とある世界の (宇宮 祐樹)
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前奏
とても素敵な前日譚を


■2035年 午前11時34分 第8防衛鎮守府 医療室にて

 

 (いなづま)は目を覚ます。

 

 最初に見えたのは、見た覚えのない真っ白の天井だった。長い間寝ていたのか、不自然に動かない体を無理やり動かして確認すると、周りは全て薄緑色のカーテンで仕切られていた。病院、と言うよりは保健室に近い形だろうか。とりあえずここは負傷した時の為の休憩施設なのだろう――と適当に考え、電はベッドから起き上がってその小さな足を床におろした。

 

 電と部屋を仕切っていたカーテンを開けると、隣にはもう一つ電が寝ていたであろうベッドと同じものが置いてあった。それ以外にも、この部屋には複数ベッドが置いてある。休憩施設というよりは、仮眠室なのだろうか。そもそも、自分はなぜこのような場所にいるのだろうか? 当ての無い考えを巡らせていると、電はふと部屋の奥にぽつりと付けられている窓へと目が惹かれた。

 

 窓の外は、青い海と空がどこまでも広がっている。空では明るく光った夏の太陽が燦々と海を照らし、海はその光を受け取り蒼の中で光を躍らせる。そのような、少なくとも電には見慣れない光景が窓の外には広がっていた。目新しい光景を電が見とれていると、不意に後ろで部屋の扉が開く音がした。電がゆっくりと顔を向ける。 

 そこにいたのは、一人の男性だった。日本人特有の墨のように黒い髪を持ち、薄い眉の下にある鋭い目がどこか刃物を連想させた。無表情で入ってきたその男は、電が意識を取り戻したことに気づくと、その鋭い視線を電へと向けた。

 

「おはよう。体調はどうかね?」

「あ、えっと……大丈夫です」

「そいつはよかった」

 

電が返事をすると、男は大きなあくびをして頭をかいた。目尻に涙が浮かんでいるのが見えた。

 

「色々と聞きたい事がある。来てもらえるか?」

 

■2035年 11時36分 第8防衛鎮守府 

 

 前を歩く男の背中を見ながら、静かだと電は思っていた。

 この建物の中を歩いてみたあたり、どうやら此処はどこかの鎮守府らしい。そして、前を歩く男はそこの提督なのだろう。ここが鎮守府と考えられるあたり、自分はどこかで事故を起こして、ここの鎮守府に配備されている艦娘に助けられた––と電は適当に考えてを巡らせていた。

 

 それならば、この鎮守府にいる艦娘はどこにいるのだろうか。現在の時刻はおおよそ午前十一時。普通ならこの時間帯は出撃なり演習なり、艦娘が所謂『仕事』をしているはずなのだが、そういった音はどこからも聞こえてこず、遠くセミの鳴き声ばかりが聞こえてくる。

 

「不思議か?」

 

 電がそう考えていると、男が呼びかけた。どうやら、あたりをきょろきょろと見回していたのが見えていたらしい。

 

「ここは鎮守府というより防衛基地みたいなもんでな。前線で負傷した艦娘をすぐに直したり、必要な装備を届けたりと……まぁ、そんなところだ。そして、いざという時のために艦娘のための設備だけは整っている」

 

 使った事は無いが。と付け加え、男は呆れたように笑った。見た目とは裏腹に、案外陽気な性格であるらしい。そんな事を考えていると、男は「ここだ」と言って暗い木製の扉の前に立った。いつ壊れてもおかしくないような音がして、扉はゆっくりと開いた。

 

 中は、電が思っているよりも綺麗な印象だった。部屋全体には朱色の絨毯が敷かれており、中心には使い古されたであろう大きな机が一つ置いてある。机の左の壁には隣の部屋へと続くドアが付けられており、反対側の壁には天井まで届く大きな本棚があった。男は机の上にあるいくつかの書類を手に取ると、「そこに」と電の後ろを指差した。電の斜め後ろには、ガラステーブルを挟んだ2つのソファーが置いてあった。

 

 電が奥の方へと座ると、男は対面に腰を下ろした。そして手に持った書類を机の上に広げると、何か詰まったような様子で言い淀んだ。どうしたのだろう、と電が小首を傾げると、男は「面倒事は、嫌いなんだがな」と言った。

 

「俺はこの防衛基地――定義上では、仮鎮守府だったか、の提督をしている梶浦(かじうら)だ。まずはよろしく頼む」

 

 簡単な自己紹介を済ませると、男――梶浦は机の上にある書類を纏め始める。

 

「さて、電……だっけか。君はここに来る前の事を覚えているか?」

 

 そう言われ、電は自分の記憶を手繰り寄せた。

 自分は、おそらく同じ所属である第六駆逐隊の面々と一緒に水雷戦隊を組み、人類の敵である深海棲艦と戦っていた――はずだ、と言うのが正直な話であった。

 漠然としすぎてそこまでしか覚えておらず、あろう事かそこからが急に思い出せない。まるで、糸が急に切れたような感覚を覚え、電は少し困惑して「覚えていないです」と震えた声で答えた。梶浦の反応は、「そうだろうな」という適当な相槌だった。

 

「君の艤装を少し見させて貰ったが……ああ、大丈夫。ちゃんと工廠に保管されている」

 

 そう言うと、梶浦は手元の書類を電に見せるようにしてテーブルに置いた。

 

「ほぼ機能を失っている状態だ。この状態だと、轟沈していてもおかしくないだろうな」

 

 書類には、いくつもデータのようなものが記されていた。損傷部位、燃料残量、総合的なダメージ量を数値化したものと、電が分かるのはそれだけだったた、一番右下の総合結果らしき欄には『大破』と記されていた。

 

「たまたまここに流れ着いていたのは運がよかったな……まぁ、本当にそうかは分からんが……」

 

 そう言うと、梶浦は手にした二枚目の書類を電へと渡す。先程と同じような構成で、幾つものデータが記されていた。

 

「第一世代」

 

 唐突に梶浦が言って、電の視線が彼へと向けられた。

「知ってるか? 艦娘の機能の確率として製作された試験機だ」

 

 梶浦の言葉に、電は首を振って答えた。

 

「そうか」

 

 それだけ言うと、梶浦は再び口を閉ざす。おそらく、読めという指示だろう受け取った電は、手元にある書類へと目を通した。

 書かれているものは少なくとも電には見覚えのないものだった。先程のように右下の欄に書かれているのは『第一世代艦娘』という文字。

 

 電には理解が追いつかなかった。彼女覚えている限りでは、開発されている艦娘は彼女を含めて数十機のはずだ。それがどうして、第一世代や、試験機――そもそも、電はなぜ瀕死の状態でここ流れ着いたのか。分からない事しかない。

 

「急に言われても分からんか」

 

 梶浦が溜め息を吐いた。あちらも、どこか戸惑っているような、困っているような様子だった。

 

「仕方がない、少し話でもしよう」

 

 そう言って梶浦は席を立ち、机の横にあるドアを開け奥の部屋へと入っていった。部屋を出てきた彼の両手にはペットボトルとコップが二つあり、それを持ったまま再び電の対面へと腰を下ろした。電が彼の意図を読み取って書類を横へどけると、彼が少し頭を下げた。

 

「まずはお前らについて」

 

 コップの中に水を注ぎながら梶浦が話始める。

 

「そもそも艦娘は現時点で第三世代まで有るのは知っているか?」

 

 電が首を振った。

 

「……最初期に開発された第一世代、発展型の第二世代、そして完成型の第三世代だ」

 

 呆れながらも真面目に梶浦が答えて、八分目くらいまで水を注いだコップを電に渡した。

 

「そこから疑問が生じるんだな。第一世代が開発されたのはおおよそ十八年前だが」

 

 そう言って梶浦が電の手にある書類を指差した。ごつごつとした屈強な指が指したのは一番右下の欄だった。第一世代艦娘の文字が電の目に入る。

 

「言うなれば骨董品にも近いお前が、ここに流れ着いたんだ。十年そこらの時間をかけたにもかかわらず、生きている状態でな」

 

 

 衝撃を受けた。

 黙って返すしかなかった。

 そんな事を言われても、電の体には実感がない。「そんな気はしないか」という梶浦の言葉に、電はゆっくりと頷いた。

 

「なんせ十年も前の話だ。体が覚えていないのも無理はないだろう」

 

 だが、艤装がそれを覚えている。梶浦がそう言うと、電の脳内にある人物が浮かんだ。かつてその艤装を装備し、共に戦った戦友が。電はそのことを思い出し、梶浦に食いつくような勢いで机から身を乗り出した。

 

「第六駆逐隊のみんなはどうなったんですか? 確か、私と一緒に戦って――」

「死んでるだろうな」

 

 焦るように言葉を連ねる電に対し、梶浦がきっぱりと言った。電の表情が固まる。

 

「十年も前の事だ。お前が生きているだけでも無事だと思った方が良いさ」

 

 電はすとん、とソファに腰を下ろして、下を向いた。

 かつて戦った戦友は死に、自分だけが生き残ってしまった。悪運が強いのか、運が悪かったのだろうか。もう二度とあの顔が見れなくなると思うと、電を大きな孤独感が襲った。

 

「……お前は、悪くない」

 

 励ますような梶浦の言葉だった。電は虚ろな表情のまま、小さく頷いた。しばらくの時間が流れた。

「この話についてはいずれ。まだ実感も沸いていないだろうからな」

 

 そう言って梶浦が注いだ水を口に含む。それを一気に飲み干すと、がん、と机に叩きつけた。電が驚いて伏せていた顔を上げた。

 

「問題なのは君の処理についてだ」

 

 処理、という言葉に電の顔が一瞬強ばった。少し身震いをした。 

 

「なんせこんな実例は初めてなんだ。君の事を考えてまだ公にはしていないが、おそらくこれが知られたら良くて実験台、悪くて廃棄処分だろう」

 

 そんな、と電が震えた声を上げるが、梶浦は左手でそれを制した。そのまま右手で自分の持っている二枚の書類を差し出した。電の目線がそちらに向かう。

 

「まぁそんな事をされたら俺の目覚めが悪い。そこで二つ逃げ道を用意した」

 

 梶浦の言葉を聞きながら、電は一枚目の書類に目を向ける

 

「一つ目。此処での雑用……と言っても、そんなする事は無いが。人目も避けれて、言ってしまうと平和。こちらがおすすめではある」

 

 一枚目の書類には、大まかな此処での仕事が書かれていた。どれも簡単そうではあるが、なにぶん電の知らない単語が多い。慣れるのには少し時間がかかりそうだな、と電は思った。

 

「二つ目。あまりおすすめできない方だな」

 

 梶浦は少し考えた後に、意を決したような表情をした。

 

「ここで、艦娘として働く」

 

 梶浦の言葉に、電は顔を上げた。眼下には、新規鎮守府としての登録用紙や、初期艦としての登録用紙が置かれている。電はその中から登録用紙を一枚拾い上げると、全体を通して読んでいった。

 

「どうだろうか? 正直な話、仮の鎮守府だとしても艦娘といった戦力は欲しい……いや、これは俺の都合か」

 

 忘れてくれ、と梶浦は頭を強くかいた。電は、再び顔を落とす。登録用紙には登録する艦娘のタイプと型番、そして本人の同意の証明書を書くだけで済むようだった。

 

