東方物部録 (COM7M)
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飛鳥時代に転生

あらすじに注意書きなど書いています。見てない方はそちらを。

それとあらすじにも書いていますが、史実の知識は無いです。当然調べたりもしましたが、飛鳥時代というのもあって調べても資料が少なかったりもするので。

試験的な作品ではありますが、よければご覧になって下さい。




死後に別の存在として生まれ変わることを一般的に転生と呼ぶ。憧れる響きだ。もし記憶を持ったまま別の世界に転生できたら楽しいだろうなと、昔は俺もよく思っていたがその考えは中学二年生特有の病気が治ると自然に無くなり、死んだ後の事よりも今が大事だと色々頑張ってきた。その結果が交通事故での死亡とは、世界はかくも残酷だ。

 

何故唐突に転生について話をしたのかというと、まさに俺はその転生というものにより甦ったからだ。

さて、俺が転生してからだいたい一週間が経っただろうか。人間一週間経てば色々と現実が受け入れられるようになってきた。授乳や排泄もそうだが、それ以上に俺はこの世界を受け入れるのに随分と時間が掛かった。磨かれた木に白い壁、まだ畳すら存在しなく床も板張りになっており、布団も気持ちよいとは決して言えない。赤ん坊の部屋であるというのに11畳は軽くある大きさや、召使がいることからかなりの金持ちだと分かるが、文化の水準が低い所為かさほど喜べない。それもそうだ。なにしろこの時代は未来では飛鳥時代と呼ばれる、俺がいた世界より1400年も昔。いや、下手をすればまだ飛鳥時代にすら入っていないのかもしれない。

ここまでは先程も述べた通り、一週間の時間を費やしたて何とか受け入れる事ができた。何しろこの貧富の差が激しい時代に名家に生まれる事ができたのだ。生まれながらの勝ち組と言える、本来ならば。

 

「しかしまこと布都は可愛いのう。あなたのおかげで物部家は笑顔が絶えません」

 

抱っこする母が優しく俺に語り掛けてきて、俺は笑顔で返す。勿論苦笑いだ。だが母から見れば純粋な赤ん坊の笑みなのだろう。

そう、生まれて来た家が、近い将来滅びてしまう物部家でなければの話だ。今が西暦何年かは分からないが、590年くらいに物部家は蘇我氏との戦いで滅びてしまう。それに気づいてすぐは何とかしてその争いが起こらないようにしようと思ったが、戦争の原因は過酷な宗教争いによるもの。この時代の頭の固い宗教家の意志を曲げる話術など俺は持ち合わせていない。

 

そんな絶体絶命の家に生まれた俺だが唯一の救いと言えるのがあった。それが物部布都という名前。

物部布都は、前世で俺が好きだった東方Projectと呼ばれる作品に登場するキャラで、今の俺と同じく飛鳥時代出身のキャラだ。アホの子でありながら仏教の寺を燃やそうとする放火魔として描かれることが多く、俺もそのイメージを持っている。他にもどうでもいい知識もいくつかあるが、特に大事なところは一つ。彼女は現代で言うコールドスリープに近い方法で尸解仙となって1400年後の世界に聖徳太子と一緒に復活してきた。つまりもしこの世界が東方Projectの原作開始前の飛鳥時代ならば、この世界の聖徳太子は女性で、彼女についていけば無事に生き残り、幻想郷ではあるが1400年後の世界に戻る事ができる。

 

「だぅあうあー」

 

そこを利用するしかないな、と呟いたのだがこの小さい舌でそんな器用な発音なんてできるわけもなく、母が心配そうに顔を覗き込む。大丈夫だと適当に笑顔を作ると、母はよしよしと頭を撫でて来た。

考える時間は無駄にある。とりあえず今はこの世界の言葉をしっかり理解していこう。そんな事を考えているといつの間にか睡魔が襲ってき、気が付けば俺の意識は眠りの世界に旅立った。

 

 

 

我が転生してから既に五年の時が過ぎた。どうも魂が物部布都の体に影響されたのか、我の口調は早くも原作通りの爺臭いものになってしもうた。母上は我の口調が年相応ではなく心配していたが父上は、布都は天才なのだ、むしろ誇るがよい、と笑いながら我の頭を撫でてくれた。う~む、どうやら我の性格は父上に似たようじゃのう…。

そんな我は数か月前から書物を読み始めておる。まだ近代化には程遠い時代ゆえに書いていることは、生や死、神などの概念的な話が多く、正直さほど面白いとは言えん。まあかと言って数学や理科が好きでもない。それにもし本当に我の知っている聖徳太子、豊聡耳神子がこの世界にいるのなら、書物を読んでおればそれだけで彼女との会話の種になるかもしれん。なにより傍から才児と呼ばれるのは後々の発言力を強める可能性があろう。

 

「おお、布都!また書物を読んでおったのか。お前は本当に賢い子じゃ」

 

「はい。父上の子であるので当然ですぞ」

 

まだ滑舌が不安定じゃが、五歳児にもなればもう十分に話すことも可能。元の世界でここまで言葉を知っている五歳児がおれば不審に思われるかもしれんが、この時代だと天才と言われる為、我も言葉選びを考えることは余りせん。流石に横文字は控えておるが。

皆が褒めてくれるのは嬉しいが、やはりこれらの書物がさほど面白くないことには変わりない。丁度父上が居られるので、我は軽い気持ちで聞くことにした。

 

「父上、これらの書物以外に我が家にはなにかありませぬか?やはり我には少々難しいですぞ」

 

「む~、そうか。儂もそんなに書物は読まぬからの…分かった、今度どなたかに書物を貸してもらう事にしよう」

 

この時代の書物はかなりの高級品。いくら父上が力を持っていようとも、それをそう簡単に貸してくれる者がいるとは思えん…。そんな我の考えに答える様に、父上は独り言の様に呟く。流石に五歳の我には分からないだろうと声を落としたのだろう。

 

「こちらにある書物と交換と言えば、相手も喜んで差し出すだろう」

 

わざわざ我の為に交換してくれると聞いて、少々申し訳なかった。我は読みやすい本よりも、少々曰くつきの、もっとはっきり言うなら道教についての本を探しておる。原作の設定では、本来敵対している聖徳太子と我を繋いだのが道教だったはずだから、なるべく道教について知っておきたかった。その時、父がポンと手を叩いて再び我に話しかける。

 

「そうじゃ、大王(おおきみ)の遣いが来られての。どうやらお前の才能が大王のお耳に入ったようで、是非お前に大王のお子様である神子様の相手をして欲しいとのことだ」

 

今の時代、天皇の名をそのまま口にすると無礼極まりないとのことで、天皇の事は基本的に大王あるいは陛下とお呼びする。だが天皇と呼ぶ方が親しみのある我は、声に出す時以外は天皇と呼んでおる。

現天皇のお名前は用明天皇。その名は知っておった。聖徳太子の親で、天皇に即位されて僅か二年でに死亡された。今年になって用明天皇が即位されたのじゃが、その時は驚きのあまり発狂しそうになった。というのも、先程も申したが用明天皇は即位して僅か二年で亡くなり、その後継者争いの戦で物部が滅んだはず。もう用明天皇が即位されたとなると、もしかしてあと二年以内に後継者争いが始まるのかもしれん。

しかし冷静になって考えると、そもそも我がおるこの世界は東方Projectの原作前の世界であって、我が元いた世界から直接タイムスリップした訳ではない。現に史実だと我の娘の立場に居る屠自古も、原作だとただの悪友じゃ。

 

「やはり神子様は居られるのか!」

 

ともあって我は用明天皇の件に関しては、あえて考えないようにしていた。もし二年後に戦が起こってしまうとしても、必ずその前兆はあるだろうから、その時考えればよい。まず今は我の知っている神子の名が父上の口から出たことを喜ぶことにした。神子が居てくれれば、一気に幻想郷に行ける可能性が高まる。

父上は我の頭を撫でながらも、少し呆れた声で返す。

 

「何を当たり前の事を言っておる」

 

 

 

 

そして数日後、本当に我は皇居、この時代の言葉を使うと(みや)に来ることができた。現代でも京都御所に観光に行ったことはあるが、あそこは一部しか回れず、当然であるが実際に天皇が住まれている訳ではない。だが今我の前に広がる光景は、何人もの門番や警備の者が武器を構えて立っており、高貴な着物を羽織った者が歩き回っておるなど生活感が見られる。門を潜ると日本独特の美的センスを最大限に使った美しい木々や庭が広がっておった。

 

「わあっ~!凄いですぞ父上!せめてあの石の川だけでも我らの庭にも取り入れましょうぞ!」

 

石と砂を使って山水の風景を露わしたものを見て、我は父上の手を引っ張った。それは枯山水と呼ばれるようだが、そこまで詳しくない我はそれらしい例えを使った。だが父上はいつもよりも厳しい口調で返してきた。

 

「布都、静かにしなさい。ここは宮だ。言った通りにせんか」

 

「す、すみませぬ父上。いささか興奮しておりました…」

 

声のトーンは低いが口調は明らかに怒っていたので、我は大人しく父上の言う通りにした。それから父上は、いかにもそれっぽい格好をした天皇の小間使いと幾分か会話したあと、小間使いについていくように歩き出したので、我も慌ててそれについていく。

本当に家なのかと疑う程に家は広く、既に五分は歩いておる。我の家もかなり広い豪邸ではあるが、このペースで歩いておれば家の端から端まで付く。やはり文字通り格が違うのだろうと感心しておると、どうやら目的地の天皇の元へ着いたようだ。父上が廊下に座ったので、我も慌てて父上と一緒に胡坐をして座る。

小間使いが扉越しに物部氏が来られましたと告げると、中から入ってよいとの許しが出た。小間使いがゆっくりと扉を開き、それに合わせて親子一緒に頭を下げた。

 

「お久しぶりでございます。本日は娘共々お招き頂き誠にありがとうございます。これがその、布都でございます」

 

突然会話が振られたが、もっと長々と挨拶をすると予想しておった故にすぐに反応することができなかった。ほんの数秒の間が空いた後、我は慌ててもう一度頭を下げ、一呼吸おいて心を落ち着かせて父上に教わった通りの挨拶をする。

 

「お初にお目にかかります。物部尾輿の娘、物部布都と申します。本日は(わたくし)をお招き下さりありがとうございます」

 

完璧に決まったと内心でドヤ顔を決めたのだが、天皇の返事が返って来なかった。何か不具合でもあったのかと父上の顔を確認したいのじゃが、お許しが来ん限り頭を上げてはいかん。一気に冷や汗が出てきて体がカクカクと僅かに震える。深く考えておらんかったが、この時代の天皇は文字通り神。もし神の怒りに触れてしまえば、その場で処刑も考えられる。その事に気付いてしまい、ますます体の震えが強くなってしまう。

 

「二人とも面を上げよ。それと布都よ、震えずともよい。幼きながら見事の挨拶に驚いておったのだ」

 

「あ、ありがとうございまする」

 

まさか褒められるとは思いもしなかったので、慌てて一旦上げた顔をもう一度深々と下げる。チラリとだけ視界に入ったが、用明天皇は優しそうな顔立ちをされたお方だった。

 

「話は聞いておるぞ。五歳でありながら随分と難解な書物を読んでおるとか」

 

「は、はい。ですがやはり難しくもあり、身の丈にあった書物を先日父に頼んだところでございます」

 

「よ、よさんか布都」

 

天皇に対して嘘は吐いてはならぬと先日の出来事の事を話したのだが、やはり天皇の前ではしたないのか父上が慌てる。父上の反応を見て我もハッと気づき、これまた頭を下げようとしたのだが、天皇は気にしておられん様子。

 

「よい、気にするな。だが書物が好きならば丁度よい。今息子が書物庫におる。よければ相手をしてやってくれ。そこの者が案内してくれよう」

 

「わ、わたくしでよろしければ是非」

 

用明天皇に会えた事はとても誇れることで嬉しいのじゃが、それよりもプレッシャーが重すぎて、さっさとここから逃げたかった。馬鹿の一つ覚えの様にまた深々と頭を下げると、天皇の視界の外に出るまで座ったまま移動して、そこから立ち上がる。

 

「布都様、こちらでございます」

 

「は、はぁ……」

 

早くもヘトヘトでもう家に帰って寝たかったが、それでは父上の顔に泥を塗ってしまうのでそうもいかない。しかしやる気が出ない。疲れたのもあるが、天皇は息子の相手をしてくれと仰られた。我の望んでおる用明天皇の子供の神子は女性だ。となるとやはりこの世界には神子がいないのか、それとも史実じゃと我の方が年上ゆえまだ産まれておらんのか。どちらにせよ我はさほどの期待をせず、とりあえず父上のお顔を立てるため最低限頑張ろうと思っておった。

 

だが我の予想は良い方に外れてくれた。書物庫に到着すると小間使いは、立派な椅子に座り机に広げた書物を読んでいる一人の少年に我を紹介した。少年は大層美しい顔立ちをしており、その肌は透き通るように美しくも決して病的な白さではなく、まるで家宝の如く手入れされているようだ。平べったい顔立ちの日本人とは思えぬ高い鼻に、チェリーのような唇、目はパッチリと開き可愛らしくもあるが、その瞳には並々ならぬ強さが確かに宿っておる。そして極めつけはその薄い茶の髪が、まるで獣の耳の様にピョコっと跳ねておる。まだ幼くはあるが、その姿はまぎれもなく我の知っている豊聡耳神子の幼いそれだった。

我の望んでいた者に会えてとても嬉しかったが、ますます目の前の神子の性別が気になった。用明天皇は確かに息子と仰られたし、着ておる服も男子のもの。確かに顔立ちは美しいものの中性的で、美男子と言われたら納得してしまいそうだ。

 

「ああ、あなたが物部家の。私は豊聡耳神子」

 

「へっ?あ、お初にお目にかかります。物部布都と申します」

 

神子に会えた感動はあったもののその性別が分からずに放心してしまっており、少々挨拶が遅れてしまったが、気にしておられん様子。我等の挨拶を確認した小間使いの男は一礼すると、書物庫から出て行った。いきなり神子と二人っきりになるのは嬉しくない、というよりも緊張で頭がどうかなりそうなのだが、小間使いが我の心境を察してくれるわけはない。

シーンと気まずい空気が生まれ、神子は早くも興味を失くしたのかまた本に視線を下ろす。むぅ…我の知っておる神子は気さくな人物だと思っておったが存外冷たいのじゃのう。何とか話題を作ろうと、無礼と分かっておったが神子が読んでおる書物をチラリと見る。細かいところは違うものの、書かれておる内容は以前家で読んだ書物と同じだった。

 

「神子様は唐の文化に興味がおありなのですか?」

 

書物の内容は中国、この時代では唐の政治体制について書かれたものだった。その事を何気なく聞くと神子は驚きの声を小さく漏らして机の上に広げられた書物から視線を反らし、我の顔を見る。

 

「この書物の内容が分かるのですか?」

 

我と近い年頃の豪族の子供の知力がどれ程かは分からんが、少なくとも今神子が読んでおる書物は子供が読むものではない。

 

「はい。我…私の家にも唐の書物がありますので読んでおりまする」

 

すると神子は何度か瞬きをする。やはり見た目は美男子よりも美少女と言った方がしっくり来る。

 

「あなた、まだ五つでしょう?」

 

「神子様も六つではありませぬか」

 

そう言われると神子は上手く返せないのか、そうですねと静かに頷いた。ポーカーフェイスを装っておられるが、その口元は確かに緩んでおった。

神子は前世の記憶を持った我とは違い、本物の天才なのだろう。六歳でありながら難解な書物を読み解く才は本物。しかしそれ故、同年代の子と話が合うものが居らぬのかもしれん、いや、居らぬのだろう。当たり前である。普通どこの六歳児がこのような書物を読めるというのか。

 

「よければあなたの話、聞かせてもらえますか?」

 

「話、と申しますと?」

 

「そうですね。なら家にある書物について」

 

「畏まりました」

 

それから我は今まで呼んだ書物について色々と話した。後に十の声を同時に聞くと伝説になるだけあり、六つの子供とは思えぬほど聞き上手で、ついついあれやこれやと話したくなる不思議な感じであった。我は楽しくなってその一時間の間ほぼ話続け、口の止まらぬ我を神子は時折クスクスと笑った。一通り話し終えた一時間後には喉がカラカラになってしまい、神子が外にいる小間使いに命じて水を持ってきてくれた。

 

「ぷはぁー。お水感謝します」

 

「いえ、気にしないで下さい。ですが本当に驚きました。最初は親からの受け売りかと思っていましたが、しっかりと自らの意見を持って話している。布都の様な女子は初めてです」

 

それはこちらも同じである。原作知識から神子が天才だとは知っておったが、六つの時からここまで頭がよく、価値観や見方が既に大人と変わらないとは予想できぬ。実は話の途中でタイミングを見計らってさり気無く神子の性別を聞こうとしたのだが、その隙が見つけられんかった。

だが話題が逸れた今なら聞けるかもしれん。

 

「お褒め頂き光栄でございまする…。では、次は神子様の番ですぞ」

 

「え?」

 

「我の話を聞いて下さったのです。今度はその逆。未熟ではありますが我でよければ、神子様の話やお悩みを聞かせて欲しいのです」

 

すると神子は少々困った表情になり、口籠ってしまわれた。やはりどんなに賢くともまだまだ子供、その反応だと打ち明けにくい悩みがあると言っておるようなものだ。因みに我の一人称が戻っておるが、神子がそのままでいいと言ってくださった。

我は机越しに座っておられる神子を真剣な眼差して見つめておると、神子は暫く悩んだ後に、不安げな表情でゆっくりと口を開いた。

 

「私はその…実は…」

 

「失礼いたします」

 

神子が言いかけたその時、外で待機していた小間使いが扉を開けて入ってきた。神子はすぐさま表情を天皇の息子のものへと戻し、我は内心舌打ちしながら小間使いの方を見ると、小間使いだけでなく父上が一緒に居られた。父上は神子に一礼して挨拶をすると、我の手を掴んだ。

 

「布都、そろそろ時間だ。帰るぞ」

 

「分かりました…。すみませぬ神子様。お話はまた今度でもよろしいでしょうか?」

 

「はい、あなたの話はとても面白かったです。是非またいらしてください」

 

神子は笑顔で返してくれたが、それは我慢して作っていた様に見えた。振り向いて神子を見つめると、小さく手を振ってくれたので、我も笑顔を作って手を振った。

 

帰り道も、家に帰ってからもずっと我は神子の事を考えておった。彼、いや、彼女は性別を偽っておるのは間違いないだろう。幼い年の男女は身体的特徴の差が余りないとはいえ、やはり顔立ち、声、体の細さから男子とは言いにくい。男尊女卑の時代の所為かは分からないが、何の因果かそう教育を受けたのだろう。本当の自分を出せず、賢いが故に同い年の子供と話が合わない。天才ゆえの悩みと言ったらそこまでなのかもしれないが、彼女は彼女なりの苦しみを味わっている。

可哀想だと思った。だがそれ以上に、不思議な魅力を持った少女だと感じた。どこかただならぬ力を感じさせ、理屈ではないこの人に付いていきたいと思える雰囲気。それをカリスマと呼ぶのだろうか、それとも我が物部布都である為、彼女に他人とは違う特別な感情を抱いたのであろうか。だがどんな理由であれ、やはり我はあの方に付いていきたいと思った。

 

「また今度、是非会いに行きますぞ」

 

そう呟いて、我は書物を読み始める。神子様と会うまでに少しでも知識をつける為に。

 




追記)布都が正座をする描写を書いていたのですが、正座は江戸時代の参勤交代の時に広まったもののようなので、正座を胡坐に変えました。また、飛鳥時代では天皇の事は、天皇と呼ばずに大王、陛下と呼ぶみたいなので、その辺りについても付け加えております。知識不足で申し訳ありません。


史実と違うのは、用明天皇の即位。
布都の元ネタである物部守屋が聖徳太子よりも年上ですが、今回は逆にして更に年を近くしております。

神子は男子として育てられている設定にしました。

ツッコミところは色々ありますが、よければ感想をお願いします。


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打ち水は江戸時代の知恵

資料が残っている戦国辺りもそれはそれで大変だけど、飛鳥時代も書くのが難しい。

物部家ののんびりとした回です。結構短い。
もうちょっと展開や会話を入れてもしれませんが、私の力では中途半端になってしまう。文字数調節って意外と大変。





改めて言うが、我は名家である物部家に生まれた。近い将来滅びるという運命を背負っておるものの、今はまだかなりの力を持っておるため、普通の農民(部曲(かきべ))に比べるとその生活は月とスッポンである。それでも我は転生する前は現代人であった為、現代の暮らしが未だ魂に刻み込まれておる。電気も水道もないので、当然エアコンや扇風機が無く、夏の暑さを凌ぐには自ら扇子を仰ぐしかない。なおこの扇子もまた紙を使用しているため高級品で、一般市民が日常的に使えるものではない。その事を考えると、物部家に生まれたのは何だかんだ幸運と言えよう、エアコンと扇風機が欲しいのに変わりはないが。

我は扇子を仰いでいた扇子をパタンと閉じると、喉が渇いたので井戸に向かった。本当なら召使の者に頼んでもよいのだが、それくらいは自分でやらんとだらけてしまう。召使の見よう見真似で井戸水を組み上げようと心得るが、なにぶんまだ幼い体ゆえに力が足りない。だがこの暑い中大声を上げて召使を呼ぶのも億劫だったので、上手くテコの原理を使って桶を持ち上げる。

 

「まったく、水を飲むのにも一苦労するのう」

 

軽く手を洗った後に手で皿を作って水を飲む。日本の水が美味しいのは1400年前も変わらないようで、喉を通る水は癖や臭みを感じられぬまろやかなものだ。

 

神子様と出会ったのが二カ月前。あれから神子様と会う機会は無く、父上が持って来て下さった書物に道教に関する書物は無かった。まあ物部家は神道と押す最前線と言っても過言ではないので、異教徒の書物は意図して置いてないのだろう。

どうしたものかと考えながら、桶を持って柄杓で掬った水を庭にばら撒く。打ち水のやり方や何故涼しくなるのかの論理は知らないが、ばら撒いていれば少しは涼しくなるだろう。

 

「布都、何をやっておるのですか?」

 

回り廊下を歩いていた母上が我に気付いた様で、不思議そうにこちらを見ておった。母上の周りにおる下女達も互いに顔を見合わせ、首を横に振っておる。

まさか…この時代には打ち水すらないと申すか。ここでようやくテレビで江戸時代の庶民の知恵だと言っていたのを思い出した。なにぶんどうでもいい雑学の為記憶の奥底に仕舞い込んでおった。

 

「布都?」

 

「え、え~とですね。これは我が発明した打ち水ですぞ!」

 

「打ち水?」

 

こうなればもう自棄である。ただの水遊びと嘘を吐いてもよいが、株は上げれるところで上げておきたい。首を傾げる母上に、我は何か適当な説明をする。

 

「風呂に上がった後に風を浴びるとより一層涼しく感じられると思います」

 

「はぁ、確かにそうですね」

 

「ならそれと似たように、地面に水を撒いていけば通る風が涼しくなるかなぁ……と、思いまして…」

 

我ながら適当な説明だ。打ち水が効果的なのは確かであったはずじゃが、試したのはこれが初めて。

母上は少し悩んだような顔をし、それから靡く風を受けるように手を伸ばす。母が風を意識して十秒程経っただろうか。

 

「確かに、風がいつもより涼しい気がします。布都は賢いですね。さて、では私は今から街に出かけに行きます」

 

「へ?あ、はい。行ってらっしゃいませ」

 

ペコリと頭を下げて母上を見送る。

我も風を意識しておったのだが、涼しくなった感じはなかった。周りにおる下女達も微笑ましそうにしておったので、多分我に気を使ったのだろう。ぐぬぬ…打ち水が効果的であるのは確かなのだが、実証できない限りただの子供の戯言で終わってしまう。我はまた桶を担ぎ、水の撒かれた跡のある道を辿っていく。

やはり打つ場所や時間帯も重要なのかもしれんの。冷静に考えると、熱い地面に水を打っても水蒸気が出て湿度が上がり、むしろ逆効果になってしまうかもしれん。

 

「丁度良い。夏休みの宿題感覚で打ち水をやっていくかの。暇じゃし」

 

 

 

それから二週間後。定期的にいくつかのポイントに別けた場所に水を撒いていくと、理屈は分からないが答えは出た。どうやら比較的涼しい午前中や夕方の日陰や砂利に撒くと涼しくなり、上記の条件かつ風通しの良い地点の近くに撒くと明らかに変わった。

その変化には両親や召使も気付いた様で、我のおかげで涼しくなったと褒めてくれた。

 

「よくぞ打ち水に気付いた布都!お前のおかげで今年の夏は随分涼しい」

 

「ほんと、随分と風が気持ちよいです」

 

「うむ!喜んでもらえて嬉しいですぞ」

 

自分の為にやった事だが予想以上の反響で、今我の鼻は天狗の様に伸びていた。

打ち水のやり方と効力を知った父上は早速お偉方の集まりの時に話したようだ。そこまで大それた技術ではないのだが、この暑い夏を過ごすには持って来いの術だったのだろう。数日後には反響の声が上がったようで、感謝の言葉を貰った父上は今の我のように鼻を伸ばしていた。

似た者親子の我等二人を微笑みながら見ておった母上は何か思いついたのか、父上に声を掛ける。

 

「あなた、何か布都に褒美をやってはどうでしょう?」

 

「おお、確かにそうであるな。布都、何か欲しいものはないか?流石に大量の書物は無理だが、一つや二つくらいなら買ってやるぞ」

 

唐突なプレゼントタイムに、咄嗟に道教の書物が欲しいと言いかけたが慌てて出かかった言葉を飲み込む。父上や母上は我が書物好きだと勘違いしておるが正確には違う。書物を読む以外にやることがないので古臭い文章の文字列を読んでおるのだ。

我が欲しいものは一つ、異能の力じゃ。せっかく東方Projectの世界に生まれたのならもっと奇奇怪怪な能力を身に付けたいし、もし無事に神子様と幻想郷に行けたら弾幕ごっこをする時もあるだろう。

柔らかな表現でその事を伝えたいのだが、いきなり空を飛びたいだの弾幕を撃ちたいだの言えば、間違いなく変な目で見られるであろう。腕を組んで一分ほど経っただろうか。まるで頭の中に神のお告げが来たかの如く突如名案を浮かんだ我は、ポンと手を叩いて二人に伝える。

 

「我は妖怪と戦う術を持ちたいですぞ!」

 

シーンと父上と母上だけでなく、周りの召使たちも固まった。

この時代は妖怪の存在が一般化しており、五歳である我の耳にも、どこで妖怪が出たなどが入って来る。その為都や大きな街には必ず退魔師が存在しており、日々妖怪の手から人を守っておる。我も実際に一度だけ退魔師の術を見たことがあるが、それは現代の人間にはできない非科学的なものであった。つまり非科学的な力を手に入れる=妖怪と戦う術を持つがなりたつ。突拍子も無く空を飛びたいなど言うよりも、かなり具体的ではあるが遠回しに伝えられたと思ったが不味かったかのう…。

先程まで笑顔だった父上は突如真剣な顔つきになって口を開いた。

 

「布都よ、何故女子のお前が妖怪と戦う術が欲しい?」

 

中二心が疼くため、とりあえず暇つぶしなどとは口が裂けても言える訳もないので、とりあえず比較的子供らしい理由をつけることにした。

 

「確かに今の世、女子は争い事には関わらず、家を守るのが務めです。ですが我はもっともっとたくさんの事を知り、体験してみたいのです!それに妖怪に怯えるのは嫌でございます」

 

全てではないがしっかりと本心を言った。もし将来、物部氏の滅亡が無くとも我は普通の女で終わるつもりもないし、妖怪が闊歩する世界で力が無いのも不安だ。

 

「む~、しかしのぉ…」

 

てっきりと頭ごなしに否定してくると思っておったが、意外にも父上は腕を組んで小さく唸る。むしろ母上の方が否定的な様で、先程とは違う冷たい視線で我を見ておった。この飛鳥時代は決して男尊女卑の時代ではないが、それでも女性が戦う事は避けれれており、特に豪族の女性は万一怪我して子を産めなくなったら大変なので戦いとは無縁の存在だった。

 

「あなた。布都はまだ子供なのですよ。こんな事に耳を傾けてはいけません」

 

「父上!確かに我はまだ妖怪の恐ろしさをよく知りませぬ。ですがこのまま力を持たぬままの方がもっと怖い。我は身を守る術が欲しいのです」

 

「それなら退魔師に頼めるでしょう?何故布都自身がやるのです」

 

母上がここまで頭が固いとは思わなく、我はついカッとなって少々強い口調で返す。冷静に考えればこの程度の反対は当たり前で、むしろいきなりぶたないだけ両親は優しかった。だが魂が既に物部布都になっておるのか、それとも子供ゆえ怒りの沸点が低いのか、それに気付けなかった。

 

「もし今この場に妖怪が現れ襲われたとき、悠長に街の退魔師まで行って依頼するのですか!」

 

「そうならない為に警備の者がおるのでしょう!」

 

「その警備の者も深夜は寝ているではありませんか!妖怪が最も好む時間帯に」

 

我だけでなく母上の口調も激しくなり、次第に召使の者達も我等の口論を止めようとするが、我等親子が怒鳴ると皆一様に後ずさる。分からず屋の母上を何とか説得しようと、より声を上げるがむしろ逆効果。しかし感情的になっている為止めようと思っても止められん。

その時だった。部屋に父上の声が響いたのは。

 

「二人とも静かにせんかッ!」

 

我等親子はビクッと肩を震わす。まだ言いたいことはあるが、父上に歯向かう訳にはいかず、母上から少し離れた場所に座る。

 

「布都よ。母の気持ちを分かってやってくれ。妖怪は本当に危険な存在だ。母はお前に危険な事をさせたくないのだ」

 

「我は妖怪と戦いたいとは言ってませぬ。先程も申した通り、守る術が欲しいのです」

 

すると父上は暫く口を開かず、ジッと我の瞳を見つめる。いつもの優しさを感じられるものとは違う、真っ直ぐで真剣な、力強い目だった。我の意志を確認されているのであろう。果たして傍から見たら我の瞳はどう映っているのか。

確かに動機は胸を張って言えるものではない。現に動機の全てを伝えている訳ではない。だがしかし、動機がどうであろうと我は本心から異能の力を手に入れたいと思っておる。その意思を父上が察してくれるかどうかだ。

 

数十秒か、数分か。物部家の広間を包んでいた沈黙は、母上の名を呼ぶ父上の声で破られた。

 

「阿佐よ、布都の望みを叶えてやろうではないか」

 

「本気でございますか!?」

 

「ああ、だが布都が少しでも弱音を吐いたらすぐに辞めさせる。布都もそれでよいな」

 

「はい!ありがとうございまする!」

 

嬉しさの余り我は父上に抱き付くと、父上は笑いながら我を抱きしめてくれた。

正直なところ最初は軽い気持ちで言ったのだが、父上は我の気持ちを理解してくれ、望みを叶えてくれた。

母上は未だ納得していない表情だが、父上に言われた以上何も言えないのであろう。しかし母上も我の為を思ってのこと、後日母上にまた直接挨拶するとしよう。

 

「ところで父上」

 

「なんじゃ?」

 

「どうやって妖怪と戦う術を身につけるのですか?」

 

やはり退魔師のところへ行って弟子入りするのだろうか。はたまた物部氏にある由緒正しき魔導書的なものがあるのだろうか。異能の力を手に入れられると考えるとワクワクが止まらない。

首を傾げながら父上を見上げると、父上はニコッと笑みを浮かべる。とても優しい笑みであったが、どこか恐ろしさを感じる笑みである。

 

「もちろん、我が直々に教えるのだ」

 

「へ?」

 

 





求口録に昔は普通に妖怪がいたと言っていましたから、普通に異能の力を持った人間もいると思います。布都はその事気づいて、その力が欲しいと言った感じです。


それと布都の性格や精神についてですが、男が布都に転生したよりも、前世の記憶を持った布都を意識しております。布都>男の式が分かりやすいでしょうか。


しかし紙は高級で、扇子も本来は豪族であろうと女の子が暑さ対策に扇げるものかも微妙。打ち水も日本刀も無く、水が美味しいかも分からん。時代って凄いな。




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神道(体育会系)

二話でお気に入り10行けば満足かなと思っていたのですが、既に25人の方に登録してもらい嬉しい限りです。
更には評価もつけて頂きました。この場をお借りして感謝申し上げます。




アホのように騒ぐ蝉が五月蠅い季節。我は夏が嫌いだ。正確には飛鳥時代に来て嫌いになった。理由など言わずもがな、エアコンが無い、夜の蚊が喧しい、そしてなにより水分補給が大事という考えがない。農民達の間でもそうなのかは分からんが、病人でもないのに倒れる者は貧弱で、それくらい気合で何とかしろという根性論が通ってしまう、少なくともこの物部家の中では。

 

「はぁっ…はぁっ!」

 

太陽燦燦(さんさん)とはよく言ったものだ。蝉の鳴き声と混ざった太陽の放つ熱光線は、もはや辛いを通り越して清々しいまでに容赦なく我を襲う。

 

「どうした布都!まだ10周だぞ!」

 

「は、はい!」

 

物部家敷地内全体に響き渡るほどの父上の咆哮により、フラフラになっている足に力を込めて再び走り出す。そう、我は今物部家の敷地内をこの暑い中ランニングしていた。

決して父上の躾でも体罰でもない。このランニングこそが異能の力を手に入れる第一歩…らしい。我はもっと魔方陣的なものを想像しておったのだが、何でも父上の教える異能の力、神道は健全な精神を持つことで初めて特訓が許されるそうな。古代ローマの(名言)、健全なる精神は健全なる身体に宿る理論は飛鳥時代には既に伝わっておったのか、健全な精神を作る為にはまず身体を丈夫にしないければならぬらしい。我の知っておる神道使いには東方Projectに出てくる腋巫女、博麗霊夢と東風谷早苗がいるが、いくら我の精神が現代の俗世に塗れたものでも、あの二人に比べたら綺麗なものじゃと思うぞ。

 

だからと言うて父上が許すまでは次のステップに進むことはできない。今我が出来るのは少しでも早く一回30周のランニング一日三回に慣れ、次の段階に進むこと。実際一週間このランニングをやっていたが、たった一週間でも随分と体力がついてきた。三日目までは10周で限界が来て毎回倒れておったが、今は自分のペースを見つけたのもあり、今は倒れずに30周走る事ができる。五歳の体ゆえ一周に掛かる時間は決して早くはないが、それでも足を止めない限り父上は怒る事はない。因みに物部家の敷地は横縦共に100~120はある。草花や木があり壁に沿って直線的に走ることはできないため、実際は横縦共に100弱と考えてよかろう。なんにせよ30周は辛すぎるぞ。

 

それから数十分後、なんとか無事に30周終えると、父上が座っておられる回り廊下に横になる。体は蒸し暑く汗で服はベトベト、荒い呼吸の所為で声を出すのがつらく、今にも心臓が破裂しそうな程バクバクいっておる。

 

「ようやった布都。ほら、水じゃ」

 

普段なら感謝の一つでも申すが、今はその様な余裕はない。我は奪い取るように父上の持っておる湯呑を取ると一気飲みする。喉が潤うより感覚よりも心臓近くに水が通る感覚が心地よく、少しだけ呼吸が落ち着いた。

 

「はぁ…はぁ…ふぅ…。助かりました父上。やはり走り込みの後の水は最高でありますな」

 

「てっきりこの一週間で根を上げると思っておったが、やはりお前はそこ等の女子とは違うの」

 

父上は褒めて下さったのだが、我の顔は逆にしかめっ面になった。それに気づいた父上は不思議そうに我の顔を見る。

 

「我をまだ女子として見ておったのですか!我は将来妖怪から皆を守るのですぞ。もし剣を振るえと仰るなら柄を持ち、矢を放てと仰るなら弓を引きます!」

 

走り込みで無くなった体力が不思議と戻り、父上の隣で飛び跳ねて剣を振り下ろすポーズを取り、空の弓を目一杯引いて父上へと放つ。父上は暫く豆鉄砲を食らったようにしておったが、やがて大声を上げて笑い、近くに座っていた召使いの一人に命じた。

 

「ハッハッハ、流石儂の娘じゃ。例の物を持って来い」

 

「畏まりました」

 

どこかへ行った召使いは、両手に小さな木の剣と弓を持ってやって来た。もしやと思い父上の顔を見ると、ニッと笑みを浮かべて我の銀の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 

「そう言うと思っており、既にお前の体にあった剣と弓を作らせておったのだ。よしっ、今日からは走り込みの後に素振りだ」

 

「はい!」

 

その日から毎日の日課に素振りが追加された。父上のご指導を受けてからというもの、毎日走り込み、素振り、読書、走り込みと今までとは打って変わって忙しくなり、充実した毎日となった。毎日筋肉痛とまめの痛みに耐える日々になったが、不思議と嫌では無い。前世では特別スポーツマンという訳でも努力家でもないのに日々の鍛錬が楽しく感じられるのは、失礼かもしれんが母上を見ているからであろう。家事をする訳でもなく、父の政治の手伝いをする訳でもなく、ただただ一日を過ごす日々。

勿論母上は大好きである。最初は渋っておったが、鍛錬を始めてからは我を応援してくれるし、時には優しく褒めて下さる。まさに理想の母と言える素敵な方であるが、将来母上の様に一日を暇に過ごして終わるのはいやじゃ。

 

「ハッ!」

 

ブンと木で作られたおもちゃの剣を振るう。我が手に持っているコレを木の剣と呼んでおるのは、文字通りこれは木を削った、ただの剣だからだ。まだ木刀や竹刀すら存在しない時代とは流石1400年前。流派という概念が存在するかも分からん。この時代に日本刀が無いと気づいたときは随分と落ち込み、いっそ我が自ら作ってやろうかとも思ったが、日本刀に関しての知識はほとんどなく、とても開発できそうにない。

 

「鍛錬の途中申し訳ありません布都様、そろそろお食事の時間ですよ」

 

「うむ!あい分かった!」

 

伝言役の召使に礼を言うと、汗を拭き、井戸水で手を洗う。

どうやら疲れが溜まっていたのだろう。父上と母上と一緒に晩御飯を食べた後、いつの間にか我は柔らかい布団に包まれながら、眠りの世界に旅立っていた。

 

 

 

 

布都が眠ったのを確認した儂、物部尾興は静かに布都が眠っている襖を閉じた。妻のいる部屋まで戻ると、彼女は器に酒を注いで儂を待っていた。妻の隣に座り、注がれた酒をグイッと飲む。やはり一日の終わりの酒は上手く、もう一杯寄越す様にと彼女の近くに器を置く。

 

「布都は、変わった子ですね」

 

「そうじゃな…」

 

布都は変わった子だ。赤ん坊の頃から妙に大人しく手の掛からない子だった。三歳からは発音が変だったもののたくさんの言葉を使い、気がつけば今の年寄り臭い口調になっていた。

更に数カ月前には大王のご子息、神子様と話の馬が合ったそうだ。神子様の才は我々豪族の中でも有名だ。僅か六つでありながら難解な書物を解き、大人びた雰囲気と力強い覇気を持つ並々ならぬお方。その方と馬が合うと言うことは、儂の贔屓目無しに布都も神子様と同じ天才なのだろう。

 

「確かに変わっておるが、とても良い子だ」

 

「ええ」

 

注がれた酒を今度は軽く一口飲み、呟く。妻も優しい笑みを浮かべながら頷いた。

一週間前の発言には驚かされた。一体女子が何を考えているのかと、普通なら儂は引っ叩いておいただろう。だが布都が、才児である布都が、ただ何の考えも無しに言うとは思わなかった。儂たちには妖怪から身を守る為と言ったが、他にも理由があるのかもしれん。だが何にせよ、息子に恵まれなかった我等夫婦にとって、いや、儂にとっては娘が神道を引き継ぐことができるのは喜ばしいこと。

 

「布都は凄いぞ。あの年でもう毎日三回30周の走り込みをしておる。剣の振り方も悪くない。弓はまだやっておらんが、きっと良い才能を持っておるだろう」

 

「ふふっ、分かっていますよ。いつも見ているのですから。ほんと、あんなに可愛らしいのに男の子の様にやんちゃで」

 

儂も大概親馬鹿であるが、妻も我と同じく召使の者達によく布都の事を自慢しておる。

布都なら立派に神道を引き継いでくれるかもしれんな。

 

 

 

 

翌日もまた朝のランニングと素振りが終わると、父上から試しに弓もやってみろと言われた。あまりあれこれやっていると器用貧乏になってしまうかもしれんが、弓の興味もかなりあった。と言うのも、原作でも物部布都は弓を使う攻撃をやっておった。ゲーム内ではキャラ性能がそもそも低く、弓での攻撃も決して強くはなかったが、原作の布都も弓の試はあったのだろう。

試しに父上が手本を見せてくれた。我に見せるためにゆっくりとした動作で矢を持ち弦にひっかける。そして数秒ほど呼吸を整えると弦を引き、20メートル程の距離にある的へ目掛けて矢を放った。風を切る音と共に放たれた矢は、的の中心から少し離れた左上に突き刺さった。生まれて初めてこの目で弓を見ると、今まで地味だと思っていた弓への評価が変わった。確かに見ただけだとただ矢を飛ばしているだけ。されどその静かさの中には獅子の如き荒ぶる力が込められており、我は一目で弓に惚れた。

 

「わぁ~っ、カッコいいですぞ父上!」

 

「そうであろう。よいか布都、弓にもっとも大切なのは心を落ち着かせること。剣とは違い弓は己との戦い、自らに負けたら矢は当たらん。それは争いの場でも変わりはない」

 

「はい!我も早くやりたいです!」

 

「分かった分かった。じゃがまずは構えからだ」

 

父上のご指導の元弓の構え、持ち方、各部位の名称について教わった。構えや持ち方に関してはさほど難しくは無く、名称も覚えずとも実践へ直接的な影響もない。じゃが実際に矢を弦につがえる作業に入った途端、急に構えや持ち方がボロついてくる。構えや正しい持ち方を意識すると矢がポロッと零れてしまい、矢を持つことに集中すると今度は逆側に影響が出る。そもそも弓も矢も小さめの子供用ではあるが、それでも未だ小さい五歳児の手の平には大きすぎる。

 

「ハッハッ!流石のおぬしも手こずっておるのう」

 

娘が頑張っているのにも関わらず父上は嬉しそうに笑っていた。何かと飲み込みの早い我も、平凡なところはあるのじゃと少し安心されておるのかもしれん。じゃが甘いぞ父上。せっかく前世の記憶を持っておりながら、ただの平凡な子供で終わるなどそんな勿体ない事はせん。

我は先程の父上の様に一度深呼吸をすると弓を構えながらゆっくりと矢を拾い、余計な力を入れずに静かに弦に掛けていく。周りの事は一切考えない静かな、自分と20メートル先の的だけの世界を作る。五歳児の力であそこまで届くかは分からんが、矢を目一杯引いた。ただの素人が力任せに引いてもすぐに地面に落ちるだろうが、不思議とこのやり方で合っている気がした。

シュンと弦が空を切る音と共に矢が放たれる。真っ直ぐと直線的に放たれた矢は導かれるように的の中心に当たった。やったと両手を上げて喜ぶのも束の間。どうやら威力が低かったようで矢は的に突き刺さることはなく、ポロッと地面に落ちてしまった。

 

「なぁっ!?せっかく中心に当たったというのに何故刺さらん!うむむ、やはり我ではまだまだ力不足ということかのう」

 

我は的まで駆け寄ると足元に落ちていた我の放った矢を的に突き刺す。矢尻に問題がある訳でもなくすんなり刺さったので、やはり威力が足りんのだろう。まあこれに関しては仕方がない。下手に小さい頃から筋力をつけても悪いと言うし、筋力に関しては今後に期待だ。

矢を持って父上の元まで戻ると、父上は何故か目を白黒させており、見かねて我がちょんちょんと服を引っ張るとようやく気付いたのか、ハッと我に返る。父上は威厳を示すかのように腰に両手を当てきつい口調で話し始めるが、その声はどこか震えているようにも聞こえた。

 

「布都よ、確かに中心に当てる事はできたがまだまだ未熟だ。たかが一回的の中心に当てただけで喜んではならん。これからは弓の訓練も定期的に行うぞ」

 

「畏まりました!ご指導の方お願いしますぞ!」

 

それから数十分ほど弓の練習を続けたが、その間に父上は自分の手の平と我の顔を交互に見合わせた後、何度も深い溜息を吐いておった。その父上の姿を、母上はクスクスと笑っておったが、理由の分からぬ我は首を傾げるだけだった。

 

 




今回は修業風景についての話でした。展開のペースはこんな感じですかね。予定では布都と神子が若い内にある程度の大きなイベントを終える予定ですので。

それと布都は周りから見れば天才ですが、それは前世の記憶を持っているから当然です。しかし弓だけは本物の才を持っています。参考にした守屋は弓の名人らしいので。
因みに東方では物部守屋の妹が布都ちゃんの名前の元ネタだったと思いますが、原作設定では守屋の立ち位置に布都ちゃんがいたので(兄妹間の話を書けない私は)守屋と妹の布都姫をフュージョンしました(さすわた)


走り込みで汗塗れの布都ちゃん……閃いた!



