GANTZ Repeat' (マルハン2)
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Part1 虚傑
5.マンツーマン


目を開けると、兵舎のいつものシミが目立った天井が写った。普段なら前回の死のビジョンが脳裏に再生され、トイレに駆け込み吐くなり漏らすなりしたが、慣れというのは恐ろしいもので、恐怖を感じる神経が摩耗したのかぼくは全く吐き気を起こさなかった。

起き上がったぼくは前回の記憶を思い出し始めた。

『目覚めたら私を見つけて。』

そうだ、マリナは確かにそう告げたのだ。そしてぼくを殺した。唐突な展開にぼくは戸惑うばかりだったが、それでもちっぽけな頭をフル回転させる。あの1回目と前回の似通った状況、ずんぐり野郎のデジャヴ、マリナの行動と不可解な言葉。それらを結びつける意味を推察する最中に、ナイジェルが

「おいタクミ、うるさいぞ。」

と文句を垂れる。

「ぼく、何もしてませんけど。」

「寝言かどうか知んねえけどさっきからブツブツうるせえんだよ、お前。明日出撃で緊張するのは分かるが、もうちっと静かにうなされろ。」

苦笑を返事にしながらも、ぼくはこの事態を打開するプロセスを練り始めていた。

 

「…私に何か用か?」

逆立したマリナが呟く。

今までのループから計算すると、彼女に近づけるのはこのときしかない。ぼくはあらかじめ決めておいたセリフを喋った。

「最初の一回が永遠に続くときってどんな気分になる?」

罰ゲーム終了後、ぼくはマリナに引き抜かれREX部隊が駐留する施設まで連れてこられた。さすが戦女神と言うべきか、部隊が共同で使う整備兼訓練場を丸々貸し与えられている。

好奇の視線にさらされながらしばらく待たされると、マリナが2つのケースを持って現れた。

「じゃあ改めて…初めてと言うのも変だが、マリナ・オーグランだ。」

「コガ・タクミ。」

戦場とは打って変わって穏やかな笑みを浮かべたマリナに対して、前回の仕打ちを覚えているぼくは慎重に返した。

「…なるほど。それで私に声をかけたわけか。」

マリナがくすりと笑う。こっちからしたら笑い事ではなかったけど、ここでもめても仕方がない。ぼくは本題に踏み込むことにした。

「じゃあ、アンタもループを経験したんだな?」

「そうだ、10年前にな。T-000、コイツに遭遇して私は半分ノイローゼになったよ。」

厳重にロックされたケースから例の機種の写真が覗く。マリナの話を要約するとこうだった。

まだぼくと同じ新米だったころ、偶然未知の機体と交戦し決死の覚悟で倒した途端、辺りが真っ白になり気がつくと出撃前日に戻っていた。その後も何度かループを繰り返したものの、変わらない現実を実感したマリナは原因を探るべくあらゆる手段を尽くし、戦場を駆け抜け、技術を磨き、敵を分析し、生き残る知恵を捻りあげた。

そしてコーヒーを飲みながら読書をしていても不意打ちをかわせるレベルにまで到達したとき、目的の個体を発見し討伐、312回目の戦闘でマリナはループからの脱出に成功。同時にループの副産物として人類最強の戦士の称号を手に入れた。

彼女が倒したターミネーターは極秘裏に軍の研究機関に接収され解剖の結果、時を超える性質を持つとされるタキオン粒子が検出された。マリナの証言やメモリに保存された戦況記録も合わせると、この個体は時間を超えて自身のデータを過去の自分に転送する機能を持ち、得られた情報から自軍に有利な戦場を演出する、伝書鳩の役割を担っているらしい。

つまり、何回勝利に近づいても時間を巻き戻され"無かったこと"になってしまい、最終的には敗北するシナリオの手伝いをしているわけだ。マリナはそれを破壊した際に放出された粒子を浴びたため、ループ能力を獲得した。それから10年以上、彼女は戦い続けている。

「要するにぼくがループを抜け出すにはそのT-000を直接叩くしかないってこと?」

「ああ。だがコイツはあくまでも記録が目的だから戦闘が終わるまで出てくることは滅多にない。だからお前はそれまでしぶとく生き残らなくてはならない。意味わかるか?」

結局やることは変わらないということじゃないか。ぼくは深々とため息をついた。

「心配するな。私がお前を鍛える。来い。」

そう言って連れてこられたのは一番広いフロアだった。

「これを着ろ。」

渡されたもう一つのケースの中身はガンツスーツだった。

「まずお前の実力を見させてもらう。アレを倒せ。」

マリナが指差した先には、5体のターミネーターが完全武装して整列していた。対してぼくの手持ちはXガン一丁のみ。素人でも勝ち目はないと分かる。正気かと目で訴えたけど彼女は何も言わなかった。

僕は仕方なく銃を構え…案の定コテンパンにされた。撃たれ、殴られ、ぶん投げられ壁に激突する。至るところから流れる血液と一緒に、機能を失ったスーツのレンズからゲルが零れ落ちる。

「出力を半分に抑えた鹵獲機を1体のみ…センスの欠片もないな。」

千切られた右腕を拾いながらマリナが嘆息する。目の前の女性を女神のようだと誇張して憚らない広報部の連中の頭はどれだけおめでたいのだろうと思う。

「まあいい。これから徹底的にシゴいてお前を一端の兵士にしてやる。お前の死に場所は私が決めてやる。」

「ご厚意はありがたいけどぼくはこれからどうやって帰ればいいんだろう? 下半身から下の感覚がさっきから分からないんだ。」

「リセットすればいい。」

言うや否やマリナが右腕の握るXガンを引きはがし、瀕死のぼくに一射した。逃げられない代わりに4文字言葉をぶつけようとしたけど、その前に体の内側から何かがぼくを圧迫する感じが広がり、すっと消えたときに何かが破裂したような音が聞こえた。



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6.start

まず始めた訓練は重心移動と回避技術の習得。軍に入った時にやるもっとも基礎的項目の一つだが、マリナの指導は血がにじむどころか、血をまき散らすというべきほどに凄惨なものだった。

「さっきから言ってるだろう!常に両足に均等に体重をかける! 体に一本の芯があるのをイメージして円運動!」

「そんなこと…言ったって…!」

床を跳ねる火花をかわし、ひたすら逃げ回る。これが訓練というならやりすぎと思われるに違いないが、マリナ曰く『人間死ぬ気でやればモノになる』らしく、ぼくはターミネーターの掃射から全力で逃げていた。何発かがスーツを擦過し、背筋を冷たいものが駆け抜ける。

「目をつむるな! 怖がってたら見えるものも見えなくなる!」

マリナの声が鼓膜を震わせるが、片手間で聞くほどの余裕はぼくにはない。のんびりしているとミンチにされてしまうのでほとんど聞き取れなかった。

すでに足はヨロヨロで、気を抜けば転びそうになる。着地するため足もとに一瞬意識を向けた瞬間、頭に形容しがたい衝撃と痛みが走り気が付くとぼくはまたいつもの朝に戻っていた。

 

チクショウ、やり直しだ。

ぼくは1回ごとに訓練と実戦を交互にループすることに決めていた。訓練で得た技術を現場で実践するためだ。どんなに練習が上手くこなせても、本番で力を発揮できないんじゃ意味がない。

それに実戦でしか培えないものもある。極限の状況下における冷静さと判断力。この2つがそろって初めて技術は活きる。

『戦いで焦るのは御法度だ。視野が狭くなっちまって死に急ぐことになる。』

曹長の口癖を死んで初めて理解したことは皮肉としか言いようがなかったが、それでもぼくはこの言葉を信じ、最前線で引き金を引き続けた。

そして死ぬと空き時間を前回の反省とイメトレに費やし、訓練でマリナの怒声を聞く。それ以外はすべてルーチンワークだったが、マリナとの触れ合いを通じて分かったこともあった。

REXの連中は彼女のことを隊長でもボスでもなく、『マザー』と呼んでいた。兵士も整備士も、年上も年下も関係なく部隊の全員が彼女をマザーと呼んだ。

気になって一度隊員の一人に恐る恐る聞いてみたら、自分たちは家族のようなものだからだ、と答えた。あまり釈然としなかったが、その雰囲気にのまれたのかぼくもいつの間にかマザーと呼ぶようになった。

それから死ぬこと39回。左斜めの1体が腰を低くした。意識するより早く足が動き、胸を反らして爆転すると、さっきまでいた空間を鉄と熱の塊が薙ぐ。

体操選手よろしく鮮やかな着地が決まると、背後から撃鉄の動作音が響き、ぼくは振り向きざまにXガンを撃ちながら勢いを殺すことなくその場で空中回転した。

目と鼻の先を銃弾が通過し、一拍遅れて爆発音と一緒に鉄の破片が視界の隅を飛んだ。再び着地して周りを見渡すと、ぼくの周囲で動いているターゲットはいなかった。これで15体目。度重なる苛酷な訓練と戦場で磨いた経験により、ぼくは精密に筋肉の動きを制御できるようになった。

ようやく課題クリアだ。思わず座り込むと後ろから拍手が聞こえた。

「意外とセンスはあるようだな。」

いつになくマザーが優しく微笑んでいた。最初は正反対のコメントだったくせに。ぼくは内心でささやかな悪態をつく。

「そうかな…?」

「まあ何にせよスタートラインに立ったな。おめでとう。」

「じゃあ今日はこの辺で…」

「却下だ。まだ4時間はある。」

容赦のない鬼教官は新しい教材を用意する。手元のパネルを操作すると一枚のシャッターが開き、中から20体ほどのターミネーターが現れた。

「今から私がすることをよく見ておけ。」

マザーが赤いラインのスーツに身を包み、手首をコキコキ鳴らす。が、いつも握っているはずの赤い剣を持っていない。

ぼくは危ないと伝えようとしたがマザーは平然と銃器を構えたターミネーターに歩み寄る。ライフルを構えたターミネーターが彼女の周囲を等間隔に取り囲み、油断せず次第に包囲網を狭めていく。

そしてトリガーが引かれる直前、マザーは正面の2体に向かって目にもとまらぬスピードで地を蹴り、パワーアシストされ膨れ上がった両腕をど真ん中に叩き込んだ。

バキンと鳴るとともに横に真っ二つに割れた鉄くずが崩れる間に、裏拳を食らった奴の首から上がどこかに飛んでいく。

さらに別の一体に肉薄したマザーはそいつのライフルのレバーを押し戻して弾を強制排出し、弾倉を引き抜いて無力化すると、動力源の水素電池を腹から引きちぎった。まるで芝居を見ているかのように鮮やかで洗練された光景に、ぼくはしばらく開いた口がふさがらなかった。

「すごい…」

「見て分かると思うがこれから近接戦闘の訓練に移る。これを身に着けたら、とっさの状況で使えるカードが格段に増える。知っておいて損はない。ただし、自然に身に付く代物じゃあない。適切な模範が必要だ。」

「でもそれなら基礎訓練でやってるんだけど…」

曹長の関節技でしばらく腕が使えなかったのはいつだっただろうか。

「アレはあくまで対人戦用。鉄の体にただのパンチは効かない。さあ立て。」

ぼくはマザーの正面に立ち、腰を落としていつでも攻撃を防げるよう彼女の一挙手一投足に集中した。けど、マザーはぼくの反応速度を遥かに上回る拳を突き出し、その回の訓練は一発KOで終了した。



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7.アキラ

ループも90回近くになった日の夕食時間、トレーに並ぶミートボールをそれとなく眺めたぼくは、そういえばあの夜の献立もミートボールだったな、と不意に思い出した。

『悪いけどあなたが卒業したら、私再婚するから。』

高校卒業間近のある日、ミートボールを口にしようと箸を持ったとき、母が唐突に話題を変えた。目を丸くしたぼくをよそに、母はニュースキャスターのようにスラスラと続ける。

数か月前、帰宅した父のコートを仕舞おうとしたら、懐から見知らぬ女とのツーショットが出てきた。父を問い詰めると、昔世話になった人でこの前10年ぶりに再会したと言う。

しかし、長年の勘で嘘と見抜いた母は興信所に調査させたところ、予想通り二人がホテルに入った証拠が送られてきた。いよいよ怒り狂った母は離婚を突き付け、父もあっさりと従った。

あとは時期の問題で、それはぼくの卒業が条件に合致したらしく、息子には何も告げず話は成立した。親権は母が獲得し、再婚相手はバツイチだった。

けど、ぼくは相手がだれであれ、母に着いていく気は毛頭なかった。何かにつけてヒステリーになる気性には以前からウンザリだったし、かと言って常に不機嫌面の父を見ながら食事をするのもいい選択肢とは言えなかった。

となると、金もコネもない高卒の少年の行き先は限定され、同級生が輝かしい春を迎える中、ぼくは半ば自棄になって合格した有名大学を蹴って軍に入った。

もちろん戦いに出向く発想は端からなく、自身が理系だったこともあり、内地で機械いじりでもしようと思っていたが、何の因果か配属されたのは第8中隊という生粋の戦闘部隊だった。

最初は脱走を企てたこともあったが、いざ腹をくくると、ふざけはするものの切磋琢磨しあう仲間との日々は陰気な家庭生活を送るよりよっぽどマシと言えた。

 

「座るよ。」

澄んだ声に意識が今に戻ると、隣の席にナルミヤ・アキラがトレーを置いた。さらりとした栗色の髪が揺れる。

「久しぶりだね、そっちはどうなの?」

「久しぶり? 寝ぼけてんの? 昨日も会ったじゃん。」

「ああ、ごめん。気のせいだった。」

実際は50周ぶりだ。怪訝な表情をしながらもアキラは席に着く。

「明日の戦闘やっぱり参加するの?」

「当たり前でしょ。アンタが航空支援もいらないくらい優秀なら話は別だけど。」

「いや、そうじゃなくてさ…」

しばらく話が途切れ、食べることで間を置きながら次の言葉を探す。

「未だに信じられないんだよ。まさか君と明日戦場に行くなんて。」

「まあ私はパイロットだから歩兵のアンタと顔を合わすことはないだろうね。エリートと凡人の違いってやつ? それよりおば様から電話来てないの?」

「あの人は今頃セカンドライフの帳尻合わせに必死なんだよ。ぼくはすでに過去の遺物さ。」

自嘲気味になるのは喪失感からだけではなかった。現にぼくは誰とも共有できない秘密を抱えている。

「でも…」

「構わないよ。元々進学していたら出ていく予定だったし。」

自分のことを心配してくれるアキラに、ぼくはなるべく明るく取り繕う。そうだ、これはぼくが決めたことなんだ。イメージ通りの息子に仕立て上げようといちいち介入する母親も、酔った勢いで子供に妻や仕事の愚痴の相手をさせる父親もいない。

曹長のシゴキさえ我慢すれば衣食住には事欠かないし、未成年ながらもようやく班のバカ騒ぎで回された酒を飲めるようになってきたころだ。ループのことも、こうした他愛のない会話で少しは忘れることができる。

そう考えると、ある意味充実していた。ただ、アイツさえいなければ…

「よお、アキラ、タクミ。こんなところにいたのか。」

今度は後ろから声がかかり、カザマ・ダイゴは2人の正面に腰を下ろした。

「探したんだぜ。飯食うんなら誘ってくれりゃいいのに。」

ドン、と目の前に3人分はあるんじゃないかってぐらいの御飯が並ぶ。

「そうだアキラ、今度の戦闘終わったらオレとデートしてくれよ。」

「しつこいねアンタも。まだ懲りないの?」

軽くいなしながらもアキラは満更でもなさそうだ。それもそうだろう。目の前の「アイツ」は基地の女性陣でも人気があるのだから。日本人離れした180cm強の体格と整った顔立ち、抜群の運動神経を持ち、陽気な性格は好青年そのままと言えた。

「何だよカザマ、先に来てたのか。」

遅れて数人の男たちがぼくらの周りに歩み寄ってくるのを見て、ぼくは密かに眉をひそめた。連中はカザマの所属する隊の仲間で、本人を除きぼくらの中隊とは仲が悪い。その証拠に

「あん? コガ、お前何ガンつけてんだよ。」

と絡む始末だ。

「ゴメン、気分を害したなら謝るよ。それじゃぼくは食べ終わったから。」

いつもの低姿勢に我ながら情けなかったが、これ以外の対処法を知っているわけでもなかった。奴らの目的はあくまでアキラであって、オマケですらないぼくに用なんてこれぽっちもないだろう。

学校の徒競走で万年ビリだったもやしっ子が喧嘩で勝てる見込みは薄い。同じ言い訳を考えながら席を立った時だった。

「止めろよお前ら。みっともないぞ、そういうの。」

またこれだ。ぼくがカザマを嫌う一番の理由だった。コイツは今時珍しい正義漢だ。それも天然記念物級の。イジメがあったりすると決まって仲裁に入るから、そんなところも女性には頼もしく映るんだろう。

カザマは事あるごとにぼくを庇ってくれた。でもぼくはその度に自分の弱さや卑屈さを思い知らされるんだ。本当は感謝すべきなのに、どうしてもネガティブな思考が浮かんでしまう。

そんな身勝手な理由でぼくはカザマを好きになれなかった。

 

「何でやられっぱなしなんだよ。ますますアイツら調子に乗るよ。」

居心地が悪くなって食堂を後にすると、アキラが付いてきて不満を呟いた。

「ぼくが喧嘩が苦手なのはアキラだって知ってるだろ。」

そう返しつつ、ぼくは隣を歩くアキラを見た。緩くウェーブしたロングヘアを片方に纏めて流した亜麻色の髪と鋭く生真面目な硬さを宿すグレーの切れ長の瞳。彫りが深く凛々しい顔立ちは透き通った氷のようで、抜けるように白い肌はすっぴんにも関わらず肌理細かい。訓練で引き締まった長身に身に着けているのは、軍指定のTシャツにカーゴパンツという飾り気のない格好だが、逆にそれが彼女のシャープな美しさを引き立てている。体の半分を占める長い脚を覆うコンバットブーツさえオシャレに見えてくるのだから。

最早ここまでくると『綺麗』ではなく『カッコいい』と呼ぶべきかもしれない。日本人の名前を持つのに、それらしい要素があまり見られないのは、事実アキラが純粋な日本人ではないからだ。

ロシア人の父、日本とイスラエルの血を引く母から生まれたクォーターで容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能の三物を天から与えられた彼女はぼくが幼稚園児の頃からのお隣さんであり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。

小学校まで一緒だったけど家の事情でロシアに引っ越したっきりだった。生まれも育ちも純血の日本人のぼくがこうしてまた話すようになったのは、偶然基地で再会したからだ。

驚くべきはその間にアキラが大学を飛び級で卒業していたことだ。昔からの天才超絶美少女の称号をさらに磨いた彼女はその才能を買われ、軍の中でも一握りの者しか入れないというパイロットの技術研究機関に若冠15歳で選ばれ、訓練課程を最年少で修了し上層部から「10年に1人の逸材」とまで評価され、戦時特例もあって異例の早さで実地勤務が決定した。噂ではアグレッサー部隊からのお誘いを蹴ったそうな。

もう何度か実戦も経験しているらしく、先の三物との相乗効果で広告の表紙を飾る活躍ぶりは別世界の人間ではないかと思わせるほどだ。もし世の中の天才を競りにかけ彼らの才能を100万ドルと仮定するならば、アキラの場合は測定不能(プライスレス)だ。ぼくは悪い意味で測定不能だろう。

当然言い寄る男も多く、さっきの連中もその類だったが、例外なく玉砕した。すると連中の目は自然体で話すぼくに向かうようになり、中には陰湿な嫌がらせをしてくる奴も少なからずいた。

当のぼくはというと、アキラのことは尊敬しているし憧れでもあるが、スペックが高すぎて特別な人と見るには現実感が足りなかった。現状、両者の関係は幼馴染で収まっている。

それに評価できるのはあくまで見た目だけで、軍隊生活が長かったのか、やや口が悪くなっており、時折ぼくに対して乱暴な態度を取るせいで、どこか中性的な印象さえ受ける。噂では大抵の男は令嬢みたいな美貌に騙されて、そのギャップに閉口してほとんどが退散するらしい。もしかすると男装したら宝塚でやっていけるかもしれない。

もちろんこんなこと本人に知れたら

『男顔で悪かったな!』

とボコボコにされること受け合いなので、黙っておく。

「タクミってただでさえ弱っちく見えるんだから、黙ってたらやられ損よ。」

アキラが茶化したが、あえて答えなかった。思い出せば口喧嘩で勝った記憶がまったくない。無視されたと分かったのか、舌打ちされる。

ぼくは廊下に貼られた鏡でチラッと自身とアキラを見比べ、何度目かのため息をついた。身長、体重、体格はどれも平均値。運動能力はさほど高いわけでもなく、容姿も凡庸という言葉がしっくりくる。ルックスでこれだけの情報量なのだから、我ながら情けない。

唯一の特技は子供の頃習ってた絵くらいで、それこそもう長い間触れてすらなく、およそ戦闘に役立つ類の代物ではなかった。

オマケに今は性悪な神様のイタズラに巻き込まれており、ここまでくると哀れという以上に笑える境地に差し掛かってくる。

「マザーもこんな気分だったのかな…」

「え?」

我知らず呟くと先を歩いていたアキラが振り向いた。

「何でもない。独り言。」

無理に愛想笑いを装ったが、気づかないでくれたようだ。

「変なタクミ。まあいいや。明日出撃なんだからもう寝ろよ。私こっちだから。」

「あ、うん。お休み…どうしたの?」

普通に返事しただけなのになぜかアキラは不満そうだった。

「アンタさ、もっとこう言うことないの? もう明日なのよ。か弱い女の不安を分かれよ。」

気の利いたセリフを言えるのは果たして何周後か。

「…覚えておくよ。」

そう言い残すとぼくはアキラと別れ、1人で番付をさせられた倉庫のシャッターをくぐった。滅多に人が来ないこの時間帯は就寝ギリギリまで格好のトレーニング場に早変わりする。これもルーチンワークの一つだ。

今度ロマンス映画のDVDでも見てみるか。帰還後の懸念事項は多いほど気が紛れる。ぼくはそのリストに項目を一つ追加してサンドバックに一撃で穴を開けた。



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8.変化

飛んできたロケットランチャーがナイジェルのすぐ足もとに着弾した。

「グアッ!?」

爆発的な光が視界を灼き、轟音とともに呆気なく宙を舞う。大地を転がり口に入った土を吐き後退しようと腰を浮かせたが、敵から7mしか離れてない距離では悪あがきにもならなかった。

鋼鉄の死神はトリガーを冷酷に引きかけたが、唐突に崩れ落ちた。初めは故障かと思ったが、胴体の破損具合がそうではないことを物語っていた。

Xガンを撃たれた金属は、爆発に近い壊れ方をするため引きちぎられた形状になるが、目の前の奴は背中にへこんだ穴が空いており、拳の形に似ている。

そのとき、死んだはずの機械が赤い双眸をナイジェルに向け、銃を構えたが、直後にその頭が掻き消えた。

「先輩、ケガはありませんか?」

同時に涼しい声が降りかかり、見上げると同じくらい涼しい顔の新兵が傍らに立っていた。

「タクミ…?」

「200mほど南に味方が陣取ってます。何とか合流してください。」

初陣とは思えない落ち着きぶりで情報を伝えながら手を差し出す。握り返すと思ったよりずっと強い力がナイジェルを引っ張った。

「合流って、お前はどうすんだよ。武器もなしに…」

「必要ないんです。」

短く切り捨てると、タクミは駆け出して土煙に紛れて幻みたいに消えてしまった。呆然とその背中を見ていたナイジェルに

「ナイジェル、無事か?」

曹長が到着し安否を尋ねる。

「曹長、タクミって確か初陣っすよね。」

「ああ、あれほどヤレる奴とは予想外だった。全部素手で潰してやがる。」

「は?」

後ろを振り返り目を凝らすと、先程の一体と同じ穴が空けられたものが点々としていた。信じられなかった。あの穏やかな雰囲気の後輩がここまで敵を圧倒するとは。

「タクミ…」

複雑な気持ちが言葉に出る。相変わらず日差しの強い128周目の出来事だった。

 

ループが3桁に達すると、ぼくは体に微かな変化を感じるようになった。以前よりモーションが楽にこなせるようになったのだ。

マザーとの組手で鍛えられた技術や反射神経もあるが、何より膂力が格段に上がっていた。ただ殴っただけでサンドバックに穴が空くようになったり、蹴りで鉄板を使い物にならなくさせたりしたからだ。今では片手で逆立ちもできる。

いくら体を鍛えてもループには持ち越せないので筋トレはしなかったのに何故だろう?

その答えはマザーが教えてくれた。曰く、人間は肉体の自壊を防ぐために無意識に脳が力を抑制しており、それを外すと常人でも片腕で100kg以上の質量を保持できるらしい。気合いやモチベーションで上げることで一時的に解除できるが、全開には至らない。

けど、ぼくは死にまくった経験から、半意識的にこのリミッターを外せるようになったという。

「それでも多用するのは辞めた方がいい。」

鋭いパンチを繰り出しながらマザーが忠告する。すでに会話しながらでもぼくは攻撃をかわせるようになっていた。マザーの格闘術は非常に実戦的で、基本的な軍隊格闘術であるクラヴマガにシステマやカリシラットを複合したものだった。どうやら化け物相手に打撃は効きにくいから、スピーディーな動き、関節技、投げ技を追求した結果らしい。お陰でナイフや棍棒の扱いにも随分と慣れた。

「何でさ?」

「今のお前は相当数の戦いをしてきたが、それは経験の話だ。体はいつもと変わらない。つまりフルパワーで殴ったらお前の腕もダメージを受ける。」

マザーの手を払いながら軽いジャブを放つと、肘を突き出すフィストブレイクと呼ばれるカリシラット独特の防御体勢が待ち構えていた。あれは当たると痛い。

途中で軌道変更し腕だけをしなるように打ち込む。脱力した状態で拳そのものの重みを活かすシステマ・ストライクは、しかし同様に呼気を吐いて脱力したマザーには効かなかった。

システマは呼吸をコントロールしてリラックスすることから合気道と似た概念を持つ。練習ではゆっくりした動きだけど、実戦ではそれなりに早くなるし、マザーの場合極め過ぎて消えたと錯覚する体捌きになり、僅かに手足が触れただけで相手が宙を舞う。

鮮やかなハンドテクニックで相手を絡めとるのはカリシラットの専売特許だ。教わった通りの動きで攻撃を捌き、懐に入ってフロントチョークで締め上げる。人間に限らず動物は上からの攻撃や拘束に弱い。

「いくらアンタでも簡単には抜けられないだろ。」

「…さあ、どうかな。」

投了(リザイン)を薦めた矢先、抱え込んでいた体がフッと浮き上がった。何だ、と思う間もなく首と脚を掴まれたぼくは、跳び上がった勢いを投げ技に転化したマザーに組み敷かれていた。

「けど半意識的って、もう半分は勝手に外すかもしれないってことだろう。危ないんじゃないかな?」

タップして降参の意思を示し大の字になって呼吸を静めながら尋ねる。ひょっとしてこれにも何かコツがあるんじゃないかと期待してのことだったけど

「ならばコントロールできるまで訓練に励むことだ。」

にべもない返しにそりゃそうだよな、と独白して仕切り直しとなった。再び襲ってきた速さに合わせ、マザーの手の甲を指で押さえ一息に投げた。が、システマの原理に従って流れに逆らわず、浮いている間に体勢を入れ替え、マザーは転がる代わりに両足で踏ん張り同じ技をかけ返す。

そんな光景を遠巻きに見ていた特務部隊員らの小話がぼくの耳に入ってきた。

「なあ、見たかさっきの。」

「ああ、認めたくないが、マザーのスピードにちゃんとついてきてやがる。何者だ、あの坊主?」

いつもマザーと訓練してきたため分からないが、ぼくらの戦いはどんなに見積もっても異常だった。実戦と遜色ない殺気を放ち、切れ味抜群の技を非常識な動きで出し合う。もはや人間では無い者同士の戦いがそこにあった。

しばらく殴り合ったが、突然マザーが構えを解いた。

「どうしたんだよ?」

「もう近接戦闘は十分だ。次の訓練に移る。」

「ゲッ、まだあるのか。」

あからさまに嫌な顔になったぼくをカラカラと笑う。

「心配するな。これで最後だ。」

そう言ってマザーは黒い物体を投げてよこした。全体的なフォルムは懐中電灯に似ているが、レンズのはずの部分は縦にスリットが入ってる。

「マザー、これは…」

「ガンツソード、接近戦用の兵装だ。使い方はマニュアルで知ってるだろう?」

「いや、知ってるっちゃあ知ってるけど…」

改めて右手の懐中電灯をしげしげと見つめなおす。ガンツソードは支給される武器でも唯一の原始的な装備と言っていい。通常は柄だけだが、手元のダイヤルを操作すると黒い刀身が出現し、金属でも有機物でも関係なくほとんどの物質を切断できる業物となる。さらにはスーツの補助が必要になるが、刀身の長さを任意に調節可能なのも強みだ。だが、銃弾が飛び交う戦場において棒切れ一本で立ち向かうのはバカのやることだし、ぼくも演習以外で使った覚えはなかった。

「T-000のことを覚えてるか?」

ループ脱出の最重要項目だ。忘れるはずもない。

「もちろん。」

「どんな姿だった?」

「どんなって、写真の通りだよ。ゴツイ図体でキャタピラ履いた。」

それがガンツソードと何の関係があるのか、ぼくには話の筋が全く読めなかった。

「では何であんな形になったのか疑問に思ったことは?」

「知らないよ。」

「だろうな。だがこれから話すことを聞くと、お前はコイツを使わざるを得なくなる。」

眉をひそめたぼくにマザーは何か企むように微笑んだ。




システマについては動画を見たのですが、しっくりこなかったので作中では韓国で行われているシステマの動画や合気道やフィクションに出てくる動きを参考にしました。あくまでフィクションなので大目に見ていただけたらと思います。
参照:塩田剛三、バイオハザードダムネーション

実際に早く動く動画はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=sbEGgZ86Ci0
https://www.youtube.com/watch?v=P4ZwQ6qxZbQ
https://www.youtube.com/watch?v=CYyOIoGvFNo


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9.T-000

142周目、ぼくは爆風と閃光に煽られながら孤軍奮闘していた。

「クソッ!」

スーツも限界に近いが、相手はこっちの事情を汲んだりはしてくれない。陥没した穴に滑り込み、息を整えつつ五感を研ぎ澄ませ、状況把握に徹する。

真のベテランは地面の振動や敵のわずかな動作で次の事態を予測すると曹長が言っていたが、ぼくの場合、何度も同じ場所で戦っていたのでこうして穴蔵に籠っていても、相手の位置が明瞭に感じ取れた。

銃声やモーターの駆動音、巻き上がる砂塵、焼けた肉のような臭い。それらが形成するフィールドが触媒となり、シンクロすることでぼくの感覚は驚異的に拡大する。

が、すでに30発以上の銃撃を受けた身体は失神寸前だ。ガンツソードも紛失してしまい、残るのはボロ布みたいな自分だけ。

だからぼくは足元に転がり込んだ手榴弾を見て今回の戦闘から離脱しようと決めた。真っ白に変わった視界の中でマザーの言葉が再生される。

 

「そもそもT-000は初期の試作品を実戦用に改造したものだ。そのため他の機種と比べ大型化は免れなかった。」

「キャタピラはその名残ってわけか。」

「そうだ。しかし、奴の装甲はT-600の倍は堅い。よほど近づいて撃ちまくらないと破壊は不可能だ。かと言って不用意に接近したら蜂の巣にされる。」

「じゃあこれで斬りかかっても無駄じゃないか。」

マザーは軽くガンツソードを振ってみたぼくに苦笑を返す。駄々をこねる子供に対する母親のように。

「確かにただ突っ込んだだけでは単なるバカだ。それでもお前はそいつを使いこなさなければ、ループから抜けられない。」

ふと1枚の写真を見せられた。T-000の分解図とすぐに分かった。

「胴体の中心にマークがあるだろう。」

すぐ横に拡大画像が添付されていたので、注視するとぼくは息をするのを忘れてしまった。

「見ての通り核を示すマークだ。つまりこの機体は小型の原子炉を内蔵している。ループを発生させるには、莫大なエネルギーが不可欠だからな。」

知らなければ良かったと思った。いつ暴発するか分からない大量破壊兵器が近くにいるのを想像すると、考えただけでも恐ろしくなる。

「だったらT-000を破壊しても…」

「お前はおろか、辺り一面が火の海になる。」

後を引き取ったマザーが淡々と告げた。

「だが、ガンツソードを自在に扱えるようになれば話は別だ。」

少し軽い調子で言うと、今度は頭部の画像を差し出した。

「ターミネーターには頭部にメインプロセッサを司るチップが埋め込まれている共通点がある。この部分を切り離せば動きを停止するのもな。」

自身も赤いガンツソードを起動させる。

「つまりだ、お前は剣でコイツに接近し、頭のチップを壊せばいい。間違って原子炉を斬ったらアウトだ。」

途中で死なないことも込みで。言外に付け足すとマザーはぼくに正対した。

「気楽に言うなよな。」

「なら射撃に変えるか? ちなみに私はできるようになるまで100回は超えたぞ。」

とりあえず意地悪で言ってるわけじゃないということは分かった。

「お前ももう立派な兵士だ。兵士なら諦めるな、どんな理不尽にあっても。」

「買いかぶりすぎだよ。ぼくは…」

「目を見れば分かる。私が保証する。言っただろう? お前の死に場所は私が決めると。」

微笑みながらも彼女の目は真剣だった。それに、その言葉には単純だけど力があった。隊で教官が偉そうに垂れる訓示とは根本から違う何かが。

正直、今まで戦闘に必死でぼくはこれっぽっちも戦いに疑問を抱いたことなど無かった。死にたくないという純粋な本能が身体を支配し、それに従って銃弾を潜り抜けてきた。

けど、改めて考えてみる。もしループから抜けた後、ぼくはこの先何のために戦えば良いのだろう?

特に思い入れの深い人物や、崇高な使命があるわけでもない。大抵の仲間は家族や友人を守るため、と答えるだろうがぼくの親は息子が死んでも泣いてくれるか分からないし、友達も何人弔いに来てくれるかも見通しがない。

本気で考え始めたであろうぼくに苦笑しながらも、マザーは優しく見つめていた。

「無様でも構わない。無駄に死を重ねたくなければ、諦観を殺せ。」

「どういう意味…?」

「心技体…この中で私が教えてやれるのは技術だけだ。寧ろそんなものはどうでもいい。本当に大事なのは心、つまりは兵士としての精神。それはお前自身が手に入れるしかない。」

「揺るぎない鋼鉄のハートって奴?」

段々と重々しい話題になって来たので、空気を変えるために若干茶化した言い方をした。冗談のつもりだったけど予想に反してマザーは真剣な顔を崩すことは無かった。

「そうだな…例えばお前の部隊の仲間が裏切って敵側に寝返ったとしよう。そいつを殺す指令が出たとき、お前は実行できるか?」

「それは…」

意地が悪いと思った。少なくとも簡単に答えられるものではない。

「今でこそ人外の化け物が相手だが、一昔前は人間同士の殺し合いが普通だった。裏切者の存在は軍だけでなく国の脅威になる。軍人は命令に逆らうことは許されない。政治が敵と定めた瞬間から任務に私情を挟むのは御法度だ。」

「…そんな難しい話、分からないよ。ぼくは戦いたくてここに入ったわけじゃないから。」

「だが軍人となった以上、政治から逃げることはできない。与えられた任務に、世界にただ忠を尽くすしかない。」

漠然に過ぎる言葉にぼくは黙って聞くほかなかった。軍、任務、忠誠。当面の引受先程度という軽い認識で志願書にサインしてからはひたすら訓練の繰り返しで、不運な時間の牢獄に囚われてからは生き抜くことだけで手一杯だった記憶を辿ると、馴染まない言葉の集合という印象で留まってしまう。

「タクミもいつか分かる。自分が何者なのか。何を選び取るのか。何に忠を尽くすのか。お前は優秀だがどこか受け身なところがある。状況に流されるままだといつか痛い目に遭うぞ…それからこれは忠告だが―」

不意に真っ直ぐとぼくを見据えると

「幾多のループを経てお前は生き残るための力を引き出してきた。お前自身がどう思おうが、お前は普通の人間じゃなくなってきているんだ。分かるな? お前はもう昔の自分には戻れない。」

そんなことは分かり切っている。このときのぼくは内心でそう呟いたが、今に思えばそのときのぼくは全く成長していないただの間抜けだった。



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10.フラグ

ガンツソードは予想以上に扱いづらい代物だった。切れ味は申し分ないが、中途半端な斬り方ならばその鋭利さが裏目に出て、刃が食い込んで抜けなくなってしまう。また、ターミネーターはいくつもの複雑な部品でできているから、どこかに引っ掛かり、同じ目に遭うこともしばしばだった。

そうなるとお手上げで、手放すしかない。だから斬りまくった。

どんな状況で、相手がどんな種類で、どんな装備を持ち、どんな体勢なのか。

そのすべてを見極め自分がどの角度から、どの位置に、どれくらいの力で刀を振り下ろせばいいかをマザーとの対戦や、実地検証で体に染み込ませ続けた。

けど、そう易しいことではなかった。

 

198周目の昼の食堂で、ぼくは一人で遅い飯を食っていた。数えきれないほど口にしたランチのメニューは、舌が慣れすぎて最早何の味もしない。

でも、一番辛いのは周回ごとに増す頭痛だ。最初は気のせいと思っていたけど、今では痛さのあまりまともに眠れない夜が続いていた。

おかげで精神的疲労に寝不足が付いてまわり、戦場で意識が消えてベッドで目覚めるなんてことも珍しくなかった。

皮肉なことに、そんな状態でも習慣が身に着いた体は勝手に動き、気が付けば訓練してる始末だ。こうなるとターミネーターとほとんど変わらない。

「何しみったれてんだよ、相変わらず暗いやつだな。」

知ってる声が聞こえ、アキラがぼくをど突いて席に座った。

「こんな時間に珍しいね。航空部隊って綿密に作戦立てるって聞いたから、結構長引くって思ってたんだけど。」

「毎回そうってわけでもないわよ。今回は例の特務部隊もいるし。」

腕を目一杯伸ばしながらもアキラは不機嫌そうだった。プライドの高い彼女のことだ。たぶん自分の成果が取られるとでも思ってるのかもしれない。長年の付き合いでこういうときのアキラは愚痴りやすいと分かっていたけど、ぼくは少しうらやましかった。

彼女は仕事を終えた後にスコアに一喜一憂する暇があるのに、ぼくにはない。ただただ訓練と実戦の繰り返しで、今はウンザリして飯を食っている。

そんな風にトレーをぼんやり見ていると、アキラが顔を覗き込んできた。

「ちょっと大丈夫? すごくひどい顔になってるよ、アンタ。」

「え?」

言うや否やアキラの手がぼくの額に伸びた。ちょっとドキッとする。

「うーん、少し熱ない? 念のためドクターに見てもらった方がいいよ。」

「う、うん。」

そんなときだった。

「アッ、アキラ!何してんのアンタ?」

背後から嬌声が響き、程無くして管制官の制服を着た3人の女性が目の前に座った。どうやら知り合いらしい。電光石火のごとく離れたアキラもしまった、って顔してるし。

「何って、一緒にご飯食べてただけ。」

「ウソ、さっきおでこに手当ててたじゃん。」

何故か赤面したアキラにそのうちの一人が突っ込む。

「もしかしてこの子が噂の彼?」

「噂?」

思わず反応したぼくを見た三人組は、一瞬表情を凍り付かせしばらく耳打ちしあっていたが、端っこの女性が取り繕った顔で答えてくれた。

「ええ、以前アキラが得意げに話してたの。私には楽器がとっても上手な男の子の友達がいるって。」

「ちょっとエリ! 私そんなこと言ってないって!」

同感だ。昔からアキラはぼくを褒めたことは一度もない。ひどく慌てだした本人をよそに、エリと呼ばれた女性が続ける。

「何でも軍で兵隊さんやってるって言ってたから尋問したんだけど、この娘全然答えてくれないんだもの。ね、付き合ってるのアンタら?」

いきなりの無粋さに箸が止まったが、何とか顔に出すのは堪えられた。

「もうエリったらやめてよ。別にそんなんじゃないんだから。大体、何でこんな冴えない奴と…」

「あ~ムキになってるところが余計怪しくない?」

「確かに。いつものアキラじゃないもん。」

「冗談。第一私にとって最高の男はリーアム・ニーソンぐらいよ。」

勝手に始まったガールズトークに鬱陶しさを感じつつ、ぼくは味のしないスープを胃に流し込む。本当ならよそでやってほしかったが、彼女らに怒るのは筋違いだし、こんなことにいちいち腹を立てる自分がガキっぽい。

さっさと離れるに限る。そう結論して席を外す直前、テーブルがガタンと揺れた。

「よお、コガ。いい御身分だな。」

明らかに不満げな面持ちででかい手をトレーの隣に叩き付けたのは、何十周も前に因縁づけてきた仲の悪い連中の一人だった。分かりにくいから髪型からドレッドヘアと呼ぼう。

またか。どうして今回に限ってみんな絡んでくるんだ。頭痛とストレスでイライラしてるのに、勘弁してくれ。

「ああ、そうみたいだね。」

軽くうなづくと唐突に胸ぐらを掴みあげられた。

「じゃあ何でヤク中みたいなツラで飯食ってんだ!?」

引きずられた拍子にスープがトレーの中身に混ざる。良かった。誰も汁にかかってはいない。彼の怒声と三人組の悲鳴が重なって、食堂全体が凍り付いた。

「飯はオレたちにとっちゃ大事な楽しみだろ!てめえ見てるとマズくなるんだよ!」

これでもかと言わんばかりにぼくに顔を近づける。少し口が臭かった。カザマに聞いたことがあった通り、入隊以前の奴らは暴走族をやってたらしいけど、マンガで見たような脅し方にぼくは一種の感動を覚えた。

「止めろよオイ。ここ食堂だぞ?」

怯える三人を置いて、アキラが真っ向から抗議する。

「何だよ、アキラだって変だと思わねえのか、コイツの顔。」

そのセリフと最寄りの洗面台の鏡でぼくはようやく原因を知ることになった。

半開きの目とその下にできたクマ、不機嫌そうに下がった眉。ひどい顔、ヤク中。

なるほど、そう言われるのも納得だ。あの三人が固まるのも頷ける。

「はあ? タクミは元々変な顔だからいいけど、私はこの子たちが怖がってるから止めろって言ってんの! それにね、アンタ誰だよ? 初対面のくせにいきなりファーストネームって図々しいんだけど。」

ああ、余計なことを。止めるつもりが火に油の結果を招いたアキラに憤慨したドレッドヘアは、ぼくの腕を引っ掴み建物の裏まで連れてくが、大勢の野次馬が着いてくるものだから目立つのは避けられない。

このままだとぼくにとって最悪の展開になってしまう。流されるのはイヤだった。

「その、止めようよ。後で曹長にバレたら大目玉になっちゃうよ。」

穏やかな調子で和平会談を持ちかける。恐らくここでぼくをボコッてアキラに印象付ける目論見なんだろうけど、そうはいかない。

「うるせえ、だったら大人しく殴られろ!」

「こらノロタクミ! アンタ男だろ、たまにはやり返してみろよ!」

野次馬どもの最前線に女性陣を伴ってきたアキラが無責任なエールを飛ばしてきた。それに連られて周りからも野次や口笛が聞こえ、一層頭痛が酷くなってしまう。

いよいよギリギリに張りつめていた何かが崩れる音がした。ちょうどいい。だったら少しウサ晴らしさせてもらおう。

「おいタクミ、構うことないぞ。後でオレから言っといてやるから。」

いつの間にかカザマが背後から肩に手をかけてきた。後ろにエリさんがいることから、どうやら救援に呼ばれてきたらしい。ますます不快になったぼくはお椀と箸を持たせて、ドレッドヘアの前に進み出た。

群衆から歓声が上がり、試合のゴングが鳴る。

余裕の笑みを浮かべたドレッドヘアがすかさず怒涛のラッシュを繰り出す。けど、ぼくはそれをすべてかわすことが出来た。

有り得ない光景に一瞬空気が停止したが、直後にタクミコールが始まった。今度は蹴りが来たが、マザーの動きに何とかして追いつけるようになった身には、わずかな筋肉の動きで相手の次の挙動イメージがくっきりと浮かんでいた。ひょっとしたら目を閉じても気配で分かるかもしれない。

持ち前のパワーで押してくるから、全体的に大振りすぎる。お陰で力の流れが読みやすく、少しでも触れたら自分から派手に宙を舞ってくれるだろう。

「もっと脇を締めたほうがいいよ。」

アドバイスしてあげたら、もっと赤くなって拳を振り回してきた。ひどい奴だ。

なおやたらと出る隙を見つけては、ぼくは頭の中でドレッドヘアのキルカウントを数えていた。

「チクショウ、チョロチョロしやがって…」

痺れを切らしたドレッドヘアが渾身のストレートを放つ。訓練を受けた中々切れ味のある攻撃だが、素直過ぎる軌道がぼくにがら空きになった懐への逃げ道を教えてくれる。

後は脚を相手のそれに引っ掛け手で肩を固定し、反射的に退こうとする動きを利用しもう片方の手でおでこを軽く後ろに押せば、やや密着気味の姿勢から崩れたドレッドヘアは脳天を直接地肌にノックすることになった。2本の脚が天を向いて痙攣する様子は我ながらかなり悪意のあるカウンターだったと思う。

勝敗は決したのに、誰も何も言わなかった。いち早く我に返ったアキラが駆け寄ってきた。

「タクミ…」

けど、ぼくと目が合った途端、彼女はその場で固まってしまった。



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11.恥辱

その日の夜、アキラはナイジェルらが盗んだ酒を代わりに補充してくれとエリたちに頼まれ、倉庫に向かっていた。

なんで私がこんなことを、と渋ったがエリたちオペレーターは、明日の作戦要綱の最終チェックに余念がなく、雑用に割ける時間がないのだった。大事な友人の頼みとはいえあまり乗り気のするものではない。

電燈が灯る夜道を歩きながら、昼間の騒動を思い出す。あの後、騒ぎを聞きつけた曹長が現れ事情を知ると、ドレッドヘアは治療後に営倉にぶちこまれ、タクミはその前に姿を消してしまった。

ふと立ち止まり、あの時振り向いたタクミが脳裏に浮かんだ。今まで見たことのない顔だった。無表情で物を見るような目は本物の殺気の表れであり、アキラも一瞬だが寒気を感じた。

だが、すぐにアキラだと気づくと今度は悲しげな表情になり、逃げるように現場から離れていった。あの目を意識して、思わず身震いしながら再び歩き出す。

あの気弱で自分に助けてもらってばかりのタクミが、昨日までは普通だったのに、何があったんだろう?

 

収まらない想像を続けながらアキラは倉庫に着くと、妙なものが映った。シャッターが開いている。とっくに利用時間は過ぎてるのになぜ?

疑問を感じつつ中に入り電気をつけると、目を疑う光景がそこにあった。謹慎処分されたはずのドレッドヘアが右手に銃を握り、立っていたのだから。

驚愕した様子なのは向こうも同じで、一拍早く我に返ったアキラはすぐに逃げようとしたが、壁に着弾した拍子に降りたシャッターが退路を断ってしまった。狂気の目で狙いを定めてアキラを奥に追い詰めたドレッドヘアは、テープで両手を縛ると柱にくくりつけた。

「…何でここに居んだよ。」

ようやく絞り出した声に

「決まってんだろ。アイツに天罰を下すためさ。大勢の前で恥かかされたんだ。当然やり返す。」

「だからって銃を使うわけ? ガタイはいいくせにやることはチャチね。」

嘲りを含んで言い返すと、躊躇なく銃口が突き付けられた。

「どうせ明日死ぬんだ。今日でも変わりゃしない。だが、お前が条件に従えばコガは見逃してやる。」

したくもなかったが、内容はほぼ予想できた。けど、タクミを守るには他に方法がない。アキラはドレッドヘアを殴り殺すのを我慢して提案を受け入れた。息を荒くしたドレッドヘアの無骨な手が、遠慮なくアキラの胸に伸びる。

虫唾が走るほど気持ち悪かったが、歯を食いしばって何とか耐えた。

「噂は聞いてたが中々の巨乳だな。ミス・ヨコスカは伊達じゃないってか。」

下卑た笑いを浮かべたドレッドヘアを精一杯の殺意を込めて睨みあげる。

「いいねぇその目。たまんねえな。」

不意に手が離れたと思ったら、シャツを剥かれブラに包まれた豊満な胸が露になり、さらにはズボンも脱がされた。恥辱のあまり唇に血が滲む。格闘術に関しては厳しい訓練で耐えた分それなりの自負があるが、拳銃相手ではあまりにも分が悪い。

「そう泣くなよ。おかげでお前の好きな幼馴染が死なずに済むんだからな。」

「殺してやる…!」

心の底からの憎悪と一緒に唾を吐いたが、頬にビンタを浴び、腹を蹴られ、激しくせき込んだ。すると、股間に冷たい感触が当たった。

視線を転じると下着越しに拳銃が触れている。

「暴れるなよ。手元が狂って撃っちまうかもしれないからな。」

念のためにセーフに指をかけているが、それもドレッドヘアの気分次第でどのみち言いなりになるしかない。

口から垂れた血を気にすることもなく、ドレッドヘアはブラを剥ぎ取ると隠すものがなくなった胸を嘗め回し始めた。ナメクジが這うような気色悪さに体中の汗が噴き出るも、アキラは忍耐を貫いた。

これでアイツが助かるなら。ただそれだけを依代にしながら、アキラは堪え続けた。すると相手の顔が急に離れた。終わったのかと視線を戻したアキラは、それがとんでもない間違いだと知る。

ドレッドヘアは空いた方の手を自分のベルトに伸ばし、バックルを外そうとしていた。その意味を悟ったアキラは必死に抵抗するが、銃床で腹を打たれ力が萎えてしまった。

こんな場所で、こんな奴に、今人生最大の屈辱が訪れようとしている。

半分あきらめて目を閉じたそのとき、シャッターが開く音がアキラの耳に届いた。



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12.過失

いつも通りに倉庫に入ると、有り得ない光景が広がっていた。人が二人もいる。

それにどちらも見知った顔で、下着姿で拘束されたアキラと興奮で顔を赤くした昼間の男がそろってぼくを凝視していた。

いきなりのイベントに面食らったけど、とりあえず

「えーと、取り込み中申し訳ないんだけど、ぼくこれからここでトレーニングしなきゃいけないんだ。悪いけど別の場所でやってくれないかな?」

何歩か踏み出すと、ドレッドヘアが黒い物体を向けてきた。見たとこ軍正式採用のハンドガンだけど、常時携帯は発令されてないし、後ろに並んだ同種品から盗んだものだと判別がついた。

ついでにアキラにも視線を移すと、お腹には痣ができ、顔も腫れているのが分かって、ぼくはようやく状況を理解できた。

「…どうやらそういうプレイじゃなさそうだね。」

ゆっくりと距離を詰めながら相手を観察する。

「来んじゃねえ!」

「逃げろタクミ!」

が同時に響き、ぼくは倉庫の中央に留まった。

 

「そこにいろ。今殺しに行ってやる。」

頭に血が上っているのかドレッドヘアは目を血走らせて歩み寄り、3メートルほど空けて止まった。銃口は小刻みに震え、慣れない状況に錯乱している。

下手に刺激すれば逆効果で、アキラも人質にされた状態だ。でも、ぼくは冷静だった。思考がマヒした人間の対処法はマザーが教えてくれたし、何よりぼく自身がそうだったからだ。せっかくいいところで邪魔されたんだから、相手の気持ちが少し分かる。

早くトレーニングに移りたかったから、一番シンプルなやり方を選ぶことにした。

「撃てるの?」

顔筋を総動員して嘲笑った表情を作り出す。今までいじめられてた手前、変に力みすぎたか心配だったけど、ドレッドヘアは引っかかってくれた。

「ああ?」

怒りが頂点に達し、こめかみに銃を突きつけられる。計算通りの位置だった。

「今何つった?」

完全に理性が飛んだ男は拳銃が活かせる距離を自分で殺したことに最後まで気づかなかった。

ぼくの戦闘シュミレーターが対人戦用に置き換わり、左腕で銃を跳ねあげ狙いを外しつつ身を沈める。相手がたじろいだ一瞬で当身を入れ、右手を銃に添える。そのまま両手で腕を少しひねったら、ドレッドヘアは簡単に投げられていた。

無様に地面に叩き付けられたけど、すぐにトリガーを引く。

でも撃鉄の音はなく、なぜか軽くなった右手を見ると、あるはずのものが消えていた。

「スライドが…!」

「返すよ。」

目の前にバラバラになったパーツが散らばる。ぼくが銃をつかんだ間に分解したのだった。呆けた目を向けてきたもののドレッドヘアは諦めず、格闘の体勢に移り、右フックを振るった。

その動きを予測したぼくは、拳の勢いが乗る前に踏み込み腕を抑えて鳩尾に一発かまし、相手が怯んだ隙に腕の骨をへし折ってやった。悲鳴が漏れ、巨体が折れた箇所に手をやりながらうずくまる。

「そこでしばらく頭を冷やしておいた方がいいよ。」

久々の爽快な気分に思わず強気な言い方になってしまったけど、相手は納得できないらしく、根性で立ち上がると負傷しているにも関わらず無理矢理連打の嵐を浴びせかかった。

純粋な殺意を込めたいいパンチだったけど、ダメージを受けた分動きが鈍い。

「足元をよく見なきゃ。」

アドバイスした部分を思い切り踏みつけてやった。もう一度うめいたドレッドヘアが硬直した間にブレた拳に片手を添えて軽く円を描くと、綺麗に飛んで一回転してくれた。それなりに時間を稼ぎアキラを逃がそうとしたけど、途端に激しい頭痛がぼくに襲い掛かった。これまでとは比較にならない痛みで立てなくなる。

ぼやける視界の中で、千載一遇のチャンスに巡り合ったような笑いを上げたドレッドヘアがケガを押してズルズルと近寄ってくる。

殴り飛ばされ、押さえつけられ、これでもかと顔面を殴打された。毛細血管が破れて視界が赤くなっても、伊達に鍛えてない精神力はぼくを失神させてくれなかった。

きっと顔面が5cmは潰れたなと思えるくらい殴られまくったとき、さっきから沸々とたぎっていたどす黒い何かが突然噴き出してぼくを支配し、腕を振り上げてがら空きになったドレッドヘアのにやけ顔に、全力のカウンターをめり込ませた。

パキュッと小気味良い音が鳴り、気絶したのかドレッドヘアが起き上がることはなく、ぼくは寄りかかった巨体から這い出し、アキラの拘束を解こうと近づいたときだった。

 

「…アンタ、誰?」

涙の跡を残したままのアキラがボソッと呟いた。

「アキラ、どうかした?どこか痛い?」

傷の具合を見ようとして彼女に触れかけた。

「イヤッ!」

身体を揺らすアキラに訳が分からず戸惑っていると、揺れた拍子に備品入れから一枚の鏡が落ちた。何気なく拾ったらそこに映ったものを見て愕然とした。

殴られて腫れているにも関わらず、目はこれ以上ないくらい開き、口角も異常に吊り上がっている。顔中血まみれのせいで余計不気味に感じられた。例えるなら『チャイルド・プレイ』のチャッキーみたいな感じだ。

自分でもこんな顔になるのかと疑ったけど、鏡の笑顔は紛れもなくコガ・タクミのものだった。

不意にあの時の感触を思い出し、ドレッドヘアに駆け寄る。予想は当たっていた。

未知の衝動に促され、リミッターを外したぼくのパンチは彼の顔を一回転させ、目玉と首の骨を飛び出させていた。のっぺりとうつ伏せになった体の腰の辺りから、にじんだ黒いシミと液体が異臭を放つ。

「アンタ、誰?」

背後からひどく優しい声が響き振り返ると、震えながらもアキラが答えを待っていた。すでに顔は元通りだったけど、上手に返事をする自信はなかった。

黙ったまま近づき、縄を解いて散らばった服と毛布をよこした。

「ごめんね。ぼくのせいで怖い思いをさせてしまって。」

 

怖いのはぼくの方だ。倉庫から逃げたあとはひたすら走った。

殺人の事実が怖かった。望んでそれを実行した自分が怖かった。でも何よりそれができてしまうこの力が怖かった。

走りつくして倒れると周りは海と砂だけだった。どうやら基地の外に出たらしい。

『お前はもう昔の自分には戻れない。』

どこからかマザーの声が聞こえ、涙がこぼれた。

もっとちゃんと聞いておくべきだったのに。そうしたらこんなことにはならなかったのに。

地面に拳を打ちつけると、金属の音が混じって聞こえた。最初に基地を脱走したときにターミネーターに撃ち殺されたように、海から同じシルエットが現れたけど、このときのぼくには神様の救いの手が差し伸べられたのだと思った。

ぼくは初めて自分から死を受け入れた。



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13.慰め

訓練開始から20分、ついに均衡が崩れた。注意が切れた一瞬を見抜かれ、相手が力を緩めた途端、鍔迫り合いが解かれてよろけたぼくは、全身を切り刻まれた。

溜まった唾と一緒にスーツから液体が流れると、マザーがぼくをリセットすべく剣を刺そうとした。が、

「何かあったか?」

「は?」

「顔にそう書いてある。」

図星なのだが話す気にはなれなかった。教わった技術で人を殺しましたなんて言いたくもない。

「さあ、忘れたよ。」

「人を殺したな?」

心臓が一際高鳴り、前の回の記憶が生々しく浮かぶ。

汚物を撒いて横たわったドレッドヘア、恐怖におびえるアキラ、あの殴った感触が腕に蘇り、たまらずぼくの胃の中身が逆流した。

あらかた吐いた後、呼吸を整える。

「気味が悪いな。何でも知ってるように聞こえるよ。」

「似たようなやつを何人も見てきた。恥じることはない。」

マザーの淡々とした声音がぼくのブレを奥まで射抜いていた。

「お前、何が得意なんだ?」

唐突に話題を変えたマザーの意図が分からず、ぼくは首をかしげる。彼女の言うことなんだから、何か意味があるのかもしれない。

「何かあるだろう。」

「絵を描くこと…かな。」

自信なく答えてしまったのは、中学のコンクールが原因だった。美術の授業で出場者を決定するので、期日までに作品を提出しろと言われた。

どちらかといえば上手かったぼくは、顧問にもそこそこ期待され、自分でも出場枠に引っかかってくれたらいいなと思っていた。

もちろん勉強をないがしろにして取り組む科目じゃないが、合間を縫って仕上げようとしたぼくは親に見つかってしまい失敗した。

何だこれは。こんなものに時間を使うなら、一問でも解け。

とは言え、申し込んだので出さないわけにはいかず、ほとんど適当に描き上げ、予想を裏切らず落選した。結局、これで戦意を喪失し家庭状況の悪化と多忙さもあって、ぼくはそれ以来筆から距離を置くようになった。

「じゃあ、描いてみろ。」

「…さっきからマザー様子がおかしいよ。」

「いいからやれ。命令だ。」

マザーの突然の指示に余計理解できなかったけど、命令ならば仕方がない。

というわけで、ぼくはPXで勝ったスケッチブックとペンを数年ぶりに手に取った。線を引くだけの単純な作業でも、驚くほどの喜びを感じた。何もない空間に躍動が生まれ、命が芽吹くのだから。久しぶりの快感に夢中で手を動かしたけど、長いブランクは簡単には埋まらず、思ったよりひどくなってしまった。

マザーに見せると

「すごいな。大したものだ。」

「だったらちょっとは笑ってほしいな。」

確かに、観察しているときのマザーはいつもの厳しい表情だったし、全体的に陰のある雰囲気になっている。

「アンタあんまり笑わないし。描いてる時も仏頂面でさ。」

「うるさい。」

そう言いながらも、マザーはしげしげとヴァイオリンを覗き込んでいた。少し頬を緩めたらきれいなのに。

そのとき、ぼくの頭に閃きが走った。時間はかかるが、ぼくには関係ない。

「じゃあさ、もう1回チャンスくれないかな。今度はぼくが凄い絵を描いてちゃんとマザーをびっくりさせるから。」

思いがけない提案にマザーは目をパチクリさせたけど、

「いいだろう。上手くできたら一杯おごってやる。」

と了解してくれた。

 

その回からぼくは、イメトレの代わりに積極的に筆を握るようになり、手のかかる報告書も無視してスケッチブックにのめり込んだ。今にして思えば、ケアとしてマザーの思惑に乗っかった形になるけど、気にはならなかった。何であれ休息は必要だし、人に腕前を褒められたのは初めてだった。

実際、効果はあった。観察力が身に着いたのか、以前より明確に相手の動きを読めるようになったのだ。今では銃口の向きと筋肉の連動を察知し、弾丸の軌道を予測することもできる。仕草や体つきからその人が何の仕事についているかも予想するようになった。

ぼくはマザーに対して深い感謝と敬愛を覚えた。もしあのまま打ち明けなかったら狂っていたに違いない。

200回近く彼女と鍛錬した経験は、もはやぼくと一体化しつつあり、ぼくの中にマザーが息づいていた。あの人とだったら、きっとこのループを乗り越えられる。そう確信することで、ぼくはより戦いに打ち込めるようになった。

214周目、ナイジェルを爆弾から庇って死亡。52体撃破。

231周目、スーツの故障で戦えなくなり死亡。67体撃破。

256周目、敵のトラップにはまって死亡。83体撃破。

269周目、頭痛のひどい回で意識が途切れた。96体撃破。

このころになると昔の勘も戻り、テーマや構想も試行錯誤の末に決まって、大体のステップはクリアした。あとは練習して届けるだけだ。

そして完成形が見えてきた277周目…



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14.277周目(1)

砂塵が吹き荒れ何も見えなくても、ぼくは2時の方角に敵が現れたのが分かっていた。そいつらがランチャーをぶちかますことも。

「タクミ!」

耳にタコができるほど聞いたナイジェルの警告に内心舌打ちしつつ跳躍し、かわした攻撃の爆風の勢いを借りて飛び込んだぼくは、黒い刀身をシャッと振ると一拍おいて敵の上体が崩れ、伝導液が血のように吹き出した。

「あれ、本当にタクミか…?」

仲間の一人が文字通り目を点にして、呆然として呟く。無理もないだろう。

つい昨日まで模擬戦にもビビっていた後輩が、マリナ・オーグランの真似事でガンツソードを持ってきたとばかり思っていたのに、冗談抜きに彼女そっくりの戦い方で鬼人のごとき働きをやってのけているのだから。

「全員聞け!これより第8中隊はコガ・タクミを全力で援護する! 奴の動きを絶対に妨げるな!」

曹長の戟が飛び、味方がぼくの周りを取り囲む。ちょっとした高揚感を感じながらぼくは地を蹴った。

 

物凄いスピードで雲が後方に流れるが、ガンツ製のエアバイク(飛行ユニット)の座り心地は相変わらず快適だ。

何もシートまで気を遣わなくてもいいだろうと他兵科はこぼすが、アキラには重要問題だ。メイクが許されない訓練時代からようやく解放されたのに、機動Gやストレスで痔にでもなったら笑えない。

エアバイクはガンツバイクに円盤状のローターを装着したもので、全体としてはUFOに見えてもおかしくないが、その最高速度はかつての戦闘機に勝るとも劣らない。そのくせ、パイロットには極力負担がかからないよう設計されているから、曲芸飛行もお手の物だ。

武装面でもプラズマ機銃とミサイルが2門ずつあるからハンターキラーにも十二分に対抗できる。

これらの性能とスーツの恩恵もあって、アキラはその才能を存分に発揮し、1年前の初陣からこれまで30機近い撃墜数を記録した。所属する部隊内ではエース級の戦果で、自分でもそう思っていた。

けど、今日は事情が違う。REXとかいう特殊部隊が作戦に参加しているからだ。何でも隊員のおよそ半数が勲章受章者で、特に隊長の女が別格に強いらしい。刀一本で100体以上のターミネーターを地獄に送ったらしいけど、噂話に大抵尾ひれはつきものだから、アキラは鼻で嗤ってやった。

聞けばREXは新しい戦術や兵器をテストするプロパガンダ的存在で、リーダーが女なのも血の気の多い野郎どものささやかな心情に配慮してのことみたいだ。

(ま、それなりに美人だし。)

ヘルメットに映し出されたウインドゥを読み取りながら、アキラは操縦桿を左に倒す。すぐ横を敵のバルカン砲が大気を震わせた。

今回の彼女らの任務は戦闘区域の上空に現れる敵の爆撃機を迎え撃つことで、地上部隊の被害を最小限に留める役割だ。アキラはこれまでに5機の撃墜に成功し、上機嫌だった。

「っと!」

後ろから再度火線が迫り、下降してやり過ごす。そのまま地上に向けて落ち続けると、敵機が追いすがってくる。狙い通り。

落下を装って射程内ギリギリまで引きつけると、レバーを手前に引いてユニットを急上昇させる。それでも付きまとうハンターキラーを視認したアキラは、構うことなく雲に突っ込んだ。

直後に同じ道筋をたどった敵機が動きを鈍らせた一瞬を突き、急制動をかける。瞬間的に抑え込もうとしてくるGに耐えたアキラは、素早く背後を取りボタンを押した。

何か閃光がまたたくと同時に雲が弾け飛び、少し遅れてユニットが爆発の煙を引き裂いて現れる。これで6機目。

張りつめた息を吐くと、耳元のスピーカーに通信が入った。

「またやったのか、アキラ。」

「うん、今日は何だか調子いいみたい。」

「よく言うぜ。3か月前には二ケタ近く落としたくせに。」

ディスプレイの隅っこに映る金髪の男の顔が大げさにため息をつく。

「そういうカルロスだって、この前上からメダルもらってたろ。」

「それでもお前には負けるよ。はあ、またオレがおごるのか。」

「無駄口叩くヒマがあるんなら手を動かしたら? 一機で100ドルの決まりでしょ。」

すれ違う敵のいくつかに当たりをつけて、機体を反転する。エアバイクはスピードだけじゃなく、格闘戦も申し分ないくらい細かく動いてくれる。

「ま、精々頑張るさ。そっちも暴れすぎて幼馴染君に逃げられないようにな。」

いきなりのカウンターにドキリとしたアキラは、つい大声で叫んでしまった。

「ちょ、ちょっとカルロス! アイツとは何でもないって何度も…!」

言い返す前に男の顔は画面から消える。

「オイ! …ったく。」

仕方なくアキラは操縦に専念する。空を飛ぶのは嫌いじゃなかった。小さいころに家族で見に行った戦闘機の美しいフォルムに魅せられて、作文でパイロットになりたいと書いた思い出がある。

女のお前なんかになれっこないとバカにした男子を、土下座させて謝らせたのはご愛嬌だ。お陰で小学校時代に「ゴジラ」という不名誉な称号を得たが。

あのころのアキラは良く言えば学校のアイドル、悪くて男も黙らせる女帝だった。喧嘩は負けなしで学校どころかそこら中の公園なんかもテリトリーにしていたこともある。

さっぱりとした振る舞いから女子には人気だったが、男子からは畏怖される対象でしかなく、唯一口を聞いていたのはさっき話題に上がったタクミくらいだ。

だからといって、彼とのことで冷やかされるほど当人同士の関係が進んでいるわけではない。

言うなればいつまでたっても甘ちゃんの弟を心配する姉のようなものだ。断じて異性と感じてるわけではない。

ふとタクミのことを思い出し、司令部からのデータを呼び出して地上部隊の様子を確認する。これも決してタクミの安否を気にしているわけではない。単に気になっただけだ。

「えっ!?」

数秒意識が画面に吸い込まれ、操縦が疎かになる。空間戦闘で直進移動は死を意味する。わずかな隙を狙ってハンターキラーが追尾してきたが、味方の援護なのか、すぐに落とされた。

「何やってるんだアキラ! あのままだと狙い撃ちだったぞ!」

スピーカーから耳鳴りがするほどの音量でカルロスががなりたてる。

「あ、ゴ、ゴメン。レバーが何かに引っかかったみたいだったんだよ。もう大丈夫。」

「ならいいんだが…。貸しにしとくぞ。」

通信が切れても、アキラはレーダー画像がバグってるんじゃないかと考えていた。

そうじゃないと支援役の第8中隊のマーカーが、激戦区のど真ん中に陣取ってるなど有り得ないのだから。



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15.277周目(2)

リーチを伸ばして大上段に振り下ろしたガンツソードは10m先まで届き、3体のT-600をまとめて切り倒した。戦闘開始から約2時間、第8中隊は上陸地点の煙台海岸部から怒涛の進撃を続け、現在は主力の第12連隊が陣を張るまでの時間稼ぎを担っていた。

「ナイジェル! ゴトウの馬鹿がしくじりやがった、こっち来い!」

「無茶言わないで曹長! ついさっきヤマニシとバーニーを後方に送ってきたばかりなんスよ!」

あちこちから怒声がこだまするけど嫌な雰囲気じゃない。むしろ、まだまだこれからだって勢いを感じる。何やかんやでみんな楽しんでるようだ。

無論、ぼくも楽しかった。今までの戦場でこんなに張り切って押し進んだことはないほどだ。隊の仲間が楽器を持って行進しているのなら、ぼくは先頭に立って棒を振る役だ。

一振りごとに全身全霊を込めて、土とオイルが混ざった大地を開拓していく。硝煙を纏いながら敵の頭蓋を踏み砕き、蹂躙する。味方もそれ続けと前進し、銃をぶっ放す。中にはコンバットハイになった奴もいた。指揮役の中隊長も言うことを聞かない部下に半ば憤慨しつつも、ぼくに着いてくる。

「曹長、部隊の損害は?」

塹壕に隠れて敵から奪ったマシンガンを豪快に撃ついかつい背中に尋ねると、曹長は大笑いしてバンバン背中を叩いた。

「なんだ嫌味か? 大丈夫だ、どこかの猫かぶりのおかげで死人は出ちゃいない。」

それを聞いて安心した。この回にたどり着くまで隊の仲間を何人犠牲にしてきたことだろう。でもそれも今日限りだ。もうすぐこのイカれた世界から脱け出すために、もう誰も死なせない。

「しっかしあれだな。よくよく考えると信じられないよな。」

ナイジェルが口を挟む。

「何がです?」

「お前さんのことだよ。こんなに強いのに何で今まで演技してたんだ?」

「敵を欺くにはまず味方からって言うでしょう? それに少し謎めいていたほうがモテるって聞いたんで。」

「そうか? けどお前が女の子に声かけられたところ見たことないぞ。」

「放っといてください。」

気楽なおしゃべりをしつつ、時計を見る。そろそろお出ましだ。

「曹長、前にいるイシヅカとホリカワに下がるよう伝えてください。」

「何でだ?」

「時間です。」

指で天を指すと、小型輸送機が降下してくる。恐竜の骸骨のマークが施されたそれは、積んである焼夷弾をあたり一帯にばらまき、うろついていた雑魚を一掃すると中から赤いラインが浮かんだスーツを筆頭に続々と増援が着地する。

「タクミ、待たせたな。」

土煙の向こうから高い声が響き、戦場の女神マリナ・オーグランが颯爽と姿を見せる。その存在感と振る舞いは周囲の人間を隠れることも忘れて、無意識に視線を集めさせる。

「いいや、時間ぴったりだよ。」

「そうか、ならいい。」

合流を成功させた後、マザーは唖然とする隊のみんなに応援にきたと告げ、中隊長にぼくを借りる旨を伝えた。隊長はしばらく渋ったみたいだけど、結局マザーに押し切られてしまった。

「よし行くぞ。やり方は覚えてるな?」

 

作戦開始14時間前。

「出てこない?」

「うん。最初の1回からずっと見てないんだ。」

ぼくはこのループの元凶ともいえるT-000にまったく遭遇できていなかったのだ。

「そういうのは辛抱して待つものだが…分かった。私も同行しよう。」

「え?」

「もしかしたらループの波動を発しているのが2人いるから、奴も混乱しているのかもしれない。別れるより一緒に行動していたほうが、向こうから現れるだろう。それにお前が間違ってエンジンを斬ったりしたら困るしな。」

 

そういうわけでぼくらはタッグを組んでT-000が現れるのを狙っていた。

正面に無数のターミネーターが立ちふさがる。それでもぼくらは怯まずに突っ込んでいく。数秒遅れて10体以上が吹き飛んだ。さらに増える。

30秒もしないうちに半径100mほどの敵は物言わぬ鉄くずと化し、1分経つころには相手の包囲網はガタガタになった。赤と黒の閃きが走るたびにターミネーターの頭が、腕が、脚が飛び、味方は雄たけびを上げる。

彼女が飛ぶ。その動作を感じ取ったぼくは、飛んでいる間にマザーを狙い撃ちしようとする輩をピックアップして瞬時に片づける。着地。また斬る。斬る。斬る。

それでも湧き出る敵を前にしても、ぼくは奇妙な安心を感じていた。恐怖がないわけじゃない。恐怖は重要だ。呑まれると膝は震えて動けなくなりすぐに死んじゃうけど、研ぎ澄ませるといい感じで緊張し体の運びを速めてくれる。

でもぼくは安心していた。マザーという絶対の戦友に背中を任せている。今までたった一人で戦ってきたぼくにとって、それは途轍もない安らぎを与えてくれた。お前の死に場所は私が決める。殺し文句だな、と思った。この人の隣にいる限りそんなことは有り得ないというのに。

再び敵が襲い掛かってくるが、ぼくには些細な出来事に過ぎない。どうせ全部返り討ちだ。どんなに絶望的な戦場にいたとしても、この最高のバディに切り抜けられないものはない。ぼくらは2人で1人だ。

そのときだった。

遥か1km先にぼんやりとシルエットが見えた。すぐにT-000だと直感した。

「マザー!」

「ああ確認した。焦るなよ。」

ぼくとマザーは全速力で駆け出した。行く手に何百ものターミネーターが立ちふさがるけど、ぼくらは抜群のコンビネーションで関係ないとばかりに斬りまくる。T-000が放った砲弾をガンツソードで斬り払って一気に肉薄する。

「やれタクミ!」

「これで終わりだ!」

巨大な体の懐に潜りこみ、ぼくは頭部に刃を突き立てて-

 

次に目に入ったのはいつも起きた時に移る兵舎の天井のシミだった。



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16.特別休暇

ナイジェルに怒られ、朝食を食べていると曹長に見つかり、体罰をくらってマザーと会う。278周目の今日も相変わらずの展開で、彼女のきつい眼差しを受けるのも278回目だ。

ぼくは前回の戦闘でなぜループが発生したのかさっぱり分からなかった。そんなわけでぼくはいつものとおりマザーと訓練場に来たのであった。

「なるほど、それで私に声をかけたというわけか。」

ここまでは今までと同じだ。

「うん。これでアンタと会うのは278回目なんだ。」

「大した数字だな。それだけループすればもう私に用はない筈だろう。」

「ごめん。でもまだ聞きたいことがあるんだ。」

ぼくが前回のいきさつを説明するとマザーは少し訝しんだみたいだったけど、ほんの数分席を空けてすぐに戻ってきた。

「何してたの?」

「ループに関する研究の報告書を洗い直してみただけだ。恐らくはT-000に内蔵されていた予備装置が働いたせいだろう。心配するな。次の戦いではそいつを先に破壊すればいい。」

「予備装置? でも以前見せてもらった解剖図にはそんなものなかったけど…」

「稀にそういう個体があるらしい。私もまだ見たことがなかったから、説明し損ねたんだろう。」

私もまだまだだな、と苦笑いを浮かべるマザーは実年齢より若く見えた。

「そうか、分かったよ。だったら早速訓練に移らなきゃ。」

椅子から離れて自分の装備を取りに行こうとしたら、何故か腕をつかまれた。

「いや、いい。私と一緒に出撃したのなら、お前はもう十分に生き残れるレベルに達している証拠だ。今日は特別に休んでも構わん。」

「でも念のためにお互いの動きを合わせておいたほうがいいと思うけど…」

思いもよらない発言に驚いて言い返すと

「私が何回ループを繰り返してきたと思う? お前がここに来るまでの間観察していたが、体重移動や体の運びを見ても問題はない。大体出撃の前日は体を休めておくのが兵士の基本だ。念を入れたいなら自分のコンディションをベストに保て。」

「で、でも…」

「私が許可を出しているんだ。それとも上官の好意を渋って台無しにするのが日本の流儀なのか、コガ・タクミ二等兵?」

「いえ…」

 

そんなわけでぼくはマザーを連れて基地の中を案内することになった。

部隊の性質上一ヵ所に留まることはほとんどなく、地上より輸送機で眠る時間の方が長かったらしい。中でも日本に来るのは初めてで、食事にはかなり興味があったようだ。だから最初は食堂だった。

正直なところ今の状態で人目につく場所は勘弁してほしかった。周りの視線がとても気になる。食堂にたどり着いた瞬間、兵士たちの喧騒が止まりみんなが揃ってぼくたちに目を向けた。予想はしてたけどこれは中々のイベントだろう。抵抗軍一の英雄と吹けば飛ぶような見た目の新兵という組み合わせなんて9.11以上のショックを与えたはずだ。

しかしマザーはまったく気にかけることなくカウンターで食器を取り、淀みのない動きでメニューを受け取り席に着く。慌ててぼくも同じものを選んで付いていったけど、視線の強さは相変わらずだった。

「遅いぞ。どうかしたか?」

「いや、こう…周りの空気っていうかさ…ねえ、早く食べて次のところ行こうよ。」

「何を言う。折角ジャパニーズフードを拝めるんだ。誰だってゆっくり食べたいだろう。」

マザーは聞く耳持たず、といったように次々とおかずを口に放り込んでいく。

「美味いものだな。特にこのエビの揚げ物は絶品だ。」

「テンプラのこと? ここの人気でね。時々しか出ないんだ。」

「こっちは何だ?」

マザーが新たに興味を示したのは梅干しだった。そのときぼくはちょっとしたイタズラを思いついた。日頃苛酷な訓練を受けさせられているんだ。少しくらいの仕返しくらい構わないだろう。

「それは梅干しって言ってね、デザートだよ。ちょっとクセのある味だけど美味しいんだ。」

得体の知れない新型のターミネーターと遭遇したかのように、身構えたが意を決したのか3個ある梅干しを一気に飲み込んでしまった。

途端に顔が信号機みたいに赤くなったり青くなったり、身体を丸め込んで机に突っ伏してヒクヒクさせている。

その隙を突いて、マザーのトレーにブロッコリーをさりげなく移そうと画策したぼくの目論見は、横から侵入してきた白い手に阻まれた。

「アンタ18にもなってまだブロッコリー苦手なの? ったく、やっぱりガキのままだな。」

アキラだった。

「い、いいじゃないか別に。アキラだってこの前ぼくに無理矢理…」

「うっさい。私はアレルギーだから仕方ないの。」

絶対ウソだ。でも後々の仕打ちを考えると言わない方が賢明だから、言葉は呑みこんでおいた。そんな自分が悲しく思えてならないかったけど。

「おいタクミ、何だこれは。クセがあるどころかRPG並みの強敵だぞ。」

ようやく梅干しのダメージをやり過ごしたマザーが文句をぶつけると、反射的に視線を合わせたアキラの顔が見る見るうちに、それこそRPGをくらったような表情を形作った。

いくら彼女と言えどもこの9.11ショックを脱するのに5秒はかかっただろう。けど放心したのも束の間、アキラはぼくを引っ掴んで食堂の隅っこに連行した。

「どういうわけ!?」

「どうって…」

「何でアンタが!? あの女と!? 一緒にメシ食ってんのよ!!?」

「た…たまたまだよ。PTが終わった後目をつけられて基地の案内をしてくれって頼まれて…」

咄嗟の言い訳にしては上出来だろう。少なくとも事実に反してはない。

「そもそも何で怒ってるのさ? 別にやましいことをしてるわけでもないのに。」

「…怒ってない。」

「いや、どうみても怒ってるでしょ。」

「怒ってねえよ!」

「どうした喧嘩か?」

背後の声に振り向くといつの間にかマザーが立っていた。食堂にいた面々もそれとなくこちらに視線を投げかける。ちょっとばかり声が大きかったみたいだ。

「いえ、大したことじゃないので。」

アキラがわずかに低い声で返す。目もやや睨み気味だ。マザーが気に留める様子はない。

「君は…ナルミヤ少尉か。確かここの第9飛行隊所属だったな?」

「ええ、そうでありますが。」

「噂は耳にしている。史上最年少の女性撃墜王とな。だが少し無理をしているようだ。」

「…どういう意味でしょうか。」

アキラの眉が少し険しくなる。

「何事も才能だけで切り抜けられるほど甘くはないということだ。特に我々のような-」

「失礼します。」

マザーの言葉を遮るようにアキラは踵を返して去っていった。途中腹の底が冷えるような顔でぼくを一瞥したのはなぜなのか分からないけど。

「言い過ぎじゃないの? ああ見えて結構繊細なんだよ。」

「目元がよく似ているな。」

「は?」

会話が繋がらない。

「こっちの話だ。ただ、気を付けておけタクミ。あの子は近いうちにお前にとっての特異点になるだろう。」

訳が分からなかったけど、あえて追及はしなかった。この時はアキラの激情から逃げ切ることに成功したのに安堵するのに精一杯だったからだ。

この後、ぼくらは色んな場所をめぐり色んなことを話し合った。ヤクザっぽいけど面倒見のいい曹長やよく仕事を押し付けたり酒を持ち出す先輩の話。マザーも世界を股にかける中で見た出来事を面白おかしく聞かせてくれた。

この周の今日は間違いなく最高の一日だった。



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17.開戦

習慣や癖というやつは慣れない場所ほど顕著になりやすい。

現にぼくは、出撃当日の起床のようにベッドから出る前に体の状態を足の小指に至るまで点検したが、シーツの感触がいつもと違うことに気づき、慌てて飛び起きた拍子にスッ転げてしまった。

強かに打ちつけた鼻を抑え周囲を見渡すと、そこにはいつもの殺風景なコンクリートの壁はなく、空と海が織り成す鮮やかなオーシャンビューが朝日を受けて輝いていた。

「おはよう。朝から騒々しい奴だな。」

マザーの声が明るい空間に響く。振り向くと彼女は部屋の中心に置かれた椅子に腰かけ、テーブルのラジオをいじりながらタバコを吹かしていた。半袖のシャツからのぞく腕はいくつもの戦いを生き延びた証のように無数の傷跡が刻まれていたけど、日の光に包まれたその表情は聖女のように穏やかだった。

思い出した。あの後夜遅くまで話し合ったせいで兵舎に戻るのを忘れてしまっていたらしい。今頃曹長は大事な決戦を前に姿を消した新兵を血眼になって探し回っているだろう。

幸いにもマザーが特権で貸し切っているこのスカイラウンジは士官でないと入ることはできない。戦う前にボコボコになる事態は避けられそうだ。

思わず胸を撫で下ろすと、ラジオから何かの曲が流れるのが聞こえた。ちょうど一番盛り上がる箇所だったからすぐにベートーベンの第九だと分かった。朝から聞くには少しテンションが高いチョイスと思えないこともないが。

「お、おはよう。やっぱりここっていい眺めだね。一度も使ったことなかったけど。」

「ああ、お陰で管理担当の連中をなだめるのには苦労した。」

紫煙を吐き出しながらマザーが呟く。このときばかりは流石にリラックスしておきたいのだろうか、戦場で見せた灼けるような威圧感は感じられなかった。

「好きなの、この曲?」

「まあな。特に理由はないが気に入ってるんだ。」

ゆっくりと浮かぶ煙にぼくは思わず咳き込んでしまった。

「何だ、葉巻は苦手か?」

「というより、吸ったことないよ。一応未成年だし。」

「折角だから吸ってみるといい。何事も経験だ。」

「いや、今未成年って言ったよね。」

そんなツッコミも華麗にスルーされながらも、ぼくは生まれて初めて葉巻を手に取った。

「一気に吸い込むな。喉の辺りで止めればいいんだ。」

吸い口から出る煙と同じものを言われたとおりに吸う。慣れないこともあってやっぱり咳き込んでしまったけど、わずかに芳醇なコクと香りが口の中に広がった。何となく世の大人たちがハマる理由が分かる気がする。

「確かに味わい深いのは分かるけど、やっぱり好きにはなれそうにないや。」

拳骨を受ける。

「贅沢言うな、キューバ産(ハバナ)だぞ。お前みたいなガキが意見するなんて20年は早い。」

むしり取った葉巻を丹念に味わう様子はどことなく年齢を感じさせる仕草だった。目元を注視すると若干だが皺が寄ってるのが見て取れる。それでも敢えて化粧をしないのが彼女らしかった。

「この戦いでお互い生き残れたらとっておきの作品をプレゼントするよ。」

「プレゼント?」

「前のアンタと約束したんだ。」

「お互い生き残れたら…か。」

マザーは窓にどこか遠くを見るような顔を写し出していた。ぼくは何故かそれにぞくりとしたものを感じ、慌ててセリフを付け足した。

「大丈夫だよ。アンタがいるんだったらきっと人類は勝てる。力不足かもしれないけどぼくも手伝うから。」

「何を言う。お前は私が鍛えた奴らの中で一番優秀な兵士だ。REXを任せられるのは恐らくお前だけだろう。」

会話のほとんどが罵声やダメ出しだったマザーがこれほど手放しで褒めてくれたのは初めてだった。急に照れくさくなったぼくはそれをごまかすように葉巻を手にする。

その瞬間くぐもった音と同時に葉巻の先に火が付いた。ライターは使ってない。状況を飲み込むより早く床に伏せたぼくとマザーの頭上を1秒後には無数の銃声が押し包んだ。辛うじてガラスは爆撃を想定して強化してあるからひび割れはしたものの、粉々になることはなかった。続けて飽和した聴覚にサイレンが流れ込む。

「て、敵襲!? そんな…基地に直接襲撃なんて今まで一度も無かったのに…」

「タクミ、落ち着け。いくら考えても現に我々は襲われている。それはもうどうしようもない。」

「だ、だけどさ!」

「元々ループの根幹は向こうが持ってるんだ。これまでのデータからこの方法が最も確率が高いと判断したんだろう。ケガはないか?」

マザーの手の平がぼくの頬に触れる。それだけでぼくの恐怖心は魔法のように静まり返ってしまった。

「うん、何とか。」

「ならば急ごう。奴らはすぐに上陸するぞ。」

 

ガンツスーツの保管場所にたどり着くまで、あちこちからXガンの発射音が聞こえる。恐らくは見張りの部隊が応戦しているのだろうが、それ以上に鳴り響く爆発からするともって数分だろう。

でもそれだけあればぼくらには十分だ。先に装備を済ませたマザーの先導でぼくはハンガーに到着する。

「表は私が見張る。早く準備しろ。」

「2分で終わらせる。」

中に入るといつもの湿った空気に混じってわずかに血の匂いがした。どうやらハンガーに先客がいるようだった。

不規則に点滅する照明の奥で鎮座するガンツの前でぼんやりと青い光が浮かび、1つの影が黙々と何かの作業をしているのが見える。

「誰か!」

手近に転がってたXガンを拾い構えると、ビクッと強張った背中が恐る恐るぼくに向いた。

「…タクミか?」

「先輩?」

聞き覚えのある声の主は額から血を流してるナイジェル・ケイブスだった。コンピュータをガンツに接続して何かのコマンドを入力していたようだ。

「何してるんですか?早く前線に行かないと。」

「ハア? バカかお前は。こんなところにいたらお陀仏になるだけだ。さっさと逃げるに決まってんだろ。」

「けど、敵はすぐそこまで迫ってますよ。」

相変わらずナイジェルはキーボードを叩くのを止める様子はない。

「実はオレ、兵隊になる前はソフトウェアで生計を立ててたんだ。ちょっとしたハッキングもできる。もう少しすれば…よし。コイツの転送機能を利用してナガノ辺りに座標を設定した。タクミ、逃げるぞ…って何やってんだ!?」

話の中盤でぼくはすでにスーツの装着に移っていた。

「決まってるでしょう。戦うんですよ。」

「バカが! 頭イカレてんのか!? もうここはおしまいだ。わざわざ死にに行くことねえだろう?」

「別に自棄になった訳じゃありません。ただ、そうしなければいけないんです。」

「お前…マトモじゃねえぞ。」

「心配してくれてありがとうございます。先輩は早く脱出してください。」

手首のポインターをはめてスーツの状態を確認する。問題ない。

「…忠告はしたからな。どうなっても知らねえぞ!」

よく聞く捨て台詞を残してナイジェルはガンツのスキャンレーザーに包まれて消えた。敵前逃亡は重罪だけど、さっきのハッキングの腕を使えば何とかなるだろう。ハンガーを出ると基地の周辺は赤々とした炎が立ち上っていた。

「挨拶は済んだか?」

マザーが前を見据えたまま尋ねる。

「うん。あの人なら多分大丈夫だから。」

「見ての通りだがこっち側は劣勢のようだ。まずは西棟に向かう。」

2人ともホルスターから柄を取り出すと、赤と黒の鋭い刀身が鈍い起動音と共に虚空から顕現した。



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18.混乱と救出

ハンガーから移動する間に黒い影がいくつか基地の沿岸に向かうのが見えた。

敵襲から約12分。この基地の連中はようやく最低限の準備ができたらしい。訓練と比べても早い方かもしれないが部隊で動いているのは少数で、大半はとりあえず武器を手にしたといった様子だ。

『司令部、司令部! 敵の上陸を確認、指示を! …クソッ、切れてやがる!』

『防衛線が崩された! 至急援護を!』

『中隊長がやられた! 早く逃げろ!』

さっきから耳に突き刺さる通信もほとんどが悲鳴か怒声で、まともに戦ってる兵士はいない。みんな奇襲のショックから立ち直れず、戦線を維持できていないのだ。

「典型的なパニック状態だな。」

そんな喧騒の中でも彼女は慌てることはない。

「基地に襲撃なんて多分世界初だからね。混乱するのも無理ないよ。」

ぼくらは西棟に続く通路を駆け抜けながら負傷者の避難指示も行っていた。食堂を出た後、アキラと一緒に歩いた通路だ。あのときの自分のイジケぶりを思い出すと、つい苦笑が漏れる。

「何がおかしい?」

「あ、その、色々あったなと思ってさ。最初の戦闘で呆気なく死んで、気が付いたらベッドの上で、それを何度も繰り返して…でも、もうそれも終わりだと思うと何だかあっという間だなって。」

「そうか…気を抜くなよ。」

マザーはそう呟いたきり、黙ったままだった。しばらく走ると不意に視界が開ける。昨日ぼくとマザーがランチを食べた食堂だった。そこに立てこもった味方たちは、崩れた壁の向こうからありったけの弾を吐き出してくるターミネーターを押しとどめるのに精いっぱいで、少しも巻き返せてない。

ぼくはその中に見覚えのある人影がいるのを見た。

「曹長!」

「…! コガか? こんなとこで何してる、さっさと後退してどっかに隠れろ!」

「安心してください。ぼくたちがここを持たせますから。」

曹長の返事を待たずにマザーと頷き合うと、ぼくは机で出来たバリケードを飛び越え構造材を盾にしながら、素早く壁の外側に抜け出た。ざっと見るだけでも40体はいる。

建物の中じゃなくて良かった、と思った。これだけの相手をするのに刀を振るのはなるべく広い場所の方が効率がいい。

これまでの戦いで分かったこと。それは奴らの動きが稚拙だということだ。傍目に見ると奴らはサーマルやら赤外線やらで高い命中精度を実現したらしいけど、接近戦なら話が変わってくる。

いくら敵が人外でも銃撃戦になるのは旧世紀から同じで、ターミネーターも火力を重視するばかりで大抵の個体は仰々しい機関銃と背負えるだけの弾薬を持っている。そのせいで進行速度が人間より著しく遅いのだ。

マザーはそこに勝機を見出した。お互い遠くから撃ち合うだけなら、ガンツの性能が高くても圧倒的物量で押してくるターミネーターには敵わない。だったら逆に接近して叩けばいい。

事実、それは正解だった。いくら二足歩行兵器とは言っても、関節の柔軟性や瞬時の危機察知能力はお粗末なもので、亀のような鈍さに最初はマザーも拍子抜けしたらしい。そんな事情もあって、ぼくらはわずか5分で食堂の安全を確保できた。

 

呆けた顔の曹長に別れを告げ、ぼくはいくつかの戦場を制圧した後、中心部からかなり離れた場所に着いた。

やけに大きい建物から銃声が聞こえる。意を決して踏み込むとがらんとした空間が広がっていた。整然と並べられたエアバイクがあるため、どうやら飛行隊のデッキみたいだ。ここでも食堂と同じように障害物に身を隠しながら味方たちが必死に踏ん張っていた。その中にまた見知った人物がいた。

「アキラ! 大丈夫!?」

「え?」

綺麗な栗色の髪を振り乱してこちらを振り向いた女性は間違いなくアキラだった。こんな場所でもやっぱり目立つ人は目立つ。ぼくはタイミングを見計らって弾をかい潜ると、素早くアキラたちのもとにたどり着いた。

「タクミ!? アンタ何やってんのこんなとこで!」

整った顔立ちを煤で薄く汚したアキラが開口一番で頭を叩く。

「何って、助けに来たんだよ。状況は?」

「何無視してんだよ。アンタの持ち場は歩兵隊だろ、それにな―」

「まあ落ち着けアキラ。この際だ、味方は多い方がいい。」

途中で割り込んできた長身の男がアキラをなだめる。絵に描いたような金髪碧眼だった。

「やあ初めまして。オレはカルロス・デイン。コイツとチームを組んでいる。アキラから話は聞いてるよ、コガ君。演奏の天才なんだってな。」

アメリカ人らしい気さくな性格だ。少なくともアキラよりよっぽどやりやすい。

「過大評価のし過ぎですよ。で、早速本題に移りたいんですが。」

「ああ、敵は今デッキの入り口と滑走路を占拠している。正直かなり面白くない。おかげで1機も飛ばせていないんだ。飛行隊の名が泣くよ。」

こっちとしても航空支援は必要なところだ。エアバイクはヘリコプター並みに小回りがきくらしいし、援護が増えるのはありがたい。

「分かりました。入口と滑走路を抑えればいいんですね?」

「いや、最低限デッキだけでいい。エアバイクは垂直離着陸も可能だからな。」

頷いて了解の意思を示し立ち上がると、不意に服を引っ張られる感覚が走った。後ろを見るとアキラが少し潤んだ瞳でぼくを見つめる。

「どうしたのアキラ? 早くしないと奴らが攻め込んでくるよ。」

「アンタさっきから何言ってんの。まさか一人で相手取るってんじゃ」

「大丈夫だよ、ちゃんと仲間がついてるから。君も早く飛ぶ準備をしといて。」

「バカ言わないでよ。無茶に決まってんだろ! アンタみたいなヒヨっ子がどうにかできるわけ? ゲームかなんかと勘違いしてんの? 一度死んだらそれっきりだろうが!」

彼女のゲームという単語に感心した。ライフが0になって死んで、蘇生して新しい攻略法を見つける。まさしくこれはゲームだった。

「タクミ聞いてんの? 分かったんならさっさと―」

「おい、まだか? 遅いぞ!」

デッキの外で交戦中のマザーが怒鳴る。少し話し過ぎたみたいだ。

「待てよ。さっきの声、アンタまさか…」

「ゴメン、まだ残りがいるみたい。終わったらちゃんと話すよ。」

これ以上アキラのヒステリーに付き合っていられない。ぼくは袖をつかむ腕を振りほどくと、真っ直ぐ入口に突っ走った。背後から少しアキラの呼び止める声が聞こえた気がした。

 

デッキ周辺の敵を壊滅させた後、飛行隊は無事に上空からの砲撃支援に移ることに成功した。今頭上を通り過ぎた機体のどれかにアキラもいるのだろう。数十分前の彼女の様子からしてパニックを起こさないか不安だったけど、どうやら無駄だったらしい。

「心配するな。あの子は強い。簡単にやられはしないさ。」

時々ぼくはマザーのことをエスパーじゃないかと疑っているのだが、おかしいのだろうか。それとも10年戦ったらみんなこうなるのか。

「そうだね。でも、さっきはちょっと言い過ぎちゃったかも…」

「かわいいもんじゃないか。お前のことを心配して涙まで見せてくれるんだから。」

ちょっと照れくさくなる。現在13:23。朝から何時間もぶっ続けで働いたせいで、ぼくの細い体はそこら中から筋肉痛を訴えていた。マザーも戦況が巻き返してきたから、休憩がてらにぼくの中隊のハンガーで水分や栄養を補給していた。

「そう言えば、REX隊は助けなくていいの? いくら優秀でもマザーがいないと…」

「アイツらは放っといても勝手に帰ってくる連中だ。問題ない。」

アッサリと言い切るマザー。きっと心から信頼しているんだろう。ぼくは益々この人の部隊に入りたくなった。

「ねえマザー、ちょっと頼みがあるんだけどさ…」

「済まない。それはダメだ。」

今度もはっきりと言い切られた。有無を言わせない口調だった。

「ちょ、まだ何も」

「時間だ。」

一言だけ告げるとともに、マザーはその赤い刀身をぼくに突きつけた。



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19.宣告

ずっと一緒だと思ったのに。この人のためなら何だってできるのに。

でも何で彼女はぼくに剣を向けるんだろう。

「マザー、何やってるの。それを早く下ろしてよ、危ないじゃないか。」

マザーは何も答えない。けど、その目はまったく笑ってない。遠くでまた爆音が聞こえた。

「ほら、そろそろ戦いに戻らないと。少し休み過ぎたみたいだし。」

ハンガーから出ようと背を向けた瞬間、ぼくは途轍もない殺気を感じ取った。踏み出しかけた右足を軸に方向転換し、起動したガンツソードで防御態勢を取る。直後、金属音と共に体に衝撃が走る。

咄嗟に閉じた目を開けるとマザーが赤い剣をぼくの剣に押し付けていた。

「いきなり何だよ!」

飛び退って距離を取る。マザーは追わずに剣を構えたままだった。

「時間だ。選択の時が来たということだ。」

「何言ってるのか分かんないって!」

「ガンツがそう告げている。」

スッと剣先を倉庫の奥に向けると、ナイジェルが脱走に使った黒い玉の表面にうっすらと文字が浮かんでいるのが見えた。

決めてくだちい。

たった一言だけ書いてあるそれは、このときのぼくには何のことかさっぱりだった。瞬間、ガンツから光が放射され、ぼくの視界を包み込んだ。

 

次に感じたのは寒さだった。身も心も凍てつくような寒さ。代わりにハンガーに立ち込めていた機械油の臭いは消え、ついでに目一杯叫んでもかき消されてしまうほどの轟音も聞こえなくなった。

眩しさが消え、恐る恐る目を開くとそこは辺り一面の銀世界だった。敵も味方も、爆音や悲鳴も、刺すような日差しもない静寂が支配する世界。その何もない場所にぼくはいた。

「ここは…」

「私の故郷だ。」

後ろから聞きなれた声が木霊し、振り返るとさっきと変わらず落ち着き払ったマザーが立っていた。

「故郷?」

「決着に相応しい場所を頼んだんだが、アレもいい加減だな。」

そう言ってマザーが左に目を向けた先には、ガンツが同じ表示を出したまま古ぼけたさほど広くない邸宅の前に鎮座している。

「ここは私だけの秘密の場所でな。休暇には必ず立ち寄ってるんだ。」

刀で足元の雪を弄りながら話し続ける。

「何でぼくをそんなところに…」

「人間が初めてループしたとき、脳はT-000から特殊な波長を受け取る。以降夢という形でその波長を受け続けるわけだ。だが、ループを研究するチームからある報告が上がった。ループを何度も繰り返すことで、ある時を境に脳が変質して自ら特殊波を発するようになるとな。変質の過程では私の場合頭痛が起こった。」

息が止まる思いがした。今更思い出したように頭蓋に疼痛が起きる。

「脳が自分で波を出すということは、すでにそれはT-000と同じ能力を持っていることを意味する。さらに厄介なことにこの特殊波は同種の波長を放つ物質が近くにいるとき、非常に共鳴しやすい性質を持つ。前の回でループが発生したのはそのせい。言わばバックアップの影響を受けたわけだ。」

再び鋭い眼光がぼくを射抜く。

「つまりコガ・タクミというバックアップがある限りマリナ・オーグランはループから抜け出せず、マリナ・オーグランというバックアップがいる限りコガ・タクミはループから抜け出せない。」

ひとしきり喋った後、マザーは何も言わなくなった。一方ぼくはといえば、いきなりの展開に全く頭が着いていかない。

じゃあ、何? ぼくらは最初からこうなる運命だったってこと?