「この二つが嫌なら、他の方法も考える。まだ決断はしなくてもいいさ。それまでのサポートくらいはしよう」

 

 そう言いながら、梶浦は机上の書類を纏める。そして最後に電が持っていた書類を回収しようと思ったが、それは叶わなかった。

 電の手が離れなかった。

 

「……奴らが憎いか」

 

 意図を察したように、梶浦が告げる。電はゆっくりと顔を上げると、梶浦の目を見据えて口を開いた。

 

「梶浦さん、いえ、司令官さん。私、艦娘をやります」

 

 電の言葉に、梶浦の目が見開かれる。大体はわかっていることだったが、梶浦にとってその決断は意外なことでもあった。

 

「……参考までに、理由を聞かせて貰おうか」

 

 そう言われ、電は少しだけ頭の中を整理した。

 電はよくも悪くも優しい性格だった。確かに自分の姉たちを殺した『奴等』を殺したいという気持ちはあったが、それ以上に彼女にとって大切なものは自分の姉たちとの深い繋がりだった。

 孤独は辛い。唯一の逃げ場はない。他の場所を見つけても、彼女はそこにはいられない。

 

 電は戦友へと心の中で謝ると、もう一度梶浦の目を見据える。

 

「私は―――」

 

 

 

 

■2035年 15時56分 第8鎮守府 執務室にて

 

 ぼんやりとしたまどろみの中で、梶浦は目を覚ます。彼にしては珍しく、執務時間中に寝てしまっていたらしい。時計の針はおおよそ十六時を指している。そろそろ遠征部隊が返ってくる頃合いだろうか。目の前の書きかけた書類を一瞥すると、別の机で執務をこなしている電と目が合った。

 

「……何分だ?」

「電が気づいたときだと、十分くらいなのです」

 

 梶浦が訪ねると、電が答えた。

 

「司令官さん最近疲れていたようですから……起こしたほうが、よかったですか?」

「ああ、すまんな。次はないように気を付けるさ」

 

 梶浦が申し訳なさそうに言うと、電はにっこりと笑い、再び眼下の書類の整理を始めた。

 鎮守府が本格的に機能してからおよそ三ヶ月が経つが、まだまだ課題は山積みである。梶浦もその事を頭に入れながら、眠気の残る頭を働かせる。と言っても、もう仕事は大方終わらせてあるようだった。過去の自分に感謝をし、翌日のことを考えながら梶浦は書類の角をなんとなく整える。

 

「夢を見たんだ」 

 

 唐突に、梶浦が言い、少し遅れて電が「はい?」と聞き返した。

 

「さっき寝てた時にな。電が来たときの夢を見たんだ」

 

 そういうと、電はああ、と納得したような顔をする。

 

「もう三ヶ月ですものね」

 

 当時のことを懐かしみながら、電は言う。思えば、当時ここに来た時の電は右も左もわからない新人艦娘だったのだ。それが三ヶ月とはいえ、戦艦や空母がいる中でいまだに秘書官を務めているというのは、かなり凄いのかもしれない。そう考えながら、梶浦も当時のことを思い出す。あのころは可愛かったのになー、とか思うと、電の目線が冷たく感じられる。見れば、電はもう眼下の書類を終わらせ、体を伸ばしてリラックスしているところだった。

 

「なぁ、電――」

 

 と聞こうとしたところで、不意に梶浦は口を閉じた。

 あの後、電は何と言ったか。すでに梶浦は思い出したが、電自身に聞くことは憚られた。その言葉を思い出すと同時に、電の決意に満ちた顔が思い出されのだ。

 そのような言葉をまだ見た目幼い電に言わせるのは梶浦の気が引けた。それが彼なりの電への励ましだった。

 

「どうしたのですか、司令官さん」

 

 不思議そうに電が返す。

 

「いや、すまん。何でもないさ

 今日はもう終わりだ。ゆっくり休んでくれ」

「? 変な司令官さん、なのです」

 

 そう言って電は席を離れ、「お疲れ様でした」と梶浦に頭を下げた後に部屋を出た。夕日が照らす執務室の中では、梶浦の影だけが床に映し出されている。彼は少し考えるような仕草をしたあとに、重い溜息を一つ吐いて椅子の背にもたれかかった。

 

 電の言葉。電を見てその言葉を思い出すたびに、その言葉が頭をよぎる。気の弱そうな彼女からは到底出るような事も無いような言葉なのだが、あの表情を嘘と見るの到底出来ない。

 

 共に戦った海で、共に沈む。

 

 艦娘としての本能なのだろうか。それとも、彼女自身決意なのだろうか。

 

 

 

 『とても素敵な前日譚を』




詳細な年表や設定は追々晒していきたいと思います


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Chapter:1 平和
提督について


『提督について』

 

 朝の執務室。

 ここの鎮守府の提督は、大きな欠伸を一つすると、室内の奥にある椅子へと腰を下ろした。まだ眠気が残っているのか、肩を二、三回鳴らすと着ている白い軍服を椅子の背にかけた。昨日も今日も暑い。いそいそと朝食の準備をしている提督の顔にも夏の暑さに対する辛さが感じられる。

 

 彼は少し細い目を一回見開くと、既に湯を入れて数分が経過した容器に目をやった。確か三分だったか、と確認をすると容器の上においてある重し代わりの箸を取り、容器の蓋をゆっくりとあける。即席麺特有の濃い香りがして、提督の鼻を刺激した。

 

「悪いのは分かっているんだがな……なにぶん、時間がない」

 

 適当に自分への言い訳をして、提督は一人寂しく即席麺を食べ始めた。

 いつも通り食堂に行かない残念な提督である。

 

 

「おはようございます、司令官さん」

 

 提督が朝食を食べていると、秘書艦である電が執務室へと入ってきた。

 その小さい手には数枚の書類があり、茶色のとろんとした小さな瞳は、提督の顔から、机の上に置かれている即席麺へと向けられた。提督は、冷や汗を垂らしながら電に挨拶をした。

 

「ああ、おはよう電――」

「司令官さん、またカップ麺ですか?」

 電が笑顔で提督へ問いかける。

 

「……俺には時間が無いんだ」

「いつも言ってますよね、私。朝食にカップ麺一個は止めてください、って」

 

 提督が言うが、電は聞いていないらしい。提督は箸を机の上に置いて、頭を抱えた。

 

「だいたい、毎日カップ麺じゃ体を壊しますよ? それに、時間がないと言っても司令官さんは鎮守府で一番起きるの早いじゃないですか」

「……時点は電だけどな。そういうお前は摂ったのか?」

「司令官さんには言われたくありません」

 

 きっぱりと電が言う。

 

「とにかく、朝食にカップ麺だけ、というのはダメです。何なら、電が作りましょうか?」

「艦娘にそこまでさせる必要はないと思うが」

「じゃぁ食堂に顔を出してください」

 

 うぐ、と提督が言い淀む。普通は軽く流してくれる筈が、今日はけじめが着くまで仕事をさせないつもりらしい。

 

「大体、なんで食堂に行かないのですか? みんな提督の事を心配していますよ?」

「……俺がいると、何かと食いにくい奴もいるだろう」

「そんな事ないですよ? 伊勢さんは一緒に食べてみたい、と言っていましたし」

 

伊勢がか、と提督は少し驚いたような顔をして、再び即席麺をすする。その音を聞くたびに、電が不機嫌そうな顔をしたが、食べているものは仕方がないと割り切った。どうやら、今日は諦めてくれるらしい。

 

「仕方がないから、今日は許します。でも、明日またそれを食べてたら力尽くでも連れて行きますからね!」

 まったくもう、と電は悪態をつきながら提督の机の横に置かれている、一回り小さな机ヘと手に持っている書類を置いた。秘書艦用の机である。

 提督も即席麺を食べ終えると、提督から見て左に付けられている扉の奥へと消えていった。電の目が、その姿を追う。

 

 執務室の隣には、提督用の部屋が設けられてある。

 艦娘が全て女子なのでそれは必然的なのだが、彼に至っては仕事以外はすべてそこに篭ってばかりいる。生活は大丈夫なのだろうか、と電は心配をしているが、そんなことは知らない提督は何食わぬ顔で細い目を電へと向けた。

 

「朝の点呼は?」

「全員、確認しました。第一艦隊、第二艦隊共に出撃可能です」

「そうか」

 

 そう言って提督はゆっくりとした動作で椅子に座ると、腕を組む

 

「じゃぁ、今日も始めようか」

 

 

「第一艦隊が帰投したのです」

 

 秘書艦――つまり、第一艦隊の旗艦にあたる電が提督に報告した。その後ろには、暁、北上、伊勢、赤城、隼鷹の五人が一列に並んでいる。連日の出撃の為、かなり疲れもたまっているのだろう、各々から疲れている様子がうかがえる。

 

「はいお疲れさん。書類の提出とかは明日の朝とかで良いから」

 

 提督はそう言っただけで、再び眼下の書類へと目を通す作業に戻った。電が何かを言いたげな表情だったが、他の面々が出ていくのを見てやめた。最後に電は執務室から出る時に一例をして、先に出て行った五人の後を追う。

 

 そのまま第一艦隊の面々は部屋を出て、各々体を伸ばしたり、疲れた溜め息を吐いたりしていた。主に伊勢と隼鷹が日々の愚痴を吐き合ったり、暁が今日の夕食は何か等と考えている中で、赤城は俯きながら顔をしかめていた。隣で体を伸ばしていた北上が、それに気づく。

 

「どうしたの赤城さん。そんな顔しちゃって」

「いえ、少しだけ気になることが…」

 

 そう言って、赤城は顎に手を当てて考えを巡らせるような仕草をした。

 

「何かあるなら言ってみてよ、私でいいなら聞いてあげるから」

 

 北上にとって赤城は、第一艦隊の中で重要な航空戦力である。全体を見ながら戦う彼女にとって、一つの悩みというのは戦力の低下にもつながる。そこまで考えた北上の赤城にかけた言葉がそれだった。

 

「そうですか……」

 

 少し考え、赤城は少し困った様にして口を開いた。

 

「提督の事です」

「提督さん?」

 

 深刻そうに言う赤城に対し、北上は不思議そうに答えた。余りにも予想外の質問だったからだ。

 

「いや、本当に些細なことなのですが……提督の当たりが強いと思ってしまって」

「あーわかるよそれ。確かに避けられてるかも」

 

 困ったような顔をして言う赤城に、北上は同意して大げさに頷いた。

 よくよく考えれば、提督は艦娘に対して嫌っている節が見られる。本日の演習も指示を出しただけで自分は執務室に籠り、出撃に至っては旗艦の電に指示を投げて自分は仕事である。仕事が忙しいというのなら仕方がないのだが、毎回毎回こうだと艦娘の気分も下がってくると言う訳だ。

 おまけに、普段の生活からしても提督の行動は目に余る物である。そもそも執務室から出ること自体が少ないし、執務室以外は自室にこもってばかり。たとえ廊下ですれ違ったとしても、目を合わせずに軽い挨拶だけで去っていってしまう。北上は別に提督自身に気がある訳でもないが、此処まで露骨であると自分に自信がなくなってしまう。

 

「何? 司令官のはなし?」

 

 そんな話をしていると、前を楽しそうな様子で歩いている暁が振り向いた。補足ではあるが、暁と北上は改二である。その証に出撃時に暁は肩の探照灯、北上には重雷装用の艤装が装備される。

