Doctor Who Who is this girl? (ストロマトライト)
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彼女はドクター Part1

初めまして、ストロマトライトです。
Doctor Who、日本では知ってる人は知っている作品ですが、認知度はそんなに高くないかな……。
SF好きの方やフーヴィアンの方々にも読んでいただければ幸いです。


光も闇も呑み込む巨大な時空の渦の中。

その渦の中で今まさに、ある青いポリスボックスが物凄い回転をしながら進んでいく。

時たま発生する時空雷に当たりながらも、その青い箱は止まることを知らず進み続けていた。

いや。「進んでいる」よりは「流されている」の方が正しいか。

「まずいまずいまずいぞ! あらゆる機能が低下し始めてる! 」

ポリスボックスの中では、一人の人物が火花を吹き出す周囲の機械類と格闘中であった。

「タイムワープに入った途端これだ。どうやら少し面倒な渦に突っ込んだらしい」

奇妙な音を発するドライバーのようなものを周囲の機器に向けながら、その人物は誰に言うわけでもなく叫ぶ。

「計器類は全部ダメか。一体ターディスはどこへ向かってるんだ?」

ポリスボックスは、もはやその人物の制御下にない。ただ流されるまま、渦の中を転げていく。

どこにたどり着くのかは、検討がつかなかった。

「何とか安定させないと……そうだ、これなら!」

手近にあったチューブを引き抜いて、ドライバーの光を当てた。

するとどうだろう。ボックス内部に独特の轟音が響き、モニターに到着するであろう年代と緯度、経度が表示される。

〈AD1947 Feb 16 Latitude: 35.45217787 Longitude:139.43637193〉

そして次第に回転は止み、動きは安定し始める。

「よし! 今日はついてる! 行ける、行けるぞ!」

 

 

少年、文月 司(ふみつき つかさ)を取り巻く日常は概ねありきたりなものと言える。

11歳までは父親の仕事の都合もあってアメリカにいた。その後日本に戻り、中学を卒業して高校へ。最初の頃は慣れないことも多かった日本での生活に、今はすっかり慣れきっている。

関東に数年ぶりに雪が降って二日が経った今日という日も、外にまだ雪が残っていること以外はいつもの日常が彼を取り巻いていた。

「えっ、Readingの宿題って35ページまでじゃないのか!?」

「違うよ。36までだ」

「まずい、昼休みあと5分しかない! 悪い司、ノート見せてくれ!」

呆れ顔で司はノートを友人に手渡す。

これが彼の日常。全国の高校2年生とほとんど変わるところはない。命の危険を感じることもなく、主だった悩みと言えば近づきつつある大学受験と進学校ゆえの宿題の多さくらいのものである。

「ほら時間ないぞー。あと3分くらいか。あの先生は時間通りに来るからなー」

「お前は鬼か!? クソッ、絶対書き写してやる!」

友人が必死でペンを動かすのを横目に、司は授業の準備をし始めた。

これが日常である。多少退屈ではあるが、司に不満はなかった。日常上等。平穏な生活万歳。座右の銘は「普通が一番」。漫画やアニメの主人公のように、非日常を経験したいと思ったことなど彼には一度もなかった。

「ほらあと30秒。急げ急げ」

「いや間に合うね! 間に合わせ……」

死に物狂いになる友人。だが無慈悲にも授業開始のチャイムは鳴る。

「休み時間終わったぞ。全員席に着けー」

そして時間きっかりに、教師も教室に入ってきた。

「はい時間切れ。というわけでノート返せ」

追い討ちをかけるように、司は友人から自分のノートを取り上げる。

「ちょっ……あと少し! あと少しだけ!」

「残念でした」

こんな生活が、もう随分長く続いている。だがこれでいいと、司は思っていた。この画一化された毎日を送っていくうちに、嫌な記憶も辛い記憶も埋もれていくはずだから。

 

 

司がいつも通りの日常を送っていたのと同じ時、日本の閑静な住宅街に独特のエンジン音が響いた。

それまで何もなかったはずの建物と建物の間に、突然青いポリスボックスが出現する。

「色々あったけど一見落着。とりあえずここが1947......」

ポリスボックスから一人の「少女」が現れ、辺りを見回した。

「1947年じゃあ……なさそうだ。やっぱりさっきの雷で少し狂ったかな? っと、それよりも……」

少女は再びボックスの中に戻っていく。

 

 

「でさー、文月はもう志望校とか決めてんの?」

「そうだなあ、理数は全然出来ないから私立だと思うけど。なるべく都内の」

日が落ち始めた夕暮れ時、司は友人と帰路についていた。

最近はクラス内でも友人間でも専らこの話題でもちきりだ。あと数ヶ月もすれば最高学年、高校3年生である。受験や大学の話がよく出るようになるのは自然な流れといったところか。

「でもいいよなぁ、文月。お前12歳までアメリカいたんだろ。文系で英語得意っていうのは強みだよな」

「別に特別得意ってわけじゃない。俺より出来る奴はいっぱいいるし。それに俺は英語出来ても古典がなぁ……」

「古典はフィーリングだよフィーリング! 所詮は日本語だ」

「ほーお。で、そういうお前は前回の古典何点だった?」

「……39点」

「つまりフィーリングじゃ解けないってことだろ」

いつもと同じ帰宅の光景。会話も対して変わらない。

恐らくこのまま、自分は高3になり、受験戦争に揉まれ、どこかしらの大学に行き、社会人になり、歳をとり、上手くすれば家族にでも看取られながら死ぬのだろうと、漠然とながら司は考えていた。

つまらないありきたりな人生だと思う者もいるだろう。だが、この世界にはその程度の幸福な生活さえ送れない人間が掃いて捨てるほどいること考えれば、全く贅沢なことだ。

今日もこのまま、いつもと変わらない1日が終わろうとしている。

「じゃあな文月。また明日」

「おう。明日な」

大通りの交差点に差し掛かり、司は友人と別れた。

「そうだ、買い物頼まれてたんだっけ」

思い出したようにポケットからスマートフォンを取り出し、母からのメッセージを確認する。

玉ねぎを買い忘れたから買ってきてほしい、とのことだ。

「スーパーに行くんだったら……こっちか」

真っ直ぐ家へ帰るのとは異なる方向に足を進める司。

この一歩は、彼の運命を大きく変えようとしていた。

 

 

「ない、ない、ない、ない……どこいったんだ?」

ポリスボックスの中で、少女はある物を探していた。

「鏡がないと顔が見えないじゃないか! 僕は今どんな姿なんだ? なるべく若ければいいんだけど」

すると唐突に、少女は自分の顔をペタペタと触りだす。

「うん、皺はあんまりなさそうだ。これは期待できるぞ。とりあえず鏡だよ鏡……」

 

 

スーパーで買い物を済ませて司は帰路に着いた。

ロゴの入ったビニール袋には玉ねぎが一個。これをぶら下げて歩くのは少々間抜けかと思い、バッグの中に入れる。

時刻は5時18分。

まだ時間が少しあるから本屋にでも寄って行きたいところだが、さすがに頼まれた玉ねぎを持っているのではそれも気が引けた。

「今日はもう真っ直ぐ帰るか」

夕陽はほぼ完全に沈んでいた。周囲もすっかり暗くなっている。どこかで烏の鳴き声が聞こえる。辺りに人は全くいない。

変わらない風景。

同じ日常。

でもその風景は、これまでの司の人生で最も思い出したくない日と恐ろしいほどよく似ていた。

「違う気のせい、気のせいなんだ。気にするな俺」

とは言いつつも、自然と早足になってることに司自身気づいていた。

視界の端に周囲の建物が映っては過ぎていく。いつも見ている風景のはずなのに、妙に今日は「あの日」に似ている。

少しでも早く家へ帰りたい。風景が迫ってくるような感覚に襲われながら司は歩みを進めた。

赤信号の車の通らない信号を突っ切り、小さな公園を抜けて、白いアパートの前を通ればすぐに、

「……ん?」

司の歩みは、そこで止まった。

途端に、つい先ほどまで彼を襲っていた感覚も消える。

理由は簡単。建物と建物の間に、すっぽりと青い「箱」がおさまっているからだ。

「何だこれ? 一昨日はこんなもんなかったはずなのに」

箱には〈Police Box〉の文字。他の文字も英語であるところを見ると、どうやら日本のものではない。

「誰か捨てたのか? でも誰がこんな物……」

そっと右手を伸ばし、司は箱に触れた。少しザラザラとした感触。恐らくは木製だ。

「ポリスボックスってことは警察関係の物か。いや、だとしたらこんなところに捨てるわけないだろうし」

その時、司はボックスに取手が付いているのを見つけた。よくよく見ると、今彼が前にしている面は扉になっている。

その証拠に取手の横にはPULL TO OPENの文字。

司はもう一度手を伸ばして、ゆっくりと取手を掴む。

そして思い切り扉を開けた。

 

 

「……っと、どうして僕が開けようとしたら勝手に開いたんだ? ああそうか、君が開けたのか」

司が扉を開くと、中から人が出てきた。

「えっ、な、なんで人が!?」

「なんでって、これは僕のターディスだからさ。いや正確には盗んだものだけど」

「盗んだ? これを? どうして?」

「そんなことは今どうでもいいんだ。それより鏡だよ鏡! そうだ、君鏡は持ってない?」

謎の人物は唐突に、司に鏡を要求してきた。

「鏡……スマホの手鏡機能でもいいなら」

「ああそれでいい! 貸してくれないか? 早く!」

スマートフォンを取り出して手鏡をタッチし、司はゆっくりと手渡した。

ボックスから出てきた人物はそれをひったくるように取り、

「ありがとう! どれどれ......新しい顔は」

画面を見て、硬直した。

目を大きく見開き、「彼女」は微動だにしない。

「......何か、ありました?」

恐る恐る司が聞く。

すると、彼女は左手で頰に触れて言った。

「なんてこった。女になってる!! 僕が女になってるぞ!?」




ストロマトライトです。いかがでしたでしょうか。
私自身、Doctor Whoは小学生時代からファンでした。個人的には10代目ドクターが一番好き。皆様は何代目のドクターが好きでしょうか?
今後は日本を舞台にした回も書きたいと思っています。今考えているのはエイリアンネタとしてかぐや姫とか。

更新はゆっくりとしていくつもりです。


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彼女はドクター Part2

お久しぶりです。ストロマトライトです。
今回から本格的にストーリーが進みます。


「女になってるって......貴方、どこからどう見ても女じゃないですか」

司の前でスマートフォン片手に立ち尽くす人物。

その人物はどう見ても女性だ。いや、顔立ちから言ってまだ少女のほうが合っている気もする。年齢は17、8といったところか。

だが確かに、着ている服は明らかにサイズの合っていない男物である。

「さっきまでは男だったんだが……まさか女に変わるとは。ちなみに僕、何歳くらいに見える?」

「うーん。17、8歳くらいじゃないですかね」

「そうか。じゃあそれに合うように着替えてこないと」

言うと、少女はバタンと扉を閉めてボックスの中に戻ってしまった。

「……何だったんだ」

はっきり言って、何が何だか全く分からない。状況は司の理解を超えていた。

謎のポリスボックス。現れた少女。「さっきまでは男だった」というあの言葉。

今すぐ立ち去った方がいい気もするが、しかし好奇心がそれを妨害してくる。

「とりあえず、もう一度出てくるまで待ってみるか」

 

あれから30分、通り過ぎた数人の怪訝そうな視線を耐えた司であったが、少女は一向に出てこない。

そもそも、この狭いボックスの中で着替えることなどできるのだろうか。仮にできたとして、30分もこの中に留まっている理由はないはずだ。

司は試しに扉をノックした。

「すいませーん。あの、着替え、終わりました?」

反応はない。

「あのー……」

思い切ってこの扉を開けてしまうという手もあるが、下手すれば通報しようとしていた司が逆に通報されかねない。

しかしこの狭い箱の中にこんなに長く入っているというのも不自然な話である。

一応、司はもう一度扉をノックする。

「着替え、終わってますよねー? 入りますよー?」

やはり反応なし。

一度深呼吸して、司は両手で取手を握った。そのまま扉を引く。

「すいません! 入りま……」

 

司の目に飛び込んで来たのは、まだ着替え中の少女の裸体。

などではなく、ボックスの外観からはとても想像できないような広い空間であった。

「なっ……どうなってんだ……これ」

全体的に丸い空間。球体模様の金色の壁。空間の中央部には青みがかった円柱型の何か。

奥の方には階段まで見える。

「なんであの箱の中にこんな……えぇ……」

「僕たちの技術さ。見かけよりも中が広い」

声は階段の方からした。

司が見ると、そこには先ほどの少女の姿。

ブラウンの探偵が着ているような服に赤いチェックのスカート。頭にはキャスケット。年頃の少女の服装だが、その姿は女性版シャーロック・ホームズのようでもある。

「貴方は一体、何者?」

司が最初に思いついた疑問をぶつける。

「僕はドクター。ドクターと呼ばれてる」

「ドクター? 医者なんですか?」

「医者ではないよ。薬には少し詳しいけど」

「じゃあ……博士号持ちってこと?」

「いやいや、そっちのドクターでもないよ。ただのドクター」

訳が分からない。

医者でも博士号持ちでもないのにドクターとは。

「それと、これは一体何がどうなってるんですか? あの箱の中にこんな広い空間が入るわけないのに……」

司が聞くと、少女ードクターは自慢気な顔をして、

「これはターディス! 正式名称はTime And Relative Dimension In Space。これを使えばどんな場所、どんな時代にも行ける! 外見以上の空間を作り出すのが、僕たちの種族の得意分野なんだ」

両手を広げ高らかに言う少女、ドクター。

「種族って貴方、人間じゃな……」

司が問おうとしたまさにその時、ポリスボックス➖ターディスが大きく揺れた。

館内に謎の轟音が響く中、司はその場で必死にバランスを取ろうとする。ドクターも階段から転げ落ちそうになるのをなんとか耐えた。

「ちょっ、どうなってるんですかこれ!?」

「申し訳ない、ターディスは今ちょっと不安定なんだ! この時代に来たのも手違いだったし……またどこかに勝手に移動しようとしてるのかも!」

揺れはより酷くなっていく。

「どこに向かってるんですか!?」

「分からない! 先カンブリア時代かもしれないし、宇宙の終わりかもしれない!」

中央部の機械類から火花が上がる。円柱型の何かの中ではエンジンのようなものが上下に激しく動いている。

何も分からない。というより理解ができない。

それが今の司の本音であった。

 

神奈川県 厚木市 在日米海軍厚木基地

「高レベルの空間転送を探知。数分後に当基地滑走路ポイント1ー5に出現すると思われます」

「確かか?」

基地の地下10階。一般には公表されていないこの区画で、CIA(アメリカ中央情報局)対外生命体調査部所属の局員であるハワード・ディックマンは担当官の報告を聞き即座に反応した。

「対策部隊αとβは対E装備で出現予測ポイントに展開しろ。一般隊員は総員退避。日本政府には手を出さぬよう伝えておけ」

緊急事態を知らせるサイレンが鳴り響く。

ディックマンは自分が冷や汗をかいているのに気付いた。

今襲撃があるとすれば、心あたりは一つ。

「敵性エイリアンだとすれば、連中の目的は『ワンダラー』だ。何としても死守する」

 

揺れと轟音は、突然止まった。

「止まった......。どこかに移動した?」

四つん這いの状態から立ち上がり、司は辺りを見回す。

「多分ね。ただ問題はどこかってことだ。なるべく安全なとこだといいけど」

キャスケットをかぶり直し、ドクターがゆっくりと階段から降りてきた。

よく見るとこのドクターという少女、結構美人だ。いやむしろ、可愛いが似合う顔立ちである。

「ん? どうしたの?」

まずい。じっと見ていたのを気づかれた。

「あっ、いやいや。何でもないです!」

「そう? じゃあ僕は外の様子を見てくるから、ちょっと待ってて」

言うと、ドクターは扉を開けて外へ出る。

このターディスという異空間を持った木箱に、司は一人残された。

「……何やってんだろう、俺」

普段通りに帰宅するはずが、奇妙な青いボックスなど見つけてしまったばかりに何かが狂いはじめている。そもそもあのドクターという少女、人間であるのかどうかすらも怪しい。

司は何気なく学校指定の通学バッグを開ける。中には教科書、ノート、筆記用具と、母に頼まれていた玉ねぎが一個。まるでこれが、自分がつい数十分前までいた日常との唯一のつながりのように司には思えてきた。

スーパーの袋に入った玉ねぎを宙に放り、それをまた取る。そんなことを4、5回繰り返していると、

「青いボックスの中にいる者に告げる! 1分以内に出てこない場合には、我々は強硬手段に出る! 繰り返す……」

外から、拡声器を通した何者かの声が聞こえてきた。

うっかり宙から戻ってきた玉ねぎを落としそうになる。

「な、何だ!?」

「心配ないよ。君は出てこなくていい。僕がどうにかする」

と、同時にドクターの声。

「その少女の発言に騙されるな! 彼女は人間ではない。君を利用しようとするエイリアンだ! 我々は君を保護する、その箱の中から出てこい!」

「ひどいなあ、エイリアンを捕まえて利用しているのは君たちの方だろ」

「黙れ! あと30秒与える! 早急に箱から出てくることを勧める!」

「こんな奴らの言うこと聞く必要ないぞ。ターディスは人間の作った弾丸くらいじゃ傷つかないから」

外で何が起こっているのか全く分からない。今、拡声器の声から聞こえた「エイリアン」という単語。それは恐らくドクターという少女のことを指しているはずだ。こんな不思議な箱を持っているのだから、彼女が宇宙人の類だとしてもうなずける。

「どうする……出るか、止まるか……」

「早く出てくるんだ! 最悪の場合、我々は君に『強硬手段』を取らなければならなくなる!」

「だから、彼は僕のコンパニオンじゃない! 彼が乗ってきた時にターディスが偶然起動してしまったんだ。僕とは無関係だ!」

司の決断を急かすように聞こえてくる拡声器の声。

「あと10秒だ! 9、8、7……」

拡声器からの声はゆっくりと数え始めた。

「出てくるんじゃない! 奴らは君を生きては返さないぞ!」

正しいことを言っているのはドクターなのか、拡声器の声なのか。

自分の心臓の鼓動が聞こえる。冷や汗が垂れる。

司は、自身の手が汗で濡れていくのを感じた。

「6、5、4……」

「いいかい、君がそこにいてくれれば、絶対に君を生きて帰す。でももし君が外に出たら、その保証はできない」

少女の静かな声が、司の耳に響く。

「僕とあいつら、どちらを信じるかは君の自由だ」

残された時間はあと数秒。

司は、ドアノブに手を掛けた。

「3、2、1……」

無限にも思える3秒が、過ぎていく。

1という言葉が聞こえるか聞こえないかというところで、司はドアノブを回した。

 

 

「……出てこない、か」

厚木基地の滑走路の一角。そこに青いポリスボックスを中心として、多くの兵士や装甲車が展開していた。

ハワードは手にしていた拡声器を下ろし、兵士達に銃口を向けられている目の前の少女を見る。彼女の表情は、どことなく満足げだ。

「どうやら信用してもらえなかったようだねぇ。同じ人間だというのに」

煽るように少女、ドクターが言う。

「黙れ。あとは強硬手段に出るまでだ。お前もろとも、そのポリスボックスを吹き飛ばすことだってできる」

滑走路に青いポリスボックスが出現し、中から出てきた少女が「ドクター」と名乗った時、ハワードは戦慄を覚えた。

ドクター。それはこの星でエイリアンに関わる仕事をしている者なら誰もが一度は耳にしたことがある存在。古代エジプトやローマ帝国時代の古文書からもその記録は見つかり、近年では第二次大戦やアポロの月着陸、数年前イギリスで発生したエイリアン災害にも関わったとされる異星人だ。特にイギリスと古くから関係があるらしく、王室と政府から第1級のお尋ね者とされている。

そんな超大物エイリアンが今、目の前にいる。

「DALー221を用意しろ。奴ら、分子レベルで分解してやる」

 

 

結局のところ、司はターディスから出なかった。

ドアノブを回したものの、そのまま扉を開けることはなかったのだ。

「これで……良かったのか?」

思わず自問する。10秒経ち、外から拡声器の声は聞こえなくなった。何が起こっているのかも分からない。

この箱は今どこにいるのか。ドクターは何者で、一体どんな宇宙人なのか。外にいるのは一体誰なのか。

分からないことが多すぎる。

「どうなってんだよ……」

扉を背にして、司は再び中央の青みがかった円柱を見る。

円柱の中では何かが上下に動いていた。ここに乗ってからずっと聞こえる低く鈍い音も、これが原因だろうか。

確か、少女はこれを『ターディス』と呼んでいたはず。これを使えば、どんな時代やどんな場所にも行ける、と。

「どんな時代にも場所にも……」

司は考える。あの時、あの場所にも行けるのだろうか。

大切な人が消えた時。死んだのか神隠しなのかも分からなかった、あの瞬間。

もしあの場所にもう一度行けるなら。もし、救うことができるなら。

「おい、君! 申し訳ない、前言撤回だ!」

司の思考を、外から扉を叩く音とドクターの声が中断させる。

「すぐここから出るんだ! あれはマズい! 奴ら、あんな物まで持ってるなんて!」

「ど、どうしたんですか急に」

「いいから早く! ああマズいぞ……チャージし始めてる!」

ドクターの切迫した声から察するに、どうやら従ったほうがよそさうだ。

再びドアノブを回し、今度はゆっくりと扉を開ける。

そして、司の目の前に広がる光景は

「よーし、二人ともゆっくり手を挙げろ。不審な行動をすれば射殺する」

多くの兵士が、この青い箱ターディスに銃口を向けている。その中には、巨大な二連の砲をこちらに向ける装甲車も見て取れた。

拡声器を下ろした男がこちらを見ている。先ほどまで叫んでいたのは彼らしい。

「あの、これは一体どういう……」

手を頭の後ろに移しつつ、ドクターの方を見て司は聞いた。

「ここはアメリカ軍厚木基地の滑走路のど真ん中だ。んで、あの人達はアメリカ軍の兵士。拡声器持ってる人は背広だから、軍人じゃなさそう。どっかの諜報機関かな」

「なんで基地のど真ん中に!?」

「ターディスはあんまり僕の言う通りに動かないからね」

「乗り物が言うことを聞かないなんて……」

「ターディスは乗り物じゃない、生き物だ! 生き物ゆえに僕の言う通りに動くわけじゃない」

二人が話してる間にも、兵士達がジリジリと近づいてくる。銃口を向け、ゆっくりと。

やがてすぐ近くまで来た兵士が、ドクターと司の二人を謎の器具で頭部から足元にかけて検査する。

器具がドクターの胸の辺りで、甲高い警告音を発する。

「所持している物を出せ。ゆっくりとだ」

「別に爆弾とか危険物とかじゃないよ」

「いいから早くしろ!」

周囲の兵士が一斉にドクターに銃口を向ける。渋々彼女は胸ポケットから棒状の何かを取り出す。少し太いペンくらいの大きさだ。

「これは?」

半ばひったくるようにドクターの手にしている物を取った兵士は、怪訝そうに聞く。

「ソニックドライバーさ。僕は銃もナイフも持たないけど、それさえあれば大概のことは出来る。木の扉を開ける以外は」

「採取した物は全て押収してラボに送れ! その女型エイリアンはこちらで対処する。少年の方は記憶処理をして送り返せ」

兵士たちの後ろから、拡声器を持つ背広の男が叫ぶ。

と、同時に司の頭にハンドガンの銃口が突きつけられた。

「お前はこっちだ。早く歩け」

「え……ちょっと待っ、ドクター、どうするんですか!?」

銃で押されながらも司は振り向き、ドクターに助けを求める。

「抵抗しないで、彼らの言うことに従うんだ。そうすれば無事に帰れるから」

「ほら、さっさと歩け」

兵士に急かされて、司はゆっくりと歩みを進める。

ドクターとターディスが、だんだんと遠ざかっていった。

 

 

厚木基地の地下13階、公式には公表されていないCIAの尋問室には今、三人の人物がいた。

一人はCIAのハワード、一人はドクターと名乗る異星人、最後の一人はハワードの後ろで物々しいアサルトライフルを持った兵士だ。

「さて、ドクター。君のお噂はかねがね。英国政府お尋ね者リストのトップに会えるとは光栄だよ」

「昔エリザベス一世とヴィクトリア女王を敵に回してね。トーチウッドはまだ僕を追い回しているのかい?」

「少ないともリストから外れていないのは確かだ。青いポリスボックスと共に現れる異星人。地球を救い、同時に破滅へ追い込む存在。孤独な旅人、迫り来る嵐、なんて呼ばれてるよ、君は」

「光栄だね」

ドクターは目の前に置かれたカップを手に取る。それは軍隊特有の不味いコーヒーに満たされていた。

「我々CIAは君に関する画像を数枚持っている。最後に撮影されたのがこれだ」

ハワードが持っていたタブレットに写真を何枚か表示し、ドクターの方に渡す。

「撮影されたのは1969年のアポロ月面着陸の時期。コードネーム『サイレンス』と呼ばれる異星人が発見された時だ。この写真の君は、どう見ても英国成人男性の姿をしている。しかし今は少女の姿とは。一体どういうことだ? 君たちは『ドクター』という種族なのか?」

写真に写されているのは、どこかの基地で拘束されている男、ロケット発射場近くに立つ男、ロケット内部の器具を弄る男など。どの写真も、写っているのは同じ男だ。

奇妙な髪型、似合わない蝶ネクタイ、少し顎の長い顔。

「いや、これも同じ僕だ。11代目の僕。僕たちの種族は再生活動をして生きるからね、ある程度の時間が経つと、別の姿に生まれ変わって生き続ける」

「では、この画像も君であり、今私の前にいるのも同じく君だと?」

「そういうこと。探せばもっと出てくるはずだ。以前の僕の姿がね」

ハワードにはにわかに信じがたい話だった。この少女と以前に発見されたドクターが同一人物とは。CIAの見解では『ドクター』という種族が存在するというものだったが。

「まあ、この際君がどういったエイリアンなのかはさして重要ではない。私が聞きたいのは、何故君はここに来たのか」

「本題に入るのが早いね」

「目的は何だ? エイリアンの襲撃でも予知したのか」

「違う。悲鳴を受け取ったんだ。『助けてくれ』と」

ドクターはおもむろに服の胸ポケットから何かを取り出した。

「これは?」

「サイキックペーパーだ。これに、助けを求めるメッセージが浮かび上がった。500万年後のこことは違う銀河にいた僕の元に、時間と果てしない距離を越えて」

ドクターの持つ身分証明書のような紙に写るのは、この世界のどの言語とも異なる文字。

ハワードは、それに見覚えがあった。

「同じだ……」

「何と?」

彼は再びタブレットを操作し、先ほどとはまた別の画像をドクターに見せる。

まだモノクロの頃の写真だ。焼け爛れた木々の中に、煙を上げて転がっている巨大な三角錐の物体。

加えて物体の表面には、サイキックペーパーに映し出されたのと同じ文字がいくつか表記されていた。さらに画面をスライドしていくと、紙に書かれた同じような文字の画像が数枚あった。

「君なら、この文字も読めるんじゃないか?」

「読めるよもちろん。ただ僕は、得意なことはタダではやらない方がいいって昔映画で聞いた台詞が好きでね」

得意げな顔をするドクター。

その言葉に、ハワードの後ろにいる兵士がアサルトライフルのセーフティーを解除する。

しかしハワードは片手で兵士を制止し、

「……要求は何だ」

「そうこなくっちゃ。別に大したことは要求しないよ。ソニックドライバーを僕に返して、あの少年を解放して、僕を君たちが拘束しているエイリアンの所まで連れて行ってくれればいい」

頭を抱えるハワード。これは難しい問題だ。ドクターを拘束しているエイリアンの所に連れて行けば、得られるものは多いかもしれない。が、このドクターという少女が完全に無害という証拠は微塵もない。

今CIA本部に指示を仰げば、通信を傍受しているイギリス政府から横槍が入る可能性もある。ここで決断しなければならない。

「あのドライバーは至急持って来させる。少年は記憶処理をして解放。そして今から君を『ワンダラー』の元へ連れていく。それでどうだ」

「話が早くて助かるよ。諜報機関の人間の割に、頭が柔らかいね」

言うと、ドクターは椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

あからさまに挑発的な態度だ。

「じゃあ、案内してもらおうか。放浪者(ワンダラー)の所に」




ストロマトライトです。
私事でドクター発祥の地イギリスはロンドンに行っておりました関係で、投稿がかなり遅くなりました。
向こうではシーズン9が今日から放送するそうです。見たかったなぁ…。日本からだとBBCの番組って見るの難しいんですよね。

Twitterとか覗くと意外に日本にもフーヴィアンがいて嬉しいです。もっと増えろ、フーヴィアン。
では今回はこれにて失礼いたします。


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彼女はドクター Part3

ストロマトライトです。一ヶ月ほど経ってしまい遅れた投稿になってしまいました。
今回からストーリーが進み始めます。


アメリカ軍厚木基地の公表されていない地下区画、その最深部へとエレベーターはドクターとハワード、警備の兵士を連れていく。

「CIAはどういう経緯でそれを回収したんだい?」

「1947年、ロズウェルに落ちたUFOは1機では無かった。落ちたのは3機、うち1機を我々が回収したんだ。そして機体内部を調査した結果、我々の回収した一機から、ある生命体を発見した。それがワンダラーさ」

「しかしなんで日本に? アメリカに置いといた方が面倒がないだろうに。例えば……エリア51とか」

「エリア51は軍の管轄だ。当時まだ新設の弱小機関だったCIAは合衆国内でワンダラーの利権を他の機関に奪われることを恐れ、まだ占領下の日本にワンダラー研究の拠点を移したんだ。当時厚木はGHQ(連合国軍総司令部)の管轄。軍の下であることに変わりはないが、エイリアン研究に興味を示したマッカッサー元帥の協力もあり、この基地の地下、公表されていないセクションにあれを保存していた」

「エイリアンの研究一つでも、利権争いか……まったく、人間もよくやるよ」

ハワードから約束通りに返却されたソニックドライバーを宙に放っては取るのを繰り返しながら、ドクターはため息交じりに言った。

再生した直後に信頼できる相手、例えば「コンパニオン」が側にいないといつもこうだ。守るべき人類に対しての諦観や、敵対してきた種族への憎悪。そういったものがドクターの思考を占める。

「何も敵は合衆国の機関だけではないさ。カナリーワーフの戦い以降、イギリス政府には対エイリアン戦争を想定した特務機関があり、国連直属のUNITも常に動いている。それぞれの機関がお互いに二重スパイを送り込んでいるというのが現状だ」

カタン、と三人を乗せた箱が唐突に揺れた。

機密保持の観点からエレベーター内に何の表示もなかったため分からなかったが、どうやら目的の場所に着いたようだ。

その証拠に、ドクターの目の前で重い扉が開き、向こう側から光が差し込む。

「ここから少し歩くぞ」

300メートルほどある照明に照らされた通路。10メートルおきに銃を持つ兵士が左右に待機していた。

「物騒だなぁ。僕は銃が嫌いだ」

「皆が君のように力や知性を持っている訳ではないさ。君があの青い箱や光るペンを自衛のために持つのと同じく、私たちは素手の力が弱い代わりに銃器や核で猿とは差別化を図った」

「ペンじゃない。あれはソニックドライ……」

「無駄口叩いているなら置いていくぞ」

無表情のまま、石のように立つ兵士たちをよそに三人は進んで行く。

そしてワンダラーの待つ区画の、重厚な扉が近づいてきた。

 

 

「だから、知りませんでしたって! ここが米軍基地だってことも、その……エイリアンとか何とかいうものも!」

厚木基地の地下、何階にあるのかも分からない尋問室で司は座らせられていた。

目の前には、頭を丸めた屈強そうな男。胸のネームプレートには、ライリー・メイスン大尉と書かれている。

「では、あの青いポリスボックスはどこで見つけた? 何故君はあの中に?」

「そんなの、成り行き上ですよ。あのドクターって女の子が中で着替えてくるって言って、それから30分も出てこないから心配で……だってあの箱の中に30分ですよ!」

「それで入ってみたと」

「はい。でもそしたら中はとても広かったんです。あの箱の外見からは想像できないくらい……ドクターは『見かけより中が広いのが僕たちの技術だ』って言ってましたけど」

司はちらりと左腕の時計を見る。時刻は午後6時30分。

思えば、あのターディスとかいうポリスボックスを見つけて、ドクターという少女に出会ってからまだ一時間半しか経っていない。日常なんてものからは、こうも簡単に逸脱してしまえるのだ。

「君は今、いくつだ」

唐突に、ライリー大尉が聞く。

「17歳……ですけど」

「まだハイスクールか。うちのガキと同い年だな」

「お子さんが、いらっしゃるんですか?」

「ああ、別れた妻との間にな。今は向こうに住んでる。帰国した時にはたまに会ってるんだ」

子持ち、それに自分と同い年の子供がいると聞くと司は少し安心できた。

「だからなあ、俺も心が痛むんだよ。あれはアフガンだったか……パトロール中に対戦車ロケットを持った子供に襲撃を受けた。一発目は気づけずに部下が3人死んだ。俺はそのガキを見つけると、躊躇なく銃の引き金を引いてた」

急に男、メイスン大尉の表情が変わる。

非常に冷たい目。何も見ていないようで、それでいて何もかも見透かすような。

「つまりだ、俺はガキと同い年の奴相手でも容赦しないってことだ。あのハワードってCIAの野郎は君を記憶処理して返せと言ってたが、軍としてはあの青い箱と『ドクター』の情報が欲しい。知ってるんだろう? 教えてくれよ、俺も嫌なんだよ」

メイスン大尉は右手で銃の形を作り、司のこめかみに突きつける。

「子供の頭をブチ抜くのはさぁ。ハハハハハッ!」

高笑いが尋問室に響き渡る。

狂気が滲み出ていた。これが所謂サイコパスというやつなのかと、司は恐怖に足を震わせながら感じる。

しかし、この場で弱気な態度を見せるのはまずい。あくまで気丈でいなければ。

「知らないことは、話せませんよ。気に入らないなら僕を殺せばいい」

「へぇ……面白いなぁ、君。それじゃあ、ちょっとゲームでもやるか」

メイスン大尉はどこからかリボルバー拳銃を取り出し、テーブルの上に置いた。

「この中には弾丸が一発。つまりロシアン・ルーレットだ。ちなみに、この部屋は今監視もされてない。君が仮に死んでも、君が抵抗して俺から銃を奪おうとしたから撃ったと言える。俺が死んだら……そん時は自分で考えろ」

