青学・新チームの挑戦 (空念)
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序 新レギュラー決定
あの全国大会から半月後、新学期が始まった。
全国を戦った三年生は引退し、残った一・二年生に部活が引き継がれた。だが、彼らには全国大会のことを振り返っている余裕は無い。新部長の下、先輩達から受け継いできた強豪校としての伝統を守るべく、日々練習に励んでいる。
そして九月に入り、彼らにとっての最初の山場、校内ランキング戦が行われた。
次の新人戦の団体戦レギュラーを決める大事な一戦である。彼らの熱の入りようは凄まじかった。まあ、旧チームからのレギュラーである三人――海堂薫、桃城武、越前リョーマにとっては、単なる通過点でしか無かったが。
「楽勝。まだまだだね」
「お前……少しは先輩を敬え」
生意気な言葉を口にする後輩に、呆れたようにため息をつく二年・池田雅也。だが、実力の差は歴然であるので、仕方が無い。彼が越前リョーマにランキング戦で完敗するのは、これで三度目である。
だが、今回は池田自身も越前戦以外は全勝しており、レギュラー入りが決定している。その嬉しさが表に出て、後輩の毒舌も今回は気にならない。
そして、他のブロックでも、レギュラーが決まりつつあった。
新部長の海堂薫や副部長の桃城武は当然レギュラー入り。それ以外では、荒井将史や永山美智夫、伏見彩太も勝ち上がった。
その中でも、最もサプライズだったのが、とある部員が勝ち抜いた事である。その部員の名は、一年の加藤勝郎、通称カチロー。リョーマの応援トリオの一人である。
今回のランキング戦、実は海堂の『旧レギュラー以外はどんぐりの背比べ。誰がレギュラーになっても一緒』という考えから、旧レギュラー以外は籤で振り分けられたという事があった。その為、いささか偏った振り分けになったのである。そして比較的一年生が集まったブロックを、カチローが勝ち抜いたという訳である。だが、運も実力の内。勝ちは勝ちである。それに、カチローが勝ち抜いたのは、彼の努力の賜物である。
「レギュラー入りおめでとう」
素直に祝福する、応援トリオの一人である水野カツオ。
「畜生っ、このテニス暦二年の俺が負けるなんて……」
そしてコートでへたり込みながら、これまた応援トリオの一人である堀尾が悔しそうに声を上げる。とはいえ、内心では彼もカチローを祝福していた。水野も堀尾も、カチローが毎日努力していたのを知っていたのだから。今回のランキング戦で、カチローが二年生に勝ったのも、その成果が表れたというべきか。
「二人とも、ありがとう。僕、レギュラーの足を引っ張らないように頑張るよ」
念願のレギュラー入りに、新たに意気込みを語るカチロー。そんな彼に、リョーマも彼なりの祝福の言葉を投げかけた。
「ふっ、まだまだだね」
こうして、新チームのレギュラーが決まった。だが旧レギュラーから海堂、桃城、リョーマが残ったとは言え、三年生が抜けた穴はあまりにも大きかった。シングルスは旧レギュラー三人で何とかなるかもしれないが、明らかにダブルスが弱点である。その為、新人戦に向けて、顧問の竜崎スミレは大いに頭を悩ませるのであった。
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第一話 桃城の新技
青学 不動峰
ダブルス2 永山・伏見 桜井・刀根
ダブルス1 荒井・池田 内村・森
シングルス3 桃城 石田
シングルス2 越前 伊武
シングルス1 海堂 神尾
補欠 加藤 白松
レギュラーが決まってすぐに、新人戦地区大会が始まった。今大会、前評判が高いのは青春学園と不動峰である。どちらも旧チームの戦力を残している為、最初から有力視されている。
だが、今回は不動峰の方が評判が高かった。青学と不動峰のシングルスは互角。だが、ダブルスでは現時点では差があった。不動峰は旧チームの全国ベスト8メンバーからは六人が残っており、ダブルスも全国を経験した選手が揃っているのである。
それでも青学は決勝まで勝ちあがった。しかし、その決勝では大方の予想通り不動峰相手に苦戦していたのである。
*****
「くそっ、やられた!」
「あいつら、容赦ねえな」
ダブルス1の試合で敗れて戻って来た荒井は、苛立ったような様子である。相手の内村・森ペアに翻弄され、いい様にあしらわれた悔しさがにじみ出ている。
その隣では、池田が力無く首を振っている。スコアは『6-0』で、まさに力の差は歴然である。
先にダブルス2の永山・伏見ペアも相手の桜井・刀根ペアに『6-1』で叩き潰されている。もう一敗も出来ない状況である。
「……情けねえ。もっと根性見せやがれ」
海堂があっけなく敗れて戻ってきた二人を睨みすえる。
誤解の無いように言っておくと、荒井たちも決して勝負を諦めたわけではない。彼らとて、ここまで頑張ってきたのである。準決勝まではヨタヨタしながらも、一敗もせずに何とか青学の面目を保ってきたのだ。ただ、今回は彼らにとって相手が強すぎたのである。
その一方で、海堂ら旧チームのレギュラーはまだまだ余力を残している。むしろ、全然本気を出していなかった分、力が有り余っている感じである。
「桃先輩、これ以上負けられないっすね」
「ああ……お前ら、後は俺らに任せろ」
シングルス3の桃城が、勢い良くコートに飛び出していく。その対戦相手は、石田鉄。パワーを誇る両者の対決である。
本来なら、シングルス3は越前であった。だが、小柄な越前では石田鉄の波動球を受けるのは困難だと判断した顧問の竜崎は、シングルス2の桃城と入れ替えて決勝に臨んだのである。