 

「うん、提督が私たちに色々厳しいっての。もっと褒めてくれても良いんだけどねぇ」

 

 そう言いながら、北上は腕に装備されている艤装に目をやった。

 改二になった証であるこれは、彼女が着任当初から数え切れない苦労を重ねて手に入れたものである。しかし、彼女がこれだけ頑張ってはいるものの、提督は謝礼の言葉一つで済ませてしまう。もう少し言ってくれても良いのではなかろうか。と思ったが、あの提督にそこまでの理想を追い求めるのは止めた。

 

「そうですよね。私も頑張ってはいるのですが……」

 

 赤城もそう言いながら、曲がり角を曲がる。艤装を外すために工廠へと向かう足は、少し早い。気づけば、後方を歩いていた隼鷹と伊勢も話に加わっている。

 

「そうかしら? 提督はそんなんじゃないと思うけど」

 伊勢が呆れたような声で言った。

 彼女は初期艦の電に次いでこの鎮守府に着任した艦娘である。電の代わりに旗艦を任される事も有り、それなりに提督からの信頼を得ている。だからこそ、「そんな事は無い」と言えるのだろう。しかし、あの提督からそこまでの信頼を得るというのは只者ではないのだろう。

 

「……それは、伊勢さんが特別だからじゃ」

「それはない」

 

 怪しい視線を向けて問う赤城に、伊勢がきっぱりと答える。これも、彼女が次点に着任したからこそ言えるのだろう。彼女の背後に装備されている大きな砲塔は、使い古されてはいるものの未だに現役である。少し邪魔ではあるが、伊勢はもう慣れているらしい。

 

「あの人の良いところはそういう所じゃないの。何というか…、何だろね?」

 

 曖昧な言葉を残しながら、伊勢は隣を歩いている隼鷹へと声をかけた。考え事をしながら歩いているらしかった隼鷹は、伊勢の言葉を聞くとひとつ頷いて返した。

 

「どっちかと言うと、あの人は嫌ってるというよりは私達に関わらないんじゃないか?」

 

 隼鷹も伊勢程ではないが、提督をよく知っている人物の一人だ。北上や赤城が着任した当初からいたのは伊勢と隼鷹、そして電と暁の四人だけだったのだ。その当時の提督を知るのは、当然だがその四人しかいない。

 

「それじゃぁ同じじゃないの。司令官は私達に照れてるのよ」

 

 顎に手を当てながら隼鷹が言うと、暁が胸を張って答える。どうやら、隼鷹よりは暁の方が先に着任しているらしかった。しかし、あまりの予測に赤城は少し苦笑を浮かべた。

 

「……それこそ無いんじゃないでしょうか」

「そんなこと無いわよ。司令官は私と目が合うと少しずらすのよ」

 

 そういえばそうか、と赤城は最後に提督と廊下ですれ違った時を思い出した。向かいから歩いて来る提督は、赤城が見た限りではおぼつかない足取りと言うか、どことなくぎこちなかった。着任当初の赤城はそれを何かの異変かと思ったが、毎回毎回――というかそもそもそんな事自体が少ない――こういった態度なのだ。

 

 様々な憶測が出る中で、赤城は、最後の頼みの綱である小さな少女へと目を向ける。背中に背負われた艤装からは金属のこすれ合う音が聞こえ、そこからつるされた錨は床に引きずられたままだった。

 

 空母や戦艦、雷巡が居る中で、駆逐艦の電は第一艦隊の旗艦を勤めている。此処の鎮守府では旗艦が出撃や演習時以外は提督の補佐を務める役割を持ち、彼女が一番提督と一緒に居る時間が長いのだ。

 

「……電ちゃんは、どう思う?」

 

 赤城が遠慮しがちに声をかけると、電は少し遅れて、不思議そうな顔で赤城の方へと向いた。手にある書類は、戦果報告の為の書類である。旗艦の電は、それを全て把握して翌日の執務へと望まなければならないのだ。

 

「すいません、なんの話ですか?」

 

 電は先程の会話が全く耳に入っていなかったらしく、伊勢がそのまま話の流れを掻い摘んで説明した。電と伊勢は、この鎮守府の古株、かなり長い付き合いになる。それぞれがそれぞれの事を信頼しているのだろう。と赤城が考えていると、なるほど、と電は顎に手をやりながら呟いた。

 

「おそらくなんですけど、暁ちゃんの答えが一番近いかもしれませんね」

「ほら! 電が言うなら本当よ」

 

 暁が(無い)胸を張って自慢するが、それはあくまで電の見た結果である、と電ははしゃいでいる暁をなだめ、言葉を連ねる。

 

「暁ちゃんの言う通り、司令官さんは私たちと目を合わせたくないのかもしれませんね。照れる、というよりは怖い、といったほうがいいんでしょうか……」

 

 電が意味深な言葉をいっていると、艦娘たちはいつのまにか工廠へとたどり着いていた。ではこれで、と電は言い残すと、いそいそとドッグの中へと背負った艤装を鳴らしながら消えていった。残った赤城達は電の言葉の意味を考えていた。 

 

「私たちが怖い、ですか……」

 

 赤城がふと呟く。

 確かに、提督という普通の人間から見れば、大いなる海の化身やら海の怒りやらと比喩される深海棲艦を撃滅する艦娘という存在は恐怖の対象になるかもしれない。

 しかし、彼は提督である。流石にそんな事はない、と赤城は思ったのだが、電の言う言葉なのだ。疑うのも憚られる。

 

「確かに怖いかもしれないわね、私たちは」

 

不意に伊勢が言葉を発すると、そのまま工廠へと歩を進めた。それに続いて隼鷹と暁が続く。どうやら、彼女達は自分の中で結論を見出したらしい。残された赤城と北上は、唐突な彼女達の行動に呆気に取られていた。

 

「……まーそうだね。深く考えないほうがいいかも」

 

 北上が静寂を破るように呟く。

 

「とりあえずさ、それは後で考えて。赤城さんも今は艤装の整備とか一緒にしようよ」

 

 そう言って、北上はすたすたと軽い足取りでドッグへと向かう。赤城も北上の言う通り、今は考えるのをやめて北上の後へ続いた。

 

 考えたところで、提督は変わらないのだから。

 

 

 

 

 



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はずれくじ

 

 青い海の上で、轟音が鳴り響く。伊勢の砲撃による轟音だ。その大きな砲塔から放たれた徹甲弾は、空母ヲ級の頭部にあたると、爆発をしてダメージを与える。

 ヲ級の頭部にあたる部分が破裂し、内臓のような器官が辺りに飛び散る。それは青い花を咲かせながらさらに深い青い海へと沈んでいく。

 

 空母ヲ級の本体は、少しおぼつかない足取りで体制を立て直そうとしたが、やがて力つきると同時に仰向けになりながら倒れ、海へと沈んでいく。旗艦の電がそれを確認すると、ふぅ、と一つ息を吐いた。少し離れたところでは、伊勢が小さくガッツポーズを取っているのが見えた。

 

「今ので終わり?」

 

 明らかに警戒を解いている北上が、特有の間延びした声で問いかける。電は艤装の横に取り付けられたレーダーに目をやり、辺りを見回した。 近くに深海棲艦らしき影は見当たらない。あるのは、新開誠館の外皮を作っている黒い鉄の様な物質と、吹き飛んだ白い腕や足だった。

 

「帰りましょうか」

 

 電が言うと、第一艦隊の面々がそれぞれの返事を返す。

 一つの敵襲を退けると、電たちは安心した様子で鎮守府への帰路に着いた。

 

 

『聞こえるか』

 

 電が先ほどの戦闘についてあれこれ考えていると、唐突に艤装の無線機から声がする。声の主を確認する必要もない、提督の声だ。無線機は各艦娘に配給されているので、その声は第一艦隊の艦娘全員に伝わった。

 

「どうしたのですか、司令官さん」

 無線機に向かって代表して電が聞くと、提督はすこし困ったような声を上げた。どうやら何か厄介なことでも起こったのだろうか。電を含む第一艦隊の面々は何となく嫌な予感を感じながら提督の次の言葉を待った。

 

『……どうやら、哨戒中の偵察機がそこのあたりで不審な影を見つけたらしい。哨戒機のカメラの画像では艦娘か深海棲艦かは分からん』

 

 提督は一つ息をつくと、言葉を連ねる。

 

『確認の為、お前らに調査を頼みたい。疲れているならまた派遣部隊を編成するが……』

 

 電は皆の方を向いた。北上と隼鷹、暁が主に嫌そうな顔をしたが、別にやらないと言うわけでは無いらしい。電は全員の燃料残量を確認すると、無線機へと答える。

 

「了解しました。座標の送信をお願いします」

『ああ、よろしく頼む』

 

 その声の後に、電の無線機の画面に一つのファイルが送られる。それを開いて確認すると、どうやらここから以外と近いらしい。そこまでの方角ルートを確認すると、電はそのファイルを全員に送り、確認させた。

 

『帰投している時にすまんな。まぁ、ハズレクジだと思って探してみてくれ」

 

 

 電を含めた6人は、各々――特に暁と北上が――悪態を吐きながら、目的の座標へと向かっている。座標を見る限り、そろそろに肉眼で確認出来るはずだ。電を筆頭に第一艦隊が警戒を強める。

 

 先頭にいる電が何かに気づいたようだった。目を凝らすと、遠くの海の方で立ち上がる黒煙の中に人影らしきものが見えた。少なくとも、哨戒機が見つけたのはイ級やロ級といった深海棲艦ではないらしい。電以外もそれを確認したが、深海棲艦には人型のものも確認されている。警戒を解くと言う訳にはいかない。

 

 次第に近くなるにつれて、電の目に人影が鮮明に映し出された。それは、どうやら女性らしかった。長く伸ばした髪を後ろで結い、手に持った傘を杖代わりにして海面にかろうじて立っている。後ろには大きな艤装が見え、そこから黒煙が立ち上がっているところを見ると、艦娘と理解すると同時にどうやら深海棲艦に襲撃を受けているようだった。

 

「司令官さん、目標の艦娘さんを確認しました。深海棲艦に襲撃をされているようなのでこれより救出に向かいます」

「了解した」

 

 無線機に向かって電が言い終え、提督との連絡が一次遮断される。無線機により電波で深海棲艦側に気づかれないためだった。

 

 艦娘が近くにいるので無暗な砲撃はかえって危険だ。この場合は赤城と隼鷹の航空支援で牽制しながら電と伊勢が近接攻撃で艦娘を救出、その後に暁と北上が殲滅をするのが無難だろう――と電は咄嗟に考えた。伊勢もその考えを察し、腰に携えた刀を抜刀して近接攻撃の体制に入る。

 

「赤城さんと隼鷹さんは航空支援で敵の牽制を。数はおそらく6、駆逐2、重巡3、戦艦1です」

 

 旗艦の指示を受け、赤城と隼鷹が発艦の体制を構える。

 

「敵が怯んだ隙に、私と伊勢さんが艦娘の救助、および付近の敵の掃討をします。暁ちゃんと北上さんは残りの部隊へ攻撃を」

「私は行かなくていいの?」

「はい」

 