置かれたリボルバー拳銃のグリップは、司の方を向いていた。

「せっかくそっちに向いてんだ。君からやってみろよ」

 

 

核シェルター並の厚さと思われる扉がゆっくりと静かに開いていく。

ワンダラーを収容するその部屋はあまりに明るく、それはドクターが目の痛みを感じるほどであった。

「眩しすぎる。もっと証明の光量を落として欲しいな」

するとハワードがサングラスを取り出して、

「これを付けろ。私もここに来る時は付けてる」

「似合わなそうだからやめとくよ。ところで、何でこんなに眩しくしてるんだい?」

「科学者連中の言うことはよく分からんが、強い光がワンダラーの活動を弱めるんだそうだ」

白い照明に白衣の研究者たち、白いテーブルに機器類。その中でドクターとハワードが異色の服を着ているため、まるで純白の服についてしまったシミだ。

「肝心のワンダラーは?」

「ほら、あれだ。あの中にいる」

ハワードの指差す方向には円筒型の培養器のようなものがあり、その下からは触手にも似た無数のケーブル類が各機材へと伸びていた。

使われているガラスにはVIP車両などに見られる中が見えないようになっているスモークガラスが使われている。ワンダラーはどうやらあの漆黒の向こうに鎮座していると見えた。

「スモークを上げさせろ。ワンダラーを見せてくれ」

「その必要はないよ」

ハワードが言うが早いか、ドクターが持っていたソニックドライバーを培養器に向ける。ドライバーの先端からはオレンジ色の淡い光が放たれ、スモークが自動的に上がる。

勝ち誇った顔をドクターが見せる。

「余計なことはするな」

「この方が早いのにー」

ふくれ面のドクターの目の前に現れたのは、液体に満たされた容器の中に佇む、ボロの服のような何かだった。

魔法使いが着ているような黒いローブ。その袖から腕と思われる部分が出ている。手には三本の指があり、真ん中の一本が他の指より長く鋭く伸びていた。顔があるべきところは暗く、どうなっているか分からない。

手と足を曲げ、体育座りでもしているかのようにそれはいる。

「これが……ワンダラー?」

「そうだ。まるで浮浪者みたいだろ。だから……」

「放浪者であり徘徊者、そして不思議な者。だからワンダラーと呼ぶのです」

突然、二人の目の前にひゅっと白衣の男が現れた。

「どうも。厚木ベースラボの主席研究員、バックス・ドートリッヒです。お会いできて光栄です、ドクター」

バックスと名乗る研究員が右手を差し出す。ドクターが手を出すと、彼はその手をブンブンと振った。

「こちらこそ。研究者くん。僕は有名人みたいだね、どうやら」

「そりゃあ有名ですよ! いやあ、まさか生きてるうちに本物のドクターが見れるなんて。さっきあの青いポリスボックスが運ばれてくるのを見たら、もうワクワクしてどうしたらいいか……っと、失礼」

バックスは意味ありげに咳払いした。

「こいつは現在も活動状態にあります。微弱な電気信号が体内を巡っていて、どうやら仮死状態にあるらしいです。それにこのラボの強い灯、これが奴に影響するらしくて。そのまま晒すと仮死からホントに死んでしまいますから、ガラスにスモークをかけているんです。……すいません一緒に写真お撮りしても?」

「もちろん。ほら、ハワードに撮ってもらおう」

「ああ、ハワードさん申し訳ありません。撮っていただけます?」

渡されたスマートフォンを見て、渋い顔しながらもカメラのアイコンをタップした。

画面上で二つの顔認証が光って撮影準備が整う。

「ほら撮るぞ。三、二、一」

その後スマートフォンを返されるや否や、早速バックスが撮影した写真を確認する。

「ありがとうございます! 一生の宝物にしますよ! あ、あの……もしよろしければ押収されたあのポリスボックスとドクターと私で……」

さすがに業を煮やしたハワードがバックスをギロリと睨んだ。

そんな二人をよそに、ドクターは一人培養器へと一歩一歩歩みを進める。

すぐ目の前までたどり着くと、服の胸ポケットからソニックドライバーを取り出して培養器へと向けた。先端から淡い光と特徴的な音が発せられる。ドクターはそれを30秒ほど続けていた。

「おい、一体何やってる」

ハワードの声に耳も貸さず光を当て終えたドライバーをしばらく見つめると、ドクターはぽつりと呟いた。

「バックス。この培養器を開けてくれ。今すぐに」

辺りにいた誰もが、彼女の言ったことを理解できなかった。

この怪物の檻を今ここで開けろとは。

「……すいませんが、それはできません。危険すぎます。仮死状態とはいえ、解放すれば何が起こるか」

「君がやらないなら、別にいい」

再びソニックドライバーの光を向けるドクター。

異変はすぐに起きた。周囲のコンピューター類が、培養器のロックが外されたことを〈CAUTION〉の赤い文字とともに警告し始めたからだ。

容器内で液体が排水される音が、それと同時に響く。

「おい何をやってる! 今すぐやめろ!」

ハワードが所持していたグロック17ハンドガンを取り出し、ドクターの後頭部へと突きつける。

研究員のバックスも、いやそれ以外の研究者たちまでがハンドガンを取り出し、ドクターへ向けていた。今やフロア中の銃口が、ある一点に向いている状態である。

一旦ソニックを容器から離し、ドクターは素直に両手を挙げた。

「何のつもりだ。そいつを開けたりすれば、ワンダラーが解放される。どれだけの被害が出るか、見当もつかないんだぞ!」

「じゃあ、お前たちは『彼』に何をした!? いくつもの時と銀河を超えたその先にいた僕のところに悲痛な助けを求めるほどに、お前たちは一体何をしたんだ!!」

ハワードに、そしてその場にいる全員に向けてドクターが怒鳴った。

側から見ればそれは大人たちに刃向かう少女の叫び。しかし実際には数千の時を生き、幾多の宇宙を旅し、無数の戦争をくぐり抜けた一人の言葉だ。

「今ソニックで調べて分かった。彼はここに入れられてから無数の拷問を受けたんだ。仮死状態になったのはそうすることで痛みから逃れるため」

銃口にも怯まずに、ドクターは続ける。

「この狭い檻の中で助けも呼べずに、彼は耐え続けた。分かるか、彼の苦しみが!!」

「し、仕方なかったんです。我々もワンダラーが脅威なのかそうでないのか知るために……」

「黙れ! 君たち人間はいつもそうだ。自分たちの興味のためだけに多くの他の生物を殺して、利益とする。いつも僕は思うんだ。何で人間を毎回助けてしまうのか。お前たちなんて、宇宙史上最低最悪の殺人集団だ! ……ダーレクを除いて」

フロア一体が騒然となる。ドクターも、ハワードも、バックスそしてその他の研究員も微動だにしない。

その瞬間に時が止まって絵画になってしまったかのように、だ。

「言いたいことは以上か。お嬢さん」

ハワードが怒りを殺して言っているのは誰の目にも明らかだった。

「この状況で君に勝ち目はない。あくまで檻を開けようと言うのなら、ここで射殺する。ドクターに弾丸が通用することは知っているぞ」

「やりたきゃやればいい。ただしもう準備は整った。僕があと一回ソニックを当てればワンダラーが解放される。誰にも止められないよ」

「そいつを解放して君に何の利益がある? 君の……コンパニオンにでもするのか?」

「僕はあくまで、助けを求める者を助けたいだけさ。いつもそうしてきたんだ。マネキン兵士にサイの宇宙警察、脂肪型エイリアンに蛇みたいな宇宙囚人、そんな奴らから僕はいつも助けてきた。そして今回も僕は……」

ドクターの言葉は、そこで途切れた。

理由は簡単。彼女の後ろにある容器のガラスが、衝撃音と共にピキッとヒビが走ったからだ。

ヒビの中心点には、ワンダラーの大きな手がべったり張り付いていた。

「ワンダラーが……動いた?」

バックスが驚愕とともに呟く。銃口は一度、ドクターから容器へと移る。

コンピューター類は、再び危険を知らせた。《WANDERER ACTIVATED》の赤い文字。その間にもワンダラーのもう一方の手も容器のガラスを破ろうとする。

最初のヒビを中心として、勢い良くヒビが広がっていった。

「仮死状態だったはず……ドクター、お前一体何をした?」

「僕にも分からない。僕はただこの容器に細工しただけで……どうなってるんだ?」

ドクター含め全員が一旦培養器から後ずさった。フロアの照明が明るい白から警告を発する赤に変わる。

そして、事態はそれとほぼ同時に起こった。ヒビは限界まで達し、ついに割れたのだ。

「全員警戒しろ! ワンダラーが解放された!」

皆が銃口を、ドクターはソニックドライバーを、動くボロ切れの化け物へと向ける。

先ほどまで暗く隠れていた頭部が露わになる。ぬめりとした表皮に目のない深海魚のような顔。口には切れ味の良い肉食獣を思わせる歯が生えそろっていた。

「ハワードさん、どうしますか? 撃ちますか!?」

「まだ待て。貴重な検体だ」

ワンダラーは微動だにしない。ガラスが割れたことを除けば、状況はあまり変わらなかった。

確認のため、研究員の一人が近づく。

「ま、まだ危険じゃないですかね。仮死状態ではありますけど……」

バックスがコンピューターのモニターを見ながら警告した。

だが研究員は歩みを止めなかった。一歩、また一歩とワンダラーに近づいていく。

地獄から這い出てきたようなエイリアンは、口からシューという呼吸音を出し始める。目はないはずが、まるで近づいてくる研究員が見えているかのようだった。おそらくは別の感覚器官が発達しているのではないだろうか。

「まずい、そいつから離れて! 活動状態に入った!」

「離れてください! 今仮死状態から活動状態に!」

ソニックドライバーを向けたドクター、モニターを見るバックスが同時に叫ぶ。

が、時はすでに遅し。ワンダラーはその口を大きく開け、研究員に頭から飛びかかった。

「全員離れろ、離れるんだ!」

辺りに飛び散る鮮血。絶望的な研究員の叫び。ワンダラーが研究員を飲み込むと、それも聞こえなくなる。

「発砲を許可する! 殺せ!」

ハワードの一言で、ワンダラーを囲んでいた銃口が一斉に火を噴いた。

 

 

目の前に置かれたリボルバーに、司の手が震えた。

正面にはサイコパス尋問官。ニタニタと笑ながら、こちらを見ている。

「ほら、やってみろよ。まだ6発中1発だ。『アタリ』を引く確率は低いぜ?」

ゆっくりと、司はリボルバーに手を伸ばす。持ってみると、思った以上にずっしりとした重さを感じる。

「重いだろ。命を奪う物は、そうでなきゃな」

目を瞑って、司は銃口をこめかみに向ける。

「そうこなくちゃ。ほら、引き金を引きな」

冷や汗が額から滴る。手の震えが増す。銃口もカタカタと震えるのが、司にはこめかみを通じて伝わった。




ストロマトライトです。
イギリスでDoctor Whoのs9が始まってはや一ヶ月と少し。s9ももう折り返しです。
この話も次のパートで一話は終わり、2話に入ろうと思っています。2話は日本の話を検討中。ダーレクや嘆きの天使、サイバーマンなども今後出して行きたいと思っています。

そうそう、DW用のTwitter趣味アカウントを作りました。「ストロマトライト」で検索して嘆きの天使アイコンがでたらそれです。

では、今回はこのへんで。


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彼女はドクター Part4

こんにちは、ストロマトライトです。
これで一話終了です。次回から本格的に、司とドクターの旅が始まります。


唸る銃声。光るマズルフラッシュ。

無数の銃弾が、一人の研究員を飲み込んだワンダラーへと向けて放たれる。

この世の生物のものとは思えぬ叫びが咆哮する。

辺りを包む硝煙の匂いに渋い顔をしながらも、ドクターは哀れな怪物の方を見た。

「殺したか!?」

「……いや、強靭な生命力だ」

そこにまだ、風穴一つ開けずにそれは立っていた。

目のない顔が、一瞬ではあるがドクターの方を見る。瞬間、ドクターの頭に直接、多くの思考が飛び込んできた。

怒り、悲しみ、苦しみ、叫び、解放、検討、脱出、破壊、復讐、惨殺。

「全員離れろ! 皆殺しにされる!」

ドクターが叫ぶより早く、ワンダラーはドクター達の方へ突っ込んできた。しかしその目的は彼らではない。その後ろにあるこのフロア唯一の扉だ。

飛び上がり、呆然とする研究員やハワードの頭上を抜けるとワンダラーはそのまま扉の前に着地。巨大な爪を扉に突き立てたかと思うと、鈍い音とともに、まるで紙のように引き裂いた。

あとに聞こえるのは、通路で警備していた兵士達の絶叫と銃声。ラボにいた全員が、皆殺しを終えたワンダラーがエレベーターを破壊し、そのままシャフトを登っていくまでを、ただ見ているしかない。

「一体何がどうなってる……七十年近く反応のなかったエイリアンが何故今になって……」

皆を代弁するように、ハワードが呟く。

「多分、僕がソニックを当てたからだ。あれが、奴を復活させるのに十分なエネルギーを与えた」

「やはりお前の仕業か!」

ハワードがグロックの銃口をドクターの額に向ける。

「違う! ソニックがあの時出したエネルギーは小さなものだった! あれは最後の一滴だ。ワンダラーは耐えてたんじゃない、お前達がやっていた電気的な拷問から、七十年間ゆっくりと力を溜め込んでたんだ!」

ドクターは、その細い手で向けられた銃の先端を掴み、

「今は、それよりもワンダラーを何とかしないと。あのエレベーターはもうダメだし……他にエレベーターは?」

「もう一つ緊急用のがあるが……奴がどこにいったかすら分からないんだぞ」

「ワンダラーが今考えているのは脱出だ。あのシャフトは地上まで続いてるの?」

「いや、地下20階から25階までのフロアでしか乗れない。だから行けたとして20……」

ハワードの言葉はそこで途切れた。まるで何かに気づいたように。

「どうしたの?」

「20階では、お前と一緒に来た少年が尋問中だ。まずいぞ」

それは、ドクターを即座に行動させるのに十分すぎる言葉だった。

 

 

引き金にかかった指が、震え続ける。

目の前には狂った尋問官。自分の手には弾丸が一発入ったリボルバー。

「大丈夫だ。まだ一発目じゃないか。最初からそんなにブルってちゃ、話になんないぜ」

当たりを引く確率は6分の一。しかし引いてしまえば、待つのは死。

司の心臓の鼓動は、これまでにないほどはっきりとなり始めた。全身のアドレナリンが発散されているのが分かる。

「……ふざけんなよ」

言うと司はリボルバーを尋問官、ライリーに向ける。

「俺が何したって言うんだ! さっきまで普通に帰ろうとしてただけなのに、今じゃロシアンルーレットなんかをやってる! 俺は何もしてないぞ、ただ連れてこられただけだ!」

「おいおい、逆ギレかよ」

ライリーはため息をつく。

「まあいいけどな。仮に今お前が俺に対して引き金を引いた場合、俺を殺せる確率は6分の一。初弾で殺せなきゃ、俺は君から銃を奪い取って、そのまま首の骨を折ることができる」

「それでも、自分のこめかみに向かって引き金を引くよかマシだね」

司は立ち上がり、銃口をライリーに突きつけた。

「……ちゃんと拘束具くらい付けとくべきだったな。ガキだからと油断した」

「後悔先に立たず、だな」

「だが、君は一つ考えたほうがいい」

この状況でも、ライリーは笑っていた。

「君は俺がそのリボルバーに弾丸を入れたとこを見たか? 俺が弾丸を入れて無かったらどうする? 」

銃口が一度離れる。

確かにそうだ。司はこれに弾丸が入るところを見ていない。騙されている可能性も十二分にある。

「よく考えろ。死に急ぐにはまだ……」

言葉が途切れる。理由は簡単。部屋の外で響いた轟音と、その後に続いて響いたこの世のものと思えぬ何かの唸り声。

「何だ?」

ライリーが立ち上がる。司の持つリボルバーは未だ彼に向いていた。

「ちょっと待ってろ。様子を見てくる」

彼がドアの横にある生体認証パネルに手を当て、部屋のドアが開く。

それと、ほぼ同時に事は起こった。

ドアを開けたライリーに突然乗りかかった謎の物体。

「おい、何だこいつ! 離せ、離……」

ライリーの悲鳴は、途端に聞こえなくなった。絶命したのだ。

彼に乗りかかったのは、どうやら生命体のようだ。全体的には黒くボロ切れのような全身。巨大な二本の手は、まだライリーの体を引き裂いている。

その怪物が、司の方を見た。いや、正確に言えば怪物の頭部に目はない。だが司にはそれが自分を「見ている」ように感じられた。

怪物はその白い歯を光らせる。

気がつくと、司はいつの間にかリボルバーを怪物に向けていた。が、先ほどのライリーの言葉が頭の中で反芻された。

『君は弾丸を入れたところを見たか?』

しかし、今はこれしかない。

「出てくれよ、頼むぞ」

司は引き金を引く。思った以上の衝撃が司の腕を伝った。その音と硝煙の匂いで、弾丸が出た事が分かる。

しかし、怪物には全く効いてなかった。

なるほどここまでか、と司は悟る。思えば随分と短い人生だった。さして特別なこともなく、かといって不幸なこともない。一つ心残りはあるが、あれはどうしようもないことだ。

ここで死んでしまったところで、別にどうということは

「いた! ワンダラーだ!」

聞いたことのある声が、部屋の外から聞こえる。確かあの少女、ドクターの声だ。

「奴だ、撃て!」

もう一つの声は、さっき拡声器を持っていた男のものだ。男が叫ぶと同時に、フルオートの銃声が響いた。

怪物に無数の弾丸が当たる。さして効いてはいないようだが、怪物はその場から退散した。

ドアの前に横たわるライリーの死体を一瞥し、少女−−−ドクターが部屋に入ってくる。

「良かった! 君、生きてたか!」

言うと、ドクターは力強く司のことを抱きしめる。

「ごめん、僕のせいでこんなことに……本当に無事で良かった」

「い、痛いです。俺は大丈夫ですから」

ドクターは司を離す。そして、はっと気がついたように、

「そういえば、まだ君の名前を聞いてなかったよ。君の名前は?」

「司……です。文月 司」

「司ね。日本語なら『司る』か。いい名前だ」

「あー、自己紹介中すまんが、事態は深刻になってるぞ」

後ろから、あの拡声器の男が現れる。

「貴方は……」

「CIA捜査官のハワード・ディックマンだ。よろしく」

「ど、どうも」

「挨拶はそこそこにしよう。恐らくワンダラーは第三シャフトから地上に出るはずだ。それか……『時間切れ』になるが早いか」

「時間切れって?」

ハワードの言葉に、ドクターが反応する。

「こういう状況になった場合は、アラートが発令される。既に日本国内にあるCIAの極秘基地《ブラックサイト》から、この基地を地下ごと焼きつくせるミサイルを積んだ無人機が発進してるはずだ」

「それって、どのくらいで来るんです?」

少し震えた声で司は聞いた。

「多く見積もって30分。最低でも15分」

時は、刻々と進み始めていた。

 

 

「ドクター、君は奴が何者か知らないのか? 」

「待ってくれ、今考えている。このソニックの反応はどこかで見た気が……」

地上につながる別のエレベーターで、ハワード、司、ドクターが対応策を考えていた。

「ドクター、会った事あるんですか? あの怪物と」

「会った気もするけど、この顔でじゃないかも」

ドクターはソニックドライバーを見つめる。

「どこでだろう……スカロ、ラキシコリコアラパトリアス、トレンザロワ、いや違うな」

エレベーターは登り続ける。

「そうだ、思い出した! グルトヴァだ!」

「グルトヴァ?」

とても聞き慣れぬ名に、ハワードと司双方が眉をひそめる。

「スクルカチという惑星で飼われてるペットだよ。テレパシーで飼い主と会話もできる」

「あれがペットだと!? じゃああれを飼ってるエイリアンはもっとおっかないのか?」

「いや、あの獰猛さ。あれは軍用に育てられたタイプだ。おそらく1947年に墜落した三機は軍用機。ワンダラーはあの宇宙船のパイロットじゃなくて、パイロットのペットだったんだ」

「しかし回収された当時、船内から発見されたのはワンダラー一体だけだぞ?」

「……それって、さっきの化け物がパイロットを食ったんじゃないですかね」

恐る恐る司が言うと、

「多分そうだ。ハワード、当時船内から食料かそれに準ずるものは見つかったかい?」

「いや、有機物は奴だけだ。あとは全て機械類」

「スクルカチの三機の軍用機は、正常な進路から外れて彷徨ってたんだろう。食料はパイロットのもので精一杯。グルトヴァは空腹の状態が続き、ついに……」

「もういい。聞きたくない」

ハワードが手で静止する仕草をした。

「それで、奴の弱点は?」

「確かグルトヴァはキズワベ科の植物でできた実を食べられないんだ。一個で致死量」

「なんですか、そのキズワベって?」

「スクルカチに生えてる植物だ。夏になると藍色の実をつける。結構おいしいよ」

「そんなどこにあるか分からん星の植物の実を、今すぐ用意できるわけないだろ!」

声を荒げてしまうハワード。

無理もない。こうしている間にも、基地を丸ごと火の海に変えてしまうミサイルを搭載した無人機が向かっている。

そんな彼に対し、ドクターはなだめるように、

「最後まで聞いてって。キズワベのその成分は、地球の硫化アリルとよく似てるんだ」

「硫化アリル?」

「有機硫黄化合物の一種だよ。例えばネギとかニンニクとか、あと玉ねぎにも入ってる」

「キズワベよりは遥かに楽に調達出来るが……しかし時間が」

頭を抱えるハワードを見て、司は思い出す。

彼女と、ドクターと会う前に自分が何をしていたか。母に頼まれた買い物。

買ったのは、母が買い忘れていたという『玉ねぎ』。

「俺……」

「どうしたの、司?」

「持ってます。玉ねぎ」

 

 

CIA所属の無人機、RQ-1プレデターは順調に厚木基地への進路を進んでいた。

両翼下には二つの改良型ヘルファイアミサイル。これ二発で、厚木基地とその周辺も丸焼けとなるはずだ。

徐々に無人機が高度を下げる。捕食者の名の通り、指定された獲物は逃がさない。

 

 

地上へ向かっていたエレベーターは、急遽ハワードがボタンを押したことで止まった。

停止したフロアは第2ラボ。ここに、ドクターから押収した青いポリスボックス、ターディスが保管されている。

エレベーターのドアが開くと同時に、三人の眼の前にお目当ての大きな箱が表れる。

「急げ!」

「分かってる!」

ドクターが先行し、ターディスのドアを開けた。司がそれに続く。

通学バッグは先ほどと同じ通り、入ってすぐのところに置いてあった。司が中を少し探すと、袋に入った玉ねぎ一個が出てくる。

「ありました! でもこんなので、本当に効くんですか?」

「これだけあれば十分、作ってくれた農家に感謝だ! 早く行こう!」

ハワードが待つエレベーターに駆け込む二人。そして再び、地上へと登り始めた。

 

 

「撃ち続けろ! TOWミサイル用意!」

地上はすでに、地獄の様相を呈していた。散らかった兵士たちの死体。無数の薬莢。そして、何発弾丸を喰らおうと倒れぬ化け物。

上空を旋回するアパッチ攻撃ヘリコプターが、チェーンガンの嵐をグルトヴァに浴びせる。だが、効き目はなかった。

転がったジープから出た火が、夜の滑走路を照らす。

「いた! グルトヴァだ!」

地上にたどり着き、戦場と化した滑走路へと急ぐ三人。司が指差した方向に、その化け物はいた。

「よし。司、思いっきりその玉ねぎを奴に向けて投げて!」

「はい?」

一瞬、司にはドクターが何をいってるのか理解できなかった。

「投げて! 早く!」

「えっ……いやでも」

「いいから早く!」

訳も分からず、司は取り敢えず力をこめて本来文月家の夕食に使われるはずだった玉ねぎを投げる。

放物線を描く玉ねぎ。それに向けて、ドクターがソニックドライバーを当てる。

そして、玉ねぎはグルトヴァの頭上で四散した。

降り注ぐ細かな玉ねぎの破片。グルトヴァは、それに絶叫する。この怪物にとって、無数の玉ねぎの破片は銃弾より遥かに恐ろしいものであった。

悶えながら叫ぶグルトヴァ。しかし1分ほどすると、化け物は動かなくなった。

ハワード、ドクター、そして司も、その様子をじっと見ていた。

「すごい……」

「ソニックで玉ねぎの中の硫化アリルを増幅させて、ついでに爆発するようにしたんだ。効いたみたいだ」

ドクターが持っていたソニックドライバーを軽く振る。

「ひとまず……終わったな」

ハワードはほっと息をつき、上空を見た。

低空侵入に入っていた無人機が、飛び去っていく。

グルトヴァの周りでは、兵士たちが銃を向けながら本当に死んだのか確認し始めていた。

「……すまない」

ドクターは小さく呟く。だが司にもハワードにも、聞こえてはいなかった。

 

 

ドクターのポリスボックスは地下のラボから、地上の滑走路へと戻された。

「もう来るんじゃないぞ、『迫り来る嵐』さん」

右手を差し出して、ハワードは言った。

「そっちもね。むやみやたらにエイリアンを捕獲しないこと」

ドクターも手を差し出し、二人は軽く握手する。

「恐らくこれだけ派手にやったんだ。イギリス王室やUNITもすぐ嗅ぎつけてくる」

「分かってるよ。面倒なのが来ないうちに、僕は退散する」

ドクターは、司の方を見た。

「ごめんね、司。僕のせいで、色々と迷惑をかけてしまった」

「いえ、いいんです。ちょっと……楽しかったし」

その言葉に、ドクターが少し微笑んだ。

「そのポリスボックスで、またどこかに行くんですか?」

「そうだよ。僕のターディスはいつでも、どこへでも行ける。whenever、whereverってこと」

いつでも。

本当にいつでも行けるなら。あの日にも、大切な人が消えてしまった日にも、行けるのなら。

「良かったら……一緒に来る?」

瞬間、ドクターのその一言は、司の頭にはっきりと響いた。

「一緒に?」

「そう。僕は旅に仲間を連れて行くんだけどね、今ちょうど一人旅だったんだ。だから、もし君がよければ、どうかな?」

ドクターが、その華奢で細い手を差し出す。

その手は予想もできない、興奮するような旅への切符だ。

「ターディスを使えば、どんな時代でも、どんな場所でも行ける。太陽系のその先へも、フランス革命を見に行くこともできる。君はどこへ行きたい?」

「申し出は嬉しいです……けど知らせずに言ったら家族に心配かけますし」

それを聞くと、ドクターは笑って、

「これはターディス、タイムマシンだよ? 君が望めば、君が僕と会ったあの時間の、あの場所に戻ることだってできる。何なら、君の家の前にだってね」

司は、今までの日常を思い出す。

何事もなく、平穏な日常。好きだったが、少し退屈だと、心のどこかで思っていた日常。

「行ってこいよ、少年。青春は人生一度だけだぞ」

司の肩を叩いて、ハワードが言った。

「……はい!」

ゆっくりと、司は手を伸ばす。そして、目の前の少女の手を取った。

「よろしく、司」

「よろしく、ドクター」

 

青いポリスボックスが、奇妙な音を立てはじめた。

屋根のランプが光り、二人を乗せたターディスは徐々にその姿を消し、やがて完全に消失する。

一部始終見届けてから、ハワードはその場から立ち去った。

「楽しめよ、少年」

ふと空を見る。無数の星。その中のどれかに、二人はもういるのかもしれない。

 

 




ストロマトライトです。
これにて一話終了。いかがでしたでしょうか。ドクターがコンパニオンを誘うシーンは、どのシーズンのも好きです。ローズを誘う時が一番好きかな。
イギリスではもうすぐs9終了ですね。今回のラスボスは一体誰なんでしょう? ダーレクかサイバーマンか、はたまたサイレンスか……。

次回の舞台は平安時代の日本です。「竹取物語」に関わってきますよ。

それでは!


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姫君の帰還 part1

今回から新章突入です。


「さて、司。どこに行ってみたい?」

見かけより中が広いポリスボックス、ターディスの中に司は立っていた。

彼の目の前に広がるのは、恐らくこのタイムマシンを動かすための無数の機械類。特に目立つのはターディスの中心に置かれた六角形の制御パネルと、その中央を貫くように縦に伸びた円柱型の装置。中で蛍光灯のようなものがオレンジ色に光っているが、何の装置か分からない。

そして何より、これらの装置を操作しながら司の方を見る少女。

ダークブラウンのストレートの髪に、頭にはキャスケット。探偵のような茶のケープと赤を基調としたチェックのスカートは、彼女を女性版シャーロック・ホームズのような出で立ちにしている。

彼女こそドクター。このターディスの持ち主であり、司を旅に誘ってくれた人物。

「どこと言われると……迷いますね」

司には一つ、行きたい、いや行かねばならないある時、ある場所があった。が、折角ドクターが旅に誘ってくれたのだ。いきなりそこを指定するのは無粋だと感じた。

何より、そこに行ってもし真実を知ることが出来れば、司はもう彼女と旅する気を失ってしまうのではないかと思ったからだ。

「司、その「です」とか「ます」って敬語口調は固っくるしいな。もっと普通に友達に話す感じでいいよ。これから一緒に旅するんだから」

「えっ、あっ、すいま……ごめん」

慌てて最後を直す。

急に敬語をやめろと言われても、これは以外に難しい。

「それじゃ改めて、どこへ行きたい? 中生代に恐竜を観に行くことも、23世紀のニューヨークに行くことだって出来るよ」

司は考える。日本史や世界史、国語で学んだ歴史を思い出しながら、どこか行きたかった所はないかと。

やがて、彼は一つ思いつく。

「昔の日本を、見てみたいかな」

「昔って……どのくらい? 江戸時代とか?」

「もっと前。例えば、平安時代とか」

司は古文が得意な方ではなかったが、古文に出てくる物語や当時の人々の生活様式には興味があった。

「よし、行こう! 目的地は平安時代だ!」

可動式のモニターを自分の目の前に持ってきて、ドクターは制御パネル上のレバーを引く。それと同時に、ターディス内部に独特の駆動音が響いた。

「ドクター、この音って大丈夫なの!?」

「大丈夫だよ。これこそターディスが正常な証!」

腹の奥まで響き渡るような轟音がしばらく続き、突然止まった。

先ほどまでとは打って変わって、静寂が訪れる。

「着いたよ」

「着いたって?」

「平安時代だよ。10世紀初期の日本。その扉の向こうは、千年前の日本だ」

司には、にわかには信じられなかった。ドクターが幾つか操作してまだ1分も経っていない。タイムマシンとは、もっと時間をかけて時を移動するものではないのだろうか。

少なくとも、司が子供の頃に観ていたネコ型ロボットが出てくるアニメではタイムマシンで時間を遡る際に、相応の時間を要したはず。

「あーっ、司、その顔は信じてないな?」

ドクターが顔を膨らませる。

「いや、でもこんなあっさりタイムトラベルできると……若干疑いたくもなるよ」

「じゃあお先にどうぞ」

ドクターはその細い手をターディスの扉の方へ向けた。

「ほら、行って行って」

その声に急き立てられるように、司は扉の方へと向かう。

数時間前にこの扉を開けた時は基地のど真ん中だった。あれは二度と御免だ。が、確かに迷っていても始まらない。司は思い切って扉を開ける。

 

 

「…………どこ?」

扉の先に広がっていたのは、ただ真っ暗などこかだった。暗くてよく見えないが、周囲には乱雑にいろいろなものが置かれている。

どうやら、どこかの倉庫のようだ。

「どう? どこからどうみても平安じ……」

勝ち誇った顔で司の後から出てきたドクターも、その光景に言葉が途切れた。

「建物の中かな? また出るところをちょっと間違えたみたい」

「いい加減だなー、ターディスが壊れてるんじゃない?」

「失礼な! ターディスは優秀なタイムマシンだぞ! 僕が二つのターディスから一つ選ぶ時、ある女の子が言ってくれたんだ。『こちらの方がいいんじゃないですか』って。僕は彼女を信用したし、もちろんこのターディスの性能にも満足してる」

それは騙されたのではないだろうかと、言おうと思って司は止める。ここでドクターの機嫌を損ねてはいけない。このタイムマシンの主導権を持っているのは彼女だ。

下手に怒らせて、この時代に取り残されでもしたら目も当てられない。

「ほら、そこに扉がある。開けてみよう」

ドクターの指差す方向に、確かに扉がある。少し開いているらしく、わずかな光が入ってきている。

その光を頼りに、司は扉まで向かう。手をかけると、意外にもあっさり扉は開いた。

「これは……」

最初に感じたのは、驚くほどに澄んだ空気。

次に、目の前に広がる歴史の教科書そのままの街。

「どう? 紛れもなく平安時代でしょ」

改めて勝ち誇った顔で、ドクターが司の前に立った。

「すごい! 本当にタイムマシンだったんだ!」

「やっと信じてくれ……ってちょっと待って!」

ドクターの制止を待たずに、司が路地へと飛び出す。

人通りが多いわけではないが、ちらほらと人は歩いていた。子供を連れている者、商売道具を持った行商人と思われる者、その他いろいろ。

「司、落ち着いて。興奮するのは分かるけど、ここは千年前だよ? スマートフォンのマップも使えないし、迷子になったら大変だ。しかも、ほら」

ドクターに言われあたりを見回すと、皆が二人を好奇の眼差しで見ていた。まるで、異国の人間を見るように。

「これはどういうこと?」

「突然蔵の中から奇抜な格好をした二人組が出てきたんだ。そりゃあこうなるさ」

「奇抜な格好? 別にそんなに……」

改めて自分の制服姿とドクターの服装、そして周囲の人々の服装を見比べて、司は気づいた。

自分たちの格好は、明らかに浮いている。

「なるほど」

納得の表情を見せる司。

「じゃあ、俺たちもターディスに戻って着替えた方がいいのかな?」

「その必要はないよ。今までだってスーツ姿でローマ帝国に行ったりしたからね。それに、さすがにあの服は持ってないよ」

 

 