だが、試合が始まれば、石田は通常の波動球に加え、ジャンプ波動球やノーステップ波動球まで駆使して最初から飛ばしてきた。傍から見れば、桃城は防戦一方に見える。
「おいっ! 俺のラケット壊す気か!」
桃城は波動球を必死で受け止めながら叫ぶ。もうこれで三本目である。最初に使っていたラケットのガットは破壊され、二本目のラケットも大穴が開いている。今のラケットも粉砕されれば、もう使えるラケットがなくなってしまう。
普通なら、こんなに頻繁に波動球を打ち込むのは不可能である。波動球による故障を防ぐ為、石田は波動球を一試合に二度以上使うのを、前部長の橘から禁止されていた程である。
だが、ジャンプ波動球を会得した事で、連続での使用が可能になった。普通の波動球は腕力で力任せに振りぬく分、負担も大きかった。だが、ジャンプ波動球ならば全体重を乗せて球を打つので、腕への負担も比較的少ない。これが、何度も波動球を打てる理由である。
さすがに全部の球を波動球で返すのは不可能だが、ここぞという時に使用するので、桃城は石田を大きくリード出来ない。それでも桃城は何とか緩急を使って相手の虚を突き、ジャックナイフで切り開いてブレイクを許さない。まさに一進一退の攻防が続いていた。だが、このままでは決め手に欠ける。
途中、桃城は波動球の弱点に気付き、球を相手の足元に打ち込むことで石田の波動球を封じていた。足元の打球を波動球の打ち方で捉えるのは難しく、捉えたとしてもネットに引っかかる。無理に掬い上げれば場外ホームランである。
その作戦は、最初は上手くいっていた。だが、石田は試合の途中で無回転波動球を会得してしまったのだ。無回転の球は空気抵抗が大きく、その為に掬い上げるような打ち方でも途中で急降下し、コートに入ってしまう。桃城の波動球封じは、見事に敗れたのである。
もたもたしていては負けるばかりではなく、石田の馬鹿力によって怪我させられてしまうかもしれない。これ以上は好き勝手に波動球を打たせる訳にはいかない。
試合展開的にも、ここが勝負所。短い期間とはいえ、先月の全国大会終了後から練習してきた技を、今ここで披露するときである。本当ならもっと上の大会まで取っておきたかったのだが、相手が不動峰ならば仕方が無い。
本来ならば、地区大会の上位二校は都大会に進めるので、今ここで本気を出す必要は無い。だが、青学も不動峰も手を抜くという選択肢は皆無である。
「桃城っ、何してやがる! モタモタしてねえで、さっさと決めやがれっ!」
「うるせえっ、マムシっ!」
あの様子だと、桃城が何をしようとしているのかを、海堂は知っているようである。桃城は海堂に怒鳴り返しながらも、内心で苦笑する。
(全く、人の秘密特訓を覗き見するとは……マジで嫌な野郎だぜ)
だが、正念場なのは確かである。今ここで相手のサービスゲームをブレイクすれば、流れは完全にこちらのものである。
「いくぜっ、俺の桃城スペシャルを喰らいやがれっ!」
桃城は大きく踏み込み、ラケットを構える。その構えは、ジャックナイフである。
「そんなもの、俺の波動球で粉砕してやる。来い、桃城っ!」
ジャックナイフは見飽きた。そう言わんばかりの自信満々な石田の構え。その石田の前で、桃城の放った打球は着地し、そのまま地面を抉るようにして石田の足元を通り過ぎた。
「な、何だと……」
波動球の構えのまま、石田が固まる。いや、固まっていたのは石田だけではない。青学サイドや不動峰サイド、そしてギャラリーも固まっている。いつも冷静な越前でさえ、声も出せずに居た。
「……つ、つばめ返し」
石田が、放心したように呟く。彼の脳裏には、春の地区大会での一戦が蘇っていた。不二周助のつばめ返しを直接喰らった彼は、その時の衝撃を思い出したのだ。
だが、桃城はその石田の呟きを否定した。
「ちげえよ。あんな良いもんじゃねえよ」
見る人からは同じつばめ返しに見えるかもしれない。だが桃城に言わせれば、技の原理が全く違う。
不二周助のつばめ返しは相手の力を利用して強烈なバックスピン、あるいはトップスピンをかけて打つのだが、桃城のそれはジャックナイフの構えから渾身の力を込めて強引に振りぬき、ジャックナイフの数倍の威力のショットを放つ事で、地面を抉って進むような球を放つのである。
確かに、不二のつばめ返しをヒントにした部分はある。だが、桃城のはカウンター技ではなく、明らかな攻め技である。技の原理が違うというのは、このような理由による。
「さあ、どんどん行くぜ!」
相手のポイントをブレイクし、勢いに乗る桃城。それとは反対に、闘志とは裏腹にだんだん押し返される石田であった。
結局、この桃城の新技によって流れが変わり、青学は何とか一勝をあげるのである。だが、トータルではまだ一勝二敗。依然として不利な形勢に変わりは無かった。
【オリキャラ情報】
●刀根 圭太
不動峰中学一年。ダブルス2で桜井のパートナーを務める。
入学時は、昨年に不祥事を起こしたテニス部への入部を避け、実家近くのテニススクールに通っていた。しかし、部員の団結力と全国大会での活躍に感銘を受け、引退した橘と入れ替わるようにして入部した。
プレースタイルそのものは地味だが、基本に忠実で粘り強さが特徴。
●白松 総司
不動峰中学一年。刀根と同じく全国大会直後にテニス部に入部。
地区大会では一度も試合に出なかった。
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第二話 因縁の対決
「全く、ズルイよなぁ……自分らだけ目立っちゃってさ」
シングルス3の試合が終わった瞬間、伊武深司はぼやき始める。既に試合前から戦闘モードに入っているようだ。
