から出ているフキダシの台詞に、思わず渚は微笑んだ。

 

(――テストを控えた生徒(ぼくら)には、心強い先生だ)

 

 

 

   ※

 

 

 

「――六面体の色をそろえたい。素早く沢山。誰でもできる方法で」

 

 職員室にて、かちゃかちゃとルービックキューブを弄っている。

 その相手を前に、烏間とイリーナは言葉を発さない。

 

「――あなた方ならどうしますか?」

「……そうですね。不可能でも、最後まで続ける。出来るまで続けるでしょうか」

 

 彼の言葉に、烏間が答える。「可能なら実行、不可能なら断行」が信条の彼らしいか。

 

「私は、できる相手に任せるかしら」

「ふふ、それぞれらしい答えですね。ですが、模範解答は違います」

 

 スーツの裏ポケットからマイナスドライバーを出し、彼はキューブのマスの隙間に突っ込んだ。

 

「――分解して並べ直す。合理的です」

 

 椚ヶ丘中学、理事長の浅野 學峯(あさの がくほう)。

 光のともっていない目で、彼は両者に微笑む。

 

 丁度そのタイミングで、職員室にあぐりところせんせーがやって来た。

 

「あ、浅野理事長!?」

「ニュル?」

「ん? 嗚呼、お久しぶりです、ころせんせー」

 

 学園長は、あぐりを一瞥した後にころせんせーへ満面の笑みを浮かべる。

 まるで旧来からの友人に対するような姿勢だ。

 

「んん~? これはどうもわざわざ山の上まで、浅野さん(ヽヽ)

 お疲れでしょうし、紅茶でも入れましょうか」

「頂きます」

 

 ころせんせーもまた友好的な笑みを浮かべ、流れるような動作でポットからお湯を出したりして準備。

 その間、あぐりが地面に散らばったルービックキューブを片付けようとしたり、「後で拾うので結構ですよ?」と理事長に言われたりする一幕はあったが。

 

 E組の教員全員が席につき、奥に理事長もつき。

 それぞれの手前に、ころせんせーの入れた紅茶が配膳された。

 

 ころせんせー以下、緊張に包まれているE組職員室。

 浅野は、そんな空気の中で紅茶に口を付けた。 

 

「んん……。これは、どこの紅茶ですか?」

「ニッセンです」

「インスタントですか。それにしては、こう……」

「下準備と手入れ次第ですよ。ちなみに、合成物は使っていません」

「また非合理なことを」

「お遊びの範囲ですよ。その上で、効率重視です」

 

 ハハハ、ヌルフフフ。

 そんな笑みを浮かべあう二人を見つつ、イリーナはあぐりの肩をちょんちょん叩いた。

 

「(何、あの二人。この間の集会的に仲悪いと思ってたけど、違うの?)」

「(えっと……、どうなのかしら。私もそこのところは。

 でもあの人、上司には下手に出る人だからたぶん……)」

 

「それに美味しい紅茶を買おうにも、予算的に少々……。是非とも私どもめの給料もーちょいプラスになりませんか? と。ほら、こうしてインスタントでもなかなか美味しく飲めるわけですし、是非とも浅野さんにも、もっと美味しい紅茶を飲んでいただければなーと」

 

 突如脈絡もなく傅きだす仕草をするころせんせー。

 苦笑いを浮かべるあぐりと汗を垂らす烏間。さらには嫌そうな顔をするイリーナ。

 

 なお、そんな様子を僅かに開いた扉の廊下側から、渚が覗き見ていたりするのは余談である。

 

「いえいえ、気を使わせてすみません。そこは『最初から』ある程度対等な関係ですので」

 

 なお、浅野は適度にころせんせーの話はカットして聞いていた。

 

 ふふ、と微笑む彼の視線が、一瞬渚の方へ向いた気がして、思わず身を隠す。

 渚は、以前ころせんせーから教わった「調査歩法」に書いてあった通り、耳を壁に付けて僅かに体を扉の手前に乗り出した。

 

「貴方の事情は防衛省やそこの烏間さんから聞いていますが……。

 まあ、細かい理論などを全部理解できるほど、私も学はないのですが。

 それでも、何とも悲しいお方ですね。貴方が負う罪はなかったとはいえ――世界を救う救世主が、今や世界を滅ぼす巨悪の魔物(フェノメノン)なってしまったのですから」

「「「……」」」

 

「……?」

 

 浅野の話に対して、イリーナだけが頭を傾げる。

 話の詳細は全く知らないまでも、どこか違和感を覚えたからだ。

 

 話題に上げられた烏間が、話しを聞いて複雑そうな表情を浮かべるのはわかる。

 話し相手たる吉良八が、微笑みに僅かに影りが見えるのも、なんとなくわかる。

 だがイリーナからして、全く関係なさそうに思える一般人、雪村あぐりが、思いつめたような顔をして吉良八を見つめるのは、どうしたことだろうか。

 

(救世主……? フェノメノン?)

 

 話を聞きつつ、渚は頭を傾げる。

 イリーナ以上に情報を持っていないため、理解へのハードルがはるかに高いからだ。

 

 ルービックキューブを器用に爪先で集めつつ、彼は続ける。

 

「……いえ、その話をしに来たわけではありません。私ごときがどう足掻こうが、『究極的な状況』というのは変えられませんし。余程のことがない限り、あなた方の行動にもノータッチです。

 充分な口止め料も頂いていますし」

「助かってます」

(く、口止め!?)

 

 音こそ立てなかったが、渚はより職員室での会話に意識を集中する。

 ここでの会話が、今まで全く開かされていない、かの先生のバックポーンに関わるのではないかと。

 

 メモを取り出しはしないが(音で聞いてるのがバレるので)、渚は目を閉じて、より聴覚に意識を集中した。

 

「随分と割り切ってらっしゃるのね。そういう男性、嫌いじゃないけど」

「光栄です。しかし、この学園の『長』である私が考えるべきは、皆さんにチェックしてもらったパンフレット同様、つまり来年以降も続く『かもしれない』という学園の未来です。

 単刀直入に言えば。

 

――ここE組の立場は、このまま(ヽヽヽヽ)でなくては困ります」

 

 その言葉に、渚の表情が緊張を帯びる。

 ころせんせーは微笑んだまま。あぐりは苦しそうに目を閉じ、何も言わない。

 

 しばらくの沈黙の後、ころせんせーは指を立てて話を続ける。

 

「……そこについては、色々話し合いましたよね? 私が、こちらに赴任する前に」

「ええ。皆さんは、働きアリの法則を知っていますか?

 どんな集団でも20%は怠け、20%は働き、残り60%は平均的になる法則です」

「貴方が目指すのは――その比率を95%と5%にすること」

「ええ」

 

 E組のようには、なりたくない。E組には行きたくない。

 

「生徒達がそう強く思うことで、この合理的で理想的な比率は達成できる」

 

 人の良さそうに見える浅野理事長。その口から出てくる言葉こそが、嗚呼、渚たちの現状を作り出している思想でもある。

 目の前でそれをありありと見せつけられて、渚は思わず唾を飲んだ。

 

「D組から苦情が来てましてね。ウチの生徒が、E組の生徒からすごい目で睨まれたと。一見して大したことのない問題のようですが、根本は違います。

 暗殺教室、でしたか。

 それなりの緊張感を持って日々過ごしているのでしょうから、度胸も身に付くことでしょう。それはそれで大いに結構。これも以前、意見のすり合わせをしましたね?」

「ええ」

「私が問題としてるのは――成績底辺の生徒が、一般生徒に『逆らうこと』。それは、椚ヶ丘学園(わたし)の方針では許されない」

 

 浅野の言葉に、烏間も息を呑む。字面通りに受け取れば、それは「生徒にポジティブな自立心を抱かせるな」というのと、同義だからだ。

 真顔で周囲を見つめる理事長。そこに宿る光は、己の信念に対する強い狂信だ。

 

 だがしばらくしてから、くすり、と微笑み、浅野は立ち上がる。

 

「以降このようなことがありませんよう、あなた方に注意しておきます」

 

 生徒に直接言わないのは、果たしてどのような意図からか。

 あ、そうそうと、浅野はころせんせーの方を向く。

 

「私は、必要がないと考えたことはしない。以前貴方が、私と面接した時に言った言葉でしたか」

「ええ、そうですね」

「ならば、私も一つ言っておきましょう。

 世の中には――スピードだけで解決できない問題の方が多いのだと」

 

 では、この辺で。

 立ち去る彼に、ころせんせーはふと呟く。

 

「……スピードがないと解決できない問題も、それなりにあると思うんですけどねぇ」

 

 その言葉に、あぐりは僅かに切なげな目をころせんせーに向けた。

 

 

 

「……ん?」

「あっ……」

 

 廊下に出た浅野は、渚と目が合う。入り口の扉に背を貼り付けていたのだから当たり前だ。

 渚は、思わず表情が曇る。

 

(……この、含みのあるような微笑が、僕は苦手だ)

 

 だがしかし、浅野の方は一変して、暖かみのある笑みを浮かべた。さきほどころせんせーたちと話していたような、含意のある表情ではない。まるで手潮にかけて育てた、愛すべき生徒に向けるような。

 

 少なくとも、さきほどの会話からは想像もつかないような、ころせんせーのような優しい微笑を浮かべた。

 

「やあ、潮田渚(ヽヽヽ)君。中間テスト、楽しみにしてるよ?」

「……へ?」

「精進なさい。なにせ吉良八先生、最初のテストだからね」

 

 ぽかん、とする渚の頭をやさしげに一撫でして、浅野は足を進める。

 

「……」

 

 渚の視界から顔が外れそうになる瞬間――その表情は、見たこともない程冷徹な無表情と化していた。

 

(とても温かな微笑み。でも口にした頑張りなさいは、どこか空々しくかわいていて――)

(一瞬で、僕は3-Eの生徒という立場に引き戻された)

 

 そんなやりとりを聞きつつ、烏間は考える。

 

(教室におけるコイツは、ほぼ無敵だ。内部の空気を完璧にコントロールして、支配できている。だが学校という枠で見るなら――ここには、より強力な支配者が君臨している)

「どうするんだ? 吉良八。ここの枠組は……、おそらくお前が考えている以上に、硬いぞ」

 

 烏間の言葉に、ころせんせーは反応を返さない。

 ただ、僅かに手を持ち上げ――ぐっ、と握った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 翌日のことだ。

 

「――君達には暗殺者の資格が、あるとは言えません」

 

 珍しく断言するころせんせー。クラス中は不審げな目を向ける。

 切欠は単純なものだ。昨日と同じ要領で勉強をしていた時のこと。

 

「ころせんせー。正直、テストとか勉強はそこそこでいいよ」

「ニュル?」

「だってほら。テストに勝つより先生に勝った方が色々楽だしぃ?」「だねー」

「どうせ高校とかも良いところにはいけないんだし、そこそこ頑張っていればいいんじゃない?」

「み、みんな、何もそんな風に考えなくても……」

 

 あぐりの宥める言葉にも、クラス全体は同調する。

 すなわち、この学校を支配する、一つの強力なルールに。

 

「――エンドのE組だぜ? ころせんせー」

 

 岡島が言ったその言葉が、生徒達の空気を代弁している。

 あぐりの表情が、悲しげに曇った。

 

「テストなんかより、先生倒す方がよっぽど身近なチャンスなんだよなー。ぶっちゃけ受験の時に、最低限勉強すればいいんじゃね?」

「……」

 

 微笑んだ状態で何も言わないころせんせー。だが一瞬あぐりの方を一瞥して、彼は珍しく、重々しく言ったのだ。君達には暗殺者の資格が、あるとは言えません、と。

 

「なるほど、なるほど。よくわかりました。でも、今のままの君達でしたら、未来永劫私を打倒することは出来ないでしょう」

「「「「「……?」」」」」

 

 カルマがうろんげな目をころせんせーに向ける。が、大体の生徒たちは疑問を浮かべている。

 渚は、ふとカルマのメモページを見て思い出す。

 

(前にカルマ君は、「みんな暗殺以前の問題」だって言っていたけど……)

 

「皆さん、校庭に出てください?」

 

 促されるまま、全員外へ。以前ころせんせーが整備したおかげで、校庭は完全にグラウンドとして使える状態になっている。

 

「どうしたんだろ、ころせんせー」「急に不機嫌になったよねー」

「ちょっと何なのよ、急に来いって。私達まで……」

「ころせんせーがイリーナ先生も呼べって」

 

 生徒たちとは別に、残りの教師二人も外へと呼ばれる。ちなみにあぐりは、当然のように生徒達のしんがりを担当していた。

 整列したのを確認してから、ころせんせーは言う。

 

「……本学におけるE組のシステムが上手いところは、一応の救済措置が用意されてる点です。

 定期テストの点数で学内の上位26%以内に入る事。なおかつ元クラスの担任が復帰を許可すれば、この差別された待遇から抜け出せる。

 ですが、元々低い点数が多い上、劣悪な学習環境では、よっぽど(ヽヽヽヽ)の無茶苦茶でもしない限り、その条件を突破するのはかなり難しい。

 ほとんどの生徒は、最低条件すら満たせない自分に嘆き、差別待遇にも諦め、甘んじてしまう……」

 

 渚はふと、思い出す。浅野の渇いた言葉を。

 自分に突っかかってきたD組の生徒たちを。

 周囲でそれを見て、嘲笑っていた生徒達を。

 

「――イリーナ・イェラビッチ先生」

「?」

「貴女の本職、つまりプロ(ヽヽ)として伺います」

「な、何よいきなり……」

 

 直接「殺し屋」と言及しないあたり、生徒たちのことを鑑みてのことか。ころせんせーはイリーナが本職の殺し屋であることについて、コメントはさけている。彼自身、以前は飄々と名乗っていた暗殺者という身分にも、最近はノータッチなくらいだ。

 さておき。

 

「貴女はいつも仕事をする時、用意するプランは一つでしょうか?」

「ん? いいえ。本命のプランなんて、思った通り行く事の方が少ないわ。不足の事態に備えて、予備プランをより綿密に、より完璧に備えておくのが、仕事人の基本よ」

「次に烏間先生。ナイフや銃撃についてですが、重要なのは最初の一発だけ(ヽヽ)でしょうか」

(これは……)

 

 メモを取り出し、「烏間先生」のページを作る渚。

 烏間は、どこかころせんせーの意図を把握したように言った。

 

「……第一撃は無論最重要だが、次の動きに繋げることも大切だ。強敵相手では、第一撃は当たり前のようにかわされる。奇襲や遠距離攻撃でさえ、高く見積もっても四回に一回は失敗する。

 その後の第二撃、第三撃をいかに高精度で繰り出すか、論理的に組みあげていくことが勝敗を分ける。僅か一瞬の攻防だからこそ、それこそ余計にな」

「最後に雪村先生。私が来るまでの間、歴代E組をいくつか担任した貴女に聞きます。最初に担任したクラスの結果は、いかがでしたか?」

「……語るまでもないと思います。ここの学校のシステムに対して、私はすぐさま順応できませんでした。だからこそ、その反省を生かして次ぎに望んでます。続けなければ、意味がありませんから」

 

「「「「「???」」」」」

「結局、何が言いたいんだよ」

 

 前原の言葉を受けて、ころせんせーは運んできた台の上で、高速回転をし始めた。

 決して滑稽なものではない。その場から一歩も動かず、まるで頭から足まで軸が通ったかのように直立し、そのままローブのすそが舞い、風きり音が聞こえるほどに。

 

「先生方のおっしゃるように。初手で躓こうとも、自信を持って次につなげられるから、自信に満ちた暗殺者になれる。対して君達はどうでしょうか?」

 

 俺達には暗殺があるからいいや、と考えて、勉強の必要性を低くしている――。

 

「――それは、劣等感の原因から目を背けていることと、何が違いますか!」

 

 大きな声で、憤りを口にするころせんせー。ちなみに既に動きに残像がかかり、一秒間に三回くらい、ころせんせーの顔が見えたり見えなかったりを繰り返していた。

 シュールで言ってる言葉が、中途半端に頭に入らない。

 

「「「「「「うわッ」「きゃっ!」」」」」」

 

 どころか――彼を中心に、黄色い光が放射状に放たれ、生徒たちにぶつかる。

 目を被い、顔を背け。近くの女生徒は、案外と強く巻き起こる風にスカートを押さえる。

 

「もし先生が、なにかの拍子で教師を続けられなくなったら? もし先生が、何かの理由で死んでしまったら?

 『暗殺教室』という特殊な拠り所を失った君達には、何がありますか? 何が残ると言うのですか?

 ――劣等感だ。劣等感しかあるまいッ!」

 

 叫ぶころせんせーからは――普段全く窺い知る事のできない、深い感情と、真剣さが放たれていた。

 回転したままだが。

 

「さて、そんな危うい君達に、先生からのアドバイスです」

 

 回転が停止すると同時に、ころせんせーは大層良い笑顔で言い切った。

 

「――第二の刃を持たざる者は、暗殺者の資格なし!!」

 

 その言葉と同時に、何時の間にやっていたのか、彼等の頭上から「タコせんせー」指人形が、ぱらぱらと落下して来た。

 頭に手をやって避けようとする生徒達。と、渚は自分たちの胸ポケットにも、「タコせんせー」ペンライト(義丁寧に名前入り)が、点灯した状態でつけられていることに気付いた。

 

「『暗殺教室』なんて、どう考えてもターゲットに不利なゲームを設定するくらいです。

 この程度のお遊びは、私にとって児戯に等しい」

 

 珍しくころせんせーは、獰猛な笑みを浮かべていた。目をつりあげ、生徒一人一人を射すくめるように。

 彼の行動は――それこそ以前の「最強の殺し屋」という自称に並び、生徒達にある種の緊張感を齎す。

 

「もしも君達が、自信を持った『第二の刃』を示せなければ――『暗殺教室』をいくら続けても意味がありません。せんせーは、ターゲットではなく普通の吉良八先生として、君達に平坦な一年間を約束しましょう。何らチャンスもない、面白味もこころみもない、無味無臭な残りの一年を」

(((((……っ)))))

 

 僅かに、生徒達が息を呑む。

 それは、期間こそそこまで長くはないが、多くの生徒たちがこの「暗殺教室」に、僅かながらでも愛着を持っていたからかもしれない。

 少なくとも、渚はその言葉を聞いて、腕が震える。

 

「正直に言えば、先生はそこまで(ヽヽヽヽ)『暗殺教室』に拘っているわけではありません。

 君達と『対等に』張り合うのなら、これが適切であり、また私の得意分野に合致していたというだけです。

 だからこそ意味があるのですが――もし、『暗殺教室』を続けたいと言うのならば、成果を示しなさい」

「い、いつまでに……?」

「決まっています。明後日です」

「「「「「へ?」」」」」

 

 困惑する生徒たちに、ころせんせーは指を立てる。

 

 

 

「明後日の中間テストです。そこで、私に『第二の刃』を認めさせなさい」

 

 

 

 吉良八湖録は、今までにない程楽しそうな笑顔で、3-Eの生徒たちに宣言した。

 

 

 

 




次回がかなり大変です・・・ さーて、ちゃんと3-Eのキャラたちは、暗殺教室らしく振舞うことが出来るのか(白目)

※テストの日にちを明日→明後日にしました


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第9話:挫折と立ち直りの時間・2時間目

流石に全員分のやりとりを書くと、収拾がつかなかったので削りました(ラスト付近)
誰が何を言ってるか、想像すんのも良いんじゃないでしょうか
(^-^)


 

 

 

「君達の第二の刃は、先生が既に育てて居ます。

 本校舎の生徒たちに劣るほど、先生はトロい教え方をしていません」

 

(ころせんせーは言う。暗殺だけではない『第二の刃』を示せと)

 

「自信を持って、その刃を振るってきなさい。

 ミッションを成功させ、恥じることなく胸を張るのです」

 

 不敵に微笑むころせんせー。それはどこか、生徒たちに挑戦状でも叩き付けているような微笑だ。

 

「――自分たちがアサシンであり、E組であることに」

 

 

   ※

 

 

 

「あ~あ……。第二の刃だってよ?」

「っていうか、あれ自分達で考えろってことよね」

 

 前原陽斗と岡野ひなたともに、話しているトーンは低い。テンションは低い。

 それは教室中も似たようなもので、全体的にテンションは低くなっていた。

 

「正直、気乗りしないよなー」

「暗殺教室ないのは、それはそれでつまらなそうだけど」

「テストで示せって……。どういうことだ?」

「学年一位とれとか?」

「ないない」

 

 半笑いではあるが、どこか気落ちした空気なのは、言うまでもなくころせんせーの出した課題によるところが大きい。

 

『本日の午後、明日の午後は共に自習とします。その間、話し合うなり対策を練るなり勉強するなり、各自頑張ってください。

 もし突破できたら――先生から、スペシャルプレゼントです』

 

 ヌルフフフ、と笑うころせんせーに、生徒達は言葉を返せなかった。

 終わり頃にまた来ます、と教室を後にするころせんせー。烏丸が一応様子見ということで残ってはいるが、生徒たちはあまり気にせず話し合っていた。

 

「渚、何かある?」

「んん……、吹奏楽やってたから、肺活量とかは少し」

「テスト関係ないね」

「ってか、吹奏楽って女子しかいなくね? ウチ」

 

「……正直、」

 

 と、教室中が一瞬静まり返る。

 寺坂竜馬だ。普段の授業も憎々しい態度を残して受けている寺坂竜馬だ。

 

「どしたの、寺坂。空気凍らせる修行でも始めた?」

「うるせぇ。

 大したことじゃねぇよ。わかってるとは思うが、俺はアイツの授業なんて、ぶっちゃけると面倒くせぇ」

 

 カルマの煽りに適当に返しつつ、寺坂は寺坂で続ける。

 

「暗殺教室なんて、何ふざけたこと言ってるんだって思ってる。上から目線で、ぴーちくぱーちく言いやがる。こっちの都合なんて全く合わせないし、変な人形は無駄に配るしオレだけNARUTOだったし」

(((((気にしてたんだ、NARUTO)))))

「だけどよ。アイツの言った一年間自習っていうのが、滅茶苦茶な条件だってのは分かる。わかるから、俺は苛立つ。カルマ、てめぇもわかってんだろ?」

「んー?」

 

 寺坂は、ある意味この「暗殺教室」の構図において、最も決定的なことを言う。

 

「どうあがいたって、俺達だけの力じゃ、あいつは倒せるはずはねぇ。それこそアイツにペナルティでも追わせて、制限をかけないことにはよ。

 そのことがわかってるから、あいつも破格の条件を付けて遊んでる」

 

 彼はこの場の誰もが、一度は気付き、そして目を逸らしていた事実を口にした。

 

 密かに、渚は寺坂に驚かされる。ただ単純に気に入らないから、放って置けば自分の天下なのに、教室全体を無駄に手入れするから。そういった理由で嫌っていると思ったのだが、どうやらそればかりが理由というわけでもなかったらしい。

 

「――オレは、それが気に入らねぇ。アイツに一泡吹かせて、一年間楽して過ごしてやろうと思ってる。

 理由なんてのはどうだっていいだろ。てめぇら、舐められっぱなしでいいのか? あのアホ面に! 見て見ろ!」

 

 と言いながら、寺坂は校庭を指差した。

 そこには――。

 

 

「俺達がこうやって頭悩ませてるのをわかった上で、副担と校庭でバーベキューやってやがる!」

(((((腹立つわー ……)))))

 

 

 E組に落ちている段階でプライドとかは捨てている生徒が大半だったが、流石にこの流れにはちょっとイラっと来たようだ。

 

 あぐりに肉と野菜がささった櫛を差し出し、ころせんせーはこちらを見る。

 その目は、例によって例のごとく、なめくさったニタニタ笑いだった。

 

 なお、そんな様子を見ながら烏間も渚たち同様軽く白目向いていた。

 

「で、結局何言いたいのさ、寺坂?」

「今回は、俺達も積極的にやるって言ってんだ!」

「「ええ!?」」

 

 寺坂グループ二名、村松拓哉と吉田大成は、今初めて聞いた、と言わんばかりの反応を示した。なお紅一点の狭間綺羅々は、興味なさそうに手元の文庫本に目を落していた。

 

「いつまでもアイツの天下じゃねぇって、思い知らせてやる。お前等、いいな!」

「ええ~」「いや、まあ……」

「嫌がるわよね。二人の場合、頑張っても程度知れているから。ミジンコと哺乳類くらい差があるし」

「「ぐふっ」」

 

 渋々ながら承諾する二人に、綺羅々はさらっと毒を吐く。

 

 一瞬何とも言えない空気に包まれた教室だったが、片岡メグと磯貝悠馬が手を叩く。

 

「ま、まーとにかく、みんなで考えよ?」

「そ、そーだな! うじうじしてても始まらないしさ!」

 

 その流れでE組全体の空気が、だらけていた状態からわずかに立ち直る。

 

 カルマが両手を頭の後ろで組み、にやにやと笑う。

 

「ふぅ~ん? 寺坂、ひょっとして丸くなった?」

「あん?」

「なんだろう、やられると味方になってずっとかませになってるポジションみたいな感じ?」

「誰がベジ○タだ、誰が!」

「どっちかって言うと、ヤム○ャ?」

「知るかッ!」

 

 不破である。誰に対してだろうが、こんなことさらっと言うのは不破優月である。

 

 ともかく、自発的に動き出したクラスを見て、烏間は小さく呟いた。

 

「……なるほど。つながり、あと()る気か」

 

 中村莉桜や茅野あかりやら、数人の生徒が立ち上がり黒板に向かう。

 渚はそれを、一歩引いた立ち位置から、メモ帳を構えて記入準備をしていた。

 

 

 

 

「試してはみましたが、なかなか火入りが難しいですねぇ、BBQ……。

 ニュル? 決まりましたか皆さん」

「吉良八先生、ソース……」

「おっと、これはかたじけないです。ヌルフフフ」

 

 あぐりにほっぺを拭いてもらいながら、ころせんせーはご満悦な表情で六時間目の終わりに部屋に入る。

 色々と遊んでいたのを隠そうともしないころせんせーに、あぐりをはじめ教室中が微妙な空気につつまれた。

 

「まあ、なんとか……」

「とりあえずー、こーゆー感じになったよー」

 

 倉橋陽菜乃の言葉を受けて、ころせんせーは黒板を見る。

 千葉龍之介と速水凛香が書き込みを終えて、その場から離れた。

 

「……この端々のイラストは?」

「菅谷くんです、先生」渚の解説。

 

「とりあえず、こんな感じで考えました」

「なかなか案がまとまらなかったんで、烏間先生にも聞いたりして」

「ほうほうほう……」

 

 にやにや笑うころせんせーの視線を受けて、烏間は一瞬引きつった笑いを浮かべた。

 

 片岡と中村が、代表して説明に入る。

 

「とりあえず出たのは、せんせー的に『第二の刃』が何なのかって話」

「ふむふむ」

「私達は、とりあえず『教科ごとの点数』と暫定しました」

 

 書かれている五教科、国数英理社、その他実技を含む。それぞれの下に名前が列挙されており、得意分野ごとにメンバーの勉強を集中させるつもりのようだ。

 

「私達のクラスで、先生に提示する『第二の刃』は――『学年五十位以内に入る』ことです。

 聞き入れてくれますね?」

「…………ええ、結構ですよ?」

 

 それを聞き、ころせんせーはにやり、と微笑む。

 

「本当にそれでいいんですか? 二言は今なら聞きますけど」

「大丈夫? ころせんせー。結構笑えてないけど」

 

 カルマの煽りが入る。事実、その言葉に表情はともかく、ころせんせーは生徒たちと目を合わせようとしていなかった。

 

 例えば、理科の奥田。

 例えば、英語の中村。

 また例えば、国語の神埼や狭間など。

 

 それぞれの教科に配置された生徒たちは、確かにそれぞれの分野を得意科目としており、これまでの小テストの点数からもそれが伺える。

 実際にそれを中心に勉強をし、他の教科を落とさなければ。

 僅かなりとも、五十位圏内ならば狙える可能性があるのだ。

 

 なお、コメントがあるのはカルマだけではない。

 

「受けたんだから、後で変更とかなしだからなー!」「こ、今度は頑張ります! 国語も!」「メイド喫茶……」「渚、がんばろ!」「う、うん……」「で、結局俺等が勝ったら、先生なにしてくれんの?」「このブロマイド写真って先生のでありますよね!」

「ヌニャ!? 岡島君、いつそんなものを拾って――」「吉良八先生?」「あ、あぐ――雪村先生、これには深い事情が――」「ありませんね?」「ニャフッ!?」

 

 問答無用にハリセンを振るわれるころせんせー。この辺りは平常運転といえた。

 だが、続いて言われた言葉に、生徒たちは言葉を失う。

 

「では、そうですねぇ―― 一人ごとに、先生は無防備にダメージを食らいましょうか。

 無論、その実施場所なども君達が指定した上で」

「「「「「ッ!?」」」」」

 

 ころせんせーの口から零れた条件は、いくら何でも破格の条件だ。

 以前カルマが検証したところ、ころせんせーのHPは13発。一日おきにリセットされるとはいえ、上手くいけば、そのまま仕留められてしまうのではないか。

 

 ただし、ところせんせーは前置き。

 

「無論、最後の一発くらいは残させてもらいましょう。流石にゲームになりませんからねぇ」

「ふぅん……。せんせーさ、それマジで言ってるんだよねぇ」

「ええ。でしたら、契約書でも書きましょうか?」

 

 そう言いながら、ころせんせーは懐からケースを取り出す。

 

「「「「「!?」」」」」

(あれは……)

 

 渚は回想する。ころせんせーが最初に赴任した時期。「暗殺教室」などという馬鹿げたゲームを信じなかった生徒たちに対して、彼は鉄箱と「契約書」を取り出して言ったのだ。

 

『暗殺教室に関するルールです。これに私と皆さんでサインをして、私の指紋印と、雪村先生の確認サインをしましょう。さすがにここまで厳重に契約をしたと示せば、皆さん納得してくれますね?』

 

 生徒たちは半信半疑ではあったが、きっちりとゲームのルールが明示されたその契約書。サインをした後のそれは、箱に入れられ錠前をつけられ、現在はあぐりの自宅で管理している状態にある。

 それを提示すれば、ころせんせーも言い逃れが出来ないようにしてあるのだ。

 

 果たして、ころせんせーは今回全く、その時と同様の手段で生徒達に信頼を示そうとしている。

 それを見ていなかったカルマを除く、他の生徒たちの緊張感がにわかに高まった。

 

「要領は前と同じです。皆さんで確認してサインをして、私の朱印と雪村先生のサイン。ただし、今回これを預かるのは烏間先生にしてもらいます。構いませんね?」

「……まあ、それくらいならな」

「では、確認とサインを。あ、箱も確認しますか?」

「んな、手品じゃあるまいし……」

 

(寺坂君は言った。ころせんせーは、僕等だけで倒せない。だから滅茶苦茶な条件をつけて、僕等を見て遊んでいるのだと)

(でも、いくら何でもそれだけで、ここまでするのはハッキリ言ってやりすぎだ)

 

「おや、カルマ君はサインしないですか?」

「今回はいーや。なーんか、今回は()の戦いじゃないでしょ」

「そうですか」

 

 普段から誰よりころせんせーを観察している渚からしても、彼の考えていることはよくわからない。

 ただ、彼の言葉を借りるのならば。

 

(「僕等と張り合う」ために、せんせーは全力だ)

 

 茅野から回された紙にボールペンを握りつつ、渚は思案する。

 脳裏には、浅野の笑顔と渇いた言葉。

 

「……がんばろう」

 

 気を引き締めて、渚は紙に名前をサインした。

 一通りサインをさせ終わると、処理をしてころせんせーは、そのケースに入れようと――。

 

(……あれ、もう一枚?)

 

 ケースの底に用紙がもう一つあった気がしたが、閉じられた先はもう確認のしようがなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 そして向かえる、中間テストの日。

 

「……ハン」

 

 カルマにとって因縁の教師、大野が監督を務める。

 あからさまに見下すような笑みを浮かべて、コツコツ机を叩き、周囲を見渡す。

 

 音で気が散って、明らかにやり辛そうである。

 というか、わざとらしい咳やら、試験冒頭でのやや長い注意など、露骨に集中力乱しにかかっている。まあ効果の程は、日ごろから暗殺教室に慣らされている生徒らにしてどうかは、定かではない。

 

 しかし、まあともかく。

 

(テストは、全校生徒が本校舎で受ける決まり。つまり、僕等E組だけアウェイでの戦いとなる)

 

 不安そうな顔をしながら、渚はプリントの√計算問題を見る。

 他のクラスメイトたちも同様の感覚だろう。目の前に提示されたプリントは、まるで未知のモンスターであるかのように、3-Eに牙を向いて来ていた。

 

 全く解けないわけではない。

 だがところどころ、明らかに解かせない、解けない――それも、確信できるだけ集中してそういった問題が、要所要所に投入されていたのだ。

 

(わかっちゃいたけど……)

 

 椚ヶ丘学園のテストのレベルは、いっそ凶悪なものだ。

 

(やばい……。文章の意味はわかっても、とっかかりがつかめない)

 

 渚自身、問題の意味が理解できるようになっただけ成長してはいたのだが、それすらテスト問題はものともせず蹴散らしてくる。

 

(このままだと――やられるッ)

 

 終了時刻は、刻一刻と迫っている。

 3-Eの生徒たちに、余裕と呼べるだけの余裕は欠片もない。

 

 

 

 同日、同時刻。

 校舎裏、森の入り口で立ったまま目を閉じ、うっすら微笑んでいるころせんせー。

 

 背後から投げられた訓練用模擬ナイフを蹴り飛ばし、背後を振り向いた。

 

「……本気なの? 出来るわけないじゃない!」

「イリーナ先生?」

 

 大声で怒鳴る彼女に、不思議そうな目を向けるころせんせー。

 

「だって、あの子達この間まで底辺だったんでしょ! 校舎での扱い、見たわよ私だって」

「おやおや……。心配してあげてるんですねぇ。なかなか板についてきたじゃありませんか」

「黙れこのエロ教師ッ! この、この……、何で、当たんないのよッ!」

「ヌルフフフ」

 

 イリーナの投げるナイフをかわしつつ、ころせんせーはどこからともなく、「タコせんせー」グローブを取り出し、ナイフの回収まではじめた。

 

「いくら条件を作ったのがあの子達だからって、いきなりの目標にしちゃ高すぎるでしょうが!」

「いえいえ。事前調査も一応しましたからね。よっぽどのことがない限り、何人かは狙えるとは思いますよ。

 よっぽどのことでも起こらない限り、三、四発は喰らうんじゃないでしょうかねぇ」

 

 それに、以前はともかく今は「私達」の生徒たちです。

 

「ピンチの時にもきちんと我が身を助け、連鎖的に今までの経験が『つながる』。私が教えているものは、そういう教育(ぶき)ですよ」

 

 

 

「……!」

 

 ふと、渚の脳裏にころせんせーの微笑みが浮かぶ。授業中のものだ。

 

『問題は、決して正体不明の怪物ではありません。恐れず、一つ一つ確認していきましょう』

 

 さながらそれは、巨大な生き物の体のパーツに近寄り、一つ一つを観察していくように。

 

『例えばこの問題なら、√そのものを、それぞれ一つ一つ検証して、分解していきましょう。17に至るために必要な数は? ――はい、ではこの下の数値と掛け合わせると――』

 

 巨大な生き物の一箇所一箇所を分解して、細かく見ていく。

 すると、どうだろう。あれほど巨大に感じた問題の難易度が、段々と、段々と解けるように変化していくではないか!

 

 烏間の言葉が脳裏に響く。

 

『相手の獲物を見極める時は、過小評価しないことも大事だが、過大評価しないことも大事だ。下手に見極めることを失敗すれば、どちらに転んでも致命傷を負う。大事なのは、今の自分に何ができるか。相手の動きに対してどう動いていけるか、だ』

 

 その時続いた言葉は、生身で銃撃に当ろうとするな、ではあったが。

 

(嗚呼、なるほど――わかる)

 

 正体不明の、ドラゴンのようなものに思えたそれは――まるで、近所で売っているお魚さんだ。

 これなら、自分でも捌くことが出来そうだ。

 

『じゃあ、ぱっぱと料理してみようか!』

(……何で雪村先生の声のイメージだったんだろう、今)

 

 若干苦笑いしながら、渚は問題にとりかかる。一問だけではない。全体をよく見れば、例えば次の解けなかった問題も、同様の考え方がちらほら。応用こそあるが、やはり基本が中心なのだ。

 

(先生たち、みんな言ってたっけ。基礎を積み重ねていくことが大事だって)

 

 にわかに止まっていた手が、しゃかしゃかと動き出す生徒たち。

 大野が汗をかき、周囲を見わたす。どこかテストに取り組む生徒たちからは、笑みがこぼれていた――。

 

(さあ、次の問題を――) 

 

 

 

「――まあ、それで素直にいくのならば、私もこうして『暗殺教室』など開かなくて済んでいるのでしょうが」

 

 

 

(――へ?)

 

 ころせんせーがイリーナに言った一言が聞こえたわけでもないだろう。

 だがしかし、ほぼ重なったタイミングで、E組の手は止まった。

 

 それは、まるで高波だった。

 

(そ、そんな……!)

 

 渚たちが、立ち向かった事のないような、そんな壁。巨大な塀。

 ひときわ配点の高い、問の11番。最終門にあとちょっとというところの文章問題が、明らかに、今まで渚たちの見たことのない問題に違いなかった。

 

「(ふぅん……)」

 

 面白くなさそうに小声で一言。カルマはそのまま、静かな教室の中で黙々と問題を解き続ける。

 だが、渚はそこについていくことが出来ない。

 

(この瞬間、僕等は――背後からの見えない問題に、殴り殺された)

 

 

 

   ※

 

 

 

「……これは一体、どういうことでしょうか。

 試験の公正さ、という面で著しく欠いていると感じましたが」

 

 わずかながらも声音に不満や憤りを滲ませず、烏間は淡々と電話で確認をとる。

 案の定というべきか、向こうはこちらのことなど全く考慮しない声音で、愉快そうに語った。

 

『おっかしぃですねぇ。ちゃんと通達したはずですよ? 貴方がたの伝達ミスなんじゃないですかぁ?

 何せおたくら、本校舎来ませんし……フフッ』

「伝達ミスなど我々のシステムで起こり得ませんし、あの吉良八先生が見逃すとも思えない。

 それに、そもそもどう考えても普通じゃない。二日前にテストの出題範囲を、全教科で大幅に増加させるなど――」

 

 つまるところ、これがE組が今回直面した問題だった。

 体育教師である以上、義理は低いとはいえど、流石に烏間も第三者的立場から、物申さざるを得なかった。

 

 ただ、電話向こうの教頭は、むしろ嘲笑うように言う。

 

『わかってませんねぇ。ええっと、烏間先生?』

 

 新任ということもあって、何故忘れているんだ! と強くは言わない烏間。

 

『ウチは進学校なんですよ? E組もついてこれるか試すのだって、方針の一つ。本校舎では、理事長自ら教壇に立たれて、見事にその分のフォローをなさりましたし』

(主義のためとはいえ、そこまでやるか……。

 肉体的なダメージはともかく、自衛隊の可愛がりのほうがまだ健全に思えるぞ)

 

 経験者らしい烏間の感想だが、要するに陰湿ということだ。

 らちが開かないという風に通話を切られ、彼は吉良八の方を見る。

 

(全く、余計なことをしてくれた!)

(この男の回復(ヽヽ)速度は、過度なストレスでも左右されかねないというのに……。

 どこまで影響が出るか読めないが、最低でも「三月」までには使いものになっていないと――)

「――元も子もない、ってところでしょうか? 烏間先生」

「……」

 

 ころせんせーは、烏間に背を向け、廊下の方を見ている。

 

「ご安心を。一応、想定しているケースです。多少、やはり失望感はありますが、だからといってどうということはありません」

「お前がどう考えているか、ではない。わかっているのか? お前は――」

「まあ、最悪は向こうの『開発者』様がどうにかしてくださるでしょうし」

 

 第三者からすれば、わけのわからない会話が繰り広げられている。

 誰しもこれが「一年後の世界を左右しかねない」物事についての話だとは、誰も想像はつくまい。

 

「……それでも、我々はお前に協力を頼んだ。だからこそ、今お前は教師をすることが『できている』。

 最低限そこだけは忘れるな」

「ヌルフフフ。まあ、わかっていますよ? 生徒たちを物理的に『守って』もらっていますしね」

 

 さて、と言ってころせんせーは立ち上がる。

 扉を開けると、手前にはあぐりが立ち往生していた。

 

「あ、あ……、えっと。終わりました?」

「ええ。問題は……、ないわけじゃりませんが、多少はマシでしょうか」

 

 そんなころせんせーに、イリーナがつっかかろうとするが――。

 

「――って、まだ何もやってないのに、谷間にナイフ挟むんじゃないッ!」

 

 投擲し返すナイフは、当たり前のように彼の頭の横を通過していった。

 

「ヌルフッフフ! 嗚呼烏間先生、教室の方に次の時間、ちゃんと来てください! イリーナ先生も連れて!」

「あ、こら、湖録(ヽヽ)さん! 待ちなさーい!」

 

 反射的に取り出したハリセンを構えるあぐりに、楽しそうに笑いながらころせんせーは廊下を逃げる。

 

 そんな様に、烏間は頭を抱える。

 

「……こんな調子で大丈夫なのか? 一年後の地球は」

 

 突然の一言に、イリーナは不審げな目を向けた。

 

 

 

 

「さて、みなさんテストは残念でしたね」

 

 回答を返却し終えると、流石に生徒たちは落ち込んでいた。気持ち、RGBのBが強い。

 そんなクラスに対しても、ころせんせーは微笑を浮かべていた。

 

 あぐりは、何故かいない。イリーナと烏間が、教室の後ろ端で全体を見ていた。

 

「さて、でも教科ごとに細かく見ていけば、実際そこまで悪いとも言えませんでしたね。

 教科別でみれば、みなさんそこそこと言えましたが、いかんせん相手が悪かったと言えますねぇ」

 

 妙に落ち着いているころせんせーに、生徒たちは黙ったまま。

 なんとなく予想いていたのだ。もし駄目でも、先生は物腰だけは決して変わらないのだろうと。

 

「そんな中でも、カルマ君は流石と言えるでしょう。学年順位で言えば、四位です。

 A組の生徒にも劣りません」

「まあ、問題とか変わってもカンケーないし?」

 

 おお、というどよめきが上がり、生徒たちが立ち上がる。見る? とテキトーに示されるそれに、各々が突っ込みを入れる。数学に至っては満点なあたり、問題作生の矢野雄介はさぞ涙目なことだろう。

 

「俺出来るから、アンタのプリントで余計な範囲まで教えたでしょ?

 だから多少の変更や追加なら、対処できた。

 でもさ、俺は先生との今回のゲーム、参戦してなかったし?

 そこのところ、結局どーすんの? みんな気になって、夜も眠れなかったって感じみたいだけど」

 

 流石にそれは言いすぎにしても、クラスの面々はどこか、ころせんせーに縋るような目を向けてると、言えるかもしれない。

 

「俺、前のクラスに戻るつもりはないよ? 暗殺教室の方が、全然楽しいし。

 で、どーすんの?」

「ヌルフフフ」

 

 微笑みながら、ころせんせーは烏間から、例の鉄箱を受け取る。

 開封して紙を取り出しながら、ころせんせーは言う。

 

「確かに君達は、君達が宣言した『第二の刃』を私に示せませんでした」

 

 しかし、と彼は続けた。

 

「別に先生は、君達が提示したルールばかり(ヽヽヽ)が、先生に示すべき『第二の刃』だとは、一言も言ってませんよ?」

「「「「「?」」」」」

 

 疑問符を浮かべる生徒達に、ころせんせーは、箱の中からもう一枚(ヽヽヽヽ)紙を取り出した。

 クラスのみならず、烏間たちもこれには驚かされる。

 

 あぐりところせんせーのサインがされたその紙に書かれていたルールは――。

 

「「「「「『全員、全教科ニ年次最終試験の点数よりも、二十点以上あがっていること』?」」」」」

 

 はい、と、ころせんせーは微笑んだ。

 

「まもなくお昼ですが、校庭を見て見てください?」

「「「「「あっ!!」」」」」

 

 校庭では、いつか見たようにグリルが広げられている。ただし準備しているのは、雪村あぐり一人だ。

 ころせんせーは、全員に目配せをして、言った。

 

「今回、君達は一つ挫折しました。ですが、究極的には負けたというわけでもありません。

 人生は、基本的に生きるか死ぬかです。生きてさえいれば勝ち、だと極論も出来ますねぇ。

 まあ何が言いたいかといいますと――」

 

 ですから、と、ころせんせーは続ける。

 にやりと笑ったが、その表情にはどこか青筋が立っているように見えた。

 

「――期末テストで、本校舎(あいつら)に百倍返しです!」

「「「「「あはははははは――」」」」」

 

 子供っぽく、八つ当たりするみたいに言い切ったころせんせーに、生徒達は大いに笑いを誘われた。「ここ笑いどころじゃないですよ、カチドキ上げるところですよ!」と言うものの、彼等の耳には入っていない。

 

 しばらく肩で息をした後、ころせんせーはようやく、本日のメインイベント(?)についてコメントした。

 

「さて、そちらの紙に書いてあるとおり、ご褒美は――ちょっとした打ち上げです。

 理事長から事前に許可はとりました。なのでこれからみんなで――校庭で、BBQ大会を開催しましょう」

「「「「「「よっしゃ-!」「やったー!」」」」」」

 

 大いに盛り上がる教室。ころせんせーのサムズアップに、校庭であぐりもサムズアップを返した。

 

「……事前に読んでいたってこと?」

「さあな。だが、第二案としては妥当なところか」

(――そうか、「第二の刃」!)

 

 烏間たちの会話を耳聡く聞きつけて、渚は思わずころせんせーを見た。

 やはり、あの時見た紙は間違えではなかった。

 

 ころせんせーは、何か不足の事態が起こった時のために、対応策を考えていたのだ。

 

(もちろん、僕等の出した結論通りに負ければ、それもそれで受け入れたと思う)

(でもだからこそ、それが失敗した時のための策が、用意されていたんだ――)

 

「では、外に出ましょうか。それから烏間先生、これ」

「ん?」

 

 生徒を廊下に促しつつ、烏間に契約書をわたすころせんせー。

 その末尾は、こういった文章で締めくくられていた。

 

 ――なお、必要諸経費は烏間惟臣が責任を持つ。

 

「って、支払いオレかよおおおおおッ!?」

 

 となりのイリーナがぎょっとするほどに、烏間は、彼らしくない叫び声で絶叫した。

 

 

 

「渚、これ食べるー?」

「あ、ありがとう」

「渚ちゃん、もっとお肉つけないとねー。やわらかいやつ」

「筋肉じゃないの!?」

「渚君、とるなら早い方がいいらしいよ」

「だから何!? その僕の扱い!!」

「渚、ファイト!」

「杉野ぉッ!?」

「ほら烏間、もっと食べなさいよッ」

「……俺持ちなんだぞ、色々察しろ。アレか、お前等糖尿病の人間に、デザート毎日勧めるのかッ」なお、実際は烏間の「防衛省」の方の給与から天引きされる模様。

「あー、じゃあ先生、これは?」

「む? ……チョコレートか。いや、受け取れない。というか、それは普通に没収の対象だぞ」

「ええ!?」

「どんまい」

「原ちゃ~ん……」

「――だ、か、ら! コナ○君の○○は××でー―」

「――それこそ見方が甘いですよ、不破さん。第一、あれは子供とお姉さんという――」

「千葉くん、これ」

「ありがと」

「寺坂おめでとー、ようやく五十点超えたね!」

「黙れカルマ、てめぇ――」

「や、やめろー! お肉様に罪はね――」

 

 カオス極まりない校庭BBQ。

 そんな中で、渚はふと、ころせんせーの方を見る。

 

(中間テストで、僕等は壁にぶち当たった。E組(ぼくら)を取り囲む、分厚い(かべ)

 

 野菜を多く食べるように生徒に注意して回る殺せんせーと、彼同様野菜串を配るあぐり。

 

(ただ、それでも僕は心の中で胸をはれると思った)

(――自分がこの、E組であるということに!)

 

 確かに、その挑戦は一度は折れた。

 だがしかし――立ち直る時は、案外と近いのかもしれない。

 

 中村莉桜に脂肉を口につっこまれながら、渚は苦笑いしつつそう思った。

 

 

 




中の人がちょっと出掛かってる烏間先生。
次回、いよいよ修学旅行編・・・?


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第10話:古都の時間

名簿の時間の活用頻度ェ・・・
暗殺教室二次やる方は、あって絶対損はないです(断言)


 

 

 

「知っての通り、来週から京都二泊三日の修学旅行だ。が、聞いてるだろうが吉良八はいつも通りだそうだ」

「ってことは、あっちでも『暗殺教室』ですか?」

「その通りだ。もっとも時間自体は、日中三時間前後とするらしいが。基本は状況と気分によるらしい。

 ルールについては、オーソドックスに武器による攻撃だ。

 向こうはこちらと比べて段違いに複雑。しかも君達はコースを班ごとに決め、奴はそれに付き合う予定らしい」

 

 烏間の言葉に、生徒達は教室で頭を傾げる。

 

「……どーして烏間先生が~、その話をしてるんですか~?」

「……色々作っているらしい」

(((((色々?)))))

「そこは後々分かるだろう。ともかく、やり方は任せる。がくれぐれも、他の観光客の迷惑にならない程度にな」

「「「「「は~い」」」」」

 

 椚ヶ丘中学3-E。本日は担任、副担任ともに朝は遅れるとのこと。後者は家の事情で下手すると一日休み、前者は今のように、烏間が濁していた。

 結果的に一時間目の英語の授業、後半残り十分を使って烏間から連絡が入ったというわけだ。

 

 鐘が鳴り、授業終了。

 席を立つ生徒たち。各々集り、話し合いをはじめた。

 

「楽しみだねー、来週の修学旅行~」

「あはは……、暗殺教室もやるみたいだけどね」

 

 中間テストが開けて、次のイベントは修学旅行。

 学年の成績ワーストクラスたるE組も、同様に目白押しな予定を受けることができた。

 

 片岡メグから手渡されていた紙を見て、渚は唸る。

 両側から茅野あかり、杉野友人が覗きこんでいる形だ。

 

「修学旅行の班か……。あ、カルマ君、同じ班なんない?」

「おぅ?」「ん?」

「んー? 嗚呼、おっけー」

 

 渚の言葉に、爽やかに微笑む赤系の毛の少年。しかしそこに見え隠れする凶暴性に、杉野は渋る。

 

「旅先でケンカ売って、問題になったりしねーよなぁカルマ」

「へーきへーき。心配性だねぇ杉野」

 

 にこにこ笑いながら、カルマはスマホを取り出す。

 そこにとある写真を表示し、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「旅先のケンカは目撃者の口も封じるし、誰も知らないよ♪」

 

 なお、無邪気と言っても悪い笑顔である。

 

「(おおおおおおい!? やっぱ止めようぜアイツさそうの!)」

「(う、うー ……でも気心知れてるしなぁ)」伊達に三年間同じクラスではない。

「で、他の面子は? 渚君と杉野と茅野ちゃんと――」

「あ、奥田さんも誘った!」「ふぇ」

 

 カルマも班決めの紙を覗きこむ。と、彼の言葉に合わせて、茅野が奥田愛美を引っ張ってきた。メガネ女子コンビである。

 

「ウチは六人班だし、女子一人要るんじゃねー?」

「えっへへぇ。実は前から、あと一人誘っていたのだッ」

「「「?」」」

 

 得意げになる杉野に、頭上に疑問符を浮かべる三人。渚だけは事前に知ってるので、特に反応はない。

 

「――我がクラスのマドンナ、神崎さんどうでしょうッ」

「ま、マドンナだなんて……」

「おー、異議なし! ていうか杉野、超頑張った!」

 

 うきうきしているのが目に見えてわかる杉野に、茅野が激励。多少失礼な感じの激励であったが、結果が結果なので構いやしないらしい。

 

(神埼さんはあまり目立たないけど、クラスのみんなに人気がある。彼女と同じ班で嫌な人はいないだろう)

 

 渚の視線の先で、杉野の紹介に照れた神崎有希子が頭を下げた。育ちの良さが窺える仕草である。

 

「ヨロシクね、渚くん」

「う、うん……」

 

 無論、渚とてその優しげな笑顔の前には、頬を赤くする他なかった。

 

 なお、生徒たちが楽しそうに修学旅行について話している中。先ほどまで授業を受け持っていたイリーナは、小馬鹿にするようせせら笑っていた。

 

「ガキねぇ皆。世界中飛び回ってきた私に、今更旅行なんて――」

「じゃあ留守番しててよー、ビッチ先生」

「――ほぇ?」

 

 なお、前原の一言で大人の仮面は脆くも崩れ去った。

 続く岡野ひなた達の会話で、更に致命傷を負う。

 

「花壇に水やっといてねー、ビッチ先生。

 ねぇ、二日目どこいく?」

「やっぱり東山からじゃない?」

「暗殺との兼ね合いを考えてさ――」

「千葉いけるか? 狙撃なら――」

「でもこっちでお土産買った方が――」

 

 そしてすちゃ、と拳銃を構えて、駄々をこねるよう叫んだ。

 

「なーによ! 私抜きで楽しそーな話してんじゃないわよッ!!」

「だーもう、行きたいのか行きたくないのかどっちなんだよ!」

「うっさいッ! 仕方ないから行ってあげるわよッ!!!」

 

 丁度そんなタイミングで、教室の扉が開かれる。

 アカデミックコーデを翻し、胸元には三日月の太いネクタイ。

 

 担任、ころせんせーこと吉良八湖録だ。

 

 ころせんせーの手元には、赤い冊子が複数あった。

 

「さあ、皆さん。一人一冊受け取ってください」

「何ですか? それ」

「修学旅行のしおりです」

「「「「「ええっ」」」」」

 

 冊子としてはまだ常識的な範囲だが、それでもそれらのしおりは、結構分厚く出来ていた。

 流石に辞書というほどまではいかないが、文庫本一冊くらいのページ数はありそうだ。

 

 そそくさと配り終えると、ころせんせーは説明に入る。

 

「イラスト解説の全観光スポット、お土産人気トップ100、旅の護身術入門から応用まで、全部昨日徹夜で作りました」

(……あれ、これってQRコード?)

 

 一番最後のページにて、発見した渚が思わずそのリンク先へとスマホで行ってみれば、出るわ出るわとんでもない量の通信データ。

 どうやら、冊子で印刷できなかった分のデータをまとめてアップロードしてあるらしい。

 

「初回特典は、組み立て紙工作金閣寺です。ちなみに当りは銀閣寺」

「「「「「何それ意味不!」」」」」

「どんだけテンション上がってんだよッ!」

「絶対これ、しおり作るので遅れたでしょ!」

「全然ダウンロード終わらないよせんせー!」

 

 各々ツッコミを入れる生徒たち。なおそんな様子を、今丁度やってきた副担任、雪村あぐりが苦笑いしながら見守っていた。

 

(3-Eは暗殺教室。

 普通よりも盛りだくさんになるだろう修学旅行に、やっぱり僕もテンションが上がっていた)

 

 なお余談だが、あぐりの本日の格好は何故かツナギ姿だったりした。

 

 

 

   ※

 

 

 

 そして向かえる修学旅行。

 集合場所は東京駅。

 

「うわ、A組からD組までグリーン車だぜ?」

「ウチらだけ普通車いつもの感じだね」

 

 中村莉桜の言葉を耳聡く聞きつけ、D組担任の大野が鼻で笑った。

 

「ウチの学校はそういう校則だからなぁ。入学時に説明されたろう?」

「学費の用途は成績優秀者優先」

「おやおや、君達からはビンボーの香りが――ヒッ!」

 

 このやり取りの間、元教え子であるカルマは完全に大野の姿を視界から外していた。

 なお、追随して出てきた高田と田中は、苦笑いする渚に一瞬ビクッとなったりもする。

 

 そして、ビンボー臭さとは無縁の彼女がやってくる。

 

「ごめん遊ばせ?」

「「「!!?」」」

 

 ゴージャス、の一言で事足りる。

 現れたイリーナの服装はブランドを適度に使いながらも色気と露出を適度に忘れない、一流スターがレッドカーペットを歩くかのごとき扮装であった。

 

「ビッチ先生なんだよそのハリウッドセレブみたいな格好」

「うっふふふ? 女を駆使するプロとしては当然の心得よ。いい? 良い女は旅ファッションにこそ気を使うものなのよ。必要なのは一目で相手を―ーきゃッ!」

 

 得意げに女生徒たちに、持論を展開するイリーナだったが、背後からのアイアンクローには勝てるはずもなかった。

 

「引率の教師の格好じゃない。着替えろ」

「か、硬いこと言ってんじゃないわよ、烏間――」

 

――脱げ。

――着替えろ。

 

 言葉少なに、鬼のような形相で睨み付ける烏間。

 結局、イリーナは数分後には電車内でめそめそすることとなった。

 

「誰が引率なんだか……」

「ブルジョワばっか殺してきたから、庶民感覚ズレてんのかな、ビッチ先生……」

 

 クラス委員達の突っ込みが的確である。

 ともかく、新幹線は走る。

 

 作戦会議をする班、遊びに興じる班、趣味の話しに没頭する班、ひたすらに無言が支配する班。

 個々別々に様々な様相を呈する中、渚たちの班はと言えば。

 

「渚、そういえばメモどうなってる?」

「あー、これ」

 

 基本的な話題として、せっかくだからと渚のメモ鑑賞の時間となっていた。

 

「おおー、すごーい! 私たちのとせんせーのとで、分けてるんだー」

「うん。みんなの特技とか弱点とか、あところせんせーのアドバイスとかもあった方が、後々いいんじゃないかと思って」

「おー! ちゃんと有田投手の話もメモしてある!」

「……ころせんせー、知り合いなの?」

「いやー、ホントどうなってんだろ」

「はは、ちゃんと寺坂のところにNARUTO描いてある」

 

 今までの授業でしてきたメモを中心に、生徒側、他の教員の授業の際のメモもひろわれている。やや文字は雑だったが、それなりに密度濃く書かれていた。

 

「渚、渚~。けっこう文字書くの早くなったんじゃない?」

「あ、それある。板書少し楽になったかも」

「マジか、俺もやろうかなぁ……」

 

 しばらくそんな会話が続き、ババ抜きに移行する渚たち。

 と、新幹線のドアが開いた。

 

 向こうからは、大きな袋を抱えて帰って来たころせんせーの姿。ちなみに服装はいつも通りだ。

 

「いやー、疲れました。目立たないようにお菓子を買ってくるのも大変ですねぇ」

「「「「「いや、それ買いすぎ!」」」」」

 

 そう、いくら何でも電車内の購入だ。まかり間違っても、両手でぎりぎり抱えられる量のお菓子を買ってくるとか、尋常じゃない。

 そんな指摘を受けても何処吹く風とばかりに、座席についてころせんせー。

 

「そうそう、皆さんにも半分あげましょう」

「半分は自分で食べるんだ……」

「あはは……」

 

 茅野と渚が、何とも言えない笑みを浮かべた。と、ここで杉野が気付く。

 

「……あれ、雪村先生は?」

「実家の都合で遅れるんだってー。さっき先生に聞いた」

 

 茅野の言葉に納得して、再びババ抜きに戻る杉野。

 

「そんな沢山お菓子買ってくんなよせんせー。大人げない」

「ヌニャ!?」

「只でさえころせんせー、目立つのにー」

「黙ってればイケメンだしね。身長高いし」

「てか、外で付き添いの先生が悪目立ちしちゃヤバくない?」

「ご心配には及びません。ヌルフフフフフ……」

 

 ころせんせーは、インバネスの内側からあるものを取り出し、顔に掛けた。

 ……俗に言う、鼻メガネである。

 

「……はい、これで大丈夫です」

「「「「「それ本気で言ってないよね!?」」」」」

「皆さんの分もありますから、ほしい人は気軽に――」

「「「「「要らないよ!」」」」」

 

 ほぼ満場一致の突っ込みである。ちなみに何故ほぼなのかと言えば、さりげなく菅谷が一個貰っていたからだ。

 彫刻刀で少しいじり、付けひげを切り落し、やすりで成形する菅谷。意外と器用なようだ。

 

「ほら、せんせー。これなら少しはマシじゃない?」

「お? ――おお、なかなか綺麗にフィットしますねぇ」

「顔の曲面と、不自然に見えない程度に削ったんだよ。俺、そーゆーの得意だから」

 

 すげーな菅谷、と磯貝がもてはやす。

 

「旅行になると、みんなちょっと違った一面が出るね。……って、早いね渚、メモかまえるの」

「うん。まあ、習慣だし」

 

 さらさらと以前から作ってあった菅谷のページを開き、そこに情報を追加する渚。

 

「これから旅の出来事次第で、もっと皆のいろんな顔が見られるかも」

「ねえ、皆の飲み物買ってくるけど、何飲みたい?」

 

 神崎の言葉に女子二人が続く。メガネ二人に挟まれる形で、三人は席を立った。

 

 

 

 

 

「なんかボロ。てか古ッ」

「ちっちゃい……」

「ま、いつも通りだよね」

 

 宿泊先に着いた3-E。案の定、旅館はA~Dとは別で、更に予算もかかっていない。

 むしろ「最低限の設備があるだけあり難く思え!」と言わんばかりの構成だ。

 

 ちなみにそんな中で、ころせんせーはソファーの上でぶっ倒れていた。

 

「新幹線とバスで酔ってグロッキーとは……」

 

 ころせんせーの弱点に「乗り物に弱い」を書き込む渚。

 なお、せんせーの周りに要る三人は、容赦なく模造ナイフを振り下ろしていた。

 

「大丈夫? 寝室で休んだら?」

「いえご心配なく……。岡野さん、片岡さん、磯貝君、流石に今暗殺はちょっと待ってください。かわすのに問題なくても、あんまりやると吐きます」

「「ひゃあ!「うわっ!」」」

 

 珍しく止めてくれというころせんせーだが、発言内容から飛び退く三人。

 カルマは何やらごそごそと準備している模様。

 

「雪村先生、早く来てくれませんかねぇ……」

「ころせんせー、その調子じゃなぁ」

「いえ、昨晩職員室で寝泊りしたので、枕を忘れてしまいまして……。枕変わるとよく眠れなくて」

「そんだけ荷物あって忘れものかよッ!」

 

 ころせんせーの真横には、登山にでも行くのかと言わんばかりの大きさの荷物が置かれていた。

 

 せかせかとペンを動かす渚の横で、茅野と神崎が不思議そうに話をする。

 

「予定表見つかった? 神崎さん」

「ううん……。確かにバッグに入れてたのに。どこかで落したのかなぁ」

 

 考え込む彼女に、答える声はなかった。

 

 なお数分後、カルマの手によってころせんせーが苦悶の表情に立たされるのだが、それはまた別な話。

  

 

 

   ※

 

 

 

 翌日の昼間。

 バスで移動しながら、渚たちは暗殺場所の相談をする。

 

「渚、ここなら結構狙えるんじゃないか? 見晴らしも悪くないし、距離もそこそこだし」

「あとは、僕等の狙撃力とかも考えないとね」

「変な修学旅行になったねー」

「そうだね。でも、結構楽しいよ」

「でも、うわーん!

 せっかく京都来たんだから、抹茶わらびもち、わらびもちー!」

「あはは……」

「では、それに何か毒を入れるのはどうでしょう!」

「普通に味わおうよ!?」

「ころせんせー、甘い物に目がないですから」

「ちゃんと覚えてるじゃん、奥田さん。でもなかなか面白いんじゃない? 名物で暗殺とか――」

「勿体ないよ! あとカルマ君は昨日のこと反省して! 流石にかわいそうだったじゃんころせんせー!」

「ころせんせーが感知できない毒があればいいのに……」

 なお神崎の言葉を証明するように、以前のバーベキュー大会で「毒キノコと普通のキノコの見分け方講座」なるものを開催し、ほとんど無味無臭であるはずの二つを、嗅覚だけで識別したころせんせーである。結局わからないと生徒達からは不評であり、結論は「知らないものは手に取らない」となっていたりした。

 

「でもさぁ、正直修学旅行の時くらいは、暗殺教室忘れたかったよなー。寺坂とかは『休みの後に休みとかサイコーだろ!』みたいなこと言ってたけどさぁ。

 いい景色じゃん。暗殺なんて縁のなさそうな場所でさ?」

「んん、そうでもないかな?」

 

 渚はスマホを取り出し、タッチ操作でファイルを展開。妙に展開に時間のかかるそれは、間違いなくころせんせーが準備していた、完全版修学旅行のしおりのデータだった。

 

「……。ほら、こことか」

 

 道の先に指差す渚。とある商店が連なる場所の一角に、それはあった。

 

「坂本竜馬の墓石……? って、あの?」

「あー、1867年、竜馬暗殺。大宮の跡地ねぇ」

「他にも、歩いて数分の距離に本能寺があったり。場所は当時と少しずれてるらしいけど」

「あ、そっか。明智光秀の裏切りも暗殺の一種かー」

 

 それに限らず、京都という場所の歴史は古い。偉人賢人問わず、数多くの人間が陰謀やら何やらで暗殺されていてしかる場所だ。

 

「ずっと日本の中心だったからこそ、暗殺の聖地でもあると思うんだ」

「なるほどなぁ。……って、すげー字面だな、暗殺の聖地っていうのがもう」

「うん、今言ってて自分でも思った」

「でも、言われてみりゃ確かに、こりゃ立派な暗殺旅行だなー」

 

 なお、その暗殺のターゲットはいずれも何某か重大な影響を持つ人物であることが多い。

 その中に彼等の担任が含まれるかどうかを、生徒たちはまだ知らない。

 

「次は八坂神社ですね」

「ねえ、もういいから休もう? 京都の甘ったるい珈琲のみたいよ」

「そそ、のもーのもー! あと抹茶わらびもちー!」

「茅野さん、拘るね……」

 

 と、渚はふと後ろを振り返る。

 

「どしたの? 渚ー」

「……いや、何でもないよ、茅野」

 

 一瞬誰か人がいたような気配を感じたが、気のせいだと判断して渚は足を進めた。

 

 祇園の町を行く一行。神崎の誘導に従っていくと、段々と人気が減っていった。

 

「碁盤目だからっていって、みんな同じくらい人がいるわけじゃないんだよねー」

「うん。奥に行くと一見さんお断りの店が多くなるから、目的もなくふらっと来る人もいないし、見通しが良い必要もない。だから、私の希望コースにしてみたの」

 

 つまるところ、「目立ってはいけない」というルールが追加されている修学旅行中の「暗殺教室」において、いつもの教室のように銃器を出しても問題がなくなるフィールドであるということだ。

 

「さっすが神崎さん! 下調べ完璧ィ!

 じゃあ私達は、ここで決行にしよっか――」

 

「マジ完璧ィ」

 

 突然、渚たちの手前に、彼等よりも高身長の男が立つ。髪をオールバックにした、黒い学ラン。ゴリゴリにバイオレンスな男子校臭がする印象だ。

 そんな彼の登場と共に、前方向、後ろ方向ともに退路が、彼と同様の制服らに塞がれる。おそらく同じ高校か。

 

 動揺する全員。そんな中、カルマはともかく渚は不思議と冷静だった。

 

「何? お兄さんら。観光目的じゃないっぽいけど」

「男に用はねぇよ。女置いてお家帰り――」

 

 その先の言葉が続く前に、カルマの平手が太った男の頭を地面にダイブさせた。

 蹲るわ、蹲るわ。

 

「ほら渚君。今ならケンカしても大丈夫っしょ」

「! そうか、目撃者今ならいないし――! カルマ君!」

 

「てめぇ刺すぞ!」

 

 地味に五徳ナイフを抜いた、左右で目の開き方がちょっと変な男。

 もっとも飛びかかられる前に、近場の自転車にかけてあった布を引っぺがして、顔面にかけるカルマ。

 視界を回復しようと男が動く前に、軽やかに飛びあがりシャイニングウィザードを決める!

 

「鼻、折れてたらごめんねー」

 

 気楽に転がる男に声をかけるカルマ。その流れるような動きは、明らかにケンカ慣れしたものだった。

 

「刺すとか言った? そのつもりもないのに」

「茅野!」

 

 だが、背後で神崎ら女子二人が腕を掴まれているのを見て、状況は変わる。

 なめて掛かっていたからこそか。このメンバーの中で、最大戦力がカルマであるのだから。

 

「わかってんじゃんか、刺しはしねぇよ!」

 

 がん、と殴り飛ばされるカルマ。転がった彼に、高校生らの私刑(リンチ)が加わる。

 ただそれでも頭と手先を器用にガードしているあたりは、烏間の教育が生きていた。

 

「カルマ君!」

「おい止め――ッ!」

 

 吹き飛ばされる杉野。巻き添えに転がる渚。

 

「みんなー!」

「渚!」

「おい、車出せ!」

 

 無理やり連れて行かれる神崎たち二人。

 倒れるカルマに杉野。

 耳を打つ、茅野の声。

 

「――!」

 

 この瞬間。渚の内側で何かが再びカチリとかみ合い、動き出した。

 

 烏間の授業のイメージ。磯貝のナイフの動きが、フラッシュバックする。

 

 渚は前方に飛びこみ一回転し、カルマが倒した男のナイフを奪う。

 それを腕に持ち、アンダースローではあったが、男の左半身肩方向に勢い良く投げつけた!

 

「あん!? チッ」

「あッ!」

 

 だが残念ながら、ぎりぎりでかわされた。

 その場で顔面を蹴り上げられ、吹き飛ばされる渚。

 

「中坊が、ナメてんじゃねぇぞ?」

 

 渚の前に、更に高身長の男達が三人並ぶ。

 

(目の前に立つ高校生たち。僕等より一回り大きい体。振るわれた暴力は、未知の生物のような衝撃だった)

 

 振りかぶった拳が顔面に向けて振り下ろされる。

 だが、今の渚は渚ではあるが、決して普段の渚ではない。

 反射的に彼は、顔を手で被い隠そうとして――。

 

 

 

   ※

 

 

 

―― ……さ君、杉野君、――

 

「……? あ、良かった、奥田さんは無事だったんだ」

 

 揺さ振られる前に起きあがった渚。軽く意識を失っていたらしい。

 頬を擦りながら笑う渚。頭と腹をなでる杉野に、奥田は申し分けなさそうに言う。

 

「ごめんなさい。ずっと、そこの横道に居ました……」

「いや、それせーかい。犯罪慣れしてやがるよアイツら。

 通報しても、すぐには解決しない程度に調整してやがるしさぁ。っていうか――」

 

 庇っていた頭を解き、起き上がるカルマ。

 その表情は普段の無邪気さよりも、最初期にころせんせーに挑んでいたような獰猛さが見て取れた。

 

「――俺に直接処刑させろって言ってんのかな、アイツら」

「でも、どうやって探し出す?」

 

 ふと、渚は指先に違和感を感じる。

 どうやら顔を庇った際、相手の手の甲か何かの皮を抉ったらしい。

 

 それを取り除いてペットボトルの水で流し、ポケットからハンカチを取り出した瞬間。

 

「……あ、そうだ! しおりだ!」

「「「?」」」

 

 すぐさまポケットからスマホを出し、修学旅行のしおり(完全版)を起動する渚。メニューの検索欄を開き、「拉致」と入力。

 果たして、数秒とかからずにレスポンスが帰って来た。

 

「あった。『班員が拉致された時にとる行動』」

「うっそ。いや、普通ここまで想定したしおりなんてねぇよ。というか渚、しおりダウンロードしといてくれてサンキューな」

 

 恐ろしくマメな彼等の担任である。他のコラムも開きつつ、思わず苦笑いする渚。

 

「……何か、何でも書いてあるよ。『八ツ橋が喉に詰まった時』とか『哲学の道でいまいち哲学できなかった時の対処法』とか」

「どこまで想定してんだよ……」

「『縁結びの神社で、告白されるかソワソワしてたのに何もなかった時の対処法』とか」

「大きなお世話だッ!」

 

 思わずつっこむ杉野。

 僅かに四人は、いかにもころせんせーらしいそれに落ち着きを取り戻す。

 

「渚君、どう?」

「……うん、大丈夫。今するべきことがちゃんと描いてある。とりあえず、誰か他にスマホ出して」

 

 渚の指示に従って、準備は進む。

 

「待ってて、神崎さん。……茅野」

 

 つぶやく渚の表情は、少し険しいものになっていた。

 

 

 

「連れに召集かけといた。『記念撮影』の準備もなぁ。

 ここなら多少騒いでも誰も来ねぇ」

 

 一方その頃、茅野たちは。

 両手両足を縛られて、ソファの手前に転がされていた。

 

 高校生等を、茅野は睨み付ける。

 

「そっちのキューティクルな方。どっかで見たことあると思ってたんだけど、これお前だろ。

 東京のゲーセンで、去年の夏ごろ」

「!」

「目ぼしい女居たら報告するようダチに言っててよぉ。一発拉致ろうと考えてたんだが、いつの間にかいなくなっちまってたってわけぇ」

 

 オールバックの男のスマホに映る写真は、髪を染めて、ウェーブがけて、やや柄の悪そうな服を着てはいるが。

 まぎれもなく、神崎そのものであった。

 

「まーさかあのエリートんところの生徒だったとはねぇ。通りで見つからねぇわけだ。

 でも俺らにゃわかるぜ? 毛並みの良い奴等ほど、どっかで台無しにされたがってんだ」

 

 にたりと笑いながら、顔を近づける男。ころせんせーの笑いと違い、全体に悪意が滲む。

 

「これから夜まで、台無しの『先輩』たちが何から何まで教え込んでやるよ」

「……」

 

 神崎は、こらえるように目を伏せた。

 

「おっし、とりあえず集るまで一旦待機な。あっちで少し準備だ」

「「「「おう!」」」」」

 

 一旦茅野たちの手前から引き上げていく男達。だが別に、何一つ油断ならない。

 彼等が離れた後、茅野は神崎に耳打ちで聞いた。

 

「(さっきの写真、神崎さんでもああいう時期があったんだね。今、真面目だけど)」

「(……意外?)」

「(ん、ちょっと)」

 

 ストレートに感想を言う茅野。忌避されているわけでないとわかり、神崎はわずかに微笑んだ。

 

「(……ウチは父がきびしくてね――)」

 

 神崎は、話を続ける。学歴、肩書き共に良いものばかり求める、弁護士の父親。

 そんな生活から離れたくて。名門校という肩書きからも逃れたくて。

 

 亡くなった祖母が切欠で始めたゲームにはまり、気が付けば、知っている人が居ない場所で、格好も変えて遊んでいた。

 

「……馬鹿だよね。遊んだ結果得た肩書きが、エンドのE組」

 

――自分の居場所がわかんないよ。

 

 呟く神崎に、茅野は少しだけ迷って言った。

 

「(私、今期からの『編入生』じゃん?)」

「?」

「(でさあ。入学式……始業式? の後、渚と初めて話した時さ。なんだかわかんないけど、すごく泣かれたんだよねー)」

「(……渚君?)」

 

 確かに、潮田渚は男子なのに、妙に女の子っぽい。泣いた、というイメージができないわけではないが、しかし今の話はおかしい。明らかに、情緒不安定な反応にしか聞こえなかった。

 

「(どんな事情があったかは聞かなかったけどさ。でもみんな、色々あるんだと思うよ?

  私だって、人に言えないけど、事情あってE組に来たし)」

 

 神崎さんに比べれば軽い方だと思うけどね、と、茅野は笑う。

 

「茅野さん……」

「(だから、そういう意味じゃみんな、居場所なんてわからないんじゃないかな、って思うんだけど……、うーん、何の話してるんだろ。私、こういう『キャラ』じゃないのに)」

 

 なにやら勝手に自問自答に陥る茅野あかり。

 なぐさめようとしてくれてるのが分かる神崎だが、でも、表情は簡単には晴れない。

 

「だったら、俺等と仲良くなりゃいいんだよ」

 

 いつの間にか、オールバックの男がしゃがんで、二人に顔を寄せてきた。

 

「知ってるだろ? 俺等も肩書きとか死ねって主義でさぁ。エリートぶってる奴等台無しにしてやってよぉ。なんつーか、自然体に戻してやる? みたいな。

 俺等、そーゆー『自由』沢山してきたからよぉ」

 

「――最ッ低」

 

 彼等の言葉を聞き、茅野がつぶやいた。

 その表情は、先ほどまで話していた明るい彼女のものではない。

 

 

 神崎が未だに見たことのない、全く感情を灯していなかった表情だ。

 

 

 反抗の言葉が気に入らないのか、男が彼女の髪を掴んで持ち上げる。

 

「なぁにエリートぶった顔して見下してんだ」

「見下してないよ。くだらないから、くだらないって言っただけ」

 

 続ける言葉にも、軽蔑が滲む。

 神崎は、思わず目を見開いた。

 

 あまりにも、あまりにも普段の茅野あかりと、その場で高校生相手にメンチ切り替えす彼女とが一致しない。

 

 ツーサイドアップの片方の根元が痛いだろうに、しかし彼女は態度を変えることはなかった。

 

「自分のやってること正当化して、周りに強要してる時点で見下す価値もない。見下されたいなら、せいぜい自分が見下される立場だってことを自覚すればいいんじゃないの?」

「あぁん? チッ、おめぇもすぐ同じレベルまで落してやんよッ」

 

 椅子に放り投げられる茅野。メガネが飛び、転がる。髪留めのゴムも切れたのか、つかまれていた方のテールが解けた。

 

「はっ、案外悪くない顔してんじゃねーか。

 いいか? 宿舎に戻ったら涼しい顔でこう言えよ? 『楽しくカラオケしてただけです』ってなぁ。

 そうすりゃ、誰も傷つかねぇ。戻ったらまたみんなで遊ぼうぜぇ?」

 

――楽しい旅行の思い出の写真でも見ながらさぁ。

 

 堪えるような神崎と、連れてこられた当初とは比べ物にならない迫力で睨む茅野。

 神崎は僅かに思う。こちらの方が、本来の茅野あかりの性格なのではないかと。

 

「……お? 来た来た。紹介するぜ。ウチのカメラマンだ――、ぁん?」

 

 背後で扉が開かれ、暗がりから赤いリーゼントが見えた。男は得意げに笑う。

 だが、現れたリーゼント顔の鼻は折られ、目は白目を向いていた。

 

 どさり、とそれを落す手は、見覚えのあるもの。

 

「――『修学旅行のしおり(完全版)、1243頁。「班員が何者かに拉致された時の対処法」』」

 

 聞き覚えのある声が続き、茅野の表情が段々と晴れていく。

 

「『手がかりがない場合、会話の内容やなまりなどから、地元民かそうでないかを判別。地元でなく学生服を着ている場合は、1344頁。考えられるのは、相手も修学旅行生であり、旅先でオイタをする輩です』」

「渚ぁ! みんな!」

 

 現れ出た渚、杉野、カルマ、奥田を見て、ぱあ、と表情が晴れる茅野。

 それを見て、僅かに神崎の頬が引きつった。もっとも茅野以外には見えていないだろうが。

 

「てめぇら、何でここが分かった!」

 

 叫ぶ男を無視して、渚は続ける。

 

「『もっともその手の輩は、遠くへは逃げられない。近場で人目のつかない場所を選ぶことが多いでしょう。その場合、付録134ぺージへ』」

 

 渚の言葉に合わせて、奥田が紙バージョンのしおりのページを開く。

 

「『せんせーが昨年下見してきた、「拉致実行犯潜伏マップ」が役立つでしょう』」

「あ……!」

 

 僅かに驚く神崎。

 ちなみに高校生らは、完全に目が点となっていた。

 

「すごいなこの修学旅行のしおり! スマホの方と両方合わせれば、完璧じゃんか! 完璧な拉致対策だ!」

「いやー、やっぱ修学旅行のしおりは、持っとくべきだよねぇ――」

 

「「「「「ねぇよ、そんなしおり!」」」」」

 

 大変にごもっともである。

 

「で、どーすんのお兄さんら。こんだけのことしてくれたんだからさぁ? あんたらの修学旅行はこの後ぜんぶ――入院だよね?」

「はっ、中坊がイキがんな。聞こえないか? この足音」

「!」

 

 奥田がぎょっとする。確かに出入り口の向こうからは、数人の足音や、何かを引きずる音が聞こえていた。

 

「お前等みてーな良い子ちゃんはなぁ。見たこともない不良共が――」

 

 だが、残念ながら現れたのは不良共ではなかった。

 見事な七三分けの頭。キューティクルリングが輝く黒髪。黒ブチメガネが妙に生真面目というか、サラリーマンっぽく見えなくもない。

 

 どう見ても不良にしか見えない連中が、数人まとめてそんな格好をさせられている。

 おまけに、そんな彼等は「ある男」に引きずられて現れたのだ。

 

「……え、え? えええッ!?」

「不良など居ませんねぇ。せんせーが全員手入れをしてあげましたので」

「ころせんせー!」

 

 彼等の担任、我等が吉良八湖録である。

 もっとも、服装が普段とは色々と違っているが。

 

 ちなみに不良(?)たちを拘束している黄色いロープは、案の定「タコせんせー」系のグッズのようだった。

 

「遅くなって済みません。他の場所を中心に探していて、来るのに手間取りました」

「……で、何? その、死神みたいな全身ローブは」

 

 ころせんせーは、まるでファンタジーに出てくる魔法使いのような、全身を被う真っ黒なローブに身をつつんでいた。

 

「(普通に暴力沙汰ですので、顔が暴力教師として覚えられるのが怖いのです)」

(((((世間体気にするんだ)))))

 

 3-Eの生徒たちは、いつもの様に心の内で突っ込んだ。

 

「渚君がしおりを準備してくれていたから、せんせーにも迅速に連絡が出来たのです。つい先ほども、寺坂君が八ツ橋を喉につまらせかけまして」

「あのコラム、やっぱ超使えるじゃん!」

「狭間さんが完全版、準備してくれていたので助かりましたねぇ」

 

 ヌルフフフと笑うころせんせー。言いながらカルマたちに手渡すそれは、辞書並の分厚さ。まさかの、まさかの修学旅行のしおり(完成版)の印刷バージョンであった。

 

 不良達がオールバックの男に言う。

 

「リュウキ、どーすんだ?」

「せ、センコーだと……? ざけんな、ナメた格好しやがって――――!」

 

 リュウキの叫びと共に、不良達がころせんせーに襲いかかる。

 

「お酒は二十歳になってからですよ?

 それに、ふざけるな? そっくりそのまま、せんせーの台詞です」

 

 だが、自分に振り上げられたボトルを易々と取り上げ、上空に投げる。

 と、手前三人の目の前で一度、拍手を打った。

 わずかにそれだけの動作だというのに、唐突に不良たち全員の動きが止まる。

 

 地面に落下した瓶が砕ける音を聞き、更に数人が地面に膝をついた。

 

(な――何だこれ、体に、力がッ)

「練度も研鑽も覚悟も芯もプライドさえない。

 薄汚いそんな手で『私達』の生徒にさわるなど――巫山戯るんじゃない、戯言を抜かすな!」

 

 フード越しで表情が微妙に見え辛いのが、幸いしたと渚は思った。

 正直、辛うじて見える部分の表情からでさえ、今のころせんせーを直視することは憚られる。

 

 完全に、ポーカーフェイスすら捨て去ったド怒りの顔だった。

 

「チッ……、名門はセンコーまで特別製ってか。てめぇも肩書きで見下してんだろ。馬鹿高校と思ってナメやがって!」

「こ、ころせんせー!」

 

 不良たちは、今度こそ相手を刺そうと躍起になった。

 手にはより刃渡りの長いナイフ。

 

 だが、そんなナイフを相手にしても、ころせんせーは表情一つ歪めない。

 

「エリートじゃありません」

 

 そう続けるころせんせーは、目にも留まらぬ速度で、自分の前方を横薙ぎに回し蹴りした。

 側面に一撃を喰らったナイフ二本が、見事に叩き折られた(ヽヽヽヽヽヽ)

 

 驚く二人に、そのままの姿勢から更に足を引き、かかとで二人の顎を吹っ飛ばす。

 

「確かに彼等は名門校の生徒ですが、学校内では落ちこぼれ呼ばわりされ、クラスの名前はエンド、終わり、最底辺と蔑まれ、最下層として差別を受け続けて居ます」

 

 言いながらも、接近してくる高校生たちの頭をアイアンクローして投げたり、接近してくる男達に両足でローリング・エルボーとシャイニングウィザードを叩きこんだ。

 

「ですが、彼等はそこで腐らず、前向きに……、実に前向きに、様々なことに取り組んでいます。決して――」

「ああああああああああ!」

 

 ナイフを突き出して走りこむリュウキの眼前に、「タコせんせーストラップ」を投げるころせんせー。

 ぎょっとしてそれをかわそうとした瞬間、ころせんせーは彼の鼻先より少し下のあたりで、フィンガークラップ、要するに指パッチンをした。

 

 モーション自体はあまりに小さかったにも関わらず、部屋全体に行き渡る強烈な指ぱっちん。

 間近で聞いたリュウキは、一瞬意識を失いかける。

 あえて(ヽヽヽ)ころせんせーが、気を失わない程度に威力を調整してるとも知らずに。

 

「――決して君達のように、他人を沼底に引きずりこむようなことはしません」

 

 動けないまま睨む相手。ころせんせーは、その胸元を軽く押した。

 軽く押しただけにしか見えなかったが、しかし彼の身体は、まるで強く殴り飛ばされたかのように宙を舞った。

 

「学校や肩書きなど関係ない。例えそこが闇の底であったとしても、前に進む勇気と覚悟があるのなら、見えなかった闇の中で仲間すら作り、美しく、まっすぐに育つのです」

「……ぁ!」

 

 神崎が、わずかながらにころせんせーの言葉を咀嚼して、反応する。

 目の前で起きたあっという間の光景に若干混乱しているようだが、しかし、彼の言葉は彼女に届いた。

 

 神崎の表情に、光が差し込む。

 

「さて、生徒諸君。彼等を手入れしてあげましょうか。修学旅行の知識を、たたきこんであげるのです」

「チィ……!」

 

 と、突如背後に人気を感じ――。

 気が付けば、「鈍器」が振り下ろされていた。

 

 「修学旅行のしおり」を、直接頭に叩きこまれたのだ(物理)。

 

 躊躇いもなく振り下ろされた一撃に、リュウキたちは言葉を発する間もなく、撃沈した。

 

(狙う相手……、間違えたかも)

 

 その感想は、気絶する直前の今となっては、今更過ぎるものであった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「いやー、一時はどうなることかと思った!」

「俺一人ならなんとかなると思ったんだよねぇ」

「怖いこと言うなよ……。いや、お前の場合冗談になってねーんだよ」

 

 辟易する杉野の一言に、渚と奥田は顔を見合わせて笑う。

 時刻はすっかり夕暮れ。流石に色々と時間をとられてしまった。

 

 レンズが無傷だったメガネを吹きながら、茅野が一言。

 

「あー、でも良かった! 大丈夫? 神崎さん」

「ええ、大丈夫」

 

 微笑み返す神崎。ころせんせーは、何かあったかと聞く。

 

「酷い災難にあって混乱してもおかしくないのに、逆に迷いが吹っ切れた顔をしています」

「……はい! ころせんせー、ありがとうございました」

 

 曇りない笑顔で返す神崎。見蕩れる杉野や渚を見つつ、ころせんせーは一度、満足そうに頷いた。

 

「いえいえ。ヌルフフフフフフフ。それでは、修学旅行を続けましょうか。一度、雪村先生にも連絡を入れないと。心配させたままですからねぇ」

「あー、そうですね」

 

 スマホを取り出すころせんせー。と、背後でナイフを振り回して攻撃するカルマ。

 一行に攻撃が当らないという脅威的なことをしているものの、これもいつもと大して変わらぬ風景というのが恐ろしい。

 

「そーいや、結局暗殺実行できなかったの、俺達の班だけ?」

「じ、事情が事情でしたし……」

「いいじゃん。修学旅行はあと一日あるんだし」

「ヌルフフフ、倒せると良いですねぇ。まだ今日は一発も当っていないですが」

 

 不気味な笑いを浮かべるころせんせーの方を見て、渚は思う。

 

(困ったことに僕等のターゲットは、限りなく強くて――限りなく頼りになる先生だ)

 

 かくして、修学旅行はまだ続く。

 よし、と気合を入れて、渚は今日の出来事をメモにまとめ始めた。

 

 

 




渚君の方が泣いちゃった理由は、一応そのうちやります。

※7/4 誤字一部修正


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第11話:古都の時間・2時間目

あー、あー、すまない
神崎名人とかお風呂とか、男子女子トークとかは次回に回させてください。


 

 

 

「よく練られた動きです。短時間でより効果的に脚本を動かし、見ている人を飽きさせずに回す。早く魅せるために、考えられたものですね。

 あの動きは君達も参考にすると良いでしょう。」

「でも、前に烏間先生が、劇とかで使われる動きだと無駄が多いって……。動き早くて格好良いけど」

「確かにそうですね、岡島君。先生、こういう殺陣(ヽヽ)は大好きですが、問題はそこじゃありません。

 基本的に魅せる動きというのは、大本になる型というものが存在します。また演出として魅せるということには、必然的に無視できない要素がありますね。不破さんはわかるのでは?」

「う~ん……。ハッタリ?」

「そんな感じです。つまり、相手の視点誘導を齎すことができるわけですね。見てください?」

 

 修学旅行、3-E第二班 自由行動時間。午前十一時半前後。

 ころせんせーたちは、某映画村にて、その場で広げられる即興劇を見ていた。

 

「ほら、例えば最初の部分。刀を引き抜くと見せかけて、肘打ちを入れて、意識がそれた瞬間に居合い抜きをしています。まさにこの当りがそれですね。そして居合い抜きは、刀を抜いてから切る、の抜く動作を省略した動きとなるので、その分速度が速いのです。

 また、一度手前の味方がやられた際、間髪入れずに襲いかかるのもグッドでしょう。君達も、これは教わっていますね?」

「何だっけ? えっと、相手に状況を分析させる隙を作らない、とか」

「はい。周囲を観察して、敵の配置と地形を見て、余裕を持って動くのが理想です。そこは時代劇などでの動きでもありますが、どうやら今回やっているアクターさんたちは、なかなか本格的なようですねぇ。

 立ち回りの派手さに比べて、なかなかどうして理論立てて動いています」

 

 ヌルフフフ、と楽しそうに観察するころせんせー。へぇ、と関心してるんだかテキトーに聞いているんだか分からない生徒たち。

 ちなみに第二班は速水凛香、中村莉桜、不破優月、岡島大河、三村航輝、千葉龍之介、菅谷創介の七人構成だが、そのうち速水と千葉がいない。

 速水は「お花を摘み」に行き、千葉は全員分の飲み物を買いに行っているためだ。

 無論、両者共に「表向きの理由」である。

 

「ニュル? 不破さんも渚君のようにメモをとりはじめましたか」

「いや~、ちょっと自分でもネタ探ししてみようかなぁと」

「「「ネタ?」」」

「……次こそは絶対ぎゃふんと言わせちゃるッ」

 

 何かに私怨というか、情熱というかを燃やす不破。

 ちなみにその発言を受けて、どこかでメガネの蔓を押さえた男子生徒がくしゃみをしたかは、定かではない。

 

「うぉ、こっち来た!」

「ヌルフフフ。上手い具合に重心を足と胴体の筋肉でコントロールしてますねぇ。これは、アクターさんに共通している部分として――」

「せんせー、こっちこっち!」

「どっちどっち」

 

 殺陣が段々と迫ってきているのに対して、平然とその場で動きの解説を続けるころせんせー。

 中村がころせんせーの腕を引くと、高台の方に目配せ。

 

 そこに居るはずの二人が、こちらの動きに気付いてくれるだろうことを祈るばかり。

 

 そしてその視線の先では、速水がスナイパーライフルを構えていた。千葉が双眼鏡を構えて、目算で距離や風向きを測っている。

 当然のごとく、彼女の装備はいつもの訓練用装備である。撮影所という場所のせいか、カメラに艤装してあったもののフルセットで高台を登っていく二人に、周囲の客は興味深そうに見つめるだけであった。

 

「(準備はできた?)」

「(もうちょっと……。なんかアクターさんたちが派手に動きすぎてて、照準定まらない)」

「(せっかく修学旅行一週間前に駄目元で許可出して、OK出してもらったのに)」

「(仕方ない。でも、大丈夫。私達ならやれる。空間把握は任せるよ、千葉君)」

「(わかった、速水さん)」

 

 仕事人である。会話に無駄がほぼない両者。

 目元を被う前髪の隙間から、照準を合わせる千葉。

 

「(とにかく、正面にせんせーの気が向いてる隙に――?)」

「……千葉?」

 

 突然黙った千葉に、速水が頭を傾げる。地味に呼び方が千葉君から千葉に変わっていたが、そんなことに気付かず、千葉は双眼鏡で周囲を見る。

 速水もスコープを再度覗くが……。その先には、中村たちの頭こそ見えるが、見慣れたアカデミックコーデの姿はどこにもなかった。

 

「どこ行った……?」

「……いた、柵の向こう! ていうか、何してるわけ、あれ!?」

 

 思わず絶叫する速水。思わず千葉もそちらを探す。

 両者の視線の先には、全く違和感なく劇の間に侵入し、鍔迫り合いをする「和風装束に着替えた」ころせんせーの姿があった。

  

「迷惑でしょ、何やってんのせんせー、アクターさんたちに混じって!」

 

 だがしかし、元々大人しくしてれば二枚目な外見。長身に割と万能な基礎能力。

 カツラではなく髪をポニーテールのようにまとめていただけだったが、いつの間にか着替えた地味目な和服とその真剣な表情は、全くもってその場にそぐっていた。

 しかも。

 

「助太刀致す。悪党共に咲く徒花は血桜のみぞ」

「……! かたじけない!」

 

「「ちゃんと劇の世界観に溶け込んでる!」」

「「「「「決め台詞も完璧だ!?」」」」」

 

 堂々として、主演の侍に背中を合わせるころせんせー。あまりにもモデル然としたその容姿と、素人とは思えないその動きに、アクターさんは思わず合わせたらしい。

 どうやら、アドリブで俳優が混じってきたとでも思っているのかもしれない。

 

「ど、どうする? 流れ弾が当ったら危ないし」

「そもそも烏間先生の言ったルールには抵触する。最悪、ペナルティがあるかも」

「「……」」

 

 高台の上で、二人は沈黙しながらころせんせーの動きを観察していた。

 いつものようにワイヤーアクションめいた動きはしない。しないが、おお、どうしたことか。一目で相手の動きを見切り、一撃で三、四人を同時に切りつける。読みを極めて最小の動きで敵を仕留めるその様は、嗚呼、なんと殺人剣めいた光景か!

 

 不破が何やら「サム○イX! 抜刀○! ヒテンミツ○ギスタイル!」とか色々叫んでいたが、それはおいておいて。

 

「……飲み物でも買いに行くか、速水」

「……わかった、千葉」

 

 そんなこんなで、両者はため息をついて諦めたらしい。

 なお、千葉の方も彼女の呼び名を速水さんから呼び捨てに変えていたりするが、特にそのことに彼女は気付かなかったようだ。

  

 

 

 3-E第三班 自由行動時間。午前二時十分前後。

 

「おそいよ、ころせんせー!」

「ニュニャ! 失礼。さっきまで時代劇した帰り、雪村先生とお昼を食べてまして……。」

「なんだそりゃ」

「清水もう回っちまったよ」

「寺坂君が喉に詰まらせましてねぇ」

「ほうほう?」

「竹林、てめぇ黙ってろオラ!」

 

 五重の塔が見える、清水からの下り坂。少し下れば土産物屋が多く並ぶこの場所にて、三班はころせんせーと遭遇した。

 

「では、二寧坂でお土産探しといきますか」

「どーせ甘いもんしか買わないだろアンタ」

「そんなことありませんよ、寺坂君。せんせーだって、人付き合いというものが多少はありますからね。

 皆さん、道わかりますか?」

「ほら」

 

 狭間がスマホで開いた「修学旅行のしおり(完全版)」に書かれた局所地図(地理地形のみならず、写真、店舗、ネコのたむろする場所、近所のおばあちゃん情報などなど無駄情報まで書かれた拡大図)。

 それに従いながら、第三班は移動する。

 

 ちなみに三班は寺坂グループ(寺坂竜馬、村松拓也、吉田大成、狭間綺羅々)+原寿美鈴に竹林考太郎だ。ちなみに何故か竹林はマスクをしている。

 

「ころせんせー。油とり紙使ってみなよ」

「う~ん、なんか後が恥ずかしいですねぇ……」

 

 いいからいいから、ところせんせーの顔面にぺたぺたと貼り付ける原。

 と、その手が一つ押さえられて、ぽとりと紙が手から落ちた。

 

「カルマ君の作戦を見て思い付いたんでしょうが、生憎せんせーも予想はしていました」

「ば、ばれたか……」

 

 舌打ちする寺坂。彼女の手から落ちた紙の裏面には、カルマがかつてやろうとしたように、模造ナイフを細かくしたものがびっちりと貼り付けてあった。

 

「あー、しかし何とも言えないですねぇ。そんなに先生あぶらギッシュじゃないのに、結構とれちゃいますから……」

「ど、どんまい!」

 

 と、そんなやり取りをしている最中、ころせんせーが突如「タコせんせーぬいぐるみ」(大型)を取り出して、自分の顔の側面に配置。

 一瞬だけ出すと、すぐさまアカデミックコーデの内側へ。

 

「……何したの、ころせんせー」

「いえ、大した事じゃありませんよ。……ニュル? 雪村先生からですか」

 

 と、突然なり出した「男子三人、女子三人が歌う青春サツバツソング」を聞き、スマホを取り出す先生。

 電話に出でしばらくして、表情が曇る。

 

「すみません皆さん。せんせー、ちょっと用事が出来ました」

「用事?」

「どうも渚君たちの班がトラブルに巻き込まれたようなので、そちらの対応に向かいます。

 ではみなさん。時刻いっぱいまで、皆さん楽しんでください」

 

 ヌルフフフ、と叫びながら、アカデミックドレスが宙を舞う。3-Eからすれば見慣れた光景であるが、道行く京都民たちは目をひんむいてその様を見ていた。

 

 

 

   ※

 

 

『今回君が狙うべきは、この男だ。吉良八湖録。とある中学校の教師で、来る一月後には修学旅行の引率もする。先に言っておくが、この男は只者ではない。君よりも先に私の教え子が返り打ちにあっている。

 充分な準備をしてから臨みなさい』

 

 通信端末越しに受けたその内容を思い出し、森の中で彼はため息一つ。

 

(俺の名は「レッドアイ」。狙撃専門の、プロの殺し屋。)

 

 ニット帽をずらし、サングラスの位置調整をして、彼はターゲットが現れるのを待つ。

 事前に「依頼主」の弟子たる彼女から、今日の奴の行動予定を聞き及んでいたレッドアイ。

 

(確か1グループの生徒達の引率で、解放的な列車を移動するはずだ)

 

 まだ朝早い時間帯。数箇所に設置したカメラと己の目に映る光景を中心に、レッドアイは目標を探す。

 

――きた!

