ヱヴァンゲリヲンFIS-もしシンジがイノベイターなら- (るーしー)
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第1話 Angels Encounter

Encounter:遭遇、出会い、会敵


思い掛けずに電車が途中駅で運行停止してしまい、少年はやむなく降車した。目的地たる終点までは二駅と云った処、場所がちょっとした田舎なだけに、徒歩では結構な距離になる。

特別非常事態宣言なるものが発令された理由など、少年には知る由もないが、少なく見積もっても鉄道の再運行まで数時間は必要だろう。

駅施設の立派さに反してこぢんまりとしたターミナルには、やはり1台のバスも見当たらない。その事に軽く嘆息すると、ショルダーバッグから1枚のカードを取り出した。

 

NERV

Guest:Shinji Ikari

 

少年の名(フルネーム)が印字されている赤いカードは、数日前に送られてきた書留郵便に同封されていた物だ。その封筒には父からの手紙らしきものが1枚、このIDカード、そして発送者兼出迎え人の頭の悪さを物語る写真(・・・・・・・・・・)が入っていた。

シンジはカードをしまうと、ゆっくりと歩き出した。

 

 

長時間電車に揺られていた閉塞感は、そよ風も吹かない無風状態に蒸れた黒髪も手伝って維持されており、シンジの黒眸は曇ったままだ。

 

「それに……嫌な予感がする」

 

車内での非常放送を聞き、減速する車両から、車外に意識を向けた時の感じ(・・)から予測していたとは云え、目に入る町の様子に思わず呟く。

ゴーストタウンの様な無人の街、殺伐とした空気を形成する無数の負の感情。どちらかだけであったなら、彼個人の能力でも対処出来る範疇であっただろう。

2~3時間前から、なぜか第六感の調子が悪い。その『電波状態』の悪さを計算に入れると、おそらく数百~数千人規模の悪意が渦巻いている。

それらが自分に向けられるモノでない以上、一々気にするような事でもない――そんな感性はここ数年ですっかり磨り減っている。スレてしまった自分が虚しいが、嘆いても仕方ない――が、その数が問題だ。

避難あるいは退去させられたと思わしき街の住人達、指向性を含んだ敵意や害意。それらから想定される危険度は、やろうと思えば銃器で武装したヤクザの集団を素手で制圧できるシンジをして、裸足で逃げ出したくなる程だ。

 

 

不意に、誰かに呼ばれたような気がしてシンジは振り向いたが、そこには誰も居ない。静止した町並みがあるだけだ。しかし、彼には“彼女”が見えていた。

 

『白い少女』

 

それが、シンジが得た印象だった。

彼が感じたものは、無意識における無感情の発露、一切の意図を持たない叫び、言うなれば灯台の光や星の瞬きと酷似している。ただ「私はここにいる」と発信するだけの機能。それは無機質な印象を受けかねないが、シンジは「とても純粋かつ人間的」と感想をもった。

この『電波』の発信者を少女と評したのは感性的な面が強いが、強ち間違ってもいないだろう。

逢ってみたい。彼は生まれて初めて、こんな事を思う。

 

この人に逢ってみたい。

 

貴女に逢いたい。

 

「君は……」

 

ターボジェットエンジンの爆音にその言葉は遮られた。空を仰ぐと、戦略自衛隊が運用する重攻撃機の編隊が、パイロットの険呑な意思を撒き散らしながら飛翔していた。

 

 

半ば確信していたとは云え、信じたくない思いはあった。15年前の爪痕は未だ癒えきっておらず、世界一平和と謳われたこの国でも、治安の悪いスラムじみた場所が生まれている。

でも、まさか……。

 

「戦争……」

 

実際に戦いに赴く軍隊という、動かぬ証拠を突き付けられたショックは大きい。

その衝撃にシンジは失念していた。一般に戦争と云うものは、相手がいてこそ初めて成り立つ行為だと言うことを。

 

 

山間からのっそりと姿を見せた巨体、眩暈を覚えるような非現実さは、戦争という現実から半ば逃避していたシンジを逆に現実に連れ戻した。

50メートルは下らないであろう巨躯、ずんぐりした首無しの人型、胴体の割に細い四肢には3本の指が付いている。既存の生物から明らかに逸脱した怪物だ。

そいつに目を向けた瞬間、シンジは『電波障害』の原因を思い知った。

 

「ぎゃあああ!!」

 

脳髄を火箸で掻き回されるような痛み、音や声というレベルを超えた衝撃波、その内容などただの爆風としか思えない。

シンジは先ほどから第六感を不調にさせていた『妨害電波』にチャンネルを合わせてしまったのだ。

見開かれた眼、虹彩は金色に輝き、本能的この巨大な情報量を処理しようとする。だが、処理しきれない。余りの負荷に神経が過熱し、頭が破裂しそうになる。

三半規管がパニックを起こし、バランスを崩した身体は膝をついて蹲ることしかできない。

 

「受け、流……」

 

最初のインパクトをなんとかやり過ごしたシンジは、目を閉じて必死に意識を“怪物”から逸らすが、少しでも気を抜けば直ぐに『怪電波』に曝されてしまう。

 

「か、別の……」

 

だが、意識を集中させられるような、適当な対象は近くにない。朦朧とした思考の中、シンジは1つの光明を見出した。

白い少女と云うイメージ――名前も声も知らない、顔はおろか年齢や性別すら定かではない謎の人物。今はもう感じられない彼女(ひかり)を探す。

 

既にシンジの意識は完全に“怪物”から逸れていた。

蹲ったまま全力で彼女を見つけ出そうとする。だが、ただでさえ死にかけるような負担の掛かった脳を、休ませもせず酷使したのだ。

結果シンジの脳はブレーカーを落とし、意識は闇に沈んでいった。

 

 

 

 

特務機関ネルフ――出迎え人=葛城ミサトの職場である、国連の非公開組織だ。断片的な情報から察するに、どうやらシンジを呼び付けた父親は、そこで結構な地位にあると考えられる。

迎えと案内を仰せ付かったらしいミサトの手によって、気絶したシンジはあの場から救出されたのだ。

 

彼女に連れられてネルフ本部(もくてきち)に到着したシンジは、白衣を着た女性に出迎えられた。

 

「予定時間に間に合うとは珍しいわね、ミサト」

「アンタが急がせたんでしょうが、リツコ」

 

倒れていたシンジを愛車に放り込み、全速で離脱している時の遣り取りで、彼女を急がせたのが白衣の女性=リツコのようだ。

 

「初めまして、碇シンジ君。私は赤木リツコ。怪我が無いようで良かったわ」

 

リツコはにこやかな表情だが、それは外面だけだった。感じられる内面は、冷徹な観察者の思考とやや黒い興味の感情。前者は別に構わないけど、後者に関しては通常初対面の人間に向ける類の物ではない。

シンジの息災を祝する言葉も、本心でありながら社交辞令のように聞こえる。

 

「こちらこそ初めまして。赤木さん」

 

と言うか本心でありながら社交辞令というのは、かなり問題ではないか、と思いつつシンジは頭を下げた。

 

「所でさ~この子、父親に似て、結構無愛想なのよ。しかも、開口一番あたしのコト、頭悪そうなんて云ってくれちゃって――」

 

愚痴を聞くリツコの感情が、父親と言う言葉で一瞬跳ねたが、ミサトに向ける感情自体は、親愛と想定される呆れ(・・・・・・・)への予感だ。

シンジに向けられた黒い感情は、父親が原因らしいので、ここは1つ彼女の認識をゲンドウの息子から碇シンジ個人にシフトさせる為に、この機会を利用しよう。

 

「気が付いたばかりで、意識が朦朧としていた時の失言です。リツコさん、これが頭の悪い写真です」

 

そういってミサトから送られて来た写真をリツコに渡す。

 

「ミサト……」

「な、なに?」

「あなた、馬鹿でしょ」

 

この後写真を返そうとするリツコに、友人に持っていて貰う方が嬉しいでしょうと返却を断る頃には、黒い感情は感じられなくなっていた。

 

 

リツコの先導で一行は複雑なネルフ本部の通路を進んでいく。

シンジは施設の奥へ進むにつれて、使徒に似たサイズの何かを感じていた。それが発する『電波』は、使徒の様に脳の鼓膜を破壊する暴力的なものとは違っていた。

静寂を体現したかの様な無音の声、静かで力強い大樹のようなイメージだ。

 

「(近づいている……)」

 

いや、その大樹のイメージに向かっていると言った方が適切だ。直感的にネルフという組織は、これの為に存在しているのだとシンジは理解する。

 

「(10年も音沙汰無かった父親が、僕を喚んだ理由がこの先にあるって事か)」

 

お互い10年以上、全くと言っていい程、会うどころか電話や手紙の1つすら無かった父ゲンドウから、突然の呼び出しの手紙――正直父親の名前どころか存在さえ完全に失念していた。

父親との面会より先にリツコとミサトが見せたがっている物――今までの2人の会話と『電波』に乗って流れてきた思念からすると、この先にある物はシンジが関わる必要がある(・・・・・・・・)ものなのだろう。

 

 

広い場所に出たシンジを出迎えたのは巨大な顔だった。仮にこれが人型だとすれば、そのサイズは使徒とほぼ同じになる。つまり、これは使徒と戦う為のモノと考えるのが自然だ。

 

「対使徒用決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン初号機……私達の切り札よ」

 

リツコの言葉は、その推測を完全に肯定していた。初号機から視線を外さずにシンジは確認を取る。

 

「これが僕を喚んだ理由……ですか」

「そうだ。久し振りだな」

 

初号機に魅入っていたシンジはスピーカーから聞こえてきた声に驚いた。思わず声が聞こえてきた上方に顔を向けると、黒い服を着込み髭を蓄えた男が居た。

この男こそ、シンジの父親にして、特務機関ネルフの最高責任者・碇ゲンドウ総司令である。

 

「出撃だ」

 

正直、意味が分からなかった。いや言葉の意味は分かるが、その意図が全く推測できない。

そこでゲンドウの考えを探る為に、意識を集中させようとした時、ミサトが口を開いた。

 

「ちょっと! 初号機にはパイロットが居ないでしょ」

「たった今、届いたわ」

 

その怒声に、中途半端に――虹彩が金色に輝かないレベルで――集中した意識が2人に向けられた。

ミサトから感じられるのは、確信に近い予感と言った物。リツコからは、判り切ったことをわざわざ聞くなと云ったニュアンス。

 

「でも、来たばかりのこの子には無理よ」

「葛城陸佐、今は少しでも可能性のある人間に任せるほか無いわ」

 

ミサトの言葉は反論と云うより、最終確認の意味合いが強かった。罪悪感を誤魔化す為の、無意味な抗議だ。

対するリツコはこの状況に於ける最善を分析していた。恐らく冷静に現実と向き合うタイプだろう。

 

「碇シンジ君――」

「無理です」

 

使徒と対峙することが、シンジに与える影響――脳髄の耐久力を超える『怪電波』――をリツコ達が知る由もない。

それこそ、エヴァが座っているだけで(・・・・・・・・)使徒に勝てる(・・・・・・)程強力な兵器だとしても、スイッチ1つを押すだけのサルでも出来る操縦で済むはずがない。

 

「シンジ君、お父さんや自分から逃げては駄目よ。アナタはなんの為にここに来たの」

「僕は不可能を可能に出来るような人間ではありません。無理なものは無理です」

 

読み取ったミサトやリツコの思考から、実際のエヴァの戦闘能力は精々使徒と互角に戦いうる程度であろう。最低限度以下の操縦で勝てるはずもない。

 

 

 

ゲンドウの命令で病床より担ぎ出された少女の、浮世離れした透明さにシンジは目を奪われた。

 

「レイ、予備が使えなくなった。お前がやれ」

 

医者に付き添われて現れたレイは、ストレッチャーから身を起こそうとするが、素人目にも重傷患者に無茶をさせていると分かる。

通常ある程度歳を重ねた人間の思考には、いくらか雑念が混じる物だが、レイの思考にはそれが無い。極めて純度の高い意思は、まるで幼子のようである。

 

 

ネルフ本部を襲った震動にレイは投げ出された。彼女を助け起こそうとして近づいていたシンジは、震動するとほぼ同時に弾丸の様に飛び出した。

シンジの人間離れした爆発的な加速(スピード)は、ビデオの早送りの様な残像を生む。

歩くには短いがストレッチャーから落下する少女を助けるには、果てしない距離を一瞬で無にし、固い床に叩き付けられる寸前で重傷の身体を柔らかく受け止める。

だが、危機はそれだけでは終わらない。強い震動は天井に設置された大型照明を落下させていた。

 

「危ない!」

 

迫り来る命の危険においてシンジは全くの平静であった。

横抱きにしたレイに負担を掛けないよう注意しながらしっかりと抱き上げて立つと、今居る位置から一歩後ろへ下がり左に半ターン、瓦礫が背後を通過すると同時に右へ跳躍、落下して跳ね暴れる鉄骨を絶妙のタイミングで蹴り、落下し終えた(・・・・・・)瓦礫の上に出る。コンマ001秒以下の精度で似たようなことを数度繰り返し全ての瓦礫をやり過ごした。

 

「天使?……」

「いける!」

 

レイを救い、絶体絶命の状況を覆し、瓦礫の上に躍り出たシンジに対する2人の女性の言葉だ。前者は――科学者は存外ロマンチストであるという例に漏れない――リツコ、後者は――彼の身体能力と強運に(・・・)目を見張った――ミサトだ。

 

腕の中にいる少女に目を向ける。レイは苦痛に喘ぎ、顔からは血の気が失せている。

青白い顔とは対称的に血が滲んだ蝉鬢、細腰から抱き上げて知った体の軽さ、伝わってくる瀕死の身体を省みない思考、シンジの中に苛立ちが生まれる。

それは何に対する苛立ちなのか、重傷のこの子に死ねと命令する連中か、少女が出てくる羽目になった原因を作った自分か、はたまた自分を大事にしないレイに対してなのだろうか。

 

「(不便だよな。他人(ひと)の思考は読めても、自分のことはからっきしなんて)」

 

でも、シンジの心は決まっていた。

 

「この子の出る幕はありません、すぐに手当をしてあげて下さい」

「それはあなたがエヴァに乗るという解釈でよいかしら?」

「ええ、正しいですよ。ド素人と瀕死の女の子、究極の二択ではありますけど」

 

怜悧なリツコの問いに、ふてぶてしさをさらけ出したシンジは、皮肉げに自分が乗ると答えた。

 

 

 

シンジがエヴァに乗ることを了承してからしばし、発令所ではエヴァンゲリオンの発進準備が着々と進められていた。

 

「エントリープラグ挿入、脊椎伝導装置オープン。各システム異常無し……エヴァ初号機、起動準備完了」

 

程なくリツコが発令所に入ってきた。

 

「遅れて申し訳ありません、現在の状況は?」

「初号機の各システムは正常、いつでも起動可能です」

遅かったわね(・・・・・・)リツコ」

 

迎えに来てくれた時のやり取りでの意趣返しをするミサトに、リツコは軽く鼻を鳴らす。

 

「シンジ君に捕まっていたのよ。エヴァの操縦方法や機能について質問責めにされたわ」

「取り敢えず、パイロットのやる気は上々って所かしら?」

「そうね……エヴァ初号機起動シーケンススタート!」

 

リツコの到着により、初号機の起動が開始された。

 

「シナプス形成、各神経素子異常無し。第二次コンタクト、A10神経接続。オールナーヴリンク終了」

「絶対境界線まで後0.5、0.3――神経接続に異常発生! シンクロレベルがボーダーを超えられません」

 

発令所の全員に緊張が走った。綾波レイの怪我の原因がエヴァの暴走事故であり、この状況での不幸の再現は致命的すぎる。

 

「初号機への電源供給停止。暴走の可能性をチェック!」

「了解。ハーモニクス全て正常、各神経素子異常なし、暴走の危険性はありません」

「イレギュラーの発生したプロセスを洗い出して。MAGIシステム(スーパーコンピュータ)に現パイロットと零号機パイロットのデータの比較をさせて」

 

暴走の危険は無いことに全員が胸を撫で下ろすが、リツコは冷静にこの失敗の原因を考えていた。

前日にレイによる起動実験を行い、無事初号機は起動した。彼女以上に初号機との親和性が高い筈のシンジが起動できないとは考えがたい。

つまり、シンジに想定外の要素があり、それが初号機の起動を妨げていると考えるのが自然だ。事実、起動こそ出来ていないが、暴走の兆候はない。

 

「イレギュラーの箇所判明。相互ナーブリンクのシステムにエラーが発生しています」

「データを見せて。――これは……エヴァ側(・・・・)の神経素子がオーバーフローしている。それにこの数値は」

「リツコ、初号機は使えるの!?」

 

ミサトの問いに静かにうなずき、リツコは部下に指示を出す。

 

「マヤ、シナプス密度を最大にして。それと双方向回線の更新周期をを0.05から、0.001に変更」

 

命令を受けた伊吹マヤは仰天した。

 

「5、50倍に上げるんですか!? それでは精神汚染の危険が――」

「大丈夫よ。やりなさい」

 

思わず上司を振り返ったマヤを、リツコは確信を持った顔で見詰めた。

 

 

 

エントリープラグのシートに座ったシンジは、エヴァ初号機が発する『電波』に意識を割きながら、呼び出したマニュアルに目を通していた。

 

「システム再設定、双方向回線開きます」

 

瞬間、シンジは情報の奔流のただ中にいた。

だが、それは苦痛に繋がる物ではなかった。使徒のそれが大嵐や巌も砕くような瀑布といった暴力的なものであったのに対し、エヴァのそれは静かな海中や魂を吸い込まれそうな蒼穹のような不思議な引力だ。

流れる数字の羅列(プログラム)を見て五感を再現する映画のように、膨大な情報はシンジの中で白い女性のイメージを形作った。

 

「貴女、なのですか?」

 

純白の女性(彼のイメージ)の微笑みをシンジは感じた。

聡明で教養溢れる淑女の如く優美でありながら、はしゃぐ少女のように無邪気な笑みだった。

少女の様でもある白いイメージは、肯定も否定もしなかった。

 

 

()から聞こえてきた声にシンジはコクピットに戻ってきた。

 

「今から発進させるわ。舌を噛まないようにね」

 

返事を聞く様子が無いことに、内心無駄な事をしているなと思いながら、シンジの心に僅かな自信が芽生えていた。

 

「(エヴァ初号機(これ)は、僕の機体だ)」

 

そんな確信にも満ちた思いを、白いイメージとの邂逅はもたらしていた。

 

 

 

 

コクピットのシートに深く身を預けたシンジは、目を閉じて射出時のGに身を任せていた。

白いイメージ――シンジの眼にしか映らない彼女――が待ち望んでいたこと。それが碇シンジ自身(・・・・・・)を待っていたのか、彼女が望むものを(・・・・・・・・)シンジが持っていた(・・・・・・・・・)だけ(・・)なのかは分からない。

云えることはただ1つ。

 

「彼女は僕を望んでいた」

 

という事実だけだ。

 

 

リフトが減速し、強い衝撃と共に停止する。

 

「エヴァ初号機リフトオフ。まずは歩いてみて」

 

機体を固定していたロックが外れ、自由に動ける状態になった。

ミサトのどこか逸る雰囲気に嫌な予感がしていたが、見事に的中してくれたらしい。「意識」を外に向けていないにも関わらず、暴力的な『電波』感じる。その強度と方向から、自分は使徒と真正面から対峙しているのが分かった。

今は目を閉じて、初号機に意識を集中しているから平気だが、悠長に動きを確かめる暇はない。

 

「目標を――」

 

目を閉じたままスイッチを操作し、左肩のラックからプログレッシヴナイフを展開する。

使徒の発する『電波』によって脳神経を蹂躙される以上、長期戦など出来やしない。

 

「シンジ君、何やって?」

 

右手でナイフを引き抜かせつつ、機体に前傾姿勢を取らせた。

故に短期決戦、先手必勝。リツコから聞き出した使徒の弱点、コアへの一撃で一気に終わらせる。

 

「――ッ、攻撃させていただく!」

 

眼を開いた瞬間、暴力的な『電波』が頭に侵入してくる。エヴァに乗っているせいか、初めて使徒を見た時よりは幾らかマシだが、その苦痛に思わず呻き声が漏れる。

それらを無理矢理にねじ伏せて、操縦桿を倒し込み、エヴァ初号機を吶喊させた。

 

「さっきから!」

 

向かってくる初号機に向けて、使徒は腕を突き出した。発信される攻撃の意思から、物理的な軸線を逸らす。

 

「頭に――」

 

使徒の掌から放たれた光の槍は空を切り、初号機は敵の懐に滑り込む事に成功する。

 

「響くんだよ!」

 

そして、使徒の弱点(コア)に向けて、プログレッシヴナイフを突き出した。

吸い込まれるようにコアに向かう切っ先、「勝った」と云う確信がシンジの口元に浮かんだ。

 

 

だが、コアにプログナイフが突き刺さることは無かった。突如出現した、幾何学的な形状の、オレンジ色の壁に遮られる。

 

絶対領域(ATフィ-ルド)がある限り、使徒に接触できない」

 

シンジの眼が驚愕に見開かれ、リツコの言葉が脳裏を過ぎった。

 

シンジが硬直していた時間は1秒程度だったが、既に大勢は決していた。使徒は、初号機の左肩を掴んで引きはがし、もう一方の腕で頭を鷲掴みにする。

半ば、反射的に使徒を睨み付けたシンジは絶叫した。

 

「があああ!」

 

使徒から流し込まれた悪意。憎悪、恐怖、殺意、ありとあらゆる負の感情――をくべた魔女の釜の中身――を浴びせられるとでも言うべきか。

心臓とも云えるコアを狙われた使徒が、初号機を敵と認識した事で、発散されていた意識が敵意と言う方向性を持ち、ただ1つの対象に絞ったのだ。

 

「落ち着いて、あなたの身体じゃないのよ」

 

膨大な量の害意による精神の侵蝕、肉体の痛みで無い以上、リツコの助言は余りにも的外れだ。

使徒の腕がパンクアップし、初号機左肩のウェポンラックが握り潰される。

そして、頭を鷲掴みにした左手から放たれた光の槍が、右目を抉り初号機を吹き飛ばした。

 

 

数百メートル先の大型ビルに叩き付けられた初号機は、脱力したように停止している。

パイロットたるシンジに至っては、両目が裏返り全身が痙攣している。

使徒に初号機諸共(ごと)バラバラにされるか。過剰な負荷で脳細胞が焼き切れるのが先か、過剰なブドウ糖と酸素の要求を満たす為の脈拍と血圧で脳血管が破裂するか。

この状況下では、シンジの辿る運命は死があるのみだ。

 

「死……ね、ない」

 

呻きに混じって声が漏れた。

この都市に来る前までは、いつ死んでもいいとさえ思っていたが、今は違う。シンジには生きていたい理由があった。

あの時感じ取った『白い少女のイメージ』が誰か確かめる。生まれて初めて抱いた感情の正体を確かめなければならない。

生存本能を凌駕する程の意思は、シンジの()力を増大させる。

 

 

他者の意思を感じるという能力と長年共にあった事により、彼は人間の汚さを思い知っていた。

大人社会における組織の腐敗に端を発し、子供社会における邪悪さは際限がなく、孤児同然であったシンジは格好のターゲットだった。

害意に晒されながら生きていく術はそう多くない。卑屈になって媚を売るとか、心を閉ざして鈍感になるとか、どうにせよ心身を凌辱されている事に変わりはない。

 

しかし幸か不幸かシンジの心身は、それらの悪意に抗しうる特殊な才能と(ポ テ ン)れた身体機(シ ャ ル)能を宿していた。

攻撃を回避し敵から逃げ続けた毎日の中、自らの特殊能力を使いこなす技量を身に着けるのにあまり時間はかからなかったが、そんな日々はシンジの能力を静かに腐らせていった。

 

 

死の運命を覆そうとする強い意志は、彼本来の能力を再起させる。

ほんの数分前と比べて、格段に増幅された『意思の電波』は、初号機に眠っていた勝利の女神という奇跡を呼び寄せた。

 

「助けてあげる」

 

脳裏に現れたビジョン――どこか母性を感じる純白の少女がそう云うと、シンジの脳を苛んでいた『使徒の電波』が遮断される。

そして、今のシンジに必要な知識が送られてくる(ダウンロードされる)。知識と云うには実感が伴いすぎるそれは、経験の共有に近いものであった。

 

 

シンジの指が高速で動き、初号機の状態を確認する。

左腕小破及び左肩ラックの破損。頭部中破及び右眼欠損により、視界の右半分がほぼ死んでいる。更に使徒の追撃で、胸部及び腹部の装甲が小破していた。

 

戦闘に一切の支障は無い。

 

「いける」

 

シンジに自信に満ちた笑みが浮かぶ。

深呼吸を1つ、改めて操縦桿を握る。滅茶苦茶になっていたエヴァとの接続を、ネルフの技術の粋を集めたシステムが自動的に復元していった。

 

 

ずんぐりした体躯の使徒から見て取れる無数の情報、僅かな動きや気配と言った物から、シンジは攻撃を予測した。

 

「ATフィールド――」

 

直後、使徒の顔が発光する。だが既にシンジは防御の態勢に入っていた。初号機の周囲の大気がぐにゃりと歪み始めている。

 

「――展開」

 

初号機が展開していた(・・・・・・)ATフィールドに、使徒のビームが弾かれる。

ビルに背を預けて座った体勢から、クラウチングスタートの姿勢に機体を起こし、再び初号機を突撃させた。

使徒のビームを発射前に(・・・)回避しながら接近する。

長時間苛まれた頭痛から解放された事に加え、増大した()力による気力の充実と集中力は凄まじいものだった。

再び接近を許した使徒は、潰した右眼によって死角となる左腕から、光の槍を放った。

 

「それは視えてる(・・・・)!」

 

シンジの虹彩が黄金に輝いていた。使徒の懐に入りつつ大きく回避した初号機は、伸びきった使徒の左腕を肘からプログレッシヴナイフで切断する。

 

 

だが左腕を切断されたことは、使徒にとって好機だった。

初号機の左側は右腕で塞がれており、ナイフを振り切った今の体勢では右側や後ろに下がることも不可能、ATフィールドは互いに中和されている。

この至近距離で最大出力のビームを放てば、初号機とてただでは済まない。

しかし、今のシンジに対しては悪手であった。

 

逃げるどころか逆に踏み込んできた初号機の右肩が火を噴く。

隠し武装のニードルガンが使徒の顔面を貫き、続いてプログレッシヴナイフを叩き込まれる。

ビームのエネルギーが暴発し、顔を中心に使徒の上半身は大きく吹き飛んだ。

 

 

使徒のビームを逆に利用し、大ダメージを与えることに成功したシンジは舌打ちした。

初号機に搭載されていた全ての武器を失った。更にナイフを握っていた右手は爆発に巻き込まれて、手首から先が無くなっている。

この状況は最大のチャンスなのに、手札に決定打が無い。

 

「武器が無くなった! なにか無いの!?」

 

それ故にシンジの判断は素早かった。

 

 

そしてプロフェッショナルの集団たるネルフ職員の行動も素早かった。

長髪のオペレーター青葉シゲルは、初号機の正確な位置を全員に伝達。

眼鏡のオペレーター日向マコトは、初号機の武器選定と射出の準備。

女性のオペレーターの伊吹マヤは、初号機に武器が送られる場所の転送準備。

ネルフ戦闘指揮官の葛城ミサトが、命令を下す。

 

「パレットライフル、Y-02に射出!」

「了解」

初号機との相対位置(マップ)を初号機に転送します」

 

パレットライフルの射出位置は、初号機の後方百数十メートルの位置だった。

 

 

モニターに表示されたマップに従って初号機を後退させ、兵装ビルのラックから押し出されていたパレットライフルを掴んだ。

初号機の左手がライフルのグリップを握ると、システムが自動的に操縦桿のトリガースイッチとライフル本体の引き金を、パレットライフルの射撃装置と同期させる。

 

余談だが、これは設定の変更によって、最大で4重の冗長性のある射撃システムとして完成する。

 

初号機にライフルを装備させたシンジが、上半身が吹き飛んだ使徒に目を向けると、使徒は失った上半身の再生を既に始めていた。

3度目の正直とばかりに、三度初号機を突撃させる。

使徒からの攻撃はないが、代わりに今までとは比較にならない強度のATフィールドを発生させている。

 

「時間稼ぎをさせるつもりはない」

 

純白のイメージ(しょごうき?)から送られたATフィールドの運用方法を存分に活用する。

初号機のATフィールドを左手に握るライフルの銃口の先に集中させ、使徒のATフィールドを突破。

パレットライフルそのものをコアに叩き込む、コアに罅が入り銃口がめり込んだ。

互いのATフィールドが干渉して紫電を撒き散らす中、シンジは操縦桿のトリガースイッチを引き、初号機もライフルの引き金を引いた。

 

電磁加速された弾丸がコアの表面で砕け、マズルブレーキとひび割れたコアの隙間から火花となって現れる。

だがその均衡も一瞬だった。

罅割れから侵入した弾丸の欠片が蒸発し、零距離から途切れなく撃ち込まれる弾丸によって更に加熱され罅割れを拡大させる。

拡がった綻びはコア自体の強度を低下させていた。そして毎分数千発で連射される銃弾は弱ったコアを掘削し、とうとう貫いて使徒の背面を突き破って吐き出される。

 

不意に嫌な予感に襲われたシンジは、パレットライフルを手放し、初号機を後退させた。

その直後使徒が爆発し、空に十字の火を打ち上げた。

爆炎は使徒の殲滅、シンジ達の勝利を雄弁に物語る祝砲だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネルフ総司令執務室にて、予想を遙かに上回る快挙を為したシンジについての報告が行われていた。

 

「脳量子波……かね? 聞き慣れない言葉だな」

 

初老のネルフ副司令、冬月コウゾウが、報告者に尋ねた。対する報告者赤木リツコは説明を行う。

 

「ご存知ないのも無理はないと思います。何せ数年前にEUの大学で書かれた論文に登場する新用語ですから」

 

リツコの説明によれば、近年頭角を顕してきた若手科学者が執筆した論文にて、脳量子波という物に言及しているという。

概要は、知的生命の意志を伝達する素粒子の存在を仮定した上で、その素粒子を交換する作用における意思を伝達できる波動状態を脳量子波と定義しているらしい。

またネルフの有する技術と科学力をもってすれば、脳量子波の活用は十分に可能であると告げた。

 

「――であるからして、初号機パイロットは高レベル脳量子波保有者だと言うことは間違いありません」

「ふむ、結論を言えばエヴァパイロットとして非常に優秀だと言うことだな」

 

まるでそれさえ判っていれば充分だとばかりに、ネルフ総司令碇ゲンドウが締めくくった。

余りにも身も蓋もない言葉に、冬月とリツコの顔が一瞬引きつるが、確かにネルフとしてはそれで十分な話でもあった。

 

 

 

 

絶叫と共に碇シンジは白い部屋で目を覚ました。

 

「夢……あれ?」

 

酷く悪い夢を見ていた気がするが、内容を全く憶えていなかった。

上がった息と動悸は間違いなく魘されていた証拠と云えるが、内容を忘れているなんて初めてである。いつもなら朧気でも思い出せるのにだ。

 

自動ドアの向こうに慌ただしい気配を感じると、電子音が鳴って機械音声が来客を告げる。さっきの叫び声を聞いた看護師らが様子を見に来たようだ。

 

「碇シンジさん? 入りますよ」

 

医師と看護師がベッドで上体を起こしたシンジに寄ってきた。妙に丁寧な対応と、伝わってくる思考から判断するに、どうやら自分はVIPらしかった。

寝汗が酷く服が貼り付いて気持ち悪かったので、シャワーと飲み物が欲しい旨を伝えると、クリーニングされた服を持った看護師にシャワー室に案内される。

すっかり汗を流して脱衣所に戻ると、服をいれた籠の傍らにスポーツドリンクが置いてあったので、シンジは遠慮なく頂いた。

 

 

一度病室に戻り――やはり最も設備の整った個室の1つだったようだ――手荷物(カバン)から、ポータブルプレイヤーを取り出し、耳にイヤホンを宛がうと漸くシンジは一心地がついた。

否応無しに頭に伝わる、他者の思念を緩和する為の悪足掻きとして、数年前に大手電器店で見掛けて衝動買いした物だ。

だが、それは予想以上の効果を発揮し、今では大事な愛用品となっている。

 

音楽プレイヤーの電源を入れると、ネットで収集したクラシックや洋楽・ポップスなどが自動でランダム再生させるようにセットしてある。

今日の最初の曲はクラシックであり、今聴きたかった曲だ。小さな幸運にシンジの顔が綻ぶ、優しい高音域と中音域のハーモニーは、浴室で思い出したサキエルとの死闘で昂ぶった神経をゆっくりと鎮めてくれた。

 

奥まった場所にある病室は静かで、腰掛けているベッドは何時の間にか――シャワーを浴びている間に決まっているが――シーツが取り替えられていた。

身体を投げ出した清潔なシーツのサラサラで冷たい感触は、シャワーで火照った身体に気持ちよく、シンジは音量を絞るとホッと息を吐いた。

 

 

 

それは微睡んでいたシンジの心に、雷鳴のような衝撃を与えた。

純粋で純白の脳量子波――発せられたのはごく一瞬の事であったが、他に類を見ない独特の思念波は間違えようがない。

飛び起きたシンジは、脳量子波のチャンネルを完全解放し、虹彩を金色に染めて発信者を捜すが見付からない。

寝惚けていた上にあの短い時間では、距離も方向も分からない。シンジは舌打ちをして脳量子波(チャンネル)を閉じた。

ただ1つ云えることは、『白い乙女』がネルフ関係者もしくは第3新東京市の住人である事くらいである。流石にあの天使の様なイメージが、物ノ怪の類(シト)であるとは思いたくない。

 

 

あんな事が遇った後で、悠長に寝直せる程シンジは諦念的でも消極的でもない。とてもじゃないが、いてもたってもいられなかった。

もしかしたらこの病院の関係者(スタッフ)か入院患者かもしれない、と云う淡い希望を抱いてシンジは廊下に繰り出した。

 

集光塔(ちじょう)から巨大な地下空間(ジオ・フロント)に送られてくる太陽光とLED照明の妙か、院内は白い光で包まれている。

眩しい夏の陽射しに似ていながらも優しい光は、塵1つ無い病院を――人気(ひとけ)の少ない事も手伝い――幻想的な印象の空間に変えていた。

 

 

一通り院内を探険(・・)し終わったシンジは、大して期待をしていなかった事もあり、予想通りの芳しくない結果に小さく息を吐いて苦笑した。

自室前の廊下から前庭を見下ろしているシンジは、イヤホンを耳に付けたままで、未だにプレイヤーの再生は続いている。

音楽プレイヤーの音量を絞っていたのは、病院と云う場所を考えれば当たり前だが、それでも脳量子波を感じる事を半ば放棄していたと云える。

捜索と云うよりは散歩であり、モヤモヤした気持ちを発散させる事が主目的であったと云っても過言でなかった。

 

真新しい病院を一周(ブラブラ)して気持ちが落ち着いた所為か、シンジの腹が盛大に鳴った。そう云えば昨日の午後から何も食べていない事に気付く。

散策中に(さっき)見つけた売店で甘い菓子パンでも買おうと思った矢先、後方から数人の気配と車輪の音が近づいてきた。

シンジが振り向くと、ストレッチャーに乗せられた儚げな少女が、ナース達に付き添われて進んできていた。

 

邪魔にならないよう廊下の端に寄り、腕や頭の包帯が痛々しいレイの様子を見ると、怪我を除けば体調に問題は無さそうだ。

 

「(良かった。無事だったみたいだ)」

 

ナース達の思念(ざつおん)はJ-ポップスが引き受けてくれたので、シンジは落ち着いてレイの発する脳量子波を感じ取る事が出来た。伝わってくる意識に苦痛の色が無い事にホッとする。

 

すれ違う時の一瞬、レイと目が合った。

神秘的な紅い瞳と、金の輝きを秘めた虹彩が絡んだ瞬間、あの『純白の脳量子波』がシンジの心を撃ち抜いた。

『彼女』の正体は綾波レイなのか、或いは今の事は偶然か。

乱雑な思考に数瞬囚われたシンジの行動は、もはや雑音発生器に成り下がってしまったイヤホンを、コードの分かれ目を掴んで乱暴に引っこ抜く事だった。

より鮮明になった耳を凝らす(・・・・・)が、時既に遅し、すでに例の脳量子波は消えていた。

 

その代わりに不愉快な人物の思念が飛び込んできた。

 

「あの男……」

 

シンジの似ていない父親にして、ネルフ総司令である碇ゲンドウだ。

何やらレイに話しかけているが、二言三言で終わった様子から、怪我の具合でも聞いただけなのだろう。

ゲンドウが発していた感情は悦びに近いものだったが、複雑な成分を少なからず含み、シンジにとっては未知の情動だ。

対して、脳量子波を介して伝わるレイの思念も歓喜らしいが、何らかの矛盾を抱えているように感じられた。

 

 

少女(レイ)を覗き込んでいたゲンドウは息子(シンジ)を一瞥すると、一言も言葉を交わすことなく、そのまま彼らに付いて行った。

 

「僕も忘れていたとは云え、一応息子なんだけどな……」

 

最早、他人と云っても過言でない父親(ゲンドウ)に無視されても、どうと云う事はない。今更、親子関係を修復しようとしても、互いに時間の無駄になる事は想像に難くない。

だが、シンジはエヴァに乗り使徒を撃退したのだ。父としてで無くとも、総司令として礼の1つを述べても良いだろうと思う。

 

百歩譲って、シンジに一声も掛けない事はよい。

しかし、昨日リツコが向けたものとは比較にならない程の、薄暗い感情は、表面上は完全に隠せていても裡から滲み出ていた。

思春期の少女に入れ込んで、少女と同年代の息子を疎ましく思う父親。

 

「やれやれ……あんなろくでなし(・・・・・)と血が繋がっているなんて泣けてくる」

 

2つだけ分かった事があった。1つはゲンドウが碌でもない人間であるのは間違いない事。

 

もう1つは、レイと初号機の脳量子波(こえ)が似ていた事。

つまり、彼女もまた『白い少女』の候補であるのだ。




読んで頂きありがとうございます。

以前公開していた物とは、構成を変更し加筆修正を加えてあります。
第1話にして脳量子波と云う単語が解禁です(笑)。



タイトルも、旧題『もしもシンちゃんがイノベイターだったら』から、

新題『ヱヴァンゲリヲンFIS』へ。

実は旧題だといわゆるネタ系作品臭いと云う感想がチラホラあったんです。

FISは三つの単語の頭文字で、本作の要旨部分です。ちなみに単語の組み合わせは複数あります。



感想・講評・批評・意見・分析・指摘等々、お待ちしております。割と切実に……。


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第2話 シンちゃんはご機嫌斜め!?

サブタイトルは貞本コミックのSTAGE.8を魔改造。


先の第4使徒(サキエル)との戦闘から早2週間、

エヴァンゲリオンのパイロットになることを了承したシンジは、訓練用の擬似素体に挿入されたエントリープラグ(コクピット)の中で小さくため息をついた。

 

「シンジ君、兵装ビルや電源の位置は頭に入っているわね?」

「1週間前には憶えていますよ」

 

特別非常事態宣言により無人となった街で会った――むしろ存在を感じたと云う程度の――相手を探す為にシンジはネルフ本部のある第三新東京市に残ることを決めたのだ。

 

「ではトリガー優先(インダクション)モード開始」

 

シミュレータープログラムが起動し、現実の要塞都市を再現した仮想現実空間に使徒が現れる。

 

「良い? 目標をセンターに入れて――」

対応する操縦桿(インダクションレバー)スイッチ(トリガー)を引く……でしょう。分かっていますよ」

 

ヴァーチャル空間の初号機が構えたEVA専用突撃銃(パレットライフル)から、銃弾が撃ち出され使徒を蜂の巣に変える。

撃破する度に再び出現する偽物(シト)に、正確な射撃を浴びせながら、シンジは歯痒い思いを感じていた。

 

あの『白い少女の幻影』を発した誰かについて候補はいるが、その候補であるエヴァンゲリオン初号機には想像していたより搭乗する機会が少ない上に、先の戦闘以来めっきり反応がない。

加えて今行っている訓練(インダクションモード)で使っている仮想の機体は、現実の初号機と比べると明らかに反応が鈍かった。

 

 

管制室で訓練を見守るリツコとミサトは、訓練とはいえ素晴らしい成果を上げるシンジに感嘆の溜め息を吐いた。

 

「つい2週間前にパイロットになったとは思えない成績ですね。まるでエヴァに乗る為に生まれてきたようです」

 

この場における主任オペレーター伊吹マヤは、次々と出現するターゲットに即座に照準を合わせて発砲する反射神経と、高水準で安定しているシンクロを賞讃している。

 

「にしても、よくエヴァに乗る気になったものね。正直、嫌がると思ってたわ」

 

大人(ヒト)の言うことに大人しく従うタマじゃ無いと思ったのだけどと呟くミサトに、理知的な反論がなされた。

 

「逃げられないって考えたのではないかしら? かなり聡い子のようだし」

 

変わらず敵が出現した直後には、銃弾を叩き込んでいる初号機に目をやるリツコに釣られて、モニターをみると納得のいかない表情が弛んだ。

葛城ミサトと云う女性の持つ鋭い直感力は、シンジがパイロットになった理由がそれだけではないと漠然と感じていたのだが、彼女の持つ楽観的な性格はそれを握り潰す事にしたようだ。

 

エントリープラグを映すモニターでは、シンジが退屈そうな無表情から、いつの間にかやや目を見開き集中している様子が見て取れるが、特に仮想の初号機に変わった様子は無かった。

相も変わらず、使徒が出現した瞬間に発砲する姿があるだけだった。

 

 

シンジが集中し始めた頃から、ミサトは漠然と感じていた違和感を言語化した。

 

「……ちょっち、動きが早くなってない? 何とゆーか、敵が出現する前に狙いを付けてるような」

「そんな莫迦なことが……」

 

そう言いつつも、女性科学者は部下にこの訓練の解析データを出すよう指示を出す。

使徒という超常の存在を相手取る以上、非科学的なものでも採り入れるべきなのだ。まして彼女の友人のカン(・・)は獣じみていたりする。

 

「すごいですね。ターゲット出現から発砲までの時間が全て1秒以内です。それにほぼ一定の反応時間で、その揺らぎや(むら)・偏差が最大でも0.2秒以下、驚異的ですね」

 

そう云いながらマヤが、グラフをスクロールさせていくと、ある点を境に反応時間が急激に短くなっていた。

 

「これは、一体?」

 

視界(モニター)の片隅に、揺らぎのようなものが発生する。その瞬間にヴァーチャルの初号機に動作を伝える。

初号機が反応し始めた時には既に、揺らぎのようなものが発生した場所に使徒サキエルが現れていた。

ライフルの銃口が目標を捉えると同時に、シンジは操縦桿のトリガーを引く。ライフルの方にはタイムラグはなく、直ちに弾丸が牙を剥いた。

 

ネルフ所有のシミュレーターは、エヴァ複数での運用訓練にも対応する為の特別製だ。映像データを直接コクピットに送るのではなく、仮想空間に仮想の機体を作り出してそのアイカメラの視界をコクピットに送るという複雑なシステムになっている。

仮想空間内で新しい生成物を作る時には、その周囲の空間に一時的な揺らぎが発生する。0.03秒にも満たない前兆をシンジは捉えているのだった。

その常人を凌駕する反射神経は、未来予知を行えるかのような錯覚を常人に与える場合もあるのだ。

 

機械のように正確な射撃であるが、それは通常の感覚での話で、シンジにしてみればそれなりの斑のある動きであると感じている。

 

「所でシンジ君、学校はどう?」

「……別に、これと云った問題はありません」

 

先日転入した市立第一中学での様子を訊かれ、シンジは攻撃速度とリズムを崩さずに答えたが、ネルフ諜報部か保安部と思しき人影(・・)がうろついていた事を思いだし、不愉快な感情が沸き上がった。

 

「そーゆーコトじゃなくて、学校で遇ったコトとかさ」

「……」

 

そう言われて、学校での出来事を思い返してみた。

 

 

 

 

未来型都市のテストベッドでもある第3新東京市にある市立第一中学校は、その教育においても最先端といえよう。

教授する内容は変わらなくとも、IT機器をふんだんに活用した画期的な教育システムを採用しているのだ。

その一端として生徒全員にノートPCが支給されて、授業等で積極的に利用されている。

 

 

さて同校の2-Aに編入した碇シンジは、担任である利根川教諭の授業を頬杖を付いて聞き流していた。

シンジの視線の先には――プラチナブロンドではなく、サファイアブロンド? とでも云うべきか――蒼銀の蝉鬢をウルフショートにした少女、綾波レイがいた。

レイも――骨折した右腕を吊っているので左手で――頬杖をつき、彼女は窓の外を見ている。

だが、レイが誰かや何かを見ているわけでは無いことを、シンジは知っていた。恐らく、景色に何かを投影しているのだろうと推測するが、精確には分からない。

 

 

そんな中不意にシンジに対するメッセージが、クラス内チャットに書き込まれた。

 

『碇君がうわさのロボットのパイロットなんでしょ? Y/N』

 

視線を動かさず、視界の端でPCに映ったメッセージを確認し、少し考えてから、気付かないふり(・・)をして無視を決め込んだ。

下手に受け答えをして墓穴を掘るのは避けたかったし、たとえNo(いいえ)と答えても、ロボットの関係者であることを隠すことは難しく、パイロットであると邪推される可能性もある。

 

この事を次の休み時間にでも報告しようと思ったが、自分に張り付いている鬱陶しい(ネルフの)人間達がいることを考えて不要と断じた。

以前ミサトの部屋で見かけた『初号機パイロット監督日誌』なる物の精確さを考えれば、このチャットの内容程度を把握していない筈がない。

それに、第3新東京市の住人の多くがネルフとの関わりがある事を考慮すれば、ロボット(エヴァ)の存在やパイロットの素性などは半ば公然の秘密なのだろう。

 

 

チャイムが鳴り昼休みになったと同時に、シンジは画面を見ずに(・・・・・・)ラップトップを閉じた。

斜め後ろに座っている女子2人が、ソワソワした雰囲気を出しているのを感じ取っていたシンジは、例の『白い少女』の候補から離れる事に後ろ髪を引かれながら、素早く席を立った。

 

教室から廊下へ出ようとした時、開いていたドアが浅黒い腕によって塞がれた。

黒地に白いラインのジャージに身を包み、腕まくりをした手をドアに押し付けた少年が、シンジを睨んでいる。

 

「転校生、ちょっと顔貸せや」

 

日に焼けた角刈りと云う風貌はなかなか迫力があり、シンジより背が高くがっしりとした体躯は喧嘩慣れしていそうな感じだ。

怒りの感情が伝わってくるが、今まで接点すら無い少年に「そのスカした面を殴らせろ」などと考えられている謂われは無い筈である。

 

 

 

 

繰り出された拳が悉く空振りする。

教室でのやり取りの後、お約束のように校舎裏に案内されたシンジは、予測通り殴り掛かってきた黒ジャージの少年――クラス委員長の少女が鈴原と呼んでいた――のパンチを避けた。

 

貴様(キサン)の! 所為で! 妹は!」

 

怒りを込めて振るわれる腕は、まさにテレフォンパンチであり回避は難しくはなかった。

加えてシンジの反射神経は人並み外れており、一寸した喧嘩自慢程度では擦りもしないだろう。

 

「ワイはお前を、殴らな……アカンのや!」

 

息が上がりながらも果敢に向かってくる鈴原を捌きながら、一緒に付いてきた鈴原の友人らしき眼鏡の少年――相田とか云ったか――に目で訴える。

こちらの意図を察した相田が、答えてくれた。

 

「そいつの妹さん、この間の戦闘(さわぎ)で怪我しちゃってさ、悪いけど殴られてやってくれない?」

 

その言葉と読んだ思考から、相田の目的がエヴァパイロットの正体を暴く事だと看破する。

鈴原を嗾けて、シンジがパイロットであるかどうかを確かめる。彼の中では十中八九確定しているが、確証が欲しかったのだ。

 

シンジはカチンと来た。鈴原にも相田にも。

 

「(怪我がなんだよ、僕だって死ぬ所だったのに!)」

 

沸々と沸き上がる憤怒に従い、鈴原の大振りに対して、完璧にタイミングを合わせて踏み込む。振りかぶった右ストレートが突き出された瞬間に、両脚に力を込めしっかりと握り込んだ左手で斜め下から打っ(スマッシュ)た。

 

右顎に打ち込まれたカウンターのスマッシュパンチは、鈴原を宙に舞わせて一撃の下に昏倒させた。

 

「トウジ、大丈夫か!?」

 

相田が鈴原――下の名はトウジと云うらしい――に駆け寄ったのを、冷めたい目で見下ろしてシンジは吐き捨てるように言った。

 

悪いけど(・・・・)反撃をさせてもらったよ」

 