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天才布都 逆転の発想

前回 25件のお気に入り登録ありがとうございます!(純粋)
今回 110件の登録(!?)

初めてですよ。ここまで私を喜ばせてくれたおバカさんは。
改めてありがとうございます。まさかこれほどの方に見てもらえるとは思いませんでした。嬉しい反面、今回の話は見る人を選ぶかもしれないので少し不安です。


追記)冬の井戸水が冷たいとか世間知らずな事を書いておりました。恥ずかしいです。


父上の修業を受けてから早くも半年が経っていた。騒いでおった蝉達を含め、虫達や一部の動物達は土の中に潜り、赤や黄色に変色していた美しい落葉も片づけられ、我が家の豪華な庭もどこか切ない雰囲気が出ていた。夏は心地よかった風が今は肌に痛く、毎晩保温性の低い布団に悩まされ、木製の廊下は冷気を帯びており履物無しには歩くのが辛い、そんな飛鳥時代の冬。

 

冬になろうと我の日課は変わらなかった。いや、いい方向に変わってはいた。朝起きると、最初より10週増えた敷地内40周の走り込み。それが終わると、母上が買って下さった我の体格に合った鉄製の直刀で500回の素振りをする。これらが終わると一旦休憩。

この時に毎日同じ召使の者が、季節にあった温度の水を持ってきてくれる。冬に入ると最初は熱い湯を持ってきてくれたが我は猫舌で、それに運動後の一杯は冬でも冷たいのが飲みたいと伝えると、二つの椀に半分ずつ入った冷たい水と熱い湯を両方持ってきてくれるようになった。これで運動後の一杯は冷たい水で喉を潤し、二杯目のお湯で冷えた体の中を暖める。

因みに井戸水は地下10m程にある為気温の変化が少なく、一年中一定の温度の水が飲めるが、運動後の我はキンキンに冷えた水と熱々の水の両方が飲みたいので、冷たい水は暫く放置して用意し、熱い湯は火を焚いて温めてくれる。我ながら我儘な奴だ。

そして気力があれば弓の練習を行う。弓もコツが分かって来て30m先の的まで刺さるようになったが、それ以上遠くから放っても筋力が足りずに刺さらないと分かったので、最近は召使に軽めの的を投げさせたり、我自ら横に走りながら的を射たりと工夫しておる。どうやら我は剣の才能は普通のようだが、弓は明らかに人とは違う才を持っていると自分でも分かった。通常の構えの状態からは勿論、上記のような動く的や自ら動いて放つ時も、多少のバラつきはあるものの不思議と的の中心近くに当たる。風の強さや流れ、弓の撓り具合や弦の強さ。それらが理屈ではなく、直感で理解できるのだ。

 

耳元でシュンと弦が空を切る音が鳴るとすぐ、ストンと矢が的に突き刺さる。今日も召使が投げてくれた動く的だったが、我の放った弓は見事中心を射抜いておった。自分の心・技・体を使って一本の矢を放ち的へと当てる。我はそんな弓をする時間が一番好きであった。

 

「お見事です布都様。今日も絶好調でございますね」

 

「うむ。いつも手伝ってくれて助かっておる、礼を言う」

 

「滅相もございません。私も布都様の並外れた弓の才を見るのが楽しゅうございます」

 

的を投げてくれた召使の女に軽く頭を下げると、女は我より深く頭を下げる。

 

「ふふ、そうであろうそうであろう!…じゃが、本当に助かっておる。おぬしが手伝ってくれんかったら弓の鍛錬はつまらんからの」

 

改めて感謝の言葉を述べ、もう一度頭を下げる。

偉そうな口調を使っておきながらこのような事を思うのも皮肉かもしれんが、我のような小娘に大人が深々と頭を下げる光景を見る度に、改めて身分制度の強さを思い知る。生まれながらの家で格の全てが決まってしまう残酷な世界。時には豊臣秀吉のような例外もおるものの、彼の様に這い上がれるものはほんの一握りだ。

だが我は身分制度に異を唱えようとは思わぬ。確かに低い階級に生まれた者は可哀想だとは思うが、だからと言って我が身投げやってでもこの地位を捨てて革命を起こそうとは思わん。そもそも我は革命より先に滅びゆく物部氏を何とかせねばならぬ。

とはいえだ、だからと言って身分の低い者を貶したり虐めたりは絶対にせぬ。相手が位の下の者でも、感謝する時はしかりと頭を下げて感謝する。それが我が彼等へ送れる小さな応援だ。

 

「…布都様はとても優しいお方ですね。布都様がこの家を継ぐならば、今以上に物部氏を繁栄させることができると思っております」

 

「ほう、中々よい目を持っておるの。なら我がこの家を継いだ暁には、おぬしを我の侍女にしてやろう」

 

「ははー。ありがとうございますー」

 

我のノリが分かってくれたのか、召使の女は棒読みになってわざとらしく頭を深く下げる。ノリの良い召使に小さく笑うと、召使も釣られて一緒に笑ってくれた。

 

吹き出した汗を流すため、先程世話になった召使が用意してくれた湯に浸かって汗を流した。風呂から上がると丁度朝食の時間で、いつもの広間に参ると父上と母上が飯の乗った盆を前に我の到着を待っている状態だった。慌てて我は空いている盆の前に座り、待ってくれていた二人に礼を言うと、三人一緒に朝食を頂いた。そして味の薄い朝食を終えた後、突如木の家を震わせる程の爆音が物部家に襲い掛かった。

 

「父上ぇっ!誠でございますかあーっ!?」

 

物部家の敷地全体に広がる大声に父上と母上は耳を塞ぎ、呆れた目をして我を見た。じゃが二人の視線をお構いなしに我は父上の後ろへ猫の如くそそくさと移動し、父上の足元に広がっておる紙を見る。生前の我なら読めぬ古臭い文字で、確かに先程父上の言葉通りの内容が書かれていた。

 

「明日の午後に神子様とお会いできるのですか!」

 

「ああ、神子様きってのお願いだそうだ。残念ながら儂は呼ばれておらんがの」

 

「あなた、娘を僻むなんてはしたないですよ」

 

天皇家、というより神子様は我にだけ用があるらしく、書物には父上への名は一切書かれておらんかった。分かりやすくガックシと落ち込む父に、それを宥める母。しかし我はそんな二人を尻目に一目散で自分の部屋へと駆ける。神子様に会ってから新しい読んだ書物を手に取ると、机の上で勢いよく広げて流し読みしていく。最近では運動に力を入れていたので書物の内容を結構忘れており、神子様に話すには知識量が不十分だった。自らでも驚くスピードで(流し読みだから当然だが)部屋に置いていた書物を次々と片づけていく。

 

そして翌日の朝になると、召使数人に頼んでせっせと美しい着物へ着替える。因みにこの時代の着物はまだ、成人式などで見る振袖ではなく、ダボダボした唐や隋から伝わったものだ。我はこの着物に美しさを感じる事ができず余り好きではない。せっかく過去に転生したのじゃから、もっと綺麗な着物を羽織いたいのだが、我が望む着物は鎌倉時代にある。どこまで文化水準が低いのだ飛鳥時代は。

おっと、分かっておったがいよいよ思考だけでなく感性まで女子のものになってきておるの、別に構わぬが。

 

「はい、布都様、準備できましたよ」

 

「助かったぞ皆の衆。では行って参る!」

 

 

 

 

天皇がおられる都は勿論の今の京都にある…のではなく、今の奈良におられる。確かに平城京や平安京など、無駄にスケールの大きい都を作っておったが、それ以外にも主に大阪・京都・滋賀の辺りを点々としておられるらしい。これは蛇足であるが、徳川家康の建てた江戸城の天守閣も、二代目の秀忠によって一度壊されて立て直されており、その秀忠の天守閣も家光によって再建されておる。理由は先代よりも大きな天守閣を作る事で自分の力を見せるためだったか。天皇が都を点々としているのと徳川将軍の二人の考えが一緒なのかは分からんが、なんであれ権力者の元には都をポンポンと作れるほど金が集まるのだ。

因みに我が家は大和国十市郡、今の奈良県の上の方にあり、物部氏はそこを拠点としておる。宮とはそれなりに離れてはいるもののかなり近場にある。恐ろしく遅い牛車でも一時間も掛からない。

それでもガタゴトと揺れる牛車は退屈なもので、いい加減暇で寝そうになっていた頃、ようやく神子様がおられる宮にたどり着くことができた。牛馬使いに礼を言って降りると、初めてここに来た時に案内してくれた召使が立っていた。

 

「長旅お疲れさまです、物部布都様。豊聡耳様の遣いの者でございます」

 

「うむ、そなたの事は覚えておるぞ。案内を頼む」

 

「覚えて頂きありがとうございます。ではこちらに」

 

仮にも物部家の娘として来ておるので堂々とせねばならぬが、神子様に会えると思うと顔がにやけてしまう。最後に神子様と会ってから八つの月が流れた。我の神子様に対する不思議な感情は留まることなく、また彼女に会いたいとこの八か月ずっと思っていた。

神子様とは一時間程しか話しておらず、我は神子様の事をほとんど知らないが、彼女の放つ魅力に我はすっかりやられていた。それを誰かに話せば、恋だと言うであろうが恋とはちょっと違う。我自身も上手く説明できぬ神子様への謎の忠誠心がひっそりと、だが根強くあった。

牛車に乗っていた時間よりも長く感じられた案内も終わり、豪華な飾りのされた扉の前で召使は止まる。召使と我は廊下に座った。

 

「豊聡耳様、物部布都様をお連れしました」

 

「ご苦労、下がってよい。布都は中へ入ってきなさい」

 

「はい!」

 

久しぶりに聞いた神子様の声。初めてお会いした時は六歳であられたが、子供らしい滑舌の悪さは当時から見当たられない、可愛らしく美しい声。興奮の余り少々乱暴に扉を開けると、ニッコリと笑みを浮かべる神子様が座られていた。

 

「神子様!お久しゅうございます!」

 

「ええ、久しぶりですね布都。遣いを出すのが遅くなって申し訳ありません。こう見えても結構肩身の狭いもので」

 

我は神子様の前に座って一礼する。

 

「とんでもございません。こうして再び神子様とお話できるのを心からお待ちしておりました。昨日は興奮のして中々寝付けぬ程でしたぞ」

 

すると神子様はキョトンと目をパチクリさせて笑顔の我を見る。そして人差し指をこめかみ部分に当て、小さく喉を鳴らした。

 

「え~と布都、あなたの好意はとても嬉しいのですが、私はあなたに何かしましたでしょうか?私にはあなたの喜びが少々大げさに見えますが」

 

「実は我にもよく分かりませぬ!」

 

「え?」

 

我も何故神子様に対してここまで好意的なのかは分からん。それはさっきここに来る途中、いや、八か月前から考えておったが上手く説明できぬ。でも我は神子様が好きなのだ。

 

「気迫、覇気、優しさ、賢さ、聡明さ、気高さ、気品、声、愛らしさ、凛々しさ、美しさ。我があなたのどれに魅了されたのか、自分自身にも見当がつきませぬ。ですが我は確かに、神子様、あなたの事をお慕いしておりまする」

 

敬意を示すつもりが、もはや告白となった言葉に神子様は少々恥ずかしそうに、軽く赤くなった頬を掻く。我も神子様以外にはこのような事は堂々と言えぬであろう。元より他の誰かに言うつもりもないが。

しかしこの時代、男性への直接的な告白ははしたないと思われておる。我の思う限り神子様は女性であられるが、我がその事に気付いておるとは知らぬので、神子様は今男性として我と対峙しておられる。

 

「その、一応申しておきますが、これは告白ではなく忠誠の言葉として受け取って下さい。勿論神子様は魅力的なお方で、お慕いする方であります」

 

恥ずかしがっておられたが我の本心には気づいていたようで、神子様は分かっていますよと優しく返してくれた。いったいこの方はどこまで聡明なのであろう。前世の記憶を持つ我と同じ、いや、それ以上に大人びておる。

 

「なるほど、ではよく分かりませんが私は布都を魅了できたと。我ながらよくやったと自分を褒めたいものです」

 

妙に客観的で自慢染みた台詞回しが、また彼女の落ち着いた物腰を出しており、我もそれに合わせて軽いノリで返す。

 

「ふふっ。神子様の命あらば、東の大蛇を剣で引き裂き、西の虎の脳天に矢をお見舞いしましょうぞ」

 

「それは頼もしい。聞きましたよ、女子の身でありながら、毎日走り込みをして剣を振って矢を放っていると。それを聞いた時、何故か布都なら確かにやりそうだなと驚きませんでしたが」

 

「え゛っ?」

 

神子様はクスクスと大人っぽい笑みを浮かべられた。

わ、我の日課は物部家の者しか知らないと思っていたが、まさか宮に広まっていたとは思わなんだ。我は毎日敷地内でしか訓練はやらぬし、客人が来た時ははしたないと思われたらいかぬので訓練はしておらん。一体誰が話を広めておるのだ? う~んと首を傾げると、察してくれた神子様が答えを教えてくれた。

 

「あなたの父が自慢しているそうです。儂の娘は才能の塊だ。書物をいくつも読んでおり、女子でありながら毎日の走り込みをかかさん。剣の振りも確実に成長しており、何より弓はこれらのどれよりも才に恵まれておると。尾興殿と仲が良いのですね」

 

父上が広めておったのか! 家では、女子が男子の真似事をするなどはしたないので口外するなと言われていた筈なのだが…。ひょっとすれば酒の席で()自慢が止まらなくなってしまい、そのままあれやこれやと話したのかもしれん。

やれやれと父上に呆れながらも、神子様の優しい言葉に笑みを浮かべて返す。

 

「はい。父上は女子という理由で我を縛る事無く、鍛錬を許してくれました。父上には感謝してもしきれませぬ」

 

「いいお父上の元で産まれましたね…。布都が少し羨ましいです。って、私が言っても皮肉にしか聞こえませんね」

 

表面上は美しい笑みを浮かべる神子様だったが、我は年不相応の魅力的な笑みよりも、どこか暗く沈んだ声の方に意識が行った。確かに天皇の子供として生まれながら、格下の我が羨ましいと言っても普通ならば皮肉にしか聞こえない。生まれながらにして我以上の勝ち組なのだから。

しかし神子様の事情を察することができた我は、軽い世辞を言ったりはせず、ゆっくりと首を横に振って神子様の言葉を否定した。

 

「神子様のお悩みがなんであれ、あなたが我のような者を羨むと申される程のお悩み。我に打ち明けてとは申せません。ですがどうでしょう?せっかくこうしてお会いすることができたのです。我の私生活や書物の話だけではなく、神子様のお話も聞きとうぞんじます」

 

「布都…。分かりました。なら少し、私の話を聞いてくれますか?」

 

「喜んで」

 

 

 

 

私、豊聡耳神子が初めて物部布都と会ったのは今から八カ月前の春。

いつも書物庫に籠っている私を父が珍しく尋ねに来た。本来なら大王である父がその足を動かして人に会いに来ることなど、美しい女性以外にはなかった。女好きの我が父、用明天皇は、近い内に物部尾興とその娘が来る。お前と同じ才児の様だから話の馬が合うかもしれんと伝えてくれた。

私と同じ才児と聞いたとき、思わず吹き出しそうになった。周りは私の事を天才や聡明だと言って褒めるが、ハッキリ言おう、凡人の尺で私を図るなと。私と話の合う子供がこの世界のどこにいるのかとおかしかったのだ。

私は並々ならぬ才を持っていた。大量に保管してある書物は八カ月前には全て読破しており、布都と会った時には二週目に入っていた。わざわざ二回も同じ書物を読むのは読書が好きというのもあるが、一々同い年の子供や、頭の悪い侍女達の相手をするのが面倒だったのが大きい。

今思うとなんて浅はかな考えだったのだろうか。他人を自らの尺で図っていたのは私の方だった。その事を教えてくれたのが物部布都、目の前に座っている銀髪の少女。初めて布都を見た時の印象を口にすると怒られるだろう。私が彼女に抱いた印象は、いかにも馬鹿っぽい子供。故に私は彼女に何の興味も持たなかった。私が読んでいる書物について彼女が話すまでは。

 

「唐の文化に興味がおありなのですか?」

 

布都の台詞は八カ月経った今でも鮮明に覚えている。

当時の私は驚いたものの、私に媚を売る為に両親が家にある書物の内容を無理やり覚えさせたのではないかと疑った。現に私に挨拶しに来た子供の中に何人かそういう輩がいた。彼女もその一人だろうと思ったのだが、布都の話しぶりから書物の内容を理解しているのが分かったし、それについて自分の意見も述べていた。

 

それだけで私の布都に対する印象はこれ以上ないくらいよかった。だが布都はそれだけでは収まらず、私の話について聞こうとしてきた。まるで私の秘密に気づいているかの様子だった。ただ書物を理解するだけではなく、人への見方も普通の子供とは違った。だから私は、わざと分かりやすく動揺を見せ、こちらに来る足音の主が扉を開ける時を狙って秘密を打ち明かそうとした。

これが八カ月前の私と布都の出会い。そして八カ月経った今、布都はやはり私の秘密、嘘の性別を見破ってくれた。

以上が布都と初めて会った時の私の心境である。これらの事を掻い摘んで伝えると、布都は口を大きく開いていた。

 

「なっ!?わ、我が神子様には秘密があると疑っていたのを、神子様は気付いていたのですか!?し、しかもわざと秘密があると匂わせる口ぶりをしていたと」

 

「ええ」

 

布都の視線は真っ直ぐと私を見ているが、その眼には意識が宿っていないのが分かる。どうやら私の方が布都より一枚上手だったらしく、彼女は呆然としており、時折ブツブツとまさに天才じゃと聞こえてくる。天才の彼女に褒められるのは中々嬉しいものだ。

 

「まだ話は終わっていませんよ。ここからが私の悩みなのですから」

 

「は、はい!」

 

私の声を聞いて我に返った布都は、首をブンブンと横に振って再び意識を集中させた。普段話のかみ合わない子供の相手をするのが面倒な私だが、見た目相応の子供らしい言動が微笑ましく感じられた。

 

私の悩みの原因を言うならやはり仏教だ。仏教、唐から伝わった宗教の一つだが、この日の本にはまだ大きく広まっていない。理由としては、まさに私の前に座っている布都が持つ氏、物部の力によるものだ。物部氏は全てのものには神が宿ると考える神道を崇拝しており、今の日の本はそちらの方が有名だ。

しかし私の父は神道ではなく仏教を崇拝している。崇拝よりも好きと言った方がいいのかもしれない。勿論父は宗教的に仏教を崇拝しているが、それとは別に仏教を学び、仏像を集めたりして楽しんでいる。噛み砕くと趣味の一環か。

そんな仏教は女性差別的考えが強かった。女は男をたぶらかす、または芯の弱いため邪の道に落ちると考えられ、女性を寄せ付けなかった。仏教を好む父の第一児の私が女と分かった時の父の顔は容易に想像できる。

だが父も生まれてすぐ私を男として育てた訳ではない。そうするようにしたのは三歳の物心ついた頃、まあ細かい年などはいい。要は私の才能に周りが気づいてからだ。私の才が只者ではないと気づいた父はその頃から私を男子として育て始め、将来有望な宗教家、あるいは政治家にするのが目的らしい。

 

「中々下らない理由とは思いませんか?父上もですが、女が邪の道に落ちると決めつける仏教の思想が」

 

「ええっと…その、確かに仏教は異教徒ですが、我はさほど宗教に関して強く言えない性格でして…。ただそれを実行する大王の考えはいかがなものかと」

 

やはり変わった女子だと思った。異教徒である仏教を悪く言わず、あろうことか大王である父の意がおかしいと口にした。布都は私と同じくらい、それ以上にこの世界への見方や考え方が違う。

話を中断した事を軽く謝ると、再び話を続ける。

 

こうやって私は男として育てられるようになった。当時は男女の違いについてよく分からなかった為何とも思わなかったが、日に日に知識を溜めるにつれて私は辛かった。どんなに男として育てられても私は女。花を見れば美しいと感心し、愛らしい動物を愛でたいと思い、女物の着物を羽織りたかった。だが私が女であると知られてはならぬと、真実を知っている周りの者の教育は度を越えていた。私がポツリと花を美しいと言えば花を燃やし、動物が可愛いと言えばそれを惨殺し、常に私は男の着物のみが出された。女の感性を根こそぎ取ろうとしたのだ。

今思えば私が同年代の子供と話したくなかったのはこれらも影響があるかもしれない。もし男に惚れでもすれば惚れた相手が殺され、女に羨ましいと言えば躾が待っていると、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 

「これが私の悩み。下らないと笑うなら笑っても不問にします…よ?」

 

「うっうぅっ……神子様ぁっー!」

 

我ながら下らない贅沢な悩みだと思い、自虐染みた口調で言うが、布都の反応は私の予想を反していた。突然涙を流しながら私に抱き付いてきて、耳元で泣き喚いた。突然の事態に私は反応ができずに呆然としてしまう。

 

「うぅっ、さぞお辛かったでしょう。無理やり自らを騙すよう育てられ、身分の高すぎる故に打ち明けられる者がいない。うぅっ、我は自分が恥ずかしゅうございます。神子様がこれ程悩んでおられたというのに、自分の話ばかりをして…神子さまぁっー!」

 

一度言い終えるとまた耳元で泣き喚いた。耳の良い私には少々五月蠅すぎるが不快感は無かった。何故か相談したはずの私が布都を宥める形で抱きしめる。布都の体を抱きしめると初めて、彼女の体が自分のただ柔らかい体と違い、鍛えられていると分かった。

よしよしとサラサラとした銀髪の髪を優しく撫でて慰める。私自身、私がここまで他人に優しくできるとは思わず、また布都が私の事で泣いてくれ事が嬉しく、自然と頬が緩む。

五分後、ようやく落ち着いた布都は自らの行動がどれほど無礼であったかと気づいたらしく、何度も何度も頭を下げた。第三者が見たら天皇の息子である私に抱き付くなど無礼極まりないと激怒するだろうが、私は心臓の高まりが分かるほど嬉しかったので責めたりはしない。

 

「ほら布都、もう気にしないで下さい。私は嬉しかったのですから」

 

「も、もうしわけ…いえ、ありがとうございまする。さて、なら次は神子様の出番ですぞ!」

 

そう言って私の方へバッと両手を広げる布都。やはりこの子の思考はよく分からない。そこが彼女の魅力の一つであるのだが。何がしたいのかと首を傾げると、布都はやれやれと溜息を吐く。

 

「神子様が泣く番に決まっておりましょうぞ。我は存分に泣かせて頂きました。次は神子様の番です」

 

「…断ります」

 

「な、何故ですか!?泣けば気分もスッキリしますぞ!」

 

なるほど、布都の事がまた少し分かった。私が最初彼女に、馬鹿な子だと印象を持った事は決して外れてはいないらしい。しかし馬鹿は馬鹿でも布都は優しくて場を和ませてくれる馬鹿だ。

 

「確かに私は性別の事で悩んではいますが、私は相談したいのであって慰めて欲しい訳ではありません。それにもう涙は私の代わりに布都が流してくれました。私はそれで十分ですよ」

 

「むぅ…分かりました。ですがそうなると、私は何をすればよいのでしょうか?神子様を男子にすることも、仏教の女性差別の思想も我は変えられませぬぞ」

 

「流石にそこまで望んでいませんよ。ただです、やはり私の秘密を知っている者の私を見る目は、前提として男子に化けている女子に過ぎません。故に少しでも化けの皮が剥がれそうになると、強引な手を使ってでも皮を被せようとしてきます。私はその行き過ぎた周りの反応を何とかできないかと思いまして」

 

すると布都は露骨なまでに呆れた表情に変わり、きめ細かな白雪の様な頬には最初からそれを言えと書かれているようだった。しかし相手が大王の娘である私というのもあり、布都は崩した表情を真剣なものへと戻す。

 

「う~む…要するに仮に女性らしい反応をしても、咎められないようにすればよいのですね?」

 

「その通りです。私も自分が女性らしい方とは思いませんが、何かと縛られるのは堪えます」

 

これが中々現実的な案が思い浮かばなかった。布都が先程言った通り私自身が男になるか、仏教の男尊女卑の思想を変えるなどは非現実的だし、そこまでしようとも思わない。布都は腕を組んでう~んと唸り始める。彼女の悩み声は途切れることなく既に一分もの時間が過ぎており、私が打開策を考えるよりも布都の肺活量に感心していた頃、布都はポンと手の平を叩いた。

 

「逆転の発想ですぞ神子様!むしろ神子様が男装生活を心から楽しんでいると周りの者に分かれば、多少ボロが出ても問題ないかと思います」

 

「な、なるほど!私も気付きませんでした」

 

や、やはり天才…。確かに事実を知っている者は、私が男装生活を苦に思っていると見ているだろう。現に私は、男子として扱われる利点も多いと思いながらも、やはりありのままの自分で暮らしたいと思っている。しかし私が男装生活を楽しんでいると周りに見えれば、多少は奇異な目で見られるかもしれないが、男らしくしろと強く言って来ないはず。

 

「で、具体的にはどうすればよいのですか?」

 

「え、えーと……」

 

何だこの子は…。天才なのか馬鹿なのかがまるで分からん。いや、並々ならぬ知識と武術の才がある、天才のはずだろう。きっと、多分…。しかし待てよ。今まで私は馬鹿と天才を、対をなすものとして見ていたが布都を見る限りそうとも言えない。むしろ今の逆転の発想も、見方を変えれば馬鹿の戯言に過ぎない。そう考えるとこの両者は決して相反するものではなく、天才とは馬鹿との紙一重の非常に危うい立ち位置にいる存在なのかもしれない。私は断じて自分を馬鹿だと思わないが。

私の思考はいつの間にか自分の性別についてではなく掴み所の無い布都へと切り替わっており、自分の事は全く考えていなかった。するとまたまた布都はポンと手を叩く。可愛らしい行動だが、彼女の満足げな笑みはどこか不安を感じさせる。

 

「神子様が女性を口説けばよいのです!」

 

「…えっ?す、すいません布都。私、耳はよい方かと思っていたのですが聞き取れなかったようで、もう一度お願いします」

 

「ですから、神子様が女性を口説けば傍から見れば女好きの皇子として見られます。神子様の名声は留まるところを知らぬのです。女好きの評価が入ったところで、神子様の偉大さは少しも揺るぎませぬ」

 

何故だろう。ここまで驚きと関心と呆れが混ざった感情は今までになかった。布都の言おうとせんことは分かる。私も女好きの父上の様に、男子の格好をしているのを良い事に女性を口説いていたら、男装を楽しんでいると見えるだろう。しかし、一応現実に反映可能な策ではあるが、様々なものを捨てている気がする。

 

「大丈夫ですぞ!神子様は美しいですが、中性的で凛々しくもあります。瞳には見た者を魅了する力がありますし、声は心地よい歌声の様で、とても聡明であられます。神子様が口説けばそこらの女などイチコロです」

 

心を許した布都に褒められているが全く嬉しくない。決め顔は崩さぬまま、布都は私の美点を他にも言ってくれるが、その声は耳に入るとすぐに反対の耳から出て行ってしまう。私が女性を口説くのは色々と駄目でしょうに…。

能天気に話す布都の案に呆れ返ったその時、突如私にまるで落雷が落ちたかのような衝撃が走った。

 

「いやっ…。悪くないのかもしれませんね…」

 

布都の言う通り、今時権力者が女好きであろうとそうでなかろうと、ある程度の節度を持ち、しかりと国を治める事ができれば問題ない。女性を口説く程度なら私の心構え次第では今すぐにでも可能で現実的である。また、今まで私が会って来た中にも布都の様に私の性別に疑問を抱く輩もいたが、女性を口説いていたらその疑問も消えるだろう。確かに改めて考えると非常に効率的な案であった、私が出来ればの話だが。

ものは試し、女は度胸。私は少し意識して笑顔を作ると、布都の手を握る。

 

「ありがとう、布都。最初は驚いたけど素晴らしい案だと思いますよ」

 

「喜んで頂けたのなら何よりです」

 

返ってきたのは純粋無垢な笑顔。やはりただ手を握るだけでは駄目か。考えてみれば、私もただ手を握るだけで口説いているとは思わない。もう少し積極的に試してみようと、今度はもう片方の手を持って布都の瞳をジッと見る。すると布都の余裕のある雰囲気が途端に崩れ去り、どこか落ち着かない物腰になる。

 

「あ、あのう…神子様?」

 

「流石天才と呼ばれているだけあります。私が考えもしなかった視点から布都は物事を考えた。並大抵のものには出来ぬはずです」

 

「そ、そんな事ありませぬ。たまたま、ですぞ?」

 

私の手の平に包まれた両手を気にしているのか布都はチラチラとそちらに視線を反らす。ひょっとしたら引かれているのかもしれないが、相手は私を慕ってくれる布都だ。後で弁解すればきっと許してくれるだろうと、私は更に追い込む。

 

「布都の手は温かいですね」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「ええ、あなたの温もりが私の心まで温めてくれるようです」

 

我ながら何をやっているのだと呆れながらも、ニコッと笑みを浮かべる。てっきり呆れた視線が帰って来ると思ったが、意外に効果があったようで布都は途端に顔を真っ赤にして口をパクパク開く。

これは布都が私を慕ってくれているからか、それとも私に女を口説く才があるのか。後者なら父に差し出せば飛び跳ねて喜ぶだろう下らない才能だが、何にせよそろそろ止めておいた方が良いかと手を放す。

 

「どうでしたか?」

 

「…えっ?な、なにが、ですか?」

 

「何って口説き文句ですよ。試しにやってみましたがどうです?」

 

先程までの私の奇行の意味を説明すると、一度収まった布都の顔がまた首から上へと真っ赤になっていく。それから一瞬キリッと涙目になって私を睨んでくるが、優しく笑顔で返すと怒りは収まったようで、今度はどこか残念そうに溜息を吐く。

 

「ハァ…。言いだしっぺは我ですから今回は強く言いませんが、いきなり口説かないで下さい…。その…心臓に悪うございます」

 

「今からあなたを口説きますねと言って口説く輩はいないでしょう。しかし布都には好評みたいですね」

 

「ななっ!?むぅ~ッ!」

 

少しからかい過ぎてしまったのか布都は頬を膨らましてそっぽを向いた。

布都ならてっきり私の意図を読んでくれるかと思ったので布都で試させてもらったのが、布都の心境を考えると私を慕う彼女を口説いたのは逆効果だったかもしれない。今後は注意しながら少しずつ、相手が本気にしない程度で口説いていこうと思い定めた私は、そっぽを向いている布都のご機嫌取りを始める事にした。

 




エロミミズク 爆 誕 !

神子が女性を口説いているのは全部布都ちゃんって奴の仕業なんだ!