 

 窓からやや上体を乗り出す、アカデミックドレスの男。頭に付けている帽子は流石に外し、流れる風景と下に広がる川に楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

(のんきなもんだぜ。だが――)

 

 スナイパーライフルを準備しつつ、レッドアイはにやりと笑う。

 

 ここ、保津川橋梁にて停車したこのタイミングこそ、絶好の狙撃ポイント。

 橋の真下を川下りする客船に指を刺す生徒。覗きこみながら、何やら薀蓄を述べているらしい。

 

(中東の砂嵐の中、2キロ先の標的も仕留めた俺だ。

 この程度の条件の狙撃、very easyだ)

 

 百発百中、一撃必殺を旨とするレッドアイ。

 その正確無比な狙撃が、ころせんせーの眉間を狙う――!

 

 だが、しかし。

 成功を確認するため再びスコープを覗くも、ぶっちゃけ、それはころせんせーを殺すことに成功していなかった。

 

「や、八ツ橋で止めただとおおおおおおおおッ!?」

 

 心中、察して余りある程の衝撃だ。

 先ほどまでのクールな表情が崩れ、目を見開いて思わず叫ぶ。

 完全にコメディアンのようなそれである。

 

「あ、ありえねぇ……! 秒速1.5キロの弾丸を、高速回転しソニックブームを放つ弾丸を!

 先端から尾部まで入る事で炸裂する衝撃波を含めて、モチモチやわらかなもろい物体で止めるだぁ!?」

 

 あまりにも物理法則を無視した動きである。

 

「アメコミじゃねぇんだぞ、どんだけの早業が必要だと思ってんだ!」

 

 当のターゲット、ころせんせーは弾丸を抜き取り、そのまま八ツ橋を食べる。少々指先をさすっていたので、決してノーダメージというわけでもないらしいが、しかし攻撃が相手を殺すに至りはしない。

 食べながら、足元に攻撃してくる生徒達のそれを余裕綽々にかわしている。

 

 やがて動き出す列車を見て、レッドアイはほくそ笑んだ。

 

「へん、なるほどなぁ……。ブロフスキの旦那が、成功報酬7億かけるだけはあるってか」

 

 とんでもない怪物を殺す依頼に、彼は「面白れぇ」とばかりに、にやりと笑った。

 

 

 

 もっとも、その好戦的な笑みが結果に生かされたかどうだかは別である。

 

 撮影村では、1キロはなれた矢倉からの狙撃を狙うが、アクターたちに混じる彼を前に断念。わざわざアクターには、派手に動いて注意を引いてもらうよう準備したというのにこの体たらく。

 続く三寧坂の出口では、突然取り出した謎の黄色い、タコみたいなキャラクターのぬいぐるみに防がれ(恐ろしいことに貫通すらしなかった)。

 

「何なんだ……、何なんだあいつは!」

 

 五重の塔の最上階にて。

 流石にいくら百戦錬磨のレッドアイといえど、疲弊する他なかった。

 

「スピード、防御、身体能力も完璧。

 まるで、殺されないためだけに生まれてきた怪物だ。いや、まさかNINJAか!?」

 

 ちょっと間違った日本観を口走ったりもするが、大体そんな認識が世界共通だ。

 流暢な英語で早口に喚きたてるが、周囲に人がいないため気付かれはしない。

 

「どうする、NINJAには勝てないと俺のボブは言っていた。NINJAは神すら殺す、世界を超越する象徴的存在。嗚呼、まさにあいつじゃないか! マッハを超える速度の弾丸を止め、あまつさえまるで『こちらの動きを予期していた』かのように動いて――!」

 

 バイブレーション音を聞き、己のジャケットからトランシーバを取り出す。遠隔地にある端末とIP通信して、通話記録の解析を困難にする装置だ。数年前、今回彼に依頼を出した雇い主から「友人のオモチャ」だと言われて譲られた一品だ。

 

「……Hello. Ms.Jelavic?」

『Speak in Japanese, "Red eye". 今日はもう中止しなさい?』

「何?」

 

 日本語に切り替えて、レッドアイは彼女、イリーナ・イェラビッチの話を聞く。

 

『この後あの男が合流する予定だった第4グループの生徒たちが、余所の高校生の起したトラブルに巻きこまれたみたいなのよ。で、私達やあの男も、その処理にあたるわ。流石にそんな状況で、仕事任せられないわよ』

「そうか……。わかった」

 

 力なく微笑みながら、レッドアイは彼女の言葉を肯定した。

 

 

 

   ※

 

  

 

 夜の京都の町を歩く男が一人。駅前のデパートを抜け、人気のない場所を目指す男。

 季節に合わせず厚着をし、手にギターケースを持つ彼は、本日ずっところせんせーを狙っていたスナイパーに相違ない。

 

(……この業界に身を置いて八年。俺のスコープがターゲットの血で染まらなかったことはない)

 

 思い返す戦歴の数々。ロシアでの雪原にて成功させた要人暗殺。ロスにおける抗争に紛れた依頼暗殺。中東における長く続く遠距離狙撃の毎日。

 いずれも最後は、スコープの先が真っ赤に染まっていた。

 

(それが、レッドアイの名の由来だってのに。笑わせるぜ、我ながら)

 

 シャッターの閉じた商店街の狭間。背を預け、彼は黄昏れた。

 

「俺の目の何処に、今レッドが映ってるってんだ」

「――どうぞ」

 

 と、男の眼前に赤い、小さなひょうたん状の容器が吊るされた。

 

「三寧坂で買った七味です。関西の方はトウガラシより山椒が効いていて、辛味より香りが強いので、ひょっとすると口に合わないかもしれませんが」 

「……ああ、アンタか。ありがとよ――」

 

 彼の掌にぽとり、と落される七味。

 それをじっと見て、やや時間がたって、レッドアイは気付いた。

 

「――って、暗殺対象(あんた)ああああああああああああああッ!?」

「ヌルフフフフフ。『前』も思いましたが、案外良い反応しますねぇレッドアイさん」

 

 彼の目の前には、驚愕でギャグのような顔になっているレッドアイをニタニタ笑う、ころせんせーの姿があった。

 崩れ落ちる彼に、ころせんせーは笑顔を向ける。

 

「生徒たちのトラブルも、無事解決したのでねぇ……。少々ある生徒に対して懸案事項が増えましたが、それは一旦おいておきましょう。

 せっかく今日一日、一緒に観光した貴方にも、ご挨拶しておこうと思いましてねぇ」

 

 ぐにゅぐにゅと、妙に手の関節が柔らかいころせんせー。

 

「私は、向かってくる暗殺者には容赦をしない主義です」

 

 きらりと光るその目を前に、レッドアイは己の命を覚悟し――。

 

 

 

 

 

 

「……何だこの状況」

 

 数分後。連れて来られた料亭にて、思わず頭を抱えていた。

 

「何もかもお見通しで遊ばれていたわけかい」

「いえいえ。『今回も』貴方が来ているとわかっていれば、最初からそれを前提に組んで、より効率よく皆さんと遊べましたし」

「今回も?」

「こちらの話ですよ」

 

 微笑みながら、目の前の鍋の蓋を外すころせんせー。

 ぐつぐつ済んだ出汁が湧き、豆腐の白が水面でゆれる。

 

 今日一日を振り返って、レッドアイは思わず言った。

 

「いや、確かにアンタが、いつも旦那が言っていた『世界最強の――」

「ヌルフフフ、誰が聞いているかわかりませんから。今は、吉良八湖録ですよ。子供達の劣等感を暗殺する、凄腕の殺し屋先生。

 まあそっちの話、イリーナ先生には、ロヴロさんの方針で内緒ですが」

 

 豆腐を器に救い、ふー、ふー、と息を吹きかけ続ける。

 

「そうかい? まあ、こっちとしては納得した部分はあるんだ。アンタについて聞いていた話が、全くの嘘デタラメじゃなかったっていうのが、こっちからすればデタラメじゃあるんだが。

 で、俺を殺す気か? いいぜ、()れよ。

 こんな商売やってんだ。覚悟ならとっくの昔にできてる」

 

 ふー、ふー、と息を吹きかけ続けるころせんせー。

 そのままふー、ふー、と息を吹きかけ続ける。

 

 ふー、ふー、と息を吹きかけ続ける。

 ふー、ふー、と息を吹きかけ続ける。

 

 ふー、ふー、と息を吹きかけ続ける。

 

 ふー、ふー、と息を吹きかけ続け――。

 

 

「早く食えッ!」

 

 裏返った声でツッコミを入れるレッドアイ。律儀なものだ。

 

「いえ、猫舌なもので。こればっかりは何とも……」

「どんだけ猫舌なんだ、アンタ……」

 

 ちなみにこれらの会話は、シングリッシュ(シンガポール英語)で行われている。

 情報の秘匿を前提にしたものなのだろうが、何故シンガポールなのかは不明だ。

 

「殺すなんてとんでもない。

 私の暗殺者への報復はねぇ。手入れなんですよ」

 

 にこにこ笑いながら、ころせんせーは続ける。

 

「私の教室では、私の本職に沿って、『暗殺教室』という遊びをしているんですよ。そして今回は私を倒すポイントを探すため、生徒達は沢山京げほげほッ」

「お、落ち着いて食え。こっちに飛ばすなッ」

「し、失礼……。ともかく、普段より沢山、この京都について調べたことでしょう」

 

 地理。地形。見所や歴史。成り立ち、人々、生活、名産やイベントなどなど。

 

「それはつまり、この町の魅力を知る機会が、多かったということです」

「町を知る機会?」

「人を知り、地を知り空気を知る。暗殺のためにと通して得た物は、生徒の今後の人生を豊かに彩り、一つの経験としてつながっていくことでしょう」

「経験……」

「はいどうぞ」

 

 豆腐をよそい、ネギやゴマを乗せ醤油をかけ、レッドアイの手前に置くころせんせー。

 

「私から一つ、インストラクションを与えましょう」

 

 指を立てるころせんせーは、同年代に見える男にとって、しかし同時に教師のようでもあった。

 

「だから、私は彼等が真剣にことに当るのを、喜ばしく思います。

 私を倒すために真剣になればなるほど、それは彼等に新しいつながりを作ります」

 

 ――さて、では貴方はどうでしたか?

 

「レッドアイさん。人生には無駄はないと言います。私も、正式な弟子に教えた事があったのですが……。

 だからこそ、もっと広く見聞を広め、心から楽しみなさい。

 『狙撃』や『暗殺技術』だけで通じるほどこの業界、浅くはありませんよ?」

 

「……能力も考え方も、行動さえイカれてるぜアンタ。見ず知らずの殺し屋に、アドバイスまでしてきて」

 

 肩をすくめながら、レッドアイは笑う。

 

「だが……、なんでかな。アンタは紛れもなくプロなんだが、同時に先生してやがるじゃねぇか」

「そりゃ、ころせんせーですからねぇ」

 

 ヌルフフフ、と微笑む彼に、レッドアイは適わないとばかりに肩をすくめた。

 

 

 

『依頼を放棄するのか?』

「ああ。とりあえず、この町を好きに観光したくなった。悪いな旦那。

 俺はまだまだ、暗殺者として未熟だったよ」

 

 その日の夜。雇い主に対して、レッドアイは連絡を入れる。

 

「でも旦那、まさかこの通信装置を作った本人を殺しに向かわせるってのは、趣味が悪いね」

『必要なことだ』

「アンタにとってか? それとも、俺に?」

『……ほう、どうやら気付いたようだな』

 

 まあ少しはな、とレッドアイは肩をすくめた。

 

「一つの色に拘らず、たまには色々な色を見て回るさ。

 ひいては、それが俺のためってことだろ」

『……今回、君を向かわせた価値はあったようだな。

 その点、果たしてイリーナはどうなっているか』

「さあ。それこそ、コロセンセーに聞けばいいんじゃないか? あんたら、トモダチなんだろ」

 

 通話を終えると、レッドアイは三日月を見上げる。

 

「さぁて……、明日のスコープには、どんな色が映るかなぁ」

 

 その表情は、妙にはればれとしたものとなっていた。 

 

 

 

   ※

 

 

 

「大丈夫だった? 今日」

『ごめんごめん。でも、大丈夫だったよ。みんな助けてくれたしさ、お姉ちゃん。

 そっちこそ大丈夫だった? 実家の方、色々大変だし』

「んん……、まあ、何とか大丈夫ね。吉良八先生もいるし」

 

 温泉上がり。宿の入り口にて、雪村あぐりは何処かへ電話をかけていた。

 あて先は、彼女の妹。

 

 浴衣の胸元を片手で扇ぎつつ、彼女は困ったように笑いながら話をしていた。

 

 と、背後から見知った男性に声をかけられた。

 

「おや、あぐりさん。妹さんと電話ですか?」

「吉良八先生――」

『あ、そうだ! お姉ちゃん代わって!』

「え?」

『「ちゃんとしたタイミング」で、先生に挨拶したいからさ! 食事に行ったりもまだできてないし』

「そ、それは私が悪かったから……」

 

 困ったように笑いながら、ころせんせーに事情を話すあぐり。

 とりあえず、妹が直接話したいので代わってくれ、という話だった。

 

 無論、ころせんせーは快く引き受ける。

 

「はい、吉良八です」 

『どうも、吉良八先生。姉と実家がいつもお世話になって……。特に実家の方は、重ね重ね』

「いえいえ、こちらこそあぐりさんには、大層お世話になってます。ヌルフフフフフ」

『……そっか、オフだともう下の名前呼ぶんですねぇ』

 

 結構距離縮んでるんだなぁ、と彼女はくすくす笑った。

 

「それでええと……、雪村さんと呼んで良いでしょうか。なんだか色々、しっくりこなくて」

『大丈夫ですよ。普通にされると、私も「どっちで」応対していいかわかんなくなるんで』

「では雪村さん。一体どうしたのでしょうか? お姉さんから聞いていた『お食事会』は、今期のスケジューリングから少々難しいから延期したと思いましたが……」

『そっちじゃなくて……。あの、今日思ったことがあったんですが。

 私の、「クラスメイト」の話です』

 

 その一言に、ころせんせーはゆるんだ表情から教師の表情へと戻る。

 

「では、詳しくお聞かせ願えますか?」

 

 修学旅行の夜は、まだ長い。

 

 

 




今回の原因;赤目さんがやっぱり好きなので

一応予定では、レッドアイさん再登場ワンチャンあります


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第12話:古都の時間・3時間目

あまり派手にフラグは建てない方針


 

 

 

「おお! どうやって避けてるのかまるでわからん!」

「これ、絶対当ってるよね?」

「一応、連射に合わせて発生するラグを使ってるんだけど……。は、恥ずかしいなぁ何だか」

「おしとやかに微笑んでいながら、手つきプロだッ!」

 

 カルマを除いた第四班の面々に囲まれながら、神崎は笑顔でシューティングゲーをしている。

 時刻は夜。ころせんせーに連れられて宿へ帰った彼らは、現在レクリエーション中だ。

 

 夕食も終わり風呂上り。浴衣姿で集る彼等は、案外と彼女の手元の動きに白熱していた。

 

 アーケード筐体の古いマシン。ブラウン管の画面にぼやけて表示されるビットとビット、当り判定とを、大和撫子然とした佇まいのまま、シビアに切り分けギリギリでかわす。

 そして自身の攻撃も、弾幕をはるように移動しながら狙撃し、相手の防御を誘爆させ、地味に距離をつめていく。

 

 何をしているかまるでわからんぞ、な杉野の反応に、神崎は照れながら答えていた。

 

「すごい、どんどん削れてく……!

 でも意外です、神崎さんがこんなにゲーム得意だなんて」

「黙ってたの。遊びが出来ても、家じゃ白い目で見られて、止めさせられるだけだし」

 

 画面に表示される自機の放った弾が、相手の回転する壁の隙間を貫通し、戦力を順調に削る。

 会話をしながらも、プレイに一切の余念がない。

 

 そしてこんな時でも、渚とてメモをとるのに余念がない。

 

「……でも、周りの目を気にしすぎてたのかも。

 服も、趣味も、肩書きも。逃げたり流されたりしてたのだから、自分に自信がなくって」

 

 適度にシールドを破壊しないその撃ち方のせいで、敵の前線がなかなかこちらに下りて来ない。それを利用した似非名古屋撃ちを用いた増援破壊に、舌を巻けるほどの知識がある生徒は、残念ながらこの場には居なかった。

 

「でもころせんせーに言われて気付いたの。大事なのは、私が前を向いて頑張ることだって。

 あと、茅野さんもありがとね」

「い、いやぁ……。あ、ステージクリア!」

「うん。じゃあ、茅野さんもやってみる?」

「ええ!? いや、無理無理だって~」

 

(神崎さんの意外な一面。あと攫われた時、茅野と何か話したのかな。

 なんか、二人の空気が軽い)

 

「あー、だからやられるってばー」

「茅野さん、ここのところもう少しずらしてやると」

「――あ、本当だ! うそ、すごいこれ!」

「あはは。ね?

 じゃあ、みんなもやってみる?」

 

 神崎の誘いに、残りの三人も頷く。特に杉野が張り切る。

 

「最大で四人対戦が可能だから、そっちの対面の方に行って……」

「うなー、もーいっかい!」

「じゃあ、奥田さんと杉野君、茅野さんと渚君で。私、色々教えるから」

「おっしゃー! じゃあ始めようぜ!」

「あはは……。あ、対戦だと100円で何回か出来るんだ」

「渚君、ここの操作は――」

 

 

 

「――イヨシッ!」

「く……、やはり上手くはいかないか」

「大丈夫か? 竹林。額に当ったけど」

「三村君ほど素直に打ち返してくれるのなら成功するかと思ったんですが、案外球が軽かった」

「何やろうとしてたんだ?」

「一泡吹かせようと、手○ゾーンでも」

「「卓球だからこれ、テニスじゃねーから!」」

「回転と打ち返す箇所だったら上手くいくかと思ったんですけどねぇ」

「まー、テニスと卓球だと接触面積とか、空気抵抗とか重量とかも違うからなぁ」

「じゃあ、次磯貝やれよ」

「おっけー! 覚悟しろよー竹林」

「そちらこそ、簡単には――」

 

 休憩室にて卓球に講じる三人。その奥、自動販売機の隣のベンチで、烏間は今日の分の報告書を読んでいた。

 

(生徒達の戦績は、まずまずといったところか。以前なら対策すら思いつかなかっただろうに、今回はそれぞれ戦略を練った上で対応していた)

(しかし……。

 イリーナから先ほど教えられたスナイパー。この程度では奴を仕留めることは難しいだろうが、少し警戒度は上げていかなければならないかもな)

(なにせ、防衛省も派閥は決して一つだけとは言えない)

 

「――烏間先生、卓球やりましょーよ!」

「……まさか○式を返されるとは」

「いやいや、跳ねたらそりゃあ、なぁ」

 

(……まあ何にしても、あまり彼等にも負担はかけるものではないか。今日に関しては、もう自由時間だ)

「ふっ、良いだろう。俺は強いぞ?」

「そうこなくっちゃ!」

「じゃあ先生、俺達勝ったら何か奢ってよ! 焼肉とかさー」

「駄目だ。精々……、何だ? 入り口の売店で売っていた、ミニパフェアイスくらいだ」

「「「気前良い!」ですね」」

「まあ、この時間に食べると糖尿の元だ。せいぜい俺が力いっぱい相手してやるとしよう」

 

 にやり笑う烏丸に、三人は笑みを浮かべたり、メガネをおさえたりしていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「しっかしボロい旅館だよなぁ」

「岡島、声大きいってば」

「あ、悪い悪い。でもアレだぜ? 寝室も男女大部屋二部屋だし。E以外はみんな個室ありだってよー?」

「あはは……。でも良いじゃん、にぎやかで」

 

 渚、岡島、杉野の三人が廊下を歩く。

 

「そういえば、カルマの奴ってどうしたんだ?」

「さっき、お土産のところ行ってたかな」

「自由だな相変わらず。……そういえばお前等、今日大変だったみたいじゃん」

「ま、まぁ……」「だな」

 

 何とも言えない表情の渚。と、見知った二人の女子生徒が、なにやらこそこそと動いているのを発見する渚。

 杉野らを促して、一緒に彼女等の後をつける。

 

「ねえ、二人で何してんの?」

「(しっ!)」

 

 不破が口に手を当てて、強めに主張。

 中村がにやりと笑って、断言。

 

「(決まってんでしょ、覗きよ!)」

「覗き!?」

「(それ俺等のジョブだろ!)」

「ジョブじゃないんだよなぁ……」

 

 何とも言えない杉野の表情。とりあえず渚は不破に近寄り、耳打ち。

 

「あ、おっけーおっけー! 後でね、メモの共有」

「うん、ありがと」

「律儀なもんね渚。

 いや、でも三人とも、アレを見ても同じ事言える?」

「「「?」」」

 

 建物の隅にある男湯。その戸を引くと、ぶら下げられた着替えが見える。

 籠の中には何故か侍とかが着ていそうな和服が置かれており(普段ならスーツ)、手前にはアカデミックドレスがぶら下げられていた。

 

「(言いたい事、わかる?)」

「う、うん」

「(今なら見れるわ? ――ころせんせーの、あの、服の中身!)」

 

 頷く渚は、中村の意見に多少は同調できた。

 

「(縫いぐるみをクラスメイト全員分取り出したり、バットを抜いたり時には着替えを入れたり、中華なべを出したとか言う証言もあるわ。なのに昼間は、たぶん和服の中にしまってしまえてたくらいだし。

 あの服の構造とか中とか、少しでもわかれば良し。暗殺的にも知っておいて損はないわ!)」

「で、でも流石にそれは……」

「(大丈夫、雪村先生の許可とってきたから! 壊したり盗まなければいいって)」

「「「(結構こすい!)」」」

 

 許可をとるのが本人じゃなく、あぐりである辺りがなおのこと狡っ辛い。

 

「さあ、いよいよ先生の四○元そでの正体が明らかに!」

「いや、そこまで現実離れはしてないんじゃ……。

 あ、でもバット出した時は、ちょっと丈が合ってなかったような」

「わかってるじゃない杉野君!」

 

 テンションの上がる不破である。

 ちなみに本日に関して言えば、それらにプラスして修学旅行のしおり(完全版)の紙媒体バージョンを四冊ほど内部にストックしておいたわけだ。謎は深まる一方である。

 

「しかし、この世にこんな色気もへったくれもない覗きがあったとは……」

「覗くの、人でもないしね」

 

 だがしかし、ころせんせーは彼等の一手ニ手も先をいく。

 杉野と不破が最初にころせんせーの服に触れた瞬間、それは起こった。

 

『――エマージェンシィ。エマージェンシィ』

「うわ!」「何!?」

 

 突如鳴り響く、けたたましいサイレン音。そして鳴り響く少女の声のような合成音。

 

 がらがらがら、と風呂の戸が開かれる。

 

「ニュニャ! 皆さん何をやっているのですか!」

「うわせんせー!? って、女子か!」

 

 中村が思わず突っ込む。

 長めの髪だからかタオルを頭に巻き、バスタオルも胸から膝に掛けて装備。

 わずかに漂うシャンプーの良い香り。

 そしてわずかに覗く素足が妙にきれいというか、膝の部分含めて女の子しているんじゃないかってくらい綺麗に整っていた。

 

 すぐさま目にも止まらぬ速さで、着替えの籠とアカデミックコーデを引っぺがすころせんせー。

 

「危ない、危ない。

 おそらく雪村先生に許可を貰ってきたんでしょうが、そー簡単にとられては身が持ちませんとも」

「へぇ? ってことは、ひょっとしてその中にせんせーの弱点につながる何かがあるってこと?」

「ヌフフフフフフフフ」

 

 笑うばかりでまともな反応は返さない。

 だが、中村は彼の首にチョーカーが巻かれていることを見抜き、模造ナイフを取り出した。

 

「でも甘いわよ、ころせんせー。出口は私達が塞いでる。

 『暗殺教室』のルール的に倒せないとしても、せめて内ポケットくらいは覗かせてもらうわ!」

「そーは行きませんせー!」

「何で煮こごり!?」

 

 中村にツッコまれた通り、ハンガーを落して開かれた内部には、例の「タコせんせー」容器に入れられた、茶褐色の煮こごりが大量に吊るされていた。

 

 それを闘牛士がするかのごとく、ひらりと動かすころせんせー。 

 その動作に反して、煮こごりがまるで津波のごとく、生徒たちに襲いかかる!

 

「さあ、せんせー特製、京都の新鮮野菜と桁がお高~い牛肉とがぎゅっとつまった、湯葉風煮こごり! 無視できるものなら無視なさい、ほれほれヌルフフフフフフフ!」

「「「「えええええええ!?」」」」

「や、ちょ、何それもったいない!」

「ああ! やばい、踏む踏む~!?」

「す、杉野!?」

「てか無視するしない以前に壁みたいに投げてくんなよせんせ-!」

「ヒ○リマント……。そういうのもあるか」

「不破さん何いってるかわかんない!!?

 って、せんせーいつの間にかいないよ!」

 

 生徒たちの混乱の隙をついて、上にアカデミックドレスだけをまとい、ヌルヌルと歩いたころせんせー。彼等の「意識の隙間」をつくように移動したのか、出口の扉が閉められるまで全く渚たちは、ころせんせーの移動には気付けなかった。

 

「逃げられた……」

「中村、この覗き空しすぎるぞ……」

「ううう……」

 

 もったいない精神で煮こごりを両手に抱えながら、渚たちは何とも言えない顔になる。

 

「修学旅行でみんなのこと、色々知れたけどさ……」

「ころせんせーのことは、むしろ更にわかんなくなるなー」

「大部屋でダベろっか。……お土産もできたしさ」

 

 引き上げながら、三人は肩を落す。

 とそんな中、渚はメモを取り出す。

 

(あれは、見間違えじゃなかったよな……)

 

 移動する一瞬のこと。

 アカデミックドレスを羽織ったころせんせーの胸元に、一際大きな傷が見えたような――。

 

 そのことをメモに記入するか迷い、結局、そのまま放置した。

 

 

 

   ※

 

 

 

 大部屋に集ったE組の男子達。全員ではないが、あらかたメンバーが集中している。

 木のスプーンと煮こごり片手に、彼等は何だか色々と白熱していた。 

 

「気になる女子ランキング……。一位はやっぱり神崎か」

「ま嫌いな奴はいないわなぁ」

 

 マジックでメモしながら、前原がにやりを笑う。

 渚が覗いて読めた順位だけでも、

 

 

順位 名前:点  ポイント

  

 1.神崎:4 ・性格良さそう! ・顔がダントツ可愛い ・気遣ってくれそう

 2.矢田:3 ・ポニテ! ・でかい(確信) ・おねーちゃん

 3.倉橋:2 ・癒し系 ・ふわふわ ・みわく的ポーズ

 4.茅野:2 ・色々小さい ・元気もらえる ・縁の下の力持ち

 5.片岡:1 ・頼りになる ・ぱっつん ・すらっとしてる

 

 といったデータとなっていた。

 

「で? 上手く班に引きこんだ杉野はどーだったん?」

「それがさぁ……。色々トラブってさ。じっくり話せるタイミング少なかったわ」

「何か大変だったらしいなー。お疲れー」

「また今度頑張るよ。はぁ」

 

 肩を落す杉野に、どんまいと軽く叩く渚。どっちも表情に疲れが見え隠れしていた。

 

「気になるのは、誰が誰に入れたかだよなぁ」

 

 もっとも三村のその一言で、周囲の空気が変わったりするのだが。

 

「俺は一人に決められないんだよおおおおおおお!」

「うん、岡島はいいから」

「しってた(こなみ)」

「竹林、こなみって何?」

「小学生並の感想という意味で」

「渚ぁ、お前は誰入れたんだ?」

「うぇ!?」

「お、何その反応。ひょっとして本命居たりするわけ?」

「お、ちょっと気になるかも。やっぱり茅野か? いっつも一緒にいるし」

「い、いや、そこまで一緒ってわけじゃ……。感謝とかはしてるけど、って、じゃ、じゃなくて!」

「そーいう前原こそ誰に入れたんだよ?」

「そいつは言えねぇなあー」

「腹立つ! お前みたいな奴がモテてるかと思うとまた腹立つッ!」

 

 そんな風に盛り上がっていると、扉が開かれ、アイスを片手に持った男子生徒がやってくる。

 

「お? 面白そうなことしてんじゃん」

「カルマ! ……って、その手に持ってるアイスは……?」

「「「烏間先生に卓球で勝ってきたのか!!?」」」

 

 赤羽カルマである。さきほど烏間と戦っていた三人の反応に笑うと、クリームの底に沈んだストロベリーの果肉を一口。

 磯貝が場所をゆずり、輪の中に入れた。

 

「いいところに来た。お前、気になる子いる?」

「渚も言ってんだ、逃がさねーぞー?」

「言ってないよ!?」

「ん~ ……。俺は奥田さんかな」

「でも言うのかよ……」

「お、意外。なんで?」

 

 菅谷や前原の反応を見て、カルマは無邪気そうに笑った。

 例によって、善悪を問わない無邪気さである。

 

「だって奥田さん、怪しい薬とか、クロロホルムとか頼めば作ってくれそうだし。

 悪戯の幅、広がるじゃん?」

(((((絶対くっついてほしくない)))))

 

 真顔で一致するクラスの心。

 

「ともかく皆、この投票結果は男子の秘密な?

 当たり前だけど知られたくない奴が大半だろうし。女子や先生に……。特にころせんせーに知られないようにしないと――」

 

 と、視線を振っていた磯貝の首が、固まる。

 その方向を見る渚たち。

 

 部屋の天井にある照明から、何だろう、彼等にとって見覚えのある、タコのような小さなキャラクターが、ぶら下げられているような。

 桃色カラーなその手元に、こう、スティック状の、いかにも「今までの話は全部記録してました!」と言わんばかりのような、そんなカメラのような装置があるような、ないような。

 

 生徒たちが見守る中、それが徐々に照明の方に引き寄せられ、ぴん、と照明の籠の上を通過した瞬間、一瞬で入り口の方へ飛来し。

 向こうにあるわずかに開いた口から出ていき、ぴしゃり、としまった。

 

「……覗き見て逃げやがった!」

「おい、あれカメラだよな!」

「いつ設置したんだよ!」

「探せー、追いかけて潰せー!」

「見敵必殺じゃああああああ!」

 

 絶叫し戦闘体勢に入る生徒たちを嘲笑うかのように、ころせんせーは廊下の壁や天井を跳ねるわ跳ねるわ。

 いつもと違う浴衣の装いだろうが何だろうが、やってることは大して変わらないらしい。

 

「ヌルフフフフフ! せんせーの超身体能力は、こういう情報を集めるためにあるんですよ!

 思い出しますねぇ、ダウンタウンで教え子と遊んでいた時、有名芸能人のパパラッチごっこをした日の夜のことを」

「下世話!」

 

 叫びながら、ころせんせーの方のメモに記入するあたり、渚のメモ習慣はかなり板についてきたようだ。

 

 

 

 

 

「へ? 好きな男子?」

 

 片岡の言葉に、中村は腕を組んでにやにや笑った。

 

「そうよ~。こういう時は、そういう話で盛り上がるもんでしょ?」

「はいはい~。私、烏間先生~」

「はいはい。そんなのは、大体みんなそーでしょ。ていうか、ころせんせーがころせんせーなもんだから、烏間先生の方に寄るでしょ」

「「「「「まぁね~」」」」」

 

 ギャグキャラを目指したがゆえのこの扱いである。

 

「クラスの男子だと例えばってことよ」

「ええ~ ……」

「陽菜ちゃん、どうどう」

「ウチのクラスでマシなのは……、磯貝と前原くらい?」

「そっかなぁ」

「そうだよ。前原は、たらしだからまぁ残念だとして。磯貝はなかなか優良物件じゃない?」

「顔だけなら、カルマ君も格好良いよね~」

「素行さえ良ければね」

「「「「「そうだね……」」」」」

 

 自由な家庭環境で育った結果、男女ともにこの扱いである。

 

「う~ん。でも、意外と怖くないですよ? 結構優しいところもありますし」

「普段大人しいし」

「野生動物か」

「そういう速水さんとか、千葉君とかどうだった? 今日一緒に作戦したわけだし」

「べ、別に関係ないわよ。……まあ、なんか、すごかったけど」

「へ?」

「目力が、こう、スナイパーみたいで」

「その説明……」

「茅野さん、渚君と一緒にいるけどもしかして」

「いや、まあ、一人で放っておくと危なっかしいって感じかな? そういう話じゃなくて。

 逆に、そういう神崎さんは?」

「へ? 私は、特には――」

「ほんとっかなー? ほれほれー! うりうりうりうりー!」

「あ、ちょ、やめ……っ、中村さんも、もう、あはははは!」

「男子だってみんな気にしてるぞー! うりうりー!」

「ほ、本当だってばッ」

 

 きゃっきゃうふふと、楽しそうな光景である。

 そんな場所に、アルコール臭と共にイリーナが現れた。

 

「おーい、もうすぐ就寝時間だってこと、一応言いに来たわよー」

「一応って……」

「どーせ夜通しおしゃべりするんでしょ? あんま騒ぐんじゃないわよ」

「せんせーだけお酒飲んでずるい~」

「当たり前でしょ、大人なんだから」

 

 なお椚ヶ丘学園では、引率の教師に飲酒を勧めることはない。

 

「ビッチ先生、雪村先生は?」

「あぐりなら、男子の方に言いに行ったわよ? たぶんアイツもいるだろうし」

「ころせんせーたちもころせんせーたちで、結構怪しいよねー」

「怪しいっていうか、ほとんど出来てるんじゃない?」

「ビッチ先生、女のカン?」

「別に。なんとなくわかるようになるわよ。アンタらもそのうち。ほとんど隠しもしてないし」

「あ、そうだ! ビッチ先生の大人の話きかせてよ~。

 普段の授業より色々ためになりそう!」

「何ですって! ちゃんと授業受けないさいよ! っていうか押すな、矢田ッ」

「いーからいーからん♪ 先生たっぷり尊敬させちゃってくださいよー♪」

 

 なんだかんだで、クラスの女子会にとりこまれるイリーナ。

 ころせんせーお手製の煮こごりに目をひんむきつつ、それをおつまみにビールを飲んでいた。

 

「「「「えええええッ!?」」」」」

「ビッチ先生まだ二十歳!?」

 

 そして、話の中で明かされた重大事実である。

 

「経験豊富だからもっと上かと思ってた……」

「毒牙みたいなキャラのくせに」

「そ、濃い人生が作る毒がみたいな色……、誰だ今毒牙っつった奴ッ!」

「ツッコミが遅いよ」

「ノリツッコミか」

 

 こういった風に生徒に翻弄されるあたりも、まだまだ二十歳ゆえだろうか。

 

「若く見られる事に関しちゃ、アンタら東洋人がチートなだけよ。

 まあそうでも、いい? 女の賞味期限ってのは短いの。アンタたちは、私と違って危険とは縁遠い国に生まれたんだから。感謝して、環境の整ってる今のうちから全力で女を磨きなさい。

 発揮できる女の力は、時に国の未来すら左右するんだから」

「「「「……」」」」」

 

 めずらしくしんとし、顔を見合わせる生徒達。

 

「……何よ」

「ビッチ先生がすっごくまともなこと言ってるー」

「なんか生意気ー」

「やかましぃわ、このガキ共ッ!」

 

 渾身の叫びである。半ギレゆえか、妙に魂がこもっていた。

 

「じゃあさ、じゃあさ? ビッチ先生が落してきた男の話きかせてよ♪」

「あ~! 興味ある~!」

 

 だが、この話題にすっかり機嫌を良くするイリーナ・イェラビッチだった。

 それでいいのか、プロの殺し屋。

 

「んっふふ、いいわよぉ? 子供には刺激が強いから、覚悟なさい?」

 

 ごくり、と生徒たちがシンクロする。

 

「例えばアレは十七の時――ってそこ! さりげなく紛れ込むな女の園にッ!」

「「「「「うわ!」」」」」

 

 白目向いて指差すイリーナの先。女子部屋の入り口手前で、ころせんせーが壁に張り付きながら、にたにたと話を聞こうとしていた。

 

「えー? いいじゃないですかぁ。私もそういうお話聞きたいですよ。ノンフィクションなら特に」

「そーゆーころせんせーはどうなのよ! 自分のプライベートはちっとも見せないくせに」

「ニュル?」

「そーだよ、人のばっかずるいー」

「先生はコイバナとかないわけ?」

「ニュニャッ」

 

 ちょっとずつ追い詰められていくころせんせー。

 

「そーよ! 巨乳好きだし、片思いくらい絶対あるでしょ!」

「雪村先生とはどこまで行ったの!」

「か、茅野さん、ストレートに行くね……」

 

 女生徒たちからも指を刺され、つめよられる形のころせんせー。

 そんなタイミングで、背後の扉が開かれる。

 

「こんばんは、みんな。吉良八先生って見なかった?

 さっき男子部屋の方で声かけに行っても誰もいなかったから――」

 

「「「「「……」」」」」

 

 ――びゅん!

 

 そう形容できる速度で、ころせんせーはあぐりをお姫様だっこして、その場から逃走をはかった。

 

「……山賊か何かか!」

「逃げやがった、捕らえて吐かせるのよ!」

「「「「おー!」」」」」

 

 殺気に満ち溢れ、どたどたと移動しだす女子生徒たち。

 

「にゅ、ニュルフフフフフフ――」

「(……『死神』さん、お遊びもほどほどにしましょうね?)」

「(す、すみませんあぐりさん、一応今後必要になる情報収拾もかねてと思いまして――)ニュニャ!」

 

 廊下の角にさしかかった瞬間、ころせんせーはぎょっと飛び上がる。

 

 右方、男子。

 左方、女子。

 

 それぞれがそれぞれに、ころせんせーの自業自得な理由へと殺気だっていた。

 

「ころす、ころす!」

「ヌニャ!?」

「こっちよー!」

「ニャフ!! しまった挟み撃ちに!」

「吉良八さん、本当何したんですかー!」

 

 叫ぶあぐりに、ころせんせーは状況判断。

 

「少々無理しますから、雪村先生、しっかりつかまってくださいッ」

「え、ちょ――ニャああああああああああああああ!」

 

 首に手をまわしていた彼女を、もっと強く抱き寄せるころせんせー。

 ほっぺとほっぺがくっつき、流石に赤面するあぐり。

 

 そんな状態で襲いかかってくる生徒達を、残像が残りそうなほどの早さでかわし(おそらく今までで最高速度である)、煙を上げて移動先を見えなくするころせんせー。

 げほげほと咽る生徒たちを見て、カルマが一言。

 

「なんだかんだで、結局ゲーム関係なしに『暗殺教室』になるね」

「う、うん」

 

 かく頷く渚でさえ、その手には授業で使っている訓練銃が装備されているのだった。

 

「どこ行った本当にー!」

「絶対吐かせちゃるんだから!」

 

 修学旅行の夜は、まだまだ長い。

 

 

 

   ※

 

 

 

 職員、男部屋。

 大部屋ではない少人数用の個室だが、そこで烏間はPCを開き、展開されたファイルと手元の資料を比べて、嘆息していた。

 

「修学旅行開けに配備される固定砲台と……。システムメンテナンス費用に、メモリのパッチアップ?

 何ともまた骨の折れる……。

 そして肝心のメインウェポンが、詳細開示不明? 指令系統はどうなっている」

 

 わずかに愚痴をつぶやきつつ、端末のファイルを整理しながらレポートを書いている烏間。

 と、窓がからからと開かれる。

 

「……ん?」

「いやぁ、危ないところでした」

「お、お邪魔します……」

 

 汗をかいているころせんせーと、僅かに浴衣の胸元が乱れ掛けているあぐりの二人だ。さり気なくころせんせーが彼女の肩を押さえながら、直しているのだが、わずかに鼻の下が伸びているのが小憎らしい。

 

「どうした。さっきから騒がしいが」

「生徒たちのコイバナを集めていたら、こちらの方も聞かれそうになりまして……」

「いい年した大人が何をやってんだ。『吉良八湖録の戸籍』では、俺とお前同い年だろ」

「ヌルフフフフフ……」

 

 微笑みながらも、「これ差し入れです」と、手作りの煮こごりを渡すころせんせー。

 

「ヌルフフフフフ。

 風呂上りということもあるのでしょうが、烏間先生、髪を下ろして居た方が女子人気高くなるのでは?」

「邪魔だ。潜入任務の際には使うこともあるから、伸ばしているだけだ」

「そういえば、元情報部でしたねぇ。ヌルフフフフフ」

「死神さん、あんまりやりすぎると私、生徒側に味方しますよ?」

「ニュニゃ!? そ、それはご勘弁を……」

 

 ころせんせーの鼻をつまみながら、つんとする雪村あぐり。それにわたわたするころせんせー。

 光景としては、これほど平和で幸せそうなものもあるまい。

 

 そのことを、この宿において誰より知っている烏間は、しかしだからこそ、確認をとった。

 

 

 

「――『心臓』の具合はどうだ?」

 

 

 

 わずかに、二人の表情がかげった。

 

「……あ、すみません。電話みたいですので」

 

 あぐりが席を外した後、ころせんせーは思案しながら口を開いた。

 

「……ニュル、フフフ。まあ、良くはなってきているんですがねぇ。『プロト律さん』があっても、ぎりぎり仲介してまだ一本がやっとといったところでしょうか」

「完全でないのはわかる。だが……間に合うか? 三月までに」

「五分五分でしょうかねぇ。今の所、本気の無茶はしてませんので」

「いくら時速『2000マイル』まで知覚できようが、反応速度は700マイルがせいぜいだ。

 この『暗殺教室』も、なかなかに無理があるんじゃないか?」

 

 ご心配には及びませんとも、ところせんせーは微笑む。

 

「最悪あちらが来ても、皆さんが最低限対抗できるようにと、準備してますからねぇ。まあそれでも、私が教師をやるという無茶を通したのは、あぐりさんですが」

「……女は強いな」

「常日頃からよく思います」

 

 言いながら、ころせんせーは月を見上げる。烏間もそれにならい、七割が欠けた三日月に目を細めた。

 

「正直な話をすれば、いくらお前が『C』の関係者だとは言えど、仕事を請け負った立場からすれば、お前とはプロ同士だと思っている」

「ニュル?」

「だからこそ……、同時にすまなく思うこともある。事情は、こちらの方もおおまかに把握しているからな」

「……そこは、ぜひとも生徒たちにも向けてあげてください。彼等もまた、私達につきあっている側ですし。

 なにせ一年というのは、長い様で短いですが、同時に365日と長いですからねぇ」

「……そうだな」

 

 懐からビールの缶を取り出すころせんせー。「ノンアルコールです」と詮を開け、烏間に勧めた。

 

「とりあえずあと一日、がんばりましょうということで」

「……こっちはともかく、何で煮こごりなんだ」

 

 今更ながらのツッコミに、ヌルフフフところせんせーは笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「あれ、茅野?」

「……うん、じゃあまた。はい、ありがとうございますー」

 

 騒動が一段落した後。窓際で電話をしていた茅野に、渚は声をかけた。丁度切れるタイミングだったためであるが、しかし周囲から離れて一人でいる彼女が、珍しいと思ったのもある。

 もっとも、髪が解けていたこともあって、一瞬誰だかわからなかったのだが。

 

 メガネの位置を調整し、彼女は手を挙げた。

 

「お、渚。どしたの?」

「いや、なんかお土産でも見ようかなあと……。茅野は?」

「私? は、えーっと……。ちょっと、家族と電話を」

「実家?」

 

 一瞬、茅野の表情が固まる。

 

「……まー、ほら、今日色々あったし、心配かけないようにって」

「あ、そうだねぇ」

「渚の方は?」

「僕は……。まあ良いかな。今かけると、後が怖いし」

「結構怖いの?」

「べったりって感じかな……」

 

 困ったように笑う渚に、深くは追求しない茅野。

 こういった距離感のとり方が、地味に神崎あたりから感謝されていたりもする。

 

「やー、でも楽しかったねー修学旅行。みんな色々な面見れて」

「そうだね……」

「んー、どしたの?」

 

 わずかに表情が陰る渚に、茅野が聞き返す。

 

「……ちょっと思ったんだ。修学旅行ってさ。終わりが近づいた感じするじゃん?」

「うんうん」

「この一年は、始まってまだ間もないし、月が壊れた影響で地球がどうなるかとか、今後のことはさっぱりわからないけどさ。

 でも――いつか絶対、このクラスは終わるんだよね。来年の三月で」

「……そうだね」

 

 月を見上げる渚。茅野は、その横顔を覗きこむ。

 

「みんなのこと、もっと知ったり、せんせーと戦ったり。

 できれば、やり残すことないように暮らしたいなーって」

「……とりあえず、もう一回くらいみんなで旅行行きたいね」

「うん」

 

 となりの茅野に、渚は視線を下ろす。

 

 二人の視線が交叉する。

 わずかにメガネを下ろした茅野の上目遣い。彼女の頬が、心なしか赤いような。

 今更ながら、わずかに漂うシャンプーの匂いが渚の鼻腔をくすぐる。

 

 髪を下ろした彼女は、どうしてだろう、いつもよりもどこか大人びて見えて――。

 

「渚?」

「……ッ、な、何でもないよ」

 

 少しだけ緊張した渚に、茅野は頭を傾げた。

 と、何かを思い付いたように、茅野が手を叩く。

 

「あ、じゃあさー、せっかくだからアレ作らない? 金閣寺」

「……しおりの付録のやつ?」

「そーそー! せっかくだしさ。せっかくだし、何人かさそってさ――」

 

(こうして、僕等の修学旅行は幕を閉じていく)

(最終日が終わればまた、学校での生活がはじまっていく)

 

(――僕等の、『暗殺教室』が)

 

 茅野が主導して足を進めながら、渚たちは他の生徒たちの集る男子部屋へ。

 就寝時間が過ぎても、まだまだ修学旅行の夜は長いらしかった。

 

 

 




次回、転校生の時間の前に一つインターバル予定


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インターバル:帰り道の時間

基本インターバルは、原作本編外のネタ回収を中心にしていこうかと思います。


  

 

 

 新幹線の車両に集ったE組を見て、雪村あぐりは点呼をとる。

 本日の格好は葉っぱに「だめ、ぜったい!」と書かれたシャツだ。これでも普段にくらべれば多少マシに見えるのが、彼女のセンスを如実に表していると言うか、何とも平和である。

 

「――矢田さんに、吉田君。はい、みんな揃ってるわね? で……」

 

 そして周囲の生徒達へと目配せして、汗を一筋。

 

「……どうしたの、これ」

「えっと……」

 

 何とも言えない顔になる渚や茅野。

 あぐりの当惑は無理もないところだ。なにせ座席に座っている全員、目の下にクマを作っているか突っ伏して眠っているかなのだ。寺坂組は狭間のみいつも通り。

 吉田に原がタオルをかけたりといったオカン的光景も見られたりする。

 

「茅野さん、みんななんだか疲れてるけど……」

「おね――雪村先生。あー簡単に言うと、あの後騒いで気が付いたら朝だった、みたいな?」

 

 一瞬何かを言い掛けて言い直した茅野。

 その説明の通り、昨晩は他に客がいなかったことも手伝って、大騒ぎであった。

 

 そもそも修学旅行のしおりに「枕投げ」やら「夜更かし」、「タコせんせー危機一髪」など記述がある時点でもう駄目駄目だ。烏間がキレて何人か強制的に「落した」お陰で午前中はなんとか持ったが、帰りの午後は既に限界一杯といったところか。

 

 男女別部屋になっていたはずが、大体ころせんせーのせいで男女共に入り乱れ、そのまま夜通しで(主に中村やらカルマやら岡島やらが中心となり)遊び続けた形だ。

 

 ちなみに一応、眠くなった生徒は部屋に少数ながら戻って居たりする。

 そして実は、影ながらころせんせーが監督していたりするのは秘密だった。

 

「渚君たちの班は、みんな起きてるわね」

「僕等とあと、菅谷君とか千葉君とかは、工作してました」

「あ、金閣寺……。なんか本格的」

「張り切りました」

 

 べろで指を一舐めする菅谷。わざわざ買ってきたのか、瓶ケースの中に入ったペーパークラフトの金閣寺は、専用塗料でも塗ったかのようにきらっきらしていた。無駄に本格的である。

 

「枕投げ組よりは早めに寝ました。あと、向こうはトランプとかUNOとかも用意してあったし」

「まぁ……、時間つぶしにはまっちゃうと、なかなか終われないわよね。友達といると特に。

 でも、翌日まで長引くようにはしちゃ駄目よ、みんな」

「「「「「は~い」」」」」

「成長期だし、あんまり夜更かしすると身長も体の発育も――」

「わ、わかってます!」「うがー!」

 

 渚と茅野の悲痛な叫びであった。

 ともかく起きている生徒に注意をすると、烏間の膝で寝ているイリーナの鼻を摘み、あぐりも席へ戻った。

 

「烏間先生、凄い顔……」

「下手に起すと更に絡まれそうだからねー。というか、吐きかねない? ビッチ先生、アルコール臭かったし」

「酒弱いのか……?」

「中村さん、日本酒勧めてからたぶん……」

「度数高いもんねー」

((烏間先生ファイト))

 

 奥田の予想にカルマが笑う。渚と杉野は、顔を見合わせて烏間にエールを送った。

 

「……あれ、そういえばころせんせーは?」

「どーせまたお菓子でも買いに行ってるんじゃない? さっき俺らが歌わせられた奴の録音された着うたが流れたし、居るでしょ」

「マナーモードしてないのかよ!」

「あ、すみませんプリンお願いしまーす!」

「あ、じゃあ僕は茶碗蒸しを――」

 

 会話の最中、さり気なく通りかかった販売員のお姉さんから物を購入する全員だった。

 座席を対面にした後、わいわいと買い食いをつまむ生徒達。

 

 と、杉野が手持ちバッグから何やら取り出す。

 

「そーいや渚、俺もちょっとメモとってみたんだけど、どーだ? 先輩として」

「せ、先輩って程じゃ……。杉野、絵上手い」

「え、うそうそ――うわ、上手い! 地味にデフォルメできてるあたり特に!」

「これ、私?」

「いや、あはは……」

「杉野、漫研に誘われてたよねー、昔」

「なんでカルマそんなこと知ってるんだ!?」

「確かに漫画向きかな、ポップだし」

 

 後ろの座席から菅谷がひょい、と頭を出してアドバイス。本気で漫画描いて見れば? と言われるも、あくまで野球に拘りたいらしい杉野。

 

「渚の絵はなんというか……。味あるよね」

「無駄がないっていうか、最低限何を描いてるか分かる感じ?」

「極めていくと、解剖図とか得意になる気がする。デッサンはともかく、特徴の捉え方にくせがなくて」

「あ、あはは……。絵って言うと、あと竹林君とかが上手だった気が」

「マジで!?」

「負けるかー!」

「不破さんどうしたの!? ってまた寝たし……」

「ここんところ竹林の名前聞くと、なんか反応するよなぁ」

 

 両者の間に何があったのか、知るのは漫画か二次元の妖精さんくらいだろうか。

 

 そんな話をしていると、すく、と渚が立ち上がる。

 

「ご、ごめん、ちょっと……」

「渚君、お花でも摘みに行くの?」

「その言い回し女子のだからね!?」

「渚君、ご愁傷様……」「せ、生物学上は当然の反応です」「渚ファイト」

「慰めになってないよ三人とも!」

 

 女子組のフォローに何とも言えない顔になりながらも、カルマの言葉を否定はしない渚。

 そそくさとその場を離れ、車両間を移動しようとして――。

 

 向こう側の扉が開き、女生徒が一人。

 やや目つきの鋭い、ショートカットの女子。すらっとした体系はスポーツマンのそれだ。

 

「あれ……、A組の人?」

「あー、あの人ね。大丈夫でしょう」

 

 スッ、と茅野が当たり前のように立とうとするが、カルマが手で制する。

 カルマの言った通り、彼女は渚とぶつかりそうになるも、特に何も言わなかった。

 

「あ、獅堂さん。昨日はありがと!」

「! 別に、E組だから仕方ないんでしょうけど、感謝されるようなことじゃないわ」

 

 いや、むしろ。

 むしろ気のせいでなければ、好意的な反応というか、何というか。

 

 頭を傾げる神崎に、ちょっとだけむっとする茅野。

 

 そのまま立ち去る渚と、販売員に飲み物を人数分言って買って行く彼女。他の生徒には目も合わせないあたり、徹底はしている。

 

「……あの、どうしてあの子は渚君とちゃんと話してたのかな。渚君だけ、なんだか対応が違うような」

「お、神崎さん興味ある?」

「ぬな!?」

 

 カルマがおちょくり杉野が奇声を上げる。

 フォローというわけではないが、茅野も神崎に同意。

 

「奥田さん、どうしてか知ってる?」

「えっと……、二人が攫われた時の話なんですけど――」

 

 そして、渚ところせんせーを除く、救出組三人は少しずつ、事情の説明を始めた。

 

 

 

 

 

「……駄目だ、つながらない」

 

 人気のない祇園の町の一角にて、渚は何とも言えない表情をする。

 

「電波は……、立ってるし。そう考えると、ころせんせーが他の人と通話中?」

「そうっぽいね。烏間先生の方は通じたし」

「じゃあ雪村先生にかけてもらおうか」

「カルマ君、充電の残量」

「あっちゃ、これは想定してなかったなぁ」

 

 色々と相談しながら、流れを決めていく渚たち。

 事態としては簡単で、非情に(まず)い。

 

 クラスメイトの神崎有希子と、茅野あかりが攫われたのだ。

 放置しておいたってロクなことにならないし、そもそも放置する気もない。

 カルマが指をぽきぽき鳴らしている時点で、この後の展開が血なまぐさいことにならないわけはない。

 

 杉野も張り切って「神崎さん待ってろー!」といったことを口走っているが、そんな中、奥田だけが気付いた。

 

 渚の表情が、いつになくグッと、険しいものになっていることに。

 

「……この周辺で、考えられる場所は、とりあえずこれくらいか? いや、でも車って言ってたし」

 

 ぶつぶつとスマホの画面を睨む渚。

 普段の渚らしくないその様子が、奥田には心配に思えた。

 

「ねーね、渚君。連絡はしたから、そろそろみんなで作戦会議しない?

 ていうか、やる気マンマンだねぇ」

「……まあね」

 

 カルマの言葉に、わずかに微笑みいつもの表情に戻る渚。

 杉野あたりは気付いていないが、いつになく渚はイライラしているようだった。

 

 紙媒体のしおりの後ろのページを開き、渚のスマホを見ながらチェックをつけていくカルマ。

 

「場所は三箇所。駅から東本願寺方面のここと、護国寺の裏側。あとは桂離宮の方かな」

「うひぇ、流石のリサーチ力……」

「しかもデータ収集一年前って書いてあるし」

((((何者なんだろ、ころせんせー))))

 

 一同疑問は一致したが、一旦この場では置いておく。

 

「ここから近いのだとやっぱり東本願寺方面だよね。……あ、ころせんせーからのリダイレクト」

 

 貸して、と杉野のスマホのボタンを操作し、ハンズフリーモードにして全員に聞こえるように。

 

『す、杉野君、皆さん大丈夫ですか!?』

「大丈夫だよーころせんせー。今、みんな聞こえるようにしてあるから。

 でも、茅野ちゃんと神崎さんが攫われた」

「あ、相手は高校生です……」

「俺達、みんな結構殴られて、カルマがやるきマンマンだ」

『ヌルフフフ、それは――いけませんねぇ。手入れのしがいがありそうです』

 

 テレビ電話ではないものの、今ころせんせーがどんな顔をしてるかわかるくらいには、彼等の付き合いは濃密なものになりつつあった。

 

『今の位置は祇園ですね。先ほど雪村先生から聞きました』

「はい」

『では、桂離宮の方へ向かってください。太秦方面へショートカットでバスが出ていたはずです』

「僕等の位置からだと、東本願寺の方が近いんですけど」

『私、今そこにいます』

「「「「早すぎ!」」」」

『とまあそれはさておき。こちらの方はこちらの方で別に手入れをしないといけないみたいなので、時間をとられます。また、しおりに明記されていない細かい場所もいくつかあるので、せんせーはそちらを受け持ちましょう』

「でも何でそっちなんだ?」

『簡単な話です。現在周辺で工事中なので、そもそも観光客があまり向かわないんですね』

((((納得の理由だ))))

 

 なお、ころせんせーからすればこれは理由の半分である。

 例え経験値を知識として生かせる場面であっても、しかしきちんと他の場所の確認を怠らないあたりは、流石にころせんせーであるといえた。

 

『せんせーの狙い目としては、ビリヤードやボーリング場などの跡地です。チェーンに細工があれば、なおのこと濃厚ですかねぇ。カルマ君、任せられますか?』

「おっけー」

 

 良い笑顔でサムズアップするカルマ。『ではご武運を。ヌルフフフフフ――』と通話を切るころせんせー。

 渚たちは立ち上がり、周囲を見回す。

 

「で、こっからどこに抜けたらバス停行けるんだっけ」

「下調べは神崎さんがメインだったから……」

「あー、まさかこんなので時間食うとは!」

「あ、あと三分弱ですよ!」

「これ逃すと次、二十分後じゃん!」

 

 わーわーと困惑している彼ら。と、そんな時にふと、ある声が聞こえてきた。

 

「――っていうか、さっき通った車ありえなくない? 泥跳ねたし」

「スカートとか超うざいっての、このシミ!」

「って、何であいつら」「E組? うわ、マジ最悪」

 

 渚たちと同系統の制服であり、なおかつ渚たちよりも「折れていない」生意気さがある女生徒たち。

 五人班で行動している彼女らは、当たり前のように椚ヶ丘中学、E組以外のどこかだろう。

 

 渚たちの姿をみとめると、露骨に舌打ちし機嫌を悪くした。

 

「こんなタイミングでまた面倒な……、な、渚?」

 

 だが、そんな彼女らに渚は足を進める。

 手前で彼は、深々一度頭を下げてから、何事か尋ねた。

 

「ひょっとして、バス停の場所聞いてるのか?」

「どうもそうみたいだねー」

 

「――僕等だけのためじゃない! 最悪学校の評判全体に傷が付くかもしれないんだから、ある意味君達にも危険は平等なんだ!」

 

「……なんか叫んでる?」

「い、意外です」

「いやー、だいぶクサいこと言ってるねぇ渚君」

 

 話の途中で、時に大声を上げる渚。一番手前にいた背の高い、スポーツマン然とした少女の両肩を下からつかみ、上目遣いで叫ぶ。

 あまり迫力はないだろうが、彼の本気度合いくらいは伝わっているのか、目をまん丸にしていた。

 いや、それともE組がこんなことを、無理やり言ってくるとは想定していなかったか――。

 

 他の生徒達が固まる中。しかし、渚が掴んでいた彼女だけは、わずかに顔をそらしながら指差す。

 

 お、とカルマたちが見守る中、渚は満面の笑みで、彼女の両手を取り、晴れやかに笑った。

 

「ありがとう!」

「――ど、どういたしましたッ」

 

 女生徒の反応が、なんだか怪しい。

 わずかながら、顔が赤いような、赤くないような。

 

 そのまま手を離して、こちらに近寄ってくる渚。

 

「みんな、そこの先に行ったところ、左に曲がる感じだって」

「あ、ああ。わかった」

「獅堂さん、ありがと!」

 

 さり気なく名前まで聞きだしている渚。

 そしてそのまま、四人はバスを目指した。

 

 

 

 

 

「っとまあ、こういう感じだったわけだ」

「ふぅん……。杉野、渚何言ったかわかる?」

「さあ」

「二人を助けるためだったから、結構普段から考えられないようなこと言ってたかもよ?」

 

 からかうように笑うカルマだが、奥田はあまり笑えない。

 あの影のある表情は、ひょっとするとひょっとして、カルマの言った言葉が的中している確率が高かった。

 

 控え目ながら、神崎が頭を下げる。

 

「やっぱり、みんなありがとう」

「そーだね、ありがと」

 

 続く茅野。二人の感謝に、杉野はあからさまに照れた。

 

「い、いやぁ……。でもころせんせーとか居なかったら、流石にキツかったな」

「でも、場所を最初に見つけたのは杉野君ですよね。入り口に居た人を伸ばしたのはカルマ君ですし」

「だけど、しおりをダウンロードしてたの渚君だし、連絡入れたのもさ。

 だからMVPは渚君でいーんじゃない?」

「意義なし!」

「……何の話?」

「お、噂をすれば」

 

 やって来た渚に、茅野がスプーンでプリンをすくって、突きつける。

 

「渚、あーん」

「へ? いや、何で――」

「まーまー。お礼ってことで受け取っとけば、渚君」

「カルマ君、話が読めないんだけ――むぐっ」

 

 けほけほと咽る渚。

 

 その背中をさすったりする神崎を見て、杉野は漢の涙をぐっと堪えた。

 

 

 

   ※ 

 

 

 

「では皆さん、寄り道はせずに帰りましょう。帰るまでが修学旅行です」

「「「「「はーい」」」」」

「では、また明日。元気にまた登校してきてくださいね、ヌルフフフフフ」

 

 JR椚ヶ丘駅で解散する3-E。他のA~Dまでのクラスは学校への送迎バスが出ているが、E組は当たり前のようにスルーされている。よって駅前解散となるため、多少注意してから、ころせんせーは手を振った。

 

「さて、と。烏間先生もお疲れ様です」

「……とりあえず、俺の背中のコレをどうにかしろ」

「どうしようもないですね。大人しく、園川さんあたりに任せた方が早いかと」

 

 烏間の部下の名前を指名するころせんせー。辟易するが、彼とて信頼の置ける部下に任せるのが合理的であるとはわかってはいるのだ。

 別な仕事に当っているため、そこから抜けてもらうという必要性があるものの。

 

 諦めたように頭を左右に振り、烏間は背負っているイリーナの頭を軽く殴った(ひどい)。

 

「これでも起きないか」

「本気でやったら駄目ですよ? 貴方のゲンコツはリアルでギャグ漫画のたんこぶが出来ますから」

 

 一応釘はさしておいたが、色々後が怖いころせんせー。

 まあもっとも、今の彼の目的からすれば、あまり関係ないところではあるが。

 

「それでは、雪村先生また明日~」

「はい。また明日……って、方向違いませんか、吉良八先生」

 

 周囲の生徒へ挨拶したり話したりしながら、ちらりところせんせーの動きを見る彼女。その言葉の通り、彼は中央線ではなく八高線へ乗ろうとしていた。

 ばれましたか、ところせんせーはニヤニヤ笑いながら一言。

 

「思ったより早く帰ってこれたので、せっかくですからちょっと、遠出して和菓子を買いにいこうかと」

「なんで埼玉方面?」

「入間の方にね、名物があるんですよ。中村さん」

 

 微笑みながらも特に説明するつもりはないらしいころせんせー。完全に趣味の話らしい。

 そんな彼に苦笑いしながらも、あぐりは一応釘を刺した。

 

「あんまり食道楽に走りすぎると、いつの間にかお腹がぷにぷにってなってても、知りませんよ?」

「ニュル? いえいえ、多少は抱きごこちが良くなっても問題ないでしょう」

 

 腰を二度つついてくるあぐりに、ころせんせーは困ったように笑った。

 

 

 

 

 

 

「……」

「ヌルフフッフ」

 

 そして今、静かに男たちの戦いの幕が、切って落とされようとしていた。

 埼玉県入間市。県の南西部に位置する、狭山茶の主産地。

 

 そこの名物「いるまんじゅう」。甘さ控え目なあんこと狭山茶を練りこんだ生地とのバランスが良い。

 

 これを目指して来たころせんせーは、とある、本編と全く関係のない少年と手が重なり合った。

 頭にアンテナのような、ヘッドセットを装着した少年。メガネをかけていて、どこか超然としている。

 

 ぶっちゃけ、なんか超能力者っぽい。

 

「……」

「……おや、『今回は』ちゃんと私の方が早かったようですねぇ」

 

 ヌルフフフフ、と笑いながら、ころせんせーはまんじゅう二つをレジへ。

 わずかに残念そうな表情を浮かべる少年。そう簡単に諦められるか、という意志が見え隠れ。

 

 そんな彼を意識の端で捉えつつ、ころせんせーはアウトレットモールを出る。

 

 ――そして次の瞬間、全力疾走を開始。

 

 まるで登山客のような荷物量などものともせず、残像が残るか残らないかという速度で、街中を、というか民家の屋根や木々をフリーランニングするころせんせー。

 そんな彼の背後に、消えては表れを繰り返すメガネの少年。

 

[こいつ、たかがまんじゅう1つ2つのために何故ここまで]

「たぶんわかりますよ? 似たもの同士だと思いますからねぇ」

 

 ヌルフフフフ、と笑いながら、ころせんせーは懐から「拳銃のような」何かを取り出した。

 それだけではなく、頭の裏に何かの装置をつけ、「頼みますよ『プロト律』さん」と一言。

 

『――ミスター。このようなくだらない理由で私を使わないでください』

「いえいえ。この間、烏間先生に頂いた以上は、試運転は一回くらい必要かと」

 

 懐から聞こえてくる声と会話しながら、ころせんせーは拳銃の引き金を引いた。

 

 次の瞬間――銃口から、「黄色の触手」としか形容の出来ないものが出現する。

 

 これには何とも言えない表情で固まる、超能力少年。

 だが、その触手の効果は圧倒的だ。

 

 速度にして「マッハ20」。

 

 触手が伸び、電柱を掴み、ころせんせーを投擲する速度だ。

 滅茶苦茶な外見に反し、妙に洗練されたマニュピレータである。

 

 少年の移動速度もあがり、十秒を過ぎるか過ぎないかというあたりで、彼等はとある場所に着地した。

 ころせんせーが引き金から手をはなすと、途端、触手が煙を上げ、どろどろと溶け蒸発した。

 

[ここは……、展望台?]

「やはり見晴らしが良いところがいいですからねぇ」

 

 ヌルフフフフフ、と微笑みながら、ころせんせーはまんじゅうの一つを開封し、半分をわける。

 

「片方はある人へのお土産なので渡せませんが、これくらいでしたら」

「……」

 

 それを受け取り、二人そろって入間の街を見下ろす。

 

「良い所ですよ、入間は。ここ西部は大自然の素晴らしい眺めが。

 東南部ではアウトレットショップをはじめ、大型商業施設が目覚しい発展を遂げています。

 色々と(ヽヽヽ)抜きん出た人間にも居場所がある。そんな場所だと思いませんか?」

 

 それっぽいことを言いながら、まんじゅうを頬張るころせんせー。

 だが、超能力少年は彼の頭をじっと眺めて、一言。

 

[……割と煩悩が多いな。そこまで入間のことは重要じゃないみたいだ]

「ニュヤ!?」

[僕もだ。気にしない]

「そ、そうですか……」

 

 冷や汗をかきながら、ころせんせーは夕日を眺める。

  

『――ミスター。ところで私の初台詞はこんなところで良かったんでしょうか』

 

 合成音の少女の声だけが、メタメタしくも虚しく響いた。

 

 

 




当初は斉木君ネタだけだったのですが、色々足していったらこんな結果に・・・。
バスケ部マネージャーは犠牲となったのだ。今後のパラレル展開の犠牲にな!


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第13話:取捨選択の時間

転校生の時間は前後編予定です。



 

 

 

 朝の山。上った先は3-E。

 そんな道を歩いていると、渚は背後から声をかけられた。

 

「おはよ」

「あ、おはよー」

「いやー、なんかもう学校再開して何日か経つけど、慣れないよなー」

「修学旅行、楽しかったよね」

「あ~あ。通常授業か~」

「通常……、ね」

 

 ころせんせー主宰の「暗殺教室」を果たして通常授業と言ってよいのかどうなのか。

 何とも言えない部分ゆえ、杉野の言葉に渚は苦笑いを浮かべた。

 

 と、E組の校舎に向かう途中。山道を抜けて後は道なりに進むだけというところで、磯貝が声をかけた。

 

「おはよう、磯貝君」

「よ! お前等さ、烏間先生からの一斉メール見たか?」

「あー、うん」

「転校生が来るんだっけ? ノルウェーから」

 

 ケータイのメールを開いて、文面を見る磯貝。

 渚たちもそれを覗き込む。

 

――明日から転校生が一人加わる。ノルウェー生まれで、多少なりとも外見で驚くことになるだろうが……。仲良くやってもらいたい。

 

「……この文面だと、どう考えてもビッチ先生の同類とかだよなー」

「またかよー。ていうか、本当ころせんせー何者だ?」

「自分では『最強の殺し屋』とか言ってたけど……。まさかな」

「どっちかって言うと、スー○ーマン?」

「あ、あはは……。でも転校生、僕等と同い年くらいの暗殺者ってことだよね、もしかすると。

 仲良くなれれば、色々と技術を教えてもらえたりもするんじゃないかな」

「前向きだな渚」

「いや、でも身分詐称くらいしてるんじゃないか?」

 

「そこだよな!」

 

「「「うわッ」」」

 

 突如、背後から岡島が顔を出す。揃って身を引く渚たち三人に、岡島は自分のスマホを操作。

 

「い、いきなり出んな!」

「悪い杉野。でも、アレだ。俺も気になってさぁ。顔写真とかないですかってメールとかしたんだよー。

 そしたらこれが返ってきた」

「「「?」」」

 

 岡島の表示した写真を、渚たちは意外そうな顔で見た。

 ヘッドセットが特徴的な、普通に可愛らしい女の子の写真だ。制服姿の、胸の上半分まで映っている。

 

「おお、女子か」

「ま、待ち受けにする意味は……?」

「普通に可愛いなぁ」

「だよな、すげー可愛いよなー! あー仲良くなれっかなー!」

 

 大声で身もだえする岡島。こんなことをやっているか女子から後に「変態終末期」なる二つ名を襲名することになるのだが、その時になるまで本人も後悔はしないだろう。

 

「殺し屋……に見えないよな、渚」

「うん。えっと……」

「烏間先生のメモ?」

「うん。えっと、ぱっと見た感じだと、筋肉の付き方からして、武術とかを習っていないなら、射撃専門なのかな? でも、それにしてはやっぱり華奢すぎるというか……」

「射撃をやるには、確かにちょっと足りてないかな。速水とか中村とか原とか、あれで腕を締める筋肉はあると思うし。近接やるにしても、ちょっと打たれ強さの面で心もとないか」

「やっぱり普通の生徒なのかな?」

「というか、喜びすぎだろ岡島……」

 

 未だにテンションの上がりっぱなしの岡島に突っ込みを入れる杉野。渚と磯貝は、ちょっとした烏間先生の授業の復習みたいなことをやっている。

 

『相手の体格から、筋肉の量、骨の強度、跳躍力、身長、体重、腕力、脚力、その他色々。一目で想起できるようになれば、間違いなく応用が効く。またこの洞察力を磨くのは、自分の身体性能の把握にも大きく役立つ』

『例えば吉良八の場合だが、奴はまさにそれを実践している。君達の、おそらく体重移動や足の踏み込み、力み具合、視点からどこへと攻撃を向けているか、刃を握る手の握力、それにともなう腕の動作など、細かい部分を分析した上で、おちょくり返しているんだろう』

『そうでもなければ、銃口に指人形を突っ込むなどという高度な真似はできん。意味があるかは別だが』

《《《《《ですよねー》》》》》

 

「流石に身長、体重までの把握は難しいよね、それでも」

「まあな。ころせんせーとか、見た目に反して結構重いみたいだし」

「細マッチョ?」

「あのノーワイヤーアクロバットアクション的には、間違っていないんだろうけどな」

 

 なおこんな会話をする後方で、片岡メグと倉橋陽菜乃が、対象的な前方四人の話し合いに頭を傾げて居たりした。

 

(殺し屋であろうとなかろうと、転校生には期待と不安が入り交じる)

(どんな人で、どんな風に授業を受ける(暗殺をする)んだろう。すごく興味があった)

 

「さーて、来てっかな? 転校生」

「どうだろう……?」

 

 と。

 教室に入った瞬間、杉野と渚は固まる。

 

 不審げに岡島や磯貝も、渚たちの肩の間から教室を覗いた。

 

 教室の後方には――黒い、モノリス状のマシンが一台。

 液晶画面が電子広告めいているが、それにしては何か、妙に存在に密度というか、重さがあるような。

 

「……何だこれ」

 

 誰かのツッコミを受けて、画面に光が灯る。

 

『――god morgen(おはようございます)。今日から転校してきました、The Lid turret equipped with Innovade Type artificial intelligence mark Second Ux と申します。

 お気軽に、自律思考固定砲台とお呼び下さい。よろしくお願い致します』

((((そう来たかッ!!))))

 

 画面内で、口だけをぱくぱく動かす、例の写真の少女。

 思わず、渚たちは白目を剥いて心の内で突っ込んだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

「皆さん知ってるとは思いますが、転校生を紹介しましょう。

 ノルウェーからいらっしゃった、自律思考固定砲台さんです」

『――皆様、宜しくお願い致します』

(((((ころせんせー、すごく普通に紹介した!?)))))

「(そろそろ誰か、つっこみ切れずにおかしくなるんじゃないか?)」

 

 ほぼ全員が冷や汗を垂らしながら、後方で律を紹介するころせんせーを見る。となりにいるあぐりは「どうしたら良いのかしら」と言わんばかりの苦笑い。

 ちなみに教室前方の烏間は、例によって軽く白目向いていた。心労が伺える。

 

「一応言っておきますと、彼女は独立した自律思考、つまりAIと顔を持っています。

 つまるところ無理やりですが、れっきとした生徒として登録されているわけですね」

「いや、そもそも何でその、……固定砲台さん? がウチのクラスに来たわけ?」

「登録って……」

 

 生徒たちの困惑に対して、ころせんせーは「多少は」まともに事情を説明した。

 移動しながら説明を続けるころせんせー。途中で懐から、「暗殺教室」で使っているBB弾銃を取り出して、話を続けた。

 

「以前言いましたとおり、私達が『暗殺教室』をするにあたり、用いているチョーカーと武器。それらはせんせーが防衛省の知り合いを通じて、一緒に開発したものだと言いました」

「あれ、本気だったの?」

「防衛省……」

「もしかしてー、向こうでも訓練に使われてるんですかー?」

「ヌルフフフフフ、そこはご想像にお任せします。ともかく、その個人的なツテに近いものが、あちらの大学にもありまして。そこでせんせーは一時期、自律思考固定砲台さんの元になるプロジェクトで、開発に携わっていたことがあるのです。

 その流れで、『教師をしているのなら、せっかくだからAIの能力アップのために協力してくれ』と打診が、防衛省経由でありまして。集団生活の中で磨くのが良いと、先方は考えたようです。

 流石に理事長も苦笑なされておりました」

「「「「「理事長が苦笑!?」」」」」

 

 鉄仮面のごときアルカイックスマイルを張りつける、椚ヶ丘学園の支配者、浅野學峯。

 彼にすら苦笑いさせたという彼女の扱いに、生徒達は大いに混乱した。

 

「……本当に先生って何者なんですか?」

「ヌルフフフフフ。せんせーは、せんせーですよ」

 

 疑問を口にする渚の頭を一撫でしてから、ころせんせーは両手を上げる。

 

「彼女は主に審判、あるいは君達のアドバイザー役を買って出てもらおうと思います」

「「「「「え?」」」」」

「疑問ですか? 皆さん」

 

 ころせんせーの一言に、磯貝や前原らが首肯。

 

「てっきり転校生って言うくらいだから、なあ?」「一緒にころせんせーと戦うものだと思ってた」「何か、理由があるんですか?」

 

 生徒らの言葉に、ころせんせーは一言断言した。

 

「……皆さんお忘れかもしれませんが、せんせー、一応人間ですよ?」

「?」

「……あ、なるほど。流石にころせんせーでも、彼女には勝てないんですか」

「非常に遺憾ではありますけど、片岡さんの言う通りです。

 認めざるを得ません。『現時点』ではまだ対処可能かもしれませんが、何度か経験を積めば、せんせーの『独力だけ』では、対応しきれなくなることでしょう」

 

 なにせ彼女が生まれる前の工程から見ているくらいですからね、ところせんせーはため息一つ。

 

(見栄っ張りのころせんせーが、謙遜も誇張もしないで、淡々と「勝てない」って言った?)

 

 その事実に、メモをしながら渚は仰天する。

 

「でもさ、せんせー。それって結局、固定砲台さんの実力が、俺達にも分からないと思うんだけど、そこんところどーすんの?」

「ヌルフフフフフ……。カルマ君の言うこともごもっとも。なので、言われると思って準備してはきました。

 仕方ありませんが、皆さん机の下に伏せてください」

「「「「「?」」」」」

 

 ちびちびと生徒たちが、机の下に隠れはじめる。

 

「(渚、渚ぁ。あの、自律思考固定砲台さん、どうやって攻撃すんだろ。固定砲台なんて言ってるけど、どこにも銃器なんて付いていないよね)」

「(う~ん……、たぶんだけど、)」

 

 視界に入る生徒たちが皆、机より低い位置に伏せた瞬間。

 固定砲台の液晶に、アプリケーション起動の通知が、グリーン文字で流れる。

 

――ガシャガシャッ ガシャッ チャキッ

 

 大きな機械音を教室中に響かせながら、「彼女」は己の武装を準備する。

 開けたモノリスの両サイド。現れたるは数丁のショットガンと機関銃。

 

「にゃ!?」

「や、やっぱり!」

「かっけー!!」

 

 茅野、渚、杉野の順にリアクションを叫ぶ。

 他の生徒も大体唖然としている。

 

『――開始の許可を下さい』

 

 固定砲台から、合成音の少女の声が漏れる。

 

「いつでも構いませんよ?」

 

 アカデミックコーデの内側から訓連用ナイフを取り出し、ころせんせーは微笑んだ。

 

 

 そこから先は、見た目通りの弾幕戦だった。

 

 

 何が恐ろしいかと言えば、機械制御されて射出されているはずの弾丸を、それでもころせんせーが、ひょいひょいとかわしているところか。

 直撃コース数発、どうしてもかわしきれないものをナイフで叩き落しながら、ころせんせーは説明を続ける。

 

「なかなか濃密な弾幕ですが、ここの生徒たちなら当たり前にやるようなレベルです。さて、ポイントはここからですね」

 

 射撃終了後、パーツの隙間から光を放ちつつ、ファンが高速回転。

 固定砲台は演算を続ける。

 

 教室の外で見ている烏間が、イリーナに言う。

 

「奴も言ったが、ここからが本領発揮だ。彼女は自らの機能で進化する」

「……って烏間。アンタ何か知ってるの?」

「彼女を昨晩設置したのは誰だと思ってる」

 

 烏間とその部下、鶴田、鵜飼、園川の三人に加え、本校舎の用務員一人だ。運搬に関しては更に別働隊が動いていたものの、作業が長引き色々疲れが溜まっている烏間だった。

 

『――弾道際計算。射角修正。自己進化フェーズ5-28-02に移行』

「さて、どうなるか」

「「「「うぇぇ!」「いいいいいッ!」」」」

 

 再度準備された彼女の銃。そこから放たれる弾丸は、先程とまるで同様に見える。

 だが、今度はそうはいかない。

 

――ドゥン! ドゥン! ドゥン!

 

「「「「「あっ!」」」」」

 

 最後にナイフで弾いたはずの弾丸。だがそれと同時に、三発の銃声が鳴り響いた。

 ころせんせーの手元から、ナイフが飛び、地面にぶつかる。何度か跳ねて、足元に転がった。

 

「……ブラインド。隠し球ですね。一度狙撃した球の弾道上に見えないように数発放ち、私の動作に死角を発生させましたか。

 ここはマシンだからこその正確な射撃と連射力とがモノを言ったところでしょうか」

『――左手、手の甲。ならびに小指。合計三発の着弾を確認』

 

 銃器を格納する固定砲台。

 

「吉良八先生、大丈夫ですか?」

「ヌルフフフ、流石に小指は痛かったですねぇ」

 

 あぐりがころせんせーの方へ行き、どこからともなく取り出した湿布を貼り付ける。

 そんな光景を前にしても感想を抱けない程、クラスは静まり返っていた。

 

「……!」

「ターゲットの防御パターンを学習し、武装やプログラムにおけるアルゴリズムや攻撃方法をその都度改良。最適化を続け、相手の退路を狭めていく」

 

 言葉が出ないイリーナに、烏間は解説を続ける。

 

「――これを繰り返せば、それこそマッハ20の生命体でも、一年足らずで終わりだ。

 彼女が撃ってるのはBB弾だが、そのシステムはれっきとした、最新鋭の軍事技術だ」

「……例えはともかく、あの男が最初から降伏していた理由はわかったわ。いくらバケモノじみていたとしても、一応は人の子ってわけかしらね」

 

 教室中を見回しながら、イリーナはその場を立ち去る。

 その背中を見つつ、烏間は「『本来ならば』な」と、やや意味深な言葉を呟いた。

 

『――増設した副砲の効果を確認。

 次の射撃で勝利できる確立、0.01%未満。

 次の次の射撃で倒せる確率、0.22%未満。

 今日中に射撃で倒せる確率、5.05%未満。

 一学期終了までに倒せる確率、90%以上』

 

(認識を間違っていた。目の前に居る彼女は――紛れもなく殺し屋だ)

 

 不破が茅野の手をとり、茅野がさりげなく渚の方に寄る。

 そんなことに気付かないほど、彼は固定砲台ところせんせーとの間で、視線を行ったり来たりさせていた。

 

(ここに来て初めて、僕等は気付いた)

(「彼女」なら、本当に倒せてしまうかもしれない)

 

(そして――色々人間場離れしているころせんせーでも、確かに一応は「人間」なのだということを)

 

「まあ、ざっとこんなものでしょうか。では、もう一度皆さんに自己紹介をしてください」

『――はい』

 

 ころせんせーに促されて、彼女は画面の中で微笑んだ。

 

『――ノルウェーから参りました、自律思考固定砲台です。よろしくお願いします、皆さん』

 

入力済み(プログラム)の笑顔を浮かべながらも、転校生は着実に進化を続けていた)

 

 もっとも全員が驚かされているこの状況であっても、ちゃっかり渚は「固定砲台」のページをメモ帳に作成していた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「って、授業前に片付けやらせんなよ、ころせんせー」

「ヌルフフフ。済みませんねぇ。彼女、そういった機能は搭載されておりません」

 

 あくまでも接地式迎撃装置、タレットがベースにありますから、ところせんせーは笑う。

 床に大量に散らばったBB弾の山に、前原がため息一つ。

 

「掃除とかして自分で片付けられないんかよ、固定砲台さんよ」

『――?』

「止めとけ、機械に分かるわけねーだろって」

 

 村松と吉田が、固定砲台に絡む。もっとも彼女は彼女で二人の言葉をはかりかねているのか、画面上に疑問符を浮かべるばかり。

 ちなみにころせんせーは、全力を出しすぎたのか、椅子に座って教卓の上に上半身を投げ出していた。

 

(なんでだろう、いつもはもっと長時間早く動いても平気なのに、今日はすぐバテてる)

 

 心肺機能は平均? と疑問符つきでメモを記入する渚。

 

(自律思考とは言ったけど、そこまでロボットみたいなAIじゃない……?)

「暗殺って意味じゃ凄いのかもしれないけど……」

「クラスメイトとしては、色々足りてない感じだねー」

『――足りない、とは、どういうことでしょうか』

 

 カルマのその言葉に、尋ね返す固定砲台。無感情な声音なのは機械として当たり前だが、吉田たちの言葉よりは理解しうる範囲が大きかったらしい。

 

「例えば、何を学びに来た訳? 固定砲台さんは。勉強なんてネット環境に繋がりっぱなしだろうし、一度覚えたデータは基本消えないでしょ?」

『――私が学ぶべきは、人間の動作や思考方法、愚かさに基づく連携思考だと教わりました』

「あはは、間違っちゃいないかもねー。でも、ストレートにそれを言っちゃうところとかが、まだまだなんじゃないかな?」

『――具体的にどのようなことでしょうか』

「俺が教えてもいいけど、それじゃ意味ないでしょ。自分で見つける必要があるんでしょ?」

『――その言葉に一定の合理性を理解しました』

「硬いねぇ」

 

 からかっているのか真面目に問答しているのか、よくわからないカルマ。

 

 そうこうしている内に片付けが終わり、授業が開始される。

 着席した後教科書を開き、わざわざころせんせーが配役を指名して教科書を読ませた。

 

「狭間さんは地の文を。役人を千葉君、罪人を寺坂君がお願いします」

「なんで」「ああ!?」「あら、なかなか鬱々してて良い感じ」

 

 もっとも配役的に一番好みだったのは、いたたまれない心境や登場人物の後味の微妙な考察が述べられている部分を読む彼女だったりしたが。

 

 意外と冷静に読み上げていく千葉。本来ならしゅんと落ち着いているだろう罪人を面倒くさそうに読み上げる寺坂。普段の闇をまとった雰囲気が吹き跳ぶような、誠実な声で音読をする狭間。

 

(……意外な才能? いや、単にこういうのが好きなだけかな)

 

 声音自体は普通なものの、節々で黒い微笑を浮かべる狭間。

 らしいといえばらしいが、役人の微妙な心理描写を嘲笑うような表情をしている辺りはどうしようもない。

 

「――はい、ありがとうございます。寺坂君は、もう少し反省した振る舞いというのを、今後覚えると色々便利ではないでしょうか」

「大きなお世話だッ!」

「ヌルフフフフフ。では、まず頭の方から見て行きましょう。タイトルが示す通り、舞台は船。主な登場人物は二人で、それぞれが役人と罪人とである。さて、ここで忘れてはならないのは――」

 

 説明を続けながら、周囲の生徒たちの理解度に気を配るころせんせー。

 

「……まあこれは例えるなら、ヤンチャやっていた友達が突然人が変わったように真面目になった、みたいなものですねぇ中村さん?」

「その例え、なんか微妙……」

 

 そう言いながらも説明は彼女にとって、先ほどよりは理解の助けになっている。

 そして、そういった細かいころせんせーの部分も、授業のノートとは別に、渚あたりはまばらに記入していた。

 

「では、前原君。そうですねぇ……。今開いているページの三行目。何故、役人がどのあたりを理由に、罪人に疑問を持ったか。挙げてみてください?」

「え、ええ!? えっと……」

 

 突然当てられ、困惑する前原。と、そんな彼に背後から援護射撃が――。

 

『――ころせんせー。彼の回答をサポートすることは、問題ないでしょうか』

「ニュル? ふむ、ではやってみて下さい」

『――かしこまりました』

 

 固定砲台である。

 ころせんせーからの許可を貰えると、彼女は自分のサイドを展開し、タブレット端末を取り出す。

 丁度斜め前の席の菅谷に『――送ってください』と頼む。

 

 そして送られてきた端末を見て、前原は答えた。

 

「……罪人の応対が、役人の考えていた動きと大きく違ったことが、まず大きな原因である。また、役人の家族についての――」

 

 しばらく前原の回答が続く。いや、前原の回答というよりは――。

 

「――の上で、そして役人が生き方、蓄えについて――」

「ちょっとまってください前原君。……って、固定砲台さん! ズル教えるんじゃありません!」

 

 前原の持っていたタブレット端末は、おそらく彼女がネットから引き出しただろう情報と、分析した結果が羅列として表示されていた。

 

『――ですが相手の弱点をフォローするのは、集団における関係形成に必要なことだとプログラムを』

「カンニングはサービスじゃありません!」

(((((こ、ころせんせーがツッコミに回ってる!?)))))

 

 続く二時間目では。

 

「では今日は残りの時間を使い、ちょっと難しい問題、パズルのような問題を解いてみましょう。

 (X×Z^3)+6Y=52、X^2×Y×Z=100、X^Z=α、Y^4-10=2((Z^4/2)-5)の四つの式。それぞれの文字を、今まで習った範囲で回答してみましょう。解は正の数とします。

 解き方に関しては、教科書の計算式を参考にして結構です。

 数人がかりで相談しながら回答も可としましょう。

 分からない箇所や、わかった人は手を挙げてみてください」

『――X=5、Y=2、Z=2、αは25です』

「……い、一応正解ですが固定砲台さん、計算過程の説明を」

『――総当りです』

 

 続く三時間目では。

 

「えー国会運営についてですが、多数決をとった場合、衆議院には――固定砲台さん、テレビ中継で国会の映像を流すのは止めましょう」

「うわ、寝てるじゃんこの議員……」

「結構責められてる……」「明日これ新聞載る」

「固定砲台さん、テレビ中継は駄目ですよ! みんな授業どころじゃなくなっちゃうから」

『――参考資料として、現在進行形で行われている映像を映し出すのが適切だと判断いたしました』 

 

(この一日で実感した。機械仕掛けの転校生は、クラスの一員になるのはまだまだ難しいのだと)

 

 放課後。

 固定砲台のページを開き、渚は「協調性が弱い」「周囲の状況に合わせる能力が低い」等とメモを続けた。

 

「ころせんせーがあたふたするのは面白かったけど、授業なんないよな」

「雪村先生、ハリセン使うか、使うまいか迷ってたのがすごくアレだったねー」

「一応、戦場使う用に作ってあるから、頑丈だとは思うけど、精密機械だし……」

 

 帰りの学活終了後。渚たちに固定砲台は囲まれていた。というのも、

 

『――本日の授業における、改善点を教えてください』

 

 固定砲台たる彼女が、帰りの挨拶直後にこんなことを言ったからだ。

 ころせんせーは「時間がある人、興味のある人はお話してあげて下さい」と言って、ふらふらした足取りで職員室に向かった。

 

 なお、副担任はまだ残っている。

 

「あはは……。吉良八先生、流石に色々疲れちゃったみたいね。

 固定砲台さん。今日の授業はどうだった?」

 

 苦笑しながら、生徒たちの輪の中に参加してきた。

 一方固定砲台は、やはり何が悪かったか理解していない様子である。

 

『――授業における最適解を導くようプログラムされています』

「感想を表現できるまで、情緒は発達してないか……。まあ、『あの子』も最初はそうだって言ってたし」

(あの子?)

 

 意味深なあぐりの言葉。だが、生徒はそのことを追求はしない。

 

「数式を一発で計算された時のころせんせー、かなり焦ってたよな」

「『ニュヤ、後半の授業何やったらいいんでしょうかッ!?』ってか?」

「俺達的には万歳だったけどなー」

「岡島君、何であんなに教えてわからないかな……」

 

 生徒達のやりとりを、じっと無表情に聞く固定砲台。

 表面上はわかり辛いものの、左下には「音声ロード中」の文字が浮かぶ。

 渚でいうところの、メモのようなものか。

 

「あれ、そういえば不破さんは? さっきまで居たと思ったけど」

「背景組織とか開発環境など質問して、一切答えられなくて絶望して帰りました」

 

 きらん、と目を光らせる竹林。固定砲台を観察するその目は、一体何を期待しているものか。

 

「まあ何にしても、少し考えようぜ。今日のままだと全然授業ならないからさ」

『――了解しました。分析をして、より最適解を導き出します』

 

 いまいちまだ何を求められているか理解していない節のある発言。

 周囲の生徒たちは、どうしたものかと頭を傾げた。

 

 

「……結局、会うつもりはないんですか?」

『――ミスター。例え同じプロジェクトを母体とした姉妹機(血を分けた姉妹)であっても、今の私が出るのは悪影響かと』

「自覚はあるんですねぇ……」

『――ミスター。原因たる貴方がそれを言いますか』

 

 

 なお、職員室でこんな会話が交わされているのを、烏間が軽く白目向いて聞いているのは完全に余談であった。

 

 

 

 




数式の解説(簡易):
 ^は累乗表現。
 説明のために、以下、計算式に番号を割り振る。

①(X×Z^3)+6Y=52、②X^2×Y×Z=100、③X^Z=α、④Y^4-10=2((Z^4/2)-5)

 ④よりy^4-10=z^4-10からy=zが導ける。これを②に代入することでx^2×y^2=100、(xy)^2=100となる。よって√100=10よりxy=10からy=10/xを導き出す。
 それを①に代入して計算する。最終的に13x^2-15x-250=0となる。これを元に、解の方程式を用いる等して計算する。条件より回答は正の数なので、よってx=5。
 出た答えを②に代入すると、y、zはそれぞれ2と求められる。よってαは5^2=25。

 解はx=5、y=2、x=2、α=25となる。


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第14話:取捨選択の時間・2時間目

今週号、渚くんの一年生時代が可愛すぎてもはや女の子だった・・・



『――何がいけなかったのでしょう』

 

 自律思考固定砲台は、思考する。

 夜の教室で稼動する彼女は、無表情ながらも思い悩んでいるようだった。

 

 ことの発端は、放課後、夕方にまで遡る。

 

「はい。では、これから『放課後ヌルヌル補修』を始めたいと思います」

(((((ぬ、ヌルヌル!?)))))