申し訳ないとは欠片も思っていない口振りだが、「悪いけど殴られて」と言った相田はその意趣返しに何も言えない。端から見れば正当防衛といえるからだ。

 

「それと、くだらない噂には興味ないから」

 

そう云って、左手をさすりながらシンジは立ち去った。

 

 

 

 

左の操縦桿は今回の訓練ではあまり使わないが、それを握る左手は僅かな熱を持っていた。

その事をおくびにも出さずに、ミサトの問いに答える。

 

「……特に変わったことはないです」

 

一応リツコに学校での件は言ってあるし――微妙にミサトは信用できないから――あの程度の事は、前の学校では日常茶飯事だった。

別に変わったことはない(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

使徒シャムシエル。ツチノコと昆虫を混ぜた様な奇怪な使徒は、節足を不気味に(うごめ)かしている。

 

作戦指揮官たるミサトの指示に従い、シンジが搭乗する初号機は使徒シャムシエルのATフィールドを中和、コアを狙い専用突撃銃(パレットライフル)のフルオート射撃を叩き込んだ。

パレットライフルの250mm炸裂徹甲弾が砕け目標の姿が煙り、ミサトが視界が遮られる事を嫌って攻撃中止を呼び掛けるも、シンジは構わずに連射を続行する。

全弾を撃ち尽くした時には、使徒のシルエットだけが、濃密な粉塵の向こうに見えるだけとなっていた。

 

実体が見えなくとも、シンジは並外れた空間認識能力と脳量子波に起因する超感覚で、ほぼ全弾がコアに命中したと判っている。そして敵が全くダメージを受けていない事も知っていた。

黒雲の中で増大する敵意に、初号機をバックステップで後退させながら、シンジは弾切れとなったライフルを投げつける。

煙を引き裂いて飛び出した光の帯が、ライフルを切り刻む。視界が晴れて現れた使徒シャムシエルは、頭部の付け根にある左右に伸びた突起から、鞭状の触手を生やしていた。

 

「新しいライフルを出すわ! 接近戦は危険よ、ライフルで牽制しつつ持久戦で削るわ!」

「(確かにあの鞭は厄介だけど、本当に削れるのか? でも、まあ取り敢えず……)了解」

 

武器庫ビルに上ってきたパレットライフルを受け取り、再び目標を攻撃。ただし今度は適度なバースト射撃、連射に間隔を空けて着弾煙を抑えている。

 

 

変幻自在の近接武器を持つ相手に接近戦は危険であり、射撃武器による遅滞戦術を採る事は悪くない。だが使徒シャムシエルに対しては、それが裏目に出た。

遠距離攻撃(ロングレンジ)と云っても、ATフィールドを中和する為に、ある程度接近する必要がある。つまり実質的には中遠距離であり、それは触手鞭の有効射程圏だ。

 

「チッ……逆にこっちがジリ貧だ」

 

吐き捨てるようなシンジの呟きは、どちらに天秤が傾いているかを、雄弁に物語っていた。

使徒シャムシエルは煤で汚れただけでダメージは皆無、一方ネルフ側は消耗戦に追い込まれている。

幾ばくかの距離とシンジの超絶的反応速度に因って、未だ初号機に傷は付いていないが、光る鞭が獲物を捕らえるのも時間の問題だろう。

 

シンジは初号機を大きく後退させ、互いのATフィールドが干渉しない距離まで離れる。パレットライフルを左手に持ち替え、肩のウェポンラックからプログレッシヴナイフを引き抜く。

 

「(ライフルの残弾が心許ないけど……)」

 

装備武器(パレットライフル)のステータスを表示しているサブモニターを見ると、専用250mm弾は2割を切っているが、効かない武器の残弾など気にする事ではない。

そんな事より、プログナイフが有効でなかった場合を考えるべきだ。プログナイフよりずっと強力な武装が欲しい。

 

「サンダースピアの、射出準備を……!」

「ちょっとシンジ君? まさか」

 

シンジは軽く息を吐いてから、配備されたばかりの新装備の名を挙げた。

意識を集中すると、世界から余分な音が消えていく事を自覚。初号機を追って、距離を詰めてきている使徒シャムシエルに対し、左手に握ったパレットライフルを連射。

ATフィールド中和圏に入ると同時に駆け出す。触手を振りかぶる使徒シャムシエルに、用済みとなったライフルを肘から先だけの動きで投擲。

 

「(やっぱり……奴は脅威の程度ではなく、最も自分に近いものを優先的に攻撃する)」

 

真っ二つにされたパレットライフルを見てシンジは確信した。そしてそれ故に生じる隙がある。

 

人間が振るう様な普通の鞭は、シンジにとって何の脅威にもならない。どんなに速かろうが、その軌道は予測出来るものだからだ。

しかし使徒シャムシエルの鞭は自由に動く触手(・・・・・・・)――変則的な挙動も自由自在――である事が容易に近接戦を挑めない。

だが、攻撃を行った直後は別だ。切り返しの刃が襲い来る軌道は限定され、どんな奇怪な動きであろうとも、対応する余地がある。

 

外部電源(デッドウェイト)をパージした反動で更に加速、跳ね返るように振るわれた光の鞭をかい潜り、初号機はプログナイフを横凪に一閃する。

 

「浅いッ!」

 

ナイフの根本まで使って斬り付けたにも関わらず、コアに浅い傷を付けただけだった。

ごく僅かとは云えコアにダメージを負った相手は一瞬怯む。だが、薄皮一枚とは云え心臓を斬られた為か、使徒シャムシエルは憎悪を爆発的に増大させる。

シンジはプログナイフを振るった勢いのまま初号機を回転させ、敵の攻撃前に後ろ回し蹴りを胴体中央へと打ち込んで吹き飛ばす。振るわれんとした渾身の殺意は空を切った。

 

小山の斜面に叩き付けられた使徒シャムシエルを尻目に、外部電源を再接続。武器庫ビルから迫り上がってきたサンダースピアを受領する。

 

新兵器サンダースピア。未来的なアサルトライフルと云った風情の外観をした銃剣、或いは槍である。

見た通りの大型武装で取り回しが悪く、本体の強度も並だが、強力な磁場で形成された高エネルギープラズマの刃は、プログナイフを遥かに上回る攻撃性能を有している。

その最大出力は使徒サキエルのATフィールドを容易に貫ける程であり、最強を誇る近接兵装のキャリアーだと考えれば、諸々の欠点を補って余りあるだろう。

 

使徒シャムシエルの動きに意識を割きながらサブモニターを確認。表示されているサンダースピアのステータスはオールグリーンで、武器管制システムとのリンクも良好だ。

ウェポンコンソールも兼ねたサブモニターを操作し、プラズマ刃を最大出力で展開。更に強制パワーブーストを操縦桿(インダクションレバー)のトリガースイッチに登録(セット)する。

 

手早く突撃の準備を整えたシンジは心持ち小さく深呼吸、集中力の高まりに因って体感時間が遅くなった瞬間、直ちに初号機を突撃させた。

 

 

使徒シャムシエルが振り回す光る鞭触手の間合いまで、後50m。

機体両肩のマルチラックを展開し、ロケットブースターをスタンバイ。

 

使徒シャムシエルの鞭触手の間合いまで、後30m。

更なる集中によって、シンジの虹彩が金色に輝く。

 

「(奴の触手鞭は変幻自在――)」

 

光る鞭触手の間合いまで、後15m。

山の斜面から僅かに身を起こした使徒シャムシエルが、左右の鞭を跳ね上げる。

 

間合いまで、後5m。

外部電源(アンビリカルケーブル)のパージボタンを押し込む。

 

「(――だけどその軌道は、敵を囲い込む動き!)」

 

後3m。

両肩のロケットブースターを点火。

 

「(なら、攻撃が当たる直前に懐に飛び込めば――!)」

 

0m。

外部電源をパージする反動と、空挺着陸用バーニアの最大加速度を得る瞬間が同期。

一瞬だけの爆発的な速度で、光の鞭を置き去りにした。

 

「征ッけぇえーー!!」

 

後の先を以て得た刹那の間隙を縫い、サンダースピアの鋒が使徒シャムシエルのコアに突き刺さる。

断末魔を上げながらも尚攻撃の意思を膨らませる使徒シャムシエル(しにぞこない)に対し、シンジは考えるより速くトリガーを引く。

 

「ッ! 終わりだ!!」

 

サンダースピアの機関部に過電圧が掛かり、過剰生成された高エネルギープラズマが尖端から噴き上がる。

使徒シャムシエルのコアはザクロの様に割れ、目標は永遠に沈黙。しかし末期の執念か、力を失いながらも触手の一本が、初号機の首筋へと落下してきている。

 

「あ……(回避、出来ない)」

 

ほぼコクピット直撃コースの怨念に、シンジは頭の中が真っ白になった。

 

 

エントリープラグには緩衝材も兼ねるLCLが充填されているにも関わらず、凄まじい衝撃がシンジを襲った。

幸いにもシートから投げ出される事はなく、特に怪我もない。

 

「つぅ……機体のダメージは?」

 

パターンブルー消滅、目標の完全沈黙を確認。と云った声が通信から流れる中で、シンジは顔を顰めながらも、初号機のステータスをサブモニターに表示させる。

損傷自体は軽微な物で、装甲の一部が大破した程度だが、場所が脊椎から約3m逸れた位置。コクピットの至近である。

もしも、あと少しでも軌道が違っていれば――シンジは身震いし、背には冷や汗が伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

予定されていた訓練が軒並み中止になった為、暇を持て余したシンジは、ミサトに誘われ先日斃した使徒シャムシエルの残骸回収現場を見学に来ていた。

仮設された分析室にミサトと共に入室すると、部屋の主から声がかかった。

 

「ようこそ2人とも、理想的なサンプルを手に入れてくれて助かるわ」

 

一週間前に実戦配備されたばかりのサンダースピアを使い、上手くコアのみを破壊したおかげで、ネルフはほぼ無傷の使徒のサンプルを入手する事に成功している。

 

 

人嫌いが高じて厭世的な性格になっているシンジも、まだまだ好奇心旺盛なお年頃。

リツコ達の話を聞きながらも、キョロキョロと視線を巡らせていると、砕けたコアを見ているゲンドウが目に入った。

 

「げ……」

 

厭なものを見たと眉根を寄せるが、ふと普段は手袋をしているゲンドウが素手であり、掌全体に火傷の痕がある事に気付いた。

 

「シンジく~ん? お父さんを見て『ゲ』は無いでしょう『ゲ』は」

「あの人は僕の事を息子だなんて思ってないですよ。所でリツコさん司令(・・)の手に火傷の痕があるようですが……」

 

実父への態度を窘めるミサトを切り捨て、更にリツコへ話を振るが、その話題はシンジをして予想外の効果をもたらした。

表情に変化はないがリツコの内面に、苦々しいものが沸き上がるのをシンジは感じた。

 

「32日前の零号機の暴走事故は知っているわね。その時、エントリープラグが誤作動で射出されて落下したの。碇司令は過熱したハッチをこじ開けて、レイを助け出したのよ」

 

話の文面だけを見れば美談なのにリツコの様子はおかしい。

よって、この事故には裏がある可能性をシンジは感じた。瞠目して脳量子波を全面開放、複雑に絡んでいるリツコの感情を解析する。

結果、ゲンドウに対する憤慨の感情が多くを占め、残りはレイに対する憐憫らしき感情とごく僅かな黒い感情、そして自分への嘲笑と罪悪感だった。

これらの意味する事は、零号機の暴走事故は、ゲンドウによって仕組まれたものであり、リツコも関わっていると云う事だった。

 

「どうしたのシンジ君、急に目ぇつぶっちゃって?」

「いえ、全く想像できないなって」

 

そう言って開かれた目は、とうに輝きを潜めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の第一中学の体育は、男子はバスケ、女子は水泳という実に公平なものであった。

高台にある校舎より低い場所にグラウンドは位置し、シンジは坂の途中に腰掛けてプールの方を見ていた。

 

「や~センセ、みんなエエ乳しとるな~」

 

そう言って近づいてきたのは、一週間程前にKOした鈴原トウジだ。

先週の一件より方便(・・)を用いて釈明した所、トウジは自分の行為を謝罪し、腕っ節のあるシンジに一目置くようになったのだ。

鼻の下を伸ばし煩悩を吐き出す()少年を放置し、リツコに訊いたレイのプロフィールを思い出す。

 

「綾波レイ……(14歳。最初に発見されたエヴァンゲリオン適格者。現エヴァ零号機専属操縦者(パイロット)。過去の経歴は白紙、全て抹消済み)」

 

プールサイドで座っている少女の名前が、シンジの口から呟かれると、トウジは奇貨を得たように色めき立つ。

 

「ほ~綾波か。センセは渋い趣味やね。でも止めといた方がエエと思うで。去年の暮れに転校してきたんやけど誰とも喋らんし、きっと性格悪いねん」

「そんな事はない」

 

シンジは静かに強く否定した。

あんなに純粋な子の何処が性格が悪いのだと、思い掛けずカチンと来る。シンジの沸点がトウジ並なら、彼は今頃宙を舞っている事だろう。

 

「とても、佳い子だよ……」

 

そう断言して、レイを眩しげに見詰めた。

 

 

 

 

シミュレーションプラグ内、インテリアシートの後方に位置するディスクの回転が停止する。長引いた実験の終了に、シンジは息を吐いた。

 

「お疲れ様、シンジ君。遅くまで付き合わせちゃって御免なさいね」

 

今回の特殊連動解析実験の責任者、赤木リツコが被験者を労った。

本日は朝から学校に行き炎天下での体育。放課後はネルフに直行し、数時間に渡って各種訓練とテストのフルコース+αと云う中々のハードスケジュールだった。

 

そしてたった今、+アルファたる実験が終了し、全ての予定は完了したところだ。

後は家に帰り、遅い夕食――と云うより、時間的に夜食――を摂って、風呂に入りベッドに飛び込むのだ。

常人より軒並みハイスペックなシンジだが、流石に疲労が溜まっており既に意識は半ば自宅へと移っていた。

その為に、あまり内心を喋らないシンジにしては珍しく口が滑った。

 

「これが必要な事であるのは、一応分かってます。ふう、今日はコンビニ弁当かな……」

「そう云ってくれると私達も助かるわ。お礼と云っては何だけど、今日のディナーを奢らせてはくれないかしら?」

 

突然とも云えるリツコの申し出に、目を丸くする。彼女は意識的に(・・・・)細やかな気配りを行う人物であるが、特別仲が好い訳でもない人間にここまでの厚意を示すだろうか。

いくらシンジでも、モニターの向こうに居る者の思考は読めない。

怪訝な表情をしたシンジに、モニターに映る女性科学者は笑いかけた。

 

「パイロットの体調管理も仕事の内よ。疲れている貴方にコンビニ弁当なんて食べさせられないわ」

「(偶には良いか……)」

 

疲れているのは事実だし、と自分に言い訳をして申し出を受けた。取って喰われる事もないだろうし。

 

 

 

 

リツコの運転する車が到着したレストランは、ロシア料理を供する小粋な雰囲気の店だった。

 

「この前、サツキに教えて貰ったのよ」

「大井サツキ、カスパーの主任オペレーターでしたっけ」

「ええ。ここは彼女が贔屓にしているお店だそうよ」

 

ウェイトレスに席まで案内され、メニューを渡される。

 

「好きな物を注文して良いわよ」

 

実は甘党のシンジは、まずデザートのコーナーに目を通してみた。彼はロシア料理に詳しくないが、幸い写真と簡易な説明が載っていたので問題はなかった。

 

 

少しして、今度はウェイターが注文を取りに来ると、リツコが先に口を開いた。

 

「こちらの(ヴェ-)セットを1つ、飲み物はロシアンティーを」

「僕も同じ物を……」

 

どれにしようか迷っていたが、リツコが頼む物なら間違いは無いだろうと、シンジも同じ物を注文する。

 

(ヴェ-)セットがお2つですね。食後の甘い物(デザート)は、いかがなさりますか?」

「そうね、苔桃のシャーベットを」

「僕はパスハ(ロシア風チーズケーキ)の苔桃ソースがけをお願いします」

 

紳士然としたウェイターが一礼して店の奥に消える。

 

シンジはテーブルに置かれたお冷やを口に含むと、目を丸くした。

浄水器を通した水道水ではなく、ごく僅かな炭酸が入ったミネラルウォーターだった。何というか、食欲が湧いてくる。

4人掛けのテーブルの対角に座ったリツコが、楽しそうにこの水の蘊蓄を話してきた。

食事に誘った理由を訊こうと思っていたのに機を逸したが、リツコが楽しんでいるのは事実だった為、質問する気が萎えてしまった。

 

 

しばらくして、注文の品が届けられた。

(ヴェ-)セットは、ボルシチとビーフストロガノフにブリヌイ(ロシア風クレープ)とサラート(サラダ)のセットで、飲み物もセットに含み自由に選べる。

お腹がペコペコだった事もあり、シンジはスプーンとフォークを手に、料理にかぶりついた。

対するリツコは、まず紅茶を頂いてから、ゆっくりと手を付け始めた。

 

程なくして、シンジがBセットを7割方食べ終えた辺りで、まだ料理が半分以上残っているリツコが声を掛ける。

 

「シンジ君、それだけで足りるかしら、何か追加する?」

 

右手に持ったフォークとスプーンを器用に操り、ビーフストロガノフを左手のブリヌイに載せる作業を行っていたシンジは顔を上げた。

そこには食べ盛りの男の子を微笑ましく見守る女性が居た。

食べる事に集中していて、リツコの視線に全く気付かなかったとは、時に本能は脳量子波を凌駕する物だと頭の隅で考えながら、羞恥に顔が赤くなる。

自分を誤魔化す為に、完成したストロガノフクレープを口に放り込んで、ミネラルウォーターで喉の奥に流し込む。

ニコニコしているリツコに見透かされている事は明らかだが、自分を落ち着かせる事には成功したシンジは冷静に状態を分析する。

料理は粗方食べ終えたが、少々物足りない。

 

「そうですね。ではピロシキを」

 

丁度、向こうで注文ミスが遇ったので、直ぐに出来たてを持ってきて貰えそうだし。

 

 

食後の飲み物は、リツコはコーヒー、シンジはハーブティーを頼んだ。

パスハは初めて食べたが、とても美味しい物で気に入った。

 

「今日はごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「満足してくれたようで光栄だわ。それとこれを……シンジ君の正式なカードよ。それとレイの更新カードを明日届けて欲しいのだけれど」

 

そう言って、2枚のネルフのセキュリティーカードを渡される。

 

「それ位ならお安い御用です」

 

まさかこの程度の事が目的で、シンジを食事に誘ったのだろうか。或いはゲンドウと関係を持っているらしいので、当て付けのつもりなのだろうか。

先日のように、脳量子波を解放して探ろうと思ったが、シンジは止めておく事にした。折角お互いに穏やかな気持ちになっているのに、あまりにも無粋すぎる。

無粋な考えを忘れる為に、受け取ったレイのカードを見詰める。

 

ここ数年以上滅多になることの無かった穏やかな気持ち、満腹と1日の疲れによる眠気、店の雰囲気、様々な要素が重なり、シンジに重い口を開かせた。

 

「綾波レイはどんな子ですか? 同じ仕事をしているのに、あまり話す機会が無くて」

「そうね……良い子よ。ただ、とても不器用だけれど」

 

生きる事が……と、続くであろう言葉をシンジは察する事ができた。

確かにその通りだった。あの真っ直ぐな彼女なら、何か切っ掛けさえあれば、親友の1人や2人出来ていてもおかしくはない。不器用というのは実に的を射ている。

 

そしてもう一つ、リツコは悪い人間ではない。

本質はきっと情の深い人物なのだろうと、シンジは感じた。




旧題のものより、
旧2話シンジご機嫌斜め、旧3話脳量子波と、旧4話の冒頭部を纏めました。

更に以前はカットしたシャムシエル戦を書き下ろし……した訳ではありません。
実は執筆を続けている内にシャムシエル戦を書ける流れが出来てしまい、戦闘シーンを書き起こしました。
そこで新2話ではボリュームアップの為、当該シーンを流用し、構成を変更して組み込んだのです。


新サブタイトルに付いて、
旧題メインタイトルへのリスペクトとして、『シンちゃん』に表記を変更。
感嘆符(!)と疑問符(?)を付けたのは、ライトノベルでよくあるタイトル装飾の影響です。


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第3話 Over the Sparkle

サブタイトルは、ミュージカル『オズの魔法使い』の劇中歌“Over the Rainbow”=『虹の彼方へ』のもじりです。
sparkle=火花、閃光、あるいは輝きの意。


リツコに夕食を奢って貰った翌日、シンジは更新されたIDカードを渡す為、レイの住むマンションを訪れた。

肝試しに使えそうな位老朽化したその建物は、どうやら取り壊しが行われつつあるようで、レイを除き住人はいないようだ。

シンジの十倍以上の保安部(ネルフ)の人間が固めているが、こんな場所で独り暮らしをさせる位なら、ジオフロントで野宿させた方がまだマシなのではと思う。

 

棟と部屋の番号はリツコから聞いていたが、一部は既に解体され殆ど廃墟のような状態ではあまり意味をなさなかった。

結局、唯一の住人の脳量子波(けはい)を頼りに居場所を特定して、階段を上っていく事になった。そして今、シンジは402号室――何号棟かは不明――レイの部屋に辿り着いた。

 

 

インターフォンは壊れていたが、脳量子波の感じからレイが起きている事は分かったので、取り敢えずノックをするが反応がない。おまけにノブに手を掛けてみると鍵も開いていた。

仕方がないので一言断ってドアを開けると、年頃の少女の住処としては、目を覆いたくなるような惨状があった。

黒いカーテンで遮光されて薄暗く、明らかに掃除をしていない埃の堆積した床、澱んだ空気は窓を開けた事があるのかも怪しい。

シンジも独り暮らしをしており、疲れている場合などは結構ものぐさ(・・・・)になるが、最低限の生活スペース位は見れるようにしている。

しかしこれは、不衛生とか汚いとか云うレベルすら超えているような気がした。

 

三和土に上がって部屋の奥を覗くと、小さなタンスと病院のそれを連想するパイプベッドには血の付いた枕が――カバーやシーツを交換しているのだろうか?――あった。

ベッドの横にある靴と、床の足跡の形状から、レイは土足で生活しているようだ。

 

 

部屋の主に倣って、シンジも土足で部屋に上がると、ふとタンスの上にある物が目に付いた。置いてあった黒縁の眼鏡はどうやら遠視用らしいが、レイには似合わないだろう。

それに男性向けのデザインな気がする。

 

「(ん……男向け!?)」

 

フレームが歪みレンズがひび割れた眼鏡を手にとって観察すると、『G・IKARI』のイニシャルが

蔓に刻印されていた。

 

「(あの人の物が何故!? ……熱による変形? 零号機の事故の時か?)」

 

その時、背後で物音がしたので振り返ると、そこには天使が居た。

 

いや、シャワーを浴びていたのか全裸のレイ立っていた。

水を弾く妖精のような肢体は透けるように白くシミ1つ無い。首から下には産毛以外の体毛は一本たりとも存在せず無垢なまま、なのに胸や腰はふっくらとした優美な曲線を描いていた。

 

普段の習慣で、ポータブルプレイヤーのイヤホンを、着けっぱなしにしていた故の失態であった。

屋外を歩いていたので、音量を大きめにしていた事も手伝い、浴室の水音に気付けなかったのだ。

今流れている曲は『瑞樹ナナ』の『永久(とわ)(ほむら)』、サビ部分の「君は僕の天使」というフレーズが妙に耳朶に残って頭を反響する。

 

シンジはまるで女神に出会った猟師(アクタイオーン)の様に、レイに見取れていた。

神話で月の女神(アルテミス)が激怒した様に、シンジの目の前にいる女神(レイ)も怒りを滲ませて大股で近づいてきた。

一糸も纏わぬ状態で、そんな動きをすれば、大事な場所の更に内側(・・・・)さえ見えかねない。

 

「ちょッ!?」

 

動揺して情けない声を上げるシンジだが、僅かに残った冷静な部分が、脳量子波を介して伝わるレイの感情に目を向ける。

シンジが手に持っているゲンドウの眼鏡に、レイの意識は向いていた。彼女は、毛布を奪われたライナスの様に、大切な物を取り返そうとしている。

 

「こ、これ?」

 

思わず畏まって、両手に壊れた眼鏡を乗せて差し出すと、レイは引ったくる様にそれを奪い返して、大切そうにケースにしまった。

 

 

 

 

ネルフ本部へ続く、ジオフロントにあるメインゲートにて、レイはカードを取り出して読み込ませるが、エラーメッセージが表示されてゲートは開かない。

シンジが横合いから、カードを通すとゲートが開いた。

 

「渡しそびれちゃってごめん」

「……」

 

差し出された更新カードを無言で受け取り、レイはゲートを潜った。

 

 

レイに追従する形で通路を進むシンジは会話の切っ掛けを探していた。レイが羞恥を感じて(おこって)いない事は分かっている。

 

「その……き――」

 

綺麗だったと云おうとして、シンジはとっさに口を噤む。

蒸し返して自爆してどうするのかと自問し、灰色の脳細胞をフル回転させ、別の話題を脳内検索。そう云えば訊きたい事が1つある。

 

「――君は、何故エヴァに乗るのが怖くないの?」

 

その問いに、ほぼフラットだったレイの感情が揺れ、その漣はある人物を形成した。

 

「……信じているから」

 

抑揚のない回答は、まるで台本を棒読みしたような響きだった。

しかしそれはただそこに在る、唯一の真理の如く――脳量子波を介して伝わるあの男(ゲンドウ)のイメージは――純度100%のダイヤモンドの固さを持っていた。

唯1人――いや、よりにもよってゲンドウなど――に捧げられている頑なさに、シンジの心がざわめいた。

 

零号機の(あんな)暴走事故があったのに?」

 

仕組まれた零号機の暴走、理由は分からないが、あの事故がゲンドウが指示した狂言である事は間違いのないのだ。

それをレイは知っての上での事だろうか。

 

「……お父さんの仕事(こと)が信じられないの?」

 

それは、誰もが知っている常識を聞く様な純粋な疑問であった。つまり、レイは1ヶ月前の真相を知らない。

 

「…………」

 

ざわめきがザラつきに変化していき、シンジはこの真っ白で脆いものを汚してしまいたい衝動に駆られる。やる事は単純、レイに真実を告げるだけだ。

洗いざらいをぶち撒けて、あれが狂言であり、ゲンドウに初めから裏切られていたと思い知らせてやりたい。

 

「わたしが信じているのは、この世で碇司令だけ……」

「(!! …………今、僕は、なにを考えた?)」

 

レイの言葉に我に返る。そんな事は、とてもじゃないが出来ない。幼気な少女の心の拠り処(たからもの)を、どうして壊せるものか。

綾波レイと云う少女は、きっと誰よりも真剣に生きているのだ。強い言霊のように、シンジの心に突き刺さった言葉が証明している。

 

息が詰まり、彼女を傷つけようとした自分を殺したくなる。

足を止めたシンジに構うことなく、レイは零号機再起動実験の為に、本部の奥へ歩いていった。

 

 

レイの姿が見えなくなると、シンジは壁に寄り掛かり、苛立ちを無機物に叩き付ける。自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。

 

「僕は、僕が……最低だ」

 

シンジは基本的に大人が嫌いだ。必要悪の場合もある事を理解していたが、彼らの持つ汚さには辟易していた。

シンジは基本的に人間が嫌いだ。ハイエナのように他者の弱点を探し、残忍な戯れに興じる下衆共を嫌悪している。

それが蓋を開けてみればどうだ。自分の中にこんな醜い代物が隠れていた事実に愕然とする。

本部は適温に保たれているはずなのに、凍えそうになり震える身体を抱きしめる。

 

 

どのくらい時間が経ったのか、1時間も経過していない事は理性では分かっていても、情緒的に時間の感覚は曖昧だった。

 

「う、ぐす……――!!」

 

嗚咽を漏らすシンジに、突如暴力的な脳量子波が浴びせられた。直後に使徒襲来を知らせる警報が鳴る。

 

「総員第一種戦闘配置、総員第一種戦闘配置、パイロットは搭乗機にて待機せよ」

 

使徒との戦闘は一歩間違えればあの世行きだ。

シンジと云えども、戦闘の度に多大なストレスを受け、前回の戦闘では丸1日程無気力状態になっている。

それでも、今回の使徒襲来は有り難かった。

グチャグチャの気持ちを、命懸けの戦いで忘れる事が出来るから。

 

 

 

 

 

 

 

 

心身共に深く傷ついた少年は夢の中にいた。記憶という名の深い海に沈んでいく夢。

それは約1ヶ月前に見た憶えていない夢の再現であり、その続きでもあった。

抜け落ちた記憶のページが眠る海の底へ、シンジは静かに沈んでいき、やがて海底へと到着する。

 

光すら届かない深海に、通常海中には存在しない物――合成樹脂(プラスチック)と軽金属で作られた自動ドア――があった。

片サイドに開閉スイッチのあるそれは、ネルフ本部施設に無数に存在する物に酷似しているが、今目の前に在る物はどこか古めかしい印象を受ける。

 

こと此処に至るにいたって、漸くシンジは現状を朧気に理解し始めた。

 

「僕は、負けたのか……」

 

再生され(よみがえ)る灼熱の記憶、エヴァが地上に出た瞬間を強力な加速粒子(ビーム)砲で狙い撃ちされて、釜茹刑の憂き目にあったのだ。

シンジの機転を受けた発令所が、地上の一区画ごと落下させる事によって強制回収しなければ、それこそ骨すら残らなかっただろう。

 

心的外傷(トラウマ)になりかねない記憶が、簡単に想起されるこの場所は、きっと無意識と云う水の深さなのだろう。

死んでもおかしくなかったが、今はまだ生きていると云う現実感のない現実が此処にある。

海面(めざめ)に向かって、浮上しよ(およご)うとしたシンジは、下方に足を引っ張られた。見れば足首に如何にも(・・・・)と云った鉄球付きの鎖が巻き付いていた。

これでは目覚める事は出来ない。

 

「この鎖は、僕の――――僕が初号機に相応しくないかも知れないって思いが形になったもの?」

 

レイを傷つけかけた挙げ句の果て、戦闘に集中せずに、無様を晒した自分への不信感が具現化されたものらしい事が、何となく分かる。

足枷には鍵穴があり、外すには鍵が必要らしい事が分かったが、当然の如く鍵など見当たらない。

いや、鍵がありそうな所が1つだけある。古めかしい自動ドア、ネルフ本部のそれに比べ洗練されていない扉の向こうだ。

 

今まで意識的に目を逸らしていた自動ドアを見る。

脳量子波の獲得によって強化された直感とは違う、もっと基本的で本能的な直感が、この扉を開いてはいけないと訴えている。

しかし、シンジはこの扉をあけて中を確認しなければならないと感じた。

 

 

精神の防衛本能によって、無意識の海に沈められた記憶の扉の向こうに、鍵があるとは限らない。

この先に忘れておかなければならない(・・・・・・・・・・・・・)と脳が判断したモノが存在している。

シンジはまるで蛇に唆されたイヴの様に、禁断の扉を押し開けた。

 

 

 

扉を開くと、そこはネルフの実験管制室とよく似た部屋だった。

壁面ガラスの窓に貼り付いているのは幼い自分、ガラスの向こうにあるものは、装甲を纏っていないがエヴァンゲリオンで間違いはないだろう。

 

「僕は……エヴァを知っていたのか?」

 

シンジが辺りを見回すと、モニターに映っているレイに瓜二つの女性に目が付いた。

彼女が身に纏っているゴテゴテしたボディスーツは、プラグスーツの原型だろう。バイザー部が透明な素材のヘルメット――インターフェイスヘッドセットの原型?――を今は脱いでいる。

 

「――ユイ君、何も君が被験者にならなくても――それに子供まで――」

 

壮年の男性と思われるが、字幕を見るように聞こえない声が断片的に聞こえる。恐らくこの男性は、当時の自分にとって、印象的ではなかったのだろう。

 

そんな事より壮年の男性の口から出た名前だ。ユイと云う名は、シンジの母親の名前だった。

 

「母さん……」

 

顔も声も思い出せなくても、名前だけは憶えていた、身罷った母親がそこにいる。

湧き上がる懐かしさにシンジの頬を涙が伝った。

 

「――この子には、未来を見せておきたいんです」

 

レイに似ているが、彼女に無い、確かな力強さを持った声。だが、シンジはその笑顔に、云いようのない不安を掻き立てられる。

 

 

血液(LCL)と機械油のにおい、サイレンと管制室に集まった人たちの怒号、幼いシンジが憶えていられたのはそれだけだったらしく、封印されていた光景は真っ暗になった。

 

母親が死んだ時の記憶、それが深い海の底に沈めたものだった。しかし。

 

「母さんは本当に死んだのか? それに綾波レイは何者なんだ?」

 

母親を消したエヴァは初号機であるのは間違いない。ある意味シンジは、10年以上前に初号機に乗る資格を得ていたと云えよう。

むしろ資格云々でなく、シンジとレイ以外では、初号機は反応しないと云った方が、適切になるかも知れない。

 

綾波レイが碇ユイと同一人物ではない事は確かだが、無関係ではない事もまた明らかである。

つまり、シンジとも無関係でなく、その関係性は血縁――兄妹――に近い可能性もあるのだ。それにゲンドウのあの執着は、単に細君に生き写しと云うだけでは、少々不自然な気もする。

 

「母さん……僕は、どうすれば良い? 母さん……」

 

過去を垣間見たところで何も変わらない。気付けばシンジは海岸に打ち上げられていた。

空は真っ暗な曇天で、彼の心を現しているようだった。

 

 

 

 

シンジのベッドの傍らには、彼が目覚めたら作戦を伝えるよう命令された綾波レイがいた。

幸いにも初号機が受けたダメージの割には、シンジは軽傷だったが、今は深い眠りに落ちているようだ。

 

シンジの閉じられた目から、涙が流れて枕を濡らした。

 

「……母さん?」

 

涙に滲む視界に最初に映った人物は、当然母ではなく、今一番会いたくなかった少女だった。

かなり大人しくなっている――理由は不明だ――が特徴的な脳量子波から、使徒はまだ倒されていない事がわかる。

 

米噛を押さえながら横たわっていた身体を起こすと、レイがヤシマ作戦のスケジュールを読み上げ始めた。

メモを読み終わるとレイは、ワゴンに載っている食事を摂るように云う。

 

「ねえ綾波……僕は初号機(エヴァ)に乗って良いのかな?」

 

こんな事をレイに訊く事に、今の自分が心底弱っていると自覚できる。

 

「嫌ならここで寝ていればいい。初号機にはわたしが乗る」

 

単純な事実を告げる言葉だった。

だがヤシマ作戦はエヴァ1機では遂行できないだろう。

決して力強いわけではないが、真実のみを告げるレイの言葉で、心の裡に小さな闘志が灯る。

 

釜茹にしてくれた件につき、使徒ラミエルにお礼参りをしなくては。あの巫山戯た青い八面体はブッ潰す。

 

「作戦の内容は?」

「現地、双子山にて説明されるとの事よ」

 

気怠げに髪を掻き上げた手の平で、片目を塞いだシンジの問いは、虚しく宙に消え目が点になる。

 

「…………は?」

 

現地で説明って、そんなに簡単な作戦なのだろうか。

 

「現地、双子山にて説明されるとの事よ」

「分かった……」

 

取り敢えず、急いで食事を片づけて、説明責任を放棄したミサトをとっちめに行こう。

 

 

 

 

夜の双子山、リツコと頭にコブを作ったミサトが並んで立ち、パイロットと対峙している。

 

「ではもう一度確認するわね。本作戦の内容は試作型陽電子狙撃砲(ポジトロンスナイパーライフル)で目標のATフィールドを貫いてコアを破壊する事よ。シンジ君が砲手(オフェンス)、レイが防御(ディフェンス)を担当するのはさっき言った通りよ」

「通常目標のコアの正確な位置は判らず、攻撃をする(ビームをうつ)時のみ確認が出来るわ。陽動部隊へ攻撃している時を、見逃さないように。それと陽電子は地球の磁場や重力の影響を受けるから、マニュアルに従って誤差を修正するのを忘れないでね」

 

ミサトの言葉を、リツコが補足する。

不敵な表情で説明を聴いていたシンジだが、実の処は虚勢だ。

 

「了解。あのハリボテの風通しを良くしてやりますよ」

 

使徒を斃したいと云う意思は本物であるが、エヴァに乗る事についてはまだ迷いがある。

不遜ですらある物言いは、自身を奮い立たせる自己暗示でもあった。

 

「わたしは初号機を守ればいいのね」

 

一方レイの言葉は単なる事実確認だ。そこには何の気負いもなく、ただ命令を遂行するという意思のみがあった。

 

 

 

 

対称な構造をしている仮設タラップの上、自分の機体の正面にパイロット達は並んで座っている。

会話をするには遠く、孤独を望むには近い位置関係は――それぞれのスタンスの上に立って居る――2人の距離感を現しているようだった。

 

ジオフロントへの掘削作業が順調な事に気を良くしているのか、第6使徒(ラミエル)の脳量子波は非常に静かなものになっている。

ヤシマ作戦の為に、彼らの居る場所も含め地上の(あかり)は大半が消えているが、天に輝く満月のおかげで暗くはない。

 

「(確か、初めてエヴァに乗った日も満月だった。この街に来てから、丁度1ヶ月くらい経ったのか)」

 

満ちた月――厳密には幾望(きぼう)になるか?――を見上げるシンジは、波瀾万丈と云える1ヶ月弱を振り返る。

 

存在すら忘れていた父親からの手紙に――当初封筒の中身(・・)から、悪戯の類だと誤解し――何事かと思い、少し思案して退屈な日常へのスパイスを求めて、召喚に応じた。

訪れた第3新東京で『白い少女のイメージ』に始まり、エヴァ初号機そして綾波レイとの運命的な出会い。

レイを助ける為に初号機に搭乗しろく(・・)に説明も訓練も受けないまま、使徒(サキエル)との実戦を経て、白い少女を探す為とレイを放っておけないが故に、ネルフに残る事を決めた。

それから半月程は特に事件は無かったが、使徒シャムシエルとの戦闘では、新兵器(サンダースピア)でコアを串刺しにした直後、背面から光のムチで攻撃され肝を冷やしている。

 

そして今、シンジは迷っていた。使徒と戦う事に関しては構わない。

だが、あの『白い女性(しょごうき)』に相応しい人間であるのか。シンジはエヴァに乗る理由を見失いつつあった。

 

 

パイロットをする理由だけでなく、自分自身すら見失いそうな沈黙に耐えかねて、シンジは口を開いた。

 

「綾波、少し……聞いて欲しい事があるんだ」

「なに……?」

「僕が初号機(エヴァ)に乗っていた理由」

 

視線を正面から動かさないレイに倣って、シンジは満ちた月を見上げながら語り始めた。

 

「――崇高な理由じゃ無い。初めて君と逢う少し前に感じた脳量子波の持ち主を捜す為に、ここに残ったんだ。彼女がエヴァやネルフと関係があると思って……」

「……今は違うの?」

 

素っ気ない言葉と意識、しかし不思議と真摯である事が脳量子波から感じられた。

 

「今は……分からない。使徒を斃したいって気持ちは本当だけど、自分に初号機(エヴァ)に乗る資格があるとは思えないんだ」

「そう……」

 

傷付けようとした少女に、心情を吐露する事の厚顔さを自嘲しながも、言葉は止まらなかった。

 

「悪意が渦巻いている世界が嫌いで、何事にも無気力で……諦めてた。何もせずに腐っていく自分を、他人事みたいに眺めていたんだ」

 

とは云ってもそれなりに好き勝手して(たのしんで)来たけどと、シンジは苦笑する。

 

「そんな僕でも、彼女(・・)に逢えば、何か変わるかも知れないって思ったんだ。でも今は……いや、僕には――」

 

彼女に逢う資格がない、と喋らずにシンジは口を噤み、少しの沈黙の後、重たげに吐き出されたのは懺悔であった。

 

「――僕は……君を、傷付けようとしたんだよ。そんな、酷い事が出来る様な人間なんだ。彼女に会わせる顔が無い……」

「あなたから……わたしは何もされていないわ」

 

単純な事実を告げるレイの言葉は穏やかであった。シンジを責める理由が無いと云う、意思が感じられるような気がした。

いつもと変わらない平坦な脳量子波。これはシンジの希望を含む錯覚かもしれないが、心なしか受け入れられている様な雰囲気があった。

 

「ありがとう……もう少し、話してもいいかな?」

「好きにしたら……」

 

段々と当初の話題から乖離し、エヴァに乗る理由から身の上話に移っていった。

そして、

少しから沢山へと、紡がれた言の葉が積み重なっていった。

 

母親(ユイ)が死んだ後の事や、以前の生活についての事など、シンジは静かに語り続けていた。

 

「(何故僕は、綾波にこんな事まで話しているんだ?)」

 

あの告解がなされた時点で終っても良かったのに、未だに話し続けている。

自分を理解して欲しいなんて望んではいない。

理由は分からないけど、ただ知って(きいて)欲しかった。

 

 

月明かりに照らされた静謐な時間の終わりを、無粋な電子音のアラームが告げた。

 

「時間よ。行きましょう」

 

並んで座っていた2人は同時に立ち上がり、エントリープラグ(コクピット)のハッチに登った。

自分ばかりが一方的に話していた事に悔いが残っていたシンジは、沸き上がる衝動的な想いに駆られ、エントリープラグの中に入ろうとするレイに声を掛けた。

 

「綾波! 君がエヴァに乗る理由を、教えてくれないか?」

「他に何もない私の……絆だから」

 

その時、ゲンドウのイメージが(・・・・・・・・・・)伝わって来ない(・・・・・・・)事に、シンジは執拗とさえ云える程に話し続けた理由を理解した。

 

「あの人……司令との絆は無いのか!?」

「とっくに時間よ。さよなら……」

 

レイは答えず、エントリープラグの中に消えた。

 

 

 

 

シンジは初号機のエントリープラグ(コクピット)で、あんなにもレイが真剣になる理由を噛み締めていた。

レイの直向(ひたむ)きさは孤独の裏返しだ。少しでもそんな彼女の慰めになればと、シンジは言葉を紡ぎ続けていたのだ。

孤独故に、レイは自らの存在意義を問い続け、真剣に実践を続けているのだろう。そんな彼女が防御を担当する作戦だ。レイは間違いなく命を掛けて命令を遂行する。

 

とびきりの気合いが入った。

試作型陽電子狙撃砲(ポジトロンスナイパーライフル)のチャージ時間は約20秒、零号機(レイ)の持つ盾の耐久時間は約17秒だ。

初撃、最悪でも第2射目でラミエルを斃さなければレイは死ぬだろう。

 

「(絶対に、勝つ!)」

 

そして、午前0時00分、ヤシマ作戦がスタートした。

 

 

日本中から集められた電力が試作型陽電子狙撃砲(ポジトロンスナイパーライフル)に注ぎ込まれていく。

 

「シンジ君、日本中のエネルギーあなたに預けるわ」

「了解……」

 

答えたシンジの双眸は金色に輝いていた。

今日は出し惜しみはしない。全身全霊を以て難攻不落(あの)要塞(シト)を打倒する。

 

四方八方から撃ち込まれる陽動部隊の攻撃は苛烈を極めていたが、正八面体から砂時計・紡錘(ぼうすい)形などに目紛(めまぐ)るしく変形して、使徒はビームを放ち、ことごとくを迎撃する。

更に各種の砲台や攻撃機を次々と破壊していった。

 

「チャージ完了まで20秒、撃鉄おこせ」

 

伏せ撃ち体勢の初号機がボルトアクション式の撃鉄を操作し、陽電子砲の雷管となる巨大なヒューズを銃身に送り込んだ。

シンジの頭部を狙撃戦用ヘッドマウントディスプレイが覆い隠す。モニター上には、誤差修正用も含め10以上のデータが表示されていた。

陽動部隊の攻撃によって露見したコアの位置、読み取ったデータから丁寧に照準と誤差を修正する。

だが、発射5秒前の時点で、それまでの調整が無意味になった。

 

「目標に高エネルギー反応!」

 

本命に気付いた使徒は、初号機に狙いを定め、折り紙で作った造花の様な形に変形しコアの位置も変わる。

 

「(先に撃てるか!?)」

 

先に撃てれば勝機はあると云うミサトの賭けじみた思考を嘲笑うかのように、シンジは恐るべきスピードで反応する。

 

「対応する!」

 

即座にそれまでのデータを破棄し、新たに読み取ったデータを脊髄反射以上の速度で照準に反映させていく。

そして発射(チャ-ジ)まで後1秒と云うところで、ロックオンを完了させた。

 

「発射!」

 

チャージ完了の瞬間――ミサトの号令より早く――シンジは引き金を引いた。

 

試作型陽電子狙撃砲(ポジトロンスナイパーライフル)から陽電子のビームが発射された直後、使徒もまた加粒子砲を発射した。

 

 

1億8千万キロワット以上の電力、エネルギーに換算して約400万メガジュール、単位当たりの威力はN2兵器数発分にも匹敵するであろう加速された陽電子(ポジトロンビーム)は、使徒のATフィールドを突破しその身を貫いた。

 

「(外れた!)」

 

減光フィルターの掛かった視界(モニター)から捉えた事実にシンジは歯噛みする。

使徒の攻撃による大気状態の変化、着弾前に発生した高出力のATフィールド、それらの要素により僅かに弾道が逸れたのだ。

幸いにも敵の攻撃も逸れて直撃を免れているが、至近距離に着弾した衝撃は強烈で、カートリッジ(ヒューズ)の交換すらままならない。

 

 

着弾の衝撃をやり過ごすと、シンジは使用済のカートリッジ(ヒューズ)を予備と交換する。それと連動したシステムが、自動的に陽電子砲の発射準備(リチャージ)を開始した。

過熱した銃身の冷却、新たに生成した陽電子の薬室内(チェンバー)へ再充填、粒子加速装置の再励起準備、人類の英知を集約した高度で複雑なシステムがその牙を研いでいく。

 

「目標に再び高エネルギー反応!」

 

だが、敵の方が早い。コアへの直撃は免れたとは云え、その身を貫かれた使徒は海栗(ウニ)の様な形状になって暫く硬直した後、反撃してきた。

が、その対応は遅い。既に陽電子砲の再発射まで10秒を切っている。零号機の盾の耐久時間は17秒だ。7秒の差で使徒のコアは撃ち抜かれるだろう。

 

「目標に変化! コアの位置が判別できません!」

 

使徒の体表面の状態が不規則に変化し、コアの場所を隠してしまう。生き残る為の環境(きょうい)への適応だった。

後、10秒で盾が融解する。

 

指揮所(そっち)でコアの位置は判りますか!?」

 

どこか皮肉げな普段のシンジからは想像できない程、切羽詰まった悲痛な叫びだった。

盾の耐久時間、後6秒。

 

「現在MAGIで解析中! 20秒で解析できるわ!」

「(20秒! チャージは終わってるのに!)」

 

シンジと初号機が加粒子砲に耐えられたのは10秒にも満たない。初号機より装甲が薄い零号機と、女の子であるレイが、倍の時間に耐えられる訳が無い。

 

「もういい! 逃げろ、綾波!」

 

レイは答えない。答える余裕が無いのかも知れないが、彼女は命を投げ出す気でいる事が判った。

後3秒。みるみる盾が熔け出していった。

 

「(何か……何か、手が存在する(ある)筈!)」

 

零号機が、レイの命が蒸発し(とけ)ていく、走馬燈の速度で回転する思考の中、シンジは天啓を見出した。しかしそれは諸刃の剣であった。

後2秒。

自ら脳量子波を発して、初号機に呼びかける。

 

「脳量子波の遮断を解除しろ!」

 

初戦以来、沈黙を保っていた初号機から、困惑のイメージが伝わって来た。

後1秒。盾が一気に融解する。

 

「頼む!」

 

後0秒。零号機の盾が完全に蒸発し、シンジの意識は光の奔流に呑み込まれた。

 

 

コアとは、使徒にとって心臓であり、また脳髄そのものであり、すなわち使徒の脳量子波の発信源そのものだ。

最初の(サキエルとの)戦闘以降、初号機は使徒の脳量子波を遮断している。それは凄まじい濁流の如き暴力的な脳量子波が、シンジの脳に多大な負荷を与える為だ。

今回は逆に遮断を解除し、脳量子波の発信源たるコアの場所を特定しようとしているのだ。

しかし、それは余りにも無謀な行為であった。

 

「が……ぁ!」

 

外敵を排除するという明確な意思をもって発せられる、極めて強力な脳量子波は、膨大な悪意の刃となってシンジの全身を切り刻んだ。

烈風や激流どころか衝撃波(ソニックブーム)で、インテリア(コクピットの)シートに押し付けられて、指一本すら動かせない。

虹彩が金色に輝いている眼は限界まで見開かれ、口は半開きになり呻きが漏れている。

 

そんな中、一瞬だけ感じた使徒以外の脳量子波が伝えたもの。半日前に自分が感じた以上の熱と、初号機を守るという強固な意志。

吹き飛びかけていた闘志が、烈火となって燃え上がる。力の抜けていた両手が握り拳を作る(レバーをにぎる)。ブラックアウトしていた視界を無理矢理戻す。

 

「ぅ……うおぉお!!」

 

あの少女を孤独なまま死なせはしない。

無意味な情報なんか受け流せ、使徒の(この)脳量子波(ひかり)向こう(さき)へ。

 

際限なく上昇する血圧と心拍に、毛細血管が頭部のそこかしこで断末魔の悲鳴を上げる。

 

真っ直ぐに進め。この奔流を遡って征け。ただ真っ直ぐ前に、未だ見えない未来を求めて。

奴の居場所(コア)を突き止めろ!