「ねえ、マザー。欧州戦線で飲んだ安物のワインを美味しくするために、隊のみんなでいろいろ工夫したって話、まだ全部聞いてないよね。アフリカで現地人と一緒に裸踊りしたって話もまだ途中だよ…冗談ならよしてよ。アンタ戦いはお手の物だけど、そっちのセンスは全然なんだから。」

彼女は何も言わない。

「ぼくさ、こんなことに巻き込まれて初めは神様を恨んだけど、今は不思議と憎めないんだ、アンタと会ってから。アンタはいつもきつい顔してしょっちゅう怒ってたけど、笑った時は本当に綺麗な人だなって思った。いつかこの人に認められたいって、笑顔を見たいって、必死に生き残り方を覚えた。この戦いが終わったら、アンタの部隊に入りたいって本気で考えてたんだ。アンタに着いていけばどんな戦場も怖くないからって。それにここまで訓練に付き合ってくれた恩も、まだちゃんと返せてないし。だから、だからさ…ねえ、こんなのウソだって言ってよ!」

ぼくの拙い説得でもしっかり聞いてくれたマザーが、今度は穏やかに見つめてくる。

「もう私たちにためらう時間は残されていない。こうしている間にも多くの仲間が命を散らしている。私はREXを置き去りにはできない。私は、私の責務を果たす。」

「マザー…」

悲しさの余り掠れ声しかでない自分を恨めしく思う。

「簡単なことだ、タクミ。戦いには勝者と敗者しかいない。一方が死ねば、もう一方は生き残る。戦いとは何を差し出し、何を奪うか。それだけだ。ここがお前の死に場所だ。」

そうだ。ヨコスカの基地ではみんなが必死に戦ってる。曹長、アキラ、カザマ、あのドレッドヘアだって。彼らと過ごした時間はほんのわずかだけど、ぼくにとっては大事な人たちであることに違いはない。でも、こんなのあんまりじゃないか。

「時間がない。始めるぞ。」

「ちょっと待っ―」

ガンツからの無慈悲な電子音がぼくの鼓膜を震わせる。もう猶予はない。嫌がる心とは裏腹に、ぼくの右手はグリップのスイッチを押して一振りの刀を形成する。どちらともゆっくりと武器を構えた。

はぢめ。

開始の合図と同時に2人とも駆け出し、赤と黒の閃光が大気を揺らしながら激しくぶつかった。



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20.散華

いつもここに来るとあの時のことが脳裏に浮かぶ。彼女の息遣い、自分の胸の鼓動、肉を斬った感触に浴びた血の熱さ。もう長いこと経つのに未だに色褪せることのない記憶は、しっかりとぼくの中に焼き付いている。

コートに身を包んでも誤魔化せない冷たさを感じていると、後ろの黒い球体からメッセージを告げる着信音とアイコンが第一級の特命が来たと知らせてきた。ぼくは玉に近づき網膜スキャンで映像通知のロックを解除する。

内容はチリ南部における支援と敵拠点の破壊工作任務。これまでのと似たり寄ったりなことに嘆息しながら資料に目を通す。

読み終わると背後の一つの石碑に向けてただ一言呟いた。

「また来るね。」

 

開戦の狼煙となった最初の一撃はわずかにぼくが押し負けた。無意識に半歩下がったのを見逃さず、マザーは矢継ぎ早に刃を叩き付ける。ぼくはそれらを必死に防いだけど、雪に埋もれた足がバランスを崩し無様に傾斜を転がった。顔を覆う雪の粉を拭い落とす。

「どうした。何故向かってこない。」

マザーが鉄面皮のまま問うてくる。

「できない。できないよ、こんなこと。」

ほとんど泣き言だったけど、構うもんか。彼女を失うなんて世界が滅びてもあってはならないのだから。

「私に情でも抱いたか? 甘えるな。まだ同じことを口走る気なら次は舌を切り落とすぞ。」

訓練でも聞いたことのないドスを放ちながら、なおも彼女は襲い掛かってくる。マシンガンの弾丸くらい速いんじゃないかと思わせるほどのスピードで繰り出される連撃は、1発1発が骨の髄に染みるほどの威力で彼女の目は完全に敵を倒すときのそれだった。

ここがお前の死に場所だ、と彼女は告げた。事あるごとに口から出るそれを最初は軽いジョークだと思っていた。コントの付け合わせにもならない、それこそ冗談(ジョーク)と感じさせるつまらない口癖だったけど、今となっては強烈なプレッシャーが襲い掛かってくる。間違いなくぼくをここで殺す気だ。

そしてぼくは大きな思い違いをしていたことに気付く。マザーはぼくを試しているのでも、恐れを感じているのでもない。自分と同格の1人の戦士として認めた上で、純粋に勝負を挑んでいるのだと。事実、訓練の時はこれほどの強さと殺気を解放したことは一度だってない。

ならば、ぼくも真剣に立ち会うべきなのかもしれない。唯一ぼくを心の底から認め、育ててくれた人への恩返しとして。今のぼくができるたった一つの冴えたやり方で。

マザーが刀を大上段から振り下ろそうとした直前、ぼくは全身のバネを使ってバク転した。間一髪逃れた一撃は地面の雪をよろけるほどの風圧で吹き飛ばし、モクモクと白い霧を発生する。その間にぼくは坂を駆け上り、建物の中に避難した。

仮にぼくとマザーの戦闘能力が同等だとしても、経験値は圧倒的に劣っているだろう。雪上という不安定な足場にも関わらず、マザーは完璧な体重移動をやってのけている。だったら、少しでもリスクの少ない環境で戦った方がまだマシというものだ。

入るときにわざと空けておいた扉からもちろん来るはずがない。神経を張り巡らせ相手の出方を窺う。結果、ぼくは天井に反応した。真上から赤い刃が天井を突き破って侵入してくる。ぼくは避けるのに精一杯で、不十分な体勢で攻撃を受け止めたので、ガンツソードを落としてしまった。

続いて背後の窓を割って入ったマザーが、息継ぎもさせてくれないほど手際よく武器を振り回す。ぼくは避け、剣の動きを読み、交互に重心をずらして回避に徹する。その都度食器や家具の壊れる音が部屋中に鳴り響く。その中から手当たり次第に物を投げ、蹴飛ばした机が弾かれた隙を狙って彼女の胸に蹴りを叩きこむ。

不意打ちを食らいマザーが壁にめり込んだ間に、武器を手元に戻す。さっきの蹴りはかなりのリスクを伴う決断だった。少しでもタイミングがズレたら今頃カカシになってただろう。

意識が回復したマザーが額から血をしたたるのにも構わず第二撃をお見舞いする。が、寸前で不意に伸びた手が顔を覆い、反射的に引き剥がそうと手首を掴んだ。その後にしまったと思う。僅かに重心の崩れを許してしまい、離そうとする前にマザーが僅かに腕を揺らすと簡単に宙を舞っていた。

叩き付けられた壁が崩れ再び白銀の世界が飛び込んでくる。右手の迂回を装って死角からの奇襲。視界が明滅する中でマザーが発する思惟がズンと額に突き刺さり、反射的に跳躍し先手を仕掛けようとするが、それを予期していた通常の数倍も伸びた刃が宙空で身動きが取れないぼくを狙ってくる。掛かった。チャンスを確信した指が鍔元のスイッチを押し、武器の全長を自身のそれの何倍も長くする。浮遊物の重量がいきなり増加したことに驚いた重力は律儀に放物線を急直下させ、着地に備えて膨張したスーツが足元からガスを噴射する。

辛うじて攻撃をかわされて大きく体勢を崩したマザーに向かって、回避用に伸ばしたリーチの長い重厚な刃をそのまま叩き付ける。遠心力の影響で長柄物を振り回すと当然モーションが大きくなり、次の動作に移るまでの隙が広がってしまう。ガンツソードの特性を利用した攻撃だったが、その手に関してはマザーの方が上手だ。こちらの意図を瞬時に読み取り、延長した剣を収納して寸でのところで真半身で避け切った。丁寧に地面にめり込んだ刀身を踏みつける。

「いつか夢見たことがあった。私と同じ存在が現れる日を。何日も何年も待ち続けた…」

「その結果に殺し合おうっていうのか!?」

「呪われているのだろうな私たちは。それほどまでにこの能力(ループ)は強大ということだ。本気になれば世界を滅ぼすことも不可能ではない。どうやらこの世の神はそんな輩が手を組むのが気に入らないらしい。」

「神がどうだっていうんだ! そんなものはぼくが空から引きずりおろしてやる…!」

「だったら先に私を倒してみせろ!」

容赦ない斬撃がぼくを吹っ飛ばした。すぐに立ち直りダメージの確認をしたとき、ぼくはようやく状況の変化に気づいた。辺りは吹雪に包まれていた。

「やっと覚悟ができたようだな。それでいい。」

姿の見えないマザーが嬉しそうに叫ぶ。10m先も満足に見えない猛吹雪に叩かれながら、ぼくは聴覚を頼りに彼女の位置の把握に努める。すると、さっき声のした死角からいきなり赤い閃光が伸び、反射的にかわしたぼくを連続で狙ってきた。それも一回ごとに別方向から攻撃するという徹底ぶりだ。さながらぼくはサーカスの踊り子のように、あちこち飛び回る羽目にあった。

腕が痺れ切る前にその場から跳躍し、着地して刀を握り直す。そのとき、ぼくは手に違和感を覚えて一瞥したら、左手の小指と腕の一部の肉が無くなっていた。どうやらアドレナリンのせいで切られたことに気付かなかったようだ。

舌打ちもそこそこに全身への影響を確かめる。問題ない。武器を握るのが少しきついけど。

1秒後にはマザーが突っ込み、刀を合わせる。握るのが不完全なら力勝負は諦め、手数で稼ぐしかない。ぼくは無心に刀を最適化した軌道で振るい、攻勢に転じる。でも、やっぱり左手の影響で力が上手く伝わらない。

そこで瞬時の判断で剣先を雪に潜らせ、斬り上げと同時に雪を飛ばす。目くらましにもならないが、1mmでも意識を外せれば十分だ。雪をかぶったマザーの顔に上段の攻撃。血にまみれた右耳が落ちた。

「その程度で…」

低く唸ったマザーが黒い刀身を斬り払う。ここでぼくは彼女の恐ろしさをもう一度体感することになる。マザーの比類なき戦闘の才能はぼくの動きを先読みするようになったのだ。ただでさえ鋭い剣筋がますます鋭利になる。

もう何分たったのだろう。あれほど激しかった吹雪も止み、曇った空にも光が射し込んでいる。兵士には物足りないぼくの肉体は最早精神力で辛うじて動いていた。

あのまま斬りあい続け、ぼくもマザーも互いの肉を何度も切り裂き、至る所から流血していた。彼女の腱からは筋繊維が何本か飛び出て、左目も潰れている。一方のぼくは右手のうち3本の指先が切断され、折れた肋骨の一つが肺に刺さっていた。

とめどなく口からこぼれる血を唾と一緒に吐き出す。おまけに極寒の雪原にいたせいで体温が低下し、体中がガタガタと震える。

何となく次で最後だな、と感じた。向こうも同じ考えなのか、ぼくの動きに合わせてゆっくりと赤いガンツソードを腰だめに構える。

怖くはなかった。もう何度も死んでるし、彼女には何度も命を救われた。そう思えば彼女の手に掛かるなら、寧ろ本望だ。

しかし、マザーは許してはくれないだろう。なぜならこの戦いはぼくらにとっては絆だから。ぼくらだけが共有するコミュニケーションだから。

限りない殺意をぶつけ合う中で、ぼくは幸福を味わっていた。剣を通じてマザーに触れるたびに、あれほど悲しみに満ちた心が軽くなっていくのを感じた。彼女と出会えたことを天に感謝した。ぼくは歓喜に満たされていた。

でも、輝かしい時間ももうすぐ終わろうとしている。互いに相手を見て時計回りに移動する。大気に放散する練り上げた気が最も充実した瞬間、どちらともなく駆け出した。

マザーが抜刀の要領で下から斬り上げ、ぼくはそれを迎え討つ。一瞬の火花が散った後、二つの影が重なり、最後に瑞々しい鮮血が雪を飾った。

ループに巻き込まれてから彼女に近づくための数え切れない死が、ぼくを鍛え上げた。容赦ない攻撃から逃れるために、必死に彼女の技術を目に焼き付けてきた。だからぼくは、マザーが腰から斬りつけるときには、必ず屈伸した勢いで上体を起こし、一瞬だけ胸に隙ができるのが分かってしまっていた。奇跡が起きたのはその瞬間だった。

 

次に目を開けるとそこは知らない空間だった。光り輝いているが風景はなくそれに伴う外界からの感覚も伝わらない。いや、それどころか地面すらない。無重力というのだろうか。方角どころか上下の区別もつかないどこまでも続く澄明な空間に包まれていた。不思議と驚きはしなかった。隣にはあの人もいたから。

後悔はない、と彼女の意識が伝わった。全ては自明の理であり、その責任の所在も自分の内にあるものだ、と。そうかもしれない、と応じる。結局のところ他人はどこまでも他人であって、本当の意味で理解し合えることは有り得ない。こうして思惟が融け合っているぼくらでも「我」を保っていることがそれを証明している。

どのみちこうなる運命だったのだろう。仮にぼくがループに巻き込まれなくても、代わりの誰かが同じ目に遭っていたはずだ。これからぼくはどうなるのだろう。誰にも理解されることのない孤独な闘い。世界を捻じ曲げるだけの力と有象無象の期待と恨みを携えて、果てのない地獄の淵へと進んでいく。

戦士の道と言えば聞こえは良いのかもしれない。信じられるのは己のみ。骸の丘の頂に立ち、硝煙に酔う。それも良いだろう。ただ、アナタがいないことがどうしようもなく寂しい。

悲観的な奴だ、と彼女は哂った。抱き締められたわけでもないのに、その温もりは生身のそれと変わらない。だったらお前が終わらせればいい。世界は広い。血や臓物、銃なんてほんの一部に過ぎない。そんなものより素晴らしいものがこの世には満ち満ちている。この光の先にもきっと―

だからお前の死に場所はお前が決めろ。

その想いにぼくはただ頷いた。光が強くなり閃光の原がぼくらを焼き尽くす。最後にどこか寂しそうに、すまない、と声が聞こえた気がした。

 

胸から左の頬にかけて一筋の熱が迸った。一拍遅れて赤い液体がぼくの首筋を濡らす。衝突したマザーの体から鉄臭い血に混じって柔らかな匂いが届く。どうやら彼女の斬撃はぼくを掠めただけみたいだ。代わりにぼくの刀は深々とマザーの胸に突き立っていた。

「…私の負けだな。」

吐血したマザーが絞り出すように喉を震わせる。漆黒の刀身は寸分の狂いもなく彼女の心臓を貫いていた。素人でも致命傷と分かるような傷だ。

「本当に強くなったな、タクミ。」

「もういい。喋らないで。」

溢れそうになる激情を懸命に抑え込む。とても胸が熱い一方で頭の片隅は妙に冷静で、取りあえず彼女を楽な姿勢にするために横たえようとした。

「待て。右に岩があるのが見えるか? そこまで運んでくれ。」

言われるままぼくはマザーをおぶって歩く。意外と軽いんだな、と思うのが精々だった。岩に近づくと彼女を座らせ、顔を覗き込む。唇は紫に変色し、顔も血の気が引いているのが見て取れた。

放っておけば20分もしないうちに死ぬだろう。どうすればいいのか分からずオロオロするぼくに、マザーは薄く微笑み、しかし衰えない眼光を湛えて震える手で赤い剣を差し出した。

「やる。お前の物だ。」

簡単だけど有無を言わせないセリフに、震える腕を律してしっかりとそれを握りしめる。鈍く光る紅の刃は一体どれほどの血を吸い上げてきたのだろう。

「タクミ、私の誇り。みんなを頼む。」

マザーは全てを教えてくれた。心の底から彼女を愛していた。この人のためなら死んでもいいとさえ思った。

でも、現実は残酷だ。仲間の命と残された彼女との時間を天秤にかけるようなことはしない。そんなことはマザーも望んではいない。

改めてぼくはマザーを見つめる。そこには鮮やかな赤い花に囲まれた儚げな女性が存在した。この世の何よりも美しいと思えるほどだった。壊したくなかった。けど、やらなければならなかった。

ぼくは立ち上がり、深呼吸する。時間が止まったように静かな空間はただ成り行きを見守っている。

「死ぬのは久々だが…この死は私を裏切らない。」

マザーが目を閉じる。ぼくは刀を空に掲げた。



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21.ジャップ・ザ・リッパー

絶え間なく響く拍手がぼくを包み込む。

「おめでとう。」

「君は素晴らしい働きをしてくれた。」

「この場を代表して礼を言うよ。」

あの戦闘から一週間が過ぎた。決闘の後始末をつけたぼくは、基地に帰還して防衛戦に加わった後、着替えてる最中にMPに連行され営倉にブチこまれた。罪状は命令違反で、勝手な行動を取ったことで味方を危険に晒したらしい。声高に報告する担当士官は運良くあの襲撃から生き残ったらしいが、噂によると屋上のヘリポートにから脱出しようとしたお偉方の中に彼の姿もあったようだ。

どのみちどうでもよかった。ブタ箱でも何でもいい。とにかく眠いんだ。さっさと終わらせろ。面倒な軍法会議を受け答えしながらぼくは内心毒づいた。

そのまま営倉のベッドに倒れて丸一日眠り込み、3日が経とういうとき何故か釈放された。結論、無罪放免。さらには勲章を授与されるそうだ。急いでドレスユニフォームに着替え、司令室に呼び出される。そこで冒頭に戻るわけだ。

基地司令は逃げ出した後ろめたさを微塵も感じさせず、他の将校と同じく終始にこやかに接した。殴り倒そうとも思わなかった。別に自分の命を守ることが悪いわけじゃない。そういう意味では体を張って戦った戦友たちより人間的だろう。

勲章は一番いい奴をもらった。今から退役しても充分食っていける褒賞も得られた。ほとんど記憶にないけど、ぼくの活躍は凄まじく攻めてきた敵の半数近くをスクラップにしたようだ。司令が握手を求め、握り返すと待機していた広報部の士官が記念撮影した。マザーの名は一度も出なかった。

 

極秘の授与式が終わると、することのなくなったぼくはTシャツとカーゴパンツ(いつもの服)に着替え当てもなく基地をぶらついていた。ターミネーターの奇襲により施設の大半が破壊されてしまったため、基地のあちこちでクレーンが稼働し無事な兵士たちが死んだ仲間を悼む暇もなく撤去作業に汗を流している。

目の前で綺麗にスッパリと切れた瓦礫を運搬しているのが見えた。多分ぼくがやったのだろう。周りにも同じものが点々としている。ぼんやりとそれらを眺めたまま歩いていると、不意にドンと何かにぶつかり尻餅をついた。

「バカヤロウ、どこ見てやがる!」

罵声の飛んだ方を見やると、いつかぼくに喧嘩を売ってきたドレッドヘアの男がいつもの取り巻きと一緒に睨みつけていた。が、相手がぼくだと分かると呆けたのも一瞬、まるで放し飼いの猛獣にでも遭遇した表情になり、すごすごと引き下がってどこかに行ってしまった。今日は誰かとすれ違う度にこんな目を向けられる。

「よう、英雄殿。」

曹長の声だ。腕に包帯を巻いていた。

「曹長、ご無事でしたか。」

「アホ、どっかの若造のせいで骨が折れちまった。全治2週間だってよ。」

覚えはなかったが、謝った方がいいだろう。

「…すいませんでした。」

「冗談だよ。しかし中々強烈だったよ、お前さんの蹴り。カミさんのビンタを思い出す。」

骨折するほどの一撃を見舞う奥さんとは一体どういう人だろう。

「中隊の連中は大丈夫なんでしょうか?」

「うちの隊は38人死んだ。不意打ち食らったにしては少ない方だがな。他も似たようなもんだ。」

その中にはナイジェルも含まれているのだろう。伝えるべきか迷ったけど、曹長の気持ちを考えると気が引けてしまった。

「ところで、お前は何してんだ?」

「手持ち無沙汰なんで作業を手伝おうかと思いまして。」

「止めとけ。軽い方だが負傷者リストに入ってんだろ? 傷口が開いたら元も子もない。」

何気なく左頬に触れると、ガーゼのざらりとした感触があった。あの後、ガンツの機能で帰還時に欠損した部位は残らず治ったけど、何故かこの傷だけは消えなかった。理由は不明。医者からは痕を消すこともできるといわれたが、その気はなかった。

「分かりました。じゃあ、ERにでも行ってきます。」

「ああ。無理するなよ。」

 

曹長と別れたぼくは結局ERには行かず、スカイラウンジに赴いた。いつも立っている衛兵は全員撤去作業の最中だから中には誰もいない。殺風景な構造の廊下を歩き回り、目的の部屋にたどり着く。部屋の鍵は開いていた。

いくつも穴ができた窓はヒビで曇っている。ぼくは倒れた椅子と机を戻して腰掛け、散らばっていた葉巻の一つを手に取り火を灯し、その煙がたゆたう様子をただ無心に眺めた。

マザーは裏切り者として処理されることになった。戦闘後にガンツの点検をしていた技術者が、作業中に奇妙な痕跡を見つけたそうだ。上手くカモフラージュされたログを辿っていくと、驚くことにスカイネットの回線に繋がった。直後、ガンツは一時機能が停止し、復旧後に回線は消えていたらしい。発信元はマザーだった。

特務部隊の隊員たちは口を揃えて無実を訴えた。彼女はそんなマネは絶対にしないと。技術者も昨日確認したときはそんなデータは見なかったと証言した。だが、マザーの死の責任をどうするか決めあぐねていた政府と抵抗軍参謀本部はその報告に目をつけた。

少し後の話だけど軍からの公式発表で、REX部隊隊長マリナ・オーグランはかねてからスカイネットと単独で接触、我が陣営の情報を秘密裏に譲渡し自分の戦績に有利な状況を形作るよう要求していたと伝えられた。

単独と付け加えたのはREXを解散させないためだ。マザーが抜けても彼女に鍛えられた連中は貴重な戦力だから。きっと彼女はぼくとの避けられない勝負を予測していたのだろう。だからわざとガンツにエサを仕掛けた。万が一自分が死んだとき、残された部下をぼくに託すために。

つまり、ぼくは出来レースの駒の1つだったわけだ。ループに巻き込まれたときから神の見えざる手はすでにこの結末を書き終えていた。ぼくは新しいハリボテの英雄に選ばれた。あの赤い剣と共に呪いを受け継いだのだ。

 

スカイラウンジから離れたら、落ち着ける時間が欲しくて自然とある場所に足が向かっていた。初陣前日にナイジェルらと酒を盗みに忍び込んだ倉庫だ。ここなら中心部からだいぶ離れてるから静かで人足も少ない。

倉庫は爆撃を食らったらしく屋根には穴が空き、わずかに星がいくつか小さな光を投げかけていた。昔の人々は月を見ながら酒を飲んだというけど、ぼくはこのときばかりは酔えなかった。棚に並んだ一番強い酒でもこの渇きは誤魔化せない。それでも自棄になってぼくは何本も栓を開けた。

「あ~いたいた! や~っと見つけたわ。」

1人っきりの空間に不意に甲高い音が響き渡った。チラリと首を傾けると入口に細いシルエットが腰に手を当てて突っ立ていた。

「ったく、1週間も姿を見せなかったから死んだのかと思ったじゃんか。」

ズカズカと大股で近づいたアキラが睨みつけてくる。一度視線を合わせたけど、他人と触れ合う余裕のないぼくはそのまま俯いた。

「何よその態度。せっかく人が心配して探しに…」

やっぱり怒ったアキラが急に口をつぐみ、ドッカリと隣に腰を下ろすとぼくの手から酒瓶を奪い取った。それを一気に呷って突き返したのを受け取ると、それっきり黙ってしまった。

「よく分かったね。ぼくがここに居るって。」

何となく気まずくなって話しかけてみる。彼女は今度は近くに転がっていた缶ビールを飲みながら答えた。

「思いつくとこ全部回ったときカザマに会ってね。アンタがここら辺をうろついてたって聞いたんだよ。」

「…そっか。」

また沈黙が続く。すると、次はアキラが問い質してきた。

「タクミこそ何でこんなとこに居んのよ。別にヤバそうな状態でもないくせにさ。」

この様子だとぼくの基地での暴れ振りは耳にしてはないようだ。飛行隊が侵入してきた敵の母艦である潜水艦を仕留めるために海まで出向いたのは本当らしい。何て答えたらいいか分からず黙りこくっていると、顔にアキラの手が添えられた。撫でられる。

「どうしたの、急に。」

「いいから。」

何度も撫でられるうちに、少しづつささくれ立っていた神経が落ち着いてくのが分かった。無意識に肩にもたれかかる形になってしまったけど、アキラは何も咎めなかった。

「ねえ、アンタまだ軍に残るつもり?」

「は?」

「前から言おうと思ってたんだけど、やっぱ違和感あるんだよね。タクミが軍服着てるのって。どことなく無理してるっていうか。」

「…そんなことないよ。」

すると、急にアゴを引っ掴まれたと思ったらアキラが正面から向き合うように、両手で顔を固定した。しばらくジロジロとぼくを検分すると、今度は穏やかな動作で抱きしめられた。

「あ、あの…」

「うっさい。口閉じろ。」

さっきから何が何だか分からない。けど、乱暴な口調とは逆に優しく頭を撫でてくれる細い腕は、マザーとは異なる甘い匂いと温もりを与えてくれる。

「私も初めて戦地で飛んだとき、とても怖かった。そしたら仲間がこうしてくれたの。」

ぼくはもう初陣とは言えないほど戦ったけど、とても心地いいことに変わりはなかった。

「ありがとう。でも、どうして…」

「倉庫に入ったとき、タクミ何だか辛そうだったから。涙を流さないで泣いてる感じ…でも良かった。アンタが無事で、本当に良かった。」

嗚咽混じりにそう呟いた顔は、いつもの高貴さよりも幼い印象を醸しグレーの瞳は潤んでいた。それを見たぼくは、突然体の奥からがむしゃらな衝動が駆け抜けた。熱の赴くままに彼女を力一杯抱きしめ、唇を重ねる。驚きに硬直したアキラは咄嗟に体をよじったけど、逃げられないと分かったのか大人しくなっていった。自然に見つめ合った彼女の顔は紅潮している。多分ぼくもだろう。

ぽっかりと空いた胸の穴を埋めたかった。今、この瞬間だけは彼女がすべてだ。傷つけないようにそのしなやかな体をゆっくりと横たえ、覆いかぶさる。抵抗はなかった。

「痛い…」

「だ、大丈夫?」

思いっきり頭を殴られた。一瞬立ちくらみがして背負ったアキラを落としそうになったけど、何とか踏ん張った。

「まだ股の間に挟まってる気がする。あぁもうサイッテー。」

ぐちぐちと文句を投げるアキラはそう言いながらもどこかスッキリした面持ちだった。少し前まで「殺してやる」と親の仇みたいに呪詛を繰り返したのに。

「ゴメン。ぼくもどうしたらいいか分かんなくて…」

「いいよもう。その代わりこのこと誰にも言わないでよ。酔った勢いで寝たなんて知れたら笑いものじゃ済まなくなるから。しかもアンタが相手なんて。」

「…うん。」

爆撃でいつもより少ない灯りを頼りにアキラを宿舎まで送り届ける。沿岸から運ばれる夜風が火照った体にちょうど良かった。

「…Будучи живым, спасибо(生きていてくれてありがとう).」

最後の台詞は何を言っているのか良く分からなかったけど、少なくとも悪口でないことは分かり少しだけ安心した。

 

後日、復興作業が続く中、ぼくは第8中隊のハンガーを訪れていた。入口を突っ切り真っ直ぐ最奥の黒玉に歩み寄る。ガンツの戦火をものともせず傷一つない表面に手を添え、指紋認証の後にあるコードを打ち込む。

読み取りが完了するまでの時間、ロッカーを覗き込みスーツを広げてみると、肩の部隊票パッドに小さく何か書き込まれていた。

Jap The Ripper

言い得て妙だな、と思う。事実、ぼくは日本人(ジャップ)で、人を殺したのだから。誰だか知らないけど親切な人もいるものだ。

目的地に転送されると久々の雪景色は少しばかり減り、そこかしこに緑が覗いていた。どうやら雪解けの季節みたいだ。

マザーの遺体は例の岩の下に埋葬した。今でも最後に飛び散った血が消えずに岩肌に残っている。名前を記すわけにはいかなかったから、シンプルに十字の痕を付けておいた。ガンツソードで加工した手作りの墓はお世辞にも墓とは言えないけど、周囲に咲き誇る花々が彼女の勇敢さを代弁してくれている。

ぼくは敬礼した。彼女の勇気に、気高さに、純粋さに心からの尊敬を表すために。泣こうとは思わなかった。この涙はまだ流してはいけない。泣くのは全てが終わってからだ。

マザーは後々まで裏切り者として、世界を売り渡した者として語り継がれるだろう。真実を知らないバカ共はぼくを新しい希望に仕立て上げ、祭り上げるだろう。ならばぼくはそれを受け入れよう。ぼくが彼女を殺した。世界が彼女を贄に捧げた。ぼくは罪を背負うことにする。そして世界が自らの犯した罪科を認め彼女の安寧と冥福を祈るまで、マリナ・オーグランという穴を埋める虚構の玉座で屍肉を食むとしよう。

そうだ。ぼくは偽りの王(ジャップ・ザ・リッパー)となるのだ。

傷が疼いた。どうしようもなく心が軋む。この痛みは一生ぼくを縛りつけるのかもしれないが、それもいい。

今度絵を描こう。彼女に渡せなかった絵を。次に会ったときちゃんと褒めてもらえるように。

どこかから甘えるなと声が聞こえた気がした。



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Part2 天罰
22.3年


耳鳴りがする。銃声だ。そう判断したぼくは地面に伏せた。3mも離れてない場所から着弾して小さく砂が吹く。

早く帰りたいと思った。砂は嫌いだ。少しでも隙間があったら音も立てずに入り込み、気づかない間に心身を蝕んでゆく。

ガシンガシンと足音がする。奴らが来た。ぼくは息を殺し、恐怖が過ぎるのを待つ。砂煙の向こうに黒くうごめくものが見える。犬は鼻を使って標的を探すように、奴らは赤外線とその他様々な光学機器で敵をあぶり出し、殺す。

ぼくは全身に泥をかぶり、丁寧に死体に紛れ込んでやり過ごそうとしているけど、成功するかどうかは怪しいものだ。鉄の地響きが次第に大きくなり、遂には恐ろしい骸骨そのままの顔が目と鼻の先にやってくる。

先頭の一体がぼくの上にある死体をジッと見つめる。1分か10分かそれともそれ以上か、とにかくぼくにとっては気の遠くなるような時間を費やして観察した後、ソイツは歩き出して行った。続いていくつもの足音がぼくの周りを通り過ぎていく。初めは耳にガンガン来た騒音も鳴りを潜め、最後にはいつもと同じ静寂が戻った。

念の為にもう10分ぐらい経ってから、地表に這い出る。辺りにはたくさんの足跡以外何も無く、奴らの影は遥か彼方にあった。

助かった。思わず地面に大の字になる。呼吸を止めていた分、肺が酸素を欲したけど砂地ばかりで少しも湿気てないここの空気はちょっとキツい。大きく口を開けてしまったせいで、砂が器官に入り込んでしまい咳き込んでいたとき、ふと影が出来た。

何気なくそれの反対方向を向くと、一人の女性が立っていた。褐色に灼けた肌、鋭さに満ちた整った顔、強い意志を宿した瞳。手には真っ赤な剣が携えてあるその人は、ぼくを無表情に眺めていた。ぼくは動けなかった。声も出なかった。ただ呆然とするしかないぼくに赤い天罰が下った。

 

耳元でアップテンポの曲が聞こえる。びっしょりと嫌な汗と一緒にベッドから起き上がったぼくは、MP3にセットしておいたタイマーを止めてイヤホンを外した。

「またか…」

誰に言うでもなく呟き、クローゼットから替えのシャツとタオルを取出し浴室に向かう。温度調節も億劫で冷水のまま蛇口をひねると、頭上から滝のように水が降りかかり一気に細胞が覚醒した。一通りの身支度を済ませキッチンで朝食の準備に取り掛かる。

鍋に水を張り火にかけ、ニンジン、キャベツ、タマネギ、ベーコンを細かく刻みコンソメと混ぜて投入する。ひとまず汁物は出来上がったので、フライパンを熱してホウレンソウとパプリカ、ジャガイモを炒めて味を調えた後、卵で閉じるとオムレツの完成だ。これが上手くなるまで何個の卵をドブに捨てたことか。

最後に昨日仕込んでおいたタケノコと鶏肉の炊き込みご飯を茶碗によそう。この地域では米は比較的珍しい組み合わせだけど、同居人のかねてからのお願い(脅迫)により苦労して手に入れたものだ。

二人分の食器を並べ、準備が出来たことを知らせようとしたそのとき、もう一人の住人が姿を現す。

「ちょっとタクミ! 何で起こしてくれなかったわけ!?」

ナルミヤ・アキラの朝一番の罵声がぼくの眠気を残らず消し飛ばした。

 

「…だから聞いてないってそんなこと。」

「いいや、言った。今日は演習のミーティングがあるから早く起こせって。」

付け合わせのミニトマトをグサリと箸で突き刺して飲み込んでぶつくさ言ってくるアキラの相手はすでにお馴染みの光景になっており、和やかに食卓を囲む日々は今まで一度もない。

「でも、ぼくが帰ったとき君はもう寝てたよ。知らないことやれって言われてもできるわけないじゃないか。」

「あのな、仮にも1年暮らしてんだろ。いい加減私の生活サイクル覚えろよ。」

「毎日帰る時間がバラバラなのに?」

スッとフォークが眼前に突き出される。

「口答えすんな。こっから追い出されたいの?」

最終兵器を通告され、なけなしの意地は呆気なく沈没する。何も言い返せないぼくを尻目にアキラは無言で皿の上を平らげた。

「チッ、命令じゃなきゃ誰がこんな奴と…ヤッバ、こんな時間! タクミ、コート取って。」

出勤前に施す薄い化粧をしたアキラがスーツケースを抱えてバタバタと玄関口に駆けていく。セーターにジーパンというラフな格好からすると、仕事場で着替えるらしい。見送ろうと彼女にガレージまで着いていくと、

「あ、今日彼と外食してくるから適当に食べといて。」

「泊まってくの?」

「気分次第ね。もしそうなったら連絡する。」

「分かった。急ぎ過ぎて前みたいにパトカー連れてこないでよ。」

愛車のフォードを路上でかっ飛ばして行くのを見送った後、ぼくは家に戻り自分の仕事先に向かう準備を始める。

 

あの戦いから3年が過ぎようとしていた。現在ぼくはとある理由でアキラとアメリカはコロラド州、コロラドスプリングスで同居している。州都のデンバーに次いで大きい都市だ。コロラドは地域によって気候が変わるというけど、そう悪くない場所だと思ってる。

戦いを終えた後、ぼくは予想通りREXに編入されることになった。急激な戦力低下を防止するための暫定的措置と言われたけど、要はマザーの後釜に就かされたわけだ。無論、最初は厄介者扱いされた。誰だって得体の知れない味方と組みたくないだろうし、素人に毛が生えた程度の見た目の新兵を急に隊に受け入れろというのが無理な話だ。もしぼくが指揮官で1回しか実戦経験のないひよっこを入隊させろと言われたら訓練段階で難癖着けて強制送還させる。それくらい信用というものは大切で、そういうのは重ねてきた実績が物を言う。

訓練は苛烈を極めた。まずは訓練というより拷問に近い体力調整。一番酷いときは三日三晩寝ずのまま体を限界稼働状態で動かし続け、朦朧とした意識の境界線を彷徨う。次に特殊作戦に必要な技能の習得。斥候、奇襲、爆破、サバイバル、もちろん語学も欠かせない。戦闘訓練は予めマザーに嫌というほど仕込まれていたから比較的楽だったが、空挺降下や潜水は慣れるのに時間が必要だった。ループを使って半年で修了したものの、隊員のぼくを見る目はまだ怪しげだった。

しかし部隊に配属されてからの初ミッションを終えてからは、全員が隔たりなくぼくを認めてくれた。どうやらこの部隊では実力さえ示せば正式に仲間として扱ってくれるらしい。その後、わずか数ヶ月もしないうちにぼくはREXの隊長に任命された。

色んな場所を巡った。最初はアジアに行き、次は東欧で各地を転々とした。ぼくらの活躍は瞬く間に知れ渡り、同時にジャップ・ザ・リッパーの仇名も浸透していった。

その次は中東に派遣された。スカイネットが反乱を起こしたのは2004年で、当時イラク戦争の影響の只中にあったこのエリアは人類vs機械の混乱を受け、ますますややこしい情勢に陥っていた。簡単に対比すれば抵抗軍と機械軍とイスラム系武装組織の三つ巴といったところだ。

REXはこの状況の打開策の一環として、現地に巣食うレジスタンスと接触して協力を取り付ける任務を命じられた。初めは中々進展しなかったけど、ぼくらの努力も実を結び成果は徐々にだが着実に伸びていった、かに思われた。ある日、突発的なトラブルが発生して多くの人命が失われ、作戦は失敗したのだった。

その渦中にいたぼくはショッキングな体験からPTSDと診断された。心に傷を負い、悪夢や無力感に苛まれ長年悩まされる病気だ。よく分からないうちに、ぼくは治療のために前線から外され、アメリカで何故かアキラと暮らすこととなった。彼女も何やら訳ありらしい。

今の彼女は一級品のパイロット(トップエース)だった経歴から、空軍士官学校の教員補佐を務めている。そういうのは相当優秀じゃないとなれないと聞いたけど、アキラほどの才能であれば問題はないようだ。

一方のぼくはその学校の食堂+自宅近くのウォルマートで働いている。戦うこと以外は少し絵を描くことしか能のないわりにはよくやっていると思う。家賃は軍が払ってるけど、職業柄の差なのか、それとも幼いころからの反射条件か、アキラには逆らえないことが多い。

必然的に家事なんかもぼくがしているが、アキラは全くと言っていいほどせず、更には飯がマズいだのシャンプーがどっかいっただの口うるさいことこの上ない。しかし、結局頭の上がらない性分のせいで、ぼくは黙々と要求に従ううちにちょっとしたオシャレな食事が作れるレベルまで上達してしまった。

ちなみに若い男女が一つ屋根の下、何かしらアクションがあるように、ぼくらにもそんな関係が一応あった。「溜まってるからさっさとしろ」という甘さの欠片もない誘いだけど。

けど、アキラには彼氏がいる。性格を除けば文句なく美人の範疇に入る彼女に、当然アタックしてくる輩は絶えない。士官学校の候補生から同僚、果てには道端で声を掛けられることも度々。

確か今は4人目で、軍人家系出の高身長のエリートイケメンだ。一度会ったことがあるけど、彼女の連れてくる男は大抵3Kが高水準の人間に限られる。

週末に1人でスケッチブックと向き合うぼくと違い、アキラはほとんどデートに時間を使うけど、必ずと言っていいほど泊まることはない。彼氏の車で帰ってくるまでは楽しげな会話が聞こえるが、家に入った途端不機嫌になりぼくに寝ることを強要する。そしてことを終えると勝手に寝てしまうのだった。

正直、疲れる。次の朝は近寄りがたい雰囲気を放つし、相手の男からも白い目でねめつけられるのも勘弁してもらいたい。でも、結局はまた丸め込まれるんだろうな、とため息を吐きつつ持ち物を確かめる。

ピンポーンとチャイムが届いたのはそのときだった。アキラが忘れ物でもしたんだろうか。いつも通りに扉を開けると、そこには見慣れない男性が立っていた。

灼けた肌にオールバックにまとめられた白い髪、そして一切のウソを見抜くような鋭い瞳。明らかにカタギの人間じゃないことだけはハッキリとした。

「コガ・タクミさんですね? お久しぶりです。」

この瞬間、慎ましくも平穏だったぼくの休暇は崩壊した。



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23.出奔

母が死んだ。

そう聞かされたのはちょうどPTSDと言われた頃だった。

死因は自殺。胃ガンと宣告され入院の最中、ナースが首を吊ってるのを目撃した。

毎日のようにカウンセラーに呼び出され、根掘り葉掘り検査されてクタクタになって部屋に戻ったときにメールが届いた。よく覚えてないけど、疲れていたのか端末を閉じた後でぼくはすぐに寝てしまった。

数日後、葬式に出席するために日本に帰国したが、数年振りに帰ってきた故郷でぼくを出迎える人間は誰もいなかった。式場に着くと黒い礼服の集団があちこちに散らばり談笑しつつも、ぼくをチラチラと見てくるのが分かった。

日夜騒音に囲まれた生活を送ってきたからか、小さくても耳から色んな言葉が飛び込んでくる。

『ねえ、もしかしてあの人タッちゃんじゃない?』

『あら確かに。でも随分と雰囲気が変わってるわね。』

『どうやら前の旦那と離婚したとき、勝手に軍に入隊したと聞いていたが。』

『薄情にも今まで家族と連絡ひとつ取らなかったそうじゃないか。』

『近づかない方がいいぞ。見てみろ、あの顔の傷。ああ恐ろしい。』

四方から聞こえてくる陰口を受け流しながら、天幕をくぐって中に入ると意外な参列者と鉢合わせした。

「…タクミか?」

「久しぶりだね、父さん。」

父はこっちを向いて一瞬目を丸くしたけど、ぼくだと分かると隣の席に座るように勧めた。自然とお互いの近況を報告し合ったが、どこかぎこちない空気も流れていた。

父は母と別れた後、不倫相手の女性と一緒に暮らしている。詳しくは話さなかったけど人並みの幸せは手にしてるみたいだ。ぼくも職業柄多くのことは言えなかったけど、父はただ『変わったな。』とだけ言い残した。

ぼくらは一応昔の家族ということで今の家族の隣に席が置かれた。この配置を決めた担当の神経がちょっと分からないと感じたのは向こうも同じ様で、終始気まずい雰囲気が漂っていた。時差ボケで読経の最中にあくびをしてしまったぼくも原因の一つだ。

いよいよお別れの挨拶をしようと棺桶に集まったとき、ぼくは初めて死人となった母の顔を拝んだのだが、正直言って人様に見せられるようなもんじゃないというのが最初の感想だった。苦しい闘病生活を送った母の顔は痩せこけ、骨に皮が張り付いているという表現がしっくりくるほどだ。気持ち悪かった。

火葬されて残った骨を箸で拾うときも、周りが躊躇っている中で、ぼくは淡々と作業に没頭していた。何も感じなかったといえばウソになるけど、泣くほどのことでもなかった。戦争で多くの死体を似たように処理してきたためか、淀みない手つきでほとんどの骨はぼくが納めた。ちりとりがあればいいのにと思う。アレだったらさっさと骨を集めて壺に入れられるのに。葬式というのは中々面倒だ。

「この人でなしめ!」

そう言われたのは母の葬儀が終了した後、ぼくと父が現在の母の家族と改めて顔合わせしたときだった。いや、ぼくの親権は母が持っていたから、戸籍上では正面で悲しみに暮れながら酒を飲んでいる男が父親ということになる。そしてその隣には義妹(いもうと)と呼ぶべき学生服の少女が座り、ぼくを時々盗み見てはすぐに視線を下げていた。

この奇妙な集団に関わりたくないのか、取り巻きは近づかず成り行きを見物している。最初は他愛のない会話のはずだった。父と義父は旧知の仲で、なるべく母の話題を避けながら昔話に花を咲かせてる傍ら、義理の妹はぼくに離婚後の母の様子を丁寧に教えてくれた。

聞けば聞くほど母は幸せだったと分かった。義父とおしどり夫婦のように寄り添い、義妹を我が子と同じ、いやそれ以上に可愛がりぼくには見せなかった立派な良妻賢母ぶりを発揮していたらしい。

ぼくが頼むまでテレビの前から動かなかったくせに、娘には言われないでも勉強まで面倒を見るのが明らかに物語っている。どうやら母はぼくたちを綺麗さっぱり切り捨て、新たな人生を謳歌していたようだ。

その証拠に後日公開された遺書にぼくの名前はタの字も無かった。

「やっぱりお母さんが死んで寂しいかい?」

コクン、と少女が頷く。よく見ると目は真っ赤に充血し頬にも涙の跡が残っている。

「とても優しかったから。だからまだ…」

そこでふと言葉を呑み込んだ義妹は、おずおずとぼくを覗き込んで尋ねてきた。

「あの…お兄さんは何で平気そうなんですか?」

「へ?」

「だって…お母さんを見送った人はみんな泣いてたのに、お兄さんだけそうじゃなかったから。」

なんだ、そんなことか。拍子抜けしたぼくは薄く微笑んで答えた。

「まあ、その、何て言えばいいのかな。悲しいとは思うんだけど泣くほどのことじゃないっていうか…そうだ。こう考えてみたらどうかな?」

キョトンと見返す少女にぼくはしゃべり続ける。

「今の地球の人口って以前より少なくなったけど、まだ50億人はいるでしょ。その中で今日死んだ人間はお母さんだけじゃないし、日本でも100人はくだらないと思うよ。それに今は戦争中だし、世界中でもいっぱい死人が出てる。動物なんてもっと死んでるはずだよ。そう考えればお母さんはたくさんの仲間と一緒に天国に行ったことになるからきっと寂しくないんじゃないかな。」

ガシャン!

「この人でなしめ!」

そしてぼくは殴られた。控えめだけど駆け回っていた話し声が一気に沈黙し、全員の視線がその原因に集まる。ぼくの頬を捉えたのは義父の拳だった。アルコールを取り過ぎて顔は赤かったがその目は少しも酔っておらず、足はふらついているもののさっきの一撃はかなり的確に入りぼくの意識を揺さぶった。ひょっとしたらボクサーの才能があるのかもしれない。

「お前、よくもそんな口を…この恥知らずが! 母親が死んだのに涙一つ見せないのか!」

「…いきなりだな。出そうにも出ないんだから仕方ないでしょ。むしろぼくは怒ってるんです。」

「何だと?」

「泣いたって死んだ人が帰ってくるわけじゃない。そもそもあの人は自殺したんだ。あなたたちを置き去りにして。体を治して元の生活に戻ることも出来たはずなのに、あの人は死んで痛みから逃げた。ぼくだったら許さないとは言わないけど、悲しんで悼む気にはなりません。」

何故かやりきれない思いが胸に溢れ、それを遠ざけるようにぼくはポカンとした義父の横を通り過ぎる。

「おい、どこに行く!? まだ話は終わってないぞ!」

「仕事の最中にいきなり呼び出されたんです。用事が終わったから帰るんですよ。…それにあなたは親が死んだのに泣かないなんて言いましたけど、家族だからって泣かなきゃいけないんですか? 残念ですが仮にも息子が戦地に行くってのに電話の一つもかけない家族に、ぼくには泣く時間も義理もありません。」

完全に真っ赤になった義父の目を正面から受け止める。今にも飛び掛からん勢いだったが、しばらく見つめ合ったものの結局何もせず降ろした拳を震わせてただ俯くだけだった。一応別れの挨拶だけ済ませ相変わらず好奇心満々の野次馬を一瞥して退出し、会場近くのタクシーに乗り込んでしばらく走ると携帯が鳴った。

父からだ。

「どうしたの、父さん。」

「ああ、いや、さっきのことなんだが…少しお前が気になってな。」

「ぼく? 何か変なことでもした?」

スピーカーの向こうでわずかに息を飲む音が聞こえた気がした。

「…いや、そうじゃないんだが…タクミ、お前仕事は大丈夫なのか?」

「ああ、お義父さんに言ったことならただのデマだよ。あれ以上殴られたくなかったし。」

「違う。内容の方だ。父さんに言えた義理じゃないが、何か嫌なことでもあったんじゃないか?」

少しだけ胸が疼いた。何て返そうか迷って黙り込んでいる間、父が話し続ける。

「今更なんだが、お前に再会したとき最初は別人じゃないかと思ったんだ。傷つくかもしれないが人じゃないような気がした。ニュースでもよくやってるんだが、戦争がまた激しくなったそうだな。仕事上、お前もハードな生活をしてるんじゃないか? 」

久々の心配そうな声にぼくは咄嗟に合わせた。

「ううん、そんなことないよ。ちゃんと折り合いは付けてるから。」

「そうか。正直、お前が式場で言ったことには驚かされたんだ。何て言うか、人の死をああも簡単に割り切れるとは思ってなかったからな。本当に驚いたよ。…なあタクミ、まさかお前石で出来てるわけじゃないよな?」

そのとき、バックミラーに映っていたぼくは世にもマヌケな顔をしていた。

 

そのマヌケな顔がぼくの前に立っている。

「…どういうこと?」

心なしか震える喉を抑えてアキラがぼくに問いかける。

「もう一度言うよ。ここは引き払うことになった。」

珍しく上機嫌で帰ってきたところにいきなりこんなお知らせは確かにビックリだろう。出かけるときには見なかった高級そうなバッグを見ながら話を続ける。

「少し前に上からお達しがあってね。本日をもって療養期間(バカンス)は終了。各自4日間で撤収を済ませて指示された場所に向かい、現地の命令に従えってさ。」

「ウソ、いくら何でもそんな急には―」

まだ状況を飲み込めない彼女に形ばかりの嘆息をついて一枚の紙切れを渡す。軍の正式な書類だった。

「集合場所は同じ国防総省(ペンタゴン)だけど、ぼくは都合上日程が繰り上がってね。明日にはワシントンに飛ばなきゃ行けないんだ。」

丁寧に説明したけどアキラは命令書の文字を追うのに忙しい様だ。全くと言っていいほど聞いてない。元々ぼくの言うことをまともに聞いたこともほとんどないけど。

そのとき、ポツリとアキラが呟いた。

「…止めろよ。」

「え?」

「止めとけって言ってんの。大体この療養期間の終了って何を根拠に言ってるわけ? アンタが回復したって理由がないじゃない。」

「もう平気だよ。念のためにお医者さんに確かめたら問題ないって」

「ウソつき。」

不意に今までの困惑した声音が一気に冷たくなり、ぼくの背筋を撫でつけた。今までアキラの前でついた嘘はことごとく見破られてきたけど、今回のは非常にマズい予感がした。

「知らないとでも思ってんの? 私知ってんのよ。アンタが一緒に寝るときマザー、マザーってうなされてること。」

息が止まる思いだった。まさかこのタイミングで自分の黒歴史を暴露されるとは。長年の経験で身に着けたポーカーフェイスでどうにか平常を装ったけど、内心は今年一番の恐怖イベントに立ち会った気分だった。

「最初は単におばさんのこと言ってるのかと思ってたけど、どうにも違う気がするんだよな。何て言うか昔の女に謝ってる感じ。」

「…たまに夢に母さんが出てくるんだよ。内容は思い出せないけど。」

もうこれ以上は耐えられない。一刻も早く逃げたくてボストンバッグを担いで通り過ぎようとしたら、細い脚が行く手を遮った。

「どこ行く気?」

「そろそろ時間なんだ。タクシーも呼んであるからさ。」

このまま見苦しい言い訳を続けて醜態を晒すのはゴメンだ。それを分かっていてかアキラは勝者の笑みを浮かべる。

「大丈夫だって。今からキャンセルしても料金は私が払ってやるから。」

ダメだ。完全に退路を断たれてしまった。電灯に照らされたアキラは勝敗を確信したのか、ぼくの背中を押してリビングに戻そうとする。猶予のない今、彼女のワガママに付き合ってはいられない。やむを得ずぼくは最後の手段に出た。

「本当に行かなきゃいけないんだ。…ゴメン、アキラ。ぼくは君の気持ちには応えられない。」

すると、後ろに触れた腕がピクリとしたきり動かなくなった。形勢逆転のチャンスを逃さず素早く向き直る。アキラはさっきまでの余裕が嘘のように狼狽していた。目は見開かれ、口も半開きだ。

気付いてないわけではなかった。アキラが何人も彼氏を鞍替えしているように、ぼくも少なからず場数は踏んだつもりだ。彼女が事あるごとにぼくに突っかかり、そして今何とかして押し留めようとしている理由。半分デタラメに喋ったつもりだったけど、この様子だと予想はそこそこ当たってたらしい。

酷いことをしていると自覚したけど、なりふり構ってはいられなかった。

「待って!」

初めて聞いた弱々しい声に驚いたものの、玄関に向かおうとするぼくを必死に抵抗する彼女の肩にそっと右手を置く。

「もうオママゴトはお終いだ。」

少し力を込めて下に押すとアキラの体は呆気なく重心を崩し、床に尻餅を着いた。その隙にドアノブを回したぼくの耳にはもう彼女の声は聞こえなかった。



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24.招集

ペンタゴンに着き正面ゲートを潜ると、すぐに特徴的な黒い球体が目に入った。

今のペンタゴンにエスカレーターはない。ガンツのワープ機能を使うからだ。敵からのハッキングの防止策として抵抗軍は情報管理をガンツで一括しており、重要案件の会議に出席する場合もガンツで生体認証を通してからでないと受け付けてもらえない。

他の職員がそうするように、命令書に添付されたパスコードと自分の網膜をスキャンさせるとぼくはある部屋の中に転送された。さして広くない、事務机や応接のソファくらいしかない場所だった。

「久しぶりだな、こうして会うのは。」

机の向こうで背を向けて語りかけてくる低い声には聞き憶えがあった。

「ええ、お久しぶりです中佐。」

挨拶に応えて声の主が振り返る。9ヶ月振りに会った元REX部隊司令エドワード・ワグナー中佐は、以前より白いものが混じった頭と以前と変わらない威厳を纏いぼくを見て笑った。

「済まんな、せっかくの甘い休暇を台無しにして。」

「いえ、いい気分転換になりました。」

「少し痩せたか? だが顔色はだいぶ良くなったようだ。」

「毎日レーションの任務生活と比べると健康にもなりますよ。」

「それは何よりだ。座ってくれ。」

ぼくがソファに腰を下ろす間に、ワグナー中佐は手許の端末を少し弄って立ち上がり、ぼくの真正面に座り込んだ。10秒程経って両者に挟まれたテーブルにいくつかのウィンドウが表示される。どれも人の顔が写っていた。

「これは情報管理局の人間だ。彼は数年前からあるデータを入手するために動いていた。が、それを手に入れた直後に姿を消した。大勢の部下を引き連れて。」

「姿を消した? ガンツで痕跡を掴めないんですか?」

仮にも軍や政府に関わっているものは例外なくガンツに情報を登録してある。スカイネットより頑丈という説さえあるこの徹底した管理システムの目を誤魔化せるなんて寝耳に水だ。

「どういう手口を使ったのか私も上に情報開示を求めたんだが、渋っていてな。今分かってるのはグラハム・ターナーという名とデータの概要だけだ。」

ワグナーが机の隅を叩くと今度は新しい画像が一面に広がった。それを目にした途端、喉が勝手に唾を飲むのが分かった。自然と文字の羅列に吸い込まれ、それで起こりうる事態が思い浮かび溜飲が下がる思いがした。

「これはまだほんの12%に過ぎない。残りは奴の手中にある。」

苦々しい口調で語ったワグナーはぼくの目を見て命令した。

「君に伝える任務は2つ。グラハム・ターナーの身柄確保とデータの回収だ。参謀本部にもこの事態に全面協力するように取り付けてある。それに伴いREXも復活し再編された。隊員にはもう声を掛けてある。何人か新顔もいるから挨拶を忘れずにな。」

「了解しました。任務に当たります。」

敬礼を返して扉に立ったときだった。

「あのときのことは済まないと思っている。特に君にはつらい思いをさせてしまった。」

「…もう過ぎたことです。彼女も気にしてはいません。」

「…そうか。詳細な資料は君のベースに送ってある。情報についても君たちに優先的に回すつもりだ。どうか頼んだぞ。」

 

軍に存在する数ある部隊でもREXは変わった立ち位置にあると思う。そもそも抵抗軍の特殊部隊とは、スカイネットとの戦争を通じて対ターミネーター戦を想定した作られた、言わば機械との戦いに特化した集団であり、旧来のグリーンベレーとかNavy SealsとかSASが十八番とした任務はむしろREXが引き継いでいる。中には昔ながらの諜報活動(ヒューミント)も請け負っているくらいだ。

なのにぼくらが特務部隊と呼ばれるのは、軍の偉い人が現在の特殊部隊との区別を図ったからだとも言われている。普通の兵隊みたいに前線にも出ているのにわざわざ区別するか?、と昔は考えたものだ。

もっとも本当の意味が分かったのは、ぼくが入隊して初めて挑んだ特務―非正規任務に従事したときだった。REXには2つの顔があった。戦闘時に敵陣に奇襲を仕掛けて活路を切り開いたり、友好組織に出向いて訓練を施す独立支援部隊としての表の顔。もう1つは対テロ、暗殺、潜入工作など超法規的活動を認められた参謀本部直轄の隠密機動部隊としての裏の顔。(REX)の名を冠するにしては随分とアウトローな仕事だ。

「どうしました隊長? もう着きましたよ。」

ヘッドホン越しにヘリのパイロットが呼びかける。気が付けば確かに足元からくる浮遊感はなかった。

「ありがとう、ご苦労様。」

ヘリポートに降り立つと、その場で補給やら整備やらで動き回っていた兵士たちがこちらに気づいたらしい。見慣れない顔が多いのからすると、今年からの参入者だろう。傍を通ると思い出したように慌てて敬礼した。

初めてこの隊に来た時と同じだ。自分たちより歳も体格も下の若造が悪名高いジャップ・ザ・リッパーと誰が思うだろう。中には明らかに見下してくる手合いもいた。回想にふけながら昔のままの内装の通路を歩き、記憶に従って隊舎で一番広い作戦会議室にたどり着く。

入口に取り付けてあるデバイスに認証番号を入力し指をスライドすると、その動きをトレースして扉が開いた。同時に部屋に詰めていた人々が一斉にこちらを振り返る。

「隊長!?」

「隊長だ!」

「お久しぶりです隊長!」

外と違って反応が良いのは、ここの連中が解散前から残っていた隊員だからだった。全員が背筋を伸ばして熱のこもった敬礼をかざすと、半年以上遠ざかっていたというのに僕の体も自然に同じ姿勢で敬礼し、ようやく帰ってきたという実感が湧いた。

互いに挨拶と握手を交わし、周りを囲まれながら部屋の中心に向かうと今度は驚きが待っていた。

「先輩?」

「おうタクミ。ご無沙汰だな。」

気さくに片手を挙げてナイジェル・ケイブスが杖をついて歩み寄る。左足には補助用器具を装着していた。

「軍に復帰したんですか? よく許可が下りましたね。」

「お前さんの上司が話の分かってくれる人でな。執行猶予付きでここに置いてもらえることになった。まあこんな体だし裏方で働かせてもらうよ。」

ポンと肩を叩くと

「しかし、良い設備だなここは。人材も一流だし…そうだ。他にもお前の顔馴染みがいるぞ。」

こっち来いよ、とナイジェルが手招きすると長身の大男と鮮やかな金髪の少女が進み出てきた。

「…カザマ? カザマじゃないか。」

「ああ、久しぶりだなタクミ…じゃなかった。お久しぶりですコガ隊長。」

律儀に敬語で返した大男、カザマ・ダイゴは3年前よりも逞しさが増した顔つきになっていた。

「いいよ別にタメで。そうかこっちに移ったのか。確かダーウィンでの合同演習以来じゃないっけ?」

「そうだな。あの時はお前たちのチームに何度ボコボコにされたことか。おかげで部隊長にこっぴどく叱られちまった。」

「けど大したものだよ。その歳でうちに入るなんて滅多にないから。」

「お前が言うなよ。」

軽口を叩きあっていると、横からもう1人の新参者が割って入ってきた。その瞳を見て照明が少し暗くなった気がしたのは、多分気のせいじゃない。何かを感じたのかカザマがさりげなく引き下がった。

「シェリーだね?」

「ええローガン。」

シェリーと呼ばれた女性兵士は無表情にぼくを見返す。まだ少女と言ってもいい幼い可憐な顔立ちの上にある大きな瞳は海のように青く、思わず吸い込まれそうなほど深かった。肩まで届いた金髪や細い体躯と相俟ってどこか気品のようなものも感じられ、中世のお姫様がそのまま飛び出した感じだ。笑えばさぞかし可愛らしいことだろう。もっとも本人はほとんど省エネ状態に徹しているが。

「相変わらず連れないな。ってかそろそろローガンじゃなくて名前で呼んでくれよ。」

「ごめんなさい。日本人の名前って言いにくいから。」

ぼくより2歳下であることを差し引いても、再会するまでの年月は彼女を大人に近付けていた。わずかであるけど鼻に香水の匂いが入り込んでくる。

「それに私はシェリー・セシルになった。国籍もアメリカに変わったの。」

「…いい名前だね。中佐といえども美人には弱いってことかな。でも君が入ってくれるのは心強いよ。これからよろしく頼む。」

「こちらこそ隊長さん。」

含んだ笑みを浮かべたシェリーが何気なく右手を差し出す。握り返すと華奢な容姿に反してその手は兵士特有の角張った感触がした。出会った時から変わらない肌触りだ。ふと周りを見やると随分とみんな変わったものだと思う。皺が増えた者。傷が出来た者。ぼくが不在の間もREXの仲間たちは必死に戦場を掻い潜ってきたことは容易に判別できた。今更ながら罪悪感がこぼれ出る。

「みんなすまない。1年前、ぼくが犯したミスのせいで部隊をバラバラにしてしまった。あのときのことは死んでも許されることじゃないと思ってる。けど、ぼくは許されるつもりは毛頭ない。これから出向く任務も償いの気持ちは一切持ち込むつもりもない。ぼくはこれからは任務に私情を持ち込むことは決してしない。その上で言うことにする。アンタたちの死に場所はぼくが決める。」

決意をもって紡ぎ出たぼくの拙いボキャブラリーの告白は、どうやら隊員たちに上手く届いたようだ。その場にいる全員が誰が言うでもなく踵をそろえ、敬礼する。ぼくはそれに安堵して敬礼を返した。

「…ありがとう。では早速だけどこれからブリーフィングに移る。けど、その前に1人新人を紹介しておこう。お入りください。」

入り口に向かって話すと1人の細身の人物が扉をまたいで現れた。途端に周りがざわざわと騒ぎ出し、そこかしこから口笛ではやし立てる者も出てくる始末だ。そんな中、カザマがポツリと呟いた。

「アキラ?」

「久しぶりカザマ。また身長伸びた?」

きめ細かい栗毛を振りまき登場したナルミヤ・アキラはフライトジャケットを羽織って、変わらない冷笑的な態度を取りながらぼくらの前に現れた。



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25.宣戦布告

「久しぶりカザマ。また身長伸びた?」

豊かな栗毛を振りまき登場したナルミヤ・アキラはフライトジャケットを羽織って、変わらない挑発的な態度を取りながらぼくらの前に現れた。

「お前も呼ばれたのか?」

顔を綻ばせながらカザマが質問する。そこにぼくは忠告を投げかけてやった。

「言葉に気を付けたほうがいいよ。目の前にいるのは大尉殿だから。」

「大尉!?」

「そういうこと。今回の作戦に参加する折に昇進してね。」

「し、失礼な発言をお許しください大尉殿。」

「ん、よろしい。でも、会えて嬉しいよ。よろしくカザマ軍曹。」

 

大きくも小さくもない会議室。無機質な机、無機質な椅子、無機質な照明。無機質で彩られた空間の中央に同じくらい無機質な格好の男が3人並んでいた。と言っても、真ん中の男は椅子に手足を括りつけられ、残りの2人はその両側を固めて男に厳しい視線を寄越している。

それだけならばゲイのポルノクリップでも始まるんじゃないかとも思うが、男の前には簡素な会議室には似つかわしくない連中が居座っていた。情報管理局の分析次官、参謀本部の防諜室長、国家間安全保障委員会の情報監察補佐官、抵抗軍特殊作戦コマンドの作戦担当幕僚長などといったテロリストが見たら涙して特攻にかかるほどの豪華キャストの目白押し。その中にはワグナー中佐も並んでいた。

「この音声が流れているということは、我々の使者は所期の目的を達成したということでしょう。まずは礼を言う。ありがとうテイラー。」

恐らくテイラーであろう拘束された男性は無表情のまま部屋に響く音声―正確には目の前に置かれた端末から流れる―を聞いている。テーブルのお歴々も一様に沈黙を保ったままだ。

「そして恐らくは彼の前に並んでいる方々に、このような形で話さなければならないことをお詫びします。何しろやむを得ない事情があったものですから。」

「御託はいいから早く本題に入ってくれ。我々も暇じゃない。君の名前と通信周波数を言わなければこの男はさっさと警察に突き出していたのだからな。」

防諜室長がテイラーに鋭い目線を飛ばしながらダミ声で牽制を発する。しかし、テイラーは相変わらずの鉄面皮を通したまま身じろぎもしない。

「それは失礼をいたしました。では早速こちらの要求をお伝えします。一つ、合衆国が管理する全てのガンツの暗号鍵をこちらに引き渡すこと。一つ、マリナ・オーグランの遺体を引き渡すこと。この2項が承諾されない場合、現在我々が保有する機密情報を世界に公開します。」

ザワ、とスクリーンの中に動揺が走り、これまで渋い顔で聞き入っていた次官たちがそれぞれの反応を見せた。顔を青くする者、苦虫を噛み潰したような表情の者、関係各所に連絡を取ろうとする者。衝撃の発言からしばらくして立ち直った防諜室長が

「…横暴に過ぎるとは思わんかね。」

見るからに焦っていた。もう少し刺激を加えれば発作でも起こしそうだ。

「数日前に我々が入手した情報によると、貴職らは我々をテロリストと断定したそうですね。何の騒ぎも起こしていないのに犯罪者呼ばわりされるのはいささか不服ですが。」

「軍の重要機密を独断で占有し、姿を晦ませた時点で立派な重罪人だろう。」

「それが不服だと申し上げているのです。残念ながら我々の目的をここで語ることはできません。ですが、我々は軍に絶望して去ったのではない。取るべき行動を経た結果、こうなったのです。」

「では、こうして私たちを脅しているのも君は結果だと言い切るのか?」

「恐れながらそうなります。かつてのモースルの虐殺以来、抵抗軍の勢いは衰えスカイネットの支配が再興しています。ここで手を打たないといずれは取り返しのつかないことになる。いわば我々は軍ではなく人類存続の一助となるべく行動しているのです。」

「傲慢な物言いだな。君らしくない。」

突然口火を切ったのはワグナー中佐だった。どっしりと椅子に腰かけてはいるが、その目は一部の隙も与えていない。

「それに疑問もある。仮に我々が君の要求を呑んだとして、前者の譲渡を引き受けたとしよう。しかし、彼女の遺体は別だ。マリナ・オーグランは3年前のヨコスカ基地防衛戦で死亡、遺体の行方は不明。爆撃のせいで粉微塵になったなんて噂も出回ってる。つまりは物理的に不可能だ。」

「噂ではでしょう? 参謀本部の最高機密特別秘匿区分情報にアクセスすれば無理ではありません。もっとも、多少の時間はかかるでしょうが。」

「ダメだ。私はもちろんこの場にいる人間にその権限はない。」

「権限の持たない者でも構いません。彼女の居場所を知っている者であれば誰でも。」

その言葉の意味を悟ったのか中佐は悔しそうに歯噛みする。

「…彼はもう軍を離れた。ただの一般人を巻き込む道理はない。」

「貴職らは何か勘違いをされているようだ。これは交渉ではなく勧告です。どちらにしても、我々が手を下さなくともこのままでは世界はカオスに包まれる。しかし、我々ならそれを食い止める可能性を持っています。期限は3週間。それまでに最善の選択をして頂きたい。」

「待て!」

「もう一度申し上げますが、我々は私利私欲のために動いているわけではない。人類のために行動を起こしたのです。そのためならどんな犠牲も厭わない。その覚悟を知らしめるべく、使者はこの場で自決します。」

すると事前に示し合わせたかのようにテイラーが突如苦しみだした。手錠をガチャガチャと鳴らし、頭を縦横無尽に振り始める。両側の警備員が自決を防ぐために男を取り押さえたが、震えは一層増すばかりだ。

「願わくばこの犠牲を以て我々と貴職らに神のご加護を…」

何らかの電子音が聞こえると同時に、テイラーの頭と端末が小さな火花を立てて飛び散った。

 

映像が途切れ、ブリーフィングルームに明るみが戻る。ワグナー中佐が送った資料を見たわけだが、REX部隊の隊員は押し黙ったままだ。先に進めるべくぼくは補足事項を説明する。

「…というように唯一の手掛かりは自分から消滅した。もちろん発信源の特定もしたけどブラフだったよ。」

「とんだサイコ野郎だな。」

ナイジェルが仲間の気持ちを代弁する。職業柄人の死は見慣れてるけど、どんな人間であれ脳みそや内臓をぶちまける姿は気持ちのいいものじゃない。

「じゃあ今回ぼくたちが参謀本部から受けたハタ迷惑な任務の原因を見ていこうか。」

再び暗転して1人の男性のホログラフが出現する。角ばった輪郭に彫りの深い顔立ち。これでもかと寄せられた眉間とその下に鎮座する猛禽類を髣髴とさせる目つき。THE・強面といった感じで、これをタイムズスクエアに放り込んだら、目線だけで睨み殺される市民が続出するだろう。

「スティーブン・セガールとゴルゴ13を足して2で割った感じだな。」

「服役後にスカウトされたっぽい。」

カザマとシェリーが第一印象の総評を述べる。

「そう、身長も190cmはある。どう見ても目立って仕方ない外見だ。それでもこのグラハム・ターナーは情報管理局でもトップクラスの実力者に挙げられている。現に全く所在を掴めてない。」

「隊長さん、質問があるんだけど。」

アキラが挙手してぼくを見据える。数日前まであんなにパニクってたのに、今はそれを微塵も感じさせない。年月が経つに連れて彼女も落ち着きというものを会得したのだろうか。

「はい大尉。何でしょう?」

「このターナーが言ってたことだけど、我々が保有する機密情報って何なの? 配られた資料にも載ってないんだけど。」

手元の紙を指で弾く姿は、わけもなくぼくに部下の失敗を追及する辛辣な女上司のイメージを浮かび上がらせた。やはり1年間の生活で培われた心理的な重圧はすっかり染みついてしまったようだ。

「それについてはこれから流す映像から察して頂けると思います。」

ぼくはリモコンを押して次のビデオを再生した。

「始まりは2年前のある刑務所でした。」

 

そこにあったのは黒い横線が引かれた白い壁だった。線には0~9までの数字が並び、端っこは不揃いに欠けている。そこにはオレンジ色の囚人服を纏った男たちが並んでいた。

「次、4027番!」

そう言って出て来たのは2m近い巨漢だった。胸板は分厚く腕も丸太のように太い。にじみ出る威圧感は歴戦の格闘家か何かと思わせるほどだ。

「どうした4027番! さっさと並べ!」

看守が怒鳴り声を上げるが4027番は反応しない。ただ、声の方向に顔を向けただけで全く動く気はないらしいが、その首を捻った仕草は何とも機械じみた違和感を覚えさせた。

「何を突っ立っている! いいから早く―」

「もう無理だな。」

そう短く呟いた4027番は突然行動を開始した。まずは業を煮やして襟を引っ張った看守の腕を掴み、無造作に投げる。驚いたことに決して小柄じゃない看守は軽々と5mは転がった。唖然とした他の看守たちをよそに、4027番は部屋の出口に向かって歩き出す。

「何をしている4027番! 看守に暴行を加えるなんて正気か!?」

しかし、4027番は警告を無視して頑丈な扉に近寄り、ドアノブに触れる。無論、暗証番号を打ち込まない限り大の大人が10人がかりで挑んでもビクともしない扉は、巨漢でも開けられるはずがない…と思われた。4027番は腕に少し力を込めただけで、いとも簡単に扉をこじ開けた。あまりにも強引な開け方に火花が飛び散るけど4027番が気にする素振りはない。そのまま刑務所の庭に出て真っ直ぐ門を潜ろうとする。

「止まれ! さもなければ撃つ!」

守衛が小銃を構えて威嚇するが4027番が止まる気配はない。

「止まれって! クソッ!」

引き金を引いて吐き出された弾丸は狙い違わず脱走者の右太ももを貫通する…はずだった。ギンッという音がしたかと思うと、恐るべきことに4027番の身体は弾をはじき返したのだ。信じられないといった顔をした守衛は2発、3発と撃ちこむが、結果は同じだった。自棄になり今度は胴体や頭部を狙って撃ちまくると、さらに驚愕の事実が判明した。銃弾を食らってボロボロになった服がはだけて落ちると、そこにあったのは血が噴き出す肌ではなく、チタン合金で構成された金属骨格であり、頭部から覗くのは剥き出しの筋組織ではなく赤い眼光を放つターミネーターの鋼の髑髏だった。



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26.すれ違い

「以上が奴が奪った機密情報の一部となる。」

刑務所の映像が終わり、人体模型図の画像に切り替わる。いや、それは人体模型ではなくターミネーターの設計図だった。基本的な外観はT-600と変わらないが、明らかにダウンサイジングしており、構造も細かいが一部変わっている。

「名称はT-800。現在スカイネットで配備が進んでいる新型ターミネーターで、人間社会に溶け込む目的で開発された潜入用アンドロイドだ。さっきの映像から分かると思うけど、コイツの特徴は人間の皮膚で体を覆ってること。それもゴムみたいな紛い物じゃなくて本物の人間から培養した本物の皮膚を使ってね。」

「じゃあほとんど見分けがつかないってことか!?」

画面に食い入っていた一同のうち、カザマが動揺を隠せずに叫んだ。

「そうなるね。驚くことにこのタイプは汗もかけるし、声帯模写もできるらしい。さらに本体のチタンの耐久性も上がってるんだ。実際、さっきの個体は脱走後に警察に囲まれたけど対物ライフルを使ってようやく破壊できたと報告されてるよ。ちなみに稼働時間も100年は持つらしい。」

ますます広がる動揺はささやきに変わり、皆が皆顔を突き出し合って口論し始める。無理もないと思った。T-シリーズの進化は旧来の科学水準と比較しても異常なほど進歩を遂げているけど、今回はその度合いが違い過ぎる。

「でも、この機体の本当の恐ろしさは性能の高さじゃない。」

ふとアキラがこぼした一言に周りの視線が集中する。けど、彼女は気にする風もなく、そうでしょ?と目で問いかける。相変わらず頭の回転が速いな。ぼくはそれに頷いて

「おっしゃる通りです。T-800の最大の武器は人間に擬態できるという事実ということでしょう。みんなも考えてみてくれ。昨日まで仲良くしていた隣人が、実は自分を暗殺するために送り込まれた殺人マシーンだったら。」

「…なるほど。集団ヒステリーなんて目じゃないってか。」

ナイジェルが後を引き取って嘆息する。他の隊員も段々その脅威が理解できて来たようだ。

「ある意味核兵器よりタチが悪いわね。」

シェリーも手を形の良い顎に添えて同意する。その瞳はやはり余人に彼女の思考を読み取らせにくくしている。

「いい例えだね。コイツはただ存在するという噂が出回るだけで、いくらでも人々の恐怖心を煽ることができる。幸いにも刑務所の件は秘密裏に処理されたけど、潜伏しているのはあの一体だけだったとは限らない。多分主要な都市部にはすでに送り込まれたと思っていいだろうね。」

ブリーフィングを締めくくるためにぼくはスクリーンの前に立って全員を俯瞰する。

「もしこの事実が世に広まったら、世界は大混乱に陥る。最悪の場合、互いが互いに疑心を抱くようになって抑制が効かなくなり、人間同士で殺し合う事態になりかねない。下手をすればルワンダやホロコーストを超える大量虐殺を引き起こすことにもなる。それを防ぐためにREXは極秘でグラハム・ターナーの拘束任務に就く。情報管理局によるとハワイのオアフ島で奴を目撃したとの情報があったみたいだ。今オアフ島は太平洋の中でも激戦区に数えられる場所になってる。ぼくらは現地軍の支援と言う形でここに行き、戦闘も行うから心して掛かってくれ。」

 

ブザーが鳴り、ターゲットが襲い掛かる。ぎこちない動きで銃を構えたターミネーターがぼくに狙いを合わせ弾を吐き出す。余りにも稚拙な動き―これでも10%はバージョンアップしている―はぼくの目には弾道の予測線イメージだけでなく、反動で姿勢がブレる様子まで分かってしまい、いとも簡単にかわすことが出来てしまった。そのままダッキングして射線から逃れ、何気なく赤いガンツソードを投げると、頭部に突き刺さる。

その間に接近してきた一体に距離を詰め、マシンガンを奪い取って撃ちこむ。油圧システムで駆動するターミネーターのパワーに生身で立ち向かうのは無謀と言われるけど、ちょっとしたコツさえつかめばできないわけじゃない。

さらに背後から撃ってきたもう一体に向けてマシンガンを数発ぶっ放すけど、機関部が過熱した状態で持ち続けるのは流石にキツい。ちょうど弾切れになったそれをとっとと捨て、ぼくは火線を避けつつスクラップになった1体からガンツソードを引き抜き、すれ違いざまに関節とシャーシの何本かを切断してやる。

頑丈にできたボディは数秒もったけど、銃撃の反動によって呆気なく崩れ落ちた。その後も律儀にも何とか動こうと踏ん張っていが、四肢の関節が完全に壊れてはどうしようもなく、虚しいモーター音を鳴らすばかりだった。

「やっぱり、本当みたいだな。」

防弾ガラスでくぐもっているけど、聞き慣れた声に思わず反応する。訓練ルームの鋼鉄製のドアから現れたのはやはりアキラだった。心なしかイラついてるように見える。なるべくぼくは笑顔で対応した。

「どうかなされましたか大尉?」

「今は止めて、それ。あと気色悪いニタニタ笑いも。虫唾が走るから。」

「…分かった。それでこんなところに何の用?」

まだ動き続けるターミネーターにとどめを刺してからチップを抜き取り、部屋を出た先にある訓練シュミレーターに読み込ませる。燃料電池の伝達効率から照準の補正まで改善事項が山ほど表示される。これじゃほとんど訓練にならない。やっぱり鹵獲機のリプログラミングはまだ実戦投入できるレベルには達してないばかりか、訓練にも使えるかどうか疑わしい。

「ちょっと確かめたかったってところかな。かのジャップ・ザ・リッパー様はどんな訓練をなさるのか。」

「その割にはあんまり興奮してくれないね。時々デモンストレーションでこれやるとギャラリーは大ウケなんだけど…っと、ありがとう。」

キーボードに修正データを入力しながら放られたペットボトルを受け取る。恐らくわざとだろうが、ぼくの一番苦手なグレープフルーツ味だった。仕方なく口をつけると独特の苦みと酸味がぼくの味覚を襲撃してきた。

「事前にアンタの上官から戦闘時の動画やら作戦記録やら散々見させられたからね。あのマスクの趣味はいいとは言えないけど。」

ぼくがREXに入隊する際にすぐに渡されたのは、技術部が開発したというフルフェイスタイプの索敵・分析バイザーだった。何でも暗視ゴーグル、双眼鏡、各種レーダーの他にウェアラブルコンピュータ機能を搭載し、至近距離で手榴弾が爆発しても傷一つ付かない優れものだそうだが、要はぼくのルックスが「英雄的」でないという何とも情けない理由から急遽制作されたらしい。お陰でぼくがジャップ・ザ・リッパーであるというトップシークレットは守られている。

ただ、ガンツスーツに合わせた黒を基調とした表面に銀色の牙を想起させる装飾が光り、プレデターのそれと似た双眼型のサブカメラが睨みをきかせるデザインは、設計者はどこかの電波に頭をやられてるとしか思えないくらい中2臭い。

「あれは上からの命令だったんだよ。」

「どーだか。アンタ楽器は出来るくせにファッションのセンスとかは壊滅的だからね。」

悔しいが一理あった。事実、彼女に教えられるまで世の男子高校生は靴を2足以上持っているのは当たり前なことを知らなかった自分を恨めしく思う。

「いいだろ。つかみは良かったんだから。」

不思議なことにマスクのデザインは予想より高評価だった。ワグナー中佐の弁ではミステリアスな雰囲気が一切素性が不明のジャップ・ザ・リッパーに合うらしく、ネット上では「正体はリプログラミングされたターミネーターだ」、「実は女」、挙句には「マリナ・オーグランがやむを得ない事情で顔を隠してる」という噂が出回る一方、所詮はプロパガンダの産物に過ぎないなど正反対のデマも流れている始末だ。

ちなみにアキラは後者で、セーフハウスでTVを見てた時も

「くっだらね。ロボット相手に刀で戦うってどこのマンガの世界?」

とバドワイザー片手に愚痴ってたくらいだ。刀で弾丸を弾く映像なんか合成と思われるのも無理はない。実際のところ、ぼくだって単純な反射神経で弾を切っているわけじゃない。何度も弾丸の雨を浴びて鍛え上げた超人的な視力があっても、世の中には出来ないこともある。

ループを経験した者はタキオン粒子の波長と脳波がシンクロすることで、ある種の予知能力が働き、死の繰り返しという強烈なストレスからくる反動で肉体が眠らせていた並外れた直感力と空間認識能力が発揮されるそうだ。これらが相乗することで敵の()()を感じ取り、さらには人間の反射速度を超える速さの弾丸の軌道を瞬時に先読みして防御することが可能となる。要はジェダイの騎士と同じ理屈だ。

「そういえばさ、聞きたいことがあんだけど。」

「んー?」

ぼくはキーボードを叩き続けながら聞き流す。ナイジェルに今度使う新しい訓練用のターミネーターの補給及びチップの改良と関節部分の補強を要請する通知書を送る。また「お前の無茶な注文には付き合いきれない」、「弾をかわす発想の訓練なんてイカレてる」なんて文句付けられると思うけど、この際無視。長い間遠ざかっていた戦場の感覚を取り戻すには、まだまだ足りない。

「さっきの映像で中佐が話した『彼』ってタクミのことじゃないの?」

腰に下げたピストルで自身の頭をぶち抜くのを我慢したこのときのぼくを自分で褒めてやりたい気分だった。すぐにでもループしてやり直したいことに変わりはなかったけど、同時に彼女の放散する鋭い空気がぼくをその場で縫い止めている。

「何でそう思ったの?」

一応理由だけ聞くとするか。

「ちょっと思い出したことがあってね。3年前、基地が襲われた日の前日にアンタがマリナ・オーグランと一緒に居たことを。あのときは混乱してて何があったか分からなかったけど、やっぱり妙に感じたからな。」

当時他人の気持ちに鈍感だったぼくも、アキラの態度が妙に映っていた。今にして思えば、あれは好意の裏返しだったのだろうか。

「それはあのときに偶然目を付けられて案内係をさせられてたって説明したじゃないか。」

「本当にそれだけ?」

いつの間にか背後に立ったアキラが甘い声でしなだれかかってきた。背中に当たる柔らかな感触と鼻腔をくすぐる香りに思わず生理的に反応しそうになる体を何とか抑えつける。

「まだ何か隠し事があるんじゃないの? 例えば…恋人だったとか。」

その瞬間、体中の熱が一気に冷め、代わりにとぐろを巻いた黒い何かがぼくの腹の奥で動き始める。爆発するほどのエネルギーを秘めているのに凍り付くような毒を放つこの奇怪な感情を、ぼくは知っている。3年前、彼女の墓で経験し戦うたびに濃くなっていく陰とも陽とも言えない感情。1年前の作戦をきっかけに前線を退いたのを皮切りに薄くなっていったけど、やはり無くなってはいなかったみたいだ。

「冗談じゃない。あの女は裏で軍の機密を売り渡して、ずっとぼくらを騙していたんだ。あの売女は人類史上最悪のクズだ。」

再び湧き出し始めたものを振り払うかのように、思わず怒鳴ってしまった。アキラも驚いてしまい、首の前で交差した腕を解いて後ずさる。

「変わったねタクミは。」

「え?」

「男って戦争やってると、なんか生き生きしてるように見えるんだよな。アンタだってそう。さっきのスパイが死んだ時を見ても平気そうにしてると思ったら、今みたいに激情的にもなる。コロラドで暮らしてたころとは別人みたい。」

「仕事だよ。そんなのいちいち気にしてたらこの業界ではやっていけない。君だって死体を見るのは初めてじゃないだろう?」

当たり前の返しをしたはずだったけど、何を思ったのかアキラは無言だった。しばらく気まずい沈黙が続き、少し震えた声が聞こえた。

「…やっぱり変わったよ、アンタ。そんなだからアイツも…」

半ば独白のように流れたそれは、彼女が踵を返した拍子にかき消された。ぼくはその続きを尋ねようとしたけど、訓練場を出ていく背中が纏った哀愁がそれを許さなかった。

アキラが出て行った後、ナイジェルから通知書の返信が届き、開けようと画面に向き直ったときだった。隅っこに反射した自分の顔。何の変哲も特徴もない顔だったけど、無性にムカついたぼくはコンソールを思いっきり殴った。



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27.オアフ島解放戦線

今の地球で騒がれてるのは戦争と環境問題だ。戦争はいい。銃をぶっ放せば敵の数は減るというシンプルな原則で解決できる。けど、環境問題は別だ。ターミネーターとの戦った後の場所は、戦闘が激しくなる分砂と灰に埋め尽くされる。ミサイルの爆撃で大地は焼かれ、銃弾は木々を抉り取っていく。

機械は壊れた部品を交換すれば何とかなるけど、生き物は違う。1ヶ月、1年、10年。長ければ100年単位の時間が必要で、スカイネットの先制攻撃(審判の日)で核が落ちた地域はまだ回復の兆しがない。学者の話では数千年経てば元に戻るだろうという見解だ。

人間を始めとする生物は安定した環境が、水や緑がないと生きていけない。しかし、ターミネーターどもはそんなのお構いなしに自然を焼き払っていく。それはこのオアフ島も例外ではなかった。

「こいつはひでえな…」

カザマが狭い窓から、砲撃で立ち昇る黒煙や人と機械の骸が転がった更地を見ている。REXは今、基地から発信した特殊作戦用輸送機に乗り、戦場に向かう途中だ。装備のチェックを終わらせた部隊員はリラックスした姿勢を取りながらも、闘志を静かに漲らせている。抵抗軍最強とされるREXの隊員でも戦闘を目前にすると、恐怖を感じるのはどの部隊とも変わらないらしい。

アキラもその1人で久々の実戦に緊張感を抱いていた。空軍士官学校の演習で何度かエアバイク(飛行ユニット)を乗り回したものの、あくまでも演習の領域でしかなく模擬戦のレーザー照射で撃墜と扱われては実戦も何もあったものじゃない。

かつてオアフ島はハワイ諸島の中心地であり、世界でも指折りのリゾート地だったことでも有名だ。ワイキキのビーチには多くの人が集まり、壮大なダイアモンドヘッドと青く透き通った海が出迎えてくれたものだ。

しかし、眼下に広がるのは黒焦げで倒壊しかかったビルと度重なる上陸作戦で血に赤く染まった海岸だけ。海にはまだ『プライベートライアン』の如く兵士の死体がプカプカ浮いている。

「ありゃもう泳げそうにないな。」

「誰もお前のガチムチな水着姿なんて見たくねえよ。」

「その前にオレたちが敵をファックするから先に海面が油まみれになるだろうぜ。」

仲間の笑い話を聞き流し、アキラはヘルメットを肩にかけてエアバイクの許に歩く。その途中で妙な光景が映った。例の補充兵、シェリー・セシルが担いでいる武器を入念に弄っているのだ。それも今時珍しい実弾式の銃を。

「アンタ、そんなモン使ってるの?」

「はい大尉。無理を言ってワグナー中佐に手配していただきました。」

彼女の持っているライフルはPSG-1だった。高い精度と値段を両立したせいでほとんど買い手が付かなかったドイツ製造の傑作オートマチック式スナイパーライフルだ。ガンツから支給されるエネルギー系の武器が主流の昨今、戦車や爆撃機が積んでるもの以外実弾系の火器を運用する軍はほとんどいない。

ガンツの武器と比べて弾薬が必要だし、何より重いのだ。

「どうして今更そんな骨董品を…」

「ガンツの武器はクセが強くて私には合わないんです。」

そう言って薄く微笑み銃をなでるシェリーの指先は、子供をあやすのと同じように映った。

「彼女は特別なんですよ。」

隣でバイザーの感度を調整するタクミが薄く笑って割って入ってくる。屈強な野郎どもの中で場違いに細身―それでもかなり筋肉質だが―のこの男は、自分と半年近く戦場を離れていたというのに、そういった緊張の色を全く感じさせなかった。それどころか、まるでこれから遠足にでも行くかのようにニコニコしている。

軍に戻ってから、アキラは彼のこの笑顔が何故か気に食わなかった。昔より明るい感じがするけど、どこか浮世離れしたように見えて、僅かながら違和感を感じる。生理的に受け付けられないのだ。しかし、今は作戦の真っただ中で士気に関わる発言は控えた方がいい。仕方なくアキラは口をつぐんだ。

「特別?」

「アナタと同じ天からの授かり物(gifted)ってことです。もうすぐお分かりになれると思いますよ。」

『リムジンが作戦領域に接近。残り10分です。予定通り敵の対空砲火は沈黙。田舎者どもも意外とやるようだ。』

輸送機のパイロットから戦況が報告される。どうやら滑り出しは順調らしい。

「じゃあ先に行くから。私らがいないからって落とされても文句言わないでよ。」

「大丈夫ですよ。今日は()()()()()()()日みたいですから。よーしお嬢さん方! そろそろお仕事の時間だ。ヤドカリを準備しろ!」

タクミが隊員たちに檄を飛ばす間に、アキラは何人かを率いて格納庫に入り、愛機のコックピットに乗り込んでメーターが示す数値を読み取る。エアフライト機能は良好。センサーの信頼度も高い。スピーカーからSUM41の『Blood In My Eyes』が景気づけに流れてきたが、気流の揺れが外殻に響きよく聞こえない。

『フェイズ1を始動する。カーゴ内減圧開始。先遣隊は気密状態を確認せよ。』

後部ハッチが開放され、剥き出しのコックピットに座るアキラたちに気流の圧が叩き付けられる。光学迷彩で覆われた機体だから、傍目には空中に小さな口が開いたようにしか見えない。

『機体後方より敵機接近。ハンターキラー級が4。ヴァローナ2行けるか?』

「ヴァローナ2了解。お構いなく。この子の足だったら振り切れるから。」

『分かった。上手く敵さんを引っ掻き回してくれ。射出開始。幸運を祈る。』

ドシュ、と重くカタパルトが動き、1秒後にはアキラは落下の法則に従って空中に滑り落ちた。

 

横殴りのGが体を軋ませる。スーツがその大半を吸収してくれるが、やはり無茶な機動にはそれだけの対価が必要だ。レーザーロックの警告音がヘルメットの耳元からがなり立ててくる。アキラは後ろからのバルカン攻撃を旋回してかわし、機首を上げる。敵もそれに追随し、両翼である円筒形のタービンを器用に操って角度を調整し、ミサイルを発射した。

アキラはスロットルを限界まで叩き込み、そのまま上昇し続けるとバイザーで薄暗い視界が減殺し切れない光で覆われた。運よく雲の切れ目から日光が差し込んだのだ。すかさずそこに突っ込んだアキラに追いすがるミサイルは、なお真っ赤に感知される熱源に向かって加速して信管を作動した。灰色の雲が紅い炎に押し広げられて霧散する。

その光景を捉えたハンターキラーは、敵機の撃墜を確信して次の獲物を探そうと右に反転したが、頭上に近づく影が鷹のように鋭い一撃をかまし、片方のタービンを破壊されて落ちていった。

「ようやく最後か。」

上空の敵を一掃したアキラが呟く。あの時アキラは太陽の熱と全開にしたアフターバーナーでミサイルのサーモを誤認させ、ついでにチャフのアルミ箔をばら撒いて爆発するよう仕掛けたのだった。

悪くない。肩慣らしにしては上出来だろう。

「こちらヴァローナ2。フェイズ1を終了。ハンターキラーを一掃した。」

『了解。次は本隊のサポートを頼む。連中、どうやらハーヴェスターを出してきたらしい。』

「分かった。データを送ってちょうだい。」

ハーヴェスターはスカイネットが保有する陸戦兵器でも最大級のサイズと火力を誇る厄介な敵で頭部が首と一体化している以外はMSサイズのT-600と言っていい。全長15m以上の巨体から繰り出されるパワーはT-600の比ではなく、戦車なんて一撃でペシャンコにされてしまう。破壊するんだったらZガンでも苦戦するくらいだ。

現在の状況は味方はREXの加勢で、敵拠点の防衛線まであと一歩に迫っているが、奥の手なのかハーヴェスターが3機陣取っており、太平洋方面軍オアフ島駐留部隊は苦戦を強いられているようだ。その中にREXのエンブレムを刻んだスーツの一団が飛来する迫撃砲や機関銃の隙間を縫って立ち向かう様子が見て取れた。

この戦闘で自分たちに課せられた役割は空挺戦力のトップバッターとなり、降下地点の選定誘導と主力部隊の先導という殴り込み全開の内容だった。アキラの任務であるフェイズ1は上空から降下を行う隊員たちの目を敵から逸らすための陽動と降下地点の確保であり、フェイズ2は地上の味方を支援する作戦だ。

目標を定めて低空飛行で肉薄する。上空からのんびり近づいていったら対空ミサイルに狙い撃ちされてしまう。エアバイクはずば抜けたスピードだけでなく、ヘリ以上の機動性を発揮できるため、よく戦艦などの巨大兵器の撃破にはうってつけなのだ。

途中で地表にいくつか黒い筒状の残骸が打ち捨てられていた。さっきタクミが言っていたヤドカリだろう。ヤドカリは抵抗軍が特殊部隊用に導入した空挺降下用外装式装備の愛称だ。伸縮性に富んだ特殊なジャンプスーツを着込んでムササビのように空を滑空し、ブーツと背中に装着した高圧ガスボンベを盛大に噴射して着地時の衝撃を和らげる。着地後は内蔵したコンピュータが、証拠隠滅と機密保持を兼ねて原型が分からなくなるまで焼き尽くす寸法だ。

地上は一足先に地獄絵図が出来上がっていた。上陸部隊は今でこそ敵陣に食い込んでいるが、彼らの後ろには無数の骸が砂と血の上で頭蓋や腹の中身を曝してその代償を静かに語っていた。所々に衛生兵(メディック)がまだ息のある者を探して救命行為に励むが、患者の大半は必ず手足が捥げ悪ければ()()()が離れ離れだった。そもそも散らばり過ぎてどれが顔だか手だか分からないのもある。21世紀のオマハ・ビーチが忠実に再現されていた。

不意に胃の腑を揺さぶるような轟音が響き、望遠カメラで前方を投影すると崩れ落ちるハーヴェスターが映った。

「ウソだろ…」

思わず驚愕の声が零れ落ちる。レーダーが示す範囲に味方の機影は確認できない。となると、地上部隊の連中が自力で破壊したことになる。有り得ないと思った。アキラの知る限り歩兵がハーヴェスターを倒したなんて話は聞いたことがない。

すると、横たわったハーヴェスターの残骸から1つの黒い影が躍り出た。それは黒いマスクをかぶり赤い刃を携え、無駄のない動きで群がるターミネーターを斬り伏せていく。タクミだ。

体を半回転して並の自動車以上の重量を持つT-600を軽々と蹴り上げて切り刻み、ガトリングが発射する弾丸を斬り飛ばして接近し戦車を象ったT-100の腕を切断してXガンを至近距離でぶち込む。型破りで洗練され、華麗ながらも獰猛。静と動を使い分け、予測不能の太刀筋を繰り出す様は、明らかに訓練で身に着けられるようなものじゃない。そこにいたのはまさしくジャップ・ザ・リッパーだった。

そんな背中に襲い掛かる3体のT-600。知ってか知らずかタクミは目の前の敵に集中して振り返ることもない。アキラは歯噛みした。あの程度の数なら簡単に片づけられる。問題はエアバイクの火力で、ターゲットはタクミから数十mも離れておらず、下手をすると爆風に巻き込むかもしれないのだ。

葛藤しながらもトリガーに指を置いた瞬間、一発の銃声と共に真ん中の1体が突然ガクガクと震え倒れ込んだ。何が起こったのか分からないまま、再び響き渡った銃声と連動して両側のターミネーターだけじゃなく、REXの周りの奴らも糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かなくなる。

『ナイスフォローだ、シェリー。』

カザマの弾んだ声が周波数に乗って耳朶を震わせる。その当人は突破したばかりの第一防壁の上から、PSG-1を構えて銃口を左右に動かし少し止まると思ったら弾を発射するという動作を繰り返している。その距離、目測で700m。いくら高精度のスコープを使っているとしても尋常じゃない。

狙撃には優れた空間認識能力だけでなく、弾丸への重力の影響、気温や気圧、風の向きや速度を綿密に計算してようやく引き金に触れることを許される。それでも外すことも珍しくないのに、シェリーは戦場という厄介極まりない環境でチョロチョロ動き回る標的を、頭部の脆い部分―アイカメラやチップ―を全て1発で仕留めてしまっているのだ。恐らくは米粒にしか見えない目標を海風が吹きすさぶ中、精度に難があるオートマチック式かつライフルの射程距離ギリギリで正確に射抜くなど、世の名狙撃手といったレベルを超えている。

銃を撃つたびに反動でたなびく金髪に思わず見惚れてしまったアキラは、甲高い電子音とそれに続く爆撃音を耳にした。ヘルメットの防音機能を通しても大気が揺れるほどの衝撃を錯覚するのは、ハーヴェスターが左肩のプラズマキャノンを撃ち出したせいだろう。

逃げ惑う味方たちを容赦なく中空へ舞い上げるほどの威力は、そこら中をクレーターにしてしまうほどで、REXでもまともにやり合うのは自殺行為に等しい。しかし、タイミングを計って一斉射撃を窺う隊員たちを尻目に、アイツだけは違った。

立ち昇る土煙を切り裂いて猛然と突き進むタクミ。頭部の視覚センサーと肩のレーザーでその姿を追い、ハーヴェスターがプラズマ砲を連射するが、少しも当たる様子がない。普通なら見切れるはずのない速度で飛来する光弾なのに、タクミはどれも紙一重で回避するのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『シェリー、デカブツの大砲が面倒だ。目を潰してくれ。』

タクミが息切れしているのが疑わしいほど滑らかな口調で話す。その間にもタクミに狙いをつける雑魚を一掃すべくカザマたちが援護射撃を行い、後れを取るまいとアキラも火器管制をプラズマ砲に切り換えもう一体のハーヴェスターの注意を引く。

何度撃っても当たらないことに痺れを切らしたのか、ハーヴェスターが急接近し人1人を軽く握りつぶせる大きさの拳を振り上げる。ぶつかったらまず無事じゃ済まない一撃を前にしたタクミは、逃げ出す素振りを見せるどころか刃を立てて甘んじてそれを受けた。全長に匹敵するほど伸ばしたガンツソードを拳に突き刺して地面に縫い付ける。

『足止めした。少し狙いやすくなったと思うんだけど、どうかな?』

『上出来よローガン。』

シェリーが賞賛の言葉と共に放った弾丸は真っ直ぐに頭部の赤い一点を貫き、鋼鉄の雄叫びを挙げながらハーヴェスターは停止した。タクミはそのまま武器を逆手に引き抜くと、投げ槍の要領で上半身を捻りもう1体のハーヴェスターに無数の筋が浮かんだ腕を思い切り振り抜いた。一筋の閃光と化した赤い刃は大気を切り裂いて飛び、狙い違わずプラズマ砲に吸い込まれ盛大に炎の花を咲かせる。その隙を見逃さずアキラが全砲門をぶち込むと、鉄の巨人はさらなる爆炎を伴って木っ端微塵に砕け散った。



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27.5. カザマ軍曹の災難

「…もう一度言ってみろ。」

「分かりました。大尉はこの任務から降りるべきです。」

Вы являетесь девушка кукла(人形女が)…」

على الرغم من أنها راندي(がさつ者).」

薄暗い洞窟の中、焚き火を挟んで2人の水着美女が火花を散らす。どうしてこんなことになったんだ? その間で大きな体をすぼませたカザマ・ダイゴは泣きたくなっていた。

 

「熱い…」

熱帯海洋性で路面が蜃気楼で揺らぐほどの熱気に蒸されながら、水着姿のカザマがすっかり温くなった水を喉に流す。妙に生温かい感触が通り過ぎるのを我慢している横では、同僚のネッケル伍長が同様にのぼせた体をビーチパラソルの下に晒していた。

「ああチクショウ、何だってオレがこんなクソ怠い目に遭わなきゃならないんだ。」

拭いても拭いても出る汗をそれでも拭うネッケルにカザマはタオルを投げる。

「しょうがないだろ。中佐殿が与えてくださった特別任務なんだからな。」

オアフ島の戦いが終了した後、REXはフィリピンは最大の島、ルソン島に来ていた。先の戦いで再編されて間もないにも関わらず目覚ましい戦果を挙げたREXは、すぐさま軍の広報部の目に留まり大々的に宣伝された。

希望の復活、人類の反撃の嚆矢、奴らが帰って来た。映画のキャッチかと思うほど大げさに誇張された売り文句は、マスクを被ったジャップ・ザ・リッパーを中心とした画像と共に、サイト上のど頭に掲載された。

それに伴い本格的な特集を組むために、ワグナー中佐は特別任務と称して、REXの面々に現地部隊との交流及び新生REXの親睦会を兼ねて、この熱帯域での広報活動を命じ部隊は同国のスービック海軍基地に来航していた。

無論カザマもその中の1人であり、久々の期待の新星と太鼓判を押されて取材を受けた。と言ってもほとんどは写真撮影が主であり、細かな質問などはされなかったが、問題は寧ろ別にあった。

「あ、あのっ、写真いいですか?」

そう言って声を掛けて来たのはまだ若い女性兵だった。かなり日焼けしているのを見て現地の人間だと判別したカザマは、構わないと返して女性との身長差に苦心しながらフレームに収まった。

「ありがとうございます!」

頬を紅潮させて何度も頭を下げて帰ったのに苦笑して座り直す。

「やっぱモテる男は違うな。」

「何の話だ。」

「とぼけんなよ。今ので3度目だぜ? ここに来たばっかなのに、行くとこ行くとこで誘われるじゃねえか。宣伝効果ってのは怖いねえ。」

そうからかう彼がトイレに行ってる間にも撮られたので、実際は4回目だ。しかも一緒に写った女性が全員顔を赤らめて帰っていくものだから、カザマにはさっぱり理解できなかった。

そんな鈍感ぶりは変わらなくとも、3年の月日は彼を十分に成長させた。NBA選手にも並ぶほどの身長と体格には、訓練で培われた筋肉がこれでもかと盛り上がっており、加えてその顔は元々の精悍さに数々の戦場を生き残ったことである種の野生が滲んでいる。本物の力強さを備えた顔つきは先程の現地人だけでなく、サーファーなどを男漁りに来る観光客もつい目を奪われてしまうのだった。

「お前の言うことは分からんがまあ減るもんじゃないし、オレなんかで良ければいくらでもOKするさ。」

「…お前いつか刺されるかもな。ったく、本当に鈍いってのは恐ろし…オイ、見ろよアレ。」

いい加減替えのボトルを取ってこようと腰を上げかけたとき、ネッケルが興奮気味にサングラスを外し身を乗り出した。その挙動に連られてカザマが指差されたビーチに見たのは黒く蠢く何かだった。蜃気楼でぼやける両眼を懸命に凝らし、塊の正体を見極めようとして唖然とした。

それは人の山だった。大半が広報部の撮影係だが、中には明らかに関係ない者も混ざっている。今回の撮影会には男性兵士の他にも、抵抗軍の募集用PRのために女性兵士のグラビアなんかも企画している。そのために様々な部隊から選りすぐりの美人がこのビーチに集結しているのだが、今カザマが目にしている集団はその中でもかなりの盛況ぶりを博している。

一体どれほどの女がいるのか好奇心が湧いたカザマは、被写体が分かるところまで近づくと、すぐに原因が判明して今度はズッコケた。その音に気付いた被写体がフラッシュに囲まれながら、クルリとこちらに振り返る。

「…何やってんのアンタ。新手のギャグ?」

「軍曹、日射病にやられたのですか?」

アキラが呆れ返った様子で、シェリーが論点のズレたリアクションをそれぞれかます。予想以上に熱い砂粒が口に入ったのを吐き出しながら、同時にぬるりとした鉄臭い液体が広がったのを感じた。さっきの転倒と直射日光のダブルパンチで鼻の血管が切れたようだ。慌てて口元を覆い隠し若干上向きになる。大柄な体が幸いしてか違和感は抱かれていない。するとアキラが上から下まで全身を見て

「ふーん…」

と形の良い眉を細めたかと思うと

「もおー、どこ行ってたの? ずっと待ってたのよ。」

いきなり聞いたこともないような猫撫で声になって、腕にしがみついてきた。不覚にも肘に当たる柔らかな肢体に緊張してしまい、鼻血を留めるシェルターが数枚連続で崩壊する。そんなカザマにお構いなしに胸を押し付けてくるアキラは、ついでにシェリーの手も取って電光石火の如くその場を走り去った。

 

「いきなり何なんだ! ビックリしたろうが!」

「うるせえな。お陰で良い思い出来たんだから役得だろうが。」

撮影会場から離れた場所、開放感のあるシーフードレストランの前で、ようやく腕を解放されたカザマとアキラが言い争う。どうやら撮影会が終わったのに野次馬が増えて対応に困っていたところに、タイミング良くカザマが現れたらしい。

「まあ見た目は合格点だし、男除けには十分だろ。」

という理由で利用されてここまで逃げて来た始末だ。傍らにはいつの間にかシェリーが買ってきたアイスを頬張っていた。

「いくら断ってもしつこいし、ベタベタ触ってくる奴もいるし、最悪。こんなゴツい体のどこが良いんだか。」

「相手だって悪気があったわけじゃない。それくらい宿命だと思って我慢しろよ。」

「何よ宿命って。」

「だってお前ら…」

そこまで言いかけてカザマは改めて2人の姿を交互に見比べる。軍人、それも特殊部隊員というだけあって、2人とも徹底的に身体を研ぎ澄ましていた。

アキラは赤い布地に黒い縁取りが施されたビキニ、シェリーは軍が採用してる青地に白いラインが入った競泳水着を着用していた。ガンツスーツという女性からすればセクハラもののコスチュームのお陰で、スタイルの良さは分かり切っていたが、水着だと一層強烈に見えた。

アキラは平均以上に発達した胸がくっきりと谷間を作り、引き締まったウェストはくびれながらも鍛えている証拠に腹筋が浮き出ている。特に脚はカモシカのようにしなやかで長く、美脚という表現が陳腐に思えるほどだ。本人は高い背丈と女性らしくない筋肉質な身体にコンプレックスを抱いているそうだが、客観的に見ればアスリートとモデルの要素を見事に融合させていると言えた。世界水準を超えるほどの美しさに野郎どもが釘付けだった。

一方のシェリーは肌の露出が少ないため分かりにくいが、こちらも十分なプロポーションを誇っていた。女性としては平均的な身長ということもあって、ほっそりとした印象を与えるが、アキラ同様腰が高く腕や脚もトレーニングで程よく引き締まっている。布地で隠れているが恐らく腹部も割れているのだろう。胸は若干及ばないものの、遠目でも張りのある滑らかな曲線を描いていた。黄金比という奴だろうか。計算されたと思うほど完成されたバランスの良さだった。

花に喩えるならアキラが薔薇で、シェリーはコスモスが似合う。

何というか

「…いい。」

「は?」

「い、いや、何でもないんだ。気にするな。」

「…まさかカザマ、私たちに変な気持ちを持ってんじゃないだろうな。」

急に自分の肩とシェリーを引き寄せてアキラが一歩下がる。

「ないない! 天地神明に誓って変な気持ちなんて持ってない!」

「どうだか。鼻血なんて垂らして嫌らしい。」

「え?」

指摘された箇所を指でなぞると、そこには赤い跡がはっきりと付着していた。

「ち、違う! これは転んだ時になったのであって―」

「分かった分かった。今警備員呼んでくるから、ちょっと待ってな。」

「や、止めろ! 誤解するな! お願いだから待ってぇー!」

 

翌日、カザマはげっそりとやつれた姿で現れた。あの後、誤解を解くためにアキラに散々奢らせられた挙句、夜の宴会でも古参の隊員にかなりの量を飲まされた。生来のタフネスでどうにか回復したが、本調子とは言い難い。2日目のプログラムは隊員同士の交流を図るレクリエーションとして、各種スポーツが用意されていた。チーム対抗戦のようで、会場本部でくじ引きが行われている。

くじを引き終えたカザマは大会の開始まで時間を潰すために、昨日の撮影会で撮られた画像を本部のフリースペースでのんびりと眺めていた。部屋の奥に設置された大型スクリーンに映る肌色が多めのPVを、トロピカルソファの上から見ていると隣に2人組の男が座った。誰かは分かっていた。

「いいのか? 英雄様がこんな下世話なもん見たりして。」

「ぼくはいいって言ったんだけど、先輩がどうしてもって聞かなかったんだよ。」

「品評会だよ品評会。この撮影会にはオレも機材を一部貸し出してるから、出来栄えを確かめるのは当然の義務だろ。」

どうでもいい言い訳を述べるのは、部隊長であるタクミとメカニックマンのナイジェルだ。もちろん御多分に漏れずタクミは海パン、ナイジェルはアロハシャツだった。遠慮してる割には結構がっつり映像を見ている。

「ここに来たってことは大会には参加するのか?」

「うん。ついさっきようやく仕事が一段落着いたからね。骨休めついでに汗でも流そうと。」

「何か言葉の用法が違う気がするんだが…まあ、お疲れさん。」

ハハ、と薄く笑ったタクミの眼窩にはまだ隈が少し残っていた。機密に該当する立場柄、タクミはこうした行事には参加できないことになっている。現にジャップ・ザ・リッパーはあるのに、タクミの素顔が写った写真は1枚もない。仕方ないとはいえ気の毒な思いになる。

「まったくだ。昨日なんか大変だったんだぜ。」

「え? ナイジェルさん何かあったのか?」

「ああ。タクミの代行として宴会で挨拶しに行ったんだけどよ、REX(うち)の連中が久しぶりの戦勝祝いで上がっちまって、ちょっとハメ外しちまってな。」

「無礼講か? 別に大したことじゃないだろ。」

「そうか。お前は早々に潰れたから知らねえんだな。実はアキラちゃんとシェリーがやらかしたんだ。ヨコスカ時代のアキラちゃんの通り名覚えてるか?」

「ああ、確か三重の撃墜王…ってまさか―」

「抜群の腕前で飛んでくる敵を墜とし、難攻不落のガードで群がる男を墜とし、鉄の肝臓で猛者どもを酒の海に墜とす。今回もその由来を遺憾なく発揮してくれたよ。今年から入った新人が酔い潰してテイクアウトしようとしたが、逆に病院送りにされたってな。いやあ、あの飲みっぷりは凄かった。」

そう言えば点呼を取った際に人数が減っていた気がする。あまり深く踏み込むと黒歴史を聞かされることになりそうなので、話に上ったもう1人のことを聞くことにした。

「じゃあ、シェリーの方はどうしたんだ? アイツってイスラム教徒だから酒は飲まないだろ。」

「あー、それは…」

そこで何故か口ごもったナイジェルの隣で、タクミが微かに肩を震わせていた。心なしか顔も蒼ざめている。

「オイどうした? まだ寝てた方が…」

「大丈夫です先輩。ちょっと風に当たってきます。」

少しよろけて立ち上がった隊長は、そのままヨロヨロと会場を後にした。

「何だアイツ?」

「察してやれ。一番の被害者なんだから。」

「被害者? けどタクミは会場に来なかっただろ。」

「巻き込まれたんだよシェリーに。お前は知らないだろうが、アイツは滅茶苦茶アルコールに弱いんだよ。昨日出されたウイスキーボンボンだけで酔っちまうくらいに。」

「は? たったそれだけで?」

「オマケに相当な酒乱でな。取り押さえようとしたが酔拳並みに暴れた。ついでにイベント用に用意された射的の景品を台無しにしたよ。そんな状態でも射程外の的を拳銃でパーフェクト決める腕は流石というか何というか。」

知らなかった。自分がリタイアした間にそんな激闘があったなんて。恐らくはその場に立ち会ったであろうナイジェルも、その時の光景を思い出したのか、哀愁の漂う笑いを浮かべていた。

「結局タクミが出てきて拘束したんだが、ホテルに戻ったら今度は酔ったアキラちゃんが待ち構えていた。よく分からんがシェリーがどうのと絡んできて、引きずられていったな。その1時間後に服を引き裂かれたタクミが泣きながら帰ってきた。」

「へ、へえ…」

だからあんな顔だったのか。妙に疲れた様子だったタクミの背中が思い出される。何をされたかは知らないが、彼ほどの男をあそこまで追い詰めるのだから只事ではない。

「それで仕事に時間がかかるわけだ。」

「ああ。オレも途中まで手伝ってたが、朝起こしに行ったとき安らかな顔で燃え尽きていたよ。まあ、お前はお前で頑張ってくれ。」

「頑張れって何をだ?」

「昨夜の騒動で飛び火したフラストレーションを回収するんだよ。現地の皆様へのお詫びも込めてだ。今回のスポーツ大会の裏テーマは親睦と謝罪だ。もしフィリピン軍の奴とバッティングしたら、まずは謝っとけ。」

 

「…Блин, надоело(もう最悪).」

パチパチと篝火が揺れる中でアキラがいつもより3割増の仏頂面を作る。その反対側にはシェリーが澄ました顔で腰掛け、中央ではカザマが消沈した様子で項垂れていた。外では雷鳴と豪雨が席巻し、台風が直撃したのと同じくらい荒れていた。カザマは何故こんな状況になったのか思い出すことを試みた。

大会がスタートしてカザマが割り当てられた競技はボートレースだった。それもただのボートレースではなく、後部にバナナボートを牽引して走るというかなり無茶な内容だった。しかも運の悪いことにカザマが引いたくじと同じものをアキラとシェリーも引いていた。昨日の主犯を監視する意味でもちょうどいいとして、他の隊員は薄情にも早々に見捨てていった。両手に花だな、とからかったネッケルの嫌味なツラがありありと思い浮かばれる。

そんな天国とも地獄ともつかないパーティで臨んだ競争だったが、半分予想通りにカザマのチームがトップに躍り出た。もちろんモーターボートを操るのはアキラだ。抵抗軍広しと言えども乗り物を動かすことにかけては他の追随を許さない才能を持つアキラは、このときも抜群のドライビングテクニックであっという間に先頭になった。

代わりにバナナボートに乗る2人が余波を受けることになり、特にカザマは何度か本気で吐きそうになった。その際に後ろに抱き着くシェリーの何とも言えないふくよかな感触に、板挟みになったのも原因だったのは秘密である。

そのままぶっちぎりの優勝かと思われたが、不運というのは唐突に訪れる。空が僅かばかり曇ったかと思うと、すぐに灰色の雲が天を覆い、まばらな雨粒が降って来たのだ。天候の急な変化を察知した運営本部はすぐに大会を中止させたが、ボートレースのみ水上で行っていたので回収が遅れてしまった。

さらに悪いことにカザマのチームはアキラの独走が裏目に出て、他の出場者とかなり距離が開いていたことだ。ちょうど折り返しの地点だったので、ビーチから最も遠く戻るのは困難だった。そこで仕方なしに近くの小島に停泊したのだった。ボートを引き上げた後、島の中を探索してこうして洞窟に避難している。

「今日は1日中快晴だって言ったから張り切って参加したのに、よりにもよって無人島でキャンプだなんて。」

「そんなこと言っても、こればっかりはどうしようもないぞ。大人しく待つのが吉だ。」

「んなこた分かってるよ。私が言いたいのはこれからどうするかってこと。」

「ここから基地までそう遠くありません。ローガンの方で捜索隊を編成しているでしょう。」

今まで身動きもせず外の様子を眺めていたシェリーが呟く。

「ハッ、どうだか。この天気じゃ救援なんていつ来るか分からないし、タクミが私たちを心配してるなんて思えないんだけど。」

「随分と辛口だな。少しは幼馴染を信用してやったらどうだ?」

「無理。だってアイツ、昔私がバーで絡まれてても何にもしてくれなかったんだから。後で問い詰めたら『君なら自力で解決できると思ったから。』だってよ。ふざけんな!」

足元の小石を軽く蹴飛ばす様子からして、かなりご立腹だったのだろう。アキラの気持ちが分からないわけではないが、タクミの言い分も理解できる。実は本人からもその話を聞かされており、結果的にちょっかいを出してきた側は彼女がしばき倒して路地裏に捨てられたらしい。カザマも彼女の実力は十分実感しているため、その怒りをぶつけられたタクミには同情を禁じえなかった。もっとも、わざわざそれを口にすることは無かったが。

「それに休日だって外に誘っても断って家で楽器イジってるだけだし、偶に買い物に出かけたらヘラヘラ私のご機嫌取ろうとするし。アレのときだって…」

愚痴が際どいラインまで差し掛かったことに気づいたアキラが慌てて口を噤む。この手の話には疎いカザマでも彼女が何を言わんとしたのかは分かっていた。しかしこの場にはカザマよりも疎い人物がいた。

「大尉、アレとは何ですか?」

シェリーがえらく真剣な目で言った。別にやらしい目的ではなく、純粋に内容を知りたがっている様子だ。

「え? アレは…アレだろ。」

戸惑ってしどろもどろに返すアキラ。言いにくいことだが全然答えになってない。

「だから何なんですか?」

「アンタ、私をおちょくってる?」

「おちょくってなんかいません。アレが何を指しているのか知りたいだけです。」

頬を赤くするアキラに対しあくまでも鉄面皮のシェリー。確かに彼女の経歴を考えればその方面についての知識や経験が足りているとは思えない。だがこの無垢で生々しい質問に答えるにはアキラもまだ大人に成りきれてはいなかった。

「じ、自分で調べろそれくらい! 何でも人に聞こうとするな!」

「…よく分かりませんが、大尉とローガンは人には言えない秘め事を抱えているということでしょうか?」

「…間違ってないけど、何か嫌な言い方ね、それ。」

眉をひそめるアキラだったが、相手が意図的に言葉を選んだとは思えなかった。これまでの付き合いで分かったことだが、シェリー・セシルという女は色んな意味で常識破りだったのだ。銃については専門家並みの知識量があるくせに、誰もが知っている服飾品のブランドを知らなかったり。打ち間違いなくキーボードを叩けるのに、掃除機の使い方が分からなかったり。この前など男連中に混じってシャツ1枚で寝ていたくらいだ。アキラも訓練キャンプに居た頃は平然と男に囲まれて着替えていたが、羞恥心がないわけではなかった。

長い間世界中を飛び回っていたとは聞いていたが、いくらなんでも常識に偏りがあり過ぎる。タクミもタクミでツッこまないから、余計に暴走するという有様だ。2人は顔見知りらしいけどシャワーを浴びようとした彼に自然と付いていくシェリーを止めなかったらどうなっていたか。偵察行動中はよくやったと白状したタクミに鉄拳制裁を喰らわせたのを今になって思い出す。

作戦中は警戒のために男女関係なく一箇所に固まって用を足すのは当然だが、彼女は根本的にズレている気がする。大体、年頃の男女が四六時中一緒に居るのは正しいのだろうか。上官と部下といえば問題ないが彼らの場合それだけじゃないように思える。プラスかマイナスか不明だが漂う雰囲気が非常に濃い。ともすれば2人だけの世界に浸ってるように見え、何度か呆れたこともある。そして同時に寂しさも感じて―

「お、少し雨が弱くなったみたいだな。ちょっと外見てくるわ。」

意識して明るい声で外の様子を告げたカザマは、そそくさと退散した。

 

カザマが出て行って数分、アキラは気まずい雰囲気を味わっていた。話題がない。先程まではカザマを媒介にして自然と会話できたが、2人きりになった途端周囲の温度が2、3度下がった気がする。そういえば入隊して以来、仕事以外で口を利いた覚えがない。

「大尉、一つよろしいでしょうか。」

沈黙に耐え切れなくなったのか、はたまた状況を選ばない純真さか、シェリーが口を開いた。普段の能面には変わりなかったが、目尻が少しだけ真剣になっているように見えた。

「…何?」

「ローガンと大尉は恋人なのですか?」

サバイバルキットから取り出した飲料水を残らず噴き出した。初回からのド直球に見事に撃ち抜かれてしまい、激しくせき込む。シェリーが背中をさすって息が整うのを待つ。

「何よ突然!?」

「ですからローガンと大尉は―」

「だから何でそれを聞くんだよ!」

「純粋にお聞きしたかったからです。アナタ方は階級は違うのにまるで無いように接し、隊長であるローガンに対する大尉の態度がどうしても適切とは考えられません。」

「私の態度がアンタにどう関係するんだよ。」

「自分ではありません。リーダーの威厳が損えば部下の士気に影響し、作戦遂行の障害になります。私はそれを危惧して何度もローガンに意見具申しました。しかし彼は聞き入れてくれませんでした。困っていたのをナイジェルに相談すると、それは恋人だからだと教えられました。」

手元でグシャリという音がした。どうやら無意識にボトルを握り潰していたようだ。ナイジェル、とりあえず殺す。

「ですが私が知る限り、恋人というのはもっと仲睦まじいものです。見たところアナタたちはアナタがローガンを理不尽に抑圧してるようにしか見えません。」

「良いんだよ別に。私とアイツはそんなんじゃないから。」

「では一体どういう―」

「うるせえな。人が良いって言ってんだから良いんだよ。チッ、タクミのことになると急にお喋りになりやがって。」

打ち切るような口調で話を終わらせる。タクミと口喧嘩するときに使う手だったが、シェリーは引き下がらなかった。

「個人的にはアナタが最大の不安要素です。」

「…何だと?」

獲物を狙う猛禽の目で真っ向から射抜くが、相手の表情は変わらず機械のように淡々と続ける。

「私見ですがアナタはこの任務に相応しくありません。」

 

止むことを知らない雨が降り注ぐ中、カザマはやっとのことで洞窟に戻ってこれた。ちょっと様子見に行くつもりが、道に迷ってしまうとは兵士として些か情けない。しかし今は自分の行動による結果に一抹の不安を覚えていた。

一度あの2人を話し合わせるべきかもしれない。REXに入ってから薄々感じていたがシェリーとアキラの仲はあまり良くない。性格が嚙み合わないのもあるが、一番の対立する原因はやはりタクミだろう。シェリーと彼の関係は良く分からないが、ただの友人ではないことは理解できる。

問題はアキラの方だ。ヨコスカのときから気になっていたのだが、恐らくアキラはタクミに好意を抱いている。滅多に―と言うより全く―デレた様子を出さないのだが、何となく彼を見るときの目が他の男のときとかなり違っているのだ。それは数年ぶりに再会した時も変わらず、さらに強くなっている気がする。しかも時折、恋愛感情だけでは説明のつかない昏い熱を宿すのだから、ある意味で悪い方向に向かっているようにも取れる。いや、アレはそんな生易しいものではない。執着、依存ともとれるような―

恐ろしい想像に至りかけた頭を叩いて、脳裏から灰色の瞳を追い出す。何を変なことを考えているんだ。こんなときに関係ないことを考えるんじゃない。これじゃあの噂話が大好物の整備士と変わらないじゃないか。

そんなことより今は救援要請だ。さっきボートを確認したときに船底に設置されたGPSの電波を最大限に切り換えておいた。レースの前に配られた仕様書に注意書きがあるのを思い出して仕掛けておいたのだ。これで少なくとも数時間で救援が来る。吉報を胸にしまって洞窟に戻ったカザマだったが、中を窺った途端に芯まで凍るような冷気が襲い掛かった。

「…もう一度言ってみろ。」

「分かりました。大尉はこの任務から降りるべきです。」

聞いたこともないような氷みたいに冷え切った声のアキラと、全くトーンが変化しないシェリーが真正面から睨み合っている。間で小さくパチパチと燃える火が両者の端正な顔を浮き彫りにしていたが、このときは美しさより寧ろ恐怖を感じた。どちらにしても争い事は止めなければ。

「オイオイ、どうしたんだ2人とも。喧嘩か? もしそうならこんなとこでやったって何の得にもならないぞ。どれ、ここは一つ年長者であるオレが―」

「お前(軍曹)は黙ってろ(黙ってください)。」

「はい…」

兄弟喧嘩の仲裁には定評のあったカザマ・ダイゴの交渉術は、2人の放つ剣幕の前では全然役に立たなかった。無言で出ていけと命じる視線に応じたカザマはすごすごと撤退することにした。ほとぼりが冷めるまで待った方が良いだろう。幸いにも雨は止んでおり砂浜に出たところで空を見上げると、昨夜は気が付かなかったのが不思議なほどの満天の星空が浮かんでいた。

「すごい…!」

単純ながらも綺麗な光景に心の原初的な部分を刺激され、もっとしっかりと見たいと思って、まだ湿り気が残る砂地の上に寝そべった。普段街の中から覗く夜の空は白色が大半だが、ここのそれは無数の彩に溢れていた。赤、青、黄色、様々な色が控えめながら漆黒のキャンバスに鮮やかなアクセントを主張している。海上にはその光が反射して一層幻想的な風景を演出していた。家族がまだ穏やかに暮らしていた頃、近所の海を散歩したときに見たのと似ているのを思い出し、カザマはしばらく飽きることなく慎ましく光る星々を眺めていた。

 

助けが来たのはそれから2時間ほど後の事だった。

「いや、本当に一時はどうなることかと思ったぜ。突然の暴風雨で連絡取れなかったから、転覆して遭難したんじゃないかとばかり考えてた。」

「当たからずとも遠からずだな。」

救援のヘリから降り立ったネッケルの割と本気で心配そうな様子に、苦笑を交えて喉に出掛かった愚痴を飲み込む。今回の事故に遭ったのはただの偶然であり、くじ引きに細工をしたグルの1人であるこの男に非はない。

「で、どうだった?」

「どうって何がだ。」

「またまた純情振りやがって。()()()()()()()()REX(うち)姫君(プリンセス)女王(クイーン)で一緒に一夜のアバンチュールを過ごしたんだろ。具合はどうだったって聞いてんだよ。」

「具合ねえ…」

そう言って後ろに目を配ると毛布に身を包んだアキラとタクミが口論する姿が映った。

「だからもういいっつってんだろ!」

「でもずっとそんな恰好だったんだから、念のために検査を受けた方が良いよ。風でも引いたら大変じゃないか。」

「ガキじゃあるまいし、今時引くかよ。心配しないでも自分の体は自分が一番良く分かって…ゲホッ!」

「アキラ! 言わんこっちゃない!」

怒鳴り過ぎて喉が詰まったアキラの背中を撫でようとするが、スッと避けられる。

「違う。これは風邪じゃなくて、息が詰まっただけ。ずっと口を動かしてたから…」

「誰かとお喋りしてたってこと?」

「ローガン。」

「あ、シェリー。君はどう? どこか調子の悪いとこない?」

「今のところは異常なし。怪我もないから大丈夫。それよりワグナー司令に報告したいことがあるの。」

「報告? 珍しいね。君がそんなこと言うなんて。」

「今度のミッションは私を大尉に同行出来るように手配して。それだけ。」

「え? まあ、いいけど。でもシェリー…行っちゃった。アキラ、彼女と何かあったの?」

「別に。さっきのことだけど私からも頼むわ。あの女、今度顔見たら確実に―」

「アキラ? ちょっと顔が怖いんだけど…」

「生まれつきなんだ。何でもねえよ。ほら、帰るぞ。」

いつも通りアキラが先頭に立って、タクミが少し離れて後ろを着いていく。3年前と変わらない歩き方で2人がヘリに乗り込んだ後、カザマは同僚の肩に手を置いた。

「残念だがアイツらはオレの手には負えないよ。」

後日、何者かの手でナイジェルの秘蔵フィルムを収めたカメラは、一つ残らず破壊されたそうな。



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28.暗夜

後日、抵抗軍の勝利により解放された地区を調査したREXは怪しい地下施設(ラボ)を発見した。その中もくまなく調べ尽くしたが、目ぼしい成果は得られなかった。

『で、これが初陣の報酬というわけかね。』

いくつかの基地を中継した秘匿回線で、ワグナー中佐の嘆息が映る。その手には1冊のノートが収まっていた。

「申し訳ありません。施設内のデータは既に消去されており、回収した機材もきれいさっぱりでして。おまけにどこからか情報が漏れたようで、地元のマスコミが嗅ぎ付けてきましたのでやむを得ず残りは破棄しました。」