ターディスが止まった蔵から少し歩くと、二人は市場らしきところに出た。

さきほどの場所とは異なり、ここでは大勢の人々が買い物に勤しんでいる。

「木を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中ってね。こういう所にいた方が怪しまれずに済む」

目を輝かせながら周囲を見渡す司に、ドクターが言った。

「って、聞いてないか」

市場で売っている物は様々だった。野菜、魚、肉、エトセトラ。

それぞれの店の店主たちが各々の文句で客引きをしている。

店主と談笑する者、値引き交渉する者、客の方も三者三様である。

「どこの店も声を上げて、まるで文化祭みたいだ」

司は、自分の胸が高鳴っているのを感じた。

こういう感覚はいつ振りだろう。かなり長い間感じていなかった気がする。

思えば、あの時から。あの悲劇の日からずっと、本当の意味で楽しいと感じられたことなど。

思い出しそうになって、司は首を振った。

「どうしたの司? 突然」

「いや、なんでもない。こっちのこと」

「おい、ちょっと君たち」

話す二人に、何者かが声をかけてきた。

振り向くとそこには屈強そうな男。その表情は、明らかにこちらを不審がっている。

「な、なんでしょう」

司の声が若干震えた。

「私は検非違使の者だ。この辺りで不審な身なりの二人組がぶらついていると聞いたのだが……」

「多分僕たちのことだね」

あっさりと即答するドクター。

「しかし見たところ良い衣を着ているな。どこか名のある家の者か?」

「名があるかどうかは分からないけど、これを持ってる」

ドクターが服のポケットから取り出したのは小さな手帳のようなものだった。それを開いて、検非違使の男に見せる。

途端に、男の顔色が変わった。

「こ、これは大変な失礼を……まさか帝のご親族の方でいらっしゃるとは。無礼をお赦しください」

「いやいや、いいんだよ。ぶらついてた僕たちも悪いし」

司には何が起こったのか全く分からない。

「しかし、高貴な方が回るにはここは危険でございます。我々の方から警備の者をつけさせましょうか」

「大丈夫。彼が僕の警護を務めている」

そう言ってドクターは司を見た。

「えっ、俺!?」

「僕が無理を言って彼についてきてもらったんだ。下々の者の生活を見るのも、高貴なる者の務めだからね」

「そういうことでしたか」

男はほっと胸をなでおろす。どうやら、司を本当にドクターのボディーガードだと勘違いしている。

「ですが十分にご注意を。なよ竹のかぐや姫の噂に触発されて、悪事を働こうとしている者も都に入ってきているという話も聞きます」

男のその言葉に、ドクターより先に司が反応する。

確かに今、日本人なら誰もが知るその名を男が口にしたはずだ。

「今、なよ竹のかぐや姫って言いました?」

「はい。数年前に竹から生まれたとても美しい方らしく、まだお姿を見た者はそう多くないのですが、その噂だけが一人歩きしているようで、連日一目見ようと都へ来る者が後を絶たんのです」

ドクターと司、二人で顔を見合わせる。

「ドクター、これってもしかして」

「多分ね。僕たちは、おとぎ話のど真ん中に来たってことだ」

 

 

「で、さっきのはどうやったの?」

「というと?」

「あの検非違使の人にやったやつ。何か見せたら、俺たちのこと皇族とその警護だと信じてた」

「ああ、あれか」

検非違使の男に道を聞き、なよ竹のかぐや姫がいるという屋敷へ二人は向かっていた。

「ほら、これだよ。サイキックペーパーって言うんだ」

ドクターは再びさっきの手帳のようなものを取り出す。

開くと、中には何も書かれていない紙が一枚。

「その紙が低レベルの精神感応波を出していて、相手が見たいと思ったものがそこに表示される。例えばさっき、あの男は僕たちを服装から見て高貴な者かもしれないと考えた。だから彼には、この紙に皇族を表す何かしらが見えたはずだよ」

「こんなすごいもの、一体どこで?」

「さあね。もう忘れてしまった。ずっと昔だよ」

司にとってドクターは、まだ謎だらけの存在だ。分かっているのは彼女が宇宙人だということと、タイムマシン、ターディスを保有しているということ。

どの星で生まれ、どんな風に育ったか。どうして旅をしているのか。その全てが謎だ。

共に旅をしていけば、分かるようになるのだろうか。

「見えてきた。あれだよ」

ドクターの指差す方向。いくつか豪華な家が並び、高級住宅街と思える一角に一際大きな豪邸が一軒。

元は一介の竹取りに過ぎなかった老人、讃岐の造がかぐや姫を得た後に異常なまでの富を築き建てた屋敷だという。

「昔々、竹取の翁という者ありけり。野山に混じりて竹を取りつつ、よろずのことに使いけり」

「よく覚えてるね」

「中学の時に序文の方だけ覚えさせられたんだ。それにしても、本当にあのかぐや姫なのかな?」

かぐや姫。

日本初の物語と言われる竹取物語に登場するメインヒロインであり、その正体は月で罪を犯した姫君だ。

彼女が本当に存在し、本当に月から来たのだとしたら、ドクターと同じエイリアンということになる。

「それを今から確かめに行くんだ。エイリアンの可能性は十分にある。有害か無害かはおいといて」

「有害ってことはないんじゃ……だってかぐや姫は時が来たら月に帰るだけ。最後、翁に不死の薬を渡すけど」

「……不死の薬?」

ドクターが眉を潜める。

「初耳だ。竹取物語にそんな話があるなんて聞いたことない」

「最後に書いてあるよ。翁は別れ際、かぐや姫から不死の薬をもらう。けど、姫のいない世で不死になっても仕方がないということで、翁はその薬を帝に渡すんだ」

「それで、帝はそれを飲んだ?」

「いや、部下に命じさせて山に撒いたんだ。不死の薬が撒かれたということで、その山は不死の山、富士山になったって……」

「気になる……姫に会ったら聞いてみよう」

エイリアンか、人間か。

麗しの姫が待つ屋敷は、もう二人の目の前に迫っていた。

 

「おい、何だお前たち。ここは讃岐の造の屋敷だぞ」

案の定、二人は槍を持った衛士に止められた。

それに動じることなく、ドクターはサイキックペーパーを取り出す。

「帝の命令で来ました。近頃なよ竹のかぐや姫の様子が芳しくないということで」

「そっ、そういうことでしたか。とんだ失礼を。どうぞ、お入り下さい」

次は何に見えたのかは知らないが、サイキックペーパーに騙された衛士たちが大きな門を開ける。

先に広がっていたのは、竹取の老人が建てたとは思えぬ巨大な屋敷だ。

「これ、何坪くらいあるんだろう」

「京都の一等地にこれだけの豪邸だからね。君の時代で考えると……」

「いや、いい。平安時代まで来たんだから夢のない話はやめよう」

整然として、鳥が静かにさえずる。

生活するには良い環境だ。良すぎるとも言える。

「僕……この景色に見覚えがある」

ドクターは突然に呟いた。

「前にこの時代に来たことが?」

「違う。どこかの惑星でだよ。宮殿みたいなところで、そこの庭園がこんな感じだった気がする」

そう言うと、ドクターがおもむろにソニックドライバーを取り出して手近にあった木に向ける。

ソニック内部に表示された結果は、純粋な地球の木というものだった。

「疑いすぎだよドクター。別に姫は悪い宇宙人じゃないだろうし」

「姫が地球に外惑星の植物を持ち込んでいたらどうする? 立派なシャドー議定書第73条違反だ」

「シャドー議定書って何?」

「そのうち説明するよ。今は姫の正体が先」

屋敷で一番大きな建物、いわゆる寝殿と呼ばれる所へ二人が着くと、豪華な身なりの老婆が使いの者と共に待っていた。

「帝のお使いの方とお聞きしました。遠い所をお越し頂いて。私、讃岐の造の妻でございます」

「歓迎ありがとう。僕たち帝の命でかぐや姫に会いに来たんだけど」

「ええ、そのことなんですが」

老婆の顔が曇る。

何か都合の悪そうな感じだ。

「かぐやは最近何か悲しいことがあるようで、人に会いたがらないのです。恐らく帝のお使いの方でも……」

「悲しいことというのは?」

司が聞くと、老婆も困った顔をして、

「それが、私にも分からないのです。毎夜月を見ては泣き出して、こないだなどは『私は月に帰らなければならない』と言う始末で」

「月、ですか」

「はい。ですから大変申し訳ありませんが、本日はお引取りを……」

「そういう訳にはいかないな。僕たちは姫に会って確かめたいことがある」

「ですがかぐやは会いたくないと言うとどんな方でもお会いにならないのです」

「構わないわ。その方たちを通してあげて」

老婆たちの後ろに位置する襖のさらに奥、そこから声がした。

若い女性の声だ。

襖が開き、その女性が姿を現わす。

老婆のもの以上の美しい着物。床まで伸びた麗しき黒髪。整った顔立ち。

間違いない。彼女は、

「初めまして。私、なよ竹のかぐやと申します。貴方は?」

女性の目は、真っ直ぐとドクターの方を見ていた。

まるで他の人間は彼女の眼中にはないように。

「僕はドクター。彼は文月 司。お会いできて光栄です、姫」

ドクターは恭しくお辞儀した。司も慌ててそれに続く。

「貴方たち、本当は帝のお使いではないのでしょう? でもいいわ。お入りください」

かくして、宇宙人のドクター、未来人の司は、正体不明の姫君の招待を受けることとなったのである。




ストロマトライトです。
Doctor Who S9も終わってしまい、残るはクリスマススペシャルのみですね。

今回の話を書くために竹取物語を読んだのですが、かぐや姫は結構わがままなんですよね。まあ宇宙人だからしょうがない。

次回の投稿まで少し時間がかかるかもしれません。
では、この辺で。


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姫君の帰還 Part2

お久しぶりです。
投稿がちょっと遅くなりました。すいません。


煌びやかに装飾された和風の部屋。

そして、ドクターと司の前に鎮座する女性。黒く艶めいた髪に艶やかな着物を羽織ったその姿は、人間離れした美しさを司に感じさせた。

彼女の名はなよ竹のかぐや。後に、かぐや姫の名で知られる姫君だ。

「改めまして。私はなよ竹のかぐや」

かぐやは初々しくお辞儀する。

「ドクター、と言いましたか。随分遠くからいらっしゃったようですね」

「遠くだよ。とても遠くから来た。君と同じで」

「……どういう意味でしょう」

かぐやは表情を崩さず、しかし明らかにドクターの言葉に反応した。

「いや、深い意味はないよ。君が竹から産まれたって聞いたものだから、きっと今のこの家からは離れた竹林から来たんじゃないかと思ってね」

「ええ。あの竹林も今は遠く。時々懐かしくなりますわ」

司には、二人の会話に入り込むスキがなかった。二人とも互いがこの星の者ではないと知った上で、腹の探り合いをしてるようだ。

部屋の両脇で構えている翁の妻、そして使いの女性達も困惑の表情を浮かべている。

「えっと……ドクター、ここじゃ周りの目もあるし姫様も色々と言いにくいんじゃ」

司が耳打ちする。

「言いにくいって?」

「いやだからその、彼女が月から来たこととかさ」

「関心しませんね。人の前で内緒話なんて」

かぐやの一言で、司はすぐに彼女の方を向いた。まるで体を電気が走ったような感じ。

この姫の言葉には、何か不思議な力がある。人心を掌握するような、何かが。

「す、すいません。失礼なことをしてしまって」

「何か言いたいことがあるなら、おっしゃって下さい、司さん。お婆さんや使いの者のことなど気にせず」

かぐやは全く動じていない。

自分にやましいところは何もない。とでも言うようだ。

「なら遠慮なく聞かせてもらうよ」

言うと、ドクターがすくっと立ち上がる。その手にはペンのようなあの道具、ソニックドライバーが握られていた。

「君は何者だ? 少なくとも地球の人間じゃない。この星に何をしに来た?」

「……おっしゃってる意味が、分かりませんわ」

二人の間に緊張が走る。空気が凍るというのは、まさにこのことだ。

「竹から生まれた三センチの少女が、数ヶ月で平均的成人女性と同じ身長になるなんて話を聞いてエイリアンだと思うな、という方が無理だよ。成長ホルモンの異常分泌で説明できると思った?」

「……随分と早口でまくし立てるのね。もう少しゆっくり話せませんの、ドクター」

ドクターの言葉の波も、平然とした顔でかぐやは聞き流す。

「成長の早さは知覚フィルターの幻覚だ。あれを使えば数ヶ月どころか一晩で成人になることだって可能、それでも時間をかけたのはこの時代の人々でも理解できるようにした配慮かな。君を拾った後に翁の切った竹から金が出てきたのは多分ボタニカル・テンポラル・テレポートか。〈チームの森〉が生み出した植物を使用する転送装置でしょ」

理解できない単語のオンパレード。司は一度考えることを止めた。周囲の人々も同じだった。

ここはすでに、ドクターとかぐやの独壇場となっている。

「想像力のあるお方ね。頭もよろしいようですし。さすがは『帝のお使い』ですわ」

「白々しい。もう分かってるんだろ? 僕が『帝の使い』じゃないって。知りたいだろ? 僕が何者か。聞いたらきっと驚くよ」

「仰いたいのなら、どうぞ」

かぐやは若干呆れているようだが、ドクターはそれも気にせず、

「僕はドクター。カスターボロス系に属する惑星ガリフレイのタイムロードだ」

ガリフレイ。そしてタイムロード。

それが彼女の星であり、彼女の種族だと司は頭の中で反芻した。当然、聞いたこともない星だ。中学、高校と理科系科目をそう真面目に受けていたとは言い難いが、それでもカスターボロス系などという銀河は聞いたことはなかった。

「ごめんなさい。難しい言葉が多くてよく分からないわ。でもこれだけは分かります。貴方は私が思っていたよりも遠く、夜空に瞬く星のどこかから来たのね」

「それだけ分かれば十分。さあ、今度は君の番だ」

突然、ドクターが手にしていたソニックドライバーをかぐやに向けた。

先端から、特徴的な音を発しつつ光る淡いオレンジの光。麗しの姫はその光を嫌がり、手で顔を覆った。

「ソニックに知覚フィルターは効かないぞ! どうだ! これで……」

勝ち誇った顔のドクター。しかし、彼女が期待するようなことは起きなかった。

かぐや姫は先ほどまでと同じ、美しい人間の姿で座っている。

「……ドクター、これって」

司が声をかけるが、ドクターは無言でソニックドライバーを見つめ続けた。

「おかしい。壊れてるのかな。知覚フィルターを外せないなんて」

「貴方、一体かぐやに何をするのですか!?」

声を荒げたのは翁の妻である老婆だ。周囲の使いの者たちも警戒心を露わにしてドクターの方を見る。

それを見て、困ったようにドクターは司の方を向いた。

「司、どうしてこの人たちは怖い顔してるんだろう?」

「そりゃあ、かぐや姫に変なことするからだ」

「変なことって……僕はただソニックで確認したかっただけで……」

そんな言い訳は老婆たちに通じていない。加えて、かぐやが二人を帝の使いではないと見抜いた時から彼女たちが抱いていた、どうも怪しい客だという疑念も頂点に達していた。

「失礼ですが、あなた方にはお引き取り願います! 皆さん、お二人をお連れして!」

それまで黙っていた使いの女性たちが一斉にドクターを取り囲み、彼女の腕を強く掴んだ。座っていた司も使いの者に二人がかりで無理やり立たされる。

「何するんだ!? 離して!」

抵抗するドクター。司は何もしようとせず、ただされるがままにしていた。

「お婆さん、貴方だって分かってるはずだ! こんなに早く育つ子供がいるはずないって!」

「お黙り下さい! かぐやは私たちの娘です!」

「……お止めなさい」

静かに。それでありながら強く、かぐやが言う。

騒ぎが収まるには、その一言で十分すぎた。ドクターと司の二人を追い出そうとした使いの女性たちが瞬時に静止する。

「皆さん、ドクターと司さんを離してあげて。お客人に無礼ですわ」

「でもかぐや、この方達は貴方を……」

「いいの。ありがとう、お婆さん。この方達は少し勘違いしていただけです。少し眩しかったけれど、私は大丈夫」

二人を掴んでいた使いの手が離れる。

意外にも強く握られていたのか、司の腕には赤い跡がついていた。

「ごめんなさいね。皆さん悪気があったわけではないのです。ただ、私を心配してくれただけで」

「いえ、こちらこそすいませんでした。無礼なことを」

司が頭を下げる。

「ほら、ドクターも謝りなよ」

「……申し訳ない」

少し不満そうに、ドクターは謝罪する。膨大な知識を蓄えた宇宙の旅人が、これでは外見通りの年頃の少女のようである。

それを見て、かぐやが微笑んだ。彼女に会って初めて見る笑顔だ。

「気にしないで下さい。遠いところを来てお疲れでしょう? 今日は是非ここにお泊まり下さい。部屋を用意させますから」

 

 

「すごいな……星が綺麗だ」

時は午後9時。平安時代の寝殿造りではバルコニーにあたる釣殿と呼ばれる場所で、ドクターと司は空を見上げていた。

電気の存在しないこの時代の夜空は、司の時代では考えられないほどに美しい。輝く星々が、釣殿の前にある大きな池まるでスクリーンのように映る。

「これが産業革命前の夜空さ。空気が澄んでいるから、星もはっきり見える」

「ドクターは、今まで何回も見てきたのか? こんな綺麗な空を」

「数え切れないくらいね。でも、いつでも美しかったわけじゃない。恐ろしい光景も見てきた」

風が吹き、ドクターの髪が揺れる。

その一瞬。彼女の表情は悲しげに見えた。

「そういえば、お昼にかぐや姫に言ってたガリフレイって……」

「僕の星だよ。地球から2万9,000光年離れた、赤く美しい星。僕たちタイムロードの故郷さ」

「どんな星なの?」

「地球より大きいけど、環境は地球とよく似てるんだ。草原も海もあって、星の中心には丸い球体に包まれたガリフレイ最大の都市がそびえてる。時と空間を司るタイムロードは、そこで繁栄を続けていたんだ」

「へぇ……もしかしたら、この星の中にあるのかもね。ガリフレイ」

司は何気なくそう言った。しかし、ドクターから返答はない。

「……ドクター?」

「あの空に、もうガリフレイはないよ」

「ないっ……て?」

どういう意味なのか問おうとする司だったが、その前に彼はあるものに気づいた。

中門から釣殿へ続く長い廊下を、一つの人影が二人の方へ歩いてくる。月明かりがその姿を照らした。昼間とは違い、寝巻き代わりの白小袖に身を包んだかぐや姫その人だ。

「ご一緒してもよろしいかしら」

「いいよ。何人で見ても星は減らないから」

かぐやはそっと、ドクターの隣へと座る。月の光が彼女の黒髪の美しさをさらに引き立たせた。

どこか遠くを見る目で、彼女は夜空を見上げる。

「今宵は特に星が綺麗ね。貴方たちを歓迎しているのかも」

夜空の星すべてを見ているように見えて、しかし彼女の目はある一点しか向いていなかった。

淡い青の光を放つ、月だ。

「……私はね」

言うと同時に、彼女の目から、一筋の涙が落ちるのを司は見た。

「多分ドクターの言うように、この地の者ではないの。私は、あそこから来たのだと思うわ」

かぐやが真っ直ぐに月を指差す。

「はっきりとした記憶はないの。今でも私はお爺さんとお婆さんの娘だと本気で思ってる。でも最近、私の頭の中で別の記憶が語りかけるのよ。私は月の民で、何かの理由でここに送られたって」

「……その記憶が表れはじめたのはいつ?」

「月を見始めた頃よ。それから段々とその記憶が、まるで絵を見るみたいに頭の中に出てきたの」

それを聞き、ドクターはソニックドライバーを取り出した。それをかぐや姫の前で軽く振る。

「今からこれを君の頭にこれを当てる。痛くないよ。いい?」

「ええ」

オレンジの光をかぐやの頭に少し当てる。すぐにドライバー内に結果が出た。

「やはりね。君の記憶は少しいじられてる。月の民としての記憶が、君の脳の奥に隠されていたんだ。多分この星で暮らしやすいように」

「そう。やはりそういうことだったのね」

かぐやはさして驚きもせず、淡々と答えた。

「前から不思議なことはあったわ。五人の貴公子たちが私に求婚してきた時、私は彼らに絶対持ってくることができないものを頼んだの。仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の珠、燕が産んだ子安貝。でもね、私はこの内の一つも知らない。なのにこの五つの名前がすっと出てきた。おかしいでしょ」

物語の中で五人の求婚を断るために無理な要求をした話だ。司はかぐやが知った上で言っていたのだと思っていたが、まさか知らずに言っていたとは。

千年も前の話となれば、事実と大きく変わってくるものである。

「火鼠の皮衣はクロネード星のプロミネラットの皮。龍の首の珠はガルハドロの氷山に住む老龍、その首についている7色の玉だ。仏の御石の鉢はアプラン教の開祖が生涯離さなかったという鉢。ざっとこんなところかな」

ドクターがすらすらと、それぞれの秘宝の正体を明かしていく。

「どれもこれも宇宙の伝説だ。貴公子たちは不幸だね、宇宙船を持っていたって見つけられるか分からない。おまけに老龍はシャドー議会の保護指定対象。傷つければサイの警察官に死ぬまで追われる」

「ええ。まったく……彼らには気の毒なことをしてしまいました」

かぐやは彼らを哀れんでいるようであり、それでいて他人事のようでもある。

簡単に言ってしまえば、興味がないというような。

どこかの草むらで鈴虫が鳴く。三人の座る釣殿の廊下に、その音色が木霊した。

「……最近、また新しい記憶が囁いてる。今までの中で一番、悲しい囁き」

沈んだ面持ちで、かぐやが言う。

「どんな記憶だい?」

「迎えが来るの。月からね。私は帰らなければならないって」

司にもドクターにも、それが何を意味するのか分かった。

竹取物語のラスト。使者に連れられ、月の姫君は帰還する。

 

 

朝九時。部屋に日の光が差し込み、司は目を覚ました。

「やあ、おはよう。千年前でもよく眠れたかい?」

目の前には、司の顔を覗き込む少女、ドクター。どうやら、司より早く起きていたようだ。

「うん。特にうるさくもなく、普通に寝れた」

と、司は中庭の方から何やら音がすることに気づいた。

人が大勢集まっているようであり、至るところから声がする。

「一体何が?」

聞くと、ドクターは中庭の方を向き、

「昨日の夜の話、翁が聞いたらしくてね。帝に相談して、かき集められるだけの兵士を集めたんだってさ」

司が起き上がり廊下に出る。中庭には、鎧と弓に身を包んだ多くの兵士たちが並んでいた。

家の門の方からは、まだまだ兵士が入ってきている。

「こんなに兵士を集めて何を……」

「姫を守るんだよ。月の使者から」

「月の使者って……まさか本当にエイリアンが?」

「それは、夜になったらのお楽しみ。物語通りなら、宵の過ぎ、深夜12時過ぎに来るはずだから」

物語は、確実に終焉へと向かっていた。




お読みいただきありがとうございます。ストロマトライトです。
S9もクリスマス・スペシャルまで終わりましたね。風の噂ではS.モファットがDWから降りるとか。うーん悲しい。
そろそろ本編に出てくるようなエイリアンも出したいと思いますが、何にしようか考えてる次第です。
それでは、今回はこの辺で。


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姫君の帰還 Part3

何故か結構早く投稿できました。竹取物語編も中盤です。


深夜十一時三十分。

昨日と同じように、空には満天の星と、不気味なほどに青く光る丸い月があった。異なるのは、庭に大量の帝の兵が待機していることだ。

寝殿の方では、これだけの兵を集めながらも不安そうな面持ちで使いの者たちが立っていた。

「本当に来るかな。月の使者」

司は空を見上げる。相変わらず何かが現れる気配はない。いたって静かな空だ。

「宵の過ぎ、つまり深夜零時まではあと三十分もある。使者は時間ぴったりに来るのかもよ」

ソニックドライバーを放っては取りながら、ドクターは言った。

この屋敷は今朝から厳戒態勢の様相を呈していた。屋敷中に兵士が立ち、かぐやの周りには特に精鋭の兵士が待機している有様だ。どうやら帝は、どうあってもかぐやを月へ返す気はないらしい。

「すごいなあ。屋根の上にも兵士がいる。スナイパーみたいだ」

司が見ると、確かに屋根の上に兵士が待機していた。微動だにせず、真っ直ぐに空を見ている。

「で、肝心のかぐや姫はどこに?」

「屋敷の一番奥の部屋に、翁とお婆さんと一緒にいるってさ。会いに行ってみようか」

 

 

寝殿の奥、北対(きたのたい)の数枚の戸を開いたところにある他と比べて少し小さい部屋に、麗しの姫はいた。

天井から日よけ用の御簾と呼ばれるすだれを下ろし、まるで隠れるようにかぐやは座っている。

「こんな所にいたんだ。もうすぐお迎えだよ、姫様」

部屋にはかぐやと翁、翁の妻、そして四人の屈強な兵士だけだった。

「迎えなど、帝の兵がなぎ倒してくれる! かぐやは誰にも渡さん!」

翁の方は完全に怒りにかられていた。言葉にも怒気が如実に感じられる。

「あまり声を荒げないで下さい。お爺さん」

それをかぐやがそっと宥めていた。

「私を物置部屋の中に隠して防戦する作戦を立てたとしても、あの月の国の人とは、まともに戦う事はできないでしょう。弓矢で射ることができないのです。このように私を厳重に閉じ込めていても、あの月の国の人がやって来たら、全て戸が開いてしまうでしょう」

「それは頼もしい。一体どんなにすごい兵なんだろうね」

「月の人々は人知を超えた力を持っているもの。私も少し覚えているわ、あの人たちは、相手が動くのを止めることができる術を持っているの」

竹取物語には、集まった兵士を月の使者たちが妖術のようなもので止める描写があった。あれがエイリアンの技術だと言われれば、確かに頷ける。

「ならば、迎えにやって来る天人を、長い爪で目玉を掴んで潰してやる! 相手の髪を掴んで、空から引きずり落としてやる。その尻を出させて、ここにいる朝廷の兵士たちに見せて、恥を掻かせてやろう」

翁の方は完全に使者たちを迎撃する気だ。

とても物語で言われるような穏やかな翁が発するとは思えない口汚い言葉で、先ほどから月の使者たちを罵っている。

「そういえば、聞いたところそなたは特別な力を持った方だとか」

唐突に、翁がドクターを見る。

「別に特別ってほどじゃないけどね」

「とにかく、その力を使って月の天人を返り討ちにできんのか!? 褒美はたくさん取らせよう、帝に言えば国だって……」

「僕はそんなに無礼な奴じゃない。それに僕は『干渉しない』主義なんだ」

ドクターは翁に背を向けてその場を去ろうとする。

翁の言い方もきついものであったが、ドクターの対応も司には少し冷たく見えた。

「ドクター、ちょっとくらい助けてあげてもいいんじゃないかな。何とかして月の使者を説得して、かぐや姫が帰らずにすむようにするとかさ」

「駄目だよ。時を旅する者には、いくつかの決まりがあるんだ」

ドクターは軽くため息をつき、司の方を見る。

「決まりって?」

「歴史というものの中には、いくつかのポイントがあるんだ。僕たちはこれを、固定ポイントと呼んでいるんだけど」

「固定……ポイント?」

「いわゆる『歴史上において決定された事項』というやつ。その事件に僕らタイムトラベラーが介入して、起こるはずだったことを無かったことにしてしまったりしたら、後々の時代に大きな影響が出る」

ドクターの口調は真剣そのものだった。いつもの少し軽く、浮いたような彼女とは違う。

まるで、その言葉をドクターが彼女自身に言い聞かせているように。

「でも、千年前のおとぎ話だよ? それを少し変えたからって、後の時代に何の影響があるって……」

「何の影響だって? 大有りだ! 前にも僕と旅していた女の子が事故で死んだ自分の父を助けて、その瞬間に時空の化け物が現れたんだ! あんなのは二度とゴメンだよ」

ドクターは足早に部屋を出ようとした。

「ちょっと待ってくれ! 今はそなたが頼みなのだ! どうかかぐやを、我々の元から連れて行かせないでくれ!」

翁の声は怒気から懇願へと変わっていた。その目尻には涙も見える。

しかしドクターは止まらない。だが、

「……ドクター」

顔をうつむかせたまま発したかぐやの一言に、ドクターが歩みを止める。

「私が月の国の人たちに連れて行かれてしまうことは、もう決まっていることです。でも、もし私が月に行く時になって、不穏なことが起きた時は……皆を守ってください」

それを聞き、しばらくは立ち止まっていたものの、ドクターは再び歩きだした。

司もひとまずかぐやに一礼し、彼女を追いかける。

「本当に何もせずに見てるのか?」

「そう。何もせず、穏やかに、見てる」

「こないだは何万光年も離れた所から発せられたエイリアンのメッセージを頼りに来たくせに」

「あのエイリアンを助けることは固定ポイントじゃなかった。ここは後の歴史にも物語として記述され残されている固定ポイントなんだ。何と言われようと、どうすることもできないよ」

ドクターが被っていたキャスケットを脱ぎ、司の頭にぽんと被せる。

その意味は、司には全く分からなかった。

 

 

時刻は午後十一時五十九分。

宵まで残り一分となった。だが、依然どんな動きも見受けられない。

「この分だと、今日は来ないんじゃないかな」

「どうだろうね。でも、書かれている時刻まではあと一分ある」

庭で待機する兵士たちにも疲労の表情が見え始めていた。無理もない。彼らがここで待ち続けて十数時間は経っているのだから。

このままだと、何も起こらない方が兵士たちの不満を爆発させ後々まずいことになりそうだ。

「あっ、そうそう」

ふと、司は先ほどドクターに被せられていたキャスケットがまだ自分の頭の上にあったことを思い出した。

「ドクター、これをまだ……」

その刹那。

光が、それも暴力的な光が、その場を包む。

夜の庭に突如現れた明かりに、司やドクター、そして兵士たちも目を覆った。

「何だ!?」

周囲では怒号と叫び声が響き渡る。

司が僅かに目を開けると、まだ光が視界に焼きつき白くぼやけていたものの、空中にそれが見えた。

恐らく地上から百メートルほどのところ。雲のような物体が浮いている。物体の上には、数体の人影。

「まさか……あれが」

「来たね。かぐや姫の迎えが」

司の視界が段々とクリアになっていく。空に浮かんでいるのは三つの雲。そしてそれぞれの雲には五人ずつが乗っていた。

乗っている者はグレイ型のようなエイリアンではなく、完全な人間の形をしていた。身なりもこの時代に合わせたものなのか、貴族の着物を羽織っている。

「来たぞ! 月の使者だ、狙え!」

兵士たちは一斉に矢で彼らを狙う。弓いっぱいに引かれた無数の矢の先端が、銀の輝きを放ちながら使者たちの方へ向いていた。

「打て!」

兵士のリーダーが叫ぶと、彼らは矢を引く手を放ち使者を攻撃しようとした。しかし、何故か弓を引いたまま、兵士たちは微動だにしない。

攻撃しないのではない。出来ないのだ。

「ドクター、どういうこと? 周り皆が石みたいに動かない!」

「フィジカ・ストーニングだよ」

ドクターはソニックドライバーを兵士たちに向ける。

「体内の細胞に働きかけて、生物の動きを凍らせる技術さ。これは特に強力なやつだね。ソニックでも解除するのに時間がかかる」

「じゃあ、俺たちはなんで……」

動けているんだ、と司が続けるより早く、雲の上から声がした。

「いかにも。そこの二人。我らの術の下でありながら、何故自由に動けているのか」

声の主は三つの中で真ん中の雲、そこに鎮座する初老の男性から発せられたものだ。他の者より服装が豪奢なところを見ると、どうやら彼が使者の中で最も高位の者らしい。

「不思議だろ、分からないだろ? どうして僕たちだけが君らの術にかからないのか」

動かぬ兵士をかき分けて、ドクターが雲の方へと歩いていく。

雲の前まで行くと、彼女は両手を広げて高らかに月の使者へ宣言した。

「何故なら、僕はドクターだからだ。後ろの少年は文月 司。彼が動けているのは、彼が被っている僕のキャスケットのおかげだ。あれにフィジカ・ストーニングの影響を受けない工夫をしておいたんだ」

司は頭上のキャスケットに触れる。ドクターが彼にこれを被せたのは、それが理由だったのだ。

「ではその方、いかにしてそのような技術を得たか。手に持つその道具も、この時代の物ではあるまい」

「ああ、これかい? これはソニック・スクリュードライバー。これさえ使えば鍵のかかった扉も開けられるし、ケーキの中身も解析できる。できないことは木製の扉を開けること。ガリフレイには木の扉なんてあんまりなかったから」

『ガリフレイ』というその言葉に、月の使者はソニックドライバー以上の興味を示した。

「ガリフレイ……? では、貴公はタイムロードの民か?」

「そう。僕はガリフレイのタイムロード。前は最後の生き残りって名乗ってたけど、僕以外のタイムロードも僅かに生きてるからそれを言うのはやめたよ」

ドクターの発言を聞くや否や、月の使者たちがざわめき始める。

彼らが彼女を見る目が、まるで絶滅種を見つけたようなものに変わっていた。

「そうか。まさかタイムロードがまだ生きていたとは。タイム・ウォーでスカロのダーレクによって駆逐されたと聞いていたが。貴公、ドクターと言ったな。いかにしてあの大戦争を生き残った?」

「僕は最前線にいた。僕が終わらせたんだ。タイムロードも、ダーレクも、僕が滅ぼした」

使者たちのざわめきが一層大きくなった。

「哀れな者よ。戦争を終わらせるため、自分の民を滅ぼしたのか」

再び現れたガリフレイ、そしてタイムロードという単語。加えて今度は、タイム・ウォーとスカロ、ダーレクという新たな言葉が飛び出す。

それ以上に、司にはドクターの『僕が滅ぼした』という発言が気になった。

思えば昨夜、彼女は星空を見上げて言っていた。あの空に、もうガリフレイはないと。

あれは、ドクターが滅ぼしたからだったのか。それとも、間接的に星の滅亡へ関わったのか。

「ひとまず、今はそれについて言及するのはここまでだ。我々は、『姫』に用がある」

初老の男性の横で待機している若い従者が、宙に向かって手を動かす。何か透明なディスプレイを操作しているようだ。

彼の操作が一通り済むと、寝殿から北対まで続く全ての扉が一気に開いていった。

「造麻呂、出てこい」

名前を呼ばれ、恐る恐る翁が出てきた。

さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、すっかり萎縮してしまっている。寝殿の縁へ着くなり、うつ伏せに伏せてしまう。

「この愚か者が。少しばかり功徳を作ったからわずかな間だけ姫を任せ、貴公に黄金を授けただけというのに。かぐや姫は罪を犯したので、このように身分の低い者のところにいらっしゃったのだ。罪の期限は終わり、このように迎えにきた次第だ」

翁は周囲にはばからず、涙を流し嗚咽を漏らす。

「かぐや姫を育てて二十年ほどになります。それをわずかということは、きっとあなた方が探しているのは別のかぐやでしょう。ここのかぐやは、病気を患っていて、とても出てくることは出来ません」

