その鈴の音に恋をして (ふゆい)
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第一頁

 どうも。初めましての方もお久しぶりですの方も、よろしくです。ふゆいです。
 誰がヒロインのお話か楽しみにしている人もいるのでしょうか。タイトルで一発で分かります。僕の作品を以前読んで下さった方ならどんな感じになるか予想がつくかもしれません。時偶に砂糖吐きたくなる可能性(高)
 さてさて。そんなこんなで今回も、幻想郷の端っこでまったり恋愛。のんびりほんわか、でも不器用な恋愛譚。興味を持ってくれた人は、是非とも本編へお進みを。
 それでは。


 ――――シャンシャン、と鳴り響く鈴の音色で、僕はいつも目を覚ます。

 ほとんど毎日といっていいくらいの頻度で聞こえてくるその鈴の音が、僕の一日の始まりを告げる。普通なら起きるまでもいかない小さなさえずり。それでも、僕にとってはどんな騒音よりも意識を覚醒させる魔法の目覚まし。

 

『おじさーん! 倉鬼(くらき)起きてますかー?』

 

 部屋の外。玄関の方から聞こえてくる少女特有の甲高い声。僕の名を呼ぶその声に、自然と笑みが零れるのを自覚する。父の返事、靴を脱いでこちらへと近づいてくる足音。恒例となった一連の流れを頭の中で反芻しつつ布団を畳む。まだ寝巻のままだがそこまで問題はないだろう。彼女(・・)のことだ。たとえ僕が半裸でも今更気にすることもあるまい。

 トントントン、と階段を昇る音。布団を押し入れに仕舞い、部屋に常備しているお茶とお茶請けを卓袱台の上に準備。今日は彼女が好きな濡れ煎餅を用意してある。喜んでくれるといいのだけれど。

 そんな事を考えていると、襖が勢いよく開かれた。

 

「おーはよっ、くーらきっ!」

 

 弾けるような笑顔で部屋へと入ってくる小柄な少女。着物は紅色と薄紅色の市松模様に、若草色のスカート。飴色のふんわりとした髪を鈴がついた髪留めで二つに結んでいる。その柔らかな色合いと天真爛漫とした本人の雰囲気も相成って、どこか小動物を彷彿とさせるちんまりとした可愛らしい女の子。こう見えても齢は十五なのだが、とても年相応には見えない。寺子屋に通っていると言われても信じてしまいそうな程だ。

 彼女の名前は本居小鈴。人里で貸本屋【鈴奈庵】を営む一家の一人娘だ。

 小鈴はくりっとした目で僕を見ると、やや呆れたように溜息をつく。

 

「倉鬼ったら。もうお日様が真上に来ているのにこんな時間まで寝てるなんて」

「睡眠は人生で最も有意義な時間なんだよ、小鈴。それに、今日は僕の仕事も休みだからね。たまにはゆっくり寝て過ごすっていうのもいいかなと考えていたところさ」

「駄目よ。そんなカビカビした生活してちゃ。その内布団と同化してお布団の妖怪になっちゃうわ!」

「布団の妖怪か、それもいいかもしれないなぁ」

「なに呑気なこと言ってんの。ほら、そのボサボサした寝癖整えてあげるから、ちょっとそこに座って」

「もう座ってるけどね」

「つべこべ言わないのー」

 

 もう、と今日二度目になる溜息を吐く小鈴。腰に手を当ててやれやれと言わんばかりに肩を竦める姿はまるで弟に手を焼く世話好きな姉だ。僕との関係は正確には幼馴染になるのだろうけど、そういうのもいいなと思わないでもない。

 彼女に促されるままに、向い合わせに腰を下ろす。

 

「顔が赤いけど、大丈夫? 風邪でも引いた?」

「なんでもないよ。それより、髪をお願いします」

「はいはい」

 

 接近による内心の動揺を気取られるわけにはいかない。我ながら顔に出るなぁとは思うが、そこは言いくるめてどうにかしていこう。とにかく、今は平常心で身を任せるしかない。

 僕の言動に少し首を傾げる小鈴だったが、ほとんど毎回恒例の流れなので特に気にすることもなかったのだろう。櫛を手に取ると、予め洗面所から持ってきていたらしい水を張った洗面器を傍らに、僕の髪に触れ始めた。

 

「……ホント、男にしては柔らかい髪よねぇ」

「女々しいとはよく言われるけど、よもや髪まで女々しいなんてお笑いもいいところだけど」

「まぁ珍しくていいじゃない。こういうさらさらした髪の方が自慢の角も映えるでしょう?」

「半妖です、って宣言しているような角は自慢でも何でもないんだけどなぁ」

「そぉ? 私はカッコイイと思うけど。浪漫じゃない、角」

 

 小鈴がそっと僕の角に触れる。眉の上、額の辺りに生えた二本の小さな角。純粋な人間には存在するはずがない異形の証明。

 半妖。それが僕を示す種族だ。何の半妖かは後日説明することもあるだろうが、とにかく僕は半妖とかいう半端物なのである。人間でもなく妖怪でもない。どっちにもなりきれない中途半端な未熟者。人間と妖怪のどっちのコミュニティにも属さない僕は周囲に喜ばれるような存在ではない。それでも、僕がこうしてそれなりに生活していけるのは、味方してくれる方々、そしてなにより目の前でせっせと髪を整えてくれているちんまりとした少女のおかげだ。僕が半妖だと知りながらもまったく気にすることはなく、それどころか仲の良い友人として接してくれる本居小鈴。こんな僕にも笑顔を向けてくれる、優しい優しい貸本屋の娘。

 そんな彼女に、僕は――――

 

「ほら、終わったよ。うん、今日も完璧な仕上がりね」

「水で濡らして櫛入れただけだけど」

「やってもらってるくせに文句言わないの」

「うん。ありがとう小鈴」

「ふふん。もっと感謝してもいいわよ!」

 

 えっへん、とささやかな胸を張る。どこまでも純粋無垢な彼女を前にすると、色々考えている僕が馬鹿馬鹿しくなって、疲労が抜けていくのを感じた。癒し、リラックス。言い方、表現はさまざまあるだろうが、僕にとって本居小鈴という少女は一種の精神安定剤的な役割を担っていると言っても過言ではない。

 道具を軽く片付けると、濡れ煎餅を片手に二人して茶を嗜む。もう昼時らしいが、たまにはこうやってのんびりお茶をするのも悪くない。

 が、彼女はそもそも何やら用事があって僕の下を訪れたようで、濡れ煎餅とお茶に精神が敗北しかけていた所をなんとか持ち直すと勢いよくこちらに顔を向ける。

 

「って、こんなところで呑気に煎餅食べてる場合じゃないわ! そもそも今日は倉鬼に見せたいものがあって」

「えい」

 

 濡れ煎餅を口に差し込むと、抵抗せずにもきゅもきゅ咀嚼する小鈴。なんだこの可愛い生物は。

 

「ちょっ、倉鬼! だから今日は」

「ほい」

「……んくっ。見せたいものが」

「はい」

「んきゅっ。あるから、とにかく私の家に」

「ほれ」

「うぅぅぅ! 私の話聞きなさいよぉ……!」

「ごめんと言いたい」

「はっきり言えっ」

 

 言葉を遮って口にどんどん煎餅を詰め込んでいく。抵抗すればいいのに律儀に全部食べるもんだからいっこうに話が進まない。本人もそろそろどうにかしないといけない(というかたぶん口内の水分全部もってかれてる)ことに気が付いたのだろう。目の端に涙浮かべて上目遣いでぐるぐる唸っている。エロい。というか可愛い。変な性癖に目覚めそうになるくらい泣き顔が可愛い。

 もうちょっとだけ意地悪したくなったものの、さすがにこれ以上の蛮行はやりすぎであろうと判断。素直に頭を下げると、小鈴の話に耳を傾ける。

 

「それで、見せたいものというのは」

「ふふっ、聞いて驚きなさい倉鬼」

「えぇっ!?」

「早い! まだ何も明かしてない!」

「だって驚けって」

「聞いてからに決まってんでしょうが!」

 

 額に手刀食らった。痛い。

 

「能力、ってあるじゃない? ほら、貴方も持ってるみたいなやつ」

「あぁ、慧音先生の【歴史を食べる程度の能力】みたいな」

「そうそう。そういう能力について見せたいものがあるから、ちょっと今から私の家に来てほしいの」

「どういう展開かだいたい先が読めるけど、他でもない小鈴の頼みだ。僕は溜息と共に外出用の服を手に取ると、そそくさと着替えはじめた」

「小説風に語ってないで早く着替えなさい」

 

 冷静なツッコミが今だけは嬉しいよ、小鈴。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「さて、そんなわけで鈴奈庵へとやってきたわけだけど」

「なんで明後日の方向に顔向けて独り言言ってんの」

「気のせいじゃないかな」

 

 色々とマズイ会話を交わしながらも店内へと入っていく。

 人里でもそこそこ有名な貸本屋【鈴奈庵】。本の貸借だけでなく、販売や売却、果ては製本、印刷まで行っているというなかなかのハイスペックなお店だ。古本の品揃えもさることながら、この店がそれなりに有名になっている理由が一つ。「外の世界」から流れてくる【外来本】を取り扱っていることが挙げられる。

 幻想郷にはない技術で作られた外来本。しかも、その内容は独創的かつ斬新なものばかりだ。幻想郷では想像もできなかった技術が書かれた指南書が流れ着くこともあり、鈴奈庵は数いる知識人達の行きつけの店となっている。

 そんなこんなで鈴奈庵。店内に入っていくと、聞き覚えのある声が僕を出迎えてくれた。

 

「あれあれ、誰かと思えば倉鬼じゃない。今日も小鈴に引きずられてるの?」

「あぁ、誰かと思えばあっきゅんか。今日も小鈴に媚び売ってるのかい?」

「あら、そんなわけないでしょう? そっちこそ、小鈴を籠絡しようって画策しているのが見え見えよ?」

「あはは、何を言っているのかこのドチビは」

「うふふ、背が低いのはお互い様でしょうこのヘタレ野郎」

「あはははは」

「うふふふふ」

「ふ、二人ともなんか怖いわよ」

 

 紫色の髪をしたちびっこ(僕的判断)と静かに睨み合う。置いてけぼりを食らった小鈴が冷や汗流しながら何やら顔を引き攣らせているが、この件ももはや様式美となりつつあるので無駄に突っ込むような野暮なことはしなかった。うん、それが正しい。

 若草色の長着の上に黄色い着物。赤いスカートを身に纏うちんちくりん少女。その名は稗田阿求。ちびっこめいた外見からは考えられないが、人里では知らない者はいないとさえ言われる名家、稗田家当主その人である。阿礼乙女とも呼ばれる彼女は幻想郷の妖怪、人間、英雄について書き記されている【幻想郷縁起】を編纂する為にこの世に生を受けたという、考えようによっては選ばれし存在なのだ。色々制約もあるようなのでそこら辺はあまり触れないでおくが、妖怪からも人間からも一目置かれている女性だと言えば収まりもつくだろう。

 そんな阿求であるが、これまたどうしてか僕こと桂木倉鬼(かつらぎくらき)とは犬猿の仲である。きっかけが何であったかはうまく思い出せないが、とにもかくにも犬猿の仲なのである。顔を合わせれば威嚇と喧嘩を繰り返す、ある意味では一周回って仲が良いのではないかと錯覚するほどのいがみ相手。何故そんな二人が顔を合わせるのかと言われれば、互いの親友が他でもない本居小鈴だからに他ならない。まぁこれでも意外にうまく回っているから、怨敵だとしても許容する心の広さは重要なのだろう。

 

「なんか失礼なこと考えてるわね貴方」

「そんなことはない。僕はいつだって清廉潔白な考えしか持っていないことで有名なんだ」

「嘘おっしゃい。貴方の表情の変化ぐらい私が見逃すわけないでしょう。完全記憶能力舐めない方がいいわよ」

「怖い能力だね相変わらず」

 

 些細な変化すら見逃さない彼女の記憶力は相変わらず感嘆、驚嘆の言葉に尽きる。阿礼乙女が代々持つ能力、【一度見たものを忘れない程度の能力】だったろうか。便利な能力だとは思うが、よもやこのような形で活用されることもあろうとは思いもしなかった。というか、この能力が、僕がこの少女を苦手とする理由の一つでもある。そう、今まで何をしてきたかを阿求は完全に、それこそ写真を撮ったかのように鮮明に覚えているのだ。それを逐一報告されたり掘り返されたり。毎度毎度チクチクといびられる僕の気持ちにもなってほしい。おかげで下手なことができない。まったく大変迷惑な話だ。

 そんな幻想郷縁起編纂者との毎度お馴染み威嚇合戦もある程度の終結を見たところで、話を小鈴にシフトする。そういえば、能力がどうとか言っていた気がするが。

 

「そう、能力よ! その能力について見てもらいたいから二人を呼んだの!」

「幻想郷縁起編纂者として私が呼ばれたのは分かるけど、なんでそこの半妖が呼ばれたのかは甚だ理解に苦しむわね」

「なんだあっきゅん。僕がここにいちゃ不満なのか?」

「あっきゅん言うな。えぇ、おおいに不満だわ。悪い事は言わないから、できれば今すぐにそこの暖簾を潜ってお天道様の下で踊り狂ってくれないかしら、裸で」

「身ぐるみ剥いで竹林に放置してやろうかこのアマ」

「もー! 喧嘩してないで私の話を聞きなさいってばー!」

 

 ぐるぐると唸って睨み合う僕と阿求。このままでは話がまったく進まない。小鈴の制止を受けて仕方なく口を噤んでやる。ふん、命拾いしたなあっきゅん。僕の本気を見る前に仲裁されたことを末代まで感謝するがいいさ!

 心の中で互いに呪詛を唱えつつも、何やら数冊の本を店内カウンターから取り出す小鈴に視線を戻す。

 

「それって確か、お前が店の売り上げ勝手に使って仕入れたやつじゃ……」

「し、しーっ! 裏にお母さんまだいるんだから静かに!」

 

 だんまり決めこまないといけないような状況にしたのはどこのどいつだ。

 

「とにかく、この本について……というか、これに関係する能力が、ついに私に発現したのよ!」

 

 カウンターに置いた数冊の書物。その中から適当に一冊取り上げると、何故か満面の笑みを浮かべて興奮気味な様子の小鈴。彼女が抱きかかえている本の正体を知っている身としては、あっきゅん共々溜息をつくしかない。二人して目を合わせ、肩を竦める。

 

 ――――【妖魔本】

 

 普通とは違う危険要素たっぷりの本――――小鈴が笑顔で抱き締めている書物が、ずばりその一冊であった。

 

 

 

 

 

 



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第二頁

 妖魔本。

 主に妖怪が書いた本の事を示すのだが、その大半が人間には読めない文字で書かれてあるという。天狗の詫び証文とかいう具体例もあるが、その他にも魔導師向けの魔導書、妖怪が書いた古典など、とにかく人外めいた妖気、要素を兼ね備えた本の事を総称して妖魔本と呼ぶらしい。ちょっと前に小鈴が自慢げに語っていたからそれなりには知っているつもりだ。

 そんな妖魔本をカウンターの上に並べた小鈴は、その中の一冊を手に取るとぱらぱらと適当な頁を開く。

 

「倉鬼。一応聞いておくけど、貴方にはこの文字が読める?」

「読めないな。まぁ僕は半妖と言ってもほとんど人間と同じ暮らしをしてきたし、妖怪の文字なんて学ぶ機会は皆無だったからな。読めるわけがない」

「使えない半妖ね」

「記憶力しか能のないちびっこも読めないんだから同じだろ」

 

 本を開いて見せられるが、中に書かれてある文字を読み解くことはできそうにない。そもそも規則性さえ掴めないのだから至極当然ではあるのだが。人間社会で暮らしてきたはずの妖怪が自分達専用の文字を持っていることにも驚きであるけれど、どうせなら遺伝や相伝といった形で代々引き継いでくれれば便利なのになぁとは思う。

 そしてそして、毎度のことながらいちいち噛みついてくるあっきゅんも妖魔本を読むことはできないようで、編纂者としては悔しいのか何やら苦虫を噛み潰したような、僕的には非常に清々しい表情で妖魔本を睨みつけている。ざまぁみろ。痛い。殴られた。

 僕達が読めないことを確認した小鈴はどこか嬉しそうに、それでいて何かを期待するような顔で文字列の一つを指で示すと、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「『はぁ、あれあれ。今日も私の主人は我儘で横暴で粗暴で、世話が焼けることこの上ない。そのうえいちいち注文が多いわけだから、仕事が溜まってしまっててんてこまいだ。はぁ、どうして白面金毛九尾の私がこんな古いだけの妖怪の下でせかせか働かないといけないのか。理解に苦しむ』」

「……小鈴、アンタまさか」

「これはとある妖怪が書き記した日記みたいね。内容の大半は主人に対する愚痴で構成されているわ」

「だいたい予想はしていたが、まさかお前に発現した能力というのは」

「ご明察。【人には読めない文字が読める程度の能力】が、私の得た能力よ!」

 

 ずばーん! とかいう効果音が小鈴の背後にでかでかと表示される。みたいな気がした。実際に出たわけではない。さすがの僕もそこまで突拍子もない思考回路はしていない。いや、すべてを受け入れる幻想郷のことだ、もしかしたら効果音を表示する程度の能力とかいうけったいなものを持つ妖怪もいるのかもしれないが。

 それにしても、能力である。あのちみっこくてぴょんぴょこしていて可愛らしいだけだった小鈴が、ついに能力を得たのである。しかも誰にも読めない妖魔本を読み解くという珍しいにも程がある超激レア能力だ。大方予想はできていたが、実際に目の当たりにすると凄い。僕も一応は能力に分類される代物を持っている半妖もどきではあるが、比べるまでもなく希少だ。羨ましいと言ったらウソだけど。別段羨ましいとは思わない。本当だぞ!

