恋敵と過ごす、最悪の日 (場理瑠都)
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恋敵と過ごす、最悪の日
ファンの皆様を傷つけるような描写があれば、どうかお叱りを願います。
私の名前は黒桐鮮花。礼園女学院に通う16歳の一年生だ。
今日は、魔術の師匠である蒼崎橙子師の事務所である、伽藍の堂へ向かう日だ。
伽藍の堂では、私の兄であり、片思いの恋の相手である幹也が働いている。
私は、一週間ぶりに彼に会うことが出来る喜びで胸を一杯にしながら、伽藍の堂の階段を上り、橙子師のオフィスのドアを開く。
「おはようございます。橙子師。兄さん」
そんな私を出迎えたのは、
「お早う鮮花。お前、朝早いんだな」
ソファに我が物顔で座り、仏頂面で挨拶を返してくる、私の恋敵・泥棒猫・いつか必ず倒さなければならない宿敵――両儀式の姿だった。
そして、オフィスに彼女以外の人間はいなかった。どの机にも、幹也と橙子師の姿は無かった。
「どうしたんだ鮮花? 喫茶店に入った途端に頭上から水をぶっかけられたみたいな顔をしているぞ」
入り口でショックのあまり硬直した私に、式が言葉をかけてくる。って、私をどんな状態に例えているのよこいつ!
私は、きっ、と引き締めた顔を式に向けて、聞いた。
「橙子師と兄さんはどこ? なんであの二人がいないで、あんた一人がくつろいでんのよ?」
式は無言で、橙子師のデスクを指さした。私がそこに近寄ると、デスクの上には、橙子師の筆跡で描かれた書きおきがあった。以下は、その文章である。
「鮮花へ。本来今日は私がつきっきりで指導する予定だったが、急な仕事で出かけなければいけなくなった。本来なら黒桐に行かせてもいいような内容なんだが、あいつめ、今月分の給料を払えないことを伝えたら、金策するからって早退した。我が儘な社員を持つと、経営者は苦労させられる。まあそんなわけだから、今日は私が帰って来るまで、ルーン文字解説書の内容をノートにまとめていろ。式が留守番しているだろうから、仲良くするんだぞ。橙子より」
は~~~。私はため息を付いた。給料をろくに払ってくれない経営者を持った社員も、苦労すると思いますよ。橙子師……。ブラック企業よりひどい。
だがまあ、仕方がない。幹也に会えないのは残念だけど、本来の目的は修行なんだし。私は書置きの隣に置いてあったルーンの本を持って、自分の机に座った。本とノートを開き、自習を開始する
式はソファーに座って、本を読んでいる。カバーをかけた状態なので、本のタイトルは分からない。
十分間、私がペンを動かし、式がページをめくる以外の音が、室内から消えうせる。
十分後、私は沈黙を破った。
「ねえ式」
「ん?」
「幹也もいないのに、何であんたはここにまだいるのよ?」
「帰ったってやることが無い。なら、ここにいようが部屋にいようが同じだろ? それとも、オレがここにいちゃ都合が悪い理由でもあるのか?」
「別にそんなことはないけれど……。ちょっと待ちなさいよ。やることが無いなんてないでしょ。あんたは仮にも学生じゃないの。勉強しなさいよ。ちょうど試験の季節でしょ今は」
「勉強? あんなの、教科書を一通りざっと読むだけですぐわかる。試験に備えてわざわざやることなんて皆無だよ」
ぐ、何よこの天才発言。嫌味なの。
それからしばらくまた、沈黙が続く。ペンを走らす音とページをめくる音だけが、室内に在りつづける。
沈黙を破ったのは、またしても私だった。
「ねえ」
「何だ今度は」
「あんた今、なんて本読んでるのよ」
私はノートを向いていた顔を上げて、式の手元の本を指さした。
「お前には関係ない」
式は本から目を離さずに、答えた。そう言われると、なぜかますます好奇心がわいてくる。
「教えてくれてもいいでしょ」
「オレが何を読もうと、オレの勝手だろ」