 

「見つけた……」

 

そして遂に、朱く染まった視界の中で使徒のコアの位置(レイがたすかるきぼう)特定し(みつけ)た。

 

 

仮設指揮所のミサトは唇を噛んでいた。

レイを犠牲にしなければならないこの状況と、それを肯定し、(あまつさ)彼女(レイ)ならば最後まで(しんでも)命令を遂行するだろうと考えている自分に。

 

「基準点設定、キャリブレーション――ポジトロンライフル発射をする」

 

その時、双方向通信回線から聞こえてきたシンジの声に、いち早く反応したのはリツコだった。

 

「待ちなさい! まだ解析は――」

「――構わないわ! 撃ちなさい!!」

 

射撃の敢行を止めようとするリツコを遮り、奇跡を信じてミサトは叫んだ。

 

 

インダクションレバーとコンソールをシンジの手が奔り、コアの位置を手動で入力。データに従い、システムが全ての照準データを表示する。

極限まで集中したシンジは、照準と誤差修正(すべて)を1秒にも満たない刹那に完成させた。

 

「初号機、目標を狙い撃つ!」

 

使徒の加粒子砲から、両手を広げて初号機を守る零号機。

その脇から、400万メガジュール以上の高エネルギー収束帯が解き放たれ、夜を切り裂いて進む一条の光は、見事使徒のコアを撃ち抜いた。

 

 

使徒の脳量子波を受け止めた影響で、鼻血と血涙を流し息を荒げているシンジの目に、装甲が焼け焦げて倒れ込む零号機が映った。

 

「くッ!」

 

即座に零号機の後首の装甲を引っ剥がし、LCLが緊急排水されたエントリープラグを掴んで地面においた。

初号機のエントリープラグを半射出(イジェクト)させて、開いたメンテナンス用の大型ハッチまで泳ぐ間に、瞬きをしながらわざと(・・・)鼻息を荒げ、LCLで鼻血と血涙を洗い流す。同時に大きく息を吐いて肺の中のLCLを少しでも減らしておいた。

 

ハッチの縁に手を掛けると一気に身体を持ち上げ、初号機の首筋から地面まで20メートル以上の高低差をムササビの様に一気に駆け下りて、零号機のエントリープラグに取り付いた。

 

 

内部からレイの脳量子波が感じられない事に、最悪の想像が脳裏を過ぎる。

 

「今、助けるから!」

 

ハッチの把手(ハンドル)を握り締めて、足を踏ん張り一気に回転させる。プラグスーツの掌部分から煙が上ったが不思議と熱さ(いたみ)は感じなかった。

直ぐに開いたハッチより、中に飛び込むと、シートに身体を投げ出して意識のない様子のレイがいた。

 

「綾波! しっかりしろ!」

 

ぐったりとしているレイの肩に手を着いて軽く揺すると、彼女の目蓋が僅かに動いた。外と内の温度差に因って吹き込んた涼しい夜気を、レイが無意識に吸う。

生きている。その様子を見て、絶望に囚われていたシンジの心が、歓喜に変わる。

 

「よかった。本当に、よかった……」

 

レイが生きている事に、シンジの頬を温かい涙が流れ落ちる。

 

程なく意識を取り戻したレイが見たのは、俯いて嗚咽を漏らすシンジだった。

レイは思う。作戦が成功したらしい事は何となく分かるが、それならば何故シンジは泣いているのだろうと、疑問を覚える。

 

「なぜ、泣いているの?」

「……君が生きていてくれて、嬉しいから」

 

存在を無条件に認め祝福する言葉に、レイは心が温かくなるのを感じた。そしてこの温かさ(ぽかぽか)をくれた相手(シンジ)に、何かをしてあげたいと思う。

しかし、何をすれば良いのか、何が出来るかさえ分からなかった。

 

「ごめんなさい。こんな時、どうすれば良いのか分からない」

 

その事が申し訳なかった。

 

何となく、レイが困惑しているような雰囲気を出している事に気付いたが、シンジはその言葉を聴くまでその理由が分からなかった。

もっと早く気付けていればフォローが出来たのにと――そしてそんな簡単な事も分からないレイに――シンジは優しく目を細め口元に微笑を浮かべる。

 

「笑って欲しい――笑えば、いいと思うよ……立てる?」

 

そう云って差し出した手を、レイが取った時だった。

 

反則だと思った。よりにもよってこのタイミングで、そんな微笑(かお)をするなんて。

だが、そのタイミングは必然だった。暖かな体温を感じたレイが、自然と微笑むのは当然の事だった。

 

「(そうか、僕は綾波(この子)が好きなんだ)」

 

一瞬にして心の全てを攫われたシンジは、漸く理解した。

好きだから嫉妬し、好きだから守りたいと想い、好きだから相互に理解し合いたいと願ったのだ。

 

 

エントリープラグの外に出ると、レイに肩を貸して指揮所に向かおうとしたが、どうにも彼女の足元が覚束なかった。

 

「ちょっとごめんね」

 

そう云ってシンジは、レイを抱き上げる。左腕で背中を、右腕で足を持ち上げたのは、母親が赤子に鼓動を聞かせる為だと、見聞きした事があったからだ。

持ち上げたレイの身体は、以前と同じでとても軽かったが、とても重く感じた。決して落としたりしないように、シンジは腕に力をこめる。

 

指揮所に向かって、シンジはゆっくりと歩いていた。レイは温もりを求めるように、少年の薄い胸板に頭を預けている。

 

「(僕は君が好きだ。でも暫くは――彼女に逢うまでは――この気持ちを伝えないでおくよ)」

 

白い少女(イメージ)と逢うまでは、告白は保留する。それにレイとは兄妹かもしれない。

諸々の事に決着が着くまでは、想いを伝えるべきでないと、シンジは決めた。

 

「(でも……)僕たちは、きっと家族になれるよ」

「どうして、そんな事が云えるの?」

ちょっとした(・・・・・・)カン(・・)だよ」

 

レイの疑問に対して、穏やかに……でも愉快そうにシンジは言い切った。

 

 

ニヤニヤ顔のミサトと、ポカンとした顔のリツコを尻目に、救護班のストレッチャーに抱き上げたレイを乗せる。

レイは名残惜しそうな雰囲気を出したが、これ以上は専門家にバトンタッチするべきだろう。

 

ニヤニヤを通り越して、最早下品のレベルにまで顔を崩したミサトが近寄ってきた。

思考を読むまでもなく表情だけで、彼女の行うであろう事が分かった。疲れている現状で、アホの相手は御免被りたい。

ミサトから離れようとした時、急に地面が(・・・)波打って(・・・・)近づいてきた(・・・・・・)。同時に視界も黒く染まる(ブラックアウト)

 

倒れ込んでいく身体が、意外な力強さと柔らかさで受け止められた。

 

「お疲れ様、シンジ君。後は私達に任せてゆっくり休みなさい」

 

頭上から振ってきたミサトの声は、夢で見た母親(ユイ)の様に優しかった。




旧版の「第4話 白い傷跡、黒い鮮血」と「第5話 眩い闇を越えて」を一纏めにしました。

しかし改めて見返すとシンジは中々にけしからん少年です。
リツコとのデートに始まり、お約束のラッキースケベ(笑)をこなし、レイをお姫様抱っこ。最期はミサトの胸にダイヴとか(笑)。

さて、ロックオンの決め台詞や、某カリスマ歌手について話すのは、以前と同じで芸がないので、
次回予告でもしてみます。


次回予告~。
レイを助けた代償に、脳量子波を失ったシンジ。急低下したシンクロ率。
大幅に弱体化した初号機で、戦力低下を補う新システムの実験が開始される。

一方、遠く離れたEU。
地中海に使徒出現の報を受け、ネルフユーロのエースが愛機と共に飛び発った。

次回、ヱヴァンゲリヲンFIS第4話、
『智慧のつくりし炎』

なんちゃって。


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第4話 智慧のつくりし炎

智慧はヒト、炎はモノ、と云うルビがつきます。
タイトルやサブタイトルにはルビが使えない事がちょっぴり不満だったり。


目覚めたシンジは、まず台所に直行し、炊飯器のスイッチを入れてから浴室に向かった。

セカンドインパクト以来の異常気象で、日本の気候は温帯から亜熱帯に変化しており、朝風呂を習慣とする人は多い。

 

軽く冷水のシャワーを浴びたついでに、(くち)(すす)ぎ、洗顔も済ませる。前日の内に、脱衣籠の中に入れておいた着替えを身に纏って、台所に戻った。

鍋に水を張り、IHクッキングヒーター(電子コンロ)の火力を大に合わせる。米が炊かれる匂いが食欲を誘う中、冷蔵庫から卵と青菜、前日のおかずを取り出す。

卵と青菜を調理台に置いてから、昨日の夕飯に供された雪花菜(おから)の煮付けの煮凝り風―――ばらける(・・・・)のが嫌なのでゼラチンを投入してデッチ上げた―――を食卓(テーブル)に置き、食器棚から茶碗と汁椀と皿をを出して、茶碗だけを食卓(テーブル)に残して、あとは台所に持って行った。

 

シンプルで使いやすいシステムキッチンに戻ったシンジは、コンロ(IHヒーター)に置かれた鍋と、テフロン加工されたチタン合金製のフライパンの様子を見る。

鍋の水はまだ沸いていないし、フライパンも熱くなるにはもう少し掛かりそうだ。

流しに置いたたらい(・・・)に水を張り、茎の根本を切った青菜を流水でジャバジャバ洗う。洗った青菜は俎板(まないた)の端に置いておく。

汁椀に卵を割り入れて菜箸でかき混ぜる。丁度よく熱せられたフライパンに溶き卵を注いで卵焼きを作り、皿に移す。

沸騰した鍋の電子の火を一度止めて、青菜を突っ込み直ぐに取り出して俎上に戻す。鍋のお湯を捨て、新たに水を入れ再度電子の火に掛ける。

 

沸騰した鍋に大根→豆腐→ワカメの順に入れて最後に出汁入りの味噌を加えてひと煮立ちさせる間に、青菜の水を切り、適当なサイズに切って出汁醤油と擂(す)り胡麻(ゴマ)を軽く振りかけてお浸しを完成させる。

 

「ふふっ……」

 

味噌汁とお浸しを一応(・・)味見して、シンジは満足そうな笑みを浮かべる。

 

その時、背後に人の気配を感じた。誰かは判っている。

体重は羽のように軽い上に、あまり汗をかかない体質らしく、フローリングの床は微かにヘタヘタとした音しか立てることがない。

 

「おはよう、レイ」

 

誰かの為に食事を作る事の楽しさを、知る切っ掛けとなった少女に振り向いて、シンジは微笑んだ。

 

「おはよう、シンジくん……」

 

シンジから借りた――彼が殆ど着ない為、貰った近い――ロングスリーブのYシャツを羽織ったレイもまた微笑んだ。

脳量子波を介さずとも、レイが幸福を感じている事が何となく分かる。シンジの脳量子波と引き替えに、2人は家族を得たのだ。

 

 

 

 

ヤシマ作戦の後、病室で目を覚ましたシンジは脳量子波(そうおん)感じられ(きこえ)ない事を訝しんだまま受けた精密検査の後、リツコから脳量子波を失った事を宣告された。

その事に驚きはせず、どうにも常に眠気があるような感覚の、原因を知る事が出来たと納得した。

もう一つリツコが告げたのは、流れ弾か落下した兵器の破片によって、レイのマンションが文字通り粉砕されたという事だった。

 

レイが住処を失った事を聞いたシンジがした提案に、リツコは驚いた表情をした後、人の悪そうな笑みを浮かべて、その提案を受け入れた。

ただ、シンジと同居しようとした時、彼の物理的実力(ぶりょくかいにゅう)によって断られたミサトが猛烈な抗議を行ったが、リツコの一睨みですごすご退散している。

 

その後、レイの為――ケーキを用意した程度の――ささやかな歓迎会に、彼女(レイ)の好みを教えてくれたリツコだけ(・・)を招待したのだが、コバンザメのようにミサトもくっついて来た。

 

(うち)は未成年だけなので、アルコールは持ち込み禁止です」

「えー、カタいコト言わないでさ~」

 

シンジが目敏く見付けた大量のビールについて指摘した所、ミサトは強引に侵入しようとするが、力尽くで叩き出された。

 

「ふん、脳量子波(はんしゃしんけい)失った(おちた)けど、身体能力(うんどうしんけい)まで衰えてはいないんだよ」

 

目を回しているミサトを哀れむ様な目で一瞥してから、ちゃっかり玄関の脇に待避していたリツコは部屋に上がった。

 

 

 

 

食卓に並べられたのは、白米、大根とワカメの味噌汁、卵焼き、青菜のお浸し、雪花菜(おから)の煮凝り風と云う、実に健康的な献立だ。

欲を言えば、もう少し動物性タンパク質(にくぶん)が欲しい所であるが、レイは肉が嫌いなのである。

尤も、肉や魚は駄目ではあるが、卵やゼラチンなどは平気である事から菜食主義者(ベジタリアン)と云う訳でもないらしい。恐らく何らかの精神的要因があるのだと、シンジは考えている。

大切な(そんな)家族の為に、シンジの料理の腕はここ最近目覚ましく向上している。

 

 

現在、対外的に2人は同居している従兄妹と云う事になっている。

シンジとしてもレイとしても、特に互いの呼び方を改める気はなかったのだが、学校にて些細な一件から同居が発覚し、その際の遣り取り(なりゆき)から名前で呼び合うようになった。

 

無論、簡単に年頃の男女が同居する事に納得するような、中学生達ではないが、あの()少年に対して「君は妹に欲情するのか?」と訊いた処、短期間で沈静化した。

尤もそれが方便である事を、レイは分かっているようだ。

 

同居を開始した当初、レイは素っ裸でリビングを闊歩したりしていた。訊いてみれば、服を持っていないそうなので、シンジが自分の服を自由に着てよいと云ったのは記憶に新しい。

しかし、シンジが以前の学校にいた時分に購入したはよいが、お蔵入りしていたYシャツをいたく気に入ったらしく、全裸が半裸になった程度である。

それでも下着(ブラ)を着けない為に相当に扇情的である――件の()少年なら勘違いして襲うだろう――が『3日で、美人は飽き、ブスは慣れる』という言葉があるとおり、シンジもすぐに慣れた。

 

 

食後、牛乳をレイのコップに注ぎながら、シンジは口を開いた。

 

「今日の進路相談は、最上アオイさんが来るらしいよ」

「誰、その人?」

「MAGIメルキオールの主任オペレーターだよ。彼女が適任だってMAGIが判断したらしいよ」

 

当初、ミサトが保護者代理として来ようとしていたらしいが、リツコが偶々出来た暇なときにシミュレートして、アオイの抜擢を決定したと聞いた。

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

 

その挨拶をシンジは何となく云っている。レイは口元に満足を湛え、肉を食べられない己に気を遣ってくれる感謝もこめて云った。

食事が終わると、汚れた食器を軽く濯いで、片端から食器洗い機に放り込む。ちなみにこの食器洗い機は最新型である。

シンジのパイロットとしての給料は、既に十年くらいなら遊んで暮らせるくらいの額に達しており、金に明かせて、洗濯機などの家電は最高級品を揃えている。

 

基本的にシンジは弁当を作らない。毎日の陽気では痛むのも早いので、購買や学食を利用しその場で済ませてしまう事にしていた。

しかし、今はレイもいるので、あまり妥協をしたくない。結論として便利グッズを通販で購入し、毎日弁当を作って持って行くようになった。

 

後片付けを終え、身支度を調えた2人は玄関で靴を履いた。

 

「いってきます」

「いってきます」

 

誰も居ない部屋に挨拶が響く。

隣の少女以外の物事への関心が薄いシンジだが、レイから伝わる気持ちを大事にしようと心をこめて……。

無表情に見えて物事に真剣に取り組むレイは、生きている事を祝福してくれた少年と共有する空間に想いをこめて……。

それぞれ、挨拶をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧東京台場跡地に行ったミサトからの緊急連絡を受けた日向は、申し訳なさそうに告げた。

 

「今は東京に向かわせられる機体がありません」

「はあ!? 修理中の零号機はともかく、初号機は動かせるでしょ!」

「今、初号機は技術部の管轄になっていて、僕らには権限が無いんです」

 

ミサトによると、JA(ジェットアローン)とか云う歩く原子炉の暴走を止める為、エヴァで目標を抑え込んで内部に進入し非常停止システムを直接作動させるらしい。

 

 

実験管制室で第二次特殊連動解析実験の指揮を執っているリツコに、日向から連絡が来た。

 

「何の用? 今とても忙しいのだけれど……」

 

この実験の重要性を誰よりも確信しているリツコの態度は刺々しかった。尻込みしながら用件を伝えた日向は、早々にミサトに替わる。

JAを止める為初号機を使わせろと云うミサトに、辛辣な言葉と皮肉を叩き込んでリツコは回線を閉じる。

その後日向へと繋ぎ、今日は使徒襲来かそれに準ずるような非常事態以外で連絡を入れるなと念を押した。

 

受話器を乱暴にラックに叩き付けたリツコは、実験用エントリープラグを搭載した初号機に乗るシンジに声を掛けた。

 

「どう? ラミエル戦の直後と比べて」

 

ヤシマ作戦後の最初のシンクロテストで、シンジのシンクロ率は30%以上急低下し、エヴァの操縦も思う様にいかなくなっていた。

それ故にこの実験の重要度は高まっていた。

 

「良い感じです。以前程では無いですけど、反応も悪くない」

「それは良かったわ。シンクロ率も若干ではあるけど回復しているし、これなら以前以上の戦闘力を発揮するのも不可能ではない筈よ」

 

回復した数値は数%程度だが、それは未だシステムが完全ではないからだ。

リツコはいずれシステムが完成すれば、理論上、現在の状態から初号機の性能が50%向上する程の効果が見込めると踏んでいる。

脳量子波を失って弱体化したとは云っても、シンジの反応速度も操縦技術も高い水準を保っている。

それだけにこのシステムへの期待も大きかった。

 

 

 

 

夕方になって、リツコの代わりに旧東京に赴いた加賀ヒトミを伴って、ミサトが第三新東京に帰ってくるや否や、リツコを睨み付けた。

結局、炉心融解直前で非常システムが作動し大事は免れたが、(わだかま)りは残ったようだ。

 

「ミサト、使徒撃退こそが最優先事項よ。そしてその為のエヴァンゲリオンなの、その事をよく理解して欲しいわ」

 

そう云ってミサトの視線を涼しい顔で受け流す。

そして今日の成果と、件のボロット(JA)など問題に成らない、遠くヨーロッパで発生した非常事態ついてリツコは語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ地方、地中海に出現した使徒を叩く為、ネルフユーロ・ドイツ本部からエヴァンゲリオン弐号機を乗せたウィングキャリアーが飛び立った。

エヴァ空輸の為に開発された全幅300メートル超の全翼機は、機体中央下部にエヴァを固定する巨大な溝が機首付近にまで続いている。今回のフライトはイタリア南部の沿岸までだ。

エヴァという巨大な物体を搭載して、数百~数千キロメートルもの距離を飛行する史上最大の航空機には、船舶と比較しても遜色ない居住スペースがあった。

 

エヴァパイロット向けに(あつら)えられた個室(キャビン)は、飛行機内の一室という事を考えれば破格の広さと機能性を併せ持っている。

ドイツの保有するエヴァンゲリオンは弐号機のみ。当然その輸送機も1機だけである故に、この部屋は事実上唯1人のプライベートルームだ。

エヴァ弐号機専属パイロット、惣流アスカ・ラングレーはプラグスーツに身を包み、キャビンで1人ティータイムと洒落込んでいた。

アスカは赤毛のブロンドロングヘアーを、インターフェイズヘッドセットでツーサイドアップに結い、端正な顔立ちに驕慢そうな大きな目をしている。

彼女は、半分近く残っていたカップ(レモンティ)を一思いに傾けると、視線を機外へと向ける。

 

「もうすぐね……」

 

初めての実戦に、不安や緊張がないと云えば嘘になる。だが、訓練に於いて、十年近くも好成績を維持し続けてきた自負が、恐怖を武者震いに相転移させていた。

更に、ネルフ総本部では既に3体もの使徒を斃しているのだ。それも碌な訓練も受けていないド素人(パイロット)の手によってだ。

 

「負けられないわよ。アスカ……」

 

故に今日は全力で勝ち(・・)に征こう。今まで(どりょく)の結果を証明する為に。

窓に映った碧眼は、紅蓮の炎を灯していた。

 

 

エントリープラグへ搭乗する為のエアロックは――エヴァ操縦者(パイロット)には、ファーストクラス以上の快適な空の旅を提供するウィングキャリアーの中で――アスカが大嫌いな場所の1つである。

構造上、気密が不完全になりがちで、耳が痛くなる――解消の為に鼻を摘んで唾液を飲み込むなど、女として(そうりゅうアスカ)部分(プライド)が許さない――し、おまけに肌寒い。

アスカは軽やかな身のこなしで、コクピットシートに収まり、速やかにエントリープラグのハッチを閉めた。

 

 

 

 

エヴァ弐号機の全身を包む、鮮やかな赤い装甲は、専属パイロットの猛々しい気性を表しているようだ。

同色のスーツを纏ってインテリアシートに跨ったアスカは、望遠モニターで捉えた使徒の姿を見ると、エヴァ弐号機の起動シークエンスをスタートさせる。

 

「LCL Fullung.Anfang der bewegung anfang des nerven anschlusses. Ausloses vou links-kleidung. Sinkio-start」

 

水面を結晶化させて、海上を歩いてくる使徒は、どこか水飲み鳥に似ていた。

しかし、人工物とも生物とも云い難い、鳥類の頭蓋骨と昆虫そして振り子を切り貼り(モザイク)した様な高さ数百メートル以上の2本足は、バランスと云う概念に喧嘩を売っている。

 

「エンゲージポイントまで後90秒、コントロールをエヴァ弐号機に譲渡します」

「了解。Ich(イッヒ) habe(ハーベ) Control(コントール)( アイハブコントロール)」

 

キャリアーのパイロットから、エヴァ専用ハードポイントのロックを譲渡される。

緊張が高まるが、ゆっくりと深呼吸をしてリラックスを試みると、ほどよい緊張感だけが残った。

 

目標の暫定呼称を水飲み(Trinken)(Vogel)、略称TVでは紛らわしいのでトリィ(Tri)とでも呼ぼう。

そんな事を言っていたネルフユーロ司令に倣い、予定ポイントまであと20の位置で、アスカも出撃の号令を取る。

 

「(行くわよ! アスカ)エヴァンゲリオン弐号機発進! トリィ撃滅作戦スタート!」

 

アスカの手が無駄のない動きでコンソールを滑ると、固定ロックが解除され、うつ伏せで固定されていたエヴァ弐号機が、ゆっくりと後方にスライドし、宙に飛び出した。

 

 

高空より落下し始めた弐号機の背から、腕を広げた以上の全幅の翼が展開される。肩のウェポンラックを挟み込むように配置された、後方に向いたメイン2機、前方に向いたサブ2機のブースターが起動する。

 

エヴァンゲリオン空挺用S型装備は、腕部及び脚部の装甲を専用安定翼(フィン)に換装し、専用バックパックを装着する。

専用バックパックに繋がる、エヴァが両腕を広げた程もある前進翼と、高性能ターボジェット。

更に優れた空力制御システムと、何より熟練したパイロットの技量によって、エヴァを――限定的ではあるが空中戦を行える――モーターグライダーに変化させる装備である。

 

弐号機に遅れる形で、この空挺強襲作戦の為に用意された専用武装も、ウィングキャリアーから投下される。

 

エヴァ専用超電磁洋弓銃(クロスボウ)――ガムの包みのような直方体に近い形状で、同じ射撃兵装である専用突撃銃(パレットライフル)と比べると、大型で嵩張(かさば)り取り回しが悪い。加えて、装填弾数や連射速度も大きく劣っている。

しかし連射性で劣る分、命中精度と集弾性は向上している。更に、鉄とカーボンマテリアルの複合素材から成る矢は、貫通力と破壊力という点では比較にならない程だ。

 

 

アスカは手慣れた様子で弐号機を減速させ、遅れて落下してくるクロスボウを掴もうとするが、それは叶わなかった。

水飲み鳥(トリィ)の頭部――棒の如き首の上に、鳥の骨に似たものが付いている――から、明らかに一桁では足りない数の触手が伸びてきたのだ。

十数本の先が尖った触手は、稲妻のような鋭角的な軌跡を描いて弐号機に襲い掛かった。

 

「チッ!」

 

四肢を僅かに傾ける事で軌道を変え、弐号機は触手を回避するが、クロスボウから離れてしまった事にパイロットは舌打ちする。

 

更に使徒の追撃、回避した触手は反転して、或いは大きな曲線を描いて再び襲い掛かる。

バックパックから伸びる主翼の操作、腕の振りによる回転モーメントへの寄与、アスカは巧みな操縦で使徒の攻撃をことごとく回避する。

 

Scheiße(クソッたれ)!」

 

だが、現状はジリ貧である。このままでは、専用武装(クロスボウ)を回収して、攻勢に移る事すら出来ず、作戦は失敗に終わる。

故にアスカは専用クロスボウの回収を諦め、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「アスカ、作戦をBプランに変更するわよ」

 

プランAはクロスボウを使用した空中狙撃による目標の殲滅。一見無茶な作戦(インポッシブル)ではあるが、アスカの腕前とドイツ謹製の射撃管制システムが合わされば、十分に実現可能かつ安全性も低くないミッションだ。

そしてプランBは、まさに現実的な作戦ではない。だが、アスカの表情に焦燥感はなく、それどころか暴力的に口元を歪めていた。

 

 

ジェットエンジンをフルスロットルにして、空中姿勢を安定させると、アスカは弐号機の両腰に装着されていた武器を引き抜いた。

グリップがやや大きいプログナイフに見えるそれは、その実プログナイフを遙かに凌駕する攻撃力を秘めた新装備である。

速度の落ちた弐号機に迫る触手を、短い刀身から伸びた青白い光が切断する。上下左右から急襲する触手を光剣の二刀流が片端から斬り裂いていく。

 

試作型プラズマソード――基本原理はネルフ日本総本部に配備されているサンダースピアと同じで、プラズマを発生させその高熱とイオン流で対象を溶断する武装である。

違うとすればその運用思想(コンセプト)だろう。サンダースピアが兵器としての安定性を追求して大型化したのに対し、プラズマソードは近接格闘装備としての取り回しを追求して小型化した。

 

使徒の頭部らしき部分から伸びてきた触手を、半分程切り払った頃、アスカはプラズマソードを投擲した。

投擲された2本のプラズマソードは、使徒の触手に当たる直前で、プラズマの刀身が消えるが、望んでいた筈の成果を得られなかったアスカの顔に動揺はない。

これがプラズマソードの欠点だからだ。小型化したが故の稼働時間の短さ、数十秒程度しか刀身を維持する事が出来ない。

 

 

プランBはプラズマソードによる近接戦闘、自由に動けない降下作戦であることを考えれば、明らかに不可能に近い作戦(ミッションインポッシブル)だ。

アスカとしては、より高難易度の作戦(アドヴァンスド・プラン)を遂行した方が、箔が付くと考えているが、失敗しては元も子もない。

そして、プランBは“クロスボウの回収が不可能になった場合”における付け焼き刃の作戦だ。逆を云えばクロスボウの回収が不可能で無い状態(・・・・・・・・)を想定していない。

 

使徒の触手をプラズマの刃で退けながらアスカは、攻撃を回避する為に離れてしまったクロスボウにジワジワと弐号機を接近させていた。

回収したクロスボウは使徒の触手攻撃を数発貰っていたが、使用するのに支障はない。弐号機の右手をトリガーに、左手をサイドグリップに添えると、射撃管制システムが自動起動する。

 

システムが完全起動するより先に2発速射、投擲したプラズマソードで仕留め損なった触手を撃ち抜く。

機体を旋回させて軸線を合わせると、完全起動した管制システムの恩恵を存分に活用、本体に向かってクロスボウを連続発射する。

新たに生えてきた数本の触手ごと、水飲み鳥(トリィ)の頭に特殊素材のポイントを叩き込んだ。

頭部を破壊された使徒はあっけない程に、全身を崩壊させていった。

 

「あっけないものね……!!」

 

アスカが呟いた直後、崩壊していく使徒の全身が逆再生を見るように再構築されていった。

鳥の骸骨の如き頭部の直下、バランスをとる為の(おもり)と思っていた赤い球体が、我こそが真の頭部だと云わんばかりに持ち上がった。

 

「そう来なくっちゃあ!」

 

使徒を斃し損ねたアスカの表情は歓喜、曲がりなりにも自分を手子擦(てこずら)せた存在が、あんな簡単にくたばっては、自分の格が疑われかねない。

 

コアの中心を狙い、残弾の全てを叩き込むが、ポイントがコアを貫く事は無くATフィールドに弾かれてしまう。

だが、防御するという事は結論は1つだ。アスカの冷静な部分がこの結果を分析する。

 

「あれが弱点よ……アスカ!!」

 

クロスボウが無効化された事に怯むことなく、アフターバーナーを点火、地球の引力を追い越して加速する。

時速500キロで一回転して機体の上下を戻し、右足を突き出す。踝に装着されていた予備のプラズマソードのスイッチを入れる。

 

「うおぉりゃああー!!」

 

使徒のATフィールドとプラズマの切っ先が一瞬だけ拮抗するが、パイロットの気合いと共に、弐号機の光刃と蹴りの連携(プラズマキック)は、使徒のATフィールドを破り、見事コアを貫いた。

 

 

 

 

さて時も場所も変わり、ここは第3新東京にあるネルフ総本部。

ヨーロッパでの事件について、丁度リツコがミサト達に話し終えた所だ。

 

「――と、云う事があったのよ」

「ジェットありとは言え単騎で(アローン)()空挺作戦(エアボーン)で使徒を殲滅か。頼もしいわね」

「そのドイツ(むこう)のエースさんが、アメリカ経由で再来週には来日するそうよ」

 

そう云ってリツコは少し冷めてしまったブラックを啜った。




今回は短いです。
クオリティも微妙ですし。

さて、今回の話は第1部と第2部の繋ぎに当たります。
つまりは第2部の予告編だと思えば、クオリティの微妙さも気にならないと思います。


脳量子波を失ったシンジは、2ndシーズンのアレルヤみたいなものです。
でも肉体的には超へ……じゃなくてイノベイターなので身体能力は据え置き。


第1部は原作をなぞった展開でしたが、次回からはオリジナル展開が増えていきますので、お楽しみ頂ければ幸いに思います。


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第5話 Asuka Angriffen

サブタイトルは、貞本コミックSTAGE.22 アスカ攻撃(アタック)を、ドイツ語にしました。


太平洋艦隊旗艦、オーヴァー・ザ・レインボウの甲板に仁王立ちしていた惣流アスカ・ラングレーは、その柳眉を逆立てた。

 

零号機操縦者(エコヒイキ)初号機操縦者(ナナヒカリ)が遅れるってどういう事よ!!」

「いや、アハハ……ちょっちね~」

 

獰猛な野犬の如き勢いで唸るアスカに、件の2人に先行する形でやって来たミサトは思わず後退った。

 

「冗談じゃないわよ! エースたるこの(・・)アタシを待たせるなんてあり得ないわ! 大体実力で選ばれた訳でも――」

 

この場にいない2人に矛先を向ける猛犬(アスカ)を宥めながら、ミサトの表情に安堵が浮かんだ。この状態のアスカに噛み付かれたら、いくら彼女(ミサト)でも洒落にならないかも知れない。

 

だが、激昂していた筈のアスカには冷静な部分が隠れており、ミサトの安堵の息を目敏く指摘する。

 

「ミサト……ひょっとして、アンタの不手際で遅れてんじゃないでしょうね」

 

ミサトの背を大量の冷や汗が伝った。

 

 

 

 

数時間前、ネルフ総本部のパイロット(シンジとレイ)達は長閑(のどか)な日曜の朝を過ごしていた。今日は珍しく、ネルフでの訓練も実験もない。

2人が同居を始めてから約3週間、家事のほぼ一切はシンジが行っていた。

倒壊した旧居における惨状(・・)から判る通り、レイは掃除は言わずもがな、料理などの家事が出来ない。(そもそ)もした事がないと云った方が適切だろうか。

 

一緒に暮らしていればシンジが炊事などを行う姿を、レイは毎日のように見る事になる。自然とレイが家事に興味を持ち、シンジの助けになりたいと思い始めるのに、あまり時間は掛からなかった。

しかし、連日のようにネルフに赴く日々は、レイが家事を覚える為の時間を容易には与えてくれなかった。

そんな日常の中では、貴重な自由な(オフの)休日である。

 

「掃除はクリーンロボットに半分任せてるから、今日は料理の練習でもしてみようか」

 

ラットの様な外見の、床を掃除してくれる小型ロボット家電をかっている(・・・・・)ので――流石に家具の上などは拭いたりするが――碇邸では掃除機の音が鳴り響く事は少ない。

 

「ええ、そうするわ」

 

微かに口元を綻ばせたレイと、練習する料理について相談していた時までは、本当に有意義で長閑な休日の朝だったのだ。

 

 

不意に鳴ったインターホンが、ゆったりとした時間の終わりを告げる鐘であったとは、シンジは夢にも思わなかった。

玄関の自動ドアを開けた先に立っていた人物を見るや否や、シンジは脇にある閉ボタンを押し込んだ。半分程度開いていたドアは途中でスライド方向を反転させる。

 

「見なかった事にしよう……」

 

扉が完全に閉まった事を確認してシンジは呟くが、直後に扉を叩く音と苦手な人物の怒声にげんなりとした。

 

「ちょっと、いきなり閉め出すコトはないでしょ!」

 

心底嫌そうな顔で再び玄関を開けたシンジは、改めてミサトを視界に入れた。

 

「何の用ですか? 今日はレイに料理を教える予定なのですが」

「デートのお誘いよ。豪華なお船でクルージング♪」

「……」

 

躊躇無く開閉スイッチに手を伸ばすシンジに、慌ててミサトが説明するには、弐号機パイロットを迎えに行くから付いてきて欲しいとの事だった。

要するにネルフの公務の一環である。しかし、当日の朝に伝えに来るとは非常識だろう。せめて前日には伝えるべきだ。

 

「分かりました。準備があるので1・2時間程待って下さい」

「いや、ヘリコプター(ヘリ)を待たせてるから、すぐに来て欲しいんだけど」

「聞こえなかったんですか?」

 

顔面の筋肉を完璧に操作した極上の笑み、しかしシンジの目は明らかな殺意で濁っていた。

 

 

 

 

自業自得なマダオが天才少女のプレッシャーに耐えていた頃、彼女を追う形になった2人はヘリで海上を進んでいた。

後部貨物室のシートにシンジとレイは並んで座り、対面には付き添いを買って出た形になるネルフ保安諜報部所属の剣崎キョウヤが座っていた。

並んで座る2人の中間点の真正面に座す黒服(キョウヤ)は、無骨なサングラスを掛けた無口無機質な印象の男性で、ヤシマ作(ラミエル)戦の前までレイの護衛主任を務めていた任務に忠実な人物だった。

脳量子波を失う以前に得たシンジからの人物評価は、盲目的なまでに命令を遂行する所為で、上層部の走狗の様に見られる事もあるが、単純な損得勘定等に左右されない誠実な人柄だと分析している。

 

エンジン音を別にすれば、口を開く者も居らず、静かとさえ云えるフライトの最中。目蓋の重くなった少女の頭が、ゆっくりと隣人の肩に預けられた頃だ。

それまで沈黙を保っていたキョウヤが、機外を一瞥すると、おもむろに口を開いた。

 

「そろそろ到着です。降機の準備をして下さい」

 

レイは閉じかけていた目を開いて姿勢を正し、シンジは窓の外に太平洋艦隊の雄姿を認めた。

 

 

旗艦たる空母オーヴァー・ザ・レインボウの甲板に着艦したヘリから、周辺を警戒しながら剣崎キョウヤがおりる。

 

「どうぞ、降りて結構です」

 

その言葉に、リュックサックを背負ったシンジが先に降りると、ヘリの搭乗口に立つレイに片手を差し出した。

 

「レイ、風が結構強いから……」

 

30キロ足らずの身体が海の風に攫われないようにと、伸ばされた手にレイがそっと触れると、優しくも強い握力が体温(ぬくもり)を伝えてきた。

芙蓉のかんばせが微かに緩む、大きな段差にふらつく柳腰がふわりと抱かれ、結果レイは雲の上に乗るような衝撃しか感じなかった。

 

「ありがとう……」

 

風の音に掻き消されそうな小さな声は、意外な程の浸透力を以て少年《シンジ》に伝えられた。その浸透力はその感謝の言葉(ありがとう)が、今の所唯1人しか聴いた事がないからだろうか。

無表情に近い笑みは、雨に濡れた海棠の様にしなやかな笑顔と、シンジには感じられた。

 

「どういたしまして」

 

事務的な声色だったが、自分の言葉をシンジが受け取ってくれた事が理解できた。そしてレイはその事に温もりを感じた。

 

 

2人の護衛兼付き添いの剣崎キョウヤは、我関せずと云った態度で周囲を見回しているが、傍目からはイチャ付いている様子にイラつく人物もいた。

 

「遊び気分でこのアタシを待たせるとは良い身分ね!」

「……君は確か――」

「――弐号機パイロット、惣流アスカ・ラングレー空尉……」

 

初陣を華麗な勝利で彩ったネルフユーロのエースが、秋波を不機嫌に歪めていた。

 

 

 

 

現在、シンジ達パイロット全員が乗り込んだエヴァ弐号機は、海中を魚のような使徒=ガギエルに引き回されていた。

オーヴァー・ザ・レインボーに繋がる外部電源(アンビリカル)ケーブルが接続されているので、今の処エネルギー切れの心配はない。

だが、巨大な(アギト)に銜えられている現状は、敗北()への坂道を転がり落ちているに等しい。

何故この様な状況に陥ったかと云うと、事は数十分前に遡る。

親の七光りで選ばれたと思っているシンジに対し、格闘家的な意味でのちょっかいをアスカが仕掛けた事からだ。

 

その結果は半分はアスカの予想通りで、半分は予想外だった。シンジに足払いをかけて転ばせた処までは、アスカの想定内だった。

しかしあろう事か、シンジは宙に両脚が浮いて倒れ込んでいる状態から、片手で全体重を支えて下段蹴りを放ってきたのだ。

速度も体重も乗っていない攻撃を、アスカがいなす事は容易であったが、シンジへの評価を上方修正するのに十分な一撃だった。

そして気を良くしたのか、愛機をシンジ達に見せる為に、アスカは小型ヘリを一機チャーターし、彼女の操縦で、弐号機を載せた輸送艦オセローに赴いた。

 

 

 

低濃度のLCLに浸かった弐号機は、アスカが髪留めに使っているインターフェイズヘッドセットと同じ赤い装甲に覆われていた。

アスカはヒールの高いパンプスで、足場の悪い弐号機の頭部に駆け上がって、シンジとレイを見下ろした。

 

「どう、アタシの弐号機は?」

「4つ目なんだね……」

「そんな程度の違いじゃないわ。この弐号機こそ実戦用に建造された本物と呼ぶべきエヴァンゲリオン! シンクロすらままならない本部のエヴァとは違うんだから!」

 

ある意味シンジ達への侮辱に近いが、確かにアスカの言い分は正しい面もある。起動までに一年近くかかった零号機に、シンクロ率が急降下した初号機だ。

しかしだからと云って、このような挑発的な物言いは無いだろうと、シンジは内心呆れていた。

 

突如輸送艦を襲った衝撃に、アスカは不安定な靴を履いて悪い足場に立っていたにも関わらず、バランスを保ち、弐号機の頭から駆け下りて艦外を確認しに出て行った。

転倒しかけてシンジに抱き留められたレイとは対照的である。

 

 

一分足らずで戻ってきたアスカは使徒の襲来を告げ、シンジ達を階段の扉まで連れて来るや、誰も来ないように見張っていろと言い残して奥に消えた。

 

「ちゃんと見張ってたで……えッ!!?」

 

程なく、赤いプラグスーツに着替えて戻ってきたアスカは目を丸くした。

アスカの眼に映ったのは、青いスーツに着替えたシンジと、白いスーツの空気抜きボタン(フィットスイッチ)を押したポーズのレイであった。しかもご丁寧に、半透明のビニール袋に荷物を入れてある。

 

「こんな事もあろうかと、プラグスーツを持ってきていたんだ」

「ま、まあいいわ……アタシの華麗な操縦を特等席で見せてあげる」

 

そう云うアスカの手から、シンジ達に渡すつもりだったであろう、彼女の予備のスーツが床に落ちた。

 

 

 

専属パイロットたるアスカはエントリープラグ内部のインテリアシートに跨り、弐号機の起動シークエンスを開始する。

 

「適当なトコに掴まっていなさい」

 

円筒形のコクピット(エントリープラグ)を回転し上下するユニットの、壁面を伝う為のガイドに足をかけ、アスカの右側にレイ、左側にシンジが掴まった。

弐号機のシステムが、本来なら異物であるシンジ達を受け入れる為、2人のプラグスーツとインターフェイズヘッドセットの設定を書き換える。

 

パイロットスーツが再設定され、何とか2人分のノイズは解消されるだろうが、まだ不十分だ。異物達は積極的に正規パイロットに合わせるべきである。

脳量子波を失わなければ、シンジは的確に同調して、アスカの操縦制御を補助し、弐号機の性能(パワー)を底上げする事すら不可能では無かっただろう。

しかし、今の脳量子波を失ったシンジでは邪魔(ノイズ)にしかならない。そこで登場するのはレイだ。彼女は特殊な出生らしく、全てのエヴァに限定的ながらもシンクロが可能らしい。

シンジはアスカは無理でも、レイになら合わせる事は十分に可能だ。

そこでレイに弐号機(アスカ)に合わせて貰い、シンジは彼女に合わせる事で、間接的に主操縦者に合わせる。

 

 

起動して輸送艦の上に立ち上がった弐号機は跳躍、源義経の如き身軽さで、旗艦空母(オーヴァー・ザ・レインボー)に着艦、甲板上に用意された外部電源を接続した。

正面から向かってくる巨大な水棲使徒に対し、アスカは左肩のウェポンラックから、高周波振動大型ナイフ(プログレッシヴ・ダガー)を引き抜ぬいた。

 

プログレッシヴ・ダガーは、プログナイフを強化した武器で、機能も使い勝手も同じである。しかし、対象を抉る様な、より攻撃的な形状になった刀刃部は、殺傷力を大きく高めている。

ただ、大型化した為にウェポンラックのスペースを圧迫し、ニードルガン(ペンシルロック)をオミットしたショルダーラックを使用しなければならない。

 

海面から飛び出して体当たりを仕掛けてきた使徒ガギエルに、アスカは弐号機の腰を落として回避(かわ)しながら、滑らかな流線型の腹部をブログダガーで斬りつける。

使徒ガギエルの旗艦空母(オーヴァー・ザ・レインボー)を跳び越える勢いが逆に祟り、高周波振動粒子の刃が、体表を切り裂いて不気味な色の体液を撒き散らさせた。

 

しかし敵も然る者、弐号機の頭上を通過しきる瞬間に、全身を捻り尾ビレを叩き付けてきたのだ。

アスカにとっては大した事のない一撃だったが、その攻撃でバランスを崩し、運の悪い事に飛行甲板のエレベーターを踏み抜いてしまったのだ。

結果、海に落下した弐号機は、使徒ガギエルに噛み付かれたと云う訳だ。

 

 

 

弐号機は巨大な(アギト)に銜えられて海中を引き摺られており、いずれケーブル長の限界に到達する。

その時が訪れたら終わりだ。アンビリカルケーブルが切断するか、或いは供給元である旗艦空母(オーヴァー・ザ・レインボー)が沈むか、どうにせよ弐号機は電源を失い動けなくなる。

 

「このッ!!」

 

逆手に持ち替えたプログダガーを、下顎に突き刺す。使徒ガギエルの身体は存外に軟らかく、あっけない程簡単に切り裂ける。

しかし効果は薄かった。下顎を切り取って脱出するには、使徒ガギエルの再生能力が高すぎる。ならばと破城槌を敷き詰めた様な歯牙には、プログダガーが通らない。

 

「(クッ、どうするの? アスカ……!)」

 

刻一刻と迫る破滅の時に、アスカの顔に焦燥が募る。絶体絶命の状況下で、彼女の頭は何の解決策も見出せない。

 

「もっと強い武器は無いの!?」

「プラズマソードがあるけど使えないわ!」

 

シンジが投じた一石は、検討するまでもなく切り捨てた手段(ぶき)の1つを脳裏に浮かべさせた。

1秒すら貴重な現状で無駄な(・・・)思考をさせた事に、激発しそうになる感情を、理性で抑えつけ藁にも縋る思いで答える。

 

「どうして?」

「アンタ、バカァ!? んな(モン)水中で使ったら、水蒸気爆発が――」

 

「それだッ!!」

「それだッ!!」

 

三人寄れば文殊の知恵と云うが、アスカとシンジ共に一を聞いて十を知る人間だ。短い遣り取りからの、異口同音の閃きは同じ光明(こたえ)に至っていた。

 

 

使徒ガギエルの牙の間をぬって、弐号機に左片手で両腰のプラズマソードを引き抜かせる。

作戦は口腔部でプラズマソードを起動、水蒸気爆発の衝撃を利用し咢《アギト》を開かせ脱出、更にこちらから使徒に取り付きコアを破壊すると云うものだ。

既にレイによって、使徒ガギエルの形状とコアの位置のデータを視界補助(モニター)システムに入力済だ。

ケーブル長の限界まで後30秒。

 

「準備は良いわね、アンタ達!」

 

弐号機(アスカ)に合わせられないシンジは、弐号機には合わせられるレイにアイコンタクト。彼女はインテリアシートの出っ張りをしっかりと掴み、ガイドに足を突っ張らせる。

 

「いつでも良いわ」

「同じく」

 

操縦桿(インダクションレバー)のスイッチを操作、弐号機の左手に持たれた2つのプラズマ発生器が励起する。

 

口の中で発生した爆発に使徒ガギエルの口は開き、その衝撃に動きも止まった。

突き刺さった牙から身体を抜くと、弐号機は水流によって後方に押し出される。

アスカは両肩のウェポンラックに搭載されたロケットブースターを点火、使徒ガギエルから離される前に弐号機の左手で上顎の上部を掴んだ。

 

「でやあぁぁ!!」

 

ガギエルのコアは体内に位置し、その場所は口蓋の奥、外からなら頭部――仮面の様な部位――の丁度真下だ。

弐号機はコンパス或いは振り子の様に、逆手に握ったプログダガーを使徒ガギエルの脳天、仮面状の部位に突き刺した。

プログナイフの約2倍のサイズを持つ高周波振動粒子の凶器は、仮面部位を破砕し、真下にあるコアを貫いた。

 

 

 

 

横須賀の軍港で――それまで海中から引き上げる事が出来なかった――弐号機から降りた子供達を出迎えたのは、リツコと剣崎キョウヤだった。

 

「まずはお疲れ様。そして惣流アスカ・ラングレーさん、ネルフ総本部は貴方と弐号機を歓迎します」

「……ぁ。ええ、よろしく」

「?」

 

どうにも歯切れの悪いアスカの様子に、リツコは疑念を覚えながら、偶発的に入手できた貴重なデータ――エヴァに複数のパイロットが乗り込んだ場合のシンクロ状態――を反芻する。

 

「リツコさん。着替えられる場所(シャワーとか)はありませんか?」

「ああ、それなら――」

 

シャワー室を完備したパイロット輸送車の場所を聞いたシンジは、レイを伴って歩いていき、剣崎キョウヤも護衛として追従する。

 

 

3人の姿が見えなくなると、アスカは重たげに口を開いた。

 

「あのさぁ……リツコ、あの2人ってどういう関係?」

 

思いもよらない質問に、リツコは目を丸くし、少し思案してから答えた。

 

「そうね……強いて云えば――多分、兄妹みたいなものかしら?」

「兄妹……ね」

 

歯切れが悪いが、複雑な関係(しんじつ)の一端を知るリツコですら、現在の2人の関係を言い表す事は困難だった。

だが、アスカの歯切れの悪さは何が原因なのだろう。

 