 得意気につらつらと日記(白面金毛九尾とやら著)を読み進めていく小鈴。今思ったんだけど、密かに書いていた日記を人に入手された挙句、人前で大々的に朗読される著者本人の心労はいかほどのものなのだろうか。九尾、という種族名と家政婦的な立ち位置に心当たりがないでもないが、もしも予想が的中しているのならば彼女は今頃スキマ妖怪に八つ当たりという名の嫌がらせを行っている最中かもしれない。いや、もしかしたら賢者様の方がむしろこの光景を九尾に見せている可能性も否定できない。というか、そちらの方が可能性大だ。

 ご愁傷様です、と苦労人白面金毛九尾への同情を空へと放ったところで、興味津々に妖魔本を読み続けている小鈴を他所に、傍らで神妙な面持ちを浮かべているあっきゅんへと声をかける。

 

「あっきゅん的には、小鈴の能力をどう思う?」

「あっきゅん言うなっつうの。どう思うって、そりゃあ能力が発現するなんてことは本来あってはならないことだわ。しかも、小鈴は普通の人間なのよ? 私や咲夜さんみたいな例外や、魔理沙さんみたいな魔法使い見習いならともかくとして、喜んでいい事態じゃないわね」

「能力は自己申請ものだから何とも言えないとは思うんだけど、やっぱりやばいよなぁ」

「当然ね。しかもこの子の場合は危機感がないもの。好奇心の塊みたいな小鈴が興味本位で妖魔本から妖怪を復活させる怖れだって否定はできないわ」

「確かに、小鈴ならやりかねない」

「でしょ? もうっ、面倒くさいったらありゃしない」

 

 本当に傍迷惑だと言わんばかりに盛大な溜息をつくあっきゅんだが、彼女の心配は至極当然だ。本居小鈴という少女は世間一般で思われている以上にトラブルメイカーな節がある。基本的に己の好奇心に従って行動している彼女にとって、周囲にかかる迷惑とやらは二の次。自分の知識欲さえ満たせれば後は野となれ山となれとかいう傍迷惑な思考回路。かつて僕とあっきゅんが幾度となく騒動に巻き込まれて痛い目を見たのは記憶に新しい。

 「天狗が見たい」と言っては妖怪の山までの強行軍に巻き込まれ、哨戒天狗からの弾幕を喰らい。

 「キノコ図鑑を作りたい」と言っては魔法の森に足を運び、お腹を空かせた宵闇の妖怪に追われ。

 「釣りをしたい」と言っては霧の湖で妖精達の悪戯の標的にされた。

 今思い出せるだけでもこうしてぽんぽんと出てくるのだから、そのどうしようもなさが窺える。完全記憶能力持ちのあっきゅんにでも聞けばこの十倍以上は愚痴られるに違いない。それほどまでに、彼女のトラブルメイカーっプリは常軌を逸している。

 本来ならばその能力の危険性を小鈴に説き、無駄な使用は控えるように言い聞かせるべきなのだろう。一歩間違えれば大惨事になりかねない異能なんて、本来は使わないに越したことはない。

 だけど、僕の意見は違う。

 むー、と絶賛唸りんぐなあっきゅんの肩をポンとたたくと、僕はいつも通りのテキトーさで彼女に言った。

 

「確かに危険だけれど、まぁ、いいんじゃない? 小鈴が楽しくて、満足できるなら僕に異論はないよ。彼女が幸せだと思う選択肢を常に取りたいからさ」

「貴方って本当に大馬鹿ね……」

 

 む、馬鹿とは失礼な。僕は僕なりによく考えたうえでこういう意見を述べているんだぞ。たぶん。

 彼女の物言いに反論するも、華麗にスルー。しかしながら、どこか呆れたような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべると、何やら優しい視線を僕に向けるあっきゅん。

 

「でもまぁ、貴方はそういう人(・・・・・)だもんね。今から言って聞かせてもどうせ意見は変わらないんでしょ?」

「当然。僕の意思は揺るがない」

「でしょうね。知ってた。ったく、分かってはいたけれどもう少し予防はしたかったなぁ」

「大丈夫さ。いざとなったら僕が全力で小鈴を危機から遠ざけるから」

「分かってるわよ。私がどれだけ貴方の事を見てきたと思っているの? 貴方の人となりくらい誰よりも知っているつもりです。倉鬼が小鈴を危険に晒すなんてこと、絶対にしないってことくらい百も承知よ」

「よく御存知で」

「誠に不本意ながらね」

 

 そう言ってフン、と鼻を鳴らすあっきゅん。こういうところが、僕とあっきゅんの仲が良いのか悪いのかを分からなくさせているところなのだろう。僕達自身は正直互いを苦手としているし、小鈴を巡って敵対しているし、相手を天敵だと思っているのだが、周囲からの評価は仲良し三人組。誠に遺憾である。誰がこんな腹黒記憶少女と仲が良いのか、と声を荒げたい。でもまぁ、たまに意気投合することも無きにしも非ずなので、否定はできないかもしれないが。いや、否定しよう。違う! 断じて違う!

 なんか頭が無性にモヤモヤしたので八つ当たり気味にあっきゅんの髪を弄繰り回しておく。さらさらふわっとした素晴らしい質感の髪に手が埋まった。おぉ、なんかこれ気持ち良いぞ。新手の癒しアイテムか。

 

「ちょっ、やめなさいこの半妖!」

「凄いなあっきゅん。撫で心地抜群じゃないか」

「まず乙女の髪を無断で撫でているところに反論を申し立てたいのだけれど!」

「乙女? 誰が?」

「貴方を殺すわ。社会的に、今すぐに。過去の恥を一から十まで文々。新聞に掲載してもらうんだから!」

「割とマジでやめろ」

「アンタら二人さっきから何イチャついてんの……やるなら店の外でやってくれないかなぁ」

『誤解だ! 誰がこんな奴と!』

「仲良いわねぇ」

 

 ほむほむと何やら非常にウザったらしいあくどい笑みを浮かべながら僕達を眺める小鈴に、二人して全力の否定をぶつける。よりによって小鈴からそんな評価を得るなんて大変遺憾だ! というかやめて! 僕の気持ちを知らないばかりか踏み躙るのは本当にやめて!

 このままでは今後の進展が見られない。大体僕はそこまで口が達者な方ではないから、一度誤解が植えつけられてしまうと立て直すのに結構な時間がかかってしまう。もしかすると再建不可能なあたりまで行ってしまう可能性も否定できない。ここは口だけならば幻想郷屈指の実力の持ち主である九代目阿礼乙女にその手腕を奮ってもらうしかないだろう。

 咄嗟に隣に視線を飛ばし、彼女に攻撃の主導権を渡そうと試みる。

 

「小鈴のバカ! わ、私がこんな半妖風情と仲が良いなんて勘違いも良い所よ!」

「顔を赤くして言われても説得力ないなぁ」

「ああああ赤くないわ! これはちょっと体力を使いすぎて疲れが溜まっただけ!」

「またまたー。まぁ親友としては? 陰からこっそり応援する所存でございます所だけれど?」

「その無駄な気遣いをどうして正しい形で使えないの貴女は! もっと気づくべきタイミングと相手がいるでしょう!」

「おぅおぅ、愛いやつめ。よしよし」

「むっきゃぁああああああ!!」

 

 ……とてもではないが戦力になるような状況ではなかった。それどころか先程よりも事態が悪化しているような気がする。何をしているんだあっきゅん。今この場においては君だけが頼りなのに。何故僕以上にテンパったうえに僕以上にドツボに嵌っているんだあっきゅん。

 羞恥か憤怒か、はたまた他の理由が原因か。顔を真っ赤にして食い下がろうとするあっきゅんだったが、さすがにこれ以上は見ていられない。キャラ崩壊著しい幻想郷縁起編纂者を後方に対比させると、魔王コスズと相対する。

 

「まぁとりあえず聞いてくれよ小鈴。ご存知の通り、僕とあっきゅんは仇敵だ。天敵と言い換えても良い。そんな二人が仲が良いとか、イチャつくとか、そんな夢物語が存在するわけがないだろう?」

「あに言ってんのよ。互いに笑顔で頭撫でてたじゃない。それをイチャつくと言わずして何を言うの」

「あれは……アレだ。僕なりの精一杯の八つ当たりというやつだ」

「感情表現ヘタクソかアンタ」

「小鈴も知っているだろう? 僕は昔から何かと不器用で、いろんな物事が上手くいかないやつだって。今回もそれの一端さ。やましいことなんて一つもありゃしない。というか、こんな腹黒ロリ相手にやましい気持ちとか生えてたまるか」

「おい聞こえてるわよそこの半妖」

 

 何やら筆で頭を叩かれたが、気にしない方向で。

 

「というわけで、アレだ。僕とあっきゅんがどうこうとかは一切ないから、安心して僕とこれからも仲良くしてくれると嬉しい」

「幼馴染相手に今更何言ってんのよ倉鬼」

「いや、これはとても重要な問題なんだ。もしかすると僕の今後を左右する事態になりかねない。そう、つまりは分岐点なのさ。ここの選択次第で、僕の好感度が跳ね上がったりするぞ!」

「何よその意味不明な指数は」

「まぁとにかく、これ以上の弄りは不毛だと思うんだよ。あっきゅんもパンク寸前だし、ここは穏便にいかないか?」

「えー、どうしようかなぁ」

「……茶菓子奢るよ」

「彩セットでお願いね」

「お前それ一番高いやつじゃ」

「甘味楽しみだなー♪」

 

 ……くっそ、そんな露骨に嬉しそうな顔されると、反抗なんてできるわけないじゃないか。

 先程までの渋り様はどこへやら。ご褒美が確定して目を輝かせている小鈴に僕は肩を竦めながらも、それでも彼女を甘やかしてしまう自分に対して溜息をついた。はぁ、とことん馬鹿だなぁ僕も。

 

「貴方本当に大馬鹿ね」

「今自分でも再確認しているよ」

「……いろんな意味で大馬鹿者なのよ、倉鬼は」

 

 何やら不機嫌そうな様子で再び罵倒された。しかも倒置法とかいう手の込み様である。この女、僕に対して悪口を言う時だけはいつになく絶好調だな本当。

 いつものことだが、このまま不機嫌にしておくのも後味が悪い。ここは念のために機嫌を取っておくべきかもしれないか。

 

「そう怒るなってあっきゅん。あっきゅんにも彩セット奢るからさ」

「そんな褒美に釣られる程私は安い女じゃありません」

「そう言いながら僕の手を引っ張っている食い意地張った奴はどこのどいつだ」

「ほらー! 二人とも早く行くよー!」

 

 あっきゅんと小鈴の二人に手を引かれて、鈴奈庵を出る。今週は少々お財布的に厳しい生活を強いられることになりそうだ。

 

 

 

 

 

 



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第三頁

 お久しぶりです。ようやく色々とひと段落したので更新です。お待たせいたしました。


 幻想郷に住んでいる人妖の中で、【紅魔館】と言われてピンとこない人はおそらくは外来人くらいのものだろう。年がら年中霧に包まれた湖、そのほとりにでんと佇む真紅の館。建造した人は精神でも病んでいたのかと心配になるカラーリングをお持ちの西洋風の館が、その紅魔館とやらである。

 純日本系文化が主流の幻想郷に置いて、唯一と言っていい欧州文化の総本山。明らかに周囲とは浮いているその館を見上げながら、僕はぽつりとこんなことを呟いてみる。

 

「趣味わっる」

「それお嬢様の前で言ったら失血死不可避なんで絶対に言わない方が良いですよ」

「おや紅さん。今日も門番に精が出ますね」

「精も何もこれが仕事ですから。倉鬼さんもお変わりないようで何よりです」

「まぁ一応、無病息災だけが取り柄の半妖ですので」

 

 明らかに失言を漏らした僕をやんわりと諫めつつも、そのまま会話を続けてくれる中華風の衣装に身を包んだ長身の女性。名をば、紅美鈴となむ言いける。

 僕より頭一つ高いイケメェンな背丈と、武闘派らしく引き締まった肉体。そして常に絶えないニコニコとした美しい笑顔。幻想郷イケメンランキングを集計すればおそらくはぶっちぎりでトップを飾るであろう彼女は、ここ紅魔館における門番の役職を務めている。能力は【気を使う程度の能力】……とまぁ、色々と拡大解釈ができそうなふわっとした能力だ。先程僕と繰り広げていたふわふわ感まっしぐらな会話からも察してほしい。とにかく、常に当たり障りのないいたって良心的な妖怪だと言っておこう。

 紅さんは相も変わらず暇そうに門柱に身体を預けていたが、僕が門を潜ろうとすると不意に視線を遮るように目の前に佇む。

 

「はて、門前払いを喰らう覚えは無いのですが」

「そんなことしませんよ。せっかくなので館までご一緒させてくださいな」

「門番が門を離れるとは、業務放棄でしょっぴかれるのでは?」

「どーせ最初からガバガバな警備体制ですから、今更どーってことないですよ」

「十六夜さんから怒られても僕のせいにしないでくださいね」

「それは私の命運次第ってやつです」

「すっごく心配だ」

 

 飄々とした態度でのらりくらりと言葉を交わす僕と紅さん。この会話をせっかちな博麗御大辺りが聞けば「いいからさっさと必要最低限の話題だけ言いなさいよ!」とブチぎれること請け合いなのだが、そこは基本的にのらのらとした僕達である。無駄な会話こそ人生のスパイスであり、単刀直入なんてのはそれこそ人生の半分は損していると胸を張って言えよう。なお、本人に言うのはおそらく弾幕ぶつけられるので控えておく。博麗の巫女は怖いのだ。

 門から館まではそれなりに距離があり、その間には紅さんが世話をしているらしい花畑が並ぶ。相変わらず器用な人だ、と感心せざるを得ない。

 

「もっと褒めてもいいんですよ。えっへん」

「そう言われると褒めたくなくなるのが人間の性ですが、ここは大人しく賞賛の言葉を向けておきましょう。よっ、紅さん凄い! 流石! カッコイイ!」

「やーやー、それほどでもありますかね? ありますかね??」

「うっわ今ちょっとイラッとしましたよ僕」

「いやー、やっぱりできる女は違いますよねぇ」

「なんか調子に乗り始めた」

「何やってんのよ貴方達……」

「あ、噂をしてはいないけれど十六夜さん」

「何よその面倒くさい枕は」

 

 そんなくだらないやりとりをしている間にどうやら館についていたらしい。中から僕が来るのを窺っていたのか、既に扉を開けて待機していたらしいメイド服姿の女性。そこそこ若く、そこそこにも見えるが、以前年齢を聞いたところ無数のナイフで半殺しにされかけたので詳細は不明だ。人間の女怖い、とは同じく一緒にいた新聞屋な天狗の言葉である。あの時の射命丸さんは天狗とは思えない程に真っ青な顔をしていた。いやぁ懐かしい。

 

「いつの話をしているのよ倉鬼」

「いつの話でしたっけねぇ。ところで実際は二十歳の程を越えて――――」

「あら、前も言わなかったかしら? レディに対して年齢と化粧の話はご法度だって♪」

「すっかり忘れてはいなかったけれども、貴女の恐ろしさは身に染みて思い出しました十六夜さん」

「次言ったら問答無用でお嬢様のディナーに出すわよ」

「素直に怖い」

 

 瞬きすら許さない速度で喉元につきつけられたナイフに問答無用で本能が悲鳴を上げている。やはり余計なことは言うものではなかった、と何度目になるか分からない後悔。でもたぶん僕が彼女に対してこの絡みをやめることはおそらくはないだろう。人間弄れるところはどれだけの命の危機に瀕しても弄るものである。好奇心とはあな恐ろしや。

 相変わらず色々と人間離れした彼女のポテンシャルに恐怖すら覚えるが、僕は知っている。彼女が実は無類の小動物好きで、夜な夜なコレクションしたアルバムを眺めていることを。まさにギャップ萌えとはこのことよ、と言わんばかりの落差だが、そんなだから嫁の貰い手が見つからないんだとは声を大にして――――

 

「そんなだから嫁の貰い手が見つからないんですよ」

「もう許さないここで姿造りにしてやる!」

「さ、咲夜さん落ち着いて! いくら相手が倉鬼さんでも、さすがに殺しちゃうのはマズイですよ~!」

「えぇい離しなさい美鈴! この馬鹿は一刻も早く幻想郷から消滅させないと色々と危険なのよ! 主に妙齢少女の立場的な意味で!」

「自分で妙齢とか言ってたら世話ないですね」

「コロス!」

「倉鬼さんもいちいち煽らないでくださいー!」

 

 ギャースカ目を三角にしてナイフを片手に狂人化している十六夜さんと、彼女を必死に止める紅さん。普段は居眠りしまくる紅さんを十六夜さんが叱る光景ばかり見ているからか、こうして立場が逆になっているのを目の当たりにするのは新鮮味を感じる。小鈴とあっきゅんもたまにこういう感じの光景に発展したりはするが、ここまで激しい感じにはならない。体力的に。

 さてさて。本来ならここで従者二人組としばらく井戸端会議とでもしゃれ込んでもいいのだが、今回は残念ながら図書館に用事を持つ身だ。ここで無駄に体力を消費して読書中に寝てしまうのもよろしくない。ここは紅さんに任せて、半妖はさっさと屋敷の中にお邪魔させてもらうとしよう。

 

「紅さん。あでゅー」

「もぉ早く行って下さ~い!」

「待ちなさい倉鬼! せめて貴方の喉笛をかっ裂いて声帯を潰すまでは行かせないわよ!」

「端から端まで淑女っぽさの無い発言は本当に怖いからやめてほしい」

 

 この人本当に人間なのかたまにすっごく心配になる。吸血鬼になりましたとか告白されても微塵も違和感ないぞ。

 とにもかくにも、ドタバタ騒ぎに興じている二人に手を振り、心の中で紅さんに十字を切って冥福を祈りつつ、僕はふっかふかの赤絨毯に足を埋めながら目的の図書館へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「というわけでやってきました紅魔館内設図書館。いやー今日も今日とてどこか暗い雰囲気の絶えないスポットですね。それではまずはこの図書館の館長であるパチュリー=ノータイムさんにお話を伺いましょう。今日はよろしくお願いします」

「パチュリー=ノーレッジよ。人の名前を忙しない雰囲気に変貌させないでちょうだい」

「うん、相変わらずキレッキレだねパチュリー」

「誰よこのバカ入れた奴は……咲夜仕事しなさいよ……」

 

 顔を合わせるや否やゴミを見るかのような表情を向けてきた魔女にカウンターを喰らわせるのは桂木倉鬼の嗜みだ。やられっぱなしは性に合わない。

 ナイトキャップを被った全身紫色のこの少女。筋肉なんて微塵もないような体型しているくせに、胸だけは無駄に実っている変則的もやしっ子。名前はパチュリー=ノーレッジ。この図書館の主、と言うべき立場の魔女だ。性格的とか雰囲気という意味ではなく、正真正銘の魔女。白黒の魔法使いとは根本的な部分で違うが、説明が難しいのでとりあえず魔女だという事だけ覚えておいてもらいたい。

 パチュリーは心底気怠そうな表情で僕を睨むと、図書館の扉を指で示した。

 

「帰れ」

「図書館利用者に対して随分な物の言い方だな」

「私はこの図書館を一般開放した覚えはないわ」

「まぁまぁそんなに言うなよパチュリー。僕と君の仲だろ?」

「他人ですが何か?」

「普通に傷つく」

 

 眉一つ動かさない真顔で淡々と言うのは心にクるから是非とも勘弁してほしい。

 あからさまに不機嫌さをアピールしてくる引き篭もり系魔女からの視線をスルーしつつも、図書館の隅にある彼女の生活スペースに向かう。ベッドやら簡易キッチンやら食器棚が並ぶそこは図書館に本来あってはならない空間なのだが、無駄な移動を嫌うパチュリーが我儘を言って設置したのだ。出不精もそこまでいくとプロフェッショナルと言わざるを得ない。

 食器棚からティーカップを2セット取りながら、彼女に声をかける。

 

「レモンティーとミルクティー、どっちがいい?」

「……ミルクティー」

「あいあい」

「ミルク多めの砂糖マシマシ。それ以上は認めないわよ」

「分かってますよっと」

 

 ぶすっと不貞腐れた様子ながらも注文だけはしてくるのだから可愛らしい。というか、ここまで僕に好き勝手させときながらも最終的に追い出さない辺り、優しいよなぁとわりに思う。普段から小鈴に振り回されているせいか、パチュリーが相手だとつい振り回したくなるのだ。あまり周りにいないタイプだからだろうか。

 彼女の注文通りに作ったミルクティーを持ってテーブルへと向かう。ここの書物はパチュリーの魔法によってコーティングされているので、飲食をしても問題はない。魔法ってのはつくづく便利だ。

 

「ほいさ」

「…………小悪魔が淹れた方が美味しい」

「従者と比べるなよ」

「でもこっちの方が私の好みね。美味しすぎないって感じ」

「好きなのか嫌いなのか微妙だね」

「アンタのことは嫌いよ。うるさいし」

「そりゃどーも。僕はパチュリーのこと割と好きだけど」

「ふん……」

 

 ぷいっとそっぽを向いてカップを傾けるパチュリー。心なしか顔が赤らんでいるのは照れているからだろうか。相手が友人と言えど、こういうことを言われるのはやはり恥ずかしいらしい。魔女なんて百戦錬磨だろうに……初々しいやつだ。

 

(そういうところがずるいのよ……)