『まあいい。中身は見させてもらった。しかし、プロメテウス計画か。旧情報コミュニティの資料も漁ってみたが、該当するプロジェクトは見当たらなかった。』

「ですが、ノートにグラハム・ターナーが関わってると記されている以上、唯一の手掛かりには変わりありません。引き続き調査の許可を要請します。」

中佐は何ページかめくり、

『分かっている。幸いにもちょうど君たちの次の出張先も決まったからな。カリフォルニアの支局から奴の姿を確認したと連絡が入った。尾行の結果、ヨセミテ・バレーで未確認の建造物を発見した。付近には鹵獲したT-シリーズを警備に使っているようだ。』

「具体的にどんなプランで攻めますか?」

『今回は合衆国の公共区域が舞台だから、あまり事を荒立てたくはない。そこで君には現地に潜入してもらう。』

ぼくは少し大げさに肩をすくめて見せた。

「鬱蒼と茂る森林と切り立った断崖の中を行軍しろと?」

『奇襲、隠密任務は君の十八番だろう。心配するな、警備の巡回ルートは算出している。…ところで、ナルミヤ大尉の様子はどうだ? 部隊には慣れたのか?』

「はい。オアフ島の実地試験は合格点でした。一部の部下はファンクラブなんか作ってますよ。」

『それは何よりだ。君と彼女を最初に引き合わせたときは、私の前で口論を始めるものだから先が思いやられたよ。』

それについては本当に頭が下がる思いだった。

「中佐の寛大なご配慮には感謝しております。あの時は見苦しいものをお見せしてしまいました。」

『まあ喧嘩するほど仲がいい証拠だ。これからも頑張ってくれ。』

苦笑を返事にしたところで通信が切れる。凝りをほぐすために腕を伸ばし切ったところで、通信室が開き足音がぼくの後ろで止まった。

「で、次の仕事はどうなったの?」

「カリフォルニアだってさ。といってもぼくの単独行動になりそうだけどね。」

アキラがため息をついて座席に寄りかかった。

「何だ、つまんねえ。折角だからサンディエゴに観光しようと思ったのに。」

「『トップガン』のロケ地だったっけ。でも君、スペイン語喋れるの?」

「アンタは…中国語なら出来たんだよな」

あざとく資料から見つけ出したようだ。スペイン語が話せたなら通訳にさせられたらしい。危ない危ない。

「以前アジアで任務があった時に覚えてから、まだ2年くらいだから大丈夫だよ。お望みならアラビア語も出来るけど。」

「英語と合わせると4ヶ国語か。ここで働くより国連にでも入ったら?」

「アキラだって話せるだろ。確かロシア語とフランス語だっけ。」

「出来るけど使う機会ねえよ。それに色んな部署たらい回しにされたくないし。」

こうはぐらかしているが、実際のところアキラがその気になれば何にでもなれると思う。余談になるけどREXでは階級は大して意味を為さない。何せ瞬き1つで命取りになる戦場のツアーガイドから、世間の皆様には公表出来ないくらい破廉恥極まりない任務に就くことが前提の職場だ。戦闘技術は当然、頭も回らなければ責任の代償を払うのは自分の命だけでは足りなくなる場合もある。

故に実力主義。これに完徹する。アキラより階級が下なのに隊長をやっているぼくが良い証拠だ。だけどこれはアキラを貶めている訳ではない。資質だけでも彼女は金の卵だ。REXに入るには競争率数十倍の過酷な選抜試験を受ける他に、他薦によるスカウトがある。

ただ、後者で選ばれるケースは極々稀だ。詳しい基準は分からないけど即戦力で編入されるなら()()()()()()という曖昧なものでないことは確実。高級素材で抽出した一番出汁の上澄みを更に濾してやっと手に入るレベルだ。そういう点からすればぼくが受けた訓練より遥かに厳しい条件をアキラは通過したのかもしれない。

でなければジャケットに輝く操縦士徽章(ウィングマーク)の下に空挺徽章が並ぶ異色さが説明できない。公式記録の撃墜数は言わずもがな、ワグナー中佐曰くオリンピック級の身体能力を計測したという情報が改めて化け物振りを増長させる。ここまで来ると嘘臭さの方が勝るけど、同種の数少ない例外が他にも居るのだから納得せざるを得ない。

改めてその怪物的な才能に畏怖と敬意を抱いたぼくの肩を、不意にアキラが掴んで何か囁こうと顔を近づけた時、もう一度扉が開いた。

「…お邪魔でしたか?」

噂をすれば影が差す。奇しくもアキラと同じ経緯で入隊したシェリーが無表情のまま小鳥のように首をかしげる。それでも不気味に感じないのは彼女の生来の独特な雰囲気のせいなのだろうか。

「いや、何でもない。タクミ、また今度な。」

素早く離れたアキラは爽やかな笑顔を振りまくと、ぼくの肩を一撫でして部屋を出て行った。入れ替わりにシェリーが音も立てずに、席を回したぼくの前に歩み寄った。

「何か用事でもあった?」

「いや、大したことじゃないよ。そっちこそ何の用?」

「アナタが呼び出したんでしょう。次の任務を伝えるって。」

腰に手を当てて呆れ返るシェリーに詫びて、ぼくはカリフォルニアの件と作戦会議を開く旨を話した。しかしながら、ぼくの意識は開きっ放しの扉の方ばかりに向いており、シェリーに振り向く直前のアキラがほんの一瞬目の奥に暗い炎を揺らめかせたように見えたのが、瞼の奥からしばらく離れなかった。

 

その日は地中海性気候のヨセミテには珍しく大振りの夜だった。木々の合間を伝って落ちてくる雨の中を、ぼくは腰を低くして泥と落ち葉を踏みしめて進む。すぐ傍らでリスの仲間が雨宿りの場所を求めるように走り去った。

潜入任務の大半は歩きだ。目的地に着くまでとにかく歩き倒す。その証拠にどの特殊部隊にも、成人男性に匹敵する重量の装備一式を背負って1日に何時間もぶっ続けで歩かされる訓練がある。ぼくも鳴り物入りで入隊したクチだけど、固いコンバットブーツのせいで足裏の至るところにマメが出来た記憶があった。挙句、そのマメが潰れた足で遠泳しろと言われた日には本気で泣きたくなったものだ。

アキラのエアバイクに便乗してからの空挺降下(エアボーン)で着陸して早3時間。そろそろ例の秘密基地の当たりが強いエリアに入ったはずだ。バイザーのヘッドアップディスプレイ(HUD)が20m先にターミネーターが巡回してくることを表示する。

ぼくは近くの木陰に紛れてアンプッシュし、場に気配を同調させホルスターにしまったガンツソードを握った。ガンツスーツの上に羽織ったタクティカルベストに雨粒が撥ねる。キュラキュラとキャタピラを鳴らして迫ったT-100は停止して首を回転させると、何もなかったように通り過ぎていった。

念のために周囲を確認して殺していた息を解す。運が良かった。ここで見つかったら()()()()()()()()()()()()()

ぼくはREXに入ってから、ワグナー中佐からよく単独での潜入任務をやらされた。普通、兵隊の最小行動単位は2人組(ツーマンセル)で兵士1人だけで動くなんてまず有り得ない。その常識を打ち破り、中佐に発案したのがマザーで、数々の潜入任務を成功させた。

もちろん、偵察には専用の技能や道具が必要で、厳しい行軍に耐えるためのスタミナも要る。しかし、ぼくらのループ能力はこんな場面でも役に立った。使い方はとっても簡単。敵に見つからないようにお進みください。運悪く見つかってしまったら、撃ち殺されるなりご自分で頭をぶち抜くなりしてください。目が覚めたら前回の反省を踏まえて、より安全なルートを開拓しましょう。

今日のぼくはこれを3回もやった。お陰でターミネーターの警戒網に引っかかることはなく、それを監視している秘密基地の連中にも気づかれてはないだろう。

その後20分ほど森の中を這うと木の数が減り、巨大な岩肌が現れた。高さだけでもビル40階分に相当しそうなほどだ。

「この辺りか…」

ぼくは腰のバックパックから端末を取り出し、岩の表面に設置した。画面には音響ソナーが一定の波紋を広げ、内部の構造を調べている過程が表示される。喉に指を当て、ぼくはまだ滞空中のアキラにナイジェルと回線を繋げるように頼んだ。

「先輩どうです? 個人的にはここら辺だと思うんですけど。」

『ああ、ちょうど解析が終わった。どうやらこの中は天然の洞窟らしいな。何個か入口も分かったが、お前のところとは少し遠い。一番手近なゲートを教えてやる。』

からかい気味の明るさを滲ませたナイジェルが指定した場所は、ぼくの頭上30mほどにあるダクトの排気口だった。ナイジェルに軽く文句を言った後、屈伸運動を済ませたぼくはスーツに力を溜めて10mほど飛んでちょっとした出っ張りを引っ掴む。上腕二頭筋を使って体を引っ張り上げ、わずかなくぼみを指でつまみ、あるかないかの足場を探す。

夜の雨で敵の目と耳が塞がられるのは結構だけど、思ったより勢いよく降っているせいで岩肌が滑りやすくなってしまっている。ヨセミテ・バレーの多くは花崗岩だから風化するとかなり崩れやすくなるせいか、クライミングの訓練を受けたぼくも少し苦戦した。さっきなんて漬物石ほどの岩塊が脳天目掛けて落っこちて、危うく地面に真っ逆さまになりそうだった。

どうにか指定ポイントまで上ると、目的の排気口は巧妙に地層模様を偽装した縦・横幅1mほどの穴だった。腰に引っ掛けたFN SCARを先に入れ、自分も体を捻じ込ませる。暗くて狭い前後方向しか動けない細長い空間を、スクリーンに投射された音響ソナーと勘を頼りに右に左に進んでいく。

ネズミの巣窟と化した埃まみれのダクトを苦心して、複雑怪奇のルートを匍匐前進するとようやく出口らしき格子状の金網を見つけた。取り外して安全を確認し、静かに降り立って付近の直方体のオブジェクトに身を寄せる。

ぼくがダクトから出た先は、上下左右がコンクリートで固められそこかしこに電気盤や装置、パイプが敷き詰められた場所だった。ぼくを隠している直方体も大学で使われるスパコンだったりする。言われなければとても洞窟の中とは思いつかないほどの立派な研究所となっていたことに呆気にとられたぼくは、右側のエレベーターから現れた登場人物に気づくのに少し遅れてしまった。

談笑しながら歩いてくる警衛2人。武装はFA-MAS。耐弾装備は上着のベストのみ。そしてこちらには気づいていない。小銃の構えを崩し、このままやり過ごすのが無難と判断して通り過ぎるのを待っても良かったが、次第に明瞭に届いてきた会話の内容にぼくは興味を引かれた。

「ところで聞いたか。今管制室に居座ってる奴のこと。」

「ああ、例の熊男だろ。お陰でオレのシフト延長されちまったよ。」

「文句言うなよ。今だって特別手当もらってるんだぜ。普通の給料からは考えられねえ額だ。」

「そのことなんだが…オレ、そろそろ辞めようと思ってるんだ。」

「何でだよ? 確かに怪しいがおいしい話には違いねえだろ。」

「噂なんだけどよ。ここに侵入者が来るらしいんだ。」

「侵入者? 誰がだよ?」

「分からん。管制室を通りかかったら熊男が喋ってるのを偶然耳に挟んだ。」

一体何で? さあ…といった押し問答が繰り広げられたけど、突き当りの階段で二言三言話して警衛は別れてしまった。ぼくは監視の気配を確かめながらその跡を追い、階段を上った側の男が見えなくなった瞬間にもう一方の奴に接近した。

呑気に一服している隙を見計らって背後から羽交い締めにし、素早く物陰に引きずり込む。男は何が起こったか分からずもがいていたけど、ナイフサイズに縮めたガンツソードをちらつかせたら大人しくなってくれた。

「な、何だ貴様!?」

「声を抑えろ。管制室にいる奴とは誰だ。」

「し、知らん。我々とは別の時間帯で動いてるし、顔も合わせたことがない。」

男は挙動不審でガクガクと四肢を痙攣している。

「管制室はどこだ。」

「左のエレベーターから行ける。最上階だ。だが、入るにはパスワードとIDカードを読み込ませなきゃならない。」

「教えろ。」

「分からない。1日ごとに変更されるがオレの業務に関係は…」

口を塞いで左手の甲を突き刺した。男が声なき悲鳴を上げ四肢の動きも激しくなる。動きが収まったのを見計らってもう一度口を開かせた。

「言え。」

「X、Xレイデルタ1だ!」

Xレイデルタ1。口中で繰り返したぼくは男の頸椎を絞め上げた。再び暴れた男のタップを無視してひたすら落ちるのを待つ。何秒かして意識を手放した男はぐったりと横たわり、ぼくはそいつのベストを物色しカードを入手した。

そのまま監視カメラや他の警衛の目を盗んで、慎重に物陰を縫ってエレベーターに乗り込み最上階に到着する。ドアが開くとそこは照明が点いていなかった。暗視ゴーグルを作動して銃を構えたまま階を捜索すると、物々しい扉の前に2人の警衛が厳しい視線を巡らせていた。下で尋問した奴とは明らかに雰囲気が違う。恐らくはターナー側の兵士だろう。目の運びや発する気が錬度の高さを窺わせる。どちらか一方を始末してもすぐに気づかれてドアをロックされるに違いない。

どうするか悩んでしばし。ぼくはゴーグルの光量を心持ち上げてガンツソードを投擲した。15mは離れていたため刀は少し下方に飛んだけど、右の男の鼻筋に命中してくれたから良しとする。隣の同僚を闇からの奇襲で殺られたことに一瞬注意を外したもう1人に、ぼくはFN SCARの筒先を合わせてトリガーを引いた。サプレッサーを付けてるものの発砲の光が完全に消えるわけじゃない。戦いで鍛えられた動体視力は、ノズルから光が発した一瞬の中でも男の脳漿が壁にまき散らされた光景を捉えていた。

XガンやZガンが戦争の主役になって久しいが、偵察などの隠密性の高い作戦では未だに金属の弾と火薬を使う銃が幅を利かせている。旧来の戦争は人同士が相手だったが、今じゃ何十発食らっても立ち上がる鋼鉄の化け物がその代わりだ。だから破壊力の高いガンツの武器が流行るのは自然の成り行きと言ってもいいんだけど、その破壊力やサプレッサーも付けられない規格のせいで、潜入(スニーキング)には不向きなのだ。そう言った場面では寧ろ拡張性が広く、種類も豊富な実弾銃が人気者だった。

扉に設置されたテンキーにパスワードを入れカードを通す。プシュ、と開いた先の空間もやはり暗闇だったけど、ぼくはそこに1つの巨大な影を見つけた。カザマといい勝負のデカさの影は中央のデスクからゆらりと立ち上がると、ぼくの方を向いて穏やかに告げた。

「ようこそジャップ・ザ・リッパー。会えて光栄だ。」



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29.ルートF

その男は臆するのでもなく、常軌を逸しているのでもなく、ただ自然のままに佇んでいた。

「わざわざこんな僻地にご足労をかけたね。会いたかったよ君に。」

レスラー張りの巨体に似つかわしくない穏やかな笑みを湛えたまま、グラハム・ターナーは言い放った。さっきまで座っていたデスクには小型のコンポが置いてあり、ウィルヘルミのG線上のアリアが物悲しく切ない旋律を醸し出している。

何だコイツは? なぜこんなに落ち着いている。見たところ武器は持ってないし、服の下にスーツを装着しているわけでもない。つまりコイツの命のスイッチはぼくが握っていて、その気になればすぐにでも殺せる。けどなぜかぼくはそうする気になれなかった。

「どうした? 掛けたまえ。」

デスク上のコーヒーメーカーにカップを置いて茶色の液体を注ぎながら、ターナーが思ったより気さくな声を発しまとまりかけた思考が霧散した。向けられた銃口を眼中にないとでも言うようにターナーはカップを差し出すが、ぼくがそれを受け取る気がないと分かると少し肩をすくめて引っ込めた。

「そう警戒するな。ここには私と君以外誰もいない。」

湯気が立ったコーヒーを一口飲んだターナーは、椅子にどっかりと尻を下ろした。とても自分が置かれている状況を理解して起こした行動とは思えない。どうにも面白くなかった。このままだったら相手のペースで話が進んでしまうかもしれない。

「グラハム・ターナーだな。情報漏洩の嫌疑でお前を連行する。」

妙な動きを見せれば即座に射殺できるように、心臓に狙いを定めたまま話を断ち切る。しばらく睨みあって場の緊張が高まったように思えたが、ターナーはフッと口元を緩めおどけて見せた。

「テイラーが捕まった時に立ち会ってた連中の差し金か。いいだろう。こちらとしても要件は早く済ませたいのでね。」

そう言ってまた立ち上がったターナーがおもむろにシャツを開くと、その下には2つの箱型の物体が貼り付けてあり、片手にはボタンが握られていた。

「このスイッチを押すと私の体にあるプラスチック爆弾だけでなく、基地中に仕掛けていた導火線に火がつき、ものの数分で木っ端微塵になる。巻き込まれたくなかったら大人しく話を聞いてもらおう。」

唖然に取られたままぼくの腕は自然にFN SCARを降ろしていた。その反応に満足したのかターナーは、すっかり脱力した様子でデスクに腰かけた。

「まず最初に私はグラハム・ターナーではない。」

今日の天気は晴れです。そんな気楽さであっさりと告げられた。ぼくの方はと言えばいきなりのカミングアウトに一瞬頭の中が真っ白くなってしまった。どれくらい真っ白かというと、1つも足跡がない雪原にさらに白いペンキをぶちまけた感じだ。

「影武者というやつだ。珍しくはないだろう。」

「だったらなおさら不可解だ。何でこのタイミングでバラす必要がある?」

再びコーヒーを注ぎにポッドに触れる目の前の男を銃で威嚇する。しかし、相変わらず影武者の男は気にも留めてない。

「言っただろう。君に会いたかったと。こうでもしないと2人で語り合える時間は作れなかったからね。」

「話?」

「私は彼に伝言を頼まれていた。だが、その前に生の目(リアル)でジャップ・ザ・リッパーを見てみたくてね。なるほど、思ったより若いな。」

ギン!

「奪ったデータはどこにある。お前たちのボスは何が目的だ。プロメテウス計画とは何だ。」

足元に7.62mm弾を撃って警告する。しかし、影武者はやれやれと言った様子で首を左右に振り、手の中のスイッチを弄りながら天を仰いだ。

「そう捲し立てるな。折角時間を取ったんだ、もうちょっと冷静(クール)に行こうじゃないか。質問にも答える。」

聞き分けのない子供をなだめるように男は手を振った。コイツは気でも触れてるんじゃないかと思った。自分が死ぬことは確定済み―下手をすれば相手(ぼく)の銃ですぐにあの世に行くことになりかねない状況なのに、こうも平然と出来る方がどうかしている。

いや、コイツはあの男と同じ匂いだ。テイラーという人間爆弾のように端から()()()()()()()()()()()()()()最悪の類。マズい、という後悔が頭をよぎった。

「そうだな、まずはデータについてだ。無論、私が持ってないことは分かるだろう。アレは君たちが扱うには少々荷が重い代物でね。ちゃんと本物のターナーが手元に置いている。」

「奴はどこにいる!?」

「まあ落ち着け。物事には順序(プロトコル)というものがある。この場の回答者は私だ。無理矢理ペースを上げないでくれ。次、プロメテウス計画だがこれは抵抗軍からの拾い物だ。余りにも特殊性のハードルが高く現実的なプランとは言えなかったため途中で破棄されたのだ。もっとも、資材、人材の選定で大いに問題があったからな。しかし、この計画が実現すれば現代の戦争は革命が起こるだろう。君が必要とされなくなるほどに。」

ここではないどこかを思っているのだろうか。男は瞼を閉じて黙考しているように感じたが、再び瞳を見開いたときは別人のような鋭い光が宿っていた。

「最後に伝言だ。うちのボスは最近の逃避行で少し気が滅入っているらしい。どこかでパーティーでも開いてくれればとボヤいていた。それとヴァローナ2に気を許すな。父親に似て強情だからな。」

瞬間、男の指がスイッチに伸びるのを確認したぼくはすかさず眉間に引き金を絞ったが、1コンマの差でボタンは押されてしまった。瞬きする暇もなく男の腹から光が迸り、激しい閃光がぼくの網膜を灼き、凄まじい衝撃が脳と体を揺さぶり、世界が爆発してぼくは気絶した。

 

「…がせ! まだいるはずだ!」

何かの膜で覆われてでもいるのだろうか。どこか遠く響く誰かの声に目を覚ましたぼくは、首に掛かる体重から体が逆さまになって壁に叩き付けられたままということを認識した。眼前のディスプレイはひび割れており、大半が黒く塗りつぶされてしまっている。

全身の状態を確認して手足が千切れてないと分かったぼくは、多少の痛みを無視してバイザーを脱ぎ捨てると、その表面には自爆で飛び散った男の鼻と上唇、申し訳程度に数本の歯がくっついた顔の一部がへばりついていた。すぐに剥がしたものの、爆風でひっくり返ったデスクや椅子と同じように血糊がべったりと付着していると分かり、使い物にならないと判断して投げ捨てた。

「シェリー、聞こえるか?」

事前に支援要員として先行させていたシェリーから普段通りながらも切羽詰まった声が返った。

『どうしたのローガン。さっきすごい地震が起こって崖から煙が上がってるけど。何かあったの?』

「説明は後だ。対象の確保には失敗した。どうやらこの基地はもうすぐ崩壊する。撤退ルートをFに変更するから援護を頼む。」

『了解。死なないでね。』

死なないでね。彼女もぼくの秘密を知らないとはいえ少し悪い気がした。残念だけどシェリー、ぼくは死なないんだ。死んでもぼくはすぐに目覚め、また同じ1日を繰り返し、死ぬべきだった未来を上書きする。テレビゲームでセーブデータを上書きするくらい簡単に。そうやって何度もぼくは時間の神様を欺いてきた。君がそれなりの願いを込めた一言も、ぼくが自分の頭を撃ち抜いたらリピートして全く味気ないものになってしまうんだよ。

次第に大きくなる足音を耳に挟みながら、ぼくは滅茶苦茶な管制室の中で()()()()()()を済ませて転がっていた突撃銃を手に取った。チェンバーを引くけど薬室に弾薬が送り込まれた音がしない。どうやら内部機構が変形して給弾不良に陥っているらしい。

舌打ちして片手でガンツソードを握り、片手でサイドアームのM92F(ベレッタ)を引き抜く。さっきの衝撃で興奮して乱れている呼吸を落ち着ける。何度も戦場で戦ってきた影響なのか、ぼくの身体はどんなヤバそうな状況でも深呼吸すれば落ち着けるようになっていた。

聴覚に集中するとさっきまで騒がしかった足音が止んでいた。壁際に身を寄せ壊れたバイザーを壁から覗かせると、1秒も待たずに蜂の巣にされた。敵はすっかり布陣を整えたようだ。気配を辿るだけでもこの階で10人以上は待ち構えていた。恐らく下の階にはさらに多くの警衛が舌なめずりして獲物を待ち伏せしているころだろう。

久々にハードな仕事になる予感を押し殺し、ぼくは脱出の手筈を思案した。多少無理があるけど、贅沢は言ってられない。昂った感覚を場の音や空気に同調させて、隙を計算してポーチから発煙筒を取り出しピンを抜いて投げる。敵の戸惑った声を合図にぼくは一息に飛び出した。

 

ドオン、とまた新しい爆発が岩を砕き炎と煙を吐き出した。それは周囲の深緑だけでなく上空で待機しているアキラの機体も赤々と照らしている。

「遅えなアイツ…」

湧き出る焦燥を抑えてマーキングした出入り口や通風孔を監視するが、タクミが出てくる気配はない。対象の捕獲に失敗した以上、コソコソせずに脱出を最優先に動くというルートFは、事態が最悪の場合に備えて建てた作戦だ。ということはこちらとしてもあまり長居はできない。

「南500mから敵機接近。数は多数。」

後方のリアシートに回収したシェリーが暗視スコープとサプレッサーを装着したM24を構えている。今回の偵察で静粛性と精密性を重視してボルトアクション式を選んだのが裏目に出た。これでは刻々と変化する戦況に対応しにくくなってしまう。そんな八方塞がりの状況に拍車をかけるように、また爆炎が噴き出した。

『シェリー。応答しろ…リー。』

ノイズにまみれながらも落ち着いた声がスピーカーを通して鼓膜を震わせる。タクミからの通信だ。そう分かって安堵しながらも、アキラは胸がチクリと痛むのを感じ思わず開きかけた口をつぐんだ。そうでもしないとこれまで抑え込んでいた感情に火が点きそうだったから。

「ローガン大丈夫? 今どこ?」

迫りくるターミネーターを牽制しながら安否を尋ねるシェリー。平気だよ、と告げ現在の位置を報告するタクミとの会話を聞き流しながらアキラは半ば思考の海に溺れかけていた。

私は何をしてるんだろう。あの夜、燻っていた想いを一方的に拒絶されたあの夜から私たちの関係は終わったと思っていた。勿論ちゃんと告白できなかった自分にも落ち度はあるし、ああもキッパリと断られたからもういいとも感じていた。単なる幼馴染からさらに遠い上司と部下というシンプルな構図に再構築された関係にも慣れさえすればいいと考えていた。でも何で私はこんなにも寂しさを感じているのだろうか…?

「ナルミヤ大尉、崖の直上に機体を寄せてほしいと隊長が要請しています。」

「…ああ、分かった。」

ふと戻った意識にシェリーが呼びかけ、アキラは言われた通りにレバーを傾けた。ローターが唸りを上げて旋回する中、シェリーが巧妙に隠された対空機関砲を潰していく。いくら射程圏内でも激しく機動するエアバイクの上から目標を探し出し、機関部を正確に破壊する腕前はいつ見ても惚れ惚れするほどだ。

「…いた!」

立ち並ぶ木々の隙間を縫う5つの人影。そのうち先頭の影が妙に赤く光って見えるのは恐らくタクミが持っている悪目立ちする刀だ。後方のマズルフラッシュに反撃しながら崖の先目掛けて疾走するタクミを捉えて高度を下げ、崖の先端から30mほど離れた空中で制止する。

その意図を瞬時に悟ったのか、タクミは背後に2、3発撃った後で腰に携帯していたM67手榴弾(アップル)を握り、シェリーが援護射撃の弾丸を装填したと同時に機関砲の砲身を踏み台にして一気に跳躍した。衝撃に耐えきれずに曲がった砲身を背に宙を舞うタクミ。エアバイクに飛びつく寸前に体を捩ってアップルを投げたが、不自然な体勢が災いして崖下に落ちる。すると、絶妙のタイミングで放ったシェリーの弾がアップルに命中し、足りない飛距離が一気に稼げた。

そのままタックルに近い形で激突したタクミをシェリーがしっかりと抱き止めたせいで、大きくバランスを崩した機体を苦心して立て直したアキラはエンジンを全開にしてその場を離脱する。一拍遅れて発した爆音に生々しい悲鳴を混じっていたのを聞きながら。

 

「まったく、無茶苦茶ねアンタは。」

午前8時23分。ビール空軍基地に到着した一同は着陸後にエアバイクをREXの整備班に預け、休息のために待機室で骨を休めていた。

「すみません…」

しきりに後頭部を掻きながらペコペコ頭を下げるタクミの横で、シェリーはいつも通りの無表情を貫いている。疲労の様子を全然見せないこの少女の心臓は本当に自分たちと同じなんだろうかという疑問を頭から追い出してアキラは手元のコーヒーを啜る。

「今回は運が良かったけど、私はもう御免だからね。アンタのタクシー代わりなんて。」

「タクシーってそんな…」

「事実だろ。どっかの血塗れ男が猛烈なタックルかましてくれるもんだから、軽くトラウマものよ。」

返す言葉もないとばかりに身を縮ませたタクミに嘆息しつつ、朝食代わりのハンバーガーを胃に流し込む。予想通りの不味さに一層憂鬱になったが、ここでコイツに八つ当たりしても仕方ない。さっさと仮眠も取りたいし。

「まあいいよ。任務対象が実は影武者で死んでしまい、愛機に傷をつけられてもタクミの落ち度じゃないからね。アンタも早くERに行って来たら? まだ報告も済ませてないでしょ。」

付け合わせのポテトを数本頬張って、トレーを返すために席を立つ。すると、タクミは妙に間の抜けた顔で告げた。

「もう報告なら終わりましたよ。それにこの血は返り血ですから。」

「…返り血?」

「はい。いや、大変でしたよ。あの研究所やたら複雑で出口に行くまで一苦労で。敵の数も中々のもんだから20人ほどぶった切ってしまいました。」

タクミはぞっとするほど健やかな笑みで、さらりととんでもない事実を口にした。あ、そうそう、と付け加えて

「撤退の途中でいくつかサンプルも入手したんです。自爆した影武者の目玉と指を回収できましてね。さっき解析班に回してきました。」

さて、と立ち上がったタクミはそろそろ休みます、と敬礼して待機室を出ようとした。自然とシェリーもその後ろに着いていくのを視界の隅に留めながら、アキラはポツリと呟いた。

「人を殺したのか?」

どうやら聞こえたらしくタクミは足を止めたが、こちらを向こうとはせず話した。

「ぼくはイラクで100人斬りました。」

誰に告げるでもなくこぼした一言は、アキラの思考を数秒間麻痺させ、タクミらが出て行ったのを気づくのにしばらくしたときだった。



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29.5.濡れ仕事

大海原。

見渡す限りの黒に近い青の平面が燦燦とした陽光を浴びて、目を凝らさないと分からないほどの小さな波の屈折率で、キラキラと光を反射している。その上には世界が戦争真っただ中であることをつゆとも知らず、カモメたちが日向ぼっこしに来たように長閑に翼を広げていた。

そしてさらに上を巨大な影を携えて、カモメと変わらない速度で航行する長方形の物体。上から覗くと真っ白に塗装されているので雲と判別しにくいけど、ステルス性を意識した独特の平たくのっぺりとしたシルエットは人工物に違いない。

かと言って完全に四角四面なわけではなく、両翼の先端は空気抵抗を考慮して丸みを帯びた形状だし、胴体部分には貨物スペースを設けているのか、ふっくらと緩やかな丘陵を描いている。いずれにしてもぼくらが日頃から見慣れている飛行機のシルエットから随分とかけ離れたそれは、全体像だけならば何を間違ったか極端に肥大化したエイが暖かな日光に誘われて、フワフワと漂っているうちに空を飛んでいたという連想が頭を占有するだろう。

「そうか? オレはあの間抜けにでかい口を見てると、寧ろ鯨が出てくるが。」

と、隣で映像を鑑賞する同僚が少しきつめの暖房で襟元を緩めてぼくの感想に返す。確かにあのタンカーすらすっぽりと収まりそうな規格外のエアハッチは、何もかも呑み込んでしまう底なしの空洞だ。でもきっとあの空洞の中にも潮の香りは届くのだろう。

人類の真の故郷と形容される海の濃厚な磯の匂いを思い出そうとしたけど、残念なことに想像の中の自然の匂いは鼻腔に入り込んだプラスチック独特の乾燥染みたそれに打ち消されてしまった。

「これが現在我が軍とウィンダム・エアライン社が共同開発している新型空中空母、Q-1008ヴィルコニルです。」

映像を止めて照明を戻した戦略観測調査室の出向者は説明を続ける。

「全長391.6m、全幅766.4m。文字通り史上最大級の航空機です。長距離侵攻作戦における管制機の他に、成層圏プラットフォームの役割も果たせるほどの積載量を誇ります。搭載可能な艦載機は60機以上。もちろん空対空ミサイル(AAM)、対空機関砲、巡航ミサイルなど武装面でも隙がありません。軍はこれを複数機配備して恒常的な航空艦隊を実現するつもりです。」

ヒューと誰かが口笛を鳴らす。不謹慎な行為に調査室の男は眉をひそめたが、強面の男どもに気圧され視線を手元のパッドに戻した。

「最終的には各空域に常駐し防空指揮所として機能させる予定ですが、如何せん予算の都合がついておらず今はこのプロトタイプだけが生産されています。計画の発案者はボスポルク・ブリズギナ准将。ロシア方面軍の一翼を担う大物で、統合参謀本部の中でも生粋のタカ派で知られる人物です。」

「ああ、あの鷲鼻か。いかにもって感じだよな。」

添付された資料にあった写真のページをめくったアキラがボソッと呟く。何がいかにもかというと、この高官殿の風評だ。先手必勝、絶対撃滅。防衛行動なんて生温いことは端から考えず、徹底した反抗戦で敵を殲滅する。そのやり口はテロリストよりも過激であり、味方を捨て駒みたく扱った仕上げに絨毯爆撃なんてするものだから、遺体の回収はほとんどできた試しがない。普通ならこんな指揮官は即刻クビになるはずだけど、被害を顧みない攻撃的なスタンスがターミネーターの上陸を阻止しているのも事実だ。アキラがロシアに居た頃は軍内でも度々衝突があったとかなかったとか。

「あまり敬礼を返したくない相手だな。どうやって推薦状もらったんだか。」

『そこまでにしておけ。』

渋みのある低い声が続いて愚痴ったカザマをたしなめた。今はこのノーフォーク海軍基地の抵抗軍統合特殊作戦コマンド(JSOC)が設けた会議室から遠く離れたペンタゴンにいるワグナー中佐がホログラムで注意したのだ。

心なしか空気が引き締まった気分になり、全員の背もたれ具合が幾分か解消される。ぼくはチラリとアキラを盗み見た。緊張しているらしくいつも八の字の眉がさらに皺を寄せていた。無理もないか、と思う。彼女を始めとする新入生は()()()()()()()()()()()

『さて諸君。お疲れのところで悪いが追加の任務だ。先程のようにこのヴィルコニルは既存の勢力図を大きく変えるかもしれない存在だ。その価値は計り知れない。』

「こいつを1機作る金でどれだけの介護施設が作れるんですかね。」

隊員であるモリソンの揶揄に全員が含んだ笑いを漏らすが、見咎めたぼくに気まずそうに咳払いをした。

『現在運用されているのはこの試作機のみだが、計画自体は何年も前から凍結されている。調査の結果、ブリズギナ准将の独断で建造されたことが判明した。問題は資金の出処だ。』

そう言って中佐がデスクに投影したのはある男の顔だった。どこにでもいる典型的な白人だったけど、隣のバーに表示された経歴が普通の会社員とは異なっていた。

「ドニス・ベル・ボシェロ。情報管理局の兵器研究部に所属する者です。ヴィルコニルの開発計画に携わったメンバーの1人で、ブリズギナ准将とも交流がありました。計画終了のいざこざに紛れて設計データと予算の一部を彼に横流しした形跡があり、今も彼に匿われている可能性が高い。」

調査室の男が別の映像に切り替える。どこかのカフェで数人の男が会話しているのを映したものだった。そのうちの2人はさっきの顔写真と一致するけど、他には見覚えがない。

「追跡班がテロリストとの密会の撮影に成功したものです。ブリズギナ准将は以前から軍の体制に不満があり、決起を促すために自作自演のテロを計画していると考えられます。恐らくはボシェロが仲介役となったのでしょう。」

『内部監査部門はこの情報を聞きつけ、奴を法廷に引きずり出そうとしているが、守りが堅く手が出せない。そこで事態の収拾を特務部隊に委任したというわけだ。』

中佐が後を引き取り説明する。要は証拠集めをしろと言うことなのだが、そんな簡単な理由でぼくらが動くことはない。案の定中佐は男に言った。

『ありがとう。ここからは我々の話になる。下がってくれ。』

男は怪訝な顔になったが部屋の雰囲気が変わったのを感じ取り、そそくさと退散していった。ようやく本題だ。ヨセミテ渓谷の騒動が終わって数日後、ターナーに関する資料を洗っている最中に呼び出されて早4時間。ぼくらが招集された理由がやっと分かる。

自然と空気が引き締まった感じになり、隊員たちの背筋も真っ直ぐになる。全員を見渡してワグナー中佐は

『これを見てほしい。』

と別の画像をアップした。筒状の物体を防護服の人物たちが囲んでいる。物体には全員が予想したように見慣れた円と扇形を組み合わせた独特のマークが刻印されてあった。

「核か…」

『威力こそ戦術級だが数だけでも10基はある。ブリズギナはこれをヴィルコニルに詰め込んで、有用性をアピールするつもりだろう。参謀本部は早急の事態の解決を図っている。』

「他人様の家探りですか。あまり良いものじゃありませんね。」

『この作戦は上院軍事委員会(SASC)にも後押しされたものだ。スポンサーにケチをつける訳にはいかん。』

自分もあまり納得していないのか、中佐も取り繕った表面に僅かな皺が浮かんでいる。作戦を説明する、と話した。

『この報告を受けたロシア政府は直ちにブリズギナとボシェロ、テロリストどもを逮捕して国際刑事裁判所に引き渡すとしているが、声明はあくまで表向きだ。いくら奴らでも身内を簡単に日の下には差し出さないだろう。そんなことをしたら現地軍だけでなく、米国(こちら)にも被害が及びかねん。特にヴィルコニルに関わっていた政治家連中にはな。』

「よって参謀本部が降ろしてきた指令は、この2人の逮捕となる。核弾頭の回収も同時に行う。」

タイミングを計ってぼくが続ける。ホログラムの中佐が一息つくために何かを持った形の左手を口に近づける。たぶん紅茶だろう。生まれも育ちもアメリカなのに、名前がイギリス臭い中佐は習慣もイギリス風でコーヒーよりも紅茶派だ。そのため紅茶には少しうるさい。

「暗殺じゃないんですか?」

別の隊員が訪ねる。ぼくは首を横に振り

「リスクが高すぎる。ボシェロだけなら揉み消せるけど、ブリズギナの方は日陰者とはいえまだ力は残っている。政治レースの真っ最中に候補者が一晩で消えるシナリオは足が付きやすい…とまあ、ここまでが()()()()()になる。」

その言葉に隊員たちの表情がサッと消え去る。これから口にする意味を予期しているように。存外に察しの良い仲間の反応に満足して再び中佐に立場を譲る。

『君たちの任務は両名の逮捕に違いはない。ただ、国際刑事裁判所(ハーグ)には渡さん。』

「根拠は何ですか?」

アキラが口を挟んだ。しかし彼女の質問は分からないことを尋ねるというよりは単純な確認といった感じだ。少なくともその頭ではある程度の筋道は経てているのかもしれない。

『ボシェロにグラハム・ターナーが関わっていた可能性がある。彼の拘束任務を遂行している以上、我々が動くのは妥当と判断した。』

 

数時間後、トレーニングルーム。日が沈みかけ黄色い光がガラスを透過して、淡く室内を照らしている。少し眩しすぎるくらいの光量に目を細めたアキラは、棒を手放して懸垂を中断することにした。着地と同時に腰からぶら下げたタイヤがドスン、と重々しく落ちる。特殊部隊に選抜された以上、生半可な体力では任務に支障を来す可能性があるので、アキラは休暇中も体力調整を欠かさなかった。

「相変わらず精が出るね。本当にトレーニング好きだなアキラって。」

別室で走っていたタクミがボトルを寄越した。まただ。妙に張り付いた笑顔で接してくる幼馴染に、そのままボトルを放り返した。

「好きでやってるわけじゃねえよ。最近鈍ってるから鍛え直してんの。」

「お互い半年も離れてたからね。ぼくもまだ本調子じゃないから頑張らないと。」

「…アンタが言っても嫌味にしか聞こえねえよ。」

「え?」

「何でもない。ところでさ、今回の任務って副業(パートタイム)になるの?」

「どこでその言葉を?」

「噂よ。特務部隊REXは本業と副業に分かれてて、本業は通常の作戦行動を取るけど、副業は高度に政治的判断を要する公に出来ない任務を受け持つ…今回のように。」

沈黙を肯定にして隣のバランスボールに飛び乗り、フワフワとした弾力に上手く乗って重心を保つ。粗方の姿勢を試し立ってみたが、ボールは動いてない。まだ勘は鈍ってないらしい。

Nothing is true, everything is permitted(真実はなく、許されないことなどない)…火のない所に煙は立たぬって言うからね。」

REXの標語を持ち出され、暗に認めたと分かって

「じゃあ、タクミはその…」

「誰かがやらなきゃいけないんだ。君もここに入るときに言われただろう?」

そう言い切った横顔はこの世の地獄を見飽きるほど焼き付けた目をしていた。以前所属していた部隊にいた元特殊部隊の仲間が、REXのことを人狩り(マンハンター)と蔑んでいたことを思い出した。

いいかアキラ。奴らはメディアの前では『私たちはお国のために尽くします。』みたいな面してるけどな、いざという時は躊躇なく相手の首を掻き切れる連中なんだ。連絡が入ればちょっと出張してくる風を装って、命を奪った後に素知らぬふりで週末のミサに参加するサイコパスなのさ。

バカ騒ぎの中、酔った勢いで口を滑らせた同僚は数日後に体調を崩して除隊した。理由は大よその察しは着いていた。

「安心して。君の役割は陽動だから直接手を下すことは無い。そのために中佐が擬装用にMiG-29を8機手配したよ。」

へえ、とアキラは感心した。

「随分と大盤振る舞いじゃん。」

「そうでもないさ。飛行ユニット(エアバイク)の配備以降、ほとんどの戦闘機が退役したから、どこも在庫を抱えているんだ。当初の予定価格より安く買い叩くことが出来た。」

「私の他にも乗り込む奴らがいるから、戦術隊形ができる機数を揃えたってことか。」

「中の警戒をさせないために、外を派手に飛び回ってほしいんだ。書類上ではネリス空軍基地のものを拝借しているけど、実際はブローカーを通して退役国から払い下げてもらったから墜ちても心配ないよ。」

「その言葉、パイロット(わたしら)にはタブーワードなんだけど。」

「ああ、ゴメンね。でも大丈夫。()()()()()()()()。」

妙に確信めいた物言いにアキラは訝しんだが、口を噤んだ。自分たちの前に大柄な数個の影が並んだからだ。どれも私服のトレーニングウェアを纏っているが、鋭い眼光に異常に太い腕やタクミより遥かに厚い胸が、男たちを只者ではないと告げている。

「お前らREXだろ。」

「ええ、まあ。アナタ方は―」

「陽動で一緒に飛ぶことになった奴らよ。さっきブリーフィングしてきた。」

「ああ、なるほど。今回はお互いにベストを―」

タクミが手を差し出してそこまで言ったとき、男の1人がその手を唐突に払った。

「気安く触んな。この殺し屋(ウェットワークス)が。手が汚れるだろうが。」

露骨に嫌悪の表情を浮かべた男が払った手をシャツで拭う動作をする。アキラはため息をつく。トレーニングが終わった途端に嫌な連中と出会った。これはしばらく抜け出せそうにない。男らはジロジロと若い男女を観察すると

「チッ、急に上から呼び出されたと思ったら、中古車に乗って汚れ仕事のお手伝いとはな。しかもこんなガキのお守りなんて、オレたちも軽く見られたもんだ。」

「あ?」

鼻を鳴らしてせせら笑う男たちに、早くも怒りを募らせて詰め寄る。これでも昔よりは改善されたが、元々沸点は低い方だ。小馬鹿にされて黙っていられるはずがない。女性の方では下手な男よりも背が高いアキラだが、目の前のパイロットたちは体格に優れ頭一つ分差がある。しかしそんなことは気にしない。

「何だよ姉ちゃん。綺麗な顔が台無しだぜ。」

「アンタらこそ人に喧嘩売っておいて、何もなしに帰れると思ってんのか? 今ならまだ冗談で済ませられるけど。」

「喧嘩? おいおい、これはただの挨拶だぜ。部隊同士のレクリエーションでMPを呼ばないでくれよ。」

「MP? 呼ぶかよそんなの。パイロットなら自分の仕事(タスク)を全力でこなすのが筋だろうが。それをよそに手柄を取られるのを気にしてちょっかいかける低能の世話させたんじゃあ迷惑になっちまうだろ。」

「分かった分かった。気分を悪くさせちまったな。お詫びにジュース奢ってや―」

ガツン、と音がした。アキラがベンチプレスの脚を蹴り上げたからだった。子供扱いされて怒ったと思い、やれやれと諸手を上げた男の足元に唾が飛んだ。

「詫びる相手が違うだろうが。ちゃんとコイツに謝れってんだよ。」

「このチビ助に? 悪いが嬢ちゃん、オレは士官ってのは簡単に頭を下げるもんじゃないと教わったもんでね。」

すると今度はアキラがハッ、と小さく笑った。

「へえ、私にはシュミレーターで負けたからって憂さ晴らし、コイツには階級を盾にして威張るわけ? 面白い男ねアンタ。股の間のそれにはピンポン玉でも詰まってんの?」

男というのはナニのデカさを言われると、結構マジになったりする奴がいる。平然と卑猥な言葉を投げたアキラを真顔になった男が胸ぐらを掴み上げようとして、腰を低くした影が横に割り込んだ。

「まあまあ、これくらいにしましょう。ね?」

タクミが愛想笑いを作って間に入ってくる。何とか仲裁をしているのは分かるが、頬の傷が奇妙に引きつったように映り、却って間抜けにしてしまっていた。男がドン、と小突いた。

「どけよチャイニーズ。オレはこっちの姉ちゃんに用があるんだ。それとも何か? 御高名なREX様は下々の者とは口が利けないってか?」

「やだなあ。今度の合同作戦、逮捕が主目的ですよ。暗殺なんて物騒なことにはなりません。それにこれ以上ややこしいことになると、ぼくはアナタたちに特別拘留権限を使わざるを得なくなる。場合によっては軍法会議に掛けられることになります。」

「ふん、そんな脅し―」

そこまで言いかけた男はタクミを前にして何も言えなくなってしまった。頼りない笑みはそのままだが目が笑ってない。まるでガラス玉みたいだ。人を人と思ってない目。何人もフラットに殺してきた者の目…。男は今になってタクミの警告の真の意味に気づいた。

「良かったのかよ。あんな嘘っぱち言っちゃって。」

男たちが硬直している隙に半ば強引に連れ出されたアキラは、酒保(PX)で買ってきたガムを噛んだ。歯と歯で噛み潰した隙間から柑橘系の香りが滲み出し、糖分を欲していた体に優しく染み渡る。

「アンタがその気になれば瞬殺だったでしょ。」

「それじゃあぼくがMPに連行されちゃうよ。それにあの人たち優秀そうだし、加減は出来なかっただろうなあ。」

どこかズレた返しで薄く微笑みプルタブを引っ張ったタクミが、チビチビとアイソトニック飲料特有の微かに濁った液体を嚥下した。長閑に備え付けのディスプレイに映る野球中継を眺めるタクミをチラリと盗み見る。この部隊に移籍してから関連する資料は大方目を通したが、彼らが請け負ったとされる暗殺任務については一切の記録が消されていた。逆にそれが真実を裏付けている。

あの手はどれほどの命を奪ったのだろうか。先日彼が言った100人斬り。アレは本当なのだろうか。戦争で人を殺すのと異なる重みをアキラはまだ知らない。

「あ、そうだ。言い忘れてた。」

「何だよ。」

これ以上一緒にいる義理もないので自室に戻ろうとした矢先、タクミがポン、と合掌した。何となく気にかかり尋ねる。彼はごく軽い調子で言った。

「作戦、もしかしたら失敗するかもしれないから気を付けて。それだけ。」

 

MiG-29という機体はアキラにとって決して無縁なものではなかった。まだロシアでパイロットの錬成課程を消化していた頃―同期の中では最年少だった―練習機代わりに背後の教官に怒鳴られつつ四苦八苦して飛ばした苦い記憶がある。

後の愛機となるエアバイクの性能とは比べるべくもないのはさておき、アキラはこの戦闘機が割と気に入っていた。第4世代機に共通する美しいフォルム。前線での使用に耐えうるためのシンプルな設計に裏打ちされた信頼性。他の戦闘機と比べると少々小ぶりだがF-16に伍すると評された運動性能は今回の作戦でもかなり重要視されている。

堅いシートに座ってヘルメットのHUD上の数値を確認して異常なしと報告する。懐かしい振動だ。末尾のターボファンが奏でるエンジン音に浸って想像する。眼下に雲を置いた真っ青な空の中を、流星の如く駆ける銀色の機影。初めてその飛ぶ姿を目にしたとき、いつかはあれに乗るんだ、と幼心に決意したものだ。

エアバイクは性能こそ文句のつけようもないものの、あの戦闘機に似つかわしくないダサいデザインはアキラには邪道に映った。それが飛ぶ時ときたらUFOにしか見えず、あれに乗るくらいなら卒業せずに一生訓練生のままでいいと半ば本気で考えたこともあった。

『ジャガー1より各機、これより状況を開始する。』

ヘルメットに内蔵した通信装置に無線が入り、データリンクを介して目標の位置補正が逐次更新される。レーダーに赤い光点がいくつも現れた。ヴィルコニルが艦載機を発進させたのだ。

『ジャガー2了解。予定通り敵を引き付ける。』

『ジャガー6、同じく陽動に移る。』

トレーニングルームで因縁をつけて来たのと同じ声の主が、すぐ頭上を通り過ぎる。流石に彼らも作戦中は無駄口を叩くことはしなかった。

「ヴァローナ2了解。ふんどし(ローインクロス)に染みを付ける。」

作戦前に告げられたターゲットの下品なスラングに、事前に取り決めた符牒を付加する。随分と染まったものだと思う。訓練校に入ったばかりの頃は男の職場に付き物のファッキンな慣習に気後れしたものだけど、卒業する頃には普通の女性同士の会話の仕方など忘れてしまっていた。

別に興味など無かった。自分に必要なのは空という1つのミスが命取りになりかねない世界で敵を倒す技術であり、隙の無いメイク術や美味しいスイーツ店のマッピングではない。だから話に着いていけなくなって、疎遠になっても気にならなかった。休日中に余計なカロリーを取る暇があれば、少しでも鍛錬に励んだ方が余程有意義だ。

瞼の裏に実戦でもコンビを組んだかつてのパートナーの大きな背中がチラついた。やはりまだ()()()()()()()()()。口中に小さく舌打ちして脳内の男を追い出し、敵味方識別装置(IFF)で味方機の展開を確認して一気に操縦桿を下げた。

フワッと体が浮き上がった直後、肩にハーネスが食い込み耐Gスーツが気嚢を膨張させ、血流を抑えて貧血を防ぐ。今回は作戦の秘匿性を考慮して、ガンツの兵器は一切使っていない。これから身内を叩こうというのにこちらの素性が割れてしまっては任務の意義が歪んでしまう。

ヴィルコニルより伸びる火線の位置と数から逆光で狙われにくいコースを選出して、やや大げさなくらいの角度から突入する。ウェポンベイのR-27を兵装選択し、風防(キャノピー)の向こう側に鎮座するターゲットに鷹の目を据えた。MiG-29のHOTASは西側のそれよりも劣っていたが、今では規格の共通化により最新バージョンにアップデートされている。

細かく操縦桿(スティック)を左右に傾けて殺到する対空砲火を回避し、相対距離が50km―R-27の射程―に入った瞬間に、アキラは追尾装置(シーカーヘッド)をオンにして

「ヴァローナ2、フォックス1。」

と呟いてトリガープルした。

 

「対空砲を集中させろ。ドローンにも援護命令だ。」

「敵は8機だ。確実に1つずつ落とせ。」

「システムオンライン。ドローン全機射出完了。」

コックピットと言うには広すぎる空間―しかしコックピットには間違いない―で、オペレーターの報告が錯綜する。ズラリと並んだコンソールで次々と入れ替わる情報と格闘する彼らの姿を、ブリズギナは一段上の艦長席から眺望していた。

カリブ海よりウィンドワード海峡を抜けて3時間、大西洋を高度約2万フィートで巡航中に、レーダーが所属不明の戦闘機を探知した。呼びかけは通じず第2種戦闘態勢を命じてから数分後にはこの様だ。

仮眠中に叩き起こしてきた隣の機長は、予想外の襲撃に戸惑いつつも管制員に指示を飛ばしていた。一線を退いているとはいえ流石に場慣れしている。民間に下ろうとしていたところを高い金を払って引き留めた甲斐があったというものだ。

「増援の方はどうだ?」

「センサに感は認められず。警戒は続けていますが、相手の出方が不明瞭です。本当に奇襲を仕掛けるつもりならあるいは…」

「面白い。あの数でヴィルコニルに挑むつもりか。」

機長の答えに増援はないと確信しながらも、ブリズギナは敵を注意深く観察していた。かつて空を制した戦闘機がガンツの兵器に座を譲った後、一部の金持ちゲリラに払い下げられた噂は聞いているが、あくまでもコレクションの意味合いが強く、専門の訓練が必要な金食い虫にわざわざ乗り込む物好きがいるとも思えない。

それに襲ってきた編隊の動き。混戦の中でも絶妙なチームワークでカバーし合う戦法は、プロの操縦そのものだった。とすると、傭兵が痺れを切らして盗賊紛いの暴挙にでも出たのだろうか。しかし彼らが正規軍を攻撃して得られるメリットなどないし、このバカでかい飛行機を奪ったとしても持て余すだけだ。

『お気付きですか? 准将。』

耳元のヘッドフォンから男の声が伝わる。この艦に同乗しているボシェロだった。

「ああ、恐らくは参謀本部が寄越した後始末部隊だ。」

『やはり来ましたか。しかしどこからコースの情報が漏れたのでしょう?』

「私が聞きたいよ。そのことについては君の方が詳しいんじゃないかね? 元情報管理局員君。」

『私はただの技術屋です。亡命したのだってヴィルコニルに日の目を当たらせてやりたかったからですよ。』

やれやれと肩をすくめるボシェロが目に浮かぶ。研究が続けられればこの男には命の危機など屁でもないらしい。学者と言うより悪の組織に居座るイロモノ博士の相貌を脳裏に追いやった。

「とにかくREX(やつら)のことだ。ただの旧型機と思ったら痛い目に遭うぞ。」

『御心配には及びません。このヴィルコニルは鉄壁です。准将には安全な航海をお約束しますよ。』

「敵機、ミサイル発射を確認。直撃コースです。」

そう言った矢先、真っ直ぐに飛来した弾頭は無数の光の束に貫かれて、着弾地点から大きく外れた上空で内蔵した炸薬を爆発させた。

『あのようにこの艦は史上初のレーザー収束器を搭載しているのですから。』

「そうか。それもそうだったな。」

調子の良い答えに満足したブリズギナは深く腰掛け、いつものようにモニターの中で繰り広げられる戦いの光をとっくりと眺めた。

 

「レーザーとか反則だろ!?」

半分やけくそな気分でアキラは罵った。事前に資料に目を通しはしたが、実際に対峙した脅威は別物だ。発射して3秒も経たないうちに落とされたミサイルに注意を奪われる愚は犯さず、がなり立てるロックオンの警告を無視してバーナーを全開にし、(ラーストチカ)の愛称に相応しい低空飛行で敵艦のなだらかな翼面を接地ギリギリで飛び退る。

次いで放射される光線を急旋回を繰り返して紙一重で回避するが、弾幕を潜った先にはコウモリみたいな形状の護衛(ドローン)が待ち構えていた。アラートが表示される前にほとんど条件反射で舵を切り、機体を90度左回転、相手から見て翼を垂直方向に立てたまま突っ込む。

相対距離が見る見るうちに縮んでいくのをHUDのレーダーと目視の両方で捉える。40、30、20…空間機動において衝突を意味する間合いに入った瞬間、アキラは()()()()()()()()

いや、正確には真似ただけだ。ほんの小さい頃、家の奥にしまってあった戦記漫画。戦争の残酷さが克明に描写されていたそれは、主人公の駆る戦闘機が前代未聞の戦法で敵を打ち落としていくシーンを子供の自分に鮮烈に焼き付けた。

特に練習したわけでもなく、何となくできたら良いな、と茫洋と思っていただけだ。だから操縦桿を倒し垂直のまま重力に引かれていったMiG-29の挙動に着いていけなかった無人攻撃機より、パイロット本人が驚いていた。

「これ、私がやったの?」

状況の認識が追いつかない思考を尻目に、四肢は電撃的に動いて機器をコントロールしてバランスを取り戻し、スロットルを叩き込んで急上昇。無茶な機動で発生したGで狭まる照準線に、おっとり刀でターンする無人機を重ねる。最早ミサイルを使うまでもない。

火器管制をバルカンに切り換え、HUD上で赤く明滅するエンジン部分を正確に射抜く。急所を破壊された敵機は自分の機体(ボディ)に何が起こったのか診断プログラムを走らせたが、結果が判明する前に30mmの弾丸が機首の演算装置を砂糖菓子みたいにバラバラに破壊した。

火の粉を拭いて墜落する機体を尻目に真っ直ぐ群れを突き破ったアキラは、高度計が許す限り上昇を続けペダルを離して木の葉落としに入った。慣性に沿って急速に降下する中で、眼下の烏合の衆に再びバルカンで強襲する。

爆発で統率に綻びが生じたポジションを立て直すのに手一杯の敵機は、直上の攻撃に対処しようと回避に移ったが、目標の上を取るという空中戦のセオリーは覆せず、至近距離のミサイルを食らって爆散した。

「ヴァローナ2よりCP(コマンドポスト)へ。R-27の弾頭と燃料の追加を要請する。」

『こちらCP。支援要請を受諾。安全空域まで後退せよ。』

200km後方に待機するAC-130を中継(カットアウト)して通信指令室から電送されたデータに従って火中を後にする。敵の弾が届かない場所まで退くとコンピュータがMiG-29の両翼に()()()()()()()()()()()()()ことを告げた。

これもガンツの技術の賜物だ。通常ガンツの転送は一定の空間に座標を設定し転送を行うが、もし転送場所が移動するものだったなら座標と目的地に齟齬が生じてしまう。そこで対象にセンサを搭載することで随時座標を補正し、その誤差を修正できるわけだ。まだ戦闘機が稼働していた頃、ガンツの技術をフィードバックした結果の1つだった。

『ジーザス! 何て機動(マニューバ)だヴァローナ2!』

『まったくだ。あんな動き初めて見たぜ。一体どんな訓練したんだ?』

同じ様に補給を受けに来た味方機が賞賛のファンファーレを送る。こんな時でも素直に嬉しく思える感性は失っていなかった。

「サンキュ。けどアレはただのまぐれよ。たまたま上手く行っただけ。」

『謙遜するなよ。下手したら機体に負荷が掛かって空中分解しかねなかったぞ。それを偶然と言うには出来過ぎだな。』

「マジだって。それよりもパッケージの方はどうなってんの?」

『予定通りに届いたようだ。これもアンタの仕掛けたお陰だな。』

 

その頃ヴィルコニルは大混乱に陥っていた。敵が物量に負けて及び腰になったところを一気に畳みかけようと、ドローンに攻勢を掛けるよう指示を送ったら、そのドローンが突如親機に牙を剝いたのだ。

最初は誤作動―それでも有り得ないことだが―を疑ったが、程無くしてハッキングによるものだと分かった。それこそ有り得ないが現に起きてしまっている。発信源を突き止めると中央電算室のプログラムが書き換えられていると判明し、急いで人をやったら何とそこには黒い戦闘服を着込んだ一団が待ち構えていた。

テロリストはFN FALや中国製AKなどゲリラ御用達の銃を撃ち鳴らして、次々と区画を制圧していた。とてもゲリラとは思えない手際の良さで。もっともブリズギナの方も相手の正体に当たりは付けていた。身元が割れないように違法に入手した武器を使っているが、間違いなく抵抗軍特殊部隊の動きだ。だが問題は別のところにあった。

「どうやって奴らはここに侵入したんだ!? 空挺降下なんて不可能なはずだ!」

「わ、分かりません! センサも異常を感知せず!」

「くそ…ボシェロに繋げ! せめて核弾頭だけでも回収するんだ。」

「それが…数分前から通信が途絶しています。」

「何だと!」

苛立ちの余り手元のカップを床に叩き付けたと同時に、背後の気密扉が爆風を伴って吹っ飛んだ。溢れ出るエネルギーに艦長席から放り投げられたブリズギナは強かに背中を打ちつけ、立ち込める火災煙に肺を激しく収縮させられた。

この衝撃は計算されたものではない。爆弾を設置して障壁を破壊する常識を無視して突入してきたテロ集団の1人が持つRPGが、ブリズギナの予想を裏付けていたが流石に閉口した。

「正規軍の隠密部隊か…ハーグの代わりに私を逮捕しに来たんだろう?」

「そのつもりで来たんですが、ちょっと前に事情が変わりましてね。」

思いのほか若い声がRPGの男のものだと気付くのに、少しだけ時間を要した。黒いフェイスキャップとゴーグルで顔は見えないが、落ち着き払った声音だ。相当の場数を踏んできたと分かる。

「事情? 司法取引でもしてくれるのか?」

「誠に残念ですけどアナタにもう黙秘権は無いんです。」

心持ち落ち込んだ様子だったものの、男は躊躇なくホルスターからブローニング・ハイパワーを抜き、ブリズギナの生命と野望を終わらせた。

 

パン、パン。室内に二度撃ち(ダブルタップ)の銃声を響かせたのを見届けたカザマは何となく居た堪れなくなり、静かに十字を切った。頭と胸から赤い血漿を飛び散らせた准将の遺体が、恨めし気にこちらに青い双眸を向けていた。対象(レイヤーワン)を仕留め、指揮所を制圧する後続の隊員に指示を飛ばすタクミの背中に、そっと近づく。

「なあ、やっぱり逮捕でも良かったんじゃないか?」

「そうは言っても命令は命令だよ。彼からすればテロを起こしたのをこのデカブツで抑え込んで、もう一度中央に返り咲くつもりだったんだろうけど、『力による管理』なんて前世紀の思想だ。現にぼくらは貴重な情報源で勝利したじゃないか。そうでしょう? ボシェロさん。」

そう呼び掛けた先にはブリズギナと共に指名手配されているはずのボシェロが涼し気な顔で佇んでいた。

「同感だね。情報戦が物を言う現代で昔ながらの大艦巨砲主義とは、酔狂にも程があろうに。」

「決行前日に情報を漏らしたアンタも随分酔狂に思えますけど。」

カザマが呆れ混じりに皮肉ると、ボシェロは鼻を明かして嗤った。

「私はヴィルコニルさえ完成すればそれでいい。奴の誇大妄想に費やす興味なんて微塵もないよ。おっと、言っておくが私と核弾頭は無関係だからな。アレは向こうが保有していたものだ。」

「分かってますよ。ところでボシェロさん、そちらが持つというターナーの情報ですけど…」

「ああ、そうだな。ここでは何だから脱出後に話そう。」

UAVの攻撃の中をどうやって逃げるか。答えはアキラが接近してヴィルコニルに発射した最初のミサイルにあった。実はあの1発は細工を仕掛けており、着弾直前で弾頭が分離し、中に仕込んでいた小型センサをヴィルコニルに付着させることで、その正確な座標を特定することに成功した。奇しくもこの作戦は戦闘機とガンツの補給システムをレクチャーされたカザマが、それを逆手に取る発想で思いついたものだった。

「ああ、そのことなんですけど。」

指揮所を出て予備電算室に向かおうとしたボシェロをタクミが引き止める。その手にはブローニングが鈍く銃身を光らせていた。

「アナタもここで死んでもらいます。」

「な、何を言ってるんだ…私は君たちの協力者だぞ! 殺せば情報は―」

「もちろん取り出せなくなる。でもね、ボシェロさん。ぼくは()()()()()()()()()()()()()()()。アナタ自身からね。もうアナタの情報の鮮度は失われている。」

「何の話だ? 私と君は会ったばかりじゃないか。くそ! アメリカ人め…」

両手を挙げてじりじりと後退するボシェロが戸惑いながらさりげなく背中に手を回す。次に取り出したのは小型の起爆装置だった。

「動くな! さもないとこのスイッチを押し―」

不意に空気を切り裂く音が聞こえた。残念なことにボシェロは死角から放たれたライフル弾で片手をスイッチごと吹き飛ばされ、2発目で頭蓋骨を貫通した弾がカルシウム壁に反射して肉の中身をミンチみたいにグチャグチャにされて事切れた。

「良かったよシェリー。君は最高のスナイパーだ。」

『アナタが射角が15cmしかない場所に張り付かせた理由が今分かったわ。撃ちにくくて仕方なかったけど。』

「隊長、準備が完了しました。」

部下の1人が脱出の手筈が整ったことを告げる。任務はこれで終了だ。隔壁を通じて低い唸りとソニックブームの余波が伝わった。MiG-29の混成部隊が本格的にヴィルコニルの()()()()に移ったらしい。

「さあ、帰ろうか。撤収、撤収。」

 

『ブリズギナ准将は拘束中に暴れ出し、誤って火災に巻き込まれて死亡。ボシェロ技術情報部員は抵抗し自死。これで間違いないかね?』

『はい。間違いありません。』

上院軍事委員会の召喚で招集された会議室の中で、ホログラムで映し出された議員に同じくホログラムで出席したワグナー中佐が至極真面目な様子で応対する。

白々しい、とアキラは感じた。全ては仕組まれていた。委員会は端から彼らを逮捕する気はなかった。ヴィルコニル建造計画には多くの有力者が関わっていた。国防族、兵器開発産業、投資家、挙句にはテロリストも1枚嚙んでいたらしい。ブリズギナは計画の責任者として多くの弱みを握っていた。

抵抗軍とテロリストが裏で馴れ合っていたことが露見すれば、間違いなく世間から抹殺される。保身に走った権力者たちはすぐに示し合って、彼らの暗殺作戦を立案した。わざわざ旧式の装備を用意したのも現場にある程度の証拠を残すためだ。無論、隣に並び立つREX隊員も事情は把握しており、それが改めて軍内の官僚主義的体制を実感させた。

『詳細はフライトレコーダーが記録しています。ただいまノイズの除去を進めているので、今しばらくお待ちください。』

『その件については()()()()()()くれ。予想外のアクシデントが無いようにな。』

委員長である上院議員がニヤリと口元を歪めたのを最後に立体映像は消失した。空間に明るさが戻り妙に湿気た空気が薄らぐ。唯一残っている中佐のホログラムにタクミが何かを囁き、会議は終了した。各自が持ち場に戻る道すがら、アキラは彼を呼び止めた。

「アンタ、何で私にこの事を話さなかった?」

知る必要(need to know)の原則だよ。余計な背景を気にしないで良いから自分の任務に専念できるし、何より君に言うと何を仕出かすか分からない。」

事実を知ったのはさっきの結果報告の時だった。いくら自分が陽動組だったとはいえ、知らないうちに汚れ仕事に加担させられていたことは我慢ならなかった。確かに彼の言う通り前もって目的を知らされていれば、気持ちに迷いが生じて撃ち落とされていたかもしれない。

「君が羨ましいな。」

「は?」

「怒る、動揺する。普通の反応だ。とてもまともだよ。やっぱり死人に心は宿らないみたいだ。とても羨ましい。」

少しばかり自嘲気味に笑い廊下の先に消えたタクミの背中が随分と寂しく映った。今思えばこのときほんのちょっとでも話し合っていたら、彼のSOSに気付けたかもしれないとアキラが思い至ったのは随分と先の事だった。




アサシンクリードにハマって標語に入れさせていただきましたw


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30.邂逅(1)

風が吹くたびに舞う砂塵の中で、場違いに煌びやかな都市ラスベガス。その中で特別輝いてるラスベガス・ストリップでも指折りの高級ホテルにぼくはいた。周りは着飾った紳士淑女がひしめいており、そういうぼくも髪をポマードで整えタキシードを着込んでめかし込んでいる。

「どうだ。奴は現れたか?」

同じく正装に身を包んだカザマがシャンパンを呷ってさりげなく話しかける。その顔は薄っすらと紅潮しており、目も若干泳いでいた。いささか酔ってるようだ。

「飲むなとは言わないけど、ほどほどにしろよ。いくらふざけていても作戦中だぞ。」

「バカ、これは変装だ。さっきトイレでメイクしてきたんだよ。それにオレはこんなの初めてなんだからしょうがないだろ。」

「その割には楽しんでるみたいだけど。」

そう言って少し後ろに目を向けると、数人のご婦人がカザマの背中に意味ありげな視線を送っていた。その範囲はまだまだこれからの20代から脂の乗り切った40代まで。どれも微笑を浮かべつつ時折耳を寄せ合ってカザマの印象を計っているみたいだ。

「アレは勝手についてきただけでオレのせいじゃない。第一、何でオレなんかに構うのかさっぱり分からん。」

どうにもこの大男は自分の容姿に無頓着が過ぎる。ヨコスカに勤務していた頃から天然フラグ生産機の異名を付けられていたカザマは、プロのジゴロと遜色ない口説き文句を次々と発射し、何人もの女性兵士をその気にさせた悪行の持ち主なのだ。しかも、それを無自覚にやってるものだからタチが悪い。もっとも、本人は誠実な人柄を売りにしているから、何やかんやで丸く収まるみたいだけど。

「何でもいいけど、この作戦がREX(うち)の経費を使ってることを忘れるなよ。そのタキシード(ラクロワ)だって相当高かったんだぞ。」

バツが悪そうに、分かったよ大将、と引き下がったカザマはまた別のエリアに去った。その大きな背中が消えたのを確認して再度人ごみの中で神経を尖らせる。やっぱり止めとけば良かったかなと思いつつ、ぼくは通りかかったコンパニオンに勧められてシャンパンを受け取る。

何でぼくらがこんな戦場とは程遠い場所で慣れない服装をしているかというと、きっかけは例の影武者の遺言だった。

『どこかでパーティーでも開いてくれればとボヤいていた。』

あの男が遺した体の一部から採取した網膜や指紋パターンを情報管理局のセキュアサーバーにかけてみたけど、見事に空振りで電脳の海では一足先にこの世から抹消されていた。となると、残りの手掛かりは先の伝言だけということになる。

敵の言いなりになるのは癪だけど、唯一の証人が死んでしまった以上なりふり構ってはいられない。そこでぼくが考えたのがこのベガスで催されるオアフ島戦の祝勝会に参加することだった。会場に潜伏してターナーが出てくるか監視し、そう思わしき人物をピックアップ。秘密裏に連れ出して尋問する。提示された期限まで残り1週間。他に有効な手立ては思いつかない。

案の定、隊員たちはこぞって反対した。顔どころか素性も分からないターゲットを見つけ出すなんて前代未聞。相手を間違えて尋問でもしたら部隊全員のクビが飛ぶのは必至だ。それでも、渋る仲間たちを説得できたのは一重に今までの戦いで築き上げてきた信頼関係のお陰だろうと思う。

正規軍の先導といった文字通り血路を切り開く任務も多いREXは、それこそトップクラスの死傷率を誇っていたが、マザーが隊長に就任して以降はその不名誉な統計が著しく下降している。1回目の戦闘で全体の状況を把握し、次回の戦闘(ループ)で被害を最小限に抑えるのだ。

敵の技術を利用して仲間の命を救うなんて皮肉だけど、現場の都合というものがあり、ぼくも不可能と言われた任務を成功に導いてきた。そういう意味では部隊員でぼくに借りのない奴はおらず、現に今もその見返りでパーティーに何人か引き込むことが出来ている。ループ様万々歳だ。

しかし、この能力が忌まわしいというのもまた事実。リンゴを食べたことのない者がリンゴの甘さを想像できないように、死を経験したことのない者はその苦しみを理解することはない。その現実を糧に胸の奥の孤独が疼くのを感じながら、ぼくは他人とは別の時間を生きている。

あの管制室に入るためのコードがふと思い浮かぶ。Xレイデルタ1。かの有名な『2001年宇宙の旅』で主人公が乗り込む宇宙船(ディスカバリー)のコールサインだ。確か続編で木星を漂流中に別の調査チームに発見されるんだっけ。そのときは9年かかったけど、ぼくと秘密を共有してくれる人を見つけるまで、あと何年の月日が必要なんだろう。

لوغان(ローガン).」

解決することのない悩みを巡らせていたと気づいたぼくは、人ごみの熱と香水の匂いに悪酔いして据え付けのソファに座り頭を垂れていたけど、その呼び名と引っ張られた袖に応えざるを得なかった。見上げた先のシェリーは水色のプリンセスドレスを着用していた。普段はほとんど手入れをしないショートの金髪に珍しく櫛を通し、長い睫が伏し目がちな青い瞳の上で揺れ、膝まで覆ったドレスの裾が動くたびにふわりとたなびく。薄く化粧を施した顔立ちは彼女自身の神秘性と相まって、妖精の持つ儚さを体現したようだった。

こういった雰囲気の女性にはあまり男は近づかないものだけど、声をかけられるのは白人の割には微かに焼けた肌―それでも雪のように白い―が人間の健康美という正反対の性質を彼女に与えているからだろう。何にせよ、普段スッピンで通していても野郎たちから裏で(プリンセス)と渾名されるほどだ。ちょっとオシャレをすれば男どものハートを鷲掴みするなんて造作もない。

ماذا بك؟(どうしたの) هل تقصد تيرنر (まさかターナーが)…」

.لا(違う) نظرة على الكتف الأيمن.(右肩越しを見て)

内容を悟られないようアラビア語で会話しつつ、言われた通り立ち上がってそれとなく顔を傾けると、5、6人の男の人だかりの中で見知った顔が映った。何やらアキラがやらかしたらしく、相手の男と和やかに語らっているけれども怪しい空気が漂っている。ここで一悶着があったら作戦はパーだ。彼女もそれを承知しており、さりげなく現場に混ざり込んだ変装した隊員も折を見て仲裁しようと構えているが、談笑している男は中々しつこいらしく手をこまねいている。

كل أولئك الناس الذين(まったくあの人は)…」

ماذا تفعل؟(どうする) أطلب دعم أكثر قليلاً؟ (もう少し応援を頼む)

耳裏の骨伝導型極小イヤホンと首のスカーフで隠してあるシール型スロートマイクを使えば事は簡単に収まるけど、それだと却って騒ぎが大きくなってしまい、今後の監視に支障が出かねない。

軽くため息を吐いたぼくは飲みかけてテーブルに置いていたグラスを取って、立ちはだかる人ごみをかき分けた。

 

「つまりさ、この絵は日本の芸術(アート)に影響を受けて作られたんだよ。確かウキヨエ…だったけな。ジャパニーズらしい自然の描写をよく捉えている。」

壁に飾られている油絵を得意げに解説するエヴァルト・フォン・フリードリヒに、アキラは頬が引き攣るのを感じた。そう、日本独特の感性に魅入られた画家は多く、一時期ではジャポニズムという現象が欧州を席巻した。有名な作品だったらモネの『ラ・ジャポネーズ』が小学校の教科書に載っていたのを覚えている。

しかし、今エヴァルトが紹介している作品はムンクの『叫び』だ。夕焼けにしては真っ赤な空に不気味に描かれたフィヨルド、そして真ん中の人物が身をくねらせながら耳を塞いで絶叫している様子が印象的だが、別にこの絵は浮世絵を真似て作ったわけじゃない。

恐らく本人は橋が共通していることから、ゴッホのものと混同しているらしくアキラが日本出身であることを失念しているとしか思えない。もしくは日本人はこんな知識は知るまいとたかをくくっているのだろうか。どちらにしろ、周りの数人が失笑をこらえているのは明白で、だからと言ってアキラもわざわざ間違いを指摘する気はなかった。もっとも、自身もタクミからの受け売りだから強くは出られない。

「それにこの作品は、作者が幼い頃家族の死を目撃してしまった苦悩を表している。だから中心の人物が苦しみの余り叫んでいるんだ。」

「へえ、そうなの。なんか意外。アンタが絵にも詳しいなんて。」

「これでもビジネスマンだから、社交場に入り込むには一般教養が不可欠なんだ。もちろんコミュニケーションもね。」

「なるほど。いい御趣味ですね。確かにジャポニズムは地平線の位置が定まってなかったり色調が単調ですけど、その大胆さが斬新に映り単なる流行を越えてモダニズムの橋掛けになったと言われている。」

ふらりと聞き慣れた声が割り込みアキラとエヴァルトは同時に振り向くと、そこにはシャンパン片手にタクミがアルカイックスマイルを浮かべていた。思いがけない助け舟に小さく安堵するアキラと対照的に、エヴァルトは怪訝に眉を寄せる。

「おや、君は?」

「第113航空師団のイム・ミンジュン少尉と申します。早い話が彼女の、ナルミヤ大尉の部下です。」

どうぞよろしく、と差し出されたグラスを受け取ったエヴァルトも、ジロジロとタクミを見分すると慇懃に―やや芝居がかった仕草で―名乗った。

「初めまして、エヴァルト・フォン・フリードリヒです。ウィンダム・エアラインの社員を務めています。…なるほど。アキラの護衛(ガードマン)ってとこかな? それにしても随分と絵に詳しいね。」

「はい。多少趣味で筆を執ることがありまして。大尉には時々付き合って頂いてます。」

さりげなくアキラとの仲を会話に混ぜ込み牽制したつもりだったが、架空とはいえ勘付いていないのか不機嫌に鼻を鳴らしたエヴァルトは

「ダメじゃないかアキラ。旦那に黙って勝手に他の男と親しくしちゃ。こんな美人の奥さんを放ったらかすなんてカルロスも脇が甘いな。」

「えっ?」

その言葉にタクミがあからさまに驚いてみせたが、どうにも演技ではなく素で驚いたようだ。その反応に満足したエヴァルトは馴れ馴れしくアキラの肩を抱く。その際手が一瞬空を切ったことから、どうやら酔いが回ってきたらしい。

「何だ知らないのかい? 彼女は数年前にカルロス・デインって奴と婚約してるんだよ。長年一緒に飛び回った仲だそうだけど、それきり連絡がないものだから…アキラ、ひょっとしてまだ結婚は…?」

しきりに剥き出しの肩を撫でるエヴァルトに虫唾が走ったように唇を噛んだアキラは、直後タクミを正面にして怒り、悲しみ、嘲りのどれとも判別できない微妙な表情を作った。

「カルロスは死んだの。式は挙げられなかった。」

気まずい雰囲気に居心地が悪くなった取り巻きが次々と離れていき、残ったのは先の3人だけとなる。何を言ってもマイナスにしかならない状況に押し黙ったタクミとアキラをよそに、酔っ払ったエヴァルト1人だけが現状を認識できずに独りごちる。

「そうかお気の毒に…そうだ。ぼくが良いお店を紹介するよ。中々いい酒を取り揃えていてね。仕事で疲れたときによく個室で飲むんだ。何だったら今からでも…」

「未亡人を口説くつもり? いい趣味してるなオイ。」

まだ未婚だろ、と返したエヴァルトにそういう問題ではないと隠すことのない嫌悪の表情を顕わにしたアキラは、離せというジェスチャーを込めたのだが、気づいてないのかわざとなのか、エヴァルトは強く肩に力を込めたままだ。

もしアキラが今日彼と会ったばかりなら一杯くらいは付き合ったのかもしれない。すらりとした長身と甘いマスクはそれだけでも女性に不自由しないし、話題も豊富で退屈はしない。しかし、どこかこの男には自分を特別視している感があり、思い通りに行かないことがあればすぐに機嫌が悪くなる癖がある。

「いいじゃないか。元はと言えばぼくとの縁談が持ち上がっていたときに、カルロスが無理矢理横から掻っ攫ったんだ。君だって本当は嫌々付き合っていたんじゃないか?」

その言葉に憤ったアキラは本気で手を振り払った。

「嫌だったのはアンタとの縁談の方よ! 私は反対したのに保護者面してた親戚が、アンタの家とのパイプを欲しがって勝手に決めようとした。それにカルロスとはちゃんと合意の上で約束したし、本気だった!」

目尻に涙を浮かべながら言い切るアキラが面白くないエヴァルトは、これ見よがしに呆れてみせた。事実、彼は半ば本気でアキラを奪い取ろうとしていた。

由来はその容姿にある。多少筋肉が張っているものの細く引き締まった長い手足に加え、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルはトップモデルでも通用する。顔も欧亜混血の成せる絶妙な構成で、エヴァルトとしてはシャープな顎筋と切れ長の灰色の瞳がツボだ。母親はイスラエルの血も入っていると言っていたから、彼女は3つの人種の美点を突き詰めているとも言える。

先程声を掛けた金髪の少女も絶世の美女と言っても過言ではなかったが、こっちの方がエヴァルトの好みだった。

「連れないな。少なくともぼくは死んではないし、君の欲しい物や願い事を叶えることもできる。悪いようにはしない。ただ、結婚したら髪をもう少し長くしてほしいな。その方がきっと似合う。」

すでにアキラとの結婚は決定事項と悦に入った物言いで肩まで伸ばしたアキラの髪に触れる。あまりの図々しさに堪忍袋の緒が切れたアキラは、持っていたグラスの中身を顔にぶっかけ一息に捲し立てた。

「止めて、私は物じゃない。大体、カルロスと同期だったからってだけでしつこく付きまとってきやがって…成績を改竄させてアグレッサー部隊に入っておきながら、戦いが厳しくなって徴収されそうになったら親のコネで大手企業の役員になった腰抜けに抱かれる気は毛頭ねえんだよ!」

今まで優し目に接したが、ここまで言われたら立つ瀬がない。言うまでもなく短い忍耐力が切れたエヴァルトは

「このアマ、少し下手に出たら調子に乗りやがって…!」

顔を拭って思い切り拳を振り下ろそうとアキラの頭上に掲げた時だった。

「チッ、ウゼエな。」

不意に聞こえた舌打ちと同時に、横から割って入った腕がその手を捻り上げる。突然の横槍に戸惑ったエヴァルトはさらに捻られた痛みにうめき声を漏らした。

「何をしやがる! 放せ!」

反射的に乱入者を振り返って怒鳴ったエヴァルトだったが、その目を見て言葉が続かなくなってしまった。

「バカが。だから言ってるでしょ。ウゼエって。」

後方から抑えつけているタクミが、本来は助けられた立場のアキラが戦慄ほどの声音と視線で威圧する。普段は聞いたことのない乱暴な言葉遣いもその要因の一つだ。怒りと言うよりも恐怖で暴れるエヴァルトにそのまま首に手刀を叩き込むと、酩酊状態で混濁していた意識は容易に飛んでしまった。

「それに『叫び』は心じゃなく自然を貫く叫びに耳を塞いでいるんです。」

すかさず付近の隊員が壁を作って一連の騒ぎをゲストたちから遮断する。素早く抱きかかえられてどこかに持ち運ばれたエヴァルトを見送ったアキラは、手に飛び散った酒の飛沫を拭くタクミに近づいた。

「ありがとうタクミ。ゴメン、変なことに巻き込―」

「いや、それはこっちのセリフだよ。」

「…は?」

噛み合わない返答に眉をひそめたアキラをよそに、タクミは数秒前の冷徹さが嘘のように平然とした口調で言った。

「早く酔い潰れてもらうために、渡したシャンパンに目薬を入れておいたんだ。昔の手口で今の目薬では効き目がないけど、特別にナイジェルに調合してもらったんだ。でも、ちょっと時間がかかっちゃたみたいだね。」

ゴメン、と頭を下げたタクミに、アキラは一緒に暮らしていた頃にあったことを思い出した。機嫌の良い日に嫌がるタクミを連れ出して近所の公園をウォーキングしていたときだった。

道端で蟻が群がって内臓が露出した鳩の死骸が転がっていたのをタクミが拾った。キモいと引いていたアキラだったが、興味で弄くる子供はともかく、普通の大人なら敬遠しがちな動物の死体を無視しなかったタクミに内心感心していた。しかし、タクミはそれを道沿いの池に投げ入れたのだ。

それをたまたま見ていたアキラらと同年代のカップルがタクミを咎めてきた。信じられない、アナタは生き物を大切にしろってママに習わなかったの、今すぐ拾いに行け云々。さっきまで死骸の見える場所でイチャついていたクセに何様だ、とアキラが噛みつこうとしたのを制したタクミは一言だけ言い返した。

『アナタは寝る前に踏み潰した蟻を偲んで泣きますか?』

その言葉を受けてカップルは尚も何か言い返そうとしたが、結局何も言わずにトボトボと帰ってしまった。あのとき、タクミが尋ねたときの雰囲気とさっきのタクミが発した雰囲気はどこか似ている。傍から見たらヒンシュクを買ったり目を背けたいようなおぞましい物や行為を躊躇うことなく実行できてしまいながら、本人はその現実の恐ろしさを実感できないある種の鈍感。

いや、それは鈍感というより人間として大事なものをどこかに落としてしまったと言った方が正しいのかもしれない。いずれにしろ、今のタクミは異常だ。同居を開始してから偶に見られたその合理的な冷たさが、戦場に戻ってからますます悪化している気がする。目が乾いているのだ。

やっぱり()()()()のせいだろうか。

数日前に知らされたタクミの過去を反芻しつつあったアキラはタクミの

「ところでアキラ、さっきの話の事なんだけど…」

というオドオドとした態度にわずかに苛立ちが募った。つい数分前にエヴァルトにはあんなに強く迫ったのに、私にはいつもこんな弱腰に媚びた態度をとるのか。今はそれがどうしようもなくアキラを苛立たせ、一刻も早くその場を立ち去ろうとしたが、足を踏み出した瞬間背後から控えめな声が届いた。

「もしかしてタック…?」

「…レイ。」

振り返るとそこには1人の金髪の美女が佇んでおり、タクミも地面に縫い付けられたかのように立ち止まった。




アラビア語の会話についてはエキサイト翻訳を丸写ししました(笑)
どうか詮索は勘弁してくださいwww


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31.追憶(1)

―数日前、REXベースキャンプ

ナイジェルは割り当てられた整備室でPCといくつかのモニタを前に深夜まで格闘していた。どれもこれも無茶な注文をする年下のボスのせいだ。ただでさえ多くの戦闘をこなすREXの装備は消耗が激しく、その都度部品の調達や微調整が必要なのに、訓練の度にターミネーターをぶっ壊して代替品を要求してくるタクミは自分を過労死させようとしてるに違いない。

いつかゴッソリと残業手当を請求してやる。固く心に誓ったナイジェルは今日もキーボードを叩いていると、来訪を告げるブザーが鳴り作業を止めた。

「ナイジェルさん居る? 私、アキラよ。」

訪問者が名乗った途端にナイジェルは席を蹴って散らかった部屋を片付け身だしなみを整える。部隊の性質上、タクミが実質的なリーダーであるが、それでも相手の階級が部隊で最高位であることに変わりはない。さらには夜遅くに1人で部屋に訪れたのだ。緊張しないわけがない。

「ちょっといい? 忙しいなら出直すけど。」

「いえいえ。歓迎しますよ大尉。」

少しでも緊張を解すために気さくに接したつもりだったが、アキラは不満そうに息を吐いた。

「私、()()()()()()()って言ったんだけど。」

「あ、ああ、そうか。悪いなアキラちゃん。」

その意味を悟ったナイジェルはすぐに公私の態度を切り替えた。元々アキラはナイジェルと知り合いだった。ヨコスカ基地の頃からタクミを通じて、幾度となくナンパしてことごとく撃沈されたのは懐かしい思い出だ。と言っても半分お遊びでやったことであり、アキラも冗談が面白い人という印象を抱いており、決して悪くない友人としての関係を結んでいた。

「で、こんな夜分遅くにどうしたんだい?」

レンチや金具が散在している机からどうにか引っ張り出したコーヒーメーカーで2人分のコーヒーを淹れ、片方を渡したナイジェルが尋ねると、一口飲んだアキラはしばらく黙りこくっていたが、意を決したように言った。

「ナイジェルさんは昔のタクミって知ってる?」

「昔? そんなのアキラちゃんも知ってるだろ。いつも自信がなくて、他の中隊の連中にいじめられてよ。」

そこで彼女は首を振った。

「違う。そうじゃなくて軍に復帰する前のタクミ。」

「…何でそう思った?」

訝しむのではなく娘の相談に乗る父親の持つ優しい眼差しで問いかける。その目に安心したアキラは溜め込んでいた疑念をポツポツと話し始めた。

「ナイジェルさんも気づいてるでしょ。今のタクミって昔と全然違う。どんなときでも強くて冷静で、時々とても怖くなることがある。変な話だけど、何だかタクミの皮をかぶった別人みたいに感じてしまうの。」

「それで原因がREXに入った時期にあるかもしれない、と?」

無言で頷いたアキラを見て、ナイジェルは内心迷っていた。この話は諫言令が敷かれている極秘事項だ。かと言ってこの子が素直に引き下がるタマじゃないのも重々承知。しばし逡巡したナイジェルはツナギのポケットからタバコを取り出しライターを探し当て、隣の美人の上官を見やって伺いを立ててみる。その動作を察したアキラがOKサインを出してくれたので、あまり吹かさないように心掛けつつ6時間ぶりの煙を吸い込んだ。

「何でオレに聞くんだい? ここにはもっと古参の隊員もいる。そいつらに聞いた方が手っ取り早いんじゃないか?」

「何人か聞き出してみたんだけど、要領を得ないものばっかで。それにナイジェルさんは前からタクミのことを知ってるから、そういう人に聞いた方がいいと思ったから。」

アキラはこう言ってるが、大方先の質問者にナイジェルの方が詳しいと言われたのだろう。ババの押し付け合いに巻き込まれるのは御免だったが、確かに自分も当事者の1人で求められれば説明する責任がある。知らないに越したことはなかったけど、こうなった以上正直に吐くまで眠らせてくれないだろう。

天を仰いで今日という呪ったナイジェルは、フッと口元を緩め

「アキラちゃんはタクミが好きかい?」

「は?」

これまでと全く関係ない話題に間の抜けた声を出したアキラ。訳が分からないといった表情を浮かべた彼女に対し、ナイジェルは笑うでもなく優しい目のまま年下の中尉に弁解する。

「知り合ったばかりの連中は気づかないかもしれないけど、旧知の連中は薄々分かっていると思うぜ。お前さんたちのやり取りって余所余所しいけど、どっか()()()()()と感じるからな。おっと、図星なら安心してくれよ。誰にも喋ってはいないぞ。」

あくまで話をする土台として鎌をかけたつもり―内容は本当―だったが、どうやら当たりだったらしい。ハア、とため息をついて眉間に手を添えたアキラは正直に告白した。

「多分そうだと思う。でも、自分でもまだよく分かってないの。今ある気持ちが何なのか。ひょっとしたら家族愛か何かと錯覚してるんじゃないかって。」

「奴がシェリーと一緒にいるときどう思う?」

「やっぱりイライラするよ。上司と部下の関係だって理解はしてるけど、あの子の視線ってどうもそれだけには見えないし。」

「じゃあ、もし他の女と結婚したら?」

「そうね…どっかに監禁するかも。」

ボソッと呟いたその答えは奇妙に生々しく聞こえ、ナイジェルは密かに背筋を震わせた。こりゃ苦労するな、と結論したナイジェルは本題に踏み入ることにした。

「まあいい。それよりアキラちゃんの質問だ。だが、その前にいくつか聞くことがある。」

先程とは一転、重々しい口調で切り出したナイジェルに、アキラも無意識に姿勢を正す。

「これから話すことは軍の中でも極秘事項だ。他言は一切無用。それから、嫌になったら途中で帰ってもいい。その代わり二度とこの話はなし、タクミへの気持ちも捨てる。できるかい?」

コクリと首肯したアキラに深く頷いたナイジェルは、自分に課された命令を破ることにした。まずデスクで唯一施錠していた棚を開け、奥に保管していた1枚の写真を取り出し手渡すと、アキラはそれを凝視して思わず口を覆った。

場所は戦場か事故現場か判別できないが、背景には煙と炎がモウモウと湧き出し何人かのガンツスーツの兵士が、救援に向かう様子が鮮明に映っていた。辺りには怪我人らしき人々が担ぎ出され、包帯に滲み出た血が現場の凄まじさを暗示している。

だが、問題は写真の中央に据えられたガンツスーツを着た人物だった。周りの兵士より一回り小柄な体格に陽光に反射する黒髪、やや丸みを帯びた顔の輪郭が男を東洋人と告げている。その男は炎の許に駆ける仲間と逆行して1人の少女を抱えてカメラに向かって歩み寄っていた。が、その少女はすでに死んでいた。なぜなら少女の首から先にあるはずの部位が綺麗に無くなっており、代わりに大事そうに少女の腕の中に収まっていたのだ。

さらにその2人はアキラにとってもよく知っている人物だった。

「タクミとシェリー…?」

男の方はごく普通の顔立ちで見慣れてないとすれ違ってしまうほど凡庸だったが、左の頬に刻まれた一筋の傷跡がアキラの幼馴染の顔と一致する。その目はガラス玉のように虚ろで何も映していないように見える。一方、少女は人形のように整っており、血の気の引いた青い顔に薄っすらと笑みを浮かべて頭に巻いた白い布地を赤黒く汚していた。

「ピューリツァ賞もビックリの代物だろ?」

皮肉交じりに説いたナイジェルにアキラは掴みかかる。

「ナイジェルさん、これってどういうこと!?」

「落ち着け、これから話す。」

 

まずはオレの話だ。興味ねえかもだけど、まあ聞いてくれ。

3年前ヨコスカが襲われたとき、オレはガンツで内陸の僻地に逃げたんだ。言い訳にしかなんねえけど、オレはあのとき、どうしようもなく怖くてな。仲間にも内緒で1人でケツまくった。始めは後悔の嵐だったよ。何度か自殺も考えたけど、ご覧の通りその度胸もなくてな。

それからはお決まりの転落人生さ。軍では運よくKIA認定されていたが、それはもうシャバには戻れないことを意味していた。オレは世界中を放浪した。幸いにもハッカーの腕はどこでも優遇されてな。色んな組織や戦地を回ったよ。

でも、スカイネットが横行する環境では長くは保たない。末端だったオレはそれこそ命からがら逃げ回って中東にたどり着いて力尽きた。砂漠のど真ん中だったもんで、このままミイラになっちまうんじゃないかって思ったよ。

それも悪くないと思って潔く砂に埋もれようとしたんだけどな。意識を失う直前、影が差した。そこには小柄な金髪の2人のガキが物騒な対物ライフル担いで、揃ってオレを見下ろしてんたんだ。

次に気が付いたときはオレはベッドに寝かされていて、さっきのガキが体を拭いていた。ここはどこだって聞いたら、驚くことに流暢な英語で『奪還者』のアジトだって言ったよ。

『奪還者』。スカイネット紛争が勃発した混乱の最中に生まれた中東で最大級のイスラム系ネットワーク。旧世紀の言い方を借りればイスラム過激派の派生形らしい。まあ、先進国の学者様が勝手にそう言ってるだけで、本人たちからすれば全くの別物だそうだ。

実際、そうだった。CNNが流してた血生臭くて猛々しいイメージとは裏腹に、結構穏やかで気さくな組織だったよ。オレのような白人(フランク)でも腕さえありゃあ取り立ててくれたからな。オレは自分の腕を利用して、鹵獲したターミネーターのOSを書き換える仕事をこなす傍ら、奴らが軍からコッソリ持ってきた故障したガンツを何とか動かせるように悪戦苦闘するのが習慣になった。

だが、連中の立場は複雑だった。中東は一大産油地帯だ。未だにその価値は高いし、組織の重要な資金源でもある。現地の抵抗軍もその利権を狙って衝突するし、スカイネットも機械の稼働に必要な油田を奪おうとする三者三様の思惑が入り乱れた激戦区の温床。街中でドンパチなんて日常風景だ。

一方で、『奪還者』は内側にも問題を抱えていた。元々『奪還者』はスカイネットの勢力に押された過激派や反政府組織が自然と寄り集まって出来たものだ。当然宗教上の方針の違いから組織ごとの派閥が存在するから、発足当初は頻繁に分裂があったって話だ。でも、当時の指導者がデキる人でな。こんな御時勢だからこそ結束しなければならない、過去の遺恨を払うのはその後だって何度も派閥間で話し合って組織をまとめ上げた。

奴らはとても高潔な仲間意識で結ばれていた。互いの人脈を提供し合って民兵御用達のAKから旧米軍との戦いのいざこざで入手した西側の銃も持っていた。さらには独自のルートを使って食料や弾薬を仕入れていたよ。純正品っていうお墨付きでな。

それでも、現行の兵器でガンツの庇護を受けた抵抗軍や圧倒的な物量で押してくるスカイネットに、正面から立ち向かうのはこっちが消耗するだけだ。地の利やゲリラ戦で対抗はしたが、次第に勢力は弱っていった。

だが、『奪還者』には切り札があった。そいつらは双子の姉妹で、どんな目標も一発的中の凄腕スナイパー。ちょうどオレが匿われた2年前から突然現れて、抵抗軍・スカイネット双方に『奪還者』最大の脅威と目された。特に抵抗軍の兵士からは『アルミラージ』と恐れられたよ。アルミラージとは中東の伝説上の生き物で、見た目はちょっとデカい金色のウサギなんだが、凶暴で頭には一角獣(ユニコーン)みてえな角が生えてどんな獲物も刺殺して食っちまうんだと。その双子は金髪で自分より何倍もデカい男を簡単に取り押さえるぐらい体術にも長けていたことも由来かもな。

姉の名はセシル。妹はシェリー。そうだ。シェリーは中東で戦っていたんだ。だったらアキラちゃんも写真の娘が誰かは分かるだろ?



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32.追憶(2)

タクミが何でコイツらと出会ったかというと、その頃抵抗軍ではある極秘作戦が進行していた。泥沼化した現状を打開するために『奪還者』と協力関係を結ぶって内容で、スカイネットから中東を解放しようとしたんだ。

お題目は立派だが、現地のイラク方面軍は長年の抗争でまともに話し合いなんて出来ない状況だった。そこで派遣されたのがREXだった。何でもワグナー中佐は交渉のプロで、似たような事案を解決した実績もあるらしい。それに、ネームバリューでREXに勝る部隊はないからな。

その頃の『奪還者』と言えば、勢いを盛り返して支配領域を拡大、鹵獲したターミネーターを混成した私設軍隊、アルミラージの賞金額(レート)が20万ドルに跳ね上がった、言わば全盛期に当たり、中東地域に与える影響は絶大だった。

『奪還者』でもREXの動向は注意していた。特にジャップ・ザ・リッパーと呼ばれる兵士には。ある日、セシルが別動隊の応援に駆り出されて、シェリーが日課のパトロールを行っていた。1人じゃ心細いだろうから鹵獲したエアロスタットをオレが飛ばして上空を監視する条件でな。シェリーには必要ないって言われたが。

しかし、残念ながらいつも通り異常なく終わるはずだったパトロールは、奴らの登場で戦闘に早変わりした。REXが現れたんだ。哨戒任務で通るルートが偶然警備エリアとダブっちまって、ちょうどそこは罠に地雷を敷き詰めていたから、無用な犠牲者を出さないためにシェリーは警告として地雷に1発撃った。

流石にREXは指揮官が優秀なのか、すぐに意味を悟って形だけ反撃して撤退しようとした。でも、同行していた案内役の現地兵がパニクって銃を乱射したんだ。多分アルミラージの攻撃だと分かってた分、恐怖も倍増したんだろう。それほどアイツらが名を轟かしていたってわけだが、こっちも応戦せざるを得なくなった。

砂嵐の中でもガンツスーツのレンズを撃ち抜く腕前だ。シェリーはそいつの肩を撃ち抜いて帰らせようとした。すると今度は黙っちゃいないのがREXだ。極秘作戦の要として呼ばれておきながら、初日に味方をケガさせてそのまま帰りましたってわけにはいかない。かと言って、敵のスナイピングは精鋭でも手こずってしまうほど正確だ。

そこで出て来たのがジャップ・ザ・リッパーだった。一目でピンときたよ。ヘンテコなお面を被っちゃいるが、姿勢の一つ一つ―歩き方でさえ―を取ってみても只者じゃない。オレはシェリーに逃げろと通告したが、アイツはそのまま戦闘を続行した。

両者の獲物は刀一本と対物ライフル。シェリーにはオレがハッキングで使えるようにしたガンツスーツがあったから、条件は圧倒的に有利だった。だが、ジャップ・ザ・リッパーはオレたちの予想を遥かに超える力を見せつけた。わずかな銃身(バレル)の傾きから弾道を予測して避けるか弾き返し、着実に距離を殺して接近戦に持ち込んで生け捕りにしたんだ。

オレは急いでモースルの本部にこのことを伝えた。シェリーとセシルは『奪還者』防衛の中心柱だ。それが抵抗軍に捕らえられたとなったら大惨事。『奪還者』は早速要員を整え、救出作戦を立案した。

ところが翌日、シェリーは帰ってきた。自分を捕まえた張本人を引き連れて。奴は彼女を解放する代わりに連絡係とすること、定期的に自分たちを抵抗軍の代表者として交流を持つことを求めてきた。最初は困惑したが、シェリーを取り返すためには要求を呑むしかなかった。

けど、それ以上にオレが驚いたのはジャップ・ザ・リッパーの正体だった。本部に着いたとき、奴は信頼の証拠としてマスクを脱いだ。ポカンとしたよ。人類の英雄がオレに気づいて

「もしかして先輩ですか? 良かった。生きてたんですね。」

って話しかけるんだよ。もちろん他人の空似と思ったが、奴は間違いなくコガ・タクミだった。どういう経緯でああなったのかは知らんが、顔の傷以外はアイツのままだった。

途端にオレは怖くなった。オレは裏切り者だ。タクミは本当に嬉しそうにしてたが、心の底ではどう思ってるか分かったもんじゃない。正直に恨んでるだろって尋ねたよ。でもアイツは、過ぎたことは仕方ない、死の恐怖には誰も逆らえないって笑って許してくれた。泣いたよ。まさかいつもキョドってた後輩に慰められるなんてな。

次にどうしてシェリーを返しに来たのかと尋ねた。そしたらタクミは面白そうな子だからって答えた。捕まえて基地に密かに連行した後、シェリーはすぐに自決しようとしたらしい。私は戦場で生き、戦場で死ぬ。薄汚い牢屋で男どもの慰みものされる気はないってな。

実はシェリーとセシルは自然に生まれてきたんじゃないんだ。スカイネットの反乱が始まって十数年後、アメリカで以前から研究中のプロジェクトから2つの実験体が逃亡した。そのプロジェクトは受精卵の段階から人間の遺伝子を操作して、マリナ・オーグランに匹敵する最強の兵士を創造することを目的としていた。

実験体は特定の能力を発現するよう調整(メンテ)を受けていた。肺活量を増強して泳ぎに秀でた者、乳酸の分解を速めて何時間も活動可能となった者、前頭野連合の活性化措置を受けて優れた作戦を立案する者。変わったものじゃ、完璧な容姿を追い求めた者なんてのもいたな。結局どれも失敗したそうだが。

シェリーたちはその中でも奇跡的に成功し、射撃に特化した調整を受けていた。しかし、そこでの生活は人間的とは言えなかった。毎日訓練漬けでミッキーマウスの代わりに戦争映画、可愛らしいネックレスの代わりに拳銃を与えられた。

このままじゃ国の道具としての人生しか待っていない。シェリーと比べて活発で自己主張の強かったセシルは、自分たちの生を掴み取るためにシェリーを伴ってアメリカを出た。その後は傭兵として世界中の戦場を回ったそうだ。皮肉なことに自由を求めた先にあった居場所はやっぱり戦場だったのさ。

それで最終的には『奪還者』に落ち着いた。幸いにもそこの連中は自分たちを対等な存在として扱ってくれ、家族のように大切にしてくれた。普通なら半年単位で契約するはずが、いつの間にか専属の兵士になって居着いちまったんだと。

そんな訳だからタクミに対する『奪還者』の第一印象は最悪だった。コミュニケーションはロクに取れねえし、ここの伝統や文化を丸っきり理解してねえし、来たばっかりで仕方ねえけど環境に慣れてないせいで初対談の前日に腹壊したりもしたもんだ。

けど、段々とアイツも言葉やルールを覚えてきて、仲間たちと打ち解けていった。セシルとも何故か意気投合して、宴会の度に射的の腕を競い合ったもんだ。今でも毎回負けて泣く泣く財布を搾り取られる姿を思い出すよ。

シェリーがタクミのことローガンって呼ぶだろ? アレって元々セシルが言い始めたんだ。元ネタはアイツらが小さい頃見させられたっていう手から爪が伸びるヒーロー…何つったかな。ともかくそのキャラの名前から取ったんだと。他にもヴェイダーなんてのもあったっけか。だってそっくりだろ。全身黒づくめで赤い剣なんて持ってるしよ。

一方、シェリーはそうでもなかった。組織のパイプ役を任されてる以上、タクミたちと接している時間は多いはずなのに、あまり懐こうとはせずいつも傍観してた。きっとタクミに一騎打ちで負けたのを根に持ってたんだろう。それが心配になって長に相談したら、何故かオレもシェリーに付き添えって命じられた。

最初は反対した。裏切り者が古巣に戻るなんて自殺行為以外の何物でもない。オレは駄々をこねまくったが、タクミは大丈夫だって何度も説得した。それに折れたオレは渋々イラクのアル・アサード基地に足を踏み入れたが、杞憂だったよ。誰もオレが元抵抗軍だって気づかないんだ。よくよく考えればすでに戦死扱いされてる一兵卒の顔なんて覚えてる物好きはそうそういないからな。

それからは裏でイラク方面軍の弱みを握る指令を受けていたオレは、好都合に基地を出入りできるようになった。その過程で軍の中は水面下で対立していたことが判明した。極秘作戦の全権を任されているワグナー中佐率いるREXと、表向きは協力しているがそれを面白く思えない方面軍の上層部。前者は徹底した秘密主義を貫き、後者は隙あらば命令権を奪おうとした。

そんなのに気を取られていたから中佐もオレも、タクミに降りかかった異変に気づけなかった。当時、タクミは作戦上の都合でロバート・ノーリッシュとレイチェル・ウルフリックというイギリスから来た情報局員と親しくなっていた。

ロバートはある大物政治家の息子で、情報管理局に入ったばっかのペーぺー。こういう手合いは将来の票田を確保するために、コネを作って同期と同じ釜の飯を食うもんだが、奴は今時珍しく貧困層の人間ばかりが前線で戦っているのに金持ちの将校は司令部で胡坐をかいているのは間違ってるって考え方の持ち主で、そんな構造を改革する手始めに戦争を知りたくてわざわざイラク行に志願したんだと。ボンボンらしく口を開けば青臭い理想論ばかりだったが、人当たりも良く悪い奴じゃなかった。

レイチェルの方は根っからの軍人家系で育ったが、幼い頃に父親を戦争で亡くしたせいで争いを好まず、平和的解決を望んで分析官の道を選んだ変わり者で、イラクに駐留中の情報室長に秘書として付いてきた。彼女を一言で言い表すとしたら、いい女だ。美人だしスタイル良いし性格も落ち着いている。実務でも情報収集や分析力は完璧の一言。強いて欠点を上げるんなら、真面目過ぎるところだったな。5ヶ国語なんて話せるくせに酒の名前なんてほとんど知らなかったくらいだ。

2人は同じ学校を卒業して別々の進路に別れたんだが、勤務先が偶然一致して再会した。タクミとは歓迎会で知り合って、歳が近かったせいか一緒にメシも食うようになった。特にレイチェルは宗教芸術が趣味でな。ジャンルはズレるがタクミは数少ない話が合う相手だって嬉しそうに言ってたよ。

そうして時間が経っていくうちにタクミはロバートに相談を持ち掛けられた。どうやらロバートはレイチェルに惚れて、モーションかけてたみたいなんだ。確かにロバートは良い奴だし、家柄も容姿もハイレベルで頭も良い。一般的な水準からすれば、玉の輿になれるチャンスだ。

でも、レイチェルもかなりの名家の血筋だからあまり関係はなかったし、何より乗り気じゃなかった。ロバートは本当に良い奴だったが、どうにもそれだけだった感じで、オレから見てもまだ現実を知らない甘ちゃんでしかなかった。タクミは応援するって答えたけど、それがまずかった。

ある日、タクミはレイチェルに正体がバレた。駐留中の外交官を手伝うためにバグダッドにヘリで向かう途中で、スカイネットに襲われたんだ。幸いにもREXが護衛していたから大事には至らなかったが、騒動の渦中でやむを得ず顔が割れてしまったんだと。

そこからアイツらは距離が近くなっていった。最初は共通の趣味がある程度の関係だったんだが、傍目から分かりやすいくらいに互いを意識するようになってな。仕事中にちょっと目が合っただけで赤くなったり、メールのやり取りでニヤついたり、手製のランチとかも食べてたな。それだけ一緒に居るのに手を出してないと分かったときはビビったね。どこのティーンエイジャーだってくらいに初々しいオフィスラブだったよ。まあどっちも感情表現は苦手っぽいし、タクミの方は明らかに女慣れしてないしな。仲間内でも頻繁にいじられてた。

だが、ロバートに応援しているって言ったタクミのことだ。友人を裏切る真似はしたくなかったんだろうな。と言っても、慣れない土地で秘密作戦に従事するのは生半可な根気じゃやっていけない。そんなストレスが溜まりまくる毎日で、普通なら挨拶するのがせいぜいの美女から声を掛けられるんだ。男なら断れるはずがない。だからタクミは誘いに乗りはしたが、ハッキリとした返事は言わずに彼女と過ごしていた。ロバートも2人の様子がおかしいと勘付き始めていたが、気のせいだといつも通りに接していたらしい。

そんな煮え切らない態度に我慢できなくなったのか、レイチェルは大胆な行動に出た。早い話が色仕掛け。そこらへんは詳しく教えてはくれなかったが、なし崩しで関係を持っちまったってことは予想できたよ。そっからは何だかタクミの雰囲気が変わった。妙に余所余所しい感じで、表ではあまり口を聞かなくなり、セシルたちと会っているときもどこか上の空。基地に帰ってもさっさと報告書をまとめてレイチェルの部屋に一直線だった。

シェリーもその関係を疑問に思って忠告したんだが効果はなく、タクミはただただレイチェルにのめり込んでいった。まあ四六時中くっついてる訳じゃないし、仕事はきちんとこなして任務上の問題はなかったから、部隊員やオレたちも程々にしとけとだけ言っておいた。

そんなこんなで任務は順調に進み、『奪還者』側も重い腰を上げて抵抗軍首脳部と交渉の席に着く約束を取り付けた。後は会談が上手くまとまればREXは任務完了ってわけだが、物事は最後の一歩が一番重要ってな。タクミもオレたちもいつも以上に気を張って交流を続けた。

そんな時、事件は起きた。連日の激務で疲れたタクミがレイチェルの部屋に泊まった翌朝、ロバートがレイチェルを朝食に誘いに部屋に来た。運の悪いことにロバートは2人が揃って部屋から出てくる瞬間を目撃しちまった。



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33.追憶(3)

ロバートは深い絶望に囚われた。無理もねえな。親友だと思ってた男が、自分が想いを寄せてた女を寝取ってたんだから。けど後悔は後の祭りで、タクミとレイチェルも同じ気持ちだったろう。両方とも親友を裏切ったことがバレちまったんだ。

その場で一悶着あるかとタクミは身構えたが、そうはならなかったらしい。不思議なことにロバートはとても落ち着いた様子で去っていった。その後も目立った喧嘩もなく時間は過ぎていったが、ロバートが目を合わせてくれることは二度となかった。

ここまでなら身から出た錆で片づけられるんだが、事態はそう甘くなかった。オレはこのとき、普段怒らない奴がキレると途轍もない行動力を発揮するってことを思い知らされたよ。ショックに浸ったロバートは報復(リベンジ)のために父親の情報網を利用してタクミの素性を調べ上げた。するとビックリ、相手はジャップ・ザ・リッパーだ。実戦経験もない自分がまともに勝負を挑んだんじゃ、命が幾つあっても足らない。

そこでロバートは別の方法を思いついた。ちょうど奴は極秘任務に参加している。それも上手くいけばスカイネットの支配地域を1つ減らせるほどの大作戦だ。だったら作戦を台無しにするのは無理だが、少々引っ掻き回すのは可能なんじゃないか?