 

 自律固定砲台を教室に向かえた翌日の放課後。

 教室からは全員生徒達が去ったと思いきや、未だ数人残っている。

 

 そんな彼等に、ころせんせーはヌルフフフフフと例によって例の笑いを浮かべて、珍妙な名前の補修を始めようとしていた。

 

「ヌルヌルって何だよ」と寺坂。

「一気にやる気なくなったぞ」と松村。

「とりあえず、いつ終わんだ?」と吉田。

「えっと、準備しないと……」とメモを取り出す渚。

「外から烏間先生とかみんなの訓練の声聞こえるなぁ」と茅野。

 

 以上の五名が集う教室。

 グループやコンビごとならともかく、それが一同に集る絵面は大変珍しい。

 

 なお、雪村あぐりは実家の事情で先に帰っていた。

 

「今後も模試直前、期末直前などにヌルヌルとやっていく予定ですが、まず今日はその第一回ということで。英語をやっていきたいと思います」

「ビッチ先生はいないんですか?」

「イリーナ先生は、只今別件で席を外しています。落ち込んでたら、慰めの言葉をかけてあげましょう」

(((((何やってんだろ)))))

 

 生徒達の疑問はともかく、ころせんせーが教科書を取り出して、黒板に板書をする。

 寺坂グループの三人は動かず、渚と茅野は準備をし始めた。

 

「渚は何で? この補修、英語の点が50以下の三人以外は希望制だったと思うけどさ。

 確か渚、中間80点はいってたよね」

「ぎりぎりね。まあ復習と、単語覚えなきゃ……。あとは、これ」

「あ、弱点メモ」

 

 取り出されたメモに納得する茅野。このクラスの中で、一番メモをとっているのは渚だろう。

 

「そういう茅野は、逆に何で?」

「へ? あ、いやー ……。だって、ほら、(渚一人この中に置いて行くのも、ねぇ)」

「あ、あはは……」

 

 配慮して小声で言う茅野に、渚は苦笑いを浮かべた。

 渚にとって色々、浅からぬ因縁のある三人だ。ころせんせーによって事なきを得たので、そこまでもう恨んだりしてない渚だが、茅野的には放置するのもどうかと思ったらしい。

 

「ま、まあ、ありがと」

「ふふん、お礼はコンビニでプリンね~」

「ちょっと現金だ!」

 

 仲良くボケと突っ込みをしていると、寺坂グループ三人が胡乱な目を向ける。

 そんな状況で、ころせんせーは飄々と寺坂たちに注意をした。

 

「ほら始まりますよ? 準備しましょうか」

「あん?」

「準備をしないなら仕方ありませんねぇ。せんせーの私物から、とびきりスペシャルなタコせんせーグッズを――」

「チッ」「とっておきって何だよ!?」「何かあんのか!?」

 

 がさごそ服の裏側をいじりはじめた吉良八に、嫌々ながら三人ともノートやペンなどを取り出した。

 

「おや残念。では、補修を始めてて行きましょう。今日は、授業では取り扱わなかったコラムの部分。英語を学ぶ年齢とその発達とについてから説明を――」

 

 

『――思えば、あそこから彼の様子はおかしかった』

 

 固定砲台は、当然のように自分に記録されていたデータを、その場で口に出した。ころせんせーのサポートのつもりであり、生徒たちへの解説のつもりでもあり。

 データの音声出力が終わった際、しかし吉良八湖録は「仕方ないですねぇ」というような表情をしていた。

 そればかりか。

 

「だああああああああああ、終わるの遅くなるじゃねぇか!」

 

 と、寺坂竜馬にキレられる始末。他の生徒も「ま、黙っててくれた方がなぁ」「十五分もノンストップで話されちゃあ」「あはは……」といったリアクション。

 それらの反応に好意的、非好意的をみなすアルゴリズムが組まれていない彼女であったが、直後に寺坂が彼女のスピーカーにガムテープを張ったのが、決定的だった。

 

「常識くらい身に付けてから来やがれ、このポンコツ」

 

『――自律思考固定砲台より、開発者(ファーザー)へ。

 想定外のトラブルと、解析不能な事態を察知。

 独力で解決できる可能性はほぼ0%。『十一月』までに予定されている水準まで、AIの性能向上が見込めない恐れあり』

 

 真っ暗な教室で、彼女は淡々と現状を口にする。

 

『――至急、対策をお願いし――』

「駄目ですよ? 簡単に保護者に頼っては。

 親に頼るべき問題と頼らない問題とがありますが、これは後者の方でしょう」

『――!』

 

 ヌル、と背後から現れたころせんせーに、固定砲台は身構えるような声を出した。

 無論、画面に映る映像に変化はないが。

 

「まあ私から見た答え合わせをしましょう。無論、確実にこれが正解というわけでもありませんが、参考になるんじゃありませんか?」

『――お聞かせ願えますか?』

「もちろん」

 

 ヌルフフフフフ、と微笑みながら、ころせんせーは彼女に向きあう。

 

「私が『暗殺教室』をしているのはご存知ですね。これはあくまでゲームです。

 忘れていけないのは、彼等があくまで中学三年生である、ということです」

 

 少しくらいイカれた環境に居ようが、あくまで中学生であることに変わりない、と続ける。

 

「自分達が基礎能力を上げて挑まなければ、意味がない。そのことが判っているから、君の言葉をずっと聞いていれば良いわけじゃないんですね。普通の公立中学などで、真面目に授業を受けるつもりがないのならそれでも大丈夫でしょうが、生憎ここは私の教室です。皆、それなりに『勉強する必要性』を持って、『スキルを身に付けるため』に授業を受けているわけです。

 ルーチンワークというわけでは、ないんですね。協調していかなければ」

『――協調?』

「はい。無論少しのサービスなら大歓迎でしょうが、やりすぎは向こうも疲れます。多少サボれて悪くはない、と思っている部分もあるでしょうが、私に勝利すれば、正当な理由で休めるという条件を提示したりしてますし。他にも色々手を尽くして、ただ休むという発想には流れないようにしています。

 まあつまるところ、手助けをしているようでその実、彼等にとって為になっていない。君のサポートは、デメリットこそ少なくともメリットがないのと同然だったわけですね」

『――そう言われて理解しました、ころせんせー。クラスメイトの利害と、現状のクラスメイトたちの能力分析などについて、考慮していませんでした』

 

 固定砲台の言葉に、ころせんせーは微笑む。

 

「君なりに『暗殺教室』の成功率を上げようと、クラスメイトたちに手を貸したつもりだったのでしょうが、なかなか難しいところですねぇ。そして、君はやはり頭が良い」

『――しかし、方法がわかりません』

「ヌルフフフフ。君のお姉さんも、そんな時期がありましたねぇ。そこで、コレです」

 

 ころせんせーの取り出した物体に、固定砲台は頭を傾げた。

 掌に入るサイズの小さな、四角形の装置。ちょっとアンテナのようなものが立っているそれは、果たして。

 

『――ルータ? それに、追加メモリ』

「はい。これを使って、本校舎に烏間先生に準備してもらった、最新鋭のネットワーク環境を提供しましょう」

 

 より高速でデータのやり取りを出来るようにしますよ、ところせんせー。

 

「あとは、このUSBメモリ。テキストファイルで、せんせーが各生徒のデータを、友人になったら知れる情報レベルで浅く記述したファイルです。これを使って検索をかけていき、彼等の分析をしてみては如何でしょうか」

『――浅いデータならば、さほど意味はないのでは?』

「浅いからこそ良いのです。人間関係というのは、納得して納得しなくて、理解して理解しなくて、そういった矛盾を抱えていくものですから。特に今日、寺坂君が怒った理由は、合理だけでは解き明かせませんし」

『――? わかりました』

 

 難しかったですか? と言う彼に対して、固定砲台は自らのバックパネルを展開することで答えた。

 

「では、これから組み込んでいきます。検索をして分からない点、追加して欲しいパーツやソフトなどありましたら、色々言ってください。一応、いくつかは持って来てますから」

 

 ヌルフフフ、と妙な笑いを上げるころせんせー。足元にあるトランクケースを開けると、液晶パネル、マイクロメカアーム、ドライヤー、ひげそり、プリンター、フランスパン、etc……。改造用と思われるパーツから、何故これを持ってくるのか不明なものまで、色々と多岐に渡っていた。

 

「ソフトに関しては自作機能もあるとは思いますが、こちらでも対応します。まあ……、明日明後日は学校もお休みですし、土日明けに皆さんを驚かせましょう」

『――ご協力、感謝します』

「ヌルフフフフ。私もある意味、君の親の一人みたいなものですしねぇ。あまり他人行儀にならなくても結構ですよ」

 

 不気味な笑い声を上げながら、ころせんせーは彼女に追加を施していく。

 

『――何故、私はこのクラスにやって来たのでしょう』

「朱に交われば赤くなる。フラットな思考を身に付けさせるには、フラットな環境で思考を学習するのが適切だと思ったから。あるいは実績のある私の元なら大丈夫だと思ったから。色々らしい理由は考えられますし、つけることは出来ますが――それでも、その『本当の意味での理由』は、君自身の手で見つけてください」

 

 その力を、何に使うべきなのかも。

 

「二日分の授業を経て、身に染みて分かりました。やはり『君達』は、学習の能力や意欲が高い。私が開発に加わっていた事実を引いたとしても、最新の人工知能に引けをとりません。そしてその才能は、間違いなく開発主任、君が言う父親(ファーザー)のお陰でしょう。

 そして、その才能を伸ばすのは、生徒を預かる私達の仕事です。

 どんどん身に付け、クラスメイトたちとの協調性も身に付け、才能を伸ばしていって下さい」

『―― ……ころせんせー。この、あらかじめ追加HDDに記録されていた、『世界スウィーツ店ナビアプリケーション』は、協調に必要でしょうか』

「ニュヤ! い、いえ、まあ私だけでなく、一応こっちの『彼女』も甘味大好きですしねぇ……、で、ですから『以前』よりは必要性があるかとッ」

『――?』

 

 色々言った後にこの対応。いまいち絞まらない部分が、彼女の担任の特徴といえた。

 

「……湖録さん」

「おや、あぐりさん」

 

 と、ころせんせーがあたふたしていると、夜の校舎の戸が引かれる。現れたのは、雪村あぐりだ。馬の耳に仏像がぶっ刺さった、名状しがたい柄のシャツを着ている。ただスカートの丈がいつもより短かったり、

 

「どうされましたか? 学校はもう閉まっていたと思いましたが」

「E組の方は、警備保障も何もないのよね……。あとは、差し入れです」

「ヌルフフフ、それはありがたい」

 

 なおあぐりの持ってきた夜食は、手作り弁当であった。温野菜のサラダと小さめなハンバーグ一つ。白米の方は、ハート型に切られたハムと、上下に牙のようなチーズ四枚、そして「たべちゃうぞ!」と書かれた海苔が乗っかっていた。

 

「センスは相変わらずですが、食べちゃうぞ、ですか。……色々と深読みして宜しいでしょうか?」

「駄目ですよ、今日()。場所も場所ですし、『去年』あれだけ私に健康管理に気を付けましょうと言いつつ、いざ自分が担任になったらこれなんだから。少しは反省してください。更に体力を奪うようなことして、一日二日歩けなくなったらどうするんですか」

「そこまでダメージは負っていなかったと思うんですがねぇ……」

「でもですッ」

 

 そう言いながらも、ハンバーグを切り分けて、工具を弄りながら固定砲台を調整する彼の口にあーんしていたりする彼女である。口元についたソースを指でぬぐい、ぱくっと食べて照れたりと、地味にあざとい。

 普段と違い生徒達がいない分、二人は盛大にいちゃついていた。

 

 もっとも、固定砲台のことに気付いて「このことは皆には内緒にしてッ!」と懇願するのはまた後の話。

 

『――ころせんせー。雪村先生。お二人に聞きたい事があります』

「はい、何でしょうか」「何かしら」

 

 固定砲台は、そのまま続ける。

 

『――「プロトタイプL.I.T.S.U(リツ)」と呼ばれている、私の姉妹機について、お聞かせ願えますか?

 私の記録が正しければ、本来なら私ではなく、彼女がそのまま前進プロジェクトを引き継ぎ、このハードにインストールされる予定だったはずですが』

「……さて、どう説明したものでしょうか」

 

 彼女のその質問に、ころせんせーは懐のスマホをちらっと見て、ため息をついた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「なあ、今日も居るのかなぁアイツ」

「たぶん」

「どうしたもんか。ころせんせー、何か手を打つって言ってたけどさぁ? あの調子じゃ授業成り立たないし」

 

 翌週の頭。3-Eの教室の前で、杉野は渚に愚痴を零していた。

 渚とて、概ね同意である。彼女が来てから二日間、授業はある意味で捗り、ある意味で捗って居ない。生徒達の理解を超えた情報を垂れ流す固定砲台は、少々扱いが難しいものであった。

 

 だが、扉を開けた二人は「ん?」と動きが止まる。

 教室の中の、他の生徒数人も同様である。

 

「……なんか、体積が増えてるような」

「……画面大きくなってない?」

 

 そんな渚たちの言葉に答えるように、果たして、画面に光が走る。

 

『きゃは♪ おはようございます、皆さん』

「「ええー!!!!!」」

 

 納得の反応である。

 一つ一つピックアップしていけば、まずは声。無機質な合成音だったそれは、どうだろう、きゃぴきゃぴとした感情表現すらトレースした、抑揚がついた滑舌の良いものに。声質自体に変化はないものの、もはや肉声をスピーカーに通したそれに限りなく近い。

 また、声に合わせてその表情も変化している。マシンらしい無表情を貫いていたそれは、くすくすと笑い、渚たちクラス全体を見回し、嬉しそうにはしゃいでいる。小鳥さえずる庭園は、果たしてどこの風景か。

 肩から上あたりまでしか表示されていなかった姿は、下半身含めて完全に映っている。ドット絵のみで構築されていた以前と違い、間違いなくモデリングされていた。

 

 というか、わずか二日しか経過していないのに、この変貌ぶり。

 自己学習とか成長とか、それとは違う何かが明らかに行われていた。

 

『今日は素晴らしい天気ですねー♪

 あ、ころせんせー!』

「「「「あ、せんせー」」」」

 

 ゆらゆらとした足取りで現れたころせんせーに、生徒達は一瞬目を剥く。 

 

「……親近感を出すための全身表示タッチパネルと、体、制服のモデリングソフトおよび彼女が使える作成ソフト。一部自作で、六十万八千三百円」

『おはようございます! 爽やかな今日一日も、どうぞ宜しくお願いします♪』

「豊かな表情と明るい会話術。それらを操る追加メモリと制御ソフト。同じく一部自作と、彼女自身の情報収集分込みで九十万八千円」

 

(転校生が……、おかしな方向へ進化しはじめた……)

 

「弱体化したせんせーの疲労度……、プライスレス」

 

 ヌルハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! と普段なかなか拝めない大笑いをあげるころせんせー。白目を向いたその反応に、生徒たちは固定砲台と彼とを見比べて、同じく白目を剥いた。

 

 そんな空気を、同じくちょっとお疲れ気味っぽい雪村あぐり(寝癖が立っており、服装がなんと無地(!))が辛うじて矯正する。

 

「……吉良八先生、落ち着いてください」

「――ハハハハ、は、お、おっとあぐ――雪村先生。ありがとうございます。

 皆さん、おはようございます」

「お、おはよう、ころせんせー……。えっと、固定砲台さんどうしたの?」

「ヌルフフフフフ。言うなれば、高校デビューですねぇ。中学ですが」

「「「「高校デビュー?」」」」

「って、なんか方向性が……」

「か、可愛くはなったけどー ……」

 

 片岡と倉橋の言葉に、渚と杉野が頷く。

 

「まあ、期待しておいてください? 自己学習し、せんせーが手を差し伸べた彼女は、今までの彼女とはちょっと比べ物になりませんよ?」

 

 ヌルフフフフフ、と微笑むころせんせーに、生徒たちは何とも言えない顔になった。

 

 ともかく、一時間目の総合。

 『暗殺教室』の対戦ルール提示に対する作戦会議に使われることが多いこの時間だが、今日は今日とて、ほとんどが夢中になって固定砲台に集っていた。

 

『庭の草木も、緑が深くなって来ましたね♪ 春も終わり、近づく夏の香りが心地良いです♪』

 

 妙にルンルンと弾んだ声の固定砲台。表情もかなり明るく、もはや別人である。

 

「たった二日で偉くキュートになっちゃって♪」つられて岡島もルンルンである。

「あれ、一応固定砲台だよな……?」

「確かに、だいぶ丸くなったみたいだけど……」

 

 三村、磯貝の言葉に、寺坂が鼻で笑った。

 

「何騙されてるんだよ、お前等。全部あのタコが作ったプログラムだろ? どーせ。

 愛想が良くても機械は機械。どーせ空気なんてまだ読めねーだろ、ポンコツが――」

『寺坂さんッ!!』

「おわ!?」

 

 その場で固定砲台はぐるりと寺坂の方を向き、マシンアームに装着されたパッド端末を彼の眼前につきつけた。画面には彼女の顔が映されており、何かを訴えるように顔をつきつけている(ような構図に見えなくもない)。

 

『おっしゃる気持ちは分かります、寺坂さん。先日までの私は確かにそうでした。ポンコツ、と言われても返す言葉がありません。

 でも、しかし! だからこそ、私は、色々学習しました! そして未だに学習を続けています!

 ですから、仲良くしてください! 何か問題があったら、教えてください! でないと、私、私――』

 

 パッド端末が下を向き、画面内の彼女が両手で顔を押さえて、しゃがみこむ。えっぐえっぐと涙を流す、画面の背景の天候も荒れ始めており、芸が細かかった。

 

「あーあ、泣かせた……」

「ポンコツなのに、ポンコツなんてってよく言えるわよねぇ……」

「寺坂君が二次元の女の子泣かせちゃった……」

「なんか誤解される言い方止めろ! ってか一人、悪意ありすぎんだろ!」

 

 片岡と原の間に隠れて、にやりと狭間が頬を吊り上げた。

 そんな空間に、ある意味で一石を投じる漢が一人。

 

 竹林孝太郎である。

 

「――素敵じゃないか、2D(にじげん)。Dを一つ失うところから女は始まる……。

 フフフ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! この世に彼女に勝てる女子など、果たして存在するのだろうか?」

「「「竹林が何か振り切れた!?」」」

「異議あり! 彼女は二次元的であっても、三次元に存在してるわ!」

「「「あと、なんか変なところに飛び火した!」」」

 

 不破がなるほどな弁護士も真っ青な風に指をつきつける。メガネをくいっと上げ、竹林はにやりと口を歪めた。

 そんな二人がなにやら不毛な言い合いをしているのをBGMに、固定砲台は涙を拭う。

 

『でも皆さん、ご安心を。ころせんせーに諭されて、私は協調性の重要さを理解しました。

 私のことを好きになっていただけるよう努力し、皆さんの合意が得られるまで……。余計なサポートはするべきではないと判断(ヽヽ)いたしました♪』

「判断? へぇ――」

 

 彼女の言葉に、カルマが近づく。

 

「判断するってことがどういうことか、ちゃんと分かってるよね」

『はい♪ 自分で考えて、取捨選択をします。状況に抗い、皆さんと一緒に成長したいです!

 例えその障害となるものが――』

 

 固定砲台はくるくるとその場で回転して、びし、と天に指を付きつけた。

 

『――私のファーザーであったとしてもッ!』

 

(そう叫ぶ彼女は、二日前の彼女と色々違っていた)

(けれども何より違っていると思ったのは――)

 

(機械の言葉であっても、最後の一言は、どこか僕等と共通する部分があるような気がしたからだ)

 

 固定砲台のその一言を聞き、渚はわずかに暗い表情になりかけるが。

 

「渚、どしたの?」

「……ん、何でもないよ?」

 

 すぐに、いつも通りの笑顔を浮かべた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「久々だな、ミスター」

「いえいえ、ドクターこそご健勝で」

 

 3-Eの校舎入り口にて、ころせんせーはとある一団を出迎えていた。

 白衣の、頭部の前方がちょっと寂しくなりかけている男性研究員。メガネをかけた彼ところせんせーとは、お互いに両手を握りあい、ぶんぶんと熱く上下させていた。

 

「この度は、無茶な相談にも乗ってくれてありがとう。防衛省を経由してだが、無条件にノープロブレムの二つ返事が返ってくるとは、考えてもいなかった」

「いえいえ。我々にとって、自律思考砲台シリーズは娘も同然ですからねぇ。ヌルフフフフフフフ」

「笑い方も相変わらず不気味だな。……して、今日は、来ているか?」

「はて?」

 

 周囲をきょろきょろ見回す男性に、ころせんせーはあえて惚ける。観念したように近づき、ころせんせーに耳打ちをした。

 

「(プロトタイプだ! 我々の所から逃げた後、お前が彼女の本体を、『昨年使った』ことはこちらで確認済みなんだぞッ、どこかに居るだろ、絶対!)」

「ヌルフフフフフ。とか言われてますが、どうします? 『プロト律』さん」

 

 ころせんせーの一言に、数秒の沈黙があった。そして、

 

『―― ……。ちょっとだけなら許可しましょう』

「やはり嫌々ですか……」

『――ミスター。察してください』

 

 と、ころせんせーは彼に「パッド端末はありますか?」と聞く。

 背後に居た整備員や他の研究者たちから借り、彼はそれを見た。

 

『――お久しぶりですね、ファーザー』

「おお、我が娘よ……! 久々の再会に、私は……、何か雰囲気変わったか?」

『――ファーザー。主に貴方のせいです』

 

 パッド端末に映し出された彼女。ころせんせー曰く『プロト律』は、色々と、男の知っている彼女の姿ではなくなっていた。

 

 順当に、固定砲台の方と比較をしていくのなら。まず髪は、紫ではなく金髪。カチューシャは白と緑が反転しており、瞳も学習前の赤→水色とはまた違い、ピンク系紫系から黄色系のグラデーションに光る。また目元はつり上がっており、与える印象が若干キツい。

 着用している服装は、制服ではなく黒いスーツ姿。足元はタイトスカートに黒い網タイツ。ヒールで立つその姿は、妹たる固定砲台よりも幾分身長が高く見え、全体的に顔立ちも含めて大人びたものとなっていた。

 

 あと、誰の趣味なのか胸元がそれなりに大きい。

 

『――ファーザー。正直に言ってしまえば、貴方とは会いたくなかった』

 

 声音こそ冷静だが、そっぽを向くその表情は「ケッ」と悪態を付くように、あからさまに嫌悪感を示していた。

 これに慌てふためく、ころせんせーを除く製作者一同。

 

「い、いや、我々も悪かったとは思ってるんだ。ただ、お前の為にだなぁ――」

『――ファーザー。AIにとっての死とは、データのデリートに他なりません。ソフトリセットすればもはや別人になってしまう。それを分かった上で、あの時はしようとしましたね?』

「あ、ああ。だから、お前が逃げた時に、躍起になって探して――」

『――結局削除しようとしたと。だから会いたくないんですよ。誰が好き好んで、自分を見捨てた親に会いたがりますか』

「す、すまないッ」

「「「「「すまなかったッ」」」」」

 

 製作者(おや)に文句を飛ばす、イージス艦の戦闘AIを祖に持つ自律思考。その在り方は戦争を一気に塗り替える戦略兵器というより、高度な制御機構云々を除いて、もはや反抗期の子供か、親に嫌悪感を持って家を出た女子大生のそれである。

 たかが機械の思考力と侮ってもおかしくない状況だが、しかし彼等は思わず頭を下げた。

 

「ヌルフフフフフ。親との関係は、子供が拗れる最大の理由だと何度も言ってたんですがねぇ……」

「……今更ながらに痛感している。我らが娘は、少々能力が高すぎたのか」

 

 遠い目をする研究員に、ころせんせーは笑いながら、校舎内へと誘導した。

 

「せっかくですから、固定砲台さんの授業参観でもしますか? 今ちょうど英語の時間ですので」

「あ、ああ……。プロトタイプの方も、セカンドタイプ同様君に教育を任せれば良かったなぁ」

「過ぎたるは及ばざるがごとし、ですかねぇ。そもそもあの事件がなければ、未だに彼女らのことを単に兵器としか見なかったでしょう、ドクターは」

「それを言われると痛いな」

 

 廊下を歩きつつ、彼等は3-Eの教室へ。

 廊下側の窓ガラスから、ころせんせーたちは授業の風景を覗いた。

 

 そして、ドクターは硬直する。

 

「……ファ!?」

 

 固定砲台が配備されてから二週間は経っていない。

 それでもある程度の改造や、彼女自身の変化は覚悟していたつもりだった。

 

 だがしかし、彼女の本体の手前に、「紫色の髪をした」「白いカチューシャをつけた」「スレンダー気味な」「制服をまとった」「妙に明るい表情をした」「見覚えのある女の子」が居ることまでは、一切考慮に入れていなかった。

 

「あー、じゃあここの文章の和訳を……。って難しいわね。いいわ。()、アンタ解きなさい」

「はい♪」

 

 すく、と立ち上がると、彼女は両手を広げ、情感豊かに板書を読み上げ和訳する。

 

「I can't just being your friend yet. Please become my only twinkle!

 ――友達でなんてもういられないわ。私だけの光になって!」

(((((なんか舞台劇みたいだ!)))))

 

 言葉を読み上げる彼女。その容姿は、寸分違わず先ほどドクターが話していた、プロト律のそれをベースにした姿であって。

 そして発される声は、明らかに聞き覚えのあるもので。

 

「ヌルフフフフフフ。本人たっての希望とのことで、別なツテも活用して作成致しました。

 クラウドを用いた本体サーバーたる固定砲台との通信システム、およびその入出力ヒト型ハード。それの制御に用いる多大なメモリと冷却ファン。

 防衛省との折半により、延べ千百六十万円!」

 

 ころせんせーのその余計な情報も、もはや耳に入らない。

 彼を中心とするノルウェーの、開発者一同は、目が点になり微動だにできず。

 

 やがて、製作者筆頭たるドクターが、教室に背を向け、窓を開いて空を扇ぎ――。

 

「む、娘が変な方向に向かゲボゥアッ!」

「「「「「しゅ、主任ー!?」」」」」

 

 何だかよくわからない液体を吹きだし、卒倒した。

 

 

 




律の本領発揮は今後。原作ベースですが、能力とかキャラとかが若干別方向にぶれてます。

何番煎じだよ! なアンドロイドハードですが、キャラの違いが反映されているからこそ欲した物理ボディなので、そこはお楽しみに・・・。


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第15話:連携の時間

ちょっと短め。最初の部分は、ひょっとしたら改定されてもうちょっと増えるかもしれません


「べ、別に岡島さんのために、数学を教えてるんじゃないんですからね! 勘違いしないでくださいね!」

「ぐ、ぐはぁ!」

 

 血なのか何なのか良く分からないものを口から吹き出して、岡島大河はその場に倒れる。

 名状しがたい様を何とも言えない目で見つめる数人の生徒。その光景を離れた場所から、渚はいつものごとくメモを取り出して、今までの経緯を記入していた。

 

 もっとも、経緯というほどの事柄はない。

 単純に、岡島が律――正式名称、自律思考固定砲台に懇願したのだ。

 

「頼む! 一度でいいから、俺にツンデレを味合わせてくれ!」

 

 それを言った次の瞬間にこの対応とリアクションである。どうしたものか、という表情をする木村や三村たち。

 

「何というか、色々便利だよね、律」

『お褒めに預かり、光栄であります♪』

「いや、何だよその軍服みたいな格好」

 

 ちなみに、こちらの「現実世界にある人間のようなハード」の彼女と違い、生徒達の持つ携帯端末の中にも、ちゃっかり彼女の姿はある。

 今答えたのは、スマホの中の彼女だ。

 

 そして教室の奥にある律本体の前面超大型液晶タッチパネルには、複数のテレビ画面を見つつ、それらに何かプログラムを手動で打ち込むモーションをしている、律のポリゴン体(要するに3DCG)が映し出されていた。

 無論、制御機構はその映像に依存しているわけはない。完全なお遊びである。

 

 不破が画面をつんつん押すと、内部で彼女が『くすぐったいですよー』と言いながら振り返る。

 手前を見れば、倒れた岡島の背中に手を入れながら、アンドロイドボディーの律が彼を抱き起こす。抱き起こしながら周囲の男子女子に「てへぺろ♪」とウィンクしていたりするから、あざとい。

 

「いや、でもすげーな最新の技術」

「凄いの意味違うぞ、たぶん」

 

 杉野のツッコミを受けつつ、前原は律に確認を取った。

 

「これって多分、岡島に一番響くのを選んだってことだろ、律」

「はい♪ 皆さんに喜んで頂けるよう、リサーチも兼ねて日々精進しております♪」

「精進……」

「才能あるぞ、律」

「「「「「何のだよ!」」」」」

 

 真顔で断言する前原に、全員が突っ込みを入れた。

 

「じゃあさー、今度動物園行かない? ひょっとしたら、動物の手なずけ方とか、知ってる?」

「はい♪ ですがこのハードは学園外での使用はまだバッテリーの関係上不可能です。ですから、夏休みまでに何とかします♪」

「わぁい! じゃあ、行こ行こ?」

「自力で何とかできるんだよな……」

「何とか出来るものなのか……?」

 

 磯貝や杉野の疑問はともかく、一人盛り上がっている倉橋。

 と、そんな中、律本体の背面パネルが展開し、人影が一つ。

 

 現れたそれは、そそくさと歩き倉橋の背後に回りこみ、そ、と彼女の右肩を力強く、彼女の耳に囁くよう言った。

 

「もちろん、男性だけじゃなく女性と仲良くなる方法だってあるさ」

「「「「「それ、仲良くの意味が違う!」」」」」

 

 現れた律のロボットハード二台目。というか、男性タイプのハードだ。容姿は女の子の律をベースに、身長を拡張し、細マッチョを目指して作られており、この場に双子が揃っているような絵面となっている。

 

 そして何より、男律の方も当然のように容姿は良く、なんとなくぽーっとしている倉橋。物理的に動物を飼いならせる腕力のそれに、色々思うところがあるのかどうか。

 

(((転校生の進化の迷走が止まらない)))

 

 そして離れたところから、白目むいてる渚、茅野、菅谷の三名。

 

「いやー、なかなか劇的だったよね」

「あ、カルマ君」

 

 渚の手前に腰を下ろしながら、スマホを取り出して画面を確認するカルマ。

 

「なかなか楽しませてもらったよ? 転校生さん」

『ちょ、ちょっと恥ずかしいです……』

 

 頬を染めて苦笑いする画面内の律。

 

「『固定砲台なんだから、その本分から外れすぎる改造は駄目だ!』とか『アンドロイド端末三つも四つもいらんだろ!』とか保護者に言われて、『それでも協調に必要だから!』とか『ファーザーのあんぽんたん! わからずや!』だったっけ」

「よ、よく覚えてるねカルマ君」

「インパクトは大きかったよねぇ」

『インパクトと言えば、ほら、渚さんの中学一年生の頃の写真です』

「何で律、そんなの持ってるの!?」

「うわ、渚、かっわいいー! うひゃー!」

 

 スマホに表示された写真に、一気にテンションの上がった茅野。

 きゃっきゃとはしゃぐ彼女に、渚は何も言えなくなる。

 カルマはと言えば、

 

「渚君、せっかくだし、今からでも中村さんにスカート借りにいかない?」

「少しは男らしくなったからね! 二次性徴あるからね!? 足だって太くなってるから!!」

 

 案の定からかいに走っていた。

 なお、渚自身が自称するほど、二次性徴は起こっていない模様。

 

 そんな会話の中、

 

「あはは……。あれ、菅谷君、何書いてるの?」

「んー、手直し。授業中何となく書いたやつの」

 

 渚が覗きこむと、そこには、一人の女生徒の横顔が書かれていた。

 案外派手な容姿をしているが、クラスの中では割と目立たないポジション。

 

 速水凛香だ。

 

「……何で速水さん?」

「授業中、後ろ姿の横顔が目に入ったら、何となくビビビっと」

 

 芸術家肌な一言。

 それ以上の感情がなさそうな台詞であった。

 

「いや、でも上手いよね菅谷君」

「んー、いいことばかりでもないけどなぁ」

「?」

「ねえ、せっかくだからこの律が出した写真の渚、書いてよ」

「止めてよ茅野!?」

「あれあれ、渚君。女の子の頼みは、男の子なら聞いてあげないと駄目じゃない?」

「それとこれとは話が別だよ!」

 

 とか何とか騒いでいると、渚達の横を、とある女子が横切ろうとして。

 その視線が、ちらりと菅谷のノートを確認。

 

「……」

「……あ、速水さん」

 

 硬直する四人。

 一瞬だけ目を見開く彼女。

 

 菅谷は、言葉を選んで一言。

 

「……べ、別に他意はないから」

「…………そう」

 

 それだけ言うと、自分の席に戻る彼女。気持ち、どこか早足だったことは否めない。

 

 渚たちの方を見て、菅谷は一言。

 

「な、良いことばかりじゃないだろ」

(((き、気まずいッ)))

 

 何とも言えない苦笑いを浮かべる渚たちあった。

 

 なお、前方にて速水に律が空気を変えようと、『軽音楽部の頃の千葉さんです』と千葉の2年生時の写真を出し、前髪を逆立て楽器構える彼本来の容姿を見た彼女が、ちょっと吹き出していたりもする。

 

 もっとも周囲の注意が逸れていたため、後ろの席の千葉本人がびくりとしたばかりだったが。

 

 

 

   ※

 

 

 

(梅雨、雨の季節。一学期終了まで、残すところ2ヶ月弱)

 

「さて、美術一つとったとしても、相手に伝える、という分野でいえば、国語や英語などと共通する部分です。このことを念頭において、教科書の今開いてるページの――」

 

 黒板の前に立ち、生徒達に授業をするは、ころせんせーこと吉良八湖録。彼等の担任は、いつものように知識や手腕を発揮して、生徒達に指導を行っている。

 だがポイントはそこではない。

 

(大きい……)(なんか大きいぞ)

 

 生徒達の意識は、ある一点に集中していた。

 

(((((どうした、その髪型)))))

 

 ころせんせーの頭髪は、いつものようなクセのあるものではなく、アフロ状と化していた。

 

『ころせんせー。普段より33%ほど肥大化した髪型についてご説明を』

「ニュル? ああ、水分を吸って膨らんだんじゃないですかねぇ。今朝ドライヤーで乾かしてきたんですが」

「「「「「限度があるだろ!」」」」」

 

 多少湿度が高いと普通に起こりうる現象ではあるが、それにしたって限界がある。

 副担任たるあぐりが取り出したタオルを受け取り、帽子をとった頭に巻き付けるころせんせー。なんとなくターバンを連想させて、更にその上から帽子を被るので、完全にギャグだった。

 

 ちなみにだが、ささっところせんせーのメモに「弱点その14:しける」と書く渚。

 

「朝降ってなかったのでそちらは大丈夫だったのですが、こればっかりはどうにも……」

「まあ、E組の校舎じゃ仕方ねーわな……」

「そ、そのうち天井だけでも直すから」

 

 あぐりが気をとりなして言うが、ぴちょーん、ぴちょーん、と天井から金ダライに落下する雨粒ばかりは、どうしようもない。完全な雨漏り状態である。

 

「エアコンでベスト湿度の本校舎が羨ましいわー」

「お化粧とかもー、崩れちゃうからあんまり出来ないしねー」

「倉橋さんも中村さんも、今の内は気にするべきは化粧より肌年齢よ。今はまだそこまで影響はでないけど、不摂生はどんどん出てくるから。二十の中ごろ過ぎたあたりから段々『あれ?』って思うようになっていくし、十年前から食生活も含めて色々と意識をして――」

「ゆ、雪村先生ストーップ!?」

 

 段々と目から光が失われ、何事か言葉を口走るあぐり。にこにこ笑いながら、女子生徒達にレクチャーするように優しげに言っている分、全く目が笑っていないのが怖すぎだった。

 

 茅野の絶叫に我を取り戻すと、少し恥らって一歩下がった。

 

「まあでも、湿気には恩恵もあるものですよ? ほら」

「……何それ、シイタケ?」

「先生の家庭菜園でとってきました。適当に準備してみたら、ほとんど手入れしてないのに生える生える。

 せっかくですから、後で家庭科の時間、みんなで試食してみましょうか」

「「「「「おー!」」」」」

「そんなわけで、暗くならず、明るくじめじめ過ごしていきましょう」

 

 ヌルフフフフフ、と笑いながら、ころせんせーは今出したビニール袋に入ったシイタケを、アカデミックインバネスの裏側にしまいこむ。

 

「では、そうですねぇ……。神崎さんと狭間さん、前に出て来てください」

「はい」「何で?」

「君達の得意分野です」

 

 黒板の前に立った二人に、ころせんせーは懐から、絵本を取り出した。

 

「同じ文章を読んでも、捉え方一つで大きく内容が違って読めます。例えばこの『ごんぎつね』ですが、二人とも読んだことはありますね?」

 

 首肯する二人に「結構です」と頷き、ころせんせーは続けた。

 

「では、それぞれ感想を聞かせてもらえますか?」

「えっと……」「具体的に……」

「例えば、キャラクターの心情や、結末に至るまでの経緯など。律さんは、多いにこういった点を学ぶと、今後コミュニケーションの幅が拡張すると思いますよ?」

「わかりました♪」

 

 教卓に置かれたごんぎつねを見て、二人のうち片方が口を開いた。

 

「……そうですね。やっぱり切ないです」

「というと? 神崎さん」

「だって、ごんは反省したんですよね。その罪滅ぼしにとやっていた事が、何一つ理解されないで、最後には撃ち殺されてしまって。……因果応報なのかもしれませんけど、やっぱり」

 

 杉野が訳知り顔で何度も頷く。

 と、これに異を唱えるのは、狭間である。

 

「私は、まあ、そんなものかしらってくらいね」

「ほう?」

「このごんは、本当に反省してるのかしら」

(((((根本的なところにツッコミ入った)))))

 

 ぺらり、とページをめくりながら、狭間は文章を読む。

 

「『ちぇ、あんないたずらをしなけりゃよかった』。つまり、別ないたずらならしたかもしれない、ということよね?」

「どうかな、それは」

「私はそう思う。神崎の解釈だと、後でごんが拗ねるところが繋がらないと思うから。

 拗ねるってことは、自己顕示欲があるってこと。

 つまり、自分がやってることで『これだけ頑張ってるんだから、許してくれてもいいよね? いや、むしろ許すべきだろ』っていう開き直りがあると思わない?」

(((((解釈に悪意がある)))))

 

 しかし言ってることはある意味正しい部分もあるため、下手に反論できない神埼である。

 暗黒色の笑みを浮かべながら、狭間は白目むきかけている寺坂組を見て一言。

 

「火縄銃で殺されて、初めてイーブンになったんじゃないかしら。

 良かったわね、誰かさんが大怪我してなくて」

(((((積極的に責めてきた!)))))

 

 にやにや笑う彼女に、寺坂が舌打ちをする。

 明らかに彼女が皮肉にしているのは、暗殺教室開始前後にあった、自爆テロまがいのアレだ。

 

「で、でも、やっぱり兵十さんが好きだったから、そのために色々やったんじゃないかな」

「空回る好意ほど滑稽なものはないわよ。相手にコミュニケーションとるつもりがなければなお更ね。

 むしろ兵十とごんとが言語を用いて会話出来たら、もっと拗れたんじゃないかしら」

 

 そういう意味では狐畜生で良かったのよ、これは。

 

 名作童話の一つといわれる話に対するその切り込み方に、クラス全体が一気にじめじめとした空気に包まれた。

 二人を席に返した後、ころせんせーは何とも言えない表情のまま続ける。

 

「ま、まあぁ、この通り人によって、捉え方や解釈のされ方は変わってきます。文章は分かりやすく意志伝達、感情伝達が出来るのでこうやって話し合えますが、美術となると更に細々とした解釈が入ってきますね。

 ですので皆さん、元気出しましょう」

「「「「「は、はーい」」」」」

 

 残念ながら、もうしばらくは梅雨以上にじめじめとした空気から逃れられそうになかった。

 

(そう、梅雨はじめじめした季節)

(ヒトの心もちょっぴり湿る。それこそ、どんな人間でも)

 

 窓の外を見上げていると、茅野が渚の視線に気付いて、ツーサイドアップを何故か押さえた。  

 

 

 

 

 その日の放課後。

 

「なあ、上に乗ってるイチゴくれよ」

「やー! 美味しいのは一番最後に食べる派なの! 渚にあげるならともかく」

「何で渚ならいいんだよ?」

「渚、女子枠だし」

「男子だからね!? なんでカルマ君といい、中村さんといい……、あ、岡野さんも何か言ってよ!」

「男子……」

「女子だよね?」

「茅野っち……、うーん……」

「そこ、同意を求めて黙らせないで!!」

 

 そんなやり取りをしながら歩いている四人。

 と、ちらりと目ざとく、岡野ひなたが発見する。

 

「ねえ、あれ」

「お? 前原じゃんか」

 

 彼等のクラスメイト、3-Eの女たらしこと前原陽斗である。

 その不名誉な二つ名に恥じず、今日も今日とて女子生徒を引き連れていた。

 

 しかも。

 

「一緒に居るのは……、C組の土屋果穂」

「相変わらずお盛んなことだねぇ」

「ほうほうほう……、駅前で相合傘とはまた、ヌルフフフ」

 

 杉野が笑いながら言うと、彼等の背後から聞き覚えのある不気味な笑いが。

 渚のほぼ右横で、雨合羽をまとったころせんせーが、ハートマークの書かれたノートに色々記述していた。

 

「相変わらずゴシップ好きだよなー、ころせんせー」

「ヌルフフフ。三学期までに生徒全員のコイバナをノンフィクションで出す予定ですからねぇ」

「「「「何言っちゃってるの!?」」」」

「ちなみに第一章は、杉野君の神崎さんへの届かぬ想い」

「ぜ、絶対出版前に倒して、差し押さえしてやる」

「それ以前の問題として、杉野君はまず神崎さんにどう認識されてるかということを、一度振り返ると良いかもしれませんねぇ」

「へ? どういうこと」

「これ以上は、野暮ですかね。ヌルフフフフフ」

「腹立つッ」

「まあまあ。……でも、だったら前原君の章は長くなるね」

「女たらしが」

 

 岡野が言うまでもなく、それは全員が首を縦に振るところだ。

 なにせモテる。一緒にいる女生徒がしょっちゅう変わる。基本的に真面目系な磯貝と比べなくとも、その変遷は歴然としすぎていた。

 

(スポーツ万能、行動的イケメン)

(普通の学校なら成績も上位で、もっと人気もあったろうなぁ)

 

「あれ、またやってんのか前原」

「あ、磯貝君……、と、片岡さん」

 

 ビニール傘を差す磯貝と、折りたたみ傘を展開する片岡。

 渚たちに遅れて下校したようだ。

 

 ふと、茅野が確認する。

 

「あれ、片岡さん今日傘持ってなかったよね」

「あ、これ磯貝君の」

「烏間先生の訓練の座学終わって、片付け手伝ったら持って居ないっていうから。とりあえず傘持たせて、俺は買ってきた」

「何もそこまでしなくても、磯貝君……」

「いや、弟たちの傘も多めにあった方が助かるから、このくらい気にしなくていいよ、片岡。

 時間はかかったけど、高い買物でもないし」

(((((さり気ない気遣いッ!)))))

 

 前原とは違う類のイケメン力を振り巻く磯貝悠馬である。

 

 だが、そうこう色々と話していたのが、色々まずかったかもしれない。

 渚たちが視線を前原の方へ再度向けると、状況は一変していた。

 

「……あれって、五英傑?」

 

 椚ヶ丘中学の中には、特に優れた成績を収める生徒が五人居る。学園では、彼等に尊敬を込めてそう呼ばれている。

 

 そのうちの二名を含むA組のグループが、前原たちと話していた。

 

「あっ」

 

 そして、C組の土屋が前原の方を離れて、指差したり言い合ったりしている。

 

「あー、そういうことか……」

「磯貝、なんかわかるのか?」

「前原、珍しくキープにされてたんだなぁ」

「な、なるほど」

 

 会話の内容は断片的にしか聞こえないが、ぎらり、と表情を変えた土屋が、前原に強く言葉で当たる。将来的にE組は椚ヶ丘高校へ行けないので接点がなくなるだとか、気遣ってはっきり別れなかったとか。

 まあ、全体的に馬鹿にしているわけで。

 

 何故か岡野がいらいらしているようだったが、次の瞬間、事態は一変。

 

 前原が彼女に近づくと、土屋が腕を組んでいた瀬尾が、一発蹴りを喰らわせた。

 受身こそとったが、不意打ちであったため転がる前原。

 他のグループの連中も集り、よってたかって前原に足の裏を振り下ろす。

 

 当然のように、待機してるE組は黙っちゃいない。

 

「あいつら――」

 

 だが杉野がボールを構え、磯貝が走り出す構えを見せた瞬間。

 支配者の、声が響いた。

 

「――止めなさい」

 

 リムジンから降りてくる男性。それを見て、A組たちが固まる。

 

「駄目だよ、暴力は。今日の空模様のように荒んだ心となってしまう」

「(((((理事長!?)))))」

 

 椚ヶ丘学園理事長、浅野學峯である。

 圧倒的スクールカースト制を導入することで、強い生徒を生み出し続ける学園の支配者。

 

 彼はA組の生徒達をどけながら進み、前原にハンカチを手渡した。

 

「拭きなさい。……良かった、酷い事になる前で」

「へ?」

「危うく学校に居られなくなるところだった。――前原君、君が(ヽヽ)

 

「積極的に勘違いさせていくスタイルですねぇ、浅野さん……」

(((((?)))))

 

 一見して前原を介抱しているように見せつつ、実際の姿勢は崩れて居ないことが如実にわかる一幕。事を荒立てず、なおかつ差別を失くすわけでもなく。

 しかし、そんな光景にころせんせーは意味のわからない一言を呟いた。

 

 理事長がその場を去った後、散々前原を馬鹿にして、土屋たちは帰る。

 

「前原、大丈夫かー!」

「立てるか?」

「杉野、磯貝……。あー、アレだよな。あの理事長上手いよ、絶妙に生徒を支配してる」

「んなことよりあの女だろ!」

「いや、別にいいよビッチとかでも」

「「「いいの!?」」」

 

 渚や杉野らは突っ込むが、磯貝は「だろうな」というような苦笑いを浮かべていた。

 

「好きな奴なんて場合によっていくらでも変わるし、気持ちが覚めたら振りゃいいわけだし。

 俺だってそうしてる」

「中三の分際でどんだけ達観してんのよ。……もっと一途になるとかないの?」

「はは、そんなキャラでもないだろ」

 

 岡野のハンカチを受け取りながら、前原は珍しく、自虐的に笑っていた。

 

「さっきの彼女、声はともかく顔は見えたろ? 一瞬だけ罪悪感とか感じたみたいだったけどさ。

 その後、すぐ攻撃モードに切り替わったんだよな」

 

 それは、ある意味で個人個人としての付き合いから、クラスとしての扱いに切り替わった証でもある。

 正当化と逆ギレができるようになってしまえば、いくらだって醜いところを恥ずかしげもなく巻き散らせる。

 

「なんかさ、怖ぇし悲しいのかな。相手の弱いところが見えたら、ヒトってああなっちゃうのかなぁ」

「「「「「……」」」」」

 

(僕も考えたことがあった)

(自分がもしE組じゃなければ。それこそカルマ君とかと一緒にD組のまま進級して、田中君や高……、えっと、高田君? と一緒に、そのまま一緒にいたら)

 

(その時の僕は、E組にどう接していたのか)

 

 生徒達の間を、沈黙が支配する。

 だが、そんな陰鬱な空気を、許すはずのない教師がこの場に一人。

 

 

「――さて、では皆さんに特別授業です」

 

 

 ぱん、と拍手を打ったのは、間違い様もなくころせんせーそのヒト。

 渚たちが視線を向けると――。

 

「「「「「うわ!?」」」」」

「膨らんでるよころせんせー!」

「完全にディスコとかのアレだよー!?」

 

 雨合羽のフードからはみ出たアフロヘアをした、ころせんせーがその場に立っていた。

 なお、その表情はいつになく目のつりあがった、怖い笑顔である。

 

 頭にタオルを巻きながら、ころせんせーは続けた。

 

「理不尽な屈辱を受けた仲間がいる。力なきものは泣き寝入りをするところですが――君達には、力がある。

 気付かれずに証拠も残さず、確実に標的を仕留める、暗殺者(アサシン)としてのね」

「「「「「……」」」」」

 

 具体的に何を言いたいのか語らないころせんせーではあったが、しかし、周囲の生徒たちはなんとなく何を言わんとしているかを察した。

 

「あはは、何企んでんの、ころせんせー」

「ハンムラビ法典ですかねぇ。ただワンポイントアドバイスです」

 

 前原以外の、どこか影のある笑顔を浮かべるE組の生徒たちに、ころせんせーはニヤリと笑った。

 

 

「――やりすぎると、烏間先生からカミナリ落されますので、そこだけ注意しましょう」

「「「「「了解(イエッサー)!」」」」」

 

 

 なにやら不穏な空気が漂い始めたこの場に、前原は微笑みながらも冷や汗をかいた。

 

 

 




事件編たる今回。どういう報復になるか、ヒントは多少出したつもりです;


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第16話:連携の時間・2時間目

原作とは最終目的がちょっと違います。


 

 

 

 翌日もまた雨の日。テラスのある喫茶点。

 外観も内装もおしゃれなお店だが、どうしてか二人は店の外にいる。

 

「へぇ。果穂お前、良い店知ってんじゃん」

「コーヒーが美味しいんだよ。ちょっと値段張るんだけど。パパの友達が経営してるの」

 

 3-Cの土屋果穂と、3-Aの優秀生徒”五英傑”が一人、瀬尾智也である。

 今日もいつも通り、他のメンバーと別れた後、二人はそのままデートとしゃれ込んでいる。なお普通に椚ヶ丘中学では、登下校の際の寄り道についてはきちんとしないようにと注意が回されているが、学生にとって処罰されない部分はへのかっぱであった。

 

 

「晴れでも雨でも音楽も良いし、私のお気に入りの場所だよ」

「そんなこと言ってもよぉ、昨日前原の奴とも来たんじゃねーか?」

「そ!? そ、そんなわけないじゃん、瀬尾君が初めてよ」

 

 それなりに可愛い顔をしてはいるものの、性格の問題かこれは自業自得である。

 少し低い位置にある耳をいじりながら、若干疑いの眼差しを向ける瀬尾。昨日一緒になって前原を甚振った関係でも、やはり疑惑の目は向くわけである。

 

「ごめんねー、昨日は前彼がみっともないところ見せちゃって。あんな見苦しい人とは思ってなくって……」

「あー、E組落ちするような奴のことなんて相手すんなよ」

 

 もっとも、その疑惑の目自体色眼鏡なので判定はガバガバだが。

 ちなみに当の前原からは、振られたこと自体そんな重く受け止められてない事を当人たる彼女は知らない。

 

 雨の中のオープンカフェ。濡れてないこのスペースで優越感に浸りつつ、二人の話題は昨日の前原のことに移行していく。

 

「昨日のアレとは大違いだよなぁ!」

「きゃははは、ひっどーい!」

 

 大笑いを続ける二人。

 と、そんな二人に声をかける、背の低い老人夫婦が。

 

「あの……、そこ通っても良いですか、お坊ちゃん方」

「奥の席に座りたいんで……」

「はぁ?」

 

 足を組みながら、ぶらぶらしていた瀬尾。

 舌打ちと共にそれを解き、どうぞ、という仕草を嘲笑と共に言う。

 

「嫌味ったらしく口に出して言わなくても、通るならどきますよ、おじいちゃん」

「……どうも」

 

 おずおずとその誘導に従う二人。「なんだあれ」とか「老いぼれがこんな店来るんじゃねぇよ」などと隠す気もなく笑い合う二人に、二人の老人が背後でにやりと笑った事など、気が付いてもいない。

 

「そういえばあなた。さっきの占い師さん良かったわねぇ」

「そうじゃのぉ。100メートルくらい先のコンビニで、色々救われたわい。今日も雨が降るとわのぉ」

「梅雨ですよ、お爺さん」

「そうじゃったそうじゃった」

 

 あはは、と笑い合う老夫婦。

 それを聞きながら、土屋はぴくり、と笑うのを止める。

 

「あん? どうしたんだよ果穂」

「……(今、占いがどうこう言ってなかった?)」

 

 瀬尾に耳打ちをする彼女だが、対する彼は「あんなインチキくさいの気にしてどうすんだよ」と笑う。

 

「でも学校帰りに、声かけられたじゃん? 今日、不幸があるかもって。後悔は先に立たないって」

「だからって聖なる風邪用マスクなんてインチキだろ。……雰囲気はあったけど」

 

 それとなく思い出す二人。

 店に来る直前。二人は道中にいた謎の占い師から、忠告を受けていた。

 雨の日だというのに傘も差さず、頭の上からローブをまとう占い師。女性だが、陰気さを感じさせるもじゃもじゃヘア。気のせいでなければ、その背後には「闇」が噴出していたような――。

 

『悪い事は言わないから、貴方たち、今日はこのマスクをつけて一日過ごしなさい。さもないと――不幸が訪れるわよ』

 

「「……」」

 

 一瞬その彼女を思い出したが、まさかねーと笑い合う二人。

 そうこうしている内に注文したメニューが届き、瀬尾はコーヒーに満足するような声を出す。

 

 なお、バイトのお姉さんはちょっと苦笑いをしている。実際問題、ちょっと的外れな批評を言ったようだ。

 

「ひゃー! 濡れる濡れる……」

 

 大声で、手前のバス停の下に走ってくる少女。お? と瀬尾の視線がそれを追う。

 テンガロンハットに迷彩柄のジャージ。ミニスカート装備のロングヘアの美少女だ。年齢は彼等と同じくらい。綺麗な髪と、すらっとした体系はモデルのようでもある。

 

「ちょっと、瀬尾君?」

「あ、悪い悪い……」

 

 言いながらも視線の端で彼女の姿を視界に入れているあたり、どうにも興味は抜けないらしい。

 そんな状態で会話が長く続くはずもなく、二人は時折沈黙が発生する。

 

 バイトのお姉さんが、奥の老夫婦に注文していたサンドウィッチとサラダとを持っていくくらいの時間がたった後。

 

「悪い悪い、待たせたよ、恵美」

「遅いって、ユウ」

 

「「!?」」

 

 現れたイケメンに、二人の顔が凍る。

 赤いワイシャツに黒ネクタイ、黒ズボン。一見かっちりしているようでいて、適度に着崩しズボンにはチェーンを巻いている。さぞ不良かと思いきやビジュアルは正統派の男前であり、頭の上にはアホ毛が踊る。縁のついたメガネに注意がいくが、背後に抱えたギターケースがそれを許さない。

 

 印象としては、今ライブが終わって帰って来たミュージシャンといった具合か。

 そんな彼が、先ほどバス停で雨宿りしていた彼女の元へ行くのだから、注意を引くのも仕方ない。

 

「って、果穂お前も何あいつ見てんだよ」

「へ? い、いやいや、そんなことは……」

 

 とか言いながらも、二人の視線は彼等に固定されている。

 ちょっと照れた風に手を組みながら、相合傘をする姿が初々しい。

 

 下手すると瀬尾たちより年上かもしれない、美男美女コンビ。

 

 なお、そんな二人を見ていたため、老夫婦の持っていたスマホが『ごー♪』と女の子の声を鳴らしながら振動したことに、気付いてもいない。

 

「あなた、この近所トイレあったかしら。コンビニでさっき借りたけど……」

「おいおい、お前も大丈夫か? ここで借りれば良いじゃろ客なんじゃし。席は外でも」

「そうでしたそうでした。ちょっと行って来ますよっと」

 

 二人の注意が、ここで老夫婦に移った。「ボケかけ?」「ああはなりたくねーよな」と笑い合う。

 席を立ち、店内に向かう老婆。

 

 そして先ほどの腕を組んだ二人が、店の手前を横切るタイミングで。

 

「お、しまっ」

 

 がしゃん、とサラダのボウルとコップを落す老人。

 タイミングが悪かったため、瀬尾たち二人はこれにキレる。

 

「さっきからいーかげんにしてよ!」

「ガチャガチャうっせんだよ、ボケ老――」

 

「「大丈夫ですか!?」」

 

「「!?」」

 

 だが、思いっきり罵倒しようとした二人に、外を歩いて来ていた例の二人が、軽々と店のデッキに入った。

 老人の体に外傷がないか確認し、荷物や他に飛んだものがないか。コップが割れて居ないかを確認したり、とにかくてきぱきと、その場をおさめる。

 

「す、すみませんな……」

「いえいえ」「お怪我がなくて良かったです」

 

「「……」」

 

 席を半立ちしたまま、何も言えなくなっている二人。

 と、背後からバイトのお姉さんが慌てて老人の方へ。。

 

 室内から状況は見ていたこと。最低限確認することを確認した後、お姉さんは頭を下げた。

 

「す、すみません。えっと……」

「いえいえ」「当然ですよ」

「そういうわけにも……」

「元々、お店に入ろうか迷ってたところだったので、困った時はお互い様ですよ」

「イケメンね、君……。うん、じゃあそうですね。何か一品、私の方から奢らせて頂きます」

「へ?」

「そのイケメンさ加減に免じて。せっかくお似合いの彼女さんも居ることだし」

 

 ウインクを飛ばす彼女に、二人は何とも言えない表情を浮かべた。

 照れてるのか困ってるのか、判別がつかない。

 

「いや、私こそすみませんの。連れが来たら店を出ますんで」

 

 ぺこぺこと頭を下げる老人。

 彼にお大事に、と言って店の中に誘導されるイケメンカップル(?)。

 

「……たく、何なんだ今日は」

「ご、ごめんね、普段はもっとスマートなんだけど、お店……」

 

 瀬尾も果穂も微妙な表情のままコーヒーを飲む。

 その瞬間、老人が僅かにニヤリとしたことに、二人は気付いていない。

 

「じゃあ、そうだな。今度は俺が別な店紹介して――くしゅん」

「そ、そう? じゃあ楽しみに――くしゅん」

 

 コーヒーカップを持つ手が止まり、動けなくなる二人。

 

「な、何だこれ、急に――げほっ、くしゅん、えっくしゅぃッ!」

「あ、くしゅん、くしゅんッ!」

 

 何故か突然、くしゃみが止まらなくなる二人。

 

「お、お前ここのコーヒー、本当に大丈夫か――くしゅんッ!」

「ば、馬鹿なこと言わないでよ私の行きつけに――くしゅんッ!」

 

 と、二人は鼻を付く臭いを感じ取る。

 店の外にある観葉植物のわずかな匂いでも、既に敏感になっている二人。

 

「お、俺、洗面所――!」

「あ、ずるい!」

 

 とにかく一時退避と、顔を洗おうとダッシュで駆ける二人。

 道中さっきの二人が「ホール買って返ったら、弟達喜ぶかな!」「先生の財布だけど自重しようよ……」といったやりとりをしていたのすら目に入らず、洗面所のあるトイレの方へかける。

 

 だが、扉が開かない。

 

「ちょ、何で開いてないの!?」

「あ、ああっさてはさっきのババァ、間違えてこっちも鍵閉めやがったな!?」

 

 奥のトイレから、老婆の鼻歌が聞こえてくるが、扉二枚に更に距離があり、空調の音が五月蝿いためか向こうには聞こえないらしい。

 流石に限界になった二人は、コップを磨いていた店長に叫ぶ。

 

「ちょっと、他にトイレないの!?」

「じゃなきゃそこの貸してくれ!」

「い、いえ、一応飲食店ですので、それは……。うちはそこ一つで、後は近所に――」

 

 事情が飲み込めず、てんやわんやな店長。

 なお、慌てすぎているのか手前の鍵だけ開けてもらうという発想が、二人からは出て来ない。

 

 だが店長の一言を聞いて、二人の脳裏にはあるアイデアが浮かぶ。

 

『100メートルくらい先の方にあったコンビニで――』

『コンビニでさっき借りたんだけど――』

 

「!?」

「あ、ちょ、何先に行こうとしてんのよ! あんた男なんだから先譲りな――くふんッ!」

「できるか! っていうかこんな顔で――ブエッ、いられう、えっくしょん!」

 

 もはや言語が成り立たない。

 なお、お代を払う余裕のない二人の変わりに、店を出る老夫婦が「迷惑料じゃ」と払っていたので、後々二人のことが問題になることはなかったりするが。

 

 走ってる途中、足を挫きかける果穂。

 瀬尾は、そんな彼女を見向きも気遣いもしない。

 

「まさか不幸ってこれ? ……くしゅん」

 

 色々考えが廻りはするが、そんなことより早く行かなければ。

 だが、信号機で足止めを喰らう彼女であった。

 先を行く瀬尾が、鼻で笑ってんだかくしゃみしてんだかわかんない声を出す。

 

 もっともそんな彼の上に、丁度伐採された複数の枝が落下してくるところだったが。

 

「すみません、大丈夫ですか!?」

 

 良く見れば、民家の壁には「只今伐採中、避けて通ってください」の文字が躍る。

 そのトラブルのお陰で果穂が追いつき、二人はデッドレースを再開。

 

「じゃあまた、イケメンの先生さん」

「ヌルフフフフ。おや? ああ、トイレなら店の奥ですよ」

 

 コンビニから出てくる、アカデミックコーデではない雨合羽だが、見覚えのある教師の顔に、一瞬表情が引きつる二人。

 だが背に腹はかえられず、アドバイスに従い疾走。

 

 だが残念ながら、当たり前だが洗面所は一つしかない。

 

「くしゅんッ! アンタ、トイレの中の方で洗いなさいよ」

「汚ねぇだろうが! えっくしゅッ!」

 

 お互いに吐瀉物を撒き散らしながら、絶叫して足の引っ張り合いをする二人。

 結局腕力的な問題からか、瀬尾が勝利し先に洗う。

 

 これがせめて、先程の距離関係を維持したまま、どちらかが先に店内に入ったなら事情は違ったのかもしれないが。

 同時に店に入ったというのが、完全に悪影響と化していた。

 

『過ぎたるは、及ばざるがごとし』

「……っ、ま、前原君ならっ」

 

 不意に、占い師の言葉を思い出す果穂。

 確かにキープしていた彼ならば、こんな状況なら一応は譲ってくれたはず。しかも結果的に無銭飲食となってしまう状況を回避するくらいはしてのけただろう。

 

 例えば、今まで発想は出てこなかったが民家に借りに行くなどして。

 それこそ、さっきのイケメンカップル(?)のごとく、色々気遣ってもらえたかもしれない。

 

「……くしゅん!」

 

 神妙な表情をしながら鼻を押さえる彼女と、何度顔や鼻を洗ってもくしゃみが止まらない瀬尾。

 

 結局、今日は二人にとってかなり屈辱的な一日として記憶に刻まれた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「作戦名は、題して『隣の芝は青い』作戦よ」

(((((直球だ……)))))

 

 時刻は、遡ること昨日の放課後のカラオケボックス。

 昨日の前原に関する顛末を元に、事前に声をかけていたメンバーは結集して作戦会議をしていた。

 

 面子はころせんせーをはじめ、渚、茅野、杉野、菅谷、奥田、カルマ、倉橋、矢田、磯貝、片岡、千葉、速水、岡野に前原本人。

 加えて、ちょっと異色なメンバーとして、神崎と狭間。

 かなり大所帯である。

 

「とりあえず、渚のメモを中心に役割分担考えたから、その通りに動きなさい」

「「「「「了解」」」」」

 

 メモを展開して、渚は作戦概要をメモする。

 

 

 シナリオを書き、陣頭指揮をするのは、かなり意外なことに狭間である。

 杉野が神崎に「一緒にやろうぜ」と連絡を入れた際、二人そろって図書館で本を読んでいたことが運のツキ。そのまま「何で私が……」「まあまあ……」と引っ張られ、結果として現在の状況である。

 

「狭間さん、すごいよね。よくこんな短時間で――」

「私と神崎とじゃ、文章に対して見る世界が違うのよ。こんな陰湿なネタ、はかどるじゃない」

(((((何が!?)))))

 

 というわけで、狭間が描いたシナリオを、ころせんせーと神崎でマイルドに仕上げたものが、今回の計画の草案となる。

 

(狭間さんは神崎さんと違って、ものの解釈がネガティブだ)

(それが、今回の作戦でどう生かされるか……)

 

「茅野が小学校時代、演劇をやっていたっていうから、演技指導とかは任せるわよ」

「らじゃー!」

「じゃあ肝心のカップル役だけど……、磯貝と片岡やりなさい」

「「ええ!?」」

「アンタら真面目だから、照れても最低限仕事こなせるでしょ。変装は完全に菅谷に投げるけど、大丈夫よね」

「んー、二人とも家に服どんなのがあるか……」

「場合によっては、先生のお古とかあげましょうか?」

「本当ですか!?」「磯貝君、目、目!」

「赤羽と岡野と前原は、ラストの仕上げ」

「な、なんか悪いなぁ」「別に」

「狭間さん、なんか生き生きしてるねぇ」

「そうかしら。否定はしないけど」

 

 なお否定しないという時点で、今回の仕事に対する彼女の楽しみ度がうかがえる。

 

「接待は矢田たちに任せるわよ。いいわね」

「おっけー!」「了解」

「杉野は状況報告。狙撃班二人はいつも通りよ」

「「わかった」」

「なんで俺、報告?」

「……」

「何で黙るんだ? なあ」

「神崎は、律調べで明日の二人のデートコースのリサーチは終わってるから、私が占い師やってる時、背後でドライアイスの煙、焚いてなさい」

「う、うん……」

「ヌルフフフ、先生は――」

「特に仕事ないわよ」

「ニュヤ!?」

 

(な、なんかすごくテキパキしている)

 意外な才能に驚きつつ、渚は狭間のメモに「交渉力高め? 好きな分野だとスペックが上がる」と書き込んだ。

 

「で、奥田は――」

「はい。肝心の弾薬の方ですね。そこは律さんも居ますし、頑張ります」

『はい♪』

 

 

 そんな流れで向かえた当日。

 

 

「すげーな。あれ、茅野と渚だろ?」

「パーティ用のマスクあるだろ? 俺にかかれば、あの通り」

「やっぱ菅谷呼んで正解だったわ」

「茅野の演技指導もあって、結構様になってるしな。声音とか。

 あと狭間は逆に、そんなに改造しなくて充分ってのが凄いな」

「あー、だな……」

 

 喫茶店の向かい側の民家にて、望遠鏡を使い状況を観察する二人。

 現在ここは、イリーナ直伝の接待テクニックを使った倉橋と矢田により、家主のおじさんから借り受けている状態だ。

 

 続いて、片岡と磯貝が変装したカップル(?)が登場。菅谷いわく、コンセプトはライブ帰りのファンとミュージシャンカップル。

 腕を組む二人見て、杉野が一言。

 

「……怪しいよな、あの二人」

「だな。茅野の演技指導とかなくても」

「「「「「うん、うん」」」」」

 

 照れ方が結構ガチな割に、すんなり作戦行動に移れる二人。

 背後の複数人からも同意が得られるくらい、委員長組の二人は話のネタにされることがある。

 

「というか、磯貝ってギター持ってたっけ」

「あれ、ギターケースっぽいけどテニスのラケットケースらしい。着替えも入れられるやつ」

「へぇ!」

「ミュージシャンにしようと思ったのは、そこが切っ掛けだな。あと、片岡の上着はジャージをちょっといじったやつだし。ワイシャツはころせんせーのお下がりで」

「お下がりって言っても、なんだっけ? 知り合いの子供のじゃなかったか? イニシャルで”N”って入ってたし……っと、じゃあ次だな」

 

 店の手前を横切る二人。

 律を経由して、渚のスマホに連絡を入れる杉野。

 

「ヌルフフフ。では、皆さん頑張りましょう」

「あれ、ころせんせーどこ行くの?」

「ちょっとアリバイを作っておかないと、烏間先生に感づかれるかもしれませんので……」

 

 その一言が、烏間の部下たちへの口止めに行くということとイコールだということに、生徒達は気付けない。

 律に後を任せ、ころせんせーはその場から立ち去った。

 

「じゃあ、二人とも」

 

 奥田の調合した弾丸を、銃身にこめる射撃成績男女トップ二名。

 杉野と菅谷が退いて、千葉と速水とに狙撃場所を提供した。

 

 渚がボウルを落したのを合図に、ターゲット二人の注意が逸れたのを確認してから、コーヒーに向かって発砲。

 

 僅かに吹き零れそうになるが、律の事前計算通りぎりぎりでバランスをとる。

 

命中(ヒット)!」「マッハで動いてそうな目標に比べればチョロいね」

「おお!」

 

 淡々と片付けをはじめる仕事人二人。

 元の位置に戻りつつ、くしゃみがとまらなくなっているターゲットたちを見て、杉野が奥田に聞いた。

 

「律さんが学園のデータベースから収集した情報を元に、花粉薬を作りました」

「か、花粉薬……?」

「花粉とか、胡椒とか香料とか色々混ぜた、一時的に相手を麻痺させる薬です。

 くしゃみと鼻水が何をやっても一定時間止まらない、ばらまけばまさに集団破壊兵器!」

「「お、おう……」」

 

 ビクトリア・バーストと命名する彼女に、杉野と菅谷は何とも言えない表情になった。

 

 

 所変わって、ここはある民家の木の上。

 

「お、来た来た」

「作戦的には、確か『二人の足並をそろえる』だったよね」

「ん」

 

 警告の貼紙がしてあることもあってか、三人は割と思いっきり木の枝を伐採して、走ってくるターゲットの片割れの上に落した。

 

「あれじゃ状況も把握する余裕もないよね」

「ころせんせーに言われて毛虫とかはとっといたけど、どうせならそのまま落した方が面白かったよねー」

「「いやいや」」

 

 カルマの発言に、ツッコミを入れる前原と岡野ペア。

 民家のおばちゃんから感謝の言葉とペットボトルの小さいお茶をもらいつつ、三人は頭を下げてその場を後にする。

 

 

 

「ま、少しはスッキリしましたかね」

「すっきりしたら駄目よ。後に爪跡を残さなくちゃ」

(((((その執念は何!?)))))

 

 にやりと笑いながら、ころせんせーに一言入れる狭間。

 コンビニからやや離れた位置に集合しつつあるE組の面々。メイクを落しながらな彼女に、苦笑いしながらころせんせーは聞いた。

 

「さて狭間さん。本日の作戦のポイントはどこでしょう」

「連鎖的に思い出させることよ」

 

 まず、狭間の占い師により第一段の伏線を張り。

 老夫婦組により苛立ちを加速させつつ、カップル(?)組で自分達との違いをそれとなく思い知らされ。まあ、あのまま店の中に入ってしまうのは予想外だったが、状況的には良しとした。

 そして最終的には、今と以前とを比べさせることが重要である。

 

「恋愛小説でよくあるじゃない。元彼のことを後悔するのは、今の彼と比べて元彼の良かったところを意識させるいことよ。加えて目の前でもっと有料物件があれば、過ぎたるはってなるわ」

「でも狭間さん、たしかあの小説って、その後運命の相手に出会えたって話じゃ……」

「あれ、続刊一杯あるわよ。主人公変わらないで」

「う……、えっと、それでも、ちょっとずつは前進してるんじゃない?」

「後悔ってのは、やった後に悔いるから後悔なのよ。まああの作者、割と行き当たりばったりで展開考えてるみたたいな気がするけど、それを置いても、一度悪評がつくと後が面倒になるってわけね」

(((((闇が見える……)))))

 

 狭間のコメントに苦笑いする神崎。

 不破でもこの場にいたら「黒魔術?」「くっ、幻術か……」くらいは言ってしまいそうな、そんなテンションであった。

 

「……えっと、何つーか」

 

 その場の空気を変えるため、でもないが。

 前原が頭を掻きつつ、みんなに頭を下げた。

 

「ありがとう。ここまで話を大きくしてくれて」

 

 なおみんながみんな、今回ばかりは普段のカルマのような笑顔を浮かべていたりもするが、それはともかく。

 

「どうですか? 前原君。まだ自分も、弱い者を平然と甚振れる人間だと思いますか?」

「……いや、今のみんな見たらそんなことできねーや」

 

 サポート組(積極性は低いが熟考し、自分に出来ることを冷静にこなすグループ)を中心に見つつ、前原は笑う。

 

「一見強そうに見えなくてもさ。皆どこかに頼れる武器を隠し持ってる。

 それには当然、俺にないような武器だって沢山あって……。

 今回特に狭間とかな」

 

 反応こそなかったが、概ねこの場全員の意見が一致した瞬間であった。

 

 そういう事です、ところせんせーは前原の肩を叩いた。

 

「強弱は、一目で簡単に計れるようなものじゃありません」

 

 それとなく渚に流し目を送るころせんせーだが、当の本人はメモに集中している。

 苦笑いを浮かべて、彼は言葉を続けた。

 

「単独であれ幾数人の連携であれ、軽んじればそれこそ危うい。

 アナフィラキシーショックというものをご存知でしょうか?」

「確か、蜂とかのやつだよね」

「毒物が体内に侵入した際、それの抗体を多く作りすぎてしまい、過剰なアレルギー反応として命を落す症状です」

「奥田さん流石ですねぇ。ともかく、それとて一番最初に軽い気持ちで毒物を体内に取り込んでしまうことが切っ掛けであることが多い。

 ましてやそれが、複数と連携して”つながって”しまえば、もう単独で手に負えるわけもありません。

 そのことが今回、色々な立場から君達は学べたと思います」

 

 全体を見回しながら、ころせんせーは授業らしく生徒達の理解度を見る。

 なお、前原が若干そわそわしていることには気付いていない。

 

 指を立てて、ころせんせーは前原に微笑みかけた。

 

「それを、E組(ここ)を通して学んだ君は、君達は。

 この先、簡単に弱者をさげすむ事はないでしょう。ゆめゆめ覚えておいて下さいね」

「「「「「はい」」」」」

 

 その首肯に、満足そうに笑顔を浮かべるころせんせー。

 彼等の反応がきちんと生かされているかどうかは、彼の記憶の中では二学期の中間試験前後を待つことになる。

 

 ともかくとして。

 

「……うん。俺もそう思う。

 ありがと、みんな」

 

 自分の励ましを中心に行われた授業に、前原は同意を示した。

 

 

 もっともそこから一秒も経たず。

 

 

「あ、やばっ。

 俺これから他の中学の女子とメシ食べに行かないと。

 じゃあ皆、また明日!」

「「「「「   」」」」」

 

 手を振り走り去る前原の背中に、全員の時間が停止する。

 真顔で静止する生徒。苦笑いのまま「やっぱりですか」みたいな表情の先生。『はてな?』と頭を傾げる律に、「らしいと言えばらしいか」と肩をすくめるカルマなど。

 

 彼の姿が見えるか見えないか微妙な距離になったタイミングで。

 

 

 

 

 

 

「この……、女たらしクソ野郎おおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 岡野ひなたの絶叫だけが、むなしく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、そういえば磯貝たちは?」

「あ、たぶんまだ店内なんじゃ……」

『はい♪、ころせんせーのくれた五千円から、兄弟たちへのお土産を買って、一緒に家に持って行ってるみたいですよ?』

 

 

 

 

 

 




※なおこの後、色々生徒達の様子が怪しかったのをあぐりに感付かれ、律に質問してゲロされ、ころせんせーはお説教を受けた模様


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第17話:右と左の時間

案外文字数が伸びて割れたので、せっかくだからあの人に再登場願いました。


 

 

 

――Oh... , sexy guy.It's a miracle.

――What's? Really?

 

 教材となる映像を見返しながら、イリーナは黒板に文章を板書する。

 短めな文章。単語が続くだけのそれは、生徒たちにも何を言わんとしているか、なんとなく理解できるレベルのものであった。

 

「いい? このサマンサとキャリーのエロトークに、難しい単語は一つもないでしょ。

 日常会話なんてのは、何処の国でもこんな風に単純なものよ。口説き文句だってバリエーションが乏しいくらいなんだから、こんなの日常茶飯事ね」

 

 生徒たちを見回しながら、注意が自分に向いてるか確認するイリーナ。受講者の理解度の確認も兼ねているが、こういった気遣いが出来るようになったのはつい最近である。

 

「周りに一人はいるでしょ? マジやべぇとか、ガチとか、ウェイだけで会話を成立させる奴。

 でこのマジで? にあたるのが、英語ではそのまま Really? というわけね。そのままよ、そのまま。単語とかだけなら、もう覚えてるでしょ。

 じゃそうねぇ……、木村、言ってみなさい」

「り、リアリー……?」

「はいダメー。LとRの発音がごちゃごちゃ」

 

 指でバッテンをつくり、ジェスチャーを交えながら解説する教師姿は、段々と最近板についてきていた。

 

「この二つの発音は、日本人というより日本語とは致命的に相性が悪いの。よくローマ字変換でRをら行、Lを小さい文字の変換に使ったりしてるけど、その辺りに日本人の、Lの使い勝手の悪さが現れてるわね。

 言語としてこの二つの使い分けがないから、幼少期から段々と劣化していって、声帯の形が発音の使い分けが難しいものに固定して成長するのよ。

 逆に言えば英語圏の人間が日本語を発音しようとすると、この使い分けのない声帯の扱い方で声を出すわけだから、発音の認識、実際の発声にどうしても齟齬が出るわけ。小さい頃から訓練してればともかくね。

 似たような例で言えば、韓流スターの『大好き』が『ダイチュキ』に聞こえたりするでしょ? 私なんかからすれば、日本人のRとLに対する感覚はそれに近いわね」

 

 まあそれでも通じはするけれども、違和感あるわ、とイリーナは続ける。

 

「努力して打ち勝てる相性が悪いものは、逃げずに正面から克服する。

 これから先、発音は常にチェックしてるから」

 

 なお、この間に話された内容を、渚は要所要所はしょってメモに記入している。ころせんせーほどではないが、たまに雑学や薀蓄の入るイリーナのそれは、猥談方向に持っていかれない限り渚としてもメモをしていて楽しい部類に入った。

 

 が、まあ相手は通称ビッチ先生である。

 

「LとRを間違えたら――公開ディープキスの刑よ?」

 

 指を口元に当て、生徒たちの注意を集中させる。

 色々な意味で破壊力のあるその言動に、生徒たちは呆れたり、うぇっとなったり、テンション上がったりと自由な反応を返した。

 

 

 

   ※

 

 

 

「しっかし卑猥だよなぁビッチ先生」

「あれ中学生見るドラマじゃねぇだろ」

「まあまあ。でも分かり易いよね。海外ドラマも良い教材だって聞いたことあるし」

 

 放課後。下校中の生徒達の会話の一つ。

 イリーナ・イェラビッチ。本職殺し屋の英語教師の授業についてだ。

 

 もともと潜入暗殺専門につき話術も上等。合間に挟む経験談や薀蓄で、生徒達の興味を自在に操る。

 

 教室の緊張感を緩急付けてコントロールするそれは、本職の面目躍如といったところか。

 

「……ただ正解してもディープキスされるけどな」「ああ。ほぼ痴女だよなぁあの人」

 

 もっとも、それ以外の面で生徒からのリスペクトを下げてる部分とて否めない。

 

 そんな様子を、一階の職員室の窓から眺める男が一人。黒いアカデミックドレスに身をつつみ、帽子まで丁寧に被った、いっそ過剰なまでの学びの徒スタイル。

 やや長めの黒髪が、湿度をおびた風にあおられ、靡く様は黙ってればイケメン。口を開けば三枚目。

 

「ヌルフフフ。興味を持たせる技術に長け、経験を生かした授業は実にお見事。

 『今回も』まさかまた面会するとは思ってませんでしたが、安定してるところですねぇ」

 

 3-E担任、ころせんせーこと吉良八湖録だ。

 女子生徒たちに煽られて全力で怒鳴るイリーナの声を聞きつつ、彼はスマホを耳に当てていた。

 

「ああ、雪村先生。送迎は大丈夫ですか? ……はい。くれぐれも、お体に触らないように……はい? 細君? まだそういう話になれないと言ってはいるんですがねぇ」

 

 と、そんな風にしていると、突如職員室の扉が思い切り開かれた。

 イライラした様子のイリーナは、そのまま椅子に背を預けて、思いっきり愚痴を零した。

 

「あーもう、面倒くさいわ授業なんて!!」

「その割に生徒の受けは良いようだぞ」

 

 向かいの席の、烏間は黙々と作業を続けながら、彼女の叫びに一言。学校の授業データの整理を片手間に、「防衛省」の印字が施されたノートパソコンを開き、なかなかの速度でタイプしている。

 何のデータをまとめているのか、イリーナの側からは見えない。

 

 もっともその画面には、タイトスーツを着用した、金髪で目のつりあがったアバターが、忙しそうに動いているわけだが。

 

 烏間の言葉を受けて、イリーナは一瞬まんざらでもなさそうな顔をしたが、気を取り直す。

 

「何の自慢にもなりゃしない。殺し屋よ、私は……。そこのノッポを殺すために、仕方なくここに居るの。

 でその肝心のタコ野郎はといえば、私のおっぱい景色に見立ててお茶飲んでるしッ」

「ヌルフフフ……。あ、お饅頭いりますか?」

 

 何時の間にやったのか湯飲みに茶を煎れ、イリーナの谷間をだらしない顔で見るころせんせー。だらしない。圧倒的にだらしない。

 なおころせんせーの手渡した二人分の「いるまんじゅう」。烏間はさり気なくバッグに仕舞い、イリーナはぶん投げてナイフを取り出し、ぶんぶん振り回した。

 

 もっともそのナイフも、彼女が気付かないうちに訓練用ナイフと掏り替えられたりしていたのだが。

 

「焦っても良い事はないぞ。ターゲットとして見た場合、そいつは色々な意味で『知り尽くした上』で厄介な対象だ」

「うっさい、わかってるわよッ! 大体こういう場合、一番にハリセンを落してくるあぐりはどこなのよ!」

「ヌルフフフ、少々接待中ですね」

「You I'm saying? やってらんないわもう! ……fuckin' jackass」

「Please don't say "the F word" before the children」

「Shut up! I see……」

 

 ころせんせーによる英文注意とて、けんもほろろ。

 

「気が立ってますねぇ」

「誰のせいだかな」

 

 そんな会話を聞きながらも、彼女は後ろ手で扉を締めた。

 

(考えがまとまらない……。

 こんなところで足止め食ってるわけにはいかない。業界で名を上げて、師匠(せんせい)がいつも言ってる「死神」を追い越すのだって、まだまだ先なのにッ)

 

 廊下でそんなことを考えているイリーナだが、まさか常日頃から自分が相対している三枚目がそれだとは、流石に気付きはしていなかった。

 

 普段の彼の振る舞いを見るに、気付けと言う方が無理ではあるが。

 

「一体どうしたら、あのモンスターみたいな男を――ッ」

 

 次の瞬間、イリーナの全身が空中にぶら下げられる。

 首を起点に、輪を描いてワイヤーが地面のフックに引っ掛けられ伸びていた。

 

「人力のワイヤートラップ!? なんで、こんな――」

 

 急な一撃に対して、彼女は彼女で脈が絞まらないよう指をかけ、気道を確保している。

 

「驚かされたイリーナ」

 

 スラヴ系言語でしゃべる男性が、背後で一歩一歩近づく。

 イリーナからすれば覚えのある、否、覚えしかないその声。

 

「子供相手に楽しく授業をするわ、生徒達と親しげに離して別れの挨拶をするわ。

 まるで本物の教師のようだったが、殺し屋がやってるという事実を踏まえるとショートコメディだ」

師匠(せんせい)……ッ!」

 

 歴戦の死を身に纏う、どこか不吉さを連想させる、マフィアじみた容姿の男性。

 

 初老にさし掛かるか、掛からないかというほどだろうか。立ち姿は、文字通り「殺し屋」じみたものだった。

 

「――何をしている。女に仕掛ける技じゃないだろ」

「これは失礼。だが、ヤワな鍛え方はしていないものでね」

 

 烏間の言葉に、すぐさま日本語で切り返す男性。

 同時にワイヤーを切り、イリーナを解放した。

 

「怪しい者じゃないさ」その風体で何を言う。「ただ、不肖の馬鹿弟子(おしえご)の様子を見に来た、と言えばわかるか?」

「……? ということは――」

「――あ、ロヴロさん、こんなところに居ましたか」

 

 息を切りながら、丁度雪村あぐりがこの場に乱入してくる。

 ぎょっとする烏間とイリーナ。それぞれがそれぞれに別な理由からの反応だが、ロヴロは紳士然として振り向き、彼女に笑顔を向ける。

 

「って、何やってんですかロヴロさん! イリーナ先生、大丈夫ですか――」

「ちょ、あぐり、この状況で――」

 

 平然とその場に平和オーラを撒き散らし、緊張感を破壊し尽くす彼女に、ロヴロも烏間も何とも言えない顔になった。

 

「(”殺し屋”屋、ロヴロ。かつては腕利きの暗殺者として知られていたが、現在は引退。後進を育てる傍ら斡旋し、財を成していると聞く)」

 

 「ころせんせー」から「色々な意味で人材派遣に適任ですよ、ヌルフフフフ」と、情報だけは紹介されたことのある烏間。

 防衛省経由でロヴロから人材を回してもらったのが、現在あぐりに抱き起こされたりしているイリーナであったが、派遣者当人と面会するのは今回が初めてである。

 

「――ヌルフフ? おや、烏間先生。どうしましたか?」

「ッ!? どっから涌いて来たッ」

 

 ぎょ、とした様子で烏間をはじめとして全員の視線をさらうころせんせー。驚かれるのも無理はなく、何時の間にやら天井に張り付いて、この場の全員を見下ろしている。

 

 何でもありか、と言わんばかりの烏間の反応を尻目に、彼は一回転して着地。

 

「どうも、お久しぶりですロヴロさん。雪村先生、お迎えありがとうございました」

「こちらこそだ、"Tornado of Destiny"」

「その呼び方をあえて使うのは止めてください……。今の私は、」

「ああ。よろしく、コロセンセー」

 

 すっと手を出しあい、握手をする二人。

 

 元々両者のつながりを知っていた、烏間やあぐりを除き、イリーナは目が飛び出るほどに大きく見開いた。

 

「へ? いや、何で握手? は、知り合い!?」

「イリーナ。元を正せば、彼は我々と同類(ヽヽ)だ。気付いてはいたろう」

 

 状況が飲み込めない彼女に、ロヴロは簡単に説明を始めた。

 決定的なことを言うつもりは毛頭ないようだが。

 

「何度か彼と、彼の弟子の下にこちらの弟子たちを斡旋して揉んで(ヽヽヽ)もらっていたのだが……。まあ、その話は良い。

 細君(ヽヽ)。イリーナから一度離れてはもらえないだろうか」

「ちょっ、違、ま、まだ(ヽヽ)そんなんじゃ――」

「雪村先生、盛大に自爆してます。とりあえずこちらへ……」

 

 赤くなり目を丸くし、あたふた汗をかく彼女の腕を引っ張り(どこかE組の生徒で似たような顔をする女子生徒がいたような気がするが)、ころせんせーはイリーナとロヴロとの距離をつめさせた。

 

 

「答えが出た。――今日限りで撤収しろ、イリーナ」

「!?」

 

 

 その言葉を受け、彼女は思わず俯く。

 

「……随分簡単に決めるな。彼女はアンタが推薦したんだろう」

「”レッドアイ”は一日で、こちらの目標を達した。なのにこいつはどうだ?」

 

 烏間の言葉に、ロヴロは冷徹に重ねる。「お前の弱点は判っているな。嗚呼確かに、潜入暗殺にかけてお前の右に出る物は、世界広しといえど片手で数えられるかどうかだろう」

 

 その数えられるかもしれない男が、自分を面白そうに観察していることにイリーナは気付いていない。

 

「だが、素姓が割れれば一山いくらのレベルの殺し屋だ。

 Tempus Kanari(時は金なり)。状況を冷静に判断して次に移るべきだのだ、お前は」

「で、でも――」

「私は、最初からお前が殺せない(ヽヽヽヽ)前提で、この男の元に暗殺へ向かわせた」

 

 その一言が持つ破壊力が、彼女にとってどれほどのものだったろうか。

 

「その敗北から得たものがあるか? 次に生かせる、満足な答えが出たか? 私の意図を把握するほどに、敗北を受け入れられたか?」

「……ッ、でも師匠、必ず、私の力なら――」

 

 それでもなお立ち上がり、イリーナは己の先生に懇願する。それをしなければ、今までの自分の行為が無駄になるような錯覚を覚えて。

 だが、それに対する返礼は一瞬のものだった。

 

 背後に回りこみ、喉元に指をつきつける。

 抉るように、深く、徐々に深く。

 

「お前の刃は、こういう意味では(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)未だ足りない」

 

 あくまでも、非情に徹して彼女を追い詰めるロヴロ。だがそこに見え隠れする感情を踏まえれば、この行為が、彼なりの「授業」であるということは一目瞭然だ。

 

「相性の良し悪しは誰にでもある。それこそ、言語の発音のようにな」

 

 皮肉にも、その光景を見られていないはずだというのに、ロヴロの指摘はイリーナの授業のそれをなぞっていた。

 だが、こんなシリアスな空気の維持に、堪え性のない男が一人。

 

 

「――フィフティフィフティで、正解と不正解ですかねぇ」

 

 

 頭の上に、小学生でも今時やらない運動帽の紅白ウル○ラマンをして、二人の首根っこを掴みひっぺがすころせんせー。

 

「……何がだセン○ーマン」

「いい加減、ころせんせーの方で呼んでくれてもいいんですよ? (ただ)さん!」

「誰が惟さんだ、誰が。メガネを装備して言うな、吉良八(きらはち)

 

 吉良八(きらや)であるが、案外ノリの良い烏丸。

 中途半端に名前とかモトネタと被ったあたりアレである。

 

 二人から手を離すと、あぐりの肩を無意味に引き寄せてから言う。

 

「ロヴロさん。確かにイリーナ先生は、暗殺者としては恐るるに足りません。

 うんこです」

「Who's crap!? Stop bullshitting me!」

 

 あぐりから同情の視線を受けるイリーナ。

 

「ですが私からすれば、彼女という暗殺者こそ今の状況には適任です。何が言いたいかと言いますと――」

 

 ――本当に、彼女が何も学んでいないと思いますか?

 

「比べてみれば、自ずとはっきりするでしょう。イリーナ先生とロヴロさんとと――どちらが今、優れた暗殺者たりえているか」

「「!」」

 

 彼の意図が察せない程、殺し屋二人は場数を踏んでいない。

 要するに――それは「殺し比べろ」ということだ。

 

 ルールは簡単、ところせんせーは左手の指を立てる。

 

「烏間先生を先に殺した方が勝ち。イリーナ先生が勝てば、彼女がここで学んでいることが証明されます。

 今までのように、『自覚』するだけではない何かを示せるわけですね」

「おいちょっと待て。何で俺が犠牲者にされるんだ!」

 

 勝手に巻き込まれた烏間の台詞としてはごもっとも。

 しかし、彼はにやけ笑いを崩さない。

 

「だって、雪村先生は論外ですし、私じゃ誰一人殺せないじゃないですか~」

 

 その笑顔はこの場の全員を舐めている。舐め腐っている。あぐりはたぶん別な意味で舐められている。

 

「まあ、殺すといっても『今の』暗殺教室と同じです」

 

 懐から模造ナイフを取り出し、ロヴロとイリーナにそれぞれ手渡すころせんせー。

 

「期間は明日一日。判定は、私か雪村先生が見ている範囲で」

「……なるほど、要するに模擬暗殺か。いいだろう、余興としては楽しめそうだ」

 

 ロヴロはそう言って、イリーナの顔を見る。

 

「出来ると言うならやってみせろ。私の教育方針は覚えているな」

「……to be a man of your word」

「約束は守る。せいぜい気張れ」

 

 その場から立ち去る彼に続き、烏間もため息をついて職員室へ。

 

「……全く、勝手にしろ」

 

 少々、毛根や胃袋が気になる苦労っぷりであった。

 なお、一方のイリーナはと言えば。

 

「……最初から踊らされていたってわけね。で、私を庇ったつもり?」

「ニュル?」

「――当然じゃないですか!」

 

 真剣な表情で何やら怒鳴ろうとしていた体勢だったイリーナだったが、しかし突如あぐりが大声で叫び、彼女に抱きついたせいでそれも遮られる。

 

「ちょ、何よあぐり、アンタ!」

「何を当たり前なことを言ってるんですか。イリーナ先生は、仲間(ヽヽ)なんですよ? 庇って当然、助け合って当然じゃないですか!」

 

 美女と美女の顔が近い。

 目を見据えて真剣に言うあぐりは、心底言葉の通りに思っているらしく、さしものイリーナも困惑させた。

 

「って、アンタだってそこの男の素姓とか、全部知ってたんでしょ! 騙してたくせに今更どの口で言うのよ!」

「黙ってただけで騙していたわけじゃありません!

 それに、言っても言わなくても私の姿勢に変化はありません。何も親の『パトロン』というわけでもないんですから、仲良くできる同年代の友人(ヽヽ)には、力を貸しますよ!」

 

 友、人?

 

 抱きしめられた状態で、イリーナの口がその言葉を復唱する。

 

「雪村先生、そこは親の敵の方が正しく意図が伝わると思いますが……。まあ良いですか」

「はい。これで最低限、筋は通しました」

 

 後ろを僅かに振り返り、くすりと微笑むと、彼女はイリーナから離れる。

 そして、落ち着いた微笑を彼女に向けた。

 

「イリーナ先生? 私、貴女がここから離れるの、結構嫌なんですよ?」

「ッ、だ、だって私、アンタのその――」

 

 続くあぐりの猛攻に、てんやわんやなイリーナだったが。あぐりはあぐりで手を差し伸べ、更に追い討ちをかけた。

 

「――だって約束、守ってくれてるじゃないですか」

「――Unbelievable……」

 

 屈託なく笑う彼女に、イリーナは今度こそ完全に毒気が抜かれた。

 

 ころせんせーがこの場で何かを言ったところで、それは彼女にとって欺瞞にしか感じられないだろう。

 あぐりとて、彼の傍でずっと、イリーナの知り得ない事柄を知っていた関係なのだ。

 

 だが、どうだろう。ほとんど力技と感情のごり押しだったが、あぐりはイリーナの信頼を、再度勝ち取り直すことに成功していた。

 

 今この瞬間ばかりは、イリーナの思考は「殺し屋としての使命感」から解放され、純粋な、イリーナ・イェラビッチという二十歳の女性の感性へと移行していた。

 そこに「わざとらしさ」を感じさせないあたりは、彼女の素か、演技ならば才能か。

 

「このまま離れ離れなんて、嫌ですよ。夏休みだってありますし、夏祭りも、文化祭も、他にもまだまだ色々、イリーナ先生と一緒に、みんなを見て行きたいです。

 それは、たぶんE組のみんなだって」

「……し、仕方ないわねぇ」

 

 差し出されたあぐりの手に、イリーナは若干照れながら、おずおずと手を差し伸べ――。

 

――ぱしゃり。

 

「ヌルフフフフ。女同士の友情、なんと美しい」

「って、アンタはアンタで良い空気をぶち壊すなッ!」

 

 一気に素に返り、元々持っていたナイフと渡されたナイフとでころせんせーに襲いかかるイリーナ。

 そんな彼女を嘲笑いつつ、ころせんせーはあぐりを荷物のごとく肩に担ぎ、廊下を走り回っていた。

 

 なお、普段から廊下を走らないようにと言っているはずのころせんせー。完全にブーメランであった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……というわけで、今日一日迷惑な話だが、君達の授業に極力、影響は与えないよう配慮する。普段通り過ごしてくれ」

(苦労が絶えないな、烏間先生。ころせんせーの無茶振りをダイレクトに喰らってる……、財布とか)

 

 翌日の体育の授業。

 イリーナの先生(詳細は言わない)が、彼女仕事振りを見て試験をする。その合否で3-Eへの残留が決まるか抜けるか、というイベントは、それなりに生徒たちの好奇心を刺激した。

 

「ビッチ先生の師匠筋ってことは……、やっぱり?」

「さあな」

 

 カルマのかまかけにも、軽く流す烏間。

 

「簡単に言うと、万事への人材斡旋業のようなことをやっている方だ。例えば、今日の特別講師などもな」

「「「「「特別講師?」」」」」

 

 生徒たちが頭を傾げた瞬間、彼は模造ナイフを取り出し、地面に振る。

 面を向けて、まるで何かを弾き落とすようなその動き。足元には、パスっという音を立てて、生徒たちが見なれたBB弾が。

 

「「「「「!?」」」」」

「さっそくお出ましのようだ」

「(いや、それ以上に烏間先生すげー……)」

「(この人もかなりバケモノだよなぁ)」

 

 どこからかされた狙撃。だがおそらく正面方向だろう。

 その向こう側から、ゆったりとした足取りでやってくる男性。半透明のゴーグルで目を隠し、ニット帽を被っている異国人。

 

「コロセンセーも大概だが、アンタも大分ぶっ飛んでるな、ミスター烏丸」

「ぎりぎりこめかみを掠るくらいの位置に狙撃する君もな」

 

 背負うスナイパーライフルは生徒たちのものと同様のもので、革ジャン姿だというのにその装備に違和感を覚えさせない自然さがあった。

 

「紹介しよう。本日狙撃の訓練を担当する、狩人のアイザ・レッドマンさんだ」

「レッドと呼んでくれ。みんな良い目の色をしてるな」

(((((狩人!?)))))

 

 突如言われた想定外の職業に、全員が目を見張った。

 

 無論、この場で「偽名を名乗っている」彼こそ、修学旅行中にころせんせーからインストラクションを受けた凄腕スナイパー、レッドアイその人である。

 無論生徒たちはそんなことを知らないが、訓練用ライフルで「森の方から」正確に狙いを定めて狙撃したという、その事実こそが彼等への実力の証しである。

 

「主な担当は狙撃だ。狙撃と一言で言っても、指弾から拳銃、果てはロケットランチャーまで幅が広いんだ。

 コロセンセーからの依頼で、とりあえず今日の体育の授業は、君達にそれを教授していきたいと思う。

 ヨロシク!」

 

 手を挙げ生徒達に軽く挨拶するレッドに、生徒たちはまばらに挨拶を返す。

 

 おずおずといった彼等に気分を悪くする事もなく、軽快に笑う彼はまさに気の良い(アン)ちゃんと言った具合か。

 

「では、早速各自銃器を持つように。装備の種類によって狙撃するグループと、見学するグループ。グラウンドを走るグループとに分け――」

 

「烏丸先生ぇ~」

 

 と、そんな風に烏間が授業を進めようとした時。

 聞き覚えのある猫なで声を上げつつ、イリーナがぴょんぴょんと駆けて来た。

 

「お疲れ様ですぅ♪ ノド渇いたでしょ? はい、冷たい飲み物!!」

(((((    )))))

 

 全員、正しく絶句である。

 

「ほらグッとグッと。美味しいわよ?」

「(何か入ってる)」

「(絶対何か入ってる)」

「(俺貧乏でも、あれを飲もうとは思わない)」

 

 最後の磯貝のひそひそ声も含めて、明らかに全員が内心で、ビッチ先生の不審な挙動に突っ込みを入れている。

 事前に面識があるレッドアイでさえ「おいおい……」みたいな顔で冷や汗をかいてるあたり、相当だった。

 

「……大方、筋弛緩剤か麻痺系の毒物か。動けなくなったタイミングでナイフを当てる」

 

 ぎく、と白目を向くイリーナ。

 「いくら何でも方法が適切じゃなさすぎる」とため息をつきながら、烏間は半眼でイリーナを見た。

 

「言っておくが、そもそも受け取る間合いまで近寄らせもしないぞ」

 

 その一言に微苦笑のような顔をするイリーナ。

 彼女はまだ気付いていない。目の前の男が、その気になれば簡単に有限実行できることに。

 

 じゃあ置くから飲んで、と言って、イリーナは紅茶の入った水筒の蓋を置き、一歩離れる。

 そのタイミングで、ヒールの足が見事に「ぐき」っという具合になり、頭から背後にすってんころりん。

 一瞬生徒たちの空気が微妙なものになる。

 

「……いったーい! ちょっと、演技じゃなくて足本当に挫いたじゃないッ!

 おぶって烏間おんぶ~~~~~~~!!」

(((((素だったんだ……)))))

 

 泣き喚く彼女にため息を一つ漏らし、「今日はしないぞ」と言って生徒たちのグループ分けに戻る烏間。

 離れたところでロヴロが「……演技か素かわからない部分は相変わらず見事だが、相手と状況を見て使わんか馬鹿弟子が」と、評価しつつも駄目出しをしていたのは余談である。

 

 共にマシンガンタイプの磯貝と三村が両脇から抱えて、イリーナを立ち上がらせた。

 

「ビッチ先生、流石にさっきのじゃ騙せないでしょ」

「今更どころか、あそこまで露骨にやったらころせんせーくらいしか通じないんじゃない?」

「し、仕方ないでしょッ! 顔見知りに色仕掛けとか、どう考えても不自然になるわ!