「ボソボソ何言ってんだよ」

「茶菓子が足りないわ。お茶を用意したならお菓子も用意するのが礼儀ってものでしょう?」

「客人にどこまで用意させるつもりだい?」

「勝手知ったる人の図書館で今更何言ってんの。いいから早く持ってきなさい。その間に何冊か見繕ってあげるから」

「お、それは願ってもない」

「なーにが願ってもないよ。毎度の事でしょーが。何が嬉しくて他人の恋愛指南書を私が探さないといけないのか……」

「恩に着ますぜパチュリー様」

「うっさい」

 

 ぴしゃっと言い放つとハンドサインで急かされる。本来部外者の僕にあちこち探らせていいのかと思わないでもないが、もう数年来の仲である。今更感は推して知るべし。腐れ縁とは斯くあるべきか。

 よいしょと年寄り臭い掛け声とともに腰を上げる。確か食器棚の引き出しに以前マーガトロイドさんから貰ったクッキーがあったはずだ。ミルクティーとかいう優雅な飲み物にはうってつけだろう。多少喉は乾くが、まぁ文句は言われまい。

 一応確認だけはしておこうと、彼女に視線を向ける。

 

「なぁパチュリー。お菓子はクッキーでも……」

「…………」

 

 何故かじぃっと僕の方を見つめていた。

 

「……パチュリー? 何見てるんだい?」

「なんでもないわよ」

 

 そう言い残すと重い腰を上げてすたすたと本棚の方へと歩いて行ってしまう。なんだったのだろうか。もしかしたら先程の十六夜さんとのドタバタで傷の一つでもついていたのかもしれない。だとしたらこれは恥ずかしい事態だ。身だしなみに疎い男は好かれない、と以前読んだ恋愛指南書にも書いてあったし。これは気を付けておかないと。

 とりあえず明日から手鏡を持ち歩くようにしよう、とどことなく思春期の少女染みた決意を新たに胸に秘める僕。女々しさフルスロットルだなと我ながら若干ヒいた。またあっきゅんの笑いの種になってしまうこと請け合いだが、小鈴に好かれるためには仕方がない。多少の犠牲は覚悟しておかないと、人生はそうそう甘いものではないのだから。

 そんなことを考えていると、背後からパタパタと足音が聞こえてきた。どうやら見繕い終えたらしい。コホンとわざとらしい咳込みも聞こえてくる。これはいけない。急いでお菓子を用意しよう。

 何やら視線を感じながらも、僕はキッチンにクッキーを取りに行った。

 

 

 ちなみに恋愛指南書の効果は、未だに出ていない。

 

 

 

 

 

 

 




 ヒロインが出ない謎。


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第四頁

 まさかの一日空き。


「無縁塚に行くわよ、倉鬼!」

 

 もう季節も夏に差しかかろうとする頃。そろそろ羽毛布団は暑いな、なんてことを考えながら惰眠を貪っていた僕であったが、突然部屋に押し入った侵入者によって布団を引っぺがされ、あろうことか前述のような台詞をぶつけられた始末である。その犯人は誰か。僕の寝室に無断で突撃してくるような輩の心当たりなんて一人しかいない。

 言わずもがな、僕の幼馴染本居小鈴である。

 どうせ親父あたりが進撃を許可したのだろう。人の安眠を妨げたにもかかわらず一切罪悪感を覚えていないような清々しい笑顔が実に眩しい。彼女が腰に手を当てて仁王立ちの構えをとると、髪留めの鈴がリンと存在を主張した。

 しかしながら僕はまだ眠いのだ。寝ていたいのだ。寝ぼけ眼をこすることでまだ眠いアピールを実行し、彼女のなけなしの良心に訴える戦法を取ってみる。

 

「あぁ、眠い。春眠暁を覚えずという諺を知らないのかい、小鈴?」

「もう初夏だけどね」

「それに、まだ日も低いじゃないか。お天道様がやる気を出していない以上、僕が活動を開始するわけにもいかないだろう?」

「それは西日よこのコンコンチキ! いいからさっさと起きろ寝坊助倉鬼!」

「あう」

 

 決死の善戦空しく、ついには布団から蹴り出される始末。とても友人に向かってやるような行いではない。これは訴訟ものだ。当方は睡眠二十時間の刑を求刑する!

 

「それ以上バカなこと言ってると阿求に頼んで過去の恥ずかしい体験談Ver倉鬼ベストテンを射命丸さんプロデュースで幻想郷中にばら撒くわよ」

「さぁて無縁塚に行くんだっけか? とりあえずご飯と支度を済ませたら早速向かおうじゃないか小鈴!」

「…………」

「おぉぅ。そんな家畜を見るような眼をしても僕はめげないぞ」

 

 見下されるのはパチュリーで慣れてる。

 外出用の服に着替えつつ、何気なく小鈴に話しかけてみる。

 

「それにしても、なんでまたこんな時間からわざわざ無縁塚に」

「ふふん。なんでってそりゃあ、逢魔時になると無縁塚には妖魔本が流れ着く可能性が超アップするのよ! これは妖魔本コレクターとしては見逃せないチャンスじゃない!」

「しかしなぁ。その時間帯は妖怪共が本領発揮するタイミングであって、決して安全とは言えない気がするんだけど」

「だから倉鬼に声をかけたんじゃない」

「キミの護衛をするためだけに布団から蹴り出されたのか僕は……」

 

 心の底から溜息をつく。この小娘はいったい何本危険な橋を渡り続ければ気が済むのだろうか。

 小鈴が名前を出した無縁塚。この場所は幻想郷の有名スポットの中でもトップクラスの危険度を誇る秘境だ。幻想郷縁起によると、その危険度はなんと極高。わざわざ説明するまでもないそんなデンジャラスな場所にあろうことか逢魔時に向かおうとしているのだからタチが悪い。

 無縁塚が危険な理由にはいくつもあるが、最大の要因は妖怪の出没率の高さだ。

 魔法の森の奥、その先に広がる再思の道を通ることで辿り着くのが無縁塚であるが、この場所ではどうしてか、幻想郷を覆う博麗大結界が緩んでしまっているらしい。ようするに、外の世界とつながりやすくなっているのだ。本来は隔絶されているはずの幻想郷と外の世界。その二つの世界が交わるこの場所には、外来人がよく迷い込む。その大多数が自殺志願者だったり、うつ病患者だったりするのだが、彼らは外来人であるゆえに妖怪への自衛の手段を持たない。僕達のように弾幕が撃てるわけでもなければ、逃走手段を持っているわけでもない、正真正銘の弱者。無縁塚には、そんな外来人を狙う妖怪達が潜んでいるのだ。表だって人間を喰らう程力を持つわけではないが、そんな雑魚妖怪も無力な獲物を相手にすれば脅威となりえる。

 本居小鈴が人間としてどちらの部類に属するか。そんなものは考えるまでもない。

 

「一応言っておくけれど、無縁塚は自衛の手段を持たない人間が遊びに行っていい場所じゃないんだよ? 本来は立ち入る事すら許可されない場所だ。それは分かっているのかい?」

「勿論。でも、妖魔本コレクターとして、ここで臆するわけにはいかないわ」

「そもそもその前の魔法の森でさえ、僕達にとっては危険な場所だ。昔ルーミアに喰われかけたことを忘れたのかい?」

「あの時は阿求が大泣きして大変だったわね」

「……小鈴。もう一度言うけれど、無縁塚は危険な場所なんだよ? もし死んじゃったりしたらどうするんだよ」

「…………」

 

 僕は続ける。制止の台詞を。これは友人として、そして幼馴染としての僕の言葉だ。彼女に危険な目に遭ってほしくないという、僕なりの気遣いだ。もしもこれで彼女が気を変えてくれるなら、忠告をやめるわけにはいかない。この相手がもしも阿求だったとしても、僕は変わらず彼女を止めていただろう。いくら腐れ縁で犬猿の仲だとしても、彼女も僕にとっては大切な友人だからだ。

 ――――でも、僕は心のどこかで分かっていた。

 僕の言葉に小鈴が顔を上げる。じぃっと真っ直ぐ眼を見つめ、その柔らかな唇をわずかに開く。

 そして、彼女は言った。

 

 

「でも、倉鬼が護ってくれるんでしょ?」

 

 

 

「――――――――」

 

 あぁ、ずるいな。

 そんな透き通った瞳で見られてしまっては――――

 そんな無垢に首を傾げられてしまっては――――

 そんな可愛らしい笑顔を向けられてしまっては――――

 

 これ以上、僕が彼女を止める理由がなくなってしまうじゃないか。

 

 

「……はぁ」

 

 再び大粒の溜息が零れる。そうだ、分かっていたんだ。昔から今まで、彼女に勝てたことなんて一度もなかったのだから。どうせ今回も彼女の思いつきに振り回されるなんて、最初から分かり切っていたことだったんだ。

 好きな人からの頼みを無碍にするなんて、僕には到底できっこないんだから。

 

「一刻だ」

「え?」

「提灯の持続時間にも限界がある。だから、最高でも一刻だよ。おそらくその辺りで日も暮れる。それ以上の探索は許可できない。後、絶対に一人で行動してはいけないよ。良いね?」

「うん! やったぁー! 倉鬼大好きー!!」

「はいはい。嬉しい嬉しい」

 

 溜息交じりで許可を出す。僕の同意を得られたのが相当嬉しいのか、無邪気に勢いよく抱き着いてくる我が愛しい幼馴染。こういうところもこの少女は卑怯だ。得したなんて考えてしまうじゃないか。

 ――――僕もつくづく馬鹿だよなぁ。

 今更何言ってんの、と頭の中であっきゅんとパチュリーが溜息をついた気がした。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「おや? これまた珍しい客人が来たものだ」

 

 魔法をの森を通った先、再思の道に入ろうとしたところで、僕と小鈴に声をかけてくる人物がいた。

 両手に金属の棒を持ち、鼠が入ったバスケットを尻尾に吊るしているその人は、確か……。

 

「ナズーリンさん、でしたっけ?」

「お、名前を覚えてもらえているというのは光栄だね。そ、命蓮寺の寅丸星の付き人、ナズーリンさんさ。そういう君は……うん、桂木、とかいったかな?」

「よくもまぁ、こんな小童半妖の名前を覚えているものですね」

「なぁに。半妖なんて数が知れているだろう? しかも人里に住んでいるといえば、風の噂でちょくちょく覚えるものさ」

「それは恐縮の限りで」

 

 頭に生えた鼠耳をぴょこぴょこしながら、どこか達感したような口調でそう言うナズーリンさん。寅丸星、というのは命蓮寺にいる毘沙門天様のことだっただろうか。聞いた話では毘沙門天代理らしいが、実際細かいことはどうでもいい。僕は別にあそこの信者というわけではないのだし。

 しかし、風の噂で僕の事を聞いたというが、果たしてその噂とは。そこまで胸を張れるような内容ではないことは分かるけれども。

 

「『鈴奈庵の一人娘にいつも尻に敷かれている情けない半妖がいる』ってもっぱらの噂だよ」

「……ちなみにその噂、発信源はどこですか?」

「うん? えっとね、私も星に聞いた話なんだが……確か、里の幻想郷縁起編纂者がどうとか言っていたような」

「あのチビっ子今度会ったら霧の湖に沈めてやる」

 

 相変わらず僕の悪評を立てることだけは誰よりも積極的な有力者に憤りが止まらない。そもそも尻に敷かれているわけではないし、そういう根も葉もない噂を立てられると僕自身がよわっちい立場だと誤認させてしまうことに繋がるではないか。今後もし小鈴とのゴールを迎えた場合、夫婦生活の力関係に左右してしまったらどう責任を取るつもりだ。まったく、許されない。

 とりあえず明日は稗田邸にカチ込もう、と心に決めつつも、ナズーリンさんとの会話を再開。

 

「そういえばナズーリンさんは、命蓮寺には住んでいないんですか?」

「ナズでいいよ。全部言うのは長いだろう?」

「それではナズさん、と」

「ふむ、まぁいいか。そうだね。私は星の部下兼監視役といった立場だから、別段聖のやつを信仰しているとかではないんだよ。だから、あんな堅苦しい寺に住むとかはないかな」

「堅苦しいって」

「間違ってはいないだろう? それに、ここら辺では変わったお宝が見つかるという話も聞いてね。ほら、私の能力はダウジングだからさ。宝探しはライフワークみたいな」

「え、じゃあ無縁塚に住んでるんですか」

「ここも慣れればいいところだよ」

 

 さらりと何気なく言うナズさんだが、無縁塚に住むのは常識では考えられない……いや、それは人間的な考え方であって、彼女みたいな妖怪からしてみれば普通のことなのか……? うーん、その辺は種族間価値観の相違があるだろうから、深く考えるのはよしておこう。

 そういえば、能力がダウジングとか言っていたけれど。

 

「どんなものでも探せるんですか?」

「ある程度のヴィジョンがあればね。探せないこともないよ」

「なるほど。ねぇ小鈴、だったらナズさんに妖魔本探しを手伝ってもらえばいいんじゃないかい?」

 

 当てもなく探すよりも、そういう能力に長けた人の助けを借りながら探した方が効率は間違いなく上がるだろう。ナズさんは結構強い妖怪だから、護衛としても申し分ない。これは願ってもない機会ではなかろうか。

 そんな考えの元、小鈴に声をかけたのだが。

 

「……小鈴?」

 

 先程まで僕の後ろでわくわくしながら待機していたはずの幼馴染。その姿が、忽然と消えていた。

 一瞬理解が追い付かなかった僕は、しばらくしてナズさんに向き直る。

 

「あの、ここにいたちっちゃい女の子は」

「君が連れていた鈴の子かい?」

「そ、そうです。大人しそうな見た目の」

「その子なら、私達が話している間に無縁塚の方に向かっていたけれど」

「え……?」

「待ちきれなかったんじゃないかな。彼女、どうにも周囲が見えていないような感じだったし」

 

 なんでもないように言われているが、僕は心臓の鼓動がやけに早くなっていくのを確かに感じていた。冷や汗が身体中に浮かぶ。

 まずい。まずいまずいまずいまずい!

 まだ完全に日が暮れているわけではないとしても、今は夕暮れ時。妖怪達が活発化する時間帯だ。しかも、ここは幻想郷内でもトップクラスの危険度を誇る無縁塚。戦闘力の欠片もない小鈴が一人で活動していいはずがない。

 気が付けば、僕は無縁塚に向かって駆けていた。さっきまで話していたナズさんなどまったく気にも留めず、一心不乱に。

 一刻も早く追いつかないと。その為に僕は、何一つの躊躇もなく()()()使()()()()

 

「倍速……!」

 

 ぐん、と風の音が大きくなる。さらに見えづらくなった視界をそのままに、僕は再思の道を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「もぅ。いつまでも喋ってるんだから……探す時間が減っちゃうじゃない」

 

 提灯で辺りを照らしながら、本居小鈴は不貞腐れたように頬を膨らませる。木々に囲まれた小さな空間。一般に無縁塚と呼ばれるその場所で、彼女は小さな明りで周囲を念入りに探索していた。

 本来は幼馴染の半妖と来ていたのだが、彼は世間話に夢中になっている。小鈴が見たことのない、おそらく妖怪であろう少女と。こちらのことなど気にも留めず話し込む彼の姿に、なんだか面白くない感情を少しではあるが感じてしまう。おそらくは、妖魔本を探す時間が削られていくことへの苛立ちだろうと彼女は解釈した。

 

「私との用事よりあんな妖怪との井戸端会議の方が大事なら、そのままずっと話し込んでればいいのよ」

 

 舌打ちと共に足元の石を蹴り飛ばす。どうにも虫の居所が悪い。さっさと妖魔本探しに没頭してしまおう。そうすれば、この妙な苛立ちも治まるはずだ。頭をガシガシと荒っぽく掻くと、再び周囲を照らす。

 その時、ふと不思議な風が吹いた。

 

「え?」

 

 今まで草一つ揺れてはいなかった空間に走る、一陣の風。どこか生暖かい妙な風に、小鈴は違和感を覚える。

 同時に、提灯の灯りが突然消えた。

 

「え、え!?」

 

 思わず声を上げながら周囲を見渡すが、木々に囲まれたそこに傾いた西日は届かない。日は暮れ切っていないとはいえ、時刻はもう遅い。灯りがない状態だと、視界は無いも同じだった。

 ざわ、と風が葉を揺らす音だけが小鈴の鼓膜を震わせる。五感の内一つを潰されただけでここまで恐怖は人を追い込むのかというほどに、小鈴の心臓が早鐘を打ち始める。

 やばい、と本能が訴えていた。頭の中で警鐘が鳴り続ける。早くこの場から逃げないと、とは思うものの、視界が見えないことに加えて恐怖で足が竦んでしまう。自らの意思とは無関係に、身体が動かない。動いて、くれない。

 

「さ、再思の道はどっち……?」

 

 慌てて逃げ道を探すものの、既に闇に覆われた空間で視界を確保するというのは至難の業だ。目が慣れるのにも時間を要する。

 ――――そして、状況はさらに小鈴を追いつめた。

 ガサッ、と。

 何かが草を踏むような音が、新たに現れる。

 

「ひっ!?」

 

 音が聞こえた方へ視線を向けるが、その姿を完全に捉えることはできない。ただ、それでも彼女は視認した。闇の中でもさらに目立つ、一際深い暗闇を。三メートルほどの大きさをした、巨大な塊を。満足に使えない視界の中で、明らかに異様な何かを彼女は感じた。

 その塊が、草を踏む音と共にこちらへ近づいてくる。

 グルグルと、獣が喉を鳴らすような声を伴って。

 

「あ……ぁ……!」

 

 ドサ、とその場に尻餅をついてしまう小鈴。立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったのか身体は震えるだけだ。力を入れようとはするものの、鉛のように重い身体は動かない。

 私のせいだ、と今更ながらに後悔する。彼のいう事を聞かず、一人で行動したから。無縁塚は危険な場所だと分かっていながら、迂闊な行動をとったから。罰が当たったのだ、と。

 塊は徐々に小鈴の方へと近づいてくる。もう自分にはどうすることでもできない。無力な人間は、このまま食べられるしか道はない。

 

『ニンゲン……ニンゲン……』

「ぁ……ぅ……」

『タベル……!』

「あぐぅ!?」

 

 地を這うような声。瞬間、凄まじい力によって小鈴の身体が持ち上げられる。片手で引っ掴むように宙に浮いた彼女の鼻を、獣の臭いが強く刺激した。吐き気を催すような、野生の激臭が。フーッフーッと荒い息遣いが至近距離から聞こえてくる。その距離はまさに目と鼻の先。

 身体を強く締め付けられ、呼吸が荒くなる。酸素をうまく取り込めない。徐々に意識が遠のく中、小鈴はとある人物の顔を思い浮かべていた。

 いつでも自分の事を心配してくれた、優しい幼馴染の顔を。

 

「くら、き……ごめん、ね……?」

 

 その言葉を最後に、ぐいと再び引き寄せられる。あぁ、今から自分は食べられるのだと本能で理解した。どうせ無理だとは思うものの、せめて安らかに死にたいとゆっくり目を閉じる。

 生暖かい息と共に、巨大な口を開くような動きを感じた。噛み砕かれ、咀嚼され、最終的には消化され。そんな最期を思い浮かべつつ、ゆっくりと。

 涙と共に、彼の名前を。

 

「くら……き……」

 

 死を覚悟した。すぐにやってくるであろう痛みを覚悟した。

 

 ――――が、彼女を襲った痛みは、想像とは違うものだった。

 

 ザン! と。

 肉を無理矢理引き千切るような音が小鈴の耳をうつ。違和感を覚えた時には、腰を何かに打ち付けたような痛みが走っていた。同時に、けたたましい悲鳴のような咆哮が無縁塚に木霊する。