はい、少々真面目な話に移ります。

まずは感想にて色々と飛鳥時代について教えて頂きました。この場を使い改めてお礼申し上げます。教えて頂いたのは以下のこと。

○女性も正座をせずに胡坐をかいていたこと。
○天皇とは呼ばず大王と呼んでいたこと。
○そして一番大きかったのは男尊女卑の思考がさほど強くなかった事ですね。ただ作中で書いていますが、仏教が男尊女卑の思考が強いのは確かだと思います。聖徳太子女性説の理由の一つの様です。

上記はどれも私の知識不足故のものです。申し訳ありませんでした。一番目と二番目は修正できたのですが、三つ目の価値観を変えると今までの文をかなり変更しないといけないので、あえてこのままでいかせてもらいます。この話以降そこまで男尊女卑に関する展開は考えてないので、今後はそこまで重要ではないかもしれません。


このような、文化的なものや飛鳥時代の人の価値観、概念というのはハッキリ言いますと一々調べられません。ですので、わざわざ感想で教えて頂き非常に助かっております。おかげさまで自己評価ではありますが、私の拙い文でも飛鳥らしさが少しは出せている気がします。
ただ史実に関しては大雑把ですが一応調べております。人物の年齢、年代、関係などはオリジナリティを出すために改変しているのもあります。


長々と失礼しました。


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天才(変人)二人

小説情報を通じてこの小説のお気に入り登録数を見たんだ。そうしたら急に四話からお気に入り登録や評価して下さる方が増えてなーー
しつこいが感謝の言葉を述べようと思ったんだよ。(by易者)

改めてありがとうございます!
それと今回は妙に長い説明がいくつかあります。






我が思いついた案は決して冗談ではなかった。神子様が変えたいものは周りの自分に対する反応と、話し合いで解決するものでもなかった。故に女性を口説くことが間接的に、神子様()は男として生きるのを望んでいると、周囲に伝えられるかと思ったのだ。

だがまさかいきなり、我を口説いてくるとは予想できんかった。神子様がネタばらしをしてから、我はしかめっ面を解かなかったが、神子様に何度も謝罪させる訳にもいかないので、二回目の謝罪の時に我は怒りを鎮める事にした。

何故我が尊敬する神子様のご冗談に対してこれ程怒ったのかというと、我が危うく神子様の魅力に呑まれそうになったからと、随分女々しい理由であった。元より神子様は他人を惹きつける雰囲気、現代の言葉を使うならカリスマを持っておる。我もそのカリスマを受けて神子様を慕う様になった。つまり我は断じて恋ではないが、それに似た想いを神子様に抱いており、それがさっきの冗談で危うく恋になってしまうところだった。今でも神子様の優しい手の平の感触が残り、甘い言葉が脳内で鮮明にリピートされている。これではいかんと慌てて首を振る。

少々論点もズレたりしたが、つまり我が言いたいのは一つ。神子様は女性を口説くのが上手いのかもしれん。我は神子様を慕っておる為、かなり贔屓目が入っておるかもしれんが。

 

我の怒りが解けたのを見計らい、神子様は話題を変える。

 

「ところで布都。今日はこちらに泊まっていくのですよね?確か手紙にも書いたと思いますが」

 

「はい。ですが何か問題があれば、都にも物部氏の家があるのでご心配なく」

 

何しろ天下の宮だ。突然大事な客が来て客室が埋まったりするかもしれぬ。もっとも物部氏以上の客は蘇我氏しかおらぬだろうが、何か不測の事態が起こって迷惑がかかるのなら、我は都にある別荘でも構わない。

 

「いえ、そういう意味で言った訳ではありません。ただ今日は一日中布都と居られるなと思って」

 

その言葉に他意は無いのだろうが、先程口説かれた我には少々違う意味に聞こえてしまい、頬が僅かに赤く染まるのが自分でも分かる。幸い神子様は気づいておられんようで、我は呼吸を整えて心を落ち着かせる。

 

「確かに神子様と一緒に居られるのは嬉しいですな。一応我等は異性と見られているので夜は一緒にいられませぬが」

 

「残念。せっかくなら夜中までずっと布都とお話していたいです」

 

「それは我も同じでございますが、そこは我慢ですぞ」

 

神子様も冗談で仰ったのですんなりと頷かれた。

 

「そうですね。ところで日が落ちる前に一つ、布都が来たら是非ともやってみたいことがありましてね」

 

「何でありましょう?」

 

「私も布都の日課の鍛錬を一緒にやってみたいと思って」

 

「…えええっ!?」

 

我の声が五月蠅かったのか神子様は手で耳を塞ぎ、我は慌てて口を手で押さえる。

もし神子様がそこ等の豪族の子であったなら、我は先導して一緒に汗を流しただろうが、相手が天皇のご子息となられるとそういう訳にもいかん。我もこの時代の者の価値観を十全に把握している訳ではないが、天皇のご子息に走り込みや素振りをさせては我の首が危ういのは分かる。まあ我は二大勢力の一つ、物部家の娘だから首は大げさであるが、何らかの罰を受けてしまうかもしれん。

下手な言い訳をするのも神子様に失礼なので、我は今思ったことをそのままお伝えすると、神子様は落ち着いた声で返した。

 

「別に大丈夫ですよ。女子の遊びをしているのならともかく、男子らしい遊びにはとやかく言って来ないはずですよ」

 

更に神子様は、私は書物を読んでばかりですから外で遊んだところで何も言いませんと付け加える。

神子様と一緒に鍛錬できる喜びよりも不安の方が大きく、どうにも気乗りせんが、神子様たっての願いを蔑ろにするわけにもいかぬ。それに万一に周りからとやかく言われようとも、こちらには天皇のご子息であられる神子様がいる。

 

「分かりました。ですがやると決めたからには頑張ってもらいますぞ」

 

「ははっ、お手柔らかにお願いします」

 

我等は早速部屋を出ると、神子様は召使に我が履いてきたものとご自分の靴を持って来させた。この靴も豪族以外の者が履ける代物ではない。靴は動物の皮や絹などの生産量が限られた素材で作っており非常に高価なものであり、また通気性の悪い今の靴は水虫の原因にもなり一日中外にいる庶民には向かないらしい。故に、例え大量生産が可能になっても蹴鞠をする豪族くらいしか履かんであろう。

召使が持ってきた靴を履き、まずは走り込みの順路を決める為にのんびりと庭を歩いた。我が家以上に広い庭であるが木々や草花が植えてあり、走り込みに向いているとは言えない。元より庭は宗教的世界を作り出し、それを体感する空間である為、走り込みに向かないのは当然であるが。しかしどんなに庭に植物や石があろうとも、流石は宮の庭。十分に走る事ができ、周回もしやすい程よい空間が見つかった。

 

「ここが良さそうですね。ところで神子様にお聞きしたいのがあるのですが」

 

「ありましたね、こんな場所も…。どうぞ、何でも聞いて下さい」

 

「先程見かけたあの石や砂を使った川の事ですが、あれはどなたが発案されたのでしょう?心打たれる美しさを持っており、とても気に入りました」

 

以前ここに来た時もそうだったが、我は池や遣水を使わずに石や砂を使って水の流れを表現する、枯山水と呼ばれる技術が生前から好きだった。八カ月前は枯山水の名前を思い出せなかったが、とある書物を読んでいる最中に枯と水の文字が近くにあった時にその名前を思い出し、引き出しに仕舞い込んでいた雑学も思い出した。この時代の庭は主に、池を作りそこに島を築くものが主要なものだ。庭を丸々一周走れる我が家は、位の高い豪族の中では珍しい方であった。枯山水は確か室町時代の禅寺で使われており、その起源はまだ存在しない藤原氏が考えたものだった気がする。つまり本来ならこの時代にあるはずのない技術なのだ。

さほど勉強熱心でもない癖に、その辺りのことだけは無駄に覚えていた前世の自分を褒めながら、我は神子様の反応を待った。

 

「ああ、枯山水の事ですか。布都に好評で嬉しいですね。あれ、私が考えたのですよ」

 

神子様が枯山水の名を口にした時の雰囲気で薄々気づいたが、やはり神子様が考えられたものであったか。あの時の神子様は今より一つ下の六。六歳児が枯山水を発案したとは誰も思うまい。

紛れも無い天才であられる神子様に、もはや驚きも呆れも無く、ただ感心するだけだった。

 

「はぁー。やはり神子様のものでありましたか。芸術の才まであるとは、いやはや」

 

その時、1400年後の神子様が作られた希望の面と呼ばれる奇々怪々な表情のお面が頭を過った。その希望の面はなんともまあ、繰り返して申すが奇々怪々なもので前世の我は酷い面だと大いに笑ったが、今思うとあの仮面も素晴らしい芸術作品なのかもしれぬ。いや、芸術の才もある神子様が作られた面なのだ。昔より感受性が豊かになった今の我が見れば、きっと感動する素晴らしい作品であろう。ますます1400年後の世界に行くのが楽しみになった。

 

「ふふっ、偶々思いついただけですよ。さて、ならそろそろ始めましょうか。動かないと寒くて凍えそうです」

 

「了解しました。ではまず準備体操から始めましょう。万が一神子様が大怪我でもされましたら我は宮から追い出されてしまいます」

 

「それは困りますね。ではその準備体操とやらのご指導を願います」

 

準備体操を知らぬ事に驚きつつも、我は神子に毎日やっている運動前の体操を教えた。神子様の反応で思い出したが、この頃にはまだ体操やストレッチと呼ばれる言葉が存在しないのだ。人は必ず行動や概念、現象に言葉を付ける。歩くや走る、時や生、日差しや温度などどれも必ず名前が付いている。それは逆を言うと、言葉が無ければそれは存在しないのと同じではないだろうか。

体操の話から言葉の話に変わるが、とある話を聞いたことがある。アマゾンの奥地で暮らすある民族の話だ。その民族にはどうやら時間と呼ばれる言葉が存在しないらしい。時間の言葉が無い彼等には、なんと過去や未来の概念も無く、今自分の五感で感じられるその瞬間を生きているらしい。時間が無い彼等には、月、年を意味する言葉も無く、数字も4を意味する言葉までしかないそうだ。話しが逸れてしまったが要するに我の言いたいことは、言葉は様々なものの存在を具現化する力になっているのではないかと言うこと。

この話はあくまで我の主観的意見であり、考え方は人それぞれである。とても他人には話せるものではないなと我は心の中で苦笑しながら、初めての体操にぎこちなく動く神子様のお手伝いをする。

 

「お、おおっ!この体操と言うのは中々気持ちのよいものですね。背伸びの延長線上の様なものでしょうか」

 

アキレス健を伸ばす準備運動をしながら神子様は感心の声を上げる。

 

「ま、まあそのようなものです。冬などは特に体が硬くなる為、少量でもよいので体を動かすのがよいのですぞ」

 

「なるほど。また一つ布都から教わりました」

 

さて、五分準備運動をすれば十分であろう。我が先導する形で、不躾ながら宮の走り込みを始めた。歴史的価値のある飛鳥時代の宮を使って走り込みをする謎の背徳感が、我のテンションを上げていつもより気持ちよく走る事ができた。走り始めた我等は、五分の間隔で何かしらの変化があった。

 

まずは五分後。神子様は余裕の表情で我の後ろを走られておられた。やはり神子様の方が一つ年上というのもあり、背丈や足幅が違う為に物足りなかったのであろう。もっと速度を上げてもよいと仰った。

 

続いて十分後。少し速度を上げて走っていると、神子様の息が徐々に上がってきた。少し速度を落とそうかと問うが、これくらいが丁度良いとの事なので、我等はそのまま走り続けた。

 

また五分の時間が経過し、走り始めてから十五分後。すっかり息が上がった神子様は速度を落としてくれとの事なので我はそれに合わせる。あと何週続けるのかと聞かれたので、だいたいあと20周程走ればよいと伝えると顔を真っ青にされた。

 

そして二十分後。神子様は弱弱しく我の名を呼ばれた。

 

「ふ、布都…ちょ、ちょっと、待って」

 

手を膝に置いて完全に足を止める神子様。我も走るのを止めて神子様に近づき、神子様の顔を確認するように膝を曲げてしゃがみこむ。見上げる神子様の額からは、彼女の地位に似合わないものの、何故か爽やかに見えてしまうキラキラとした汗が流れていた。

その姿に少し胸が高まりながらも、首を傾げながら聞いた。

 

「どうされます?必要とあれば水を持ってきましょうか?」

 

「大丈…夫…。いえ、すいませんがお願いします。私の、名を出せ、ば大丈夫です…」

 

疲れ切った神子様は息を乱しながら近くに置いてある岩に腰を下ろした。この時代の思想では、庭に置いてある岩は霊山、現代の言葉を使うとパワースポットと呼ばれる山を表しており、本来なら腰を下ろしてよい場所ではないのだが、神子様は全く気にしておられん様子。元より我も宗教に関してはさほど強い感情を抱いておらぬため、その事については何も言わず、神子様の命を実行する為に召使を探しに全速力で走り出した。

 

「畏まりました!では少々お待ちを!」

 

「い、今しがた走ったばかりというのに、あり得ない…」

 

呆然とした神子様の声が背中から聞こえた気がしたが、風で靡いた森の音にかき消された。

 

すぐに召使は見つかった。神子様の名を出して水を要求すると、我以上の全速力で水を取りに行った。水を汲んでくるまでここで待てとのことなので、丁度我の目の前には神子様が発案したという枯山水があったので、顎を手に乗せながらのんびりと眺めた。

枯山水は禅寺の庭で使われたのがきっかけだったか。神子様がどのような思い付きでこの庭を作成したのかは分からぬが、本来は限られた自然石や砂で概念的な一つの世界を作り上げ、それを見て心で大自然を作り上げ、その世界で思想をめぐらして座禅を行っておったらしい。そしてその世界を作り上げるきっかけとなった思想は、中国から伝わって来た神仙蓬莱思想と呼ばれるものだったか。我も詳しくは知らぬが、砂の川の中にそびえ立つ大きな(蓬莱山)には仙人が住んでおり、仙人の住む山には縁起の良い鶴や亀がいるとか。日本では仏教の一派、禅宗の庭に使われておる枯山水だが、概念世界を作り出しているこの世界()の根底にある、神仙蓬莱思想は道教のものだったはず。

意識的か無意識かは分からぬが、道教の思想が根底にある枯山水を、時代を先駆けして思いつく辺り、やはり神子様は生まれながら道教の方が合っていたのかもしれん。

 

「おや、あなたは?」

 

自分の世界に入り込んで考えに耽っておった時、背中から声を掛けられたので振り向いた。20代半ばだろうか、若々しくも、掴み所のない只ならぬ雰囲気を纏う男性が立っていた。身なりは豪族のもので、着物の質や雰囲気からするにかなりの名家出身であると察した我は、立ち上がってペコリと一礼する。

 

「物部尾興の娘、物部布都と申します」

 

すると男性は一瞬目を開くが、すぐにまた掴み所のない独特な雰囲気を放つ。相手の心の奥底まで探り、己を隠す独特な雰囲気は、どこか初対面の神子様に近いものがあった。男は我にも一礼して、優しい口調で名乗った。

 

「初めまして。大王に仕えております、蘇我馬子と申します」

 

わーお。我、いや、我等の人生に大きくかかわるであろう重要人物の登場に、一瞬だけ前世の反応が出てしまう程じゃった。史実では聖徳太子と手を組んで我等物部氏を滅ぼし、初めて女性を皇位につけた人物。他にも色々な事があるが、突然の事態に頭が軽くパニックになっておりすぐさま知識が出てこんかった。

 

「名前は常々聞いておりまする。蘇我氏の中でも並々ならぬ頭脳をお持ちと」

 

「それは私の方です。今や豊聡耳様に並ぶ才児と、あなたの名は我等の中では有名ですよ」

 

「はぁ…。えっと、ありがとうございまする」

 

てっきり神道を崇める我等物部氏に対してかなりきつめの態度を取ると思っておったので呆気にとられた。う~ん、我は物部守屋でありながらその妹、布都姫でもある可能性が高い。物部守屋と蘇我馬子は天皇の葬式の場で罵倒し合う程の仲の悪さだったらしいが、布都姫は蘇我馬子と結婚する。この方が将来我の旦那になる人なのだろうか、それとも罵倒し合う間柄になるのか。

 

「えっと、不躾ながら聞いても宜しいでしょうか?」

 

「何でしょう?」

 

「馬子殿は仏教を強く崇拝していると聞きます。我は神道を押す物部氏の者ですが…」

 

あえて皆まで言わなかった。馬子殿にも我の意図は伝わっており、ふむと我を見下ろしながら小さく頷いた。返事はすぐには返って来ず十秒ほどの時間が掛かった。

 

「確かに私とあなたは異教徒ではありますが、それを理由にあからさまに態度を変えたりはしません」

 

まるで娘へと向けるような優しい笑みを浮かべてくる馬子殿。しかし返事まで十秒の時が掛かったのもあってか、その笑みには裏があるように見えた。

 

「我が過激な廃仏派でもですか?」

 

「過激な人は自らをそう言いません。だから私は神道に対して少なからず敵対心を持つことはありますが、あなた個人に対し敵対心を持つことは無いでしょう」

 

どこまで本気なのかこの男。

この時代の宗教が人へ与える力は絶大だ。我や神子様の様な現代日本人に近い考え方の者の方はごく僅かであり、そう簡単に我個人と物部(神道)を切り分けられるものなのか。やはり我はこのような駆引き、あるいは探り合いと呼ばれる行為は苦手だ。これ以上探ろうとしても我の浅はかな考えが見破られるだけなので、ご無礼をお許し下さいと一礼する。

 

「いえ、構いませんよ。その代りと言ってはなんですが、お返しに私からも一つ質問を。あなたが何故(ここ)にいるのですか?」

 

「本日は神子様にお招き頂きました。今は神子様が水をご所望とのことなので、召使の者に頼み、それを待っているところです」

 

「なるほど、豊聡耳様の客人でありましたか。あの方が同年代の子を誘うか…。噂通りの様ですね。実は私にもあなたと同い年の娘がいるのですが、豊聡耳様とは話が合わなかったようで」

 

娘の話題を出した時の馬子殿の表情は、苦笑するものの温かみのあるものだった。神子様のような観察眼がない我でも、娘への想いは確かなものだと感じた。

我も前世の記憶がなければ神子様の相手は務まらぬであろう為、他人事のように笑うことはできない。

 

「神子様は気難しい方ですからのぅ」

 

「全くです」

 

互いに顔を見合わせクスクスと笑い合う。今頃神子様はくしゃみをされておるかもしれん。

丁度話が途切れた時、召使の者が水の入った容器を持って早足でこちらにやって来た。馬子殿も丁度良いと思ったのか、我に一礼すると召使とすれ違う様に去って行った。召使から容器を受け取り、水を求める神子様の元へ早足で向かう。

蘇我馬子。歴史を動かした人物なだけあり、掴み所の無い謎の人物だった。彼は我が父尾興の様に穏健派なのだろうか、それともただ自らの思想を隠しているだけなのか。どちらにせよ、そう易々と心を許していい人物ではないのは間違いない。

 

「神子様―!お待たせしましたー!」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

未だ石の上に座っていた神子様に容器を手渡すと、ゴクゴクと喉を動かして容器に入った水をあっという間に飲み干した。喉が潤った神子様は晴れやかな顔つきになったので、我も水を運んだ甲斐があった。

 

「ふぅ…。しかし布都はこの走り込みを毎朝やっているのですか。私には到底できません」

 

頭に手を当てて苦笑する神子様。どうやら走り込みがかなり応えたようで、太ももを摩っておられた。我はクスッと笑みを浮かべながら柔らかい地面に膝を立て、反対の太ももを揉み始めた。どうやら効果はあったようで、神子様はまるで温泉に入ったかのような、気の抜けた声を出す。

 

「因みに、一応お伝えしておきますが我はこれを朝・昼・夜の三回やっております。更に素振りの500回と弓術の鍛錬がありますが、いかがなさいますか?」

 

「…遠慮しておきます」

 




でも神子様の汗なら舐めてみたいかも…


はい、真面目…というよりも裏話をしたいと思います。

○枯山水について。
今回枯山水について長々と説明しましたが、本文でも書いた通り本来なら室町辺りの技法みたいです。実は知っていてわざと一話の描写に入れたのですが、その時の理由はただ神子が天才だからと随分適当なものでした。感想を頂いた事で流石にそれでは駄目だと気づき、枯山水について調べたら道教に着いたので長々と説明させてもらいました。
(あくまで私が見たサイトをかなり噛み砕いたり、無理やり小説に合わせた部分もあるのでそこはご理解ください)

○布都の知識量
一人称というのもあり、布都が文化について説明するところが多々あります。前世が学者だとかではありませんが、妙に知識が偏っております。何しろ現代を知っているのは布都しかいなく、他のキャラの視点からの説明が不可能なので。

○ガールズラブの度合い
ガールズラブの作品を沢山読んでいる訳ではないのですが、時折これ警告タグいるかなと思う作品が見られます。オリ主などの具体的なものではなく、ラブと抽象的なタグですので、その辺りのタグの捉え方は人それぞれですが、この作品のガールズラブは結構強めになるかもしれません。



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天才(変人)二人 2

また作中で誤った知識を使っている点があり、感想で教えて頂きました。
教えて頂いた方ありがとうございます。そして皆さま申し訳ありませんでした。

○一つはこの時代皇居の事を宮と呼んでいたこと。これは調べようと思ったら調べられたのかもしれませんが、検索ワードが分からなかった為まあ仕方ないかなと。修正は勿論しました。

○問題はこちらで用明天皇の皇居の場所ですが、滋賀の琵琶湖付近とかほざいていたのですが、物部氏と同じ奈良、しかも同じ市とめっちゃご近所でした。物部氏の本拠地としていた十市郡は現在の橿原市・桜井市・田原本町の一部で、用明天皇の皇居、磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)は橿原市にあったとのことです(桜井市の説もある)
正確な距離は分かりませんが、どっちにしろ凄いご近所さんみたいです。まだ本編に大した影響を与えていないので修正しました。

細かいところはともかく、二番目の様な簡単に調べられるミスは本当に申し訳ない限りです。





結局神子様との走り込みは途中で終わり、素振りを通り越して弓の鍛錬に入った。しかも矢を放つのは我だけで、神子様は疲れたから見ているとのこと。要は我の弓を見せる場となった。

この時代にはまだ弓道場以前に弓道という言葉すらなく、弓での練習は足の生えた丸い的を置くだけと随分安全性に欠けたものだった。矢の持つ力は見た目以上に強力で、万が一的以外の方向へ飛ぶと大惨事になるのだが、飛鳥時代の人間はそこまで気にしないようなので、我も一々安全性を確かめるのは億劫になり今では結構適当だったりする。

因みに弓道は、弓術が改称された後の呼び名であるがその弓術すら今の時代には体系化されていない。だから当然流派も無く、これと言って決まった構えがある訳でもない。故に我の構えも、師事してくれた父上の構えとはまた少し違っていた。

 

「今から矢を放つ。もし周りに誰か居るのならすぐに出てこい」

 

周りに響くように少々声を張って、宮の一角に置いた的に向けて言う。周りには人の気配はないが、一応形式だけでも安全確認はしておく。当然返事が返来る筈もないので、我はゆっくりと弓を構える。弓を初めて八カ月、我は弓を引くときはいつも意識を外界からシャットアウトさせ、自分と的の二つしかない世界を作り集中していた。しかしある時気づいた。その方法は確かにスポーツの弓道としては悪くないのかもしれないが、我はいずれ起こるだろう戦、あるいは弾幕ごっこの為に鍛錬をしている。一点の的に集中して周りが見えなくなってしまっては意味がないので、可能な限り周りも意識しながらも、的の中心一点のみを目指すように心掛けた。周りを意識して初めて、木々や草花が体で感じられない僅かな風を伝えてくれる事に気づき、より弓の正確さが上がった気がした。

弦の揺れる音と共に矢が放たれた。ストンと音を立て、お馴染みとなった的の中心に綺麗に刺さり、背中から拍手と共に神子様の関心の声が上がった。

 

「は~、見事なものですね。見事ど真ん中です」

 

「いえ、まだ終わりではありませんぞ。もう暫く見て頂きたい」

 

神子様は褒めて下さったが、これくらいは常人にも可能な領域、神子様も的の中心に矢が刺さっている光景はご覧になられたことはあるであろう。我は矢筒からもう一本の矢を取り出すと、先程と同じように集中する。我の視線の先には今までより遥かに狭く、脆い的があった。風の強さや傾きは意識しつつ、自分の赴くままに静かに矢を引く。

神子様が唾を飲み込む音がしたが、脳はただの雑音として処理した。()が集中と才の結晶が手元から離れて的へ飛んでいく。それは一本目と全く同じ軌道を辿り、狙っていた的へと見事命中。すると我等の耳には矢尻が木の板に突き刺さる音ではなく、ピシッと何かにヒビが入った音が聞こえた。

 

「ふぅ…」

 

「なっ!?こ、これは…凄いな…」

 

集中し過ぎた為か額から汗が流れたので袖で拭う。神子様の方へ振り返ると、自らが見ている現実が受け入れられないのか、何度も目を擦っては一点を眺める。見事神子様を驚かせることに成功した我はドヤ顔になって改めて二本目の矢を見る。二本目の矢は木の板に突き刺さってはおらず、我が放った一本目の矢の末端、(はず)と呼ばれる個所に突き刺さっていた。一寸違わぬ狙い、矢が折れずに筈に突き刺さる絶妙な力加減が合わさる事で初めて起こす事が出来る神業。我ながら実に見事で惚れ惚れしそうだ。

 

「フッフッフ、どうですか神子様。中々珍しい光景でありましょう!」

 

「珍しいとかの話では無いですよ…。六つでこの腕前…」

 

先程まで立ってご覧になられていたが、現実離れした出来事に力が抜けたのかヘナヘナと回り廊下に座る。実はこの技、見せたのは弓の鍛錬を手伝ってくれる召使の女を除けば神子様が初めてだったりするので、我もかなり緊張しておった。神子様の姿を見ると我も途端に緊張の糸が解け、同じく回り廊下に尻を置いた。

 

「素晴らしいですよ布都。これなら噂に尾鰭が付いても堂々と胸を張れるでしょう。布都には驚いてばかりですが、これは今までで一番驚きましたよ」

 

天までそびえ立つ山の頂上に咲く白菊の如き気品と威厳を纏う神子様だが、この時は初めて年相応のキラキラとした瞳で我の事を褒めて下さった。ここまでの反応が帰って来ると予想できんかった我は、やはりお調子者の物部布都だった。駄目と分かってはいたが頭より先に体が動いてしまい、手を腰に当ててこう言った。

 

「それくらいなんのその、朝飯前ですぞ!我の手に掛かれば矢を三つ繋げる事も可能でございます!」

 

「本当ですか!?是非とも見せて下さい!」

 

「ハッハッハ!我におまかせを!」

 

この謎の自信はどこから来ているのか分からぬ。だが神子様に褒められて、テンションが上がっていたのは確かだろう。その様な精神で、先程よりも更に繊細な力加減と並外れた集中力が必要となる技ができる訳もなく、宮の一角でバキッと木の枝が折れる音が響いた。

 

 

 

 

「アッハッハッハ!いや~、すっかり騙されました。三本目は初めてだったのですね…。そ、それなのにあんなに自信満々に…。ク、ククッ…」

 

あれから一度客間へ戻ったのだが、未だに神子様の笑いは止まる事が無かった。廊下を歩く途中で何人かの召使や政治家であろう豪族とすれ違ったが、皆一様に笑いを堪えながら歩く神子様を奇異な目で見ていた。しかも部屋に戻ると一段と声を上げ、床をバンバンと叩いてまで笑っている。流石にここまで笑われる筋合いは無いので、我は一言物申した。

 

「そ、そこまで笑わなくともよいではありませぬか!二本目は成功したのですぞ!」

 

「わ、私はできなかった事に…笑っている訳ではありません、よ。フフッ。だ、だって、あんな決め顔で、我におまかせをなんて言って…バキッと折れたのが余りにも…フフッ、アハハハ!」

 

またまた笑い始める神子様を、目頭が熱くなりながらも睨み付けるが効果は無い。完全に笑いのツボに入っていると察した我は、それ以上何も言わずにひたすら笑っておられる神子様を眺める作業に入った。無言の圧力を掛けているのだが流石将来の聖徳王。我の眼力を物ともせずに自分が満足するまで笑っておった。

 

「はぁ~っ。笑いすぎて頬が痛みました。も~、どうしてくれるんですか」

 

「知りませぬ!いくら神子様でも怒りますぞ!」

 

「怒りながら言われてもねぇ?ほら、私が悪かったです」

 

すると神子様の優しい手が我の頭を撫でてくれた。途端に怒りの感情がどんどんと消えて行き、強張っていた頬も緩み始める。徐々に怒っていたことがどうでも良くなり、神子様の優しい手が心地よくなってきた。

その時、自らの心が神子様の手によって堕落していくことに気付けた我は、ハッと目を開いて慌てて神子様から離れる。なんと恐ろしい力を持つお方じゃ。頭を撫でるだけでここまで我の感情を操ろうとするとは。

 

「おや、不満でしたか?」

 

「滅相もあり…そ、そうでございます。頭を撫でるだけで我の怒りを収めようとは片腹痛いですぞ」

 

「それは残念ですね~」

 

ぐぬぬ…。何故前世の記憶のある我が七歳児の少女に弄ばれるのだ。っと、いかんいかん、このような時は冷静になるのじゃ。とりあえず神子様の笑いも収まった、なるべく自然な形で話題を変えるのが良かろう。

 

「ところでですね、水を持ってきた時の事ですが」

 

「露骨に話を変えましたね。いいですよ、では話題を変えましょう。それで?」

 

うぐっ…。やはり神子様相手に心境を悟られずに話題を変えるのは困難であった。己の浅はかな話術を恨みながらも、お言葉に甘えてそのまま話を続ける。

 

「そ、その時に蘇我馬子殿にお会いしたのですが、馬子殿はどのようなお方なのですか?」

 

「ああ、叔父上ですか。そうですね……やはり賢いお方と言うべきですか、特に政治に関しては非常に先を読んでおられる方です。私の政治に関する興味も少なからず叔父上の影響がありますね」

 

やはり馬子殿に抱いた我の感想は間違っていないようだ。先を読む力を持っている、それはやはり物部を滅ぼすことを考えているのか。いや、いくら神子様のお言葉とはいえ、そこに執着しすぎるのも駄目だ。どんなに神子様が聡明な方でもまだ七つの子供であられる。

 

「布都?叔父上が気になるのですか?」

 

「ええ、まあ。やはり物部氏と対をなす蘇我氏の者ですので」

 

いくら神子様にでも将来物部氏が滅びる事を伝える事はできないので、表面上の理由を述べた。流石の神子様も不審に思われなかったようで、深刻な顔をしている我とは違い陽気な表情をされている。

 

「それを言ったら私も蘇我氏の者ですよ。しかも布都とは違う仏教信者でーす」

 

「フフッ、前者はともかく後者はただ教え込まれただけでしょうに。神子様が一定の宗教に執着していないのは分かっておりますぞ」

 

「それはあなたも同じでしょう?あなたには神道に対する信仰心も、仏教に対する敵対心も感じられない」

 

隠していたつもりはないのだが、やはりバレてしまっていた様子。

物部に生まれた為、当然仏教より神道の方が好きであるがそれはあくまで好みの範囲内だ。神子様はやれやれと口にすると、どこか面倒くさそうに部屋の端を眺めながらポツリと呟く。

 

「私も好きになれる宗教が出来たらよいのですがね。そうすれば世界の見方がまた一つ変わり、新たな世界に旅立てる。布都もそう思いませんか?…って、布都の価値観は私とはまた少し違いますからね」

 

「ええ。我はどちらかと言うと宗教そのものに強い感情を抱いていない。大して神子様は宗教に興味はあるものの、仏教も神道も合わないと言うべきしょうか?」

 

自らの価値観を当ててくれたのが嬉しかったのか神子様はニッコリと笑みを浮かべ、また軽く我の頭を撫でてくれた。

 

「正解。ただもし、私が仏教か神道のどちらかを選ぶとしたらどちらだと思います?いや、答えを言うのは布都には簡単でしょう。理由も付け加えて答えて下さい」

 

なるほど、中々面白い質問をされる。歴史を知っている我が答えるのは少々ズルい気がするが、それを言うならそもそも前世の記憶を持っている時点で我はいかさま師じゃ。ここはすんなりと正解を言わせてもらう。

 

「当然仏教です。理由としてはまず仏教の思想が非常に政治に向いているから、慈愛や生きとし生けるものに対する優しい心が前提となる思想。日々苦しい生活をしている民には受けるでしょう。また民は宗教を変える事で、今の生活をより豊かにできると考える者も少なくはないでしょう。神道以前に、宗教を変える事が新たな改革をする第一歩となる」

 

「ふむ」

 

「更に神子様の大王…いえ、ここはあえてご両親と呼ばせてもらいます。神子様のご両親は共に仏教を信仰する蘇我氏。いくら神子様がこの上ない才を持っておられたとしても、後ろ盾がなくては発言力はおろか、政治に参加できるかも分かりませぬ。故に神子様が神道を広めると言った暁には途端にご両親の後ろ盾が無くなり、神子様は政治どころではなくなってしまう。我が思いついたのはこれくらいです。いかがですか?」

 

話す前は自信満々だったものの、いざ口にすると大して難しい問でもなかったのでそれが逆に不安になった。前世でも時折難しい問題の中に一つやけに簡単な問題があると、正解であるにも関わらず裏があると疑ってしまうことがある。今がそれに似たような感覚だ。

しかし我の心配は杞憂に終わったようで、神子様はポンと手のひらを合わせる。

 

「流石ですね布都、正解です。布都には申し訳ありませんが、私が神道を押す利点はほとんど無い。まあ私の一生が特に何もなく、神道が強いまま終わるのなら話は別ですがね」

 

「不吉な事を申されますなぁ…」

 

「…大丈夫です。例えどんなことがあっても布都は私が守りますよ。あなたは私にとってかけがえのない人なのですから」

 

「――ッ!?」

 

口調はいつもと変わらぬままだが、声に込められた力は一世一代の告白とも感じられる程に真っ直ぐなもので、また、意志が込められた美しい瞳は瞬きすることなく我を見ていた。

まさかここで口説き文句が来ると思っていなかった我は、すぐさま冷静に物事を見る事が出来ず、恥ずかしさと嬉しさで顔を真っ赤にする。まるで走り込みの後の様に胸の鼓動が高くなっていき、感情のフィルターが掛けられた我の瞳には神子様が今まで以上に凛々しく見えた。

 

「? どうしました?」

 

「ッ!?い、いえ…。なんでも、ございませぬ…」

 

てっきり意図してキザな台詞を口にしたかと思っておったが、首を傾げる神子様を見る限り素で申されたようだ。何とか心を鎮めようと息を整えるが、そこまで我の事を大切に思ってくれていると思うと、嬉しさの余り今にも飛び跳ねてしまいそうで中々心が静まらない。

天然でここまでの破壊力のある口説き文句が言えるとは恐ろしきお方だ。先程のたった一言の中はまるで神子様の魅力を全て詰め込んだ砲弾であり、我の(城壁)を貫きそうになった。

そしてあからさまな我の変化に察しの良い神子様が気づかない訳も無く、はは~んと口元を上げて顔を近づけて来た。

 

「布都、ひょっとしてときめいたりしました?」

 

「な、なんでの事でしょう?この天才、物部布都を恋に落とす男はこの世に居りませぬぞ」

 

「なら女である私は問題ないのでしょう?」

 

目の前で神子様の表情が笑顔へと変わる。だがその笑顔にはいつもの優しい雰囲気よりも、獲物を引き寄せる甘い蜜の様な、美しくも妖しい雰囲気が感じられた。このまま神子様の手の平の上で踊るのは前世の記憶を持つ我のプライドが許さんと、神子様から少し離れる。

 

「そういう意味ではありませぬ!というより神子様、早くも口説くのを楽しんでおられますね!?」

 

「ん~、全く興味なかったのですが布都は反応が可愛いですから、ついつい弄りたくなって」

 

「かわっ!?むぅ~っ!わ、我は普通の女子ですぞ。今はいませぬが、いずれ男性と婚を結ぶはずです」

 

「あなたが普通と言ってしまうと、この世界の女性のほとんどを敵に回しますよ。頭や弓の才だけではない。布都はとても可愛らしく美しい。今はまだ幼さが残りますが、いずれは誰をも魅了する女性へと変わるでしょう。そうなる前にあなたを私の元に置きたい……ってあれ?」

 

もう駄目だった。世辞だと分かっていても嬉しさを隠すことが出来ずに頬が緩んでしまい、恥ずかしさで顔は一面高熱を帯びて、そして怒りで体の震えが止まらなかった。流石に我の変化を察したのか、神子様の口説き文句が止まる。

俯いていた我はニィッと笑みを浮かべて顔を上げる。引き攣っている神子様の瞳には、口裂け女かと思う程口元が上がり、眉と頬をピクピクと動かす我の姿が映っていた。もし神子様の瞳が鏡の如く、色もそのまま反射していたらきっと我の顔は真っ赤になっているだろう。

 

「み~こ~さ~ま~ッ!」

 

「ふ、布都?私今の布都はちょっとこわいな~なんて思ったりして。ほら、布都はもっと純粋な笑顔が可愛いよ?」

 

「ふ、ふふふっ…。問答無用ですぞ!」

 

我は神子様を押し倒して馬乗りになると、すぐさま神子様の着物を巧みに利用して両手を結んで自由を奪う。神子様は何とか馬乗りになった我を落とそうとするが、重心に力が入らんように体重をかけている為、そう簡単に逃げられはせん。常日頃鍛えていた自分自身に感謝しながら、指をワキワキと動かして神子様に近づける。

 

「さあ神子様、お覚悟を!」

 

「ちょっと布都なにを――ッ!?ふっ、フフッ!アハハハ!ま、待って布都!」

 

身動きが取れないのをいいことに、我は神子様の全身をくすぐり始めた。例え未来の聖徳王でもくすぐりには弱かったのか、特に反応がよい腋を中心にくすぐりを続ける。神子様はじたばたとあがくものの、我の馬乗りが崩れる事はない。

 

「ほれほれ!神子様の愛しい愛しい布都めの、ささやかな愛情表現ですぞ!存分に受け取って下さい!」

 

「ほ、ほんとにまって!?ア、ハハハハッ!ごめん、ごめんってば!布都ッ、い、息が…」

 

笑いすぎて呼吸が困難になったようで我はくすぐる手を止める。すると神子様は笑みを浮かべながらも、乱れた息を生まれたての小鹿の様に体を震わせながら必死で整える。呼吸を整えている最中でも感覚が残っているのか、小さい笑い声が零れていた。

そしてある程度呼吸が落ち着いたのを見計らうと、我はまたスッと手を伸ばす。

 

「ふ、布都!今世のお願いだからこれ以上――アハハハッ!」

 

「なら我が10数え終えたら許しましょう。い~~」

 

「それは無しでしょお!だって布都一分は息が続いフフフフッ!」

 

神子様の仰る通り、毎日の走り込みで我の肺活量はかなり鍛えられていた。流石に一分と続くのは最初の一回であろうが、それでも神子様にとって随分長い10秒になるであろう。

 

「い~~~~~~」

 

「ふ、布都ぉぉっ!?」

 

「い~~~~~ち。はい、次二秒目ですねぇ~。は~い。にぃ~~~」

 

それから十分弱の間、宮の一室からは神子様の笑い声が絶える事はなかった。不審に思った召使が部屋を確認しようとしたらしいが、部屋の中から溢れ出る只ならぬ雰囲気に押されて扉を開ける事ができんかったそうだ。

ようやく笑いが途絶えた頃には、我と神子様の両者が土下座し合って頭を下げている、第三者が見れば大慌てするであろう異質な空間がそこにはあった。

 




布都ちゃん、腕が疲れたら大変だ!ここは俺に任せて一日程部屋を出るんだ!