 北上がちぇ、と口を尖らせ、両手を頭の後ろに回す。元々単装砲により近接格闘が得意な北上だが、今回の状況では万が一流れ弾が発生すれば大事故になりかねない。大雑把な北上の性格ゆえ、単装砲の近接戦闘でも無駄弾や流れ弾が多いようだった。

 一方で暁は、指示を受けると右肩あたりに装備されている探照灯を黙々といじり始めた。何やら切り替え式のスイッチが付けてあるらしい。

 

「赤城さんと隼鷹さんは第一部隊が帰艦次第第二部隊を発艦。私達も未確認の艦娘さんを確保次第、伊勢さんと共に戦闘に入ります」

 

 電が言い終えると同時、赤城の弓、隼鷹の巻物からそれぞれ艦載機が発艦される。それは順調に深海棲艦の方へと向かっていき、攻撃を開始。水飛沫が上がる中で、伊勢と電は高速移動を開始。一瞬で深海棲艦群の懐へ入り、電は右手に握られた兵器を高く上げた。

 

 錨。

 電の手にあったのは、身の丈ほどの巨大な錨だった。

 

 一般的に錨というのは船の動きを抑止するための物で、水の抵抗や船の重量に抵抗するためにそれ相応の重量が存在する。更に海面との間で生じる抵抗を強くするために錨の両端には「刃」が取り付けられており、その刃も含めた総重量は単純に計算しただけでも3トンという重さである。 

 

 電が腕を振り下ろすと同時に、鋼鉄の錨がイ級へと向かう。

 

 電の背丈と言えど、錨の重さは変わらない。上から振り下ろされる際の位置エネルギー、そしてそれに比例する力学的エネルギーの増加により、3トンの鉄の塊はそれ以上の破壊力を持ってイ級へと向かっていく。

 振り下ろして、破壊する。それだけの暴力的な破壊を持った錨が繰り出す衝撃は、それこそ外れでもしない限り――

 

「なのですっ!」

 

 一撃であった。

 

「電、正体不明艦、確保したよ!」

 

 伊勢が叫ぶ。刀には青い液体が付いており、傍には今しがた切り捨てたような深海棲艦の死骸が転がっていた。電は錨に着いた駆逐イ級の血を振り払うと、すぐさま離脱の体制に入る。

 そのとき、戦艦ル級と目が合った。

 大きな砲塔が、伊勢と電に向けられる。

 

「暁!」

 

 戦艦ル級の砲身から砲撃が開始される瞬間、ル級の眼前を閃光が迸った。それが消えると、伊勢と電、そしてとある艦娘はすでにル級、リ級の射程外へと離脱してしまっていた。ル級がその青い目を閃光の発射源へと向けると、そこには肩に探照灯らしきものを乗せた一人の少女の姿が見えた。

 

「暁の出番ね、見てなさい!」

 

 そんな声をあげながら、暁は肩に乗せた探照灯をル級に向ける。そうして次に探照灯が光ると、そこから橙色に光る光線がル級の顔を掠めた。その後ろではリ級の右腕に光線が命中し、そのまま艤装ごと吹き飛ばした。

 

 レーザー兵器。

 SF映画でよく見る、所謂光線の事だ。

 

 がしゃん、と暁の肩に乗せられている探照灯を模した装置から音がした。大容量の小型充電装置が排出された音だった。暁はもう一度狙いを定め、肩の探照灯から発せられる可視のレーザーサイトをリ級の眉間に向けた。

 

 暁の所有するレーザー兵器は、居たって現実的な物だった。大容量の小型式充電池をカートリッジに装填し、発射の際に指向性を持たせて電気を一気に発射するという半ば超電磁砲に近い性質を持った装置だった。

 

 その貫通力は計り知れないもので、コンクリートの塊程度なら粉々に砕けるほどの威力を持っている。更に暁の駆逐艦としての移動性能、レーザー兵器としての命中率を考慮すれば、かなりの戦力と言える。

 

 暁は、この艤装を集積型高熱光線発射装置と呼んだ。

 

 後ろにいたリ級が倒れ行く中で、ル級は手に持ったシールド型の砲塔を持ち上げ、暁の方へと向けると、無表情で引き金を引いた。

 

 轟音が鳴り響き、暁へと黒い弾丸が降り注ぐ。それを暁は高速移動をする事で回避し、再び肩の発射装置をル級へ向ける。ル級の顔が少し歪むが、また躊躇無く引き金を引く。今度は周りで困惑していたリ級2隻も一緒に砲身を向け、引き金に手をかける。

 

 その瞬間、リ級一隻が爆発した。水しぶきに煽られ、内臓器官を撒き散らしながら海へと沈んでいく。その水しぶきを浴びながらも、リ級は引き金を引いた。が、それは叶わなかった。リ級の真下から強い衝撃が生まれ、リ級は体をばらけさせながら宙に舞う。残されたル級は無表情のまま引き金を引いた。するとまた、ル級のシールド型の砲塔が爆発した。ル級は顔をしかめ、暁の奥、こちらを見据えた少女と視線を交錯させる。

 

「2と1/3か……まぁ、ラッキーでしょ」

 

 北上がそう呟く彼女の視界には大きく立ち上がった水しぶき3つと、その中でこちらに視線を向けるル級だけ。おそらく、あのダメージでは中破判定だろう。そう考えた北上は暁の方へと目線を向けると、一応手にした単装砲の引き金に指をかけた。その瞬間に、ル級の顔が消し飛ぶ。みれば、暁がもう仕留めたようであった。

 

 

「どうしましょう……」

 

 戦闘を眺め、安全を確保した電は困ったような声を出した。別段、これといって彼女らに損傷はない。少し予想外の燃料消費があったとはいえ、鎮守府に帰るための燃料は十分にある。

問題は、伊勢が肩を貸してやっている艦娘だった。先ほども確認したように、栗色の髪を後ろで結って尾のようにしており、手には艤装なのだろうか、和傘を杖代わりにしている。そして、背中に背負っている艤装は、半分を失いながらもそのまま使えそうな大きさであった。

 

『どうだ電、見つかったか?』

 

 ちょうどその時、無線機から通信が入る。

 

「はい、未確認の人影の正体は艦娘さんでした。それがですね……

 

 電はこれを知っている。そして、この艤装を持つ唯一の艦娘の事も、その強大な力を持っていることも知っている。しかし、そのような人物がなぜこんなところに居るのだろうか?電は困惑しながらも次の言葉を連ねる。

 

「……大和型の艦娘、大和と見られる艦娘さんなのですよ」

『大和型?』

 

 提督が素っ頓狂な声を上げる。電と同じで、彼もまたその事を信じることが出来ないのだろう。電とは違い、現場にいないのならばなおさらであった。

 

「……とりあえず、保護して連れて帰ります。入渠の用意をお願いします」

 

 しかし、現場にはかなりのダメージを受けている大和型の艦娘がいるのだ。とりあえず電は伊勢にそのまま運んでもらうように指示し、電を含めた第一艦隊は鎮守府への帰路へとついた。

 

 

 鎮守府近くに着くと、堤防近くに人影が見える。おそらく提督だろう、その人影は電達を見つけると片手でだるそうに手を振った。電達がそちらへと向かう。

 

「お疲れさん。すまんな、帰投の途中に」

 

 そう迎えの言葉を言うと、提督の細い目が伊勢の肩を使って立っている艦娘へと向けられる。

 

「……とりあえず、伊勢と電は残って事情を説明してくれ」

 

 提督は頭を掻いて言うと、伊勢と電を残した第一艦隊は工廠へと向かっていった。それを見送って、提督はの答え伊勢と電の元へと向かう。どうやら、その艦娘は気を失っているらしかった。提督は堤防に腰を下ろして、その艦娘を見た。

 

「どうやら本当にあの大和らしいな」

 

 呆れたように提督が言う。

 

「私達が見つけた時は、すでにこの状態でした」

「敵艦隊に襲われてたからねー…まぁ、それで生きてるのもすごいと思うけど」

 

 電と伊勢が、続けざまに言った。ふむ、と提督は顎に手をやって考えるような動作をすると、その艦娘ーー正確には、背中に背負われている艤装を見つめる。大部分が欠如しているその艤装は、未だに黒煙を上げていた。

 

「なんで大和型がこんな近海にいるんだ? こいつは国の最大戦力じゃなかったのか?」

 

 提督は、艤装を見つめながら呟くように言った。

 確かに、大和型戦艦タイプの艦娘はありとあらゆる艦娘の中でも最大級の火力を持っている。故に、大和型はこんな近海ではなくほぼ最前線で戦っていることが多い。

 しかし、電たちが居たのは沖ノ島海域……それほど遠くは無い海域である。むしろ、前線よりもかなり奥地の方だ。電と伊勢もそのことが不思議に思ったらしく、二人して顎に手を当てながら考えた。

 

「……まぁいい。伊勢、そいつを風呂に入れてやってくれ。電は執務室で戦果報告だ」

「了解」「了解したのです」

 

 提督は堤防から立ち上がりながら、二人に指示を出した。二人は並びながらドッグへと水上を走っていった。

 鎮守府のドッグは海に面した形になっており、帰投した艦娘がそのまま修復できるようになっている。また、今回のパターンの様に負傷した艦娘も同時に修理できるようになっているのだ。

 ドッグの位置は鎮守府の正面から見て左に位置している。そこまで提督は二人がドッグに入るのを見送った。

 

「最近、不思議なことが多いな……」

 誰に言うでもなく、提督はふと呟いた。

 

 



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YAMATO

 

 電が執務室に入ると、提督は肘をつきながら手にした書類を眺めていた。恐らく先程電が出した報告書だろうか。提督は部屋に入って来た電に気が付くと、書類を投げるように置いた。

 

「もう大丈夫なのか?」

「はい、応急的ですが、大方治療しました」

「そうか」

 

 そう言うと、提督は座っていた椅子から立ち上がった。机の上にある散らばった書類を纏めて机に仕舞うと、電が提督のそばへとよって、追加の分の書類を手渡した。提督はそれを受け取りながら、電と共に執務室を出る。

 

「大破レベル……修復にかかる時間は?」

「おおよそ一日と少しなのです」

「……資材は」

「少なくとも四分の一は」

 

 てきぱきと電が答えると、提督は重たい溜息をひとつ吐いた。

 

「また遠征部隊を編成しないとな」

 

 そう言いながら、提督は次の書類へと目をやった。二枚目に書かれているのは、大和型に装備されている艤装についてだった。大和型の主砲である46㎝三連装砲に、副砲の15.5㎝三連装副砲。そして艦載機の零式水上観測機と基本的な装備の中で、ふと提督は一つの装備に目をやった。

 

「……応急修理女神だと? なんでこんなもの積んでるんだ?」

「やっぱり、おかしいですよね」

 

 提督の素っ頓狂な声に、電も同意した。

 まず普通の鎮守府に応急修理女神など配備されていない。配備されるとしても、それこそ最前線で轟沈する危険性がある艦娘のみだ。その貴重な応急修理女神が積まれているという事は、あの大和は只者ではない。そもそも大和型と言う時点で只者ではないのだが。

 

「全く、謎だらけだな……ん?」

 

 その驚愕と共に、提督にふとある考えが思い浮かんだ。応急修理女神の効果は、轟沈判定の艤装を一瞬にして回復させ、弾薬と燃料も全て補充するという魔法の様な効果だ。その効果を持ちながら、助けられた大和の状態は大破。そして、大和の入渠にかかる資材は普通の鎮守府の資材の四分の一。