タクミは一切近づかなくなったロバートを不審に思いながらも任務を続けた。ロバートとの一件以来、レイチェルとも会わなくなった。ちょうど時期が時期だったから仕事に専念してくれるのは有り難かったけどな。今までより、時には向こう(アジト)に泊まり込んで、会談のスケジュールを調整したお陰で遂に両陣営のトップが顔を揃える場が出来上がったんだ。そのとき、誰もこの会議が決定的な決裂を招くなんて予想だにしなかった。

そして、運命の日がやってきた。指定場所はモースルの本部。ウチは現指導者から主計係まで、向こうは作戦の総責任者であるワグナー中佐とREX隊長のタクミと参謀本部中東自由化委員会のメンバー数人の大所帯だ。

事前に入念な下ごしらえをしておいたから、会談は滞りなく進んで協力態勢の目途もついて、後はちょっとした食事会だけになった。タクミはいつもセシルたちと宴会をするときは安酒(バドワイザー)を持ってきたもんだが、今回はちょっとばかり高級なものとしてワインを用意した。

ところがこれがマズかった。いざ食事になって、一同にワインが振る舞われた。『審判の日』以降、世界中のアルコールの相場が上がっちまってたから、安物でもワインは連中にとって滅多に拝めなかった。そりゃあ皆上機嫌だったさ。

そして一番に指導者のグラスに注ごうとした瞬間、ワインのボトルが突然爆発した。アキラちゃんは残留酵母って聞いたことあるかい? ワインの製造過程で稀に酵母が処理しきれずに、ボトルに残っちまうことがあるんだ。そのせいでイラクの過酷な熱気に耐え切れなくなったワインが爆発しちまった。けどそんな事故は大昔のもので、戦争で多少質が悪くなったとはいえ、今の工場ではきちんと処理された製品が出荷されているし、ここに持ってくるまで軍の温度管理も完璧だったはずだ。

それにも関わらずボトルは破裂した。しかも運の悪いことにその破片が指導者の顔面に刺さってしまい、怪我を負ってしまった。食堂は騒然となり祝いどころではなくなったところで、騒ぎを聞きつけた護衛の1人が食堂に駆け込んだ。

その護衛はまだ若く、幼い頃に孤児だったのを『奪還者』に拾ってもらい、熱心な構成員になって功績を重ね、ようやく指導者の警護に取り立てられた。その崇拝する指導者が負傷して倒れてんだ。それも血だらけの姿で。それは飛び散ったワインだったんだが、そいつの目には毒か何かを飲まされて倒れたようにしか見えなかった。

元々一端キレると自制できない性格で、前々からREXを抵抗軍の手先のように思ってた奴だ。倒れた指導者を前に抑え込んでいた疑念が一気に噴き出したそいつは、(AK)でタクミたちを威嚇した。

当然タクミたちは事情を説明したが、焼け石に水で遂にそいつが発砲した。そっからは文字通り大混乱だ。銃声を聞きつけて待機していたREXが突入してくるわ、それに護衛の奴らが応戦するわ。

それに悪いことってのは確率論を無視して重なるもんなのかな。混乱の最中にスカイネットが乱入してきやがったんだ。後になって分かったんだが、オレたちがタクミと出会う前から奴らはずっと気づかれないように付近の穴場に潜伏していたんだ。

抵抗軍、『奪還者』、スカイネット。三つ巴の戦いは混乱に混乱を呼び、誰が敵で誰が味方か、モースルは滅茶苦茶になった。REXは中佐と委員会の連中を守り抜いて基地に後退し、『奪還者』もセシルを筆頭に持ち前の統率力で何とかターミネーターの猛攻を凌いでアジトから退けた。その場に居合わせたオレも負傷したが、どうにか生き延びてREXに救出された。

だが、結果は最悪だった。作戦は見事に失敗。それどころか『奪還者』との繋がりは作戦前よりよっぽど酷くなって、状況はますます悪化した。基地の連中も騒ぎを察知して上から下まで大騒ぎだ。何せ基地司令が秘密裏に特務部隊を招聘して、その部隊は『奪還者』とのパイプ役に自分たちの仲間を大勢殺した女を密かに基地に連れ込んでいたんだから。

シェリーは事件のときは基地に居たもんだから大変だった。基地中が血眼になって探し回ってて、見つかるのも時間の問題。そんなときに助けてくれたのがレイチェルだった。彼女はバグダッドで使っていたホテルに、シェリーをほとぼりが冷めるまで匿ってくれた。

しかし、ほとぼりが冷めることはなかった。中東最大のイスラム系組織の指導者が負傷。どう見ても自然に鎮静化するはずがない。幸いにも命に別条はなかったが、両陣営の空気は一触即発のレベルにまで高まった。

この状況を何とかできるとしたらタクミだけだったが、アイツは襲撃の最中に頭を打ったのか気絶して動けなかった。そのまま半月が過ぎたが、事態は膠着状態のままで睨みあいが続くだけ。

このままじゃ中東は永遠の戦場に変わり果てちまう。誰もが苦悩に頭を抱えたときだった。『奪還者』からオレのPCにメールが届いたんだ。

『ジャップ・ザ・リッパーを呼べ。』

一言だけのメールだったが、中佐は藁にも縋る思いで意識を回復していたタクミを派遣した。事情を察したのか、相手を信頼してか、タクミは文面に従ってたった1人でアジトに向かった。

念のためにオレは奴に渡した小型通信機から内部の状況を聞き出して、事態を収拾しようとしたんだ。タクミがアジトの中に消えると、しばらくしてアイツと指導者との会話が聞こえた。

『お久しぶりです指導者(カリフ)。』

『その呼び方は止せ。私はそんな器じゃない。』

『思ったよりお元気そうですね。安心しました。』

『ああ。お前たちのサプライズで片目が潰れてしまったがな。』

『その節はお詫びしようがありません。我々の不手際でこのような事態を招いてしまった。』

『冗談だよ。お前のことだ。その体のどこかに発信機でも付けているのだろう。いいか。私は()()()()()()()()()。弾丸が掠めこそすれ、破裂したボトルの破片など目をつぶってもかわせたわ。』

『…ご配慮感謝いたします。』

『それより時間がない。早速だが本題に移ろう。お前も知っているだろうが、今回の襲撃で『奪還者』の繋がりに亀裂が見え始めた。元々我が組織は旧イスラム系集団が寄り集まって頭数を揃えているに過ぎん。統制者がいなくなれば瞬く間にかつての派閥抗争が勃発し、1年もしないうちに『奪還者』は滅びるのは想像に難くない。だが、私が憂いているのはその後だ。スカイネットが台頭する前からこの国は多くの勢力が己の信条を掲げてしのぎを削ってきた。その結果、罪もない大勢の人々が犠牲になったのは悲しむべきことだ。奴らが現れてからその数は減ったが、当時の渦中にいた私は二度とそうならないように尽力してきたつもりだ。』

『存じています。アナタという求心力があったからこそ、『奪還者』はここまで大きくなれた。その功績は並大抵の人間にはできません。』

『だが、その求心力とやらも今は老いぼれたジジイでしかない。それも大怪我を負い、寝床で死に臥そうとしているという噂が出回っているな。今はまだ連中を抑えつけてはいるが、もう長くは続くまい。そうすれば再びこの世は戦乱の時代に逆戻りだ。それだけは何としても阻止せねばならん。』

『それで私にどうしろと?』

『私を斬れ。』

『…』

『私が死ねば一瞬だが指揮系統に混乱が生じるだろう。その隙に密命を受けた使者(スリーパー)が各派閥で動き出し、それを掌握する。あくまでも効果は一時的だが、稼いだ時間で新しいネットワークを構築する手筈だ。後任は信頼のある者に任せてある。』

『ならお答えします。ノーです。第一、納得できません。計画と言うにはあまりにも杜撰だ。』

『ローガン。どのみち私はもうすぐ死ぬ。この状況が起きるのは時間の問題だったんだ。この策はそのために予め備えていたものだ。心配はいらん。少なくともあと20年は地盤を安定させられる。』

『ですが…』

『だが、トップといっても私1人で稼げる時間はたかが知れている。そこでここには私が募った有力な同志と家族を集めておいた。火種は大きい方が消火に時間がかかるからな。』

『…今度は冗談とは仰らないんですね。』

『お前には酷な話だというのは重々理解している。それでも、これが騒乱を治める最善の策なんだ。』

『そうよローガン。私たちの覚悟はとっくに決まってる。』

『セシル。何で君まで…』

『私とシェリーは生まれつき人間の皮を被った怪物として造られたわ。私はそれが嫌でシェリーと一緒にあのおぞましい施設から逃げ出して、戦場という戦場を駆けずり回った。遺伝子に刻まれた本能か。それともそうなるように調()()を受けたのか。どっちにしても私たちは戦う以外に生きる術を見出すことが出来なかったの。そんな中でここの人たちはとても優しく、実の家族のように接してくれた。物心ついたときから1日中監視される生活だった私たちにとっては本当に嬉しかったわよ。天国みたいだった。だから決めたの。私とシェリーはここで戦ってここで死のうって。家族のためなら死ぬのなんか怖くない。』

『じゃあ何で君だけなんだよ。バグダッドにはシェリーがいる。たった2人でも生きていればいくらでも希望は転がっているはずじゃないか。』

『そりゃあ私だって色々考えたわよ。でも、私はあの子に生き延びてほしい。そう思ったらこれが一番確実な方法だって分かった。』

『どうしてさ? 仮にも君たちは有名人だ。アルミラージの遺体が片方しかなかったら、イラク軍の奴らは地の果てまでシェリーを追いかけるぞ。』

『だからこそよ。だからこそ軍で()()()()()()()()()アンタを呼び出した。実はアンタがここに入るときに出入り口と窓を全部塞いでおいたの。だから外からアジトの内情を探ることはできない。そしてアジトにいる抵抗軍の関係者はただ1人。ここまで言えば分かるわよね。』

『ローガン頼む。お前にしか出来ないことなんだ。こうしている間にも抵抗軍とスカイネットの両方が本部の上空で爆撃機を送るために戦っている。一刻の猶予も許されないんだ。頼む。この通りだ。』

『お願いローガン。あの子が、シェリーが大切ならどうか…!』

『…本当に酷い人だ。あなたたちは。』

そうして通信は切れた。

 

長広舌を終えたナイジェルがタバコを口にするのを横目に、アキラはすっかり冷めたコーヒーを手の中で持て余していた。フウッと吹いた煙が照明の下を横断し、若干ながら部屋が陰った印象を残す。

そのまま何十秒か沈黙が続いたが、アキラは敢えて踏み込むことにした。

「それでどうなったの?」

思い出すのもつらいというほど精一杯の苦渋を浮かべたナイジェルは目を閉じたまま言った。

「やり遂げたよアイツは。指導者やセシルに、あの場所に居た幹部連中とその家族。それこそ自分とそう歳が離れてない母親からオナニーも知らねえようなガキまで1人残らずな。」

思わず肩を震わせるナイジェルから改めて写真を見たアキラは、その中に写っているタクミの表情に目を凝らした。一体彼はどんな感情で彼らを斬ったんだろう。全ての元凶に向けての怒りを煮えたぎらせてか。それともさっきまで息をしていた仲間を次々と肉塊に変える悲しみに浸りながらか。無論、写真の中の当人は何も語らず虚ろな瞳で見返すだけだ。

「タクミが任務を終えた後、事件は暗黙の裡に処理されデータは全て破棄。関係者は根こそぎクビを飛ばされ、跡にはモースルの虐殺という事件の名前だけが残った。」

モースルの虐殺。いつかターナーが発した単語を思い出し、アキラはやりきれない思いを抱いた。自分と暮らす前からタクミは計り知れない心の傷を負っていた。なのに私は彼をいいように扱い、傷つけることしかしなかった。

「あのときオレはただ止めろと泣き叫ぶことしかできなかった。シェリーも同じだ。もしタクミにちゃんとレイチェルの事を忠告していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。もっとタクミに協力して負担を減らしていたら、アイツが爛れた関係に溺れることもなかったかもしれない。だが、いくら後悔しても死んだ奴らが戻ってくるはずがなかった。」

だからオレは罰を受けた。そう言ってナイジェルが左足の裾を捲ると、そこにあったのは脛毛が飛び出た男臭い足ではなく、金属の光沢が鈍く反射する義足と大きく肉が抉られたふくらはぎだった。

「会談の襲撃で持っていかれちまってな。ガンツの力で治すことも出来たが、そのままにしてもらったんだ。」

「…そう言えばロバートって奴は結局何をしたの? まさかワインが爆発した原因って…」

「ご名答だアキラちゃん。ロバートが実行したのは補給係の兵士を丸め込んでわざと不良品のワインとすり替え、さらに輸送トラックに設置した冷蔵庫のスイッチを出発前に切ったことぐらいだった。それでも確実に割れるとは限らないし、割れたとしてもちょっとした驚きだけで大した被害にもならない。多分本人もあわよくばタクミの責任になって作戦から退場してくれれば、ぐらいに思ってたんだろう。結果的には小さな偶然が重なりすぎて取り返しのつかないことになったけどな。」

不愉快そうに鼻を鳴らしたナイジェルは再びタバコを吸い込みゆっくりと吐き出す。

「ほんのイタズラ程度で仕掛けたロバートは後悔の渦に巻き込まれ、事情を察知した父親の根回しでイラクを離れることになった。が、その数日前に何者かに襲われて行方不明のままだ。」

犯人は言われないでも分かっていた。恐らくは目の前の男もそれに関わったのだろう。紫煙を身に纏ったその横顔からは微かに言い知れぬ哀愁が漂っていた。

「事件の後、タクミは前線を離れ入念なカウンセリングを受けるはずだった。けど、モースルの虐殺以降不安定になった世界は英雄を放ってはくれず、アイツは間もなく戦場に戻った。」

そこで一度深呼吸したナイジェルは自嘲気味に

「そこはいくら英雄でもまだ20歳になるかどうかの若造だ。それが100人殺した後でロクなケアもしないまま戦場に送り込まれたらどうなるか…正直言って見てられなかったよ、あの時のタクミは。日に日に疲れ果てていくのが嫌でも分かっちまった。実際、アイツの精神状態はマトモじゃなかった。何人も切り刻んで倫理観がぶっ飛んだのか、死体になった仲間を盾に突っ込んだり、それに爆弾を詰め込んで投げ飛ばしたりしたらしい。まさしくアイツは(ジャップ・ザ・リッパー)だった。」

そこでアキラはようやく鳩の死骸を捨てたタクミの行動が理解できた。今の彼にとって亡骸とはただの物でしかないのだ。それがどんなに愛情を注いでいても、どんなに大切にしていても、死んじゃったらそれでお終い。アイツの目に映るのは綿が抜かれたぬいぐるいみだ。

「でもな。アキラちゃんならアイツを何とか出来るってオレは思ってる。」

「え?」

唐突に矛先が向いたことに戸惑うアキラをよそに、ナイジェルが続ける。

「REXに戻ってきたアイツを見たとき驚いたんだ。半年前まで死んだ魚の目つきだった野郎が少しだけでも笑うようになったんだからな。それにアキラちゃんが一緒にいるとき、何故か心が温かくなるって内緒で打ち明けてくれたんだ。」

「温かくなるって、ほとんどこき使ってただけよアイツ。」

「それでもタクミには必要だったんだよ。心の拠り所ってやつがな。それは多分、アキラちゃんにしか出来ないことだと思う。」

いつになく真剣な表情のナイジェルに気圧されたアキラはうつむくしかなかった。多少自分に構ってほしいという気持ちが混じっていたものの、タクミには無理難題をふっかけてばかりだったのだ。そんな自分にタクミを任せるなんて荷が重すぎる。

「今のアイツは剥き出しの刃だ。血を吸い、刃がこぼれ、錆びかけの折れかけた刀。だからアキラちゃんにはタクミの鞘になって支えてほしいんだ。これは多分、シェリーにもカザマにも無理だと思う。君にしか出来ないことなんだ。」



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34.邂逅(2)

「もしかしてタック…?」

「レイ…」

2人の前に現れた女性は薄く微笑むと、ゆったりとした動きで静かに歩み寄ってきた。やや色の薄い金髪は彼女が本物のブロンドヘアであることの証拠であり、肌理細かな白皙の肌と目尻の切れ上がった涼やかな碧眼に静謐で知的な雰囲気を纏う上品な顔立ちだった。緩やかだが優雅な動きが育ちの良さを窺わせる。何よりも際立つのはスーパーモデル級の長身で、タクミを完全に越すくらいだ。胸や尻がでかいくせに腰は引き締まっている。少なからずスタイルに自信のあったアキラも、格上と認めざるを得なかった。

「やっぱりアナタだったのね。」

「…うん。久しぶりだね。」

「あのときからさっぱりだったからちょうど半年ってところ? あら? そちらの方は…」

「この人はナルミヤ・アキラ大尉。ぼくの職場の上司だよ。」

「初めまして。」

こちらに気付いて軽く会釈する。本当に綺麗な笑みに、アキラは無意識の警戒心が解けるのを感じた。敵意はない。

「折角の機会なのに残念ですけど、私は少し席を外します。お2人はそのままどうぞ。積もる話もおありでしょうし。」

2人が醸し出した空気を察してその場を辞退し、人々の間を潜ってバルコニーにたどり着くと、そこには先客がいた。

「何? アンタも酔い覚まし?」

「いいえ。中が暑くて。」

わずかに頬を赤く染めたシェリーが、水の入ったコップを持って手で顔を煽っている。外に広がる目が眩むほどの街灯や車の光とは相対的に、影に覆われた端正な顔を横目にアキラも残りのアルコールを口に含む。

回想してみれば、この組み合わせになったことは一度もない。途端に静まり返ったバルコニーの状況に居心地が悪くなったアキラは何か話そうと脳を回転させたが、ナイジェルの昔話も合わせて思いつく話題といえば、銃とタクミのことぐらいだ。色気もクソもないテーマに頭を抱えたアキラに

「大尉はよろしいのですか? ローガンを放っといて。」

レイチェルと親しげに会話するタクミに顎をしゃくったシェリーに目が瞬いた。ライフルかタクミにしか興味がないと思ってたのに、意外と女の直感も鋭いらしい。これも『調整』のおかげ?

「別に。アイツが元カノと喋ろうがナニしようが私の知ったことじゃないし。」

一気にグラスを傾けて中の液体を飲み干して、先程からカウンターに並んで談笑する男女を盗み見る。懐かしさに顔を綻ばせてはいるが、そうと分からないほどに薄い壁が間を阻んでいる。イラクでの2人の過去を聞いていたが、見ている限り友人以上の関係には映らなかった。

「そういうアンタはどうなの? 唾つけてた男がデレッと鼻の下伸ばしてるようだけど。」

いい機会だ。この際だから彼女のタクミへの感情を分析しよう。

「私は彼に恋愛感情を持っているわけではありません。」

あくまでも無表情に徹し、四角四面な受け答えではあるが、それはそれでシェリーらしい。

「そう? 私からすればタクミにしょっちゅうくっついてるように見えるけど。」

「それは事実ですが、かと言ってあの人に手を出そうと思ったことはないし、されようとも思ってません。強いて言うなら、心配なんです。」

「心配?」

「ナイジェルから聞きました。アナタが私と彼の関係を探りに来たって。」

珍しくしてやったりという得意顔を作ったシェリーに、思わずのけ反ったアキラはバルコニーの縁に置いていたグラスを落としてしまった。しまった、と地上数十mから宙を舞うグラスの行方を追ったが、ほんの1、2秒で消えてしまう。あのナンパギークめ、帰ったら夜通しエアバイクの整備をさせてやる。

「もうご存知でしょうけど、私の姉はローガンの手で殺されました。今でも彼に憎しみを感じているといったら、正直なところYESです。けど、見てしまったんです。バグダッドから駆け付けて『奪還者』のメンバーの火葬をした後の彼を。棺に納まった遺骨を前に泣きじゃくる私の前で、ローガンはセシルの蓋を開けて言ったんです。『たとえ欠片でも君達を連れて行く。』って。そして焼けて砕けた骨のひとつまみを飲み下した。並んでいた同志の分も。」

そっと閉じたシェリーの目蓋から一筋の雫が零れ落ちる。

「だから決めたんです。これから先、どんな辛いことがあってもあの人を見極める。あの人のやろうとしていることを、セシルたちが信じたあの人を追いかけて、この戦いの先にあるものを見届けてやるって。私たちは罪で繋がっている。」

固く口を引き結んだシェリーの覚悟は自棄や陶酔からではない、タクミを命を預けるに足りる偉大な戦士だと見定めているという確固たる信念から来るものだった。少なくともアキラにはそう思えた。

「ゴメンね。」

「はい?」

怪訝に細い眉を寄せたシェリーに自嘲じみた笑みを零す。

「最初にアンタに会った時、いけ好かない子だと思ったの。ほとんど喋らないし無愛想だし。ロボットみたいって感じた。そのくせタクミとはやけに仲良くしてるから、つい嫉妬してた。私にはいっつもキョドってるのに、どうしてあの子には簡単に笑いかけてるんだよって。でも、心のどこかでそれも仕方ないかもって考えてた。」

首を捻ったままのシェリーに続ける。

「振り返ってみれば、私はアイツを好き勝手にしながら『ありがとう』の一言も言ったことがなかった。それどころかアイツなりの気遣いを踏み倒したこともあったな。そんな女よりちゃんとお礼を言うアンタの方に優しくするのは当たり前よ。だけど、イラクのことを聞いてからはそれが錯覚だって気が付いた。上手く言えないけど、アンタとタクミってそんな浅い関係じゃないってこと。少なくとも私なんかが入り込める余地なんて…」

「それは大尉も同じでしょう?」

「…どういうこと?」

「ローガンとアナタは子供の頃からの付き合いだって聞きました。確かに私たちは普通の上官と部下の関係ではありません。しかし、大尉はそれ以前に何年も前から純粋な友人としての関係がある。個人的にはそっちの方が羨ましいです。どんな凄腕の兵士だからって、潰した敵の数より好きな食べ物を知っていたいでしょう?」

そっちの方がよっぽど素敵だ、と告げるのに呆気にとられたアキラをよそに

「それに大尉には私にはないものを沢山持ってます。何て言うか…困ってる人がいたら慰めるんじゃなくて、問答無用にグイグイ引っ張っていくタイプっていうか。でも、結果的に立ち直るきっかけになるっていうか。遠慮なく人の中に土足で入り込んでおきながら、いつの間にか周りを繋げていく。そんなアナタだからきっとローガンも…申し訳ありません。上官にこんな不躾なこと…」

つい口が滑ったとでも言うように、慌てて口元を抑えるシェリーが何だか可愛らしく思えて、こらえきれずに吹き出してしまう。

「ハハッ、お互いに不器用ってわけか。私、アンタをちょっと誤解してたみたい。何か今ならいい友達になれそう。それに新しい一面も分かったことだし。」

「新しい一面?」

「意外とお喋りってこと。」

一瞬目を丸くしたシェリーだったが、ちょっと顔を赤らめたものの花が咲いたような笑みを返す。

「今更でちょっと変だけど、よろしくねシェリー。」

「こちらこそ、大尉(マム)。」

初めて敬称で呼ばれたことに驚きつつ手を差し出す。シェリーは僅かに戸惑いながら辺りを訳もなく見回したが、今の2人を見ているとしたら頭上に輝く月くらいだろう。にっこりと微笑んでグラスを置いて握り返して―そのときだった。

「あれは…!」

幻と思った。見間違いとも思った。けど、アキラは首のマイクのボタンを押してしまった。

 

「…そう。また軍に戻ったのね。」

バーテンダーから受け取ったモスコミュールを一口飲んで手元で揺らすレイチェル。ぼくはそんな彼女を一瞥して水を喉に流し込む。本当は「ウォッカ・マティーニを。ステアせずシェイクで。」とか言ってみたいけど作戦中だから仕方ない。

「そういうレイはどうしてるの? このパーティーに来てるってことは軍に…」

「まだ平和の道を諦めたわけじゃない。今は中東諸国を飛び回ってる毎日よ。直接じゃないにせよ、私はとんでもない過ちに加担してしまった。もう許されることはないと分かってるけど、だからこそあの土地に留まってるの。今日は仕事の関係で出席してるだけ。でも良かったかも。こうしてまたアナタに会えたんだから。」

1年前より少し日焼けした以外は全く変わらない美しさにぼくは安堵する。責任感の強い彼女のことだ。あの事件で塞ぎこんでしまうと思っていたけど、今でもウジウジしてるぼくなんかと違って、自分の中で整理をつけて償いのために必死に足掻いている。そんなレイチェルがやけに眩しく見えた。

「…遅くなってしまったけど本当にごめんなさい。いくらロバートから離れたかったからって、アナタをダシにしてしまって。そのせいでアナタをあんな酷い目に遭わせて…」

不意に表情が陰って右手で左の手の甲を撫ですさる。悩み事があるときの彼女の癖だ。一緒に居た頃に何度か相談を受けた際によく見せた仕草を反芻しながら、ぼくは言ってやった。

「しょうがないよ。君も任務だったんだから。仇を討つためだったんだろ?」

「…知っていたの? 私がスパイとしてアナタに近づいたこと。」

「任務が終了した後で、中佐が知らせてくれたんだ。大学卒業後、君はすぐに情報管理局に入って中東の治安調査のために、分析官になってここの支局に転属した。ご友人は監視対象の偽の情報を掴まされて、自動車爆弾(IED)に巻き込まれたそうだね。」

「ええ。休暇を取ったら一緒にショッピングする約束をしていたわ。私があのときもっと強く警告していれば…」

当時の状況を思い出したのか、目を閉じて長い睫毛を震わせるレイチェル。無意識に手を握ろうとしたけど、触れる寸前で踏みとどまった。ぼくは彼女に触れる資格はない。

「君のせいじゃないよ。友達だってそう思ってるはずだ。」

「ありがとう…あの頃の私は報復の念で頭が一杯だった。大切な人を奪った奴らを根絶やしにすることばかり考えていた。」

「そんなときにREX(ぼくら)が現れた。」

「本庁から聞いたの。REXには私より年下の最年少の兵士がいるから、そいつを篭絡しろって。まさかその子がアナタで、しかも人類最強の男だってことには流石に腰を抜かしたけど。」

「美術に興味があったのもただの設定(カバーストーリー)?」

「いいえ。それは本当よ。タックと気が合ったのは偶然。そもそも最初はただの仕事と割り切っていたんだけど、段々アナタと過ごしてるうちに本気で一緒になりたいって考えるようになった。私には分かる。普段のアナタは穏やかで頼もしいけど、実はとても繊細で寂しがり屋さん。それでいて人一倍他人の気持ちに敏感で心配りを忘れない本当に優しい人。そんなアナタだから私は―」

「止めてくれ。」

恫喝するときと同じ声を出しレイチェルの話を打ち切る。しかし、彼女はぼくを怒ることなく、ただ憐れみと優しさに満ちた眼差しで見つめるだけだった。止めるんだ。そんな目で見ないでくれ。ぼくは君が言うほどご立派な人間じゃない。

必ず分かり合えると信じて挑んだ任務のはずだった。銃を突き付けていがみ合ってたとしても、いつかは手を取り合える日がくるはずだと。でもぼくがもたらしたのはただの混乱だけ。残ったのは無数の屍と溺れるほどの血の海と今でも感じる肉を切り裂いた感触だ。

結局ぼくには無理だったんだ。マザーのようなカリスマ性もなければ、カザマみたいにリーダーシップに優れてるわけじゃなく、ナイジェルの人懐っこさもない。あるとすればただ目の前の敵を一瞬でも速くバラバラにする技術と経験くらいのもの。ましてや誰かの命を救う腕なんてないのだから。

「多分今のタックは私には想像もできないほどの重圧(プレッシャー)を抱えていると思う。残念だけど私にはそれを支える自信も能力もない。本当は今でも力になってあげたいのに、情けない女よね。でも、アナタにはとても信頼できる女性がいる。」

「女性? 悪いけどシェリーは…」

「違うわ。アキラさんよ。」

やっぱりね。半分予想内の答えに息を吐く代わりに水分を摂取したぼくと同時にレイチェルもカクテルを飲んだ。

「初対面なのに随分と自信ありげだね。」

「こればかりは最強の兵隊さんでも分からないでしょうね。いわば女の勘ってやつよ。アナタは気づかなかったでしょうけど、挨拶したときの彼女、表面上は何事もなかったけど目だけは据わっていたわ。ロクに話してもないのに私がどんな人間か分かったみたい。またコイツを誑かしでもしたら殺すって目で言ってたから、ちょっと身震いしちゃった。」

気付かないわけじゃなかった。ニコリと笑ったときのアキラの顔には小さなヒビが入っていたからだ。しかし、その機微まで感じ取れたわけじゃないぼくと異なり、レイチェルはしっかりと彼女の意思まで読み取っていたようだ。レイチェルの言うようにこればっかりは女同士でしか分からないだろう。

「よっぽど独占欲強いみたいねあの子。私たちに気を遣って2人きりにしてくれたけど、今でも窓際でバッチリ監視してるし、視線だけで貫かれそう。多分アナタに自分以外の女が寄り付くのがとても嫌みたい。だけど、とてもいい目をしてる。いつでもアナタを想って大切に考えている。ねえ本当はただの上司じゃないんでしょう?」

「うん、まあ、色々あってね。昔からの知り合いなんだ。」

「だったら尚更あの子の気持ちに向き合ってあげなくちゃ。アナタとしても悪くないんじゃない? 美人だし、品も良いみたいだし。もちろんこの戦争が終わってからね。」

「検討はしているよ。」

そう返しながらぼくはアキラのことを考えてみた。確かにアキラは美人だ。並みいるヨコスカの屈強な男どものアタックを一つ残らず叩き落したという意味では、二重の意味で撃墜王といえるだろう。ただ品が良いのは外の時だけ。家の中ではこれでもかというくらいぼくをこき使ってくれた。

結論としてぼくにとっての彼女はどういう人間なんだろう。昔から何でもできる才色兼備の幼馴染? それとも傍若無人で我侭な同居人か、世界最高峰の腕前を持つとても心強いパイロット? それとも―

『ヴァローナ2には気を付けろ。』

いつか例の影武者の言葉を思い出した。あれは一体どういう意味なのか。カリフォルニアの一件以来、彼女の動向を探りはしているけど、特にこれといった素振りは見せず肩透かし感を食らっている毎日だ。

「…夢は決して美しいものではないわ。それは時に人を捻じ曲げ、殺しもする。」

「いきなり何? 随分と詩的だけど。」

レイチェルは憂うようにグラスを揺らし少しだけ潤んだ瞳で

「いつか思い出せるわ。」

とだけ告げた。ここではないどこか遠くにある何かを想いながら、もう一度酒を煽る仕草が何故か胸をざわつかせた。思わずその肩に手を伸ばそうとしたときだった。

『タクミ、聞こえる?』

唐突にイヤホンに入った横槍に僅かに舌打ちして、レイチェルに断りを入れて席を立つ。

「どうしたのアキラ? また男に絡まれでもした?」

『不審な人影を発見。アンタのすぐ後ろにいる。』

待ちに待った一報にすぐさま振り向きたくなる衝動をこらえつつ、あくまでも自然な動作で背後を窺う。すると目に飛び込んできたのは、1人の男の姿だった。肩まで伸ばした目の醒めるような銀の髪に褐色の肌で覆われた彫りの深い顔立ち、見つめられるだけでゾッとするほどの鋭い目つきは引き締まった長身の体躯と合わせて研ぎ澄まされたナイフを想起させた。かと言って、その類の人間が漂わせる官憲のような酷薄さはなく、代わりに感じたのは居るだけで場の温度が2、3度下がったような威圧感と、この世のどこから生まれ出たのかという恐ろしいほどの異様な存在感だった。

ぼくの直感が最大級の警報を鳴らしていた。間違いない。コイツがグラハム・ターナーだ。



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35.crazy chase

「待ちくたびれたよ。」

それがこの数週間ぼくらが必死に追跡した男の第一声だった。頬骨が張り出しているのが若干の歳を感じさせるが、その肌は未だ若々しく全身からも生気が満ち満ちている。しかし、そこには健康美だとか躍動感だとか有機的なものはなく、陶器のごとき人工的な様式美を感じさせる。整い過ぎて却って不気味な外見にぼくの背筋が僅かに震えた。

「猶予期間まで残り1週間を切りつつある中で、君たちの行動は中々と言えたがまだ遅い。このままでは退屈で死ぬところだった。」

「影武者まで使っておいてよく言うじゃないか、グラハム・ターナー。まさか本当に出てくるとはね。」

おかしな動きをすれば即座に引き倒せるよう、全身の1mmほどの動きも見逃さない。威嚇の意味も込めて必要最低限の殺気を向けたぼくを、ターナーはつまらなそうに鼻を鳴らしてポツリと

「…そうか。仕込みは効いてるようだな。」

「何だって?」

「君が知っておく必要はない。敢えて言うとすれば、君には少し失望したということだ。ジャップ・ザ・リッパーともあろう者が、こんな金と利権しか頭にない底の浅い連中の集いにノコノコとやって来るとはな。君がその気になればいくらでも未来を書き換えられるというのに。」

やれやれと首を振るターナーにぼくのセンサーは、これまでにないほど大きく揺れた。()()()()()()()()()。当事者であるぼく以外にREX隊司令のワグナー中佐、抵抗軍の最高幕僚幹部―それも大将クラス―と合衆国大統領しか知り得ない抵抗軍最高の機密を、一介の諜報員でしかないはずの眼前の男は知っている。

「まあ仕方あるまい。半年間のガールフレンドとの同棲は君の勘を鈍らせるのに十分過ぎた。しかし、稀代の英雄をたらし込むとは末恐ろしい女性だ。」

恐らくはぼくがすでに無線で連絡を入れたことにも気づいているだろうし、それを聞いた仲間がさりげなくぼくと彼の周りを囲っているのも分かっている。なのに、そう言ってバルコニーで待機しているアキラに手を振って見せた余裕っぷりは、どうにもこの状況を楽しんでいるとしか思えない。

「しかし、この作戦をREX単独で実行したのは良い判断だ。組織的には軍法会議ものだがな。」

そこまで知っているのか。わずかに舌打ちして睨みつける。奴の言う通り、この祝勝会への潜入捜査はぼくが対策本部に打診せず、独断で仕掛けたものだった。もし幹部たちに呼びつけられたら、ぼくはこう答える自信がある。アナタたちはターナーの詳細な行動記録を提示してきたのに、何故か顔だけは影武者のものにすり替わっていた。さらにはヨセミテ・バレーに大規模な秘密施設が建造されていることも黙っていた。情報共有は作戦行動の命綱なのに、それに切れ目が入ってるものをどうやって信用しろと言うのか。

「そう言えばアンタの影武者が彼女には気を付けろって言っていたな。アレは一体どういう意味だ?」

「それについては君もすでに知っている。いや、知っていたというべきか。どのみち答えはもうすぐ出る。ところで君は宗教をお持ちかな?」

「いきなり何の話だ。」

さっきと全く関係ない話題に問い返したが、ターナーはやっぱり笑ったままだ。

「人々は古来から様々な形で神との接触を試みた。音楽、絵画、儀式…最近では科学すら一つのアプローチと言われているが、未だ誰もその一端に触れた者はいない。」

当たり前だ。そんなものがあったらぼくは今頃戦場じゃなく、悠々自適なキャンパスライフを謳歌している。

「そもそも神とはどんな姿なのか。男か女か。1人か複数なのか。それ以前に存在するのか。歴史上の偉人や賢者たちがその答えにたどり着くために無数の方法を試したが、神はその御姿を表すことはなく人々はそれぞれの想像や理想のうちに幾つもの神を生み出した。挙句には自身の神が正しいと争い合う始末だ。そして何度かの聖戦を経験した人類は経済体制の移行により、また新たな信仰の対象を造り上げた。さあ何だと思う?」

「ジェパディに出演した覚えはないぞ。」

「金だよコガ・タクミ君。冷戦が崩壊し資本主義が世界に受け入れられた時から、金という最も信頼性が高くシンプルな神が誕生した。金はいい。ただ持っているだけで力を誇示できる。」

「それは資本主義に限らずいつの時代もだろ。」

「そうとも言える。だが、よく考えてみるといい。その価値を決めているのはとどのつまり数字、情報だ。これは持論だがこの世の全ては情報に還元できると思っている。科学、経済、遺伝子…最近では戦場も情報で統制しようとする動きがある。混乱の極みとも言えるものを統制するなど荒唐無稽だと感じるがね。ただ、すでに我々はガンツという神に支配されつつある。」

ぼくにはその意味が分からなかった。その様子を察しながらターナーは

「まず君たちのガンツへの印象は、人類に味方する超技術で造られた黒い球体あたりだろう。恐らく全世界の99.9%がそう答える。しかし、これは大きな誤解だ。」

「誤解? じゃあアンタはあの玉が何か答えられるのか。」

「もちろんだとも。ガンツ、いやスカイネットは1人の人間によってこの世に生み出されたのだから。」

「う…」

嘘だ。咄嗟に出そうとした苦し紛れの拒絶反応は、突然会場に注ぎ込まれた煙幕に封じ込まれた。たちまちその中に消えたターナーを逃がすまいと腕を伸ばしたけど、虚しく空を切るばかりだった。

「先輩、奴が消えた! 早くトレースを!」

『分かってる。ちょっと待て…いたぞ! 6番テーブル付近の非常口だ。』

先程から会場に持ち込んだ超小型ネクタイ型カメラやイヤリング型カメラ、そして密かにハッキングした会場の監視カメラのレンズをサーマルに切り換え、ナイジェルが対象を追跡して知らせる。それを聞き終わる前にぼくと数人の仲間が非常口をこじ開け階段を駆け下りると、黒い影が横切り1秒後には目の前を小口径弾の突風が吹き荒れた。すぐに飛び退いて回避できたものの、一瞬反応が遅れて硬直してしまったモリソン軍曹が蜂の巣にされてしまった。

「ダニー! チクショウ、待ち伏せだ!」

「マズいな…」

目の前で血を吹き出し続ける死体を引っ張りながら1人ごちる。ガンツスーツを用意してくれば良かった。玄関まであと一歩なのに、わざわざ階段という非常に狭い空間に陣取っている障害に舌打ちしたが、同時に違和感も覚えていた。

どうにも連中がプロとは思えないのだ。さっきの襲撃といい、パーティーに前触れもなく現れたターナーといい、隠密行動を旨とする情報局員がこんな掟破りで目立った行動を取るとは俄かには信じ難い。単なる素人を連れて来たのか、それとも何か目的があるのか。

そこまで思考を巡らせていた刹那、襲撃部隊の隣のドアが轟音と共に派手に吹き飛び、立ち込める煙を裂いて1台のバイクが顕現した。

「なにチンタラやってんの! 目標はとっくに車の中だぞ!」

紅いロングドレスを破って瑞々しい太腿を露わにしたアキラが上体を起こして怒鳴る。予想外の乱入に呆然とした隊員たちの中でいち早く我に返ったぼくは、そこらで気絶している襲撃者の中からP90サブマシンガンを拾い

「どうやって玄関に行ったの?」

「アンタに付いていくのが面倒だったから、下で待機してた味方に頼んで降ろしてもらった。今はシェリーが入口でカザマたちの援護に回ってる。ったく、アイツら何考えてんだか。一般人の前で銃撃戦とかやる? フツー。」

どうやらアキラも同じ疑問に至ってるらしい。しかし、ぼくにはそれよりも気になることがあった。

「あの、アキラさん。アナタの乗ってるそれは一体…?」

流体力学と頑丈性を徹底して突き詰めたかのような重厚で滑らかなフォルム。精巧な部品で組み合わされたボディに塗装は施されておらず、冷たい鋼鉄の装甲の隙間には所狭しと配線が通っている。そして最も極め付けなのがライトの代わりに覆われたカバーの内側に覗く爛々とした赤いモノアイだ。どう見たって民生品には思えない。

「この子? まさかアンタ、ハウンドを見たことないっての?」

ハウンドとは今彼女が跨ってるモトターミネーターという二輪型ターミネーターのニックネームだ。恐ろしく追尾能力が高いことから猟犬の仇名を頂戴している。

「それは分かってるよ。ぼくが言いたいのは、何で君がこれに乗ってるのかってこと。」

スロットルを捻ると勇ましいエンジン音が聞こえ、車体がブルリと震える。

「ワグナー中佐に無理言って運んでもらった。昔帰還中に車がエンストしてね。標識もない敵陣との境界線(グレーゾーン)だったし、基地までは何十kmもあったから困ってたの。そこで偵察に来てたこの子を捕獲してOSを上書きして足代わりにしたってわけ。そしたら意外と馴染んで気に入ったから技術班に無理言って譲ってもらったんだけど、他の奴らは全然乗りたがらなかったんだよ。何でだろうな。」

こっちのセリフだと思った。イラクに居た頃にセシルとチキンレースで乗った覚えがあるけど、二度とやるものかと心に誓ったほど酷い目に遭った。

「さっきシェリーたちが撃ち合ってるって言ってたけど、敵の規模は分かる?」

「ざっと20人はいた。後ろには黒塗りのバンが5台ほど停まってたから、ターナーは多分そのどれかに乗ってるはずよ。」

「でも装備を取りに行くにはこの銃弾の嵐を突っ切ってかなきゃいけないし…弱ったな。」

「何言ってんの。装備ならあるじゃん。」

ポンポンとバイクを叩いたアキラが不敵に微笑む。その意図を悟ったぼくはゲンナリと落ち込んだ。

「一応聞いとくけど、他に足はないの?」

ガンツバイク(ホイール)が3台あるけど、数分前から謎の誤作動が起こってるみたい。連中の仕業だろうな。当てにはできないと思う。」

「武器の方は?」

するとスカートの裾を持ち上げた先には、先程までなかったホルスターにロングマガジン付きのCz 75(マシンピストル)が覗いていた。急繕いのコピー品だが、無いよりはマシだ。

「残念だけど私はこれだけ。それに撃ちながら運転すると、この子ピーキーで拗ねちゃうから。というわけで、特別に乗せてあげる。感謝しろよ。」

よく見ると2人乗りできるように車体が拡張されており、ご立派にもレザーシートまで張られていた。

「前に職場に遅刻しそうになったとき君が運転変わったことあったけどさ、それ以来ぼくは二度と君にハンドルを握らせるべきではないとつくづく思ったんだ。」

「私のテクを疑ってんの? 心配しないでもパトカーぐらいは振り切ってあげる。」

どのみち現状は彼女を頼るしかないようだ。これから我が身に起こる事態を想像してこれ見よがしにため息を吐いたぼくは、持てるだけの弾倉を上着やズボンに突っ込んで渋々相席することにした。

 

向かい風で瞼を開くのも一苦労の中、大きく身を乗り出してP90を構える。人間工学に基づいて設計されたグリップはすんなりと手に馴染み、腰だめに構えて発射された5.7mm弾が並走していた敵ハウンドのタイヤに命中し、ゴムの表面が破裂すると同時にハウンドは盛大に回転して路上に置き去りにされた。

「今ので何機目!?」

「5、いや6機だと思う。」

アキラのドライブに付き合って30分は経っただろうか。色とりどりのラスベガス・ストリップを抜け、ぼくらは州間高速道路の1つに入ってかなり危なっかしいカーチェイスを繰り広げていた。

流石に一般車が走る街中でぶっ放すわけにはいかず、大人しく前方のバンの群れを追いかけたが、アキラは緊急時の特権とばかりに軽々とスピード違反を犯した。その勢いたるや折角の夜景がほんの数分で過ぎ去るほどで、追いかけてきた警察官もあまりに無茶苦茶な運転に着いていけず完全に根負けしてしまった。多分、明日のラスベガス・レビュー・ジャーナルにはデカデカと写真が掲載されることだろう。タイトルは『赤いシンデレラ、鋼鉄の馬車でストリップを狂走』。

だが、敵もただ突っ走るだけで終わらなかった。カジノ街を出た途端、どこからともなくハウンドの軍勢が現れたのだ。恐らくはアキラと同じように鹵獲したものだろう。チラッと見ただけでも10機はいた。それに前方のバンが加算されるのに対し、こちらは1機のみ。どうみても多勢に無勢だ。

しかし、アキラの操縦技術はぼくの想像を遥かに超えていた。機械の如き正確さと素早さで判断して車体を操り、神懸かり的な勘で相手の猛追を捌いている。今まで色々な乗り手を見てきたが、これほどの腕を持つ人物は未だ見たことがなかった。

お陰で便乗しているぼくはジェットコースターに乗ってるのと同じ衝撃を味わい、何度か吐きそうになった。もしこの先同じような状況に遭遇することがあるなら、三半規管を切除した方がお得かもしれない。

「タクミ、8時の方向に近づいてきた。引き付けて!」

言われた方を振り向くと3機のハウンドが密集して、こちらの様子を窺うようにジリジリと距離を詰めてきていた。そこでぼくは指示通りに散発的に弾をばら撒き、適当に牽制する。果たして目論見は成功し、ハウンドらは弾幕を巧妙に回避して接近し、トライアングルのフォーメーションでぼくらを取り囲んだ。正面には1機が器用に反対向きで走りながら、こちらに両脇のプラズマガンを照射して徐々に相対速度を落としており、連られてアキラがアクセルを緩める。

「で、ここからどうするつもりですか大尉殿? 逃げられちゃいますよ。」

「こうすんだよ!」

そう言うなりアキラはぼくからP90の弾倉を奪い取って正面にぶん投げた。想定外の飛来物に意表を突かれたハウンドは大きくバランスを崩されながらも回避運動を取る。アキラはその隙を見逃さず、バイクの片側に身を乗り出し左手でアクセルを捻るという変則的な姿勢で拳銃を抜き、ハウンドの真上の看板を撃ち落とした。的が大きい分質量も大きく、姿勢回復も間に合わないままハウンドは落ちてきた鉄板の下敷きになった。

アキラはそれだけで終わらず、あろうことかさっきのハウンドのように機体を反転させ後ろ2機と正対する。その挙動を悟ったぼくは弾倉を取り換えたP90を構え、目標に照準を重ねアキラと全く同じタイミングでトリガーを絞った。普通なら有り得ない操縦に虚を突かれた敵は対処法を探るべく思考ルーチンをフル回転させたが、必死の努力も虚しく吹き飛ばされた。

「ようやく全部ね。」

「あのさ、素晴らしい仕事を見せてくれたことには感心するけど、何かする前には一声掛けてくれないかな? 正直、今も足が震えてるんだけど。」

「今度はエアバイクにも乗ってみる? きっと忘れられない空の旅を提供できると思うよ。」

それはきっと涙が出るほど鮮やかな遊覧飛行を堪能できることだろう。想像するだけで恐ろしく、彼女の肩を叩いて、進んでくれと合図する。つまらなそうにジト目をしたものの、ペダルを踏んだアキラの腰に手を回しながら、ぼくは改めて舌を巻いていた。

本来バイクはその構造上後ろ向きに走るようには出来ていない。唯一の例外としてコンピュータ制御のハウンドは、地面スレスレの横倒しや先程のようなバック走行もやってのける。そんな常人ではまず出来ない機動(マニューバ)をアキラは当然のようにこなしてみせた。それなりの経験を積み、ハウンドの造りを熟知していたとしても尋常な技量ではない。彼女は紛れのない天才だと思い知らされるばかりだった。

『隊長聞こえるか!』

聞き慣れた仲間の声が不意にスピーカーに届く。

「カザマ? 今どこなの?」

『ちょうどそっちに向かってる。奴さん、急に撤退しやがった。』

「それは良かった。損害の方は?」

『死者は1名。軽傷が4名。重傷者はなしだ。モリソンのが不意打ちだったことを考えると、被害はほとんどないと言っていい。だがタクミ…』

「ああ、逆に不自然だ。連中だって馬鹿じゃない。恐らくは全部作戦だろうね。現にぼくらは10機のハウンドに追いかけられた。」

『何だと!? 怪我はしてないか?』

「大丈夫。さっきアキラが全部破壊した。」

『…お前の心配なんてしてなかったが、アキラも十分イカレてるな。』

「同感だよ。君も彼女をドライブに誘うときは気を付けた方がいい。」

『そうしよう。そろそろトンネルだ。もうすぐオレたちも合流するからお前らも何と…にあ…して…つ…を…』

「カザマ? おいカザマ?」

「…タクミ、マズいことになったみたい。」

急に電波が悪くなった無線の感度を調整して音を拾おうとしていた最中、アキラがポツリと、けどハッキリとした言葉でつぶやいた。

「ゴメン、今手が離せないんだ。悪いけど1分ほど…」

「20秒もないかも。」

そう言ってアキラが指した先には目標のバンと1機のヘリがあった。周辺が暗闇に覆われて分かりにくいが、タンデム型のコックピットとスリムな機影から、アメリカが運用する攻撃ヘリの1つ、コブラだろう。

エアバイクが実戦配備されてから徐々に退役しかけている軍用ヘリ類の一員ではあるけど、相手が人間ならば依然として高いポテンシャルを誇る化け物だ。

「何で準軍事組織(パラミリタリー)なんかがコブラなんて持ってんの!?」

「多分民間に払い下げられたのをダミー会社を通して入手したんだ。警備用とか理由を付けてね。アキラ、振り切れる?」

「無茶言うな! いくら命があっても足りるわけないだろ!」

なんて押し問答をしているうちに、そのコブラが機関銃で攻撃を仕掛けてきた。ヴヴヴ、と20mm機銃の重々しい砲撃音が大気を震わせ、コンクリートの地面を容易く抉り取っていく。アキラは微細な重心移動とハンドル捌きでその合間を潜り抜けるが、コブラの狙いは正確で一向に逃れられる気配がない。せめてもの反撃に連射するけど、揺れが激しくロクに当たらなかった。

「射程が右にずれてる。もっと寄って!」

「ふざけんな! 崖に真っ逆さまになりたいっての!?」

けたたましい騒音に負けないくらいの大声で返す彼女を見て密かに安堵する。これだけ怒鳴り返せるならまだ大丈夫だ。そんな中、ぼくはある小さな違和感に気づいた。ほんの些細だけど、大きなことを。

「アキラ、あれはコブラじゃない。ヴァイパーだ。」

「ハア? そんなんどうやって分かるの?」

「さっきからローターの回転数が微妙に多い気がしてたんだ。よく見たらブレードが2枚じゃなくて4枚になってる。コブラシリーズでプロペラが4枚なのはヴァイパーだけだ。」

「んなもん分かるわけねえだろ! それにこの距離から…アンタ、どういう視力してんだよ?」

「話は後だ。どうやらぼくらが追ってた組織は予想以上の戦力があるらしい。」

ヴァイパーはコブラの上位機種スーパーコブラの発展形に当たり、2010年の運用開始から10年以上経った今でも僅かな部署にしか配備されていない。それが得体が知れないとは言え、諜報員ばかりの集団が保有しているなんて寝耳に水だ。

そう考えると仮にヴァイパーを破壊できたとしても、奴らはまだ強力なバックアップを備えているだろう。そんなのを相手にたった2人で勝てる道理はない。

()()()()()()()()

そう思ってP90をこめかみに当てた時だった。何か空気の切れる、と言うより刺さるという表現が正しいような耳慣れない音がしたかと思うと、目の前の背中がグラつき栗色の頭が胸元に倒れ込んだのだ。

「アキラ!? どうしたんだよアキラ!」

背後から手を回して必死に操縦桿を握りつつ、アキラを揺さぶるが起きる気配はない。どこか異常が出たのか体のあちこちを探ると、鎖骨に小さな注射針が刺さっているのが分かった。どうやら麻酔針のようだ。

こうなったら最早打つ手がない。一刻も早くループするために死のうとした瞬間、首筋に鋭い何かが刺さり、ぼくの意識は急速にレベルダウンしていく。バランスを崩して倒れつつ塞がる視界に最後に映ったのは、バンから半身を出して細身の発射器を構えたターナーの姿だった。



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36.夢の国

「まだ連絡はつかないのか?」

「ええ、ナイジェルも色々と試してるんだけど…」

ベガスの追走劇から早5日。カザマはREXの基地で行方知れずになったタクミとアキラの安否を確かめるために奔走していた。

あのときトンネルに入ってもないのに、無線が切れたきり彼らとの交信が途絶え、ついでに乗っていたハウンドのビーコンも掻き消えた。カザマたちが現場に到着したときは、すでに2人の姿はなく破壊されたハウンドだけが転がっていた。彼らは敵に捕らわれたのだ。

「カザマ、どのみち仕様がなかった。奴らの狙いは最初からローガンで、それをおびき出すためにターナー自身がエサになった。こちらの読み負けよ。」

「分かってるさ。だが、こうしてる間にもタイムリミットは迫ってる。アイツらのことだ。そう簡単にはくたばらねえだろうが…」

「おい! ちょっと来てくれ!」

一同の不安を表すかのように沈黙しかけた空間に、ナイジェルが興奮を滲ませた声を上げた。それに連られて隊員たちがナイジェルと彼のデスクを中心にワラワラと集まる。

「ナイジェルさん、どうした?」

「どうやってもタクミたちが見つからねえから、最終手段だと思ってGINSで検索掛けてみたんだ。そしたらこれが見つかった。」

「GINSを使ったのか?」

GINS―Gantz Inteligence Network Surviceは情報管理局を始めとする国家間の情報機関が運用・管理している情報共有掲示板で、その名の通りガンツの高度な情報処理能力を並列接続して、リアルタイムで新鮮かつ要度の高い情報を閲覧できるシステムだ。ざっくり言えば『軍事用に超バージョンアップされた2ちゃんねる』と言ったところか。

ただし、情報を共有するということはホットな話題であるほど拡散しやすい。現在秘密任務を遂行中のREXが、『隊長が行方不明になりました。探してください。』なんてスレを立てたら、どんな化学反応が起こるか分からない。その危険性はナイジェルもよく知ってるはずだ。

「大丈夫だ。もしものためにタクミから秘匿回線で繋がるアカウントを作ってもらったんだよ。例え100件覗き回っても閲覧数にカウントされない代物だ。時々お前らの訓練で使うT-600のモーションマネージャをいじるために、使えそうなリソースをこっそり回してもらってたんだ。機密取扱資格(セキュリティクリアランス)もアイツのものを一部拝借させてもらってる。」

「いつの間にそんな…完全に御法度だぞ。」

「だが、今回はそれのおかげで助かったんだ。たった今確認したんだが、匿名の書き込みで炎上してる。」

ほれ、とナイジェルが示したトピックス欄に閲覧数がすごいことになってる一文があった。

وقد الله يكافئ أولئك الذين يكافحون في المسرح، وهنا نحن.

「ここに集え、アッラーは現場で奮闘する者に報いる。」

ミミズがのたくった跡にしか見えないが、シェリーやナイジェルが読めるということはアラビア語なのだろう。そしてメッセージの下には花火か何かで彩られる細長い城と、小粋なスーツを着こなした耳と目が極端にデフォルメされた生物が写った画像が添付されていた。

「何だ? このヘンテコな生き物は。ネズミか?」

見たことのない不思議ネズミに困惑するカザマ。ネズミの背後にある城とそこに群がる人々の距離から、城は相当高く建っているらしい。しかし、これでは何を示しているのか見当もつかない。

「ひょっとしてミッキー?」

揃って首を捻る3人の中でシェリーがボソッと呟いた。

「知ってるのかシェリー。」

「ええ。イラクに居た時、アジトの中で世話をしてた子がこれによく似たぬいぐるみを持ってたのを思い出したの。確か審判の日以前に世界的に人気だったマスコットキャラクターよ。」

「へえ、コイツがミッキーか。そういやガキの頃にアニメか何かで見たような気がするぜ。」

と感心するナイジェルにカザマが発破をかける。

「じゃあ、あのデカい城はどこか分かるのか?」

「画像の遠近法から推測して、恐らくはフロリダのディズニーワールドだろうな。トーキョーにも似たのがあるらしいが、ここまで大きくはない。」

「フロリダ…」

20年以上前にスカイネットが世界中に撃ち込んだ核ミサイルの標的は様々だった。経済、行政、物流、科学。人類の存続に必要なインフラを破壊するために選ばれた候補地の1つがフロリダだ。そのせいで州の南半分は放射能汚染区域として未だ立ち入りが制限されている。

「それにアッラーの文も『奪還者』が合言葉に使ってたもんだ。タクミがオレたちに向けたSOSだと分かるようにな。」

「じゃあ話は決まりだ。ナイジェルさん、すぐに足を用意してくれ。」

返事を待たずに踵を返し、ブリーフィングルームに向かう。何にしても部隊というのは頭がいなければ話にならない。ならば、今の自分たちのするべきことはその迷子の頭をくっつけ直すことだ。もしかすればターナーもそこにおり、アキラも捕らわれているかもしれない。

「待ってろよ大将。」

湧き上がる敵への怒りと必ず助けるという強い意志を双眸に灯し、カザマは着々と救出プランを練り始めた。

 

静まり返ったある夜、ぼくは自分の部屋で学校の宿題に取り組んでいた。面倒な漢字の書き取りが終わり、背伸びをして時計を見る。午後10時20分。そろそろ寝た方がいいだろう。リビングに居る両親にお休みを言うために、部屋を出てまだ明かりが点いている大きめの空間に近づくと、朗らかに笑う両親と知らない男の声が聞こえた。確か今夜は父さんの同僚が遊びに来ていたから、多分その人だろう。一応挨拶はした方がいいだろうと思ってドアノブに触れたとき、その声がこう言った。

「そう言えば、子供は元気か? お前らが酒でこさえたガキ。」

酔っているのか少し大きめの声が尋ねた途端、笑いが一気に途絶え、後には沈黙だけが残った。まだ言葉の意味が分からなかったぼくは、静かになってちょうどいいと思って扉を開けると、そこには赤ら顔の父さんの友人と対照的に、凍り付いた表情を全く同じように刻んだ父母が揃ってぼくを見ていた。

 

ふと鼻腔に漂ってきた仄かな甘い香りを知覚すると共に、微睡んでいた意識が徐々に引き上げられていく。その匂いに誘われるまま深い暗闇に閉ざされた瞼を何とかこじ開けると、アキラは自分がベッドの上で横たわっていたことに気づいた。

まだボンヤリとしたまま周囲に首を巡らし、無意識に匂いの正体を辿ろうとして、開けた視界に自分がいる空間の詳細が伝達される。アンティーク調の小物に落ち着いた色の照明が反射し、華やいだ色彩で統一された壁や天井が部屋を囲っている。その中で何より目を引いたのが、至る所に置かれた独特のデザインをしたネズミのぬいぐるみだった。

「何? この場所は。」

「シンデレラ城のVIPルームの1つだよ。閉鎖前はパークの入場者から抽選で選ばれた組のみが宿泊できたらしい。予約も取れない完全な魔法の空間だ。」

背後から低く澄み渡った声に振り向いた先には、パーティー会場のときと変わってシックな黒スーツに身を固めたグラハム・ターナーが立っていた。その姿を認識した瞬間、最後の光景がフラッシュバックする。

そうだ。私はタクミとハウンドでアイツらを追って、コブラが出てきてそれから―

条件反射的に距離を取ろうとして白いシーツに手を突いたが、起き上がったばかりなのか力が入らず無様に倒れ伏す。どうにかして立ち上がろうとするアキラをよそに、ターナーはゆっくりとした足取りで近づく。

「無理はしない方がいい。まだ麻酔の効力は残っている。」

「ここはどこ? どうして私は生きてるの?」

「君は眠らされた後、こちら側の安全上の観点からフロリダの旧ディズニーリゾート区画に移送させてもらった。もちろんコガ・タクミ君も無事に保護している。」

「安全上の観点? 私はアンタの敵よ。人質にでもしたつもり?」

「そんなつまらん理由じゃない。どちらかと言えば私は君たちをここに連れてくる必要があった。」

部屋に用意されていたティーカップに紅茶(アールグレイ)を注いだターナーが、丁寧に茶菓子まで付けて差し出す。一瞬薬入りかと勘繰ったアキラだったが、敵の手中に囚われている現状から考えて、罠など必要ないだろうと判断してカップを手に取り一気に飲み干した。

「いい反応だな。度胸がある。」

口角を少しだけ上げたターナーだったが、恐らくはこうなることを予想していたはずだ。一方のアキラは八方塞がりの状況に緊張して、ほとんど味を感じられなかった。

「どういう意味? 言っとくけど私はマリナ・オーグランの死体なんて知らないからな。」

「アレはただのブラフだよ。そうでもしないとREXは、特にコガ君は動いてくれないだろうからね。」

「…その口ぶりだとタクミが隊長だからって理由だけじゃなさそうだな。」

「理解が早くて助かる。一言で言えば、彼はマリナと交わした約束で戦っている。」

約束。何気ないありふれた言葉だけど、このときはアキラの胸に直撃するのに十分な威力を発揮した。ずっと気になっていたのだ。なぜ訓練でも着いていくのが精一杯だったタクミがほんの数年でここまで出世したのか。なぜあれほどの強さを身に付けたのか。なぜマリナの名前に過剰に反応するのか。

そしてヨコスカ基地襲撃前日(3年前)、食堂でタクミとマリナが居合わせた記憶に辿り着く。あのときのタクミはただの案内係に引っ張り出されたと言っていたが、その目はそんな浅い関係じゃなかったと物語っている。そう、アレはまるで母親に向けるような…。まさかと思ってたわけじゃない。周りが当然のように受け入れてたため、自然とアキラもその雰囲気に同化してしまったのだ。

「知りたいんじゃないか? 彼の秘密を。ただし、これを聞くと今までの君たちには二度と戻れなくなる。」

これまでの疑念が一気に噴き出した胸中に、ターナーがそっと囁く。それはアキラにとって十分過ぎる追い打ちと変わらず、思わず膝に置いた手を握りしめる。聞くか、知らずに蓋をするか。

二度と戻れなくなる。

その言葉を聞くのはもう何度目だろうか。自分の人生を振り返って、アキラは考えてみる。母と子を捨ててどこかに行ってしまった父。必死に努力した娘を結局見てくれないまま心を壊して死んだ母。そして()()()()()()()()()()()()()

そうだ。私は知らなければならない。そうでなければ自分の本当の目的を果たせないのだから。固く閉じていた瞼を開き、アキラはティーカップを置いた。

 

あの後、間の抜けたのも束の間に両親はぼくにいつものように振る舞って、客人に挨拶させて部屋に返させた。そのときに疑問を感じたぼくは、辞書で『酒でこさえたガキ』の意味を調べてみたけど、結局見つからなかったから明日母さんに聞いてみようと思って布団に潜り込んだ。

けど深夜になってもなぜか眠れずにもどかしく思っていると、居間の方から大きな声が聞こえてきた。内容は分からないけど、オレがこうなったのはお前らのせいだ、裏切り者、子供が起きるでしょ、なんてのが聞こえたのは覚えてる。終いには母さんの泣き声が響いて思わず部屋を飛び出そうになったけど、直前に父さんの友達が乱暴に廊下を横切ったため、慌てて自室の扉を閉めた。そのまま二言三言玄関で父さんと怒鳴りあって、もう一度バタンと音がしたきり騒がしさはすぐに鎮静した。

只事じゃないと子供心に察知したぼくは、せめて心配かけないように早く寝ようとしたものの、やっぱり眠れずに悶々としていると、部屋の扉が開く音がした。起こさないように静かに近寄ってきた人影は、優しく頬を撫でる手つきから母さんだと分かった。このまま目を開けようかとも思ったけど、こんな時間まで起きてると分かったら怒られそうだから止めておいた。

母さん。毎日朝早くに起きてしっかりとご飯を作って、ぼくを送り出してくれる母さん。一日も欠かさずに家事をこなす真面目な母さん。時々怒りっぽくなるけど、いつもはとても優しい母さん。その手で撫でられるとぼくは安心しきって勝手に眠くなってしまう。今もきっとそうだ。

だから母さん、どうしてぼくの首を絞めてるの? どうして『死ね』なんて言うの? どうして怒ってるの?

やめてよ母さん。ぼくをそんな目で見ないで。苦しいから放して。『ゴミ』なんて言わないで。ぼく何にもしてないのに。謝るから。ごめんなさい。すみませんでした。申し訳ありません。だからやめてよ。

やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。

ぼくを殺さないで。

 

従業員用らしい殺風景な廊下を進みながらも、時折アヒルや犬を擬人化したキャラクターが案内板の隅で踊っているのを見る度、ここがテーマパークの地下なんだと改めて思わされる。しかし、そう思えるはずの余裕はアキラにはなく、ただ俯いてターナーの後ろに続くしかなった。

全部信じられなかった。かつての伝説とされたマリナ・オーグランが時のループを利用して抵抗軍を勝利に導いてきたこと。3年前の戦いでタクミがそのループに巻き込まれ、何度も戦って死んできたこと。マリナと出会って必死に訓練し、戦場で生き延びた矢先に言い渡された残酷な選択。そしてタクミは最も過酷な決断の末に最愛の師を殺めたという結末。そのどれもが信じられなかった。

「やはり止めておくかい?」

着かず離れずの距離を保って先導するターナーが、何度目かの勧告を口にする。アキラはそれを聞いて我に返って

「しつけえんだよ。何度も行くって言ってんだからその通りにしろ。」

「そうか失礼。彼の話を聞いてかなり動揺してるようだから、時間を置いた方が良いと思ったんだが。」

返事をせず無視を決め込むアキラに、軽く肩をすくめ白銀の髪を揺らしながら廊下を進む。何故自分を攫ったテロリストの親玉とこうしているのかというと、例のVIPルームでタクミの秘密を知ったときだった。

『ところで、もう一つ君に知らせるべきことがある。』

『何なの? 今ちょっと1人にして欲しいんだけど。』

『だが、私はこうも言ったはずだ。君たちをここに連れてくる必要があったと。』

『タクミならまだ分かるけど、私に何の用なの? 口説いて味方にでもするつもり?』

『そうとも言えるし、そうでないとも言える』

『要領を得ねえな。もっとハッキリ喋れよ。』

『そうだな。これから君に2つの物を見てもらおうと思ってる。プロメテウス計画の全貌とシメオン・スロノムスキーを。』

あそこで追い続けてきた任務の一端と、消息不明の父親の名前が出れば、食いつかないわけにはいかない。例え敵の罠だとしても、今のアキラにはこの男が嘘をついてるとは不思議と思えなかった。

「随分とお父上が嫌いなようだね。もうすぐ再会できるというのに。」

「当たり前でしょ。あんなろくでなし、思い出しただけで100回は殺したくなる。」

日本を出てロシアに新居を移して数ヶ月後、父のスロノムスキーはジュニアハイスクールに入ったばかりの娘と常に自分を支えてくれたはずの妻を置いて、忽然と姿を消した。警察も捜索に躍起になったが足跡一つも出ずに打ち切りになり、母子に残されたのは当面は食っていける金と失踪後に父から届けられた一通の手紙だけだった。

『研究の都合でしばらく戻れない。目途が立ったら連絡する。』

その一行以外は白紙だった手紙を見た母は号泣し、アキラは少し汚らしい筆跡をなぞってそれを破り捨てた。蓄えがあっても、いくらか血が混ざってるとはいえ間違いなくロシアの男だった父と違い、日以の混血であるが故に不安定なアイデンティティの母親と十代の娘だけで北欧の大地で生きていくのは中々酷だ。かと言って頼りになる親戚も知り合いも皆無の状況で、駄々をこねてばかりではいられない。

そこからアキラは必死になった。母のお荷物にならないように寝る間を惜しんで机に向かい、その才能も手伝ってあっという間に大学に飛び級した。元々日本に居た頃から父に英才教育を受けていたため既に高校レベルの知識を持っていたのが幸いしたが、当人に感謝するほどおめでたい頭は持ち合わせてなかった。

問題は母だった。元々日本で博士号を取っていた母は、ロシアの大学との共同プロジェクト(お仕事)の出向もあって引っ越してきたのだが、父が去って以来情緒不安定な時期が続くようになった。最初はボーっと外を眺めるのがうわ言を呟くようになり、遂には毎日ベッドで繋ぎ合わせた夫の手紙を何度も目を通し、夫の名を呼んで一日を過ごしアキラを自分の母と誤認するほど精神退行が進んでしまった。

母の足手まといにならないように頑張ったつもりが、逆に母がお荷物になってるというお粗末。それでもアキラは母が回復すると信じて一層努力し、特例で抵抗軍から15歳でパイロットにスカウトされるほどになったが、母が帰ることはなかった。

アキラが士官学校に入学する直前に投身自殺したのだ。後日遺体を確認したアキラが見たのは、その手に父の手紙が握ってあったことだった。どうやら自分は父に負け、母に捨てられたらしい。そのときからアキラは決意した。結局母は父がいなくなってから娘を見てくれなかった。だったら彼らのために泣くなんて馬鹿馬鹿しいではないか。

これからは自分のために生きる。そのためには自分の力を証明しなければ、し続けなければならない。常に私は力のある人間だと主張しなければならない。その日からアキラは泣くのを止めた。

「恐ろしいものだな。血筋とは。」

「何か言った?」

「いいや。さあ着いたぞ。我らの聖域(サンクチュアリ)だ。」

中央銀行にある巨大な金庫を思わせる円形の扉がゆっくりと口を開くと、アキラはその場に立ち尽くした。そこにあるのは異常だった。幾重にも整列する円筒形の透明なポッドには全裸の人間が収まっており、頭に何かドーム状の装置を着けられて液体の中でユラユラと漂っている。その周りでは白衣の男たちが、手元のパッドと筒の表面にスクロールする文字の羅列を、交互に見比べており真剣に議論し合っていた。

「何よこれ…」

「プロメテウス計画。被検体の脳内に現実と遜色ない仮想空間を形成し、擬似的に戦闘訓練を行う画期的なVRシュミレーションだ。あくまで仮想空間だから命の危険はなく、安心して訓練に臨んでもらえる。これはそのプロトタイプだよ。」

さっさと中に入ったターナーを追って慌てて扉を踏み越える。あまりにも異様な光景に我知らず固まっている自分に舌打ちし、奮い立たせるために抗弁する。

「そんなもんSFじゃ使い果たされたネタだろ。画期的というには発想が貧しいな。」

「もちろんオリジナリティーな部分もあるさ。こいつは脳内に波動関数を応用した量子力学的アプローチが可能なんだ。海馬や外側膝状体などの記憶や感覚機能を司る部位に直接干渉しながら意図的に覚醒状態を下げつつ…つまり彼らは夢という形で情報を受け取り、夢の中で戦うのさ。お陰で時間的制約も随分と削減できた。君だってあるだろう。夢の中じゃ何日も経っているのに起きたら一日が過ぎただけという現象が。」

なるほど。それならごく短期間で一人前の兵士が出来上がるだろう。確かに画期的だ。タクミが『自分はいらなくなるらしい』と言っていたのも頷ける。そこまで至ったとき、引っ掛かりを覚えた。短期間で一人前に…

「この演習は何のプログラムを使ってるの? 先に言うけどFPSの初心者レベルの戦闘を追体験させてるなんてのはなしだからね。」

「中々どうして鋭いな。白状すると彼らが立っている戦場(フィールド)は、ヨコスカ基地防衛戦をベースにしたものだ。そう、あのジャップ・ザ・リッパーが誕生した地だよ。」

ヨコスカ。ある意味でタクミの始まりの地とも言える場所。となるとこの計画の真の目的は…

「ジャップ・ザ・リッパーの量産化…」

「ご名答。丁寧にもコガ君がそうだったように、システムにはタイムループ機能を搭載している。これで高い精度で『彼』を再現できるわけだ。」

「嘘つくなよ。個々の状況に合わせてそんな複雑な時間の巻き戻しを計算するなんて、ガンツでも出来るかどうか分からないのに。」

「それについてはこれを見てくれれば分かるさ。」

ターナーの台詞に呼応してポッド群の壇上に1枚の黒い板が出現した。冷蔵庫ぐらいの高さだが厚さは10cm程度で、ポッドから伸びたケーブルが至る所に繋がれている。だが、アキラが最も気になったのはその表面だった。不規則な盛り上がりは服の皺にも、肉の筋にも例えられる。よく観察すると人の形を象っており、そこにある顔は―

「…お父さん?」

「正式名称『極高速量子演算装置有機統合接続式試作1型』、シメオン・スロノムスキータイプ。ガンツの祖とも言える、君のお父上の今の姿だ。」

「どうしてアンタがこんな…」

思いがけない再会を果たした父に向けた恨みとも悲しみともつかない言葉は、モノリスの冷たい石版に吸い込まれたまま帰ってこない。不意にこの場所が不気味に感じたアキラは問い質した。

「アイツは、タクミはどこにいるの? 今すぐ会わせろ!」

ここは怖い。早く抜け出したい。タクミに会いたい。いつもの頼りなさそうな困った笑みで安心させてほしい。しかし、ターナーの返事は案の定だった。

「現在、彼は別室で特殊訓練を受けてもらっている。残念ながら面会は不可能だ。」

「そんなのはどうでもいい! いいからアイツに―」

恐怖のあまり喚き散らしそうになったが、突如現れた白衣の集団に押さえつけられ、首筋に鋭い痛みが走ると同時に意識が混濁してしまった。再度訪れた睡魔に抗えず落ちていくアキラは

「お父上についても改めて話すとしよう。我々も時間がなくてね。君にもやってもらうことがある。」

という呟きを最後に意識を手放した。



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37.舞台裏

あなたの痛みは、あなたの理解を閉じ込めている殻が破れる痛みである。

                         ―ハリール・ジブラーン『預言者』

 

もうここに来て何日、いや何年経ったんだろう。主観的にはざっと10年は過ぎた気がする。上手く動かせない切断された手足を何となしに眺めながら、同じ思考をまた繰り返す。でも、結局はたった1日なんだよな…。そう思ってぼくはまた新しい日を迎えた。

 

目が覚めるとぼくはパイプ椅子に厳重に拘束され、10mは離れた位置から360度隈なく銃口を向けられていることに気づいた。そうか、ぼくは捕まったのか。首を回しながら段々と冴え渡る頭で脱出の手順を考えてみる。まずは適当に様子見し、わざと撃たれてループ。その中で一番弱そうな奴を人質にして出口まで―

「逃げようなんて思わないでくれよ。諜報員とは言っても、ここにいるのは元軍人…それも激戦を潜り抜けてきた連中だ。」

だだっ広い空間に反響した声に応じて、正面の警衛たちがサッと列を崩して1人の男を通す。

「グラハム・ターナー。」

「御機嫌ようコガ・タクミ君。手荒な歓迎で悪いが我慢してくれ。これでも最低限の警戒態勢なんだ。君が暴れると手が付けられなくなるからね。」

「ここはどこだ? 何でぼくを連れてきた?」

今必要な情報を問うと、意外にもターナーは簡単に明かしてくれた。

「放棄されたディズニーワールドを改造したうちの一画、要するにフロリダにある私たちの秘密拠点だよ。本命はナルミヤ・アキラだったのだが、好都合なことに特大のオマケが付いてきてくれたのさ。一応君にも用があったからね。」

カフェで話し合いをする程度の距離にもう1つ椅子を置いて腰掛け、ターナーが軽く手を振ると驚くことに警衛が1人残らず退出し、残ったのはぼくらだけになった。

「さて、君への用事だが早速話すことにしよう。まず私の本名についてだが。」

「微塵も興味ないね。」

「クリス・オーグラン。」

ボソッとしていたが、この距離では聞き間違いようがなかった。突然長い間閉じ込めていた何かが溢れそうになり、歯を食いしばってどうにか耐える。

「嘘だ。そんなの信じられるか。」

「私もこんな仕事をしているから、信じてはもらえないだろうが、残念なことに事実でね。私はマリナ・オーグランの弟だ。」

精一杯の殺意を込めて睨んだはずだったけど、その顔を目にした瞬間、褐色の肌はそのままに彼女の面影がダブって見えた気がして、ぼくは慌てて目を背けた。

「とは言っても実の姉弟というわけではない。我々は養子縁組でそうなっただけだ。」

「アンタ、一体誰なんだ?」

ぼくの秘密を知り尽くし、ガンツの正体まで知っている素振りを見せる男に、思わず尋ねると

「クリス・オーグランだよ、コガ君。君に真実を伝える者だ。」

とそいつは穏やかに笑った。

 

ガンツとはそもそも何なのか。まずそこからだろう。

私とマリナは紛争地帯の出身で、少年兵として幼い頃から大人相手に銃を持って戦ってきた。運が良いのか才能なのか、私たちはどんな戦場でも必ず帰ることが出来た。そんな中で、ある男が私とマリナを引き取りたいと申し出てきた。エンリケ・デ・ソウザというアフリカ系黒人の学者だ。

奴は人工知能研究を専門とする学者で、その分野の世界的権威なだけでなく、生化学、量子物理学などでも様々な功績を残してきた稀代の天才科学者だった。その男は私たちを密かに引き取ってオーグランという姓と姉弟という身分を与えた。私たちは最新の教育を受け、それに相応しい能力も身に付けた。

しかしある日、エンリケはマリナと私を引き合わせてこう告げた。自分は地獄を見てきたと。奴はブルンジの生まれで1972年に起こった虐殺(ジェノサイド)を経験し、私たちと同じように少年兵となって人を殺してきた。その後、人権団体に引き取られて勉強を重ねた結果、世界に名だたる賢者の一員になれた。

だが、奴は人類に絶望していた。先進国がリードはするが、不当な貧困や終わらない内戦。そしてその犠牲となる罪のない人々。このままでは地球は逼塞し、人類はいつまでも歩を進められずに窒息死してしまう。そう言ってエンリケは私たちの前に黒い球体を見せた。これは人類の希望だと誇らしげに。

それはガンツだった。君たちが利用している物の原型(オリジナル)だ。

 

「それだけなら私たちも力になろうと思った。だが、それはできなかった。」

長い足を優雅に組んで話し続けるターナーの仕草は、とても元少年兵と思えないくらいスマートだった。思い返せばマザーもそんな特徴は見られなかったと思う。

「奴は、エンリケはガンツを使ってある目的を成し遂げようとしていた。当代誰も成し得なかった究極の計画を。」

「究極の計画?」

「人類の進化。」

一瞬、目が点になった。エヴァンゲリオンみたいな与太話を大真面目に話している凄腕のスパイ。これが演技だったら爆笑か失笑の二つに一つだろう。ぼくも場所が場所なら吹き出していたところだ。でも、ターナーの目はどこまでも本気だった。

「しかし、エンリケは一方的な押し付けは嫌う、フェアプレーを志す男だった。いっそ狂信的なほどに。そこで奴は人類にチャンスを与えることにした。スカイネットだ。」

「じゃあ、アンタがパーティーで喋ったことは…」

「ガンツの技術を使ってスカイネットという強大な敵性体を生み出し、世界規模での災厄を引き起こして国々の統合を促進、人類滅亡の危機に立ち向かわせる。それが奴が考えた『ゲーム』だった。勝てばそのまま、負ければ進化。実にシンプルなルールだ。」

「だったら何でガンツはぼくらに味方するんだ。それもゲームか?」

「その通りだよ。スカイネットの圧倒的な物量に対抗するには、人類にも相応の力が要る。そのために奴はわざと抵抗軍の管理下に置かれた。ついでに言えば、君のループ能力もハンデの1つでしかない。」

静かな衝撃がぼくの全身を激しく揺さぶった。マザーから託されたうちの1つだと信じてた力が、ただのお情けでしかなかったという事実に、歯がガチガチと鳴る。

「私とマリナは奴の考えには賛同できず、敵対する道を選んだ。マリナは軍に入り、私は諜報(うら)の世界から彼女を支えた。まさか彼女がループに巻き込まれるとは思いもしなかったがね。ある意味では必然といえるだろうが。」

ぼくが全体を震わせているのを見つめながらゆっくりと続ける。

「さて、ここからが本題なんだが…あるとき、私たちに1人のロシア人が接触してきた。名前はシメオン・スロノムスキー。」

聞き覚えのある単語にピクリと勝手に反応する。そうだ。よく知ってる名だ。何せぼくの幼馴染の父親なのだから。

「その男は私たちの行動を単独で察知して、過ちを償いたいと協力を申し出た。彼はエンリケの親友で、『モスクワのラマヌジャン』と称されるほどの天才数学者だった。エンリケとは大学で出会い意気投合して、秘密裏に共同研究を立ち上げ、1つの数式を生み出した。」

そう言ってターナーが取り出したのは夥しいアルファベットや記号が並んだ一枚の紙切れだった。数年前まで理系の勉強をしてきたから、断片的には分かったけど、専門家でもないからほとんど理解不能だった。

「この式が何だって言うんだ。」

「本人の弁を借りるなら『物質及び情報の相互干渉を表す関数』だそうだ。簡単に言うとこれを使えば物質を情報化できる。ガンツの根幹を成す基礎理論だ。」

ひどく単純な物言いだったが、このときのぼくには衝撃的な一言だった。物質の情報化。それはすなわち物質を情報体に還元できるということだ。つまり物質をデータのように永久に保存したり、コピペのように無限に複製することも出来る。これを利用すればエネルギー問題どころか、いくらでも物質を生成してあらゆる問題をクリアにしてくれる。無から有を生み出すという点では、熱力学の諸法則を根本から覆す世紀の発見だ。

それがガンツにも使われている。そう思えば、ガンツの未知の技術にも納得ができた。だが、ターナーは

「しかし、エンリケはその先を求めていた。それが奴の最終的な目標だった。」

と苦々しく唇を噛み、紙をライターで燃やしてしまった。この男にしては珍しく冷静でない様子だ。

「奴は魂の情報化を実現しようとしていた。そうすることで人々の精神をガンツに取り込み、新たなる生命体に進化しようと画策していたんだ。」

普通なら荒唐無稽な作り話として笑われるだろうが、これまで何度もガンツの力を見てきた身としては、反論する材料が見つからなかった。しかし、魂の情報化なんて本当に出来るのだろうか。もしそうなら人類の存続どころの話じゃない。ぼくの考えを読み取ったのか、ターナーが深く息を吐いて向き直る。

「だが、エンリケはそれができなかった。実現したのはスロノムスキーだ。彼はどうにかその数式を隠すことに成功したがすでに遅く、エンリケはガンツに意識を転送して計画を実行に移し始めた。奴はこの一連の数式を『救済の方程式』と呼んだが、私たちからすれば『パンドラの方程式』だよ。」

パンドラの方程式。飾り気のないネーミングだけどピッタリの名前だと思った。少なくともぼくはそんな未来は望んでいない。

「さあ、私は全て話した。何か質問はあるかな?」

席を立って見下ろしてくる鋭い眼光に、ぼくは1つだけ聞きたいことがあった。

「アキラは無事なのか? 今どうしてる?」

「心配しなくてもいい。我々が責任を持って安全を保障する。ある意味では君以上の希望になり得るのだから。…そろそろ時間だ。済まないが君にもやってもらうことがある。」

すると彼の背後のドアが開き、1人の眼鏡をかけた若い男性が白衣を纏った人々を数人引き連れて近づいてきた。

「もういいですかMr.ターナー。予定を30分オーバーしているので。」

「ああ分かってる。後は頼むぞ。」

入れ替わりにやってきた男たちに囲まれながら、ターナーを見続けると扉が閉まる直前に顔だけ振り向いて言われた。

「思えば君の能力も『方程式』の産物かもしれないな。情報と時間は密接に繋がっているからして。」

 

ぼくを取り囲んだ男たちは、1台の手術台にぼくを寝かせて手足を拘束し直した。その間に逃げようとも思ったけど、隙間なく武装した警衛たちが小銃で威嚇してたので仕方なく諦めた。拘束が完了した途端、眼鏡の男がぼくの頬を殴った。大して痛くはなかったものの、角度が悪かったのか口の中が切れて鉄の味が広がる。

「ったく、ようやくチャンスが来たと思えば、男が実験体とはな。どうせならぼくも例の日系ロシア人を相手にしたかったよ。」

「それはお気の毒に。ところで君は? ターナーの仲間なのか?」

当面の疑問を口にしたら、もう一度殴られた。今度は鼻に当たり、血が流れる。

「勝手に喋るんじゃない。いいか。今からはぼくがお前のご主人様だ。寛大にも命令は1つだけ。言われたら全部ハイと言え。まあ、名前くらいは教えといてやる。キアラン・イーリーだ。よく覚えろよ。ジャップ・ザ・リッパー。」

尋ねてもいないのに、イーリーはよく喋ってくれた。どうやらぼくは新しい軍事技術の実験体(モルモット)に使われるらしい。イーリーは小さな家電会社の親元で育ったが、アキラと同じく10代前半でバージニア工科大学に入学した直後、同校の銃乱射事件で多くの知人を殺され、アジア系の人間に極度の不信感を抱くようになったそうだ。それ以前にも米国のスクールカーストの洗礼を受け、酷く偏重した性格を形成したらしい。

カウンセラーの資格を持ってるわけでもないのに、ここまで分析できたのは事実彼がよく口を滑らせたからだ。そういう意味では非常に分かりやすい人間と言える。そして手術台の隣にあるトレーに置かれた器具の数々。ドリル、ノコギリ、ペンチ、エトセトラ、エトセトラ。彼が何のためにここに来たのかは分からないが、これから起こることだけは確実に予想できた。

実験は過酷を極めた。詳細は告げられなかったけど、ぼくを徹底的に痛めつけるのが彼らの仕事なら、新しい拷問でもテストしているのだろうか。その内容は爪剥ぎや水責めなんて軽いものじゃなく、古代ギリシャ発祥のファラリスの雄牛や中世の鉄の処女(アイアンメイデン)から最新の薬理的なものまで、世界中のありとあらゆる拷問をフルコースで受けさせられた。

千切れた腕は最低限の止血処置を、こじ開けられた腹にはミシン糸で縫合されるに留まり、実験は続けられた。もちろん麻酔なんてもらえず、眼球にドリルを突っ込まれ激痛のあまり殺してくれと叫んでも無視され、その痛みも感じないほど反応が鈍くなったところでやっと殺す。

しかし、ぼくは死ぬと時間を遡る。何度も死ぬような羽目に会って、ようやく解放されたと思って目が覚めると、さっきの手術台に逆戻りだ。そして連中は体に貼った電極からパターンを読み取り、何らかの薬物を注射して再び生きたまま解体作業に移る。その繰り返しだ。

けど、そんなことを何百回もされると、いい加減慣れてくるものだ。少なくとも指の骨を折られた程度じゃ声を上げることもなくなった。あまりにもルーティンされた1日のせいで、目が覚めると今日は何の拷問だろうと考え出す始末だ。

それが気に食わなくなったのか、イーリーは新しい趣向を用意した。拷問を食事制限、睡眠妨害などの生理的なものに切り換えたのだ。身体的苦痛にしても、性器をハンマーで砕く、ハサミで切り落とすといった猟奇的な手口を選ぶようになった。さらにはどこから連れてきたのか、欲に飢えた死刑囚にぼくを差し出し、好き放題にケツを掘らせたこともあった。

無間地獄だった。銃弾で貫かれる痛みは一瞬だが、戦場とは違いここでは変態どもの粘着質な殺意と苦痛が真綿で首を絞めるように、ジワジワとぼくを嬲り回す。そして時間は巻き戻り、連中の欲は満足することなく、再びぼくに注がれる。

本来拷問とは対象を疲弊させて必要な情報を絞り取るものだが、その対象に何の情報的価値もなく、ただ容赦なく苦痛を与えるだけが目的となったら、一体何に縋ればいいのだろう。肉体と精神の極限を表現するならば、今のぼくと言っても過言ではないかもしれない。

 

そして、第3段階。椅子に拘束されたぼくの目の前には、分厚いアクリル板を隔てて裸のアキラが手足を縛られ転がされ、半裸のイーリーに襲われていた。どうやらレイプしてその痴態をぼくに見せつけるのが趣旨らしい。

「オラ、ちゃんとぼくを楽しませろよ! このアカの手先のおフェラ豚が!」

鍛えられたしなやかな肢体のアキラを、やや腹をダボつかせたイーリーが髪を引っ張り上げて覆いかぶさっている。初めは「ぶっ殺す」と叫んでいたアキラも、何度も殴られて今は無表情に天井を見るだけだ。

そんな光景を鑑賞させられているぼくはと言えば、興奮はもちろん憤怒も憐憫も感じなかった。最初は体を破壊され過ぎて、EDにでもなったかと思ったけど、ただぼく自身が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だけだと分かった。

寧ろ不思議だったのは、アキラに同情もしない自分だった。普通旧知の知り合いがこういうことをされたら、憎しみを露わにしてすぐにでも飛び掛かりでもするだろうが、生憎とぼくはそれもなく、ただ眺めているだけだった。ひょっとしてイーリーらと実験を重ねるうちに、自分もサイコパスの一員になったのだろうかと考えたものだ。

ズボンをずり下げて腰を振るイーリーと、同じようにブラブラと揺れる白くて細い脚に、ジャラジャラと鎖が絡みついているのを見て、何となく感じたことを呟いた。

「つまらないな…」

アキラの蹂躙が終わって数時間後、いつもの拷問部屋で何重にも縛られているときに、意外な人物が面会に来た。

「やあ久しぶりだな。君にとっては何日ぶりだろうね?」

主観時間も分からないほど時間が経ったせいか、ターナーがやけに若く見えた。さっきまで睡眠をギリギリまで削られてたせいで、頭がクラクラする。

「さっきは済まなかったね。私が目を離した隙に、イーリーがアキラ君を強引に持ち出してしまったようだ。彼は神経科学のスペシャリストなんだが、研究テーマが倫理に触れるものでな。学会から追放されたストレスを発散したくて、あんな暴挙に及んだらしい。元々自制が効きにくい性格なのも原因の1つかもしれないが。」

珍しく悼む表情を見せたターナーだったが、それだけのためにわざわざここに出向くとは思えない。何にしても眠たくてしょうがないから、こっちから切り出すことにした。

「それで他に言いたいことは?」

「ああ。ついでに君には教えておいた方がいいと思ってな。彼女の婚約者(フィアンセ)のことだ。」

婚約者。確かカルロス・デインとか言ったか。でもそれがぼくに何の関係があるんだろうか。

「名前はカルロス・デイン。抵抗空軍第44機動航空団に所属。かつてはエドワーズでテストパイロットに従事した経歴を持つ凄腕だ。君も面識があるだろう。」

思い出した。確かヨコスカが襲われたときに、アキラと一緒にいた金髪の男性だ。戦闘中だというのに、妙に落ち着いていたのが印象に残ってる。

「アキラの話では亡くなったそうだけど。」

「そうだ。公式発表ではインド洋上空の敵部隊と交戦してKIAとなった。しかし、これは虚偽の報告だ。」

飛行機乗りならいくらでもある死に方だけど、ぼくはその話に興味が湧いた。今の発狂しそうな状況を少しでも忘れられるなら、この際不謹慎だとかどうでもいい。それにアキラの相手がどんな男なのかも気になった。

「彼は我々の同類だった。秘匿されてはいたが、カルロス・デインは情報管理局に引き抜かれていた形跡がある。パイロットという立場を利用して、同盟国の偵察を任されていたんだ。」

意外な事実に少しだけ瞼が上がる。過去にもインテリジェンスの連中と仕事をしたことがあったが、そのときの連中が放っていた隠微な雰囲気に比べたら、カルロスは典型的な陽気なアメリカ人の感じで微塵も同業者とは思えなかった。

「じゃあ本当の死因は?」

「彼はアキラ君と将来を約束し、それを契機に局から足を洗おうとしていたが、局は条件として最後の指令を下した。イラクで遂行中だった極秘任務で勃発した事件についての調査だ。」

イラク、極秘任務。その単語にぼくの記憶領域が著しく刺激される。未だに頭の片隅で巣食っている忘れられるはずのない情景。予想もしなかった展開にぼくの意識は急速に引き上げられ、その結末を容易に予想してしまった。

「カルロス・デインは現地の空爆部隊の応援を装って潜入し、命令を受けてモースルの上空まで飛んだ。そこで彼はある騒動を目撃して、思わず記録してしまった。」

数分前とは比べ物にならないほど覚醒した中で、ターナーが1枚の写真を取り出した。空から撮ったため強烈な火炎と立ち込める煙でほとんど覆われてしまっているが、中央には白い何かを抱えた黒い影が僅かに覗いている。それは事件後に押収された資料の中から、偶然見つけたあの写真とほぼ同じ構図だった。

「騒動の後、彼は隠蔽されたこの事実を世に問うべきだと結論した。そのために式を一旦延ばし、マスコミと連絡を取ろうと動いた。しかし、この解放作戦には当時多くの国が絡んでいた。表面上は静かなものだがエネルギーの不足は深刻なものだからな。アメリカも石油の一代産出地帯である中東を失いたくはないし、イラクとしても抵抗軍のトップに君臨するアメリカに見限られるわけにはいかない。そこからはお決まりの筋書きだ。」

「暗殺か。」

「古来から使われ続ける常套手段だ。裏を返せば彼の持つ情報は、それほどの破壊力があったのさ。恐らくは軍への信頼低下による戦争継続期間が5年は延びただろう。そこから生じる犠牲と1人の命。どちらを取るべきかは明白だ。」

つまり彼が死んだのは国家間の思惑故であり、そもそもの原因はあの惨劇だ。その惨劇を引き起こしたのはぼくであり、じゃあカルロスを死なせアキラの未来を奪ったのは-

「ぼく…?」

ぼくが殺した。アキラの大切な人を死に追いやり、知らなかったとはいえ当然のように一緒に過ごし、あまつさえ快楽を共有したこともあった。例えようのない皮肉に全身が硬直するが、ターナーの次の一言で今度は別の感情が去来した。

「そう自分を責めるんじゃない。彼女は全部知っているよ。」

「え…?」

知っている? それはつまりぼくが婚約者の仇だということを?

「正確には私が伝えた。このままでは不憫だと思ったのでね。無論、君の正体や作戦内容といった点はぼかしておいたが。最初は信じてもらえなかったが、さっきの写真で納得してくれたよ。それからどうだ。何と私に仇討ちに協力しろと言ってきた。全く驚いたよ。」

おかしげに膝を揺するターナーに、ぼくは不信感を募らせた。コロラドの生活が軍の命令-多分ワグナー中佐も噛んでいる-ということは分かってる。けどこの男はそれ以前にアキラに接触していたと言ったのだ。それにアキラも承知の上で乗ったということは、共同生活を仕組んだのは、目の前のコイツ。

「お察しの通りだ。君たちを引き合わせたのはこの私だよ。」

聞きたくなかったことをサラリと言ったターナー目掛けて飛び掛かる。しかし、手足の幾つかを欠いている状態でまともに動けるはずもなく、椅子が数cmほど進んだだけだった。すぐに物音を察知した警衛に取り押さえられ、出口に向かうターナーの背中が遠ざかっていく。ぼくはそれをただ見つめることしかできなかった。

それからイーリーの実験は続き、プレス機による圧殺、四肢をもぎ取ってからの失血死、猛獣に腸を貪らせるなどなど、バリエーションに満ち満ちたスクラップショーが延々と繰り返され、ビチャビチャと肝臓やら腎臓やらが飛び散るのを眺めるうちに、気づけばもう捕らわれてから5日を迎えていた。



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38.走馬燈

誰かに呼ばれた気がした。静寂が支配する真夜中、裸のままシーツに包まっていたアキラは、ふと目を覚ました。隣には同じく裸の背中が横たわっており、ゆっくりと上下している。それをしばらく見つめていたが、何となく彼の様子が気になって顔を覗き込もうとしたとき、向けられていた背中が寝返りを打ってアキラが見ようとしたものを晒した。

昔と比べ太くなった腕に厚くなった胸板。細くあばら骨が浮き立っていた胴体は、しなやかな筋肉に覆われシーツの上からでも分かるくらい鍛え上げられている。最後に見た時よりよほど逞しくなった肉体に、つい目を奪われそうになってしまい、すぐに視線を逸らすとそこにはタクミのあどけない寝顔があった。

その間抜けそうなツラはちっとも変わらないが、昔と違うのは20代の張りを見せる左の頬から首筋を伝って胸の近くまで大きく横切った一筋の切り傷だ。ヨコスカの戦闘後にガーゼで覆ってた箇所と一致するその傷は、月明かりに反射して少しだが妖しい雰囲気を醸し出し、得も言われぬ色気を錯覚させる。

思わず唾を飲み込み半ば無意識にその痕に指を這わせたが、喉の辺りをなぞったときタクミがピクッと動いたため、すぐさま手を引っ込める。しかし、起きる気配はなかったのでもう一度、少し慎重に喉をなぞってみる。

こうしていると普通の恋人のように感じる自分がいる。一緒の家で暮らし、一緒に起きて、食卓に並び、働き、たまに晩酌、寝る。少し前までは知ろうともしなかった普通の幸せが、フワフワとしたベールを纏ってアキラを包み込む。時折、本来果たすべき目的を忘れそうになるほど、今の暮らしは悪くなかった。

ちょうどこんな風に。胸の端までなぞりきった後、手櫛で髪を撫でたり頬を突いたりして遊んでいたが、その肌の主が何か言いたそうに口をパクパクさせているのに気づいて、そっと耳を澄ませてみる。

ここで私の名前を呼んでくれたらキスでもしてあげるのに。彼と身体を交わすようになって久しいが、キスするのはムードを作るためにするのみであり、まともな意味でしたことは一度も無い。意識のない相手に一方的にするのはポリシーじゃないけど、偶にはいいじゃないかとも思って顔を近づけると

「マザー…」

と呟くのを聞き、今までの暖かな空気が一気に霧散するのを感じた。

「セシル…レイ…ごめんね、ごめんなさい…ぼくのせいで…」

なんで、どうして。今はアンタ以外に興味はない。アンタが隣に居ればそれでいい。そう思ってかつての約束を違えてまで抱かれたのに、どうしてアンタは他の女の名前を呼ぶの。これじゃ私が…

その拍子にこれまで抑えてきた黒いマグマが沸々とこぼれ出し、その脈動に促されながら僅かに日焼けした首に手を掛ける。あくまでもゆっくりと、壊れ物を扱うように。それに連なって眉に皺を寄せるタクミを目にして、新しいマグマが噴き上がる。

そうだ、目的を忘れるな。コイツはお前の愛する男を殺した張本人だ。お前の幸せを滅茶苦茶にした敵だ。情けはいらない。復讐を遂げるのだ。そのためにお前はコイツに身体まで差し出したのではないか。

頭蓋に響き渡る声が告げるままにグッと力を込める。いつの間にかかいた汗が、苦悶の表情を浮かべるタクミの顔に滴り落ちて―

 

ガチャリと施錠される音が聞こえたのを知覚して、アキラは6時間ぶりに目を覚ました。貫頭衣のままで空調が効いてないこの牢屋は少し寒い。ブルリと身震いしたアキラは簡易ベッドから起き上がり、鉄格子を開けて入ってきたターナーを真っ直ぐに見据えた。

「そう怖い顔をしないでくれ。私はイーリーのような真似はしない。」

そこまで知っているのか。隠そうともせず舌打ちし、傍にある椅子を蹴って滑らせターナーを座るよう促した。

「さあどうだろうな。アンタもこんな穴蔵に籠ってちゃ、かなり溜まってんじゃない?」

「その手の訓練も受けている。平気だよ。それより今後のスケジュールを伝えようと思ってね。」

脇に抱えていたパッドを操作し、1つのインデックスページを表示する。

「君のお仲間にGINSを使ってメッセージを送った。じきに救援に来るだろう。」

「何で? そんなことしてアンタらに何のメリットが―」

「君の役目は終わった。だから返すのさ。」

やけにアッサリとした物言いに眉をひそめる。始めは慰めものとなった今の自分を皮肉っていると考えたが、この男の言うことには、1も2も裏があり過ぎる。

「へえ役目ね。あのメガネは満足してくれたってこと?」

「見たところそのようだったが…まあいい。そもそも私が君を連れてきた理由は、君のお父上が呼んだからだ。」

「スロノムスキーが?」

「もう見たと思うが、彼が眠っているあのモノリスはエンリケが造り出したガンツとは全くの別物だ。そのせいかいかなる手段を用いても中枢部に辿り着くことは不可能だった。だが君を得て記憶を読み取ることで、解除条件を絞り込むことが出来た。スロノムスキーが要求したのは、君の全身に張り巡らされた静脈パターンだ。君がVRを体験している間に頭の中をサルベージさせてもらった。」

「それを調べてどうする気だよ。私もあのクソ親父と一緒に彫刻(レリーフ)にでもする?」

売り言葉にターナーが返したのは買い言葉ではなく、膨大な人物名と写真が添付された画面だった。6年以上前から数週間前までの日付が並び、その頭には自分の名前があり次の欄にはタクミが、さらに下に参謀本部の幹部が名を連ねている。

「スロノムスキーが失踪してからのスカイネットが更新したキルリストだ。コガ君は2番目、1番は君だ。これから分かる通り、エンリケにとって君はジャップ・ザ・リッパーよりも危険な脅威なんだよ。だからこそ、彼を君の許に置きもした。」

タクミを私の許に。じゃあ、あの命令は軍じゃなくこの男が―

「通常なら私の部下を配置させるのだが、護衛と言う意味ではコガ君以上に勝る者はいない。それに彼にも心を許せる拠り所が必要だった。あの事件が起こった後の状態では、しっかりと休養を取らなければならない。そこで心理分析官が出した答えがコロラドの共同生活だ。コガ君が君のボディガードを、君が彼のメンタルケアを。ギブアンドテイクさ。事実、君はよくやってくれた。彼に親身に接してくれたお陰で、再び戦えるようになったのだから。」

懐かしいセーフハウスの光景が蘇る。早めに仕事が片付いたアキラは、久しぶりにサプライズでも、と連絡なしに帰った時だった。居間に入ると変な匂いが立ち込めており、ソファにはガラスのパイプを口にしたタクミが虚ろな目で煙を吸っていた。それが何なのか瞬時に悟ったアキラは、パイプを取り上げて二度とするなと土下座して誓わせた。

いくらコロラドが麻薬を合法化していても、タクミが手を出すとは思わなかったのだ。医者から勧められたとは本人の弁だが、今からすればそれほどタクミの心は崩れかかっていたのかもしれない。だとしたらメンタルケアの意義もあったと考えるべきだろうか。

それにこの男のことだ。誤解を招かないよう互いに自覚させることなく立ち回っていたのだろう。自分がタクミに付け入るために女の武器を使ったことも承知済みのはずだ。失意に叩きのめされ、頭を垂れるアキラをよそに会話は続く。

「静脈データを入力した結果、スロノムスキーはエンリケへの対抗策を提示した。僅かだが最善とも言える策だ。実は私が上層部に通告した期限は、エンリケが次の段階(セカンドステージ)に進む時刻なんだ。密かに回収したT-800のデータに収まっていたが、刺激の強い物だったので抵抗軍には渡せなかった。」

「次の段階…ッ! まさかT-800を使って…!」

「主要拠点を制圧し、その支配を強固なものにするはずだ。その際に発生する犠牲は計り知れず、これまでの社会体制も一変する。まさにカタストロフィだ。しかし、まだ希望はある。スロノムスキーが君たちの脳内チップを上書きして、エンリケの目からその存在を隠す。時間稼ぎ程度にしかなるまいが、十分な措置だ。」

脳内にチップ? 何のことかと疑ったアキラだったが、すぐにその明晰な頭脳を稼働させる。物質を情報化させる技術の話は聞いている。しかし、生身の人間を直接データに変換するのは大きなリスクがあるはずだ。それを無効化する媒介があったとしたら。その媒介が身体で最も情報が集積する部位に埋め込まれていたとしたら。

「ガンツを破壊できる唯一の救世主と、因果律すら書き換える最強の兵士。君たちは人類最後の希望なんだよ。それを守るためならどんな犠牲も厭わない。それが私の『役割』だ。ならば君も成すべきことを成せ。」

そう告げたのを最後にターナーは鉄格子の向こうに消えた。再び訪れた冷たい静寂に包まれながら、アキラはベッドに横たわり耳を塞いだ。今はこの静寂すら痛い。何よりコンクリートに囲まれたこの空間が、一層人肌を恋しくさせる。

最初にイーリーに襲われた後、アキラはベッドに突っ伏して一晩中泣き明かした。心の底から死にたいと思った。こんな屈辱を味わうくらいなら、あのポッドの中でターミネーターどもにズタズタにされる方がよっぽどマシだ。

その日からアキラもまた地獄に放り込まれた。目が覚めるとポッドに沈められ、ごっこと言えないほどのリアルな死の感覚を何度も体験し、半ば意図的に黙認されたイーリーに連れ出され、歪んだ欲望の捌け口にされた。

「見ろ! ぼくを見ろ!」

始めは単に殴る蹴るで屈服させるだけだったが、イーリーの性癖はアキラという美しい器を自分のものにしようと、ガラスの向こうでタクミに見られながら犯した。タクミの死んだ魚のような目が、アクリル板に映る自分のそれと同じだったことを覚えている。その後は何となく気持ち悪くなり、ひっきりなしに吐いた。

『ギャアアアァァァァァァァァ!!!!』

『ふむ、前と比べて反応が弱いな。次はBのアンプルを投与しろ。』

特大のペンチで指を捩じ切った観察員が、生々しい肉が潰れる音と悲鳴に顔色一つ変えず1本の注射器を首筋に刺し込む。すでに無数の電極が突き刺さった血だらけの体が、時折反射的にビクッとするものの、体の持ち主に意識があるかは疑わしかった。

『あ、あひっ…え、ええ…あひっ…ひっ…』

4日目にはあのとき助けようともせず、ただ見ていただけのタクミの無表情な顔が、人間がするとは思えないほどの悲鳴と絶望に満ちた顔に変わった。これまでのタクミの記憶を読み取って編集した拷問の映像を、無理矢理見させられたのだ。

その中身は殺人ビデオ(スナッフフィルム)の比ではなく、人間の狂気の全てをぶちまけたかのようで、プロメテウス計画で疑似的とはいえ吐いて捨てるほど殺されたアキラでも、何度も目を背けたくなるような惨状がタクミに降りかかった。

イーリーの凌辱が長引くほど、アキラの心は冷え固まっていった。私は機械だ。今私たちがしている行為は、2つの肉の塊が繋がっているだけだ。そう思うことで少しでも早く地獄が終わるのを待った。そんなとき、心に浮かぶのは今も別の場所に捕らわれている幼馴染の軟弱そうな顔だった。

 

そういえばいつからだっけ、アイツが気になるようになったのは。コロラドの生活では最初は怒りと恨みでいっぱいで、何度も背後から撃ち殺そうとしたか分からない。コイツさえいなければ、と。だが、殺そうと思う度に日本に居た頃の思い出がフラッシュバックし、幼いタクミの困った顔が浮かんでは消え、結局はトリガーを引けずに終わっていた。

そんなある日、残業で夜遅くに帰宅したアキラは灯りが点いているのに気づき、リビングに入ると食卓に突っ伏して寝ているタクミと小さな鍋、布を被せたいくつかの小皿があった。毎日家事と仕事に追われている苦労を知っているため、無理に起こそうとはせず、ひとまず気になる鍋の蓋を開くと、故郷(ロシア)の伝統料理であるボルシチが湯気を立てて美味しそうにシーリングライトに反射していた。

すると間を置かずに天井の照明模様が華やかな噴水に変わり、部屋の四隅からクラッカーがパン!と派手に鳴った。いきなりの部屋の変わり様に呆気に取られた隣で、タクミが目を覚ましいつも通りのボケっとした目で状況を確認するうちに、半眼だった瞼が見る見るうちに全開になるのに比例して、顔は瞬く間に青ざめていき、仕舞いには慌てて立ち上がった拍子に、椅子の脚に引っ掛かって盛大にすっ転んでしまった。

「何ボケてんのアンタ。」

眼下でゴロゴロとのたうつタクミを、ため息をついて引っ張り上げる。バナナの皮を踏んだときの、マンガみたいな転び方をしたせいで、強打した後頭部を撫ですさるタクミ。幸いにもカーペットの上だったので、大事に至ってはいまい。もっとも、こんなことで一々心配するアキラでもないが。

「か、帰ってたんだ。お帰りアキラ。」

「こんな時間まで起きてるなんて珍しいな。それにどうしてこんなの作ってんの?」

「だって今日は君の誕生日じゃないか。」

もう昨日になっちゃったけど、とカレンダーを指した日付は確かに自分の生まれた日だった。すっかり忘れてた。両親が先立ってからこの方、アキラは自己鍛錬に躍起になって、それどころじゃなかったのだ。それは新しい生活に移ったときも変わらなかった。

「だから今晩はロシアの料理に挑戦してみたんだけど…あ、ケーキは余裕なかったから買ってきたんだ。」

布を取ると皿の上にあったのは、ピロシキやビーフストロガノフなどの典型的な郷土料理の数々だった。絵といい料理といい、男のクセに無駄に器用なところが憎たらしい。

「ちょっと驚かそうと思って用意したんだけど、全然帰ってこないからまた残業で泊まり込むんじゃないかと思った。でも良かった。まだお祝いできるよ。」

心底安堵した様子で胸を撫で下ろし、手っ取り早くアキラを着替えさせ、冷めないうちにとテーブルに座らせる。帰ってきたばかりで疲労困憊の身としては濃い目の味付けは鬱陶しいし、ぶっちゃけ今すぐベッドに倒れこみたい。

いつもなら怒鳴って撤回させるアキラだが、今回はその気力もなく仕方なしにドッカリと腰かけた。大体、ここまで豪華な準備をしてもらって、はいそうですかと無視できるほど図太いわけでもないのだ。

「頼んでもないのにマメな奴。」

「年に1回の特別なんだからいいじゃないか。それに今回は少し自信作なんだよ?」

珍しく目をキラキラさせるタクミを一瞥し、渋々よそわれたボルシチを口に運ぶと、アキラは何故か少し固まってゆっくりと顎を動かし、再びスプーンで一杯分すくう。そしてまた無言で口だけ動かして、もう一度スプーンを浸ける。それを数回繰り返すが、何も言う気配はない。それどころか食べる度に手を動かす間が長くなり、段々と顔も俯いてくる。もしかして不味かったのかもしれない、とでも思ったのだろう。タクミが様子を見ようと近寄り、肩に手を掛けてきた。

ああ、もうダメだ。そこが限界だった。食べかけのボルシチの赤い表面にポトリと透明な液体が吸い込まれ、間を置かずに次々と新たな波紋が広がっていく。アキラはいつしか自分が泣いてるのに気づいた。なぜ泣いてるのかは分からない。ただ、どうしようもなく涙が流れた。

いや、理由ならあった。美味しかったのだ。目の前にある赤いスープが信じられないくらいに美味しかった。味自体は大したことはない。よく故郷で食べた本場のボルシチに比べれば、所詮は下手の横好きでしかないが、酸味の中に感じられる仄かなコクに、作った者の丁寧な気遣いがあった。このボルシチはアキラの身体ではなく、心に染み渡っていた。

タクミの料理がこんなに美味しいと思ったことはなかった。これまでの用意されてきた食事は飛び抜けて不味いわけではなかったが、舌が満足するほどでもなかった。けど、これは全く違う。今日という日を祝うために、タクミが懸命になって試行錯誤したものだと料理自体が語っている。その証拠に視界の隅に覗いた彼の指先には、いくつもの絆創膏が巻き付いていた。間違いなくこの料理は、自分のためだけに作られたものだった。

紅色にも見える真っ赤なスープから香る芳香や温かさが、滋養となって体に溶け込んでいく。その拍子にこれまで我慢してきたものが決壊してしまった。

親子の縁を切り捨てた父、その父しか見なかった母。まだ幼くして最も愛情を注ぐはずの存在に裏切られたアキラは世界の全てを憎むことにした。少なくともその間だけは胸のジンジンとした痛みは消え、独りぼっちでいることが苦しくなくなるから。それ以降、アキラに誰かを信じようとする気持ちは起こらなかった。

だからかもしれない。ヨコスカでアイツに再会したとき、懐かしさより先に嫌悪を感じたのは。当時のアキラは死に物狂いでパイロットの座を手にして実戦も経た栄え抜きで、一方のタクミは素人に毛が生えた程度の新兵。その世間知らずのぬるい顔を目にする度に、唾を飛ばしてやりたい気分だった。

けどその経歴から同年代どころか、ほとんど友人のいなかった境遇だったからか、どこかではホッとしていた。最初はどこかぎこちなかった再会が次第に紐解け、昔のように引っ張り引っ張られの関係になるのに時間はかからず、アキラは無意識に久々の温かさをくれたタクミを気にするようになった。

しかし、その関係性や自身の性格から気持ちを素直に伝えられず、気持ち自体を理解できなくて当たり散らしながらも、互いの過去を詳しく告げないまま幼馴染として振る舞っても、アキラはこの曖昧な距離感に満足していた。

また裏切られるくらいなら曖昧なままの方が良いから。

だから、タクミがマリナ・オーグラン(あの女)と一緒に居るのを見たときは、激しく動揺した。理由は分からないがとても嫌だった。彼女の声を聞くのも嫌だった。そして、襲撃後に倉庫で呆然としていたタクミを、心の隅でチャンスと思った自分自身も嫌だった。そこから2人の距離は急速に離れていった。

しかし、意外な形で両者は邂逅した。一方は罪悪感に喰われ、もう一方は復讐心を胸に秘め、互いに盤上の駒として利用されていると知らないまま。

コイツの前だけは、絶対に泣かないって決めてたのに。

そしてこの日の夜、復讐を遂げるはずだったかつての少女は、仇のはずの男に心を開かれてしまった。突然泣き出した同居人に戸惑いを隠せず、右往左往するばかりのタクミ。その胸中でどんな葛藤を繰り広げているかも知らず困り果てていたが、意を決したのか彼女の手を両手でそっと包み込んだ。

それだけだった。涙を拭くわけでも抱き締めるでもなく、ただその手を握るだけ。普通の男女ならこんな状況で取る行為ではないのだが、アキラにはそれで充分だった。思えばまだ幼稚園の頃、容姿の違いからよく苛められてたアキラを相手に、タクミはよく泣き止むまで手を握ってくれていた。そのときと変わらない温もりを感じたアキラは、一層しゃくり上げて思うがままに泣き腫らした。タクミはいつものようにちょっと困った優しい顔を浮かべながら、目の前の女性の涙が止まるまで手を離すことはなかった。朝まで。

次の日から彼は少し変わった。尻に敷かれるのは同じだが、出会ったばかりの死んだ魚のような目に僅かだが光が戻り、前より話をするようになった。アキラも段々と彼の姿を意識するようになったが、その想いを告げるには置かれた立場が悪かった。口で告げられない代わりに行動で気持ちを示そうともした。慣れてないくせに興味もない彼氏を作って―相手に悪いとは思ったが―嫉妬心を煽ったり、我侭を言ってみたり。

しかし、タクミが振り向いてくれることはなかった。散々体も許してきたのに、いつまでたっても同居人のまま。それでも諦めきれず遠回しのアプローチを繰り返す幼馴染に、アイツは決して踏み込もうとはしなかった。

どんなに近づいても必ず一歩退くタクミに、本当なら許されない思慕と幸せを奪われた憎悪で苛立つ日々。互いに秘密と罪を抱えて傷を舐め合う姿は酷く滑稽なことだろう。それでも、アキラはどうしても彼が欲しかった。

そして生き地獄で尊厳を踏みにじられ続けて5日目。銃声と共に惨劇が降ってきた。



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39.降りてきたもの

機会は唐突に訪れた。

ここ数日間と同じようにポッド漬けで延々と悪夢を見させられていたアキラは、ふとデータの空間が揺らいだのを感じた。初めは錯覚と思うほど小さかったヒビが、振動が続く度に振り子のように大きくなる亀裂に変化し、遂には天変地異と形容できるほどの巨大な揺れに呑み込まれて、次に目覚めたのは赤く点滅する円筒の中だった。

データの世界から現実に返ってくるときに感じる、血液が粘度を持ったような気怠さの中で、ふと目に入る複数の白い人型。恐らくは担当の研究員だろうが、酷く慌てた様子だ。そのうちの1人が取り付けてあるスイッチを操作して、ポッドからアキラを強制的に吐き出させる。

襲撃だ。どこから? 電源設備に損傷。いいから被検体(サンプル)を運び出せ。そこまで聞き取ったアキラは、ああ…そうか、と納得して自然と指先を呼吸確認のために覗き込んできた研究員の喉仏に伸ばし、ほんの少し力を込めた。

すると、研究員は触れた部分を手で押さえて、面白いように転げ回った。異変を察知したもう1人が腰を引かせたときにはもう遅く、顎に拳を打ち込んでやると簡単に気絶した。取りあえず周りを確認したアキラは研究員の白衣を引っぺがす。

「遅いぞ。どうした?」

ついでに護送のためにやって来た警備員をポッドの影から急襲し、拳銃を掴んで狙いを逸らす。作動部(スライド)が封じられて引き金が引けず狼狽する間は、アキラにとって力みを利用して投げ、トリガーを指に絡ませてへし折るのに十分だった。

無力化した面々から服を拝借し奪ったP228(シグザウエル)の弾数を確認する。まだ意識が鈍ってるせいで少し体が重い。だが、今は休んでる暇はない。ようやく頼りになる味方(REX)が到着したのだから。

 

6分前―

真夜中にスコープの中で呑気に欠伸する見張りの頭に照準(サイト)を合わせたシェリーが、いつものようにそっとトリガーを絞ると、そいつはドミノみたいにパタリと倒れた。これで5人目。核攻撃でひっそりと静まり返る倒壊した家屋の一角、運よく形が残っていたアパートの屋上で伏射姿勢のシェリーがSV-98の弾倉を換え排莢作業を済ませる。

「やっぱりスゲエな。全部一発じゃねえか。」

すぐ隣で高精度の光学式コンバットグラスで、標的の沈黙を確認したカザマが感嘆の吐息を漏らす。そんな横顔を一瞥してまた仕事に専念しようとしたシェリーは、ふと思いついた質問をぶつけてみたくなった。

「何でここにいるの?」

通常の狙撃任務では実際に目標を狙う狙撃手(スナイパー)と、風向きや周囲の状況を的確に伝える観測手(スポッター)がバディを組んで当たるが、シェリーの場合、本人の能力や2人だと気が散って集中できない理由から、いつも仕事は1人でこなしてきた。

そもそも観測手はもう1人の狙撃手としての役割もあるのに、この男の腕前がポジションを譲れるほど優れたものとは思えない。すると、カザマはジト目でシェリーを見た後で、敵陣の観察に戻りながら答えた。

「ブリーフィングで話しただろ。今回のモットーは『入念な下準備と正確なタイミング』だ。万が一を考えると、2人の方が成功率が高いだろうが。」

2時の方向の木陰に一射。6人目。

「じゃあ帰って。1人の方がやりやすいから。」

「そう言うなよ。これでも選抜射手(マークスマン)の訓練も受けてんだから。」

射程距離より30mほど離れてるのを加味して、斜め上に一射。7人目。

「だとしてもアナタに撃たせる気はない。だからさっさと行って。」

「タクミのときとは全然反応が違うな。ちょっと傷つくぜ…それに女の子にだけ汚れ仕事をさせるってのも、性に合わねえんだ。代わりたかったらいつでも―」

仲良く並んで突っ立っている2つの影に一射。仲良く倒れて8と9人目。

「無理ね。気づかれないように一回で仕留めるには、相応の経験が必要。それに、アナタに人殺しが出来るとも思えない。」

「…経験ならあるさ。オレはヤクザを殴り殺して少年院(ムショ)に入ったからな。」

この距離でも聞き取れるか怪しいほどの小声だったが、シェリーの優れた聴覚はその意味をしっかりと脳に伝達し、引き金に掛けた指をピクリと震わせた。しかし、持ち前の集中力ですぐに邪念を追い払い、本命を落とすべくスコープを覗いた。

シェリーたちが陣取っているのは、サファリ・エリアの南西に位置する瓦礫の一部だ。噂通りなら放射能塗れで専用の装備をしてないと動けないはずのフロリダは、意外にも空気は浄化されておりパーク内の見張りも防護服は纏っていない。さらにはサファリには、緑を8割は潰して建てられた広大な施設が鎮座しており、ナイジェルの情報通り灰色のポリバケツを数万倍にしたような巨大な煙突がそびえ立っていた。

「まさかかのテーマパークの跡地に核施設とはな。とんでもない連中だ。」

目標はそれじゃない。数十m手前にある変圧器の傍にある送電線の束だ。ナイジェルによるとそのうちの1本にセキュリティを制御するコードが紛れており、そこを潰すと対空レーダーやファイアウォールを含むパークに張り巡らされたあらゆる『目』がダウンする。

だが、システムをダウンさせるということは敵に警戒心を与え、一層守りが固くなることも意味する。それは今回の作戦には喜ばしくない事態になりかねない。そこでシェリーが受け持った任務は、ナイジェルが開発した特殊弾『ロイコクロリディウム』をコードに撃ち込み、システムを誤魔化すことだ。

ターナー一派の守りが非常に厳しく、ナイジェルのハッキングが通用しないとなると、奴らの盾の中に物理的に直接細工するしかない。そして化け物揃いとされるREXの隊員の中で、敵に勘付かれない距離から、正確に弾を届かせられる技能を持った人間はシェリーしかいなかった。

その距離約2100m。SV-98の射程(レンジ)を遥かに超える場所にある、直径15cm程度のケーブルにたった一発の銃弾を当てる。このターゲットはシェリーの人生上、最高位の難敵と言えた。それこそ命中したら神業だ。

「2時の方角から風。風速10m。気温24℃。」

滔々と流れるカザマの情報を経験というフィルターで変換し、コース、湿度、風圧、コリオリ力、火薬(ガンパウダー)の状態を加算して感覚を微調整する。引き金を引く前にパーク全体を俯瞰したシェリーは、荒涼とした焼野原の中で最低限とはいえ燦然と輝くアトラクションの数々を眺めて、ふとあのどこかにタクミがいるのだろうかと考えた。

古来から敵に捕らわれた仲間は救出されるときに、無残な姿で発見されるのがお約束となっている。さらに相手は諜報や拷問を仕事とするプロの集まりだ。そんな奴らに捕まったとしたらタクミは間違いなく―

ついその先を想像しそうになったシェリーは、寸前で頭を振って頬を叩く。また悪い癖が出た。昔から自分は重要な場面になるほどマイナス思考になりやすい。そのせいで数えるほどだが失敗した過去があるのだ。

忘れようと心を切り換えて発射姿勢に入ったが、人間の性質上、一旦思い浮かべた印象は意識的に抑えようとするほど頭に残りやすい。現にスコープの先には先程の映像が生々しく蘇ってきてしまっており、シェリーはいつの間にか呼吸が荒くなっていることに気付いた。

何をやっているんだ私は。大丈夫だ。こんな状態でもほとんど外したことはないし、何より同じ状況を再現して肉眼でも命中できるくらい何度もシミュレーションを繰り返してきた。それこそ、使用する銃のメンテや弾丸の火薬の調合も独自にしたほどだ。

だから私は大丈夫。いつだって冷静に1人で撃ってきた。どんな標的も、どんな敵でも。だから私は外すわけにはいかない―小さく震える指先を何とか律して、トリガーに置くが震えが止まる様子はない。そんな自分に舌打ちして拳を地面に叩きつけようとしたところで、シェリーは口に何か甘い味を感じた。

「落ち着けよ。時間はまだある。ひとまずキャンディでも舐めとけ。」

妙に間延びした様子のカザマが口元をコロコロと動かしながら、横から一粒の飴玉を差し出してきたのだった。その目はいつものキリリとしたものとは打って異なり、トロンと下がった眉はまるで昼寝から起き上がった後のようなだらしなさを感じる。

「…何をするの? 集中できないから止めて。」

「そんなに肩を上げ下げしてるのを集中してるとは言わん。どっちかって言うとゴリラの求愛ダンスだ。いいから食っとけよ。オレの好きなイチゴ味だ。」

また余計な邪魔が増えたと無視を決めたシェリーだったが、いざ一舐めすると何だか無性に甘いものが欲しくなった。その様子から察したカザマが

「オレちょっと小便。」

とデリカシーのないことを言いつつ、さり気なくキャンディの袋を置いていったのを見て、スコープから顔を離すことなく片手で器用にピンクの小さな玉を取り出して口に含んだ。

『時々だけどさ、近くなるのよ。』

口をモゴモゴと転がしてセシルが呟く。2人で撃ち比べると難易度が高いほど、偶にセシルに負けることがあった。自分たちが双子なら能力だって同じはず。なのに何で私が負けるの? と尋ねた先の返答だった。

『何ていうかなぁ...めっちゃ調子良いときに起こることがあるんだけど、ライフル構えてるのに相手が目の前に届きそうになるっていうか。体もやけにリラックスして弾のラインが見えるっていうか。何だか運命の赤い糸で結ばれる感じ?』

男勝りな姉の珍しく乙女チックな発言に、気味が悪くなる。そんな妹の視線に気づいたのか、面倒そうに髪を掻きむしったセシルは、仏頂面で言ったものだった。

『まあ、変に気張るのはアンタの欠点だからね。そんなに緊張するなら深呼吸とか甘いもの食べるとかしてみれば?』

物思いに耽っていると、飴が溶け切っていた。もう一つ食べたいが袋に手を伸ばすと、カザマに負けたような気がしたので、大人しく引っ込めて仕事にかかる。

そこにはさっきとは異なる世界が広がっていた。スコープが映すケーブルの細さは変わらないのに、シェリーにはそれが恐ろしく近くに感じた。手を伸ばせば掴めそうなくらいだ。さらに目標を見つめるほど余計な体の力が抜けていき、段々と銃口とコードに1本の線が引かれている錯覚を覚えた。

初めての感覚に戸惑ったが、同時に理解もしていた。そうか。アッラーが降りてきたんだ。降りて私に示してくださったんだ。だったら他のことは考えなくていい。私がするべきことは、ただ人差し指を少し曲げるだけ。

だからカザマが肩に手を置いても、全く気にならなかった。それどころか(アッラー)を導いてくれた彼が、イスラムに伝わる高名な預言者に見えるほどだ。今のシェリーにはあらゆるものが感じ取れた。今なら分かる。世界はこうあるのだと。

不意にもう片方の肩に金色の髪が踊るのを見た。姉さん(アナタ)も来たんだね。

لدينا بالفعل(いってらっしゃい).」

ただ一言告げてシェリーは指に力を込めた。

 

殺風景なタイル状のだだっ広い空間で、頭上に轟音が鳴り響いたせいでぼくは起床する羽目になった。50時間ぶりの惰眠を貪っていたのに、天井から降ってくる埃ですっかり目が冴えてしまった。いつもなら時計代わりに銃弾をぶち込まれて起きることも珍しくないのに、今日は比較的安全に起きられたことには感謝する。

どうやらいい1日になりそうだ。その証拠に手足を動かしてみると、()()()()()()()()()()()、精々手の爪が剥がされた程度の欠損しかない。痛みも感じるはずがなかった。拷問を受ける以外暇過ぎて半ば日課になっているストレッチと筋トレを終えると、前触れもなく扉が開きXショットガンで武装した男たちがぼくを取り囲んだ。慎重に警戒しながら手錠を嵌めて、外に連れ出される。

「何だかこうして大勢で歩いてると、ピクニックみたいだね。」

ずっと遠大な廊下を歩くのも退屈なので、大柄な背中に話しかけてみたが反応はなく、代わりに銃で小突かれて渋々足を進めることにした。その一歩を踏み出す瞬間、パンパンと散発的な音と同時に目の前の1人がグラリと崩れ、ついでに周りの何人かも手に空いた穴からドクドクと活気よく血を噴き出した。

唯一無事だったのはぼくの真後ろに居る奴で、不意打ちを決めた襲撃者を撃とうと殺気を前方に向けたのがマズかった。ぼくは自分も弾を食らったように倒れようとした直前で地面に手をつき、男の銃を蹴り飛ばす。捕虜の奇襲に面食らった男に、更に回し蹴りを放つと見事に顎にクリーンヒットした。

脳震盪で倒れ伏した男の服を素早く漁り、ケースに入った鍵で手錠を外す間に、ぼくは襲撃者が近づいてくるのを感じ、ついでに足音でその正体も判別できた。

「グズッてないで、さっさとしな。」

ガンツスーツに拳銃を携えたアキラが、丁寧にも護衛の足も撃ってXガンを頂戴する。その横顔は至極冷静で、数日―ぼくにとっては主観的に数年ぶりだが―見ない間に、比類なき猛者の風格を醸し出していた。これもプロメテウス計画の影響なのだろうか。

まるで自分の映し鏡を見ている気分になり、ちょっとだけ気持ち悪く感じてしまう。それでも、近くにいるときに漂う甘い香りは、昔から知っている彼女の匂いだと思った。

「何が起こってるの?」

「カザマたちが私らを助けに来たのよ。今は地上(うえ)で混戦状態。ナイジェルさんのお陰でセキュリティに穴が空いてるから、そこから逃げる。ほらこれ。」

そう言って投げ渡されたケースの中には、お馴染みのスーツとガンツソードが入っていた。早速囚人服みたいな布切れを剥ぎ取って袖を通す。

「どうやってこれを手に入れたの?」

「実験室から出る前にスロノムスキー(クソ親父)から渡された。前もって用意してたやつみたい。残念ながら刀は赤いやつじゃないけどね。」

「十分だよ。」

柄のスイッチを押して動作確認し、スーツの点検も軽く済ませて、転がっていたXガンを一丁見繕ってホルスターに収納する。さっきの()()()()で分かったことだが、今日はかなり体の調子がいい。何だか倍は軽くなったような気がする。やっぱり今日はいい1日になりそうだ。

 

最初の任務(フェイズ1)が無事完了しても、シェリーたちの戦いは続いていた。合流地点で拾ってもらって15分、シェリーは仲間と共にアトラクションを盾にして、マジックキングダムパークで激しい銃撃戦を展開していた。敵の規模が不明確な以上、こちらも出し惜しみするわけにはいかない。というわけで、本隊の3割に相当する数を編成して乗り込んできたのだが、予想以上に敵の反抗は激しかった。

特殊部隊顔負けの練度で動き、地の利を生かした巧みな配置で、こちらの出鼻を挫いている。しかし、悪くない。さっきの狙撃が効いたのか、未だに向こうの指揮系統には混乱が見られる。徐々にではあるが、流れは確実にREXに傾いていた。

「まったく『ロイコクロリディウム』とはよく言ったもんだな。」

傍らでカザマが必死な表情の中に、どこか愉快な様子を滲ませながらZガンで応戦する。

「そうね。」

とだけ答えたシェリーだったが、内心ではまさしくそのとおりだと思っていた。ロイコクロリディウムとは寄生虫の一種であり、カタツムリや鳥に寄生して生きる生物だ。ただ、この寄生虫は積極的に中間宿主(カタツムリ)から最終宿主(とり)に移ろうとする傾向があり、鳥に自身を食わせるためにカタツムリの触覚を芋虫みたいに擬態させ、さらには脳に取り付き意のままに操るという恐ろしい性質も持ち合わせている。

ナイジェルがシェリーに渡した弾丸には特別製のウイルスを仕込んでおり、それがコードに侵入してパークのセンサ類を欺瞞させたのだ。余談ではあるが、ロイコクロリディウムに興味を持ったシェリーは、こっそりネットで画像を調べてみたのだが、余りの気持ち悪さにしばらく弾丸を触ることさえ躊躇われ、そんな名前を付けたナイジェルにも、しばらく近寄ってほしくなかった。

「ほんとにアレは引いたわ…ナイジェル、ローガンからの連絡は?」

『まだだ。ハックしたカメラで追跡しているが、サルベージには時間がかかる。』

「早くして。敵も馬鹿じゃない。少しずつ立て直してきてる。」

『分かってるよ…ん!? おい、気を付けろ。奥から何か出て来たぞ!』

「もう見えてる。」

後続を潰そうとライフルを構えた先にそいつはいた。全身黒づくめな点はガンツの共通仕様だが、その黒は一際異様だった。

脚から胸部にかけて覆われたメタリックな装甲は鎧そのままのマッシブな印象を与え、肩部から張り出したアーマーから伸びる異常に太い腕には、全長に匹敵するほどの刀身が剥き出しになっている。さらに本来晒されたままの顔面部に宛がわれたマスクには、ポインターが細かく配列され、見る者に無数の目を向けられている気にさせる。

ハッキリ言って滅茶苦茶不気味だった。それと同時にシェリーは一目で直感した。コイツはヤバい。見たところガンツの強化装備らしいが、これまで扱ってきた武器とはケタが違うことだけは分かる。

どうする?