「何故あんな質問をしたのか訊かせて貰えない?」

「な、何となくよ……」

 

あからさまにお茶を濁す様子に、リツコの興味がすぐ無くなった事は、アスカにとって僥倖であった。

 

「(アイツら、一緒に着替えてたわよね?)」

 

状況証拠は揃っているが、その事を訊くのは、年頃の乙女には憚られた。

そしてある事に思い至る、まさか一緒に入浴(シャワー)なんて事はあるまいかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネルフの子供達が沖合(うみ)にいた頃、第一中学校の一角は――休日という事を考えれば――異様な賑わいを見せていた。

校内()某所(ばしょ)には、相田ケンスケがシートを広げて陣取り、露天を開いていた。客達にほぼ共通している事は、鼻の下を伸ばした男子生徒であることだった。

 

通常閑散としている日曜の学校を賑わせる集客力と、その客層(・・)から判るが、扱っている商品は碌な代物ではなかった。

相田ケンスケ商店は、女生徒の盗撮写真を販売しているのである。

それも、普通?の写真もあるにはあるが、体操服やスクール水着、果ては絶対領域の内側(・・・・・・・)や着替え中の姿など、完全に犯罪的な(ブツ)も少なくない。

さて、露天商ケンスケの(もと)にまた1人の()少年が訪れ、並べられた写真を物色し始めたが、目当ての写真(じょし)は無かった様だ。

 

「な、なあ相田。綾波の写真って無いか? ハアハア……」

「悪いけど、綾波のは置いていないんだ。それより、加古の着替えなんてどうだい? ×××もバッチリだぜ」

「ほ、本当に無いのか?」

 

何やら雲行きが怪しくなりそうになった所で、ケンスケの後ろに控えていた用心棒(・・・)が動いた。

 

「無いモンは無いンや! はよ帰りな」

 

鶴の一声を聞いたように、鈴原トウジの一喝で、レイの写真を求めた男子は踵を返した。

 

 

件の少年が去り、客足も細くなった頃、トウジは以前より疑問に思っていた事を口にした。

 

「なあ、さっきの奴には、ああ言うたけど、ホンマに綾波の写真は無いンか?」

「無いよ。ネガもデータも全部処分した」

 

溜め息混じりの答えは、本当ならここにレイも並んでいる筈だったと物語っているようだ。

 

「なんでや?」

「碇が怖いからさ……」

 

シンジが転校してきた当初より、綾波レイを気に掛けていた事を鑑み、予定していた販売を見合わせた事を話す。

暫く様子を見ていたが、そんな中起こったトウジのKO事件だ。明らかに自分を超える体格の人間(トウジ)を、空中で一回転させる膂力を怒らせるなど、考えるだけで恐ろしい。

付け加えるなら、普段大人しい人間程、キレた時に何をするか分からないものだ。

 

「あー……でも、最近センセは丸くなっとるみたいやけど」

「それはそうかも知れないけどね」

 

そう云いながら、2人は店を畳み(かたづけを)始めた。

 

 

 

 

翌日、いかがわしい(・・・・・・)店の店主と用心棒は、繁華街に繰り出していた。前日に得たあぶく銭を使って遊ぶ為である。

行き付けのゲームセンターでは、トウジは運動センスの要求されるスポーツ系アーケード(エレクトロメカニカルマシン)等を好み、ケンスケはガンアクション系のビデオゲームを、それぞれ好んでプレイしている。

これから予想外の不幸(インパクト)に直面する事などつゆ知らず、楽しい時間に思いを馳せている悪童達は暢気に目的地へと歩いていた。

 

 

 

時刻は未だ午後3時を回ったばかり、人も疎らな店内(ゲーセン)の奥にある一角が華やいでいた。

例えるなら、荒野に咲く一輪の薔薇――ミルク色の肌×揺れる蜂蜜色のロングヘア、編み上げ(パンプス)の赤い紐が、ゲーム台の上で舞う長い脚を飾っていた。

 

体感系アーケードゲーム、DansinG(ダンシング)M@steR(マイスター)

ダンレヴォシリーズに列なる体感系(ダンス)ゲームで、流れる曲に合わせてゲーム台の床面パネルを踏み、側面のセンサーエリアに手を(かざ)し、好スコアを目指す。

また難易度によって上限得点(スコア)が変わり、最高難易度(さいだい)では1000点満点になる。

 

職業ダンサー顔負けのキレで踊る少女が纏うのは、ステップの度にフレアミニの裾が(ひるがえ)る明るい色のサマードレス。

トップス部は肩も露わなキャミソールで、腕を突き出せば、脇から胸にかけてのラインが大胆に躍動し、健康的な色気を振りまいていた。

 

曲が終わり得点(リザルト)が表示された。曲名は『夜を奔る、宵のプリンス』、DanM@sの中でも屈指の難曲である。しかも設定した難易度(レベル)Sランク(さいこう)にも関わらず、980点超(ほぼパーフェクト)と云う超高得点だ。

 

 

残念な事に、ハイスコアを更新した少女に向けられているのは、賞讃でも拍手でもなかった。

半ばしゃがみこんだ()少年が2匹、下卑た視線を、ミニワンピースの奥にある純白に注いでいた。

台の柵に引っ掛けていたバッグを漁った少女の顔が曇り、背後の2人組に振り返り虫螻(ムシケラ)を見る様な目で見下ろした。

 

「そこの野良犬。このアタシに貢ぐ栄誉を上げるわ」

 

ゲーム台から降りてきた少女は、そういって2匹のエロ犬――云う迄も無くトウジとケンスケ――にお手(・・)を求めるように右手を突き出した。

 

 

 

第3新東京にある超VIP御用達の高級ホテルのスイートルームで、アスカは時間の潰し方を考えていた。

時刻は9時過ぎ、ネルフ総本部へは午後4時半頃に出頭する事になっており、移動時間を考えても6時間の暇がある。

活動的なアスカの性格からして、ずっとホテルに引き籠もっているのはあり得なかった。

 

「そう云えば、日本のアミューズメントはハイクオリティって話ね」

 

ホテル内の両替所でユーロを日本円に換え、アスカは街へと遊びに繰り出した。

 

 

午前中はウィンドウショッピング、オートクチュールも扱っているマンモス店で、ミュールに近いデザインをしたワインレッドの編み上げ靴を購入した。

つい昨日お気に入りのパンプスは、海の底に沈んでしまっており、さっきまでミサトが持ってきたダサいスニーカーを履く憂き目に遭っていたのだ。

欲を云えば、もう少しヒールが高い方が――美脚に見えて――好みだが、これはこれで歩きやすくてキュートなので良しとする。

 

小洒落た喫茶店「エンシェント・ヘリテイジ」で昼食を摂った後、時間調整のし易いゲームセンターに足を運んだという訳だ。

 

そこでアスカの目を引いたのが、DansinG(ダンシング)M@steR(マイスター)、通称『DanM@s』である。DanM@sの難易度は、Fランク(ベリーイージー)から始まり、Aランク(マスター)の上に更に、Sランク(レジェンド)が君臨する。

難易度D(ノーマル)で最初からパーフェクトを叩きだしたアスカは、数度のプレイの後、早々に難易度をSに変更した。

 

そして小さな伝説が誕生した。熟練したプレイヤーでも難しいと云われるSランクで、平均(アベレージ)970点以上という高スコア、踊る度に店の最高記録を塗り替えていった。

たった1日で、DanM@sのハイスコアがことごとく更新されたと云う事実は、まさに伝説(レジェンド)に相応しい快挙だった。

 

 

そして話は戻る。

難曲『夜を奔る、宵のプリンス』をクリアしたアスカは、バッグの中、両替した金銭の入った巾着袋をまさぐるが、百円硬貨の感触が無い。

少々困った事態だが、丁度良い事にサイフになりそうな奴が2人程いた。さっきから人様のスカートを覗いていた不埒者(ピーピングトム)である。

別段、野良犬如きに見られた所でどうと云う事はないが、不愉快である事に変わりはなく、相応の対価が支払われるべきである。

 

しかし、この2匹は察しが悪いようだ。誰だって美術館に行ったら入場料を出すのに……。

 

「見物料よ、さっさと財布を出しなさい! 全くこれだからダサい男は――」

「なんやとこの腐れ(アマ)!」

 

おまけに、下品で粗暴。あろう事かジャージの方が顔を真っ赤にして、アスカの手首を掴んできた。

 

「このッ!」

 

その瞬間、アスカの顔が怒りに染まり、捕まれた方の腕が閃くように動き、トウジの身体がバランスを崩す。

 

「私にッ――」

 

フレアミニから伸びる左脚が退かれ、右脚が持ち上がり白い太腿とずれ上がったスカート部が、見えそで見えない絶対領域を形成するが、性少年(トウジ)がそれを拝む事は出来なかった。

 

「――触れるなッ!!」

 

優れた瞬発力に裏打ちされた強烈な中段蹴りが、身体の芯を的確に捉えて、彼を吹っ飛ばしたからだ。

 

蹴り飛ばされたトウジは2メートル程宙を飛び、格闘ゲームをプレイしていたチンピラ風の男に激突した。

潰れた蛙の様な声を上(ダウンし)げた中坊(トウジ)が、真犯人でない事を推測する程度の知能は有していたらしいその男は、落ち着き無く周囲を見回す……までも無かった。

 

「フン、サルがッ!」

 

ゲーム機から流れる雑多な音が混じり合い、騒然としている店内にもかかわらず、よく通るソプラノヴォイスが吐き捨てられる。

哀れな少年を傲然と見下ろして仁王立ちする姿は、正に『女王様』と云った風格で実に様になっている。

 

とまあ、そう云った事はチンピラ男にはどうでも良い事だ。

重要なのは、この高飛車な少女が犯人な事であり、生意気そうな顔を歪ませたら、さぞかし気持ちいいであろう事だ。

軽くビビらせようとチンピラ男が、アスカの顎に手を掛けようとした時、男の右足が床を離れた瞬間だった。

 

「オイ、嬢ちゃ――――ぐぇ!」

 

左の片足立ちになる一瞬を、アスカの足払いが刈り取り、チンピラ男は床に転がった。更に爪先(トゥキック)が脇腹に突き刺さり悶絶する。

 

「あ~気分悪いわ! もう行きましょ」

 

いつの間に集まったギャラリーは、凄まじい一部始終に呆然としており、女王様のお帰りに慌てて道を譲った。

 

一方、性少年(トム)達はと云うと、悶絶したチンピラ男とその仲間達が発し始めた不穏な気配に、アスカを追うように出口を目指した。

 

 

 

 

第一中学校生徒の洞木ヒカリは放課後、級友2人と連れだって、街に夕飯の買い物に出ていた。

従兄妹同士であると云う2人が、1つ屋根の下で暮らしている事が発覚した日を前後して、ヒカリは兄の方の意外な一面を知った。

それまで、少々怖い人物と云う印象であったシンジが自炊をしている事。そして自分とレイの弁当を大規模停電の後日より作って持参し始めたのだ。

 

シンジが料理が出来る事は、家事全般の得意なヒカリにとって、彼らに対する親しみの念を抱く切欠となり、時折毎日の献立や弁当などについて話をする仲となった。

家庭の(フクザツな)事情で何時も忙しいと云う2人だが、今日は珍しく時間があると聞いている。

華の女学生と云う身の上からすれば、(いささ)所帯染みている(ババくさい)気もするが、趣味の合う友人達との買い物に、ヒカリは心を躍らせていた。

 

「――そうなんだ。昨日(にちよう)は急用でお買い物をする暇が無かったのね」

「まあ、そのお陰で今日は割とのんびり出来るんだけど……」

 

家事を覚えたがっているレイの為に、料理を教えようとしていた予定が、急な用事のせいでご破算になったらしい。が、その用事の詳細については語られなかった。

シンジもレイもある種の線引きをしており、彼らの事情には踏み込ませる気はないようだったが、深く追求しない分別をヒカリは持ち合わせていた。

 

南極に隕石が衝突したと云うセカンドインパクトの影響で、孤児や片親の同級生は珍しくないし、根掘り葉掘り訊くのは、今の世間では重大なマナー違反だ。

事実、彼らの保護者面談では明らかに親族で無さそうな若い女性が来校。父子家庭のヒカリにしても親の都合がつかず、高校生の姉コダマが代理で来ている。

 

 

大通りの一角で、シンジは右手のビニール袋をヒカリに手渡した。

 

「ありがとう、碇君」

「気にしないで良いよ。僕としても、料理について色々教えて貰ったし」

 

シンジの料理の腕前は、2ヶ月前まで碌に包丁を握った事すらない事を鑑みれば驚異的ですらあるが、専業主婦と同等の技量(スペック)を持つヒカリと比べれば明らかに劣るものだ。

今日は食材の選び方や、特売の上手な利用法など、洞木先生による家庭科の課外授業のお礼に、荷物持ちをシンジは買って出たのだ。

 

「それじゃあ、また学校でね。碇君、綾波さん」

 

「うん、また明日」

「また明日……」

 

そしてシンジ達はヒカリと別れ少し歩いた処で、歩道に面したゲームセンターから、見知った2人組が這々の体でてくると云う、珍しい構図に出くわした。

尤もその2人組とは精々顔見知り程度であり、基本的に身内以外には冷淡なシンジが気に掛ける事はなく、レイも同様であった。

少なくとも助けを懇願する目を切り捨てられる程度の仲である。

 

トウジとケンスケが店から出てきた直後、聞き覚えのある声が店内から響いてこなければ、彼らを無視して歩き去った事は間違いなかった。

 

「邪魔よ、ウジ虫がッ!」

 

人間が打ち棄てられたような、派手な物音と共に悠然と現れた少女は、昨日出会ったばかりの惣流アスカ・ラングレーだった。

 

 

肩を怒らせて歩道へと出てきたアスカを、何処らからか集まってきた数人の男が取り囲んだ。更にゲームセンターからも3人程出てくる。

合計10人近い頭の悪そうな連中(チンピラ)に取り囲まれても、アスカは動じなかった。それ処か威勢良く啖呵まで切っている。

 

「ハン! 女1人を囲むなんて恥ずかしくないのかしら。揃いも揃って不細工で卑怯者。アンタらみたいな三下のモンキーなんて、視界に入るだけでも反吐が出るわ!」

 

「(よくあんなに悪口が出てくるな……)」

 

彼女の実力(・・)の程を身を以て知っているシンジは、男達に取り囲まれても堂々としている様子より、寧ろ次々と罵詈雑言を並べ立てられる言語力に感心している。

 

「――――どうせ○○○(ピー)も脳も小さいんでしょ。豚にも劣る黴菌(バイキン)風情が、アタシと同じ空気を吸うだけでも大罪だわ! 少しでもまともな感性があるならハラキリでもして、生まれてきた事に謝罪しなさい!」

 

トウジが――凄まじい罵倒の嵐に、何故か物欲しそうな視線を向けるケンスケを引っ張って――フラフラとシンジ達の傍に移動してくる。

その間に男達の怒りは天元突破し、アスカに襲い掛かった端から返り討ちにされ始めていた。

 

「てめえ等も、あの外人の仲間か!」

 

シンジの影に隠れるようなポジショニングをしたトウジを追ってきたのか、スキンヘッドの大柄な男が1人向かってきた。

その男はいかにも喧嘩慣れしている様で、中々に筋骨が逞しい印象の体格をし、野卑な面構えをしていた。身長は約180、体重も80キロを下らないだろう。

 

敵が迫り来る中、シンジは無言で左手をレイに差し出した。シンジの意図を汲んだレイもまた無言で、スーパーの買い物袋を、彼の手から抜き取って預かった。

腕を振りかぶる男に対し、シンジは一歩だけ前に出ると、熊手の様に開いた手を男の目元に突き出した。

カウンター気味の目突きを喰らった男が両目を押さえた所に、腕を引き戻す勢いを脚に伝えて放った金的蹴りは、倍はある体重差をもろともせずその身体を宙に浮かせた。

 

目と股間を押さえ尻を突き出し、頭と膝で全体重(80キロ)を支える滑稽なポーズとなった男に、シンジは更に追い打ちをかける。

丁度足元で奇妙な土下座をする男の後頭部を、情け容赦なく踏みつけた。

ハンマーで地面を叩いたようなすごい音が鳴り、顔面がアスファルトにめり込み放射状のヒビが入る。その罅割れが、赤い液体でじわりと満たされた。

 

「おい、トウジ……あれ(・・)のどこが丸くなってるんだよ」

「う……むしろ、えげつなくなっとる」

 

シンジの行った凶行(オ-バ-キル)に青くなった2人の呟きは、当人の耳に入っていた。

 

「失敬だな。今はちょっと手加減が出来ないだけだよ。それより、一体どうすんのさこれ?」

 

既に場は混沌とした状況が形成され始めている。その光景に悪童2人は冷や汗を流す。アスカが大立ち回りを演じ、何人かをKO済。シンジの足元では馬鹿一匹が瀕死状態だ。

 

「うぇ! いや、そのぱんつが高くて……大暴れして――」

「……はぁ」

 

要領を得ない2人を早々に見限ったシンジは、レイから買い物袋を受け取り、ガラス細工のように繊細な作りの手を、優しく握って走り出した。

 

シンジに白魚のような手を取られたレイは、自分より体温の高い少年から伝わる温もりと、張りのある柔らかさが、いつも通りである事に、小さな幸せを見出していた。

 

 

 

片手の指で釣りが来る数しか、世界に居ないエヴァパイロットは基本的に多忙である。その為に中学校生活においても、遅刻早退欠席などは珍しくない。

しかし、ドイツから移送されたエヴァ弐号機の受け入れの為、週末までネルフでの訓練や実験はほぼ無い。

放課後はネルフに直行すると云う事が無くなった事で、何処かの女性戦闘指揮官の所為で台無しになった休日の埋め合わせに成り得る自由を手に入れた。

 

 

もしかすると生まれて初めてかも知れない、レイが自主的に望んだ事=料理を覚えたいと云う、ささやかな願い。

その思いに笑顔で応えてくれた事に、胸の(うち)が満たされ、約束の時間はフワフワして温かであろうと予測していた。

 

「(きっと……その時間を、楽しいと云うのでしょうね)」

 

特殊な環境で育ったせいか、自己の感情と云うものに疎い処のあるレイの、確信に近い推測はおそらくは正しかった。

 

肉が嫌いなレイの為に、卵や豆腐などを使った食事。シンジは特に料理上手では無かったが、持ち前の器用さでカバーし、今ではヘルシーメニューの名人だ。

他にも、掃除や洗濯などの家事の一切を引き受け、制服以外にまともな衣類を持っていないレイに、私服まで貸してくれている。

 

そして何より、綾波レイと云う少女の存在を全肯定してくれる。

かつて自分に存在意義を与えた『あの人』のように、レイに誰かを重ねていない――思い掛けず重ねてしまう事もあるが――自分を戒め、レイ本人を見つめようと努力している。

まさしく無償の愛情を注いでくれる大切な人だった。

 

だからか。かつては空虚であったレイの心から、自己の変革を伴う想いが沸き上がってきた。

与えられるのではなく、与えたい。受け取るのではなく、渡したい。

慎ましく純粋な衝動だった。

 

故に、その為の第一歩(でばな)を挫かれたレイの、端整な無表情(ポーカーフェイス)の内側にあった落胆は、長い付き合いの人達が知れば驚愕する程だろう。

 

 

クラスメイトである洞木ヒカリも一緒の買い物。レイにとって全く未知の領域の話題が多く、彼女はあまり口を挟む機会がない。

そんな中でシンジは時折、レイに意見を求める事がある。ヒカリも同様に話を振ってくる事がある。

仲間外れにしない為の気遣いである事は理解できたが、正直レイにはあまり意味をなさなかった。

 

ヒカリと話している間も、シンジに想われている事が朧気に感じられるからだ。

尤も無口であるレイが「想われてる事は知っているから、無理に話しかけなくてよい」などと云う筈もなく、もしそんな事を告げればヒカリは赤面するだろう。

それも破廉恥(フケツ)とは対極にある盛大な惚気に、何も云えなくなる事は請け合いである。

 

 

ヒカリと別れた後、とある娯楽施設(ゲーセン)の前を通りかかった時の事件は、レイにとって特に印象には残らなかった瑣事(さじ)である。

憶えているのは、シンジが迫り来る暴漢を撃退する為、買い物袋を預かって欲しいと無言で伝えてきた事位だ。

 

買い物袋を返した後、手を握られた。いつもと変わらない温かな手だった。

シンジと云う少年が無意識に発する雑多な情報(けはい)から、彼の行動をレイは予測する。

 

「走るよ!」

 

その言葉を聞くまでもなく、シンジと同時にレイは走り出す。

後方で慌てる2人組などレイの眼中に無かったが、数分の後に再会する洞木ヒカリ臨時家庭科教諭と一緒に合流する事になる。

そしてヒカリを除く3人が、洞木家でシンジ+ヒカリによる夕食のご相伴に与る事は、誰も予想できなかった。




旧題は“Asuka Zweite Angriff”訳すなら“アスカ、第2撃”となります。
以前は前半部と後半部が別話扱いだったので、「水飲み鳥の使徒を斃したアスカの2撃目」
つまり、ガギエル戦と云う意味でした。
今回は使徒戦と街での乱闘を表す為に、“Zweite=第2”を無くし“Angriff=攻撃”を複数形にしてあります。


今回の後書きは長いです(汗)。

洞木ヒカリが漸く登場。

さて今回の後半はネタというかパロディはかなり多めです。

まず『DanM@s』の元ネタは勿論、アイマス。難曲『夜を奔る、宵のプリンス』も、菊地真の持ち歌をもじった物ですし。
ちなみに難易度の別称ですが、
上から、レジェンド(S)、マスター(A)、ベリーハード(B)、ハード(C)、ノーマル(D)、イージー(E)、
ベリーイージー(F)、となっています。

喫茶店「エンシェント・ヘリテイジ」、『アーネンエルベ』を英語にしてみました。私は型月ファンです。

アスカの暴言は、某『肉』と某『魔女王』を参考にしています。

シンジの護身術? にも元ネタがあります。コミック『大江山流護身術道場』少々癖がありますが、楽しめる作品かも。

ちなみに盗撮された加古と云う娘は、クソゲー『名探偵エヴァ』で死体として登場したキャラです。


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第6話 Double T/Win “Open”

“Double T/Win”=ダブル・ツイン/ウィン、或いはダブルツイン/ダブルウィン。
使徒イスラフェル戦にまつわる3編連作です。

第1パートの副々題は“Open”=オープン。始める、開く等の意味があり、用い方によっては切開と云う意味を持ったりします。


近畿地方の遙か沖、太平洋を日本国本土に向かって北上する巨大な潜行物体を、巡視船はるなが捉えた。

彼女から送られたデータを解析したネルフは、その正体不明の物体を使徒と断定、直ちにエヴァパイロットを召集した。

 

先のラミエル戦で甚大なダメージを負った要塞都市は、現在急ピッチで復興作業が進められているが、本来の機能を発揮出来るまで回復するのには、後一週間は必要との見通しだ。

この為、ミサトは第3新東京での戦闘を断念。MAGIが弾き出した予測侵攻ルートから、静岡駿河湾での要撃を決断した。

 

 

 

駿河湾沿岸に輸送された初号機と弐号機は、専用電源車から外部電源を接続、各々のパイロットが選んだ武装を手に取った。

 

弐号機が装備した物は中近距離格闘武器ソニックグレイヴ。ソニックグレイヴはその名の通り、エヴァサイズの薙刀に、プログナイフと同じ仕組みの刃を付けた物だ。

アスカがソニックグレイヴを選んだ理由は2つある。使徒に対する最も有効な戦術はATフィールドを中和しての近接戦闘である事が1つ。

そして何より、自らの手で戦果(シト)上げ(たおし)たいと云う強い思いが、アスカにソニックグレイヴを選ばせた。

 

一方、初号機が装備した物は、全ての距離に対応可能な全領域兵器マステマだ。

マステマはサンダースピアと同時期にロールアウトした大型兵装で、主部たる大型機関砲を外部フレームが骨格の様に囲み、そのフレームには爪の様なプログソードが一体化している。

プログソードは銃身下部から銃口前部まで本体を包むように3本、他にはサイドに小型の物が2本それぞれ左右対称に装着されており、接近戦で対象を切り裂き抉る。

優秀な武装であるマステマだが、要塞都市においては各種専用武器の補給能力の高さから、有用性の低い長物に成り下がっている。

だが補給が貧弱になる遠征作戦において、その汎用性や装弾数の多さは、他の追随を許さない長所となる。合理主義者のシンジらしい選択だった。

 

 

駿河湾もまたセカンドインパクトの影響で大きく姿を変えた海辺の1つである。

セカンドインパクトに因って南極大陸は消滅、史上類を見ない巨大津波が各国を襲った。更に南極の氷河が融解・昇華した事で海面が急上昇、世界中の海岸線は後退し数多の街が水没した。

 

エヴァが展開中の湾岸部も、水没したビルの一部が水面から頭を出しており、足場として使えない事もないと試算されている。

MAGIがシミュレートした戦術地形データを、信じがたい事に一瞥しただけで頭に叩き込んだアスカは、不満げに溜め息をついた。

 

「こっちでのデビュー戦が2on1になるとはね……」

 

単身で2体もの使徒を屠ったアスカにしてみれば、甚だ役不足な舞台である。

コクピットのサイド投影されたモニターに映るアスカを、流し目で見たシンジは小さく鼻を鳴らした。

 

「お供が初号機だけじゃ不満かな、惣流?」

「冗談! アタシ独りで十分だっての!」

 

アスカの心情とは正反対の、的外れなシンジの軽口は――彼の言葉が他意無きジョークの類であると、頭で理解していても――何やら莫迦にされた様な気分になる。

 

「(やれやれ……お嬢様はご機嫌斜めか)」

 

頼もしい物言いではあるが、どこかしらを履き違えているアスカの様子に、シンジは内心溜め息を吐いた。

 

今回の作戦は単純である。海中を潜行してくる使徒を上陸させずに、水際で一気に殲滅すると云うものだ。

目標は飛行能力は有していないと考えられる為、動きが鈍いであろう水中に居る内に、波状攻撃を仕掛けて撃破する。

要塞都市での迎撃は現実的でないから、沿岸で使徒を叩くと云うのはミサトの弁であるが、シンジにしても防衛ラインを割らせる気は更々無かった。

万が一、この駿河湾防衛ラインを突破された場合、使徒は第3新東京まで一直線だ。そうなったら、ネルフ本部に残っているレイが戦う事になるだろう。

現在、零号機は修理改修中であり、まともに動かせる状態ではない。零号機出撃はレイの生命に直結しかねないのだ。

 

「(使徒(ヤツ)は……)ここで潰す……!」

 

シンジは専用操縦桿(インダクションレバー)を握り直した。

 

 

海岸の数キロ先で、使徒イスラフェルは水飛沫を上げながら起き上がった。

その首無しの人型は使徒サキエルに近いが、ずんぐりした胴体に細い手足をした――マリオネット人形の様な――使徒サキエルとは大分違った姿をしている。

イスラフェルはイトマキヒトデを彷彿とさせる丸みを帯びた五角形(ペンタゴン)に近いシームレスな曲線で構成され、使徒によく見られる仮面部位も三つの穴がある円と云うシンプルな物だ。

 

「ちゃんと援護しなさいよね、ナナヒカリ!」

 

シンジの返事を待つどころか、その言葉の前にアスカは弐号機を飛び出させていた。

単騎での先行はまだ良いが、迷い無く一直線に使徒イスラフェルへ接近する――初号機の射線を塞ぐ――弐号機にシンジは舌打ちする。

誤射を避ける為に、シンジは初号機を横方向に移動させ、マステマの主武装たる大型機関砲を発砲した。

大口径弾の連射はATフィールドで弾かれるが、パレットライフルの数倍の威力を持つ弾幕は、使徒イスラフェルをその場に釘付けにする。

 

初号機がバラ撒く大口径徹甲弾に、足を止める使徒イスラフェルの様子を見て、アスカは自己の勝利を確信した。

 

「いける……」

 

後は可能な限りスピーディに目標を討つのみ、アスカは使徒への最短距離を迷い無く邁進する。彼女の蒼眸(そうぼう)は自らの栄光しか映していなかった。

初号機の援護の下、使徒へと向かう弐号機は水没したビルの上に飛び乗る。そして、次々と点在する足場(ビル)に飛び移りながらトップスピードで突っ込んでいった。

水の抵抗による速度低下を嫌った故の行動だが、戦術的には下策だ。もし空中にいる時を狙い撃ちされたら、まず回避は出来ない。

 

 

折悪く弐号機がATフィールド中和圏内に達した所で、マステマの機関砲が弾切れした。

 

「クッ、タイミングが悪い!」

 

シンジの額に焦りが流れ、その懸念は的中した。弾幕の途切れを見計らったのか、使徒イスラフェルの仮面部位と胴体中央が発光する。

使徒サキエルはビームを撃つ直前に発射口たる顔と、動力炉であるコアが輝いていた。間違いなくビームを撃つ前兆だ。

 

発射までの僅かなタイムラグ、シンジは使徒の身体に見える光球の数が合わない事に気付いた。

 

「(コアが2つ?)」

 

しかし、コアが複数存在するなど前代未聞の事態を検討する暇は、シンジを含めた誰にも無かった。

弐号機が使徒に最も近い足場に着地した次の瞬間、火を噴いた使徒のビームがビルごと機体を呑み込んだ。

 

「惣――!」

 

ごく短い付き合いとは云え仲間の死に際に、十字の爆炎が空に昇っていく様子が、酷くゆっくりと見えた。

 

 

だが、アスカの命運はこんな処で終わるものではなかった。

 

爆炎の中からソニックグレイヴを振り上げた弐号機が躍り出る。

使徒の攻撃を察知したアスカは、ギリギリで弐号機をジャンプさせ、ビームの直撃を避けていたのだ。

ただし、無理な体勢であった為真上に跳ぶのが精一杯で、それだけでは余波で軽くないダメージを負ってしまっただろう。

更にそこからアスカは、宙で姿勢を倒しショルダーラックのロケットブースターを点火、エヴァの巨体を数秒ホバリングさせる程の大推力を水平方向に作用させたのである。

 

「でやああ!!」

 

左右に展開したウェポンラックから覗くノズルより、紅蓮の名残を曳きながら、弐号機は上段に振りかぶったソニックグレイヴで使徒を唐竹に斬り伏せた。

 

 

真っ二ツにした使徒の前で、弐号機は自慢気に振り向いた。

仲間の無事にシンジは胸を撫で下ろすが、あまりにも呆気ない結果に、彼には蟠りが残っていた。2つあったコアは見間違いだろうか。

 

「どう? 戦いってのはこうやるのよ」

 

そんなシンジとは対照的に、満足げに口元を弛めたアスカは完全に気を抜いていた。

 

「(やったのか?)ッ! 後ろ!」

 

灼けた金属棒を何本も纏めて押し付けられたかの様な熱を、アスカは背中に感じた。

 

 

それは僅か数秒後の事だった。

両断された使徒イスラフェルは、軟体生物が体外と体内を裏返す如き面妖な動きで、2体の使徒として再生した。2体に分かれた使徒の一方はカラフルな元の色で、もう一方は色素が抜け落ちたかのようなモノクロだ。

そして双子の使徒は鋭い爪で、同時に弐号機に襲い掛かった。

 

シンジの叫びに、辛うじてアスカは機体を捻らせ致命傷をさけるが、先の攻防で奇跡的に無事だった外部電源(アンビリカルケーブル)を切断され、更に色付きの方に背面を深々と切り裂かれる。

しかし、幸いにして装甲が脊髄まで攻撃が達する事を防いでいた。

 

「よくも!」

 

アスカは屈辱と憎悪に歪んだ顔で、愛機を傷付けた“色付き”の肩口を、ソニックグレイヴで振り向きざまに斬り付けた。

使徒ガギエル以上に軟らかかった分離前よりも、得物(グレイヴ)から伝わる抵抗は少なかったが、使徒イスラフェルの再生能力は常軌を逸していた。

高周波振動刃が身体を通過すると同時に切断面の癒着が始まり、弐号機が正面に向かい合った時には既に完治していたのだ。

その信じ難い回復力に一瞬アスカは怯むが、果敢に再度攻撃を仕掛けた。

 

「ならコアをッッ!」

 

弐号機が薙ぎ払ったソニックグレイヴは、間違いなく色付きのコアに深く斬り込んだ。

 

そしてアスカの双眸は今度こそ驚愕に見開かれた。

 

コアを斬られた色付きは一瞬動きを止めたが、瞬く間にコアを再生させたのだ。呆然としてしまったアスカは、襲い掛かって来た“色落ち”に反応出来ない。

弐号機へとカギ爪を振り上げた色落ちに、310ミリ口径の弾雨が側面から突き刺さり、アスカは九死に一生を得た。

 

 

2体と成って再生した使徒イスラフェルを見たシンジは、機関砲(マステマ)のマガジンロックを解除、撃ち尽くした弾倉を引き抜いて捨てる。機関部のサイドにあるハードポイントから、予備のロングマガジンを引き出して、初号機の掌中でクルリと回し装弾口に差し込んだ。

自動的にマガジンの固定ロックが掛かり、初弾がチェンバーに送り込まれ、コクピットのサブモニターに発射可能の表示が出る。

 

動きを止めた弐号機に襲い掛かる色落ちに、シンジはありったけの弾丸を叩き込んだ。

硬い体表を持っていた使徒シャムシエルと違い、使徒イスラフェルの身体は脆く、310ミリ弾のスコールは四肢を砕き全身を蜂の巣にする。

執拗に撃ち込まれた大口径の徹甲弾は、仮面部位を粉砕し、更にはコアすらも貫通した。

 

「ふう……」

 

使徒のコアが抉られたのを確認したシンジは、漸く射撃を止めて息を吐いた。

アスカがイタリアで斃した水飲み鳥=使徒トリィは、ダミーの頭部を持っていたと云う。ならばアスカがコアを切り裂いた色付きがダミーで、色落ちの方が本体である筈だ。

 

「余計な事すんじゃないわよ!!」

 

シンジの口元に浮かびかけた微笑は、弐号機との通信モニターからの怒鳴り声に掻き消され、代わりに目元に“への字”が浮かんだ。

 

そして、色落ちの方が本体であると云うシンジの推測は裏切られた。

アスカの怒声に気を取られた僅かな間、コアを含む全身を穴だらけにされた色無しが、数秒も掛けずに全身を修復していた。

 

「(ダメージが足りなかったのか?)なら!」

 

シンジは初号機に海底を踏み締めさせ、足を踏ん張り、マステマのグリップをしっかりと握らせる。

 

「目標を粉砕する」

 

機体と銃身を固定して、色無しのコアを狙い放たれた火線の集弾率は、先程とは比較するのも烏滸がましい。シンジは装弾数の半分近い残弾全てを撃ち尽くす。

 

現状で許された最大火力に因って、色無しのコアは跡形もなく粉々にされ、胴体部には大穴が穿たれた。

 

「後は色付きを――」

 

マステマに専用マガジンをリロードしたシンジは言葉を失った。斃した筈の色落ちが再生し、しかも完全に破壊したコアまでも修復されている。

 

「この物の怪が!」

 

シンジが吐き捨てた時、アスカもまた苦境に立たされていた。

 

 

人の手柄を横取りしようとしたナナヒカリに――無論アスカの主観――悠長に噛み付く余裕など、本来は彼女に無かったのだ。

その代償にソニックグレイヴの柄を折られ、弐号機は色付きに組み付かれていた。

 

更に色落ちも初号機を無視して、弐号機に向かうのを見たシンジは叫ぶ。

 

「(マズい!)惣流、一度下がれ!」

「ッ! アタシに命令しないで!」

「そんな事云っている場合じゃ――」

 

問答している間に、弐号機と色落ちそして初号機が一直線に並んだ事で、引き金(トリガー)に掛かるシンジの指に迷いが現れる。

味方への誤射(フレンドリーファイア)の危惧と、その支援。斃せなかった色落ちと――逆に色付きのコアを砕く事に因る使徒殲滅と云う可能性(プラン)を実行する為、今装填した最後の弾丸(ラストマガジン)を温存すべきか。

いや、そもそも色付きのコアを破壊しても勝てるとは限らない。

様々な考えが頭を過ぎる中、シンジは僚機への誤射を覚悟するも時は既に遅し。動きを止めた初号機を嘲笑うかのように、色落ちが弐号機を奇襲していた。

 

 

弐号機に取り付かれたアスカは、長さが半分となったソニックグレイヴを捨て、色付きを引き剥がそうとするが、既に密着されていた為、それは容易でない。

腰部に絡み付く色付きと弐号機の腹の間に、何とか隙間を作ったアスカは、無防備なコアに膝蹴りを叩き込む。コアに一瞬ヒビが入り色付きが脱力した事に、アスカは残忍な笑みを浮かべる。

後退しろと云うシンジを無視して、更に追撃を加えようとするが、色落ちの不意打ちに因ってそれは叶わなかった。

 

前後から挟まれた弐号機は、四肢を抑え込まれ持ち上げられる。

そして、使徒イスラフェル達は初号機に向けて、弐号機を投げつけた。

 

シンジは初号機の機体を沈めて回避するが、波状攻撃を仕掛けるつもりか、2体の使徒イスラフェルは色落ちを先頭に突進してくる。

奇しくも頓挫したネルフの初期作戦をやり返された形だが、陸地まで投げ飛ばされた弐号機が活動限界に追い込まれた現状では、この上なく有効な戦術である。

 

「ATフィールド、広域展開をする」

 

初号機が展開したATフィールドは接近する2体両方に影響を与えるが、フィールド密度を落とした為か、完全な中和には至らなかった。

だが、ATフィールドを中和しきれない事は想定済み、ここからは賭けだ。

 

先の投擲を避けた膝立ちのまま、前衛を無視して後詰めの色付きに銃口を向けマステマを片手撃ちする。

その射撃が辛うじてATフィールドを貫通し、コアに傷を付けた。

 

「(よし、いける)」

 

シンジは賭けに勝った事を確信した。

 

 

この使徒はコアにダメージを受けた場合、回復するまでの数秒間は、ほぼ全ての行動を中断する。

使徒イスラフェルが仕掛けてきた時間差攻撃を、逆手に取って得た十数秒足らずの間隙で、シンジは色落ちを迎え撃った。

振るわれた鋭い爪を敢えて受けた。エヴァ誇る2万枚近い特殊装甲に阻まれ、その攻撃は致命打にならない事は弐号機が証明している。

フィールドバックの痛みが胸板に走るが、以前に比べ低下したシンクロ率が逆に幸いし、シンジは顔をしかめただけで操縦に影響はない。

 

「痛ッ、これでッ!」

 

そして腕を振り切った隙を突いた初号機の前蹴りは、色落ちのコアを砕きつつ、動かない片割れの傍へと吹き飛ばす。

更に機関砲を乱射し、その場に張り付けると同時に、マステマの最終兵装をロックオン。

 

「NNミサイル、発射をする」

 

2体が弾幕に叩かれたコアを癒す僅かな時間に、シンジはマステマの小型シールドに隠された切り札を使用した。

機関部を保護するシールドの陰から発射された2基のミサイルは、各々使徒に命中し、秘められた莫大な熱量を解放した。

 

マステマに2基装備された、限定NN弾頭ミサイル。

次世代核兵器=通称NN兵器とは、水素→ヘリウムの核融合反応を利用した、放射能汚染が極めて少ない戦略大量破壊兵器の総称である。

マステマに搭載された弾頭は、破壊力を通常戦術レベルに抑える事で、国家等の承認無しでの使用を認めさせた物だ。

 

 

爆発の衝撃が収まり煙が晴れると、ATフィールド全開で爆炎を防いだ初号機は健在だったが、直撃を受けた使徒達は焼け爛れ動く気配もない。

絶好の機会にシンジはある事を試すべく、全弾を消耗したマステマからプログソードのサイドブレードを分離させた。

初号機がサイドブレードの二刀流となった事で、海に落下したマステマ本体が水飛沫を上げる。

 

シンジが使徒へと初号機を向かわせようとした時、指揮所から通信が入った。

 

「シンジ君、弐号機を回収して……。第3新東京に撤退するわよ」

 

感情を押し殺したミサトの声から、彼女の悔しさが否応なしに判ったが、その命令は納得がいかない。

 

「このチャンスをフイにしろと云う気ですか!?」

「これ以上の戦闘は危険よ。それに目標が展開しているATフィールドの強度は、今の初号機では破れないわ」

「…………了解」

 

冷静なリツコの補足に、シンジは頷いた。

 

こうして、使徒イスラフェルとの最初の戦い――駿河湾迎撃戦は、痛み分けで幕を閉じた。

 

 

 

 

ネルフ本部の発令所の第一ブリッジは、総司令から直接指示を受ける戦闘指揮官とオペレーター、更に技術部からのオブザーヴァーであるリツコが集う場所である。

そこにいる3人の主任オペレーターは、エヴァとパイロットの状態をモニターする伊吹マヤ、関係各所への連絡通信を統括する青葉シゲル、そして作戦部の日向マコトが通常のメンバーだ。

だが、今日そこに居る面々は普段とは異なっていた。ミサトに追従し沿岸部に赴いた日向マコトの代わりに香椎エリカが入っている。

更にリツコの隣には零号機が修理中の為、留守番と相成ったレイが立っていた。

 

万が一に備えプラグスーツを身に纏ったレイは、戦闘の見学を命じられるまでもなく、前方にある空間投影式の超巨大(メイン)モニターを見つめていた。

 

「(シンジくん、無事に帰ってきて)」

 

弛緩も緊張も感じられない無表情とは裏腹に、真摯な祈り(ヒカリ)を宿した紅き明眸は、初号機のパイロットを案じていた。

 

 

 

弐号機の一撃から目標の分裂と、戦況は止め処なく推移していき、使徒の再生能力に殲滅の目処も立たない。

更には使徒の攻撃により弐号機も活動限界に至り、既に作戦は完全に破綻した。

使徒の連携戦術を巧みな機転で時間差迎撃し、2体の動きを機関砲(マステマ)の弾雨で封殺した際に、初号機は胸部が切り裂かれていた。

メインモニターに映るその光景を見たレイは、同じ場所に幻痛を覚える。

 

核反応に因る電磁波障害に乱れるモニターの回復を待ちながら、レイは云い表せない焦燥感に襲われていた。

コアを再生する使徒イスラフェルに放たれたNNミサイルは、目標の構成質量のおよそ3割を焼き払い、初号機の装甲にも同等の被害を与えていた。

 

「ダメ……」

 

通信が回復したモニターに映る、機体に軽くない損傷を負って尚戦わんとするシンジの顔を見た瞬間、レイの心が大きく跳ねる。

それ以上の戦闘は傷になる(・・・・)と云う確信。

機体のダメージとパイロットのバイタル、諸々の戦術データからMAGIが戦略的撤退を提案したのは、その直後の事だった。

 

 

 

 

初号機の手で弐号機の回収が終了し、展開した部隊も帰途に就いたが、ネルフ本部のスタッフ達にはつかの間の安堵を吐く事も許されなかった。

 

「国連軍に指揮権を委譲。技術部はエヴァを修理する準備だ、ただし赤木博士は目標の解析に全力を尽くせ」

 

各部署に一通りの指示を下したゲンドウは、帰還中の実働部隊に通信を繋げさせた。

 

「葛城陸佐、パイロットも聞こえているな。我々の存在意義は使徒に勝つ事だ。今回は仕方の無い面もあるが、この様な無様は許されん。その事を肝に銘じておけ」

 

「ハッ」

「フン……」

「…………」

 

総司令の叱責にミサトは神妙に敬礼し、シンジは興味無さげに鼻を鳴らし、アスカは唇を固く結んで沈黙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

汚れにくい上に滑らない高品質のタイル張りが成されたバスルームの端、ズラリと並んだパーソナルブースの奥が濃密な湯煙で充満していた。

シンジより一足先にエヴァから降りたアスカは、更衣(パイロット)(ルーム)に付属するシャワー室で先の戦闘の事を思い出していた。

 

「畜生。ナナヒカリ(アイツ)が、ちゃんと援護していれば……」

 

正面上方から斜めに降り注ぐ主ノズルの他、天井と横壁面に直角に設けられたノズルも全て全開にされており、アスカが居る最奥の半個室はさながら瀑布の中だ。

エヴァの操縦システムに由来する構造的欠陥――機体の感覚(ダメージ)――フィードバックは、少女の肉体に、背に走った三本の赤いラインとして確かに反映されていた。

アスカにとって傷跡は勲章では無く、温水の滝と霧のカーテンで恥辱の痕を覆い隠している。

 

「私は、アタシは――」

 

理性では判っている。初めての敗北は、慢心が生んだ油断と、単独での武功に拘った意固地さが原因だ。

少なくとも引き際を弁えていれば、使徒に投擲されるなどと云う醜態を晒す事は無かっただろう。

シンジは自分の代わりに一定の成果を上げているが、彼に噛み付く事は――恥の上塗りになるだけで――アスカのプライドが許さない。

 

「独りで…………」

 

本来は水を弾く瑞々しい肌がすっかりふやける程にシャワーを浴び続けても、鏡に映るささくれだった表情は潤う兆しがない。

少女の顔に塗りたくられた汚泥は流れ落ちず、熱く設定したシャワーは年齢不相応に発達した肢体を、無意味に朱く染め上げるばかりだった。

 

 

 

 

LCLを洗い流しシャワールームから控え室に戻ったシンジは、最低限の身繕いをすると、部屋の中央にある長椅子にドサリと腰を預けた。

気力が抜けた身体を引き摺りつつ、プラグスーツを脱ぎ捨ててシャワーを浴びていた時に、備え付けのアクリル製の鏡に映ったものは、憔悴したシンジに氷水をブチ撒けた。

 

「ッ……」

 

初号機が色落ちの鉤爪を受けた痕跡、左鎖骨から胸郭を縦に横断する微かな赤み、フィードバックの残滓。

そのうっすらとした赤い痕は、湯を浴びている内に自然と消え去ったが、痛みの記憶はシンジに陰鬱な気持ちを植え付けていた。

 

レイを危険に晒さない為にも、使徒イスラフェルは駿河湾で斃しておきたかった。いや斃さなければ(・・・・・・)成らなかった(・・・・・・)

これは想像の域を出ない部分も含むが、初号機の能力を上手く引き出す事が出来れば、イスラフェルは敵ではない筈なのだ。

脳量子波を失って弱体化した自分が恨めしく、本来の力を使いこなしてやれない初号機に申し訳なかった。

 

温水で暖まったにもかかわらず、ズボンのみを身に着けた少年の内側は冷え切っており、無意識に指が胸の消えた痣をなぞる。

指先に感じる早鐘を打つ鼓動に対し、昂ぶったままの神経は出鱈目な指示を出して、気血を澱ませている。

そして、おなざりに拭かれた所為で濡れたままの背中や髪は、着実に体温を奪っていった。

 

 

 

 

指揮権と作戦行動が完全に国連軍に委ねられ、待機任務を解かれたレイは、プラグスーツから普段着(せいふく)に着替え、パイロットルームの前でシンジを待った。

だが、初号機収容のアナウンスから随分と時間が経過したが、シンジは姿を現さない。

 

特殊な環境で育った為か、レイは自己の体内時計を精確に認識すると云う特技を持っている。

勿論、彼女の時計が正確に時を刻む訳ではないが、数分単位で時刻を知るには充分で、時計を持ち歩く習慣のない事に拍車を掛けている。

その時計の針が告げている、遅すぎると。普段は20分程度で控え室から出てくるのに、今日は既に40分以上も経過している。

 

 

シンジと出逢う前に比べて、レイは色々なコトを考える場合が格段に増えた。

以前は、静寂と安息に満ちた無と云う概念を……ゲンドウが虚ろな自分に与えた役割を思っていた。

だが、今はそれらについて考える事は殆ど無い。

シンジと共に暮らすようになり、穏やかな心の触れ合いや、温かい気配を感じながら眠る事、真っ直ぐな眼差しは、ゆっくりとレイを変えていった。

 

ただ与えられた役目を果たすのでは無い。

自らの意思で行動し、誰かの為になにかを為すと云う事。

或いはもっと単純に、大切な人の笑顔や仕草と云ったものを、思い浮かべたり想像したりする事だ。

尤もその対象は今の処シンジのみであるが、やがては彼を通じて/彼女が望んで、絆を広げていくだろう。

 

 

基本的にシンジは家事の類や入浴などはサッサと済ませてしまうタイプだ。その彼がもう40分も控え室から出てこない。

つまり、シンジは今、通常の状態ではない? 