式の頬に、わずかに赤みが差しているのを、私は発見した。
「あっそ。じゃいいわ」
私はまた、ノートに目を戻す。
数分の沈黙ののち、私は、立ち上がった。
静かに、ゆっくりと、ドアに向かう。式は本に夢中で私の動きに気がついていないようだ。私の机からドアに向かう道筋は、自然と式の座るソファーの近くを通ることになる。
だから、彼女のすぐ前を、通ろうとした瞬間に。
「もーらいっ!」
「あ!」
式の読む本を、素早く手元から抜き取って、机に駆け戻った。急いでカバーを外す。
露わになった本のタイトルは、
「家庭料理大全~夏の彼の胃袋をゲット♡しちゃう、女子必見レシピブック~」
料理の本だった。それも、若い女性向けの、読むだけで頭の中に砂糖が湧いてくるような、スイーツ臭の香り立つ。
「返せ!」
慌てて駆け寄ってきた式が、すごい力で私から本を奪い返し、胸に抱えた。顔が、すごく赤くなっていた。
私は「ふ~~ん」と彼女の顔をにやにやしながら眺めた。
「な、何だよ。気持ちの悪い顔をして」
「あんたも結構、可愛い所があるじゃない」
「~~!」
式の顔は、燃え盛る炎のように真っ赤になった。
「うるさい!」
彼女はずかずかと歩いてソファーに戻り、どん、と座り込んで、また読むのを再開した。
「もうカバーかける必要なんてないでしょ」
「黙れ」
式の言葉は、どこかどすが効いていた。これ以上からかうと私を殺そうとしてくるかもしれないので、私はまた、勉強に戻ることにした。
午前も終わりに近づいた、十二時近くになってのこと。
「鮮花、お前、今日昼飯はどうするつもりなんだ?」
もう本を読み終えたらしい式が、両手に頭を載せてソファーに寝転びながら、聞いてきた。
私はちらっと、時計に目をやって、そろそろ食事時であることを確認した。いつもは、橙子師が食事を用意してくれるのだけれど、あいにく今日師はいない。
私は立ち上がった。
「近くのコンビニで、お弁当を買ってくるわ。何なら……」
私はちらっと、式を見る。
「あんたの分も、買ってきてあげるけれど?」
「いや。オレは用意があるからいい」
式はソファーから立ち上がると、傍らのカバンから風呂敷包みを取り出して、私の机の正面の机の上に置いた。風呂敷を解いて現れたのは、二段の重箱だった。
「……もしかして、お弁当箱?」
「ああ」
式は二段の箱を分離して、並べて置いた。
「ん? でも、あんた一人でそんなに食べるの? なんで二箱も……て、ああ……」
「何だよ」
式は私を睨んだ。微かな頬の赤味と、不機嫌そうな、拗ねたような仏頂面。多分もう一つの弁当は、幹也のために作ってきたんだろう。でも、式が来た時にはもう幹也は早退していて……って事情が見えた。
「欲しいのか」
「え?」
「オレだって二人分なんて食えないからな。お前が食いたいなら、一つは食っていいぞ」
恋敵が好きな人のために作った食事を頂くなんて、本来の私のプライドからすれば、絶対ありえないんだけれど、敵の戦力(どれだけ料理が出来るのか)を知っておくのも、今後の戦いのためには必要かもしれない。
「ええ、いただくわ。ありがとう」
「ほれ」
式が、私の机に弁当箱を片方、つつっと押してきた。私は蓋を取った。鮮やかなグリーンピースごはん。から揚げ。だし巻き卵。イチゴ。それらの食べ物が整然と調和よく詰められていた。
(まあ、形は良い感じに整えているわね……。どれ、味の方はッと……)
「いただきます」
ちょうど、式が自分の弁当を開いて箸を入れるのと同じタイミングで、私も弁当の中のご飯に、箸を差し入れた……。
一分後、私は完全に打ちのめされていた。
式の作った弁当が、すごく美味しかったからだ。
これに打ち勝つには、私はかなりの修業を必要とする。橙子師に加えて、プロの料理人に弟子入りするべきレベルかもしれない。
「すごい美味しいわよ、式。悔しいけれど……。習ったことでもあるの? 料理教室とかで」