未知の敵を相手に判断を留保してしまったシェリーをよそに、デカブツはゆったりとした動作で片腕を立てると、()()()()()()()()()()()()()()。その光は瞬く間に射線上の障害物を塵に返し、偶々そのライン上で戦っていた人間は、触れた部位をゴッソリと抉り取られていった。

「ネッケル!」

カザマの悲痛な叫びが戦友に届いたのは、上半身を綺麗に吹き飛ばされた後であり、煙を立てて所在なく立ち尽くした二脚は、体の持ち主を探そうとして歩き出したが、初めの一歩でパタンとすっ転んだ。

「邪魔をするなよ。もうちょっとで完成するんだぞ。ぼくの軍事史を覆すほどの大実験が。」

悲鳴と苦悶が地面を這いずる中で、デカブツから不似合いなハスキーボイスが、纏わりつくような粘り気を放散する。どこか卑屈っぽそうで、しかし自分以外を認められないエゴが耳朶に絡みつくのを自覚したシェリーは、腹の底から訴え続ける警告に従って、考えるより先に銃を構えた。

「これでぼくは天才に戻れる。ようやく学会のお堅いジジイどもを黙らせてやれる。もう失わない。金も名誉も仲間も。そしてあのロシア女も。全部ぼくのものだ!」

長年溜まり切った鬱憤を晴らさんと、鋼鉄の咆哮を上げたデカブツに、シェリーは祈るしかなかった。

أشعياء الإغاثة لتغطية بالحساء(イザヤ救済のため来たれ).

 

アキラに連れ出されて早10分。ぼくらは追っ手を片付けつつ、出口を探して全力疾走していた。

「何かあちこち曲がってるけど、本当に大丈夫?」

「あのポッチャリメガネに連れ回されてるときに、いくつか目星付けといたのよ。少なくともアンタよりかは道を知ってる。」

勢いよく突っ走るアキラに今更ながら不安が過ぎる。こんな状況ならこの幼馴染はもっと喋りそうなタチなのに、今は妙に口数が少ない気がする。まあ仕方ないか。レイプ(あんな目)に遭ったんなら…

「ところでそっちこそ大丈夫なの?」

振り返ることなくふと流れて来た台詞に首を捻る。

「ほら、アンタも色々とされてたみたいだったからさ。体とかどうなのかって。」

「問題ないよ。さっき医務室で止血剤くすねてきたし。それに今はすごく体が軽いんだ。」

ちょっとばかり調子に乗ってアキラを追い越そうとすると、すぐに引っ張り戻された。前よりかなり力強くなってるみたいで、有無を言わさず後ろに着かされる。

「いきなり掴むなよ。伸びちゃうだろ。」

「確かに大したケガはないけど、出しゃばり過ぎだよ。それともうアンタも分かってんでしょ。」

「…うん。」

素直に頷いて彼女の背後に回る。回廊の先にある大きめの扉。あの奥からヤバそうな匂いがプンプン漂ってくる。でも、あそこを通らないと地上には出られない。ぼくらは進むしかないのだ。

それにしても、と亜麻色の長髪を見やる。想像以上の力だ。まさか今までぼくしか持ち得なかった危機察知能力を彼女も手にしたとは。その昔、熟慮する者(プロメテウス)は天界から『火』を盗んで、文明の発展のために人類に分け与えたという。しかしゼウスの怒りを買ったプロメテウスは、ハゲタカに毎日生きたまま内臓を啄まれる罰を受けたが、不死のために毎晩再生し、何万年も食肉にされたらしい。

人類の幸せを願って力を与え鳥のエサになった神と、人類を守るために敢えて無限の死を受け入れた兵士たち。だとするとこれほど自虐的なネーミングもないだろう。この計画の発案者は中々にブラックな人物だったらしい。

「行こう。」

お互いに頷きあって扉の両脇から突入する。扉の中は巨大で真っ白な空間だった。上も下も右も左も、どこもかしこも白だらけ。継ぎ目も何もあったもんじゃなく、遠近感が掴めず頭がおかしくなりそうだ。もちろんそこには

「御機嫌ようコガ君、アキラ君。」

やっぱりというかもういいというか、グラハム・ターナーが鎮座していた。



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40.masks

「少し見ないうちにいい面構えになったじゃないか。お似合いの2人だ。」

相手が立ち上がる前に、ぼくは剣を抜き一太刀で斬り伏せた。今は1秒でも惜しいのに、敵のお喋りに付き合っている暇はない。しかし、肩からめり込んで腰まで達するはずだった剣は、肉や骨に当たった感触を伝えずに、スカッと通り抜けた。

「やっぱり投影(ホログラム)か。」

「上よ。」

アキラが警告と同時に天に向けて援護射撃を放ち、ぼくはさっさと後退する。その間に辺りにはまばらな人影が降り注ぎ、足元からガスを噴射して着地してきた。その数ざっと30人。どれもガンツスーツを着用してることから、人間だと判別できそうだが、ぼくにはどうにも難しい。

背丈はバラバラだがみんな同じスーツを纏い、腿にはガンツソードを収め、顔は真っ黒なヘルメットで覆われているせいで、不気味な感じを発しているが、彼らの動きもかなり人間離れしている。隙間なくぼくらを取り囲んでいるのだけど、全員が全員ぼくらを注視しているわけではなく、ある者は覚束ない足取りでゾンビみたいに徘徊し、別の者はボーっと明後日の方向を見たままで、またまた隣では無意味にorzの体勢になってる奴もいる。

正直言って何をしたいのかサッパリ分からない。

「何かアンタに似てるね。中身はボケたジイさんみたいだけど。」

「ぼくの頭はまだお花畑にはなってないよ。」

お花(ヤク)吸ってた奴が言っても説得力なーい。それよりコイツらをどうするかよ。変なナリしてるけど…」

多分さっきから感じていた危ない気配はコイツらのものだろう。ぼくは慎重に刀を下段に構え、アキラも即座に撃てるように狙いを定めている。それにあの装備から推測すると、恐らくはプロメテウス計画―ぼくの分身を生み出すらしい―に関係していると見て間違いない。

「彼らは数ある被験者の中から、私が選び出したお墨付きだよ。10年は保証できる性能だ。ようやく足並みが揃ったからお披露目したくてね。良かったらご覧になって頂きたいのだが。」

「悪いけど私たち急いでるの。知り合いに次期コンペで伸び悩んでいる(クソドイツ野郎)がいるから、売り込んでみたら?」

「それは勿体ない。君たちには是非見ていってもらいたいんだ。」

ターナーが指を鳴らした途端、仮面の群れが一斉にざわめき頭を激しく振りかぶったかと思うと、数秒前の緩慢な動きが嘘のように、一寸の狂いもなく同じタイミングでソードを起動させた。手も腰も体重の掛け方さえ、全く一緒だ。パレードで行進なんてやらせたなら、表彰台は確実だろう。

「アキラ先に行って。」

「いいの? この人数を捌くのはかなりキツいよ。」

「さっきから上の振動が激しくなってる。君はREXの応援に向かった方が良い。」

「…分かった。後でね。」

5mほど下がってから軽く屈伸したアキラは、脚部に力を溜めスーツのアシストを解放すると、助走をつけてヘルメットの包囲網を軽々と飛び越え、ここからだと簡易金庫ほどの大きさに見える出口に消えていった。

「貴重なサンプルをわざと見逃すなんて、随分と良心的だね。」

するとホログラムのターナーは薄く笑い

「彼女の実験プログラムは専用のものを使っている。彼らと戦わせるのも一興だが、地上の方がいいデータが取れると考えたんだ。それに君も余計な荷物は捨てておきたいだろう?」

なるほど本当に良心的なテロリストだ。軽く獲物を振って感覚を確かめる。よく手入れされているようだ。悪くない。そうしてる間にも連中は剣を構えてジリジリとにじり寄り、飛び掛かる機会を窺っている。どうやら集団戦も前提に仕込まれているらしい。

「さあ仮面たち(マスクズ)、ようやくの晴れ舞台だ。Let's dance(踊り狂え)!」

ピエロ(ターナー)の合図に合わせて、大量の役者(マスクズ)が一気に最高の殺気(パフォーマンス)で、観客(ぼく)を魅了した。

 

「ごびゃ。」

バリケードの間を縫って逃げ回っていたシェリーのすぐ後ろを一筋の光が駆け抜け、味方の体をスーツの防御力を関係なしにドロドロに溶かしていく。

「止まるな走れ!」

殿を担うカザマが応戦しつつ、その背を無理矢理物陰に押し込む。その間にも光線は雨のように降り注ぎ、怒涛の如く地面を穿っていく。せめて撤退の支援を、とライフルの弾倉を換えようとして、着用していたベストから1つ抜きだしたが、焦って上手くいかない。

それほどあのゴツいハルクもどきは強敵だった。タイムラグなしに発射される圧倒的な火力のビームに、Zガンの直撃を受けても立ち上がる頑強な装甲。インファイトに持ち込もうとすれば、肘からブースターを点火して見た目とは裏腹の超速ナックルが飛んでくる。まさに攻防共にスキなしだ。しかし、こちとら現役の特殊部隊員だ。やられっぱなしになるものか。

「落ち着け。アメいるか?」

軽く頭を叩いたカザマが、脇からお馴染みのイチゴ味を差し出してきた。半分成すがままに受け取り飲み下すと、不思議とあのときのように呼吸が戻って来た。魔法のアメだった。

「そっちはどうだ?」

と首元のレンズに内蔵したマイクに吹き込むとナイジェルが

『たった今ビンゴが出た。コイツは数年前から軍が研究を進めていた次世代戦術強襲統合兵装型強化外殻―』

「長い。40字以内でまとめろ。」

『要するに新型のスーツだ。通常のスーツに重ね着した武装込みの強化装備だな。どうだ?』

「おお、キレイに36字。それで性能は?」

『もう見たと思うがあのぶっとい腕には光線発射器とブースター、それを利用したブレードを仕込んでいる。頭部のマスクはレーダー、暗視スコープ、サーマルを搭載し、カタログ上のパワーと耐久力は―』

「いいから対処法と弱点教えて。こっちも時間ない。」

通信に割り込んできたシェリーの有無の言わせなさに、ナイジェルはタジタジになる。昔から寡黙な物言いの彼女だが、キレたときは余計に冷たくなる。本人は怒っているのだが感情の起伏が小さいため、素人からすればいつも通りの表情にしか見えない。

なのになぜ彼女が怒っているのが分かるのかと聞かれれば、ナイジェルからすれば付き合いの長さという答えしか出せないのが現状だ。つまるところシェリーとコミュニケーションをするには結構根気がいるのだ。そしてこうなるとかなり怖いのも付き合い故に知っているナイジェルは、ピアノの如くキーを連弾し文字と数字の羅列を読み直す。

『はい。えーと資料によると外装の構造上、柔軟性を維持するために関節部分は隙間となっているようです。』

「結構。それと()()()()()を投入して。」

『かしこまりました。』

返事を待たずに通信を切って弾を入れ換えるシェリーに、戸惑いの声が掛かる。

「なあシェリー、予備隊って何の話だ?」

黙って上を指すのを追うカザマ。さっきから変わらない照明と火災で、煌々と照り返る空があるだけだったが、ふとその一点がキラリとしたかと思ったら、1秒後には貨物用ほどのコンテナが粉塵を振りまいて目の前に降って来た。

突然の飛来物にしばし注意を奪われたのは敵味方問わず、その原因は素知らぬツラで煙を吐きながらゆっくりと扉を開く―のではなく、激しい閃光と爆炎を発して直方体の箱を粉微塵にするという、思い切り派手な登場をかました。

すると驚くことに出て来たのは、ターミネーターの軍勢だった。T-600を始めとして、T-100、ハウンド、エアロスタット、ハイドロボットなどなど、様々なT-シリーズが軒並みだ。

スカイネットの刺客かと誰もが思い、武器をロボットどもに向けたが、代わりにターミネーターが照準を着けたのは、ターナーの精鋭たちだった。

「へ?」

と間の抜けた敵の1人が、直後にバズーカで吹っ飛んだのを契機に、ターミネーターの火器が一斉に火を吹いた。意外過ぎる行動に着いていけないのは敵だけでなく、カザマらも同じだった。

「何だこれ?」

「これまでREXが捕獲してきたターミネーターを、ナイジェルが改造したもの。雑用に使うために回路をイジッたらしいけど、ローガンの希望で訓練の仮想敵にしてたって。でも動きが鈍いってほとんどがお蔵入りになってたの。」

「それを持ち出してきたのか。」

「ええ。ローガンは不満そうだったけど、意外と使えるみたい。」

たぶんこれも無断で引っ張り出してきたに違いない。車両1台手配するのに何枚も書類を書かなければいけない抵抗軍で、これほど早くにこれだけの量を投入できるのだから、またREXの独断なのだろう。

「こりゃ減俸だな。」

「それだけじゃない。極秘作戦で勝手に部隊動かして経費使ってパーティー、挙句には隊長は拉致。下手すれば降格かも。」

「マジで?」

背後に気配が立ったのはそのときだった。

 

「ブエクシッ!」

何故か出て来たくしゃみで張り付いた唾を拭いながら、ぼくは慣れ親しんだ刺激が発するのを知覚した。ピリッと背筋に電流が走り、中枢神経を介し脳内のシナプスに乗って伝わった情報に、反応した体がするべき行動に移った直後、さっきまでいた空間を大振りの黒い一撃が両断する。

スーツの力を借りたガンツソードの恐ろしさは、その身をもってよく知っている。入射角と当てる箇所を間違えなければ、その切れ味で簡単にスーツごと切り裂くことが出来るのだ。だから、ぼくはどんな風に避ければ最も地面に深く剣がめり込み、抜けにくくなるかが分かっていた。

すぐに二の太刀を返そうとするマスクが、剣が抜けないことに気づき引き抜こうと力を込めた両腕を、レンズをピンポイントで狙って切り落とし、胸の中心に片手を突き立てた。呻きもなく支えを失った死体から貫通した手を抜き出して、抉り出した心臓を踏み潰す。

「素晴らしい。実に素晴らしい。1体で2個大隊に匹敵するマスクズの最高級カスタムを、無傷で10体も倒すとは、やはり君は想像以上の戦士だ。」

嘘偽りもなく賞賛と拍手を送るホログラムが、遠めの見物を決め込んでいる。その声には失った部下を悼む成分は含まれていない。

「どうかな。近接戦闘の専門家として、彼らと戦ってみた感想は。」

「確かに中々の出来だけど、動きが少し規則的過ぎるね。これじゃ先読みされやすいし、生物の持つ有機的特性を活かしきれてない。」

「なるほど。やはり意識を抑え込んで反応速度を高めても、人間本来の能力は引き出しきれないか。」

顎に手を当て考え込む仕草のターナーを横目に、手当たり次第に襲ってくるマスクズの斬撃をいなして、或いは動きを誘ってカウンターを与える。さっき拾ったもう一刀を左後ろの喉に刺しつつ、上空から飛び掛かる2体を待ち構えて、ちょうど重なったところで刃を伸ばして焼き鳥みたいに串刺しにした。

「まだまだ改良の余地はありそうだね。」

「そうかもしれんな。だが、これでも頑張った方だ。最初の被験者は200人ほど居たんだが、そのうちの半数は数回のループで耐え切れずに脱落した。生命の本能が最も忌むべき『死』という現象を経験したのだ。無理もない。まあこの程度の被害は予想の範疇で、次からが本当の選別段階になる。」

「かなりスパルタンなやり方らしいな。」

掴みかかる手を逆に捻り上げ、その骨を粉砕して腰から下を切断。

「かもな。2段階目は順調だった。被験者たちも死の感覚に慣れ始め、戦闘技術の向上も確認できた。どれもエリート部隊から選抜した優秀な兵士だったので、覚えが速かったのだがしばらくして弊害が発生した。」

わざとやや遅めに振って避けられたところを、先回りしてレンズが集中する頸部に切れ込みを入れると、炭酸水のように血漿が漏れ出した。

「理論的に追求すれば当然に導ける結論だった。しかし、実験自体が何のノウハウもなしに開始したため、誰も気づけなかった。奴らは長い激戦の中で死に続けることで、生と死の概念が曖昧になりシュミレーター(すりこみ)が終わっても、不安定な状態が続いた。そして遂には自殺や関係者の殺害にまで発展した。」

千切った腕を投げて撒かれた血で目くらましし、動きが止まった一瞬を突いて真っ二つ。

「世界から選りすぐった戦士を以てしても、心の均衡は保てなかった。では何故二等兵だった君が、何の異常もなく、それだけの力を手にできたのか。答えは簡単。マリナ・オーグランにあった。彼女の優れた指導力とカリスマは士気高揚のみならず、兵士のケアにも効果を表した。通信教育(デジタル)より対人セッション(アナログ)の方が成績維持率が高いのと同じさ。しかし、仮想空間にマリナはいない。連中のマスクは脳に直接埋め込んだ電極に情報を送って、精神を制御するための処理装置だ。」

つまりはマザー様様というわけだ。結局ぼくはどこまで行っても、彼女の影に追われる定めらしい。当たり前か。ぼくなんて所詮は雑兵に過ぎず、あの出会いがなければ今頃ラリッて路地裏にでも転がっていただろう。だってぼくは―

いや、()()()()()()()()()()()。今考えるべきはどうかわすか、どう殺すか。もう温い前座(ウォーミング)は終わりだ。

 

鋭い一筋の線が頬を掠め、カザマは反射的に数m飛び退いた。今日はこんなヤバい状況に何度も会ってる気がする。少なくとも今ので6回目だ。顔を拭うついでに口の中の血だまりを吐き出す。

「クソッ、何なんだよコイツら。」

先程の一閃を繰り出してきた敵は、自分たちと同じガンツスーツに身を包んでいるが、真っ黒なガラスに覆われた顔は全くののっぺらぼうで、感情を微塵も感じさせない。それだけならまだいいが、問題なのはその手に握られた黒い刀だ。本当ならカザマの知る限りただ1人の男にしか扱えないはずの武器が、対峙しているそいつのように周りの隊員にも襲い掛かり、手当たり次第に血祭りに上げている。

さらには例のハードスーツが撃ち漏らしを餌食にしているという鬼に金棒で、ちっとも突破口を開けていない。カザマもよそ見をする余裕はなく、今もこうして辛うじて凌いでいる。すぐに距離を詰めた黒マスクが撃ち下ろしてきた剣先をZガンで受け止めるが、凄まじい膂力に全身の筋肉が悲鳴を上げる。この動きはまるで―

「手強い…!」

「だったら助けてあげようか?」

その声が告げるままに間髪入れず独特の音が響き、象が乗っかってると思うほどの圧力が緩むと、マスクは首のレンズから血を吹き流しながら倒れ込んだ。何が起こったのか分からないまま右を見やると、そこにはXガンを構えたアキラが、いつもの凛とした姿勢で立っていた。

「アキラ! 無事だったのか。」

「まあ色々あったけどね。で、状況は…ヤバいみたいね。」

その通りだった。ただでさえ激しかった戦場が、今度は阿鼻叫喚の地獄絵図に早変わりしていた。ある者は頭から半分に切り分けられたり、ミンチになるほど細かくされた。また別の場所では搾り切った雑巾みたいに捩じられた者もいた。汗、鼻水、涙、唾液、その他体液諸々。ここには人間の持つ液体が一面に広がっている。

「ああ。あの覆面どもが現れてから、こっちが一方的に殺戮(やら)れてる。このままじゃ全滅も時間の問題だ。」

「だったら今すぐ撤収して。アイツらはプロメテウス計画で生み出されたタクミの複製(コピー)よ。まともにやり合って勝てる相手じゃない。」

そう言いながら新しいマスクズに相対して、両手のXガンを連射するアキラも、カザマからすれば驚愕に値した。本物(タクミ)とほぼ遜色ないマスクズの動きに、アキラは完璧に対応している。

それに二挺拳銃という今までにない戦闘スタイルが、隙のない弾幕を作り出し、逆に押し返している。何度か一緒に訓練したことはあったが、そのときに叩き出したスコアより数倍のスピードと精度で、的確にダメージを叩きこんでいる。銃器を盾代わりに剣を弾き、殴る蹴るを的確なタイミングで送り込む辺り格闘術もレベルアップしていた。

縦横無尽に振り回されるガンツソードを鬱陶しそうに叩き落し、脇固めで拘束したマスクズに膝蹴りと銃撃を交互に繰り返す。そのうちスーツが耐え切れなくなったのか、全身からドロリとゲルを吐き出し、次の一射を浴びたことで首から上が派手に千切れ飛んだ。アキラはXガンをジッと見て

「…まあまあ使えるじゃん。私はこれから援護に回る。カザマはシェリーたちと一緒にあの変態スーツを倒して。本当は私がぶっ殺してやりたいけど、生憎余裕ないみたいだから。」

「余裕ないって…。すごいじゃねえか! あんだけ強けりゃタクミにも負けないくらい―」

「残念だけど私でも両方を相手するのは無理だね。だから早く行って。」

「そうだ。君は早く立ち去った方が良い。」

不意に知らない声と共に、背後から気配を感じた。それも恐ろしく冷たい刃で背筋を撫でられるような。その冷たさにカザマは本能から危険を感じ取り、振り向きざまに撃とうとして―

「撃つときはきちんと狙いを定めてから。兵士の鉄則だぞ。」

正面に捉えたと思った瞬間に、また背後から声が聞こえた。気が付くとZガンはバラバラに解体されており、息もつかせず首に針のような鋭い何かが触れているのを感じた。それが少し上に動いただけで勝手に体が立ち上がり、ついでに前を向かせられると、目に映り込んだのは真っ白な頭髪と、対照的に浅黒い肌、その奥で鋭く光る双眸だった。

「グラハム・ターナー…」

「カザマ・ダイゴ君だったね。紳士としての申し出だが、私は彼女に話がある。席を外してもらえないか?」

「散々勝手した連中が何を…」

「カザマ行って。」

後ろに控えていたアキラがハッキリと言い放つ。その目はしっかりとターナーを見据えており、怒りと言うだけでは足りない何かを宿している。遠回しにだが邪魔だと言われてる気がした。悔しいが仕方なかった。

「分かった…ヤバくなったら逃げろよ。」

一気に跳躍して炎の向こうに消えた大柄な背中を見送り、アキラは最優先目標と対峙する。

「随分とやる気みたいだな。スパイは人前に出ちゃダメって知らないの?」

いつものビジネススタイルを脱ぎ捨て、黒いスーツを纏った姿はまさに兵士。ご丁寧にガンツソードまで携帯している。

「そろそろ私もテストするべきかと思ってね。」

「あ?」

「ある男がいた。彼は使命を帯びていた。必ずこの世界を変えてみせると。それは家族のように一緒だった女性との約束でもあった。そのためなら何でもやった。諜報、潜入工作、暗殺…枚挙に暇がないほど男は汚れた。ある日、男に手紙が届いた。彼女からのその手紙は自らの死をスイッチに届くよう細工されたものだった。」

前触れもなく饒舌になったターナーを訝しみ、警戒しながらも何故か聞き入ってしまうアキラ。これもスパイの話術なのだろうか。

「手紙には1人の少年のことを綴っていた。男は彼が後継者なのだと悟った。そして果たすべき役目をするために自らを無限の時限回廊に投じた。そこは地獄だった。いつまでも終わらない戦闘に繰り返される死の苦痛。気が狂うほどの暴力に晒されながら、彼は戦い続けた。全ては約束を果たすために。それだけの思いで苦しみに耐えた結果、男はただ1人の成功体となった。」

「それでアンタの髪はマリー・アントワネットみたいになったってわけか。…まあいいけど。どのみちアンタには数え切れないくらいのお礼をしなきゃいけないと思ってたんだよな。こちとらあのヘンテコ機械のせいで、頭粉砕されたり内臓引き抜かれたりしたんだから。」

「ならちょうどいい。ターミネーター相手に身体を動かしてみたが、物足りなくなってきてね。だが君ならあるいは―」

「刺激的な口説き文句だな。やっと燃えて来た。」

銃撃手(ガンナー)と剣士。近代の戦争以降、全く異なる獲物を持つ兵士が対峙する確率は、相対的に低くなっている。アキラは銃のセーフティを外し、開口一番の見えない弾丸(インビジブルバレット)を放った。



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41.爆の華

どこかでミッキーマウスのテンポのいいメロディーが流れる。そんな戦場には不似合いな音楽が流れる中を、顔を捥がれたスーツの男たちがテンポよく宙を舞い、それを遠目に見たシェリーの頬にいくつかの血痕が付いた。

「あ~あ~あ~、つまんねぇ。頼むからもっとシャキッとした奴いないの?」

燃え立つ煙の奥で、いかついスーツからイーリーの苛立つ様子がハッキリと伝わってくる。向こうはそれでいいかもしれないが、こっちは文句をつける余裕もない状態だ。損害は人間・機械問わず4割に達し、今も増え続けている。隊員はハードスーツの性能を前に取り付く島もなく返り討ちにされ、虎の子のT-シリーズは突如乱入してきた黒マスク集団に駆逐され、隊員たちも餌食になりつつある。

畢竟、万事休す。カザマの通信でアキラが見つかったのは良いが、肝心のタクミがまだ救出できてない。彼のことだから放っといても帰ってくるだろうが、状況が状況なだけに楽観視は禁物だ。

「シェリー!」

飛び交う火線を回避してジャンプしたカザマが、シェリーが身を寄せている巨大な絵本のオブジェに飛び込んだ。題名は『プーさんの冒険』。

「大尉を確保したって本当?」

「ああ。ただすぐ後にターナーがやってきてな。マジでチビりそうになっちまった。アイツ滅茶苦茶強いぞ。」

「で、アナタは1人ノコノコとここに来たってわけ?」

ガチャリとサイドレバーを引いて、銃口を煤けた顔に押し付ける。

「待て待て待て! 行けって言ったのはアキラだし、そもそもオレは装備を奴に壊されたんだ。仕方ねえだろ。」

諸手を挙げての必死の弁解に大人しく銃を下げたが、頭の中は驚きが駆け巡っていた。カザマは優秀な兵士だ。

タクミは論外として、自分やアキラのような突出した技能を持つわけではないが、非常に高水準のスキルと身体能力を備え、優れたリーダーシップで仲間内をまとめ上げることに長けている。そのカザマが苦戦すると苦言を呈したターナーの実力は推して知るべきだった。

マズい。突入作戦を開始してから不確定要素の連続―半分予想していたが―で、どんどん下方修正せざるを得なくなっている。もうこれ以上―

「あ~! 見~つけた~っと。」

待てない。構えたスコープの先に掌底の砲口をかざしたデカブツがおり、今にも発射しようと光を収束している。シェリーは牽制も間に合わないと直感し、咄嗟に身を投げ出す。味方たちも同じく全力で飛び退るが、あのビームに巻き込まれない保証はない。

その射線上から逃れられなかったシェリーは、背中に大きな何かが被さるのを感じ、首を捻るとカザマの秀麗な顔があった。何故かは分からないが、その手に指を絡めたシェリーは、今ここに居ない仲間の名を紡いだ。

私たちはただ当たらないように祈るしかない。だから、早く―

「来て…!」

そのために深く頭を沈めたシェリーは気が付かなかった。『プーさん』の施設の一部が崩れ、そこから躍り出た人影が両者の間に割り込み、デカブツの巨大な図体を吹っ飛ばしたのを。

「…誰かと思えばイーリー君…じゃないか。随分と成長したね。」

男にしてはやや高めの声が感心したように、頓挫した強化スーツに歩み寄り、手に持った丸い物体でペシペシヘルメットを叩く。何が起こったか分からず、少し遅れて煙が晴れたのを見計らったシェリーたちは、人相を確認するためにその人影に近づいた。

「…ローガン、なの?」

ゆっくりとこちらを振り返った顔に、思わず言葉が詰まってしまった。人影の正体は間違いなくタクミそのものだ。見たところ手や指が欠けていることはなく、顔も目立った傷はない。

しかし、目だけは違った。別に人形のように虚ろなガラス玉でも、爬虫類じみた冷笑を湛えているわけでもない。異質。全てを睥睨するかのような、ただ静かでどこかかつての姿と決定的に異なる彼が存在していた。

シェリーの脳裏に同じような状況の光景が蘇る。短い間だったが掛け替えのない友人としての関係だった自分の仲間たちを、苦しみ悩み抜いた末に手を下したタクミ。あのときの彼は瞳孔すら開ききった死人の顔だったが、今の彼はそうじゃない。体中に生気が満ち溢れる一方で、全てを悟ったかのように穏やかな微笑を浮かべる様は、かの聖人もかくやと言った様子だ。

「タクミ! 生きてたのかこの野郎!」

カザマがバシバシと背中を叩いても、隊員たちが駆け寄っても、タクミは笑みを崩すことなく小突き合っていたが、スルリと滑らかな動作で挙げた片手に収まっていた()()を1人の隊員に向かって投げつける。

あまりにも自然な動きに誰も止めようとしない。気づけないのだ。しかし、違和感を覚え遠巻きに眺めていたシェリーだけは、射撃戦に最適化された視力で投げたモノが何か理解できた。

頭だった。正確にはひび割れた黒いバイザーと、そこにブランと繋がっている脊髄。ついでに言えば、そのバイザーの奥でぬらりと光る潰れかけた眼球を乗っけて、骨から残った僅かな透明な髄液を振りまきながら、脊髄の先端を先鋒に投擲された黒い頭が、隊員を背後から刺し殺そうとしたマスク男の顎のレンズを、ガーフィッシュの如くピンポイントで貫いた瞬間も。

「油断しない。」

やはり微笑したまま注意したタクミは、唖然とするカザマたちに現状を尋ね、オウム返しの伝達を受け取ると

「そうか。それじゃぼくは…アキラのサポートに回るから、カザマたちはすぐに撤退準備に…かかってくれ。さっきから妙な連中が…うろついてるけど、アレはぼくの…コピーだ。余計なマネをしたら…死んじゃうから、遺体の回収はNGだよ。使えない奴は…とっとと捨てて、とにかく…逃げることだけ考えて。まだ死んじゃいけないよ。ここは…アンタたちの死に場所じゃない。」

 

あ、ヤバい。大上段からの振り下ろしを爆転して回避したところで、アキラは下腹部に鈍い痛みを覚え始めた。

クソッ、今日アレの日じゃん。前の期間から概算して今週に来るだろうと予想していたけど、まさか今になって始まるとは。Xガンを構え直して弾幕を放ち、建物の上に飛んで距離と地の利を稼ぐ。

「どうした。息が荒くなっているぞ。」

「まだ本調子じゃねえんだよ。まあ、私としてはアンタを足止めできればいいわけだし。」

目敏い奴。小さく舌打ちしてターナーの周辺を乱れ撃ちし、コンクリの破片やメリーゴーランドの乗り物を飛ばして注意を引き付ける。が、ターナーはその全てを叩き落し、煙が立ち込める中で正確無比の照準で、刀を伸ばして建物を鉄筋ごと切り崩した。

細かく分断された破片を空中曲芸のように次々と飛び移ったアキラは地上に着地したが、間髪入れずの追撃が襲い掛かり、鈍痛もあって後手に回らざるを得なくなった。剣閃をかわしながらも銃を撃つが、どうにも当たりにくい。

しかし、銃と剣ならば圧倒的に前者が有利だ。さらにXガンは弾数無限で、高いロックオン機能は一度対象をマークすれば、距離や方向がアベコベでもトリガーを引けば必ず命中する仕組みになっている。

だが物事に絶対はない。その証拠にターナーは、アキラが照準をロックしようとすると、寸前で刀で銃を弾いて、それを外すという芸当を難なくこなしている。それに力が半端なく強い。スーツの恩恵があるとしても、恐ろしいタフネスだ。

秒ごとにダイレクトに訴えてくる痛みに歯噛みして、それでも仮想空間で体得した反射神経と体術で、どこぞの抜刀斎ばりの速さで飛んでくる斬撃をいなす。

全くこれだから(じぶん)の身体は面倒なのだ。胸は重くて肩が凝るし、男には力負けするし、今は痛みと熱でぶっ倒れたいし。最初の一文だけならシェリーに末代まで呪われそうだが、こればかりは生まれつきなのでしょうがない。大体、こんな体が役立った場面といったら、言い寄る男にしなをつくってタダ飯を奢らせるか、あのタクミ(バカ)をたらし込むか位のものだ。

「どうやら本当に具合が悪い様だ。大丈夫かい?」

「だったらちょっとは遠慮しろよ。紳士なんでしょ?」

切り上げの刃の上に乗って、踵落としを決めようとしたが、届く前に刀が傾きバランスを崩したところを、腹に逆に蹴りを叩き込まれ10m以上吹っ飛び、水兵のアヒルの看板に激突する。衝撃でワンワンと鳴る頭を左右に振って立ち上がろうとしたところで、頭上に黒く鋭い一本線が落下し、それが頭皮を寸断する手前で両手のXガンを交差して防いだ。

「…いくら性能が良くてもコンディション次第でこうもなるのか。女性というのは中々どうして大変だな。ところで、部下から連絡が入った。コガ君が地上に現れたそうだ。」

「あのノロマ、やっと来たか。じゃあさっさと逃げた方が良いんじゃない? いくらアンタがやり手でも、相手はジャップ・ザ・リッパーよ。死んじまっても文句言えねえぞ。」

「そうもいかない。もう1つ知らせがあってね。この騒ぎを察知したスカイネットが大軍を差し向けて来たらしい。到達するのも時間の問題だろう。彼はともかく、エンリケが長年追っていた親子が揃っているんだ。奴がこの機会を逃すとは思えない。」

柄を握る手に力がこもり、それに比例してアキラの腕の布地にも筋が表面化していく。まだ、拮抗している。

「私は行動するときは2つ以上の意味を持たせて動くことにしている。君をエンリケに差し出すわけにはいかない。だが、動き回られると少々厄介だから、脚の1本くらい切り落としておこうか。」

手だけでなく腕全体にもスーツのアシストが働き、負荷に耐え切れなくなった地盤にアキラの膝が埋まっていく。マジでヤバい。こっちも腕の筋肉を総動員したいところだけど、その分下腹の痛みが増していき、スーツの中は体温の上昇で蒸し風呂状態だ。

「本当に容赦ねえな…」

「安心したまえ。殺しはしないさ。最悪脳味噌だけでも―」

機械じみた笑みで一層刀を押し込んできたターナーが、急に視界から消えた。いや、そうしなければいけなかったのだろう。アキラから左に20mは下がったターナーの刀の鎬には、同じ黒い切っ先が垂直に当たっていた。

「それは困るな。今度の部隊内の…人気投票でシェリーが…不戦勝になっちゃうよ。」

何mも伸ばされた刀身の根元から、男の声が聞こえる。もう見るまでもない。アイツが来た。

「もし彼女を連れて…帰らなかったら、ぼくの賭け金(ベット)はパーになるし、ファンクラブの連中に…多分唾吐かれるから…アレ、ファンクラブなんてあったっけ?…まあ、その子を返してくれ。まずはそこからだ。」

黒い髪に黒いスーツ、黒い刀の三つ揃いで現れたそいつは、細い顔の端々に返り血を咲かせ、片手で首のないマスクズの腹から飛び出たヌラヌラと照り返る腸を、さながらリードみたいに引っ張り、穏やかに微笑んで刀を元の長さに戻した。嫌らしさなんて微塵もない、嘘みたいに健やかな笑顔だった。

「本命のお出ましだな。どうだった? 私の部下たちは。」

「つまらなかった。あれじゃ中身なんて…何もない、見た目だけの虎仮威しの…クソの集まりだ。」

肉のリードを放して、痛みに膝を折るアキラに微笑んだまま、優しく手を差し伸べる。しかし、それを無視して自力で立ち上がる。何故かこの手を取りたくはなかった。

「…何しに来たんだよ。」

「君を助けに。」

サラリと笑顔のまま肯定する幼馴染。次の瞬間には腕を掴まれ、後方に投げ出されていた。痛みで受け身を取れず無様に転がる。

「アキラは…みんなと合流して。さっきの会話聞いてて分かったんだけど、ナイジェルが言うには…1秒でも惜しい…みたいだから。」

「アンタは?」

「ここで…ターナーを食い止める。どうせ…ぼく以外適役いないだろうし。だからさっさと…行って。」

「バカ。アンタが一緒に来なきゃ意味ないだろうが。何のためにカザマたちがここまで―」

「うるせえな。」

ほんの一歩踏み出しただけなのに、すぐ目の前にタクミが立ち塞がり、胸ぐらを掴みあげて宙づりにする。とても数日間拘束されっぱなしだった男の力とは思えない。

「悪いけど…今君を構っている余裕なんてないんだよ。何故だかぼくは…(これ)をぶん回したくて…仕方ないんだ。弱者(アリ)を踏み潰すのを…躊躇ってたら…殺し合いなんてできるかよ。もう雑魚のお守りは…ウンザリなんだ。」

何も言えなかった。いや、何も言い返せなかった。分かっていたはずなのだ。あの小さな―それでも満ち足りていた―(せいかつ)から踏み出した時から、あの扉の向こうに消え去った時から、彼はもういないと。それなのに私はいつまでも(じぶん)であることに固執し、彼しか、3年前(かつて)の彼しか求めようとしなかった。

タクミからすれば、私は暴虐で高飛車で、背中も満足に預けられないただの足手まといかもしれない。ただの女なのかもしれない。でも、だからこそ私は―

「いいから行けよ。君はぼくと違って…死んでもらったら…困るんだから。」

アイツを1人にしてはおけないのだ。

スーツを手放し、今度こそターナーに向かい合ったタクミの背中に、軽く拳を当てる。

「死んだりしたらぶっ殺す。」

その言葉を最後にアキラは駆け出した。今度は決して失わないように。

 

「行ったか。」

背後の気配と共に柔らかな匂いが消え去り、いつもの煤けた匂いが今更ながらに鼻腔に入り込む。

「いいのかな? わざわざ助けに来たのに、彼女をまた乱戦の中に戻すなど。統計的にスカイネットが攻め込むのは敵の密集具合に左右されるぞ。」

「あのアキラなら…心配ないよ。見た…感じ戦えないわけじゃ…ないし、もし…死んじゃったら、ぼくが…首を刎ねれば…いい話だ。」

「本当にそうかな?」

ターナーが肩をすくめる。

「あくまで私の見解だが、実験が終わったら非常に妙な気分になった。体中に力が溢れ全てのものが明瞭に感じ取れるのに、心は満たされない。寧ろ空洞が出来たように喪失感が巣食っている。美味い酒を飲んでも、女を抱いても潤されることはない、底なし沼に嵌っているのだよ。だが、それがどうだ。今、私はとても喜ばしく感じている。目の前に、初めて、対等の相手が立っている! 全力で戦える敵がいる! 私は自覚する。戦士に必要なのは金でも、酒でも、女でもない。戦争(ウォー)だ!」

高らかに宣言するターナーに、奇しくもぼくはYesと叫びたくなった。だって、ずっとそうだった。好きな音楽を聴いても、仲間とつるんで飲み明けても、レイチェルと抱き合っても、一度も心から夢中になったことはなかった。

決して満たされないわけではなかったけど、どこかで冷めて見下しているもう1人の自分がいた。でも、今度はそのもう1人が檻の中でとぐろを巻いて、虎視眈々と舌なめずりしている。

この気持ちは何なのだろう。何だか戦いたくて仕方ない。地下の戦闘から疼いている熱が荒々しく逆巻き、呼応した体が理性を押しのけて動き出す。アルコールに似た酩酊感に浸りながら、両腕を広げ体を開き、何度も感じた高揚感に身を委ねる。

息を吸い込み酸素と共にアドレナリンを、全身に送り込んだ時には既に檻は破られ、中の『ぼく』がぼくと一体となって、大地を蹴り出していた。

 

敵の敵は味方という言葉がある。今のシェリーからすれば、敵でも猫でもいくら手を借りても足りないくらいだ。何せそれくらい忙しい。ナイジェルから緊急通信が入って15分。敵の猛攻は止まらず、こっちの被害も止まらない。

とは言え、それは向こうも同じ様で、累々と積み重なった死体のスーツ集団は、最早敵か味方か判別できない。しかし、状況が好転することはなく、現在まともに動けるのはシェリーを合わせても30人いるかどうかだ。そんなわけで、彼女らは最後の作戦に身を投じていた。

「まだ?」

「あと少しだ。2、1…よし、いいぞ!」

カザマが数人の仲間と死体から奪ったZガンを、物陰から構えて照準を物々しい影に合わせる。しかし、ロックオン用のトリガーを引いただけですぐに戻り、専用回線でデータを転送する。

その情報は上空に待機する輸送機に陣取るナイジェルのデバイスに送られ、彼とスパコンの手で輸送機に設置された誘導カメラに、ミサイルの予測軌道進路の補助マーカーとして再変換される。

「ドンピシャだぜ。」

REXの陽動により、敵勢がマーカーのサークルに入ったのを確認してボタンを押すと、輸送機の腹が開き内蔵していた超小型誘導ミサイルを投下した。それは地上にいたシェリーも通達され、味方と頷きあって牽制を解いて素早く後退する。

当然、被害を被るのはそういった事情を知る由もない黒マスク軍団だった。急に張り合いがなくなったREXに不審を感じ、若干侵攻スピードを緩めはしたが、着弾すると1発20mの火柱が立つミサイルからは逃げられない。

それでも驚異的な反射神経で、空爆を予感したマスクズはすぐに回避しようとしたが、到底逃げ切ることはできず、全体の6割近くがバラバラの肉片に変わって、真っ赤な瓦礫となって赤いシャワーと一緒に降り注いだ。

「やったか…?」

衝撃と轟音が収まり、塞いだ耳を開いたカザマが壁から顔だけ出して様子を伺う。だが次の瞬間、燃え立つ炎の中でユラリと何かが動くと、一条の光が顔面を掠めた。まだ、生きてやがる。

「こんなものでぼくを殺れると思うなよ! 虫けらどもが!」

重く圧し掛かったジェットコースターのポールを払いのけ、吼え上がる黒いハルク。その姿が揺らめいて見えるは恐らく蜃気楼のせいだけじゃない。しかし、()()()()()()()()()()()()

「今だ!」

カザマの号令で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()X()()()()()()()()Z()()()()()()()()()()()()()()

しかし、いくら叩き込んでもイーリーがダメージを受けている様子はない。その証拠にお返しとばかりに、掌底からビームを放出し、肘部のブースターの加速で360°満遍なく光の束を注ぎ込む。

Move(とべ)!」

再度の掛け声で隊員たちが一斉に跳躍し、脚力を増強して目にも留まらぬ速度で飛び回り、全方位から絶えず応射を繰り返す。

「しつこいんだよゴキブリのくせに!」

凄まじい衝撃に晒されながらも、なお倒れないイーリーはマニュアルを操作して、ビームを拡散型に変更する。1本だった光線が無数の紐のように分裂し、何人ものREXを裁断する様に悦に入っていたイーリーは、しかし大きくバランスを崩した。

外骨格の姿勢制御も間に合わず、すってんころりんと形容されそうな転び方をしたイーリーは、足元の違和感に気づく。へこんでいた。それは先程の空爆で出来たクレーターだった。よく見るとそこかしこに同じ跡が点々と刻まれている。

どれも直径は小さいが、一度はまると簡単には抜け出せないほどの深さだ。さらにハードスーツの隆々とした脚は、穴の小ささが災いしてすっかりと収まっていた。加えて運悪く仰向けに倒れてしまい、いくらスーツが筋力を増幅してくれても、年中研究室に籠っているイーリーに起き上がる腹筋が付いているはずがなく、ハードスーツの極端な体格が一層バランスを悪くしている。

それを狙って飛び回っていたREXが、黒い網を射出する。最新の高分子繊維で構成されたその網は、瞬時にイーリーの腕に巻き付くと、ちょうど磔の刑のように2つの太い腕を宙に固定した。何とか振り解こうとするが、体勢の悪さと誤った力の入れ方のせいで、千切ることが出来ない。

そんなイーリーにカザマは全力で疾走していた。ようやくだ。ようやく近付ける!

『これが作戦だ。』

20分以上前、どうにか糊口を凌いでいた仲間を集めて、爆音に負けず声を張り上げていたときを思い出す。

『作戦? おいおい、よしてくれよ。これじゃお前ら日本人お得意のカミカゼ・アタックじゃねえか。』

仲間の1人が皮肉交じりに茶化したが

『結論から言えばそうなる。』

『ふざけんな! オレは無駄死にするためにここに来たわけじゃねえんだぞ!』

『オレもだよ。そうさ。オレだって散々考えたんだ。でも、その結果これがベストだと判断した。逆に言えばこれが一番の安全策なんだ。』

『安全!? 支援もない孤立無援で、こっちの人員は歩くこともままならねえ。オマケに奴にはヘンテコなマスク野郎がわんさかしてやがる。これのどこが安全なんだ?』

『3年前、オレはヨコスカにいた。』

唐突に話を変えたカザマを訝しむ味方。しかし、シェリーに制されて口を噤む。

『初陣の朝、いきなり基地に警報が鳴った。敵が攻めて来たんだ。オレも何とか訓練通りに動いたが、防衛線はガタガタで仲間も次々に殺られていく。1秒後にはオレがああなるんじゃないかって、ビクビクしてたときだ。目の前に黒い影が現れて、アッという間にターミネーターを圧しちまった。』

ゆっくりと緩急をつけて、伝えたいところを強調する。天然のジゴロと称される所以の話術で、興味を引きよせる効果は、男も女も関係なく耳を傾けさせた。

『影で顔は分からなかったが、後になって仲間が偶然入手した基地のカメラ映像を見せてくれた。間違いなく本人だったよ。ただ、そのときにはタクミの経歴は秘匿条項になって、確かめられなかった。だけど、REXに入って確信したんだ。アイツは本物のヒーローだってな。』

ヒーロー。男なら小さい頃は誰もが憧れる言葉だ。

『オレは兄弟を養うために軍に入った。今もチビたちを一番に考えている。けど時々、アイツの背中を追っかけたくなっちまうんだ。理屈じゃねえ。体が勝手に動いちまう。どうしてもアイツが眩しく見えちまうんだよ。だからオレはREX(ここ)に入ったんだ。』

戦うには余りにも単純で稚拙な動機だ。でも、だからこそブレない。

『そりゃ偶にだがアイツが怖いと思った時もあったさ。昔のときと比べて、今のアイツは何だか脳の代わりにチップで動いてるみたいだ。冷徹で機械みたいに。でも、それでもアイツはオレの憧れなんだ。』

ここまで来るのに多くの(もの)を失った。後は何を失えばいいのだろうか。いや、させない。だからオレがするべきことは、この戦術を遂行することだ。

目標まで30m。対象が右腕を強引に動かして網を切る。もっと速く。味方が懸命に取り押さえるが、振り払われる。

15m。右手が怪しく光り、水平に振ったかと思うと、肌の水分が蒸発するほどの熱波が襲い掛かった。それでも止まらない。

3m。ブロックに見える巨大な拳が迫り来る。勢いを着けすぎたせいで、回避が間に合わない。ギリギリでかわしたが、ブレードがスーツに食い込む。途端に肘先から激痛が走るが、もう遅かった。

左の拳を思い切り黒い装甲にぶつけ、跳ね上げる。無論、傷などつきようもないが、その必要はない。がら空きになった脇の隙間に、手の平サイズのシリンダーをねじ込むが、2秒もしない間にゴツいパンチに捕まり、五臓全部が口から飛び出るんじゃないかと思えるほどの衝撃が、カザマを遥か後方に吹き飛ばした。

アレ、オレ飛んでる。宙を舞う中で鈍くなった頭に、ぼんやりと痛みが伝わる。その発生源である右手には、本来あるべきものが肘の付け根からなくなっていた。ヤベ、利き腕じゃねえか。

まあ、この際仕方ないか。どのみち任務完了だもんな。もうオレはこれ以上無理だ。だからシェリー、頼むぜ。

作戦は3段階。1、空爆による敵支援の迎撃。2、標的の捕獲(最初の爆撃で足場を崩す)。3、無力化しての該当箇所へ爆弾設置。そして、狙撃。

何度も味方が吹き飛ぶ光景を見てきた。何度もトリガーを引こうと思った。その度に押し殺してきたマグマが、脳内で溢れんばかりに駆け巡る。狙いも外さない。もう私には()()()()()()()

撃鉄が下がり7.62mm弾の装薬が点火して、使い手が定めたポイントに過たず直進する。何者にも阻まれることなく、ジャイロしながら直線軌道を描いた弾は、狙い通りカザマが仕掛けたT()-()6()0()0()()()()()()()に突き刺さった。

水素を核にした常に臨界状態のそれは、外部からの僅かな刺激にも過敏に反応し、行き場のない熱力を暴発させた。偶然にも小さなビルを破壊できるほどのエネルギーは、反射的に脇を閉じようとしたスーツの窪みにスッポリと収まり、余すことなく膨大な威力を内側で爆発させた。



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42.怪物の卵

戦いに夢中になったことなど無かった。

その事実はぼくが初陣を飾ったときから変わらなかった。生来ぼくは臆病だ。特に暴力というものに関しては、人一倍怖がりな自信がある。学校でも虐められてたのは、懐かしい思い出だ。

ループで死にまくったお陰で、多少改善できた方だけど、完治にはまだまだのようで、そもそも治せるのだろうかと思いつつある。しかし、そんなぼくの個人的な事情に情けをかけてくれるほど敵は甘くない。

現にこうして物陰に隠れている間も、奴の気配(プレッシャー)が着実に近づくのを感じる。ここに来るまでの間にいくつかのブービートラップを仕掛けておいたはずだけど、どうやら効果なしらしい。

だがまだ勝負は続いている。この場所は特にアトラクションが多く、メリーゴーランドやゴーカートなどが所狭しと並んでいる。これだけあれば十分だ。いよいよ敵がフィールドに乗り込んできたと同時に手首のコントローラーを弄ると、さっきまでの静寂が嘘のように夢の機械の数々が、テーマパーク本来の陽気なメロディを奏でて一斉に動き出す。

「なるほど。音と光で自分の居場所を撹乱するか。だが、君の位置はすでに把握しているぞ。」

ブラフだ、と自分に言い聞かせつつ物陰からXガンを撃つ。スーツがXガンを無効化する以上命中の成否は不明だけど、爆発が起こらないということは当たったと同義だ。一箇所に留まる愚は犯さず、こまめに移動しながら撃ち続ける。発射と着弾にラグがある特性はこういうときに便利だ。大音量のBGMも発射音を打ち消し、位置予測の欺瞞に一役買ってくれている。

しかし流石に罠に気付いたターナーは近くのオブジェを引き千切って盾代わりにしてきた。なら第2段階だ。射撃に変わって今度は足元に置いておいた箱状の物体を放物線上に投げる。予めいくつかのアトラクションを物色して抜き出したバッテリーだ。それが地面に落ちる瞬間にXガンのトリガーを引く。投げる前にロックオンを掛けておいたバッテリーは、ゴミ箱の裏に背を預けているこちらにもちゃんと届くほどの破裂音と熱波を生み出した。ありもので済ませた代用品だが中々の威力だ。

あわよくば腕の1本くらい吹き飛んでいればいいと思って窺うと、その頭上を鋭い風が通り過ぎた。遅れながら数本の髪の毛が落ちる。恐ろしいことにターナーは無傷だった。そういえば爆発の直前に何か叩いた音がした。即席爆弾だと直感してどこかに蹴り飛ばしたのだろう。どちらにせよ大した危機察知能力だ。

「力に頼らず今ある状況を利用し戦いを組み立てる…彼女(マリナ)の戦い方だな。上手いものだ。」

命のやり取りの中でも余裕を崩さない姿勢に戸惑いながらも第2波を仕掛けるが、初回で見破られた罠に2回目も引っ掛かる道理はない。今度は軽やかに飛んで距離を置かれた。もっともそれも織り込み済みだ。着地点を逆算して仕掛けたワイヤーが触れ、反応した複数のバッテリー爆弾がターナーの背後にそびえ立つ観覧車の支柱を集中攻撃する。ゆっくりと軋みを上げて倒壊する鉄の車輪が敵の姿を覆い潰すのに時間は掛からなかった。

「頼むから死んでおいてくれよ…」

精一杯の祈りを込めて舞い上がる煙に目を凝らす。だが悲しいかな。相手はピンシャンしていた。ハブとハブの隙間から這い出る不死身ぶりに帰りたいと思った。一気に肉薄した斬撃を堪らず刀で受け、勢いを流して背中を襲うが、簡単に避けられる。

「いいぞ、いい反応だ。」

下からすくい上げるように這い上がってくる一撃を防ぎ、そのまま刀身を滑らせて顔目掛けて薙いだけど、ターナーは鼻先にも掠めさせずにかわす。ギリギリまで引き付けて仰け反る様子は、まだ本気を出してない。

実力が拮抗している場合、手の内を探り合って隙を見つけるのがセオリーだが、ぼくらには当てはまらない話だった。あまりにも似すぎているせいだ。型も、立ち回りも、フェイクも、呼吸のタイミングさえ個人差があるのか疑わしいくらいだ。

「アンタ、戦場帰りだな。いくら脳に経験を積んでも身体が着いてこなければ、これだけの動きは出来ない。どういうことだ? プロメテウス計画にマザーが出てくるのか?」

「身内の特権というものさ。血は繋がってないが、私も一時期マリナから手解きを受けたことがある。」

どおりで戦い方がそっくりになるわけだ。性格の違いか、剣筋に個性が感じられるが誤差と言うレベルでもない。第三者からしたら合わせ鏡のように刀を打ち合ってるに違いない。どちらにしろ、ぼくに余裕がないことに変わりはないけど。

背後から仕留めたはずのマスクズが1本だけの脚を器用に踏ん張り、獣みたいに地面を這って接近するのが気配で分かる。豊富なヘモグロビンを排出しながら飛び掛かる黒覆面の到達位置を予測して、肩越しに振り抜くと頭に生暖かい液体とソーセージの束が落ちてきた。

「うわっ、ばっちい。」

滴る血と小腸をかなぐり捨てて、遅れて地面に落ちたマスクズの死体が握っていたガンツソードを、ターナーに蹴り飛ばす。投げ槍さながらに直進する剣を、ターナーはヒョイと頭を傾けてかわすが、それが通り抜ける前に柄を捕らえ、勢いを殺さず流れる一動作で投げ返してきた。

送り出したときより倍のスピードで帰って来た飛び道具を叩き落すことには成功したが、その間に間合いに入って来たターナーの剣圧には耐え切れず、ぼくは道端の小石よろしく地面を転がった。

目まぐるしく回転する視界の中で、小洒落たネズミの銅像を目にしたぼくは、そいつの横腹に剣を伸ばして突き刺し、吹っ飛びの勢いを殺した。慣性に引っ張られそうな全身を押し留めながら、スーツが膨張して両腕を圧迫するのを感じる。後ろに飛んでおいて良かった。まともに受けていたら、さっきのアクションで肩の関節が外れていただろう。

「よっと…アレ?」

視界の右側が黒ずんでよく見えない。血でも混ざったのかと手をやると、何度かの経験で瞼の奥にあるはずのものが無くなっているのに気づく。そういえば転がる直前に、右目にピリッと軽い電気みたいなのが走った気がする。先程の一撃を受け止めた時に、斬り飛ばされたのかもしれない。

でも、痛くない。普通なら顔の半分が穿たれたような衝撃がするはずなのに、全くそれがない。いや、その言い方には語弊がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。溶かした鉄を流し込まれたような、のたうち回っても足りないほどの痛みが来ないクセに、どこがどう痛いのかはハッキリと()()()()()

アドレナリンの過剰分泌による痛覚の鈍化か、Aδ線維に異常が発生したのかとも思ったけど、それでは今まで感じたことのないこの奇妙な感覚を説明することはできない。

結論としてぼくはこの不可思議な現象を無視することに決めた。痛くないなら好都合だし、事実それを追求しながら相手取れるほどあの男は弱くない。眼窩から伝い落ちる赤い雫を舌で舐め取る。

もう一度言うけど、ぼくには余裕がなかった。アキラに追いつくことも、彼女が助けようとしているREXに駆けつけることも、ここから脱出することも。

だって、こんなに愉しいんだもの。

 

「ハアッ…ハアッ…クッソ、超痛え。」

メディックの処置のお陰で止血と痛み止めは済んだが、脈が打つたびにこめかみを針が通り抜けるような痛みは消えない。それでもまだマシな方だろう。あれだけの戦闘では、寧ろ五体満足な奴の方が少ない。

「まだ死んだわけじゃない。動けるなら動いて。」

「お前、それが言えるってスゲエな…。てか普通、怪我人に働けって言うか?」

憎まれ口に苦笑しつつ、シェリーに肩を貸してもらって、前方の人だかりに向かうと、そこには変わり果てたハードスーツの姿があった。右肩は根元から吹き飛び、土管ほどの巨大な腕はREXが運び出している。幸か不幸かスーツの防御力は生きており、中の人間(イーリー)は一命を取り留めていた。

「さて…」

シェリーがライフルを突きつける。

「キリアン・イーリーね? カザマが大尉から聞いた。ローガンに、隊長に何をしたの?」

「…ゴホッ、アイツの、部下か。白人の様だが、成る程な。目が少し…似ている。」

「何をしたの。」

もう一度、強く問い質す。すると、イーリーは口元を僅かに歪め、可笑しそうにクックッと腹を揺すり出した。

「ただの実験さ…究極の兵士を造り出すための、な。」

その目は至極冷静だった。出血多量で狂ってはいない。かといって理性の光を灯しているわけでもなかった。奇妙な陶酔すら感じる、そんな目だ。

「出た。キリアン・イーリー、生理学界の異端児。論文は独創的だが、倫理的に著しく難あり。専門分野は神経科学だ。過去にも2回独断で実験を行おうとして処罰されてる。」

参謀本部から取り寄せた資料を仲間が読み上げる。それを聞いたカザマは我慢できずに、イーリーの胸倉を引きずり上げた。

「言え! アイツに何をした!」

「…痛覚マスキングだ。」

「…何だ、それ?」

聞き慣れない単語に首をかしげる一同。そんな連中を一瞥したイーリーは、嘲笑うかのように鼻を鳴らした。

「人間には痛覚と言うものが存在するのは、知っているだろ。外部から強烈な刺激を受けたときに、体が発する警告だ。ぼくは昔から注射が心底苦手(へローンフォビア)だった。だから痛みを感じない研究を進めて来たんだ。でも、ただの痛覚麻痺じゃ意味がない。重傷を負っても、気が付かずに死んでしまうからな。」

そしてまた愉快そうに唇を吊り上げた。

「きっかけはT-800、だった。」

「ターミネーターだと? どういうことだ。」

「ターナーが密かに確保したT-800の解析資料を、読んだ時だ。奴らの頭部のチップが、非常に人間の脳に近い構造であることに気づいた。各地域の文化、人間の行動様式、高度な判断力…どれも人間社会に擬態するのに必要なものだ。その中に興味深い能力があった。T-800(やつら)は、痛覚を持っていない。いや、痛みを認識するプログラムを施されていた。」

「意味が分からないぞ。簡潔に言え。」

ため息と咳を同時に出すという離れ業をやったイーリー。

「人間の脳は痛みを感じる機能と、痛みを知る機能は別々のモジュールで処理されるんだよ。そこでぼくは体性感覚野や偏桃体―痛みを感じる機能―をナノマシンや薬物投与で麻酔をかけ、痛覚を認識する箇所だけ局在的に機能させた。そうすることで、『痛みを感じずに痛みを知覚する』感覚が手に入るわけさ。」

テストで100点を取った子供みたいに、誇らしげに語られるグロテスクな狂気の産物。それはつまり、どんなに撃たれても手足が折れても、銃を支える筋肉と発砲の指令を下す脳細胞さえ残っていれば、戦闘を継続できることに帰結する。

質感としての痛みを感じず、文字通り力尽きるまで戦い続ける、最先端の技術(テクノロジー)で造られた消耗品としての命。

「ふざけんな! テメエが生み出したのは兵士じゃない。ただのゾンビだ!」

「人聞きの悪いことを言うなよ。戦場で語られるヒューマニズムほど滑稽なものはないぞ。戦いの歴史とは科学の歴史。合理性の物歴(メタヒストリ)だ。最小の行動で最大の殺傷数(こうか)を挙げる。生き残るためと言いながら、やってることは効率よく人を殺せる道具作りだ。」

トントンと残った人差し指でこめかみをつつく。

「もちろん、完成するまで問題は山積みだった。マスキング出来る痛みの種類、効果の程度と時間、施行技術。そのうちの2つは解決したが、有効時間だけは伸ばせなかった。出来たとしても精々4、5時間だ。小規模の作戦行動ならば支障はないが、反攻作戦と防衛線維持が主体の抵抗軍ドクトリンには相性が悪い。その解決策をぼくは人間自身の学習能力に委ねた。」

「人間が勝手に痛みを無視できるってか? 不可能だ。それほど人間(オレたち)は強くない。」

「そうでもない。意外にも脳味噌ってのは馬鹿正直なんだ。プラシーボ効果がいい例さ。脳梗塞で半身不随になった患者だって、鏡で動く方の手を映して、毎日同じ動作を繰り返したら、動かない方の手の神経系が回復したってカルテも存在するくらいだ。だからぼくはコガ・タクミに似たようなことをした。」

まさか、と思いたい。普通なら有り得ない。どんな人間でも確実に死ぬはずだ。でも、タクミは生きている。シェリーはイーリーが呼吸を乱していないことに気づいた。

「何度も痛みと薬物局所輸送(DDS)を与えた。死ぬほどな。すると期待通り、奴の脳は肉体の危機と薬理的反応の繰り返しで、徐々に『痛みを感じる機能』だけをフィルタリングした。自力で自分の脳を作り替えたんだよ。決して倒れない極限の兵士が誕生した瞬間だ。」

「まさかお前、それをアキラにも…」

「へえ、あのロシア人アキラっていうのか。ターナーが教えてくれないから分からなかったな。安心しなよ。彼女はうちにとってのVIPだ。こっちのプロメテウス計画(とっておき)を堪能してもらったよ。けど、かなりいい体してるよな、あの娘。思わず味見しちゃった。」

テヘッと舌を出した、やっちゃいました顔にREXの沸点が急降下する。もちろん、真っ先に拳を打ったカザマを取り押さえる者はおらず、ほどよく肉付きのいい頬を歪ませるだけに留まらず、その奥の歯を数本砕いた。

「…ッ! 痛いな。顎が砕けたらどうしてくれるんだ。」

「バランスが悪くなるから、頭蓋骨ごと粉砕してやるよ。それにどうせ痛覚マスキングとやらを施してるんだろ。」

「ありゃ、バレてたか。それにしても君、東洋系のクセに中々鋭いな。探偵でもしてたのかい?」

「片腕がないのにペラペラ喋ってるお前を見たら、誰だって分かるわ。オラ吐け。他にも何か隠してるんじゃねえのか?」

Xガンを押し当てて意識していたよりも低い声で恫喝する。イーリーはつまらなそうにそっぽを向き

「ジャップ・ザ・リッパーの楔前部を少しな。要するに痛覚マスキングとは別の方法で脳の特定箇所を弄くらせてもらった。」

「今度は何をしたんだ。お前はどこまで―」

刹那、世界が爆発した。耳元で鼓膜を貫くほどの轟音と閃光が瞬き、本日2度目の空を舞ったカザマは、経験的にRPGが炸裂したと理解して、どうにか着地し最寄りのバリケードに駆け込んだ。

「どこからだ!?」

『東に多数の金属体を検知している。どうやらスカイネット様御一行が到着されたようだな。』

「バカな。まだ警告が出て10分も―」

『奴らが神出鬼没なのは常識だろ。いつ待ち伏せしててもおかしくない。』

通信機越しに断言するナイジェルに何も言い返せなくなる。

「とにかく必要な情報だけ教えて。さっきの攻撃で捕虜は死んだ。」

すでに応戦状態に入っているシェリーが指差した先には、さっきまでヘラヘラと笑っていたマッドサイエンティストが、頭蓋骨どころか頭部を丸ごと髪の毛1本も残すことなく四散させていた。もたれていた壁には嘆きの壁の如く、赤いペインティングで爆散した人の顔の跡が刻まれていた。

『電磁波測定器からはT-600とT-100が50体ずつの報告が入っている。だが、未確認のパターンが検出されているみたいだ。サンプルが欲しいところだが、贅沢は言えねえな。ここは逃げに徹してくれ。』

「言われなくても。」

早速Zガンで捕捉したT-100を不可視のエネルギーで圧壊させ、照射時間を調節して円形のヴェールで即席の壁を作り、少しでも味方が後退する時間を稼ぐ。Zガン(コイツ)の威力ならあと数分は持ちこたえることが出来る。いくばくか余裕を取り戻したカザマだったが、炎の奥で奇妙な影を捉えた。

全体的なシルエットは見慣れた人型だが、体格はT-600より一回り小さい。T-600の改修型か?

どちらにしろ撤退が優先だ。早めに潰すに越したことはない。持ち前の判断力で標的の破壊を実行しようと構えた瞬間、シルエットが若干姿勢を崩したかと思うと()()()()()()()()

「んなっ!?」

―鹵獲した新型潜入用ターミネーター『T-800 model101 cybernetic organism』における解析結果から一部抜粋

① 当該機種は脚部に油圧式ポンプの高出力を利用した人間のそれに近い構造を有しており、人間社会に擬態するためにより広い駆動域を実現している。その再現度は総計150kgの重量をものともしない速度での移動が可能であると推定される。

人型である以上歩きはするが、走り出した個体は見たことがない。例の新型と直感したカザマは、Zガンを捨ててファイティングポーズを取った。鈍重さを感じさせないスピードに加え、ジグザグに乱数機動を描く相手では、照準を合わせるのが著しく困難になる。ならば接触の危険が増すが、肉弾戦に持ち込む方が仕留められる確率は高い。

腰をわずかに落として、両足に均等に体重を乗せ、呼吸を整える。あと数mに迫ったところで左腕に力を集中し、反応したスーツが岩塊を容易く破壊できるほどのパワーを付与する。そして目と鼻の先に到達した新型に合わせて拳を振るい―()()()()()()()()()()()()()()()()()がカザマの頬にヒットした。

②T-800は潜入を主眼に開発されているが、戦闘機械としても非常に優れた性能を維持しており、T-600を凌ぐ稼働時間、出力、耐久性、思考能力、攻撃力を備えていると考えられる。

特筆すべきは思考能力であり、ニュートラルネットワークと並列処理による極めて高い学習機能が搭載され、高等知性のみが有する様々な抽象的概念すら理解できる可能性が高い。これは人間社会に溶け込む必要を鑑みても、過剰性能と捉えられており、同下位種の指揮役を担う目的もあると考えられる。

また攻撃性能に関しても、射撃精度の向上はもちろん、①にも示した広範な駆動域及び蓄積された格闘技術の読み出しにより、白兵戦も十分に対応可能な模様。

これらの連携を重視した強化措置と対人戦への本格的な機能拡張から、当該機種は従来のターミネーターを統率する役割を持ち、その危険性は非常に高いと結論する。

見事なカウンターを食らってたたらを踏む体に、T-800の正確かつ容赦のない連打が確実に立つ力を奪っていく。止血したとはいえ、頑丈さが取り柄とはいえ、腕1本分の血を失った体はすでに警報アラートのオンパレードで、今カザマを支えているのは気力だけだ。

それでもどうにか意識を振り絞って鉄の拳を受け続けていたが、中身は生身の人間。当然の如く限界を迎え膝を屈してしまう。それを好機とばかりに腰を捻って振るわれた剛腕は、ちょうどカザマの胸の中心―心臓に一直線に伸びた。

が、直前で割り込んだ影―もう1人の殿(しんがり)を務めるシェリーが、代わりにそれを受ける瞬間が映った。奇しくもその拳はシェリーの心臓を直撃し、たまらずその場に崩れ落ちた。

③隠密性を最大限に発揮すべく設計されたT-800は、そのステルス能力を活かして暗殺アンドロイドとしての側面も併せ持つ。特徴として人体の構造も学習しており、それから判定して繰り出される動作は、使い方を間違えなければ医療機器として通用するほどの精密さを備えていることが判明した。事実モーションプロセッサを解析すると、優先的に急所を狙うよう組み込まれていることが確認されている。

「シェリー!」

上手く動かない脚を引きずって、仰向けの身体をひっくり返し、呼吸を確かめる。小さな口は開き胸も上下しているが、呼吸は浅く脈も弱い。このままではいずれ―思わず背筋がゾッと震え、次いで頭の中に未知の物質が広がっていく。

許せない。殺せ。本能の促すままに拳を血が滴るほど握り締め、全身で吼えながら渾身の一発を食らわせる。しかし、予め行動を精査していたT-800は逆にその力を利用し、伸ばされた腕を掴み腰にも手を回して、完璧なタイミングで腰投げした。

人間相手なら地面にキスするだけで済むが、何百kgも持ち上げるパワーを持つターミネーターだと、カザマのような巨漢でも簡単に投げ飛ばされてしまう。さらに運の悪いことに、投げられた先には爆撃でコンクリが剥がれ、露になった鉄筋が鋭く尖って待ち構えており、カザマの右肩に深々と突き刺さった。

再び侵蝕してくる痛みに呻きながら、必死によじって引き抜こうとする。しかし、鉄筋の螺旋に肉が巻き付いているのか、一歩も動けない。しかも目前にはユラリと蜃気楼を纏って、T-800が悠然と近づいてくる。

絶対絶命。その言葉が脳裏を過ぎった直後、カザマの前にまた影が立ち塞がった。だが、その影は髪をたなびかせ、片手にはXガン、もう片方にはグッタリと四肢を垂れたマスクズを抱えている。アキラだった。

「お待たせって言うところだけど、ちょっと遅かったか。」

まさか切り抜けてきたというのか。あの黒マスクが跳梁跋扈する虐殺のオーケストラを。アキラ、と呼ぶ前に彼女は消えていた。死体を手放した途端に、ちょっと跳んだだけでT-800の背後を取り、仮面ライダー並みの鮮やかな回し蹴りでその髑髏顔を刈り取った。綺麗に落とされた首はカザマが磔にされた壁に放物線を描き、ちょうど顔の真横にめり込んだ。

一瞬だった。不意を突かれたとはいえ、鍛え抜かれた特殊部隊の兵士を戦闘不能に追い込むほどの性能を発揮したスカイネットの最新兵器が、たった1人の細身の女性に破壊された。

「抜くよ。」

いつの間にかシェリーを移動させたアキラが傍に立ち、ひどく短い合図と同時に肩に手をかけ一息に引っ張った。肉の抵抗が伝わって声にならない絶叫を喉の奥で上げてしまう。

「…ッ、もうちょっと優しくやってくれよ。こっちにも心の準備が―」

「下手に構えられると筋肉が緊張して抜きにくくなるのよ。ほら我慢しろ。男だろ。」

手早くスーツの切れ端でガーゼを作り、傷口に巻く。幸いにも衝突の速度で生じた摩擦が肉を焼いており、出血はない。それでも1mmでも動くたびに苛んでくる痛みは避けようがなく、すぐに息が上がってしまう。せめて鎮痛剤があればなあ。

そして差し迫った問題がもう1つ。未だにグングンと進軍しているターミネーターの群れだ。しかし、意外にもあっさりと解決策は名乗り出た。

「私が足止めする。アンタはシェリーを連れてランデブーポイントに急いで。」

久々に聞く中尉としての声で命じたアキラは、両腿のXガンを引き抜いて迷うことなく駆け出した。ものの3秒で敵中に突っ込み、すぐに囲まれて見えなくなったが、ギョーンと間の抜けた音がした直後に爆発が起こり、ガッシャンガッシャンと鉄の骸が量産されていく。その間にもカザマは残った体力を振り絞って動いていた。

最早止せ、と言えはしなかった。どう足掻いたって自分にできるのはアキラに言われたことだけだ。いや、それができるかどうかすら怪しい。けれど、オレは命令された。託された。だったらやるしかないだろうが。

気を抜くとすぐにでも倒れてしまいそうな体を叱咤して、同じように灯が消えかかりそうな華奢な体を背負って歩を進める。どうやらここに来るまでに障害はアキラが根こそぎ取り除いたようで、そこかしこにマスクズの死体が転がっている。

これなら味方も無事だろう。先に回収地点に向かった仲間たちを安全を確信したカザマは、もう一度後ろを振り返る。有象無象の機械軍団がひしめく中心に、亜麻色の髪が踊るのを見える。奇しくもその背中はタクミが重なって見えた。




ピンときた方もいられるでしょうが、痛覚マスキングは「虐殺器官」から借用させていただきました。
脳の構造についてはさっぱりなので、勝手に理論っぽくしています(笑)


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43.死ねばいいのに

「ウワッ!?」

「おい、どうした。そんなにキツく振ってないぞ。」

「どうしたじゃないって。さっきの何なんだよ?」

「さっきの?」

「ぼくがアンタの攻撃をかわして打ち返した時だよ。何かこう…よく分からないけど、気が付いたら殺られてて―」

「ああ、アレか。アレはそうだな。相応しい言葉を使うとすれば、必殺技だ。…おい待て。何だその微妙に引きつった顔は。」

「いやマザーってさ、偶に似合わないこと言うなあって思って。で、教えてくれるの?」

「覚えるつもりなのか?」

「いや、正直言ってその歳で必殺技とか言っちゃうのには引いたけど、やっぱり男としてはそういうのに興味持っちゃうんだよね。ニュアンス的に。」

「なるほどな。だが、ハッキリ言って実用性はないぞ。忠告しておくと。」

「構わないよ。アンタには無駄なこともたくさん教えられたから。それに時間はいくらでもあるしね。」

「そうか。じゃあ1000ドルだな。」

「金取るの!?」

「可愛い弟子の頼みだから特別にタダで教授してやろうと思ったが、さっきの一言で気が変わった。元はと言えばこれは私が編み出したものだ。著作権が発生するのは普通だろう。お前はまだ未熟だから安くしてやる。」

「…出世払いでいい?」

 

広い通路の中をひた走る。と言ってもデカいお城の中の絨毯やら壁やらに、ネズミもどきのアイコンが付いているのはどこも同じで、自分が今どこを走っているのか分からなくなってくる。

右? 左? 北? それとも南? トイレはどこだっけ?

後ろから猛追してくる殺気を感じながら、走り続けること十数分。ぼくはかなりだだっ広い空間に出た。

どこかの教会ほどの高さの天井から1つの大きなランプが吊り下がり、ガラスもない格子の中で浮かぶ光が同じように吊り下がった色彩鮮やかな旗の数々と、壁に埋め込まれたステンドグラスの水晶のような表面を淡くなぞっている。

過去に核攻撃を受けたせいで生き埋めになった人間がいたらしく、割れた皿に群がるように横たわっている遺体の口には、骨が挟まっていた。鳥か人間かは判別できないけど。

そういえばここに迷い込む前に傾いた案内板の矢印に何たらのロイヤルテーブルと記してあるのを思い出した。ネーミングと部屋の装飾や散らかった残飯から察するに、この城の食堂だろう。

「どこに行くのかと思えば、中々に趣味の悪いところに逃げ込んだな。コガ・タクミ君。」

「今回はぼくのせいじゃない。でも、ようやく戦場(それ)らしい所に出られた。やっと―」

やっと殺り合える。

身に染みついた動作で抜刀し、斬りかかる。ターナーも剣を合わせ数度打ち合い、ぼくが顔に振った剣閃をバックドロップで避け、仰向けに姿勢を崩したままぼくの胴に足を接触させ、後転の勢いを借りて天井に蹴り出した。

撞木をぶち込まれたような衝撃に見舞い、壁に激突しそうになったのでその前に空中で体勢を変え、背中がぶつかる代わりに足をくっつけたぼくは、蹴り出された衝撃を反作用させ再び―ただしさらに速く―ミサイルみたいに突っ込んだ。

受け止めたターナーの地面が陥没するほどの衝撃波がテーブルや椅子、死体を巻き上げる。それらが重力に捕らわれて落ちるまでに、ぼくらは無数の剣戟を繰り広げていた。剣で、拳で、脚で。己の持つあらゆる技術を投入して行われる死の演舞。

一方が殴れば一方は蹴り込み、当身を入れれば捕まって投げられる。ぼくは舌を巻かざるを得なかった。奴は強過ぎる。剣の腕はもちろん、反射神経、体捌き、予測力、全てが恐ろしく高いレベルに鍛えられている。才能だけでもマザーと同等、いやそれ以上かもしれない。告白しよう。滅茶苦茶やりにくかった。

「やはり君は戦いには向いてないな。」

ターナーの何気ない一言が心に刺さる。そうさ。とっくに分かってる。自分には素質がないってことくらい。ただがむしゃらに訓練と実戦を繰り返し、何度も痛い目に遭ってやっと生き残る術を、人間の予め持つ潜在能力を引き出したに過ぎない。

それこそ周りには、その道の神様に愛されてるとしか思えないほどの天才がウジャウジャいる。ぼくなんて水増ししても秀才止まりだ。いくら腕を磨いても、決して彼らの世界にはたどり着くことはない。

プロメテウス計画が本格的に導入されれば、ジャップ・ザ・リッパーなんて造り放題だ。志願兵に補欠で入ったぼくが成れたんだから間違いない。

臆病で、愚鈍で、優柔不断で、かっこ悪いぼく。強くて、圧倒的で、象徴的で、かっこいいジャップ・ザ・リッパー。一体ぼくはいつから変わってしまったんだろう。強さも名声も要らない。金持ちでも美人でも面白い奴でなくてもいい。ぼくはただ、誰かに見ててもらいたかっただけなのに。一体どこで間違ってしまったんだろう?

 

右斜めから2体殴りかかってくる。肌をチリチリと灼く感覚が告げた方向に、銃を何発か馬賊撃ちで発射すると、一拍おいて爆発が起こり巻き添えを食らったT-100が半分に分断される。その間にダイヤルで射程をイジッたアキラは、囲まれつつあることに気づいて跳躍した。

獲物が空中に移動したことで同士撃ち(フレンドリーファイア)を躊躇っていた―と思うことにする―ターミネーターが、ここぞとばかりに火線を上に向ける。

だが当たらない。錐もみするような微妙な体幹の捻りで着弾面積を最小限に抑える。何発か掠りはしたが想定内だ。どだい、弾というものは当たらなければどうということは無い。

アキラが地下の実験室で何度も繰り返したのは概念検証用の試作型ソフトウェアによるものだった。ソースコードとなったのは抵抗軍の最高機密。機械戦争が勃発してからデータベースに集積し続けた膨大な戦闘記録を統計、解析することで数理学的に形成された定理(パターン)を導き出すことに成功し、射線を予測して回避しつつ相手の死角に回り込み効率的に攻撃するというガンツソードとは異なるアプローチの戦闘技術が考案された。理論上では使いこなせば銃撃戦の真っ只中だろうと単独で多数を制圧できる。

しかし、そのレベルに至るには一瞬で敵の位置を把握する空間認識能力と最適なポジションを策定する判断力、同時に回避と移動をするための並外れた運動センスが要求される。奇しくもトップガンと特殊部隊の素質を持つアキラが唯一の成功体なのだが、まだ完全に習得するほど慣れていない。そんなわけだから着地するときに危うく足首を挫きそうにもなった。

標的が再び地に落ちたことで、数による面制圧を掛けてくるターミネーターを、円を描いて踊るように仕留めていく。四方八方に乱射する2本の腕は常人では捉えられない速さで動き、目まぐるしく変わる状況の中で、最適のタイミングで敵を選択、捕捉、発射している。これもまた、人間の知恵のお陰なのだから恐ろしいものだ。

しかしまた、その知恵の産物はアキラに異なる能力(ちから)も与えていた。

「まだアイツは…生きてるか。」

あのポッドを出て少し経ってからだろうか。未だ拘束されているだろうタクミを探す途中で、アキラは未知の感覚に囚われた。あっちの方向にタクミがいる。いつもの五感を駆使した結果の厳然とした事実ではない。ただの虫の知らせと言った方が正しい、()()()()()()()()()()()()は、しかしこのとき何にも増して深く訴えて来た。

そして今もその感覚は消えていない。鉄の塊が絶え間なく飛んでくる中でも、アキラはタクミが生きていると何となく分かっていた。無論、彼がどういう状態でいるかは分からないが、ただ生きていることだけはハッキリと確信できた。

というか、どんどん近くなっている。それこそ分刻みなんてものではなく、走っても追いつかないほどの速度で気配が大きくなる。スーツの力を借りてるとしても異常なスピードだ。

「一体どこから―」

疑念が口から零れた直後、視界の中を猛スピードで何かが通り過ぎた。何かと言ってもレールの上を走ってる以上は、このパークのジェットコースターなのだが、アキラが注意を奪われたのは()()()()()()()()()()()だった。

足場もロクにない車上で、細かに重心を制御して悠然と立つターナー。口に刀をくわえながら、最後尾のシートのレールにしがみつくタクミ。ほんの一瞬しか映らなかったが、確かにそうだった2人の姿が1秒もしないうちに視界から消え去る。

「…」

何が起こったか知る由もないアキラは、ただそのままいれば開きそうな口を何とか閉じるしかなかった。

 

城の食堂で斬り合い続けて数十分。どんな紆余曲折を経たのか覚えてないまま、ぼくたちは旧サファリ・エリアの核施設の中を駆けずり回っていた。何かジェットコースターに乗っていたところは思い出せるけど、他はあやふやだ。

と言うのも、感覚が曖昧なのだ。さっきまで様々な色彩を伝えてきた視覚が、動くたびに発する音を捉える聴覚が、今はターナー以外の存在を認識しない。刀が物体を掠るときに出る火花さえもモノクロに映り、それが出るときの甲高い高周波音も聞こえない。最初は右目を潰された影響かとも思ったけど、隻眼のハンデである視野の狭さなど感じず、寧ろ両目のときより繊細に事象を捉えられるほどだ。

不思議な感覚だ。異常なまでに戦いに集中しているのに、体が全く力んでない。それどころか時が経つほど意識が先鋭になり、感覚という感覚が研ぎ澄まされ、全てが同時に知覚される。

刀身に映える火花の一粒一粒が、刀を振ることで生まれる空気の振動が、激しく動くターナーの汗の軌跡さえ。その心臓の音が聞こえないのが不思議なくらいだ。まるで―

「空気に溶けたみたいだ。」

ひどくゆっくりに動く太刀筋を予測し、腰を沈めてかわす。その次が来る前に同じ動作で刃を振るい、一瞬にして退く。剣はターナーの肩を裂いて皮の下にある血管を断裂させる。血が大気に触れたのを知覚したときには、また踏み込み胸に剣を刺し込んでいた。

が、ターナーは流石と言うか、寸前で剣を刎ねて逸らし、ぼくの刀を抑えたまま刃に沿って滑らせてきた。プロメテウス計画唯一の成功体は伊達じゃないようだ。でも、戦える。今までの死が、ここで味わってきた死が、ぼくを次の世界に導く。

まったく、マザーがぼくを未熟だと言っていた意味がようやく分かった。ぼくには覚悟がなかったんだ。誰かを守る覚悟も。恐怖に立ち向かう覚悟も。そして()()()()()()()()()()()を認める覚悟も。ぼくは自分(ぼく)を受け入れるのが怖かったんだ。

「君の迷いと恐怖が伝わってくる。」

触れ合う刃に乗せてターナーが嗤う。

「やはり若いな。健気なものだ。ただ1日の邂逅が君を突き動かしている。誰が望んだわけでもないのに、血を流し続けて。」

「勝手に赤の他人が持ち出す評価ほど気持ち悪いものはないぞ。」

「気を悪くしないでくれ。こう見えて私は君を買っているんだ。」

一歩踏み込んだ勢いで呼吸と一緒にターナーの長身を押し飛ばす。しかし彼は無駄に抗うことはせず、その力を利用して一気に後方に飛び、瞬く間に乱立する配管の闇に溶け込んだ。

「分かるんだよ私には。経験からものを言ってるんじゃない。()()()()()()()()()()()()()()。」

「だから、それが気持ち悪いって言ってるんだ。死ねよ。」

それこそ聞き捨てならない話だ。エスパーじゃあるまいし、勝手に頭の中を覗かれては溜まったもんじゃない。プライバシーの侵害で訴えてやる。

「知らないのも無理はない。私も初めて体感したのでね。正直、今も少し戸惑っている。」

全然そう聞こえないターナーの声音が、配管の隙間から漏れ出る蒸気と一緒に拡散する。音の反響具合から相当広い部屋に出たようだ。ふと壁に掛けられた表示を見ると、1個の円を3つの扇形が綺麗に120°ずつ囲んでおり、その横にはドクロのアイコンがチカチカと点滅している。それが何のマークか示すように部屋の中央に、デンとそびえる大きなやかんみたいな装置。

ぼくはゲンナリとため息を吐いた。状況に夢中になるあまり、()()()()1()()()()()()に来てしまったらしい。

「いや、そうなって然るべきと言うべきか。君は知ってるだろうが、ループにはガンツ、つまりエンリケの技術が関わっている。その1つがタキオン粒子だ。これはかなりの変わり者でね。他の原子と違って重さはないし、決して光速より遅くならない。エンリケはその特異性を応用し、タキオンが発する波長を対象者の脳に浴びせることで、ループに組み込ませているんだ。」

「それがアンタの読心術とどう関係があるんだ。」

「そうだな。前置きが長過ぎた。実はプロメテウス計画でも、このタキオン粒子を被験者の脳に照射してるんだよ。当然本物である君より弱いが、彼らもタキオンの波長を脳から発しているのさ。ループこそ出来ないが、君の脳波を感じ取ることはできるし、君がいつループしたかも知覚される。ほんの僅かではあるがね。」

なるほど、そういうカラクリか。道理で姿が見えなくても、奴の気配が認識できるわけだ。そういえばマスクズと戦ったときも、何となく直感的に動きが読み取れた気がする。思い返せばマザーも『この特殊波は同種の波長を放つ物質が近くにいるとき、非常に共鳴しやすい性質を持つ』って言ってたっけ。

だったらターナーのこの波長の強さは何なのか。マスクズを遥かに凌駕するプレッシャーが、津波の如くぼくに圧し掛かってくる。いや、ひょっとしたらマザーよりも…

「それからもう1つ君に知らせがある。悪い知らせだ。」

「何だかお知らせばっかりだね。アンタが段々保険勧誘員の回し者に見えてきたよ。」

大気が震えるんじゃないかと思うほどの重圧に、負けじと声を大にする。減らず口だと分かってるけど、()()()()を維持するには、この圧力に屈するわけにはいかない。

「とても大事な知らせなんだ。スロノムスキーのモノリスのことなんだが、現在特殊なデータを発信している。何故かというと君たちの脳内のチップを上書きするためのデータ送信波だ。しかし、厄介なことにこの波はタキオンを妨害する性質を併せ持っていてね。非常に不本意とは思うだろうが、君のループは使えなくなってしまった。」

本当に悪い知らせじゃないか。というか最悪。つまり現時点でぼくの絶対的な優位性は消え去り、事実上ガチで命を懸けなければならなくなったということか。今更ながらに、身体に震えが走る。

しかし、懐かしい気分だ。まだループに陥る前、()()()()()()()()()()()()()を思い出す。まだ死を死と思えたビビリでドジばかり踏んでいた二等兵のぼく。今のぼくを見たら何と言うだろうか。有り得ないけどありそうな場面にクスッと笑ってしまう。

「だったらぼくはとっとと逃げればいいんだろうな。やっぱり死ぬのは嫌だし。」

「それが賢明な判断だが…どうも君の目はそう言ってはいないように思えるぞ。」

正解だ。ぼくは軽く屈伸して3mほど飛び、気配の源のところに降り立つと、返答代わりに思い切り振り下ろした。ギンッと金属が擦り合う音が響き、ユラリと暗闇からターナーの顔が浮かび上がる。

「その通りだよ。だって勿体ないじゃないか。折角いいところなのに、これでお開きなんて。」

「…まったく。狂ってるよ君は。」

狂ってる。確かにそうかもしれない。でも、構わない。この戦いがいつまでも続くのなら命だって差し出そう。狭い足場で長物は得策ではない。よって必然的にぼくらはガンツソードを縮めて互いを料理するために細かく斬り結んだ。呼吸が聞こえるほどの間合いで迫り来る刃先をナイフで受けるか素手で捌き、掴まれた腕を手刀で払い、僅かな隙間に刃を滑らせる。

後退=死という短剣格闘の常識(セオリー)を持ち出すまでもなく、ひたすらに楽器みたいに金属音を鳴らし合って数合、右下からの逆袈裟を抑え込んだぼくはターナーの眼下にナイフを据え()()()()()()()()。寸前で意図に気付いたターナーは瞬く間に伸びた切っ先を辛うじてかわすが、ゴツッと鈍い音が鎖骨から発した。チャンス。堪らず後退したのを逃さず続けざまに打ち込み、ターナーの体勢が崩れるまで力の限り振り下ろす。けど奴は直前でまた後ろに飛び退り、パイプの継ぎ目を軽く刃でなぞった。

密閉された空間に切れ目が出来たことから、中の蒸気が一気に溢れ出し衝撃でパルプが弾け飛ぶ。白い煙で姿が隠れてしまうけど、道はこのパイプ1本だけだ。迷わず煙の向こうに進んだぼくは、しかしターナーを見つけることは出来なかった。

すると背後に凄まじい殺気が発し、首筋が粟立ったぼくは咄嗟に防御の姿勢を取ったが、幅10cm程度の足場で完全な準備が出来るはずもなく、これまでとは比べ物にならないパワーで吹き飛ばされた。回転しながら宙を舞った先にちょうどやかんみたいな装置があり、隔壁に亀裂が入るほど強かに打ちつけられ、地面を転がる。

とてもスーツの力だけとは思えないほどの膂力だ。恐らく彼も筋力の制限を取り払える―精神が肉体を凌駕している人間なのだろう。ループの試練を乗り越えた者だけが手にできる人体の限界を超えた力。

やはり強い。途轍もないほどに。モノクロの世界の中で優雅に降り立ったターナーだけが、鮮やかに色を放っている。まだ戦える。相変わらず痛みを知覚するだけの身体が、ダメージの具合を確認して戦闘続行の判定を下す。放射能漏れを検知したセンサーが騒々しく警報を鳴らす中で、2人は同じタイミングでぶつかり合った。

戦え。戦え。戦え。頭の中で叫び続ける衝動に身を委ねて、加速する本能が奥底から力を紡ぎ出す。刀が自分の体の一部になったみたいに、僅かな指先の動きだけで自在に弧を描く。こちらが太腿を斬りつければ、相手は胸を横薙ぎにしてくる。

浅く胸に入った切り傷から血が舞うのを、どこか他人事みたいに感じながらぼくは誇らしい気持ちになった。ターナーは凄い。マザーに技術を叩き込まれたぼくと違い、彼はたった1人でこれほどの強さを身に着けたのだから。

いや、多分これが人間が本来持つべき強さなのだろう。生への執着から生まれる純粋な意志の力。それを既に捨ててしまったぼくにはたどり着けない高みにターナーは登り詰めている。屍者と生者。捨てた者と足掻く者。奇妙なことに過程は全く異なるのに、得たものは全く同じという矛盾(コントラディクション)に苦笑してしまう。

数々の連撃の応酬が不意に途切れ、謀ったわけでもないのに全く同じ瞬間に同じ動作で振りかぶりの姿勢に入る。これまでと同じようにスローモーションに映るぼくの頭は、しかし敵の意外な手に判断を遅らせることになってしまった。

打ち落とし。剣術において打ち下ろしてきた相手の剣を、微妙に捻りを加えた同じ動きで斜めに反り落とし、打突に繋げる非常に難度の高い技だ。研鑽の果ての1つの到達点とされる現代剣道でも、使いこなせる人間は一握りしかいない。

ましてやそれを実戦で成功させるのだから、やられる方は狐に抓まれてしまうだろう。軌道を外された刀をさらに足で押さえられたぼくに、反撃する余地があるはずもない。辛うじて顔面への追撃をかわした自分の反射神経を褒めてやりたかった。

頬を少し掠って過ぎた刀身に連なっている腕を抱き込み、前屈みになっている相手の勢いに乗って後ろ向きに体勢を崩し、足裏を胸部に添わせて蹴り出す。しかしターナーはここでも尋常ではない反応速度で刀を薙ぎ、宙に浮いて無防備なところを狙おうとしたぼくの一撃を防いだ。

その間にもぼくの触覚は肩に刃が食い込んだことを知らせ、ターナーの額に切っ先が当たったことを伝える。そのまま背中から地に着いたターナーを、突き刺そうと飛び掛かったがかわされ、逆に衝撃で巻き上がった煙から現れた上段の攻撃を、柄頭で受け止める。

上からの力で地面に深く刺さった剣を手放さなくてはならなくなったぼくは、代わりにターナーのそれを蹴り上げ天井に突き刺してやった。互いに武器がなくなったからといって、オメオメと引き下がるわけもなく、ぼくらは1発1発がプロボクサーのジャブより強いスパーリングを始めた。

突き蹴りを複雑に駆使して攻防を入れ替える最中、同時に放ったストレートが互いの頬に突き刺さり、脳髄が耳からはみ出ると思うほどの衝撃を受ける。訓練の賜物か反射的に顔を突きに合わせて反らし、伸びた腕を受け止め肘関節を巻き込んで背中を向かせチョークスリーパーで落としにかかる。

しかしターナーは気管が潰れる直前に顎を腕に引っ掛けロックし、ぼくの頭を掴み投げて転ばせた。追撃の突きを紙一重で交わしそのまま三角絞めに移った。が、ターナーは頸椎を絞められながらも強引に持ち上げ、勢いを着けて放り投げた。

どうにか大地に踏ん張り急接近してくる敵の脇腹へ遠心力で加速した爪先を叩き込む。相手はツボに入ったらしく仰向けに倒れたが、とどめを刺そうと近づいたぼくの足を払い、逆に馬乗りになってボコボコに顔を殴りまくった。

ひょっとして腕が千切れるんじゃないかと思うほど殴られる中、ぼくは皮膚に血とは異なる熱と感触を持った液体が滴るのを感じた。ターナーの頬には一筋の滴の跡があった。何であの人(マリナ)を殺した、と聞こえた気がした。

その通りだと思った。何で彼女が死ななければならなかったのか。もっと早く気付いていればあんな過ちは起こさなかったかもしれないのに。ターナー、アンタにはぼくを殺す権利がある。ぼくにも殺される責任がある。一度ならず大切な人たちが心から愛した人々を葬って来た。ぼく自身も愛する人をこの手で―

たまらなくなったぼくは自分でも意味不明な叫びを上げ、頭突きをかまし鳩尾にアッパーを決めて配管の上にまで放り投げた。グワングワンと響く頭を左右に振って、血塗れになって稼いだ時間で何とか手放した得物を引き抜く。

だがやはり生まれながらの戦士であるせいか、ターナーの立ち直りは異常に早く振り返ったときには、天井の剣をその手に収めぼくに襲い掛かっていた。もう回避に移れる距離じゃない。体を捻って入射角をずらしてスーツで受けようとも思ったけど、そのスーツも最早限界に近付いている。万事休す。半ば諦めて刀を握る手を緩めたときだった。

諦観を殺せ。マザーがかつて口癖のように酸っぱく聞かせて来た言葉が脳裏を過ぎった。最後まで足掻け。例え1秒後に弾丸が貫くとしても、何もしなければ確率は0のままなのだと。奇しくもその瞬間、ぼくは神を見た。

―来た。さっきから続いている肉体が今までにないほど研ぎ澄まされた現象が、遂に極限に達したという感覚。いよいよ音は完全に聞こえなくなり、ターナーの姿さえ掻き消え、映るのは黒く光る1本の刃だけだ。

もう考えてすらいなかった。直感的に動いた左腕が迫り来る刀に伸び、手の平にその先が入り込む。そのまま手を貫いた剣先は腕を通り抜け、肘先を貫通した。鍔まで刺し込まれた左手を大きく開いて残った握力でガッチリと固定する。これでもう逃げられない。右手でガンツソードの長さを調節して、脇差ほどのサイズに留める。

目線をよく見て、針を通すように正確に―。手が震えるほど反復練習しても習得できなかった動きが、今は完璧に描けている。見えざる手に導かれるように一直線に伸びた切っ先は、狙い違わず真っ直ぐにターナーの心臓を貫いた。

視界の闇が晴れた時、ぼくは決闘が幕切れになったことに気が付いた。モノクロだった光景に色が戻り、鼓膜には喧しいアラートが鳴り響く。そして目の前には胸から赤黒い血をボタボタと落とすターナーがいた。刀を引き抜くと血は一層激しく零れ落ちた。

「…何が…起きた…」

ゴボッと口から血を吐いたターナーが呟く。その目はまだ自分に起こったことを理解できてない様だった。

「君が私の手を掴んだ後…剣を避けようとしたら…剣が消えた。一体…何をしたんだ。」

息も絶え絶えに問うてくる敵に、言ってやった。

「…盲点だよ。」

「…何?」

「人間の眼は構造上、焦点が合わない点―盲点が存在する。ぼくはそこに剣先を合わせて刺しただけだ。」

「…馬鹿な。そんな神業(こと)…出来るはずがない。いや、出来たとしても…君はどうやってそれを…まさか…!」

「この技はマザーから受け継いだものだよ。ぼくがまだ稽古を付けてもらってた頃に教わった。結局マスター出来なかったけどね。ぼくもまさか出来るなんて思わなかった。」

「…そうか。最後は…人に教わった者が勝つんだな。それにしても…こんな形で負けるとはな…。全く分からないものだ。」

精根尽き果てた様子で倒れ伏したターナーだったが、ぼくからすればこの場に勝者なんて初めからいなかった。そもそもこの戦い自体、何の意味があったというのだろう。

「戦闘は終わった。けどぼくには、まだ任務が残っている。」

ボソッと喋ったぼくは一息にターナーの四肢を切り落とした。絶叫を上げてもおかしくないのに、それをおくびにも出さない精神力は流石と言うしかなかった。

「これがアンタへの報復(リベンジ)だ。殺しはしない。アンタの生殺与奪は天に任せるよ。」

「…好きにするがいい。だが一つ忠告しておこう。ゴールドスタイン(われわれ)はいつも君たちを見ているぞ。」

聞き慣れない単語に訝しんだものの、その台詞を最後にぼくは史上最大の宿敵に踵を返した。『ゴールドスタイン』とやらについて問い質したかったけど、早くこの放射線が溢れた空間から脱出しなければならない。そのとき左腕に違和感を感じる。そう言えばずっと刺しっ放しだったな。

深く肉を裂いた刀をズルリと抜くが、腕に力は入らずブランと垂れ下がったままだ。試しに上腕に力を込めるけど、ウンともスンとも言わない。どうやら腕の腱が断裂してしまっているらしい。

余計なお荷物に舌打ちしたぼくは、仕方なく脇の下に刀を差し込み、一気に押し込んだ。ボトリと左腕が落ち、肩の切断面から盛大に血が飛び散る。早く止血しないと。手近なパイプに切れ目を入れて噴き出した蒸気に、肩口を当てて肉の部分を溶接すると、不思議なことにファミレスで出されるステーキと変わらない匂いがした。

2、3度軽く揺すってしっかりと傷口が塞がっていることを確かめる。その一方で火傷の痛みも感じないことに嘆息する。

「温痛覚もダメか。」

ガックリと肩を落としたのを最後に、ぼくは今度こそこのイカレた(マッド)パークを脱け出すために歩を進めた。




随分と遅い設定ですが、各キャラのプロフィールです(・ω・)ノ
戦争中だから昇進スピードが速い速い

コガ・タクミ 21歳 172cm 特務曹長

ナルミヤ・アキラ 21歳 173cm 大尉

カザマ・ダイゴ 22歳 190cm 軍曹

シェリー・セシル 19歳 163cm 一等兵

ナイジェル・ケイヴス 24歳 176cm 伍長

マリナ・オーグラン 34歳(故) 177cm 少佐

グラハム・ターナー 33歳 185cm

エドワード・ワグナー 53歳 180cm 中佐

おまけ
レイチェル・ウルフリック 24歳 180cm

サイダモ・エイガー 41歳(第1部) 184cm 曹長(第1部)


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44.脱出

色々あってアカネ→アキラに名前を変えました。
口調も若干変更しています。


「あと何人だ?」

ようやくたどり着いたLZ(ランディングゾーン)で、呻きと血の臭いで一杯になった輸送機のカーゴの中をかき分けて、操縦席のナイジェルを呼び出す。

「さっきのでちょうど最後だ、と言いたいところだが、まだ本命の2人が来てないぞ。ったく、何やってんだかアイツらは。」

「隊長なら大丈夫だろう。それにあのイワンの大尉だって、簡単にはくたばるまい。」

「何を根拠にそんなこと言えんだよ。」

「あの坊主はどんな戦場でも絶対に帰って来た。それだけだ。」

必死にレーダーと睨めっこしながら計器を調整するナイジェルに、横たわった負傷者を介抱するマーカス・クロッソン曹長が、落ち着き払った声で返す。アフリカ系の血が濃く入り混じっている強面の巨漢は、長年のキャリアを反映したように冷静だ。マリナ・オーグランの時代からREXの副官を担っている肩書は伊達じゃない。

「けど旦那、これはヤバいんじゃねえの? オレも何度か修羅場は潜ってきたが、こいつは流石に―」

「いいから機体の調整を続けろ。お前の仕事はそれだろうが。」

包帯を肘の付け根に巻いたカザマの隣で横たわって、呼吸マスクで覆われたシェリーの小さな顔を撫でる姿は、奇しくも父親のそれに見えた気がした。

 

「…ハアッ、ハアッ…ハッ…!」

アキラにとってそれは終わりのない戦いだった。燃え盛る炎に照り返るチタン合金のフレームの化け物たちが、撃っても撃っても殺到する。もう100体を超えたあたりから数えてない。

こうして肩で息をついている間にも、明確な攻撃の意図を感じ取った体が反応して、無意識にトリガーを引かせる。これではポッドに沈められてた時と変わらない。不意にその時の記憶が脳裏を掠め、舌打ちしたアキラは前方から迫る大軍をロックオンして、一斉に撃ち尽くした。

圧縮された不可視の指向性エネルギーが目標に炸裂し、派手な爆音と共に粉々に砕け散る。1機、2機、3機…順調に数を減らして時間を稼ぎ、ジリジリと後退したときだった。背後にフッと影が浮かび羽交い締めにされ、身動きが取れなくなる。何者かと首だけを動かしてみると、そこには今日だけで何度も相手にしてきたマスクズの、のっぺらぼうの黒い仮面が、アキラの顔を映していた。

まだ、生き残りが居たのか。少し前ならすぐにでも振り解けたのに、今は力を使い切って腕に力が入らない。せめてもの反撃に股間を思い切り蹴り上げたが、マスクズは何の反応も示さない代わりに、ますます拘束する力を強めていく。

度重なる疲労の連続でいよいよ意識も限界に達しかけたその直前、背中の圧力が嘘のように消えた。圧迫された気管が緩まり咳き込みながら振り返ると、マスクズの首は黒い手袋に絞め上げられていた。

ミシミシと嫌な音を立てる手から逃れようと、必死に暴れるマスクズだったが、抵抗も虚しく頸椎をへし折られ全身から力が抜ける。アキラはその手の持ち主の名を呟いた。

「タクミ…」

スーツの至るところが裂け半分機能を失い、片目が潰れた姿はターナーと戦った結果を物語っている。そして何より…

「アンタ、腕が…」

「仕方ないよ。そうしなきゃ勝てなかった。」

本当なら歩けるはずもないのに、その顔は平然とした様子で淡々と告げる。それが逆に痛ましい。余計な心配をさせないために、アキラは何事もないように振る舞うことにした。

「そんなことより皆はどうしたの? もう時間がない。」

「とっくに撤収した。あとは私たちだけ。さっさとしないと置いてかれるよ。」

「だったら急がなきゃね。アキラはまだ動ける?」

「この状況じゃやるしかないでしょ。」

「それもそうだね。じゃあ行こうか。」

ガシャンと剣を担いで駆け出すタクミを追い、先陣を切って飛び込んだ背中を狙う敵に照準を絞り、トリガーを引き続ける。さっきまでボロボロになるまで戦ってたはずなのに、タクミの動きに澱みはない。これまでと同じように紙一重で銃弾を避け、いっそ芸術にさえ見える剣技で次々と敵を屠っていく。

アキラは交錯する戦場から瞬時に状況を把握し、絶妙な間合いで相手の懐に入り込み見えない一撃を加えて、すぐに離脱する。蛇のようにスルリと抜けていく身のこなしに、着いていけないT-100が直後に体の内側から膨れ上がって爆発する。

何分そうしていたか分からないまま、気が付けば2人は背中を合わせて敵の猛攻を凌いでいた。アキラが鳳仙花の如く鉄塊を火球に包んで粉砕する一方で、バッティングのように銃弾を跳ね返すタクミ。激しい訓練と戦闘を潜り抜けたベテランの兵士でも再現できないほどの抜群のコンビネーションで、華麗にステップを踏むたびに倒れる機械の山。

身体はオーバーロードを訴えているのに、アキラはギリギリのところで踏ん張っていた。何だろうこの感じ。指示もハンドサインもないのに、タクミの動きが背中から感じ取れる。一瞬のアイコンタクトで何がしたいのか分かる。例えば今みたいに身を屈めば、すぐ頭上を何mも伸びた黒い剣閃が通り過ぎ、硬質な物体同士がこすれ合う音が響く。

変な奴。今でも殺してやろうかと思っているのに、この瞬間が続けばいいと感じてる自分がいる。おかしな話だ。カルロスのコールサインを受け継ぎ、復讐のために近づいたはずなのに、彼に死んでほしくないと思っている。奇妙な感覚はアキラを安心感で包み込んでいた。

これがループを受けた者の力なのだろうか。手に取るように分かる戦友の動きだったが、人間には限界がある。不意に膝を屈したタクミに気を取られたアキラは、迫るRPGロケットの対処を遅らせてしまった。すぐにXガンを撃って弾道上で爆破したが、その余波は殺しきれずに2人まとめて吹っ飛ばされる。

朦朧とする意識をどうにか引き上げて、傍らに転がるタクミの胸倉を掴みあげる。

「どうしたのよ。急に倒れやがって。」

「ゴ、ゴメン。やっぱり連戦は無理だったみたい。」

「ったく、怪我人のくせに見え張るから。」

平気そうに振る舞っているが、タクミの容態はどう見ても致命的だ。左腕の切断箇所は止血できているとしても、腕1本無くしたまま戦える人間なんて存在しない。そんな奴がいたとしたら、そいつは人間じゃない。

でもどうする?