使者の男が眉をひそめる。

「しばらく姫を任されただけで、親のつもりか。貴公の富も我々が授けたものだというのに。挙句こんなに兵を揃えて。追い返せるとでも思ったか。つくづく愚かな民よ」

「重々分かっております。お望みであれば、貴方がたが私に下さった富は全て返しましょう。ですから、せめてかぐや姫だけは……」

「黙れ、下賤の者。さあ、かぐや姫。穢れたところに、そう長くいる必要はございますまい」

ここまで言われていると、司にも翁が気の毒に見えた。

月の使者の言い分はあまりにも一方的だ。勝手にかぐやを送っておいて、愛着が十分ついた上で返せとは。

「ちょっと、言い過ぎじゃないかアンタ」

気づくと、司は使者の男に向かって言い放っていた。考えるより先に口が動いていた。

「確かにかぐや姫はアンタ達の姫様かもしれないけど、育てたのはこの人だろ? 任されたって言うけど、逆に言えば勝手に任せたのはアンタ達じゃないか」

まずいとは思いつつも、言わずにいられなかった。

司にも分かるのだ。大切な者を、突然、一方的に奪われる悲しみが。

「何だ貴公は。確か……文月と言ったか」

「そうだ。俺は文月 司。千年後から来た地球人で、ドクターの……」

ドクターの、何なのだろう。

友達、とは少し違う。仲間、という感じでもない。恋人、は当然異なる。

「司は僕のコンパニオンだよ」

悩む司を代弁し、ドクターがはっきりと答えた。

「僕も司の言葉で気が変わった。君たちは少し傲慢だな。ヒヴォニス=ルナティ・エンパイヤの帝国親衛隊諸君」

ドクターがソニックドライバーを彼らの雲に向け、音と共にオレンジ色の光を発する。

雲は晴れて彼らの乗る航空機械が露わとなった。服装も貴族の着物ではなく、より近代的な、軍の制服を思わせる物を着ている。全てホログラムだったのだ。

「ドクター、この人たちを知ってるのか?」

「彼らは月、といっても地球のじゃなくてガウノ星雲系にあるヒヴォニス星の月の住人だ。この庭、何に似てるかと思ったら、ルナティの皇族宮殿そっくりだよ」

「……よく知っているな。流石はタイムロード」

「前に観光で行った時、皇太子の友人を偽って入ったんだ。いい所だったからよく覚えてる」

「ならば、貴公はいい時期に行ったものだ。今では戦火で宮殿も焼け落ちた。かつての面影は残っていない」

ドクターと使者が会話している中、司はふと、フィジカ・ストーニングによって拘束されている兵の一人を見る。心なしか、その兵の指がピクリと動いたように見えた。

それだけではない。全体を俯瞰すると、他にも数人、僅かながら動いている者がいる。

「戦火だって? ヒヴォニス=ルナティで戦争なんて聞いたこともないよ」

「起こったのはごく最近だ。しかし全てが破壊されるのは一瞬。お互いがお互いにフィジカ・ストーニングを使い、兵士が止まったところに衛星兵器を撃ち合った」

司の見ていた兵の姿が、徐々に変わっていった。来ていた甲冑は使者たちと同じ軍服に、弓矢は長方形のような銃の形に。

その銃口は、雲の上の使者たちに向けられている。

「ドクター!!」

司が叫ぶのと同時に、他の動きを見せていた帝の兵もその姿を変化させた。

呼ばれて振り向いたことで、ドクターも状況を理解する。

「司、早く建物の中へ!」

全速力でドクターが司の方へ向かってくる。彼に近づくや否やその手を握り、半ば転がりこむように寝殿の中に入り込んだ。

「ドクター、あれじゃ使者の人が……」

「いいから伏せて!」

銃のチャージ音が響き、レーザー光が銃口から発せられた。

 




ストロマトライトです。前回の投稿から十日くらいで投稿できました。自分でもびっくりです。
Twitterの方では本小説を宣伝して頂いたりしているようで、感謝の極みです。誰かに読んでいただいていることが分かるのが、私のモチベーションにもなってます。
今回はタイム・ウォーやダーレクという単語を出していきました。ダーレクもどこかで出したいです。特に赤が特徴の最高ダーレクとか。

では、今回はこの辺で。次の投稿もなるべく早くするよう善処します


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姫君の帰還 Part4

今回で竹取物語編は最後です。


放たれたビーム光は、真っ直ぐに若い従者を直撃した。

撃たれた従者が倒れると、その瞬間に矢を引いたままの帝の兵たちの硬直が一斉に途切れる。彼がフィジカ・ストーニングを維持していたのだ。

硬直が解けたことにより、それまで月の使者たちに向けられていた矢が全て放たれた。

「愚かな」

中央の雲に佇む高位の男は動じない。

矢は男に向かって高速で迫るが、その身を貫くことはなかった。それもそのはず。矢は男の手前数センチで止まったのだ。

ドクターに放り込まれるように寝殿へ入った司にも、その光景がはっきり見える。

「すごい……」

「いいから伏せてて!!」

ドクターは、司の上に覆いかぶさった状態だ。それはまるで、彼女が司を押し倒したよう。

非常に近くに、司はドクターを感じる。心臓の鼓動が早まっていった。相手は宇宙人。しかし姿は明らかに年頃の少女なのだ。この状況で高校生男子の司が普通の状態でいられるわけはない。

一方、男の前で静止した無数の矢は突然反転、銀に光るその先端を放った帝の兵自身へと向けた。

すでにフィジカ・ストーニングは解けているため、兵たちは慌てふためく。寝殿の縁に伏せっていた翁も、急いで屋内へ避難してきた。

「頼む、上手く効いてくれ」

ドクターは顔を後ろに向け、ソニックドライバーを外の方へ向ける。が、状況は変わらなかった。矢は依然として兵たちを狙う。

「デッドロックの応用型か……司、目を瞑ってて」

「何で?」

「見ない方がいい」

ドクターがそう言った理由は、すぐに明らかとなった。無数の矢が、雨のように兵たちへ降り注いだのだ。

敵に向け放った自分たちの矢に、次々と貫かれる甲冑の兵たち。帝の兵に扮していた者たちはこれを予想していたのか寸でのところで矢を回避するが、何も知らぬ兵たちは倒れ、中庭に血の海を顕現させる。

ドクターの言葉を無視し、司は一部始終をその目に納めた。

矢が一通り振り終えると、帝の兵に偽装していた一人が改めて使者たちに銃を向けて言った。

「元親衛隊長のロデクスだな。狙いは姫か?」

「そちらの知ったことではない。大いなる革命を阻害する愚者どもが」

「愚者だと!? 皇帝陛下を裏切ったお前たちが何を!」

どうやら、彼らもヒヴォニス=ルナティ・エンパイヤ出身のようだ。同時に、あのリーダー格と思われる初老の男の名も判明した。

「どうなってるの?」

司が聞くと、ドクターも困惑の表情を浮かべていた。

「僕にも分からない。てっきりあの偽装兵が反乱者か何かだと思ったんだけど……」

覆いかぶさっていたドクターが司から離れ、立ち上がる。

「君はここにいて」

「まだ危ないって」

「大丈夫。僕はドクターだ。こういう状況は慣れてる」

 

 

死体と血液に塗れた中庭には、八人の長方形をした銃を持つ兵士。そして上空に姫を取り返しにきた『月の使者』を語る何者か。

「我々は皇帝裁判省直下の部隊だ。ロデクス、お前には反乱計画、実行及び皇族関係者殺害の容疑がかかっている。大人しく同行してもらおうか」

「裁判省? あの星で司法制度がまだ生きているとでもいうのか。皇族の腐敗と政治への介入が、民の飢餓を助長しているあの星に、もはや正義の法など存在せん」

「お話しているところ申し訳ないけど、ちょっといいかい?」

中庭へ、ドクターはゆっくりと歩いていく。

手にはソニックドライバー。剣でもなければ銃でもない。人を傷つけはしないが、宇宙最高の武器になる道具。

まず、ドクターは地上の兵士たちを見て、

「君たちが、ルナティの皇帝正規軍で」

次に、頭上の航空機械に乗る人々を見た。

「君たちは、反乱軍ってことか」

ドクターの隣にいた兵士が頷く。

「そうです、ドクター。我々は皇帝正規軍。彼はエンパイヤで軍の一部を焚きつけクーデターを画策。皇族の一部を暗殺し、内戦を引き起こした男です。彼を確保するため、我々はこの時代の兵に偽装し潜入していました。今回は、どうか我々にご協力を」

「あの皇族たちに従って何の得がある? それより私たちの革命が成就した暁には……」

「そんなことはどうでもいい!!」

ドクターが一喝する。

それに圧倒され、正規軍も反乱軍のロデクスも一旦黙ってしまった。寝殿の中から見ていた司も、彼女のその行動に驚かされた。

「それはお前達の戦争だ! この星の人々には全く関係なかった。それなのに、この状況は何だ!? 関係のない多くの人が死んだ! お前達のせいで!」

「歯向かってきたのは彼らの方だろう?」

「黙れ!」

反論しようとするロデクスにも、その隙を与えない。

「何であれ、アンタ達がやったことは間違ってる! シャドー議定書第五十七条は知ってるな? 地球はレベルファイブに指定された保護惑星だ。そこの住民を殺すなんて!」

その言葉。その表情。その挙動。そこから、司はドクターの怒りを見て取った。

「まだ殺すのか!? 関係のない人間を、惑星を巻き込むのか!? 正規軍も反乱軍もない! 僕はお前達の味方はしないぞ!」

手にしたソニックドライバーを、ドクターが周囲へ振りかざす。

すると、兵士達の銃に一斉にロックがかかる音がした。

「ドクター、何をするんです!?」

「言っただろ。僕はどちらの味方もしない。僕が望むのは一つだ」

正規軍、反乱軍、そして司が注視する中、ドクターは言い放った。

「この星から出て行け。今すぐに」

「貴公がそれを言えた義理か」

ロデクスの指摘は、鋭く、容赦なくドクターに突きつけられる。

「いたのだろう、貴公も戦争に。聞いたことがあるのを思い出したよ。タイム・ウォー最後の日、ガリフレイを消し去った十三人の悪魔の話だ。貴公は、その一人ではなかったのではないか」

ドクターはロデクスを真っ直ぐ見据えた。

まるで、彼女自身の『過去』と対峙するかのよう。

「そうだよ。あの日、僕もあれに参加した」

「無辜の民がまだ星にいることを知っていながら?」

「……それしか道がなかったんだ」

ドクターの脳裏に、記憶の断片がよぎる。

名前を捨て、戦争に赴いた老人。集まった三人の自分。破壊をもたらす箱。

この記憶は何かに邪魔をされ、いつも上手く思い出せない。

「でも僕は、後悔していない。必要だったんだ」

「綺麗事を。まあいい。ドクター、今は我々の邪魔さえしなければ貴公を責める気はない。こちらも姫を殺さなければ、もはや後には引けん」

空中の反乱軍兵士が、その腰につけた軍刀を次々に抜く。彼らを乗せた航空機械も、地上へ向かって降り始めた。

「銃火器に頼ったお前達はこんな物持っていないだろう。だが親衛隊は、剣技の訓練を続けてきた」

反乱軍の数人が地上へ足をつける。月明かりに照らされ、その手に持つ刃が怪しく光った。

一方で、正規軍の兵士達の銃はロックされたまま。

「ドクター、これの解除を!」

何とか自力でロックを解除しようとしつつ、正規軍の兵士が叫んだ。

しかしそれより早く、刀を持つ兵士たちが向かってくる。

「ドクターは殺すな。貴重なタイムロードだ。後は全員殺せ」

 

 

司も寝殿から全てを見ていた。

剣を持って降りてくる反乱軍と、自分の銃を必死に叩く正規軍兵士たち。

司はすでに立ち上がっていた。ドクターを助けなければ。

「お待ちなさい」

その言葉が、彼の歩みをすっと止める。

声は司の背後からした。振り向くとそこには、

「かぐや……姫」

「司さんはここで待っていて。私がこの争いを終わらせます」

「危険です! アイツらは貴方を狙ってる!」

「大丈夫。任せて」

 

 

迫る反乱軍に、もはや鈍器としての役割しか果たせぬ銃で正規軍が迎え撃つ。

振り下ろされた刀が銃と触れて鈍い音を発した。

「まっ、まっ、待って! 今ロックを外すから!」

ソニックドライバーを向けるドクターであったが、既に正規兵の数人は斬られていた。

反乱軍は寝殿へと駆け込む。

「ドクター、早く!!」

「分かってる!」

「行け、姫を殺せ」

辺りにこだまする三者三様の怒号。

竹取物語の舞台だった翁の屋敷は、一瞬にしてエイリアンの代理戦場と化した。

そんな中、寝殿の縁に突然一人の人影が現れる。

その人物は、多くを語らずただ一言。

「全員、止まりなさい」

一言で十分だった。

反乱軍も正規軍も、そしてドクターも全ての動きを止めた。

フィジカ・ストーニングとはまた違う。体が動かないのではなく、自発的に動こうと思わなくなる。

「かぐや姫……」

その姿を見て、ドクターが呟いた。

豪奢な着物と艶やかな黒髪。見紛うことのないかぐや姫だ。

「姫様、危険です! 下がって!」

正規軍の兵士が叫ぶ。

それに対し、かぐやは首を横に振った。

「大丈夫よ。皆、動けないでしょう?」

かぐやが寝殿に向かってきていた一人の反乱軍兵士を見た。刀を持ったまま、何故か戦意を失い立ち止まっている自分の姿に、その兵士はただ困惑している。

「かぐや……これは一体どうやって?」

ドクターもまた困惑の表情を浮かべる。

「それが、かぐやの力だからです」

ドクターの問いへの答えは、かぐやではなく頭上から発せられた。

全員が空の上を見る。何もなかったはずの空中に、生えてくるように巨大な物体が出現した。

形状は深海魚を連想させるが、圧倒されるのはその大きさである。少なくとも4、5キロメートルほどありそうだ。

「あれは……」

絶望の表情を浮かべるのは、ロデクスである。

「皇帝軍機動艦隊旗艦……イストリヤ級!?」

イストリヤと呼ばれた宇宙船から、数機の小型機が発進し、屋敷の中庭へと飛んで来る。

「あれって、もしかして」

「はい。皇帝正規軍の旗艦です。良かった、間に合ったみたいだ」

ロデクスと対照的に、安堵の表情を見せて正規軍兵士が答えた。

小型機からは銃を持った兵士たちが次々庭へ降下、ロデクス率いる反乱軍兵士を取り囲んだ。

そして、小型機のうち一機が中庭へ着陸する。機体のキャノピーが開き、一人の老人が現れた。

「どうやらかぐやはこの星で、目的を達したようですね」

出てきた老人を見るなり、正規軍の兵士が皆同時に膝をつく。

「こっ、皇帝陛下。このようなところまでお越しになるとは」

「そのように畏まらずとも結構。そちらにいる少年も、どうぞこちらへ」

呼ばれて司も、恐る恐る外へと向かった。

「このような場に時の旅人が二人もいらっしゃるなんて思いもしませんでした。そちら、お名前は?」

聞かれて、ドクターは深く頭を下げた。

「お会いできて光栄です、皇帝陛下。僕はドクター、彼は文月 司。ところで陛下、かぐや姫の目的とは?」

「ドクター、そんないきなりじゃ失礼だよ」

諌める司に、皇帝は静かに笑う。

「構いませんよ。かぐや、おいで」

帝に呼ばれて、かぐや姫が皇帝の側まで寄ってきた。

「かぐや。皇帝権限817322だ」

「817322を受諾しました。情報を開示します」

言うと、かぐやは両手を差し出す。彼女の手のひらに、ホログラムの球体が出現した。

「私は、皇帝直属研究機関ガイウス=ドルトルクス記念研究所所属、平和維持及び生物感情安定化試験型ヒューマノイド。通常呼称は『カグヤ』です」

あまりにも急にかぐやの正体が明かされ、ドクターも司も呆気に取られる。

「かぐや姫って……ロボットだったの!?」

「ただのロボットじゃないよ」

ドクターは司の言葉に付け加えた。

「翁とお婆さんは、急速だけどかぐやの成長を見ていたんだ。ということは彼女は、自律成長可能型ヒューマノイドってことになる」

「これはこれは。よくご存知で」

「赤子の姿から成人するまで、年月に合わせて内部部品が増産されていき、あたかも成長したように見えるヒューマノイド。噂には聞いてたけど、実際に見るのは初めてだよ」

かぐやの手のひらの球体が、数種の色に変化していく。

それぞれの色に単語が表示された。怒り。悲しみ。喜び。不安。驚き。興奮。

「エモーション・スタビライザー完成のための情報収集は完了しました。太陽系第三惑星の支配的生物、ヒトの感情はヒヴォニス=ルナティ・エンパイヤの人類と酷似していたため、収集に非常に適した環境だったと言えます」

エモーション・スタビライザー。

それで、ドクターはピンときた。

「そうか。そうかそういうことか!」

「えっ、どういうこと?」

まだ理由の分からぬ司を見て、皇帝は滔々と語り始めた。

「エモーション・スタビライザーは高ぶった生物の感情を音声などの聴覚情報を通して抑える、非殺傷性兵器。フィジカ・ストーニングのように強制するのではなく、その音、その声を聞くことで自発的に戦闘を止めさせ、動きを止めることができます。激化する内戦を終わらせるため、私たちはこれの開発を進めました。その過程で技術的な問題はクリアしていったのですが、別の問題が生じたのです」

「感情、それも平和と共存に必要な感情の収集ができなかった。そうだろ?」

ドクターの言葉に、皇帝は頷く。

だが、司には未だによく理解できなかった。

「何でできないんだ? ルナティ=エンパイヤの人たちは地球の人間と似てるって……」

「平時ならば、そうしたでしょう。ですが我が星は既に内戦状態。平和的な感情を持った人などどこにもいません。私を含め、皆が敵を殺し尽くすことしか考えていなかった」

皇帝は平静を装ってはいるが、その目の奥には深い闇のようなものが密かに垣間見える。

「だからこそ、私たちは似た知的生命体を探して、この星を見つけたのです。ですが反乱軍の一部がかぐやを皇族の生き残りと間違え、この星に襲撃したと聞きどうなることかと気を揉んでいましたが、無事にかぐやはエモーション・スタビライザーを完成させていたようです」

ようやく、司もかぐやと話していて感じた奇妙な感覚の理由が判明した。

彼女の声を聞くと体に走る、弱い電気の感覚。人身を掌握するような、それでいて包み込むような温かさ。

かぐやがこの時代の人々に人気があったのも、おそらくこれが原因だったのだ。

「《カグヤ》とはヒヴォニス=ルナティの言葉で安寧を表します。彼女は文字通り、我が星に安寧をもたらしてくれるはず」

「それは、あなた方次第だ。しかし必要なのは、平和を望む心だからね」

ちょうどその時、寝殿の中で見ていた翁と、北対にいた翁の妻が中庭の方へ出てきた。

皇帝はそれを見て深く礼をした。

「お二人がかぐやを育ててくれたですね。心から感謝いたします。これで、我が星にも再び平和が訪れるはずです」

皇帝を前にひれ伏す二人だったが、二人は泣きながら懇願し続ける。

「お願いです。かぐやを連れて行かないでください。かぐやは私たちが大切に育てた娘です。どうか……」

「お爺さん、お婆さん」

二人に答えたのは、皇帝ではなくかぐやだった。

「私もこの国で生まれた人なら、あなた達の元に残りたいです。でも、私は月の人。それに星で、私はやらなければならないことがあるの。この親不孝をお許しください」

皇帝と同じ小型機に乗っていた従者が、箱のようなものを持ってくる。皇帝が手を乗せると箱が開き、中には一つの羽衣と粉の入った瓶が入っていた。

それを見て、かぐやが手で皇帝を制した。

「知っています。それを着るとここでのメモリーが消去されてしまうのでしょう? 残るのは収集した感情データだけ」

そして、かぐやは翁とその妻二人の方を見る。彼女の表情は、泣きながらもこれまでに見たことないような笑顔を浮かべていた。

「お二人とも、本当にありがとう。ここでのことは、絶対に忘れません」

無理だと分かっていながら、感情を覚えたヒューマノイドが口にした一つの優しい嘘。

周囲の兵士たちも、何人かがその光景に涙する。司も、何かこみ上がるものを感じた。

「さあ、かぐや」

皇帝がかぐやに羽衣を着せようとする。瞬間、ドクターは皇帝に見えないよう羽衣にソニックドライバーを向けた。

「ドクター、何を?」

「静かに」

かぐやが羽衣を着せられ、感情が消えたようにその瞳が暗くなる。

次に皇帝は箱から瓶を取り出して、伏している翁とその妻の方へ歩いて行った。

「これはせめてものお礼です。私たち皇族に伝わる秘宝、不死の薬の一部です。どうか、お受け取り下さい」

だが二人は、ただ泣くだけで受け取ろうとしない。代わりに、生き残っていた帝の兵の中将がそれを受け取った。

 

庭の兵士たちが、乗ってきた小型機に乗り込み次々と旗艦イストリヤへと戻っていく。

皇帝も従者の兵士に促され、かぐやと共に乗り込もうとした。

「そうでした。ドクター」

乗り込む前に、皇帝がドクターの方へ振り向いた。

「頭上の旗艦から聞いておりました。貴方は時の王、タイムロードなのですね」

「王なんて大げさな。タイムロードはただの一民族だ」

途端に、皇帝の表情が変わる。温和な顔は硬い表情に。その目は冷たいものに。

「私たちは忘れません。あなた方があの戦争でしたことを。呪いの種族、タイムロード」

皇帝とかぐやを乗せた小型機が、空の上に佇ずまう巨大な母船へと帰っていく。最後の一機を収容すると、旗艦イストリヤはワープしたらしく跡形もなく消えた。

ただ泣くだけの翁とその妻。それ以上に、司には静かに母船へ向かう小型機を見つめているドクターが気になった。

呪いの種族。

そうまで言われるほどに、ドクターは、タイムロードは、一体何をしたのだろうか。

 

 

その日の朝。

ドクターと司は翁と妻に別れを告げ、青いタイムマシンのポリスボックス、ターディスの待つ蔵へと戻った。

蔵までの帰り道、『ターディスはたまに機嫌を損ねていなくなるから心配だ』とドクターが言うので若干心配になった司だったが、ターディスは忠犬よろしく、あの蔵の中で待ってくれていた。

「どうだった? 初の時間旅行は」

いくつかの装置をいじりながら、ドクターが司に聞いた。

彼女の頭には、キャスケットが戻っている。やはりこれは、司の頭より彼女の頭にあった方がよく合っていた。

「楽しかったよ。こんなすごい体験したの初めてだ。ところでドクター」

「何?」

「かぐやの羽衣に、ソニックで何の細工をしたんだ?」

「ああ。あれね」

ドクターがソニックを取り出し、宙へ放って取るいつもの仕草をした。

「羽衣のメモリー・ワイパーをちょっといじったんだ。ルナティに着いたら、地球での記憶が戻るように」

「それじゃあ……」

「向こうに着いたら、全て思い出すよ。かぐやは賢い娘だから、きっと隠すことができるさ」

ドクターがレバーを引く。同時に、ターディスが特徴的な低い発進音を響かせた。

それは、どこか予想もつかない旅へ向かう音。

だがその前に、司は彼女に聞きたいことがあった。

「……ドクター」

「次の質問かい? ワトソン君」

少しおどけるドクターだったが、彼女にも司の声のトーンが一つ前の質問とは違っていることは分かっていた。

「君に、というかタイムロードに何があったんだ? タイム・ウォーとか、呪いの種族とか」

引こうとした次のレバーを持ったまま、ドクターは静止した。

やはりまずい質問だったかと、司は後悔する。

「あ、あの……答えたくないならいいんだ! ごめん」

「戦争が、あったんだ」

レバーから手を離し、彼女がまっすぐ司を見る。

「種族の存亡をかけた戦争。僕もそこで戦った。ドクターの名前を捨てて。そして、僕は終止符をもたらした」

「……どうやって?」

「争う二種族、その全てを滅ぼして」

発進音が止む。ターディス内に静寂が訪れた。

このターディスもいたのだろうか。戦争の場に。ドクターが全てを滅ぼす、その時に。

「さっ、この話は終わり! 次は、どこへ行きたい?」

気を取り直すドクターだったが、動揺を隠せていないのは明らかだ。

だが司も、彼女に調子を合わせた。

「そうだなー。次は……」

彼女の秘密も。タイムロードの戦争も。ドクターが何をしたのかも。

旅を続けていくうちに、分かるかもしれない。司もその時まで、全てを知るのは待つことにした。




こんにちは。ストロマトライトです。
この回で竹取物語編が終了となります。お楽しみ頂けたでしょうか。
今回はDay of the Doctorの内容を回想として出してみました。あれはドクター共闘の話でしたが、いつか機会があったらこの小説でドクターvsドクターをやりたいですね。
それと、最初に登場させる原作エイリアンは嘆きの天使に決定しました。次次回登場の予定です

Twitterの方でもいつも感想や反応を頂けて感謝です。
それでは。


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片恋慕の狂気 Part1

こんにちは。ストロマトライトです。
今回から新章突入です。


少女は、どこにでもいる女子高校生だった。

学校へ通い、授業を受け、友人と談笑し、放課後は部活に励む。楽しくて、毎日が早く過ぎていく日々。

その日常の中で、彼女は常に気にかかっていることがあった。想い人のことだ。

「……はぁ」

自分の部屋で一人、ため息をつく。

相手は昔から一緒にいて、まるで家族同然の付き合いをしていた。

彼に想いを気づいて欲しいと思う一方で、待ちに回る自分を都合のいい奴だと卑下する自分がいる。

「どうしたら……分かってくれるかな」

ベッドに仰向けになり、左腕を瞼の上に置く。誰も見てはいないが、涙を隠したかった。

奇妙な鈍い音が少女の耳に入ったのは、まさにそんな時である。

「なんだろう」

不思議に思って、少女は部屋の窓を開けて辺りを確認する。だが、特に何か変わったことはない。

いつも通りの、夕暮れの光景が広がっているだけだ。

「おかしいな……」

少女は窓を閉めた。

既にこの時、時空の狭間からやってきた目に見えぬ侵入者が入り込んだとも知らずに。

 

 

音を立ててターディスが着陸したのは、何の変哲もない日本の住宅街にある空き地だ。

ここは現代の日本。司の住む街だった。先日降った雪が、固まってまだ少し辺りに残っている。

「本当に行くのかい?」

「行くよ。もちろん」

司は制服に着替え、学校指定のバッグを手にしていた。今からまさに登校しようとしていたのだ。

「何度も言うけど、これはタイムマシンだよ。司が望めばいつでもこの時間に戻ってこれるし、それにわざわざ戻らなくたってターディスの中には生活に必要なものが全部揃ってるのに」

「そりゃあプールもあればバスルームもあるけどさ。シャワーから緑の水が出るだろ、あれ」

「君がしたいなら透明にできるさ」

そう言って、ドクターはソニックドライバーを出した。

「それに学校だって、ターディスのデータベースを使えば西暦5001世紀の第四人類帝国の高等教育まで受けられるよ。何だったら僕が教えたって……」

「そういうことじゃないんだ」

司はやれやれという顔をした。

このドクターというエイリアン。見た目は人間なのにやはり感覚が人のそれとは大きく違う。

「確かにこのターディスでロボットかぐや姫も白亜紀の恐竜も宇宙の果ての博物館も見たけど、俺は自分の日常を忘れたわけじゃないんだ。いやむしろ、忘れないために今日学校に行くんだよ。」

「そういうものかい?」

「そういうものだよ」

司はターディスのドアノブを握った。この扉が、日常と非日常を繋いでいる。

今、司は日常へ戻ろうとしていた。

「夕方には戻るから。もし暇なら、駅前のショッピングモールとかに行ってみれば?」

「それもいいね。もしくは1944年のイギリスに行って、久々にウィンストンに会うのもいい」

「ウィンストン?」

「ちょっとした友達だよ」

さすが時を駆けるドクター。様々な時代と場所に、友達がいるようだ。

「じゃあ、行ってくるよ」

何だかんだ言いながらも、出る時はドクターも手を振って司を見送った。

扉が閉まる。今この青いポリスボックスには、彼女一人きりだ。

「さて、僕はどうするかな」

所在無げに、ドクターはコンソールを摩った。

 

 

ターディスは司の高校から少し離れた場所に着陸したため、司は少し歩くこととなった。

最初はドクターが『いっそ校庭に着陸すれば早い』などというものだから、止めるのに手間取ったものである。学校のど真ん中にあんなに目立つポリスボックスが突然現れ、しかもそこから制服姿で出ようものなら、司は二度と同じ高校に通えなくなる。

「それにしても」

この世界の時間ではせいぜい一晩分離れていただけ。

それなのに、司は高校までの道の光景が、妙に懐かしく見えた。

「よく考えれば……この時間ではいなくなってたのは10時間くらいだけど、実際の俺は一週間近くの時間を過ごしたんだよな」

柄でもなく、独り言を呟いてしまう。

考えるのが少し怖くなってきた。こうやって、これからも通常以上の時を過ごして行けばどうなるのだろう。一週間なら大きな影響は出ない。では半年なら?

例えば、この時間では二、三時間しか経っていないのに、その間司がドクターの旅に10年ほど付き合ったらどうなるのか。

その場合、外見的変化は周囲から見ても明らかになるはず。

そうなったら、この世界ではもう生きていけないのだろうか。

考えれば考えるほど、司は目の前の世界を遠く感じていく。

「このままドクターと旅をしていたら……俺は」

暗い考えが、次第に深くなる。だが、その思考は不意に止まった。

「よお、文月じゃん。久しぶりだな」

後ろから何者かが肩を叩き、自分の名を呼んだからだ。

振り向くと、そこには司と同じ高校の制服を着た人物がいた。

「おお、成瀬か!」

司はその少年を見て少々驚く。

声をかけてきたのは、成瀬 和人(なるせ かずと)。司とは同じ中学の出身であり、現在は違うが高校でも一年生の時は同じクラスだった友人だ。

「最近会ってなかったよな、全然。どうしたんだよ、こんな所で」

「どうしたって?」

「だってこの道、文月の家から反対方向だぞ? いつも使ってないだろ」

言われて、司も気づいた。確かにターディスが降りた場所は司の家とは逆だ。

「ああいや、その……たまには別の道で行こうと思って」

「変な奴だなー。思いっきり遠回りの道だろ」

「ちょっと考え事がしたかったんだよ。お前こそ、この時間だと部活の朝練には間に合わないぞ」

「今日は朝練休みだよ。で、なんだよ考え事っていうのは」

和人は小学校からずっとサッカー少年。読書と下手な料理が趣味の超インドア人間である司とは、一見馬が合わなそうである。

だが中学校入学を機に日本へ戻り、まだ日本の環境に慣れなかった1年時の司に初めて声をかけてくれたのは和人だった。

スポーツが出来て社交的な和人は司をクラスに溶け込ませ、代わりに司は成績不振だった和人に勉強を教える。

ギブアンドテイクの利害で結ばれていた関係は、いつしか本物の友情となっていた。高校も、司は一般入試、和人はスポーツ推薦という形で同じ高校に入ることとなった。

「別にそんな大したもんじゃない。このままどんどん年取っちまうのかなぁ、ってだけ」

「何爺さんみたいなこと言ってんだよ。お前大丈夫か? 料理作ってて失敗作でも食ったのか?」

「そうじゃない。それに失敗ってなんだよ。俺だって最近は上手くなってるぞ」

こうやって笑いながら友人と話すだけで、今の司は何故か安心できた。

自分をこの世界で覚えていてくれる人がいる。自分はこの日常に帰ってこられる。

それだけで、司は少し嬉しかった。

 

 

和人と話しながら歩いているうちに、二人の高校の校門が見えてきた。

私立山両学院高校。創立50周年を昨年迎え、偏差値は60に足をかけたほど。進学率はそこそこだが、校風の自由さと女子の制服の可愛さが地域では一番ということで、それなりの人気を誇る高校だ。

周囲でも、司たちと同じように山両の制服を着た学生が同じ方向へ歩いていくのが分かる。

二人は今、司が先日作った料理の話で盛り上がっていた。

「で、食べたんだよ。そしたら塩っ辛いの何のって」

「文月お前、また調味料の量間違えたな」

「いやいや。今回ばかりは俺のミスじゃなくて……あれ?」

校門を通ってすぐのところで、司は前を歩く人影に気づいた。

「あの子、多分宮田じゃないのか?」

司は和人をこずいて聞く。和人もその姿を見て頷いた。

「確かに。花梨だな、ありゃ。おーい、花梨!」

和人が名前を呼ぶ。すると、その人影はすぐに振り返った。黒髪をおさげにまとめ、赤いマフラーを巻いた少し背の低い少女。

宮田 花梨(みやた かりん)。和人とは家が近く、随分小さい頃からお互いよく知っているいわゆる『幼馴染』だ。和人を共通の友人として、司も彼女とは中学からの友人だ。

花梨は司たちに気づき、まだ滑りやすい道を慎重に歩いて二人の元へやってきた。

「和人、それに文月君も。おはよう」

花梨のほおは少し赤らんでいた。この寒さのせいだろうと、司は見当をつける。

「二人が一緒に来てるって珍しいね。文月君は和人と家、反対なのに」

「それがさ、文月の奴自分が歳取ってくことを考えるために遠回りしてたんだと」

和人の言葉に、花梨は不思議そうに頭を傾げる。

「文月君、また失敗した料理もったいないからって全部食べて何か当たったの?」

花梨の心配した表情に、司は慌てて訂正を入れた。

「いやいやいや! 別に俺は大丈夫。というか何で二人ともその結論に達するんだよ!」

「だって……文月君、前にも冷蔵庫にある腐った野菜で野菜炒め作ってお腹壊してたし」

「とにかく文月は料理好きのくせに料理運がないからな」

抗議したいものの、自分が料理、というより食事運がないのは司自身よく知っている。中学の修学旅行でも牡蠣に当たり、日頃もたまに賞味期限切れのものを食べてしまう。

不注意と言われればそれまでだが、ここまでいくと運もある程度影響していると思わざるを得ない。

「とりあえず、体に気をつけてね。じゃあ私、ちょっと急ぎの用があるから」

言うなり、花梨は校内へと向かっていった。

去るのは若干急ぎ足だったようで、途中少し転びそうになっていた。

それを後ろから見つつ、司は和人に言う。

「宮田、何か少しいつもと違わないか?」

「そうか? 別に普通だろ。いつもの花梨だよ」

「いや何というか……ちょっとよそよそしいというか。そいえば、最近はお前、宮田と一緒に来てないんだな」

中学時代は、二人とも部活の朝練があるということで一緒に登校していたのを司は思い出す。サッカー部の成瀬に女子テニス部の宮田。悪くないカップルだと、周囲の者が冷やかしていたこともあった。