 いったい何が。目も地味に慣れてきた彼女は、痛む腰を擦りつつもゆっくりと視線を上げる。

 

「ぁ……」

 

 思わず、気の抜けた声を漏らす。

 そこには、彼がいた。

 頭に二本の小さな角を生やした、半妖の彼が。いつも自分の隣にいてくれた、優しい優しい幼馴染が。

 小鈴に背を向けたまま、彼は言う。自分より何倍も大きな敵に対して、堂々と。

 

「僕の小鈴に……手を、出すな」

 

 ――――あぁ、もう大丈夫だ。

 いつかの記憶が蘇る。今まで何度も、危険な目に会う度に自分を救ってくれたヒーロー。彼はどんな時も、必ず小鈴を助けてくれた。どれだけ離れていても、絶対に駆けつけてくれた。

 ふ、と再び意識が遠のく。緊張から解放されたせいか、はたまた彼が来てくれた安心感からか。意思とは無関係に意識が闇の奥へと落ちていく。

 それでも、不安は無かった。

 だって。

 

(倉鬼が私の前で負けたことなんて、一回もないんだから)

 

 絶対的な信頼と共に、本居小鈴は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 




 ちょっとだけ続く。


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第五頁

 お待たせいたしました。第五頁でございます。


『僕なんかに関わると、ロクなことはないよ』

 

 ()はかつて、傷だらけの身体を隠すことなく、悲しみに溢れた瞳で私を見つめながらそう言った。頭に生えた二本の小さな角。私達人間にはない、明らかに人外である特徴を持った彼は、口元だけは微笑みながらも、その奥に悲壮感を湛えた表情で私に警告を行った。それは彼なりの気遣いで、彼なりの優しさだったのだろう、と今になって分かる。

 だけど、私は。

 当時の私はまだ子供で、そんな気遣いなんてものは知らなくて。自分を犠牲にして思ってもいないようなことを言う不器用な半妖に対して、何一つの遠慮なしにこう言い放ってやったことを覚えている。

 思い切りのいい平手打ちを一つ、呆けたようにこちらを見上げる彼に向けて、腹の底から。

 そう、その台詞は、確か――――

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「いつまで寝てんのよ、この寝坊助騒動娘」

「あいたっ」

 

 ぺちっと額を叩かれる痛みで咄嗟に目が覚めた。手で押さえつつ視線を動かすと、あからさまな呆れた表情で私を見下ろす親友の姿。辺りを見渡せばそこは見覚えのある広い和室。どうやら私は今、稗田家の一室にて目を覚ましたらしい。

 どうして私は今ここにいるのか。未だはっきりとしない意識の中で、なんとか直前の記憶を呼び戻す。私は確か、倉鬼と共に無縁塚に言って、妖魔本を探していて……。

 

「……あ」

「思い出した? この馬鹿」

「思い出したけど、さっきから呼び方が辛辣すぎない?」

「むしろ呼び方の変化くらいで済んでいることを光栄に思いなさい。私がもう少し幼かったら、アンタのことぶん殴ってるわよ」

「あー、うん、まぁ……確かに」

「事の重大さを分かっているなら、少しばかり私の御説教に付き合いなさい」

「はい……」

 

 冗談めかした言い方ではあるものの、内心めっちゃ怒っているであろう阿求の迫力は凄まじいものがある。日頃から倉鬼に対して説教ばかり行っている幼馴染ではあるが、今回はその例にも増して怒っているようだ。それもそうだろう。私の今回の失態は、倉鬼と仲が悪い(自称)彼女からしても許されるはずのないものであるのだから。彼と私の幼馴染として、そして幻想郷の人間を守る立場の稗田家当主として、彼女の行いはなんら間違ったものではない。

 阿求は世話係のお姉さんにお茶菓子を頼むと席を外させ、改まって私の方に向き直る。

 

「……そういえば、なんでそんな髪が濡れてるの阿求」

「あの糞馬鹿半妖野郎に霧の湖に投げ捨てられた」

「えぇ……?」

 

 あまりにも突拍子が無さ過ぎて一瞬冗談かと思ったが、彼女の忌々しげな表情を見て真実だと悟った。倉鬼と阿求が喧嘩するのはいつもの事だけれど、身体の弱い彼女を泉にぶち込むとは……余程のことが彼女達の間で起こったのだろう。二人の仲はたまに私には分からないものがある。

 コホン、と咳払いを一つ。

 

「まず状況を確認しておくけれど、あの半妖は今永遠亭に入院しているわ。というか、搬送されたっていうのが正しい説明かもね」

「は、搬送!? な、なんで倉鬼が……」

「日頃使わないくせに無理して限界以上の能力使ったからよ。下級妖怪倒すために五倍速までチカラ跳ね上げたせいで身体が耐え切れずに入院中。ま、しばらくは安静ね」

「命に別状とかは……」

「それはないらしいわよ? まぁアイツは腐っても妖怪だし、回復力だけは人並み外れたってところかしらね」

「よかった……」

 

 大事はないということを聞き、不謹慎ながらも安堵してしまう。十中八九私のせいだとはいえ、彼が無事であるのは幼馴染として素直に嬉しい。もし彼に何かあっていれば、このまま正気でいられたかどうか定かではない。あぁ見えても大切な幼馴染だ、無事で何よりである。

 安心感から溜息をつく私を見やると、一瞬微笑ましい表情を浮かべながらも顔を引き締めて空気を戻す。

 

「確かに、今回は倉鬼もアンタも無事だった。それは素直に喜ぶべきことでしょう」

「う、うん……」

「でもね、小鈴。それは今回襲ってきた妖怪がたまたま下級妖怪で、たまたま倉鬼が間に合って、たまたま近くにナズーリンさんがいたから助かったようなもの。言ってしまえば、奇跡みたいなものね。偶然に偶然が重なって奇跡的に生還できただけ。もしまた今回のような事態が起これば……もし歯車が一つでも噛み合わなかったら、アンタ達のどちらかは死んでいたかもしれないの。それは分かる?」

 

 阿求の問いかけに、気圧されながらも頷く。

 反論の余地はない。その通りだ。現に今回でさえ私は死にかけた。妖怪に自由を奪われ、命を刈り取られる寸前まで追い詰められていた。実際、倉鬼が仮に一瞬でも遅れていれば、私は間違いなく三途の川に直送されていただろう。いくら相手が下級妖怪であろうが、私はか弱い人間でしかない。能力が発現したとはいえ、戦闘力はゼロにも等しい弱者にしかなりえない。

 幻想郷は全てを受け入れるが、同時に全てを拒絶する。

 妖怪が幻想郷の主導権を握る限り、私達人間に許された役割は彼らを畏怖することだけだ。私達が妖怪を恐れるからこそ彼らは存在できる。外の世界で生きられなくなった妖怪達を生存させる機構。それは私のような無力な人間の存在価値。妖怪の気まぐれで一瞬で命を落とすような、よわっちい存在。

 倉鬼がいなければ、まず間違いなく死んでいた。

 

「そして、その事実を分かっていながら、アンタはあまりにも無鉄砲が過ぎるわ。いくら護衛役のアイツがついているからって、好奇心だけで許される範疇を越えている。はっきり言って、自殺行為としか思えない」

「う……」

「妖魔本に関してもそうよ。博麗霊夢という調停役(ストッパー)がいるから、彼女が解決してくれるから少々無茶をしても大丈夫。それで周囲に迷惑をかけても自分さえよければ気にしない。少しでも道を誤ればすぐに崩壊してしまうような危ない橋を、周りを巻き込みながら走っていく。そういう騒動起爆剤(トラブルメイカー)だという自覚が、果たして今のアンタにあるのかしら?」

「……たまにやりすぎちゃうなって自覚はあるよ」

「でも、それを直そうとはしない。それは今までアンタの近しい人が致命的な被害に遭っていないから、でしょう?」

「それは……」

「もし今回の騒動で倉鬼が死んでいたらどうしていたかしら? もしそうなった時、アンタは『やりすぎた』って反省するだけで済んでいたのかしら?」

「…………」

「失った者は取り戻せない。だからそうならないように善処する。それが常識ある人間のやることよ」

 

 少し厳しいようにも聞こえる阿求の言葉だが、冷静になって考えると正論極まりない。

 昔から、落ち着きのない子だとよく言われてきた。何かある度に好奇心に従って倉鬼や阿求を連れまわし、いろんな所へ探検に出かけていた。幻想郷縁起の中で危険地帯とされている場所にさえ、満足な護衛を連れていくこともせず。当時は何とも思っていなかったが、今になって考えると相当無謀な行為だ。自殺行為、と揶揄されても文句は言えない程の愚行。

 そして、私がそれほどの無茶を繰り返してきたのは、心の中で「なんだかんだ大丈夫」という甘えた考えがあったからではないだろうか。どれほど無謀を重ねようと、想像を超える酷い事態にはならないと。

 どうせ倉鬼が死ぬわけがない、と。タカをくくっていたから。

 

「……倉鬼、怒ってた?」

「私の知ってるあの半妖は、アンタがどんだけ無茶しようと怒らないわよ」

「阿求は、怒ってるよね?」

「当たり前でしょ。アイツが怒らないからその分私が叱らなくちゃ。甘やかしてばっかりだとアンタ調子乗るし」

「……ごめんなさい」

「珍しく本気で謝ったわね。でも、本当に謝るべきは私じゃなくて他にいるでしょ? アンタが少しでも自分の行いを反省して、謝りたいと思ったなら、さ。真っ先に謝るべき相手が、一人いるんじゃない?」

「阿求……」

「無理無茶無謀はアンタの根っこだから、すぐに変えろとは言わないわ。そんな簡単に内面を変えられるなら、人間苦労しないし。……だから、今回アイツを傷つけたことで少しでも反省したのなら、次回以降気をつけなさい。アンタの無謀で時には痛い目を見る奴がいるってことを、心の隅にでも刻んでおきなさい」

 

 そう言うと阿求は立ち上がり、部屋の襖を開けて廊下へと出て行こうとする。

 

「茶菓子の準備が遅いみたい。私は様子を見てくるから、アンタはどっかで暇でも潰しておきなさい」

「……素直じゃないね、阿求は」

「うっさい馬鹿娘。とやかく言ってないでさっさと倉鬼に頭下げて来なさいっての」

「……ありがと、阿求」

「ふん。礼を言うくらいなら迷惑かけないでほしいわね」

 

 嫌味を零しながらも、柔らかい笑みを残して部屋を後にする阿求。昔から変わらず私を諫めてくれる、かけがえのない親友。倉鬼とはまた違った意味で、私にとっては失くしたくない大切な人達。

 ありがとう、と消えた背中に投げかけて布団から出る。枕元に置かれていたいつもの服に着替えると、髪を整えてから稗田家を後にする。向かうは倉鬼が待つ永遠亭。しかし、そこに辿り着くには妖怪がひしめく迷いの竹林を通って行かないといけない。だからまずは慧音先生の家に寄ろう。危険は少なく、最小限に。彼に迷惑をかけない為にも、できるところから。いつもならばおそらくは一人でも永遠亭に向かっていただろうが、それでは駄目だ。私が自分から成長しないと、また彼や阿求に迷惑をかけてしまう。それじゃあ昔と変わらない。今回阿求に怒られたことや倉鬼を傷つけてしまったことから、一つでも多く学ぶのが私の仕事なのだから。

 お気に入りの鈴をリンと鳴らしながら、慧音先生の家へと走り出す。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

『そんなの、どんとこいってやつよ!』

 

 自らと関わることをやめさせようとする彼に対し、かつての私が放った言葉はそんな感じだった。今思えば無責任にも思えるその台詞。しかし、当時の私は非日常に憧れる夢見る少女で。艱難辛苦にぶち当たることを危惧する彼の存在は、むしろ騒動起爆剤として私の心に火をつけた。

 他人を傷つけたくないから、と周囲を拒絶する彼の姿は、私にとっては到底受けいれられるものではなかった。同時に、そんなよわっちい姿を見せる彼自身を許すことができなかった。

 他人に迷惑をかけるくらい、なんだというのだ。むしろ友達なら迷惑をかけてナンボというものだろう。

 当時の自分はどこまでも純粋で子供だったから、そんな考えしか頭になかったのだ。迷惑をかけようがそれは仕方のないことで、私だろうが彼だろうが遠慮することはない。一歩間違えればどうなるかなんて考えもせず、ただ目先の事だけを見ていた私は無責任にもそんなことを言っていた。

 だけど、そんな気持ちで放った言葉が……よく考えもしないでぶつけた台詞が、どうやら当時の彼には届いてしまったらしい。

 きょとんとした顔で私を見ていた彼はさらに呆気にとられたように口をあんぐり開けると、信じられないと言わんばかりに目をパチパチとさせていた。しばらくして頭の理解が追い付くと……我慢が出来なくなったのか、目を細めて息を吹き出す。

 それはまるで、今まで溜めていた孤独感や悲壮感といった感情を吐き出すかのように。

 

『キミは本当に……僕みたいな疫病神と友達になってくれるのかい?』

『むしろ友達になろうよ。貴方と一緒にいて騒動が起こるなら、それは逆に願ったりだわ』

『変な人だね、キミは……』

『生憎と、平々凡々な生活には飽き飽きしている身だからね』

 

 そう言って笑みを浮かべる。今まで他人の温もりを味わったことがないであろう、孤独な半妖に向けて。幼いながらも、目一杯の感情を込めた笑顔を、彼へ。

 ――――その時倉鬼が浮かべた表情を、未だに私は忘れない。

 

『……参ったな。これじゃあ拒否する理由がなくなってしまった』

 

 内心複雑そうに、それでいてどこか嬉しそうに。髪をがしがしと掻きながらも、隠せない笑みを誤魔化そうと。視線をあちこちに泳がせる彼は、なんでかとても可愛らしくて。

 しばらく虚空を見やった後、彼は――――

 

『それじゃあ僕はキミを守るよ。僕のせいで騒動に巻き込まれて危険な目に遭うだろうキミを、僕は全力をもって……総力を挙げて、守り抜くことを誓うよ。……新しい、初めての僕の友達を、絶対に守るよ』

 

 不器用な、不格好な。それでも彼なりの精一杯の笑顔を浮かべて。誠心誠意の感謝と共に。

 私の手を固く握り、両目の端に涙を溜めながらも、確かな微笑みを向けてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 




 主人公不在。


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第六頁

 調子がいい。


「と、とりあえず果物の詰め合わせと暇つぶし用の本各種、それと厄払い用にこしらえた厄除け魔符を……」

「パチェ?」

「ひぁっ!?」

 

 不意に背後から話しかけられ、普段の冷静さからは想像もできないような素っ頓狂な声を上げてしまう。いつもならば監視用に結界を張っているのだが、出かける直前だからか解いてしまっていたのが災いした。それと、精神的に緊張しているのが原因だろう。私の痴態にクスクスと腹立たしくほくそ笑んでいる小悪魔に強めの火球をぶつけると、なんとか平生を保った状態で声をかけてきた親友の方を向く。

 

「あらレミィじゃない。図書館に用事かしら? 残念だけど、私は今から出かけるところよ?」

「いやもうほんとそういうのいいから。エロ本読んでる最中に母親が部屋に入ってきてなんとか誤魔化そうとする思春期男子みたいな反応した後にそんな冷静にされても、こっちも困るから」

「ななななんのことかしら。私は幻想郷一の魔女。ちょっとやそっとのことじゃ驚かないことで有名よ」

「大人しく認めないならアンタが天狗からまとめ買いした桂木の写真集の存在を人里に広めるわよ」

「ぐ……レミィ、どこまでも鬼のような女ッッッ……!」

「吸血鬼だもの」

 

 はぁ、と呆れたような溜息を一つ、近くにあった椅子に腰を下ろすレミィ。背中の羽をパタパタさせているのが可愛らしいが、その正体は泣く子も黙る吸血鬼。しかもここ紅魔館の当主と言えば、幻想郷でも指折りの実力者だ。幼子のような見た目とは裏腹に、夜の帝王の名に恥じない力を持った西洋妖怪。私ことパチュリー=ノーレッジの親友でもある。腐れ縁、とも言うが。

 そんな唯一無二の親友は再び肩を竦めると、気怠そうに頬杖を突いて、

 

「べっつになんでもいいんだけどさー。生娘でもあるまいし、そんな恋する少女みたいな初心な反応するのやめてよねー。アンタ今実年齢何歳よ」

「言わないわよ! 後、そんな初心な反応してないし!」

「お見舞いに行くってだけで前日から念入りに準備して、なおかつ出発直前になってもウダウダ確認作業やってるってところがもうどうしようもないくらい乙女じゃないか」

「こ、これは一流の魔女として落ち度がないか確認しているの! べっ、別に、倉鬼に失望されないように万全を期しているとか、そういうんじゃないんだから!」

「…………」

「……なによ」

 

 なんかもうこれ以上ないくらい苦虫を噛み潰した……というか、角砂糖をダース単位で咀嚼しているような何とも言えない顔でレミィが見つめてくる。十中八九私にとって面白くないことを考えている顔だ。長い期間を共に過ごしてきたのだ、表情の変化で何を考えているかくらいは経験で察せる。おかげで隠し事ができないという難点もあるが。

 ジト目、と表現するのが正しいだろう表情で私を見たまま、完全に馬鹿にした声で彼女は言った。

 

「いやさ、もうなんかそこまで露骨にツンデレテンプレートな台詞を吐かれると、私としては甘ったるさで灰になりそうなんだが……」

「違うッッッ! 勘違いしてんじゃないわよっ」

「小悪魔はどう思う?」

「さっさと爆発しろこの脳内ピンク色クソもやしって思ってます」

「日符! 【ロイヤルフレア】ァアアアアア!!」

 

 あまりにも失礼千万かつ傍迷惑な勘違いをし続ける旧友と配下にブチ切れた私の猛攻は、心配して駆けつけた咲夜に止められるまで続いた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 ひたすらに面倒くさい騒動があったものの、用意した荷物を付添いの美鈴に持たせて永遠亭へと向かう。ちなみに何故美鈴が付いてきているかというと、私の体力を心配したレミィからの命令だ。一人で行ってもよかったのだが、確かに見舞い品を持った状態で永遠亭までの距離を歩くのは少々しんどい。ここは素直に彼女の気遣いに感謝しておくところだろう。……それ以外の点でムカつくところが多すぎるのが難点だが。

 

「ったく、あのクソ吸血鬼……根も葉もないこと言ってんじゃないわよ……」

「根と葉どころかしっかり花も咲いているような気はしますけど」

「なによ美鈴。アンタもそういうこと言う訳?」

「私は空気を読むことで有名な妖怪ですけど、パチュリー様のは露骨ですからねぇ」

「ぐ……」

 

 レミィや小悪魔に言われるのは癪ではあるが、紅魔館一常識人の美鈴に言われてしまうとうまく反論できない。「気を読む」という能力ではあるが、彼女は性格上あまり贔屓目な、偏った意見はしない。必要最低限の場合を除き、なるたけ公正な立場から見たそのままの考えを述べる傾向にある。そんな美鈴からの意見だったから、いまいち反論がしづらくなってしまうのだ。彼女から見ても、私はそんな感じなのか。

 自分自身としては色恋沙汰がどうこうとかいう気持ちは……ないことはないが、そこまで露骨に出している自覚はない。自分で言うのもアレな話だけれど、こう見えてそれなりの年月を生きている身である。今更恋愛一つでキャーキャー言うような生娘では……、

 

「ない、はずなんだけどなぁ」

「パチュリー様?」

「うぅん、なんでもないの。気にしないで」

 