さっきの掃討戦でいくらか戦力を削いだが、未だに敵は健在だ。片やこちらは怪我人を抱えた体力が尽きかけている女が1人。

「ここまで来たのに…!」

不運の連続にほぞを噛む。そんなアキラを見透かすようにライフルを向けたT-600。思わずタクミを抱き寄せて地面に伏せるが、もう間に合わない。それでも離れないアキラの背に、無慈悲に筒先を上げたターミネーターは、しかし直後に上空からの弾丸の雨に蜂の巣にされた。

「何が起こったの?」

「上よタクミ。」

いち早く勘付いたアキラの言うままに空を見上げると、REXの使う輸送機が闇夜にその見慣れたフォルムを浮かび上がらせていた。

『ようご両人。まだ生きてるかい?』

「グッドタイミング、ナイジェルさん。生憎とまだ死に損なってるみたい。」

『そいつは結構。ここはオレたちが抑えるから、お前らは北に向かってくれ。4kmもすればでかい広場に出るはずだ。そこで合流しよう。』

「分かった。少しでいいから保たせてちょうだい。」

通信を切ってタクミを引っ張り上げるが、力が入らないのかガクリと脚がもつれてしまう。その有様に肩を落としたアキラは、そのまま上体を担いで背中に乗せて走り出した。

「ちょ、ちょっとアキラ?」

「何? うっさいからちょっと黙ってて。」

「でも、こんな格好で―」

「黙れつってんだろ!」

罵声と一緒に拳骨を喰らい、口を噤むタクミ。

「そんな状態で歩かれたら迷惑なの。大体、アンタまともに動けないでしょ。」

流石に反論できず大人しくなった相方を背に、アキラはひたすら走り続けた。

 

「もうそろそろね。タクミまだ生きてる?」

「何とかね。できればもう少し丁寧に走ってほしいんだけど。」

「縄で引っ張ってやろうかコラ。」

スーツで強化された脚力のお陰で、合流地点はすぐに見えてきた。ナイジェルの奇襲が功を成したのか、時折轟音が響くものの、敵が接近している様子はない。体力も立て続けに消耗しているせいで、段々と目の前が暗くなってきた。

酸素を欲した肺が大きく伸縮し、口元に鉄臭い匂いが広がり、たまらなくなって血を吐く。その拍子に脚が何かに引っ掛かってしまい、勢いをつけていたことでバランスを取る間もなく、アキラたちは地面に2度、3度と転げ回った。

「だから丁寧にって言ったのに。」

「人に運んでもらってた身分で、偉そうな口利いてんじゃねえよ。ムカつく。」

悪口を叩きあうが、互いの無事を確認するようなものだ。自然に肩を貸し合ってどうにか立ち上がり、フラフラになりながらも歩を進める。

「ターナーのことだけどさ。何でわざわざ戦ったりしたの? アンタだったら生存重視でとっとと逃げると思ったのに。」

「あの化け物相手に逃げ切れるわけないよ。それにアイツだけは、ぼくの手で殺さなきゃいけなかったんだ。」

殺す。その言葉を躊躇いもなく口にしたタクミを盗み見て、少しだけ心が波立つ。ほんの前まで虫も殺せないような情けない顔して、いつも寂しげな笑みを浮かべていた目元が、今は鋭く尖り何もかも達観した光を湛えている。

この戦争は彼を本当に変えてしまった。昔の引っ込み思案な少年を、殺人に躊躇せず時には自分の命すら利用する残酷で優秀な兵士に作り変えてしまうほどに。重すぎる呪いと運命のイタズラは、自分の幼馴染の人間性を欠片も残さず奪い去った。

「君こそどうしてあんな場所に居たんだよ。そのままカザマたちに着いていけば、今頃には逃げ切れたはずだ。」

「さあ、何でかしらね。もしかしたら何度呼んでも返事一つ寄越さない、いい年こいたどっかのバカを探すためかも。」

「何か…ゴメン。ぼくがもっとしっかりしてれば、こんな目に遭わなかったのに。」

「今更グダグダ謝るな。アンタだって人の子なんだからさ。それにもう誰かに死なれたりするのは御免なのよ。」

「…そうだね。早く帰らなきゃ。ぼくだって笑点録画しっ放しなんだ。」

「そういうこと。まずはアンタを皆の前で土下座させるところからね。それから私に皿一杯のミートパイを御馳走すること。もち手作りで。」

「ぼく右腕しかないんだけど。」

「だったら脚でもなんでも使えばいいだろうが。アンタ意外と器用だし。ていうか器用過ぎてちょっとキモいくらいだけど。」

「ひどい。そこは内なる繊細さが滲み出てるようとか言ってほしいよ。」

「そういう表現が許されるのは、イケメンに限られるんだよ。アンタはイケメンじゃないからダメ。」

「ああ、そう…」

「とにもかくにも、まずはこのクソッたれな肥溜から抜けるよ。考えるのは生き延びてからでいい。」

軽口を叩きあいながら、グラつく体を引きずって合流地点を目指して進む。もう互いの体力も限界に近付いている。ここで気を緩めると二度と立ち上がることはできない。死にたくない。今の2人の心は一緒だった。皮肉にも何度も死に至ることで、アキラたちは生の素晴らしさを身をもって知ることが出来た。そうだ。今は生き延びるだけでいい。生きていれさえすれば、どうにだってなるのだから。

周囲の光量が陰ったのはそのときだった。足元に浮かぶ魚みたいな影に気づいたアキラが上を向くと、1機のハンターキラーが偵察用の真っ赤なモノアイを、こちらに真っ直ぐ向けていた。その姿を認識するより早く2人は反対に飛び退き、機銃の掃射を間一髪で回避する。

もう一発食らわせようと機体を旋回させる隙を突いて、タクミはガンツソードを伸ばし、アキラはXガンでタービンを撃ち抜いた。翼をもぎ取られた鉄の鳥は、姿勢を維持しようとクルクル回ったが、却って気流を乱してしまい最後は錐もみ状態になって地に落ちる。が、落ちた場所が悪かった。

ハンターキラーが激突したのは、ジェットコースターのレールを支えるポール―アキラたちのすぐ近く―であり、その拍子に吹き飛んだ破片の1つが脇腹に刺さり、もう1つがアキラの頭部を直撃する。金属バットで殴られるよりも遥かに激しい脳震盪に、視界がスッと闇に覆われる。

だからアキラは気づけなかった。いや、気づいたがどうしようもなかった。激突の影響で耐久限度を超えたポールが金属を無理矢理引きちぎる音を奏でながら、頭上に倒れ込む光景を。

頭の片隅で警告が走るが、どこに動くことも叶わない体は座り込むばかりで、アキラはただ茫然と迫り来る一撃に目を閉じた。

 

激しく唸るエンジン音に揺さぶられながら、ナイジェルは輸送機のカメラを通して、タクミとアキラを探していた。もうすぐ合流地点なのに2人が到着したという通信が入ってこない。敵にやられた可能性も出て来たが、レーダー上にターミネーターの反応はない。

最後に見たのはアキラがタクミを抱えて逃げる姿だったが、あの速さならギリギリ間に合うはずだ。一向に分からない状況に苛立ち、クロッソンに回線を繋ぐ。

「旦那、大尉から連絡は?」

「ダメだ。使える周波数は全部試したんだが、全然返ってこない。マズいな。もう撤退まで時間がないぞ。燃料もあまり残ってない。」

「待ってくれ。あともう少し―」

呟きながら必死に探し回るナイジェルの眼は、ある一点に急速に集中した。思わず再び通信を開く。

「煙が上がってる。」

「何? どこだ。」

「11時方向。ジェットコースターのコーナー付近。何か人影のようなものが…」

そこまで言いかけたが、クロッソンがガコンと乱暴に操縦席に割り込んできたお陰で、ナイジェルは強かに頭を打ちつけた。

 

果たして予期していた衝撃は来なかった。体も5体満足で残っており、身も切れるような痛みも相変わらずだ。何が起こったのだろうか?

茫洋とした瞼を開いて、巻き上がる炎と煙の世界に何とか目を凝らす。するとアキラは何故自分が何ともないのか、その結果を目の当たりにすることになった。

彼女の眼前には全身から血を流しながら、自分の体重の何十倍もある鉄の柱を、腕1本で受け止めているタクミの姿があった。

「あ…」

「や、やあ、無事だったみたいだね。」

喉の奥を震わせながら、懸命に踏ん張り柱を支えるタクミ。信じられない光景だった。いくら常人とは比較にならないパワーを発揮するガンツスーツでも、今のタクミのそれはほとんどが機能を停止し、立ち上がることもままならないはずだ。

しかし彼は残った力を振り絞り、アキラを押し潰そうとしている圧倒的な質量に抗っている。ツウ、と鼻腔から新たな血が漏れ出た。

「アンタ何やってんの。早くどけよ…死んじまうぞ。」

震えた声と手で何とかタクミを押し退けようとする。だが、動けない。脇腹を貫通した破片が、筋肉の一部を断裂していた。

「どけるわけないだろ。そんなことしてみろ。ぼくは君のファンクラブに、寄って集って殴り殺されるに決まってる。さあ早く、ぼくが使えるうちに。」

僅かに残ったパワーアシスト機能で辛うじて均衡を保っているが、ほとんど虫の息だ。このままでは2人仲良く潰される。ガクガクと揺れる足元の地盤が重さに耐えかねて、少しずつ沈下する様子が嫌でも分かった。もう時間がない。

頷くのも惜しく、アキラは歯を食い縛って槍と化して刺さった鉄片を、気合と意地をフル稼働して引き抜く。1mmでも動かすごとに白目を剥きそうになるほどの激痛が襲うが、声には決して出さなかった。目の前にもっと苛酷な痛みに耐えている男がいるというのに、出せるはずもない。

そのときがターニングポイントだった。陥没した地盤がおもむろに深みにはまったのだ。彼我の距離が一気に縮まり、目と鼻の先に丸太よりも太い鉄塊が迫る。だが、タクミは逃げなかった。最後の足掻きとばかりに絶叫を上げて、残った腕にありったけの力を送る。限界を超えた力の行使に筋肉が耐え切れず、血管が破け勢いよく皮膚を突き破って、所々から鮮血を飛び散らせる。その様はまるで、決壊寸前の水道管の様だった。

その間のコンマ数秒にアキラは全力を掛けた。渾身の腕力で鉄片を引きずり出すが、末端が僅かに曲がり肉に引っ掛かって抜けない。そこで脚部に力を集中して跳び、手近な壁に向かって背中から衝突した。背中から肺まで突き抜けるほどの痛みが達するが、その強引な衝撃で破片はアキラの腹から肉を少し削って、表に排出された。

その瞬間タクミが力尽き、支えを失った柱がここぞとばかりに、血塗れの背中を覆い隠したのが見えた。アキラが地面に落ちるのと同時に、落下の衝撃で轟音と黒煙が高く舞い上がった。

スーツの防護で骨折は防げたが、全身打撲と腹部の切創のせいで体に力が入らない。それでもアキラは止まることはなかった。

タクミを助けなければ。

ただそれだけを胸にさっきの破片を棒代わりに、ヨロヨロと柱の許に辿り着く。晴れた煙の向こうに黒い人型が見え、アキラは愕然と目を見張った。果たしてそこにあったのは、うつ伏せになって瓦礫に挟まれた瀕死のタクミだった。胴体や下半身は無事なものの、たった1本で支え切った右腕は完全に下敷きになり、見る影もなくグチャグチャのミンチになっている。

「タクミ!」

「…アキラ? 良かった。抜けたんだ。」

アキラの呼びかけに弱々しく顔を上げるタクミ。しかし動作は緩慢で、血の気も引いて青ざめている。

「待ってろ。すぐに出してやるから。」

すぐに柱に鉄棒を差し込んで、肩を押し当てるが重く圧し掛かった円柱はビクともしない。

「無駄だよ。中の構造材が腕に突き刺さってるんだ。」

「うるさい。喋るな。」

「それに落下の拍子に腕の骨が飛び出たみたいなんだ。さっきから動かしてるんだけど、引っ掛かって抜けないんだよ。」

「喋るなって言ったでしょ。クソッ、動けよ。」

「だからさ、君に頼みがあるんだ。」

「喋るなって言ってるだろうが! いいから大人しくしてろ!」

髪を振り乱し、半ば自棄になって力を入れるが、何度試しても結果は変わらず、残るのはアキラの荒い息だけだ。思わずその場に座り込み、泣きそうになるのを堪えてタクミを見つめる。ほとんど死にかけているというのに、その目は穏やかなままだった。もう、何を言うかは分かり切っていた。

「ぼくのホルスターにガンツソードがあるはずだ。それを使ってコイツを切り落としてくれ。」

「…何諦めたツラしてんのよ。まだどうにかなるかもしれないでしょ。」

そう言ったが正直言って、状況は八方塞がりだ。ハンターキラーが爆発したときの炎が、燃料と一緒に一斉に飛び散り、火の海がジワジワとアキラたちを囲んでいる。おまけに柱を動かす術はなく、火の手が回るのも時間の問題だ。

その観点からすると、タクミの提案は唯一の策と言えるだろう。だが、仮に腕を落としたとして助かる確率は上がるわけではなく、寧ろ多量の出血により激減する可能性が高い。ただでさえ全身の切り傷や左腕の火傷で深刻なダメージを追っているのに、生き延びる未来は限りなく遠い。

「打つ手なしかよ、チクショウ…」

思わず泣き言を漏らしてしまう。絶望に打ちひしがれる中、タクミの声がそっと囁かれた。

「嫌なら放っておいても良い。君だけでも逃げるんだ。君は世界のただ一つの希望なんだから。」

希望。そう言えばターナーも似たようなことを口にしていた。ガンツを生み出した父。その娘である自分。罪が子に受け継がれるというならば、アキラにはすでにその覚悟があった。ここはその分水嶺なのだ。使命を放棄して2人仲良く炎に包まれて消えるのか、例え自分より大切なものを見捨ててでも救世主の役割を選ぶのか。それとも―

「…いくつになっても世話の焼ける奴だな。」

アキラは決断した。タクミのスーツから刀を取り、刃を出現させ、頭上に構える。呼吸を整え、目を瞑り、瞼の裏に様々な情景を巡らせる。気弱な幼馴染との出会い。共に過ごした幼い日々の他愛ない思い出。ヨコスカでの再会と初めて想いを交わした夜。婚約者の死に隠された人物を知ったときの衝撃と、憎しみと思慕の狭間で揺れ動く毎日。そして戦友として駆け抜けた戦いの数々。

ここに至るまでの記憶が走馬燈のように過ぎ去り、アキラは一旦その全てを消去した。ズシリとした手元の感覚がこれからすることの重さを代弁している気にさせる。きっと私はこのことを生涯忘れないだろう。永遠に背負う罪の一つを数えて息を吐く。それでも震える手だけは誤魔化せなかった。

「平気だよアキラ。ぼくは()()()()()()。」

それとも愛した者の半身を奪ってでも、足掻いて生き延びる道を掴み取るのか。返答はせずアキラは真っ直ぐに剣を振り下ろした。

 

「いたぞ! もう少し寄せろ!」

「分かってる!」

2人の生存を確認して数分、ナイジェルは燃え盛る広場の中で、懸命に機体の着陸に取り掛かっていた。頭上の星空を覆うほどの煙で視界は確保できず、急激に上がった熱気のせいでバランスが不安定になってしまう。

「見えた! 両名とも間違いない。」

クロッソンの声が弾み、収容された兵士たちの間で安堵の溜め息が漏れる。だが、その一方で素直に喜べる状況でもなかった。カメラで確認した限り、タクミは両腕が欠損しており、それを背負うアキラも所々に傷跡が見られ、どう取り繕っても無事ではない。ここまで来れたのが奇跡と言ってもいいくらいだ。

どうにか2人を回収しようと後部ハッチを開いたとき、アキラの数m手前にあるマンホールが火山噴火のように噴き上がり、一瞬2人を包み込む。だが直前にアキラがタクミに覆い被さり、炎の舌がその端正な顔を軽く舐める光景が焼き付いた。彼女の耳を塞ぎたくなるような叫びが聞こえた気がした。

「アキラ!」

思わず声を大にするが、無論アキラには届かない。しかし仲間のそれに応えるかのように、彼女は脚を突き立てて前進を再開した。ゆっくりと、だが着実に。一歩一歩に滲み出る覚悟と熱が、ここまで伝わって切るのが分かる。その気迫に気圧されたナイジェルは、あと30mほどで力尽きたアキラたちが、駆け付けた衛生兵(メディック)に抱きかかえられるのをじっと見守るしかなかった。




前回の掲載に出て来たアキラの使う技術はガン=カタです(笑)


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45.悲を編む

その日、世界は再び燃え上がった。

ロサンゼルス、ムンバイ、ホンコン、リオデジャネイロ、デュッセルドルフe.t.c。各国が誇る名だたる都市のいくつかに、突然、それこそ何の前触れもなく、巨大な火の柱が出現した。

同時多発テロというやつだ。死者193万人、重軽傷者661万人の被害者数を弾き出した未曽有の大規模テロは、瞬く間に地上に新しい爆心地(グラウンド・ゼロ)を更新した。先の審判の日から20年、これと言った事件がなかった場所にポッカリと現れたクレーターは人々の心に、浮き立つ煙よりも黒い恐怖を植え付けた。

某動画サイトでは事件の瞬間の映像が出回り、画面の中央で人が爆発するというショッキングな光景が、あっという間に歴代最高閲覧数を記録した。各国首脳部は一連の事件を、スカイネットを信奉するカルト信者の凶行と報じたが、一部では現場で回収された証拠品の中に、人体を模した合金製の塊があったという噂も広がり、事件解明を訴える声が日増しに高まりつつあった。

 

数ヶ月後―抵抗陸軍病院

『―このように政府は依然として不透明な表明を続けており、至急の真相の解明が求められています。』

壁に埋め込まれた液晶パネルの中で、マイクを片手に話すアナウンサーの締め括りを聞き流しながら、ぼくは立てかけた楽譜に向かって前よりも狭い視界の中で、筆を動かしていた。ここ数週間毎日のように動かしている腕は、このときも馴染み深い感覚をぼくに告げて、寸分違わない軌跡で筆を―動かせなかった。

僅かに力を緩めただけでぼくの指は、木製の柄を掴み損ね、ちょっとずれた音を出した後、地面に落ちて乾いた音を立てた。別に珍しいことでもなかったけど、ぼくはじっと()()()()を見つめた。

人間にカニみたいに腕が生える能力がない以上、失った部分は別の物で補うしかない。ぼくもその例に漏れず、強化プラスチックで形作られたシンプルな骨格(フレーム)に、カーボンナノチューブ(CNT)で編み込まれた人工筋肉で成型された義手を装着していた。

外観を無視して機能性を最大限に追求したそれは、剥き出しのシャーシや繊維の冷たい輝きを放っている。こうしていると本当に自分が機械になったみたいだ。何となく憂鬱になったところで、部屋のセンサーが訪問者が来たことを告げる。

「どうぞ。」

と返すと、入ってきたのは精悍な顔立ちの大男と、金髪碧眼の小柄な少女だった。トムとジェリーくらいの差がある2人を目にして、ぼくはつい席を立ちそうになった。しかし、少女がそれを制して大人しく座らせる。何と言っていいか分からないぼくの口は、ありきたりな台詞しか吐けなかった。

「久しぶりだねシェリー。カザマも。」

「私としてはほんの2日前だけど。」

シェリーがいつもの無愛想顔で淡々と話す。一見すると何ともないように見えるが、報告によるとT-800の攻撃で一時心肺停止に陥り、胸には拳大の痣が残っているらしい。なのにこうして普通に話せるのは、ひとえに彼女の特異な体質のお陰なのだろう。

「2日?」

「リハビリしているアナタをマジックミラーの外から見てたから。」

「そうか…ところで体は大丈夫? 苦しいならまだ安静にしてた方がいいよ。」

「平気。少なくともダイゴよりかは。」

そう言って振り返った先には、三角巾で右腕を固定しているカザマが、もう片方で軽く手を上げていた。当然包帯で巻かれた腕の先は、肘で止まっている。しかしその顔は穏やかに、こちらを気遣う表情を浮かべている。

「…ご家族のことは残念だったね。」

カザマは日本で起こった爆破テロで、両親を含む家族を全員失っていた。確か軍に入ったのも6人兄弟の長兄として、家族を養うためだった。それほど大切なものを失った悲しみは、ぼくなんかが察せるものではない。いくらか落ち着いては居るけど、本当はまだ時間が必要なはずだ。けど本人は薄く微笑み

「それはお前もだろ。親父さん亡くなったってな。」

とだけ言った。父さんはT-800の爆発に巻き込まれて死んだ。お義父さんと義妹もそのうちに数えられているそうだ。しかし不思議とぼくは、その報告を聞いてあまり悲しむことはなかった。

「腕は大丈夫なのかい? まだ痛むんじゃないか?」

「正直言って少しキツいが、両方ない奴がいるからな。それじゃカッコつかないだろ。」

軽く肩をすくめようとしたけど、痛みが残っているせいで顔をしかめたカザマは、右肩辺りを押さえる。そこにそっと寄り添ったシェリーが手を重ねるのを見て、ぼくはちょっと驚かされた。必要とあらば最低限の手助けはするが、それ以外の不要な振る舞いは見せないシェリーが、献身的に他人を支える姿は初めてだ。

ついでにその目を盗み見て、2人の間柄を何となく察する。どうやらしばらく離れている間に、当人たちは新しい関係を築いたようだ。微笑ましいと同時に、少し寂しくもなり、けどどこかで嬉しくもあった。

「ゴメン。」

自然と出た呟きに2人は揃ってぼくを見る。それに構わずぼくの口は、ずっと言いたかったことを言葉にしていた。

「やっぱりぼくは…隊長失格だ。もう誰も死なせないって誓ったのに、小さな意地を張ったせいで部下を危険に晒して、死人まで出して…そして君の腕を奪ってしまった。」

「皆覚悟の上で参加したんだ。文句はねえよ。オレだってあの場所を無傷で逃げられるなんて考えちゃいなかったさ。…なあタクミ。お前、オレを次期隊長に推薦したんだってな。」

ピクッと肩が震える。ぼくは作戦終了後、度重なる独断行動の責任を問われて、REXの隊長を退いた。その後継者にふさわしい人材として、カザマを推したのだ。仲間をまとめるのが上手く、リーダーシップに長け、兵士としても申し分ない経験と能力を持ち合わせている彼なら、きっと部隊を任せられると思ったからだ。しかし当の本人は

「お前なあ。もう少し自分のこと自覚しろよ。勲章だけでも何個取ってると思ってんだ。それにあの化け物連中引っ張っていくなんて、オレみたいに生半可な奴じゃ無理なんだって。」

「そんなことないよ。君はREXの一員として十分にやってきた。それにぼくはどのみち身分はほとんど抹消されてるし、軍に居られるかどうかも分からない。」

するとたちまちカザマの顔は真剣になり、空気が引き締まる。

「今日はそのことでお前に話があったんだ。」

「話?」

「お入りください社長。」

何故かかしこまった言い方でカザマが一礼した扉が開くと、そこにはぼくが今一番会いたくない人物が立っていた。

「んだよ。随分と色男になってんな。」

病院だというのに野戦服にしなやかな長身を包んだアキラが、フライトジャケットを羽織って松葉杖姿で現れた。相変わらず鋭い印象を与える怜悧で整った顔立ちだけど、その右半分はガーゼで覆われ腹部も包帯が巻かれている。

「ダメだよアキラ。君はまだ寝てなきゃ。それに社長って何?」

「私は軍を抜ける。」

「ゴメンもう一回言って。」

「だから軍を辞めるっつってんだよ。ちゃんと聞け。」

あまりにもあっさりとした決意表明だったせいで、ぼくはすぐにはその意味を理解できなかった。多分1分は遅れたと思う。

「辞めるって何でまたそんなことを…」

「アンタだって気づいてんでしょ。今回の件で抵抗軍の威信は丸つぶれ。オマケにT-800の情報を開示しなかったせいで、善良な一般市民の皆様から非難轟々なんだよ。恐らく大規模な軍縮が始まるかもだから、こっちから先に辞めてやるってわけ。」

アキラの言い分は理に適っている。まだ表沙汰には上がってないが、抵抗軍に対する不信感は身内にも伝播しており、情報屋の間では若手将校によるクーデターなんてデマも流れているくらいだ。真実かどうかは定かではないものの、実行されるとしたら時間の問題だろう。

「じゃあお別れの挨拶に来たってことかな?」

「いや、アンタをスカウトしにきた。」

「は?」

それこそ意味が分からず、今度は開いた口が塞がらなくなってしまった。ポカンとするぼくの目前に、一枚の名刺が差し出される。為すがままに受け取ると、小さな紙片にはAmulet.International.Consultings.という刻印が打たれていた。

「何これ?」

「アンタが寝てる間に生き残った連中で作った会社。まだ正式に起業したわけじゃないけど、資金はあるし設備も確保してる。仕事は主に警備と戦闘代行業務の予定だから、アンタでも働けるよ。」

「つまり民間軍事会社(PMC)か。でも軍を辞めてどうしてわざわざ会社を建てるんだよ?」

「私たちの意志を貫くため。」

それまで黙っていたシェリーが静かな声音で告げる。あくまで落ち着き払った声だけど、その奥には深い思いが感じられた。

「意志?」

「多分これから世界は大きく動き出す。それはとても大きな混乱をもたらすもの。私たちがその中を生き抜くためにはしっかりとした脚が必要なの。軍の肩書なんて借り物じゃなくて、自分たちの道を進むための脚が。」

「実は信頼できるスジから情報が入ったの。ワグナー中佐が死んだ。」

「え…」

呆気なく伝えられた上官の死は、目覚めてから今まで聞いてきたどのニュースよりもぼくを揺さぶった。中佐が死んだ。ガンツが現れる前からスカイネットと戦い続けて、誰よりもその危険性を熟知し的確な手腕で多くの作戦を成功に導いた中佐が。任務のためなら私情を切り捨てる冷酷さを持ちながら、誰よりも味方の帰還を願っていた中佐が死んだ?

「正確には()()()()()()()()()()()。オフィスで遺体が発見されたらしいの。多分アンタと接触した直後に銃殺された。犯人は不明。ただ回収された証拠品に、『ゴールドスタイン』と彫られた薬莢があった。」

ゴールドスタイン。確かターナーが今際の際に遺した言葉だ。

「分かってるのはそれだけ。結局事件は未解決のまま処理されて終わったらしいんだけど、最近の情報筋でこの単語が頻繁にヒットしてるんだよ。私たちはこれをスカイネット―エンリケ・デ・ソウザに繋がるものだと思ってる。」

「だがオレたちが軍籍を持っている以上、権限に縛られて身動きが取りにくい。だからそういった目を掻い潜って事を進められる民間企業の方が適切なんだ。」

「と言っても現状は、人材が圧倒的に不足してる。これからバンバンリクルートするにしても、株を上げるには時間が要るし、仕事も増えなきゃ意味がない。そこで対ターミネーター戦の専門家(プロフェッショナル)として、タクミにも手伝ってほしいの。」

要約するとぼくを主力商品として売り出すってことか。そんなこと言われても急に答えることは出来なかった。何せぼくは怪我人だし、軍からは半ば追放されている。最早正規兵でもない人間が働ける場所があるとしたら喜んで足を運ぶだろうけど、今のぼくには素直にそう思えはしなかった。そんなぼくを見てアキラは嘆息し

「ちょっと2人だけにして。」

とカザマとシェリーに言うと、たちまち2人きりになった空間は沈黙に包まれた。ますます気まずくなる。しばらくぼくの横顔をじっと見つめていた彼女は、面倒臭そうに頭を掻き毟ってどっかりと椅子に腰掛けた。ぼくはと言えば重苦しい空気から逃れるために、据え付けのPCでキーを打つ練習をしていた。

「タクミってさっきまで何してたの?」

キーを叩く音だけが響いていた病室で、アキラの音が跳ね返って来た。いつもの切り込むような感じではなく、普通に話しかける音だ。

「えっと、その、スケッチの練習をしてたんだ。」

「へえ、これがそうか。下手くそだな。小学生でもまだマシに出来るよ。」

それについては言い返しようがなかった。まだ義手の同調具合は完全ではなく、生身の腕と同じ感覚で動かすにはまだ時間がかかる。今も逐一データを送って調整を繰り返す毎日だ。

「義手の訓練でやってるだけさ。まだ細かい動きは出来ないし、遠近感の把握にも役立つ。」

無意識に包帯で覆われた右目に触れる。以前より半分ほどになった視界で見る世界は、未だに適応し切れてはいない。ループで無効化できる期限はとっくに過ぎているため、元に戻すことは不可能だ。

「…調子の方はどうなの?」

「悪くないよ。段々とこの体も慣れてきたしね。あとはナイジェル先輩が左手を作ってきてくれれば、もう一度現場復帰できそうだよ。」

幸いにも例の痛覚マスキングのお陰で、痛みは問題にならなかった。リハビリもすこぶる順調で、ループも合わせて元の感覚を取り戻せば、数週間で動けるようになるはずだ。

アキラは返事をせず再び沈黙が広がる。いくらか薄らいだ気まずさが再度打ち寄せ、解消できないまま時間だけが過ぎていく。ここでもやっぱりぼくは気の利いた台詞は思いつかなかった。

「ゴメンなさい。」

首だけこちらに向けたアキラを真っ直ぐに見ながら、言葉を紡ぐ。

「あの任務で君にはとても辛い思いをさせてしまった。それだけじゃない。ぼくは君の婚約者も殺した。全部ぼくのせいだ。本当に済まないと思っている。償えるなんて考えてないけど、ぼくにできることなら何でもする。死ねと言われたら何回でも死ぬし、会いたくないなら金輪際君の前に現れないよ。」

溜め込んでいた罪悪感がどっと噴き出し、勢いのままにぼくは1つの書類を取り出した。

「君に渡すつもりでインテリジェンスの手を借りて作ったんだ。これに君の署名が入れば証人保護プログラムで、新しい人生を送れる。やり直せるんだよ。もちろん顔や名前は変えなきゃいけないけど、もうガンツやお父さんに縛られることのない、本当の君の生き方を始められるんだ。」

一気に捲し立てた書類の内容に、アキラは黙ったまま紙面に目を通す。全部読み終えたのか封筒に収めた後、彼女は俯いたまま呟いた。

「アンタはこれからどうすんの?」

「どうするって…戦うよ。軍にはいられないけど、兵隊じゃなきゃ戦えないわけじゃない。アテがないわけでもないし、1人でも何とかなる。ほら、ぼくって死なないし―」

次の瞬間、顔面にハンマーのような衝撃が走り、強かに壁に打ちつけられた。何が起こったのか分からず、振り子のように揺れる目を懸命に凝らすと、顔を真っ赤にしたアキラが拳を突き出している姿が映った。どうやら殴られたということだけは分かった。

「ふざけんな…」

地を這うように低い声でアキラが呟く。いつも短気で怒りっぽい彼女だけど、このときは見たこともないほどキレていると感じた。本気で怒っていた。

「テメエ、私をナメてんのか? 今まで散々仲間たちに迷惑かけといて、自分はさっさと逃げるなんてクズ野郎だとは思わなかった。」

「違う。そんなつもりじゃ…」

「けど事実だろうが。」

無自覚に心の奥底にあった打算を言い当てられ、黙りこくってしまう。でも、それならどうすればいいんだ。ぼくが勝手に突っ走って、その結果たくさんの味方を犠牲にした。そんな中で自分だけおめおめ生き残って、どのツラ下げて会いに行けというのか。

「…ぼくのせいで死んだんだ。マザーも、セシルも、『奪還者』の人たちも、REXの仲間も。ぼくがいるせいで皆命を落とした。だったら、1人で戦うしかないじゃないか。」

もう一度、今度は反対方向から衝撃が来た。再び壁にぶつかりそのまま吊り上げられる。ケガをしているにも関わらず、男の体を持ち上げるなんて、信じられないほどの膂力だ。

「アンタそれ本気で言ってんのか?」

「仕方ないだろ。事実なんだから。」

また殴られた。

「いいかよく聞けよ。確かにアンタからしたら、そういう風に感じるかもしれない。でもアンタの仲間はそうなる覚悟を持って任務に臨んだ。何故ってアンタを信じてたから。フロリダのときだって、部隊の全員がアンタを助けたがってた。アンタとまた一緒に戦いたいって思ってたから。心の底から慕っていたから、アンタの背中に着いてきた。そんな連中の信頼をアンタはドブに捨てて、逃げようとしたんだ。」

ずい、と鬼気迫ったアキラの顔がぼくの額に触れる。よく見ると瞳が少し濡れていた。

「私たちを馬鹿にするな。」

震えた声でしかし決然とした言葉は、ぼくの胸にナイフよりも鋭く突き刺さった。きっと心のどこかで仕方ないと思っていた。ついさっき仲間が動かなくなっても、どうせぼくがループすれば元通りになる。そうすることで結果的にその兵士の命を救えることになるんだと。

よく考えれば愚かな言い訳だ。そこで倒れて死んだ彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ぼくは自分の命がベルトコンベアに流れる大量生産品と感じるように、仲間の命を都合よくゲームみたいに何回も蘇るものだと捉えていた。

「ここからはビジネスじゃなくて、私個人として話すよ。」

拘束を解いたアキラはそう言うと、背を向けておもむろに顔のガーゼを引き剥がした。

「ちょ…」

傷の痛みに耐えたのか、顔を見せるのが恥ずかしいのか、俯き気味になって向き直ったが、やがて意を決したように髪をかき上げた。

「あ…」

剥ぎ取った箇所にあったのは、火傷の痕だった。右目を中心に扇形に広がり、白い素肌と対照的に赤とも茶色ともつかない無残な傷を残していた。

「笑えるでしょ?」

自嘲気味に口元を歪めたアキラは、次いで腹の包帯も外した。覆うものが無くなった胴体には、これまた大きな縫合痕が横切っていた。いたたまれなくなってしまい、思わず目を反らしたくなったけど、それはできなかった。本当なら女性にとって見せたくもないものを、羞恥を振り切って晒したのだ。決して見ぬ振りはできない。

「医者の話だと傷を消すんだったら顔を変えるしかないって。この書類と似たようなものも受け取った。周りにもプログラムを受けるべきだって勧められもした。だから、私は決めた。」

スウッと息を吸い込み、真っ直ぐにぼくを見据える。切れ長の灰色の瞳の中心にぼくの顔が映し出される。我知らず唾を飲み込んだ。

「私はアンタを導く。スロノムスキーの娘ってだけじゃない。理不尽に立ち向かう当たり前の人間として、この戦争を終わらせてやる。」

ほとんど背丈の変わらない長身をぐい、と押して、ぼくの胸に拳を置く。まるでそこから彼女の決意が伝わったみたいに、体の中心が熱くなったがぼくは一歩退いた。

「…ぼくさ、望まれて生まれた子供じゃないんだ。」

急に関係のない話にアキラは眉をひそめたけど、黙って先を促す。自分から話し始めたくせに、指先が震え出す。それでもぼくは口を閉ざすことが出来なかった。

「ぼくのお義父さん、今の父親だけど、あれって母さんの元彼なんだ。小さい頃に一度会っただけでほとんど記憶にないけど、その夜にぼくは母さんに首を絞められた。」

ハッ息を呑む声が聞こえた。金属の指先が喉元に触れる。

「後から知ったんだけど、母さんが働いてた頃お義父さんと喧嘩した直後に、父さんが声を掛けて来たんだって。父さんからしたら軽く慰めるつもりだったらしいけど、お酒が入った勢いで母さんと寝たみたい。その結果ぼくが生まれたんだってさ。」

アキラは黙ったまま、椅子を引き寄せて座った。連られてぼくもベッドに腰掛ける。

「両方ともぼくを育てるつもりなんてなかった。でも世間体を保つためには、正式に結婚でもしないとダメだった。それでも最初は順調だったんだよ。父さんは休日には遊んでくれたし、母さんも毎日ぼくの世話をしてくれた。DVやネグレクトなんてない、どこにでもある普通の家族だった。」

思わずベッドのスチールパイプを握りしめる。

「けど、母さんがぼくを殺しかけた日から、全部変わった。父さんは仕事にかこつけて遅くまで家に戻らなくなって、母さんも異常に子供に干渉するようになった。表向きはいつも通りだったよ。食卓を囲むときだって何とか家族の形を取り繕うために、全員で集まった。顔だけの笑いを浮かべて、場を保たせるだけの話題を口にしながら。もう哀れ以上に滑稽だったよ。」

ぼくはパイプが曲がるのにも気づかずに、握り続けていた。アキラは何も言わない。

「そのせいなのかな。前よりあまり泣かなくなった。いや、泣けなくなったのか。マザーを殺したときだって涙は流れなかったし、モースルのときも同じだった。涙が出なくなったんだよ。」

そう、母さんが死んだときだって、胸が張り裂けるほど苦しくなるはずなのに、涙は一滴も流れなかった。毎日のように子供を斬り殺す夢を見た時でも、出るのは汗だけで目から出るものはなかった。

「それだけじゃない。ターナーと戦った時、ぼくは死を恐れていなかった。仲間のことも考えていなかった。ただ純粋に戦いを愉しんでいた。心の底から殺し合いを望んでいたんだ。先輩から聞いたよ。この腕はT-800のそれのスピンオフだって。イーリーが脳を弄くって造りだした痛覚マスキングも、元々はスカイネットの技術なんだってことも。」

一旦言葉を区切り、心を落ち着かせる。これから聞くことの答えは、多分アキラは知っていると思う。同じ死の感覚を知り尽くした彼女なら、答えてくれると考えた。ぼくが立ち止まっているとき、いつも引っ張ってくれて来た彼女なら。

「ねえアキラ。ぼくってまだ人間なのかな?」

思い切って長い間胸の内に秘めて来た疑問を投げかける。いつかニーチェが言っていた。怪物と戦う者は自らも怪物とならぬよう心せねばならない。お前が深淵を覗くとき、深淵もまた、お前を覗き込むのだから、と。

戦う度に死ぬ度に、自分が人間から遠ざかっていく気がした。意識を研ぎ澄ますごとに感情が薄れ、内側にある野蛮な何かが胎動する。気づけば体を突き動かすのは、理性ではなく本能だった。ぼくの皮を剥ぎ、肉を抉り、骨を砕いたその奥にある、純粋な殺戮反応。

人間が誰しも持っているそれを、幾度となく引き出してきたぼくは、最早怪物に成り果ててしまったのだろうか。誰よりもぼくを知っている彼女なら、きっと答えを出してくれると思った。

「知るかよそんなもん。」

アキラの答えは案外シンプルだった。窓際に立って風景画の景色をオフにし、外の世界を映し出すと、時刻はすでに夕方だった。アキラはこちらに背を向けて窓の外を見たまま言った。

「私に分かるわけないだろ。だってアンタじゃないんだし。それくらい自分で考えろよ。人間は皆、そうしてるんだから。」

ぶっきらぼうな答えが、ぼくを矢のように突き抜けた。いつもそっけない返事しかしない彼女の、彼女らしい言葉だったが、ぼくにはそれだけで充分だった。

「分かった。」

そっと呟いた感謝の気持ちは彼女に聞こえたのだろうか。アキラは山岳に埋もれつつある夕日をじっと見たままだ。

「今回の任務で私は2つの教訓を得た。」

「教訓?」

「1つはアンタの実力を思い知らされたこと。癪だけど、私にはアンタの背中を預けられても、肩を並べて戦えるわけじゃない。そこは仕方ないけど認めてあげる。でも、認められないこともある。」

ギュッ、と自分の片腕を握ったアキラが少し俯く。微かであるが。肩が震えていたような気がした。

「やっぱりアンタを諦めるのを、私は絶対に認められない。」

亜麻色の髪がふわりとたなびき、アキラはこちらを振り向いた。

「タクミ、これからアンタを私のものにする。」

決して高くない、しかし澄み渡った声は真っ直ぐにぼくに届いた。よく分からないうちに心臓が大きく高鳴った。

「アンタは私の盾になって、全力で私を守って。私の剣になって、邪魔する奴らを討ち払って。その代わりに私はアンタの目になって、腕になって、アンタを導く。戦争のない世界を実現して、アンタに掛けられた呪縛からアンタを解放する。アンタの死に場所は私が決める。」

告白とも宣言ともつかない豪胆な物言いに、黙って耳を傾ける。思い返せば誰かにこんなに強く求められたのは初めてかもしれない。ずっとぼくは愛される資格がないと思っていた。親から見放され、実の母親のように慕っていた恩人を殺し、あまつさえ女子供を手に掛けたぼくには。

ずっと怖かった。1人でいることが、裏切られることが、大事なものを失ってしまうことが。そんな矛盾を抱えたぼくを、全て知ったうえで彼女は必要だと言ってくれる。

「…いいの? ぼくみたいな奴で。」

「アンタじゃなきゃダメなの。」

「何人も命を奪ってきた殺人鬼だよ。君の大切な人だって殺した。」

「私ももう人殺しよ。カルロスのことだって、確かにアンタを殺してやりたいほど憎んでいたはずだった。でも今はそれ以上に、アンタの全部が欲しい。」

これ以上の会話は必要なかった。不意に何か胸の奥から暖かいものが広がり、じんわりと全身に伝わっていく。もう失くしていたと思っていた、懐かしい感情。そうか。ぼくはここにいていいんだ。そう思い至った途端、目頭が熱くなった。溢れそうになるものを押さえようとこめかみを押さえる。

「アキラってやっぱり我侭だね。」

今の状態を誤魔化すために苦笑をへばりつかせて、冗談を言ってみる。するとアキラは初めて見るような柔らかで優しい笑みになった。

「知らないの? 私って欲しいものは絶対に手に入れる女なんだよ。」

ちょうど沈みかかった太陽が、最後の光を放つ。燃えるように真っ赤な光に浮かび上がった白磁の肌と、淡く照らされた艶のある薄い褐色の髪。顔に傷を負っているというのに、このときのアキラは今までのどの姿よりも綺麗だった。

何だか神聖なものの前に居る気がして、いよいよぼくは我慢できなかった。頬を一筋の水滴が流れ落ち、歯の間から軋むような声が出る。腰を折り曲げしゃくり出したぼくを、そっと柔らかなものが包み込む。

「それにアンタのケツ引っ叩ける奴なんて、私しかいないでしょ。」

片方しかない腕で溺れかけたようにすがりつくぼくを、アキラはしっかりと抱き締めた。

「英雄が泣くなよ、バカ。」

人が泣くのは洗い流すためだ。悲しみを洗い流すことで、人はまた歩き出せる。こうしてぼくはやっと泣くことが出来た。

 

 

『あのときのことは済まないと思っている。特に君にはつらい思いをさせてしまった。』

『…もう過ぎたことです。彼女も気にしてはいません。』

『…そうか。詳細な資料は君のベースに送ってある。情報についても君たちに優先的に回すつもりだ。どうか頼んだぞ。…さて客人は帰った。そろそろ出てきたらどうだ。』

『ではお言葉に甘えて。ご壮健そうで何よりです、Mr.アメジスト。この度は司令への復帰おめでとうございます。上層部(うえ)もまだ目は腐ってないようですな。』

『世迷言を。大方君の方で取引したのだろう。プロメテウス計画の検証結果をダシにしてな。』

『私はただ口添えしただけですよ。それを言うならあの計画は貴方が立案したのでしょう。エンリケのループ技術を疑似的に再現し、一般兵に能力者と同等の戦闘能力を付与する…毒も喰らわば皿までとはよく言ったものだ。』

『彼の狂気に対抗するためには、我々もまた狂気に至る必要があるのだよ。実際、私も部下が捕まえるはずの男とこうして話しているのだからな。彼らのためとはいえ、やはり気分のいいものではない。』

『ですが本人たちには知ってもらう必要があります。自分たちが何者で、何を成すべきなのか。責務を遂行するための技術(ちから)も我々が用意している。特にスロノムスキーのご息女にはね。』

『さしずめ君はイングソックの実態を糾弾するあの書物だな。いや君の特性を鑑みるに、オブライエンが適切か。』

『どちらでも構いませんが、私が受ける憎悪は2分間では済みませんよ。それに後者は主人公の敵でしょう。どのみちゴールドスタイン自体虚構の産物なのだから、議論の意味がない。』

『その虚構が我々の組織を象徴しているのだ。くれぐれも今回の件は慎重に運ぶべきだ。分かっているな?』

『万全を期して臨む所存です。例え貴方が()()()()()()()()()()()我々の目的は達成される。マリナの意志は彼の意志でもあるのですから。』

『そうだな。もう老人の時代は終わった。後のことは君に任せて、先に向こうで待っているとしよう。』

『ええ…全ては大義のために。』



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46.回想ー縁ー

嵐が過ぎる。

「タック、少しは食べて。アナタの好きなものだって作ってあるのよ。」

「うん。これを見てから食べるよ。ありがとうレイ。」

嵐が過ぎる。

「偶には外に出ましょう。もう6日も籠りっ放しじゃない。」

「今面白いところなんだ。終わったらカフェでも行こう。」

嵐が過ぎる。

「ねえ、別のものを観ない? 何回も同じもの見て飽きちゃうわ。」

「そうかな? ぼくは結構気に入ってるけど。」

「…これは楽しい?」

「うん。もう少しで終わるから、そしたらご飯にしよう。」

首に腕が回り柔らかな感触に包まれる。

「大丈夫よタック。私はずっと傍にいるから。アナタを守るから。」

ぼくはそれに答えず、ただテレビのノイズを眺めていた。

 

同窓会のお知らせ。

母の葬式から数日後、滞在しているホテルに荷物が届いた。差出人はお義父さんから。あの夜の仕打ちに爆弾でも寄越したのかと思ったけど、中身を開くと何てことはない1枚の葉書が同封されているだけだった。

その捻りの欠片もないタイトルの下には、集合場所と日時、必要な連絡先が記されているのみで、ゴミ箱に捨てる未来は決定していた。

元はと言えば葬式に出るために日本に戻ってきたのであって、すぐにでも帰ろうとしていたぼくが何で昼間からホテルに閉じこもっているのかと言うと、かかりつけのカウンセラーから気分転換に観光でもしろと勧められたからであった。

しかし住み慣れた国を観光しろと言われても、正直見るところなんてない。暇つぶしに映画館や新しくできた観光地に立ち寄ってもみたけれど、どうやら顔の傷がマイナスの印象を与えてしまい、これまでに3回は職質された。お陰で今では部屋の中で時計の針を眺めるのが日課だ。

唯一の退屈しのぎはイギリスにいるレイチェルとの電話で、彼女からは1日の出来事を必ず報告するように厳命されていた。軍を辞めた以上、無闇に部隊の人間に連絡は出来ない。

『同窓会?』

「うん。高校時代の奴らが企画したんだ。別に行く気はないけど、一応耳に入れようと思って。」

『いいじゃない。ちょうどいい機会だし行ってきなさいな。ホテルに入り浸りじゃ体に悪いわ。』

「とは言ってもぼくって機密情報の塊だよ。そんな奴が無闇に民間人に接触していいのかな?」

『アナタの言い分が通ったら世界中の兵隊は、基地から一歩も出られないことになるわよ。大丈夫。ドクターには私から話しておくから。タックはしっかりと楽しんできて。昔のお友達と会うなんて滅多にないもの。お母様が亡くなって気が滅入るのも仕方ないけど、いつまでも立ち止まってちゃダメよ。』

何分か会話を続けた後、もう一度葉書を手にする。立ち止まってちゃダメ、というレイチェルの言葉が再生されるが、残念ながら心配事は完全に別の方向にあった。

「そういうんじゃないんだけどな…」

どちらにしろずっと籠り切りは良くない。まずは気持ちを切り替えるために、ぼくは近場のジムに行くことにした。

 

そして当日。ありふれた繁華街の一角に2、30人ほどの団体が集まっていた。

「ミカ! ちょ~久しぶりだね。」

「お前ヒロシか? 見違えたぞ。」

「ワキサカはまだ? もう時間過ぎてるのにどこ行ってんだ。」

見知った顔が各々の旧交を温めてるのを遠巻きに見ていたぼくは、人だかりの中で1人の人物と目が合った。

「コガ? コガじゃねえか。久しぶりだなオイ。」

そう言って近づいてきたのは学生のときに、数少ない友人だったクリヤマその人だ。ぼくと比べて活発な彼は漫画が好物で、よく漫画のキャラの絵をねだって来たものだった。

「うん。そっちこそ元気そうだね。」

「まあな。それよりお前、今何してんだよ。同級生の中で連絡取れなかったのお前だけだったんだぞ。」

「ゴメン。仕事の都合で海外に行ってたんだ。」

「えっ、マジで!? お前働いてたのか。しかも外国!?」

「潜り込んだ職場がちょうど海外進出を狙っててね。人手が足りなくて単身赴任してるんだ。」

言ってることの大半は嘘だけど、やってることはあながち間違ってない。不審な目を向けたもののクリヤマもそれ以上追求することもなかった。

「ふうん。まあいいや。ところでコガよ、お前顔のそれどうしたんだ?」

クリヤマが左側から覗くガーゼを不思議そうに尋ねる。

「少し前に事故に遭っちゃってさ。大事には至らなかったから。」

これについては口が裂けても話すわけにはいかない。代わりにぼくはちょっとした疑問を投げてみた。

「そういえば今回は誰が企画したの? まだ卒業して1、2年じゃないか。」

「ああ、アイツだよ。」

そう言ってクリヤマが顎をしゃくった先には、見覚えのある人物が談笑していた。大きく丸い瞳にふっくらと整った目鼻。肌も血色が良く、前髪は横一直線に切り揃えられている。この前雑誌で目にした姫カットという髪型だろう。小柄な体格も合わさってモデルというよりアイドルに近い雰囲気を感じさせる容姿だ。

「相変わらず人気者だよな。」

頬を緩めながらクリヤマがボソッと呟く。するとこちらの視線に気づいた彼女は、人だかりを潜ってリスのようにぼくらに近づいてきた。

「ねえもしかしてクリヤマ君?」

「えっ! 覚えててくれたの?」

「やっぱり。何となく見たことあるなぁって思ったんだ。」

気さくにクリヤマに話しかけた女性、サナダ・シオリは屈託なく微笑んだ。快活な物腰でいつもクラスの中心にいた人気ぶりは学生時代から変わってなさそうだ。

「あれ? そっちの人は…コガ君? 久しぶり、元気だった?」

近年では珍しいくらいのお節介で世話焼き、誰にも区別なく接している姿勢は華やかな外見と共に、男子の間では最初に話題に上がる人物だった。あまり話したことはないけど、どちらかと言えば教室でも1人でいることが多かった地味なぼくの顔も覚えてくれていた辺り、物覚えも良いらしい。

「元気だよ。サナダさんが皆に声かけたの?」

「うん。普通ならまだ早いと思ったんだけど、私もうすぐ家の都合でアメリカに引っ越しするの。しばらくは帰ってこれないから、今のうちに昔の友達と会っておきたかったんだ。」

「へえ、そうなんだ。サナダさんは今何してるの?」

「大学生やってるよ。今は英語と格闘中で、講義の方はおざなりだけどね。」

「そっかアメリカにね。ところでサナダさん、彼氏とかいる?」

いきなりド直球の質問を投げたクリヤマ。いきなりそれを聞くのかコイツは。卒業以来の再会とはいえ、こういったところは何も変わってない。

「クリヤマ、急にそういうのは―」

「いるよ。」

最初からハイな問いに顔色一つ変えず、彼女はニコニコと言った。ふと人だかりの方に視線を移すと、数人がこちらを―正確にはサナダさんを―見ていることに気づいた。どれも男連中は今のクリヤマと似たような焦燥感を漂わせている。

「へ、へえ。やっぱりか。サナダさんて昔からモテたもんね。」

ある程度予想はしていたのだろうが、ショックは隠しきれない。そんな表情を浮かべたクリヤマにサナダさんは笑みを崩さずさらなる爆弾を投下した。

「フフッ、実はこの中にその人がいるの。宴会のときに紹介するつもりだからよろしくね。」

ふわりとスカートを翻して別のクラスメートに向かったサナダさんを見送ると、クリヤマと一緒に他の知り合いの許に歩いた。

 

「ビックリだったな。」

「うん。前より綺麗になってた。」

「違えよ。サナダに男がいたって話。前から思ってたけどアレはやっぱ無理だな。オレたちじゃ話しかけるので精一杯だ。…つーかお前、いいのかよ。」

「何が?」

「サナダだよ。お前確かアイツのこと好きだったんだろ?」

居酒屋の大広間を貸し切って行われた同窓会は、意外にも狭く感じた。サナダさんが出席すると分かっている男性陣だけでなく、女性の方も一人残らず参加していた。初回でこんなに集まるのも珍しいものだと感慨深くなる。

「気になってたけど、好きってわけじゃなかったよ。可愛いとは思うけどさ。」

「なるほどな。ま、そういうことにしといてやるよ。彼女はともかく他の奴とも喋れよ。コガって結構人見知りだけど、案外話せる奴らもいるんだぜ。同窓会で割と知り合いが増えることもあるから。」

ポンと肩を置くとクリヤマは別のグループに行ってしまった。それとなく周りを窺うと既にグループが出来上がっており、簡単に入り込めそうにない。クリヤマと違い話を盛り上げるのに長けてないぼくは、チビチビと酒を飲んでいた。

帰れば良かったと思う。正直こういった雰囲気はあまり得意ではない。部隊の仲間と偶にするドンチャン騒ぎで耐性は付いたけど、ここの状況はまた違った感じがした。前まではこうじゃなかった。普段ならもう少し周りと合わせる自信もあるし、高校時代のエピソードなら少しくらいストックはある。

問題は寧ろ自分にあった。現実がどうしても色褪せ、心の歯車が合わないのだ。原因も自分が巻き込まれた異常な環境(ループ)にあることも分かってる。軍に入るまで培ってきた平和な日常が、あの災難によって鉄火場を生き延びるための本能に上書きされた結果、こうしてぼくを侵食する。

アルコールで上気したクラスメートの顔も、空調で抑え切れない熱気も、耳に障る話し声と流れる店のBGMも、全てが疎ましいと感じてしまう。そして何より若い男女の人いきれが、あの日(モースル)を思い出させ―

「ねえコガ君、コガ君ってば。」

瞼を閉じてその時の情景を追い出そうとしたとき、肩を叩かれてぼくの意識は現実に戻った。サナダさんが隣に居た。

「大丈夫? 辛そうな顔してたけど、酔っちゃった?」

「い、いや何でもないよ。ありがとうサナダさん。」

「そう? だったらこっち来て話そうよ。1人じゃつまんないでしょ。」

そう言って連れてこられたのは数人の男女の固まりだった。どれもセンスの良い小洒落た服に身を包んでおり、顔も悪くない。確かクラスの中でも目立っていた人間、いわゆる「上」の連中だ。無論、ぼくとはほとんど関わりのない存在だった。

「それでこの前彼氏がさー。」

「だから早くけじめ着けろって言ったろうが…ああ、シオリ。コイツまた男に―ってお前誰?」

ぼくに気づいた連中の一人が尋ねる。訝しむでも嘲るでもなく、純粋にぼくを知らない素振りだ。

「もうひどいよ。コガ君だよ。コガ・タクミ君。」

「コガ? コガ、コガ…アッ、お前シャラクか!」

思い当たった男子が昔の渾名で呼んだ。由来は簡単でぼくが単に絵を習っていたことと、某浮世絵画家を引っ掛けただけだ。逆に言えばそれ以外特徴がないとも言える。もっともぼくは浮世絵なんて描いたことは無いが。

「そう言えばいたなぁ、そんな奴。」

「ひっでぇ。顔くらい覚えてろよ。」

「久しぶり~。元気してた?」

元々オープンな性格らしく、意外にもぼくはすんなりと輪に入ることが出来た。と言っても喋るのは主に彼らであり、ぼくは適当に相槌を打つだけだったが。

「そろそろいいんじゃない?」

連中が勝手に話で盛り上がってた最中、女子の一人がサナダさんに話を振った。

「何が?」

「何ってシオちゃん言ってたじゃん。この中で彼氏紹介するって。」

「アッ、そうだったゴメンゴメン。」

わざとらしく舌を出すサナダさんはどこか垢抜けて見えた。少しイラっと来てしまい、内心自分に舌打ちする。

「では改めて紹介します。私の彼のシュウ君です。シュウ君こっち来て。」

サナダさんの呼びかけに応えたのは、別の友人と話していた人物だった。日に焼けた色黒の肌に180cm超えの筋肉質な体格。顔立ちも精悍さに満ち溢れ、身長差も考慮するとサナダさんとは美女と野獣の比喩がピタリと当てはまる。

「シュウ君も挨拶して。」

「いや、いいだろ別に。ここの連中知ってる奴ばっかだし…ん? お前ひょっとしてコガか?」

「えっ、シュウ君知り合い?」

「まあな。久しぶりだなオイ。」

隣にどっかりと座り込み、肩を叩かれた拍子に体がビクッとする。コイツのこの粗雑なところが苦手だった。昔された仕打ちが思い出され、身を縮こまらせる。ムラカミ・シュウ。「上」の同級生の中でもかなりの存在感を持っていた男子だ。抜群の運動神経で体育では負け知らず。部活でもバスケ部のエースとして全国大会にも入賞した実力者。

学園生活でも同グループではまとめ役として機能し、皆に慕われていたが下位グループ―特にぼくのような根暗―にはすべからく嫌われていた。何かと喧嘩っ早い傾向があり、実際かなり力があったムラカミは、適当に見つけた奴に用事を押し付けたり、人の物を勝手に取っていく悪癖があった。ぼくにも時々宿題を代わりにやらせたり、プロレス技の実験台をさせたりした。

「へえ、何て言うか安定の組み合わせだな。」

「でもシオリとシュウ君って前はあまり話さなかったよね。どうやって付き合ったの?」

「偶然同じ大学に通ってたの。飲み会で話したら面白かったから、そのまま遊んだりしたのがきっかけかな。シュウ君今バスケの日本代表候補に選ばれてるんだよね。」

「日本代表!? へえ、すっげー!」

再び盛り上がり出した渦の中から抜け出せなくなったぼくは、一層身を固くしてアルコールを含んだ。嫌だ。もう帰りたい。しかしここで背を向けたら、何だか負けた感じがして面白くないという変な意地も働き、結局は壁の花に徹して宴会が終わるのを待つことにした。

しかし見えない防壁を張っても、不快な体温と騒音は防ぎようがなく、徐々に自分の内側に圧が溜まるのを感じる。何でこんなところに居るんだろう。少なくとも以前の自分ならこうなることの判断はある程度出来たはずだ。なのに来てしまったのは、もしかして繋がりを求めたからだろうか。戦場から遠く離れた打算や裏切りのない、かつての日常に置いてきた健やかな関係を。

だとしたらおかしな話だ。その関係を全て捨て去り、断ち切ってしまったのは他でもない自分だというのに。同じ暑いにしても、イラクに居た頃は良かった。任務という建前はあったけど、それでもあの世界で交わした言葉や日々は本物だったと思う。そのお陰で素敵な仲間や女性と知り合えたのだから。

今でも彼らとの思い出はありありと思い出せる。砂漠の熱気、凄腕の双子スナイパーとの遭遇、『奪還者』との交渉、レイチェルとの安らかな一時。でも、決まって最後は―

「えーっ! シュウ抵抗軍に入ったのか!?」

どっと湧いた驚きの声に意識が引き戻され、ぼくは隣り合っているムラカミたちに目を移した。ジョッキ片手に自信のある笑みを浮かべ、滔々と語り出す。

「ああ。この先バスケだけで食ってけるほど世の中甘くないからな。今のうちに資格取っとこうって思いついたんだよ。軍なら援助付きって聞いたし。」

「でも戦争するんだろ。よくシオリが許してくれたな。」

「最初は嫌だったけど、シュウ君が自分で決めたんだもん。だったら私も応援するよ。それに絶対に帰って来るって約束してくれたしね。」

「訓練も大したことねえし、実際にターミネーターと模擬戦してみたが、あんまり強くなかったぜ。ガンツがあれば楽勝だな。」

「今どこに勤めてんだ?」

「ヨコスカ基地だけど。」

「マジ? じゃあジャップ・ザ・リッパー様には会った?」

女子のうちで派手なメイクの奴が、えらく興奮した様子で出した名前にぼくは思わずむせそうになった。幸いにも誰も気づいてない。

「ジャップ・ザ・リッパー? ああ、あのヘンテコなお面つけた野郎か。最近噂になってんな。」

「で、どう? 会った?」

「会ってねえよ。大体、顔も知らないのにどうやって見分けろってんだ。それに銃弾跳ね返すなんて与太話信じられる訳ねえだろ。馬鹿馬鹿しい。」

「ちょっとあの方を馬鹿にしないでよ。人類を救う救世主様なんだから。」

「見たこともないクセに反論するなよ。つーか、何でヨコスカに居る前提?」

するとギャル風のその子は携帯の画面を操作して、あるサイトを呼び出した。全体的にゴシック調の装飾が施され、ぼくもつい目を凝らした。

「The Rippers? 何だこの趣味の悪いHPは。」

「全国のファンが運営してる裏サイト。これでリッパー様がどうしてるのかが分かるってわけ。証拠にほら、今は…ウソ、近くにいるってさ!」

嬉々とした声音に冷や汗をかいてしまう。バレるはずがない。ぼくの正体は軍の中でも極秘事項で、ましてや一般人に知られているなんて有り得ないことだった。しかしチャットの内容は事実であり、現に彼らのすぐ傍にいる。恐らくは適当な書き込みだろうけど、偶然のヒットに驚かずにはいられなかった。

「ねえ行ってみよ。本物を見れるかもしれない!」

「アホかお前は。」

興奮で顔を赤くする女子を一瞥し、ムラカミがため息を吐く。

「年中戦争やってる英雄様が、こんな平和ボケした国に来る訳ねえだろ。そもそも興味ねえし。行くなら勝手に行け。」

「で、でも…」

「しつけえぞ。いい年こいて追っかけなんてやってるから、男も寄り付かねえんだよ。」

痛いところを突かれて押し黙った女子は、興味を優先したのか、居心地が悪くなったのか、部屋を飛び出してしまった。

「ちょっとシュウ君言い過ぎだよ!」

「良いんだよ。あれ位言っとかないと、アイツも出辛かっただろ。それよりよ、お前ら女とか出来たのか? 報告会しようぜ。ウチのクラスは陰キャラが多いから、多分居ねえだろうけど。」

クラスメート全員を見渡してヨロリと立ち上がったムラカミが、大きな声で捲し立てる。また悪い癖が始まった。大半の人間は目線を合わせずにやり過ごそうとしたが、取り巻きの連中が賛同するムードを作り上げてしまったため、拒否が難しくなってしまった。

「じゃあ時計回りに行こうか。まずはそこのデブオタ。」

「え? オ、オレ?」

「早くしろ。どうなんだ?」

「い、いません…」

「つまんねえな。そこは○○はオレの嫁とか言えよ。」

そんな調子で報告会もとい暴露大会は、順々に進んでいった。中にはいると言う輩もいたけど、そういう奴は写真も一緒に見せられて、大抵は「上」に好き放題言われて押し黙るパターンがほとんどだった。

「ふうん、まあまあだな。でも眉毛とか太くね? 両さんに見えるぞ。」

クリヤマがクラスのSNS上に送った画像には、大学に入って出来た彼女のツーショットが映っていた。流石に「上」の彼女はかなりハイレベルであり、どれもサナダさんに負けず劣らずだった。当の本人は何度か諫めたが、辞める気のないムラカミに呆れて、他の女子と一緒にお手洗いに行ってしまっている。

酷評する男どもに何か言い返そうとクリヤマは身を乗り出したが、そうすると殴り合いに発展してしまうかもしれなかったので、大人しく引き下がった。目線だけは恨み節満々だったけど。こうして一部の者には大変面白くない「他人の女をディスる会」はいよいよぼくに回って来た。

「ほら、シャラクの番だぜ。」

正直どう話そうか迷っていた。別に恥ずかしいとは思ってないし、嘘をついても構わない。だけど、学生時代の思い出を逡巡してみれば、ちょっとした悪戯心が湧きだした。「上」にはコケにされて幾星霜、少しくらいカウンターかましても良いんじゃないか? そんな幼稚な考えが浮かびさえした。

「オイ聞いてんのか。皆ゲロッてんのに自分だけだんまりか?」

「もしかして男か? 男のパターンか?」

「いるよ。」

うるさい外野を黙らせるために、少し語気を強めに告白する。するとオオッという歓声が上がり、画像の提供を要求される。ここに至ってぼくは自分の愚かさを自覚し、慌てて弁明を付け加えた。

「け、けど、ほとんど絶縁状態だし、付き合ってるって言えるかどうか…」

「うるせえな。いいから出せよ。」

自分から言い出したクセにこのままノコノコと撤退はできない。潔く観念することに決め、ファイルに保存している写真を送信する。瞬間、ざわめきが消えた。ある者は画面を凝視し、またある者は信じられないといった目でぼくを見る。少し前ならその予想通りの反応を楽しむことが出来たけど、今あるのは後悔ばかりだった。

「これ、お前の?」

クリヤマが恐る恐る尋ねるのに合わせて

「うん。」

とだけ言っておいた。途端にザワザワと周りが騒ぎ出す。

「すげえブロンドだ。」

「すっごい綺麗。ハリウッド女優みたい。」

口々に感想が飛び交う中で場を仕切っていた連中の1人が、まだ現状を把握してないような目で質問してくる。

「シャラクの彼女って外人…?」

「仕事先で知り合ったんだ。もう別れてるけど。」

1秒後には何人かの男が紹介しろ、番号を教えろと詰め寄って来た。分かっていたけど面倒だった。外人というラベルだけでも目立つのに、贔屓目を除いてもレイチェルはかなりの美人だ。「上」の女性のレベルを青年向けの週刊雑誌に出てくるアイドルだとしたら、レイチェルはVOGUE(世界的な最先端ファッション誌)で勝負できる。インテリジェンスに勤務しているだけあって能力も申し分なく、アラビア語は彼女から直接手解きを受けたほどだ。

外人で美しく気立ても良い。ぼくなんかには勿体ないくらいの女性だ。多分あの事件がなければぼくは彼女を選んでいただろう。それくらい魅力的だったのだ。そう、あの事件さえなければ。

「コガ、何この写真。ホントなの!?」

いつの間にかサナダさんと一緒に化粧室に行った女性陣が戻り、画面上の写真を指して詰問してくる。これ以上ややこしくなるのは嫌だったので、曖昧に笑って受け流した。しつこく連絡先を聞き出してくる手を制して、トイレに向かう際に、複数の暗い視線が突き刺さるのを感じた。



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47.回想―反逆準備―

きっかけは一通のメッセージだった。

『みんなに大発表!(^^)! ジャップ・ザ・リッパー様を発見! すぐに来るべし!!!』

宴会の途中で全員に送信されたそれは、ついさっきまでムラカミに言い負かされて出ていった女子のものだった。最初は皆無視したがクラスのマスコット的存在であるサナダさんの

「1人だけ仲間外れなんてダメだよ。それにシュウ君もちゃんと謝らなきゃ。」

という鶴の一声でこの迷惑な送り主を探すことになったのだった。

「なあ、どうやってゲットしたんだよ?」

隣のクリヤマがコソコソと聞いてくる。またか、とため息をついたけど親友を邪険にするわけにもいかず、少しだけ口を開いた。

「だから仕事で知り合ったんだって。」

「じゃあその仕事を教えろよ。すぐに転職するから。」

鼻息を荒くしたクリヤマは肩を回して、熱心に食い下がって来たけどぼくは

「お前には彼女いるだろ。」

とだけ返しておいた。もしこの先ハローワークに勤めることになったら、ぼくは絶対に兵隊は薦めないだろう。大事な友達をあんな危険な職場に放り込みたくはない。それにレイチェルとの経緯を明かすことは公的にマズいことであり、私的にも気分が悪くなるから嫌だった。

「いい加減離れた方が良いよ。見られてる。」

背後には折角の宴会をぶち壊したぼくを、白い目で睨むムラカミ一行が歩いている。今は何もないが少なくとも良い感情を持ってないことは確かなので、可能な限り接触は控えていた。まだ目的地には少しあるので、ちょっとした好奇心からクリヤマに聞いてみた。

「ところでさ、大学はどうなの? 楽しい?」

「何だよ急に...まあ、授業は面倒だけど楽しいぞ。サークルの連中と馬鹿やったり、彼女と旅行したりな。」

さり気なく惚気てくるクリヤマを見て微笑ましくなる。もし親の離婚で自棄にならなかったら、ぼくも送っていたかもしれないありふれた人生。きっと似たり寄ったりな奴らと連んで、夜通し飲んだり遊びに繰り出したりしたに違いない。それこそループに巻き込まれず、恐怖や苦悩に関係ない日々を。

「行ってみたかったな、大学。」

「そういやコガもかなり良いところに合格貰ってたろ。何で進学しなかったんだよ?」

誰にも聞こえないはずの呟きを、この友人はしっかりと聞き取っていたようだ。そこでぼくはいつもの嘘を口ずさむ。

「お金の都合でね。仕方ないから就職したんだ。お陰でほとんど成長してないけど。」

「そうか? 随分と雰囲気違うと思うけどな。」

首を捻りながらシゲシゲと観察する彼に、こっちも頭を傾ける。

「一見するともやしっぽいのは変わんねえけど、何か全体的に引き締まった感じがあるんだよな。それに顔つきも少し鋭くなったような...コガ、どんな仕事してんだよ?」

小さい頃から地味だのボーっとしてるだの言われてきた身としては少々慣れない評価ではあった。何だかんだで勘が鋭いところがある親友に悟られないように嘘を塗り重ねる。

「海外に売り込むセールスマンだからね。攻める側だから絞られたのかも。」

その後も互いの近況を口にしながら歩いていくと、いつの間にか郊外の河原まで来ていた。辺りに人気はなく民家もない。どうやらここが()()の発見場所らしい。

「スズナ~どこ~? シュウ君連れて来たよ。」

サナダさんの鈴のような声が水面に木霊するが、返事が聞こえない。河川敷に配置された照明は僅かであり、50m先はもう真っ暗だった。一向に現れない本人に苛立って取り巻きの何人かが帰ろうとする。

「どうせデマだったんだよ。腹いせにオレたちを呼び出して、自分だけ帰りやがったんだ。」

「あの子はそんなんじゃないよ。それにスマホのGPSだってここだって言ってるし…スズナ?」

薄情な連中を言いくるめていた彼女が何か見つけたようだ。灯りの下に人影がある。全体は分からないけどシルエットからして女性のようだ。ベンチに腰掛けて俯いている。サナダさんはすぐに駆け寄っていった。

「スズナ! どこ行ってたの。心配したんだよ? 駄目じゃないこんな夜中に出歩いちゃ…」

肩を掴んで責める手がピタリと止んだ。ユラリと傾いた女性の体は一切の受け身を取ることなく地面に倒れた。

「スズナ、スズナ!? ねえどうしたの? しっかりして!」

何事か叫ぶサナダさんに気づいた数人が、異常を察知して走っていく。ぼくは動けなかった。彼女に後ろから忍び寄る人影を見てしまったからだ。ぼんやりとしか光が当たってないのでよく分からないが、とてもデカい。軽く見積もっても2mはある。

暗闇に溶け込みやすい黒の上下に、目深に被った帽子のせいで人相が判別しづらい。肌は皺やシミは全くなく、それでいてゴムのような質感を持っているようだ。しかしぼくはそいつと目が合った時点で何者かが分かってしまった。赤かった。ブラウンでも青でもなく真っ赤な目だった。しかも夜でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「逃げろシオリ!」

ぼくが警告するより早くムラカミが叫んでいた。彼も勘付いたらしい。だがそんな彼の背後にも一対の赤い目が浮かんでいた。それも1つじゃない。2つ、3つ、4つ…気が付けばいくつもの赤い光点にぼくらは囲まれていた。

「万事休すか。」

ぼくは一番早くに両手を上げた。

 

次に目を覚ましたのは鉄格子の中だった。最初は独房かと思ったけど、周りに同級生が押し込められていることから案外広い造りだと分かった。どうやらぼくらは捕まったらしい。ブルリと寒さを感じ肩を抱くと、直接肌を感じた。何てこった。上半身は丸裸だ。衣服はそのままだったが、所持品は全て―ネイルの塗装まで―綺麗に没収されていた。ついでに全員の手首には手錠が掛けられている。

「よお、起きたか。」

聞き慣れた声が話しかけて来た。クリヤマだ。傍らにやって来る。羽虫が舞う微かな照明で詳しくは分からないけど、目立った外傷はない様だ。クラスメートにも怪我人はいる様子はない。

「ここは?」

「分からん。気が付いたら皆一緒に眠ってた。最悪なことに夢じゃないことは確かだな。」

「警察とかに連絡できないの?」

「無理だ。全員携帯は没収された。他にも機械関係の物は全部。」

「時間は分からない? 大体で良いんだけど。」

「オレもそこまで覚えてないが、最低でも1日は経ってるぞ。」

無慈悲な宣告に頭を垂れるしかなかった。ループは無意味。通信手段もない。畢竟、八方塞がり。遠慮することなくため息を吐きたかったけど、気分が落ち込むだけだ。皮肉なことにこういった状況に何度も放り込まれているせいで、思考が回復するのに時間は掛からなかった。

まずは情報収集。気休めかもしれないが何も知らないよりマシだ。立ち上がって鉄格子に触ってみると、ザラリとした感触があった。赤錆だった。湿っぽい空気からして水気もある。それに天井から響く何かの重々しい音。地下水の出る場所に無理矢理建てたのだと分かった。

鉄製のパイプは太いが長い間放置されているらしい。靴裏の隠し鋸なら切断して脱出できたかもしれないが、残念なことに今はない。筋力のリミッターを外しても壊せるほどヤワな代物じゃないことは分かる。仕方なくガシャガシャ揺さぶってみたものの、まったくもって無駄な行為だった。

「オイうるせえぞ。殺されてえのか。」

音に反応した同級生の1人が苛立った声を上げる。ムラカミだ。隣にはサナダさんがピッシリと寄り添っていた。その顔は明らかに憔悴している。無理もないと思った。楽しいはずの同窓会が一転、身ぐるみ剥がされてこんなブタ箱に入れられたのだ。常人なら3日も保つまい。大人しく元の場所に戻った。

「ぼくが気を失ってる間、何か変わったことは?」

他に情報がないかクリヤマに探りを入れてみる。少し黙考して彼は答えた。

「2時間くらい前に食事を運んできた奴らが居た。確かオレらを気絶させたのと似ていた。少しして何人か連れ出されたが、まだ戻ってない。」

淡々と告げる声音は自分たちの置かれた境遇を信じ切れずに、外界との接触をシャットダウンしているせいだ。他の同級生も同じ様に下を向いたまま動かない。

「チクショウ、何でオレがこんな目に遭うんだよ!」

突然声を荒げた男子が立ち上がって、壁を蹴り上げた。それに女子の悲鳴が相乗して聞くに堪えない不協和音を作り出す。ついに我慢できない輩が出始めたせいで、沈黙を保っていた集団が各々勝手に騒ぎ出す。

「明日バイト入ってるのに、これじゃ減給だよ。」

「まだいいだろ。こっちは補習受けなきゃいけないんだぞ。」

「EXILEのチケットの抽選今日が締め切りなのに…」

「怖いよヨウスケ君…」

溜まったフラストレーションが徐々に上昇し、一触即発の事態になりつつある。マズいと思ったそのとき

「黙れ!」

と激昂する声が大気を震わせた。あまりの大声に全員その通りになった。ムラカミがこめかみに血管を浮かべて怒っていた。上下する肩を押さえてどっかりと座り込む。

「…まずは状況の整理だ。オレたちは例のバカ女に誘い込まれてまんまと攫われた。連絡方法はなし、場所は不明。救助も期待できない。」

ぼくは内心で舌打ちした。バカが。わざわざ気分を落ち込ませてどうする。

「んなこと分かってるよ。どっちみち逃げられないんだ。」

「ただしオレたちをここにぶち込んだ奴らは見当がついてる。」

その一言にクラスメートたちの頭が上がる。当然の如く仲間が驚いた。

「本当か!? 一体アイツら何なんだ?」

「アレは恐らくターミネーターだ。体格からしてT-600だな。上手く偽装しているようだが、あれじゃバレバレだ。」

「タ、ターミネーター!?」

「以前軍で教習を受けたの思い出したんだよ。奴らの中には偶にああして人間に化ける個体があるらしい。」

「で、でもターミネーターって人間は必ず殺すんだろ? どうしてオレたちは捕まってるんだ?」

「知らねえよ。ともかくオレはこんなとこ絶対に脱け出してやる。」

悔し気に歯噛みするムラカミを見て、密かに感心した。本人はまだ訓練生だと言ってたけど、中々どうして敵をよく観察してるじゃないか。彼の決意に感化された同級生たちの間に熱意が広まっていく。訳も分からず殺されてたまるか。必ず生き残ってやる。そんな意志を感じたときだった。

牢屋の外に例の黒ずくめが立っていた。服の裂け目から覗く金属骨格など、河原のときは見え辛かったT-シリーズの特徴がよく分かる。

『Go out. It's the time.』

人間らしさの欠片もない機械的な音声で、ロボットそのままのぎこちない動作のままターミネーターは鍵を外した。次はぼくらの番らしい。武器もなしに拘束されたままでは抵抗も出来ないので、素直に従うことにした。悲しいことにぼくは一生この殺人マシンから離れられないようだ。

 

連れてこられたのは不思議な場所だった。コンクリート敷の重苦しい空間に2体のT-100が歩哨のように警戒の視線を振り撒いている。全員が入ったところで扉が閉じ、同時に正面のゲートが開放されると、その先には想像を絶する光景が待ち構えていた。

そこは地面が赤かった。夥しい量の血で染まっていたのだ。双方の空間が繋がった途端に凄まじい臭いが鼻を突いた。これは…処刑場だろうか?

『Go ahead.』

頭上のスピーカーが厳かな重低音を響かせ、T-100の砲台がこちらにセットされる。ガシャンと弾が送り込まれた音に女子の悲鳴が重なった。どっちみち移動場所は限られている。全体の流れに乗って隣の部屋に行こうとしたが、ここで1人の男子が反対方向に駆け出した。

「嫌だ! ぼくは死にたくないよママ! ママ!」

ぼくはすぐに閉じた扉をガンガン叩きながら喚くそいつに近づいて引き剥がす。ターミネーターは命令を忠実に実行し、イレギュラーを発見すると即座に排除対象と見なす。命令通りにしてないと彼は殺されてしまう。

「止しなよ。喚いたって何にもならないってば。」

「うるさい! もうウンザリだ! あんな部屋に行くくらいなら牢屋の方がいい!」

そうこう言って揉み合ってるうちに、首筋に寒気を感じた。忘れようのない、あの感触だ。ぼくらをターミネーター共が撃ち殺そうとしている。かわすのは簡単だけどそれでは羽交い締めにしている彼が命を差し出す羽目になってしまう。最善の選択肢とは言い難い。何よりこんなつまらないことで死ぬという事態は情けなくてしたくなかった。

必死にもがく男子Aを連れて行こうとするが、激しく抵抗して上手くできない。早くしないと撃ち殺されるのに。苛立ちが焦りを生んだのか、偶然暴れるAの腕が当たってバランスを崩してしまった。普通なら受け身に入れるはずなのに、この時ばかりは反応できなかった。ああ、ぼくが撃たれるのか。仕方ない。1回死んで対策を検討して―

しかし予想に反して痛みはなかった。焼けた棒で叩かれたような衝撃もない。そしてぼくの前には両手を広げて崩れ落ちる人影があった。その人はぼくが良く知る人物だった。

「…クリヤマ?」

撃たれたのはぼくじゃなく、身を挺して庇った親友だった。何が起きたのか理解できず、いつの間にか抱き留めた体をゆっくりと横たえる。胸に4発食らってる。助からない。状況を受け入れられない一方で、軍人の習性で怪我の度合いを確かめる。それすらもどこか他人事に感じた。震える手が伸び無意識に掴み取る。

「コガ…生きろ…」

たった一言、浅い呼吸の中で呟いた言葉が親友の最期だった。気が付けば彼の目から光が消え去っていた。クリヤマ。クラスでもムードメーカーだったクリヤマ。時々イジられてるぼくを助けてくれたクリヤマ。入学したばかりでクラスに馴染めなかったぼくに声を掛けてくれたクリヤマ。日本に居た頃に一番親しいと断言できるぼくの大切な友達がたった今、死んだ。

少し遅れて悲鳴が響き渡った。けどこのときのぼくには、耳に入ってこなかった。どうしてぼくなんかを助けたんだ。死ねばまた目覚めるだけなのに。助けられる価値もない屑のような存在なのに。どうしてお前は―

直後、銃声が木霊しぼくの身体は粉々に砕け散った。

そこからはループの繰り返しだった。クリヤマを死なせないために何回も死んだ。しかしどんな手段を尽くしても彼は生き残れなかった。ターニングポイントだろう。昔マザーに教わった、未来を決定する分岐点って奴だ。どうやら捕まった時点でクリヤマの運命は決まっていたらしい。

「コガ…生きろ…」

飽きるほど聞いた遺言を残して、クリヤマはまた旅立った。至るところから血を流す彼の目を閉じる。後ろでは群衆が恐怖と混乱で我先にゲートに逃げ込んでいた。

『Go ahead.』

警告として足元に撃ち込まれた弾丸を眺め、最後に穏やかな顔で横たわった友達の亡骸を見つめた。

「さよなら。」

生きろ。親友の思いを反芻し扉を潜る前に一度深呼吸をする。この先の事態に対処するために頭を冷静にさせる必要がある。涙は出なかった。

 

次に入った部屋はむせ返るような生臭さに満ちていた。血、汗、尿その他諸々。加えて薬品のような刺激臭も混じっている。死体の臭いに慣れてるぼくでさえ思わず鼻をつまんだのだ。先に来た連中は残らず吐いていた。

「何なんだよここは…」

えづく仲間の背中をさすりながら男子が呟く。部屋の中は真っ暗で詳細は分からない。声の反響具合から相当に広いことは想像が出来た。クラスの全員が入ったのを確認し部屋に入ると、扉はすぐに締まり同時に照明が灯る。薄暗く開けた視界に飛び込んできたのは、無数のベッドだった。

しかしその大半は清潔で白いシーツではなく、赤黒く乾いた手術用のカバーで覆われていた。雑然と並べられた手術器具と腐臭の源である人間の体と一緒に。大量の死体がそこにはあった。アジア、ヨーロッパ、アフリカ。様々な国の様々な人種が集められ、様々な形で解体されていた。全ての指を切り落とされた者、手足をバラバラに繋ぎ合わされた者。中には顔面を割れたスイカみたいにされた者もあった。そこは人間の尊厳を残さず駆逐する場所だった。

臓器売買の闇手術にでも立ち会ったかのようなグロい空間に、思わず立ち往生していると数体のT-600が現れた。もしターミネーターと分からなければ、ここにいる死人たちの怨霊と思ったかもしれないほどの不気味さを醸して。

「え、何? ちょっと止めて、離して…!」

所々血がこびり付いた金属の腕を女子生徒の1人に伸ばし、問答無用でパイプベッドに抑えつける。それでも抵抗する女子は足をバタバタ動かしたが、T-600が容赦なく突き刺した鉄串でベッドに固定され悲鳴を上げたきり大人しくなった。

「イヤ、やめて…来ないで…やだ、やだ、イヤイヤイヤイヤァ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさ…ギャアアアアァァァァァ!」

洗面器に置かれたメスを手に取り、冷酷に腹に突き刺して内臓を取り出していく。洪水のように血が噴き、腸管(ダルム)を抜き取られる様は、まるで寄生虫でも駆除しているようにも見えた。だがまあ、ここまでは()()()()()()()()。部屋を逃げ惑う同級生を放って、一歩進み出たぼくは自分から手前から3番目のベッドの上に横たわった。

「おいお前何やってんだ! 死ぬ気か!?」

それ以上だよ。級友の叫びに悪態をついて無視する。その振る舞いに訝しむ様子もなく、別のターミネーターが手錠をパイプに引っ掛け、メスをぼくの腹に近づける。冷たく鋭い切っ先があと数cmで届こうかというとき、ぼくは傍にある布切れを蹴り上げ、T-600の顔に被せた。突然の奇襲に意表を突かれたターミネーターが硬直した一瞬で、腹筋を使って跳ね上がりベッドのパイプを握って後ろに回転して枕側に着地する。

その頃には布を剥ぎ取ったT-600が拳を振りかぶる姿が見えたけど、ぼくは頭を微妙に引っ込める。紙一重の死が交差する瞬間、パイプベッドを盾にして衝撃に備えると、すぐに鉄同士のぶつかる音が響き手首の圧迫感が消えた。長い間の酷使で疲労が蓄積したパイプが破損し、ついでに手錠の鎖も千切れたのだ。

囚人の拘束が解かれたことに気づいたT-600は、取り押さえるべく躊躇いなくぼくに掴みかかる。突出する体勢に合わせて自ら前進し距離を詰める。敵の屈み具合と踏み込みの角度差から合気道の要領で懐に潜り込み、圧殺しようと覆い被さる体に膝を沈めて足元に体当たりすると、小石に毛躓いたように転がってしまう。突っ込んで凹んだ解剖台を押し退けるターミネーター。文字通りの鉄拳が首を飛ばす前に片手で捌き、ついでに軽く円を描くと鈍重な身体が同じ軌道を飛んで倒れ伏した。

いくら奴らが銃弾も効かない化け物でも、人型である以上格闘技術が通用しないわけではない。もっとも打撃なんて論外なのでこうして投げに徹するしかなく、決定打にはなりにくい。よく漫画では女子供が大男を軽々と放り上げるが、長い修練を積まなければ不可能な出来事だ。それこそ力の流れを読み取れるまでにならなければ。

起き上がったT-600の動きを利用して前方に投げ飛ばした。常人より遥かに優れた耐久力を持っていても、3桁を超える重量だからこそ、立て続けに衝撃を与えられれば一時的に隙は生まれる。僅かなチャンスを狙って転がっていたメスを頸椎に突き立てた。ブルリと身震いしたターミネーターは赤い双眼を明滅させると動かなくなった。

異変を察知した別の機体がぼくを追跡する。死体の中を掻い潜って使えそうなものを漁り、ベッドをひっくり返して相手の進行を阻害する。覆い重なった死体を煩わし気に放り飛ばしたT-600の死角から、頭をシーツで覆い拘束用のロープで足を引っ掛け、キャスター付きベッドを追突させると同時にロープを引くと簡単にバランスを失って転んだ。無造作に転がっていた大きなプラグを拾い上げる。先端に血糊が付いていることからAEDの代わりにしていたのだろうそれを、最大出力で流し込むと機能保護を優先し駆動を停止した。もう動いている者はいないはずだ。無言でこちらを見つめる級友たちを除いては。



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48.回想ーミッシングリンクー

「よし外れた。もう大丈夫だよ。」

「あ、ありがとう…」

細い針金で鍵穴を弄ってきつく締められていた手錠が外れた。手首を擦りながらお礼を言う同級生の瞳が微妙に揺れていたが、次の人のを外すために移動する。暗くて良く見えないが、この調子だとすぐ終わりそうだ。

例の()()()を逃げ延びたぼくらは、監視の目を掻い潜って使われていない倉庫で身を隠していた。逃げ回るうちに分かったことだが、ここは廃墟の病院を密かに改造した施設らしい。それもかなり前から造られたようで、思いのほか物資は充実していた。捕虜を生かすための食料も備蓄されており、幸いにもこの倉庫には非常用の缶詰があった。

「それでこれからどうすんだ?」

苦労して乾パンを齧りながら男子の誰かが呟く。先程の解体ショーのショックが抜けてないせいで、大分顔がやつれていた。女子も数人がまだ泣きじゃくっている。多分友達だったのだろう。

うるさいな。久々の戦闘で動かした肉体をアイシングしながら、針金の位置をミリ単位で修正する。最後の手錠が外れそそくさと離れていった生徒を尻目に、ぼくもようやくスニッカーズの袋を破いたときだった。

「どうするって…分かんねえよそんなの。」

「うう…サナちゃん…サナちゃん…」

「誰だよ泣いてる奴。さっきから耳障りなんだけど。」

「ちょっと! サナエはナナミの友達だったんだよ。なのにそんな言い方する? 信じらんない!」

「じゃあお前らで黙らせろよ。ターミネーターに気づかれたらどうすんだ。」

「何よ。上から目線で偉そうに。サナエが殺されたとき逃げ回ってただけじゃん!」

「あんな化け物に敵うわけないだろ! 大体、そっちだって―」

売り言葉に買い言葉を繰り返していた男女が、そこまで言い争ったときピタリと口が止まり、揃ってゆっくりとぼくの方に首を動かした。黙々と腹ごしらえしていたぼく自身もそれに気づき、見つめ合う。いつの間にかクラスの全員の視線がぼくに集中するのを感じた。

「オイ!」

不意に男の声が弾けそっちに振り向くと、今までムラカミにしがみついていたサナダさんが、こちらに歩み寄ってくるのが見えた。その神妙な眼差しに唾を飲んだぼくは、急いで口の中の食べカスを食道に押し込んだ。

「コガ君にお願いがあるんだけど。」

「何?」

「一緒に着いていっていいかな?」

「…何で?」

「多分この中で一番頼りになるから。さっきだってターミネーターやっつけてたし。」

さてどうしたものか。解体場の行動からこうなることは予想できたが、思ったほどの感慨は湧いてこなかった。確かにターミネーターとの戦い方は熟知している自負はあるし、避難民の誘導もある程度経験がある。しかしそれは装備が充実している場合であって、今のように丸裸の状態で仲間もいない状況で、これだけの人数を守り切るのは流石に無茶だ。

「ただの偶然だよあんなの。」

精一杯のポーカーフェイスでにべもなく突き放す。ここで折れてしまえば後々面倒なことになる。同級生の総意を代表するサナダさんには酷なことだけど、変な巻き添えを食うのは御免だ。守るに値する存在(ともだち)もなく、恩を売っても得られる利得が見込めない以上、今は自分の命が惜しい。すると彼女は意外な手に出た。

「じゃあ、ここにいるみんな見捨てるって言うの!?」

両手を広げて大声で叫ぶサナダさんに反応して、周囲の空気がざわめいた。

「え? 何?」

「もう助けてくれないのか…」

「ウソでしょ!? 私たち放っていく気?」

「鬼かよ!?」

口々に非難を浴びせてくる男女が、ぼくを取り囲む。状況が状況なせいで目も血走っていた。このままじゃ集団ヒステリーでも起こりかねない。妥協するな。自分の能力を過信するな。連中が欲しがっているのは責任を背負ってくれる奴だ。頷けば取り込まれるぞ。次第に空気が過熱する中で冷静に考えを巡らせていたぼくは、そのとき腕に不思議な温もりと柔らかさを感じた。サナダさんが抱き着いていた。

「お願い。コガ君しか信頼できる人がいないの。」

媚びた目線で必死に胸を押し付ける姿に、他の何人かも近寄って同じ様に腕にしがみつく。危機的状況に陥った中でクラスのアイドルに懇願される光景。一般的に見ればさぞかしおいしいシチュエーションかもしれないが、この時ぼくが感じたのは軽蔑だった。

この私がここまでしてるんだから、きっと助けてくれる。そんな心情がありありと読み取れた。かつてセルビアの難民キャンプで石鹸を買うために、抵抗軍の兵士に体を売っていた娼婦を思い出した。高校時代の彼女たちの印象がひどく薄っぺらく感じた。

「私のこと好きだったでしょ? 一緒に逃げよう?」

「別に好きじゃないよ。それともそうだったら助けてもらえると思ったの?」

「そうとは言わないけど…でも、沢山死んだんだよ。スズナもサナエも、クリヤマ君だって…」

「死人の話を持ち出しても、君たちを守る理由にはならない。」

保管してあったシーツでナイフの汚れを落としながら、押し問答を続ける。頭が痛い。担当医に処方された薬を忘れたせいだ。精神安定剤だか何だか知らないが、余計なことしやがって。レイもレイだ。ぼくはいいって言ったのに、毎日のように押しかけて来て嫁のように振る舞う。アナタが心配なの、とか言っていたが、要は体のいい見張り番だろうに。

「面倒だから単刀直入に聞こう。ぼくにそんな義務があるのか?」

「…コガ君は力があるから、みんなを助ける責任があると思う。」

「随分と他人任せな論理だね。それなら拳銃を持っている人は、目の前で死にかけてる人間を楽にする必要もまかり通る。」

「揚げ足を取らないで! 今は本当にコガ君だけが頼りなの。お願いだから私たちを助けて。」

最後は泣き落としか。呆れるのも馬鹿らしくなってため息をつく。このまま続けても水掛け論にしかならない。肩を震わせるサナダさんに問うてみる。

「何でサナダさんは恋人を信じてあげないの?」

「え?」

彼女の肩越しにビクッしたムラカミが覗いた。ぼくがした質問は嫌味でも何でもなく、純粋な疑問だった。

「訓練生でもムラカミ君だって兵士だよ。軍人は市民を守るのが最優先のはずだ。一般人のぼくなんかより真っ先に頼るべきじゃないか。」

「コガ君って軍人さんじゃないの?」

「うん。」

「ふざけんなよ。」

そのムラカミから地を這うような低い怒りが伝わる。今まで遠巻きに眺めていただけだったが、急に近づいてきて殴りかかろうとするのだから、反射的に飛び退いた。

「お前どうしてサナエを助けなかった。」

「そんな余裕がなかったからだ。」

「止めてシュウ君!」

突然の暴力にサナダさんが腰にしがみついて涙声で説得する。それを振り払ったムラカミはぼくを壁際に押し詰めた。

「嘘つくな! T-600を1人で倒したんなら、アイツだって助けられただろうが!」

「1人だから手が足りなかったんだよ。ぼくはあのとき気が動転して、それが偶々上手くいっただけさ。手持ちの札が1つ減っただけだろ。怒鳴るなよ新兵(ルーキー)。」

「テメエ…!」

これでもかと怒気が膨らみ肩を掴む手に力がこもる。もう付き合いきれない。何にも知らない奴が勝手なことばかり言うんじゃない。腹の底から逆流する熱に任せて、腕を払って関節を極めて引き倒しナイフを皮1枚で止めた。

「いい加減にしろよ。大人しくしていれば、見境なく付け上がりやがって…もうたくさんだ! クソ暑い砂漠で胸糞悪い仕事が終わったかと思えば、次は勝手にくたばったババアの死に面とご対面だ。オマケに今度は駄々しかこねない足手まとい共から、奴らと戦いながら守れと命令される。ぼくはお前らのドラえもんか!?」

溢れ出る衝動に任せて一息に吐き出す。いっそここで全員殺そうか。それがいい。素人と行動するとロクなことにならないのは、これまでの任務で経験済みだ。第一、ほとんど繋がりのない他人のために、どうしてぼくが命を投げ出さなきゃいけないんだ。ギリギリに留めていた刃先が少しずつ肉を裂いていく。ほら、あとちょっとで綺麗な赤色が―

「やめて!」

甲高い叫びが耳朶を震わせた。すんでのところで我に返った拍子に、ナイフが抜けて手から滑り落ちる。カランと乾いた音を立てたのは、ナイフかそれともぼくの心か。空気が変わったことに気づいた。みんながぼくを見ていた。どこかと似た景色だ。ヨコスカで戦った後、仲間だと思ってた奴らに向けられた畏怖。あれと同じだった。

「ひどいよコガ君。何でこんなことするの? 昔はそんな人じゃなかったのに。」

『…アンタ、誰?』

恐怖に塗り潰されたつぶらな目が、あの夜、あの倉庫で対峙した灰色の瞳と重なる。そこには最早旧知を知る目はなく、手負いの獣に向ける原始的な感情が揺れていた。急に顔から血が引くのを感じた。

「ゴメン、最近ストレスが重なってイライラしてたんだ。本当に済まない。」

理性が戻るのと平行して頭痛が収まってゆく。数ヶ月前まではこんなことで取り乱したりしなかったのに。案外神経がすり減ってるようだ。どのみちここで口論しても仕方ない。始末したターミネーターのチップは破壊したからまだ悟られてはいないが、バレるのは時間の問題だ。それまでに然るべき手段を確保しなければならない。ぼくは全員に向き直った。

「分かった。協力する。ただし、ぼくの指示には必ず従ってもらう。良いね?」

 

取り掛かって苦戦すること10分以上。ようやく鍵が壊れた。

「オラ、早く出てこい。突き当りの角を左に曲がったらエレベーターがあるから、それに乗るんだ。」

「ありがとう! アンタの顔一生忘れないよ!」

檻の中で縮こまっていた人々が我先に駆け出し、そのうちの1人が涙で顔をクシャクシャにしながら礼を言った。その言葉にムラカミはチクリと胸が痛み、さっさと行けと追い出した。まだ律儀に頭を下げる姿が人ごみの向こうに消えるまで見送り、スッと肩の力が抜ける。

これで3つ目だ。痺れた手の平を軽く揉んで、肩の凝りをほぐす。軽く一服付けたかったが、手元に吸い殻すらないことに舌打ちした。今は作戦行動中だ。1分1秒の遅れも許されない。自分にそう言い聞かせて、小さなICタグみたいなものを取り出した。その両端をつまんで引き延ばすと、フレームが拡張し小型のタブレットに早変わりした。

端末の画面に表示される情報を読み取り、仕事のタスクを満たしたことを確認し、他の仲間と共に合流地点に向かった。

『これを預けておく。』

肩に包帯を巻き終えたコガが摘出し終えた2つのタグのうちの片方を差し出す。

『何だよこの小っこいのは。』

『ぼくの手持ちで唯一奪われなかったものだよ。見た目はチャチだけど性能は保証する。』

『んで、これを使って何すんだ?』

『今までの経緯を考えるといくらか辻褄が合わないんだ。さっきの部屋だとぼくら全員とベッドの数が合わないし、そもそも1日置いて殺そうとするのが分からない。それにこの食糧。ここの分だけでも相当の量だ。』

『つまり何が言いたいんだ? さっさとしろ。』

『他にも囚人が居るってこと。ぼくは先行して準備するから、後から牢屋を解放してくれ。さっき案内板に電話線がある場所を見つけたから、そこに行ってみる。考えがあるんだ。』

結果としてコガの予想は当たっていた。最後に脱出させた人々を合わせるとざっと200人ほどだ。

「シュウ! こっちも終わったぞ。」

別のグループで行動していた友人たちが次々と合流してくる。一見すると誰も怪我はしていないようだ。

「よお無事だったか。」

「何とかな。敵が出てくると思ったんだけど、アイツら倒れたままで全然動かなかったぜ。」

多分タクミの()()とやらだろう。ムラカミたちが出くわしたのも全部似たようなものだった。ふとナイフで刺された箇所にに疼痛を感じる。

「何だってんだシャラクのくせに…」

無性に彼と今の自分に腹が立つ。学生時代は良かった。生まれつきの体格と才能で気に入らない奴は力で抑え込むことが出来た。女にしてもそうだ。勝手に憧れて近寄って来た自称ファンから、見た目が良くて後腐れしない奴を選んで過ごしてきた。

力があったから良い景色を手に出来た。だったらもっと強くなれば、もっと良い景色が見れる。そう思って軍に入った矢先にこれだ。正直、自分は何も出来なかった。訓練では思い通りに動けた体が、サナエが目の前で惨殺されるのを目撃して一歩も動けなかった。彼女(シオリ)を助けようとも、級友たちの前でカッコつけようとも思わなかった。恐怖に侵食されていた。

しかし、コガは違った。決して取り乱さず、的確に対処して、単独でターミネーターをノシてしまった。スーツを着ているならいざ知らず、訓練では素で対峙した場合は逃げることを教え込まれる。それほど人間と機械の差は圧倒的なのだ。

既にムラカミは彼が兵士だと確信していた。感情を完璧に制御する精神力、ターミネーターに生身で対抗できる身体能力と技術、状況を冷静に分析して利用する機転と判断力。どう譲歩しても一般人に出来る芸当ではない。いや、あんなのはベテランの兵士でも首を横に振るだろう。

戦争する以上、敵のことは知っておく必要がある。ムラカミも教習でターミネーターに関する知識を徹底的に叩き込まれていた。T-600はチタンで構成されるが、過渡期の仕様ゆえに関節部分が弱く、小火器で集中的に狙えば破壊できる。また頸部後方には追尾機能を司るチップが露出しており、そこを叩くと一時的に行動不能にさせられると教官が話していた。

だが実際にはほとんど役に立たない知識だ。基本的に非武装で立ち会うことは無いに等しく、先述の対処法がなくとも普通なら真っ先に逃げるのを思いつく。そんな()()()を彼は見事に活用し仕留めた。余程の胆力と経験がなければ無理な行動だ。

極めつけはムラカミが渡された端末だった。強力なジャミングが働いているせいで外部との通信は不可能だが、先に制御室に向かったコガから次々と情報が送られてくる。速い。少なくとも軍用のコンピュータ並みに処理能力が高いのは確かだった。それを指先に乗るほどのサイズと軽さで実現するのだから、最先端の技術を使っているのは間違いない。

この機器を見て諜報関係の人間かと勘繰ったが、それではあの戦闘能力の高さを説明できない。工作員顔負けのツールとベテランすら凌ぐ度胸とスキル。何となく、本当に何となくだがムラカミは思い当たる節があった。

「ジャップ・ザ・リッパー…」

史上最強の兵士。生きた伝説。ここ数年で急速に広まった噂は数知れず、未だに真偽のほどは明らかになってはいない。分かっているのはその特異な外見と超人的な強さだった。ところが最近はその動向が全く分かっていない。その英雄が姿を隠しているのだとしたら。自分たちの傍にいるのだとしたら。

「シュウ君、シュウ君!」

徐々に内なるスパイラルに嵌っていったムラカミは自分の名前を呼ぶ声にハッと気が付いた。サナダがこちらを見つめていた。どうやら制御室に辿り着いたらしい。奥ではコガがコンソールを操作して、膨大な文字をスクロールしている。

「こいつは…いや、まさか…」

ブツブツと呟きながら例の極薄デバイスに繋いでタッチキーを叩く。その内容は英語を覚え始めたムラカミでも精査仕切れないほど複雑だった。

「シオリ、怪我はないか?」

「平気。みんなと一緒だったし、それにシュウ君がいるから。」

健気に答えてくれる彼女の目が潤んでいるのが分かって、無我夢中で抱き締めた。ひし、と抱き合うと腕の中の小さな体の震えが徐々に収まっていく。きっと、とても怖いはずだ。それでもこの少女は必死に耐えている。何が何でも守り抜きたいと思った。

「オレが絶対に守ってやる。絶対にだ。」

「うん。うん…!」

このまま時が止まればいいとさえ思ったが、現実は厳しかった。

「コガ、準備できたよ、早く行こう! シュウとシオちゃんも!」

別の班に分かれていた女子が扉から呼びかける。

「分かった。」

と返事した彼はキーを何回か叩いて電源を切ると、ムラカミたちの後に続いて走り去った。

 

ムラカミたちが到着すると、総合体育館並みのそこは既に何人もの人々で溢れかえっていた。先程逃がした人たちだ。タクミの話ではここから脱出口の繋がってるらしいのだが…

「ねえ、何で進まないの? 時間ないよ。」

「出口がどこにもねえんだよ。」

ごった返す人ごみの垣根から首を出して周囲を確認してみたが、扉らしきものはどこにもない。するとタクミがいきなり服を脱ぎ始めた。

「ちょ、おま、何してんだ!?」

戸惑った男子に目もくれず奇行を続けるコガ。あっという間にトップスを全て外すと

「皆さん、急いで服を脱いでください。」

とその場の全員に告げた。目が点になる一同。珍妙な顔になるのも一瞬、白けた表情を浮かべるのは分かり切っていた。

「お願いします。時間がないんです。もうすぐここから水が流れ込んできて、アナタたちは溺れてしまう。」

懸命に訴えるコガを無視してぞろぞろと勝手に動き回る群衆。同級生たちもいよいよ付き合いきれないと、彼らに着いていこうとした時だった。ムラカミは頭に何か落ちたのを感じ、触れてみると何かの水滴だった。頭上を仰ぎ見ると直後に更に大量の洪水が降って来た。

逃げろ、という間もなく冷たい重さと勢いに呑まれ、足が浮いた。せめてもの願いを込めてシオリの手を握る。見る見るうちに全高の半分まで水が溜まり、ムラカミたちはその表面を漂っていた。体が随分と重たい。服が水分を吸収して自重が増しているのだ。このままでは力尽きて溺死してしまう。仕方なしに衣服を手放すことにした。

