英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか (琉千茉)
しおりを挟む

プロローグ

 

 

 

 目を覚ました俺の目の前に居たのは小さな女神様だった。

 

「ああ、よかった。やっと(・・・)目を覚ましてくれたね」

「……あなたは……」

「ボクはヘスティア! 神ヘスティアさ!」

 

 聞いたことのある名前だった。

 確かクロが言っていた……。

 

「……駄神」

「駄神言うなー!!」

 

 女神様はクロめ余計な事をとブツブツと恨めしそうに言っている。

 天界にいる友()が最近下界に降りてきたと。降りてきたはいいが、全く自ら行動せず他の神の所にお世話になってると。クロはそう言って笑っていた。

 そうだ、クロは……。

 

「……クロは?」

 

 俺の問いかけに女神様の表情が変わった。

 眉を下げた後、何かを考えるように眉間に皺を寄せる。だが、すぐに俺に真剣な表情を向けてきた。

 その表情に心臓がドクリと嫌な音を立てた。

 

「落ち着いて聞いて欲しい」

 

 女神様の口から聞かされたのは、クロが行方不明で噂では天界に送還させられた可能性がある事。クロと俺のファミリアが消滅した事。クロと俺のホームがあった場所で倒れていた俺を女神様が見つけてくれた事。

 

「クロ……」

 

 思い出した。

 真っ赤に燃えるホームとその前で倒れていたクロの姿を。

 いてもたってもいられなかった。

 

「あっ! ちょっと待つんだ!!」

 

 女神様の制止を無視して、俺は寝かされていたベッドから起き上がって、その部屋の扉から外へと出た。

 外へと出れば、空は暗くなっていて、満天の星が煌めいていた。

 そんな中を只々走った。足が上手く動かなくて、何度も転んだ。何度も躓いては転んだ。でも、止まれなくて……。

 

「クロッ……クロッ……クロッ!!」

 

 

 俺の大切な場所(ホーム)はそこにはなかった。

 俺の大切な(神様)もそこにはいなかった。

 

 

 走ってきたせいか、思うように息が出来ない。喉の奥が熱い。

 

「っ……ぁあっ……」

 

 頬を何かが伝った。

 ポタッと地面に染みを作ったのは、俺の頬を伝って零れ落ちたそれ。

 頬にそっと触れれば、手が濡れた。その時に気付いた。

 

 俺は、泣いているのか。

 

 自覚した途端、何かが崩れるように大粒の涙が幾つも零れ落ちる。

 足に力が入らなくなってその場に膝をつく。

 思い出すのは、クロのこと。

 

 彼は言った。

 ――お前はどうしたい。

 彼は言った。

 ――なら、特別にお前を俺様の眷属にしてやる。

 彼は言った。

 ――英雄より騎士になりたい? なら、まずは好きな女の一人でも作れ。

 彼は言った。

 ――お前以外の眷属なんて俺様には必要ねーよ。

 彼は言った。

 ――男が泣くんじゃねぇ……。

 彼は言った。

 ――お前は強い。

 彼は言った。

 ――どんな事があっても生きろ!!

 彼は言った。

 ――俺様を殺せ、チヒロ。

 

 

「俺が……俺がッ!!」

 

 ふわっと何かに包まれた。

 突然の事に体がビクッと震えた。

 

「大丈夫……大丈夫だよ」

 

 耳元から聞こえたのは、あの女神様の優しい声。

 子供をあやすように俺の頭を優しく撫でる。

 

「……っ」

 

 体の底から込み上げくるものを堪えるように、俺は口を結ぶ。

 だが、女神様は我慢しなくていいと言うように、優しく囁いてくる。

 

「ここにはボクとキミしかいないから安心していいよ」

 

 俺は只々泣いた。

 口から漏れる声も抑えず、小さな子供が親に縋るように泣いた。

 

 

 

 

「キミはどうしたい」

 ――お前はどうしたい

 

 俺の前で微笑む女神様がクロと重なる。

 そっと差し出された小さな手。

 

「もし、キミがよければボクの所に来ないかい? ちょうど今、ファミリアの構成員を探しているんだ」

 

 (クロ)彼女(ヘスティア)は違うのだ。

 でも、それでも今の俺は何かに縋りたかったのかもしれない。

 また(・・)大切な人を失った悲しみを何かで埋めたかったのかもしれない。

 その小さな手を取ってはダメだと分かっていたのに、俺はその手に自分の手を重ねていた。

 嬉しそうに笑った女神様が俺にはとても眩しくて。

 

「ようこそ、ヘスティア・ファミリアへ! 歓迎するよ、チヒロくん」

「……よろしく……お願いします」

 

 それが俺と女神様(ヘスティア)の出会い。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異端児と剣姫
第1話


 

 

 

 広大な地下迷宮。通称『ダンジョン』。

 世界に唯一のモンスターがわき出る『未知なる穴』。

 数多の階層に分かれ、その広く深過ぎる『穴』の全容を掴んだものは誰一人いない。

 

未知なる穴(ダンジョン)

 

 それは、未知なる資源と未知なる体験と未知なる危険。あらゆる可能性が眠る場所。

 そして、その『未知』に挑む者達を人は『冒険者』と呼んだ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 金髪金眼の女神様と見紛うような少女、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。【ロキ・ファミリア】所属の第一級冒険者。

 ファミリアの仲間達とダンジョン遠征に出ていた彼女は、見たこともない新種のモンスターと交戦していた。

 まるで芋虫のようなモンスターは、体内から腐食液を吹き出し、体内の体液に関しては鉄の武器すらも溶かした。

 一匹ならまだしも、群れでやってきたそれに、苦戦しながらも何とか勝利した矢先、芋虫を何百匹も足したような六Mほどの大きさの上半身が人の上体を模しているような人型の巨大なモンスターが現れたのだ。挙句には、爆発する光る粉――爆粉を撒き散らす。

 腐食液だけでも厄介だったものが、巨大となり爆粉を撒き散らす。

 さすがの状況に、ロキ・ファミリアの団長も撤退命令を出した。アイズのみにモンスターの討伐を任せて。

 モンスターとの交戦の最中、アイズは想う。

 

「(強くなりたい)」

 

 大事な人達を守れるように。

 二度と失くさないために。

 そして……悲願のために。

 『彼』のように……。

 私はどこまでだって強くなる――。

 

 

 アイズとモンスターの激突。

 爆風と同時にモンスターが倒された証と言わんばかりに、体液が飛び散る。

 アイズが勝ったのだと、仲間達の顔に少しばかりだが安心が生まれる。

 だが、それも束の間。木々をなぎ倒し、へし折るような粉砕音がその場に響いた。

 それはつい先程聞いたばかりの音。誰もが嫌な汗を流す。

 そっとその音の発信源へと全員が顔を向けて青ざめる。

 そこには先程アイズが倒した同種のモンスターがいた。

 倒しても倒しても終わらないのかと、誰もが思った。

 

「もう、一体……」

 

 それはアイズも同じだった。

 外から見ればそうでないにしろ、中は既にボロボロで目の前に現れたモンスターを倒す程の力はアイズには残っていなかった。

 アイズを狙って振り下ろされた扇のような厚みのない腕。アイズはそれを途端に躱す。

 だが、躱した場所には既に腐食液が吹き出されている。まるで、そこに躱すと分かっていたかのように。

 

「エア――(間に合わない!!)」

 

 腐食液がかかる事を覚悟して、アイズはぐっと身構える。

 だが、感じたのは熱い液体ではなく、温かな抱擁。

 腐食液はこんなにも心地いいものなのかと、考えてしまう。

 

「……焼き消せ」

 

 耳元から聞こえた声にハッと目を開いた。

 目に一番に飛び込んで来たのは白。次に見えたのは、自分とその白を守るような青。

 自分が見ている事に気付いた白がこっちを見た。

 空色の双眸。

 

「……大丈夫か?」

「……」

 

 その言葉にアイズは返事をする事が出来なかった。

 只々、目の前の白い彼を見つめていた。

 

「!」

 

 トンと地面に着地した振動で、我に帰る。

 白い彼がアイズを地面へと下ろす。

 そこで気付いた。白い彼に抱き抱えられていたという事に。

 

「アイズ!!」

「アイズさん!!」

 

 後方から聞こえた仲間の声に、アイズはそこを振り返る。

 安心したように駆け寄ってくる仲間達。

 

「……下がってろ」

「あ、待っ――」

 

 アイズの制止の言葉よりも早く、白い彼がモンスターへと跳んで行く。

 

「アイズ! 大丈夫!?」

「お怪我はありませんか!?」

「今のは……?」

「……」

 

 仲間達が次々とアイズの元にやってくるが、アイズはずっと白い彼が跳んでいった方を見つめている。

 蘇る幼い頃の記憶。

 まだ、ファミリアに入団したばかりの頃同じように助けられた。

 白い彼とは違う、黒い男の子に。

 その瞬間、モンスターが青い炎に包まれる。それはまるで青い火柱。

 青い火柱の中で、巨大モンスターは呻くことも、灰すら残す事も出来ずに消えていく。

 体液も一緒に焼かれ蒸発する事すらなく消える。

 青い炎が消えたそこは、元々生い茂っていた木々すらも燃やし、焼け野原となっていた。

 その中心に佇む白い彼。

 

「アイズ!!」

「ちょっ待って!」

 

 仲間の声を無視して、アイズは白い彼へと駆け寄る。

 その音に気付いたのか、白い彼が振り返った。

 透き通るような澄んだ空色の双眸に腰に差している一つの長刀。

 記憶の中の彼とは髪の色が違うが、それらや雰囲気は自分の知っている彼で。

 

「……」

「……」

 

 白い彼の目の前で立ち止まったアイズの金色の瞳と白い彼の空色の瞳が交わる。

 目の前にいる人物を見て、目頭が熱くなるのを感じる。

 口を開くが、思ったように声が出ない。

 

「チ、ヒロ……?」

 

 やっとの思いで出せた声は、相手に届いたかどうか不安になる程、か細いものだった。

 だが、白い彼にはしっかりと届いていたようで、どこか悲しげに微笑んだ。

 

「……久しぶり、アイズ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話

 

 

 一年前、突然彼は姿を消した。

 いつものように彼の主神に彼と共に剣術の稽古をしてもらい、その後は彼とダンジョンに行こうと思っていた。

 それは日常だった。

 だけど、その日常は消えた。

 何もなかった。

 彼の大切なホームも。

 彼の大切な(神様)も。

 彼も。

 必死に探し回った。

 街の隅々から、ダンジョンの中まで。

 仲間に止められるまでずっと。

 でも、見つからなかった。

 見つけられなかった。

 それから少ししてからロキから聞いた。

 彼の主神が死んだことと、彼のファミリアが消滅した事、そして彼が行方不明だという事を。

 

 私はまた大切な人を失ったのだと思った。

 

 それから今まで以上にダンジョンを駆け回り、只々モンスターを倒した。

 彼を失ったという悲しみから逃げるように。

 彼を守る事が出来なかった後悔を糧に、強くなるために。

 

 ……でも、どこかで思ってた。

 ダンジョンのどこかに彼が居るのではないかと。

 初めて出逢ったあの日のように、(チヒロ)と再び出逢えるのではないかと――。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「本当にチヒロかい……?」

 

 ロキ・ファミリアの団長を務める見た目は幼いが、実はアラフォーである小人族(パルゥム)の男性――フィン・ディムナに問いかけられて、チヒロはコクっと頷く。

 チヒロが頷いた事で、ロキ・ファミリアの団員達がざわめき出す。

 

「おいおい、マジかよ! てめー見ない間に白髪ジジイになったのかよ!!」

「……」

 

 チヒロを指差しながら腹を抱えて笑っている狼人(ウェアウルフ)の男――ベート・ローガの言葉をチヒロは無視する。

 そんなチヒロの周りを飛び跳ねている褐色のアマゾネスの少女――ティオナ・ヒリュテも白髪の事に関して触れてくる。

 

「でも何で白髪!? ねぇねぇ!! なんでなんで!!」

 

 それにチヒロは一つ溜息をついて、ティオナも無視してフィンに告げる。

 

「俺帰るから」

「「「この状況で!?」」」

 

 全く状況整理をする事なく、全てを放り投げて行こうとしたのだ。

 だが、それは叶わなかった。クイッと後ろから引っ張られた力によって。

 後ろを振り返ったチヒロはああ、そうだったと思い出す。

 チヒロの黒いローブをちょこんと掴んでいる手。その手から細い腕へと、そしてその人物の顔へと視線を持っていく。

 金色の瞳がどこにも行かせないと告げていた。

 

「……アイズ、離して」

「離さない」

「離して」

「離さない」

「……」

「……絶対に離さない」

 

 その彼女の言葉に、チヒロは小さく溜息をついて、彼女の保護者のような存在であるフィンと、フィンの両サイドに立つエルフの女性――リヴェリア・リヨス・アールヴとたくましい体つきのドワーフの男性――ガレス・ランドロックに顔を向ける。

 

「一年も姿を眩ませておったお主が悪いのー」

「アイズの気持ちも察してやれ」

「そういう事だ」

「……」

 

 こいつらが親バカだったという事を思い出した。

 また一つ溜息をついて、チヒロはアイズへと再び顔を向ける。

 そうすれば金色の瞳と目が合う。

 

「帰らなきゃいけないんだ」

「……どこに?」

「……」

 

 その問いにチヒロの表情が一瞬曇った。アイズはそれに首を傾げる。

 チヒロのホームが今どこにあるのかをアイズは聞いたつもりだった。

 また会うためには場所を知っておかなければいけない。

 前にあった場所には、今は何もないのだから。

 だが、次のチヒロの言葉を聞いて後悔した。

 

「俺の今の(・・)ファミリアに」

「!」

 

 光のない空色の瞳と無表情な顔。

 そのチヒロの一言に、再びロキ・ファミリアがざわめき出す。

 ロキから聞かされているだけでなく、チヒロが所属していたファミリアが消滅したという話はオラリオでも有名な話だ。

 

「消滅したって聞いてたけど……本当だったのね」

「……」

 

 豊満な胸を持った褐色のアマゾネスの女性――ティオナの双子の姉、ティオネ・ヒュリテの呟きに、チヒロは顔を俯かせる。

 そんなチヒロをアイズはじっと見つめる。

 チヒロの空色の瞳には何も映っていなかった。

 顔を俯かせたまま何も言わないチヒロに、更にざわめきが大きくなる。

 すると、それを制するようにパンパンっという音が響く。

 みんなが驚いたようにそこを見る。音の発信源は、団長であるフィン。

 

「その話は一旦保留にしよう。とりあえず皆は帰還準備を。今回の遠征はここまでだ」

 

 そのフィンの言葉を合図に、ロキ・ファミリアは帰還準備に入る。

 動き出した仲間達を一瞥して、フィンはチヒロへと近寄る。

 その後ろには、リヴェリアやガレスなど、ロキ・ファミリアの幹部達が揃っている。

 

「ファミリアの事に関してはキミが話したくないのなら話さなくて構わない。その髪についてもね」

「……ごめん」

 

 顔を俯かせて謝ったチヒロにフィンは優しく微笑む。

 その視線がチヒロから未だにチヒロのローブを掴んで離さないアイズへと向けられる。

 

「?」

 

 キョトンとするアイズにも、微笑みかける。

 そして笑みを浮かべながら言い放った。

 

「その代わり、護衛として雇わせてくれないかな?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話

 

 

 

「……」

 

 飛び出している岩に腰掛けているチヒロは、帰還準備をしているロキ・ファミリアを見つめている。

 フィンからの護衛という名の冒険者依頼(クエスト)を一度は断ったが、護衛の報酬として100万ヴァリスを提示してきた。その報酬額にチヒロは固まってしまった。

 チヒロが現在所属しているファミリは半年前にチヒロと主神の二人で活動を始めたばかりの貧乏ファミリア。

 正直、護衛だけで100万ヴァリスというのは、あまり冒険者依頼を受けたことがないチヒロにとってはいい話なのか悪い話なのかは分からない。

 だけど、ファミリアの為にも稼ぎは少しでもあった方がいい。

 ちなみに、ファミリアとは千年前に天界より降り立った不変不滅の超越存在(デウスデア)である神様が人々を集めて作った組織の事で、チヒロは現在女神ヘスティアを主神とする《ヘスティア・ファミリア》に所属している。

 現在ヘスティア・ファミリアはチヒロと半月前に入団した新人冒険者の二名の構成員で成り立っている。

 新人冒険者の収入は期待出来ない。

 だからこそ、チヒロは100万ヴァリスに釣られてしまった。

 挙句には、チヒロが集めた大量の魔石やドロップアイテムを運ぶのを手伝うと言ってきたのだ。

 魔石とはモンスターの生命力の核にして、冒険者の収入源の一つ。

 モンスターを倒して魔石を抜き取り、それをギルドで換金する事で収入を得ている。

 魔石とは別にドロップアイテムは、倒したモンスターが残すことがある身体の一部だ。

 様々な武具や道具の優れた素材になるため高く取引される。

 チヒロは、基本取引交渉が苦手だ。

 もちろん、チヒロと長い付き合いであるフィンはそれを熟知している。

 だからこそ、最後のひと押しと言わんばかりに、取引交渉も手伝うとまで言ってきた。

 チヒロの完敗だった。

 

「……はぁ」

 

 自分の荷物まで運んでくれているロキ・ファミリアを見て溜息をつく。

 ロキ・ファミリア同様、チヒロはソロで地下迷宮遠征を行っていた。

 三日間ほどダンジョンの下層を一人でウロウロとしていたのだ。

 そんな事をしていれば、いつの間にか魔石やドロップアイテムが荷台に乗せなくてはいけないぐらいの量になってしまった為、さすがに帰るかと帰還することにした。

 そんな時に出会ったのが芋虫のような腐食液を吹く新種のモンスター。

 チヒロの愛刀である神剣《阿修羅》の特性を使って焼け倒していった先に広がっていたのは、金髪金眼の女神のような少女――アイズ・ヴァレンシュタインが巨大モンスターと交戦している場面だった。

 遠くから強くなったなと巨大モンスターと戦っているアイズを見ていたのだが、新たに現れたもう一体の巨大モンスターに気づいて、さすがにあれはマズイと思い介入した。

 本来ならアイズ達と接触する気はなかったのだが、仕方がないと割り切り姿を現した。

 だが、まさかそれが現状に繋がるだなんて思ってもいなかった為、少しだけ複雑な気持ちになる。

 すると、ちょこんと隣に誰かが腰掛けた。

 もちろん、誰かなんて、その人物がこちらに向かってきていた時から分かっていた。

 

「……何か用か、アイズ」

「ううん……」

 

 用もなく隣にやってきたアイズに、チヒロはそれ以上何も言わない。

 二人の間に沈黙が流れる。

 

「(……聞きたいことは沢山ある)」

 

 姿を消していたこの一年間、何をしていたのか。

 どうして黒髪から白髪になってしまったのか。

 どうしてファミリアが消滅してしまったのか。

 クロに何があったのか。

 でも、一番知りたいのは……。

 今何を考えて、何を見ているのか――。

 

 

「……」

 

 アイズの目に入ったのは、人が一人座れるぐらいのチヒロと自分の距離。

 だが、それが異常に長く、広く見える。

 人一人分の隙間。

 埋めたいのに、どうやって埋めればいいのか、どうやったら埋まるのか、それが分からない。

 近づきたいのに近づけない。

 一年という空白の時間は、それぐらいアイズにとっては大きなものだった。

 

「(前はこんなことなかったのに……)」

 

 ずーんっとアイズの周りの空気が淀む。

 それに帰還準備をしていた団員達がハッとする。

 

「「「(アイズさんが落ち込んでいる……!!)」」」

 

 原因なんて誰だって分かる。

 全員の視線がキッとチヒロに向けられて、チヒロはその視線に若干気圧される。

 あまりの迫力にチヒロは目を逸らし、みんなから睨まれる原因は分かっている為、どうしようかと指で頬を掻く。

 ふと、そこで何かを思い出したように、腰にかけていたショルダーバッグからある物を取り出した。

 

「……?」

 

 目の前で小瓶に入った青い液体がチャポンッと揺れる。

 その小瓶を持つ手を辿れば、チヒロがそれを差し出していた。

 それを不思議に思いながらも、アイズは素直に受け取る。

 

「俺手作りの特製回復薬(ポーション)

「え?」

「あまり無茶はするな」

 

 そう言ってチヒロは何事もなかったかのように、前を向く。

 そんなチヒロからアイズは自分の掌に乗っている小瓶を見つめる。

 

「(……誰にもバレてないって思ってたのに)」

 

 ズキズキと疼痛を訴えてくる身体。

 外から見た限りでは分からないが、アイズの内側は新種のモンスターとの戦闘で魔法を酷使し過ぎたせいでボロボロになっていた。

 気を遣わせてしまった事に、申し訳ない気持ちだったり、迷惑をかけてしまったという負い目はある。

 だが、何よりも彼が自分の事を考えてくれていた事が嬉しかった。

 自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。

 そして胸の高鳴りは、久しぶりに感じたものだ。

 

「……あり、がとう」

 

 振り絞って出した小さな声でお礼の言葉を述べれば、彼の耳にはしっかりと届いていたようで、顔を真っ赤にしている彼女を見て微かに微笑んだ。

 その微かな微笑みを見逃さなかったアイズの顔が更に赤くなる。

 そんな彼女の目に入るのは、人一人分の自分と彼の距離。

 

「(縮めてもいいかな……ううん、縮めたい)」

 

 決心したアイズは、高鳴る胸の前でギュッとチヒロ特製回復薬を握り締めながら少しだけ腰を浮かす。

 アイズを動かすのは、チヒロに少しだけでも近づきたい衝動。

 そして、腰を人一人分空いている隙間へと動か――

 

「てめーらサボんじゃねーっ!!」

「っと」

「!?」

 

 ――すよりも先に突然の介入者によりベリッといとも簡単に数(メドル)引き剥がされた。

 自分とアイズの間に割って入ってきた狼人に、チヒロは声をかける。

 

「突然なんだよ、ベート」

「あ゛ぁ!?」

「……いや、ホント何、お前」

 

 こちらにガルルルと威嚇してくる彼に、チヒロは溜息をついて自分から引き離されたアイズを見る。

 

「……もう……少しだったのに……あと少し……だったのに……」

 

 地面に手を付きながら体をプルプルと震わせて、何やら落ち込んだ様子で呟いている。

 すると、今度は別の声がその場に響く。

 

「いい所だったのに邪魔するなよベート!!」

「あんた達相変わらず見せ付けてくれるわね」

 

 近寄ってきたのは、アマゾネス姉妹。

 ティオナとベートが言い合いを始めて、ティオネは私も団長とー!なんて叫んでいる。

 この後、エルフの彼女がやってきて二人の言い合いを止めようとするのが、昔からの流れ。

 

「お、お二人とも何ケンカしてるんですか!?」

 

 ああ、ほらとチヒロは思う。

 ピンクの戦闘衣を着た耳の長いエルフの少女――レフィーヤ・ウィリディスが慌ててこちらに走ってきた。

 目の前で騒いでいる面々に、チヒロの瞳から光が消える。

 

「(一年前と変わらない光景……)」

 

 一年前と全てが変わってしまった俺……。

 俺はきっと……。

 ココに居るべきじゃない。

 ココは俺なんかが居ていい場所じゃない――。

 

 

「チヒロ?」

「!」

 

 目の前に突然アイズの顔が現れて、チヒロは微かに目を見開く。

 不思議そうに首を傾げているアイズ。

 

「……ごめん。何?」

「……出発するって」

「ああ、分かった」

 

 アイズに返事を返したチヒロは、先程の思考を消すように、白髪の頭を掻いて息を吐く。これから冒険者依頼だというのに、何馬鹿な事を考えているんだと。失ってしまったものは戻らないし、羨んでも仕方ないと。

 

「……大丈夫?」

「平気だ。問題ない」

「……」

 

 そう言って歩き出したチヒロに、アイズは納得がいかない表情をしながらも、何も言わずにその背中を追いかけた。

 

 

 







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話

 

 

 

「けっ! あんな奴を護衛に雇わなくても帰れんだろうが」

「新種の事もある。チヒロが居て損はない」

 

 後方のベートとリヴェリアの会話を聞きながら、チヒロは思う。

 癪ではあるがベートと同意見だと。

 ロキ・ファミリアには、アイズを始めとする上級冒険者が多数所属している。

 その他にもレフィーヤを含む第二級冒険者数名と下級冒険者数名とサポーター達。

 新種のモンスターにより物資のほとんど、特に武器のほとんどを失ったと言っても、この面々では帰ることぐらい容易いだろう。なのに、チヒロは護衛の冒険者依頼をされた。

 たまにフィンの考える事は分からないと、ニコニコとこちらを見ながら少し後ろを歩いている彼をチラッと見て思う。

 ちなみに、チヒロは一応護衛としているので先頭を歩いている。

 そんなチヒロの横を歩いているのはアイズ。

 

「……」

「……」

 

 二人の間に会話はない。

 そんな二人を見ながら、後ろでは二人の話が繰り広げられている。

 もちろん、本人達には聞こえない程度の声音で。

 

「もー、二人が話さなきゃわざわざ団長がチヒロを護衛に雇った意味がないじゃない」

「まぁ、チヒロもアイズも喋るのが得意……ってわけじゃないからねー」

「でも、せっかく一年ぶりの再会なのに、このままでいいんでしょうか」

「「もちろんダメだよ!(よ!)」」

「えっ!? ちょっ、お二人共!?」

 

 そういって二人が先頭を歩くチヒロとアイズへ向かって走り出す。

 あのアマゾネス姉妹の事だ、何やら良からぬ事を企んでいるのではないかと、レフィーヤも遅れながらも慌てて追いかけた。

 

「チッヒロー!」

「!!」

「久しぶりの再会なんだから、何か話しましょ!」

「!?」

 

 突然後ろからやってきた二人に、アイズが固まる。

 チヒロの後ろから首に腕を回して背中に抱き着いているティオナ。

 チヒロの右腕に腕を回してその豊満な胸を押し付けているティオネ。

 別に二人に他意はない……と思いたい。

 だが、何故か異常にチヒロに近い二人。

 ふつふつと沸き起こる感情。

 この感情をアイズはチヒロの主神――前主神に教えてもらった事がある。

 

 ――あ? チヒロに他の女が近づくと嫌な気持ちになる? アイズちゃんそりゃ、『嫉妬』って言うんだぜ。

 

 『嫉妬』と言われた時に、このふつふつと沸いてくる黒い感情の名前を知った。

 そして、今現在も二人に嫉妬しているのだと気付く。

 簡単にチヒロとの距離を零にした二人に。

 簡単にチヒロに触れている二人に。

 自分の中で蠢く黒い感情にアイズが眉を微かに顰めた瞬間、アマゾネス姉妹がチヒロからベリッと引き剥がされた。

 

「って、何やってるんですかお二人とも!! チヒロさんから離れてください!!」

「わっ」

「あら」

 

 遅れてやって来たレフィーヤだ。

 チヒロから引き剥がした二人にレフィーヤが注意をする。

 ちなみに、その間もチヒロは一切喋る事なく歩いている。

 

「もー! 何考えてるんですかお二人とも!! これじゃあ逆効果じゃないですか!?」

「あら、そんなことないわよ」

「うんうん。だってアイズ嫉妬してたし」

「っ!?」

 

 

 突然自分の名前を出されて、アイズはアマゾネス姉妹を見る。

 ニヤニヤしている二人に、どんどん顔が赤くなるのを感じる。

 

「そんな心配しなくても、あたし達チヒロにそういう感情持ってないから大丈夫だよ!」

「私は団長一筋だしね」

「ティ、ティオナ! ティオネ!」

 

 顔を真っ赤にしながら珍しく慌てるアイズ。

 本人がいる横でそんな話をされたら、さすがのアイズも色々と思うことがある。

 チヒロに自分の気持ちがバレてしまうであったり、こんな些細な事で嫉妬してしまう心の狭い女だと嫌われてしまうんじゃないかだったり。

 

「大丈夫よ、アイズ。あなたチヒロの事に関してだけは分かりやすいもの。チヒロも気づいてるわ」

「!?」

「それにチヒロが嫉妬がどーこーってだけでアイズのこと嫌ったりするような奴じゃないって!」

「そうですよ、アイズさん!」

 

 何故か止めに来たはずのレフィーヤまで、二人側にいってしまった。

 アイズは更に顔を赤らめる。チヒロ本人に自分の想いが気付かれているという事に。

 そして、横でそんな話をされているのに一切会話に入ってこない彼をそっと見る。

 アイズの視線に気付いたのか、チヒロがパッとアイズから顔を逸した。

 顔を逸らされたせいで、表情を伺うことは出来ないが、その白髪の髪から出ている耳は微かに赤くなっている。

 そんなチヒロからバッと顔を逸らしてアイズは俯く。

 

「いやー、相変わらず熱いねー」

「ホント、羨ましい限りね。私も団長と……はぁ」

「って、結局こうなるんじゃないですか!!」

 

 先程と変わらず、黙って歩いている二人。

 ただ、少しだけ違うのは先程とは違って気まずい雰囲気が二人から無くなっている事だ。

 アイズに関しては色々と恥ずかしくて、頭からシューっと煙を出す程に顔を真っ赤にしているが。

 そんな事をしていたら、もちろんアイズに思いを寄せる狼人が黙っているはずもなく。

 

「てめー! 冒険者依頼中に何遊んでやがんだ!!」

「……俺は遊んでないだろ」

 

 蹴りかかってきたベートを、チヒロは溜息混じりに阿修羅の鞘で受け止める。

 彼の八つ当たりは今までも何度も相手してきた為、正直慣れたものだ。

 ベートの蹴り技を鞘で受け流していたチヒロは、リヴェリアが早く止めに来ないかななどと思っていた時に、何かを感じてピクリと眉を動かす。

 べートの蹴りを鞘で弾き返して、サッと右手を柄に添える。

 チヒロの雰囲気が変わった事で、アイズ達もハッと構える。

 

「ガアアアア!!」

 

 前方から数体のモンスターが押し寄せてきていた。

 

「……」

 

 誰よりも早くアイズはグッと足に力を込めた。モンスターの群れに突っ込もうと。

 だが、それを行うことは無かった。

 何かが斬れる音と地面に倒れる音により。

 モンスターの群れが一瞬にして崩れ落ちる。

 その真ん中に立っているのは長刀――神剣《阿修羅》を右手に持っているチヒロ。

 チヒロは、阿修羅の刀身についたモンスターの血を軽く振って落とす。

 そして、こちらに振り向く。

 

「フィン、冒険者依頼中に倒したモンスターの報酬はもらっても……?」

「ああ、もちろん構わないよ」

「なら……」

 

 チヒロの横の壁に亀裂が入る。

 その壁が微かに崩れ落ちて、ギロッと何かがチヒロを見た。

 そして間髪入れずにその亀裂からそれが這い出てくる。まるでそれは雛が卵の殻を破るようで。

 壁から出てきたのはモンスター。

 だが、そのモンスターはチヒロの手により一瞬で一刀両断される。

 

「こいつらは俺の獲物だ……手を出すなよ」

 

 自分の周りに大量に現れたモンスターに、顔色一つ変えずにチヒロはそう言い放った。

 

「は、はは……相変わらず化物級の強さだな、アイツは」

 

 目の前で繰り広げられている戦闘に、誰もがべートの言葉に同意したくなった。

 モンスターはダンジョンの中で産まれる。

 迷宮の壁から先程のように這い出てくるのだ。

 また、階層ごとに壁面から産まれるモンスターは決まっていて、下層に行けば行くほどモンスターの力は基本強くなる。

 そして、ここは現在48階層。

 出てくるモンスターは上層とは比べ物にならない程強いため、下層のモンスターには基本パーティを組んで挑む。

 だが、チヒロはソロで下層のモンスターの群れとやり合っている。

 その強さは、上級冒険者が多数在籍する最強ファミリアの一角と言われているロキ・ファミリアのメンバーですら異常と思えるものだった。

 

「……」

 

 最後の一体を倒し終えたチヒロを見つめながら、アイズはギュッと強く手を握り締めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 第4.5話 お気に入り2000人突破記念

お気に入り件数2000人突破!
本当にありがとうございます!!
知っている方もいるかもしれませんが、この番外編本当は1200人突破記念として書いていたんですが、作者の執筆が遅く、尚且つ予想以上にお気に入り登録をしてくれる方が多く、キリもいいからと2000人突破記念とさせて頂きました。
作者の都合で申し訳ないです(汗)

遠征から帰還途中の話です。



 

 

 

 新種との交戦により、物資を失ったロキ・ファミリアに帰還中の護衛を冒険者依頼(クエスト)されたチヒロは、安全階層(セーフティポイント)と呼ばれる18階層まで辿り着いていた。

 明日にはホームに帰れるだろうと思いながら、ホッと息をつく。そして、この状況も今日でやっと終わりだと。

 現在チヒロは、一人用の野営テントに一人の少女と一緒にいた。

 小さなテントでお互いに正座して向き合っている二人は、顔を真っ赤にして俯かせている。

 目の前にいる金髪金眼の少女――アイズ・ヴァレンシュタインをチラッと見る。

 

「「!」」

 

 お互いに目が合ってしまった。

 バッと同時に顔を逸らす。再会した日から今日まで既にこのやり取りを何度やってきたか分からない。

 気まずいと思いながら、チヒロはこうなった経緯を思い出す。

 始まりはロキ・ファミリア団長の笑顔での一言だった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「新種に幾つかテントまで溶かされてしまってね、数が足りないんだ。だから、キミはアイズとこのテントで眠ってくれ、チヒロ」

「……は?」

 

 フィンが告げた内容に、チヒロは間抜けな声を出す。

 笑顔で差し出されたのは、どう見ても一人用の野営テント。そして、彼はそれで異性と二人で眠れと言ってきた。

 思考が一瞬停止した頭を片手で押さえる。

 

「……ごめん。なんて?」

「だから、アイズとこの一人用のテントで二人っきりで抱き合いながら添い寝してくれ」

「……生々しく言い換えないでくれ」

 

 ど直球に言い直された。

 目の前でニコニコとしている彼。

 だが、もちろんそれを受け入れる事は出来ない。

 

「さすがにそれは無理だ。それに抱き合いながらっていうのもおかしいだろ。考えろ、俺は男でアイズは女だ」

「そうだね」

「そ、そうだねってそれだけ!?」

 

 慌てているチヒロが反論しようとも、彼の笑顔は崩れない。

 

「ま、万が一だ。万が一、俺がアイズに……その……て、手を出したりとかしたら……とか、考えないのか?」

 

 顔を真っ赤にして途中声が小さくなったチヒロだが、フィンの耳にはしっかりと届いていた。

 そして、頼むから勘弁してくれと懇願してくる空色の瞳に、変わらない笑顔で答える。

 

「まぁ、その時はその時でキミに責任(・・)を取ってもらうから構わないよ」

「いやいやいや!! 冷静になってくれ!!」

「僕は至って冷静さ。仲間の恋にちょっとだけ手助けしたいだけであってね」

「どう考えても行き過ぎた手助けだよな、これ!!」

 

 無理矢理渡してこようとするテントを、チヒロは必死に押し返す。

 もちろん、フィンもそれに対抗するように更に手に力を入れて渡そうとする。ちなみに笑顔で。

 正直、一番それが怖かったりする。

 周りの団員達が近づけないそんな二人に、べートを除くロキ・ファミリアの上級冒険者とレフィーヤが近づいてきた。

 

「団長! アイズ連れて来ましたよ」

「ああ、ありがとう、ティオネ」

 

 想い人(フィン)に笑顔でお礼を言われて、ティオネは頬を赤く染めながら団長の言いつけなら当然ですと嬉しそうに胸を張る。

 そんな彼女の横にいるアイズは、突然の呼び出しに何事かと首を傾げている。

 フィンの意識が彼女達に向けられた事で、チヒロはそーっとその場から離れようとする。

 だが、それはフィンの「ガレス」という一言により、一瞬でチヒロの前に回り込んだガレスに阻止――捕らえられてしまった。

 

「すまないが、アイズ。今日から地上に戻るまで、眠る時はチヒロと同じテントで眠ってもらう事になるけど、いいかい?」

「……え?」

 

 突然の問いかけにキョトンとするアイズ。

 どうやら思考が追いついていないようなので、再びフィンはアイズに問う。

 

「このテントでチヒロと一緒に眠ってもらう。いいね?」

 

 問いかけではなく、既に強制だった。

 アイズの顔がフィンからガレスに捕まれて逃げられないチヒロへと向けられる。そして、フィンの持つ一人用のテントへ。

 やっと意味を理解したのかボンッと顔が真っ赤に染まった。

 

「まぁ、仕方ないよねー。テントの数足りないんだし」

「私達のテントも溶かされて三人用になってしまったので、一人は抜けなくてはいけませんでしたからね」

「それなら私が団――コ、コホンッ……ちょうどいいじゃない。アイズがチヒロと眠ればこの問題も解決されるわ」

 

 フィンに乗っかるように、ティオナが切り出せば、レフィーヤもそれに乗ってきた。

 本音が一瞬出かけたティオネだが、フィンに鋭い視線を送られて、すぐに言い直す。内心悔し涙を流しながら。

 すると、遠くから怒声が飛んでくる。

 

「ふっざけんな糞異端児ッ!! てめえぶっ殺す!!」

 

 よくよく見れば、遠くに縄で縛られて芋虫のようになっているべートが、体をクネクネさせながらこっちに向かって叫んでいた。

 そんなチヒロとべートの間を割くように、リヴェリアがそこに立つ。

 

「気にするな。あいつに邪魔はさせん」

「……今の俺的には邪魔された方が助かるんだが」

 

 フッと口角を上げた彼女を、チヒロは半眼で見る。

 すると、そんな彼の身動きを封じているガレスが問う。

 

「なんじゃ、チヒロはアイズと一緒は嫌なのか?」

「!」

 

 チヒロよりもアイズの方が大きな反応を示した。そして普段は乏しい表情が見るかにどんどん暗くなっていく。

 それを見たチヒロは、頬を引き攣らせて慌てる。

 

「い、嫌とかそうじゃなくて!!」

 

 その言葉にアイズ以外のメンバーがニヤリと口角を上げた。

 

「それは了承してくれたという事でいいかい?」

「男に二言はないな?」

「アイズと一緒に眠りたくても眠れない男なんて沢山いるんだから、そこは素直に喜ぼうよ」

「アイズさんのこと泣かせたら許しませんよ、チヒロさん」

「言ってしまったものはもう取り消せんぞ」

「もう鬱陶しいから、さっさと『一緒に寝る』って言いなさいよ」

 

 最後に関してはもはや脅迫だ。

 自分を囲む面々とその後ろでショボンと落ち込んでいるアイズ。

 チヒロに逃げ道はない。

 

「……一緒に寝かせて頂きます」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 承諾したあの日から今日まで、チヒロはアイズと就寝を共にしてきた。そして、それも今日で最後となる。

 それに安堵からホッとしている自分にハッと喝を入れる。まだ今日が残っていると。

 

「(油断は出来ない、相手はあの(・・)アイズ・ヴァレンシュタインなのだから)」

 

 チヒロは、モンスターを相手にする時よりも警戒心を強く持つ。

 今日まで何度ギリギリの戦いを生きてきたかを思い出す。一瞬の隙を見せたその時が終わりなのだ。

 

「……ね、寝るか」

「う、うん……」

 

 一つだけ敷かれた敷物の上にアイズがこてんとチヒロの方を向く形で寝そべる。

 一人用のテントなのだから敷物も一つしか敷けない。何度も仕方ないことだと自分を納得させてきたチヒロは、今日も自分を納得させながらアイズに背中を向ける形で寝そべる。もちろん、向かい合って寝ようなんて、死地へ自らを送るような事はしない。

 ちなみに、アイズが眠っているのはチヒロの左側だ。

 背中越しにアイズの気配と微かな息遣い、そして温もりを感じるが、それに意識を持っていかないように、今日こそ絶対に見ない向かないと何度も自分に言い聞かせる。

 テントの白地の壁を見つめていたが、何度も言い聞かせる事で落ち着いてきた気持ちに、そっとその空色の瞳を伏せる。この環境にだいぶ慣れてきたのだろうかと思いつつ。

 そんな時、背中に突然の奇襲を受けた。

 

「!!」

 

 目を閉じたチヒロだったが、それにビクッと体を揺らして目を見開く。

 確かに背中に何かがちょんちょんと触れた。

 タイミングを見計らったかのような奇襲に、チヒロの額を冷汗が伝う。

 チヒロは、この奇襲を今日まで何度も受けてきた。ならば今日も来るだろうと警戒しておくべきだったのだ。

 否、警戒はしていた。警戒していたのに、この環境に慣れてきてしまっていたせいで、どこかで諦めている自分がいた。どうせ彼女には勝てないのだからと。

 

「……チヒロ」

 

 勝てないと分かっていながらも、最後の悪足掻きと反応せずにいれば、どこか懇願するような声で呼ばれた。

 そういうのがダメなんだと思いつつも、チヒロは渋々体を反転させて、アイズに向き直る。

 そうした事で彼女の金色の髪と金色の瞳がチヒロの目に飛び込んでくる。

 自分が振り返った事で頬を微かに赤くしながらも嬉しそうに目を細めた彼女に、内心ドキッとしてサッと目を逸らす。負けてはならないと。

 

「は、早く寝ろ」

「うん」

「!?」

 

 頷いたアイズがチヒロの胸元にポスッと顔を埋めてきた。やられた本人はピシッと固まっている。

 ギュッと掴まれた服に、服越しに感じるアイズの温もり。

 宙で固まっている自分の両腕を見て思う。ここ数日と同じパターンだと。自分が敗戦するパターンだと。

 そんなチヒロの耳に届いたのは、規則正しい寝息。

 音の発信源である自分の胸元へと顔を向ければ、既にアイズは眠りについていた。

 

「(……相変わらず早いな)」

 

 これもここ数日と同じパターンだ。

 チヒロに抱き着いた後、アイズはすぐに眠りにつく。

 冒険者にとって体力回復は大切な勤めの一つだ。早く彼女が眠りについてくれるのはいい事ではある。

 

「ん……」

「(俺の心臓には悪いが)」

 

 どこか嬉しそうに胸に擦り寄ってくる彼女に、ビクッとしながらそんな事を思う。

 アイズを見れば、安心しきったような寝顔。そして未だに宙に浮いている自分の両腕を見る。

 諦めたように嘆息し、その手を下ろした。左腕は自分の頭へと枕がわりにし、右腕は彼女の砂金のような金色の髪へ。

 優しく頭を撫でれば、彼女の顔が緩む。

 それに目を細めて優しく微笑み、チヒロは思う。今日も俺の負けかと。

 

「ん……チヒロ……」

「(て、手を出すな! それだけはダメだ! 絶対ダメだ!!)」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 白い布地越しに零れ落ちる光。

 意識が浮上してくる中で、アイズは思う。

 

「(朝……)」

 

 まだ重たい瞼をそっと開いた。

 ぼやける視界に映ったのは黒。

 覚醒しきれていない頭が、長い沈黙を終えて疑問符を出した。

 

「(テントは白だったはず……)」

 

 でも何でだろうか。この黒は物凄く落ち着くと、そっと黒に触れて、額をコテンと軽くぶつける。

 感じたのは、人の温もりと規則正しい心音。そして、耳に届いた寝息。

 眠気が一瞬で飛んでいった。

 アイズは金色の瞳を開いて、寝息が聞こえた頭上へと顔を向ける。

 

「ん……」

「チヒロ……?」

 

 そこには、穏やかな表情のチヒロが眠っていた。ちなみに、黒の正体は彼が着ている服だ。

 眠っている彼を見つめながら思う。彼とは長い付き合いではあるが寝顔を見たのはこれが初めてじゃないかと。

 昔はよく、彼と『秘密基地』で過ごして、一緒に夜を明かしていたが、彼は基本自分よりも後に寝て先に起きる。

 今回の遠征でもそうだった。アイズが起きた時には隣はもぬけの殻で、初日はチヒロと再会出来たのは夢だったのではないかと思って、慌ててチヒロを探しに行ったりもしたぐらいだ。

 余談ではあるが、テントから出てすぐに鍛錬をしていたチヒロに出くわしたアイズは、その存在を確かめる為にほぼ無意識にチヒロに抱き着いて、チヒロをあたふたさせていた。

 そんなこんなで、アイズが彼の寝顔を拝んだことは一度も無かった。

 いつか絶対に見てやろうと、密かな野望があったが、三年ぐらい前から一緒に眠る事すら殆ど無くなり、その野望も風化しかけていたそんな時に、まさかの野望達成。

 まさかの展開に一瞬呆気に取られたアイズだが、すぐにハッとして息を潜める。

 寝顔を拝むという野望は達成した。だが、そうすれば次なる欲が出てくるのが人間というものだ。

 まずは観察。

 

「(……肌白い……睫毛長い……)」

 

 真っ白な肌に今は見えない空色の瞳を縁取る長い睫毛。

 整った顔立ちの彼は、よく周りから『イケメン』と言われていた。それだけが理由で彼に近づこうとする異性も昔から多かった。そういう相手はチヒロがバッサリとお断りしていたが。

 チヒロの顔をまじまじと見つめていたアイズの視線が、微かに開いていている彼の唇へと向けられる。そこから小さな息遣い――寝息が漏れる。

 チヒロの唇を見て思い出すのは昔のこと。とある酒場で自分が起こしたとある事件。顔に熱が集まるのを感じる。

 考えてはダメだと軽く頭を横に振れば、頭上から微かに声が漏れた。

 

「ん……」

「!」

 

 マズイと、体を強ばらせる。

 今ので起きたのではないかと、身を縮こまらせながらギュッと目を閉じる。

 だが、その後すぐに再びアイズの耳に彼の寝息が聞こえてきた。

 それにホッと胸を撫で下ろす。

 眠っている彼にまだやりたい事は沢山ある。ここで起きられては、次がいつ来るかなんて分からない。このチャンスを逃すわけにはいかないのだ。

 よしもう一度と気合いを入れ直したアイズだったが、突然のチヒロの行動にそれは一瞬で消し飛ばされた。

 ギュッと強く引き寄せられ、再び視界が真っ黒に染まる。

 チヒロの胸元に顔を埋める形になったアイズは、顔を真っ赤にしながら、自分の心音が異常な程高鳴っているのを感じる。

 彼の寝顔を拝めた感動のあまり気付いていなかったのだ。彼に抱き締められているという事に。

 とにかく、気持ちを落ち着かせようとするが、それを彼は許さなかった。

 追撃とばかりにスリスリと。

 

「!!」

 

 金色の髪に頬を擦り付けてきた彼に、アイズはピシリと固まった。

 落ち着かせようとしていたアイズの心は、もう爆発寸前。

 どこか甘えるように擦り寄ってくる彼は可愛い。

 ギュッと自分を抱き締める腕に力が入れば、同時に心もギュッと掴まれたように苦しく、でも嬉しくなる。

 爆発寸前の感情に、もう抑えきれないと心の中で思う。

 顔を上げれば、すぐそこに彼の顔があってドキッとしたが、そっとそんな彼へと手を伸ばした。

 起こさないようにそ~っと彼の頭の後ろに腕を回し、ゆっくりと包み込むように、自分の胸元へと引き寄せる。

 小さすぎず、大きすぎない胸にぽふっとチヒロの顔が埋まる。

 初めての事に慣れない恥ずかしさを感じ頬を赤くする。

 だが、ここまで来たからには止まれないし、止まる気は毛頭ない。

 ドキドキと煩い自分の心音にチヒロが起きてしまうのではないかと、ちょっとした不安を感じながらも、彼の頭の後ろに回した手を優しく動かす。

 昔彼が眠る自分にしてくれたように――きっと今回も自分が眠った後にしてくれたであろう――彼の白い髪をそっと撫でた。

 そうすれば、彼の顔がどこか安心したように微かに緩んだ気がした。

 アイズの中の何かが擽られる。その何かがもっともっと彼に何かをしてあげたいとアイズに訴えてくる。

 そんな時にふと思い出したある記憶。

 

 ――恋の駆け引き最終奥義! 『既成事実』だ!