「いや、特にない。だけれどまあ、オレの家の専属料理人は腕前が良いからな。あの味に近づけようって独学でやってたら、褒められる程度には上達した」
さらっと、「専属料理人」なんて言葉を出すあたりに、私とこいつとの家柄の差を感じてしまう。庶民の黒桐家に対して、こいつは良いとこのお嬢様なのよね……。
「鮮花は、どうなんだ。料理を習ったりしたこともあるのか?」
式が、聞いてきた。顔には、純粋な好奇心らしきものが浮かんでいた。
「そりゃあるわよ。兄さんを手に入れるためにね。男は料理の上手い女に弱いんだから」
悔しいのは、私だってこれまでの人生でそれなりに研鑽を積んできたというのに、それでも式の料理の腕前には到底かなわないって、確信できてしまうことだ。
式の方はといえば、私の答えに顔をしかめていた。
「お前、よくもまあ堂々と、あいつを手に入れるだなんていえるな。オレにも兄貴がいるけれど、そんな感情一度も覚えたことないぞ。この変態」
「あなたにだけは変わり者呼ばわりされたくありません」
「……あんな奴の、どこがいいんだ?」
式の問いに、一瞬私は考える。一体私は、幹也のどこが好きなんだろう。
だがすぐに、そんなことを彼女に話す義理なんてないって気が付いた。答える代わりに、質問で返してやった。
「あんたは兄さんのどこが好きなの?」
式はもちろん、それには答えなかった。
「はー、終わっちゃった」
私はペンを手から離し、座ったままで伸びをした。時刻は午後の三時過ぎ、橙子師の帰って来ないうちに、ルーン文字解説書のまとめを、私は終えてしまったのだ。師が帰って来るまで、何をして待てば良いのだろうか……。
ちらっと、私はソファーにいる式に何気なく目をやった。
式は、仰向けの姿勢で、ソファーに横たわり、目をつぶっていた。。
「式?」
暇つぶしに、私は、呼びかけながら彼女の傍らに歩み寄る。
ちょうどソファーの肘掛の部分に頭を寄りかからせている彼女の顔は、明らかに眠っている人間のそれだった。
肩をゆすってみても、耳元でささやいてみても、全く反応しない。相当の熟睡のようだ。ゆったりと上下する胸の動きだけが、彼女を死体ではなく生きている人間だと証明している。そのぐらい深く眠り込んでいる様子だった。私はそんな両儀式の寝顔を、じっと観察した。
そうしていると、ため息が出てしまう。確信してしまう。
こいつは、両儀式は、とても綺麗だ。
幹也がべたぼれなのもわかる。二年ほど前、帰省した実家で初めて式と会った時、私はショックを受けたものだ。
よりによって、こんな美少女が、幹也の前に現れるなんて。
しかも、幹也と、カップルになるなんて。
ただでさえ、実の妹なんてハンディキャップがある私が、どうすればこんな人から、幹也を奪えるって言うの……? 私は人生で初めて、絶望に近い感情を覚えた。
今でも時々、私はそんな感情に襲われてしまう。どんなに頑張ったって、こいつから幹也を奪うことなんて出来やしない、と、そんな風に考えてしまう。
今日のように、両儀式と身近に接する時が、多くなればなるほどに。
一人の人間として、同性の少女としてなら、幹也を巡る対立さえなければ、多分私は、彼女を好きになれると思う。彼女は、同性の私から見ても、魅力があるのだ。
凛々しくて。
料理が上手で。
なんだかんだで優しくて。
男のそれではあっても、決して粗野ではない口調で話すところとか。
上品に着物を着こなすところとか。
そのくせどこか見ていると危なっかしくって、庇護欲をそそるところとか。
「………」
私は、何となく、周囲を見渡した。
橙子師が帰ってくる気配はない。
ここで私が何をしようとも、それを目にするものはいない。
ところで、私は禁忌というものに弱い。
幹也に恋をするのも、兄への愛が、禁断の愛であるからだ。
ところで、私の通う礼園女学院には、同性愛的というか、少女同士で単なる友達以上の関係を育む子が、結構多い。