 これらの条件が重なり合い、提督の頭に一つの答えが生まれた。しかし、それが本当だとしたらあまりにもひどい事だろう。それに、大和が、下手をしたら大和の所属している鎮守府全体に疑いがかけられてしまう。

 

「どうしましたか? 司令官さん」

「いや、少し気になることがあってな……」

 

 電が不思議そうに提督の顔を覗き込んだ。

 

 提督が考えていることが本当だとすれば、それはあまりにも人道的に酷なだろう。しかし、それが嘘だとすれば提督はその地位を剥奪、下手をすれば鎮守府に居る艦娘にも迷惑がかかるかもしれない。嘘の一つで鎮守府が崩れるほどに今の日本は危ういのだ。下手に公表しても、デメリットでしかない。

 

「……薄気味悪い考えだ。いずれにせよ、本人に訊けばわかる事だ」

 

 そう言って、提督はとある木製の扉の前で立ち止まった。救護室と書かれているそれに電は見覚えがあった。提督は錆びついたドアノブを回すと、ゆっくりとその扉を開く。ぎぎぎ、と言う今にも壊れそうな音がした。

 

 部屋の中は、一言で言えば白かった。

 汚れ一つない白の天井に、複数置かれたベッド。その壁側には薄緑色のカーテンが取り付けられており、患者を仕切ることが出来るようになっている。部屋の奥にはぽつりと一つだけ窓が取り付けられており、そのすぐ傍では一人の少女が佇んでいた。

 

 まず目に入ったのは、長く伸びた栗色の髪。そして大和美人を彷彿とさせる整った顔立ちで、体つきも年頃の少女の様に出るところは出ていて、締まるところは締まっている。今来ているのが患者用の簡易なものではなく着物だったら、と思ってしまう程の女性だった。

 

「おはよう。体の様子はどうだね?」

「あ……はい、大丈夫です」

 

 そう言いながら、彼女は左手――正確には、三角巾で吊った左腕を上げた。

 他にも、頬には湿布、右腕には包帯を巻いている。流石の大和型でも単騎で戦艦を含む重巡艦隊には歯が立たず、艤装の修復だけでなく本体の方も修復しなければならないようだった。傷だらけの彼女は、歩くのがやっとなのかおぼつかない足取りで提督の方へと歩いてきた。

 

「その、助けてくださって、ありがとうございます」

 

 目の前でぺこりと律儀に頭を下げる彼女に対し、提督は驚いた視線を向けた。

 これほどまでに傷だらけなのに、わざわざ自分の目の前で礼を言うなんて。

 

「……礼には及ばんさ。助けるのが普通の状況だったのだからな」

 

 そうだったんだろう? と提督が電に問いかけると、電はこくりとうなずいた。あの状況で素通り、というのは流石に酷だろう。

 

「それに、助けたのは俺じゃなくて電の方だ。礼を言うなら電に言ってやってくれ」

「そんな事は無いのです。あの時司令官さんが指示をくれなければ、助ける事すらできませんでしたから」 

 

 そう言われると、終わらない。電の引っ込み思案な性格を深く知っている提督は、これ以上この話題を続けないことにした。そうすると提督は、目の前でどうすればいいのか分からなくなっている彼女へと助け舟を出した。

 

「とりあえず、飯でも食おうか。腹、減ってるだろ」

 

 

 提督が持ってきたのは、ビニールで舗装された菓子パンの類だった。それを投げるように大和に渡すと、大儀そうにしてパイプ椅子に腰を下ろした。使い古されたパイプ椅子は、小さな悲鳴を上げた。

 提督は電が持っている書類を受け取り、それにもう一度目を通す。装備の状況や損傷などを再度確認すると、刃物のような細い目線を大和に向けた。それに、大和は少し怯えているようだったが、しばらくすると下を向いた。

 

「そうだな、まずは出身鎮守府を教えてくれるか?」 

 

 提督が手に持った書類の角を揃えながら問いかける。大和はうつむいたままだった。

 

「連絡が出来ないと君を鎮守府に返すことが出来なくなってしまうからな」

「そ、それは……」

 

 大和が提督の言葉を遮る。そういったまま大和は言い淀むと、小さく声を漏らしながら下を向いた。提督は何も言わずに、大和の事を細い目で見続けている。

 

「あの、司令官さん……」

「分かってるだろ」

 

 電が何か言いたげな表情をしたが、提督が強く言う事で遮られる。

 どうやら、提督の予想通りに大和が居る鎮守府は相当『訳あり』らしい。その事を電と提督は装備や損傷を見ていた時点で気が付いていたが、大和が傷つくだろうと思い言わなかったのだった。

 やがて提督がため息を吐いた。何かにうんざりしているようにも見えた。

 

「別に、教えたくないのなら教えてくれなくても良い」

「……本当ですか?」

「ただ、色々聞くことは増えるな」

 

 その言葉に、大和は沈黙することで返した。

 提督は先程受け取った資料を広げ、その中の一枚を抜き取った。艤装の装備状況に関する資料だった。

 

「まず君の艤装の事だが、最後に入渠したのは覚えているかね?」

 

 大和が首を横に振る。提督が苛ついたような顔で舌打ちをした。

 

「そこからか」

「……すいません」

「君が謝っても何も変わらんさ」

 

 提督は少々苛ついてきたようだった。

 

「大和さんの艤装は、少なくとも大破レベルです。轟沈してもおかしくなかったんですよ?」

「……」

「それなのに、何で入渠してないんですか?」

「……させて、くれなかったんです」

 

 余りの小さな声に、電がはい? と訊き返した。

 

「入渠自体をさせてくれなかったんです。資材がかなり減るから、って」

 

 あまりの非人道的な事実に、思わず電は目を見開いた。提督はそれを分かっていたらしく、膝を組みながら大和の事を見続けていた。

 

「そ、そんな事って……」

「もういい電。遠回しに聞きすぎだ」

 

 電が何とかして言葉を繋げようとしたが、提督がいう事で遮られる。

 提督は組んだ足を逆にすると、再び鋭い目つきで大和の方を向いた。

 

「つまり、あの海域であれほどの損傷を受けていたのではなく、元々損傷自体していたと」

 

 そういう事だろう、と提督が訊くと、大和は静かにうなずいた。前々の予想が当たってしまったらしく、提督は疲れと呆れがまじりあったような溜め息を吐いた。この状態だと、補給も満足にしていないのだろう。

 

「……成程な。大体の予想はしていたが、ここまで来ると気味が悪くなってきた」

 

 提督がそう言いながら、再び書類に目を落とす。細い目の眉間が、だんだんと深くなっていく。

 

「つまり、君の所の提督は君を入渠させたくないがために轟沈させた、という事だろう?」

「な……!」

 

 電が驚いたような表情を見せるが、提督は無視して続けた。

 

「大和型ともなると入渠に要する資材の大量消費は免れん。それを削減するために、君を沈める……嫌、君を沈めて応急修理女神を発動させることにしたんだろう?」

 

 ひどい話だ、と電は思った。

 応急修理女神の効果は、前述のとおり轟沈判定の艤装を一瞬で修復し、弾薬と燃料も補充する魔法の様な効果である。それを利用して、大量に資材のかかる大和の入渠を済ませよう、という何とも酷な話であった。

 大和はそれを認めたくは無かった。しかし、事実は認めることしかできないのだ。

 

「そんな、酷い事……」

「する事があるんだよ。艦娘も身体的には無事だからな」

 

 精神面は知らんが、と提督が付け足す。そうして、提督は書類の角を揃えると電に渡した。

 

「それで、君はどうしたいんだね」

 

 うつむいていた大和が、ゆっくりと提督の方を向いた。提督は、心なしか笑っているようにも見えたが、大和にとってそれがどうも薄気味悪く思えた。

 

「君が此処で鎮守府の連絡先を教えて帰るもよし。教えずにドロップ品扱いで帰らないもよし」

 

 おかしな話だ、と大和は思った。

 普通、このような事例であれば艦娘を元の鎮守府に返すのが普通なのに、これでは提督が罪を犯すことになってしまう。そうなれば、この提督がどうなるかは明白である。本気で言っているのか、と思ったが、提督の目を見る限りそうではないらしかった。

 

「君はどうしたいんだ?」

 

 提督の顔が、より一層怖く思えた。

 確かに、大和は鎮守府で様々な事を経験している。先日受けた、『沈め』という指令もその一つだった。そんな所に帰りたい、とは普通思わないし、大和もその例にはもれなかった。

 しかし、自分が帰りたくないと言った所で何かが変わるのだろうか? あの鎮守府にいる大和の仲間たちの所には帰らず、自分だけ助かるような、そんな選択肢でいいのだろうか?

 大和の中で様々な思考が飛び交い、彼女は恐る恐る口を開いた。

 

「……帰りたくは、ないで――」

「そうかそうか! 帰りたくは無いのか! 」

 

 急に提督が立ち上がり、大和の言葉を遮った。

 

「まったく、艦娘が帰りたくない鎮守府なんてどんなところなのだろうな! もしかすると艦娘に酷い事をしているのかもしれない! そんな鎮守府は本当に必要なのか!?」

 

 わざとらしく騒ぐ提督に、大和はただ口を開けて呆然としていた。横で座っている電は呆れたような表情をしている辺り、これが提督の本性らしい。やがて一通り騒いだ提督は、とても落ち着いた様子で椅子に座った。

 

「歓迎しよう、戦艦大和君」

 

 先程とは全く違った様子で提督は大和に手を差し出した。提督の級編ぶりに大和はギャグか何かだと思ったが、提督の目を見る限り、それではないらしかった。大和は困惑しながらも、提督の手を取った。

 驚くほど冷たい手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ご対面

今回は艦娘出ません


 

「いやいやこれはこれは。第2鎮守府の大将様が第8鎮守府にようこそお出で下さいました」

 

 提督の物言いは、あまりにもわざとらしいものだった。声のトーンを少し上げ、言ってしまえば癪に障るような声色で初老の男性へと語りかけた。提督は薄ら笑いをしながら手にした書類を初老の男性に見えるようにして置き、細くなった目で初老の男性を下すように見た。

 

「して、本日はどういったご用件で?」

 

 提督が意地の悪い笑みを浮かべながら言った。初老の男性は、苛つくような声で言った。

 

「早く、大和を返してくれないかね?」

 

 初老の男性――福原がここに来た理由はこれだった。

 

 先日、未知の深海棲艦との戦闘で大破してしまった大和に、入渠する資材が惜しいからと応急修理女神を装備させ、沈んで来いと指示をした以来、大和との連絡が取れなくなってしまったのだ。当然応急修理女神が積んであるので沈んでいる、という筈は無く、慣れない海域なので迷ってしまったのだろう、と福原は思っていた。

 

 事前に付けておいたレーダーによって、大和――正確には、大和型の艤装――の位置情報はすぐに取得をすることが出来た。しかし、福原はその座標に驚いた。大和が居たのは海上ではなく、この第八防衛鎮守府を示していたのだから。福原はあまり深くは考えずに、沈みかけた大和を律儀に救助したのだろうと考えて此処にやって来た。

 