 

「(そう云えば、さっきの戦闘で彼は……)ッ!!」

 

その事を思い出したレイは、シンジの居るであろう部屋の開閉スイッチに、手を叩き付けていた。

 

 

長椅子に身を投げ出すように座る半裸の少年は、疲弊した様子で項垂れていた。俯いた顔は心なしか青白く、コールタールにも似た粘性と色合いを有した雰囲気が漏れ出している。

火山ガスの様な毒性と悪臭を含む情念が、ゆっくりと攪拌されているシンジの心模様。そのマーブルカラーを感受したレイの胸は締め付けられた。

 

互いに感応し合う双子のように、義従兄の情調を纏綿に読み取れるレイは、シンジが負の螺旋に囚われている事を理解する。

戦闘と云う極大のストレスを耐えたのに、望んでいた結果が得られなかったと云う失望感。

 

「(わたし、何も出来ないの? どうすれば良いのか、わからない)」

 

伝播してくる絶望にも似た空虚な心に、レイは足が重くなる幻覚を感じた。そしてシンジはその泥沼で立ち止まってしまっている。

 

「……シンジ、くん――」

 

それは言霊の様に、華唇から小さく紡がれた。

無意識に或いは自然に家族の名を呼んだ事を、自らの声によって気付いたレイは、まるで天啓を得た様に息を呑んだ。

 

「(本当は、どうすれば良いのか分からない。でも……わたしにも出来る事がある)――シンジくん」

 

今度は明確な意思をもって彼の名を呼びながら、先程の重量感が一瞬で消え去った足で近寄る。

 

シンジくん(・・・・・)

 

もう一度、より真剣に、ハッキリと呼び掛ける。

 

すぐにでも触れ合える位置までレイが傍に寄ると、シンジは虚ろな眼で義従妹を見上げた。

 

「…………レ、イ?」

 

パチパチと瞬きをして煌めく赤光と目を合わせると、すこし痛い程に強いレイの意志が伝わってくる。

シンジを心配して、助けになろうとする優しい光。

何をすべきなのか分からないと云う不甲斐なさを呑み込んで、自分に出来る唯一を真剣に行ってくれた。

 

「(近くにいたから、逆に気付かなかった? いや……レイと一緒の生活が楽しいから、以前のレイと比較なんかしなかった)」

 

何事にも無関心だった数ヶ月前のレイは、それを間近で見てきたシンジを驚かす程の変化を遂げていた。

 

「(少しだけ……甘えさせてね)」

 

虚勢や抑制などの精神防御と卓越した身体機能で、ひたすら心を鎧っていたシンジは、およそ10年振りにそれを脱ぐ事にした。

 

「レイ、ちょっと手を貸して」

 

差し出されたレイの右手を取り、自分の頬に押し付けて頬擦りする。

湯冷めをした肌は冷えており、普段はひんやりとしたレイの手が今は暖かく感じられ、人肌の温もりに緊張が解れていった。

 

 

シンジが気持ちよさそうに目を細める様子を、レイは聖母のような目で見つめた。触れ合った肌からシンジの意識がとけて静かに拡がる。

 

「(そう……触れ合えば、よかったのね)」

 

眠っている時でさえ見せ無かった、完全に無防備なシンジの姿に、レイは胸の奥で荘厳な熱が生まれるのを感じた。

初めて感じた誇らしいと云う感覚以上に、シンジの心が正しく回転しだした事がレイには嬉しい。

 

そしてレイはふと思った。今は片手で触れているが両手になれば回復力が倍になるのではないか。

遊んでいた左手をシンジの頬に添える。

 

「レイ?……」

 

両頬を挟まれた事にシンジが薄目を開けると、微笑みを浮かべたレイに覗き込まれていた。

 

「ぁ……」

 

思わず息を呑んだ、その微笑は満月の下で見た際より、遙かに美しくなっていた。

かの折にシンジを魅せた限りなく透明な笑みに、慈愛の光と仄かな存在感が加わり、ディアナ神とモナリザが合わさったようだ。

 

身を屈めたレイに両手で頬を包まれ、互いの吐息が当たりそうな近さだった。

神秘的な紅眸の優しい光に吸い込まれるように、シンジは静かに少女へと上体を伸ばす。

互いに融けて拡がった心が交じり合い、もっと一緒になりたいと云う想いへ収束され、レイもまたゆっくりと瞳を閉ざしながら近付く。

 

お互いの距離がゼロになる直前、自動ドアの開閉音に2人は目だけで振り向いた。

 

「ナニやってんのよ」

 

そこには、やや肌が火照ったアスカが、酷く冷めた半眼を向けていた。

 

感情を押し殺したアスカの声色にも、同僚に睦事を見られた事にも頓着せず、シンジは正面に視線を戻す。既にシンジの身体は温かさを取り戻していた。

 

「もういいよ。レイ、ありがとう」

「ん……」

 

滑らかな動作でレイは、シンジから離れる。その潔さを感じるまでの動きは、アスカが胸で燃える炎を一時忘却する程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネルフ本部にある食堂(カフェテリア)のオープンスペースは大型客船のデッキの様な開放的な吹き抜けになっており、職員達に人気の憩いの場だ。

ほどよい空間を演出しながら点在する座席の中で、最も大きなテーブルに、3人の少年少女と三十路の男女が集まっていた。6人は各々食事や飲み物を持ち寄っている。

 

ブリーフィングは作戦室に集まるのが通例だが、体調の戻ったシンジが空腹を訴え、アスカもそれに同調した為、会食形式の談合となった。

トレイに載ったカツ丼と明太子スパゲティの前に座るミサトは、かき揚げうどんに七味唐辛子を振り掛けている男=加持リョウジを睨めつける。

 

「よし、みんな揃った所でブリーフィングを始めましょうか。……と言いたいトコだけど、何でアンタが居るのよ加持」

「つれないな、葛城。海の上(OTR)じゃロクに話せなかったし、食事は人数が多い方が楽しいだろう?」

 

対角の席に着いた加持が、刺々しいミサトの態度を飄々と受け流す様子を、やや上気した顔のアスカは興味なさげに流し見た。

湯中り気味らしいアスカは、オーダーしたビフテキ定食洋風(パン・スープ)セットの向こうにあるサンドウィッチの主たる少女に目を向ける。

 

「(そう云えば、エコヒイキ(コイツ)って何者かしら?)」

 

アスカがドイツで聞いた話は、総司令のお気に入りで人形を彷彿とさせる寡黙な少女。

しかし今、目の前にいる綾波レイは、確かにビスクドールの様に整った面立ちをしており口数も少ないが、マリオネットとはかけ離れた印象を受ける。

それになんと云うかきゅん(・・・)と琴線に触れると云うか。強いて云えば可憐な白百合――は言い過ぎか……。

 

「(こう云うのが、噂に聞く大和撫子?)」

 

加持へ一方的に突っかかるミサトを一瞥。

 

「(流石に比べるのは失礼か。よく考えれば私って、普通っぽい女の子に縁がないじゃない)」

 

レイとミサト、どちらに失礼かは言うまでもない。

 

ベジタブルサンドウィッチセットを注文したレイは、アスカの気怠げな目を真っ向から見つめ返した。

先程とは別の理由で朱くなったアスカが目線を彷徨わせ、彼女の隣に座ったリツコがミサトを宥めている間に、加持は明朗な笑みを隣席に向けた。

 

「自己紹介が遅れたが俺は加持リョウジ。よろしく、碇シンジ君、綾波レイちゃん」

 

アスカと一緒だったが君達とはすれ違いになったらしい、と語る初対面の男に名を呼ばれた事に、シンジの片眉が小さく跳ねた。

その僅かな動きを捉えた加持は、その笑みを意味深なモノに変える。

 

「ネルフに君を知らない人間はいないさ。3体もの使徒を斃した期待の(スーパー)操縦者(ルーキー)

 

加持の探るような仕草(めつき)に、自然とシンジの瞳に鋭さが宿る。

 

「(この男、何が言いたい? いや、何を言わせたい(・・・・・・・)? 或いはレイの――)」

「そう云えば葛城の寝相を知りたかったんだが、君が同居を断った所為でアテが外れたよ」

 

警戒心が臨界に達そうとしていたシンジにとって、それは正に想像の斜め上、完全な不意打ちだった。

 

「へ……、なんで――」

 

以前ミサトが同居を持ち掛けてきたなんて、ショウモナイ事を知っている!?

 

「なに、彼女の行動が読める程度には仲が良かっただけさ」

「加持君、あまり大切なパイロットをからかわないで頂戴」

 

顔に書かれたセリフを読んで言い切った加持を、リツコが諌める様子に、すっかりシンジの毒気が霧散する。

その時、加持の顔は悪戯が成功した悪ガキにも似た、ある種のダンディズムを体現していた。

 

 

紆余曲折を経て漸っと本筋に立ち帰り、エヴァが撤退した後から話は再開された。

 

ネルフ(あたしたち)が撤退した後、自己修復中の目標に対し、国連軍がNN爆雷による攻撃を行ったけど、地図を書き直す手間を増やしただけで効果無し」

「しかも観測されたATフィールドの強度はサキエルの4倍以上――目標の性質上、有効打を与えるには、最低でも10TJのエネルギーが必要ね」

 

それはヤシマ作戦に要したエネルギーの倍を、優に上回る数値だった。

 

「要するに今は打つ手無しって事でしょ。そんな事よりエヴァの状態はどうなのよ」

 

アスカの不躾な物言いにも、リツコはさして気にする素振りを見せずに答えた。

 

「初号機のダメージは充分にヘイフリック限界の許容範囲内、1日程度で自己修復されるわ。ただ前面装甲の半分は換装が必要ね――」

「(初号機なんてどうでも良いから、弐号機の事を教えてよ!)」

「――弐号機は機能中枢こそ問題はないけど、全身の骨格と筋肉の調整を行うから5日はかかるわ」

 

リツコは淀みなく一息に述べたが、アスカの心情を顧みず初号機から説明する辺り、心中穏やかではないのかも知れない。

 

「……零号機は?」

「えっ」

 

オニオンピクルス+フルーツトマトサンドをチビチビ囓っていた筈のレイが突然上げた声に、リツコは一瞬面食らった。

 

「ああ……零号機は漸く都合のついた胸部生体部品を馴染ませるのに、最低7日必要ね」

「了解……」

 

そう云ってレイは再びサンドウィッチを囓りだした。

 

 

ネルフ豪華定食――大食らいであるミサトのランチに匹敵する分量がある――を持ってきたシンジは、竜田揚げで白飯の山を崩しながら話を聴いていた。

茶碗の山盛りを丘盛りにしたシンジは、具沢山の豚汁を啜るとそっと息を吐いた。

 

「処で……イスラフェルを斃す方法――と云う以前に、そもそもATフィールドを突破出来るんですか?」

 

現在使徒イスラフェルが展開しているATフィールドのパワーは、サキエルの5倍もある。これでは初号機――或いは他のエヴァ――が全能力を発揮しても破れるかどうか……。

 

「あら、ごめんなさい。説明不足だったわね――結論から云えば、ATフィールドは問題ないわ」

 

リツコの説明によれば、あの再生力を誇った目標の、自己修復速度の遅さ(・・)から判断すると、全エネルギーリソースをATフィールドに回している故の大出力と云う事だ。

 

「――それにあの出力にはもう1つ理由があるの。2体はSS機関(コア)を同調稼動させる事による量子効果でエネルギー生成量を二乗化させているわ。そして二乗化現象を発生させる為には、コアの状態が完全に一致する必要がある」

「つまり、戦闘になれば二乗化は不可能……ですか」

「その通りよ」

 

一同に軽く視線を回らすと、リツコはやっと疲れた頭脳を癒す為のメニューに取り掛かろうとしたが、唯1人理解出来ない者が声を上げた。

 

「ねェ、リツコ。あたし意味が分からないんだけど……」

「…………他の皆は理解出来たわよね?」

 

溜め息混じりのリツコの問い掛けに、ミサト以外の食卓に着いた面子は、黙々と食事を続けながら肯定する。

 

「か、加持ぃ……アンタも今の分かんないわよね?」

「――俺はこう見えても読書家でね。以前、量子論関係の本を読んだ事があるから何となく分かる」

 

同じ文系である筈の旧友に、ミサトは情けない声で助けを求めるも玉砕する。

リツコを見ると「話しかけるな」と云うオーラを纏いながら、深皿に盛り付けられたパンケーキを切り分けていた。

その無駄に真剣な表情と、スープ皿の様な器に満たされたシロップに浸っているパンケーキを見たら、流石のミサトも諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ミサトは本部内居住区画の通路を、3人のパイロットを引き連れて歩いていた。

使徒イスラフェルが活動を再開する時期は、予測する為のデータが不足しており、現在も観測と分析が続いている。

その為使徒再侵攻に備え、MAGIによる解析予報が出るまでは、シンジ達は本部に詰める事になったのだ。

 

「ここよ、あなた達が泊まる部屋」

 

ミサトがスライドドアの開閉スイッチを押すと、正面にベッドが2つ並んでいた。

 

案内された宿泊場所はネルフ上級職員用のツインルームだったが、この部屋では問題がある。

 

例えばレイの場合。

 

「葛城陸佐、ベッドの数が足りません」

「それなら、ベッドをくっつければ3人でも寝れるわよ」

「(…………いまミサト(コイツ)は何て言った?)」

 

その言葉の意味する処――的外れなレイのものとは違う、本当の問題――を数秒掛けて理解したアスカは、白い肌を再び朱に染め上げた。

 

「冗談じゃないわよ! 男と一緒だなんて、何考えてンのよアンタは!」

「落ち着きなさいアスカ。大体今日の戦いは事実上の負けだって分かってる?」

 

それはアスカの認めたくない屈辱を刺激した。結果こそ引き分けだが、愛機のダメージは決して軽くない。

言い訳をする厚顔さはアスカには無く、行き場のない感情は怒りへと変換される。

 

「それと男と同室になる事は関係ないでしょ!」

「あるわよ。弐号機がやられたのはロクに連携も出来なかったからでしょ」

 

僚機の射線を塞ぎ援護を罵倒する、思い返せばいっそ清々しい(キモチイイ)までのスタンドプレイ――ミサトの指摘は正しい。

 

「同じ布団で寝た仲になれば、自然と仲も良くなるってモンでしょ」

「それを云うなら【同じ釜の飯を食べた仲】よ!」

「とにかく、今日は他に部屋を用意出来ないから、大人しくシンジ君達と一夜を共にしなさい。じゃねー」

 

一方的に問題を押し付けて去っていったミサトに、地団駄を踏んだアスカが室内を振り返ると、寛いでいる2人に唖然とする。

 

いつの間に着替えたのか……Tシャツとハーフパンツの部屋着姿で、シンジは足を組んでベッドに寝転びポータブルプレイヤーのイヤホンを装備している。

レイも――異性が居るにも拘わらず――スカートを脱いで、シンジが横になっているベッドに腰掛け、文庫本に目を落としている。

年頃の少女らしい感性を持つアスカにとっては、その光景はまるで異界に見えた。

 

「…………頭痛くなってきた」

 

痛み出した頭を冷やす為、着替えの詰まったバッグを持ってアスカはバスルームに向かう。脱力した彼女は「覗くな」と念を押す気力も無かった。

 

 

シャワーを浴びたアスカは冷静さを取り戻す事に成功していた。

 

「こうなったものは仕方ないから、まずはルールを決めないと……」

 

取り敢えずシンジは床で決定――と云った事をつらつらと考えながら、部屋に戻ったアスカはガクリと肩を落とした。

 

「な、悩んだ私を返せ……」

 

不本意な形でルームメイトになった2人が、1つのベッドで(・・・・・・・)眠っている。しかも大の字で横臥するシンジの上腕に、レイが頭を預けていた。

 

もし2人が別々のベッドを使っていたら、男の方(シンジ)を床に蹴り落とせば済んだ話だが――現実ではレイが少年の半身に抱き着いている以上、その必要がない。

 

「…………バカみたい。アタシも寝よ」

 

溜め息を吐いて空いているベッドに向かう途中、アスカの爪先に小さな布きれが触れた。

 

「ん? これ……!」

 

摘み上げてみると生暖かいそれは、アスカとって見慣れた物だったが、彼女の物はもっと高級品だ。

 

「(いや、そんな事より……)」

 

生暖かいという事は、アスカの目の前で眠っている少女が、ついさっきまで身に着けていたと云う事。

 

改めてアスカは持ち主を観察する。

身に纏った物は目に付く限りYシャツのみで、アスカより白く細い四肢をシンジの身体に絡ませている。

腕枕を利用中の穏やかな顔は赤ちゃんの様に幼いが、スラリと伸びた手足や散見する女性的な丸みは、アスカと同年代の少女特有のものだ。

 

不意にレイがむずがり身動ぐ様子に、アスカの心臓が跳ねる。

 

「(ゴクリ……)」

 

レイの太腿を隠していたYシャツの裾がずり上がる様子に、アスカは思わず生唾を飲み込んだ。

辛うじてレイの下着は見えないが、生脚の付け根に形成されたATフィールド――絶対領域――は、インナーと云う名の最終装甲(アーマー)を装着していたら展開出来ない気がした。

 

「って、女の子同士でしょアスカ……寝よう、寝て忘れよう」

 

アスカは逃げるようにベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

懊悩を抱えたアスカがシャワーを浴びに行った事で、早々にシンジは入浴を諦めた。

 

「今日はもういいや、どうせ朝入るし……」

 

肉体的に(フィジカル)は問題はないが、精神的に(メンタル)は疲弊している現状、アスカが風呂から上がるまで待つ気分にはなれない。

 

手探りでプレイヤーのボタンを操作し、登録したオリジナルモードから『就寝(Dream)』を呼び出す。

これは音量を絞った上で、静かで耳触りの良い曲のみがランダム再生される様に、シンジがカスタマイズしたモードだ。

 

「これで……よ、し…………」

 

一度伸びをしたシンジは、全身を弛緩させて寝息を立て始めた。

 

 

夢を結びだしたシンジの意識に引き摺られ、レイもまた抗いがたい睡魔に取り憑かれた。

文庫本を閉じてサイドテーブルに置き、もう一つのベッドを一瞥してから、シンジの寝顔を覗き込むと、レイはある事に思い当たる。

 

「(最近、シンジくんと一緒に寝てない……)」

 

ベッドを移動させられる膂力を持ち合わせていない以上に、ここ数日の不満によって、レイは同衾を即断した。

 

体重を感じさせない動きでベッドに登り、愛しい家族に身を寄せると、丁度良い具合にシンジの腕が枕になった。

 

「ぁ……」

 

Tシャツの胸元を軽く掴み脚を絡めて密着すると、無意識にシンジが腕を曲げ背中を抱かれる感じになり、その体勢の安心感に意識の落下が急加速する。

 

「ぉゃ………なさぃ。シンジく――――」

 

ポータブルプレイヤーのイヤホンから漏れる音楽と、シンジの鼓動を子守歌に、幸せそうにレイは眠りへと落ちた。




旧9話「水上迎撃」と旧10話「Double T/Win(前編)」を纏めたものです。

これで一応旧版での連載分は出し尽くした事になります。


さて、分裂したイスラフェルを書き分ける戦闘シーンと云う都合上、下手を打つと悪文になりかねないません。
概ね問題は無いと思っていますが、文章の繋ぎなどおかしいと感じたら、ガンガン指摘して下さい。

そして加持さん初登場。旧作アニメでは海上でシンジ達と出逢いますが、当作品ではブツの輸送の為に入れ違いになっており、イスラフェルと引き分けた後での邂逅です。
ちなみに加持さんが読書家という設定は、某スパイが仕事の一環として出逢った人間の職業に関する本を数冊読む習慣があると云うのを参考にしました。

作中で登場した食べ物の小ネタ。
まずアスカのビフテキ定食。松本零士作品にビフテキがよく登場するので、採用しました。
レイのオニオンピクルスとフルーツトマトのサンドウィッチ。オニオンピクルスは小説「ダレン・シャン」の登場人物の好物です。フルーツトマトは適当に決めました。ちなみにベジタブルサンドウィッチセットはイギリス風です。


それにしても、サブタイトルに英題が多い事がちょっと気になります(笑)。


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第7話 Double T/Win “Be Mine”

“Mine”は1人称単数形における所有代名詞で「私のモノ」と訳されます。しかし地雷・機雷も同じ綴りと発音の“Mine”なのです。
Be動詞につきましては、説明を省きます。

さて第2パートの副々題“Be Mine”が意味するものとは?
多分、読めば分かります。


少なくとも肉体面では爽快な目覚めが常であるシンジにとって、寝起き特有の気怠さは久し振りの感覚だった。

イヤホンから流れる静かなメロディに気付き、プレイヤーを止める為、操作端末を自由な(・・・)右手に探らせる。

胡乱な頭が思考力を取り戻すにつれ、昨日の出来事が甦ってきた。

グロッキー状態――尤も自覚は薄かった――であった昨夜の自分は、相部屋(ツインルーム)の諸問題を放り出して寝落ちしたのだ。

 

「(そう云えばレイは……?)」

 

主な問題源(アスカ)と同じベッドで寝たのだろうか……などと考えながら、ピントの合っていない黒眸を遊ばていた時、胸元にある筈のデバイスに繋がるコードを辿っていた指先が、自分以外の人間の手に触れた。

 

軽く瞬きをするとぼやけていた視覚は直ぐ鮮明になり、シンジは視界の左下に見慣れた青空色を見付けて苦笑する。

 

「(やっぱり、左手が動かない訳だ……)」

 

とどのつまり、レイが左半身に抱き付いていた。シンジの左上腕を借用し、左足を彼女の太腿で挟み、緩く握った左手が彼の上体に載っている。

各種身体機能に優れるシンジは、多少の重量が一晩載った程度で、腕が痺れる事はない。

特に身体に違和感を感じない上、眠っている間に重みなどに触覚が慣れた為か、抱き付かれていた事にも気付かなかったらしい。

勿論、半身をロックしてる相手が、心を許しているレイである事も手伝っている。

 

首だけ起こしてレイの体勢を確認すると、シンジは義従妹の左肩に回っていた左手を静かに放し、背中を抱いていた二の腕を伸ばす。

そこからのシンジはまるで知恵の輪を弄ぶ手品師顔負けだった。レイを夢に置いたまま腕枕を外し、絡んでいた脚を抜く。

あっと言う間に毛布のみを少女に残し、レイから離れた。

 

 

ベッド上でレイから少しだけ離れたシンジは、上半身を起こして胡座をかいた。

改めてポータブルプレイヤーの再生を停止させ、片手でイヤホンを外した時、耳朶や頬に皮脂の感触があり、就寝前の入浴をサボった事を思い知った。

 

「(電池ギリギリ、充電しないと……)」

 

端末の小さな液晶に表示されたバッテリー残量を表すバーは、最後の1本まで減っていた。

座り込んだまま部屋を見回しコンセントを見付けると、シンジはベッドから降り、バッグを漁って充電器(ACアダプタ)とタオルを取り出す。

充電器とプレイヤー本体を接続しプラグを差したシンジが、バスルームに向かおうとした時、第三者が待ったを掛けた。

 

「何してンのよ、あんた?」

 

振り返ると――何時の間に目覚めたのか――身体を起こしたアスカが、百年の恋も冷めそうな恨めしげな半眼をシンジに向けていた。

 

 

異性が隣で寝ている事を始め、義理らしい兄妹の怪しい関係など、安眠を妨げる要因に事欠かない一夜だった。

中々寝付けず、断続的な浅い眠りを繰り返していたアスカは、近くで何かが動く気配に目を開いた。

 

「(知らない天井……)」

 

ルームメイト達に背を向けて、横向きで眠った筈だが、寝返りを打って仰向けになったらしい。

幸か不幸か浅い眠りによって、現状把握をする(おもいだす)までもなく、自分が置かれた状況を理解出来ている。

 

目だけを横に向けると、眠れなかった最大の原因=シンジがなにやら動いて……と云うか朝風呂と洒落込もうとしている。

今、一番シャワーを必要としている人間(アスカ)を、平然と差し置く所行とは恐れ入る。

 

「何してンのよ、あんた?」

「見れば判るだろ?」

 

咎められた認識すらなく、シンジはタオルを掲げてみせる。その頓狂な態度に自然と声色が荒くなる。

 

レディ(・・・)ファースト(・・・・・)よ!」

「――別に良いけど」

 

何処か納得のいかない顔で、澱んだ碧眼のワガママを了承したシンジは、踵を返して自分のベッドに腰を下ろす。ドアに近い場所に座ったのはささやかな不満の表れだろうか。

 

ゴネるようなら実力行使も辞さないつもりだったアスカは、この呆気ない結果に拍子抜けする。

対するシンジは人様に譲らせたにも拘わらず、入浴の準備を行う様子もないお嬢様(レディ)に、憮然とした視線を向けた。

 

「な、何よ?」

「…………」

 

睡眠不足も手伝って呆けてしまったアスカは、シンジの無言の圧力によって、浴室へと追いやられた。

 

 

降りた際とは逆の縁に腰掛けたシンジは、ベッドの左側に横たわるレイと近い位置になるが、彼女からは背を向けられた状態だった。

 

「(彼女が早く上がる事を祈ろう……)」

 

まず間違いなく長風呂だろうが……脱衣所に入るアスカを見送ったシンジはそっと息を吐くと、背中合わせになっているレイに向けて胴体を捻ねり、後ろから彼女の寝顔を覗き込んだ。

 

形の良い耳に掛かる、絹のような蝉鬢/色素が薄い為、正面からは分かり辛い(まつげ)の長さ/肌との境界が曖昧な程、淡い小さな唇の端。

 

「(やっぱり、綺麗だな……)」

 

少女らしい華奢な肩越しに見るレイの横顔は、文字通り普段とは違った角度から、穏やかにシンジの心を持っていった。

 

「うぅん――」

 

そんな折、レイは――母親の匂いを嗅ぎ分ける乳児の様に――寝返りを打って義従兄の方に向き直る。

 

「――ぇぅ」

 

と、家族に接近したレイが、満足そうな吐息を漏らす幼気な仕草に、シンジは愛おしげに目を細め、彼女の目元に掛かった髪を優しく梳いた。

 

 

 

 

熱いシャワーで意識と肉体のハリを取り戻しながら、アスカは如何にして少年の鼻を明かすかを考えていた。

自らの自尊心を満たしつつ、シンジを驚かせる様な方法――本調子でなかったとは云え、同い年の異性に屈したと云う屈辱に甘んずるアスカでは無いのだ。

とは云った物の、普通はそんな都合の良い手段が直ぐに浮かぶ筈もない。

 

「そうだ! イイ事思い付いた」

 

しかし、目から鼻へ通じるアスカにとって、この程度はお遊びのレベルなのだ。

 

 

 

 

あどけなく夢路を泳ぐ眠り姫に見蕩(みと)れていたシンジは、脱衣所のドアが開く音に我に返った。

 

Hi(ハーイ)! お・ま・た・せ」

「ああ、うん」

 

全身を湿らせて脱衣所から出て来たアスカは、バスタオルを胴体に巻いただけの、一般に目の遣り場に困る姿だった。

西洋の血に因るものか、アスカの肉体は年不相応に発達している。胸元を隠す綿生地は豊かに盛り上がり、柳腰はチューブアイスの様にくびれ、手足は長く瑞々しいハリがある。

 

砂時計の様な肢体はグラビアアイドル顔負けで、柔布一枚を纏っただけの艶姿は、思春期の少年には剰りにも扇情的だ。

と云うアスカの考察は決して驕りではなく、確かな客観性に基づいていると云えよう。

だがその想像が、必ずしも碇シンジと云う少年の主観に一致するものではない事を、アスカは失念していた。

 

「何よ。折角サービスしてあげてるのに反応鈍いわね」

 

自慢のプロポーションに慌てふためく様子を期待していたのに、当人(アスカ)に無関心なばかりか、別の女(レイ)へ視線を向ける様子は実に面白くない。

 

シンジが色香に靡く気配の無い事を、アスカは平静を装っていると解釈した。ならば、強気にせめて、本性を暴いてやろう。

 

「それとも――」

 

コケティッシュに拗ねて見せたと思ったら一転、秋波を細め唇は弧を形作った。

 

「興味ないフリしてェ――」

 

そこから腰を曲げて、片腕をアンダーバストに巻き付け、グッと双丘を殊更に強調。

 

「アタシに……」

 

更に表情を挑発的な上目遣いに変え、残った手の薬指を、谷間にあるタオルの継ぎ目に引っ掛ける。

 

「……どうせ服を着ているんだろ」

「ッ! 何で分かったの……?」

 

小悪魔的な媚笑から急転直下、アスカは顔を苦虫を噛み潰した様に歪めた。

シンジはフッと人の悪い笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「君は簡単にヌードを見せる程、莫迦でも安くもないだろ?」

「それ、褒めてるつもり?」

「遠回しにね……」

 

一見半裸に見える少女は舌打ちして、巻いていたバスタオルを乱暴に取り去る。アスカはコルセットに似たデザインのチューブトップと、ジーンズ地のホットパンツを身に着けていた。

水着並みの露出度にもやはり反応せず、シンジは着替えを持って、タオルを放り投げた少女の脇を通り過ぎる。

 

「このカリは返すわ」

 

脱衣所に入るシンジを見届けると、アスカは小さく呟いた。

 

 

浴室から漏れる微かな水音の主への報復をしくじった事に、アスカの自己の回復が不完全であったと苦笑い。その上だ。

 

「あんなエレガントに欠ける遣り方なんて、らしくなかったな」

「シンジくん……」

「え? うひゃあッ!」

 

苦笑しながら反省するアスカは、その完全な不意打ちに飛び上がった。

 

空耳と思わせかねないような囁き声(ウィスパー)にアスカが振り返ると、なんの気配もなくシンジの義妹が至近に立っていたのだ。

 

「……違う」

「(何がッ!?)」

 

背後霊の模倣で人様を驚かせておきながら、ワケが分からない。

 

人肌の喪失と云う温度差に目覚めた姫君は、身体を起こして視線を巡らせるが、夢枕に寄り添ってくれていた温もりが見当たらない。

その事が琴線に微少な冷気(ノイズ)を織り込むも、弦全体から見れば想定内の誤差だろう。

軽く思案したレイは、シンジの件を保留して、朝の用事を済ませる事にした。

 

焦点の合っていない深紅は、少しの間虚ろな赤光を彷徨わせると、おもむろに身に纏っている物を脱ぎ捨てる。

 

「何いきなり脱いでんのよ!?」

 

女の子同士とは云え、なんの躊躇も無く素肌を晒すレイに、思わずアスカは喰って掛かった。

 

「…………お風呂」

「は?」

 

まだ夢うつつなのか、数秒の間を置いたレイの端的な回答に、ついアスカは脱力。

 

「ッ!」

 

その弾みでアスカは、少女の首から下の事を考えない為、意識的に逸らしていた視野が、レイの全身を捉えてしまう。

アスカの網膜に焼き付いた水浴びをしようとしているニンフと云った風情の絵姿。

それは邪念を抱きがちな男性より、むしろ女性に対する誘引力が強そうだ。事実アスカには当てはまった。

 

余分な脂肪が皆無の痩躯で、胸郭の白皙に肋骨が浮かぶ程だが、淡い桜色の頂点を持つ膨らみのおかげであまり目立たない。

手足や胴は一見手折れそうな程に繊細だが、内臓がリフトアップされて凹んだ腹は、レイが全体的に細くも均整な筋肉を有する事。

すなわちアスカと同様に訓練を受けてきた事を――僅かに残った冷静な部分――彼女の慧眼は見抜いた。

シミ1つ無い肌は抜けるようで、産毛も少なく、弱い部分を守るも隠すも出来ない幼気さは、アスカに庇護欲(父性)を覚えさせた。

 

人工の泉(シャワー)に向かおうとしている妖精は、義兄と同じように、静止したアスカの隣を通り過ぎる。

アスカを内面()葛藤(めいきゅう)から帰還せしめたのは、脱衣所のドアが閉まる――木の枝に衣を引っ掛ける――音だった。

 

 

どうにも手持ち無沙汰になり、ストレッチでもやろうかとベッドに上がったアスカは、今更ながら重大事項を失念していた事に気付いた。

 

「さっきシンジ(ナナヒカリ)の奴はシャワーに――って事は! …………あれ?」

 

少年少女は互いに全裸で鉢合わせする――にしてみれば、異様な静けさにアスカは首を傾げた。

先程2~3秒だけ大きく水音が響いたので、浴室の戸が開いた事は間違いない。それなのに、悲鳴どころか沙汰の気配すら全く無い上、両人いずれも出て来ないとは、どう云う事だろう。

乙女の想像力は、彼氏彼女が邪魔の入らない密室で、一糸も纏わず2人っきりと云う光景を幻視した。

 

「いや、まさか……」

 

中でナニが起こっているのかと、脳内イメージが煩悩に染まるにつれ、アスカの顔が朱くなっていく。

 

妄想が危険な領域に差し掛かろうとした時、脱衣所から物音と人の気配がして、アスカは正気を取り戻した。

5分もしない内に出て来るであろう人物を思い、冷静に自分の装いを顧みると、ラフとはしたない(・・・・・)の緩衝地帯に立つ様な薄着である。

先程シンジをからかおうとして失敗した手前、いつまでもこんな格好でいる様を見られたら、乙女としても沽券に関わる。

急いでボストンバッグから、ショールにも似たデザインの白い重ね着用ドレスシャツを取り出した。

アスカが羽織った白を基調とした上着は、ブラウスと同じく正面で留めるが、ボタンは胸骨の上までしかない。更に裾が鳩尾から斜めにカットされ、背面も同様な燕尾状の涼しげなノースリーブタイプだ。

彼女は硬質な襟と対照的な、ワンポイントの赤いリボンタイが気に入っている。

 

 

身体を拭いて出てきたシンジの風体に、アスカは顔をヒクヒクと痙攣させた。

 

「ア、アンタはデリカシーってモノが無いの!? そんな格好で出て来るなんて!」

 

苦言を呈された少年は紺のスラックスを穿いたのみ、首にタオルを掛けただけで、上体を完全に晒していた。

 

常識的に、裸の男が乙女と向かい合うなど言語道断であるが、男はちゃんとズボンを身に着けている。

シンジは一度自分を見下ろした。反論の余地も無くだらしがない状態だが、デリカシーとは関係なく思える。

 

「? デリカシーって……むしろ水着より露出が少ない位だけど」

「なっ……!(コイツ、ちょっと大人っぽい(かじさんみたいな)処があると思ったけど、まるっきり子供じゃないの)」

 

キョトンとする隠れ天然にあんぐりと開口する。もしもシンジの格闘能力が自分より劣っていたら、アスカは暴力に訴えただろう。

だが、現実は彼女と互角以上の実力がある事を、ついさっき思いだしたばかりだ。

こんなくだらない事で、生傷を作りかねないリスクを負うなんて、アスカにしてみれば割に合わない以上、彼女は閉口するしかなかった。

 

 

シンジが中央にブルーで“ASAP”とプリントされた白地のTシャツを着用し、アスカの溜飲が落ち着き始めた頃、作戦部の日向マコトは上司の代わりにパイロット達が泊まったツインルームへと歩いていた。

昨日(さくじつ)の使徒イスラフェルとの攻防から、未だ24時間も経過しておらず、作戦責任者は現在進行形(てつや)で事後処理に追われている。

ミサトに思慕の念を抱く彼は、自主的に彼女の仕事も手伝って一夜を共にしたが、単なる業務の一環に色気など皆無である。

 

現在、執務室のデスクに突っ伏して仮眠中のミサトを、悶々と堪能する楽しみを放り出して、日向がパイロット達の元へ向かっているのには理由がある。

ミサトが睡眠欲に屈した直後、リツコから使徒イスラフェルが活動を再開するのは5日後だと判明したと、内線で連絡が来た。

故に活動再開まで小一時間は掛かりそうなミサトの代わりに、シンジ達に一時帰宅の許可を伝える為、日向は思い人の寝顔を諦めたのだ。

数十分後に加持が差し入れを持って、ミサトの執務室を訪れる事など、日向には知る由もないし、これから彼に降りかかる不幸に至っては尚更だ。

 

 

荷物を纏めたナップザックをベッドに置き、充電されたポータブルプレイヤーを耳に宛がおうとしたシンジに、アスカは話しかけた。

 

「アンタってさ、零号機の子と恋人(ステディ)なワケ?」

「え……? 何でまたそんな質問(コト)を?」

「いや、アンタ達って同棲してるんでしょ。気になるわよ」

 

ふむ……と、ベッドに腰掛けたシンジが脚を組み指先を口元に当てる。

 

「どうだろう……最近はそういった事を意識してないから、ちょっと分からない」

「分からないって……男女七歳にして席を同じくせず、恋人同士でもないって不自然じゃない」

「それは確かに一理あるけど……う~ん」

 

思案の為か、シンジが斜め上に視線を向けた処で、脱衣所のドアが開いた。

 

「レイ……またそんな格好で」

 

呆れと諦めが混ざった声の理由を、アスカは後方を振り向いて理解した。

バスタオルを肩に掛けただけの――いや僅かな湯気を纏っただけ、有り体に云えば全裸の少女がそこにいた。

 

 

アスカが固まり、シンジが溜息を吐いた数秒後、部屋の出入り口が開く音が、彼らの耳に入る。そこに立っていた人物が男性であると認識した瞬間、2人は同時に反応した。

 

「ふぁ、みんな起き――ぺぶらッッ!」

 

この日――日向が最後に見たものは、シンジとアスカの蹴り足である。またこの部屋で、最初に見たものも、彼らの蹴り足だった。

 

ベッドに座った体勢から鏡合わせの様に2人は、素早く片足を折り畳みながら闖入者へと跳躍、間合いに入ると、見事なツインドロップキックを日向の顔面に見舞っていた。

 

「無断で入るな!」

「無断で入るな!」

 

綺麗に着地した2人の怒声は、派手に吹き飛ばされて気絶した日向には当然聞こえていない。

 

「む?」

「へ?」

 

図らなかった異口同音に因って生まれたシンパシーに、シンジとアスカは目を見合わせた。

 

 

 

 

ツープラトンアタックで出歯亀?を撃沈した後、シンジ達は24時間営業のネルフ食堂にて、リツコと朝餉の席を共にした。

 

「そう云えば、使徒の再侵攻が5日後って話は聞いている?」

「いいえ、初めて聞きました」

 

連絡役であった日向をKOした以上、当然彼らがその事を知る由もない。

初耳だと云うパイロット達に「ミサトもしょうがないわね」と女流科学者は漏らす。その呟きに、痴漢として排除してしまったミサトの部下を、シンジは思い出す。

丁度良いので先の顛末をリツコに説明すると、彼女は呆れと憐憫の入り混じった何とも云えない顔をした。

 

日向の性格を鑑みると故意ではなく、ミサトに付き合って徹夜し、判断力が低下していた故の事故(ミス)であろう。

しかし、レイが関係する事柄となると沸点が異様に低くなる少年と、手負いの野獣の様なアスカがそこに居たのだ。

酌量の余地がある過失に対する制裁としては、――乙女の素肌を護る為とは云え――日向の被ったダメージは同情に値する。

とは云え、所詮リツコにとっては――事ある毎に愉快痛快に表情筋を稼動させるミサト関係(の子分)――対岸の火事に等しい。

 

「取り敢えず、日向君の記憶は消しておくから安心して。それと今日は帰宅しても構わないわ」

 

諜報部で実験的に使用されている記憶消去薬――未だ動物実験段階の試薬――の投与をリツコは平然と宣い、更に「ミサトがなにか言ってきたら私の名前を出しなさい」と付け加えた。

非道い話である、主にミサトや日向にとっては……。だがミサトがイロモノ街道を突っ走る以上、同情の余地なンぞねェのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ丸1日振りにシンジとレイが自宅の床を踏んだ頃、とある青年の不幸をなかった事にした狂科学者は、腐れ縁の悪友の執務室を訪れた。

 

「随分とお疲れの様ねミサト、ちゃんと使徒についての分析報告に目を通した?」

 

トロけたチーズみたいに全身を弛緩させ、デスクに顎を預けていたミサトは目線だけを客人に向ける。

 

「再侵攻は5日後。そして最も有効な殲滅方法は、分離中の各コアに対する同時加重攻撃――最優先事項は忘れないわよ」

「重畳ね――それで、具体的な作戦は?」

 

的確に急所を抉ってくる旧友に、ウッとミサトは息を詰まらせた。

NN兵器の使用に関する事後報告やら、関係各所からの抗議文やらを漸っとやっつけ、一休みしていた彼女に作戦を練る時間がある筈もなく……。

 

「こんなんじゃ、アイデアの1つも浮かばないわよぅ」

 

苦手な書類仕事で徹夜したミサトには、閃きを呼ぶ為の気力すら尽きていた。

 

「やっぱりね……そんな貴女に朗報よ。既に1つプランが上がっているわ」

「マ、マジ!? 恩に着るわリツコ!」

 

棒状のメモリーディスクを掲げてみせるリツコに、加持からの差し入れを弾き飛ばしながらミサトは近寄る。

 

「お礼なら私じゃなくて、それを考えた人にね」

「え?」

 

受け取った棒状メモリーディスクをよく見ると“FOR MY HONEY”とペンで書かれていた。文面から送り主が、リツコの前に陣中見舞いに訪れた元カレだと知り、ミサトはガクリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの自室の前に辿り着いたシンジが、玄関の脇にあるミニパネルに指先で触れると、扉のロックが解除され、静かにオートドアがスライドする。

 

「(あれ……?)」

 

三和土に足を踏み入れると、奇妙な事に、一昼夜しか留守にしていない自宅がヤケに久しく感じる。

 

「ただいま」

 

戦闘と云う圧縮された時間を過ごした為だろうか……、シンジの挨拶はやや熱が籠もっていた。

 

ものぐさな処のあるシンジは、手で揃える手間を省く為、後ろ向きに靴を脱いで家に上がり、レイも真似する。

2人はひとまずリビングに鞄を置いて汚れ物を取り出し、シャワーを浴びに行くレイが纏め、途中にある全自動洗濯機に放り込む。

リビングに残ったシンジは荷物を片付け、着替える為に自分の部屋と向かった。

 

ダイニングに戻ったシンジはヤカンに水を張り電子コンロにかける。戸棚からティーパックを3つ取り出し、封を切ってポットに放り込む。そしてマグカップを2つと小皿を1つテーブルに運んだ。

シンジはリビングの隅に置いてあるノートPCを、テーブル――いつもの定位置――まで持ってくると電源を入れる。ウェブブラウザを起動させ、お湯が沸くまでニュースを流し読み。

 

カチカチと方向キーを叩いていたシンジは、耳に届いた沸騰音にキッチンへと戻り、茶葉が入ったポットに熱湯を注いだ。

煮出し中のポットをテーブル中央に置き少し待つ。充分に抽出がされたティーパックを引き上げて小皿へと置き、紅茶を2つのマグカップに注ぎ入れると、シンジはネットサーフィンを再開した。

 

 

暫く経つと、洗面所を兼ねる脱衣所と廊下を隔てるアコーディオンカーテンの音がして、風呂上がり特有の暖かく湿った空気が鼻を撫でる。

 

「自分の家だから良いんだけどね……」

 

湯気のにおいの濃厚さから、また(・・)レイは素っ裸でバスタオルを身体に巻きもせずにいる事が分かる。シンジは小さく嘆息した。

 

 

地上の喧噪から隔たれた高級マンション上層階の一室――キーボードの操作音と、ページを捲る音が断続的に響いている。

テーブル中央のティーポットを挟むようにシンジとレイは対面して座り、時折紅茶で唇を湿らせながら思い思いに過ごしていた。

シンジはウェブブラウザを2つ起動させて、料理関係のサイトと海外の学術論文を交互に流し見ている。レイは文庫本を読みつつ、正面に座る少年の息遣いに耳を澄ませていた。

 

無造作に垂らされていた――或いはページを捲っていた右手が、にゅっとマグカップに伸びる。引き寄せたカップを口元に運び、日本茶の様にズズッと啜り、ホッと一息。

まさに鏡合わせ――この場所で幾度となく繰り返された光景――だが、今回はカップを卓上に戻したシンジの動きが止まった。

 

「(もうこんな時間だ……)」

 

PCモニターの右下隅――タスクバーの端にあるデジタル時計が、11時を過ぎた時刻を示していた。

そろそろ昼食の準備を始めるべきだが、実戦の翌日と云う事もあり、少々台所に立つのが億劫だ。今までの事例から、夕方には気力も回復するだろうが、昼を用意する事は難しい。

 

「レイ、お昼は外食で良いかな?」

 

活字を追っていたレイはコクリと肯定の意を示し、本から視線を上げて質問者に向ける。

 

「ん……シンジくん、大丈夫?」

 

少年の精神的ダメージが抜けきっていない事を察したレイは、心配そうな目でシンジを見つめた。

 

まるで母親の様に心情を見透かすレイに、見栄や意地を張る意味は無い。シンジは自己の明眸が戻る頃合いを以て、レイの想いに応える。

 

「夕食は――」

 

おもむろに立ち上がったレイに、シンジは途切れ気味に言葉を紡ぐ。

 

「期待してくれて――」

 

レイはテーブルを回り込み、スタスタとシンジの背後まで移動する。

 

「――良い……ょ?」

 

柔らかく背中と首筋を包んだ体温に、シンジの言葉尻が窄む。微かに感じるシトラス系の薫り――僅かにLCLが混じる独特のそれ――はレイの匂いに他ならない。

 

少年の真後ろに回ったレイが、座ったシンジの両肩に手を置いて上体を密着させたのだ。

 

「(わたしが、出来ること……)」

 

触れ合って温もりを共有する――純粋な少女が得た答え――レイは自然に慈母の笑みを浮かべていた。

 

「レイ、ありがとう……」

 

シンジは肩に置かれた手に、自分の手を重ねた。

 

 

 

 

ベジタリアン向けのメニューも充実している大手ファミリーレストランチェーン店で、シンジは日替わりセット、レイは野菜カレーを注文した。

レイの野菜カレーは、肉を使わないベジタリアン向けメニューの1つである。対するシンジの日替わりセットは、肉料理の主菜にライスやスープ、サラダバーなどが付いたお得なメニューだ。

4人掛けのテーブルの対角に座った少年が、今日の日替わりのメイン――大根下ろしがタップリ載ったハンバーグ――を食べる様子をレイは見ている。

 

「シンジくん……お肉食べるの、我慢させてた?」

 

思えば、昨日シンジが食べたネルフ豪華定食も動物性タンパク質が多かった気がする。

 

「そんな事は無い……とは云い切れないか」

 

シンジとしてはタンパク源の摂取自体は――畑の肉を使ったり――幾らでも工夫のしようがあるとは思っていた。

しかし無意識に自分が肉分を欲していた事が、レイの指摘で浮き彫りとなり苦笑。

 

 

シンジが一瞬だけ苦笑いを浮かべた事に、紅眸の帯びる光が強まった。大切な人に我慢をさせていた事は悲しいけれど、既に賢明なる少女は最善の答えに到達している。

 

「シンジくん――わたし、お肉を食べられるようになりたい」

 

意気込む少女に、シンジは目を見開く。最近はレイに驚かされ感心する事が多い。

 

「無理は、しなくても良いんだよ」

 

シンジの言も尤もではある。レイの肉嫌いは単純な食わず嫌いなどではなく、彼女の出自に関わる事柄に端を発している。

詳細についてシンジは知らないが、トラウマの類だとは理解しており、レイに余計な負担を掛けたくは無かった。

だが、その事をおいて尚、レイには肉を克服する理由がある。

 

「あなたと、同じ物を食べたいもの……」

「っ……」

 

いじらしい事を堂々と云い切る純粋さに、シンジは口に含んだ物を咀嚼せずに飲み込んでしまう。大きな固まりが食道を通過していく感覚より、大きく跳ねた鼓動の方が印象的だった。

 

 

 

 

行き付けのスーパーマーケットの缶詰コーナーで淡黄色の魚肉がプリントされた缶詰を手に取った。

 

「レイ、これはどうかな? 見てくれはあんまり肉っぽくないけど……」

「…………」

 

若き主夫の手にあるツナ缶を、レイはジィっと見つめた。

 

「……多分、平気だと思う」

「よし、じゃあコイツを……」

 

熟視熟考した姫君に裁可を告げられると、シンジは数個のツナ缶を買い物籠に放り込んだ。

 

自己の食肉に拒否感を示す少女の為、次にシンジが目を付けた物は、カニとホタテだった。

 

「なら、これはどう? 甲殻類と貝柱」

 

それぞれの缶詰を1つずつ、計2個を、両の手に持って掲げる。

 

「……大丈夫、かな」

「OK」

 

一度熟慮断行をした所為か、レイの返事はさっきより早かった。シンジは両手の缶詰を籠に落とした。

 

 

缶詰コーナーで動物性タンパク質を仕入れた後、シンジは野菜数点と紙パックのコーンスープを購入して帰途に就く。

途中、自宅マンションが見えた辺りで、トリコロールカラーに塗装されたトラック2台とすれ違った。

 

 

 

 

エントランスに入るとオートドアが2つ並んでおり、左側の方が入り口だ。一方通行のオートロックで、中に入ると直ぐ第2のドアがあるが、最初のドアが閉まらない限り開かない。

第1ドアの物と同一の複合センサーに、指先を乗せて第2ドアのロックを解除し、ホールへと入ると、エレベーターに乗り込んで自宅がある階へ上がる。

通路に出たオシドリ兄妹は、自宅の隣――空き部屋の筈――の扉が開く様子に身構え、直後に隣室から出て来た人物を見て緊張を解いた。

 