無論それは、全寮制で、男っ気が皆無に近い環境からくる、一種の代償行為であって、本気の恋愛感情を少女同士で育んでいるものは、少数だろう。
ただ、女の目でも美しいと思えるような子は、周囲から羨望の視線を受けたりしていて、お互いに美しいと感じている者同士だったりすると、始終一緒に行動したり、クラスメイト見ている前で体を密着させたり、見ていない所ではキスをしてたりして……。
かくいう私も、同級生の女の子から、「付き合ってください」と言われたことが、1,2回はあったりして。
そんな環境下に置かれていて、しかも禁忌愛好家である私の前に、神の創造物の中でも特に美しい部類に入る式がいて、しかも無防備な眠りの中にいるというこの状況。
……私が、誘惑に負けたとしても、しょうがないことだと思う。
私は式の顔に顔を近づけ、彼女の唇に、私の唇を重ねた。
式の唇は、柔らかくて、温かかった。
そのまま、十秒ほど、私は彼女の唇を味わった。
私が唇を離した時も、式は眠りを覚まさなかった。
午後三時半ごろ、式は目を覚ました。
ソファーの上で体を起こし、ちらっと、机から彼女をじっと見る私の方へ、怪訝な視線を送った。
「どうしたんだ? 鮮花。耳が赤いぞ」
「うるさい」
私はぷいっと、顔を背けた。
その日、橙子師が帰って来たのは、午後四時過ぎだった。私も時間までに礼園に戻らなければならなかったので、その日の直接指導は、結局無しになった。
それから、さらに一週間後。私は、伽藍の堂にきた。
「おはようございます。橙子師。兄さん」
「お早う鮮花」
今日は、橙子師はいた。自分のデスクで、タバコを吸っている。そして……。
「お早う、鮮花」
ああ。今日は幹也がいる。その顔を見ただけで、私の胸が高鳴った。
式もいた。やはりソファーに座っていて、コーヒーを飲んでいる。
……先週の事を思い出して、私は式をまともに見ることが、ちょっと出来なかった。
「鮮花。先週は直接指導してやる約束だったのに、破ってしまって悪かったな。今日は代わりにたっぷり教えてやる」
橙子師が、言った。
「だがその前に、一つ話がある。こっちにこい」
何の話だろう。私は、怪訝に思いつつ、橙子師のデスクに近寄った。彼女は、私の耳元に口を寄せ、ひそひそと小さな声で話した。
「鮮花。もう君には、使い魔の事は話したな」
「はい。魔術師が使役する、下等な生物ですよね。既存の生き物を元にして作ったタイプと、魔術師自身の肉体から作るものとに大別されます」
「そうだ。それでだ。私も魔術師の端くれとして、使い魔を複数持っている。その中には小さな虫型タイプもいてね。そいつは自分の見た光景を映像として保存して、後で主である私に見せてくれる機能を持っている」
「……」
何だろう。嫌な予感がした。
「私は普段、ここを留守にするときには、そいつを天井のあたりに張り付かせておくんだよ。監視カメラ代わりにね。例えば、先週みたいな日にはね」
「……!!!」
「君が式にしたこと、見させてもらったよ。礼園に在籍しているのだから遅かれ早かれそういう趣味に目覚めるんじゃないかと思っていたが、まさか式に興味を覚えるとはねえ。やっぱり黒桐の妹だ。嗜好がそっくりじゃないか」
ク、ク、ク、と橙子師は含み笑いを漏らす。
「橙子さん。式がどうかしたんですか?」
幹也が、私たちの方を向いて、聞いてきた。
「ああ黒桐。実はな、昨日鮮花がこの部屋で、もが?!」
私は急いで橙子師の口を塞いで、兄さんに微笑む。
「な、何でもないんですよ兄さん」
橙子師の耳元で、囁く。
「お願いですから、兄さんにも、式にも話さないでください! 一生のお願いです!」
必死に懇願しながら、私は先週、誘惑に負けた私を、これ以上ないってくらい、呪うのであった。
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戦いは終わらない。