 

 小さな体を張って堂々と言われた言葉。

 もちろん、アイズにそんな事を教えるのはあの異端の神、又は変神と畏れられているチヒロの前主神クロノスだ。

 条件はチヒロが眠っている時。やる事はチヒロを気持ちよくしてあげる事。

 只、その具体的な内容を聞く事は出来なかった。チヒロが顔を真っ赤にしながら何を教えてるんだと割って入ってきた事で。

 その後、チヒロにどうすればいいのか聞いたが、アイズは知らなくていいの一点張りで教えてもらう事は出来なかった。

 

「(チヒロを気持ちよく……気持ちよく……)」

 

 考えた末、アイズは再びチヒロの頭を撫でる。

 自分がチヒロにこうしてもらった時、気持ちよかったのを覚えている。

 だが、眠っていなくてもやろうと思えば出来るし、頼めばやらせてくれるだろうとも思う。

 もしかしたらと思ったが、クロノスの言う条件は必要が無い事になる。

 うーんと少し考えるが、全く浮かんでこない。

 そんな時に目に入ったチヒロの寝顔。

 愛しいと思えるその寝顔に、クロノスの教えが全て飛んでいく。

 ずっと触っていたくなるような男性にしては線の細いサラサラな髪を優しく撫でながら、そっとその白髪に頬を寄せる。今はこの状況を堪能すべしと。

 

「(チヒロを気持ちよくする方法……またチヒロに聞いてみようかな)」

 

 チヒロが顔を真っ赤にしながら絶対に教えてくれないであろう事を思いながら。

 

 

 それから少ししてチヒロが目を覚ました。

 少しだけ開いている空色の瞳は、只々ぼーっとしている。

 アイズは、そんな彼の頭を変わらず撫でている。そうすれば、その空色の瞳がアイズを見上げてきた。

 

「……」

「……」

「……おはよう」

「ああ、おは……よ、うっ!?」

 

 返事を返したチヒロは、自分の置かれている状況に固まる。

 自分の顔を覆う柔らかな感触、頭が擽ったく感じるような手付き、そして真上にある彼女の顔。

 彼女の長い綺麗な金色の髪がサラリと落ちてきてチヒロの頬を撫でた。

 まるでそれが合図のように、チヒロは彼女から飛び離れる。その時にむにゅっと柔らかなあるもの――アイズの胸を顔で押してしまったが、それどころではない。

 そして。

 

「どわぁああああああああっ!!」

 

 顔を真っ赤にしながらテントから走って出て行った。

 その場に残されたのは、アイズのみ。

 チヒロが居なくなったテントの中で、少しだけ呆然としていたアイズだが、逃げられたという事にずーんと目に見えるほど落ち込む。

 すると、テントの入口が開かれた。

 

「ア、アイズさん!? 何かありましたか!? 今、チヒロさんが走って……!!」

「アイズー? どうかしたの? チヒロが顔真っ赤にして出て行ったけど……」

「まったく、朝から騒がしいわね」

 

 ひょこっとテントの入口から顔を出したのは、レフィーヤとアマゾネス姉妹。

 だが、今のアイズに三人の声は届いていない。

 

「……気持ちよくなかったのかな」

「……アイズ、あんたチヒロに何やったのよ」

 

 この後、フィンやリヴェリアに連れてこられたチヒロが、アイズに土下座したのは言うまでもないであろう。

 そして、チヒロの胸に再び深く刻まれた。

 

 やはりアイズ・ヴァレンシュタイン(天然娘)には勝てない――と。

 

 

 

 




只々、イチャイチャしてただけのチヒロ君とアイズたん。
そして、天然アイズたん最強(真顔)

ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話

 

 

 

 深層から退却をするロキ・ファミリアの護衛の冒険者依頼を受けて六日目、チヒロはアイズ達とダンジョンを登って行き、現在は深層より遥か地上に迫った中層域の地下17階層まで辿り着いていた。

 深層域と比べて、中層の道幅は狭く、ロキ・ファミリアはこの17階層に上がる前に部隊を二つに分けた。

 集団の規模があまりにも大きいと身動きが取りづらくなり、モンスターの襲撃にも対応出来ないからだ。

 そしてチヒロは、その部隊の一つ、リヴェリアが管轄する前行部隊に配属された。

 十数人ほどの団員達が固まっているその部隊の中には、アイズ、アマゾネス姉妹、ベートと上級冒険者もいる。

 

「……リヴェリア、俺いる?」

「ああ、もちろんだ」

 

 この部隊の責任者である彼女に問えば、即答で返された。

 正直、中層のモンスターが相手ならティオナ達なら武器が無くても勝てるだろう。

 なのに、フィンはチヒロを前行部隊に入れた。

 理由なんて考えなくても分かるのだが。

 

「お前はアイズの傍に居てくれれば、それでいい」

 

 どこか楽しそうにそう微かに笑みを浮かべながら言ったリヴェリアを、チヒロは半眼で見る。そんなチヒロの横を歩いていたアイズは、顔を赤くしている。

 今日までの六日間でチヒロは悟った。

 

 これは護衛ではないと。

 

 現在のような移動の際、ご飯を食べる時など何かとあればアイズと一緒にされてきた。

 挙句には、新種のモンスターにより野営テントがいくつか溶かされてしまい、テントがいっぱいいっぱいだからと、一人用のテントにアイズと一緒に寝るように言われた。

 それには、さすがのチヒロも焦って反対した。

 最終的にフィン達に言いくるめられて、一人用の小さなテントで一緒に眠るハメになったのだが。

 ちなみに、常に自分を抱き枕にして眠るアイズに、チヒロはこの六日間ちゃんと眠れた気がしなかった。

 

「それとチヒロ、ココからは……」

 

 リヴェリアの言葉に、チヒロは分かっているというようにコクンと頷いて返す。

 ロキ・ファミリアにはある規則がある。

 すると、モンスターの雄叫びが前方から聞こえてきた。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオッ!!」

「進行方向! ミノタウロス……大群です!!」

 

 眼前に見えたのは、群れをなしてこちらと対峙する牛頭人体モンスターのミノタウロス。

 

「リヴェリア、これだけいるし、私達もやっちゃっていい?」

「ああ、構わん。だが、チヒロは手を出すなよ」

 

 指示を仰いできたティオネに許可を出して、チヒロには釘を刺し、リヴェリアはラウルにフィンの言い付けだと指揮を執らせる。

 ロキ・ファミリアのある規則。

 それは、中層では下の団員に経験を積ませるという規則だ。

 ロキ・ファミリアとは長い付き合いの為、チヒロもその規則を知っている。

 だから、護衛の冒険者依頼はここまでだろうと踏んでいた。アイズのお世話はまだまださせられそうだが。

 自分の出番は無いと判断して、出っ張っている岩に腰掛けて目を閉じる。

 すると、ミノタウロスの雄叫びというよりも、悲鳴に近い声がダンジョンに響き渡る。

 それに不思議に思いながら目を開いた。

 目に飛び込んできたのは、泣きながら逃げ出すミノタウロスの姿。

 そして、リヴェリアの指示でそれを慌てて追いかけるロキ・ファミリアのメンバー達。

 何をやってるんだと呆れる。

 ゆっくりと立ち上がって、走り出した面々を追うように歩き出す。ミノタウロスくらいのレベルならアイズ達に任せても問題はないと。

 だが、誰かが叫ぶように言った言葉がチヒロの耳にも届く。

 

「ミノタウロス止まりません!! さらに上層に多数!!」

 

 ミノタウロスは17階層に留まらず、上層へと逃げていったのだ。

 さすがにこれは少しヤバイとチヒロも思う。

 上層に行けば行くほど、モンスターは弱いがその分冒険者もLv.1の下級冒険者ばかりだ。

 

「(それでもアイズ達なら被害を出すことなく、ミノタウロスを討つ事は――!)」

 

 そこである事を思い出してハッとする。

 同じファミリアに所属する新人冒険者。

 半月前に主神に新しい仲間だと紹介された自分と同じ白髪に深紅(ルベライト)の瞳を持った白兎のような少年。

 その少年は、現在新人冒険者として日々ダンジョンに出会いを求めながら頑張っている。

 もちろん、それを聞いた時は何言ってるんだコイツと思った。

 そして、キッパリと間違っていると否定した。

 あまりにキッパリと否定されて、部屋の隅で暗いオーラを放ちながら落ち込んでいた少年を、主神がチヒロに面倒を見てあげてくれと頼んできた。

 自分以外の眷属は要らないと言っていた『(クロ)』と違って、『彼女(ヘスティア)』は元々チヒロがファミリアに加入する前から眷属を探していた。

 だから、ファミリア(家族)が出来るのは初めてだった為、少し不安ながらもそれを承諾した。それから何故か少年には【師匠】と呼ばれて慕われている。

 自分がダンジョン遠征に趣いている間も、少年は上層にて日々ダンジョンを冒険しているはずなのだ。きっと現在進行形で。

 少年がミノタウロスと遭遇(エンカウント)なんて、確率的に零に近い。

 だが、直感が告げている。

 嫌な予感を。

 

「あぁ、ヤバイな……ベルに何かあれば俺がヘスティアに怒られる」

 

 そう呟いたチヒロは、一つ溜息をついて上層へと走り出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話

 

 

 

「(ダンジョン5階層……!)」

 

 5階層までやって来ていたアイズは、逃げるミノタウロスにトドメを刺して周りを見渡す。目に飛び込んできた逃げ出した中の一匹のミノタウロス。それに狙いを定めて走り出す。

 だが、それよりも早くアイズの横を通り過ぎた白き閃光によって、ミノタウロスは切り倒された。

 白き閃光――阿修羅を手に持っているチヒロが、アイズに振り返る。

 

「あと何匹だ?」

「一匹」

 

 その言葉にチヒロはスッと目を閉じる。

 だが、すぐにピクっと微かに眉が動いて、その目を開く。

 それが合図のようにチヒロが走り出す。アイズもその後を追う。

 通路の先から聞こえてきた男の子の叫び声。

 それにチヒロはハッとして更にスピードを上げる。

 通路から開けた場所に出れば、目に入ったのは白髪に深紅の瞳を持った少年がミノタウロスに追いかけられている姿。

 正しく、半月前に主神に新しい仲間だと紹介された彼――ベル・クラネルその人だった。

 

「ベル!!」

「し、師匠!?」

 

 チヒロが名を呼べば、ベルが泣きながらこちらを見た。だが、それがいけなかった。

 チヒロがいる事に安心したのと、足元の不注意で飛び出ている石に足を取られてしまって、ダンジョンの床に倒れた。

 尻餅をついた状態で、ベルは後ずさる。すると、その背中がドンと何かに当たった。

 

 壁だ。

 

 行き止まりのそこに、ベルは更にその顔を青ざめさせる。

 前方には自身よりも一回りも、二回りも大きいミノタウロス。後方は退路を閉ざした壁。

 唯一の頼りは、師匠と慕っている彼だけ。

 

「し、師匠ー!! 助けてっ!!」

 

 ベルの助けを請う声を聞きながら、チヒロはそこへと全速力で走る。

 だが、元々の距離が距離だった為、背中に嫌な汗が流れるのを感じる。

 ベルに向けて振り上げられる蹄。

 間に合わない。

 そう思った矢先、後方から声をかけられた。

 

「チヒロ!」

「!」

 

 ハッとしてそこを見れば、少しだけ遅れながらもアイズが走っている。そして、前方のミノタウロスとベルを見る。

 チヒロの中でベルを救う一つの方法が思いつく。

 

「アイズ」

「うん、任せて」

 

 その言葉を聞いて、チヒロはある言葉を唱える。

 

「【創造(クリエイト)】」

 

 それはチヒロの魔法。

 生物以外なら幾つかの条件はあれど何でも創り出す事の出来る反則技(レアマジック)

 そんなチヒロの目の前に空色の光が煌き、その中で一本の槍が形成される。

 完成した槍をチヒロが手に取れば、その空色の光が消えてなくなり、チヒロはその槍を思いっきり振りかぶった。

 狙うはミノタウロスの振り上げられている腕。

 キュボッと高速で狙いに目掛けて跳んで行く槍。

 それはしっかりとミノタウロスの腕に突き刺さり、そのまま壁へと刺さった。

 ミノタウロスの悲鳴がその場に響き渡る。

 振り上げられていた腕は、槍が貫通して壁に刺さっている事で、下ろすことが出来ず、ミノタウロスは必死にそれを抜こうと暴れ出す。

 金色の少女にとってはそれだけあれば十分だった。

 ミノタウロスの胴体に走る一線。

 

「え?」

 

 呆けた表情で目の前のミノタウロスを見ていたベルは、それに間抜けな声を出す。

 走り抜けた線は胴だけに留まらず、厚い胸部、槍に固定されていた上腕、大腿部、下肢、肩口、そして首と連続して刻み込まれる。

 ベルの目に銀の光が最後だけ見えた。

 

「グブゥ!? ヴゥ、ヴゥモオオオオオオオォォォオォ!?」

 

 響き渡る断末魔を聞きながら、チヒロはふうと息をついて阿修羅を鞘に収める。

 そして、肉塊となったミノタウロスの血を全身に浴びて呆然としているベルと、そのミノタウロスを倒したアイズへと近寄る。

 

「アイズ、手間をかけさせた。すまないな」

「ううん、ミノタウロスを逃がしてしまったのは私達だから……」

 

 チヒロが数秒だけミノタウロスの動きを止め、アイズがその間にトドメを刺す。

 先程、チヒロの頭の中に浮かび上がったベル救出作戦。

 何とか成功した事に内心ホッとしつつ、チヒロはベルに顔を向ける。

 それでアイズも思い出したかのようにベルを見る。

 ミノタウロスの血を全身に浴びた状態でピクリとも動かない彼。

 チヒロはそれに眉を顰める。怪我でもしてしまったのかと。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

 動かないベルを心配して、アイズが声をかける。だが、反応は返ってこない。

 一度は涙の引いた深紅の瞳だが、アイズを見つめたまま再び湿り出している。

 そして、じわじわとその白い肌を赤らめていく。

 それにチヒロは、首を傾げる。

 すると、アイズが少し困ったようにチヒロをチラッと見てくる。

 その金色の瞳がこちらに助けを求めていた。

 身内の事のため、あまりアイズには迷惑をかけられない。

 交代と言うようにチヒロは、アイズの肩を軽くポンと叩き、アイズより一歩前に出て、未だに固まって動かない彼に手を差し伸べる。

 そうすれば、アイズからこちらへとその深紅の瞳が動く。

 

「立てるか、ベル」

 

 だが、その手を取ることはなく。

 チヒロとアイズを交互に深紅の瞳が何度も動く。

 それに二人は同時に首を傾げる。

 そして、ベルが微かに震える口を開いた。

 

「し……」

「「し?」」

「師匠の嘘つきぃいいいいいいい!!」

 

 やっと口を開き、反応が返ってきたと思えば、ドピュンとミノタウロスから逃げるよりも早く、ベルは泣きながらそれだけ言い放ってそこから走り去っていった。

 残されたチヒロとアイズは、それにポカーンとする。

 すると、その場に響く笑い声。

 

「くっ、くくっ……【剣姫】と【異端児】の二つ名は伊達じゃねぇな。助けた相手が泣きながら逃げ出しやがった。さすがアイズとチヒロだぜ!」

 

 そう言って腹を抱えながら笑っていたのは後からチヒロとアイズを追ってきたベート。

 それにアイズが少しだけムスっとする。

 

「しかもあいつチヒロのこと師匠って! お前弟子に逃げられてんぞ!!」

 

 チヒロは、爆笑しているべートをチラッと見て、ベルが走り去って行った方を見る。

 

「(ベルに逃げられるのはこれで二度目(・・・)か……地味に傷つくな)」

 

 空を切るだけの手を見つめて、少し前の事を思い出す。

 考えても仕方のないそれに、小さな溜息を一つついて、アイズに声をかける。

 

「俺は追いかけるから」

 

 簡潔に要件だけを伝えて、ベルが走っていった方へと歩き出そうとする。

 だが、それをアイズに引き止められた。ローブをギュッと掴まれた事によって。

 

「……アイズ?」

 

 突然のアイズの行動に、チヒロは不思議そうにアイズを見る。

 そうすれば懇願するような金色の瞳と目が合う。

 

「……また、会える?」

 

 チヒロと一年も会えなかった日々。

 正直言って、好意を寄せている人に一年も会えないのは辛く、悲しく、寂しかった。だから、不安だった。

 ここで彼を行かせてしまえば、また会えなくなってしまうのではないかと。

 何も答えないチヒロに、不安が更に積み上がって顔を俯かせる。

 チヒロのローブを握り締める手に力が入って、ローブに皺が出来る。

 だが、そんなアイズの不安は一瞬にして吹き飛ばされた。

 感じるのは、頭に乗せられた温もり。

 バッと顔を上げれば、微かに微笑んでいる彼。

 自身の頭に乗せられているのは、そんな彼の大きな手。

 優しく自分の頭を撫でる彼の手は昔と変わらず心地いい。

 気持ち良さそうに目を細めたアイズに、チヒロは告げる。

 

「フィンに明日、ギルドの前で待っていると伝えておいてくれ」

「!」

 

 それはフィンに対しての伝言ではあるが、意味を変えれば明日ギルドに行けば会えるというチヒロからの次に会うための約束。

 昔から不器用な彼。

 それに頬が緩むのを感じる。

 明日もチヒロに会えるのだと。

 

「……うん、伝えておく」

 

 その言葉を聞いたチヒロは、じゃあなと一言かけてベルを追いかけて行った。

 

「……」

 

 まだ頭の上に残っている彼の温もりに浸るように、自身の頭に手を乗せてそっと目を閉じる。

 ふとそこで思い出すのは、チヒロがベルと呼んだ白兎のような少年。

 泣きながらチヒロに嘘つきと言い放って逃げていった少年。

 

「嘘つきって、一体……?」

 

 チヒロが彼にどんな嘘をついたのかと、ふと疑問に思うアイズだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話

 

 

 

 迷宮都市オラリオ。

『ダンジョン』と通称される地下迷宮の上に築き上げられた巨大都市。

 そこにはチヒロやアイズのような人間(ヒューマン)やティオネやティオナのようなアマゾンネス、リヴェリアやレフィーヤのようなエルフなど、あらゆる亜人(デミ・ヒューマン)が生活を営んでいる。

 そして、そんなオラリオの運営を一手に担っているのが『ギルド』だ。

 また、ギルドはダンジョンとそれに関わる全ての管理も務めている。

 オラリオの住人として一定の地位と権利を約束する冒険者登録から始まり、迷宮から回収される利益を都市発展に反映させるため、ダンジョンの諸知識・情報を冒険者達に進んで公開、更に探索のためのサポートも行っている。迷宮を攻略するにはギルドの協力が不可欠と言ってもいい。

 そして、現在新人冒険者のベル・クラネルもギルドに大変お世話になっている。

 

「ベル君、キミねぇ、返り血を浴びたならシャワーくらい浴びてきなさいよ……」

「すいません……」

 

 チヒロとアイズから逃げるように全身にミノタウロスの血を浴びたままでギルドへとやってきたベルは、現在ギルド本部のロビーに設けられている小さな一室で真向かいの椅子に座っている女性に注意されて項垂れていた。

 女性の名はエイナ・チュール。

 ほっそりと尖った耳に澄んだ緑玉色(エメラルド)の瞳と光沢に溢れているセミロングのブラウンの髪。仕事人然としながら親しみやすいともっぱら評判の彼女は、ハーフエルフである。

 そんな彼女の役職はギルド職員。ギルドの受付嬢兼冒険者アドバイザーをしていて、現在はベルとチヒロを担当している。

 その担当の一人である目の前の彼を見て、エイナはこれみよがしに溜息をつく。

 

「あんな生臭くてぞっとしない格好のまま、ダンジョンから街を突っ切って来ちゃうなんて、私ちょっとキミの神経疑っちゃうなぁ」

「そ、そんなぁ」

 

 今にも泣きそうな顔をするベルは、すぐにエイナに浴室へと放り投げられて、体を洗ってしっかりとミノタウロスの血を洗い流して、現在はさっぱりとしていた。

 

「それで……チヒロ君とアイズ・ヴァレンシュタイン氏、の関係だったっけ?」

「そうです! それです!!」

 

 ベルが周りの目も気にせずに、全身返り血だらけでギルドに真っ直ぐやって来た訳は、先程のダンジョンでの出来事が原因だった。

 ベルは、目をキラキラさせながら語り出す。

 普段通っているダンジョンの2階層から一気に5階層まで下りてみたこと。

 足を踏み入れた瞬間いきなりミノタウロスに遭遇(エンカウント)して追いかけ回されたこと。

 追い詰められた所を、師と仰ぐチヒロと【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの見事な連携プレーで救われたこと。

 そして、あの【剣姫】とチヒロが親しげに話していたこと。

 

「絶対にただならぬ関係ですよね!?」

「とりあえず、落ち着きなさい、ベル君」

 

 挙句には身を乗り出してきたベルに、エイナは頭を抱える。まずは、どこから突っ込んでいいのかと。

 

「一旦チヒロ君とヴァレンシュタイン氏の話は置いといて……どうしてキミは私の言いつけを守らないの!」

「うっ……」

 

 チヒロとアイズのただならぬ関係に興奮していたベルだが、そのエイナの一言により一瞬で冷めた。

 

「ただでさえソロでダンジョンに潜ってるんだから、不用意に下層へ行っちゃあダメ! 冒険なんかしちゃいけないっていつも口を酸っぱくして言ってるでしょう!?」

「は、はいぃ……」

 

 先程までの勢いはどうしたのか、ベルの口から情けない返事が返ってくる。

 

 ――『冒険者は冒険しちゃいけない』――

 

 それはエイナの口癖だった。

 文字だけ見れば矛盾しているように見えるが、つまりエイナが言いたいのは『常に保険をかけて安全を第一に』という事だ。

 種族はもとより老若男女も関係なくなれる冒険者であるが、その職業柄、犠牲者は絶えない。

 ギルド職員として働いているエイナは、帰ってこなかったという冒険者を数え切れない程見てきたのだ。だから、こうもベルに強く注意を促す。

 

「で、でも、師匠は初日で18階層まで行ったと……」

「チヒロ君とキミは違うのよ。彼は特別(・・)。キミもそれぐらい知っているでしょう?」

 

 溜息混じりのエイナの言葉に、ベルは何も言えなくなる。

 正直、何故自分と同じファミリアに所属しているのかと不思議なぐらいに、チヒロは冒険者の中でも最強クラスに入る。

 オラリオから少し離れた田舎で農民として暮らしていたベルでも、知っていたぐらいなのだから。

 

「あの、それで、師匠とヴァレンシュタインさんの関係は――ハグッ!?」

 

 突然上から降ってきた衝撃により、ベルは最後まで言えずに終わった。

 ジンジンと痛む頭を両手で抱えながら、目尻に涙を浮かべた状態でバッと後ろを振り返る。

 そこに立っていたのは、現在ベルが話に持ち出そうとしていた一人。

 

「お前は何を聞こうとしている」

「し、師匠!?」

 

 阿修羅の鞘でベルの頭を叩いたチヒロが、呆れたように立っていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「遠征お疲れ様、チヒロ君。今回はどうだった?」

「まぁ、上々」

 

 あれからエイナに促されて、チヒロはベルの横に腰掛けていた。

 ベルはベルで、先程逃げ出した事もあり、背筋を正して大量の冷や汗を流している。

 

「上々と言う割には、荷物が少ないような……?」

 

 普段遠征帰りは大きな荷台に大量の魔石やドロップアイテムを乗せて帰ってくるチヒロだが、今回はそれが見当たらない。

 エイナのその疑問に、チヒロはああと納得したように返す。

 

「荷物はロキ・ファミリアが預かってくれてる」

 

 その言葉にベルがハッとし、エイナはニヤッとする。

 

「へぇー、ロキ・ファミリアに。それじゃあヴァレンシュタイン氏とも一緒だったのね」

「うん、まぁ……」

「それで? 進展はあったの?」

「やっぱりそういう関係なんですか!?」

 

 目の前にはニヤニヤしているエイナ。

 すぐ横には、何故かこういった話が大好きなベル。

 チヒロは、一つ溜息をつく。何故こうも自分の周りは色恋沙汰に関する話が好きなのかと。

 

「進展も何も、別にそういう関係じゃないから」

「でも、昔はよく一緒にダンジョンに潜ってたでしょ?」

「あれはアイズが勝手についてきていただけで……」

「ヴァレンシュタインさんがついてきていた!?」

「でも、冒険者やギルド職員の中では【異端児】と【剣姫】はデキてるってもっぱら噂よ?」

「いや、だから……」

「ヴァレンシュタイン氏がチヒロ君に好意を寄せているのは確実よね……」

「そ、そうなんですか!?」

「ええ、あれは誰が見てても分かるわよ」

 

 下心を持って近寄ってくる異性は軒並み玉砕、あるいは粉砕。

 ついこの間にはとうとう千人斬りを達成。

 そんな【剣姫】が唯一好意を寄せている異性が【異端児】チヒロ。

 なんて話は、冒険者だけでなく、オラリオに住む者達全ての住人が噂している事だ。

 

「あのヴァレンシュタインさんからなんて、さすが師匠……!!」

 

 エイナの話を聞いて、どこにそんな要素があったのか、ベルはチヒロに対する尊敬の眼差しを浮かべている。

 そんな二人に、チヒロは再び溜息をつく。

 すると、二人の目がキラーンと光って同時にチヒロに振り向いた。ゾッと悪感がチヒロを襲う。

 

「それで師匠はどう思ってるんですか!?」

「え?」

「ヴァレンシュタイン氏の事よ、ヴァレンシュタイン氏の!」

「え……」

 

 ほらほら吐け吐けと言わんばかりに詰め寄ってくる二人に、チヒロは冷や汗を流す。

 特に目をギラギラさせている自分よりも一つ年上のお姉さんが怖い。

 二人からそっと目を逸らして小さな声で答える。

 

「まぁ、その……嫌い、ではない……」

 

 微かにではあるが、珍しく頬を赤らめているチヒロ。

 そんなチヒロを見て、エイナは満足そうに、ベルは何故か憧れるような顔をしている。

 

「ビックカップルが出来るのも時間の問題って感じね~」

「……って、これ職務と全く関係ないだろ」

 

 チヒロに言われた言葉に、エイナはハッと我に返る。

 ついつい、恋話に夢中で職務を忘れていた。

 半眼で見てくるチヒロに、エイナはサッと目を逸らす。

 

「さ、さてベル君。話はここまでにして換金してこよっか」

 

 アハハっと空笑いを浮かべながら、エイナはベルを連れて部屋から出て行く。

 チヒロは、何故かダンジョンに潜るよりも疲労感のある身体を持ち上げて、二人の後に続いた。

 

「うーん、でもファミリアが違う以上、二人がお付き合いするってなったら、何かと難しいわよねー」

「あー、確かにそうですね。でも、そこは愛の力で――いてっ」

「いいから換金してこい」

「は、はいぃ……」

 

 再び鞘で頭を叩かれたベルは、いそいそと換金所へと向かう。

 ベルの本日の収穫は1200ヴァリス。

 いつもと比べて収入が低い。

 それは、チヒロとアイズから逃げ出した事で、普段よりダンジョンに潜る時間が短かったというのが大きな理由だ。自業自得なので仕方がない。

 すると、そんなベルの手にズシッと重たい布袋が乗せられる。

 片手ではバランスを崩して落ちそうになるそれを、慌てて両手で持つ。

 持った時に感じた感触はじゃらじゃらという大量のお金のそれ。

 パンパンに膨れている布袋の口を見れば、溢れんばかりの金貨が入っているのが見える。

 ベルは、慌ててそれを自分の手に乗せた目の前の人物を見る。

 

「し、師匠!? こ、これは……!?」

「それだけじゃ足りないか? なら――」

「い、いやいや!! これ師匠が取ってきたお金ですよね!?」

 

 更に追加で渡そうとしてくるチヒロに、ベルは慌てて首を横に振って断る。

 それは、チヒロが護衛をしている時に倒したモンスターから取った魔石を換金したお金だった。

 他にもあるがそれは現在ロキ・ファミリアに預けている為、換金出来たのは戻る時に倒したモンスターのショルダーバッグに入れられた分だけ。

 チヒロの収穫15万6000ヴァリス。

 その一部をチヒロはベルに渡したが、ベルは受け取れませんとそれをチヒロに返そうとする。

 そんなベルにチヒロは諭すように言う。

 

「今のお前は生きて帰ってくる事だけを考えていればいい」

「師匠……」

 

 自分の収入だけでやっていくとなると、武器の整備と食事は出来ても、アイテム補充が出来ない。

 ダンジョンでは何があるか分からない為、戦闘状態はしっかりとしていたい。

 新人冒険者なら尚更だ。

 でも、本当に甘えていいのだろうかと複雑な思いもある。

 まだ半月しか一緒に居ないが、何かとチヒロにはお世話になってばかりだ。冒険者としての元々の歴が違うのだから、それも仕方のないことではあるのだが。

 すると、頭を優しくポンポンと撫でられた。

 少し驚いたように顔を上げれば、いつもは殆ど無表情な彼が微かに優しく微笑んでいた。

 

「同じファミリアに所属する俺達は家族だ。遠慮はするな」

「ぁ……はい! ありがとうございます!!」

 

 チヒロの言葉にベルは顔をパアッと明るくさせて、勢い良く頭を下げた。

 そんなチヒロとベルのやり取りを、エイナは微笑ましそうに見ていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「ベル君」

「あっ、はい。何ですか?」

 

 帰り際、出口まで二人の見送りにきたエイナがベルを引き止めた。

 それにチヒロも足を止める。

 

「まぁ、キミとチヒロ君は違うって言ったけど……チヒロ君やヴァレンシュタイン氏のような人に憧れるのなら、めげずに頑張って強くならなきゃね。そしたらチヒロ君みたいに素敵な未来の恋人が――」

「だから違う」

「なにはともあれ、女性はやっぱり強くて頼りがいのある男の人に魅力を感じるから、ベル君も頑張ってね」

 

 エイナのその言葉に、ベルの顔がみるみると笑顔に変わっていく。

 そして一言。

 

「エイナさん、大好きー!!」

「えうっ!?」

「ありがとぉー!」

 

 そう言って街の雑踏へと走っていった。

 残されたのは、ベルの不意打ちで顔を真っ赤にしているエイナと何故か置いて行かれたチヒロ。

 

「モテモテだな」

「ちょっ、からかわないで!!」

 

 珍しくニヤッとした笑みを浮かべたチヒロに、エイナは顔を真っ赤にしながら慌てる。

 

「エイナさーん、俺も大好きだよー」

「棒読みにも程があるわよ!」

 

 そんなエイナに笑みを浮かべながら、チヒロはじゃあなと手を振ってベルを追いかける為に歩き出した。

 そんな彼の後ろ姿にもー!と言いながらも笑みを浮かべる。

 どうも昔から一つ年下の彼は、自分をからかう節がある。

 他の異性にはそういった事をやっている姿を見た事が無いため、淡い期待が胸の中をじんわりと侵していく。

 だけど、思い出すのは昔見たチヒロがアイズと一緒に居る時の姿。

 遠目から見ただけだが、自分が見たことのない優しい表情で彼は彼女に向かって笑っていた。

 

「……ヴァレンシュタイン氏が相手なら諦めもつく、かな」

 

 チヒロの姿が見えなくなって、エイナは誰に言うでもなく、ポツリとそう呟いた

 

 

 




何気にチヒロ君の年齢登場。
エイナさんより一つ年下の18歳です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話

 

 

 

「どうして嘘ついたんですか?」

「……嘘?」

 

 様々な種族で溢れる大通りを歩いていたら、突然ベルに不満顔でそう言われた。

 あの後、チヒロが雑踏の中に足を入れれば、先に走っていったはずのベルが苦笑して待っていた。

 エイナの言葉につい嬉しくなってと言ってきた彼と、今は(ホーム)に向かって帰る最中だ。

 

「前に僕が『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?』って質問した時に、師匠キッパリ『間違ってる』って言ったじゃないですか」

「ああ、言ったな」

「でも、師匠はヴァレンシュタインさんと出会っているじゃないですか!」

 

 ベルのその言葉に、チヒロは呆れ顔を見せる。

 何故か隣を歩く少年は、ダンジョンで女の子と出会う事を求めている。

 詳しく話を聞けば、それはどうやら育ての親である祖父の影響らしい。

 

 ――男ならハーレム目指さなきゃな!