この小説の布都ちゃんはプライド()の所為で少しツンデレ気味かも。




前書きがミス報告&謝罪場になっており恥ずかしい限りです。せめて間違ったところを活かして、いずれ人物設定みたいに、この小説を執筆してから知った飛鳥時代の知識をまとめたのを書こうかな。そしたら豪族組のSSの手助けになるかも(小並感)


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帰宅


端的に流せばいいところを中途半端に伸ばした結果、文字数の少ない蛇足回になってしまいました。
皇居での話が無駄に長い。これは許されないな(聖蓮船早苗ポーズをとりながら)



 

 

あろうことか神子様に対して馬乗りになり全身くすぐると暴挙に出た我だったが、無事五体満足で宮を出る事ができそうだ。神子様をくすぐった後非常に気まずい空気が流れていたので、互いに一度風呂に入って水に流した。湯を上がってから今まで読んできた書物について夜まで熱く語り合った。

翌日も一緒に早起きして日課である鍛錬を行った。神子様は相変わらず走り込みの途中で疲れ果て、結局は昨日と同じ様に途中からは我の鍛錬を見るだけで合ったが、それでも神子様と一緒にいられて楽しいものであった。

しかし時は残酷なまでに早く過ぎ、気が付けばもう我が帰る時になってしまった。

 

「この度は呼んでいただき誠にありがとうございました。楽しい時間でありました」

 

我は神子様に深々と頭を下げると、鏡の様に神子様も動く。

 

「ええ、長いようで短い楽しい二日間でした。本当に、今までで一番楽しい時間でした。もしよろしければまた声を掛けてもよいですか?」

 

「勿論!神子様の命あれば飛んで駆けつけます。そしていつになるかは分かりませぬが、近い将来、矢の三本繋ぎをお見せしますぞ」

 

「楽しみにしています。私も布都の言われた方法で少しずつ周りを変えていこうと思います」

 

「…女を口説いて」

 

「おやおや、随分棘のある言い方ですね」

 

発案しておきながらこんなことを言うのも見当違いだが、やはり神子様が誰これ構わず女性を口説くのを想像したら余り楽しいものではなかった。いや、別に神子様が誰を口説こうと我には関係のない話だ。

何とも言えぬ複雑な感情が心の中でグルグルと回っている中、神子様は手元に置いていた書物を数冊我の元へ移動させる。

 

「私のお気に入りの書物です。よければご覧になってみて下さい」

 

ボーとしていた我は一瞬反応が遅れた為、急いで頭を下げた。最初は高価な書物を何冊も頂くわけにはいかないと断ろうとしたのだが、神子様は是非とも我に読んでほしい書物とのことなので、ありがたくお借りすることにした。

 

「布都様、そろそろお時間です」

 

部屋の外にいる召使の男の声が部屋に響いた。

 

「分かった。それでは神子様、お体に気を付けてください」

 

「私より布都の方が心配です。毎日の鍛錬は大事ですが、体調に合わせるのですよ」

 

「はい!」

 

最後に一礼と、神子様の手を両手で包んでお別れの挨拶をする。次いつ呼べるかは神子様自身にも分からぬらしいが、時間が出来たら呼んで下さるとのこと。

流石に八カ月の期間が開くことは無いであろうが、やはり神子様と離れるのは寂しかった。それは我が神子様をお慕いしているからでもあるが、この時代の者でここまで話が合う人は神子様を置いて他にいないからもあるであろう。()が思想や思考を暴露しようとも、神子様は理解した上でしかりと受け止めて下さる。我もまた、神子様にとってその役目ができていると自負しておる。だからこそ神子様は我に秘密を打ち明けてくれたのだろう。

 

「最後におまじないを」

 

「え?」

 

きめ細かく美しい手を握り締めている我の手に、神子様の唇が軽く触れた。一瞬だけ感じる事ができた柔らかい感触に途端に顔が赤くなったが、我をからかう目的でやったのではなかったので、今回は怒ったりしなかった。

 

「また会いましょうね」

 

「は、はい。ではえっと、これにて」

 

内心ドキマギしながら神子様の部屋を後にした。部屋の外には既に昨日と同じ召使が待っており、その者が牛車まで案内してくれた。召使に続き回り廊下を歩く途中で、神子様が唇を落としてくれた手の甲を眺める。

不思議、誠に不思議な魅力を持っていた。前はカリスマの一言で片づけてしまったが、神子様の魅力には何か魔性の力が宿っているように感じられた。まだ七歳だと言うのに神子様には他人()を惹きつける力が強すぎる。その力も入れて人はカリスマと呼ぶのであろうが、我のカリスマのイメージはどこぞの運命を操る吸血鬼の口癖である為、神子様の魅力をカリスマの一言で片づけるのは嫌だった。

 

「布都様、到着しましたが手がどうかなさいました?」

 

「何でもない。案内感謝する」

 

我は牛車に乗り込みながら、いつもより雑に召使に礼を言った。

整備されていながらも決して平坦とは言えない道によって牛車の中はガタゴト揺れており、日が沈んできた為か外で働いていた庶民たちが家へと戻り騒がしい。しかし我は周りの音や揺れが全く頭に入らず、ただずっと手の甲の一点を眺める。神子様がキスしてくれた、そればかりが頭の中で駆け巡っている。

 

「ハァ…あのすけこましめ…」

 

既に彼女に魅入られている自分にか、それともキザな台詞が似合ってしまうあの少女に対してか。一人呆れたように溜息を吐きポツリと呟いて、まだ柔らかな感触が残っている手の甲に口づけした。

 

 

 

 

気が付けばいつの間にか家に帰って来ていたようだ。ここに来るまでの間ずっと神子様の事を考えていたかと思うと非常に恥ずかしかったが、顔には出さなかった。今のうちにポーカーフェイスを練習しなければまた神子様にからかわれるというのもあったが、待っていた召使達ににやけた顔を見せるのが嫌だったからだ。

 

「お帰りなさいませ布都様」

 

「うむ、迎ご苦労じゃ」

 

頭を下げる召使たちが作る道を通り、門を潜る。これでも十二分に広い我が家なのだが、やはり宮を見た後だとどうしても小さく感じてしまう。なんとも贅沢な話であろう。これ程恵まれた家を持っていながらそのような考えを持つ自分に咳払いすると、改めて家を見る。うむ、大層立派で落ち着きのある家じゃ。

さてと、まずは家に帰って来たら母上に挨拶せねばならん。父上はおそらくご不在であろうから、また後日でよいだろう。

というのも、この飛鳥時代の婚姻制度は妻問婚(つまどいこん)、あるいは通い婚と呼ばれるもので、簡単に言うと夫が妻の家に通い、適当な日数その妻の家で過ごしたらまた別の妻の家へと行く。だから子供を育てるのは母の一族が行うもので、父上が鍛錬をしてくれる我が家は随分と変わっていたりする。まあ父上が行っているのは教育ではなく鍛錬であり、また我自身が父上にお願いした形であった為、父上からの鍛錬が許されたのであろう。何より母上はおっとりとした性格で、父上の方針に逆らわないところがある。その性格がまた父上に気に入られたのか、父上は我が家で生活するのが他家よりも多い。

 

「母上ー!ただいま戻りましたー!」

 

ドタバタと慌ただしく廊下を走り、勢いよく扉を開く。扉の向こう側にはのんびりと庭を眺めながら()と呼ばれる物を食していた母上がおられた。この蘇は牛乳をゆっくり煮込んで作られたもので、所謂この時代のデザートに位置する食べ物だ。我もこの時代の薄い味に舌が慣れてきたが、それでも時折は前世を思い出して濃いものや甘いものが食べたくなる。それを叶えてくれたのがこの蘇であり、少々牛乳臭いもののホットミルクの様な甘みがとても美味しく、我はすぐにこの蘇にハマった。また触感はチーズに似ているのも、我の評価が高い理由の一つだ。そんな蘇だが、これもまた一般人が普通に食べられるものではない頭に超が付く高級食材であり、蘇を食べる度に我は豪族に生まれてよかったと心の底から思っておる。

母上はニコッと笑みを浮かべると、皿に乗っていた蘇を手で半分個にして手招きされた。

 

「お帰りなさい布都。豊聡耳様に迷惑はかけませんでした?」

 

そう言って母上は半分になった片割れを口に含む。我は勿論母上もこの蘇は大好きで、口に入れた瞬間に幸せそうに笑みを浮かべる。

 

「あ~…ん~…た、多分大丈夫だと思います。少なくとも、気に入っていただけたはずです!それと我は宮で頂いてきたので結構ですぞ。母上が全部食べて下さい」

 

迷惑どころかとんでもない無礼を働いてしまったので、母上の質問に堂々と返すことができなかった。我の反応に母上は呆れ果てており、やれやれと言った表情で先程まで物柔らかな雰囲気をどこかラフに感じるものに変えた。

母上は残ったもう片方の蘇を遠慮なく口に入れると、またまた幸せそうに頬を緩ませる。

 

「はぁ…美味しかったわ。煮え切らない返事でしたが、布都が大丈夫と言うのなら大丈夫でしょう。それで、二日の間豊聡耳様と何をしていたの?」

 

「え~とですね。まずは世間話をして、それから神子様の頼みを受けて一緒に走り込みをしました。それから弓の腕を披露したあとにまあ色々あり、一度風呂に入ってからはひたすら書物について語り合いました」

 

神子様をくすぐった事を適当にぼかすが、やはり母上はそこが気になった様子。その事を聞く為口を開こうとしたので、間髪入れずに話を続ける。

 

「それがなんと夜更けまで語り合ってしまってですね、召使の者がいい加減に寝ろと言ってくる程でした。しかし今朝も我等は早起きをし、早速走り込みやらなんやらをしました。そうそう!宮の食は大層美味しかったですぞ。我が家で食す蘇も十分に美味しいですが、やはり宮の蘇もまた美味しいものでした」

 

「はあ…」

 

「それからは神子様に軽く弓の心得を教え、更には実際に警備の者と軽く剣の打ち合いをしました」

 

「打ち合い!?だ、大丈夫なの?」

 

やんちゃ者の()を持つ母上であるが、目の離れたところで危険な打ち合いをしたのには驚いたらしく、我の体を触ってどこか怪我してないか確認してくる。この優しさこそが我が母上が大好きな何よりの理由じゃ。母上の様に暇な一日を過ごしたいとは思わんが、母上の様に優しく温かみのある女性にはなるのも我の持つ密かな目標だったりする。

母上の好意は嬉しかったのだが手がこそばゆかったので、我は優しく母上の手を解いた。

 

「大丈夫です。警備の者も手加減はしておりましたので、結果は我の敗北でありますが。しかし弓の勝負では我が勝ちましたぞ。全戦全勝、相手も手加減なしです」

 

「それはまあそうでしょうね」

 

「おろっ」

 

せっかく威張って武勇伝を話したのにも関わらず、先程の心配性の母上は何処へ行ったのか弓の話に関しては随分淡白な返事で、思わず体から力が抜けてしまい漫画の様にガクッと倒れ込んだ。まあ母上も我の鍛錬は時折見てくれておる。我の弓の腕も当然知っておるので、リアクションも薄かったのであろう。

 

「ところで、豊聡耳様はどのようなお方でした?」

 

「むぅ~。少々長くなりますがよいでしょうか?」

 

「ええ」

 

母上にとっては何気ない質問だったのだろうが、我にとっては神子様の魅力をお伝えできる良い機会であった。わざわざ前置きをした事に母上は首を傾げていたが、我がスーと息を吸うと察したようだ。

 

「神子様はまずはとても綺麗なお方でした。七歳ながら、あれこそがまさに正しい美貌とも呼べる顔立ちをしており、また整った輪郭と力強い瞳で凛々しさを感じられます。その美しさの中にある凛々しさ、まさにあれこそが美少女(美男子)です。そして瞳もただ力強いだけではなく、只ならぬ覇気と、他者を引き寄せる力、そして優しさが込められております。そんな凛々しさと美しさを持つ神子様ですが、髪が動物の耳の様な形をしており愛らしさを感じます。勿論その髪もサラサラでいい匂いがしました。他にも肌は白雪の様に細かくも健康的でした。つまりとても綺麗で美しく凛々しく、ですが優しさが感じらる容姿でございました!」

 

「えっと布都もう分かり――」

 

「更に神子様の素晴らしいところはその明晰な頭脳でございます!神子様の思考はとても大人びており――」

 

それから何十分の時が経過しただろうか。母上はこっくりこっくりと船を漕いでいたが、無我夢中になっていた我は気づくことができずにひたすら神子様の魅力について語り続けていた。

我の話が終わったのは、部屋に入ってきた召使が風呂の準備ができたと伝えに来た時。まだまだ神子様について語れることはできたが、二日間の外出で疲れている体は湯に浸かって疲れを落とす事を欲していたので、我は話を中断して風呂へと向かった。

 




あら^~タマリマセンワー





今回出て来た飛鳥文化要素

○婚姻制度
○蘇

今回は婚姻制度についてお話ししようかなと思います。
飛鳥時代の婚姻制度は本文でチラリと説明した通り、男性が女性の家に通う形になっております。実際日帰りだったのか、数日間在宅していたのかは分かりませんが、まあ学生じゃないんですから日帰りはないでしょう。色々な意味で。
なるべく女性は身分の高い婿を得るのが一般的で、生まれて来た子供は女性側の家(一族)が育てるようです。

これもまた男尊女卑とは程遠い考え方ですね。それでですね、改めて小説を見返してきたのですがさほど男尊女卑の描写は無かったので、そこだけ書き直します。ただそれでも、豪族の女性が剣を振ったり走り込みするのは変わっていると思うので、布都ちゃんの鍛錬に関しての導入や周りの反応などはそのままのつもりです。
また、神子が男装している理由は仏教的の男尊女卑による、飛鳥時代の一般的な思想とは違うものなのでこのまま続けていきます。
もはや修正報告が恒例となりましたが、ネット小説の利点と思って前向きに行きます。

修正点
第一話 ○まだ主人公の口調が男の時、男尊女卑の時代に生まれたので発言力がない→カット

第二話 ○布都が神道を学びたいと言った時の父親が何故と言った時の布都の返事。今の世女子は家を守り子を産むのが務め→女子は争い事には関わらず、家を守るのが務め。

    ○上記の後の布都の一人称。この時代は男尊女卑で女性の仕事が限られていた→男尊女卑の時代ではないが女性が戦う事は避けられており、特に豪族の女性は子を産む体が大事。

第四話 ○弓の練習の時。侍女が両親には息子はいないが布都なら大丈夫→布都が継げば物部はもっと繁栄する。

以上となります。


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合格


一旦皇居から場面が移った為か、早く執筆できました(投稿が早いとは言っていない)




神子様と再会してもう四カ月の月日が流れただろうか。あれから二度程神子様とお会いになる機会があり、前よりもっと神子様の事をお慕いするようになった。神子様は早速女性の口説きを始めたようで、召使の者や会いに来た同年代の女子に対して歯の浮くような台詞を口にしているらしい。天皇の息子というのもあり、神子様が女を口説いている噂は瞬く間に広がっており、周りからはやはり大王のご子息だなとコソコソと言われておる。当然神子様の耳にもその噂は入っているが、元より噂を広げるのが目的だったのでむしろ嬉しそうであった。神子様の正体をしっている者たちの行き過ぎた対応も少し落ち着いてきた様で、前にお会いした時は鼻歌をしておられた。

さて、そんな風に神子様の周りで変化があったものの、我の周りではこれと言った変化はなかった。毎日同じように鍛錬と書物に時間を費やしており、時には召使の手伝いをして庭仕事や料理をしたりと充実した毎日。かれこれ鍛錬を初めてもう一年が経とうとしており、冷たい冬風は暖かい春風に変わり、庭に植えられた草花が開花しようと必死になっている。

変化が無いとは言ったものの、この一年の成果は出ており、毎日の鍛錬のメニューは少し変わっていた。いつの間にか走り込みは最初の30周より20増えた50周。素振りも500から800と随分体力が付いてきた。更には木の剣ではあるが打ち合いも始めており、相手をしてくれる警備の男達には度々世話になっている。しかしいくら練習を積み重ねようとも実際に戦うのを生業としている彼らに敵うことはなく、一日一回一太刀浴びせられるか否か、その程度だ。性別以前に六歳の体格では、筋力やリーチの差で大人に勝つことはほぼ不可能なのは分かってはいるものの、悔しいものは悔しいのだ。

しかしそれは剣の話である。警備の男の中には弓の腕自慢をする男がおり、よくその者とどれだけ正確な矢を放てるかの勝負をするのだが、結果は全戦全勝。初めは子供の遊びに付き合う程度と考えていた男も、今ではすっかり我の前にひれ伏して居る。

そして今日も変わらず、その構図は成り立っていた。

 

「もう勘弁してくださいよ布都様。弓の腕だけが自慢の私だったのに、これ以上自信を壊さないで下さい」

 

「なんじゃ、情けない奴め。四日に一度の勝負くらい良いではないか」

 

「一度じゃないから文句を言っているのですが…」

 

男がチラリと視線を移す。視線の先には、男が放った数本の矢が見事に的の中心付近に綺麗に刺さっていた。的の中心を敵と考えるのなら、しっかり敵の胴体を貫いており、本来なら胸を張って自慢できる結果であろう。突き刺さった矢の筈全てに、もう一本矢が突き刺さっていなければ。

あれから我は更に弓の精度を上げる為に、一度他者に打たせた矢の筈を狙う様にした。そうすることで、今まで頼りにしていた一本目で放った感覚を無くし、矢繋げを文字通り一発勝負になるように自ら追い込んだのだ。

 

「こんな神業を起こせるのですから、もう弓の鍛錬は必要ないのでは?」

 

「鍛錬と言うより我の趣味じゃからのう。しかしおぬしの言う通りでもある。もう少し飛距離が伸びれば鍛錬の幅も広がるのじゃが」

 

弓は我の一番の趣味と言って良いほど好きなのだが、飛距離が伸びない限りは鍛錬のやり方にも限界がある。矢の三本繋ぎの練習もしておるが、二本目以上に集中力が必要となり長続きしないので暇つぶしには向いていない。狩りにでも出たら資源も入るし矢も打てて一石二鳥なのだが、父上も母上もまだ狩りに出るのを許してくれん。まだまだ我は子供である為に致し方ないが。

ということで弓の鍛錬もとい趣味に付き合ってくれている男なのだが、彼には申し訳ないが我の向上心をそそる程の腕は持っていなかった。

 

「布都、ちょっとよいか」

 

「あっ、父上!」

 

回り廊下から庭を見下ろす形で父上が立って居られた。我の隣にいた男は跪き頭を下げるが、娘である我がそこまでする必要はないので、軽く頭を下げると父上の元へ駆ける。父上は走り寄ってきた我の頭をぐしゃぐしゃと荒々しく撫でると、跪いている男へと言う。

 

「いつも布都の相手をしてくれ感謝する。仕事に戻ってよいぞ」

 

「はっ!」

 

「父上、何かご用でしょうか?」

 

ぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えながら見上げるように父上の顔を眺めると、嬉しそうに笑みを浮かべた父上の顔があった。

 

「布都、合格じゃ」

 

その合格の意図を聞いたのは、いつも食事をしている居間での事だった。居間には既に母上もおり、三人での会談をなった。最初は何かしでかして怒られるのかと思っておったが、父上は合格と仰っていたのでそれもなかろう。しかし試験らしきものをした覚えもないので不安が消える事はない。

ソワソワしている我がおかしかったのか、二人とも小さく笑って口を開いた。

 

「安心してください布都。あなたは無事に父の試験に合格したのです」

 

「はぁ…試験、でございますか?」

 

う~む、試験…試験…。ダメじゃ、やはり心当たりがない。強いて言うなら弓の腕が既に大人以上のものである事くらいか。しかし弓は他の鍛錬とは違い、我が好んでやっている。無論走り込みも剣の鍛錬も楽しく、好んでやっておるものだが。

 

「ああ、お前が妖怪と戦う術が欲しいと言って一年。お前は用事や風邪の時以外は毎日欠かさず鍛錬に励んだ。これこそが、お前が神道を学ぶための試験だったのだ」

 

髭面であるが随分と爽やかな笑みを浮かべる父上。それでようやく我は合格の意図を掴むことができたが、それと同時に忘れていた大事な事実を思い出した。

 

「そう言えば我は妖怪と戦うために鍛錬を始めたのでしたな」

 

「えっ?」

 

「はっ?」

 

お二人の声が綺麗に重なった。二人の目が点になっているのにも関わらず、我はそれに気づくことができずに手を頭に当てながら苦笑した。

 

「いや~、最近鍛錬が楽しくてすっかり忘れていました。そうかそうか、神道を学ぶための試験だったのですなぁ…。おや、お二人ともどうされました?」

 

ケラケラと笑いながら話したのが癇に障ったのであろうか。二人はまさに開いた口が塞がらない状態になっており、顔は我の方を見ているが焦点が定まっておらん様に見える。何度か声を掛けたが全くの無反応だったので二人の顔の前で手を振ると、ようやく我に返ったのかハッと小さく声を出す。

 

「す、すまんな布都。まさかそこまで鍛錬にのめり込んでいたとは思わなかった」

 

「変わった子とは思っていましたが、まさかここまでとは…」

 

二人とも口調は優しいが、心底我に呆れているのは分かった。そんな反応をされると我自身、立派な目標を持っていながらそれを忘れた自分が急に恥ずかしくなった。同時に心の中で、それだけ懸命に鍛錬をしていたのだと一人で言い訳をする。

 

「まあ兎も角、これからは剣や弓の鍛錬ではなく、神道を本格的にやっていこうと思う。流石のお前も伸び悩んでいた頃みたいだから、丁度良い転換だと思う」

 

「はい!」

 

どこか締りの無いものになってしまったが、どうやら無事に神道への第一歩を許してもらえたようだ。それが嬉しくて嬉しくて仕方なく、思わず父上と母上の元へ飛びかかった。二人とも我を抱きしめ、優しく撫でてくれる。

ついに次の段階に進むことができた。本格的に東方の世界に入る事ができる。この体一つで空を飛び、手の平から火の玉を出し、腕には風を纏わせ、自在に水を操る事ができる。どのような原理や過程でそうなっていくのかはまだ分からないし、我に神道の才能があるかも分からんが、今は純粋に喜ぶとしよう。

 

「では早速、稽古をつけて下さい、父上!」

 

「違いますよ布都、あなたに教えるのは私です」

 

「へ?」

 

 

 

どうやら我が一年前に言った台詞は逆効果だったようである。我は神道(異能の力)を教えて欲しいというニュアンスを込めて妖怪と戦う術が欲しいと言った。しかし父上と母上は言葉をそのまま受け取ったようで、神道を教えるのを渋っておられたらしい。お二人は元より我に対して神道の術を教える気はあったそうだが、その神道を使って妖怪と戦うのならそれ相応の覚悟を見せろとの事。つまり一年前、我は大人しく神道を教えてくれと言えばよかったのに、面倒な台詞回しをした所為で神道を学ぶのに時間が掛かってしまったらしい。

目的地を自分から遠くするとは、何と馬鹿馬鹿しい話であろうか。さほど隠し事はしない我だが、この件は恥ずかしくて神子様にも報告できない。

愚痴はもう一つある。先程まで忘れていたものの、我は神道を行うには健全な肉体が必要であると教えられた為にこの一年鍛錬を続けたが、実際は健全な肉体は関係ないらしい。と言うと少し失礼かもしれないが、現に母上は我の様に体を鍛えていないにも関わらず、神道の術を使っていた。

母上の前には小さい箱が置かれており、その箱の周りをドーム状の赤く薄い膜が覆っている。説明されなくとも、それが結界と呼ばれるものというのは我にも理解でき、まさに前世のサブカルチャーで見たのそのものであった。神道と今までの鍛錬に関係が無い事を伝えられ少しショックを受けたが、自分自身鍛錬が楽しくて神道の事を忘れていたくらいだったのもあり、異能の力をこの目で見た瞬間に感動で悩みは吹き飛んだ。

 

「布都、試しに触ってみなさい」

 

「は、はいっ!…おおっ!」

 

母上に誘われ、恐る恐る人差し指を箱を包み込んでいる結界へと伸ばす。結界に触れると小さくバチッと音を立てて人差し指が弾き返された。僅かながらの痺れに近い感覚はあったものの痛みは無く、むしろ痺れよりも感動の方が大きかった。

 

「これが結界です。我が家はこの結界により、妖怪の手から守られています」

 

「?我が家の周りにはこのようなもの見えませぬぞ?」

 

我は開かれた扉の奥に広がっている外界の光景を眺める。美しい庭と青白い空が広がっているが、目の前にある赤い結界らしきものはどこにもなかった。

 

「これは簡易的でかなり荒く作っているため目で確認することができますが、より力を込めると透明の結界を作る事が可能です。本来結界は見せるものではありませんからね」

 

「確かに見える結界になってしまうと、そこに大事なものを隠していますと言っているようなものですな」

 

母上の話を聞きながらも、何度か結界を突いてみる。変わらず不思議な力によって指は弾かれてしまう。どのような理屈かは分からぬが、本当にこのような摩訶不思議な術を我が使えるのか少々不安になってきた。

 

「ええ、そうです。さて、まず布都にはこの結界を作ってもらいたいのですが、それには霊力を知ってもらわなくてはなりません」

 

「霊力、ですか?」

 

これまた前世で聞いた事のある単語だったが、現世では初めて聞いたので自然に見えるよう首を傾げる。東方だと霊撃なる言葉が使わる事はあったが、霊力はあっただろうか? とは言え、東方に関わらず他の作品で見たことはある。

 

「私達の使う物部神道は己の魂を奮起して作られる精神の力を利用して、術を生み出すものです。故にまずは魂を震わし、そしてそこから生まれた力を操作しなくてはなりません」

 

「むぅ、難解そうですのぉ…」

 

「神道を使えない者のほとんどはこの段階で躓きます。重石を乗せる訳では無いですが、布都がその中の一人に入らないよう願っています」

 

そう言われても、魂を震わせてうんたらかんたらの説明で、はいそうですかこういうことですねとなる訳もない。軽く目を瞑って己の魂なるものを高めようとするが、そんな簡単に魂に関与できたら今頃この世界は異能の者で溢れ返っているであろう。

 

「……母上、コツなどはないのですか?」

 

「流石の物部氏の天才児もいきなりは無理みたいですね」

 

「あ、当たり前です。我とて何でもできる訳ではございませぬ」

 

少しからかい口調の母上に思わずムッとしてしまい、我の表情は仏頂面に変わってしまったようだ。それが微笑ましく思われたのか母上は口元を緩めがら、よしよしと優しい声で宥めてくる。仮にも前世の記憶があるのだが、不思議と母上の声が心地よく、ついつい我の強張った頬も緩む。

神子様の件と言い、我は少々チョロくないであろうか? いや、そんなことは断じてないはず。我は自分にも他人にも厳しい、天下の物部氏の天才児、物部布都じゃ。そんな我がチョロいなど、断じてない。

 

「ふふっ、そうですね。コツかどうかは分かりませんが、強いて言うならば一度心を無にし、自らの中に眠るものの感覚を掴む事かしら」

 

「ふむふむ、なるほど」

 

「それと一応結界までの過程を教えておきます。一通りの流れを知っておいた方が少しはやりやすいでしょう。まずは自分の中で霊力を生み出す」

 

母上は目を閉じてゆっくりと呟く。我もそれに習って目を閉じて霊力を生み出そうとするが、当然それらしき力が現れる事がなかったので、大人しく瞼を開いて母上の姿を目に焼き付けておくことにした。

 

「ゆっくりと体内の霊力を一つに纏め、結界を想像します。結界にも沢山の形や大きさがあります。ですから守りたいもの、今ならこの箱を頭に浮かばせる。次に形状、大きさ、強度を一つずつ頭の中で作り上げていく。そして頭の中で結界が完成したら、霊力を放出する。そうすればほら」

 

「おおー!」

 

母上の合図に合わせて手元にあった箱を包む結界の外側に、更にもう一つドーム状の結界が張られていた。今度は手の平で触れてみたが結果は同じく、軽くバチッと音を立て弾かれた。

改めて一から順に説明して貰ったら、結構細かいプロセスがあり少しホッとした。結界を作るのも抽象的な方法だと思うとやる気が削がれるが、存外具体的なプロセスがそこにはあった。もっとも、根本的な霊力を生み出すのと霊力を放出することは合いも変わらず曖昧であるが。

 

「まずはここまでが目標です」

 

「はい!ところでこの結界を作るまで、母上や他の神道使いの方はどのくらいの時間を要しました?」

 

「そうですね。私は二カ月、他の方は一週間、一か月、半年、一年と人によりけりです。まあ一カ月はともかく、一週間は嘘でしょうね。その方は私よりも霊力が弱いですし、結界も下手ですから。ふふふ」

 

「おっ、おぉ…」

 

どこか母上の笑みが不気味に感じたので、あえてそれ以上追及しなかった。温厚な母上にもライバルが存在することに少々驚きながらも、結局はその人の才能次第という事実を伝えられ、どこか不安な気持ちになった。傍から見れば天才物部布都かもしれんが、実際は前世の記憶があるからそう見えるだけだ。まあ弓に関しては自分でも威張れる才を持っていると自負しておるが。

 

「私は一日中座りながら己の魂を探しましたが、あくまで私はです。中には食事中や入浴中に自らの魂を見つけた者もいるそうですので、布都も自らに合った方法で考えればよいと思いますよ」

 

「分かりました。少々不安もありますが、我は必ず母上の前に強大な結界をお見せしましょうぞ」

 

「期待しています」

 





おかげさまで沢山の方に感想を頂いているのですが、皆さん神子の事を神子様と様付けしてくれるのが特に嬉しかったりします(信者感)
昔は太子様と呼んでいましたが、最近は神子様派です。豊聡耳神子って名前カッコいいですよね。

そんな信者の私ですが、一番好きな名前は四季映姫で、一番オシャレに感じる名前は十六夜咲夜です。咲夜さんの名前が全世界ムーンストレッチとかにならなくてよかった。




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思考スパイラル

 

神道の第一歩、結界について教えてもらって早一週間が経過した。毎日一日中座禅をして集中し、己が魂とやらを探しているのだが、これと言った進展がなかった。仏教の修行法である座禅をして考えるのか駄目なのかとも思ったが、他にもいろんな体制をしながら思案していたので関係ないであろう。

そもそも最初の段階が曖昧すぎるのだ。何が己の魂を見つけるだと、母上に怒鳴るのは見当違いにも程があるであろう。元よりここまで来るのに一年に時間を費やしてきたのだ。余り気を詰めずに気楽にのんびりやろうと心に決めたのだが、それでも気になるものは気になる。可能であれば当然短い期間で突破したいのは誰でも一緒だろう。

 

「むぅ…、難しいのぅ…」

 

「布都様、神道の練習でございますか?」

 

ボーと庭を眺めながらポツリと呟くと、視界にいつも世話になっている召使の女が入ってきた。この家に仕えている彼女も神道については一般人より詳しいようで、我が考えていることが分かったらしい。

余り他人と関わらずに一人で集中していたかったが、普段世話になっている彼女に対する礼として小さくコクンと首を縦に振ると、彼女はなにやら納得した表情になる。

 

「実はですね、私も昔布都様と同じ練習をしたことがあります」

 

「ほぅ?」

 

途端、自分でも分かる程の早さで召使の女の話に興味が湧いた。

 

「神道が使える者の方が羽振りも圧倒的に良かったので、何とか術を使おうと色々と試してみましたが、結果はご覧の通りです。そもそも物部氏の血を継いでいない私が出来る訳もなかったのですが、ごく稀に血筋に関係なく神道を操れるものがいるのでそこに賭けたのです。今の生活に不満がある訳では無いですが、思い出した時に今でも時折神道を使えないかと陰ながらやっています。私のしがない身の上話はここまでにします。お伝えしたいのは私の長年の経験からするに、深く考えすぎても時間が掛かるだけかもしれません。ここ一週間、布都様は考え込んでいられます。ここは一度、以前の生活に戻すのも手かと思います。出過ぎたことを申し、すいません」

 

「よい、気にするな。おぬしの言う通り、我は少し考えすぎてしまったのかもしれん。ここはまた体でも動かそうぞ」

 

そうじゃ、先程も自分でも詰め込み過ぎはよくないと思っていたところではないか。

その事を改めて教えてくれた召使に礼を言うと、我は早速靴を履いて庭へと跳んだ。彼女はニコリと微笑むと、仕事があるとの事で家に入って行った。

いつも通りの生活、それをしていく中で霊力を見つけていくのが精神的にも肉体的にも一番良い方法であろう。ならばいつも通り準備体操をし、走り込みをして汗を流していくのが良いだろうと、我は一週間ぶりの走り込みを開始した。

 

走り込みを終えたのにだいたい一時間近く掛かる。走るスピードは徐々に上がっているが、周回数が多くなると必要な時間が伸びるのは当然であろう。一回での周回数が増えた為、最近では走り込みの回数は一日二回に減らした。そうせんと体力もだが、一日が鍛錬だけで終わってしまう。

 

「はっ…、はっ…」

 

自分に合った呼吸のペースに合わせて足を進める。グルグルと敷地内を走りながらも、考えるのはやはり霊力の事。不思議と体を動かしている時の方が集中力が高まっており、答えは見つからないもののそれが逆に清々しく感じられた。

走り込みを終え、自分で汲んできた井戸水を飲みながら大の字になって空に浮かぶ太陽を眺める事十分。呼吸も落ち着いてきたところで次は剣の練習だ。早速二本の木製の剣を手に取って、門の前で立っている二人の男へと向かう。

 

「おーい、そこの門番!我と勝負だ!」

 

我がビシッと指を指しながら大声を上げると、二人の門番がほぼ同時に振り返る。その内の一人、指を指した方の男が返事をした。

 

「おっ、久しぶりですね布都様」

 

「聞いて下さいよ布都様。こいつここ最近神道の鍛錬に布都様を取られた所為で落ち込んでいたんですよ」

 

「お、おい!それは内緒だと言っただろ!」

 

からかわれた門番はどうやら末っ子の様で、召使の女曰く我の事を妹の様に思ってくれているそうな。だからか剣の手合せを渋る事無く手合せしてくれる。因みにもう片方の男が、弓の練習を手伝ってくれる男だ。

それとこれは余談になるが、まだ剣が発展していないこのご時世、基本的に農民階級の者が使う武器は槍であった。しかしこの十市軍は武器倉が多くあり、この男の家はその内の一つである為に剣を持っている。商人階級の彼がわざわざ警備の仕事しているのは、一つは彼が末っ子故に店を継げなかったのと、単純に武器を作るよりも振るった方が性に合うからだそうだ。

慌てる男の姿が絵に書いた様で笑みがこぼれた。

 

「ハッハッハ!そうかそうか、すまんかったのう。こう見えて結構悩んでおったのじゃ。しかし深く考えるのは性に合わん!いつも通り手合せ願うぞ」

 

「畏まりました。じゃあ俺の分までよろしくな」

 

普段は一日中門の前で立っているだけの仕事であるが、この時は我の名の元、雇い主公認で休むことが出来る。休むと言っても我の鍛錬の相手なのだが、六歳児の相手なら休憩も同然だろう。自分で言って少し悲しくなるが、実際彼との実力差はまだまだ大きい。

嬉しそうに持ち場を離れる男に対し、もう片方の弓の男はわざとらしく落胆する。

 

「ったく、剣が強いお前が羨ましいぜ。俺はもう布都様の弓の練習に付き合えないかもしれないっていうのに」

 

「なんじゃ、我の練習に付き合いたいのなら構わんぞ」

 

「ハハッ、手加減してくれるのならお願いします」

 

「なら無理じゃな。我は誰であろうと容赦はせんぞ~」

 

「くぅ~、手厳しいです」

 

以前は身分の格差により召使の者達とは大きな壁を感じていたが、いつからか気楽に話し合えるようになった。当然どんなに壁が薄くなろうとこの時代の身分の差は大きく、彼等が我に対して無礼な行為をしたり溜口で話すのは許されないが、それでも他所と比べたら仲の良い方であろう。

 

家の庭は門を潜ってすぐのところは広場になっており、いつもここで鍛錬をしている。我は手に持った大人向けの長さの剣を男へと投げる。見事キャッチした男は一礼すると静かに剣を構えた。

一週間ぶりとは言えそれまでの四カ月間は毎日やっていたので、一々細かな挨拶やルール確認などはしない。我も静かに一礼すると、ゆっくりと子供向けの短い剣を構える。

 

「行くぞ!」

 

掛け声と共に剣を前に出して男へと飛びかかった。日頃走り込みをしているお陰か、それとも生まれながらのものなのか、この体は非常に瞬発力が高く身軽に動くことができた。毎度同じ手でありながら、男はいつも一瞬驚いたように目を開きつつ、突き出された剣を受け流す。カンと木がぶつかり合う音と共に剣を持った手が大きく横へずらされてしまい、右手がばんざいの状態になる。どんなに男が手加減してくれようとも筋力の差は大きく、突きを受け流された我には大きな隙が生まれてしまう。打ち合いを初めてしばらくはこの時生まれる隙を狙われて終わるワンパターンのものであったが、最近は違った。男が剣を我の方へ振る前に、本来なら初動の硬直で固まっている体の重心をずらして半ば無理やりに動かす。重心がずれるに従い自然と足も動き、傍から見れば地面に倒れているように見えるだろう。だが当然打ち合いの途中でそのような致命的な隙を見せる訳も無く、倒れている方の足で体を支え、その力を利用して更に男へと襲い掛かる。

 

「ハァッ!」

 

また再びカンと音が響く。今の一連の流れはかなり短い間に行われた出来事なのだが、男の足が後ろへ下がる事はなかった。

一度間合いを取る為に後方へと跳んで体制を整え、またすぐに跳びかかる。今度は横切りを繰り出したのだが、男はそれに合わせて剣を垂直にして防ぎ、素早い腕と手首の動きを利用してすぐさま我に切りかかってきた。

 

「くうっ!」

 

「流石ですね布都様。ですがまだまだ力の入れ過ぎで動きが硬いです!」

 

男は途端に振り下ろした剣に込めた力を抜き、スルッと剣を滑らせた。力み過ぎていた我の体は男の方へバランスを崩し、地面に激突しそうになった。慌てて受け身を取ろうとしたがその心配は無駄だったようで、男が我を抱きかかえてくれた。ルール上体に剣を当てれば勝ちになる。我の体に剣が当たった訳では無いが、この時点で我の負けは決まっていた。

 

「大丈夫ですか布都様?」

 

「うむ、助かったぞ。しかし、なかなかどうして素早い足捌きというのは難しいのぅ…」

 

「当然ですよ。俺も沢山の剣士を見た訳じゃありませんが、少なくとも布都様の様に動く者はいませんでしたし」

 

先程の戦い方で分かるかもしれんが、我の戦い方は俊敏に動く速さを利用するものを理想としていた。と言うのも、実際に原作の物部布都の細かい身長を知っている訳では無いが、ネット上ではロリ扱いしている輩もおったし、栄養が偏っているこの時代では140半ばにいかぬかもしれん。そう考えた場合、成長したあとも男性と剣を交える事があるのなら、やはり六歳の今と同じく体格による絶対的な差が生まれてしまう。

ならばどうするか。無論剣を交える前に弓で倒すのが一番現実的かつ安全な策だが、あくまで前提として既に剣を交えている状態の話だ。そうなるとやはり剣技で相手の上を行く事が端的かつ理想な答えであるが、まだ流派が存在しないこの時代で素人の我が剣技を磨くのは困難だと考えた。ならば剣技では無く、素早く小さい体を動かして相手を翻弄する戦いはどうであろうかと考えて今に至る。幸いと言うべきか反射神経や動体視力はかなり良い方で、自己評価であるが戦闘スタイルは我に合っていると思う。現に速さを意識した戦い方をしてからは、男は少しずつだが本気を出してきたそうな。

 

「俺も偉そうな事は言えませんが、やはり身軽な戦い方をするのなら、相手の攻撃を受けずに避ける事が大事だと思いますよ」

 

「避けるか…。またえらい難題が出たものじゃ」

 

前世で見た剣技を売りにした映画を思い出した。その映画は今までどこか冴えなかった日本のアクション映画のイメージを吹き飛ばすもので、作中では度々剣と剣を交えて戦っていた。その際に相手の剣を躱しつつ攻撃する場面が幾度も見られたが、実際に剣を始めればそれがいかに難しいかがよく分かる。難しいどころか、そもそも普通の人間に出来る代物ではない。

 

「ムムム…、考え込んでも仕方ない。とりあえずもう一回じゃ、もう一回頼むぞ!」

 

「はい、了解しました!」

 

結局一回では終わらず、気が付けば神道の事を忘れて一時間以上夢中になって剣をぶつけ合っていた。その間一度だけ男に一太刀浴びせることができ、いつもより気持ちよく剣の鍛錬を終える事ができた。その一太刀は男に言われた通り、素早く剣を避けてからのカウンターだった。剣を避けた時に生じる好機を付くことができたのだ。

しかしそれは男の横への一閃が、我が僅かながら膝を下げていた為に空振りになったという、子供であるが故に生じた偶然であった。いくら背丈が期待できぬこの体でも今よりはずっと大きく成長する筈なので、今回の様な躱し方は期待できぬ。

などと少し自分に厳しい意見を持っておったが、回避からのカウンターの実践的価値を知る事ができたので非常に満足だった。あの無防備になった胴体へ浴びせた一太刀の感覚は、一度クールダウンした今でも鮮明に残っている。

 

「では私はそろそろ持ち場に戻ります」

 

「仕事中すまんかったの。また今度もよろしく頼む」

 

「俺でよければいつでもお相手しますよ」

 

男は我の隣に木の剣を置き、持ち場へ戻って行った。

周りに人がいないのを確認するとふぅ…と溜息を吐く。神道に続き、また新たな難題が増えてしまい、どう対処するべきかを考え始めた。結局は我の努力次第なのだが、それでも頭で考えてこその人間だ。深く複雑に物事を考えられる脳を持ったからこそ人間は強いのじゃ。

思考が脱線しかけたので修正をしようか。さてさて、では改めて相手の攻撃の対象方法だが、いかに相手の攻撃を見切るかが重要となるであろうが、その後の躱す動作も大事だ。いかに素早く確実に、そして相手に悟られない方法で避けるかが大事だと思う。そうなるとただしゃがんで躱すだけではなく、体を反転させたり、時には空へ跳んで回避したりできれば相手は震撼するであろう。だが前者はともかく後者は普通の人間に出来る事ではなく、聖白蓮の様に何らかの方法で肉体強化でもしない限り人の身である限りは不可能な芸当だ。そうなると結局頼れるのは神道(異能の力)だったりする訳で。

神道、思考、鍛錬、思考、神道、思考の順にグルグルと同じ道を何度も繰り返す。この負のループは前世でやっていた某ハンティングゲームにどこか近い気がする。そのゲームは武器や防具を強化してより強いモンスターと戦うのだが、その武器と防具を作るには強いモンスターの素材が必要になる。その素材を手に入れる為に武器や防具を強くする必要になるが、そもそもの目的は強いモンスターを倒すためと、ループ状態に陥る時があった。解決策としては自分の腕を上げる事かコツコツ装備を鍛えていくことだが、それには多かれ少なかれ時間が必要になる。今の我はまさにその状態だ。

 

駄目じゃ。せっかく深く考えない方がよいと召使に言われたばかりだと言うのに、また思考の輪に入っておる。しかし考えるなと言われて考えを止められる程器用ではない。このままだと今後の鍛錬だけではなく頭の中でもループ状態に陥ってしまう可能性があるので、とりあえず声を出して他の事に集中することにした。

 

「震えろ~我の魂よ~。ふ~る~え~ろ~」

 

軽く喉を震わせると、声がビブラートモドキになって庭に響く。だがそれで我の魂が響くことは無く、また今までの思考の渦からも脱出できなかったので、何度か同じ言葉を繰り返す。それでも駄目なので今度は体をメトロノームのように一定間隔で左右に揺らしていき、呪術の如くひたすら震えろと繰り返す。第三者が今の我を見ているのなら、その瞳には気怠そうに同じ言葉を繰り返して体を揺らす豪族の少女と、面妖な光景が映っているであろう。

自分がいかにアホな事をしているか自覚はあるが、構わずに暫くの間体を揺らし続けた。

歌と呼べるのか定かではない声が庭に響いてから暫く。意味不明な行動の成果か目的の一つだった思考停止状態になる事ができ、ただ歌うだけの人形となっていた。

そんな時、我の名を呼ぶ心地よい声が耳に届いた。

 

「随分と愉快な歌ですね布都」

 

「えっ?」

 

一瞬無意識下で彼女を求めていた為の幻聴かと疑った。少年の様にも少女の様にも聞こえる中性的な、凛々しくも優しさの籠った声。前世を含め、さほど声の良し悪しを意識しなかった我だがこの大好きな声だけは聞き間違える筈はない。

一秒にも満たない速さで振り返ると、そこには我が最も慕っている神子様の姿があった。

 

 

 





思考スパイラル…もうちょっとオシャレな言い回し無いんですかねぇ(呆れ)

皇居を出てまた物部家に戻りましたが、やはり神子様がいないと物足りないです。
ほのぼの(グダグダ)と話が続いているこの小説ですが、飛鳥時代はそこまで伸ばさない予定です。飛ばす時は飛ばします。



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シンプルイズベスト?