「ああ、まあその」

聞かれて、和人がバツの悪そうな顔をする。

「いつまでも俺と登下校してると、また中学の時みたいに変な噂されるかもしれないし。花梨もそういうの迷惑だろうから、別々に登校しようぜ、ってこないだアイツに言ったんだよ」

「それで宮田はなんて?」

「『そうだね』って言ってそのまま。子供の時みたいにいつも一緒、ってわけにはいかないからな。もし花梨を好きな奴がいても、俺がいたら言いづらいってこともあるだろうしさ」

そう言って笑う和人。それは寂しそうでもあったが、司はあえて触れないことにした。

 

 

幾度か滑りそうになり、やっとのことで下駄箱へたどり着いた花梨は息を切らしていた。

ここ最近ずっとそうだ。和人を前にすると、動悸が早くなる。

少女漫画が言うところの『胸がつまりそうな思い』というのを、花梨はまさに実感していた。

思えば、今日は体調が悪い気がする。体が普段より熱く、血流が何となく早いような感覚。

しかし花梨はこれを無視した。なんのことはない。久々に和人に直接会ったから、驚いているだけだと。

「別に……気にしなくていいのに」

子供の時みたいに噂になるのは嫌だろうから、と和人から別々に登下校することを提案されたのが二週間ほど前。そんなの気にしないと言ったが、強く反論することもできず結局そうなってしまった。

どうして突然あんなこと言い出したのだろう。

和人との仲も随分長い。噂が云々、のことは花梨も真実ではないと分かっていた。

では、何が原因だろう。

靴を履き替え、教室へ向かう間も花梨は考える。

『分かってルくせニ』

声がした。聞き覚えのある声。

『認めたクないだケでしョ』

時折ぶれる声。どこから聞こえるかも分からない。しかしそれは間違いなく花梨自身の声なのだ。

昨日からずっとそう。和人について考えると、必ずこの声が聞こえてくる。

『和人に好キな人ができタんだよ。アナタはもう邪魔ナの。だから別々ニって言ってるンだ』

耳を塞いだって無駄。声は止まらない。

花梨は教室へと急いだ。その目から、一筋の涙を落として。

 

 

「ヴァストラとジェニーは? いない? そう」

ターディス内にある古めかしい電話機で、ドクターは暇つぶしも兼ねて電話していた。

ただし、電話の相手はヴィクトリア時代のイギリスで探偵業を営む爬虫類エイリアンとその妻の元で召使として働く、ジャガイモ頭のエイリアンだ。

「閣下! 声がまるで戦いを知らぬ少年のようですぞ?」

「また『再生』したんだ。それにストラックス、これは少年じゃなくて少女! また間違えてるぞ」

「失礼しました閣下。それにしても閣下が少年になるとは……」

「だーかーらー、少女だっての。相変わらずソンターラン族に性別の概念を教えるのは楽じゃないな」

ドクターは触ってもターディスの操作に影響しないレバーを引く。

それに反応したのか、ターディス内に音が響いた。

「とにかく、僕の姿がまた変わったから次に会った時に驚かないでくれってこと。ヴァストラたちにもよろしく。それじゃ」

ドクターは受話器を置いた。

「さて、何をしようか」

時刻はまだ昼の十二時三十分。

司が戻って来るのは確か夕方。ターディス内のプールでひと泳ぎするのもいいが、久々に本棚を整理するのもいい。

そして、本棚という単語が浮かんだ時点で、ドクターの次の行動は決まった。

「そうだ! 本屋に行こう!」

思いつくや否や、ドクターはターディスを飛び出した。

 

 

四時間目終了のチャイムが鳴る。同時にそれは、昼休みの開始を告げるチャイムだ。

生徒たちも次々と教室を出て行く。

食堂へ向かう者。購買へ向かう者。はたまた別のクラスに向かう者。さっきまで静かだった校舎は、一瞬で賑やかになった。

「文月、食堂行こうぜ。早く行かないと席が無くなる」

「おう」

クラスの友人に呼ばれ、司は数学の教科書を手早く片付ける。

「そういえば、ドクターもちゃんと昼飯食ってるかな……」

彼女と旅をして一週間。時たま食事は司が作ったりもしていたが、たいていはターディスにある得体の知れないクッキングマシンが勝手に用意してくれていた。

色や見た目が悪いものもあるが、味は結構良かった。

「ま、あれで適当に済ましてるか」

司は足早に友人が待つ教室前のドアまで向かう。

せめて学校にいる時くらいはドクターやターディスのことを考えずに過ごそうと思っていた司であったが、なかなかそうはいかない。

授業中も頭の隅にあるのは、見かけより中が広いポリスボックスと不思議な異星人の少女のこと。

ドクターは言っていた。かつて司と同じように、彼女と旅した人々がいたことを。そして、その人々と必ずしもいい別れ方をしたわけではないことを。

その人たちも、自分と同じように悩んだんだろうか。普通では考えられないような未知の旅と、何気ない日常との乖離に。

「おい司、どうしたんだよ。食堂そっちじゃないぞ」

友人に言われはっと気づくと、確かに食堂へ行くのとは反対の廊下を歩いていた。

「悪い悪い。考え事してた」

慌てて方向を180度変え、正しいルートへ戻る。

こんな調子ではやっていけない。やはり一度ドクターのことを考えるのは止めよう。

などと司が考えていると、彼のすぐ側を一人の見覚えある女子が通った。

「あれ、宮田……?」

その姿は間違いなく花梨その人だった。ただ様子がおかしい。どことなく足元がおぼつかず、ふらふらとしている。

思えば今朝会った時も、顔が少し赤くなっていた。寒さのせいかと思っていたが、本当は熱でもあるのではないだろうか。

心配になって声をかけようとする司だったが、

「司、何してんだよ! 置いてくぞ!」

友人に急かされ、仕方なく司はそのまま食堂へ行くことにした。

彼女も子供じゃない。何かあれば、自分で何とかするだろう。

 

 

山両学院高校の屋上は、生徒の立ち入りが自由となっている。

景色も悪くないため、昼食時にここへ来る生徒も少なくない。ただし、今は2月の中旬。こんな寒空の下で昼休みを過ごそうなどという生徒はそういない。

ただ一人。宮田 花梨を除いて。

「嫌……もうつらいよ……こんな感じ……」

置いてあるベンチで一人横になり、花梨はただ泣いていた。

いつもはここで友人たちと話しながら昼食を取るのが好きな花梨だが、今日ばかりは自分一人しかいないことが好都合だった。こんなところ、人には見られたくはない。

確かにこの屋上には彼女一人。ただ、花梨にはもう一人いるのが感じられた。

『嫌でしョ、こんナ感覚。あなタが彼に伝エないト、ずっトこのマまだよ?」

花梨の横になっているベンチのすぐ側に少女が立っている。その姿は、紛れもなく花梨自身だ。

昨日からずっと聞こえている声。それは自分の声に間違いない。

しかし姿形を持ってもう一人の自分が現れたのは、花梨がここ、屋上に来てからだった。

「あなた、誰なの? 私に似てるけど、あなたは私じゃない」

『いいエ。私はあなタ。あナたの本当の気持チを表してルの。あなたノ代わり二』

「私は……そんなこと思ってない」

『嘘。あなタは思っテる。心のズっと奥底で。好きデ好きでたマらなくテ』

「やめて! それ以上言わないでよ!」

耳を塞ぎ、身を縮ませる花梨。だが、もう一人の自分は口を閉じない。

『思ったコとあるでシょう? 私ト彼以外、みんな消エた世界に行キたいって。そんナ世界になレばいいっテ』

「ない! そんなこと、思ったことなんて絶対に……」

絶対に。

否定はできなかった。

『ほらネ』

思えば高校に入ったあたりから、彼との、成瀬 和人との関係は変わってしまった。

中学時代は友達として接していることができたはずなのに。高校になってから、男女というものが友達、友達以上という段階を踏んだら次は、ということを分かりはじめてから。

お互いに小さい時から友達という関係だった故、その先が考えられなくて。少し怖くもあって。

『でモ、その先ヲあなタは望んデる。なの二彼もそうダとは思えなイから、言い出セない』

「だって……」

彼には彼の思いがある。彼の想い人がいるはず。

幼馴染と言ったって、それ以上の何者でもない自分がそれ邪魔するようなことはできない。

「もう、分かんない……どうしたらいいか」

『簡単ダよ』

もう一人の花梨は耳元で囁く。優しく、そして邪悪に。

『あなタが望めバいいノ。あナたと彼しかいなイ世界を」

自分と彼しかいない世界。邪魔する者は誰もいない世界。心の一番奥で夢想した世界。

「望んだら、そんな世界になるの?」

『私ガ叶えてあゲる。さア願って。そんナ世界を』

もう一人の花梨が、その手を花梨の手の上に重ねる。その手は実体がないはずなのに、恐ろしいほどに温かい。

目の前の自分は何者なのか。自分なのに、自分じゃない。

「あなたは……誰?」

『私はアなた。あなたノ願いを叶えてアげられル、あなタ』

 

花梨は目を瞑った。そして願う。

それだけで十分だった。周りの光景が、世界が、まるで皮が剥がれていくように変わっていく。

花梨自身にも感じられた。校舎の壁や床が、その色を変えていった。生徒たちは次々に消えていく。窓という窓をツタのようなものが覆い、校舎全体を包むように見えない膜が張る。

全ては、ただ彼女が望むままに。

 

 

近くの本屋を周り、数冊の本を買って戻ってきたドクター。

そんな彼女を待っていたのは、奇妙な音して、中心の円筒内で激しくエンジンを前後させるターディスだった。

「おいおいどうした!? 落ち着け落ち着け!」

ドクターは急いでコンソールへ駆け寄り、ターディスを安定させようとする。

この状態を、彼女は知っていた。ターディスが特に機嫌を悪くした時のものだ。

「どうしたんだよ? こんなに機嫌悪いなんて久々じゃないか」

可動式のスクリーンを目の前に持ってきて、ドクターは状況を確認しようとする。

そこに映されたのは、どこかこの近くで発生した空間のあまりに巨大な乱れ。

「これは……」

ドクターも稀に見る乱れだった。この世界でおよそ起こりそうのない大きさである。ターディスはこの乱れを嫌がっていたのだ。

これには何か外的なものが関わっているのは間違いない。

同時に、ドクターは夕方までの暇つぶしを見つけ目を輝かせた。

「よし。行ってみよう!」

乱れの中心に座標を合わせ、レバーを引く。

だがターディスは移動しようとせず、渋るように音を立てて揺れる。

「頼むよ! こんなことは通常ありえないんだ。誰かが助けを求めているかも」

ドクターはもう一度レバーを引いた。音はいつもより鈍かったが、ターディスは動き出した。

歪む空間の中へ、ポリスボックスとドクターは飛ぶ。




ストロマトライトです。
今回から舞台は現代に戻ります。前回コンパニオンの司をあまり出せてなかった気がするので、今回は彼と彼の高校をメインにしていきたいと思います。
今回ドクターとの電話で出てきたヴァストラ、ジェニー、ストラックスは本編で登場する探偵コンビです。私も彼らは気に入ってるのでいつかメインで出したいですね。
では今回はこの辺で。片思いヤンデレ娘とドクターたちの戦いは、また次回のお楽しみです。


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片恋慕の狂気 Part2

片恋慕の狂気、第2話、始まります!


時刻は午後一時五分。

昼休み終了の10分前だ。司は友人とともに食堂を出る。

「腹一杯の状態で5階まで上がるの、つらいよな」

友人に言われ、司も同意して頷いた。

司たち二年生の教室は5階にある。山両学院は6階建てなので、教室はかなり上にあることになる。特に食堂は1階にあるため、昼食後の動くのが苦しい時間にここを登って行くのはそれなりの苦労がある。

ひとまず1階分上がり、そこで司は友人に言った。

「先行っててくれ。俺ちょっとトイレ寄るから」

「分かった」

3階から6階までは各学年の教室があるため、昼食後などは特にトイレが混雑する。しかし学年の教室がない2階ならそこまで混むことはない。

今、個室のほうを求めている司にとっても空いてるトイレの方がありがたい。

案の定、2階のこのトイレには人が二人いるだけだった。個室も全て空いている。

司は足早に個室へ入る。用を足し、個室を出て手を洗う。

昼休みはそろそろ終わりそうだ。早く戻らなければ。そう思い、トイレを出た司だったが。

「えっ……?」

目の前の光景は、明らかに異様だった。

廊下や壁の色は錆びた鉄のような茶色になり、窓という窓が黒いツタに似た植物に覆われている。よく見ると、ツタの管の中を血のように赤い液体が流れていた。

加えて一番の異常は、

「何で……誰もいないんだ?」

2階は確かに学年の教室がないため、他の階に比べて通る人が少ない。だからと言って全くいないというのはおかしい。第一この異様な光景に、誰も叫び声の一つも上げていないとは。

ひとまず司は歩いた。廊下を踏むたびに、まるで落ち葉の塊を踏んだ時のような感触がする。

明らかにおかしい。どうして学校がこんなことになっているのか。

階段を上がり、司は三階へ。ここは一年生の教室が多数あるはず。だが、ここにも人は全くいなかった。そこにあるのは、恐ろしいほどの静寂だけ。

「学年全員で俺にドッキリ、なんてことはないよな」

司がトイレに入った時は全てが普通だったのだ。トイレから出るまでせいぜい五分。その時間で、こんな大仕掛けできるわけがない。

どうしてこんなことになっているのか。

そこで、司は思いつく。

「これってまさか、エイリアンが絡んでるんじゃ……」

 

 

青いポリスボックス、ターディスは嫌がりながらも巨大な空間の歪み、その中心へ着陸した。

せめてもの抵抗の意として、いつもより鈍く重い音を立てながら。

「ここが歪みの中心か。ひどい空気だね、こりゃ」

タイムロードは空間の変化に敏感だ。これほど大きな歪みともなれば、ドクターも寒気を感じる。

ドクターは辺りを見回した。あるのはバスケットゴールやサッカーゴール。そして目の前には5、6階建ての建物。

「どうやら学校みたいだね」

ターディスはこの学校のグラウンドに着陸したようだった。校舎はツタに似た植物に覆われ、ドクターの所からでは中はよく見えない。

そのツタの量は見るからに過剰、そして異常だ。

グリーンエコ活動やその手の取り組みの結果とは思えない。

「とりあえず、入ってみようか」

謎解き気分で、ドクターは校舎へ向かう。

一番近い校内へ通じる扉は開け放されていた。おかげで彼女がソニックドライバーを使う手間も省ける。

「これを使わずに済んだか」

持っていたソニックドライバーをまるで銃のように正面に構えながら、ドクターは慎重に校舎内へ入っていった。

 

 

司は3階を歩き回っていた。しかし端から端まで歩いても、人っ子一人見つからない。

上の階に上がるべきとも考えたが、それでも人がいない場合を考えると恐ろしかった。

「どうなってんだ……本当に」

人の消えた校舎。奇妙に変化した校内。窓を覆うツタ。

やはりどう考えても、地球の現象ではない。エイリアンや何かが関わっているに違いない。

「やっぱり、ドクターに連絡しないと」

司のスマートフォンには、ターディスへの電話番号が登録されている。だが、肝心のスマートフォンは5階の教室にある司の通学用バッグの中だ。連絡するには、やはり上へ上らなければならない。

意を決して、司は上階へ続く階段へ向かった。

階段を前にするとやはり足が震える。しかし上らなければどうすることもできない。

「よし!」

思い切って、一段踏む。すると、

「文月!?」

階段の一番上、4階の方に一人の人影が現れた。

その姿は間違いなく、今朝司が会ったその人である。

「成……瀬?」

司をその目に確認した和人が、急いで階段を降りてきた。

「文月か! 文月なんだよな! そうだろ!?」

和人が両手で司の肩を掴んで激しく揺らす。

「そうだよ、俺だよ! 文月! 文月 司だ!」

司が叫ぶように名前を言うと、和人はようやく揺らすのを止める。

「どうなってんだ、おい! 人は皆消えちまうし、廊下はこんなんで、窓にはあれが……」

「俺にも分かんない。というか、上の階もここと同じなのか?」

「どの階もそうだ。直前まで普通に話してたのに、瞬きしたらその後にはすぐこんなことになってて……。本当にどうなってんだよ!? 俺とお前にドッキリでも仕掛けようってことか?」

和人は気がすっかり動転していた。

無理もない。見かけより中の広いタイムマシンを持った異星人や、かぐや姫の月帰還を見た司もこの状況には震えている。

「いや……俺もそれは思ってたけどさ。一瞬でこんなこと無理に決まってるだろ。人は誰もいないし、廊下は土みたいになってて、窓にはこんな大量のツタ。1日かけたってできるかどうか」

「そんなの分かってる! 分かってるけど、理解が追いつかなくって……」

「そりゃそうだろ。俺だってそうだ。とにかく成瀬、落ち着けよ」

司はひとまず和人を宥める。

そんな司を見て、彼はただ単純に疑問に思って聞いた。

「文月お前……随分落ち着いてるんだな?  こんな状況なのに」

「えっ、あっ、いや……まあその、なんというか」

まさかこの一週間で米軍基地のエイリアンと竹取物語の現場と白亜紀の恐竜、それに宇宙のエイリアン博物館に行ったからお前よりも少しは耐性がある、などとは口が裂けても言えない。

司は適当にはぐらかした。

「とっ、とりあえず、これからどうする?」

「1階まで降りて校舎から出るに決まってんだろ! それで警察でも自衛隊でも、何とかしてくれる所に連絡しないと」

「だったら、5階まで上がって俺たちのスマホ取ってきた方が早くないか?」

司の提案に和人は思いっきり首を振って拒否の意を示した。

「これ以上ここにいたら何があるか分かんねえよ! とにかく降りてここを出ようぜ! な?」

確かに、和人の意見も一理ある。

この状況では何が出てくるか分からない。だったら早いところ校舎を出て、ターディスへ向かった方が得策かもしれない。

「……そうだな。ここを出よう」

そうと決まったら、あとは早かった。

3階から2階へ。2階から1階へ。

ここまでは何もなかった。ただ階段が、何かで濡れていただけだ。

「ここまで来たら、あとは正面玄関まで行くだけだ」

しかし、ここから玄関までは少し距離がある。降りてきたのは、玄関へ遠い方の階段だったのだ。

「文月、早く行こうぜ! 」

和人に急かされたが、司は歩みを進めるのを躊躇した。

「どうしたんだよ? こんなとこで突っ立ってたってどうしようもないぞ」

「いや、あれ何だろうと思って……」

司は長い廊下の先、その天井を指差す。

何かがいる。はっきりとは分からないが、割と大きい何か。

司の指差す方向を見て、和人もその姿を見て取った。

「何だよ……あれ」

「分かんないけど、デカいな」

その何かは、こちらへ動いて来ていた。天井から廊下にその身を反転させて降りる。

近づいてくるにしたがい、その形ははっきりしてきた。前後に細長い胴体、六本の足。逆三角形の頭部には二つの複眼と凶悪そうな大顎。加えて特徴的な二つの鎌。

「カマ……キリ?」

普通ならば、そう結論づけられる。ただ問題はその大きさだ。恐らく2メートルはある。

それが今まさに、少しずつ速くなって司と和人の方へ向かってきていた。

「「逃げろ!」」

二人は同時に叫んだ。それと同時に、二人は降りてきた階段を駆け上る。

巨大カマキリも、二人を追って階段を上ってきた。

「何だあれ!? 何だあれ!?」

「俺が知るか! とにかく逃げろ!」

2階から、さらに3階へ上がろうとする和人。それを司は引き止めた。

「上に上がったって追い詰めらるのがオチだ! 2階の教室に隠れた方がいい!!」

司は急いで適当な教室を探した。

すると、2階のもう一つの階段の方、そこにまた一人人影が見える。

少女だった。が、着ているのは山両の制服ではなく、探偵のようなブラウンの服と赤いチェックのスカート、そして頭上には特徴的なキャスケット。

間違いない。その人は。

「ドクター!!」

 

 

校舎に入ったドクターは、1階をざっと確認したあと2階へ上がった。

空間の歪みだけではない。校舎全体がおかしかった。

廊下は砂のようだったが、階段はそれに加えて何かで濡れていた。

ドクターは階段にソニックドライバーをかざしてみる。

「98パーセントは水分、あとはアルブミンとグロブリン、それにリゾチームとリン酸塩。これは涙か」

彼女は『涙』で少しぬかるむ階段を上がる。

見えてきた2階の光景も、案の定だった。

窓のツタに人の消えた教室。静寂がここを支配している。

「大いなる静寂(サイレンス)が訪れる、ってね」

昔因縁のあった言葉を笑いながら口にする。

そんな時だった。廊下の向こう側、もう片方の階段から誰か走ってきた。

制服を着ているところを見ると、どうやらここの生徒のようである。

見ると、二人のうち一人の少年はドクターの見知った顔だった。

「ドクター!!」

「司!?」

さすがのドクターもこれには驚かされる。

「何で君がここに?」

「それは後! とにかくアレが追ってきてる!」

司が後ろを指差す。ドクターもそれを確認した。ありえないサイズの巨大なカマキリだ。

「とりあえずここへ!」

手近な教室の扉を開け、ドクターは司と和人を招き入れる。

二人が入ったことを確認して、扉の鍵、それと四隅にソニックドライバーを向けた。

ガチャリと音を立てて鍵がかかる。

「ドクター、後ろの扉も!」

「そうだった!」

司に言われ、ドクターは教室の後ろへ走っていく。同じようにソニックドライバーを向けて、後ろの扉も鍵をかけた。

カマキリは三人がこの教室に入ったのが分かったのか、扉を何度も鎌で引っ掻く。二回、三回と。

だがやがて開かないと分かったのか、カマキリは去っていった。

ひとまず、三人は安堵する。

「……で、なんで司がここに?」

「それは俺のセリフだよ。なんでドクターがここにいるんだ?」

「ここに巨大な空間の歪みを見つけたんだ。だからここに来てみたら、君がいたってこと」

「だってそりゃあ、ここは俺の高校で……空間の歪み?」

「そう。すごい歪みだよ。まるで、ここだけ空間から切り離されたみたいだ」

やっぱりか。司の思った通りだった。この事件には、何かエイリアン的なものが関わっているようだ。

「それで、原因は?」

「まだ分からない。今分かってるのは、階段がぬかるんでた原因は涙みたいな液体のせいってこと。ここが司の通う高校だったってこと。それと」

ドクターが何が何だか分からない、という表情の和人を見る。

「僕と君の他に、知らない少年がいるってこと」

確かにドクターと和人はまだ見知らぬ者同士だ。

司が簡単に和人を紹介した。

「ああ、こいつは成瀬 和人。俺の友達」

「そうか。それじゃよろしく、和人。僕はドクターだ」

ドクターが手を差し出し和人と握手する。

「ど、どうも」

和人はまだ理解が追いついていないのか、ひとまず司に聞いてきた。

「文月、この人誰なんだよ? こんな綺麗な娘と知り合いだったのか?」

「いや、知り合いっていうか何というか」

「まさかお前の彼女か」

これには、司も全力で首を横に振る。

「そんなわけないだろ! 違うよ、ドクターはその……」

「僕はこういう事態の専門家だよ」

司と和人が言い合っている間にも、ドクターは次の行動に移っていた。部屋の窓にソニックドライバーを向け、窓越しに校舎を覆うツタを調べている。

「地球で一般的に生えてるツタなのは間違いないけど、繁殖力がすごいな。司、このツタはいつから?」

「いつって、さっき急にだよ。俺がトイレから出てきたら突然こうなってた」

「不思議な話だ。とにかく、もっと情報がないとどうしようもないかな」

ドクターは早速さきほど閉じたドアにソニックドライバーを向け、再び外に出ようとする。

それを見て、和人が慌てて彼女を止めた。

「ちょっ、アンタ、一体何してんだよ!?」

「ドアを開けてるんだ。これをドアに向けるのは開ける時か閉める時だよ」

カチャリと音を立てて、鍵が開いた。ドクターはそれを躊躇なく開ける。

「おかしいだろ!? あんなデカいカマキリがその辺歩いてるんだ! 外に出たら死ぬって!」

「だからってここに閉じこもっててもどうしようもないよ。遅かれ早かれ原因を見つけて、これを解決しないと」

「アンタ何言って……おい文月、お前もこの人に何とか言ってやれよ!」

急に話を振られる司。

和人の言うことも分かる。あんな化け物が闊歩する中を歩くのは危険だ。だが、ドクターの言うようにこのままここにいる訳にはいかない。消えた生徒を戻さなければならないし、そのためにもこの異常事態の理由を突き止めなければ。

幸い、今は宇宙一のトラブルバスターがここにいる。

「和人、一旦外へ出よう。こうなった原因だって見つけないと。大丈夫。ドクターもいるし」

「ドクタードクターって、なんなんだよ! この人に何ができるって言うんだよ!?」

その言葉には、ドクターが自分で答えた。

「僕は何でもできるわけじゃない。でも、今この状況で君たちを守りつつ問題を解決できるのは僕しかいないよ」

ドクターが和人を見る。

対して、疑心を交えつつも和人は折れた。

「……分かったよ。じゃあ行こう」

ひとまず全員の意見が揃ったところで、ドクターを先頭に三人は外へ出た。

 

 

歩きながらも、ドクターは四隅にソニックドライバーを向け続ける。

向けてはその度にドライバーの中を覗き込み、首を傾げていた。どうやら中々この現象の正体が分からないらしい。

「……それで?」

ドクターの後ろを歩くのは司と和人。

和人は、司に色々と聞いてきた。

「このドクターって人とどこで知り合ったんだ?」

「どこでって……簡単に言えば俺がドクターの乗り物をドアを勝手に開けたのが始まりで」

「乗り物って、車か」

「いや、車ってわけじゃないんだけど」

和人の詮索に、司は若干嫌気がさしていた。

だが和人がこの状況と、突然現れたドクターという奇異な存在を訝しがるのも頷けた。司も少しではあるがドクターと非日常を旅した経験があるから今もある程度平静を保っていられるものの、普通なら発狂していたかもしれない。

「反応はどれも同じ。地球の物質で構成されてるね。なのにこんな現象は地球ではあり得ない」

流石のドクターも悩み込んでいる。

かと思えば、何か閃いたかのように彼女は振り返り、二人の方を見る。

「こうなったら、もっと根本のところから考えてみよう」

言うなり、ドクターが顔を司にグッと近づけてくる。

「な、何? ドクター」

「この学校の全校生徒が消えた。でも、君ら二人は残ってる。どうして?」

「どうしてって、こっちが聞きたいよ」

「調べたところ、この空間は誰か特定の個人を残して、それ以外の人を弾くようになってる。つまり余計な人間はここに入れないってこと。当然、僕も普通だったらここに入った瞬間に時空の歪みの中へ飛ばされてしまうはずなんだ。でも、こうして僕たちはここにいる」

「つまり?」

「僕と君にはここにいられる共通点があるってこと。何だと思う?」

聞いてくるドクターは既に答えを知っているようだった。

仕方なく、司は考える。

自分とドクターがここに存在していることができる理由。何かしらの共通点。

だが、一体何があるというのだろう。自分は人間。彼女は遠い星のエイリアン。司はついこないだまで普通の高校生だったが、ドクターは時と宇宙を駆ける旅人。

そこで、もしかして、と司は思いついた。

「時間と宇宙を……旅してる?」

「その通り!」

ドクターが不意に大声を上げた。

「僕たちは時空間の中をターディスで移動してる。その空間を、タイム・ボルテックスと言うんだけどね。そこを行き来してると、ある物質が体に付着するんだ」

「ある物質?」

「それを見るために、これを使う」

ドクターはポケットからあるものを取り出した。赤と青のレンズが入った、紙製の安っぽい3Dメガネだ。司も子どもの頃、雑誌などに付録としてついていたこれでよく遊んでいた。

何でこんなものを持っているのか、と聞く前にドクターが司の顔にメガネをかけさせる。

「見てみて。自分の手を」

言われるがまま、司は手のひらを見た。

するとどうだろう。そこには小さなゴミのような粒子が漂っている。そのままドクターを見ると、彼女の体全身もその粒子が覆っていた。メガネを外すと粒子も見えなくなる。

「これは……」

「ヴォイド粒子」

ドクターが得意げな顔をする。これは、彼女が相手の知らないことを自慢げに説明する時の表情だ。

「ボルテックスを行き来していくうちにこれが付着する。だから僕と君の周りにこれが漂ってるんだ。多分これのおかげで、僕たちはここにいることが出来る」

なるほど、と納得すると同時に司はまた別の疑問が浮上した。

ドクターもそれを察したのか、彼女と司はほぼ同時に和人を見る。

「じゃあ、成瀬はどうして?」

彼は恐らく時間旅行をしたこともなければ、宇宙の果てに行ったこともないはずだ。少なくとも、司の知っている限りでは。

当の和人も、ドクターと司の話している内容に理解が追いついていなさそうだ。

「お前らが一体何話してるか訳分かんねえよ……タイムなんたらに、粒子がどうとか」

「知らずのうちにしてたってこともあるからね」

彼の言葉を無視し、ドクターはソニックドライバーを和人に向け、上から下に向けていく。

結果が出るなり彼女は首を振った。

「やっぱり違う。彼は時間旅行をしたことはない。ということは、この空間が残したかった特定の個人っていうのは」

ドクターはビシッと指をさす。

「君だ」

 

 

山両学院の屋上は、地獄が現界したような様相を呈していた。

無数のツタに覆われて、コンクリートはもう見えない。ツタの中を走る血にも似た液体のせいで、屋上は赤に染まっていた。

その地獄の中で、少女は一人ただ泣いている。

『予想外の邪魔ガ入ったネ』

もう一人の少女。もう一人の花梨が囁く。

「……どうするの?」

『大丈夫。あなタの願いハきっと叶ウよ。邪魔はすグ取り除イてあげル』

もう一人の花梨は、優しく花梨へ寄り添った。




こんにちは。ストロマトライトです。
最近一週間ペースで上手く投稿できてます。皆さんからのTwitter等での感想報告が自分のモチベーションになってます。本当に感謝です!
さて、今回は学校が舞台ですが、Doctor Whoで学校が舞台になっている話といえばS2の「同窓会」ですね。
特別出演のサラジェーン・スミスが出ている回でした。

それでは、今回はこの辺で


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片恋慕の狂気 Part 3

こんにちは。ストロマトライトです。
少し短いですが、今回でこの回は終了です。


「……は? 俺が?」

学校内を化け物屋敷のようにした空間異常。その異常が空間内に残そうとしたある特定の個人が自分だと言われ、和人はすっかり呆気に取られていた。

「そう。タイム・ボルテックスを移動したこともないのに、君はここにいることが出来る。だとしたら、残る理由は君がこの空間に残ることを求められてるからだ」

「求められてる? 誰から?」

「それは分からない。ただ和人、君か君に関係する何かしらがこの事件に関わってるのは確かだ」

「じゃあ何か、俺がこんなことをしたって言いたいのか!?」

怒りに駆られたように、和人は両手でドクターの胸ぐらを掴む。

司は慌てて彼を制止した。

「おい成瀬、やめろって! ドクターに当たったってどうしようもないだろ!」

無理やりに和人を彼女から引き離す。和人はまだ煮え切らないようだった。

それを見て、ドクターはひとまず謝罪する。

「和人、怒らせたなら謝るよ。何も君のせいって言ったわけじゃない。ただ、この事態は君に関係してるのは本当だよ。だから、何か覚えがあったりするなら教えて欲しいんだ」

荒だった呼吸を整え、和人は少しずつ怒りを鎮めた。彼もドクターが悪気を持ってああ言ったわけではないことを頭では分かっているのだ。

そして考える。自分に関わりがあるもので、こんな事態を起こせるもの。

「やっぱり、何も思いつかないな」

「何かはあると思うんだけど……仕方ないか」

三人は再び歩みを進めようとする。

と、その時。背後から、何かがコロコロと鳴る音が聞こえた。転がすような音だ。

司がゆっくり振り向く。

「まさかまた何か……」

そこにいたのは、何とも奇妙な代物だった。石膏で出来た人型の像。それが四つん這いになり、両手で車輪のようなものを押している。

そしてそれは間違いなく、三人の方へと向かってきていた。

「あれ、こっちに来てないか?」

「来てるね。こういう時はとりあえず……」

ドクターが次を言おうとするこの間にも、石膏人間はスピードを上げた。

「逃げろ!」

彼女のその一言で、三人は一斉に走り出した。

合わせるように、石膏人間もスピードを上げてくる。これでは追いつかれるのも時間の問題だ。

ドクターが反転して、ソニックドライバーを石膏人間へ向ける。発されるオレンジ色の光と特徴的な音。

それが上手く効いたのか、石膏人間が急停止した。

「止まった?」

「多分ね」

だが、石膏人間は車輪から手を離し立ち上がる。

止まったのではなかった。やり方を変えてきたのだ。

「なお悪くなってるじゃないか!」

「そういうこともある!」

改めて、三人は走り出した。石膏人間も小走りに追いかける。

「上へ逃げろ!」

司が叫ぶ。

確かに、少し先に階段があった。下に降りて校舎から出るという最初のプランを実行する手もあったが、またあのカマキリがいたらまずい。一先ず上、3階へと駆け上がった。階段が相変わらず何かで泥濘んでいるため、上がるのに苦労する。

それは、石膏人間の方も同じだった。3人が上がりきった時には、石膏の方はまだ中階を登っていた。

「今のうちだ、ドクター」

「いや、それが……ここはここで問題ありそう」

急かす司に、ドクターが前を見て答えた。

彼女の見る先。3階廊下の奥からも、石膏人間が一体向かってきていたのだ。

その石膏の顔は、今まさに苦労して3階へ上がってきているものとは異なり顔の部分が潰れている。

「やばい、囲まれた!? 」

普通ならそのまま上に上がればいいが、今三人が上がってきた階段は運が悪いことに3階で途切れている。

「そうみたいだ。取り敢えずはこれで時間稼ぎを!」

上ってくる石膏、そして正面から迫る石膏にそれぞれ振り向きながらドクターがソニックドライバーを振りかざす。

効果がある程度出たのか、双方の石膏の動きは少しではあるが鈍くなっていた。しかし止まることはない。

「クソっ、こうなったら! 」

突然、和人が正面の石膏たちに向かっていった。

「おい成瀬! 何を……」

石膏へ向かっていく手前で、和人は廊下に設置されている消火器を手に取った。そのまま消火器を振り上げると、石膏の頭に思い切り叩きつけた。

その頭は思い切り砕け、頭を失った石膏は膝をついて倒れる。

「やった!」

「文月、ドクターも! 早く!」

一回の打撃で消火器は凹んでしまった。和人はそれを放り捨てる。

続いて、放られたそれを司が掴んだ。そのまま、階段をゆっくり登ってくる石膏に投げつけた。

「これでどうだ!!」

石膏は体を砕かれて、階段を転げ落ちていく。

道が開け追跡者もいなくなったところで、司とドクターも和人に続いて進んだ。

「ナイスだよ和人! まさか殴ってあれを破壊するなんて!」

ドクターが和人を称賛した。

「人間、追い詰められたら何でも出来るってもんだ」

 