 ぽつと零した私の呟きにすかさず反応するフォロワー精神旺盛な美鈴を誤魔化すと、内心安堵と呆れの混じった溜息をつく。どうにも本調子ではない。というか、桂木倉鬼が関わった話になるとどうしても調子が狂う。何を話すにも、常に彼を基準に考えてしまう私がいた。

 齢二十にも満たない半人前以下の半妖を相手に何を年甲斐もないことを、とは自分でも思う。そして、それはレミィにも常日頃言われていることだ。魔女になり人間をやめた私が今更色恋沙汰にうつつを抜かすなんて、笑い話にも程がある。

 でも、だけど。

 

「……ねぇ、美鈴」

「なんですか?」

「今の私は、アンタから見ても滑稽かしら?」

「すごい質問ですね」

 

 私の突拍子もない問いかけに苦笑を浮かべながらも、彼女なりの答えを考えてくれているらしい美鈴。普段はおちゃらけているくせに、こういう時だけ真面目に取り合ってくれるのだからタチが悪い。美鈴が色々な人から好かれている理由の一つを垣間見た気がする。

 一分ほど首を捻った後、彼女はこちらへ向き直ると、

 

「滑稽ですけど、今までに見たことがないくらい生き生きしていると思いますよ、私は」

「何よソレ。結局滑稽なんじゃない」

「たはは。まぁでも滑稽なくらいが丁度いいんじゃないですか? 無駄に肩肘張って空回りして……恋愛ってそういうもんだと思いますけどねぇ」

「やけに説得力のあるアドバイスね。経験者?」

「年の功、ってやつですよ。これでもそれなりに長生きしてますからね。人生相談ならこの紅美鈴にお任せあれ」

 

 そう言いながら「ハイヤー」とわざとらしく中国拳法のポーズを決める。気負った様子の私を案じて、あえてふざけた返答をしているであろうことは容易に理解できた。つくづく空気の読める妖怪である。彼女の飄々さには敵わないな、と敗北宣言代わりに笑いが零れた。

 そんな事を話していると、迷いの竹林も終盤に差し掛かったようだ。目を凝らすと、竹林の隙間に大きな武家屋敷のような外観の建物がお目見えする。月の住人である蓬莱山輝夜とその仲間達が住まう本拠地、永遠亭だ。人を寄せ付けないような場所に建っているというのに幻想郷一の技術力を持った病院だというのだから、あの宇宙人共が考えることはよく分からない。もっと開けた場所に住めばいいのに。

 そして、あの場所に現在倉鬼が入院している。なんでも怪我の原因は下級妖怪との戦闘らしいが……おおかた鈴奈庵の一人娘を庇って無理をしたのだろう。自分から争いを起こすことを好まない彼が戦闘で怪我をする理由なんてそれくらいしか思いつかない。弱いくせに無理をして……と呆れる反面、無条件で庇ってもらえる本居小鈴に少しばかり嫉妬してしまう。私ももう少しか弱ければ彼に守ってもらえたりするのだろうか……。

 と、そこまで考えたところで首を振り煩悩を霧散させる。私は本居小鈴ではない。彼女と同じ扱いを望むのは、そもそもからお門違いというやつだ。私は『パチュリー=ノーレッジ』という私だけの枠で戦っていかなければならないのだから。

 

「戦うって、そんな物騒な……」

「それくらいの覚悟が必要なのよ。そもそも文学少女が三人も被っているのだから、キャラ立ては最優先案件だわ。本居小鈴といい稗田阿求といい、私とキャラ被ってるんじゃないわよ!」

「うわぁおこれ以上ないくらい逆恨みだぁ」

「真の文学少女は私だ!」

「そしてよりにもよって被っている方のキャラを推していくんですね! パチュリー様見かけによらず意外にも強引だった!」

 

 自分でもよく分からない程に闘志を燃やす。空気が読める美鈴が何やらひたすらにツッコミを繰り返していたが、今の私にはどうでもよい事だった。とにかく万全を期して倉鬼のお見舞いに向かう。それだけが現在の私に許された目標であり、試練だ。落ち度は見せられない。常に余裕綽々、優雅なパチュリー=ノーレッジを倉鬼にお届けしなければならぬ。

 

「倉鬼さんに会う度に手玉に取られまくって微塵も余裕がない貴女がそれを言いますか」

「美鈴うっさい。あれは倉鬼のレベルに合わせてあげているだけ。あえてよ、あえて」

「その割には毎度毎度顔真っ赤にして乙女みたいな表情浮かべているような気もするんですけど、ここは黙って口を噤んでおきますね」

「館に帰ったらそのお喋りな口を二度と開けられないように門と一体化させてあげるわ」

「非人道的行為反対!」

「妖怪の台詞じゃないわよ、それ」

 

 そんな事を言いながら少々お喋りが過ぎた生意気門番の尻を蹴っ飛ばす。この子といい小悪魔といい、紅魔館の従者共はどうしてこうも主の機嫌を損ねるような余計な事ばかり言うのだろうか。力関係を分からせるためにそろそろレミィがドン引きするレベルの実験材料にしてしまった方がいいのかもしれない。私の精神衛生を守る為にも。

 美鈴の処遇は帰ってからゆっくり考えるとして、ようやく永遠亭の門をくぐる。門番代わりの妖怪兎に用件を告げると、目的地までの道順を聞いて中へと踏み込んだ。紅魔館とは正反対の和風な雰囲気には未だに慣れない。幻想郷では私達の方が異端だということは重々承知してはいるが。

 それにしても倉鬼のやつ、下級妖怪を相手にしたくらいで入院するほどの怪我を負うなんて、修行が足りないわね。自衛の意味も込めて、そろそろ私が直々に魔法を教えてあげないといけないかしら。あまり気は乗らないけれど、アイツがどうしてもって言うのなら教えてあげるのもやぶさかではないけれど……。

 

「まずは部屋を用意しないとね。魔法を覚えるとなると一朝一夕ではいかないから泊まり込みは確定。もしかしたら年単位かかる可能性も考慮して、アイツの生活用品一式を紅魔館に……」

「パチュリー様、パチュリー様、出てます出てます。脳内のピンク色が口から漏れてますよ」

「ねぇ美鈴、どうやったら同棲中に自然に媚薬を盛れると思う?」

「何考えてたんですか本当に! 馬鹿な事言ってないでさっさと現実に戻ってきてください!」

「むきゅうっ!」

 

 脳天への手刀でようやく妄想の世界から舞い戻る私。あ、危ない危ない。まだ想像の域を出ない可能性だというのに思考だけが独り歩きしかけていた。考え込むのは魔女の悪い癖だ。少し自制しておかないと。

 その後二度に渡り美鈴から似たような注意を受けつつも、なんとか倉鬼が入院しているらしい部屋の前へと辿り着いた。……この襖を開けた先に、アイツがいる――――!

 

「大丈夫大丈夫まずはフランクに挨拶から入って互いの近況報告、たまに毒舌を挟みつつも言葉の端々に相手を心配する雰囲気を入れ込みながら自然と気遣いをアピール。会話の流れで見舞い品を渡しつつ厄除けの魔符を渡して最後にそれとなく魔法レクチャーの話を記憶に刷り込んで……」

「パチュリー様、深呼吸」

「すーっ……はぁーっ……げほげほごえぐえおえっ」

「喘息!」

 

 慣れない肺活量と早口で肺にかつてない程の負担が来たが、おかげで少し落ち着いた。手鏡で表情の確認をして、身だしなみを整えると再び深呼吸。今度は喘息が再発しない程度にゆっくりと。……よし。

 私は幻想郷一の魔女、パチュリー=ノーレッジ。平常心で挑めば私にできないことはない。大丈夫、天才な自分を信じなさいパチュリー。

 ごくりと生唾を呑み込むと襖に手をかけ、意を決して思いっきり開く――――!

 

「御機嫌よう倉鬼。下級妖怪に後れを取ったと聞いて、この私が直々にアンタの失態を笑いに――――」

「げ、図書館の魔女……」

「――――あん?」

 

 私の挨拶が終わるのを待つことなく割り込んできた謎の声。……いや、具体的に言うならば、私自身聞いたことがある声。そして、願わくば今一番聞きたくなかった女の声。

 部屋の奥に視線を飛ばす。

 純白のベッドに寝る倉鬼。それはまだいい。入院しているのだから当たり前の事だ。……問題は、その隣で林檎を剥いている着物姿の短髪少女。

 可愛らしい、それでいて落ち着いた雰囲気の少女。しかしその顔には言葉で表すならば「うげ」という二文字が貼り付いていそうなあまり好意的ではない表情が浮かんでいる。おそらくは、私の顔にも同じ表情が表れていることだろう。

 彼女にこれ以上ない程の恨みを込めた笑顔を向けながら、私は表面上は爽やかに言葉をかけた。

 

「なんでアンタがここにいるのよ腹黒女」

「それはこっちの台詞よ出不精女」

「爽やかとはいったい何だったのか」

 

 美鈴のツッコミもどこ吹く風。私達二人は虫の一匹どころか妖怪でも逃げ出すような顔とオーラでメンチを切り合う。唯一平気そうなのは間に挟まれている倉鬼だけ。どこまで唐変木なんだとは今更言わない分かっている。

 

 ――――幻想郷のすべてを編纂する少女、稗田阿求。

 

 人里……いや、幻想郷においてトップクラスに重要とされる人間。……そして、本居小鈴と共に私の中で危険人物認定されている腹黒女が、倉鬼の隣でかいがいしく看病をしていた。

 

「いやぁ、これはまた面倒くさい事態になりましたねぇ」

 

 美鈴うっさい。

 

 

 

 

 

 




 


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第七頁

 ――――阿礼乙女といえば、この幻想郷で彼女の名前を知らない者はおそらく存在しないだろう。

 

 人間のみでありながら幻想郷の歴史を綴る役割を担う家系。血統による相伝ではなく、乙女本人が転生を繰り返すことによって幻想郷を後世へと残していくという、幸か不幸か判別しづらい立場。私から言わせてもらうと、個としての記憶、意思がなくなる時点で己が死んだも同然であるから、あまり好ましいものとは思えない。

 さてさて、そんな現代における阿礼乙女、稗田阿求であるが、彼女は私にとってちょっとばかり危険な人物として認識されている。本人は否定するだろうが、危険度極高の少女として、だ。

 倉鬼の病室で甲斐甲斐しく林檎の皮を剥いていた幻想郷縁起編纂者を軽く睨みつけると、そのまま視線を倉鬼へと移して会話を開始。

 

「か、下級妖怪に後れを取るなんて情けない限りだわ。今後そういう事が無いように、私が懇切丁寧にじっくりと魔法の基礎を叩きこんで……」

「年がら年中図書館から出てこない引き篭もり魔法使いにウチの倉鬼がお世話になる事なんてありませんのでお帰り下さい」

「…………あ゛?」

「なんですか?」

 

 私の言葉を遮るように放たれた拒絶の言葉に、思わず淑女らしからぬ声が漏れてしまう。眼力五割増しで睨みを利かせるのは、もちろん忌々しい和服の少女だ。倉鬼が返事をするより前に即座に私を追い出そうと目論む彼女は私の反応に動揺することもなく、にっこりと絵に描いたように模範的な笑顔をこちらに向けていた。その表情の裏に潜む腹黒オーラを確かに感じさせながら。……なんかこう、無性に腹立たしい。

 私と稗田の間に広がる殺伐とした空気に何を思ったのか、今まで喋るタイミングを完全に失っていたらしい倉鬼がやや狼狽えたように口を開く。

 

「せ、せっかく僕のお見舞いに来てくれたんだから、そんなに冷たい態度を取らなくてもいいじゃないかあっきゅん。そ、それにパチュリーもさ、目が怖いよ目が。もっとこう、女の子らしい優しい表情をだね……」

『アンタは黙ってろ!』

「あ、はい」

 

 少女二人に怒鳴られて委縮する半妖男子とかいう世にも奇妙な光景が目の前に広がっているけれども、今はそんなことに気を取られている余裕はない。一刻も早く場の主導権を握らなければ、完全に掌握されてしまう……!

 ちら、と傍に控える美鈴に視線を投げかける。何か空気を読んで行動してみろ、と脅し半分懇願半分の感情を目一杯乗せて。そう、稗田とは違って私には部下がいる。一人より二人で挑む方が有利なのは自明の理、自然の摂理!

 私の意思を読み取ったらしい美鈴は誰から見ても分かる程に嫌そうな表情を浮かべるものの、盛大に溜息をつくと渋々ながら頷きを見せた。さすがは気を使う程度の能力を使う妖怪。帰ったら彼女の待遇向上をレミィに訴えておこう。承諾されるかは知らないが。

 美鈴はすたすたと稗田の方に歩みを進めると、何やら彼女の耳元でひそひそと話し始めた。うまく聞こえないが、話が進むごとに稗田の表情が二転三転している。何を話しているのだろうか……。

 しばらくすると会話が終わったらしい。満足気な表情で美鈴が戻ってくると、同時に稗田が荷物を纏め始めていた。あれだけ渋っていたのに、こうも容易く……さすがは美鈴。

 

「あれ、あっきゅん帰るのか?」

「え、えぇ。あんまり長居するのも身体に障るだろうし、今日はこの辺で帰らせてもらうわ」

「そっか。今日はありがとう。このお礼はいつか必ず」

「べ、別に期待はしていないけれど……まぁ、早く治しなさいよ」

 

 倉鬼の謝辞に顔を赤らめながらデレるという少女漫画顔負けの甘ったるい会話がされているんだけど、賢者の石ぶつけていいかしら。

 荷造りを済ませると私の横を通って部屋を出ていく稗田。美鈴と最後に視線を合わせ、二言三言言葉を交わすとそのまま歩き去って行った。怪しい……怪しいが、目的は達成した以上美鈴を責めるわけにもいかない。ここは大人しく素直に感謝しておくとしよう。

 ……ただ、気になるのは気になるのでこっそり美鈴に耳打ちを。

 

「ちなみにだけど、何て言って帰したの?」

「我が紅魔館秘蔵の桂木写真集をお渡しするので、ここのところはパチュリー様に譲っていただけませんか、と」

「待ちなさい。その写真集って……!」

「さて、それでは後は若いお二人に任せて……」

「め、美鈴!? めーいりぃーん!!」

 

 私の必死の叫びも空しく閉ざされる扉。この状況と引き換えに私の宝物が消滅しようとしている危機に動揺を隠せない。いや、確かになんとかしろとは言ったけど、代償が大きすぎるわよ美鈴っ……!

 

「な、なんか大変そうだね……」

「誰のせいだと思っているの」

「むしろなんで僕のせいなのか問い詰めたいところではあるんだが」

「はぁ……」

 

 愚痴ってはみるものの、確かに倉鬼の言う通りではある。もうこの際あの写真集の存在は忘れよう。また一から集めていけばいいではないか。念写天狗との取引をまた一層濃いものにしなくてはならなくなったが、背に腹は代えられない。

 溜息一つ。先程まで稗田が座っていた椅子に腰を下ろすと、改めて倉鬼に向き直る。

 

「……にしても、本当にボロボロじゃない。普段からしっかり鍛えておかないからそういう目に遭うのよ」

「僕は争い事が苦手な文学系男子だということをしっかり確認したうえで言ってほしいね」

「ただの平和ボケでしょ。人里の外に出るのなら自衛の手段を一つでも身に着けておくのは当然でしょうが」

「自衛の手段ねぇ……」

「初級魔法くらいならいつでも教えてあげるわよ? もちろん、それなりの対価はいただくけれど」

「魔女が言う対価ほど恐ろしいものはないからちょっとパス」

 

 そこまで怖がることでもないのだが、確かに一般人からしてみれば魔女との取引というものは想像できない恐怖を煽る響きを持っているかもしれない。等価交換が原則の魔術ではあるけれども、初級魔法、しかも他でもない倉鬼に教えるのであればそこまでの対価を頂くつもりは毛頭ない。ただ、研究材料用に少しばかりの精や体液を譲ってもらえれば……。

 

「…………」

「どうしたパチュリー。顔を真っ赤にして黙り込むとちょっと怖いよ」

「にゃっ!? にゃんでもにゃいわよ!?」

「……にゃ?」

「なんでもないっての!」

 

 危ない。ちょっと色々とアレな妄想が膨らんでいた。齢二十にも満たない子供に何を考えているのだ私は本当にまったく……もぅ……。

 コホン、と咳払いを一つ、会話を戻す。

 

「身体を張って幼馴染を庇うっていうのは偉いけれど、少しは自分を大切にした方がいいんじゃない? 自己犠牲も度が過ぎるとただの阿呆よ?」

「自己犠牲っていうのとはまた違うんだけどなぁ。ただ僕は、小鈴が傷つくところを見たくないだけなんだよ」

「なによそれ、ようするにただの色ボケ野郎じゃない」

「そらそうさ。僕に限らず、男ってのは好きな女の子の悲しむところは見たくない生き物なんだから」

「……私だって、アンタのそんな姿見たくないわよ」

「何ぼそぼそ言ってるのさパチュリー」

「……このバカ」

「うおっ?」

 

 ポスン、と彼の布団に顔を埋める。目と鼻の先に彼の身体があって少々胸が高鳴るが、素直に喜ぶことはできなかった。嬉しい状況なはずなのに、どうしてか胸の奥がわずかにチクチクと痛む。もやもやとした……少々の苛立ちが靄のように私の思考を圧迫している。

 桂木倉鬼は本居小鈴の事が好きだ。それは私も、おそらくは稗田も知っているし、周知の事実である。もしかしたら、本人達を除けば幻想郷のほとんどが知っていることかもしれない。それほどまでに倉鬼の行動は分かりやすいし、真っ直ぐ。彼の好意が他に向けられる可能性は、ゼロに等しいといってもいいだろう。この勝負はそもそもから勝ち目がない。

 ただ、それでも。倉鬼の想いが本居小鈴だけに向いているという事実は納得がいかない。勝算が皆無だとかいう現実を、認めるわけにはいかない。

 目を合わせないまま、私は彼に言葉を投げる。

 

「アンタが誰の為に傷ついて誰の為に身体を張るかなんて勝手だけれど、私の知らない間に野垂れ死ぬなんてことは絶対に許さないからね」

「そんな大袈裟な……」

「笑い話じゃないわよ。今回だって、ナズーリンがいなかったら危なかったんでしょ? そのまま無謀を続けていれば、いつか絶対に死ぬわよ。アンタの身体は私が実験材料として貰うんだから、私の所在がない場面で死ぬなんて冗談じゃないわ。もっと自分を大切にしなさい」

「言っている内容が滅茶苦茶なんだけど、そこんところ分かっているかい?」

「そう? 私的には完璧なんだけど」

 

 死なないように気をつけろ、と注意している反面、私の前では死んでいいと言っているのだから確かに支離滅裂かもしれないが……私が納得しているのだからこれでいい。とにかく、勝手に死にそうな目に遭うのだけは許さない。

 ちら、と横目で倉鬼の顔を見上げる。彼は頬を掻きながら困ったような表情を浮かべていたものの、私の視線に気がつくと表情を綻ばせた。

 

「まぁその、パチュリーなりに心配してくれているってのは分かったよ」

「そ、そういうことじゃないけれど……べ、別にアンタがいなくなったところで図書館が静かになるだけなんだから、何の支障もないのっ」

「そんな絵に描いたようなツンデレ台詞を吐いてくれるなんて、本当にパチュリーは僕の事が大好きだなぁ」

「う、うっさい! こ、こら頭を撫でるな子供扱いすんなー! は、な、せぇーっ!」

 

 母親のような慈愛に満ちた微笑ましい顔で私の頭を撫でようとする朴念仁精一杯の抵抗をしながらも、どこか幸福感に包まれる。先程までのもやもやが嘘であったかのように、彼との触れ合いで私の心は満たされつつあった。彼にとっては冗談かもしれないが、私にとっては一大イベントである。なんというか、その……御馳走様です。

 ただ、まだ一つ気に喰わないことがある。自慢の紫髪をくしゃくしゃに撫でまわす右手を跳ね除けると、ぐいっと彼の頬に人差し指を突きつけながら顔を寄せる。

 

「後! その呼び方はなんなの? いつまでそういう呼び方をするつもりなの?」

「え? 引き篭もりモヤシのことか?」

「そんな呼び方したことないでしょーがっ! 違う!」

「そんなに怒るなよパチュリー」

「それよ! その『パチュリー』って呼び方! もっと、こう、親しみを込めて呼びなさい!」

「親しみも何も、『ノーレッジ』から『パチュリー』にランクアップしたのもついこの間なんだけど……」

「いいの! そんな細かいことは気にすんな!」

「細かいかぁ?」

 

 いまいち釈然としないらしい倉鬼はのほほんとしているが、私にとっては死活問題である。本居や稗田に比べて絶対的にアドバンテージが少ない……具体的に言うならば、『幼馴染』の称号を持たない私が頭一つ抜け出るためには、こういう部分で距離を縮めるほかないのだ。馬鹿らしいと思うかもしれないけれど、呼び方を寄せることで私にとって特別な存在であることを意識してもらう。異論は許さない!