その宣言は、ある日突然告げられた。
「式と、結婚することにしたよ。」
……私の実の兄であり、私の初恋の人であり、私が恋をしている黒桐幹也という男性から、そう告げられた時。
私は、世界が一瞬で真っ白になったような、錯覚を、覚えた。
「うん・・・・・・。びっくりするよね、突然。」
その人は、顔をほんのりと赤らめながら、ちょっと恥ずかしそうにしながら、でもまっすぐと妹である私を見ながら、言葉を続けた。
「一昨日さ、式にプロポーズをしたんだ。その場ですぐ、了承してもらえた。昨日、父さんと母さんに報告したよ。二人とも、驚いたけれど、喜んでくれた。本当なら、昨日のうちに鮮花にも電話していうべきだったのかもしれないけれど、やっぱりこういうことは、じかに会って言おうって思ったんだ。式は、鮮花にとっても友達だったわけだから。」
彼の言葉は、私は音として聞いていた。ただの音として。
彼は照れ臭そうに頭をかく。私からの祝福を、当然のものとして期待するように。
だけどそれは、長く続かなかった。幹也は一転、心配そうな顔になって、私に声を掛ける。
「鮮花・・・・・・? 何で、泣いているんだい・・・・・・?」
当惑する、彼の顔を視界から打ち消すように、私は顔を背け、走り去る。
「鮮花!」
彼の声を振り切って、私は、黒桐の家から駆けだしていった。
雨の降る外を、傘もささずに。
馬鹿ね。私。
分かり切っていたことじゃない、こんな日がいつか来るなんて。
それなのに、「惚れるより惚れさせたい」なんて、ちっぽけな女のプライドなんてものにしがみついて、ずっと気持ちを伝えることから逃げてきたのは私じゃない。幹也は悪くない、式だって悪くない。
今私が感じてる苦しさも哀しさも切なさも、全部私、黒桐鮮花の行動が招いた、当然の罰なんだ――。
私は、走った。どこへ行く当てもなく、雨の降りしきる街を。
顔を濡らす涙を、覆い隠してくれる優しい雨の下を。
走り疲れて、私は止まった。道の真ん中で、荒い呼吸を整え、しゃがみこんで足を休める。
全力疾走の反動で、疲れた私はそのままそこにしゃがんままでいた。しゃがんで、顔を下に向けたまま、しばらくすると。
体にかかる、雨が消えた。
顔を上げた私の目には、頭上にかかる傘と、
「この莫迦。風邪ひきたいのか?」
その傘を持って、呆れたような顔で私を見下ろす、両儀式の姿。
今、私が、二番目に見たくない人物。
私は立ち上がり、無言で彼女から、歩み去ろうとする。
「おい、待てよ。」
無言で、歩く。
「どこ行くんだよ、鮮花」
「どこだっていいでしょ。あんたには関係ない。」
つい、口から出てしまう、とげのある言葉。本当は、彼女に私がそんな態度をとることに、正当性なんて欠片もないって、わかってるはずなのに。
「関係ないなんて話があるか。もうじき、姉妹になるんだぞ、オレたち」
私は、彼女を振り返った。
涙と雨で、滲んではっきり見えなくても、私は彼女を正面から睨みつける。
でも、なんて言葉を言えばいいのか、何も思いつかなかった。
「……その顔見た感じ、もう知ってるみたいだな。」
言って、彼女はため息をついて、
また、私に、傘をさしてくれた。
「まあ・・・さ。」
同じ傘の下で、式は私に語り掛ける。
「お前だって、俺に言いたいこと、いろいろあるんだろうけどさ。・・・・・・とりあえず、どっか屋根の下で、体を乾かしてから、オレを罵れよ。」
私は、無言だった。
それを式は、了承のしるしと受け取ったらしい。
「あのビル、もう使えないからな。アーネンエルベに行くぞ」
傘を持って歩きだす彼女に、私は無言で歩を合わせた。
喫茶店は、すいていた。きっと雨のせいだ。私たちは、窓際の向かい合った二席に座った。
「俺はコーヒーを頼む。お前は?」
「・・・・・・いらない。」
それが、私がお店に入って初めて口にした言葉だった。