「シオリも脱げ。この際贅沢は言ってられない」

しばらく躊躇していた彼女だったが、観念したように服を脱いで下着姿になった。クラスメートも自発的に同じ姿に変わっている。

「はい皆さん、落ち着いてください。」

コガの柏手がコンクリートと水の間で拡散し、波紋が広がる。

「いきなりで驚かれたと思いますが、ここはこの工場のゴミ箱です。今から下の排出口が開いて外に流されます。その前に皆さんには―」

ピシャン、と水面が撥ねた。1、2、3、当たった。

「グワッ!?」

ムラカミの近くにいた一般人が腹を押さえてうずくまる。すぐに介抱すると手に生暖かくぬるりとした感触がした。水面が赤く染まっていた。シオリが悲鳴を上げ、直後に無数の雨あられが降って来た。視界の隅に赤い双眸がライフルを乱射しているのが映った。コガが脱いだ時に持っていた筒状の物体を高く放る。

「潜って!」

コガの指示にすぐにシオリを抱きかかえて身を潜らせる。間髪入れずに頭上で閃光と爆炎が降り注ぎ、水を伝播して鼓膜を揺さぶった。水中に同級生の千切れた肉片が落ちていったのは見なかったことにした。

 

唇に温もりを感じた。頬にも誰かが触れている感触がある。誰だ? 目を開けようとすると胸の中が急に苦しくなった。体を折り曲げ苦しみの源を吐き出す。それが水だと分かったときにはぼんやりとした風景にシオリが泣き顔で抱き着いているのが映り込んでいた。

「シュウ君、良かった…」

「ここは?」

やけに薄暗い場所だった。湿っぽいし臭気もする。恐らく下水道だろう。

「コガは?」

「分かんない。何か追手が来たから食い止めるって奥に行っちゃった。」

酸欠だったせいで頭が重い。ガンガンと鳴る脳裏でゆっくりと赤い尾を引いて沈んでいく級友の末期を思い出した。人数は半分ほどに減っていた。ほとんどが先程の奇襲の餌食になったのかもしれない。

「やあ、起きたんだ。」

まだ感覚を取り戻しきれない聴覚が拾ったのは、コガの落ち着き払った声だった。彼は暗闇からサブマシンガンを携えて現れた。他にもジャラジャラと武器を携帯している姿はシュワルツェネッガーの『コマンドー』を想起させた。

「コガ君、どうしたのそれ?」

「敵から奪ってきた。ムラカミ君はこれを。」

そう言って手渡されたのは銃床(ストック)が折り畳まれ、先端が銃口に位置するフォルムが特徴的な銃だった。

「Vz61。スコーピオンと言った方が分かり易いかな。少し重たいけど命中精度は高いから初心者でも扱いやすい銃だよ。」

慣れた手つきでで安全装置を外し、弾数を確認するコガ。その動作を盗み見ながらズシリとした重みを確かめる。Xガンのようなハイテク機器とは異なる純粋な鉄の塊。改めて自分が持ってるものの恐ろしさが染み渡った。

「では生きている方はこちらに集まってください。これからの行動を伝えます。先程の襲撃で理解できたと思いますが、まだ皆さんは安全な状況にあるとは言えません。なのでぼくが先導するわけですが、これだけの人数を1人で守るのは無理です。そこで銃器の経験者の方がいらっしゃったら、ここに武器があるので手伝ってください。それと―」

「もういい!」

いきなり抗議の声が上がり、立ち上がった人影が居た。40絡みの中年男性だ。苦虫を噛み潰したような顔で周りをかき分けて前に進み出る。

「さっきから聞いてたら何なんだね。逃げろだの隠れろだの、こっちは我慢の限界だ。大体、子供が銃を持っていいと思っているのか?」

「はあ…」

「全く近頃の若者は…見たところ敵もいないようだし、水の流れからして向こうが出口だろう。さあ皆さん、さっさとこんなところからオサラバです。私が様子を確かめてくる。」

間の悪いことにに他の何割かが賛同してしまい、しかも強引に銃も持って行ってしまった。残ったのは数少ない同級生と不安に怯えて動けない者だけだ。

「待ってください皆さん。別れると危険です。戻ってきてください。」

「うっせ、バーカ。」

「さっきから偉そうに…何アイツ?」

「そんなにここに居たけりゃ、そこの泥水でも啜ってろ。」

懸命な呼びかけに耳も貸さず、先に行ってしまった連中の野次がワンワンと反響する。ハア、とため息を吐いたコガはつまらなそうに小石を蹴飛ばして座り込んだ。

「いいの? 行かせちゃって。」

「一応こうなることは予想済みだったからね。無理に引き留めると変な諍いに成りかねないから仕方ないよ。あの人たちの気持ちも分からないではないし…入手した地図だとここから10kmほど先に出口がある。長丁場になるから休息して体力を温存しよう。」

「そういえばお前、あのとき何を投げたんだ? 爆弾みたいだったが。」

クラスメイトの問いに、ああ、と思い出したコガが他の武器も点検しながら、アセトンに過酸化水素水などの酸性液を混ぜた物をビニールパイプに詰め込んだものだと告げた。ムラカミたちが捕虜を逃がしている間に何か役に立つかもしれないと作製したらしい。幸いにも病院は材料には不自由しない場所だ、と。

それからは苦難の連続だった。移動し始めてから10分もしないうちに

「逃げて。エアロスタットだ!」

「イヤァァァァ! アナタァァ!」

「イダッイィィィィ!」

半分ほどまで踏破したところで

「伏せてください。カメラに映ります。気づかれたら蜂の巣ですよ。」

「ママァ、もう疲れたよぉ。」

「もう少しで着くから我慢しデッ!?」

「あ、見つかった。」

「チクショウ、逃げろ!」

またあるときは

「アッ、足ッがあ!?」

「何でドーベルマンが追いかけてくるんだよ!?」

「追跡用に飼ってるんだろう。なるべく鼻先を狙うんだ。」

こうして二重三重の罠を振り切って残ったのは20人ほどだった。どれも疲労困憊で負傷者も少なくない。それでも彼らはようやく目的地までたどり着いた。

「シオリ痛むか?」

「何とか…でもちょっとキツいかも。」

「あとちょっとで出口だ。辛抱してくれ。」

肩を貸して歩くシオリの脚には赤黒い歯型が残っていた。先程の猛犬にやられた痕だ。ほとんど裸同然で足を引きずる姿が何とも痛々しい。しかし通路が真っ直ぐになり、コンクリートの足場がなくなってきた。やむを得ず下水に踏み込んだ。傷口に染みるのかシオリが小さく呻く。膝上まである水流を掻き分けて歩いた。

あと数十mというところで滝の音が聞こえた。出口だと直感的に悟り自然と急ぎ足になる。しかしそんな人々を先鋒のコガが片手で制す。

「何かいる。」

暗闇で何も見えないはずなのに、いやにはっきりと告げる。その視線を辿って灯りを照らすと、そこにはあのときの中年男性が突っ立ていた。服はあちこち破け肩にも血が滲んでおり、不自然に膨らんだ腹を両手で掻き毟っていた。

「助けて、助けて…」

か細く呟く表情は脂汗に塗れ恐怖で固まっている。見るからに無事ではない姿に級友が急いで駆け寄った。

「どうしたんですか? 他の人は?」

「全員やられた…アイツらに…アンタたちも―ウッ!?」

突然容態が急変した男が全身を痙攣させる。横臥して喉や腹を皮膚が抉れるくらい引っ掻く様子は尋常ではなく、暴れる体を抑えるために格闘する。その拍子にシャツが千切れ()()()()()()()()()()()()()()()()

「何だこれ…」

肉と脂肪に覆われていても分かるほど腹が隆起し、蛇のように長い何かがのたうち回っている。それが段々と上に登っていくにつれて、男性の苦しみも増しているようだった。

「ダメだ。出てくるな。やめろ、やめ…ガッ、グッ…ウ、ウオアアァァァァァァ!」

強引に中を食い破って先が喉元に到達した瞬間、そいつは口からではなく甲高いドリル音で男の頭部を粉々に粉砕して現れた。さながら寄生したエイリアンが腹から飛び出してくるように。

「キャアアアァァァァァァァ!」

「イヤッだァァァァァァァァ!」

人間の頭をひき肉みたいに変えたそいつはズルリと血肉から這い出ると、赤い単眼(モノアイ)を閃かせ手近にいた2人の女子を襲い始めた。鉤爪の如く鋭い嘴を開き、瞬時に腹に穴を開けて貫通させる。ムラカミは無我夢中で撃ちまくったが、水中に潜り込んでしまい狙いが外れた。すると背後から絶叫が響き、照準を向けると今度は別の一般人の口から無理矢理侵入した。

「待ってくれ! 撃たないでくれ!」

すぐに狙いを定めたが必死に両手を上げて助けを請う姿に引き金に掛けた指が止まってしまう。これでは撃てない。もう助からないと分かっているのに、泣き叫ぶ声にどうしても躊躇いが生まれる。そんな葛藤もお構いなしに再び腹を貪り尽くしたエイリアンもどきが、胃を直接食い破って今度はシオリに襲い掛かった。が、寸前で閃光が瞬き火花を散らして水中に落ちる。

「大丈夫? サナダさん。」

傍らで硝煙を纏ったコガが銃を下げる。こんな状況だというのに相変わらず表情は変わらない。今度ばかりはその冷静さに背筋が震えた。

「これはハイドロボットだ。水中偵察用の小物だけど、こんな場所にまで居るなんて。迂闊だった。」

プカプカと浮いたそれが後方に流れていく。その先に幾つもの赤い光が見えたことは冗談だと思いたかった。

「走れ!」

コガの鋭く叫んだ声と同時に、一斉に駆け出す。猛然とした勢いで接近するハイドロボットの群れが次々と逃げ遅れた人々を刺し殺していく。ムラカミも腕の肉が削られたが銃を捨てて構わずに走った。多分計測係がいたら自己ベストを更新するほどの速さだっただろう。滝の音が最も強くなった瞬間、シオリを固く抱き締めてムラカミは宙を飛んだ。

 

数時間後、ぼくは息苦しさに目を覚ました。朦朧とする頭を振り、気力を振り絞って川岸から這い出る。鬱蒼と茂ったマングローブ林が醸す土壌の匂いと蒸れるような暑さに意識が持ってかれそうになったが何とか踏みとどまる。まずは安全の確認と生存者の捜索だ。

事前に制御室で調べた情報によると、あの下水道はかなり大きな河川に繋がっており、捜索するとなると1日や2日では済まないだろう。しばらくは時間が稼げる。後者の方は幸いにもすぐ近くに流れ着いていた。サナダさんとムラカミだった。

まずは2人を起こし怪我の具合を確認する。両者とも無傷とは言えないが、動けないほど重体でもなかった。ぼくは状況を説明し救助地点までの位置を告げると、先頭に立って慎重に進んだ。

これまた幸運なことに予定場所とはさほど離れておらず、移動してから1時間ほどで辿り着けた。到着するまでの間、負傷に効く薬草を探し出し応急措置をする。サナダさんは他に生存者がいないか尋ねたけど、そこは正直に居なかったことを告白した。

「そっか…」

ポツリと零した返事をきっかけに彼女の目の縁に雫が溜まっていく。様子を察したムラカミがそっと肩を抱くと、堪え切れずに涙が決壊した。

「スズナ…サナちゃん…ヨシザワ君…」

亡くなった級友たちの言葉を1人ずつ呟き、嗚咽を漏らす。それに連られたのか雲行きが怪しくなり、一粒鼻に当たるとあっという間に降り出した。何か濡れるのを防ぐものを探すために立ち上がった直後、ガチャリと音が響いた。ムラカミがスコーピオンをぼくに向けていた。

「何してるの? 危ないから下げてよ。」

「いいや下げない。仲間の仇を討つためにな。」

「は?」

「お前最初から狙ってたんだろ。考えたらおかしなことだらけだ。オレが端末を持ってるのにすぐ情報を伝えなかったり、あのオッサンたちを止めなかったり。まるでオレたちを囮にしていたみたいだった。」

「…疲れて気が立ってるのは分かるけど、それは言い掛かりだよ。ぼくは君たちのために一生懸命に―」

「だったら何でわざわざあんな脱出プランを作ったんだ。仮にもプロならもっとマシな方法もあったはずだろ!」

安全装置を解除しいつでも撃てる体勢を作り出すムラカミ。下手に言い訳を重ねたら即座に撃ち殺すだろう。ここまで来たのにまた振出しに戻るのは御免だ。ふと隣で困惑するサナダさんと目が合った。本当なの? と言っている気がした。

「分かった。白状するよ。君の言ってることは半分正解で半分間違いだ。ぼくは本気で君たちを助けようとした。囮は解放した一般人たちだ。」

「何…?」

「まず最初の水洗式の廃棄場だけど、あそこは勝手に動かすと監視用のターミネーターが出てくる仕組みなんだ。だから大勢の囮を用意して相対的に被弾率を下げたかった。それに()()()としても機能してくれる。下水道の件は計画してなかったけどね。」

「お前…あの中には子供も居たんだぞ!」

「他人の事なんて知らないよ。ぼくは()()()()()()()()()()()()。あの子も助けろなんて言われてない。生き延びられなかったのなら、それは本人が非力だったからだ。」

「クズ野郎が…!」

目を血走らせたムラカミが眉間に銃口を当てる。ぼくは説得できなかったことを残念に思い、次の周回に備えて頭が吹き飛ばされるのを待った。しかしそうなったのは何故かスコーピオンを突き付けていた目の前の男だった。スイカ割りみたいに派手に飛び散った脳髄の欠片が口に入り込んだ。

同時に天から光が降りかかり、プロペラの大気を震わせる音が胃の腑まで響いた。反射的に見上げると中空から数台のヘリが電磁迷彩(ECS)を解除して降下してきた。ラぺリングした黒スーツの集団がぼくらを取り囲む。見たことのない真っ黒のバイザーを着けている以外はガンツの装備だった。

「お迎えに上がりました。」

真ん中の人物が合成音声で語り掛ける。

「アナタたちは?」

「合衆国の即応部隊です。救難要請を受信して出動しました。こちらで全員ですか?」

「ついさっき死んじゃったのが居ますけどね。」

そう言って振り向いた先には顎から上が吹っ飛んだムラカミをサナダさんが呆然と見つめて座り込んでいた。虚ろに開かれた両目は自分の前で何が起こったのかまだ呑み込めていないらしい。

「申し訳ありません。何やら切迫していたようだったので、こちらで敵性分子と判断しました。女性の方はどうしますか?」

「連れて行ってあげてください。1人で残すわけにもいかないし。」

救助者用の担架を断りヘリに乗り込むと、先程の隊員から端末を渡された。ぼく宛に回線が繋がっているらしい。

「もしもし?」

『コガ・タクミ君かな? 良く持ちこたえてくれたね。お陰で無事に救助が行えた。』

「秘匿回線で人工音声とは中々慎重な人ですね。諜報関係の方ですか?」

『ただのファンだよ。君なら必ずこの()()()を乗り越えると信じていた。これでようやくうるさい外野を黙らせることが出来る。都合の良いことに君の手元にあるデータは非常に貴重なものだ。』

「何が言いたいんです?」

『そのうちの何割かを我々に譲ってくれないか? きっと君のためにもなる。』

 

「サナダさん、お友達がお見えになりましたよ。」

看護師が花束を置いてカーテンを開ける。しかし返ってくるのは規則正しい心電図の音だけだ。爽やかな風が部屋を駆け抜けたが、彼女の肌に届くことは無く包帯の表面を軽くなぞっただけだった。

「今日もいい天気。ちょっと寒いけど綺麗な景色ですよ。」

彼女は何も喋らない。いや、喋れなかった。全身を管で繋がれ、頭部には装置が固定されその上からボルトが差し込まれている。手足も拘束され、身動きは取れない。唯一変わらないのは光を失った双眼だけ。ベッドの下の介護装置が排泄物を吸い取る音が聞こえた。

「ごめんなさいね。折角来ていただいたのに。」

「いえ…」

「酷いでしょう。入院した数日後に飛び降りたの。一命は取り留めたけど、頭部に傷を負ってしまってあんな風に…こんな綺麗な子なのに惨いわね。」

サナダさんは救助された後、精神科に回された。原因は分かってる。一般人があんな状況にあって正気を保てるはずがない。治療の見込みはなくいつ退院するかも決まっていない。お見舞いを済ませると携帯が鳴った。懐かしい声が聞こえた。

『こうして君の番号にかけるのは久々だな。』

「ご無沙汰しています中佐。」

『その呼び方は止めたまえ、今の君は健全な一市民だ。しかし災難だったな。ようやく除隊できたというのに、君はトラブルに愛されてるらしい。』

「ええ、まあ…」

『その件について君に伝達事項が2つある。今回の事態を幕僚たちは非常に重く見ている。潜在化する新型ターミネーターの研究施設と誘拐される一般市民。そして君の行動だ。』

「自分は最善の判断を下したと自負しています。」

『だが上はそう思ってはおらん。今から君にはサイコセラピーによる記憶の再修復(リジューム)を受けてもらう。面倒だろうが命令だ。そしてもう1つ。これが重要なんだ。』

「慰安旅行にニューカレドニアのツアーでも提供して頂けるんですか?」

『慰安旅行ではないが似たようなものだ。担当カウンセラーからの提案で、共同生活をしてもらうことになった。相手は1人、場所はコロラドだ。準備は済ませてあるから荷物だけ用意してくれ。』

「その相手はどんな人なんです?」

『行けば分かる。切るぞ。』

にべもない会話が終わり、ツーと無機質な音が鳴った。カクリと肩を落とす。別にこれが初めてじゃない。彼の連絡事項の大半がいつも突然なのだ。また何かあるな、と嘆息したぼくは帰りがけにコーヒーを一杯買って出口に向かった。



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Part3 崩界
49. 4年


夜も深い、人気のないペントハウスの一室で、男は1人の女の目覚めを待っていた。と言っても、それは決して眠るばかりの恋人を見守るという甘いシチュエーションではない。男にとってこれは欲であり、仕事だった。

「う…ん…」

女の長い睫毛が振るえ、瞼が重々しく開かれると、灰色の虹彩が露になる。男は出来るだけ優しい口調で語りかけた。

「お目覚めですか? ミス・ナルミヤ。」

「…モンゴメリー社長? これはどういう…ああ、そういうことか。」

「申し訳ありません。会談の直後、急に体調を崩されたようなので、こちらで勝手に部屋をご用意させていただきました。ご気分はいかがですか?」

「悪くはありません。強いて言うなら手首が少しきついくらいですけど。」

座ってる椅子に括りつけられた縄を指して、女―ナルミヤ・アキラが冷笑じみた笑みを浮かべる。完全にこちらを舐めきっている態度に、男の溜飲が少し下がった。

「残念ですがそれを外すことはできません。アナタとの会談はまだ終わってないのです。返答次第では足にも縄を付けなければならなくなる。」

「ご心配なく。アナタ方の仕込んだ薬がまだ抜けてませんので。暴れるのは無理ですわ。それで要件は何です?」

「ほう、随分と物分かりが良いことだ。」

意外にも抵抗しないアキラを前にして、内心口笛を吹く。これまでも同じ様な手口で相手と()()()()()してきたが、ここまで落ち着き払った対応は珍しい。お陰で早く本題に入れる。

「先にも申し上げましたが、我が社との提携を承認して頂きたいのです。貴社に対しても決して悪い話ではないと思えるのですが。」

「提携? 合併吸収の間違いでしょう? 第一、ウチのようなロートルの零細企業を相手にしても、利益なんてありませんよ。」

「謙遜とはらしくありませんな、ミス・ナルミヤ。アミュレット社と言えば、現在業界でも最も恐れられている風雲児と有名なんですよ。需要を取られて関係企業も焦っている。」

事実、モンゴメリーの経営するバロック・ミリタリーサービス社もその影響を受けて、こうして取引を行っていた。規模としては中々のもので様々な業務に携わっており、政府からの依頼も受ける()()()()()会社と呼び声も高いが、近年の同業者の急増で業績が下降傾向にあるのが現状だった。

そこで新たな市場を開拓すべく関係を結ぼうと売り込んだ中で、アミュレット社が応じたのだった。しかし相手は手強かった。こちらが提案したプランの落とし穴を次々と看破し、逆に利益の獲得領域をバロック社のテリトリーまで食いつかせてくる。モンゴメリーの持ち掛けた話だったのに、いつの間にか向こうが主導権を握っている。これは彼にとって大変面白くない事態だった。

よって第2段階として方法を変えることにした。どちらかと言えばモンゴメリーにとってはこっちの方が得意なやり方だった。男ならば徹底的に痛めつけ、女ならば全身から漂わせるフェロモンで誘惑する。確実に相手が屈服する方法で勢力を拡大してきたのもバロック社の歴史の暗部だった。

今回もその手を使うつもりでディナーに招待したのだが、アキラはにべもなく微笑んで突き返した。あろうことか、自分の裏の顔まで暴いていたのだから。こうなってしまっては生きて帰すわけにはいかない。どんな手を使ってでもアミュレット社を奪い取る。モンゴメリーの作戦はその仕上げに入ろうとしていた。

「取引しましょう。イギリスに申請して伯爵の地位と領地を差し上げます。その代わり貴社の経営権を我々に譲ってほしい。もうこんな因果な商売から抜け出して、一生遊んで暮らせますよ。」

「これはまた羽振りのいい話ですね。」

当たり障りのない言葉でかわし、同意の言葉は決して話さない。ガードの堅い女だ、と思った。無論、モンゴメリーとしてもこの程度で決着がつくとは考えていない。唐突に1発叩いた。白い頬が僅かに赤くなった。

「交渉決裂か。仕方ありませんね。せめてその営業ノウハウだけでも聞き出したかったのですが、残念だ。君になら誘惑されても良かったのに。」

「あら、こんな傷物でも興味を持っていただけるのかしら。」

「とんでもない。君はとても美しい人だ。」

モンゴメリーの言葉はあながち嘘でもなかった。切れ長の目にシャープな輪郭を描く少々キツめの貴族的な顔立ち。背が高くてスタイルも良く、四肢はバネのようなしなやかさも備えている。見たところ化粧も最低限だが素材の質の高さも申し分ない。ロングのウルフヘアを一纏めにして胸元に流した髪型も切れ者のキャリアウーマンを髣髴とさせた。

唯一の忌瑕は顔の右半分を覆っている火傷跡だろう。本人は語らないがそれ自体が彼女がどんな人生を送ってきたかを物語っており、高貴な雰囲気の中にある種の凄みが加わっている。

「ありがとう。でもゴメンなさい。私香水(カルバンクライン)をつけてる方には、その気になれませんの。」

「…減らず口を。だが嫌いではありませんよ、アナタのような女。服従のさせ甲斐がある。」

最後まで余裕を崩さないアキラを懐柔するため、引き締まったボディラインを浮かべるブラウスへ手を掛ける。その第一ボタンを外す直前、彼女の耳元からコール音が聞こえた。

「…出てよろしいかしら?」

後ろに控えていた部下の1人に耳の裏をなぞらせ、耳小骨に付着したナノマシンと自身のそれを同期させると、モンゴメリーのコンタクトレンズに通話者のアイコンが表示された。

「もしもし?」

『アキラ? ぼくだけど、こっちの仕事は終わったよ。君の方はどうなんだい? ()()はそっちが早く済んだんだけど。』

「ああ、今から吐かせるところ。悪いけどちょっと待ってて。」

「ミス・ナルミヤ、日本語はやめていただけませんか。私には会話が伝わらないので。」

『あ、もしかしてまだ取り込み中? アキラ、モンゴメリー氏に代わってくれる?』

すぐに英語に切り替えた男の声が自分の名を呼んだので

「今代わった。私がモンゴメリーだが、君は誰だい?」

『名乗るほどの者ではありません。彼女の部下です。この度は我が社をご利用いただきありがとうございます。』

「そうか、だが残念だな。君の上司はもう私の部下になる。これからは私の専属秘書でもしてもらおうか。さぞかし有能なことだろう。」

『…あまりオススメしませんよ。大人しく檻に繋がれるような人間じゃありませんから。』

拡声器を通した声は不思議と労わるような感じだった。フェイクすら掛けない純粋に相手を心配する気持ちだ。

「さあどうかな。少なくとも今は従順だぞ。」

『…ひょっとして、叩いたりしました?』

「ああ、ちょっとした挨拶だよ。あまり気乗りしないが、彼女のような女には立場を分からせる必要があるからな。」

ハア、とため息が聞こえたのは気のせいだろうか?

『モンゴメリーさん、悪いことは言いません。今すぐ逃げてください。』

「何?」

『銃やナイフがあっても無駄です。ウチのボスは1回叩かれたら100回殴り返す女ですから。』

そのとき背後でくぐもった呻き声が上がった。振り向くと部下の男が倒れ、傍らには縛られていたはずのアキラが涼しい顔で立っていた。

「貴様、どうやって-」

「あんな雑な結び方じゃ2分で解けるぞ。今度はちゃんとした専門家を連れて来い。」

「くっ…殺れ!」

一斉に襲い掛かってきたボディーガードに向かって、アキラは悠然と近接格闘の構えを取った。

 

数時間後、アキラは座席の座り心地の悪さに目を覚ました。ヘッドホンを着けた頭がいやに重い。まだ先程の薬が抜けきってないらしい。気だるげな様子を隠そうともせず、乗っているヘリから外を眺めると、鬱蒼と茂る山岳の合間から朝日に照らされたプレハブの社屋や寄宿舎、コンクリートの格納庫、射撃場に市街地戦を想定した遮蔽物の群れ群れが広がっていた。

いつもと変わらないアミュレット・インターナショナル・コンサルティング社の所有するヴァージニア州西部の訓練場だった。

「長旅ご苦労様でした姐さん。」

発着場に降り立ったヘリの下降気流(ダウンウォッシュ)に揉まれながら、埃色の迷彩服に身を包んだ()()()()が出迎える。

「ん、朝早くから悪いな。それと姐さんは止めろ。」

「申し訳ありません。本来なら転送ですぐにでもお帰り頂けたのですが、技術科がガンツのバグを発見したためヘリを代わりに寄越しました。」

「アレももう古いからな。他に報告は?」

「遊撃隊長が先程戻られました。社長に直接お話したいことがあると。」

「分かった。アンタらは通常の業務に戻って。確か今日は午後からクライアントとの顔合わせがあるから忘れるなよ。」

まだ朝露で湿った空気と緑の匂いを潜って、自室兼仕事場である社長室に入る。そこにはすでに先客がいた。

「やあ、おはよう。はるばるベルギーまでご苦労さん。」

アミュレット社の戦術教官兼遊撃隊長を務めるコガ・タクミが、ソファでキーパッドに目を通していた。

「…ちょっと臭うんだけど。」

「え? そう?」

脇の下を嗅ぐタクミ。言うほどのことでもないが、僅かに鼻についた饐えた臭いが無意識に口にさせていた。

「おかしいな。念のために5回もシャワー浴びたんだけど。」

「後でもう10回入ったら? 先に報告だけ聞かせて。」

どっかりとデスクに腰掛け、ただそれだけ置かれたキーボードの指紋認証装置に指を沿わせると、正面に空中投影されたデスクトップが出現する。しかしこれはアキラのナノマシンを通じているもので、他人には見えない。その画面の向こう側から1枚の紙が差し出された。

()()()から入手した情報だ。苦労した甲斐があったよ。」

「また捕まってたのアイツ?」

「リビアの刑務所に潜入して2ヵ月探し回った。ぼくも何度か囚人たち(ルームメイト)に寝込みを襲われそうになったけどね。」

なるほど、臭うわけだ。汚物と腐臭で溢れ返った牢屋の中を、何ヶ月も耐えられるだけでも驚嘆に値する。それでいてこちらの時間帯を察して、疲労を見せないのがタクミらしかった。

「…アンタ、ちょっと痩せた?」

「…ああ、そりゃ何回かご飯抜きのときもあったから。」

ただでさえ不味くて量も少ないのに、その上お預けを食らったのなら仕方ない話だった。今度厨房にカロリー重視のメニューを打診しておこう。

「で、情報は-」

「その前に。」

アキラの催促を遮ってタクミが近づいてくる。何をするつもりなのかは見当がついていたが、まだ社長としての時間は続いている。

「私も疲れてんだけど。」

「だけど2ヶ月も閉じこもってたんだよ? 少しくらいご褒美が欲しいな。」

まったく、いつからコイツはこんな口を聞くようになったんだろう。ヨコスカにいた頃はまだ初心なところがあったのに。でもまあ、頑張ってくれたことには違いない。それに自分のことを枕営業呼ばわりしたモンゴメリーが、やたらと体を触って来た嫌悪感もある。ストレスの発散という意味では、アキラも捌け口が欲しかった。そして、それを許せる人間は1人しかいない。

「1回だけだからな。」

返事の代わりに唇を寄せてきたタクミに腕を回しながら、アキラは扉の鍵を閉めた。

数時間後、ベッドの上でタバコを咥えていたアキラは、定例会が始まる時刻が近いのを思い出し、身支度を始めた。あまり吸うわけではないものの、企業のトップとして多忙な毎日を送る中で、自然と持ち歩くようになっていた。計ったようにタクミが現れ、サイドテーブルにサンドイッチとコーヒーが置かれる。先にシャワーを浴びてきたせいで、まだ髪が濡れている。

「君の調査結果のことだけど。」

カーゴパンツのみの姿でタオルで頭を拭くタクミの顔は、以前と著しく変わっていた。何の変哲もなかった黒髪は地獄の経験のせいか色素が抜けて新雪のように真っ白に変わり、今はない右目は海賊風の眼帯が被さっている。磨き抜かれた上半身は戦いで付いた古傷や抜糸の跡があちこちにあったが、肩の付け根は奇妙に肉が盛り上がり、縫合された証拠である縫い目が残っていた。

実はタクミの腕の皮膚は移植されたものだった。ターナーの追撃任務で両腕を失ったタクミは義手を装着したが、機能性を追求したあまり機械そのものの外見になってしまい、流石にマズいということで人工的に培養した皮膚で擬装する案を受け入れたのだ。元々義手もT-800の技術を流用していたので、コンセプトは合致していた。

「ああ、モンゴメリーならボウズだった。アイツはシロよ。あ~あ、無駄足だった。」

「まあ、毎回博打みたいなやり方だからね。これでリストの照合は終わりか。」

朝日が白い髪に付着する水滴に反射し、キラキラと輝くのを思わず見入っていたアキラは、慌ててコーヒーを含んだ。

「…相変わらず美味しいわね。アンタが淹れた奴は。」

芳醇な豆の匂いが鼻腔を満たし、深みのある苦みが喉を通り過ぎていく。機械では出せない味が疲労を和らげていった。

「コーヒーを上手に淹れられると軍では重宝されるからね。そこら辺も徹底的に叩き込まれたよ。」

誰に、とは言わない。隣の部屋にある私物らしい携帯コンロとソースパンを覗きながら、やや薄くなったコーヒーを飲み干す。ついでに散らばっていた衣服を取り上げるが

「あ…」

「どうしたの? あっ、このスカート裾が破けてるじゃないか!」

「格闘中に動きにくかったから、つい、な…」

「つい、じゃないよ。これオートクチュールだよ!? 折角プレゼントしたのに。」

「悪かったよ。お詫びに今夜はサービスするから。」

 

西暦2027年、世界は再びスカイネットに焼かれた。極秘に開発された新型潜入用ターミネーターT-800が、潜伏先の都市で自爆テロを起こしたのだった。その人的被害は言うに及ばず、それ以上に人々の心に恐怖を植え付けた。

人間の皮を被り、人間に成りすまして、社会に溶け込むターミネーター。表面上は皆平静を装っていたが、一度体験した恐怖はそう簡単には消滅しない。小さく芽を出した黒い双葉が徐々に熟成され、人々の生活圏に気づかないスピードでゆっくりと根を張り巡らせていく。

逆に突飛な行動に走るケースもあり、酷いものでは疑心暗鬼に駆られて妻の顔を骨が剥き出しになるまで引っ掻いたり、怪しいという理由で無実のホームレスをリンチし元の形に繋ぎ合わせるのが難しいほど切り刻んだ事件もあった。

機械の化け物との戦争が優勢のまま膠着して、油断し切っていた時に食らった手痛いカウンターだった。新たにスカイネットが放った()()()()()()と対峙することになった世界は、偶然にも21世紀初頭に始まった非対称戦の時代に巻き戻った。

T-800の潜在的危険性を危惧した先進諸国はガンツの優れた処理性能を利用し、厳格な個人情報管理体制を敷くことで、テロの脅威から国民の安全を保障するシステムを構築した。今や街を歩けば必ずと言っていいほど黒い球体が目に入る。

一方、世界の守護者たる抵抗軍はこの災厄を未然に防ぎ切れなかった失態から、世論の反発を招き大規模な軍縮に踏み切るを得なくなった。その結果、抑え込んでいたターミネーターが盛り返し、必然的に後手に回る羽目に遭うという二重の失態を演じてしまったのだ。

では、その穴を埋めるにはどうするか。解決策を提示したのは民間軍事会社(Private Militaly Company)と呼ばれるカテゴリに属する者たちだった。スカイネットとの戦いにおいて圧倒的な物量と技術力に対し、ガンツを保有することで戦闘を可能にした抵抗軍だったが、比して人員も装備も劣るPMCは出番らしい出番もなく、日陰で細々と食い繋ぐしかない存在だった。

しかし、先のガンツの爆発的普及とあるプログラムが完成したことで、『安い! 安全! 使いやすい!』PMC本来の長所に栄光の日の光が当たり、縮小傾向にある正規軍に代わってPMCは再び戦場の主役となった。

「で、どうするんだコイツらは。」

訓練施設の高台からカザマ・ダイゴがやや呆れて呟く。A.I.C.社の専務に籍を置く彼は若くして才能を発揮し、社長のアキラを様々な形でサポートしてきた。天賦の統率力から当初は組織のトップを任せても問題ないと思われたが、ぼくを始めとするREX隊員の中で本格的に経営学を学んだのは少数派だったので、今の役職に就いたというわけだ。

けどカザマは予想に反してメキメキと仕事を覚えていった。今じゃ世界中に散らばった調査員(モール)を通じて入手した情報を評価・査定する特殊監査科も束ねるチーフだ。それでいて未だに超一流の戦闘要員であるのだから、ただただ頭が下がるというものである。

失った右腕をぼくと同様義手と人工皮膚で補い、かっちりとしたスーツに窮屈そうに収める大きな背中に語った。

「何とか置いてあげることはできないかな。」

「気持ちは分かるがウチはNGOでも学校でもない。会社だ。タダ飯食らいを置いておくわけにはいかん。」

窓ガラスの下では10人ほどの少年少女が行進を組んで走らされていた。まだどれも若く学生(ティーン)特有の幼さを感じさせる。彼らはぼくがリビアに出向いた際に、牢獄で知り合った反政府勢力の一員だった。その多くは難民や貧民街の出で、盗みで生きてきた子供たちだった。彼らは自分達を青少年奉血親衛隊と名乗ったが、要は基地内の雑用や銃後のお守りが仕事の便利屋集団の性格が強い。

ガンツの徹底した管理体制によりT-800のもたらした世界的混乱は収まりつつあるけど、全部が全部という訳じゃない。恐怖というのは中々に折り合いが難しい感情なのだ。特に元からそういったものが蔓延っている場所では。

ぼくが言い渡された任務は同地の収容所に捕らえられたある人物を救出することで、その折に目端の利く彼らを誘い込んで利用したというわけだ。その見返りにと言っては変だけど、彼らの中である条件に適った者に居場所の提供を図った。

「そもそもアキラから許可は取ったのか? 話してないと後が怖いぞ。」

「このうちの見込みがある子をGUNQLVERS(ガンクルヴァース)で鍛える。承諾をもらうのはそれからでもいい。」

「確かに適齢期ではあるが…素人に先頭を任せるなんて、他の奴らが納得するとは思えんがな。」

「アミュレットが軌道に乗りつつあるのは知ってるよ。それは裏を返せば余裕があるってことだ。後進の育成を考えるのも損じゃないだろう?」

「やけに入れ込むな。あの中にお気に入りでも出来たのか?」

勘の鋭いカザマはぼくが何を言いたいのかを察したようだ。チラリと窺う視線を向けたカザマの下で、黙々と走り続ける子供たちを眺めながら

「まあね。」

とだけ答えた。

 

「では定例会議を始める。各自着席してくれ。」

さして狭くも広くもない会議室の一室で、アキラの号令により集った全員が腰を下ろす。ぼくにとっては2ヵ月ぶりの出席だ。尻の下に懐かしい革張りの感触がある。まずは技術科長のナイジェル・ケイブスが、むさ苦しい無精髭を蓄えたまま報告する。

「えー、今朝方確認されたガンツのバグですが、先週のアップデートで発見された不具合に関連があると結論が出ました。現在改修作業に取り掛かっており、本日中には復旧する模様です。」

続いて戦術科教導班を任されているマーカス・クロッソンが挙手する。20年以上ターミネーターとの戦いに明け暮れたベテラン中のベテランでも、寄る年波には勝てず会社の創設と同時に一線を退いていた。

「その件につきまして予定していた選抜試験を繰り下げることになりました。詳細な日程は後日お知らせします。それとシェリー・セシル教官から、コガ教官に言伝を預かっています。」

言伝? 今は別の仕事でこの場に居ない金髪の同僚を思い浮かべる。担当している訓練の引継ぎは済ませておいたから、その結果報告だろうか。

「お願いします。」

「『新しく連れてきた子たちはどうするの?』だそうです。」

何故か部屋の空気が冷たくなったのを感じた。打ち合わせしたように居合わせた面々は一様に押し黙り、目を泳がせる。そしてその中で最も冷たい位置―上座に、ぼくは壊れたロボットのようにギギギ、と首を動かした。

「へえ、『新しく』、ねえ…」

社交用のビジネススーツから、社内訓練用の野戦服に愛用のイージージャケットを重ねたアキラが、微笑を湛えていた。本人曰く『着慣れてるし動きやすいから』という彼女らしいドライな理由だが、今はそんなことはどうでもいい。表情こそ穏やかだが、目が全く笑ってない社長に戦慄を覚える。背後にオーラが漂って見えるのは見間違いではなく、ぼくはシェリーに根回ししなかった自分を痛烈に罵倒してやりたかった。

「コガ、アンタは()()やったのか?」

ドスの利いた声音が氷の矢となって突き刺さってくる。公私混合を良しとしないアキラは、仕事では職員を名字で呼ぶことが多いけど、このときは本当に上司という立場を意識させられた。

「その、出張先で接触したグループに取引材料として、ウチへの就職を…」

「でも私には言えないからGUNQLVERSを使って、使い物になりそうなところでお披露目…大方、そんなとこだろ。」

「ど、どうして…」

「何年の付き合いだと思ってんの。…ったく、仕事熱心なのは良いけどな、そうホイホイ色んな奴を連れてくる癖は直して。この前なんてクライアントの護衛を無理矢理勧誘しただろ。」

「自分の立場は理解しています。しかしGUNQLVERSの有用性が証明されている昨今、我々も対抗手段を持たないとだめなのです。我々の目的のためにも―」

「社長、ここは一つコガに任せてみてはいかがでしょう?」

加熱し始めた議論を止めたのは、カザマの一言だった。先の雑談で難色を示した素振りを毛ほども表さず、冷静な一石を投じる。

「コイツを庇う根拠は?」

「我が社の志願者の採用には、非公式ですが彼の采配が大きく影響します。戦場を誰よりも知っている点では、その観察眼は確かです。加えて社のイメージアップ戦略として、今後は治安部門改革(SSR)の一環に戦災孤児の社会復帰支援を企画すべきと考えます。GUNQLVERSの使い道は戦闘訓練だけではありませんから。」

市場拡大を踏まえたもっともらしい見解に、アキラも腕を組んで逡巡する。暫しの黙考の後、決定が下された。

「分かった。この件についてはコガとカザマに任せる。1週間後までに稟議書を提出するように。他には?」

「コガ教官の調査について、特殊監査科から報告が上がりました。この情報は非常に機密度が高い案件なので、ヴァーチャル通信を具申します。」

カザマの要請に頷いたアキラが専用のコードを入力すると、各席のノードがせり上がり要請を承認するための確認画面が表示される。長時間点灯して僅かに温かい電子パネルに手の平を置くと、体内のナノマシンがノードと同期して、会議室がロックされ秘匿暗号回線に切り替わった。

「まずはこれをご覧ください。」

ノードから網膜に直接投影された映像が映り込む。市場(バザール)の合間で雑多に入り乱れる人の波。グネグネと蠢く茶色い群れの中で1個のアイコンが点滅し、スクロールした画面がある男の顔を拡大する。顔の半分を覆う髭、落ち窪んだ双眼は眠たそうに半開きになっており、大きく張り出した鷲鼻がコーカソイド系の特徴を主張している。

「男の名前はピョートル・フィリモノフ。もちろん偽名で、本名、国籍共に不明。チェチェン人を自称し祖国の真の独立を謳い、テロ行為を繰り返す国際指名手配犯です。これまでに爆破事件を3回、ハイジャックを1回。まさに真性の外道だ。」

吐き捨てるように溢した語尾が、小さな尾を引いて通り過ぎる。仕事柄このような連中を相手にすることも珍しくないが、ぼくが気になったのはそいつの隣にいる女性だった。深くフードを被って人相は分からないが、この映像を記録したカメラに向かって、真っ直ぐ目を相対しているように見える。この男の仲間だろうか?

「フィリモノフは現在東欧のスミロア共和国に潜伏中。内戦に紛れ込んで反政府軍を支援し、政権転覆を狙っています。同国は15年前に民主化を果たしましたが、政治的腐敗が原因で軍部がクーデターを画策。事前の内偵で計画は頓挫し軍部は解体されましたが、離反した過激派が抵抗を続け、周辺諸国の不安定な情勢に便乗する形で貧民層も反旗を翻し、完全な混乱状態にあります。さらにフィリモノフは外部からPMCを雇って、戦場に投入している模様です。」

と、ここまではさして珍しくもない紛争地帯の説明だったわけだけど、次の一言で空気がざわついた。

「コガ教官の情報と我々特殊監査科の調査の結果、このPMC『サイグリー・エクストラ社』はゴールドスタインとの繋がりがあると予想されます。数日前には鹵獲機と思われるTシリーズの一群が確認されました。」

先のテロの影響で訓練以外ではT-シリーズの運用は全面的に禁止され、開発されていたソフトウェア群も凍結されて久しい。それを敢えて使っているのだとしたら、裏には相当の規模と技術力を備えたバックグラウンドが必要だ。

ゴールドスタイン。旧ディズニーワールド、暴発寸前の原子力発電施設の中で今際の際にターナーが遺したダイイングメッセージ。この会社を立ち上げてからぼくらは幾つもの任務に臨み、様々な標的と対峙してきたけど唯一変わらないものがあった。目的は不明、規模も不明。ついでに言えば名前だって本当かどうか疑わしい。

しかしスカイネット=ガンツを倒すためには、どうしてもこの名前の素性を明らかにする必要があった。これまで関わった7回の作戦のうち4回にその名が現れたけど、現状が示すとおりどれも失敗に終わっている。それでも失敗を重ねるたびに逐次情報を整理し、アミュレット社の総力を傾けることで分かったのは、それが組織を現していること、世界中に網を張って各地の紛争に介入していること、この報告のようにPMCを含む軍産複合体と密接に繋がっていることだ。

「そこで我々は共和国暫定政府の要請を受けた国連を仲介に、同国の正規軍-名前だけですが-の支援を委託されました。今回の平和維持活動(PKO)の一環として、多くの赤十字、ボランティア団体関係者が現地で人道支援を行っており、要人警護に多くの()()()が参加しています。無論、我が社も安全保障を主軸とした活動を請け負いましたが、恐らく反乱分子との戦闘業務を最優先で遂行するでしょう。」

「雇われ者同士の代理戦争か。」

ここ数年PMCが急速に台頭してきた故の必然。ナイジェルが憂いた顔で補足する。ぼくは自分に下される指令を待った。

「コガ、早速で悪いけどアンタには別の仕事をしてもらう。フィリモノフはサイグリーの他にも現地のPMC(下請け)も契約しているから、そこに潜り込んで奴に接近して。新しい身分証とプロファイルは用意してあるから、しっかりと覚え込むこと。」

3ヶ月ぶりの()()に腕が鳴る。REXに再招集された時点で中東での反省から、ワグナー中佐の配慮によりぼくの個人情報はこの世から完全に抹消され、存在しない人間(インビジブル)となっていた。その特性を活かしてこれまでにも公には出来ない任務や、情勢が複雑な地域に密かに潜入して情報収集に勤しんでいた。奇しくも肩書が遊撃隊長なのだから、皮肉にも程がある。

「現地までの足はこっちで手配する。いつも通り表向きのサポートは不可能だから、私たちが関わっている証拠は絶対に残さないように。」

深く頷いたぼくと視線を合わせると、アキラはおもむろに立ち上がった。

「全員聞いて。この4年間、私たちはゴールドスタインの尻尾を何度も掴み損ねて来た。でも、次は違う。正真正銘のラストチャンスになる。必ずサイグリーの裏を暴く!」

西暦2034年、世界はまだ戦争から解放されていない。



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50.ヴァイオレット

「お願いします。自分も連れてってください!」

「そうは言ってもな…」

日課のトレーニングを終わらせ各部署の調整会議に向かう途中で、誰かが言い争ってるのが聞こえそっと伺ってみると、職員の1人に青年が詰め寄っていた。何だかひどく慌ただしい。物陰で良く分からないが少なくともここでは見ない顔だった。

時刻を確かめ余裕があるのを確認したアキラは、興味を引かれて立ち寄ることにした。足音を聞いた職員がこちらに気づいてサッと敬礼する。一方の少年は決まり悪そうに顔を横に逸らしていた。

「お疲れ様です姐さん。」

「社長だ…どうした?」

「それがこのガキが今度の遠征にどうしても行かせろって聞かないんです。」

青年はかなり若かった。まだ少年と言っていい。短くまとまった黒髪の下は小麦色の肌に覆われ、きりりと吊り上がった目は細面の輪郭とマッチして、少年の眉目秀麗な顔立ちを際立たせていた。舞台に上げたら主役が務まるくらい二枚目だ。

へえ、かわいいじゃん。

少し優しめに尋ねてみた。

「新入りさん? けど今期の募集人員にアラブ系なんていたかしら?」

すると少年は背筋をピシッと伸ばして折り目正しく敬礼してみせた。中々どうして堂に入ったものだ。

「申し遅れました。自分はハリル・アリー・スライマーンと言います。自由リビア軍(LPA)青少年奉血親衛隊所属。階級は少尉です。」

なるほど。タクミが連れて来た連中の1人か。現在治安が泥沼状態のリビアは、()()()()()()()()()()()()()()T()-()8()0()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、反カダフィ勢力と激しい対立を続けていた。噂では最前線に子供が投入されているとも聞く。彼も恐らくその1人なのだろう。

「ハリル君ね。歳はいくつ?」

「17であります。」

「あら、そうなの。その歳で少尉さんに任命されるなんて、よっぽど活躍してきたんでしょう。すごいじゃない。」

「…いえ、実戦経験はありません。自分はずっと後方で先任方のお世話をしていました。」

悔しそうに渋面を作り拳を握り締める。

「そうなの? だったら悪いけど答えはノー。いくら階級があったって戦い方を知らない人に命を預けるわけにはいかないの。別に君は社員じゃないし、本当なら然るべき機関でカウンセリングを受けるべきよ。」

「し、しかしコガ教官はアミュレット社に来れば、いくらでも戦わせてやると…!」

同行の口実を探そうと必死になるハリルに、微笑を崩さないままアキラは胸の中で舌打ちした。あのバカ、口から出まかせ言いやがって。

「GUNQLVERSで200時間は訓練しました。スコアテストも要求値をクリアしています。戦わせろなんて言いません。見るだけで良いんです。決して邪魔はしませんからどうか―」

全部言い終わらないうちにハリルは顔の中心が潰れた感触を味わった。アキラがジャブを放ったからだった。クラクラと頭が揺れて膝が勝手に地面に着く。ピチャピチャと漏れる鼻血を抑えながら、アキラを睨むとさっきまでの穏やかな目はどこにもなかった。

「ハイ、死亡。私がターミネーターだったら、アンタ首が無くなってるよ。」

「…話の途中で殴られるなんて普通思わないでしょう。」

「そう、その普通って思ってる時点でアンタは犬死に確定なの。戦場ではいつどんな危険が来るか分からない。工事現場に突然放り込まれたのと一緒。ウロウロしてたら鉄骨が落ちてきて、死んでしまうかもしれない。目の前の奴がいきなり殴りかかるかもしれない。そういう危機感を最低限持ってないと、1分もせずあの世行き。少なくともここの連中は同じことしたら、防いで反撃くらいはしてくるよ。」

何も言えず俯く頭にポン、と手を重ねて続ける。

「分かったらもう戦いたいなんて言わないで。辛い過去があるかもしれないけど、アンタはまだ若いんだから。私の知り合いに体力のある子が欲しいって人がいるから、そこを紹介してあげる。ちゃんとした堅気の仕事だし、信頼できる会社だから安心して。」

「ほら立て。行くぞ。」

傍らの職員が腕を引っ張って立ち上がらせる。まだ下を向いたままの頭にもう一度手を乗せて踵を返したアキラは、その瞬間首筋がチリチリと灼けるのを感じた。踏み出した足をそのまま反転させて、手持ちのボードを顔の前に持ってくると、ガツンという感触が伝わった。ハリルの拳が当たったのだ。

「…何のつもり?」

ハリルは俯いたまま答えない。荒く上下する肩が次第にしゃくり上げるようになり、頬に伝わった涙が地面に落ちる。ハリルは大きく振りかぶって打ちかかってきた。子供とはいえ、力はそれなりに強い。勢いに任せてがむしゃらに迫る攻撃を受け流されながら

「オレには帰る場所がない! 父も母も妹も、皆アイツに、あの男に殺された…!」

「それで家族のいないハリル君はどうしたいの?」

「強くなりたい…! 強くなって取り戻したい!」

そう言って打ち込み続けるハリルに、アキラはある何かを感じていた。その凄まじい決意はもちろん、拳の振り方が変わってきた。プロの殴り方には程遠いが妙に良いポイントにパンチを持ってくるのだ。感情が昂ってるときにこんな体の運び方が出来るのは、この少年に宿る才能の片鱗なのかもしれない。これ以上は面倒なので迫る拳に手を添えて軽く引くとハリルの体は鮮やかに一回転した。

「ったく、鼻息の荒いガキが一丁前に…タクミの奴、また変なの連れ込みやがって。コイツを手当てしてやって。終わったらセシルに連絡を。新しい玩具が見つかったぞ。」

 

その日、他の兵士と同じように装甲車の奥に詰め込まれたぼくは、中空を見据えたまま動かなかった。ただ意味もなくボーっとしていたわけではない。目に点した点滴タイプのナノレイヤーから形成された拡張現実(オルタナティブリアリティ)が網膜に映し出す、今話題の映画の予告編を鑑賞している。

4年前の自爆テロ以降、世界中で反機械(アンチマシン)運動が流行した。それが無論ターミネーターのことを指しているのだけど、一過性の風邪と同じように割り切っていた治安機関は、少しばかり過熱した運動を過小評価していた。

銃を捨てようという反戦キャッチコピーから、鉄ではなく自然由来の物を使おうというエコキャンペーンまで。日常非日常問わず呼びかける効果は次第に熱を帯びて、昨年は各国の鉄鋼産業の利益高が平均で2%減少というかなりの大打撃を与えている。

しかし未だ生活の大部分を支えている機械類は、そう簡単に消えることは無い。ぼくが傍らに立て掛けているAKはもちろん、どこかの家庭では今日も洗濯機が回っているし、エアコンが室温を快適に保っている。明日の御飯を用意するために母親たちが使うフライパンも、金属製が多いのに変わりはない。

一方で反機械運動の影響で急成長する業界があった。生物工学(バイオテクノロジー)だ。自然と人工物をミックスさせたこの一大産業は、機械が駆逐されてできた空白地帯を瞬く間に埋め尽くしていった。一昔前に賑わった万能細胞やさらに昔に物議を醸したクローン製法。今ではSFの話だったナノマシンでさえ、ありふれたツールとして世間に浸透している。

その最たるものの一つがぼくの使っている拡張現実(オルタナ)だ。眼球を覆うレイヤー状のナノマシンが目の動きから生じる細胞の電位差を読み取り視覚を補強してくれたり、ネットワークに繋いでの情報収集やセキュリティの媒介を果たしている。一般的にはコンタクトレンズ型が普及しているけど、戦闘用のは激しい動きでズレてしまう可能性があるから、点滴タイプのものに改良されている。

「オッさん、おいオッさん。」

一番見どころの場面で聞こえた別の音源がぼくを現実に引き戻す。動画で見えない向こう側―ぼくの真向かいに座っていた若い男が威嚇するように睨んでいた。

「さっきから何こっち見てんだよ。オレの顔に何か付いてんのか?」

「ああ、いや、すまない。歳なのか物思いに耽ることが多くてな。」

「…次にオレと目を合わせてみろ。殺すぞ。」

ぼくがオヤジ呼ばわりされるのは、顔に被っている変装マスクのせいだ。特殊な複合素子で出来たそれは事前にテクスチャを入力することで、多種多様な顔を表面に映し出せる優れもので、本来は諜報用に開発されたものだった。今のぼくは現地の民兵として参加した流れ者だ。大手のPMCと違って書類審査も杜撰なものだった。

決して座り心地が良いとは言えない装甲車の中は、兵士たちの吐き出すタバコの紫煙に満ちていた。どいつもこいつも虚無と恐怖を半々に宿した双眸を虚空に据えたまま動かさない。彼らはもうすでに戦っているのだ。これから対峙するであろう狂気に。腸をミキサーみたいに掻き回す銃弾に。1秒後にはやって来るかもしれない爆弾の衝撃に。それらに委縮してしまう自分自身に。

彼らの装備の大半は旧時代の軍隊がそうだったように、かさばって動きにくい防弾チョッキに、中国やロシアで大量にコピーされた突撃銃で、この装甲車も最新の衝撃吸収材が織り込まれている先進国のそれとは違い、昔ながらの化石燃料で動く鈍重な鉄亀だ。

抵抗軍が正規採用しているガンツウェポンは見当たらない。いくらガンツが民間に普及していても、武器類の取り扱いは厳しく制限されており、運用には相応の資金力と深い知識が不可欠だった。現在戦場で最先端のファッションとして流通しているナノマシンにしても、彼らが用意できるほど安いものではない。

ガタガタ響く兵員室の中で遠くからヘリの羽ばたく音が聞こえた。政府側の偵察機だろう。今頃は相手はもう送られた情報を基に万全の布陣を敷いているはずだ。案の定、装甲車が戦場の廃墟に到着して扉が開いた数秒後に、乗り合わせていた何人かが粉々に砕け散った。

政府側に雇われたPMCの攻撃だ。破壊力からしてガンツの武器だった。この作戦にはアミュレット社も政府軍に加勢している。ぼくの行動を知り得るのは上層部のみなので、拡張識別装置(XIFF)を持ってないのは仕方ないが、味方に誤射で殺されるのだけは避けたい。

少しでも撃たれる確率を下げるために、どさくさに紛れて最寄りの遮蔽物に身を隠す。パーティー会場はすでに先客で一杯だった。首から上が宙を舞い、手足を貫かれた体が絶妙にターンして横臥する。そういえばここに着く前に、いくつかの死体に野鳥が列を成していたのを思い出した。

さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ここだけの大決算セールだよ。胃腸、心臓、肝臓、腎臓、膵臓に胆嚢。今ならサービスで膀胱も付いてくる! そこのカラスの奥さん、ちょっとこの角膜味見しないかい? 曇天の下で堂々と取引される秘密の商売。良いのか悪いのか銃火がリピートされまくる現在地では望むべくもない。

Xガンの透視能力をやり過ごすために配布された灰色の擬装フードを目深に被り、空を仰ぐと使い古されたティルトローター機とエアバイクが制空権を巡って撃ち合っていた。数の上では反政府軍に利があるが、性能差は圧倒的だ。

秒単位で落とされていくローター機の中で運良く掻い潜った1機が、ハッチからコンテナを投下した。鈍い地響きを立てて落ちたそれから出て来たのは、ターミネーターの一群だった。過去の戦闘で鹵獲したものだろう。次々と人体が破裂していく戦場に足が竦んでしまう人間を尻目にT-600が行軍していく。ビンゴだ。間違いなくこの紛争にはゴールドスタインが関わっている。

ぼくは形だけでも応戦するために黒いプラスチック製のライフルを構えて引き金を絞る。着弾したのとは別の地点から鋭い気配を感じ飛び退くと、さっき頭があった箇所を一条の熱い塊が貫いた。敵の狙撃手―正確には味方だけど―は中々巧妙な位置に陣取っている。素早く射程から逃れると、今度は奇妙な鳴き声が聞こえた。蝉のような牛のような、しかしどちらにも聞こえない不思議な声。

その意味を悟ったぼくは瓦礫の下に身を潜らせ、気配を消して鳴き声の主が現れるのを待った。そいつはすぐにやって来た。オリーブドラブの袋にソーセージの如くパンパンに詰まった人工筋肉の二本足に、不釣り合いなほど小さい四角いコンピュータの塊を乗せて。圧倒的な跳躍力で建物の谷間を飛び越えて、ぼくの目の前に降り立った。

「ヤモリだ…!」

そう言って叫んだ1人は二本足の俊敏すぎる回し蹴りを食らって、全身を奇妙な角度に捻じ曲げられて瓦礫の向こうに消えた。悲鳴を上げて撃ちまくる民兵を、まるで蟻のように蹴散らしていく無人の二足歩行兵器。有機と無機が混在した不気味なデザインは見る者を畏縮させるのに的確なサイズに設計されている。

これも抵抗軍の軍縮の賜物だ。現在の戦場に投入される兵士の命というのはひどく高価であり、金持ちの軍隊ほど他国への派兵に世論は消極的だ。そこで削減された戦力を補填するために生み出されたのが、高度な自律プログラムを搭載し、遺伝子調整された人工筋肉を兼ね備えた無人機だった。

このヤモリ―商標登録上の名称はIRVING―もその1つだ。兵器開発事業において代表的なアームズテック(AT)社が製造した最新鋭の掃討支援機。対テロ戦を意識した軽量化と高機動化、RPGにも耐える堅牢な装甲とミサイル、機関銃、爆弾などの豊富なオプションパーツを売りにしており、実質的な稼働数は戦車をも上回るほどだ。

「航空支援を要請しろ!」

「ダメだ! まだ撤退が完了してない!」

「各自散開しろ! 地下に潜れ!」

銃声と怒号が織り成す殺戮の嵐の中で、ぼくも無線を開く。

「ローガンよりCP(コマンドポスト)。潜入中だが戦闘代理機械(サロゲート)と遭遇した。脅威排除のために全兵装使用自由を求める。聞こえるかCP?」

『こ、こちらCP! 要請を確認。少々お待ちください。』

「あれ? 見ない顔だね。新人さん?」

通信と同期したオルタナが通信士(オペレーター)の顔を投影する。焦げ茶の瞳と片側に流した同色の髪、顔立ちはハッキリしているが、まだどこか幼さを感じさせる風貌だ。

『は、はい! 本日付で観測班に配属されたモニカ・ペレイロと申します。今回の任務でアナタの専属オペレーターを務めさせていただくことになりました。』

「ケイブス技術科長は?」

今回のような仕事でいつもサポート役に徹するウィザード級ハッカーの姿が見当たらない。モニカ嬢はあたふたと通信履歴をスクロールして

『主任は戦術情報の整理で現場の指揮官と討議中です。お、お繋ぎしますか?』

「いや、良いよ。戦況の方はどうなってるの?」

『えーと、政府軍の待ち伏せ攻撃(アンプッシュ)でフィリモノフ側は地下に隠れました。全体的な掃討率は25.6%です。あの、遊撃隊長…』

「ん? 何だい?」

『私、今回が初の実戦なんです。ケイブス主任には大丈夫だって言われたんですけど、やっぱり不安で。ついさっきもやけ食いでパイを2切れも…アッ、ゴ、ゴメンなさい! 任務中なのにこんなこと―』

バタバタと腕を振って弁解するモニカだったが、その仕草が逆に可笑しくて口元が緩んでしまう。

「心配しないでペレイロさん。ナイジェルが太鼓判を押したんだったら、ぼくはアナタを信頼するよ。緊張するのは仕方ないけど、最初は皆そんなものさ。君のところの上司だって出撃前日に倉庫の酒をかっぱらおうとしたんだから。」

『そ、そうなんですか?』

「うん。でもバレちゃって体罰食らっちゃったんだけどね。ぼくも巻き添えに。」

あちゃあ、といった苦笑いを浮かべたモニカに連られて、ぼくも苦笑する。相変わらず外はうるさいが、今のところは動かない方が良さそうだ。ぼくは彼らの味方ではないし、どちらの正義にも与するつもりはない。どだい、戦争に正義なんてないのだから。

「ともかく君は必要な情報とナビゲートを頼みます。自信を持って。ナイジェルはいい加減な理由で采配するような人間じゃない。彼はペレイロさんに期待してるんだよ。もちろんぼくも。訓練通りにやればいい。」

安心させるように落ち着いて言い聞かせる。無論、言ってることは本当の事だ。いつもと違ってこの作戦はぼくらの目的上、非常に大きな意味を持つ。そこにこんな子をサポートに回すのだから、恐らくは相応の技術を持っている―または持たせる価値のある存在だ。網膜に映った不安に沈んでいた表情が少し明るくなる。

『ありがとうございます。それと私のことはモニカで結構です。でも意外。遊撃隊長さんって割とお茶目なんですね。見た目はおじさんっぽいのに。』

1日で2度もオジン呼ばわりされるのは勘弁してもらいたかったぼくは、懇々と自分が25歳のうら若き紳士であることを彼女に説いた。

 

数日前―

黒い玉が青い光を吐き出すと、折り目正しくスーツを着込んだ一団が姿を表す。上下黒のビジネススタイルに隙なくネクタイを締めた姿はとても無頼な傭兵集団には見えない。他にも似たようなのがちらほらと、ここスミロア共和国の最前線基地に集結していた。

「雇われ兵さんたちは時間には正確なようですな。」

「彼らは傭兵ではなくPMCの社員(コントラクター)だ。言葉遣いには注意しろよ。」

4WDに乗って会話しているのは共和国国防軍の少佐と中尉だった。しかし皮肉げに呟く中尉もたしなめる少佐も似たり寄ったりな口調だ。

「あくまで文明人を気取るのは分かりますがね。呼び方が変わっただけで、中身は大して違いないでしょうに。」

「だが彼らのお陰で今回の作戦を遂行できるんだ。そのことに異論を挟む余地はない。」

事実そうだった。反体制派の半数以上がこの国の元軍人で構成されているのに対し、新政権の下で再編成された国防軍の大半はほとんど実戦経験のない新兵ばかり。その指導役にも他国のPMCを招いているところからして、この国の懐事情が窺い知れるというものだ。経験がある者にしても少佐である自分を含めても、ほんの少数なのだから情けない。

これまでは散発的なゲリラ戦で終始していた反政府勢力との戦いは、ガンツの制御権限を握っていた国防軍と払い下げられたAT社製の無人機で対処できていた。しかしかの悪名高いフィリモノフが背後に立ったことで、戦況は一変した。ガンツを保有する有力なPMCの参戦と禁止されているはずのターミネーターの投入。性能の差が埋まってしまえば数と経験で押し込まれるのは目に見えていた。

そこで暫定政府の出した結論は、国連の協力を仰ぎPMCを招聘して、大規模な討伐作戦を展開することだった。仕方のないこととはいえ、背に腹は代えられない。国の窮地に誰もが納得した答えだったが、少佐は国連の提案したこの作戦が、当初から外注化(アウトソーシング)を前提に発注された点が気に喰わなかった。

PMC―Private Military Company―民間軍事請負企業の事業拡大は著しい。直接的な戦争遂行業務のみならず、兵器の整備と管理、正規軍への訓練や相談、医療品や弾薬の輸送、治安維持に必要な行政府庁舎、戦争犯罪者の収容所、元民兵たちの社会復帰キャンプの設営に警備。衛生面でも食堂で働く調理スタッフやクリーニングを請け負うサービスも存在する。

今や戦争に関する全ての分野にビジネスがあり、夥しい金の流れが氾濫している。その莫大な経済効果はあっという間に右肩上がりになり、留まるところを知らない。最早世界は戦争で回っていると言ってもいい。戦争を生業にする国際経済の立役者。それが一般的なPMCへの認識だった。

そんな連中にこの国の未来を任せる。軍のお偉方の算盤勘定は差し置いて、個人的な見解からすれば全くもって面白くない話だった。

「奴らも元々は血税で食っていた連中でしょう? そこからドロップアウトして腕を切り売りするなんて…自分は好きになれません。」

「聞こえるぞ。フラットになれ。」

ハンドルを切って格納庫に入る。何故かというとここに転送される者たちが少佐の担当するPMCだからだ。専用に宛がわれた舎内にはまだ人はおらず、外の乾いた寒風がゴウゴウと入り込んでくる。

「遅いですね。」

「事前に連絡は受けている。構わんさ…っと、来たようだ。」

眼前のガンツが一筋の光を放射し、人型の跡を形作る。眩い光が辺りを包み込むと、視界に飛び込んだのはA.I.C.のロゴを肩に刻んだガンツスーツに身を包んだ集団だった。その先頭に立っていたビジネススーツの人物がきびきびとした動作で歩み寄り、サングラスを外す。

「遅れて申し訳ございません。アミュレット・インターナショナル・コンサルティング代表、ナルミヤ・アキラです。」

涼やかな声と笑みで片手を差し出した女性社長に、一瞬気圧された少佐は我に返って握り直す。

「初めまして。貴社のお世話をさせていただくエフゲニー・ナザロワ少佐です。この度は我が国の支援にご協力いただき感謝します。」

「同じくラビ・カリャカ中尉です。どうぞお見知りおきを。」

「こちらこそお願いします。良いビジネスになるよう尽力いたします。」

華奢に見えて意外に堅い手の平に驚くと同時に、ある直感が閃く。確かめるために切り口を開いてみた。

「しかしこうして目の前にしても信じられませんな。こんな女性が特殊部隊上がりだなんて。」

「必要上の開示という奴です。実際にはすぐに辞めましたから。」

やはり噂は本当のようだ。アミュレット・インターナショナル・コンサルティング社。PMCブームに沿って設立された数多ある新興企業の一つ。実働部隊のほぼ全員が特殊作戦要員で構成され、抜群の練度と技量でどんな困難な依頼でも完遂してきた同世代の企業で最大の成長株。最近では設立4年にして、とある政府高官の視察中の警護を任され、同国の国家元首に謁見を許されたらしい。規模こそ中堅クラスだがこの業界に居る者として、その名を知らない人間はいないほどの有名企業だった。

「ですが社長自らお出でなさるとは恐縮です。」

「国連が直接依頼してきた仕事ですから。テロの脅威を再確認するためにも、私自身の目で戦場を見据えたいのです。」

「それは…」

「私もこの作戦に参加します。」

そして作戦当日、アキラは宣言通りに鎮圧部隊に混ざって、戦場を駆けていた。からりとした灰色の空の下、灰色の廃墟の谷間を、爆撃と銃雨を潜り抜けて敵陣に突入していく。後続の小隊長がZガンで障害物を潰しながら

「数が減ったからといって油断するな。確実に進んで行くんだ!」

了解(ラジャー)!…あの、小隊長。」

「何だ? もうママのパンケーキが恋しくなったか?」

「その、何故社長が自ら先陣を切っているのですか? 普通指揮官は後方で陣取っておくもんじゃ…」

不安げに尋ねる部下に小隊長は鼻で笑う。

「何だ貴様。ウチの社長(ボス)の伝説を知らんのか。」

「ええ、そりゃあヴァイオレットとか大層な渾名があるのは知ってますけど。でも、どんな意味なんすか?」

眼前で爆発が起こる。敵の高射砲に当たってエアバイクが墜落したのだ。爆風に巻き込まれないように身を伏せた部下は、巻き上がる炎の中で黒い影が空を躍るのが見えた。その影-アキラは両手に携えたYガンから射出されたアンカーを器用に操り、立体的な軌道を描きながら敵中のど真ん中に着地した。

あまりに鮮やかな登場に思わず見惚れてしまった民兵は、アンカーに絡めとられると同時に「上」に転送された。一拍遅れて事態に追いついた仲間たちがAKを派手に撃ちまくるが、アキラはカンフーかバレエのような動きであらゆる弾丸をかわし、死角に回るたびに二挺のYガンを撃ち1人、また1人と転送し、芸術的とも言える体術で戦闘不能にしていく。

「凄い…!」

前線司令部の一画、アミュレット社に割り当てられた区画で、ハリルも上空のドローンが中継する映像を前にして唾を飲み込むのを忘れていた。目の前で起こっていることが信じられない。この紛争に立ち会ってから数十分、並み居るPMCでも強豪揃いなアミュレットだったが、この社長と呼ばれる女は別格だ。比較にならないというより、比べること自体がおこがましい。

「お、やってるな。」

後ろからナイジェルが寄り掛かってくる。むさ苦しい髭の先が頬に当たって苛立ったハリルだったが、文句を言ってこの場を外されたら堪らない。1秒もしないうちに我慢という結論を導き出したハリルは

「どう訓練したらあんなに戦えるんですか?」

「何だ社長みたいになりたいのか坊主。だったら止めときな。アレは努力云々でたどり着ける領域じゃねえ。真似したら最後、怪我しておっ死ぬのがオチだ。」

「噂は本当だったんだ。」

「噂?」

「凄腕の二挺拳銃使いヴァイオレット。どんな鉄火場に放り込んでも残らず殲滅する戦乙女(ヴァルキリー)。自分の国の兵士もよく話してました。」

そう言いながらもハリルは彼女の戦いぶりに引っ掛かりを覚えていた。敵地の制圧時間が速過ぎる。通常のYガンならアンカーボルトを対象に撃ちつけた後でもう1回トリガーを引いて転送するプロセスを経るはずなのに、アキラのそれは命中した瞬間に転送が終わっている。

「社長の使っている銃、何か変わってませんか?」

「おお、よく気付いたな坊主。その通りだ。あのYガンはオレが社長に頼まれて改造した特注品よ。ボルトと銃本体の発射機構を改良して、自動的に転送する仕様に作り変えた。他にも真ん中の銃身にアンカー発射器を増設して、歩兵の移動能力を飛躍的に向上させた。まさにガンツが生み出したスパイダーマンって奴だな。」

誇らしげに胸を反らすナイジェルにもう一つの疑問を尋ねてみる。

「何でヴァイオレットなんです?」

「…あー、その話をすると社長は怒るんだが…お前さん、ミラ・ジョヴォヴィッチって知ってるか?」

「海賊販売のログは見たことがあるので一応は。」

「その女優が出演してた作品にウルトラヴァイオレットってのがあってな。社長の戦闘スタイルが映画で使われたアクションにそっくりなんだよ。それでいつの間にか主人公の名前を頂戴したのさ。」

「…随分といい加減な由来なんですね。」

「ニックネームってのは存外適当な理由なのが多いのさ。ウチの会社にもその手の輩がごまんといるからな。」

 

「ブエックシ!」

『ど、どうかしましたか?』

「いや、何でもない。誰かが噂でもしてたのかも。」

どこかで感じたことのある懐かしい状況(シチュエーション)にクスッと笑ったぼくに、モニカが首を傾げる。今ぼくは血で血を洗う危険地帯(ホットゾーン)を無事に脱出して、敵陣営のかなり奥まで潜入していた。事前に読み込んだレポートによると、サイグリー社の兵士たちはフィリモノフと一緒に旧市街地に陣取っているらしい。モニカの提示した指定ポイントはその数km手前の寂れたホテルだった。

「フィリモノフが現地入りしてから丸6日が経ってる。」

神秘的な声音で横から差し出されたマグカップを受け取り、コーヒーの苦みを味わう。熱く黒い液体が夜風に冷えた体に行き渡った。声の主であるシェリー・セシルも同じものを一口含む。戦術科でぼくと同じ戦術教官の肩書を持つ彼女は同科の第2部隊の隊長の顔もあるが、今回は部下たちを率いて戦線に参加するのではなく、先遣隊としてサイグリー社の動向を探っていた。

「ここ最近はいつもこの女と一緒にいる。人相はハッキリしないけど、体格はあるしスーツを着てるから戦闘員には間違いないと思う。」

彼女の提供してくれた画像データでは、フィリモノフ本人とフードを着込んだ人物が話し合っていた。ピントがボケて判別しにくいけど、定例会議でカザマが配った資料に映っていた女性と特徴が一致している。問題はまた別のところにあった。

「これは…子供?」

画面の端に周りと比べてえらく背の低い影があった。カーソルを合わせてピンボケを修正すると、予感は当たっていた。まだ幼い繊細な容貌にみずぼらしい服装が数えるだけで8人ほど。重なって見えない分も合わせると、まだいると分かる。

「サイグリー・エクストラ社。調べてみたけど中々きな臭い会社よ。登記上は南アフリカにあるけど、現地員が訪ねてみたら築40年の木造テナントがあっただけ。ペーパーカンパニーの性質を利用してやりたい放題。立ち直り始めた国に火種を撒いて戦いを再燃させ、復興に回されるはずの資金を絞り取る。麻薬や東欧の人身売買(イースタン・プロミス)にも手を染めてるみたい。」

「アウトロー同士が手を組んだってことか。類は友を呼ぶとはよく言ったものだね。」

軽蔑というより嫌悪が滲む横顔からカーテンの隙間に視線を転じてオルタナの各遠視機能を最大化する。常闇に溶けてほとんど見えなかった建造物の遥か先には、特徴的な5つのとんがり帽子が軒を連ねていた。中世に建てられたカトリック聖堂。奴らの根城だ。

「それはそうとローガン、また定期診断サボったでしょう?」

これまでと全く趣旨の異なる発言が、軽くぼくの動揺を誘った。ここですっ呆けても仕方ないので、早めにゲロった。

「だって面倒なんだもん。注射でナノマシン入れられるのも気味悪いし。」

「だからって代わりにアングラ経由のダミーを走らせていい理由にはならない。仮にもアミュレットの一員なら規則は守って。」

「ハア、四六時中監視される規則のどこが良いんだか。ぼくは御免だよ。他者に体を制御されて戦うなんて。」

「もちろん私だって必要最小限の規格しか承諾してない。だけどそれだけでも味方信号の確認は出来るの。そうしてくれれば私の仲間がああして失神することもなかった。」

シェリーが顎をしゃくった先には、先遣隊の隊員が1人寝込んでいた。というのも、ぼくが部屋に入り込んだ際に武装解除しようと銃を突きつけた彼を、逆に無力化してしまったからだ。いくら接敵時の基本とはいえ、条件反射で脳震盪を起こさせてしまったことについては深く反省している。

「…まあ、昔気質のアナタにこれ以上言っても無駄ね。コーヒーに仕込んでおいて正解だった。」

さらりと爆弾発言を繰り出したシェリー。ぼくはすぐに詰め寄った。

「仕込んだって何を!?」

「代替用のナノマシン。ナイジェルが改良したものをほんの少しだけ。GPSと体内コンディションのモニタリング機能しか付いてないから、戦闘に支障はないはず。モニカ、データは受信されてる?」

『え!? あ、はい。現在座標、水分量、カロリー消費量、血圧、脳圧、心拍数、血糖値…オールグリーンです。』

やられた。モニカの可愛らしい声が告げる可愛らしくない宣告にがっくりと項垂れる。これじゃあ何のためにシステムの制御下から逃れて、イスラエルくんだりまで行って高価な改造分子群を入手したんだか。

「冗談じゃない。すぐに外してくれ。」

でなければせめて抑制剤を、と思っていたがシェリーは

「無理。社長命令だから。」

という二言でぼくのあらゆる希望を断ち切った。




見たことのある人はお気付きかもしれませんが、全体的な描写はMGS4、MGRを踏襲しました。オルタナについても虐殺器官を引用してます。


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51.前線と後方と

『先程の戦闘でこの空域の敵戦闘機は全て排除されました。担当PMCはマロジェンタ・エアディフェンス社。使用無人機はAT社のスライダーです。空の安全は当社が責任を持って保障いたします。戦闘以外にも多様なニーズにお応えしますので、お気軽にお問い合わせください。マロジェンタ・エアディフェンス社でした。』

耳小骨振動式ナノマシンがオープンチャンネルから、女性アナウンサーの歌うような宣伝文句を拾い上げる。これを聞いた共和国軍の人間は次の戦闘でも契約するよう上層部に掛け合い、視察に訪れていた他国の軍関係者も似たような反応を示すだろう。しかしぼくがその場に立ち会うことは無い。今のぼくは仲間内にも知られない極秘任務の真っ最中で、これから敵の本拠地に殴り込みをかけるのだから。戦争の長期化を防ぐために、敵地の奥深くに潜入して頭をピンポイントで潰す。特殊部隊(REX)にいた頃によくやっていた手口だ。

『ポイントBを通過しました。レーダーも異常なし。凄いですねローガン。ステルスも使わずにサイグリーの監視網に一度も引っ掛からないなんて。』

モニカの感心した挙動がレイヤー越しに伝わる。頬を紅潮して興奮し切っている様は、憧れのアイドル歌手のコンサートで湧き立つファンと同じだ。とは言え、綺麗な顔した女の子にべた褒めされて、気分が良くなってしまうのは男としての性である。もっとも、慎重を期して5回ほど死んだのは内緒だけど。

「そ、そうかな? 別に普通だよこれくらい。」

『あ、ちょっと体温上がりましたよ。照れてるんですか?』

口元に手を当ててクスクス笑うモニカ。こんなやり取りが出来るんだったらナノマシンも悪くない、と早くも主旨転換しそうになったとき、新米モニターから質問が下ってきた。

『ところで隊長。さっきセシル教官からナノマシンを移されたとき、とても嫌がってましたけど、ナノマシンってそんなに悪者なんですか?』

「君はどう思うの?」

『わ、私? 特にいけないと思ったことはないですね。ちょっと値は張りますけど、コストを差し引いてもメリットは大きいと思います。っていうか、国連加盟国の大半が採用してますよ。これさえあればICカードや個人番号を持たなくても大抵の手続きはパスできますし。一部の国では公的関係者の実装は義務にさえなってますから。』

「PMCの契約者にも、ね。」

確かにナノマシンの情報管理能力の恩恵は計り知れない。世に出て数年程度にも拘らず、飛ぶ鳥を落とす勢いで普及したナノマシンは、同じく民間レベルでの運用が決定したガンツと連動して、史上類を見ないほどの完璧なネットワークを実現している。両者の存在は相互不可欠であり情報制御が徹底した今の時代で、この円環に組み込まれていない人間は圧倒的に少ない。もし着けていなければ、そいつは人間に擬態した殺人ロボットのラベルを貼られてしまっても文句は言えないからだ。

「抵抗軍、同盟国の正規軍、PMC…戦争で実際に活動する兵士にもこいつの服用は常識になっている。体内からリアルタイムで24時間監視することで、安全保障のマネジメントが大幅に改善されたからね。」

『従来から課題になっていた暴力行為などの防止のための、武器・兵器のID認証による管理でしたっけ。万が一業務規程を破ったりしたら、管理者側から強制的にシステムから締め出して、身動きが取れなくなる。』

「その通り。よく勉強してるね。でも、メリットばかりとは断言できない。特に戦場では。」

『どういう意味ですか?』

「ぼくがされたようにナノマシンが個々の兵士の体調データをシステムの中枢―ガンツに集積することで、中央司令部はミクロかつマクロでより正確な戦略的判断が可能になった。メディアの間では戦場浄化ってプロパガンダも出回っている。」

『お陰でPMCの派遣も容易になった。良いこと尽くめじゃないですか。』

「最初はぼくも同意見だったさ。仲間との連携や状況把握も上手くいったし、戦場の霧(フォッグ)に悩まされることも少なくなった。」

『ある程度感情を最適化することで、戦闘中の混乱も抑えられますしね。ウチは何故か機能を省略してますけど。』

「それだよ。」

『え?』

これまでうんうんと相槌を打っていたモニカが、キョトンとした表情を浮かべる。ぼくは続ける。

「戦争経済のせいで世界中に拡散した需要を満たすために、PMCは大量の兵士が必要になった。安価で優秀な兵士をね。一から訓練したんじゃ時間が掛かっちゃうけど、その点ナノマシンなら低コストで新兵でもベテラン級の戦果を挙げることが出来る。痛覚を制御したり恐怖をアドレナリンで打ち消して。意図的にコンバット・ハイにもなれる。」

『戦闘終了後の戦争神経症(シェルショック)の危険性を言ってるんですか? でもそれなら今の企業はどこもカウンセリングの体制を―』

「バックアップは整ってるし、催眠療法の効果も認めるよ。だけど、戦士の精神は自身の経験によってしか得られない。戦闘技術のインストールとは違うんだ。どんなに大丈夫だって言い聞かせても、自分の心までは騙せない。蓄積された悪意は着実に心身を蝕んでいく。ぼくもかつてはそうだったから…」

『隊長…』

「感情の制御は精神の制御と同義だ。ナノマシンで欺瞞させた分は、それだけ本人の心に圧し掛かってくる。戦闘とカウンセリングを繰り返すうちに拒絶反応が起きて、薬で抑えつけて…後はジャンキーと同じさ。」

コロラドで塞ぎ込んでいた頃を思い出す。自分で招いた事態のくせに受け止めきれなくて、ドラッグに片足を突っ込んでいた自分。習慣だった悪夢から逃れるために必死に心を殺したものだけど、結局は正面から向き合って折り合いをつけるしか手はなかった。今は前線で戦っている恋人があの時に居なければ、きっと耐えられなかっただろう。

「中には感情制御のレベルをMAXまで引き上げる輩も居るけど、アレになったらもうターミネーターと変わらない。任務遂行のために完全なマシンになる…吐き気がするよ。だからアキラもなるべくシステムの干渉を避けて―」

『あの、隊長。そ、そろそろ要警戒区域に入ります。スーツのアイドリングを解除すべきかと…』

つっかえたモニカの声で急速に思考が戻る。何をやってるんだ。いたずらに仲間の不安を煽ってどうする。今は彼女と人道主義を戦わせている場合じゃない。息を深く吸って落ち着きを取り戻す。

「ゴメン、怖いこと言って。ちょっと熱くなっちゃったみたい。」

『いえ、気にしないで下さい。私の方も勉強になりましたから。…教官って不思議な人ですね。』

「え? 何?」

『な、何でもありません! ス、スーツの解除に入ります!』

「あ、うん。お願いします。」

ナノレイヤーにコード認証のサインが灯り、ガンツスーツのポインターが青白く発光する。擬装フードを脱ぎ捨てガンツソードのロック解除も確認したぼくは、逡巡を振り捨てるために圧倒的なギアで駆け出した。

 

掃討作戦の第2陣に混じって現場に到達して10分ほど。ハリルは早くも自身の取った行動を後悔していた。監視役の目を避けて何とか部隊の端役に潜り込んで、戦争の空気を感じようと画策したが、実際に目の前にすると自分の考えがいかに甘かったかを思い知らされた。

苦しい。怖い。逃げたい。さっきからこの3つしか頭に浮かばない。さっきなんかは顔の横を弾丸が掠めて腰が抜けてしまったくらいだ。どんなにスーツの耐久性が優れているとはいえ、不意打ちじみた速度で迫る物体というものは本能的に恐怖を感じさせる。

情けない。あれだけ大口叩いていたのにこの様か。アキラに押さえられ医務室のベッドに拘束された最中、シェリーと呼ばれる女性が訪れたのを思い出す。医師に二、三言告げていきなり引っ張り出されて連れてこられたハリルは、訳も分からないまま訓練場を何十周も走らされた。

走り終わってもシェリーの理不尽さは変わらず、各種筋トレに組手の練習、射撃の基本動作などを何度も何日も繰り返させられた。1日の頭を固定装備一式を背負わされて走り、そのまま夜までボロ雑巾になるまで体を痛めつけられた後、泥みたいになって眠る。

別に暴力には慣れている。厳格な軍人家系で育ち幼少期から効率的な力の振るい方を学んできた身としては、暴力は常に身近にある存在だった。政争で家族を失ってもそれは変わらず、大人たちのストレスの捌け口として殴られても耐える術を知っていた。

だが人間の肉体には限界がある。連日連夜で全身の筋肉が悲鳴を上げても走ったハリルは、ついに疲労に屈して地面に倒れ伏してしまった。すかさずシェリーが水を浴びせるが四肢はピクピクと痙攣するばかりで、全くと言っていいほど力が入らない。ハリルの頭をブーツが踏みつける。

「誰が寝ていいって言ったの?」

喉が渇ききっていて答えられない。代わりに体を動かそうとするが石になったみたいに固まっていた。シェリーが続けて言う。

「これがシュミレーションを200時間こなした兵士? アナタ、本当に真面目に訓練したの? 射撃はお粗末、格闘もチンピラと大差なし。こんなのじゃ5分もしないうちにあの世行きね。」

少女のような顔と声とは裏腹に足裏の圧力が半端なく強い。プレス機に掛けられてるみたいだ。固い床面にこれ以上ないほど頬が押し付けられている。

「聞いたけどアナタ、ローガンが連れて来た子たちのリーダーだったみたいね。」

痙攣とは別の意味で手がピクリと反応する。唯一自由な目を動かすとこちらを睨めつける碧眼とぶつかった。冷笑でも侮蔑でもない、睥睨するような感情の読み取れない目だった。

「評判はあまり良くないみたい。規律に厳しい。融通が利かない。意地っ張り。どうやらアナタは人をルールで縛り付けて自分の支配下に置くのが好きみたいね。」

「ち、違う…」

「何が違うの? もう一度言ってあげる。アナタはルールが大好き。ルールさえ守っていたら自分の優位性を確保できると思っている。だからそれを乱す奴は安心できないし、過剰に敵視する。典型的な石頭。」

我知らず拳を震わせる。そんなことは分かってる。年少組の世話を任されたのは、たまたま自分が一番年上だったからだ。リーダー論などさっぱり分からなかったが、それでもやれるだけのことはやったつもりだ。しかしこんな形で批評を受けるのは屈辱でしかなかった。

「まったく、ボスから面白い子が見つかったって言うから来てみれば、こんな軟弱だったなんて。本当に期待外れ。悪いことは言わないからさっさと国に帰りなさい。あ、ゴメンなさい。帰る場所なんて無かったんだっけ。」

あからさまな挑発と分かっていたが、耐えられなかった。残ったなけなしの力を捻り出し頭上のブーツに必死に抗う。その度に踏みつけられたがハリルは起き上がることを諦めなかった。

「オレには何もない…! もう戦場(ここ)でしか生きていけないんだ。だからどんな手を使ってもオレは残る。例えアンタを殺してもだ!」

「へえ…」

頭の重みがスッと遠ざかった。代わりにタオルと水を渡した彼女の横顔は相変わらず鉄面皮だ。ただ眼の色だけはさっきより深く映った。

「15分上げる。次からは吐くまで走りなさい。」

どこかの爆音が届いて回想は終わる。思考が巻き戻ったハリルは戦況確認のために建物の屋上に登った。予想以上にフィリモノフ側の抵抗は激しく、数や地の利もあってまだ戦闘が終わる様子はない。

「テロリスト風情に何を手間取って…」

口中で毒づくが実戦経験のない自分が言ったところで始まらない。経過時間からして逃走がすでに知れ渡ってしまっているだろう。このままノコノコと捕まったら今度こそ故郷(リビア)に強制送還されてしまう。あの疑念と不正が渦巻いている腐った空気を吸うくらいなら死んだ方がまだマシだ。あの会社(アミュレット)に残るには手柄を立てるしかない。そんな時だった。

「下がれ! 一時撤退だ!」

銃声にかき消されてしまいほとんど聞こえないが、切迫した声が下から響いた。負傷した味方を抱えた黒いスーツの男がXショットガンを保持して廃墟の中を走る。オルタナとナノマシンのデータリンク機能でスミロア共和国軍だと分かった男の背後には、道幅一杯を縦断する巨大な四角いブルドーザーが追いすがっていた。データベースがシルエットを照合しハンターキラー=戦車(タンク)級と判別する。

「あんなものまで持ってるなんて…」

ターミネーターの鹵獲機が敵軍で使用されているとは知っていたが、ハンターキラーは絶大な火力で全てを灰燼に帰す怪物的な性能を持っている。間違っても人間が勝てる相手じゃない。今もタンク級の両脇に着いたガトリング砲が前方で動く標的を狙って絶え間なく銃撃を送り込んでおり、いつ流れ弾が当たってもおかしくない。

「いけるのか…?」

思わず自問するが理性が無理だと断言する。ガンツの兵器があれば大抵の危機は対処できるが、今回のは分が悪過ぎる。形こそ逸脱しているが戦車の部類に入るだけあって、こいつの装甲はかなり堅い。Xショットガンだけでは正面から撃ち合うなんて、勝ち負け以前の問題だ。

しかし逆に言えば、ここで奴を倒したら自分の評価は大幅に上乗せされる。仇を討つためには彼らの培ってきた戦闘技術をどうしても習得する必要がある。つまりリスクを掛けるだけの価値がこの戦いにはあるということだ。そもそもここで腰が引けているようでは、アミュレットでは到底やっていけない。数々の言い訳を脳にインプットしたハリルは、一度深く深呼吸して眼下の巨大な敵を見据えた。

「戦車級は索敵機能を中央頭部に集中している。また、頭上からの奇襲も有効…」

密かに盗み見たマニュアルを思い出し、屋上を伝ってタイミングを計る。チャンスは一度。狙いを澄ましてトリガーに指を掛ける。一発だけでは効果がないと見込んで、何回もロックオンのトリガーを引く。照準のレクティルが四重に重なったとき、溜め込んだエネルギーを一気に放射した。

音に気付いたハンターキラーがセンサーの赤い光をハリルに向ける。死神に睨まれた気分だ。左右の砲塔が標的を捉え弾が吐き出されると同時に走り出す。近距離戦での撃ち合いはXガンの即効性が低い分、ファストルック・ファストキルが基本となる。キル仕切れなかったら連射で弾幕を張るか、相手の隙を窺いながら動き続ける。

この場合―相手が重武装で機関砲を装備している―なら回避に徹するのがセオリーだ。まばらなレンガ造りの屋根の間を飛んで、射線からひたすら逃げ回る。

一気に高い場所に登って足場を確保しようと飛んだ時だった。ばら撒かれた弾丸が脛に被弾した。7.62mmの連射を食らってバランスが崩れ、何度も壁に打ち付けられて地に落ちる。スーツのお陰で死ぬことは無かったが、足に疼痛が走る。感覚的に骨にヒビが入ったと分かった。しかも落ちた場所が敵の真正面だ。

キュラキュラと玩具染みた駆動音でキャタピラを進める戦車級が、異端の審問官に見える。プログラムを絶対の真理に据えて、逆らう者には一切の慈悲を許さない機械仕掛けの裁定者。東洋には嘘をつくと舌を引っこ抜く悪魔がいるらしいが、目の前のこれは罪人が舌を抜かれて悶え苦しんでも嬉々とした様子は微塵も出さないだろう。

そして罪人ならぬ敵の自分は機械からしたら、駆除しなければという義務感に駆られて踏み潰されるゴキブリと大差ないのかもしれない。迫りくる死の暴力をどこか遠巻きに思いながら、機銃がフルオートで身体をバラバラにするのを待つ。だが、彼は死ななかった。

弾が発射される直前でハンターキラーの頭頂部が爆発したのだった。今になって、というか絶妙なタイミングで先程のチャージショットが炸裂したのだろう。死の存在感を前にすっかり忘れていた自分の行動を思い出した。照準が狂ったチャンスを見逃さず、Xショットガンを拾い片足の痛みを無視して走り出す。

標的の接近を感知した戦車級が弾を前方に集中する。そのうちの何発かが掠り、何発かが命中したがハリルは止まらなかった。痛みも鈍くなり妙に間延びした時間の中、ただ一点を目指して走る。

火線が十字に交差しようとしたとき、左の機銃が爆発した。後ろに目配せするとさっきの共和国軍兵士が援護してくれたのだと分かった。大きく開いた口が行け、と叫んだのを読み取ったハリルは、懐に飛び込んだところで高く飛び上がった。伸びてくるマニピュレーターをかわし一息に頭上に躍り出る。

頭頂部はチャージショットの威力で甲板がめくり上がり、内部の機構を露出していた。振り落とそうと激しく足掻く頭部にしがみつきながら、配線の隙間にXショットガンを捻じ込む。

「くたばれ!」

これ以上撃てないというほどトリガーを引いたハリルは、直後、世界が爆発したんじゃないかというほど膨大な衝撃に意識を四散させた。

 

戦争の世界には交戦規則(ROE)というものがある。作戦行動における最低限守るべきルールという奴だ。人命が貴重なものと見なされるようになってから、混沌の象徴である戦争にも一定の秩序(ルール)が必要になった。スカイネットの世界同時爆破テロが起こってからは特に。

『ローガン。今回のROEは確認されてますか?』

「え? あ、ああ、もちろん。要するに『敵は排除してOK。民間人にはノータッチ』でしょ?」

『まあ、そうですけど…今回の任務でアナタは公的に存在しませんが、アミュレット社の関係者である以上、規定は遵守してもらいます。万が一我が社の風評に響いては困りますから…と社長からお達しが来ています。』

「ぼくもサラリーマンだからね。クビになるのは嫌だ。」

『ところでローガン…そのマスクは何ですか?』

モニカが気まずそうに指摘したのは、ぼくが変装マスクを特殊作戦用のそれに被り直したからだ。黒いスーツに合わせた革製の堅い布が右目を覆い、顔の下半分も口から唇をそのまま切り落としたような、歯茎が剥き出しという独特のデザインで隠してある。

人が目にすると異様と恐怖で彩られたさぞかし不気味な顔に映るだろう。鏡で自分の顔を見た本人がそう思ったのだから、他人様ならば尚更だ。皮肉にも白い髪がアンバランスさを際立たせている。この悪趣味としか言いようのない被り物は、アキラからのプレゼントだった。実用性など想定していない作りだったけど、これには一応の理由があった。

「ああ、ヘンテコだろ?」

『いえ! そんなこと…』

「構わないよ。ぼくもそう思ってるんだもの。」

『すみません…』

「これは…何て言うか、ファッションなんだよ。いや、シンボルなのかな。」

要領を得ない解答に首を傾げるばかりのモニカ。仕方がない。裏の世界は色々と事情が複雑なのだ。

「例えるならアメリカンコミックに出てくるヒーローかな。彼らは戦うときにマスクを被るでしょ? アレと同じだよ。」

『隊長の場合はダークヒーローって感じですね。刀も使うからデッドプール?』

「せめてバットマンにしてよ。ぼくは戦闘中に放送禁止用語は言わないからね。」

そんな無駄口を叩きながら建物から建物へと飛び移るぼく。オルタナの隅に表示された時刻は3時26分。目的地の聖堂までは残り2割。順調だ。これなら朝までに片がつくだろう。ひょっとしたら帰りに拾ってもらえるかもしれない。

帰った後のカフェテリアで優雅にモーニングティーを楽しむ想像をしていると、頭に警戒信号が発し急ブレーキを掛けた。意識を凝らして気配を探った。

『どうしました?』

「少し先に敵がいる。数は多くないけど、ルートと丸かぶりだ。」

『ですがレーダーには反応が-』

モニカを無視して腹這いになり屋根の影から違和感の正体を窺う。壁に何か黒いものが張り付いていた。大きさはボーリング球ほどで、人間の腕らしきものが3本生えており、球体の真ん中が赤く光っている。ほとんどの監視カメラがするように、そいつらも赤い光線を出して周囲の様子を監視していた。

仔月光(フンコロガシ)か。厄介だな。」

『そんな…こんな近くにいたなんて。』

進行途中で何個か見かけたが、ここに来てから急に監視網が厳しくなった。裏を返せばこの先には余程大切なものがあるに違いない。以前閲覧した販売資料(プロッシャー)を記憶から呼び起こして、仔月光の可聴範囲を割り出す。ギリギリまで距離を置いた後、軽く壁をノックすると1体の仔月光がピョコンと屋根に上り、周囲を探り始める。背中を向けたところを素早く取り押さえると、ぼくは整備用ハッチを開きコネクタを引っ張り出して手首のコントローラーに接続した。

「制御系を乗っ取った。そっちの端末と同期したから、コイツで内部の動きを探ってくれ。」

『え? 探るって何をですか?』

間の抜けた返答にちょっとコケそうになった。いくら新卒採用でも潜入作戦のオペレートをするなら、言葉の意味くらい察してほしい。

「サイグリーはこの紛争に大量のターミネーターを投入している。となると、どこかにチップを遠隔制御する統括モジュールが存在するはずだ。仔月光にも同様の通信周波数が使用されているはずだから、それを辿ってみてほしいんだ。出来れば、子供たちの居場所も。」

『あ、なるほど…了解しました。すぐに偵察に向かいます!』

元気よく立ち上がった仔月光が、毬のようにポンポンと跳ねて先行していく。余程目立つことをしない限り怪しまれることは無いから、彼女の腕に一任するべきだろう。

その時だった。首筋がざわつく。背筋が剥き出しの刃で撫でられたような寒気が襲い、ぼくは聖堂の一点を見据えた。オルタナの望遠機能が緻密な解像度で窓の中に2人の人影があることを検知する。片方はフィリモノフでもう一方は例のフードの女だったが、頭を覆うものはなくピンクと赤の混じった色の髪が露になっていた。

流石に会話までは拾えないが何やら言い争っているらしい。とは言え、怒鳴り散らしているのはフィリモノフの方で、女は飄々と受け流している感じだ。痺れを切らしたのかフィリモノフが拳銃を抜いたが、なお女の態度は変わらない。結局男は悔し気に立ち去って行った。

手すりに寄り掛かった女がこちらを見た気がした。恐らくは気のせいだろう。あの窓からここまで600mはある。夜間に目視できる距離じゃない。すると女はあろうことかぼくに投げキッスを送って来た。項が逆立ちすぐに壁に身を隠す。

『どうしましたローガン? 心拍数が上がりましたよ?』

視界に割り込んできたモニカのウィンドウを押し退け、敵の位置を再確認すると、女の姿は消えていた。念のために殺気を探り周囲を警戒する。あの寒気も無くなっていた。

「大丈夫。狙撃は回避した。このまま聖堂に向かう。」

そこから先は案外簡単に通り抜けられた。監視の存在は厄介だったけど潜入は得意分野だったぼくにとって、市街地の作戦は隠れる場所も多く好都合だった。廃墟となった寺院の周りに配置された、針の山ほどある仔月光とターミネーターと人間の群れ。その真っただ中を蛇みたいに這って、亀みたいな鈍さで、でも確実に距離を殺していく。

潜入やスパイには007のような派手さはいらない。必要なのは心技体、体力と技術と忍耐だ。ビザンディン建築のレンガ壁の突起を登って割れた窓から侵入すると、中はボロボロの外装にも関わらずあまり荒らされていなかった。建物の大きさからかなりの規模のものだと予測出来ていたけど、実際に見ないと中々どうして分からないものだ。

「妙だな…」

人の気配が感じられないのに、妙な圧迫感(プレッシャー)を感じる。先程の鋭い寒気とは違い、邪気はないが空気が重力を持ったように体に圧し掛かる。見えない巨大な手がぼくを押し潰そうとしているという例えがしっくりくる。

灯りがないので細部までは見渡せないが、空襲で割れたステンドグラスが招く月明かりで、祭壇の上にあるキリストの十字架像が妖しく反射している。頭に戴いた茨の冠で血を滴らせた下にある、憐れみに満ちた双眸。彼の死後、2000年も過ぎた世界でも人類は戦いを止められずにいる。

より頑丈でより多くの敵を殺せる武器を生み出し、遂には作った道具(スカイネット)に首を絞められつつある人類。絶え間に争いの歴史の中で変わったことと言えば、自らが信じる神の絶対性の証明や、あるべき社会の姿を実現するためでもなく、純粋な利益の追求を模索し始めたところだろうか。そう思うと裸の神の子の目が呆れた様子を醸しているように感じた。

気配を探り敵が気付いてないことを確かめて、音を立てずにタペストリーを降ろしたロープの上を伝っていく。バランス感覚と集中力が要るが、一気に寺院の中央まで近づける。モニカから通信が入った。

『こちらCP。北棟の最上部に到達。モジュールを特定しました。』

「分かった。掌握したら合図してくれ。ぼくも動く。」

『終わりました。』

「え?」

意外にも早い返事に声を出しそうになった。慎重に安全を確保して網膜上の女性に尋ねる。

「もう掌握したの?」

『はい。セキュリティが少々厄介でしたけど、通信波アルゴリズムの基本構造は以前見たことのあるものだったので。』

子供の算数を解いたような気楽さで話すモニカだが、彼女に仔月光を託してから20分も経ってない。モジュールの捜索は仔月光のログを辿ればいいけど、モジュール自体を奪うのはそう簡単なことではない。事実、彼女の情報処理技能はナイジェルにも劣らない速さだった。

「流石はウチの社員だね。君がオペレーターを任された理由が分かったよ。」

『そんな、主任と比べたらまだまだ未熟ですよ。で、どうします? 状況を開始しますか?』

今のところ警報は一度も鳴ってないし、礼拝堂の警備も手薄な状態だ。飛び降りる位置を選定して合図を送ろうとしたとき、入口の方から話し声が聞こえ、タペストリーの裏に隠れた。例の女だった。

「…ええ、そう。エリクシルが来たわ。フィリモノフ(エサ)が良かったからかしらね。依頼主(クライアント)には物足りないけど組んで正解だったわ。どちらにしてもアナタの言う通りに事は進んでる。そうそうあの子も来たわよ。さっき挨拶したの。最後の確認だけど、本当に良いのね? …ええ、分かってる。全ては大儀のためだもの。じゃあね、同志よ。」

無線を切った女がロングコートを揺らしながら、祭壇の前に跪き祈りを捧げる。近場の蝋燭でその横顔がハッキリと表れる。肌の色はアフリカ系の血を受け継いだように浅黒いが、顔立ちはアングロサクソンに近い細かな造りをしている。アキラみたいに混血なのだろうか。小声でモニカにアクセスする。

「あの女の素性は掴める?」

『今検索中です。ただ、抽出要素が少なくて詳細が判明するには時間が-』

『その必要はないわ。』

突如、回線に全く別の声が割り込んできた。さっきまで下で聞こえていた声だ。ということは-

『こんばんわ。アミュレット社の殿方。お会いできて光栄だわ。』

『そんな…! どうやって周波数を!?』

「…お前は誰だ。」

『さあね。その天幕から降りてくれば分かるのではなくて?』

あからさまな挑発だが、事実そうだ。どのみち通信が無意味になった時点でこちらの位置は特定されている。その証拠に仔月光の赤い光線と側廊の衛兵の銃口が布越しに集まっているのが分かった。

『駄目ですローガン! 潜入がバレた以上、すぐに撤退を-』

切迫した様子で身を乗り出したモニカを尻目に、ぼくは素直に天幕から飛び降りた。すかさず円形に敵が包囲陣を敷いた。女はかなり背が高かった。ぼくより拳2つ分はある。黒地に赤い迷彩柄のベストを羽織っているが、背中が奇妙に盛り上がっている気がした。

「待っていたわ。ジャップ・ザ・リッパー。」




主人公のマスクのデザインですが、描写のとおりほとんど東京喰種です(笑)
アウトロー的な感じがいいかなって…


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52.A Stranger I Remain

「待っていたわ。ジャップ・ザ・リッパー。」

その女はまるで旧知に会ったかのように、ぼくに語り掛けた。歓喜とも憎悪とも取れない視線を向けて。無論、ぼくは彼女のことなど知るはずもなく、熱気を帯びた瞳で睨めつけられる理由もない。AKを構えたまま慎重に間合いを保つ。

「人違いだ。彼は死んだ。」

背を向けたまま女が嗤う。

「嘘はいけないわ。アナタが死ぬはずないもの。そう、アナタは不死身。どんな戦いでも必ず生き残ってきた。」

コイツは能力(ループ)を知っている。それだけでぼくの予感は確信に変わった。彼女はゴールドスタインだ。それもかなりの地位―幹部クラスは間違いない。作戦の価値が一気に跳ね上がる。この女を生け捕りにすれば組織の核心に大幅に近付ける。マスクの中の乾いた唇を舐め、相手の出方を探る。

「フィリモノフはどこにいる?」

チッチッチ、と苛立たし気に舌を鳴らしてぼくに向き直る。女はやはり混血だった。細かな人種は判別できないけど、アフリカ系にしては肌の色が若干薄い。自然の神秘を表す肌とは対照的に、片目を隠すほど伸びた髪はサーモンピンクに染まっており、女のアブノーマルな雰囲気を助長している。

「連れないわね。レディより男を選ぶの?」

「アンタはサイグリーの指揮官か?」

相手のペースに乗らず間を置かないで話す。簡潔にまとめることで自分の考えも整理しやすくなる。女は艶交じりの声音で名を名乗った。

「私はトリフェーン。3つの顔(トリフェイン)の名を持つ女。」

「3つの顔…?」

歌うように女―トリフェーンが続ける。

「アナタのことは聞いているわ。7年前、ヨコスカ防衛戦で伝説となった初年兵。戦いの申し子…いえ、殺戮の天才ね。罪もない子供たちを100人も殺したんだから。」

ハッ、とモニカが息を呑む挙動が伝わった。ズキンと胸の奥が痛んだがおくびにも出さない。

「…もう捨てた名だ。フィリモノフはどこだ?」

トリフェーンは意にも介さずに歌い続ける。まるでこちらを痛ぶるのを楽しんでいるかの如く、ゆっくりとターンを描いて。

「私はアルジェリア生まれよ。フランス人の血も半分入ってる。」

「アンタのルーツに興味なんてない。」

「90年代に内戦が始まってから、()()()()()()()()()()()。どう? 似てないかしら私たち。」

「アンタに何が―」

「私は家族も何もかも失った。」

誘うような口調が冷たく下がった。沈鬱な表情で唇を嚙み締める。しかし次の瞬間には影のある口元が、彼女の本性を表すかのようにニヤリと吊り上がり、拳をグッと握り締めた。その微笑みの残忍さと言ったら。

「ぶち殺してやったわ。犯人をね。それで気づいたの。私にも人殺しの才能があるということが。」

「自慢げに話すことか?」

ぼくは呆れ半分に言い返すとトリフェーンも幾分か落ち着いた様子になり、足元にすり寄って来た仔月光を拾い上げ、我が子にするみたいに愛し気に撫でた。

「ええ。そんな私をあの人が変えてくれた。あの人は私の生きる希望となった。」

「あの人? 誰のことだ。」

「アナタの師匠よ。マリナ・オーグラン。」

今度こそぼくは衝撃を受けた。急に視界が狭まり動悸が激しくなる。ライフモニターが警告を表示し、モニカが必死に呼んでいるがよく聞こえなかった。キリスト像の一段上にあるステンドグラスに彼女の最期が浮かび上がる。あの時の寒さや斬られた痛み、止めを刺した感触が手の平に蘇り、吐き気を催して口に手を当て何とか抑え込んだ。

「北アフリカで戦ってた時に出会ったの。今思えばあのときが人生で一番幸福だったわ。彼女は私を受け入れてくれた。理解してくれた。あんな人はもう二度と会えない。」

トリフェーンの台詞はそのままぼくにも伝わった。気持ちは痛いほど分かる。ループという絶望的な世界でマザーだけがぼくを見つけ出して導いてくれた。敵であるはずの女に、奇妙な形で出会った姉弟子に同情を覚えた。

「私は彼女を追ってREXに入った。作戦で直接関わることは無かったけど、マリナの部隊に居られるだけで十分だったわ。あの悲劇が起きるまでは。アナタが彼女を殺すまで。」

スッと目元が細くなり空気が震えるほどのプレッシャーが放たれる。憎悪。冷えた空間の中でトリフェーンの周りだけが、炎を纏ったかの如く揺らめいている。持っていた仔月光がペシャンコにされても、ぼくは小銃を保持して動かない。

「理由は分かってる。筋も通ってるわ。どちらにせよ、アナタは勝者の権利を得た。でもね、私にとって英雄とはマリナ・オーグランだけなのよ!」

トリフェーンの咆哮が合図になったのか、ぞろぞろと仔月光の群れが出現した。天井から、壁の隙間から、床下から、数えるのも億劫なくらいの大量の仔月光が彼女を取り巻いた。羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てると、しなやかな体を包むガンツスーツの上に、見慣れないアーマーが装着されていた。

「部隊を離れた私は傭兵となって世界を回った。アナタを倒すために、死に物狂いで腕を磨いた。全てはこの日のために、私は生きていた。さあ、私と殺し合いましょう。ジャップ・ザ・リッパー。」

仔月光の腕を引きちぎり先端を接続すると、ダラリとぶら下がっていた関節が真っ直ぐに伸び、他の何本かも繋げて1本の棒になる。同時に仔月光がトリフェーンを食い尽そうと感じるほど勢いよく飛びつき、自分の腕を外して物々しいアーマーに繋げていく。背中から何本もの腕が生えている姿は、良くて東洋の仏像、悪くて蜘蛛を連想させた。

だからぼくは目の前の異形の戦士に目を奪われて、周囲の異変に気づけなかった。銃を構えていたサイグリー社の兵士たちが、呻き声を上げてバタバタと倒れ伏したのだ。ある者は泡を吹き、失禁し、嘔吐し、別の者は互いに馬乗りになって殴り合う。

「何だ!?」

『わ、分かりません! 計器類に異常は認められず!』

モニカの悲鳴に近い応答。トリフェーンが嗤いながら告げる。

「ちょっと大人しくしてもらうだけよ。折角1人で来てくれたんだもの。横槍は無粋でしょ?」

「ナノマシンの接続を切ったのか。」

自前の装備を許されている様子から、この女の権限は中々のものだろう。そうでなければ各兵士のシステムへのアクセス権を強制的に奪うのは不可能だ。どうやら昨今のテロリストには決闘の精神を持つ者もいるらしい。

「我らの理想のために死んでもらう。おいで、坊や。」

 

少女は震えていた。寒いわけではない。部屋は家主の地位に比例するように設備が行き届き、空調も暖かな空気を送り続けている。隙間を閉め切って1つだけのランプがぼんやりと壁や天井を照らす中で、毛布にくるまって怯える自分は、子ネズミとあだ名されるのにはピッタリだろう。

だが、本当に体が震えるのだ。防音対策が施された部屋に銃声や爆撃音が届くことは無いが、腹の底を震わせる振動は誤魔化しきれない。加えて気配を感じる。一方はマグマの如く怒りの思念を解き放ち、片方は焦りを滲ませながらも頭の芯を凍らせていた。

戦ってるんだ、と少女は思った。戦場であれ日常であれ、人は感情に従って動く生き物だ。それが激しいほど空間を伝って()が少女に圧し掛かる。昔からそうだった。父親が怒ったときや友人が泣いているとき、彼らが持つ感情が少女には明確に感じ取れた。父の背中から怒りの炎が噴き出ることもあったし、虐められた友達に触れたときは胸の奥から熱い塊が飛び出そうだった。

けど、この2つの思念は違う。殺意だ。憎しみを越えて個人が個人に抱きうる究極の感情。憎しみは愛情の裏返しと言うけれど、ぶつかり合ってるそれは完全に真っ黒なイメージしか感じられない。思い返せば今日もたくさんの黒いものがあちこちで出たり消えたりしていた。

いや、今日だけではない。物心ついたときから少女は何度も奇妙な夢にうなされた。どんな夢かは思い出せないけど、酷く怖いものだったのは覚えている。この黒いイメージは夢の中のそれと同じものだった。

まあいいか、と少女は諦めた。どうせ考え込んだところで自分に自由なんてないんだ。いつものようにここで主の帰りを待ち、ただ犬みたいに従うだけ。食事と寝床が与えられているだけまだ他の者よりマシだが、もう自分の人生に人並みの幸せが訪れることは無いと予感できていた。

また震えが来た。こわい、怖い、恐い。こういう時はいつも隣で母が手を握ってくれたものだけど、もういない者に思いを馳せても意味がないことくらい分かっていた。振動が一段と激しくなる。少女は薄い毛布の中で目を瞑り、ひたすら震えが収まるのを待った。

 

「いつまで隠れんぼを続けるつもりなの? 退屈させないでちょうだい。」

「クソ…!」

トリフェーンの心底うんざりした口振りに、悪態が出る。物陰に隠れて弾倉を交換して、チェンバーを引く。相手は予想以上に難敵だった。ふざけた見た目とは裏腹にトリフェーンはかなりの手練れで、仔月光の腕が組み合わさって出来た槍、エトランゼ-オルタナの解析によれば-を自在に操ってくる。

CNT筋繊維で構成された(ポール)の部分は鉄より硬くなり、関節の柔軟性を活かして鞭のようにしならせることもできる。この攻撃範囲を自在に変えられる戦法はガンツソードと似ていた。恐らくは彼女もGUNQLVERSで修練を積んだのだろう。

そして現状、最も厄介なのがトリフェーンの周りに群がる仔月光だ。正規品と異なり燃料電池に手が加えられているらしく、隙あらばぼくに組み付いて自爆しようとする。お陰でろくに反撃する暇もなく、AKで雑魚を撃ち落すのが精々だ。

「コントロール装置のハッキングはどうなってる!?」

『げ、原因不明! システム側のトラップが…ああ、もう!』

半泣き状態のモニカが必死にキーボードと格闘している様子が伝わってくる。向こうも必死なのだ。苛立ち混じりに怒鳴った自分を諌め、 ライフルで応戦を続ける。彼女を中継して送られてくる情報によると、現在の戦況は徐々に味方が前線を押し始めているらしい。ならばこそここで一気に叩き潰さなければならないのに、周到な物量作戦の前に足止めを食らっている。