 そして新しい呼び方が思いつかないようで、先程からうんうん首を捻っている倉鬼。こ、こいつ……日頃ロクでもない渾名をポンポン思いつくくせに、こういう時だけ頭の回転遅いんだから……!

 いい加減腹が立ってきた私は彼の胸倉を掴み上げると、先程以上に顔を近づける。少々恥ずかしいが、そんなこと言っている場合か!

 目を丸くしてやや頬を染める彼の顔を脳内フォルダにぶち込みながらも、私は叫んだ。

 

「『パチェ』! 私の事は今度から『パチェ』って呼びなさい!」

「え、でもそれってスカーレット姉妹にしか許していない呼び方では」

「文句あるの?」

「ないです、パチェ様」

「よろしい」

 

 多少強引ではあるが、目的は達成した。パチェ、いい響きだ。レミィや妹様から呼ばれる時とはまた違った気持ち良さがある。あぁ、なんて心地よい響きなのだろうか。素晴らしい、素晴らしいわ私!

 

「な、なんか今日のパチェは様子が変なんだけど……実験でどっかおかしくなったんですか紅さん」

「お構いなく。パチュリー様がおかしいのは今に始まったことではございませんので」

 

 いつの間にか戻ってきていた美鈴と倉鬼が何やら失礼千万な会話を繰り広げていたが、絶賛ご機嫌な私の耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 




 パチュリーのターン!


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第八頁

 永遠亭に入院してから一週間。

 なんだかんだ毎日誰かしら見舞いに来てくれていたから退屈することはなかったのだが、今日はついにその見舞い客が途絶えてしまったらしい。主にあっきゅん、パチェ、小鈴が交互に来てくれるものの、さすがに一週間も経てば頻度が少なくなるのは道理である。僕を巻き込んだ罪の意識を抱えて申し訳なさそうに看病してくれていた小鈴も、この一週間でようやくいつも通りの天真爛漫な彼女に戻ってくれたようだし。寂しくはあれども、罪悪感を捨ててくれたのなら嬉しい限りである。僕が好きでやっていることで彼女が胸を痛めるのは本意ではないからね。

 さてさて、そうは言っても誰も来ないのは寂しいものだ。八意先生によれば後数日で退院できるらしいものの、安静にしていろとのお達しの為外に出ることも叶わない。だが、一日中ベッドの上で寝て過ごすだけというのもなかなかの苦行だ。もうかれこれ夜になるまでなんとか暇を潰したものの、寝過ぎて夜を越せる気がしない。せめて誰か話し相手になってくれれば違うのだが……。

 

「……そう言えば、永遠亭には物凄い美人なお姫様がいるって聞いたことがあるぞ」

 

 あくまで人から聞いた噂ではあるが。

 よく永遠亭に通っているらしい藤原さんに以前聞いた話によれば、「心底ムカつくし殺してやりたいほど腹立たしいけど、外見だけは今まで見た生物の中で一番綺麗」だとのこと。前半部分に藤原さんの私怨がたんまり詰まっている件については触れない方が無難だろう。僕は蓬莱人ではないから死ぬのは怖い。

 にしても、絶世の美女というのは多少なりとも興味が湧く。異性は小鈴以外眼中にない僕ではあるが、一応は男という生物である以上気にはなる。決して目の保養とかそういうことでは断じてない。これはあくまで、入院中の暇つぶしという名目上の何かだ。やましいことではない、間違いなく。……脳内でパチェとあっきゅんが何やら蔑んだ眼で僕を見下している気もするが、頭を振って霧散させた。

 一通りの言い訳を終えたところで、入院着のまま病室を出る。幸い夜中であるせいか見回りの兎は見当たらない。見当たったところで職務怠慢気味の彼女らが何か言ってくるとも思えないが……面倒事は避けるに限る。特に鈴仙さんに見つからないように気を付けながら進んでいこう。目的地は定まっていないけれども、あぁいうボス的な存在は決まって一番奥の部屋にいるものだ。とにかく奥に進んでいけばいつか会えるに違いない。道に迷う可能性も否定はできないが。

 まぁどうにかなるだろう、と安請け合いをしつつ、月の光に照らされる廊下を進む。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 結論から言うと、その女性はいた。

 永遠亭をひたすらに奥へ進むこと数十分。稗田家に負けず劣らずだだっ広い広大な敷地面積を誇る永遠亭を探索するのは少々骨が折れたが、最奥の部屋……間取り的には丁度月が昇る方向に面するその部屋に、件の女性は存在した。彼女のご尊顔を一度も拝んだことがない僕ではあるけれども、一瞬で理解した。僕の中の本能が、彼女であると即断した。それほどまでに美しく、美麗な女性。これは確かに、非の打ちどころがないほどの美人である。

 月並みな表現ではあるけれども、鴉の濡れ羽のような光沢を放つ黒髪。白磁の如く滑らかできめ細やかな肌。目鼻口、そのすべてが本来あるべき場所にこれ以上ないバランスで収まっているであろう整った顔立ち。僕なんかの粗末な語彙力では喩えられない、けれども「美しい」以外の言葉では言い表せない絶世の美少女が、月明かりに照らされるその部屋で静かに座っていた。優しく目を瞑りわずかに綻ぶその表情に否応なく視線が吸い込まれる。見惚れるとはこのことと言わんばかりに目が釘付けになっていた。

 話しかけようと何度か口を開くものの、僕のような矮小な半妖が言葉を交わしてよいものかと逡巡するほどに、彼女の美しさは暴力的だ。その姿はまるで、お伽噺に出てくるお姫様の様で……いや、確かちょっと昔に、今の彼女のような美貌を備えたお姫様の話を読んだことがある。夜空を照らす月の光に負けないくらい美麗なそのお姫様の名前は――――

 

「かぐや、姫……?」

「……あら、こんな夜更けにお客様だなんて。幻想郷にもまだ夜這いの文化が残っていたのかしら」

「っ!?」

 

 意識とは無関係に言葉が漏れていたらしい。すっかり油断していた所に投げかけられた声に心臓がはち切れそうになる。その外見もさることながら、放たれた声すらもこの世のものとは思えない程に透き通っていた。ガラス細工を打ち鳴らした時のような、空に吸い込まれていく音色。小鈴一筋であるはずの僕が、「男」という部分において一瞬揺らぎかけた。もしももう少し精神状態が悪ければ、そのまま心を持って行かれていたとしても不思議ではない。

 驚愕と感動で身動き一つ取ることができない僕を他所に、そのお姫様は可愛らしく首を傾げると、僕に視線を固定したまま艶やかに口元を隠した。歳の程は十も半ばくらいだろうか。それなのに、その大人っぽい仕草に胸が高鳴ってしまう。

 

()()()だなんて、随分と懐かしい呼ばれ方をしたものね。幻想郷(ここ)に来てから私をそう呼んだのは、後にも先にもあの藤原の娘くらいのものよ? まぁ、そもそもあまり人に会ってはいないから、絶対数が皆無なのだけれど」

「え、あの……えっと……」

「ふふ、可愛らしい反応。雰囲気は少し擦れた感じだけれど、内面は見た目通り幼いのね」

「……参ったな。こういう取り乱し方は、普段の僕らしくないんだけど」

 

 目を細め、コロコロと笑う彼女を直視することができずに思わず視線を泳がせてしまう。これは、駄目だ。意思を強く持たないと、自分の意識どうこうとは関係なく惚れ込んでしまう。僕だからとかそういうわけではなく、「雄」という分類上の生物すべてを虜にする何かを、彼女は持っている。

 何度か深呼吸を繰り返し、心を鎮める。落ち着け、僕。興味本位で探しに来たのだから、必要以上に入れ込むな。あくまで知人程度の間隔を保って話せ。

 すぅ、と大きく息を吸い込んだ後、恭しく首を垂れる。

 

「夜分遅くに失礼致します。巷で貴女の噂を聞き、その真を確かめに来たしがない半妖でございます。姓は桂木、名は倉鬼。記憶の片隅にでも残しておいていただければ幸いです」

「桂木……あぁ! 貴方が倉鬼なのね! 妹紅から話は聞いているわ!」

「……はい? 藤原さんから、ですか?」

「えぇ。人里に住んでいる不器用で恋愛下手な半妖って紹介されたわ」

「どんな不名誉な紹介だ……」

 

 予想外すぎる反応と、想定外すぎる内容に二重の意味で驚きが隠せない。確かに顔見知りであるということは、世間話の中で話題に挙げられていても不思議ではないが……。なんでまたよりにもよって、誤解しか招かない悪意たっぷりな紹介をしたのだあの人は。蓬莱人というのは根が意地悪いものなのだろうか。

 藤原さんの顔を思い返しながら些か苦々しい思いに駆られていると、何かの糸が切れたらしい。先程までの上品な様子からは考えられないほどに表情を綻ばせると、

 

「……ぷっ、あっはははは! 妹紅のヤツが紹介した通りね! 不器用さが全身から出ているわ!」

 

 腹を抱えてこれでもかと言わんばかりに大爆笑を始めた。その姿はさながら幼子の様で、つい先刻まで僕を悩ませていた色っぽさの欠片も感じられない。なんだか、こう、とても親近感を覚えてしまう。

 言動の乖離が異常すぎてうまく会話を繋げられない僕はしばし狼狽えていた。

 

「えー、その、かぐや姫、さま?」

「ぷっくく……蓬莱山輝夜、よ! 気安く輝夜と呼んでもらって構わないわ!」

「え、いや、さすがにそれは……」

「いいのいいの、堅っ苦しいことは嫌いなのよ、私。その不自然極まりない敬語もやめなさいな! もっとフランクに行きましょう!」

「……さっきまでの僕の感動を返してくれ」

「私の美貌に負けなかった褒美と思えばいいじゃない」

「自分で言うのかそれ……」

「だってほら、私は地上一の美人だし」

 

 あっけらかんと言い放つ彼女のふてぶてしさにもはや言葉すら出ない。なんていうか、その、幻滅とは違うが……先程まで僕の中で存在していた彼女の立ち位置、ランクというものが激しく変動しているのを感じた。今の彼女……輝夜は、僕の中であっきゅんとかパチェと同じような気安さに収まってしまっている。ギャップ萌えとはよく言うが、これは萌えを感じる前に一種の残念さを覚える勢いだ。そりゃあ藤原さんも腹立たしさを覚えるわけである。

 十二単を改造したような変わった着物の袖をパタパタと振りながら僕を呼び寄せる輝夜。もうすっかり年相応な言動になってしまっている彼女に盛大な溜息をつきながらも、ご希望に沿って傍らに座り込む。

 

「ほらここ、私のお気に入りの場所なのよ。月が綺麗でしょ?」

「確かに……しっかり見えるな」

「私と月、どっちが綺麗?」

「さっきまでの君なら圧倒的に輝夜だけれど、今の君ならダントツで月」

「言うわねぇ」

「生憎と、本性を見せた相手には容赦がない性分なもので」

「良いわよ、そういう素直な子は好きだわ」

 

 共に月を見上げたまま軽口を叩き合う。不思議だ。会ってからまだ数分程しか経っていないのに、まるで何年も前から知り合っていたかのような気楽さを感じる。これもかぐや姫とやらがもつカリスマの為せる技なのだろうか。彼女の名前からしてかぐや姫のモデルになった人なのだろうことは分かる。年代的に有り得ない話ではあるが、既に蓬莱人の存在を知っている僕からすればなんら不可思議な事でもない。不老不死が藤原さんだけとは限らない、というだけの話だ。

 にしても、お伽噺の主人公に出会えた高揚感よりも、その本性が実は超絶フランクなどこにでもいるような性格の少女だったという真実への衝撃が勝るなんてどういう展開だろうか。神様ももう少しロマンチックさを分かってくれればいいのに。

 

「なぁに溜息をついているのかしらこの半妖は」

「憧れが一瞬で潰えた人の悲しみはどうせ分からないだろうね」

「憧れに手を伸ばそうとして絶望した人たちの顔なら何個も知っているわ。それこそ見飽きたってくらいに」

「かぐや姫本人が言うと説得力とリアリティが半端無い」

「美しさは罪とは言うけれど、つくづくその通りだわね」

「その自意識過剰さはいつか痛い目を見ると思う」

地上(こんなとこ)に堕とされている時点で、充分すぎるほど痛い目は見ているんだけどねぇ」

 

 飄々とした言い方ではあるが、月を見上げる彼女の顔が一瞬だけ曇ったように見えたのは気のせいだろうか。夜空に浮かぶ月に何を思っていたのか、それを僕が知ることはおそらくできない。

 かぐや姫は物語の最後で月に帰った。少なくとも竹取物語ではそうなっている。

 だが、現に目の前にかぐや姫が存在する。月に帰ったというならば、この光景は何なのだろうか。もしかすれば、竹取物語自体が彼女の存在を隠すための贋作だったのかもしれない。真実を知ることは叶わないだろう。今の僕が分かるのは、輝夜と名乗る絶世の美少女が幻想郷の片隅に存在していたという事実だけ。

 小鈴が聞いたら絶対に羨ましがるだろうなぁ、とお伽噺大好きっ娘を脳内に浮かべつつ僅かに笑う。会いたいと駄々をこねる彼女の姿が容易に想像できた。

 一人微笑む僕を不審がってか、輝夜が怪訝そうに視線を移す。

 

「なぁにそのだらしない顔。あ、もしかして噂の小鈴ちゃんって子の事考えていたんでしょー」

「もうあえてツッコミはしないけど、どこまで知ってるんだいお姫様は」

「あら、私に分からないことなんてないわよ? だってかぐや姫ですもの」

「無理難題を押し付けるお姫様の言う事は違うな」

「じゃあ貴方にも問題よ。面白がった私が事を荒立てる前に、さっさと告白しちゃいなさい」

「それはまた、随分と時間と手間がかかりそうな難題だね……」

「このヘタレ」

「そういう罵倒はもう二人ほどから言われ慣れたよ」

 

 今頃図書館とお屋敷それぞれに住む文学少女二人がくしゃみをしている頃だろう。期待通りの反応を返せなかった僕に拗ねたような表情で肘鉄をぶち込む美少女が約一名いたが、それについては一寸たりとも触れずに月見を続ける。物見遊山でお姫様を見に来たのに、とんだ悪友ができたものだ。僕の交友関係がカオスの一途を辿っているけれども、僕自身の力ではどうすることもできないのが悩みの種である。異性関係は小鈴だけでいいのだが。

 その後しばらく談笑した後、両者とも疲れ切って眠ってしまい翌朝八意先生に見つかって説教されるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 




 ヒロイン不在。


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第九頁

「娑婆の空気は美味しいな……」

「ほんの二週間病室に隔離されていただけで随分と大袈裟ね」

「いや、世間一般では二週間って結構な期間だと思うのですが」

「そう? 私にとってはほんの一瞬みたいなものだけれど」

「蓬莱人怖い」

 

 永遠亭の門柱に寄り掛かったまま、随分と年寄り臭い言葉を口にする二色配色の服を着た銀髪の女性。見た目は二十代前半……いや、後半くらいの妙齢女性なのだが、その実は数千年生きているとか噂されるミステリアスな蓬莱人。幻想郷一の腕を持つ名医、八意永琳その人である。実年齢は知らない。

 

「あらあら、退院したばかりなのにまた入院したいだなんて……よっぽどあの病室が気に入ったのねぇ」

「胸倉掴んで拳振りかざしながら殺意振り撒く医者の風上にも置けない方が目の前にいるのですがそれは」

「ちょうど実験台が足りなくなってきたところだったのよ。貴方は輝夜とも仲が良いみたいだし、恒常的な実験体として契約しないかしら? 命は保証しないけれど」

「それが怪我が治ったばかりの患者に言う台詞ですか」

「女の子のタブーに触れた無礼者には死あるのみよ」

「女の子……?」

 

 胸倉を掴む手に更なる力が込められる。

 

「この度は誠に申し訳ございませんでした」

「分かればいいのよ。この失礼は以後別の形で払ってもらうから」

「圧が凄い」

「こんなに綺麗なお姉さんとまた会う約束ができたんだからもっと喜ぶべきじゃなくて?」

「生憎と、なまじ外見が良い曲者の知り合いには事欠かないものでして」

 

 特に図書館の出不精とか永遠亭の出不精とか。あの年齢詐称女達は普段出歩かないくせして見目麗しい外見を保っているのだから意味が分からない。その上内面に関しては一癖も二癖もあるという始末。どこで生き方を間違えたのだろうか。

 荷物をまとめた風呂敷を背負うと、改めて八意先生に向き直る。

 

「それにしてもお世話になりました」

「いくら可愛い幼馴染を守るためとはいえ、あまり無理しては駄目よ? 貴方は決して強い妖怪ではないのだから」

「意外にもストレートな物言いに僕のメンタルが悲鳴を上げている」

「これでも心配して言っているのだけれどね。自分の実力を知ったうえで行動するというのは、生きる上で大切なんだから」

「一応注意はしますけど、またあの本の虫がピンチだったらここに担ぎ込まれる可能性はあります」

「反省が……いえ、これはもう言っても無駄みたいね」

 

 やれやれと言った顔つきで溜息をつく八意先生。医者の立場からしてみれば僕のような命知らずは放っておけないのだろう。心配してくれるのは非常にありがたいが、こちとら幼いながらに幼馴染を守る宣言した色ボケ半妖である。ちょっとやそっとじゃ反省しないことで有名な僕がその言葉を聞くことはおそらくあるまい。

 ただまぁ、今回の騒動で小鈴が無茶をする回数が減れば御の字だ。小鈴命な僕とて無駄に傷つくのはできれば御免被りたい。いくら人間よりは強いとは言っても所詮は半妖。エリートな純潔妖怪様方に比べれば足元にも及ばないのが現実である。次回以降もこうやって偶然命拾いできる保証はない。願わくば、無謀が減ってくれるのを祈るばかりではある。

 

「貴方も大変ねぇ」

「不器用なので」

「むしろ一周回って器用かもしれないわね」

「だといいんですけど」

 

 自分の身も顧みず幼馴染守る為にボロボロになるとかどこの主人公だというツッコミはこの際拒否する勢いだ。

 その後数分ほどくだらない与太話を繰り返す僕であるが、そろそろ我が家が恋しくなる。それに、今日は小鈴が僕の為に快気祝いをしてくれるらしい。挨拶もそこそこに、迎えに来てくれた藤原さんと共に人里へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 しばらくぶりに里に帰った僕を出迎えてくれたのは、なんと最愛の幼馴染だった。