 

『あそこデ止めルつもりだッたのに、失敗しチゃった』

もう一人の花梨の声は、少し呆れたような口調だった。

『どうしたノ? あなタが躊躇ったカラ、あれは壊レちゃった』

「だって……和人に怪我させたくなかったし」

石膏に向かって彼が走ってくるのも、花梨ははっきりと感じ取っていた。その瞬間、花梨の思いは確かに揺らいだ。

こんなことまでして、和人との世界を作る意味などあるのだろうかと。

それに、この世界には今二人の異物がいる。文月 司ともう一人。光るドライバーを振り回す謎の少女。誰かは分からないが、司の知り合いらしいというのは分かった。

「あの二人、どうしてここにいられるの? あなた言ったじゃない、和人と私以外みんな消えるって」

それを言われ、もう一人の花梨は困ったような表情を浮かべた。

『あノ二人は少し例外ナの。でも心配しなイで。必ず何トかしてあげル。……そうダ」

「なに?」

『和人と、話シたくなイ?』

もう一人の花梨は、邪悪に笑う。

その手には花梨のスマートフォンが握られていた。

 

 

あいも変わらず、どの教室にも人はいない

「どう、ドクター? 何か分かった?」

「うーん、何か強いエネルギーによってこれは引き起こされてるってことは分かるんだ。でも分からないのはさっきのカマキリに石膏。それに窓のツタ。これがどういうことなのか」

「そういや、成瀬は何か思い出すことあったか?」

聞かれたが、和人は首を横に振る。

「やっぱり分かんねえよ。カマキリに石膏にツタなんて」

「確かになあ。まあ気味悪いってことは同じだけど」

「カマキリに石膏にツタ……カマキリに石膏にツ……ん?」

そこで、和人は何かに気づいたようだった。

「どうした?」

「いや、違うな。まさかそんなこと……」

「どうしたんだよ、言ってみろよ」

「違うとは思うんだが、この3つの共通点って」

「静かに」

和人が言おうとしたところ、ドクターは唇に人差し指を当てて振り返った。

「何か聞こえる。呼び出し音みたい」

司と和人も耳を澄ました。彼女の言う通り、発信音のような音が聞こえた。

間違いない。一般的な設定のスマートフォンの着信音だ。音は3人の前にある教室から聞こえた。

「行ってみよう」

ソニックドライバーを前に向けたドクターを先頭に、3人はゆっくりと音のする教室へ入った。

人のいない教室。着信音は、室内のちょうど真ん中にある机の上に置かれたスマートフォンから発せられていた。

ドクターがそれを手に取る。

「おい、あれって」

最初に気づいたのは司だった。後から和人もそれに気づく。

「どうしたの、二人とも」

「それ、俺のスマホだ」

そう。音を発するスマートフォンは和人のものであった。前に落としたせいで少し右端が欠けた液晶画面に、彼の贔屓のサッカーチームのロゴが入っているカバーでそれと分かる。

「何でここに? 俺のスマホは5階の教室にあるはず……」

「電話の相手は、宮田 花梨って出てる。君の知り合い?」

ドクターはスマートフォンを和人に渡した。

受け取る和人の手は僅かに震える。

「どうして宮田が? もしかして学校から出てたとか」

「とにかく、出てみるか」

和人は通話ボタンを押した。

「……もしもし」

最初、応答はなかった。

だが10秒ほどすると、ようやく向こうから声がした。

『……和人?』

「そう。俺だよ。花梨か?」

『うん。ごめんね。こんなことに巻き込んで』

「それじゃあ、やっぱりこれはお前が……」

司と共に端から通話する和人を見ていたドクターが聞いた。

「宮田 花梨って?」

「成瀬の幼馴染だよ。でもどうして宮田が……」

「もしかしたら、その娘がこの歪みの原因かも」

ドクターは和人の持つスマートフォンへソニックドライバーの光をかざす。すると、会話の音声がドライバーから聞こえてきた。

盗み聞きは気が進まなかったが、この際仕方がない。ドクターと共に、ソニックドライバーに耳を澄ます。

『私はね、ただ和人と一緒にいられればよかったんだ。今まで通り、ずっとそのまま』

「今まで通りだろ、俺たちの関係は」

『ううん。変わっちゃった』

ドライバーから聞こえてくる花梨の声は非常に静かだ。司の知っているいつもの元気な花梨のものではない。

『高校に入ってから、お互いになんとなく距離を置くようになって。もうこのままなのかなって思ってて、そんな時に和人が、もう一緒に学校へ行き来しない方がいいって言うから』

「いや、あれは別にそういう意味で……」

『いいの。和人が悪いんじゃない。全部私の我儘』

ドライバーから聞こえる花梨の声から読み取れるのは、深い悲しみ。

ドクターはそれを聞いているうちに、段々と何か分かってきたかのような表情になる。

「花梨、違うんだ! お前の勘違いだよ!」

『大丈夫。もうすぐ、もう一人の私が叶えてくれる。昨日から私の近くにいてくれるの。私の本当の心を分かってくれる人。私と和人だけの世界はきっと叶う。文月君とそこの女の子も、もういらない』

花梨の言葉のある一単語を、ドクターは聞き逃さない。

「もう一人の自分って言った。やっぱりそうか」

「原因が分かったのか?」

「多分ね。でも、僕の予想通りだとしたらかなり厄介だよ」

電話の向こうの声からすすり泣く声が聞こえる。

「花梨、今どこにいるんだ! 花梨!」

『考えてみて。私がいるところ』

そう言って、電話は一方的に切られた。

 

「やっぱり花梨だったのか……まさかと思ったんだが」

「成瀬お前、気付いてたのか?」

「カマキリ、石膏の人間、ツタで考えた時、思い浮かんだんだ。全部花梨が嫌いなものだ。あの石膏は中学の頃の校外学習で美術館に行った時、花梨が気味悪がってたやつそっくりだ。それにカマキリもあいつが一番嫌いな虫だし、建物に絡まっているツタも苦手だった」

「多分、その娘は〈パラニア〉に感染してる」

ドクターが言った。また司の知らない単語だ。

「パラニア、って?」

疑問に答えるように、彼女の説明が続く。

「タイム・ボルテックスの中に棲息してるウイルスだよ。感情のある生命体の体内に入り込むと、その生命体の負の感情を取り出して、最も強い負の願いを叶えようとする。それを叶える時に発生するエネルギーを餌にしてるんだ。ボルテックスの力を吸い取ってるから、感染者が願うなら空間を曲げて世界を改変することだって訳ない」

原因は地球侵略を企むエイリアンではなく、時空間に潜むウイルス。

侵略ではなかったと知り胸をなで下ろす司だったが、同時に負の願いを叶えるというその効果に背筋が寒くなった。

「僕たちがここにいられる理由も分かる。パラニアは空間を歪める時にヴォイド粒子を大量に放出するんだ。僕たちに付着している粒子をその時の一部だと空間が誤認したおかげで、消えずに済んだ」

二人が存在できた理由も解決される。しかしまだ根本的な謎が解決されていない。

パラニアはボルテックスに潜むウイルス。一方花梨は普通の女子高生。この二つが一体どのようにすれば出会うのか。

「その何とかってウイルスが原因なのは分かったけどよ、じゃあなんで花梨がそんなウイルスに入られたんだ?」

「確かに。宮田だってタイム・ボルテックスを移動したことなんてないはずだし……」

ドクターもそれには同意を示した。

「そこだ。本来ボルテックスに棲むパラニアが何でこの世界にいるんだろう」

「何かボルテックスの中を移動した物にくっ付いてきたとか」

「そんなのがこの星に来てたら、ターディスが反応してるはずだ。でもそんな反応は……」

言いかけて、ドクターは気づいた。司もハッとする。

そして、ほぼ二人同時に叫んだ。

「「ターディスだ!!」」

まさにターディスは、ボルテックスの中を行き来してこの街に来た。そこにパラニアが付着して、ここに着いた時ターディスから離れて花梨の元まで偶然飛んで行ったとすれば、説明がつく。

「そういや朝も宮田の様子は変だったし、昼に会った時も体調悪そうだった。じゃあ、今朝ターディスが着陸した時にパラニアが?」

「でも彼女、『昨日からもう一人の自分が現れた』って言ってた。多分それはパラニアの初期症状の幻覚。ってことは、昨日既に感染してることになるよ」

「それじゃあ、宮田が感染したのは……」

司の体感時間では一週間前だが、この世界の時間では昨日だ。

つまりターディスがこの世界に降りてきて、司がドクターと初めて出会った時には、パラニアはこちらに来ていたということになる。

そこで司は思い出した。最初にドクターと会った場所。住宅街の建物と建物の間。青いポリスボックスがぽつんとあった場所。

「そうだ。俺がドクターと会った時にターディスがいた場所。宮田の家のちょうど裏だった!」

「これで全て説明がついたね。あとは、その花梨って娘を見つけて、体内からパラニアを除去すればいい。それ位なら、これで十分できるからね」

ドクターは持っていたソニックドライバーを宙に放って取る。

彼女の商売道具であり、魔法使いが持つ杖のように万能なそれを。

「おいおい、何か解決したらしいけどよ、また俺を置いていって話が進んでるぜ。何だよ、ターディスって」

「僕のタイムマシンだ。それより和人、君に質問だ」

ドクターは和人に詰め寄る。

「この空間はその花梨って娘の負の感情の塊だ。だから彼女の嫌いなものがウヨウヨしてる。カマキリ、石膏、ツタ……他にも何か彼女が嫌いな物に心当たりは?」

「アイツが嫌いな物って言われてもなあ、怖がりだから色々あるぞ」

「その中でも特に怖がってる物。それは多分まだ出てきてない。だからそれが出てくる前に対策を立てたいんだ。何かある?」

ドクターと和人が話している間、司はある物音に気づき、ふと足元を見た。

ピチャリという液体的な音。見ると、いつの間にか床下数センチに水が溢れていた。ここは3階。よほどの水害か水道トラブルでもなければ、こんなことはあり得ない。

「ドクター、足元に水が……」

「ああ、そういえば」

司と言うと同時に、和人が何か思い出した。

「何年か前に花梨とホラー映画を見に行ったんだけど、その映画で海から大量の手が出てくるシーンがあってさ。アイツかなり怖がっちゃって、未だにたまに夢に見るって言ってたな」

「それだ! 多分それが彼女の最後の……」

「ドクター!」

最悪は、既に起こっていた。

水浸しになった廊下。そこから無数の白い手が伸びている。引き摺り込む獲物を探すため、手は右へ左へと動いていた。

「時すでに遅しか……こういう時は」

「こういう時は?」

「逃げろ! 上だ!」

手前にある階段に、3人が全力で走っていく。

伸びる手たちが時折足を掴んで来たが、そのたびに振り払って進んだ。

「和人! その花梨って娘が今どこにいるか、心当たりある!?」

「分かんねえよ! 聞く前に切れちまった!」

「宮田のことはお前がこの中で一番よく知ってるんだ! 何かあるだろ!」

絡みついてくる奇怪な手を死に物狂いで払って、司も聞いた。

上がりきった4階も水と手に覆われている。どうやら花梨も本気を出してきた。どうやってでも、司とドクターをここから排除し和人を捕らえる気だ。

「そうだ、屋上!」

「屋上?」

「花梨のやつ、屋上で昼飯食うのが好きなんだ。それに放課後もそこにいたりして、屋上からの景色が好きだって……」

「本当か!?」

「もう逃げ場だってないんだ! とりあえず屋上に行ってみよう!」

 

 

屋上に静かな風が吹く。

花梨の髪もそれに吹かれて、わずかに揺れた。

『和人たちガ感づイた。こっチへ向かっテ来てル』

「いいよ。3人に、ここまで来てもらう」

花梨は横たわっていたベンチから、ゆっくりと体を上げて立ち上がる。

彼女が数歩歩くと、合わせてもう一人の花梨が三歩後ろほどについてきた。そして、距離をさらに詰めてその腕を花梨の首に回してくる。

『ここデ、終わりニする?』

花梨は頷いた。

もう迷わない。もう苦しまない。

この場で邪魔な二人を排除し、和人と自分だけの世界を実現する。

 

 

4階から5階、5階から6階へ。

無数の手を払いながら、三人は着実に屋上へと歩みを進めていた。

司と和人の上履きとズボンの裾は、水浸しになっている。階を上がるごとに、その水位は上がっているかのようだ。

「ほら、あれだ!」

6階から屋上へと続く階段を駆け上がる途中、和人が一つのドアを指差す。

そうしている合間にも、獲物を求める手は止まることを知らず生え続けた。その侵食はすでに、三人が上がる階段にも広がっていた。

真っ先にドアのノブを手にした和人がそれを思い切り回し、ドアを開けた。

ドクター、そして司がその後に続いて、なだれ込むかのように屋上へと駆け込む。

 

そこにいたのは、一人の少女だった。

紛れもない宮田 花梨その人。その他に目立った人影は見当たらない。

「花梨……」

「来て、くれたんだね」

花梨は笑っていた。

しかしそれは、純粋な笑みではない。奥に悲しさと、精一杯の狂気を秘めた笑み。

「全部分かった。カマキリも石膏もツタも、それに海からの手も、全部お前が嫌いなものだよな。それにここ。花梨が学校で一番好きな場所だ。そうだろ?」

「うん。正解」

花梨が下唇を噛み、その手を握りしめていた。

その姿は何かに耐えているかのよう。

「花梨と言ったね。僕はドクター、君を助けに来た」

ソニックドライバーを振りつつ、ドクターが自己紹介を済ませる。

「君はウイルスに取り憑かれているだけなんだ! これで君の体内からウイルスを取り出せる。いいかい、頼むから動かないで……」

ドクターはゆっくりと、花梨に近づいていった。

一歩一歩確実に。しかし、

「邪魔しないで」

花梨のその一言と同時に、屋上中に生い茂るツタの一つがドクターの足に絡みついていた。

司の足にも同じようにツタが絡みつく。

「宮田、落ち着いて。ドクターは危害を加えようって訳じゃないんだ。だから……」

「二人とも、邪魔だよ」

彼女がそう言うや否や、二人を絡め取ったツタが、二人を屋上の端へと急速に引きずっていく。

屋上後ろのフェンスへ二人は思い切り叩きつけられた。

「私の嫌いな物も、私が好きな場所も分かるのに……一番分かってほしいことが分からないんだね。和人」

「一番って、何を?」

和人には分からない。

長く彼女といたはずなのに。お互いに何でも知ってる風でいたのに。結局は、花梨の何も分かってはいなかった。

和人はただ立ち尽くすしかない。

「私ね、和人のことが好きだったんだ。でもそんなこと、長い付き合いなのに突然言い出せなくて。和人から気づいてくれればいいなって、私思ってたの」

「花梨……」

「自分勝手だよね、ほんと。自分では何もしないくせに。でもいいんだ。もうすぐ、和人と私だけの世界になるから」

そして、巨大な異変が始まった。

空が曲がる。という表現が一番適切だろうか。次に無数のツタたちが、後ろに追いやられていたドクターと司へ襲いかかった。

大量のツタが、二人の体を包み込もうとする。

「文月、ドクター!」

絡むツタを払おうと二人の方へ和人は駆ける。

「駄目だ、和人!」

そんな彼を止めたのは、体の半分が既にツタの中に消えたドクターだった。

「和人! 君は彼女に向き合うんだ! 君の本当の気持ちで、彼女に向き合うんだ!」

「そうだ成瀬! 宮田のところに行ってやれ! 早く!」

ドクターに次いで、司も向かってくるツタを払いながら叫んだ。

「ここは彼女の感情が具現化してる。どんな形だっていい! 彼女の気持ちに答えて……」

ドクターの言葉は、彼女の体がツタに完全に覆われてしまったことで途切れた。

司の姿も同じように、ツタの中へと消えていく。

空だけではなく、周りの光景までもが歪み始めた。やがて壁が剥がれるように目の前が変わっていく。

もう、躊躇ってはいられない。

「花梨!」

和人は片恋慕にかられた幼馴染に向かって走っていく。

やはりツタが彼を後ろから追いかけるが、走る彼の足は中々絡め取られない。

花梨と和人。その距離は次第に縮まっていく。

「……え」

そして。

 

気づいた時には、和人は花梨の体を抱きしめていた。

彼自身、そうすることを意識していたわけではなかった。だが、体が勝手に動いていた。

「和……人?」

花梨にも何が起こったか分からなかった。

和人が花梨に向かって走ってきたのは覚えている。途端に怖くなって、ツタで動きを止めようとしたことも。

それが失敗して思わず目を瞑った後、再び花梨が目を開けた時には、強く抱きしめられていた。

「ごめん、花梨」

「えっ……あっ」

「俺も好きだったんだ。花梨のこと。ずっと前から」

一瞬、花梨は言葉の意味を忘れてしまったかのように、和人の言ったことの意味が分からなかった。

『好き』という単語を理解するのに、数秒を要した。

「でも改めて言うのは気恥ずかしくて、時間が経てば経つほど言い出せなくなって……今日まで言えずにいたんだ。だから……」

花梨の中で、今までの和人との思い出が走馬灯のように思い出される。

そうか。

「前から二人とも、同じ気持ちだったんだ。だからもう、こんなことしなくてもいいんだ」

急に、花梨は可笑しくなった。

なんだ。初めから、片恋慕ではなかったんだ。お互い同じ気持ちだったのに、ただ気づかなかっただけで。

気づけば、もう一人の花梨はいなくなっていた。声も聞こえない。

「なんだ……言ってくれれば、良かったのに」

「そういう花梨だって、今まで言えなかったんだろ?」

「……うん。そうだね」

花梨の瞳に、涙が溜まる。その一筋の涙が頬を伝って、地面に落ちた。

それがスイッチであるかのように、世界が変わっていく。

地面は元のコンクリートに。無数のツタは消えていき、歪んでいた空が元に戻った。学校を覆っていた見えない膜も消えていった。

ドクターと司を包んでしまったツタも同様に消失し、二人も拘束から解放される。

「痛ってて……ドクター、大丈夫か?」

「何とかね。どうやら和人が上手いことやったらしい」

二人の視線の先。

そこには、ただ泣き崩れる花梨と、それを抱きとめる和人の姿があった。

 

 

「これでよし。あのままターディスを校庭に残してたら、まずかったよ」

ドクターはターディスを屋上に呼び出す。

既に校内には平穏が戻っていた。カマキリや石膏は消えて、生徒も皆、あるべき場所へと戻っている。

彼らが消えて三時間ほどの時間が経っていたため混乱は必至だったが、集団昏睡ということで授業は急遽中止。気分の悪い者は救急車で病院へ、という運びとなった。

「それで、花梨はもう、大丈夫なのか? 本当にウイルスは出たんだよな?」

「もう大丈夫。さっきソニックで確認したけど、パラニアは完全に消失してるよ」

不安そうな和人とは対照的に、ドクターは笑って言った。

ドクターによればパラニアが花梨に感染した時、その力はもうかなり弱っていたようだ。もしパラニアが完全体ならば、世界が丸ごと改変されていたかもしれないという。

「でも彼女を大切にしてあげないと、またパラニアは現れるかも」

「冗談きついな、ドクター」

ドクターはターディスの取っ手に手をかけていた。事が終われば、そうそうに去る。

これが時の旅人、タイムロードの流儀だとでもいうように。

「ありがとう。ドクター」

和人は心の底からの感謝を述べる。

それに合わせ、花梨もドクターに頭を下げた。

「それじゃあ、二人ともお幸せに。司、行こう」

ドクターは早々にターディスへ入っていった。

「じゃあな。成瀬、宮田」

司もそれに続こうとする。と、

「文月!」

和人の声に、司は振り返った。

「何だよ?」

「お前、また帰ってくるよな。ここに……俺たちのところに」

その問いには、答えづらかった。

朝も考えていたように、このままドクターと旅をしていけば非日常に慣れ過ぎてしまうかもしれない。そうなった時に、司はまたこの世界に、前にいたこの日常に帰ってこられるのだろうか。

今はまだ分からない。だが、帰ってくるためにも、司はこう答えることにした。

「帰ってくるよ。また明日な、二人とも」

これはターディス。望むなら、明日の朝のこの世界に戻る事だってできる。

司がターディス内に入り、その青い扉がゆっくりと閉まった。

その後まもなく、ターディスは奇妙な音を立ててその姿を薄くしていく。

「文月、また戻ってくるよな」

「……きっと、また明日会えるよ」

青いポリスボックスが消えていく。

和人と花梨はお互いにその手を握りしめながら、それを見ていた。




ストロマトライトです。
少し短めですが、片恋慕の狂気は今回で終了です。いかがだったでしょうか。
実は今回、一緒に投稿すると少し長くなってしまうので、2000語程度の短編ですが別にして載せました。
ちょうど3話と4話の間にあたり、主人公、司がターディス内で迷い、ある部屋にたどり着く、というストーリーです。もしお時間が許すなら、読んでいただけるとありがたいです。

そしてついに次回、Doctor Who原作からのエイリアンが登場します。
ヒントに一言。Don't blink. Blink or your dead. I say again, don't , blink. Good luck.

それでは、今回はこの辺で。


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Extra story 時を駆ける箱の中で

ちょうど3話と4話の間にあたる話です。
なんと、かつてのコンパニオンのあの人が登場。


「あれ……こっちだと思ったんだけどな」

高校での一大事件がひと段落し、ターディス内に作ってもらった司の部屋で一休みしようとした司だったが、曲がるべき角を一つ間違えたのが運のつき。かれこれ三十分は迷っていた。

側から見ればただのポリスボックス。しかし内部は想像を絶するほど広い。キッチン、バスルーム、サウナ、プールまで完備している究極の生活空間だが、こう迷路のようになっていては住みづらくて仕方がない。

「ここを曲がって、いや違う。それだと戻って来ちゃうしなぁ」

さきほどから色々な扉を開けてみたが、何の用途に使うのかも分からない部屋ばかりだ。

一つの部屋などは、大量のトルコ帽が置かれていたのだから。

そして再び、司は右と左に広がる分かれ道へとたどり着いた。

「全く、どっちに行けば正解なんだよ」

このままでは、ターディスの中で迷った結果餓死という目も当てられない結果になってしまう。宇宙規模の危機を三回もくぐり抜けたのに、そんな馬鹿な話はない。

ひとまず、司は右の道を選んだ。

その道をひたすら真っ直ぐに歩き続ける。

途中いくつかの扉が目についた。何の部屋かも分からないため、素通りしていく。

今度は本当にただただ直線の道だ。ターディス内の通路には、規則性なんてない。

「本当、一体どこまで行けばい……あれ?」

ふと、司は視界の隅に映った一つの扉に気づく。他の扉とは違い、狼を形どったようなネームプレートが掛かっていた。

プレートの中には、五文字の英語。

「Tyler……タイラーか?」

試しに、司はその扉のドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。

中に入ると、ごく普通の部屋が広がっていた。ベッドに机。そして洋服箪笥。そこには生活感があった。

恐らく誰かが、ここに住んでいたのだ。

「これは……」

司は机の上に写真立てが置いてあるのに気づく。手に取ると、そこには二人の人物が写っていた。

一人は若い西洋人の男性。男の司から見ても顔立ちがいいことは一目で分かる。その隣には、金髪の女性が歯を見せて笑っていた。まるで写真を撮ったその時が、人生の春とでもいうように。

「ここにいたんだ」

後ろからした声に驚いて、司はもう少しのところで写真立てを落としそうになった。

そこにいたのは、他の誰でもなくドクターだ。

「どっ、ドクター!? いやこの、迷ってたらたまたまこの部屋に入っちゃって」

「だと思った。司の部屋に行ってもいなかったから、もしかして迷ったんじゃないかと思ってね。でもまさか、この部屋にいるとは」

ドクターも部屋に入ってくる。そして、司の隣にやって来た。

「ドクター、この人たちは?」

その写真を見るなり、ドクターは微笑した。

「懐かしいな。男の方は昔の僕。女性の方はその時の僕のコンパニオン」

「えっ、ドクターって……男だったの!?」

「前にも言っただろ? 僕たちタイムロードは、一定の時間が経つと『再生』して、その年齢、顔立ち、髪の色、時には性別まで変わるんだよ。僕はこの顔、結構気に入ってたんだ」

これが、かつてのドクター。司が知る前のドクター。

「じゃあ、この金髪の女の人と旅を?」

「そう。彼女はローズ・タイラー。僕がかつて旅した娘で、同時に僕が……」

そこで、ドクターが言い淀んだ。

その先を口にするのを、躊躇するように。だがドクターは、続けた。

「僕が、愛した人だ」

ドクターは懐かしそうな、悲しそうな目で写真の中の女性、ローズを見ている。

写真に写る男性姿のドクターも楽しそうだ。

和人と花梨と同じ。二人ともお互いに好意を持っていたのかもしれない。

「それで、このローズって人とは……」

「あまり、いい別れ方をしなかった。ある事件があって、彼女は僕たちが住む世界とは別の世界に住まなければならなくなったんだ。だから二度と、ローズには会えなくなった」

「ターディスでその世界に行くことは、出来ないのか」

司の問いに、ドクターは首を振る。

「むやみにその世界に行けば、空間に穴ができる。そのたびに世界が壊れていくんだ。そんなことはできないよ」

司は手にしていた写真立てを机に戻した。

このローズという女性も、司と同じように悩んだのだろうか。日常と非日常の間で。このスリルある旅を経験したあとで、普通の生活に戻れるのだろうかという不安に。

もしも彼女に会えるのなら、ぜひ聞いてみたいものだった。

 

 

「ドクター、もし良かったらもっと聞かせてよ。このローズって人のこと」

「いいよ。話してあげる」

ドクターはベッドに座った。司がその隣に来るようにと、彼女はベッドを片手で叩く。

司は指示された通り、その隣へ座った。

「ローズは、元々ロンドンのアパレルショップの店員だったんだ。それが、偶然マネキンのエイリアンが彼女の勤めていた店に襲撃してきてね……」

ドクターが楽しそうに語る。

彼女が『彼』だった頃、共に旅し、そして愛した女性のことを。

世界を超えた先にいる、二度と会えないその人のことを。




ストロマトライトです。
この話は、「ターディスには実は今までコンパニオンになった者全員の部屋が残っているのでは」という説を見て書きました。
ローズにするかエイミーにするか迷いましたが、やはり自分にとっても思い出のあるコンパニオンとしてローズを選びました。
また機会があればこのような短編を書こうと思います。


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戦場の天使 Part1

少し投稿が遅れました。すいません。今回はちょっと最初に用語解説を

・ベルリンの戦い……1945年、独ソ戦争の最終局面。ソ連軍がドイツの首都ベルリンに侵攻した。

・労農赤軍……ソ連軍の第二次大戦時の名称。

・内務人民委員部……ソ連の秘密警察的なもの


1945年 4月29日。ドイツ・ベルリン。

 

この街は今、戦火の只中にあった。

1941年よりドイツ総統アドルフ・ヒトラーに率いられ始まった独ソ戦は、現在ソ連軍の圧倒的な猛攻によりドイツ帝国の敗北が濃厚となっていた。

帝国の首都であるベルリンにまでソ連軍は進撃し、陥落も時間の問題と見られている。

そんな爆撃の音響くこの街のある建物で、ソ連軍所属のある部隊が忙しく動いていた。

「この辺りも空軍の爆撃範囲だ! 急いで持ち出せ!」

トカレフ拳銃を片手に政治将校(コミッサール)が兵たちに怒鳴った。

彼らは軍の上層部、とりわけスターリンを中心とする共産党中央委員会からの直接の命令で動いていた。

「иск-23、24の回収終了。25ももうすぐ終わります」

「よし。後は26の例の石像だな」

その命令は単純。ナチス・ドイツの美術品を接収し、モスクワへと持ち帰ることだ。

ここも、ナチス党員たちが一時的に自分たちの美術品を保管していた倉庫である。

「26 の石像担当は、メンシェフとゴルスキーだっただろ。奴らはまだか」

「二人ともまだ二階から戻ってきていません」

政治将校は苛立った。中央委員会直属のこの仕事、遅れたせいで爆撃に巻き込まれ美術品が傷ついたとなれば、次回の委員会総会でウラルや外カフカス行きになりかねない。

「仕方ない。ネフスキー、ブルガン!」

政治将校は手近なところにいた兵士二人を呼んだ。

自分の名を呼ばれて、それぞれが振り向く。

「何でしょう、将校殿?」

「メンシェフたちが上からまだ戻ってきてない。あとは26の石像だけだ。お前ら、ちょっと見てこい」

「了解」

ネフスキー、そしてブルガンの両名は二階へと続く螺旋階段へ赴いた。

 

「将校のやつ、イライラしてたな」

階段を上りながら、ネフスキーはブルガンへ言った。

「この作業が早く終わらねぇと、カフカス行きになっちまうからな。それにしても、メンシェフたちは一体何やってんだ」

「美術品盗んで、どっかに逃げたのかもな」

「バカ言え。メンシェフはともかく、一緒に行ったゴルスキーは将軍の息子だぞ。逃げたって何の得もねえよ」

二人は二階へとたどり着いた。

美術品を保管してある巨大なワンルームが彼らの前に広がっていた。

ソ連軍部隊によってあらかたの美術品は回収されているため、部屋はほとんど何もないに等しい状態だった。まさに、強盗が入った後のようだ。

ただ一つ。彼らの正面に鎮座している一体の『石像』を除いて。

「あれだな。26の石像は」

石像は天使を形どったようなものだった。背中には二枚の羽。その手は自分の顔を覆い、まるで嘆き悲しみ、むせび泣いているかのよう。

「本当気味悪い石像だな。スターリンは何であんなもん欲しがるんだか」

ネフスキーはため息をつく。

革命の時からそうだったが、学のないネフスキーに党の上層部の考える事など分からなかった。彼は軍人として、ただ上から言われた事を言われたままに実行するだけだ。

「それにしても、メンシェフたちが見当たらないな」

ブルガンが辺りを見回した。が、先にここに来ていたはずの二人はいない。

ネフスキーも視線を天使の像から周囲へ移すが、それらしい人影はなかった。

「こりゃあ、本当に逃げたんじゃねえか?」

「でも、ここから外に出るには確実に一階を通らないといけないだろ。一階に降りたら俺たちの前通らずに出られねえよ」

「だけどよ……あれ?」

ブルガンが目の前の異変に気付く。

「なあ、ネフスキー。あの像、さっき手で顔を抑えてなかったか?」

「そうだよ」

「じゃあ、ありゃあ一体……」

ブルガンが像を指差した。

手でその顔を覆っていたはずの天使の像。しかしどうだろう。今、天使の像はその手を顔から離し、腕をだらりと降ろした格好となっていた。

手が離れたことでその顔が露わになる。無表情のようだが、その目はまるで二人をしっかり見ているかのようだ。

二人は恐る恐る、天使の像へ近づく。

「気持ち悪いったらありゃしねえ。どうなってんだ」

「ブルガン、俺らの見間違いだ。多分この像は最初っからこうだったんだ。ドニエプルでの戦闘からこのかた、マトモに寝てねえんだから。そういう風に見えただけだよ」

戸惑うブルガンを横目に、ネフスキーは結論づけた。

ドニエプル川渡河作戦どころか、三年前のスターリングラードからちゃんと寝たことなどないのだ。幻覚の一つや二つ見たっておかしくはない。

しかしこの戦争はもうすぐ終わる。ベルリンを落とし、ちょび髭総統の首を跳ねれば一件落着。ネフスキーも故郷のキエフへ帰れる。

「とりあえず、メンシェフたちがいないことと石像が残ってることを伝えねえと。ほら、戻るぞ」

そう言って、ネフスキーがブルガンと共に一階へ戻ろうとした。

その時。

「ん、何だ?」

天井から輝く電灯の光が、バチバチと鳴り明滅し始めた。二人の周囲が暗くなる。

「クソっ、どうなってんだ! ブルガン! ブルガン!」

ネフスキーは相棒の名を呼ぶ。だが、相手からの応答はない。

そして再び、電気がはっきりと明かりを部屋中にもたらす。

「戻ったか。ブルガン、お前……」

ネフスキーはブルガンのいるはずの横を向く。

が、そこに彼の求める人物はいない。代わりに、その両手を伸ばし、獲物へ襲いかかるようなポーズを取った天使の像がいた。

加えて、ブルガンの姿も忽然と消えている。

「おい、何なんだよ……どうなってんだ」

幻覚などではない。天使の石像は、動いている。

そして再び、電気が明滅し始めた。

ネフスキーが感じているのは、ただ純粋な恐怖だった。ここから離れなければいけないのに、階段がどこにあるのかも分からない。

周囲が明るくなり、暗くなるを繰り返す。その度に天使の像は少しずつ動き、ネフスキーに近づく。

「あ……」

最後の瞬間、彼の目に映ったのは猛獣のように鋭い牙を向き、爪を立てた天使の像だった。

 

 

ターディスは今日も平常運転だ。六角形のコンソールを貫く形で縦に伸びる円筒型のガラスは、相も変わらず中で何かを上下させている。

起きてきた司は、自分の部屋から寝ぼけ眼をこすりながらターディスの中心、コントロールルームへ向かった。さすがに慣れてきたのか、頭が働かなくても部屋から中央までくらいなら、司も迷わずたどり着けるようになっていた。

「おはよう。ドクター」

「やあ司。おはよう」

司の朝の挨拶に対して、ドクターは彼の方を見ずに答える。

頭にキャスケットを被り、茶のケープと赤を基調としたチェックのスカートはいつもの通りだ。彼女は中央のコンソールへと続く階段の一段に座りながら、何かの本を熱心に読んでいた。