飛鳥時代の恋愛が手紙のやり取りから始まる? ふ~ん(無関心)




ここは物部氏の本家である我が家。いくら思考放棄してメトロノームごっこをしていた我にでもそれは分かる。ならば目の前にいる彼女は我の幻覚なのかと思い、何度も瞬きするが彼女の姿が消える事は無い。

我が今どんな表情をしているのかは近くに鏡が無いので分からんが、ただ神子様がクスリと笑みを浮かべる程はおかしなものだったらしい。笑みを浮かべた神子様は我の頭に軽く手を置いた後、よっと声を漏らして隣に座られた。

えっ…えっ!?な、何故神子様がここに居られるのだ!幻覚ではないのは今頭を撫でられた感触で分かったが、何故彼女がここに居るのかは検討も付かぬ。宮に瞬間移動したのかと思ったが、周りの景色はいつもの我が家である。

 

「そこまで驚かなくても。私も外出ぐらいしますよ」

 

「み、神子様!?もも、申し訳ありませぬ。突然の事態に頭がついていかず」

 

慌てて庭へと出していた足を戻して胡坐を掻くと、深々と頭を下げた。神子様からはなるべくは頭を下げないで欲しいと言われているのだが、挨拶の一礼はしなければ我の気が収まらん。改めて顔を上げると神子様の整った顔を眺めながら、首を小さく傾けた。意図は伝わったようで、我が質問を口にする前に神子様が答えてくれた。

 

「今日はたまたまこちらに来ることになったので、是非布都に会おうと思いましてね。周りの目は少し変わってしまいますが、あなたも私ならそのような関係と思われても問題ないでしょう?」

 

「ぬぁっ!?」

 

澄ました顔をしながらサラリととんでもない発言をされ、天皇の息子と物部の娘という堅苦しい空気が一気に壊れた。この時代の男性が女性の家へ来る事はかなり大事だったりする。なにしろこの時代の結婚は男性が女性の家へ三日連続で通い、一緒に餅を食べるだけでよい。神子様がどのような考えで我が家に来たのかは分からないが、傍から見れば我と神子様が恋仲と思われてもおかしくない。いや、ただでさえ我は神子様と多く会談しておる。実際にそう思われているのだろう。

その事に気が付いた刹那、目を尖らせて辺りを見渡した。すると近くの扉が数センチだけ開いており、そこから父上と母上が覗き込んでいた。反対側にある扉からは同様にいつも世話してくれいる召使の女と、同僚の召使の姿も見えた。神子様は既に気づいていたらしく、我と目があっても動揺する様子はなかった。

 

「……神子様。我の部屋へ案内します」

 

「おお、大胆ですね」

 

「違いまする!」

 

我は自分でも分かるほど顔が真っ赤だと言うのに、神子様の纏う余裕のある雰囲気が崩れる事はない。その事がどうもムカムカし、少し強引に神子様の手を引っ張った。近くの部屋からは母上や召使の黄色い声が聞こえてきたがあえて無視する。もし万が一、我と神子様がそのような関係にあろうともたかが子供の恋愛ではないかと、大人げない保護者達を心の中できつい言葉で返した。

神子様を我の部屋にお連れすると、全ての扉を念入りに閉めた。それがむしろ周りの反応を大きくしてしまうのだが、冷静さを失っていた今の我にはそこまで頭が回らなかった。

 

「ここが布都の部屋ですか。確かに、布都のいい香りがします」

 

「は、恥ずかしいですからそのような台詞は止めて頂きたい…」

 

何故こんなにも神子様の言葉に弱いのかは自分でも理解できない。そこ等の者に同じ事を言われても平然と返すだけだが、神子様の口から紡がれる言葉はいつも我に強い影響を与える。

 

「ふふっ、やっぱり布都は可愛いね」

 

「あ、あのですなぁ…。ハァ…、もういいです」

 

もはや何を言っても口で勝てる気がしないので、軽く口を尖らせてそっぽを向いた。

 

「あら、少々からかい過ぎてしまいましたか。布都に嫌われるのは嫌なのでこのくらいにして置きましょうか」

 

「まったく…。それでわざわざ我が家に来たと言うことは何かおありですか?」

 

「いえ、だから言ったじゃないですか、たまたまだと。ここに来たのは本当に布都の顔が見たかったからですよ。いけませんか?」

 

「い、いえ…。嬉しい限りでございまする」

 

うぅっ…今のは完全に天然の言葉であったな…。神子様も他意があった訳では無いのじゃ。ここは落ち着け。

意識的な口説き文句もかなり心に来るが、無意識的な口説き文句はそれ以上に破壊力がある。比較的神子様の言葉に慣れた我でなかったら危ういであろう。いや、神子様を慕っている我だからこそ、ここまで彼女の言葉に弱いのかもしれぬ。いくら神子様が魅力的であろうと、万人が皆我の様に神子様を慕っている訳では無い。

 

「因みにその用事というのはこれですよ」

 

そう言って神子様は腰に掲げている一つの棒をポンポンと叩くと、黄金に輝く装飾が付けられた細長い金属はチャリと音を立てた。そこでようやく我は神子様の腰にぶら下がっていたものの存在に気づき、それが紛れも無く剣を収める鞘のものであると理解した。しかし我が持っている剣とそれは天と地程の差があるほど豪華で派手であった。

 

「……それ、戦えるのですか?」

 

「なにぉう、これでも有名な鍛冶師に打たせた立派な剣ですよ。まあ観賞用ですが」

 

少女らしい可愛いトーンで、柄に太陽を連想させる装飾が付いている腰の剣を軽く抜いた。

 

「やっぱり実戦向きの剣ではないのですね。ですが実戦用の剣であっても、我の手が届く範囲では神子様が剣を振るい、戦う事はさせませぬが」

 

「えっ?」

 

少々キザっぽく言ったのが効いたのか、珍しく神子様は素の声と共に目を開いた。その頬は赤くなったと言われればそう見えなくもない。だが我がからかう前にポーカーフェイスを作ったのか、赤くなった頬と共に表情が戻る。相も変わらず中々奥底を見せてくれぬ方だ。

 

「嬉しですね。ですが仮にも私は男であなたは女。私があなたを守らなければ、周りからは少々情けなく見えてしまいます」

 

「もう少し体力つけないと説得力がありませぬぞ?」

 

「うっ…痛いところ突きますね~」

 

どうやらあれから走り込みはやっていないようで未だに体力には自信が無い様だ。これには言い返せないのか苦笑いを上げる。

なら何故剣を買ったのかと聞けば先と同じ観賞用と返って来るであろう。実際はどこぞの毘沙門天代理の様に威厳を見せるためのものであろうが、観賞用と称しても問題なかろう。

まあその剣が観賞用であろうと実戦向きのものであろうと今は関係なかった。それよりもその剣の見た目が、原作で見たことのある七星剣そのものである事が気になった。七星剣は簡潔に言えば宝刀と呼ばれるほどに有名な剣で、現代では国宝にまで認定されておったか。そんな重要な七星剣と予測した物からは、特にこれといった力や雰囲気を感じられんかった。

我が現世からそのままタイムスリップしているのならいざ知らず、ここは異能の力が存在する東方世界の飛鳥時代。後に宝刀と呼ばれるほどの七星剣なら何かしらの力を感じられても良いはずだが。

 

「やはりこの剣が気になりますか?中々よい形状でしょう」

 

「へっ?ええ、そうでございますな。そこらの政治家が持っても刀に持たされている感じになりましょうが、神子様の美しさなら見栄え負けしませぬぞ。ただ少々…いえ、なんでもございませぬ…」

 

「私は気にしません。どうぞ言って下さい」

 

「では失礼ながら。その剣は見た目の割にはこれと言った力を感じられなく、少々見た目負けしているように見えまして。我が家にも宝刀があるので何となくそれの持つ力が分かるのですが」

 

持ち主としては決して愉快な言葉ではなかったであろうが、神子様は怒る事無くなるほどと小さく頷いた。器量の大きさにまたも彼女に感心した。

 

「確かにこの剣は見てくれだけのものですから、実際に宝刀を目にしている布都からすればそう見えるでしょう。ですが仮にも一級の鍛冶師が作り上げた一級品です。その剣を見た目負けしていると言わせるほどのその宝剣、是非とも見てみたいですね」

 

うむむ…面倒な事になってしまったな。いくら天皇の息子だからと言って世間的には仏教徒である神子様にあの剣を見せてよいものなのか。その辺りの宗教的価値観は未だによう分からん。

だがまあ仮に怒られても大したことではないであろう。今までも神道以外の者も目にしたことはあるであろうし。

 

「やっぱり難しいですかね?」

 

「いえ、大丈夫です。ご案内しますぞ」

 

我が家にあるその宝剣は石上神宮(いそのかみじんぐう)と呼ばれる神社に置かれているものだが、我が生まれてからは敷地内に建てられた分社に大切に祭られてあった。何故剣の分社と我の出生が関係あるかと言うと、我の名がその剣の名から頂いたもので、その剣を我の近くに置いておく事で健康な子供に育つように願掛けするだったか。どのような発想から来たものかは分からぬが、兎に角我の為にわざわざここに祭られているものであった。無論石上神宮で儀式が行われる時や、毎月決められた日に剣を一度石上神宮に戻して日頃の感謝を込めて祭り上げた。

いくら物部氏の本家であろうとも宝剣である物を個人的な理由で持ち出すことに当初は反対されていたらしいが、どうやら有名な占い師が占った結果、我が10になるまでの間はこの家に置いておくべきだとの事で周りの反対はごく一部を除いて無くなったらしい。

その剣の名は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)。都の文字の呼び方は違うものの、我の名がこの剣から頂いたのは明白である。

 

「これが本物の宝刀ですか…」

 

大きめの分社の中に祭られていた一本の剣が視界に入った刹那、言葉にするには余りにも難解な心を震わせる衝撃が走る。毎日礼拝している我でさえこの感覚には未だ慣れぬ。初めて見た神子様の衝撃は今の我よりずっと大きいであろう。

 

「布都御魂剣、この剣の名です」

 

「布都の名の由来、ですか」

 

「はい。タケミカヅチはこれを用いて葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したと言われております」

 

通常の刀とは逆の方に湾曲している通称内反りになっている剣、いや、形状からするに刀と呼んだ方がいいかもしれぬ。日本刀とはまた少し異なる部分があるが、この独特な湾曲はまさに刀だ。

神子様の唾を飲み込む音が聞こえる。その気持ちは凄く良く分かりますぞ。我も初めて布都御魂剣を見た時は、少々大げさだが気絶しそうになるほどであった。

 

「なるほど、確かに私の剣が見た目負けしていると思う訳です。まさか布都の家にこんなものが祭られているとは」

 

「我が家に置いておくのはあと四年弱の間ですが」

 

「え?」

 

神子様の疑問に答え、布都御魂剣がここに来るまでの経緯を話した。すると神子様は感心半分呆れ半分と言った溜息を吐いた。前者は単純にこの剣の価値に対する関心で、後者は我が両親の親馬鹿っぷりに対するものであろう。我も初めて経緯を聞いたときは、分家の者への申し訳なさで一杯であった。

 

それから暫く神子様は魅入られたように布都御魂剣を眺めておられており、その間ずっと神子様の傍に付き添っていた。

そして我の部屋に戻るやいなや、布都御魂剣への感想をひたすら述べておられた。確かに布都御魂剣は御神体になるほどの宝剣であるが、毎日目にしている我にとっては有難い物ではあるが、新鮮な物ではない。故に神子様の話は少々退屈なものであったが、それでも少女の様に純粋な笑みを浮かべる神子様を眺められたのはとてもラッキーだった。

一通り感想を述べ終えたようで、手元に置かれていた水をゴクゴクと飲まれた。

 

「ありがとうございます布都。おかげで良いものが見られました」

 

「神子様に喜んで頂けたのならなによりですぞ」

 

「一度でいいからあの剣を手にしてみたいものですね~。この剣も気に入っていますが、あの剣の力には敵いません」

 

「ふふっ、普段他者を引き寄せている神子様にそこまで言わせるとは。流石我等物部氏の宝剣と言うべきでございますか」

 

「まったくです」

 

我もまた神子様と同じで布都御魂剣を使って戦いたい者の一人だった。あの剣が布都(ふつ)と呼ばれているのは剣を振るった時に鳴る音から来ているらしい。父上から聞いた話によると、ただ剣を振るうだけでは普通の剣と何ら変わらんらしいが、布都(ふつ)と特徴的な音を鳴らした時、固い岩石を紙のように斬れる程の切れ味を発揮するらしい。

 

「おっと、感動ですっかり忘れていました」

 

何か我に伝えるべき事を思い出したようだ。

 

「私が来る前に何やら奇妙な歌を歌っていましたが、悩み事があるのですか?」

 

「は、恥ずかしいところを見られましたな…」

 

神子様が神出鬼没に現れた所為ですっかりと忘れておったが、随分と奇怪な行動を神子様に見られてしまったのであった。その事を思い出すと途端に恥ずかしくなってきた。

会話と己の心境を切り替える為に一度わざとらしく咳払いをすると、我は奇妙な歌を歌っていた経緯について説明した。

一週間前から神道を学び始めたこと、どうやら神道を使うには魂を震わせる必要があるとのこと、考えすぎていた頭を整理する為に日頃の鍛錬を再開したらまた新たな難題が出たこと。

それを神子様は面白おかしく聞いており、時折クスクスと笑いながら聞かれた。我からすれば笑い話では無いのだが、神子様曰く布都が難しく考える事自体がおかしい様だ。原作のアホな布都ならともかく、原作より遥かに賢い我に言うとは誠に遺憾である。しかし話を折る訳にもいかないので、あえてそこには触れずに最後まで悩みを話した。

 

「なるほど、布都の悩みは確かに分かりました。剣の戦い方に関しては私は何も言えませんが、神道に関しては少し手伝うことができるかもしれませんね」

 

「えっ!?ほ、本当ですか!?」

 

何故神子様が神道について手助けできるのかは分からぬが、神子様の手助け程心強いものがなかった。気が付けば頭より先に体が動いていたようで、神子様の顔の前まで自分のそれを近づけていた。

話しにくいのか神子様は反り気味になりながら口を開く。

 

「詳しい事は私にも分かりませんが、要するに魂を震わせればよいのでしょう?ならば――」

 

言葉が途切れると共に、突如我の手が掴まれて神子様の元へ引き寄せられた。元々前のめりしていた所為でバランスが不安定で抵抗も出来ず、気が付けば我は神子様に抱き寄せられる形になっていた。

急すぎる神子様の行動に声すら出ず、何故このような事をされるのかと問いただそうとする暇も無く、神子様の右手が腰に、左手が頭に回されてギュッと抱きしめられた。

 

「――~~ッ!?」

 

「どうです布都?魂、震えませんか?」

 

そこでようやく神子様の意図に気付くことができた。不測の事態を作り上げる事で我の魂を揺さぶろうとしてくれたのであろう。だが震えるのは魂では無く我の心臓であった。バクバクと自分でも分かるほどの鼓動を鳴らしており、今にも意識が飛びそうだ。

神子様の優しい香りが鼻腔をくすぐり、少しひんやりした体温がまた心地よかったが、この状況でそれ等を堪能する余裕は我にはなかった。唇をギュッと噛み締めて、声にならない喜びの悲鳴上がりそうな口を何とか押えるので一杯一杯である。

 

「ぎゅ~」

 

わざとらしく声にして抱き寄せる力を強める神子様。

普段大人びた口調をされているのにこんな時だけ子供っぽい口調にするのは余りに卑怯であった。普段神子様のカリスマにドキマギされているが、今は年相応の愛らしさに心打たれてしまう。

ドクンドクンと心臓がより一層強く鼓動するのが分かる。これ以上神子様に触れていたら胸がはち切れそうな程だ。

そんな我の心臓の状況をいざ知らず、神子様は動く

 

「み、神子様…?」

 

神子様は少し離れると、左手が我の顎を軽く押さえて固定する。視界は颯然とした神子様で一杯で他のものは何一つとして入らなかった。徐々に徐々に近づいてくる神子様の顔。まるで誘われるかのように瞼が勝手に閉じて唇を強調するように顔を前に出した。

な、何をしておるのだ。我はあくまで神子様を尊敬と言う形でお慕いしているだけであって、恋愛的感情は持ち合わせていないし、そもそも神子様は女で我も女。そう分かっている筈なのに何故体は言うことを聞かないのだ。このままだと神子様と口づけを交わしてしまう。それは駄目だ、こんな意味もよく分からず初めての口づけを交わすわけにはいかない。だが神子様の体を突き飛ばすことはおろか、そっぽを向くこともできない。

ああもし、もし我と神子様の間に壁があったのなら、神子様への数多の感情が忠誠心に混ざり合う複雑な感情を整理することができるかもしれないのに。

その時だった。バチッと小さい音が鳴り、唇が軽く弾かれた。

 

「えっ?」

 

パチッと目を開くと、僅か数センチしかない我と神子様の間に赤く光る薄い壁が存在していた。

パニックになっていた頭でもそれが何なのかはすぐに分かった。結界だ。結界が我と神子様の口づけを邪魔した、してくれたのだ。

神子様はこれが結界だと分からなかったのか、暫くの間目をパチクリさせていた。

 

「布都、ひょっとしてこれが結界――」

 

「何をしているのですか布都!?」

 

神子様の声を遮るように、突如ヒステリックな女性の声が部屋に響いた。それと同時に木製の扉が大きく開かれる。

振り向いて音の発生源を確認すると、そこには母上が男らしく堂々と立っておられた。母上の後ろには父上と召使の者達もいた。

ま、まさか今のやり取りをみみっ、見られた…?

 

「もー、あと少しではありませんか!何故この状況で結界を生み出したのですか!」

 

「あ、阿佐よ…」

 

「えっと、すいません尾興さん、阿佐さん。まだ幼い娘さんを誑かす?形になって」

 

「豊聡耳様は気にしないで下さい。布都、こんなに良い殿方の口づけを断るとは何事ですか。いいですか布都。確かに私は豊聡耳様と今日お会いしたばかりですが、この間あなたから散々聞かされて彼の良さは知っています。そんなあなたはてっきり彼に恋していいると思っていたのにまさかあろうことかこの時に結界を作り出すとは」

 

み、見られた?きっと凄い変な顔をしていただろう。リンゴのように真っ赤になっていただろう。その顔をみ、見られた?

 

「はっはは…」

 

「は?」

 

「は?」

 

 

頬がピクピクと痙攣し、声が擦れているのが自分でも分かった。ゆっくりと立ち上がりながら部屋の入り口に立つ皆をキッと睨み付ける。

 

「は、母上も父上もみんなだいっきらいじゃー!」

 

 

 

そこからの事は覚えておらんかった。気が付けば我は神子様の胸の中で目が覚め、神子様が悪乗りが過ぎたと何度も謝っていた。神子様を断れなかった我にも責任があったのでさほど怒らなかったが、神子様はギリギリのところで止めるつもりだったらしく、我の忠誠心を踏みにじったとかなり反省しておられた。

そこまで重く考えないで下さいと我は笑顔で伝えた。あそこまで来たらそのまま口づけをしてしまっても、寸前のところで止めても、相手が神子様ならばもう良いかと心のどこかで思っていたからか、我ながら寛大な返事ができた。

神子様も分かって下さったのか、感謝の言葉と共に優しく頭を撫でて下さった。

 

因みに我が眠っていたのは、無意識の内に強力な結界を生み出して覗き見ていた皆を弾き飛ばして気絶させ、急な力の使用によって一気に疲労が溜まったからだそうだ。

色々と恥ずかしい思いをしたものの、何とか神道の扉を開くことが出来た。その扉を開くきっかけを作って下さった神子様に今度は我の方から抱き付いた。優しく受け止めてくれた神子様は、耳元でそっと美しい音色を奏でる。

 

「布都、おめでとう。無事神道の扉を開けたようですね」

 

「はいっ!」

 

 




タマリマセンワー

阿佐さんが恋愛にノリノリキャラになってしまいましタワー
あくまで神子様も布都ちゃんも恋愛感情は持っていまセンワー
ぼちぼち屠自古を出したいデスワー
この作品は百合が強いデスワー



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(怒りの腹パン)

彼女は武道家ではない(普通の女の子)



「あんた誰だよ」

 

「おぬしこそ誰じゃ」

 

今まででこやつと仲良くしようと考えている自分がいたが、会って早々その考えは捨てた。我は神子様に抱き付いているこの小娘、蘇我屠自古が嫌いじゃ。

 

事の発端は神子様の部屋での事だが、そこに行くまでの経緯を少し話そうか。

まずは、初めて神子様が我の家に来てから三年の月日が流れようとしていた。我の年は九つ、神子様は我より一つ上なので十になられる。

成長期の三年とは大きいもので大分背丈や手足も伸びて来て、最近では馬にも乗っての外出が多くなった。両親は宮に行く時ぐらいは牛車を使えと言ってくるが、破壊的までの遅さを持つ牛車に乗るのはまっぴらごめんじゃ。冗談抜きで牛車に乗るくらいなら走った方が早い。日本で車輪の乗り物が流行らずに、足での歩きが主流になっているのは馬が少ないのと牛車が異様に遅い所為だ。結局両親が先に折れる形になり、今日もまた馬を飛ばして神子様の元へ通っていた。

だいたい神子様とお会いするのは月に一・二回程度だろうか。時には宮に泊まらせてもらう時もあるが、それは年に一回あるかないか。

 

そんな月に数回の大切な日が今日。自分で言うのもあれだが、我と神子様はかなり仲がよい方だと思う。いや、もっとハッキリ申しておこう。神子様の一番の友人であり理解者は我だと思っておる。

だってそうであろう。性別の秘密については勿論、性別に関する悩みや、とても大きな声では言えない仏教への不満なども我に話してくれる。それだけではなく神子様の我に対する口説き方は、客観的に見ても他の者よりも本気に見える。

そんな神子様の部屋に入った刹那、目に入ったのが神子様に抱き付いている薄い緑色の髪をしたウェーブのかかった小娘だ。怒りを覚えて当然だと思う。

 

「あんた誰だよ」

 

「おぬしこそ誰じゃ」

 

一言目から敵対心剥き出しの口調に、こちらもあえて敵対心を露わした。明らかに初対面の者同士が起こす空気ではないと察したのであろう。神子様が慌てて我等二人に声を掛けようとするが、ギロリと睨み付けて黙らせた。例のくすぐり攻撃を除けば、神子様の悲鳴を聞いたのはこれが初めてだろうか。それ程までに恐ろしい目付きをしているのであろう。

勿論この時の我にそんな客観的な思想が出来る訳も無く、礼もせずにズカズカと神子様の部屋に入って来る。

 

「物部布都じゃ」

 

「蘇我屠自古だ」

 

「……」

 

神子様を間に互いに睨み合う状況になり、神子様は気まずそうに明後日の方向を向いていた。

我は何もしていないのに何故こいつはここまで我に対して敵対心を見せてくるのか。さっさと部屋を出て行けばよいものを。

 

「神子様、この小娘とどのような関係なのでございますか!?ああん!我とやると言うのか!?」

 

「神子様、この女狐とどんな関係な訳だ!?おいお前!私とやるつもりか!?」

 

「いや、えっと…とりあえず二人とも落ち着きましょう…ねっ?」

 

「言うにことを書いて我を女狐と申したかこの性悪女!」

 

「それはこっちの台詞だ!私より背が低いくせに小娘だと、このチビ!」

 

こ、このガキ。せっかく今日は一日中神子様と一緒に居られると思っておった大切な時間を潰しただけでは飽き足らず、一番気にしている背丈の事を言ったな。

 

「上等じゃ蘇我の子娘よ表に出ろ!」

 

「受けて立つぞ物部のチビめ!」

 

「だから二人とも、できれば仲良くしてくれないかな~」

 

神子様の声が聞こえた気がしたが、感情的になっている我等二人の耳に届くことは無く、既に我は庭で屠自古(小娘)と対峙している状態であった。丁度良い、三年前に一度霊力のコツを掴んでからはまさに鬼に金棒状態であった。日頃の鍛錬の成果をぶつけてやろうではないか。

霊力を生み出し放出する以外の過程で必要になるのは想像力。前世でサブカルチャーを見ていたのが想像力の糧となり、より実践的な結界を作成したり、目的の一つであった身体能力強化の術も少しずつだが完成してきておる。ただ残念なのは原作の布都が行っていた炎や竜巻を生み出すのはどうやら道教の術の様で、一応できる事は出来るが物部神道には向かぬ技であった。もっとも目の前の小娘に対してそこまでの力を使う気は無いので今は気にする事はなかろう。

腰に帯刀している剣を抜き出すと、剣に霊力の層を纏わせて切れ味を無くす。いくらこやつが気に入らぬ存在でもこれはあくまで喧嘩であって本物の決闘ではない。

 

「なに剣使ってんだよ。喧嘩なら素手だろう弱虫」

 

「ほ、ほ~う…。我を未熟者と言う輩は居っても弱虫と呼ぶ奴はおらんかったぞ。上等じゃ小娘ェ!」

 

霊力を纏わせた剣を投げ捨て、叫びながら小娘に跳びかかった。

我の瞬発力に驚いたのか一瞬目を見開くが、すぐに拳を構え直して我に向けて真っ直ぐ拳を放った。日頃剣の打ち合いや矢を放っている我の目にはそれは止まって見え、難なく首を傾けて回避すると、胴体に一発軽い拳を放つ。するとどうだろうか。牽制のつもりで放った拳は見事小娘の腹に当たり、小娘は小さい呻き声と共にお腹を押さえて地面に膝を付けた。

そして体を震わせるやいなや、涙目になってキッと我を見上げる形で睨み付けると、傍観している神子様の元へ駆けだした。

 

「うわーん!神子さまぁ゛―!」

 

「あーもー。よしよし、痛かったね~。布都、大人げないですよ」

 

「うわぁーーん!」

 

「……」

 

まさかここまで弱いとは思ってもおらず、気が付けばカッとなっていた頭はすっかり冷めていた。我の喧嘩に乗ってきたので、てっきりそれ相応の強さを持っていると思っていたが、体術は無論蘇我氏が好きな仏教の力も使えぬらしい。幸い我も身体強化を使っていなかったし、溝では無く腹に当てたので子供の喧嘩で収める事ができたが、本気でやっていたら悲惨な事になっていたかもしれぬ。

我とこの小娘の喧嘩で物部と蘇我の戦が始まるなど笑い話にもならん。投げ捨てた剣を拾いチンと音を立てて鞘に納めると、未だに泣き続ける小娘とそれを宥める神子様の元へと行く。

 

「おぬし滅茶苦茶弱いのぅ…。自分で言うのもあれじゃが、我の噂ぐらい耳にせんかったのか?」

 

「ひっく…。お、お前の噂なんか知るもんかバーカ!」

 

こいつがどこか遠い地方の者であるならば我もある程度大人の対応とやらができただろうが、蘇我氏の者が物部氏の中でも有名な我の噂を聞いていない訳がないであろうが。分かり切った質問(できレース)をした自分を棚に上げ、我はまたプルプルと拳を震わせる。

 

「この小娘。絞めたりんかったか」

 

「布都、いい加減にしなさい」

 

「むぅ…」

 

神子様に言われ渋々と小娘から距離を置く。小娘は神子様の腕で宥められながら、時折我の方を見てバーカバーカと叫んでくる。怒りに我を忘れまたぶん殴りそうになったが、これ以上神子様の前ではしたない真似は出来ぬので、痙攣する頬を何とか収めようと顔に力を込める。

また随分と変な顔をしているのか神子様は我の顔を見ながらも苦笑して、腕の中にいる小娘に優しく声を掛けた。

 

「屠自古、あなたにも責任があります。これ以上布都を貶す言葉を使うのなら例え屠自古でも許しませんよ。布都は私の大切な人です。ほら、仲直りする時はどうする?」

 

何故こんな恥ずかしい台詞を本人の前で言えるのだろうか。そして我は何故ここまでポーカーフェイスが下手なのであろうか。つい先ほどまで強張っていた頬が緩み、今にも吹き出しそうな程に嬉しかった。

 

「うぅ~ッ!分かりました…神子様がそう言うなら…」

 

小娘も神子様の言葉には弱いのであろう。口を尖らせて渋々と、仲直りの握手のつもりか我の方へ手を伸ばしてきた。

いくら向こうが100%悪いとはいえ、我もほんの少しは大人げないところがあったので差し出された手を握った。神子様はニコニコと微笑ましそうに我等二人を眺めているが、こやつは神子様から顔が見えないことをいいことに思いっきり力を入れて手を握ってきておった。

鍛えてない同い年の少女の握力などたかがしれているので痛くないが、このまま調子に乗られるのも癪であるので、我はこれ以上ない爽やかな笑顔を作って思いっきり手に力を込めた。いくら小娘の手の平の方が大きくとも握力はこちらの方が上じゃ。

 

「いっ!?」

 

「これからよろしく頼むのぉ、屠自古」

 

「こ、こちらこそ頼む、布都」

 

「ハァ…やれやれ…。仲良くできると思ったんだけどなぁ」

 

暫くは仲良く握手をしていた我等だったが、何故か屠自古が涙目になってきたので神子様が握手を止めさせた。神子様の目を誤魔化せるとは思っていなかったが、我はあえて何事も無かったかのように振る舞った。屠自古もまたこれ以上我に負けるのは嫌だったのか、神子様に泣きつくような事は無かった。

一度神子様の部屋に戻った我等は、神子様を中心に隣に座る形で並ぶ。一応言っておくが普段はこのような並び方はせずに、普通に真正面で対面しておる。しかし屠自古が神子様の隣を空けん限りは我とて離れるつもりは毛頭ない。

そんな我の…我等の心境を悟ったのか神子様はまたまた深く溜息を吐きながらも、いつも通りに座ろうと提案されたので、渋々と神子様から離れて三角形を作るように座った。

 

「……」

 

「……」

 

「……そ、そうだ布都。あなたに渡しておきたいものがあって」

 

部屋を包み込む沈黙を何とか追い払おうと、いつもの涼やかさの欠片も無い慌てっぷりで神子様は部屋の片隅に置いていた細長い箱に手を伸ばす。中に入っている物は見当も付かぬが、今は神子様の贈り物を頂ける優越感が体全身に駆け巡っており、ドヤ顔で屠自古の方を見てフッと笑った。考えていることは同じの様で、我に嫉妬している屠自古と目が合い、我の顔を見るやいなや唇を噛み締める。

ハッハッハ!おぬしとは違い我と神子様との絆は強いものなのじゃ。

 

「はいこれ。この間靴をくれたでしょう。だからこれはそのお礼」

 

心の中で高笑いしている間に、神子様はパカッと細長い箱の蓋を開けた。覗き込むように中を見ると、六本の矢が入ってあった。だが神子様が送って下さった物がただの矢である筈が無く、我が普段練習で使っているものとは明らかに質が違った。矢の棒の部分の()と呼ばれる部位に使われている竹は美しく磨かれており、矢羽に使われている鳥の羽はおそらく鷲のものであろう。矢尻に使われておるのも鉄では無く金が使われておる。

思わず神子様に礼を言うのも忘れ、矢を一本手に取った。最初に思った感想は軽い。だが軽くはあるものの、しっかりとしたつくりになっており、三枚の矢羽も丁寧に手入れされていたのか立派なものであった。

 

「ありがとうございます神子様。使うには余りに勿体ない程です」

 

「それでは矢師に作らせた意味がありません。どんな風に使おうとあなたの自由ですが、なるべくなら使って欲しいですね」

 

「は、はい!」

 

なんて優しく包容力のあるお方なのであろうか。

神子様の優しさに心温まっていた時、この空気に耐えきれなかったのか屠自古が口を開いた。

 

「む~神子様。婚約者の私に一度もそんな風に贈り物送った事無い癖に」

 

バキッ。

 

「だって屠自古の欲しい物はよくわから、バキッ?」

 

まさに文字通り恐る恐ると、神子様の首が亀のようにゆっくりと我の方を向き、そして冷や汗を流しながら我の手元を見つめた。神子様達の視線の先には、右手に握られた高価な矢が見事に折れている光景が目に入ったであろうが、我に手元を見る余裕はない。ニコニコと笑みを浮かべてお慕いしている神子様を見つめる。

 

「え、えっと布都さん?ひょっとして、怒ってます?」

 

「怒る?ははっ、まさかまさか。神子様がどこの小娘とどのような関係になろうとも我には関係ありませぬ。ただちょ~っと急に手に力が入っただけでございますよ。ええ、断じて神子様を取られたなど大それたことは思っていませぬ」

 

屠自古の性格ならばここで突っかかってくると思っていたが、床がガタガタと小さく揺れる音が聞こえるだけであった。

 

「え、えっとですね、屠自古は叔父上の娘で昔から付き合いがあったといいますか」

 

「ほ~う。昔から付き合っていたと」

 

「違いますよ!?いやまあ勿論屠自古の事は好きですが、布都の事も同じく好きって言うか。布都は布都で屠自古は屠自古で~…」

 

飛鳥時代の一夫多妻は当たり前だと言うのに、まるで二股男の様な言い訳に思わずクスッと笑みが零れてしまった。

我は何をそんなに感情的になっていたのであろうか。神子様に何人婚約者がいようとも我には関係ない。これまでもこれからも我は神子様にお仕えして付いていく、それだけじゃないか。

でも神子様の婚約者となると面白くないのは何故であろうか?いつの間にか神子様に対して独占欲を持っていたのか、あるいは……。

 

「ふふっ、もうよいです。すいませぬ、せっかく頂いた矢を一本無駄にしてしまい。今度箆を取り替えてもらいます」

 

自分でも分からん感情を考えても仕方あるまい。今はまず無礼を働いてしまったので、頭を下げる事が大事であろう。

 

「え?い、いえ、構いませんよ」

 

「屠自古よ。元よりおぬしには怒っておらん。さっさと泣き止まんか」

 

「な、泣いてないッ!」

 

 

 

 

驚いた。まさかあそこまで布都が怒るとは思っていなかった。精々頬を膨らまして拗ねるか、もしくは全く興味なさげな反応をするかと思っていたが、矢を片手で折るまでとは私の想像を遥かに超えていた。

何故布都がここまで怒りを見せたのか。まさか本当に私に恋心を抱いているのではないかと思ったが、すぐにその考えは消えた。確かに布都は私の事を慕ってくれているが、それはまるで神職者が神を祭るような、あるいは仏教徒が仏像を崇めるような一種の宗教的なものではないだろうか。

そう思うのは三年前の布都と二回目に会った時の事が原因だ。八カ月前に一時間程度の会話をしただけだと言うのに、私に対する布都の好意は少々行き過ぎていた。普通ならもっと余所余所しく、あるいは媚を売ったりするものだ。何故そこまで私に好意を抱いてくれているのかと問うと、私には他者を魅力する力があると答えてくれた。実のところ私にはその実感が無い。確かに女性に対する口説き文句は女にしては上手い方だとは思うが…って違う。兎に角私にはその実感は無いし、実際そう感じてくれる者は布都ぐらいだろう。屠自古も私を慕ってくれているが彼女は布都とは明らかに違った。彼女は間違いなく私に恋心を抱いてくれている。

おっと、考えが段々ズレてしまっていたな。今考えるべきは布都の心だが…やはり分からない。普通なら恋心の一言で片付くのかもしれないが、先に述べた理由から恋と断定するのは早とちりな気がしてならない。布都も同性愛の思考がある訳ではなさそうだし、書く言う私もその毛は無い。私にとって女性を口説くのは男装を隠すものであり、またちょっとした趣味のようなものだ。そう言うと反感を買うであろうから少し言い換えると、女性は褒められると喜びの感情を目一杯に出してくれる。その喜びを見ると、ついつい私も嬉しくなってしまうのだ。

かと言って男に興味がある訳でもなかった。このまま男装生活を続けて行けばいずれ屠自古と結婚し、あるいは布都や他の女性たちとも結婚し、適当な皇族の子を養子に取るのだろうかとボンヤリと考えている程度だ。私は恋愛感情なるものを誰に対しても抱いていない。