(うわ、始まったよ)
その声を聞いた他の不動峰メンバーは、げんなりした様子を見せていた。
「二人とも終盤に新技を披露するなんてさ……出し惜しみせずに、最初から使えばいいのに。観客の気を惹こうと、狙ってやってるよねアレ」
ぼやき続ける伊武。しかし、裏を返せば彼自身もシングルス3の試合に惹かれたという事でもある。彼自身、桃城と石田の試合を見て闘争心が高まっていたのである。
「俺なんて最近目立ってないっていうのにさ。全国大会では、変な『スペシャルなんとか山嵐』喰らってたった一球で棄権負けしちゃったし……こうなったらさ、俺もアレを出すしかないよね」
コートに出て行く越前リョーマを見据えながら、伊武は不敵な笑みを浮かべた。
*****
「久しぶりだね、越前君。君との対戦、楽しみにしてたよ」
「ふーん、またやられに来たんだ?」
試合前の挨拶で、ネット越しに話しかけてくる伊武に対し、挑発で返す越前。相変わらず好戦的な奴である。
「全く、君は相変わらずだね君は……早いとこ潰さないと」
そして、その挑発に伊武が乗るのも相変わらずである。この辺り、両者とも成長していないというべきか。
だが、試合になれば両者とも真剣である。特に伊武は最初から飛ばしており、ペース配分も何もあったものではない。
伊武はトップスピンの掛かった球を打ち込んでくる。その球を打ち返した瞬間、越前はその打球の重さに戸惑った。球の威力も回転数も、これまでとは比べ物にならない程に上がっており、腕に伝わる衝撃が半端ではない。
(――お、重っ!)
それでも、その重い球を打ち返すあたりは、さすがに越前である。だが、次に打ち込まれるのは、強烈なバックスピンの球。伊武の得意技、スポットである。
「またこの技? もう見飽きたんだけど」
伊武のスポットは、春の地区大会で既に攻略済みである。越前は伊武の足元に速い打球を返す。その瞬間、自分の腕が麻痺したような感覚を感じた。
(――何で?)
まだトップスピンとバックスピンの球を一球ずつしか受けていない。それなのに、もう麻痺したようになってしまった。スポットは、逆回転の球を交互に“何度も”受ける事で衝撃のダメージが腕に蓄積して生じる現象。腕が麻痺するには、まだ早すぎる。
「い、今のは……」
予想外の事態に戸惑う越前。それに対して伊武は、不敵な笑みを浮かべて越前を挑発する。
「いつまでも、同じ俺だと思わないで欲しいな。今度は確実に両腕を麻痺させてやるから」
「にゃろぉ……」
一瞬麻痺した腕をサッと振り、ラケットを握りなおす越前。
「リョーマよ、熱くなり過ぎるな! 相手の思うつぼじゃ!」
ラケットを握り締める越前に、竜崎が半ば怒鳴りつけるような調子で声を掛けた。
竜崎が思っていた以上に、越前は冷静であった。彼は最初から伊武の足元に球を返す事で、スライス回転の球しか打たせないようにしていた。春の地区大会では、これによって伊武のスポットを封じたのだ。
だが、今回は伊武の方が一枚上手であった。一体どういう原理なのか、スライス回転の球が途中でトップスピンに変わる打球を打ってきたのだ。
「あれは――ミラージュ! 何で伊武が!?」
青学サイドは、伊武がミラージュを使った事に驚く。ミラージュといえば、関東大会で城成湘南の神城が使った技である。
伊武がミラージュを使うというのは一見ありえないようであるが、実はありえない話ではない。実は不動峰、全国大会直前に城成湘南と練習試合をしており、その時に伊武はミラージュを知ったのだ。それ以降、伊武は神城に根掘り葉掘り聞きまくり、独自に研究を重ねた。全国大会では四天宝寺戦で思わぬアクシデントによって棄権し、披露する暇が無かったが、この新人戦で伊武は一段と成長した姿を見せたのである。
そしてそれ以上に伊武が見に付けたのが、打球の威力である。これまでは小手先だけの技術で何とかなったが、上の大会に進むにつれ、パワー負けする事が多かった。だから伊武は自身の非力さを補う事で弱点を克服してきたのだ。
だから越前がラケットを持ち替えて対応しようとも、短時間では腕のダメージが抜け切らず、両腕ともスポットによって一瞬麻痺させられてしまう。しかも、伊武が両手打ちでは届かないギリギリのコースばかり狙うので、両手打ちもする余裕が無い。どちらの腕で打たせるのかさえもコントロールしているようである。
気がつけばもう『4-0』である。まだ1ゲームも取れないまま、越前は伊武にリードを許していた。
「やけに早くから飛ばしてくるな」
今までに見た伊武のプレースタイルとは全く異なった戦い方に、青学サイドは戸惑う。これまでの伊武の戦い方は、スポットでじわじわ相手を追い詰める等の、どちらかと言えば海堂のような試合運びをする選手であった。それが、今日は最初から攻めまくっている。
互いに手の内をよく知っている同志だから探りも遠慮もいらないという事だろうか。それにしては飛ばしすぎである。
そして、不動峰サイドでも、伊武の試合運びに違和感を感じている者が一人居た。
「深司が最初から飛ばすなんて、珍しいな」
試合を観戦していた神尾が、率直な感想を漏らす。彼に言わせれば、いつもの数倍のリズムで試合を進めている。普段に比べて、あまりにも早すぎた。
「よっしゃ! このまま行けっ!」
神尾の横では、チームメートが興奮して試合を見ている。これまで無敗の越前を追い詰めているのだから、当然である。
だが、神尾は楽観視する気にはなれなかった。あまりにもペースが速すぎる事が気になったのである。
見れば、伊武は表情こそ変えていないが、既に滝のような汗を流している。そこまでして攻めまくる理由は何なのか。
(――あいつ、まさか!)