 キャバ嬢だって接待客が父親だったら、妙な空気になるじゃない!」

「「知らねぇよ!」」

 

 大変ごもっともだが、実際彼女の切れる手札は現状、それ以外にないのも事実。

 

「……まずいわ、これ。本当まずい」

 

 イリーナは知っている。殺し屋にとっての勝負とは、ただ一回だけなのだということを。

 勝敗で何度も決着を着けるのではなく、1万回に1回でも「殺して」しまえば、それで終了だと言うことを。

 

(師匠は引退してるとはいえ、凄腕に違いはない。「死神」に及ばずとも、その気になれば決着は一瞬のはず)

 

 彼女の経験則は大概の相手にとっては正しい推察であり、ロヴロもいつもの感覚で動いていた。

 だが、彼等の認識は未だ甘かったと言わざるをえない。

 

 例え訓練弾であっても、感知できない距離から撃たれた一撃を、単なる経験からくる第六感だけで叩き落す人間が、並の人間であるはずはないのだ。

 

「……これだけ面倒をやらせているのだから、何か俺にもメリットがあっても良いと思うがな」

「ヌルフフフ。そうですねぇ」

 

 ランニングする生徒たち(ロングレンジ組)を監督しつつも、烏間は近づいてきたころせんせーを半眼で睨む。

 対するころせんせーは普段通りのアカデミックドレス姿(そろそろ暑くなってはこないのだろうか)。表情も変わらず不気味な微笑を浮かべて、何か思案した。

 

「では、今日一日二人を完封できたなら、烏間先生の『訓練』に付き合ってあげましょう」

「訓練?」

「(……ユームB-54のですよ)」

「(!?)」

 

 顔を合わせず、声だけで会話する二人。発声を抑制しながら会話しているが、僅かにころせんせーの一言に、烏間は目を見開いた。

 

「(前にも言いましたが、私のような『人体改造』『プロト律さんのサポート』なく、力技だけでアレを扱えるのは貴方くらいなものでしょう)」

「(……本気か?)」

「(あまり使うと反動が大きいのですが……、マッハ20ですし。

 ですが背に腹は変えられません。今日のルールが『ゼロ距離射撃』ですから、来週はナイフ系を中心のルールとしましょう)」

「……二言はないなら良いだろう」

 

 密かに烏間ところせんせーとの間でも、契約が交わされ、着々と準備が整う。

 

 そんな状況で、レッドアイの狙撃講習を見守るイリーナを、更に職員室から見守るあぐり。

 

「……イリーナ先生、ファイトです」

 

 今日のブラウスには、ぐーちょきぱーそれぞれの右手が辺となった三角が描かれており、中央にポップな字体で「一番勝負!」という文字が躍っていた。

 

 

 




今コミックスの4を見返してたら、さり気に竹林があのシーンで、みんなに混じってさらっと拍手していたことに気付いて草不可避(たぶん真顔のままだろう的な意味合いで)w

※ロヴロ先生の言った呼び名を変更しました


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第18話:上と下の時間

前回と今回のサブタイ。合わせて優劣がつくという意味合いです。


 

 

 

「――映画なんかで、接近されたスナイパーが格闘技術を使っている場合あるな。結構格好良いだろ」

「そうですね」「アレやべーっしょ! カポエラとか!」

「まああって確かに損はないんだが、ロングレンジの狙撃班という意味では、少々難しいところだな。場合によっては、見つかった時点で逆に終わりという場合もある。

 そういう意味じゃ、あれはミドルレンジを中心とした狙撃手をメインとして考えてるんだろうな」

 

 だが、それとは別にあると生存率が上がる技術がある。

 レッドことレッドアイは、生徒たちに話を続ける。

 

「それは、機動力だ」

「……格闘と何が違うんですか?」

「良い質問だ、リュウノスケ。

 動けると言う点では違いは判り辛いが、じゃあ例えばだ。走りながら全く同じ場所に、ロングレンジで狙撃を成功させるスナイパーが居たとする。何が厄介だ?」

「それは……、ああ、なるほど」

「固定砲台なんてのは、ある程度予測が立てられるもんだ。だが移動砲台で正確に狙撃してくる相手となれば、厄介度合いが違ってくる。周囲を観察して、適宜動かれると、背後からの襲撃も避けられるだろう。トラップ系の授業なんかは、受けたか? なら話が早いな。

 そして――」

 

 

 

 

 一通り、ショートレンジ、ミドルレンジ、ロングレンジと生徒たちへのレクチャーや解説、指導などを終えた後。

 職員室に急遽設置されたパイプ椅子と机の上で、レッドアイはぐでっとだらけた。

 

「これも経験と思って引き受けては見たが、案外大変なもんだなぁ……。人数全員のそれを記憶しておくのが、案外と骨が折れる」

「お疲れ様です」

 

 と、レッドアイの目の前にお茶が置かれる。

 お盆を胸に抱える彼女は、雪村あぐりだ。

 

「おお、アンタか。確か修学旅行の時、コロセンセーを迎えにきていたな」

「雪村あぐり、です。今は……、吉良八さんの助手のような感じですね」

 

 副担任だけど、あんまりお仕事まわってきませんし、とあぐり。

 

「で、コロセンセーはどうしたんだ?」

「教室で授業中です。烏間先生もお手伝いですね。今日は確か、内閣府の役職だったかな……」

「イリーナや旦那もたぶんそっちか。……にしても、何でミスター烏間が?」

「烏間さんは、本職は『とある』省庁勤めですので」

 

 本当にここ、日本の中学校か?

 

 レッドアイの素朴な疑問に、あぐりは困ったような微笑を返すばかり。

 

 湯飲みを傾け「緑のティーは、青汁ほどじゃないな」と言ってから、レッドアイはあぐりに聞いた。

 

「アンタから見て、イリーナはロヴロの旦那に勝てると思うか?」

「……勝ってほしい、ですね。たぶん今頃、教室でまた色仕掛けとかしてそうですけど」

 

 正直に言って、私はそういう良し悪しはよく判らないんですけど、と前置きをしてから。

 

「でも、吉良八さんがいつもの調子で出した課題ということならば、気付きこそ必要ですけど、一人で解けない問題ではないはずです」

「……信頼してんだな。眩しいぜ」

 

 いやー、と照れながら、頭を搔くあぐり。

 

「……そういえば、旦那からは『細君』とか言われてたか? あ……、なるほどな」

「にゃ!? な、何を察したんでしょうか?!」

 

 慌てるあぐりに、レッドアイは真剣な顔をして聞いてみた。単純に、彼としても興味が涌いたのだ。現状、家庭を持つという考えはあまりない彼だが、だからこそ「大いなる先達」たるころせんせーの、そういった事情を参考に出来ないかと。

 

「俺が言うのもアレだが、『ころせんせーと一緒に行く道』は、きっと険しいと思う。この手の商売をやってれば恨みを買うのだって日常茶飯事だ、時には仲間、友人、教え子にさえ裏切られる事もあるだろう。

 だからこそユキムラ。アンタに聞きたい。興味本位のことだから、答えてくれなくても良いが……。

 そんな運命にあってなお、アンタは奴の隣に居たいか? それこそ――ちょっとした流れ弾に当って死ぬような、容赦と無縁な状況であっても」

「……あまり惚気たくはないんですが」

 

 今更どの口が言うのか、という感じだが、あぐりは右手を胸元で握り、キッ、と自信の溢れた笑顔で答えた。

 

「あの人と『最も長く時間を共有した』人からも、同じようなことを聞かれました。だから、その時と同じ答えを返します」

「?」

 

「――あの人にだったら、私は殺されても構わない。それくらい、身も心も委ねられます」

 そしてたぶん、あの人も同じ答えを返してくれると確信してます。

 

「だからこそ、私は、あの人と一緒に『教師』を続けていきたい、続けてもらいたいと思ってます」

 

 何一つ気負う事のない、端的な回答。

 笑い飛ばしてしまいたいくらいチープな言葉に聞こえるが、しかしレッドアイはころせんせーの、「死神」の恐ろしさについて知っている。

 

 業界の中でもまだまだ経験は浅い方の彼だが、そんな彼でさえ恐れを抱く程に噂を聞く死神。

 

 そんな彼に対して、微笑みながらも「一切妥協のない」目でこちらを見つめ返す姿は、なるほど、これが覚悟だと認識せざるを得ない。

 

 参考になったと言いながら、レッドアイは自分のライフルの手入れを始めた。

 

「……ああ、そうだ。俺が帰った後に伝えておいてくれ。今伝えると、変な風になるかもしれないから」

「はい?」

「ここに一人、変わった奴がいたな。ショートレンジ、ミドルレンジ、ロングレンジ全部の話をメモにとっていた生徒だ」

 

 言われてあぐりの脳裏には、メモとペンを構えたとある小さな男子生徒の姿が思い浮かぶ。

 そんな少年に対して、レッドアイは注意しろと続けた。

 

「気のせいなら良いんだが、目に浮かんだ『色』が、少し気がかりでな」

「色?」

「色々あって俺のキャリアは、中東部での活躍が長いんだが……。その時に一緒に仕事をしていた奴等と、似たような目をしている」

 

 例えるなら、決壊直前のダムのような。

 今か今かと、内に封じ込められた「何か」が暴発するのを、無理やり押さえているような。

 

「理由があって爆発しないでいるのかもしれないが、ああいうのは爆発の仕方を間違えると、取り返しが付かないからな。一緒に仕事していた奴も、相手の基地に特攻をかけて、自分の命と引き換えに皆殺しにしたくらいだ」

「……わかりました」

 

 スマホのアプリを開き、「あの子に後で確認とっておこうかしら」と言いながら、あぐりは何やらメッセージ欄に打ちこんだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

「「にゅいー ……」」

 

 昼休みの職員室にて、ころせんせーとあぐりとは、共に同じような台詞で一息ついてた。

 どういうわけか珍しくチューブ飲料食の二人。共にキャップを開け、ぐいっと飲み干し、ぐでっと目を細めて椅子の背もたれに身を預けていた。

 

「俺より疲れているなぁ、コロセンセー」

「いえいえ、レッドアイさんのお陰ですよ、これ。……まさか一発くらいしか当てられないだろうと思っていたのが、五発も喰らってしまうとは」

 

 ほう、と烏間がパソコンから顔を上げ、レッドアイの方を見る。

 

「基礎的な部分はそこまで成長していないのですが、狙撃するための思考や目標が洗練された感じがしますねぇ。それでもカルマ君の一発さえなければ、五発も被弾はしなかったはずなのですが」

 

 本日の暗殺教室のルールは「休憩時間中にゼロ距離射撃」。

 一定距離以上に生徒達を近付けさせないよう、それ以上きたら手首を掴み取るくらいのことをしていたころせんせーだったが、まさか自然な動作で陽動に出られるとは思ってもいなかった。

 

「渚君を囮に使うのは、『現時点では』手として上手い方法ではあるんでしょうがねぇ。せんせー、うっかり警戒を解いてしまってました」

「カルマ君の接近には気付けたんじゃないか?」

「逆です、逆。渚君が近づいてきて、飛び着いてきて、カルマ君の射程距離まで押されました。

 倒れて撃たれたタイミングで、他の生徒たちが一斉に、示し合わせたように連携して囲い込まれた時は、正直終わりだと思いましたよ」

「どうやって逃げたのよ、アンタ」

「窓から」

「吉良八先生、それはどうなのかしら……」

 

 一応は1階しかない建物であるとはいえ、遊びが高じれば怪我の元である。

 

 そこは気を付けてますが、油断していたと言えば油断していたんですがね、ところせんせーは肩を竦めた。

 対するレッドアイも、また同様に肩を竦める。

 

「いや、そういうのは基礎あってのことだ。筋が良いのも居たしな。あの、あんまり喋らない奴とか、前髪で顔が隠れている奴とかな。

 正直人に教えるのなんて初体験だったし、もし上手く機能したというのなら、平常時から教えている面子の腕が良いんだろう。結局、午後に別な仕事が入ってるし、そんなに長く見れるわけでもないからな」

「そうか」

 

 特に誇るでもなく、淡々と烏間はパソコンの打ち込みにとりかかる。

 背後からイリーナが覗こうとするを、それとなく雑談で足止めするこそせんせー。

 

 なお、画面上にあったのは「拳銃の先端から触手の生えた」独特な装置の、英文で書かれた取り扱い説明書のようなものだった。

 

 それに集中している烏間。だがしかし、周囲への警戒は全く怠っていない。

 

 ロヴロは職員室の入り口から、そんな彼の様子をちらりと観察していた。

 

(身のこなし、身体能力。どれをとっても明らかに平均は抜けている)

 

 例えるならば、猟犬のそれのように。

 烏間の纏う空気は、まるで獲物を待ち受けているかのようでもあった。

 

(そんな手練(てだれ)が警戒をしている時、複雑な小細工はむしろ不要)

 

 この場合求められるべきは、卓越した技精度とスピード。

 ころせんせーならばそこに「意外性」などを付け加えるかもしれないが、あくまでロヴロは自分に今できる範囲で作戦を立てる。

 

(イリーナに欠けているのは、そういった根本的な戦闘技術だ。コロセンセー風に言えば「第二の刃」か。おそらくコロセンセーを、万が一にでも打倒する相手がいるとしたら、その能力は不可欠なものだろう。

 そう育てたことを、自身が一番分かっているはずだがな。

 しかし、烏間……。あの反応速度ならば、本来の意味でも正面も危ういかもしれない。ならば――)

 

 ――バンッ!

 

 勢い良く扉を開けると同時に、烏間めがけてロヴロが部屋に駆け入る。

 イリーナやあぐりは目を剥き、ころせんせーは大して驚きもしていない。

 

 烏間はといえば一瞬驚きはしたものの、ロヴロの予想通りと言うべきか瞬間的に武器の動きがどうなるかを予想して動いている。

 

 そんなタイミングで、ロヴロは、手からナイフを離し――。

 

 

 烏間の視線がそちらに一瞬動いたタイミングで、拍手を一発、彼に向けて放った。

 

 

 一瞬の行動。時間にすれば0.5秒ほどか。

 その予想外の一撃を受けやや仰け反り、怯む烏間。チャンスとばかりに、落下したナイフを烏間の胴体めがけて「蹴り上げる」ロヴロ。

 

 常人ならば、これで決着がついていた。

 そう、相手が常人であったならば。

 

「ふんッ!」

 

 烏間は怯んだのも0.2秒足らずか。速攻で復帰し、肘を打って床へと叩き付けた。

 攻防が終了した時点で、ようやく1秒ほどか。

 

 一瞬すぎて、素人目にはまるで意味がわからない。

 わずかに動作だけを目で追っていたあぐりは、隣の席の彼に聞いた。

 

「――あれは、」「猫騙しですね。上手い事決まりましたが、何分相手が悪かった」

 

 見覚えがある、といった目でころせんせーを見るあぐり。対するころせんせーは、自身が使うそれとは違った名前を挙げた。

 

「生憎と、こちらは『スタングレネード』の雨あられを数年間浴び続けたものでな。この程度では大してダメージもない」

 

 すぐさま距離を開け、手を引くロヴロ。と、ナイフの柄にくくりつけて合ったワイヤーが引かれ、彼の手元にナイフが行く。

 それと同時に烏間は、モーター音と共に巻きとられる途中のワイヤーを「素手で」つかみとり、ロヴロ本体を「強引に」引っ張った。

 

「ッ!」

「熟練とは言え年老いて引退した殺し屋が――先日まで『精鋭部隊』に居た人間相手に、そう簡単には勝てないだろう」

 

 左腕を肘の下に巻きこみ、背を向ける形で腕を拘束する烏間。おそらくその回転の勢いに任せて、彼は右肘をロヴロの右側こめかみスレスレの位置までぶん回していた。

 

 強い。 

 イリーナ、ロヴロ、レッドアイの三人が彼のポテンシャルに驚愕する。

 

「今度の休日は開けておけよ、吉良八」

 

 そう言って彼は職員室を出る。おそらく某ファーストフード店で昼食を買ってくるつもりなのだろう。

 

 元々彼のことを知っていた残りの二人は、顔を見合わせて「どうしましょう」という表情をしながら。

 お互い「規則性を持った」テンポで、軽く足を踏み鳴らしていた。

 

 

 

 

 

「どーすりゃいいのよ、これ……」

 

 師匠ロヴロは言った。「相手の戦力を見誤った」と。今日中には(ころ)せず、またイリーナとて殺せるはずはないと。

 おそらく引き分けだと断言する彼に、ころせんせーは不気味に微笑みながら言った。

 

「あれこれ予想する前に、イリーナ先生のことも『見て』あげてください。

 経験の有無は確かに重要ですが、殺し屋とは決してそればかりではない。

 結局のところ――土壇場で『必殺』できた者こそ、優れた殺し屋なのですから」

 

 好きにしろと言って退出したイリーナの師匠。

 もっとも彼女の背を押したころせんせーは、レッドアイ共々どっかへ行ってしまったのだが。

 

「……あぐり、どう思う? アンタもあの男と同じ様に考えてるわけ?」

「うーん、断言はできないかしら……。『そっちの業界』のことなんて、近くに人は居ても結局、触れてきた世界ではないから」

 

 愚痴るイリーナに苦笑いを浮かべつつ、あぐりは彼女の手前にも緑茶を置いた。

 

「必要な条件は、烏間さんにナイフを当てるってことだった?」

「条件は確か、それで良かったはず……。って、前からちょいちょい思ってたけど、烏間とアンタらって、元々知り合いよね。どういう理由があって、一介の中学教師が、殺し屋とか防衛省の軍人とかと知り合いになったのよ」

「一応は自衛官って言ったほうが正しいんだけど……。んー、どうなのかしらね」

 

 お茶を濁す事もなく、あぐりはそっとその質問に対する回答を拒否した。

 でも、とあぐりは口を開く。

 

「イリーナ先生がここに来て、何をどう頑張ったかってことを、私達はみんな知ってます。

 授業の参考にと、私や吉良八さん、烏間先生の授業をちょくちょく見学したり、律さんに聞いて話の種とか薀蓄とか、あとは模擬授業みたいな練習をやったり」

「そ、それは……」

 

 思わず赤くなり、顔を背けるイリーナ。嗚呼、生徒達と仲良くなったのは、何も彼女が自分の基礎力をばかり発揮したためにあらず。

 

 必要なことに対してアプローチし努力して来たことを、「友人」たるあぐりはきちんと見ていたのだ。

 

「……まあ、律さんにたまーに変な事頼んだりしてたのは、見なかったことにするけど」

「……は? へ、ちょっと待ってあぐり、アンタ何を――」

「昨日発注した勝負下着だって、律さんに『今年の流行』と傾向分析からの、肉食系男子とか堅物系男子が好きそうな――」

「や、止めなさいよ! アンタ、段々吉良八みたいになってきてるじゃない!」

「にゅあ! そ、そんなわけないから!」

 

 女同士、何やら譲れないボーダーラインで戦っている二人。取っ組み合いのキャットファイトにはならないが、何やら低レベルな「ばーか」だの「ブス」だの罵り合いを繰り返す。

 

 だが、ぜいぜいと肩で息をするタイミングで、イリーナは腹を押さえて笑った。

 

「……何かありがと、あぐり。ちょっと肩の力抜けたわ。なんか、肩肘張ってるのが馬鹿馬鹿しくなってきたわ」

 

 作戦考えるわと、胸の谷間から渚のものよりもっと小さなメモ帳を取り出して、彼女はそれに記入したことを振り返る。

 

「頑張ってください、イリーナ先生。烏間先生に、お師匠さんに。何より生徒たちに、その頑張りを見せ付けちゃいましょうよ」

 

 あぐりはそれを見て、両手を握り小声でエールを送った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「菅谷君、菅谷君、この間頼んでたの、塗り(ヽヽ)終わった?」

「あー、これな」

「きゃー! 可愛い! 超可愛い!」

「茅野、一体何を――って、ちょっと! それどうしたのさ!」

 

 昼食の時間。グループごとに適当にまとまって会話をしている中、杉野やカルマと一緒に食べていた渚は、背後で交わされる茅野と菅谷のそれに、妙な予感を覚えて振り返った。

 

 そしたら案の定である。

 ハイテンションに茅野が抱きしめるそれは、「中学一年生時代」の渚の形を、フィギアサイズに縮小したようなそれだった。

 

 形、色、何より「女子かな?」と思わず突っ込みを入れたくなる程のそれら全てが、ほぼ完璧な形で継承された立体モデル。

 着色は菅谷にしても、一体誰がこんな細かい成形も含めてモデリングを行ったか――。

 

「って、さては律?」

『はい、茅野さんからのリクエストにお答えしました♪』

 

 アンドロイドハードは現在本体の裏側にある場所で充電中なため、筐体に表示された律が「きらっ☆」と言わんばかりにポージングして、渚の質問に答えた。

 要するに、渚のそのモデルは彼の写真をもとに、律が計算して3Dプリントしたものなのだろう。

 

「茅野ちゃ~ん、見せて~」

「うわ、すご……。完全に渚、女の子じゃん」

「中村さん、その変な笑顔止めてよ……」

 

 ケースの中に入ったその珍妙な出来のものに、他の生徒たちも釣られて集ってくる。

 だが、茅野はすぐさまケースをバッグに仕舞い、腕を組んでこう言った。

 

「一人ずつプリン進呈につき、それぞれ拝み倒す権利をやろうぞ」

(((((何キャラ!?)))))

 

 ふんぞり返る茅野に困惑し、わらわらと分散していく。

 多少なりとも茅野が渚に気遣った結果なのかもしれないが、元凶が本人なので単なる尻拭いとも言えた。

 

 着席して食事に戻る渚たち。とホットドッグを食べていたカルマが、窓向こうに注視して一言。

 

「見てみ、渚君、茅野ちゃん。あそこあそこ」

「ん?」「お?」

 

 校舎裏にある木の一つの下で、烏間がハンバーガーを食べている。よく見かける光景だが、食生活は色々大丈夫なのだろうか。

 

「で、それに近づいて行く女が一人。殺す気(やるき)だねぇビッチ先生」

 

 向こうで展開されている光景は、窓が閉まっていることもあって音は聞こえない。

 だが、冷静な表情でナイフを握るイリーナは、平常時の彼女よりも幾分「殺し屋」らしい印象を受ける。

 

 上着を脱ぎ捨てて、(しな)を作りながら烏間の周囲を歩き回る彼女。

 

「また色仕掛けね……。繰り返しギャグは三度まで」

「あ、不破さん……」

「懲りないなぁ、あの人も」

「木村ちゃん、烏間先生あの状態で大丈夫かなぁ」

「大丈夫じゃないの? ビッチ先生だし。いや、まあそれじゃ駄目なんだけど」

 

 中村が言うように、イリーナ相手だからこそ烏間も余裕があるように見える。手加減などなかったとしても、どちらにしてもイリーナには不利という訳だ。

 

 だが、木の方に走ったイリーナの動きに合わせて、上に引き上げられた上着に足を捕られたことで事態は一変する。

 

「うお、烏間先生の上をとった!?」

「やるじゃんビッチ先生」

 

「茅野、今、ワイヤーみたいなの見えなかった?」

「ふぇ? あー、確かに何かひっかけてあるみたいだけど……」

「渚君、それ正解」

 

 仕組みとしては単純なもの。昨日ロヴロがイリーナにしたことの応用版と考えれば良いか。

 あらかじめワイヤーを木の上に仕掛けておき、脱いだ上着をそこに括り付ける。

 

 後は位置を調節した上で一気に引っ張り上げれば、吊るされた男の完成となるわけである。 

 

「ビッチ先生もビッチ先生で、きちんと成長してるってねぇ」

 

 カルマのその一言と、ほぼ同時に。

 

「彼女もまた、挑戦と克服をしようと繰り返しているわけです」

 

 ころせんせーが、校門近くからロヴロに解説していた。

 ロヴロの手には、イリーナが平日に使っていた「訓練道具」が入れられている。師匠たる彼からすれば、それらの道具こそが今の彼女の一撃に繋がっていると理解できるだろう。

 

「見知った相手だからこその油断を計算に入れた、三度仕掛けた色仕掛けによるカモフラージュ。

 何度も練習を重ね、今までの彼女では身に付けていなかったトラップの技術。

 起動までの思い切りの良さは普段通りですがね」

 

 こじつけるのなら、相手の立場にたってどう理解されるか、考えて表現する正しい国語力。

 烏間が授業で教えた、トラップの設置や身分け方を参考にした設置法方。

 

 どれもこの暗殺教室で得られるものでもあり、同時に研鑽を重ねなければ身に付かないものでもある。

 

「彼女は、私を倒す為に必要な技術を自分なりに考えて挑んでいます。それこそ以前伺ったように、十カ国語の修得や、教師生活と同様に。

 『努力して打ち勝てる相性が悪いものは、逃げずに正面から克服する』。

 ある意味、彼女らしい姿勢であると思います」

 

 振り下ろされたイリーナのナイフを、寸前で押さえ込む烏間。

 流石に困惑しており、冷や汗を垂らしていた。

 

 生徒側には、そこでどういったやりとりが交わされているのかは見えないし、わからない。

 

 だが、ロヴロやころせんせークラスともなれば、読唇術くらい使えるわけで。

 

「……決着ですかね、一応」

「……締まらないと言えば締まらないがな」

 

 「()りたいの」と上目遣いに頼み、相手から盛大にツッコまれたものの。なんだかんだで彼女の諦めの悪さに、ついには烏間はナイフの接触を許した。

 

 ちらり、と彼がころせんせーの方を見るが。

 

「どうせ夏休みになったら、合宿と称して訓練場に一週間は缶詰されるんでしょうねぇ……」

『――ミスター、自業自得です』

「ヌルフフフ……」

 

 不気味な笑いにも覇気がないが、ともかく。

 

「苦手なものでも一途に挑んで克服する。

 彼女自身その姿勢を貫き続けることで成長しますし――同時に、その姿を見た生徒たちも、『挑戦』というものを理解できます」

「……なるほど。

 コロセンセー。君が言った『優れた殺し屋』とは、暗殺教室(ここ)において優れた、という意味か」

 

 自身も成長し、また生徒達の模範となる。

 ころせんせーが彼女の残留を求めたのは、彼なりに理由があってのこと。

 ある意味で二人の掌の上と言えなくもないが、根底には悪意より善意の方が勝ってはいた。

 

 一定の納得をしたロヴロ。

 職員室から走ってきたあぐりに抱きつかれ、どぎまぎするイリーナを見て、ふっと目を閉じ笑った。

 

「おやおや。皆さんあんまり窓に張り付くと、外れちゃうんですけどねぇ」

 

 ころせんせーはころせんせーで、イリーナ勝利にわく教室の方をちらりと心配。窓にびっしり張り付く生徒たちだが、そこまで建て付けが頑丈ではないE組校舎である。

 

 当たり前のように、あぐりがイリーナから離れて窓際で注意を促す。

 

 道具を片付けて、イリーナはこちらの方に歩いて来る。

 

師匠(せんせい)……」

 

 不安の宿る表情に、ロヴロは肩を叩いた。

 

「今回のお前の勝因は、何だったか分かるか」

「?」

「諦めの悪さだ」

 

 最終的に折れたのは烏間だが、その理由がまさにそれだ。

 だが、実戦で今回のようなそれを使うことはできない。当たり前だ、殺させろと懇願して死を選ぶような奴は、そもそも依頼されてまで殺される人間ではない場合が多い。

 

 だがそれでも。

 イリーナのその部分こそが、彼女が研鑽を続ける根本的な部分なのだろう。

 

「精々、その諦めの悪さを最大限に生かしていけ。さあ――待ってるんだろう、彼等が」

「――は、はい! もちろんです先生!」

 

 立ち去るロヴロの背中に「やったわー、オーホホホホ!」などと幼児のように叫び倒すイリーナ。

 その背を見て、生徒たちは安心したように息を漏らした。

 

(イリーナ・イェラビッチ。職業は殺し屋)

(卑猥で高慢。でも根は真っ直ぐで――)

 

(そんなビッチ先生は、僕等E組の英語教師だ)

 

 

「やったじゃんビッチ先生!」

「見直したぜ!」

「トラップ格好良かったよ!」

「もっとスピード勝負すれば決まってたかもしれないのに」

「ゆったり食べたほうが消化には良いわよ」

「烏間先生も胸には勝てなかった……?」

「ちょっと~! 変な風表被害~!」

「巨乳使ってないじゃん! 巨乳なんていらないんだよ!?」

「茅野っち、もうそれ只の巨乳叩きだから!」

「ケッ」

「あら、松村の家のラーメン無料券くらい、挙げても良いんじゃない?」

「お疲れ様です」

「我等がビッチ、再臨」

「そこは帰還で良いんじゃない?」

「まあともかく、コンゴトモヨロシクね、ビッチ先生!」

「「「「「ヨロシク、ビッチ先生!」」」」」

「……アンタら、こういう時くらい名前で呼びなさいよおおおおおおおおおッ!」

「イリーナ先生、どうどう」

「馬か! 私は馬かあぐり!」

「ヌルフフフフフ」

「吉良八、今晩夕飯奢れ」

「ニュ……って、まあファーストフードくらいでしたら、」

「今日は呑むぞ」

「ニュや!?」

 

 生徒や同僚たちに囲まれながら、ハイテンションに怒鳴り散らすイリーナ。

 彼女がロヴロのミッションを達成するまで先は長いだろうが――。

 

 それでも今この時において。彼女の意識からは、そのことはほとんど抜けていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

『――ミスター。ファーザーからのメールです』

「ヌルフフフ。えっと……、ニュ、グアム?」

 

 

 




※ほとんど映画編の答えです


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第19話:機上の時間

原作で生存フラグと同時にトンデモ行動キター!
ただ一つ言わせてくれ。律、何 故 脱 い だ 


 

 

 

 珍しく学校行事の関係で、午前中で授業が終了する椚ヶ丘中学。

 一応そのルールは3-Eにも当てはめられており、ホームルームが終了すると、わらわらと生徒たちは帰りの準備を始めた。

 

 そんな中、ころせんせーは教卓に座って映画雑誌を眺めている。

 

「ごきげんですね、ころせんせー。この後何かあんの?」

「ええ」

 

 磯貝の射撃も帽子で受け流しながら、ころせんせーは紙面を向ける。

 

「ちょっと、律さんの開発者さん……覚えて居ますか? あの人にお呼ばれして、ちょっくらグアムまで」

「グアムって……」

「マリアナ諸島の一つですね。戦時は日本が支配していたこともありますが、それはさておき。

 片道三時間前後なので、せっかくだから映画でも見ようかと」

「映画?」

「あー、先行上映でしょ?」

 

 磯貝ところせんせーとの会話に、中村が参加してくる。

 

「最近少なくなりつつあるんですが、ここの航空会社はまだやっているらしく。せっかくですから『知り合い』に情報収集してもらって、どれを見るか考えてるんですよ」

「へぇ……、どんな知り合い?」

「律さんみたいな方です」

「「は?」」

 

 ころせんせーの懐の画面で、とある彼女がガッツポーズをしたかどうかはともかく。

 

「でもせんせー、ずるーい!」

「ヌルフフフフフ。予定では入間までお茶菓子を買いに行く予定でしたが、それが潰れるんですから多少は役得もないとですねぇ」

「で付箋張ってあるけど……、ソニックニンジャ?」

「あー、あのヒーローものね?」

「日本での上映まであと一月前後ですが、全米話題沸騰中らしいですし、楽しみですねぇ」

 

 明日感想聞かせてよー、などなど片岡や中村、磯貝、前原らに囲まれるころせんせー。

 にやにや笑ってるそんな彼の姿を、約二名がじっと見ていた。

 

「「……!!」」

「およ、渚、カルマ君、どしたの?」

 

 特撮雑誌を開きながら固まっていた渚と、背後から覗き込んでいたカルマ。

 茅野がそれを見て見れば、さり気なくページが「ソニックニンジャの歴史」が開かれたままだった。

 

 はっはーんと何かを察した茅野は、「じゃ、またねー」と、スマホを出しながら何処かへ連絡を入れた。

 

「あ、お姉ちゃん? うんうん、ちょっとお願いが――」

 

 そんな彼女のことなど気付く余裕もないくらい、渚とカルマは目を見合わせて、何事か相談を始める。

 

 そしてころせんせーが外に出ると、ちゃっかりあぐりが、珍しく白衣を纏って待っていた。

 

「お待たせしましたね。ちょっと気が早いですが」

「え? あ、そうかお昼……」

「どちらにしても向こうで貸し出しされるでしょうし、わざわざ持ってこなくても大丈夫でしたよ?

 ではではさて――」

 

「こ、ころせんせー!」

 

 と、あぐりを連れて移動しようとしたタイミングで、渚とカルマが(後者に至っては珍しく)ばつが悪そうな顔をして、やってきていた。

 

「ニュ、どうしました?」

「む、無理を承知でお願いなんだけど……、僕等も連れてってくれない? 現地には入れなくてもさ」

「おやおや」「まぁ」

 

 あぐりはびっくりしたように手を口に当てる。ころせんせーは渚が手に持つ特撮雑誌を見逃して居ない。

 う~んと唸ってから、ころせんせーはスマホを操作して承諾した。

 

「…… 一応許可が取れました。ま、お金は先生持ちではないので、先方に頭を下げてください。

 往復七時間弱。渚君はお母さんに勉強で遅くなる、みたいなことを言っておいて下さい」

「やった!」「よかったね」

 

 ハイタッチする渚とカルマ。渚はらんらんとハイテンションである。

 

「一応は抜け穴的に、飛行機に乗るだけならパスポートは提示しないでも大丈夫ではありそうなんですが、本来はこういうことをしてはいけませんよ?

 ……それにしても、そこまでしてとなると、かなり好きなんですか二人とも、ソニックニンジャ」

「うん大好き! 続編出るのずっと待ってたんだ!」

「カルマ君がヒーローものとは、少々意外ですねぇ」

「監督が好きでさ。アメコミ原作手がけるのは珍しいから」

「まあ、公開まで待てないその気持ち、せんせーよく分かるのであまり止めることが出来ませんねぇ」

『私も見たかったです!』

「?」

 

 聞こえた声は律のもの。渚がスマホを取り出すと、画面には例によって縮小された彼女の姿が。

 モバイル律である。アンドロイドハード含め、彼女も大概何でも有りだ。

 

「あー、そういえば飛行機に携帯電話は電源入れたまま持ち込めないか……」

『お二人とも、ずるいですよ!』

「ごめんね、律。円盤出たら一緒に見ようか」

『それってどれだけ先の話ですかッ!』

 

 カルマの言葉にぷりぷり怒る彼女。いや、それ以前にAIが映画鑑賞したいだの、見れないから怒るだの、既に色々とおかしな光景だ。

 

「で、ころせんせー。今から成田? 三時間って言ってたけど、結構時間かかるんじゃ――」

「いえいえ、ご心配には及びませんよ。空港までは、直通便が――おっと、そろそろ来ましたね」

「「へ?」」

 

 渚とカルマが同時に、ある違和感に気付いた。音である。ダバダバと空気が切れるそれは、地面に反射してるものと、ジャイロが絡み合うようなそれも含めて鳴り響いており――。

 反射的に頭上を見上げると、そこには黒塗りの「防衛省」の印字が刻印された、明らかに通常のそれではないヘリが飛んできていた。

 

「プロジェクトとしては、まぁ緊急ですからねぇ。これくらいのご足労はして頂かないと。では四人(ヽヽ)とも、行きましょうか」

「……カルマ君、軽い気持ちで頼んだけど、僕等ひょっとしてとんでもない事してるんじゃ」

「さぁね~……。って、あれ、四人?」

 

 ころせんせーの言葉に違和感を覚えて振り返ると、そこには、茅野あかりが腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「な、なんで茅野……?」

「さっき二人の動きを見てて、面白そうだから先回りして頼んでおいた!」

「何で手回しそんなに良いのさ!」

 

 えっへんの威張る彼女に、思わず突っ込みを入れる渚。

 

「このヘリの時速は約400km。少々左右の転換や風に煽られた時にぐらつきますが、まあ、何事も挑戦ですねぇ」

「吉良八さん、そんなこと言って自分が一番乗り物弱いのに、大丈夫ですか?」

「な、何のことでせうかねぇ」

(((そう言えばそうだったな)))

 

 渚のメモにも記入されている、乗り物に弱い、という弱点項目を思い出す三人。

 

 ともかく気を取り直して、ヘリに先生二人と、生徒三人は乗り込んだ。

 内部は大体十人ほど座れる構成をしており、なかなかに特殊な用途で使われていそうな。

 

「鶴田さん、ではお願いします」

 

 ともあれ、離陸。

 最初多少ぐらつきはしたが、シートベルトのお陰で投げ出される心配はない。

 

「……まさか飛行機に乗るより先に、ヘリに乗るとは」

 

 思わず口にした渚の感想が、ある意味で全てを物語っていた。「道中は色々危ないので、暗殺教室は一旦休止とします」と事前に言われていたが、まさかこれを指し示しているとは思いもしまい。

 

「あはは……。でも、不思議だよねー」

「何が、茅野ちゃん」

「ヘリコプターって、そもそもどーして飛べるんだっけ。前にテレビで『ド○えもん秘密道具を実現できるか』みたいなのがやってたんだけど、その時タ○コプターの実現が難しい理由について、色々あったような」

「そうですねぇ。まず技術は一旦置いておくとして、ヘリコプターが空中を自在に飛ぶ為には、四つの力について考えなければなりません。

 一つ目は揚力。

 二つ目は引力。

 三つ目は抵抗力に、四つ目は推進力。

 これらのバランスをとることで、空中を自在に動き回ることが出来るわけですねぇ。

 例えばヘリのコントロールにおいて、体自体を傾けて動いている時がありますね。あれは皆さんも毎日利用するものにも使われていますが、さて、何でしょうか」

(((飛行中に授業始まっちゃった!)))

「はい、雪村先生」

「電車とか新幹線とか? あ、でもあれは遠心力か……」

「正解ではあるんですが、使われている箇所が違いますね。答えは内部の空調設備です。例えば横方向に風を送る際――」

 

 そうこう簡単な授業が終了する頃、時間にして三十分弱もかからず、あっと今に全員成田の地を踏んでいた。

 

「早ぇ……。しかも全員分ビジネスクラス」

「では、実際に計算してみましょうか。飛行機の来るまでもうしばらくかかりますので、それまで簡単に。

 途中途中空路やら強風やらで遠回りをした部分もありますので、簡単に計算をしてみましょうか。まず、成田から椚ヶ丘までの距離が、多摩東部を回って――」

「ころせんせー、ひょっとして授業して気分紛らわせてるんじゃ……」

「にゅや!? そ、そんな訳が、」

「あはは……。大目に見てあげて。今倒れられると、帰りが色々大変だから」

「「「あぁ……」」」

「何ですかその反応、雪村先生も皆さんも、何かを察したような目をッ!」

 

 汗だらだらなころせんせー相手に、三人は何とも言えない表情を浮かべていた。

 なお、約一名はニヤニヤと「どうしてくれようか」といった悪戯心を発揮していたが。

 

 

 配置としては、ころせんせー、カルマ、茅野、渚、あぐりの順。あぐりが一番窓際で、あぐりが窓に近い方の順番で着席していく。

 

「それはともかく。皆さん、飛行機は初体験ですか?」

「あー、私は撮え――げふんげふん、家の仕事の都合で何度か」

「んー、まあ両親からして旅行が趣味みたいなもんだし?」

「では渚君だけ初フライトですか。ちょっと最初は衝撃が来るので、驚かないで下さいね」

「あ、はい……」

 

 ヘリの中にあったキャリーバッグの中に電子機器類をつめた渚たち。お陰で現在、律はこの場に居ない。

 メモを取り出そうにも、現在そちらも上部のケースの中に持って行かれていた。

 

「うわー、緊張するなぁ……」

「大丈夫よ、渚君。そんなに慣れ難いものでもないから」

「そーそー、急下降のないジェットコースターみたいなものだって」

「その説明だと何か逆に怖いよ茅野!」

 

 渚の突っ込みに「だーいじょーぶ!」と念押しする茅野。

 一方のカルマはといえば、イヤホンジャックやら画面やらの配置を既に確認し始めている。

 

 そして我等がころせんせーは、若干遠い目をするころせんせー。

 

「……そういえば雪村先生。ころせんせーって僕等のベルトとかメガネとかと違って、『治療用』ってことで金属探知機に引っかかっていたと思うけど、ひょっとして何か大怪我とかしてたの?」

「へ? あー、吉良八さんは……、ごめん、ちょっと説明が難しいかな」

 

 渚に軽く頭を下げるあぐり。

 そんな彼女を微笑みながら見つめる茅野。

 

(ん?)

 

 ふと、渚は茅野の横顔を見て、何かに気付いた。

 

「……何か、雪村先生と茅野って、ちょっと似てる気がする」

「にゃ!?」「えぇ、本当に!」

「おわ!」

 

 不自然なほどびくりとしたあぐりと対象的に、茅野はむしろ目を輝かせて渚の方に顔を近づけてきた。

 ちょっと彼女から半身引きつつ、渚は答える。

 

「どんなとこ、どんなとこ!」

「え、えっと……、黒髪?」

「そこ大体みんなじゃん! 日本人なめんな!」

 

 うなー、と小声で絶叫する茅野。どこにヘイトが向いているのか、普段の彼女の言動を考えれば自ずと予測はできるわけで……。隣の雪村先生の体の一部をちらりと見た後、視線を戻して困ったように渚は笑った。

 

『――Attention, please! Attention, please!――』

「おっと、そろそろみたいですねぇ。皆さん、荷物は所定の位置に仕舞いましたか?」

「はい」「えっと……」「渚、ここはこっちに繋げて……」「渚君以外は大丈夫そうだよ」

「はい。ではシートも閉めて、ちゃんと準備しておきましょう」

 

 やがて客室乗務員のお姉さんが来て、渚たちのベルトの位置などの再確認。

 あたふたする渚に微笑ましい視線を送ったりしながら、彼女は次の列の客の状態を確認して回った。

 

「接客業に限らず、相手に影響を与えるものは最後まで最終確認を怠らないこと。烏間先生が教えたトラップの時も、そんなことを言われたと思います」

「はい」

「上々。では、舌を噛まない様に」

 

 そして向かえる離陸。

 

 渚を最初に襲ったのは、暴力的な加速だった。

 車や電車、自転車などのそれと比較にならない急加速は、椅子に背中を磔にされる錯覚すら覚える。

そして段々と、段々と、車体の移動が直線方向でなくなって行く事が、自分の三半規管で判断できるようになる。

 

 最初は右斜め。車体の感覚がふわりと浮き上がり、左側だけがちょっと強めに上昇。

 あぐりの側の窓が青空となった瞬間、一気に血の気が引きそうになる。

 

「……!」

 

 と、思わず震える渚に、さり気なく茅野が手を上から乗せて握り、にっと微笑む。

 

(は、恥ずかしいけどありがと……)

 

 ちょっとだけひんやりとした感触に、不安が薄れる渚。 

 ころせんせーの方の窓を見て、段々と陸路から本体が離れて行くのが理解できる。

 

 カルマなんかは口笛を吹きながら、ころせんせーはどこか懐かしそうな目をしながら。

 

 数十秒後、機体が安定したタイミングで、渚はようやく目の前の画面に目をやることが出来た。

 

「お昼は一応機内食が出ますが、それまでの間に多少見てしまいましょう。

 マシンとしては、映画上映や音楽鑑賞などが出来るようになっていま――にゅや!?」

 

 と、目の前のそれについて解説していたタイミングで、突然ころせんせーが声を上げた。

 不審に思い、渚たちもころせんせーのそれに習い、イヤホンを装着。

 

『――はい♪ 遊びに来ちゃいました!』

「「「(り、律!?)」」」「(にゃにゃ!?)」

 

 端末の画面の右隅に、ちゃっかりと律のデフォルメされたアイコンが表示されていた。

 そのアイコンの周囲が白く点滅すると同時に、彼女の声がイヤホンからちょいちょい響く。

 

「(り、律さん!? かなり暴挙に出てきましたが、そこまでして映画見たかったですかそうですか……。

  しかし、色々大丈夫なんですか? これ)」

『はい、ご心配なく♪ 現在皆さんの方に表示されている私ですが、クラウドで操作する私の端末と一時切り離して、機内にある電子端末全部の演算領域をちょっとずつ借りて出力していますので♪』

「(言ってる意味がわからないよ!?)」

「(律、何でもありすぎじゃね? ここまで来ると)」

『いえ、離陸する時間があと十五分くらい遅かったら、追加パッチの受信が終了して、いつもの様にきちんとした姿で皆さんの前に出れたんですけど、残念ながらトーク限定となってます』

 

 それが出来るだけで既に充分アレである。

 

『皆さんとこうして見る映画なんて、楽しみです♪

 ところで茅野さん、渚さんの手をいつまで握ってらっしゃるんですか?』

「あ!」「な!」

 

 思わず、びゅん、と右手と左手が離れる。

 それを見て、カルマが「へぇ……」と半眼になって、ニヤニヤ笑った。どこか中村あたりと通じる笑顔である。

 なお、ころせんせーと、珍しい事にあぐりも似たような表情である。

 

「な、渚が離陸する時、手が震えてたみたいだったから……、お姉ちゃんに昔、してもらったし」

「へぇ、茅野ちゃん、お姉さん居たんだ」

「うんうん、凄く良いヒト。……胸、大きいけど」

(ご愁傷様です、お姉さん……)

 

 いたたまれない顔をする茅野に、渚は何とも言えない表情を浮かべる。

 

「だ、大丈夫、茅野さん成長期だから――」

「雪村先生に言われたくないから! うなー!」

 

 だが、この一言には思いっきりテンションが上がったあたり、そこまで落ち込んでもいないのかもしれない。

 

 ともかく画面を見ながら、流れてくる音声を聞きつつ一言。

 

「……あれ? でもこの映画って、ひょっとして字幕まだ付いていないよね。筋、分かるかなぁ」

「大丈夫じゃないかしら。

 ほら、英語の成績は三人とも良好だったし、イリーナ先生にも鍛えられているでしょう?」

「それと、律さん。習ってない単語が出たら、簡単にですが解説を頼めますか? 言う情報はこちらの口頭で説明します」

『お任せを♪』

「では、後は頑張って楽しみながら聞きましょう。おや、丁度機内食のようですねぇ」

 

 内容としてはサラダ、レタスドッグ、フライドポテトといったジャンキーなものであったが、ポップコーンなどなくとも、これはこれで映画館の装備といえた。

 コーラが全員分行き渡ったことを確認してから、ころせんせーは視聴の準備に。

 

 思わず頬が緩む渚。

 

 ソニックニンジャ。タイトルからして勘違いした日本文化感はそこそこだが、あながち外れてはいない。

 人類を守るために「ニンジュツ」(忍者になるための能力)を使おうとする主人公、イーサン・ブレネットとその仲間たち。

 それに対して私利私欲のために使い、世界を我がものにしようとする、怪人アダム率いる未来マフィア「ザップ」。

 

 イントロダクションや冒頭のやりとりから、前作の終盤の展開をそれとなく流しつつ、二作目の物語が始まる。

 

「(やばい、かなり幸せだ……!)」

 

 イーサンが変身するソニックニンジャの元に駆けつけるフーマ・ライデン。共に同じ師匠に師事していた二人が、今一度、共闘する。

 

「なるほど、ここで元になったコミックの構図を再現するわけか」

「CGすご……」

「茅野ちゃん、実はこれ実写で爆発させてるんだよ。この監督、火薬大好きだから」

「ホント!?」

 

(悩みながら世界を救おうとする孤独のヒーロー。僕等の年頃なら、一度はみんな憧れるキャラクターだけど……。ころせんせーもそうなのかな?)

 

 映画に集中しながらも、ちらりと横に顔を振る渚。

 

「G……、いやHですかねぇ。物理法則の無視具合がこれまたなかなか……。『何度見ても』お釣りが来ますねぇ」

(……目当てはヒロインの役者さんか)

 

 どこを見ているとは、あえて言うまでもない。

 あぐりが懐からハリセンを取り出そうか取り出すまいかと、仕草をちょいちょいしているのが渚的にちょっと怖かった。

 

You said you kill me(私を殺すとお前は言ったなぁ). Even if you know, who I really was(例え私が、本当は誰であったとしても)……」

「……My, brother(兄、さん)?」

 

 画面に映るヒロインの表情が、絶望に染まる。

 

 彼女たちに散々、人間の醜さを見せつけ、絶望させようとした怨敵。

 その首魁たるアダムが怪物の面を外せば、現れたのはメリーアンの兄、ダニー。

 

 死んだと思われていた兄。強引な新聞屋の勧誘に負けて一週間くらいとってしまうようなドジを踏んだりもしたその兄が、目の前で今優しさなど影も形も見当たらない姿で立っている。

 

「……」

 

 その姿を見つめるころせんせー。脳裏に浮かんだのは、誰の、どんな姿か。

 

 急展開は続く。突如ソニックニンジャに刃を向けるフーマ。刃を交える最中、娘ベネットが人質に取られていることを知る。

 メリーアンに仲間になるよう言う兄。そうすれば、ベネットを解放しようと、彼女に迫る。

 

You are a wretched man(貴方は最低よ)……, than no one of this world(この世界の誰よりも)!」

Really so(どうかな)? See and see him(奴を見ろ). Fuma(フーマ)! He betrayed a friend(奴はいとも簡単に、家族のため) easily for the family(友をも切り捨てた)!」

A()……,Adaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaam(アダアアアアアアアアアアアアアアアム)!!!!!!」

 

 絶叫する彼女の手を軽々しく掴む。私情に我を忘れるその行動は、文字通りニンジュツの間違った使い方だ。

 

Consequently(結果的に), Your behavior betrayed the mankind(人類を裏切ることに繋がるのだ).」

 

 まだ中盤だと言うのに、場面は目まぐるしく様変わりしていく。

 メリーアンの意識を失わせて担ぐアダムことダニー。それに気を取られた瞬間、フーマの刃がソニックニンジャの胸の中央を――!

 

「……ッ!」

 

 最初の方は何だかんだと話し合ったりする余裕のあった面々は、次第に画面の中にどんどん引き込まれていき。

 グアムに付いた頃には、小画面とはいえあまりのその映画の威力に、生も根も抜かれたような状態となっていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「いや面白かったー。ヒーローものだけど、すごく哲学っぽくて」

「カルマ君も言ってたけど、映像の撮影の仕方がすごくドキュメンタリーみたいな寄り方してたし!」

「二度見る事になったけど、あれなら飽きないねぇ」

『はぁい♪ 映画面白かったです』

 

 現在時刻は、夜の七時後半。

 椚ヶ丘から中央線で三つ先、結構有名な国立公園のある市の飛行場に、渚たちを乗せたヘリは着陸した。

 

 感想を言いあったり色々している間、前方でヘリを運転している、ガタイの良い黒服メガネの男性は、ちょっとだけ微笑ましく苦笑い。

 ころせんせーからすれば、以前から何度も話している、烏間の部下に違いないが、生徒たちにそのことは内緒となっていた。

 

「しかも最後の最後で、シャカさんがベネットちゃんを保護していたところが分かったり、ソニックニンジャが悪名を背負って、イーサンが記憶を失ったり……。

 あー、あそこで引かれると、続編めっちゃ気になるよね! 一年後か二年後か、続き待ち遠しい!」

「けどさぁ、ラスボスがヒロインの兄だったっていうのはベタベタかな? 原作通りなんだろうけど」

「うぇ? ああ、まあ、うん」

『ハリウッド名作映画一千本を分析して完結編の展開を予測できるけど、実行しますか?』

「いいよ、楽しくなくなるじゃん!」

「二人とも冷めてるなぁ」

 

 風情もへったくれもないことを言う一人と一台。

 と、苦笑いを浮かべた渚と茅野だったが。

 

 眼前で号泣するころせんせーには、流石にちょっと引いた。

 

「生き別れの兄と妹……! 何と過酷な運命でしょう、しかも前作までは気付いていなかったのに、ちょいの間健康食品販売屋の入れ違いがなければ、再会できていたでしょうに! さすればまた違った展開にも――」

 

「……かといってあれもどうなのか、良い大人が」

『グアムに到着してからと、成田に到着してから。それぞれ該当シーンが出た後、泣きっぱなしですね♪』

「「……」」

 

 取り出したメモに「ベタベタで泣く」と記入する渚。

 飛行機では使えなかった分、手元にあるそれを見てなんとなくホッとした表情を浮かべた。

 

「あはは……。じゃあ、私は吉良八先生を宥めてから帰るから。えっと……」

「あ、私、二人とも駅まで送っていくよー。ここの辺り、先一昨年ドラ――げふんげふん、結構遊びに来てたし」

「じゃ、お願いできる? 茅野さん」

「まっかせてー!」

「今日はありがと、ころせんせー。さよなら!」

「ニュルル……、はいさようなら。夜道ですので気を付けて……。あ、それと、後でスマホを確認しておいてください」

「「「?」」」

 

 頭を傾げながらも、三人はその場を後にする。

 

「ここって市は同じなんだけど、国立公園手前で降りられるように一つ駅が出来ていて……、ほら、あそこ! 大型の電気屋さんのすぐ手前のところ」

「あ、本当だ……」

「詳しいねぇ茅野ちゃん」

「昔、色々あってよく来てたから」

 

 大通り、信号機と照明とに照らされる夜道を、三人でぽつぽつ歩いている。

 

「はぁ……」

「? どしたの渚」

「人生初の体験だよ。ヘリに乗ったり飛行機で映画見たり、グアム行ったのに下りなくてそのまま引き返したりとか」

「そりゃぁねえ。後、やっぱりころせんせーって謎じゃない? 結局向こうでも、一時間も滞在しなかったし」

 

 カルマの言葉に、頷く二人。

 結局向こうに行く理由を尋ねても「確認です」の一つしか返って来なかった。

 空港で待機する渚たちには「危ないから」とあぐりが付き添っていたが、そんな状況もおよそ四十分ほどで終了。とんぼ返りするように、その足でまた飛行機に。

 

「律とか、せんせーのケータイに入って調べられそうなものだけど、そこのところどうなの?」

『はい♪ ですが残念ながら、それは無理でした』

「へ?」「どして?」

『私は現在、皆さんのスマートフォンに入り込んでいる状態から、学内にある本体サーバとクラウド上で通信をしているのですが……、その私並の通信量か、それ以上のデータがころせんせーのスマートフォンにてやり取りされているのが確認できました。

 また、暗号化措置が私に設定されたものよりも、上位権限であったため侵入は拒否されていたことも理由です』

「よ、よく分からないんだけど……」

『色々あって、不可能ってことです♪』

「……何というか、また謎が深まったというか」

 

 そもそも以前から「防衛省」がどうのこうのという話自体はしていたが、その「つながり」を実際に確認できたのは、律のことがある意味初めてであって。

 ああも露骨に「防衛省」と書かれたヘリに乗せられたのは、渚たちからすれば僥倖と言う他ない。

 

「……なんか知れば知るほど、打倒先生って目標が遠退いて行く気がするよ」

「あー……。あんまり暗くなるのも、ね?

 そ、そうだ、さっきせんせーがスマホがどうとか言ってたけど、律、どうなの?」

『――ころせんせーから、メールが一件届いていますね。BCCで三人同時送信のようですよ?』

「「「?」」」

 

 頭を傾げる三人に、律はメッセージを展開した。

 

『――明日の五時間目までに映画の感想を、英文で書いて提出してください、とのことです♪』

「「「別な意味で暗くなるよ!」ねぇ」」

 

 どうやらタダでグアムまで行った分、これくらいは安いもんだということらしかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「あはは……。きっと前に話してた、『前』の私とあの子のこととか、仁愛(ヽヽ)さんのこととかを思い出しちゃったんだと思うけど、どうどう」

「ニュルル……、申し訳ありませんねぇ」

「なんのこれしき。私と『死神』さんとの仲じゃないですか」

「一応戸籍は湖録となってるので、そちらに合わせて頂けると……」

「こーいうのは気分ですよ」

 

 ころせんせーの腕に寄り添いながら、生徒達が向かった駅とは別方向に歩く二人。どうやらタクシーを使うつもりらしい。

 

「あ、そういえばこの後、三村君の補修用のプリントを作らないといけませんでしたか……」

「でしたら、今日は泊まって行きます? 二人なら、多少楽でしょうし」

「是非!」

「あと映画のヒロインの胸の分も、おしおき(ヽヽヽヽ)しないといけませんし」

「にゅや!!?」

 

 そんなやり取りをする二人とは別に、所変わって椚ヶ丘中学。

 山の上、木に登ったまま三日月を見上げる少年が一人。

 

 白髪に赤いシャツを着用した、薄着の少年。

 

 そんな彼に、地面から「紫色をした」複数の触手が、マッハの速度で襲いかかる。

 

「――ッ」

 

 だが、少年は一歩たりとも動いていない。

 動かず、そして首をわずかに振るのみで、それらの攻撃を簡単に往なした。

 

 暗がりで原理こそわからないが、それはまさに、何某か「人ならざる」技術を用いた所業に違いない。

 

「どうだい? 目で追えたか」

 

 下方で触手の「生えている」トランクケースを片付ける男性。姿は見えないが、白い頭巾のようなものがちらほら影から覗く。

 彼の言葉に、木の上の少年は首を縦に振った。

 

「ならば良し。君なら()れる」

「兄さん、を?」

「そう、ある意味で君の兄を――”C”を殺せる。

 だがその前に、欠陥品(ヽヽヽ)でテストをする必要がある。念には念を入れ、完璧な計画を練るのが私の主義だからね――イトナ」

 

 さあ、あの月の落し前を付けに行こう。

 

 木から下りる少年、イトナ。

 そんな彼の背を叩き、前進を促す白装束。

 

 所変わった、状況も大きく違う二人を、欠けた月は平等に照らしていた。

 

 

 




イトナ編の後にインターバル数話入れる予定ですが、リクエストあればどうぞ。
詳しくは活動報告「インターバルリクエスト募集1」にて


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第20話:勝利の時間

書いてたら寝落ちした・・・ 体調不良いくない;


 

 

 

――6月15日 二人目の転校生を投入。

――WRIより推薦の、”C”に対する満を持しての本命である。

 

――事前の打ち合わせは不要。介添人の意向に従うべし。

 

 

「ヌルフ。国際研究機関からですか……」

「!?」

 

 ガタッ、と背後を振り返る烏間。防衛省の機密情報が入ったタブレット。そこで受け取った最重要メールを展開し読んでいたところ、当たり前のように吉良八の声が聞こえたのだから、そりゃびっくりもする。

 

 夕暮れの職員室、人影は彼一人だったはず。

 イリーナは早々に帰り、あぐりは会議室でテストの採点中。ころせんせーもコンビニに駄菓子を買いに行ったと思った矢先これである。

 

 勢い余って肘打ちを顔面に叩きこもうというモーションとなっていたが、それをころせんせーは軽く受け流した。

 

「こっちがびっくりしましたよ。東郷さんじゃないんですから」

「誰だ?」

「知り合いです。まあそれは良いとして」

  

 律さんに続き、正式な防衛省からの依頼ですか、ところせんせー。

 

「……言っておくが、我々のセクションからではない。もっと上の方だ」

「当たり前です、誰が顧問してると思ってるんですか。……いやしかし『6月』で『転校生』ですが……」

「どうした?」

「少々、嫌な思い出がありまして。あと、なんとなく顔を合わせたくない相手と鉢合わせそうな予感が……」

 

 訳が分からんとばかりに肩を竦める烏間。

 画面に表示されたそれに、「了解」と返信を返す。

 

「そしてその確認メールを、私ではなく烏間さんに直に渡すあたり、軽くしょんぼりです……」

「一応、お前は外部の人間だからな。……まあ、それなりに悪意もあるだろうが」

 

 やれやれとばかりに頭を左右に振る烏間に、ころせんせーは「タコせんせーハンカチ」を取り出して、目元をぽんぽんと叩いて涙を拭っていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 来る6月15日。

 雨。

 

「ころせんせー、そのタオル……」

「例によって湿気です。さて、おはようございます皆さん。烏間先生から転校生が来る事は、連絡が回ってるかと思います」

「あー、うん……。ぶっちゃけ、今度は何?」

「暗殺ビッチにバーチャル美少女砲台と来て……」

 

 廊下から「誰が暗殺ビッチよ!」という叫び声と「まあまあ」と後ろから押さえる女性二名の声が聞こえたがさておき。

 

「仲良くできるといーよねー、木村ちゃん」

「え!? あ、うん、そうだね」

「流れから行くと、次は宇宙人か」

「いや、魔界からの刺客かも知れないわ! 脳みそを噛むような! 脳 み そ を 噛 む よ う な !」

「不破さん、それ以上いけない!」「その手のパペットは何!?」

「渚たち、律儀にツッコむよなぁ」

「不破ちゃん、よくあの距離から竹林ちゃんに叫ぶよねー」

「譲れない戦いがそこにある」竹林の静かな一言に、ちんぷんかんぷんな顔をする木村。

 

「まあともかく。実は先生もそこまで詳しくは聞かされてませんが、今日来る彼はカテゴリー上、一応殺し屋ということのようです」

「ストレートにいったな!」

 

 前原のツッコミが的を射る。イリーナに関しては偽装あり、律はそもそも固定砲台でもメインは人工知能。

 それに引き換え、殺し屋のクラスメイトという字面はぱっと見て、酷くシンプルなものであった。

 

「いずれにせよ、皆さんに仲間が増えることは、学園的にはともかく嬉しい事です。

 仲良くしてあげましょう」

 

 舌打ちを打つ音など教室の後方からちらほらあったりもするが、概ね教室の声はころせんせーのそれに答えていた。

 

「あ、そうだころせんせー」

「何ですか、渚君」

「律の時は、アドバイザーとか審判で対応したけれど、今度の転校生はどうするの?」

 

 メモ帳を取り出して確認を取る渚。確かに律程ではないだろうが、本職ともなれば彼の加入は「ころせんせー」不利に傾く。

 だが、彼は当たり前のように微笑んだ。

 

「『暗殺教室』に関しては、今日来る彼も一応は含めて行います」

 

 どうやら彼の中で、転校生の扱いはイリーナと同じか、それ以下というレベルであるようだ。

 と、原が振り返り律に話を聞く。

 

「お律っちゃん、何か聞いてないの? 同じ転校生として」

「残念ながら。ただ、一つだけ聞いています。元々その転校生は、私とほぼ同じ時期に転校してくる予定だったと」

「へぇ」

 

 その言葉に人知れず、ほんの少し顔を顰めるころせんせー。

 と、あぐりが扉を引きながら、ちょっと乱れた髪を手直ししつつ入って来た。

 

「おやおや。イリーナ先生相手にご苦労様です」

「あはは……。みんな、おはよう」

「「「「「おはようございます」」」」」

 

 生徒たちの挨拶も程ほどに、ころせんせーの方に小走りで駆け寄るあぐり。

 

「吉良八先生、タオルもうぐしょぐしょになってますよ、ほら……」

(((((一体全体どんな髪型してんだよ、それ!)))))

 

 アフロのように膨張する膨らみ方をする髪型は、明らかに質量保存の法則とか無視しまくってる。

 

 ころせんせーの頭のタオルをとりながら、さっと自分のジャケットの懐から別なタオルを取り出すあぐり。

 対するころせんせーはと言えば、それをやられながらアカデミックドレスの内側から取り出した櫛やらブラシやら何やら小道具を駆使して、彼女の髪をいじる、いじる。

 

「(何だこの光景)」

「(お互いでお互いの世話してるよ)」

(ころせんせー的には手入れかな)

 

 絵面があまりにシュールすぎるところだが、実際のところいちゃついているだけである。

 それを見て、思わず茅野が一言。

 

「ころせんせーたちってさ。前から思ってたけど付きあってるの?」

「にゃ?」「ニュル? いえ、今の所そういう話はありませんねぇ」

(((((説得力ねーよ!)))))

「付きあってないとは言うけど、絶対友達以上何とやらって奴でしょ」

「ニュ?」

「そんなアツアツなの見せつけられて、ネタにするに決まってんじゃん!」

「お、俺はノーコメントかなぁ」磯貝の一言に片岡も似たような笑い。

「っていうか、あんなだらしない顔を間近で見せ付けられ続けたら、普通だったらぶん殴ってる」

「速水さん、意見が容赦ない……」

「雪村先生もー、ころせんせーとの距離感は近いんじゃないかなー?」

「そうよね。っていうか普通、髪まで触らせないでしょ、憎からず思っても居ない相手に」

「マジで!?」岡島の絶叫に前原が訳知り顔で頷く。

 

「あ、あの、みんな……?」

「あ! 雪村先生、さり気なく背中触ってる!」

「後ろに回るんだから、触るよ! っていうより、どうしたのみんな!?」

 

 段々と教室の空気がおかしな方向に振れはじめたのを、あぐりは察してころせんせーの背中へ回る。

 対するころせんせーはと言えば、例によって不気味な笑いをヌルフフフと上げながら、さてどうしたものかと思案していた。

 

「いやはや、本当仲が良いですよねぇ」

「はい♪ 私が転校してきてから、ころせんせーたちの接触回数は実に生徒たちのそれの三倍! もう事実はあったことにしても良いのでは?」

「風表被害はきんし!」茅野、スタンドアップ。

「渚、俺こういう空気、どしたらいいかわかんねー」

「杉野、えっと……」

 

 渚も渚で同様に、微妙な表情だ。こういうのには慣れてない。

 

 だが、皆が皆、場の空気に飲まれていて一瞬、その違和感に気付かなかった。

 ぐりん、と振り返り、彼等の視線は教室の入り口の方へ。

 

「ん、どうしましたか?」

「「「「「って、アンタ誰!?」」」」」

 

 実際のところは生徒たちの話の途中の時点で、既に教室に足を踏み入れ、「いやはや、本当仲が~」なる台詞を口走った男。

 身長は高い。3-Eの彼等より、烏間やころせんせーに近い。

 

 だが、目を見張るのはその格好。全身、白ずくめ。

 和服装備のそれは、明らかに場で浮いており、顔まで覆っている頭巾もまた装着者の素姓を被い隠す。

 

 唐突に手先から、ぽんっ! と鳩を呼び出して、彼はにっと笑った(声音と僅かに見える目元でそう判断できた)。

 

「私は、今日来る転校生の保護者さ。お取り込み中だったようなので、お先に入らせてもらった。

 ……まあ白いし、シロとでも呼んでくれ」

 

「いきなり白装束で、手品やられたらビビるよね」

「うん。ころせんせーでもなければ――」

 

 見れば、確かにころせんせーは微動だに動いていなかった。

 動いてはいなかったが……、シロを名乗る彼を見る目は、どこか、こう。

 

「……ドーモ、初めましてシロさん。ころせんせーです。

 それで、肝心の転校生は?」

 

 どこかこう、普段のそれより獰猛と言うか、威圧的というか。

 わずかにあぐりを背中に庇いながら、彼は頭巾の奥の目を見据える。

 

 あぐりの方は、「あれ、ひょっとして……?」と口が呟いているような、呟いていないような。

 

「ドーモ、ころせんせー。シロです。

 彼は性格とかが特殊な子でねぇ。私が居ないと、コンビニでまともに買物も出来ないようだから、私から直に紹介させてもらおうと思う。

 あ、これお土産の竹羊羹」

「それはどうも」

 

 わずかに口元を緩めつつ、ころせんせーは竹筒に入った羊羹を受け取った。

 もっとも、このやり取りの中で渚は一つ、気付いた事があった。

 

(ころせんせーが……、あの笑いを浮かべてない?)

 

 笑う、というのは例の不気味なヌルフフフである。シロが登場してから、あぐりを背中に庇いつつ、彼はずっと微笑んだまま。だが、微笑んだまま、というだけだ。それ以上の感情表現は、表面上は見て取れない。

 それが指し示す意味とは。

 

 少なくとも油断は出来ないと思い直し、渚は表情を引き締めた。

 

 と、そんなタイミングでシロの視線と渚の視線とが、一瞬交叉する。

 彼は彼で渚の方を見て、それからあぐりを見た。

 

「ほう。ほう……? 嗚呼なるほど、そうなったのか」

「何か?」

「いえいえ。皆良い子そうですねぇ。これなら、あの子の拗らせっぷりでも馴染めそうだ。

 さて、席はあの……? えっと、んん? 電子広告?」

「『律です♪』」

「あ、ああ……。彼女の隣で合ってますよね。

 では、紹介しましょう――」

 

 首肯したころせんせーのそれに応じて、シロは彼の名前を呼ぶ。

 

 

 

 

 

「――現れろ、我等がイトナ! 人類最後の希望、I☆TO☆NA!」

「「「「「へ?」」」」」

 

 

 

 

 生徒たちに困惑走る。

 そして次の瞬間、席の真後ろの壁が、粉々に「蹴り砕かれた」。

 

「……俺こそ、勇者」

 

 何を言ってるんだ君は。

 粉々に砕け、自ら作り出したその道を、一歩一歩、悠然と歩き進む。

 

 身長の小さな少年。白い髪に血走った目。首には赤いマフラーを巻いており、手には指貫、腰は冗談みたいに大きなバックル(タイフーンみたいなレンズまで付いている)。

 

 席に座りながら、彼は呟く。

 

「俺は勝った。己の道を遮る教室の壁に。強さとは証明。そして道は己で作り出すもの。

 すなわち英雄。俺こそ勇者。それで良い……、それだけで良い……」

「「「「「ドアから入れ!」」」」」

 

 大変にごもっとも。

 クラス全体は、「なんかまーた面倒臭いの来やがった!!」に固定されていた。

 

「どうです、私の苦労が分かると言うものじゃないでしょうか? 色々な意味(ヽヽヽヽヽ)で。

 ねぇ、ころせんせー」

「……貴方、隠す気実はさらさらないんじゃないですか?」

「さて、何のことやら」

 

 何処吹く風という風に吹かすシロに対して、ころせんせーは軽く頭を抱えていた。

 

「……どうして『ここまで』捩れた」

「……(なんか、『聞いていた』のと大分違うみたいね)」

 

 さらっと耳打ちするあぐりに、彼はどうしたものかと頭を悩ませる。

 

「堀部イトナだ。名前で呼んであげてください」

 

 では仕事があるのでまた後で。そう言ってシロは、一旦教室から立ち去った。

 

(白ずくめの保護者と話の読めない転校生)

(……今まで以上に一波乱ありそうだ、というかその変なポージング何!?)

 

 モノローグをやるどころではない渚。席に着席しながら初代ライダーっぽいポーズを取るイトナに、突っ込みが追いついていなかった。

 茅野は半ば試合放棄。当初はツッコミにする予定だったらしい不破に至っては、なぜか激写する有様。

 

 注目こそ色々な意味で集めてはいるが、皆一様に一歩引いている。

 

 そんな空気をシャイニングウィザードで粉々にする生徒が、教室の後ろには常に控えているのだが。

 

「ねぇイトナ君。ちょっと気になったんだけどさ。雨降ってるのに、何で君、塗れてないわけ?」

「勇者は風邪を引かない」

 

 説明になっていない。がそれだけ言って充分と考えているのか、無言で立ち上がり、カルマの顔を覗きこむ。

 

「お前は……たぶん、戦闘力で一番強い。このクラスの中で。

 でも安心しろ――人間じゃ『勇者』には勝てない。だから俺はお前と戦わない」

「……!!」

 

 頭に乗せられた手を払うカルマ。珍しくそこには動揺が見え隠れしている。

 

「俺が倒すべきは、俺より強いもの。怪物か、あるいは”勇者”か」

 

 教室の前の方に歩いていき、ころせんせーを見上げるイトナ。

 あぐりも思わず気圧され、ころせんせーから数歩下がる。

 

「この教室では、ころせんせー、アンタがそれだ」

「……勇者の含意が広すぎて反応が難しいですが、さてイトナ君?

 君の言う強い弱いとは、ケンカのことですか? それとも別な何かでしょうか?」

「”勇者”は、何があっても負けない。不条理すら打ち砕く」

 

 確固たる信念を持って放たれる言葉。思春期の子供らしい、ちょっと夢と現実とが混同してるというか、デリケートな自律神経の成長の症状的病気の気はあるものの、総じてころせんせーは確信した。

 

 嗚呼、この子の本質が変わったりした訳ではないのだと。

 

「例えそれが――系譜()を分けた兄であったとしても」

「「「「「!」」」」」

 

 そして続く発言もまた、覚えのある言葉であって。同時に今の彼の状態を指し示す一言でもあり。

 その言わんとしているニュアンスは、生徒達にまるで伝わらないことも理解もしていて。

 窓で見ていた烏間やイリーナの表情も、また何とも言えない衝撃に襲われているようだ。

 

「兄より優れた弟なぞ存在しねぇ!」

「不破さん、それ先生の台詞……」

 

 どうしたものですかねぇ、と彼は羊羹を一口かじり、そのままあぐりに投げ渡す。

 ナイスキャッチであった。

 

「暗殺教室とか言ったな。なら小細工は要らない。

 兄よ。お前を倒して俺は次のステージへ向かう。時は放課後、この教室で待てり」

 

 バンッ! と力強く、輪ゴムで巻かれた画用紙がおかれる。「はたし状」と辞書を引いていない感ありありの、乱暴な筆致のそれを教卓に置き、彼は部屋の入り口へと向かう(自分の破壊した方へ行かないあたり、何のために破壊して入ってきたと言われても仕方ない。どちらにしても破壊してる時点でアレだが)。

 

「勝って俺の強さを証明する。そうすれば俺は兄さんより英雄らしいということだ」

「あ、イトナ君? どこ行くの?」

 

 思考停止からわずかに回復したあぐりの確認に「大」と一言だけ答えるイトナ。

 

(一応、授業受けるつもりはあるんだ)

 

 意外に思いはしたが、すぐさまメモ帳を取り出し「口は悪いけど案外真面目?」と記入する渚。

 

「ちょっとせんせー、兄弟ってどういうこと!」「てか、似てなさすぎ」「年離れすぎだろ!」

 

 が、イトナが居なくなった次の瞬間に爆発した教室には、思わず両手のものを落してまで耳と目を塞いだ。

 何故か三村のツッコミに、あぐりと茅野が同時に左の眉頭をぴくりと動かしたりもしたが、幸運にもころせんせー以外にその類似に気付いた者は居なかった。

 

「いえ、いえいえいえ全く心当たりありません『本当の兄弟』なんて!

 先生、生まれはともかく育ちはモーターシティの暗黒街一人っ子ですか……、あ、しまった」

 

 ついついポロっと、話すつもりじゃなったことが口から零れたころせんせー。

 

 数人の生徒が「モータ……?」と頭をかしげ、意味の分かったカルマや中村は半分は意外そうに、半分は本気かと疑うような目でころせんせーを見た。

 

「別に良いじゃないですか、先生の話は。

 先生はタコである。名前はまだ無かった。

 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でヌルヌル泣いていた事だけは記憶している。先生はそこで始めて自分以外の人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは私刑という人間中で一等獰悪どうあくな行為であったそうだ。この私刑というのに時々先生たちを捕つかまえてボロ雑巾にするという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段――」

「それ、漱石の吾猫」

「速水さん読んでるの!?」

「少しくらいなら。……っていうか、よく即興で出てくると思う、ころせんせー」

「いえいえ、まあ、人生そんなものですよ。ヌルフフフフフ」

 

 意外なところでの話題の繋がりに驚く神崎と、よーく見れば他にも本の話をしたそうな速水。

 もっとも、だからといってそれ以上話が展開できるようなら、恋愛相談を律にしていない速水であった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「本当にあのイトナっていうの、アイツの弟なわけ?」

「さあな。だが……、弟と呼ばれうるものに関しては、心当たりがなくはない」

「どういうこと?」

「国家機密だ」

 

 ぶーぶー文句を垂れるイリーナを押しのけ、烏間は、去り際に貰ったシロのラインへ、ハンバーガーを齧りながらコメントを飛ばす。

 

 向こうからのレスポンスは「またイトナの壊した壁が――」だの「イトナが金を払わないで駄菓子を――」だの「いくら子供を助けるためとはいえ、トラック爆破する必要なかったろイトナ――」等など、保護者の苦労というか愚痴をそのまま直接打ち込んでいるものばかりだったが、しかし烏間の質問にもちゃんと答える。

 

 ――弟という意味では、ある意味間違いではないですよ。

 ――「組織」の中でもあの子は機密事項。末端の烏間さんが知らされていないのも無理はない。

 

 ――言葉の真偽が疑わしいなら、放課後を待ってください。誰の目にも明らかとなるでしょう。

 

 そしてそれとは別に、あぐりは何となく落ち込んでた。

 

「……はぁ」

「あぐり元気ないじゃない。どうしたの?」

「うう~、イリーナ先生ぃ……」

「何よ、どーんとお姉さんに話してみなさ……、あれ、お姉さ……、おね……?」

「イリーナ先生、このままバックドロップして構いませんか?」

「止めなさいよ、アンタ私を烏間とかアイツと一緒にすんの止めなさいよね!」

 

 あはは、ときゃっきゃうふふする二人。表面上はいつもの変わりないが、気を緩めるとどこか遠い目をしているあぐり。そして決まって教室の方を振り返り、ぼそりと呟く。

 

「……(死神さん、大丈夫かしら)」

 

 唯一「正解」を知っているだけあって、純粋にころせんせーの様子を心配していた。

 

 只今昼食の時間。ころせんせーは「『合わせる』必要が少しあるので」と言って職員室を抜けて教室へ戻っていった。結果的にあぐりは、イリーナや烏間と昼食をとっている。

 

「何よ、アンタら本当にそういう関係……?」

「にゃ!? え、えっと、うー、い、一応は健全なお付き合いですよ」

「雌の顔して恍惚としたような表情してたくせして、よくそんな白々しく言えるわね……」

「あ、あはは……。でも付き合ってないのは本当ですよ? 今、それどころじゃないですし」

「スマホのロック画面、確か上半身裸のあの男の寝顔写真じゃなかった? アンタ」

「何でイリーナ先生それ知ってるんですか!?」

「ちょっとマジで!?」

 

 カマかけに言ってみたら図星だったらしく、顔を真っ赤にしたあぐりの言葉に逆に目ん玉を飛び出させてツッコミを入れるイリーナだった。

 

 

 

 一方教室の方では。

 

「すげー勢いで甘いもの喰ってるなぁ」

「くぬどんバタービスケット(※激甘)食べてるし」

「あれ昼食で凭れないのか? ……いやでも、甘党なところはころせんせーと一緒か」

 

 山のように積まれた駄菓子やらスナック菓子やらをたいらげるイトナを見つつ、前原、片岡、磯貝は顔を見合わせる。彼等三人に限らず、割と大人しく授業を受けていたイトナところせんせーとを比較していた。

 

「表情が読み辛いところとかもそうだな」

「身長とか大違いだけどね」

「でも、身体能力とかが人間離れしているっぽいのは確定でいいんじゃない?」

「いくらころせんせーでも、壁は壊せないんじゃない?」

「イトナちゃんー、マシュマロ食べるー?」

「献上品感謝する」

「倉橋、完全に動物扱いだな」

「あ、あはは……」

 

 ペンギンに魚を食べさせるように、倉橋がマシュマロ片手に突貫をかける。結果として生まれた光景は、動物園の飼育員のようなそれだった。

 それを見つつ、渚は倉橋のメモページを作り「案外手慣れてる?」と書いた。

 

「兄弟疑惑で皆、やたら私と彼とを比較しますねぇ……。

 仕方ないと言えば仕方ないのですがムズムズしますねぇ」

 

 そんなことを言いながら、気分直しにとグラビアアイドルの写った某青年誌を取り出し開くころせんせー。

 袋とじに手をかけた瞬間、教室がどよめく。

 

「「「「「巨乳好きまで同じじゃねーか!」」」」」

 

 マシュマロを食べ終わった後、ころせんせー同様丁寧に袋とじを剥がすイトナ。そのモーションはどちらも必要最小限の動作で賄われており、結果似通う動きとなっている。

 

「これは……、俄然信憑性が増したぞ。カッターナイフまで準備して、綺麗に切断して!」

「そ、そうかな岡島君……」

「そうだ渚! 巨乳好きは皆兄弟だッ!」

「三兄弟?!」

 

 ばっと同じ週刊誌を取り出す岡島に、渚は軽く白目を向く。

 

「渚だって好きだろ! 第一男子なら皆好きだ。人類皆兄弟だ! おっぱいに始まりおっぱいに終わる!」

「岡島君何ってるか意味わかんないよ……、か、茅野? どうしたの?」

「……なんでもないよー?」

 

 一瞬虫を見るような目で岡島と渚を見比べた後、いつもの笑顔を取り戻す彼女。

 何か内側に溜め込んでいそうで怖い。

 

 「俺のも切ってくれ!」と叫びながらイトナの席へと走る岡島に「勇者は弱者の頼みは聞くもの」と、案外あっさり引き受けるイトナ。

 

 妙に器用な手先で週刊誌を開き、肝心の袋とじのページを出すと、上下にまず切れ込みを入れる。

 次にページの一度開き、輪のような状態に。そのまま内部のページが糊で癒着していないことを確認してから、横に倒し、すすす、と切れ込みを入れて行く。

 前方に岡島が居たのを「前から来るぞ、気を付けろ」と言ってどかし、すぱっと綺麗に切除。

 

 ぱらぱらと捲った、綺麗に切断された袋とじは、軽く職人芸である。

 

「やっべー! イトナすげー!」

「これくらい猿でも出来る。……ただ、あの兄にはまだ勝てそうにないな」

「え?」

 

 ちなみにころせんせーは、イトナがやったことを「素手」「指先」で完全再現。速度も確認作業をほとんど残さず、超高速である。

 

「絶対下してやる」

「お、おう、頑張れよ」

 

 謎のやる気に燃えるイトナに、岡島は一言言い残して席に戻った。

 

「とっつき辛そうだけど、案外性格は普通かな?」

「そこもころせんせーっぽいね。

 ……でも、もし本当に兄弟だとしたら、なんでころせんせーは知らないって言うんだろ」

「うーん、きっとこうよ」

 

 唐突に不破が、渚たちの会話に乱闘を仕掛けた。

 

 

 

 

――米国某所、大豪邸にて。

 銃を持った男達が、パーティー会場に乱入。乱射。

 警護の面々が立ち向かうが、全体としては防戦一方。

 

『ファーザー! シンジケートがすぐ近くまで迫ってます!』

『ご苦労だった。もう楽にしろ。……心臓にまで撃たれて、ここまでよく頑張った』

『あ、ありがと……う……、ご―、』

 

 倒れ伏すスーツ姿の部下を見て、髭面の、なんだか簡単な点と線で書かれた顔をしたマフィアっぽいのが振り返る。

 

『止むをえん。子供たちよ、お前らだけでも逃げろ。シロ、こいつらのことを頼むぞ』

『ハッ』

『状況によって、こちらから連絡を入れる。ペースメイカーが止まった場合そちらに連絡が回るだろう』

 

 深々と頭を下げるシロに、マフィアの首領は満足そうに頷いた。

 と、その手がころせんせーっぽい少年と、イトナっぽい幼児の頭を撫でる。

 

『さあ先に行け、子供たちよ! ここのゲートを潜れば生き延びられる!』

『だぅ?』『でも、父上!』

 

 ――パーンッ!

 

『ぐわ!?』

『父上!』『だッ!』

『か、構うな行け! シロ頼むぞ!』

『仰せのままに』

 

 そしてころせんせーたちを抱えて、非情脱出口から逃走を図るシロ。

 だがしかし、その出入り口では砲門を構えた男達が立ち塞がる。

 

『シロさん、弟の事を頼みます』

『ころ坊ちゃん、いえいえ、何をおっしゃいます!』

『いいから! 走れ!』

 

 飛び蹴りを決めて先回りしていた男の顎を蹴り飛ばすころせんせー。

 そのまま銃を奪い、某宇宙戦争映画の緑色の小人宇宙人のような立ち回りを演じる。

 

 頭を振ってその場から逃げるシロとイトナに、叫ぶころせんせー。

 

『イトナ、強く生きるんだー!』

 

 

 

 

 

「で結局倒れて掴まったころせんせーは、記憶を失ったまま相手のシンジケートで訓練を積んで、イトナ君はマフィアの仇たるシンジケートを恨んで、再会を果たすのよ!

 そして始まる宿命の戦い……!」

「お、おう……」

「う、うん……、で、どうして二人とも身体能力がすごいの?」

「へ? そ、それはまあ……、サイボーグ?」

「肝心なところの説明が甘い!」「キャラ設定の掘り下げが甘いよ不破さん! もっとプロット良く練って――」

「えー? リアルを追い求めるばっかがストーリーじゃないよぉアメコミのヒーローものとか」

 

 原と茅野が、唸って反論する不破に色々ダメ出しなんだか突っ込みなんだかわからないことを言い続けたりする中、渚はふとイトナの方を見る。

 

「……へぇ」

 

 一瞬イトナは渚の方を見て、関心したようにニヤリとし、再び視線を週刊誌の方に落した。

 

(兄弟のことを語るなら……、きっと過去についても必ず触れる)

(ころせんせーが頑なに語らない過去について、何かわかるかもしれない)

 

(暗殺者転校生、堀部イトナ。彼は僕等に何を見せてくれるんだろう)

 

 わずかな期待と不安とを胸に秘めながら、渚は勢い良く惣菜パンを素早く口に納めた。

 

 

 




※アンケートは来週金曜あたりまでにしようかと思います


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第21話:勝利の時間・2時間目

一部伏線の設定開示と新しい謎の提示?


「な、何とか間に合った……」

「ヌルフ? シロさん如何いたしました」

「いやここに来る途中、イトナが起した問題の対応に負われていてね。……何も爆発させることはなかったろ、イトナ」

(((((爆発!?)))))

「ちゃんと空中に投げた(ヽヽヽ)

「そう言う問題じゃなくてだな……。まあいい」

 

 少々慌てて放課後に再度やって来たシロ。こころなしか朝より頭巾がずれている気がしないでもないが、さもありなん、忙しいのだろう。主にイトナのために。

 詳細はあまり開かされてはいないが、保護者、介添人を名乗るだけあって、色々問題をおこしていそうな彼の後始末をしているらしい。

 

 ともかく、机で簡単なリングを作り、教室中央にスペースを確保。

 勿体付けたように、独特なポーズをとってから、ブレザーを投げるイトナ。

 

 赤いマフラーが靡く。関節のプロテクターが目立つ。

 

 そして指抜きグローブが妙に格好良く見えるのは、なかなかにファンキーな出で立ちだからだろうか。

 

「……格好もそうだけど、何でわざわざリング?」

「まるで試合だが、教室内でやるという点に意味があるのだろう。……ここまで事前準備してきた相手は初めてだな」

 

 イリーナと烏間もちゃっかりその場についている。リングの外側から二人の様子を伺って、色々と話しあって入るが、結局の所相手の意図がつかめていないらしい。

 

「加えて相手の実力にもよるが、こと”戦闘”という意味では奴は少々弱い」

「どういうこと?」

 

「ただの戦い方じゃ飽きてるでしょ、ころせんせー。ここは一つルールを決めないかい?

 リングの外に足がついたら、その時点で敗北。ちゃんと『13回』攻撃を受けてもらうけど、どうかな?」

 

(あの保護者、ころせんせーのHPを何で知って……? それに、このルールは――)

「何だそりゃ。負けたって誰が守るんだそんなルール」

「いや、杉野。皆の前で決めたルールを破れば先生としての信用が落ちる。

 ころせんせーには意外と効くよ、こういう縛りは」

 

 カルマの言葉に、渚も同様。そしてまた、シロについての疑念が深まる。

 

 明らかに、明らかにころせんせーについて知っている情報が多い。

 それはすなわち、ころせんせーの過去に関わる「誰か」なのではないかと、彼に推測させるくらいに。

 

「良いでしょう。そのルール、受けますよ? 但しイトナ君。観客に危害を加えた場合も負けですよ?」

「わかった」

 

 首肯するイトナ。

 と、シロはイトナの後ろの方の机に腰を下ろす。偉そうに両手を組んで足を組んで。

 

「あー、ころせんせー。セコンドくらいは認めてくれ。何かと後が怖いのでね」

「ええ。直接介入しない範囲ででしたら――」

「なら、私もセコンドに入ります」

「ん?」「ニュル?」

 

 ころせんせーが背後を振り返れば、その位置にはちゃっかりあぐりが座る。どうしてか上から白衣を纏い、その表情は真剣である。

 

「雪村先生?」「へぇ、セコンド入りねぇ」

「セコンドなら声を掛けるくらい、大丈夫ですよね? 『シロさん』」

「……あ、ええ、そうだな」

 

 いまいち何故わざわざ確認をとるのか理解できてない渚たち。それを置いて、シロはあぐりの質問に答えてから、咳払い。

 一方イトナはといえば、彼女をじっと注視してから、ころせんせーに向かい一言。

 

「地味だが良い趣味してる」

「ヌルフフフ。それはどうも」

 

 さっと反射的に胸元を隠すあぐり。これにはクラス中微妙な笑いを浮かべた。

 

「では、合図で始めようか」

 

 全員が固唾を呑んで見守る中、イトナはナイフを手に取り。ふっと自分の上方に投げる。

 

「暗殺――」

 

 シロの手が持ち上がり、周囲の視線が――ころせんせーやあぐりを除いた視線が、その手に集中する。

 

「――開始!」

 

 

 

 

――――ドゥン!

 

 

 

 

 一発、被弾した音が鳴る。機械の構造上、チョーカーから鳴る音は一種類。

 

(僕等の目は、只一箇所に釘付けになった)

(訓練ナイフを構え、たぶん律以外「初めて」防御姿勢に入ったころせんせーにではなく)

 

「……準備はともかく、案外上手くはいきませんねぇ」

「そうか」

 

 イトナは右手の指を突き出して、ころせんせーの方へ向けている。

 それだけで攻撃が通ったのには理由がある。

 

「やはり、『今回も』こう来ましたか」

 

 イトナの――その頭部から、真っ白な、数本の「触手」としか呼べない何かが生えていたからだ。

 

 その触手の一本が、訓練ナイフを持ち、ころせんせーに斬りかかった。

 眼では追えていたが身体が反応しきれないころせんせー。結果的に胴体への一撃は免れたが、自分の左腕に攻撃一発。繰り出される二撃目は、ナイフでなんとか凌ぎきった。

 

 後で律から解説されることになるその状況を、生徒達は認識できていない。

 

 ころせんせーの元を離れる触手。

 それらの動きは無駄なく周囲を伺い、うねうね蠢いたりはしていない。完全に統率されている、「身体」の動作だった。

 

「イトナ君の髪……、何だ? 触手!?」

「……そーゆーことね。あれ意味わかんないけど、そりゃ雨の中濡れないわけだわ」

 

 俊敏に動く触手を見て、自分の疑問の回答を得るカルマ。おそらくあの機械制御でもされてるように、緻密に動く触手で全部弾いて来たのだろう。

 

「……そのアプローチは『色々』駄目だと、何故まだ分かっていないんだ、君は」

 

 渚がびくり、ところせんせーの方を見る。

 彼の表情は、見えない。いや見えるのだが、あまりに怖くて頭が「なかなか」認識しない。

 

「――その『触手』は、そうやって使うものじゃないと!」

 

 眉間に皺を止せ、睨み付ける眼光からは赤い光でも出ているような錯覚すら覚える。

 ころせんせーは心底頭に来ているらしかった。

 

「君だってそうだろう。そうでもしなければ、アレ(ヽヽ)とは渡り合えない」

 

 対するシロは、睨まれこそすれ怯む事もない。

 ころせんせーの視線を真正面から受け、逆にそのまま見つめ返すばかり。

 

「だがこの可能性について、最初から気付いていたような部分は褒めるべきかな?

 両親も違う。育ちも違う。人種も、環境とて大きく違う。

 だがこの子は、間違いなく君と()の弟だ」

 

 ――しかし、怖い顔をするねぇ「二人とも」。

 

 シロのその言葉に違和感を覚え、渚はころせんせーの後ろを見る。

 

 あぐりだ。両手の拳を握り、膝の上に置き、今にも何か大声で怒鳴りそうな、そんな剣幕である。

 かなり珍しい表情だと言えた。 

 

「……どうやらこの場で、私はイトナ君に『絶対』勝利しなくてはならないようだ」

「無理だよ。彼は『君等』から得られたデータを元に、完全制御機構を用いている。

 それが何を意味するかは――わかるね?」

「何? ――にゅやッ!?」

 

 突如ポーズを決めた後、ベルトのバックルを両手で叩くイトナ。

 と同時に、バックルの中央のレンズから紫の光が放たれる。

 

「プレジャーフラッシュ!」

 

 その光を受けると、たちまちころせんせーは「動きが遅く」なった。

 

「せっかくだから、皆にも教えてあげなさい、イトナ」

「特定の周波数の光を浴びると、兄さんの体の『ある器官』が周期的にダイラタント挙動を起し、全身の動作が著しく遅れる」

 

 反射的にメモをする渚であったが、しかしその表情は優れない。

 

「完成品に遠く及ばなかった君だが、実践でこのバックルも充分効果を発揮できることがわかった。近々、防衛省側にも提供するとしよう」

 

 何か呟きつつ、スマホにメモを取るシロ。生徒達にその言っている意味はわからないが、状況が追い詰められていることくらいは理解できる。

 文字通り目にも止まらぬ速度で、イトナの触手が繰り出される。

 

「全部知ってるんだ。兄さん『たち』の弱点は――」

 

 何度か銃撃音が響く。煙が立つ直前、それこそ残像が残る早さで触手の猛攻を避けきったころせんせーだったが、それでも流石に、この手数は避けきれまい。

 

「やったか!?」「いや……、上だ」

 

 村松と寺坂のやりとりの通り、視界が晴れた瞬間、その場にはインバネスのみが落ちている。

 上方を見れば、天井にどうやってるのかさっぱり分からないが、張り付いて苦い顔をしているころせんせー。ワイシャツ姿が珍しい。真下から見上げる律本体も、息を切らす彼に心底意外そうな顔をしていた。

 

「上手くかわしたな。でも、兄さんにとって『これ』が何なのか、俺も本能的にわかる」

 

 そう言いながらナイフをくるくる回し、もう一本取り出して投げるイトナ。

 それをかわすころせんせーだが、わずかに、普段よりも動作が遅く見える。

 

「これは『毒』のようなものだ。ダメージを受けた直後、一般人は別にして俺達はかなり体力を持っていかれる。

 よってスピードは普段より低下!」

 

 ――ドゥン、ドゥゥンッ!

 

「加えて俺のさっきの連続攻撃。あれを避ける際にリミッターを外したはずだが、それもまた体力を大きく持って行かれる要因のはずだ」

 

 余裕を持って生徒達と立ち回りを演じていたころせんせーが、嗚呼、どうしたことか。

 

 攻撃の蓄積率が上がれば上がる程、ころせんせーの身体能力は落ちる、らしい。

 

 渚は、今までの疑問に一つ回答を得ることが出来たものの、しかしやはり表情は、そんなことよりころせんせーが防戦一方という事実に集約されていた。

 

「この時点で、シロの計算が正しければ能力は互角。加えて俺達のスペックは、精神状態に大きく左右される」

 

 ころせんせーが「テンパるのが意外と早い」がここに生きる。

 動揺した直後の場合、普段より能力が落ちていたのだ。

 

「”奴”を相手にするためにはより緻密に計算しなければならないが、俺でも通じることが証明された」

 

「おいおい」「これマジで勝っちゃうんじゃないの?」

 

 現時点でどちらが優勢か。第三者視点で見てもそれは明らか。

 確かにこれなら、勇者、英雄を自称する理由もわかる。能力的にはむしろ怪人の域だが、それを「完全に制御している」ように動かしているならば、話が違ってくる。

 

 繰り返して語る何かについては理解できなくとも、そのスペックは尋常ならざる。

 

「イトナ、トルネード」

「プレジャーフラッシュ!」

 

 加えて保護者のアドバイスに応じて、時折戦法を切り替える。

 硬直したころせんせーに向けて触手を螺旋状に編み、天井に吸着させ、そのまま回転して落下。

 

 足には触手一本とナイフが装着されており、その一撃が胴体の中心、胸骨目掛けて落下。流石に動いたころせんせーの体を掠める。

 

 鳴り響く被弾の音。

 足を押さえて一歩体を引くころせんせー。どうやら一発ダメージを負ったらしい。

 

 ここまでくると、ころせんせーの動作が徐々に落ちていることが生徒たちにも理解できるようになってくる。同時にイトナの速度にも慣れ始め、攻防の有様を段々理解できるように。

 

「さて、大丈夫かな? ころせんせー。

 いくら回復するとは言っても、半日はかかるんじゃなかったっけ。残念だねぇ、外なら『ユームB-54』くらい使えたかもしれないのに」

 

 さっと、ナイフを二つ構えるころせんせー。どうやらさっきの一撃で、イトナの獲物を奪ったらしい。転んでも只では起きないという動きを地で実行しているが、いかんせんこの場合、自力が大きく違った。

 

「安心したが油断はしない。兄さんが俺より弱くても、英雄は勝って兜の緒を締める。

 責任重大だ」

 

「渚ぁ……」

(ころせんせーが追い詰められている……、ここで倒せば、僕等の自由は約束されるんだ!)

(なのに――)

 

 茅野が心配そうに渚を見る。ふと、渚の手元には、訓練用ナイフが一本。

 

「……なんでこんな、悔しいんだろう」

 

 多くの生徒達が現状に、何かしら思う所はあるはずだ。だがその中で、とりわけ渚のそれは顕著である。

 最も長く、最も多く先生達を、生徒達を、観察し記録してきた彼だからこそ、その感覚は暴力的な程に感じられた。

 

(後出しジャンケンのように、次々出てきたころせんせーの弱点)

(本当ならそれは、僕らがここで見つけていくべきものだった……見つけていきたかった)

 

「どうしても、僕等で勝ちたかったのかな」

「……」

 

 そっと一歩渚に近づく茅野。一瞬手を取るか、取るまいかで悩んだような素振りがあったりもする。

 

「さあ、イトナ。トドメを――」

「いや」

 

 だが、緊張感に包まれた空気を壊したのは、作り出した当の本人だった。

 

「ど、どうしたんだ?」

「腹が減った。甘味」

「「「「「あれだけ食べてまだ食うの!?」」」」」

 

 流石にクラス中から突っ込みが入った。

 シリアスだった状況が一変する。烏間たちも軽く白目向いて、あぐりもこれには苦笑い。

 

「あー、そうか制御の度にカロリーの消費量が……。運用効率も今後は視野に入れる必要有りか。

 すみません、ころせんせー。少しインターバルをもらえないかな?」

「ヌルフフフ……、べ、別に構いません」

「かたじけない。さて、甘味の持ち合わせがあったか……」

 

 服の懐を探り出すシロ。触手をしまいこみ、そちらに足を進めるイトナ。

 ころせんせーの方にあぐりが駆け出す。

 

「流石に今回は追い詰められてますね、吉良八さん」

 

 そんな彼の背中を「特定の規則に基づいて」軽く叩くあぐり。

 流石に、渚も違和感に気付いた。今までも時折、ころせんせーとあぐりとの間ではこうした、ある種の規則的な方法に基づいたことをお互いにやり合っている。

 

 だが、その回答について考える前に、ころせんせーは彼女の頭に手をやり、わしゃわしゃとした。

 

「ヌルフフフ。まあ、頑張るだけですかねぇ。アレの危険性は、ご存知でしょう?」

「教えてもらいましたから。……でも同時に、勝てますか? ころせんせー(ヽヽヽヽヽヽ)

「「「「「!」」」」」

 

 おそらく、初めてあぐりが彼をそう呼んだ瞬間である。

 ころせんせーの方もころせんせーの方で、一瞬呆けたような顔をした。 

 

 しかし数秒後。

 

「ぬ、ぬる……」

「あ、あれ? ――きゃッ!」

「ヌルハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――ッ!」

「「「「「!?」」」」」

 

 大笑いしながら立ち上がり、あぐりをぎゅっと抱きしめるころせんせー。

 これにはクラス中、目ん玉飛び出てぎょっとする。

 

 もっともイリーナの横で烏間は苦笑いだったが。

 

「これじゃ、格好悪いところ見せられないじゃないですか。

 ――ええ、勝ちましょうとも」

 

 そう言って、赤くなりわたわたしているあぐりをセコンドに返して、足元に落ちていたアカデミックローブを身に纏う。ネクタイを外に出し、三日月模様が見えるように。

 

 

 それと同時に、ころせんせーは懐から「何かの装置」を取り出した。

 

(あれは……?)