だと言うのに布都や屠自古に対して甘い言葉を囁くのかと問われると何も言い返せない。幼い頃から…今も幼いが、物心ついた頃から政治や宗教の道具として見られてきた私は、どんな感情であれ好意を欲しがっていたのだ。いや、今もなお好意を欲している。分かりやすく、具体的に、目に見える形で。

結局私が布都や他の者に対して甘い言葉を紡ぐのは、ただ自分に好意を向けられたいだけと情けない話だった。今までいくつもの悩みを布都に打ち明けて来たが、こればかりは布都にも言えそうにない。だがいずれ男でも女でもいい、私が誰かを愛せたとしたら、その者に醜い私の心を打ち明けようと思う。

おそらくその相手は、私が少し考えに耽っている間にまた喧嘩を始めていたこの二人の内のどちらかになるだろう。

 

「ほら、二人とも喧嘩してはいけませんとさっき言ったばかりでしょう」

 

「ですが屠自古が!」

 

「だって布都が!」

 

互いに指を突き刺し、またギャーギャーと言い合いを始める二人。

やれやれと溜息を吐きながら二人の間に入って喧嘩を収めつつも、今いる三人での時間がとても楽しかった。ただ布都はもう少し、私への視線を穏やかなものにしてくれないだろうか。

 




色々と難しいお年頃(全員女)
おませな少女達です。

神子は内心結構弱いところがあったりします。私の文では上手く表現できませんでしたが、布都の好意を素直に恋心と受け取れないのもネガティブな一面があるからだったり。布都は布都で原作通り鈍感(アホ)で、また本文では宗教的と言っていますが身近な言い方をするならアイドル等に近い感覚で神子を称えているところもあったり。

次回屠自古視点の話を書きます。


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蘇我屠自古

東方蘇我録。布都ちゃんは敵。





私、蘇我屠自古が初めて神子様とお会いしたのは四歳の時だっただろうか。実際は物心つく前からお会いした事があるはずだが、覚えているのはその時だ。昔からおとぎ話に出てくる美男子でさえ裸足で逃げていく姿が想像できる程に綺麗で凛々しい人で、私は幼いながら神子様の容姿と独特の雰囲気に惹かれ、初めてお会いした時から神子様の事が好きだった。だが当時の神子様はどこか冷たく、私と会ってくれた時も書物を読むばかりで、私と遊んでくれたり話してくれたりすることはなかった。蹴鞠をしようと言っても体調が悪いと面倒くさそうに返し、私が話をしても上の空で適当な返事が返って来るだけだった。

それでもめげなかった当時の私は中々立派だったと、我ながら褒めてやりたい。しかし私の頑張りは神子様に届くことはなく、神子様の視線が書物から私へ動くことの無いまま一年の時が流れた。

 

それから一年後の私が五歳の時、物部氏の娘の噂を聞いた。私と同じ年の幼子でありながら、難解な書物を次々と読んでいるらしく、神子様と並ぶ才覚の持ち主だと噂されていた。当時の私には噂の内容がよく分からなかったが、試しに父上が読んでおられる書物を目にしたことがあった。四年経った今でも理解できない文字列を当時の私が読み解ける訳も無く、ただただ神子様とその物部氏の娘に感心した。

そしてそれからだろうか。神子様が時折私の話を聞いてくれるようになったのは。普段なら上の空で帰って来る神子様の声が、初めて私の目を見て返ってきた。その時の喜びは今でも鮮明に覚えている。それでも神子様の冷たい雰囲気が変わる事はなかった。

神子様が変わったのはそれから更に八ヶ月後の事だった。まるで人が変わったかのように優しい笑みを浮かべ、美しい声で私の名を呼んでくれた。

 

「久しぶり、屠自古。この間蹴鞠がしたいと言ってましたね。一緒にやりましょうか」

 

私は何故神子様が変わったのか考えるよりも、尊敬していた神子様が優しくなってくれたのが嬉しくて神子様に抱き付いた。彼の細くて少しひんやりした腕に包まれると、今まで抑えていた悲しみが一気に噴き出して神子様の腕の中で目一杯泣いた。それまで無我夢中で頑張っていたが、やはり神子様の反応が冷たいままだったのは私には辛かった。それでも神子様に嫌われたくない一心で泣くのを堪えていたが、神子様が変わってくれたおかげで緊張が解け、今まで涙を溜めていた水門が壊れてしまったのだ。今思うと神子様からすれば迷惑だっただろうが、神子様はごめんなさいと謝りながら私の頭を撫でてくれた。

泣き止んだ時の私の顔は真っ赤だった様で、神子様はクスクスと笑みを浮かべながら、未だ瞳に溜まっていた私の涙を細い人差し指で撫でるように拭ってくれた。

そこからだ、私が神子様に恋心を抱いたときは。私の涙を拭ってくれる神子様がとても大人で、美しく、凛々しくて、私は恋に落ちた。

 

それから神子様とお会いする時、神子様は私の遊びや話に付き合ってくれた。時には書物を音読してくれ、意味を教えてくれたりもした。神子様が私に優しくしてくれる度に、どんどん彼の魅力に引き込まれていった。まるで底無し沼のように…神子様を沼と呼ぶのは失礼か、透き通った海と表現した方がいいか。私は神子様に呑まれていった。

神子様はご自分の話も時折聞かせてくれた。神子様の一日はほとんど勉学や政治家の悩み事相談で終わる為に彼の話題は私には難しいが、それでも神子様の話を聞けて私は嬉しかった。だが神子様の話を聞いていると、一つの事に気が付いてしまった。神子様が嬉しそうに話す話題はいつも物部氏の娘、物部布都の事であることに。

 

「布都はですね」

 

「布都は面白い子ですよ」

 

「なんと布都の弓の腕はですね」

 

布都布都布都布都。時折話してくれる神子様の話題は次第に布都の話ばかりになっていた。

私はそれがたまらなく嫌だった。別に神子様の口から女の名が出てくることには何の不満も無いが、物部布都に関しては別だ。普段他者と深く関わらずに表面上の関係性を作る神子様だが、布都に関しては別だと平凡な私にも理解できた。何より私に対する神子様の対応も、他の大多数と同じ表面上の関係性に感じられたからだ。

神子様にとって布都は私より大切な存在。それが噂でしか聞いたことの無い物部布都への嫉妬の第一歩だった。次第に本当は聞きたくないのに、何か一つでも悪評があればと思い物部布都の話を聞き回ったが、私の嫉妬を増幅させるものばかりだった。日夜剣と弓の鍛錬に明け暮れ、勉学も欠かさずに行う天才児。その容姿もまた有名で、銀色に輝く美しい長い髪に負けない整った顔は、愛らしくも少女らしくない美しさを持っており、神子様と並んでいるとまさに美男美女とのこと。二人の関係には私だけじゃなく蘇我の者は皆嫉妬しており(その嫉妬は私とは違い政治関係のものだろうが)、物部の者は是非とも神子様と布都を婚姻関係にさせたいらしい。

そんな私の醜い嫉妬に気付いたのか、ある時から神子様は物部布都の話をしなくなった。私の事を思ってくれたのだろうが、物部布都に負けた気がして悔しかった。

最初は小さかった物部布都に抱いていた嫉妬心が大きくなってきた時、父上が私に救いの手を伸ばしてくれた。今でもこの時の父上が当時の私の嫉妬に気付いていたのかは分からないが、何にせよ私の事を考えての話だった。

 

「屠自古。お前、豊聡耳様と結婚する気はないか?」

 

「えっ?あ、あります!」

 

一瞬戸惑いはしたが、私はすぐに肯定した。こんな私が神子様と結婚できる。この時ほど蘇我氏の中でも力を持っている父上に感謝したことは無かった。はしたなくも喜びで笑みを堪えられない私に対し、父上はどこか煮え切らない顔をされていた。私が問うより先に父上が口を開く。

 

「豊聡耳様にもこの件を伝えておく。豊聡耳様もお前を気に入っておられる、首を横に振る事はないだろう。だがその時、彼から大切な話を聞くことになるはずだ。お前はその話を聞いた後に改めて結婚するかどうか決めろ」

 

「え?は、はい…」

 

父上の仰っている意味が理解できなかった。口ぶりからするに父上もその大事な話を知っているように聞こえたが、いつもの温厚な父上とは違う冷たい口調に押された為か、その場で追及することはできなかった。

 

だがそれから神子様と出会い、彼の…いや、彼女の話を聞いた時、何故父上が煮え切らない表情をしたのかが分かった。男子として育てられ、男子として生きる事を命じられた少女。それが神子様の正体。

 

「嘘…ですよね…?」

 

「……」

 

擦れる私の声に対し、神子様は小さく首を振るだけで何も言わなかった。

なら、今までの神子様は何だったのだ。今まで私を撫でてくれた手も、抱きしめてくれた腕も、屠自古と呼んでくれた声も、私を包み込んでくれた香りも全て女のもの。それが分かった時、私の脳内は永久とも呼べる時間を彷徨った。

私の大好きな神子様。彼の何もかもが好きだった。彼の中性的な容姿に特徴的な髪形、声や背丈も肌も好きだった。彼の優しさに心打たれ、彼の温かさに心包まれ、彼の聡明さに心がドキドキした。

そんな大好きで結婚したいと思っていた彼の正体が私と同じ女。

私はこの時程大王を呪ったことは無い。せめて初めから彼女が彼として生きる事がなければこんな悩みをせずに済んだのにと、頭の中で何度もうろ覚えの大王の顔を殴る。同時に目の前にいる少女も恨んだ。何故女でありながら私に対してあそこまで優しくしたのか。昔のようにずっと冷たいままでいたのなら、こんなに好きになる事もなかったのにと。こんなに好きでなければ、頭の中で思いっきり顔面を殴ってやれるのに彼への想いが邪魔をする。

 

「ごめんなさい、屠自古…」

 

「な、なんで……なんで神子様が、謝るの?」

 

神子様だって本当は女の子として生きていたかったはずなのに、下らない仏教の思想の所為で神子様は男子として生きるしかなかった。神子様だって被害者だ。それなのにどうして、今にも泣きそうな顔をするの?

 

「あなたへ送った今までの言葉は嘘ではありません。ですが、男子を演じる為に多少なりとも言葉を飾りつけていたことも確かです。屠自古をここまで傷つけてしまったのは私の責任でもあります」

 

今まで神子様が口にしてくれたドキドキする言葉は飾られていたもの。その事実は私の心を打ち砕くには十分な武器だったが、不思議と神子様の声が耳に入る度に彼女への怒りは消えて行った。まるで怒りという雷雲に次々と大きな穴が開き、光が降り注ぐかのように私の心は雷雲よりも光が増えて行った。

溢れてくる神子様への想い()。そうだ、例え神子様が女であっても、私を撫でてくれた手も、抱きしめてくれた腕も、屠自古と呼んでくれた声も、私を包み込んでくれた香りも全て神子様のものだ。

それに気づけた時、自分の気持ちを理解した、整理できたと言うべきか。どちらでもよいが、自分の気持ちを理解できた私の行動は早かった。辛そうな顔をしている神子様の両手を握り、先程まで呆然としていた顔で出来るかは分からないが、可能な限りの笑みを浮かべる。

 

「神子様、私は神子様が男性でも女性でも、私は神子様が好きです。こんな私でよければ将来結婚してください」

 

「…ッ。ありがとう、屠自古」

 

神子様の腕が私の体を包み込んだ。今までも神子様にドキドキさせられたが、どれもどこか表面的で、冷え切った鉄の層があるように感じていた。でもこの時は鉄の層の中に隠されていた、神子様の本心に触れられた気がした。

 

ここまでが私と神子様の切っても切れぬ絆で結ばれたきっかけ。あれからも結局神子様は表面的な口説き文句を止めなかったが、私は気にしなかった。いや、毎回ドキドキさせられているから気にしないと言うのは違うか。どこか冷たく感じていた言葉の、冷たさを気にしなくなったと言えばよいだろうか。

実際それまでも神子様の口説き文句も、表面上のもの(冷たさ)を感じていたがドキドキして嬉しかったし、神子様が本心から放たれる甘い言葉は猛毒の域に達していたので、どこかふざけた感じのする甘い言葉が私の精神には丁度よかった。

月数回の神子様とお会いできる日がいつも楽しみで神子様と会えない日が続くと、神子様に会えないかと呟くのが口癖になってしまう程だった。酷い時には召使達が心配して声を掛けてくれた時もあった。

そんな大切な大切な、神子様と一緒にいられる日。それを潰したのがあのチビ、物部布都だった。

 

「あんた誰だよ」

 

部屋に入ってきたチビにこう言った時、実は私は物部布都がここに来ることを神子様から聞いていた。今までは私とチビの趣味嗜好が違うからあえて会う日をずらしていたらしいが、そろそろ私達を会わせたいとの事だった。何もかも才能に溢れる憎むべき天才児が神子様との時間を邪魔するだけでも腹が立つのに、実際チビが部屋に入ってきた時に不覚にも、噂に違わぬ容姿を持っていると褒めてしまった自分にも腹が立った。

 

「おぬしこそ誰じゃ」

 

爺臭い言葉を使うのも噂通りで、存外召使たちの噂も馬鹿にできないなと思っていると、礼もせずにズカズカと足音を立てて入り、神子様の右隣に座っていた私に対抗するかのように左隣に座った。

 

「物部布都じゃ」

 

「蘇我屠自古だ」

 

知っている。だが私だけが一方的にこいつを知っているのが気に食わず、あえて知らないフリをした。どうせ天才児には地味で平凡な私の話など耳に届いていないだろう。

 

「神子様、この小娘とどのような関係なのでございますか!?ああん!我とやると言うのか!?」

 

「神子様、この女狐とどんな関係な訳だ!?おいお前!私とやるつもりか!?」

 

私を睨み付けてくるこいつが無性に気に食わず、チビと神子様の関係はある程度聞いていたが、たまらず口が動いてしまった。口説き文句の上手い神子様の事だから、既にこいつも神子様に恋をしている可能性もあったし、その辺りについても神子様に問いただしておきたいのもある。

私たちの言葉は綺麗に重なり、まるで鏡の如く神子様を睨み付けると、神子様は冷や汗をかきながら落ち着くようにと手の平を向ける。しかし小娘と言われた私も、うっかり女狐と言ってしまったチビも共に怒り浸透。

 

「言うにことを書いて我を女狐と申したかこの性悪女!」

 

「それはこっちの台詞だ!私より背が低いくせに小娘だと、このチビ!」

 

売り言葉に買い言葉。ここで大人しく口喧嘩に持ち込めばよかったもの、この時の私は感情的になっていて引くにも引けなかった。

 

「上等じゃ蘇我の小娘よ、表に出ろ!」

 

「受けて立つぞ物部のチビめ!」

 

「だから二人とも、できれば仲良くしてくれないかな~」

 

本来なら神子様の言葉を蔑ろにしたりしないが、この時は別だった。今は兎に角このチビを一発ぶん殴ってやりたい気持ちで満ち満ちていた。

私は結構やんちゃ者で、警備や召使達の目を盗んで木を登って外に出て遊ぶことが結構多かった。だからか喧嘩にも比較的強く、いくら相手が噂の天才児様であっても私に勝てないと思っていた。だからか、突然チビが腰に帯刀していた剣を抜いた時はかなり驚いた。

 

「なに剣使ってんだよ。喧嘩なら素手だろう弱虫」

 

我ながらよく冷静に返せたと思う。もう一度同じ状況になることがあれば、声が震えてしまうだろう。

挑発が効いたのか、チビはこめかみを小さく引き攣らせながら剣を投げ捨てた。

 

「ほ、ほ~う…。我を未熟者と言う輩は居っても弱虫と呼ぶ奴はおらんかったぞ。上等じゃ小娘ェ!」

 

よし、上手く私の喧嘩に持ち込むことができた。そう思った刹那、チビの姿が私の視界から消えた。

えっ?

慌てて視界を広くすると、チビがまるで狼の如き素早さで走って来ているのが分かった。その闘志に一瞬後ずさりしそうになったが、神子様の前で無様な格好は見せたくないと唇を噛み締め、思いっきり拳を前に突き出した。私の突き出した拳はチビの顔面に当たる直前に避けられ、次の瞬間にお腹に激痛が走った。

痛みのあまり体から力が抜けてしまい、激痛のするお腹を両手で押さえる。この時ようやく私はチビに殴られたと理解できた。

私とチビでは土俵が違いすぎた。私は普段家で生活し、時折外に出るやんちゃ者。片やこのチビは一日中剣を振るい、矢を穿つ戦士。

痛みを堪えながらもその事実を突き付けられ、痛みよりも悔しさから涙がポロポロと零れてくる。

 

「うわーん!神子さまぁ゛―!」

 

「あーもー。よしよし、痛かったね~。布都、大人げないですよ」

 

「うわぁーーん!」

 

気が付けば神子様の元へ駆け、神子様の腕の中で泣いていた。

悔しかった、ここまで私と物部布都は違うのかと。なんで私はこんなに弱いのだろうと。

 

「おぬし滅茶苦茶弱いのぅ…。自分で言うのもあれじゃが、我の噂ぐらい耳にせんかったのか?」

 

そんな私に追い打ちを掛けるように、聞きたくないチビの声が聞こえる。

知ってるさ。日夜鍛錬に明け暮れ、勉学に励み、召使や領地の者に優しい容姿端麗の物部氏の天才児。嫌と言う程耳に入ったし、嫌みな程に悪評の無いずっと前から大っ嫌いな奴。

唯でさえ私はこのチビに勝てないのにこれ以上負けを認めるのが嫌だったので、せめてもの仕返しにと見栄を張った。

 

「ひっく…。お、お前の噂なんか知るもんかバーカ!」

 

自分でも大好きな神子様の前でこんな姿情けないと思う。でも私にだって誇りがあるから、絶対に負けを認めたくない。

必死にバーカバーカと喚くとチビの腕がプルプルと振るえた。神子様に並ぶ天才児と呼ばれているが、神子様とは違って心が狭い。

 

「この小娘。絞めたりんかったか」

 

「布都、いい加減にしなさい」

 

「むぅ…」

 

いい気味だと内心笑みを浮かべていたら、神子様の顔が私へと移った。

 

「屠自古、あなたにも責任があります。これ以上布都を貶す言葉を使うのなら例え屠自古でも許しませんよ。布都は私の大切な人です。ほら、仲直りする時はどうする?」

 

私の頭の中で神子様の口から紡がれた、私の大切な人、この一文字が繰り返えされ、その一文字以外の部分が曖昧に聞こえてしまった。やっぱり私が思っていた通り、このチビは神子様にとって掛け替えのない存在なのだ。それがどうしようもなく嫌で、今すぐこんな奴嫌いになってと叫びたかった。でもそんな事したら私が神子様に嫌われてしまう。それにこのチビは確かにムカつく奴だけど、やっぱり噂通りの天才児で、認めたくないけど凄い奴だ。神子様が気に入るのも当然だと思う。

 

「うぅ~ッ!分かりました…神子様がそう言うなら…」

 

だから私は、あくまでも神子様を立てるために手をチビの方へ向けた。いくら嫌な奴でもチビも神子様の前では下手な事ができないのか私の手を握る。右手を握る手の感触は、先程圧倒的な力を見せた戦士の手とは思えないほど小さくて細く、繊細なものだった。抱く感想はそれだけで十分な筈だが、ひねくれ者の私は止まってくれない。握力勝負ならいけるかもしれないと思い付き、神子様から顔を見られないことをいいことにチビの小さい手を思いっきり握りしめる。

手の大きさも私の方が大きかったから、チビからすればかなり痛いだろう。しかし僅かに揺らいだものの、チビの表情が痛みを堪えるものに変わる事はなかった。むしろ私の予想とは真逆の、満面の笑みを浮かべると突然右手に激痛が走った。

 

「いっ!?」

 

こ、こいつ握力まで強いのかよ…。でも冷静に考えれば、常日頃鍛錬をしている奴の握力が弱い訳がない。それに気づいた時はもう遅く、チビの手は私を離そうとはしない。

 

「これからよろしく頼むのぉ、屠自古」

 

「こ、こちらこそ頼む、布都」

 

ギギギギと歯を食いしばり怒りを堪え、私が出せる可能な限りの力で布都の手を握り締めようとするが、布都は動じることなく私の手を握り続ける。

 

「ハァ…やれやれ…。仲良くできると思ったんだけどなぁ」

 

結局私は握力勝負でも勝つことが出来ずに、限界に達してまた涙が零れそうになってきた時に神子様が助けてくれた。神子様は赤く腫れた右手を両手で包み、静かに撫でてくれた。こそばゆくかったが、神子様の優しい心が触れた手を通して私の心に伝わるようで、とても心地よかった。

神子様に手を引かれる形で私たちは一旦部屋に戻り、並び方で軽く問答があったものの喧嘩にまでいくことなく、三角形の形で座る事になった。

 

「……」

 

「……」

 

「……そ、そうだ布都。あなたに渡しておきたいものがあって」

 

私と神子様が二人っきりでいられる大切な空間に入ってきたお邪魔虫を睨み付けていると、いつものカッコいい雰囲気には程遠い慌てぶりで、神子様は部屋の隅に置いてあった長い箱へ手を伸ばした。今朝からずっと気になっていたあの箱は布都への贈り物だったのか。そう思うとますますイライラし、神子様は悪くないのについ彼女を睨み付けてしまう。私と目が合うと神子様は一瞬ビクッと肩を震わせたが、わざとらしく視線を反らして何事もなかったように箱を開けた。

 

「はいこれ。この間靴をくれたでしょう。だからこれはそのお礼」

 

思い当たる節があった。一か月ほど前から神子様が履いていられる靴が新品になっていたのは気づいていた。ただ新品の靴なんかよりも神子様の凛々しいお姿を見る方が大切だった所為か、今の今まで気にもしなかった。

そう言えば最近靴を履く時、履きやすい良いものだと靴を褒めていた気がする。う~、物部氏の靴も蘇我氏の靴も大して変わらないはずだろぉ…。

 

私は今までこんな風に贈り物をもらったことが無いのに…。私の怒りの対象は大好きな神子様では無く、大嫌いな布都へと向き、奴を睨み付ける。すると私の視線に気づいたのか布都は私の方を振り向き、未だかつてここまで怒りを覚えた事のないドヤ顔で私をニッと笑った。

ぐぅぅっ!やっぱりムカつくムカつく、大っ嫌いだこんな奴!

 

「ありがとうございます神子様。使うには余りに勿体ない程です」

 

「それでは矢師に作らせた意味がありません。どんな風に使おうとあなたの自由ですが、なるべくなら使って欲しいですね」

 

「は、はい!」

 

心の中で布都の悪口大会を開いている間。どうやら神子様の贈り物が高級な矢だったようで、二人の間で会話が飛び交う。私には矢の良し悪しは分からないが、布都が手に持っている矢が普通の狩人や低級の豪族がそう易々と手に入れられるものではない事は感覚的に分かった。弓に関しての才はもはや一流の狩人でさえも凌駕すると言われている布都がここまで喜んでいるから、私が抱いた感想は間違っていないのだろう。

にしてもだ、私には誕生日以外の時はこんな風に贈り物してくれないのに…。まあ私も神子様に対して何か上げたこともなかったから、そんなに強く言えないけどさ。勿論そこにも理由がある。嫌みな話に聞こえるだろうが、私も神子様も並大抵の物は欲しいと言えば手に入ってしまうから、互いに相手の欲しい物がよく分からない。神子様の誕生日の時は毎年書物を送っているし、私の誕生日の時は可愛い着物をくれるが、どちらも買おうと思えばいつでも買えるもの。それに私は布都のように多趣味では無いから、神子様と一緒にいられるのなら他に欲しい物も無かった。

そう、だから神子様が私に贈り物をくれないのは仕方のないこと。頭でも分かっているし、それを理由に神子様に物をねだろうとも思わない。でも嫉妬している事くらい神子様に伝えたかった。

 

「む~神子様。婚約者の私に一度もそんな風に贈り物送った事無い癖に」

 

バキッ。

自分でも嫌な女だと思う。わざとらしく猫なで声で、婚約者を強調するように伝えた。すると神子様は困ったように、人差し指で頬を掻く。

 

「だって屠自古の欲しい物はよくわから――バキッ?」

 

 

バキッ?

神子様の声と私の思考が一瞬のズレも無く重なった。まるで妖怪の鳴き声を聞いたかの如く、恐る恐る音の発生源へと視線を移動させた。私の目がおかしくなってしまったのだろうか?私の瞳には、布都が手に持っていた矢が無残な姿になって折られている光景が映っていた。

弓の心得がある訳では無いが、何度か矢に触った事くらいはある。少なくともあの竹で作られている棒の部分は、子供が片手で折れるようなものではない。そんな私の常識を打ち砕くように、折られた部分を中心と見ると矢は谷状になって凹んでいた。両手で折るなら片手ずつ矢の端に持つだろうから山上になるはず。

並々ならぬ握力をだけでも異様だが、更に恐ろしいのが布都の表情だ。ニコニコと私と握手した時以上の笑みを浮かべている布都だが、その中身には妖怪の中の妖怪、鬼が存在するように見えた。

 

「え、えっと布都さん?ひょっとして、怒ってます?」

 

「怒る?ははっ、まさかまさか。神子様がどこの小娘とどのような関係になろうとも我には関係ありませぬ。ただちょ~っと急に手に力が入っただけでございますよ。ええ、断じて神子様を取られたなど大それたことは思っていませぬ」

 

さっきまでの私なら小娘扱いされた事に腹を立てて怒り出しただろうが、今のこいつには逆らわない方がいいと体全身が訴えかけている。布都の放つ、神子様とは真逆の覇気に体がガクガクと震えてしまう。

な、何なんだよこいつは。噂通りの天才児かと思ったら妙にガキみたいな部分があって、私に対してやたらと突っかかって来る嫌な奴で。そう思っていたらさっきまでの雰囲気が豹変して突然神子様でさえダラダラと冷や汗を流す程の雰囲気を纏わせる。

結局私の中では布都を一言で表すなら嫌いな奴、この一言に尽きるが、布都の性格を掴む事はできなかった。ただ一つハッキリと分かるのは、布都は私と同じように神子様が好きなのだろう。なのに何故、神子様と私の関係に対して関係無いと言ったのかは理解できないが。

 

夢中になって考え事をしていたので神子様がどうやったのかは分からないが、無事に布都の怒りは収まった様だ。布都は矢を折った件を詫びると、今度は私の方を向いた。

 

「屠自古よ。元よりおぬしには怒っておらん。さっさと泣き止まんか」

 

今までのウザい顔とは違う、並大抵の男子ならあっという間に恋に落ちてしまうだろう愛らしくも美しさを持つ笑みが私に向けられた。

 

「な、泣いてないッ!」

 

物部布都。やっぱりよく分からない奴だった。

強くて、頭がよくて、ウザくて、ガキっぽくて、嫉妬深くて…でも、悪い奴じゃないみたいだ。

私は大っ嫌いだけど。

 




みことじええなぁ…(恍惚)
早くひじみこも書きたい(未定)
せいみこもいいッスよね(未定)
唯でさえ布都ちゃんが原作より嫉妬深いのに、それに加え屠自古も布都への対抗心から負の部分があり、これにひじりんが入って青我が荒すと思うとたまんないなぁ…。
(あくまで妄想です)


屠自古を上手く書けたかは分かりませんが、個人的にはこんな感じの口調かなと。あんまり~やんよって言うのもあれなので。魔理沙の~ぜが多いのも違和感ありますし。

とりあえず今回は物部氏・蘇我氏の話では無く、屠自古と布都をメインに書きました。最近恋愛(百合)が多いですが、もう少ししたら話のスケールが大きくなってくると思います。


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物部守屋

サブタイネタバレは基本。




石上神宮(いそのかみじんぐう)、我が家と同じ奈良県北部にある神社だ。

毎月定期的にこの石上神宮に参拝に通っていたが、それもついに終わりがやって来た。無論我が物部を名乗る限りこれからも定期的にこの神社に通うだろうが、少なくとも毎月定期的に通うかは分からない。と言うのも、今日がまさに我が十になるまでの間我を守って下さった御神体である布都御魂剣の返上の日だからだ。我が家は毎月決められた日にここに来て布都御魂剣を一時的に返上し、刀身に宿る力を高める儀式をしていたのだが、それも今日が最後というわけだ。

 

辺りには仰々しい格好をした男や女が並んでおり、知らなければ呪術に聞こえるだろう謎の言葉を皆一様にブツブツと呟きながら、楽器を鳴らしている。

てっきりいつも通り我等一家だけでやるものかと思っていたが今回は随分と大規模なものになり、分家の者達の多くが集まっていた。遠くの地からはるばるここまでやって来られる者もおったので非常に申し訳なかったが、母上曰く、偶には分家が一斉に集まるのもいいので気にするなとのこと。確かにこの時代から日本人は己が足で遠い地まで歩くことに慣れている様だが、気にするなと言うのは無理がある。

 

さて、感謝と申し訳なさから分家の者一人一人に頭を下げたい心境にある我だが、今何故か巫女装束を身に着け、周りに無数の男女を束ねながら参道を歩いていた。そう、今回の儀式の主役は我。我の為に分社を建ててまで布都御魂剣を移動させたのだから我の手で返すのが礼儀との事なので、こうやって分家の者たちの視線の中を歩いていた。正直に言うなら、確かにこの剣の力には魅了されたが、加護を感じたことはただの一度も無い。それは我の信仰が足りんかったからか、あるいはこの剣の加護は目に見えるものではないのか。何にせよ、我がそれを言ってしまえば分家の者達にもこの布都御魂剣にも失礼である為、心の中の引き出しに仕舞い込むことにした。神子様の前ではこの引き出しが開いてしまうかもしれんが。

 

毎月この神社に来る度に思っていたが、堅苦しい儀式は嫌いだ。前世も後ろに式が付く集会は嫌いだったが、この時代の儀式に比べると楽なものであった。姿勢や表情歩き方から声の抑揚、他にも沢山あるが言い切れないほどに決まり事が多すぎる。儀式の練習のおかげで最近体も鈍っており、かれこれ一週間以上は剣も弓も手にしていない。かと言って本家の娘であり主役の我が失敗するのは許されんので、下手に手を抜いて練習するわけにもいかん。結果一週間以上の間ほぼ一日中ぶっ続けで今日の練習をしていたが、それも今日で終わりだ。

一度拝殿…本殿の手前にある参拝用の施設で止まると、練習通りの小難しい言葉を長々と告げ、何百回も繰り返した動きをする。この容姿に助けられたのか、それとも練習の成果が表れたのか、周りからヒソヒソと聞こえる観客の声からするに中々良い出来らしい。まあ我は美少女だから当然巫女装束も似合うだろうし、様になって同然じゃ。

拝殿での儀式が終わると、ようやく本殿への移動になる。布都御魂剣を無事に神社に返上できたのはそれから一時間後の事だった。

 

長い儀式が終わり、堅苦しい巫女装束からいつもの服へと着替えると、うーんと思いっきり背伸びをする。幻想郷で暴れ回っている博麗霊夢や東風谷早苗の影響かそのように感じられんが、巫女装束はかなり丁寧に扱わんといかん面倒くさい代物だった。脱ぎ捨てるな、脱衣後にすぐに畳むな、跨ぐなと、とてもではないが博麗霊夢が守りそうにない三原則が重視されていた。可愛らしい衣装だからコスプレ感覚に着るのは好きじゃが、一々決まり事を守らないといけないのなら今後着ようとは思わぬ。

いつも世話をしてくれておる召使の女が、お疲れ様ですと我の肩をトントンと叩く。ここ一週間と今日の儀式の疲れが肩に溜まっていたのか、肩が叩かれる度に気の抜けた声が口から出る。

 

「ふぁ~あ、疲れたぞい。儀式にもじゃが、予想以上に人が多くて疲れてしもうた」

 

「何しろ天下の物部氏ですから、多いのは当然ですよ」

 

「うむ、そうじゃな」

 

天下の物部氏。将来安泰の日本最大の勢力、その頂点の娘が我というのを今日来た分家の者の数を見て改めて気づかされた。

今我は着替えの為に境内のとある一室にいるが、外はガヤガヤとしていて祭りのように騒がしい。聞こえてくる話題は我や金や政治の事と、いかにも豪族らしい話題である。

もう暫くの間この個室でのんびりとマッサージを受けておきたいが、主役の我がずっとここで休んでいる訳にもいかぬ。一息吐いたところで召使に髪が跳ねていないか確認してもらい、いつもの美少女だと太鼓判を押してもらったので部屋を出る。

境内では一定人数が一つのグループを作って立ちながら話し合っており、それはさながら西洋のパーティーと言うべきか。儀式はとことん礼儀正しくしなければならないのに、今のように境内で騒ぐのはよいらしい。物部氏の娘として生まれて早十年、未だこの時代の者達の宗教感覚は分からん。まあ現代の神社も祭祀の時はきっちりと、祭りの時は賑やかになる。時と場合を弁えれば神様も心広く受け入れてくれるのであろう。

 

「おお、布都よ、こっちに来い」

 

右からも左からもワイワイと話し声が聞こえてくる中、雑音に邪魔されない真っ直ぐに通る父上の声が聞こえた。父上の姿はすぐに確認でき、了解したと小さく手を振って合図して人込みを掻き分け…と言うより人込みが避けてくれたので、すぐに父上の元までたどり着くことができた。

父上の隣には母上、そして見覚えのある中年の男性と我より6つ以上離れている青年がおった。中年の男性には見覚えがあり、確か父上の弟の麻佐良(まさら)殿だったはず。隣の青年は麻佐良殿の息子だろうか。麻佐良殿はニコニコとわざとらしい愛想笑いをしておったが、青年の方は礼儀知らずなのか、それとも堂々とした男子と言うべきか表情が硬い。果たしてどちらかと観察していると、我が近づいてきた時に軽く頭を下げた。少なくとも礼儀知らずではないようなので、少しホッとした。

 

「布都よ、儂の弟の麻佐良だ。初めて会ったのはまだ赤ん坊の頃だから覚えておらんかもしれんが」

 

これでも我は赤ん坊の頃から自我がありますから覚えておりますぞ。

どうでよい所に反応して内心でドヤ顔を作っていると、麻佐良殿がペコリとお辞儀する。今までも分家の者達には会ったことがあるが、例え親戚の関係であろうとも本家の我の方が偉いようだ。流石に名に様を付けたりはしないが、現代に比べると明らかな上下関係が見られる。

 

「久しぶりです、物部麻佐良と申します。そしてこちらが息子の物部守屋です」

 

「……え?」

 

全く予想していなかった名が耳に入り胸が衝き、疑問符をつけた一言しか声にならなかった。

今、この堂々とした青年が物部守屋だと申したのか?そんな馬鹿な事はある訳かろう。ある訳がない。さほど歴史に詳しくない我でも物部守屋が本家の男子で、物部氏が滅ぶ戦争を起こした戦犯なのは知っておる。本家である我が家には男子はいない、子は我一人だ。

何故父上も母上も何も言わないのです。この者が守屋な筈は――

 

「お初にお目にかかります、物部守屋です」

 

随分と端的に、アッサリと言ってくれるものだ。父上も母上も、麻佐良殿もこの青年の名前に対して何も言って来ない。

なるほど…どんなに我が否定しようとも、こいつは物部氏を率いて蘇我氏と戦い負けた廃仏思想の男、物部守屋なのであろう。いや、それはあくまで史実での話。この者が実際に我の知る物部守屋とは限らんし、さほど警戒する必要も無いのか?いや、この青年の纏う雰囲気はそこ等の豪族のとは訳が違う。この堂々とした立ち振る舞いに、まるで背中に獣が憑いている威圧感は将来大きな戦を起こすと言われれば納得してしまう。

 

「あっ、えっと。初めまして、物部布都でございまする」

 

「守屋。布都を怖がらせてどうする」

 

「むっ?怖がらせたのなら面目ない。昔からこのような顔でして」

 

麻佐良殿に言われ、青年は下した両手で拳を作り小さく頭を下げた。それまで気にしなかったが、よくよく見ると守屋殿の顔は熊と間違われてもおかしくない強面だった。肌の艶からまだ若々しさが見えるが、髭を生やせば一気に老けて見えるだろう。

 

「こちらこそ失礼じゃった。ただ守屋殿の顔ではなく、雰囲気に押されて少々驚いておったのだ」

 

「雰囲気ですか?」

 

麻佐良殿も父上も母上もキョトンとした表情で守屋殿を眺める。三人からすれば彼はただの強面の青年なのだろう。だが守屋殿は心当たりがあるのか、小さく笑みを浮かべる。微笑むとますます怖い。神子様の微笑みはあそこまで美しいものなのだが…やはり顔の良し悪しは大事なのだな。いや、気品があり可憐で美人で、でもどこか中世的な顔立ちの容姿端麗の神子様を基準にしては、誰であろうとも見劣りしてしまう。神子様を引き出すのはよくないか。

守屋殿の威厳の為に付け加えて置くが、守屋殿の微笑みは怖いが不愉快な感じはせん。

 

「布都嬢は武術の心得があるとのこと。拙者もよく狩りに出ており多少なりとも武術の心得があるので、何か我等にしか感じられないものがあるのかもしれません」

 

「なるほど!狩りか~!よいな~、羨ましいな~、我もやりたいな~」

 

狩りと聞いた途端、我の興味は物部守屋にではなく狩りへと変わった。我ながら現金な奴だと思う。

未だに狩りを許してくれん父上と母上をチラチラと露骨に見ながら、わざとらしく声を伸ばした。すると父上は口を開けて笑い、母上は深く溜息を吐く。

 

「あからさまに強請るんじゃありません。はしたないですよ」

 

「よいではないか、布都ももう十だ。守屋よ、お前さえよければ布都に狩りを教えてやってくれんか?」

 

母上は慌てて反論するも、麻佐良殿もそれはよいと笑みを浮かべて父上と一緒に笑う。守屋殿も迷惑ではないのか、拙者でよいのならと前向きに返してくれた。既に母上の周りには味方が居らず、極めつけはキラキラと目を光らせて見つめてくる我。もはや八方ふさがりの母上は白旗を揚げ、無茶をしないのを条件に狩りを許してくれた。

 

「おお!なら早速弓と剣を用意しましょうぞ」

 

もはや今回の儀式の主役など知ったことではない。狩りをやれるのならそっちの方が大事に決まっておる。

 

「それなら拙者が。おや、布都嬢は何処へ?」

 

「もう既に取りに行ったぞ」

 

 

 

 

万が一賊が襲ってきた時にと持ってきた剣を腰に差し、弓を左手に持ち、矢筒を腰に掛ければ準備万端。我と同じ装備に加え、もう一本短刀と捕らえた獲物を運ぶ網を持って守屋殿は現れた。周りにいた何人かの分家の者達が一緒に付いていくと言ったが、集団で回ると獲物に気付かれると守屋殿が一蹴りし、二人で狩りをすることになった。もし大物を捕らえたとしたら二人では持ち運びできないだろうから、ある程度の人数を仕えさせてもよいのではと守屋殿に提案したが、獲物に逃げられてしまったら元も子もないとのこと。どうやら少数人数で狩りをするのが好きらしい。

我等が向かったのは神社のある場所から更に少し上った、斜面が急な木々が生い茂る場所だった。とてもではないが真っ直ぐに歩くことができず一歩一歩足元を気にしなければならない。いくら動物が四足歩行でも、こんな急斜面を移動できるのだろうか。守屋殿を疑っている訳ではないのだが、思わずそんな疑問が口から出てしまった。

 

「誠、このような場に獲物がおるのか?」

 

「…これを」

 