ずっと考え込んでいた神尾は、とある事に気付いて表情を変える。もし神尾の想像が当たっていたとしたら、大変な事態である。
「深司っ、お前――」
神尾は声をあげかける。その神尾の様子に気付いたのか、伊武は目配せした。その視線は『黙っていろ』とでも言いたげであった。明らかに伊武に異変が起こっており、彼はそれを隠そうとしていたのだ。
だが、その視線によって、神尾は何も言えなくなってしまう。伊武の強い決意を感じたのだ。神尾に出来るのは、早く試合が終わる事を願うのみであった。
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第三話 決着
神尾が危惧したとおり、伊武のペースが落ち始めていた。それに対して越前のペースが上がっていく。越前とて、ただ黙って伊武の技を受けていた訳ではない。彼も強烈な球を伊武の足元深くに返し続ける事で、かなりの体力を奪っていたのだ。
足元の球をミラージュで無理矢理トップスピンに変えて打ち返すのは、相当な労力を要するのだ。これをずっと続けていたのでは、いずれ体力が持たなくなるのは当たり前であった。
疲労が増すにつれて、だんだん伊武の打つコースが甘くなっていく。やはり、すんなりとは終わらない。今度は越前の猛攻が始まった。
「――ドライブBっ!」
たった二球でスポットに陥るのであれば、それ以前に返せばいいだけの事。越前はサーブした直後にネットにダッシュし、ドライブAやドライブBを駆使して伊武を攻め立てる。あるいはリターンでライジングや、不完全ながら零式ドロップまでも使ってポイントを重ねる。
互いに相手を削り合い、追い込んでいく。一方的な流れだったのが、いつしか『5-4』にまで縺れていた。まだ伊武がリードしているものの、流れは完全に越前ペースである。
それでも、伊武は引こうとしない。彼は歯を食いしばり、力が入らなくなってきている腕で無理矢理ラケットを握る。
(もう少し、持ってくれ)
痛む右腕で、越前の球を打ち返す。本音を言えば、限界であった。全国大会の時、四天宝寺戦で遠山の『スペシャル何とか山嵐』(※超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐の事)を打ち返そうとして、見事に腕を壊したのだ。あれから約一ヶ月が経ち、大分痛みも取れてきたものの、完治まではいかなかった。その腕で今まで無理をして練習し、この青学戦でも無理をしたツケが、ここにきて出てきた。
それでも、ようやくここまで来た。これを決めれば、不動峰の勝利である。伊武は痛む腕を振りぬき、球を強打した。
「まだまだ、だねっ!」
越前は容赦なく球を打ち込む。彼自身も既に汗だくである。今まで左右に走らされていた上に、必殺技を連続で出しまくっているのだから、当然である。ここまで来れば、あとは気持ちが強い方が勝つ。越前は勝ちを譲る気は皆無である。
負けられないのは、越前も同じであった。彼自身今まで公式戦では負け無しで来たし、チームとしても全国優勝校としてあっさり負けるわけにはいかなかった。この、試合、勝って海堂に繋がなければならないのだ。
越前は容赦なく球を伊武に叩き込む。試合している内に、伊武の打球がどんどん威力を弱めているのに気付いたのだ。早いペースで試合を進めながらも、いつしか越前は自分のペースに持ち込んでいた。
最初は伊武の速攻に戸惑い、瞬く間に4ゲーム連取された。だが、後半は落ち着いて伊武の体力を削りにいき、後から盛り返した。
それに、伊武の失速はどうやら疲労だけではなさそうである。越前も神尾と同じく、伊武の異変に気付いていた。
「ふ~ん、やるじゃん」
越前は珍しく、対戦相手を褒める。万全の状態で無いにも関わらず、ここまで自分を追い詰めたのだ。伊武という男、やはり強敵である。
「やっぱりアンタ、嫌な奴だよね。けど俺、負けないから」
ポイントは『40-15』であり、伊武のマッチポイントになっていた。これを取られれば越前、あるいは青学の敗退が決定である。
「させないっ!」
伊武が打ち返す球を、越前はドライブBで返す。もう完全に伊武の球からは球威が感じられず、あっさりとポイントを取る。これで『40-30』。次のポイントを取れば、デュースに持ち込める。
あと一球である。あと一球決めれば、越前が勝てる。伊武はもう球を打つのも辛そうであり、持久戦に持ち込めば越前のものである。
伊武がサーブをする。完全に力の無い球が来る。それを渾身の力で、越前はリターンを叩き込んだ。それは完全に伊武の逆を突き、誰もが決まったと思った。
「うぉぉぉーーーっ!」
しかし、伊武は諦めない。目を血走らせ、雄たけびをあげて無理矢理反転し、バランスを崩しながらもラケットを振りぬいた。
だが、球の飛んだ方向は、越前の真正面。伊武は体勢を完全に崩しており、次の行動に移れない。
「この試合、もらった!」
越前はラケットを構え、綺麗にボールを捉える。そして、力強くラケットを振りぬいた。だが、これまでに無かった衝撃が越前の腕に伝わり、越前の手からラケットが離れていった。
*****
「惜しかったな、越前」