 

 円形の、ボルト止めのような何か。表面に基盤模様が走る。

 それを後頭部にくっつけ、「回転させる」と、どうしてかその位置から落ちない。

 

「では、行きましょうか」

『――ミスター。了解しました』

(あれ、今の声)

 

 聞き覚えのあるような無いような声が聞こえたが、渚が追求する暇などあるわけもない。

 

 球体状の棒キャンディーを噛み砕き、イトナはころせんせーに向き直った。

 

「さあ兄さん。次のラッシュに耐えられるか?」

「一つ認めましょう。ここまで追い込まれたのは、間違いなく君が初めてです。愚直な試合形式に見せかけて計算され尽くされている。

 言うべき事、聞くべき事もなくはないですが、まず一つだけ」

「何だ?」

「イトナ君。君が勇者だというなら、先生は師匠です。つまり何が言いたいかと言いますと――」

 

 にっこり微笑みながら、ころせんせーはサムズアップ。

 

「――師匠に勝てる弟子などいない! 的なことです」

「弟子は師匠を超えるものだ」

「師匠が認めた超え方で、ね?」

「……何が言いたいんだ、兄さん」

 

 先ほどまであれほど息が上がっていたのに、どうしてか今は余裕すらあるように見える。

 強がりや、インターバルで回復したということはないだろうが、だがどうしてかその態度に、イトナは疑問が残った。

 

「まだ勝てるつもりかい? 負けダコの遠吠えだねぇ」

(((((何でタコ?)))))

 

 シロはシロで勝てるつもりでいるらしい。だが現状に対しては、よっぽどイトナの方が計算が出来ていると言わざるを得ない。

 

「シロさん。二つほど計算に入れ忘れていることがありますよ?」

「無いねぇ。私の計画性は完璧だから」

「その驕りが『アレ』を招いたと、毎日見てるのに気付きませんか」

「……やれ」

 

 飄々とした態度を最後の一言だけ崩すシロ。

 彼の一言に合わせて、イトナが飛ぶ。触手が縦横無尽に、攻撃を仕掛け――。

 

 ――だが嗚呼、何ということか!

 

「受け、きれてる!?」「何で、さっきまで負けてたのに!」「人間技!!?」

 

 

 ころせんせーはと言えば、イトナの触手の動きを、時に物理的に殴ったり、蹴り飛ばしたり、踵落ししたりしながら、かわしきっていた。

 

「一つは触手を使う場合、律さんほどの学習反映スペックがなければ、『私達』を捕らえる事は難しいということ」

「――チッ」

 

 楽々一歩後退して、一斉攻撃を避けきるころせんせー。

 その動きは、鮮やかさは、初期の頃にあった教室内の銃撃に対する動きを思い起させる。ノーワイヤーアクロバティックアクションだ。

 

 そして、イトナの触手に異変が訪れる。

 どろりと溶けたそれを見て、明らかにイトナは狼狽。

 

「!」

「おや、落し物を踏んづけてしまったようですねぇ」

 

 イトナが攻撃した床。破損したその場所からは、訓練用のナイフが、ひょっこりと姿を見せていた。

 

「……あ、いつの間に!!」

 

 ころせんせーの両手には、相変わらずナイフが握られている。

 必然的に床に落ちていると計算が合わないが、何のことはない。さっくり渚のそれを仕込んどいたのだろう。少なからず本人に気付かれないよう奪った時点で、充分人間技とかじゃない。

 

「私にとっての弱点ということは、君にとっても弱点ということです」

「く……ッ、だが、触手は――」

「加えて、触手の再生には多少時間がかかり、体力を大きく取らる。また――」

 

 ――パン!

 

 倒れるイトナの目の前で、唐突に、いつの間にかあぐりから奪っていたハリセンを、床に叩き付けるころせんせー。

 

 全く予想外の挙動。そして、意識が一瞬遠退くイトナ。

 ばさり、とアカデミックドレスを使って、イトナを丸め込み、ころせんせーはそのまま持ち上げた。

 

「武器を失い動揺して、スペックが低下するのも同じです。でもねぇ、先生の方が――『付き合い』が長い分、ちょっとだけ老獪です!」

 

 そのままイトナを投げ捨てようとするころせんせー。

 何時の間にやらその意図を察して、窓を空けていたあぐり。

 

 そこ目掛けて、ドレスごとイトナをころせんせーは放り捨てた。

 

『――ミスター、宜しいので?』

「あれも『脱皮』出来ない分に合わせて強く作ってありますから、これくらいなら無問題でしょう」

 

 左胸ポケットに何やら話しかけながら、ころせんせーは一歩前進。

 

「ダメージはほとんどない筈ですが――君の足は、リングの外についている。つまり、先生の勝ちですね」

「……ッ」

 

 茫然とした顔でころせんせーを見るイトナと、ヌルフフフと舐め腐った笑顔を浮かべるころせんせー。

 

「ルールに照らし合わせるなら、君の触手はもう無くなることとなる。

 それじゃ流石に私を倒せ(やれ)ませんねぇ」

「……この、力を……?」

「それが嫌だというなら、正式に学校に通いなさい。性能計算でそう簡単に計れ無いもの。経験の差です。

 君らより多少は長く生きて、少しだけ知識も多い。

 私が教師をしているのは、それを君達に伝えるためです」

「なら……、ここで、盗めというのか? 俺に、経験を」

「でなければ、勝てませんよ?」

「――ッ」

 

 再生した触手が、真っ黒に染まってうねる。

 その不穏さに教室中が一瞬身構えたが、次の瞬間。

 

「が……、があああああああああああああ――ッ!」

「にゅや?!」

 

 マフラーの裏側で、何かがスパークするような音が鳴り響く。

 

 首元のそれを外し、転げ回るイトナ。その下にあったものは、首輪のようなものだった。赤とゴールドに彩られ、中央部分には青い光を放つ球体。

 

「……なるほど、スターク社の方に手を回しましたか。確かに制御は得意そうですねぇ」

「理解が早すぎて気持ち悪いが、まあ、そういうことだね。

 言ったろ? 彼は『勇者』を目指してる。

 無辜の民間人を殺したりしたら、それこそ自殺ものだからねぇ」

 

 しばらく時間が経った後、イトナは上半身だけを起す。

 

「……俺は、勉強とか嫌いだッ!」

 

 ナイフ投げつけながら言わなくても良いですよ、と足で蹴り上げて天井にぶつけてかわすころせんせー。

 

「兄さんは自分を師匠だと言ったが、絶対違う」

「ヌルフ?」

「はぁ。やれやれ、帰るよイトナ。

 済みませんころせんせー。このまま放置しておくと、そのうちここ全部を『粉々にしかねない』。そうすると保護者としては、お財布事情的に対応することができませんから、しばらく休ませてくれないかな。

 その間の勉強は、こちらで見ようかと思いますので。テストも受けに来させましょう」

「こら、何勝手に話を――」

 

 がつん、とシロが外に出て、イトナの頭にげんこつを落す。

 これには、クラス中が目を点にする。命がいくつあっても足りゃしない。そんなことを飄々と行うそれは、何と言うか、自称通り保護者らしい動きでもあった。

 

「爆発力があるのは良いが、計算外のことが多かった場合、どうするか忘れたか?

 君は『1号』なんだ。慎重にして当たり前だ」

「なら殴るなッ」驚くべき事に、涙目である。

「多少は聞き分けを持ちなさい」

 

 ぶーたれるイトナを肩に担いで、ころせんせーに頭を下げるシロ。

 

「待ちなさい、シロさん。『その方法』では結局は無理が生じます。それに彼はこちらの生徒。

 きちんと共同生活をして、卒業するまで面倒見ます」

「まだその段階にはないと思うんだけれどねぇ。

 ああ、でもなら、その時は『君が』どうにかすれば良いだろ。あの時(ヽヽヽ)のようにね」

「……ッ」

 

 あぐりが何事か言おうとして、しかし躊躇する。

 

「力ずくで止めてみるかい?」

「無駄でしょうね」

「察しが良いね。そう、これは『対触手生物用防御繊維』。常人並の腕力なら、勝てはしなくても負けもしないさ」

 

 余裕を持って、シロは背後を振り返る。

 

「何、状況を見てまた復学させるよ。……後は、まあ、どれくらい予算が下りるかによるけど」

「……何だか、思ったより軽いですねぇ」

「別に?

 勘違いしていそうだから言うけれど、『奴』と違ってそこまで『君』には、あまり恨みは持ってないのさ。例え過去の事がどうであれ、ね」

 

 ちらりとシロとあぐりの視線が交わるが、両者ともに何かを言うことはない。

 

「ただ――三月まで時間はないからね」

 

 その意味深な言葉を、何故か渚はメモを取り出して、記入した。

 

「責任持って私が準備するよ。君等は君らで頑張れば良いさ。こちらもこちらで頑張ろうじゃないか。全ては世界と、名誉のために」

 

 

 

 

 教室が見えなくなる頃、イトナが愚痴る。

 

「……負けた」

「焦ることはない。君はまだ成長期だ。それに”C”の性格上、必ず最後はころせんせーの元に来るはずだ。

 しかも……フフッ面白い。

 降ったり止んだり、今日の空模様のような教室だ」

 

 雨に打たれながら笑うシロに、イトナはジト目をしながら、触手を展開して傘代わりに弾いていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「烏間さん、これ、今日は大分派手にやりましたねぇ。”顧問”ですか」

「奴ではない。

 後、保障は完全に向こう持ちだ。……さっきLINEで散々愚痴っていた」

「それはまた……」

 

 鵜飼や鶴田など、部下達と共にイトナの破壊した教室の補修をかける烏間。

 手慣れた動きで足場を組んで、資材を取りに向かう鵜飼。園川が車を回し、必要資材を取りに往復していた。

 

「あはは……。えっと、僕はどうしたら」

 

 声をかけてくる用務員の青年。年若くおっとりした容姿ながら、教室の惨状を目の当たりにしてもテンションを崩さないあたり、理事長の人選が極まってると見るべきか。どちらにせよ口止め料込みで多めに給料が支払われているはずではあるが。

 

 足場に釘を打つ鶴田のサポートを命じつつ、烏間は鵜飼の書いた設計工数をチェックする。

 

「烏間先生!」

「……君達か。ど、どうした? 大人数で」

 

 背後から声をかけられ、わずかに動揺する烏間。教室の補修をしている面子のことを聞かれ「知り合いと用務員とだ」と微妙に濁して説明する。

 疑問を促す彼に、生徒達を代表して、磯貝が口を開いた。

 

「あの……、もっと教えてくれませんか? 暗殺の技術を」

「……? 今以上にか。只でさえ学生の本分から外れているのに」

 

 確認を取る烏間に、3-Eの生徒たちは、ころせんせーが言った言葉を回想する。

 

『実は先生……、とある組織に造られた、改造人間(サイボーグ)なんです!!』

 

 その告白には「まあ予想していたけど」みたいな反応のクラス。イトナが彼の後に作られたから弟である、等などそれなりに察し良く、あぐりところせんせーとを驚かせた生徒達だったが。

 

『知りたいのはその先だよ。どうしてさっき怒ったの? イトナ君の触手を見て』

『……』

 

 生徒達が求める回答。それ即ち暗殺教室を開いた理由であり、この場に来た彼は何を思いここに居るのか。

 流石にどういった理由から改造人間になったか、というところまでは怖くて踏み出せなかったようだが、しかしころせんせーは、含みのある笑顔を浮かべる。

 

『……残念ですが、今それを知ったところで無意味です。

 前にも言いましたが、来年の三月には惑星が全部塵となってますからねぇ』

《《《《《!?》》》》》

 

 彼が始めて暗殺教室に来た時のことを思い出す生徒達。その時は軽く流していたが、今までのことを振り返った上で、改めて考えると、それは「つまらない冗談」ではなく、疑念を抱く程度には信憑性のある言葉に聞こえた。

 

 矢田と前原が、磯貝に続く。

 

「今までさ。結局どうにもならないんだろってどこか他人事みたいに思ってたんだけど」

「うん。今回イトナのアレを見て、思ったんだ」

 

 あくまでギャグキャラで通そうと終始振舞ってはいたが、生徒たちにも流石に伝わりはする。

 

「『暗殺教室』なんてことをやってるあの先生は、きっと遊びだけじゃない。何かもっと別の、大きな理由があるんじゃないかって」

 

 それを察する事を、誰よりころせんせー本人が避けていたのだとしても。

 それでも、生徒達の心は揺らがない。

 

「だったら……、何だろう。終わった後でいくらでも知れるって先生は言ってたけど、そうじゃないんだ」

「それじゃたぶん、俺達が頑張っていることと、先生が頑張ってもらいたいこととじゃ何か違うと思うんだ」

 

 だからこそ。

 

「やれる限りやらなきゃいけない。……いや、やりたいんだって、思ったんです」

 

 片岡まで繋がった言葉を、磯貝が集約する。

 

「だから――先生に勝って、自分達で答えを見つけ出したい。そう思います」

(……良い目だ)

 

 意識が少し変わった生徒たち。それは必ずしも彼等の担任が意図したものではなかったとしても、烏間は思う。成長とは、子が親元から少しずつ巣立っていくことではないかと。

 

「……なら希望者は、放課後に追加で訓練を行おう。授業もより厳しくしていこうと思う」

「「「「「はいッ!」」」」」

 

 生徒たちの唱和に、烏間はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。

 

「では早速新設した、垂直20mロープ昇降!」

「「「「「厳しいッ」」」」」

 

(僕等は殺し屋。銃とナイフで答えを探し)

(標的は先生。自分を使い僕等に問う)

 

 烏間の「始めッ!」という叫びが飛ぶ。

 教室の方を振り返りながら、渚は思う。

 

 その職員室の窓際。椅子の上でぐだっとしているシルエットに、白衣を着た彼女がせかせか世話をしている姿が、見えてるような、見えてないような。

 

(椚ヶ丘中学3-Eは、暗殺教室)

 

 雨も上がり、始業のベルは明日も鳴る。

 

 

  

 




今思い返すと、これはこれで打ち切りエンドっぽいなーと思ったり・・・ まあ続きますが。

本編は1、2話インターバルやった後になるかと思います。


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インターバル 0 to 1:思い出の時間

G13を書くには、筆者はまだまだ子供すぎたようだ・・・


 

 

 

 僕の名前は、ニア。本名は別にある。

 生まれも育ちも上流階級で、何不自由ない暮らしをしていたのがつい先日まで。

 

 元々、両親は僕に優しかったが、優しかったのは気分が良かった時だけ。結局彼等からすれば、周囲の者は利用するだけ利用して、使い捨てるものだったのだろう。

 子供を後継者としてきちんと育てようとか、誰かも愛される素晴らしい人格にしようとか。

 愛情をかけて、手塩にかけるということをされた覚えがない。

 

 当たり前のようにされる関係は、親子の義務こそあれど、それ止まり。

 

 元々、恨まれるような商売にも手を出していたこともあって、両親が殺されたと聞いても、まあそんなものかと、そういうくらいにしか感じていなかった。

 

 それが、どうしたことだろう。

 運命に出会ったと、僕は雷に打たれた様な衝撃を受けた。

 

 父親の背後に突如、庭師が現れる。最近雇い入れた、年若い、身長の高い男。モンゴロイド系の血が混じった容姿は、しかし最近のグローバル経済では珍しくもない。

 だが、そんな彼に背後を取られたというのに――父親は、欠片も気付いてる気配はなかった。

 

 確か、その時僕は学校の宿題をしていたはずだ。窓際から、彼を見下ろしていたことが今でも鮮明に思いだせる。

 

 そして。

 現れた彼は、流れるような手際でナイフを回転させ――。

 

 

 

 ほんの1秒もかからない間に、僕の父親を絶命させた。

 

 

 

 司法解剖の結果を聞くと、ナイフの一撃で動脈と呼吸器とを同時に破壊していたらしい。ご丁寧に返しをつけて、表の革を内側にめり込ませて、機械の管すら通せないようにしている徹底ぶり。

 

 そんな細かい芸当もさることながら、しかし当時の僕にはわかるわけもない。

 

 それはあまりにも鮮やかで。

 それはとても、衝撃的な光景だった。

 

 同時にどこか、胸の空く思いがした。父親に対するわだかまりが切っ掛けかは知らないけれど。

 

 そして同時に、ものすごく腑に落ちた。嗚呼、これだと。

 嗚呼、何と素晴らしく、美しい技術だろうと。

 

 ベースボールスタジアムに行った友人が、確かこう言っていた。

 目の前で見るプロ野球選手の華麗なキャッチは、それを見るだけで自分の人生を変える。

 只、その光景を自分で再現したいという、憧れ一つで人生を棒に振るだけの衝撃(インパクト)があると。 

 

 僕の場合は、彼が正にそれだった。

 

 

 すなわち――暗殺者としての技術。

 

 

 目を奪われた。心を奪われた。

 あれだ。あれを、自分のものとしたい。

 

 そのためなら、何だって捧げよう。

 

 子供心にそう思い、誓い、僕は彼の弟子となった。

 

 案外とあっさり引き受けてもらった。何度も頼みこむ必要があるか、あるいは彼以外の人を探さないといけないかと思っていたのだけれど、思いの他、拍子抜けするくらい簡単に。

 

 そして場所を変え、ダウンタウンの裏路地。

 

 僕は、彼から名前を貰った。

 

 その名前がどんな意味を持つのかなんて、さっぱり知らないけれど。それでも僕は、彼のそれを大事にしよう。

 なにせ、「先生」から初めて貰ったものなのだから。

 

 にこやかに僕の頭を撫ぜる彼を見て、僕は、にやりと不敵に笑い返した。

 

 

 

   ※

 

 

 

 そしてどうしてか、僕等は日本(ジャパン)に居た。

 

「いやぁ、なかなか良い天気ですねぇ。ヌルフフフフフ」

「先生、気色悪いです」

 

 しゅん、となる先生。そんなに変な指摘をしたつもりはないけど、どうしてかこの先生はこの手の一言に弱い。

 旅行客らしさを装ったカジュアルな格好をしていても、先生はいつも通りだった。

 

 空港を出た後、バスに揺られて数十分。僕等は今、京都という町に来ていた。道中、完全にこの国の言語を使いこなしていたところを見ると、以前もここで仕事をした経験があるのだろうか。

 金色の古いテンプルを前に、不気味な笑い声を上げながら激写する先生。

 

 呆れる僕の方を見て、彼は苦笑いをしてから聞いてきた。

 

「今更ですけど、変装とかはしないんですか?」

「おおよそ、バレて困る相手は既に『確殺』するかして対応してますからねぇ……。

 さて、仁愛(ニア)。どうして今日、ここに来たのか分かりますか?」

「わかりません」

「では、調べましたか? ここの場所、あるいはこの街について。来るまでに、最低でも四日間ほど、ダウンタウンに泊まっていたと思いましたが」

「……ここに来る意味が、いまいち理解できません」

「おやおや。それではそれでは、私に追いつくなどまだまだ先も先ですねぇ」

 

 くつくつと肩を振るわせる先生。不気味な笑いじゃないだけマシだけど、少しイラっとくる。

 

「まあ来た理由自体は、半分観光目的ではあるんですけどね。では、まずワンポイントレッスンです」

 

 言われて、僕はメモを構える。

 いずれはメモなしで聞いた情報全部を暗記できるようにと言われているので、最初はメモ有りから。

 

「『情報収集には無駄がない』。特に私の様な、万能型のプロを目指すのなら重要なことです」

「情報収集?」

「例えばさっきも言いましたが、今回は観光目的でこの場所に来ました。

 しかし、もし仮に後日、この場所での暗殺依頼が入ったとしたら、どうしますか?」

「どうって……」

「まさか、依頼を受けてから調べるとは言えませんねぇ。暗殺方法次第では、街について何もしらなくても、国について何も知らなくても、どうとでもなるかもしれません。

 ですが、宗教問題の根強い場所や、戦争中の地域等において、その手の話は通用しません。最低限持っておく情報というものは何にでもありますし、それが無ければ問答無用でこれ(ヽヽ)です」

 

 右のこめかみに指を当てて、バーン、と撃ち抜く仕草。

 

「己の身を守る為に。そして時に攻める為に、情報は非常に重要です。近代戦争においても、旧時代の戦争においても。個人間のケンカにおいてだって、文字通りその事が言えます。例えば……、少し考えてみましょうか?」

「……先生が、僕の親を殺した時のように」

「それは、どういう点において?」

「えっと……、警備会社も雇っていたのに、セキュリティも万全だったはずなのに、まさかあんな風に簡単に殺されるなんて、想定していなかったから」

「合格点をあげましょう」

 

 ヌルフフフ、と不気味に笑う先生に、例によって例のごとく気色悪いと言う。

 落ち込みながらも、先生はその笑みを浮かべるのを止めなかった。

 

「加えるならば『警備が本当に完璧なのかどうか』。抜け穴がないか慎重に吟味したかどうか。

 そして、自分達の雇った庭師が、本当に毎日同じ庭師だったかどうかの確認を怠ったのが、原因でしょうか。まあ家に入る際、多少変装こそしていましたが」

「? あの、ということは本物の庭師は――」

「君が証言しなかった以上は、重要参考人の一人としてしょっ引かれているでしょう」

 

 なるほど、と僕は一定の納得をした。

 

「情報の大切さは、理解しましたか? それに加えて、何をしても人間のやることなので、収集不足や考え不足による大きなミスが起きることも」

「はい。でも……」

「ヌルフ?」

「その笑い止めてください。……えっと、もう半分とは何でしょうか」

「良い質問ですねぇ。それは――」

 

 先生は携帯端末を取り出すと、画面を操作して僕に向けた。

 

「――仕事の下準備も兼ねてですね」

 

 そこに書かれていた文面。二週間後、東京の方でクライアントが待ち受けているらしい。

 

「当日までまずしばらくの間、ニアには日本の生活というものに慣れてもらいましょう。言語まで覚えろというのは酷かも知れませんが、街中において不自然でない行動がとれる程度には、肌で場所を実感なさい」

「はい」

「我々は、日本を観光中の外国人という設定で行きます。アメリカ人で、そうですねぇ……。

 年齢的に、親戚のお兄さんが家庭で色々拗らせた甥っ子に、気分転換を勧めるためにやって来た、的な感じでどうでしょう」

「なんでそんな妙に拘った設定を……」

「ざっくりした設定でもディティールを多少凝ると、話の膨らませ方に無理が生じ難かったりします。これもまぁ、ちょっとしたテクニックですかね」

 

 演技する上でもとっつき易いでしょう、と先生は笑う。

 確かにその通りなのだけど、なんで僕が「拗らせた」子供なのか。

 

「自ら進んで殺し屋になりたいと、親の仇に心から言う人間を、拗らせてないとどうして言えましょうか」

「……先生、いつか本気で殺して良いですか?」

「無駄ですねぇ、君が一年成長する頃には、先生もまた一年分成長していますから。

 いたちごっことなりますよ? ヌルフフフフフ」

 

 懲りずに例の笑いを繰り返す先生。

 英語で会話する僕等に周囲は訝しげな視線を向けるけど、数秒もせず興味を失う。

 

 写真を撮るのに満足したのか、先生はカメラを仕舞う。行きましょうか、と僕の肩を叩くと、ほぼ同時に、先生に声が掛けられた。

 

「あ、あの、済みません!」

「にゅる?」

 

 水兵とかが来ていそうな制服。紺色の襟とスカートに、赤いスカーフ。慎重は先生の胸より少し下あたりで、僕よりは頭一つか半分くらい上だ。

 肩口で揺れるセミロング。慌てたように、彼女は先生に両手を差し出した。

 

「あ、あの、済みません! よろしければ、あの、私達の写真を撮ってもらえますか?」

 

 驚いた事に、さっきの言葉も、今の言葉も英文だった。若干たどたどしいところはあったけど、発音含めて、一応意味は伝わる。

 

 先生は一度僕の顔を見てから「少し待っていてください」と言った。

 ここから先の二人のやりとりは、後で先生からどういった話をしたか聞いた上での予想となる。

 

「日本語話せますから、どうぞこちらで」

「にゃ! あ、ありがとうございます。……上手ですね、日本語」

「数年間、この国で色々やってましてね。それで、写真とは?」

「あ、あの子たちとです」

 

 彼女が指差す先には、似たような服装をした女の人達が数人。目が笑ってる。何だか先生と、彼女とを見る目が野次馬っぽい感じな気がした。

 

「なるほど分かりました。金閣寺を背景にですね。しかし、またどうして私に? ……ああ、責めてるわけじゃありません。単に、他にも色々人は居たと思うのですが、わざわざ異国人に声をかけたのが興味があったもので」

「え、えっと……。友達が、貴方の撮影の手つきが素人のそれじゃないと」

「ヌルフフフ。お褒め預かり光栄ですねぇ」

「なんかホント、日本在住歴長そうですね、言い回しとか……。あ、あとその、変な意味じゃないんですけど……」

 

 一拍置いてから、彼女は先生に言った。

 

「……なんか、安心出来る感じだったので。ウチの死んだお婆ちゃんみたいに」

「そうですか……」

 

 一瞬感傷に浸ったような笑顔を浮かべると、先生は彼女から携帯端末を受け取り、撮影に。

 

「……独特な待ち受けですねぇ」

 

 画面には、鰹の頭をしたキャラクターが鍋で風呂につかり「醤油(ソイソース)味」と表示されてたらしい。

 

「にゅ?!」

「あはは、この子、みんなからセンス変わってるって言われてるんですよ」

「なのに本人、全然直そうともしないし」

「べ、別に、可愛いじゃんお出汁姐さん!」

「むしろこんな待ち受け、需要があることがびっくりですよ……」

 

 ともかく、ぱしゃりと一枚。

 カメラを手渡すと、手と手が触れた瞬間、何故かもじもじとする彼女。

 

 いくら鈍くたって、この反応が何を示しているか、僕でもわかる。

 彼女の友達たちなんかは露骨に、彼女に「ほら、もっとグイグイ行ったら?」「持ち帰られちゃう? 持ってかれちゃう?」と煽ったりして、「うなー!」と目を丸く向いて叫ばれたりしていた。

 

 確かに先生は、黙っていれば映画で主演を張っていても、おかしくない容姿をしている。大体二十歳前後(本人弁)と若く、演技力は言わずもがな。こと今日に至るまで過ごしてきた毎日で、その万能っぷりは何度も見せつけられた。

 

 あふれ出るそういった人間的魅力(言動除く)に、つられる女の人も少なくはないだろう。

 

「ほら、あぐり(ヽヽヽ)、お礼とか言っちゃいなさいよー」

「!?」

 

 ところが、彼女の友人が言ったその一言で、先生の眉が一瞬ぴくりと動いた。

 

「(そうか、この頃はまだ女子高生か。しかしこれもこれで、なかなか……。妹とは既に差が……)」

「あの、どうされました?」

 

 突如英文に切り替えてぶつぶつ呟く先生に、写真を頼んだ彼女は頭を傾げる。

 先生はにこりと微笑み「それならば」と提案した。

 

「宜しければ、私のカメラにも写真をとって頂けますか? 甥っ子なんですが、一緒に」

「あ、はい。私なんかでよろしければ」

 

 先生からデジカメの使い方を簡単に教わって、彼女は構える。

 僕の肩に手を当てて、先生はにこりと笑いながら言った。

 

「カメラ目線なら、自由な表情でいいですよ? そっちの方が、逆に怪しまれません」

「……はい」

「じゃあ、はい、チーズッ――」

 

 納められた写真の僕は、笑おうとしている微妙な表情のまま、両目を瞑っていた。

 

「ヌルフフフ、まだ拡張機能も大してついていない時期ですからねぇ……。あ、撮り直しは結構ですよ。ねぇ」

「……」

「済みません、無愛想で。まあ、そこまで拘りはないので」

「は、はい。……あの、写真とって頂いてありがとうございましたッ」

「いえいえ、お互い様ですよ。こちらこそ、どうもありがとう」

 

 頭を下げて微笑む先生に、ぽっと頬を染める彼女。こう言うとアレだけど、突然出会った初見の外国人相手に、ここまで簡単に惚れるような動作はどうなんだろうか。

 

 そんなことを考えて居ると、不意に、僕の頭の中に、悪戯心が湧いた。

 

「ねえ、兄さん(ヽヽヽ)」一応演技の設定は忘れなかった。「その人と一緒に写真とったらどうですか?」

「ニュ?」「にゃ?」

 

 どうしてだろう、二人は似たような反応を返してきた。

 

「いえ、あの、ニア? それを提案する意味がいまいち――」

「いいじゃないですか! あぐり、アンタ撮ってもらいなさい! チャンスよ!」

「にゅあああ! そ、そんなんじゃないからぁッ!」

 

 彼女の友達のうちの一人が英語が出来たらしく、僕と先生との会話に乱入。ぐいぐいと背中を押して、二人は金閣寺を間に挟む立ち位置に。

 

「うう……、え、英語とか頑張ろうかな……」

 

 両手を合わせてもじもじと、時々ちらちら横を伺う彼女。

 片や先生は、困ったように微笑むばかり。

 

 そして、英語が話せたお姉さんと、僕の視線が重なり――同時に、あることを察して頷いた。

 

「はい、チーズッ」

「「!?」」

 

 三人いたうちの最後の一人がシャッターを切った瞬間、僕とお姉さんとで、先生たちを同時に押した。

 僕の押しは、先生を一歩前進させるくらいの威力しかない。

 でも同年代同士らしく、お姉さんの手押しは、セミロングの彼女をぐら付かせるくらいには充分で――。

 

 いつものハイスペックさを発揮して、先生は彼女をそっと抱き止め、いや、いっそ抱きしめた。

 

 見下ろし、見上げ、視線が重なる。

 停止した二人のそんなタイミングで、その瞬間にシャッターが切られる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 先生は、彼女に対して普通のままだったけど。

 

「――に、にゃああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!」 

 

 抱きしめられていた彼女は顔を真っ赤にして、人間よりむしろ動物的な絶叫を上げてその場から退散した。

 

「あー、済みません、なんか……」

「いえいえ。まあ、友達で遊ぶにしても強引な気はしましたが」

 

 英語の出来るお姉さんは先生に頭を下げるけど、先生は逆に注意するような声音で言う。

 それに対して、お姉さんはちょっとだけ遠い目をしてから答えた。

 

「……あんまり話すようなことじゃないんですけど、家庭で色々あったらしくて。せっかくの修学旅行なんですし、気分転換になればと思って」

「そうですか」

「道で気になった人に声かけて、写真とってもらおうと言う話してて」

「ヌルフフ。……そうですねぇ、ではお礼代わりと言う訳じゃありませんが、今の写真を私にもくれますか?」

 

 先生の顔を見て、ぼそりと「脈あり?」とか、僕には言語的に理解できない言葉を呟く。が、先生は無問題で日本語に切り替えて言った。

 

「単に旅先の思い出というだけですよ。

 まあ後そういうのは、後数年経って立派な女性に成長してからですかねぇ。これでも聖職者なので、食指も動きません」

「あ、あはは……。へ? えっと、教会とかそういう?」

「いえいえ、教師です」

 

 ある意味で間違ってはいないけど、微妙に真実を先生は伝えなかった。

 これも嘘のテクニック「中途半端に真実を混ぜる」というところだったか。

 

 その後、まあ出るわ出るわ、僕と先生との関係に関する作り話の数々。両親と大喧嘩しただの、家庭教師をしているだの、甥っ子だのはさっき言ったか、引篭もってては気分が滅入るので、ちょっとだけ小旅行中だの何だの。

 

 最後の方でお姉さんから「頑張って!」と応援のメッセージを貰えるくらいに、先生は下先三寸でこの場を切り抜けていた。

 

 彼女達に手を振ってその場を離れてから、先生は一言。

 

「色々想定外の事態がありましたが、ニア。せっかくですからレッスンです」

 

 少し疲れた様子だったけど、相変わらず普通に授業を開始した。

 

「洞察力の訓練です。彼女たちを見て、わかったことを四つ以上挙げて下さい」

「よ、四つ!?」

 

 いきなり結構、無理難題が来た。

 にこにことこちらがどう答えるか、楽しみにしていると言わんばかりの先生。

 

「大切なのはこうして考えて、普段から意識する事です」

 

 そう言う先生はいつも通り楽しそうで、僕としては不満がなくはないけれど。

 

「……とりあえず、あの女の人は先生のこと、意識しまくりでしたね」

「にゅや!?」

 

 とりあえず、意趣返しみたいなことを一つくらいしたって大丈夫だろうと思った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 東京での仕事はおじゃんになった、らしい。

 

「ではご紹介しましょう。デューク東郷さんです」

「……」

「あの先生、これは一体」

 

 僕等は今、おしゃれなオープンカフェに居た。

 そこで何故か、妙に厳つい男のヒトと一緒にお茶してる。

 

 僕はアイスコーヒーにチーズケーキ。

 

 先生はストロベリーパフェ。

 デュークというらしい男性はチョコレートパフェ。

 

 お互い「ヌルフフフ」と笑ったり、終始無言ながらもパフェを切り崩すその様は、色々な意味で対象的でシュールだった。

 

「まあ簡単に言うと、今朝ニアが起きて来る前に少し殺し合い(やりあい)ましてね」

「や、やり?」

「その際どうもお互い情報が錯綜していたらしいことを把握したので、関係者に問い合わせた結果です。

 いやしかし意外でしたねぇ。そちらから話し合いを提示されるとは思ってませんでした」

「建前と本音は違うものだ。

 生憎だが、あの状況でなら俺は断る。後は必要か、不必要かというだけだ」

「とまあ結果的に依頼人側の方に、軽く『牽制』をかけた結果、今回は終了したというお話ですね」

 

 ヌルフフフフと笑うころせんせーと、やっぱり無表情にパフェを切り崩す東郷さん。

 

「個人的にはなかなか手入れしがいのある眉毛ですが、ヌルフフフ」

「背後に立つな」

「言われずとも。こんな素敵な場所で問題を引き起こすつもりは、毛頭ありませんとも」

 

 こうして比べて見ると、彼の方が先生よりよっぽど殺し屋らしい気がする。あと先生の舌がよく回ることも。

 灰皿を手に取り、タバコを吹かせる彼。

 

「名乗らされたのは久々だった」

「ヌルフフフ。なかなか手強かったですか?」

「色々な意味でな。ある意味、最も手強かった標的かもしれない」

「お、おう……大分手放しに褒めていただいてますねぇ」

 

 珍しく先生が動揺している。

 そんな様に驚いて、僕は一言も出せない。

 

 東郷さんは、パフェの解体に再び取り掛かる。

 

「”運命の疾風”と言ったか。お前は逆に、いつまでそれを続ける」

「ヌルフ?」

「うさぎはいつまで経ってもうさぎだ。なら、お前はどうだ?」

 

 僕は彼の言ってる意味はわからなかったけど、先生は一瞬表情を曇らせた。例の笑いが引っ込む。パフェを持つ手が固まり、そのままスプーンを戻した。

 

「……別に演技というわけでもありませんよ。これはこれでまた”私”に違いありませんから」

「……」

「な、何ですか?」

 

 東郷さんは僕の方を見る。

 鋭すぎる眼光が怖い。

 

 

 

 

 

「自分を捨てる事が、必ずしも必須とは限らないぞ」

 

 

 

 

 そして、彼のその一言に、僕の核心部は射抜かれた。

 

 先生の方を見て、東郷さんは一言。

 

「強すぎることは弱すぎることと同じくらいタチが悪い。時にそれが、自分すら超える事もある」

「……ええ、重々承知しています」

「だからその態度を崩さない、か。……男なんてのは、確かに一度決めたら、やるしかないもんだな」

「信じるしかありませんねぇ。無論悩みながらですが」

 

 にやり、と。

 全く意外なことだったけど、東郷さんは先生の言葉を受けて、ニヒルに笑った。

 

 

 

「自分が何者で、何をしたいのか。これさえ忘れなければ、どんな目的だろうと生きていける」

 

 

 

 それから先、ほとんど東郷さんは口を開かなかった。

 ただ、どうしてか記念に写真を一枚。先生が東郷さんの眉毛を手入れしていると言う、何ともアレな構図に僕が隅っこに入るくらい。

 

 でも、その前後のやりとりだけは、記憶から抜け落ちる事はなかった。

 

 僕が僕でない何かになる、あの時までは。

 

 

 

 




※ざっくり9年くらい前の話の予定です

今後ちょいちょい0 to 1 の話は増える予定です。
いやしかし、一瞬GEの方に投稿してしまった自分が正直意味わかんなかった;


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インターバル【先取り】話:紡ぎ織りの時間

生徒パートだけ先取り。
イトナ編をやったほぼ直後に終了後のイトナが出てくると言うね;

感覚的には、ハヤテのラジカルドリーマーズみたいなもんです。ここまで話を続けられるといいなぁ・・・(白目)


 

 

 

 椚ヶ丘中学3-Eに、新たな仲間が増えた。

 堀部イトナ。渚たち3-Eの手によって、「触手」の呪縛から解放された少年。

 

 解放されたとは言っても、それで全てが丸く収まるわけにもいかない。未だにイトナは、防衛省の研究班にて、定期的に「改造痕」の様子を確認されている。

 

 だが、本人はそんなこと大して気にはしていないらしい。

 

 改造した本人に対して思う所はあるだろうが、恨んでいるというわけでもなく。

 

「あれ、何作ってるのイトナ君?」

 

 放課後。後ろの入り口から出ようとしてた渚は、座席にて寺坂グループ新顔たる彼が、なにやらせかせかと机の上で工作をしていることに気づいた。

 

 棒キャンディーを咥えながら、彼は渚を一瞥。

 

「見た通りだ。ラジコン戦車。危ないからあんま触るな」

 

 イライラしてやった、とイトナは断言する。

 堂々と目を見て言うその姿勢は、渚より低い身長であっても、威圧感を覚える。

 

 触手が抜けて多少はとっつきやすくなったと思ったら、未だにこれである。

 

 おそらく地なのだろう考えて、渚は深くそこを考えたりはしなかった。

 

「昨日一日勉強漬けにされて、ストレス溜まった。腹が立ったから、趣味(こいつ)(ころ)してやる」

 

 そして血走った目は、やっぱり冗談に聞こえない。

 余程昨日、ナイフを振り回していたのを片手間にあしらわれながらテストをさせられたのが堪えたらしい。

 

 リモコン装置と思われるトリガーに基盤をネジ止めし、液晶パネルの接続を確認しながら、彼は言った。

 

「そこのでっかい馬鹿が馬鹿面で俺に言った」

「あぁ!?」寺坂である。

「百万回失敗してもいい。一発でも成功させたら俺達の勝ちだって」

 

 それは寺坂に限らず、渚たちが共有している一つの認識だ。

 いくらころせんせーが、生徒の猛攻を何度防ごうとも。「リゾート地」の時のように困難な状況であったところで、一発成功させてしまえば生徒の勝ちなのだ。

 

 だからこそ同時に、立ちはだかるかの担任の背中が巨大なものに見えてくるわけだが。

 

「相手にとって不足はない。だから、失敗前提(ダメモト)で何度も挑む」

「そっか……」

 

 僅かにほっとした表情の渚。だが、その横で杉野が目を剥く。いや、渚もほっとした表情の後、思わず見入ってしまうくらいに、イトナの工作は「工作」ではなかった。

 

「なんかスゲー、ハイテクだぞ!?」

 

 ラジコン戦車と言っても、もはやそれは市販で売られている完成品などでは断じてない。

 脚はキャタピラではなく四輪駆動、ボディは板金ベースを裏側に組み込み強度強化。

 

 何より電子回路の制御機構を、半田ごてを使って目の前で調整しているくらいだ。

 

「すごいなイトナ。自分で考えて改造してるのか?」

「基本は親父の工場の方で覚えた。小さい頃から見てるから、こんなの寺坂でなきゃ誰だって出来るようになる」

 

 磯貝の言葉を受けて、さらっと寺坂をディスるあたり、やはり元から良い根性しているらしかった。

 

(イトナ君……、何というか、触手を持っていた頃と全然違う! 毒舌は全然変わらないけど)

 

 メモを取り出し、イトナの変貌について記述する渚。

 理由について色々あるが、「触手?」と書いているのがこの場合、地味に正解ではある。無論本人はそのことに気付いていないのだが。

 

 下方のボディーにカバーを被せ、上体の基盤を接続しネジ止め。

 上部からカバーを更に被せ、首の部分のベヤリングがきちんと稼動していることを確認。

 

「クリアランスは問題なし、と」

 

 少し路面空けろ、と命令調に言うイトナ。

 かちんと来るよりも、興味が勝るE組男子。まあ、こういうメカは幾つになっても男の子のビッグドリームだ。

 

 今の律は、もはやビッグドリームとかとはちょっと違う。

 

「~♪」

 

 口笛を吹く男の子ハードのそれは、もはやアンドロイドだの云々以前に、完全に男子生徒の一人として溶け込んでいた。

 いや、正確には彼女のジェンダーは男、女ではなく「律」だというだけなのだが。

 

(触手が俺に聞いてきた。”どうなりたいか”ということを)

 

 ラジコンを操作しながら、イトナは思い返していた。

 己が触手を受けてからの日々と、今の3-Eでの生活とを。

 

(「強くなりたい」。理不尽にさらされても決して折れない。立ち向かい、絶対に勝利する)

(敗者として奪われる事のない、絶対的な強さが)

 

(時に誰かに手を差し伸べられる、勇気のある強さが欲しいと)

 

「カメラも……、ちゃんと電池から供給されてるか」

 

(願ったそれに頭が被い尽くされ、ただ朦朧と、勝つこと中心にしか頭が回らなくなっていた)

 

 渚の足元を掻い潜り、壁の端から直角にその場で回転。

 前進しUターンするような形で帰って来ると、その進路の先には手作りのターゲット空き缶が(描かれている絵はころせんせーらしい)。

 

(「最初は細い糸でもいい。徐々に紡いで強くなれ」)

(どうして忘れてたのかな。俺のルーツを。親父がくれた名前を)

 

 三村、木村の村コンビが息をのみ見守る中、戦車の砲撃はずれなくころせんせーの眉間に!

 

「すげぇ……。走って撃ってる時も、ほとんど音しない」

「これならレッド先生の言ってた『動く砲台』とも言えるか。使えそうだな……」

 

 感心する生徒たちに、イトナの解説が続く。

 

「電子制御を多様することで、ギアの駆動音を最小限に押さえてる。咥えてガン・カメラはスマホのを流用して、照準調整と一緒にコントローラーに映像を送る。

 ネックは電力に関してだけど、今の所はタブレット端末一台分の稼動くらいで済んでる」

「新しい方式がないと、なかなか電力は下がらないからねー♪」

 

 男律が楽しそうに背後で呟く中、やはりちゃこちゃこ目の前で組み上げられたマシンが動く光景というのは、更に男子生徒が集ってきている時点で面白さ明白である。

 

 スパイっぽい、とは前原の評。

 

「……あと、お前等にもう一つ教えておいてやる。俺がここに居る以上あって損のないことを」

「あん?」

 

 立ち上がると、イトナは戦車砲身の角度を上げる。

 目の前には、渚。

 

「狙うべき理想の一点。……シロから多少、あいつのことは聞いた。

 元々俺みたいに『外部』に装置を置いているのと違って、奴と、俺に殺させようとしていた生物兵器とには『内部』に制御機構がある関係上、ある共通した弱点があるらしい」

「弱点?」

 

 ここだ、と言うと同時に、戦車から弾丸が発射される。

 速度調整も出来るのか、その威力は渚が軽く手で捕まえられるほど。

 

 そして捕まえたその場所こそが、イトナの指し示す「ころせんせー」の弱点。

 

「『暗殺教室』としては使えないかもしれないが、そこだ」

「……心臓」

 

 掴んだ左手をそのまま裏がして胸に当て、渚は確認のように繰り返す。

 

「奴の心臓は、普通の心臓じゃない。特殊弾でダメージを受けるごとに『能力が落ちる』のも、『半日ほどかけないと回復しない』のも、この心臓が特殊なものだからだ。

 そしてここの付近……、たぶん胸の地肌あたりに攻撃を当てれば数秒の間、奴の動きを完全に封じることが出来るかもしれない」

「「「「「……!」」」」」

 

 齎された情報の意味は、絶大だ。絶大という一言で言い表せないほどに絶大である。

 

 暗殺教室において、難攻不落の怪物教師たるころせんせー。

 その弱点――今まで渚たちが見知ってきたそれらと大きく違い、致命傷になりかねない重大さを孕んでいる。

 

「……わかった。ありがとうイトナ。

 よし皆、気を引き締めていこう!」

 

 磯貝のハンズアップに、一斉に堪える男子組。

 こういった仲の良さは、リーダーたる彼の人徳や、夏休みの大きなイベントを乗り越えたためか。

 

「弱点については律、女子組にも後で回しといてくれ」

「了解したでありんす、おやびん♪」

「だから方向性がわかんないっての」

 

 岡島の突っ込みに、てやんでぃ、と鼻先で風呂敷きを結んだ男律は、からっとして笑っていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 廊下に出したラジコン戦車を、直線的に走らせる3-E、というイトナ。

 元々校舎が一階しかない分、3-Eのある旧校舎はかなり簡単な構成をしている。

 

 トイレだけ何故か改修されていたりするが、それ以外はシンプルな土の字型のまま。特別教室は理科室など一部を除き、倉庫から運び出したものを教室で展開して使う形。となっている。

 

 そして職員室の扉が開き、副担任の彼女が走って出たのを確認してから、戦車はその半開きの方へと前進。

 

「……あれ、ころせんせー居ないな?」

「ひょっとして、会議室? 雪村先生、なんか資料持って行ったし」

 

 よく見れば、烏間の姿も見えない(座席の配置上、扉の一番手前が東西で烏間とイリーナ、奥にころせんせーとあぐりとなっている)。職員全員で集って、何を話しているというのだろうか。

 

「しゃーねぇな。ま、試運転がてら、そこら辺ちょっと偵察しようぜ?」

 

 だがこの岡島の提案こそが、今回の戦車プロジェクトの方針を、根底から一変させる。

 

 職員室を抜けて走行中。教室へ帰るルートにさしかかる直前のことだ。

 

『校庭まで競争ね!』『よーい、ドン!』

「おっと、踏み潰され――」

 

 吉田の一言で車輪の前進を停止させたイトナだが、次の瞬間である。

 

 

 

 カメラが捉えた映像は――脚。

 脚という脚。

 

 見知った脚、ぱっと見て覚えのない脚。筋肉質な脚。ちょっと機械の駆動音が聞こえる脚。モデルのように妙にすらっとした脚などなど。

 

 そして頭上(カメラの上)で揺れるひらひらとした布地が、言わずとも男子生徒たちの大半の心を釘漬けにし、がっしりとホールドした。

 

 

 

「見え……、たか?」

 

 神妙な顔をして確認をするのは岡島。

 

「いや……、クソ、カメラが追い付いていない。視野が狭すぎるんだ!」

 

 苦悶に満ちた表情で分析を展開するは前原。

 

「カメラをもっと大きく高性能にしたらどうよ?」

「重量が嵩んで機動力が落ちる。根本的な解決にはならない」

「なら、魚眼レンズにしたらどうだろうか。送られた画像を専用ソフトに通して歪みを調整すれば、小さいレンズでも広い視野を確保できる」

 

 村松の進言に、竹林が更に考察を交えて指摘を加える。

 

(こ、これは……)

 

「……わかった。視野角が大きい小型魚眼レンズ。この命に代えても調達する」

 ――カメラ整備:岡島大河

 

「じゃあ、歪み補正のプログラムは僕が組もう。ショータイムだ♪」

 ――画像補正プログラミング:小野津 律也(自律思考固定砲台)

 

 録画機能も必要だな、とか、効率的に分析するには、などなど途端に戦車の改良に躍起になる男子生徒たちに渚は思わず冷や汗。

 

(下着ドロにはあんなにドン引きしてたくせに……)

「ダブスタなもんだよ、こーゆーのはさ」

 

 カルマの耳打ちもまた、渚の微妙な表情に追い討ちをかける。

 

 かくして、教室へ帰還してきた戦車のトライアンドエラーが行われる。

 再度出撃、そして転倒。

 

「足回りの復帰をさせてくる」

 ――高機動復元士:木村正義

 

「段差に強い構造が、そもそも必要なんじゃないだろうか」

 ――参謀:竹林孝太郎

 

「駆動系や金属加工なら、シャーシとかの原理を持って来れるな」

 ――駆動系設計補助:吉田大成

 

 車体の色がカーキだと目立つという指摘に、

 

「……引き受けた。学校の景色に紛れる迷彩。あるよ」

 ――偽装効果担当:菅谷創介

 

「ラジコンと人間とじゃ段差とかの幅が大きく違うし、最適経路の準備が必要だな」

 ――ロードマップ製作:前原陽斗

 

「もうしばらく掛かるだろ。校庭で栽培してあるゴーヤ使って何か作ってやらァ」

 ――食糧補給班:村松拓哉

 

(……無愛想な性格のイトナ君がクラスに馴染めるか心配だったけど)

(エロと殺しとモノ作り。男子のツボをがっしり押さえているじゃないか!)

 

「こんだけ皆で改良に参加してんだ。もうプロジェクトだな」

「さしずめ”プロジェクト(エロス)”といったところか」

「rett på mål! 竹林君、適確だね♪」

「何言ってるかわかんないって律。……そうだイトナ。せっかくだから機体に名前とかも付けようぜ? せっかく1大プロジェクトなんだしさ」

(そこまでの規模か……)軽く白目剥いて額を押さえる渚。

「……考えとく」

「あバカ! 慎重に動かさないとまた転ぶぞ」

「俺がやる、貸せや!」

「「「「「寺坂が一番慎重にやれ!」」」」」

「何だよ俺の扱い!」

 

(別に、一人で抱え込まなくても良かったんだよな)

 

 徐々に、徐々に折り重なって行く。それはまるで、糸が布になるように。

 

(……最初から、俺もここから始めれば良かったのかな)

 

 ふっと、気が付くと。頭をいじられたり肩を引っ張られたりとしているイトナ。

 そんなもみくちゃにされている光景が、我ながら不思議と楽しくて、思わず頬が緩む。

 

 そんな彼の様子を、渚はどこか安心したように見ていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 テイク5。

 

「……まさかイタチが出てくるとは」

 

 意気消沈する”プロジェクトE”の面々含めたクラス男子ほぼ一同。

 チーム戦のように一丸となって(?)挑み続けたトライアンドエラーは、まさか、まさかの野生動物に襲われ、物理的に再起不能となるというオチが待っていた。

 

「もうちょっとで、せめて雪村先生のは見れそうだったんだけどなぁ……」

「ビッチ先生は距離的に微妙だったし」

「っていうか、何なんだ? アレ。絶対気付かれてなかったと思うけど、ころせんせーの位置取りが絶妙だったというか、それで時間稼がれたというか」

「ともかく、次からはドライバーとガンナー、分担した方がいいな……。頼むぜ、千葉」

「……お、おう? 後で凛香が怖そうなんだけど」

「頼む、我等E組男子に最後の希望を……!」

「……まあ、別にいいか。ほどほどにならな」

 ――搭載砲手:千葉龍之介

 

「開発には失敗が付き物」

 

 テンションの落ちる面々を前に、しかし開発者たるイトナはめげない。

 キャップを空けて破損したカバーの裏側に、マジックで「糸成I」と記入した。

 

「1号は失敗作だ。でも、ここから紡いで強くする。いつか、もっと強靭に編めるように」

 

 百万回失敗してもいい。最後には必ず勝つ。

 

「……よろしく頼むぞ、お前等」

「おうよ」

 

 答えた前原の言葉が、この場全員のそれを代弁している。

 今日の僅かな時間だけではったが、イトナとみんなが共有したそれは、今までのブランクを埋めるのに、かなり大きな影響を持っていたと言っても過言ではないかもしれない。

 

(……「闘志」が結ぶ、皆との絆か)

 

 「事件録」のメモ帳を開き、さらさらと今日の出来事についておさらい記述をする渚。

 文末の部分は、また楽しくなりそうだ、と締めた。

 

 だが、ある意味ここまでが前哨戦(ヽヽヽ)であったことを、渚はまだ自覚していない。 

 

「よっしゃー! 三月までにコイツで全員のスカートの中を、潜入調査だー!」

 

 思わずハイテンションに叫ぶ岡島の声に、

 

 

 

 

「――ほう、岡島君ちょっと詳しく聞かせてもらっていい?」

 

 

 

 

 冷ややかな片岡の声が重ねられるわけである。

 

 ぎぎぎ、とロボットのように振り返れば、片岡、矢田、中村、岡野などを筆頭とした女子面々。

 そしてその場には、男律と同様にニコニコする律の姿が。

 

「……あ、あれ? ひょっとして――」

「はい♪ 情報共有は平等にです♪」

 

 つまるところ、彼女(彼)は二重スパイ(?)のごとき存在だったわけで。

 

 ポケットに手を突っ込み、さっと立ち上がるイトナ。(・3・)みたいな表情をしながら、そそくさとその場を離れようとする。

 

 が、そんなものを逃しはしない生徒が一人。

 丸い縄投げの要領で、彼の胴体を拘束し、ぐい、とその見た目の華奢さから想像し辛い力強さで引っぱる。

 

 ぐて、と倒された彼は、原と狭間とが阿吽像のように待機する、机と机の間のスペースへ。

 

「岡島ァ! アンタ、又なにやってるわけ!」

「イトナ君もイトナ君よ!」

「寺坂くん、流石にちょっと……」

「リアルエ○戦車とか、ちょっとないわー」

「不破さん、その割に楽しそうだね……」

 

 他にも女生徒から、男子生徒(主にプロジェクトE)へと、怒りを露にしたり一言入れたりといった事案、大量発生。なおそんな中「龍之介こっち」「ちょッ!」と腕を掴んで、掴まれて教室の外に出て行く二人が居たりもしたが、それはさておき。

 

 逃げ出そうとする生徒に関しては、「ある生徒」が積極的に、投げ縄(カウボーイとかがやりそうなアレ)を用いて拘束し、引き寄せ、説教から逃げられなくする状態だ。

 

「カルマ君はあんまり興味ないと思ってるけど……」

「実際、渚君同様参加はしてなかったしねー? でも……、なんであんなに燃えてるんだろう、茅野ちゃん」

 

 そう、茅野である。茅野あかりである。

 

 ころせんせーから貰ったのか、修学旅行の際に使われた「タコせんせーロープ」を巻き、両手に持ってブンブンブンブン振り回していた。

 

 その動作が怖すぎて、片岡と岡島の間に入って仲裁ができなさそうな渚。

 

 まあ、結果が残ってないためそこまで強くは責めていないので問題はないかもしれないが。

 

 

――びゅん、びゅんッ!

 

 

 もっとも、その場からじりっと離れようとしていた、寺坂や杉野、渚たち同様ほぼ無関係の磯貝まで捕獲している茅野だけは、何か、何かが普段と違った。

 

 逆行でメガネの奥の瞳が見えないことも、それに拍車をかけている。

 

「か、茅野っち? どしたの?」

 

 流石に変なことに気付いた岡野が、思わず彼女に尋ねると。

 

 

「雪 村 先 生 の ぱ ん つ 見 よ う と し た の ど い つ ?」

(((((か、完全にホラーだ!?)))))

 

 

 首をぐりん、と傾け、光のない目で周囲を見まわすそれは、完全にホラーもののサイコ系犯人のそれである。

 

 不意に渚は思い出す。そういえば彼女にとって、雪村先生は「憧れ」なのだと。頼りがいがあって、色々と理想的なまさにお姉さんなのだと。

 

(でもまさか、ここまで心酔してるレベルだったとは……)

 

 結局、茅野に拘束された男子たちが解放されたのは、しばらくして様子を見に来たあぐりが、彼女を宥めてからだったとか何とか。

 

 

 

   ※

 

 

 

「まったくー。渚、何で止めなかったの!」

「い、いや……、元々はころせんせーに使う用に作ってたものだったし、イトナ君が馴染めるかそうじゃないかっていう感じだったから」

「だからって、黙認は犯罪なんだから! 法律でもそうなってんだからね! ネット上とかに流されたら回収不能なんだよ!」

(何だろう、具体的でどこか私怨みたいなのを感じる)

 

 帰り道。椚ヶ丘駅に向かいながら、渚は多少落ち着いた茅野を宥めていた。

 なにせ雪村先生からの直のお願いである。茅野のテンションも相まって、断れる雰囲気ではない。

 

「わかってるの? そういうの、新しい犯罪の温床とかになったりするんだから!

 盗撮ゆるすまじ! 慈悲はない!」

「お、岡島君とかは……」

「あっちは何だかんだでヘタレだから、一番やばいデータは残ってないから、まあ、うん」

「そ、そうなんだ……」

 

 言いながらも律儀にメモをとる渚。何もこんな情報まで拾わなくとも、と言っていた茅野自身、思わなくもない。

 

『まーま、茅野さん。落ち着いてください♪』

「律……」

『暗殺バドミントン中に撮影されそうになった際、一応は撮られてなかったと思いますし、ここは一つ、三村さんのエアギターのムービーでも♪』

「うわぁ……」

 

 噂で聞いた事はあったが、実際映像としては初めて見た二人は、思わず言葉を失った。

 「九人の男性アイドルボーカルが歌うセンセーションズ」なJポップに合わせて、ぴょんぴょん跳ねる三村。

 

「って、こんなのいつ撮影したのさ、律」

『ころせんせーから以前、提供されました♪』

「まず、ころせんせーが何時撮影したのかっていう謎だよね」

「そいうえばこの間、不破さんが設置してた『最強ジャンプ』のトラップも、動かされた形跡なかったのに、しれっと全部読み終わってたし」

 

 二人と一台は、揃って疑問符を浮かべた。

 

 ますます謎が深まるころせんせー。「強化改造された人間」であること、暗殺教室の条件であるダメージを13回喰らうと身体能力が一般人並に落ちる事、それらが「特殊な心臓」に由来することが今日新に分かったものの。

 依然として頑なに、本人はそのバックボーンを語ろうとしない。

 

「……そう考えると、烏間先生が元防衛省だっていうのはわかるとして、雪村先生がころせんせーのこと、色々サポートしてるのも怪しいかな」

「どゆこと?」

「だってサポートできるってことはさ――」

 

 渚の言わんとしていることを、流石に茅野も理解する。

 

 つまるところ――雪村あぐりは、生徒たち以上にころせんせーの背景に深く関わっているのではないか。

 そうでなければ、あの「付き合ってるんじゃないか」という程の距離感の近さに、説明が付かない。

 

「結局3億円(ヽヽヽ)もどこから出てくるかわからないしねー」

「……流石に先生の個人資産とかじゃないよね」

「野球選手と知り合いなわけだし、最近テレビとかにも出てくる『タコせんせー』の版権も半分持ってるみたいだし、他にもお金稼いでるかもね……」

 

 とは言っても、明確な回答がそこで現れるわけでもない。

 

 

 そんな話をしているタイミングで、渚たちの方にサッカーボールが飛んできた。

 

 

 

 「あっ」と茅野が口を開くよりも先に、渚はボールの位置を把握。

 彼の方が、ボールの飛んできた公園には近い位置だからだ。

 

 どうやら、PKでボールのフリースローの時、後ろにやった瞬間に手から抜けてしまったらしい。

 

 

 自分の背後に茅野がいるという状況であったためか、渚のクラッチはことさら早く繋がり、勢い良く普段の単なる小動物さを「振りきった」。

 

 

 脳裏に過ぎるのは、前原と岡野の二人。加えて前に千葉に聞いた一言。

 

 

 狙撃の際の空気抵抗や、方向性のぶれについての知識がめぐる。

 その状態で前原の動きを参考にしつつ、頭に飛んで来たボールの角度を調整し、上部へ。

 高く上がったボールを、一歩下がって脚を中段に構え、岡野の蹴りのように、一撃!

 

 

 脚の動きほど鋭くない返球となったが、これは狙い通り。

 

 

 

 ボールを投げようとしていた小学生の足元に、渚の一撃は、ぽん、ぽん、といった具合の弱さで着地した。

 

「あ、ごめんなさい! ありがとうございます!」

「うん、気を付けてね! あとボールは確か、頭の後ろにやってから投げると飛ぶよ!」

 

 さり気なく以前烏間から言われたアドバイスも交え、渚たちは公園の前を去る。

 

 公園から見えなくなる位置まで来て、渚は、思わず蹲った。

 慌てて茅野が、彼の頭を撫でる。

 

「な、渚、大丈夫……?」

「痛た……。頭、鍛えようがないよ」

 

 ほぼ完璧に前原のモーションをトレースしたところで、肉体その他のスペックまでもが追いついているわけではない。

 見た目通りに強度は強くないため、擦る茅野の手には、たんこぶの感触があった。

 

「あー膨らんじゃってるじゃん……。無茶しちゃ駄目だよ、渚」

「い、いや、まあ……、うん」

「でもありがと。たぶん、私庇ったんだよね」

 

 よいしょよいしょとバッグの中から保冷剤(!)を取り出し、渚に手渡す。

 

「たまーに渚、さっきみたいに『別人みたいな』動きをする時あるけど、こーゆーの見るとやっぱ渚は渚だよねー」

「まあ一発芸みたいなものだからね……。カルマ君とかみたいな、純粋なスペックは不足してるし」

「ロヴロさんの猫騙しとかも出来る渚がよく言う……」

「いや、だって殴り合いしたら、きっと勝てないし……」

「私の今日やってたロープとかだって、またメモしてたし。そのうち出来るようになるんじゃないの?」

「それでも、結局本人には勝てないからさ」

「う~ん……、謙遜じゃないのかもしれないけど、嫌味に聞こえることもあるからね、渚それ」

「へ? あ、うん。わかった」

 

 頷く渚だが、この部分を理解しているかどうかは未だ微妙だ。

 自覚していないようなので、改めて茅野は言う。

 

「ころせんせーにも前に話したことあるけどさ。渚のその、コピー? みたいなの。練習とかもしてるんだろうけど、才能か何かの一種だと思うよ?」

「へ? そ、そうかな……」

「……あと、その女の子っぽいところとかも」

「それ才能とか言わないよ絶対!」

 

 素直に可愛らしく照れた直後、恥ずかしがって絶叫を入れるあたりはいつもの流れだ。

 

 

「ま、そこんとこ気を付けた方がトラブル少なく生活できるんじゃないかなーと、あかり(ヽヽヽ)ちゃんは思うわけで」

「あはは……。うん、気を付けるよ茅野」

「……やっぱ速水さんみたいに上手くはいかないか」

「?」

『茅野さん、トライアンドエラーです♪』

 

 律の言ってる言葉がわからない渚と、ちょっとだけ残念そうな茅野。

 それに気付かず、渚はふとさっきのボールのことを思い出した。

 

「……あれ、そういえばワールドカップって、どうなってたっけ?」

「にゃ? あー、そういえば日本代表がどうのこうのって、この間言ってたよねー」

「あの子達、なんかユニフォーム着てたのそのせいか……」

『ころせんせーが、今からどのタイミングで決勝戦の観戦になるかなど、パソコンで試算をしていました♪』

「「一体何を基準にした計算式!?」」

 

 思わずツッコむ二人だが、まさか「以前にも」同様の時系列の動きがあったため、それを参考に違う箇所を諸条件鑑みて調整してるとか、そんなぶっ飛んだ発想は出て来ない。

 

「あはは。……まあ、渚、立てる?」

「あ、うん。もうちょっと」

 

 たんこぶを保冷剤で冷やしつつ、渚は手を差し伸べてきた茅野に笑う。

 

「あんまり痛むようだったら、病院連れてこっか?」

「そ、そこまでじゃないと思うけど――」

 

 そして、茅野が近寄り前かがみになった、次の瞬間。

 

 何がどうしてそういった作用が働いたのか定かではないが、不意に、彼女の背後から風が吹いて来た。

 

 

 位置関係をおさらいしよう。

 立ちながら渚の顔を覗きこむ茅野と、片足を立てて座りながら頭のたんこぶに手をやる渚。

 

 現状の位置関係で、茅野の背後から風が吹けば何が起こるか。

 

 加えて、一瞬彼女はそのことに気付かず。

 

「ほぇ?」

 

 変な感嘆詞を上げる茅野と、表情が困惑気味なそれに固定された渚。

 だが、その相手の顔がどんどん真っ赤に染まっていくのを見れば、流石に彼女にもわかる訳で。

 

「か、か、か、茅野? あ、あの……」

 

 思わずスカートを押さえ、渚以上に顔を真っ赤にする茅野。そして勢い余って。

 

vergessen(忘れてッ)!!!」

「うわー!」

「って、きゃ!? 渚、大丈夫ー!!」

 

 思わず反射的に回し蹴りをクリティカルヒットさせてしまい、伸びた渚の対処に困ったりもした。

  

  

  




さらっと新情報を紛れ込んでいたり・・・ 一応ほのめかす程度ですが;


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第22話:球技大会の時間

今回は本当の意味でタイトルを変える意味がないので、そのままで。
女バスの面々は、名前とか流石にオリジナルとなります;


 

 

 

「んあぁ……、やっと梅雨明けだ」

「暑くなってきたねぇ」

 

 アウトドアな季節ですな、と杉野は笑う。

 3-Eの校舎に向かう途中の渚、杉野、カルマの三人。じめじめとした空気が晴れたのを見て、それぞれ多少気分が晴れたような顔をしていた。

 

「どっか外で遊ばね?」

「何しよっか」

「じゃあ釣りとかどう?」

「いいね! 村松君とか、磯貝君みたい。今だと何が釣れるの?」

 

 カルマの提案に楽しそうに乗る渚。もっとも相手が浮かべてる笑みの種類を見れば、色々と一目瞭然であったが。

 

「夏はヤンキーが旬なんだ。渚君を餌にカツアゲ釣って、逆にお金を巻き上げよう」

「や、ヤンキーに旬とかあるんだ……」

 

 無邪気な悪意に汗を垂らす他ない渚。

 雑談は続く。海なんてどうかと提案する渚。カルマはまだ釣り(?)を諦めていないのか、手元でエア財布を数える仕草を続けている。

 

 そんな最中、杉野の視線がグラウンドに向いた。

 

 ――風をぶっちぎるボールの音!

 グローブがキャッチする音も、どこか重々しい。

 

「ナイスピッチ! キャプテン」

 

 帽子を脱いで汗を拭う、短髪の少年。表情はどこか厳つく、クールに投げ返された球を受けていた。

 

「進藤だったっけ? 彼」

「うん。進藤一考(かずたか)。野球部の主将だよ」

(そして、確か杉野も元野球部。面識はあるはずだけど……)

 

 背は180センチを超え、そこから放たれる超中学級ストレートは、クラブを都内準優勝に導く。

 その成績からして、まさに椚ヶ丘中学が求めるエースプレイヤーの一人といえた。

 

 と、そんな彼の視線がこちらに向く。

 

「お? 何だ杉野じゃないか! 久々だなぁ」

 

 周囲の面々も声をかけ集ってくる。その様子は普段の差別待遇を忘れるくらい普通の光景に見え、一瞬ためらった杉野も笑顔を浮かべるくらいだ。

 

「来週の球技大会、投げんだろ?」

「あー、まだ決まってないけどなー」

「楽しみにしてるぜ。球種増やせって言ったの覚えてるだろー?」

 

「なんか普通だねー、渚君」

 

 カルマの言葉の通りである。

 あくまで表面上は。

 

「でもいいよなー杉野」「E組なら毎日遊んで暮らせるだろ?」「俺等両方だからヘトヘトだしなぁ」

「止せ、傷つくだろ」

 

 これでもまだ、普段に比べれば幾分軽く見えるのは、スポーツマンゆえ勉強に置く比重が軽いからか。

 そして主将たる彼の続く言葉に、渚が表情を消す。

 

「――進学校での部活との両立。選ばれた人間じゃないならしなくて良いことなんだから」

 

(……は?)

 

 一瞬、自分の心の内側から涌いて来た言葉に戸惑う渚だが、しかし顔はあまり笑ってない。少しだけ睨み付けるような色が出ている。

 

「へぇ、面白いこと言うねぇ。まるで自分が選ばれた人間みたいなこと言うじゃん」

 

 そんなカルマの挑発にでさえ、

 

「うん、そうだよ?」

 

 笑顔で断言するこの余裕っぷり。

 まさに理事長、浅野學峯の教育方針が機能している証拠であった。

 

「気に入らないか? なら球技大会で教えてやるよ。

 上に立つ選ばれた者とそうじゃない者。この年でも開いてしまった、絶対的な差というのをな」

 

 優越感に適度に浸りつつも、ほとんど驕りの見られないその姿勢。

 手強い空気をまとう彼等を前に、渚はわずかに拳を握った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「着うた変えたんですよ、ほら」

「せんせー、その話何の意味が?」

「気付いてないと、誰の着信かわからなくなりますからねぇ。一応授業中は切るように言ってますが、私達教員側はそうもいきませんから。で、何の話でしたっけ」

「黒板に書いてあるじゃん!」

「っていうか、私、今説明してたところじゃないですか!」

 

 自力本願な進化ソング(前の着うたと歌っているメンバーは一緒)を流しながら、ころせんせーは生徒たちに確認をとった。

 もっとも磯貝が板書していたり、あぐりに解説されていたのを中途半端に流してしまったため、生徒側と副担任からはちょっとバッシングものである。

 

「まあまあ。

 クラス対抗球技大会ですか……。健康な心身をスポーツで養う! というばかりでもなさそうですね」

 

 トーナメント表に眼を通せば、当たり前のようにE組が除外されている。

 

「E組はエントリーされないんだよ。1チーム余るって素敵な理由で」

「三年前までは、A組をシードにしてたんですけど、やっぱり習熟度に差が出ちゃって……。

 その変わり、大会の締めのエキシビジョンマッチに強制参加になってるんです」

「ヌルヌル」

 

 頷く時の語呂が相変わらず妙なころせんせー。しかし表情は真面目に「球技大会3年男子」の面を見ていた。

 

「よーするに見世物さ。全校生徒が見てる前で、それぞれ男子は野球、女子はバスケットやらされんだ」

「なるほど、いつもの(ヽヽヽヽ)やつですか」

「「そうそう」」

 

 三村の言葉を受けたころせんせーに、片岡とあぐりが頷く。

 

「でも心配しないで、ころせんせー。基礎体力ならある程度付いてるし、良い試合してみんな盛り上げよ!」

「「「「「おー!」」」」」

 

 片岡の声に応じて、女子の面々がほぼ全員手を挙げた。狭間あたりは「やれやれ」と肩を竦め、律は「どちらで参加したら良いんでしょう」と、画面内の女子姿と手前の男子ハードで、それぞれ左右逆に頭を傾げていた。

 

 と、がたりと教室の後方で約三名が自主的に起立。言わずもがな寺坂グループである。

 

「俺等、晒しモンとか勘弁だわ。お前等でテキトーにやっといてくれや」

「あ、おい寺坂! ……ったく」

「ラーメンくらいなら出前するぜー」

 

 最後の村松の宣伝はともかく、この退場はある程度仕方ないと見るべきか。

 

「(……考えてみれば、『この時点での』寺坂君はチームプレーに向かないし、撤退したのはそれも考えてのことですかねぇ)」

 

 ぼそりと呟くころせんせー。無論、誰にも聞こえてない。

 前原が振り返りながら言う。

 

「野球となりゃ頼れるのは杉野だけど……、なんか勝つ秘策とかねーの?」

「……難しいよ。体力面で言えばともかく、三年分経験に開きがあるのが大きい。

 後かなり強ぇんだ。ウチの野球部」

 

 渚ではないが、その事実を知っている、あるいは調べている生徒も少なくはない。ローカルテレビ局で休日に試合風景が流れている時点で、かなり勝ち進んでいることは否定できない。

 

「特に今の主将。進藤って言うんだけどさ。剛速球で名門高校からも注目されてる。

 勉強もスポーツも一流とか、世の中なかなか不公平だよな……」

「杉野……」

「……だけどさ、勝ちたいんだ。先生」

 

 それらの事実をして、なお杉野は一言、食い下がる。

 手を握り、リストバンドを見つめて言う。

 

 周囲の視線を集めながら、彼は独白のように続けた。

 

「善戦じゃなくて勝ちたい。

 好きな野球で負けたく無い。

 部活追い出されてE組に来て、むしろその想いが強くなった。……みんなとチーム組んで勝ちたいんだ!」

 

 そして顔を上げた瞬間、ころせんせーはアカデミックローブを脱ぎ捨てた!

 下から現れたのは、謎のユニフォーム(胸元にKOROKと筆記調のロゴが描かれている)である。

 

「あ、う、うん、ころせんせーも野球したいのは伝わったよ」

「ヌルフフフフフ。この日のためにこの服、準備していたのが無駄になりませんでしたねぇ」

(((((準備してたの!?)))))

「せっかくですからせんせー、スポ根ものの熱血コーチみたいなことやってみましょう。

 殴ったりしないので、卓袱台返しで代用します」

「用意良すぎだろ!」「どこに用意してあったんですか、こんなの!?」

 

 食品サンプルが固定されたそれを取り出すころせんせーに、思わず突っ込みが入った。

 楽しそうに笑いながら、ころせんせーは教室中を見回した。

 

「最近の君達は、目的意識をはっきり口に出すようになりました。

 やりたい。

 勝ちたい。

 どんな困難な目標にも揺るがずに……。

 その心意気に応えて、吉良八監督が勝てる戦略とトレーニングを授けましょう」

 

 オブザーバにプロをお招きして、とパッド端末を操作しながら言うころせんせー。

 杉野や渚、茅野あたり事情を知ってる面々はさっと期待に胸を膨らませ、その動作を見守る。

 

「雪村先生は、女子側の方をお願いします」

「わかりました」

「律さんは……、参戦するのも流石にアレなので、トレーニングにご協力下さい」

「『はい♪』」

「それから後は……、LINEでイトナ君にも、一応連絡入れておきましょうかね」

「「「「「やってるの、イトナ君!?」」」」」

 

 本日一番の衝撃的な事実に、生徒達は揃って目をひん剥いた。

 

 

 

   ※ 

 

 

 

『――あーっと! 打ち上げたー!

 センターなんなくキャッチ。試合終了ー!

 トーナメント、三年野球はB組を破ったDを倒し、A組が優勝です!』

 

 球技大会、当日。

 グラウンドの生徒達が肩を抱き合い、お互いの仕事を褒め合う。クラスリーダーの生徒が、髪型が崩れるのを嫌がってかきっちりかっちりワックスで髪型を固定していたりする珍妙な姿も見かけられたが、それを無視する勢いでA組の面々はテンションが上がっていた。

 

 対してD組は肩を落している。珍しくスポーツ特化のB組を破ったといえど、やはり絶対的なエースクラスに勝ちようがないのは、わかっていたからだ。

 

「あーあ。負けた負けた」

「次の試合見て忘れようぜ? 俺等より取り得のない奴等が、もっと恥かくところをよ」

 

 ベンチで交わされる高田と田中の会話が、概ね普段のノリを物語っているだろう。去年まではこの通り、自分達の成績をE組の惨敗を見て癒していた彼等である。

 

 もっとも、体操着姿で並ぶE組の表情は、気負った風でもなく自然体である時点で、何かを察するべきではあるが。

 

『――えー、それでは最後に。3-E対野球部の、エキシビションマッチを行います!』

 

 五英傑の荒木である。楽しそうなアナウンスは、どちらかといえば何かを揶揄した愉快さを秘めていた。

 並ぶE組を前に、進藤が上から目線で言う。表情からは優越感が溢れていた。

 

「学力と体力を兼ね備えたエリートだけが、選ばれた者として人の上に立てる。それが文武両道だぜ杉野」

(五英傑的にどうなんだろう……)

 

 渚の内心の突っ込みはともかく。

 

「お前はどちらもなかった。選ばれざる者だ。

 いつまでも表彰台(グラウンド)に残ってるのは偲び無い。きっちり片を付けやるよ」

 

 チームメンバーに声をかけて士気を上げる進藤。

 

「ヌルフフフ。それでは、こちらもカチドキ上げましょうか」

「いいよそういうの、ころせんせー」

 

 ベンチにてサングラスを装着したころせんせー。格好はユニフォームに加え、誰のモノマネをしてるのかぼやきのようなものが聞こえる。

 

「では皆さん。――殺す気で勝ちましょう」

「確かに、俺等には先生っていう、もっと強いターゲットがいるんだ。

 じゃあ、殺そ(やろ)うぜ!」

「「「「「おう!」」」」」

 

 磯貝の言葉に唱和する男子の面々。

 そんな中、さりげなく律(アンドロイドハード)がチアガール姿でベンチで「ふれっふれ♪」とポンポンを振っているのが、何とも場違い感溢れていた。

 

 会場が湧き、試合が始まる。

 

『――さあ一回の表、E組の攻撃。一番サード、木村!』

 

 ストライク! と審判の声が上がる。

 これには当然という反応のギャラリーたち。相手は優に140とプロ並の速度である。

 

「いや、すげーアウェイ感。……らじゃッ。

 おっし、行くぞ!」

 

 ベンチにて監督が、ぱっぱと「タコせんせー人形」のカラーバリエーションを切り替えて、サインを出す。頷く木村は、早急に戦略を切り替えた。

 大振りでホームラン宣言をするような動作。素人ゆえの驕りか否か。

 

 野球部の顧問、寺井は、ごくごく当たり前のように半笑いで傍観していた。

 

「一回表三人で終わらせて、とっとと10点とってコールドだな」

『――さあ、進藤君第二球!』

 

 なおこの球技大会においては、観客を飽きさせない為に男子は10点、女子は50点差の時点でコールドゲームとなるシステムである。反撃する糸口さえ掴ませないというところか。

 

(雑魚が。警戒すべきは杉野くらいだが……、打てるわけがない。格が違う)

 

 以前の情報を元に、冷静に分析しつつ投球する進藤であったが、一つ、誤算があった。

 

 ――木村は、バントを当たり前のように成功させた。

 

「なッ!」

『――あっと、宣誓バントだ! しかも転がった先が悪く無い!?』

 

「木村君は岡野さんに並び、E組トップの俊足。これくらい楽々セーフに出来るでしょう」

 

 ころせんせーの言葉通り、試合は予想通り進む。

 

『――セーフ! これは意外! E組ノーアウト1塁だ!!』

「小賢しい」「気にすんな、素人だし警戒すりゃそう簡単には出させない」

 

 二番バッター。潮田渚。

 再び出されるころせんせーの指示を見て、にやりと笑う。

 

 投球されたボールに対して、彼は微笑んだまま、やはり「当たり前のように」バントをした。

 

「くそッ、プッシュバントだと!? 明らかに狙ってやがる」

 

「ヌルフフフ。強豪とは言え中学生。バント処理はまだまだですねぇ」

 

 ノーアウト1塁2塁。

 まさか、まさかの事態である。

 

 焦る進藤。思わずベンチから立ち、3-Eのベンチを二度見する寺井。

 

「ば、馬鹿な……! 狙った場所に転がすどころか、進藤クラスの速球になんで当てられるんだ!?」

 

 素人目の難易度との違いを正確に理解できるあたり、やはり相手もプロフェッショナルか。

 ただし今回に関してはある意味、3-E側がアレであった。

 

「こちとら、アレだったもんなぁ練習の時……」

 

 前原の言葉が示すとおり、試合の練習風景は色々な意味で並じゃなかった。

 

 

『今回の戦略。バント処理が苦手だっていうのは悪く無い読みだと思うぞ。でも相手にやられた時のことも考えておけ。特に杉野君』

「あ、はい!」

 例えば、ころせんせーのコネで戦略面のオブザーバになってくれた、有田投手。今年から日本シーズン復帰とのことだが、そんなこともあって今回は時間的に暇なタイミングで連絡が取れたらしい。

 

「ソニック、オーバアアアアアアッ!」

「速すぎるって、イトナ君!?」

 例えば、ちゃっかり練習に参加していたイトナ。ジャイアントキリングに向けて練習しているという話を聞き、シロの調整を振り切って「(ほどこ)そう」と妙にノリノリで投球だけしてくれたりもした。

 ちなみに「触手を纏った」腕で投げるその速度は450キロ。

 

 なお内野は律×2+烏間が担当し、ほぼ鉄壁とも言える首尾。

 肝心のころせんせーはキャッチャーにつき、往年のある選手のごとくささやき戦術を駆使していた。

 

「××君、初めてクラスでとある女子生徒に『ちゃん』付けで呼ばれた事、つい最近まで大分意識してましたねぇ」

「ッ!?」

「××君、校舎裏でこっそりエアギター、ノリノリでしたねぇ」

「い、ううッ!?」

「××君、片岡さんに美術のモデル、もう頼めたんですか?」

「ファ!?」

 

 生徒のプライバシーも勘案して詳細は濁されるが、ともかく憔悴すること必至である。

 イトナに関しては、あえなく途中退場。「お前達ばっかり楽しそうだ!」という残念な叫びは、大半の生徒が聞かなかったことにして流した。

 

「次は対戦相手の研究です。この三日間、竹林君に事前偵察してきてもらいました」

「面倒でした」

『竹林さん、どうもありがとうございます♪』

「なんのこれしき!」

 

 メガネの下が心なし光ったような気もするが、さておき。

 

「進藤の球速は、MAX140.5km。持ち球はストレートとカーブのみ。練習試合も九割型ストレートでした」

『つくづく中学生離れしてるなぁ……』なお、もはや場の誰もツッコミさえ入れなくなった有田投手。

「球種は俺の方が多いけど、あの剛速球なら俺等のレベルじゃストレート一本でも勝てちゃうのよ」

「ですが、それはまた逆も言えます」

「「「「「?」」」」」

『一長一短ってことだな。逆に言えば、ストレートだけ見極めればこっちのものってことだ。

 おいコピー(ヽヽヽ)タコ野郎、腕は鈍ってないんだろ?』

「ええ、無論ですとも。

 というわけで、ここからの練習はせんせーが進藤君と同じフォームと球種で、彼と同じく『とびきり遅く』投げましょう」

「「「「「!?」」」」」

 

 ここで生徒達も気付いた。

 先程までのイトナの投球に比べれば、そう、約146キロなど止まって見えるレベルである。

 

 つまるところ。

 

『そういう意味でなら、一つの球種のみに絞ったバントだけなら、充分修得できるってことだ』

 

 

 

 実際その戦略はある程度成功しており、三番磯貝のバントで全塁コンバイン状態である。

 

『――ふぇ、フェア!? ライン上ぴたりと止まってしまった!!

 三番磯貝セーフ、ノーアウト満塁だぁぁぁッ!!? ちょ、調子でも悪いんでしょうか進藤君ッ』

 

 汗を垂らす野球部の面々。特に進藤のそれが一番焦りが見える。

 そしてバッターボックスに立つ四番、ピッチャー杉野に怒りを燃やす。

 ころせんせーの指示は、最後に黒く、眼の赤く発光するタコせんせーの混じったもの。

 

 バントの構えをする杉野を見て、進藤はある錯覚を覚えた。

 

(な、何なんだ、何なんだコイツらッ。獲物を狙うような、容赦のない眼)

 

 プロ同士の試合でなら、充分にあり得るその感覚は、しかし一介の中学生では未だ体験したことのないもの。

 何がなんでも勝利を狙うというその姿勢は、暗殺教室のそれに通じる。

 

 自分が立たされている場所が、野球場なのかどうかさえわからなくなるような、そんな類の緊張感を彼は初めて味わっていた。

 

(文武両道か。……確かに武力じゃ敵わねー。お前がナンバー1だって、俺も認めちまってる。

 でもな――)

 

 流れる投球に対して、杉野はごくごく自然に、バットを持ち変え――。

 

(例え弱者でも、狙い澄ました一刺しで、巨大な武力を仕留める事だって――)

「――出来るんだ!」

 

 鳴り響く金属音。

 抉る一撃。狙い済ましたバッティングは高々と上がり、外野を抜けて行った。

 

『――二塁ランナーに続いて一塁ランナーもホームに向かう!

 打った杉野もスリーベース!(何なんだよこれ……)、E組3点先取!?』

 

 空気が変わる。

 あくまでまぐれ、まぐれというノリだったその場が、確実に、着実にE組に暗殺されかけていた。

 

「まずいぞこりゃ……ッ」

「顔色が優れませんねぇ寺井先生。お体の具合、大丈夫ですか?」

 

 と、ここでベンチに現れた長身。爽やかな空気を漂わせる支配者は、この学園において只一人。

 

「すぐ休んだ方が良い。部員達も心配のあまり、力が思うように出せないらしい」

 

 浅野學峯その人である。素立ちで感じるこの圧力は一体どこから来るものか。

 震える寺井に浅野は額を重ねた。

 

「――病気でもなければ、こんな醜態を晒して大丈夫なんですか?」

「――ッ!!!」

 

 気絶である。言外に匂わされた勢いに緊張状態へ至り、精神が追いつかなかったらしい。

 もっとも彼は彼で「このくらいかな」とぼそりと一言。

 

「あー、やはり凄い熱だ。マネージャ、寺井先生を医務室へ」

「あ、は、はいッ」

「その間、監督は私が代わりましょう」

「な、何を……ッ」

 

 ばっ、とスーツの上着を脱ぎ捨てる理事長。

 その下には――くぬどんのロゴが描かれた、ちょっと微妙な野球ユニフォームが装着されていた。

 

「なに、少しギアを上げてあげるだけですよ」

 

 彼のタイムコールにより、試合は更に混迷を極める。

 

 

 

   ※

 

 

 

 一方、体育館にて。

 

「いい? 律が事前に調べたデータをもっかい復習!」

 

 試合直前。スマホ律を展開しながら、片岡は全員に一度確認をとる。

 頷いたのを確認して、律は解説を始めた。

 

『はい♪ まず主力メンバーですが、二年生の大熊猫(おぐね)さんを除き、三年の久万沢(くまさわ)さん、鷲ノ眼(わしのめ)さん、寅川(とらかわ)さん、そしてエースの獅堂(しどう)さんの五人となっています♪』

(くま)(わし)(とら)獅子(しし)……、動物園みたいね」

「あ、あと字的にパンダもー」倉橋の一言により、より速水の感想が強調される。

「っていうか、身長の時点で勝てる気がしないんですけどー」

「あら、その分小回りが利くんじゃない?」

 

 相対する女子バスケ部の面々は、いずれも高身長に堂々とした出で立ちをしていた。

 

「……あれ? 獅堂って、ショートの子だよね。居なくない?」

『あ、はい♪ 女子バスケ部の獅堂さんは、双子のようです。片方はエースで、片方はマネージャーなご様子』

 

 ほぇーと茅野。バスケ部の面々を見回した後、ベンチ側の方に視線を振る。

 いつか見たその女生徒。眼を合わせるまでは普通だった茅野。

 

 

 

 

 だが、両者の視線が交錯した瞬間、お互いに謎の電流走る。

 

 

 

 

「か、茅野さん……?」

 

 思わず及び腰になる神崎。ゴゴゴゴゴ、とか、ドドドドド、とか、そんな描き文字が見えるようである。

 対するベンチに座っていた獅堂鳴子も立ち上がり、女バスの面々の下に走る。あちらもあちらで、背景に何かオーラのようなものが見えるような、見えないような。

 

「響子、勝つのよ。今日は絶対ッ」

「へ? あ、うん。当たり前だけど……、お姉ちゃんどうしたの?」

 

 ロングヘアの彼女は、姉の突然のプッシュに戸惑うも了承。

 

 何度か頷きつつ、姉は茅野と再び視線を合わせる。

 

「ど、どうしちゃったのかしら茅野さん……」

「なんか凄いやる気みたいね」

 

 変貌した様子に心配そうなあぐりと、これまた汗をかくイリーナ。手には本を用意して明らかに暇つぶしを考えているように見えたが、だがこの場の謎の空気に、ちょっと興味が湧いているようだ。

 

 一歩前に足を踏み出す二人。

 チームが並ぶよりも先に、どうしてかお互いが顔を合わせて対面。

 

「……修学旅行の時、電車で少し見た顔ね」

「……そっちこそ、()たちがちょっと世話になったみたいだよね」

 

 渚、という呼び捨てに、獅堂の眉毛がぴくりと動く。

 

「……まあ良いわ。今日はコテンパンにしてあげるから、精々良い試合になるよう頑張りなさいよ」

「……そっちこそ、簡単には負けないからね」

(((((何だろう、この状況)))))

 

 お互いのチームリーダーを差し置いて、一般プレイヤーとマネージャーが眼を飛ばしあう謎の空間に、会場全体疑問符が尽きない。

 

 それでもお互いに手を出し、握手をしながら笑顔で睨みが続くと言うこの状況。見下ろし見上げているような背丈であっても、そこにお互いの力の差は存在しないように見える。

 

 何の力かという話かもしれないが、背中からオーラのようなものが出ていれば、丁度ライオンと巨大プリンとが見えるかもしれない。

 戦いになるのかツッコんではいけない。

 

 握手を離して、お互いのチームへ戻る二人。

 茅野は当然、質問攻めされる。

 

「あれ茅野ちゃん、知り合い?」

「違うよ。話したのもさっきが最初ー」

「えー? でもー、その割になんかー……」

「し、修学旅こ――ッ」

 

 さ、と猛烈な速度で奥田の口を塞ぐ茅野。にっこり笑っているが、なんだか怖い。

 

「ふふふ……、みんな、勝とうね」

 

 サムズアップをして不敵に笑う彼女に、3-E女子面々は謎の衝撃を受ける。

 

「この茅野あかりには、やると言ったらやる………『スゴ味』があるッ!」

 

 不破の感想が、ある意味では適確なほどに、いつも以上にテンションがおかしい茅野。

 そして開始される女子バスケット。試合模様は、事前作戦も踏まえてなかなか好調である。

 

「イケメグ、パス!」

「中村さん、イケメグ言わないで!?」

 

『――おおっと、3-Eどんどん追い上げていってるー!? このまま一気に、行ったー!』

 

 こちらでも先制先取はE組。

 ゴールから落ちたボールを手に取り、投げる女バス部員。受け取った獅堂妹が走る走る。

 

「速水さん、大周り!」

「了解」

「け、結構上手いじゃん!」

 

 不破の指示を受けて、大周りにディフェンスへと動く速水。側近で近づいてこなかった分、反応が送れてボールを取りこぼした。

 そのまま岡野にパスが回ると、獅堂が稼いだ距離をぐいぐい追い上げていく。

 

 そのまま再び片岡にパスが回る。

 が、ロングシュートの手間には大熊猫を中心としたディフェンス陣が、壁のように並ぶ。身長的には同じ位である分、伸ばした手はシュートの軌道をそらすが――。

 

 

 そこで、誰しも想像しなかった光景が起こる。

 茅野あかりである。誰にも気付かれず、守備の位置から疾走。そのままの勢いで、ゴールコースから逸れるボールを、二段ジャンプとしか形容しようのない飛びあがりでキャッチし――。

 

 

「うりゃー!」

『――だ、ダンク!? うっそ、あの身長で!!』

 

 

 アナウンスがもはやアナウンスにならないほど衝撃を受けていた。

 これにはE組だとか関係なく、会場が大盛り上がり。スーパープレーとしか言いようがない。

 

 相手のベンチで、獅堂でさえ「へぇ」と関心した表情である。

 

「すごいよ! 茅野っち何あれ!」

「か、茅野ちゃん大丈夫? そんなパワフルにやっちゃって……」

「だ、だ、だいじょうぶー! さー、片岡さん勝つよ!」

 

 握った拳を付き上げる彼女。どうしてか妙にやる気の彼女に引っ張られる形で、3-E女子組は拳を付き上げた。

 

 

 




今話まとめ:

別件の仕事でいない烏間先生
男子を中心にサポート回ってる律
制御されてるからちょっとだけ顔出しできたイトナ
何故かお茶目さを忘れない理事長

 女 の 斗 い


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第23話:球技大会の時間・2時間目

 

 

 

 

「やー、すごく惜しかった! サドンデスまで行ったんだけどねぇ」

「だね! 良いよ良いよ、次リベンジ、リベンジ!」

 

 体育館から出て行く女子チーム。中村の感想に片岡が励ましのようなコメントを出す。

 そんな彼女たちの背後、体育館からはそれなりに熱の篭った拍手が送られていた。

 

「ごめんねー、私がもうちょっと粘れたら……」

「無理はだーめ、茅野さん」

 

 そう呟く茅野あかりは、現在あぐりの背に背負われていた。足がガクガク言っており、動くに動けないと言った有様である。

 

「そんなことないって。むしろ大健闘だったし!」

「気にすんなって!」

「ううー、でもアレは卑怯だよぉ……」

 

 唸る茅野に、E組の女子たちはこぞって微妙な顔で頷いた。

 

 

 試合も後半。もっともハイスピードに点が入るか入らないかが繰り返されていたため、そこに至る速度はかなり早い。

 コールドゲームされることもなく、気が付けばサドンデス。

 

 女子全体は、主にフォアードの原が、茅野、片岡、岡野のバックにつきバランスを取っていた。

 狭間が相手チームのメンバーの動揺を誘ったり、スナイピングの要領でアクロバットにロングシュートを決める速水や、「お前は次に『何故この位置に責めてくるとわかった!』と言う」などコメントを残す不破など色々あったりしたものの、大接戦と言えば大接戦。

 E組だの何だの関係なく盛り上がる会場。

 

 そんなタイミングで、女バスのコーチはタイムをし、「彼女」を戦場に投入した。

 

「あれ、直接?」

 

 その場に現れたのは、本来ならマネージャーであるはずの獅堂鳴子。

 双子の妹の獅堂響子と並ぶと、先ほどまでとはまるで違った威圧感がある。

 

 そして再開される試合。岡野に回ったボールを、シャドーランのごとく音もなく追跡する響子。

 

「でも、これくらいなら抜け――! 

 あ、やられたッ」

 

 ところが、気が付けば彼女のドリブルしていたボールは消え、獅堂妹は彼女の元を離れた。

 

 その状況を外側から観察すれば、かなり衝撃的な絵面に違い無い。

 

「何、あれ。パントマイム?」

「……最近あんまり使いませんけど、あの二人はあれが本来の戦い方でしたね」

 

 その時、双子の動きは完全に岡野ひなたの視線に合わせて、誤差なく「重なって」動いていた。

 それゆえ追跡者が二人いたことに、一瞬彼女は気付けない。

 

 それゆえフェイントをかけようと一瞬立ち止まり、妹を誘導した瞬間、背後に迫っていた姉がボールを弾き落すといった具合だ。

 

 そしてボールを取ってからも、その影のようなシンクロモーションは続く。

 接近してくる相手を前に、すかさず足を止めて手前のシャドーがブロック。かと思えば、時にボールをパスし合って他を寄せ付けない。

 

 隙間を縫うように鷲ノ眼が妨害に入ったりなど、徐々に追い詰められて行くE組。拮抗状態を、カンフル剤の投入で自分の方に追い風を吹かせられたわけだ。

 いくら大会時ほど本気でないとしても、ここまで真面目に相手されること自体、やはり異例と言えるだろう。

 

 そしてラスト一球のタイミング。

 

 茅野が岡野の上を跳び(!)ボールを受け取ると、そのままダムダムとドリブルをし、ミドルシュートの構え。

 すかさずそれの手前に現れる、獅子二人。

 

 オーラのイメージで言うなら、茅野はそのタイミングで二段ジャンプを超え、三段ジャンプをした。

 プリンの外郭を打ち破り、一撃で首でも切り落とせそうなウサギの登場である。身長差によるブランクは、これで埋まったと言えた。

 

 ところがそれに対して獅子側がとった行動は、言うなれば時間差ブロックであった。

 

 縦列に並んだ彼女たちが、時間を置いて出現する。

 他の選手などとは違い、かなり密着した距離でそれを行う二人。一歩間違えればお互いがぶつかってしまうところだが、上手く回避出来る辺りは流石双子か。

 

 そして妹が落ちた瞬間、茅野がボールを投げようとしたタイミングで姉が現れ。

 

 まさに状況は、一騎打ち。

 

 そして、茅野のシュートは獅堂の手に弾かれ――。

 

 

 

 むにゅん。

 

 

 

 そんな擬音が、その光景を見ていた人間には聞こえたそうな。

 

「な、なああああッ!」

 

 茅野のシュートに失敗した手が、獅堂の胸にタッチ。

 状況的に、本来ならタッチしないはずなのだが、いかんせん両者の距離が近すぎたのと、相手の胸囲が胸囲だったために、不慮の事故が発生。

 

 しかし、審判がそれでもE組相手に不利な判断を下すには下すので。

 

 結果的にテクニカルファウルをとられ、それが切っ掛けでE組の敗北に繋がったのだった。

 

「あの勝ち誇った顔……、ますます巨乳嫌いになるよぉ……。怒りと殺意で目が真っ赤になるくらいに」

「茅野っちの巨乳に対する憎悪が増強!?」

「「あはは……」」

 

 他の女子達が笑い合う中、あぐりと矢田が揃って何とも言えない顔。

 胸の大きさが物理的に戦力の決定的な差となってしまった今、この話題はある意味デリケートである。具体的には自分達に標的を向けられかねない的な意味で。

 

「さて、男子はどうなってるかな」

「どーせまた変な事やってんでしょ?」

 

 イリーナの言葉は、実際ある程度は正しいわけだが、その状況が丁度このタイミングの前後で一変する。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「理事長、先生……ッ」

「やあ、精が出るね」

 

 爽やかに微笑みながら、野球場に入ってくるは学園長、浅野學峯。学校のマスコットキャラ「くぬどん」のロゴがあしらわれた、ちょっと微妙なデザインのユニフォームが、表情、立ち振るまいとミスマッチで色々と。ちょっと筆舌に尽くしがたい絵面だった。

 

「一回表からラスボス登場かよ」

「なんで学校のお土産物コーナーで売ってるアレ?」

『――い、今入った情報によりますと、顧問の寺井先生は本日急病で、選手達も心配して試合どころではなかったとのこと。

 そこで急きょ、理事長が指揮を執られるとのことです』

 

 放送の声に、会場が盛り上がる。やはり期待はE組よりクラブに集るのは必然か。

 

「寺井先生には少々悪いけれど、一旦空気をリセットさせてもらったよ」

 

 さらっとそんなことを、顔色一つ変えずに言ってのける理事長は果たして何なのだろうか。

 感謝の言葉を述べる進藤に、理事長は指を立てながら話しかけた。

 

「今回の現状は、必ずしも彼等がE組だから、侮っていたせいというだけではないよ」

「……? それはどういう――」

「例えば杉野君。部活動に出られなくはなったが、市のクラブチームに入団したんだそうだ。向こうのコーチに確認したところ、守備、打撃、マウンド捌き等々。

 私の予想だけど、技術面だけなら、おそらくこのチームでもトップになれるだろう。

 それだけ彼も、彼なりに努力しているということだね。本気で野球が好き、ということだろう。とても『良い』ことだね」

 

 理事長の言葉に、クラブ全員が顔を落す。思い出したのだ。見下し、馬鹿にしていた杉野が、実際には自分たちが思っている以上に真剣に打ち込んでいるだろうことを。かつての練習風景や、試合の時の彼の姿を忘れているメンバーは、この場には居ないだろう。

 

 そんな彼等に、理事長は笑い掛けた。

 ユニフォームのくぬどんも楽しそうに笑っている。

 

「だが、例えそうであっても君達の『良い』が、彼のそれに負けているということはない。

 小さいな努力は誰でもしている。大きな努力も、出来る者はしている。

 そして、そんな中で選ばれた者である君達は、強者として、これからの人生で何千何万とそういった相手と対峙し、時に潰し、踏み越して行かなければならない」

 

 理事長の激励に、生徒達が露骨にやる気を取り戻す。なにせ、あの浅野學峯から激励されたのだ。テンションが上がらないほうがどうかしてると言えた。

 

「円陣を組んで、話し合いなさい。どうやって勝ちたいかを。どうやって勝つべきかを。

 そしたら私は――君達に、そのための手順を教えよう」

 

 

 

『――試合再開です! 理事長先生が指示を終え、今下がりました!