守屋殿は今歩いている道から少し逸れた場所で屈みこむと、地面をポンと一回叩いた。どれどれと守屋殿が叩いた場所を覗き込むがこれと言ったものが落ちている訳でもなく、獣の足跡もない。守屋殿には何が見えているのかと問おうとした時、ふと気が付いた。名前を掛けたダジャレではないぞ。心の中で寒い突っ込みを入れながら少し視界を広くしてじっくりと見ていると、守屋殿が屈んでいる場所が草木の生茂る他の場所に比べ、まるで草木が避けるようにして一本の小さい道が作られている事に気付いた。

 

「そうか、獣道。話には聞いていたがこんなにも分かりにくいものとは」

 

「すぐに気づいた布都嬢は中々のもんだ…失礼。ものです」

 

「気にせずともよい。年下の我がこんな口調なのじゃ。守屋殿も父上や麻差良殿が居らん時くらいは素でよいぞ」

 

「かたじけない。どうも堅苦しい口調は苦手なもんでな」

 

その口調の方が堅苦しく聞こえるがの~。年不相応の親父臭い話し方だな。本人が楽ならそっちでよいが、歴史を動かした人物なだけあってまた濃いキャラじゃのう。それに対し我の様に普通の性格の者は歴史を動かすには合わんのかもしれん。

 

「この獣道を追って行けばよいのか?」

 

「ああ。だが相手も生き物、どんな状況でも絶対は無い事は覚えておくのだ」

 

「あい分かった」

 

それから進路を変え、我等は獣道を辿る。獣道とは上手く言ったもので、まさに獣の為の道。文明を築いた賢い人間様が歩くには足場がかなり不安定である。守屋殿は何度か我の安全確認の為か後ろを振り返っておったが、素人の子供にしては安定して歩けているのか次第に振り返る事がなくなった。

ガサガサと草を掻き分ける音が木霊する林の中で、男らしい低い声が響いた。

 

「布都嬢は蘇我氏をどう思っている?」

 

「…唐突な質問じゃな」

 

今の質問で頭ではなく、肌で実感できた。やはりこいつは紛うこと無き我の知識にある物部守屋だ。背中越しからでも守屋殿の纏う雰囲気が、どこか野蛮なものに変化したのが分かったのだ。

どう言ったものか。

 

「そうだな…敵に回したくない一族と言ったところか」

 

「何故だ?あいつらは仏教を広めまわっている連中だぞ」

 

「だが未だ神道が強いのは事実。我等物部氏が力を持っている限り、大王とて下手に仏教を布教することはできん。ならばこのままの状態を維持する事が吉と見る」

 

これは本心だった。実際に下手に事を荒立たなければ、蘇我氏に比べ武器の生産性が遥かに高い物部氏は更に力を付ける事ができる。おそらく所有している土地も物部氏の方が大きいであろう。じっくりと焦らずに力を蓄え続け、向こうが攻めて来たら大きな反撃の手を加える。守りの姿勢、これこそが最も単純で安定した策と言えよう。策と言うには私情が強いかもしれんが、客観的に見ても守りの姿勢は悪くないのだ。蘇我氏のトップ、馬子殿の妻は物部鎌足姫大刀自(かまたりひめのおおとじ)で元は物部氏の者だ。彼女と彼女を受け入れてくれた馬子殿のおかげで、現に今の物部氏と蘇我氏の関係は悪くない。

だがずっと守りの姿勢を崩さないのが困難である事は分かっている。そもそも国のトップが二つの宗教に別れている時点で大なり小なり争い事が起こる。今は比較的落ち着いているものの、それは火薬庫のように繊細で危険なもので、ほんの僅かな火花が立とうものならたちまち爆発してしまう。我は何とか火薬庫から火薬を取り除く、あるいは湿気させて火薬を駄目にしたいのだが、果たして我の口でこの男を爆発させずに済むだろうか。そもそもこの男は本当に火薬なのか、もし火薬だとしたらどれくらいの規模のものなのか分からない。だから待つ、守屋殿の返事を。

 

「物部氏の天才児もその程度か」

 

返ってきたのは呆れとも怒りとも取れるもの。少なくとも好意的なものではない。

 

「…おぬし、今すぐ蘇我氏と戦となっても戦える奴じゃな。やはり蘇我氏が仏教を広めているからか?」

 

「そうだ、それ以外に何があるのだ。この日の本を収めていた神道、素晴らしき教えを邪魔立てする異教徒が蘇我氏だ」

 

この手の輩は今までにも何度か会って来た。その誰にも言える事だが、例え神子様の話術をしても彼らの意志を変える事はほぼ不可能と言ってもよい。自らの信じる宗教が正しいと思う絶対的思想が彼等にはある。

 

「だがどうする。おぬしの家では集まる人員も限られておる。我が両親が戦をすると言わん限り、物部は一致団結せん。されば蘇我に勝てぬだろう。付け加えるが、我から両親に戦をしてくれと説得はせんぞ。おぬしとは同じ神道を信仰しているが、異教徒だからと蘇我と戦うつもりはない」

 

「そうか…残念だ。もし拙者がもっと権力を持っているのなら戦ったのだが…。布都嬢が穏健派なのは、やはり豊聡耳様が関係するのか?」

 

「は?何故ここで神子様の名が上がる。確かに神子様は蘇我の者だが」

 

「知らないのか?布都嬢と皇子の仲は豪族問わず庶民にも有名だぞ。拙者はお会いしたことが無いが大層な美男子なのだろう。布都嬢と皇子が並ぶ姿はまさに美そのものだと、世事に疎い拙者の耳にも届いておる」

 

途端に頬が熱くなるのが分かる。分かり切っていた事だがやはり神子様との関係は噂になっておったか。しかも庶民の間にまで。

ええい、何故あの方は居らぬ時も我をからかう様に、我を色恋の世界に引きずり込もうとするのだ。

 

「あのなぁ、信じるか信じないかはそなた次第だが、我と神子様はそのような関係では無い。いずれ神子様とどうなるかは分からんが。ただ神子様が美男子なのは噂通りだ。あのお方の美しさと凛々しさには誰も敵わん」

 

「女心とはよく分からん。女は美男子が好きではないのか?」

 

「何を言っとる、当たり前ではないか。男も美女の方が好きであろう?ただいくら見た目がよくも中身や地位が大事と言う訳だ。付け加えるが神子様は中身もとても良い方だ。穏やかで優しくて聡明であられる」

 

「ますます分からん。大王の息子、美男子で聡明で中身もよい。これ以上何を求めている?」

 

求めているのぅ…。そりゃあ強いて言うなれば前世の我にあったものを求めているのか。誠、本当の男子であればあれ程よい結婚相手は居らんのだが…まあ神子様の性別がどっちであろうとも神子様の魅力は変わらないが。

さて、冗談はこれくらいにして真面目に答えるとすれば、神子様との結婚を渋る一番の理由は神子様の権力でも足りんことだろうか。もし物部と蘇我の仲が険悪になった時に、我の結婚は政治的影響を与える事ができる。これこそ未だ子供の我でも使える大きな武器。その武器を最大限に使える相手こそ、蘇我氏の中で最も権力を持っている蘇我馬子だ。神子様と結婚しても、表面上はともかく、心の底から蘇我と物部は仲良くなりましょうとはならぬだろう。大王とて物部か蘇我の息のかかった者だ。

 

「乙女には色々あるのだ。ただ過激派(おぬし達)が何もしなければ神子様と結婚するかもしれんな」

 

「…同じ物部氏だが我々の道は違うようだ。我等の関係性は父達のを引き継いだらしい」

 

物部尾興の弟の麻佐良。本家と非常に近い関係でありながら、何故我が麻佐良殿の息子の守屋殿と今日が初対面なのか、そして今まで彼の話の効かなかったのか。答えは単純、我が父尾興は我と同じようになるべくなら戦を避けたいと思っている穏健派。対して麻佐良殿はさっきまでの雰囲気からは想像もできぬが、かなり強い廃仏派の思想を持って居る過激派らしい。この事はつい先日父上に聞かされた話故、細かい事はよく知らぬのだが、父上と麻佐良殿は思想の違いからかなり仲が悪い様だ。

流石に他の分家の者達が大勢いる今日は上辺だけでも仲良くしていたみたいだが、一度政治の話になったらたちまち討論になってしまうと母上は呆れていた。

我と守屋殿の関係も父上と麻佐良殿と同じだった。同じ神道を信仰しながらも、穏健派と過激派の正反対の位置に属している。

 

「左様じゃな…。しかし我は個人的にはおぬしの事は好いておるぞ、そこは父上と違う」

 

「拙者は…そうだな。拙者も布都嬢の事は気に入った、感心したと言うべきか。僅か十でありながらここまでの思想を持っているとは…。むっ?いたぞ布都嬢、獲物だ」

 

「おっ?」

 

守屋殿は端的に話を折ると、腰を低く下ろして茂みに体を隠す。我もそれに続いて膝を軽く曲げて茂みに身を隠しておそるおそると覗き込むと、川に顔を突っ込んでいる茶色い毛並みの四足歩行の生物の後ろ姿が見えた。

互いに思想の話は一時中断。今は目先の獲物に集中する。

 

「猪か…。結構大きいではないか。もっと小さいものと思っておったが」

 

遠目からで正確な大きさは分からぬが、150㎝はあるのではないだろうか。二足歩行で立ったとしたら我より高いのは間違いない。

 

「あいつはかなりの大物だ。危ないから下がっておれ」

 

「なにおぅ。我とて武術の心得はある。素人がおぬしの前に出ろうとは思わぬが、見ているだけはまっぴらごめんだ。我の矢で射止めてやる」

 

守屋殿は一瞬戸惑ったように我の方を見たが、既に矢をつがえている我の姿に押されたのか分かったと小さく頷いた。守屋殿は中腰になりながら音をたてないように歩いて猪に近づく。だがどんなに静かに移動しようとも相手は人間よりも遥かに優れた耳を持っている獣。こちらの気配に気が付いたのか水を飲むのを止め、牙をカチカチと鳴らしながら我等がいる方へと向く。

守屋殿は我へコクンと頷くと、勢いよく飛び出してつがえた矢を猪目掛けて放った。震える弦の力によって発射された矢は猪の胴体へと突き刺さり、生々しい獣の悲鳴が響く。守屋殿は新たにもう一本の矢を取り出そうとするが、猪とて生きる為には戦わなければならなぬ。守屋殿が矢を取り出すより先に、攻撃してきた男へと突進する。

突進は想像よりも遥かに速く、また野生の殺意が込められており思わず気圧されてしまう。

 

「布都嬢!」

 

守屋殿の掛け声でハッと我に返り、すぐさま茂みから体を出して弦を引く。まだ守屋殿と突進する猪の間には一回深呼吸ができる程の距離があったので、慌てずに心を落ち着かせる。猪の覇気で乱されていた精神を素早く落ち着かせると、目一杯引いた弦を開放する。弦の震える音と共に人の目では到底追う事の出来ない速度で飛ぶ矢は猪の顔へ深々と刺さった。

予想もできない方角からの射撃に猪は先程よりも大きな悲鳴を上げ、足を踏み外して地面に転げ落ちる。

 

「ッ…」

 

今まで狩りを豪族の趣味の一つくらいにしか考えていなかったが、己の放つ武器により生命が悲鳴を上げた瞬間、これがいかに残酷な行為なのか理解した。猪は農民の努力の結晶である畑を荒し、山仕事する人間を襲う害獣だ。だから我は今人に害を与える存在を倒したと言えば、皆褒めてくれるだろう。だがどんなに綺麗に装うとも、生命を殺す為に作られた武器を使って生命を攻撃したのは事実だ。

 

「布都嬢。まだ生きてるが…どうする?」

 

守屋殿はこう言っているのだ。お前の手で殺すか、それとも自分が殺してやろうかと。

守屋殿の冷たい顔を見てゾクッと背筋が震え、小さく一歩後ずさる。これが彼に対する答えとなってしまい、守屋殿は二本の矢が突き刺さり苦しそうに呼吸を乱し、弱弱しい声で鳴く猪へと近づく。

 

「ッ…ま、待て!」

 

「どうした?」

 

「わっ、我がやる。こやつに、致命傷を与えたのは我だ。だから我が責任を持ってこやつを送る。なるべく苦しまずに逝かせるところを教えてくれ」

 

「ああ、分かった」

 

守屋殿は静かに頷き、苦しんでいる猪の一部を指す。我は震える右手を左手で抑えながら、柄へと触れる。カチカチと金属がぶつかり合う音を鳴らしながら剣を引き抜くと、剣を逆さにして剣先を猪の方へ向ける。

 

「すまん。安らかに眠ってくれ」

 

ズシャッと肉を切り裂く音と共に、生々しい肉の感触が剣を伝って手に染み込んでくる。吐き気とまではいかないが、一気に全身を疲労感が襲い込み、ヘナヘナと力なく地面に座り込む。目の前には未だ突き刺さっている剣があり、剣が生み出した傷からダラダラと血が溢れ出している光景があった。

 

「命を奪った動物に対し、感謝を忘れない事がもっとも大切だと狩りの師匠は言っていた。布都嬢は既にその気持ちを持っている。もし今後も狩りを続けるのならその気持ちを忘れるな」

 

「ああ、胆に銘じておく…」

 

励ましてくれているのだろう。弱弱しく返事した我は、しばらくの間黄泉の国へ旅立った猪の姿を見つめていた。

 

それから我は一度神社へと下山して人を呼びに行った。大きな猪を狩ったと報告したのだ。父上や母上はよくやったと褒めてくれ、周りの者たちも拍手してくれた。無論我一人の手柄では無い事は一番初めてに伝えたので、麻佐良殿も喜ばしい表情である。

数人の召使を連れ、剥ぎ取り作業をやってくれている守屋殿の元まで戻る。守屋殿は、我は来なくてもいいと言ってくれていたが、猪の最後の姿を見るのが我の役目だと思い戻ってきたのだ。

既に半分の剥ぎ取りは終わっていたのか、守屋殿は血塗られた赤い物で囲まれている。それを見、連れて来た召使の何人かが気持ち悪そうに口を押えた。その心境は我も一緒だが、最後まで付き合うのが殺した猪に対する礼だ。

 

「手伝うぞ、守屋殿」

 

「助かる布都嬢」

 

隣に座った我に、守屋殿はぶっきら棒にだが丁寧に剥ぎ取りについて教えてくれた。教えられた通りの作業をする中、我はチラリと黙々と作業をする守屋殿の背中を見つめる。

こやつはいったいこれから何をするのか。どう我に、物部に、蘇我に影響を与えるのか。分からない、分からないのが怖い。だが先が分からないのが普通なのだ。元より歴史通りに事を進めようとする気はない、原作通りに物部氏を滅ぼす気もない。先が見えないから何だというのだ。どんな未来が待っていようとも我は物部を守り、最も敬愛する神子様の下で剣を振り、弓を穿つだけだ。

 

「守屋殿、感謝する。おかげで改めて色々と気づかされた」

 

「?それも複雑な乙女にしか分からん事なのか?」

 

もし神子様だったら穏やかな笑みを浮かべ手を握りながら、気づかぬ間でも布都に何かをしてあげられたのならよかったと、心ときめく言葉を口にしてくれるだろうが、守屋殿は猪の亡骸から目を背けることなく不愛想な口調で返してきた。

元より神子様の様な模範解答を期待してなかったし、守屋殿の顔で手を握られても恐怖しか覚えんだろうが、もう少しマシな返事は無かったのだろうか。

 

「…おぬし、少しは女心について学んだ方がよいぞ」

 

「ど、努力致す」

 




実際に布都が儀式を行えるのか、本家と分家の上下関係の違いとか分からないので、もうこういうことにしておいてください(白目)
歴史学者じゃないので当時の細かい宗教概念や思想は分かりません。もし実際に布都が儀式をできなくとも改善する気はないです。


実は最初守屋は典型的な不良タイプの嫌な奴にして、公然の場で布都が倒す話にしていました。ですがびっくりするほど面白くなくて、硬派キャラに変更したら指が進みました。
不良成敗系は気持ちよくて好きなのですが、私では満足に書けないようです。


ところで布都ちゃん。その脱ぎ掛けの巫女服を是非私に……。



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肉食系女子

モチベ落ちたので次回も遅いかもしれません。
無念


物部守屋と会って数週間が過ぎた。麻佐良殿と守屋殿を警戒するようにと父上伝えると、父上は二言で了承した。どうやらあの後結局麻佐良殿と口論になったらしく、元より麻佐良殿に対して警戒を強めるつもりだったらしい。身内同士のいざこざに集中できるのは、今現在の物部氏と蘇我氏の関係が比較的安定しているからであろう。無論安定していると言っても所詮はまやかし。きっかけ一つで関係は崩れてしまう。

 

つまらない政治に関する話はここまでにしようか。

今の我だが、神武天皇と長髄彦(ながすねひこ)が戦ったと言われる生駒山(いこまやま)にいた。理由は言わずもがな、狩りをしに来たのだ。

守屋殿に狩りを教えてもらってからと言うもの、かなりの頻度で狩りに出かけていた。未だ動物の命を奪うことに慣れないし心が痛むが、目一杯矢を放てるのは弓の鍛錬に行き詰っていた我には合っており、動物の素材もそこそこの金額で取引できるので小遣い稼ぎにもなった。これ以上我が家に金が集まっても金の回りが悪くなるだけなので、小遣いはなるべく当日の内に使い込むようにしておる。金の話へと話題が切り替わりそうだが、つまりは自分でも多少は稼げるくらい狩りにハマっていた。生態系を壊す事や猟師の仕事を奪う事などは当然しておらん。

今日もまた狩りに出かけているのだが、いつもと違う点が二つあった。一つはまず狩りをする山なのだが、普段はこの山ではなく家のすぐ近くにある別の山で狩りをしておる。何故普段と違う山に居るのかだが、それが二つ目の理由になる。その二つ目なのだが、いつもは獲物の持ち運びをさせる召使を除けば一人で狩りに来ている我だが、今日は一人ではなかった。あろうことか我の隣には神子様がおり、神子様を挟んだ反対側には屠自古がおった。

 

「装備を整えた布都の姿、凛々しくて素敵ですよ」

 

「こんな奴より神子様の方がずっとずっと素敵だよ!」

 

どうしてこうなったと溜息を吐く我とは裏腹に、能天気な神子様と屠自古の声が静かな山の中に響く。屠自古は神子様の右腕を胸元で抱きしめており、我に仲の良さをアピールしているらしいが、今の我はそこにツッコミを入れる程心中穏やかではない。

 

「おぬしに言われると非常に不愉快じゃがそれには賛同しようではないか。ほれ、我に一言申して満足であろう、さっさと家に帰れ。神子様も一国の大王のご子息がこのような場に来られるというのはやはり…」

 

「大丈夫大丈夫。心強い護衛もいますし」

 

能天気に笑う神子様に応える様に、ヒュ~と強い風が吹き抜ける。それ以外の音は一つも立たない。当然である、ここには我等三人以外に誰もいないのだから。

茂みの陰や木の上で見守っているオチではなく、神子様の言う護衛は他の誰でもない我だ。体は頗る健全だが頭が痛い。普段父上や母上に迷惑ばかりかけている我だが、他人の行動でここまで頭を悩ませたのは初めてだ。宮に帰ったら父上だけではなく馬子殿や大王に殺されてしまいそうだ。

何故、何故もう少し前に神子様と屠自古を止めなかったのかと、数十分前の我を呪った。

 

事の発端はいつも通り神子様に会い来てのこと。神子様の部屋に入ると屠自古(邪魔者)がおったが、いくら我等の仲が悪かろうとも毎回毎回喧嘩している訳ではないし、口は悪いながらも世間話をしたりもする。三人集まると話題も結構増えるので、屠自古を入れた三人の会話も存外悪いものではない。

神子様は政治について話した。我もつい先日物部氏の過激派である麻佐良殿と守屋殿に会ったのを話すと神子様は興味を示され、互いに後々どうなるのかを話し合った。基盤には麻佐良殿と守屋殿の存在があったとは言え、その他のほぼ全ての設定が頭の中で勝手に作り上げた妄想だったのでこれと言った答えが出たわけではないが、もし~だったらと考える事は決して無駄にはならないので、非常に有意義な話ができたと自負しておる。屠自古は大層つまらなさそうにしており、時折神子様に撫でてもらっていた。

 

屠自古は最近料理を始めたことを話した。屠自古が料理の話を始めた時、我も神子様は真っ先に問うた。屠自古がやらずとも、召使か料理人にやらせればよいではないかと。我も昔暇潰しに料理の手伝いをしたことはあったが、神道の力を手に入れてからは料理の手伝いをする暇など無く、暇さえあれば鍛錬をしておる。神子様も時間があれば都の街で新しい物を探したり勉学に励んだりと、内容は違うものの時間の使い方は我に似ている。

こんな我らに対する屠自古の返答はこうだった。

 

「大好きな神子様に、いつか手料理を作ってあげたいから…」

 

恥ずかしそうに頬を染めながら、そうポツリと呟いた。この時代に生まれ、この時ほど圧倒的な敗北を感じた事はない。蹴鞠でも美しい着物を集めるのでもない、豪族でありながら想い人の為に料理を始めるその真っ直ぐな思いに、我は女として敗北したのだ。屠自古の放つ女らしさ、現代の言葉を使うなら女子力に神子様もやられたのか、屠自古を目いっぱい抱きしめて返した。これには流石の我もぐうの根も出らんかった。

 

我は狩りを始めたことを話した。屠自古の女子力を見せつけられた後に狩りの話をするのは非常に恥ずかしかったが、二人とも我の予想とは反対にルンルンと目を輝かせて我の話を聞いてくれた。この時点で二人が狩りに対して普通の女子以上に興味を抱いている事に察せばよかったのに、お調子者の我が二人の反応を見て止まれる訳がない。ここ数週間で新たに見つけた狩りの魅力を伝えていく。例えば自然豊かな森を体全身で感じられたりする事や、山の中に生える綺麗な葉っぱや花が見られるなども自然の中で行う狩りの魅力だと言える。また狩った獲物をその場で剥ぎ取って食べる肉はまさに絶品であった。焼肉のタレ等が無くとも、新鮮な肉の旨みが存分に引き締められ、その美味しさは頬が蕩け落ちる程だ。

まさに肉の美味しさについて話していた時だろう。神子様は勢いよく立ち上がると、我と屠自古を見下ろして言った。

 

「狩りに行きましょう」

 

「いいですね!」

 

「えっ?」

 

神子様に続き屠自古まで立ち上がり、我は茫然と二人を見上げるしかなかった。

そこからはトントン拍子で進んでしまい、気が付けば宮からコッソリと抜け出しており、少し離れた生駒山に来ておった。ここまでの道中は馬を使ったのだが、宮まで馬で来た我とは違い神子様と屠自古は馬を持っていないので、二人が一緒に乗っていた馬は内緒で借りたものだ。

こんな所でさえも頭が回る神子様を呪った。ここに来るまでの間、神子様を売ることはしたくなかったので人を呼ぶような事はしなかったものの、どうせ途中で見つかるだろうと思い傍観していたのだが、どうやら我の考えは甘かったようだ。

 

「ハァ…、一匹ですぞ。一匹仕留めたら大人しく帰る、これでよいですな?」

 

「はーい」

 

腰に付けた矢筒に手を回して矢の数を確認しながら告げると、二人の元気の良い声が重なって返ってきた。やはり婚約者同士と言うべきか、無駄なところでコンビネーションが良い。

二人とも馬に乗ったことはあるが乗った後の事後処理はやった事がないらしく、木に手綱を回すのに苦労していた。またもや溜息を吐くと、悪戦苦闘中の二人から手綱を奪い取り、近くの木に固定する。

 

「ほれ、仲良くしておくのじゃぞ。では行きますか」

 

 

 

まだ狩りを初めて数週間の我が、知らない山で獲物を見つけられるかは五分五分と言ったところか。だがそれはあくまで一人ではの話。屠自古は全く戦力として期待できぬが、神子様の人知を超えた耳力は獲物を探すのに非常に心強い。

歩き始めて数分後、持ち物を確認していると念の為にと持って来ていた数枚の紙の存在を思い出した。ゴソゴソと着物の中に仕舞い込んでいた二枚の紙を取り出すと、人差し指と中指の二本で挟み霊力を籠める。

 

「何やってんだ?」

 

集中している最中に後ろから屠自古が覗き込み、非常に邪魔だったのでシッシッと手を振る。

数秒間その場で立ち止まり霊力を籠めていると、真っ白だった二枚の紙に赤い文様が浮かび上がり、ボワッと薄らな赤い光を放つ。

 

「これを渡しておきまする」

 

「これは?」

 

「霊力を込めた札です。これを投げる、または強く前に突き出したら簡易的ではありますが結界を発動させることができます。二人とも丸腰、これくらいは無いと危険です」

 

この札もまた神道を名乗るにはは欠かせない道具の一つだ。札の基本的な使い方は今我がやったように予め霊力を籠めて、いざという時に発動できる予約カードのようなものだ。だがより上級者になるにつれ、札そのものに籠められた霊力を本来の何倍以上に引き出し、弓以上の速度と威力で飛せるらしい。生憎と我はそこまで行き着いておらず、神道を使った攻撃手段は持ち合わせておらん。

それでも異能の力に接点のない二人には大層興味深い物らしく、特に神子様は札に穴か開きそうなほどにマジマジと札を観察して居った。

 

「お前、ほんとに凄い奴なんだな」

 

探究心旺盛な神子様とまではいかんが、同じく札を眺めている屠自古がポツリと呟いた。

 

「フッ、何を今さら」

 

「…ウザいからやっぱなし」

 

「なっ!?この美少女、物部布都のどこがウザいと言うのだ!」

 

「そういうとこだっての!少しは謙遜しろ」

 

「おぬしのような奴が謙遜するのは分かるが、実際に凄い我が何故謙遜せねばならん!」

 

「サラリと私の悪口言ってんじゃねぇ!」

 

狩りの最中だというのを忘れてギャーギャーと屠自古と言い争っていると、我らの間に神子様が割って入ってきた。喧嘩は程々にしろとの事なので、この際屠自古に申しておきたかったいくつかの言葉を飲み込んだ。それに神子様は唇の前で人差し指を立てており、静かにしろと伝えておられる。

まるで飼育された動物のように神子様の合図と共に我らの喧嘩が収まり、目を瞑って集中する神子様の姿を眺める。

 

「向こうか…。音からするに結構の大物です。どうします?」

 

「とりあえず追跡しましょう。相手を確認できなければ狩りのしようもありません」

 

 

 

パチパチと木の力を窮しながら音を立てて燃え上がる炎。自然の中に燃え上がる炎はまるでキャンプファイヤーを連想させるが、炎の頭上には平らで薄い石の上に乗った肉が置いてあり、サバイバル感を出している。神子様が察知した気配は猪で、既に数回の経験がある我はさほど苦労せずに射止めることができた。守屋殿の足元にも及ばず無駄にしている部位も多いが、一応最低限の剥ぎ取りもできるのでこうして調理していた。ただ猪肉は臭みが強くまた硬めの肉なので、薄く切った肉の上に香りのよい山菜を乗せてできる限り美味しくなるようにと工夫をする。

焼き上がるのを今か今かと心待ちにする我と神子様に対し、屠自古はどうも気乗りしない様子。

 

「どうしたのじゃ屠自古。かなり焼き上がって来たぞ~」

 

「ぶ、仏教は肉を食べたらいけないんだよ!」

 

なんじゃ。肉の話をしている最中に乗って来たのでてっきり肉が食いたいとばかり思っておったが、どうやらただ単に狩りそのものに興味があったのか。それに対し神子様は少年の様に今か今かと肉が焼き上がるのを待っておられる。

 

「って、神子様も仏教徒じゃないですか!?」

 

「そうでしたっけ?ならお肉を食べ終えるまで仏教徒辞めま~す」

 

「神子様もこう仰っておる、おぬしも一緒に食えばよかろうに。まっ、それでも食わんと言うのなら遠慮なくおぬしの分も食ってやるがの」

 

神子様に負けじと宗教に対して雑な我はケラケラと笑うと、屠自古は涙目になって神子様の方を睨む。だが肉にくぎ付けになっている神子様は屠自古の視線に気づいておらん。まったく、仏教の規律とは面倒くさいものじゃのう。生まれて来た家が神道でよかったと常々思うわい。ただでさえ味の薄いこの時代の料理だが、そこから更に肉まで禁止にされてはたまったものではない。

本来なら生臭い猪肉も丁寧に血を濯いだのと山菜の力もあってか、香ばしい匂いへと変わる。炎より少し離れた場所で体育座りをしながらそっぽを向いている屠自古がゴクッと唾を飲み込んだのが聞こえた。

 

「もうよいですぞ神子様」

 

こんがりと焼けた肉の下に剣を忍ばせてから持ち上げると、神子様の手元にある大き目の葉っぱの上に肉を置く。葉っぱが皿で剣は取り箸と、とても大王・物部・蘇我の三大トップの子供達らしからぬ食べ方だが、高級品である剣をケーキサーバーの様に使えるのは金持ちならではだ。

同じ要領でもう一枚の肉を手元にある葉っぱの上に置くと、一瞬神子様と顔を合わせて互いに頷く。

まだ熱々の肉にそのままかぶり付く。噛みきれる柔らかさとしまった身は程よい噛み応えで、噛めば噛むほど肉の旨みが溢れ出てくる。焼肉のタレが無くとも十二分に堪能できる美味しさで、神子様はウットリとした表情になっておる。神道は肉の制限がなかったので今までも肉を食べていたが、仏教徒の元で生まれた神子様はこれが初めての肉か。それはさぞ美味しいであろう。

神子様があっという間に肉を食べ終えたので、肉と石がくっつかないように川の水を手で掬うと、水を熱を帯びた石にかけてもう二枚の肉を乗せる。

しかしそれでは焼けるまで時間がある。我は一口かじった跡のある肉を手で掴むと、神子様の口元へ伸ばした。

 

「はい神子様。あーん」

 

こんな無礼ではしたない真似は宮ではしないが、今は自然の中。神子様も気にしておられんようで、嫌悪感を見せるどころか嬉しそうに目を光らせる。

ああ、こんなに純粋で子供らしい神子様を見るのは生まれて初めてかもしれん。今日の肉は我が食してきた中でも美味だが、神子様の喜ぶ顔に比べれば何てことない。

 

「でもそれは布都のじゃ…いいのですか?」

 

「勿論です。そんなに美味しそうにお食べになる神子様を見ていたら、それだけでお腹一杯になりもうした。あーん」

 

「あーん」

 

神子様は我の手ごとパクリと口に入れる。いつも品格のある神子様に無作法な行為をさせる背徳感からか、ゾクゾクと背筋が震えてしまい慌てて神子様の口に入った指を引っ込める。ハムスターが種を食べる様に肉を頬張っておる神子様に対し、危うい世界に入り込みそうになった我は心を落ち着かせる。

い、いかんいかん、何を思っとるのだ我は。よりによって神子様に対しこのような無礼で変態的な感情を抱くとは…。う~む、しかしあの時の神子様の破壊力は中々なものであった。カメラがあれば間違いなく撮っていたであろう。

肉を焼いている石に視線を戻すと、そろそろの頃合いだ。また剣を使って神子様と我、互いに一枚ずつ運ぶ。葉っぱ(取り皿)に肉が置かれると神子様はすぐに手を付けるのに対し、我は皿を屠自古の元まで運んだ。

 

「ほれ、おぬしも食わんか」

 

屠自古の前に肉を置くと、まるで肉を見たら死んでしまう体質と疑う速さで明後日の方向を向く。

 

「だ、だから食べたら駄目なんだよ!無益な殺生は仏が許してくれない」

 

「肉が駄目な理由は理解できぬが、おぬしが食べなかったところで猪が蘇る訳ではあるまい。ならせめて猪への感謝を胸に美味しく頂くのが礼儀であろう。それでも自らの維持を貫くなら構わんが、おぬしの称える仏様とやらは心の狭い輩じゃのう」

 

すると屠自古は肉を持つ我の方に体を向けて、不安げな表情で我を見上げる。

 

「大丈夫か?食べても仏様は怒らないよね?」

 

「肉一枚で怒るのなら神子様は今頃雷に打たれているであろう。なに、仏様もそこまで規律に厳しくない方なのであろう。この機を逃すと一生食えんかもしれんぞ。まあそうなれば食わん方がいいかもしれんが」

 

「うぅ…」

 

恐る恐る、だが嬉々とした目で屠自古は肉を掴んで口まで運んだ。すると今までの悩みは吹き飛んだのか、ひまわりが咲き誇る様にパァッと明るくなる。何度も何度も初めて口に入れた肉を噛み、神子様と同じように恍惚としている。

その後結局屠自古も加わり、我が食べられた肉は決して多くなかった。もっと上手く剥ぎ取ることができたら三人でも食べきれぬ量の肉が手に入っただろうが、まだまだ剥ぎ取りに抵抗があるのもあり無駄にしてしまった部位が多い。だが二人を満足させることはできたのじゃから今はよいとしよう。

 

「はぁ~、美味しかったです布都。今日はありがとうございました。またいつか御馳走になりたいですね」

 

感動の溜息と言う奴か、ほっこりとした息を吐いた神子様は我の手を握ってブンブンと振った。この細い体のどこに入ったのかと疑うほど、神子様はかなりの量の肉を食べていた。現代の女子ならカロリーやら脂身やらを気にする者が多かろうが、神子様は体重を気にする体型でもないし、むしろもっと食べた方がよい。神子様より頭一つ分低い我よりも軽いのではと疑ってしまうほどに神子様の体は繊細なものなのだ。

 

「うぅ…父上と母上に殺される…」

 

「やれやれ、言わなければバレなかろうに。それに馬子殿はともかく、おぬしの母の鎌足姫は物部の者だろう?」

 

「母上も仏教寄りなんだよ!あ~も~父上に殺されたら神子様も道連れですからね!ご両親に言いつけますから!」

 

あたかも他人事のように悩む屠自古の姿を眺めていた神子様だが、唐突に矛先が向けられすぐさま反応できなかったのか、珍しく間の抜けた声が出た。

 

「えっ?い、いや~、それは勘弁して欲しいなぁ。父はまだしも母は怖いので」

 

神子様の母上は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)様。我は一度もお会いしたことが無いが、神子様と屠自古曰くかなり厳しくて怖い女性のようで、神子様の動揺っぷりからもその恐ろしさは伝わる。さながら現代で言う教育ママと呼ばれるものだろうか?