「リョーマくん、ドンマイ」
表彰式の最中、桃城とカチローが越前に話しかける。それに対する越前の表情は、少し固い。彼自身、公式戦で始めての黒星なのだ。機嫌が悪いのも仕方が無い。
それでも、都大会の出場権は獲得した。この先、勝ち上がればリベンジする機会もある。
だが、越前にはさっきから気になっている事があった。伊武との試合で、最後に見せられた技に関してである。
(……たった一球で、スポットになった)
二球でスポットになるなら、一球で返すのみ。そうやって越前は伊武を攻略した。だが、最後のゲームは、リターンの後の一球目で腕が痺れた。
伊武が最後に打った球は、返そうとする越前のラケットを喰い込むように押し込んだ。それでも越前が力任せに振りぬこうとすると、今度は球が逆回転し、腕に衝撃が走った。その為に越前はラケットを手放さざるをえなくなったのだ。
「……俺も、まだまだだね」
越前はわずかに笑みを浮かべた。初めての公式戦での黒星。だが、悪い気分ではない。周囲はどう思うか分からないが、リョーマにしてみれば敗戦は珍しい事ではない。彼自身はいつも家では負けており、既に負け慣れているのだ。
(帰ったら、親父とかがうるさいだろうな)
家で年中エロ本を読んで過ごす父を思い出し、越前は内心で苦笑した。
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第四話 練習試合
新人戦地区大会が終わってから一週間後、再び青学名物・校内ランキング戦が行われた。
地区大会で準優勝という結果に終わってしまい、特にダブルスの弱体化を露呈してしまう結果となった。その為、竜崎スミレはレギュラーの梃入れを考えたのだ。
正直なところ、旧チームの大石・菊丸ペアのようなダブルスはなかなか出てこないだろう。だが、強豪校と当たったとき、あまりにもダブルスが不甲斐なさ過ぎた。彼らなりに一生懸命だったのは理解しているものの、このままでは拙いという危機感が竜崎の中にあった。
だが、今回の校内ランキング戦で勝ち残ったのは、以下の八名。海堂、桃城、越前、荒井、永山、伏見、池田、そして加藤の八名である。地区大会のメンバーからは誰一人レギュラー落ちせず、全く代わり映えしないメンバーとなってしまった。
とはいえ、荒井以下五名の心にも、このままでは拙いという危機感が芽生えていた。あまりにもダブルスが弱すぎて、シングルスの三名に負担を掛け過ぎたという意識が強かった。
特に、荒井たちにとって越前の敗戦は、本人以上に大きなショックであった。全国大会では負け無しだった越前が、地区レベルで不動峰相手とはいえ一敗を喫したのだ。その為、心のどこかにあった『ダブルスで負けても何とかなる』という考えは消えていた。自分が何とかしなければ、という意識が強くなっていたのだ。
だから彼らは、練習でもこれまで以上に熱が入っていた。仮にもレギュラーとしての責任が芽生えてきたのだろう。今までは先輩や旧レギュラーにおんぶに抱っこだったのが、ここにきて変わりつつあった。
中でも、特に急成長が見られたのが、一年の加藤である。加藤は練習後も堀尾や水野たちと自主練をしており、休みの日は父親がコーチしているというテニススクールにも顔を出し、懸命に練習に励んでいた。加藤の父親は、越前の親父ほどでは無いがプロになろうかという腕前だった人である。そんな父親の教えを受け、加藤はめきめきと腕を上げていた。
さらに、加藤は頻繁にストリートテニスのコートにも出て行き、他校の生徒との野試合を重ねていた。そのような経験を積み重ねてきて、入学したときよりも、いや、地区大会前よりも一段と成長した姿を見せていた。おそらく、出番は無くともレギュラーの一員になったという事が、加藤のモチベーションを上げたのだろう。ますます練習に熱が入っていた。
そんな生徒たちを見て、竜崎はこいつらを勝たせてやりたいと思っていた。だが、今の環境は切磋琢磨するには少し厳しいと言えた。レギュラーとそれ以外の部員との間の実力の差が大きくなりつつあり、さらに海堂や桃城、越前とそれ以外のレギュラーの差は未だ大きく、主力三人とまともに打ち合えるメンバーは居ない。本当は旧チームのような猛者揃いの状況が異常なのだが、それを考えても選手層の薄さは深刻であった。
もっと色々な相手と試合をさせたい。その方法として手っ取り早いのが、他校との練習試合である。それも、生半可なチームでは駄目だ。
都大会前の練習試合を組む為、竜崎はとある学校に電話をかけた。
*****
「皆、集合しな! 今から皆に言う事がある」
竜崎は部員を集めて連絡事項を伝える。
「土曜に、練習試合をする事になった。都大会前の試合だ。皆、心して掛かるように」
その竜崎の言葉に、部員の皆はざわめく。都大会まで一ヶ月という時期での練習試合に、特にレギュラー陣は気を引き締める。日ごろの練習の成果を試すとともに、都大会を占う一戦ともなる試合である。練習試合とはいえ、重要な一戦なのは間違い無い。
「よっしゃぁ越前、試合だってよ!」
「桃先輩、痛いっす」
桃城がはしゃいで越前の頭をグリグリと撫で、越前は迷惑そうな表情を見せる。そんな桃城に、海堂は呆れかえる。