 

 なんて言葉は、正直チヒロも前主神に男の浪漫っていうのはだな、と事ある毎に語られた。

 可愛い女の子と仲良くしたい。

 綺麗な異種族の女性と交流したい。

 それは子供からちょっと成長して、英雄の冒険譚に憧れる男が考えそうなこと。

 だが、それは現在ベルが求めているものであって、チヒロが求めているわけでも、求めていたわけでもない。

 

「……俺がいつダンジョンに出会いを求めた」

「それはそうですけど……じゃあ、ヴァレンシュタインさんとはどうやって出会ったんですか?」

 

 その質問に、チヒロはサッと目を逸らす。そんなチヒロをベルは半眼で見る。

 

「師匠~?」

「……ダンジョンで」

 

 チヒロがボソッと答えた声は、しっかりとベルの耳に届いていた。

 それにベルは満面の笑みを浮かべる。

 

「やっぱりダンジョンに出会いを求めるのは間違っていないんですね!!」

 

 目をキラキラさせている少年に、チヒロは答えてはいけない事を答えてしまった気がして、額に手をあてながら溜息をつく。

 

「あぁ、それで嘘つきって言いながら逃げたのか」

 

 ふと、ダンジョンで嘘つきと言って逃げ出したベルを思い出す。やっとその意味が分かった。

 

「逃げられるのも二度目になれば、こっちだって地味に傷つくぞ」

 

 それに目を輝かせていたベルは申し訳なさそうに眉を下げて苦笑する。

 

「すみません。逃げるつもりは無かったんですけど、何かこう居た堪れなくなってというか……何というか……」

「何でもいいが、今度アイズに会った時に礼は言っとけよ」

「へっ!?」

 

 そのチヒロの言葉に、ベルの顔が赤くなる。チヒロはそれに首を傾げる。

 

「い、いやいやいや!! 無理ですよ!! 僕なんかがヴァレンシュタインさんに話しかけるなんて!!」

「命の恩人に礼を言うのは礼儀だ」

「そ、それは、その……そう……なんですが……」

 

 真っ赤な顔を俯かせて、指をモジモジしているベルに、チヒロは一つの答えを導き出す。

 

「ああ、お前アイズに惚れたのか」

「惚れ!? ぼ、僕なんかがそんな……!!」

 

 チヒロのあまりにも直球な言葉に、ベルは真っ赤な顔と手を慌てて横に振る。

 じゃあ何だよ?と言いたげに、チヒロは首を傾げる。

 

「その、惚れたとか、そうじゃなくて……師匠の隣に並べるなんてすごいなって……それで憧れたってだけで……」

 

 そう言いながら指をモジモジしていたベルは、そこでハッとしてチヒロを見る。

 ベルの話を聞いていたチヒロは、それにキョトンとする。

 その深紅の瞳はキラキラと輝いていた。

 

「だから、僕なんかの事は気にせず、師匠はヴァレンシュタインさんの事を幸せにしてあげてくださいね!!」

「話が飛び過ぎだ」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 メインストリートを出ていかにもというような細い裏道を通り、幾度も角を曲がる。

 背中に届いていたざわめきが途絶えた頃、チヒロとベルは袋小路に辿り着いた。

 目の前に建っているのはいつ崩れてもおかしくないようなうらぶれた教会。

 

「嫌いじゃないとは言ったが、好きとは言ってないぞ」

「何言ってるんですか! ヴァレンシュタインさんのような方なら一度はお付き合いしてみたいと思うのが男の性じゃないですか!!」

 

 そんな事を話しながら、チヒロとベルはその教会へと向かって歩を進める。

 教会に入る前に、チラッと人影がないことを確かめてから二人は扉のない玄関口をくぐって教会の中に入った。

 ちなみに、辺りを見てから入る習慣をベルに教えたのはチヒロだ。何事もやっていて損はないという教えからだ。

 屋内も外見に負けず劣らずの半壊状態。

 そんな廃墟と言われても反論出来ない教会内を、チヒロとベルは慣れた足取りで突っ切り、祭壇の先にある小部屋へと身を進める。

 その小部屋の一番奥にある棚の裏。そこにある地下へと伸びる階段を下りれば、小窓から微かな光が漏れるドアがそこにはあった。

 それをベルが先頭を切って開け放つ。

 

「神様、帰ってきましたー! ただいまー!」

「……ただいま」

 

 声を張り上げたベルとは真逆に、チヒロはボソッと呟いてベルに続くようにドアを潜る。

 その先に広がっていたのは、地下室という響きとはかけ離れた生活臭のする小部屋。人が暮らしていくには、不自由しない広さだ。

 ベルが『神様』と呼んだ人物は、部屋に入ってすぐにある、紫色のソファーの上に仰向けの姿勢で寝転がって本を読んでいた。

 だが、すぐに二人が帰ってきた事に気づいて、パッと起きて立ち上がる。

 外見だけ見れば幼女にも見えなくもない少女。

 ベルよりも小さな少女は、その幼い顔に笑みを浮かべながら二人の目の前までやって来る。

 

「やぁやぁお帰りー! チヒロ君九日ぶりだね! いつもは一週間で帰ってくるのに、二日も帰ってくるのが遅いなんて何かあったのかい? 心配で心配で、もう少しでダンジョンに突入する所だったよ!!」

「留守にしてすまないな、ヘスティア」

 

 チヒロがそう言って少女の頭を撫でれば、どこか気持ち良さそうに少女は目を細める。

 艶のある漆黒の髪をツインテールにして、円な瞳には透き通るような青みがかかっている。そして、その容姿には少しだけ不釣合いな豊満な胸。

 紛れもなく美少女と言える少女の名はヘスティア。

 ベルが『神様』と呼んだように、『神』そのものだ。

 チヒロやベルのようなヒューマンや亜人、ダンジョンに出現するモンスター達とも異なる、一つ次元の違った超越存在(デウスデア)

 チヒロ達のように歳はとらないし姿も変わらない。

 人知を超えた存在であるヘスティアは、英雄と呼ばれる人達よりもすごい存在である。

 

「それにしても、ベル君はいつもより早かったね?」

「ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」

 

 その苦笑気味なベルの言葉に、ヘスティアはハッと慌ててベルの体を小さなその手でパタパタと触れる。

 

「おいおい、大丈夫かい? キミに死なれたらボクとチヒロ君はかなりショックだよ。柄にもなく悲しんでしまうかもしれない」

 

 どうやら怪我の確認をしているようで、そんなヘスティアの隣では、チヒロがヘスティアの言葉に同意するように小さく頷いている。

 そんな二人の気遣いと告げられた言葉に、ベルは嬉しくなり頬を染めて照れる。

 

「チヒロ君は大丈夫かい? どこか怪我していたりしないかい?」

 

 ベルの確認が終わったと思えば、今度はチヒロの体にパタパタと触れてくる。ベルよりも頭一つ分身長が高い為、必死に背伸びをした状態で。

 チヒロは、そんな心配性な神様の手を取って、それをやめさせる。

 

「心配しなくても大丈夫。俺、怪我しない(・・・・・)から」

「それはそうだけど……それでも心配はするよ!」

 

 少しだけムッとした彼女の頭を撫でてから、チヒロは机の上に先程換金したお金の入った布袋を置く。

 

「おや、遠征に行っていた割に、今回はだいぶ少ないようだが……」

「他は知人に預かってもらっている。明日にでも換金してくるよ」

 

 チヒロがソファーに腰掛ければ、その隣にヘスティアとベルも腰掛ける。

 ヘスティアがチヒロからベルへと顔を向ける。

 

「ベル君の方はどうだった? 死にかけたって事は、今日はあまり見込めないのかな?」

「いつもよりは少ないですね。神様の方は?」

 

 その言葉を待ってました!と言わんばかりに、ヘスティアは胸を張ってある物をチヒロとベルの前に差し出す。

 

「ふっふーんっ、これを見るんだ! デデン!」

「そ、それは!?」

「!」

 

 それは潰した芋に衣をつけ油で揚げたサックサクの揚げ物。

 久しぶりにホームに帰ってきたチヒロは、この六日間碌に眠れなかった事と、ホームの安心感からか今にも閉じそうになっていた空色の瞳を、それを見た瞬間にカッと開いた。

 

「露天の売上げに貢献したという事で、大量のジャガ丸くんを頂戴したんだ! もちろん、チヒロ君が一番好きな小豆クリーム味もあるよ! 夕飯はパーティーだ! ふふっ、二人共今夜は寝かせないぜ?」

「神様すごい!」

「……うまい」

 

 キラーンとウィンクして親指を立てているヘスティアに、ベルは拍手をして褒め、チヒロは既に食べ始めている。

 貧乏ファミリアである為、『神』であるヘスティアもお金を稼ぐためにヒューマンのお店で普通にアルバイトをしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話

2015/08/11
『懸想』から『敬慕』へ変更。


 

 

 

「さて、ジャガ丸くんも食べた事だし、キミ達の【ステイタス】を更新しようか!」

「はい!」

 

 ヘスティアとベルが元気に立ち上がって、部屋の奥にあるベッドへと向かう。チヒロもその後に続くようにゆっくりと立ち上がってそこに行く。

 ふと、ベルがチヒロに顔を向けてくる。

 どちらから更新するかという事を言いたいのだろうと察して、顎でクイッとベルからと促す。

 それを見ていたヘスティアがベルに声をかける。

 

「じゃあベル君からね! いつものように服を脱いで寝っ転がって~」

「わかりました」

 

 上着を脱いだ事で、包むものが無くなったベルの上半身が目に飛び込む。一番目を引きつけたのは、背中にびっしりと刻み込まれた黒の文字群。

 それが『神の恩恵(ファルナ)』だ。

 それは神々から下界の住人に与えられる恩寵。

 様々な事象から【経験値(エクセリア)】を得て能力を引き上げ、新たなる能力を発現させることを可能とする。

 要は、人間を極めて効率よく成長させる力である。

 ベルはヘスティアに促された通りに、ベッドにうつ伏せで寝転がる。

 そうすれば、その上にヘスティアがぴょんっと飛び乗った。

 

「そういえば死にかけたって言ってたけど、一体何があったんだい?」

「ちょっと長くなるんですけど……」

 

 ベルが口を動かしている間に、ヘスティアはベルの背中を何度か撫でてから、チヒロがいつの間にか用意していた針を受け取って、自身の指先に針を刺して、滲み出るその血を、そっとベルの背中へと滴り落とす。

 皮膚に落下した赤い滴は比喩抜きで波紋を広げて、その背中へと染み込んでいく。

 

「出会いを求めて下の階層って……キミもほとほとダンジョンに夢を抱えているよなぁ。あんな物騒な場所にキミが思っているような真っ白サラサラの生娘みたいな娘、いるわけないじゃないか」

 

 チヒロもそれに同意するように頷いている。

 そんな二人の反応に、ベルは慌てて弁解し出す。

 

「き、生娘……! い、いえでもっ、別に決まりきってるってわけでもないでしょう!? エルフなんて自分が認めた人じゃないと手も触れないなんて聞きますよ!」

「怒鳴るな怒鳴るな。まぁエルフみたいな種族もいれば、アマゾネスみたいに強い子孫を残すためだけに屈強な男へ体を許す種族もいるんだ、キミの過度な期待は身を滅ぼすだけだとボクは思うな。チヒロ君も何か言ってやれ!」

「帰ってくる間に十分言った」

「……うぅっ」

 

 ベルにとっては重いことをさらりと告げられて、枕に顔を埋没する。

 そんな話をしている間も、ヘスティアは手を止めずにステイタスの更新を行っている。

 ベルの背中に神血(イコル)で刻まれるのは、【神聖文字(ヒエログリフ)】と呼ばれる、神様達が扱う文字。

 この神聖文字を読めるのは、神様とエルフなどの極一部の者だけだ。昔、前主神から教えてもらったチヒロもその極一部に入る。

 

「それに、アイズ・ヴァレンシュタイン、だっけ? そんな美しくてべらぼうに強いんだったら他の男どもがほっとかないよ。その娘だって、お気に入りの男の一人や二人囲っているに決まっているさ」

「あ、えと……」

 

 そのヘスティアの言葉に、ベルは言葉に詰まる。

 思い出すのは、エイナとの会話。

 

「どうしたんだい? ベル君」

「あ、いえ……実はヴァレンシュタインさんの好きな人って師匠らしくて……」

「な、なんだってーっ!?」

 

 あまりの衝撃的な事実に、ヘスティアはバッとベルの背中から飛び起きてチヒロへと詰め寄ろうとする。

 だが、それはその本人に肩を掴まれた事によって阻止された。

 

「更新中に動くな」

「そんな大事な話聞いてないぞチヒロ君! 何故僕に話してくれなかったんだい!? もしかして付き合ってるのかい!?」

「付き合ってない」

 

 それよりも更新を続けろと促してくる空色の瞳に、ヘスティアは渋々止まっていた手を動かす。

 

「そりゃ、チヒロ君がヴァレン何某とお付き合いしたいって言うんなら、僕も反対はしないけどさ。でも、ロキの【ファミリア】に入っている時点で、婚約は難しいよ」

「だから、そういう関係じゃないから」

 

 何だかんだ言ってチヒロとアイズの関係に納得していないヘスティアが、ブツブツと拗ねたように言う言葉に、チヒロは小さく溜息をつく。

 大抵、ファミリアに加入している者は、ファミリア内かあるいは無所属(フリー)の異性と結婚する。

 別のファミリアの相手と結婚して子供が出来ると、じゃあその子供はどちらの所属になるの?という話になってしまうからだ。

 

「もし、チヒロ君とそのヴァレン何某に子供が出来てみろ、ロキなら絶対に『うちがもっらうーっ!』なんて言って攫っていくよ、絶対に!!」

「だからアイズとは別に……」

 

 今日何度目かの否定の言葉を紡ぐ。

 正直、もう否定するのも疲れてきたとチヒロの顔には書かれている。

 

「はいっ、終わり! まぁベル君はそんな女のことなんて忘れて、すぐ近くに転がっている出会いってやつを探してみなよ」

「ヘスティアとかな」

「そうそう――って、チヒロくーんっ!! 口に出したら意味ないだろ! 僕が言った意味が!!」

 

 顔を赤くして慌てているヘスティアと、さっきのお返しだと言わんばかりのチヒロを見て、ベルは肩を落とす。

 

「……酷いよ、師匠も神様も」

 

 ベルが脱いだ服を着直している間に、ヘスティアがチヒロから受け取った用紙に更新したステイタスを書き写す。

 チヒロと違ってベルは神聖文字を読むことは出来ないので、ヘスティアが下界で用いられている共通語(コイネー)に書き換えてステイタスの詳細を毎度伝えている。

 

「ほら、キミのステイタス」

 

 差し出された用紙をどうもと受け取って、それに視線を落とす。

 チヒロも気になる事があった為、その用紙を横から覗き込む。

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I 77→I 82 耐久:I 13 器用:I 93→I 96 敏捷:H 148→H 172 魔力:I 0

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【】

 

 これがベルの背中に記されているステイタスの概要。

 基本アビリティ――『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』といった五つの項目で、更にSからA、B、C、D、E、F、G、H、Iの十段階で能力の高低が示される。この段階が高ければ高いほど、眷属の能力は強化される。

 その文字の横に隣接する数字は熟練度。0~99がI、100~199がH、という風に基本アビリティの能力段階と連動している。ちなみに上限値は999。その分野の能力を酷使すればするほど熟練度は上昇するが、最大値の999――アビリティ評価Sに近づくにつれ伸びは悪くなっていく。

 そして、一番重要なのがLv.だ。Lv.が一つ上がるだけで基本アビリティ補正以上の強化が執行される。

 簡単に言えば、今回ベルを死の危機にまで追いやったミノタウロスはLv.2にカテゴライズされる。Lv.1のベルがLv.2のミノタウロスに大敗を喫したのはこれが原因と言ってもいいだろう。

 つまり、それぐらいにLv.が上がるという事は強くなるという事だ。

 これを【ランクアップ】と呼ぶ。

 

「……」

 

 横からベルのステイタスを見ていたチヒロは、何かに気づいて微かに目を細める。チラッとその空色の瞳をヘスティアに向ければ、彼女と目が合った。

 その青い瞳が何も言うなと告げている。

 そんな二人のやり取りに気付いていないベルは、ステイタスを見つめながら口を開く。

 

「……神様。僕、いつになったら魔法を使えるようになると思いますか?」

 

 ステイタスを神に刻まれる中で誰もが関心を寄せるのが、『魔法』を使えるようになるという事だ。

 神達が下界に来る前は、魔法は特定の種族の専売特許に過ぎなかった。だが、神達の恩恵は如何なる者でも魔法を発現させることを可能とした。

 しかし、ベルのステイタスの魔法欄にはまだ何も記されていない。

 

「それはボクにもわからないなぁ。主に知識に関わる経験値が反映されるみたいだけど……ベル君、本とか読まないでしょ?」

「はい……」

 

 ヘスティアの言うように、ベルは全くと言っていい程本を読まない。

 壁際にある二つの本棚。そこにはビッシリと本が敷き詰められているが、それは全てチヒロの物。

 ヘスティアがちょこちょこ読むことはあれど、ベルが手をつけた事は一度もない。部屋の掃除をする時に埃を払うぐらいだ。

 

「師匠は魔法使えますよね? いつから使えるようになったんですか?」

「俺のはあまり参考にならない……ただ、他の冒険者から聞いた話でも本を呼んで知識を付けるのが一番だって言ってた」

「やっぱり本かぁ……ん?」

 

 溜息混じりにそう呟いたベルの目が、ある一点に留まる。

 それはスキルのスロット欄。

 

「神様、このスキルのスロットはどうしたんですか? 何か消した跡があるような……」

「……ん、ああ、ちょっと手元が狂ってね。いつも通り空欄だから、安心して」

「……」

 

 何も言わず、どこか惚けるようなヘスティアをチラッと見て、少しだけ期待していたベルが肩を落とすのを見る。

 『スキル』というのはステイタスの数値とは別に、一定条件の特殊効果や作用を肉体にもたらす能力の事だ。ステイタスが器そのものを強化するとしたら、スキルは器の中で特殊な化学反応を起こさせる。

 魔法のように目に見えた派手さはないが、発現して損なものは極めて少ない。

 少ないであって、ゼロというわけではないのだが。

 更新されたステイタスをあらかた確認したベルは、壁に設置されている時計を見上げて、チヒロとヘスティアに顔を向ける。

 

「師匠のステイタスを更新している間に夕飯の支度をしておきますね。さすがにジャガ丸くんパーティーだけでは物足りないと思いますし」

「うん、ベル君に任せるよ」

「頼んだ」

「はーい」

 

 チヒロとヘスティアに背を向けて、ベルはキッチンへと向かって行く。

 そんな彼の背中を少しだけ見つめていたヘスティアは、自分と同じように彼を見ていたチヒロへと顔を向ける。

 

 

「さて、次はチヒロ君だね! 九日ぶりのステイタスはどうなってるかな~」

 

 どこかワクワクしているヘスティアに、チヒロは肩を竦めて着けていた黒い上着を脱ぐ。

 

「そんな変わらないと思うけど……」

「まぁまぁ、そこに寝転がって寝転がって」

 

 ヘスティアに言われた通り、ベルのようにうつ伏せの状態でベッドへと寝転がる。ヘスティアがそんなチヒロの上に飛び乗る。

 ベルの時同様に神血を背中に垂らして、ステイタスを更新していく。

 

「……んで?」

「んー? なんだい?」

「惚けるな」

 

 チヒロの声音が少しだけ低くなった事で、ヘスティアは諦めたように眉を下げる。

 問いかけられた意味など、最初から分かっていた。

 

「やっぱり気づいてたんだね、チヒロ君は。ベル君のスキルが発現した事」

「神聖文字読めるからな」

 

 チヒロのその言葉に、ヘスティアは小さな溜息をつく。彼には隠し事なんて出来ないと。

 

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する。

 ・敬慕(おもい)が続く限り効果持続。

 ・敬慕(おもい)の丈により効果向上。

 

 ヘスティアがベルにスキルは発現していないと言ったのは嘘で、それがベルの初めてのスキルだった。

 ベルの背中に神聖文字で刻まれたスキルをチヒロはその目で見た。だから問いたのだ、何故嘘をついてまで隠したのかと。

 正直、理由は察しているが。

 

「……やっぱり『レアスキル』、だよね」

「……だろうな」

 

 発現するスキルの多くは、内実冒険者達の間で共有されている効果効用が多い。スキルの入手自体、希な事柄ではあるのだが、その中でも確認されたものを見ると、名称に差異はあっても能力が他のものと似通っているというケースが割と見られる。

 同じ種族間ならその可能性がぐっと増す。例えば、エルフなら魔法効果の補助、ドワーフならば力の強化といった具合だ。

 そんな重複した内容のスキル効果が複数ある中で、それ唯一、あるいはより数が希少なものを総じて『レアスキル』と神達が勝手に呼んでいる。

 

「まぁ、スキル発現のきっかけはキミとヴァレン何某だとは思うんだけどね」

「アイズはともかく、なんで俺?」

 

 どこか不機嫌なヘスティアの言葉に、チヒロはキョトンとする。

 ミノタウロスから命を救ってくれたアイズに憧れて、スキルが発現したというなら分かるが、チヒロは何もしていないのだ。

 

「何言ってるんだい! キミの強さ(・・)に憧れているに決まってるだろ! な・に・よ・り・も!! キミのヴァレン何某との関係に憧れてるんじゃないか!?」

 

 そんなとこに憧れられても困るというように、チヒロは溜息をつく。

 最初の眷属であるチヒロとは違う意味で、ベルに特別な感情を持っているヘスティアは、チヒロとアイズにより、彼が変わってしまった事が少し――7割ぐらい嫌なようで、不機嫌全開だ。

 

「まぁ、なんにせよ、あのスキルは明るみになると色々と面倒なことになる」

「娯楽に飢えた神々、か……」

 

 娯楽に飢えているせいか、他の神々はレアスキルだとかオリジナルだとか、そういった特別な単語にアホのように反応してくる。もはや子供のように、全力で興味を持って全力でちょっかいをかけたがるのだ。

 中には既に契約済みだというのに自分のファミリアに勧誘してくる神も少なくない。チヒロもそれに追いかけ回された幼い頃の経験がある。

 

「……未確認スキルなのは間違いないだろうな」

「あの子は嘘が下手だからね。問い詰められたら余計な疑いを持たれる。だから……」

「ヘスティアがそうしたいのならそうすればいい」

「チヒロ君……」

「俺も出来る範囲でフォローするから」

「うん、ありがとう、チヒロ君」

 

 頼りになるその言葉に、ヘスティアはにへらとだらしない笑みを浮かべる。ちょうど更新も終わり、用紙にそれを書き写していく。

 神聖文字が読めるとはいえ、背中の文字は見えにくい。だから、いつもこうやって書き写してチヒロにも見せていた。

 

「まぁ、でも……キミのスキルも魔法も相当なレアスキルと反則技ではあるんだけどね」

「……」

 

 ステイタスを書き写した用紙を見て苦笑したヘスティアは、チヒロにそれを渡す。

 チヒロは、自分の現在のステイタスへと目を向けた。

 

 チヒロ・ファールスム

 Lv.6

 力:A 856→A 860 耐久:S 999 器用:S 956→S 958 敏捷:S 999 魔力:A 805→A 807

 狩人:F 調合:H 剣士:H 精癒:I

 《魔法》

創造(クリエイト)

 ・生物以外のモノを創り出せる。

 ・ただし、使用者が認識しているモノのみ。

 ・属性などを付与する事は出来ない。

 ・大きさは最大で使用者の等身大。

 《スキル》

【神子の加護】

 ・どんな傷も治癒される。

 ・深い傷ほど治りが遅い。

 ・加護が続く限り効果持続。

 

 やはりといった内容だった。

 Lv.6になって約二年、チヒロの基本アビリティはほとんど最高評価のS。耐久と敏捷に関しては、限界値に到達している為、上がることすらない。

 たったの二年でここまで行くことの方が正直珍しいものではある。

 ランクアップする冒険者の最終能力は大抵がCかD、良くてBに落ち着く。アビリティの最高評価Sに上り詰める者は全くと言っていいほどいない。

 そんな中でチヒロは五つの内、三つが最高評価S。【異端児】という二つ名にも納得がいく。

 

「それにしても、今回の遠征でもかなり攻撃を受けたようだけど、治る(・・)からと言ってあまり無茶はしないでおくれよ」

「……」

 

 ヘスティアがチヒロの黒いローブを見て、心配そうに告げる。

 遠征に行く前は新品だった黒いローブには、何箇所か破れている部分があった。そこには微かに血が滲んでいて、ローブに色が同化してきている事から、かなり前のものだと判断できる。

 だが、チヒロの体にはどこにも傷などは見当たらない。

 首が飛ぶなど、一瞬で死ぬような傷でない限り、勝手に治癒される。それがチヒロのスキルの効果。

 他では聞かない、まさに不死身といえるレアスキルだ。

 

「無茶をしてキミは半年(・・)もの間、眠り続けていたんだ……それだけは忘れないでおくれよ」

「……ああ、分かってる」

 

 チヒロの空色の瞳に光はない。それにヘスティアは眉を下げる。

 

「……それでキミはまだランクアップはしないのかい?」

「……」

 

 ベッドに腰掛けているチヒロの横に座って、ヘスティアは話を変えるように何気なく問いかける。

 チヒロは何も答えない。

 そんなチヒロにヘスティアは更に眉を下げて苦笑する。

 

「まぁ、ランクアップをするかどうかの判断はキミに任せるよ。既にキミの経験値はランクアップするには十分なぐらい貯まっているからね」

「……」

「したくなったその時はいつでも言ってくれ」

「……ああ、ありがとう」

 

 頷いたチヒロの頭をポンポンと撫でて、ヘスティアはベルがいるキッチンへと向かう。

 

「ベルくーん! 今日の夕飯はなんだい!?」

「あ、師匠の更新終わりましたか? お疲れ様です」

 

 そんな会話を背中に受け止めながら、チヒロは再びステイタスを見る。

 半年前、ファミリアを改宗した際に、ヘスティアに言われたのはランクアップが出来るという事。

 だが、チヒロはそれを断った。今のままでいいと。

 

「(出来るはずがない……)」

 

 大切な(神様)を殺した事でランクアップなんて……。

 俺はそんな理由で強くなんかなれない――。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話

 

 

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン

 Lv.5

 力:D 549→D 555

 耐久:D 540→D 547

 器用:A 823→A 825

 敏捷:A 821→A 822

 魔力:A 899

 狩人:G 耐以上:G 剣士:I

 

「(……低過ぎる!)」

 

 約二週間の遠征から帰還して、夕食を終えたアイズは主神ロキにステイタスを更新してもらったが、更新されたステイタスを見て最初に思ったのは、それだった。

 深層域に生息するモンスターをあれだけ屠ったにも関わらず、各アビリティの熟練度が全く上がっていない。

 この調子で何千何万のモンスターを斬り伏せたとしても、たかが知れた数値しか反映されないのは目に見えていた。

 

「(もう、ここが頭打ち……)」

 

 アビリティ評価Sに迫るにつれ値の成長幅も極端に狭まっていくが、今回の更新結果はおそらくそれ以外にも原因があると思った。

 今の自身にはもう伸びしろがないのだと。

 現ステイタスがアイズの能力限界であり、得意不得意の分野関係なく、もはや発展の余地はない。

 アイズがLv.5に到達して三年。

 

「(チヒロがLv.6になったのは、確か今の私ぐらいの時……)」

 

 アイズの手によりステイタスの書かれた紙にクシャッと微かな皺が出来る。

 遠い彼の背中。その間にあるのは、上限という名の見えない壁。

 これ以上の成長はもう見込めない。

 ならばとアイズは現段階の自分に見切りをつける。

 必要なのはLv.の上昇。

 より高次な器への昇華。

 壁を乗り越え、限界を超克する。

 より強く。

 もっと強く。

 貪欲なまでに強く。

 更なる力を得るために。

 遥か先の高みへと至るために。

 悲願をかなえるために。

 そして彼の傍に今度はずっと居られるように――。

 

 

「……フィンから聞いたで。チヒロ、生きてたんやってな」

「!」

 

 静観していた目の前の女性に声をかけられて、アイズはハッと顔を上げる。

 朱色の髪をポニーテールにしていて、細目がちな瞳。端麗な顔立ちのその女性がロキ・ファミリアの主神ロキ。

 ただし、女神でありながら女好きという厄介な嗜好を持っていたりする。

 

「あいつが生きとったんならそれはええことや。でもな、あいつを追いかけるのだけはやめ」

「……」

 

 人形のように表情の無かったアイズが、それに微かに眉を顰める。納得いきませんとその金色の瞳が反論している。

 そんな彼女にロキは優しく諭すように言葉を続ける。

 

「何度も言ったな? あいつの成長速度も強さも正直異常や。だから【異端児】って二つ名がつけられたんや。そんなあいつを追いかけてたらつんのめって、いつか必ずコケる……あいつ自身がそうやったやろ」

 

 ロキの微かに曇った顔に、アイズはチヒロを思い出す。

 強さを求めて求めた彼は、結局大切なものを何一つ守れずに、全てを失った。

 彼がどんな気持ちでこの一年間過ごしてきたのか、結局何も聞けなかった。

 結局彼の事を何も知ることが出来なかった。

 昔も今も、彼が何を隠し、何を抱えているのかは分からない。

 もしかしたら、そんな彼を追いかけて、いつか自分は見えない何かに躓いて転んでしまうのかもしれない。

 でも、それでも――。

 

「……それでもチヒロの傍に居られるのなら私は……」

「……」

 

 想いを譲る気のない金色の瞳。

 暫しの沈黙を破ったのは、ロキの溜息。

 

「アイズたんは相変わらずチヒロ大好きっ子やなー」

 

 真っ白な肌がどんどん赤く染まっていく。

 そんなアイズの反応に、ロキはムッとする。

 

「ええか、アイズたん。今あいつがどこのファミリアにいるかは知らん。でも、あいつは他派閥や。結婚はおろか、付き合うっちゅーのも難しいんや。何よりもうちが認めへん!!」

「……」

 

 まるで父親が「娘を他所の男になどやるか!!」と言わんばかりに拒否してきた主神に、アイズは半眼になる。結局はそこかと。

 ロキの前でチヒロと居ると何かと邪魔しようとする。その度にチヒロの前主神とティオナ達がロキを止めてくれていたが。

 口ではダメだダメだと言っているけどロキも認めてくれている、と前にティオナ達が言っていた。ただ、目に入れても痛くない可愛い可愛い娘を素直に差し出したくないという頑固な父親の気持ちになっているだけだと。

 正直、それが一番厄介なのだが。

 

「うちのファミリアにあいつが改宗するっていうなら少しは考えてもええけど……まぁ、考えるだけで認めへんけどな!!」

「……失礼します」

 

 キメ顔で宣言した主神を無視して、アイズは部屋から出て行く。

 ドア越しに「嘘や嘘! だからうちのこと嫌いにならんとってー!!」なんて悲鳴が聞こえたが、それも無視して自室に戻る。

 各部屋からは団員達の談笑の声が漏れる中、アイズは寄り道する事なく真っ直ぐ自室へと向かい、ドアを開ける。

 眼前に広がったのは、寂しい部屋だった。

 机にベッド、カーテン。調度品は少なく、何かとゴチャゴチャしているロキの私室と比べれば飾り気の欠片もない。

 部屋を突っ切って、机の上に置いていた小さな小瓶を手に取る。中でチャポンと青い液体が揺れた。

 それはチヒロと再会した時に、チヒロから貰ったチヒロ特製回復薬。

 飲まずにずっと持っていたそれ。

 

「……チヒロ、怒るかな」

 

 自分が飲んでいないと知れば、彼は微かに眉を顰めるだろうと容易に想像出来る。

 だけど、飲もうとは思わない。

 別に疑っているわけではなく、チヒロが作った回復薬は万能薬よりは劣るが、それぐらいの効果があることをアイズも知っているし、信頼もしている。

 ただ、残しておきたかったのだ。チヒロが生きていた証を。チヒロと再会出来た証を。

 ボフッと小瓶を握り締めたまま、ベッドへと倒れ込む。

 思い出すのは、遠征からの帰還途中は常にチヒロと同じテントで眠っていた事。

 思い出しただけで、顔が熱くなるのを感じる。

 誰も見ていないとは分かっていても、赤くなっているであろう顔を隠したくなって、白いシーツに顔を埋める。

 鮮明に覚えている彼の温もりと、自分と同じぐらい顔を真っ赤にしながら、自分と同じぐらい心臓をドキドキとさせていた彼。

 距離をゼロにして感じた彼の心音と温もりが心地よくて、久しぶりに何も考えずに安心して眠ることが出来た。

 そして一度だけ彼よりも早く起きた時に見た彼の寝顔。

 規則正しい寝息を立てながら、自分を抱きしめるようにして眠っていた彼。

 どこか甘えるように自分に擦り寄ってきた彼が可愛くて。自分を抱きしめる腕の力が微かに強くなった事が嬉しくて。

 起こさないようにそっと彼の頭の後ろに腕を持って行って、包み込むように彼の顔を胸元で抱きしめた。

 そうすれば、どこか安心したように彼の顔が微かに緩んだ気がした。

 それが何よりも愛おしくて、彼が起きるまでその寝顔を眺めたり、白い髪を梳いたりして過ごした。

 

「チヒロ……」

 

 今、そんな彼が傍に居ない事が無性に不安になる。

 彼からもらった小瓶を胸に抱きながら、そっと目を閉じる。

 明日になればまた彼に会えるのだ。

 そう自分に言い聞かせながら、遠のく意識に全身を委ね、深い闇に落ちていった。

 

 余談ではあるが、起きたチヒロがアイズに抱きしめられながらその胸元に顔を埋めて眠っていたという自分の状況を理解して、顔を真っ赤にしながらテントから飛び出していったのをティオナ達が目撃していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話

 

 

 

「ハアッハアッ」

 

 そこは深い深い森の中。

 木々が重なりあって出来た緑の洞窟を、小さな黒髪の男の子が息を荒げながら走り抜ける。その手には、小さな体には不釣合いな長刀を握り締めている。

 空色の瞳をチラッと自分の背後へと向ける。すると、ガサガサと背後の木々が揺れ動くのが見えた。

 それを見た男の子の瞳に恐怖の色が浮かぶ。

 男の子はすぐに前を向いて、更に走る速度を上げようと足を強く踏み込む。だが、それを実行する事は出来ず、何かに足を掴まれた。

 

「……っ」

 

 森の中なので、地面は然程固くはないが、受身も取らずに転倒すれば痛い。

 痛みに顔を歪めながら、男の子は足元を見る。

 地面から顔を出している木の根が男の子の小さな足に絡んでいた。

 男の子はゆっくりと痛みに耐えながら立ち上がる。

 

「!」

 

 背後に感じた気配。聞こえるのは荒い息遣い。

 それらを感知し、硬直した体に嫌な汗が流れる。

 錆び付いたネジを回すようにギギギっと、そこへ振り返った。

 目に飛び込んできたのは、赤い体毛、コウモリのような皮膜の翼、サソリのような毒針が無数に生えた長い尾、まるで人のような顔。それはライオンのような形態をした異形の怪物。

 三列に並んだ鋭く尖った牙を持つ口が開く。

 

「ガアアアアアアッ!!」

「っ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような怪物の吠声に、男の子は黒い鞘から長刀を抜刀して構える。

 それは怪物に立ち向かう勇ましい姿――とは程遠いもので、長刀を握り締める手がカタカタと恐怖で震えていた。

 お互い出方を伺うように、円を描く。

 先に動き出したのは男の子。

 

「やあああああっ!!」

 

 だが、大きく長刀を振り上げただけで怪物へと走る男の子は、隙だらけで。いとも簡単に弾き飛ばされた。

 その反動で男の子は尻餅をつく。

 そんな男の子に餌を前にして涎を垂らしながら怪物が近づいてくる。

 男の子は、恐怖で空色の瞳を震わせる。

 長刀は弾き飛ばされた際に、少し離れた地面に突き刺さっていて、手に取れる距離ではない。

 背を向けて逃げ出せば、その瞬間に喰われる事は幼い男の子にでも分かった。

 まさに、絶体絶命。

 いただきますと言うようにぐあっと開けられた大きな口。

 男の子は、為すすべもなく体を硬直させてギュッと目を閉じた。

 

「ギャアアアアアッ!?」

 

 響いたのは、怪物の悲鳴のような断末魔。

 男の子はそっと空色の瞳を開ける。

 目に入ってきたのは怪物ではなく、真っ黒な薄手の防具の上から真っ黒なローブを身に纏い、真っ黒な刀身の長刀を持った黒髪の青年。

 青年が長刀をヒュンっと振れば、刀身についていた血が地面へと飛ぶ。

 よく見れば、先程男の子に襲いかかってきた怪物が真っ二つになって地面に倒れていた。

 長刀を鞘に戻した青年が、呆然としている男の子へと声をかける。

 

「森には勝手に入るなと言われているだろ」

 

 男の子は、青年の安心する低く、優しい声に我に返って、その空色の瞳に涙を浮かべる。そして、バッと青年に飛びついた。

 そうすれば、青年は動じることなく男の子を抱きとめる。

 

「おいおい、男が泣くもんじゃないぞ」

 

 その声は、からかいを含んでいるが、男の子は泣くことを止めない。

 それに苦笑して、青年は優しく自分と同じその黒髪を撫でる。

 

「何で森に入ったりしたんだ」

「っ……とうっ、さまを……むかえにっ……いきたくてっ」

 

 男の子の想いに、青年はキョトンとしたが、すぐに優しく微笑む。

 男の子を片手で抱き上げて、地面に刺さっていた男の子の長刀を取り、鞘へと戻す。

 

「それなら護衛をつけてから来い。お前にはまだこの森は早い」

「ごめん、なさい……」

 

 泣きながら肩を落として落ち込んでいる男の子を見て、青年は苦笑する。

 片手に男の子を持ち、片手に長刀を持って歩き出す。

 

「でも、ありがとな」

「!」

 

 青年からのお礼の言葉に、男の子はパッと顔を上げて青年を見る。

 男の子を見つめる青年の紫の瞳が優しく細められる。

 まるで、泣いていた事が嘘のように、男の子の顔が明るくなり満面の笑みを浮かべる。

 

「今回はどこ行ってきたの? オラリオにも行ったの? ダンジョンは? 父様のファミリアの人には会えたの?」

「待て待て、一気に喋るな」

 

 打って変わって、その空色の瞳をキラキラさせながら幾つもの質問を投げてくる男の子に、青年は苦笑する。

 

 

「後で飽きるほど話してやるから、とりあえずは里に帰るぞ。お前がいないって母様や里の者が心配しているだろうからな」

「うっ……はーい」

 

 痛い所を突かれたと言わんばかりに、男の子は渋々返事をする。

 少しだけ頬を膨らませている男の子に、青年は小さく微笑んで言葉を紡ぐ。

 

「帰ったら鍛錬にも付き合ってやるから、今はな?」

「……うん!」

 

 キョトンとした男の子だが、すぐに嬉しそうに頷いた。

 それから男の子は、青年にあのねと色んな話をする。

 

「みんなが父様が帰ってくるからってご馳走用意して待ってるんだ」

「それは楽しみだな」

「あ、レオも鍛錬してもらいたいって言ってたよ!」

「なら、三人でやるか」

「うん! でも、レオにまだ一度も勝てたことないんだー」

「レオは強いからな」

「うん! 強いよ! すごく強い!」

「なら、お前も頑張らないとな」

「うん!」

 

 そうこうしている内に、森の出口に辿り着いた。

 薄暗い森の中から光溢れるそこに出れば、あまりの眩しさに、男の子と青年は目を細める。

 光に慣れてきた目に入ってきたのは、こちらに向かって駆け寄ってくる金色。

 どこか神々しさすら感じるウェーブのかかった腰まである綺麗な金色の髪の女性の姿を視認した男の子の顔が明るくなり、青年の腕から飛び降りる。

 それに青年は少し驚きつつも、女性へと走っていく男の子に苦笑する。

 女性はそんな男の子を見て、優しく微笑んだ。

 駆け寄ってくる男の子の目線に合わせるように屈んで、腕をそっと広げる。

 

「母様!!」

 

 その腕の中に、男の子は嬉しそうに飛び込んだ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……」

 

 そっと重たい瞼を開く。

 どこかぼやけた視界の中に映るのは、魔石技術により発明された『魔石灯』。その魔石灯が天井で燐光の如く輝いていた。

 そのおかげで地中に作られているこの部屋は、朝日が入らないものの、周囲を見渡せる程度には明るい。

 

「(……記憶()、か)」

 

 それを見つめながら、チヒロは未だ覚醒しきれていない頭で思う。

 それはもう何年も見ていなかった記憶。思い出す事すらしようとしていなかった記憶。

 今更何故(父親)の記憶などと思うが、答えはすぐに浮かび上がった。ベルのステイタスに刻まれたスキルが、この記憶を呼び起こしたのだと。

 チヒロにとっての憧憬は(父親)だった。

 誰よりも強くて誰よりも頼りになる(父親)に。

 彼女(母親)を一途に護り続けると誓った騎士(父親)に。

 (父親)のようになりたいと幼いチヒロは憧れた。

 

「(昔の事だ……)」

 

 目尻から流れ落ちた雫を隠すように、腕で顔を覆う。

 思い出すのは、憧れた逞しい背中。

 どこまでも遠い背中を、幼い男の子(チヒロ)は立ち止まって見つめ続けている。

 もう追いかけはしない。

 

「(何も守れない俺に……あの人の背中を追う資格はない……)」

 

 すると、チヒロの上に黒い兎のような影が差す。

 

「おはよう、チヒロ君。ぐっすり眠れたかい?」

 

 声をかけてきたのは、ヘスティアだ。

 腕を退ける際に軽く袖で涙を拭う。きっとそれに気付いているであろうヘスティアだが、いつも何も聞いてこない。

 彼女はチヒロが自ら話すまでずっと待っている。今も昔も。

 そんな彼女におはようと返して、ベッドからチヒロは起き上がる。

 普段ベッドはヘスティアに使ってもらっているが、遠征帰りのその日は疲れている体を休めるようにと、ほぼ強制的にベッドへと連行される。

 ふと、部屋を見渡せば白兎――ベルの姿が見当たらない。

 

「……ベルは?」

「ベル君ならとっくにダンジョンに出かけたよ」

 

 ああ、そうかと思い出す。

 基本、ベルは朝五時に起きて朝ごはんを食べてから準備をして、ダンジョンへと向かう。

 遠征明けだったので、つい忘れていた。

 壁に備え付けてある時計を確認すれば、現在は朝の八時。

 

「ボクは今日も一日バイトだけど、チヒロ君はどうするんだい?」

 

 遠征から帰ってきたら最低三日は休むこと。それがヘスティアとの約束。

 なので、最低三日はダンジョンに潜ることが出来ない。

 

「ダンジョンに潜るのはダメだよ?」

「わかってる……今日は預けた魔石やドロップアイテムを換金してくる。あと時間があれば武具の整備とか、アイテム補充もしてくるよ」

 

 顔を洗うためにキッチンへと向かうチヒロの背中を半眼で見ていたヘスティアは、それに満足そうに笑みを浮かべる。

 顔を洗って歯を磨き、普段の真っ黒な戦闘衣とは違う私服へと手を伸ばす。

 これはヘスティアが戦闘衣しか着ないチヒロにと選んだものだ。黒のインナーに白いジャケット、黒のパンツとシンプルな素材だが、チヒロの元の素材がいい為、しっかりと映えて見える。

 

「そういえば、戦利品を信頼して預けられる程の知人とは誰なんだい?」

「ロキ・ファミリアの団長」

「あぁ、ロキ・ファミリアの……って、ええ!? ロキ・ファミリアだって!?」

 

 笑顔で頷いていたヘスティアだが、そこで表情を一変させた。

 着替え終わったチヒロが振り返れば、そこには不機嫌なヘスティア。それに少しだけ驚く。

 

「大切な大切な戦利品をあのロキに預けるだなんて、キミはどうかしてるよ!!」

「預けてるのはロキじゃなくて団長」

「それともなにかい!? それを理由にヴァレン何某に会いに行くつもりかい!?」

「……」

 

 思い出すのは、別れ際に不安そうな瞳をしていた金髪金眼の少女。

 もちろん、一番の理由は戦利品を換金する為ではあるが、不安そうにしていた彼女に会うためというのも、強ち間違ってはいない。

 チヒロが否定しない事に、ヘスティアはむきーっ!と怒る。

 

「なんだいなんだい! チヒロ君がそんな甲斐性なしだとは思わなかったよ! もう好きにすればいいさ! チヒロ君のバーカ! アーホ! このすっとこどっこい!!」

「……子供か」

「ボクはバイトに行ってくるよ!!」

「いってらっしゃい」

 

 ドスドスと不機嫌そうに部屋を出て行ったヘスティアに、チヒロはヒラヒラと軽く手を振る。

 そして、朝から騒々しかったその場がやっと静かになった事に、一つ溜息を吐くのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 腰にしっかりと阿修羅をさして、チヒロはギルドへと向かっていた。

 アイズに頼んだフィンへの伝言は、ギルド本部前。

 ロキ・ファミリアは遠征後、その後処理に追われる。

 ダンジョンから持ち帰った戦利品の換金や、武具の整備もしくは再購入、アイテムの補充など、遠征から帰還した後はやらなければならないことが山積みになっているのだ。なので、基本朝早くから動き出す。

 時刻はもうすぐ朝の九時を回ろうとしていた。

 預かってもらっている身な為、遅れるわけにはいかないと、チヒロの足が早足になる。

 すると、そんなチヒロの背中に女性の声が降ってくる。そして、同時に衝撃も。

 

「おはようございます、チヒロさん! 遠征から帰ってきていたんですね!」

「ああ、おはよう、シル」

 

 背中に抱き着いてきた女性に、チヒロは足を止めて振り返る。

 光沢に乏しい薄鈍色の髪は後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾が垂れていて、髪と同色の瞳は純真そうで可愛らしい、その女性はチヒロと同じヒューマン。白いブラウスと膝下まで丈のある若草色のジャンパースカートに、その上から長目のサロンエプロンという格好は、すぐ目の前にある『豊饒の女主人』という酒場の制服。そして、その酒場はチヒロが昔からよく訪れていた酒場。

 目の前の女性――シル・フローヴァとはその時に出会った。

 

「今日はどちらかにお出かけですか?」

 

 チヒロの服装が戦闘衣ではない事から、シルが不思議そうに訊ねる。

 

「ああ、換金にな」

 

 それを聞いた瞬間、シルはパァっと顔を綻ばせる。

 

「では、私も是非ご一緒に――」

「馬鹿言ってんじゃないよ!」

「うきゅっ!?」

 

 シルの背後に現れた大きな影によって、シルの言葉は遮られた。

 衝撃の走った頭を押さえながら、シルは目尻に涙を浮かべている目でそこを見上げる。

 そこには手にシルの頭を叩いたトレイを持った恰幅のいいドワーフの女性――酒場の女将であるミア・グランドがいた。酒場ではミア母さんと呼ばれている。

 

「あんたは何サボってんだい! ほら、さっさと働きな!」

 

 チヒロの腰に抱き着いた状態で、恨みがましい目でミアを見上げるシル。

 正直、そこらの男なら一瞬で許すであろう可愛さだが、目の前にいる女将にはそれが通じない。

 

「そんな目をしても無駄さ! ここじゃあアタシが法なんだからね」

 

 まるで助け舟をというような目でチヒロを見上げてくるシルの頭を、チヒロはポンポンと撫でて、仕事頑張れと言う。そうすれば、シルはシャキッと立ち上がり。

 

「チヒロさんの為に頑張りますね、私!!」

「現金な子だね」

 

 満面の笑みでやる気を出したのだ。それに呆れるミアと、若干頬を引き攣らせているチヒロ。

 すると、その場にグゥっというそぐわない音が響く。

 チヒロは自分のお腹を右手で撫でる。急いで出てきたため、朝食を食べ忘れた事を、お腹が鳴ったことで思い出した。

 そんなチヒロを見て、ミアはこの子もまったくというような表情で溜息をついて、シルに賄いを取ってくるように指示を出す。

 そうすれば、ササッと店内に戻ったシルが、ササッと手にお弁当を持って戻ってきた。

 

「歩きながらでも食べやすいサンドイッチです。私のチヒロさんへの愛情をたっぷりと――」

「いいから早く渡しな!」

 

 再び言葉を遮られて、シルはむーっと頬を膨らましながらチヒロにそれを渡す。

 チヒロは、そんな彼女達のやり取りに苦笑しながら、いつもすまないと受け取る。

 実はこれ、今回が初めてというわけではなく、豊饒の女主人の前を通る度に何かと頂いているのだ。その代わりというのもあれだが、その日の夜は豊饒の女主人で食べるというのが暗黙の了解だったりもするが。

 二人に見送られながら、チヒロは再びギルドへと向かって足を動かした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話

 

 

 