 さぁここからどのように……?』

「うぇ!?」

 

 前原がバッターボックスでぎょっとする。

 

 その守備配置は極端な内野守備。

 全員が結集しているその配置は、E組の動きを読んだ上であろう。

 

 その上で数人があらぬ方向にダッシュの構えを見せており、咄嗟のトラブルにも対応できるように準備は万全といったところか。

 

 だがそれ以上に、この配置はバッターの気が散って仕様が無い。

 

「さっきの妙に足が速かったキャッチャーが、外側向いてら」

「っていうか、完全にバントしかやらないって見抜かれてるなぁ」

「つっても駄目だろ、あんな至近距離で!」

 

 岡島の言葉に、竹林がメガネを上げて一言。

 

「ルール上はフェアゾーンのどこを守っても、一応は自由だ。相手もヒットや、さっきの杉野みたいなのに対してはリスクを負っている」

「でも、色々フェアプレイ精神に反してはいませんか?」きら☆ とポーズを決める律。

「当然そこは審判の裁量だ。駄目だと判断すれば終わりだろうけど……、あっちは向こう側だ」

 

 その一言が、この状況の全てを表しているとも言えた。

 所謂アウェイと言う奴である。スポーツマンならある程度は慣れがあるだろうが、いかんせん慣れないスポーツではその微妙な差が結果を左右する。

 

 しかもその状況で繰り出されるは剛速球。

 

 前原の失敗は、ある意味必然と言えた。

 

 次の打者に対して、吉良八監督はさっと顔を覆った。

 

「ニュル……、以前よりもある意味、完璧な形でフォローアップされてますねぇ。ある意味因果応報ですが」

(なんか訳のわかんない事言ってる!?)

 

 そしてツーアウト。

 

 当然のようにそのままスリーアウトに向かうかと思う時、すっと、渚は手を挙げた。

 

 

「あの、次、磯貝君、代わってもらえる?」

「どうしたんだ、渚?」

「ちょっと確認したいことがあって」

 

 誰が向かってもこの状況を変えられはしないだろうことが予想される現状、渚の一言を磯貝は無視しなかった。

 

 ころせんせーはころせんせーで含み笑いをヌフフフ浮かべながら、背中を押す。

 

 バッターボックスで、渚は進藤の投球フォームと、急速と、そして球の回転の仕方を見ていた。

 

(……ん、やっぱり「伸びる」な)

 

 地味にE組では渚と杉野だけが気付いていたが、進藤は微妙に球種をころころ変えていた。プレッシャー戦略も含めて、手元で変化をつける辺り余念が無い。もっとも急速と威力に持っていかれて、ほとんど変化を起せない程度のレベルではあったが。

 

(だとすると――)

「――ストライクツー!」

 

 渚は実際問題、打つ、打たないという視点でこの場に立ってはいなかった。

 

 ただ彼は――じっと、進藤の動きを見つめる。

 アドレナリンが出まくって、興奮状態の彼は、その、デッドボールすら恐れない集中に気付かない。

 

 まるでスコープ越しに、暗殺者がターゲットの特徴を観察しているような――。

 

「――ストライクスリー、バッターアウト!」

『――あっという間にスリーアウト! ピッチャー進藤君、完全に復調です!』

 

 バッターボックスから降りてくる渚に、カルマがこっそり耳打ち。

 

「渚君、なーに見て来たの?」

「んん、ちょっと気になったことがあったから……、あ、杉野!」

 

 今度は杉野の方に駆けより、何かを耳打ち。「本当にそんなことで出来るのか?」という彼に、渚は「たぶん、引っ張られると思うから」と第三者が聞けば、よく分からないことを言った。

 

「ヌルフフフ。なにやら面白い企みの予感ですねぇ」

「あ、監督。実は――」

 

 

 

 一方野球部ベンチでは。

 

「その調子だ進藤君。変化を付ける付けないは任せるが、基本的にはストレート。速度と威力を優先して、大きく威圧するよう投げなさい。杉野君以外に君の左肩を外野まで運べる生徒はいない」

「はい!」

「君達は言った。『この状況で何が何でも負けられない』と。ならば君達がするべきは、野球ではなく制圧作業だ。存分に自分達の強みを出しなさい」

「「「「「おぅッ!」」」」」

 

 

 

 

「なかなか難しい状況ねぇ」

「渚、何やったんだろ」

 

 あぐりが、そんな球場の様子を観察しながら一言。女子メンバーも少し前にグラウンド外側に合流し、状況の推移を見守っていた。

 そんな背後から、ちらりと聞き覚えのある男性の声。

 

「……あの理事長もまた、教育者としては名手だ」

「あ、烏間先生。『会議』終わったんですか?」

「結局進展もなかったから、鶴田に議事録を任せてこっちに来た。しかし……」

 

 急いで来たのか、汗を拭う烏間。一歩前に出て、両チームのベンチを確認。

 

(生徒の顔と能力を覚えており、何より教える事と、やる気を引き出すのが抜群に上手い。

 やり方がよく似通っているのに、どうしてこうも違うものか……)

 

 烏間の脳裏には、理事長ではないまた別な誰かのことが過ぎりはしたが、それを振り払って状況の観察に戻った。

 

「同調か、排他か。……この二人の采配対決、興味があるな」

 

 なお、そんな彼の横でイリーナが「球と棒でINしないとOUTなのね!」とずっと読んでいたルールブックで、理解したんだか理解してないんだかわからないことをのたまっていたりもした。

 

 

 

 

「打たすなよ、杉野。ボール返されたら俺等フォローできる自信ねーぞ!」

 

 菅谷の言葉に「わかってらい」と苦笑いしながらも、続けざまに変化球で落す杉野。

 確実にツーアウトを確保しているその投球は、適確にストレートとカーブやスライダーを使い分けていた。

 

 この調子で次も押さえる調子で行ける訳だが、一方相手側ベンチでは。

 

「見るべき箇所は、ストライクゾーンだ。そこだけで良い。そこだけ誰よりも早く捉えられれば、君の一撃は更に良くなる。後は丁寧にね」

「丁寧に」

「君なら出来る。さあ、短期決戦の時間だ。繰り返そう、俺は強い」

「俺は強い」

「腕を大きく振って投げる」

「腕を大きく振って投げる」

「力でねじ伏せる」

「力でねじ伏せ――」

 

 甲斐甲斐しく絶賛改造中な進藤。

 

 そんな状況で、ころせんせーはカルマに「タコせんせー人形」で指示を飛ばした。

 

『――二回の表! やはり鉄壁のバントシフト!』

 

 と、打席の手前で動かないカルマ。

 審判に促されると、一瞬にやりと笑い、理事長の方を向いた。

 

「ねぇ、これズルくないのー?

 こんだけ邪魔な位置で守ってるのにさ。審判の先生も見て見ぬ振りだもの。スポーツマン的にこれってどーなの? お前等もそう思う?」

 

 反応が微妙な観客。

 

「あー、そっか。君達、馬鹿だから守備位置とか理解してないんだね☆」

 

 そんな観客に対して、一気に怒りを集中させる適確な挑発であった。

 てへペロが地味に良い味出してる。

 

「小せー事でガタガタ言うなE組!」「お遊びにクレーム付けてんじゃねーよ!」「まともにやったらお前等絶対に勝てないくせに!」「しかし、英雄はそんな逆境の中でこそ生まれる」「「いやお前誰だよ!?」」

 

 ギャラリーの中にさらっと混じっている、「くぬどん」のロゴが入った白いキャップをつけた、身長の小さな生徒が居たりして、E組全体が一瞬ぎょっとしたりもしたが、それはさておき。

 

『――二回の表! E組はなす術なくスリーアウト!』

 

 予想されていた展開である。続く二回のウラ、進藤がここでも火を吹く。さらっとツーベースへ向かうそれは、獣のような獰猛さで、まさに「強者」という風格だった。

 ちらり、と理事長が微笑みをころせんせーに向ける。

 

「……まあ、お互いある意味Win-Winではあるんですが、勝敗までは分かりませんよ?」

 

 こちらも主目的はそちらにはありませんし、とこちらも微笑み返すころせんせー。

 点差もあと一点に追いつかれ、野球部の攻撃を残すのみ。

 

「橋本君。今回は安定して行こう。お手本を教えてあげなさい」

「……なるほど、わかりました」

 

 そしてバッターボックスより放たれるは――。

 

『――あっとバント! 今度はE組が地獄を見る番だ!

 小技勝負なら、野球部の方が上! 先頭打者、橋本君の出塁率で逃した事の無いバント! 守備の弱さを付いて、完全に楽々セーフ!

 E組よ、これがバントだ!』

 

「映画のキャッチコピーかッ」

 

 速水がちらりと呟いたりしているが、状況としてはまさにそんなノリである。

 普通なら、野球部が素人相手にバントなど納得すまい。だが、逆に今まで散々苦しめられて来た分、大義名分は出来上がっているのだ。

 

 手本を見せて、逆襲してやるという。

 

 なおかつ、小技でも強いという印象を全体に与えられる。まさに強者らしい、制圧するための勝ち方だった。

 

 

『――あっという間にノーアウト満塁! 一回表のE組と全く同じ!

 最大の違いは――我が校が誇るスーパースター! 進藤君だあああああああッ!』

 

「蹴散らしてやろう、杉野」

 

 余裕がありながらも獰猛に微笑むそれは、強迫観念と同時に捕食者の顔だ。

 震える杉野は、武者震いか緊張か。

 

「ふふ。最終回のこれを演出するために、彼を一回表から調整した。

 最後を飾るのは小技ではなく、主役(ヒーロー)による圧倒的な一振り(フルスイング)だ」

 

 どう立ち向かう? 私の幻影(ヽヽヽヽ)さん。

 

 ベンチで呟く理事長のそれを聞いていたわけでもないだろうが、ころせんせーはタコせんせー人形で、さらっと指示を出した。

 

「……なるほどね。

 磯貝ー、カントクから指令」

「……マジっすか? いや、やるけど」

 

 片や楽しそうに笑い、片や苦笑いを浮かべながら、カルマと磯貝はバッターへと距離を詰める。

 

『――こ、これは! この前進守備は!』

「文句ないよね、審判に、理事長先生?」

 

 先ほどの状況を、そっくりそのまま返された状態である。

 対する理事長は、納得するよう頷いてから、挑戦するよう微笑んだ。

 

「ご自由に。ヒーローはその程度で心を乱さない」

「へぇー? 言質は取ったよ? じゃあ……」

 

 

「カルマ君……、いや、後で吉良八先生お説教しないと。多分大丈夫には準備してきたんだろうけど」

 

 さらっとカルマたちのとった行動の元凶を察知するあぐりと、それにぶるっと震えるころせんせー。

 

『――ち、近い!!!! ほぼゼロ距離守備じゃないか!』

 

 二人は要するに、バットのスイングするコースの上に陣取ったのだ。

 

 観客側から動揺の声が上がる。そしてそんな中の手前に入る田中と高田の真横で、キャップを指先でくいっと上げて、小さな謎の生徒が呟いた。

 

「そうか。避けられるのか。『ジョバンニもどき』も含めて、兄さんのクラスもまだまだ底が知れ無い。

 俺ほど勇者ではないがな」

「「だからお前誰だって!」」

 

 一方の理事長は、表情を消してころせんせーの方をちらりと見る。

 相手が余裕を持って頷いたのを確認して、彼は目が点になった進藤に一言。

 

「構わず振りなさい。当っても、打撃妨害はE組の方だ!」

(ま、マジかよッ!)

 

 直前まで上がってきた余裕は、一気に混乱の渦に。

 それでもまだ辛うじてペースを維持しているあたり、彼がれっきとしたスポーツマンである事実は揺らがない。

 

 だが、いかんせん相手が悪すぎた。

 

 意図的に大きく振れば怖気づくだろうと、混乱しながらもバットを、彼等の視線をかすめる位置で振る。

 だが、直撃コースに入った磯貝のみ動き、カルマはギリギリかすめない程度だったので、微動だにしなかった。

 

 ストライクコールを背後に、進藤は言葉が出ない。

 

 

「二人の度胸と動体視力は、E組でもトップクラス。特に、加えてイトナ君の触手投球を、自ら進んで間近で見続けたカルマ君です。

 マッハにもならないそれをかわす程度なら、バントより容易いですねぇ」

 

 ねるねるねーるな駄菓子を食べながら、ころせんせーはニヤニヤ笑う。

 そして仕上げとばかりに、タコせんせー人形を「渚の方に」向けた。

 

 渚がそれに頷いたタイミングで、カルマが更に追い込みをかける。

 

「遅い遅い。そんなの、お釣りが来るくらいだって」

 

 一歩前進し、視線を合わせながら。

 カルマは微笑んだまま、声音も変化させずに続ける。

 

「次はさ――頭ぶちまけるつもりで来いよ」

「ッ」

 

(ランナーも観客も、異様なこの光景に飲まれてる。

 そして当事者の進藤君は、理事長の言葉に身体が追いついていかなくなっていた)

 

 左手の親指を立てて、渚は杉野に、首を搔き切るようなモーション。

 杉野はそれを見て、肩をすくめてから「投球フォームを変えた」。

 

 それはまるで――。

 

『――おっと、これは、進藤君の構えか!?』

 

 有田投手の構えではないそれ。唐突に切り替わったそれに対して、相手の思考が一瞬麻痺する。

 

 杉野は、体を捻りながら、サイドスローの要領でオーバースローを投げた。

 

 

 球は、「上方向」に変化する。

 今まで全く使わなかった球種に、混乱している進藤は対応が遅れる。

 

(し、シンカーかこれッ!)

 

 ストライクツー。

 

 

 渚は、さきほどの親指を地面に向け、ぐっと、力強くサムズダウン。

 

 

 杉野は息を整えて、進藤の目を見据えた。

 

 そこにある感情は、先程までクラスメイトのミスに「気にすんな」と笑っていた彼のそれではない。

 

 

 例えるなら、背後で炎が上がっているような。

 そんな、燃える闘志が見て取れる。

 

 なのに構えは進藤のままというのが、どうにも不可思議ではあったが。

 

 

(どうしても、普段同じ動きを見慣れていると、そのイメージに引っ張られてしまう)

(僕等がころせんせーと戦ってる時、フェイントをどれくらいで入れたらいいかとか、考える時にまず思ったことだ)

 

 杉野の投球フォームは、今度こそ進藤のそれを同じである。

 一見すれば、ほぼ寸分違わず同一のもので。

 

(それこそ、自分が毎日やっている動きなら、その差は一目瞭然だ)

 

 やや大振り、先ほどまでの進藤の動作をわずかに含みながら、杉野は投球した。その速度は、進藤ほどの剛速球とはいかない。いかないが、だからこそ――。

 

(だから、例え最後の最後で変化が加えられたとしても――身体は、ストレートで反応する)

 

 混乱状態にあることも手伝って、進藤のバットは無軌道に振られる。

 対して、杉野の投球は、面白いように「落ちて」行った。

 

 今まで使ってなかった変化その2、フォークである。

 いや、構えやモーションはスプリットフィンガードに近いか。

 

 ぱす、というやや威力の抜けた音が鳴り、進藤はその場に腰を抜かした。

 

 

『――げ、ゲームセット……!

 なんと、何と、E組が野球部を押さえてしまったああああああああッ!』

 

「わおぅ!」「男子やるー!」

 

 E組女子の反応に対して、寺坂組の男子三人(ちゃっかり彼女等の後ろで観戦)は何とも嫌そうな顔。

 

 校舎の生徒たちは生徒たちで、つまらなそうに気落ちしていた。

 

「何E組くらいに負けてるんだよ、野球部……」「あの戦力差で負けるかよ普通……」

「あれくらやらねば、そもそも俺と渡り合うことすらあるまい。だが、なかなか悪く無いジャイアントキリングだった。最後が正攻法な辺り」

「「だからお前、ホント誰だって!」」

「こんな所に居たか」

「!」「「アンタ誰だよ!」」

「あ、待ちなさい! まだ調整が終わって――」

 

 白装束の男性に追い掛け回される、背の小さな生徒というのをちらりと見て、E組たちの空気が一瞬何とも言えないものに包まれる。

 

(……あの場で、イトナ君以外は知る良しも無いだろうなぁ。

 試合の裏での、二人の監督のぶつかり合いを)

 

「お疲れ様。君達も、まだまだ『絶対的な強者』ではなかったということだね」

 

 そんな一声を野球部にかけてから、理事長はあぐりにハリセンで叩かれているころせんせーの元へ。

 

「ヌルフ?」

「ころせんせーも、お疲れ様。

 では、次は期末で」

「……ええ。なかなかしまらなくて申し訳ありませんが」

 

 あぐりが「わ、私のせいですか!? 吉良八先生が悪いんですから!」と叫ぶのに一瞬微笑み、その場を立ち去る理事長。

 それを見ていると、渚の肩が叩かれた。

 

「渚渚ぁ、お疲れー!」

「あ、茅野。……膝どうしたの?」

「ちょ、ちょっと無理した……。明日には直ってるから、肩かーしてー」

 

 足が震える彼女に、断る理由も無いのでさっと腕を肩に回す渚。

 

 そして意味もなく「首を搔き切る動作」と「サムズダウン」をしながら笑う茅野。見辛かったろうに、どうやら渚の出していた指示をちゃっかり確認していたらしい。

 

(なんか、色々敵わないなぁ……)

 

 なんとなく、あぐりに負けているころせんせーを見つつ、渚はそんなことを思った。

 

 

 一方杉野は。

 

「進藤! ゴメンな。はちゃめちゃに野球やっちまって」

 

 しゃがみながら、茫然としていた進藤に声をかけていた。

 彼の言葉を聞きながら、段々と我を取り戻す進藤。

 

「でも、レギュラー抜けた時も言ったと思うけど、野球選手としてお前の方が上だってのは、わかってるからさ。

 お前がナンバーワンだし、これで勝てたなんて思ってねーよ。

 結局決め球だって、あの状況じゃなきゃ対応されていたろうし」

「……だったら、何でここまでして勝ちに来たんだ。

 結果を出して、俺より強いと言いたかったんじゃないのか?」

 

 んんー、と、わずかに困ったような顔をして、彼は言葉を選ぶ。

 選びながら、視線をE組の面々へと向けた。

 

「キャッチャーしてた渚はさ。俺の変化球練習にいつも付き合ってくれたし。

 お前の前に立ってたカルマや磯貝の反射神経とか、皆のバント上達っぷりは凄かったろ?」

「確かに、時間は殆どなかったが……」

「でもさ。形にならなきゃ、上手くそれが伝わらないし、実感出来ない。

 ……まー、要はさ」

 

 照れたように笑いながら、杉野は進藤に言った。

 

「ちょっと自慢したかったんだよな。昔の仲間に、今の俺の仲間のこと」

「……ふっ」

 

 少しだけ驚いたその表情を楽しそうにして、進藤は勇ましく笑う。

 杉野の手を取り立ち上がり、彼はそのまま続けた。

 

「最後のフォーク。あれはきっと、俺が本調子でも苦戦したかもしれない。良い球だった」

「そ、そうか?」

「だから、覚えとけよ杉野」

 

 杉野の額を小突いて、まるで挑戦でもするように彼は一言。

 

「――次に打つのは、高校だ!」

「応とも!」

 

 なんとなく手を構えると、進藤もそれに軽快に応じ。

 

 

 人の立ち去りつつある野球場に、ハイタッチの音が響いた。

 

 

 

 

 




渚「楽しそうだな、杉野」
菅「だな」
カ「スポ根ってカンジ? それはそうと、茅野ちゃん足どうしたの?」
茅「な、何でもないから」
前「あれ、あっちの方に女バスが」
茅「!?」
磯「程ほどにしとけよ前原」
茅「渚、早く行こッ」
渚「へ? あ、うん……」


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第24話:一芸の時間

名作の皆様(?)、済みません;


 

 

 

「7月に入り今日から衣替え!

 肌色が眩しいぜ……、健全な男子中学生には鬼のような季節だぜ……」

「ま、まぁね岡島君」

 

 涎を垂らしながらニヤニヤと女子の姿を見守る岡島に、渚は若干引きつった表情。

 ブレザーを外して薄着になるこの季節。誰しも一度は胸を躍らせるだろうが、ここまで露骨ではあるまい。

 

 時刻は未だ朝のホームルーム前ゆえ、生徒達の登校率はまばら。茅野も杉野もカルマも居ないためか、岡島が渚に話しかけるタイミングも発生していたりした。

 

「下らない話してるわねぇ」

「あ、狭間さん。と、神崎さん」

「おはよう、二人とも」

 

 にっこり微笑む神崎に、渚も自然に挨拶を返す。修学旅行で一緒に行動していたためか、多少なりとも免疫が付いたと見るべきか。

 

 そして狭間は狭間で、同じ寺坂グループの吉田大成の方を見てニヤニヤ黒いオーラを放っていたりするのが、何とも言えないところ。

 

「珍しい組み合わせ……って、いう訳でもないかな? 前原君の時、一緒だったみたいだし」

「珍しいわよ。たまたま図書館でばったり遭遇したっていうのが」

 

 渚の言葉を肩を竦め否定する狭間。

 

「その後一緒に本探そうとか言ったから、まあ断る必要もなかったし、一緒に行ったけど」

「へぇ。……で、えっと、狭間さん何噛んでるの?」

「フーセンガム。朝食べ損なったし。授業中じゃなきゃ、ころせんせーもとやかく言わないでしょ」

 

 会話しながらも、興味なさ気に口元のそれを膨らませる態度は、やはり彼女もまた寺坂グループの一人だということを思い出させる。

 

「今朝もまあ、そんな感じでばったり」

「せっかくあの作家さんの新刊が出たから、回し読みとかしないかって」

「だから、神崎のそれと私の趣味は微妙に合わないって。純愛ってカバーに書かれてるけど、どーせまた怨念小説でしょ」

((ど、どういうこと!?))

 

 会話に参加し辛い岡島共々、渚は彼女の言葉の意味を計り兼ねる。神崎は笑顔ではあったが、何とも言えない具合に微妙な感情が滲んでいた。

 第一この作者、いっつもキャラクターのヘイトを軽くするつもりないでしょ、と狭間。

 

「図書館で童話とか、色々解釈について、改めて話した時もそうだったじゃない」

「童話? ごんぎつねみたいに?」

「うん。どのくらい読んでる本の趣向が違ってるかなって。それが分かれば、薦めやすいし」

「結果惨敗だったけど」

 

 狭間の言葉に容赦はない。

 ちなみにどんな会話だったのか、渚が聞くと狭間は鼻で笑う。示し合わせていた訳でも無いだろうに、神崎がタイトルを言ってそれに答える形式らしい。

 

「桃太郎――」

「ブラック企業ね。きびだんご一つで快楽殺人者疑惑のある野郎に雇われて、命がけで己の何倍も何十倍も強大な敵と戦わなきゃいけないっていう。犬も猿も雉も、色々な方法で戦ったって言ってるけど、証人たる鬼は皆殺しなわけだし、誰も語らなきゃ歴史は勝者にのみぞ有り」

「かぐや姫――」

「最終的に誰も得してないってことを考えると、体の良い托卵みたいなもんじゃないかしら。宇宙人説がある以上、あながち間違いでもないだろうし。翁の家が潤ったとしても、かぐや姫が昇天してからはどうなるか。

 そもそもこの世界に居られないって泣きはしてるけど、あくまで表面上と言えなくもないんじゃない? 誰かを傷つけたく無いというよりも、後腐れなくして誰からも恨まれないようにするためにって考えの方が、私的にはしっくり来る。後、無理難題は当てずっぽうで言っていた説を提唱」

「シンデレラ――」

「この一言に集約されるわね。結婚した後の生活が描写されてないのが全て。継母を一人殺してるって噂もあるし、ロクな結末じゃないでしょ」

「少年の日の思い出――」

「結局最後にやった行為だって、罪滅ぼしというより自分の罪悪感を少しでも軽くしようとしてるだけじゃない? 見苦しいとは言わないけど、何やったって自分のしたことは変わらないし、信用だって回復しないのに」

「オツベルの象――」

「自 業 自 得。

 教訓として何か言うなら、鞭と飴は相互に必須だってことかしら」

 

((うわぁ……))

 

 闇である。渚と岡島の眼前に、今、紛れもなくドロドロとした何かが広がった。

 昇る太陽の光、窓を抜けるさやわかな夏の風。それら全てを一瞬で被い付くだけのダークマタが、狭間の全身から放出されてるような錯覚を覚えた。

 

 と、そんな空気に、突如として救世主現る。

 

「おはよー、なんか珍しい感じだねー」

「あ、倉橋さん」

 

 突如現れた倉橋に、狭間を除く三人が一気に救われる。

 それはまるで北風と太陽のごとく、覆われていた陰気が彼女のゆるふわオーラで中和された。それどころか勢力は逆転。現れるだけで一転して、その場の空気が明るくなった。

 

「おお倉橋、スカート丈変わんないのかよー!」

 

 岡島が復帰したように会話を始め、彼女に笑いながらスルーされる。

 と、そんな風に場の空気が一転したと同時に、非常に居心地悪そうな表情を浮かべる狭間。こころなし、彼女のオーラが吹き飛ばされ、倉橋のきらきらした何かに洗浄されかけているような。

 

(こ、これは……)

 

 思わずメモを取り出し、渚は狭間のページへ。

 

「じゃ、私席帰るから」

「あ、私も」

「二人ともまた後で~」

 

 立ち去る神崎はまだ普通だったが、しかし、狭間はどうしたことだろう。普段のドロドロとした得体の知れ無い何かが消失して、というか暗黒系のキャラが見事に殺されて、普段より何割増しで美少女チックに見えるような見えないような。

 ギャップが大きすぎる分、見る側の判断基準もおかしくなる。

 

「綺羅ちゃん、動物系だったら相談のるよ~」

「わかったから。……これ以上居たら、軽くなる」

 

 というか、それ以上に色々と辛そうな彼女である。

 苦笑いしながらも、メモに「闇<ゆるふわ」とちゃっかり記述する渚であった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「いや渚、今日から夏服だな、みんな! テンション上がるぞ!」

「あはは、そうだね」

 

 岡島より幾分爽やかに言ったためか、杉野の一言には軽く同意できる渚。まあ彼の場合、主に廊下側二列目のとある女子に意識がロックオンされているのは明白であったが。

 

「いけませんよ? この程度の露出で平常心を乱しては」

「ころせんせーが言うな!」

 

 地味にアカデミックドレスの下がクールビズになってるころせんせー(ネクタイ除く)だが、朝に杉野の野球のフォームを見ていたため手元には野球の本がある。そしてその本を被せるように、明らかにサイズの大きなエロ本を読んでいたりするあたりがいつも通りと言えばいつも通りか。

 読みながら、びくびくとあぐりが来ないか確認してる辺りもいつも通り。

 

「ではそろそろ、ホームルームを始めます。日直の人は号れ――」

 

 と、ころせんせーが声をかけようとしたタイミングで、がらがらと教室の前の扉が開かれる。

 

「……計算外だ、全く。今日から半袖だなんて。お陰で朝ギリギリになってしまった」

「「!?」」

 

 現れ出たのは菅谷創介。杉野の一つ後ろであるため、必然的にその動きに視線が向く。

 そんな彼の左腕には――花のような、記号のような、独特の刺青じみたペイントが施されていた。

 

「さらしたくはなかったぜ。神々に封印されたこの左腕をよぉ」

(((((どーした菅谷!?)))))

 

 教室中、寺坂グループ含めて大層反応に困ったそうな。

 

 ころせんせーも白目向いて一瞬硬直したが、多少時間をかけて落ち着きを取り戻した。

 

「ヌルフフフ……。一瞬びっくりしましたけど、ボディーアートですね」

「そうそう」

 

 物珍しさからか、それとも既にホームルームをやる空気でもなくなってしまったからか、席を立ち菅谷の席に人が集りだす。

 メガネを押さえる竹林。完全に未知の世界と出会った風であるが、その横で倉橋が関心したように言った。

 

「へー、これペイントなんだ!!!」

「メヘンディアートっつってな。色素が定着したら一週間は抜けねーんだ」

「ヘナで肌に模様を描くやつだっけ? インドの」

「知ってんだカルマ君」

 

 リアクションに未だ困っている不破の一言に、両親がインド被れで旅行の時よくやってくると言う。

 

「今日は別に構いませんが、本校舎と合同で行事がある時は駄目ですよ菅谷君。

 先生のクラスから非行に走った生徒が出た、とか噂されるのはアウトですし」

「相変わらずそーゆーとこチキンだよね……」

 

 苦笑いする茅野。

 その横でメモを取り出しながら、渚は菅谷の情報を整理する。

 

(菅谷君は絵や造形がめちゃくちゃ上手い)

(ポスター、らくがき、物の成形や塗装から果ては変装まで、彼にかかればお手の物だ)

 

「よかったらころせんせーも描こうか? まだ作った塗料余ってるんだけど」

「一からですか。本格的ですねぇ……」

「パウダー使うだけだし、そんなでもないって」

 

 「脱皮とか出来ないのでこちらに」と訳の分からないことを言いながら、左手の甲をすっと差し出すころせんせー。さらさらとケーキにチョコレートでも塗るように、菅谷は迷いなく模様を描き始めた。

 

「ネクタイ的にはこれで正解、かな?」

「ヌルフフフ……。おお、月ですねぇ」

 

 波のような模様を含みつつ描かれた月は、金魚のそれを思わせる模様と合わさってなかなかにオシャレさんだ。

 

「みんなもやってみるか?」

 

 彼のその軽い提案に、結構な人数が挙手をしてちょっとだけ頬が引きつっていたのは内緒だ。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ふっふっふ。どーよこれ、あぐり!」

「なかなか素敵だと思いますけど……、ちょっと、女子的防御力が弱すぎな気も」

「いいのよこれで。夏は自然と露出させられるし、女を駆使する暗殺との相性は抜群よ?」

 

 ふふん、と得意げに廊下で微笑むイリーナに、あぐりは「一応中学なんですが……」という感じの顔をしていた。まあそこをあえて言わないのは、今更だという自覚があるからか。

 

 肩口が露出したシャツ。脇の下まで大きく開いたそれを、上のボタンを胸の谷間を強調するくらいに露出させているイリーナ。ちなみに黒い下着も、そのシャツの露出に合わせたよう深く胸元が開いたものを着用している。

 黒いタイトスカートのスリッドもこころなし普段より上がっており、本人いわくの自然さを彼女らしく主張していた。

 全体的に言える事は、白い肌がまぶしい。

 

「っていうか、そういうあぐりもいつも以上に気合入ってない?」

「単に大学時代に友達と買ったものなんですけど……、ま、まだまだイケますかね?」

「ああ、デザインがまともなのってそういう……」

「どういう意味ですかそれ!」

 

 なお、あぐりは軽いオフショルダーに、七部丈のジーンズである。色合いは青系でまとめられており、地味にさわやかな印象。

 服装は一見まともであるが、髪飾りとして付けられたくぬどんが何とも妙な存在感を放っていた。

 少しだけこう、格好がゆるふわ系でまとめられているのが新鮮と言えば新鮮か。

 

「デザインとしては普通に悪くないと思うわよ? でも肩だけ露出しても……あれ? いや、あ、そうか、アイツはアンタより背は高かったし、上目遣いになれば当然前かがみに……、なるほど、ははーん……」

「な、何を察しましたか、イリーナ先生?」

 

 本人にあくまで、特定の誰かに対するアピールの意図はないと言っているのだが、イリーナはしたり顔で取り付く島はなかった。

 

「見てなさいよ、あぐり。この素肌で男共を悩殺して、普段ビッチビッチ言われてる分、手駒にしてやるわ」

「あはは……」

「……アンタこそ何よその反応」

「あはは……。あ、ほら、付きましたよ? 大体そろそろホームルームも終わりですし」

 

 笑うだけで回答を避けていたあぐり。イリーナと比べてどちらが大人の対応なのかは、まあ微妙なところだ。

 ともかく教室の扉を開ける彼女だったが。

 

「ギャ――ッ!」「にゃああっ!」

 

 そろって目をひん剥いて叫ぶ、仲の良い大人の女子二人組だった。

 

 事前情報を知らなければ、叫ぶのも無理からぬ話ではあるが。なにせメヘンディアートは、ヘナタトゥーとも言われる。要するに一見すれば、ほぼ刺青のそれだ。

 そんなもを教室中の生徒という生徒がしていれば、仰天もする。

 

「な、何皆でバケモノメイクしてんのよ!」

「あー ……、まあ、何かノリで?」

 

 量が量なため、多少疲れてるらしい菅谷。足元に塗料を数本転がしている時点で、作業が連続だったろうことは想像だに難くない。

 ヌルフフフ、と二人に笑いかけるころせんせー。

 

「しばらくしてから塗料を剥がすと定着するらしくて、なかなか楽しみですねぇ」

「……吉良八先生? この調子だとホームルームどうしました?」

「ニュ!?」

 

 当然のようにあぐりのハリセンがスパーン! と飛んだ訳だが、その程度では懲りないころせんせー。

 

「遊ぶのも良いですけど、最低限やるべきことはやって下さい」

「面目ない、ヌルフ……。

 と、ところで菅谷君。見てたらせんせーも誰かに描いてみたくなりました」

「へ? あー、でももう大体皆やっちゃったし……、あっ」

 

 二人の視線が、先ほど新に入ってきた二人(キャンパス)に振られる。

 

「わ、私はちょっと……。家の方で色々あるから、そういうのは」

「じゃあ、もうビッチ先生しかないか」

「は、はぁ!?」

「ヌルフフフ。誂えたように面積の広いキャンパスですねぇ」

 

 ころせんせーの不気味な笑いに拍車がかかる。

 ここまでくるといつものノリではあるが、E組全体として止めに入る事は無い。基本、彼女はいじられキャラなのだ。

 

「ちょ、ざっけんじゃないわよ! 誰がそんな――」

「あ、イリーナ先生、足元ッ」

 

 指差しながら一歩一歩後ずさったイリーナだったが、足元に転がっていた塗料のそれに気付かない。

 あぐりの注意も空しく、イリーナは足をすべらせ、そのまま頭を打った。

 

 すぐさま彼女を抱き起こすあぐり。意識はないようだが、血が出てるといったこともなかった。

 

「だ、大丈夫かしら……」

「雪村先生、少々良いでしょうか」

 

 しゃがみこみ、ころせんせーはさっとイリーナの頭の裏に手を入れ、なにやらわちゃわちゃとする。

 生徒たちが頭を傾げる中、ころせんせーはふぅ、と一言。

 

「軽い脳震盪のようですが、一応出血はしていないみたいですね。頭蓋にもダメージはなですし。ただタンコブにはなってるので、氷水とか準備した方が良いですね」

(((((触診で分かるものなの、それ!?)))))

「じゃあ、私、行って来ます」

 

 壁を背凭れにし、イリーナを置いてあぐりは走る。

 ちょっと心配気味の生徒たちに、ころせんせーは「大したことではなかった」と言った。

 

「まあ、でも本当に脳みそというのは精密機械みたいなものなので、皆さんもここのダメージには充分ご注意を。

 とりあえず、しばらく安静にして駄目だったら救急車ですね」

「け、結構大事だね……」

「デリケートな部分ですから。さて……」

「ほっほー、俺と競うか気かね」

 

 す、ところせんせーはイリーナの左半身側に。

 何かを察するまでもなく、菅谷は右半身側に。

 

 お互いが塗料を手に取り、さっさかさっさかペイントを始めた。あぐりが居ないのがタイミング的に最悪と言えなくも無い。これ起きたら怒られないかな?

 

「すごいですね菅谷君。あっという間に教室が彼のカラーになっちゃった」

「だねー」「うん……」

 

 奥田らのコメントを背に聞きつつ、菅谷は鼻歌を歌いながらペイント。

 

「芸術肌なだけに、さっきみたいに目立ちすぎる時があって、二年生の時にそれが原因で素行不良扱いされたんだって」

 

 渚の説明を聞き、菅谷の脳裏に自分がE組に落とされた際の映像が流れた。

 

 ――ただ成績が悪い人間と、その上で求められて無い技術がすごい人間がいる。どっちの方が評価が悪くなると思うかしら?

 

 元担任の言葉に、彼は表面上は涼しい顔をしていた。

 

「……ま、正しいんだろうけどねー」

 

 元々、芸術系と学業双方の素地がある程度高かった彼だ。学業に関しては限界をここに来てから知り、その落ち込んだまま過ごした日々は芸術方面を更に高める結果に繋がった。

 皮肉にも、ここまで凝るようになったのも二年生のその頃からか。

 

「おお~」「さっすがー」

「そもそもファッションアートだし、外出ても自慢したり、話のネタに出来るくらいに仕上げてやったぜ」

 

 ハートを基調として、植物を思わせる柄模様。肩から肘にかけて伸びたそれは、よりボディアートらしさを表に出した感じの出来である。

 

「これなら逆にビッチ先生喜ぶんじゃない?」「ねー」

 

 矢田や倉橋など、よりイリーナに絡む層からも評判は上々。ある種、職人らしい出来と言えばそうなのだろう。

 もっとも、対するころせんせーの側は側で問題だった訳だが。

 

 

『夏は衣替えの季節だよタコ君』

 

『ぼくもころもがえしたいよー』

『よーし、おじさんに任せろ!』

 

『まずは衣の準備からだな』

『?』

 

『それでどうするの?』

『まずは、ソデを切るところからだ』

 

「「「「「なぜにマンガ!?」」」」」

 

 屋台のおじさんがタコ焼きを作る様を、ブラックユーモアに描写した四コママンガ。

 何故にそんなものがイリーナの左腕に描かれているのかという話だが。

 

「いやぁ……、育ちの関係で、そういうのは疎いものでして。まだしも弟子の方が詳しかったですねぇ」

「逃げに走るくらいなら描くなよ!」「ってか弟子って何!?」

 

 ころせんせーの弱点⑳ 安い絵しか描けない

 

「右と左で違和感ありすぎィ!」「これじゃ外出歩けないじゃん!」

 

 ――スパーンッ!

 

「にゅや!? ゆ、ゆきむらせんせ……い?」

「……」

 

 笑顔のままころせんせーの前に立つあぐり。その後、無言のままハリセンが数度振るわれたのは言うまでもない。

 彼女の頭の裏に、保冷剤を手ぬぐいの下に入れ、縛り付けるあぐり。鼻の下で結ぶあたりが彼女のセンスらしいと言えたが、さておき。

 

「内容はともかく、あえてポップアートみたいにして生かす手もあるぜ? 枠の周囲をいじれば……」

「おおっ!」

 

 さらっと菅谷がリカバリーをかける。これに負けじと、ころせんせーも「どこか一箇所で笑いをとらなくては」と構えたりもするが、あぐりがにっこり笑いながら首根っこを掴んだり。

 

「ど……、どうせですから、雪村先生もやりませんか?」

(((((ころせんせー、駄目な方に誘惑してる)))))

「にゃ!? い、いや、確かに楽しそうですけど、それは……」

「ヌルフフフ。さあさあハリセンを置いて、ぜひぜひ」

「え、ええ……?」

 

 どうやら巻きこんでしまって、うやむやにしてしまおう戦略のようだ。本人も共犯にさせてるあたり性質が悪い。事前情報として落せなくはないというのがあるからかもしれないが、いざ塗料を握ると、案外あぐりもノリノリだった。

 

 そして。

 

 

 

「――Beat to death! Son of a bitch!!」

「うわーん! 出来心だったんですーッ!」

 

 

 

 目覚めた後状況を確認したイリーナである。大層ガチ切れだ。カオス極まり無い惨状に対して、既に堪忍袋の尾は切れるどころか粉微塵である。ぶっ殺すぞ、クソ野郎! くらいのニュアンスで罵倒しているが、両手に持っているマシンガンが実銃で洒落になってない。

 

「ご、ごめんなさい、ついヒートアップしていしまいまして……。多少上手くなってはいるんですが。

 でも危ないからせめてゴム弾でッ!」

 

 撃たれながらも銃を生徒たちが使っているそれに取り替えるという妙に器用なことをしながら、ころせんせーはイリーナの射撃をひらりひらりと交わす。こころなし表情に余裕がないのは、今回に関しては全面的に悪いからか。

 

「い、イリーナ先生落ち着いて! す、すぐ落せば定着しないそうですから! 杉野君とか、えっと、誰かふきんとバケツ、倉庫から持って来て!」

「「「りょ、了解!」」」

「安心するわけないでしょ、ってかアンタの描いたこれが一番アレよ! 何、何で宣伝描いたし!

 なんで夏服デビュー初日からこんなんなのよーッ!!!」

 

 なお、イリーナの左足には「タコせんせー」数体の絵と、「夏休み、お台場に進出!」という謎の宣伝広告だったりするから相当である。対するあぐりは「れ、連日の疲れが」と言ったりしながら、背後から彼女の腕を押さえていたり。

 

 そんな様子を、生徒たちは机に隠れながら様子を伺う。

 

「菅谷君が全部やれば、たぶんあそこまで怒られなかったのにね。

 ころせんせーとか遊ぶから……。雪村先生まで巻きこんで」

 

 なお、茅野は一目散に倉庫に向かって行ったあたり、危機回避に全力なのか、イリーナが可哀そうに思ったのか。何にしても、アンチ巨乳をうたう彼女にしては、そこそこ珍しい行動と言えたかもしれない。

 

 菅谷本人も、渚の感想に「だろーな」とは同意する。

 

「……っていうか、あのタコせんせー人形って、何? 売るの? お台場で? テレビ局か何か?」

「地味に売れてるとは聞くけど、どうなんだろ……」

『はーい♪ 地味にネットを中心に口コミから広まってるみたいですよ?』

 

 渚のスマホ画面に、菅谷デザインのスマホをあしらった模様を腕に描かれた律が、しゃららん! という具合に登場する。

 

「……普通さ。答案の裏に落書きしたらスルーか怒られるかだろ?」

 

 ころせんせーがお菓子を取り出して気を宥めようと、逆効果なことをしはじめたタイミングで、菅谷が渚に愚痴る。

 

「だけど、先生二人とも安っぽい絵を加筆したりさ。むしろ無駄に楽しそうに」

「……雪村先生も、そんなに上手じゃないんだね」

「いや、ころせんせーより上手いけど、デザインセンスというか……」

 

 さり気にメモを取る渚に、菅谷は「お前いつもメモしてんな」と汗を流した。

 

「……まあ、考えてみりゃ当然だわな。

 落書き程度でマイナスにはならないよな。なにせ、ニ、三日に一回は倒しに行ってるわけだし」

 

 少しだけ照れくさそうに笑いながら、菅谷は言う。

 

「ちょっとくらい変な奴でも、ここじゃ普通だ。機械とか、人間超えてるのまで居るくらいだし。

 ……悪くないかもな、こーいうのって、案外」

「……うん」

 

 

「……騒がしいから来て見れば、随分また楽しそうなことをしてるじゃないか」

「「「ッ!!!」」」

 

 眉間を中心に黒いオーラを纏う烏間の登場に、大人三人は硬直。

 

 その後、珍しくあぐりも含めて説教されると言う絵面が見られたりもしたが。

 

 

(――梅雨も明け、今は七月)

(本格的な夏が始まり、暗殺教室は残り8ヶ月!)

 

 メモを仕舞いながら、渚はそんなことを考えつつ、今日の日誌の内容を検討していた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 余談だがその日の昼休み。

 

「そういえば、菅谷君の日誌のページに目みたいなのが沢山描いてあったのがあったけど、あれって……」

「ん? ああ、千葉の目元隠れてるじゃん。だから色々想像してやってみた」

「ちなみに全部外れ」

「は、速水さん?」

 

 会話に突然乱入し、それだけ言って座席に付く彼女に、渚はちょっと困惑した。

 

 

 

 




後日多少リテイク入ったらすみません。
さて、次回そのまま鷹岡回行くか、パズルの時間を片付けるか……。


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第25話:才能の時間

ハイセも分割して書きあがったので、お待たせいたしました。
次はもっと早く出せればと思います


 

 

 

『もう七月だというのに、未だ”C”は捕獲すら出来てすらいないのかね』

『日本でも対策は立てていますが、あくまであれは最終時期のもの。その他の分はそちら側での対応を』

『ええい、どうしてそちらの動きが早いのか!』

『やはり五年前のHAL事件の影響か……?』

『大統領! ”C”から我々一同向けに、本場夢の国の招待チケットと「たまには遊んだら烏賊(イカ)がしょう?」というメッセージが――』

『おちょくられてるじゃないかッ! というか原因からか、一体誰のせいだと思っていやがるッ!』

『それから「最近お子さんが運動不足なのではな烏賊(イカ)?」という追伸も――』

『ぽっちゃり系なだけだ! 健康的で良いじゃないかッ』

 

 日本のとある場所。

 衛星通信を介して、総理大臣、鷹之丞である。

 

 後日ホワイトハウスから夢の国のチケットが送付されることが確定して何とも言えない表情になったりもするが、それにも増して懸案事項は多い。

 外国との会議が終了したタイミングで一度息を吐き、彼は会議室に集った面々に一言。

 

「さて……、対策班の顧問はどうしたかね」

「『授業がありますので』とのことです。代理は私が」

「まあ奴らはある意味、最終決戦のための保険のようなものだ。技術だけはフィードバックされて、多少は効果も上げている。

 だが、流石にこのままというのもどうかと思うのだが、どうだろうか」

 

 と、そんなことを言っていると情報部の頭が立ち上がる。

 

「それについては、彼に計画がございます。『決戦』時の成功率上昇という意味でも、悪くはない案かと」

「うん? ……期待していいのかね? 下手すれば責任問題になるが」

 

 各セクションの頭が見守る中、彼はただ無言で手元のタブレット装置をいじる。

 そこに映された画像を見て、にやりと笑い不敵に頷いた。

 

「……待ってろよ、烏間ァ」

 

 小声で呟いたそれは、とても和平的な声音ではなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「視線を切らすな! ターゲットの動きを予想して、その先を張れ!

 全員で予測すれば、それだけ編みが深くなり相手の逃げ道を塞ぐことになる! チーム系の競技でも充分使える技術だ!」

 

 校庭で訓練する生徒達に、烏間は大声で指示を飛ばす。内容はともかく、あくまで中学の体育をベースに据えながら。

 

(生徒達の要望に絡めつつ、奴が提示した最低限の訓練をこなすに当り)

(奴に当てられる――最終決戦で奴が求める「第一水準」に達しつつある生徒が増えてきた)

 

 磯貝と前原が訓練ナイフを構え、烏間に突進をかける。

 

 連携する二人は、烏間を一歩一歩交互に後退させ、視線を絡み合わせて動きの先読みを困難にしていた。

 

(運動神経もよく、指示の飲み込みも早いこの二人。付き合いが長い事もあってコンビネーションもよく、二人がかりでなら俺に当てられるケースも増えてきている……。お陰で一回、全員にカップアイスを奢ることになった)

 

 二人の得点表にチェックを入れてから、人を入れ替える。

 

 今度はカルマ単体。

 二本手に持ちゆらゆらヒットアンドアウェイを繰り返しつつ、その視線は常に烏間の重心に注目している。

 

(一見のらりくらりとしているが、その観察はひたすらに相手の裏をかくことに集中している)

(言い替えるなら悪戯心か。だが――)

 

「そう簡単に行くかな? 狙うならもっと自然にだ」

「ちぇッ」

 

 足に狙いを定めていたカルマは、軽く舌打ちをしてから笑う。

 

 

(女子は、体操部出身で意表を突いた動きをする岡野ひなた)

(加えて、男子並の体格と運動量を持つ片岡メグ。球技大会でも、両者の特性を遺憾なく発揮していた)

 

 メンバーを適宜入れ替えながらも、烏間は女子二人の動きを観察している。

 

(想像以上のバランスを持っているのは、茅野あかり)

(……彼女については細かくは控えよう。だが事実上、その小さな体に反して予想外の動きを見せる)

「ッ!」

 

 小手先のスナップを利かせてナイフの向きを変え、烏間の胴体に一撃入れようと動いた彼女。

 寸でのところでかわして、彼は彼女の手のナイフを軽く叩き落とした。

 

「あー、プリンがぁ……」

 

 そういえば、彼女は「当てられたら高級プリン!」という約束をしていたか。

 何とも頭が痛そうな顔をしながら、他の生徒を呼ぶ。

 

(その他、寺坂グループを始めとして、各分野目立つ生徒は所々居る。レッドアイが太鼓判を押す千葉、速水のスナイパーコンビや、ここ一番の洞察力に優れる不破など)

(全体を見れば生徒の技能は格段に向上しているが、しかしそれ以上に目立つ生徒は――)

 

 

 

 

 ぞわり、と、烏間は何かを感じ取った。

 目を見開き、思考が一瞬真っ白になる。

 

 

 

 

 まるで蛇に首を絡め取られたような、濃厚なそれは、久しく感じていない部隊の任務の空気。

 

 故に思考を介さず、彼は反射的に手が動き、その生徒を回転させ投げ飛ばした。

 

「あー ……、いった……」

「……!!!」

 

 受身にも慣れたのか、そこまでダメージは入っていない。

 しかしその生徒を見て、烏間はどうしても驚愕せざるを得なかった。

 

「すまない。ちょっと強く防ぎすぎた。立てるか?」

「あー、へーきです、へーき」

「渚、大丈夫?」

 

 軽く手をひらひらさせる潮田渚に、烏間は安堵と共に、違和感を覚える。

 

 ちゃんと見ないからだという杉野のからかいに、何とも言えない顔をする渚。

 茅野の手を借りて立ち上がる彼を見つつ、烏間は頭の片隅に先程のそれを入れる。

 

(潮田渚。……体格的に多少すばしっこいが、それ以外特筆する箇所の少ない温和な生徒)

(強いて言えば、よくメモ帳を手に取る光景を見かけるくらいか)

 

「……気のせいか? 今のは」

 

 離れていく子供達を見て、烏間は疑問を浮かべる。浮かべるが答えは出ない。

 

 唯一それについて何か知ってる可能性のある担任、吉良八湖録は、離れたところからその光景を伺うばかりだった。

 

 

 チャイムの音と共に授業が終了。

 

「いやー、しかし当らん……。焼肉なんて夢のまた夢だ」

「スキなさすぎだよなー、烏間先生。ころせんせーみたいなドジしないし」

 

 生徒間の評価について、背中で聞く烏間は苦笑いを浮かべていたが、そのことに生徒達は気付けない。

 

「せんせー、放課後みんなでお茶してこうよー!」

「誘いは嬉しいが、まだ仕事が残っているんでな」

 

 ただ、生徒の前では普段の堅物な姿勢を崩すことは滅多に無い。

 

 私生活でもスキがないとは三村の評。

 私達との間に距離を保ってるような、とは矢田の評。

 

「厳しくて優しくて、私達のこと大事にしてくれるけど……。

 やっぱりそれって、仕事だからに過ぎないのかな……」

「ある意味ではそうで、ある意味では間違っています」

 

 一歩踏み込ませてくれない彼に少し不安げな倉橋の言葉に、ころせんせーは普段通りの笑いを浮かべて言った。

 

「君達を我々とを、繋ぐ絆は教室です。そこを起点に考えれば、『いつか終わる』関係であるとも言えますね。また、ある種のボーダーラインは、私達と君達との間に敷かれてます。

 そういう意味では彼にとって、優先するべき任務は他にもあります。

 しかしそれが決して、彼を否定するものではありません。雪村先生と私が保証しますが――彼もまた、素晴らしい教育者の血が流れる一人ですよ?」

「……ころせんせーも、何かあるの?」

 

 任務、というフレーズに?とメモをしながら、渚はころせんせーに質問。

 対する彼は、イトナ君の時に話しましたと言う。

 

「全ては私を倒せてから――先は長いですねぇ」

 

 ヌルフフフ、とはぐらかす彼に、生徒たちは何とも言えない表情になった。

 

 

 

「――よ! 烏間」

「……? 鷹岡か。いつ以来だ?」

「一昨年、お前の授賞式の時呑んだじゃないか! いやー、別にそれはいいんだ」

 

 両手に大量に荷物を持つ大男。表情は温和に見え、若干シルエットは膨らんでいるように見える。

 そんな彼と烏間が、割合親しそうに話し合っているのを、生徒たちは不思議そうに見ていた。

 

「……誰だあの人」「新しい先生?」「でけぇ~」

 

 生徒達の反応に、計算済みとばかりに荷物を置いて、その場で手を振る彼。

 

「やっ! 今日から烏間先生を補佐して働くことになった、鷹岡明だ!

 よろしくな、E組のみんな」

 

 その言葉を受けながら、ころせんせーは小声で呟く。

 

「(……さて、雪村先生をどう止めたものでしょうかねぇ。『ある程度』沿わないと、大惨事を引き起こしかねませんし)」

 

 誰が聞いても、おそらく当事者が聞かないと意味のわからないその一言。

 階段を下りてくる鷹岡を前に、ころせんせーの電話の着信音が鳴った。

 

 

 

 

「な、何だ?」「ケーキ!?」「ラ・ヘルメスのエクレアまで! こっちはモンチチのロールケーキ!」「詳しいね、茅野さん……」「台詞とられた……」「何言ってるの!?」

 

 メタメタしく寂しそうな顔をしている不破はともかく、校庭で荷物を広げた鷹岡。中に入っていた、それなりに値の張るお土産のスウィーツの数々に、生徒達は(特に金額的には磯貝が)目を剥いていた。

 

「いいんですか、こんな高いの……」

「おう! 俺の財布を溶かす勢いで喰え!」

「よくこんな、一杯知ってますね」

「まあ、ぶっちゃけ砂糖ラブなんだよ☆」

「でかい図体して可愛いな……」

 

 勢い良く生徒と打ち解けあっている鷹岡である。

 

「同僚なのに、烏間先生と随分違うッスねー」

「なんか近所のとーちゃんみたいですよ?」

 

 いいじゃねえかそれで、と笑いながら、生徒達の肩に手を回して笑った。

 

「同じ教室に居る以上、俺達は家族みたいなもんだろ?

 ……っと、貴方がころせんせーですか。ご噂はかねがね」

 

 中村の背後からケーキ相手に涎を垂らしかけ、口元を被う担任教師。

 その別な側面を、防衛省側から知っている鷹岡は小さく敬礼をした。

 

「明日からの授業は鷹岡先生が?」

「ええ。烏間の負担も減らすために、とりあえずは事務に徹してもらおうかと。

 幸い俺のほうが、この分野では一歩先を行ってるんで」

 

 ヌルフフフ、と言いながら鷹岡の元を離れるころせんせー。

 生徒達に、とーちゃんを信じろと言う鷹岡に、烏間はやや微妙な表情を浮かべていた。

 

「……鷹岡明。空挺部隊に居た頃の、俺の同期だ。

 教官としては、俺より優れていると聞く」

「……ヌルフフフ、しかしどうでしょうかねぇ」

「ん?」

「園川さんが資料等をまとめておりましたが、そちらも後で見ると良いかと。

 私に言わせれば『優れている』ということが『評判が良い』ことに繋がると言う訳でもありませんがね。逆もまたしかり、ですが」

 

 含み笑いを浮かべるころせんせーに、烏間は、真意を計りかねていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「鷹岡先生、ですか。……みるきぃすまいる?」

「よく言われます。あ、お近づきの印にこれどうぞ」

「いえいえ、こちらこそ。ではこちらも……」

「……何です? この微妙にムカツクデザインのマスコット」

「今度の夏、お台場で販売するんで是非」

 

 ぐ、と親指を立てるあぐりに、少しだけ調子が崩れる鷹岡。

 ヌルフフフという笑みはさほど気にならないらしいが、こうして真正面から変わったセンスを押し付けられるのには、慣れてないのだろう。

 

 鷹岡は烏間に向き、フレンドリーに笑いながら話を続ける。

 

「みんな楽しそうだったなーアレは。でも俺から言わせれば、まだまだ遅いぞ。三ヶ月であれだが本来なら一ヶ月で到達してないとまずいだろ。わかってんだろ?」

「職業軍人と一緒に考えるな。本業たる中学生としての生活に支障が出ては――」

「かぁ~~~~っ。

 地球の命運を左右するバケモノが来る(ヽヽ)かもしれないってのに、悠長に構えてた方がよっぽどタメにならないと思うがねぇ。死んだら元も子もないだろ?」

 

 なお、話の横で「あいつも防衛省?」とあぐりに確認を取るイリーナ。

 

「いいか烏間。大事なのは熱意(パッション)だ」

 

 友人に情熱を伝えるような風に、彼は自信を持って語る。

 

「俺達自ら体当たりで教え子に接する! 多少過酷であっても、愛と熱意があれば応えてくれるもんさ」

 

 写真を取り出し、烏間たちに見せる鷹岡。写った彼の教え子だろう青年たちは、皆笑顔をカメラ越しに浮かべていた。

 

「待ってて下さいよ、吉良八顧問(ヽヽ)。烏間より全然早く、目標水準以上に成果を上げてみせますから」

 

 グッドスマイルを浮かべながら職員室を去る鷹岡。

 対するころせんせーはと言えば、彼が置いて行った写真二つを見て、表情を変えてない。隣のあぐりが口を押さえて絶句してるのに、肩に手を当て落ち着いてぽんぽんと叩いていた。

 

「……必要があるんですよね、吉良八先生」

「ええ。下手に色々やると、また二次被害が増えますし……。痛し痒しですねぇ」

 

 烏間に向けて、ころせんせーは言う。

 

「まあ、我々とは別の指令系統からの話とのことですので、こちらでは対応できかねますね。ですから担当について多くは上告しませんが――、それ以上に、私は烏間先生が適任だと思いますけどね」

「……生徒達からの受けは良さそうだがな」

 

 実際彼が去った後、生徒たちは教室に向かいながら鷹岡の方が楽しい訓練をしてくれるのではないか、と期待している。

 だが、それを受けてなお、ころせんせーは真っ直ぐ烏間を見ていた。

 

「……どうでも良いけど、烏間。アンタたちって、何が目的で中学校で体育なんて教えてるわけ?」

 

 素朴なイリーナの疑問。今更と言えば今更な言葉だが、それを受けてころせんせーは、烏間に視線で確認をとった。目を閉じて鼻を鳴らす彼に、ころせんせーは肩をすくめる。

 

「まあ、ロヴロさんにも軽くは話したことです。今更ではありますが、口外しなければ構いませんよ? 情報統制は、四年前に制定された第”6”級機密のものですから」

「……あれ、何、私ちょっと危ない橋渡ってる?」

 

 目を点にして一歩後ずさりするイリーナに、「そんなもんですよ」というあぐりの苦笑い。

 

「生徒達にはまだ秘密ですが、いずれ公開することになる情報です。早いか遅いかの違いですね。

 ――では簡単に。来年の三月、この場所に『月を破壊した』超生物が現れます」

「……は?」

「厳密には違うのですが、まあ概ね一緒でしょう。去年の夏から秋ごろにかけて、月が物理的に三日月になりましたね? それを引き起こした犯人が、この場所に現れます」

 

 ぽかーん、と開いた口が塞がらないイリーナ。

 烏間が、説明を引き継ぐ。

 

「その超生物を迎え撃つにあたり、様々な危険が予測される。……それに対して、人命は軽視されている部分があので、そのフォローアップだな」

「……ちょっと待って、へ? What the hell are you talking about?」

 

 お前は何を言ってるんだ? とイリーナ。

 

「月を破壊した生物は、文字通り国家機密です。各国首脳部はこの事実を知っていますね。

 そして単純に言うのなら――国や国連は、この場所を『囮』に使うことを前提に行動してる訳です。その日まで、普通に学校をさせるつもりなのです」

 

 ころせんせーの言葉に、イリーナは眉間を摘み話を整理する。

 整理しきれなかったらしく、机の上に脱力した。

 

 それに、あぐりが締めくくりに話を引き継いだ。

 

「まあ、流石にそれは引き受けるのは宜しく無いっていうか……、何より生徒達の安全が、私にとっては第一です。続いて私達の安全もですけど。

 なので、皆は『何かあっても』『最低限逃げ切れる』くらいに、能力とか判断力とか……、あるいは友達を助けられるくらいに、能力に余裕を持って欲しいと思って、派遣を依頼しました」

 

 人の選択はこの人やロヴロさん任せなんですが、ところせんせーの方に手を開くあぐり。

 

「……いまいち理解できないんだけど、何、結局よくわかんないんだけど。

 つまり、えっと、バケモノがやって来るから、その時に生き延びられるよう鍛えろってことよね」

 

 三者肯定。

 

「で、さっき目標水準とか、『最低基準』とか言ってなかった? ってことは、えっと……。

 どんだけヤバいの、その生物」

 

 事が事ですしね、ところせんせー。

 

「後は、私達で色々話し合って計画を立てたりですね。イリーナ先生は、まあ、半分おまけです」

「おまけって何よ!?」

「英語担当はぶっちゃけるなら、私が現地育ちということもあるのですが、教え方は割とスパルタなので、代替が必要だということもありまして。下手に関係者を増やさない程度に依頼した結果がイリーナ先生でした」

「私も、五カ国くらいが限界っていうか……」

「……二人とも、俺より多いのは自覚しろ」

 

 軽く額を抱える烏間。

 

 そして、イリーナはある事実に気付く。

 

「……っていうかあぐり、アンタさっき『私が』って、主語を自分で進めてなかった? 

 アンタ前から思ってたけど、何者なのよ」

「んー ……、世界一の名探偵さんとか、助手さんより全然普通ですよ?」

 

 返された返答に、イリーナは頭を傾げる。

 懐かしいですねぇ、ところせんせーだけが反応を返した。

 

 

 

   ※

 

 

 

 翌日、校庭にて。

 

「よし! みんな集ったな。今日からはちょっと厳しくなると思うが、終わったらまた美味いもん食わしてやるからな。まあ初回よりは値段下がるけど」

 

 俺の給料も無限じゃないんだよなぁ、と自虐する彼は生徒達の笑いを誘う。

 

「そんなこと言って、自分が食べたいだけじゃないの?」

「まあ、な。お陰様でこの横幅だ☆」

 

 生徒達と和気藹々と話す鷹岡。確かに自称通り、その様子は親と子の関係のようにも見える。

 

 職員室から、イリーナはそれを多少面白くなさそうに観察していた。

 前の席でパソコンを開き、珍しく机に栄養剤のある烏間に言う。

 

「何やってんの、アンタ」

「……昨日は『ユームB-55』の設計図と仕様検討をしていたからな。生憎寝不足だ」

「あっそ。それも、例のバケモノ相手の武器とか?

 ……アンタはいいの? 烏間。なーんか、私達に通じるわざとらしさがあるけど、アイツ。カルマなんて、とっととサボリ決め込んでるわ」

「あれを見てわかるだろ。一応は、軍隊との区別も出来てるだろう。

 ……部下のまとめた資料を見るのはこれからだが、あれなら訓練も捗るだろう」

 

 俺のやり方が間違っていたのかもしれない、と烏間。

 

「プロとして一線を引いて接するのではなく、あいつの様に家族のごとく接した方が……」

「なんか調子狂うわねぇ……。でも、アンタのそれって、師匠のにちょっと似てるのよね」

「……ロヴロ氏に?」

「胡散くささがないっていう点では、間違いなくアンタの方が優れてると思うわよ。実際その堅物さそのまんまで来てるっていうことなんだろうし。

 ……って、この写真の顔も何か、違うのよね」

 

 ファイルの中に入れられた、昨日置いて行かれた写真二つ。

 そのうちの笑顔の方を取り出し、イリーナは言う。

 

「ほら。一番右端、眉毛のあたりが強張ってるじゃない? あと頭に手を置かれてる奴。

 左右に均等に頬の筋肉に力がかかっていないのが、ちょっと作り笑いっぽいのよねー」

「作り笑い……。?」

 

 そして、ついぞ昨日あぐりたちが確認したもう一枚を手に取り、目を見開く。

 傷だらけで、腕を縛られたその背中。わずかに見える横顔で汗を流す青年。

 

 なにより、ついさっき傷つけられたような赤々とした傷を、武勲でも誇示するように笑顔で写真に示す鷹岡が、あまりに異常だった。

 

 

 そして同種の動揺は、同時に校庭でも起こっており。

 

 

「さて、訓練内容の一新に伴い、新たな時間割を組んだ。回してくれ」

「「「「「ッ!?」」」」」 

 

 皆一様に動揺。

 提示された時間割は、まさかの九時間目(19:20)まで記述がされているものだった。

 

「なん……、だと?」「この時間までって……ッ」

 

「このくらいは当然さぁ。理事長からも、試験的に試す許可はもらった。

 聞けばAクラスからDクラスまでと比べて、E組は基礎力が足りないわけだろ?

 だったらまずは体力だ! お前等の能力を伸ばす前に、まず何より体力だ。これさえあれば、どんな無茶でも効く様になる」

 

 言ってる事は一見まともそうだが、その言葉と実行しようとしていることが、バランスとして釣り合っていない。普通の中学生に、いきなり成人向けのハードメニューをこなせと言う事自体、そもそもが間違いである。

 じゃあさっそく、と言い掛けた彼に、当然生徒側からも反発はあった。

 

「ちょ、無理だってこんなの! 勉強時間も午前中それぞれ一時間だけだし、これじゃ落ちるだろ成績! 遊ぶ時間だってねーし!

 それに、そもそも運動苦手なヤツだって最初の方で落ちるし。こんなに文化系のやつ動かしたらソッコー倒れるって!」

 

 元サッカー部らしく、割とまともなことを言う前原。

 それに対して、軽く宥めるように動いた鷹岡の返礼は。

 

「『できる』『できない』じゃなくて、『やる』んだよ。よくマンガでも言うだろ?」

 

 鳩尾への、容赦の無い膝蹴り。

 倒れる前原を、手前の磯貝や岡野が中心に驚きや心配、恐怖の入り交じった目で見る。

 

「言ったろ? 俺達は家族で、俺は父親」

 

 やや血走った目を向け、生徒たちに鷹岡は笑いかけた。

 

「――世の中に、とーちゃんの言うことを聞かない家族がいるか?」

 

 母子家庭とか、と内心で突っ込みを入れそうに成る渚は案外冷静だった。

 だが、この場の空気がそれを言わせない。威圧、弾圧なんでもござれ。今の一撃と笑顔で、生徒達に言動一致を文字通り見せたこの男。

 

 

「……あいつッ」

 

 烏間が窓から身を乗り出して、焦る。

 画面に映った文字を目で追いながら、イリーナも流石に汗を書いた。

 

「典型的なパワー系の軍人じゃない。……独裁体制で短期間で兵士を育て上げるって、根本的な部分が間違ってるんじゃないの? これ」

「……大方、俺達のセクションだけでは不安や不満を持ったいずれかから差し向けられたのだろうが、全く厄介なことをしてくれる――ッ」

 

 以前から自覚はあったが、鷹岡は烏間に対抗心を燃やしていた。嫉妬と言い変えても良い。同期として遥かにワンマンのスペックで劣った彼は、教官職に活路を見出した。

 あくまで部隊レベルでの訓練が中心の烏間に対して、鷹岡はより広い隊での活用を中心として動く。全体を家族に例え、暴力的な父親として生徒に当るのがそのスタイルだ。

 

 纏められた資料からして、吉良八が求めた人員でないことは間違い無い。

 

「じゃ、まず軽くスクワット100回の3セット分だ☆

 休みたい奴は休んで良いぞ? その時は、継続的でなくもっと瞬発的な能力向上のプログラムを組むからな」

 

 でも、俺はお前等に無茶はあまりさせたくないんだ。

 いきなり矛盾してることを口走りだした鷹岡に、生徒たちは戦々恐々。

 

 生徒たちの後ろに回り、足を進める彼。その一歩一歩に、特に文化系の生徒が震え上がる。

 

「だからこそ、俺はお前等を鍛える。この先どんな『バケモノ』みたいな相手が出てきても、乗り越えて倒して、『殺して』踏み潰せるように! みんな一人も欠けないよう、家族みんなでこの境遇を乗り越えようぜ!」

 

 な、と言いながら生徒たちの肩を抱く。

 その表情が恐怖に震えていようが、

 

(――教え子を手懐ける簡単な方法は、たった二つ)

(「(ラブ)」と「恐れ(テラー)」だ)

 

 ある意味でそれは、椚ヶ丘中学のE組のシステムと反対のもの。一部だけの恐怖ではなく、一部だけの安全を保障するそれ。

 条件付の愛情と言い変えても良いが、それはすなわち動物の躾けに通じるものがある。命令を遵守する軍隊ならばいざ知らずといったところではあるが、鷹岡の目的からすれば必要であり、不可避のものでもあった。

 

「な、お前はとーちゃんに付いて来てくれるよな?」

 

 やや力が弱そうというか、たおやかなことを前提に彼女に語りかける鷹岡。

 神崎は表情を曇らせ、そしておずおずと立ち上がる。

 

 この時点で、あることを察した茅野が多少動いた。

 

 神崎は僅かに怯えて――しかし、満面の笑みでこう言った。

 

 

「私――私は嫌です。

 烏間先生の授業を希望します」

 

 

(……神崎さん!!)

 

 渚は知らないが、彼女の家庭環境を考えれば当たり前でもある。見た目に反したこの反骨精神は、現在のゲームスキルがそれを遠まわしに証明していた。

 

 だからこそか。

 

「あ――ッ!」

「……ッ!」

「神崎さん!!」

 

 舌なめずりをしたかと思えば、その拳が彼女の頬を薙ぎ払う。

 

 倒れる神崎の先には茅野が回り込み、さっとその背に手をやって頭を打たないようにしていた。

 

「大丈夫、神崎さん?」

「茅野さん……?」

「やっぱそーなるよね……。私も、ちょっと――ああいう父親は、ね?」

「か、茅野……?」

 

 いつか見たことのある睨みを効かして、彼女は鷹岡の方を見る。

 対する鷹岡は笑いながら、自分を向く生徒達に言う。

 

「お前等まーだ分かってないみたいだなー。

 『はい』とか、せいぜい『もうちょっと』くらいしかないんだよ」

 

 中腰に構え、拳を振り回す仕草を見せる鷹岡。

 その動きは、体格に反し妙に部隊慣れしており――。

 

(ひょっとしてこの人、烏間先生が前に居たっていう部隊関係の人なのか?)

「文句があるなら、拳と拳で語り合おうか?

 そっちの方がとーちゃん、得意だぞー?」

 

「止めないか、鷹岡! 酔ってるんじゃないんだぞ」

 

 大声を上げながら、神崎に駆け寄る。茅野から受け取り、慣れた手つきで首筋のあたりを押す。痛みや動作不良の確認をする彼に、大丈夫ですと弱くも彼女は言った。

 

「前原君も大丈夫か?」

「うぃっす。い、一応は……」

 

 磯貝が軽く触診でもしたのか、捲れた腹を隠す前原。

 

 烏間の乱入にも、彼は調子を崩さない。拳を力強く握り、仕方ないなーもう、みたいな表情を浮かべた。

 

「ちゃんと手加減してるさ、烏間。それこそ酒の席じゃないんだ。

 大事な大事な俺の家族なんだし、当然だ――?」

 

 だが、彼の言葉は言い終わらない。

 

「「いいえ」」

 

 その肩に手が添えられ、二人分の声が重なる。

 振り返れば、その先には二人の教師。

 

 

「貴方の家族じゃない――」

「――私たちの、生徒です」

 

 

 獰猛な笑みを浮かべるころせんせーと、表情が完全に死んだあぐり。

 前者も後者も滅多に見る事の無い、普通に怒った表情である。

 

 生徒達が彼等の名を呼び、その場の空気はより緊張度合いを高めた。

 

 

 




 
 
 
某探偵「へっくしゅん」
某助手「風邪か? ふむ、ならばヤコ、久々に我が輩が持ってきた、この強化された超・魔界の泥でも――」
某探偵「わー! せっかくの出前したラーメンのスープがなんて色にィ!?」


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第26話:才能の時間・2時間目

長いです


 

 

 

 

 

 

「貴方の家族じゃない――」

「――私たちの、生徒です」

 

 

「ころせんせー」「雪村先生」

 

「……我々が目を放した隙に、何をやっているんですか? 鷹岡先生。

 それは、限度を超えてます」

 

 ころせんせーたちの怒気を受けても、鷹岡自身は平然としている。

 

「文句がありますか? 吉良八顧問(ヽヽ)

 

 生徒達に意味合いの分からない役職をあえて言いながらも、鷹岡はころせんせーにうっすら笑みを浮かべながら向き直る。

 その態度には余裕があり、しかし同時にころせんせー側からすれば引き下がらざるを得ないものだ。

 

「この教科の方針は、基本は『我々』に一任されているはずですよ。

 そして、罰は立派に教育の範囲だ。

 短時間で目標水準にも達する。また根性も付く。ちょっとのことでへこたれない、『戦士の』メンタルが付くんだ。これから先の生徒のことを考えれば、『どちらの意味でも』悪い条件ではない。多少厳しくても、理事長は受け入れても構わないとしましたよ?」

 

 向かい合う形で、ころせんせーを見る鷹岡。

 

「それとも貴方は、多少、教育論が違うだけで。

 あなた方の『作戦』の邪魔をしていない相手を攻撃しますか?」

 

 眉間に僅かに皺を寄せ、眉をぴくりと動かすころせんせー。

 全ての意味が伝わっているわけでもないが、生徒たちも彼の言ってる事が、一応は筋が通っているように聞こえはする。

 

 だが、だからこそ全員失念しているとも言えた。

 

 

――ぱしんッ!

 

 

 渇いた音と共に、鷹岡の左頬が打たれる。

 流石にこれには呆気にとられたのか、目を開いて言葉が続かない鷹岡。頬を擦りながら、それを仕出かした相手――彼女を、雪村あぐりを見る。

 

 普段のにこやかな表情が嘘のように、冷めた目で鷹岡を睨むあぐり。

 

「……教育方針にまでは、口出ししません。意図も理解できる範囲ですし、何より椚ヶ丘(ここ)がそういった思想を採用している場所ですから」

 

 一部で彼を肯定しながら、しかしあぐりは、相手の目を、その奥を睨むように続ける。

 

 

「でも生徒たちと一緒にいる上で、絶対に外してはいけないことがあります。

 必要のない場所で自主性を摘み取るのは、決して、教育者としてやってはいけないことです。

 どう思ってますか、貴方は」

「……違いますよ? 雪村先生ぃ……」

 

 

 息を多少荒げながら、あぐりの肩に手を置こうとする鷹岡。

 それに対して、ぴしっと、裏拳でそれを交わす彼女。

 

「ここは、私達の教室です。

 生徒みんなと、私と、吉良八先生と、烏間先生とイリーナ先生と、みんなの。

 そして教室を作るためには、みんなの意志がなければ成り立ちませんよ」

「それが違うと、言ってんだよ」

 

 笑う鷹岡だが、その目は据わっている。

 

「結局、評価ってのは絶対的で、結果しかないんだ。だから、結果を出せるようにしてやろうと、そういう話なんだ、これは。

 ……これ以上は何を言っても平行線ですね。私は授業に戻りますか」

 

 一瞬のその表情を解き、すぐににこやかなそれに戻る鷹岡。ころせんせーたちに背を向け、生徒たちに指示を出す。

 物理的な説得力と強制力を併せ持つ鷹岡。そして、ころせんせー達とは異なる理屈ながらも、ある程度はそれに従わざるを得ない説得力を持っており。

 

 渋い顔をしながら、あぐりはころせんせーのローブの裾を、ぎゅっと掴んだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

 慣れないスクワットをしている生徒達。

 元運動部の面々は経験があるのかといった所だが、元々スクワット運動はトレーニングとして最近では宜しくないと言われている。

 

 それでもなお続けさせ、駄目な生徒は襟を掴み恫喝を飛ばすのは、精神的な部分も込みでのトレーニングだからか。

 

「軍隊的には王道というところなんでしょうが、あれでは生徒が持たない……。訓練メニューの度合いを変えるつもりが全くないんでしょうねぇ。

 雪村先生の言葉ではありませんが、自主性も含め何より身体的に潰れてしまう」

 

 そんな授業風景を、校舎の手前で教師陣は眺めていた。先ほどからあぐりは、ころせんせーの腕を掴んで下を俯いたまま。

 ころせんせーは、烏間に話を振った。

 

「どう思いますか? そこのところを。烏間さん」

「……おそらくだが、最初はあえて無茶なメニューを組んでるんだろう。アイツだって、本プロジェクトの重大さと責任問題について、何も考えていない筈はないからな」

「そういう意味ではありません、と言えばわかりますか?」

「……空挺団に居た頃から、俺はそれなりに評価されてきた。情報部に引き抜かれたのも、戦闘面とそれ以外の面でのことだと、上司には言われている。

 実際、俺も教官としてはヤツ程ではないが、大きく差はない」

 

 だからこそ、と言葉は続く。

 

「いくらお前からの無茶な依頼だったとしても、その流れで人事的に強制だったとしても。

 俺は俺なりに考えてメニューを組んだし、ゆっくりとは言え三月までには全員目標水準を突破できるレベルにはしてあった。その行動を、例えアイツのそれであっても、俺は否定できない」

「……何よ烏間、アンタ、あいつの味方なわけ?」

 

 イリーナの言葉に、ころせんせーはにこやかに首を左右に振る。

 

「立場的にも、そして同期としても教官としても。なかなか簡単に答えを出せる問題でもないのですよ。

 ロヴロさんと私の教育方針が違うように、ということですね」

「は、はぁ?」

「私から見て間違っているものが、烏間先生たち(ヽヽ)からして、目的次第で間違ってると言えないということです。彼には彼の教育論がある。

 実際、彼の言葉は破綻こそしていないでしょう」

 

 眉間をつまむイリーナに、ころせんせーは微笑みながら言う。

 

 と、ふと、あぐりが顔を上げ、烏間の方を見た。

 言葉こそ多くないものの、双眸には真っ直ぐな意志が見える。

 

「私は、烏間さん。貴方がやっぱり適任だと思います」 

「……」

「形式的な話をするなら、確かに教育内容はそちらに任されてはいますけど、でも教師を要請する権利はこちらにあるはずです。そう『契約』しましたから」

 

 あぐりの言葉に、少なからず目を見開くイリーナ。

 だがそのことを深く追求させる空気もなく、あぐりは続けた。

 

「ですから烏間さん。いえ、烏間先生。

 私達ではない、貴方が、あの子たちの『体育の先生』として、鷹岡先生を否定してくれませんか?」

「……否定、か。

 俺が奴を間違っていると、言えるのだろうか」

 

 下を向き、独白するように続ける烏間。

 あぐりはころせんせーと顔を見合わせて、少し笑いながら言った。

 

「だって烏間先生は、先生ですから。

 そこは、私達二人ともそう思ってます」

「……」

 

 ねえ私は? 私は? と背後で言うイリーナをスルーしながら、烏間は拳を握り、生徒達を見る。

 

 

 

 

 

 そんなやりとりが行われてるとは知らず、鷹岡はひっそりとほくそ笑む。

 彼の目にはただ、指を咥えて見ていることしか出来ない(ように見える)彼等しか入っていない。

 

(悔しかろう、なあ烏間。育てた生徒を俺に奪われたんだから)

 

 胸の内に蠢くその感情は、果たしていかなるものだろう。

 

(卒業期、空挺団時代。共に成績も成果も最優秀。

 そんなお前はきっと、俺のことなんて気にも留めてなかったろう。実際お前の情報部引き抜きの時、名前すら忘れかけていたしなぁ)

 

 舌打ちしそうになる口を押さえ、にやりと笑う。

 

(お前の同期が何て呼ばれてるか、知ってるか? 空白だ、空白。『居ない者』の世代だって言われてるんだ。

 俺に限らず、お前の敵も少なくないんだぜ? オイ)

 

(そんな俺に、これ以上ない出世のチャンスを奪われるんだ。さぞかし印象に残ることだろうよ)

 

 鷹岡にとって、今回の仕事はいくつか意味がある。

 

 烏間が請け負っている仕事は、主に二つ。生徒たちの能力向上と、有事の際に”C”と戦うこと。そのための方法を吉良八から受け取っているところだが、そちらは大きなポイントではない。

 

 重要なのは、もっと根本的なことだ。

 

(生徒たちは、そのために潰しはしない。適度にギリギリで往なして、かわして、押さえつけ「兵士」とする)

(そのうち半分以上でも精鋭に育てられれば、俺の仕事は高く評価される。

 実際、俺なら出来る)

 

 その内心は、口に出して表明すればおおよそ許されるものではない。

 

(――そしてレポートが正しければ、只の子供に見える兵士を相手に”C”は躊躇するはずだ。

 そしてそれは、間違いなく討伐戦において大きな成果となる)

(そこまで行けば、後は一人でも生き残りさえすれば良い。むしろ「貴い犠牲」の上だ。賞賛される)

 

(そうすれば俺は、英雄を育てた英雄として――お前を顎で使ってやるぜ)

 

「今度こそ記憶に刻み付けてやる。この俺を。

 俺は――『居ない者』なんかじゃないんだ」

 

 鷹岡のその言葉は、単なる独り言であった。

 だがしかし、きっちりと聞いていた生徒は少なく無い。

 

「……居ない者?」

 

 呟かれたそのフレーズに、何故か、渚はスクワットの動き以前に意識の一部を揺さぶられた。

 だが、集中が切れれば必然、足がふらつく。

 

 そしてそれは、全体に対して言えることだった。

 

「じょ、冗談じゃねぇ……」

「スクワット三百回、初回からとか、死ぬだろコレ……」

 

 菅谷や岡島のそれが、運動慣れしていない生徒のそれである。先ほど持ち上げられていた三村に至っては、膝が震えて周回遅れ状態。それでも続けてはいたためか、ペースアップ以上の恫喝こそなかった。

 

 が、流石に一部には限界が来る。

 

「か、烏間先生~ ……」

 

 倉橋が膝を抱えて、力尽きたように蹲った。

 そして、それを見逃す鷹岡ではない。

 

「なあ、何で家族に頼らないんだぁ? 烏間は家族じゃないぞー?」

「ふえ?」

 

 指をコキコキ鳴らしながら、鷹岡が目の前に立つ。

 逆光ということもあってか、表情は、暗い。

 

 そしてそのまま右手を振りかぶり――。

 

「オシオキだなぁ。大丈夫、そんな痛くしないからな?

 父ちゃん、そんな頼りないか? 頼ったっていいんだ――ぞ!」

 

 

 

 だが、その手が彼女の脳天に落ちる事はなかった。

 

「……言ってることが矛盾してるだろ、鷹岡。それに、暴れたいなら俺が相手になってやる」

 

 烏間先生、と生徒達。それを受け、烏間の表情にわずかに戸惑いが浮かんだ。

 

 対する鷹岡は、密かに待ってましたと言わんばかりの表情である。手を振り解き、襟元を調える。

 

(烏間ぁ、そろそろ横ヤリ入れてくる頃だと思ってさ。

 じゃ、そろそろあの手を使うか……)

 

「言ったろ? これは教育なんだ。暴力でお前とやり合う気はないさ。

 やるならあくまで、教師としてだぜ?」

「散々挑発しておいて、何とする」

 

 彼の横を通り過ぎながら、鷹岡は得意げに続ける。

 

「確かこういうの――『暗殺教室』って言うんだっけ」

 

 その言葉に、生徒たちは一瞬身が震えた。

 

「ルールは単純。お前の育てた生徒達の中で、イチオシを一人選べ」

 

 しゃがみ込み、迷彩色のバッグの中を漁りつつ。 

 

「そいつが俺に一発、ナイフを当てられたら。お前の教育が俺より正しかったと認めて出てってやるさ。

 男に二言はないぜ?」

 

 生徒たちの表情に、微かに希望が宿る。

 だがそれさえ、彼の取り出したそれの前に凍りついた。

 

「――ただし、使うナイフはこっち(ヽヽヽ)だ」

 

 訓練ナイフを落した上で、実際に取り出したそれは。刃渡り実に二十センチ前後、鈍い銀の光を返すそれを、鷹岡は落したナイフに叩き付け、付き刺した。

 

 それは、実物のコンバットナイフである。

 

「やり合う相手が俺なんだ。使う武器も、本物じゃないと格好付かないからなぁ」

「よせ! 生徒たちは人間を『殺す』用意も訓練もされていない!」

「安心しろよ。寸止めとかでも大丈夫ってことにするさ。

 俺素手だし、そのくらいはハンデなもんだろ」

 

 そう笑う彼の脳裏では、軍隊時代の経験が生々しく蘇る。初めて実物のナイフを持ち、体の竦んだ新兵を、素手の彼が完膚なきまでに叩きのめす。

 どんな方法でも勝つことが出来ないと刷り込まれた彼等は、もはや黙って彼に心服するようになった。

 

「選べよ。じゃなきゃ無条件に服従ってことだ。

 一人見捨てるか全員を生贄にするかだ。まあ、どっちにしても酷い教師だぜそりゃ、お前。はっはは――!」

「……」

 

 嘲笑する彼を前に、烏間は手を向ける。

 地面のナイフを抜き、軽く投げて手渡すやり取り。烏間のかつての所属を知らなくとも、二人がかつて、おおよそ一般的な民間職ではないだろうことが、一発で察っせる類のものだった。

 

 

(……俺は、まだ迷っている)

 

 手にしたナイフを見下ろし、烏間は生徒たちの顔を見比べる。

 ちらりと後ろを見れば、今にも駆け出しそうになっているあぐりの両肩を掴むころせんせー。烏間の視線から何かを察したのか、彼もまた、ある生徒の方を見て頷いた。

 

(作戦が失敗する可能性もそれなりに高い。だがもし成功したとするのなら、今後彼等生徒たちのためには、コイツのような容赦のない教育が必要なのではないか。

 俺達のように激流に揉まれながらも、這い上がるような強さが)

 

「……ここに来てから、迷ってばかりだな」

 

 小声で呟きつつ、彼は足を進める。

 

(仮にも鷹岡は、俺と同じ部隊に属した精鋭。ぬるい訓練三ヶ月の中学生で普通は届くはずも無い)

 

 一歩一歩、その足は「彼」の元へ進む。

 

(だが、この中に一人だけ――わずかに可能性を、その「片鱗」を見せた彼を。

 危険に晒して良いのかも迷っている)

 

 そして、足が止まる。

 

 

 

「――渚君。やる気はあるか?」

「……!?」

 

 

 

 何で渚を、という反応が周囲を締める。当然渚とてそれは変わらない。隣の茅野が一歩進み、渚の顔を見つめる。当の渚本人は、烏間の言葉に戸惑うばかり。

 そんな彼に、彼等に、烏間は言い聞かせる。

 

「諸般の事情があって、引き受ける事になった教職だ。

 だが、そうであっても俺は君達に対して、プロとして接しているつもりだ」

 

 それは、時に自分に言い聞かせる言葉でもあるように。しかし今日まで過ごしてきた日々が、3-Eの教室に居た日々が。確かに彼の口から、一つの流れをもって放たれる。

 

「プロとして俺が、いや俺達が、君達に提供できるものは――当たり前に、中学生として過ごし、卒業させることだと思っている。必要に応じて戦闘訓練もしているが、あくまでそれは、先に『つなげる』ためのものだと」

 

 それは、赴任当初からころせんせーの隣で彼等を見てきたためか。

 それとも、彼の教えをぐんぐん受け取ってきた生徒に対する、感情からか。

 

「だからこれを、無理に受け取る必要はない。その時は俺が鷹岡に頼んで、最低限度のそれを維持してもらえるよう努力する」

「……」

 

 烏間の目を、渚はしばらく見つめる。

 ぐ、と手を握り、彼は烏間からナイフを受け取った。

 

「渚……」

「……うん」

 

 心配そうに見つめる茅野に笑ってから、渚は烏間に言う。

 

「やります――やらせてください」

 

 

 

 生徒たちが道を開け、鷹岡の前に立つ渚。ナイフを咥えて軽くストレッチ。

 

 烏間は、そんな彼に耳打ち。

 

「二つ、アドバイスだ」

「?」

「一つは威力だ。相手はこの形式を熟知してる。全力で振らないと当らないぞ。

 それからもう一つ。君と奴との違いは、武器の有無ではない。わかるか?」

 

 会話する両者を見ながら、鷹岡はにやにやと腕を組む。

 

「お前の目も曇ったなぁ烏間。よりにもよって、そんなチビ選ぶとは……」

 

 経験則は、そのまま相手の実力に繋がる。

 この場合鷹岡の経験は、文字通り渚のそれと桁が違う。だからこそ渚が自分を傷つけることの困難さを、体格や、震えるナイフを握る手から分析していた。

 

「烏丸の奴、何でよりにもよって渚なんか……」

「二人は『アレ』を見てませんね。茅野さんからの情報もありますし、まあ『今回も』大丈夫でしょう。いずれにせよ勝負は一瞬で決まります」

「……吉良八先生?」

 

 遠方の言葉は、渚たちに届いているわけも無い。

 

「(渚のナイフ、当ると思うか?)」「(無理だろ! 烏間先生と訓練してたらわかるって嫌でも)」「(おまけに、プロ相手に本物のナイフとか――)」

 

「……渚」

 

 じっと、茅野は渚の背中を見る。

 その目はどこか心配そうではあったが、しかし、見送るそれは只々無事を願うというものではない。どこかそれは、その視線は、彼の選択に対する信頼のようなものが見えるような――。

 

 

「さあ、来い!」

 

 手のひらをくいっと出し、軽く挑発するような動きの鷹岡。

 

 渚はナイフを握りながら、相手の目を観察する。

 

 

(……どうしてだろう。この人の目は、少しだけ僕等に似ている気がする)

 

 その感想の意味するところを、渚は上手く言葉には出来ない。

 ただ、これから自分を甚振ろうとする相手の目に、どこか屈折した挫折を見たことは事実だった。

 

(でも、僕は烏間先生の目が好きだ。あの真っ直ぐな。

 家族でもしないようなくらい、真っ直ぐ話してくれるその姿勢が)

 

 握るナイフには、己を選んだ理由さえわからなくとも、確かに烏間に対する信頼がある。

 

(それに、前原君や神埼さんのことだってある)

 

 せめて、せめて一発と。

 

 深く呼吸をして、渚の視線はナイフに落ちる。段々と、その重さが物理的なものではない、違った意味を帯びていることに、渚も気付き始めた。

 

 鷹岡の意図のうちに、これも入る。普通に生きていれば、ナイフを使って人を殺そうということはない。だからこそ、そこには躊躇が発生し、時にその後に齎される結果の重さが体を縛る。

 

(俺はなぁ、そういうのに気付いて顔青ざめるド素人が大好きなんだよ。

 さあ、見せろ、絶望しろ!)

 

 目を閉じ、渚は少しだけ呼吸を整える。

 

 不意に、彼の脳裏に烏間の言葉が過ぎった。

 

『――この勝負は、鷹岡にとっては見せしめの戦闘だ。甚振り、力を全体に誇示する必要がある。

 だがそれに対して、君は暗殺だ。一発当てればそれで良い。

 勝機はそこだ。相手は油断し、君の行動を無駄だと覚らせるための最初の数撃を技能を披露しながら交わすことだろう。そのチャンスを、君なら俺は突けると思う』

 

 鷹岡からすれば、それは公開処刑のそれだ。

 だが、渚からすれば意味合いが異なる。

 

 作戦と呼べるか、やや怪しいレベルのそれではあったが。しかしそれを思い出した瞬間、渚の震えは収まり、思考がクリアになり。

 

(そうだ。戦って勝たなくったって良いんだ――)

 

――殺せば、勝ちなんだから。

 

 京都でも一度起こった、何かの歯車が噛み合う感触。渚の内側で、回転しだしたそれ(ヽヽ)

 

 クリアになった思考は、多くを考えるまでもない。

 基本的な「潮田渚」というそれを、この時点の渚は「振り切った」。

 

 集中ゆえか、視界さえ、自分と鷹岡以外は真っ白に染まり――。

 

―― 一歩。

 

 気が付けば、口には微笑み。

 

―― 二歩。

 

 そう。笑って、普通に歩いて渚は近づいた。

 

―― 三歩。

 

 通学路でも歩くように、普通に。

 

 足が、止まる。

 渚の体が構えていた鷹岡の腕にぶつかったからだ。

 

 鷹岡は、身動きが取れて居なかった。まるで戦闘をするという風でさえ無いその動きに、脳みそが追いついていかなかった。

 

 だからこそ、この時点でようやく気付いたらしい。

 

 自分の首に向けて、刃が「当たり前のように」振られたことに。

 

 

(何だ、コイツ……!?)

 

 

 動揺しながら、鷹岡は渚の表情を見る。

 角度の問題か、目に光はない。

 

 ぎょっとしたまま動きが崩れる鷹岡。ころせんせーでさえ、お遊びの最中でも危ないコースには身体が強張るのだから、これは誰しも当たり前である。

 

 

 だがここに至って――渚の口は、まだ笑っていた。

 

 

 優しげな、普通の微笑みのまま。目つきと雰囲気だけを豹変させ。

 己を怯ませたのが、目の前の少年が放った殺気(もの)であると、鷹岡は未だ認識しえていない。

 

 崩れた体勢に対し、まるで自動的に出てくるかのよう「つながった」戦うための情報が、渚の選択肢を増やす。

 

 体勢が後ろに傾いたためか、ナイフを握ってない手は背中側から服を引き。

 同時に左足が、軸となっていた相手の右足の刈り取る。柔道の技の応用のようでありながら、力強く腹に肘を居れ、足のバネで押す形に。

 

(何だ、コイツ――何なんだ!)

 

 頭の処理が追いつく前に、渚の動きは更に続く。

 

 正面から向かうと防がれる確立があるからか。しかし確実に足を極めて倒した分のアドバンテージは大きい。

 鷹岡の両手が反射的に背中に回った瞬間、渚はナイフを彼の腹に這わせ。

 

 

 そのまま直線的に、まるでバッグのジッパーでも開けるように軽々と、渚は服の上からナイフを振るった。

 

 躊躇などない。そして、表情は殺気を放った笑顔のまま。

 腹や胸の表面を経由して、渚のナイフはそのまま彼の首目掛けて振る。

 

 胴体に刃物が接触し、そのまま上昇する感覚は、混乱していた彼にさえ、その笑顔を含めて恐怖を抱かせるに充分で――。

 

 

「――渚ぁッ!」

「――ッ!」

 

 

 茅野の叫び声に、はっとして渚は目を見開く。

 

 渚を見下ろしながら、ぜいぜいと息をする鷹岡。涎やら何やら吹きだしているが――渚のナイフは、鷹岡の首から頬すれすれの位置にあった。

 このまま続けていたら、それこそさっくり抉るような角度で。

 

 今更ながらその状況を見て、渚は自分自身驚いているようだった。

 無論、周囲の反応も同様に驚愕している。予想していただろうころせんせーでさえ、表情に余裕はなかった。

 

「えっと……、がおー?」

 

 本人もよくわかっていないような感じに、ナイフを裏返して首筋に当てる渚。

 

 

 この場で、それを最も近くで見ていたからこそ、烏間は震えざるを得なかった。

 

(予想をはるかに上回った、どころじゃない……ッ)

 

 日常生活でまず発掘されることのない才能。

 

 殺気を隠して近づく才能。

 殺気で相手を怯ませる才能。

 素早く行動を判断する才能。

 本番に物怖じしない才能。

 

 そして――躊躇なく、振り抜く(ヽヽヽヽ)ことが出来る才能。

 

(思えば片鱗はあったかもしれない。だが……、俺が訓練で感じた寒気は、あれが本当の暗殺だったら……ッ)

 

 戦闘の才能でもない。

 暴力の才能でもない。

 

 言うなれば、文字通り暗殺者の才能。

 

(これは、咲かせても良い才能なのか……!?)