「……おい、はしゃいでんじゃねえぞ! 小学生かお前は」
「ああ? うるせえんだよマムシ」
海堂の言葉につっかかる桃城。だが、海堂はそれ以上相手しない。彼は桃城から注意をそらすと、竜崎に問いかけた。
「……それで、相手はどこなんです?」
「おやおや、肝心の相手を言い忘れてたさね」
はっはっはっ、と豪快に笑う竜崎。だが、次の顧問の言葉が、部員全員を凍りつかせた。
「練習試合の相手は、氷帝学園だよ。心して掛かんな!」
「ひ、氷帝だと!?」
竜崎の言葉に、呆気に取られる海堂。むろん彼だけでなく、他の部員も固まるのであった。
氷帝学園といえば、130人以上の部員を抱える大所帯である。旧チームから跡部や忍足らが抜けたとはいえ、強豪揃いの学校である。旧チームでは二度公式戦で対戦しており、関東大会でも全国大会でも大苦戦した相手である。
今回も都大会を勝ち進めば当たる可能性のある学校であり、戦力を測る意味でも意味のある試合なのだろう。しかし、一歩間違えばこちらの戦力を見切られる恐れもある。それをあえてやろうと言うからには、竜崎なりの考えがあるのだろう。
だが、対戦相手はまだ序の口であった。その練習試合のオーダーを聞いて、レギュラーたちはさらに驚愕するのであった。
「な、何だと……俺がシングルス1だと!?」
試合のオーダーを聞いて、荒井は叫び声をあげる。荒井だけではない。他のレギュラーからも悲鳴に近い叫び声が出た。
「マジで! 越前がダブルスだと!?」
「越前にダブルスなんて無理だろ! 一体何考えてんだバアさんっ!」
「……先輩達、失礼っす」
口々に出てくる、非難の声。オーダーを組みなおした方がいいのではという部員の声に、竜崎は一喝する。
「馬鹿者っ! 試合前からビビッてどうする! もうこれは決定だよ。いつまでも文句を言う奴は、即レギュラーから外すよ!」
その言葉に、部員は何も言えなくなってしまう。だが、心の中では『ヤバイ、ヤバイ……』という声が絶えず響いていた。
竜崎には竜崎の狙いがあるのだろうが、これでは不安が増すばかりである。ひどい奴なんか、バアさんは耄碌したのかとさえ思っていた。
【氷帝戦オーダー】
ダブルス2 海堂・桃城
ダブルス1 越前・加藤
シングルス3 伏見
シングルス2 永山
シングルス1 荒井
補欠 池田
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第五話 それぞれの特訓
顧問の竜崎の発言は、青学メンバーを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだ。何せ、氷帝との練習試合にあたって、メンバーそれぞれが苦手な分野での試合を強いられる事になったのだから。
部長の海堂はもちろん、青学メンバー全員がいっそう練習に熱が入ったことは言うまでもないだろう。
いや、熱が入るというよりは、危機感で追い込まれていたというべきか。もう、不動峰戦のように、何もできず良い所無しで終わる訳にはいかない。その焦りもあってか、正規練習が終わった後も、メンバー全員がそれぞれ自主練に励んでいた。
*****
『ゲームウォンバイ、泉・布川』
ストリートテニス場に響く審判の声。
「……相変わらずダブルス下手だな」
呆れたように声をかけたのは、元玉林ダブルスの泉。それに対して、リョーマはむすっとした表情を崩そうとしない。
「やっぱ、自分のコートになんかチラチラいると、ペースが狂うんだよね」
「リョーマ君、それは無いでしょ!」
そう言っては、ペアを組むカチローに怒られるリョーマであった。
「お前、本当にダブルスの陣形覚える気あんのか?」
リョーマの発言に頭を抱える布川。彼ら元玉林コンビは、来る氷帝との練習試合に向けて特訓を重ねる越前・加藤ペアの練習相手になっていたのだ。
わざわざストリートテニス場に来なくても、青学ほどの学校であれば練習相手には事欠かない筈。実際、越前加藤には大石菊丸という旧チームの黄金ペアが練習相手になっていたのだ。だが、相手が悪すぎたというべきか、黄金ペア相手では全く手も足も出ず、1ゲームも取れずにいた。そもそも、海堂桃城ペアにすら勝てないのだから、大石菊丸に勝てる訳がない。
それでも、負けず嫌いのリョーマらしく、いつまでも練習したいところだが、さすがに大石菊丸も受験を控える身であり、いつまでも練習に付き合う訳にはいかない。中高一貫校とはいえ、全く受験がない訳ではないのだから。
そこで、練習での不完全燃焼を解消すべく、リョーマ達がストリートテニス場に足を踏み入れたところ、たまたま泉布川が受験勉強もそこそこに遊んでいた所に出くわし、こうして半ば強引に練習相手をさせたという訳。
その結果は、上記の通り。ちぐはぐなコンビネーションの隙を突かれ、陣形もガッタガタに崩され、いいように翻弄される始末。
原因は明らかにリョーマの協調性の無さであるのだが、カチローも強気にリョーマに言い返し、ボロが出まくる事出まくる事。その様子を見ていた周囲は、
(……全くダブルスになってねえじゃん。こいつら、本当に青学レギュラー?)