 ギルドについたのは、ちょうど九時。

 周りを見渡しても、大所帯で来るであろうロキ・ファミリアの姿は見当たらない。

 それに何とか間に合ったかと、少し安心して階段に腰掛ける。そして、先程頂いた弁当の包へと手を伸ばす。

 ロキ・ファミリアが来る前に食事を済ませておこうと、弁当を開ければ、中から出てきたのは三つのサンドイッチ。野菜サンド、ハムサンド、卵サンドと、三つとも中身が違う。

 最初に卵サンドに手を伸ばして、それをはむっと口に運ぶ。

 

「……うまい」

 

 もぐもぐと食べながら、一週間ぶりのサンドイッチは文句なしに美味しかった。

 それから少しして、チヒロは声をかけられた。

 

「チヒロ」

「!」

 

 最後の一つ、ハムサンドを食べていたチヒロは、名前を呼ばれて顔を上げる。

 顔を上げた先に居たのは、神々しさすら感じるウェーブのかかった腰まである綺麗な金色の髪を揺らす女性。

 その女性がチヒロを見て優しく微笑んでいた。

 それにチヒロは呆然とする。

 

「チヒロ?」

「!」

 

 再び名前を呼ばれて、ハッとしたチヒロは、空色の瞳を瞬かせる。

 

「……大丈夫?」

「あ、ああ……アイズ」

 

 目の前に立っていたのは、チヒロが先程まで見ていた女性と同じ金色の髪を持つ少女――アイズ・ヴァレンシュタイン。

 だが、似ているのは髪の色だけで、見た目も雰囲気も彼女とは違う。

 今朝の夢のせいかと、ふと思う。

 すると、アイズの金色の瞳がチヒロが持つ食べかけのハムサンドに向けられる。

 

「朝ごはん食べてたの……?」

「ああ……食うか?」

 

 食べかけではあるが、チヒロがアイズにハムサンドを差し出せば、アイズは小さな口をあーんと開く。そこにチヒロがハムサンドを持っていけば、パクッとそれを食べた。

 その場に流れる二人だけの空気。

 

「朝からアツアツだねー」

「アイズ、私達が居ること忘れてるでしょ」

「!」

 

 後ろから聞こえてきた声に、アイズはハッとして振り返る。

 そこには、顔をニヤニヤとさせているロキ・ファミリア。一部泣いている男性団員もいるが。

 アイズの顔がみるみる赤くなる。

 

「おはよう、チヒロ」

「ああ、おはよう、フィン」

 

 チヒロは何も気にしていないのか、普通にフィンに挨拶を済ませて、ハムサンドの最後の一口をパクッと食べて立ち上がる。横ではアイズがアマゾネス姉妹にからかわれている。

 

「すまないな、一日中預けてしまって」

「何問題はないさ」

「いい光景が見られたからな」

「がははっ、若いってのはいいのう」

 

 この三人は本当に親バカだなと、チヒロは思う。自分の本当の子供が出来たらどうなるのかと。

 それから、チヒロはこの後の説明を受ける。

 フィン、リヴェリア、ガレスの三人で魔石の換金に行くという事で、ついでにチヒロのもやってきてくれると申し出てくれた。魔石やドロップアイテムの数が数なので、言葉に甘えてチヒロは自身のドロップアイテムの換金に行くことに。

 ロキ・ファミリアの団員はそれぞれが役割を振り分けられていて、もちろんチヒロは――。

 

「さ、私達も行くわよ。間違っても道中ドロップアイテムを盗まれないでよ」

「ロキ・ファミリアと【異端児】に喧嘩を売る人は、流石にいないんじゃあ……」

「レフィーヤ、用心よ、用心」

「アイズー! チヒロー! 行くよー!」

「うん」

「……ああ(やっぱりこうなるよな)」

 

 アイズと一緒の所に組み込まれた。

 量が量、額が額なので魔石の換金はフィン達首脳陣。他の団員達は小集団になって散っていく。

 チヒロもアイズ達と共にティオネに率いられて目的地に向かう。

 そんなチヒロは、大きな布袋いっぱいのドロップアイテムを担いでいる。

 

「……手伝おうか?」

「いや、大丈夫」

 

 横を歩いているアイズに、気持ちだけもらっとくと断りを入れ、自分の物は自分でと、一人でそれを持っている。

 正直、換金を手伝ってもらえるだけでありがたいのだから、これ以上は甘えられない。何よりも女の子に荷物を持たせるなんて出来るはずがない。

 ドロップアイテムはギルドでも換金可能なのだが、いわばそれは一定的な市場価格、換金する上での最低価格と言っていい。

 騙し取られることのない安全と信頼はあるものの、やはり高値で買い取ってもらいたいという冒険者は多く、商人や商業系ファミリアへ持ち込む者は少なくない。

 だが、もちろん危険性(リスク)も伴う。

 交渉を上手く運べる自信があるのなら、彼等と商談してみるのも一つの手ではあるが、チヒロは正直に言ってそういうやり取りは苦手だ。

 初めて交渉した際に、何故か相手がどんどん値段を上げてくれて、それに異常な恐怖を抱いた事が原因だ。

 その時に一緒に交渉について来ていた前主神には、何かとチヒロの身が危険だから今後は自分が交渉する、なんて言われたのだ。

 イマイチよく分からなかったが、それにチヒロは素直に頷き、あれ以来交渉はしていない。

 ちなみに改宗した後は、リスクを避ける為にギルドの最低価格にお世話になっていた。

 

「ラウル達、しっかり交渉してお金とってくるからすごいよね。あたしは騙される自信があるなー」

「勉強込みでそれなりに痛い目にも遭ってきてるのよ、団長の指示でね。あんたは何も学ぼうとしてないだけ」

 

 あと、ファミリアのネームバリューも商談では大きな材料となる。

 ロキ・ファミリアは深層の貴重な資源を持ち帰れる数少ない派閥とあって、商人や各ファミリアは、アイズ達の機嫌を損ね取引相手から外されることを何よりも恐れている。

 今回は、そのネームバリューもお借りして、交渉を手伝ってもらえるため、貧乏ファミリアの懐がどこまで暖かくなるか、チヒロは珍しくちょっとワクワクしている。

 

「まずはこっちの用事を済ませちゃっていいかしら、チヒロ」

「ああ」

 

 手伝ってもらえるのなら文句は言わないというチヒロの顔を見て、ティオネはありがとうと言って、目の前の巨大な建物に足を踏み入れる。

 清潔な白一色の石材で造られた建物には、【ディアンケヒト・ファミリア】を表す光玉と薬草のエンブレムが飾られている。

 

「いらっしゃいませ、ロキ・ファミリアの皆様」

「アミッド、久しぶりー」

「……と、チヒロ様?」

「……久しぶり、アミッド」

 

 チヒロの姿を見て微かに目を見開いた少女は、精緻な人形という言葉が真っ先に浮かぶようなヒューマン。150(セルチ)に届かない小柄な体がその印象に拍車をかけている。

 

「お久しぶりです。一年も顔を見ていなかったので、心配していました」

 

 チヒロを見上げてくる彼女の細くて長い白銀の髪が、さらりと肩から零れ落ちる。大きめな双眸には儚げな長い睫毛がかかっていて、チヒロを心配そうに見上げている。

 彼女の名はアミッド・テアサナーレ。ディアンケヒト・ファミリアに所属する団員で、アイズ達だけでなくチヒロとも顔見知りである。

 

「……心配かけてすまないな」

「いえ……ディアンケヒト様から少しだけ聞いていましたので。大丈夫、ですか?」

 

 何が? なんて聞かなくても分かる。前主神の事だというのは。

 

「……ああ、平気だ」

「……」

 

 平気だと言ったが、平気には見えないその顔に、アミッドは眉を下げる。

 すると、チヒロの表情が引き攣った。チヒロの横にアイズが現れた事で。

 不満そうな顔をしているアイズは、思いっきりチヒロの脇を抓っていた。

 普段は乏しい表情も、チヒロの前では色んな顔を見せる。

 一年ぶりのその光景に、アミッドの顔に微かに笑みが浮かぶ。そして、すぐに仕事の顔に戻った。

 

「本日のご用件は、引き受けて頂けた冒険者依頼の件で間違いないでしょうか?」

「ええ。今は大丈夫?」

「はい。どうぞこちらに」

 

 アミッドに案内されて建物内を進む。もちろん、少しだけ不機嫌なアイズとそんな彼女に困ったというように頬を掻いているチヒロも、それに続く。

 ディアンケヒト・ファミリアは治療と製薬のファミリアだ。派閥の活動内容は開発した回復薬等の販売や、より専門的な治療術や道具の提供を主としている。

 他の店、他のファミリアでは取り扱っていない高級な薬や、失った視力さえ回復させる高度な治療術の評価は高く、客層は選ぶものの、中堅以上の冒険者達からは多く支持されている。

 チヒロ達が通されたのは、カウンターの一角。

 

「申し訳ありません。今は商談室が空いていませんので、こちらでよろしいでしょうか」

「構わないわ。早速だけど、これが冒険者依頼で注文された泉水。要求量も満たしている筈よ。確認してちょうだい」

 

 ティオネが泉水の詰まった瓶をカウンターに置く。それを手に取りアミッドは確認を始める。

 

「泉水って……強竜(カドモス)の?」

「うん……アミッド達から遠征の時に冒険者依頼受けてたから」

「へぇ……あ」

 

 そこで何かを思い出したように、チヒロはドロップアイテムが入っている袋の中を漁り出す。それをアイズやティオナ、レフィーヤが不思議そうに見ている。

 そんなことをしているとアミッドの確認が終わったようで。

 

「確かに……依頼の遂行、ありがとうございました。ファミリアを代表してお礼申し上げます。つきましては、こちらが報酬になります。お受け取りください」

 

 泉水の次にカウンターに現れたのは、二十もの万能薬(エリクサー)。薄く七色に輝くその液体は、万能薬と言われるだけあって何にでも効果がある。

 ディアンケヒト・ファミリアが販売するものの中でも最高品質のそれらは、単価50万ヴァリスはくだらない。

 何かを探しているチヒロを見ていた三人は、今や万能薬へと興味が移っている。ティオナは口を丸く開けて感嘆の声を上げ、レフィーヤはまじまじと見つめていて、アイズはその輝きを見つめながら綺麗と声を漏らす。

 十本ずつクリスタルケースに厳重密封されたそれを、ティオナとレフィーヤがそれぞれで持つ。レフィーヤの手が震えているのは気のせいではないであろう。

 

「アミッド、実は深層で珍しいドロップアイテムが取れたの。ついでに鑑定してもらってもいいかしら? いい値を出してくれるなら、ここで換金するわ」

「わかりました。善処しましょう」

 

 ティオネは、長筒の容器から巻いて収納してあったドロップアイテムをアミッドに差し出す。それにアミッドは微かに目を見開く。

 

「……これは」

「『カドモスの皮膜』よ。冒険者依頼のついでに、運良く手に入ったわ」

「俺も頼む」

「「「!?」」」

 

 横からそう言ってきたチヒロが、同じように『カドモスの皮膜』を出してきた事に、みんなが驚いたようにチヒロを見る。それにチヒロは首を傾げる。

 

「チヒロ……強竜倒したの?」

「ああ」

「……一人で?」

「ああ」

「……あの強竜をですか?」

「ああ」

 

 アイズ、ティオナ、レフィーヤに問われて普通に頷くチヒロに、みんな顔を引き攣らせている。

 51階層に存在する『カドモスの泉』。その泉の番人とも言える強竜は絶対数が少なく、『稀少種(レアモンスター)』と称されている。

 その力は51階層最強。むしろ他層で出現する階層主と呼ばれるモンスターを抜きにすれば、現在発見されているモンスターの中でも間違いなく最上位に君臨する。今回の遠征で遭遇した新種を除いてだが。

 そんなモンスターを一人で倒したというチヒロに、ティオネが溜息混じりに言う。

 

「アンタ相変わらずね」

「苦戦はしたぞ」

「そういう問題じゃないわ」

 

 普通一人で強竜に立ち向かう冒険者はいない。

 

「では、チヒロ様のも見させて頂きますね」

「ああ、頼む」

 

 半眼で自分を見てくるティオネに、何がだと思いつつも、アミッドに『カドモスの皮膜』を渡す。

 市場に滅多に出回らないドロップアイテムを前にして、彼女は手袋をはめ丁重に目を通し始めた。

 『カドモスの皮膜』は優秀な防具の素材になる一方で、回復系のアイテムの原料としても重宝されている。商業系のファミリアからすれば、その稀少性もあって、喉から手が出るほど欲しいドロップアイテムの一つだ。しかも、それが二つ目の前にあるのだ。なかなかどころか、世の中で初めて見る光景なのではないかと思ってしまう。

 

「……本物のようです。品質もどちらも申し分ありません」

「そう。それで、買値は?」

「お一つ700万ヴァリスでお引き取りしましょう」

「わか――ぐむっ」

 

 チヒロとしては、申し分ない額だったので、それで取引成立しようとしたが、横から伸びてきた手に口を押さえられた。

 

「1500」

 

 自分の口を押さえている人物の口から発せられた言葉に、チヒロは額からタラリと汗が流れるのを感じた。

 

「一つ1500万ヴァリス」

「「「っ!?」」」」

 

 確かめるようにもう一度言ったその言葉に、後ろから見ていた三人はギョッと目を剥く。

 その際にレフィーヤの手から万能薬が入ったクリスタルケースがずるっと落ちた。それをLv.5の全反射神経を使ってアイズがギリギリでキャッチして最悪の結果が起こるのを阻止した。

 不敵な笑みを浮かべているティオネの言葉に、人形のような表情を崩さないアミッドも、ぴくりと肩を揺らして微かに動揺している。

 

「お戯れを。800までは出しましょう」

「アミッド? あなたの言った通り、この皮膜の品質は申し分ないと私も思うわ。今まで出回ったものより遥かに上等だと自負できるほど……1400」

 

 熱く静かな商談が幕を切って落とされた事に、ティオネの横に立っているチヒロは、珍しく冷や汗ダラダラだ。

 そんなティオネに、突然始まった水面下の激しいやり取りに圧倒されながらも双子の妹がヒソヒソと声をかける。

 

「ちょっ、ちょっと、ティオネっ?」

「私達は団長から『金を奪ってこい』と、そう一任されているのよ? それにチヒロの交渉の手伝いもしっかり頼むって。半端な額で取引するつもりは毛頭ないわ」

「流石にそこまでは言われていません!?」

 

 ティオネの背後に燃える炎が見える。

 チヒロ、アイズ、ティオナ、レフィーヤの4人はその時思った。

 

「「「「(もっ……燃えている! 想い人(フィン)に褒められたい……アマゾネスの本能がティオネの中で燃えたぎっている!!)」」」」

 

 使命感というよりも想い人であるフィンに褒めてもらいたいという欲望の為に、ティオネは燃えているのだ。

 カウンターに肘を置いて身を乗り出してくるティオネから、アミッドも視線を逸らさない。

 

「850。これ以上は出せません」

「今回殺り合った強竜は活きがよくてね、危うく死にかけたわ。私達の削った寿命も加味してくれるとありがたいんだけど? 1350」

「「「(いけしゃあしゃあと……!!)」」」

 

 『カドモスの皮膜』を入手した経緯を知るティオナ達は、ティオネにそれぞれが思うところの視線を送る。

 チヒロも護衛中にその話をアイズ達から聞いていた。新種のモンスターに倒された強竜からドロップアイテムが出てきて拾ったと。

 つまり今回の『カドモスの皮膜』は拾い物だ。

 

「それひろ――」

「あ?」

「……ナンデモナイデス」

 

 あまりにも鋭いその眼光に睨まれて、チヒロはササッとアイズ達の所まで下がる。

 そして一言。

 

「……女って怖ぇ」

 

 それは重々承知していた事だ。今までだって、何度も女の揉め事に巻き込まれて来たのだから。今回は女性特有の揉め事ではないのだが。

 恐怖に体を震わせているチヒロの頭を、アイズが慰めるようにナデナデしている。

 そんな中、アミッドが少しだけ考えて口を開く。

 

「……私の一存では決めかねます。少々お待ちを。ディアンケヒト様とご相談して参ります」

 

 そう言って背を向けたアミッドが中に入っていこうとするが、ティオネはもちろんそんな時間を与えはしない。

 

「あら、じゃあここでの換金は止めときましょうか。時間もないし、もったいないけど、他のファミリアに引き取ってもらうことにするわ」

 

 ぴたりと動きを止めるアミッドに、にこりと微笑むティオネ。

 チヒロ達がすっかり置いてきぼりにされる中、人形のような少女は諦めたように小さく息をついた。

 

「1200……それで買い取らせてもらいます」

「ありがとう、アミッド。持つべき者は友人ね」

 

 調子のいい台詞を口にするティオネに、アミッドはもう一度吐息した。

 それからカウンターの奥から他の団員を呼び、買い取り額分の金がほどなくして用意される。

 二つ合わせて計2400万ヴァリス。

 お金の準備をしていた団員達も、さすがにその額には顔を引きつらせていた。

 

「すまないな、アミッド。俺の分まで……」

「いえ、お気になさらないでください。その代わり、また近い内にお店に来てくださいね?」

 

 商談で謝るのも場違いだが、さすがのチヒロもそう言わずにはいられなかった。だが、帰ってきたのは再来の言葉と可愛い笑顔。

 それにああと頷いて微笑めば、アミッドの顔が赤くなる。

 もちろん、チヒロはアイズにより強制的にお店の中から連れ出された。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話

 

 

 

「あー、今度アミッドと顔が合わせづらいなー……ティオネやりすぎだって」

「これくらいもらっておかないと割に合わないわよ。アミッドだってわかってるわ」

「アミッドさんの知らないところで、また厄介な冒険者依頼がくるかもしれませんね……」

「うわ、ありそう! あそこの神様が腹いせにーって!」

 

 報酬の万能薬を含めた十分な金品を抱えながらディアンケヒト・ファミリアから出てきたチヒロ達は、北西のメインストリートを歩いていた。

 時刻はまだ正午には遠いものの、今朝いた冒険者達は既にダンジョンに向かったのか、その数はすっかり減っていた。チヒロのように本日は休業と思わしき無装備の同業者達だけが、ちらほらと武器や防具を見て回っているのが目に入る。

 

「チヒロの換金の手伝いの前に、一旦ホームに報酬を置きにいきましょうか。いつまでも持ち歩いているのは流石に怖いし」

「……ティオネ、ごめん、武器の整備に行ってもいい?」

「あ、【ゴブニュ・ファミリア】のところ? あたしも行くー! 大双刃(ウルガ)壊れちゃったし!」

 

 アイズが控えめに訊ねると、ティオナもあっさりと乗ってきた。

 ティオネはしょうがないわねと口にする。

 

「私とレフィーヤはホームに荷物を置いてくるわ。余計な面倒も起こしたくないし。チヒロはどうする?」

「俺はこの辺を見て――」

「チヒロもアイズと一緒ね。わかったわ」

 

 笑顔で遮ってきたティオネに、じゃあ問いかけるなというような目を向ける。答えた意味が全く無い。

 

「じゃあ、帰ってきたらチヒロの手伝いね。行くわよ、レフィーヤ」

「あ、はい。アイズさん、ティオナさん、チヒロさん、また後で」

 

 万能薬を慎重に携えるティオネ、そして金袋を抱えたレフィーヤと別れる。

 「じゃ行こっか?」と歩き出したティオナの後ろを、チヒロとアイズはついて行く。

 

「ごめん、チヒロ……付き合わせちゃって」

「無理言って付き合ってもらってるの俺だから平気」

 

 そんな会話をしていれば、ティオナがそこに加わってくる。

 

「そう言えば、チヒロがそこまで換金に拘るなんて珍しいよね? 前はそんなにお金を気にしてるイメージなかったけど」

「……貧乏ファミリアだからな」

 

 半眼でどこか遠くを見つめている。それにティオナは苦笑する。

 

「色々と大変そうだね」

 

 コクンと頷いたチヒロの頭を、アイズがいい子いい子というように撫でる。

 遠征で一緒に添い寝した時と先程ディアンケヒト・ファミリアで彼の頭を撫でた時も思ったが、色が変わっても彼の線の細い髪質は変わっていなくて、サラサラと滑り落ちる気持ちのいい感触は、ずっと触っていたくなる。

 

「……いつまで?」

「もう少し……」

 

 それにチヒロは何とも言えない顔をしながらも、アイズの好きなようにさせていた。

 そんなこんなしている間に、チヒロ達は目的の場所に辿り着いた。

 目の前には石造りの平屋。場所は北と北西のメインストリートに挟まれた区画だ。

 路地裏深くということもあって家屋はごちゃごちゃと入り乱れ経路も細く狭く、雰囲気は華やかとは言い難い。

 知る人ぞ知る、と口にすれば聞こえはいいが、普通の人が見れば陰湿な場所と思うだろう。

 平屋の扉の横に飾られているエンブレムには、三つの槌が刻まれている。

 【ゴブニュ・ファミリア】。

 武器や防具、装備品の整備や作製を行う鍛冶の派閥。

 知名度や勢力規模は同業大手の【ヘファイストス・ファミリア】をぐっと下回るものの、作り出す武具の性能そのものは勝るとも劣らない、まさに質実剛健のファミリアだ。依頼を受けてから武器製作に取り掛かる事が多く、コアな冒険者(ファン)が多いのも特徴の一つである。

 

「ごめんくださーい」

「ください……」

「……」

 

 ちゃんと挨拶をしたのはティオナだけで、アイズはそれに付け足すような形で、チヒロは軽くペコリと頭を下げて、中へと入る。

 入口を通ってすぐに工房があった。そこでは、炉に陣取った鍛冶師や道具を用いて彫金を施す者など、複数の職人達がそれぞれの作業に従事していた。

 

「いらっしゃぁい……って、げえぇっ!? 【大切断(アマゾン)】!?」

「ティオナ・ヒリュテ!?」

「あのさぁ、二つ名(それ)で悲鳴を上げるの止めてほしいんだけど……」

 

 ティオナが先陣を切って入れば、まるでモンスターにでも遭遇したかのような反応が返ってきた。それにティオナは半眼でぶすっとしている。

 

「親方ァー! 壊し屋(クラッシャー)が現れましたー!?」

「くそっ、今日は何の用だ!?」

「また武器を作ってもらいにきたんだけど」

「ウ、ウルガはどうした!? 馬鹿みたいな量の超硬金属(アダマンタイト)を不眠不休で鍛え上げた、専用武器(オーダーメイド)だぞ!?」

「溶けちゃった」

「ノオォォォォォォォーーーーー!?」

 

 てへっと言ってのけたティオナに、親方は絶叫して気絶する。そんな親方の周りを他の団員が慌てて囲んでいるのをチヒロは見て、気の毒にと思う。

 

「……行くか」

「……うん」

 

 二人は敢えて何も触れず、その横を通り過ぎて奥の部屋へと入る。そこにいたのは、老人の外見をした、一柱の男神。

 皺の刻まれた顔は整っており鼻梁も高く、白髪の頭と同じ色の白髭を口元を隠す程度に蓄えている。恰幅のいい体はたるむことなく筋肉が引き締まっており、どこかドワーフを思わせた。

 短剣を丹念に磨いていた神――ゴブニュはちらりと先に入ったアイズに視線を送ってくる。

 

「何の用だ」

「整備を、頼みにきました」

「……ん?」

 

 そこでゴブニュの目が、アイズの後ろに立っているチヒロに向く。

 じっとチヒロを少し見て、珍しく驚いたように目を見開いた。

 

「お前……チヒロか?」

「……ああ、久しぶり、ゴブニュ」

 

 ゴブニュと知り合ったのは、クロの紹介だった。

 阿修羅にしか興味のないチヒロに、魔法で創る事が出来るようになるようにと、他の武器の事を教えられたり、ゴブニュ・ファミリアやヘファイストス・ファミリアに何度も連れて行かれたりした。

 その時に大変お世話になった目の前の男神と再会するのは、一年ぶりだ。

 

「お前、その髪は……いや、何も聞かないでおこう。お前だけでも無事だった、それだけで十分だ」

 

 チヒロは空色の瞳を伏せる。目に映るのは石畳の地面。

 ゴブニュの言葉は、どこか温かくて、でも受け止められない理由があって、ただそれがどうしようもなく、胸を締め付ける。

 目を覚ましてからこの半年間、知人に会えば必ず無事でよかったと言われてきた。何度も何度も。

 でも、それは自分自身が望んでいなかったこと。だからこそ、無性に自分が腹立たしくなる。

 いつも(・・・)自分だけが生きている事に、自分自身を殺したくなる。

 誰でもいいから、俺を殺してくれと叫びたくなる。

 

「!」

 

 突然の頭を撫でられる感触。

 どこか安心するその温もりに、チヒロはハッとして顔を上げる。

 普段は表情に乏しい彼女が珍しく優しく微笑んでいて。

 

「大丈夫……大丈夫、だよ」

「……」

 

 その声がストンとチヒロの中に落ちてくる。

 拒む隙すら与えず、それはチヒロの中で広がっていく。

 怒りも悲しみも苦しみも、どんどん薄れていくのを感じる。

 あぁ、この娘には昔から敵わない、とそんな中で思った。

 

「……お前達、いつまでやっているつもりだ」

「もう少し……」

「……恥ずかしいからそろそろやめてくれ」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異端児と白兎
第14話


 

 

 

「……また派手に使ったな」

 

 手渡された《デスペレート》をじっくり眺め、ゴブニュはそうこぼす。

 アイズの愛剣《デスペレート》。

 新種のモンスターの腐食液や体液にも耐えたデスペレートは『不壊属性(デュランダル)』。それは即ち、『決して壊れない』剣。

 オラリオに一握りしかいない上級鍛冶師(ハイ・スミス)によって作り上げられえた属性持ちの特殊武装。

 威力そのものは他の一級品装備に劣るものの、戦闘中での欠損は有り得ない。

 限りなく、一秒でも長く戦い続けるため、アイズはこの武器を愛剣として選んだ。

 だが、決して壊れないとはいえ、切れ味、威力の低下は発生する。

 

「刃がやけに劣化しているが、何を斬った?」

「何でも溶かす液と、その液を吐くモンスターを、何度も……」

 

 その場に沈黙が生まれる。

 チヒロとアイズは、進んで話をする方ではなく。寡黙な鍛冶神も、目を細めてデスペレートの鈍った光沢を放つ剣身から摩耗の兆候を正確に読み取っている。

 そんな静寂の中、アイズはハッとする。澄んだ金色の瞳が白髪の頭を捉える。

 

「……何で頭を撫でようとする」

「なんと、なく……?」

 

 撫でようと白髪に伸ばした手は、アッサリと本人により阻まれた。

 

「もとの切れ味を取り戻すまで時間がかかるな。代剣を出してやるから、しばらくそれを使っていろ」

 

 チヒロの頭を撫でようとするアイズに、その手を掴んで阻止しているチヒロ。お互いぐぐっと力を入れて、かなり本気だ。

 そんな中でおもむろに切り出したゴブニュ。二人のやり取りに突っ込む気はないのだろう、完全にスルーだ。

 ゴブニュの提案にアイズは驚いて、チヒロからゴブニュへと向き直る。

 武器は自分の方で用意すると言おうとするが、ゴブニュがそれを制す。

 ちなみに、チヒロはアイズの手から逃げ切れた事にホッとしている。

 

「半端な武器ではどうせすぐに使い潰す。素直に甘えておけ」

「そうしとけ」

「……」

 

 チヒロにまで後ろから頭をポンポンと撫でられて言われれば、アイズは全く言い返せず、強引に代剣を押し付けられる事となった。

 ゴブニュがアイズに手渡したのは、細身のレイピア。レイピアの中でも剣身は長めで、全体的に装飾は抑えられているが鍔がナックルガードとなっている。

 アイズはレイピアを鞘から引き抜く。

 

「……かなりの業物だな」

「うん……」

 

 磨き抜かれうっすらと輝く刃に、チヒロとアイズは同じことを思った。単純な威力ならデスペレートを上回っているだろうと。

 

「団員達には整備を急がせる。五日経ったら来い」

「わかりました……ありがとうございます」

 

 アイズがぺこりと頭を下げれば、ゴブニュはふんっと鼻を鳴らして、次にチヒロを見る。チヒロをというよりも、チヒロが腰に差している阿修羅を。

 

「阿修羅はどうだ?」

 

 チヒロは、腰から阿修羅を抜いてゴブニュに手渡す。

 真っ黒な鞘に真っ黒な柄。ゴブニュがその刀身を抜けば、銀色の光沢が輝く曇りの一切ない剣身が姿を現す。

 

「……何も問題はなさそうだな」

 

 神剣《阿修羅》。

 初めてゴブニュにそれを見せた時、どこで誰からと問い質された。それには一緒にいたクロもあの寡黙な男神がと驚いていたが。

 一見、普通の長刀に見えるそれは、チヒロが生まれた時から既にその横にあった。だから、どこでどう手に入れたのかはチヒロ自身も分からない。

 ゴブニュが言うには、決して壊れず、切れ味が落ちることも、威力が落ちることもない、不変の刀だと。

 ただ、謎が多すぎるとも言われた。その中でも一番の謎なのが――。

 

「……やはりお前以外は斬れぬか」

 

 チヒロ以外が使用することは出来ないというものだ。

 ゴブニュが刃をスッと指の腹で撫でたが、その指に傷はついていない。

 持てと言うように差し出された柄を、チヒロは手に取る。

 そうすれば、刀身が一瞬だけだが七色の淡い輝きを放った。まるで命を吹き込まれたかのように。

 何故自分しか使えないのか、使用者であるチヒロもその理由は分からない。

 昔父親に問いた事はあるが、笑って「イケメン好きなんじゃないか?」とはぐらかされた。

 ただ、その時同時に「そいつならチヒロの力を制御(・・)してくれる」とも言われた。

 ゴブニュに差し出された鞘を受け取って、阿修羅を収める。

 そんなチヒロを見て、彼はふんっと鼻を鳴らし、もといた場所へ戻りそれまでの作業を再開させる。それはもう行けという合図。

 彼の背中に二人はペコリと頭を下げて部屋を出る。それから未だに口論を交わしていたティオナと合流して建物から外へと出た。

 

「よーし! それじゃあ、ティオネとレフィーヤと合流して、チヒロの換金のお手伝い頑張ろっか!」

「……うん」

「よろしく頼む」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 金品などをホームに置きに行っていた二人と合流して、チヒロがダンジョンから持ってきた戦利品を換金する為に、色んなお店を歩き回った。

 そして、時間が正午を少し過ぎた頃。

 

「何でクロがチヒロに交渉させなかったのか、よーく分かったわ」

 

 北のメインストリートのオープンカフェにて、チヒロ達は休憩をしていた。

 白いテーブル越しにティオネに半眼で言われた言葉に、ジャガ丸くんを食べていたチヒロはキョトンとする。そんなチヒロの横では、アイズがチヒロに買ってもらったジャガ丸くんをハグハグとひたむきに食べている。

 

「クロって意外と親バカだったもんねー」

 

 正直、ティオナのその言葉をチヒロは否定できない。

 クロから初めてお使いを頼まれた時、後ろからコソコソ尾いてきていたのを、気配で察知していたチヒロは恥ずかしくて仕方なかった。

 

「アイズさんがいるのに、他の女性をたらしこむなんて、最低です」

「……たらしこむ?」

 

 クロの事を思い出していたチヒロは、アイズの逆隣に座っているレフィーヤが眉を逆立ててこちらを睨んでいる事に首を傾げる。何を言われているかサッパリだ。

 

「……まぁ、見た目はイケメンだから仕方ないとして、あの笑顔はなによ、あの笑顔は。普段は全く笑わないのに」

「営業スマイル」

「どこで覚えたのさ、それ」

「クロ」

 

 やっぱりかと項垂れる三人。

 ドロップアイテムを換金する際に、ティオネに一度チヒロ一人でやってみなさいと言われて、チヒロは大人しくそれを実行した。

 その時に思い出したのは、クロに教えられた交渉術。

 第一にカウンターに女の子がいること。

 第二に「換金よろしくお願いします」という時は必ず爽やかな営業スマイルを付けること。

 第三に相手が金額を提示してきたら、少しだけ悩むふりをして、その後に「もう少し高くなりませんか?」と弱々しい営業スマイルを付けること。

 この三つを守ればチヒロなら必ずいい金額を提示してもらえる――と、チヒロは教えられたのだ。

 だが、それは教えた本人が想像していたよりも効果は抜群で。挙句には「貴方も買い取らせてください!!」なんて言ってきた。

 その日以来、クロには換金をさせてもらえなくなった。

 あれから何十年ぶりかの換金交渉は、まさかのあの日の二の舞。カウンターの奥にまで連れ込まれそうになった。

 もちろん、チヒロの身の危険を感じたアイズがチヒロをすぐに救出してくれた。そして一言「チヒロにさせちゃダメ」と。

 

「……」

 

 チヒロ達の会話には入らずに、ひたむきにジャガ丸くんの小豆クリーム味を食べていたアイズは、いつの間にか手元にジャガ丸くんの包装紙しか残っていない事にショボンとする。

 物足りない。その言葉が頭を横切る。

 すると、目の前に差し出された食べかけのジャガ丸くん。ちなみに小豆クリーム味。

 パッと横を見れば、食べていいぞと言っている空色の瞳。

 微かに顔を綻ばせて、パクッとそれにかじりつく。

 すると、ティオナの疑問の言葉が二人に飛んできた。

 

「何で二人って付き合わないの?」

「「……」」

「「「……」」」

 

 その場に流れる暫しの沈黙。

 そして、チヒロとアイズは同時にボンッと顔を赤くした。

 

「あら、チヒロがここまで顔を赤くするのは珍しいわね。脈アリ?」

「ち、ちが――って、アイズ、そういう事じゃなくて……!!」

 

 チヒロが慌てて反論した事に、今度はズーンと暗いオーラを発しながら落ち込むアイズ。

 落ち込んでいるアイズに、どう声を掛けようかとオロオロしているチヒロ。

 一年ぶりに見るこの二人のやり取りに、三人は笑みを浮かべる。

 

「お、俺ジャガ丸くん買ってくる!!」

 

 席を立ち上がったチヒロは、ササッとジャガ丸くんが売られている屋台へと足早に向かう。

 

「逃げたわね」

「逃げたね」

「逃げましたね」

「違うって……」

 

 残されたのは、そんな彼の背中を半眼で見ている三人と、未だに落ち込んでいるアイズ。

 そんなアイズにティオネは苦笑する。

 

「大丈夫よ、アイズ。あれは反射的なもので、きっと本音じゃないわよ」

「……そう、かな?」

 

 アイズがそっと金色の瞳を上げる。だが、その双眸はまだ不安そうで。

 

「うんうん。あたしもそう思うな。チヒロって誰に対しても基本同じ感じで接するけど、アイズだけは違うんだよね。なんかあたし達とは違って近いっていうか……」

「『特別』って感じですよね」

「そうそう!」

 

 アイズは、再び顔に熱が集まるのを感じる。

 チヒロの中で自分がどの位置に居るのかは分からないが、それでも周りからそう見られているのは嬉しいと思う。

 

「でも、アイズが自分の気持ちに気付いてるのも珍しいわよね? 結構、自分の事には疎いのに」

「……クロに教えてもらった」

「クロってそういう話大好きだったもんねー」

 

 『嫉妬』という気持ちを教えてもらった時に、アイズはクロに言われた言葉を思い出す。

 

 ――やっぱりチヒロのこと好きだったのか。

 

 あのニヤニヤ顔は一生忘れない。

 それからクロに色々と恋の駆け引きというものを教えられた。

 

「ちなみに、どんなこと教えてもらったの!?」

「それ聞いてフィンに実行しようとか思ってるでしょ」

「ティオネさん……」

 

 表情を変えて話に食いついてきたティオネに、アイズは少しだけ身を引く。

 早く教えなさい! というようなティオネの血走った目に圧倒されながら、アイズはおずおずと口を開く。

 

「……覚えてない」

 

 三人は同時にガクッと崩れた。

 

「何で覚えてないのよ!?」

「……よくわかんなかった、から?」

「アイズらしいね」

 

 そう言って笑うティオナの横で、ティオネは肩を落として落ち込む。それにアイズは、慌てて手を横に振る。

 

「で、でも、一つだけ覚えてるよ?」

 

 すぐさま回復したティオネが、再び詰め寄ってくる。それにアイズはビックリしながらも、必死に思い出すように、言葉を紡ぐ。

 

「え、えと……チヒロが眠ってる時に『きせーじじつ』を作るって」

「それはダメでーす!!」

 

 顔を真っ赤にして立ち上がったレフィーヤに反対されて、アイズはキョトンとする。

 ティオネはなるほどと、何を考えているのか腕を組んでブツブツと呟いている。そんな双子の姉の姿に、ティオナはフィン相手に寝込みを襲うとか無理だからと冷静なツッコミを入れている。

 

「それはダメって……レフィーヤどうするか知ってるの?」

「えっ!? い、いえ、あの……その……わ、私の口からは言えません!!」

「今日の祝宴で酔い潰して……」

「絶対に無理だって」

「……どういう状況だ」

 

 袋一杯にジャガ丸くんを買ってきたチヒロは、その場の話について行けず、首を傾げた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話

 

 

 

 すっかり日が暮れ、東の空が夜の蒼みに侵食されていく中、チヒロは大きな布袋を肩に担ぎながら、視界に入ってきたうらぶれた教会へと顔を向ける。

 やっと帰ってこれたと一息つく。

 アイズ達の協力を得て何とか一部のドロップアイテム以外は換金し終え、合流したフィンから換金してもらった魔石のお金と冒険者依頼の報酬をもらい、ロキ・ファミリアと別れたチヒロは、こうしてホームに帰ってこれた。

 アイズに「一緒にご飯……」と誘われたが、自分のファミリアの事もあるので、また今度と断ってきた。アイズがすごく落ち込み、周りの団員達には殺気の篭った目で睨まれたが。

 少しだけ帰りが遅くなってしまった事に、今朝不機嫌にさせたヘスティアが更に不機嫌になっているだろなと思いながら、教会の隠し部屋へと足を踏み入れる。

 だが、予想外にもそこに居たのはベル一人だけだった。

 

「あ! 師匠、おかえりなさい!」

「ああ、ただいま……ヘスティアは?」

 

 疑問をそのまま口にすれば、ベルが白髪の頭を掻きながら苦笑する。

 

「実は、ステイタスを更新した後、怒って出て行っちゃって……後、バイトの打ち上げがあるとか」

「……そうか」

 

 理由は何にしろ、居ないのなら遅く帰ってきた事に怒られる事もないので、内心好都合と思いつつ、チヒロは持っていた大きな布袋を床に置く。

 じゃりっという音が響いた。

 それに「え?」とベルが固まる。

 

「し、師匠、そ、それは……」

「今回の遠征の稼ぎ」

「ぜ、全部?」

「ああ」

 

 チヒロはほらと言うように、布袋の口を開ける。

 そこには金貨金貨金貨と、金色に輝く硬貨がギッシリと入っていた。

 

「……」

「……?」

「……」

「……ベル?」

 

 袋の中を覗いてからピクリとも動かないベルに、チヒロは首を傾げつつ顔の前で手を振る。

 

「……」

「……気絶している」

 

 ベルは器用に立ったまま気絶していた。

 さすがにこの量は刺激が強すぎたかと思う。

 今回の遠征でチヒロの得た稼ぎは、冒険者依頼も合わせて計4000万ヴァリス。

 本来なら四日ほどで戻ってくる予定だったのが一週間以上になり、何よりもロキ・ファミリアのサポーター陣が荷物を運んでくれるのを手伝ってくれた事により、いつも以上の収入を得られた。その分、アイズの相手もさせられたが。

 気絶しているベルをそのままにして、本棚の前に歩み寄る。そして、迷うことなく本を抜いてはさしてと繰り返す。そうすれば、ガタッという音が本棚より奥から聞こえた。

 ズズズと勝手に横にずれる本棚。その先にあったのは厳重な隠し扉。

 扉についているダイヤルへと手を添えて、それを右へ左へと幾度か回せば、カチッと鍵が開く音がした。

 扉の奥にあったのは、あまり多くはない、でも少なくもない金貨。

 

「……今回の合わせて5500万ヴァリス、か」

 

 自身が魔法で創った金庫に今回の報酬と換金せずにおいたドロップアイテムを収めていく。

 ただし、このお金は一時的に収めておくだけであり、数日すると半分以下には減っている。

 もちろん、ファミリアの生活費、ベルの武器の整備やアイテム補充なども含まれるが、最大の理由は一つ。

 ヘスティアがファミリアを作る前に知人の神から借りた借金を返すためだ。チヒロ自身もその神にはお世話になった時期がある為、それも含んでいる。

 後二日はダンジョンに潜れない為、明日にでも持っていくかと考える。

 

「今後の為に貯金もしておきたいんだが……意外と貯まらないもんだな」

 

 ヘスティアの眷属に改宗して早半年。

 貯金は一向に貯まっている気がせず、チヒロはそれに溜息をついて、小さな布袋に少しだけ金貨を入れる。

 そして、それを持って未だに気絶中のベルに声をかける。

 

「ベル」

「……」

 

 全く反応がない。

 そんな彼の頭に、容赦なく阿修羅を振り下ろす。

 

「い、痛いです、師匠」

 

 意識を取り戻したベルは、痛む頭を両手で抱えながら座り込んでいる。

 チヒロはそれに気にした素振りもなく、ベルの横を通り過ぎてドアへと歩き出す。

 

「今日は外でご飯食べるぞ」

「え?」

 

 頭を押さえた状態でキョンとするベル。

 チヒロは、それ以上何も言うことなく部屋から出て行く。

 

「って、ちょ、ちょっと待ってください、師匠!」

 

 チヒロが居なくなった事で、慌てて上着を羽織って追いかけた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「女の子と約束? ……やるようになったな、ベル」

「そ、そういうのじゃありませんから!!」

 

 メインストリートを歩いているチヒロとベルの周りからは、数え切れない陽気な笑い声が聞こえてくる。

 仕事を終えた労働者や、今日もダンジョンから無事戻ってくることが出来た冒険者が、今日一日の締めくくりとばかりに、飲んでは飲んでと、酒盛りに耽っている。

 メインストリートはすっかり夜の顔に移り変わっていた。

 チヒロは、それらを横目で見て思う。

 この雰囲気は嫌いではない。

 昔は、クロに連れられてよく酒場へ趣き、みんなでドンチャン騒ぎしたものだ。

 慣れない事ではあったが、楽しかったと今でも思う。

 

「……」

「なんで、すみませんが僕は……って、師匠? 聞いてます?」

「え? あ、すまん。聞いている」

 

 ボーッとしていたチヒロは、我に返ってベルを見れば、ベルが困ったように苦笑している。

 憧れの人からのご飯の誘い。正直、行きたくて行きたくて仕方がない。

 だが、女性との約束を守らないのも、男としてどうかと思う。

 だからこそ、ベルの頭に浮かんだのは、また今度誘ってくださいという言葉。

 

「だから――」

「じゃあ、ベルとの外食はまた今度だな」

 

 先に言われた。

 そう思わずにはいられないが、それよりもぐっと胸が熱くなる。

 

「はい! その時は必ず!!」

 