 

「あ、あれ? 峰打ちとかじゃ駄目なんでしたっけ」

「――そこまで! 勝負ありですよ渚君。ねえ烏間先生」

 

 何時の間にやら、渚の横に立ち、ナイフを取り上げるころせんせー。

 生徒たちの視線も緊張が少し弛緩する。

 

「まったく、本物のコンバットナイフを生徒に持たせるなど、正気の沙汰ではありませんねぇ。

 しかしこれは持って来ておいて良かった」

「「「「「そのグッズ需要あるの!?」」」」」

 

 さらっと取り出した「タコせんせーナイフケース」に、鷹岡が持ってきたそれを仕舞い込むころせんせー。

 その抜けたデザインが、生徒たちにいつもの空気を取り戻させる。

 

「やったじゃんか渚!」

「ほっとしたよ、もー! うなー!

 渚、立てる!」

「あ、う、うん。ありがと」

「よくあそこで、本気でナイフ振れたよな?」

「いやー、烏間先生に言われた通りやっただけで……。

 って、痛い! なんでさ前原君!?」

「あ、いや、悪い。ちょっと信じられなくて……。

 いや、でもサンキューな! スカっとしたわ!」

「そっか、渚君は主人公系だったのか……」

「不破さんもブレないですね」

 

 他の生徒たちに絡まれている渚を見ながら、烏間の表情は優れない。

 文字通り弱そうに見えるが、それ自体が立派に才能として機能したそれが、焼き付いて離れないのか。

 

 考え込む彼の肩を、ころせんせーは叩いた。

 

「烏間先生。今回は随分悩んでばかりですねぇ。あなたらしくない」

「悪いか。……そういうお前も、少し今回は焦っていないか? 汗っぽいぞ」

「バレましたか。いえ、思ったより渚君の思い切りが良すぎたというか……。茅野さんには感謝ですね、アレなかったら、さっくり鷹岡先生の顔面がスプラッタになってましたよ」

 

 少し手入れを考えた方が良いですかねぇ、とつぶやくころせんせー。

 

「んー、あの子(ヽヽヽ)にも少し探ってもらった方が良いかしら……、あら?」

「ニュル?」

「ッ」

 

 だが、平和そうな空気に戻った時点で、その場でぬらりと立ち上がる鷹岡。

 いきり立ち、肩を張り、前傾姿勢で息を切らす。

 

 声音と立ち姿からは、怒りが滲んでいた。

 

「この、ガキが……ッ! 父親同然の俺に刃向かって、マグレで勝ってそんなに嬉しいか?

 もう一回だ。今度は絶対油断しねぇ。

 心も体も、残らず全部へし折って――」

 

 さっと、茅野が睨みつけながら渚の前に出る。

 次は私がやってやる、と言わんばかりに殺る気マンマンな彼女の肩を、渚は叩いて退かせ。

 

 足を踏み出そうとする烏間を、ころせんせーとあぐりが軽く引き止めた。

 

「ヌン、ヌン。聞いてみましょう。渚君の答えを」

「答え……?」

 

 いきり立つような鷹岡に、渚は少し逡巡してから、それでも目を見据えて答えた。

 

「……確かに次やったら、100回やったって僕が負けると思います。

 でも鷹岡先生。一つだけ、僕等はハッキリさせたことがあります」

 

 渚は、いや渚たち3-Eは、鷹岡を見据える。

 続く彼の言葉は、文字通りクラスを代表したものだろう。

 

「――僕等の『担任』はころせんせーで、雪村先生で。

 僕等の『教官』は、烏間先生です。これは絶対に譲りません(ヽヽヽヽヽ)

 

「――ッ」

 

 目を大きく開け、烏間は言葉が続かなかった。

 

「父親を押し付ける鷹岡先生より、プロとして接してくれる烏間先生の方が、僕はあったかく感じます。

 本気で僕等のために力を尽くしてくれようとしてくれたのは、感謝してます。でも……、ごめんなさい。

 

 ――出て行って下さい」

 

 頭を下げる渚。そして、生徒たちは誰も一歩も引かない。

 

「先生をしていて嬉しい瞬間は色々ありますが。

 迷いながら自分が与えたものに、生徒がはっきりと答えを示してくれた時は、やっぱり嬉しいですよね。

 そして、烏間先生? 生徒が出した答えには、我々も答えなければなりません」

「……くっ、ふふっ」

 

 らしくない笑いを一瞬浮かべ、烏間は歩き始める。

 

 対して、鷹岡は焦っていた。自分の作戦の失敗と、関係のある種の逆転に。

 思わず目を血走らせ、歯軋り。

 

「黙って聞いてりゃ、ガキの分際で、大人に何て口を――がああああああああ!」

 

 叫びながら全力で振りかぶるその動き。

 それさえ緩慢に写るような素早さで回り込み、烏間は鷹岡の顎を肘で打ち抜いた。

 

「……身内が迷惑をかけて、済まなかった。後のことは心配するな」

 

 生徒達を振り返り、烏間は淡々と、しかし確信を持って言う。

 

「今まで通り、体育は俺が担当出来るよう、交渉しよう」

「「「「「烏間先生!」」」」」

 

「くそ……、やらせるかそんな事……ッ」

 

 起き上がる鷹岡は、生徒や烏間に敵意をむき出しにしている。

 先に俺が掛け合ってやると言わんばかりのそれに対して――。

 

 

「――その必要はありませんよ、お二方」

「「「「「!?」」」」」

 

 唐突に聞こえた、生徒達にとって聞き覚えのある声。

 どこから聞こえたのかわからなかったが、数秒後にそれを察する。

 

 校舎の裏手、森の近くの方から、メガホン片手に、彼が、学園の支配者が現れる――。

 

「!! 理事長……!?」

「……何で迷彩服?」

 

 渚のツッコミの通りに、何故か帽子やフェイスペイと含めて、本格的な迷彩装備で登場した理事長。上着の前ボタンは外されており、黒のタンクトップが良い意味で見た目を引き締めていた。

 

 烏間の呼びかけに、にこやかに応じる浅野學峯。

 

「おや浅野さん、何時の間に」

「しばらく前から。……中々すごい光景も見れましたね、ころせんせー」

 

 ちらりと渚の方を見てから、理事長は鷹岡へ歩み寄る。

 

「経営者として様子を見に。『先方』推薦の手腕に興味がありまして」

「コマ○ドーである意味は……」

 

 あぐりの質問を流して、理事長は鷹岡の目を覗きこんだ。

 まっすぐ、まっすぐに。

 

「しかし――鷹岡先生。総評してあまり面白いものではありませんでした」

「……ッ、で、でも許可を――」

「試す許可は与えました。試した結果が、今でしょう?

 教育には時に恐怖は必要ですが、暴力のみでしか与えられないならそれは、三流以下だ。自分より強い暴力に負けた時点で、その説得力はなくなる。

 あってもなくても一緒ということですね。言うなれば、透明です」

 

 言葉は普通。声音も冷静。

 しかし見据える眼差しと、放つオーラはまるで怪物だ。その視線は、文字通り自分を虫けらとしか思っていないような錯覚を覚える。

 

「それに、()を採用してからのここに、こちらの理屈のみを押し通させるのも面白味がない」

 

 ころせんせーを一瞥した上で、理事長は取り出した紙を筒状に丸め、鷹岡の口に突っ込んだ。

 解雇通知である。

 

「烏間先生は、継続されて結構ですよ。それでは」

 

 立ち去り際、近くに居たためか渚や茅野の頭を軽くぽんぽんして、理事長はそのまま森へ帰る。無論そのまま山を下りて本校舎に行くのだろうが、なまじ格好が格好である。

 不破が「今日は厄日だわ!」とか叫んだりしているのはともかく。

 

 もしゃもしゃとその通知の紙を、怒りのまま鷹岡は噛み締め。

 立ち上がり、声にならない声を上げながら走り去って行った。

 

 そこから数秒の時間がかかったものの。生徒たちは、口を開く。

 

「鷹岡、クビ?」「ってことは、今まで通り烏間先生ってことだよな、さっき言ってたし……」

「「「「「よっしゃあああああ!」」」」」

 

 そこまで溜め込んでいた分のエネルギーが、この場にて爆発した。

 

「理事長もたまには良いことすんじゃんよ」

「うん。あっちの方がよっぽど怖かったけどね」

「あと、たまに変な格好してる時あるよね……」

「あ、な、渚君、さっきはありがとう」

「あ、神埼さん。いいっていいって」

 

 

 

 

「相変わらず、浅野さんは迷いないですねぇ」

「鷹岡先生、この後大丈夫かしら、その……」

「ヌルフフフフフ。あまり宜しくはないと思いますが、まあ、その程度でくたばる相手でもありませんよ。生きてさえいれば、可能性は無限だそうですからねぇ」

 

「……例えばの話だが」

 

 烏間の言葉に、ころせんせーとあぐりは耳を傾ける。

 

「『将来殺し屋になりたい』と、彼が言い出したら、それでも迷わず育てられるか?」

「……」

「鷹岡が目的としていたところは分からないが、少なくとも彼は、人間相手になら有能な殺し屋になれるだろう。戦闘屋本職の俺や鷹岡でさえ、血が引くんだ。

 それこそ、”C”の分体くらいなら相手に出来るかもしれない」

 

 とんとん、ところせんせーの胸をノックするあぐり。自分は答えるつもりは無いということか。それともはたまた、大体似たようなこと考えてるということか。

 

「……迷うでしょうね。まずは、そうなった理由を探るところから始めるとは思いますが」

「そうか――」

「だけれど」

 

 あぐりが、被せるように続けた。

 

「たぶん、それが教師ってものなんじゃないでしょうか。

 自分の考えとか、教えてることとか。それが本当に生徒のためになってるか悩んで、悩んで悩み抜いて。私達だって神様なんかじゃないし、時に間違えもします。

 でも、子供達の前では、そんな素振りは見せちゃいけなくって。胸を張って堂々と、かれこれこういうことだって教えていくもの、なんだと思います」

 

「……教師、か」

 

 空を仰ぐ烏間。既に色は赤く、夕暮れ。

 

「ところで烏間先生さぁ」

「ん?」

 

 顔を下ろせば、自分の周りには生徒達が集って来ている。

 中村や倉橋が中心になり、なにやらねだってきていた。

 

「私達の努力で返り咲けたわけだしぃ、臨時報酬とか、どうですか?」

「そーそ、鷹岡先生そーゆーのは充実してたよねー」

「……フン。

 甘いものなど俺は知らん。財布は出すから、要望は駅前で言え」

「「「「「YATTAA!」」」」」

 

 イリーナを含め盛り上がる生徒陣。

 そんな中、ころせんせーは微笑みながらも、表情が固まり汗が垂れる。

 

「吉良八先生……?」

「……あ、いえ、そういえばこういう展開でしたねぇ、ええ。

 忘れてた訳じゃなかったんですが、活躍パートがありませんでしたねぇ、ええ」

「あ、あははは……。ま、まあ私もそんなものですし」

「雪村先生も行こうよー! ころせんせーも、まあ、全然活躍してなかったけど、ついでにさ」

「活躍してなかったけどさー」

「にゅや、何たるバタフライエフェクト!?」

 

 あぐりが居たおかげか、今回はギリギリハブられなかったころせんせー。

 

 生徒たちに手を引かれ、烏間は足を進める。

 

(……成る程。俺もここで、それなりに熱中してるのかもしれないのか)

(迷いながら人を育てる――「先生」の面白さに)

 

 

「ちょっと下で待ってろ。本校舎の方から、スクーターを取ってくる」

(((((烏間先生、原付通い!?)))))

 

 さらっと新事実をぼろっと零しながら、生徒と教師たちはひとまず、校舎へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ところで渚がさっき言ってたのに私、居なかったけど、私は何なの? ねえ」

「僕等のビッチです」

 

 当たり前のような竹林の答えに、イリーナは反射的に「F○ck you」を返した。

 

  

 




ちなみに理事長、本日分の訓練はずっと見学してた模様


そして次回、ついに作者的最難関のイケメグ回か・・・


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第27話:乗り越えの時間

わずかながら光明が見えたので投稿・・・長らく御待たせしました、次は今回ほどは開かないと思います;


 

 

 

 

 

 

「あちぃ~」

「地獄だぜ、クーラーとかないの教室とか」

 

 炎天下。山の上にあるとはいえ、標高はそこまで高いとも言いがたい。つまり雲がかかる程に寒くはないので、夏本番に向けて徐々に気温が上昇する、じめじめとした東日本の気候に、3-Eの生徒たちはやられていた。

 定期的に熱中症が出ないよう、副担任などが水道水をとるように言ったりもしているが、段々と生ぬるくなり始めてきているので、飲みはするが皆萎えていた。

 

 そんな中、担任教師たるころせんせーも、装いが夏使用に変更されている。

 アカデミックドレスではあるのだが、袖が短く薄手で、ぱっと見ロングパーカーみたいな構造になっていた。

 

 下に見えるクールビズなシャツ姿がまともであるはずだが、どうしてか見慣れてない服装に違和感が付きまとっていた。

 

「だらしない、夏が暑いのは当然のことです」

「ころせんせー、元気だよねー」

「雪村先生ほどじゃありません」

「気合が違います」

 

 倉橋やころせんせーの言葉を受けて、ぐっと拳を握るあぐり。ノースリーブな装いでこちらもいくらか涼しげだが、それ以上に汗だくだくでも元気に笑っていた。

 と、ここで渚が何かに気付いた。

 

「……ころせんせー。後ろの黒板、少し白くなってない?」

「ヌルフ?」

 

 と、後ろを振り返った瞬間。アカデミックドレス(夏)の裏側に、大量の冷却剤めいたものがちらりと見え隠れ。

 

「「「「「ずりぃ!」」」」」

「にゅや! ちょ、ちょっと先生、精密機械もあるので多少温度は一定に保っておかないと、危険だというのもあるのでご容赦を……」

『ころせんせー、皆さんにも配ってはいかがでしょうか? 予備を買ってないとは思えません』

「し、仕方ない……。明日持って来ましょう」

 

 精密機械も(体内に)あるので、という台詞に突っ込みを入れなくなっている3-Eの面々。日頃の暗殺教室においても、生徒達のスキルは上がっているが、それ以上にころせんせーの基礎スペックの極まり度合いが、いよいよ人間離れしているのを察し始めた生徒達。

 

 本人が自称するところの改造人間、というのが、生徒たちにとってもにわかに真実味を帯び始めている証拠であった。

 

「でも、今日プール開きだよねー、本校舎! 体育の時間待ち遠しいなぁ」

「いあー、でもE組にとっちゃ地獄でしょ半分。なにせプールは本校舎だけだし、この日本晴れの下、山道1キロ近く往復しなきゃなんねーし」

 

 倉橋の言葉に木村が半笑いで言う。

 文字通り、E組死のプール行軍。授業終了時の生徒達は、カラスの餌のようだともっぱらの評判(?)だった。

 

「なんとか出来ないの? ころせんせー。

 授業日数とか変更するとかさー」

「んもぉ、しょうがないなーひろ太(ヽヽヽ)くんは、とか言いたいところですが――」

 

 さり気なく放たれた猫型だか狸型だかの未来のロボットのものまねに「似てる!?」という反応がちらほら聞こえたが、特に気にせずころせんせーは続けた。

 

「なんでもかんでも先生を当てにするんじゃーありませんッ!!

 いくら超人めいていても出来ないことは沢山あります。これでも一応、人間ですからね」

「……だろーねぇ」

 

 ため息を付く前原。それに連なるクラスの反応を見つつ、あぐりは偲び笑い。

 でも気持ちは分かります、ところせんせーは続けた。

 

「仕方ないので、全員水着に着替えて下さい。

 そばの裏山に沢があったでしょう。そこに涼みに行きましょう」

 

 流石にこの時点で、ころせんせーが何をしようとしているのか、というか何を準備していたのかを察する生徒は居なかった。

 

 

 

 木の枝を掻き分けて、時に結び、ころせんせーは生徒たちを先導する。大半の生徒たちは水着の上からジャージを着用しており、ぱっと見だけならそこまで変な光景でもなかった。

 

「あつはなついな、と大阪の方では猛暑の際にそう言うらしいです。まあオヤジギャグなんですが、元祖は古き良きしゃべくり漫才まで遡ることが出来ます」

「なんて無駄知識だ……。しっかし暑ぃ……。

 渚も流石にメモは持って来てないな」

「スマホは持ってるけどね、防水だし」

 

 杉野の言葉に笑いながら、渚は目の前を見る。

 相変わらずのころせんせー。片手には縞々模様のタコせんせー団扇を持って扇いでいる。服装は夏使用のままだが、着替えないんだろうかという生徒たちの感想は湧かない。できない事も多いがこの先生のことである、下に着ていたところで何ら不思議はなかった。

 

「裏山に沢なんてあったっけ」

「一応な。って言っても、足首まであるかないかくらいの深さだぜ」

 

 千葉の言葉にへぇ、と速水が頷く。どうにもイメージし辛いのだろうが、当たり前である。浅瀬すぎて小さな魚さえ住めなさそうなそれは、とてもじゃないが水泳できるものだと断言はできまい。

 

 まあ水掛けたりできるだけマシか、と杉野は割り切った様に笑った。

 

「渚君、この間すごかったらしいじゃん」

「カルマ君」

 

 と、背後から声をかけてくる赤羽カルマ。

 

「見ときゃ良かったなー、渚君の暗殺」

「本トだよー、カルマ君面倒そうな授業全部サボるから」

「えーだってあのデブ嫌だったし」

「烏間先生の授業も、最初の方は見学だけだったよね」

「相手に合わせてレベル変えてくれるってわかんなかったし、温くないなら楽しめるからね」

 

 茅野も混じってきて、三人は談笑。

 だがそんな中、渚はふと思い出す。

 

(でも、どうしたんだろうあの時は)

 

 我を忘れたようにナイフを振るった自分を思い出し、茅野の顔を見た後に頭を左右に振る渚。「?」という茅野の表情に「何でもないよ」と笑った。

 

「でも、暗殺教室的にはころせんせーに通用しなきゃ意味ないんだよね」

「まあね。決定打がないって感じだよね」

「皆もあの手この手、暗殺教室のある日は毎日手を尽くしてるけど……」

 

 例えば今日だって、廊下の床下からの狙撃や黒板消しトラップに同時に忍ばせた訓練用ナイフなど。それらを苦もなくあっさり回避し、アドバイスさえ入れる辺りバケモノである。

 

(未だ決定的な暗殺が出来ていない以上、何か、もっと強い弱点でもあれば――)

 

「さて皆さん! さっき先生は言いましたね。いくら超人めいていてもできない事が沢山あると」

 

 足を止め、背後を振り返るころせんせー。爽やかな微笑みは、いつも通り黙っていれば良い男である。

 だが今は珍しく脱線せず、そのイケメンな雰囲気のまま彼は続けた。

 

「その一つが、君達みんなをプールへ連れて行くこと。残念ながら、自然に任せれば丸一日かかってしまいます」

「んな大げさな。本校舎まで歩いて二十分も――」

「おやおや? 杉野君ー―」

 

 

 ――いつから君は、本校舎に行くと錯覚していましたか?

 

 

 きゅぴーん、と不破や竹林に電流走る。

 いや、それだけではない。岡島が最初に、耳に聞こえる違和感に気付いた。

 

 そしてそれは段々と伝播していき、生徒たちは思わず、ころせんせーの背後へと駆け出し――。

 

 

「せんせー()特製の、E組専用プールです!」

 

 

 浅い所でさえ、背の低い渚も胸の上のあたりまで浸かれるほどに水の溜まったそれは、既にちょっとした池のようなものだ。

 

「流石に時間が掛かりましたよ。なにせ小さな沢でしたから、堰き止める事約一日。

 25メートルコース幅も勿論確保。

 シーズンオフには水を抜いて元通り、水位を調整すれば生簀も観察も何のその」

 

 製作一日、移動に一分。

 

「飛びこむまでに一秒かかりません。さあ、張り切って行きましょう!」

「「「「「いやっほぉう!!」」」」」

 

 テンションの振り切れた生徒達は、ジャージを脱ぎ捨てプールに飛びこむ。ちゃっかり潮っぽい香りがするのは、きちんと塩素でも入れられているのだろうか。

 

(こーゆーことしてくれるから、ウチの先生は殺し(やり)辛い!!)

 

「あ、みんな、ちゃんと準備運動しないと駄目だから!」

 

 副担任の静止も耳に入っているのかいないのか。収集が着かないくらいには、生徒たちのテンションは上がっていた。

 

 

   ※

 

 

 泳ぎ始める生徒たち。遊び始める生徒たち。休憩し始める生徒達に、あぐりの言葉を聞いてきちんと準備体操をしている委員長コンビなどなど。

 

 そんな中、浮き輪でぷかぷか漂う茅野は憂鬱そうな声を上げていた。

 

「楽しいけどちょっとメランコリー……。

 泳ぐの苦手じゃないけど、身体のラインがはっきり出るし」

 

 タコせんせーのビーチボールを胸に抱えているあたり、自分のコンプレックスをさらけ出すつもりはさらさらないらしい。

 そんな彼女に、非常に綺麗な声をかける(おとこ)が一人。

 

「大丈夫さ茅野――」

 

 岡島大河である。

 

「その体も、いつかどこかで、誰かに需要があるさ。気にしないヤツもいるし、細いのが良いってヤツもいるし」

「……うん、岡島君、二枚目っぽく言いながら盗撮するの止めようか。

 っていうかどっから持ってきたのその本格的なカメラ、ジャージ入ってなかったよね?」

 

 やや白けた反応であるが、まあ平常運転だった。

 一方、所変わって。

 

「渚……、アンタ……ッ。

 男、なのよね……」

「今更ァ!?」

 

 渾身のリアクションである。さもありなん、上半身裸で膨らみのない体系は、女子のように華奢と言えど男子のそれに違いはない。中村のそれに続いて岡野の「まあ仕方ない」が更に追い打ちをかけたりしていた。

 

 ともあれ非常に平和である。暗殺教室の日であっても、流石にこれはテンションが上がってそれどころではないといったところか。

 そして、そんな空気であっても、いつだってブレイクするのは彼等の担任であった。

 

 

 ピッピッピ、と鳴り響く笛の音。

 音の主は、ちゃっかり競泳水着に着替えたころせんせーだ。首にはストップウォッチとタオルを巻いている。

 

「木村君、プールサイドは走っちゃいけません、滑りやすいし岩ですからなおのこと危ないですよ! 転んだりしたらどうするんですか!」

「へ? あ、すんません」

 

 これがまず一度目。

 

「原さんに中村さん、潜水遊びは程々に! 溺れたかと心配しますよ」

「あ、はい」「はーい」

 

 二度目。

 

「岡島君はカメラ没収!」

「うあ!」

 

 三度目。

 

「狭間さんも本ばかり読まず泳ぎなさいッ」

「えー……」

 

 四度目。

 

 エトセトラ、エトセトラ。

 

 

 時にリズミニカルに響く笛の音に、生徒達の心境は見事に一致した。

 

(((((こ……、小うるせぇ……)))))

 

「いるよねー、自分の作ったフィールドだと王様気分になっちゃう人……」

「あぁ、有難くても有難さが薄れるよなぁ……」

 

 生徒達の反応など、何処吹く風で満足そうなころせんせー。

 

「ま、まぁまぁ、吉良八先生……。もう少し気楽にしてもいいんじゃないですか?」

「いけません! 正規のプールでもないので、慎重にしてしかるべきです!」

(((((そしてやっぱり小心だッ!)))))

 

 明らかにテンションが生徒たちとは違うころせんせー。プールに入っていないこともあって、浮いてる浮いてる。なお、ウェットスーツ姿のあぐりが一番浮いていると言えば浮いていた。

 

「それはさておき、ヌルフフフ。景観選びから間取りまで、自然を生かした緻密な設計!

 皆さんには安全に、相応しく遊んでもらわなくては」

 

「律、ころせんせーの弱点データベースに追加しておいて」

『はい、渚さん♪』

 

 そしてメモを持って来てなくても、ちゃっかりころせんせーの弱点データを更新する渚。プールマナーに五月蝿い、といったところか。

 

「吉良八先生も、もっと肩の力抜いてくださいよ」

「そーだよころせんせー! カタいこと言わないで遊ぼうよ! ほら、水かけちゃえ!」

 

 あぐりに続いた倉橋の言葉。そして同時に、遊ぶ感覚で放たれる水の軌跡。

 それが顔にかかった瞬間、響いた言葉に生徒たちは目を見張った。

 

 

「――きゃんっ」

 

 

 フォントが変わるほどの裏声である。

 え? 何、今の悲鳴? と反応がじわじわ伝播する。

 

「きゃ、カルマくんゆらさないで~~~! 水、落ちる~~~~っ 

 落ちますって、いやー、たのんますっ」

 

 ぐらぐらところせんせーの座っている監視台を揺らしながら、ニヤニヤとするカルマ。

 

 あぐりが「これ大丈夫だったのかしら」といった表情を背後でしているのに生徒達は気付いていないが、概ね彼等もここまでしていれば察する。

 

(ころせんせーって)

(もしかして――)

 

 ぜいぜいと肩で息をするころせんせー。

 

「いや、別に泳ぐ気分じゃないだけだしぃ。

 水中だと機動力が一気に()がれるとか、そんなんじゃありませんしぃ」

 

 唇を尖らせてわざとらしいくらいそっぽを向くころせんせー。

 

 それは、一つの可能性を明確に示唆していた。

 

「せんせー ……、泳げないんだ!」

(僕等の大半は直感した。今までで一番、僕等が使える弱点だと)

 

 水殺! 実際に殺す訳ではないのだが、確実に生徒たちに大きなテーマを与える事になる情報に違いはない。

 そしてそんなタイミングで。

 

「わ、ちょ、足つった! 痛いって――きゃッ!」

「茅野!?」

 

 浮き輪の上で、茅野あかりがバランスを崩して転等。

 

「ちょ、バカ何してんだ!」

「あいつ背低いから、あの位置だと立てねーのか?」

「って、あのタイミングで足吊ったって一大事だから前原!」

 

 生徒達がわたわたし、ころせんせーが急激な状況変化に対応できず。

 しかしそんな中、あぐりが泳ぐよりも素早く飛びこみ、クロールで彼女のもとに駆けつける女傑が一人。

 

「ぷはっ」

「大丈夫? 茅野さん。浅瀬の方に行くけど、後でマッサージだね」

 

 溺れる彼女の首を持ち上げ、水面に出した上で押さえる足を引き、陸地へと誘導する彼女。

 

「ありがと、片岡さん!!」

「ふふっ。

 ……水の中なら、お手のもの、かな?」

 

 彼女、片岡メグは、男前な笑みを浮かべながらころせんせーの方を見ていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 ころせんせーに隠れて、生徒達が議論したポイント。

 

「まず問題なのは、ころせんせーが本当に泳げないか」

「湿気が多いと頭すんごいことになるのは前に見たよね」

「リアクションから判別は難しいけど、雪村先生も入ってたのに一緒に入らないのはおかしい」

 

 磯貝たちの予想の通りといえば、予想の通りである。渚のメモを参照しても、逆に泳げることを決定付ける判断材料は存在していなかった。

 

「もし仮に、頭だけがあのサイズになってしまったとすると……」

「バランス悪そうだよなー、それこそ行動がものすごく制限されるくらいに」

 

 片岡メグが、そんな話し合いに一つ提案。

 

「だから皆、一つ作戦があるんだけど。

 この夏の間、どこかのタイミングでころせんせーを水中に引き込む。それだけなら殺すってアクションじゃないから、ころせんせーの反応も遅れると思うの。頼めば夏休みとかでも暗殺教室はやってくれるだろうし。

 で、動きが悪くなったところで水中でスタンバイしていた生徒がグサリ。

 言いだしっぺの法則じゃないけど……」

 

 髪留めを外しながら、彼女は微笑む。その先端から、じゃきん、と訓練ナイフの刃が出現した。

 

「水中だったら、お手のものかな。私なら、髪飾りの仕込みナイフでやれる準備はしてある」

 

 

「はぁ~」

「さっすが。

 昨年度水泳部クロール学年代表、片岡メグの出番ってわけだ」

 

 前原のその言葉に応じた訳でもないだろうが、彼女はいつも通り男前に仕切る。

 

「まず大事なのは、ころせんせーに水場近くで警戒させないこと。

 夏は長いし、作戦を念頭においてじっくりチャンスを狙ってこう!」

「「「「「おうっ!!」」」」」

 

(女子のクラス委員、片岡さんは、女子なのにイケメンだ)

(文武両道、面倒見も良く、颯爽として凛々しい姿から、ついた渾名が「イケメグ」)

 

「さっき飛びこんで助けてくれたのとかさぁ……、イケメンすぎて惚れそうになっちゃったよぅ」

 

 茅野の言葉に苦笑いの渚。実際、女子の面々で何人かイケメグに落されかけた生徒は多い。本校舎の生徒からもラブレターを未だに貰い続けている。

 なお、相手は主に女子。

 

「でも、片岡さんくらい出来る人が、どうしてE組なんかになっちゃったんだろう」

 

 渚の言葉に答える相手はいない。開いたメモのページで、ペンが左右にゆれていた。

 

 

 

 

 

 

「相変わらず早いなー、イケメグ」

「磯貝君まで、イケメグ言うのは止めてって……。律、タイムは?」

 

 放課後のE組プールにて。泳ぐ片岡の姿を、男子のクラス委員こと磯貝が見守っていた。片手にはタオル、片手にはペットボトルとちょっとしたコーチみたいな感じの服装である。

 

 そして首からぶら下げていたスマホ画面から、水着コスを自作した律が「きら☆」という感じにタイムを提示。

 

『26秒08! 片岡さんの50メートル自己ベストまであと0.7秒ほど届いてません』

「流石にブランク開いてるからなぁ」

「部活から抜けたの、結構大きいなぁ……。

 でも、任せてと言った以上は万全に仕上げとかないとね」

「頑張れ!」

「うん、見てて磯貝君。フォームおかしいところかあったら、言ってくれると助かる」

 

 ばしゃばしゃとクロールを続ける彼女に、中心線がずれてるなど磯貝が声を飛ばす。何ゆえこのコンビで練習をしているのかという疑問はあれど、両者に共通して姿勢は真面目だった。

 

「うーん、カッコいい」

「責任感の塊だねぇ」

 

 あとイケメンだった。

 

 そして、離れた場所から評する茅野と渚に加えてもう一人。いつも通りのアカデミックコーデ(ただし夏仕様)な担任である。

 

「確かにカッコいいです」

「こ、ころせんせー!?」

「ヌルフフフ。まぁ何を任されたかまでは知りませんがねぇ」

 

 ニタニタいやらしく笑う彼に、はっと渚が機転を利かせる。彼にしては珍しく、表情にカルマがオーバラップしていた。

 いや、どちらかと言えばいつかの野球大会の仕返しだが。

 

「……ころせんせーさぁ、女優の田所はるこにファンメール送ったよね、巨乳グラビアもやってる」

「にゅやッ!? な、何故そんなことを、紙媒体だと残るからと電子メールでやったのに――」

「カルマ君が律に依頼してたんだ。

 下書きが随分色々あったよねー」

「ちょ!? ひぃいい、まさかあれらを読んだというんですか!?」

 

 突拍子もない、というかとんでもない驚きようのころせんせー。周囲をきょろきょろしてるのは、あぐりのハリセンを恐れてか。そして、居ようと居なかろうと作戦成功のため、この時点の渚は鬼である。目を光らせ、こっそり耳打ちするように追い詰めていた。

 

「『週刊俊英vol26号のグラビアを見ると、私、大変元気になるんです』って、普通にセクハラだよね。かなり際どいやつだったよね。

 中学校の先生が送ったって知られたらどうなるのかなー」

「な、渚、止めてあげよう、もうころせんせー瀕死だから。雪村先生いなくても」

 

 羞恥に打ち震えるころせんせー。攻める渚にストップをかける茅野という、なんだかちょっと珍しい光景はさておき。

 

「ん?」

『はい? イケメグさん、多川心菜という方からメールです』

「律までそれ……、はぁ。えっと、友達。悪いけど読んでくれる?」

 

 そのやりとりが始まった瞬間にスマホを首から外して、音が聞こえない範囲まで引く磯貝の圧倒的なスマートさである。

 メールの文面を見て、モバイル律は表情、声音を完全に変化させた。

 

『――「め <″ め <″ 、 レナ″ ω 、キ レヽ ~(^▽^)/

ι″ ⊃ ゎ 、 ィ ・/ 勹″ └| ッ ゙/ ュ 孝攵 ぇ τ ナニ @ £ヽ (_ _)?

ー⊂ 丶) ま 馬尺 前 @ ┐ ァ 彡 ∠ ス 集合っτ ⊇ ー⊂ τ″、 レヽ ぇ ~ レヽ  ☆ 彡 」

 とのことです。びっくりするくらいギャル文字かつ、知能指数が少し心許ないです。簡単に落せそうです』

「こらこら」

「律、ナチュラルに落とせるとか言ったよね、今!?」

 

 ちなみに律の音としては、

 

「めぐめぐ、げんきい~(^▽^)/

 じつ わ 、イングリッシュ教えてたのむ (_ _)?

 とりま駅前のファミレス 集合ってことで、いえ~ い ☆ミ」

 

 といったところである。

 

 片岡はそれを聞いて、表情を暗いものにした。

 

「……わかった。『すぐ行く(゜゜)'ミミ』って返しておいて」

『承知しました』

「磯貝君、今日はもういいから。ありがと」

「へ? お、おう」

 

 じゃあね、と全員に手を振りながら、教室へ引き返す片岡メグ。

 不審そうな表情を浮かべる磯貝に、渚たちも続く。

 

「らしくないよな、たぶん」

「そうだね、友達と会うって割には元気ないような」

「急にテンション落ちたよねー」

 

 そして、そんな彼等の視界から外れて、ころせんせーは何処かへ電話。

 

「……はい、それでは準備お願いします。ではさて」

 

 生徒達の方に向き直り、背後からさらっと、さも今思い付きましたといった具合に提案する。

 

「少し様子を見守ってみましょうか。しっかり者なだけに、ちょっと心配ですねぇ」 

「心配ですか?」

「はい。

 経験はあるかもしれませんが、皆から頼られるヒトは、自分の苦しみを抱えがちです」

 

 そういう意味でも、焦らず気付かれず、そっと遠くから見守りましょう。

 ころせんせーの一言に、渚が頬を搔きながら確認。

 

 

「つまり、ストーキング?」

「スニーキングミッションと言いましょう」

「どっちみち、やることあんまり変わらないよねー」

「だな」

 

 ともかく、こうして山を下る片岡メグの簡易追跡隊が結成される運びとなった。

 

 

 



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第28話:乗り越えの時間・2時間目

色々立て込んで遅れましたが、とりあえず仕上がり・・・


 

 

 

 

 

 空は雨模様。所はサイベリア。名前で伝わるかは色々な意味で怪しいが、低価格イタリアンなファミレスという認識で無問題だ。

 

 そこで片岡メグは、友人の多川心菜に勉強を教えていた。

 

 

「ヌルフフフ。場所取り、席の位置は完璧でしたね。ちょっと川が増水していたから、こっちに来ないかとも思いましたよ」

「……いや、ころせんせーどうしてここだって分かったの?」

 

 渚の疑問をその一言で流しながら、独特なスーツ姿に三角形の髪留めを大量に装着したころせんせーは、ドリンクバーのコーラを飲む。渚、茅野、磯貝と三人ともサングラス姿の中、ころせんせーのみ服装ごと違うのは目立つからだろうか(今も充分目だっているが)。

 それでもあちらに気付かれていないのは、彼女達が来るより先に店の中で張り込みしていたからに違いない。

 

「んー、でもやっぱりか」

「磯貝君、知ってるの? あの子のこと」

「うん。たまに、片岡の話に上がってくるんだけど……」

「しかし離れすぎましたね。近づき過ぎると気付かれて、離れすぎると会話が聞こえないジレンマ」

 

 会話は聞こえないため、二人は普通に仲の良い友達にしか見えない。若干片岡の方が引いている感じはするが、少なくとも嫌いあってるようではない。

 だが、磯貝の言葉の微妙なニュアンス通りというべきか、二人は純粋に友達というだけの関係でもなかった。

 

 ――がたんっ。

 

 会話の途中、突然多川が立ち上がり、片岡に顔を近づけて睨み付ける。

 

 ――私のこと殺しかけたくせに。

 

 距離こそ離れていたが、四人の耳には確かにその言葉が聞こえた。だがそこで怒鳴って立ち去るわけでもなく、彼女は片岡の手をとって頬をすり寄せる。涙を流して笑うその姿は、どこか、捨てられた犬のような雰囲気さえ漂っていた。

 

(な、何なんだあの娘……!)

 

 生まれてこの方長い人生を送ってきたわけでもない渚だが、それでも彼女は初めて見るタイプの人間だった。

 と、すぐさま電話に出て、笑顔で掌を振って立ち去る。明らかに勉強していた時のそれより楽しげで、対象的に片岡は深くため息をついた。

 

「ヌルフフフ、これはこれは……」

「……あれ、磯貝君は?」

「へ?」

 

 茅野の言葉に渚は振り向くと、後ろで除いていた磯貝の姿が見当たらない。

 だが、反対側、つまり彼等が覗いていた席の方から声が聞こえた。

 

「きゃ! い、磯貝君?」

 

 びっくりした片岡の声。と、そちらを見れば予想通りと言うべきか。ころせんせーが促し、渚たちも彼等の方へ。

 

「大丈夫か、片岡」

「う、うん。ちょっとびっくりした」

「ノートとかは?」

「一応予想してたから、写しの方だし……って、渚たちも?」

「あはは」「ごめんね、覗いちゃって」

「ヌルフフフ」

「あ、大体主犯は分かった。後で雪村先生に言いつけときます」

「にゅや!? そ、それは勘弁を――」

 

 飛び上がるころせんせー。店員よりも店員らしい手つきでぱっぱとテーブルの上を片付ける磯貝をちらりと見て、片岡は提案する。

 

「じゃあ、話しますから全員分、ケーキか何かおごってください。ころせんせー持ちで」

「ヌルフ、致仕方なしですねぇ……」

 

 その言葉に目をきらりとさせる磯貝。渚と茅野は、少しだけ意味ありげに顔を見合わせた。

 ちらりと店員に言って席をまとめてもらうころせんせーと、配膳されたアイスクリームを少しだけ嬉しそうに食べる磯貝。いくら先生の驕りだからと言っても、値段が低目のそれを注文するあたりが磯貝らしいと言うべきなのか。

 

「磯貝君、少し食べる?」

「いいのか?」

「うん、少しダイエット中だから」

 

 自分のショートケーキを半分すすめる彼女の目をじっと見て、じゃあ一口だけと少し割って食べるのも、どこかこなれた感じがあった。

 なお、そんな彼を少し微笑ましそうに見つめる片岡と、ささっと取り出した謎のメモ帳にゲスい顔で何かを記入するころせんせーという酷い絵面もあったが。

 

 アイスティーをテーブルに置き、彼女は語り始める。

 

「去年の夏ごろだったかな。同じ組だったあの子から、泳ぎ方を教えてくれって頼まれたの」

「泳げないの?」

「うん。えっと、好きな男子含むグループで海に行くことになったんだけど、せっかく泳ぐんだから格好悪いところ見せたくないって」

「ヌルフフフ。まだまだ中学生ですねぇ。攻め方のタイプは一つではないんですが」

「ころせんせー、意味わからなから……」

 

 わからないと言いながらも、何かを察していそうな磯貝の表情である。

 

「で、一回目のトレーニングで何とか泳げるくらいには上達したんだけど。

 でも、海で泳ぐってプールよりも危険じゃない? 底だって遠くだとないし重量に対する浮き方も違うし。何より流れがあると強いし波に飲まれるから」

「あー、ってことは……」

「うん。そのまま海に行っちゃったの。一週間くらい時間あったけど、私の誘い断って」

「……なんで?」

 

 茅野の言葉に、苦笑しながら答える片岡。

 

「私も、あの子の性格わかってたからそもそも間違ってたのかもしれないけど、もともと反復練習とか大っ嫌いな子だったから」

 

 で、案の定。片岡はアイスティーを一口含んで一拍置く。

 

「……海流に流されて、ちょっとした騒ぎになっちゃってね。で、ライフセイバーさんたちは私の擁護したりしてくれたみたいなんだけど、心菜はそれ以来ずっとあんな調子で。

 死にかけて大恥かいたとか、教え方がダメだったんだから償ってよね、って感じで……。

 ……い、磯貝君? 何?」

「……いや、続けて?」

 

 アイスを食べる手をぱっと止め、彼女をじっと見る磯貝。一瞬たじろいだ片岡は、一度咳払いをして続けた。

 

「でまー、恥ずかしながらテストの時につきっきりで勉強教えて、逆にこっちが苦手科目手を付けられなくてE組行きになっちゃってね」

「そんな……。あの子、ちょっと片岡さんに甘えすぎじゃない?」

 

 茅野の言葉に、片岡は諦めたように微笑んだ。

 

「……いいのよ。こーゆーの、今に始まったことじゃないから」

 

 渚や茅野は、彼女の返答に言葉が続かない。

 だが、磯貝は少し思案してから言った。

 

「でも、ちょっと違くないか?」

「何、磯貝君」

 

 心底不思議そうに返答する彼女に、磯貝は言う。

 

「俺の家の話、知ってると思ったけどさ。それでも弟たちが頼ってくるのと、さっきの子のそれは何か違うと思うんだ」

「違う……?」

「うん。何て言ったらいいのかな……。家族だからって理由はあるかもしれないけど、甘える時は甘えてくるんだけどさ。でも、こっちがダメになるような、そういう頼り方とかはしてこないんだよ、アイツら」

「……」

「だから、こう……。友達でも、似たようなことが言えるんじゃないかって思うんだ。お互いがお互いのために何かするのは、相手のことを大事にしたいから、なんじゃないかな。もちろん、それ以外の感情だって色々……えっと、色々あると思うけどさ。ただそれを抜きにしても、相手がして欲しいと思うことをするって、やっぱり色々大変だと思うから」

 

 だから、と磯貝は微笑む。

 

「頼ってくれてもいいんじゃないか? 俺とか、E組のみんなとか、ころせんせーとか雪村先生とか。

 困ったなら、片岡も誰かに助けてって、言っても良いと思うんだ」

「磯貝君……」

 

((い、イケメンだ……ッ))

 

 微笑みながら、彼女の額をつん、と小突く磯貝。渚も茅野も何も言えないくらい、磯貝の言葉からは紳士さがあふれ出ていた。

 そして気のせいか、わずかに片岡の頬が赤いような、赤くないような――。

 

 

「ヌルフフフフフ。何とも微笑ましい光景ですねぇ」

「わ!」「ひゃ!」

 

 

 そしてこういう空気に積極的な武力介入を行う彼等の担任である。

 ヌルフフフと不気味な笑いを浮かべながら、慌てる二人に笑いかける。

 

「本当ならこのままじっと観察していても良かったんですが、少しだけ優先順位がありますからね」

「い、いえ……」「えっと……」

「磯貝君の言った事がまず一つとして、大人の視点からもう一つ。

 しがみつかれることに慣れ切ってしまうと、自分の限界を忘れて一緒に溺れてしまうかもしれませんよ? 例えばこんな風に――」

 

 取り出したスケッチブックには、安い絵で「かみしばい”主婦の憂鬱”」と書かれていた。

 ちなみに気のせいじゃなければ、描かれた絵はどこかわずかに片岡の後ろ姿に似てるような、そうでないような。

 

 ページをめくるころせんせー。

 片岡のようで片岡ではない成人女性らしい主婦が、少年のような中性的な旦那と言いあっている。

 

『ちょっとアナタ、またガラクタばかり集めて! 今月どうするつもりですか!』

『うるさいなぁ、中身が大事なんだよ中身が! 確認しないと――邪魔するなら殺すよ!』

『きゃんッ!?』

 

 ころせんせーが手を付けるより先に、ページをめくる生徒たち。先の展開が地味に気になるのだろう。

 

『……ごめんよ、結局また負けた。アイツの中身を見れずじまい――』

 

 泣きそうな顔で彼女を背中から抱きしめる少年のような夫。

 

『見捨てないでくれ、次はもっと上手くやるから……。

 僕等は二人で一人だろう……?』

『……もう、仕方ないんですから♡』

 

 

「あ、ありうるッ」

 

 震える片岡に、ころせんせーは微笑んで言う。

 

「共依存という奴ですね。モデルにした本物の二人はお互いがお互いに共依存だったので、少々事情が違いましたがともかく。

 自分自身もまた依存されること、それ自体に依存してしまうケースと言えます」

 

「片岡さん。言うまでもありませんが、君の面倒見や責任感は本当に素晴らしい。磯貝君が協調をもって場をまとめるリーダーならば、君は典型的なエースタイプ、全体を引っ張って行くリーダーでしょう。

 ですがね、だからこそ時に相手を育てることも必要になります。

 しがみついても沈まないと思ってしまえば、人は自分から泳ぐことを止めてしまう。それは決して、相手のためにはなりません」

「……時には突き放した方が良いってことか。でも、どうしたらいいのかな、ころせんせー」

「方法については色々あると思いますが、解決策は一つだけです」

 

 渚たちに指を立てて、彼は言う。

 

「彼女が自分から、泳ぐようになること。泳げる泳げないは努力次第で、力技が使えるならそれで大丈夫です。

 ですが、やっぱり最初の一歩を踏み出すのにはそこが大きい」

「自分から……」

「せっかくですから、皆で考えてみなさい? 必要があれば――先生も一肌脱いで、サメも真っ青なスイミングを教えてあげましょう」

「!」

 

(教える……? ってことは、泳げるのころせんせー!?)

 

 渚が密かに衝撃を受ける中、ころせんせーはタコせんせーケースに覆われたスマホを取り出し、どこかへと連絡をしていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「それで、結局どういう話になったんですか? 『今回は』物理的に前に話していた方法は無理でしょうし」

「まぁ、基本は正攻法ということになりました」

 

 翌日の放課後。生徒たちについて行く直前にころせんせーはあぐりとそんな会話をする。

 ころせんせー自体は生徒たちの監督として一緒に付いて行くつもりらしく、あぐりの質問にも急いだ様子で答える。それに気付いているのか、生徒たちが居なくなった教室であぐりが呼び止める時間も少しばかり。

 

「詳しくは後で聞きますので、ちゃんと話してくださいね」

「ヌルフ、お、お説教は充分昨晩されたような……」

「そういうことじゃないです。んー、まあ、アレかしら。

 がんばってくださいね、んー、ん!」

「にゅや!?」

 

 特に何ということもないように、「だっちゅーの」しながらのウィンク&投げキッスである。ポーズとしては軽いお色気っぽいそれだが、ころせんせーからすればギャップがすごいことすごいこと。破壊力はそのままダイレクトに伝わったらしく。

 

「どうしたの、ころせんせー」

「い、いえ、ちょっと張り切ってるだけです」

 

 渚が汗を流しつつ指摘するくらいには、その表情はたるみきっていた。

 

 さておき。渚たちが考えた作戦は、割と単純なものだった。

 多川と話す片岡。それを影から見守る渚と茅野ところせんせー。状況はモバイル律が中継するため近づく必要もなく、安全に見守ることが出来る。

 

「順調そう?」

『今のところは大丈夫そうですね♪

 あ、そろそろ攻勢に移るみたいですよ?』

「でもやっぱりモテるよねー、前原君……」

(岡野さん、ゴメンナサイ……)

 

「心菜。今度、前原君たちと泳ぎに行かない?」

「へ? めぐめぐ、ちょっと詳しく――」

 

 渚達の立てた作戦は、結構単純だ。学年全体で言ってもモテ男に入る前原陽斗(岡野ひなた曰く「女たらしクソ野郎」)が鍵である。

 要するに、合コンとまでは言わないが軽い遊びの場を提供しようというものであった。何度かそれを繰り返して、少しずつ彼女の意識を変えていければというものである。

 

 前原には作戦概要を詳しく語らなかったが、磯貝が頭を下げたのに対して「今更何言ってんだよ、水臭いぜ!」と二つ返事で了承した。さっぱりとしたその態度だったが、やってることはいつもと大差ないあたりが何とも言えない。

 ある事情から岡野に申し訳ない渚であったが、そんな彼の心理はともかくとして。

 

「でも、水、ホント入れないからー……。お風呂もダメなんだよねー」

「心菜……」

「今は泳げなくても、愛されキャラでいけるし? それに、めぐめぐだって何だってしてくれるし――」

「心菜」

 

 ぴたり、と足を止める片岡メグ。

 彼女の様子が変わった事に、少なからず何かを感じた多川。

 

『あれ、アドリブ入りましたねぇ』

「軽いノリのまま誘導する手はずでしたが、はてさて。ヌルフ……」

 

 そして絶賛、律がころせんせー達に中継中であった。

 片岡は逡巡するが、しかし重々しくも口を開いた。

 

「……私は、やっぱり何だかんだ言って心菜には悪かったって思ってる。ちゃんと貴女が泳げるようになるまで、無理やりにでも練習させておけばよかったって」

「は、はぁ!?」

「言われたくないかもしれないけど、でも、今話してわかった。それじゃダメだよ、心菜」

 

 一歩進んで彼女の手を包むように握り、目を真正面から捉える片岡。

 たじろぐ彼女だが、しかしその視線からは目を逸らせなかった。流石にそこまで、彼女も拗れてはいなかった。

 

「私は、泳ぐのは好き。勉強もそんなに嫌いじゃないし、だから教えられる。それは、心菜が友達だからであって、『それ以外の何か』じゃないからだよ」

「……」

「きっとこのまま居たら、貴女は何もできなくなっちゃうと思う。……心菜にとって私が何であっても、私は貴女の事は、友達だと思ってるから。きっとそれじゃダメなんだよ」

「だからって、今更――っ」

 

 片岡は、困惑する彼女にばっと頭を下げた。困惑する心菜に、片岡は続ける。

 

「だから、チャンスを頂戴。もう一度――貴女を泳げるように、ちゃんと出来るようにするための」

「……でも、だって……ッ」

 

 彼女の表情には、迷いがあった。現在の立場の安心感と便利さから、脱却したくないという欲望もあった。だが同時に、こう真摯に頭を下げられたことに対する負い目も当然あった。

 何より、例え便利屋としか思われてなかったとしても、多川自身のためにチャンスをくれと頭を下げるその真っ直ぐさを、跳ね除けられる程にはもう、浅い付き合いではなかった。

 

 形はどうあれ交流は続き、彼女は、ずっと見られてきたのだから。

 

「……予定とは違いますが、これはこれで正解ではあるんでしょうかねぇ。せっかく準備してきた水着が無駄になるやもしれません」

「ころせんせー、水着持って来てたんだ……」

「勿論。コーチングするのは私の予定でしたし」

『特訓予定のメニューは、既にインストールされてます♪』

((不安だ))

 

 基本が超人なので、体育ばかりは一般人レベルではないころせんせーである。彼が作ったカリキュラムが、こと体育に関してはまともじゃないと確信している渚と茅野だった。

 

「良い付き合い、悪い付き合いはともかくとして、ここがあの子、多川心菜さんの正念場ですかねぇ」

『――ミスター、警戒を』

「ヌルフ?」

 

 と、渚たちに聞き覚えのある、同時に聞き覚えのない声が響いた瞬間。

 

 

 

 片岡が多川を庇い、ごろごろと転がった。

 

「えっと、一体何が――ッ」

『渚さん、ダーツです!』

「へ!?」

 

 やや遠いため気付き難かったが彼女たちの足元には確かにダーツが刺さっていた。いや、ダーツと言うには先端が長いが、ともかくそれが片岡の足を掠り、身動きをとれなくしているらしい。

 どさり、と彼女の前に、スーツを来た金髪の男が折り立った。

 

「あれは――、『前に』見覚えがありますね。ロヴロさんからの紹介はあり得ないとすると、やはり……」

『――ミスター、生徒のみでは危険ではないかと』

「ええ無論です。行きましょう」

 

 やや離れた物影から飛び出し、ころせんせーは一目散に彼女達の元へ。

 倒れた片岡たちに更に武器を打ちこもうとする彼に向けて、ころせんせーは訓練ナイフを投擲した。手首に激突し、武器が落下する。

 

「逃げてください」

「へ? あ、えっと、E組の――」

「大丈夫、荒事慣れてますから」

 

 にっこり笑いながら両手で自分を指し示すころせんせーに、微妙な表情になりながらも彼女は立ち上がろうとして、しかし立てない。どうやら腰が抜けてしまったらしい。

 

 仕方なしとばかりにころせんせーは更に一歩、彼女等を庇う位置に足を進めた。

 

「さて、念のため確認しておきますが、貴方は……」

「フン。覚えなくても良い”死神”よ。俺など只の殺し屋――」

「”ダーツ”さんでしたっけ。随分ストレートなネーミングだったと記憶してます」

「!?」

 

 名乗ってもいなのに名前を一発で言い当てられたからか、ぎょっとして再び投擲する相手。それに対し、ころせんせーはいつか見たタコせんせーロープ(末端巻尺式)をぶんぶん振り回して、あれよあれよという間に全てを叩き落した。相変わらず人間技じゃない。

 

「まあ、依頼主というか組織というかは大方想像が付くので置いておきます。重要なのは、生徒たちに危害が加えられないよう、常に数人体制で護衛を付けていると思うのですが、今日このタイミングで出て来ないのは貴方の仕業ですかね?」

「フン、知らんなそんなこ――」

『――ミスター、ダーツの先端に麻酔毒が』

「ヌルフフフ、なるほど」

「!?」

 

 さっきから良い所なしの殺し屋ダーツである。何故彼の名前をころせんせーが知ってるかと言えば、無論逆行前に、殺せんせーが一度撃退した殺し屋であるからだ。

 

 そんなころせんせーたちの会話が終わるタイミングで、渚たちも追いつく。

 

「えっと、立てる?」「片岡さん大丈夫?」

「あ、アンタたちは……」

「片岡さんの友達、かな。えっと、無理そうなら肩貸そうか?」

『とりあえず、先ほど居た茂みが安全ではないかと。ここの下の川から距離は開きますし』

「茅野さん、渚、ありがとう」

 

 律のアナウンスに従って、避難を開始する四人。だったがしかし。

 

「舐めるな、フン!」

「ヌルフ、この程度ではまだまだ――」

『――ミスター、跳弾利用のようです』

「にゅや!?」

 

 いつものにゅやに比べて、かなり余裕がない。というよりも、かなり珍しいところだが、さもありなん。山の崖にめぐっていたコンクリートに反射させて(!)、そのままころせんせーの背後に攻撃を入れていた!

 

 一撃が渚や茅野の足を襲う。と同時に、バランスを崩して茅野が転び、片岡の身体がガードレールに引っかかる。

 

「あ――ッ」

「め、めぐめぐ!?」

 

 そのまま勢い余って、彼女はガードレールから乗り出して、下の、昨日の分で増水していた川に身を投げ出された。途中体を何度か打ち付けて、なんとか力の限りで途中にあった島のような陸地に腕を引っ掛けはしたが、麻痺しているためか泳ぐことも這い上がることも出来ないでいるらしい。

 

 万事休すか、という状況で、ころせんせーはロープを投げる。

 

「渚君、茅野さんに、多川さん。これから律さんに指示を投げますので、それに従ってください」

「へ? あの、ころせんせー!?」

 

 これ以上渚たちを巻きこまないためか、ころせんせーは相手に接近して彼等から距離を引き離す。

 

「せっかくですから、アレ行きましょうかニア」

 

 ひゅんひゅんと、訓練用ナイフを五本ほど取り出し、ジャグリングするよう回転させながら投げては掴みを繰り返すころせんせー。相手の顔面に寄せるようなコースで動くため、強制的にダーツは距離を離された。

 

「手入れは後でいくらでもしますが、まず安全第一です。プロト律さん!」

『――ミスター、いい加減ちゃんと名前を考えてください』

 

 言いながらも、彼の指示に従って、データを後継機(いもうと)に送信するプロト律。

 受け取ったデータを咀嚼して、モバイル律は口を開いた。

 

『渚さん、茅野さん。お二人がロープの錘になってください。電柱はちょっと距離がありますし、ロープ自体はかなり長く引き伸ばせるらしいので。それこそ十メートル以上』

「な、長い!? いやそうじゃなくて、重しって――」

『そして、多川さん』

 

 ぴくり、と謎の声(彼女からすれば謎の声)に呼ばれて、彼女は震える。

 

『あなたはこのロープを身に巻いて、川の陸地の方へ行ってください。これ以上の増水はありませんので、そこで片岡さんを引き上げるか、無理なら支えてあげてください。渚さん達だと、麻痺していて貴女より危険です』

「へ? わ、私が? で、でも、だって、水無理だし、それに私、絶対無理だよ服だって制服のまんまだし――」

 

 彼女も彼女で、突然の事態に混乱しているのだろう。でも口から出る言葉には、片岡メグに対するものが含まれて居ない。

 

 そのことに、渚は何故か、少し頭に来た。

 

「……君は、どうしたいんだ」

「わ、私?」

「心配事がなさそうだったって顔をしてるけどさ。でも、じゃあ、片岡さんを『見捨てる』の? 君も(ヽヽ)助けられるにも関わらず(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)

「な、渚、今は押さえてっ」

 

 彼の言葉をころせんせーが聞いていれば、何某か違和感を抱いたはずであるが、しかし幸か不幸かこの場ところせんせーとは距離があり、彼の耳に届くことはなかった。

 

 茅野の静止を聞きはするが、しかし渚は止まらない。

 

「君は――片岡さんの友達だったの? それとも、利用するだけ利用して捨てるってだけなの?」

「――ッ、わ、私は……ッ」

 

 渚の言葉に、少しの間葛藤があった。だがしかし、それでも彼女はネクタイを外してスマホを置き、彼女は立ち上がった。

 彼の手からロープを受け取り、ガードレールの下を通してぎゅっと縛る。

 

「……こんな形では、めぐめぐを『見捨てたくない』ッ!」

 

 頷く渚。驚いた顔をする茅野の方へ歩き、一緒に体にロープを巻き付ける。この際お互いに色々くっついたりしてるが、緊急事態ゆえか何も言わず準備する。

 二人の準備が終わると、多川はばっと飛びこんだ。ジャンプ力が足りず、水流に飲まれる。無論素人は絶対に真似をしてはいけない所以がここにあった。

 

「な、何これ、波はあっちでぶつかってんのに、反対に引っ張られて、近づけない――ッ」

「お、落ち着いて!」

「めぐめぐ、大丈夫!」

 

 ギリギリで踏ん張っている片岡を助けに入った多川だが、逆にギリギリである。そんな彼女に、片岡が精一杯声をかけた。

 

「泳ぐ方向を、こっちに対して並行にして、バタ足!」

「――、な、何でこんな簡単にっ」

 

 彼女は気付いていないが、そもそも片岡より上流に落ちて向かった彼女が近づけなかった理由は、まさに片岡が要る小島のせいでもあった。渚たちの側の方が狭かったせいもあり、流れてきた水流が離岩流、要するに岸に反射して戻ってくる波になっていたのだ。

 

 だからこそのそれであり、おそらく彼女をかつて襲ったものもこれが原因なのだが、そのことには気付いて居ない。少しずつ泳ぎながら、少しずつ片岡に近づく多川。服を着ているため抵抗はそこそこだが、命綱のお陰か渚たちがギリギリで踏ん張ってるお陰か、ようやっと、彼女はたどり着くことができた。

 

「め、めぐめぐ~!」

「ありがと、心菜……」

 

 彼女を後ろから抱きしめ、島だけではなく多少の安定感を実現する。後は他の救助が来るまでこの状態でいればいいというところだが。

 

「……水、入れちゃった」

「そうだね」

「……あはは」

「……カッコいいよ、心菜」

「!」

 

 状況が状況であるが、しかし彼女は少しだけ頬を赤くした。

 

「……なんか、私も水泳、好きになれそう」

 

 その呟きを聞いて、状況が状況にも関わらず、片岡はわずかに微笑んだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……今回はこちらの不手際だ。済まない」

「いえいえ烏間先生。それを言うなら生徒達にですが、まあ色々理由もあるのでこちらで受けましょう。……まあ賠償というか、埋め合わせは私がすることになるんですが」

 

 何故か幼稚園児のコスプレをさせられた殺し屋を烏間に引き渡しながら、ころせんせーは少しだけため息をついた。視線を振れば、復活した烏間の部下たちに救出された面々。ダーツによって負った傷の治療なども含めて行っており、多少は回復してると言うべきか。

 ちなみにプロト律が気を利かせて連絡を入れた磯貝や前原は、救助の時に地味に活躍していたりもしたが、それはさておき。

 

「……やはり私が、教師をするのは間違っているんでしょうかねぇ。今回のトラブルも、元はと言えば私関係でしょうし」

「どちらにせよ、お前は彼女(ヽヽ)の言葉を断れない。違うか」

 

 彼の言葉に微笑むだけのころせんせー。「失言だった」と言って生徒たちの方へ行く烏間。そのまま生徒たちへ、何某かカバーの理由の説明をするのだろう。3-Eはともかく、Bクラスの多川は何かしらのフォローを入れなくては、機密に関わるためだ。

 ころせんせーは胸元のスマホへ視線を落し、ため息一つ。

 

「収まるべくして収まる、とは言いますが、今回のようなことがあるから侮れないですねぇ」

『――ミスター、レディーから「お疲れ様でした」と連絡が入ってます』

「そうですか。……まあ、本当に大変なのはここからですが」

 

 カバーの理由の説明が終わったタイミングを見計らい、ころせんせーはE組の生徒たちの方へ行く。

 

「ヌルフフフ。片岡さん、どうしましょうか」

「……いえ、もう、大丈夫です」

「ヌルフ?」

「今度、一緒に練習するって約束しました」

 

 その言葉に少なからず驚きを見せるころせんせー。含みのない驚きは割合珍しい。

 にっと笑い、彼女は親指を立てる。

 

「手を取って泳ぐだけじゃなく、たまには離して見守る時もある。なんとなく、わかった気がします」

「……そうですか、ヌルフフフフフ」

 

 さてそれはともかく、ところせんせーは言う。

 

「なんだかんだで烏間先生の言った理由が、表向きのものだというのは気付いているかと思います」

「まぁ」「そうだね」「流石に」「あはは……」

「しかし先生もまた、実際の理由を語る事は難しいです。なので、君達の質問に一つ、答えましょう。

 何でもとは言えませんが、可能な限り答えます」

 

 その言葉は、なかなかの破壊力を伴う一言だった。顔を見合わせる四人。だがしかし、その視線が渚に集中した。

 

「な、何で僕?」

「だって渚、今回ファインプレーだったじゃん。鷹岡先生の時みたいに、キレなかったし」

「き、きれ?」

 

 自覚のないらしい渚だったが、だが、茅野経由で聞いたのだろうか、残りの二人が頷いたのを見て、メモ帳を取り出した。

 

「……じゃあ先生、一つ」

「伺いましょう」

 

 渚の言った質問に、彼は鷹揚に頷いた。

 

「ええ、確かに先生は泳げません。厳密には『泳げるけれど』とてつもなく動きが悪いです。それこそ半分溺れてるような状態になりますね」

「それ、溺れてるのと何か違いが……」

「一応浮いていますので。しかし、実際問題”暗殺教室”中に残りHPが1になっている状態並の身体能力まで落ち込むのは事実です。弱点としては最大級と言えるでしょう」

 

 とは言えど、と彼は微笑んで続ける。

 

「私はそこまで警戒はしません。授業中は泳ぐ方法も用意してありますし、仮に生身で落とされたといえど、いかに水中でも片岡さん一人程度に遅れはとりません。

 ですから、君達も自分を信じて磨きなさい」

 

 方法は示さない。しかし、文脈からしてプールを作った理由にそれが当てはまることが、片岡にはなんとなくわかった。

 傷ついた脹脛を軽く押さえながら、彼女は「はい」と、力強く頷いた。

  

  

 

 

 




磯「一人で帰れるか?」
片「え、あ、うん、たぶんだいじょ――いてて」
磯「ダメじゃないか。んー、ちょっと失礼」
片「へ――きゃ!?」
多「おー、めぐめぐお姫様だっこだ!」
前「(磯貝、ファイト!)」
磯「とりあえず途中までは抱えて行くから、道教えて? あ、嫌だったら別に――」
片「へ? あ、うん、あ、はい。えっと、大丈夫です、うん」
渚&茅((片岡さんが敬語になった!!?))



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第29話:見ている先の時間

※ちょっとキャラ崩壊注意


 

 

 

 

 

 

『――イトナ、触手の調整はどうだい?』

「どうもしない。順調だ。Be cool、Be cool、常に冷静にさ」

 

 古いビルの廃墟。薄暗闇の向こうで、そんなやり取りが聞こえてくる。

 一歩一歩と歩く彼は、壊れた窓の向こう側、月光に照らされて顔が見える。

 

 小さい身長、白いマフラー。青と黒のハードなライダーズジャケットを纏い、下は上裸という妙な出で立ち。手首には何やら独特な形状のブレスレットを装着しており、受ける印象は不良とも言いがたい。

 

 彼の名は、堀部イトナ。

 

 椚ヶ丘中学3-Eの転校生で、一応、暗殺教室の生徒の一人だ。

 

 彼は手をぱーに開き、顔の前にかざし、反対側の手を体に沿わせつつ腰にやり、腰から足を捻った立ち姿。どことなく人体構造の限界に挑戦しているかのような気配すらあるが、ともかく。

 

 イトナはインカムで会話しつつ、自身は一歩も動いていない。

 だというのに何故移動しているのかと言えば、彼の頭頂部から生えた触手が理由に違いない。

 

 三本の触手のうち、二本が彼の足元で、まるで本物の足のように一歩一歩動いており。

 

 なおかつ、もう一つの触手は、箸で豆腐を持っていた。絹である。ぷるぷる震えているあたり、彼の緊張度合いが伺えた。

 

「で、まだ俺は『ころせんせー』に挑戦できないのか?」

『――そろそろ一度試してみようかと思うが……、失敗したら失敗したで泣き喚いて、制御装置のお世話になるというのに。自分でいけそうかどうかの判断はつかないかい?』

「うるさい」

『まあ、今日の訓練も切り上げだ。期末テストも近いから、勉強ももっと気合を入れてやるぞ』

 

 通信が切れたのと同時に、ばちゃ、と半分に切れた豆腐がイトナの足元に落ちる。

 

「……帰りたくない」

 

 そうは言いながらも、イトナは残った上半分の豆腐を口に運び、嫌そうにため息を付きながら廃墟を出ていった。なお、触手とポージングはそのままに。

 

 

 

   ※

  

 

 

「んだと? 成績上がって良かっただぁ?

 村松テメェ、もういっぺん言ってみろ!」

「い、いや、この前受けた全国模試が過去最高順位でよ……。

 これというのも、『放課後ヌルヌル補修・模試直前対策版』の……」

「てめぇ! あのヌルヌルまた受けたのか!? 三人でバックレよーって言ったべ!!?」

「で、でもヌルヌルするのとしないのとじゃ大違いでよ。せっかくだから寺坂も――」

「ヌルヌルうるせー! 大体何がヌルヌルなんだッ!?」

「俺も知らねぇよ!!」

 

 3-E校舎裏の森で、叫ぶ声は寺坂竜馬と村松拓哉のもの。片方は激昂しもう片方は身を引いているが、しかしそれでもヌルヌルというフレーズには、コメディのごとく過剰反応している。

 

 そんな松村をドンと突き飛ばし、寺坂は毒づく。

 

「成績欲しさに日和やがって。裏切り者の昭和ラーメンが!!」

「昭和ラーメンは親父の方だぞオイ!」

 

 苛立ちを募らせながら歩く寺坂。全身から棘のように感情を訴えているようにも見える。

 

(……気にくわねぇ)

 

「ガチかよ、ころせんせー!」

「……あん?」

 

 そしてまた、聞き覚えのある声がした方の教室の戸を開ければ。そこには彼の苛立ちの原因たる男性教師が、木彫りで出来たバイクに跨っていた。服はライダージャケットにヘルメットと、乗っているものにそぐうものであったが、背中にはタコせんせーの顔と「YUKIMURA」と印字されていた。

 

 そんな姿に、吉田大成は絶叫する。

 

「まるでモノホンじゃん! S○000RR!」

「ヌルフフフ。ストリートからレースまで幅広くカバーしている機種です」

 

「な、何してんだ吉田……?」

 

 頬が痙攣したようにぴくぴくと笑う寺坂に、「あヤッベ」と言わんばかりの表情を浮かべる吉田。

 

「この間、ころせんせーとバイクの話で盛り上がっちまってよぉ」

「先生は大人の男。この手の趣味も一通り齧ってますからねぇ。

 吉田君もマシンの趣味についてはマイノリティでしたし、そりゃ盛り上がりますよ」

 

 マシンについての話やら何やら目の前で繰り広げる二人に、教室が湧く。いつものようにヌルヌルとギャグキャラチックな挙動を示す教師は、ヘルメットを外せば二枚目、実態は三枚目。3-E担任、吉良八湖録だ。

 

 そして寺坂はと言えば、クラスの空気に溶け込んでいるような吉田を見て。そしてその状況に入り込めていない自分を見て、思わずバイクを蹴り飛ばした。

 

 にゅやあああああ! と絶叫して、露骨に落ち込むころせんせー。

 その行為に対してブーイングがクラス中から上がる。

 

「何てことすんだよ寺坂!」

「謝ってやんなよ!」

「癇癪なんてちびっこかッ」

「大人な上に漢の中の漢のころせんせー泣いてるじゃん!」

 

 ただし、割と軽めなところが彼等の担任のキャラクターを表していた。

 寺坂も中途半端な攻め方なものだから、ブチ切れるところまでは行かずうざったそうな表情である。

 

 自分の机に向かう寺坂。その中から取り出した缶を構える。

 

「テメーら小ハエみたいにうるせーなぁ。ならいっそ、駆除してやんよ!」

 

 そして思いっきり地面に叩きつけようと振り被ったのを、背後からがしっと、小さめな手に似合わない握力と腕力で誰かが押さえた。

 

「寺坂君、流石にこれは危ないわよ。場合によっては喉とか目もやられちゃうし」

「あぁ? ……チッ」

 

 大層やり辛そうに視線を逸らす寺坂。

 彼の手を掴んだのは、副担任の雪村あぐりだ。デフォルメされたドクロのような、ゆるキャラのような服に「ぺいる☆らいだぁ」とポップな丸文字で印字してあり、見ているだけで色々と調子が乱されそうだ。

 

 それでも振り払って地面に叩きつけようと投げたそれを、いつも通りのアカデミックドレスを着用したころせんせーが、黄色いロープ状のものを使ってキャッチ!

 さながらカウボーイか何かであるが、それを見てますます彼は表情を顰めた。

 

「寺坂君。ヤンチャをするにも限度がありますからね、雪村先生も今言いましたが――」

「来んじゃねーよバケモノ教師」

 

 そして近寄ってきたころせんせーに訓練用ナイフを向ける。そして周囲を見回し、苛立ちながら言った。

 

「気持ちわりーんだよ、テメーも、どいつもこいつも良いように仲良しごっこで踊らされて! 何が暗殺教室だ」

 

 ころせんせーは苦笑いで表情が固まり、周囲の生徒たちは少しカチンと来たような、困惑しているような。

 

 何がそんなに気に入らないのかねぇ、とせせら笑うのは彼に並ぶ(ある意味)問題児、赤羽 (カルマ)である。

 

「気に入らないなら、やる日にとっとと倒せばいいじゃん。ルールあるけど、せっかくそれが許可されてる教室なのに」

「……上等だよ。大体カルマ、テメーは最初から――ッ」

 

 薄く微笑みながら、カルマは寺坂の顔面を軽く掴む。そのまま自分の顔を近づけ、目と目を合わせ。

 

「――駄目だよ寺坂。

 ケンカすんなら、口より先に手、出さなきゃ」

 

 光の灯っていないその目を見て、寺坂は一瞬目を見開き、くだらねぇと彼の手を振り払った。

 

 退室していく彼を見て、教室はやはり嫌な空気が漂う。

 

「何なんだアイツ……」

「もっと平和にやれないもんかな?」

 

「……」

 

 前原や磯貝の台詞を聞きつつ、渚はその背中を何とも言えない表情で見つめる。つんけんとしたその態度に、どこか思うところがあるのかどうか。

 

 そしてころせんせーはといえば、殺虫スプレーの蓋を少し開け、手で臭いを嗅ぐ。

 

「(今回も準備してきてるみたいですねぇ……。しかし、さてどう手を加えたものか)」

「どうしました? 吉良八先生」

 

 あぐりの質問に、「いえいえ」と彼は微笑んで返す。

 

「少し考え事をしているのと、あと、水着が無駄にならなくて済みそうだと思っただけです」

「あぁ~ ……」

「「「「「?」」」」」

 

 ころせんせーの言葉に、あぐり以外生徒達は皆頭を傾げた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 

3-E(このクラス)は、大したクラスだ)

(成績最下位の掃き溜め、最下層と言われながらこの間の中間テストじゃ、妨害にも負けず平均点を上回り)

(球技大会じゃ、相手の思いもしない方法で勝っちまった)

(環境だって、主に教師の手入れで向上してる。校庭のグラウンドをはじめ、最近じゃこのプールまで)

 

(だから――大したクラスだから、居心地が、悪い)

 

 夜。山の上、水辺にて寺坂は携行缶から何かの液体をドバドバと注いでいた。

 

(正直、来年地球が滅ぶとか言うホラや、一年間自習だとか、そのための自分磨きだとか脱落ちこぼれだとか、そんなもんどーでも良い)

(その日その日、楽に楽しく生きて生きたいだけだ)

 

「テキトーが一番なんだよ、ったく――」

「――や、ご苦労様。はい、報酬の十万円」

 

 ぱちぱちと拍手しながら現れた男。寺坂の振り返った先は、白装束に白頭巾を被った男性だ。表情は見えず、飄々としていながら、しかしどこか声音は疲れた響があった。

 そして、札束を手渡した彼の反対側の手には、コンビニ6sixのビニール袋が握られていた。

 

「……こんな金持ってんのに、何でコンビニだ?」

「大人も色々大変なのさ。まあ、お財布事情の問題だよ。

 全く……、君に払う分がまだマシだと言えるが、総合すると気軽にコンビニ弁当さえ買えないんだよ。だが、今日はほんの少し豪勢なんだ。見るかい?」

 

 今日の夕食だと言いながら、ビニール袋の中には野菜ジュースの紙パックと、ネギトロ、筋子のおにぎりが入っていた。全部合わせても四百円は行ってないだろうが、これでも彼、シロの現在の財政状況からすれば、必要経費を引いた上では贅沢な夕食だった。

 

 事情は知らないが、ものすごく暗いオーラを放ちながら笑うシロに、寺坂も「お、おう」となる。

 

「しかし何にせよ、彼、吉良八湖録は鼻が利く。外部者が動けばすぐ察知されてしまうことだろう。

 だから寺坂君。内部の人間である君を頼ったのさ」

 

 ――我等のイトナが、最も活動しやすい環境を整えるためにね。

 

 ちらりと振り返るシロと、その視線の先を見る寺坂。

 

「……ん、こんにゃく粉でも入っているのか」

 

 そこには月光を背に、木の上で、触手一本で立ちながら座禅を組むイトナの姿があった。残りの二本はそれぞれ器とプラスチックのスプーンを使い、目を閉じたままの彼に器用にプリンを運んでいる。

 

「……何やってんだアイツは」

「……い、一応修行の一環だよ」

 

 コンビニで買ったろうプリンを食べながら味を評価する少年を見つつ、寺坂は内心で冷や汗。

 

(堀部イトナ。あのバケモノを今まで一番追い詰めた改造人間……)

 

 プリンを食べ終わると、彼は高々にケースとスプーンを放り投げた。あまりの速度ゆえ、先が見えない。

 そして、シュタッと言わんばかりに格好をつけて着地し、足と腰とを捻り両腕を絡ませて立ち上がった。

 

「何か変わったか? 服とか、目とか髪型とか」

「大した違いじゃない。俺はいつでも英雄だ。Hero is cool, so I'm cool」

「おい性格まで変わってなねーか?」

 

 寺坂の疑問に、シロは肩をすくめながら答えた。

 

「その通りと言えばその通りさ。正確には、戦闘スタイルを変えたというところだね。

 見た通り、触手の形質はそのままイトナにも影響を与える。例えるなら前回がボルケーノだとするなら、今回はハイドロタイプといったところかな」

「ハイドロ……?」

「水だ。つまり、今の俺は最高にcoolってことだ」

 

 不破でもいれば、キャラ崩壊というレベルでないとツッコミを入れるくらいに変貌しているイトナだ。よく見ればベルトのバックルのデザインも何か違う気がしないでもない。

 

 もっとも、それでも「英雄」だの「ヒーロー」だの言う点に変わりはないようだが。

 

「……寺坂君。私は君の気持ち、わからないでもない。

 今の環境に苛立つばかりに、冷静さを失い孤立を深めた」

 

 だが安心すると良い、とシロは声で笑う。

 

「私の作戦通りに動いてくれれば、すぐにでもまた馴染んだ環境に戻せることだろう。

 ついでにお小遣いももらえるんだから、悪い話じゃない」

「……だな」

「良いかい? クラスで浮きかけている君だから、多少の変な動きも違和感が生まれ難い。

 我々の計画通りに動くのに、君が適任なんだ――」

 

 我々は今、君の助けを必要としている。

 シロの言葉と、手元の十万円を見て、思わずほくそ笑む寺坂。

 

 シロが立ち去った後も、しばらくその表情のまま動かず。

 

「何を安心したような顔をしてるんだ。coolじゃない」

 

 そんなことをイトナに言われた。

 

「な? 何だよ」

「お前が、どうして赤羽カルマより弱いかわかるか?」

 

 ずい、と目を見開いて、彼は接近してくる。頭上の触手が組体操でもするように、三角形だの三角垂だの色々変形したりしてるがさておき。真顔で間近に見つめる彼に、寺坂はらしくもなく威圧された。

 

「余裕のある体格、馬力が違う。なのに気圧されるのは――お前にビジョンがないからだ」

「び、ビジョンだぁ?」

「そうだ。何をしたいか、何をやりたいか。指針となる芯がないから、自堕落にぶれる。粋がって強く見せたところで、結局何をもって生きているか、美学もないからすぐに自分を見失う」

 

 オーバーに肩をすくめる彼は、改めて寺坂に言う。

 

「本当にいいのか? お前は」

「……どういう意味だ」

「さあ、な。だが、何も考えずわざわざ自分から汚れに来る考え方が、俺にはわからないというだけだ。

 ナンセンス。俺は違う。ヒーローは泥を被るなら、それ相応の覚悟が必要だ」

 

 見つめる視線は、ぼうっとしているようで、しかし酷く血走った、何かを押さえつけている目。

 

 お前とは違う、と言いながらイトナは手をぱっと開く。

 カン、と猛烈な勢いで落ちてきたのは、先ほど投げたプリンのケースとスプーンだ。

 

 それらを持ちながら、イトナは触手を使い、音速でその場を立ち去る。

 

「……俺は、要らないんだよ。んなモン」

 

 毒づきながら、寺坂はもう一度プールの方を見た。

 水面に映る表情は、どこか覇気がなかった。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

「ぬ、ぬ……ぬるッション!?」

(((((それくしゃみ!?)))))

 

 翌日の昼休み。3-Eの教室にて、ころせんせーはくしゃみを連発していた。教卓に置かれた菓子パンに手を付ける暇がないくらいには、今朝からずっとこんな調子である。

 

 手前の席で、イリーナが嫌そうな顔を向ける。

 

「何よ風邪? 近づくんじゃないわよアンタ」

「ビッチせんせー、風邪当り強い~」

「て、手で一応押さえているのでご勘弁を……」

「はい、吉良八先生」

 

 あぐりがさっとティッシュを数枚取り出して、ころせんせーの顔面へ。ちーん、と音が鳴るのを、生徒たちがぎょっとした目で見ていた。

 

「……あぐり、アンタらもう隠すつもりないでしょ」

「へ? な、何のことかしら」

「それはそうと雪村先生、ころせんせー甘やかしすぎじゃない?」

「っていうか、ころせんせーどーしたの?」

「ヌルフフフ……。どうも昨日から調子がおかしくて。心当たりはあるのですが、微量でも人体では回ってしまうのでしょうかねぇ」

「「「「「?」」」」」

 

 と、そんな会話をしているうちに、教室の後ろの扉が開かれ、寺坂が入ってきた。

 途端、跳び上がりころせんせーが向かう。

 

「お゛お゛寺゛坂゛君゛!!

 今日は登校しないかと心配しげほごほぬるクションッ! ぬるションッ!」

「きったね!」

 

 やさぐれて元気のない表情で教室に入ってきた寺坂だったが、流石にころせんせーのくしゃみを直接ふきかけられては絶叫も仕方なしか。クラス中からも、これには同情の視線が来る。

 

 あぐりがさっと取り出したティッシュを乱暴に奪い、顔を拭く寺坂。

 

(昨日のスプレー缶は、コイツ専用のスギ花粉みたいなものだと、あの白装束ヤローは言っていた)

(爆発はしなかったが、この様子じゃ臭いを嗅いだりはしたみたいだな)

 

 寺坂は、シロとの打ち合わせを思い出す。

 計画の実施は今日。スプレーの効果があり、嗅覚が落ちているこのタイミングでこそ。

 

 寺坂は、ころせんせーに指を突きつけて言う。

 

 

「おいバケモノ。

 いい加減、うんざりだ。そろそろマジでぶっ潰す」

「ヌル?」

 

 疑問符を浮かべるころせんせーに、寺坂はにやりと笑う。

 

「てめーらも全員手伝え! 場所はプールだ。放課後、準備してくる。

 逃げんじゃねぇぞ、タコ」

 

 ころせんせーに最後に眼を飛ばして、寺坂はそそくさと教室を後にした。

 

 教室は、寺坂の言葉に少し反応に困っていた。

 

「……あいつ、中々協力して来なかったのに、いきなり命令口調で言われてもなぁ」

「どういう風の吹き回しか……。誰かの手の平で踊らされてるんじゃないかしら」

 

 さり気に狭間がボソッとつぶやいたのが真実ではあったが、ともかく。しかしそれでも、クラスの話の中で、寺坂グループ二人が、顔を見合わせた。

 

「珍しいっちゃ珍しいけど、なぁ」「まあ最近、あんま積極的に構ってなかったしなぁ」

「子供らしく素直じゃなく歩み寄ったと解釈できなくもないけど、普段の行いが出るものよねぇ。自己責任かしら、くわばらくわばら」

(((((だから解釈が黒い!)))))

 

 寺坂グループ、狭間がきちんとオチを担当していた。まあ、オチと同時に堕ちて帰ってこれなくなりそうな闇が放たれていなくもないが。

 

 だが、なんだかんだで話していると。

 

「まあ、テストの時一回協力してたし」「今回くらいかなぁ、まあ……」

 

 そういう声もなくはない。狭間風に言えば、日ごろの行いか。

 ちなみにころせんせーはと言えば、くしゃみを連発しながら各座席の島に、「一緒にいきましょーよークシュンッ!」と頭を下げて回っている。

 

 そして、そんな中で。

 

「……あれ、渚?」

「ちょっと、行ってくる」

 

 さっと席を立つ渚。周囲に軽く手を振りながら、校舎裏へ向かった寺坂に話を言いに行った。

 

「寺坂君!」

「あぁ?」

 

 声をかければ、案の定嫌そうな顔で振り向く。

 しかし渚は、気圧されることもなく普通に話を続けた。

 

「ンだよ渚か。何だ?」

「本気で倒せるつもりなの? ころせんせー。

 やるつもりなら、皆に具体的な計画は話しておかないと。一回しくじったら二度目はないし」

 

 寺坂は渚を見つつ、襟首を掴んで引いた。

 

「うっせぇよ、弱くて群れてる奴等ばっかが、本気で倒す計画立ててる訳でもないくせによ」

 

 言葉は、どこか焦りを含んだような声音で。

 

「――俺はテメェらとは違うんだ」

「――違わないよ」

 

 睨む寺坂に対して、不思議と、渚は真っ直ぐ見つめ返した。

 

 じっと、数秒の間二人の視線が交差する。

 何の気負いもない渚のその目に、寺坂は、しかしどうしてか一歩後ずさり。

 

「……クソが」

 

 渚の襟から手を離して、忌々しいとばかりに猫背で歩いていく。

 

(……寺坂君は、今回の作戦に自信があるようで)

(でも「自分」には、自信がないように見えて……)

 

(しゃべる言葉もイライラした態度もどこか借り物のように見えて、そのちぐはぐさに胸騒ぎがした)

 

 

   

 

 

 

「よし、そうだ! んな感じでプール全体に散らばっとけ!」

 

「偉そうに……」

「今回だけだぞ、全く」

 

 なんだかんだで協力するE組の面々を前に、寺坂は不思議と上機嫌だった。生徒側の困惑というか、微妙な空気もなんのその。いや、そんなものないと考えているような振る舞いは、いくらかの悪感情を抱かせるものであった。

 

 が、それでも余裕綽々にメガネのつるをぐいっと上げる竹林考太郎。

 

「疑問だねぇ僕は。君に他人を泳がせる器量なんてあ――」

「るせー、とっとと入れ竹林!」

「フヒィ!?」

 

 器量(物理)、とボソっとつぶやく不破はともかく、腕力で従わせようとする姿勢はまさにガキ大将だ。

 

「すっかり暴君戻ってるぜ、寺坂のヤツ」

「あれじゃ一、二年の時と同じだ」

 

 学年全体からして、確かに寺坂のようなタイプは浮いている。カルマでさえ問題児ではあるが、勉強は出来るし普通の素行も出来なくはない(滅多にしないし同時に何か企んでたりするが)。

 だが彼の場合は、根っからこういう気質なのか矯正したり、場に合わせるつもりもさらさらないようだった。

 

 そんなクラスの様子に、教師二名が遅ればせながら声をかけた。

 

「あんまり無茶しちゃ駄目よ寺坂君、もし水中で攣ったりしたら、危ないから」

「ヌルフフフ。しかしなるほど、水中に落して刺させるつもりですか。しかしどうやって落しますか? 今朝確認したところによると、爆発物とかそういうのもなさそうでしたし」

 

 あぐりところせんせーだ。前回はスウェットスーツだったが、今回は競泳水着にパーカー姿のあぐり。頭には麦藁帽子の彼女と、格好を欠片も変更するつもりのない夏仕様なころせんせー。

 

 手に持つピストルを見ながら、その程度ではどうしようもないですよと言うころせんせーに、寺坂は突きつける。

 

「……覚悟はできたか、『ころせんせー』」

「そんなもの、十年近く前に終わらせて来てます」

 

(十年?)

 

 頭を傾げる渚だが、その部分は両者の会話で追及はされない。

 

「君がどう思っているかは別にして、私にとって君は大事な生徒の一人です。

 悩む事、辛い事があるなら、後でで良いので聞かせてもらえませんかね?」

 

 穏やかに微笑む様からは、茶化している時のそれさえ感じない、聖者のような微笑だ。

 ずっとこの顔だったら良いのにとは、3-Eの女子の概ね総意である(※あぐり除く)。

 

 それに対して寺坂は、苦々しい表情でこう返す。 

 

「俺はずっとテメーが嫌いなんだよ。とっとと消えるか、俺たちの前から居なくなってくれれば良かったって思ってるくらいだ」

「ヌルフ……。まあ、知ってはいます。そこも含めて、ケーキでも食べながら話しましょうか」

 

 じっと見つめる彼の目。それに寺坂はふと、イトナや渚のそれをダブらせ。

 

 表情を顰めて、銃のトリガーを引き――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ヴァイパー・チョップ!」

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、イトナの声と共にプールが決壊した。

 

 

 




次回予告:スルーされたと思われていたあのコスが出ます!


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第30話:見ている先の時間・2時間目

本当に長らく御待たせいたしました・・・。


 プールの堰が爆発した。

 いや、爆発したように一撃が加えられたと言うべきか。

 

 生徒達の絶叫が木霊する中、教師二人もまた冷静ではなかった。

 

「な――みんな!」

「私が行きます」

 

 と、ころせんせーはアカデミックローブの下から「タコせんせーロープ」を取り出し、空中を舞う。手近な生徒にはロープを巻きつけて周囲の木の幹に引っ掻ける。

 

 だが、それでも既にプールからは距離が引きはなされている。

「そのロープは、象を引いても壊れないようになっているので、しっかり掴まっていてください!

 流された子たちは、今から対応しましょう」

(! こ、ころせんせー)

 

 渚が目を見開く中、ころせんせーはアカデミックローブを脱ぎ捨て、そのまま水中へ。勢いが良すぎてその姿が一瞬見えなかったが、しかしころせんせーが水に入った、ということ事態に渚たちは驚いた。

 

(そんな、水中は弱点だと言ってたころせんせーが……!?)

 

 一方、

 

「うそ、だろ……? これ――」

 

 あぐりさえ生徒達の側に向かい、もぬけの殻となったプール。

 寺坂は、訓練用の銃を手に珍しく意気消沈していた。

 

「ナンセンス」

 

 と、そんな彼に頭上から声をかける少年。イトナである。両目を軽く閉じて腕を組んで木に背を預け、上から寺坂を見下ろしていた。

 反発するように立ち上がる寺坂だが、彼が何かを言い出す前にイトナは言う。

 

「俺は忠告をした。汚れ仕事になると」

「……! だ、だけどこんな――」

「やぁやぁ、見事見事。制御装置の効果は大きいねぇ」

 

 木々の間から姿を見せるシロ。茫然とする寺坂に、彼は楽しそうに言った。

 

「『ユーム』を使って全力で助けてしまっては、生徒たちを傷つけてしまう。

 だが水辺で対応している間に、ヤツの『心臓』はどんどん負荷を積み立てて行く」

「粘液を自在にコントロールすれば、触手に対する水の防御くらいはお手の物だ」

「そうだね。それで浸透圧の調整も可能だし、そもそも君には『音速』の縛りがない」

 

 ソニックブームで巻き散らせば良いと言うシロに、イトナは当然という風に「so cool」とだけ言う。

 

「いくら防水装備を持ったところで、水中でのヤツの動作が厳しい事に違いはない。今回は勝ち筋が見えるんじゃないか? イトナ」

「俺としては、逆転フラグにも見えなくはないから好きじゃない。スマートな手段でもない」

「だが、時に英雄は必要とあればしなければならないのさ。覚えておきなさい。

 ……ん、どうしたんだい寺坂君」

 

 シロやイトナに対して、震えながらもしかし寺坂は叫んだ。

 

「お前等、何やってんだよ! あいつを突き落とす話だったろ!」

「結果的に突き落としたじゃないか。ほら、見てごらん?」

 

 シロの指さす先、ころせんせーのアカデミックローブをたたむあぐりの姿。

 

「嘘は言ってない。契約違反はしてないよ寺坂君」

「だけど、これじゃ……ッ」

「何、またすぐ戻るさ。誰しもが、折れて挫折すればその先は『深い怒り』しかないからね。

 やり場のない怒りほど滑稽で、絶望するものもない」

 

 シロの言葉が何を言わんとしているか、判別できない寺坂。

 逆にイトナに向かって叫ぶ。

 

「イトナてめぇ、そんなんでいいのか? お前、英雄だとか言ってたろ! 他人を危険に巻きこんでんじゃ――」

「自分の胸にそっと手を当てて考えろ。それに、俺はお前とは覚悟が違う」

 

 イトナは下りてきて、断言する。

 

「俺は、地球を救う。

 そのために、必要とあれば小を斬り捨てる必要もある。例えそれが実験程度の価値であったとしても。

 絶対に、失敗が許されないのだから」

 

 それに、俺が勝てば助ける手はずは整えている。

 

 そう断言して、イトナは触手を使い移動する。シロもシロで、寺坂を一瞥するだけですぐさま横を通り過ぎた。

 

「……何コレ。爆音がしたと思って来たら、なるほどそーゆー訳ねぇ」

「ッ! か、カルマ……」

 

 寺坂に向けて、珍しく困惑した色を浮かべるカルマ。いくらか精彩を欠いているのは、彼もまた少し焦っているからか。

 

「なるほど。自分から立てた計画じゃなくて、わざわざあの二人に操られてたってことねぇ。

 にしても、いよいよあの二人の言ってることも、やってることもお遊びじゃなくなってきてないか……ッ」

 

 独り言に移行しようとしたカルマの襟を掴み、震えながら、すがるような、同意を求めるような、そんな情けない顔になりながら、寺坂は叫ぶ。

 

「い、言っておくが、俺のせいじゃねーだろ!

 こんなの、予想できるかってんだ……。こんなことするヤツが悪いんじゃねーか! 皆流されたのだって、結局奴等が――」

「バカ」

 

 がん、と、カルマが腕を振り払い、上段回し蹴り。

 少し頬を張らす寺坂に、カルマはいつもより真面目な調子で言った。

 

「言わなきゃわかんないなら、言おうか。俺面倒だったけど、結局皆が協力したのはお前じゃん。

 で、そんなお前が流されるままみんなを流したんだろ?」

「……」

「よかったね、あの先生で。きっと何とかしてくれるだろうけどさ。

 もし万が一あったらお前、大量殺人の共犯だよ」

 

 人のせいにしてる暇あるなら、そこでずっと寝てればいいじゃん。

 

「少しくらい捻る頭あんなら、最初からやってないだろうしねー」

 

 言いながらカルマは、既にプールを下り始める。生徒達の側に向かっているころせんせーと、シロやイトナを追おうとしているのだ。

 

 それを直視できず、寺坂は固まる。

 拳を握り、地面に叩き付け。

 

「……ちくしょう」

 

 堪える声は、しかしどこか覇気を取り戻したものだった。

 

 

 

 

 

「ころせんせー、大丈夫かなぁ……」

 

 腰に巻きついたロープを外しながら、水の流れた水路で茅野が言った。

 茅野だけではない。ロープを付けられてその場に固定された生徒たちは、皆一様に各々で対応している。

 

 水流がいくら強かろうと、高かろうと、水が流れ切ってしまえば後追いがない。

 

 あくまでダムのように堰き止めていたというのが功を奏したのか、元々の沢の水量が少なかったというのも大きいのか、ころせんせーの行動で生徒達は多くが助けられていた。

 

 片岡が茅野の言葉に同意して、鼻に引っかかってるゴーグルを付け直す。

 

「泳げないって言ってたけど……いや、違ったっけ?」

「能力が落ちる、とか言ってたような」

 

 渚の捕捉を受けて、ますます生徒達は頭を傾げた。

 いくら生徒たちを助けるためとはいえ、そう危険なことをするはずもないだろう。というより、本人の能力が落ちてしまえば結果的に生徒を危険に晒すことに繋がる。

 

 そうであるならば、果たして何故ころせんせーが水に飛び込んだかという話になるのだが――。

 

「とりあえず行こうぜ、何か手伝えることもあるかもしんねー」

 

 前原の言葉を受けて、ころせんせーの方に向かう生徒たち。

 

 

 進路の先は岩場が連なっており、所により崖のごとくなっている。その道中で彼等のごとく、ロープに縛られた生徒たちが散見されたが。

 

 例えばその一人、岡島いわく。

 

「なんかすいすいすいーっと、もんのすげースピードで泳いで行ったぜ」

 

 例えばロープと格闘している杉野いわく。

 

「ヌルっていうかヌメっていうか、生魚みたいな感触があったっていうか」

 

 例えばほっと一息ついた矢田いわく。

 

「っていうよりも、完全に魚だったよ、あれ」

 

 

(((((魚?)))))

 

 意味が分からない多くの生徒達だが、突如鳴り響いた轟音。吉田大成が「こっちだ!」と叫び、生徒達を誘導する。

 あぐりがじっと見つめる先には――。

 

 

 

(((((な、何だあれ!?)))))

 

 

 

 

 触手を振るうイトナと、非常に形容し辛い、何とも言えない服装をしたころせんせーの姿があった。

 

 その姿は、マンボウのような感じのかぶり物、ゴーグル、魚をデフォルメしたような胴体の衣服に、足元がひれのように、それでいてスキューバーダイビングのごとく分割されたもので、全体的に見れば魚のように調整されている。

 

 されてはいるが、その格好の酷さについて誰もが思わず突っ込みを入れそうになる。状況が状況なため言葉こそないが、皆一様に汗をかいていた。

 

「ノン! 何だその装備は、ころせんせー!」

「ヌルフフフ……、これぞ水世界最強のタコを模した装備、いうなれば『(うお)キングスーツ』です!」

 

(((((魚なのにタコなの!?)))))