 

「倉鬼! 退院おめでとう!」

 

 僕の姿を見つけるや否や、里の入り口から走ってくる小鈴。まるで子供みたいなその仕草にいちいち愛おしさを覚えてしまうが、ぐっと理性で押さえつける。落ち着け僕。ここで本能のままに抱き締めるのは悪手すぎるぞ。あくまでも冷静に、普段通りの僕を装うんだ。

 タタタと駆け足でこちらへと近づいてくる小鈴に向けてやや不敵な笑みを浮かべると、いつものように飄々とした態度で皮肉を述べるべく口を開く。

 

「やぁ小鈴。君の無茶で少々時間を食ってしまったが、これでようやく僕も自由の身――――」

「ほんっとに、ごめんなさいっ!!」

「にぃいいいいい!?」

 

 肩を竦めて溜息交じりに御託を述べていた僕を襲った不意の衝撃。それが何かは説明するまでもないだろうが、一応解説をしておくとしよう。

 抱き締めるのを我慢していたというのに、走ってきた小鈴がそのままの勢いで僕に抱き着いてきた件について。

 何やら涙を目の端に浮かべて謝罪の言葉を漏らしつつ、僕の胸にぐりぐりと顔を押し付けるマイスイート小鈴。そもそも彼女に対して常に劣情を催している僕がこの状況でまだ手を出していないことを褒めてほしいのだが、この展開はどう考えてもまずい気がする。具体的に言うと、僕の理性が崩壊するまで後数分。

 今すぐにでも彼女を抱き上げて僕の部屋まで持ち帰りたい衝動に駆られながらも、かつてない程の自制心を総動員してなんとか体裁を保つ。

 

「め、珍しいじゃないか小鈴。そんなに素直に謝ってくるなんて……」

「だ、だって……だっでぇえええええ!!」

「ちょっ!? なんで泣くんだい突拍子もない子供かキミは!」

「ふえぇええええええ!!」

「あっきゅぅーん! 助けてあっきゅん! 僕の手に負える生物じゃないよこれは!」

「そのまま悶え死になさい変態」

「僕が悪いのか!?」

 

 子供のように泣きじゃくりながら涎鼻水涙諸々の体液を服に擦り付けてくる本の虫の攻撃に右往左往してしまう。小鈴に振り回されるのにはいい加減慣れっこな僕ではあるものの、こういう対策の仕様がない行動に関しては素人同然の反応をしてしまう僕である。こういうのは昔から同性として接してきたあっきゅんの方が得意だろうと助けを求めるけれども、小鈴に抱き着かれている僕を見る目は冷たい。なんであぁも感情の含まれていない表情ができるのかと心底疑問ではあるが、見捨てられてしまうと僕にできることはもうない。

 どうしよう。このまま泣きまくる小鈴をいっそのこと家に持ち帰ってしまおうか、と混乱の余り公序良俗に反する選択肢までもが浮上しつつある中、かの救世主は現れた。

 僕に引っ付いて離れない小鈴の頭に、軽く手刀が落とされる。

 

「あいたっ」

「ほら、桂木も困っているだろう。謝る気持ちもわかるが、少しは落ち着け」

「救世主上白沢慧音先生……!」

「なんだその御大層な呼び名は」

 

 僕史上過去最大の窮地を救ってくれたのは、この人里で寺子屋を営む見目麗しい美人教師、上白沢慧音先生だった。僕と同じ半妖でありながらも、子供達を教え導く者として周囲から尊敬と信頼を置かれている素晴らしい御方。僕がこうして暮らしているのも、彼女のサポートがあるからというのが大きい。けーね先生マジ女神!

 慧音先生は僕から小鈴を引き剥がすと、どこから出したのか手ぬぐいを手渡してくれる。

 

「ほら、これで服を拭うと良い。多少の気休めにはなるだろう?」

「ありがとうございます。これは後日洗って返しますんで……」

「いやいいさ。どうせ私の使い古しだ。そのまま捨ててもらって構わない」

「使い古し……?」

「あぁ。顔や体を拭う時に使ったものだが、もう結構な年月使っていたからな。そろそろ供養しても良い頃だろう」

「使い古し……」

「おいそこの変態半妖。けーねの使い古し手拭いの響きに興奮してんじゃねぇよ」

「や、やだなぁ藤原さん。僕がそんな下心満載の変態に見えますか?」

『見える』

「あっきゅんまで一緒になって即答することはないんじゃないかな」

 

 完全に虫けらを見るような目を向けてくるあっきゅんと藤原さんから視線を背けつつ、慧音先生から貰った手拭いで小鈴の涙及び鼻水を拭いていく。この反応は男としては仕方ないものがあると思うんだ。慧音先生と言えば人里でも有数の美貌を持ち、男だけでなく女性の目も惹くナイスバディ。寺子屋の授業参観には毎回多くの保護者が参加するほどの人気っぷり。そんな最強美人教師慧音先生の使い古した手拭いを手渡された僕の反応は、一般男性ならばいたって普通の反応と言えるだろう。それでも信じないならば、後で八百屋の角兵衛にでも聞いてくれ。

 片や呆れ、片や殺意の籠った視線をぶつけてくる恐ろしい女性達を気持ち回避してから、ようやく一息。

 

「感動の対面も終わったことだし、僕は家に戻ろうかな」

「そう言うと思ったけれど、今からアンタはウチで快気祝いの祝宴に連行されるんだから諦めなさい」

「何それ聞いてない」

「言ってないからね。ちなみに発案は小鈴よ。良かったじゃない嬉しいでしょ?」

「勿論」

「ぶれないわね……」

 

 当然だ。小鈴が僕の為に何かをしてくれたという事実だけでご飯三杯はイケる。

 

「私も企画したけど、阿求も人集めとか企画とかいっぱい手伝ってくれたじゃん。私一人の手柄ってのは違うような……」

「わ、私のことはいいの! あ、あくまで小鈴のために頑張っただけなんだから!」

「あっきゅん……」

「な、なによ! べ、別にアンタの為に動いたわけじゃないんだからーっ!」

 

 顔を真っ赤にしてばたばた忙しなく暴れはじめたあっきゅんに微笑ましい視線を送る僕である。とてもとてもテンプレートなツンデレ台詞を聞けて、平常運転だなぁと感心する。うんうん、やっぱりあっきゅんはこうでなくっちゃね。変に空回りして自爆しまくる姿はまさに稗田阿求だ。落ち着く。

 話を聞く限りだと、僕が懇意にしている人はだいたい来てくれるようで、それならば主役の僕が断るわけにもいかない。聞かされた参加者の中に紅魔館の一部が連なっていたことには驚いたけれども、おそらくはパチェと吸血鬼の姉の方が僕をからかいに足を運ぶつもりなのだろう。さすがに門番の紅さんと引き篭もっている妹の方は参加しないようではあるが……うわ、十六夜さん来るんじゃん。またナイフ突き付けられそうだなぁ。

 そんなくだらないことに思考を割いていると、先程まで慧音先生に捕まっていた小鈴が再び僕の前に立っていた。服の裾をちょこんと掴んでいる姿がとても愛らしい。小動物的可愛さとはよく言うが、これはもう天使の類と言っても過言ではないはずだ。今すぐ新聞屋さんを呼んで写真を撮ってもらいたいところではある。

 顔を俯かせたまま、小鈴がおずおずと口を開いた。

 

「あ、あの……倉鬼……」

「なんだい小鈴」

「…………おかえり」

 

 なんだこの可愛い生物は。

 一瞬心臓が止まり、僕の魂が冥界の白玉楼に召されかけるが、背後の藤原さんによる気付けによって一命を取り留めた。危ない。こんな死因は笑えない。

 その一言を放つと少し潤んだ瞳で僕を見上げるマイスイート小鈴。本来ならばここで彼女を抱き上げて自室へとお持ち帰りしたいところではあるが、さすがに衆人環視である所とおそらくは詰所に連れて行かれてしまうのでここは自粛。思考を読み取ったらしいあっきゅんの視線も痛い。

 こういうときは、こう返すのがセオリーというものだ。

 僕はポン、と彼女の頭に手を置くと、今できる最高の笑顔で快活に言うのだった。

 

「ただいま、小鈴」

 

 

 

 

 

 

 

 




 入院編終了


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第十頁

 お久しぶりです。少し短め。


 幻想郷で神社と言えば、ちょっと前までは一つしかなく、住人全員が【博麗神社】のことを指したことだろう。最近妖怪が出入りしている不気味な妖怪神社、という尾ひれも一緒にではあるが。

 そんな中、少し前に新しい神社が妖怪の山の頂上に突如として出現したらしい。「らしい」というのは、妖怪の山なんていう危険しかないような場所に足を踏み入れることなんて有り得ない訳で、たまに人里に新聞配りに来る変な鴉天狗から又聞きしたからに他ならない。僕は一身上の都合で鴉天狗なる種族が大の苦手であるけれど、あちらさんはいい気味とばかりに僕を煽りにやってくる為、嫌でも情報が入る次第である。あの腐れ根性の新聞屋はいつか巫女にとっちめてもらわないといけない。

 懐かしき入院騒動からしばらく月日が流れ、人里に穣子様の恩恵が与えられ始めた頃。僕こと桂木倉鬼はと言うと、どうしてか小鈴と共に稗田家の庭掃除をさせられていた。竹箒を片手にえっちらおっちらだだっ広い庭を駆けまわすその姿は、まさに掃除婦と言って差し支えない。いや、僕は男だからどちらかというと掃除夫か。

 

「まったく。なんで僕があっきゅん家の庭を掃除しないといけないんだか」

「文句言わないの。阿求にはいつも迷惑かけているんだからこれくらい恩返しと思って頑張らなきゃ」

「迷惑かけている自覚は僕には微塵もないのだけれど」

「タチ悪いわねー」

「ほらそこー! イチャついてないでさっさと手動かす!」

『へーい』

 

 あっきゅんの厳しい激にもへこたれずキビキビ働く僕と小鈴。僕としては小鈴と一緒に何かをしているというだけで満足ではあるけれど、それが肉体労働ともなるとさすがに報酬の一つでも欲しくなるのが道理というものだ。しかも僕はバリバリの文系であるからして、張り切って野山を駆け回るようなアグレッシブな体力は持ち合わせていないことを考慮してほしい。作業するにしても、もっとこう頭を使う文明的な仕事を所望する。

 とまぁたらたら文句を言いつつもそれなりに真面目に作業していく僕達二人。落葉した紅葉もそれなりにかき集め終え、後は火をつけ一気にファイアー。そのまま焼き芋大会に移行するというのが今回のスケジュールらしい。僕がなんだかんだ作業していた最大の理由はここにある。秋といえば食物の秋。食物の秋といえば焼き芋だと相場が決まっているからだ。しかも今回使用する芋は人里で今季初めて収穫された、言わば新芋。これで気分が高揚しないほうが嘘だというものだろう。

 

「ふふふのふ。土に塗れながら頑張った甲斐があったというものだよ……さすがに気分が高揚する」

「倉鬼ってそんなに芋好きだったっけ?」

「いや、別にそこまで。しかしだね小鈴、大切なのは僕にとってのベストが焼き芋ではないという点じゃないんだ。この際順番なんてどうでもいい。ただ、秋に焼き芋を食べるというイベント自体が僕の中で大きな地位を占めているんだよ!」

「はぁ、よくわかんない」

「キミももう少し情緒を知れば分かるさ」

 

 未だに花より団子、色気より食い気な小鈴には少し難しかったかもしれない。いや、今回だけを見れば色気より食い気は僕のほうかもしれないが、秋に焼き芋を食べられるという当たり前のようで意外と当たり前ではない状況に感謝しているということさえ伝わってくれれば問題はない。

 呆れた様子の小鈴を他所に想像以上に気分がハイになっている僕であったが、焚火のほうから飛んできたあっきゅんの声にさらなる高揚を迎える。

 

「焼き芋できたわよー」

「あっきゅんありがとう愛してる」

「あきゅっ!? き、急に何意味の分からない戯言放ってんのよこの天然半妖! こここ、小鈴もいるのに、少しは人目を気にしなさいってば……」

「普段いがみ合っている僕にまでしっかり焼き芋を分けてくれるあっきゅんは本当女神だ。大好きだよ!」

「…………」

「いたっ……痛い痛い痛い。無言でローキックは地味に痛いからやめてくれ」

「倉鬼のバカ! 芋食いすぎてお腹壊せばいいのよ!」

「そんなに食べていいのかい? いやぁ悪いなぁ」

「っ――――! こんの……朴念仁~~~っ!!」

「鳩尾ぃっ!?」

 

 唐突に怒り出したあっきゅんの鋭い右ストレートが僕の鳩尾に炸裂する! って、め、めちゃくちゃ痛い……。

 正直な話、いつかの妖怪に負わされた手傷よりもえげつない激痛が僕の全身に走っている感が否めない。お腹を押さえて地面をのたうち回る僕は文句の一つでも言ってやろうと思うものの、あっきゅんの妖怪すら動けなくなるであろう冷徹な視線を真正面から受けて口を噤むしかなかった。あれは、一言でも放てば、殺される。

 助けを求めて隣の小鈴に目をやると、呆れたような怒ったような、様々な感情が綯い交ぜになったよく分からない表情で僕を見下ろしていた。

 

「な、なんだい……?」

「……別に。ただ、なーんか今の倉鬼が気に食わなかっただけー」

「ぐはぁっ!?」

 

 なんでもない一言ではあるが、確実に僕の精神にヘヴィなダメージを与えてくるあたり小鈴は凄い。ずっとあっきゅんの傍にいたからか、最近の()撃力の高さには目を見張るものがある。できれば覚醒してほしくない能力ではあったけれど。

 既に味方は一人もいないことを察した僕は寂しくも立ち上がると、いつの間にかあっきゅんに握らされていた焼き芋を片手に溜息を一つ。この場にパチェがいなくて良かった。これ以上の攻撃は僕の精神衛生上よろしくない。輝夜は……あれはあれで面白がって傍観者気取りそうだからやっぱりいなくていい。敵と中立が増えても何の解決にもならないのである。

 とまぁ色々あったけれど、ようやく念願の焼き芋タイムである。既に香ばしい秋の匂いがムンムンと僕の鼻腔を刺激している。二つに割ると姿を現したのは黄金色の果肉。もうこれは、完璧に美味しいことを自ら主張しているじゃないか。思わず涎が垂れそうになるのをグッと堪えて大地の恵みに感謝。穣子様には感謝してもし足りない。

 ……よし、準備は整った。ごくんと一つ生唾を呑み込むと、目の前で黄金の光を放つ財宝をゆっくりと口の中へと誘い――――

 

「見つけましたよ桂木! いざ、必殺神風人攫い!」

「へ?」

 

 凄く腹立たしい声が聞こえたかと思うと、先ほどまで足の下にしっかり存在した大地の感触が覚束ないものになったことに気付く。視界に広がっていた世界も、愛しい小鈴とあっきゅんがいたはずが、いつの間にか豆粒ほどに小さくなっている稗田家の屋敷と人里の一望。おかしいな。地面にいたら確実にあり得ない光景に素っ頓狂な声をあげてしまう。

 嫌な予感に冷や汗が止まらない僕はとりあえず現状確認のために視線を背後に動かす。何者かに俵のように担がれているということだけは感覚で理解したから、犯人だけでも把握しておこうと思ったのだ。まぁ、だいたい見当はついているけれど。 

 ふわりと鼻を擽る黒い翼。白基調の服に紅葉を凝らしたデザインの服を身に纏い、一本下駄をアレンジした靴を履いたそのくそったれな存在に、身に覚えがありすぎた。

 そして何より、僕は気づいた。気付いてしまった。

 さっきまで手に持っていた物。何よりも楽しみにしていた大地の恵み。黄金に輝く財宝。

 

 それが、ない。

 

 おそらくは飛翔した勢いで手から離れてしまったのだろう。もしかしたらこのクサレ妖怪のことだから、それも狙ってあえてあのタイミングで僕を攫った可能性もある。というか、たぶんその説が濃厚だ。

 すべてを理解した僕にできることはただ一つ。腹いっぱいに息を吸い込むと、無性に腹立たしい鼻歌を鳴らす鴉に向けて盛大に叫んだ。

 

「しゃ、め、い、ま、るぅうううううう!! きっさまぁあああああああ!!」

「どうも! 今日も元気に清く正しい新聞記者、射命丸文です!」

「今更名乗りなんていらないんだよ焼き芋返せぇええええ!!」

「あやや。これは失敬。でもそれは無理な相談というか……それより、少し騒がしいのでちょっと手を放しますね」

「はっ?」

 

 とんでもないセリフを耳にした気がするのは気のせいか?