 そして、福原は内心で混乱していた。

 まず、この鎮守府の規模について福原は驚きを隠せなかった。福原のいる第一鎮守府は最前線でもあり、日本の資材の四分の一が全てそこに言っていると言っても過言ではない。それは自他ともに福原が多いと認めているのだが、その福原からしても個々の鎮守府の規模は目に余る物だった。

 

 まず、艦娘があまりいないという事。

 

 福原のいた鎮守府はいつも艦娘が工廠かドッグを出入りしていたのだが、午前十一時にしてその姿は全く見られない。鎮守府の規模が小さいので艦娘の入渠を憚っているのだろうか、それともそもそも出撃が少ないのだろうか。福原にとって出撃が少ないと言うのは有りえない事だった。

 

 次に、大和が入渠したという事。

 これについては、あまり福原は驚かなかった。轟沈寸前の艦娘を救助するだけの義理があれば、それくらいのことはするだろう。そのお蔭で、貴重な応急修理女神を消費せずに済んだとさえ思っていた。福原は言ってしまえば合理的な男だった。だからこそ、あの鎮守府の様な形態が出来てしまったのだろう。

 

 そして、最後。

 目の前にいるこの男は、何者なのだろうか。

 

 福原は自分で言うのもなんだが、日本の海域の最前線にいる男である。それなりに地位も持っており、今の日本になくてはならない存在とも思っている。それを、この男はまるで挑発するような態度を取って、自分を見下すようなそんな目つきをしているのだ。あまつさえ年下であるのに、このような態度をとるのはどういう事だろうか。

 福原は目の前の男に怒りを覚えたが、それを面には出さなかった。この男の手には福原の大和がいるのだ。

 しかし、その男は大和の事を決して口に出さなかった。それどころか、福原から言わせるように仕組んだのだった。福原は自分の発言に歯ぎしりをしながらも、鋭く意志の籠った目線で目の前の男を見つめた。

 

 だが、その男は。

 

「大和? ああ、先日うちがドロップしたあの艦娘ですね?」

 

 そんな事を言い出したのだ。

 

「……何を……?」

「いやぁ、運が良かったですよ。まさか、これまで建造でしか手に入らなかった筈の大和が、まさかドロップするなんて! どうやって上に報告しましょうかねぇ? 都市伝説にでもなっちゃいますかね?」

 

 提督のわざとらしい、神経を逆撫でするような言い方に福原は拳を握りしめた。

 何たることだろうか。まさか、自分の艦娘、それも最大戦力の大和がこんな男に奪われることになろうとは。福原は目の前の男に溢れんばかりの殺意が芽生えたが、それはやがて自分の優越へと変わっていった。

 先程も話した通り、福原は万が一も兼ねて大和の艤装にレーダーを付けておいたのだった。今でも、恐らくそのレーダーは信号を発信しているだろう。それがあれば、この男のいう事など只の戯言に過ぎないのだ。そう思っていた。提督が、懐から何かを取り出すまでは。

 

「しかしまぁ、良くもこんな小細工をしたもんだ」

 

 提督の声色が変わった。

 

「逃げられないように、って所か。全く、今は艦娘なんてやめたいときに止められるってのに、訊いた通りに酷い話だな」

 

 先程の愛想のいい笑みはどこに行ったのか、提督はその細い目で福原を睨みつけながら言った。福原は、腹の底が煮え立つような怒りを覚え、震えながら静かに提督へと目を向けた。眼球が血走っていた。

 

「何が目的だ……」

「何が、ですか。強いて言えば解放ですね」

 

 提督が、人差し指を立てた。

 

「勝負をしましょう」

 

 何? と福原が驚いたような声を上げた。提督は、口元にうっすらと笑みを浮かべて続けた。

 

「貴方と私で、最大戦力を使っての勝負です」

 

 福原は、さらに困惑した。

 福原は、自他ともに認める完璧主義者であった。艦隊の練度も高く、現在入渠中の大和型を覗いても彼の鎮守府には優秀な艦がいくつもいた。その福原に、彼は勝負を挑んで来たのだ。福原が腕を組み、提督が続けた。

 

「そして、負けた方は所持している艦娘を全て勝った方に与える」

 

 福原の眉が動いた。

 無論、福原は負けるとは思っていない。しかし、目の前の男はそんな事を言う。

 もしかすると、この男は福原の艦隊に勝つ見込みでもあるのだろうか。先程も述べた通り、福原は自他ともに認めるかなりの実力者だ。その彼の艦隊に勝負を挑む男に福原は得体の知れない不気味さを感じたが、それはあまり消えなかった。

 

 しかし、これは提督にとっても不利なものだった。

 

 福原の艦隊の強さは、提督も知っている。所持している艦娘のほぼ全てが最強練度、負け知らずの艦隊だという事も、そしてそれらが全て道具の様に福原に扱われているという事も、全て知っていた。だからこそ、提督はこのような事を要求したのだ。

 

 他人から見れば、これは悪なのかもしれない。

 

 もしかすると、提督を非難するような者も出るのかもしれない。しかし、提督には提督なりの正義と言う物があった。提督に限らず、全ての提督とって、艦娘というのはとても複雑なものだ。それを、モノのように扱うというのは提督にとってどうもいけ好かないものだった。

 十年前に比べれば。

 

「……喧嘩を売っているのかね?」

 

 提督が場に合わずそのような事を思い出していると、福原が苛立ちを隠しきれない表情で問いかけた。眉間のしわは相当深くなり、かなり怒っているようだった。恐らく、自分に勝機があると思っている提督に対しての怒りだろう。

 

「ええ、大安売りの出血大サービスですよ、福原提督殿?」

 

 対して、提督はかなり煽るような調子で言った。何も考えていないようにも見えた。

 すると、福原は机を叩きつけて勢いよく立ちあがった。提督が若干驚いたが、気にせず座っていると、福原は早い足取りで部屋の入口へと歩いて行った。その顔は怒りに満ちていたが、その顔はなぜかぎこちない様子だった。

 

「一週間後だ」 

「そんなに、ですか?」

 

 福原の言葉に、提督は煽る。ぎり、と歯ぎしりをする音が聞こえた。

 

「君も別れの言葉ぐらい考えたいだろう。存分に考えたまえ」

「あぁ、それはそれはありがたいですね。

 そちらも考えておいてくださいよ……まぁ、言わないだろうけど」

 

 そう言うと、福原はふん、と鼻を鳴らして扉を叩きつけるようにして閉めた。大きな足音が遠のいて、ようやく肩の荷が下りた、と言った感じの提督は、懐からタバコを取り出した。

 

「さて、勝てるかね?」

 

 

 第8鎮守府を出た福原は、正直に言うと怯えていた。

 

 当然、例の演習に負けるような事は思っていない。福原の艦隊は再三いう通り自他ともに認める強力な艦隊なのだ。そんな最前線で活躍しているレベルの艦隊が、あのような内地でのうのうと艤装を持て余しているような艦隊に(おく)れを取る筈がない。そう思っていた。あの提督の名前を思い出すまでは。

 

 第8鎮守府所属、梶浦大佐。

 

 十年前に、同盟を潰した張本人であるその男に、福原は身を震わせた。

 何故だ。何故あのような男が、こんなところで提督をやっているのだろうか。第一、あの男にとって艦娘というのは恨むべき存在なのではないのか? そもそも、何故あの男は生きているのだろうか? 様々な思考が、福原の脳裏を掠めていく。

 

 ともかく、彼に目をつけられたらどうなるか分からない。福原は感じたことの無い恐怖におびえながらも、何とかして第2鎮守府へと足を運ぶ。ふらついた足取りだった。

 







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慕われない提督像

会話します。
戦闘シーンは次回から……


 

 翌日、提督は普段通り書類を片付ける作業に入っていた。提督の仕事と言うと艦隊の指揮と言ったイメージがあるが、それ以外にも大本営から逐一送られてくる資材の管理書類の作成、また艦娘の建造や装備の開発を報告する書類も作成しなければならないのだ。

 

 本日も、大本営から微量な資材が送られてくる。そもそも独立した即応部隊としてどこにも緊急出撃できるようになっている第8鎮守府は、前線からの位置が遠い事も有ってか資材の量がほかの鎮守府より少ないようだった。

 

 元々梶浦一人で経営していたためであろうか、現在のままでは他の鎮守府のように艦娘を賄えるほどの資材は持ち合わせてはいない。あまり戦闘しないし大丈夫だろう、という見え見えな大本営の厳しい仕打ちに、提督は頭を抱えていた。

 

 そもそもの話、深海棲艦は現在では衰退の一方を辿っている。

 それもそのはずだろう、深海棲艦というのは艦娘の成れの果てと比喩される生物なのだ。

 

 普通、深海棲艦が生まれる大まかな原理としては、艦娘が轟沈し、他の深海棲艦が艦娘を深海棲艦へと変えると科学的に証明されている。

 

 ならば、艦娘を轟沈させないように、深海棲艦を撃滅していけば、いずれは深海棲艦は全滅するのだ。言うだけでは難しい話だが、現在はそのように深海棲艦が処理されていき、徐々に深海棲艦の数は減っていることが確認されている。

 

 最前線の第2鎮守府と言えど、出撃を行う回数は数年前の鎮守府の総出撃数に比べれば微々たるものだ。だから、福原は提督のあのような例外的な要求を受け入れたのだろう。第2鎮守府が機能しなくとも、他の鎮守府が役割を全うしてくれている。本当にその様な事を福原が考えているか提督は疑問に思ったが、いずれにせよあそこが潰れてもほかの鎮守府が機能するのは事実だ。

 

 それに、言わせてもらえれば第2鎮守府というのは大本営から見ても極めて例外な鎮守府だ。通常、艦娘には人権が与えられ、艦娘という職業も法的な事が諸々決められているのだが、第2鎮守府はそれを全て無視しているのだ。この事は面には出していないが、第2鎮守府の事を良く思わない人間も上の方にはたくさんいる。まして、福原と言う男はそれを気にしようともしなかった。

 

 だが、それは提督にとっても同じことだった。

 艦娘はただの道具でしかないのだ。

 

「……ふむ」

 

 提督は顎に手をやって考えるようなそぶりを見せると、そのまま固まってしまった。

 

「何かあったのですか?」

 

 隣では、秘書艦の電が心配そうに声をかけた。普段なら何事も無く業務をこなしている提督が珍しく悩んでいるとなると、多少問題が起こったのかもしれない。

 

「……いや、何も。いつも通りさ」

 

 提督がどこかぎこちない様子で返す。そのまま目線を机の上に落とすと、いつも通りに手を動かした。どうやら今月はいつもより送られてくる資材の量が少ないらしい。幾ら独立した即応部隊とはいえ、腐っても鎮守府である。このままでは鎮守府としてまともに機能しないというのは明白であった。

 

 流石にこの仕打ちはひどいだろうと提督はペンを持つ。申請書を慣れた手つきで書くと、適当な場所に置いて次の書類へと取り掛かった。今度は開発についての書類だった。提督の秘書艦は万年電である。それはこの鎮守府が出来た時から決まっており、提督も電も変える気は無かった。

 

 しかし、大本営の研究によるとどうやら開発の成功率はその時点での秘書艦によって左右されるらしい。別に電を秘書艦から外すことに躊躇いは無い――と言えば嘘になるが、開発の為に変えるのならやむを得ないだろう。現在は艦載機の数が足りないので、赤城でも秘書官にしてみるかと提督は考えていた。