 目をキラキラさせながら、興奮したように声高らかに言ってきたベルに、チヒロは不思議に思いながらも頷く。

 

「それで、誰と約束したんだ?」

「シルさんって方です」

 

 聞き覚えのある名に、一瞬驚いたチヒロだが、その空色の瞳がすぐに半眼に変わった。

 ダンジョンに潜る前に、弁当なんかを貰って夜は当店へ是非なんて買収されたんだろうか、という思考がチヒロの中でされる。

 

「今朝、朝ご飯を食べ忘れてしまって、そのシルさんから弁当をもらったんです。それでシルさんの働く酒場で今日はご飯を食べる約束をしてしまって」

「……」

 

 予想的中だった。

 あまりにも予想通りすぎて、チヒロは何も言えない。

 そして、見えてきたチヒロの目的地である『豊饒の女主人』。

 

「この辺りのはずなんですが……」

 

 チヒロの目的地の前でキョロキョロと辺りを見渡すベル。

 結局目的地は一緒かと内心苦笑しつつ、そんな彼に声を掛けようとする。だが、それは酒場から嬉しそうに出てきた女性によって遮られた。

 

「チヒロさん! お待ちしてました!」

「あ、シルさん! ……って、知り合い!?」

「……ああ」

 

 約束をしていた女性を見つけて、顔をホッとさせたベルだったが、シルが自分ではなく、チヒロの名前を呼んだ事に後々気づき驚いた表情を見せる。

 そんなベルにシルが笑顔で言う。

 

「ベルさんもいらっしゃいませ」

「あ、はい。やって……きました」

 

 予想外の展開について行けていないながらも、ベルは何とか返事を返す。

 そんなベルに微笑んで、シルはチヒロの手を取り店内へと連れて行く。それを遅れてベルが追いかける。

 

「お客様二名はいりまーす!」

「(……手を繋ぐ必要はないだろ)」

「(……酒場ってこんなこといちいち言うの?)」

 

 案内されたのはカウンター席。

 位置で言えば、真っ直ぐ一直線に席が並ぶカウンターの中、ちょうど2名程座れるかくっと曲がった角の場所。すぐ後ろには壁があり、そこは酒場の隅に当たる。

 チヒロが二つある中の一番奥の席に座り、その後に続くようにベルがその隣に腰掛ける。

 初めて酒場に来たベルは、店内を見渡す。

 ドワーフが豪快に酒を流し込み、ヒューマンが大笑いしながら食事をかっ食らい、種族を超えた小人族と犬人が顔を赤くしながら飲み比べをしている。そして、男ばかりの店内に華を添えるウエイトレス達。

 

「女性ばかりなんですね……」

「……? ああ、そうだな」

 

 微かに頬を赤くしているベルを不思議に思いながらも、チヒロは頷いて返す。

 店員の中にはあのプライドの高いエルフまでいた。

 チヒロは忘れているが、昨日まで妄想していたベルの美女美少女の楽園が疑似的とはいえ再現されているのだ。

 妄想はしていても、実際の免疫は皆無なベルにとっては、女の子のお店ってだけで赤面ものだった。

 そして何よりも、一番隅の席に居るにも関わらず、店員達はチヒロに声をかけてきて、チヒロはそれに軽く手を振って返す。それに彼の後ろに立っているシルがぷくっと頬を可愛く膨らめる。

 まさに、自分が夢描いた光景を彼は体現している。

 

「師匠ってハーレム属性持ってますよね!!」

「は?」

 

 目をキラキラさせながらそんな事を言ってきた隣の彼に、チヒロは眉を顰める。何言ってるんだと空色の瞳が言っている。

 だが、それを口にする前に、目の前に現れたミアが声をかけてきた。

 

「なんだい、シルのお客さんはアンタの弟子か何かかい?」

「同じファミリアの奴だ」

 

 チヒロの空色の瞳がチラッとベルに向けられて、顎でクイッとミアを指す。

 挨拶しろと言われているのだとわかって、ベルは慌てて口を開く。

 

「ベ、ベル・クラネルです!」

「ははっ、冒険者のくせに可愛い顔してるねえ!」

 

 愛想笑いを浮かべていたベルだが、その言葉に顔が引き攣った。

 自分でも自覚していて、若干コンプレックスを抱いている。隣の彼のように端正な顔立ちに生まれたかったと。

 

「何でもアタシ達に悲鳴を上げさせるほど大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってってくれよぉ!」

「!?」

 

 顔立ちとかそういうのがベルの頭から全て吹き飛んだ。

 チヒロの背後に立つ彼女にバッと振り返ると、さっと目を横に逸した。犯人はやっぱりこの人かと。

 

「ちょっと、僕いつから大食漢になったんですか!? 僕自身初耳ですよ!?」

「……えへへ」

「えへへ、じゃねー!?」

「その、ミア母さんに知り合った方をお呼びしたいから、たっくさん振る舞ってあげて、と伝えたら……尾鰭がついてあんな話になってしまって」

「絶対に故意じゃないですか!?」

「私、応援してますからっ」

「まずは誤解を解いてよっ!?」

 

 ベルの中でシルが良質街娘から悪女へと降格する。

 そんなベルの肩にポンと手が置かれる。そこを見れば、珍しく爽やかな笑顔を浮かべているチヒロ。

 

「頑張れ」

「師匠ぉおおおおおっ!?」

 

 誤解を解いてくれる者は、ここには居なかった。

 

「ミアさん、酒と適当に食べ物頼む」

「あいよ!」

 

 まるで、言われる前から作っていたよというように、どんどんどん! とカウンターに置かれる料理の乗ったお皿。

 あまりの量にベルは青ざめる。食べられないとかそういう問題ではない。

 ベルが気にしているのは一つ。

 

「し、師匠! 僕そんなにお金持ってないですよ!?」

 

 お金の事だ。

 本日のベルの収入は、4400ヴァリス。

 過去最高のモンスター撃破スコアに加えドロップアイテムが運良く発生し続けたおかげで、普段よりも大幅な収入を得られたのだ。

 だが、目の前にある美味しそうな料理はその懐を一瞬で寂しくしてしまうと見ただけで分かる。

 メニューに書かれている金額と目の前の料理を見合わせて、現在いくらかかるのかを計算する。すると、大きな魚の料理が一つ増える。

 

「今日のオススメだよ!」

「今日のおススメ……850ヴァリスッ!?」

 

 更に顔を青ざめさせた。

 そんなベルの前に、チヒロが酒の入った小さな樽のジョッキを置く。

 

「金の事は気にするな」

「で、でも、師匠……」

「ここは俺の奢りだ。遅くなったけど、ベルのファミリア入団祝い」

 

 小さな笑みを浮かべた彼に、ベルは見惚れる。イケメンな上にさり気ない気遣いとか、モテるのも当たり前だと。

 

「じゃあ、その……お言葉に甘えて……」

 

 酒の入ったジョッキを手に持って、同じようにジョッキを持っている手をこちらに差し出しているチヒロのジョッキに、それを軽くぶつける。

 

「改めてよろしくな」

「はい!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話

 

 

 

「師匠に初めて会った時みたいに数匹のコボルトと遭遇したんですけど、そこを……」

「……見ない間も頑張ってるんだな」

「えへへ。あ、それから……」

 

 主神抜きでの夕飯を『豊饒の女主人』で食べているチヒロとベルは、出された料理を食べながら、ベルが今日あった事をチヒロに話していた。それをチヒロは酒を飲みつつ、ご飯を食べつつ聞いている。

 すると、そこに忍び寄る一つの影。

 

「楽しんでますか?」

「あ、シルさん! はい、すっごく!」

 

 給仕の手を止めてそこへやってきたシルは、少し前まで自分の事を恨めしそうに見ていた少年が、満面の笑みで返事をした事にキョトンとする。だが、すぐに隣の彼がそうさせたのかと理解する。

 そっとチヒロの耳元に口を寄せる。

 

「ありがとうございます、チヒロさん。今日の私のお給金、期待出来そうです」

 

 もちろん半眼で返された。

 そんな彼に微笑み、壁際に置いてあった丸椅子を持って、ベルとは逆になるチヒロの隣に陣取る。

 

「……仕事はいいのか?」

「キッチンは忙しいですけど、給仕の方は十分に間に合ってますので。今は余裕もありますし」

 

 いいですよね? とシルがミアに視線を送れば、ミアも口を吊り上げながらくいっと顎を上げて許しを出してきた。

 それにほら、大丈夫ですというようにチヒロに微笑んでくる。

 小さな溜息をつくチヒロ。正直ダメだと言って欲しかった。

 

「……お二人は知り合いだったんですか?」

 

 そんな二人のやり取りに、ずっと気になっていた事をベルは訊ねる。

 それに答えようとしたのは、胸の前で手を可愛く合わて、微かに頬を赤く染めながら笑顔を浮かべたシル。

 

「お付き合いして――」

「ないからな」

 

 即答で否定された。

 絶叫しそうになったベルも、それにガクッと椅子から落ちる。

 一瞬だけではあるが、自身の憧れであるベストカップル――チヒロとアイズ――に大きな亀裂が入った。それを何とか保つことが出来たベルは、椅子に座り直してホッとする。

 

「即答で否定しなくてもいいじゃないですか」

「余計な嘘はつくな。後々面倒なのは俺なんだからな」

 

 何を思い出したのか、空色の瞳が少しだけげんなりしたように見えて、ベルは思う。モテる男は辛いって本当だったんだと。

 チヒロの返答に少し納得していない表情を浮かべながらも、シルはベルに顔を向ける。

 

「チヒロさんはうちのお得意様なんです。チヒロさんの前主神クロノス様がこのお店をいたく気に入っていらっしゃって、よくチヒロさんを連れて来られていたんです。それでチヒロさんとはその時に運命の出会いを……」

「席に案内してもらっただけだ」

 

 頬を微かに赤らめながら照れているシルと無表情のチヒロ。温度差の激しい二人に、ベルは苦笑する。

 そんな彼の中で、ふとある疑問が浮かぶ。

 

「そういえば、その師匠の前の神様って、どんな神様だったんですか?」

「!」

 

 チヒロの冷たい態度にむーっと頬を膨らませていたシルが、その何気ない質問にハッとして微かに表情を暗くする。それにベルは、慌てて手を横に振る。

 オラリオから少し離れた田舎に住んでいたベルだが、チヒロのファミリアやその主神の話は知っている。

 色んな意味で名を轟かせていた主神とその眷属であるチヒロ。もちろん、冒険者にその名を知らない者はいない。冒険者に憧れる者達の中でも知らない者が少ないのではないだろうか。

 それぐらいにチヒロとその主神クロノスの名は有名だった。そして、一年前にそのファミリアが消滅したという事も。

 

「あ、えっと! その、不躾に聞いてしまってすみません! 言えないような事でしたら――」

「……チビで俺様」

「……へ?」

 

 最後まで言うことが出来ずに終わったベルは、間抜けな声を出す。

 自分の言葉を遮った人物を見れば、自分とシルの間で酒を仰いでいた。そして、全て飲み干してそのジョッキをカウンターの上に置く。

 普段通りの彼は、普段通りの口調で話し出す。

 

「長い黒髪に黒色のつり目。身長はヘスティアより少し大きぐらいのチビ。だけど、態度はめちゃくちゃデカイ。『俺様最強!』なんて馬鹿言ってるような神様だ」

 

 だが、その空色の瞳はどこか懐かしそうで。どこか悲しそうだった。

 

「チヒロさん……」

 

 チヒロが彼の事を口にした事に、シルは微かに目を見開いている。

 彼女が知っている限りで、再会してからチヒロが彼の話をするのは今日が初めてだった。

 

「何というか……また個性的な神様だったんですね」

「他の神からは【異端の神】なんて呼ばれて畏れられてたな」

 

 聞いただけで圧倒される神クロノスに、ベルは苦笑する。そこで気づく。チヒロの二つ名の事を。

 

「あれ? それってもしかして、師匠の二つ名もそこからきてるんですか?」

「それもあるな」

 

 他にも理由はあるが、チヒロの二つ名【異端児】は、異端の神の子だから異端児なんて意味もある。

 チヒロ本人は正直二つ名など興味は無かったが、「俺様と一緒だぞ! 喜べ!」なんて言うクロノスがあまりにも嬉しそうだったから、理由はどうあれこの二つ名を気に入っている。

 

「知人からは『クロ』って呼ばれる事が多いな」

「師匠はどうやってそのクロノス様と出会ったんですか? 僕と同じように冒険者に憧れてオラリオに来てとか……?」

 

 その質問にチヒロの空色の瞳に微かに影が差す。だがそれは一瞬だけで、気づいている者はいない。

 

「いや、クロと出会ったのはクロが旅をしている途中にだ。倒れていた俺をクロが拾ってくれたんだ」

「え? 倒れていた?」

「まぁ、色々な……」

 

 そう言葉を濁して、シルが注いでくれた酒を飲む。

 ベルはそんなチヒロを見ながら、それ以上は追求しない。

 正直、知りたいという思いはあるが、きっとこれ以上は話してくれないと思った。

 何よりも深く追求して彼に嫌われでもしたら、ベルは立ち直れる気がしない。

 ファミリアに加入して約半月。焦る必要はない。これから彼の仲間(・・)になっていけばいいのだと自分に言い聞かせる。

 

「クロノス様と言えば、『ハーレムは男の浪漫!』とか、よく変なこと言ってた事もあって、一部の人からは変神とも呼ばれていましたよね?」

 

 笑顔でなんて事を言うんだ、この女性はと思ったベルだが、ハッとする。

 チヒロを見れば、サッと目を逸らされた。

 

「シルさん! その話もっと詳しく――」

「ダメだ。これ以上お前の頭がピンクになられたらこっちが堪ったもんじゃない」

 

 彼は教えてくれないと判断したベルがシルに問えば、その彼から拒絶の言葉が飛んできた。

 昨日アイズとの事を追求された事が、相当嫌だったのだろう、その空色の瞳はげんなりとしている。

 だが、ここで引いていいものかと悩む。もしかしたら、彼がハーレム属性を得たヒントがあるのではないか。ダンジョンで美少女(アイズ)と出会ったヒントがあるのではないかと。

 

「少しだけ!」

「ダメ」

「ちょっとだけでいいんで!」

「ダメ」

「ホントちょこっとだけ!」

「ダメ」

 

 どんなにお願いしても断られて、ベルはガクッと肩を落とす。そんなベルを横目にチヒロは酒を仰ぎ、二人のやり取りに自分は何か不味い事を言ってしまったのだろうかとシルは苦笑している。

 ちょうどその時、どっと十数人規模の団体が酒場に入店してきた。

 その団体――ファミリアの主神を筆頭に小人族、アマゾネス、狼人、エルフ、ドワーフ、ヒューマンと他種族同士が案内された席へと歩いていく。

 チヒロの顔が思いっきり引き攣った。

 誰かに何かを言われるよりも早く、チヒロはカウンター席の下に隠れる。気配も全て消す。

 

「チヒロさん? どうして隠れるんですか?」

「……俺に話しかけるな。色々と事情があるんだ」

 

 隠れたチヒロに、シルが一応小声で声をかければ、チヒロが余計な事はするなよというような目を向けながら、小声でそう返してきた。

 チヒロはチラッと先程まで落ち込んでいたベルを見る。いつの間にか顔を赤く染めながらある一点を見て惚けている。

 その一点とは、触れれば壊れてしまいそうな細い輪郭は精緻かつ美しく、よくできた人形というよりも、精霊や妖精、天使、女神なんて方がずっとしっくりくる彼女。

 砂金のごとき輝きを帯びた金の髪、大きく際立つ金色の瞳、整った眉を微動だにせず、案内された席へと足を運ぶ彼女は、チヒロが見間違えるはずもなく、少し前まで一緒に行動を共にしていたアイズ・ヴァレンシュタインその人だ。

 つまり、今彼女と一緒に入ってきた団体はオラリオ最強の一角【ロキ・ファミリア】。

 今更ながらに思い出す、遠征の後に盛大な祝宴を開くのがロキ・ファミリアの習慣だったこと。

 そして、その主神が『豊饒の女主人』を気に入っていることを。

 

「……おい」

「おお、えれえ上玉ッ」

「馬鹿、ちげえよ。エンブレムを見ろ」

「……げっ」

「あれが」

「……巨人殺しのファミリア」

「第一級冒険者のオールスターじゃねえか」

「どれが噂の【剣姫】だ」

 

 周囲の客も彼らがロキ・ファミリアだということに気付いた途端、これまでとは異なったざわめきを広げていく。

 

「し、師匠! ヴァレンシュタインさんですよ! ヴァレンシュタインさん!」

 

 我に返ったベルが、どこか興奮気味に、でもちゃんと小声でチヒロに声をかけてくる。

 そんなベルにチヒロは俺に話かけるなと手でシッシッとやる。

 

「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!!」

 

 主神ロキの音頭を取る声の後に、一斉にジョッキをぶつける音が聞こえる。

 シルから受け取った料理を口に運びながら、チヒロはこれからどうするかと思案する。

 逃げるにしても位置が近い。例えバレずに外に出れたとしても、テラスにもロキ・ファミリアの団員達がいる。

 今日宴に来ているのは、きっと遠征に出ていた団員達。全員がチヒロの顔をしっかりと覚えているのだ。

 捕まらない自信はあるが、アイズ達に自分がいるとバレない自信はない。

 捕まってしまえばなんて、一番最悪な事を考えて顔が微かに青ざめる。アイズのご飯の誘いを断った手前、もし居ることがバレれば、彼女をお気に入りとしているあの女神に何されるか分かったものではない。

 

「(……あいつらが帰るまで大人しくしてるか)」

 

 一つ溜息をついて、今度は渡された酒を飲む。自分が食べたい時に、飲みたい時にそれを渡してくるシルは流石だと違う事も考えつつ。

 耳に届くのは、ロキ・ファミリアの楽しそうな宴。

 

「団長、つぎます。どうぞ」

「ああ、ありがとう、ティオネ。だけどさっきから、僕は尋常じゃないペースでお酒を飲まされているんだけどね。酔い潰した後、僕をどうするつもりだい?」

「ふふ、他意なんてありません。さっ、もう一杯」

「本当にぶれねえな、この女……」

「うおーっ、ガレスー!? うちと飲み比べで勝負やー!」

「ふんっ、いいじゃろう、返り討ちにしてやるわい」

「ちなみに買った方はリヴェリアのおっぱいを自由に出来る権利付きやァッ!」

「じっ、自分もやるっす!?」

「俺もおおお!」

「俺もだ!!」

「私もっ!」

「ヒック。あ、じゃあ、僕も」

「団長ーっ!?」

「リ、リヴェリア様……」

「言わせておけ……」

 

 盛り上がる宴に、チヒロは微かに笑みを浮かべる。こいつらは本当に変わらないなと。

 今の自分が昔はクロノスに連れられて、あの中に居たなんて嘘みたいだ。

 

 ――クロ! 飲み比べで勝負やー! うちが勝ったらチヒロはもらうで!

 ――あぁ? ふざけんのはそのぺったん胸だけにしろよ、ロキ。チヒロは俺様が唯一認めた眷属だぞ! 渡さねーよ!!

 

 忘れることのない、懐かしい声が聞こえる。

 毎回馬鹿みたいに自分を景品にロキと飲み比べで勝負して、酔い潰れたロキを尻目に今日も勝ったぞー! なんて、酒臭い顔を近付けて抱き着いてきた主神。

 酒臭いと文句を言いつつも、それが何だか嬉しくて、引き剥がす事は出来なくて。馬鹿みたいに楽しかった。

 昔の事を思い出して感傷に浸っていたチヒロは、聞こえてきた声にハッとする。

 

「あ……あの、アイズさん」

「オ……僕達と一献! していただけませんか!?」

「え……えと……私は」

「どうか一杯だけ!」

 

 隠れている為、それを確認する事は出来ないが、普段は一歩遠慮している後輩の団員達がここぞとばかりにアイズにお酒を勧めているのが会話で分かる。

 

「(やめろ! アイズに酒はダメだ! 絶対にダメだ!!)」

 

 大声で制止したいが、出て行く事が出来ないため、願うように心の中でチヒロは叫ぶ。

 すると、その願いが通じたのか、リヴェリアがそれを止めてくれた。それにチヒロはホッと息を吐く。

 

「……あれ、アイズさん、お酒は飲めないんでしたっけ?」

「アイズにお酒を飲ませると面倒なんだよ、ねー?」

「……」

「えっ、どういうことですか?」

「下戸っていうか、悪酔いなんて目じゃないっていうか……ロキが殺されかけたっていうか。チヒロに襲いかかったっていうかぁ」

「ティオナ、その話は……」

「あははっ! アイズ、顔赤~い!」

 

 そんな会話を聞きながら、チヒロも思う。頼むからその話だけは止めてくれと。

 

「(思い出しただけで……)」

 

 一気に自分の顔が熱くなるのを感じる。

 

「……酔った勢いで何されたんですか?」

「……頼む、聞かないでくれ」

 

 しっかり彼女達の会話はベルの耳にも届いていたようで、こちらを興味津々と覗いてきた深紅の瞳から逃げるように、チヒロは体を丸めて膝に顔を埋める。その顔は真っ赤だ。

 とりあえず、そんな彼の反応に襲われたっと言っても、攻撃の類ではない事を悟る。

 

「シルさんは何か――」

「何か?」

「ナンデモナイデス」

 

 黒いオーラ全開のシルからサッと目を逸らす。そして再び悟った。

 女性特有の揉め事が起こるような男にとってのビッグイベントがその時に起こったのだと。

 

 

 




今回チヒロ君の前主神の事をちょっとだけ書きました。
今まで呼称として使用していた『クロ』というのは愛称であり、正式には『クロノス』になります。
今後、彼の事もどんどん書いていこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話

 

 

 

「そうだ、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!」

「あの話……?」

 

 それは突然だった。

 

「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス! 最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ!? そんで、ほれ、あん時いたトマト野郎の!」

 

 チヒロはハッとして顔を上げる。目に入ったのは、表情を強ばらせたベルの姿。

 

「ミノタウロスって、17階層で襲いかかってきて返り討ちにしたら、すぐ集団で逃げ出していった?」

「それそれ! 奇跡みてぇにどんどん上層に上がっていきやがってよっ、俺達が泡食って追いかけていったやつ! こっちは帰りの途中で疲れていたってのによ~」

 

 ジョッキが卓に叩きつけられる音が響く。

 普段より声の調子が上がっているベートに、チヒロは眉を顰める。グッと握り締める手に力が入り、その空色の瞳は普段とは違う色を宿していた。

 もちろん、チヒロが居るなんて知らないベートは、尚も話し続ける。

 

「それでよ、いたんだよ、いかにも駆け出しっていうようなひょろくせえ冒険者(ガキ)が!」

 

 ベートの言った『ひょろくせえ冒険者(ガキ)』とは、今も尚チヒロの目の前で顔を俯かせているベル。

 下から見る形のチヒロには、その表情が見て取れた。

 

「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ! 可哀想なくらい震え上がっちまって、頬を引き攣らせてやんの!」

「ふむぅ? それで、その冒険者どうしたん? 助かったん?」

「アイズが間一髪のところでミノを細切れにしてやったんだよ、なっ?」

「……」

 

 アイズに問いかけるが、何も答えない。見えない彼女が今の状況をよく思っていないのは容易に分かる。

 それに更にチヒロの手を握り締める力が強くなる。

 

「それでそいつ、あのくっせー牛の血を全身に浴びて……真っ赤なトマトになっちまったんだよ! くくくっ、ひーっ、腹痛ぇ……!」

「うわぁ……」

「アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? 頼むからそう言ってくれ……!」

「……そんなこと、ないです」

 

 声だけでべートが目尻に涙を溜めながら笑いを堪えているのが分かる。他のメンバーの失笑。別のテーブルでその話を聞いている部外者達の釣られて出る笑みを必死に噛み殺す声。

 全てがチヒロの耳に入ってくる。

 

「それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまってっ……ぶくくっ! うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのおっ!」

「……くっ」

「アハハハハハッ! そりゃ傑作やぁー! 冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えー!!」

「ふ、ふふっ……ご、ごめんなさい、アイズっ、流石に我慢できない……!」

 

 どっと周囲が笑い声に包まれる。誰もが堪えきれずに笑声を上げた。

 

「……」

「ああぁん、ほら、そんな怖い目しないの! 可愛い顔が台無しだぞー?」

 

 笑いは収まる事はなく、まだ話題は尽きないぞと言わんばかりに、ベートは喋り続ける。

 

「しかしまぁ、久々にあんな情けねえヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ。しかも、そいつあのチヒロの仲間らしくてよー!」

 

 べートがチヒロの名前を出した瞬間、ベルが微かにビクッと揺れた。

 シルが心配そうに自分に顔を向けてくるが、チヒロはそんなベルをじっと見つめている。

 

「【異端児】なんて呼ばれる孤高の冒険者の仲間がだぜ!? しかも、チヒロのこと師匠だってよ!! あいつ、腕は確かでも見る目はねえんだな!!」

 

 ギュゥウウッとベルが強く膝に置いている手を握り締めた。その表情は悔しさで一杯で。

 

「泣き喚く冒険者が仲間なんざ、あいつも落ちたもんだよな。なぁアイズ?」

 

 俺の事は何を言われたって構わない。

 

「ああいうヤツがいるから俺達の品位が下がるっていうかよ、勘弁して欲しいぜ」

 

 だけど、俺の大切な家族(ファミリア)を馬鹿にするのは許さない。

 

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。ミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。巻き込んでしまったその少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。チヒロの事も同様だ。恥を知れ」

 

 体を動かそうとしていたチヒロは、そのべートを制止する声により、動きを止める。この手の話題を彼女が不快感に思わないはずがない。

 他の団員達は彼女――リヴェリアの非難の声により、口を閉じる。

 だが、べートだけは止まらなかった。

 

「おーおー、流石エルフ様、誇り高いこって。でもよ、そんな救えねえヤツ擁護して何になるってんだ? それはてめえの失敗をてめえで誤魔化すための、ただの自己満足だろ? ゴミをゴミと言って何が悪い」

「これ、やめえ。べートもリヴェリアも。酒が不味くなるわ」

 

 主神であるロキが嗜めるが、それでもベートは止まらず、リヴェリアからアイズへと対象を返る。

 

「アイズはどう思うよ? 自分の目の前で震え上がるだけの情けねえ野郎を。あれが俺達と同じ冒険者を名乗ってるんだぜ?」

「……あの状況じゃあ、しょうがなかったと思います」

 

 アイズの言葉は正論だ。

 ベルはまだ冒険者になって半月。駆け出しも、駆け出しだ。

 Lv.1のベルがLv.2のミノタウロスに情けなくやられてしまうのは仕方の無い事なのだ。

 そしてそれは、誰だって最初に通ってきた道だ。アイズやベート、ロキ・ファミリアのメンバーを含むこの世界にいる冒険者達全員が。

 

「何だよ、いい子ちゃんぶっちまって。……じゃあ、質問を変えるぜ? あのガキと俺、ツガイにするならどっちがいい?」

「……ベート、君、酔ってるの?」

 

 その強引な問いに、軽く驚きながらフィンが問う。どう考えても今のベートは酔っぱらいの悪絡みだ。

 だが、フィンの問いかけをベートは一蹴して、尚もアイズに食い下がる。

 

「うるせえ。ほら、アイズ、選べよ。雌のお前はどっちの雄に尻尾を振って、どっちの雄に滅茶苦茶にされてえんだ?」

 

 チヒロの頭にカッと血が上る。ベルを罵倒された時とは、また違った感情。

 

「……私は、そんなことを言うベートさんとだけは、ごめんです」

「無様だな」

「黙れババアッ……じゃあ何か、お前はあのガキに好きだの愛してるだの目の前で抜かされたら、受け入れるってのか?」

「……っ」

 

 アイズが言葉に詰まるのを感じた。

 チヒロは知っている。

 アイズには弱者を顧みる余裕がない事を。

 遥か後方にいる者のために、足を止めることは出来ない事を。

 アイズの目は常に前に、高みに向けられている事を。

 その先に叶えなければならない願望がある事を。

 

「はっ、そんな筈ねえよなぁ。自分より弱くて、軟弱で、救えない、気持ちだけが空回りしてる雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんてありはしねえ。他ならないお前がそれを認めねえ」

 

 アイズは何も言い返さない。

 

「チヒロの事だってそうだ。アイツは負けたんだよ! 自分とこの神すら守れねえ雑魚野郎だよ、アイツもな!!」

 

 そうだ、その通りだ。

 俺は守れなかった。

 あの日(・・・)と同じで守られる事しか出来なかった。

 俺は何一つ守れた事なんてない。

 俺は強くなった気でいただけで、弱いままだ。

 でも、そんなこと今はどうだっていいんだ。

 俺の事なんてどうだっていい。

 何て言われようと構わない。

 でもな、他はダメだ。

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 何も知らないくせにベルの事をとやかく言うな――。

 

 

 嘲笑うように言い放った次の瞬間、べートの顔が卓の上に叩きつけられた。誰もがそれに驚愕する。

 卓が割れて、料理が床に滑り落ち、お皿が割れる音がその場に響く。

 ゆらりと動く白い影。

 

「おい、糞犬。俺の家族を馬鹿にして、タダで済むと思うなよ」

「チヒロ……?」

 

 アイズの驚いたような声がチヒロの耳に届くが、チヒロは見向きもせず、蹲っているベートを見下ろしている。

 すると、聞こえた勢い良く椅子が倒れる音。チヒロはそれにハッとする。

 目に見えたのは、自分と同じ白髪が店を飛び出していく姿。

 

「ベルさん!?」

「ベル!!」

 

 チヒロは、慌ててベルを追いかける。だが、店の外に出た時には、ダンジョンのある都市の中心、白亜の巨塔――摩天楼施設『バベル』に向かって走っていくベルの遠い背中が見えた。

 それに一つ溜息をつく。彼が今からどこに行くのか、それだけで分かってしまう。

 

「チヒロさん、あのっ……」

「……大丈夫。あとで連れ戻す」

 

 チヒロ同様、ベルを追いかけたシルが、心配そうにベルの背中を見て、チヒロを見た。

 そんな二人の後ろに、遅れて店を出てきたアイズが近づいてくる。

 

「チヒロ……あの……」

 

 何かを言おうとしているアイズをチラッと見て、チヒロは彼女の横を通り過ぎる。それにアイズが顔を俯かせる。

 だが、今相手にするのは彼女ではない。

 煮えくり返っている腹の底。それはアイズに向けるものではない。

 

「おい、糞犬。表出ろ」

「……ふざけんじゃねえぞ、糞異端児が」

 

 卓にぶつけられた顔を押さえている手の隙間から、怒りに満ちた目がチヒロへと向けられる。

 だが、それはチヒロとて同じだ。珍しく怒りに満ちた空色の瞳がベートを睨んでいた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ベートは言われたように外へと出て、チヒロと対峙するように立つ。

 その周りには、いつの間にか野次馬が殺到している。酒場で喧嘩など日常茶飯事ではあるが、Lv.6とLv.5の喧嘩なんて早々あるものではないのだ。

 皆が皆、どうなるのかと野次馬根性全開だ。

 

「……いいのかい? ロキ。あの感じだとベート半殺しにされちゃうよ?」

 

 その中には、ロキ・ファミリアの団長であるフィンと主神ロキの姿もある。

 ロキは、酒を飲みながら笑みを浮かべる。

 

「ま、ええんちゃうか? べートが蒔いた種やし。何よりあんな怒っとる【異端児】を止める事が出来る奴なんて、この中にはおらへんやろ」

「まぁ、確かにね」

 

 主神の言葉に、フィンは肩を竦めて対峙している彼らを見る。

 

「言っとくが、てめえ相手に手加減なんざしねえぞ」

「なら、俺はしてやる」

 

 そう言ってチヒロが腰に差していた阿修羅を、地面に置く。それにピクリとベートは眉を動かす。

 

「……舐めてんのかてめえ」

「無手の俺に負けたら、お前にはベルとアイズに謝罪してもらう」

「はっ! いいぜ。なら、お前が負けた時は――」

 

 チヒロに向かって駆け出す。だが、すぐにその姿がパッと消える。

 

「てめえの仲間の雑魚野郎に謝罪してもらおうか!! 『雑魚なのに身の程知らずでごめんなさい』ってなあっ!!」

 

 一瞬でチヒロの背後へと回って、右から顔に向けて繰り出される蹴り。誰もが当たると思ったそれ。

 だが、それはチヒロに届くことはなかった。

 

「なっ!?」

 

 逆手で掴まれた足。そのままグイっと引っ張られる感覚。

 強い重力を感じた直後、ベートの背中に激痛が走った。

 肺から全ての空気が吐き出る。だが、まだ終わってはいない。

 掴まれたままの足が再び強い力により引っ張られる。

 そして目の前には強く握られた右拳。ベートの端正な顔に、それがめり込む。

 

「ガハッ」

 

 殴り飛ばされたべートが地面に蹲りながら血反吐を吐く。

 ザッとすぐそこから聞こえた音に、顔を歪めながらも音を見上げる。

 

「もう一度聞こう……俺が負けたらどうするって?」

「糞がァ……!!」

 

 再びベートがチヒロへと駆け出した。

 盛り上がっていた野次馬達は、その場の光景にどんどん静まり返っていく。

 目の前で行われているのは、一方的な暴力。理不尽とすら思える力の差。

 Lv.6とLv.5の差は確かにあるが、チヒロは己の愛刀を使用せず、慣れない無手のはずなのだ。

 だが、目の前ではそんな彼が自分へと向ってくる狼人を軽く射なし、何度も殴り飛ばし、蹴り飛ばしている。

 

「くそ、がっ……」

 

 何度目かのダウンから立ち上がろうとしたベートだが、すぐに倒れ込む。その体は既にボロボロで、そんな彼の横にチヒロが立つ。

 

「お前が言ったように俺は弱い。それは認めてやる。だけど、アイツは違う」

 

 チヒロの脳裏に過るのは、ダンジョンへと駆けていった白髪の少年の後ろ姿。

 

「アイツは強くなる。お前よりも……俺よりも」

「あの雑魚野郎がだと……?」

「ああ」

「……っ」

 

 真っ直ぐ向けられた空色の瞳に、ベートは顔を歪める。

 だが、すぐに逸らしてフラつく足で何とか立ち上がってチヒロへと背を向ける。

 

「……てめえの目はやっぱり節穴だ。泣き喚くことしか出来ねえ雑魚に構ってなんになる」

「!」

 

 その言葉に、チヒロの脳裏に幼き頃の自分の姿が過ぎる。

 

「……別に構ってるつもりはない」

「あ?」

 

 後ろから小さく呟かれた言葉。それにベートは振り返る。

 見えたのは白髪。表情は顔を俯かせている事で見えない。

 

「只、似てたんだ……だから、気になったんだ。アイツがどんな道に進んでいくのか」

 

 初めて出会ったのはダンジョン。そこで白兎のような少年は複数のモンスターに囲まれて蹲っていた。その姿がチヒロには同じに見えた。幼き頃の自分と。

 

「力がない内は、誰だって弱いし、怖いし……泣くに決まってる……」

 

 今よりもずっと弱い自分。

 只々泣くことしか出来なかった幼い自分。

 そんな自分を何度も助けてくれた男性(父様)といつも優しく微笑みかけてくれた女性(母様)

 そして、手を伸ばしてくれた神様(クロ)

 

「惨めでも、無様でも、周りに笑われたって構わない……生きて帰って来る事が大事なんだ。生きて生きて……生きて帰ってきた奴が強くなれるんだ!!」

 

 ――強くなりてえなら、まずは帰って来い。生きて帰って来なきゃ強くなんて一生なれねーからな。

 

 珍しく声を荒らげたチヒロに、ベートは驚いたように目を見開き、周りも微かに驚いた表情を浮かべている。

 チヒロの頭に響いたのはクロノスの声。その声にチヒロの顔が一瞬だけ悲しみに歪んだが、それを払い除けるように白髪の髪を掻き乱した。

 

「……アイズにはちゃんと謝っとけよ。女性に対して言うような事じゃなかった」

 

 チヒロのその言葉に従うように、ベートはアイズの前へとフラフラの足で歩いていく。

 それを横目に見ながら、地面に置いた阿修羅を腰に差し直し、店内へと足を踏み入れる。

 チヒロが入れば、唯一店の中に残っていたミアが、こちらをチラッと見た。そんな彼女にチヒロは頭を下げる。

 

「すみませんでした」

「……今度店の中荒らしたらタダじゃおかないよ」

「以後気をつけます」

 

 金貨の入った布袋をカウンターに置く。お代だけにしては多い、それ。

 

「……修理代も。ベルは後日連れてきて謝らせるから」

 

 もういいよというように、ミアはクイッと顎で扉の方を指す。早く追いかけてやりなとその目が言っている。

 それにチヒロはもう一度頭を下げて、踵を返す。

 だが、すぐに朱色の髪を持った糸目の女神――ロキ・ファミリアの主神ロキに前を塞がれた。

 

「なんや、久しぶりに会ったちゅーのに、うちに挨拶はなしか?」

「……ロキ」

 

 チヒロは、そんな彼女に頭を軽く下げる。

 

「すまない。お前のとこの眷属に怪我させた」

「まぁ、それはべートの自業自得やから今回は何も言わんとく」

 

 そう言ってロキは、チヒロの横を通り過ぎる際に、ポンと肩を叩いた。

 

「クロ以外の家族出来たんやな」

「!」

 

 それだけを告げて、ファミリアの所に歩いていく。

 「仕切り直しや! 飲むでー!! あ、ベートは反省の為に縛っといてなー!」なんて事を言っている女神の背中を少しだけ見つめて、チヒロは今度こそと店の外へと出る。

 

「……」

「……」

 

 外へ出れば、まるで待っていたと言わんばかりに、目の前に立っている金髪金眼の少女。

 何かを言おうと少女は口を開くが、言葉が見つからなくて、再び閉じる。金色の瞳がスッと地面に落とされる。

 チヒロはそんなアイズを少しだけ見つめた後、その横を通り過ぎる。

 

「……迷惑かけたな」

「!」

 

 かけられた言葉に、アイズはハッと顔を上げる。

 既に背を向けて歩き出している彼に、慌てて手を伸ばす。だが、それは虚しくも空を切った。

 

「……今はごめん」

 

 それだけ告げて走り出した彼の背中を、アイズは追いかける事も、呼び止める事も出来ず、その場に一人立ち尽くしていた。

 

 

 




すみません、今回物凄くグダグダになってしまった気がします。
次回はチヒロ君とベル君の出会いのお話です。
感想など、是非お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話

 

 

 

「(畜生、畜生、畜生っ!)」

 馬鹿かよ、僕は、馬鹿かよっ!!

 師匠やあの人に少しでも近づく為に『何をすればいいかわからない』ではない。『何もかもしなければ』師匠やあの人の横になんて一生かかっても辿り着けはしないんだ。

 殺意を覚えた。

 自分を蔑んだ青年でも周囲で馬鹿にしていた他人でもない。何もしていないくせに無償で何かを期待していた、他でもない愚かな自分に対して。

 悔しい、悔しい、悔しいっっ!!

 青年の言葉を肯定してしまう弱い自分が悔しい。

 何も言い返すことの出来ない無力な自分が悔しい。

 只々彼に庇ってもらうだけの自分が悔しい。

 自分のせいで彼の事を馬鹿にされた事が悔しい。

 彼の事を馬鹿にされた事が……堪らなく悔しいっ!!