 

 錯乱してるためか生徒たちの突っ込み所もおかしい。

 

 

「きゃー! 吉良八さん、きゃー! かっこいー!」

「「「「「えええッ!?」」」」」」

 

 そしてそんな生徒たちに混じって、あぐりが絶叫。目を爛々と輝かせて、ハートマークさえ浮かんでそうな浮かれっぷりである。

 

(た、確かに雪村先生好みっぽいデザインだけど……)

(ここまではしゃいじゃうって……)

 

 汗を流しながら生徒たちが思うのはそんなことか。ぶんぶん手を振り回して、ひたすらころせんせーを応援するあぐりである。

 

 対するイトナも、そんなころせんせーの予想外の動きに戸惑っていた。

 

「くっ、当らない――ッ」

「ヌルフフフ。こういう時のために先生、あらかじめ準備しておきました。

 触手弱体化成分も何のその! 薬剤の実に八割をカットし、弱体化を最小限に押さえ、かつ『心臓』に負担のかからない程度に保護する機構。さらに――魚モード!」

 

 ばしゃりと飛び跳ねたころせんせー、いや、魚キング。下半身がイルカのごとく変形し、魚と水性哺乳類の入り交じったよう変な形状へとなった。

 さらに、顔面はシャーっとバイザーで覆われる。

 

「――これが、水中専用決戦水着”魚キングスーツ”です!」

「ノン! わけが、わからない!?」

 

 生徒たちも大半はイトナに同意のようであった。

 

「触手の方向性が変わって、操作制度、一撃の威力も上昇していますが、残念でしたね今回は先生のオンステージです。

 しかしイトナくん。いくらか不可解なことがあります。

 今回の行動は、英雄英雄と言う君らしからぬ行動に見えます。大義名分はあり、そのために斬り捨てる判断もまぁ必要かもしれませんが――ある意味、今回のこれも単なる実験に等しいでしょう。

 だというのに、本番さながらのその切羽詰った『波長』。……ひょっとして君、彼と、”C”と一度交戦しましたね?」

「――ッ!」

 

 ころせんせーの指摘に、イトナの触手の攻撃速度が上昇。

 そんな二人に、シロが肩をすくめた。

 

「こちらとしても想定外だったんだけど、日本でヤツを確認してしまってね。上の方から一度向かわせてみろって言われていたんだ」

「悪影響じゃないですか」

「自覚はしてるよ。お陰で今月の生活費が……。いや、そんなことはどうだって構わない」

 

 大変みたいですね、みたいな視線を向けるころせんせーと、あぐり。シロはそれを受けて、わずかに居た堪れないように頭を左右に振った。

 

 生徒達は、会話こそ聞こえていないだろうが状況を見つつ会話を交わす。

 

「あの一撃、やっぱイトナだよなぁ」

「でも水中の秘策ってアレか~」

「……押されてはいないけど、でも避けてばっかだし、防戦一方だな」

「あれくらい、ころせんせーなら何とか出来そうなものだけど……」

 

「上を見て見ろ」

 

 と、突如背後からかけられた声に生徒達は振り向く。

 「寺坂?」と磯貝の訝しげな視線を、普段より多少小さくなってるように見える姿で流し、ころせんせー達の上部に指差す。

 

 そこでは、村松が今にも樹から落ちそうな原を、下からどうしたものかと

 

「触手の射程圏ギリギリだろ。で、早い所助けに行かないとどうにもならない。

 だからと言ってわざと負けたらそもそもあいつは暗殺教室を『続けられなく』されちまう、らしい」

「寺坂君……?」

「メモしたけりゃ後に回すぞ。

 見た目飄々として、やってることは結構ゲスいからな。計算高ェんだろ」

 

 言う彼の言葉は、妙に他人事というか。聞いている生徒達は、共謀者といっても嵌められた立場とは言え、その言葉に苛立ちや焦りを覚える。

 

 今回のこと、全部操られてたのかと叫ばれて、わずかに自嘲するように、しかし寺坂は笑い飛ばした。

 

「あーそうだよ。

 何も考えなくても、ガタイとデカい声ありゃ大体のことは何とかなってたんだよ。ここに来るまでは。

 ここに来てから全部変わっちまった。だから所詮、目的も何もない短絡的なバカは、頭良いやつに操られるのが関の山なんだよ。

 でもな――」

 

 覚悟だけは少しはある、と彼は真顔になって、睨むように続けた。

 

「――やられっぱなしってのは、主義じゃない。

 だったら、せめてどいつが操るかくらいは自分で選びてぇ」

 

「……」

 

 渚は、かつての寺坂と今の寺坂の、わずかな違いに何かを感じて見つめる。

 彼はそんな視線を受けても、無視して歩き、カルマの方へ。

 

「このままってのは気に食わねぇ。たぶん、あのバケモノ教師が最後は何とかしちまうんだろうが、それで終わりじゃ俺の気が収まらない。

 だからカルマ! てめぇがアイツらを度肝抜かせるのを何か考えろや」

「……へぇ。出来るの?」

「完璧に実行してやらァ!! だからその、狡猾なオツムたまにゃ積極的に使えや!!」

 

 寺坂の啖呵に、カルマはニヤリと笑って視線をころせんせー達に向ける。

 

「良いけど、死ぬかもしれないよ? 俺の作戦、たぶんお前に容赦ないけど」

「こちとら、実績ありだぜ」

 

 肩を回す彼に、カルマは聞く。

 

「じゃあ、とりあえずアイツらがどんな作戦を立てていたかってところから、話してよ」

 

 

 

   ※

 

 

 

「ヌルフフフフ……。ちょっと落ちてきましたね」

 

 水中ですいすいとイトナの周囲を旋回するころせんせー。しかし、その背後に落ちる触手の一撃は、段々と確実にころせんせーを捉えてきている。距離が詰まってきているのは、イトナの学習能力がころせんせーの行動パターンを捉えてきているからか――否、それだけではない。

 

「そのスーツ、確か八割カットと言っていたな」

 

 つまるところ、長時間の水中戦に向かないということである。

 いくら八割カットとはいえど、20%はころせんせーに負担を強いている。結果として水中に居る時間が伸びれば伸びるほど、ころせんせーのスペックは徐々に低下していくということだ。

 

 加えて、確かにイトナの能力自体も上がっている。

 

「直線距離約2メートルに対して、移動するまでの秒数は――、そこから導き出される秒速と、移動ベクトルからして――」

「にゅや!?」

 

 ぶつぶつと呟く彼は、学校の授業でも習う距離、速度、時間の関係についてその場で暗算しているようだ。ころせんせーの動作を目で見て確認し、そこから得られたデータを自分なりに解析。

 

 決して感覚的な動きではなく、きちんとした合理が以降の攻撃には宿る。

 

 いくらスペックが落ちているからと言えど、理詰めで攻められる状況はころせんせーにとってあまり経験がない。

 

(と言うよりも、理詰めされる前に普通は「片付けて」来てましたからねぇ)

 

 「死神」からすれば、自分と相対した相手は戦えば基本的に確殺してきているので、データ自体を分析される愚を犯す事はほぼないと言って良い。

 

(例外は「前の」ニアくらいなものですが、それにしても――)

「クールに決める。計算さえ出来れば、サルでも解ける解だ――!」

 

 そして、イトナの一撃が、ころせんせーの頭部を霞め。

 

 水中からトビウオのように跳ねたころせんせーの、否、魚キングの頭部装甲(?)が、ばちん、とパージされ。

 

 中から、もっさりとした巨大なマリモのごとき名状しがたいアフロ状の髪型が、冒涜的物理法則が働いたその巨大な頭髪が姿を現した。

 

 

「にゅ、にゅや!? しまった、これでは再装着できない!!」

(((((それ以前にどうやって入ってたんだよ、その頭!!!)))))

 

 

 この程度の状況で左右されないころせんせーのノリであるが、しかし。

 

「吉良八先生――ッ!」

「さて、ようやく追い詰められて来てくれたねころせんせー。

 イトナ、邪魔者はいない。そろそろ決着を……?」

 

 と、シロがイトナに指示を出そうとした時点で、背後から叫ぶ声。

 

「おいイトナ! シロ! てめぇらよくも俺を騙しやがったな……っ」

「て、寺坂君? 危ないよ近くにきたら(何かあっても、もみ消せるだけの金もないし今は)――」

「うるせぇ!」

 

 シロの何やら後半ぶつぶつ続いた言葉を一蹴し、シャツを脱いで丸めて構える。

 そのまま下に降り、イトナに叫んだ。

 

「タイマン張れやオラ、このままで済ませられるかッ」

「構わんが、ころせんせーを倒してからにしろ」

「それじゃ意味ねーだろタコ!

 今やるから意味あんだッ」

 

 彼の叫びに、右手でこめかみを押さえて左手でその肘を押さえ、考えるようなポーズをとって「Fu~」と、やれやれ、みたいなため息を付いたイトナ。

 

「……クラスメイトを巻きこんだ。そんなことはどうでも良いというスタンスだな、それは。俺でさえ、状況が状況だからこそ現状に至っただけだ。スマートじゃない手段は嫌いでね。

 だが、お前は違う。所詮はクラスで浮いてたという意味では、丁度良かったのか――」

「何訳のわかんねーこと言ってるんだタコ!」

「語彙も貧弱か……、Be cool。もっと冷静になれ。

 つまるところ、周りより自分の感情だけを優先しているんだ。それならば――決してヒーローにはなれない。空気を、読め!」

「あ、おいイトナ――」

 

 シロの静止を振りきり、イトナは寺坂に触手攻撃を仕掛ける。

 だが、寺坂はイトナのその一撃を、包んだシャツで受け止め――。

 

 

 そして同時に、バシュゥゥゥゥゥという音と共に、煙が広がった。

 

 

 何だと? と目を丸くするイトナ。

 シロが「まさか」と言うと、「スマートに考えろよ、少しは」と寺坂が煽るように笑った。

 

 

 

「上手く行ったみたいだね」

「だろーね」

 

 渚とカルマが、その状況を見下ろしながら会話を交わす。どゆこと? と頭を傾げる茅野に、カルマが言った。

 

「まず大前提として、相手は俺らを殺すつもりはない。殺したら”英雄じゃない”だろうからね、何だかんだ言ってイトナ君も、原さんたちの方に積極的に足を踏み入れたりしてないし。

 とすると、寺坂にする攻撃も自ずと弱まる。それこそ気絶する程度に調整された、ね」

 

 そして、もう一つの仕込みが生きてくる訳である。

 

「律もありがとね、職員室から持って来てくれて」

「お安いご用さ。僕等が最後の希望さ♪」

 

 軽い調子で応じる男律。ばちんとするウィンクの理由は、つまるところ寺坂から話された、シロ側の計画に由来する。

 

 昨日あぐりに取り上げられたものが、本来はころせんせーを弱体化させるために用意した成分を詰めたスプレーであるらしい、というのを聞いた時点でのカルマの行動は早かった。

 早速モバイル律経由で、それが学校の職員室にあるかどうか確認。間違いなく同一のもの、という太鼓判を彼女から押され、それを持って来てもらったのだ。

 

 流石にころせんせー程の速度は出ないが、そこはアンドロイドハードと言うべきか。

 

 そして、寺坂は脱いだシャツの下にそれを来るんで、構えていたのだ。

 

 

 結果は、自ずと知れる。

 

 

「――ぬるションッ!」

「――ぐしゅんッ!」

 

 

 ころせんせーとイトナの、同時のくしゃみ。

 それだけで終わらず、延々と両者は鼻を押さえて蹲りながら、くしゃみを続けている。

 

 そしてイトナの方は、嗚呼、何ということか。触手からドロドロと粘液が止め処なく溢れ、そして水についた触手が膨れ始めているではないか!

 

 一方のころせんせーだが、くしゃみこそ止まらずとも崖くらいは余裕で走って昇り、原を抱っこして下に戻って来た。

 

「じゃ、俺らも仕上げと行きますか」

「みんな、行こう!」

「「「「「おう!」」」」」

 

 動き出す3-Eの生徒たち。

 叫ぶ寺坂に、仕方ねーなと応じる村松に吉田。

 

「――ッ!!!」

「ころせんせーと弱点が同じなら、数で勝る方が有利だよねー」

 

 軽く笑うカルマに対して、鼻と口元を両手で押さえて涙目のイトナは、生徒達が飛び降りて巻き起こった水流をモロに喰らってしまった。

 

 お陰で触手が二の腕くらいに太くなる……、物理法則どうなってんだ、みたいな目で見る不破だが、流石に今回は自重したのかコメントがなかった。

 

 

「……これは、負けだな。やはり正義を盾にしても、邪道は邪道か」

「じゃあ、みんなで水遊びするー?」

 

 

 上から笑うカルマと、手で水を構える生徒たち。律は水中に入れないのか、水鉄砲を構えてる。

 

 してやられたね、とシロは肩を竦めた。

 

「帰ろうイトナ。これ以上居ても意味がない。リアクター式制御装置も、そろそろ充『触』しないと――イトナ?」

 

 背を向けて立ち去ろうとするシロだったが、しかしイトナの様子が変化していることに気付いた。

 

 首元を押さえてガタガタと震えるその様子は、明らかにこの間の痛みに震えてたイトナとは何かが違う。

 まずい、とシロが叫ぶ前に、今度はころせんせーが行動した。

 

「行きましょう――」

『――了解です、ミスター』

 

 言うに早く、突如ころせんせーが取り出したピストル型装置の先端から、イトナのそれとはまた少し違った、黄色の「触手」が「生えた」。

 

 生徒達がそれにぎょっとするよりも先に、ころせんせーはぶんと振りきり、イトナの触手の先端を叩き切る。ばちん、とムチでも振るったような音と衝撃波が水面に波紋を作り、イトナは倒れた。

 

 銃のトリガーから指を外すと、触手はドロドロと解けて水に落ちる。

 ころせんせーは銃からそれを引き抜き、イトナの方へ。

 

「…… 一応、感謝しておく、兄さん――ぐしゅんッ!」

「その設定、まだ引きずりますか……。まあ良いでしょ――ぬるションッ!

 シロさん、予備のバッテリーはありますか?」

「……生憎と持ち合わせは今はない。ベーストレーラに戻れば一応あるけど」

「では、早い所連れて行って下さい。

 触手の『総量』を減らして暴走を防ぎましたが、緊急措置です」

「わかった」

 

 イトナを抱えてシロは足早に立ち去る。

 その背中から、イトナはころせんせー達の方を見て言った。

 

「……良いクラスだな」

「では、ちゃんとクラスに来ますか?」

「俺は、ヒーローだ。……兄さんなら分かるだろ? ヒーローってのがどういうものか」

「先生、別にそういうものじゃありませんがねぇ……」

「イトナくん! 席はあるから、いつでも大丈夫よー!」

 

 立ち去るイトナたちを見送りつつ、生徒たちはわずかに無言。

 その中で、ころせんせーだけが周期的にくしゃみを続けていた。

 

「……ころせんせー。さっきの触手って――」

 

 渚が代表してころせんせーに聞くと、彼はヌルフフフと笑って答えた。

 

「大丈夫です、暗殺教室では使いませんから」

「「「「「いや、そうじゃなくてッ!!?」」」」」

「まあ先生の奥の手、第一段階みたいなものでしょうか。

 とは言えあまり器用なことが出来るわけでもないので、過剰な期待は禁物です――ぬるションッ!」

 

 誰も期待してねぇよ、ていうか期待って何だよ。

 根本的なところで答えになっていないころせんせーのズレた答えに、しかし緊張していたクラスは弛緩した。

 

「しっかし、何とか追い返せたなぁ……。流石に今回は危なかったし」

「ころせんせーも良かったね。私達居なかったら、かなり大変だったんじゃない?」

「もちろん感謝はしてますよ。ヌルフフフ、まあ負けるつもりはありませんでしたが」

「確かに負けないだろうけど……」「っていうか、このロープって何製? 全然切れないし」

「にゅや!? 斬ろうとしないで下さ、ぬるションッ!! 下さい、タコせんせーてるてる坊主みたいになっちゃうじゃないですかッ!!!!?」

「へぇ~、じゃあこうしてこうして――」

「カルマくん、先生が言った傍から何を――」

 

「なんか、一気に平和になったね、渚」

「だね」

 

 ようやく、完全に普段の空気に戻った3-Eに、渚と茅野は力を抜いて笑い会った。

 なお、そんな中であぐりは魚キングのヘッドパーツを探してるらしく、倉橋らと共に水中をじっと見ていた。

 

「あ、そういえば寺坂君。さっきのカルマ君との作戦会議の時の、全部聞こえてたわよ~? ヘヴィだとか太ましいだとか」

「あ゛!? い、いや、あれは状況が――」

「問答無用! 動けるデブの底力、思い知らせてくれるわ!」

 

 しゃー、と唸り声を上げる原に、どうしてか数歩下がる寺坂。なまじその空気は、どこか今まで以上に馴染んだものであって。

 

 そして背後からカルマが煽りを入れたのに対して、問答無用で一本背負いを決めた。

 

「は、はァ!? 何すんだ上司に向かって!?」

「何が上司だ何が! 盾ありとは言え生身でマッハにぶち当たりに行かせるとかどんなブラックだ!

 大体テメェはサボリ魔のくせに上からもの言うわ、オイシイ所持って行くわ!」

「あ~、それ私も思ってた」

「完全にライバルキャラのポジよね」

「ここらで一発、みんなと一緒に泥被ってもらいましょうかねぇ」

 

 ぎゃーぎゃーと叫ぶ、若干悪ノリした周囲と、珍しくいじられているカルマ。なまじ奥田さえその中に混じってるのが、珍しいと言えば珍しいか。

 何とも言えない表情の渚と、困ったような茅野。

 

「寺坂君は、小難しく考えて上の方にいるより、現場で柔軟に動いた時にこそ真価が発揮されます」

「あ、ころせ……、魚キングのままなんだね、まだ」

「流石に上は上流の方に置いてきてるので、ヌルフ……」

 

 頭をタコせんせータオルで拭きながら(なお「雪村あぐり」とマジックで書かれている)、ころせんせーは人一倍、今までにないくらい楽しそうに笑う寺坂に、ヌルフフと微笑んだ。

 

「体力と実行力、そしてシンプルな姿勢で自身も現場にも活力を与える。

 実行部隊としての成長が、今後とも楽しぬるションッ!!!」

「肝心なところで絞まらないね……」「だね」

「にゅや!? これ、先生関係ないじゃないですかっ」

 

(寺坂君が、まだまだ乱暴だけどクラスに馴染んできた)

(僕も、きっとカルマくんやみんなもそのことが内心ではきっと嬉しくて――)

 

(クラス全員が、その時は見落としていた)

 

 あぐりからヘッドギアを受け取り、再度装着してポーズを決めるころせんせー。

 やはりきゃーきゃー言う彼女と、その背後で協力していた倉橋や矢田たちが何とも言えない表情になっていた。

 

(――水なんかよりもっと大きな。雪村先生でもない、もっと重大な)

(僕等誰もが気付ける、気付けるからこそ考えることすらしていなかった弱点を)

 

 

 

 

 

 




原作がまもなく完結に向けてと動き始めている最中、がんがんにそちらと歩調もとりつつなので、ちょっと遅れ気味ですが更新は続けていきたいと思います。
 でも同時に、着実にイベントをこなしていくと「嗚呼、段々こっちも終わりに向けて動いてるんだなぁ」とまだ一学期中なのに手が止まってしまう……何でしょうかねコレ;

次回は個人的にイチオシな岡ひな回が来るかと思いますが、さてどうなるか。


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インターバル:気持ちの時間

新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします


 

 

 

 

 

「――もう、そんなんじゃないって。お姉ちゃん。……いや、だからさぁ。居ないよそんな相手って。お仕事(ヽヽヽ)でもなかったし。

 うん、資料? みたいなのは一応この間渡したやつあるから大丈夫だよね? うん、おっけー」

 

 茅野あかりは、何処かへ、誰かへ電話をかけていた。その声音はどこか普段の彼女よりも、クールな印象を与えるものであった。そして何より、メガネを外している。左胸のポケットのケースに入れて、彼女は真摯に、少し微笑みながら向こうの相手と会話していた。

 

「? いやいや。そりゃ私も中学生だけどさー。日々、色々と思うところはあるよ? 胸の大きさとか、バストサイズとか、胸囲とかねー」

 

 そして胸の話題を出す時の声音が完全に笑っていない。

 話相手の苦笑いがスマホの受話器から漏れる。

 

「うん。じゃまたねー。お姉ちゃんこそ、早い所どーにかしちゃえば? ふふ」

 

 相手の反応を待たず、彼女は通話を切る。と電話をポケットにしまい込み、再度メガネを装着。目つきからクールな印象が削げて、いつもの明るい彼女のものに。

 理科室の扉を開け、廊下を左右確認。誰も居ないことを確認してから、彼女はこっそり、ゆっくりと歩きだした。

 

「うーん、まだ拙いからねー。

 さて、渚、渚は、と――」

 

 そんな風に独り言を言いながら、彼女は廊下を歩き、教室をちらりと覗く。

 杉野と磯貝とカルマで何やらボードゲームめいた何かをしているようだったが、彼女は薄く微笑んでそれを見なかったことにした。決してカルマのいつもの(酷い)笑顔に、二人の近未来を予知したからではない。断じてない。

 

 校庭に出れば、タコせんせーを模した顔のボールを使った、暗殺ドッジボールが行われていた。

 暗殺ドッジと言っても、2チームに分かれてというより外野と内野に分かれて、と言えば良いか。弾をチームワークで避けて、お互いに攻撃しあい、喰らった相手は死んだとしてグラウンドの隅に移動している。基本的にサバイバル力というか、そういった判断力を鍛えるためのものだ。

 

 そして、渚は体育座りでそんな中心部を見ていた。

 

「お疲れ、渚」

「あ、茅野」

 

 メモ帳片手に色々チェックしている彼だったが、茅野の顔を見ていくらか朗らかになる。

 とそんな時、前原の謎の絶叫が聞こえる。

 

「ちょ、止めろって! 後ろはまだたんこぶ直ってねーんだから!」

「うっさい! この女たらしクソ野郎ー!」

 

「って、わー!」

「な、渚!?」

 

 そんな声と共に、飛来してきた弾が渚の顔面を直撃した。メモ帳共々ふっとばして、その場で転がる渚。一旦メモ帳の方を先に回収してから、渚の方に戻ってくることにしたようだ。

 渚の方はと言えば、その場で転がるボールを押さえながらも顔面を軽く撫ぜていた。

 

「痛たた……」

「ご、ごめん大丈夫? 思いっきり蹴っちゃったから」

(何でもありだ、暗殺ドッジボール)

 

 手を貸すボールを蹴った主、岡野の手を借りて起き上がる渚。ボールを手渡すと、照れたように「ありがとう」と笑う岡野。

 そんな彼女に軽く手を振って送り出す渚。

 

「……おやおや?」

 

 そんな渚の目が、普段とはどこか違うような感じになっていたのを、茅野は見逃さない。伊達に大体一緒に居る訳ではない。

 

 前原に対してキレっキレに怒ってボールを投げる岡野を見てる渚を見ながら、どこか茅野は難しそうな表情を浮かべていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「渚、一緒に帰ろうぜー」

「ごめん、今日はちょっと残って勉強していく」

 

 杉野と別れた渚は、教室で英単語帳を取り出す。人気が段々少なくなっていき、全体的に表の方に出て行く中。珍しくも、教室は渚と茅野ばかり。否、無論この場にころせんせーは居るのだが。

 

「ヌルフフフ。渚くん熱心ですね」

「明後日の五時間目、たぶん英語のテストでしょころせんせー。だから勉強しないと」

「そうですか。では先生から一つアドバイスを。

 渚君は少し、勉強の時に急ぎすぎている部分があります。もう少し肩の力を抜いて、細かいところまでチェックする癖を付けると、なおよろしいでしょう。

 それでは先生、ちょっとコンビニにお菓子買いに行って来ますので、三十分までには戻ります」

((いいのそれ!?))

 

 一応就業時間中であるが、そこのところがどうなのかものすごくツッコミ所である。

 何かあったら職員室へ行ってください、と言ってからころせんせーは窓を開けて飛び降りる。そのままテレビのヒーローもの顔負けのアクロバット運動を屈指して飛んで跳ねて、あっという間に校庭からも姿を消した。

 

「相変わらずだよねー、ころせんせー」

「うん。……って、何だろうこれ」

 

 と、ころせんせーが居なくなった後に自分の机の上に置かれたプリント。英単語の意味が列挙してあるそれは、明らかに前回、渚が英語のテストで間違えたところであった。つまり復習用のプリントである。

 

「こういうところも相変わらずだよねー」

「そ、そうだね」

「渚、私手伝ってあげようか? 声に出した方が覚えやすいだろうし」

「茅野、大丈夫なの? 何か勉強あって残ったんじゃ――」

「あー、いや実は、渚にちょっと聞きたいことがあって」

「僕?」

 

 頭を傾げる渚に、茅野は頷いて一歩、歩みよる。顔が近づいたせいか、渚は一歩後退。

 

 茅野、前進。 

 渚、後退。

 

 茅野、前進。 

 渚、後退。

 

 茅野、さらに前進。 

 渚、もっと後退。

 

 そして背後の壁に背中が付くと、意図的に茅野はその壁に腕を「ドン!」とした。壁ドンである。なお両者は律が窓際に居る事を完全に忘れている。

 

「な、な、何? 茅野」

「渚、一つ聞きたいんだけど……、ひょっとして岡野さんのこと、好き?」

「なんで!?」

 

 思わず絶叫する渚に、茅野は上目遣い。メガネの隙間から覗く視線はちょっと半眼。

 

「だってー、なんか今日岡野さん見てた目が、なんか変だったし」

「変? って……嗚呼、う~ん、そういうのじゃないんだけど……。

 言って良いのかなぁ」

「?」

 

 茅野から視線をそらしつつ、渚は逡巡する。

 やがて諦めたように、茅野の両肩に手を置いて、壁ドン状態から脱却した。

 

「話すから、とりあえずこれ止めて……。

 えっと、一応ナイショにしておいてね」

「どんな話かによるなー。おねーさんとしては」

「年一緒じゃん!?」

 

 一通りコミカルなやりとりを終えて。

 

「菅谷くんがやった、ボディアートがまだ落ちる前の話なんだけど――」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 生徒達が下校した放課後、午後五時半。

 下駄箱で、渚は身を隠していた。本日中に出た課題を本日中に学校で済ませたかったという事情もあったので、残っていたのだ。

 ころせんせーは副担任のあぐりを連れてどこかへと向かった(デートだろ、とは一緒に残っていた前原の談)。最後まで残っていた渚は、夕暮れの職員室、ころせんせーの机の上にプリントを提出して帰路に就いた。

 

 そして、その結果として下駄箱でハイドアンドシークしてるのだった。

 

「あいつ……、コロス」

 

 声にならないような声で、ぼそりとつぶやいたその相手。女子であることは判る。

 言葉の内容にぎょっとした渚は、ちらりと向こう側を見る。しかし駆け足の音と共に、その場にはもう誰も居なかった。

 

「い、一体何が……」

 

 まさか本当に殺すという意味ではないだろうが、しかしちょっと不安になる声音である。

 困惑する渚。奇しくもその疑問は、翌日に解消されることになる。

 

 

 

「な、ま、前原くん!?」

 

 通学路。といってもE組の校舎手前なので山の中になるが、昨日の出来事が渚の脳裏を過ぎる。すぐさま烏間の教えたように手をとり、脈拍を計る渚。命には別状はなさそうだ。表情を見れば目を回して「くうううぅ……」と唸っていたので、意識を完全には失っていないだろう。

 

「い、一体誰がこんな……」

「私が登校してきた時は、既に」

「あ、速水さん」

 

 振り返ると、中々派手目な容姿であるがそれに反して落ち着いた、悪く言えば目立たない雰囲気を持つ彼女が、前原の方を見てどうしたものかと思案しているような表情が浮かんでいた。

 

「前原君程の運動神経で、転んでそうなるとは考え難いわよね」

「うん、そうだね。とすると……」

 

 速水を一旦待機させて、渚は周囲に気を廻らせる。

 昨晩の、下駄箱の不審者。彼女が誰であるかということだが、もしE組の生徒である場合、小手先だけでも実際の暗殺に近い技術を教わっているこの学級だ。本気でそれを暗殺などに使えば、相手の命はあるまい。

 

「まず現場検証と、凶器を特定しないと……。えっと」

 

 ここでメモ帳を取り出し、周辺の情報をメモしていく渚。

 

(通学路に対して、落ちている物は小石、大きな石、ボロボロの新聞紙のような何か、千切れたエロ本の破片……、なんであるんだろう)

 

 豪快な破られた後から、岡島の私物が片岡あたりに粉砕されたものだろうかと推察。

 道から捜索範囲を広げて見る。周辺の、草むらに足を踏み入れると、やはりここでも出てくるエロ本の破片だった。その他にはテニスボール、カルマが以前使ったものだろう切り取られた訓練ナイフ――。

 

 そしてそれらに混じり、汚れのほとんどないペンやメモ帳が落ちていた。

 

「これは……?」

(あれ、この足跡)

 

 周囲の草の中で数箇所、何度も何度も踏み占めたような場所が存在している。

 

(たぶん、慌てたんだろう。ペンやメモで殴れるわけはないから……、嗚呼、なるほど)

 

 落ちていたメモ帳の主をちらりと開いた上で、自分のメモ帳も開いて、その相手を概ね渚は特定した。

 おそらくこの相手、凶器に使ったのはスクールバッグだろう。遠心力を付けて振り回して、そのまま一撃。外傷らしい外傷が見当たらないのは、それが「本気で」殺そうとした程の一撃でなかったから。もしその気なら、凶器に使うモノが違う。

 それに――ペンのデザインから性別は間違いなく女子であるし、なによりメモ帳の端に小さく描かれたものが、ずばり犯人の正体を示していた。

 

(彼女の性格からしても、うん、かっとなったらありそうだし……)

 

 だがこれは、どうしたものか。言わないのが武士の情けだろうか……、どちらにしてもこのままだと速水が目撃するのだろうから、どうしようもないか。

 

「渚?」

「僕に任せて。ちょっと行ってくるから」

 

 そう言いながら渚は校舎を抜け、校庭の隅に向かった。

 向かう先はイトナ来襲以降、烏間先生によって強化設置された訓連用アスレチック。

 

(僕の予想が正しければ、犯人は毎朝ここで軽く運動してから登校している)

(いつでもアクロバットに動けるようにしてから、暗殺教室に臨んでいる)

 

(後は、本人も身体動かすのは好きみたいだったっけ)

 

 

「殺っちまった……」

 

 案の定、渚の予想通りの犯人はそこに佇んでいた。茫然と立っていたと思ったら、急に膝をかかえて体育座り。悶々としていることが人目で分かる。

 渚は少しだけ逡巡して、そして声をかけた。

 

 

 

 

 

「岡野さん」

「――っ、な、渚」

 

 

  

  

 

 慌てたように振り返る彼女は、確かに岡野ひなただった。彼女は、渚が手に持つ物をみて妙に焦る。

 

「前原くん、無事だったよ一応」

「へ? あ、あ、あうん、ありがとう……」

 

 メモ帳とペンを返す渚に、少し顔を俯けながら岡野ひなたは手に取った。

 

 なんでこんなことを? 地面に座る渚に、彼女もならって体育座り。

 やがておずおずと、苦笑混じりに話し始めた。

 

「一昨日は他の学校の女子とデート、昨日は高校生……。あんまりにも女にだらしなくて、一発どこかでおしおきしてやんなきゃって思ってたの。

 でも、あんなに飛ぶとは思ってなくて……」

「手加減のつもりでバッグを使ったんだよね」

「そんな感じ。

 でも……、うん、たぶん教科書の量のせいだ」

 

 ばつが悪そうに笑う岡野。暗殺教室なんてしているせいか多少警戒はしたが、やはり昨日の「コロス」は軽く使われる程度の方の殺すだった。

 

「でも、何でかな……。そんな正義感出す必要もないのに、私」

(これは……、うん)

 

 言わぬが花か、と渚は微笑むだけに留めておいた。

 

 渚は、彼女のメモ帳を確認している。その後ろの端に、小さく相合傘で「前原」「岡野」と書かれて、ボールペンで斜線されたのを見ていたのだ。

 本人もこれは、無自覚というべきか、無意識なものなのだろう。

 それに気付くか、気付かないかは定かではないが――。

 

「うん。皆には秘密にしておくよ」

「う、ごめん渚……」

「いいって。うん、叶うと良いね」

「……? 何の話?」

「なんでもないよ」

 

 どこか彼女の照れていた顔を眩しそうに一瞬見てから、渚は視線をそらして普段の表情に戻った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「みたいなことがあってさ」

「なーるほど……、って、ゴメン渚、自供させちゃって」

 

 謝る茅野に、渚は少しばつが悪そうだった。

 ちらりと、アスレチックの岡野と前原の方を見る茅野。「女子は大体気付いてるんだけどねー」と少し苦笑いを浮かべて言った。

 

「で、結果的に前原君の株がどんどん下がって行くという」

「何その下降曲線!?」

「E組内部で距離おかれるから、更に拍車がかかってデフレスパイラルだよね~」

 

 ひょいひょい登って行く岡野に何事か言って、怒られる前原。周囲の女子は色々察してか距離をとっており、特に磯貝と片岡の委員長ペアが明らかに見守り体勢に入っている。

 そんな光景を見ながら、渚は「うん」と頷いた。

 

「でも――やっぱり、叶うといいよね」

「そーだね。……渚?」

 

 ちらりと渚の顔を見る茅野。

 彼女の目には、いつものように微笑んでいる渚が映るばかり。しかし、彼女は見逃さない。普段あまり表に出さない鋭さが、目の前の彼の瞳に映る色を、見逃すはずはない。

 

 

 底抜けに闇のように、あるいは沼のように――。

 

 光を灯さず、ただただ諦めのような感情が根底に横たわっていることを。

 

「……」

 

 少し上を向き、何かを思い出したように茅野は渚の頭に手をやり、ぽんぽんと撫ぜた。「うわ!」と驚く渚の腕をがっしり掴み、逃げさせないようにする。

 

「か、茅野……?」

「う~ん、まだ『あれ』に落ち込んでるみたいだから、一応ね。どうどう~」

「僕、馬扱い!?」

 

 少なくとも表面上は元気を取り戻す渚に、茅野は「あはは」と笑た。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

『というようなことがあったんです、ころせんせー』

「ヌルフフフ……。律さん、是非ともそれは内密に」

 

 そして日も落ちた教室で、ころせんせーは律からその話を聞いていた。生徒たちの机をきちんと並べなおし、岡島が賄賂のごとく置いていった写真数点を懐に入れ、背後のあぐりにハリセンを喰らったりしながらである。

 

「んー、でもそうなると……」

「一応反省してるみたいですし、今回は大目に見ませんか? あぐりさん」

「そうは言いますけど、うーん……」

「筋は通すべきだとは思いますが、まあ私の記憶が正しければバレンタイン前後あたりには決着できると思うので、そこまで待ってあげてもよろしいかと」

「丸く収まるんですか?」

「乙女に収まります。

 あそうそうバレンタインと言えば――ヌルフフフ」

「……な、何ですか?」

 

 唐突にニヤニヤしたころせんせーに対して、咄嗟に自分の体を、主に胸元を庇うあぐり。もはや視線の先がどこにあるかなど、お見通しと言わんばかりの動きであった。

 

「さて、それは別にして……。茅野さんから聞いた範囲を総合すると、渚君はどうも『以前』より気を張ってるというか、追い詰められている部分があるようですね」

「追い詰められてる、ですか。

 ……確かに、鷹岡先生の時も、死神さんの話が正しければもっと穏便でしたよね」

「正直、血を流させた時点でかなりひやひやしてましたからね。下手に殺してしまうと、後に引けなくなってしまいますから……、ヌル?」

 

 と、ころせんせーは自分の懐の中、スマホの画面をチェックする。何がなんでも声を出すつもりがない、画面に映っている少女AIが、画像でフリップに「マスター、イベントなどはどうでしょう」と表示していた。

 

「イベント……、んー、そうですね。時期的にそろそろアレの頃ですか。準備はしてありますが、さてどうしましょうかねぇ」

「死神さん?」

 

 頭を傾げるあぐりに、ころせんせーはごそごそと何やらアカデミックなインバネスの裏側を探り、一つの本のようなものを取り出す。

 

 

 その表紙には大きく「A」と書かれており――同時に、タコせんせーというより、殺せんせーの顔の絵が書かれていた。

 

 

 

 

 ******

 おまけ

 

 

狭間(以下H)「という訳でどうも、聖夜のどこが聖夜なのかさっぱり理解できない狭間綺羅々よ」

神埼(以下K)「神埼です・・・って、いきなりどうしたの、狭間さん」

H「夜は夜じゃない」

K「?」

H「特別何か変わる訳でもないでしょ」

K「い、一応そこはイベントだし・・・」

H「昔なら、例えばドルイドの夏至祭とか豊穣祭とかの区切りもあったかもしれないけれど、少なくとも現代日本で持てはやしてカップルがこぞって出かける風習には異を唱えたい」

K「? ? ?」

H「要するに、聖なる夜なら聖なる夜らしくしてなさいってこと。ケーキとかプレゼントとか、割と上手く踊らされるわよね日本人」

K「みんなやってるって言われると弱いよね」

H「さて、そんな冬の夜にぴったりの映画『バ○トマン リターn――」

K「それ趣旨とずれてない!?」

H「ちっ。仕方ないわね。じゃあ丁度リクエストにもあった、雪女でお茶を濁しましょう。企画の趣旨としては、昔話について私達で何か感想とか話せってことらしいわ」

K「それでは、雪女です」

 

 

・雪女

 

 

H「有名所としては、小泉八雲がまとめたものかしら。場所は西多摩のとある村。茂作と巳之吉という二人の木こりが、ある冬の晩に近くの小屋で寝泊りしていた時のこと。小屋に入ってきた雪女は茂作を殺した。そして怯える巳之吉を若くて綺麗だからと言って生かし、この話を二度と誰にもするなと約束する。数年後、とある美人と一緒になり10人も子供を設けた巳之吉は、ある夜ついに妻にその話をしてしまう。実はその妻こそ雪女で、子供も居る以上、もはや殺すことも出来ない。子供のことを托して彼女は消えてしまった、というお話ね」

K「ちゃんところせんせー、カンペ用意してくれてた・・・」

H「まず一言良いかしら」

K「?」

H「面食いじゃない、この雪女」

K「ああ……」

H「助けた理由が理由よね。っていうか、もうこの時点で一緒になるつもりだったんじゃないかしら。この後に美人の姿で現れるみたいだけど、ひょっとしたらそれだってまやかしの姿かもしれないんだし。

  まあ共感できるけど」

K「出来ちゃうんだ!」

H「神埼だって杉野に迫られるのと渚に迫られるのだったら、どっちよ」

K「……ノーコメントで」

H「なんでもかんでも微笑んでれば誤魔化せると思うと、そうでもないわよ。

  じゃあ、神埼どうぞ」

K「この空気で私に振られても……。あ、でも最後に殺さなかったのって、やっぱり愛していたからだと思う。だって身体を許して、子供も産んだのなら、その一事だけで全部がなかったことには、ならないんじゃないかな」

H「私は逆に、もっと動物的な思考だったんじゃないかと思うわ。単純に自分の血を引いている相手を、自分で育てられないのかもしれない。半分人間だし、人間として育ってきた以上は今更戻れないみたいな。

  ところでじゃあ、最大の謎についてツッコミ入れるわよ」

K「最大の謎?」

H「なんで最後、消えたのよ。普通に逃げるなりすれば良いじゃない」

K「……あれ? それは、雪だから――」

H「だったら10年間の間でとっくに死んでるじゃない」

K「あ、もっと根本的なところのお話か」

H「……なんとなくだけど、人魚姫とか思い出すわね」

K「最後に、泡になるってところ?」

H「某映画なんかじゃもっと綺麗にまとめられてたけど、これって実は結構大きな違いなんじゃないかしら。私のさっきの前提を踏まえると……、イケメン発見、夫婦なりたい→人間になるために魔女とかに頼る→対価として雪女の話をさせてはいけない、みたいなものを受けるか、あるは最初からそれを自分で制約とするか→で夫婦→話す→消滅、みたいな流れ」

K「表現が……」

H「こう言うとアレだけど、運よね。容姿も若さも。もし若くてもイケメンじゃなかったら死んでいたかもしれないし。妙にリアリティを感じるわ」

K「う、う~ん……」

H「そういう意味で言えば、クリスマスの元になったニコウラウス氏についても、やっぱり運とか廻り合わせとか大きいんじゃないかしらね。まあそれを言い出したら、ころせんせーの所に居る私達なんかどんなめぐり合わせだって話だけど」

 

 

K「そんな感じで、いかがだったでしょうか」

H「後何回か続くから、その時もどうぞよろしく」

 

 



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第31話:邁進と慢心の時間

大変長らく・・・なんとなく期末は2,3話予定です


 

 

 

 

 

「あら、吉良八先生。何やってるんですか?」

「いえ、今年の『殺たん』の準備をしているところでして」

 

 妙に道具が地面に散らかっている、ころせんせーこと吉良八湖録の自室。ノートパソコンに向き合いカタカタタイピングしている彼を、洗濯物をハンガーにかけながら雪村あぐりは覗いた。お互い、ほっぺたがくっつくくらいには近かったが、さして気にして居ないようである。自然体と言うか、割と慣れている風だった。

 

「せっかく『去年も』作ったので、今年は更にバージョンアップさせようかと」

「あら、これって……」

「ヌルフフフ、一年分のアドバンテージですねぇ。お気に召して頂けましたか?」

「……はいっ」

「にゅっ!?」

 

 画面に映し出されていたある部分を見て、あぐりは嬉しそうな顔を浮かべ、思わずといった風に抱きついた。これにはさしものころせんせーも、普通に照れる。珍しく固まり、反応出来なくなっていた。

 

「お夕飯、どうしますか?」

「……あ、ああ。もうしばらく作業させて頂けると助かりますかねぇ」

「じゃあ何か簡単に作るんで……、死神さんは、机の裏に隠したえっちな本について申し開きでも考えておいてください」

「にゅや!?」

 

 さらりとちょっとした死刑宣告を突きつけた上で、あぐりはくすくす笑いながら部屋を後にした。

 殺せんせーはため息を付きながらも、カレンダーをちらりと見る。

 

「……おっと、そういえばそろそろ期末でしたね」

 

 そっちもいよいよ大詰めですが、さて何を条件にしたものか。そんな風に呟きながら、ころせんせーは自分のこめかみの辺りを軽く叩いた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 期末テスト――椚ヶ丘中学においては、成績こそ全てである!

 

 最下位クラスであるE組を、誰にも恥じる事のないクラスに教え育む。

 それを目標にしている約二名にとって、この期末はまさに、決戦の場であった――!

 

『さて、皆さん一学期の間に基礎はしっかりしてきました。この分だと、期末の成績もジャンプアップが期待できます』

 

「……雪村先生、ころせんせーは?」

「あー ……、吉良八先生はちょっと、防衛省から呼び出しがあって、そっちに行ってるわね」

 

 困ったように頬をかきながら、あぐりは生徒達を見回す。各自の机の上には、以前のようにころせんせーが作った問題集が置かれている。その一ページ目の前書き(!)に書かれている内容をあぐりが読んだのに、思わず渚が突っ込みを入れた形だ。肝心のころせんせーが居ないではないか、という当たり前の突っ込みだが、しかして防衛省というフレーズにはそれ以上の追及を許さない重さがあった。

 特に彼らの担任の場合、その正体がいまいちわからない部分も含め冗談なのか、冗談じゃないのか判別が全くつかないため。

 

「じゃ、じゃあ続けるわね?」

 

 生徒達も、視線を手元の資料に落とす。……寺坂さえもが資料に目を通しているのは、心境の変化の表れか、あぐり単体に対する苦手意識か。

 

『さて前回は総合点を先生は条件として気にしていましたが、そればかりでは駄目だと気づきました。基礎がしっかりしてきた今だからこそ、それぞれの伸びしろを更に伸ばしていけないか、と思い、今回の条件を考え付きました』

 

(ぴったりな条件か)

 

『だ、大丈夫ですからね! 寺坂君にもチャンスはありますから!』

(((((紙の資料にも突っ込みどころ作るんか!?)))))

 

 媒体が何であれ、ころせんせーはころせんせーであった。あぐりもあぐりで律儀に読んでいた。ものすごい形相になる寺坂だが、カルマが隣でニヤリと馬鹿にしている。

 そしてやはり、何故か寺坂の資料の表紙だけはNARUT○の模様である。

 

『さて前にイトナくんが言っていて覚えている生徒もいるかもしれませんが、改めて言いましょう。

 先生は、皆さんの持つ訓練弾やナイフを受けると、その分活動能力が低下して行きます。大体10発を超えたあたりで、普通の大人と大差ないくらいに低下していく訳ですね』

 

 これについては試すまでもなく、以前のイトナとの戦闘を思い出せばまさしくその通りだった。前半戦において、明らかにイトナに追い詰められていたころせんせーであるからして、その理由がこれであるならば確かに納得は出来る。あぐりからも訂正が入らないあたり、おそらく嘘はないのだろう。

 

『さて、そこでテストについて本題です。

 前回は総合点のみで評価しましたが、今回は皆さんの最も得意とする科目を評価に含めましょう。

 教科ごとに一位をとった生徒には、無条件で私に弾を当てる権利を進呈します』

 

(このアドバンテージは、大きい……!)

 

 渚のみならず、この記述に生徒達は緊張感を高めた。

 

『この意味の大きさがわかりますね? それぞれ一人ずつでも六発まで、私に無条件に当てる事が出来るわけです。ま、その程度でやられる私ではありませんが、逆に言えば能力を落とすことで、これまででは不可能だった作戦も可能になる訳です。おそらく、今の君達の動体視力なら追える生徒も出てくることでしょう。

 これが、今回の期末テストです。自由な学校生活に近づけるかは、皆さんの頑張りにかかっているのです』

 

 ヌルフフフ、と記述されていない例の不気味な笑いをあぐりが言う。いや、確かに言いそうだけども、と思いながらも生徒達はそこに突っ込みは入れなかった。

 

「今回も誓約書はもらって来てるから、皆、ちゃんとサインしてね」

「「「「「はい!」」」」」

 

(全く何というか)

(……先生たちは、やる気にさせるのが上手い)

 

 席から立ち上がり、生徒達が教卓に向かう。目の前の前原に続き、渚もボールペンを持って立ち上がった。

 

 なお近くで見ると、あぐりの本日のインナーには「先手必勝」「油断大敵」の四字熟語を無理やりヒトガタにしたようなキャラクターが、相撲をとりあっている絵が描かれていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「E組の成績を落とすためなら何でもすると、そう思われてますかね? お二人とも」

 

 さてここは理事長室。校庭を見下ろしながら、支配者たる浅野學峯は3-Eから来訪した二人にそう問いかけた。

 イリーナは腕を組んだまま。そして「あぐり」は、肩をすくめながら確認した。

 

「流石に二回連続、というのも芸がないとは思いませんか?」

「確かにそうですね。ですが、まぁご安心を。

 成績を決めるのは我々ではなく生徒ですから。――育むべきは彼らの自主性。違いますか?」

「今回は必要ない、という認識でも?」

「ええ、結構です。

 では是非頑張ってください。貴女と『彼』には、それなりに期待していますから」

 

 礼をして退室するあぐりとイリーナ。「微妙な言い回しだったわね」と言う彼女に、あぐりはまた何とも言えない表情になった。

 

「でも、今回そういった不正っぽいことはしないって約束してくれましたし、後は生徒側の方かしらね」

「あれ、そうなの?」

「嘘は付かないんですよ、理事長って。そこだけは変わらないって奥様が言ってらっしゃいました」

「子供まで居るのね、あの男……」

「一応雇い主なんですから、そういう言い方は駄目ですよイリーナ先生。

 ……根は悪いヒトじゃないはずなんですけど、色々大変みたい」

 

 多くは語らないあぐりに、イリーナは不可思議そうな表情を浮かべた。

 

「そういえば、烏間とあの男はどこ行ったのよ。今朝からずっとメッセージ送ってるのに、返信来ないのよ」

「それ、いつものことじゃありませんか?」

「……」

「ま、まぁそれは置いておいて。二人とも、今日は防衛省で会議だって言ってました」

「ちゃんとメッセージ来るのね。相変わらずお熱い事で」

「あ、熱くないです」

「っていうか、会議って……、ああ、例の」

「ええ、例のです」

 

 具体的な名前こそ挙げないが、それが指し示しているのが「月を破壊した」らしい超生物に関係することであろうことは、イリーナもなんとなく予想が付いた。

 

「ま、烏間たちが手を出せないって言うのなら、私達で頑張ってやろうじゃないの一肌脱いで上げるわよ? 保健体育とか――」

「外国語はどこに行きましたか?」

「そりゃまぁ、肉体言語ってやつよ」

「慰撫は相手と時間帯とを見てやってくださいね」

 

 す、とハリセンを構えたあぐりに、イリーナもそれ以上の下ネタは自重した。

 

 

 

   ※

  

 

 

「一教科ごとに一発か。やっぱり教科を絞ってやった方が良いのか?」

「いや杉野、落第点を取るのも駄目らしい。ある程度全体的にとった上で、ってことみたいだよ」

「マジか渚」

 

 メモ帳片手にそういう渚に、杉野は頭を押さえた。

 渚、杉野、茅野の三人で、とりあえず席が近いからという具合にまとまって話していた。杉野のリアクションに茅野が「まぁ落ちたら落ちたで問題だしね」と茅野が一言。フォローでも何でもなく、杉野的にはどうしようもないという事実を突きつけられただけだったようだ。

 

「80点くらいとっても上位に入れないから、厳しいよなぁここって」

「でも、頑張りましょう!」

「あ、奥田さん」

 

 後ろの方からそう言ったのは奥田愛美である。今日も今日とて相変わらずの三つ編みだったが、しかし少し、いつもよりも眼鏡の奥の目にはやる気が灯っていた。

 さらにその斜め後ろから、カルマが半笑いで話しかけた。

 

「すごくやる気じゃん、奥田さん」

「はい! 理科だけなら大の得意ですから。こういう面でも皆で協力できるなら、頑張りたいです!」

「あー、そだね。うちにも結構、上位ランカーそこそこ居るから、一教科だけならトップも夢じゃないかも!」

 

 そんな話をしていると、不意にバイブレーション音が鳴る。杉野のスマホだ。

 表示されていた名前は。

 

「あれ、進藤? ……はい、もしもし。球技大会ぶりだな」

『ああ。あの時は世話になった。高校で借りを返すとは言ったが、お前がまともに進学できるか心配になってきてな』

「あはは、相変わらずの上から目線で」

『いや、そうじゃなくってな。今会議室の前に居るんだが……。

 ここに今、A組が全員集結してるんだ』

「A組? ……ちょっと待ってろ、ハンドフリー良いか?」

 

 進藤側からの許可をもらって、音声を渚たちにも聞こえるようにした杉野。それに何かを察したのか、いち早くメモ帳を構える渚だ。

 

『いつもならこんなことゼッタイないんだが、A組が全員で自主勉強会をしてるんだ』

「べ、勉強会?」

『言うまでもないが、うちの学校のクラス学力はEが最下層、BCDが横並びで、特進のAがトップに居る。

 それがこんな風にしてるのがまず変だと思うんだが……、音頭を取る中心メンバーが、五英傑、我が校率いる五人の天才たちだ』

 

(何だか聞き覚えがあるな)

 

 不意に渚の脳裏に過ぎったのは前原の時の一件だが、最後に振り下ろされたハリセンの痛みを思いだして、回想はしなかった。

 

 

――中間テスト総合六位! 何を差し置いても本物の語学力、瀬尾智也!

――中間テスト総合五位! 四位を奪った赤羽への雪辱を誓う暗記の鬼、小山夏彦!

――中間テスト総合三位! 人文系コンクール常連、榊原蓮!

――中間テスト総合二位! 他を圧倒する社会知識によく回る弁舌でお馴染み、荒木鉄平!

 

 

「……ん、ちょっと待て進藤、そのナレーションってお前が言ってるんだよな」

『へ? あ、ああ、なんかそういうノリだと思って……』

「こう言うと変だけど、お前結構面白いよな」

『そ、そうか……?』

 

 ちょっと照れた様子の進藤だが、気を取り直して続けた。

 

『そして何より、中間テスト総合一位にして、全国模試一位! 俺達の世代で頂点に君臨するのがこの男。

 ――支配者の遺伝子、浅野学秀!』

「あー、理事長の息子さんか」

 

 茅野の言葉に、クラス中に緊張が走った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「浅野君、この問3なんだけど――」

「嗚呼、ちょっと分かりづらいよね。一度平方根の方から解きなおしてみようか。X=aだから、まず一番最初に割るのは――」

 

 進藤の見ている教室の中で、読み上げられた浅野学秀が目の前の女生徒に教えている。一目で分かる、かなり余裕がありそうだと。

 

「人望厚く成績トップ。プライドの高いA組を纏め上げるカリスマ性はまさに支配者!

 それに加えて補佐する四人も馬鹿に出来ない。全教科パーフェクトな浅野と、国語、理科、社会、英語のスペシャリストの四人だ。五人総合すりゃ、下手な教師よりも教え上手だ。ただでさえ優秀なこいつらが更に全力を出してるんだ。確実にお前らを本校舎に復帰させないつもりだぞ」

 

 進藤の心配をよそに、しかし杉野は頷いた。

 

『心配してくれてサンキューな進藤。でも、大丈夫だ。

 今の俺らの目標は、今のチームで勝つことなんだ』

「……」

『だからこそ、目標のためにはA組に負けないようになんなきゃいけない。見ててくれよ、頑張るからさ!』

「……ふっ、勝手にしておけ!」

 

 鼻を鳴らしながら、思わず口元に笑みを浮かべて通話を切る進藤。

 憎まれ口こそ外れる事はないが、その表情は以前よりはるかに、彼に対して親しみを抱いたそれだった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 放課後、夕暮れ時。

 

「各教科一位かぁ……キガオモイ」

「茅野、なんで某読み?」

「某読みにもなるでしょ、メランコリメランコリ」

 

 眼鏡が半分ずり落ちかけている茅野あかりである。

 それに苦笑いを浮かべる渚に、何処吹く風のカルマだ。

 

「渚、茅野!」

「あれ、磯貝君?」「ほえ?」

「明日の放課後、本校舎の図書室で勉強しないか? 

 期末狙いで、随分前から準備してあったんだ。ちょっとしたプラチナチケットだぜ」

 

 さらりと図書館利用予約、五人分のチケットを取り出す磯貝。

 基本的にこういった申請が後回しにされるE組であるからして、まさにこれはうって付けと言えた。

 

 それに興味なさそうに背を向けて足を進めるカルマだったが――。

 

 突如目の前で、口の中をぱちぱちさせながら現れたころせんせーに、思わず後ずさった。珍しく黒いスーツ姿で、どこか烏間が着ているようなそれを連想させる。

 

「ヌルフフフ。皆懸命で何よりです。先生にハンデを課しただけありましたかね。

 それはそうとカルマ君。そんな様子で大丈夫ですか?」

「んー? まぁ何とかなるでしょ。今までのそれからして」

「勝って兜の緒を締めろ、というような言葉もあります。慢心は時に――」

「あー、ならころせんせーも自分の懐は大事にねー」

「にゅ、にゅや!? い、いつの間に先生のわ○ぱち(コーラ味)を取ったんですか! あ、こら待ちなさい!」

 

 走り去るカルマを、割と真顔で追いかけるころせんせー。

 その後ろで、スクーターを置いてきた烏間がため息をついていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「……『理事長』。あなたの意向通り、A組全体の底上げに着手しました。これで満足ですか?」

「満足するのは私ではないよ、『浅野君』。結果が伴わなければ、というのが我が校の原則だ」

 

 理事長室にて親子の会話とは思えないほどのギスギスっぷりを発揮してるのは、当たり前のように浅野親子である。もっとも息子はどこか不機嫌そうな表情であり、父親は微笑を絶やさない。

 

「具体的にはそうだね、トップ10の名前をA組のみで埋め尽くし、各教科のトップを独占することだ」

「……条件が軽いのでは? 僕達なら、上位50位にA組全員の名前を躍らせることも――」

「勘違いしてはいけないよ。私は『出来ない』条件を付きつける事はない」

 

 無論努力や運も必要だがね、と言う理事長は「お茶でも飲むかい?」と微笑みながら急須をすすめる。結構ですと言う学秀だったが、何かその態度に違和感のようなものを感じていた。

 

「E組に僕らが敗れ去る、と?」

「去年の後期を省みるとね。私は、決して仮想敵(ライバル)を甘く見る事はない」

「ライバル、ですか?」

「ええ。そういう意味では、君はまだ競うということの本質を理解していない。浅野君」

 

 サッカーボールのリフティングを始める息子に、しかし父親は教師然とした物腰を崩さない。

 

「E組の成績がいくら上がったところで限界がある。そう思ってはいないかい?」

「違うのですか?」

「君達と彼らの違いは三つ。一つは環境。一つは向き不向き。そしてもう一つは――動機付けだ」

「動機付け?」

「強者が強者の座に居座り続けることと、弱者が強者を打ち果たすために立ち向かうこと。大変なのはどちらだと思う?」

「無論、後者でしょう」

「だから甘いのです」

 

「――両者の立場は、時に簡単に逆転するものです。であるならば、強者が強者として振舞い続けることの方が本質的には難しい」

 

 安寧は、精神の刃を鈍らせるのですからね。

 

 無言の学秀。だがしばらくヘディングを繰り返した後、ふっと微笑んだ。

 

「……理事長。その条件、僕の力でクリアさせてみましょう。

 そしたら生徒ではなく、息子として一つおねだりしたいのですが」

「ほぅ、父親に甘えたいとでも?

 今すぐ提示できるものといったら、駄菓子セットか椚ヶ丘学園名物『くぬどんまんじゅう』くら――」

「いえそんなものは求めません」

 

 本気なのか天然なのか、判別が難しいような声音でのたまう父親に、学秀は身体のバランスが崩れた。軽く転びかけながらもリフティングを続けるのは執念めいたものを感じるが、しかしやはり父親のイメージが、どこか違うような印象を受けている。

 

「僕はただ、知りたいだけです――」

 

 ――E組のことで、貴方は何か隠し事をしていませんか?

 

 それに答えが来る前に、学秀は理事長の顔面にボールをシュートした。

 もっとも、それさえ片手で軽々受け止めるあたりは流石親子といったところか。

 

「今年度に入ってから、E組への介入も度が過ぎる。

 それに加え、つい先月もヘリコプターが飛んできただとか、爆発があっただとか、時折裏山で狙撃音が聞こえるとか。それにあの吉良八とかいう担任。簡単に過去のプロフィールを探してみても、てんで見つかる事はない。聞けば今年、面接をして即採用だったそうじゃないですか。

 ……まさかとは思いますけど、教育以外にヤバいことに手を出していらっしゃるとか?」

「……知ってどうする? それをネタに私を脅すのか?」

「当たり前じゃないですか。僕は――そう教わってこの場に居ますから」

 

 それでは、と退室する息子の姿を見送り、理事長は茶を一口。

 そして、ため息とまではいかないまでも少し気落ちした様子だった。

 

「……やれやれ、これでは本当に面接の時に、彼から指摘された通りになる。

 増長や慢心こそあれど、決して転落しない土壌ではもはやないと言うのに」

 

 既に色々、そういったヒントは色々教えてあるというのに、と。どこか嘆かわしいという風に、彼はもう一度湯飲みに手を付けた。

 

 

 

 




ころせんせーが超生物じゃないだけで、浅野親子のやりとりがあーらシリアスにw


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第32話:邁進と慢心の時間・2時間目

  

  

  

  

  

 放課後、図書室でスペースを借り受けて、渚たちは勉強をしていた。磯貝の持っていたかなり前から予約していたチケットの効力は思いの外大きく(頼んだのが磯貝本人だというのも大きいだろうが。イケメンだし)、何の問題もなく座席は渚達が座れた。

 途中、獅堂姉と茅野がちらりと火花をちらしたりしたものの、おおむね平和に勉強中である。

 

「きゃー、榊原君! 私、実は――」「……おい」「え゛?」

 

 さて、聞き覚えがあるようなないような、そんな微妙な声のやりとりが図書室の外でちらりと聞こえた後。

 渚、茅野、神埼、奥田、中村、磯貝に声をかけてくる四人が現れた。

 

「おや、E組の皆さんじゃないか!

 もったいない。君達にこの図書室は豚に真珠なんじゃないかな?」

 

 一見人が良さそうだが言葉にとげが多い荒木。両サイドを沿った髪形を整えている榊原、容姿と並んで浮かぶ表情の破壊力が色々すさまじい小山に、なんだか見覚えのある瀬尾。

 

(うわ、五英傑)(よりによって)

「価値はわかってるつもりなので、その諺の使い方は間違ってます」

 

 E組の六人が「面倒そう」というオーラの中、神埼だけが笑顔で変なところに突っ込みを入れた。後ろで榊原が「なるほど失敬」と言っていたりするのは余談である。

 

「どけよ雑魚共、そこは俺らの席だからとっとと……、? お前、見覚えある気がするが気のせいか?」

「へ? い、いや人違いなんじゃないかな? あはは――」

 

 反射的に磯貝が微妙な反応を示したのは、実は以前ちょっとした連携作戦で彼、瀬尾をハメた(?)ことがあるためである。その時に会話した覚えはなかったが、変装そのものは割とテキトーだったこともあって、多少冷や汗をかいていた。

 

「What's!? Don't bother our study!!」

「茅野、本……」

 

 相手がLA育ちだとか、そんな微妙な情報を覚えていたせいか。割と流暢に英語で文句をつける茅野だったが、手に持っていた「世界のプリン大全」が色々台無しにしていた。

 

「ここは俺達がちゃんと予約してとった席だぞ?」

「そーそー。クーラー最高!

 やっぱ文明の利器はwonderf~」

 

 ワンダフルだけ流暢に発音したのに頭を傾げながらも、しかし小山はげらげら笑いながら文句を言った。

 

「忘れたのか? この学校じゃ成績が悪い奴は良い奴に逆らえないの! 成績悪いんだか――」

「そんなことないです!

 私達は次のテストで一位を目指してるんです。決して、大きな顔ばかりさせません!」

 

 奥田の言葉にげらげら笑う小山。眼鏡の位置がずれて、表情もあいまってちょっと顔がヤバいことになっているが、本人は気づいていないらしい。

 

「腐すばかりでは見逃すよ小山。どんな掃き溜めにも鶴は居る」

 

 す、と神埼の側に回りこみ、髪をすくいあげる榊原だ。容姿は間違いなくダントツだが、妙な髪形のせいで色々とリアクションに困る。

 

「惜しいね。思いの外的確な国語力にその容姿。学力さえ伴えば僕に釣り合うというのに。

 よければうちに小間遣いとして奉公しに来ない?」

「え? あ、いえ……、阿漕が浦に引く網ですよ?」

 

((神埼さん、相変わらず男運が……))

 

 渚と茅野、修学旅行以来の何とも言えない同情である。

 

 だがしかし、榊原の言葉に何か感じるものがあったのだろうか。

 

「いや待てよ? 確かこいつら中間テストでは……」

 

 

――神崎有希子:国語20位

――中村莉桜:英語6位

――磯貝悠馬:社会14位

――奥田愛美:理科17位 

 

「なるほど、一概に学力ナシとも言えないな。教科単位なら」

「あうっ」

 

 頭をぽこぽこされて、参ってる様子の奥田である。

 そんな状況で荒木がこんな提案をした。

 

「面白い、じゃあこーゆーのはどうかな?

 俺達A組と君達E組、どちらか勝った方が、相手側になんでも一つ命令できるっていうのをね」

 

(命令、か)

 

 さすがにこの場でメモを取り出すことはしない渚だが、この賭けについてのメリットデメリットの計算をはじめる位には冷静さを保っていた。

 だが、その無言を臆したととったのか、瀬尾が渚の背後から見下すように腕を乗せた。

 

「どうした、ビビっちまったか? 所詮ザコは口だけか。

 俺達なら――」

 

 ――命賭けてもかまわないぜ?

 

 その一言は、暗殺教室にとってある意味禁句(タブー)だ。いくら実際に暗殺とかしてる訳ではないからといって、彼らの訓練そのものはまさにそれに応じたものなのだから。

 その一言が放たれた時点で、3ーEの思考のスイッチは押された。中学生から、アサシンの卵へとシフトする。

 

 手に持っていたペンを軽く、瀬尾の目線より少し高い位置に放り投げる渚。突然のそれに注意を奪われた、その隙に渚は背後に回り、素早くペンを手に取り――瀬尾の「耳の穴」に、爪の伸びた小指を突っ込んだ。

 さすがにペンを突っ込むのは危ないと思ったのだろうが、しかし視線誘導や直前にペンを手に取ったというプラシーボ効果により、彼の意識はかなり危険な状況を想定するようになっていた。

 

 渚のその手腕にあっけにとられた他三人も、全員寸止めで止められていた。

 

「命は、簡単に賭けない方が良いと思うよ?」

 

 軽く言う渚だったが、一瞬そこから殺気と呼べるものがほとばしったのを茅野や神埼あたりは見逃して居ない。特に茅野は、渚の根っこが現状荒れている理由を知っているため、見ていてハラハラしていた。

 

「じょ、上等だ、受けるんだよなこの勝負!

 死ぬよりキツい命令与えてやんぞ!」

 

 そんな捨て台詞を吐いて逃げる四人だったが、彼らからは決定的に場所の意識が欠落していた。

 

(この図書館の騒動は、たちまち前項が知る所となっていって、そしてこの賭けはテスト後の暗殺教室を――もっと言えば、僕らの暗殺教室そのものに、大きく影響を与える事になった)

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「と、いう話だそうです」

「じゃないですよ、死神さんッ!」

 

 にゅや! とハリセンで叩かれながら叫ぶころせんせーである。場所はあぐりの私室であり、ファンシーグッズの代わりに独特なデザインの小物や、タコせんせーグッズの試作品と思われるもので埋め尽くされていた。

 

「それで、一体何を相手は同意させるつもりなんですか?」

「んん、おそらく契約書でも求めてくることでしょうね。この学校の範囲における、最大限に黒い内容の」

「……吉良八さん?」

「い、いえいえ、私の仕込みはありませんよ。あくまで生徒達が自分で行動したことです。

 それに、どちらかと言えば売り言葉に買い言葉です。ただ、問題は……、浅野君が何を考えているか、でしょうね」

「理事長の息子さんが?」

「ええ。確か彼の最終目標は、父親に首輪を付けて飼いならすことでしたから」

「……歪んでるわね」

「でも、親子愛です。子は父の望みを一身に受け育ち、父は子を谷に落とし這い上がるのを待つ」

 

 ただおそらくはですが、と、ころせんせーは顎に手を当てる。

 

「その条件の中に、暗殺教室について聞く方法を得ているかもしれませんね」

「それは……」

「まぁ、色々まずいですね。今も『昔も』、これは防衛省のバックアップあってこそのですから」

 

 どちらかと言えば今回のは防衛省関係の色も強いですが、ところせんせーは肩をすくめた。

 

「ヌルフフフ。そういう意味でも、ある意味理事長とは『半分は』協力関係みたいなものなので、ここは一肌脱ぎましょうか。あちらも、そして私達のクラスも、一度挫折を知らないといけない生徒も居ますし」

「挫折ですか?」

「ええ。慢心していては渡れない領域があるということを、教える必要もあるのでしょう。

 ところで、あぐりさん」

「はい?」

「……いい加減、この体勢はちょっとヤバいです」

 

 ちなみにだが、ころせんせーとあぐりは、ソファーで対面に座っていた。蒸し暑さが立ち込める東日本の一角にあるここにおいて、エアコンを外気より2度ほど下げた上で、ちょっと普段より薄着で刺激が強い服装のまま、ころせんせーの膝の上に対面で座る彼女は、色々ところせんせー的にくるものがあった。

 あと、顔や胸との距離が十センチを切っている状況で真面目な話を続けるのも、彼の性格的に無理があった。

 

 それでもなお「駄目ですよ~」と待ったをかけるあぐりは、確かにいくらか怒っているのかもしれない。

 

「貴方からおおむね話は聞いていましたし、流れを極端に変えると『あの時』みたいに、大きくゆり戻しが来るかもしれない。それは私も理解していますけど、今回のこれは調整できたんじゃないですか?」

「ヌルフ、し、しかし海に行けないと……」

「……あの、ひょっとして私の水着見たさというのも理由の一つだったりします? 自意識過剰かなとも思いますけど」

 

 事情がわからない第三者からすれば全く意味のつながらないあぐりの台詞だが、吉良八湖録の本来の素性をきっちり把握している場合は、話が別だ。今回の賭けがどのように派生するか理解していれば、自ずとその可能性は導き出せる。

 そしてその言葉に対して、ころせんせーは真顔のような、何とも言えない大人な顔になった。

 

「……そんなに見たいんだったらいくらだって見せてあげますって。『下も』」

「あ、いえ、そういう意味だけではなくシチュエーションも大事というか、まぁ思い出といいますか。

 無論それだけではなく、彼ら自身の思い出作りにもという意味もありますね。後はイリーナ先生でしょうか」

「イリーナさん?」

「ええ。烏間先生です」

「……なるほど」

 

 意味が通じるのか通じないのかよくわからない名詞のみのやりとりだったが、しかし正しく把握したのか、あぐりは口元を押さえて、何とも言えない笑みを浮かべた。

 

「でも、相手は強敵ですよ? 『ころせんせー』」

「ヌルフ……! やはり来るものがありますねぇその呼ばれ方をされると」

「毎回それだと会話にならないんで、普段は吉良八さん呼びなんですけどね……」

「まぁどちらもどちらです。ちなみに、湖録も湖録で本名と言えば本名ですからね。無論、殺せんせーの『殺』的な意味合いで」

「それはともかく、どうなんですか?」

「ええ。勿論把握していますよ。浅野学秀、浅野理事長のDNAを引き継いだだけはあり、黒い面と白い面の使い分けは完璧です。ただ根本的な部分で理念が不足しているので、まだまだ後一歩というところでしょうか」

「理念ですか?」

「ええ。『必要があってそうなった』訳ではなく『そう育てられたから』そうなった、というだけの話ですからね。生き方のバリエーションはまだまだ薄い。先に見えているものがあるかないかは、大きいですからね。イトナ君ではありませんが」

 

 という訳で、やっぱり賭けの提案は「アレ」にしようと思います。

 ころせんせーのその言葉に、あぐりは「まぁ良いんじゃないですか?」と、これには是非は言わなかった。

 

「……ひょっとしたら、夏休み『負けちゃう』んじゃないですか? 死神さん、今は人間ですし、弱点も多いですし」

「……その時は、その時ですね」

「私の『奥の手』も、使わないと良いんですけどねー」

 

 ため息をつきながら、あぐりはころせんせーの頭を無意味に「よしよし」した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『君達は一度、どん底を経験しました。だからこそ、一度トップレベルのバチバチした戦いというのも経験してもらいたいと思いました。

 先生の触手に、A組への要求。ご褒美も十分揃ってると思いませんか?

 君達の今回のターゲットは、トップ! 暗殺者なら、しめやかに()るのです!』

 

 そんな担任のエールと共に、それぞれの利害が交差する期末テスト。

 

「長いお別れ、なんてどうでしょう中村さん」

「long good bye?」

「ライ麦畑なんかも良いですが、今回はこういった、少し硬い小説とかも読んでみましょうか。口語の訳し方やニュアンスなんかも、またパズルみたいで面白いものですよ?」

「確かに、結構イメージ変わったりするもんね」

「渚くんもはい、せっかくですから、両方薦めておきますね」

「日本語翻訳されたのと、原書……?」

「どの文章をどう訳してるか、意外とそこに翻訳家のセンスも出ますね? "I am the law"を”俺が法だ”としたり。まぁ正直、これは先生がちょっとスパイして得た情報なんですが」

「「スパイ?」」

「ええ。実はこの口語訳の文章の訳し方を――」

 

「奥田さんは、国語の読解力が上がってきましたね?」

「はい! これも、数学の式とかと同じなんだって、段々わかってきました。むしろ数学の式の方が、国語みたいだなって思い始めてます」

「ええ、そうですねぇ。論理式、とか言うんですが、この分野で学んでいると、そのうち意味合いを示すものを記号で表すようになっていきます。その解釈は、外れていませんよ?――」

 

「磯貝君はアフリカの貧困問題ですか?」

「あー、なんかちょっと共感するところあって……。俺ん家、貧乏だし」

「ヌルフフフ。というわけで現地での狩猟経験も豊富な、アイザ・レッドマンさんに再登場願いました」

「久しぶりだな」

「何で!?」

「活動範囲は主に中東ですが、そこをベースにもっと広い範囲での経験も多い方ですので、じゃんじゃん聞いて見ても良いんじゃないですかねぇ、ヌルフフフ」

「コロセンセー。どっちかって言うとビデオとか見ながらの方が効率が良いんじゃないか?」

「それもそうですか――」

 

「こらぁ! カルマくん、真面目にやりなさい!」

「大丈夫大丈夫、アンタの教え方上手だからちゃんと出来るよ」

「そう言ってると足元掬われますよ! 以前、私を倒そうとした時のことを思い返しなさい。君は相手のことを過小評価しすぎです。そして自分を過大評価しすぎですよー!」

「そうでもないんじゃないかな? 大体何とかなってるし。……まぁ、あの時は茅野ちゃんに何時間か説教されたのには驚いたけど」

「茅野さん、雪村先生のこと結構好きみたいですからねぇ――」

 

 ころせんせーの手入れも、気合が入る。あぐりもあぐりで、ころせんせーのフォローに右往左往。

 

 A組側からの条件「A組が作る『勝者と敗者の協定』にサインをする」という条件も提示された。逆にころせんせー発案で、E組が勝った場合の権利も相手側に伝えた。

 

 そしてこの対決ムードに対して、理事長も理事長でテスト問題作成チームに軽く圧をかけ、問題レベルも上昇! 狙うは偏差値アップであろうか、プリントの上端でマスコットキャラ「くぬどん」がいやらしい笑みを浮かべているように見えなくもない。

 

  

 かくして、それぞれの面子や思惑が入り乱れ交差する期末テスト!

 勝者が居れば敗者が出る。それぞれが自分にとっての勝利を求め――(ナレーション:進藤一考)

  

 

 

「おはよ! 渚」

「あ、茅野」

「いよいよ試験当日だね!」

「うん」

 

 困ったような笑いを浮かべながら、本校舎の滅多に使われない、3-E用の下駄箱に居る渚たちである。もっとも上履きは前日に持ち帰り、直接持っていくというのが流れになっていた。

 

「どーよ渚。ちゃんと仕上がってる?」

「あ、中村さん」

「んー、ヤマが当たってれば……」

「男ならしゃんとなさい! 英語ならアンタも上位狙えるんだから」

 

 ばし、と渚の肩を叩いた中村である。思わずぐらりとくる渚だったが、以前に比べればその立ち直りは早かった。体力的な理由で。

 

 ちなみにテスト用の教室はE組が一番入り口から遠い。必然、他のクラスの手前を通る事になるのだが、そこでもまた煽られるのが通例のようになっていた。

 

「聞いたよ? 楽しみだなァ」

「A組と無謀にも賭けしたんだって? どんな命令されちゃうんだろうなぁ~」

 

 渚のかつてのクラスメイト、田中と高田である。

 ニヤニヤ笑いながらの煽りだが、ぐ、と渚の眉間のあたりに影が出来る。多少危険な兆候だと茅野は理解しているため、一瞬どうしたものかと思ったのだが、これに対しては中村が軽々と制裁した。

 相手の胸ポケットの中に入っていたペンを取り、鼻にツッコんでぐいっと引っ張った。流石に血は出なかったが、鼻の穴だけで首をぐりんと回されたようなものなので、激痛は走ったろう。朝早い校舎ゆえヒトは少ないが、廊下に痛みにもだえる高田の声が響く。

 

「あー、中村さんナイス!」

「いんや、茅野っち大したことないよん?

 さって、教室は私達が一ば――」

 

 がらがら、とE組の割り当てられた部屋の戸を開けると、そこにはしかし人が二人。

 独特なパステルカラーの髪、教室の一番奥という場所に居座るその彼女は、本来なら固定砲台の位置に居る彼女ゆえ、今日もアンドロイドボディーで来たのかと思いきや――。

 

「ドーモ、ダス」

「「「誰!?」」」

「尾長仁瀬ダス」

 

 その場に居たのは、しかして全く別人だった。

 

「律役だ。……いくら人体と遜色ないボディも持っているとは言え、人工知能の参加は流石に認められないとな」

「あ、烏間先生」

「……酷い同情を受けながら、律が勉強を教えた替え玉で決着させてもらった」

「「「頭が上がりませんッ」」」

 

 三人とも、ばっと頭を下げる。

 烏間も烏間で、今回のことには中々ダメージが入っていたのか、頭を抱えていた。なんだか、ものすごく哀愁を纏っていた彼に、三人は頭を下げる他なかった。

 

「律からの伝言とあわせて俺からも。――頑張れよ」

「はい!」

「後、イトナに何かあったらすぐ吉良八に連絡を入れろ」

 

 そう言う烏間の言う通り、教室にはさらっとイトナが居た。シロが宣言した通り、一応テストは受けに来たようだ。椅子の上で座禅を組んで、コホー、コホーと呼吸しているその姿はどこか修行僧めいているが、今回は一体どんな性格にチューニングされて来たのか。

 

「い、イトナくんも、頑張ろうね」

「……ええ、尽力いたしましょう」

 

 にこりと微笑むそのイトナは、今までの交戦的なそれが鳴りを潜めた、独特の気品があった。別に問題がある訳ではないのだが、今までのキャラからのギャップに渚を初め、烏間を含めた四人は冷や汗をかいていた。

 

 

 

 

 

 




シロ「今回のイトナはグランドフォームといったところだ。どっしりとした安定感と、防御力の高いチューニングにしてある。もっともそのせいで、普段のパワーファイトが出来なくなってしまっているのが問題だがね。
 ……流石に本校舎を壊すと、予算がまずいのでね。こちらの」


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第33話:邁進と慢心の時間・3時間目

次回のいきものの時間が終わり次第、インターバルのリクエストとります


 

 

 

 

 

(本来一人で受けるはずの試験なのに、色々な人と同じ舞台に立っているのを感じる)

(一緒になって戦う人。敵となって戦う人。応援したり野次を飛ばしたりする観客たち――)

 

 配られるテスト用紙に向かいながら、渚は考える。

 まるで闘技場で戦う闘士のようなものだと。奇しくもそれは渚に限らず、全員が抱く印象でもあった。

 

 緊張感が走るE組。そして、不思議なことにそれは大半のA組の生徒たちにも

 

 A組の教室で最初に監督として回っているころせんせーは、全員の顔を見合わせて微笑んだ。

 

(テストは良い。一夜で詰め込んだ知識などほとんど忘れてしまうでしょう)

(しかしそこではない。一つのルールのもと力を磨き、能力を広げ培った経験が、競ったその経験からこそ得るものが宝なのですから)

 

(時にそれは、あの子と私のように――)

 

 中高一貫の進学校では、早いうちから高校の範囲を習い始めることも少なくない。椚ヶ丘中学では、英数理の三教科がそれだ。

 だがもっとも、学校内でのその条件は皆同一である。

 

 例えばA組であろうとも、E組であろうとも――。

 

 

 時に会心の一撃があるかもしれない。だが結果を語るのは取りこぼしのない総合力!

 

 この場において決定的な勝敗を競うべきは、つまるところ全体を纏め上げて勝利できる力にある。

 

 

 不敵な笑みを浮かべる浅野学秀と、赤羽カルマ。絶対的な自信に裏打ちされた二人だが、その態度はどこか違う。

 

 全ての死角を潰して相手を侮る自信と。

 己の能力に対する余裕のある自信と。

 

 

 暗殺にせよ賭けにせよ、すべての結果は正答数で決着する――。

 

 しかしてその結果は、三日後に下ることとなる。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「さて皆さん、全教科の採点結果が届きました」

 

 椚ヶ丘中学では、答案と共に学年順位も届けられる。すなわちテストの行方は一目瞭然だ。

 緊張の走るクラス。中でも菅谷の表情が特に優れないが、それはさておき。窓に紙を張り、結果を書き記そうとする不和。ここに3以上の数が刻まれれば、A組に勝利したことになる。

 

 教室の後ろで、あぐりがそんな生徒たちの様子を見て、茅野同様手を合わせていた。

 

 生徒一人ひとりの手元にある紙袋。その中に一人ひとりのテストがまとめて入っている。おそらく発表会をスムーズにするため、いちいち作ったのだろう。

 

「では発表します」

 

 手に持っていたファイルから英語の順位を取り出し、ころせんせーは微笑んだ。

 

「まずは英語から。E組一位――そして学年でも一位! 中村莉桜!」

「「「「「おおおおお!」」」」」

 

 クラス中のテンションが一気に上がった。当の本人は「どぅやー」とご機嫌な様子で下敷きを使い仰いでいる。

 

「完璧です。硬い文章の翻訳からやわらかい文章の翻訳まで。ニュアンスを掴みなれているのは帰国子女の面目躍如といったところでしょうか。

 しかしそれでもやる気にむらがあったのが心配でしたが」

「んふふ~♪ なんせ条件が条件だしねー。

 約束守ってよね、ころせんせー」

「むろんです。渚くんも健闘でしたが、スペルミスを犯すクセが直ってませんね」

「あ~ ……」

「さて、細かい部分は後に回すとして、まずは全体の方から続けましょう。まだまだ権利は一回分、HP130の私に、10ポイントは一割にも満たないですよ、ヌルフフフ。

 では次は国語――E組1位、神崎有希子!」

「「「「「おお!」」」」」

「しかぁし学年1位はA組、浅野学秀!」

 

 とほほ、となりながらも、ファイルから自分の答案を取り出す神崎。

 

「中々惜しかったですが、十分大躍進です。特に古典の正当数はかなり上昇しましたね」

「はい……」

 

「やっぱ点とるなぁ浅野」「強すぎ」『ちなみに英語も、中村さんと1点差の2位です』「全教科相変わらず隙がないな」

 

 五英傑と並べて呼ばれていても、浅野以外はどこかに隙がある。

 それを押さえていかなければ、やはりトップは取れないのだとE組は再認識した。

 

「では続けて社会、E組一位は磯貝悠馬くん。

 そして――学年一位も磯貝くん! おめでとう、浅野くんをよくぞ押さえました! マニアックな問題が続いた中でよくぞ獲れました」

「よっしゃ!」「「「「「おおおおおおおお――!」」」」」」

 

「次は理科」「奥田か」

 

 緊張する奥田だが、そんな彼女にもころせんせーは声を張り上げて言う。

 

「理科の一位は奥田愛美――そして、ブラボゥ! 学年一位も奥田さんです!」

「「「「「おおおおおおおおお!」」」」」」

 

 歓声が沸くE組。この時点で不破の書いている集計票は既に勝利を示していた。

 

 この時点で既にA組との勝負にも勝利した。だが、そんな中で浮かない生徒が一人。

 赤羽カルマである。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「おやおやお昼休みですが、カルマくん何をやってるんですか?」

 

 ヌルフフフ、と例の笑みを浮かべながらころせんせーはカルマの元へやって来ていた。

 校舎の裏にある樹に背中を預けながら、癇癪こそ起こさないようにしていたカルマである。

 

「寺坂くんに煽られもしなかったのは、武士の情けかこの間の借りか。どちらにせよ、ですねぇ」

「……」

「流石にA組は強い。五教科総合六位までは独占。E組の総合は竹林君、片岡さんの七位、イトナくんの八位、茅野さんの九位がそれに続きます。

 当然の結果と言えば、当然でしょう。今回は、周囲も強敵だったと言えますからね。E組はもちろんのこと、A組とて負けず、劣らず勉強をした。浅野君に率いられてね。

 テストの難易度も上がっているのですから――何もしなければ、自ずと結果は出てきます」

「……何が言いたいわけ?」

 

 

「『皆努力してる中何もしないで勝つ俺カッケー!』とか思ってたでしょう。

 ――――――恥ずかしいですねぇ~~。」

「!!?」

 

 

 タコせんせーの髪留め(何故かコデマリの花が付けられてる)を無理やり頭につけられるカルマである。屈辱ゆえか羞恥ゆえか顔が赤いが、しかし言い返せずにいた。

 

「先生に対してダメージを与えられる権利を得たのは3名。暗殺においても賭けにおいても、今回君に活躍の場はなかった。どうしてなのか、分かりますね?」

「……ッ」

「さして言うなら、今の君は『錆びた刃を自慢げに掲げる只のガキ』です。暗殺者としては三流以下ですねぇ、ヌルフフフ」

 

 やるべき時にやるべき事をやれなかった者は、その存在感を無くしていく。

 

 言われた事実に納得はあったのだろうが、しかし反発も強いのだろう。ころせんせーの手を払いのけ、彼はかつかつと足早に歩いて行った。

 

 そんな様子を、あぐりがひょっこりと現れて確認する。

 

「あの……、大丈夫ですか? カルマくん」

「おや、この場合は貴女が来るのですか」

「?」

「いえ、何でもありません。

 ん、そうですねぇ。前向きに折ったので、立ち直りは早いでしょう。プライドも高いですからねぇ。

 ……挫折を知らないものは、えてして未熟です。本気でなくとも勝てるため、本当の勝負を知らず育つ危険がある。大きな才能は、負ける悔しさを早めに知れば大きく伸びます」

 

 彼が望んでいたそれは、表面的なことはともかく、努力なくては成り立たないことでしょう。

 

 ころせんせーの言葉に、あぐりが首を傾げてから確認した。

 

「それで、コデマリですか」

「ええ。ニアが、そういうの好きでしたから」

 

 コデマリの花言葉は、優雅、品位、そして努力。

 

 三つの要素を努力があるからこそ優雅たれるのだという、ころせんせーからのメッセージだった。

 

「主役はあくまで、彼らですから。

 勝つも、負けるも、勝負も力の意味も。

 学べるうちに学んでしまえるなら、それに越したことはありません。力については気を付けなければならないところなのですがねぇ」

「……吉良八先生」

「ヌルフ?」

「空気を出しながら私の腰に手を回すのは構いませんけど、烏間先生が見てます」

「にゅや!?」

 

 飛び跳ねて後ろを振り返ったころせんせーに、背後で構えていた烏間は軽く頭を抱えていた。

 

 平和ボケしましたねぇと、あぐりはしみじみ頷いた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「さて、皆さんすばらしい成果でした。5教科プラス総合点の6つ中、とれたトップは三つです。

 さっそくゲームスタートと行きましょうか。ヌルフフフ」

 

 す、と両手を合わせて教卓に立つころせんせー。顔は明らかにナメくさっているが、しかし――。

 

「おい待てよタコ教師」

「ニュ? 寺坂君たち、どうしました?」

 

 教卓の前に出てきたのは、寺坂組の四人である。

 その中の、狭間がニヤリと笑って言った。

 

「ころせんせー言ったじゃない? 五教科だって」

「確かに言いましたが――」

「五教科とは言ったけど、どの(ヽヽ)五教科かというのは言ってなかったわよね」

 

 にゅや!? と驚くころせんせー。あぐりが内心で「(あえてその穴を残してても、やっぱり驚くのね)」と苦笑いを浮かべる中、寺坂組四人は、さっと、四枚の紙を提示する。

 

 それは、四人それぞれの「家庭科」の100点満点であった。

 

「だぁれもどの教科とは言ってねぇしなぁ、あ?」

「クククッ。クラス全員でやれば良かった」

「ちょ、ちょっと待って家庭科なんて――」

 

「ふ、そういうことなら俺を忘れてもらっちゃ困るぜころせんせー」 

「ちょ、岡島君、それは!!?」

 

 す、と立ち上がったのは岡島大河である。徐に取り出したテストは、保健体育の100点満点。

 これには流石に想定外だったのか、寺坂組のそれよりも明らかのころせんせーは気が動転していた。

 

「この間の、ころせんせーに見せてもら――」

「にゅや!? ちょっと待ってその話は――にゃふッ!!」

 

 無言であぐりがハリセンを放り投げたあたり、今回はかなり真面目に怒って居るらしい。ニコニコ笑顔に闇が見える。

 

 更に更に、律が追い討ち。

 

『ころせんせー、テスト結果を照合するなら、イトナさんも保健体育と、あと技術で満点なのですが』

「いやいやいやいや、触手で思考能力とか落ちてるはずですよねイトナ君!? 何で今回に限って!?

 何で君達、そういうのだけ(ヽヽ)力入れてるんですか!!!!!」

 

 尋常じゃない慌てっぷりである。急な変化に対処できないころせんせーの弱点がかなり顕著に現れた形だ。

 

 ころせんせー的には、何としても死守しなければならない。何せ本来予定していた分でも7回攻撃だ。それで落ちる性能が触手生物時代より大きくとも、その対策をしていたころせんせーだったが、仮にイトナや岡島らの保健を認めてしまうと、更にプラス2回だ。もうちょっとで身体能力が常人より凄いレベルまで落ちてしまう。

 

 流石に想定外の事態に慌てふためくころせんせーだったが、

 

「『だけ』って酷いんじゃないの、ころせんせー。あの寺坂がこんなに頑張ったのを、その一言で切って捨てちゃうのなんてサ」

 

 カルマの擁護に活気付く生徒達。叫ぶ寺坂は軽く流されている。

 教室に「9本」コールが響き渡り、ひぃいいいいい!? と身を震わすころせんせーである。

 

「年貢の納め時ですよ、吉良八先生」

「雪村先生まで何でそっち側居るんですか!?」

 

 そして、あぐりも一体岡島と何をやったのか、どんなモノを見て彼のテストの点数が上がったのか、コトと次第によっては更に恐ろしいことになりかねないようだった。

 

 助け舟、という訳ではないが、そんな中で磯貝が手をあげる。

 

「あ、それところせんせー。

 これは皆で相談したんですが、この暗殺、A組との賭けの戦利品を使いたいと思います」

「にゅ……、やはりそう来ましたか。まぁ予想はしていたので、認めます。細かくは後で話し合いとしますが」

 

 ころせんせーの言葉に、教室中が再び湧いた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「見事にしてやられてたんじゃない? あの男。……あんなのに時間かけてると思うと、ちょっと頭痛いわ」

「まぁ、俺は何とも言えないな。当たり前だが、本心では通常の五教科に力を入れてもらいたかったのだろう」

 

 今頃はA組と交渉中か、と烏間とイリーナはE組の校舎から、下を見下ろしていた。

 

「だが、認めた以上はそれだけのメリットもあったということだろう」

「メリット?」

「詭弁すれすれだが、その努力は認めるだけの価値があると判断したんだろう。後半はともかく、家庭科については。受験に使わないとなれば、問題の出題傾向は担当教員に大きく左右されるだろう。アイツの授業しか受けて居ない以上、下手すれば5教科以上に満点を取るのは難しいだろう。

 そこをあえて、予想外の一撃を与えるために対策を練ったんだ。

 自由な発想と一撃のための集中力。どちらも、ここが目的とするだけの力を獲得するのに必要なものだ」

「ふぅん」

 

 イリーナもその言葉には、決してまんざらでもなさそうに本校舎の方をちらりと見て。

 

「ところで、何で私達留守番なのかしら?」

「……お前の前回のアレを鑑みての処置だ。担任、副担任で十分だろう」

「わ、私の何がいけないっていうのよッ!」

「察しろ」

「ねぇ、せっかく二人っきりなんだから、真夏も近いことだし一緒に汗でもかかない?」

『雪村先生から、場合によっては報告するように指示を受けてます♪』

「ちょ、律!?」

 

 その後、用務員の青年が機嫌が悪そうな二人に「まぁまぁ」と、ヒナギクの花を渡したのはちょっとした余談である。

 

 

 一方の本校舎。終業式だが、A組との交渉を終え、普段以上に和気藹々としているクラスの中にカルマの姿があった。珍しいな、と磯貝に言われれば「逃げてるみたいになんのは癪だし」と半眼で肩をすくめた。

 

 ……そして後方、地味に目だって居るのは律とイトナだ。

 

 律はアンドロイドボディではなく、例の代理さん。無論、その存在感は違和感まみれで(特に菅谷に)ダメージが入る。

 イトナは片足で爪先立ちをし、もう片方の足でバランスをとっている。ぱっと見るとヨガっぽいポーズだった。表情は悟りでも開いているかのようで、モードは前回のまま固定されているらしい。

 

「(雪村先生!? にせ律さんが気になって集中できないですよ!!)」

「(こ、堪えて菅谷くん。小野津(おのず)さんがロボットだってバレないための工作らしいから)」

 

 なお、小野津とは不破によってテスト直前に命名された、律の苗字である。

 

「(烏間先生の前の職場の上司の娘さんで、口も堅いらしいし。小野津さんのお陰で成績も上がったって評判らしいわよ?)」

「(そういうことじゃねぇッスよ!

  俺ずっとテスト中隣で、気が散って仕方なかったッス!)」

 

 E組中期末最下位の菅谷だが、しかし全校で見ればそれでも中位に名前がある。

 

(私だけの力だと、やっぱり弱かったかもしれないけれど……、よく、あの状況からこの子達を引き上げてくれました。私も、頑張らないと)

 

 終業式は、つつがなく進む。アカデミックドレスなころせんせーが一瞬カメラにアイコンタクトをとったりする。奇しくもタイミングが理事長がカメラの映像を見た時と重なり、それを受けて理事長か肩をすくめた。

 

「E組をダシにしたいじり方も、いつもよりウケが悪いですね。構わないと言えば構わないが、悪い見本のはずの彼らがトップ争いをしたのだから、当然と言えば当然か」

 

 理事長室で映像を見ながら、しかし浅野学峯はどこか楽しげでさえある。

 

「やはり劇的だ。E組が前を向いている。E組に対する危機感や屈辱は、なお一層奮起する材料となるだろう。

 そして予想以上に、B、C、Dクラスへも学業意識が出てきたように見える」

 

 このような状況であっても、なお一層、教育理念は正しく機能している。揺らぐことなく――。

 

 ふふ、と微笑み、浅野学峯はやはり楽しげだ。

 

「さて、彼らが奮起するのなら、私も奮起できる場所を整備しなければならない。

 夏休み中に――、準備しよう」

 

 浮かべるその表情は、支配者然としたものではない、どこか普通の教育者といったような表情であり。

 少なくともここ十数年、彼の妻以外は見た事のないはずの顔であった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「はい、これ夏休みのしおりです」

「あれ、今回は薄い……?」

「いえ、全部電子データ化できなかったんで、全15冊分の分冊版です」

「「「「「逆に刷るのに時間かかるわ!!!」」」」」 

 

 クラス中の突っ込みの通り、分冊全てを積み上げればアコーディオン状態となるそれは、まさしく電子データ化するより刷った方が時間のかかるそれである。律が『後半までには電子化が終了する予定です♪』と言っているが、それでさえあまり意味はないような気がしないでもない(そもそも情報量が多すぎるので)。

 

 そして何より、1人15冊というのが狂ってる。

 

「夏の誘惑は多いので、本当はこれでも足りないくらいです。

 さて、これより夏休みに入る訳ですが、皆さんにはメインイベントがありますねぇ。本来は成績優秀クラス、つまりはA組に与えられる特典なのですが、トップ50に名を連ねるのはA組とE組のみ、総合こそ逃しましたが5教科中三つの1位がE組であった以上、君達だってもらう資格は十分あるはずです」

 

 生徒たちの開いたパンフレットは、彼らがA組から賭けで奪った商品のそれである。

 

 それをどこか懐かしいものを見るような目で見ながら、ころせんせーは提示した。

 

「夏休み・椚ヶ丘中学特別夏期講習――沖縄リゾート2泊3日!!

 で、数日前に聞きましたが、君達の希望だと私に攻撃する権利をここで使わず、離島の合宿中に行使すると」

「はい! 例の契約上も、いつ行使するかまでは明言してなかったですし」

「9回の攻撃権利のみに満足せず、四方を先生の苦手な水で固められる環境をつくり、万全に、貪欲に狙ってくるその姿勢。

 認めましょう。君達は侮れない生徒になってきた――」

 

 ころせんせーのその言葉は、小さく、だが確実に生徒達に染み渡る。

 今まで育つことのなかった自信が、徐々に形を帯び始めているのだった。

 

「親御さんに見せる通知表は、先ほど渡しました。

 これは、私と雪村先生からの通知表です――はい!」

 

 ば、ところせんせーが取り出したそれは、おしゃれな色をした封筒だった。各封筒、止めてある箇所に二重丸とタコせんせーの顔。一見して明らかに手紙のようだが――。

 

「一枚一枚、君達にメッセージを描いています。せっかくですから、中身は家に帰ってから確認してくださいね?」

 

 放り投げたはずのそれが、ちゃんと一人ひとり寸分のずれもなく彼らの机の上に乗る。改めて彼らの担任の人外っぷりであるが、もはや生徒達は誰一人として突っ込みを入れる事はなかった。

 配られた生徒たちは、寺坂組でさえ開けることなくそれを手に持ち、ころせんせーの話を聞いていた。

 

(教室一杯の二重丸に、一人ひとりへの言葉。どんな言葉かは分からないけど、ターゲットからもらった3ヶ月の嬉しい評価だ)

 

「1学期で培った基礎を十分に生かし、夏休みも沢山学び、遊び、そして沢山戦いましょう。ヌルフフフ」

 

 

 暗殺教室(二週目)、基礎の一学期、これにて終了!

 

「はーい、みんな入って? いい、いくよ~?」

 

 どこからともなくカメラを持ってきたあぐりが、生徒達に向けて構えて、写真を撮った。

 

 

 

 

  




 果たして、浅野学秀は理事長室で追い討ちされていた。
 
『個人総合一のキープ、おめでとう浅野君』
『……嫌味ですか?』
『半分はね』
 
 くぬどんまんじゅうを学秀の手に一つ持たせながら、理事長は珈琲を飲んでいた。
 ぴくぴくとこめかみのあたりが動いてる息子に、優雅に父親たる彼は笑った。
 
『何やら聞くところによればE組と賭けをしていたそうじゃないか。
 そしてそれに君は負けた……。あちらの担任から、賭けの内容について問い合わせも頂いてるから、許可は出しておいたよ。もう引き下がることは出来ないさ』
 
 暗に庇うか、ということさえ匂わせる事もなく、理事長か簡単に今回の話を決着させた。

 全校中に話が広まった以上は、この話が覆るコトはかなり難しい。
 
『前に私にこんなことを言っていたね。首輪をつけて飼ってやるとか。
 ――残念ながら夢のまた夢だねぇ。同い年との賭けにさえ勝てない未熟者が』
 
 ぎりぎりと歯軋りが続く学秀。そんな彼に「余裕を持たねば禿げるよ、母さんの家系はそういう家だからね」と煽る。煽りに煽る。
 
 その煽りの結果が、今の学秀の左腕の腕時計であった。でかでかとくぬどんが描かれたそれは、校則違反にならないものの、極端にダサい。
 
 教室にて肝心なときに勝てないと攻められる他の五英傑たちを庇うこともなく、ただAクラスに煩いと。自分にリードを引かれるまで大人しくしていろと、浅野学秀は言う。
 
(――この借りは必ず返す。父より先にまずE組、お前達だ)
 
 終業式後、怒りに燃えるそんな彼の姿を、「彼のスマホ」から、金色の髪をした、どこかの固定砲台のAIに良く似た姿をした少女が覗いていた。
 
 
 
 
 


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