「ン? アンタ達、何でこんな所に居ンのよ?」

 

隣の部屋から出てきたアスカは、先住の2人をジロジロと不躾な目を向けた。

 

昨日から今朝まで一緒だった同僚の少女が、目を丸くして云い放った問いに、シンジは内心「こっちの台詞だ」と思いながら答える。

 

「すぐそこが僕達の(ウチ)だからだよ。むしろ何故、君はここに?」

「それは、次の作戦に向けた準備の為ですよ。みんな」

 

マンションの新たな住人へ向けた質問に答えたのは、眼前の新参者ではなく背後から現れた部外者だった。

 

 

柔らかなトーンの声に振り返ったシンジは、1ヶ月程前に行った精神修養訓練以来、めっきり顔を合わせなかったバルタザール担当のオペレーターを見留めた。

 

「あなたは……阿賀野カエデさん。何故ここに?」

「は、はひっ! さっ、作戦への協力を要請されたんです……り、陸佐から」

 

シンジの顔を見たカエデは、ビクッと肩を竦ませ、ふわりとした栗色のボブカットを揺らす。

 

「あ~……」

 

小動物のようなカエデの反応に、シンジはポリポリと頬を掻いて苦笑した。

 

 

 

荷解きも済んでいないアスカの部屋では落ち着けない為、シンジ達の部屋に一同は集まる。

普段は荷物置き位の用途でしかない予備の椅子を使い、長方形のダイニングテーブルに、家人達と客人達に分かれて座っている。

カエデの正面にレイが居る――必然的にシンジとアスカが対面――しているのは、少年に対して『借りてきた猫』の様に緊張するカエデに、シンジが配慮したからだ。

 

カエデ達に席を勧めてからシンジが冷蔵庫から出した麦茶が、各々の前に置かれている。

本来この場に居るべきミサトが来ていない理由は、作戦の細部を調整してから、訓練用の機材を手配し終わった直後に、届いた追加書類に起因する。

そのデスク上に形成された大山脈を目にしたミサトは、訓練の監督代理をカエデに託す旨の遺言を遺し、その魂を木星まで飛翔させたのだ。

 

「みんなも知っていると思うけど、目標――使徒イスラフェルを斃すには、2つのコアを同時に破壊する必要があるの」

「はい、今朝リツコさんから聴きました。その事から必然的に、2つのコアに対する同時加重攻撃が有効だとも」

「ひぅ、ええその通りです。具体的には音楽に合わせた攻撃パターンを、ダンスと云う形で覚えて欲しいの」

 

カエデはそう云って、神妙な顔で話を聴いているシンジをチラチラと見た。

 

「そっそれでね……アスカの部屋は直ぐに使えないから、ここのリビングを訓練場所として使わせて、その…………」

 

越してきたばかりで積み上がった段ボール箱に溢れ、荷物整理に数日は要しそうなアスカの部屋では、充分なスペースが確保出来ない。

訓練用の機材を入れさせて欲しいと、カエデは消え入りそうな声で涙ぐむ。

どちらかと云えば他者に対して冷淡なシンジをして、憐憫の情を催す涙目のカエデに、彼は努めて明るく快諾した。

 

 

神妙に内容を咀嚼していたアスカは、麦茶で軽く唇を湿らせてから、面倒臭そうに口を開いた。

 

「…………つまり、アタシとシンジ(ナナヒカリ)にバレエをやれってコトね」

 

それに概ね正しいと肯定するカエデから、(カエデ)を震えさせているらしい(シンジ)に、アスカは目を移した。

 

「処でシンジ(ナナヒカリ)、アンタに対するカエデの様子が変なんだけど?」

 

何かあったのか、と訊いてくるアスカに、シンジはあからさまに目を逸らした。

 

 

アスカとしてはもっと頼り甲斐のある大人の男が好みだし、碧眼に映る少年はどうにもいけ好かないが、客観的にシンジはかなりの優良物件だろう。

一見ヒョロリとした優男だが、運動神経は抜群で頭脳も明晰。整った中性的な面立ち――クールと云うより、キュート系の童顔――は、内気な女性にも親しみ易そうだ。

中学校転入初日に、知り合い以上親友未満の交友を持った洞木ヒカリ曰く「異性である事を殆ど意識しないで付き合える稀有な男の子」らしい。

 

総合的に判断して、潔癖性でも人見知りでもないカエデが、シンジを嫌う理由が見当たらないのだ。

しかし、目を逸らすと云うシンジの反応で、以前に2人の間で何かがあったとアスカは確信する。

コバルトブルーからアイスブルーへと温度を変えた眼差しに、射抜かれたシンジではなく、むしろ蒼眸が味方をしている筈のカエデの方が動揺した。

 

狼狽えるお姉さんの様子を見たシンジは、溜息混じりに折れた。

 

「あんまり過去の恥には触れたくないんだけど……」

 

そう前置きしたシンジは、渋い顔で語り始めた。

 

 

 

 

発端は1ヶ月程前、使徒シャムシエルを撃破した翌日まで遡る。

窓から差し込む日射しに暑さを覚えたシンジの肉体は、惰眠を貪りたいと願う彼の精神を裏切り、強制的に覚醒させた。

 

「うぅ……今何時(なんじ)だ?」

 

弱ったミミズを思わせる緩慢な腕が、ベッドサイドを探り、目当ての硬い感触を見付ける。

だが手首を持ち上げると云う取るに足らない動作を渋った結果、当然の帰結として彼の携帯電話はベッドから押し出され、ゴトンと床に落ちた。

 

「う……ぇ………はぁ」

 

マットレスの上で名状し難い謎の蠕動運動を行って体の位置を調整し、ベッドの縁から床へと落下するように伸ばされた手が、携帯電話を回収する。

待ち受け画面に設定しているアナログ時計の短針は、ほぼ真左を指していた。

 

「もう9時か……」

 

今から身支度を調えて中学校に向かっても、1限目は欠席になるだろう。

強い倦怠感を抱えて赴き、わざわざ悪目立ちしても、良い事など無いと判断。つまり、学校はサボると決めた。

 

階段を這って下りるスライムの様に、毛布を被ったままズルリとベッドから降りる。

パペット人形を思わせる力無い動きで立ち上がると、重力に引かれて床に落下した毛布を、シンジは片付けもせず放置して部屋を出た。

そのままシンジは覚束無い足取りで浴室に直行、服を着たまま温いシャワーを浴びると云う、無頓着振りを発揮する。

 

 

数分か数十分か、ぬるま湯を頭から被り続けたシンジの肉体は完全に目覚め、それに引っ張られて精神の方も幾ばくか回復していた。

 

「よいしょっと……」

 

濡れて張り付くシャツを苦労して脱ぎ、「引き千切らなかった自分は理性的だ」などとしょうもない事を考えながら、ズボンを下着ごと脱いで全裸になる。

同年代の平均に比べると色白で、一見すればひ弱な印象。だがその実、猫を思わせるしなやかさを有している。

よく見れば無駄な肉は無く、贅肉の付きがちな腹や太腿なども引き締まっており、発達したインナーマッスルの存在を識者なら感じるだろう。

そして、衣類を絞るシンジの腕力は、シャツに比べて複雑な構造のズボンが含んだ水分さえ物ともしなかった。

 

 

水を絞られた衣類を脇に抱えて脱衣所に戻ったシンジは、ようやっと己が失態を悟った。

 

「あ……(タオル忘れた)」

 

しかし「独り暮らしだしまあ良いか」と、寝間着を全自動洗濯機に放り込み、濡れ鼠のままリビングに戻る。

ノロノロと台所を漁り、カップラーメンを発見。

お湯を沸かすのが面倒臭いので裏技を使用、プラ容器に水を入れて電子レンジに突っ込むと云う荒技だ。無論、味の保証は出来ない。

 

「不味い……」

 

食えない味でこそないが――ふやけているのに妙に固く、塩辛いと思えば味が薄い――形容し難い謎の仕上がりのインスタント麺を、半ば無理矢理に胃袋に詰め込む。

 

しかし半分程度でシンジは食べる事をギブアップした。その代償はテンションの急降下、シャワーでの回復分を帳消しにして余りあり、結局の処マイナスであった。

故に、鳴り響いたインターホンに対し、モニターの確認どころか服すら着ずに、ホイホイ玄関に向かってしまうのも致し方ない。

 

 

 

 

ネルフ本部内のトレーニングルームで、阿賀野カエデは可愛らしく眉根を寄せて、人差し指を立てながら少年に詰め寄った。

 

「いくら自分の家だからって、裸でいるのはどうかと思いますよ! それに学校も無断欠席して……」

 

偶々カエデは午後からの勤務であった為、12時を過ぎても一度も家から出てこないシンジの様子を見に行くよう頼まれて、彼の自宅に赴いた。

そこでカエデは玄関のオートドアが開くと同時に、目に飛び込んできたシンジの均整な上半身に羞恥を覚え、反射的に下半身に視線を向けてモロに見てしまったのだ。

 

カエデは「私怒っています!」と全身で表現しているが、パッチリとした一重目蓋はまんまるで、柔らかそうな頬も染まっている様子は拗ねた子供のようだ。

加えて本人も怒ったり叱ったりと云った事に慣れていないのだろう、威厳も迫力も殆ど感じられない。

 

「(9時と12時15分を間違えたりした、僕も僕だけどさ……正直――)」

 

ボンヤリとカエデの話を聞きながら、シンジは携帯の画面方向を間違える程に判断力が低下していたとは云え、素直に本部まで付いてきた自分を呪いたくなった。

正直に云って精神的なコンディションは絶賛低空飛行中である。こんな状態での訓練に、どんな意味があるものか。

 

「オホン、お説教はこれくらいで終わりにしましょう。でもしっかりやらないと怪我をしますよ!」

「(――ウゼェ)」

 

普段カエデはMAGIバルタザールのオペレーターを務めているが、パイロットの精神修養訓練も担当している。

このトレーニングは精神修養などと畏まった熟語が並ぶが、内容はオーソドックスで護身術を兼ねた武道の鍛練を行うと云うものだ。

 

 

本日のメニューは密かに合気道の有段者であるカエデとの模擬戦を行う。彼女の失策は、シンジの機嫌の悪さを軽く見た事と、彼の実力を過小評価していた事だ。

 

「(さて、どうしましょうか? シンジ君って運動神経抜群だし、かと云って迂闊に――)ッ!」

 

正面に居たはずのシンジが消え、重力も消失し天井が見える。額に添えられたシンジの指先に「投げられた!?」と思いながらも、体は勝手に受け身の体勢をとってくれた。

額を押した少年の指は優しい位だったのに、頭から強力に加速され、両手で床を叩き付けて勢いを殺したのにも拘わらず、したたかに後頭部を打ち付けた。

 

「あうッ!」

 

一瞬星が跳んだ視界が戻ると、そこにはシンジの足の裏が見えた。足の向こうにある感情のない眼に息どころか心臓が止まる。

声を発する間もなく、無情にも踵が顔面に向けて落下してくる光景に、カエデは頭の中が刹那の内に漂白された。

 

理性か良心か或いは初めから当てる気が無かったかのか、シンジの踏み付けは顔のすぐ横に落とされた。

自責の念からか、少年は苦虫を噛み潰した様に表情を歪めている。対するカエデは見開いた目に涙を溜めて、まるで凌辱されたかの様に震えていた。

血の気が失せて引き攣ったカエデの顔の横から足を退けた後、キュッと口を結んでいるシンジの鼻は、微かな刺激臭を捕らえた。

 

「ん? 何、この臭い……」

 

伏し目になっている少年の呟きを聞いたカエデは、顔色を青から赤へと劇的に変化させながら、スプリングギミックの搭載を疑うような勢いで上半身を起こし、脚の付け根付近を押さえた。

そして身を起こしたのと同じ勢いで立ち上がると、あっと言う間にトレーニングルームから走り去る。

 

「ぁ……」

 

謝罪をする暇さえ無かったシンジに、後悔と云う小さな棘を残して。

 

 

 

 

アイスブルーへ温度を下げた瞳に、侮蔑に近い光を宿したアスカは、やや温くなった麦茶を一息で飲み干した。

 

「アンタ、最低ね!」

 

辛辣だが率直な言葉は、いっそ小気味良い程で、反発心すら浮かばない。とは云え、無関係の第三者に無遠慮に批評されてムッとしない程冷めては居らず、シンジは憮然と閉口した。

忌憚なきアスカの態度に、酷薄な眼光を宿した荒んだ少年の再来を予想したカエデは、軽く唇を尖らせるだけのシンジに拍子抜けする。

 

「(あれ……なんかシンジ君、フツウ?)」

 

一方カエデからの人物像が改められている事など、露とも知らないシンジは拗ねた顔で目を泳がせている。

それを見たアスカが無用な追い打ちを掛けて自らの品位を凡俗に貶めるより先に、シンジ最大の理解者が動いた。

 

「謝って……」

「えっ……レイ?」

 

声量の割によく通るウィスパーヴォイスの主は、咎めるような思い遣るような複雑な色で、じっとシンジを見詰める

 

「…………」

「あぅ……、うわッ!」

 

静かな力強さに見据えられたシンジの上体が、紅眸から逃げて反っていき、当然の帰結として破綻した。

椅子から転げ落ちたシンジは、器用に右手を背後に回し落下運動ベクトルの大半を片腕だけで吸収するという妙技で着地する。

 

「……っ、シンジくん!」

 

一瞬の自失の後に色を失ったレイは、ガタンと椅子を蹴飛ばしてシンジに駆け寄った。

 

「大丈夫――っ!」

 

気遣いの言葉を押し留め、レイは僅かに身を固くして本分に立ち帰る。

シンジの心に刺さった小さな棘、時間経過によって跡形もなく消える程度のモノだが、確かに存在する瑕疵をレイは看過出来ない。

 

「阿賀野陸尉に……謝って」

 

心を鬼にしたレイの決意に、笑いを堪えている風なカエデに向き直る。

 

「あの、えっと――」

 

シンジは朱くなりりながら逡巡した後に頭を下げた。

 

「――あの時は、ごめんなさい」

「(まるで母親に叱られた小さな子供みたい……)! い、いいのよ。それに私もシンジ君のコンディションを考慮しなくちゃいけなかったんだし……」

 

カエデから赦しを得たシンジが、チラリとレイを見ると、少女は柔らかな表情に戻っていた。

 

「レイ、ありが――」

「アハハハ!!」

 

何かを云いかけたシンジを、アスカの笑い声が遮った。氷の様だった碧眼は今や日本晴れの様相を呈し、三枚目を晒した少年を指さしている。

 

「(何だろう、シンジ君ってカワイイかも……)」

 

頬を染めたまま苦い顔で押し黙るシンジを見て、諌め役になるべきカエデもクスクスと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

主に家主の手伝いで、MAGIと回線が繋がった特殊カメラ数台と感圧センサーマットは、ソファーなどの家具を避けたリビングに設置された。

 

「ふう、これでよし。手伝ってくれてありがとねシンジ君。お疲れさま、重かったでしょう?」

 

電子パッド(タブレット)に表示させたマニュアルと機材の配置を見較べたカエデは、満足そうに機器の運搬を買って出た少年を労った。

 

「大したこと無いですよ。――それにしても、ダンスに合わせたユニゾン攻撃パターンを覚え込んで使徒に対抗するとは……葛城さんらしいと云うか」

 

目には目を……と云う戦術は常道ではあるが、現実では難しい場合も多い。それに、こんな突拍子も無いやり方で実現性を与えるとは、正にミサトは天才と莫迦は何とやらを地で行っている。

 

「それ、何となく分かります」

 

呆れ半分・関心半分と云ったシンジに、何かしら思い当たるのか、カエデも上官をネタにする事に軽い抵抗を覚えながらもクスリと笑った。

 

 

カエデはブリーフケースにタブレットPDAをしまい、換わりに冊子を2冊取り出して、シンジに手渡す。

 

「はい。これが作戦要項……と云うか振り付け、目を通しておいて下さいね」

「了解です。それにしても紙媒体ですが……ちょっと意外です」

 

書店に電子書籍の購入(DL)カードが並び、紙で出来た本が隅に押し遣られ始めているご時世。実際にシンジが持つ数百冊に上る蔵書の殆どはデジタルデータである。

 

「まあ、紙は紙で色々とイイ部分があるんですよ。私はこれからお夕飯を食べてきますから、アスカにも渡しておいて下さいね」

 

そう云って玄関に向かおうとするカエデを、シンジは引き留める。

 

「待って下さい、今日はご馳走しますよ。その……この間のお詫びも兼ねて」

 

語尾が小声になった申し出に、カエデは破顔して振り向いた。

 

「もう気にしなくても良いのに――喜んでご相伴にあずかるわ。処で手伝える事はあるかしら? 何を隠そう、料理は得意なんですよ」

 

自慢気に胸を張るカエデに、賓客に仕事はさせられないと、シンジは丁重に彼女の厚意を断る。

 

「今日はパスタだから手間は掛かりません。それに――」

 

「わたしが、居ます」

 

天女を思わせるしなやかさで少年の隣に寄り添ったレイは、精巧なドールの様であった以前を知るカエデからすれば、信じられない程の柔らかな空気を纏っていた。

 

 

乙女の小さく可憐な自己主張に、何故だかカエデは楽しい気持ちになってくる。

 

「それじゃ、のんびりさせて貰いますね」

 

笑い出しそうになるのを堪えてカエデは云った。

 

「出来上がるまで暇でしょうし、TVでも見てて下さい。どんなパスタかは、お楽しみと云う事で」

「ふふっ、期待し――」

「あら、随分と殊勝な心掛けね」

 

いつの間に戻ってきたのか、カエデの言葉を遮り、鮮烈な少女の声がリビングに響いた。

 

現在、リビングに設置されている機材の運搬を、荷物の整理があると云って手伝わなかったアスカは、感心した様子でシンジを眺めた。

 

「何の事?」

「引っ越しソバって奴でしょう? 意外と気が利くじゃない」

「あのね、アスカ……引っ越し蕎麦は――」

 

越してきた新参者が麺類(パスタ)で歓待されるのではなく、元の住人への挨拶として蕎麦を贈る古い風習である。

首を傾げるばかりのシンジを見かねたらしいカエデの説明(フォロー)に、自己の勘違いを訂正されたアスカは羞恥に朱くなる。

 

「……1人位増えても問題ないよ。レイ、早速始めよう」

「ん……」

 

アスカが発しだした不穏な気配に、半ば強引に話を切り上げたシンジは、レイを伴いキッチンへと退避する。

 

「(うぅ……シンジ君って、絶対()だよぅ)」

 

気まずい沈黙と共にアスカと残されたカエデは、心の裡でさめざめと泣いた。

 

 

 

 

家人と客人に分かれて囲まれたダイニングテーブルには、蟹と貝柱のシーフードサラダが中央に座し、メインディッシュたるコーンソースパスタを盛り付けた深皿が人数分置かれている。

カエデはフォークに一口分のスパゲティを巻き付けると、スプーンも添えながら口に運んだ。

 

「これはコーンクリームかな? 甘口だけど、程良く塩気も効いてパスタに良く合ってます。美味しいわ」

「どうも……」

 

正面に座るカエデに軽く目礼を返すと、シンジは隣に座る肉嫌いの少女にそっと声を掛ける。

 

「大丈夫? 食べられそう?」

「…………(コクリ)」

 

掬われたソースに浮かぶツナの欠片を、真剣に見詰めていたレイは、意を決して頷き、ゆっくりとスプーンを淡紅色の口腔内に滑り込ませた。

トロみのあるソースに含まれた僅かな量の固形物を、緩慢に数度咀嚼すると白い喉が動き、カチリと小さな音を立ててスプーンが皿に立て掛ける様に置かれる。

ほうと息を吐いて緊張を解いたレイは、隣の少年に振り向くと、無機質になっていた目を緩め、固く結ばれていた唇を綻ばせた。

言葉以上に雄弁なレイの返答(えがお)に、シンジもまた目を細め、改めて箸を手に取った。

 

 

西洋圏の人間だからか、隣の女性と比べて幾分か洗練された動きでフォークを操り、アスカは逆引っ越しパスタ(・・・・・・・・)を巻き上げる。

 

「(む! 結構イケる……)」

 

クリームシチューに近い味わいの甘口ソースが持つ、主食となる穀類の加工品――要するにパスタだが――との相性はアスカの予想以上だった。

目を丸くしたアスカのフォークの進みはやや速まり、その様子を認めたカエデは正面で黙々と食べている少年に目配せ。

 

「なにか?」

「ん~、この美味しい(・・・・)ソースのレシピが知りたいなぁ」

 

視線に気付いたシンジは、少々奇妙なカエデの様子を訝しむも、瑣事と判断して彼女の要望を快諾。

 

「ああ、簡単ですよ。まず――」

 

刻んだタマネギに火を通した所に、油を切ったツナ缶を投入して軽く炒めてから、パックのコーンスープを注いで…………と云う説明を聴きながら、カエデは隣を指さす。

 

「なるほど……」

 

シンジが意味深に口角を釣り上げると、カエデも笑みを深めて隣人に秋波を送る。2人分の視線にフォークを止めたアスカに、すかさずカエデは一石を投じた。

 

「美味しいよね、アスカ」

 

カエデの言葉に、アスカは自己の行動を顧みて瞬時に状況の不利を把握、だが素直に味を認める事はどうにも面白くない。

 

「悪くは無いってだけよ。大した味じゃないから、さっさと片付けたかっただけ……」

 

鼻を鳴らして食事を再開したアスカの態度に、僅かにレイは眉を顰める。

 

「気にしないで」

 

本当に微かなシンジの囁きに、紅眸に混じった氷雪は一瞬にして融解し、改めてレイは夕餉を味わい始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

衣食住の内、当座のアテがある衣食の確保を後回しにして、住環境――有り体に云えば寝床の整備――を優先した事は、体の資本率が高いパイロットとして、アスカの自覚が高い事の現れだろう。

尤も――直ぐに使う衣類に関しては赤いスーツケースに数日分は入っているので問題ないが――装いのヴァリエーションが少ない事は、如何せんとも乙女として解決しなければならないが……。

 

自室に戻ったアスカは手早く入浴を済ませると、入居して真っ先に整えておいたベッドに身を投げ出した。上等な高反発マットレスは絶妙な弾力でアスカを受け止め、彼女の肢体に残留した僅かな疲れを霧散させる。

一心地付いたアスカは、ベッドに放り投げておいた“数年来の腐れ縁”を両手で持ち上げた。

 

「ふぅ、しばらく荷解きもままならないか……」

 

毛糸の髪とボタンの目をした素朴な人形に、寝室こそ余計な物が無く――アスカの感覚では地味になるけど――小綺麗ではあるが、それ以外の場所の惨状を愚痴る。

家具の殆どは備え付けであるが、ベッドや化粧台等は――引越業者の人間とは云え見ず知らずの男に触られるのは少々業腹だったが――ドイツから輸送した物で、物量的体積的には高が知れた量だ。

問題は主に衣類や靴、その他コスメ等々を収めているダンボール箱の山が――分量にして1部屋半を占領する程にあり――ボール紙の直方体が廊下やリビングに溢れかえっている。

加えて、使徒イスラフェル打倒の為の“特殊訓練”に、明日から掛かりきりになる事を考えれば、纏まった時間は取れないだろう。

 

 

パペットに近い印象の女の子は、幾度となく棄てようと思ったが、結局手放せずにズルズルと長い付き合いになってしまった悪友だ。

 

「今日は~ちょっと油断し過ぎよアスカ~」

 

両脇を掴む手で人形を左右に振りながら、他のパイロット(ライバル)達の前で隙を見せたり、意外に珍味な夕食に舌鼓を打った事を反省する。

そしてそれ以上にアスカとしては業腹この上ない事があった。使徒イスラフェルの殲滅にはどうしても初号機と弐号機の――零号機は修理改修中――同時運用が必須である事だ。

 

「ユニゾン――エヴァ2体を運用する連携作戦――か。(アタシ)は独りでやれるのに……」

 

厳しい訓練過程で常に最高ランクの成績を維持してきた自負を、アスカは抱いている彼女に語りかける。

 

「きっと、今回だけよ。アスカ」

 

夕食後に行ったユニゾンダンス訓練の滑り出しが好調であった事と、訓練中は外出の機会も少なくなる事を鑑みて、アスカは諸々の不満を慰めた。




可愛いアルビノっ娘かと思った?
残念!
アスカちゃんでした!


さて投稿にあたり、改めて本編を読み返すと、結構やりたい放題な気がします。
その割には起伏の少ない日常パートが延々と続くと云う、少々退屈な仕上がり。

ですが、その分最終パートたる次回は山あり谷あり。
そしてなんと、アスカの秘密が明かされます。


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第8話 Double T/Win “Fa/ce _Off”

“Face/Off”と云うハリウッドの傑作アクションがあります。

本サブタイトルではスラッシュが変な位置に有りますが、“TWi”まで文を戻れば“Twice”となります。
“n”が何処へ行ったと訊かれると困りますが。


午前6時半、単調な電子音(アラーム)にアスカは目を覚ました。

ドイツ時代から使い続けている携帯を――これまたドイツから持ち込んだダブルサイズの高級ベッドの上で、腕を彷徨わせて――探り出しアラームを停止させる。

アスカが気怠げに上半身を起こすと、寝間着代わりにしたキャミソールの左肩紐がずり落ち、彼女の年不相応にタプンとした胸の上部が露わになるが、生憎その果実を拝める者は居ない。

 

「ふぁ~あ……」

 

組んだ両腕を上げて軽く伸びをしたアスカは、ダブルベッドの一画を占有する腐れ縁を見下ろした。

今のアスカみたいにボサボサした毛糸の髪の主を、ベッドの上から両手で強制退去させて正面に引っ立てる。

 

「おはよう、アスカ」

 

素朴な人形を見つめるアスカは、第二次成長著しい肢体と高慢な態度が作り出す、普段の近寄り難さが信じられない程、幼い表情をしていた。

 

 

両手で拘束していた犯人(にんぎょう)を、元居た場所に乱暴に釈放してベッドを下りる。

 

「さてと――」

 

ドイツと日本では電源の規格が違う。ネルフ総本部へ向かう事が決定した日、ヒョッコリ現れた加持から貰った、日本規格に対応した充電器を携帯電話に接続。

海外出張も少なくない仕事柄の加持は、グローバル対応の携帯と数種類のアダプタを常備していると云っていた。

アスカの携帯もグローバルタイプで、日本用拡張パッケージプログラムも既に入れてあるが、日本に慣れたら解約して、新しい物を手にしても良いかも知れない。

 

後継機のデザインを夢想しながら、アスカは寝室の隅に置いておいたB4サイズ程のアタッシュケースをリビングに備え付けのちゃぶ台まで持って行く。

金属製のアタッシュケースの端に走ったスリットに、アスカが自身のIDカードを潜らせると、カチリとケースが解錠される音が鳴った。

その中に入っていた物は、ドイツを発つ際にユーロ本部に返却し、昨日ネルフ総本部より再支給された同じ品である。

 

H&K P30

 

Heckler(ヘッケラー)&(ウント)Koch(コッホ)社製セミオートピストル。全長178mm。重量740g。装弾数15発の9mmパラベラム弾仕様。

ここにある物はSA/DAトリガーのV3モデルで、想定される使用者より小柄である事を考慮し、グリップパーツを最小の物に換装してある。

余談であるが、アスカに銃が支給される事となった当初、小型拳銃に分類されるワルサーPPシリーズ等を奨められたが、彼女の強い希望により本銃が渡された経緯がある。

アスカにとって9mmクルツ(ショート)豆鉄砲(・・・)や、すぐ息が上がるシングルカラムマガジンの銃は、自分に相応しくないと云う思いがあったのだ。

無論、9mmショート(.380ACP)弾は充分な殺傷力のある実包であるし、護身用としては数発も撃てれば事は足りる。当然その事を知るアスカの真意は、子供扱いが嫌だっただけだ。

 

アスカは慣れた手付きでマガジンの抜かれたH&KP30を持ち上げて構える。セイフティ、デコック、スライド、そしてトリガープル、軽く各部の動作を確認。

危なげなく実銃を扱う様子は、アスカの要求が驕りだけでは無かった事を如実に示している。

 

「ふ~ん。結構良い仕事するじゃないの」

 

滑らかに作動する機構に満足そうな笑みを浮かべると、ハンマーをデコックしセイフティをかけてアタッシュケースに仕舞う。蓋を閉めるとオートロックがカチリと音を立てた。

 

偽装ガンケースを寝室に戻すと、シャワーを浴びる為に浴室へ足を向ける。

素足でペタペタと進むアスカはパンツを穿いておらず、張りのある太腿からヒップのラインは14歳とは思えない程に扇情的。

標準的な丈のキャミソールでは下着を隠しきれず、裾が揺れる度に飾り気のないショーツばかりか滑らかな下腹部すら見え隠れしていた。

 

 

シャワーを浴び終えたアスカは、濡れ鼠のままで洗面所と洗濯場を兼ねた脱衣所に戻った。

家内に溢れる荷にはバスマットなどと云う代物は初めから無く、脱衣所の床は半ば水浸しだ。また不覚にも忘れたタオルを求め、アスカは全裸でスーツケースが置いてある寝室への帰路を行く。

半月近く処理を怠われた体毛は元々やや濃い事もあり、アスカの肌本来の撥水性を著しく損なって、含んだ水が背や内股を伝って床に滴っている。

 

スーツケースを置いてある寝室まで戻ったアスカは、点々とフローリングを濡らした原因の1つを見下ろした。

 

「しばらく処理が出来なかったから結構ヤバイな……学校のカリキュラムには水泳もあるらしいし」

 

ドイツからの船旅の間は勿論、ホテル暮らしをしている時も愛用のコスメが手元に無かった為に、全く手入れが出来なかった。

早々に得物を引っ張り出して、ムダ毛を処理する事を決めたアスカは身体を拭く。やはり水気の切れが悪い、陰になりがちな部分は特に。

鞄に収められた下着のヴァリエーションとデザイン性の欠如に、再び溜息が出た。

 

 

チューブトップにミニスカートと云う露出過多な出で立ちは、アスカがスタイルに自信を持っている事の表れだろう。

昨夜の件もあり、シンジに朝食をたかる事には抵抗があったアスカは着替えた後、ホテルから新居に移動する際に見掛けたコンビニへと赴いていた。

 

「(コンビニおにぎりが至高の日本食……って話は眉唾だけど、土地勘もないしね)」

 

暇つぶしに読んだネット記事。筆者がカルチャーショックを受けたと云うなら、少なくとも悪くは無いはずだ。

件のブログに倣い“ツナマヨ”“おかか”“めんたい”を籠に入れ、ついでに緑茶も放り込む。

アスカの胸元や太股に不躾な視線を向ける店員に、内心で侮蔑と優越感をブレンドした蔑視を与え店を出る。

 

 

緑化と景観向上の一環として、マンションに併設されている公園のベンチにアスカは腰掛けた。

断続的なそよ風が、アスカの腰椎近くまである朱金のロングヘアを揺らす。

 

「外で食べる事にしたのは正解ね」

 

ゴチャゴチャした屋内と、開放的な青空弁当では、比較するまでもない。

ペットボトルを開封し一口含む。……不味い。

しかし、おにぎりとの相性は良いかも知れないと、アスカは小綺麗なラッピングを表記に従って剥く。このユニークな包装に関する記事の一文が脳裏に浮かび上がる。

 

「マジックみたい……か。さて――」

 

少々はしたないが、このテの食べ物は大口でかぶりつくのが一番。パリッとした海苔を破り、白米と要たる具を頬張ったアスカは、顔を引き攣らせた。

 

「(か、辛ッ!)」

 

舌を刺した予想外の刺激に目を白黒させながら、ペットボトルを引っ掴み緑茶で明太子おにぎりを流し込む。

 

「(か、辛さが消えない。あんまり合わない)」

 

日本食には日本の物を……と緑茶を選んだが、油脂分に乏しい為か辛さを中和出来ない上に、やはり不味い。

こんな事ならミルクティでも買えば良かったと後悔しながら、囓られた部分を見ると、具に赤い粒々がまぶされている。

 

「(唐辛子?)」

 

こうしてアスカは“めんたい”の正体を知ったのだった。

 

 

残ったハズレドリンクを一息に飲み干して、アスカの朝食は終了した。

ペットの緑茶は美味しくなかったが、めんたいは辛さを覚悟すれば悪くなかったし、おかかはシンプルながらも味わい深い。ツナマヨも中々だった。

 

「よし、行くわよアスカ」

 

GPSと連動し各国家地域の標準時に自動調整される携帯の時計は、訓練開始時間の10分前と云った処、公園のゴミ箱にレジ袋に纏めた物を放り込み、アスカは颯爽と立ち上がった。

 

 

 

 

薄手のブランケットに浮かび上がる人型がモゾモゾと寝返りを打つ。同居人が覚醒状態(アクティヴ)となっている気配に、微睡むレイは目覚めた。

低血圧故か朝の初活力に乏しいレイは、緩慢に四肢を胴体に引き寄せ、全身の筋肉を駆使して上体を持ち上げる。

 

「んっ」

 

肘を突っ張って身体を支えながら両脚をベッドから降ろし、腰と床に着いた足を支点に身を起こした。

 

「ふぅ……」

 

ベッドに腰掛けるレイの肩には、中途半端にブランケットが掛かっている。白い布地は朝陽の色を吸い、

レイが持つ静謐な美しさも相まって、さながら天上人が纏う羽衣の様だ。

 

重い目蓋を表情筋に力を入れて強引に支持しながら、レイは肩の動きのみでブランケットをベッドに落として立ち上がる。

両腕をダラリと下げた猫背のレイは、ゆっくりと軽い深呼吸。酸素濃度が上昇した血液が全身に送り込まれ、レイの背筋は伸びこころなしか足取りもシッカリした。

 

最低限の起動力を確保したレイは、いつも通り浴室へ直行しようとしたが、ふと昨日シンジに云われた事を思いだす。端的に云えば服を着ろ、だ。

同居が始まった折にシンジより云われて久しい事であるが、昨夜は――寝惚けたシンジが素っ裸でカエデを出迎え、大目玉を喰らったと云う――実例に基づいた要請である。

 

 

それまでのレイは、やんわりと言葉を濁すようなシンジの注意を――当人も合理的理由が無い事を、彼女が読み取った事もあり――取り敢えず半分程受け入れ、彼のYシャツを拝借するに留まっていた。

レイにしてみれば自宅にいるのに着衣に拘る理由が無く、シンジも直ぐに慣れて「まあよいか」と妥協してしまった為に、彼女が半裸で闊歩する現状が形成されていた。

しかしアスカ達が帰った後に、入浴をしたレイが雪花も翳むような白い素肌を晒して出てきた際、彼自身と似た事態の発生を危惧したシンジが、湯気を纏った妖精に忠告。

無意識にカエデの件を排除した以前と違い、シンジの沙汰を踏まえた説得力に因って、レイの足は義従兄と共用のクローゼットに反転した。

 

シンジに貰ったYシャツは、彼が購入する際2サイズ程大きな物を選んだ為――裾こそ膝上半ばで丁度よいと云えなくもないが――レイにはブカブカだ。

袖丈は指先すら袖口のスリット以外からは見えない程の長さ。レイは腕まくりをし、ハンガーに掛かっているシンジの私服から、正面に位置していた普段着の上下を取った。

 

 

喧々さとは無縁な雲上の貴人とは似て非なる理由で、レイは殆ど足音を立てずに歩く。

貴人達の淑やかさは習慣による部分が大きいだろうが、レイの場合は身体的な性質の比重が大きい。

レイの身体はほぼ完璧なシンメトリーだ。本人の形質もさる事ながら、おそらく徹底した管理体制の下に置かれてきた事が伺える。

アスカがパイロットに選出されたのは約7年前。最初の被験者(・・・・・・)と云うレイの経歴から、少なくとも7年以上前からネルフ内部で純粋培養の生活を送ってきたと、シンジは推測している。

ある種の黄金バランスと羽毛の様な軽さを併せ持つレイは、たとえ無意識でも動きにしなやかさが勝手に付随するのだ。

 

台所で朝食を作っているシンジは、寝室から出てきたレイに対し背を向けている形になる。着替えを小脇に抱えたレイは、おはようを云おうとしたが、不意にシンジが振り向いた事で気を逸した。

 

「レイ、おはよう」

「……おはよう、シンジくん」

 

少女の胸に去来する小さな驚き。ジュウジュウと卵が焼かれているフライパンに因って、レイの気配が消し去られている以上、脳量子波を失ったシンジは彼女に気付けない筈なのだが……。

 

背後の義妹に気付いた事――脳量子波回復の兆しと見るか、レイのリズムを把握した故か。どちらにしろ少女には楽しい。

 

「珍しく朝からゴキゲンだね。そうだ、卵焼きに昨日の缶詰を入れていいかな?」

 

丁度今、シンジはプレーンの卵焼きを作っていた処で、彼の姫の意向はこれより反映される予定である。

ツナもカニ缶も既に攻略済であり、ハイテンション(シンジによる当人比)であるレイの答えは決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

訓練3日目。遅々として成果が上がらない事に、とうとうアスカは爆発した。

タブレットPDAの端に小さく表示された65%と云う値――彼らのモーションデータをMAGIが解析したユニゾン率――が彼らの最大スコアである。

使徒イスラフェルに対抗するには、最低でも80%の完成度(ユニゾン)が必要であり、不確定要素への安全マージンも踏まえ実際には90%以上が目標値になる。

 

3日間の訓練、初日前夜も含めれば30時間超。それ程の時間を、いけ好かない奴と一緒にお遊戯みたいな事(・・・・・・・)を延々とやらされ続けたのだ。

その挙げ句、来日して最初に友誼を結んだ級友の前で恥をかかされれば、プライドの高い少女(アスカ)には腹に据える事など出来る訳がない。

 

 

 

 

訓練初日。前夜の内に振り付けを覚えたシンジ達は、レイとカエデが見守る中、一度通しで踊った後、早々にカリキュラムを第2段階へと移した。

第2段階は一方のヘッドフォンのみに曲を流して、もう一方は曲無しと云う状態をランダムに切り換えながらのユニゾンを目指すというものだ。

当初、才気に溢れるアスカは直ぐに第2段階もクリア出来ると思っていた。ところがいつまでもスコアは73%を超える事が出来ずに初日は終了。

 

2日目。業を煮やしたアスカが曲のテンポとメロディを完全に覚え込むと云う力業を実行し、偶然にも80%に達した事を根拠に、シンジやカエデの反対を押し切って第3段階への移行を敢行。だが、その断行は浅薄な暴挙であった。

 

第3段階――第2段階の要素に加え、曲調をもランダムに変化させると云う実戦仕様の最終段階。

これでのユニゾン率(スコア)90%以上が目標ラインなのだが、第3段階の1曲目でいきなりスコアが30%を割った。

その酷い点数に初めの内はアスカも息巻いていたが、幾ら回数をこなしても結果が振るわない事に苛立ちだし、益々成績(アヴェレージ)は悪化の一途を辿るばかり。

一度だけ65%を叩き出す快挙があったが、慢心したのか直後に最低点(ワースト)を更新した。

 

そしてアスカの鬱憤(ストレス)が限界に達しようかと云う3日目。

いぢめ的分量の書類を、地球と木星を往復しながら片付けたミサトがやって来た事が、アスカの導火線に火を点けるとは……結構、予測出来たかも知れない。

 

 

暫定的にカエデに任せていた訓練監督を引き継ぐ為、シンジ達のマンションを訪れたミサトは、エントランスで眉根を寄せている洞木ヒカリを見かけた。

彼女の制服からシンジ達の同級生と判断したミサトが事情を訊いた処、クラス委員としてプリントを届けに来たとの事。

しかし携帯電話は繋がらず、部屋番号も知らない為に困っていたそうだ。

ミサトは「全く、水臭い子達ね」などと云いながら、半ば強引にヒカリを同行させて、シンジ達の自宅に赴いた。

 

そして……ヒカリにエヴァパイロットである事が完全に露見した。

 

シンジとレイは友人と云えども立ち入らせない事情の存在を匂わせていたが、アスカは吹聴こそしないが隠す意思も無いスタンス。

そんなアスカの所為で、また相田ケンスケに目を付けられているのだが、ここでは置いておく。

つまり、彼らの本業(かくしごと)について薄々感づいていたが、何らかの事情があると察し、敢えて訊く事をしなかったヒカリ。

そんなヒカリの思い遣りを、ミサトは余計なお節介で踏み躙った。

シンジ達に無断でヒカリを招き入れ、珍妙な事をしている2人に出くわして目を点にした彼女に、ミサトはいっそ盛大にパイロットの素性をバラしたのだ。

 

 

米噛を押さえたシンジが、ヒカリに口止めをしている後ろでは、一向に芽の出ない第3段階を重く見たミサトが、作戦責任者としての強権を発動していた。

 

「ふざけないで! 何で、もうクリアしたトコに戻らないといけないのよ!」

第2段階(ステージ2)への差し戻しは決定事項よ。異論は認めません」

「気合い入れなさいよ、ナナヒカリ! ミサトに吠え面かかすわよ!」

 

そもそも第2段階はクリアしたとは云えず、アスカは鼻息を荒くしている。その結果(スコア)は語るまでもない。

 

 

一度はパスした筈の第2ステージ――しかもヒカリが見ている中――でワーストスコアを更新した事に、激昂したアスカはヘッドフォンを床に叩き付けた。

その様子に、嫌そうな顔で溜め息を吐くシンジに、アスカのヴォルテイジは鰻登り。

 

Scheiße(クソッたれ)! アンタがトロいから、こんな風になるのよ!」

「(人の家で暴れるなよ……)君だって、タイミングを外してただろ」

 

自分が曲無しだった際の、テンポのズレ指摘されたアスカは逆上。シンジの側頭部を狙い脚を跳ね上げるも、両手で足首を掴まれて止められる。

 

「危ないだろ!」

「放しなさいよ、この変態!」

 

シンジに蹴り足を取り押さえられ、片足立ちのアスカが拘束者を罵倒する。そこにレイも交え、何やらカエデと話していたミサトが立ち上がった。

 

「いい加減にしなさい!!」

 

怒鳴り声を上げて叱り付けたミサトに、アスカが鼻を鳴らした瞬間、シンジは彼女の足を放しバックステップで安全圏に退避する。

射程圏から離脱した獲物にアスカは舌打ち。その太々(ふてぶて)しい様に、ミサトは大きく息を吐いて、レイを促した。

 

「レイ、振り付けは覚えているわね。アスカ、交代よ」

 

前に出てきたレイを、内心アスカは鼻で嗤った。訓練評価の為、監督者(カエデ)は予備のヘッドフォンを付けていたが、レイは最初の数回位しか曲を聴いていない。

この3日間ずっと見学していたので、振り付けは覚えているかも知れないが、メロディを把握していないだろうレイはタイミングを掴めない筈だ。

 

「(フン、大恥かくといいわ)」

 

ミサト達の方に移動したアスカは、隙を見て素早くコンソールを操作、ステージ2に落とされた難易度(レベル)をステージ3に戻す。

ヒカリの隣に陣取ったアスカは、クルリと自分が居たステージに振り向いて腕を組んだ。

 

 

アスカが床に投げ打ったヘッドフォンを拾い、レイはシンジと共に定位置に付いた。

そして、2人の舞台が始まる。

前奏だけは共通で両者に流れるが、それ以降は完全にランダムだ。故にリズムを計れないレイは、タイミングを外すしか無い。

しかしアスカの予想に反して、シンジとレイのユニゾンは完璧だった。

いや……この義兄妹(ふたり)のそれは、協調や同調と云った言葉に収まりきらない。

もはや、鏡合わせとか、影法師と本体の関係……と云った次元であり、一卵性双生児でも中々こうは行かないだろう。

 

では、何故こんな神業が可能なのか。

そもそもレイは碌に曲を聴いていない。それ以前に聞く必要すら殆ど無い。レイが意識しているのは、隣で踊る少年のみ。

初日の前夜からずっと舞台袖にちょこんと座り、少女は飽きること無くシンジを見続けてきた。

シンジの呼吸や動き、僅かな癖に至るまで詳細に把握している。更に、彼の隣で踊るアスカを自分に置き換える事を、幾度となく夢想していた。

そんなレイと云う少女は、この訓練の本質を誰よりも体現している。

 

1ヶ月の共同生活、パイロットとしての訓練も一緒である事が多いシンジは、己の身体能力がどの程度レイを凌駕しているか熟知している。

レイを見ながら、その差分だけスピードを抑えているシンジは、ラミエル戦で脳量子波を全開にした時以上に、彼女を身近に感じていた。

 

「(凄い! この感覚なら――)」

 

絶対に出来る! 強い確信の基にシンジは目を閉じる。

 

「……信じられない」

 

その呟きは誰のものだったか。

パートナーが目を閉じた直後に、紅眸もまた目蓋の奥に隠れる。自ら視覚を封じ、聴覚すら塞がれた暗闇の状態で尚、2人は一糸も乱れない。

 

「(綾波さん、微笑(わら)ってる……)」

 

体力の劣る自分に合わせてくれる気遣い、何より同じ事をして互いを感じ合える事。数分前までのポーカーフェイスから、いつの間にか少女は柔らかな表情に開花していた。

 

 

第3段階での97%、追随を許さない圧倒的な数値。

 

「こいつは凄いな」

 

呆然となっていたアスカは、背後から聞こえた声に我に返った。道中での悶着を避ける為、ミサトとは時間差を設けてやって来た男がそこに居た。

 

「か、加持さん……」

 

愕然とした少女の掠れた声に、加持は思わず口を吐いてしまった感嘆を悔やんだ。

惣流アスカ・ラングレーが自分に思慕の情を向けている事は――性的な挑発を受けた事すらあり――よく知っている。

アスカの兄貴分を自認する加持にとって、先の一言はあるまじき失態であるが、フォローが不可能ではない。

しかし、あまりにも完璧な兄妹に、目を奪われたのは加持だけではなかった。

 

「零号機が使えれば……」

「ッ!!」

「――葛城ッ!!」

 

ミサトが漏らした臍を噛む呟きに、アスカはビクリとたじろぐと、涙を滲ませながら玄関に駆け出す。

 

「え、加持君!?」

 

居なかった筈の(・・・・・・・)元カレの怒声に、ミサトが「しまった!」と思った時には、既にアスカは外へと飛び出していた。

 

 

アスカが泣いて飛び出る原因をもたらした大人組の頼り無さに、ヒカリは憤慨したが、かと云って目上の人間を糾弾する程の気概は彼女に無い。

ヒカリが選んだのは、直接の原因となる光景を作り出した少年を責める事だった。

 

「い、か、り、く、ん――」

 

少女と“繋がった”余韻に浸っていたシンジは、ある種の陶酔感からゆっくりとした浮上をしていたが、怒りを含んだヒカリの声で強引に水面へと打ち上げられる。

 

「――早く、追い掛けて!」

「……何の事? そう云えば惣流は何処に?」

「な……!」

 

本当に何が起きたか分からずにキョトンとしたシンジに、ヒカリはワナワナと震えている。

どうやら頭に血が上っているらしいヒカリからは目を外し、シンジはミサト達に状況の説明を求めた。

 

何やら電話中の加持、オロオロしてあまり使えそうにないミサト。シンジはカエデから事情を聞くと、その莫迦々々しさに溜息を吐いた。

 

「なるほど――取り敢えず惣流は暫く放っておきましょう。ガードは付いてますよね」

「ああ、さっき保安部には連絡しておいた。ネガティヴレポートも15分毎に行わせるから心配無いよ」

「っ、責任取りに行くべきじゃないの! 女の子泣かせたのよ!」

 

虚を突かれて機を逸していたヒカリは、平静なシンジの様子に再び噴火する。だが、的外れな部分を自覚しているのか、声にやや精彩を欠いている。

そんな詭弁(ヒカリ)に対するシンジの返答は、氷のような眼差しだった。

 

「……僕達に性別なんか無意味なんだよ。自分勝手に泣く方が悪い」

 

シンジの容赦ない言葉は、彼の転入から暫くの間感じていた怜悧さを、数倍にした印象でヒカリに口を噤ませる。

 

「僕もレイも……惣流だって、何度も死にかけてる。遊びじゃないんだよ」

「で、でも…………」

 

しかし、ヒカリにそれ以上を紡ぐ事は出来なかった。フェミニンな価値観に基づく感情論の、なんと薄っぺらい事か。

 

門外漢の口出しに苛ついたとは云え、少々強く言い過ぎたらしい。級友が肩を落とす様子に、シンジは努めて穏やかに語りかけた。

 

「今の処、僕達の事情(ネルフ)と、洞木さんは殆ど関係無いし――これからも関わって欲しくない」

 

明確な拒絶よってヒカリは全身が強ばり息を呑むが――ネルフの事情(エヴァンゲリオン)などに関わらない方が幸せに違いないと――それに構わずシンジは続ける。

 