と疑い始めるのであった。
そして、来る氷帝戦に向けて、不安を振り払うように自主練に取り組む者が、もう一人。
『これ以上やったら、ケガしちゃうよ?』
「構わねえ! もう一丁、お願いします!」
そう言って、ラケットを構える男。今度の練習試合の大将に選ばれた荒井である。その練習相手を務めるのは、引退した旧レギュラー、河村である。
『それじゃあ……いくぜ! バーニング!』
「ぐはっ!!」
ラケットごと吹っ飛ばされ、地面に転がる荒井。それでも、彼は何度も立ち上がる。
「も、もう一丁……」
『無茶だ荒井。これ以上やったら、マジで壊れる』
相手は対戦校ではなく自校の後輩。さすがに後輩をKOする訳にもいかず、バーニング状態の河村も練習を中断しようとする。しかし、それでも荒井は辞めようとしない。
「まだだ……俺には、これしかねえんだよ!」
ボロボロになりながらも、ユラァっと立ち上がる荒井。その気迫は、思わず河村も息をのむほどであった。
『よし、分かった。もう一丁だ』
そして再び迫りくる、バーニングショット。それに対し、荒井の方はもはや反応するのがやっとであった。
(やはり、荒井はもう限界か。そろそろ止めないと……)
そう思い、これを最後の一球にしようと考える河村。そんな彼の脇を、とてつもなく早く力強い返球が通り過ぎる。
(い、今のは……)
さっきまでフラフラになっていた者とは思えない程の力強い打球。これまで返す事すら出来なかった荒井からの思わぬ反撃に、河村は反応が遅れたのだ。
「……さあ、先輩。もう一丁、お願いします」
今までとは別人かと思うような荒井の鋭い眼光を目の当たりにし、河村はしばし茫然としていた。
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第六話 その頃の氷帝
旧チームに比べて明らかに選手層が薄く、弱体化した戦力に加え、変則的なオーダー。危機感を持った青学メンバーは練習試合に向け、日々猛練習に励んでいた。
しかし、メンバーが入れ替わったのは、青学だけではない。氷帝もまた、跡部を筆頭に全国を経験した猛者たちがごっそり抜けてしまい、こちらも戦力が大幅ダウンしていた。
氷帝の旧チームからのメンバーは、部長の日吉、副部長の鳳、そして樺地。青学と同じく三名である。他のメンバーは全員新レギュラーである。
いや、厳密にはレギュラーとは言えないかもしれない。上記の三名以外は全くの白紙で、その為にメンバー入りを賭けた試合が日々行われていたのだから。
そして、旧チームのレギュラーである三名も安泰ではない。特に日吉などは、公式戦でスタミナ不足を露呈してしまい、これまで何度も惨敗を喫している為、崖っぷちである。関東大会では越前戦で相手のでたらめなペースについていけずに押し切られ、全国大会では速攻戦術を仕掛けて追い詰めるも、海堂の粘りにあと1ポイントが取れないままスタミナ切れで大逆転負け。敗者切り捨てが方針である氷帝にあって、二敗しながらレギュラーで居続けられるのは奇跡に等しいが、日吉にはもう後が無いのも事実であった。
だが、部内で試合をすれば、一番強いのもまた日吉である。鳳はサーブだけでレギュラーに上り詰めた身であり、樺地は相手のプレーを模倣する天才だが正確にムラがあり、アクシデントに弱い。氷帝もまた、内に弱点を抱えた状態であった。
*****
「オラぁ、お前ら! そんなんで青学に勝てんのかよ!」
後輩相手にラケットを振るうのは、旧チームのレギュラー・宍戸。そして、コートの傍らには宍戸に敗れた部員たちが疲労困憊で転がっている。その惨状、まさに死屍累々。
「やべえ、やべえよ。マジで殺される……」
宍戸の剣幕に気圧され、戦慄する準レギュラーの部員たち。何より凄まじいのは、これだけの部員を相手にして、全く落ちていない宍戸の体力であろう。一見、宍戸のストレス発散に見えるのだが、一番過酷なのは間違いなく宍戸である。しかし、そんな宍戸よりも後輩部員たちの方がへばるのが早かった。
「宍戸さん、おかしいだろ。この試合でもう何人目だよ」
「やっぱ、全国行った正レギュラーはレベル違いだぜ」
一人、また一人と宍戸に敗れ、倒れ伏す。その不甲斐ない姿に、宍戸はさらの大声を張り上げる。
「お前ら、激ダサなんだよ! この程度でへばってんじゃねえぞ!」
宍戸の檄に、何人かの部員が反応する。だが、彼らもまたすぐに宍戸に圧倒され、へばっていく。その様子が、宍戸にはどうにも歯がゆいものに映っていた。自身も、かつて都大会で橘に敗れてレギュラー落ちし、どん底から這い上がった経験を持つだけに、後輩のヘタレぶりが気になって仕方ないのであろう。
「おらおら! この俺を倒そうって奴はいねえのかよ!」
宍戸がそう吠えた時、一人の部員がゆっくりとコートに立つ。
「宍戸さん、俺が行きますよ」
「長太郎か。来い」
そして、その宍戸が練習相手になっているコートの傍らで、もう一つの試合が行われていた。
「そんなんじゃ、またスタミナ切れで負けちまうぜ?」
「くっ……下剋上だ……」
汗だくになりながらもラケットを構える日吉。相手は跡部である。試合そのものは一進一退の攻防の末、タイブレークへと突入していた。ただ、両者の様子を見れば差は歴然。跡部の方は汗一つかかずに余裕の表情を見せており、一方の日吉は見るからに限界が近かった。その事からも、跡部の方が意図的に試合を長引かせているのは明白だった。
「くそっ、舐めやがって!」
体は限界でも、心はまだ死んではいない。渾身の演舞テニスで変則的なショットを放ち、何とかポイントを奪取する。