 瞬間、全身を襲う疾走感と落下感。

 

「おまっ、ちょっ……クソガラスぅううううう!!」

「はっはっは! 鴉天狗に逆らう恐ろしさを身に染みて知りなさい!」

「いいから助けろこの鳥頭ぁああああ!!」

「はいはい。仕方ないですねぇ」

 

 こいつは、後で、絶対に殺す。

 なんとかキャッチしてもらい一命を取り留めた僕は、史上最高レベルの怒りをもってそう決心した。

 

 

 

 

 



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第十一頁

 大変お待たせいたしました。


 忌々しい鴉天狗に攫われた先は妖怪の山。秋の紅葉に染まる木々は目を見張る程ではあるものの、道中何度も命を失いかねない危機にあった身からすればまったく喜べない心の色彩。あと少しで黄金の焼き芋に舌鼓を打っているところだったというのに、この怒りは誰にぶつけるべきだろうか。いわずもがな、射命丸文とかいう憎き妖怪だろう。

 

「あやや、そんなに怒らなくても良いじゃあありませんか。同じ山の妖怪の(よしみ)でしょう?」

「今すぐその口を閉じて僕を里に返すんだクソ鳥類。後、僕は別に妖怪の山コミュニティに所属した覚えはまったくない」

「手厳しいですねぇ。ですが、私も一応は妖怪の山ネットワークの一員でして。形式上だろうが何だろうが、仕事はこなさねばならないのですよ」

「僕には関係ない話だ」

 

 妙に食い下がってくる鴉天狗を切り捨てつつもどうにか脱出の糸口を探す。現在僕が置かれているのは妖怪の山の頂上。つまりは湖の畔、とある神社の一室である。ついこの前新しく現れた巫女の本拠地でもあるのだけれど、現在その巫女様とやらは僕らのお茶菓子を用意しに席を離れている。というか、何故妖怪間の話を人間側の神社で行っているのだろうか。セキュリティもクソもない。

 だが、射命丸はへらへら笑いながらあっけらかんと言い放つ。

 

「私としてもあまり口煩い上司に監視されたまま行動するというのは避けたいのですよ。千里眼とか使われたらひとたまりもありませんが、現在白狼天狗は休暇に入っておりますので」

「呑気なもんだね……」

「それに、守矢神社であれば神様達の庇護下でもありますからね。何か起こった時に対策が取りやすい。私の責任も軽くなります」

「本音はそこじゃないか」

「当然。私は常に最低限の責任と最高の自由を以て生きることをモットーとしておりますので」

 

 相変わらずひん曲がった根性をしている射命丸に溜息すら出ない。()()()によると幻想郷ができる前から生きている最古参らしいのだが、どうしてこいつはしれっとした顔で下っ端とかやっているのだろうか。能ある鷹は爪を隠すとはよく言われるけれど、鴉までもが真似をする必要はないと思う。傍迷惑この上ない。

 

「……それで、僕を攫ったのは一体全体どういう理由なのかな?」

「あや、これはこれは。ようやく話を聞いてくれる気になりましたか」

「聞くとは言っていない。ただ、ここで無視し続けても里には帰れそうにないから、さっさと済ませたいだけだ」

「結構結構。いやぁ、巫女の監視を掻い潜って里まで赴いた価値があったってものですよ」

 

 飄々、という二文字が誰よりも似合う妖怪の挙動にいちいち苛立ちを覚えるものの、ここで逆らったところで実力的に敵う訳もない。僕はあくまでも半妖で、相手は年季の入った生粋の妖怪だ。彼女が本気を出せば、僕なんて一瞬で紅葉の一枚と化してしまうだろう。それでもこの鴉が僕に最低限の節度を持って対応してくれているのは、今はどこに行ったかもしれない()()()のおかげか。どちらにせよ嬉しくはないけど。

 射命丸はあくまでへらっとした態度を崩さないまま、それでも瞳の奥に大妖怪特有の威圧感を秘め、こう言った。

 

「いい加減に、母親の代わりに山の四天王になることを容認してくれませんかね、桂木倉鬼」

「……僕は半妖だ。妖怪の山を治める化物の一角になんてなれる器じゃないと思うんだけど」

「そうですね。貴方自身は能力を持った妖怪……いえ、どちらかというと人間に近いくらいの存在でしょう。お世辞にも、私達天狗の上に君臨できる力は持っていない」

「だったら……」

「でも、大切なのは実力じゃなくて肩書きなんですよ。鬼の力(・・・)を持った者が妖怪の山にいる。それだけで組織というものは綺麗に、統率して動くことができるのです」

「……星熊さんと伊吹さんに任せたらいいじゃないか。それこそ、どこぞで仙人の真似事やってる茨木さんでもいいし」

 

 幻想郷でも随一の知名度を誇る鬼の二人の名を出してなんとか逃げ道を模索する。茨木さんに関しては自身がおにであることを隠しているようなので、流れで生を出した以外の何物でもないが、前の二人は話が別だ。そもそも、この二人が妖怪の山を取り仕切っていたのだから、最後まで責任を持つべきだろうに。

 ……それがたとえ、僕の母親が関わっていたとしても、僕には関係のない話なのだから。

 しかしながら目の前の鴉天狗はそれが気に入らないらしく、苛立たしげに烏帽子の位置を弄ると軽く舌を鳴らした。

 

「それ、分かって言っているでしょう? 勇儀さんは地底に引き篭もっちゃったし、萃香さんは幻想郷をどこへやら。華仙さんはそもそも自分の立ち位置すらふわふわしているし、頼るとか任せるとかそういう次元じゃないんですよ」

「だからと言って半端者の僕に頼るのはもっと違うだろうに」

「こっちだって本当は貴方みたいな雑魚妖怪に頼みたくなんかないですよ。ただ、今は妖怪の山の威厳を最低限保つことが必要なんです。この神社の神様だとか、寺とか聖徳太子とか……ただでさえ既存の有力者相手に逼迫している状況だっていうのに、新参の化け物が増えてきて大変なのよ。あーもー、なんでこう中間管理職ってのは貧乏くじを引かされるかな」

「素が出てるぞクソ鴉」

「ここでくらい素を出させてよただでさえいつも気ぃ張って疲れてるんだから」

 

 いつの間にか正座を崩して胡坐を組みながら大仰に肩を鳴らす射命丸。もうさっきまでの慇懃無礼な態度はどこへやら。すっかりくだけてフランクな言動が残されていて。まぁ僕としてはこっちの雑な射命丸の方が慣れているから、変にキャラを作られても気色が悪いだけなのだけれど。

 ていうか、こいつも大概長い付き合いなのだから分かっているだろうに。

 

「アンタの胃痛を治す手伝いをできなくて申し訳ないけれど、もう何回も言っているように僕は人里の生活をこれでも気に入っているんだよ。妖怪の山なんて閉じこもった場所で暮らすのは死んでもごめんだね。……それが、あの馬鹿母の尻拭いって言うのなら尚更さ」

「貴方の存在が、その人里を危険に巻き込む可能性があるっていうとしても?」

「僕は僕の大切な人達が無事ならそれでいいし、その為にはなんだってする。……でも、最優先事項は手のかかる幼馴染の子守でね。ただでさえ手が足りないのに、これ以上の人数を面倒なんて見ていられないよ。他を当たってくれ」

「……力づくでも首を縦に振らせてやろうかしら」

「止めておいた方がいいよ。だって、ほら……紅白巫女が来てる」

「えっ」

 

 俺の頑なな態度に業を煮やしたのか、団扇片手に鳥肌が立つくらいの殺気を向けてくる射命丸ではあったものの、最恐最悪暴走巫女の名前を出した途端に顔を青褪めてキョロキョロと周りを見渡していた。どんだけ怖いんだよ、というツッコミを入れたいところではあるけれど、僕は僕でやるべきことがある。

 懐に手を入れて取り出すのは一枚の御札。護身用に、と博麗の巫女から一枚渡されていたのが功を奏したらしい。射命丸の目が離れているのを確認すると、間髪入れずにお札を地面に貼って発動する。

 

「あっ、馬鹿桂木貴方騙したわね――!」

「帰ったら博麗の巫女にチクるからな覚悟しておけよクソ天狗」

「転移の御札なんてずるいわよ! こら、待ちなさ――」

「さらばっ!」

 

 慌てて手を伸ばして来る天狗ではあるが、そこは博麗印の転移札。いくら幻想郷最速を謳う射命丸文であったとしても僕を捕まえることはできない。さすがに僕自身の『速度を操る程度の能力』程度では彼女のスピードに適わないことは明白なので、非常に助かった。

 一瞬の暗転と引っ繰り返るような浮遊感。乗り物酔いのような感覚に襲われたかと思うと、目の前に広がるのは見覚えのある小さな神社。だが、さっきまで幽閉されていた守矢神社とは違う、少しだけ古びた印象を抱かせる場所。周囲を木々に囲まれたその場所は、幻想郷では知らないものなどいないほど有名な、悪名高い神社で――

 

「誰の神社が悪名高いのよコラ。萃香と一緒に素揚げにしてやろうかしら」

「ごめんなさい」

「やーい怒られてやんの倉鬼の間抜けぇー」

「アンタのことも言ってんのよ穀潰しが。両方の角へし折って漢方薬にしてやろうか」

「うぇぇ、ごめんよ霊夢ぅ~」

「……クソチビ」

「あぁん? 半妖の分際でくびり殺してやろうか」

「二人とも?」

『すみませんでした』

 

 嵐のような流れで最終的に二人して額を石畳に擦り付ける始末。隣で角を踏みつけられているのは紛れもない大妖怪の酒呑童子であるなんていったい誰が信じるだろう。こんなチビで酒臭いヤツが妖怪の山の頂点だとか笑うに笑えない。

 だけどそれ以上に、幻想郷のすべてを牛耳る実力者が目の前の華奢な女の子だという事実も目を疑うレベルだろう。見てくれは十代半ばだが、下級妖怪なら名前を聞いただけで震えあがる程の災害。幻想郷の調停者、博麗霊夢。通称、博麗の巫女。

 博麗の巫女はもはや癖になったらしい溜息をつくと、僕の横腹を幣で叩く。

 

「暴力反対」

「面倒事を持ち込む奴に人権はないわ」

「今回は射命丸から逃げてきただけなので面倒事とかはないんだけど」

「アンタ自身が面倒事そのものだって言ってんのよ。鬼の子供、それも元山の四天王の倅だなんて酒の肴にもなりゃしないわ」

「じゃあそこの現山の四天王はどうなんだよ」

「萃香はたまに役に立つからいいのよ」

「そうだそうだー! お前みたいな色ボケ半妖とは違うんだぞー!」

「お前が鬼じゃなかったらぶん殴ってた」

「やってみろよ半妖。その半端な速度しかない拳でやれるものなら」

「……帰る」

 

 伊吹さんに煽られるのは死ぬほど腹立たしいことこの上ないが、どうせ勝てないのは事実なので大人しく手を引くことにする。ここで変に食い下がって乱闘にでも発展しようものなら、そのまま永遠亭行きは確実だ。下手すると冥界まで送られる可能性も否定できない。

 

「人里まで送っていこうか? また文のやつに捕まるのも嫌でしょ」

「……お願いします」

「一人で里にも帰れないとか情けない鬼だなー」

「……三倍速」

「あいだっ!? てんめ、能力全開で石ぶつけやがって――」

「萃香五月蝿い黙ってて。ほら行くわよ桂木」

「んべー」

「……桂木」

「すみません」

 

 せめてもの意趣返しとして石を投げて舌を出しておいた。余計な挑発行為に博麗の巫女からの殺意が半端無いので、すぐさま押し留めはしたけれど。

 相も変わらず、鬼も天狗もマトモなやつはいないらしい。

 

 

 



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第十二頁

 お久しぶりです。


 今日も今日とて鈴奈庵。いつものように小鈴に会いに足を運んだ僕はというと、彼女が淹れてくれた紅茶を片手に新聞を読むという優雅なひとときを送っているところだ。これが天狗が書いたものだというのが少々気に食わないものの、シチュエーションとしてはなんら問題はない。

 

「倉鬼、お菓子はいる? 最近魔理沙さんから美味しいクッキーを貰ったんだけど」

「ありがとう、じゃあ貰おうかな」

「うん、準備してくるから少し待っててね」

 

 そう言って笑顔を浮かべると、軽やかな足取りで裏に引っ込んでいく小鈴。なんだか昔に比べて少々優しくなっている気がする。無縁塚での一件以来、どことなく僕に対して過保護な面が見え始めている小鈴であるが、僕としては嬉しいやら寂しいやら。妖怪……ではなく半妖の僕が人間の小鈴に心配されているという状況場結構情けなかったりするところではあった。

 自分の不甲斐なさに溜息を零す。僕がもっと強ければこんなことにもならないのだろうが……華麗に彼女を守り通して惚れ直してもらうには、ちょっとばかし力量が足りないらしい。

 

「能力も三倍速が精一杯だし、少しは修行でもした方がいいのかね……」

「あら、殊勝な心掛けじゃない。昼行燈の貴女でも少しはそういうのに興味が出てきたのかしら?」

「その辛辣具合はあっきゅんだな。相も変わらず一言目から毒が強いねこんにちは」

「えっと、その……修行とかなら美鈴が打ってつけだから、ウチに泊まり込みとかはどう……?」

「……うん?」

 

 いつも通りの溜息具合なあっきゅんはさておくとして、明らかにこの場に似つかわしくない声がしたような気がする。具体的には年がら年中図書館に引きこもってそうな、そんな陰気な雰囲気が。

 慌てて視線を声の方に移す。口元を「へ」の字に不機嫌そうに腕を組んでいるあっきゅんは一旦スルーしておくものの、その隣で少し居心地悪そうに視線を泳がせているモヤシっ子はもしかしなくても……、

 

「あれ、こんなところに来るなんて珍しいじゃないかパチェ」

「え、えぇ……少しヤボ用でね……」

「しかもあっきゅんと一緒なんてどうしたんだい? 紅魔館は稗田家に弱みでも握られたのかな?」

「おい」

 

 ブーツで脛をがしがし蹴るのはやめてほしいよあっきゅん。

 ところでパチェである。魔女であり紅魔図書館の管理者である彼女が人里に来るのは珍しい。それに、見る限りだとお付きの小悪魔や美鈴もいないようだ。ここまで一人で来たという事実も結構驚くべきことではある。外見自体は人間と変わらないから悪目立ちはしないだろうが……いや、服装自体は結構浮くか。

 隣のあっきゅんがこれでもかってくらいに和服だから、パチェが対象的だ。それに、胸も凹凸が二人でそれぞれ違うんで一粒で二度美味しい。ふむ、眼福。

 

「何を考えているかは知らないけれど、気に食わないから蹴っ飛ばすわね」

「理不尽がすぎる。助けてパチェ、この見かけによらず暴力的な文学少女に虐められちゃう」

「……変態」

「ジト目で言い放つのは必要以上に傷つくからできれば勘弁してほしいかな?」

 

 温度差のありすぎる文系少女達から罵声と暴力を浴びせられてしまい僕の立場が危うい。このままでは鈴奈庵的ヒエラルキーの最下層に蹴り落されてしまいそうだ。元々最底辺だろというツッコミは心の中に留めておいていただきたい。

 僕が理不尽な境遇に咽び泣いている辺りでクッキーを持った小鈴が戻ってくる。が、おそらくは見覚えのないであろうパチェを見かけると少々驚いたように目を丸くした。

 

「いらっしゃい阿求。えっと、そちらの方はお客様ですか?」

「……えぇ、本を借りたくてね。ここには珍しいものが置いてあるって聞いたものだから」

「なるほど、そういうことであれば是非ご覧ください! 普段ではお目にかかれない外来本なども多数取り揃えておりますよ! 倉鬼の知り合いって言うことであれば少しくらいはサービスするので、よろしくお願いします!」

「えぇ、ありがとう」

 

 客と分かるやセールスモードにシフトチェンジする小鈴にも驚くが、軽く微笑みつつ大人な対応をするパチェも見慣れなさすぎる。そういえば二人は初対面であったか、魔女であることも知らないようなので、特段不思議な対応でもないのだろう。

 正体を一応言っておくべきなのだろうか。ちらとあっきゅんに視線をやると首を左右に肩を竦めていらっしゃる。「やめておけ」と言うことらしい。確かに、僕や慧音さんみたいな人里に馴染んでいる半妖ならいざ知らず、吸血鬼の館の魔女とかいう見えている地雷を公にする必要もないだろう。人間側に属している小鈴を無暗にこちら側へ引き込むこともあるまい。

 それはそれとして、何故かニコニコ笑顔のままパチェに話しかけ始めるあっきゅん。こないだの永遠亭では仲が悪そうに見えたが、同じ引きこもり系美少女としてやはり通ずるものがあるのだろうか。見た目は可愛い女の子たちに囲まれながら茶菓子を嗜むなんて、滅茶苦茶贅沢なことをしている気分だ。

 あっきゅんは軽く小首を傾げつつ、気品に満ちた笑顔を浮かべ――

 

「そちらの図書館で見つからないなんて、ご自慢の蔵書も大したことないんですねぇ?」

 

 開口一番に途轍もない喧嘩を吹っ掛け始めていた。

 

「……あら、そんな下品ないちゃもんをつけてくるなんて、稗田家当主も存外下賤なのかしら?」

「いえいえ、貴女ほどでは。いつもはこんなところに来ることはない癖に、どうして倉鬼がいる日に限って鈴奈庵に来店したのかなぁ、不思議だなぁとか思ったりもしていないですし、こんな普通の本が置いてあるだけの店よりもそちらの不思議な(・・・・)本で事足りているんではないですか?」

「ウチの本だと効果が出なかったから、こうして外来本を求めて来ていることは先ほど説明したと思うのだけれど、完全記憶能力というのは飾りということでよろしいわね?」

「…………ふふふ」

「…………おほほ」

 

 なんだこの冷え切った空気は。

 二人とも上品を装って笑い合ってはいるものお、目が完全に据わりきっているので冷や汗が止まらない。外見的には非力そうなのも相まってか、真ん中に挟まれている僕へのプレッシャーが尋常ではなかった。これは下手に口を出そうものなら絶対に痛い目を見るやつだ、僕は経験則から知っているんだ。

 

「あの二人、仲良いのねぇ。倉鬼と阿求の知り合いなんでしょ? 私にも紹介してよ」

「……それはいいんだけど、頼むから小鈴だけは向こう側には行かないでくれ」

「はぁ? 何の話しているのさ」

「こっちの話です」

 

 事情を何一つ知らない小鈴からしてみればそら意味不明ではあるだろう。というより、あの二人がなんで喧嘩しているのか僕ですら分からない始末だし。ほんとキミらどうしてそんなに仲が悪いのかね。

 しばらくいがみ合っていた二人を茶菓子でなんとか諫めつつ、ひとまずは卓を囲むことにした。隣に小鈴、向かい側にあっきゅんとパチェの座席順である。珍しくも小鈴が僕の隣を譲ろうとしなかったから人知れず浮かれているところだ。えへへ、嬉しいねぇ。

 

「えっと、本居小鈴って言います。鈴奈庵の娘で、阿求や倉鬼とは幼馴染です」

「パチュリー・ノーレッジよ。倉鬼とは……まぁ、腐れ縁みたいなものかしらね」

「そんな寂しいこと言わないでくれよパチェ、いつもお茶を淹れてもらう仲じゃないか」

「貴方が無理やり押し入っているだけでしょうが……嫌では、ないけど」

「あ、えっと、もしかして……倉鬼と深い仲だったり、するんですか……?」

「む、むきゅ!? あ、いや、別にそんなことは! そんな風であればいいなぁとか思うけれど全然迷惑だし馬鹿だしあぁでもそういうわけでは」

「落ち着けパチェ。それと勘違いしないでね小鈴。僕とパチェはただの友達だから」

「そ、そうなんだ……」

 

 何やら滅茶苦茶な誤解をしかけていた小鈴を慌てて説き伏せる。危ない……まさかこんな方向から僕の恋路が終焉を迎えかけるとは思わなかった。パチェにも迷惑だろうし、変な認識が定着する前に対処しておかないと。

 僕の言葉になんとか落ち着いてくれたらしい小鈴。どこか安堵した表情をしている気がするが、どうしたのだろうか。まぁ、僕が考えたところで乙女の思考回路なんてわかるはずがないので、ひとまずは置いておく。

 

「ほら、混乱していないで探しに来た本の種類とかでも聞いたらどうなんですか」

「むきゅっ!? あ、そ、そうね……」

 

 未だに顔を真っ赤にしてぶつぶつ呪文を唱え続けているパチェの後頭部に手刀をぶち込むあっきゅん。毎回思うがあの子も結構過激な部分があるよなぁとはここ数年。本人に言うと何をされるか分かったものではないから言わないけれど。

 紅茶をぐいと煽りようやく落ち着いたらしい。何度かの深呼吸の後、何故か少々頬を染めながらちらちらとこちらに視線を送ってくる。どうしたんだろう。僕が二枚目すぎて目が離せないのだろうか。

 

「勘違い乙」

「蹴りながら言うんじゃないよ」

 

 あっきゅんのブーツ攻撃は結構痛いということをそろそろ学んでほしい。

 もじもじと中々言い出さないパチェに助け舟を出す意図もあってか、小鈴が口を開く。

 

「ウチの品揃えはそこまで良くはないかもしれないですけど、お力にはなれると思いますよ。外来本は幻想郷にはない知識の宝庫ですし」

「え、えぇ……ありがとう」

「いえ、ある程度は取り寄せとか、探したりとかもできるかもしれないので」

 

 小鈴の言葉にパチェも表情を綻ばせる。相手が誰であっても「本」のことであればこうして分け隔てなく対応できるのは小鈴の強い部分だ。パチェのことを「妖怪」だと思っていないからというのはあるだろうが、こういったところに自分も助けられているところはある。やっぱり好きだなぁ。

 パチェもようやく落ち着いてきたらしい。多少視線を泳がせつつではあるが、求めている書物を口にする気になったようだ。

 さてさて、紅魔館の蔵書をもってしても足りないという本はいったい何なのか……。

 

「い、異性の心を射止める技法書、みたいなのを探しているのだけれど……」

「……はい?」

「はぁ!?」

 

 恥ずかしそうに漏らすパチェ。

 笑顔のまま固まってしまう小鈴。

 目を見開きながら立ち上がるあっきゅん。

 三者三様の反応を目にしつつ、僕はというと誰も手をつけようとしない抹茶クッキーに舌鼓を打つのだった。

 

 




 東方ロストワードのおかげでようやく続きが書けそうです。


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