ネルフにいる(パイロットの)僕達と、一般人の洞木さんでは住む世界が違う。でも学校では一緒だから、今まで通りに接してくれると嬉しい」

「あ……! そう云えば、私たちお友達よね!」

 

消沈していたヒカリの顔に喜色が灯った事に、シンジの表情がふわりと弛んだ。

 

「それと惣流の頭(ほとぼり)が冷めた頃合を見て、一応迎えには行くさ」

「(あ……碇君の笑顔って、綾波さんに似てるのね)」

「あの態から堂々と戻れる程、厚顔なタイプじゃ無さそうだしね」

 

その微笑がレイに似ている事を発見したヒカリは、小さく「時間をムダにはしたくない」と付け加えたシンジとの価値観の相違に、これからも続くであろう友誼にビミョーな不安を抱いた。

 

 

 

カエデとヒカリが主人の見送りで碇宅を後にしてから暫し経った。当家の旦那たる少年の対イスラフェル戦における相棒が逐電してから半時間程か。

 

「(そろそろ彼女の頭も冷えたかな……)加持さん、惣流の居場所は何処です?」

「ちょっと待ってくれ…………ふむ、P-6エリアの第17ブロック――高台にある公園だな」

 

無駄のない指使いで携帯端末を操作し、加持は淀みなく回答。そして意外な事に、ミサトがその場所に関心を示した。

 

「ネェネェ、そこって確かデートスポットよね……良かったじゃないシンジ君」

 

以前コンビニで立ち読みした地域向け情報誌の記事を、何故かこの時ばかりは非凡なる記憶力を発揮したミサトが面白可笑しく発表。

 

「(んな事どうでもいいし……)支度してきます」

 

ウザったそうな半眼で外出の準備に取り掛かった少年に、加持は親指と人差し指で『L字』を作るジェスチャーを示した。

 

「そうだ! シンジ君、一応コイツも持って行くんだ。――もう支給されているだろう?」

「えっ!? 何でまたそんな物を……」

「弐号機の受け入れを前後して、キナ臭い連中が増えているんだ。保安部(ガード)が張ってるから大丈夫だと思うが、まあ念の為にね」

 

最期は軽くおどけて見せるも、その眼差しは硬質。明朗な男に倣い、シンジも軽妙な頷きで応じる。

元カレにまで無視された女の「いっそ口説け! あたしが許可する!」などと云った妄言をBGMに、少年は自室にガンケースを取りに行った。

 

 

 

小人閑居して不善を為す。暇を持て余した俗物は碌な事をしないと云う故事であるが、残念な事に主人が外出した家中に該当者が居た。

云わずと知れたミサトSAN拾斎(30才)である。鬼の居ぬ間に洗濯と云う訳ではないが、シンジのド胆を抜けるサプライズを用意したい。

例えばプロ顔負けのご馳走を、あり合わせの材料で作ってみるとか。口酸っぱい家主の注意など、今度は類い希なトリ頭で忘れ去っている。

 

「我ながらサイキョーのアイディアね!」

 

堪え性のない女は諸々の鬱憤を、自らに低評価を下したシンジへの対抗心へと昇華? させ、直ちに行動開始。

一切の躊躇も無く抽き出しやら冷蔵庫やらを全開にする無神経さは、シンジが客人(カエデら)を見送る際、加持に見張りを頼んだ理由を如実に体現している。

 

野放図な振る舞いをするミサトは、もう1人居る住人の存在も忘却していた。厳密には、店子に分類される少女を軽視していた。

 

「陸佐……」

「あら、居たの? ちょっち忙しいから後にして~」

 

少女の声量に反してよく通る声は、常よりやや硬質な響きであり、傍若無人な上司への抗議を滲ませていた。

しかし、ただでさえ分かり辛いレイの情緒を嗅ぎ分けるには、あまりにもミサトはガサツが過ぎている。

 

この場合、キッチンに部外者(ミサト)が居る事こそが不自然であり、他人の家で忙しいという事態こそが異常である。

自分たちの領域(テリトリー)で不逞を働く無神経な女の態度に、氷の様に冷たい炎がチリチリとレイの胸の奥を焦がしていく。

 

「葛城陸佐、止めて下さい……!」

「だ~! さっきから何よ? 大船に乗った気で、あなたは黙って見てれば良いの!」

「………………ッ!」

 

その時、真っ黒に染まった胸郭内、或いは冷え切った頭蓋内部にて、レイは何かがブチリと千切れる音を確かに聞いた。

 

そして……液体ヘリウムが注入された頭脳で、無血交渉が不可能であると判断した少女は、武力行使も厭わないハードネゴシエーションを決断した。

 

 

人様の厚意を邪魔する小娘を追い払ったミサトは、鼻歌交じりに料理の準備を進めていた。尤も彼女の辞書に、お節介と云う単語が存在するかは甚だ疑問であるが。

 

ジャキリ……と、比較的聞き慣れているが一般住宅には似つかわしくない作動(スライド)音に、錆びた歯車の様にゆっくりとミサトは振り向いた。

 

「…………え(M84(チーター)?)」

 

鳥肌が立ち下半身の穴が締まる感覚は何年ぶりだろうか。対照的にミサトの目前に存在する、たった今初弾が装填されたチーター・ピストルは微動だにしない。

馬耳東風な女に対し、武力と云う手段を用いた少女の普段なら強い光を宿す紅眸は、突き付けた銃口以上に暗く一片の輝きも存在しなかった。

 

ベレッタM84、通称『チーター』はピエトロ・ベレッタ社の代表的な製品の1つである。.380ACP=9ミリショート弾を使用する中小型拳銃であり、女性にも扱いやすい。

ちなみにレイが持っているのはシングルカラムのM85Fである。

支給当時における彼女の体格や筋力から、よりグリップが小さいM85Fが与えられた経緯があるが、最近の成長度(フィジカルデータ)から標準モデル(ダブルカラム)のM84Fなどへの交換が考えられている。

 

閑話休題。

居直り強盗並の厚顔さで自宅を荒らす女に――かつてゲンドウから貰った眼鏡に、当時の義兄が勝手に触った時を遥かに上回る――激情がレイを支配していた。

 

「ぁ……れ――」

 

掠れた呻きを漏らしたミサトが口を開こうとした瞬間、反射的にレイはM85F(チーター)のトリガーへ

と力を込めて黙らせた。声すらも聞きたくないのだろうか。

聖域に土足で踏み入った不届き者を射抜く目は絶対零度で、噴き出す強力な弾劾の意思(オーラ)に、罪人は呼吸もままならない程。

 

ベレッタM84(チーターシリーズ)のトリガープルは約2㎏と云われているが、ミサトの目算では既に1.7㎏以上引き絞られている。

隙を見て銃を取り上げる事も考えたが、レイには油断も隙も存在しない。恐らく、少しでも自分が不審な動きをすれば、躊躇無く残りの300gを引き抜くだろう。

どうしてこうなったと自問自答を繰り返しながら、ミサトは大量の脂汗をかき続けるしか出来なかった。

 

 

 

 

怒り心頭の義妹が、不当占有に対して実力示威を行っている事などつゆ知らず、シンジは逃げ出した少女を公園内の展望台で発見した。

途中まで同行した加持は「俺が居ると逆効果だ」と道中で別れたが、飲み物を買っていくようアドヴァイスを残している。

 

ミッションのバディは柵に腕を預けて寄り掛かり、硬い無表情で夕陽に染まった市街を見下ろしていた。

自販機で購入したダイエットコーラを片手に、シンジは無造作に近付きながら、アスカの肩(シルエット)越しに自然と目に入る景色を評価。

なるほど……夕焼けの街並みは趣があるし、区画整理されたビル群による夜景も素晴らしい事だろう。確かにデートスポットに相応しい、ちょっとした人工の絶景だ。

 

「惣流――」

 

突然声を掛けられた事に全く驚いた様子も見せず、アスカはゆっくりと振り向いた。

泰然とした所作から察するに、近付く気配を捉えていた事は確実だが、何者かが背後より接近すると云う、警戒すべき事態を平気で看過する胆力は、とても逃亡者のモノとは思えない。

 

「あら、アンタ1人でやって来たの? てっきり加持あたりも一緒かと思ったんだけど……」

「途中まではね。いわく、俺が居ると逆効果……だってさ」

 

少年の予測に反して余裕のある口元は、一欠片の動揺も気負いもない完全な平静であった。そんなアスカに小さな違和感を感じながら、シンジは彼女にコーラを放る。

程良いコントロールで飛んで来たペットボトルを、悠々とキャッチしたアスカは、目を細めてラベルを一瞥し、軽く鼻を鳴らした。

 

「フラウ・ブランドじゃないのは減点、と云いたいけど日本だしね。ダイエットコーラを選んだ事は評価してあげる」

 

また微かな違和感。彼女は入手困難な海外?――語感からしてドイツ系メーカーの――製品でない事を妥協はするだろうが、カロリー量に配慮した事を褒めたりするだろうか。

 

「(いや、そんな些細な事じゃない。もっと根本的な何か――)」

 

云うなれば、微妙にピントが合っていない感じ。或いはラジオのチューニング(チャンネル)が中途半端な様な印象。

コーラのボトルを豪快に呷る姿は、上品にフォークを操る姿と一致しない様なする様な。いや、これについては、アスカの年齢や性格を考慮すれば50:50(フィフティ・フィフティ)だろう。

 

一般的な少年ならば、刺激的な液体を嚥下する度に脈打つ喉や、なまめかしい唇とペットボトルの口が離れる光景などに妄想を掻き立てられるものである。

だが、元来そう云った欲望が希薄なシンジには瑣事にも満たない事だ。そんな事よりも、惣流アスカと云う少女に感じる違和感の方が、余程に重要である。

それは“この違和感は間違っていない(・・・・・・・・・・・・・)”と、直観的にシンジが確信しているからだ。

 

「なによ、ワタシの顔になんか付いてる?」

「…………君は、誰だ?」

「ッ! …………ふふ」

 

半ば無意識にシンジが呟いた言葉――少女は息を呑んだが、直ぐさま蒼眸を不適に細めた。だが、その虚を突かれた反応こそが正鵠である。

 

「ワタシはアスカよ?」

 

自若に構え、聞き分けのない子供を諭すような声音。相手方の勘違いをやんわりと修正する媚笑に、並の男ならコロリと騙されるだろう。

だがシンジの中では、先の遣り取りによって99.89%の確信が、100%の真実にまで昇華されていた。

 

「でも中身は違っている……少なくとも、僕が知っている(・・・・・・・)惣流アスカ・ラングレーではない(・・・・・・・・・・・・・・・)

「…………まさか、気付かれるとはね」

 

微塵も迷いが無い断定(こえ)に、アスカ(仮称)は少年の目を見つめ返す。そこに疑念の色が差していない事を認めると、あっさりとシンジの言葉を肯定した。

 

「解離性精神の非連続同一型――多重人格……」

「ま、自己分析では成長したイマジナリーフレンドの類型点が多いけどね。でもそんな事はどうでも良いわ」

「僕らの立場……いや、エヴァの特性を考えれば、軽く視る事じゃないと思うけど?」

 

反復練習や技術の習熟と云った一般的な努力ではなく、メンタルこそが最重要なエヴァパイロットとは思えない物言いを訝しむシンジに、アスカ(仮称)は少年を試すように唇の端を釣り上げた。

 

「ハッ、モノを知らない奴程そんな事を云うのよね。(アタシ)達は全てを共有し、完璧に共存している。初見で気付いたのはアンタだけなんだから、無責任な能無し(がくしゃきどり)共みたいな物言い(ナンセンス)で失望させないで欲しいわ」

 

アスカ(仮称)の言葉を素早く噛み砕き、シンジは肩を竦めた。少なくともエヴァの運用において支障は無いらしい。

 

「OK、取り敢えず心理学者(カウンセラー)が大嫌いだって事は分かったよ。それと君達(・・)の在り方には、二度と口を出さない。君もあの娘も『アスカ』で、それが全て……でいいかな?」

Richtig(そうよ)! ミサトと違って理解が早くて助かるわ。尤も、あの女(ミサト)(アタシ)達に気付いてないし――そもそも教えてやる気も無いけど……」

 

悪戯っぽく笑うアスカ(仮称)に、シンジも愉快そうにクスリと漏らす。実際、ミサトは遊び仲間としては上等かも知れないが、人生相談を持ちかけるには少々頼り無いタイプである。

 

やや緊張感のある遣り取りの中に、シンジは一種の昂揚感を覚えていた。何処か心地よい昂ぶりは彼にとって初めての感覚。レイと過ごす穏やかな時間とは、まるで違ったベクトルを有している。

この空気の張りに貴重なものを感じたシンジは、胸の奥で静かに燃える熱を表に出さない様に気を付けながら、訊き損ねていた重要な事を投げ掛けた。

 

「そう云えば、()の事は何て呼べばいい?」

 

一方、2人で1人の少女も同様に心を躍らせていた。シンジが己の感情の解読に難儀しているのに対し、彼女は自己の昂揚の正体を把握している。

それは、漸く本当の意味で(・・・・・・)自分達(・・・)と対等になりうる人間と出会った事だ。

端的に云ってアスカは天才である。容姿端麗にして文武両道の才媛、少なくとも同年代で彼女と同等の才覚・実力を持つ人間には一度も出会った事が無い。

加えて彼女自身の持つ特殊な二面性が、アスカの人間関係を難解なものに変貌させている。

 

「そうね……『式波』とでも呼んでくれればいいわ」

 

ほぼ全ての記憶を共有し、似た性格の2人が、シームレスに人格交代を行うものだから、式波と名乗った少女に気付く者は皆無だった。

加持などは式波の存在こそ知っているが、人の持つ多面性が通常より強く出ているだけだと解釈しており、式波という名すら知らない。

式波に一個人としての人格を認めたのは、シンジが初めてだったのだ。しかも初見で彼女に気付く眼力?と、自分に匹敵する溢れんばかりの才気。

 

鋭さを伴った友誼を交わす遊戯を、碇シンジと式波アスカは愉しんでいた。

 

 

 

ひとしきりの会話(はらげい)を愉しみ、「今回は私が妥協してあげる」と云う言質が取れた帰路、式波アスカは意外な程に饒舌だった。

 

「まったく、いつもそう! あの子ったら、ちょっとした事ですぐ引き籠もるのよ!」

 

漸く『惣流と一括りのアスカ』ではなく、式波個人として扱われている為だろう。それだけでなく色々と鬱憤が溜まっていたらしく、主な話題は主人格であると云う惣流アスカへの愚痴だった。

 

「……つまり、惣流が自分の非を認めるのが嫌だから、君が出張る羽目になった?」

 

2人のアスカに関して口出ししないと云う約束を、舌の根も乾かぬ内に当の本人からの要請で破る事になった因果に溜息を吐きつつ相づちを打つ。

 

「そうなのよ! 昔っから嫌な事は全部私に押し付けるのよ!」

「とは云っても記憶を共有している以上、間接的でも自分が体験してるのと変わらないんじゃない?」

「そうでもないわ。感情はリセットされるし、交代中の事を聞かれるとか、必要に迫られでもしない限り、あの子の意識に上らないもの」

 

やれやれ都合のいい事……と式波は肩を竦め手の平を裏返す。だが不服そうな態度の割に、その声は穏やかだった。

 

「はは、それじゃどっちが主人格か分からないね」

 

以前の自分と違い物事を諦観しているタイプでもなさそうだが、とシンジは疑問に思いながら、2人のパワーバランスを評す。そして批評された本人は意外そうに目を丸くした。

 

「アンタ、心理学には疎いのね。むしろ逆、主人格こそが一番弱いのよ」

 

アスカは彼との――主人格の時間(ぶん)も含めて――短いやり取りの中で、知的でシャープな人物像を抱くに至っていた。だがその信用は専門的(ディープ)な知識分野までは及ばない、自己の小さな勘違いを内心で笑う。

考えてみれば、幼いアスカが『式波』を生み出さなければ、わざわざ心理学なんぞを調べる事もなかっただろうし、シンジも似たような事情の筈だ。

 

「なるほど……さしずめ『逆転姉妹』って処か」

「逆転姉妹! アハッ、気の利いた表現じゃない! 確かに年上の妹(・・・・)には手を焼いているわ」

 

ある種のツボにハマったのか、歓声を上げた式波は「でも……」と言葉を切って目を閉じる。

 

「私はあの子(アスカ)の心を護る為に生まれたんだ。だから構わない」

 

黄昏の空を見上げる微笑みは優しくも誇らしげで、式波アスカのもう1人の自分に対する、深い愛情が見て取れた。

 

 

 

 

自宅まで帰り着いたシンジが玄関脇のセンサーパネルに指先で触れると、カチリとロックが解除される。

連動したドアが開くと、太股を抱えて座っていたレイに出迎えられた。

 

「シンジくん、おかえり」

「ただいま、レイ。こんな所で待ってる事なんか、なかったのに……」

「ん…………」

 

行為の非合理性を自覚していたレイは、ごく薄く頬を染めて足に力を入れる。苦笑するシンジが阿吽の呼吸で手を差し出すと、レイは自然な動作で補助を受けて立ち上がった。

 

「仲の良い事……ん?」

 

シンジに続いて部屋に上がろうとしたアスカは、三和土にミサトの靴が無い事に気付き、レイに上官殿が何処へ行ったか尋ねる。

 

「帰ったわ。それより……あなた誰?」

「な……!?」

 

そんな莫迦なと云う思いがアスカを支配する。恐らくは一目見ただけで別人だと看破されるなど、想定外にも程があった。

 

「ああ……彼女は式波アスカ、惣流のお姉さんって処かな」

「そう……初めまして、式波さん」

 

愕然とするアスカは、彼女を尻目に平然と説明するシンジと、あっさり受け入れたレイに更に絶句。

 

「え、あ……よ、よろしく?」

 

口をあんぐりと開けたまま、アスカは機械的に受け答え、兄妹の家で履物(わらじ)を脱いだ。

 

 

集合住宅の構造上暗い廊下を、レイの先導で戻ってきたリビングは、当然だがアスカが飛び出した時と変わらず、センサーとカメラで囲まれた訓練装置(ダンスマシン)が少なくない空間を占有していた。

窓から見える空は夕闇に染まり、僅かな夕陽がベランダに暗褐色のコントラストを描いている。

夜の帳が入り込んだ薄暗い室内をシンジは迷うことなく進み、照明のスイッチを入れると、そそくさと自室に入った。

LED照明の光が部屋全体を照らし、不気味なオブジェのようだった訓練装置に本来の機能美を甦らせる。数秒で怪しげなイメージが完全に払拭され、荷物を置いたシンジも戻ってきた。

 

「さて、訓練再開と行こうか」

「早速ってワケね。OK、Niveau(レベル)ツヴァイからやり直しましょ」

「ニヴォ? ああ、レベル2か。君がレベルダウンを許容するとは――」

 

その時、ググゥとシンジの腹が鳴った。盛大な音は本人の記憶に該当例が見当たらない位で、一瞬声が遮られ、舌の回転が低下。

 

「……ね?」

「プッ、初っ端から締まらないわね。作戦責任者(コマンダー)も不在だし」

「三日坊主で逃げ出した奴の所為で、余計な運動を強いられた影響かな? でも君には同感、一体何しに来たんだろあの人」

 

軽い舌先の応酬を、2人はミサトと云う共通の捌け口に投棄。彼女にしてみれば甚だ不本意だろうが、半分以上は自業自得である

 

人望が屑カゴ級の女を追い出した少女は、ミサトの事など歯牙にも掛けず、義兄の空腹に注目。

 

「先に、お夕飯?」

「いや、食事は後にするよ。今日中にレベル2を完璧(モノ)にしたいから時間が惜しい。だから晩の支度をお願いしたいんだけど」

 

少女が感じ取ったものは、信頼と申し訳なさ、そして心配が入り混じった揺れる内面。その信頼と心配に灯された熾火を、レイは素直に表出させた。

 

「うん、任せて……」

「(本当に良い顔するわねこの子……よしッ)ナナヒカリ! スコア80まで持って行くわよ、夜飯前(・・・)にね!」

「ああ……!」

 

凛とした表情を作った少女に触発されたアスカは、諺をアレンジして気合いを入れる。そんな彼女にシンジは義妹のそれより鋭い不敵な笑みを返した。

 

 

リビングで舞う2人を、レイはキッチンからチラチラと見ていた。余所見をしながらも、レイの持つ細い白魚(ゆび)は正確かつ淀みない。

彼らの演舞は回を重ねる毎に、それまでの3日間(ディソナンス)が信じられない速さでスコアを伸ばしている。

もし……零号機の修理・改修が終わっていたら、自分とシンジがペアを組んでいただろうか?

 

「(いいえ、もし零号機が使えたとしても……)」

 

ユニゾンを行うだけなら、比翼を彷彿とさせる相性の2人が最善。恐らくミサトも兄妹の組み合わせを推す筈だ。

しかし、それは他ならぬシンジの反論に因りご破算になるだろう。イレギュラーへの脆弱性をとうとうと指摘されて。(ちなみにレイとアスカでは、そもそもユニゾンが成立しない)

まず、2機のエヴァに同じ動きをさせる戦術上、機体性能が低い方に足並み(スピード)を揃える必要がでてくる。

そして、現在ネルフ総本部が保有する3機のエヴァの中では零号機が最弱だ。これは兵装等の改修が終わっても変わらない。

更に加えて、敵が予想外の行動をした場合、ユニゾン戦術は瓦解する。その作戦が破綻した状況下での使徒殲滅は、今のレイと零号機には荷が重い。

 

「…………」

 

たとえ零号機の投入が可能であったとしても、初号機(シンジ)の隣に立つ事は適わないであろう現実に嘆息。

その現実を生み出す一因が、少女に戦いから距離を置いて欲しいと思うシンジの優しさだとしても、レイの溜飲は下がらない。

そんな少年を好ましく思う反面、同じ時間を共有したいと云う矛盾した欲求。少女の半生において大半を占める最大比重の要素(エヴァ)と、現在心の内部で急激に比重を増した要素(シンジ)

全く性質の違うモノを同時に呑み込める程のしたたかさを持つには、レイは余りにも純粋に過ぎた。

 

胸の奥で起きた揺れが、肩から肘へと伝播した事に、レイは料理の手を止める。

 

「(このままでは、ダメ……)」

 

IHヒーターの電源を切り、調理器具を作業台に置いたレイは、水道のレバー式蛇口を6割強まで解放。無色透明な流体は勢い良く流れ、排水溝へと消えていく。

噴き出し口から底面までの人工滝は、激しい流速に反して静かに光を透過している。

シンクの縁に手を着いたレイは水柱に、己が深層心理に深く根付く、光と水とが漂い揺れるイメージを重ね合わせた。

そしてごく短期間で――ある種の超常的な交感もあったとは云え――レイの心に根を張った少年を模倣。息をゆっくりと吸って、ゆっくりと吐き出す深呼吸を1つ。

 

「んん…………」

 

葛藤は水底に沈み、精神は凪ぐ。レバーを戻し水を止めると、レイは託された仕事を再開した。

 

 

 

レイの手による少し遅めの夕食後、冷蔵庫から出してきたHDブランドアイスと緑茶が、それぞれの前に置かれていた。

店舗側のサービスで付属された木製サジで、ショコラテイストのカップアイスを掬ったアスカは、視線をオーソドックスなバニラフレーバーを楽しんでいる少年に向けた。

 

「ぱく…………で、一応今日の目標(ノルマ)は達成したとは云え、こんな風にのんびりして良いのかしら?」

 

既にレベル2での得点が90を超ており、シンジは半刻前「心の持ち方1つでここまで変わるとは」と内心評している。

冷えた口内を暖める為に、シンジは緑茶を傾ける。マグカップには『KNP』の文字列に、細身の猫科肉食獣のシルエットを合わせたデザインがあしらわれていた。

 

「食べて直ぐは動きたくないって云ったクセに……それと行儀悪いぞ」

 

モゴモゴしながらスプーンで人様を指す行為に目を細める。だが、マナーの悪さを指摘されたアスカは悪びれもしなかった。

 

「食事直後の運動が身体に悪いってのは事実でしょ。それと対策無しにレベル3に突っ込む気?」

 

2人とも食後に多少激しい運動をした位で気分が悪くなる程、内臓が柔ではないが。

 

「対策ね、さっきまでの調子なら必要なさそうだけど……強いて云えば曲調もランダムになるから、逆に曲を意識しない方が上手く行くよ。レイと踊った時に思ったんだけどね」

 

少年が自分の名を紡いだ所為だろうか。ゆったりと、しかし機械的に正確なリズムでミントフレーバーのアイスを口に運んでいたレイの手が止まる。

レイはひとまずスプーンをカップの内壁に立て掛け、水滴と紫陽花を彩った瀟洒な模様のマグに手を伸ばした。

 

空となった紙製カップに用済みの木匙を放り、緑茶で口内を整える。

 

「さて、今回の使徒(イスラフェル)だけど……今の戦術(ユニゾン)だけで充分だと思う?」

Nein(ノン)2体(てき)が同じ動きをするとは限らない以上、想定外の事態に脆弱性を晒すわね。ま、私にしてみりゃ何の問題も無いけど」

「相変わらず頼もしいね。まあ、敵がバラバラに動いても、殲滅(やるコト)支障(かわり)はないけど」

 

真に必要な事がトドメの2点同時攻撃である以上、ユニゾンに拘る理由は無い。鷹揚に頷くアスカへ、シンジは問いに隠れた第2解を仄めかす。

 

「それに、ユニゾン攻撃には致命的な穴が在る」

「致命的な、穴?」

 

落とし穴の存在を断言するシンジに、アスカは作戦の順調な推移を仮定してシミュレート。

 

弐号機と初号機の動きを揃える事で、分裂した敵の動きを限定。2体へと連鎖的にダメージを与える流れに誘導。隙を作り出してウィークポイントに同時攻撃を――何か見落とした気がする。

作戦の要旨は2体を同時に封殺する事だ。その上で必然的に発生する事――敵はどんな状態になる?

均等にダメージを与えられつつ追い詰められたら…………。

 

「SS機関(ドライヴ)の同調稼動か」

 

僅か3秒で正解へと至ったアスカを、不敵な微笑と小さな頷きで迎える。

 

「2乗化条件が許す誤差がどの程度かは判らないけど、コアに掛かる負荷が近い量になるのはゾッとしない」

「で、そこまで分かっていながら、アンタはこの3日を浪費した訳? 無意味な訓練でアスカ(あの子)を傷付けてまで……」

 

返事によってはタダじゃ済まさないと低音で滲ませるも、アスカの無意識下にあった期待――予感は応えられた。

 

「フィニッシュでの連携が必須な以上、訓練にデメリットは無いよ。それにユニゾンが失敗しても問題無い。君は1対1なら負けないんだ、なら僕がもう一方を抑えてしまえば勝算はある」

 

遠回しの賞賛と信頼に、アスカの胸が高鳴る。豊満な体積(にく)に隠れた心臓を突かれ詰まらせた彼女の様子を、続きを促していると解釈したシンジは予め用意していたラップトップを引き寄せた。

 

「デュアルソー、こいつを使う」

 

両面モニタタイプのノートの背面パネルに映った武器(もの)は、アスカの美的感覚における許容限界ギリギリの代物だった。

 

大型破砕兵器デュアルソー。チェーンソーの刃を平行に2つ並べただけに見える無骨な凶器は、マステマやサンダースピアと同時期にロールアウトされた正真正銘の秘密兵器である。

いかにも単純な外観であるが、フレームに沿って高速回転する刃の1つ1つがプログナイフと同じ高周波振動刃であり絶大な攻撃性能を有する。

更に左右の回転を逆にする事でより破砕力を高め、無数の刃によって使徒の肉体を粉砕し、その自己再生を阻害する効果があるとされる。

 

「まずデュアルソー(これ)を一方のコアに叩き込んで動きを止める。その間に、君が残った方のコアを破壊すれば殲滅出来る筈だ」

 

夕方前、カエデが本部へと戻る際に頼んでおいたMAGIでのシミュレーション――さっき届いた結果が正しければ、と付け加える。

 

「用意の良い事……(にしても、危険な役割を自分から買って出て、美味しい処(ラストアタック)を譲る……か)」

 

加重攻撃と同等の効果があると計算された、デュアルソーを用いたコアの連続破砕。ただでさえ取り回しの悪い重量装備、加えて破砕攻撃中はほぼ無防備になる事。

操縦技術への自信と度胸、そして仲間への信頼が揃わなければ易々と出来る事ではない。だが、恐らく彼は冷静に情報を吟味し、可能だと判断したのだろうとアスカは思った。

 

「処で、もしユニゾンが上手く行ってたら、どうするつもりだったの?」

「基本的には変わらないさ。ただ『1VS1×2(・・・・・・)』が『2VS2(・・・・)』になるだけだよ。それに……他人へ合わせる為にレベルを下げるなんて、お互い柄じゃないだろ?」

 

確かにアスカ(じぶん)もそうに違いないと、アスカは笑みを溢す。自由に戦えないのは息苦しいものだ。

ただ、シンジの考えは少し違い、型に押し込める様なスタイルに依って、自分達の持ち味が殺される事を嫌ったのだが。

 

「ま、付き合いの浅い僕らが2VS2をやるなら、ユニゾン位出来ないと話にならないよ。全開まで飛ばす事を前提に、お互いの動き(リズム)にある公倍数と公約数を洗い出して、そのタイミングで連携するんだから」

「それ、こんな組み体操モドキなんかより、よっぽど性に合ってる気がするわ」

 

最初からそっちにすれば良かったのに……とアスカは思うが、本来の作戦と比較して遙かに高いセンスが要求され、ともすれば足を引っ張り合って自滅は必至のハイリスクな戦法。

だが噛み合えば、通常の最大稼動(フルパワー)を超える怒濤のスピードと、途切れ目のない激烈な攻撃力を発揮するだろう。

しかも極端な話、技倆(センス)さえ伴えば、即興での連携すら不可能ではなく……自分達なら――年上の妹(そうりゅう)でも――下手をするとユニゾンより容易に完成したかもしれない。

 

 

食後の時間(ミーティング)も終わり時刻は夜8時過ぎ、小児なら眠くなる頃だが、中学生ともなればまだまだ宵の口だ。

アスカは円い掛け時計――自分の部屋にも同じ物があったから備え付けか――をチラリと見て、曖昧な色を表した。

 

「なんか、中途半端な時間ね」

「ハハ……確かにね。今からレベル3を始めても、寝る時間までに終わらせるのは難しいだろうし」

 

夜を明かす覚悟で臨めば、充分にクリアは可能だろうが、寝不足は確実。

 

「そうね……睡眠不足は美容の大敵よ、本日は訓練終わり!」

「OK、今日はこれでお開きにしよう」

「ウンウン…………え?」

 

意に添った結果に満足顔で頷いたアスカは、意外そうに目を丸くしてシンジを見返した。

 

「半端な処で中断するのが嫌なだけだよ。それに式波(きみ)惣流(かのじょ)は別人でも、基本的な部分(こきゅう)は同じなんだろ?」

 

彼女にしては珍しく頓狂な表情を見せた事に、シンジは楽しげな様子で補足説明。

 

「――と云う事は、君も3日間一緒に訓練で、僕の呼吸を無意識に覚えたって事だ。でないとこんな短時間で息を合わせられ(Lv2をクリア出来)る訳がない」

「…………フン、柄にもなく自分達を過小評価してたみたいね。ファーストプランを反故にする以上、それに拘る必要はないか」

 

『自分達』に含まれるのは何処までか……憮然とした声色に反して、その口元は緩んでいる。矛盾の理由を探して沈黙したアスカは、殊更ゆっくりと口を開く。

 

「ねぇ、アン……い……」

「シンジくん」

 

囁くような声音に反して通りが良い呼び声が、途切れがちな言葉を遮った。

 

「ぁ、レイ……」

 

清廉な鈴の音を連想させるレイの声に、それまでのアグレッシヴな熾火色から一転、穏やかな明星色に相転移(こえがわり)

その少年の声に「なぁに?」と云うニュアンスを感じ取ったレイは、中途半端に口を開いているアスカを後目に続けた。

 

「お風呂、沸いたわ」

「(コイツ、人が話てる時に……ん、沸いた?)」

 

話に割り込まれた事は不愉快だが、アスカの価値観ではまごついた自分が悪い。それ以上にレイが告げた事への興味が怒りを上回った。

風呂(Bath)と云う主語に、沸かしたと云う動詞が結合したって事は……バスタブにタップリの湯が満ちていると云う事だ。

 

アスカの習慣上、バスタブはシャボンを満たして身体を洗う為の物であり、肌荒れを避ける為にも長時間浸かってヌクヌクする物ではない。

しかしホテル(スイート)の浴室に設置されたゆったりとした湯船は、アスカの価値観を根本的に変革せしめた。

それまではシャワーだけで済ます事も多かった行水から、指がふやけるまで入浴を愉しむ様になり、備え付けのアロマオイルは全種類を試した。

しまいには大浴場に足繁く通ってスキニーディッピングを行うまでに至った。尤も遊泳禁止の標識を発見して自重したが。

さて、来日間もなく大の風呂好きに変貌したアスカだが、実は一度も新居の浴槽に湯を張った事がない。入居してから慌ただしかった事もあるが、風呂の用意や掃除が面倒であった事の比重も決して小さくない。

だがここに、既に用意された湯――しかも脚を伸ばしても余裕がある!――があるのだ。これを逃す手など無い。

 

 

かなり無理矢理に――しかも人様の家での――入浴を取り付けたアスカの所業に、某女史に近しい臭いを感じたが、家の主人(シンジ)は敢えて地雷を踏む事もあるまいと、喉から出掛かった抗議を嚥下。

アスカは風呂場の様子を見に行き、シンジとレイはリビングに残されている。

 

「(確かアイツ……)長風呂だった気がする」

 

初戦の翌日、シャワーを譲った時の事を思い出し、しくじったかと数分前の判断を呪う。

シンジが先に入れば良い話に思えるが、アスカの性格からして屁理屈を捏ねてでも一番風呂を譲らないだろう。

どうしたものかと、げんなりした表情で思案する少年に、その小さな諦観を良しとしない少女が合理的な案を掲げる。

 

「シンジくん……お風呂、一緒に入りましょう」

「うん、そう――」

「ヲイ!」

 

鼻歌交じりで視察(フロ)から戻ってきたアスカは、義兄妹のやり取りを聞いて、上機嫌から転げ落ちた。彼らで腐的(ステキ)な妄想をしたと云う――主人格(そうりゅう)共々意識的に封印していた――記憶(くろれきし)を呼び起こされ、アスカは目を剥いて待ったを掛ける。

 

「ナニ云っちゃってんのよ、アンタら!」

 

堂々と混浴宣言する2人に声を荒げた客人を、家主達は不思議そうに見返した。

 

「何なんだよ、急に……」

「…………」

 

彼らの態度に絶句しかけたアスカだが、持ち前の機転の良さを発揮し、頭痛を堪えながら一般常識を叫ぶ。

 

「だ……男女の風呂が一緒とか、有り得ないでしょうが!」

「…………あ」

 

それに漸くシンジだけは合点がいった顔をした。今更ではあるが……羞恥心が希薄なレイとの生活に、すっかり一般的な感覚が麻痺していたらしい。

朱に交われば赤くなると云うが、白沙(いと)に漂白酵素が含まれていたらどうだろうか。逆に赤布の色が抜けて、白くなるだろう。

シンジは己が失念に気付いたが、そもそもの原因たる少女は依然として健在である。

 

通常(アスカ)の感覚で、男子を押さえてしまえば万事解決とは成らない。大元が残っている以上、気を抜くには早い。

 

「シンジくん……わたしに背中ながさせて――」

「まだ云うかッ!!」

 

思わずゲンコツを振り上げるも、普段の3割増で反応した少女の守護者に、あっさりと取り押さえられる。

 

「■■■■――――!!」

 

発散(かいほう)出来ないストレスに乙女としてあるまじき奇声を上げるアスカを、「はて、な……」とレイは首を傾げて見詰めた。

 

「…………3人で入りたいの?」

「は……?」

 

思考回路のエラーで2秒程アスカはフリーズ。バグを送り込んだ張本人(レイ)が、そのコード内容たる少年に秋波を送る様を見たアスカの少女的直感(ガールズセンス)は猛烈な警鐘を鳴らす。

 

これ以上レイに口を開かせてはならない。アスカは咄嗟にレイの手を掴む(今回、妨害は無かった)。

 

「……?」

 

再び首を傾げる――その仕草がまた悔しい位に愛らしい――レイを、問答無用で風呂場へと引き摺っていく。少々狭くなってしまうが致し方ない。

この天然2人を放置したら、なし崩しにシンジに肌を晒す羽目(3P的なこんよく)になりそうだった。




数年前に書き上げていたストックを放出させて頂きます。

当時のマイルールとして、感想返信は次話投稿時と決めていた為、何名の方には返信が出来なかった事を、この場を借りてお詫び申し上げます。


アスカの銃
当初から使用銃はドイツ製、H&Kかワルサーと決めていました。他の候補として、P2000やP99など。
ネルフにおいてはUSPの使用率が比較的高く、また彼女がミサトの進化系=同系統のヒロイン(暴論)である点から、USP後継の1つであるP30に決定しました。

レイの銃
ネルフ女性職員の使用率が高いベレッタM84のシングルカラムモデルです。
他候補はP2000SK(H&KP2000のサブコンパクトモデル)など。


アスカの秘密
実は男性ホルモン強くて剛毛(アスカファンに殺されるなw)
では無く、2重人格である事がSG<シークレットガーデン>となります。
アスカって惣流と式波の2種類? だよな。そうだアレルヤ・ハレルヤみたいにしよう。
多分、エヴァSS界隈において、惣流と式波の両方を出し、挙句に彼女たちを2重人格の設定にする。
こんな暴挙をしているのは私くらいだと思ってたり。


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第9話 Double T/Win “Assault Raider”

漸っとDouble T/Winの最終話をお届け出来ます。

Assault:突撃、強襲など
Raid:襲撃、殴り込みなど。erを付けると?


翌日、朝一番でシンジ達はネルフ本部に赴いた。

昨日の夕暮れにメールで頼んでおいた、訓練用シミュレータの仮想敵性体はMAGIが一晩で完成させている。

ミサトへの経過報告もそこそこに、手早くプラグスーツに着替えた彼らはシミュレーターに乗り込んだ。

 

 

15.24㎝口径EVA専用拳銃とプログダガーを装備したCQCスタイルの初号機と弐号機は、仮想世界でイスラフェルを一方的に叩きのめしていた。

管制室の大型モニターに映る2機は、ヴァーチャルとは云え驚異的な撃滅スコアを積み上げている。だがその戦果に反し、訓練監督の顔は渋い。

 

「パレットピストルの命中率8.7%……これはどう云う事!?」

「は? 桁、間違えてるわよ」

 

訝しげに「ちゃんとモニター見てる?」と眉を寄せたアスカに、たちまちミサトは声を尖らせた。

 

味方への命中率(・・・・・・・)よ! 一体何考えてンのよあんた達!」

「その10倍以上の効果は出している筈ですが」

 

フレンドリーファイアへの叱責を歯牙にも掛けず、しれっとシンジは反論する。そのアスカ以上にふてぶてしい態度に、ミサトの額に青筋が浮かんだ。

 

しかし必ずしもミサトが短気という訳ではない。

シミュレータのイスラフェルは意図的に戦闘力を落としている。その上で平気で使徒諸共フルオート射撃を撃ち込み、味方を被弾させているのだ。作戦指揮官として許容出来る事ではない。

更にその光景が嘗胆の思いで――元カレのアイディアを受け入れ――立案した作戦を蹴った挙げ句、僚機の事などクソ喰らえと云わんばかりの喧嘩殺法紛いと来たら、ミサトで無くとも腹に据えかねるだろう。

 

「あんた達……世界が自分を中心に回ってるとでも、思って無いでしょうねぇ」

 

ミサトの威圧的な低い声を、心外とばかりにアスカは鼻で笑った。

 

「アンタこそ何云ってんの? 世界が自分のものだなんて……そんなの当たり前の事じゃん」

「逆に、自分の意識外で回っていた事なんて、有り得ないですね」

 

足の引っ張り合いをしていたとしか思えない2人の、思いがけない反撃(れんけい)に――彼らが一度も互いに毒づいていなかった事を見逃していた――ミサトはギョッとたじろいだ。

3人が入り乱れての混戦になると思っていたら、2人は秘密協定を締結していたらしく、実体は2対1だった事にミサトの表情筋がヒクつく。

瞬時に己が不利を悟った上官殿が言葉を詰まらせる様子を、のべ6秒観察した彼らは訓練を再開した。

 

 

 

 

シンジ達3人はカフェテラスにて、昼食がてらの反省会(ミーティング)を開いていた。尤もその内容が反省(・・)であるとは限らないが……。

先の戦闘データを落とし込んだタブレット端末をテーブルに置き、レイの合いの手を交えながら、ミサトが喧嘩紛いと勘違いした過激な連携を研ぎ上げる。

 

午後は再びシミュレータに乗り込み模擬戦を繰り返す。ただし今回からは敵を弱体化させず、MAGIがエミュレートした最大戦力とヤり合うと云うものだ。

その実戦と遜色ない世界において、急激なレベルギャップを感じない処か、誤射も無くより高密度にして激烈な戦斗を展開する。

 

「まさか……あのコ達、初めから――」

 

手厳しく鼻っ柱をへし折ってやろうと息巻いていたミサトは、最初から2人がこの領域(レベル)を想定し、全ての動作を加速していた事を、漸っと悟った。

 

「それに――」

 

戦術家の端くれであると自負するミサトの目をして、隙らしい隙が見当たらない。防御の一切を捨て攻撃に特化する事で、付け入られる余地を悉く潰している。

どんな魔法を使えばこの短期間で、自分(ミサト)を黙らせるに充分な完成度を得るに至ったのか。

 

その答えは仮想空間の色付きに、初号機の離脱――いや目標変更から僅かコンマ6秒で、二丁拳銃のフルオート射撃を叩き込んだ少女が知っていた。

 

「(エコヒイキ(あの子)の功が予想以上に大きいわね……動きに思った以上の余裕がある)」

 

本人以上にシンジを理解している節のある少女が、幾つか指摘したポイント。必然的に視点が少年中心となるのは致し方ないが、レイの意見は至極に的確であったと断言出来る。

レイの助言はその多くが小さな事で、鋭さよりも、しなやかさが勝る言葉だった。

 

「(ただ……二言、三言目までには『シンジくん(ナナヒカリ)~』だし。赤裸々と云うか、あからさまと云うか――ッ!)」

 

目の前に使徒(てき)格闘武装(ナイフ)は間に合わない。左の銃を振り上げられた腕/右の銃を発光する仮面部位/腕を交差させ各々撃ち抜く。

その流れから、ビームの暴発で怯んだ使徒のコアに、零距離で15.24㎝炸裂弾をブチ込んだ。

 

 

 

 

4時間近く不休で戦い通し、時刻は午後5時を回っている。

現実の肉体は余り動かさないとは云え、長時間に亘る擬似戦闘(リアリティ)に流石のシンジとアスカも疲労を滲ませていた。

 

「もうこれ位にして休憩したらどうだい」

 

ミサトの直属で副官も兼任する日向は、グラフ化された戦闘データに表された攻撃速度が低下している事を鑑み、シミュレーション用エントリープラグ内の2人を労った。

 

コアを浅く切り付け一瞬怯んだ色落ちを、前蹴りで蹴り飛ばして距離を取ったシンジは、真面目そうな風采の青年に目礼で了承を伝える。

 

「(午後イチで再開して、そのまま無休(オール)……思ったより疲れてるな)式波(アスカ)、ラストダンスだ!」

Alles klar(オーライ) シンジ、ジルバはイケる?」

 

ジルバ=速いテンポの社交ダンス。あまりソシアルダンスが普及していない日本において、一般的な中学男子には馴染みの無い固有名詞である。

シンジにしても何時だったか――電子書籍関連サイト辺りか――見聞きした気がする位で、音楽関係の用語だろうと見当を付けられる程度だ。

だが、アスカの気性を顧みるに、ジルバが手緩いものである筈がない。ハイテンポないしアップテンポと云った性質が少なからず含まれていると推理出来る。

 

「フ、僕を誰だと思っている」

 

後でこっそりジルバについて調べると決め、シンジは自信タップリに戯けて見せた。

 

 

 

ラストワルツで、今まで以上に使徒をコテンパンにしたアスカは、意気揚々と着替えを済ませた。

イスラフェルの活動再開予定が明日であるので、ネルフ本部に泊まる事を彼らは決めていたが、散々コケにされたミサトの魔の手が、既に宿泊施設に伸びていたのだ。

ツインルームであった5日前と違い、諸事情でやや大きいベッド――彼女の僅かな良心か――が運び込まれたが内装はビジネスホテルのそれの、一般職員向けシングルを探し出している。

 

案内された部屋を見たアスカの額に、数時間前の某女史の如き青筋が浮かんだ。

 

「あの女……ガキみたいな真似をして!」

「(……別の部屋を――実力行使(ぶりょくかいにゅう)で用意させるのも気が引けるな、今日に限っては)」

 

もう少し――屁理屈を捏ねるであろうミサトを黙らせるだけの――余裕があるなら、快適に過ごす為の環境整備を躊躇う事は無かったが、今は体力温存の方が重要。

しかし入り口から覗いた部屋は、小さなデスクとやや大きめのベッドで室内を使い切っている様なウサギ小屋で、ゆっくり休めるかは微妙な処だ。

 

「ベッド、小さ過ぎだし」

 

寝具の全体像こそ彼の肉眼に映っていないが、部屋の壁や半分弱見える本体から、その空間認識能力で瞬時に正確なサイズを目算算出しキャパシティオーバーを見抜く。

 

置かれた(セミダブル)ベッドは無理をすれば3人が乗る事は(・・・・)出来る。だが、寝返りすら難しい雑魚寝で、年頃の少年少女――レイは兎も角、アスカとシンジ――が熟睡など出来るワケがない。

特に異性との同室になる事自体が承服しかねるアスカにすれば、男との同衾など論外だ。

 

どうしたものかと首を捻るシンジに、部屋の前で合流したレイが声を掛けた。

 

「シンジくん、帰りましょう」

 

悩む暇があるなら、帰宅を即断した方が良い。敵への即応性と、休養と云う板挟み――――速やかに片方の板を叩き割る事で、結果的に損失を限定する合理的ロジック。

ひとつ理のある魅力的な提案だが、帰路の手間(じかん)を考えると二の足を踏まざるを得ない。何らかの足があるなら話しは別だが、今からそれを探す事はあまり現実的でない。

 

「レイ……でもね――」

 

優しく苦笑する義兄の失望感を遮るような、レイにしては珍しく力強い笑みに、シンジは言葉を切った。

 

「大丈夫、剣崎大尉に車を用意して貰った」

「(レイ……?)」

 

だから、わたし達の家に帰りましょう……。既に算段が付いている以上、眼差しにも込められた思いに異存はない。

その事は純粋に良いのだ。ただ、力強いと云う事は、必要以上に力んでいるとも云える。微笑に隠れた切実さの理由は何なのか。

 

「ヒュウ!」

 

痛快そうに――そっちの妹(・・・・・)(Schwester)も中々やると――口笛を吹くアスカとは対照的に、シンジの心には燻りが生まれる。自分がシミュレーターにカンヅメになって居た時に、何かあったのかも知れない。

 

レイは訊かれなかったから答えない――正確には意識すらしない――事はあるが、意図的に話さない場合は極端に少ない。また赤木リツコ女史の薫陶か、端的だがロジカルな話し方をする傾向がある。

そんなレイが理由も無しに、ここまで強硬な姿勢を見せるとは、彼女への理解があると自負するシンジには考え難かった。

2~3時間足らずの間にあった事が、思い出(いしき)したくもない事なのか、秘密にしておきたい事なのかは判らない。

 

「(いや、今は訊かないでおこう……)ありがとう。さあ、帰ろうレイ」

 

少女には話したくないモノがあって……ネルフにいるより、自宅に帰りたいと思っている事だけは、今のシンジにも解る。

だから初戦の後、レイが心を抱き締めてくれた様に、シンジは出来る限り優しく笑った。

だが、その笑みの裏でつい思ってしまう。ラミエル戦で脳量子波を失った事に後悔は無いけど……もし、脳量子波を失わなければ――と。

 

 

 

 

保安諜報部の剣崎キョウヤが運転するワゴンで、シンジ達3人は自宅マンションまで帰ってきた。

車内でレイが義兄にペタペタしていた事もあって、道中アスカの舌鋒先は専ら剣崎キョウヤに向けられ、健気にせっせと曖昧な相槌を打ち続けた彼には、憐憫の情を禁じ得ない。

シンジは普段保安部の人間に対して行う社交辞令レベルのそれより、4割増しで慇懃に剣崎キョウヤへ礼をした。

 

 

自宅のあるフロアまで上ってきたアスカは、揚々と玄関口にIDカードを使用するが、ドアもミニパネルも反応が無い。

よくある読み取りエラーかと思い再試行するも、やはり反応しなかった。あれっ……と、アスカが疑問符を浮かべる中、不意に電子的な鐘が鳴る。

 