 

「僕は弟子なんかじゃない……僕が勝手に師匠なんて呼んでるだけなんだ」

 

 長い舌を撃ち出して冒険者を攻撃する蛙のモンスター『フロッグ・シューター』の死骸を無感動で見つめながら、ベルはそう小さな声で呟く。

 酒場から飛び出して、街の中を突っ切ったベルが辿り着いた場所はダンジョン。

 ただひたすらにモンスターを追い求め、迷宮内を走り続けた。

 今も尚、湧き出てくる悔しさを糧にして、手の中にあるたった一つの武器を振り続けている。

 遥か遠くにいるあの人との距離を埋めようと、どれほど険しく困難なのかさえわかっていない高みへと辿り着こうと、ただ必死に。

 金のあの人のように、彼の隣に立てるように。

 

「(あぁ、そうか……僕は羨ましたかったんだ。師匠の隣に立てるだけの実力を持つあの人が)」

 

 だから、あの人に憧れたんだ。

 あの人のようになれば師匠に認めてもらえるって。

 堂々と師匠の仲間として師匠の隣を歩くことが出来るって。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 師と仰ぐチヒロと出会ったのは、ベルが正式に冒険者になった日の事だった。

 オラリオから少し離れた田舎で育ったベルは、一年前に育ての親の祖父が亡くなった事で、残った財産を持って村を飛び出し、オラリオへと冒険者になる為にやってきた。

 だが、待っていたのはあらゆるファミリアからの無慈悲な入団拒否。

 有名なファミリアは人員も豊富で基本的に飽和している所が多く。中小規模のファミリアは、多少なりとも戦闘や専門職に心得がある人材を求めている為、田舎者丸出しのベルに手を差し伸べてはくれなかった。

 そんな中で唯一ベルに手を差し伸べたのが、無名の神ヘスティア。後に、チヒロはその運命的な出会い話――ヘスティア曰く――を一言一句忘れないぐらいに主神から聞かされる事になるのだが。

 ヘスティアの手を取ったベルは、その日すぐに彼女から恩恵を授けてもらった。そして翌日には、ギルドへ冒険者登録に。担当アドバイザーは美人なハーフエルフ。

 出会いを求めてやってきたベルにとっては、幸先好調とすっかり浮かれていた。ちなみに、登録を終えたベルに待っていたのは、ダンジョン探索ではなく、アドバイザーからの有難いダンジョン講座だった。講座が終わった後のベルは、屍のようだったと後にエイナの友人であるミィシャ・フロットが語る。

 ダンジョン講座を無事乗り切ったベルは、いざダンジョンへ! と行こうとしたが、アドバイザーに明日からにするように止められてしまった。

 ギルドから支給される装備は、明日渡される事になっている為、それも仕方のないことだとその場では、渋々承諾した。

 だが、男の子である以上、駆け出しとはいえ冒険者である以上、そして何よりもダンジョンに出会いを求めている以上、欲望には逆らえなかった。

 外から見るだけ、入口だけ、ちょっと中に入るだけ。なんてやっていれば、何故か2階層にまでやってきていた。

 その間、モンスターには一匹も遭遇していない。

 何だこんなもんかと、ちょっと拍子抜けした。

 同業の冒険者もいなければ、モンスターもいない。ベルが求める可愛い女の子なんて尚更いるはずがなかった。

 期待外れのダンジョンに、少しだけ落胆しながら、戻ろうと踵を返した時だった。

 

「ガルルルッ」

「え……」

 

 そこには一匹の犬頭のモンスターがいた。

 鋭い牙や爪を武器とする犬頭のモンスターというのは、少し前に美人アドバイザーから聞いたばかりだ。

 名は『コボルト』。大抵一、二匹でダンジョン内を徘徊していると。

 

「(まずいまずいまずいまずい)」

 

 ダンジョンでの初めてのモンスターとの遭遇。

 今日正式に冒険者になったばかりの彼。しかも、武器もなければ、身を守る防具もつけていない。

 ベルの額に冷や汗が流れる。そして今更ながら思った。自分はなんて愚かな行動をしたのかと。

 

「(と、とにかく逃げなきゃ!!)」

 

 どうにか逃げようと策を講じる。一匹だけならどうにかなるかもしれないと。

 だが、ベルの思いも虚しく、コボルトの後ろからもう一匹のコボルトが現れた。

 それに顔を引き攣らせる。

 そして感じた背後の気配。

 

「ちょっ、こんなの聞いてないよっ……!!」

 

 いつの間にか後ろにも三体のコボルトがいた。

 大抵一、二匹で徘徊してるんじゃなかったのかと叫びたくなる。

 だが、無闇矢鱈に叫べば前後を囲むコボルトが一斉に飛び掛ってくるのは、新米冒険者であるベルにでも分かる為、そこは何とか抑えた。

 ジリジリと詰め寄ってくるコボルト。どんどん壁に追いやられていくベル。

 壁を背にズルズルと座り込みながらベルは悟る。冒険者ベル・クラネル、一四歳。ダンジョン探索一日で終了と。

 飛びかかってきたコボルトに、ダンジョンで可愛い女の子と出会うことはなかったよ、待っててねお爺ちゃんと、亡き祖父を思いながらギュッと目を閉じる。

 だが、いつになっても予想していた痛みは来ない。

 不思議に思ってそっと深紅の瞳を開ける。

 見えたのは、ダンジョンの奥を見つめながら体を震わせているコボルト達。

 寒いからとかそんなんじゃなく、何かに恐怖するように震えていた。

 コボルト達が見つめている場所に視線を向けようとしたその時だった。

 一陣の風が吹いた。

 目を瞬かせた時には、自分を取り囲んでいた全てのコボルトが地に伏せていた。

 そして、先程までそこには居なかったはずの、真っ黒なローブを着た自分と同じ白髪に空色の瞳を持った青年が、長刀を片手にそこに立っていた。

 呆然とするベルの前で、青年はコボルトの血がついた長刀をひと振りして落とす。

 

「……珍しいな、コボルトが群れでいるなんて」

 

 黒い鞘に刀を戻して、その青年がベルに振り返る。

 端正な顔立ちに、すらりと長い足、細身ながら服越しにも分かるしっかりと筋肉のついた引き締まった身体。そしてコボルト数匹を一瞬で倒した強さ。

 同性ながらも見惚れてしまった。

 

「……少年、大丈夫か」

 

 声をかけられたベルが、微かにビクッと動く。

 だが、立ち上がりはしない。

 腰が抜けて動けないのか、全く動かないベルに、青年はどうしたものかと少しだけ思案して、今度はベルに手を差し出してもう一度声をかける。

 

「立てるか?」

 

 そうすれば、ベルが口をパクパク動かし出す。

 それに青年は首を傾げる。

 

「だっ――」

「だ?」

「だぁあああああああああああああああ!?」

 

 そして、叫びながら逃げていった。

 残されたのは、青年のみ。

 

「……何だったんだ」

 

 行き場の失った手を見つめながら、青年はそう呟いた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 昨日から住み始めた地下部屋へと、ベルは飛び込んだ。

 部屋の中でソファーに寝転がってゴロゴロと本を読んでいた黒髪ツインテールの幼女――女神ヘスティアが、それに驚いたように起き上がる。

 

「ど、どうしたんだい、ベ――」

「神様!!」

 

 何事かと彼に駆け寄ったヘスティアだが、何故か目をキラキラとさせている彼に肩をガシッと掴まれた。それに若干顔を引き攣らせる。

 ベルはそんなヘスティアにお構いなしと喋り出す。

 

「すごくかっこよかったんですよ!! モンスターを一瞬で倒して!! しかも超イケメンで!!」

「ちょっ、ベル君? 話が全く見えないんだけど……」

「あんなイケメンで強い冒険者ならダンジョンでも出会いがゴロゴロ転がってるんだろうなぁ」

 

 何故か尊敬の眼差しが篭っている深紅の瞳。

 ヘスティアは思い出す。彼は『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』に出てくる運命の出会いというやつに憧れて冒険者になったのではないかと。ちなみに出会う相手は女の子だったはずだと。

 だが、目の前の彼はどうやらイケメン冒険者に出会ってしまったようだ。

 ふと、そこでヘスティアは気付いた。

 彼はモンスターを一瞬でそのイケメン冒険者が倒したと言った。モンスターが出現するのはオラリオではダンジョンのみだ。

 そして未だ興奮冷めやらぬ彼は、防具も無ければ武器も持っていない。

 ヘスティアの顔が青ざめる。

 

「ベ、ベル君、キミはまさか何も持たずにダンジョンに入ったのかい……?」

「え? あ……」

 

 問われた内容に、一瞬で興奮が冷めたベルは、ヤバイと目を逸した。

 もちろん、その場に響いたヘスティアの怒声。

 今日正式に冒険者となった者が装備なしでダンジョンに潜ったなど、只の死にたがりだ。

 そこにベルを正座させて、ヘスティアの説教が始まる。

 その時、一つしかない地下部屋のドアが開いた。

 

「ただいま……って、何この状況?」

 

 入ってきたのは、白髪の空色の瞳を持った青年。

 目の前で行われているヘスティアのベルへの説教に、入ってきてすぐにキョトンとした。

 そんな青年へと、二人は顔を向ける。一人は満面の笑みを、もう一人は呆然と。

 

「おかえりチ――」

「わぁああああああああっ!?」

 

 ヘスティアの笑顔での出迎えの言葉を、ベルは絶叫で遮った。

 それに、ヘスティアは驚き、青年は「あ」と小さな声を漏らす。

 そんな二人を無視して、ベルはバッと立ち上がって、奥へと逃げる。

 だが、ここは人が住むには十分な広さがあるが、逃げるには狭い。というよりも、唯一の出入口であるこの部屋のドアは青年により閉ざされている。逃げ道などどこにもなかった。

 

「あー……チヒロ君? これはどういう状況だい?」

「俺が知りたい」

 

 隣にやってきた青年――チヒロに訊ねれば、困ったように肩を竦められた。

 ヘスティアは、それに小さく溜息をついて、ある一点を見る。それはそこに身を小さくして隠れていた。

 

「あの白兎何?」

 

 本人的にはソファーの後ろに隠れているつもりなのだろうが、全く隠れきれていない白兎――ベルは、チヒロの問いにビクッと体を震わせる。

 ヘスティアがそんな彼からチヒロへと顔を向けて、えっへんと胸を張る。

 

「ヘスティア・ファミリアの新しい仲間さ!!」

 

 それに一瞬キョトンとしたチヒロだが、納得したように小さく頷く。

 そして、未だに隠れているベルへと近づく。今度は怖がらせないように、逃げられないようにと。

 

「白兎君」

「!」

 

 ビクッとベルの体が大きく揺れた。

 恐る恐ると深紅の瞳がチヒロを見る。そして、どんどん赤く染まっていく顔。

 それにチヒロは内心不思議に思いながらも、彼の目線に合わせるようにしゃがみ込む。

 

「俺はチヒロ。チヒロ・ファールスムだ。キミは?」

「あ、えと……ベ、ベル・クラネルです」

 

 ベルという名を、チヒロは何度か口にし、未だに挙動不審な彼に空色の瞳を向ける。

 

「うん、ベル。これからよろしくな」

「えと……あのっ……」

 

 戸惑う彼に、チヒロは差し出していた手を更に前に出す。

 そうすれば、おずおずと彼はその手に自分の手を重ねる。

 

「よ、よろしく……お願いします……」

「ああ、よろしく」

 

 最後辺りは、小さくて聞き取りづらかったが、チヒロの耳には確かに届いていたようで、小さく微笑んだ。それにベルの顔が更に真っ赤になる。

 

 これが異端児と白兎の初めての邂逅。

 

 

 




『第16話』を読んで何となく察している人もいたと思いますが、コボルトってというツッコミは無しでお願いします!!(土下座)
ミノタウロスは後々の為出すにはという考えから、これしか思いつかなかったんです……。
ご意見、ご感想など、お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話

 

 

 

 チヒロと出会ってから、彼が遠征に行くまでの間、オラリオやダンジョンに関してなど色々な事をベルは彼から習った。

 だが、一つだけ教えてくれない事があった。

 『強くなる方法』。

 これだけはどれだけ聞いてもチヒロは『生きて帰ってくる』という言葉だけで後は何も教えてはくれなかった。あるとすれば、一回だけ一緒にダンジョンに潜った際に、ナイフの扱い方とモンスターとの戦闘での駆け引きを軽く教えられたぐらいだ。

 その時にベルは悟った。

 彼は自分をファミリア(家族)として見てくれてはいるが、ファミリア(仲間)としては見てくれていないと。

 

 ――し、師匠って呼んでもいいですか!?

 ――いや、普通に名前で……。

 ――お願いします!! 師匠って呼ばせてください!!

 ――……勝手にしろ。

 

 だから、少しだけでも彼に近づこうと、無理矢理ではあるが師と仰ぐ許可をもらった。

 

「(……でも、そんなの意味がない事だって僕が一番分かっていた)」

 

 只の自己満足だって僕が一番分かっていた。

 そんなんで彼との距離が埋まらないなんて一番僕が分かっていたんだ。

 

「(……強くなりたい)」

 

 彼に冒険者と認めてもらう為に。

 彼に仲間だと認めてもらう為に。

 彼に追いつくために。

 彼のように強く……。

 僕は強くなりたい!!

 

 

 決意を新たに、目の前に現れた影がそのまま浮かび上がったような異形の怪物――『ウォーシャドウ』の群れへと飛び込もうと、ベルはグッと足に力を入れる。

 だが、それよりも早くその場に一陣の風が吹いた。

 思い出すのは、憧憬(チヒロ)との出会い。

 目の前で崩れ落ちるウォーシャドウ達。そして、その場に佇む白髪に空色の瞳を持った青年。

 

「……ベル、大丈夫か」

 

 ――……少年、大丈夫か。

 

 まるであの時のあのシーンを繰り返しているようで。

 ベルは、手に持っていた長刀を鞘に収めている青年――チヒロを見て、顔を俯かせる。ギリっと奥歯を噛み締める音が鳴った。

 

「6階層まで潜るなんて、なんて無茶をしてるんだ」

「……師匠は初めてダンジョンに潜った時、18階層まで行ったんですよね」

 

 顔を俯かせているベルから発せられたどこか棘のある言葉に、チヒロは微かに眉を顰める。

 

「……俺とお前は違うだろ」

「っ!!」

 

 バッとベルが顔を上げれば、チヒロはベルに背を向けて歩き出していた。

 その背中を見つめながらグッと口を結ぶ。

 憧憬(チヒロ)に否定された気がしたのだ。お前じゃ俺にはなれないし、追いつくことなんて出来ないと。

 

「帰るぞ」

「……です」

「は?」

「嫌です」

 

 まさかの拒絶の言葉に、チヒロは驚いたように振り返る。

 真っ直ぐこちらを見つめている深紅の瞳と目が合った。

 一瞬彼が誰かと重なる。

 

「僕はまだ帰りません」

「……そんな状態でこれ以上どうする気だ」

「戦います」

「何でそこまで……」

「僕は強くなりたいんです!!」

「!」

 

 ――俺は強くなりたいッ!!

 

 今度はハッキリと見えた。

 ベルの姿に幼い日の自分が重なる瞬間を。

 チヒロの空色の瞳が微かに困惑の色を見せる。

 

「……理由は何だ」

「どうしても追いつきたい人がいるんです。何がなんでも辿り着きたい場所があるんです。それでその人に認められたいんです、僕という存在を」

 

 どこまでも真っ直ぐな彼から、チヒロはスッと目を逸らす。そして、小さく呟く。

 

「【創造(クリエイト)】」

 

 チヒロが前に出した右手に、空色の光が集まる。その中で形成されるのは一本の短刀。それを無言でベルへと差し出す。

 突然の事に戸惑いながらもベルはそれを受け取る。

 

「そんなボロボロのナイフじゃ碌に戦えないだろ。それを使え。またダメになったら新しいのを創ってやる」

 

 そう言ってチヒロは壁に凭れるように、その場に座り込む。

 彼の行動に、ベルは戸惑うばかりだ。

 

「え、あの、師匠……?」

「……どうせ今は何を言っても聞かないんだろ。なら好きなだけやれ」

「!」

「ただし、本気でヤバイと思ったら止めるからな。お前に何かあったら俺がヘスティアに怒られる」

「……はいッ!!」

 

 タイミング良く現れたモンスターへと、チヒロに見守られながらベルは駆け出した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……眩しい」

 

 ダンジョンから地上へと戻れば、空は既に白みがかってきていた。

 背中の重みを抱え直して、チヒロは歩き出す。その背中には、ボロボロになったベルが担がれていた。

 最後の一体を倒したベルは、倒したモンスターと一緒にその場に倒れた。それにチヒロは一瞬驚いたが、駆け寄れば気絶していただけだった。

 限界を超えてまで目指したい憧憬がベルにはある。

 その想いを表しているのがベルに発現したスキル【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】。

 真っ直ぐ過ぎる彼に、チヒロは昔の自分を重ねてしまった。一途なまでに憧憬(父親)の背中を追いかけていた自分を。

 でも、チヒロは憧憬(父親)への歩みを止めてしまった。何も守れない自分に彼を目指す資格はないと。

 そんな事を考えていれば、いつの間にかホームであるうらぶれた教会に辿り着いた。

 チヒロは、そのまま地下部屋へと向かう。ドアを開けたその先には、部屋の中でオロオロと歩き回っている女神がいた。

 

「チヒロ君!! ベル君!!」

 

 消耗の色濃い顔をしていたヘスティアが、部屋に入ってきた人物達を見て、顔をパアッと明るくさせた。

 だが、すぐにチヒロの背中でぐったりしているベルを見て言葉を失う。

 

「ベ、ベル君!? ど、どうしたんだい、その怪我は!? まさか誰かに襲われたんじゃあ!?」

「落ち着けヘスティア」

「チヒロ君、でも……」

「詳しい話は後でするから、まずはベルの体を綺麗にして治療しないと……」

 

 その言葉に納得して、ヘスティアは慌てながらも治療の準備を始める。

 チヒロはそんな彼女を見てから、ベルをシャワー室へと連れて行く。

 泥と血で汚れたベルの体を洗い、ヘスティアが用意してくれた服を着せる。

 ちょうどその時にベルが目を覚ました。

 

「し、しょう……」

「……目を覚ましたか」

 

 力のない深紅の瞳がチヒロを捉える。

 すると、微かに眉を下げた。

 

「……すみません」

「……何で謝る」

「我儘言って……迷惑をかけたので……」

「もう済んだ事だ。気にするな」

 

 そう言ってチヒロがベルをヘスティアが待っているベッドへと連れて行く。

 そうすれば、ベルはヘスティアにも謝罪の言葉を紡ぐ。

 

「すみません、神様。心配かけてしまったようで……」

「本当だよ。チヒロ君がボロボロのキミを担いできた時は、心臓が停るかと思ったよ」

「ご、ごめんなさい」

「悪いと思っているなら、ちゃんと反省してくれよ?」

 

 チヒロによりベッドに座らされたベルは、それに力なく頷く。

 そして言った。

 

「神様……」

「なんだい?」

「……僕、強くなりたいです」

「!」

 

 紡がれた決意の言葉に、ヘスティアはハッとする。

 深紅の眼差しが見つめているものが何かをヘスティアは知っている。

 必死に憧憬(チヒロ)を追い掛ける彼を、ヘスティアはずっと見ていたのだ。

 

「うん……」

 

 初めてその意志を口に出した彼に、ヘスティアは目を伏せて真摯に受け止める。

 

「……」

 

 只一人、チヒロだけがそのベルの意志に顔を俯かせた。

 

 

 




……ついにストックが切れてしまったorz
すみません、今後更新遅くなるかもです。

ご意見、ご感想、お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話

 

 

 

「……本当に行くのかい?」

 

 心配そうに訊ねてきたヘスティアに、布袋に金貨を入れながらああと頷く。

 現在、ベルはベッドで眠っている。治療を終えた後、プツンと糸が切れたように眠りに着いてしまった。

 一晩中ダンジョンを駆け回り、モンスターを相手にしていたのだから仕方ないと、チヒロとヘスティアは彼をそのまま寝かせて、チヒロは酒場での事とダンジョンでの事をヘスティアに話した。

 チヒロが話し終えるまで、彼女は静かに偶に相槌を打ちながら聞いていた。

 そして現在は、元々昨日から予定として立てていた借金を返しに行く為の準備をしていた。

 

「別に明日だって構わないんだ。何ならボクが行ってくるよ! ボクの借金も返してもらっているわけだし……」

「ヘスティアは寝てろ。どうせ寝ずに待ってたんだろ?」

 

 金庫を閉じて本棚で隠す。そして、大量に詰め込んだ金貨の入った布袋と換金せずに置いておいたドロップアイテムが入った布袋を持ち上げる。

 振り返れば、不安そうな、心配そうな表情をしているヘスティアがそこに立っていた。

 

「……眠っていないのはキミも同じだろ」

「俺は慣れている」

「でも!」

「今は眠りたくないんだ」

 

 酷く傷ついたような彼に、ヘスティアは言葉に詰まる。

 先程と同じ顔だった。

 ベルが強くなりたいと言った時に見せたチヒロの顔も、こんなふうに酷く傷ついた、今にも泣きそうな顔をしていた。

 すると、そんな彼の大きくて温かな手がヘスティアの頭に乗せられる。

 

「そんな顔するな。俺は大丈夫だから」

「……っ」

 

 ヘスティアは、ベルが出会いを求めて冒険者になった事を知っている。ベルがチヒロに憧れている事を知っている。

 でも、チヒロのことは何も知らない。

 彼が何故冒険者になったのかも、何を思って今もダンジョンに潜っているのかも、一年前のあの日何があったのかも、何をその背中に抱え込んでいるのかも。

 ヘスティアは何も知らないのだ。

 

「チヒロ君!」

 

 扉から出ていこうとするチヒロを、ヘスティアは呼び止める。

 チヒロは振り返りはしない。

 

「ボクは待ってるよ……ずっと待ってるから」

「……」

 

 その言葉を背に、チヒロは何も言わずに地下部屋から出て行った。

 そんな彼を見送ったヘスティアは、少しだけ潤んだ瞳を伏せる。

 

「クロ……キミになら彼は話してくれるのかい?」

 

 思い出すのは、いつも自分の事をドチビだの駄神だのと馬鹿にしてきた友神(ゆうじん)

 口が悪く上から目線な俺様ではあったが、根は悪い奴ではなかった。

 現に、チヒロの事を自分に頼んできた時、彼は自分の今までのプライド全てを捨てて頭を下げてきたのだ。

 丸くなったと思った反面、ここまで彼を変えたチヒロという子供の存在も気になった。

 神々からつけられた二つ名は【異端児】。その名と共に彼は同業者からも畏怖の目で見られる程強いと噂では聞いていた。

 そんな彼を見つけたあの日。畏怖の欠片もその彼からは見られなかった。

 只々、今にも崩れてしまいそうな子供。それがヘスティアの彼に対する第一印象だった。

 それからボロボロの彼を介抱し、目が覚めるまで傍にいた。そして、友神との約束通り彼に手を差し伸べた。

 でも、それは約束があったからだけではなかった。

 自分の大切な場所で泣き続ける彼を放っておいてはダメだとあの時思ったのだ。だから自分の意思で彼に手を差し伸べた。この子を守ってあげたいと。

 ただ、彼にそう言えばきっと離れていくとヘスティアは分かっていた。

 だから、ずっとヘスティアは待ち続けている。彼が自身の事を自ら打ち明けてくれる事を。彼が自ら助けを求めてくる事を。

 そして、その時が来たら絶対に全力を持って彼に応えようと。

 

「キミは彼が背負っているものを知っているのかい? ……もし知っているのなら、ボクは堪らなくキミが羨ましいよ、クロ」

 

 ここにはいない友神に、悔しさと羨ましさを滲ませながら、ヘスティアは小さく呟く。

 自分と彼ではチヒロと過ごしてきた月日が違うのだから、当たり前だとは思う。だけど、どうしてもそう思わずにはいられなかった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 お金とドロップアイテムを抱えながらチヒロが歩んでいるのは、北西のメインストリート。通称『冒険者通り』。

 その名の通り、冒険者には必要不可欠なギルドの本部が面していて、多くの武器屋や道具屋、酒場などが軒並み広がっているそこは、冒険者の往来が激しい。

 時刻は朝の九時。多くの者がダンジョンに向かう為に、前準備としてそれぞれ必要としているお店へと入っていく。

 そんな中を歩きながらチヒロは昨日アイズ達と合流した時間か、などと呑気な事を考える。

 考えて後悔した。昨夜アイズに取った酷い態度を思い出した事で。

 あのまま話をしていればアイズが謝ってきたであろうことはチヒロも分かっていた。だが、チヒロはアイズに謝って欲しいわけでも無ければ、アイズに何かをして欲しかったわけでもない。

 だが、それが彼女を傷つける事になる事も理解していた。それでもチヒロはああすること以外の方法をあの場で思いつかなかった。

 先程のヘスティアとの事に関してもそうだ。

 相変わらずな自分に、チヒロは小さく溜息をつく。

 

「(……アイズと何かあった時、必ずクロにバレて問い詰められてたっけ)」

 

 ホント不器用だよな、お前はって爆笑しながらも、ちゃんと――チヒロは頼んでない――助言をくれた彼。

 ちょっとどころじゃなくどうでもいい助言も入っていたが、最終的にはいつもそれのおかげで解決していた。

 だが、今回はそうもいかない。現在その厄介アドバイザーはチヒロの横にはいないのだ。

 自分の重い空気が更に重くなった所で、ある建物の前で足を止めた。

 周りのお店と比べて、ふた回りほども大きな武具店。炎を思わせる真っ赤な塗装は、一際目を引いていた。

 そのお店の看板には【Hφαιστοs】というロゴが刻まれている。

 ここは【ヘファイストス・ファミリア】。世界でも名高い鍛冶師の【ファミリア】だ。

 陳列窓に飾られている一級品の武器を尻目に、チヒロはそのお店の扉を潜った。

 

「何で来て早々そんな空気重いのよ」

「別に……」

 

 彼が突然やって来るのはいつものことなので気にはしないが、あからさまに落ち込んでいますという雰囲気を纏いながらソファーで丸くなっているのは、仕事中の者からしたら気が散って仕方がなかった。

 ぷいっとそっぽを向いた彼――チヒロに、目の前に立っている女性は、小さく苦笑する。

 彼女の名はヘファイストス。

 燃えるような紅い髪と左眼、そして右眼を覆い隠す黒い眼帯が特徴的な、かの有名なヘファイストス・ファミリアの主神であり、ヘスティアの神友、そしてチヒロとも何かと付き合いが長い女神様だ。

 ヘファイストスは、備え付けてある棚からカップを取り出しながら、チヒロに声をかける。

 

「ココアで良かったわよね?」

「……うん」

 

 小さく返ってきた返事に、ヘファイストスは小さな笑みを自身が浮かべたのを感じる。

 彼が甘党だというのは、彼の前主神から何度も聞かされた事だ。それを思い出しながら、常人が飲むそれよりも甘くする。

 自分の分のコーヒーも忘れずに淹れる。

 淹れたココアを机に置いて、チヒロと対面に位置するソファーに腰掛けて、自分の分のコーヒーに口を付ける。

 そうすれば、チヒロも少し間を空けて出されたカップを手に取り、ゆっくりとココアを飲んだ。

 

「体の調子はどう?」

「問題ない」

「それならいいけど……でも、無理はダメよ? あなた、半年も眠ってたんだから」

「その節はお世話になりました」

 

 そう言ってチヒロは、ソファーの後ろに置いていた布袋をドンと机の上に置く。

 それには持ってきた金貨とドロップアイテムが入っている。

 

「別に催促した訳じゃないんだけど……というか、私要らないって言ってるでしょ?」

「俺の気がすまん」

「そういう所は頑固よね」

 

 引く気はないという空色の瞳に、溜息をつく。

 一年前、チヒロの前主神であるクロノスに「もしもの事があればチヒロの事を頼む」とヘファイストスはヘスティアと共に頼まれた。

 『もしも』という言葉に、違和感を感じて追求したが、彼はその事について答えてはくれなかった。前もって彼が行方不明になるという事が分かっていれば、言うまで問い質したというのに、今では後の祭りだ。

 そして、事件は起きた。ヘスティアがボロボロになったチヒロを連れて駆け込んできたのだ。

 何があったのかと困惑したが、すぐにチヒロを介抱して、クロノス・ファミリアがホームとしていた場所に数名の眷属を連れて向かって見れば、そこはまるで元々何も無かったかのように焼け野原となっていた。

 クロノスがどこかに居るのではないかと至る所を探したが、どこにもクロノスの姿はなく、最終的にギルドが出したのは『神クロノス天界へ送還。それに伴い、クロノス・ファミリア消滅』というものだった。

 チヒロの事に関しては、ギルドに報告はしたが、Lv.6のチヒロとあのクロノスの現状に、チヒロが生存しているという事は伏せられる事になった。万が一、クロノス・ファミリアが何者かに奇襲を受けたとして、チヒロが生きていると知ったその者が再びチヒロを襲ってくるのではないかという危険性を考慮しての事だ。

 黒髪から色が抜け落ち、白髪へと変わってしまったチヒロが目を覚ましたのは、それから半年が経ってからだった。

 

「私は彼に頼まれたからあなたを介抱しただけよ」

「『彼に頼まれたから』……ね」

「な、何よ、その言い方……」

「好きな相手に頼まれたらそりゃ断れないよなって」

「ぶっ!?」

 

 飲んでいたコーヒーを思いっきり、目の前に座っていたチヒロに吹き出した。

 紅い髪のように頬を赤くしている彼女を見ながら、チヒロはタオルを創り出して、白髪から滴るコーヒーを拭く。

 

「だ、だから、それは違うって……!!」

「そんな赤い顔で言われても説得力ない」

「~~ッ」

 

 顔を真っ赤にしながら半眼で彼を睨んでも全く効果がない事は、ヘファイストスも分かっている。

 下手に言い訳するよりも、この話を切るために目の前に置かれた物を、受け取ろうと決心する。

 

「わ、分かったわよ、受け取ればいいんでしょ! 受け取れば!」

 

 思った事をそのまま口にしただけで、別にからかっていた訳ではないが、どこか必死な彼女にチヒロは小さな笑みを浮かべる。

 

「ヘファイストスって本当にクロに弱いよな」

「それはあなたも一緒でしょ?」

「何だかんだちゃんと見てるからな、あの俺様」

「ホントよね。普段は自分以外興味ないって感じなのにね。それで何人の女神(おんな)が落とされたか……」

「つまり、ヘファイストスがクロを好きになったのは神様達がよく言うギャップ萌えってやつか」

「私の事はもういいでしょ!!」

 

 真剣になるほどと納得しているチヒロに、ヘファイストスが顔を真っ赤にしながら突っ込む。

 このままでは埒があかないと、彼女は無理矢理話を変える。

 

「それより、チヒロはどうなのよ? 昔から女の子に言い寄られてたけど」

「え? 何で俺の話?」

「あら、気になるじゃない。噂の【剣姫】とはどうなの?」

 

 その二つ名を聞いた瞬間、チヒロがずーんと重たい空気を醸し出す。その姿は、この部屋に入ってきた時のチヒロと一緒で。

 これは地雷を踏んでしまったかと、ヘファイストスは苦笑する。きっと(クロノス)がこの場に居ればニヤニヤとチヒロに詰め寄って問い質していただろうと、容易く想像がつく。

 だが、ヘファイストスはそれをしない。というより、あんな変神にはなりたくない。あの顔を思い出すだけで、同じ神である事を否定したくなる。

 その時だけは彼の眷属であるチヒロを可哀想に思えた。

 

「あなたの事だから聞いても話さないと思うけど……まぁ、頑張りなさい」

 

 小さくコクンと頷いた彼に微笑んで、彼が持ってきたドロップアイテムを確認する。

 そこには鍛冶師にとって目を輝かせる程の武具の素材となるドロップアイテムが揃っていた。

 

「さすがと言うべきかしらね」

 

 それからヘスティアの借金返済の金貨へと目を向ける。

 これは本来ヘスティアが返すものであり、チヒロが気にする事ではないと言ったのだが、ヘスティアは今の自分の主神だから眷属としてそれを一緒に背負うのは当然だと言われて押し切られた。

 彼ばかりに甘えていられないとヘスティアも頑張っているようなので、彼女にとってはいい刺激剤となったのかと、ヘファイストスは思っている。

 それでもチヒロから受け取るのは後ろめたさを感じるが。

 

「……ん?」

 

 そこで違和感を感じた。

 いつもよりも多い気がするのだ。

 

「ねえ、チヒロ。これちょっと多くない?」

「『内金』」

「え?」

 

 意味が理解できず、キョトンとした顔を彼に向ければ、彼はココアを飲み干して立ち上がった。

 その顔には珍しく悪戯めいた笑みを浮かべている。

 

「ヘファイストスって何かと苦労人だよな」

「……嫌な予感しかしないんだけど」

「クロの事もそうだけど、俺の主神達が毎回迷惑かけてすまないな。よろしく頼んだよ」

 

 そう言ってチヒロは颯爽とその場を立ち去る。

 

「ちょっとそれどういう事よーーっ!!」

 

 そんな女神の声を無視して、チヒロはヘファイストス・ファミリアを出て行った。

 そして、一人残されたヘファイストスは嘆息する。

 

「もう……何なのよ、『内金』って」

 

 『内金』とは売買や請負などにおいて,売買代金や報酬の全額支払いに先だって支払われる一部の支払いをいう。

 つまり、彼は自分に後々お金のかかるような何かをさせようとしているのか。否、彼ではない彼女だ。

 彼は『主神』が『迷惑』と言った。つまり、彼の主神である彼女(ヘスティア)が何かしら企んでいて、それを自分にお願いしようとしているという事ではないだろうか。

 頭痛がしてきた頭を押さえる。

 

「……何を企んでいるのかは知らないけど、考えても埒があかないわ」

 

 今から彼女に会いに行くかと考えたが、大手ファミリアの主神として仕事を放り出す訳にはいかない。

 何よりも、もし彼女が何かしら自分にお願いをしてくるのだとしたら、彼女から動き出すはずだ。自分を探すために。

 そして、もうすぐ神々が集まる『神の宴』が開かれる。きっと彼女はそこに自分を探しに来るだろう。

 嫌な予感しかしないが、『内金』をもらってしまった――無理矢理渡された――以上、聞くだけ聞いてみようと自分を納得させる。

 

「……チヒロのああいう所はクロに似てしまったのかしらね」

 

 きっとヘスティアはこの『内金』の事を知らない。それはチヒロの性格からして予想が出来る。彼は絶対に言ってないと。

 裏でコソコソと動き回るのはクロノスの専売特許だとヘファイストスは思っている。まるでそんなクロノスの性格を受け継いでしまったかのようなチヒロのやり口に、溜息しか出てこない。

 そしてチヒロがこうなった原因であるクロノスは、現在も裏で何かやっている。

 クロノスが消失した後に、ヘスティアがチヒロを眷属にしようと、チヒロの背中を見れば、クロノスが刻んだステイタスがまだ生きていた。

 普通なら、主神が天界へ送還されれば、眷属はその恩恵を失う。だが、チヒロはそれを失ってはいなかった。それは即ち、クロノスがまだ下界にいるという事。

 なのに、彼はチヒロの傍にいない。何をしているのかと頭が痛くなる。

 思い出すのは、自分のプライドを捨ててまで頭を下げてチヒロの事を自分達にお願いしてきたクロノス。

 

「……ホント、どこにいるのよ」

 

 ニッと口角を上げて得意気に笑う彼を思い出して目を伏せる。

 只々、早く帰って来て欲しいという思いだけが、自分の中で積み上がっていくのを感じていた。

 

 

 




ヴェルフすまん!

ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話

 

 

 

「「!」」

 

 裏路地でばったり出会った二人は、微かに目を見開いて驚く。

 だが、相手がお互いに知り合いだと認知して、小さく安堵の息を吐いた。

 

「……女性が一人でこんな裏路地を通るなんて何かあったらどうするんだ、リュー」

「返り討ちにするので問題はないかと。何より、こちらの方が帰るのに時間の短縮になります」

「いや、そういう問題じゃないだろ」

 

 目の前に立つエルフの女性の言葉に、チヒロは白髪を右手でガシガシと掻いて、小さな溜息をつく。

 薄緑色の髪と空色の瞳を持つ、シルと同じ『豊饒の女主人』の制服を着ているエルフの女性の名は、リュー・リオン。

 豊饒の女主人で住み込みで働いている彼女とは、クロノス・ファミリアにいた頃からの知り合いである。

 彼女の腕の中にある紙袋。その中には林檎を初めとした果物や野菜がこぼれ落ちんとばかりに袋の口から覗いていた。

 それを見ただけで、彼女が何故こんな所に居るのかが分かる。

 チヒロは、ひょいっとそれを奪って歩き出す。

 

「ちょっ、チヒロ!?」

「ほら、行くぞ」

 

 チヒロの後をリューは慌てて追いかけて、買い出しの紙袋を取り返そうと手を伸ばす。だが、チヒロはそれを難なく避ける。

 

「持ってもらわなくて結構です」

「どうせ通る道は同じだろ。なら、持つ」

「『なら』の意味が分かりません」

「そのままの意味だ」

 

 そんな会話を繰り広げながら行われているのは、常人の目には何をしているか分からないような高速での紙袋争奪戦。

 伸ばされた手を軽く後ろに後退する形で避ければ、更に追ってくる手に屈んで避ける。そうすれば相手は屈んで一回転し足払いをかけてくる。それを飛んで避けて、相手よりも前に着地する。

 

「くっ……!」

 

 再び歩き出した背中に、リューは手を伸ばす。

 すると、パシッとその手を掴まれた。

 

「いい加減にしろ」

「!」

 

 掴まれた手に、こちらを呆れたような顔で見ている自分と同じ空色の瞳。それに既視感を覚える。

 徐々にリューの顔が赤くなっていく。

 

「女の荷物は男が持つ。それが男として当たり前だ」

「わ、分かりましたから、その……手を……」

 

 空色の瞳から顔を逸らして、リューは小さな声でそう返す。その白い肌はいつの間にか赤一色となっている。

 チヒロはそれに気づいて、慌てて手を放す。

 

「ご、ごめん!」

「ぁ……」

 

 自分で言っておきながら離れた手に、寂しさを感じる。少しだけ握られた手を見て下ろした。

 目の前に立つ彼を見れば、微かに眉を下げている。

 エルフは『認めた相手でなければ肌の接触を許さない』という特質を持っている。それを彼も知っているからこそ、今そんな顔をしているのだ。

 自分の気持ちを口に出してしまえば楽なのにという考えを、リューは友人であり、同僚である彼女の顔を思い浮かべてすぐに頭の片隅へと追いやった。そして、彼の横を通り過ぎてそのまま歩いて行く。

 

「そういう事はシルにやってください。あなたなら大歓迎されるでしょう」

「それとこれとは意味が違う」

 

 何を想像したのか、空色の瞳をげんなりさせたチヒロが、リューの隣を歩く。

 彼に手を握られて、顔を真っ赤にする同僚を想像して、リューは微かに笑みを浮かべる。

 

「私の恩人(・・)である二人が結ばれる事が私の願いです」

「……勘弁してくれ」

 

 小さく溜息をついたチヒロは、ふと表情を暗くさせる。

 それにリューは微かに首を傾げて彼を見る。すると、彼がその口が開いた。

 

「昨夜はすまなかったな」

 

 紡がれたのは謝罪の言葉。リューが思い出すのは、昨夜の事件。

 『ベル・クラネル』の逃走。他派閥との乱闘。その事を彼が謝っているのだと察する。

 狼人の話は給仕をしていたリューの耳にも届いていたし、チヒロとシルの反応からその話の中心人物が逃走した彼だという事も気付いている。そして、同じファミリアの者を馬鹿にされた事にチヒロが激怒した事も。

 

「あなたが謝る必要はないと思います」

「いや、でも……」

 

 ベルの事があったとはいえ、乱闘騒ぎを起こしてリュー達に迷惑をかけたのは自分の為、チヒロはそれに歯切れ悪くする。

 リューは、そんな彼に優しい笑みを向ける。

 

「チヒロ、あなたはあなたがやりたいようにやればいい。もし、あなたが道を間違えるような事があれば、あの時のあなたのように今度は私があなたを止めます」

「……」

 

 真っ直ぐなまでに自分を想った優しい言葉。それを受けてチヒロは石畳へと視線を落とす。

 思い出すのは、強くなりたいと言ったベル。そして幼き頃の自分。

 

「……今、俺は何がしたいんだろうな」

「チヒロ……?」

 

 突然立ち止まった彼に、リューは遅れて足を止める。

 振り返れば、顔を俯かせている彼。

 

「俺は強くなりたかった。守る為に、救う為に……でも、結局何も守れなかった。救えなかった」

 

 思い出すのは、ニッと口角を上げて得意気に笑う(クロノス)

 そして、横たわる彼の前で泣き叫ぶ自分。

 

「!」

 

 頬に伸ばされた白い手にハッとする。

 少しひんやりとしたその手を辿って顔を上げれば、どこか寂しげに微笑んでいるリューと目が合った。

 

「何もなんて言わないでください。あなたに守られ、救われた人がココ(・・)にちゃんといる」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 【アストレア・ファミリア】。

 そこは正義と秩序を司る女神が主神のファミリア。

 アストレア・ファミリアは、迷宮探索以外にも、都市の平和を乱す者を取り締まるような事もやっていた為、対立する者も多くいた。

 そして事件は起きた。

 敵対していたファミリアにダンジョンで罠に嵌められ、ある一人の団員を除いて全滅。生き残った団員は、自らの主神を都市の外へと逃がし、そして復讐へと身を投じた。

 その団員が当時Lv.4であったリュー・リオン。

 彼女は、仲間を失った私怨から仇であるファミリアを一人で仇討ちした。

 闇討ち、奇襲、罠、手段を厭わない襲撃に晒され――敵方のファミリアは壊滅。

 だが、彼女はそこだけには留まらなかった。

 彼の組織に与する者、関係を持った者――疑わしき者全てに襲撃しようとしたのだ。それは行き過ぎた報復行為。

 それをしてしまえば、冒険者の地位も剥奪されてしまうと分かっていても、復讐者になり果てた彼女は自身を止める術を持ってはいなかった。

 そんな時だ。彼が彼女の前に現れたのは。

 

「これ以上はダメだ、リュー」

「……! チヒロ」

 

 深い路地裏を辿り、次の標的へと向かっていたリューは、突然目の前に現れた黒髪に空色の瞳の男――チヒロを見て、足を止める。

 彼と出会ったのは、彼の主神に紹介されたのが切欠だ。偶にダンジョンに一緒に潜ったりするなど、気を許している知人ではある。

 だが、今はそんな彼に構っている暇はない。

 

「退いてください」

「退かない」

 

 間髪を容れずに返ってきた反対の返事。

 真っ直ぐ見つめてくる自分と同じ空色の瞳を、キッと睨みつける。

 

「私にはやらねばならない事があるのです」

「復讐か?」

「……ええ」

「冒険者じゃいられなくなるぞ。下手したらギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)に載る可能性だってある」

「それも覚悟の上です」

 

 チヒロの顔が歪んだ。

 怒りと悲しみを含んだその表情に、リューは微かに動揺する。だが、すぐにその感情を掻き消す。彼に構っている時間はないのだと。

 一度目を閉じたチヒロ。次に目を開いた時には、既に最初の彼に戻っていて。

 

「お前が止まる気がないのと同じで、俺も退く気はない」

「っ!」

 

 変わらない立ち位置。

 もういいと言わんばかりに、リューは腰に差してあった長い木刀を手に取る。

 

「なら、力尽くで行かせてもらいます」

 

 チヒロが何かを言う前に、リューは肉薄する。

 横に振りかぶられた木刀を、チヒロは飛んで避ける。逃がさんと言わんばかりに、リューは更に肉薄、木刀を彼に向かって突く。

 二人の間にギシッと軋む音が響いた。リューはそれにハッとする。

 木刀の切先が彼が腰に差していた愛刀――『阿修羅』の鞘に受け止められていた。

 チヒロは、リューを押し返し、その反動で距離を取る。それに一瞬バランスを崩したリューだが、すぐさま彼へと駆け出す。

 

「(こんな所で止まっている暇など……!!)」

 

 何度も何度もチヒロへと襲いかかるが、チヒロはそれをいとも容易く鞘で受け流す。

 受け流し、受け止め、弾き返す。その繰り返しで、一度も彼はその愛刀を抜かない。

 それにリューはギリッと奥歯を噛み締める。

 

「何故……何故抜かないのですか!?」

 

 肩で息をしながら、らしくもなく声を荒げる。そんな彼女をチヒロは変わらない瞳で見つめる。

 

「俺はお前を止める為にココにいるんだ。阿修羅を抜く理由はない」

「私はそんなこと頼んでなど……!!」

「俺が嫌だから止める。ただそれだけだ」

 

 あまりにも身勝手な理由。それにリューはカッと頭に血が上って、再び彼へと肉薄する。

 疾風の如く彼の懐に潜り込んだ彼女は、無防備な彼に今度こそもらったと木刀を突く。

 だが、次の彼の行動にリューの思考が一瞬停止する。

 

「いい加減にしろ」

 

 木刀を突き出した手は彼の手に掴まれていて、グイっと引き寄せられた事で、目の前にある彼の顔。

 空色の瞳と空色の瞳が一瞬交差する。だが、突撃の勢いと引き寄せられた事により、そのままポスッと彼の胸に埋まった。

 

「――っ!!」

 

 思考が再起動したリューは、慌ててチヒロから離れようとする。だが、それをチヒロはさせてくれなかった。

 全身で感じる彼の温もり。ギュッと強く抱きしめられたリューは、身動き一つ取れない。

 

「な、なな、何を……!!」

「ちゃんと俺の話を聞いてくれ」

「!」

 

 耳元から聞こえた懇願するような彼の声。今の状況に慌てていたリューは、その声により動きを止める。

 

「復讐に身を投じた所で、何も変わらない、何も生まれない。ただ、後々自分が後悔するだけだ」

「それでも私は――」

「俺が嫌なんだ!!」

 

 チヒロはリューの肩から顔を離し、彼女を見下ろす。チヒロの空色の瞳は悲しみに染まっていた。

 それにリューは締め付けられるような痛みを胸に感じる。

 

「リューが復讐者になるのも、リューが周りから恨みを買うのも、リューが傷つくのも……リューが悲しい思いをするのも、全部俺が嫌なんだ」

「では、私にどうしろと……」

 

 心の中にある真っ黒な増悪の塊。復讐という行動以外にこれを治める方法をリューは知らない。

 復讐という以外に仲間の仇を取る方法をリューは知らない。

 逡巡する彼女に、チヒロは目を閉じるが、何かを決意したようにすぐに開いて彼女を真っ直ぐな瞳で見つめる。

 

「俺に任せて欲しい」

「え……?」

「俺が全部終わらせる」

 

 

 




次回もリューさんとの過去編です。
ご意見、ご感想お待ちしています!