 

「嘘ですね?」

 

 提督の動きが止まる。

 

「司令官さんは、嘘をつくのが下手なのです」

「そうか」

 

 ふん、と提督は不機嫌そうに息を吐き、手に取った書類を放り投げるようにして机の上に置いた。どこか無気力な、やる気の無いような様子が感じられた。電は提督の様子を心配そうにしているようだった。

 

「近々、第2鎮守府と演習を行う予定だ」

「『第2』とですか?」

 

 鎮守府の名前は略称で呼ばれることが多い。その中でも、『第1』と『第2』はかなりの知名度を誇っていた。『第1』はとある理由により本州の最北端に位置し、話題にこそ上がりにはしないが、第2となると前述の通り色々な知名度が高い。

 

「お前なら分かるだろ。大和型の件だ」

「ああ、なるほどなのです」

 

 電は未だ救護室のベッドで療養をしている彼女の姿を思い出した。傷だらけの姿に、酷く怯えた様子の彼女は第2の提督に沈んで来いと命令されたという事を提督と電の前で話していた。そして、提督が勝手に彼女の所属を第8鎮守府にした事も一緒に思い出し、はっとして提督に言い寄った。

 

「って大変じゃないですか! 要するに司令官さんが勝手に大和型さんの所属を変えて、それを知った第2の司令官さんが怒ったって事ですよね!?」

「掻い摘んで説明するとそうなるな。あと言い忘れたけど負けたらお前ら全員第2行きだから」

「なんて約束をしているんですか!? しかも私達の了承も得てないですよね!?」

 

 どうするんですかーっ! と怒る電だが、提督は別段慌てている訳でもないようだった。詰め寄る電を片手で制して、普段通りの落ち着いた口調で話し始めた。

 

「対策は練ってある」

「また無謀な作戦じゃないでしょうね」

「今度はちゃんとしてるから大丈夫だ」

 

 訝しげな目線を送る電に対し、提督ははっきりとした口調で答える。

 

「たとえ負けたとしても、こっちには大和型という後ろ盾が居る」

「……どういう事ですか?」

 

 意味があまり分かっていない様子の電に提督が説明を続ける。

 

「考えても見ろ。本来ならば最前線で活動している大和型が、こんな鎮守府の近海で、しかもあんな轟沈寸前の状態で発見されるのはおかしな話だろう?」

 

 確かに、と電は思った。例え大和型に応急修理女神が積んであったとしても、電が大和型を発見したのは鎮守府近海の海域だった。そんな所で見つかること自体がおかしい、とあの時は救助に必死で思いもしなかったのだ。

 

「しかもそいつは生き証拠だ。そいつを大本営に送りさえすれば当然第2の提督はあまり動けなくなる」

「だから、そんな約束を?」

「ああ。まぁ、公で約束をするだろうし、そうすれば異動は免れんが」

「……そうですか」

「お前等なら大丈夫だろう」

 

 説明を続けている提督だったが、電の中にはとある疑問が生まれていた。

 何故、そこまで第2の提督に執着するのか。確かに、第2の提督の行為が許せないという事は分かるし、たまたま第2所属の艦娘を保護したのも分かる。だが、言ってしまえばそれだけの話だった。別に何も言わずに返せば、それで済む話だと電は思っていた。

 

 だが、電はその事を気に留めもしなかった。それは電の司令官の問題であって、電自身の問題ではない。電はどちらかというと達観的な性格だった。電の司令官が決めたことなら、電はそれに従うだけだ。だから、質問もしないし追及もしない。電と提督の関係はそんなものだった。

 

「ああ、今回の件は電の口から第一艦隊に伝えてくれ……できれば、強制異動の件も頼む。」

「了解したのです」

「すまない、助かる」

 

 そういうと、提督は再び目下の書類へと手を伸ばす。

 電と司令官。艦娘と提督というのは、そのようなものだと電は思っていた。

 

 

 第一艦隊に召集がかかったのは、その日の昼過ぎだった。

 普段なら午後の演習に向けて各々艦装の整備を行っていたはずの時刻だった赤城は不機嫌そうな顔で赴いていた。対して、隣にいる北上は気楽そうに両手を後ろに回している。

 

「全員揃っているな」

 

 話始める合図の意も込めて提督が言った。後ろで電が静かに扉を閉めた音がした。

 

「大方は電から聞いているだろうし、手短に終わらせようか」

「待って下さい」

 

 提督の言葉が赤城によって遮られた。赤城の表情は不機嫌――どちらかと言えば、不満があるような顔だった。

 

「この演習で敗北したら、第二鎮守府行きというのは本当ですか?」

 

 電の伝言を聞いて一番不満があったのは赤城だった。それもそうだろう。電から聞いた話では、演習に敗北したら強制異動だというおかしな話だ。そんな事は赤城自身は一度も聞いたことがない。ましてや、相手は歴戦の猛者であり、様々な噂が流れる第二鎮守府。これで不満がないほうがおかしいだろう。

 

 提督も、そういう声が上がるだろうと言うことは分かっていたし、提督自身もこの事態が異常だと言うことは分かっていた。だからこそ、提督は頷くことで肯定の意を示す。赤城の表情が怪訝なものへと変わっていった。

 

「不満か」

「はい、とても」

 

 無理もないか、と提督は赤城の目を見ながら思った。一般的な艦娘である赤城からすれば、このどこから見ても分かる寄せ集めの艦隊に勝てる見込みなどないに等しい。提督の目から見てもそれは明白だったし、無言ではあるものの後ろにいる他の5人も同じような考えを持っていた。

 

「……信じては、くれないか?」

「それは」

 

 言葉が詰まる感覚を、赤城は感じていた。

 

 果たして、そんな事を言われてこの提督を信じることが出来るだろうか? 此処に着任してまだ日が経っていない赤城は、こんな無茶な演習を予定している提督をあまり信じられることが出来なかった。確かに、提督の物言いからすればまるで勝つような様子だったが、赤城からすればはっきり言って無謀な挑戦としか言いようがない。

 しかし、赤城にとってここは始めて――正確には二つ目の鎮守府なのだが、何分あちらにいた時期が短かったので本格的に艦娘として働いているのは此処からだった――着任した鎮守府である。赤城は提督の事をまだ何も知らないから不満があるだけではないのだろうか。考えてみれば、その相談を持ちかけられた時点でこの提督なら断りそうなものなのだが。

 もしかすると、この提督は本当に勝とうとしているのでは?。

 

 無言の時間が流れた。

 いや待て、なぜ無言なのだ?

 

 赤城ははっとして後ろを振り返った。

 そこには、無言でありながらも提督の指示を待っている――どちらかというと、赤城の抗議が終わるのを早く待っているような、面倒くさそうな様子の北上が見えた。

 普通の艦娘ならば、赤城の抗議に二、三人は便乗しそうなものだがことのほか誰もいなかった。まるで軍人として無言で上司の司令を待っているような様子。しかしそこに悲観的な色は見られない。はっきり言ってしまえば、赤城の視線からは他の五人は全員提督を信頼しているような様子だった。

 

「他の面々は了解している様だな」

 

 後ろを向いて固まっていた赤城を見て、提督が言う。

 

「出来れば、でいい。お前が嫌だと言えば他の案を考える」

 

 どうだ? と提督が赤城に訊いた。信頼してくれるか、という意味を赤城は汲み取った。

 再度いうが、赤城はこの第8鎮守府に着任して間もない艦娘である。だから、提督の事をあまり知らない。今回の事も、赤城からすればただの無茶な決断でしかない。そんな提督の事を、赤城だけだったら理由なく侮蔑していただろう。こんな鎮守府にいられるか、と言って止めるという事も考えられる。

 

 だが、赤城以外の艦娘がこうなら話は変わる。

 赤城は、彼女より付き合いの長い――それも一番だと思われる――電が、何一つ言わずに提督の指示を待っている事に一番驚いた。普段の彼女なら提督の無茶に小言の一つや二つ、それ以上あったかもしれないが、今では無言で、落ち着いた様子で立っている。そこには、恐怖を押し殺したような様子は見られなかった。

 また、第一艦隊旗艦の彼女がこうであるのなら、少なくとも彼女の中では演習に勝利できるという確信があるという事だった。そんな彼女を見て赤城は感銘を受けた。

 まだ自分より年端もいかない彼女がこうなのに、自分はぐちぐちと提督に異議を申し立てている。そんな自分自身に赤城は顔が赤くなる感覚を覚え、彼女の事を尊敬し――端的にいえば、折れた。

 

「やります」

「そうか」

 

 提督は短い返事で返し、立ち上がる。手元に置いておいた薄いガラス板の様なものを手に取ると、電と伊勢の方を指して言った。

 

「電、伊勢、それぞれ特殊兵装の調整をしておけ。エンジンも整備しておけよ」

「了解」

「了解したのです」

 

 伊勢と電が、初めて声を発した。その姿は、いつも通りののんびりとした雰囲気ではなく、軍人として、艦娘としての威厳が見られた。始めて見せた彼女らの姿に、赤城は思わず目を見開いた。

 提督は、手にした透明の薄いガラス板――よく見ると、様々な数字が板の表面で踊っている。電子化された書類の様なものなのだろうか――を操作しながら、隼鷹の方を向いた。

 

「隼鷹は箱の準備を。先日開発した艦載機の使用を許可する」

「了解した」

 

 これもまた、いつもは酒飲みで大雑把な隼鷹とは違った。

 

「試作のVTOLも使って良いぞ」

「おっ! 気が利くねぇ~」

 

 提督が言い足すと、隼鷹はいつもの様な雰囲気に戻り、にかりと表情に笑顔を見せた。VTOLが何を意味するかは分からないが、恐らくぶっ飛んだ事が大好きな彼女の事だ。幾分かぶっ飛んだものなのだろう、と赤城は適当に考えた。

 

「北上と暁はそのまま。暁は遠距離からの狙撃、北上は一応近接戦闘用の艤装を出しておけ」

「了解」

「了解」

 

 北上と暁が、それぞれ返事をした。

 提督が一通り言い終わると、赤城以外の第一艦隊はすぐさま部屋から退出し、工廠の方へと歩いて行った。恐らく今言われたそれぞれの艤装を点検するために言ったのだろう。

 まだ何も言われていない赤城だったが、とりあえず他と同じく艤装の点検をするために工廠へ向かおうとすると、提督に止められた。提督は、目線を手元に落としたままだった。

 

「どうされましたか?」

「んー、いや。赤城に少し用があってな」

 

 目線を落としたまま、提督が言う。

 透明な板の上では、三角柱状のポリゴンが一定の周期で回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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大演習

 

 雲が疎らに浮かぶ空では、真夏の太陽が燦々と踊っている。白い波が立っている中で、赤城は水平線の向こうを見つめた。

目を閉じると、手に握られた長弓を前へと構える。腰に装備された矢筒から屋を一本抜くと、赤城は長弓の中心へと矢を番つがえた。赤城の水平線を見つめる目がいっそう険しくなる。

 

 赤城を含めた正規空母型の艦娘は、艦載機の発艦をするために『弓矢』を触媒としている。

 その仕組みは矢の方にあり、数機の圧縮された艦載機を矢の形にすることで飛距離と連射性を増加させることに成功したのだ。また、飛鷹や隼鷹といったいわゆる陰陽師型は、紙を触媒とする事で軽量化に成功し、反面飛行看板上の巻物型デバイスを展開しなければならないというデメリットがある。更に近年開発された装甲空母型は正規空母型の『弓矢』のシステムを応用して『クロスボウ』を触媒としていると言うらしい。