「(この着信音は確か、ナナヒカリ(シンジ)の……)」

 

音源に振り返ると、面倒臭そうにシンジが携帯を取り出し、メールを確認中。そして……なぜか表情筋を引き攣らせ、あんぐりと口を開らいた。

 

メールの送り主はかの女上司殿――それだけでゲンナリするが、ままよと内容を確認し……あまりの非常識さに唖然。

 

「ちょっと、どうしたのよ?」

「ん、ああ……」

 

届いたメールはアスカにこそ重要であり、メール画面を開いたままの携帯を、シンジは彼女へと投げ渡す。

 

「っと、何々――」

 

危なげなく携帯をキャッチしたアスカが、モニターに目を落として数秒後に固まった。

 

メールを要約すると『部屋の鍵を無効化したから、シンジの家で厄介になれ』こんな内容が、極めて主観的かつ独善的な頭の悪い文(・・・・・)で書かれていた。

 

「普通、ここまでやる!?」

「同感…………」

 

切羽詰まった状況下で、ちょっと洒落じゃ済まない悪戯を敢行するミサトに、呆れや怒りを通り越して感心の念すら湧いてきそう。

こんな無駄に手の込んだ悪ふざけをしでかす彼女の世界は、地球を中心ではなく、冥王星あたりを中心に回っているに違いない。

 

シンジは溜め息を吐きつつ従妹に目配せ。レイは視線の頷きで、突然に宿無しとされた少女の宿泊を了承する。

 

「――で、どうする? 君さえ良ければ、僕らは構わないけど」

「アイツの思い通りになるのはシャクだけど……はあ、今日はアンタに貸しを作らせて貰うわ」

「ハハハ……無利子、無期限でいいよ」

 

眉尻を下げて肩を竦めるアスカに、乾いた笑いを見せながらシンジは彼女を自宅へと招き入れた。

 

 

トンボの反転が如き急な帰宅で、暮れの支度を全くしていない家庭に、シンジは何から手を付けるか軽い呼吸で思案する。

 

「(目下の事は食事と風呂か……でもあんまりレイを独りにしたくないしな)」

 

とっぷり帳も落ちてしまっている今、時間は不足こそしていないが余裕もない。

 

普段ならば、それこそ四六時中レイと一緒に居ても、何の問題も起こらない。しかしアスカの目がある以上、ある程度の自重は必要だろう。

具体的には、添い寝くらいならギリギリ許容範囲と思われるが、混浴や過度なスキンシップに彼女が黙っている筈が無い。

かと云って、現在進行形で義兄のシャツの裾を掴んでいるレイを、己が目の届かない状況に置く事も忍びない。

 

「フロメシ!」

 

取り敢えず、何をしようと思っていたんだっけ……突然にアスカが上げた声に、直前のRAMデータが吹き飛んだ。

 

「は……何それ?」

「ん、今のが日本(こっち)の作法じゃないの?」

 

それは昭和以前のオヤジ的な言動であるが、チャキチャキの現代っ子であるシンジには、理解が及び難い代物である。

 

「どんな情報源(ソース)だよ?」

「やっぱりか……アイツめ」

 

呆れ顔をしたシンジに、溜息を吐いて納得したアスカは舌を打つ。

 

葛城(カノジョ)かい?」

 

ユーロ本部(ドイツ)でミサトと知り合った際に、妙なコトをイロイロと吹き込まれでもしたのだろうか。

 

「ミサトじゃないわ、違うヤツ」

「ふ~ん(そう云えばアスカ(この娘)も昔からネルフに居るけど、最近まではドイツ(むこう)の人間だった訳だよな……)」

 

理由こそハッキリしないが、レイが本部から離れたがった事は事実。それが職員にまで及ぶかどうかは定かでは無いが、少なくともアスカは外部の人間に近い。

アスカのキャリアは数年以上だが、こと総本部(日本)では基本的にシンジと同じ立場である彼女が、レイに関する機密に触れる機会は皆無。

そして式波アスカは意外と懐が深い。故に惣流アスカも潜在的には同様だと云ってよい筈だ。

 

「(――任せるかな)式波、先にお風呂に入ってくれないか? レイと一緒に……」

 

シャツの布地の引き攣りに、裾を摘まんでいる握力が僅かに強まった事を感じる。

 

「ワタシとしちゃ、直ぐにシャワーを浴びたかったから良いけど……ふむ、time is money ってコト?」

「理解が早いね、もう一方のアイツ(・・・・・・)のせいで、時間が高騰してるよ」

「OK――着替え、借りるわよ」

 

そう少女に告げたアスカは、レイの全身を見回し、ごく小さく鼻を鳴らした。

ウェストの細さは兎も角、その他のプロポーションでは全てに於いて自分が上回っている。……それは良い。

 

「(つまり、下着が合わないのは確実よね)」

 

重ね着は必須かとアスカが考えている一方、シンジは優しくレイの肩に手を添えた。

 

「(埋め合わせはするよ、必ず……)」

 

そう眼で明日の勝利を誓うと、少年の意思を聴いたレイは、静かに従兄から離れ、アスカと共に自室へ向かった。

 

 

時間にも材料にも投資出来なかった夕餉のメインは、偶々セールで買い込んでいた為に余っていたパスタだ。

他には、パスタの茹で汁に卵を投げ込んで、デッチ上げた温泉卵。更に、パスタのソースと兼用のタレとして麺つゆを利用すると云う、お手軽な物だ。

しかし、手軽と云う事は、結果的には手を抜いたと同義と云える。

 

「なんか、ショボいわね」

「だから期待するなって云っただろ。一応、消化の良い物で揃えたんだぞ」

 

背後で圧力を増した少女との裸の付き合いにすっかりのぼせ、衛星軌道まで昇天していた記憶を引き摺り戻す。

ほんの数十分前、レイに借りた着替えを抱えたアスカは、リビングを横切る際に本日のディナーについて、シンジに尋ねた。

確かにその時、今微妙な顔をさせた少年は「食材(モノ)が無いから大した物は出来ない」と云っていた。

 

「取り消すわ。今のは失言だった」

「事実だから構わないよ。それより、随分レイと打ち解けたみたいだね?」

 

一昨日までと比べて、アスカに対するレイの感情が穏やかだ。小さな信頼さえ感じる。

 

「別に何もしてないわよ。ちょっと女の嗜みに欠けてる事を指摘しただけ……」

 

主人格(そうりゅう)以上に女を捨てているつもりの式波だが、女性としての品格まで捨てる気は無い。要は彼女的な最低限の身嗜みに関する事だ。

嬉しげな様子のシンジに、アスカは努めて淡々と些事だと告げる。

 

「そうそう、ヘンタイの謗りを受けたくないなら、嗜み(それ)が何かは訊かない事ね」

 

アスカは猫の様に目を細める。だが、一見落ち着いているが、その実何やらウズウズしているレイを見て、シンジは彼女の注意は無駄だろうと、頭の隅で思った。

 

 

ダンスマシンで動きを試し、タブレットに落としたデータを基にディスカッションを繰り返す。その度に使徒イスラフェルへ向いた穂先は尖り、攻撃密度は増し続ける。

確実に研ぎ澄まされていく二振りの剣――運命的な絆と、新たなる絆――を、ソファーに座ったレイは飽きもせず見詰めていた。

 

幾度も重ねて来た論議の最中、不意を突いた少年の人差し指に唇を抑えられたアスカは、出掛かった言葉を飲み込んだ。

 

「ッ……!?」

「シッ……」

 

嵩が指先とは云え、実母以外には許した事が無い処である。口唇は人体で特に敏感な場所の1つだ。そこに触れる小さな熱源。

意図しない刺激で瞬時に喉が渇く、迫り昇った熱と鼓動が、人体で最も(シンジの)高感度なセンサー(ゆびさき)に感知されないかと冷や汗が出そう。

何時になく真剣な眼差しに息が詰まる。普段なら領空侵犯の時点で手痛い洗礼をくれてやるのに、何故本土上陸を許したのか。

 

アスカは級友の言葉を思い出す。

生来の中性的な面立ちに加え、シンジの目付きや所作からはフケツな生臭さを感じない。故に彼は、通常異性へ相対する際の本能的な緊張を強いられない。

その上、本質的には同性で無いので、女を相手にする様な対抗心も生まれないと云う、ある種のステルス持ちである。

 

「(実はコイツ相当な女誑しなんじゃ……)」

 

アスカが騒ぐ気配の無い事を認めると、シンジは彼女の視界を誘導する様に、ゆっくりと顔ごと視線を横に向ける。

彼らの視線の先では、少女がゆらゆらと舟を漕いでいた。

 

「(……そう云う事っ!)」

 

少し考えれば判る事だった、あの怜悧なシンジが意味も無くアスカに一時的接触(こんなマネ)をするワケが無い。

頭に上った血液が瞬時に臨界点まで過熱。しかし……、気化炸薬への相転移は成されなかった。

 

睨んだ先にある横顔は、数秒前とは打って変わり、しごく穏やかで優しい。

 

「(……この目、何処かで――)」

 

少年の眼差しに懐かしさを覚え、アスカの血は急速に冷める。

 

「(最近じゃない。ずっと、昔…………)」

 

シンジは静かに立ち上がり、ソファーで夢路を泳ぐ少女に寄り添う。

眠り姫の右側に膝を着いたシンジは、右手を姫の肩に回して上体を起こし、ソファーとの間に出来た隙間から左腕を差し込んで、小さな背を支える。

 

「ぅ……」

 

すると、コロ……と軽い寝返りで、少女は丁度良い具合にシンジの腕に収まった。

 

「(……ホントに寝てんのかしら、この子。ちょっと疑いたくなるわね)」

 

担がれている可能性を考えるアスカを余所に、姫君の膝裏に右手を回したシンジは、軽々と少女を抱き上げる。

 

「(む、コイツ意外と……)」

 

自身の8割前後になろう体重を持ち上げたにも拘わらず、少年の体幹は小揺るぎもしない。

 

「(何て云うか、すごく男の子ね。ヒカリも似た様なコト云ってたっけ)」

 

フェアリィテイルの王子様を思わせる所作、一度は冷めた胸の最奥に種火が灯る未知の感覚が、友人との雑談をより鮮明に蘇らせた。

 

 

 

 

一週間ほど前、総本部では(パイロットとして)先任(ライバル)となるシンジとレイに付いて、ヒカリに訊いた時だ。

唐突な話題に訝しむ彼女に、自分も2人の裏事情に噛んでいる事を教え、便宜的(テキトー)な理由を告げると、快く色々と話してくれた。

 

レイについては然したる収穫は無く、既知の情報を補足する程度だった。対して、質問の意図からは外れていたが、シンジについて面白い話があった。

ヒカリを含む多くの女子は、男子用に一定の距離を定めているそうだが、その距離感(ライン)の内側に、シンジは同性以上にスルリと入って来てしまう。そこで漸くシンジの性別を再認識してドキリとする事が多々ある、との事。

そう云う『思い出しドキ』は己の不覚であり、まだ乙女的に許容できる部類らしい。

逆にシンジが有罪(ギルティ)を免れない場合に関して、ヒカリは恥じらいと困惑が入り混じった微妙な笑みを作った。

 

「でも碇君って、やっぱり男の子なのよ。良い意味で――女の子の琴線に触れると云うか――ちょっと反則。私にはスズ……っ! 何でもないわ」

「ふ~ん(好きな子居るんだ……)」

 

面白半分で恋路を茶化される以上に不愉快な事など、思春期の少女には、まず存在しないとアスカは信じている。

 

「何よ、その目……」

「ふふっ、ねェヒカリ――」

 

故にアスカは、本命(スズ?)には言及せず、シンジに気があるのかと、冗談を云った。

 

 

 

 

Never(ぜったい) disturb(ゆらさない).細心の注意を払い、眠れる乙女を運ぶ足取りは恐ろしく滑らかだ。義兄の腕に抱かれる少女は、熟練ドライバーの就いたリムジンの如く一切の振動も感じていないだろう。

まさしく女の子が夢見るシチュエーションの典型である。尤も式波アスカは、そう云ったモノに憧憬の念を抱くタイプでは無いが。

 

器用に自室のドアを開け、常に壁との間に我が身を挟んで、腕の中に居る少女を保護しつつ、滑り込むように入室。

そんな2人――内1人は静態な故に、或いは1.5人?――の様子をアスカは頬杖をついて眺めていた。

彼女の意識に浮かぼうとする古い澱と、年頃の少女らしい想像力(イマジン)が奇妙な結合を果たし、寝室の内部を擬似的に透視する。

中性的な王子様は娘を優しくベッドに寝かせ、静かにDecken(ブランケット)を掛けてあげるだろう。

慈愛に満ちた微笑は、彼の器量から、きっと女性的な印象を受ける筈。

そして、柔らかな頬か愛らしいおでこに、キスの1つでもしているかもしれない。

 

 

小柄な少女1人寝かし付けるには少々長い時間が経過し、寝室から出てきたシンジは何故か約200秒前とは上衣が異なっていた。

 

「なんで着替えてんの?」

 

アスカが性別=(一応)男の寝ているベッドを嫌がった結果、レイの部屋が客室として供されている。つまり、彼が姫を連れ込んだ部屋は自室であるので、衣服には困らない。

だが、さして汗もかいて無かったし、脱いだシャツを持っていないのは不自然だ。

 

「剥かれた……」

「……本当に寝てるの?」

 

その一言で、アスカは相棒の状況を完全把握。レイが掴んだ服を放してくれないので、脱ぎ渡して来たのだ。

 

「それは間違いない(……だから余計に可愛いんだよね)」

 

エッジの効いた断言に反して、晒されたフニャふにゃんな惚気顔は婦女子のそれであり、真に婦女子であるアスカには何を考えているか丸判りだった。

 

そうね(・・・)(アタシ)も可愛いとおもうわよ?」

「――口に出してた?」

 

少女のその言葉は誰に向けたものだったのか。シンジの問いに、彼女は笑みを深めることで回答する。

 

今の共通認識、仕上がりは想定以上(120%)/全身に満ちる自信/陰の、そして最大の功労者は、最高にNiedlich(キュート)な女の子だ。

 

 

 

夜が更け始め、充分に人事も尽くされた。後は明日に備えて英気を養うのみ。

そんな折、入浴の優先権を主張するアスカに、躊躇無くシンジは家主としての主権を発動。

 

「君、長いだろ。僕は5分で上がる」

 

駄々と屁理屈をこねて不法占有を行う程、アスカは厚顔無恥では無いし、シンジの権利行使は正当なものだ。

更にそこに内包された、ぐぅの音も出ない合理的ロジックの存在に因り、彼女は妥協。

結果的に、熱いシャワー2分半、クールダウンの冷水1分半、身支度1分のカラスの行水でシンジは出て来たので、相互利益率は最大となった。

 

 

眠っているであろう少女を起こさぬ様に、静かに部屋に入ったシンジは、丁寧にドアを閉めた。そして足音に気を付けながらベッドに歩み寄る。

彼のベッドで眼を閉じている少女は、高名な禅僧の如く静謐であり、僅かに上下する胸に気付かなければ、その端正な輪郭から精巧な人形と誤認しかねない。

どこか明彩を欠いていた碧空色の髪は、いつしか月光を帯びた藍玉の輝きを宿した。元々長かった睫毛は、よりしなやかに伸びている。

そんなウンディーネを思わせる容貌は、華やかな仏蘭西人形に通じるようだが――華美な雰囲気が薄い独特の佇まいは、楚々とした京人形こそ本質に近い。

 

「(ブランケットは……まあ、いいか)」

 

毛布の1枚すら無い床で寝ても割と平気な自分と、レイを起こしてしまう可能性を天秤に掛け、即行で後者を優先。マットレスの地殻変動を起こさぬよう、慎重にベッドに上がる。

当時は役に立ちそうも無かった多点接地着地術のレクチャーを応用、うまく荷重を分散して褥を揺らさずにレイの隣で横になる。

すると不意に、本当にシンジにとっては不意に、眠り姫の眼がスッと開いた。

 

「……起こしちゃった?」

「いいえ、起きた(・・・)の……」

 

起きたいから起きた。つまり義兄の接近と云う事態に対し眠り続けるコトも出来たが、自らの意思で目覚めを選んだのか。野生の動物的、いやある意味もっと革新的な特性かもしれない。

 

「一緒が、よかった。おやすみなさい……て、云いたかったの」

 

文脈は怪しく抑揚も無かったが、その赤光は常より弱く、眉根は微かに震えている。

その切なげな紅眸を、せめて抱き締めようとしたシンジの衝動は、他ならぬレイによって制止された。

 

「ちょっと、待って」

 

云うな否や、ブランケットの上部と下部――は足指で――掴みゴロンと寝返って寝具を肌蹴る。そして少女は口元を綻ばせて振り返り、片手を開いて申し訳な程度に差し伸べた。

 

「来て……」

 

もっと傍に……。

 

その言葉と想い、少年には是非も無い。

シンジがもぞもぞと近寄り、互いの距離がほぼゼロになると、誘い手は後ろ手に掴んでいたブランケットをバサリと自分達に掛ける。

そしてシンジの向こう側に行った腕を、そのまま頭に回して、レイは胸元に彼を引き寄せた。

 

「え……レイ?」

 

それ、僕の役割……そんなシンジの心の声を黙殺。

 

「今は、明日の事だけ考えて……」

「…………うん」

 

義従妹の暖かな柔らかさと落ち着いた香りに、シンジの意識は、数秒で安寧に落ちて行った。

 

 

 

仮宿とは云え個人の秘密(プライヴァシィ)の保障がされた完全な(プライベヴェイト)密室(ルーム)、遅生まれの姉が弱いと語った主人格=惣流アスカも全ての鎧を脱ぎ捨て、その裸身と心を曝け出していた。

 

Ach(ぁふう)……」

 

シャワーの温度はやや熱めが好みのアスカだが、明日の決戦に備え、リラックス効果があると云われる温めの湯を浴びている。

日本人の同年代と比較すると……いやする迄も無く明らかに抜きん出たプロポーション。起伏に富んだ乳白色の肢体を、柔らかな温水が伝い落ちて行く。

 

少なからず筋肉が付いているとは云え、9mm軍用弾(パラべラム)を軽々と扱えるとは思えないほっそりとした腕と、少女らしい小さな肩。そこから細くて色っぽい鎖骨を下ると、実にワガママな自己主張をする山脈があった。

窯で膨れるパンの様に豊かに盛り上がった双峰は、急激に熟れゆく果実の如き内圧に、はち切れんばかりに張り詰めている。固さの残る白く瑞々しい肌には薄っすらと静脈が浮かび、その淡青色とは対照的な完熟プラムのピンクが尖端部周りを染めている。

 

胸背筋と若い肌の緊張で重力へ傲慢な姿勢を崩さず、ツンと上向いて浮つく小悪魔的な破戒力(バースト)をやり過すと、驚異的な上部に反してスレンダーなウェストに誘われる。

革紐で縛った様にキュっとくびれた腰部は、細くともイルカ等に通じる優美な流線形で、存外グラビアモデルによく見られる明白なメリハリは薄い。しかしそれが逆に、脂がのっていない思春期の貴重でナチュラルな魅力を感じさせる。

深層部から丁寧に鍛えられた腹筋により、引締まった腹の中心にある小さな窪み――正中線に沿って浅い渓谷を形作る臍。その切れ込みは見る者をある種の深淵へ堕とす様な、蠱惑的な誘引力を発して在る。

 

造り自体は浅/悩ましい奈落から、更に南下すると、黄金色の草叢が不揃いに波打っている。その三角州を思わせる小ぶりな丘陵は、薄く延びたV字の国境線で、若い肉で張り弾む双()国と曖昧に分かたれていた。

秘密の二等辺(Dreieck)を結合する頂点からは、緩やかな地続きのデルタとは違い、明白なラインとなるクレヴァスが裏側まで延びている。事象が側面から更に裏に至り、野性的ですらある腿国の別の顔が、素晴らしい水蜜桃であると判る。しかも恐るべき事に、既に十二分な蜜を貯め込んでいるこの大白桃は、未だ完熟には程遠い青い果実であるのだ。

 

濡れそぼつ茅原に縁取られた裂け目の直下では、左右から斜めに流入する琥珀翠雨が、透けた清水となって落下している。

僅かな量であったが、アスカはその滝に粘性の物が混じった事を感じた。

 

Was(あれ)?」

 

その正体が、谷底に秘匿された深淵へ繋がる縦穴に由来する物質だと気付くと、アスカは暖かな陰雨の中で薄目を開ける。忌々しいアレ(メンズ)は、まだ先の筈だった。ならばこれは?

 

「Amm……!」

 

不意に、弱い静電気の様な鈍い痛痒感が腰椎から頸椎にかけて奔り、アスカの薔薇色に染まった紅唇から微かな吐息が漏れた。

 

緩い飛沫が全身を保温しつつマッサージする事で、血流は促進され毛細血管も拡張。末梢部以外でも、血管密度の高い部位は自然と体積を増し、体幹部に存在する幾つかの末梢/尖端は、血潮の内圧に硬さを帯び始めていた。

その取るに足らない硬度変化は、水の運動エネルギーを電気エネルギーへ変換している生体素子において、その効率=発電量を引き上げる。それにより増量した感覚信号が脊髄を通りA10神経に達すると、快楽物質の代謝バランスを生産放出側に偏らせ、局所的な血圧の上昇は未熟な果実達をより豊満化させて行く。

その特異な感覚刺激をアスカ当人が自覚すると、双結実した淡いHimbeere(キイチゴ)は俄かに熟しだして、甘雨を歓ぶように小さく揺れる。

 

「Hachh……!」

 

無意識に数秒ほど止めていた呼吸は、熱い息と共に再開された。

 

何故、よりによって!――リースリングのAuslese(遅摘み)を思わせるアロマが、臍下の下部に集まり澱んでいる。自宅に独りならまだしも!――他人の、()()()()()()()

自らを律しなければ……と、アスカは背を丸め両腕を強く抱き締める。両脚をピッチリと閉じ合わせ、引き揚げられた牡蠣が潮を封じる様に、二枚貝の外縁を鼠蹊部ごと左右から圧迫。粘液の閉じ込めを図った。

だが、そんなアスカの意向とは裏腹に、太腿は内股でモジリモジリと擦り合わされ、貝覆いの戯れの様に貝殻同士を(まさぐ)らせていた。

 

大きく溜め息を吐いて、正面の鏡を――今は気が進まないが――見る。()()()()()()()()()、この方法が一番やり易い。

 

「どうするSie(アンタ)?」

 

惣流アスカが鏡の中の式波(Sie)に問いかける。それに対する鏡の国の(シキナミ)アスカは、どう云う訳か冷淡さすら感じる態度であった。

 

「どうもこうも、こう云う身体に基づく衝動(モノ)の類は代われないわよFrau()

 

言外にサッサと()()()()しまえと告げる鏡に映る自分を、アスカは――碌な表情をしていないだろうと――見詰め返す事はしなかった。

 

脳裏に浮かべた憧憬は、年上の男だ。背が高く程よく鍛えられた肉体を持っている。左手は上半身を這って、指先で木の実を転がす。右手は両脚の隙間――付け根辺りを覆い隠していた。

空想上も現実の加持も――アスカとは相対的に――大きな手と太い指をしている。だが、現実に使われるのは細長いアスカの指だ。

その僅かな差異の為か、或いは別の要因か。いつしか空想は寝室で眠っている兄妹2人に変化し、ある意味ずっと刺激的な夜の夢になった。

 

「さっさと寝よ……」

 

火照った身体も鎮まった事だし……と、家主が考えたより幾分か早くに、アスカは入浴を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、ネルフ総本部は喧騒に包まれていた。使徒イスラフェルの活動再開を観測したのだ。

 

「総員第1種戦闘配備、エヴァンゲリオン出撃準備! 私も直ぐ作戦指令室に往く」

 

司令執務室に併設された自室=司令専用職員寮にて、緊急コールを受けたゲンドウは、手早くネルフ最上級士官用ジャケットを羽織りながら作戦指令室へ急いだ。

早足で通路を進みながら、上着の正面を留めた処で、老齢に差し掛かった副司令と合流。そこで冬月は、総司令殿の頭部を見咎める。その指摘に対してゲンドウは、無言でナイトキャップを引っ掴み、ポケットへと押し込んだ。

 

 

作戦指令室に到着したゲンドウと冬月は、スタッフ達の敬礼に出迎えられた。それを掌を軽く掲げて制する事で、言外に「作業を続けよ」と伝えると、既に指揮を執っていたミサトを司令官席から見下ろした。

 

「状況はどうか」

「ハッ! 目標は現在、旧沼津市跡を抜け、三島市に侵入、湯河原・北東方面へ向け侵攻中です」

「エヴァの輸送ルートを辿られたか」

 

淀み無く答えるミサトに対し、ゲンドウは尊大かつ鷹揚な態度で応えた。

そして学者肌の冬月は、使徒活動再開の報から現在の上陸/侵攻状況の火急具合に、疑念を呈した。

 

「しかし随分と侵攻速度が速いな。目標が活動を再開する徴候は、観測されなかったのか?」

「いえ、それが……」

「成程、戦自(むこう)が情報を出し渋ったのか……エヴァとパイロットの状態はどうなっている?」

 

半ば無言で肯定するミサトに、冬月は苦虫を噛みながらも話は終わりだと告げ、更なる状況説明を求めた。

 

「初号機、弐号機、共に修復は完了。現在、兵装と電装部品(モビルニクス)の最終調整(チェック)を行っていますが、20分程度で終了します」

 

悪友からの目配せによる引継要請に応えたリツコは、手元のポータブル端末を一瞥してから、キビキビとルージュの引かれた唇を動かす。自分の管轄(シゴト)は終わり――パイロットは貴女の部下よ――と隣人を見た技術部長は、ミサトの頬が僅かに引き攣った事を見逃さなかった。

 

 

 

 

一方その頃――某戦闘指揮官の愚行が原因で、某少年宅に()()した――パイロット達は、加持が運転するワゴン車でネルフ本部へ急いでいた。

 

 

国連軍から使徒活動再開の一報を受けた直後にミサトは、加持から既に車を回していると連絡された。ミサトは「流石に耳が早い」と皮肉りながらも、エスコートを加持に一任。

マンションの一時(ワンタイム)キーの発行を受けた加持は、シンジ・レイ兄妹? の家に入ると、怒鳴り声にならない程度の大声で呼びかけた。

 

「アスカ! シンジ君、レイちゃん! 起きてるか!」

 

非常事態故に、元カノの様に容赦無くドアや戸を開けて行く加持に、最初に反応したのは()のベッドを借りていたアスカだった。

 

「加持……さん」

 

仮宿から出たアスカは半眼を擦りつつ、つい呼び捨てをしそうになり、敬称を追加。

 

「アスカ、使徒が動き出した! シンジ君達は?」

「ッ、そっちの部屋よ!」

 

反射的にシンジの部屋を指差す。クルリと反転して取手に手を掛けた加持に、アスカは「アッ――!」と声を漏らした。

使徒活動再開の知らせで一気に目が覚めたアスカだが、昨晩の残滓と寝惚け頭が合体し、ベッドにて裸で抱き合う2人を妄察。アスカは2人が恥を晒すのは忍びないと、慌てて加持に手を伸ばす。だが、時はすでに遅し。加持はヘヴンズドアーを開け放っていた。

 

無論、アスカが期待……もとい危惧した光景なんぞ無い。

部屋の内では、両腕の中にレイを匿うシンジが、ベッドの上から加持を睨んでいただけだ。

 

「なん――」

「使徒が動き出した! 今直ぐネルフ本部へ行くぞ!」

「ッ!!」

 

シンジは息を呑んで一瞬だけ目を見開くと、レイを抱く腕を少し緩め、密着状態から鼻先が触れ合う程度の距離感に微調整。少女の紅眸と、少年の黒眸が1~2秒繋がり、そして離れる。見つめ合い……瞳と瞳の光通信で、意思疎通は完了。

 

2人は同時にベッドから降りた。シンジはベッドサイドに用意していたトートバッグを持ち上げる。レイはサイドテーブルに畳んで置いていた制服の下――ジャンパースカート――を手に取り、肩当を持ってバサリと広げ、僅か2工程で穿いて身に着けた。

トップスがブラウスで無い――ブカブカのYシャツだ――が、一応は外出着=制服姿となったレイがスカートのジッパーを上げるのを横目に確認し、シンジは加持に向き直る。

 

「準備OKです!」

「IDカードは?」

「バッグに入ってる」

 

加持は「ヨシ」と頷くと、何処か呆けた顔のアスカへと振り向いた。その表情の理由には言及しない。

 

「アスカ、君は!?」

「すぐ準備するわ!」

「急げ、62秒で支度しろ!」

 

アスカは「Ja!」と短く答えると、寝ていた部屋へと踵を返し、後ろ手にドアをバタンと閉める。レイの部屋からバタバタと物音が響き、約40秒後に着替えたアスカがボストンバッグを片手にドアを開いた。

 

 

車上の人となったパイロット3人は、MAGIによる電子情報統制措置により、第3新東京にて最優先の通信権限を与えられた端末で、ネルフ本部と繋がっていた。

 

「確か予報じゃ、今日の昼頃に動き出すんじゃなかったの?」

「使徒の能力は常に未知数よ。MAGIと云えど、完全な予測は困難だわ」

 

だからこそ昨日は、躊躇無く帰宅を選ぶ事が出来たのに――と云う、アスカの詰問に、ラップトップモニターのリツコは冷静に答える。

 

「使徒は今、どの辺りですか?」

「目標は芦ノ湖の東側を北上して、現在位置は浅間山の手前まで来ている。要塞迎撃都市への到達予想は25分後だ」

 

シンジの問いには、画面の一部が切り取られて現れた青葉が答えた。

 

「こっちは――」

 

言葉を切ったシンジが、加持に呼びかけると大きく「4分で着く!」と返ってくる。そこに青葉を押し退ける様にミサトが「聞こえたわ!」と出現。

 

「エヴァの準備は万全――あんた達が到着すれば、直ぐに起動出来る。待ってるわ」

 

そう云ってミサトがモニターから消えると、パイロット達はキュッと唇と引き結んだ。

 

 

 

 

双子の使徒イスラフェルは、分裂状態から合体状態に戻って侵攻して来ていた。数分前に、東部の最終ラインである強羅防衛線を悠々と突破し、既に迎撃都市たる第3新東京の外縁部に達している。

 

都市内に足を踏み入れたイスラフェルはジオフロントへの侵入場所を探しているのか、兵装ビルが点在する平地部をゆっくりと歩いていた。

その兵装ビル群の一角――とあるビルの屋上部が人知れず展開。その開口部から内部を覗くと、平行な2本のレールが、地下深くからビルの天頂部まで続いている事が見て取れる。

俄かにレールが震え始め、その振動は急速に激しさを増していく。それは巨大な質量を持つ物体が、高速で昇って来る為であった。

 

最上部の固定ロックを解除した輸送リフトを射出機(マスドライバ)に、エヴァンゲリオン弐号機は天高く撃ちだされた。

弐号機は空中で1回転しつつ、腰部ハードポイントから引き抜いたポールウェポンを伸展。長柄が完全に展開され、ガチンとロックが掛かると、上端と下端にある高周波振動刃が唸りを上げる。

ソニックグレイヴ・ダブルブレードモデル――ソニックグレイヴ・ツインランスを振り上げた弐号機は、イスラフェルを斬り伏せんと落下して行く。

 

しかし敵もさる者。弐号機が飛翔した直後から、イスラフェルは仮面部位を発光させ、ビーム砲を準備していた。あわや、弐号機が狙い撃ちされると思いきや、出撃用ビルの側面から、パレットライフルを左右各々の手に握った初号機が時間差で躍り出る。

弐号機が空中からATフィールドを中和する中、初号機左手のパレットライフルから放たれた250mm炸裂徹甲弾が、使徒イスラフェルに突き刺さる。ビーム砲のチャージ時間が短かった為か、エネルギーの誘爆こそしなかったものの、仮面部位を砕かれたイスラフェルは一瞬怯む。その隙を見逃すアスカと弐号機では無い。

 

「どりゃああ!」

 

弐号機のツインランス一閃。初戦の焼き直しの様に、唐竹に割られたイスラフェルは一瞬で『色付き』と『色落ち』の2体となって再生する。

だが、雪辱に燃えるアスカに油断は無い。着地時の腰を落とした状態から、流麗な動きにて頭上でツインランスを回転させ、2体をほぼ同時に斬り付けつつ弐号機は飛び退る。

連斬撃の効果確認は不要だった。すかさず初号機が、開いた射線の先――色付きへと、左の250mm弾を叩き込む。

 

弐号機はバックステップから、フィギュアスケートを思わせる華麗なジャンプを決めつつ、ツインランスを中央から分割。2本のショートグレイヴをターンジャンプの遠心力で投擲。身軽になった弐号機は、更に後方宙返りをして、初号機の隣に着地する。

 

「ライフル!」

「ライフル!」

 

シンジとアスカは異口同音にして異義を叫び、初号機右手のパレットライフルが、弐号機へと放られる。受け取ったパレットライフルを構えつつ、外部電源(アンビリカル)ケーブルを接続。アスカはサブモニターに僚機ステータス表示させ、初号機の全弾消耗に被せて射撃を開始。

 

弐号機は色付きへと攻撃を集中させながらも、仮面部位にショートグレイヴが刺さったまま接近して来る色落ちにも、250mm口径をバラ撒き牽制。その間に初号機は、武器庫ビルに上って来た新しいパレットライフルを受領する。

 

弾幕で2体の足止めが為されている隙に、シンジは初号機右腰部から新装備を抜刀した。

マゴロク・プログレッシヴ・ソード。そのショートモデル=マゴロク・カウンター・ソード――エヴァサイズの脇差であり、プログナイフやソニックグレイヴ同様の高周波振動刃を有する。備考として、汎用性の確保の為に、敢えて刀身を反らさない直剣として造られている。

更にシンジは引き抜いたカウンターソードを、初号機が右手に持つパレットライフルの下部アタッチメントレールに装着。この銃剣状態は特に、パレットソードライフルと呼称される。

 

 

初号機の武装完了が表示されたサブモニターを横目に、アスカは弐号機を奔らせた。突撃銃(アサルトライフル)と云う銃種の通りに、電磁加速された砲弾を連射ながら、弐号機は『色付き』との距離を一気に詰める。

 

ショートレンジ――ATフィールド完全中和圏内/近接戦闘。

駆けながらパレットライフルを投げ捨てたアスカは、弐号機左肩ウェポンラックを開放、プログレッシヴナイフ・ヴァリアント2――通称、プログナイフ改――を抜きざまに、色付きのコアを袈裟に斬り付ける。薄刃の高周波振動刃はコアの半ばまで斬り込むも、パキンと根元から圧し折れた。アスカに動揺は無い。

 

Nachster(つぎ)!」

 

ネスター……寧ろ短く「ネス」と云ったアスカの言葉通りに、折れたプログナイフの刀身が、柄の内部から新たに延びる。プログレッシヴナイフ改は、カッターナイフの様に新品の刃をグリップの奥に蓄えているのだ。

 

後ろ手から振り子の様に腕を戻し、色付きのコアを下方から突き刺す。そのまま力任せに刃を折りながら振り上げ、掌中でプログナイフをクルリと回転、逆手での振り下ろし。右掌上下反転/左下段から裏拳気味の逆手突き。予備刀身、全段消耗。

 

バキンバキンとプログレッシヴナイフ改の高周波振動刃を折りながら、順手・逆手で各2回。その数の刃が色付きのコアに刺さっている。この使徒はコアを損傷すると、修復されるまでは動けない。

 

「ウオオオッ!」

 

柄のみとなったプログナイフ改を、最後の逆手付きの勢いのまま捨てる。その右腕の回転モーメントを利用し、左拳でのアッパーカットで、動けない色付きを空中にカチ上げ――。

 

「リャアアアッッ!!」

 

更にアクセルジャンプからの跳び上段/渾身の右後ろ回し蹴りを叩き込み、数百メートル先にまで色付きをブッ飛ばした。

 

 

ウルトラE(エヴァ)の大技を終え、着地しようとしている弐号機の隙を、半身を痛め付けられた『色落ち』が見逃す筈も無かった。

両腕のカギ爪を振り上げた色落ち、しかしアスカの顔には笑みが浮かんでいる。ザクリと色落ちのコアから切っ先が生える。初号機によるパレットソードライフルの銃剣――マゴロクカウンターソードでの奇襲だ。

 

「セェッイ!」

 

背後からコアを貫いたシンジは、串刺しにしたまま色落ちを頭上に持ち上げ、ソードライフルのトリガーを引き絞る。250mm炸裂徹甲弾は、周辺の組織諸共コアを穿ち、空高く消えて行く。

 

「決めにいくわよ!」

「応!」

 

シンジはライフルのトリガーを射撃状態でロックすると、初号機の背面――『色付き』とは反対方向――へ突き刺したソードライフルごと色落ちを放り投げた。

 

色落ちはもんどり打たれて転がった。使徒にとっては幸いにも、パレットライフルの下部アタッチメントが衝撃荷重に耐えきれず破損。絶え間なく蜂の巣にされる事からは解放されたが、マゴロクカウンターソードの刀身は未だ背面からコアを貫通している。

 

緩慢な動作で直立した色落ちは、コアの再生圧でなんとかカウンターソードを圧し折って排除。しかし漸っと刺さっていた刃を抜いた色落ちの前には、既にデュアルソーを構えた弐号機が立ち塞がっていた。

 

Guteag(ごきげんよう)

 

そんな挨拶と共にアスカは、高速回転する連装の高周波振動刃を色落ちのコアに突き込む。デュアルソーによってコアの再生を封じられた色落ちを、油断無く見据えながら、アスカは意識の一部を後方の初号機に振り分けた。

 

 

作戦の第1段階。合体した使徒イスラフェルを再分裂させる。

第2段階は、分裂したイスラフェルの一方のみに攻撃を集中させ、コアの量子共鳴二乗出力化を阻害しつつ、2体を分断。

作戦最終段階。分裂した一方を大型破砕兵器デュアルソーによるコアの連続粉砕で無力化。そして――。

 

 

投げ飛ばした『色落ち』に、デュアルソーを装備した弐号機が向かって行く中で、初号機は『色付き』に臨まんとしていた。地面に何度かバウンドしながらも、色付きはコアに突き刺さったプログナイフを弾き出し、停止して起き上がる頃にはダメージの大半も癒えている。

 

「色付きの頭上を押さえる! 兵装ビル、16番から25番、36番から49番まで全力発射(フルファイア)!」

 

零号機のコクピットから、戦況を見守って居たレイより「使徒を跳躍させずに地上戦を……」との意見具申を受け入れたミサトは、弐号機が色落ちを抑え込むタイミングで目を見開き、通常兵器での援護を命じた。

 

 

人工流星を供廻りに、シンジは初号機を駆りながら、機能をアンロックされた事で操縦桿(インダクションレバー)のトリガースイッチに登録(セット)された操縦(シンクロ)モードを意識する。

 

「(使用可能(つかえる)時間()は2秒だけ……)」

 

エヴァの特殊連動シンクロシステム。初号機へ搭乗する直前に、リツコから「時間制限のある試作品だけど搭載した」と云う事で説明を受けている。

 

「(使うなら今!)」

 

シンジは人差し指の緊張を抑えながら、初号機の右手を、左腰部ラックに懸架された新装備の柄に添えさせた。

 

マゴロク・プログレッシヴ・ソード・ロングモデル――マゴロク・エクスターミネート・ソードと呼称される。ショートモデルとは対を成す長刀――反りのある太刀であり、長大な高周波振動刃による攻撃力は絶大。

この剣を以って、初号機に狙いを定めて来た色付きを両断するのだ。

 

ミドルレンジ――ATフィールド中和開始距離。

 

「ここだッ!」

 

シンジがトリガースイッチを引いた直後。彼の頭の奥――或いは脳内のあらゆる場所――から、無数の輝く粒子が放射され、自身の脳や肉体すら超えて、エヴァ初号機の全身にまで広がった感覚が、シンジを突き抜けた。

 

 

感応増幅式操縦補助機構。簡単に説明すれば、読み取った脳量子波で、エヴァの操縦系――神経素子に干渉する事で、擬似的にシンクロ率と反応速度を引き上げるシステム。

厳密に云えば、シンジは脳量子波を失った訳では無い。そもそも全人類は脳量子波を持っている。ただ、その強度が観測できない程、弱いだけだ。

だがシンジは、シャムシエル戦前後の期間、脳量子波のサンプリングを受けている。そのデータを活用し、量子場観測装置の設定を行う事で――適用はシンジのみだが――実用可能な脳量子波入力機器として暁光が差された。

 

その名も、1.5(アイズ)システム――Inspirational Intention Maneuvering Auxiliary System. Iが先頭となり、また単語数が5個である点。

何より、MAGIの計算において、エヴァの性能を50%向上させる効果が見込める事から、I’sにして1.5のシステムと命名された。

 

 

1.5(アイズ)システムが起動した瞬間。

シンジの中では、初号機の操縦に集中している自分と、拡散する閃光を感じている自分と云う複数の意識が揺らいで居た。

量子化した思考はコンマ02secで統合され、加速する意識は『色付き』が()()()()()()()()右腕を、マゴロク・エクスターミネート・ソードの抜刀居合で斬り飛ばしていた。

 

刃を反し柄頭に左手を添える/同時に踏み込む/色付きのコアへとマゴロクを振り下す。仮面部位を叩き斬るも、ミサイルの被弾すら厭わない様な色付きのバックステップにより、切っ先こそコアに届いたが破壊には至らない。

追い縋って初号機も跳ぶ/左側に刃を逃す為、右手は柄から離れている。左腕の回転軸面を水平へ/初号機自体も宙で一転。1.5システム限界時間/システム強制終了。だが既に、次の運動命令は下されている。

 

「セアアアッ!」

 

捻り跳び込みからの変則的な逆胴、マゴロクの薙ぎ払い。長大な高周波振動刃はその刃長を活かし、滑るように色付きの胴体に斬り込み、一刀で体幹部に鎮座するコアを両断した。

 

空中でバランスを崩した初号機が、片膝立ちで着地した直後、色付きのコアはグチャリと圧潰。第3新東京の空に十字の爆炎が2つ昇る。シンジは大きく息を吐くと、初号機を立ち上がらせマゴロク・エクスターミネート・ソードを納刀した。

 

 

 

 

ネルフ本部が勝利に沸く中、ある男が監視システムの死角となる場所で息を潜めながら、手にした小型端末のボタンを押した。

その直後、第3新東京市のあらゆる電力が停止し、ネルフ本部は暗闇に包まれた。

 

 

この非常事態に、使徒殲滅の余韻に浸っていたネルフは騒然となり、スタッフの多くは動揺を隠せていないが、司令官クラスともなれば平静を保っている。

 

「状況を確認し報告しろ!」

 

総司令からの命令に、オペレーター達が動き出した。コンソールには小型バッテリーが設置されており、今回の様に全館が停電しても、ある程度は動かせる。

 

「本部内、全系統電圧ゼロ。生き残っているのは前組織(ゲヒルン)時代の一部回線のみです!」

「MAGIとセントラルドグマの維持に、残った全電力を回せ。最優先だ!」

 

パワーグリッドの再設定が行われる中、ゲンドウ達はこの停電が人為的な物――ネルフ本部の調査などを目的とした破壊工作であるとの結論に達していた。

復旧ルートからの構造把握を妨害する為、既にリツコはMAGIによる欺瞞情報撹乱を始めている。ミサトはパイロット保護の為に、日向など信用のおける部下達と共に、ケイジへと走っていった。

 

 

 

 

数時間後、なんとか電力の復旧に成功したネルフ本部。その総司令執務室では、保安諜報部による事件の捜査報告が行われていた。その懸命な調査の甲斐もあり、実行犯の1人を特定し拘束する事に成功している。

特にゲンドウはこの時まで、眉一つ動かさぬ沈着さを示していたが、内心では静かに炯々と業火を燃やしていた。

 

「そうだ、対象の生死は問わん。何としても口を割らせろ」

 

総司令たるゲンドウは、ネルフと云う一国一城の主である。自らの城に紛れ込んだ鼠へ、一切の容赦をする気は無い。なにしろ状況証拠から、後宮の美姫(パイロット)の拉致や、王より大切な国宝(エヴァ)への破壊工作などを、画策していた事を掴んでいたのだ。

 

拷問、薬物使用。果ては頭蓋骨を切除し、脳に電極を挿して情報を強制的に吸い出す事すらも、ゲンドウは厭わせない。

例え不幸中の幸いにも、ミサト達とパイロット3人が無事合流できた事も、エヴァに何の異常が無かった事も、考慮には値しないのだ。

 

 

保安諜報部員が去った司令執務室で、同席していた冬月はため息交じりに口を開いた。

 

「しかし嫌な話だな。本部、初の被害が同じヒトに因るものだとは……」

「所詮、人間の敵は人間と云う事だ。使徒などは寧ろ、克服すべき自然災害に近いだろう」

 

冬月は「やりきれん話だ」と呟いて自身のデスクに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、市立第一中学校の2-Aでは、朝礼前と云う事を差し引いても、随分と浮ついた空気が流れていた。間近に迫った修学旅行への期待に、生徒達は色めき立っている。

タダでさえ物騒な近年、先日の停電ではシェルター内の換気システムが一部停止した為に、体調不良を訴えた者も少なくない。そんな中で開放的な旅行先――沖縄を思えば、気分も高揚すると云うものだ。

 

予鈴が鳴り暫くして、担任の利根川教諭が教室に入り、生徒達に着席を促すもやはりその動きは鈍い。クラス委員長の洞木ヒカリの注意も、何処か精彩を欠いている。利根川教諭は穏やかさを崩す事無く、話があるから再度着席を促すと、ソロソロと生徒たちは席に向かった。

 

全員の着席を確認した利根川教諭は、廊下に向かって呼びかける。

 

「転校生を紹介します。霧島さんに山岸さん、入って下さい」

 

すると、廊下で待って居た2人の少女が教室に入って来た。利根川教諭が2人の名前を黒板に書き、綴りは正しいか小声で確認した後、クラスへの簡単な自己紹介を求めた。

それに対し、軽く脱色したショートカットの少女が「じゃあ私から」と、前にピョンと出る。

 

「霧島マナです! みんなヨロシクね!」

 

その見た目通りの、快活な挨拶に、一部のノリの良い生徒が「よろしゅう!」などと声を上げる。

マナの話が終わると、利根川はもう1人の少女を促した。彼女は小さく「はい」と答え、スッと一歩を踏み出す。見た目からしてマナとはかなり対照的な少女だった。

 

「山岸マユミです。よろしくお願いします」

 

そう云って一礼するマユミは、フレームレスの丸眼鏡を掛け、長い黒髪を切り揃えており、楚々とした文学少女を思わせる。

 

 

転校生2人の自己紹介を聴き終えたシンジは、隣にの席に座るレイに顔を向ける。するとレイもまた、少年を見つめ返した。

 

「(こんな風に2人の世界創っちゃてねぇ?)」

 

そんなシンジとレイに、アスカは冷めた秋波を送りながら、修学旅行に思いを馳せている。

 

それ故に、エヴァパイロットの3人――特にシンジ――を、じっと見詰める霧島マナの視線に、その時は誰も気付かなかった。




数年前のストック分は約半分の1万文字くらい。残りはほぼ新規描き下ろしです(プロットはしっかり組んでましたが)。
また、気付かれた方もいると思いますが、徹底的に『2』と云う数字を意識しています。


アスカちゃんはスケベボディ
コレが原因で、R15タグの当話投稿前の事前追加を決意した。アスカのネタは当初は、加持→シンジの予定でしたが、3Pを観たいと云う感想があったので、一部の改良に性……成功しました。

ゲンドウ
ナイトキャップ着用派。

モビルニクス
アヴィオニクスの機動兵器版。クールなので結構好きな用語です。

62秒で~
言わずと知れたMa・ドーラ婆さんのパロディ。何気に40秒で出て来て元ネタ回収をしている。


イスラフェルの侵攻ルート
駿河湾(南西)で戦った奴が、何故か反対の強羅(東北東)から向かって来る?
整合性を持たせる為、グーグルマップと睨めっこです。


イスラフェルとの再戦
筆者的にかなりダブルオーを意識してます。武器などのネーミングとか。あとは一部のスポーツ用語などの多用ですね。
元のユニゾン作戦――と云うか、スパロボでいう合体武器名ユニゾンキック――の面影がほぼ無い。ただ一部の攻撃は、元の動きを参考にしています。
また地味にレイの――ついでにミサトも――見せ場を作ってます。分り易いですが、兵装ビルのナンバーは1桁自然数の2乗。


1.5(アイズ)システム
第2話から張って来た伏線を、やっと回収出来ました。名前の元ネタは当然1.5(アイズ)ガンダム。
イノベーターである必要なくね?(原文ママ)と米して2点付けたDummeは悔い改めよ

マナとマユミのW転校生(transfers)
最後の『2』は転校生。そして市外からやって来た新入者、即ちRaiderでもあります。


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