オレンジ色の髪の店員さん(女の子だ)が、式の注文を聞いて、去っていった。。
テーブルを挟んで、向かい合う私たち。
「・・・・・・さっきは、傘をさしてくれて、ありがとう」
沈黙を破ったのは、私だった。
どんな相手であれ、してくれたことには、お礼をするべきだから。
「別に。雨に濡れた女なんてみたくないからな。」
そう言って、ぷいっと窓へそっぽを向く式。
「……いつ、教えられたんだ?」
何を、とは。式は言わなかった。
「……さっき」
コップに目の焦点を合わせながら、私は答える。
「あいつのことだから、腹が立つほどの笑顔で言ったんだろうな」
「……ええ。嬉しそうだったわ。」
「・・・・・・・」
「・・・・・・そういえば、あなたは何であそこにいたの? 兄さんに頼まれて、私の事探してくれていたのかしら」
「そんなわけあるか。偶然だ。・・・・・・本当なら、今頃、お前らの両親に会ってたはずなんだがな。」
ああ・・・・・・そうか。
式はまだ、父さんと母さんへの結婚のあいさつを、していなかったのね。
「あの馬鹿の鈍さのせいだぞ、全く。・・・・・・にしても、らしくないな。」
「え?」
「お前だよ。さっきからおとなしすぎる。てっきりいつもみたいに、オレにつっかかってくるのを予想して家を出たんだけどな、今朝」
「……失恋の直後なのに、そんな元気ないわよ。」
そう。
私の恋は、終わったのだ。
「・・・・・・」
式は、無言で外を見つめている。
「……大切に、してあげてね」
私は、言葉を続く。
「あの人、馬鹿だから。妻のあなたが、よく気を付けて上げて。無茶しないように――」
「それでいいのか?」
式は、私を向いて、言った。
「-え?」
「オレがあいつと結婚したら、お前の恋はおわりだなんて、それでいいのかお前は?」
「……仕方、ないでしょ。」
「そうか、所詮お前の幹也への想いなんて、そんなことで終わっちまう程度に過ぎなかったんだな」
・・・・・・ぴき。
何だろう、私の心に、一つ、ひびが入った気がした。
「まあそうだろうな。実の妹を愛するなんて、常識的に言って無理だし。最初っから不可能な望みだったんだ。むしろ、これでよかったんじゃないか?」
式はべらべらと、らしくない饒舌を振るう。私を、嘲笑うように見ながら。
「何しろ、これでお前はもう、あり得ない望みの為に努力する必要がなくなったんだから。別にあいつに二度と会えなくなるわけじゃ無いし。可愛らしい妹として、これからも傍にいられることに違いはないんだからな。」
私の手の先が、震えているのが、見えた。
「良かったな。これからはもう、オレと張り合うための無駄な努力なんてする必要も無いぞ。オレとあいつの幸せな結婚生活を、近くで見られる権利をやろう。幸せのおすそ分けって奴さ。まあ俺も、旦那が妹と仲良くしてるのを咎めるほど狭量な女じゃないからな。なんなら、お前があいつと時々一緒に出掛けたり、体を密着させるぐらいなら大目に許してやっても――」
「・・・・・・にしないで」
「・・・・・・え?」
「馬鹿にしないでって、言っているのよ!」
私は、声を荒げ、立ち上がった。
「幸せのおすそ分けですって! 大目に見てやるですって! あんまり私を舐めないでよね! そんな風に油断してる横で、私は幹也を誘惑してやるんだから! 幹也が妻の立場に安心してるあんたのことを忘れて私に乗り換えるぐらい、魅力的な女になってやるんだから! 私は、、、私は、、、」
息を整え、真っ直ぐと式を見つめ、私は言う。
「絶対に、あんたから、幹也を、奪い取ってみせる!」
・・・・・・沈黙が、流れた。
私は荒い息をぜえはあと整える。
「あの~。お客様。少し、お声を小さくしていただけないでしょうか・・・・・・。」
沈黙を破ったのは、コーヒーを手にしてやってきた、オレンジ色の髪をした女の子の店員だった。私の傍で、おずおずと声を掛けてくる。