「下剋上だ。ここで跡部部長を倒して……何っ!?」
ポイントを取っても、すぐに返される。跡部のタンホイザーサーブですぐに逆転され、リードを許してしまう。
「俺様の美技は、日々輝きを増す。なあ、樺地?」
「……ウッス」
跡部の問いかけに、試合を見ていた樺地の相槌。それがどうにも、日吉の癇に障る。
「クソ、舐めんじゃねえっ!」
怒りからなのか、我を忘れた様子の日吉が猛然と攻勢を仕掛ける。先ほどまでの疲労困憊したような動きと違い、明らかに反応が良くなっていた。変則的で予測不可能な構えから繰り出されるショットのキレは増しており、さしもの跡部も余裕ではいられなくなる。
(まだ、これほどまでに動けたとはな。そろそろ終わるか)
長かった試合も、遂に終わりを迎える。跡部の破滅への輪舞が決まり、永久に続くのではないかと思われたタイブレークに、ようやく終止符が打たれた瞬間だった。
「やるじゃねえか、日吉。ここにきて、これだけのショットが打てるとはな」
珍しく、跡部が後輩を持ち上げる。だが、日吉は荒い息をつくだけで、それに応える事は出来ないでいた。
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第七話 その頃の氷帝・2
「それで、新しいメンバーの目星はついたか?」
氷帝学園・職員室にて。テニス部顧問の榊は、跡部ら三年生たちに問う。
「日吉や鳳らは大丈夫でしょう。ただ、他が情けなさ過ぎだな」
「そないな言い方せんとき。あいつらに多くを求めるだけ酷やろ。なあ岳人」
跡部の言葉に、忍足がすかさず言葉を返し、向日に同意を求める。
テニス部の顧問でありながら音楽教師でもある榊はそれなりに忙しく、練習を全て見る事は不可能である。そこで彼は、引退した跡部らに下級生の練習管理を任せていたのだ。
しかし、跡部をはじめとして、宍戸らが後輩たちを連日鍛えているものの、これといった部員はほとんど居ない。結局、正レギュラーに決定しているのが日吉、鳳、樺地の三人であり、相変わらず他は横一線の状態であった。
「けどよ、どいつもこいつも弱えからな。だらしねえ奴ばっかだぜ」
向日までが、辛辣な言葉を発する。身も蓋もない言い方だが、それほどまでに後輩たちが情けないのだ。
氷帝テニス部の方針は弱肉強食、敗者切り捨てである。そうやって部員をふるいにかけてメンバーを厳選していく事で強さを維持してきたのだ。
しかし、そのやり方には問題があった。跡部の代のように戦力が揃っていれば問題は無いのだが、今回のようにメンバーを厳選し過ぎると、正レギュラーに選ぶべき人間が居なくなってしまうのだ。
そもそも、正レギュラーに内定している日吉にせよ、樺地にせよ、全国大会で敗戦を経験している。対外試合で負け無しなのは鳳だけだが、その鳳でさえも部内での対抗試合で日吉に負けている。敗者切り捨てなんて言っていたら、それこそレギュラー全員が消えてしまう。
「せやけどまあ、龍之介なんかは面白そうやけどな」
横一線の控え陣だが、見込みが全く無い訳ではない。少なくとも、忍足のお眼鏡にかなう部員が居る様子だった。
「ああ、萩之介の弟か。確かに、あの中ではまだマシだな」
忍足の言葉に、向日が同意する。忍足の言う龍之介とは、同級生で旧チームの元レギュラーであった滝萩之介の弟である。まだ一年で非力さが目立つものの、徐々に下級生の中で頭角を表し始めている。
「あと、斐田なんかもまあまあだな。まだまだ下手くそだが、なかなかしつこい奴だぜ」
そしてもう一人、宍戸の口から別の一年生部員の名前が出る。主に宍戸が鍛えている部員たちの中で、この斐田という部員だけが宍戸に食らい付いていた。どうやら相当な負けず嫌いのようで、宍戸にテニスでボコボコにされても、『まだまだ』『もう一回』と挑んで来るのだ。プレーはともかく、性格は宍戸好みの選手と言えた。
「斐田なあ……気迫は買うけど、青学相手はキツいやろ。正レギュラーはまだ早いんちゃう?」
「ああ。だから関東大会まで時間をくれ。俺が徹底的に鍛えてやるぜ」
宍戸の考えに懐疑的な忍足だが、宍戸は自信満々で言葉を返す。
「あとは、疋田龍輝ぐらいじゃね。まあ、まだまだ俺の域には達してねえけどな」
「いや、試合中にムーンサルト出来る奴なんか普通はおらんやろ」
あまりにも違う基準で評価する向日に、呆れたようにツッコミを入れる忍足。だが、元レギュラーと打ち合いが出来るだけでも貴重な戦力である。
「百三十人もいて、たった三人か。慈郎の方は誰かいなかったか?」
「んぁ? 俺、寝てたから分かんね……ふぁぁ」
跡部の問いに、芥川が欠伸混じりに答える。この男、こんな調子でいつも寝惚けているのだ。しかし、強い相手になると目が覚めるので、つまりはそういう事なのだ。
「なるほど、名前が出てきたのは、たった三人か。あとは部内対抗戦で決めるしか無さそうだな」
挙がってくる名前は、一年生ばかり。この様子では、二年生には有望株が居らず、実力未知数な一年生が多くレギュラー入りするだろう。まあ、六角の天音たった一人に百人切りされてしまう程度なのだから、二年生が情けないといえばそれまでなのだが。
「話は分かった。残りのメンバー選抜もお前らに任せる。行って良し」
榊が話を纏めると、いつもの締めの台詞でビシッと入り口の扉を指差した。
【青学戦オーダー】
ダブルス2 榎山・柏原
ダブルス1 桜木・椿
シングルス3 梅埜
シングルス2 疋田
シングルス1 滝
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