 

 番えた矢をまっすぐに引いて、力を込める。

 それだけの動作が、今の赤城にとってはゆっくりと感じられた。

 

 正規空母型が弓矢を触媒とするため、多くの鎮守府には正規空母用に簡素な弓道場が用意されていることが多い。それだけ正規空母型は鎮守府にとって重要な戦力であり、赤城の鎮守府もその一つであった。真面目な性格の赤城は毎日毎日そこに通い、弓の扱いを自分の体に慣れさせていた。

 いつもならこんな動作は朝飯前なのだが、今回は勝手が違う。本当に今日の演習で負けたらあの第2へ異動なのだろうか? 提督は本当にこんな寄せ集めた艦隊で勝とうとしているのだろうか?先日話されたとはいえ、未だに実感が沸かないのが赤城の現状だった。そんな心の乱れがある中で、普段通りの事が出来る筈もない。

 ぎりぎりと番えた糸が悲鳴を上げる。

 

 赤城が手を離すと、弓矢は鋭く放たれた。

 

 風を切る音がしたかと思うと、矢はすぐさま炎のようなものに包まれる。それが晴れると、そこには圧縮されていた五、六機ほどの偵察機が姿を現した。そのまま偵察機は編隊を組んでいき、まっすぐと進んでいく。多少心配ではあったものの、無事に発艦は終わったようだった。赤城は安堵の息を吐いた。

 

「無事に終わったみたいじゃん」

 

 赤城の後ろから、隼鷹の声がかけられた。赤城は首を縦に振った。

 

「今回は私は偵察だけでよろしかったですね?」

「そうだけどなぁ、上手く事が運べばの話だ」

 

 まぁもしもの時は頼むよ、と隼鷹は軽い気持ちで言い、両手を後ろに回してそのまま他のメンバーの元へと帰って行った。こういう時は、隼鷹のあの軽い性格に助けられる。赤城は自分の考えにいまさら何を、と自嘲的な笑みを浮かべて隼鷹の後を追った。

 赤城の腰に吊られている、三角柱の物体が揺れた。

 

 

 第二鎮守府所属、第一艦隊旗艦の金剛は深い溜息を吐いた。

 

 というのも金剛にとっては日常の出来事であり、福原提督の秘書艦でもある彼女は苦労が絶えなかった。最前線であることから、戦闘が多い事は致し方が無いという事は彼女自身も十分に分かっている。分かっている筈だった。多分。

 

 そもそも第二鎮守府の提督、福原にはいろいろと問題が多かった。確かに戦果という戦果は挙げられているものの、そのどれもが捨て艦戦法、いわゆる囮役を用意させて戦う戦法だった。

 確かに囮が居ることで金剛を含めた戦艦達は安全に攻撃を行う事が出来、敵艦隊の撃破も楽々と行えたのだが、それと同時に囮役となった犠牲は数知れず。艦娘にとっての轟沈はほぼ即死であり、金剛たちはその死に至った艦娘たちを幾度となく目の当たりにした。それに囮役は比較的簡易に配給される駆逐艦達なので、精神的に参ってしまう。

 金剛型の姉妹だけではなく主力艦隊が全て滅入ってしまっている中で、ただ一人冷静に事を対処できる金剛は流石と言うべきだろうか。他の艦娘と違ってまともに指示が出せる故、金剛はなりたくも無い第一艦隊旗艦――つまり、提督の秘書艦を務めているのだった。

 

 だから何だ。自分が旗艦になったからと言って福原の指揮は変わらないし、鎮守府の雰囲気が変わる訳でもない。ただ昔からただ昔から居ただけで成り上がっただけの自分に旗艦なんて勤まるはずもない。金剛はいつからか自分を乏し始めた。

 

 今日は珍しく他の鎮守府との演習をする事になった。

 理由は不明だが、福原が言うには必ず負けるな、という事らしい。

 

 また今更何を、と金剛はいつも通り提督に悪態をつきそうになったが、今回は事情が違った。事を話す提督の表情は、何時になく真剣なものだったのだ。

 普段の提督なら他の鎮守府との演習くらいで自分を駆り出すような人ではない。ましてや、今回の編成は自分を含めた金剛型四人に、五抗戦の二人を含めたかなり重い編成だった。

 何かある事は分かっていた。だが、今更自分達が負けるような要素も無い。酷な扱いを受けようとも、彼女らは日本の要とされる第2鎮守府の艦娘である。提督は何を思ってこんな編成を組んだんだろうか?

 

 そんな金剛の疑問はすぐに解決した。

 演習の相手があの第8鎮守府だったのだ。

 

 訳が分からない、というのが金剛の意見だった。

 何故自分達があんな寄せ集めで構成された鎮守府と演習を行うのだろうか。理由ははっきりしないが、考えられる事があるならば、おそらく「こちら側」のボロでも出たのだろう。提督は先日から大和が行方不明だと言っていたし。恐らくその点をついた第8の提督が何かしらをやらかした、と言うところまで行きついて金剛は考えるのをやめた。

 もとより頭のネジが()()()抜けている連中だ。

 今更何かしらを考えても無駄だと言う事は分かっている。

 

「お姉さま、どうかされたんですか?」

 

 難しい顔をしている自分の姉に、榛名は思わず声をかけた。

 

「ああ、大丈夫デス。それより榛名はちゃんと索敵してネ」

 

 思わず適当に返してしまい、金剛は心の中でしまった、と思った。自分に心配をかけてくれている彼女に対して、その返しは酷だろう。どうやら幾分か疲れているらしいと金剛は頭を抱え、そんな彼女を見て隣を走行している榛名はますます不安そうな顔をした。

 義理とはいえ、姉がこんなにも苦労をしているのに自分はどうする事も出来ない。榛名は自分の非力さを感じたが、感じたとてどうする事も出来ない。今はただ演習に集中して、提督の指示通り勝利をしなければ。

 

「五抗戦シスターズ、艦載機の発艦は?」

「さっき終わったわよ。まったく」

 

 金剛が五抗戦の妹の方、瑞鶴に声をかけると、うんざりとした様子で返された。

 金剛は瑞鶴の態度にイラついたが、別に今更なんだと思い、何も言わないで置いた。瑞鶴の隣では姉の翔鶴が何か言っているが、そんなことは金剛の目には入っていなかった。

 瑞鶴もいくらか参っているのは知っている。それに、瑞鶴自体は翔鶴に任せておけば何とでもなるし、二人とも艦載機の扱いに関しては第二の中で一番優秀なのだ。任せておいても問題は無いだろう。

 

 後は自分達が敵艦を沈めれば良いだけ。簡単な話だ。

 相手が深海棲艦だろうと、第8だろうと関係無い。金剛たち第2鎮守府第一艦隊は、第2鎮守府の肩書きにかけて、なんとしてでも勝たなければならないのだ。

 

 

「あの、隼鷹さん」

 

 偵察機を飛ばして数分、いくらか暇になった赤城が隼鷹に声をかけた。

 

「ん、どうした?」

「先程から気になってたんですけど、その箱、何ですか?」

 

 箱。

 隼鷹の背に立つ二つの物体を、赤城はそう呼んだ。

   

 一つ目にはは緑の迷彩が描かれ、もう一つは飛行甲板の様な模様が描かれている。よく見れば薄い線が箱のいたるところに走っており、内側から外側にかけて開く仕組みになっているようだった。

 大きさは隼鷹の体より一回りか二回りほど大きく、それのせいで何とも言えない威圧感が隼鷹の方から伝わってくる。通常の隼鷹タイプの艦娘ならばこんな艤装は無かったはずだが、と赤城は思っていた。

 

「ああ、これ? 千歳型と千代田型の飛行甲板」

 

 後ろの箱を親指で刺しながら隼鷹がさり気なく答えた。

 赤城の訝しげな目線が隼鷹に刺さる。思わずはぁ、と生返事で答えそうになった。

 

「……いや、色々と事情があってさ。私は搭載数が少ないから、こうして提督さんに頼んで使わせてもらってるというか……」

「確か隼鷹タイプって搭載数トップじゃないでしたっけ」

「うぐ」

 

 痛いところを突かれたように隼鷹が嫌そうな顔をした。

 

「そもそも、隼鷹さんって千歳千代田型の適性あったんですか?」

 

 艦娘の最もたる特徴として、適正と言うものがある。

 艦娘志願者がそれぞれなりたい艦娘になれると言う訳ではなく、それぞれの適性に合った艦娘のタイプからなりたい艦娘を選ぶ、という事で艦娘は成り立っている。この適正と言う者が少々厄介で、全てDNAの塩基配列に基づいた『運』なのだ。

 

 適正についてもそれぞれ1から5まであり、5に近づけば近づくほど艤装との相性が良くなる。大抵の艦娘は4から5辺りを選び、各鎮守府へと配備されるのが一般的な艦娘の配給制度である。極稀に1や0.5辺りを選ぶ艦娘もいるにはいるのだが。

 

 適性を持たない艦娘では艤装を十分に扱う事が出来ず、艤装の持つ性能の半分すら出せないと言われている。もし今の隼鷹が千歳タイプや千代田タイプの適性を持っていない場合、たとえ艤装を二種類持っていたとしても軽空母としての運用は難しいだろう。そもそも艤装を二つ装備すること自体異例なのだが。

 

 隼鷹はあぁ、と赤城の疑問を汲み取って答えた。

 

「これ、今開発中の第四世代のテストタイプだから誰でも扱えるんだよ」

「はぁ」

 

 ついに赤城が着いていけない、というような顔をした。

 

「ほ、ホントだって。今うちの提督と技術支部が協力して製品化にも乗り上げて」

「……信じられません」

「そんなこと言わないでくれよ。第一、アンタも持ってるだろ? その腰に吊ってるやつ」

 

 なんとか説明しようとした隼鷹が、赤城の腰に吊っているものを指した。

 

 長さは三十センチほどだろうか。三角柱の中には四つの切れ目が有り、五つの小さな三角柱へと分離するような仕組みらしい。三角柱のそれぞれの頂点から伸びる辺には小さな円柱が取り付けられており、それも三角柱の本体と同時に分離するようだった。

 

 この不思議な物体は提督から直接渡された、『今回限定的に使用する特別艤装』だった。

 

 何故このタイミングなのか、というのは分かっていた。使い方も提督から教わり、通常は艦娘が装備してはいけない代物と言うのも分かっていた。そして、この鎮守府が特殊だと言う事も身を以て知った。 

 元より暁タイプがあんな光学兵器を装備する時点で変だと言う事は知っていたが。

 

「……そろそろ接敵するから、二人とも無駄口叩かないように」

 

 前を行く伊勢が、後ろを向いて注意する。それに赤城は我に返り、すぐに腰に有る物体に手を掛けた。一番上の面にはUの字型の取っ手が付けてあり、それを握ると赤城は勢いよくその三角柱の物体を空に放り投げた。

 

「オラクルシステム起動! 周囲索敵開始!」

 

 

 

 

 

 




◆オラクル(oracle)
 神託、予言および予言者、神託所の意。
 


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