我に返り、私は周囲を見回す。・・・・・・カウンターにいるもう一人の店員(緑の髪の女の子だ)を含めた、店内の人たちみんなが、私のいる方を見つめていた。
羞恥で、顔が、溶けてしまいそうだった。
式が、店員さんから受け取ったコーヒーをぐいっと一飲みして、立ち上がった。
「ったく。手間かけさせやがって」
そう言って彼女はレジに行き、緑髪の店員相手に精算をする。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
店を出た彼女を、私もすぐに追いかける。
「なんなのよ、あんた。・・・・・・もしかして、元気づけた、つもりなのかしら。」
「さあな。オレも何でこんなことしたのかわからない。」
雨はもう、やんでいた。
私たちは、雲の切れ間から降り注ぐ陽の光を浴びて、並んで歩く。
「あんた、馬鹿でしょ。将来のライバル作っちゃったじゃないの」
「あいつは浮気なんてしないよ。」
「大した自信ね。すぐに打ち砕いてやるわ」
「ああ、それだな。きっと。」
「? なによ」
「お前のそういう生意気な言葉、嫌いじゃないんだよ、オレは」
顔を俯かせて、ちょっと恥ずかしげに、式は言った。
・・・・・・なんか、私も、恥ずかしくなった。
顔を俯かせながら、並んで歩く私たち。あれ、なんだろう。これだとなんか、私たちって恋敵同士ってよりむしろ恋人同士――
って、何馬鹿なこと考えてんのよ私! こいつは敵!
・・・・・・はあ。
なんか、勝手に落ち込んで泣いてたさっきまでの私、馬鹿みたい。
敵にすら奮起させられるなんて情けない姿曝しちゃった。
結局、私は「黒桐鮮花」なんだ。黒桐幹也に憧れる、女の子なんだ。それを変えることは出来ない。
だから、幹也が誰と結婚しようと、私の想いは消えないし、私のユメも、絶対にあきらめることは出来ないんだ。
だってそんなことしてしまったら、私は黒桐鮮花じゃないんだから。
上を、見上げる。
胸を張る。
「……ねえ式」
「ん?」
「これからも、敵同士ね。」
「お前がそう思うならな」
「でも、これだけは言っておくわ。できればこんなこと言うの、今日が最後であってほしいのだけど。」
「何だ?」
「ありがとう。」
「・・・・・・」
式は、何も答えなかった。
雨上がりの空の下、私たちは、黒桐の家を目指して、歩いていった。
「それにしても、結婚するにしても早すぎじゃない? 確か貴方、まだ高校卒業してないでしょ。」
「あと数か月で卒業するよ。別にオレは今スグじゃなくてもいいんだけど……あいつが、責任はすぐにとりたいとか言ってさ……」
「責任?」
私は、式を見る。
彼女は顔を赤らめながら、手を、おなかのあたりに当てていた。
まるでそこに、大切なものがあるように。
「あんた、まさか――」
「あんまり、言いふらすなよ? 一応はまだ在学中だしな。外目でも目立つ頃には、もう卒業しちまってるけどな」
「……呆れた。狡猾なのね。既成事実を作って、結婚しなければならないように仕向けるなんて」
「別にオレは、一人でも産んで育てるつもりだって言ったからな。」
「幹也がそんなのほっとくわけないでしょ。堕さない段階で計画的犯行は確定ね」
「あいつの子どもを、堕すなんて出来るか。」
「うわ! あざとい熱愛アピール!」
「・・・・・・ふん!」
式はそっぽを向いた。
私は、既に計画を立てはじめていた。予定日が近くなれば、式は恐らく入院を余儀なくされる。つまりその間、幹也はこいつと離れて生活せざるを得なくなる。誘惑のチャンスが発生する。妻の妊娠中に浮気する様な男なんて願い下げだけど、その間に私の魅力をたっぷりと刷り込んでおけば、その後で恋が芽吹く種となる・・・・・・。
黒桐鮮花、気合い入れていくわよ!
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