後ろから司が覗き込む。それはどうやら、美術関係の本らしかった。書かれている言語も日本語だ。

「それ、どうしたの?」

「こないだ司が学校に行ってた間、近くの本屋で買ってきたんだ」

「へえ……ドクター、絵とかに興味あるんだ」

「いや、正確に言うと」

ドクターが顔だけ司の方に向けて言う。

「絵や美術品の中には、何か不可思議なことが隠れていることが多いんだ。僕はそれを探してる。絵の中に潜んでいるエイリアンとかね」

「そんなの、そうそう見つからないと思うけど」

ドクターを横目に、司は階段を降りていった。中央部のコンソールを抜けて反対側の階段へ向かおうとする。

司はキッチンへ行こうとしていた。ここ最近、朝食を作るのが司の日課だ。

「パンにベーコンエッグでいいか?」

「いいよー」

ドクターが適当に答えるのを聞き、司はキッチンへ歩みを進めた。コンソールのそばを通り抜けて、反対側の階段を上がる。

司がその階段を三段ほど行っていたちょうどその時、ドクターが声を上げた。

「あった!」

その声に驚き、思わず司は階段を踏み外しそうになる。

「いきなり何だよ!? びっくりした」

「あったんだ。事件がありそうな絵が」

ドクターは興奮冷めやらぬと言った顔で、司の方へ駆け寄ってくる。司もドクターの方へ向かったため、二人はちょうどコンソールの前で止まった。

「これだよ! ほら!」

ドクターが持っている本の半ページ、丸ごと使って載せられた一つの絵画を指差した。

絵の内容はさして珍しくもない。巨大な平原が広がり、その向こうに塔のように巨大な建造物がそびえ立っている。

「これが?」

「よく見てみて。何か気づくことはない?」

言われて司は絵を凝視した。

見ていると、その絵には奥行きがあった。ただの奥行きではない。まるで絵の中にその空間が本当に広がっているかのよう。

絵は二次元のものであるはずなのに、三次元が感じられた。

「絵が……広がってる」

それを聞いて、ドクターは指を鳴らした。

「その通り! この絵は、絵の中に実際のこの風景が存在してるんだ。この絵の中に時間が固まってるんだよ。これは間違いなく、タイムロードの技術だ。前にこれと同じものを見たことがある」

タイムロード。

前にドクターが言っていた、彼女の種族の名前。

「じゃあこの絵は、ドクターの星の種族が書いたってことか? でも、星は戦争で消えたって……」

「それが謎だ。どうしてタイムロードの絵が地球にあるのか」

絵の詳細は絵が載っているページの右に書かれていた。

タイトルは『永遠(とわ)』。肝心の作者は不明と記されている。

「1938年までオーストリアの美術館に展示されていたが、その後ナチス・ドイツによって接収され、ベルリンの大ゲルマン美術院に保管。しかし、1945年のソ連軍のベルリン侵攻に伴い行方知らずに。一説にはソ連軍に強奪されたとも、焼失したとも言われている、か」

ドクターは説明文を読み上げる。

どうやら戦争の過程で、絵はどこかに消えてしまったようだ。

「残念。もう見れないんだな」

「おっと。それはどうかな?」

ドクターは持っていた本をどこかに放ったかと思うと、突然コンソールに向かいはじめた。

「これはタイムマシンだからね。絵が消えたなら、消える前に行けばいいんだ!」

いくつかの装置を上げたり下げたりしながら、ドクターは六角のコンソールの各面を行ったり来たりする。

「ちょっ、ドクター! 一体どこへ!?」

「1945年のベルリンに行くんだ! これで……どうだ!」

仕上げ、といったようにドクターが巨大なレバーを勢い良く引き下げた。

鳴り響くいつもの轟音。危険で魅惑の旅の始まりを告げる音だ。

ターディスは時間を翔び、過ぎてしまったその時へと向かっていった。

 

 

轟音を響かせて、青いポリスボックスが着陸した。

ドクターと司の二人がターディスから出る。

二人の目の前に広がるのは、荒廃した街の光景だった。道には打ち捨てられた乗用車、半壊し窓ガラスの割れた建造物。上空からは、ターディスにも負けず劣らずの鈍い音がする。

「ドクター、これって」

「ちょっと間違えたかもね。もうちょっと前にくるはずだったけど、時代を間違えたらしい」

「また!? やっぱりターディス壊れてるんじゃないか?」

「そんなことないって! こないだも今回もたまたま……」

ドクターの声は、次第に迫ってくる鈍い音が掻き消された。

司が空を見上げると、そこには4つの黒い粒のようなものが見えた。航空機だ。

やがて航空機は、何かを次々に落とし始める。それが何であるかは、この状況から司も見当がついた。爆弾だ。

「司、逃げるよ!!」

ドクターが彼の手を引っ張る。

爆撃がターディスのある場所まで迫ってきた。二人は全速力で走り、そこから離れる。

先ほどの航空機の音とは比べものにならないほどの音が周囲に響いた。

道を右に曲がり、その次を左へ。右往左往しながら、二人は走り続けた。

「地下鉄の駅だ! あそこに入ろう!」

ドクターが指を指す先。『Untergrundbahn』と書かれた看板が見えた。ドイツ語で地下鉄の意味だ。

二人は半ば転げこむように地下鉄の駅へと入った。

ホームへと向かう階段の途中、何度か転びそうになるが何とか地下までたどり着く。

地上をえぐる爆撃の音が、地下までくぐもって聞こえてきた。

「はぁ、はぁ……これからどうする? ターディス、あの様子だと爆撃に巻き込まれたみたいだ」

息を切らしながら、司が聞いた。

「まずいことに、ターディスの鍵を持ってくるのを忘れてた。あれがないとターディスを呼べないんだ」

「じゃあ、俺たちはもうこの時代から出られないのか!?」

「いや……ターディスには自己防衛機能としてのフォース・フィールドがあるから、爆撃くらいじゃ壊れない。けどあの爆撃だから、瓦礫の中に埋まってるかも」

爆撃で駅構内も揺れる。その度に、天井からパラパラと埃が落ちてきた。

「とりあえず進もう。今来た出口はまだ爆撃が続いてるだろうから、別のもっと離れた出口を探すんだ」

そう言って、ドクターは歩き出す。司も後ろからそれについていった。

戦争の真っ只中なだけあって、駅には人っ子一人いない。あるのは捨てられた新聞や菓子の箱など。

新聞には大見出しで、『ソビエト赤軍迫る! 地下にこもる総統の真意やいかに』と書かれていた。

「これでナチスも終わりだね。まさか総統も、こないだはこんなことになると思ってなかっただろうに」

「こないだって?」

「前にヒトラーと会った。1938年にね」

歩きながら、ドクターはさらりと言う。

「僕を追ってきた暗殺者がターディスを弄ったせいで、たまたまその時代に着いちゃって。その時、間接的にではあるけど僕はヒトラーの命を救った」

「そんなことがあったんだ。じゃあ、ヒトラーとは知り合いってことか」

「でも、その時はこの顔じゃなかったから今会っても分からないと思うよ」

ホームを突っ切って、二人は反対の改札へ続く階段を上る。

改札を通り過ぎ、出口の表示を確認して左の通路を曲がろうとする。

と、その瞬間。

「おい! 動くな!」

二人の目の前に突如、一人の男が現れた。

軍帽に暗い黄土色の軍服。手には丸いマガジンが特徴的なPPSH-41サブマシンガン。帽子に付いた鎌とトンカチを交差させた国旗のバッジが、彼の所属の明らかにする。

「何者だ! 民間人は退去してるはずだぞ! パルチザンか!?」

銃を向けて早口でまくしたてる男。

それに対して、ドクターは両手を広げて慌てて男を制止する。

「ま、ま、待って! 僕たちはここの所属だ!」

ドクターは胸ポケットからサイキックペーパーを取り出して、男へと渡す。

男はそれを受け取ってまじまじとそれを見つめた。

内務人民委員部(チェーカー)の人間か。その若さだとまだ新人だな。そっちのアジア系は、ザカフカースの出身か?」

アジア系、というのが自分を指しているのだと感づき、司は頷く。

ここは適当に調子を合わせておいた方がいい。

「え、ええ。はい。向こうの出です」

「その割には、ロシア語が上手いな。そうとう練習したか」

男はそう言って、サイキックペーパーをドクターへ返す。

「無礼を失礼した、同志。俺は労農赤軍第8特務行動連隊、第12行動隊所属のユーリ・クロポトキン上級軍曹だ。よろしく」

ユーリと名乗った男が差し出した手を、ドクターが握り返す。

「始めまして。僕はドクター。こっちは……」

「司です。文月 司」

司もユーリと握手を交わす。

「ドクターに司か。珍しい名前だ。ザカフカースでもかなり辺境の出身か? それにしても珍しい」

「それよりユーリ、君はここで何を?」

怪しまれるとまずいので、ドクターは話題を変える。

「俺たちの部隊は中央委員会の命令で、ナチス党員たちの美術品を接収しに来たんだ。だがドイツ軍部隊と戦車の襲撃を受けて部隊はバラバラ。俺も今は単独行動中だ」

「美術品?」

ドクターはその単語に反応した。そう、元々は二人もここへ「美術品」を探しにきたのだ。

「ちょうどよかった。僕たちも今、ある絵画を探していたんだ」

「どんな絵だ?」

「タイトルは『永遠』っていうんだけど、知ってるかい?」

ユーリはしばらく考えたようだが、その後首を横に振る。

「いや、俺が見たリストには載ってなかったな。それに、俺たちが命令されたのは『石像』の捜索だ」

構内を再び轟音が響く。また爆撃か、それとも戦車の砲撃だろうか。

それに合わせて、地面もガタガタと揺れた。

「とにかく、ここに留まる理由はない。俺は今からベルリン中心部の党員連中が自分たちの美術品を隠してた隠れ家に向かおうと思っていたんだが、一緒に来るか?」

ユーリからの願ってもない申し出だった。

ドクターも司もこの街をよく知らず、加えて今は戦争中。ユーリのようにここの地理を知った人間が共にいれば大いに助かる。それに、その倉庫とやらに行けば、二人のお目当てであるタイムロードの絵画も見つかるかもしれない。

「その申し出、喜んで受けよう。よろしく、ユーリ」

ドクターが改めて、ユーリと握手した。

 

ユーリが先導し、暗く長い通路を三人が歩いていく。

三人の足音が響く合間に、時たま激しい爆撃の音が遠くの方からした。

「なぁ、ドクター」

歩く最中、司は少し前を行くドクターの肩を叩いた。

「何? どうしたの」

「あのユーリって人はソ連……だからロシア人なんだよな?」

「そうだろうね」

「ロシア人っていうのは、ロシア語で話すんだよな。当然」

「もちろん」

「じゃあ何で……あの人は日本語で話してるんだ」

司には、さっきからこれが不思議で仕方がなかった。

ロシア人であるはずのユーリは、流暢に日本語で話している。おまけにユーリは先ほど司に『ロシア語が上手いな』と言っていた。だが、司はロシア語など話せないし、ましてやキリル文字だって読めない。

「あれ、まだ説明してなかったっけ」

ドクターは意外そうな表情で返す。

「ターディスの自動翻訳機能さ。彼が話したロシア語は、君の脳内で日本語に翻訳される。もちろん僕も日本語で話してるわけじゃない。君の中で翻訳されてる」

「それって、今までずっとそうだったのか?」

「もちろん」

思えば平安時代に行った時も、人々は現代の日本語で話していた。千年前の日本語が現代と同じなどというのはあり得ない。

それに厚木の米軍基地でもそうだ。司は中学入学までアメリカに住み、英語は話せるため米兵の言葉を簡単に理解のできているのだと思っていたが、あれも翻訳されていたのだろう。

「本当、色んなカラクリ持ってるんだな。ドクター」

「まだまだあるよ。その内君にも全部説明しよう」

「ほら、何してんだ。置いてくぞ」

ユーリに急かされ、二人は足を速めた。

 

しばらく構内を歩き、階段を上がると三人は陽の光の元に出た。

黒煙が燻る街を春の陽気が包み込む。これほど対照的な光景も珍しい。

「ほら、あれだ。すぐ目の前の建物。あれが例の隠れ家」

ユーリが指差す先にあるのは、3階建ての建造物だ。

その壁には巨大な宣伝(プロパガンダ)ポスター。そこにはドイツ語で『アーリア人の朝は来た。劣等種族は排除される!!』と書かれていた。これも脳内で自動的に翻訳しているのだろう。

「ちなみに、ユーリが探してる石像って?」

ドクターが聞いた。

「それが、俺も像を見たことはないんだ。像の特徴を文章で読んだだけなんだが、まぁ随分特徴的な像らしいから、見ればすぐ分かるだろ」

銃を構えて建物の方へ急ぐユーリ。

ドクターと司も後へ続いた。取り敢えず、周囲に敵兵らしき姿は見当たらない。

建物の前まで着くと、まずはユーリが慎重に正面の扉を開けた。

「そういえばお前たち、武装は?」

ユーリがふと聞いてきた。

「いや、特に持ってないよ。代わりにこれなら」

そう言って、ドクターが取り出したのはいつもの通り、ソニックドライバーだ。

「それは?」

「ソニックドライバー。これで開かない扉を開けたり、電気を点けたりケーキを焼いたりできる」

「こんな棒切れでか」

ユーリはドライバーをまじまじと見つめる。

確かに初めてこれを見ると、とてもそんな色々なことを出来るもののようには見えない。

「だが戦場では武器になりそうにないな。仕方ない、俺が先に安全確認をするから後から続け」

先にユーリが建物に入り、四方に銃を向ける。

「大丈夫だ。誰もいない」

その言葉を聞いて、二人も建物の中へと入っていった。

ユーリの言う通り中には人っ子一人いない。代わりに床には、軍用のバッグや銃が置かれていた。

「これって、貴方が持ってるのと同じ銃じゃないですか」

司が落ちていた銃の一つを手に取る。それはユーリが持っている物と同じ、ソ連軍のサブマシンガンだ。

「ああ。赤軍のPPSH-41だ。これもうちの支給品。どうやら、他の部隊が先に来ていたようだな」

しかし、それにしては人影が全くなかった。

撤退したのかもしれないが、だとすれば銃や装備がそのままにされているのは奇妙だ。

「何かおかしい。これじゃまるで……」

「突然消えたみたいだね」

司の言葉をドクターが続ける。

「ドイツ軍の襲撃を受けて、捕虜にされたのかもしれない。それで装備は残していったとか」

「だとしたらその辺の壁や柱に、弾痕の一つでもあっていいはずだよ」

ユーリの意見を受けて、ドクターが壁を指差した。

そこに弾痕などはなく少し汚れた灰色の壁があるだけ。柱もまた同様だ。

「もしかしたら、二階にいるのかもな」

 

二階へは、螺旋階段が続いていた。

一段一段登るたび、ギィという軋む音がする。

「でもおかしい。仮に二階にいるとして、もう少し物音がしたっていいはずだ」

「ドクター、あんた随分細かいことを気にするんだな」

「彼女はそういう性格なんです。でも、ドクターのおかげで俺も何度か助かってる」

三人は二階へとたどり着いた。

天井には電灯があるようだが、全て切れているようで周囲は暗闇に包まれている。

しんと静まりかえっているところを見ると、ここにも誰もいないようだ。

「ここでこれが役に立つ」

ドクターはソニックドライバーを天井へ向ける。

放たれるオレンジ色の光と奇妙な音。やがて電灯は命を吹き返したように、光を放った。

三人の視界がはっきりとする。案の定人はいない。

だが代わりに、三人の正面には一体の『石像』があった。

「あれは……」

それは、天使の石像だった。

背には二枚の羽。古びたドレスを着ているかのように作られ、その両手で自らの手を覆い、まるで何かを嘆き悲しんでいるかのよう。

少し恐ろしいが、それでいて美しくも見える。

「あれだ! 俺たちが探してた石像は……」

「二人とも動くな!!」

突然、叫んだのはドクターだった。

司が彼女を見る。その顔には、明らかに恐怖が浮かんでいた。

ドクターに恐怖。およそ考えられないが、現に彼女は目の前の天使の石像を恐れている。

「ドクター、一体どうしたんだよ?」

「司、よそ見しないで! 天使を見続けるんだ! 瞬きもするな!」

ドクターが息を飲む。

そして慎重に、ゆっくりと、目の前の石像の名を呟く。

「あれはただの石像じゃない。あれは……嘆きの天使だ」




こんにちは、ストロマトライトです。
ついに日本にドクター・フー、シーズン8が上陸しましたね。S8を見るのに忙しく、投稿も少し遅れることに……申し訳ないです。
さて、今回からついに嘆きの天使が登場。Twitterの方でも対天使の戦略を考えたりしてましたが、やはりコイツには何が効くのかわかりませんね。DW史上最強かもしれません。

では、今回はこの辺で。


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戦場の天使 Part2

大変長らくお待たせいたしました
久々の新話、スタートです。


「嘆きの……天使?」

ドクターが呼んだその名を、司も反芻する。

彼女は相も変わらず恐怖の表情が消えていなかった。これまでも様々なエイリアンにドクターが出会うのを見ていたが、彼女は常に余裕を見せていたはず。

この石像が、一体なぜそんなにも恐ろしいのだろう。

「いいか、司もユーリも、あの天使の像から目を離すな! 絶対にだ!」

ドクターが言う通りにその像を見つめるが、特にこれといった変化はない。どこから見ても、それはただの石像だった。

「別に何もなさそうだけど? なんでそんなに怖がってるんだ?」

「そうさ。ただの趣味の悪い石像だろ」

司とユーリがドクターの方を見る。

そんな二人を、彼女は信じられないというような顔で見る。

「今あれから目を離すなと言ったじゃないか! 僕を見ないで、あれを見てろ!」

「何でさ? 説明してもらわないと俺だって分かんないよ」

「それは後だ! とにかく今は……」

そこで、ドクターはハッと気づいた。

司とユーリは今、ドクターの方を見ている。同時にドクター自身も、二人の方を向いて話していた。

これが意味するのはただ一つ。この瞬間、誰も天使の像を『見ていない』。

「ドクター?」

彼女はゆっくりと慎重に、天使の像へと視線を戻す。

司とユーリもそれに合わせるように天使を見た。

「あれ……」

最初、司はそれを見間違いかと思った。だが両手で顔を覆う特徴的な像の姿を見紛うはずはない。

だとしたら、眼前の光景はどういうことだろうか。

顔を覆っていた両手はだらりと下がり、覆われていた顔の表情が露わになる。

天使の顔は、笑っていた。

「嘘だろ、動いてないか?」

「そう。あの天使の像は動くんだ。人が見てない時にだけね」

「動く石像とは、ナチも大層なものを持ってるな。通りで同志書記長が欲しがるわけだ」

ユーリが感心したように頷く。

「それだけじゃない。奴は宇宙一サイコパスな殺し屋だよ。なんで天使がここに……」

三人は天使を見続ける。同時に、天使の方からも三人を見ているかのようだ。

「とにかくここから出るんだ。天使を見ながら、ゆっくりと後ろの階段へ向かおう」

「後ろを見ながら螺旋階段なんか降りれないだろ」

「やらないと死ぬ。ほら、少しずつでいいから下がるんだ」

言われるがまま、司とユーリは一歩ずつ後退りしていく。

天使は動かない。実際に動いたのを見た後でも、司には天使の像が動くとはにはかに信じ難かった。

右足を後ろへ。次は左足。やがて、右足が螺旋階段の一段目にたどり着く。

「君とユーリが先に降りるんだ。僕は……」

ドクターは持っていたソニックドライバーを天使の像へと向ける。

「これで少しは天使の動きを抑えられるはずだ。さあ早く!」

言われたままに、二人は階段を降りようとした。

と、次の瞬間。

爆発音が突然響き、轟音が三人の耳をつんざいた。

「何だ!?」

ユーリが叫ぶ。

爆発によって巻き上げられた粉塵は容赦なく三人を襲った。視界は完全に遮られ、皆が天使から視線を離してしまった。

「まずい、天使はどこに行った!?」

やがて粉塵が消え、目の前の視界が復活する。

ドクターは辺りを急いで見渡すが、そこには既に天使の姿はない。

「天使が消えた! まずい、逃げられたぞ!」

「ドクター、そんなこと言ってる場合じゃない! あれを見ろ!」

三人のいる二階の奥は壁が吹き飛ばされ、巨大な穴から外気が入り込んでいた。

その穴の向こう。三人のいる建物に砲を向けた戦車が一両と、随伴歩兵が4人いる。ドクターと司には分からなかったが、ユーリにはそれが敵か味方かすぐ検討がついた。

「ティーゲル戦車……ナチの首都防衛隊だ。 急いでここから出ないと、皆殺しにされるぞ!」

ユーリが腰に手を回し、トカレフ拳銃を取り出してドクターへと渡した。

「銃を持ってないんだろ? こいつを持ってろ」

「いらない。僕は銃なんか嫌いだ」

向けられた銃を手で押し返し、彼女は首を振った。

「俺だって、あんたを必ずしも守れないぞ! 自分の身くらい自分で守ってもらわないと……」

「俺が持ちます」

言ったのは、司だった。

「どうせドクターは持たないんだ。だったら俺が」

「待つんだ。司、ダメだ。君はそんな物持つべきじゃない」

銃の持ち手を取ろうとした司の手を、ドクターが掴んだ。

掴む手の強さは予想以上に強い。

「分かってる? これは人を殺す道具だよ? ソニックとは違うんだ」

「でも、ソニックじゃ銃弾から身を守れない」

ドクターの手を振り払って、司は銃を握る。

ずっしりとした重さが手に感じられた。命を奪うことのできる道具の重み。

これを人に向けて撃てば、簡単に殺せてしまう。

だが、これがなければ自分を、そしてドクターを守れない。

「よし、行くぞ!」

ユーリを先頭に、三人が階下へと降りて行く。

 

 

幸い戦車の方は別の目標を見つけ三人とは違う方向へと進んで行ったが、数人の随伴歩兵はそうはいかない。

ドイツ製の世界最初の自動小銃、StG44を構えた兵士達が、建物の裏口から出ようとするドクターたちを視界に捉えた。当然、次の瞬間には銃弾が彼らの銃から吐き出される。

「こっちだ、早く!!」

ユーリが手招きして、ドクターと司を建物の裏へ導く。

「歩兵が7人……戦車が来なかっただけマシか」

ユーリは半身を壁に隠しつつ、上半身だけ身を出して持っているサブマシンガンを掃射した。ドイツ兵たちが持っている銃よりも射撃音は軽く、まるで何か擦るような音が二人の耳に響く。

彼も相手のドイツ兵を数人は倒したが、相手方はまだまだ優勢だ。時たまユーリの顔を弾丸が掠め、その度彼は一度全身を隠して射撃を止める。その間に、敵はジリジリと近づいてきた。

「クソっ、これじゃ部が悪い!」

司は苦戦している表情のユーリと、自らの手に握られたトカレフ拳銃を見つめる。

銃など撃ったことはない。だがここで敵に向かって撃てば。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるだ。少しでもユーリの助けに、それに何よりドクターを守れるかもしれない。

ゆっくりと銃を上げて、敵方の銃声が止むのを待つ。

「司、ダメだ」

司のその手に、ドクターが触れた。彼女の黄土のキャスケットが、戦火に舞う煤のせいで少し汚れている。

「それで応戦したら、君は人殺しになってしまう。そんなの僕は絶対に許さない」

「だからってこのままいたら、皆殺される! 俺がユーリを助けないと……」

「それでもきっと、いつか君はそのことを後悔することになる! いくら自分の命のためってお題目を並べたって、君は自分の手が血で汚れていることを忘れられなくなるよ!」

ドクターが、司を真っ直ぐに見つめた。

司も手が震える。同時に、焦るユーリの顔も見える。

「本当に撃つなら、僕はもう君と旅はできない」

彼女のその一言が、司へと突き刺さった。撃てばドクターとの旅は終わり。日常を超越した旅も、司が行きたい、いや行かねばならない『あの時』へも行けなくなる。

だがここで司が撃たなければ、皆殺される。

司は意を決した。トカレフ拳銃を持って、丁度敵方の銃声が瞬間に壁から身を出し敵を狙おうとした。

だが、

「よし、今だ!」

身を乗りだそうとする司を押しのけて、ドクターが敵の前に出る。その手にはソニックスクリュードライバー。

「これで……どうだ!」

ソニックがドイツ兵たちに向けられる。先端からはオレンジ色の光と奇妙な音。

即座に効果が発揮された。それまで滝のように銃弾を吐き出していたドイツ兵たちの自動小銃が、突如カチンという音を立てて動かなくなる。

どの兵士も状況に戸惑っていた。当然だ。謎の音と光を向けられた瞬間、自分たちの銃が動かなくなったのだから。それはユーリも例外ではなかった。敵の銃が突然動かなくなったことに驚愕の表情を隠せない。

「あれ……お前がやったのか?」

ユーリがドクターを見て半信半疑で聞く。

「電子ロック式じゃない銃に効くか分からなかったけど、なんとかなったみたいだ」

「とにかく好都合だ。今のうちに逃げるぞ!」

ユーリが腰から手榴弾を取り出す。ピンを抜いて、それを敵方へと放った。

それを視認した敵が、瞬く間に後方へと逃げていく。

そして、手榴弾が炸裂した。轟音が響き、爆風が周囲の砂を巻き上げて粉塵のカーテンを作る。三人は走って、できるだけ遠くへ向かった。粉塵の向こうから適当に放たれる銃弾が擦りそうになるが、標的の見えぬ弾丸は当たらない。

 

 

走った先、看板が外れかかった肉屋に、三人は入った。

司はすっかり息を切らしていたが、ユーリとドクターはまだ平気そうだ。

「おい司、お前大丈夫か?」

「ええ……まあ、なんとか」

司は手近にあった椅子を引き寄せて、そこに座る。このベルリンの戦場に来てから、初めて落ち着けた気がした。しかし心臓の鼓動はまだ高鳴ったままだ。

ドクターとユーリも椅子を取り、三人で顔を合わせて座る。

「ドクター、それであの……嘆きの天使って、一体何なんだ? あれもエイリアン?」

司がドクターに聞いた。

「僕もよくは知らないんだ。奴らは宇宙の誕生から存在していた。誰かに見られている間はクオンタム・ロックという力で完全に石像に化けてる。ただ誰も見ていないと、天使たちは高速で移動するんだ。そして、人間が天使に触れられると……」

「触れられると?」

「過去の時代に飛ばされてしまう。直近なら80年前。天使に力があれば500年くらい前に飛ばされるんだ。そしてその人は、二度と自分の時代には戻れない。そこで生きていくことになってしまう」

言わば、嘆きの天使は行き先も分からない片道切符のタイムマシン。

背筋が冷たくなるのを感じる司。だがここには、宇宙一のトラブルマスターのドクターがいる。

「それで、奴らとどう戦うんだ? 銃弾や手榴弾で破壊できるのか?」

途中、ユーリが口を挟んだ。軍人らしい、物理的な破壊を考えている。

「いや。銃弾や手榴弾どころか、核爆弾や惑星の爆発でも破壊できない。天使を物理的に破壊できるものを、僕は知らないよ」

「核爆弾って何だ?」

「君たちがいずれ作り出す最悪の兵器のこと」

「何にせよ、破壊は無理ってことだな」

司は目の前のショーウィンドウを見た。ドイツの肉屋だけあって、大小そして色も様々なソーセージが並んでいる。まだそこまで腐敗が進んでないことを見ると、店主がここを離れたのは最近のようだ。

改めて、司はキャスケットを脱いでそこに付着した煤を払うドクターを見る。

「それでも何か、対処法はあるんだろ?」

司はドクターに希望を持っていた。人が見ていない時だけ動き、人を過去に飛ばし、物理的には破壊不可能な石像の天使。が、ドクターならそんなエイリアンにも対抗できる術を知っているはず。

「残念だけど、嘆きの天使の倒し方は知らないよ。僕が知りたいくらいだ」

だからこそ、その答えに司は驚きと失望を感じた。

「じゃあ……天使はどうするんだ?」

「どうもしない」

言うと、ドクターは座っていた椅子から立ち上がった。

「さっさとターディスに戻って、ここを離れるんだ。いつまでもここにいたら危ない」

ドクターの目には焦りが見えた。今までには見たことのないような。最初に天使を見た時と同じだ。

彼女は、嘆きの天使に何か嫌な思い出があるようだ。

「そんな、天使は今だって街のどこかにいるかもしれないんだぞ! それにいつものドクターなら、真っ先に解決法を考えるじゃないか!?」

「天使の場合は別だ! 」

ドクターがその両手を司の肩へ置き、その目を見据える。

「いいかい司。僕は昔、嘆きの天使のせいで二人の大切な友達を失った。僕の不注意のせいだ。もう二度と彼らには会えない。もうあんな思い、したくないんだ」

ドクターは脳裏に思い浮かべる。かつて共に旅をしたある二人のことを。幼馴染であり、親友であり、夫婦だった二人。嘆きの天使によって奪われ、会うことのできない二人。

またあんなことになることは、もうごめんだ。

「だからって、あの天使を放っておく? そんなのドクターじゃない。いつもの……どんなことでも解決してくれるドクターは、どこ行ったんだよ!?」

そんな事情も知らぬまま、司はドクターを責める。

「僕はヒーローなんかじゃない。僕が助けた世界と同じくらい、壊した世界だってある」

「だったら、この街はどうなるんだ!? 人を過去に飛ばす天使がこの街に溢れてるんだぞ! 」

言い争う二人。

それを横目にしながら、ユーリは一つ尋ねた。

「ドクター、例の天使ってのは、動いてる限り永遠に人を消し続けるのか?」

「それは場合による。数人消して消える時もあるけど……時には惑星そのものを滅ぼしかねない。僕が知ってる例では、ある星に天使が現れて6日で全住人が消された」

「そんな……たった6日で」

だとすれば、この地球もあと6日ほどで滅びてしまうのだろうか。

それを知ると司には、ますますドクターが何の手段も講じようとしないのが理解できなかった。

「なぁ、ドクターは前にも天使に会ってるんだろ? その時は、どうやって対処したんだ?」

司の問いに、ドクターは浮かない顔をした。

「前に会った時、僕は宇宙の強大な力を利用したんだ。自分でもよく知らない力を使って天使に勝った。でも今回は……そんな力は現れないだろうね」

「それじゃあ……」

完全な手詰まり。

今回ばかりはどうしようもない。あのドクターでも勝てないのなら、おそらくこの地球で嘆きの天使を倒せる者はいないだろう。

「天使が数人分の時間エネルギーで満足するのを祈るしかない。ユーリ、さっきの倉庫には何人くらいいたと思う?」

「落ちてた装備の数から考えて、8人ってとこか」

「なら、あと2、3人で済むはずだ。満足すれば天使は勝手に消える。今ベルリンはこれだけ人がいるんだから、それ位すぐに終わるよ」

とても、あのドクターとは思えない言葉だった。

思えば司は勝手に思い込んでいたのかもしれない。ドクターはどんな状況も解決してくれる。ドクターは皆を助けてくれると。

だが、彼女にも限界はあったのだ。それがたまたま、『嘆きの天使』というエイリアンだっただけ。

それでも司には、その事実が受け入れられない。

「もし天使が、あと数人で満足しなかったら? この時代の全ての人を消したら? 俺が元の時代に戻った時、誰もいない地球になってるってことだぞ!?」

「地球だけが惑星じゃない」

「だとしても、俺の星は地球だ! そりゃあドクターにはガリフレイって自分の星があるかもしれないけど……」

感情に任せて言い放ったところで、司は自身の言葉の残酷さに気づく。

ドクターの種族。タイムロードの星、ガリフレイはもう存在しない。彼女には、帰る星などないのだ。

「あっ……いや、その……ごめん」

すると、ドクターは首を横に振った。

「いいんだ。その……僕も言いすぎた。嘆きの天使には嫌な思い出が多くてね」

「で、どうすんだ? お前ら二人、天使を放っとくのか何とかするのか」

一時的に会話の蚊帳の外だったユーリは自分のサブマシンガンを見たまま言う。

「倒すのはどうやっても無理だね。それこそ、誰かが一生天使を見続けるくらいのことをしないと」

「そんなの誰もできないじゃないか。もっと現実的な……」

現実的な。

とまで司が言ったのとほぼ同時。三人のいる肉屋の外で悲鳴が響いた。

「今のは!?」

「声はドイツ語だ。ありゃ多分敵だぞ」

ドクターや司と違ってターディスの翻訳機能に頼っていないユーリはそれに気づいた。

サブマシンガンを持って、彼は立ち上がる。

「俺が先に行く。ここで待ってろ」

銃口を前に、ユーリはゆっくりと入り口の扉へと近づいて行く。耳を扉につけた後、足で扉を思い切り開けた。

 

瞬間、ユーリは目の前に迫ったそれに息を飲む。

彼の目と鼻の先。爪を立て、牙を剥いた天使の石像が、そこにいた。

「ユーリ離れろっ! 早く!」

座ってた椅子を蹴り飛ばしかねない勢いで、ドクターは立ち上がった。そして即座に、ソニックドライバーを天使へと向ける。

ユーリも天使を見つめつつ、震える足をゆっくりと動かして後退した。

「クソッ、なんで天使がここに!?」

「多分、僕の持ってる膨大な時間エネルギーを追ってきたんだ。さっきの悲鳴の主は、天使に追われてたに違いない」

だが、事態はこれで終わらない。

三人が入ってきた裏口の扉が、すさまじい音を立てて破壊される。

司が音のした方を見ると、さらに二体の嘆きの天使が店内に入り込んでいた。一体は両手を前に突き出し、もう一体は両手で顔を覆っている。

この街にいた嘆きの天使は、一体ではなかったようだ。

「ドクター、天使がこっちにも!!」

ドクターは振り返り、今度は裏口から入ってきた天使に対してソニックドライバーを向けた。

「司、目を離しちゃ駄目だ! 天使を見続けて!」

「でもこれじゃ、こっから外に出れないぞ!?」

ユーリの方は、無駄とは分かっていても銃口を天使に向け続ける。

「どうする二人とも? 完全に囲まれたぞ」

入り口には一体。裏口にも二体。ここから出るには、どちらかの出口を確保しなければならない。

急がなければ、三人が目を開いているのにも限界が来てしまう。

思い切って、ドクターは決断した。

「司、ユーリ。いいかい? 一瞬だけ、一瞬だけ瞬きするんだ。瞬きしたらすぐに目を開けて」

二人ともその言葉に驚く。天使を見続けなければ過去に飛ばされてしまうのに、瞬きをしろとは。

「おいおいドクター、俺たちをコイツらの餌にする気か!?」

「そうじゃない。でもこの状況を打開するには、これしかないよ」

司は目の痛みを感じ始めていた。瞳に涙が溜まる。いつまでもこうしてはいられない。

勝算があるのなら、ドクターの案に乗るしかない。

「やろう、ドクター!」

「どうやら……やるしかないようだな」

「よし。僕が合図する。一瞬だ。瞬きしたらすぐに目を開けて」

溜まった涙が、司の視界を歪ませる。

永遠のようにも思える数秒が過ぎ、ドクターが合図した。

「3……2……1……今だっ!!」

三人の視界が、暗闇へと沈む。




皆様お久しぶりです。ストロマトライトです。
なぜこんなに投稿が遅れたのか、思えば私事で忙しかったりまさかのMCUにハマったりシビルウォー見に行ったりで……すいません完全に言い訳ですね。
嘆きの天使は本当に倒し方が分かりませんね。これは本当に強敵。かつてコンパニオンを奴らのせいで失った手前、ドクターは天使に対してナイーブになってるのではないか、と思い今回のようなドクターを書いてみました。