「何を躊躇っているの? ジャップ・ザ・リッパー。早く剣を使いなさいな。」

不敬にも十字架に腰掛けて高みの見物を決め込んでいたトリフェーンが囁く。その言葉につい手がホルスターに触れそうになったが、寸でのところで思い留まった。

「どうしたの? このままだと死ぬわよアナタ。」

「…ぼくはこれを使うわけにはいかない。」

「へえ…どうして?」

「これはぼくがあの人から託されたものだ。その剣で元とはいえマザーの部下を斬りたくはない。」

スッとトリフェーンの目が細まった。つまらなそうにしていた物腰が急に険しくなり、手近な仔月光を投げつけてきた。ヒラリと地面に降り立ち唾を吐く。

「くだらない。今更何をヒューマニズムに浸ってるの? 散々殺してきたくせに。」

「もう戦線は崩れ始めている。大人しく投降しろ。」

「…あくまでも戦う理由が必要なのね。分かったわ。」

見下すように嗤ったトリフェーンが指をパチンと鳴らすと、奥の扉が開きぞろぞろと武装した仔月光が現れたが、それに続く人影にぼくは息を呑んだ。

「戦災孤児というのは便利なものね。死んでも誰も困らないし数も多いから、選択肢が多くて逆に困っちゃうわ。ちなみにこれは観賞用。その手のマニアに良い値段で売れたの。」

物々しい透明な円柱の中にはアルコール漬けにされた内臓が剥き出しの小さな遺体が入っていた。指先や膝の皮は破れ細くて白い骨が覗き、胴体からは収まりきらなかった腸が濁った液体の中でユラユラと漂っている。

「お前…!」

「そう。私の仕事はこういった哀れな子供たちに新しい価値を与えること。これで戦う気になれた? アナタのヒューマニズムは。」

怒りに任せて撃った銃弾は呆気なくかわされ、お返しに迫ったエトランゼの腕がAKに絡みつき、粘土細工みたいに簡単に機関部を握り潰された。咄嗟に銃を手放し大きく後退して距離を取る。

「さっさとこんな(オモチャ)は捨ててしまいなさい。さあ、殺る気になったかしら?」

残念なことにぼくは彼女の言葉を聞き取れなかった。それよりも目の前の白目を剥いた子供の亡骸を呆然と眺めていた。子供が死んだ。死んでオークションに出すために()()()()()()に加工されて出荷される。どこかで見たことがあった。

そうだ。モースルだ。ぼくが無垢な幼子たちの首を()()として切り飛ばした日の後、遺体は事件の混乱に紛れて回収され、重要な資料として解体された。死してなお弄ばれる命たち。その発端となった自分に彼女を裁く権利なんてない。

こんなときマザーならどうするだろうか。自分の部下を斬り殺せただろうか。いや、彼女のことだ。きっといつもの厳しい顔つきで、それでも誰よりも強く決意して刃を振るっただろう。ぼくは誰よりもマザーを知っている。それがぼくとトリフェーンの違いだ。

きっとアナタは彼女を許さないだろう。でもアナタはいない。ぼくが殺してしまったから。だからぼくが代わりに奴を殺そう。アナタが託してくれたこの刀で。ホルスターから柄を抜きスイッチを押すと、鈍く輝く深紅の刃が紫電を放って顕現した。トリフェーンのオーラが歓喜に満たされた。

「そうよ。ずっとこれを待ってたの…!」

背中の腕が湛えるように震える。同時に凄まじい殺気が届いてぼくの肌を粟立たせた。奴も本気だ。

「さあ、私を楽しませてちょうだい!」

 

「オラ、どんどん運べ! 仕事はまだ終わってねえぞ!」

銃声が途絶えても戦場ではやることがたくさんある。制圧した区域の撤去作業にかかる人々の中で、現場監督らしき男のダミ声がよく通った。遠くに聞こえる砲撃音とすぐ傍のクレーンの稼働音がない交ぜになった喧騒で、アキラは今回の作戦でアミュレットの責任者を任されたカザマと瓦礫の中を歩いていた。

「…だから、出撃するならちゃんと報告してくれ。書類に書いてあっても、たった1行じゃ見落とすかもしれないだろ。」

「手続きは正常だったんだ。それに口頭でも伝えただろ?」

「仕事日の3日前にな。今度はもっと早く伝えろ。味方部隊と調整取るのも一苦労なんだ。」

「悪かったよ。気を付ける。」

全く懲りた様子を見せない上司に嘆息したカザマは、落ちて来た鉄骨をヒラリとかわしながら

「それよりも、どうして今回はお前が出撃したんだ? 士気高揚じゃないことは分かるが…」

「ちょっと面白い奴が見つかったの。まだ青臭いガキなんだけどよ。筋は悪くなさそうだから少し試しに…ん? アレか?」

そう言ってアキラが踏み込んだのは、戦車級ハンターキラーの残骸が放置された旧市街の一画だった。誰かに撃破されたのか、ハンターキラーは頭が根こそぎ吹き飛ばされ、毛虫みたいに配線が散らばっていた。

「これはまた派手にやったな。」

「ああ、やったのはたぶんコイツだな。」

崩れた壁の下敷きから引っ張り出したのは、まだ年端も行かない少年だった。片足が捥げ、顔も半分人相がわからないが、スーツにあるアミュレットのロゴから身内だと判断はついた。体内のナノマシンに繋ぐと名前と個人情報が出現した。

「ハリル・アリー・スライマーン? ああ、この前のガキどもの奴か。」

「…あまり驚かないのな。」

「ん?」

「いや、アンタのことだから『未成年を戦場に連れ込むなんて国際法違反だ! 世間にバレたらどうするつもりだ!』くらい言うと思ったんだけど。」

するとカザマは呆れ交じりに肩をすくめた。

「終わったことに一々口出ししても始まらん。オレたちも旗揚げしたばかりのときは色々とグレーな仕事も請け負ってきたからな。それにお前のことだ。何か考えがあるんだろ?」

軽い感じで尋ねたつもりだったが、同じ態度で返してくると思っていたアキラは、予想に反して渋い顔を作った。

「…ここに来てから嫌な予感がしてるの。何だか息苦しいって言うか。」

「いつもの虫の知らせか?」

「かもな。でも、いつもと違う気がするの。まるで月でも降ってくるような圧迫感が―」

そこまで言いかけたとき、横たわっていたハリルが息を吹き返した。死んだとばかり思っていたボロボロの身体が、肺に酸素を送ろうと必死に胸を上下させている。コヒュー、コヒューとしぼんだ呼吸を繰り返す姿にアキラは安堵の息を吐いた。

「生きてやがったかこのガキ。大した生命力だ。」

「カザマ、ナイジェルに位置を連絡して。すぐに転送を始める。」

 

黒い手が握ったナイフの先が空気を深く切り裂いて伸びてくる。ぼくはそれを横から切り払って凌ぐと、無数の刃が襲い掛かったように、エトランゼが何度も叩き付けられた。軌道を読んで弾き続けるが、明確な殺意を上乗せして降りかかる連撃は、簡単に捌き切れるものではない。

ついでに仔月光のうざったい妨害行為で、動き辛いことこの上ない。斬っても斬っても湧いて出るのはまだ良い。面倒なのはデザートイーグルなんぞを持ち出して、梁の上から狙い撃ってくる奴だ。末端神経まで染み付いたプログラムが自動的に連射されるマグナム弾を切り飛ばすが、鞭が足元に巻きつくのに対処を鈍らせ建物を支える柱に叩きつけられた。

『隊長!』

ブラックアウトしかけた意識をモニカの叫びが呼び戻す。続けて叩きつけられる前に刀を伸ばしたぼくは、エトランゼの構造上脆い部分―諸手で握られたアタッチメントを斬り外した。遠心力から解放された体が支柱に当たる寸前で、体を捻りポールダンスを真似た動きで地面スレスレまでスイングしてトリフェーンにダイナミックに蹴りを入れる。

まともに食らって吹っ飛んだトリフェーンは、追撃を警戒して外に脱出する。ステンドグラスを突き破った背中を追って跳躍し、辿り着いた先は聖堂の屋根の上だった。

「気持ち良くなってきたわ!」

鞭をピシリと響かせたトリフェーンが接近し、矢継ぎ早に突きを繰り出してくる。重力を加えて振り下ろされた一撃を受け止め、刀の峰を蹴り上げて弾き飛ばし、コンマ数秒で生じた隙に回し蹴りを叩き込む。運動エネルギーを存分に乗せた脚力はトリフェーンを屋根の端まで飛ばすことに成功したが、ダメージにならないことは分かり切っていた。

長柄物の長所はリーチの稼ぎやすさにあるが、裏を返せば懐は無防備に近い。しかしそのリーチを自在に変えられ、さらには蛇みたいに巻き付いてくる武器を相手にしたとき、無闇に攻撃するのは危険だ。

苛烈な一撃一撃をどうにか防いでいる中で、ぼくは奇妙な感覚に囚われていた。教会に足を踏み入れる前から感じている圧迫感、いつの間にか巨人の手に捕まったような、静かでしかし重々しいプレッシャーが目の前の女からは感じられなかった。

「コイツじゃない…?」

「余所見をする余裕があるの?」

トリフェーンが仔月光の腕をもぎ取って、新しいエトランゼを手に突っ込んでくる。トリフェーンは優秀な使い手だった。槍の弱点である接近戦をカバーするために、頻繁に持ち手を変え隙間なく立ち回っている。だが白兵戦においてぼくは地球上の誰よりも場数を踏んでいた。

ガンツソードを短刀ほどに縮め、密着するほどの接近によってリーチを殺し、手数で絶え間なく刺突を繰り出す。インファイトに誘って正解だった。鞭は中距離の敵を攻撃するのに最も適した武器だけど、勢いと遠心力を利用する前提では、近接戦闘において威力を発揮できない。棒術はある程度の対処ができるけど、やはりナイフなどの小さな得物相手では、懐に入り込まれると長い形状が仇となってしまう。だからぼくは棒と腕の隙間や脇腹、背中から伸びる腕を次々と刺した。

「チッ…!」

腕を全て切り落とされたトリフェーンは不利を悟って、足元の仔月光を掴んでぶつける。過熱気味だったバッテリーが衝撃で暴発し、しかも零距離で食らったせいでハンマーよりも強烈な勢いに吹き飛ばされた。

「こっちよ。」

素早く腕を換装したトリフェーンがエトランゼを分割して、ワイヤー代わりに塔の上を駆け上っていく。その跡を追って跳躍したが待ち構えていたトリフェーンに鞭で拘束された。

「気持ち悪い。放せ。」

「やはり彼女の唯一の後継者だわ。戦い方がマリナとそっくり。」

赤い刃をうっとりとした手つきで撫で、羨望の眼差しで囁いてくる。ぼくをマザーと重ねているのだろうか。

「いいわ。凄くいい。」

彼女がカウボーイよろしくブンブンぶん回した先にあったのは、別の塔のてっぺんだった。背中が石畳に衝突し肺の空気が残らず吐き出される。チカチカする視界を覆うナノレイヤーが、スーツの耐久値の残り分を表示した。

「あと60%…あの女、なんて馬鹿力なんだ…」

ほんの数回食らっただけで半分近く削られてしまった。気を抜けばやられる。血が混ざった唾を吐き出して物陰に身を寄せると、後ろに別の気配を感じた。仔月光だった。自爆すればマズい。袈裟懸けで無力化しようとした直前に

『キャッ!? ちょ、ちょっと待ってください!』

と場違いな悲鳴が耳元に響き、仔月光が諸手を挙げて降参の意を示した。

「モニカさん?」

試しに呼んでみると目の前の丸い無人機がコクコクと首肯する。本物らしい。張り詰めていた息を吐き仔月光を抱えてその場を離脱する。

「何であんなところに居たの? もう少しで斬るところだった。」

『ローガンがモジュールを壊せって言ったからじゃないですか! 戦闘が始まってからは通信にも出ないし、かと言って私も離れるわけにはいかなかったから―』

「そういえばそうだったね。ゴメン。で、ハッキングの進捗はどうなってる?」

『まだ2割も届いてません。付近の無人機の動きを抑えるのが精一杯で…』

ウィンドウの中でシュンとしょげた表情のモニカ。自分があまり役に立ててないと思っているのだろうけど、ぼくはこのとき全く別のことを考えていた。

「動きを抑える…モニカさん、トリフェーンのことをどう思う?」

『え? そ、そりゃとんでもない女ですよ。仔月光(トライポッド)をあんな風に使って…母性本能はないのかしら?』

「母性本能? 仔月光(フンコロガシ)に?」

予想と真逆の答えに思わず聞き返すと、モニカは何故か怒った様子で画面いっぱいに詰め寄って来た。

『フンコロガシじゃありません! トライポッド! ちゃんと製品名があるんだから区別してください! まったく、あんなに可愛いのに…信じられない。』

「…君の感性は良く分からないな。ただの機械だよ?」

『そんなことないです! 女性ならみんなそうです!』

「わ、分かったよ…って、違う違う。ぼくが聞きたいのは奴の装備だ。上半身の仔月光の腕、アレは何のために着けてるんだ?」

『何って武器じゃないですか? 殴ったり掴んだり、あの槍の予備にも使えるでしょう。』

「だけどあれだけの数の腕を同時に動かすことは、人間の脳には負荷が大きすぎる。何か特殊なプログラムで―」

思考がそこまで至ったとき、閃いたものがあった。まだ仮説にしか過ぎないが、試す価値はある。ぼくは急いで通信回線を開いた。

 

まだ出てこない。先程ジャップ・ザ・リッパーが吸い込まれていった穴を観察していたが、一向に音沙汰がない。何度か殺気を放って挑発してみたが、漠然とした気配を感じるだけで敵は反撃してくる様子はなかった。

『おいトリフェーン、何をしている! さっさとあの白髪頭を片付けろ!』

無線に強制的に割り込んできたフィリモノフが、唾を飛ばしてがなり立ててくる。いい加減この男の相手も飽きて来たが、今回のクライアントには変わりないので一応の対応はしなくてはならない。

「うるさいわね。言われなくてもすぐ殺すから黙って見てなさい。それとマイクの感度を少し落として。鼓膜が破れちゃう。」

『もうここは保たない。1秒でも早く奴を始末しろ。死体を確認したらお前らのボスに繋げ。今回の仕事は言いたいことが山ほどあるからな。』

一方的に通信を切った無線機を見つめて薄く笑う。馬鹿な男だ。この戦争はサイグリーにとっては勝っても負けても関係なかった。最も重要なのはアミュレット(彼ら)が出向いてくること。そしてジャップ・ザ・リッパーの再来。長い間消息不明とされていた伝説の英雄を表舞台に引きずり出すことが、トリフェーンに与えられた任務の全容だった。フィリモノフは彼をおびき寄せるための餌に過ぎない。

しかしトリフェーンにとって、その任務自体もどうでもいいように思えた。純粋にこの戦いを愉しみたい。強さを追い求める者なら誰もが思い焦がれる快楽に魅せられていた。彼にはそれだけの価値がある。勝つために半分機械化を果たした自分でも食らいつくので手一杯だ。

刃を通して伝わった化け物染みたプレッシャーの奔流を思い出す。これまで何度か似たような戦士と戦ってきたが、この男は全くもって潜ってきた修羅場が違う。本当の戦場で本当の生死を繰り返してきた者しか辿り着けない境地。

「やはり()()()では本物には成り得ないか。」

仔月光を呼び寄せてコントローラーと接続し、教会に張り巡らせた50個近い監視映像を呼び出すが、目標の姿は見当たらない。あの男に限って敵前逃亡なんて手は使わないだろうが、些か妙な気配だ。誘い込まれてる気がする。

「けど、嫌いじゃないわ。そういうの。」

穴に飛び込み意識を集中し大気に五感を拡散させ敵の位置を探る。微かな名残を手掛かりに道を進み、首筋にチリチリと爆ぜる寒気を頼りに距離を詰めていく。内部は執務室から祭器の保管庫まで調べ尽くし、最後に着いたのは裏手の墓地だった。

「隠れんぼは終わりよ。出てらっしゃい。」

優しく諭すように呼び掛けると薄闇から仄かな赤い刃先が揺らめいて出た。不気味なマスクが余計に不気味に歪み、墓地(ここ)に埋められた罪人たちの怨念が実体を纏ったようだった。

「随分と遠回りしてきたわね。何かいい作戦でも思いついた?」

「ああ、アンタを殺すとっておきをね。」

言うや否や、一歩で距離を詰めたマスクの男が怒涛の連撃(コンボ)を繰り出した。息をもつかせない猛々しい斬撃の数々。まるで獣だ。エトランゼの最高硬度を以てしても、二の腕が痺れるほど一撃が重い。確実に相手を殺そうとする鋭い太刀筋が、エトランゼとそれを支えるサブアームを真っ二つに分断した。

「良い。良いわ! 最高よアナタ。」

武器を失っても喜悦を隠さないトリフェーンは、仔月光を爆弾代わりに蹴り飛ばす。火球と化した仔月光を敵が飛び回って回避する間に、新たなエトランゼを組み合わせ真っ直ぐに鞭を伸ばした。狙い違わず標的に絡みついたそれを引っ張り、逆さに吊るしガンツソードを仔月光が奪い取る。赤い剣を手に取り2、3度振って感触を確かめた。握った柄を通して彼女(マリナ)の意識が流れ込んでくるようだった。

「ああ、ようやく…ようやく誓いを果たせました。」

歓喜の余りに喉が震え、目頭が熱くなる。後はもう、コイツを始末すればいいだけだ。

「本当に獣のようね。見世物にするために捕らわれたチンパンジーみたい。」

「殺しが生業の人でなしには言われたくないね。それにぼくを殺しても無駄だ。アンタの負けは変わらない。」

「もちろん殺さないわ。アナタは生け捕りにしろって命令されているもの。でも、飼い主に逆らうようならお痛が必要よね。」

刃を首筋に沿ってゆっくりと引き抜くと、赤黒い筋が頬を濡らした。ここからは戦いではなく狩りの時間だ。この男の命の綱は自身を吊るしている鞭よりも細い。だが、ジャップ・ザ・リッパーはマスクで唯一隠されてない左目でニコリと微笑んで見せた。

「だったら忠告だ。獣は狩られた瞬間が最も危険なんだよ。」

その途端、きつく巻きついていた鞭の切っ先が鎌首をもたげ、たった今意思を得たかのように機械特有の冷酷さと正確性で、トリフェーンの左目を奪った。予想だにしなかった。まさか自分の武器が主人に刃向かうなど考えられなかったからだ。

痛覚抑制でナノマシンが溢れ出る刺激信号を遮断するが、流れ出る血は止まらない。混乱で膝を突いた彼女の前に拘束を解かれたジャップ・ザ・リッパーが悠然と立ちはだかった。

「形勢逆転だね。」

「貴様、何をした…」

息も荒く睨みつけるトリフェーンに微笑を崩さず

「ちょっとそちらの可愛い仔月光(ペット)に細工しただけだよ。アンタは気づかなかっただろうけど、ここにある仔月光は全部ウチの改造品にすり替えた。制御モジュールも掌握済みだ。」

「馬鹿な…この短時間では不可能だ…」

「そうでもないさ。1台でも作り変えたら後はガンツでコピーすればいい。生憎とこっちには優秀なエンジニアが居るんでね。」

「このクソガキが!」

渾身の力を込めて殴り掛かろうとしたが、鼻先に触れる前に拳は止められてしまった。それも阻害したのは目の前の男ではなく、アーマーに装着していた副腕だった。押さえ込まれた腕はそのまま関節を極められ、敵の足元に倒れ伏した。

「もちろん、その腕もウチのものだ。よくよく考えたら2本の腕を使うことが当たり前な人間の脳が、急に増えた自分の手足を簡単に動かせるはずがない。そこでモジュールを漁ったらアンタの電気信号を読み取るチップが仔月光の腕に内蔵されていることが分かった。さて、勝負は着いたから喋ってもらおうか。ゴールドスタインについてあることないこと全部を。」

トリフェーンがうつむいてボソボソと口を動かすのを見て、座り込んで顔を寄せると頬に唾が当たった。トリフェーンは嘲笑の笑みを刻んでいた。

「舐めるなよガキ。」

しばらく唖然としていたジャップ・ザ・リッパーは仕方ないといった様子になると、指をパチンと軽く鳴らした。すると押さえ込んでいた副腕の締め付けがきつくなり、スーツの方が耐え切れなくなって骨に変な音が立ち激痛が走った。

「これでも話す気にはならない? まだ折れる箇所は200本以上あるけど。」

このとき、トリフェーンは彼のマスクの意味を理解した。これはヒーローが着けるような人々に希望を与えるものではない。敵に恐怖を植え付けるためのものだ。白い髪と対照的に黒いマスクから覗く左目が妖しく光り、目の前の男を悪魔的に見せた。

「…クソくらえだ。」

 

結局あれから10分以上()()を続けたけど、トリフェーンが折れることはなかった。お陰で足元には全身の骨を砕かれ息も絶え絶えな死に損ないが転がっている。放っておけばまず間違いなく死ぬだろうけど、このままにするのも可哀想なのでぼくは仔月光どもを呼び寄せ、トリフェーンに取り付かせて墓場を後にした。数十秒後に大きな爆破が起きたけど、そのときには頭から敵の顔は綺麗さっぱり消え去っていた。

「モニカさん、この辺にタキオンの波長は検出されてない?」

『…いえ。あの、ローガン…さっきの人…』

「ああ、もう口が利ける状態じゃなかったから処理したよ。証拠になるようなものも見つからなかったし。」

『でも、ジュネーブ条約では捕虜は丁重に-』

「別に死んでいい奴だったから大丈夫だよ。どのみち生かすつもりもなかったし。」

『…』

少ししてモニカは教会の地下にそれらしき反応があることを発見した。中に戻って祭壇を動かすと階段があり、呑み込まれそうな暗闇が待ち受けていた。

「壁は遮蔽素材で出来ている。なるほど、そういうからくりか。」

『ローガン? さっきから何を…』

オルタナの暗視機能を引き上げて地下に降りていく。複雑に入り組んでいて進みにくい構造だけど、ぼくは迷いなく歩を進めることが出来た。何よりも降りていくほどに空間の密度が濃くなったような錯覚に陥るのがその証拠だ。この(スミロア)に来てからいつも感じていた違和感。動かざる巨大な一枚岩を前にしたような圧迫感が、この通路の奥から発している。

慎重に進みレーダーがゴールを告げる位置に着くと、何もないただの壁が縦に分割され、眩い光が網膜を灼いた。敵の待ち伏せかと予感しすぐに身を伏せたが、予期していた攻撃はなくぼくはゆっくりと頭を上げた。

光の源は天井に吊るされた小型のシャンデリアだった。警戒を維持したまま部屋に踏み込むと、虎皮の絨毯やマホガニー製の執務机、革張りの大きなソファが鎮座していた。しかしそこでぼくの注意を引いたのは、隅の小さなベッドで丸まっている塊だった。濃密な大気の中でこれから一際強いプレッシャーを感じた。

刀を構えたまま息を殺して近づき、毛布を剥いで狙いをつける。ところがぼくは中身を見た途端に動けなくなってしまった。まさかと思いたかった。ゆっくりと体を離し目を合わせる。唾を呑み込んで尋ねた。

「君の名前は?」

「…チェン・シャオリー。」

両腕で膝を抱いてうずくまった少女は、細い声でそう答えた。




トリフェーンですが武器や外見から分かるように、MGRのミストラルの名前を変えてそのまま出しました(笑)
題名もミストラル戦のBGMのテーマです


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53.幼い怪物

薄暗い部屋に1人の男が座らされていた。手足は椅子の脚にしっかりと固定され、身に着けているものは何もない。震える手の先から滴った血が地面に凝固した斑点を穿っている。ぼくはその傍にゆっくりと歩み寄り、男の口から猿轡を外した。

「あの、大丈夫でした? すみません。爪を剥がすのって初めてで。やってみると案外難しいなぁ。」

「…フン、資本主義の犬め。貴様らに話すことなど無い。さっさと殺せ。」

いつもの眠たそうな目が今日に限って血走っている。顔に浮き出る大量の汗が顎髭に吸い取られ、いくつかがその先を伝って落ちた。ぼくらはフィリモノフの捕獲に成功した。

トリフェーンが死んだことで何を思ったのかは分からないけど、急にぼくの前に現れて教会に仕掛けた爆弾で道連れにしようとした。もちろんそんなことにはならず、間一髪のタイミングでシェリーが遠距離からの支援射撃で無力化してくれた。よってこうしてぼくは尋問に勤しんでいる。

「そんな怖い顔をしないでください。別に取って食おうってわけじゃない。ただ、サイグリーについて知ってることがあれば、何でも良いので話してほしいんですよ。そうすればアナタはここから解放される。悪い話じゃないでしょう?」

「…お前らのような命を食い物にする戦争の犬(ウォードッグ)に、人間様を裁く権利など無い。たとえ志半ばで倒れようとも我々の理想は―」

指先にハンマーを振り下ろす。敏感な神経を覆う(カバー)がない肌の表面は、的確に肉が潰れる感触と痛みをフィリモノフに伝えた。大の男が喉の奥から甲高い呻きを上げるのを尻目に、ぼくは次の段階の準備に取り掛かった。

「見境なく人命を奪うテロ屋に言われたくはありませんよ。仕方ないな。もっと仲良くなる必要があるらしい。」

「ま、待て! 一体何をする気だ!?」

「爪が落ちただけで人体にはまだまだ痛点が残っている。昔、ぼくもヘマしたことがありましてね。この手のことは少しばかり詳しいんですよ。今回は時間がないからちょっとラフに進めます。」

フィリモノフの汗が倍になり激しく暴れ出す。気持ちは良く分かる。でも今以上に口を割らせるためには回りくどいやり口は逆効果になる。ぼく自身としてもあまりこの仕事するのは好きじゃない。早く終わらせたいのはお互い様だ。だからぼくはなるべくフラットに告げた。

「硫酸ってどんな味かご存知ですか?」

 

「…で、どうだった?」

「ダメだった。喋ったネタは全部知ってることばかりだったよ。流石に情報統制は徹底されてる。」

事後報告の目途が立ったアキラはフィリモノフの尋問が終わったと報告を受け、タクミと一緒に別の尋問室を訪れていた。とは言っても、映画にあるような机と椅子だけの簡素なものではなく、清潔なベッドやテレビも置かれているタイプの変わった場所だった。そしてそのベッドには東洋系の少女が沈痛な面持ちで虚空を見つめていた。タクミが保護した少女だった。

「どう思う? 実際に見ると。」

「やっぱり俄かには信じられない。あんな子供が私たちの―」

「でも、事実は事実だ。念のために適応検査を受けさせたけど、トップレベルの数値を記録したよ。しかも伸びしろが見えないときた。」

「じゃあ、あの子はアンタと同じ事が出来るってこと?」

「確証はない。けど体に手術の痕跡や薬物が検出されてない以上、彼女が本物なのは疑いようのないことだ。()()()()()は現れたということだよ、アキラ。」

戦闘終了後、突然の緊急通信を繋げるものだから何事かと問い質してみると、人身売買の商品だった子供たちの引取先を探して欲しいという。そんなことで心臓に悪いエマージェンシーを使うなと釘を刺そうとしたところで、先の台詞が飛び出したわけだ。あの手この手で宥め賺してくるタクミに根負けしたのも原因ではあるが。そこで事情を聞いたカザマが手を打ち、NGOに引き渡す子供から彼女だけをアミュレット社で引き抜いて今に至る。

確証のない提案に苦言を呈するアキラに、珍しく食い下がってきたタクミの直感が間違ってるとは思えない。あの戦場で感じた途轍もないプレッシャーの波動は、この少女のものであることは疑いがない。しかし改めて対面すると、こんな小さな子供が我々のワイルドカードに成り得るとは到底思えなかった。

「対応が間に合って良かったよ。あのままじゃ人権団体に連れて行かれるところだった。」

「どうせ手続きの時に事情を聴かれて、都合の良い広告塔にされるだけよ。『許すまじ! 子供を売り払う冷酷非道のテロリスト』とか銘打ってな。」

「取り敢えず話してみてくれないかな? 女同士だと話しやすいかもしれないから。」

「一応この類の訓練も受けてるけど、私の顔見たら極悪MPと間違って怖がられて終わりのオチだと思うんだけど。」

「あの子はかなり酷いものを見てきた。ぼくを見ても怖がらなかったくらいだから、話し方さえ注意すれば平気だよ。何より要点は彼女が能力を自覚しているかどうかだ。」

 

「と言うわけで、チェン・シャオリーちゃんだったかしら? 今回アナタを保護した人の上司のナルミヤ・アキラです。挨拶が遅くなってゴメンなさいね。さっきまで怖いおじさんたちと会議だったの。頭の固い頑固者だらけでもう散々。お陰でランチを食べそびれてしまったわ。あ、英語分かる?」

真ん中に置かれたパイプ椅子に腰掛け、机を挟んで反対側に座る少女に、しばらく使ったことのない『優しいお姉さん』スタイルで接触を試みる。だが、生来の気質に合わないことはもちろん、顔の右半分を覆う火傷がネックであることは否めない。シェリー辺りに代わらせたら良かったと後悔した。

少女は中々に整った容貌の持ち主だった。アジア系特有のショートカットの黒髪は快活さとエキゾチックさを見る者に与えそうだが、卵型の輪郭にあるのは大人しそうなブラウンの瞳で、微笑めば小動物みたいな愛くるしさを備えている。しかし今は俯き加減で縮こまっており、小柄な体格もあって怯えた子犬を想起させた。

「…或者最好一共跟你说吗(それともそっちに合わせて話した方が良い)?」

運営業の激務の傍らで覚えた中国語でコンタクトを図る。日本語と英語はもちろんこの他にもロシア語、フランス語に堪能なアキラだが、昨今の市場を考慮するとやはりこの言語も外せない。何せこの業界、依頼先の4回に1回は中国人と当たるからだ。

しかし相手も中々手強い。同じ言葉を話せば多少は反応があっても良いはずだが、頑なに口を噤んだままだ。この後も腹が減ってないか、何か入用か、など差し障りのない程度に尋ねたが態度は変わらない。終いには通じてないのではないかと思ってしまった。

你因为好像感到累所以(アナタも疲れてるし)今天在这个开始吗(今日はこれでお開きにしようかしら)?」

「…上司って…戦争する人たちのですか?」

多少イントネーションがおかしいことを除けば、たどたどしくも聞きやすい発音だった。以前仕事で相手にしたイタリア系のクライアントの方がよほど酷い訛りで喋ったものだ。長い間沈黙を貫いていたという事前の報告に、長期戦になることを予想していただけに拍子抜けしてしまったが、注意深く観察すると少女の目には気弱そうな雰囲気とは裏腹にある種の熱が灯っていた。ここで下手に誤魔化しても会話の芽を摘み取ってしまうことになると感じたアキラは素直に答えた。

「まあ、アナタたちからすればそうなのかもね。確かに私はあの紛争に参加したPMC―アミュレット・インターナショナル・コンサルティングの代表です。」

「PMC…民間軍事会社?」

「へえ、良く勉強してるのね。でもあの辺に学校なんてなかったはずだけど、その英語は誰から教わったの?」

「お父さんから習いました。私の家は代々商家を営んでいて、暮らしは悪くなかったから…」

あの国で東洋人が生活していた区域は限られている。名前から察するに恐らく華僑の人間だろう。しかしそれだけではサイグリーに捕まり監禁されていた理由が分からない。保護してからまだ数日しか経ってないのを無理に聞き出すのも憚られるため、少し聞き方を変えてみることにした。

「ご家族の連絡先は分かるかしら? 知っていたら安否確認はできるはずだから。」

するとシャオリーの目の縁に透明な雫が溢れ、たちまち頬を濡らした。引きつった声を漏らし肩を震わせて両手で顔を覆う。その様子からどういう顛末を辿ったのか予想したアキラは、黙って隣に腰掛けゆっくりと抱き寄せた。少女はされるがままに胸に飛び込み、思う様に泣き続けた。

「…ゴメンなさい。急にこんなこと…」

「気にしないで。アナタは何も悪くないもの。」

落ち着いた頃合で用意したコーヒーを差し出す。まだグズついていたがしっかりとした手で受け取ったシャオリーは一息に中身を飲み干した。意外と健啖家なのかもしれない。どちらにしろ食べるくらいの元気はあるということが分かり、今度は踏み入った質問を出した。

「どうしてあの場所にいたの? それもアナタだけ隔離されてた。」

ピクリと小さな体が反応する。なるべく穏やかに接してみたつもりだったが時期尚早だったようだ。今回はここまでだな、と外にいるタクミに合図しようと席を立つ寸前で、袖を引っ張られた。どうやら話す気はあるらしい。しかし本人にとっては過酷な体験だったことに違いはなく、アキラは根気良く待ち続けることにした。

「…お父さんの仕事に同行したときに出会ったんです。」

頭を撫でたり背中をさすったりすること十数分、シャオリーはポツリポツリと口を開き始めた。

「あの戦いが起きる数ヶ月前に、物資の搬入を手伝う約束で都心に連れて行ってもらったときでした。この国でアフリカ系の人なんて滅多に見ないから印象に残ってたんです。そのときはただ顔を合わせただけで帰りました。」

「お父さんは何を運んでいたの?」

「分かりません。人が入るくらいの木箱をダース単位で運んでました。軍の人たちの食料品だって言われたんですけど、やけに重かったことを覚えてます。」

人が入るくらいの木箱という妙に具体的な言葉に、アキラはおおよその見当を着けていた。たぶん鹵獲したターミネーターだろう。スミロア共和国のように治安が極めて不安定なエリアに物を運ぶには、正規のルートでは危険が高く検問に引っ掛かってお縄に着くことも珍しくない。

サイグリー、ゴールドスタインは事前に地元の業者と接触して独自の輸送網を構築しているのだろう。シャオリーの父親も高い金を掴まされ、事情を知らないまま加担していたに違いない。最早正真正銘のテロリストの手口だった。

「…でも、その後、内戦に巻き込まれて家族が全員死んじゃって…私は偶々買い物で遠出してたので大丈夫だったんですけど…帰ってきたらみんな…!」

再び嗚咽を漏らし出した肩に手を伸ばし、そっと寄り掛からせる。しばらく泣き続けたせいで前よりも落ち着いていた少女は目を真っ赤にしながらも話を再開した。

「行き先が無くなって呆然としていた時に、あの人―トリフェーンって女の人が私を引き取りたいって言い出して、似たような子たちが集まってるって聞いて思わず着いて行っちゃったんです。でも何かの検査をされた後で私だけ離されちゃって、しばらくの間トリフェーンさんに銃やナイフの使い方を覚えさせられました。」

「検査ってどんなの? 何か思い出せない?」

「頭にバケツみたいな帽子を被らされて、お医者さんみたいな人たちが機械に何か打ち込んでました。それに確か…タキオンがどうとかって…」

アキラの形の良い眉がピクリと跳ねる。間違いない。この子は本物だ。可能性としては有り得る話だったが、まさか実在するとは思わなかった。それがこんなタイミングで現れたことは僥倖以外の何物でもない。しかし不味いことに、どうやら向こう側もこの子の価値に気付いていたらしい。ならば時間はあまりない。今にでも始めなければ手遅れになってしまう。アキラはこのチャンスを逃すまいと本題に切り込む決意を固めた。

「ありがとうシャオリーちゃん。もう十分だから結構よ。ゴメンさいね、疲れているところを強引に。これが最後の質問だから許してね。ねえ、シャオリーちゃん。アナタ、同じ夢を何度も見たことない?」

急に質問の方針が変わったことに戸惑いを隠せないシャオリーに真剣な目で構える。今まで優しく接してくれたPMCの女社長の雰囲気が180度変わってしまい、オロオロと目を泳がせる少女の手を両手でしっかりと握り込み、意識して強い声に切り換える。

「大切なことなの。今までの人生で怖い夢を見たことがあるか私に教えて。例えば…死にかけた夢とか。」

「あ、あの社長さん? 何かちょっと怖いですよ…?」

「答えて。本当に大事なことなの。」

「…物心ついた少し後から見始めました。特に機械の化け物が何度も出てきました。」

ため息が出た。望んでいたことではあるし、この事態に引き合わせてくれたことを神に感謝しても足りない。しかしよりにもよって、こんな小さな子でなくても良いだろうに。どのみちこうなってしまった以上、隠し立ては不要だ。アキラは目の前の可憐な黒髪の少女に真実の口を開いた。

 

「じゃあ、次はこっち。項目はB-6を開いて。」

「は、はい。」

数日後、シャオリーは端末を片手に四輪車に乗って広大な空間を案内されていた。球場並みの広さを誇る施設の中は野戦服の兵士たちが機材のメンテや銃の訓練を行っていた。スタッフの丁寧なケアのお陰で体調はすっかり元に戻り、保護直後の精彩を欠いた様子はない。ただ一つ変わっていることと言えば、その細い肩にA.I.Cのロゴが入った埃色のジャケットを羽織っていることだった。理由は例の会話まで遡る。

『落ち着いた?』

『ええ、まあ…でもちょっと信じられないです。ガンツがスカイネットの正体だったなんて。』

『安心して。それが普通の反応だから。けど、子供の頃からの悩みの原因は分かったでしょう?』

『ループ…でしたっけ? でも私、実際に死んだ覚えなんてありませんよ?』

『それはアナタの感応能力が…はあ、面倒臭くなってきた。とにかくアナタは特別な力を持ってるの。もう世界を動かせるほど強い力をね。ぶっちゃけ神様みたいなものよ。』

『神様って…そんな大げさな。』

『この際だからはっきり忠告するわね。シャオリーちゃん、アミュレット(ウチ)に入らない?』

『え?』

『今はまだ表層的な段階だから良いけど、アナタを監禁した連中はアナタの価値を知ってしまった。そう遠くないうちにまた連れ去りに来ると思う。』

『そ、そんな…!』

『早とちりしないで。まだ先の話だから。私の知り合いに逃がし屋っていう専門の裏仕事をする人がいて、その人に頼めば素性を変えて奴らの目を誤魔化せるかもしれない。でも、その場合シャオリーちゃん1人で生きていかなければいけないし、護衛を付けるけど安全を完璧に保障できるとは言い切れないのよ。』

『私、殺されるんですか?』

『そうはならないけど元の生活を送れるとは言い難いわね。最悪の場合、また閉じ込められて一生出てこれないかもしれない。そこでさっきの提案なんだけど、実はこの会社にアナタと似たような子たちがいるの。ついでに言えば私たちはそんな子たちを保護する仕事もしてるんだけど…シャオリーちゃんはかなり特殊な部類に入るから、ちゃんとした訓練を受けるべきだと思うの。』

『訓練…?』

『そう訓練。アナタのような強い子は力の使い方を知らなくちゃいけない。でないといつかアナタの中にあるものが、アナタ自身を殺すことになる。だから選んでほしいの。今までの自分を捨てて新しい人生を歩むか、それとも自分の中にある力を飼い慣らすか。』

『急にそんなこと言われたって、私は前の暮らしに戻れれば―』

『甘えるな!』

『しゃ、社長さん…?』

『アンタはもう普通じゃいられないの! 今こうしている間にも世界中がアンタを狙ってる。どこからどんな手を使ってくるか分からない。私たちが見張ってる間はまだ大丈夫だけど、いざというとき自分を守れるのは自分しかいない。そのためにも…ゴメンなさい。ちょっと血が上った。今日はここまでにしましょう。別に強制はしないからじっくりと考えてみて。』

『…ですか。』

『ん?』

『もう元には戻れないんですか?』

『能力を抑えるシステムが開発されてるって話を聞いたことがあるけど、まだ目途も建ってないはずよ。残念だけど。』

『そうですか…分かりました。私をここに入れてください。』

『…本気で言ってる? 取り消すなら今だけど。』

『そのつもりはありません。どうせ断ったってまたビクビクして生きなければいけないんですから。だったら私はこの力を少しでも誰かのために役立てたい。』

『最後の確認よ。本当に私たちのところに来る?』

『はい、行きます。』

『訓練もとても厳しくなる。大人だって逃げ出すくらい辛いものになるけど、それでもいいの?』

『ちょっと嫌ですけど…もう何もできないままは嫌なんです。』

『…分かりました。じゃあこれから手続きに移るから少し待っててね…シャオリーちゃん。』

『何ですか?』

『ありがとう。』

自分より一回り年上の女社長に最敬礼でお辞儀されたら、引けに引けなくなってしまい、シャオリーは正式に社員に認定された。そして今は研修として社の保有する施設を見学している。勢いに呑まれてとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないかと負のスパイラルに陥っていた時だった。

「それにしても凄いねシャオちゃんって。」

「え?」

隣の席でハンドルを握っている若い女性が僅かに興奮を滲ませた口調で話しかけてくる。確かオペレーターを担当していると言っていた。胸に付けた社員証のモニカ・ペレイロという名前を思い出したシャオリーは、オウム返しで聞き返した。

「だってまだ子供なのにいきなり戦術科に配属だよ。あの部署かなり競争率高いからほとんどの人が落とされるのに、入って数日で許可が下りたんだもん。こんなの前代未聞よ。ねえ、年いくつ?」

「えっと、15です。」

「えーっ、嘘!? 本当に子供じゃない! アレ? これって労基法違反とかになるんじゃ…?」

「あ、あの…?」

「ああ、ゴメンね。でも驚いたなあ。シャオちゃんみたいな女の子が兵隊さんになりたいだなんて。あ、勝手だけどシャオちゃんって呼ばせてもらっていい? こっちの方が可愛いと思って。」

「ええ、構いませんけど…でもペレイロさんもかなり若くないですか?」

「モニカで良いわよ。そうだなあ…22になるけど確かにまだまだヒヨッ子かもね。ここの人たち平均年齢の割りにレベル高いから。」

「あの不躾と思われるかもしれませんけど、どうしてここに入ったんですか?」

モニカは少し考え込んだ様子になると、苦笑して答えた。

「こう見えても昔は大学で情報を専攻してたんだけど、悪い遊び(クラッキング)に嵌っちゃってさ。バカやっちゃって追われてるときに、社長に誘われたの。逮捕されるか風俗に売り飛ばされる瀬戸際だったから、一も二もなく飛びついたよ。」

「怖くなかったんですか? その、こんな仕事だし。」

「最初はかなり迷ったわ。戦争なんて知っていることはテレビが精々だし、兵隊なんて見たこともなかった。実際この前の戦闘でも…」

「モニカさん?」

「え? あ、ええと、ゴメンね。とにかく後悔はしてないよ。待遇は悪くないし、いい人たちばかりだから。さてと、そろそろかな。」

長く続く地下訓練場をバギーを転がし続けた腕がハンドルを切る。相当奥まで来たようだが人気のなさが却って不気味だ。数分前まではまばらだった銃撃音も遠くで木霊するように響いている。知らず知らずのうちにバギーから降りるのを躊躇ってしまっていた。

「教官! ただいま到着しました!」

とある部屋の扉を開けるとそこには不思議な世界が広がっていた。ガンツを中心に円環に展開された10基ほどの金属の椅子。そのうちのいくつかに若い男性が腰を置き、頭にはガンツと接続された大柄なヘッドギアを装着していた。ゴーグル型のそれは頭部をすっぽりと覆うほど出っ張っており、傍目には機械と一体化した近未来人に見えなくもない。BGMかどうか知らないが何故かガンツからは、ホイットニー・ヒューストンの『I Will Always Love You』が流れていた。

「ああ、モニカさんか。この前はありがとう。君の的確なサポートのお陰でこうして無事に帰ることが出来た。」

「い、いえそんな! こちらこそ隊長のお手伝いが出来て光栄でした。」

照れているのか大仰に手を振ったモニカを野戦服の青年が優しく微笑み返す。年齢的にモニカと大差はない。ただ一目でその特異な外見にシャオリーは目を白黒させた。

中肉中背。顔の造形は東洋系の血が色濃く表れているが、特別整った美形というわけでもない。ゲームで言うなら村人Aみたいな平凡さだ。しかし問題はそれ以外のパーツにあった。何度も脱色を繰り返したのかと思わせるほど白い髪の下には黒い海賊風の眼帯が覗き、反対の頬にはこれ見よがしに一筋の傷跡が大きく縦に走っている。

一昔前に流行ったビジュアルバンドのボーカルよりよほどイタいと思わせる風貌に気後れしたシャオリーは無意識に頬を引きつらせていた。一方でモニカは普通に接しているのだから、他人の感性というのは良く分からない。

「あ、シャオちゃんこっちこっち。今日からアナタの指導を担当する人だから良く覚えておいて。」

「初めまして、というのも変かな。コガ・タクミです。よろしく。」

スッと流れる動きで差し出された手をぎこちなく握り返す。意外に堅い感触にロクに触れたことのない男性の手を意識させられて動揺するシャオリーをよそに、タクミは微笑を崩さないままモニカに告げた。

「じゃあ彼女はこちらで預かるから、君は通常業務の戻って。社長への報告はこっちで済ませておくよ。」

「分かりました。後はお願いします。じゃあシャオちゃん頑張ってね。」

軽く手を振ってモニカが扉の向こうに消えると、残ったのはバギーの駆動音とガンツの流す合成音声のオリコンヒット曲だけとなった。何か言わないといけない。気まずい沈黙が訪れそうな予感がしたので

「あ、あの!」

「ん? 何?」

「この前は助けてもらってありがとうございました!」

腰を直角に曲げるのを通り越して地面に着きそうなくらいお辞儀する。彼のことはよく覚えていた。あの地下室で出くわした時は身ぐるみを剝がされて殺されると思うくらい殺気立っていたが、いくら見た目が怖くても命の恩人に礼を言わないままでは失礼に当たる。

「ああ、そういうのはいいよ。こっちだって君には無理を言って入ってもらったんだ。本当なら頭を下げるのはぼくらの方さ。さて、じゃあチェンさんはこれから何をするか分かるかな?」

「えーと、訓練ですよね? 具体的に何をするかは知らないんですけど。あの機械を使うんですか?」

「いや、GUNQLVERSは使わないよ。確かに君のような()()()()()()には打ってつけなんだけど、君の場合は特別コースを受けてもらう。着いてきて。」

そう言って通されたのは打ちっ放しのコンクリートで固められた議事堂ほどの大きさの空間だった。何かの保管庫なのか擱座した機械の残骸や、雑多に散らばった資材が所々に置かれている。壁に引っ掻いたような跡があったことも違和感の要因の一つだった、

「教官さん、ここは何ですか?」

「訓練場だよ。と言っても他のところとは毛色が少し異なっていてね。暫くの間ここで特訓してもらう。ところで話が変わるけど、君は自分の事をどれくらい理解しているかな?」

「タキオンへの感応能力って奴ですか? 何か相当凄いって聞いたんですけど、いまいち実感が湧かなくて…」

「まあそうだろうね。そこで今回はチェンさんにちょっと実験台になってもらうことになったんだ。良い? 君は今から信じられないことを体験する。たぶん頭が追い付かずに自分を見失ってしまうかもしれない。でも信じてほしい。そうならないようにぼくがサポートするから。良いね?」

「はあ…分かりました。」

「決まりだね。チェンさん、ぼくはコーヒーにガムシロップを何個入れる?」

「知りませんけど。」

「2個だ。この質問をよく覚えておいて。よし、それじゃあ期待の新人にプレゼントだ。」

はい、とタクミが渡したのは小さな立方体の箱だった。可愛らしい猫のプリントがされてある包装紙に、丁寧にリボンが巻かれている。大きさに反して結構重たい中身が気になって包みを解くと、箱を開けた時にピン、と何かが外れる音がした。

足元に落ちたそれはプラスチック製の丸い輪っかだった。そして箱の中身を見ると手の平ほどの卵型の球体が木くずに混じって収まっていた。が、それが何を意味するのか認識する前にシャオリーの視界は真っ白なハレーションを起こし、凄まじい衝撃と一緒にブラックアウトした。

 

「じゃあ、次はこっち。項目はB-6を開いて。」

気が付くとシャオリーはバギーに乗っていた。A.I.C.のジャケットを着用し、手には端末を持っている。周りは同じ色の服を着込んだ人間が機械のメンテをしたり銃の扱いを訓練していた。そして隣ではついさっき別れたはずのモニカが、ついさっきまで握っていたはずのハンドルを左右に動かして、ついさっきと同じ台詞を喋っていた。

「え?」

「ん? どうかしたのシャオちゃん?」

「私どうしてここに…? さっきまで―」

「大丈夫? どこか具合でも悪いの? 少し休む?」

「い、いえ。すみません。大丈夫です。」

「そう? 気分が悪くなったりしたら遠慮なく言ってね。それにしても凄いね―」

一旦状況を整理してみよう。私はこのPMCに参加するにあたって研修を命じられた。今日は訓練を担当する教官との顔合わせがある。というかあった。そして意味が良く分からない会話が進み、プレゼントと言われて受け取った瞬間―

「ウッ!?」

「キャッ! ちょ、ちょっとシャオちゃん!?」

前触れもなくこみ上げた吐き気に手が間に合わず、たまらずに胃の中を吐き出した同乗者に動転してモニカが慌ててブレーキを踏む。急いで車から降ろして壁際に腰掛けたが、さっきまで元気だった様子の顔が血の気が引いたように青ざめたシャオリーに驚きを隠せず、急いで周囲の野次馬に担架を運ばせようとしたときだった。

『もしもしモニカさん? 少し遅れてるようだけど大丈夫?』

「それが急に具合が悪くなってしまって…今日のミーティングは延期してもらおうとしたところです。」

『そうか。記憶の定着は安定しているのか。』

心なしか嬉しそうな声音に戸惑いを覚えたモニカは、同僚から差し出されたペットボトルをシャオリーの口元に寄せながら

「とにかく彼女は訓練ができる状態ではありません。もう一度ドクターに診せて安静に―」

『いや、その必要はない。そのまま連れてきてほしいんだ。』

「は?」

何を言ってるんだこの男は? 体調を崩した訓練生を今すぐ連れてこい? あそこに医療機器はないはずだ。

『体調が悪いって言っても、ゲロ吐いたくらいでしょ? こっちに連れてくる間に治まるから問題ないよ。』

「ですがコンディションが整わない状態でのトレーニングは―」

『連れて来て。』

思わずゾッとするほどの低い声に言い返す言葉を持ち得なかったモニカは、渋々タクミのところにシャオリーを置いてきた。休憩室に通されてソファにもたれ掛かっていたところに、スポーツドリンクを渡される。しかしさっきの記憶のショックが大きすぎて、正直飲む気にはなれなかった。

「無理を言って悪いね。やっぱり初日だから緊張したのかな?」

「いえ、それよりもっと悪いって言うか…ああ、また思い出しそう。」

たまらずゴミ箱に駆け寄り嘔吐を繰り返す背中をあやすタクミ。一通り吐き気が収まったところでお礼を言おうとした時だった。

「ぼくがコーヒーにガムシロップをいくつ入れるか知ってる?」

このとき気持ち悪さが残っていて幸運だったと思う。そうでなければその言葉の意味を理解するのに数秒早くかかって、吐き気に頭の回線がパンクするのが相乗して手に負えなくなっていたかもしれない。どちらにしても混乱するのは変わらず、質問に上手く答えられなかったが。

「アレ? 覚えてないかな? じゃあ、君にプレゼントがあるんだけど。」

そう言ってタクミが差し出したのは猫の絵柄の箱だった。確かあの中を覗いた瞬間に意識が途絶えた。不可思議な現象の直前に焼き付いた記憶が浮かんだシャオリーは、慎重に言葉を選んで返した。

「すみませんけど手が震えて開けられないんです。もしかしたら()()()()()()()()()()()になりかねませんから、代わりに開けてもらえませんか?」

するとどういうことか喜色満面になったタクミがあっさりと箱を退けた。どうやらこれで正解らしい。ホッと安堵した反面、なぜこうなったのか分からないまま、彼の言葉を待った。

「合格だ。おめでとう。これで晴れて君は受容者(レセプター)になった。」

「レセプター?」

「タキオン粒子に感応できる人間の名称だよ。嚙み砕いて言えばループに適応できる人間だ。アキラからタキオンについては聞かされているでしょ? 君は数ある受容者の中でも最高の適性を持っているんだよ。GUNQLVERSも完璧に同調できるはずだ。」

「GUNQLVERS…Guider Unification Quantum-Linked diVERsity System(量子接続型汎用統合教導システム)でしたっけ。」

ガンツによりナノマシンを介して使用者の脳内に疑似的に仮想空間を形成し、人為的に脳波にタキオン粒子を同調させることで、本物とほぼ同等に再現された戦場を何度も繰り返し、訓練時間の大幅短縮を成功させた最新のVR訓練システム。さらには被験者の戦闘能力が劇的に向上したことから、巷では達人製造機(マスターメーカー)とも呼ばれている。

T-800の爆破テロの少し後に普及したこのプログラムは、世界中の兵士の生存率を底上げしたばかりか、新兵でもベテラン並みの戦果を挙げられる奇跡のOS、とアキラから説明を受けた。

しかしそんな便利なものには制約が付き物で、プログラムを受けるにはタキオン粒子に対する受容量=適応性が求められる。これが受容者の由来だ。つまりは長い間()()には、それに比例するだけの素質が必要になる。これは先天的なものに依存するので絶対数は少なく、さらに悪いことにナノマシンの安定した定着は少年期の人間に限られてしまい兵士の低年齢化が進んでいる。

だが高騰し続ける戦争市場の背景には貧困と破壊が蔓延している。多くの戦災孤児もこれに含まれており、裏ルートでは密かに子供たちをシステムに繋ぎ、強制的に戦士に仕立て上げる事件も起こっている。皮肉なことにこれが一層戦争を煽る要因の一つになっていた。

「隣の部屋では君と同年代の子がシステムで訓練している。でも君はそれ以前に不思議な経験をしたはずだ。ぼくの贈り物を開けた時に。」

「ひょっとして…アレがループ?」

「その通り。君は中々どうして察しが良いね。本来のループは死んだ瞬間にタキオン粒子の作用で決まったポイントに遡るんだ。ぼくの場合は意識が途切れた直後に兵舎のベッドにいた。」

「じゃあ、アナタは私と同じ力を持っているんですか?」

「厳密に言えば違う。ぼくは単体でループを発動できるけど、他人はシステムの補助で疑似的なそれを体験するのが精々。いくら君の才能が著しくても直接粒子を浴びたぼくとでは、脳波の質が根本的に異なるから、ループは使えないんだよ。でも大丈夫。さっきのテストで訓練方法が確立できた。」

「テスト?」

彼が説明する内容はこうだった。曰く、性質が異なってもシャオリーの脳波はタクミに干渉できるほど共鳴指数が高く、彼を媒介にしてループを発生させられる。これはどちらが死亡してもループは発生し、記憶も引き継がれることが後の実験で分かった。タクミはこの法則を利用してシャオリーの訓練を行うことを告げた。

「取り敢えず今回はお試しってことにしよう。」

結局その日は連れてこられた地下の訓練場でスーツに着替えさせられ、ヘトヘトになるまで跳んだり走ったりした挙句、月光の訓練機に1on1を強要され滅多打ちにされた後に、骨と内臓が諸共砕かれるまで踏み潰された。



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54.New Guys

扉を開くとそこにはいくつかの肉塊が転がっていた。どれもこれも体の色んな穴から血を垂れ流し、絨毯に編み込まれたトライブハートの幾何学模様が赤黒いシミによって台無しになってしまっている。ハリルはそんな家族の成れの果てをただ見ることしかできなかった。するとさっきまで物言わぬタンパク質の人形と化していたはずの父が頭をもたげ

「息子よ、生き延びろ。」

と枯れ木のようにしわがれた音を穴の空いた喉からヒューヒューと零した。大佐の階級に相応しい威厳に満ちた双眸は血の流し過ぎで髑髏の如く窪み落ち、いくつか欠けた指を生前より精彩を欠いた挙動でこちらに伸ばしてくる。

怖くなって隣の部屋に逃げ込むとやはりここにも別の肉塊があった。ベッドの上に素っ裸で放られたそれは隣に放置されたシャベルで殴られ続けたのか、顔は人相が分からなくなるほど腫れ上がり、千切れた片腕が枕元に転がっていたが、その手首に飾られたトパーズが散りばめられた腕輪から母だと判別できた。

「我らの仇を討つのです。それがお前の定め。」

その顔のどこから出てきたのか不思議なほど生きていた頃と同じ母の声が聞こえ、ますます恐怖に侵されかけたとき、ポンポンと背中を叩かれ反射的に振り返ると、5歳下の妹がハリルを見上げていた。母の血を色濃く受け継いだ繊細な顔立ちは当人と違って殴られた痕跡はないが、代わりに賢そうな広めの額に小指ほどの空洞ができ、ついでに剥き出しの股の間からは精液が零れ落ちていた。細い腕が胸に突き立ったナイフを抜いて、傷口から漏れる血漿に汚れちゃうね、と苦笑いしながらもハリルに差し出す。

「兄さん、これでアイツを殺して。私を、私たちを家畜みたいに殺したあの男を。兄さんならきっとできるから。」

ニコリと微笑んだ妹の顔は最早狂気を通り越して解脱したように清々しかった。

 

アルコールの匂いだ。鼻腔に入り込んだ嗅ぎ慣れた刺激臭を知覚したハリルは、直後に差した光に意識を引き戻させられ、脊髄反射で飛び起きた拍子に首が嫌な音を立てたのを感じた。鈍い痛みにひとしきり苦しんだ後、自分がベッドの上に寝かされていたことを知った。

「あら、起きた?」

仕切られたカーテンの向こうから女性のウィスパーボイスが響き自動的にカーテンが開くと、目の前にはカルテが大量に添付されたデスクと睨めっこしている白人女性がいた。豊かな金髪をフワフワと漂わせ、チェーンに繋がった眼鏡の奥にある穏やかなエメラルドの瞳が患者を優しく見つめている。厚ぼったい官能的な唇から温厚な喋り口に包容力を感じるタイプだった。

「投与からきっかり12時間…ちょうど麻酔が切れたみたいね。」

「ここは…」

「申し遅れました。私はアミュレット社の医療スタッフを務めるミレーヌ・ブノワです。専門は外科だけど他の事もある程度は出来るわよ。そしてここは私の職場。」

ミレーヌは長い間抵抗軍と契約して多くの兵士を診察してきたベテラン女医だった。現場で培った技術と経験は確かなもので、個人的に診察を願い出る者も多い。しかしスカイネットのテロにより職を失い、別の組織で闇医者を続けていた際に偶然仕事でその組織を叩いたアキラによって救出、勧誘されたらしい。

「別に珍しいことでもないのよ。ここで働く古参社員はほとんど社長のスカウトで入ったんだから。」

「そんなにあの人って凄いんですか?」

「あの若さで一企業のトップですもの。生半可な根性じゃやっていけないわ。ただでさえ女には厳しい業界だしね。」

そういうミレーヌもかなり若く見える方だ。特別化粧をしているわけでもないのに、20代でも通用する肌の張りを保っている。後で聞くと御年38という話だそうで、それを聞くとますますギャップが激しくなってしまう。

噂では隠し棚に大量の化粧品が保管されているとか、夜な夜な秘密の実験室で若返りの秘薬を調合しているとか、それを巡って女性職員の間で密かにコミュニティが形成されているとか。真偽はともかくとして彼女の存在はその外見的魅力や優れた腕前もあって、無くてはならないものとなっていた。

「会ったらお礼を言っておくのよ。瀕死のアナタを見つけて社の重役の反対を押し切り、ガンツを使って体を元通りにしてくれたんだから。」

「はい。」

「あと伝言ね。1400に第6訓練場まで来いって。そこで今後の処遇が決まるわ。」

「強制送還ですか?」

「さあ? 少なくとも悪い方向には進んでないみたいだけど。その証拠に―」

ビニールに包装された布を手渡され広げると、グレーの素地にA.I.C.の刺繡が施されたシンプルなデザインの上着だった。裏にはしっかりとハリルの名前が記されている。

「私からの退院祝いね。頑張って。」

 

「遅いぞ新入り! 予定の5分前行動は常識だろうが!」

診察と諸々の手続きで時間を予想以上に食ってしまい、昼飯もそこそこに訓練場に到着すると、待っていたのは巨漢の黒人の怒号と自分と同じ色の制服を着た同年代の少年少女の集団だった。かつて自分が率いていたグループの子供たちは見受けられず、大半が知らない人間に置き換わっている。

条件反射で身に着いた敬礼をしてすぐに隊列の最後尾に並んだ。どの子供も歳に似つかわしくない乾いた瞳だったのが分かり、また彼らがどういう境遇で生きてきたかも察しがついた。それでも珍しいのは意外にも統制が取れていることで、必ず1人は反発的な一匹狼や悪ガキ(ネスト)がいそうなものなのに、その服装や姿勢に一切の乱れがない。

「いいか! 今日からお前らは我が社の正式な職員だ。お前らが今までどんな肥溜めで生きてきたかは知らんし興味もない。だがその小さなおつむで銃を取ることを選んだのなら、与えられた信頼に応えてみせろ。今からお前の隣にいるのはお前の新しい家族、兄弟だ。お前は兄弟を裏切らない。兄弟もお前を裏切らない。それが絶対のルールだ。戦場で頼れるのはガンツでも眉唾物の伝説でもなく確実な信頼関係だ。そのためにお前たちは―」

長いな。開始から10分が経った頃、ハリルは既に話を半分聞き流していた。予め用意していた台詞なのだろうけど、年を食った大柄な職員の語り口は段々と熱を帯びていき、それに反比例するように周囲の少年たちも脱力しかけている。

軍で受けてきた訓練と比べると大したこともないだが、はっきり言って面倒臭いことこの上ない。世界は広くてもお偉方の訓示を延々と聞かされる苦行は万国共通だ。こういう行事には恒例の付き物ではあるが、今のハリルは早く終わらせてほしくて仕方なかった。

先の戦闘で自分は大怪我を負い、程無く死ぬはずだった。しかし社長の命令で治療を受け一命を取り留め、さらには願って止まなかったアミュレット社からの採用を打診されたということは、あの戦いで自分の実力が認められたと考えても不思議ではない。どちらにせよ訓練を始めたい。初陣で掴みかけた感覚をものにするためには1分1秒でも惜しいくらいなのだから。

「…よって、弾もろくに当たらないお前らにとっておきの助っ人を呼んでおいた。お前たちには事前に説明した特殊訓練を受けてもらうが、並行して基礎訓練も実施する。体力自慢の若い連中にはもってこいの特別メニューだ。()()が一連の訓練を担当する。」

暇つぶしに頭の中で戦いの記憶を辿っていたところで、ある単語(ワード)が引っ掛かる。彼女? 訝しむ少年たちをよそに壇上から降りた黒人に代わって女性がタラップを昇って来た。その顔にハリルは非常に見覚えがあった。

「えー、初めまして。シェリー・セシルです。これから皆さんの訓練を受け持つのでよろしく。」

最低限の挨拶を済ませさっさと引き返したシェリーに場がざわつく。自分達と変わらないほど若く見える女性教官に戸惑い2割、歓喜8割の空気の中で、ハリルだけはこれから起こるであろう未来をありありと思い浮かべてしまっていた。

 

瓦礫と埃が舞い上がりいくつもの銃弾が穴を穿つ空間をひたすらに突き進む。ハリルは大きめな崩れかけた壁を背にして、付近の様子を窺っていた。前方に2体。鋭敏になった神経が砂塵の中に潜む敵の存在を知らせ、同時に攻撃に移行しようとする気配を感じ取った。

システムのアシストで脳に状況に適した選択肢が数瞬ごとに送られ、視界に光学補正された建物や物体のシルエット、レーダー、身体のパラメータ等々が投影されナノマシンが送信する数値を淡々と映し出す。

接近警報。上方からエアロスタットが蠅みたく飛び回り、改造して取り付けたバルカン砲が砲身を回転させて大量の弾丸を吐き出す。一昔前に流行った自動掃除ロボットのような無人機がチェーンソーに似た唸りを発して出すそれを、脚力を全開にしてオリンピック選手よりも速く、半ば跳ねるように回避する。

目晦ましのチャフグレネードを投げ数秒後には目的地のコテージに突入し、タキオンへの感応で一瞬後に角から敵が来ることを察知したハリルはそのヴィジョンに従ってXショットガンのトリガーを押した。ソファーを蹴倒して衝撃に備える。息つく暇もなく現れたT-600のマシンガンが火を吹き、ソファーにバスバスとくぐもった着弾音が伝わるが、予め設定していたポイントに放ったエネルギーがタイミング良くチタン製の体を真っ二つにした。

「アルファ4、目標地点に到着。これより索敵を開始する。」

『了解。鉄屑どもの反応はない。対人戦に移行せよ。』

作戦の推移を見守る司令部の発したシグナルにより、Xショットガンに自動でセーフティが掛かり、代わりにナノマシンが網膜にYガンの使用許可が下る。SF的なシルエットのガンツの火器の中で、3つに分割された銃身を除けば比較的普通の銃のイメージに近い形のそれは、殺傷機能のない捕獲用の武器だ。

これも4年前の大規模テロのせいで人命に対するイデオロギー認識が高まった結果、ハーグ陸戦協定を批准する全ての軍事組織は非武装の人間に対してガンツの殺傷性を有するあらゆる武器の使用が禁じられたからだ。畢竟、使えるのは唯一の非殺傷武器であるYガンに限られる。今回の敵はターミネーターを違法に密輸入している某内戦国の幹部なものだから、敵がガンツを持っていないという想定で踏み込んでいた。

律儀にも一昔前の野戦服のままでライフルを抱えた男が扉を開けざまに反撃してくる。何発かがスーツを掠めるが気にも留めず、後部のモニタにロックオンのレクティルが灯ると同時に上下のトリガーを押す。Y字状に配置された銃身がブローバックした直後に青白いレーザーで同期したアンカーが放出され、男に真っ直ぐ飛来すると蛇のように絡みつきボルトで地面に固定した。頭から転送が始まるときには既にハリルは次の行動に移っていた。

「来たかアルファ4。」

先行していたチームの一員が大広間で柱に身を寄せながら、上の階から乱射する影に応戦していた。射撃において相手より上に陣取るのは常識だ。そのセオリーは最新鋭の装備に身を包んだ自分たちと時代遅れの旧式銃で武装した敵の間にも適用される。

「手間取ってるな。」

「ああ。お陰で予定より20セコンドオーバーだ。発煙筒がないのが恨めしいよ。」

「付近の味方はどうしてる?」

「ジェスのチームが真上に居るが2分前から応答がない。向こうも足止め食らってるらしい。」

頭上からビンが投げつけられる。口に火が付いたそれは割れると中身をぶちまけて盛大に燃え上がり、肌に暴力的な熱を叩きつけた。だが何より厄介なのは陰に潜んでいた自分たちの姿が明らかになってしまうことだ。煤の匂いと一緒に火薬の刺激臭も混じってくる鼻を抑えて

「狙撃班と繋いでくれ。こちらで誘導する。」

頷いた仲間が戦術データリンクでやり取りする傍らで手甲のコントローラーとYガンを併用し、投射したレーザーを基に敵の位置情報を伝達する。やや遅れて情報確認のコールがここから1kmほど離れた丘陵に待機しているはずの狙撃チームから返る。

数秒後、上階からズドンという重々しい衝撃が響きパラパラと埃が落ちてくる。障害物からそっと頭を出すとさっきまで精一杯撃ちまくっていた敵がいた場所は円形で掘削された跡が穿たれていた。狙撃犯によるZガンの援護射撃だった。ガンツウェポンの中で最大級の火力を誇るZガンは分隊支援火器だけでなく拠点制圧砲撃にも用いられることが多い。変わった使用法には工兵の破砕砲に転用されているくらいだ。

狙撃班に礼を告げてチームの背中に続き一気に回廊を突破する。目的の部屋に到達するのは順調すぎるくらい順調で、厳重な施錠は仲間がウォールバンカーで破壊し扉を蹴り空けると同時に閃光音響手榴弾(スタングレネード)を放り込めば、制圧は容易いはずだった。

「待て…何かいる。」

リーダーの指示に全員が隙なく身構える。まだ明る過ぎる室内をオルタナが自動補正し、オブジェクトの位置や味方のシルエットを教えてくれた。が、人数が1人多かった。

「スクラッパーだ!」

仲間の警告の直前に()()は手元から鋭い刃を顕現させ、ハリルたちに襲い掛かった。煙を裂いて現れた相手は自分たちと同様にガンツスーツを纏い、大上段で刀を振り下ろし早速味方を1人両断した。

「固まるな、バラけろ!」

咄嗟にタンスを蹴り上げ進路を塞ぐが時間稼ぎには程遠い。案の定予想し得なかった展開に仲間は浮足立ち、指示に従って動くことが出来ない。この状況では一瞬の判断が生死を分ける。タキオンが再び作用しタンスの向こう側の挙動を察知したハリルは、硬直した肉体を無理に動かし床に伏せた。

一拍遅れて頭上に黒い風が通り過ぎ異常に伸びた剣が壁ごと立っていた仲間を真横から切断した。あっという間に四方八方に血潮が飛び散り、腕に下半身から飛び出た臓腑が零れ落ちる。パニックの寸前まで行きかけたがシステムが感情の揺らぎを検知して脳内物質の分泌を抑制し、戦闘に最適な程度に調整する。

更なるアシストが働き10通りのフォーマットが示されるが、ハリルはそのどれとも違う行動を取った。牽制にアンカーを連射し敵の足を止める。無論弾き返されるが注意が逸れればそれでいい。即座に足元の閃光手榴弾を引き寄せ、ピンを抜いて投げる。これすらも予期され叩き切られるものの、ハリルが窓に到達するには充分だった。

ここが何階かも気にせず突っ込み割れたガラス片と一緒に落下する。着地してブーツから噴出したガスと同時に鳴った轟音に作戦の成功を確信したが、頭上がふと暗くなったことに反射的に空を仰いだのが運の尽きだった。

敵はくたばっていなかった。それどころか先程ハリルが割った窓から身を乗り出し、ジッとこちらを見ているではないか。詰めが甘かった。そう後悔する頃に映ったのは黒い影が飛び降り真っ直ぐに自分に刃先を突き立てる瞬間だった。

「やっぱり納得できねえ。」

2時間後、自販機の前で並んだ同期の少年が拗ねた顔で缶を握り潰す様子に、ハリルは黙って自分のものを飲み干した。G()U()N()Q()L()V()E()R()S()()()()()()()()()、技術官のチェックと専門のカウンセリングを受け反省のブリーフィングが終わり食堂に向かう途中、何度も呟いていた相棒の文句にそろそろうんざりする頃合いだった。

「仕方ないだろ。いきなりの抜き打ちテストだったんだから。」

「そうだとしても限度ってのがあるだろ。あそこでスクラッパーを出してくるなんて、もう嫌がらせとしか思えねえよ。」

今回の訓練は対ゲリラ戦を想定した要人捕獲任務だったのだが、最後の最後でターミネーターより遥かに厄介な駒を配置した会社側の思惑は推して知るべしだった。GUNQLVERSには被験者の適性に応じた訓練を施すことが出来る。射撃が上手いなら狙撃、化学や建築の知識に明るいのなら爆発物の取り扱い、運転に自信があるなら飛行機や車の操縦など、各人に最適な兵科(ジョブ)を見出してくれる。上級者になると特殊作戦の訓練も可能だが、数あるクラスの中でも最も人気なものが剣士(ソードマン)と呼ばれる存在だった。

この訓練を受ける者は受容者の中でも特に秀でた能力を持つ人間のみが選ばれ、特徴としてガンツソードを使用する傾向にある。ただ剣を振るうだけなら適当に剣術でも習えば良いが、銃弾が飛び交う現代の戦場でただ刀を振り回すだけではまったくもって意味がない。

ところが20年以上前にある人物がその矛盾を覆した。その人物は赤いガンツソードを振るいターミネーターを薙ぎ倒すばかりか、銃弾すら叩き落す離れ業を会得していた。マリナ・オーグランという名のその女は既に死亡したが、後年になって謎の英雄ジャップ・ザ・リッパーが同様の戦いを披露している。

研究の結果、両者にはタキオンに対する極めて高い同調が確認され、それによる一種の予知能力が働くらしい。さらに2人は超常的な空間認識能力を備えており、視認ではなく()()で敵の挙動を先読みできるというエピソードも残っている。

ずば抜けた直感や反射神経を持っていることも確認され、これまでの戦闘記録を解析した結果、テクノロジーと訓練次第で彼らと同等の感知能力を持つ存在を生み出すことが可能となったのだった。ただその訓練自体も決して易しいものではなく、気が遠くなるほどの時間と鍛錬を重ねなければ、欠片も予知することが出来ない。

GUNQLVERSのアシストで時間の問題はある程度解決できるが、それだけ長く()()()人間は極一部に限られてしまう。そのため適格者は訓練を受けられるというだけでエリート扱いされ生活も保障される。仮に訓練から脱落しても得られた経験値は他の受容者よりも遥かに貴重だ。

だがもしそれら全ての関門を潜り抜けかつての英雄たちの領域までたどり着けたのなら、その者は個人で戦況を左右するほどの戦闘能力を発揮する。事実GUNQLVERSが導入されて以来、世界中で卓越した戦果を挙げる兵士が急増し、ターミネーターを瞬時に切り刻む様からやっかみも込めて解体屋(スクラッパー)という別称も生まれた。ただそもそもGUNQLVERSはどこの誰が作ったのか、どうやってマリナとジャップ・ザ・リッパーのデータを入手したのか、という疑惑は闇に呑まれたままだったが。

「結局全滅だしよ。あの攻撃力は絶対盛ってるぜ。一撃で死亡判定が出やがった。」

「奴らのステータスを考えればおかしくはない。噂ではハーヴェスターを一太刀で倒したって例もあるからな。」

「そうは言うけどよ…」

「ハリル・スライマーンはいるか?」

入社の時に演説していた黒人の教官が良く通る音量で自分の名前を呼ぶのが聞こえた。ウーピー・ゴールドバーグの親戚かと勘違いするほどのボリュームだ。

「はい。」

「社長がお呼びだ。すぐに来い。」

「要件は何でしょうか?」

「本人が直接話すそうだ。遅れるなよ。」

正直嫌な予感しかしない。そもそも一社員に過ぎない若造に直々に伝えたい話とは何なのだろうか。いくら考えても思い当たることは無く、食堂から出てもその話が続いた。

「また何かやらかしたんじゃねえの? 倉庫から酒をかっぱらったとか。」

「オレはイスラム教徒だ。あんな不浄なものは飲まん。」

「お固い奴だな。だから女も出来ねえんだ。」

「そんな暇はないし興味もない。」

「有り得ねえ。人生損し...おい、見ろよあれ。」

内緒話するように耳を寄せてきた同僚の指差す先には、停車したバギーの上で朗らかに談笑する女性社員がいた。片方はOL風の内勤組だがもう一方はハリルたちと同じ戦術科の野戦服を着込んでいる。職種上女性の戦闘員というのは希少種とは言わないまでもあまりお目にかかれないものだ。ただ注目すべき点はもっと他にあった。

若い。それも恐ろしいほど。隣のオペレーターもかなり若いが、この少女に至っては大人にはない幼さがそのまま残っている。GUNQLUVERSの適正期間を反映すれば自分らほどの年頃の少年少女が集められても不思議じゃないが、さらに一回りほど小さく映るのは気のせいだろうか?

「中々可愛かったなあの娘たち。ハリルはどっちが好みだ?」

「あの東洋人ちょっと変わってないか? 小さい方の。」

「へえ、ああいうのがお前のタイプか。」

「いや、そうじゃなくて目がな...」

変な誤解を回避するために真面目に説明しようと試みたが、面倒になって止めた。どっちみち自分にもよく分かっていないのだ。あの少女が顔を背けていた時、人形のように虚ろな目をしていたなど。

 

「まずは体の動かし方だ。」

月光に蹂躙されること3回で訓練内容が変わった。そのときのタクミがたんこぶをこさえて鼻にティッシュを詰め、ついでにアキラが怖い顔で見学に来ていたのは何故か分からなかったが、この一方的な暴力の渦から逃れられるのは有り難かった。

連れて来られた場所は会社の敷地裏にある山岳だった。温暖湿潤気候と一括りにしても昼間の陽射しは中々にキツい。その中を延々と走り回されては汗腺が開きっぱなしになるのは必然だった。同じようにだらしなく開いた口から忙しなく喘鳴が漏れる。閉じないと体力が保たないと知りながらも足を止める訳にはいかない。そんなことをした途端、背後の追っ手に捕まってしまう。

習ったばかりの移動技術を思い出し、細かくせり出す岩々を飛び移って勢いをつけたまま、自分より倍はある高さの岩壁に片足を引っ掛け蹴り出す反動を利用しててっぺんを掴んだ腕を一気に伸ばす。上体が上がり切れば後は下半身を引きずり上げればいい。前傾姿勢のまま岩を飛び降り手近な草むらに隠れると、すぐに見覚えのあるシルエットが岩を軽々と超えてシャオリーの姿を探す。息を潜めて過ぎ去るのを願うばかりだが、意外にも影はこだわることなくその場を去った。

が、直後にシャオリーの足首が物凄い力で引っ張られ、呆気なく宙ぶらりんの態勢になってしまった。上下逆さまの世界に混乱する頭に電子時計の軽快な音が伝わる。白い髪を陽光に反射させながら追っ手が告げる。

「1分16秒。前回より4秒アップだ。」

シャオリーが受けていたのはパルクールの訓練だった。フランス発祥のこのスポーツは乱立する建物や鬱蒼とする木々の間を効率良く移動する目的で広まり、上達すれば忍者の如く動き回ることが可能となる。この戦争とは縁遠いスポーツが何故か大真面目にカリキュラムに導入されているのだから、タクミの考えていることが分からない。取り敢えず問い質してみれば

「戦略の相違だ。」

と小難しい台詞が飛び出した。

「抵抗軍の一般兵に対するガンツスーツは、『鎧』の認識を叩き込まれる。まあ、何発か当たっても良いから確実に撃ち殺せって意味だけど、特殊作戦要員は全く逆の文字通りの『強化服』としての使い方を仕込まれる。一般兵と違ってアクロバティックな任務を要求されることも多いからね。」

だから少しでも効率良い動き方を覚えさせられる。実際に障害物の行軍では専門の訓練を受けたチームが倍以上の差をつけてゴールに到達したそうだ。だが理屈と実践は別物だ。激しい運動というのはそれだけ肉体に対する負担に比例する。いくら山育ちで優れた柔軟性と俊敏性を持ち合わせていても、若干15歳の少女に何時間もぶっ続けで飛び回るスタミナを期待するのは酷というものだ。

しかも相手も悪過ぎる。お互い生身だというのにこの眼帯の教官は猿みたいに枝や地面を飛び移り、どんな場所に隠れてもあっさりとシャオリーを発見してしまう。最初はただ鬼ごっこするだけだと言われたのに、一向に順番が変わらない。遊びにかこつけた訓練だと分かっていてもこれでは面白くなかった。

「あの、これ何か意味あるんですか? スーツがあるんだったら大して変わらないと思いますけど。」

息も絶え絶えに募っていた疑問を口にしてみる。

「特にないよ?」

「え?」

「ああ、ゴメン。言い方が悪かった。訓練自体に意味はあるよ。ただぼくが教えているのは生き残るための基礎知識だけで、言う通りにすれば強くなるわけじゃない。大事なのはそれをどう工夫するかだ。例えばさっきすぐに隠れたよね。ぼくは逃げろと言っただけで隠れろなんて言ってない。」

「鬼ごっこって言ってたから隠れるのもアリって思って…だ、ダメでしたか?」

「真逆だよ。寧ろこれからの訓練でもっとするべきだ。事前にルートを決めるも良し、罠を仕掛けるも良し。訓練以外でぼくを殺すつもりで狙っても良い。ここはお上品な騎兵隊を育てる場所じゃないんだ。生き残りたければ必死に頭を回せ。言われたことを鵜呑みにするな。生憎と学ぶ時間はいくらでもある。」

その後はシェリーの許で射撃。携行もしやすいアサルトライフルでもシャオリーの体格には大きく、腰だめで300m先の標的に向けて引き金を絞る。耳に鋭い銃声が、腹に軽い衝撃が走る。が、的に当たったときのくぐもった音はせず、代わりに目標から大きく逸れてコンクリートの壁に硬質な反射音が響いた。

「トリフェーンのところで指導を受けたって聞いたけど、聞き間違い?」

双眼鏡で覗いたシェリーがポツリと呟く。心なしか失望した成分が含まれていた気がした。

「受けてたけど…すみません。」

「まあ、良いわ。努力次第で何とかなるから。次弾装填。次は伏射姿勢で撃って。」

「は、はい。あっ…」

変に焦ったせいか手が滑り指先に挟んだ弾丸が床に転がる。その音に混じって後ろに控えた訓練生の声も聞こえた。

「オイ見ろよ。あのチビまともに給弾も出来てねえぜ。」

「弾もほとんど命中してないようだな。何であんなガキがセシル教官に教えてもらってんだよ。」

自覚があるだけに彼らの言葉は余計に尖った感触を胸に感じさせた。

お次は近接格闘(CQC)の訓練だった。パルクールと同じくらい体を動かし、何度も殴る蹴るを味わう意味ではこの時間が最もきつい。気を抜いたらすぐにパンチが飛んできて、顎が外れそうになってしまう。

「肩で息をするな。落ち着いて小出しに呼吸するんだ。」

「は、はい…」

何度も投げられて床に叩き付けられること数十分。立ち上がるどころか腕を着くことさえ出来ないほど疲弊していた。もう二度と立てないのではないか。そう思わせるくらいに心身ともに尽き果てていた。幸いなことにその日は独りでに意識を失って終わった。

 

「ちょっと厳しすぎやしないか?」

A.I.C.の社屋に据え置かれた酒場(パブ)で、カザマは久々にタクミとカウンターに並んでいた。デスクワークで忙しいカザマもあまり寄らない場所だが、今日はもっと珍しい客が隣に座っている。それがさらにテキーラのショットを頼んでいたのだから、明日は雨でも降るのではないかと無性に心配になったほどだ。

「何が?」

「あの女の子のことだ。いくら何でもやり過ぎだろう。まだ3日だぞ。」

「別に死ぬような危険なことはやってないよ。もしものことがあればリセットすれば済む。」

「違う。心の問題だ。本当ならあの子はまだカウンセリングが必要な段階なんだ。それを無理に徴用してストレスを与えれば、最悪壊れてしまう。」

「そのために訓練を分担して効率的に回してるんじゃないか。さっきまで格技場で稽古に付き合ってたんでしょ?」

「だがヘトヘトだったぞ。お前のがきつ過ぎるからだ。もう少し優しくしないと嫌われる。」

「その点についてはアキラにも指摘されたよ。流石に初っ端から月光と戦わせたことは失敗だったと思ってる。けど時間が押し迫ってることも事実なんだ。今朝ミレーヌさんからシャオリーについて継承記憶の一部に欠損が見られたと連絡があった。どうやらこの能力(ループ)はそう都合良く働かないらしい。」

記憶の定着は1日8回まで。それが衛生科及び技術科の出した結論だった。それでも常人の8倍のスピードで経験値を稼げるのは驚異的だ。改めて彼らの価値が計り知れないものだと分かる。タクミ自身の意向で戦闘以外でループを使うことは無いが、その気になれば現実を思うがままに書き換えられる力はどんな兵器より―それこそ核爆弾より遥かに―恐ろしいものだ。もしもの事態を想像しゾッとするのを止めたカザマは

「それはそうと、お前の申請が通ったぞ。これでようやく数が揃った。」

「本当?」

「他の幹部連を説得するのは苦労した。正直まだ風当たりは強いし、お前も心得ておいた方が良い。」

「十分だよ。()()に勝つためには躊躇なんていらない。他人の心象を気にしてたら動きが鈍って戦えないよ。」

「たとえ子供に武器を持たせても…か。」

ライムを齧って塩を舐めショットグラスに注がれた透明の液体を一息で飲み干す。決して酒に強くない体質だが、そうでもしないとこの同僚が抱えているはずのストレスを緩和させるのは難しいだろう。この先さえ何度も少女を殺さなければならないのだから。下手をするとトラウマを刺激しかねないので、その少女の評価を探ると

「化け物だよ。」

の一言が返って来た。

「これまで色んな人材を見てきたけど、あれほどの才能を持った子は初めてだ。もしヨコスカでループを体験したのがあの子だったら、歴史が変わっていたかもしれない。それに性格面に難があるけど覚えも早いし機転も利く。運動能力に関してもかなりのものだ。鍛え甲斐があるよ。」

「じゃあ良いんだな? チェン・シャオリーを遊撃隊に抜擢すると。」

「待ってくださいよ。」

明後日の方から声が響いた。振り返ると薄暗いボックス席で屯っていた若手グループの1人がしかめ面でこちらを睨んでいる。中々の体格で兵士には充分なほどの屈強さをアピールし、浅黒い肌に覆われた顎は剃り残した無精髭が伸び、多少のだらしなさがあるものの不思議とセクシーな雰囲気も放出している。当人もそれを自覚しているのか制服を所々着崩して胸元を大胆に開いていた。



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55.The Hunger Games

特訓場で待っていたのはここ最近続けているパルクールではなく、珍しくサバイバルの訓練だった。所々に青痣を作って内心億劫になりながら、シャオリーは目の前でナイフで手際良くタクミに解体される蛇の末路を眺めていた。戦場では食えるだけでありがたいものだ、と説明を受けたが、年頃の少女としては皮を削いだり内臓を取り出す光景は、中々に忍耐を強いられる。山育ちで偶に父の狩猟に追いていくこともあったため、そこそこの耐性は出来たつもりだったが、やはり慣れるものではない。

「…こんなもんかな。よし、じゃあ同じようにやってみて。」

「は、はい。」

一通り処理が終わったらしく枝に蛇を刺して火にかざしたタクミが、ナイフともう1匹の蛇を手渡しする。まだウネウネと身をくねる仕草におっかなびっくりになりながらも、教わった通りに頭部を帽子のつばに咬ませて毒牙を折り、軽く切れ目を入れて皮を剥いていく。説明は簡単だが素人がやるとどうしても時間はかかる。どうにか済ませる頃には空も暗くなり、タクミも暇つぶしにペーパーバックを見ていた。

「終わりました。」

「どれどれ…うん、まあこんなものかな。食べていいよ。」

気軽に食事を勧められたがこの人は年頃の少女が、何の躊躇もなく蛇を口にできるとでも思っているのだろうか。しかし今回は食べるまでが訓練だ。故郷で食べさせられそうになった得体のしれない昆虫類よりマシだ、と自身に言い聞かせ意を決して齧り付くと、意外なことに美味しかった。やや骨が多いことを除けば鶏肉によく似た食感で、味も癖がなく淡白で食べやすい。腹が減っていたこともあってあっという間に平らげてしまった。

「良い食べっぷりだね…さて、おなかも膨れたところでビッグニュース! 何とシャオの特別選抜試験の参加が決定しました! おめでとう、パチパチパチー!」

強引に話を持ち出してあからさまに分かりやすい態度で拍手を鳴らす。パーティーで司会者にしたら失敗するタイプだと思った。間を開けて空気が白けるのもアレなので

「試験…ですか?」

「そう。実は昨日、試験のことで打ち合わせしていたらぼくの部下が君のことを…その、不適格だと訴えてね。新入社員にぼくらが付きっきりで訓練しているのが不公平って理由なんだけど、それだけで君を外すわけにはいかない。そこで! 良い機会だからこの際若い子たちで競争してもらうことになったんだ!」

試験の内容は追って説明する、と言われたがシャオリーにとっては自分が邪魔者扱いされていることの方がショックだった。当然といえば当然だ。モニカに聞いたことだがA.I.C.に所属する若手社員の一部は未成年だ。しかもその大半が戦災孤児や裏社会から保護された出自を持つ。戦争の激化に伴い慢性的な人員不足に陥った軍は徴兵年齢の引き下げを繰り返しているので、犯罪とはならないがその実GUNQLVERSの適合者を増やしたいという魂胆は見え見えだ。シャオリーもそんな世代に属するのだが、まだ戦場の右左も分からない子供に戦術教官(プロ)がマンツーマンで指導するのは、他者からすれば確かに面白いはずがない。

「日時は1週間後。それまでに所定の訓練は消化しておかなきゃね。よし、今日はここまで(リセット)だ。」

何気ない動作でバックパックから拳銃を抜き、弾丸を装填して照準(サイト)をこちらに向ける。この厄介極まりない能力のせいでタクミのしごきを受け続けているのだが、そんなことは他人に分かるはずもない。だが一方では文句を言ったという隊員に僅かだが優越感も感じていた。

一方、もう何度も繰り返された儀式だが、死という本能が拒絶する行為はいつまで経っても恐怖でしかない。銃殺なんかは痛みは一瞬で終わるが、最近は銃口を向けられただけで気を失いそうになるほど強張ってしまう。タクミは何度かリセットするために自分の頭をぶち抜くことがあるが、よくもあそこまで躊躇なく死ぬことが出来ると思う。練習のためにシャオリーもこめかみに銃口を押し当てたけど、いざ引き金を引く段階になるとどうしても出来なかった。

「あの…先生、どうしたらそんなに簡単に死ねるんですか?」

「急にどうしたの…ああ、なるほど。」

何か得心したタクミは銃を下ろし、そのまま焚き火をじっと見つめたまま話し始めた。

「リンゴを食べたことのない人がいます。その人はリンゴがどんな味か知っているでしょうか?」

「え…知らないと思います。」

「知識の上では甘いことくらい知っているだろう。でもどんな風に甘いのか、どれくらい甘いのかは分からない。だからどんなにリンゴの甘さを説明されても分かるわけがない。」

脈絡のない例え話が右から左に流れていく。正直言ってタクミが何を言いたいのかが分かるわけがない。パチッと弾けた火花が2人の間を舞い、空に吸い込まれていくのをよそにタクミは続ける。

「この仕事を続けて長いけど、やっぱり最初は怖かったよ。みっともない話、吐くわ漏らすわの連続でね。そんなぼくをマリナは救ってくれたんだ。君みたいな相談もした。どのみち死にまくったけど、あのとき色んな事を聞いておいてよかったと思ってるよ。お陰で今はあまり抵抗なくなったかな。」

「だったら相談なんですけど、一番楽な死に方って何ですか?」

「経験上は寝ているときに脳を撃ち抜かれたことだった。痛みとかほとんど無かったし。まあ、悩み事があるなら遠慮なく相談してくれていい。ループの苦しみは同じ痛みを知る者しか分からないんだから。」

「じゃあ最後に1つだけ…先生は今まで何回死んだんですか?」

「さあ? 4000回越えてからは数えてないや。」

そう言ってタクミはまた1つ薪を火にくべた。

 

そうこうするうちに期限の1週間が経過し、メールで知らされた集合地点の演習場に着いたシャオリーは、そこにいる人数に圧倒された。視界に入るだけでも50人はくだらない。年齢層は大半が成人以上だが、中には自分と同じくらいの少年少女も見受けられる。

「ここの人全員参加するの…?」

「そうだ。総勢86人…果たしてこのうちの何人が生き残れるか。」

無意識に出た不安に背後から答えが来た。そこには背の高い数人の若い男がいた。どれも今回着用を命じられた緑や土色を基調とした迷彩服をだらしなく着崩し、捲った袖から覗く肌には髑髏の刺青が睨みを利かせている。故郷でも見たことのある裏社会の人間だと見分けがついた。

「どちら様ですか…?」

「そりゃこっちの台詞だ。やっとこさ遊撃隊に入ってクソ面倒な訓練から抜けられっと思ったのに、何でお前みたいなド素人もいるんだか。ま、その様子ならちゃんと落ちるだろうけどな。」

完全にこちらを舐め腐っている物言いに、シャオリーの男に対する第一印象が原点を振り切り、マイナス領域に直行する。どちらかというと隠し事は苦手なので顔にすぐ出てしまうタイプなのだが、知ってか知らずか男は

「別にお前さんがどこでくたばっても結構だが、これだけは言っておくぞ。良いか、邪魔はするな。」

さっきまでのお茶らけた態度から180°変わって凄んでみせた男は、去り際にシャオリーの頭をやや乱暴に撫でていった。

「何なの一体…?」

「面倒な奴に目を付けられたな。」

手櫛ですぐに髪を直しているところに、別の男の声がする。その主もかなり若かった。シャオリーよりは年上だろうが、先程の男より上には思えない。2人ともやや肌が浅黒いのは同じだが、顔の作りはそこまで似ていない。同郷の人間でないことだけは確かだった。

「ルフィノ・ナバ・イ・バルデス。3年前からここにいる古株だ。裏社会の出身らしいが、詳しいことは不明。ただ、大勢の子分を従えているから油断していると何されるか分からないぞ。君は…確かチェン・シャオリーだろ。」

「へ? あ、はい…って、どうして名前―」

「いや、変な気はないぞ!? 訓練の途中で見かけて、随分珍しいなって思って…名前もコガ教官の話を偶々聞いただけだ。それより気を付けろ。この試験、下手したら死ぬかもしれない。」

「え!?」

「対策のために調べたんだが、遊撃隊は少数精鋭(フォーマンセル)を基本としている…つまり隊長の教官を除くと、合格枠は3人だけとなるんだ。これだけでも超難関だが、問題は試験の中身…噂だが去年はターミネーターと生身で戦わされたらしい。もちろん誰も突破できなかった。」

背筋が震える感覚。タクミの訓練を受けているから分かることだが、月光を始めとする無人機や機械相手にガンツスーツなしに立ち向かうのは、無謀を飛び越えて自殺行為に近い。それでも命の危険を伴うというのに、生身の肉体で挑むなんて、初めから合格させる気がないとしか思えない。今から自分がその試験に挑戦することに至ると、背負っていたバックパックが急に3倍増しになった錯覚に陥った。

死ぬかもしれない。今日、ここで。またあの耐えがたい苦痛に見舞われる未来を想像するだけで、食道から何かが込み上げそうになってしまう。反射的に競り上がるそれを飲み込もうとして、誤って気管に入ってしまいシャオリーは猛烈に咳き込む羽目になった。隣の男が慌てて背中をさすり、水を飲ませて呼吸を整える。

「大丈夫か?」

「は、はい…もう平気です。」

「気分が悪いなら近くの監督官に言うんだ。無理して出ても怪我するだけだ。」

「私なら…平気です。ここで頑張らないと、もう戻れないから…」

「そうか…ならオレと一緒だ。」

少し雰囲気が変わった気がした。心配(アンクシャス)ではなく共感(シンパシー)。緊迫した唇の引きが伸び、中から白い歯が覗いて彼が笑ったと認識した。安心させるためでも、安堵でもないぎこちなさが却って仲間意識を呼び、シャオリーも自然と頬が緩んでいた。

「そろそろ時間だ。オレはもう行くよ。お互いベストを尽くして生き残ろう。」

「はい。色々とありがとうございました…あの!」

「ん?」

「名前、聞いてなかったから…」

振り絞ったなけなしの勇気とは反比例に、口から出たのは恥ずかしさでか細く出て来てしまった声だった。その行為自体にますます縮こまってしまうが、幸いなことに男が気付いた様子はなくごく自然に答えてくれた。

「ハリルだ。ハリル・スライマーン。遊撃隊(向こう)で会えると良いな。」

 

時刻は午前10時。いよいよ開始時刻というときに複数のA.I.C.採用の野戦服を纏った幹部が転送された。その中にはシャオリーを会社(ここ)に誘った張本人―アキラ―もいた。

総員注目(アテンション)!」

クロッソン教官の鶴の一声で疎らに散らばっていた訓練生が、一斉に隊列を組み休めの姿勢になる。訓練ならば全員の動きが揃わなければやり直しとなるが今回は上手くいったようで、満足気に頷いたクロッソンはそのまま壇上から

「ではこれから試験概要を説明する。今回諸君に挑んでもらうのは、早い話がサバイバルだ。これから5日間、この第6演習場…通称『不帰の森』で君たちは殺し合いをすることになる。」

ザワ、と揺れる会場。しかしクロッソンはどこ吹く風と続ける。

「本当に殺す必要はない。開始前に配る武器類は全てペイント弾(シムニッション)を使用する。UMP(サブマシンガン)M97(ショットガン)M14(スナイパーライフル)の中から好きな得物を選べ。副兵装(サイドアーム)には拳銃(ガバメント)とナイフ、閃光手榴弾(スタングレネード)を渡す。ナイフは試験用のゴム製ペイント付き、サバイバル用の金属製の二振り使用のこと…次にオルタナを呼び出せ。指定ファイルはP-666だ。」

指示通りに薄膜上のナノレイヤーをデータリンクすると、現実の空間に幾何学模様のパターンが並び円形のホログラムを出現させた。どうやら今回の()()()()を表しているらしい。枠外には赤い光点が1つ蚊帳の外になっていた。

「この森は10km四方に渡りドローンを置いて境界線を設定している。地形は北から東南東にかけて河川が、西は崖を含む山の中腹、それ以外は森林地帯だ。赤い点は各々の現在位置を示している。そして肝心のルールだが至ってシンプルだ。試験終了までに最も敵を撃ち落とした奴が勝者となる。無論、撃たれたり故意に殺傷またはそれに近しい行為を行った者、無断でフィールド外に出た者は即座に失格とする。それ以外は何をやってもらっても構わない。これは云わばバトルロワイアルならぬサバイバルロワイアルという訳だ。ただし途中からこちら側の特別ルールを追加する場合があるので留意するように。」

特別ルールの単語に個々の反応が飛び交う。ボーナスか? それとも妨害? いやいやもしかして1発合格なんてことも…様々な憶測が交錯するが、現状確たる情報は揃ってない。すると小声で話し合う訓練生たちの間を紙の束が滑っていく。紙面には同意書と書かれていた。

「今お前たちに配ったものはこの試験の受験票みたいなものだ。舞台となる演習場(もり)は手付かずの自然が残されており、当然ながら道は整備されてないし狼や熊の類も珍しくない。下手をすれば怪我だけじゃ済まなくなるぞ。そういった諸々のリスクを背負える者は署名するんだ。逆に言えば止めるなら今だ。」

だがそんな脅し文句にすごすごと退散する人間は居なかった。経歴や年齢こそ違ってもここに居るのは経験を積んだ猛者ばかり。中にこの手の訓練を受けている者も居るかもしれない。全員をぐるりと見渡して辞退者が無いことを確認したクロッソンは咳払いして告げた。

「最後にアドバイスを。どんな状況になっても基本を忘れるな。教わったことを活かせば道は開ける。」

 

開始2日目でシャオリーは早くも脱落しかかった。オルタナの表示を信じるなら時刻は午後14時26分、現在位置は南西のやや起伏の大きい森林帯だ。鬱蒼と茂ったここなら簡単には見つからないし、下から来る敵に対して有利な条件で戦える。ただそれでもシャオリーは疲弊し切っていた。

同意書を記入し終えると受験者は1人ずつ仕切られたテントの中で得物と簡易装備一式を渡され、ガンツによって演習場のどこかにランダムに飛ばされた。初日はまだ我慢できた。問題は夜だ。冬でなくても山岳の夜というのはかなり冷え込む。普通なら火を使うところだがすれば最後、敵に気取られ即アウトだ。オマケに獣というのは夜になったからと言って人間と同様に寝るものばかりではない。寧ろそういった危険から身を守るための火でもあるのだけれど、ない以上は最小限の睡眠で済ませ警戒するしかない。

お陰で昨夜はろくに眠ることもままならなかった。さらに与えられた食料は1日分の干し肉のみ。余計なスタミナを消耗したせいで半分も食べてしまったからには、今後の食料の確保も問題となってくる。それに自分はまだ1発も撃ってない。唯一幸いなことはまだ他の訓練生に見つかってないことだ。だがいつまでも同じ場所に居ては接敵は必然だ。そろそろ移動しようと重い腰を上げた時だった。

『Special Mission』

オルタナに現れた文字列に垂れ下がっていた瞼の張力が蘇る。すぐに腰を落として内容を確認すると

『1430を以て第一の特別ルールを追加する。フィールド内に3体の仮想敵を配置。この敵性体は行動不能にすることでその者に10ポイントを加算する。なお敵性体も攻撃するので注意されたし。』

ボーナスポイントの追加。それも10人分。破格のサービスに思わず溜飲が下がる。こんな情報を見れば必ず動き出す人間が出てくる。そうなると1ヶ所に留まるのは危険だ。すぐに周囲に人影がないか確認し、UMPに弾倉を装填して物陰から物陰に移動する。

小さなアラーム。オルタナが特別ルール開始を通告した。髪の毛の先に至るまで神経を尖らせて警戒網を広げる。相変わらず緑林に変化はないが、それが逆に不安を駆り立ててくる。勝手に出て来た唾を呑み込み、深呼吸しようとした時だった。

少し周囲が陰った。何だろうと思った途端に物凄い力がシャオリーを持ち上げ、そのまま麓まで投げ飛ばされる。状況を確認する間もないまま、反射的に受け身を取ってダメージを分散した。もし力を抜いていなかったら落下の衝撃で呼吸もままならなかったかもしれない。地面が柔らかかった僥倖にも感謝しつつ坂上を仰ぐと、シャオリーは敵性体の正体を理解させられた。

シャオリーを放り投げたのはT-800、ターミネーターだった。どうして、と思う暇も与えられず、意思を半分無視した肉体が地を蹴り逃走に移る。プログラムの改良で走行を可能にしたT-800だが、パワー重視の設計が災いしその速力は常人と変わらない程度だ。さらに機関銃(ウルティマックス)を装備しているのだから、一層鈍重さに拍車が掛かっている。だがボックス型のドラムマガジンが供給する連射性能は鬼に金棒を与え、周囲をピンク色の弾痕で染め上げていった。

このままでは逃げ道を失う。頭の片隅でもう1人の自分が囁き、前方に座した大きくよれ曲がった樹木に当たりを付けて飛び乗る。パルクールの基本は自身の身体能力と足場の危険性を正確に把握すること。死んでからも訓練で叩き込まれた教えに従い、細かく枝や幹の上を滑っていく。ここにある樹木は太く丈夫に育っているので、成人男性が乗っても折れることは無い。上下にも広がっている分、地表(した)よりも立体的に動き回れる。狙いは機能し地上と比べて複雑に動く標的(シャオリー)をT-800は捉えきれなくなった。

目まぐるしく入れ替わる木々の中で青々と茂っているものに飛び込み息を殺す。すぐにその真下に機械特有の足音が届き心臓の音が聞こえないかふと心配したが、すぐにT-800は別の方向に向かったので杞憂に終わった。その安心感がマズかった。ズリ、という音が聞こえたと分かったときにはシャオリーは重力に囚われていた。悲鳴を上げる間もなく迫る硬い迫り出した岩。アレはきっと痛い。どこか他人事みたいに近づく死の瞬間。いつの間にか身に付いたのかリラックスして()()を受け入れることに努めて目を閉ざした。

衝撃は来た。だが思ったよりも柔らかいと感じたのは一瞬で、すぐに全身を隈なく痛みが襲った。二度、三度と視界が回転し最後に顔に地面が埋まってようやく泊まる。強く鼻を打ちつけたシャオリーは口に入った土をすぐにでも吐き出したかったが、出てくるのは浅い呼吸ばかりだった。

「おい…起きてるか…?」

千切れた思考が集まって来るのを待っている中、何かがシャオリーの視界を占拠する。逆光になって姿は分かりにくいが、まだ幼さが残るやや高い声には聞き覚えがあった。

「え…もしかしてハリル…さん?」

「良かった。死んではないようだな。」

ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、目つきが厳しくなる。

「悪いがゆっくりしてもいられない。さっきの物音で敵がやってくるはずだ。立てるか?」

痛みを堪えてOKサインを出す。頷いたハリルは細かく左右に目配せしながら、シャオリーに肩を貸し足早にその場を後にした。

幸運にも追っ手は無かった。2人は道中で見つけた小さな洞穴で怪我の治療を済ませた。全身打撲と擦り傷で痛々しいものの、骨折はなく出血も簡単な処置で治まった。その日の夜は彼が確保していたクレソン、イタドリ、木苺と獲ったばかりの川魚(ブラックバス)という中々のご馳走になった。僅か2日で4人を仕留めたついでに敵から物色したらしい。連日の体力の消耗で空腹の限界だったシャオリーは、ほんの数分で用意された分を平らげてしまった。後はもう眠るだけなのだが、その前にどうしても聞いておかなければならない。

「ハリルさんはどうして私を助けてくれたんですか?」

「あー、その…それは…」

気が抜けたところに喰らった一撃は効果的だったらしく、ハリルはしどろもどろになって頭を掻く。

「君が…妹とそっくりだったんだ。」

「妹さん…?」

「ああ、もう死んでしまったんだが、仕草とか妙に放っておけないところとか…アイツに似てたんだ。」

ベタ過ぎる答えに勝手に笑いが零れた。

「笑うなよ…」

やや傷ついた感じでハリルが肩を落とす。ただ、シャオリーとしては彼が悪い人間ではないということを実感するのには充分だった。とは言え出くわしたのは偶然だったらしい。特別ルールの仕掛けを確かめようと散策していたところでシャオリーとT-800の追いかけっこを目撃、追跡したという訳だ。

「すいません。でも、ありがとうございました。お陰で怪我もほとんど無かったし。ハリルさんは命の恩人です。」

「そう持ち上げるなよ。」

苦笑するハリルを見て再び笑みが零れる。初日がそうだったように夜は睨み合いが続く静かな戦いが繰り広げられる。入口を擬装していると言っても油断はならない。交代で警戒を続ける中、シャオリーは隙間から僅かに差し込む星の光が故郷でのそれと変わらないことを知った。

 

3日目の朝はオルタナに叩き起こされた。目が開くと『Special Mission』のアルファベットが並び、一足先に指示を読み取ったハリルが装備を整え飛び出していく。遅れまいと後に続いたシャオリーが辿り着いたのは南の森にだけある広場だった。

本部からの指示は『本日0825に指定するエリアで第二の特別ルールを与える。』という簡素な一文だけだったが、人を引き付けるには充分だったようでシャオリーは何度も他の訓練生と鉢合わせしそうになった。パルクールで木や岩を渡り、近くの高台に待機(アンプッシュ)したハリルの隣に到着する。

「お待たせしました。でも新しい特別ルールって何でしょうね―」

「シッ!」

口を開くや否や大きな手の平が覆う。その意味を悟ったのは広場に野戦服に身を包んだ一団が陣取っていたからだ。20人近くで構成されたそのグループは大人も混じっていたが半分は20歳前後の若者だった。そしてその中には試験開始前にちょっかいを出してきた男―ルフィノが指示を飛ばしていた。

「あの人は…!」

「どうやらこの大所帯のリーダーみたいだな。しかしよくもこれだけの数を集めたもんだ。」

一方でハリルは感心もしていた。まさか奴もこの試験の()()()()()を解していたとは。大口を叩くだけの知恵は回るらしい。恐らく今回の参加者の中で最大勢力だ。まともに撃ち合って勝てる道理はない。ここは静観に徹するとハンドサインを出す。

太陽が昇って3時間と少し。まだ辺りには濃霧が立ち込めている。何か仕掛けるには絶好の機会だ。もしかすれば昨日放たれたターミネーターが待ち伏せしている可能性もある。そのための逃げ道を計算しての陣地だったが、その心配はなかった。唐突に広場の一角に青白い光が現れる。全員が銃を構えると狙いの先には光が人型を形作り、霧散するとそこに立っていたのは白い髪の青年だった。

「コガ教官!?」

「先生!?」

驚きと訝しみが混ざった空気を気にもせず、堂々と一同の前に立つタクミ。後方で待機していたルフィノが人垣を割って出る。

「おはようルフィノ。朝早くから頑張ってるね。」

「これはコガ遊撃隊長。一体どうしたんスか? 確認しますけど今は試験中ですよね?」

「あれ? 聞いてなかった? 特別ルールの告知をしに来たんだけど。」

耳元で鳴る1回目と同じアラーム。ナノディスプレイに新たなウィンドウが出現し、コガのシルエットを赤く塗り替え、メッセージを表示する。

『これより仮想敵を1体追加する。この敵性体を排除した者は合格とする。なお敵性体も攻撃するので注意されたし。』

「行くよー。」

ウィンドウが閉じる頃には事態は動き出していた。足元の石ころを手近な部下に蹴飛ばしたタクミは、怯んでいる隙に距離を詰め背後を取って関節を極め盾代わりにした。味方を撃ってしまうのを恐れて手が出せないのは当然だが、この状況では命取りになる。一方、その心配がないタクミは人質のポーチから閃光手榴弾を抜き取り、軽く放った。空中で100万カンデラの輝きと高音を無遠慮に発揮し、相対していた者の感覚を一時的に奪う。

その有効時間は決して長いとは言えないが、次のアクションに移るにはお釣りがくるほどの余裕がある。ホルスターからM1911を拝借したタクミはまず人質を始末し、次いでに数人を仕留める。立ち直りが早かった1人がショットガンで狙うが

「撃つな!」

というルフィノの警告に一瞬硬直してしまった。同士討ちを回避したルフィノの指示は的確だが、正解とは言えない。一足先に察知したタクミが弾切れ(オープンホールド)になった拳銃を投げつけ、同じ手口で拘束し今度はショットガンで獲物を食らう。銃撃戦は不利と悟った味方が武器をナイフに切り替え射程外から接近するが、刃が届くことはなく銃床(ストック)で腹と腕を殴られ、奪い取られた自分の武器で脱落者の烙印を刻み込まれるのがオチだった。

「距離を取れ! 囲めば終わりだ!」

ルフィノの指揮も虚しく統率が取れなくなった烏合の衆に、タクミの快進撃は止まらなかった。乱戦(インファイト)に持ち込み強奪した武器を巧みに利用して1人、また1人とペイント塗れの餌食になっていく。最後の銃声が鳴り終わると立っているのはタクミだけだった。

「1、2、3…あれ、足りない。いくつか零しちゃったかな…ま、良いか。」

地に伏せる骸からゴソゴソと何かを物色し森の中に消えるまで、シャオリーたちはひたすらに息を殺すのに努めた。少しでも動けば気取られると分かっていたからだ。その場を撤収したのはもう少し後のことだった。

 

しばらくの間、両者に会話はなかった。逃げるのに必死でそれどころではなかったからだ。枝々を跳び回ってようやく安全を確保すると、水筒を呷ったハリルからルフィノを探すという珍妙な提案が出され、訳も分からないまま後に従った。ハリルが彼の逃げた方向を見ていたので、発見に時間はかからなかった。

「チームを組みませんか?」

そして見つけてからの第一声がこれだ。これには流石のルフィノも目を丸くし、擬装のために葉や石をかき集める腕を止めた。

「話があると言われて聞いてみれば、何言ってやがるんだ。それともついさっきコガの野郎にボコボコにされたことの当てつけか?」

「冗談で言ってるのではありません。正真正銘この試験を潜り抜けるために提案してるんです。アンタだって分かってるんだろ? A.I.C.の連中が何を試しているのか。」

「だからってオレにはお前らと組む義理なんて毛ほどもねえよ。大体、そこのガキが使い物になるのか? あの様子じゃお前の言ってる意味の半分も理解してねえぞ。」

急にルフィノの疑惑とハリルの困惑が綯い交ぜになった視線が注がれ、さっきから何を言ってるのか皆目見当つかなかったシャオリーの頭はパンク寸前だった。ハリルの表情からするとこちらが事態を把握している前提で切り出したようだ。だが残念なことにシャオリーは最近までただの商人の娘で、この2人のように場慣れしている訳ではない。訓練してきたとは言え経験値の差は絶望的だ。

「…シャオリーは今回の試験、どこかおかしいと思わなかったか? 閉鎖された空間、互いを殺し合うよう仕向けられた点数制…まるでオレたちを孤立させようとしているとしか思えない。」

「で、でもこれが試験のルールなんじゃないですか? 別にチームを組めと言われてないし―」

何となく口にした自身の言葉に、奇妙な引っ掛かりを感じた。そう、チームを組めとは言われてない。だが組むなとも言われてない。つまりこのルールの本当の目的は―

「チームワーク…!」

「そうだ。圧倒的に足りない情報に乏しい物資、周りが敵だらけになれば誰だって余裕がなくなる。更には異常にハードルの高い特別ルール…こんな状況を個人の力で乗り切るのは絶対に不可能だ。クロッソンの旦那も言ってただろ? 基本を忘れるなってな。」

確かに無人島や災害現場でも1人で耐えるよりも、仲間がいる場合の方が格段に生存確率は上がる。これは人間に限らず動物にとっても常識だ。だが理性というものは時に誤作動を起こし、見えるものも見えなくすることもある。合点がいったシャオリーにルフィノが追加のピースを繋げる。

「早い段階で目論見に気付いたオレは勘の良い連中を集めてチームを組んだ。数は多いに越したことはないからな。実際、T-800も極力被害を押さえて制圧した。まあ、10点もらった奴はもうくたばっちまったが。」

「じゃあ先生の出現は警告じゃないでしょうか?」

「何?」

「数だけ揃えても駄目ってことです。力押しで勝てる戦いには限度があるってことを伝えるために、先生は敵役になって参加したんだと思います。その、ただの勘ですけど…」

「いや、あながち間違いじゃないかもしれない。あのときの教官は銃を持っているどころかほとんど丸腰だった。にも拘わらずあれだけの大立ち回りを演じる。アピールには充分じゃないか? 少なくともあの人に数の論理は通用しないことが分かった。」

「奴のせいで人数もだいぶ絞られてきた。ここからが本番ってことだな…よし。今からオレたちで3人組(スリーマンセル)を作る。交戦規則(ROE)は隠密行動のものを基準とする。索敵と指揮はオレ、攻撃はハリル。そんでシャオリー、お前は…遊撃だ。」

遊撃という聞き慣れない単語に首を捻る。実技面は何とか身に付いていっているが、戦術に関する教練はまだ先の話だった。いまいち呑み込めてないシャオリーに面倒臭そうに頭を掻き毟ったルフィノが詰め寄った。

「良いか? こうするのには理由がある。まずオレは鼻が利く。これまで7人は見つけた。小隊クラスの班長も経験してるからこの位置がベストだ。ハリルは先の遠征で戦車型(タンクタイプ)のハンターキラーを破壊した実績があるが、新人の割には大した戦果だ。今回はその腕前を存分に発揮してもらう。シャオリーは…正直言ってこの中じゃ一番鈍いしひよっこだが、瞬発力とスピードは群を抜いてる。パルクールも悔しいが申し分ないしな。経験不足がネックだがオレがカバーすれば何とかなる。何か質問は?」

「こんな短時間で即席のフォーメーションを決めるなんて…」

「当たり前だ。参加する奴らの情報は一通り把握しているからな。」

この日、シャオリーは初めてルフィノに尊敬の念を抱いた。




半年ぶりの更新ですw
相変わらず駄文ですがお願いします


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