最後に一言!
リューさんにだけ、大胆過ぎないかチヒロ君!?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話

 

 

 

「……ん……」

 

 ゆっくりと浮上してきた意識に、そっと空色の瞳を開けば、そこには見慣れない天井が広がっていた。

 覚醒しきれない頭でココはと考える。だが、浮かび上がってきたのは今現在自分がいる場所の事ではなく、抱きしめられながら彼に説き伏せられた時の事。

 

「!」

 

 思い出したリューは、勢い良く起き上がった。

 だが、同時に全身に激痛が走る。

 突然の事に油断していたリューは、その細い体を丸めて身悶える。

 そこで気付いた。ベッドに寝かされていた事と、服を脱がされ全身に包帯が巻かれている事に。

 すると、ちょうどタイミング良くこの部屋に一つだけある扉がノックされて開いた。

 無意識に体が強張り警戒する。

 だが、その警戒心はすぐに薄れた。

 

「あ! 目を覚ましたんですね、よかった」

「え……あ、はい……」

 

 入ってきたのは、光沢に乏しい薄鈍色の髪は後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾が垂れていて、髪と同色の瞳は純真そうで可愛らしい女性のヒューマン。

 白いブラウスと膝下まで丈のある若草色のジャンパースカートに、その上から長目のサロンエプロンという格好は、どこかのお店の制服だろうかと思わせる。

 彼女が手に持っているトレイの上には、小さな桶とタオル、そして包帯が置かれている。

 それをリューのベッドの傍らにある小さな台へと置く。そして、リューへとニコッと微笑んだ。

 

「私はシル・フローヴァです。気を失っていたあなたを連れているチヒロさんに偶々出会って、勝手ながらあなたの傷の手当てをさせてもらいました。三日間も眠っていましたが体調はどうですか?」

「みっ……」

 

 目の前の女性――シルの説明を受けて、リューは微かに目を見開いて驚く。あれから三日も経っているのかと。そして、彼女に三日もお世話になったのかと。

 

「……ご迷惑をかけてしまって申し訳ありません」

 

 リューが軽く頭を下げれば、シルはキョトンと首を傾げた。

 それにリューも微かに首を傾げる。

 

「ご迷惑も何も、私がやりたくてやった事だから、謝る必要はありませんよ」

「ですが……」

 

 まだ食い下がるリューに、シルは少しだけ上を見つめながらうーんと考える。そして、何かを思いついたようにうんと頷いてリューに可愛らしい笑みを向ける。

 

「では、謝罪の言葉ではなくお礼の言葉の方が嬉しいです。あと、お名前を教えて貰えたらもっと嬉しいです」

 

 リューは少しだけ戸惑う表情を見せる。

 お礼の言葉を言うのは人として当たり前なので、そこはいいとして。名前を言ってもいいのだろうかと。

 敵対ファミリアを一人で壊滅させた自分の名を、少なからず彼女が耳にしている可能性はある。

 だが、ふと思い出したのはチヒロ。

 

 ――俺が全部終わらせる。

 

 最後に聞いた彼の言葉が頭を過ぎる。

 今ココに居ない彼がどこで何をやっているのかは分からないが、あの彼が自分を任せた人物だ。下手に警戒する必要はないだろうと。

 何よりも目の前で微笑んでいる彼女がそう思わせた。

 

「……失礼しました。私の名はリュー・リオン。治療して頂きありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 ニコッと微笑んだ彼女だが、「あ、でも……」と言葉を続けて持ってきた包帯を手に取る。

 

「まだ完治はしてないから、完治するまでお世話させてもらうね」

「い、いえ、もう十分……!!」

「ほらほら、怪我人なんだから大人しくする!」

 

 いつの間にか口調が変わったシルの手が、リューの体に巻かれている包帯へと伸びる。

 抵抗するが体が痛んで、上手くいかない。そして、抵抗も虚しく包帯を解かれた。

 包帯を解かれた事で露わになったリューの真っ白な裸体。リューは慌てて胸をその腕で隠す。

 そんなリューを気にする事なく、シルは持ってきた桶に入った水に、同じく持ってきたタオルを浸して絞る。

 そして笑顔で言い切った。

 

「体拭くからその手退けてもらっていいかな?」

 

 『認めた相手でなければ肌の接触を許さない』という特質を持っているからか、エルフは極力肌を人目に晒さないようにしている。

 だからという訳ではないが、同性だとしても羞恥心はある。

 

「そ、それぐらいなら自分で……」

「大人しくする!」

「ちょっ、待っ……!!」

 

 胸を隠している手を無理矢理解こうとするシルに、リューは必死に抵抗する。

 包帯を解かれる時よりも必死だ。

 そんな時、部屋の扉が開いた。

 

「シル、リューの様子はどう……」

「「……」」

 

 真っ黒なローブに身を包んだ黒髪に空色の瞳を持った男――チヒロは、目の前の光景に固まった。

 ベッドの上にほぼ裸の状態で横になっているエルフとそのエルフの上に跨っているヒューマン。

 色々と突っ込みどころ満載だが、何よりも目に飛び込んできたのはエルフの雪のような真っ白な肌。

 チヒロの顔が徐々に赤くなっていく。すると、そんな彼の後ろから呆れたような声が聞こえてくる。

 

「おい、チヒロ。いつまで扉の前に立ってるつもりだ。俺様の邪魔だぞ」

「!」

 

 後ろから掛けられた声によって、ハッと我に返ったのか、勢い良く扉を閉めた。

 

「あ? 何閉めてんだよ」

「い、いや、あの……と、とにかく今はダメだ!!」

「……何顔赤くしてんだよ?」

「な、ななな、べ、べべ別に……!!」

 

 何やら扉越しに聞こえてくるが、シルはそれを無視して顔を真っ赤にして固まっているリューに告げる。

 

「ささっと終わらせちゃおっか」

 

 

 ◆◆◆

 

 

「本っっっっ当にすみませんでした!!」

 

 謝罪の言葉と同時に、ゴンという鈍い音が部屋に響く。

 ベッドに腰掛ける形で座っているリューは、目の前で床に頭を打ってまで謝罪するチヒロに、少しだけ困ったように眉を下げる。

 今は、包帯も替え終えて、シルから渡された服を身につけている為、問題はない。ちなみにシルは水や替えた包帯を片付ける為に部屋から出て行った為、この部屋に居るのはリューとチヒロ、そして小さな男の子の三人だ。

 腰まである長い黒髪をポニーテールにしている小さな男の子は、普段なら威圧感を感じる黒のツリ目を半月にしてニヤニヤと端正な顔を破顔させている。

 

「いやー、エルフの裸を見られるなんてなー、ホント羨ましいぜ、ラッキースケベ君」

「ク、クロは黙ってろ!!」

 

 クロと呼ばれた男の子は、「はいはい」と言いつつその顔は止めない。

 そんな彼をギロッと睨むが効果が無い事は分かっている為、チヒロは再びリューへと向き直る。

 

「……本当にすまなかった」

「あ、いえ、あなたになら――って、そうではなく!!」

 

 自分が無意識に口にしていた言葉に、リューは慌てて両手を真っ赤な顔の前に持ってきて、首を横に振る。

 それにクロが尚更ニヤニヤ顔を深めたが、それに構っている暇はない。

 

「先程のは不可抗力ですので、そこまでお気になさらず……」

「いや、ノックをしなかった俺が悪かったというか……」

 

 お互いにお互いを庇いあって、あちらこちらと泳いでいた目が合うと顔を真っ赤にして俯く。全く話が進まない。

 さすがに見飽きたというように、そんな二人にクロが声をかける。

 

「それで? リオンちゃん、体の調子はどうよ?」

「もう大丈夫です」

「はい、嘘!」

「……まだ少しだけ痛みます」

 

 嘘をいとも簡単に見抜かれて、リューは渋々答える。現に今も体は痛いし、そのせいでシルにも抵抗出来なかったのだから。

 

「結構無茶したらしいじゃねぇか。まぁ、俺様の眷属をあんま心配させないでくれよ?」

 

 そう言って未だに床に跪いているチヒロの黒髪を、クロはガシガシとグチャグチャにする。

 そうすれば、チヒロが止めろとその手を叩いてくる。

 チヒロを眷属と言ったように彼はチヒロのファミリア――クロノス・ファミリアの主神クロノス。

 クロノスは、どさっとベッドの横にあった椅子に腰掛ける。

 

「んじゃ、そろそろ本題に入ろうぜ、チヒロ」

 

 その言葉にチヒロの表情が変わった。

 真剣な表情の彼にリューが思い出すのは、三日前の事。

 

「……これ」

「……!」

 

 チヒロが差し出してきた紙の束を、リューは受け取って目を通す。

 そこに書かれていた内容に、微かにその空色の瞳を見開く。

 

「あのファミリアに関係する人物達の一覧とその処罰に関して。処罰内容はギルドが決めた事だけど……」

「ギルド職員まで……」

 

 その中には、ギルドにとっては身内である職員まで入っていた。

 まさか、ギルドがそれを認めるとは思っていなかった為、こうして身内にまで処罰を与えている事に驚きを隠せない。

 すると、チヒロが歯切れ悪くする。

 

「まぁ、その、何だ……あんな事言ったけど、その……」

「?」

 

 リューから顔を逸らして頬を掻く彼は、どこか不満そうな表情をしている。

 すると、静観していたクロノスがどこか楽しそうに口を開く。

 

「リオンちゃんに『俺に任せろ』って言ったのに、俺様が殆どやった後だったから拗ねてんだよ、そいつ」

「え?」

「ク、クロ!!」

 

 再びニヤニヤと笑っているクロノスに、チヒロが顔を真っ赤にして慌てる。

 そんなチヒロを横目で見ながら、クロノスは更に言葉を続ける。

 

「緊急神会(デナトゥス)開いて神共を脅――神共から情報収集して、ギルドを脅――ギルドと話し合って基本俺様が手を回したからな」

「いや、もう脅迫って言えよ」

「まぁ、こいつがやったのはせいぜい逃げ出した奴らを捕まえたくらいだ。『俺が全部終わらせる』なんてカッコつけたくせに、恥ずかしい奴、ぷぷっ」

「……阿修羅の錆にしてやろうか」

 

 右手で口元を押さえながら、頬を膨らませて吹き出したクロノスに、チヒロは腰に差していた阿修羅を抜刀する。

 クロノスは横から襲いかかてくる刀身を、パッと軽い身のこなしで飛んで避ける。そして、そのまま扉の前に着地する。

 

「でもまぁ、俺様達が出来るのはここまでだ。今後どうするかはリオンちゃんが自分で決めるんだな」

 

 そう言ってクロノスは扉へと手をかける。そんな彼をリューが呼び止める。

 

「クロノス様、どうしてそこまで私にしてくれるのですか? 少なくとも私の知っているあなたは赤の他人にここまでするような方では……」

未来への投資(・・・・・・)さ」

「……?」

「ま、後は若いお二人で話すんだな」

 

 意味深な言葉を残しつつ、ニッと口角を上げて得意気に笑ったクロノスは部屋を出て行った。

 残されたのはチヒロとリューの二人。

 

「……」

「……」

 

 静寂に包まれた空間に、二人はどこか居心地悪そうに目を泳がせる。

 だが、いつまでも黙っている訳にはいかないと、チヒロは歯切れ悪くではあるが口を開く。

 

「その……クロが言ったのは本当の事だ。あんな事言っておきながら、殆ど俺は何もしてない……悪いな」

「……謝るのは私の方です」

「え?」

 

 微かに驚いたように目を見開いたチヒロは、リューへと顔を向ける。

 申し訳なさそうな空色の瞳と目が合った。だが、すぐにそれは逸らされて彼女は目を伏せる。

 

「冷静さに欠けていたとはいえ、あなたに牙を向けました……」

「自分の邪魔をするのがいたらそうなるのも仕方ない事だ。俺は気にしていない」

「それでも……」

 

 尚も食い下がるリューは、ギュッと膝の上で両手を握り締める。

 目の前に立ち塞がる彼があの時は邪魔で邪魔で仕方が無かった。

 でも、冷静になった今なら考えられる。彼とはLv.の差があるとは言え、下手をしたら彼を殺していたかもしれないと。

 そう考えただけでゾッとする。もしかしたら、この手は仇だけではなく、彼の血にも塗れたかもしれないと。

 すると、微かに震えていた手が優しく包まれた。

 驚いて顔を上げる。そこには優しく微笑んでいる彼がいて、自分の手を優しく両手で包んでいた。

 

「俺は大丈夫だ」

「チヒロ……」

「それに俺に止められた事をもし後悔してないんだったら、俺は謝られるより、お礼を言われた方が嬉しいな」

「!」

 

 ――謝罪の言葉ではなくお礼の言葉の方が嬉しいです。

 

 目の前の彼が、先程まで自分を治療してくれていたシルと重なる。

 短時間で同じことを言われた事に、少しおかしく思いながらも、リューは微笑む。

 

「……止めてくれてありがとうございます、チヒロ」

 

 

 ◆◆◆

 

 

「くすっ……」

 

 買い出しから戻ってきて、開店準備をしているリューは、あの時のチヒロの珍しく年相応の嬉しそうな顔を思い出して、小さな笑みを浮かべる。

 

「……? どうしたの? リュー。何だか嬉しそうだね?」

「シル……少し昔を思い出してました」

 

 同じように開店準備をしていたシルに声をかけられて、リューは彼女へと顔を向ける。

 冒険者の地位はチヒロとクロノスのおかげで剥奪される事は無かったが、敵対ファミリアを一人で壊滅させた事と、あのクロノス・ファミリアが庇った冒険者として、リューの二つ名である『疾風』の名は、悪名とまでは言わないが、あまりいい意味ではなくオラリオ中に広まっていた。

 唯一の救いだったのは、チヒロ以外の者からは『リオン』と呼ばれていた――チヒロも他の者がいる時はなるべく『リオン』と呼んでいた――ので、本名は知られておらず、普段から覆面を被っていた彼女の素性を知る者がいなかった事だ。

 そして、チヒロやシル達と話し合って、リューは『豊饒の女主人』で住み込みで働く事になった。

 その際に、女将のミアに誰よりも彼女の事を頼み込んだのは、今目の前にいるシルだ。

 今こうして自分が居るのは、復讐者になり果てた自分を止めてくれた彼のおかげであり、色々と裏で手を回してくれた神様のおかげであり、こうして自分に居場所をくれた彼女のおかげだ。

 

「……ありがとうございます、シル」

「と、突然どうしたのリュー? 私お礼言われるような事したっけ?」

「何となく言いたくなっただけです」

 

 困ったように首を傾げる彼女に笑みを返す。

 そうすれば、手が止まっている二人にミアの怒声が飛んでくる。

 同時に肩を揺らした二人は、ササッと素早くそれぞれの仕事に戻る。

 

「(……彼ならどんな反応をするだろうか)」

 

 突然自分にお礼を言われて眉を顰めるチヒロを想像して、リューは誰にも見つからないようにもう一度くすっと笑みを浮かべた。

 

 

 




今回でリューさん過去編終了です。
原作と違ってリューさんは冒険者の地位も剥奪されていなく、ギルドのブラックリストにも載っていないという設定になります。
そして何気にクロノス初登場です!

ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話

※注意※
今回、後書きにて『閲覧用垢』様より頂いた挿絵を導入しています。


 

 

 

 真っ赤な炎の海の中、二つの影が揺れ動く。

 一つは小さな体を宙に浮かせ、もう一つはその小さな首を黒い手で掴んで締めていた。

 小さな影が苦しそうに踠くが、その黒い手を振り解くことは出来ない。

 そこにもう一つの黒い影が現れる。

 銀が煌き、一瞬で二つの影の間を斬り裂いた。

 黒い手の影は斬られた片腕を押さえながらその場から離れる。

 残されたのは、解放された小さな影と後から現れた黒い影。

 黒い影の手から銀が落ちる。

 横たわる小さな影に慌てて駆け寄り、抱き上げた。

 必死に声を掛けるが小さな影が首を横に振った。

 

 ――俺様を殺せ、チヒロ。

 

 黒い影から幾つもの雫が零れ落ちる。首を横に振れば、その雫が不規則に散らばる。

 だが、小さな影はその反論を許さない。

 暫くして、黒い影は小さな影をそっとその場に寝かせて、先程落とした銀を拾う。

 そして、幾つもの大粒の雫を地に落としながら、小さな影へと銀を振り下ろした。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「――ッ!!」

 

 ガバッと勢い良く起き上がったチヒロは、肩を上下に動かしながら荒い息を繰り返す。

 嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、見開いた空色の瞳が右往左往する。

 そこがいつもの隠し部屋だと分かり、徐々に落ち着いてきた呼吸に、強ばっていた肩から力が抜けていく。

 

「……また、あの記憶()か」

 

 先日の憧憬(父親)記憶()とは違って、あれは悪夢のような記憶()

 自分の罪を忘れるなと、何度もあの悪夢がチヒロに囁いてくるようで。

 嘆息して、壁に備え付けてある時計を確認する。現在の時刻、深夜の三時。

 眠っていたソファーから体を起こせば、ドサッと何かが床に落ちた。

 それはチヒロが眠る前に呼んでいた本。それを拾い上げて、本棚へと戻す。

 昨日、買い出し帰りのリューを豊饒の女主人に送り届けたチヒロは、その後隠れ部屋へと帰り、ヘスティアとベルが眠っている事を確認して、ヘスティアのバイト先へと出向いた。

 あの駄神と呼ばれたヘスティアがあんなに頑張っているのに、一日無断欠勤してクビにさせられましたなんてなれば、ヘスティアが落ち込むのも目に見えている。バイトを探してくれたヘファイストスにも失礼である。何よりもヘスティアがジャガ丸くんを持って帰って来なくなる事がチヒロにとっては一番あってはならない事だ。

 だから、ヘスティアの代わりにチヒロがバイトに出て、何とか主神の名誉とジャガ丸くんを守り抜いた。

 その後はチヒロのおかげで売上がいつもの三倍――主に女性客が殺到したせい――という事で、バイト先のおばさんにご飯をご馳走してもらい――お土産にお目当てのジャガ丸くん小豆クリーム味も沢山もらった――帰ってきたのは夜の十一時になっていた。

 それからシャワーを浴びて、ゆっくりソファーで本を読んでいたらいつの間にか眠りに落ちていたようで、現在に至る。

 

「……よく寝るな」

 

 一つのベッドで仲良く眠っているヘスティアとベルを見て、チヒロは小さな笑みを浮かべる。

 少しだけズレている毛布を二人にかけ直して、黒いローブを纏い壁に立てかけていた阿修羅を手に外へと出て行く。

 外へと出れば、辺りは真っ暗で、空には神々しい光を放つ月と幾千もの星が煌めいていた。

 暗い道を躊躇する事なく、チヒロは歩いて行く。時間が時間だけに誰とも擦れ違う事なく、目的の市壁――迷宮都市を囲う巨大壁の上に辿り着いた。

 巨大市壁から広大なオラリオの街並みを見下ろす。もう少し早く来ていれば地上にも沢山の星が煌めいていただろうなと思いながら。

 この時間でも明かりが絶えないのは南のメインストリート――大劇場(シアター)賭博場(カジノ)が存在する賑やかな繁華街に、東側に隣接する『夜の街』歓楽街、そして昼夜問わず魔石製品を生産するため稼働し続けている北東区画の工業区くらいだ。

 歓楽街に関しては、人に言えないような思い出がある為、そこが目に入った瞬間頬を微かに赤くしながらサッと逸らした。ニヤニヤしたクロノスの顔が浮かんだが、それも振り払う。

 本来市壁内部は封鎖されているはずだったのだが、チヒロは出入り口がある事を冒険者であった父親から昔聞いていた。

 初めてオラリオに訪れた際に、試しに探してみれば本当にあった。

 市壁内部には何者かが住んでいた形跡があり、驚くことにシャワー等の生活空間、石部屋まで存在していたのだ。作ったのは全てチヒロの父親らしいのだが。

 何故そんな事をしたのか聞けばいい笑顔で返事は返ってきた。

 

 ――『秘密基地』は男のロマンだろ。

 

 クロノスの「女がどう」とか「ハーレムは~」というのはあまり理解出来ないチヒロだが、これに関しては共感を持てた。

 現に、見つけた当初は空色の瞳をキラキラさせながら中を見て回ったし、誰にもバレないように隠れながら何度も訪れた。隠れながらという事に尚更秘密基地感があって、ワクワクしたのを覚えている。

 但し、秘密基地と言ってもチヒロだけの秘密基地ではない。

 アイズがロキ・ファミリアに入団したての頃、幼かったアイズが主にリヴェリアとの一方的な喧嘩でホームを飛び出してくる事が何度かあった。

 その度にアイズが訪れたのが、チヒロのいるクロノス・ファミリアのホーム。

 仕方なくアイズを保護したチヒロだったが、その事をクロノスに話せば、何故か「お前も家出してこい」とアイズ共々ホームから追い出された。

 何でそうなると反論したが、一向に中に入れてくれないクロノスに諦めて、アイズをこの市壁の『秘密基地』へと連れて行った。

 目をキラキラさせていたアイズに、チヒロが『二人だけの秘密』と言えば、笑顔で頷いてくれたのを覚えている。

 それからココは『二人の秘密基地』となっている。

 そんな事もあったなと思い出しながら、先日の豊饒の女主人での事を思い出す。

 自分の我儘でアイズを振り払い、傷つけた事を。

 

「……あれはやっぱり大人気なかったよな」

 

 昔から一緒に居ることが多い分、他の女性を相手にする時とは違って、ついアイズにはカッとなって怒ってしまったり、思ってもいない事を言ってしまったり、泣かせてしまったりする事があった。あのアイズに泣かれた時は本気で焦ったが。

 それは一年ぶりに再会した今でも変わっていない。全く成長していない自分に、溜息が出る。

 

「……今度会ったら謝ろう」

 

 アイズに謝る事を決意したチヒロは、羽織っていたローブを脱ぎ市壁の石畳に置き、阿修羅は胸壁へと立てかける。

 

「昨日一昨日と出来なかったからな……」

 

 腕を十文字に組んだりと体を軽く解してチヒロは動き出した。

 軽く市壁を一周してから体を温め、腹筋千回、背筋千回、腕立て伏せ千回、指立て伏せ千回を行う。

 指立て伏せに関しては、逆立ちしながら五本指で千回、次に四本の指で千回、三本の指で千回と指の本数を減らしていき、最後に人差し指のみで千回行う。

 ポタポタッとチヒロの顎から幾つもの汗が流れ落ちる。

 

「九九九ッ……千ッ!」

 

 最後の一回を終えると同時に、人差し指で強く体を持ち上げ、そのままシュタッと立ち上がる。一度深呼吸して顔から流れ落ちる汗を袖で拭う。

 休む事なく、チヒロは次に阿修羅を手に取り素振りを始める。

 これはチヒロが一三年前から行っている鍛錬。

 今日のように悪夢を見てどうせ寝れないのならと始めたのが切欠だ。

 始めたばかりの頃は、今よりもう少しメニューが軽く、回数も今より少なかったが、それでも一日中やらなければノルマをクリアする事は出来なかった。

 ただ、遠征帰りや昨日のような何かしら理由が無い限りは鍛錬を怠ることはなかった。いや、怠ることが出来なかった。

 憧憬(父親)のようになりたいと。

 憧憬(父親)に追いつきたいと。

 憧憬(父親)が立つその場所に辿り着きたいと。

 憧憬(父親)のように大切なものを守れる騎士になりたいと。

 そして、その歩みを止めてしまった今でも、チヒロは鍛錬を怠ることが出来なかった。

 きっとまだどこかで思っているのだ。

 

 ――僕は強くなりたいんです!!

 

 (ベル)と同じ想いを心の奥底に抱いているのだ。

 

「……俺にそんな資格ないだろ」

 

 素振りを終えたチヒロは、ベルの言葉を思い出して顔を俯かせる。

 守る事の出来なかった大切な場所(ホーム)

 守る事の出来なかった大切な(神様)

 そして、それを奪っていった黒い人物。

 

「……っ」

 

 その人物を思い出して、阿修羅を持つ手に力が入る。

 真っ黒なローブを纏い、真っ黒なフードを顔を覆うほど深く被り、真っ黒な服装に腰に差していた黒と白の二本の刀。そして、一瞬だけ見えた目元を覆う真っ黒な仮面。

 空色の瞳が憎しみに染まる。だが、それは一瞬だけで、すぐに自嘲の色へと変わった。

 

「……リューに合わせる顔がなくなる、な」

 

 自分の我儘で彼女の復讐を阻止した時の事を思い出す。一瞬だけとはいえ、復讐心に染まった心に、今の自分はあの時の彼女と何ら変わらないと。

 気持ちを切り替えるように、魔法で等間隔に五体の木人を作る。

 そして、悪夢も復讐心も――全てを振り払うように阿修羅を構え直して駆け出した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……まだ寝てるのか」

 

 鍛錬を切り上げて隠れ部屋に戻ってきたチヒロは、未だに二人仲良くベッドで眠っているヘスティアとベルを見て、若干呆れる。一三年前から悪夢ばかりに魘されて、碌に眠る事が出来なくなった者としては、少しだけ羨ましくも感じる。

 ヘスティアがベルの名前を呼びながらベルに擦り寄っていて、それにベルが苦しそうな顔をしているが、それでも起きる気配はない。

 どうしたものかと悩むが、起こす気は無いようだ。

 

「確か『神の宴』は今日だったよな……」

 

 前に招待状が届いた時、ヘスティアは行く気はないとチヒロに言っていた。

 だが、今の彼女ならきっと行くはずだ。

 眷属想いの主神なら眷属が強くなりたいと言えば、それに協力を惜しまないはずだ。

 そして、そんな主神に協力するのも眷属の役目。

 

「ヘファイストスには手を打っといた。後は……『あれ』を取りに行くか」

 

 少しだけ考えたチヒロは、準備を始める。

 まずは鍛錬での汗を流す為、一度シャワーを浴びる。

 その後は、丸一日何も食べていない――丸一日眠っているのだから当たり前ではあるが――二人が起きた時に腹を空かせているであろうと思い、昨日もらったジャガ丸くんを机の上に置いておく。それに書置きをした紙も乗せる。

 そして、もう一度二人の寝顔を眺めてから、再び外へと出て行った。

 

 

 




『閲覧用垢』様よりチヒロ君を頂きました!

【挿絵表示】

本当にありがとうございます!

次回はやっとアイズ回です。
ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話

 

 

 

 ギルド関係者が住まう高級住宅街も近隣に位置する北のメインストリートは、商店街として活気づいている。

 そんな中でも服飾関係がこの辺りは有名で、チヒロはその中のとあるお店に訪れていた。

 お店の中には、女性用の煌びやかなドレスからシンプルなドレスまで、色んなドレスが揃っている。

 チヒロは、遠征前に注文しておいた物を確認して受け取る。

 

「羨ましいねぇ、あんたみたいないい男にそんな物を贈ってもらえる娘がいるなんてね」

「いや、そういうわけじゃ……」

 

 お店の店長を務めているヒューマンのおばさんは、チヒロを見て微かに頬を赤くしている。

 チヒロは、それに少し困ったように苦笑して、代金を差し出す。

 

「はい、毎度。それでどんな別嬪さんなんだい?」

「あ、えと……あ、ありがとうございました!」

「今度はその別嬪さんも連れて来るんだよー!」

 

 おばさんの声を背中に受けながら、そそくさとお店から出る。

 注文をしに来た時も同じように捕まって、同じように逃げたなと思いながら、一つ溜息をつく。

 服にそこまで拘りの無いチヒロは、あまりこういったお店に慣れていない。

 種族ごとに色々と服装に拘りがあるようだが、チヒロは着れればそれでいいと思っている。

 だからこそ、普段から無難な黒一色という格好だ。もう少しお洒落をしろとクロノスやヘスティアに言われた――ヘスティアにはその時に今着ている黒のインナーに白いジャケット、黒のパンツをもらった――こともあったが。

 

「……後はこれを渡すだけか」

 

 自分が手に持つ紙袋を見て、少しだけ不安になる。

 

「気に入ってくれるだろうか……それ以前に、本当にこれで良かったのか……」

 

 不安と不安が積み重なり、チヒロの表情が暗くなる。

 おばさんが言うようにそれは贈り物に間違いはない。だが、そういった贈り物をした事がないチヒロは、慣れない事に不安しかない。

 しかし、今から直してもらう時間も、新しく作ってもらう時間もない。

 ヘファイストスに渡した『内金』により、ファミリアの貯金は後僅かになってしまっている。

 今回購入したこれに関しては、チヒロのポケットマネーから出ている物なので問題はないが、念の為そのポケットマネーも多目には残しておきたい。

 もう一度、紙袋を見る。

 

「……大丈夫、きっと喜んでくれるはずだ」

 

 どこか自分に言い聞かせるようにそう呟いて、気合いを入れ直したチヒロは視線を前へと戻す。

 次の瞬間何かにぶつかった。

 

「「――っ!」」

 

 突然胸元に飛び込んできた影に微かに驚くが、その影がヨロけた事で慌てて手を伸ばした。

 

「す、すま――って、アイズ?」

「……チヒロ?」

 

 ぶつかった相手が金髪金眼の少女――アイズ・ヴァレンシュタインだと分かって、チヒロはピシッと固まる。

 思い出すのは、鍛錬の前に今度アイズに会ったら謝ろうと決意した事。

 まさかこんな所で会うとは思っていなかったが、いい機会だと心の中で何度も酒場での事を謝れと自分に言う。だが、チヒロの口から出てきたのは違う謝罪。

 

「よ、よそ見をしてた、すまない……」

「う、ううん、私こそ……」

「……じゃ、じゃあ!」

「あ……」

 

 アイズが何か言いたそうにしたが、それを見なかった事にして、支えるために掴んだアイズの手を離して踵を返す。

 

「(――って、そうじゃないだろ、俺!!)」

 

 表面上は平静を装いつつも、内面は荒れ模様。

 踵を返す前に見えた、アイズの悲しげな表情。

 また逃げ出した自分。

 また彼女を傷つけた自分。

 一言。一言言えばそれで済むのだ。なのにそれが出来ない。

 何をやってるんだと自分自身に呆れる。

 逃げてしまった以上仕方ない。また今度にしようと考えたその時だった。

 

「ぐえっ!?」

 

 突然後ろから襟首を思いっきり引っ張られた。

 突然絞められた首に咳き込む。

 目尻に涙を浮かべながらも、そこへと睨むように振り返る。

 だが、すぐにその睨みは恐怖へと消えた。

 

「あんた女の子にぶつかっておいて、それだけってのはどうなのよ」

「ちょっとチヒロさー、アイズに何しちゃってくれてるのかなー」

「アイズさんを悲しませるなんて、どうなるか分かっていますよね?」

「お、お前らいたのか……」

 

 笑顔で黒いオーラを纏っているロキ・ファミリアの三人娘。

 アイズと共に三人がいた事に今しがた気付いたチヒロの顔が青く染まっていく。いい予感はしない。

 

「そうね……責任を持って今から付き合ってもらいましょうか」

 

 アマゾネス双子の姉ティオネが、いい笑顔でチヒロに告げれば、それに合わせるようにアマゾネス双子の妹ティオナが手を上げる。

 

「いいね、それ! 賛成ー!」

「せっかくアイズさんの服を買いに来たのですから、チヒロさんの好みに合わせる方がいいかもしれないですね」

「え……」

 

 エルフのレフィーヤの言葉に、チヒロの頬が引き攣った。

 服飾店の多い北のメインストリートにチヒロ同様服の事には無頓着なアイズがいた訳を、何となく理解した。こいつらがここにアイズを連れてきたのかと。

 

「というわけで――」

 

 トンとティオナに背中を押されて、一歩前に出される。

 それに少し慌てながらバランスを取り、何とか立ち止まれば、目の前には展開について行けず、キョトンとした表情をしている彼女。

 

「アイズー、チヒロも一緒に行くってさ!」

「!」

 

 やっと理解出来たのか、ピクっと反応を示して、チヒロへと金色の瞳が真っ直ぐ向けられる。

 チヒロは慌ててティオナに反論しようとするが、それをティオナの横に立っているティオネに遮られた。

 

「アイズはどうしたい?」

「私は……」

 

 チヒロを見つめていたアイズだったが、暗い表情で目を伏せる。

 地面を見つめながら何も言わないアイズに、チヒロは焦る。これはマズイと。

 後ろから感じる三つの殺気に生殺し状態だ。

 何か言うべきかと思案する。

 すると、黙って俯いてしまったアイズがギュッとチヒロの袖を掴んだ。

 

「アイズ……?」

 

 恐る恐るアイズの顔を伺う。

 そうすれば、必死に何かを考えているアイズの金色の瞳と目が合った。

 何かを言いたそうに口を開くが、すぐに閉じられる。言葉が上手く見つからないのか、アイズは再び金の瞳を伏せる。

 豊饒の女主人で最後に見たアイズと一緒だった。

 あの時、チヒロはアイズの言葉を待たずに、逃げるようにベルを追いかけた。ああすること以外の方法をあの場では思いつかなかった。

 あの時と同じで先程はつい逃げてしまったが、でも今は違う。

 

「待ってるから」

「え……?」

 

 驚いたようにアイズが顔を上げれば、そこにはいつもの優しい彼がいて。

 

「今度はちゃんと待ってるから」

「!」

 

 あの時は掴む事も、追い掛ける事も、呼び止める事も出来なかった。

 ただ、遠くなるチヒロの背中を一人で見ている事しか出来なかった。

 でも、今は違う。

 ちゃんと彼は待っててくれている。

 そこに居てくれている。

 

「私は……」

 

 チヒロの後ろではティオナとレフィーヤがアイズを応援していて、ティオネが優しく見守っている。

 ギュッとチヒロの袖を掴む手に力が入る。

 そして決意するように顔を上げ、真っ直ぐチヒロを見つめて口を開いた。

 

「私はチヒロと一緒にいたい」

 

 豊饒の女主人で自分が何を言いたかったのか、どうしたかったのか、まだ自分の中で答えを見つけられていない。

 それでも、今のアイズの気持ちは言えた。しっかりと目の前の彼に向けて。

 アイズの気持ちを聞いたチヒロは、少しだけアイズを見つめて、諦めたように溜息をついて苦笑した。

 

「アイズに言われたら断れないな」

「!」

 

 微かに見開いた金色の瞳だが、すぐに嬉しそうに細められた。

 そんなに会わない日が続いた訳ではないのに、彼女のこの表情を見るのが久しぶりなような気がして、チヒロも無意識に笑みを見せる。

 見守っていた三人もご満悦の表情を浮かべている。

 

「それじゃあ、気を取り直してアイズの服を買いに行こー!」

 

 ティオナの言葉を合図に、今度は四人で歩き出す。

 ティオナが先頭を歩き、そんな彼女をレフィーヤとティオネが追いかけて、チヒロとアイズが二人並んで最後尾を歩く。

 何やら先頭が騒がしいが、アイズの耳には届かない。

 チヒロの横顔をチラッと見て、そのまま下へと視線を持っていく。

 目に入ったのは、彼の袖を未だに掴んで離さない自分の手。

 振り払われない事に、嬉しさと恥ずかしさを感じる。

 クイクイッと軽く引っ張れば、こちらへと振り向いた。

 そんな仕草にすらドキッとする。

 少しだけ頬を赤くしながらも、アイズは口を開く。

 

「……ありがとう、チヒロ」

 

 それに一瞬驚いたチヒロだが、すぐに優しく微笑んだ。

 

「うん、謝られるよりそっちの方がいいな、やっぱり」

 

 予想外の返答に微かに驚いたアイズだが、すぐに微笑んで返す。

 この後、立ち止まって微笑み合っていた二人は、ティオナに手を取られ急かされるように目的地へと連れて行かれた。

 

 

 




久しぶりにアイズたんを書いた気がする……。
贈り物が誰に何を渡すのかなんて気づいても口に出してはいけません(切実)

ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話

 

 

 

「こ、ここは……」

「……」

 

 紫の色を基調とした看板とお店を仰ぎ、レフィーヤとチヒロの動きが固まる。

 連れて来られたのは、大通りから離れた路地裏にある、とある一軒のお店。

 チヒロとアイズをここまで引っ張ってきたティオナが、自分とティオネがよく行く店と言った時点で、何となく察してはいたが、それを目の前にすると冷汗が流れるのを感じる。

 開け放たれた扉の外からでも、非常に際どいとわかる衣装が窺えるそこは、アマゾネスの服飾店だ。

 

「久しぶりねー、私もちょっと羽目を外しちゃおうかしら。ほら、行くわよ、チヒロ」

「ま、待て! 俺は外で――」

「アイズ、行こう!」

「え、あの――」

 

 ティオネに襟首を捕まれて引き摺られていくチヒロと、ティオナに腕を引っ張られて連行されるアイズ。

 アマゾネス姉妹に店内へと強制連行された二人を、レフィーヤは慌てて追いかけた。

 

「俺が入っていいような場所じゃ……!!」

「あら? アイズはあなたと一緒にいたいって言ったのよ? ここであなたがいなくなったらアイズのお願いを断ることになるわよ」

「ぐっ……」

 

 逃げ出そうとしたチヒロは、からかうような笑みを浮かべているティオネを見て、言葉に詰まる。

 店内を見渡せば、まさにアマゾネス以外の種族にとっては目に毒と言えるような光景が広がっていた。

 カウンターの奥で見本として飾られている品々は、人並みの恥じらいを持つ者ならば目を逸らしたくなるような服ばかり。男性物があるならチヒロも少しは安心して入れたが、ここは女戦士(アマゾネス)の服飾店だ。当然置いてあるのは全て女性物。尚且つ露出度の高い踊り子を彷彿させる民族的な衣装が目立つ。

 チヒロの目がアマゾネスの店員へと向けられて、赤い顔を更に赤くしてバッと逸らした。相手が下着も同然のような格好をしていれば、さすがに直視出来ない。

 大人しくなったチヒロを横目に、ティオネはティオナと共に服を手に取って見せてもらえるよう例の店員に交渉しに行く。

 

「か、帰りたい……」

「ごめん、チヒロ。私のせいで……」

 

 チヒロの隣に立ったアイズは、しょぼんと落ち込んでいる。

 それにチヒロは、赤くなっている頬を掻く。

 確かにここに来ることになったのは、アイズの服を買う為ではあるが、連れて来たのはあのアマゾネス姉妹だ。

 一概にアイズが悪いわけではない。

 

「……別にアイズが悪いわけじゃないんだから、謝るな」

「でも、チヒロと一緒にいたいのは私の我儘だから……」

 

 自分の我儘でチヒロを一緒に連れてきたと、アイズはまだ食い下がる。

 チヒロは嘆息して、アイズのおデコを人差し指でトントンと突く。

 

「俺はアイズと一緒にいるの嫌いじゃないよ」

「チヒロ……」

 

 アイズの頬が微かに赤く染まる。

 そんな二人を横で見守っていたレフィーヤは思う。

 

「(いい雰囲気なのに……すごくいい雰囲気なのに、周りがそれを台無しに……!!)」

 

 際どい服ばかりがある周りに、二人のせっかくのいい雰囲気が台無しだと、両手で顔を覆いながら涙する。

 そんな事をしていたら、交渉から帰ってきたティオネが、服を物色しながら声をかけてきた。

 

「アイズ、これ着てみない? あなた体の線が細いから、きっとよく似合うわよ」

「なっ、なんでアイズさんがここの服を着ることになってるんですか!?」

「別にいいじゃない、せっかくなんだし。レフィーヤもどう?」

「き、着ませんっ!」

 

 ティオネが手に持つスリットの深い服に、レフィーヤは凄まじい勢いで顔を横に振る。視線を泳がせているアイズもどこか尻込みがちだ。

 

「お気に召さないかー……チヒロはどう? こんなの好みじゃない?」

「お、俺に振るな」

 

 自分にニヤニヤと際どい服を見せてくるティオネから、チヒロは真っ赤になっている顔を逸らす。

 からかいがいのあるその行動に、ティオネは更に際どい服を幾つか見繕ってチヒロへと見せ始める。

 ティオネがチヒロで遊びだした横では、ティオナがアイズに持ってきた服を見せる。

 

「アイズ、これなんてどう? あたしとお揃い~」

「え、えっと……」

 

 ティオナが勧めるのは、紅色のパレオと胸巻きの組み合わせ。それは今目の前でその服を見せてくれている彼女と色違い。

 目の前に着ている人がいると、その服の際どさが尚更分かってアイズは顔を紅潮させる。

 すると、そこにレフィーヤの一喝が飛んできた。

 

「だっ――駄目ですっっ!!」

 

 肩をわなわなと震わせながらついにレフィーヤが爆発した。

 

「こんな、こんなみだらな服をアイズさんに着せるなんて、私が許しませんよ!? アイズさんはもっと、もっともっと清く美しく慎み深い格好をしなくては! そうっ、エルフの私達のような!!」

 

 ばんっと自分の胸を手で叩き、真っ赤な顔でまくし立てたレフィーヤに、ティオネに遊ばれていたチヒロは思う。それも違う気がすると。

 無意識の内に種族の対抗意識を燃やしている彼女に、ティオナが揺さぶりをかける。

 

「でも、こんな服を着たアイズも見てみたくない?」

 

 ぴたり、とレフィーヤの動きが止まった。

 ティオナの着ているパレオと胸巻きに、彼女の紺碧の目が止まる。

 

「あ、ありえません!?」

「ちょっと考えたでしょう?」

 

 少しの間を経て否定したレフィーヤに、ティオナはニヤニヤしている。

 そして、標的を未だ姉に遊ばれているチヒロへと変える。

 

「ねー! チヒロはどう思う?」

「ど、どうって何が……」

「アイズが私と色違いのお揃い着てるの見てみたくない?」

「ティオナとお揃い……」

 

 チヒロの頭に思い描かれるティオナの服を着たアイズ。

 そして「私はチヒロと一緒にいたい」と顔をほのかに赤く染めつつ、上目遣いで見てくる。

 露出度の高い服に上目遣いの彼女。チヒロの顔がボンッと真っ赤に染まる。

 

「きゃ、却下!! そんなのダメだ!!」

「結構ツボでしょ」

 

 ニヤニヤとしているアマゾネス姉妹に反論しようとした時、チヒロはグイっと腕を引っ張られた。

 

「アイズさん、チヒロさん、エルフの店に行きましょう! エルフの店ならチヒロさんの目にも優しいですし、不肖ながらこの私がアイズさんの服を精一杯見繕いします!」

「レ、レフィーヤ……」

「お、おう?」

 

 戸惑い驚くアイズとチヒロがレフィーヤの手により店の外へと引っ張り出されていく。

 残されたティオネとティオナは、互いに顔を見合わせてにやりと、鏡で映したようなそっくりな双子の笑みを浮かべて、三人を追いかけた。

 

「ここです!!」

 

 連れてこられたのは、アマゾネスの服飾店とは違い、逆に露出度が少なすぎるとも思えるような服が多い落ち着いた雰囲気のあるエルフの服飾店。

 初めて入るその店に、チヒロ達は物珍しそうに辺りを見渡している。

 レフィーヤの長い説明を聞き流しつつ、アマゾネス姉妹が服に手をかける。

 