もしかしたら今後も投稿が遅くなる時があるかもしれませんが、皆様が読み続けて下さることを切に願っております。では、今回はこの辺で。


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戦場の天使 Part3

二ヶ月ぶりの投稿になります。遅れて大変申し訳ありませんでした。
投稿を優先したので今回はちょっと短めです。


恐怖が混じった時、人は時間をそれは長く感じるものである。

それはたとえ一瞬であっても例外ではない。その一瞬を過ぎ、司は今まさに瞼を上げる。

目の前には、司を捕らえんとして思い切り腕を伸ばし、目を見開いた嘆きの天使。だがあと一歩というところで二体の天使は彼に届いていない。

「……ギリギリ、セーフだね」

ドクターがほっと息をつく。彼女とユーリの方、入り口付近にいた天使も爪を立て牙を剥いているものの二人には触れていない。

天使を見ながら、司はゆっくりと離れていく。

三人が離れると天使たちは丁度、三体がそれぞれ互いを見つめる形で硬直した状態になっているのが分かる。

「よかった。前にやったことのあるやり方だったけど、うまくいったみたいだ」

「じゃあ、ドクターは最初からこれを狙って?」

尋ねる司に、彼女はいつもの勝ち誇った顔をする。

「そう。天使はお互いが見つめあっている時も動けないんだ。だから彼らは普段、自滅しないように自分たちの顔を手で覆ってるってわけ」

ソニックドライバーを向けながら、ドクターが石像と化した嘆きの天使へと近づく。

そして、天使にそっと触れた。

「お、おい……大丈夫かよ? そいつに触ったりして」

「クオンタム・ロックのかかった天使はただの石像と変わんないよ。ほら、ユーリもどう?」

天使と腕を組みながらドクターがユーリに勧めるが、彼は黙って首を振った。

本当に天使はただの石像になってしまったようだ。

「それにしても、何で天使が三体も? 来てたのは一体じゃないってこと?」

「いや、そうじゃないみたいだ」

ドクターがソニックドライバーを見ながら言う。

「三体が放つクオンタム・ロックの波長はほとんど同じ。ということは、どれか一体から『伝播』したってこと」

「つまり……?」

「天使には自分の周囲にある普通の石像に干渉して、天使にする力があるって聞いたことがある。実際に見たことはなかったけど、どうやらこのうち二体は元々嘆きの天使じゃなかったみたいだ」

「おい、それじゃ……」

この街にある石像は、どれも嘆きの天使になる可能性があるということ。

そして運の悪いことに、ここは第三帝国の首都、ベルリンだ。

「まずいぞ。ベルリンには気色悪い総統の像やら皇帝時代の像だってわんさかある。それが全部天使に変わったら、ドイツ人もロシア人も皆んな消されちまう!」

「ドクター、何とかしないと」

「でも方法がないんだ。顔合わせにする方法だって、天使はそう何回も引っかからない。しかも一体でも天使が残っていたら、またそこから別の像へ『伝播』してしまう。一度に全ての天使の動きを止めないと」

そもそも、現時点でどれ位の天使がこの街にいるかも分からない。もしかすればこの三体だけかもしれないし、最悪の場合千体を超えているかもしれない。

どう考えてもこの状況は嘆きの天使が有利だ。

「いや、絶対何か方法があるはずだ。今までだって何度か天使と戦ったんだろ? だったら今回もきっと……」

司は考える。自分たちが生き残るために。この星の存続のために。

見てる間は石像。目を離せば動く。

ならば大量の天使をどこかに集めて、誰かがそれを見続ける。否、そんなことは到底不可能だ。人間ならば瞬きしてしまうだろうし、第一誰がずっとそこで止まり続けるというのか。

「……いや、待てよ」

一つの考えが、司の脳裏をよぎる。

「ドクター、例えば、何かに写った天使の顔が天使を見続けても、天使を石像の状態に出来る?」

「もちろん。重要なのは、『天使が見られていると感じるかどうか』だからね」

「じゃあ……鏡なんかどう?」

鏡。仮に鏡に天使を写して、写った天使の顔が別の天使を見るような位置に鏡があれば。

そうすれば半永久的に天使の動きを止めることも可能である。

司の言葉を聞いて、ドクターも腕を組み彼の案について検討した。

「確かに僕も昔、天使に対して姿鏡を使って対処したことがある。でもその時相手は一体だった。何体もの天使にそのやり方は……」

「なら、全面が鏡の広い場所に天使を誘導するとか」

「そんな変な場所、そうそう簡単に見つからないって」

「俺は知ってる」

そう言ったのは、ユーリだった。

「何だって!?」

「どこなんだ!?」

突然のユーリの言葉に、瞬時に食いつく二人。

それを見て、彼は呆れたようにため息をついた。

「おいおい二人とも。まずは、この気持ち悪い天使から離れた所で話さねぇか?」

ユーリが互いを見つめ固まった天使を指差す。

確かにここは、話すにはあまり良いとは思えない場所だ。

 

天使のいる先ほどの肉屋を出て、三人は少し離れた別の建物に入る。

そこはどうやらバーだったようで、カウンターの向こうにある棚にはビール類が所狭しとならんでいた。まだカウンターに飲みかけのグラスが置いてあるところを見ると、ベルリンで戦闘が始まるかなり直前まで客がいたようだ。

「さて、こいつがベルリンの地図なわけだが」

店の真ん中にあるテーブルの一つに、ユーリが持っていた地図を広げる。

「それでどこなんだ、全面鏡の場所って?」

焦る司を、ユーリは手で静止した。

「落ち着けって。ここだ。ドイツ国会議事堂(ライヒスターク)

ユーリの指差した地点。地図の右の方に位置する場所だ。

「ここって国会議事堂じゃないか。こんな所に鏡なんかあるの?」

ドクターがユーリを訝しげに見る。

「議事堂の中に、『鏡の間』って部屋があるらしいんだ。総統がフランスの宮殿に模して作った部屋らしくてな、壁中に鏡が張り巡らされてる。噂では議事堂の地下にあって、かなりの広さがあるとか」

「じゃあ、ここになら天使を閉じ込めることが出来るかも」

「でもこの部屋が本当に議事堂の地下にあるって保証がない。あくまで噂でしょ?」

ドクターの態度は依然として懐疑的だ。

が、それも頷ける。仮にこれを信じて天使たちを議事堂に誘導した後でそんな部屋がないと分かれば、今度は三人が餌食となってしまう。

「だから俺としても一度確かめてから行きたいもんだが、あいにく議事堂では今ベルリンで最も激しい戦闘が展開してる。行って戻ってなんて悠長なことやってらんないぞ」

「それじゃ行くだけでも大変だな……」

議事堂までの道で最大の障害となるのは、どうやら天使ではなく展開しているドイツ軍とソ連軍のようだ。

「ウンター・デン・リンデンの道を通っていくのがここから一番近いが、それじゃ自殺行為だ。遠回りだが裏道を使って戦闘の多い場所を抜けつつ、議事堂へ行く」

「天使はどうやって引き付ける?」

「それが問題だ。ベルリン中に石像があるから、一箇所に固まってるはずもない」

「でも大規模な戦闘が起こっているなら、人も多いはずだ。それに釣られて嘆きの天使も集まってくるはずだよ」

これで、ひとまずの目標が設定された。

議事堂へ急ぎ、やってきた天使を引きつけて地下にあるという鏡の間に誘導する。

色々と問題はあると思われるが、今はこの方法しかない。

「さて、当面の行動は決まったね。あとは一つ気になることを解決すればいいだけ」

ドクターはソニックドライバーを宙へ放って取る。

そしてキャスケットをかぶり直すと、スッと立ち上がった。

「どうしたんだ、ドクター?」

「気になることって?」

司とユーリ、二人の問いにドクターは静かに応える。

「どうしてさっきから、近くで銃声や砲撃音が聞こえないんだろう」

気づかなかった。

ドクターの言う通り、先ほどからこの辺りは戦場だというのに馬鹿に静かだ。戦車どころか兵士の一人も見当たらない。思えば、肉屋でドイツ人の悲鳴を聞いて以来、騒音らしいものを全く聞いていなかった。

このバーの目の前は議事堂まで続くウンター・デン・リンデン通りに繋がる道だ。議事堂での戦闘が激化しているのなら、戦車や兵士が止め処なく走ってきていてもいいはずである。

「偶然……ってこともあるだろ」

「いや、ドクターの言う通りだ。この道を誰も通ってこないなんておかしい」

サブマシンガンを持って立ち上がるユーリ。

だがドクターは、それを一度静止させた。

「待って。三人で一気に出よう。念のために」

そして彼女は、司にも立つように促した。

「司、ユーリ。僕たちは今から外に出る。あの扉を開けたら、可能な限り辺りを見回すんだ。司は右、僕は真ん中、ユーリは左。天使はどこに隠れているか分からない。用心してかかろう」

「さっきみたいに扉を開けたすぐ先にいたら?」

司は一応聞いておいた。

「その場合はすぐ後ろに下がること。もちろん瞬きは……」

「厳禁、だろ? 分かってる」

三人が扉の前へと向かう。

ユーリは自分のサブマシンガンを、ドクターはソニックドライバーを構えて。

ドクターがドアノブに手をかけて、一思いに扉を開けた。

 

三人は急いで周囲を見回す。

自分が任された範囲に、羽を持ったあの石像がいないかどうか。だが、そんなことをする必要はなかった。

嘆きの天使はいなかった、という意味ではない。

「これは……物音がしないはずだよ」

三人を代表して、ドクターが呟いた。

視界の先。建物の物陰、捨てられた車の影、道という道。

至る所に天使の石像がいた。ある天使はその顔を覆い、またある天使は牙を剥いてその両手を伸ばしている。どうやら彼らがここを通る者を皆、餌として平らげていたようだ。

「どうすんだ、この状況?」

「思ってたより遥かに悪いよ。でも道はある。ほら」

ドクターは集まっている天使たちの間に隙間を見つけた。その先には、丁度ユーリが地図で指し示していた議事堂へ繋がる道が続いている。

「ここを抜けて議事堂へ向かおう。これだけの天使を一気に鏡の間に閉じ込められる絶好のチャンスだ」

「それまで目を開け続けてないといけないってことか……」

風が吹いて砂塵が舞う。その埃が、司の目に飛び込んできた。

「痛ッ……」

その時、司は両目を閉じて目を擦ってしまった。

それにドクターが気づいた時にはすでに遅し。右方にいた天使たちは一気に距離を詰めて司の目の前まで近づいていた。その手が彼に触れずに済んだのは、ソニックドライバーをドクターが咄嗟に天使たちへ向けたからだ。

何も見ていないようで全てを見据えるような石の大きな目が、司を見ているようだった。

「ごめんドクター、その……うっかりして目を……」

「いいから下がって! 早く!」

ドクターに言われるがまま、司は震える足をゆっくりと動かして後退する。

「ユーリ、左はちゃんと見てる!?」

「見てるが、俺の方も埃が舞って邪魔だ! 早いとここっから抜け出さないと」

ここへ来て、急に風が吹雪いてくる。

砂塵が三人の視界を遮ろうとした。戦闘のせいで小さな建物の破片がごろごろしているため、少しの風で視界が悪くなる。

「よし。僕が先に行こう。あの通りへ出たら、僕が天使を見ているから君たちも来るんだ」

集まった天使と天使の隙間。

そこを拭うように、そろそろとドクターは進んで行く。あと数ミリで天使の手が彼女の服に触れそうなところを上手く避け、なんとか天使の群れを抜けて通りへと走って行った。

「大丈夫だよ。 ユーリ、司、ほら」

ドクターに施されるがまま、まずは銃を向けながらユーリが、それに続いて司が天使の間を進む。

右側の天使達をユーリが、そして左側の天使達を司が注視する。正面からはドクターが見ているため、守りは硬い。

二分ほどで、二人も天使の間を見事に通り抜けた。

「よし。第一関門突破だね。あとは……」

「議事堂まで突っ切るぞ。ただ問題は、議事堂前に集結している赤軍とドイツ軍の戦闘のど真ん中をどうやって通るかだ」

「少し遠回りになるけど、裏から回ろう。正面よりは戦闘もマシなはずだから」

「で、天使をどうやってそこまで連れていく?」

司がドクターに聞く

そう。肝心なのはそれだ。今三人の前には大量の嘆きの天使。彼らを動かすためには、一時的に目を離さなければならない。

「とにかく走ろう。走りながら振り向くんだ。徐々に引きつけて、議事堂まで連れていく」

「どのタイミングで振り向く?」

「五秒……か六秒に一回。いや三秒……。とにかく追いつかれない程度に」

ドクターの指示は曖昧だったが仕方がない。彼女自身もこのエイリアンについて知らないことが多すぎる。

だが現状を打開するためには、司もユーリもドクターの案に従うことにした。三人はギリギリまで天使たちを見つめ続ける。

「僕が三つ数えたら走るんだ。行くよ……3、2、1…」

ドクターが1を言い終わるか終わらないかのうちにユーリと司が走り出す。

「ちょっと、早いって!!」

言いつつドクターも二人のすぐ後ろを走る。五秒ほど走り、後ろを振り向く。

天使たちは爪を立てた両手を前に出し、三人との距離を確実に詰めてきていた。

「よし。上手く追ってきてる」

 

 

燃え盛るベルリンの街。

崩れかけた建物の屋根に、一人の少女が立っていた。

「一体はぐれたのを探しに来ただけだったんだけど……予想以上に増えてるわ」

少女の後ろには石像が二体。

羽を持ち両手で顔を隠した天使の像。嘆きの天使だ。

だが天使は、少女を捕らえるどころか触ろうともしない。

「でもまあいいわ。面白い人が見つかったし。まさか『迫り来る嵐』にお目にかかれるなんて」

少女が眼下の道を見る。

そこでは宇宙一有名なタイムロードが、二人の地球人と共に天使から逃れようとしていた。

 




こんにちは、ストロマトライトです。
ここ最近忙しかったのもあって投稿がストップしていました。今まで読んでくださった皆様、大変申し訳なかったです。
天使編は次回でおそらく終了です。次のエピソードは既に考えてあります。これからも遅くはなるとは思いますが投稿していこうと思うので、どうか温かい目で見ていただけると幸いです。

ちなみにTwitterで近況・日常報告等もしていますので良ければご覧ください
                         →@Dontblink223

それでは、今回はこの辺で


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戦場の天使 Part4

ストロマトライトです
再び投稿が一ヶ月ぶりになってしまいました。
嘆きの天使編、今回がラストです。


ドクター、司、ユーリが現在置かれている状況は、はっきり言ってかなり劣勢であった。

「よし。順調に天使たちがついてきてる。このまま上手く行けば……」

「良くないって! さっきより天使と俺たちの距離は縮まってるぞ!」

司の言う通り、天使を誘導させ始めた時よりは確実に天使たちは近づいていた。

今のところまだ追いつかれてはいないが、そうなるのも時間の問題だろう。

「議事堂まであと600メートルってとこだ。正面から行けば早いが、どうするドクター?」

ユーリの問いにドクターは首を振る。

「いや。それはダメだ。正面は戦闘が激しすぎるよ。煙のせいで天使が見えなくなる」

目標の議事堂に近づくにつれて砲撃や銃声が激しく響く。今まさに、ソ連軍が最後の猛攻に出ているのだ。

だがそんなことは三人には関係ない。とにかく目の前にいる天使を誘導する、それだけに集中しなければならない。

そんな時だった。

「……何か、聞き覚えのある音がする」

そう言って空を見たのは司だ。煤で汚れた灰色の空。その空に、轟音を立ててこちらへ向かってくる黒い粒のようなもの。

「司、どうしたの!? 上に何が?」

一人天使を見る人間が減った分、ドクターは上空が気になるものの天使の軍団を見続けていた。

ユーリも同じく天使を見ているが彼はさすが軍人、音だけで迫ってくるものに察しがつく。

「おい、ドクター。こりゃあ少しマズイぞ」

「マズイって? 大量の嘆きの天使に追われるよりマズイことが……」

そこまで言ったところで、ドクターも気づいた。

砲撃の音に混じって近づいてくる航空機のエンジンの音。司とドクターがベルリンに来た時初めて聞いたあの音だ。

ベルリン中心街に最後の一撃を加えるためにやって来た、ソ連空軍の爆撃機。

「確かに、天使と同じくらいマズイかも」

「どうするドクター!? あの爆撃機、この道を吹っ飛ばしに来るぞ!」

正面には嘆きの天使たち。後ろからは爆撃機。

二律背反とはまさにこのこと。

「仕方ない。一旦そこの建物に隠れよう!」

言ったドクターが先導して、続きユーリと司が側の建物へ転がり込む。

司が建物内に入った直後に爆撃は始まった。さっきまで三人がいた道に上空から爆弾が投下され、砂塵を巻き上げて道を吹き飛ばす。

「あれで、天使も粉々にならないもんかね」

ユーリが水筒のウォッカを喉に流し込む。その後水筒を司の方へ差し出したが、中身を知って司は首を振った。

「あれくらいの攻撃で破壊できるなら楽なんだけどね。クオンタムロック状態の嘆きの天使は、宇宙にあるどんな兵器でも破壊できない。多分天使たちはまだ健在だ」

爆弾が落ちてくるたび、建物が地震のように音を立てて揺れる。三人は倒壊を恐れたが、それは何とか免れた。

やがて上空のエンジン音が離れていく。

「爆撃が……終わった?」

司はホッと胸をなでおろす。

「おっと司、僕たちの問題はまだ解決してないよ。……状況は悪くなってるみたいだ」

ドクターがソニックドライバーを持って入ってきたドアに近づく。彼女がドアを足で蹴破ると、そこにはドクターの想像通りの光景が広がっていた。

入り口を塞ぐように集まった天使の石像。その鋭い牙を剥き出しにして、怒りの表情をその顔に浮かべている。

「これで裏道から議事堂に行く道は断たれたな。どうするドクター」

三人にはもう選択肢はない。残された道はただ一つ。

「戦闘のど真ん中を突っ切って行くしかないのか……天使を引き付けながら、飛んでくる銃弾にも気をつける。そんなことできる?」

司の問いに、正面の天使を見続けながら腕を組むドクターが答える。

「僕が先導しよう。ソニックなら銃や戦車の発射装置を破壊できる。二人はその後に続いて」

「それに、俺の銃もある」

ユーリがPPsh-41サブマシンガンを掲げる。

その銃に対し、ドクターは即座にソニックを向けた。淡いオレンジの光と奇妙な音が鳴る。

「おいドクター、あんた何した?」

不審に思ったユーリが動作確認を行うと案の定。引き金を引いても弾丸が出なくなっていた。

「僕の前で人殺しなんてさせないよ。大丈夫、そんなもの使わなくたって上手くいく」

「だが俺たちが今から通るのはベルリン一の激戦地だぞ。大丈夫なのか」

「信じろ……としか言えないけど、ここで天使を前にして立ち止まってる訳にもいかないだろ? 二人はどうする」

ドクターは既に議事堂正面へと続く正面の扉へ後ろ歩きで向かっていた。

彼女は本気だ。確かに裏道への道が絶たれた今、正面の激戦を通り抜けるより他はない。

「俺は、ドクターを信じるよ。行こう」

先に決意したのは司だ。

今までドクターを信じてきて、危険はあったが最後には必ず助かってきた。故の決意だ。

「……まあ確かに、ここで天使に消されるのを待つのもゴメンだしな」

ユーリがもはや機能しないサブマシンガン、そして余計な軍用品を次々にその場へ捨てる。

それを見てドクターが頷いた。

「よし。全員準備できた。じゃあ行こうか」

ドクターがソニックドライバーを天使たちへ向けた。気休めかもしれないが、これで少しは天使の動きを抑えることができる。

三人が正面の扉へ集まった。

視線はまだ天使に向いたまま、ドクターが後手でドアノブに手をかけた。

「二人とも準備して。3、2……1」

ドアが開け放された。

焦げた空気。つん裂く轟音。それらが一気に飛び込んでくる。

 

 

怒号と銃声が響く。

司にできるのは、ひとまず頭を低くして移動すること。とは言っても、既に二、三度銃弾が頭上を掠めていった。

「ドクター向こうだ! あの自動小銃持った二人!」

「見えた! これで……どうだ!」

ユーリが指差し、ドクターがその方向へとソニックドライバーを向ける。

方々へソニックを振り回す彼女の姿は、まるで有名なファンタジー映画に出てくる魔法使いのよう。

だが、そんな悠長なことも思っていられない。

「司、天使の方はどう!?」

「しっかり追ってきてる。あいつら俺たちを確実に捕らえる気だ」

笑顔、怒り、無表情。多様な顔の天使たちが三人の後ろにいた。

彼らは他のこの場にいる多くの兵士たちには目もくれない。兵士たち以上に、目の前にいる時空を旅したドクターと司の方が良い栄養分だと分かっているのだ。

「にしても、何で他の兵士は天使に気づいてないんだ?」

「この戦闘中に石像なんか気にしやしない。ほら司、足上げろ。行くぞ!」

ユーリに引っ張られ、先導するドクターを追うように司も歩みを進めた。周囲には自分の持つ銃が突然動かなくなり困惑する兵士たちと少しずつ近づいてくる天使の石像。

だが周囲の人数が多い分、天使は動きづらいだろう。知らずのうちに天使を見ている兵士もいるからだ。

三人が進むに連れ、議事堂の建物が目の前に大きく迫ってくる。

入り口には7本の巨大な柱。議事堂の上層階から、ドイツ兵たちがひっきりなしに対戦車砲を撃ってくる。

「ユーリ、鏡の間とやらは議事堂の地下でいいんだね?」

「恐らくな。こっからは……賭けだ」

ユーリの話はあくまで噂の域を出ない。議事堂内に入り、鏡の間がないと分かれば状況はかなり絶望的なものとなる。建物の中で天使から逃げるのは、街全体を使って逃げるより遥かに難しい。それはドクター自身、過去の経験からよく分かっていた。

「だからって、今更戻れない。俺は何もできないけど、ユーリの情報とドクターの知識を信じる」

司の言葉に、二人も頷いた。

「お前の言う通りだな。戻れないなら、思い切って進もう」

「ありがとう司。じゃあ行こうか」

三人は一斉に駆け出す。

後ろからは嘆きの天使。戦車、軍用車、瓦礫の影、至る所に天使はいた。ドクターたちの作戦に気づかぬまま、ただ時間という栄養を求めて追ってくるのだ。

「正面入り口の左端、守りが薄い。あそこから入るぞ」

ユーリの指差す方へ三人は走る。

最後に残るのはドクターたちか、嘆きの天使か。全てはここで決まる。

 

議事堂内も戦闘は行われていたが、正面ほど激しくはなかった。

おまけにドクターたちが目指したのは地下だ。上層になるにつれ戦闘は増しているらしいが、下になれば戦闘どころか人も少ない。

だがその代償として、天使たちの動きはより活発になっていた。

「司、天使はどう?」

「動きが早くなってる。早くしないと……それに」

「それに?」

「俺の目がそろそろ限界……涙溜まってきた」

それを聞きすぐさまドクターが振り向く。司が瞬きする間一髪のところで彼女が間に合った。

「急ごう。ユーリ、鏡の間は地下のどの辺なの?」

「デカい部屋だってのは分かってるんだが、正確な位置までは」

地下には幸い電灯がまだついているため、大きな部屋なら探すのは困らない。

人が全くいない道を三人が進む。足音だけが大きく響いた。天使たちの動きは音すら立てない。

「どう、それらしい部屋はある?」

「いや、こっちは違う。これも……本当にあるのかな」

突然、頭上の電灯が明滅し始めた。光と闇が交互に訪れ、視界を不安定にさせる。

それはすなわち、天使たちの接近を許すということだ。

「なんだこれ!? ドクター、どうなってんの!」

「天使たちが電灯に干渉してるんだ! 急がないと追いつかれる!」

暗闇が支配する一瞬の間に、天使たちは一気に距離を詰めてきた。地下を埋め尽くす天使の像。その光景は一種美しさと狂気を併せ持っている。

ユーリはポケットからライターを取り出し、それを光の代わりにして探した。

オレンジの光が灯す先。黒く大きな鉤十字の書かれた扉がそこにある。

「あれだ、あの向かいの一番先! デカい扉がある!」

「本当だ! ユーリ、君は見つける天才だ!」

「それより早く部屋に行こう!」

電灯への干渉が増し、暗闇の時間の方が長くなってくる。司が振り返ると、顔の目の前に限界まで伸ばされた天使の手が現れた。

思わず悲鳴を上げるが、足は動かし続ける。

「よし、開けるぞ」

扉の前まで最初にたどり着いたユーリが二つの取っ手を掴み引こうとする。しかし、扉は無情にも施錠されていた。

が、鍵などソニックドライバーの前では無意味だ。すかさずドクターが扉へとソニックドライバーをかざす。瞬時に鍵の開く音がした。

巨大な扉が音を立てて開かれる。だが待っていたのは、暗闇だった。

鏡があるかも分からない。ただ何も見えない空間がそこに広がっている。天井には電灯があるようだが、運悪く切れていた。

まさに、絶体絶命。

「ドクター、鏡は!?」

「こう真っ暗だと分からない! こうなったら、とにかくユーリのライターが頼りだ!」

ユーリのライターの淡い火が灯す先。目と鼻の先にはついに食事にありつけると喜ぶ笑顔の天使たち。

「これで……間に合え間に合え!」

ドクターがソニックドライバーを天井へと向ける。

「おいドクター、俺のライターじゃカバーできる範囲が狭い! 急いでくれ!」

三人は進む天使から逃れるためにジリジリと後退していく。部屋の奥、いつかは壁に当たり追い詰められると分かっていながらも今はこうするしかない。

ソニックドライバーが電灯に効くのが先か、天使が追いつくのが先か。

「ドクター! このままじゃ俺たち……」

言いかけて、司は視界の端に現れたそれに息を飲む。

ライターの明かりの外から接近してきた一体の天使。その二本の手は、優しく、そして残酷に司の頬へ。

「ドク……」

「司っ!!」

突然感じたのは、強い力で弾き飛ばされる感覚。

倒れた司がすぐに目を開ける。映ったのは、先ほど司を狩ろうとした天使の手がユーリに触れる瞬間。

そして、ユーリが消えた。

「……そんな」

本当に消えたのだ。最初からそこに、ユーリ・クロポトキンは存在しなかったかのように。

「ドクター! ユーリが! ユーリが天使に!」

司の叫びを聞いたドクターが見ると、確かに彼がそこにいない。

ドクターは悔しさに歯を噛み締めるつつソニックドライバーを向け続けた。

「間に合えっ……早く!」

ドクターの脳裏に浮かぶ、これまで天使の犠牲となった者たち。

かつて旅した赤毛の友人。ボロを着たドクターにさよならを告げ、天使の前に消えた女性。

もうこれ以上、嘆きの天使の犠牲は出さない。

「間に合えっ……!」

 

神が光をこの世界に作った瞬間とは、こんな感じだったのではないだろうか。

それが司の率直な感想だった。

それまでの暗闇をかき消すように、天井の電灯が一斉に人工的な光の華を咲かせる。同時に現れたのは、部屋を四方を囲む巨大な鏡。

ユーリの言った通り、ここは鏡の間だったのだ。

そして今、天使たちは鏡に映る自らの姿に「見られ」、ただの石像と化していた。

「ギリギリだった……司、大丈夫!?」

ほっと胸をなでおろし、ドクターが司の方へ駆け寄る。

「俺は大丈夫。だけどユーリが……」

さっきまで彼のいた場所を二人は見つめる。

おそらく歴史において語られることはないユーリ・クロポトキンという英雄は、どこかの時代へと消えていった。

 

二人が外へ出た時、何故かそこに銃声も砲撃もなく、ただ一つの放送が響いていた。

「……時刻を持って、ドイツ政府はソヴィエト政府の降伏勧告を正式に受け入れた。戦闘中の部隊は即時戦闘を中止、武装を解除し赤軍の指示に従え。繰り返す……」

どうやら、戦争は終わったようだ。

「司、あれ見て」

ドクターに言われて、司は議事堂の一番上、ドーム状の部分を見た。

翻る赤いソ連の旗。勝利の証だ。

「それで、これからどうする? ターディスは瓦礫に埋まっちゃったし」

「まあ爆撃くらいで吹き飛ぶようなヤワなタイムマシンじゃないから、何とか瓦礫をどかせば大丈夫だよ」

二人はターディスの止まっている場所へと歩いていく。

何もかもが崩壊した街。

投降したドイツ兵たちが死者の列のようにソ連兵たちに率いられて歩いていく。議事堂の前で空に向かって銃を撃ち歓声を上げるソ連兵たちとはまるで対照的だ。

これが戦争を終わり。それを司は実感した。

「この光景……なんだか懐かしいな」

ドクターがふと呟く。

「懐かしいって?」

「ガリフレイ。僕の星が戦争で滅びる直前も、こんな感じだった」

ガリフレイの戦争。確か彼女が言っていた『タイムウォー』。何とかという種族と長きにわたる争い。

それを止めたのはドクターで、彼女自身がガリフレイを滅ぼしたという。

いつか、本当は何があったのか教えてくれる時は来るのだろうか。

「……あれ、何だろう」

司はある一団の列に気づいた。

先ほどの投降ドイツ兵と似ているが、その一団は誰も軍用の鉄帽を被っていない。それに着ているものも皆バラバラで、その不健康そうな見た目はとても軍人には見えない。

「多分民間人だ。それも、ナチスに強制収容されていた人たち。みんな解放されたんだよ」

確かに、そう言われると彼らは軍人たちと違い少し明るい表情をしていた。

二人はその列を突っ切って、ターディスの埋まってるであろう場所へ向かう。

瞬間。バタっという音と共に誰かが倒れた。二人が振り向くと、列にいた一人の老いた男が倒れている。

隣にいたその男の娘と思われる女性が、男をさすりながら叫ぶ。

「お父さん! しっかりして! 誰か、誰かお医者様……」

「見よう。僕はドクターだ」

ドクターが男の方に駆け寄った。

「彼には持病が何か?」

「心臓が悪くて……なのに収容所にいた時は酷い扱いを受けてたから」

ソニックドライバーを心臓へとかざす。かなり動きが弱っていた。これはおそらく助からない。

と、その男が急にドクターの手をしっかりと、力強く握る。

「……ドク……ター?」

「そうだ。僕は医者だ。大丈夫」

だが男は、弱々しく首を振る。

そしてドクターの隣に立つ司の方を見て言った。

「……ツカ……サ」

男は、二人の名を知っている。

ドクターのことも、医者としてでなく名前として読んだのだ。

「なんでこの人、俺たちの名前を知ってるんだ?」

「……もしかして」

ドクターは何か思いつき、彼の娘の方へ顔を向けた。

「この人の名前は?」

「名前……?」

「そう! 君のお父さんの名前だ!」

当惑して、しかし娘はその名を答える。

「ユーリです。ユーリ・クロポトキン」

その名は、ドクターと司を驚かせるには十分であった。

天使に過去へ飛ばされたユーリは、ここドイツで生活していたのだ。

男は、弱々しく話し続けた。

「お前たちが……ここにいる……やったん……だな。天使を……」

「そう。僕たちは天使を倒した。君のおかげだ。あの部屋は鏡の間だったんだ」

「ユーリのおかげで俺は助かったんだ。ありがとう。本当に」

司も老いて皺だらけになったユーリの手を握る。

「やったな……やったんだな……」

ユーリの目尻に涙が浮かんだ。

「天使のクソッタレめ……やってやった……」

握る手の力が、次第に弱くなっていく。

最後の瞬間。ユーリは笑っていた。

 

 

瓦礫の山の上に青いポリスボックスはぽつんと孤独に立っていた。

ドクター曰く優秀なポリスボックスであるから、自分で這い出てきたのだという。

相変わらず、ターディスの中では中心の円柱で何かが忙しく動いている。ドクターは早速、次の冒険に行くためいくつかのレバーを引いたりボタンを押したりしていた。

「そういえば俺たち、なんでこの時代のベルリンに来たんだっけ」

「なんでってそれは……そうだった!」

思い出したのか、ドクターは放っていた美術雑誌を手に取る。

「タイムロードの絵画について調べに来たんだ。嘆きの天使が現れたからすっかり忘れ……」

パラパラとページをめくるドクター。が、目当てのページは中々見つからない。

「どうした?」

「あの絵のページがどこにもないんだ。消えたみたいに」

「消えたって、そんなバカな。見落としてるだけだよ」

彼女から雑誌を渡され、司も自分で例の絵を探す。

本当に消えていた。雑誌の中ごろにあったはずだが、そこには代わりに森と川の絵が載っていた。

「どうなってんだ? あの絵は確かにここにあったはずなのに」

「分からない。でももしかしたら、誰かが僕たちをこの時代のこの場所に来るよう仕向けたのかも」

「まさか。なんの目的で」

「例えば、嘆きの天使がベルリンにいることを知っていて、それを僕に止めさせるためだったとか」

雑誌から消えたタイムロードの絵。そこにいた嘆きの天使。

偶然というには出来すぎている。何かが、誰かがドクターと司を誘導するように動いていた。

 

無数の天使が石と化したドイツ国会議事堂地下、鏡の間。

そこへ一人の少女が入っていく。

「さすがは迫り来る嵐。みんなここに閉じ込めるなんて」

天使一体一体に、少女がそっと触れる。まるで自分のペットか何かのように

「最後のタイムロード。今度はちゃんと挨拶したいわね」

少女が右手の指を鳴らす。

刹那、鏡の間にいた天使が全て消えた。

「ドクターと、文月 司。『鍵穴』のことには、いつ気づくかしら」

少女は笑う。

ドクター、司、タイムロード、そしてこの宇宙。その全てを繋げるある壮大な計画を思いながら。




ストロマトライトです
もっと早く投稿するつもりがまさかの一ヶ月かかりました。うーん執筆って大変。
嘆きの天使は狭いフィールドで動かした方がいいですね。街レベルの広さだと動かすのが難しい……

次回はまた新エイリアン登場を予定しています。そして歴史上の有名なあの人が登場。

なるべく早く投稿できるよう力を尽くしますので、引き続き読んで頂ければ大変ありがたいです
それでは、今回はこの辺で


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