「どうです、私の一推しは!?」

「動きづらいわ」

「暑苦しいよね」

「ティオナさん達には聞いてません!!」

 

 説明を終えて満足げに振り返ったレフィーヤが見たのは、文句垂れるアマゾネス姉妹。

 そんな二人は放っておいて、チヒロの横に立っているアイズへと、一つの服を手に取って持っていく。

 

「アイズさん! これなんてどうですか!?」

「えっと……」

 

 アイズが言葉を探して答えようとするが、テンションが異常に高いレフィーヤはアイズの言葉を待たずに、次の服を持ってくる。

 

「あ、待って下さい。これよりもっと色の薄い方が。あぁ~、でもこっちも捨てがたいですね。あぁ! これなんて、アイズさんが着たらどこかの国のお姫様みたいですよ」

 

 キラキラとした笑顔を浮かべながら、何着もの服をアイズにあてていくレフィーヤ。

 隣でそれを見ているチヒロは、若干頬を引き攣らせて思う。

 

「(……最早、着せ替え人形)」

 

 基本、女の子は服を買うのに何時間も時間がかかるとチヒロは昔クロノスから教えてもらった事がある。

 現にシルやエイナの買い物に付き合った時は、その日一日費やした程だ。色んなお店に連れて行かれ、最終的には荷物持ちと、ダンジョンに潜るよりも体力を使ったのを覚えている。

 それぐらいに女の子の買い物が面倒だという事はチヒロも知っている為、あえて何も口にしない。

 アイズが助けを求めるような目で見てきても、気づかないフリ――出来るわけもなく、一つ溜息をついて渋々口を開く。

 

「レフィーヤ、アイズにはもう少し動きやすい服の方が似合うと思うんだが……」

「えっ!?」

「でも、ここの女性向け服、みんなロングスカートかフリル付きみたいだよ」

 

 ティオナの言うように、このお店の女性向けの服は全て動き難い服ばかりなのだ。

 すると、思いついたようにティオネが提案する。

 

「だったらいっそ紳士服にしちゃうとか?」

「そんな、アイズさんに男装なんて……!!」

 

 そこでレフィーヤの言葉が止まった。

 紺碧の瞳が天井を仰ぐような動きを見せる。

 誰もが思った。こいつ今想像しているなと。

 

「まぁ、男装も似合うとは思うが……」

「というか、チヒロ。あなたが着てみなさいよ。絶対似合うわよ」

「確かに! ねえねえ! これ着てみてよチヒロ!!」

「は?」

 

 何故かアマゾネス姉妹がチヒロへと幾つか紳士服を見繕って持ってくる。

 その目がギラギラとしていて、チヒロは無意識に半歩後ろに下がる。背中を嫌な汗が流れたのを感じた。

 

「や、やめろ!! 服を脱がそうとするな!!」

「いいから黙って脱がされなさい!!」

「きっと似合うからさー! 着てみてよ!」

「わ、分かった! 着る、着るから試着室に行かせてくれ!!」

「――って、お二人共何やってるんですかー!?」

 

 妄想から現実へと帰ってきたレフィーヤが、ギラギラと獲物(チヒロ)を捕食しようとしているアマゾネス姉妹を、慌てて止めに入る。

 そんな事が行われている横で、アイズはそっと黒を基調とした紳士服に手を伸ばす。

 

「(……チヒロに似合うかも)」

 

 その服を持って四人の輪の中に加われば、チヒロが更なる悲鳴を上げたのは言うまでもないであろう。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「お、おかしい。アイズの服を探しているはずなのに、何で毎回俺まで……」

「服に関して無頓着なチヒロのお勉強も兼ねてよ」

「余計なお世話だ」

 

 あの後も色んなお店に連れ回されたチヒロとアイズは、既にくたくただ。

 しかし、あれだけ回ったにも関わらず、アイズに合う服は見つかっていない。

 チヒロは、チラッと自分が持つ紙袋へと視線を向ける。これを渡さなきゃいけない相手も居るので、これ以上時間はかけられない。

 そして決意する。

 

「よし、俺が決める」

 

 四人が驚いたようにチヒロを見る。

 あの服に無頓着で、さっきまであまり自分の意見を出さず傍観、もしくは玩具にされていたチヒロが名乗り出てきたのだ。驚かないはずがない。

 四人の視線を無視して、チヒロは辺りを見渡す。そして、一軒のお店が目に止まった。

 

「「「おおー」」」

 

 三つの感嘆が重なり合う。

 三人の視線を集めているアイズは、気恥ずかしさで頬を染め、人形のように佇み軽く俯く。

 チヒロが選んだお店はヒューマンのお店。そして選んだ服は、白い短衣にミニスカート。さり気なく花を象った刺繍が施されており柄は美しい。単純な服装の組み合わせだが、着こなしている素材が素材なため、美しい金の長髪とも相まってこれ以上なくよく映えている。

 

「に、似合ってます、アイズさん!」

「うんうん、すごくいい! ロキがいたら飛びついてきそう!」

「肌は綺麗だし、引っ込んでるところは引っ込んでるし……羨ましいわね、本当」

 

 黄色い声が試着したアイズを取り囲む。

 だが、一番聞きたい声がない。

 

「――って、あれ? そういえばチヒロは?」

「さっきまでここにいたはずですが……」

「まったく、自分で選んだ服を見もせずにどこか行くなんて、紳士の風上にも置けないわね」

「……」

 

 顔を上げたアイズの視界に彼は入ってこない。三人が言うように、彼はその場にいなかった。

 彼が選んでくれたという事に膨らんでいた気持ちが、しゅんと萎んでいく。

 すると、タイミングを計ったかのようにその彼の声がアイズの耳に飛び込んできた。

 

「あぁ、やっぱり似合ってるな」

「って、どこ行ってたのさ、チヒロ」

「ちょっとな」

「どうでもいいけど、ちゃんと見てあげなさい」

 

 三人がチヒロの背中を押して、アイズの前へと押し出す。

 会った時も同じような事があったようなと、それに既視感を覚えつつも、チヒロは彼女の前に立つ。

 目の前にいるのは防具も剣もない、普通の女の子。

 チラッとこちらを見た金色の瞳が不安そうな色を宿していたが、すぐにそれは下へと向けられて見えなくなった。

 そんな彼女に、チヒロは優しく微笑み、先程紡いだ言葉をもう一度紡ぐ。

 

「うん、すごく似合ってる」

 

 チヒロの一言に、ビクッと体を揺らしたアイズは徐々に徐々に足先から顔まで――全身真っ赤にして、更に顔を上げられなくなった。

 何も言えなくなっているアイズに、助け舟を出すようにティオナが声をかける。

 

「アイズ、これにしよう!」

「う、うん……」

「結局、ヒューマンのお店で買っちゃいましたね」

「まぁ、無難だしね。拘りがなかったら、普通にここでしょ。チヒロが選んだってのが今回は一番の理由だけどね」

「おい、出るぞ」

 

 未だに服が決まった事への熱が治まらない四人に、チヒロは声をかけて出口へと向かう。

 そんなチヒロにティオナが慌てる。

 

「あ! 待ってチヒロ! お金払って――」

「もう払った」

「――くるから……って、え?」

 

 会計が終わっていないと思っていた四人は、チヒロの言葉に固まる。

 チヒロがお店を出て行った事で、ティオナはヒューマンの女性店員へと顔を向ける。

 それに店員は微笑んで答えた。

 

「はい、お代の方は既に先程のお客様から頂いております。プレゼントだとか……よかったですね」

 

 これ以上赤くなる事が出来ない程、真っ赤になっているアイズは、店員に微笑まれて顔を俯かせた。

 そして、アマゾネス姉妹とエルフの少女は思う。

 

「「「(紳士だった……!!)」」」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 青い空にはすっかり上った太陽が燦々と輝いていて、それを見上げてそろそろ正午かとチヒロは考える。さすがにヘスティアとベルも起きているだろうと。

 すると、遅れて四人がお店から出てきた。

 

「チヒロ、あなたの事ヘタレだと思ってたけど、やる時はやるのね。ちょっとだけ見直したわ」

「出てきて早々、それはないんじゃないか、ティオネ」

 

 肩に手をポンと置いてきた彼女を半眼で見る。

 そんな彼女の後ろを見れば、アイズが先程チヒロがプレゼントした服を着ていた。どうやらもとから着衣していた服は布に包まれ、購入したばかりのものを強引に着せられたようだ。

 普段絶対に着ないような可愛らしい服に、彼女は頻りにやりにくそうにしており、チヒロ達の笑みを誘う。

 色とりどりの服飾店に囲まれた賑やかな路地裏を歩きながら会話をする。

 

「お前達はこの後どうするんだ?」

「そろそろお昼にしない? あたし、お腹空いちゃった」

「少し早いような気もするけど、そうしましょうか。レフィーヤ、何かお店知ってる?」

「えっと、確か、この先にカフェがあったような……」

 

 これからの予定がお昼ご飯に決まった所で、チヒロは再び口を開く。紙袋の件がある為、これ以降は別行動になると。

 

「すまん。ちょっと用事があるから、俺はここまでだ」

「え? そうなの?」

「まぁ、用事があるなら無理に引き止めないけど……」

 

 会話が途切れて四人は最後尾を歩くアイズへと顔を向ける。

 何か考えるように顔を俯かせてトボトボと歩いていた彼女は、前方から向けられる視線に気付いて顔を上げる。

 キョトンとした彼女に、話を聞いてなかったなとティオネが苦笑する。

 

「チヒロ、この後用事があるから抜けるそうよ」

「……うん、わかった」

 

 何か言いたそうにした彼女だが、それを飲み込み、頷いた。

 それにティオナ、ティオネ、レフィーヤの三人がサッと目配せしてどうにか出来ないかと思案する。

 三人の中で誰よりも先に口を開いたのはレフィーヤで。

 

「ち、ちなみに、それってどんな用事なんですか?」

「これをある人に渡さなきゃいけないんだよ」

「それずっとチヒロが持ってたやつだよね。何が入ってるの?」

「え? あー、えっと……」

 

 ティオナの疑問に、チヒロはサッと空色の瞳を逸らして言葉に詰まる。

 直球に女性用のドレスなんて言えば、騒がれるのは目に見えている。

 だが、チヒロの考えも虚しく、レフィーヤがアッサリとバラした。

 

「あ、このお店私知ってます。確か、女性用のドレスを扱っている……!」

「女性用……?」

 

 紙袋に書かれていたお店のロゴを見たレフィーヤが言い当て、何かに気付いた三人が黒いオーラを纏い始める。

 チヒロはそれに冷や汗を流す。そして、ガシッと首元の服を掴まれた。

 

「見直した事を前言撤回するわ。アイズがいながらとんだ浮気者ね」

「アイズ以外にもプレゼントする女がいたって知ってたらあたしがアイズにプレゼントしたのに!」

「アイズさんを弄んだんですね、チヒロさん」

「ち、違う! これはっ……!!」

 

 ティオネに掴まれ、両サイドをティオナとレフィーヤに囲まれる。

 さすがにこれはヤバイと感じたチヒロが弁解しようと口を開いたその時、どんっとティオナに誰かがぶつかった。

 

「わっ!?」

「おっと、ごめんよ、アマゾネス君! すまない、急いでいるんだ!」

 

 突然の衝撃に驚いたティオナだが、ぶつかってきた幼い少女は謝罪も半ば、そそくさと先へ行ってしまった。

 だが、その声や容姿はチヒロにとって聞き覚えがあり、見覚えのあるものだ。

 ティオネの手を振り払って、チヒロは慌ててその幼女を追い掛ける。

 

「ヘスティア!」

「ん? おお! チヒロ君!!」

 

 チヒロが声をかければ、振り返った彼女――ヘスティアは、嬉しそうに頬を緩めた。

 一日ぶりに見た彼女の笑顔に、チヒロもホッと息をつく。

 

「よかった、起きたんだな。ベルは?」

「ベル君も一緒に起きたよ。きっと今頃はダンジョンに向かってるんじゃないかな?」

「そうか、ならいいんだ」

「ごめんよ、チヒロ君。丸一日眠ってしまって。しかも、僕の代わりにバイトまで出てもらって……」

「ヘスティアが頑張ってるのは俺も知ってるからな」

 

 チヒロがヘスティアの頭を撫でれば、ヘスティアは気持ち良さそうに目を細める。

 そんな二人のやり取りを少し離れた場所から見ている四人。

 

「チヒロさんと話してるあの可愛い女の子……女神様ですよね?」

「そうみたいね。もしかして、今のチヒロの主神は彼女なのかしら?」

 

 ふと、ティオネの視線がチヒロとヘスティアを見つめながら固まっている妹に向けられる。

 

「どうしたの、ティオナ?」

「胸が、すごく大きかった……あの身長で」

「……」

 

 声を暗くさせるティオナを、辟易気味に見やるティオネ達。

 彼女が小さい胸に不満を抱いているのは知っているが、あの女神と比べるのはどうなのかと。

 神々は年を取らずその容姿は例外なく整っているが、外見は幼い少年や少女、老人であったりするなど多くの属性を持っている。その為、身の丈に不釣合いな胸囲(たいけい)を持つ幼女の女神がいても、なんら不思議ではない。

 

「そういえば、女神様達の姿が多く見られるような……」

 

 レフィーヤが今気付いたと言わんばかりに、顔を左右に振る。

 それに倣うように、ティオネ達も辺りを見渡せば、確かに周囲には容姿端麗な女神の姿がちらほらと見受けられた。

 そこでティオネが思い出したように「ああ」とこぼす。

 

「そういえばロキが言ってたわね。『神の宴』が近い内にあるって。自分は行かないようなことも言ってたけど」

「『神の宴』って……どっかの神様が適当に開く、パーティーだっけ?」

「ええ。結構格式ばっているらしいから、仕立てたドレスを受け取りにでも来てるんじゃない、女神達は?」

「ああ、なるほど」

 

 そこでハッと思い出す。

 チヒロが何故女性用のドレスを持っていたのか、その理由に今察しがついた。

 そして、ちょうどタイミング良くチヒロがあの女神に持っていた紙袋を渡している。

 つまり、『神の宴』に参加する主神へのプレゼントだったと。

 

「何よ、心配して損したじゃない」

「でも、あれを渡すのがチヒロさんの用事だったんですよね? それなら、渡してしまったら用事は無くなるんじゃ……」

 

 そのレフィーヤの言葉に、アマゾネス姉妹が何かに気付いたようにハッとする。

 そして、チヒロと女神をじっと見ているアイズからレフィーヤを連れて少し離れて、コソコソと話し合う。

 

「よくよく考えれば私達邪魔者よね」

「た、確かに……」

「せっかくチヒロが服をプレゼントしたんだもの、この機会を使わない手はないわよね?」

「アイズともっと遊びたかったけど……仕方ない、今回はチヒロに譲ってあげる」

 

 話し合った三人は、ある結論に至りニヤリと口角を上げる。

 どう見ても何か企んでますというような三人に、他の通行人はそこを避けるように通り過ぎていく。

 

「アイズ! ちょっといいかしら?」

「?」

 

 チヒロと女神様を見つめていたアイズは、ティオネに呼ばれてそこに顔を向けた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「嬉しいけど、本当にいいのかい?」

「主神が他の神達にどうのこうの馬鹿にされるのは嫌だからな」

「ボクは気にしないのに……」

「俺やベルが気にするんだよ」

 

 眷属に愛されているという事に、ヘスティアは嬉しくて頬を緩めつつ、彼からもらった紙袋を大事そうに抱き締める。

 すると、そんな彼女の前に人差し指が立つ。それに首を傾げつつ、人差し指を立てているチヒロを見上げる。

 

「但し、条件がある。用意されている食事を食べ漁るような事はするなよ。タッパーに入れるのもなしだ」

「な、なんて殺生な!? 立食形式(タダメシ)なんだよ、チヒロ君!?」

「それでもダメだ。少しは女神然としてろ。ヘファイストスにお願いがあるなら尚更な」

「な、何でそれを……」

 

 自分の考えている事を知っているような口振りの彼に、ヘスティアはぐぬぬと唸る。

 知っているのではない、彼は気付いているのだ。

 

「……キミは何でもお見通しかい?」

「いや、全く。ただ、ヘスティアならベルの気持ちに応えようとするだろうなと思っただけだ」

 

 チヒロが空色の瞳を伏せれば、ヘスティアは寝る前に見た彼の酷く傷ついたような、今にも泣きそうな顔を思い出す。

 起きた時にチヒロが居なかった事に、丸一日眠ってしまっていたヘスティアは後悔した。あの状態のチヒロを丸一日一人にしてしまったのかと。

 ヘスティアにとってベルは大切な眷属だが、それはチヒロも一緒だ。だからこそ、ベルの力になりたいと思うのと同じぐらい、チヒロの力になりたいと思っている。そこに差なんてない。

 

「キミはどうするんだい?」

「……」

 

 チヒロが思い出すのは強くなりたいと言った後輩。

 そして、1年前からずっと動けずにいる自分。

 自分が何をしたいのか、それはチヒロ自身も未だに見つけられていない事だ。

 

「……分からない。けど、ベルがどんな道に進んでいくのか見てみたいとは思う」

 

 チヒロがこうして動いているのは、結果的に後輩の為になるとしても、実際の所本人はそうは思っていない。

 ただ、少しだけ主神の手助けをしているだけなのだ、彼の中では。

 だからこそ、自分を師と仰ぐ後輩にどうしてやる事が一番なのか、チヒロはそれを考えた。

 昔の自分とどこか似ているベルを見ることで、自分の答えが見つかるんじゃないのかと。

 

「まだ迷ってるんじゃないかと心配だったんだけど……どうやら大丈夫みたいだね」

 

 真っ直ぐな空色の瞳を見て、ヘスティアは笑みを浮かべる。

 本音を言えば、彼自身の答えを見つけてあげたいが、今はまだその時期ではないと、彼の目を見て思ったため、それは心の片隅へと置いておく。

 

「キミはベル君に何を望む?」

「生きて帰ってきて欲しい」

「うん、キミらしい考えだね」

 

 ヘスティアは知っている。

 チヒロが常にベルに『強くなる方法』は『生きて帰ってくる』ことだと言っている事を。

 そして、それにクロノスを失ったチヒロがもう誰も失いたくないという切実な想いも入れている事も。

 

「ベル君が『生きて帰ってくる』為の力を付ける力がキミにはある。それはボクではなく、キミにしか出来ない事だ」

「上手くできるか分からないけど……やってみるよ」

「きっとキミなら大丈夫さ! ボクが保証する!!」

 

 どこに保証出来る根拠があるのか聞きたいが、聞けば延々と話しそうなので、チヒロは苦笑する事でそれを抑える。

 『神の宴』への準備もあるだろうと、ヘスティアの頭をポンポンと撫でて、話をそこで打ち切る。

 

「もう行け」

「うん、本当にありがとうチヒロ君!」

 

 もう一度強く贈物(プレゼント)を抱き締め――豊満な胸が潰れる程に――ヘスティアは満面の笑みを浮かべる。

 そんなに喜んでもらえたなら、チヒロも苦労した甲斐があった。

 ヘファイストスからヘスティアのサイズを聞いたり、注文をする時におばさんにからかわれたり、受け取る時におばさんにからかわれたり、ティオネ達に締め上げられたり、思い出せば思い出すほど、こうやって渡すまで色々とあったなと遠い目になる。

 

「ボクは数日ヘファイストスの説得で帰ってこれないだろうから、今ここで念を押しとくよ。ダンジョンは明日から潜るように! 遠征も一ヶ月はダメだよ! 後、ジャガ丸くんだけじゃなくて、ちゃんと他のも食べるんだよ、栄養が偏っちゃうからね! それから――」

「わかったわかった。ほら、もう行け」

「本当にわかってるのかい!?」

「いいから行け」

「まったく、キミってやつは……」

 

 自分にとってあまり宜しくない話はさっさと終わらせたいという彼は、毎回聞き流したように返答をする。

 本当に分かっているのかと疑いの眼差しを向けるが、それすらも流される。

 初めの頃よりは言うことを聞いてくれるようになっただけ、まだマシかと自分を無理矢理納得させる。

 

「じゃあ、ベル君の事よろしくね!」

「ああ」

「ダンジョンに潜っても無茶しないようにね!!」

「ああ」

「ボクが居ないからってヴァレン某と――」

「いいから行けって」

「くっ……!」

 

 やっぱり納得出来なかったヘスティアは、今度こそチヒロに行くよう背中を押された。

 チヒロを恨めしそうに見てから、渋々とそれに従うように歩き出す。

 離れていく主神の背中を見つめながら、チヒロはやっと行ったかと嘆息する。

 すると、名前を呼ばれた。

 

「チヒロ君!」

「!」

「いってきます!!」

「……ああ、いってらっしゃい」

 

 満面の笑みでこちらに手を振っている彼女に、小さな声で返して手を軽く振る。それを見た彼女は、今度こそしっかりと前を見て走り出した。

 彼女の背中が雑踏の中に紛れて見えなくなるまで見届けたチヒロは、これからの事を考える。

 用事が済んでしまった為、この後の予定が無くなってしまった。

 ホームに帰った所でベルはいない為、する事は本を読むぐらいだ。

 ヘスティアとの約束でダンジョンに潜れるはずもなく、どうするかと思案する。

 最終的に考えついたのは、とにかくアイズ達の所に戻るという事。

 

「……ヘスティアのこと問い質されそうだな」

 

 再びティオネに掴みかかられるんじゃないかと、チヒロは少しだけげんなりした表情でヘスティアとは逆方向に足を向けた。

 

 

 

 




基本、ティオネにからかいの対象として遊ばれているチヒロ君です。

ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話

 

 

 

 青い空に白い雲、太陽の心地良い陽気。それとは正反対のひんやりとした背中が眠気を誘う。

 遠くに聞こえる雑踏はまるで子守唄のようで。優しい風が全身を包み込むのを感じながら、チヒロはそっと空色の瞳を閉じ、思う。

 

「(……何故こうなった)」

 

 頭の裏に感じる柔らかく温かいもの。

 そっと髪を撫でられ、微かに触れられた額が擽ったくて、チヒロはピクっと眉を動かす。

 それらの感触が一瞬でチヒロから眠気を奪っていく。

 

「……眠らないの?」

 

 頭上から降ってきた感情があまり伺えない声。

 だが、その声と長い付き合いのチヒロには分かる。その声が不安の色を宿している事を。

 そっと空色の瞳を開けば、その瞳と同じ色が飛び込んでくる。

 その片隅で金色が揺れた。

 ひょいっとその金色がチヒロの目の真ん中に飛び込んでくる。

 不安そうな金色の瞳と目が合った。

 

「……足痛くないのか?」

「うん、平気」

「そ、そうか……」

 

 痛いと言ってくれればアイズの膝枕から逃げられたのにと、内心思いつつ金色の瞳から目を逸らす。

 そうすれば、更に金色の瞳が不安そうに目尻を下げた。

 

「……気持ち良くない?」

「へっ!?」

 

 突然の問いに素っ頓狂な声を上げたチヒロ。

 不安そうな金色の瞳が空色の瞳を覗き込んでくる。

 答えるべきなのかと、思案するチヒロの顔は真っ赤だ。

 それを隠すように右手で顔を覆う。

 

「その……基本男は喜ぶもの、だと思う」

「チヒロは?」

「ぐっ……」

 

 大多数での回答をすれば、個人での回答を求められた。

 指の隙間からアイズを見れば、未だ不安な瞳は変わらない。

 今なら恥ずかしさで死ねると思いながら、チヒロは口を開く。

 

「……わ、悪くない」

 

 それがチヒロの精一杯だ。

 彼女の口元が綻ぶ。金色の瞳からも不安の色が消え、安堵と喜びの色が今度は浮かぶ。

 気を良くした彼女は、再びチヒロの頭を優しく撫でる。

 ずっとその場に寝転がっているからか、もしくは体が異常に熱くなってしまったせいか、温くなった背中――石畳を感じながら再び思う。

 

「(……何故こうなった)」

 

 自問自答するようにココ――市壁の上でアイズに膝枕をされるに至った経緯を思い出す。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……ティオネ達はどうした?」

「えっと……」

 

 ヘスティアを見送って元の場所に戻って来たチヒロを待っていたのは、予想外にもアイズ一人だけだった。

 アマゾネス姉妹とエルフの少女にヘスティアの事を問い質されるのではないかと思っていたが、その三人の姿はそこには無い。どうしたのかと周りを見渡しても、その姿は見当たらない。

 残っていたアイズに視線を向ければ、申し訳なさそうに眉を下げていた。

 

「……それであいつらは?」

「……帰った」

 

 頭痛を訴えてきた頭を右手で押さえる。

 あのお節介三人娘が何を考えているのか、このやりとりだけで理解してしまった。

 

「一応聞いとく……何て?」

「デ……デートして来なさいって」

 

 デートとは、意中の相手や恋人と二人でどこかへ出掛ける事だとチヒロはクロノスから幼い頃に教えられた。ちなみに、アイズも一緒にだ。

 つまり、アイズもデートの意味を知っている。だからだろう。その顔がほんのりと赤いのは。

 頬を指で掻きながら「俺とデートなんてしてもつまらないぞ」と言おうとしたチヒロだが、すぐにそれを飲み込んだ。

 アイズが自分に想いを寄せている事はチヒロも知っている。さすがにそんな彼女にそれを言うのは失礼だ。

 少し考えて出てきたのは、アイズはどうしたいのかという事。

 

「アイズはどうしたい」

 

 アイズの顔が徐々に徐々に赤みを増していく。

 その顔を俯かせた彼女の答えは一つだけだ。

 ギュッと掴まれた袖を見て、その腕を辿るように彼女の顔へと視線を走らせる。

 赤い顔に微かに潤んだ金の瞳。その瞳がチラッと見上げてきた。が、すぐに下へと逸らされた。

 袖を掴んでいる手に力が入る。それを一瞥しながら彼女の答えをチヒロは待つ。

 そして、おずおずとチヒロを見上げてきた彼女は、小さく口を開いた。

 

「チヒロと……デートしたい」

「――っ」

 

 グサリとチヒロの心臓に確かに何かが刺さった。

 周りからアイズの想いを聞く事は度々あったし、何かあれば傍に居るアイズに、チヒロもそれには気付いていた。

 だけど、ここまで真っ直ぐその想いを伝えられたのは初めてだ。

 デートとは、意中の相手や恋人と二人でどこかへ出掛ける事だが、アイズとチヒロは恋仲という訳ではない。

 つまり、『チヒロとデートしたい』=『チヒロはアイズの意中の相手』という事になる。

 今までは本人から直接言われることが無かった為、チヒロも一緒に居られた。

 だが、今回はそうもいかない。直接的じゃないとはいえ、ほぼそう捉えられる言動に、簡単に首を縦に振るわけにはいかない。

 そう、首を縦に振るわけにはいかないのだ。

 

「……ダメ?」

「行こう。うん、行こう」

 

 花が咲いたような笑顔を見せたアイズに、チヒロは内心涙を流す。あんな悲しそうな目をされたら断れるはずがないと。

 今まで何人もの女性からの告白を断ってきた。理由は色々とあるが、この人だと本気で思った人以外と付き合う気などチヒロはない。

 それは昔から決めている事であり、現在もそうだ。

 何よりも自分自身の過去(・・)に誰も巻き込みたくはない。だから、今はそういう事は控えると決めている。のだが、周りが何故かそれをさせてくれない。

 こういった事が大好きな前主神が前主神だけに、これも仕方のない運命なのかもしれないが。

 

「い、一応聞くが……『デート』の意味分かってるよな?」

「う、うん……」

「そ、そうか……」

 

 お互いに顔を赤くして俯く。

 周りから見れば初々しい恋人同士(カップル)だ。現に周りから「あらあら、まあまあ」と見守られるような温かい視線を向けられているのだから。

 さすがにその視線を浴び続けるのは羞恥心を更に煽るので、二人はとりあえず歩き出した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「アイズはどこか行きたいとことかあるのか?」

「……ダン――」

「ダンジョンは無理だぞ。主神との約束で遠征から帰ってきて三日間はダンジョン潜れないからな、俺」

「うっ……」

「というか、お前も遠征から帰ってきたばかりなのに、ダンジョン潜ったりしてみろ、リヴェリア辺りにバレて怒られるぞ」

「ううっ……」

 

 目の前でピザを食べているチヒロに、ズバズバと言い当てられて、パスタを食べていた手を止めアイズはしょぼんとする。

 時間もちょうどいいからと先に昼ご飯を済ませることにした二人は、レフィーヤがアイズに教えたカフェで食事をしていた。

 

「……前は賛同してくれたのに」

「前ならな。でも、今は無闇矢鱈にダンジョンには潜らない」

「どうして?」

「前よりも強くなりたいと思ってないから」

「……」

 

 黙り込んだアイズに、チヒロはピザを口に咥えながら顔を上げる。

 目の前の彼女は乏しい表情の為あまり感情は伺えないが、その眉は下がっている。

 そこで自分が失言した事に気付いた。アイズに話すような内容ではないと。

 

「……まぁ、アイズが気にする事じゃない」

「私は――」

「もうこの話はいいから食え」

 

 言葉を遮られたアイズは、目の前に差し出されたピザを見る。

 空色の瞳はこれ以上入ってくるなと告げている。

 彼はいつもうこうだとアイズは思う。

 自分にとってあまり宜しくない話はさっさと終わらせたいという彼は、聞き流したように返答をするか、こうやって強引に話を終わらせるかのどちらかである。

 この事で昔はひと悶着あり、彼と大喧嘩した事もあるのだ。

 さすがに1年ぶりに再会してのデート中に喧嘩なんてしたくはない為、アイズは渋々そのピザをパクッと食べた。

 そこでハッとする。このまま聞けないままで引いていいのかと。

 そう思った時には既に動き出していた。

 手に持っていたフォークにパスタを器用に巻きつける。そして、彼の口元へと持って行く。

 彼の顔がギョッと引き攣った。それに微かに自分の口角が上がった――他人から見れば変化は見えない――のをアイズは感じた。

 

「な、何の真似だ、アイズ」

「チヒロの真似」

「いや! そうだけど、そうじゃないだろ絶対に!!」

「話す気がないのなら食べて」

「どんな脅しだよ……」

 

 目の前に差し出されたパスタの巻かれたフォークと、他人には判別出来ないであろう仕返しだと言わんばかりの金色の瞳を何度も交互に見る。

 仕返しであろうと、脅しであろうと、女の子に食べさせてもらうなど、チヒロには恥ずかしくて恥ずかしくて堪らない。しかも、現在外食中であり、第三者の目があるのだ。尚更羞恥心が募る。

 だが、きっと食べなければ目の前の彼女が納得してくれないであろう事は、長い付き合いの為、口に出さなくても分かる。

 チヒロはどこか諦めたように、必死に羞恥心に耐えながら恐る恐る口を開いた。

 

「美味しい?」

「……お、美味しいです」

 

 正直、恥ずかしすぎて味なんて一切分からない。

 すると、再び差し出されたパスタが巻かれたフォーク。

 チヒロは慌ててアイズを見る。まだ怒っているのかと。

 だが、違った。

 何故か微かに頬を赤くしながらも嬉々とした表情でこちらを見ている。

 

「あ、あの、アイズさん……?」

「食べさせる時に『あーん』って言うんだったっけ……」

「誰からそんなこと習った!?」

「クロ」

「あの糞神!!」

 

 厄介なことしか教えない前主神に怒りを覚えるが、今はそれどころではない。

 先程とは違って、何故彼女は少し恥ずかしそうにしながらも嬉々とした表情を浮かべているのか。それ次第ではどうにかこの場を回避出来る。

 

「な、何で今更食べさせようなんて……」

「……デートっぽいから」

 

 回避出来るなんて思った自分が馬鹿だったとチヒロは思い知らされた。

 現在デート中である。それを受け入れたのは他でもない自分自身だ。今更それから逃げようなんて出来るはずがない。

 何よりも顔を赤くしながらも何かを求めるように自分を見ている目の前の彼女のお願いを無下になんてチヒロには出来ない。出来るのならデート自体を断っている。

 彼女同様に顔を赤くしながらも渋々ともう一度口を開いた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「結局アイズが俺のピザを食べて、俺がアイズのパスタを食べたわけだけど……」

「うん、美味しかった」

「……そうか。それなら良かったよ」

 

 ホクホクとした表情を浮かべているアイズと、反対にゲッソリとした表情を浮かべているチヒロ。

 まるで恋人同士のようにお互いに食べさせあった――チヒロはアイズに強制されて――二人は、食後の紅茶を満喫している。

 

「んで? ダンジョン以外に行きたいとこ無いのか?」

「……うん」

「それはそれでどうなんだ……って、俺も人に言えた立場じゃないか」

 

 この後の予定が決まらず、チヒロはどうしたもんかと青い空を見上げる。

 澄み渡った青い空に綿あめのような白い雲。温かな陽気とお腹からの満腹感から一気に睡魔が襲ってくる。

 マズイと思った時には既に遅く、チヒロの口は大きく開いていた。

 そんな彼にキョトンとするアイズ。

 

「……眠いの?」

「いや、すまん。大丈夫だ」

 

 デート中に欠伸など、つまらないと言っているようなものだ。

 自分の失態に内心悪態をつきながらも、睡魔を追い払うように首を横に振る。

 だが、負けじと襲いかかってくる睡魔。悪夢のせいであまり眠れていない今のチヒロにとっては、現時点で最強と呼べるモンスターだ。

 打ち倒さんと阿修羅を構えて振るが、相手は実体のないモンスター。斬ることは出来ず、チヒロへと絡み付いてくる。それを振り払うことが出来ず、チヒロの瞼が徐々に徐々に下がっていく。

 なんてことを脳内でやっていれば、グイっと腕を引っ張られた。そこで閉じかけた目が開く。

 

「ア、アイズ……?」

「この後の予定決めた」

「あ、ああ、そうか」

 

 突然の事に頭がついていけないながらも、体だけはついて行く。

 そしてやって来たのは一つの建物の前。

 

「――って、何で宿屋なんだよ!?」

「え? だって、眠そうだったから……」

「いや、確かにそれはそうだがデート中に宿屋なんて色々とマズイだろうが……」

「?」

 

 キョトンとしている彼女に、チヒロは頭を抱える。

 彼女に悪気なんて一切ないし、下心もない。どちらかと言うと、チヒロの為を思っての行動だ。としても、ここはマズイ。

 チヒロが言ったように目の前に建っている建物は宿屋だ。

 だが、基本冒険者が使用する事が多い、冒険者通りに面している宿屋なのだ。

 つまり、歩いているのは冒険者ばかり。

 そして、目の前に居る彼女は冒険者の中でも有名人である。色んな意味で。

 

「おい、あれ【剣姫】じゃねぇか?」

「あ? どこだよ?」

「宿屋の前に白髪の男といるのだよ」

「はあ!? 男と宿屋!?」

「あ、あの【剣姫】が男と宿屋の前に……!!」

「ちょ、ちょっと待て、何の悪夢だこりゃ……」

「【異端児】と付き合ってんじゃなかったのかよ!?」

 

 現に周りで好奇の目や嫉妬の目など、様々な目がチヒロとアイズを見ている。

 白髪になってからあまり表立った事をしていない為、まだチヒロが生きているという事を知らない者達は多い。現に深層で再会するまではアイズ達も彼が生きている事を知らなかったのだ。

 黒髪から白髪になったのと、ギルドが隠しているから気付かれていないというのもあるだろうが、チヒロも生きているという事を気付かれたくはない為、正直あまりこれはいいものではない。

 自分の腕を掴んでいた手を掴み返し、チヒロはどこか急ぎ足でその場を離れる。

 突然の事に今度はアイズが驚く番だが、それよりも驚いたのは握られた手。

 思い出すのはクロノスの言葉。

 

 ――恋人同士ならデート中に手ぇ繋いだりするなぁ。

 

 ボンとアイズの顔が一気に真っ赤に染まった。

 そんなアイズに気づかないチヒロは、スタスタとどこかに向かって歩きながら喋る。

 

「場所を変えるぞ」

「う、うん……」

 

 正直、今はそれどころではない。

 手から手へと伝わってくる彼の温もり。昔はよくチヒロに手を引かれてホームに帰ったが、あの時はこんな特別な感情は無かった。なのに今はそれが物凄く特別に思えて、愛しく思える。

 ずっとこのままでいたいと、そう思える程に。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「ここまで来れば人目はないだろ」

 

 どこか満足気にチヒロは一息吐く。

 あの場から逃げるようにしてやって来たのは、人っ子一人いない市壁の上。本来なら封鎖されているはずなのだから当たり前である。

 胸壁に背中を預けるように座れば、目に金色が映る。

 右手を見つめながらショボンとしているアイズ。

 それに不思議に思いながらも、チヒロが名前を呼べば、我に返ったように顔を上げて隣へ――お互いの肩が引っ付く距離――と腰を下ろす。まだどこか落ち込んでいるが。

 二人の髪を優しい風が靡く。

 

「……近くないか?」

「そんなことないと思う」

「……そうか」

「……白兎君は大丈夫?」

「白兎? ああ、ベルか。ダンジョンに行くぐらいには元気だそうだ」

「そっか、よかった」

 

 膝を浅く抱えた状態で座っているアイズは、ホッとしたように安堵の息を吐く。思い出すのは豊饒の女主人での一件。

 もちろん、チヒロの事は気になっていたが、その場から逃げるように走り去って行ったベルの事もアイズは気になっていた。

 アイズの目には確かに見えた。歯を強く食いしばり、悔し涙を光らせていた深紅の瞳。

 何故少年がそんな顔をしていたのか、何故少年が泣いていたのか。本当の所はアイズには分からないが、アイズはアイズなりに少年の立場になって考えた。

 そして、出てきたのはチヒロの事。

 チヒロを師と仰ぐ少年は、その師が馬鹿にされたのが悔しかったのではないか。自分のせいで尊敬し、慕っている師を馬鹿にされたのが悔しくて悔しくて堪らなかったのではないか。

 少年とチヒロの関係は、ダンジョンで少し――少年がチヒロを嘘吐きと罵倒したやり取りだけ――しか見ていない為、本当にそうなのかは分からないが、もし自分が少年の立場ならそう思うとアイズは思ったのだ。

 だから、少年に申し訳ないと思うし、謝りたいと思っている。会えるのがいつになるかは分からないが。

 ふと、視線の端で何かがコクンと動いた。

 あの時の事を考えていたアイズは、不思議そうに何かが動いた右側――チヒロが座っている場所を見る。

 こっくりこっくりと舟をこぐ彼がそこにはいた。

 

「チヒロ……?」

「んあ? ……ああ、すまない」

 

 今にも閉じてしまいそうな空色の瞳を右手で掻く。それでも眠そうだ。

 

「やっぱり眠いの……?」

「……最近ちゃんと眠れてなくてな」

 

 誤魔化そうかと思ったチヒロだが、こうも何度も失態を犯しているのに、今更かと白状する。

 チヒロからの告白を聞いたアイズは、少し何かを考えるように顔を俯けたかと思いきや、ハッと何か閃いたように顔を上げた。

 そして、ぽんぽんっと。

 

「……何?」

「眠っていいよ」

「いや、そういう事じゃなくて……何で膝を叩いてるんだ」

「膝枕」

 

 アイズがチヒロに体を向けてきて、膝を折って自身の細い腿をぽんぽんっと叩いた時から、何となく予想は出来ていた。が、口に出されると平常心ではいられないのがチヒロだ。

 直球で私の膝枕で眠れと言っている彼女に、チヒロの顔は一気に真っ赤に染まった。眠気なんて一瞬で飛んでいった程だ。

 

「ま、またクロから余計な事を……」

「ううん、クロじゃないよ。リヴェリアに教えてもらった」

「……何してくれてるんだ、あの王族(ハイエルフ)は……」

 

 まさかの人物に石畳に両手をつけて項垂れる。

 頭に思い浮かんだのは、小さな優しい笑みを浮かべながらアイズを温かく見守っている王族(ハイエルフ)

 ロキ・ファミリアのレベル6冒険者三人の中でも、アイズに対して一番の親バカだ。アイズの想いを少しでもいい方向に持って行こうとするのは、何だかんだ言ってフィンよりもリヴェリアの方が厄介なのだ。

 遠征から帰還途中のアイズとの添い寝に関しても、提案してきたのはリヴェリアだと、チヒロは後日フィンから聞いている。

 よくよく考えればクロノスの次に厄介な人物だった。

 

「チヒロ?」

「え!? あ、えと……」

 

 リヴェリアの言動が原因で起こった今までのアイズとのイベントを思い出して項垂れていたチヒロは、突然金色が自分を覗き込んできた事に驚く。

 顔を上げれば不安そうな表情をしているアイズ。

 そして一言。

 

「……私の膝枕は、イヤ?」

 

 

 ◆◆◆

 

 

「(……思い出した)」

 

 

 長い長い回想を終えたチヒロは、先以上に顔を真っ赤にして片手ではなく、両手で顔を覆っていた。

 アイズとデートでご飯を食べさせ合い、チヒロを気遣う純粋な思いとはいえ宿屋の前にまで連れて行かれ、現在は市壁の上で二人きりで彼女の膝枕――結局拒否する事が出来なかった――でお昼寝。

 思い出した事を後悔するぐらいに、チヒロにとっては恥ずかしい回想だった。

 今すぐ穴掘って埋まりたい気分ではあるが、下手に動くともっと大変な事になりそうな気がするので、チヒロはとにかくこの状態のままで思案する。どうすればこの状況を打破出来るのかと。

 だが、その思考を鈍らせるように頭を優しい手つきで撫でられる。

 それに既視感を覚えた。

 遠い遠い昔に、こうやって誰かの膝に頭を乗せて、優しく頭を撫でられながらお昼寝をした覚えがあった。

 思い出す。大好きで大好きだったあの人を。

 

「……かあ、さま……」

「!」

 

 チヒロの口から漏れた言葉に、アイズは微かに目を見開く。

 彼の頭を撫でていた手を退ければ、見えたのは悲痛の表情。そして、その閉じられた眦から一雫の涙が零れ落ちた。

 やっと眠ってくれたと思ったら、まさかの涙。

 その涙をアイズはそっと拭う。

 幼い頃にチヒロに聞いた事があった。チヒロの両親はどうしているのかと。

 その時の彼は、「どうしてるんだろうな」と話を逸らした。

 アイズはその時の彼の表情を忘れたことはない。今にも泣きそうな、今もにも壊れてしまいそうな、そんな顔だった。

 クロノスにも少しだけ聞いたが、その事については聞かないでやって欲しいと頼まれた。チヒロが自分の口から言えるようになるまで待ってあげて欲しいと。

 だから、アイズは待つことを決めた。チヒロが話してくれるその時までを。

 

「……大丈夫、私はちゃんとチヒロの傍に居るから」

 

 その声が届いたのか、チヒロの表情がどこか穏やかなものに変わる。

 それに胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、慈しむように金色の瞳を細め、アイズはその白髪の頭を優しく撫でた。

 

 

 

 




約1ヶ月も更新が出来ず、申し訳ありませんでした。
色々と忙しかったのもだいぶ落ち着いてきたので、今後はもう少し早めに更新出来るように頑張ります。

次回は神の宴です!
ご意見、ご感想お待ちしています!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。