 

「死ぬときは一緒だよ神子様!」

 

「いくら叔父上でもそこまではしないと思いますが。私の母じゃあるまいし……ッ!」

 

父の説教に脅える年頃の少女らしい屠自古と、命の危機を感じているのか冷や汗を流しながら苦笑する神子様。その姿を見ていたら、この二人が普段いかに仏教について教え込まれているのかがよく分かる。

仲良く話す二人が微笑ましくもどこか妬ましく、モヤモヤとした感情で二人を眺めながら散かっている回りを片付けていると、神子様が唐突に屠自古を抱き寄せて左手で手を抑える。我も屠自古も一瞬顔が赤くなったものの、すぐに真剣な神子様の表情に気づいて黙り込む。

ゆっくりと目を閉じて集中する神子様。その邪魔にならぬように手に持った石を静かに地へ置くと、剣を引き抜く。

 

「賊…ですか?」

 

「いや、もっと性質の悪い奴だ」

 

神子様の口調が変わる。頬が緩んでいるがそれは決して喜びからではなく、困惑からのものだろう。我も似たような顔をしているはずだ。つい先程まで何も感じなかったのに、何故か突然四方八方から妖気を感じるのだ。どれも決して強いものではないが数が多い。

肩を震わせる屠自古を抱きしめ、ゆっくりと立ち上がる神子様。それに連動して我は剣を逆手に持ち、空いた親指と人差し指で矢を取り出し、ゴクッと唾を飲み込みながら弓を構える。

 

「妖怪だ」

 

刹那、辺りの茂みから妖気の原因が飛び出してきた。

 

 




相変わらず仏教するつもりのない神子様。
普段気品あるお嬢様(姫)が野性的になるのってそそりますよね。神子様にあーんしたい。
スレまとめを見ていますが、としあきの想像する神子様と布都ちゃんが私のイメージと似ていて嬉しいです。やはり俺=としあきなのか。



布都は神道の為描写しませんでしたが仏教の思想に三種の浄肉と呼ばれるものがあるみたいです。
なんでも初期仏教は肉を食べていいらしく、食べていい肉は

○殺されるところを見ていない
○自分に供するために殺したと聞いていない
○自分に供するために殺したと知らない 

このルールに反していない肉の様です。見事神子様も屠自古も全部当てはまっています。初期仏教の視点からすると三人が食べた猪肉は不浄肉という訳…でよいと思います。

蛇足ですが日本人が明治まで肉を食べる習慣が根付いていなかったのは、農耕で働いてくれる牛馬を食べる嫌悪感があったことや、珍味として見られていたりするとか。
(どれも作者がとある質問サイトで見ただけです。情報の保証はしません)




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妖怪

前回のネガティブな前書きに対し、たくさんの温かい感想を頂きました。おかげさまで遅くなると言った割に結構早く投稿できたと思います。ありがとうございます。
未だ上向きのモチベとは言えませんが頑張ります。




「妖怪だ」

 

まるで神子様の声に合わせるかのように、茂みから妖気を纏わせる何かが現れ、隣から屠自古の悲鳴が聞こえる。チラリとそちらを見るが神子様もかなり動揺しておられる。屠自古という守るべき者がいなければ神子様も悲鳴を上げておられたかもしれない。

我等を囲んだ妖怪は、一つ目男にろくろ首の女に腐った男。この辺りは誰でも知る妖怪だろうが、他にも頭が鬼で胴体が牛の牛鬼や土蜘蛛と呼ばれる巨大な蜘蛛の妖怪までいる。見た目も種族もバラバラだが、どいつもこいつも厭味ったらしく我等を餌と見ているところは一緒だ。

集団行動が苦手で、下手をすれば同種族間でも統制の取れない妖怪が、何故別種族の妖怪と手を組んで我等を包囲しているのかが疑問だが今は考えている暇はない。

 

「我が道を開きます。そこを抜けて走って」

 

幸い我が弓を構えているのもあって今は牽制状態だがそれも長くは続かん。彼奴らから視線を反らさず、なるべく小さい声で二人に告げた。

 

「ああ、分かった」

 

「で、でもそれじゃ布都が」

 

「大丈夫、布都なら心配ない。走れるか屠自古?」

 

「う、うん…」

 

屠自古の照れた声からするにどうせまた女殺しの綺麗な笑みを浮かべているのであろう。我とて女、本当なら屠自古の立ち位置に居たい気持ちもあるが、生憎これは遊園地のお化け屋敷ではない。今この場でまともに戦えるのは我一人だ。そんな我が神子様に甘えようとするならあっという間に皆妖怪の胃に入れられる。

 

「行きますぞッ!」

 

弦が震える音と共に、一つ目男の大きな目に矢が突き刺さる。途端、元人間とは思えぬ歪な叫び声が轟き、妖怪たちが一斉に襲い掛かってくる。だが一本目を放ってすぐに矢を取り出していた我の方が早く動け、もう一発の矢をろくろ首の顔面へと射出。それも見事に当たってくれ、気味の悪い女の悲鳴が一つ目男の叫び声に混ざる。

神子様は屠自古の手を引き、顔面に矢が刺さった二体の妖怪の間をすり抜けて包囲網を突破する。続いて我も突破しようとしたが、土蜘蛛の汚らしい糸が我へと飛んできたので横へ飛んで回避する。

 

「ッ!」

 

「布都!」

 

「いいから早く行かんか!こっちに居る方が足手まといじゃ!」

 

神子様は心配して声を掛けてくれたのだろうが、この場に残られた方が迷惑だ。神子様と屠自古の謝る声が聞こえたが、襲い掛かってくる腐った男の所為で見届けることもできぬ。

のっそりとした速度で襲ってくる腐った男の右手を剣で切断し、素早く妖怪達と距離を取った。

 

「おうおう。幼女一人にずいぶんと多いのう」

 

我へと向けられる妖怪達の視線に応える様に乾いた笑みを浮かべる。奴等には言語を話すだけの知性はないのか、一匹として我の言葉に応えようとしない。代わりに土蜘蛛と牛鬼の視線が、二人が逃げた方向と我を見比べる様に行き来する。

不味い。獲物を見定める程度の知識はあるということか。

咄嗟に矢を一発土蜘蛛めがけて放ったがすでに遅く、土蜘蛛と牛鬼は二人が逃げ出した方へと走って行った。そして追い打ちを掛けるように、顔面血だらけの一つ目男とろくろ首、更に腐った男の三体が立ちふさがる。

 

「そこを退け雑魚妖怪ども!」

 

ろくろ首が首を伸ばし、口を開いて襲い掛かってくる。右往左往と曲がり不規則な動きをする首はまるで蛇のようである。ここまで不規則に動かされては我の弓の腕をしてでも捕らえることができんので、我は即座に二つの案を思いついた。一つはろくろ首の胴体に攻撃することだが、ろくろ首は首から上が本体のようなもので胴体に攻撃しても効果がない事を思い出した。だから我は二つ目の案を実行することにする。

どんなに不規則に動いていようが、首の行き着く先は我だ。ならばある程度攻撃位置を予期することができる。

案の定、不規則に動いていたろくろ首の動きが直線的になり、我へ飛んできた。

 

「おぬしが馬鹿でよかったよ」

 

我はろくろ首の噛み付きを跳んで避けると、そのまま顔面を踏み台にして空へと飛びあがる。そして頭が地面と向き合う様に空で体を半回転させると、無防備になったろくろ首の頭部へと矢を放つ。宙で矢を射るのは初めてで非常に危うい賭けだったが、日頃の成果のおかげか矢はろくろ首の顔を貫通。ろくろ首の急所はその顔面で、ただでさえ一発受けて大ダメージを受けていたのだ。貫通する威力の矢を受けたら妖怪でも即死に決まっている。

体を捻って半回転し綺麗に着地してすぐさま弓を投げ捨ると、空いた左手で懐から一枚の札を取り出して霊力を籠める。札はポワァと優しい光を出し、それを合図に我は剣に札を張り付ける。すると札から発せられていた光が剣に宿り、右手に構える剣から優しい光が溢れ出す。この光こそ退魔の力。

前にも言ったが上級者になれば力を宿した札を投げるだけでも強力な一撃になり、人間は勿論妖怪も倒せる。しかしそこまでの領域にたどり着いていない我は、剣を依代にすることで疑似的に退魔の力を剣に宿して戦っておる。一見すればこちらの方が上級者の技に近い気がするが、こちらは必要な霊力が遥かに多く、またあくまで退魔の力を宿すだけであり、切れ味や頑丈さが上がる訳でもない。

そんなデメリットがあるこの技術だが、眼中にいる二体の醜い生物たちには驚異的だろう。一つ目男は身の危険を感じたのか一瞬怯む。

 

「せいや!」

 

生まれた一瞬の隙を付き、持ち前の瞬発力と脚力を活かして素早く突進して接近。血だらけになった一つの瞳では我の動きに反応することができなかったのか、アッサリと一つ目男の首と胴体が別れた。一つ目男の急所はろくろ首の様に分かっている訳ではない。首を刎ねても未だ胴体が動く話を聞いたことがある。だが退魔の剣によって斬られた為、斬り口から侵食するように退魔の力が一つ目男の全身を浄化し、すぐに砂となって存在が消された。

 

「ヴァ~」

 

ゾンビ映画に出て来そうな腐った男へと剣を投擲。剣は眉間へと突き刺さり、男は背中から地面へとバタンと倒れ込むと、ピクリとも動かない腐った肉へとなった。

男に刺さった剣を抜きながらとあることに気づく。

 

「こいつ、妖怪ではないのか?そう言えば妖気を感じられんし、浄化もせん。いったい…いや、今はそれよりも神子様と屠自古じゃ」

 

投げ捨てた弓を拾い、人差し指と親指で輪っかを作ってピューと口笛を吹く。これが我が愛馬を呼ぶサインだった。だがサインを鳴らしても一向に反応がない。馬は耳がよい動物だし、それに加え我が愛馬は訓練により遠くからでも我のサインには気づくのは実証済みだ。人間の我では遠く離れた馬の動きを察知できないのもあるかもしれんが、今回はそうではない事に気づく。我が愛馬は手綱によって木の傍から離れることができんのだった。

だからと言って馬の脚無しでは二体の妖怪に追いつくのは厳しい。

 

「イチかバチか!」

 

手段を選んでいる暇はない。我は弓を天へと向けて弓が壊れないギリギリの力で目一杯矢を引く。

今我がいる地点と馬を繋いだ地点、そして予想ではあるが二人が逃げ出した方角から考えるに、この三点を繋げば綺麗な三角形が作れるはず。ならば、もしこの地点から我が馬を縛る手綱を射ぬき、神子様の元へ向かう道中に合流することができたら追いつく可能性はある。

出発点はここから南東の向き。歩いてきた距離からするに馬との距離はおおよそ300弱。海外の弓に比べると飛距離のある日本の弓だが、それでも飛距離だけを意識し飛ばして200行くかどうかだ。しかし風は追い風と悪くない。上手く風に合わせられた飛距離に関してはいけると直感した。あとは馬を繋いだ辺りの正確な光景を思い出すのだ…。時間はない、後戻りもできぬ。飛ばす矢を入れると矢を三回射る事ができるが、着地点を確認できぬこの状況で一回やっても三回やっても結果は変わらん。必要となるのは矢を飛ばす力と、人知を超えた弓の才。

我は一度だけ深呼吸をして自らの精神を高めると、天高く矢を放った。

 

――シュン

 

鈴虫の鳴き声や和楽器よりも美しく、獣の咆哮の様に荒々しい弦の震える聞き慣れた音。

刹那、太陽へと向かう様に矢が飛んでいく姿が目に入る。飛んでいく矢にこれ以上我ができることは無い。あとは天運に矢の行方を委ねるのみ。

 

「神子様、今参ります!」

 

唯でさえスタートダッシュが遅れてしまったのだ、ボーとしている暇などない。土蜘蛛と鬼牛に続いて我もまた神子様と屠自古の元へ駆け出す。万一馬が手綱から解放されていた時の為に定期的にピュー、ピューと口笛を鳴らして位置情報を伝えるのを忘れない。

不幸中の幸いと言うべきか、二体の妖怪は誰が見ても明らかな跡を残していたので進行方向の判別は容易だった。我はひたすらにその跡を駆ける。

神子様、神子様、神子様とひたすらに神子様の無事を祈り続ける。もし神子様に何かあったらどうしよう。もし神子様が死んでしまったら…いや、考えるな。考えてしまったらその時点で我は自分を見失ってしまう。

十の女子にしてはかなり体力のあるこの体も、全速力で走り続けたのと動揺で上手く呼吸のペースを掴むことができずに息が上がっている。それでも構わずただひたすらに走り続けた。

 

「神子様!神子様!神子様ァッ!」

 

全速力で駆け何度も神子様の名を叫ぶが、姿が見えるのはおろか返事すら返って来ない。

あり得ない、そんな訳がある筈が無い。神子様はこのような所で命を落とすようなお方ではない。あのお方こそこの時代に無くてはならぬ存在。

――だが、もしかしたら

一瞬だけ過った血だまりの中に倒れる神子様の姿。途端、心臓を鷲掴みされた様に胸が苦しくなり、喉がはち切れそうに痛くなった。すぐに頭を振って悪い想像を振り払おうとするが、一向に頭から離れてくれない。

涙がポロポロと零れ、視界が歪んでくる。絶対にある筈が無いと信じているが、それはただの理想論に過ぎない事は分かっていたからだ。土蜘蛛に鬼馬、どちらも決して強い妖怪ではないが一般人が敵う相手では無い。後々仙人になるかもしれない神子様も屠自古も今はまだ一般人で更には幼い少女、勝ち筋は無いに等しい。

我の、我の所為だ。我が神子様を止めなかったから、いや、神子様を守りながら戦える強さを持っていなかったからこうなってまったのだ。

自分の未熟さと甘さに押しつぶされそうになった時、視界が反転した。

 

「えっ?」

 

直後、背中と足に激痛が走った。普段ならば一瞬で現状を把握できただろうが、動揺と絶望で自分が置かれた状況を理解できなかった。いや、理解したくなかったと言った方がいいのかもしれない。

我の視線には土から飛び出した木の根っこがあった。それはまるで我を嘲笑うかの様に、道のど真ん中に堂々と生えている。こけたのだ、無様にも根っこに引っかかって勝手に自滅した。それに気づいた時、悲しみと怒り、そして己の不甲斐なさで涙がポロポロと地面に落ちる。

が、関係ない。例え我が未熟者で不甲斐なかろうと、ここで諦める理由にはならぬ。混乱して頭がゴチャゴチャになっていたが意志はまだ折れていない。

土を削りながら拳を握り閉め立ち上がる。そして神子様の元へ近づこうと一歩踏み出すと、足首を襲う激痛によって視界が一瞬歪んだ。

 

「嘘…でしょ?」

 

慌てて着物を捲って足首を確認すると、今こけた拍子にぶつけたのか、足首周りが毒々しい紫色に変色して腫れあがっていた。それでも痛みさえ我慢すればまだ行けると、今一度一歩踏み出すが激痛で歩けそうにない。

ここで終わりなのか?

神子様をお救いすることができぬまま、ただこの場で神子様が妖怪に食われる姿を想像するしかできないのか?

…否、断じて否!絶対に、何があろうとも神子様をお守りする。己が命を投げ打ってでも主を救うのが従者の使命。その覚悟なしに誰が将来神子様に仕えたいと言えようか。右足はもう使い物にならぬが、希望はまだ尽きては無い。親指と人差し指で輪っかを作り、ピューと口笛を吹く。涙に鼻水に汗、おまけに土の味が口の中に広まるが、気にせずに何度も口笛を吹き続ける。

六回目の事だろうか。我の口笛に応えるように、希望が我の目の前に現れてくれた。

 

「よう来てくれた…」

 

我が愛馬の姿がそこにはあった。我のボロボロの顔を見て心配したのか、ペロペロと顔を舐めてくれる。独特な感触とベトベトした唾液がこそばゆくも、頭を撫でて愛馬に礼を送ると、怪我していない左足で地面を蹴って跨った。手綱は荒々しく切断された痕があり、片方だけがえらく短い。この手綱でどれほど言う事を聞いてくれるかは分からぬが、賢いこやつの事だ。きっと我の思うとおりに走ってくれるだろう。

想いを託すように首筋を優しく撫でると、蹴って合図を送る。

 

「やぁっ!」

 

走り出す我が愛馬。その速さは身体能力を上げて全速力で走った我よりもずっと早い。辺りの景色がまるでスクロールされているようだった。

足元が不安定な中、高速で走ることができる愛馬に感心していると、何やら不自然な物体が視界に入る。白い糸によって大きな木の幹に張り付けにされ息絶えている、人ならざるものの姿がそこにあった。

 

「あれは牛鬼?もしや二人を追う道中で獲物の取り合いでもあったのか?となると二人は下手に走らずにどこかに隠れている可能性が高い…あそこか!」

 

森を抜けた先には、遠近法で小さくなっているのにも関わらずハッキリと蜘蛛の後ろ姿があった。そこへ目掛けて駆けると崖下が広がっている空間があり、崖の足元の空洞の入り口に結界を張って土蜘蛛の攻撃を凌いでいる神子様と屠自古の姿があった。

 

「神子様…よかった…」

 

だがホッと一息吐くのも束の間、土蜘蛛の体当たりによって結界が破られてしまい、空洞の中から屠自古の悲鳴が聞こえる。

せっかくここまで来たのに二人を救えなくては意味がない。小指と薬指で一本、その他の指でもう一本合計二本の矢を取り出すと、素早く一本ずつ射る。一本目は土蜘蛛の巨大な背中に刺さり、もう一本は尻辺りに突き刺さった。どちらも結構痛かったのか、土蜘蛛の攻撃対象が二人から我へと移る。

土蜘蛛が動いたことで二人とも我の姿に気づいた様でパアッと顔を輝かせるが、神子様はすぐに屠自古の口を押えて静かにするようにと合図を送っていた。せっかくヘイトが我へ向けられた今、下手に物音を立てて刺激を与え、また神子様達が狙われてはいかん。流石神子様、見事な機転ですぞ。

 

さてと…しかし無我夢中で攻撃したのはよいが、これからどうしたものか。今の二本で矢は尽きてしまい、足を怪我しているのにも関わらず我の武器は近接武器の剣しかない。それだけでも致命的であるのに、更には土蜘蛛への恐ろしさから我が愛馬は今にも逃げ出しそうな程に体を震わせており、このままだと我の意に反して神子様達を捨てて逃げる可能性があった。我の足になって貰おうと考えていたが、口笛を頼りに我の元まで来てくれたのだけでも十分な働きだ。

我は左足で着地するように降りてバシッと愛馬を叩いて刺激を与えると、愛馬は土蜘蛛から180°反対の森の中へと逃げ出す。同時に土蜘蛛が我へ目掛けて突進してきた。

我は咄嗟に左足を蹴って突進の攻撃範囲の外へと跳ぶが、怪我で足が使い物にならぬ今、ズザァと転ぶような着地になってしまう。

チラリと神子様と屠自古の方へ視線を動かすと、二人とも目を見開いて驚いており、我は苦笑しながら右足首を指差す。

 

「グオォォッ」

 

「チッ!」

 

模擬戦なら相手が倒れたところで終了だが実戦はそんな生温いものではなく、相手が地面に倒れ込んでいても容赦はしない。今度は我を丸呑みしようと、その大きな口を開いて地面に倒れている我へ飛び掛ってくる。

前世で人気だった魔法使い物のファンタジー作品がある。その作品の主人公の親友が大の蜘蛛嫌いなのだが、その気持ちはよく分かる。人よりも大きい蜘蛛はグロテスクで醜く、生理的悪寒が走る生き物だった。

嫌悪感から背筋を震わせながらも、飛び掛ってくる土蜘蛛へと腕を伸ばし素早く結界を貼る。神道を使った攻撃手段を持っていないが、結界に関しては多少なりとも自身はある。その証拠に、バチッと結界が土蜘蛛を拒絶する音が連続で鳴り続け、土蜘蛛の体当たりを凌いでいる。

拉致が明かないと察したのか土蜘蛛は一旦我から距離を置き、今度は粘着力が強くも硬い糸を吐き出す。それもまた結界で凌ごうとするが、右足首の痛みの所為で集中力が途切れ結界が消えてしまい、咄嗟に構えていた剣を盾にして糸からの直撃を凌ぐ。

 

「しまった!剣が!?」

 

だが胴体への攻撃を凌いだのはよいが、糸を浴びた剣は粘着力の強い糸によってぐるぐる巻きにされ、使い物にならなくなってしまう。

これで我に残されたのはたった一枚の札のみ。しかし依代となる武器が無ければ退魔の力を扱う事ができない。ここがバトル漫画の世界であれば、今この瞬間に新たな術でも生み出して華麗な一発逆転でも起こせそうだが、生憎この世界は理不尽な現実。そんな夢物語は起こらない。

ならば我が優先すべきことは土蜘蛛の退治よりも神子様の身の安全。

 

「神子様。まだ結界を残す霊力くらいは残っております。我が囮になるので神子様は屠自古と逃げて下さい」

 

結界を警戒してか土蜘蛛は襲ってこなかったので、その間にできるだけ小さい声で呟く。これが今我がやれる最も現実的な手段だった。

人生の終わりが土蜘蛛の餌になると思うと今にも泣き出しそうだが、神子様をお救いすることができたのなら心残りは無い。いや、強いて言うなら三年後になると屠自古が神子様と結婚すると思うといささか腹立たしい事くらいだが、二人とも仲睦まじくお似合いだ。我の事を忘れ幸せに暮らしてくれるのならそれはそれで満足か。

絶体絶命のこの状況で、達観した思考を持てる己の異様さに思わず口元が緩んでしまう。それもこれも、気が付けば物部布都の心の基盤となっていた、神子様への忠誠心からか。

だが我の耳に入ったのは、我を囮とする策を了承の声ではなく

 

「断る」

 

凛々しくも美しい、覇気のある声だった。

 

「なっ!?」

 

我の目の前に神子様が立っておられた。その手には威厳を示す為に作らせた飾り物の剣、七星剣が握られており、剣先を土蜘蛛へと向けていた。

まさか本気で土蜘蛛と戦うつもりでは。そう思った矢先、神子様は七星剣を手に土蜘蛛へと駆けた。

 

「み、神子様!?何をしているのです、今すぐ逃げ――」

 

「神子様はお前の為に剣を抜いたんだ。その意思を無駄にするな」

 

いつの間にか後ろにいた屠自古の声で、我の言葉が途中で遮られる。

 

「な、何を馬鹿なことを言っておる。我の命よりも神子様の命の方が大事に決まっておるであろう!」

 

「当たり前だ!でもだからってお前の命が大事じゃない訳ないだろうが!いいか、神子様からの伝言だ。私が時間を稼ぐから、何とか決めの一手を生み出してくれと。私にできることがあったらやるから、兎に角何か考えてくれ」

 

「ッ、神子様め、無茶な事を言うてくれる!」

 

土蜘蛛の攻撃を上手く回避して囮となってくれている神子様の姿を見て、フッと小さく笑みを浮かべる。こんなボロボロの我にまだ逆転の一手を考えろと申すか。

普通なら満身創痍の我に期待するような愚か者はおらぬだろうが、神子様は我を信用してくださっておる。ならば神子様の信用に応える為、考えるのだ。我が持っているのは僅かな霊力と一枚の札のみ。札を飛ばす術には期待できんとなると、やはり決め手となるのは退魔の力をあの七星剣に宿し、大きな切り傷を負わせること。退魔の力は妖怪にとっての毒、一度切れば切り口から退魔の力が全身に巡り浄化させることができる。だがそれはそこ等の小さい妖怪に限る。いくら土蜘蛛が低級妖怪とは言え、その大きさは大の大人よりもある。かすり傷程度では怯む程度だろう。更に我の霊力から長い時間退魔の力を剣に宿すことはできない。一太刀、よくてもう一回か。

 

「よいか屠自古。我の言う通りに動け」

 

我は準を追って作戦を屠自古に伝える。作戦と言うものでもないが、使えるものが限られている今の状況ではこれくらいしか思い浮かばなかった。

屠自古には大役を任せるが、何一つ嫌そうな顔をせずにいつもの強気の顔で頷いた。

 

「分かった」

 

「よしっ、なら行くぞ!」

 

屠自古は神子様の後ろの方へ旋回し、我はよろよろと立ち上がると激痛を堪えて目一杯走り出す。尋常ではない痛みが体全身を襲うが、神子様をお救いする為と思えば耐えられないものではなかった。唇を噛み締め、我慢している所為か口内に溢れ出る唾液を飲み込み、道中足元に落ちている手の平サイズの石を拾って土蜘蛛の足に叩きつける。

 

「布都!?お前にはこいつを倒せと命じたはず!」

 

七星剣を使って土蜘蛛の前足の攻撃を捌いている神子様の激怒の声が届き、我は足を何度も叩きながらそれに返す。敵の前で堂々と会話しても作戦を気づかれないのは大きな利点である。

 

「生憎我の足では力が入りませんので屠自古に委ねることにしました!こいつが怯んだら屠自古に剣を渡してください!」

 

「なるほど、屠自古に我等の命運を託す訳か。それはまた心強い!」

 

我を無視して神子様に集中していた土蜘蛛も何度も同じ場所に石を打たれたら痛かったのであろう、クルリと体を回転させると、前足二本を棒の様に使って薙ぎ払いを繰り出す。咄嗟の攻撃に、目と頭では分かっていたが足が動いてくれず、もろに前足の攻撃を受けてしまった。土蜘蛛の薙ぎ払いは腹がえぐり込む威力で、激しい痛みが襲うのと共に口から唾液が飛ぶ。

 

「布都!?」

 

今じゃ!

腹への打撃により吐き気と激しい頭痛が起こっていたが、自分でも驚くほどに視界はハッキリしていた。突き飛ばされながらも土蜘蛛へ向けて手を伸ばし、最後の霊力を籠め生み出した四角の結界が、土蜘蛛の四本の足を包み込む。異変にすぐ気付き土蜘蛛は足を動かそうとするが、結界が足枷の働きをして土蜘蛛は身動きが取れなくなってしまう。

一方飛ばされた我は背中と尻が硬い地面に激突して体に痛みが走るが、最後の一撃をこの目で見届けるため無理やり上半身を起き上がらせる。

神子様の後方で戦いを見届けていた屠自古が走り出す。屠自古は神子様から渡された七星剣の刀身に、我が予め渡した退魔の力を宿す札を張り付ける。すると七星剣はポワッと優しい光を放つ。

 

「いっけえええ!」

 

屠自古は大声と共に土蜘蛛へと向けた七星剣を突き刺した。グジュッと悪寒が走る音が鳴り、土蜘蛛の悲鳴が辺りに響き渡り、傷口から小さい蜘蛛がうじゃうじゃと溢れ出てくる。その気持ち悪さは女子なら皆逃げ出したくなるものだったが、屠自古は一歩も怯まずにより深く剣を突き刺す。

すると土蜘蛛の体に変化が起きた。剣を刺した部位から広がるように土蜘蛛の体から白い光で包まれた。そして白い光の輝きがピークに達すると土蜘蛛の動きがピタリと止まり、その巨大な体は上から下へと砂に変わった。

 

「お、終わった…のか?」

 

親の個体が消えた為か、屠自古の足元に集まっていた何百もの蜘蛛達の姿もなくなっていた。

茫然と立ち尽くし呟く屠自古に応え、我は独り言の様に呟いた。

 

「はっ…ははっ。箱入り娘がようやったわい」

 

起こしていた上半身を寝かせ、空へ向かって小さく笑う。まったく、怪我さえしなければ我がカッコよく一撃で決めてやったと言うのに、屠自古にいいところを取られてしまった。それもこれも、助けに行く道中で転んで怪我する間抜けな我が原因であるが。

 

「布都、大丈夫か!」

 

あろうことか屠自古は七星剣を投げ捨て我の元まで来ると、膝枕をしてくれる。普段の厭味ったらしい顔ではなく、不安と安心が混ざった女らしい表情をしていた。

 

「この程度どうって事ないわい…と言いたいが、予想以上に土蜘蛛の打撃が強くてな」

 

チラッと着物を捲り上げて腹を露わにすると大きい赤い線が浮かび上がっており、腫れあがった肉の所為でせっかくのスタイルが台無しになっておった。転んだ時と土蜘蛛に飛ばされた時に背中も打っている為、おそらく背中も腹と似たような状況になっておるであろう。傷が残ってしまったら嫌じゃが、神子様をお守りした証と思えばそれもカッコいいか。

 

「ところで神子様は?」

 

「えっ?そう言えばさっきから辺りを見回してる、何やってんだろ?」

 

屠自古と同じく神子様の方を見ると、真剣な表情で辺りを何度も見回していた。動き回る神子様の顔はやがて何もない空の一点に定まる。まるでそこに見えない何かがあるかのように。

 

「いるのは分かっている、出て来い」

 

「はぁ~い」

 

神子様が静かに告げると、どこからともなくふざけた女の声が聞こえた。屠自古と共に辺りを確認したが声の主を確認できず顔を見合わせていると、視界の端にひらりと揺れる水色の着物が入り、急いでそちらへ首を動かす。

一番に目に入ったのはウェーブのかかった青い髪。その色褪せぬ青い髪はかんざしを使って∞の形に結んでおり、何となくだがいいとこの出身だと分かる。青い髪の女性はこの時代の日本には本来無い筈の衣服、水色のワンピースに身を包んでおり、更には半透明な羽衣を纏っておった。

その姿はまさに、我の知っている霍青娥そのもの。

 

「初めまして、わたくし霍青娥と申します。以後よろしくお願いしますわ」

 




ヤマメですか(笑)

本当は出てくる妖怪全部東方キャラの元ネタにしようと思っていたのですがめんどくさくなってあとは適当な奴にしました。牛鬼君いたんだ。
なお蛮奇っきは胴体が弱点の模様。

青娥とのエンカウントに戦闘を挟んだのは、布都の修行の成果と弓の才を文にしたかったからです。あとは単純に戦闘を書きたかったのもありますが難しいですね。今後苦労しそう…。

今後描写するか分からないのでこの場で書きますが、神子と屠自古が二体の妖怪から逃げられたのは布都がくれた二枚の札と、二体の妖怪が仲間割れしたからです。



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可憐で清楚な乙女


この作品の投稿ペースですが、今までは週1~3くらいのペースでやっていけたのですが、リアルの都合により不定期更新に変わります。申し訳ありません。
一週間後に投稿できるかもしれませんし、一か月や二か月先になるかもしれません。どちらにせよ投稿ペースは一気に落ちます。
おそらく投稿ペースが安定するようになるのはかなり先になると思います。

投稿当初はここまでたくさんの方に見ていただけるとは思っても居らず、また描写や展開はともかく、布都に憑依するという発想自体はよいと自負しており、私自身この作品に愛着があるので、頑張って続けていきたいと思っております。

また、感想の返信や修正が遅れたりするかもしれませんがご了承願います。



霍青娥、いつかは会うだろうと思っていたがこれほど早く彼女に会えるとは…いや、彼女に発見されてしまうとは想像していなかった。彼女はよく悪人と勘違いされるが実際は少し違う。彼女は己の欲望を満たす為なら正義にでも悪にでもなり、物よりも人に執着し、他人を弄り回すのが好きなだけである。それを悪人と言えばそれまでだが。

彼女を目にして抱いた感想はたったの一つ。ここまで胡散臭い奴がこの世にいるのか。顔は美人だからやはり胡散臭く感じる原因は雰囲気と口調からか。兎に角、こいつの口にする事を鵜呑みにしてはいけないと初対面ながら直感した。それは神子様も屠自古も同じなのか、不審者を見る目で青娥を睨みつけ、警戒を強めている。

 

「あら、そんな反応されると悲しいですわ」

 

ニヤニヤとワザとらしく笑みを作る青娥。本当に此奴が後に神子様の師になる女なのだろうか?我の知っている霍青娥と見た目や口調は完全に一致しているが、余りの胡散臭さから原作の知識が全く信用できん。

だが原作を知っている我は青娥が我等に対して敵対心を抱いていない事は分かっていたので、比較的心境は穏やかだった。問題は神子様と屠自古で、神子様は青娥が何者か読めないのと青娥の胡散臭さが相まって、七星剣に手を置いており、屠自古に関しては野獣の如く低い唸り声を上げて威嚇している。

 

「何が目的だ。お前なのだろう、妖怪を嗾けて私たちを襲わせたのは」

 

「流石、正解ですよ」

 

「えっ!?」

 

前言撤回、やっぱりこやつは悪人だ。流石1400年後に邪仙と呼ばれるだけはあり、微塵も負い目を感じていない。

にしても何故神子様はそれが分かったのだ?いくら神子様が聡明な方とは言え、超能力者ではあるまいし。

 

「どうやって私が犯人と?」

 

「…そもそもこの生駒山は神霊の加護により妖怪が好む場所ではなく、本来ならこの山で妖怪に襲われる事はまずない。それに加え妖怪の気配を察知した時、前兆が無かったのも気になる。普通なら音が少しずつ近づいてくる筈だが、私が察知した時は既に囲まれていた。そしてお前もまた妖怪達と同じように私に覚られずに、突如目の前に現れた。これだけでお前を犯人と決め付けるのは十分だが、付け加えるならカマを掛けた」

 

やはり神子様は天才だ。並々ならぬ推理力に観察力、そして不審者相手にも一歩も引かぬ堂々とした態度は一般人には到底できるものではない。推理はズバリ当たっていたのか、青娥は嬉しそうにパチパチと手を叩く。

しかし待てよ。青娥が気配を消していたのなら神子様は青娥に気づくことができたのだ?

またもや疑問が浮かんできたのであれやこれやと考えてみるが見当もつかず、結局神子様の言葉を待つこととなった。

 

「と、私がこの推理にたどり着くのもまたお前の予想通り。姿を消しておきながらワザと物音を立てたのも、妖怪と同じようにあえて私に悟られず目の前に現れたのも、私を試したかったからだろう?大方先ほど寄越した妖怪たちは布都への挑戦と言ったところか」

 

「あら~、そこまで分かります?可愛くないガキですわねぇ」

 

神子様の推理は正解だったようで、青娥はニコニコと笑みを浮かべながらも毒舌を吐く。神子様は一歩も引かず青娥を見上げ睨みつけている。頭脳と頭脳のぶつかり合いは、聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。

そんな中この空気を気にせずに口を挟む猛者がいた。

 

「神子様が可愛くないとか目が腐ってんのかこの婆!」

 

屠自古だ。神子様大好きな我が言うのもアレだが、屠自古もまた我と同じかそれ以上に神子様を崇拝している。一度(ひとたび)神子様の悪口を聞いてしまえばそれが最後、驚く程に沸点が低くなる。全くなんと浅はかなのであろう…とは残念ながら思えぬ。我もまた屠自古と同じだからだ。

 

「そうじゃ、この若作りの年増め!神子様をあろうことか可愛くないと申したか!可憐で清楚で凛々しい神子様に対しそのような暴言、万死に値するぞ!」

 

「い、いや、二人とも?庇護してくれるのは嬉しいですが、この方はそのような意味で可愛くないと言った訳ではないのですよ?」

 

空気が一変し、神子様の口調がいつもの穏やかなものへと変わる。一方青娥の空気は神子様と正反対のドス黒いものへと変化し、我等二人を鬼のような目で見つめるが我等は一歩も引かん。

 

「フフッ、私とした事が耳が悪くなりましたか?わたくしには似つかわしくない言葉が聞こえた気がしますが」

 

「目だけじゃなく耳まで悪くなってるのか!?」

 

「そもそも妖怪を嗾けて、自分は高みの見物をする思想が年寄臭いのじゃ!」

 

悪口となれば子供は無駄に強い。我の暴言に関してはもはや主観的意見であり、理屈もなにもあったものではない。しかし青娥には十分に効いたのか、相も変わらず笑顔のまま我等の元へ歩き、満身創痍で地面に横になっている我と、膝枕をしている屠自古を見下ろすように青娥が立つ。

我等を見下ろす青娥の瞳を見た我等はビクッと肩が震えた。その瞳には殺意が籠っていた訳ではなく、闘士や覇気が籠っていた訳でもない。それはまるで、幼子がおもちゃを見るような純粋な瞳で我等を眺めていた。青娥の風体や雰囲気からかけ離れているもので不気味だった。

青娥への悪口を忘れ、すっかり黙り込んでしまっていると我等の間に神子様が入り助けて下さる。

 

「待て。布都と屠自古の暴言、私から謝罪する。だがお前の目的が何であれ、我等を攻撃したのは確かだ。むしろこの程度の暴言で済んだと思うべきではないか?」

 

「…あなたもあなた。少し私の実力を軽視しているのでは?」

 

途端、青娥の雰囲気がガラリと変わる。今まで我等に向けていたドス黒いものはただのお遊びだったと体で理解した。

言葉で説明できるものではない威圧感。殺意や闘志が込められているのではない、比喩もできない独特な威圧感が神子様に向けられる。第三の視点から見ている我や屠自古でさえ青娥の迫力に圧倒されたが、当の神子様は表情一つ崩さずに青娥の瞳から視線を反らさなかった。あれ程のプレッシャーを与えられながらも一歩も引かぬだけでも尋常ではない精神力だが、あろうことか神子様からもまた只ならぬ雰囲気が発せられる。日常生活でも時折その片鱗を見せていた神子様の持つ覇気だ。

思わず呼吸も忘れただ茫然と二人を見ていた。

 

「…フフッ、冗談ですわ。本気にしなくたっていいじゃありませんか~。私だって女性、年老いて見られるのは不愉快です」

 

嘘だ。先ほどまでの青娥の雰囲気が冗談で出せるものではないと我でも分かる。当然その威圧感を直に受けた神子様も分かっているはず。だがここで引かなければ、本当に青娥の実力を味わうことになってしまう事も神子様は気づいておられる。

 

「それは失礼。それとあの二人の暴言は忘れなさい、あなたは若く美しい。普通の者には無い危なくも魅力的な美しさをあなたは持っている」

 

「まあっ!一国の皇子に褒めて貰えるなんて青娥嬉しい!」

 

「むぐっ!?」

 

神子様の気障な口説き文句に青娥はぶりっ子丸出しの気色悪い声を上げて、神子様をその豊満な二つの山の間に抱き寄せる。三文芝居もいいところだが、非常に腹立たしい。

 

「おい屠自古、いつかあの女絶対絞めるぞ」

 

「当たり前だ。お前以上に大っ嫌いだよあいつ」

 

「奇遇じゃな、我もだ」

 

この時ほど我と屠自古の結束が強まった事はないであろう。ワザとらしくギューと神子様の顔を胸に押し込む淫乱仙人を睨みつけながら、我と屠自古は熱い握手を交わした。

 

それから十数分後、青娥の案内の元、我等は川の近くにやってきた。せめてもの詫びにと我の治療をしてくれるそうだ。我は勿論、神子様も屠自古も青娥の言葉を信用できなかったが、ここで我等を騙しても青娥に得は無いと神子様が判断されたので、渋々と付いていく事となった。我等が焼肉をしたところも川の傍だったがそこではなく、神子様達が逃げ込んだ洞穴とは別の洞穴を抜けた場所。川の流れる先は滝になっており、下から水の打たれる音が聞こえてくる。ここまでの道中は神子様がおんぶして運んでくれ、申し訳ない気持ちもあったがそれ以上に神子様の繊細な背中に触れられて嬉しく、また道中掴まるフリをして神子様に抱き付く事ができたりと、まさに怪我の功名と言えよう。

 

「豊聡耳様、物部様を下してくださいな」

 

青娥はチラリと川の方へ視線を流しながら言った。川へ下せとのこと。青娥に言われなくとも怪我した部位を冷やしておきたかったので丁度良かった。神子様は大丈夫かと優しく声を掛けながら、そっと我を下してくれた。何気ない仕草に隠された優しさも、数多ある神子様の魅力の一つだ。

我は怪我した右足に体重を掛けないように、そっと透き通った川へ足を入れる。ひんやりとした水が心地よく、少しだが右足首の痛みが和らいだ気がした。

 

「それでどうすんだよ?後遺症が残るほどじゃないが布都の怪我は結構酷いぞ」

 

「私も布都を怪我させておきながら、川で冷やしておけの一言で終わるのなら怒りますよ」

 

青娥の正体を知っている我は、この胡散臭い女がどうやって治療するかは薄々見当がついていた。彼女は薬学の知識に長けた仙人、まあ原作で此奴が薬学に精通している設定は無かったが、丹を作ったりしておるのは確かだから、薬学に関しては心配ないだろう。

 

「心配ご無用ですわ。これを使えば物部様はイチコロ…おっと、一発で治りますわ」

 

青娥は大きな谷間から薬の瓶を取り出すと、見せびらかす様に瓶を回転させる。

 

「おい、今イチコロと言ったなおぬし」

 

「なんの事でしょう?」

 

「おぬしの所為で我が死んだら、何千年後も名を轟かせる大悪霊となって永遠にお前を呪ってやる」

 

「それはいいですわ!是非毒薬に変えましょう!」

 

「…その瓶でよい。さっさと一思いにやれ」

 

嫌味や脅しに動じない胡散臭い仙人こそが霍青娥。此奴には下手に突っ掛るよりも、手短に話を終わらせるべきだな。

緊張感のない声で返事をした青娥は瓶の蓋を取り中に入っていた液体を数滴川へと落とすと、穏やかに流れる浅い川に小さい波紋が一瞬だけ浮かび上がる。すると怪しい液体が混ざった川は、優しい青い光を薄らと放ち始めた。まるで川が浄化されている様な幻想的な光景に思わず見惚れてしまう。

 

「足の傷が…消えていく?」

 

足の感覚に変化があったので川に浸けている足を眺めると、まるで時間が遡るかの様に、紫色に変色して腫れていた足首が元へと戻っていく。それはまるで何十倍にも早送りされた映像を見ているようで愉快かつ神秘的なものだった。神子様も覗き込むように我の足を見ており、目を何度も瞬きしている。

 

「上半身も怪我されているのでしょう?浸かればすぐに傷は癒えますわ」

 

我は小さく頷くと着物を脱いで裸になると、傷に沁みないよう何度か傷跡にかけ水をした後に湖に浸かる。川岸を見ると、屠自古は顔を真っ赤にして金魚の様に口をパクパクさえて我を指差しており、神子様も頬を赤らめて瞳を手で覆っているが、指の隙間からチラチラと見ているのが分かる。

別にこの場には女しか居らぬのだから気にする事なかろうに。それと神子様は、そのむっつりスケベみたいな反応は止めて頂きたい。

二人の反応に違和感を覚えた我だったが、10や11となるとそろそろ性に関して興味を抱く頃であるため、同性とは言え野外で他人の裸を見るのは恥ずかしいのかもしれん。自分が裸になるならともかく、見るだけなら別段恥ずかしくないと思うがのぅ。

ひんやりとした川の水を肌一杯で感じながら、裸の自分の体を眺める。僅かに膨らみかけている胸の下、赤くなっていた腹が次第に元の白い肌へと戻っていき、体全身の痛みが一気に消えていく。

妖怪の返り血も浴びていたのでそのまま髪も洗い、一人自由に水浴びを堪能したところで立ち上がる。すると屠自古は急いで我から視線を反らし、下手に反応しない方がよいと悟ったのか神子様はマジマジと我の方を見ていたが、それはそれでどうかと思いますぞ…。

 

「助かったぞ青娥、感謝する」

 

青娥が渡してくれた綺麗な布で体を拭きながら静かに礼を言う。

「いえいえ、私の方こそ礼を言わせて下さい。物部様の可愛らしい裸も見て、幼児体型でもやらしい色気を出せるものだと教えられましたわ」

 

「おぬし…それは流石に引くぞ?」

 

今の発言は流石に身の危険を感じたので咄嗟に拭いていた布で体を隠し、下種を見る目で青娥を睨みつける。が、相も変わらず青娥は胡散臭い作り笑いを崩さん。

 

「ならわたくしよりもこの二人に言うべきではないでしょうか?あなたの裸に興味シンシンでしたわ」

 

「せ、青娥!?違いますよ布都!」

 

「わわっ、私は別に布都の裸なんか見てないしッ!」

 

ここに更に同性愛者兼ロリコン疑惑が二人現れてしまい、我は現在素っ裸のまま三人の性犯罪者予備軍の真ん中にいる状態になってしまう。

いやまあ実際のところ神子様と屠自古は上記の通り、我の裸と言うよりも性そのものに興味を持っているだけだろうし、青娥は使えるネタは何でも使って場を掻き乱そうとしているだけであろう。

 

「…とりあえず青娥と屠自古は後ろを向いておれ」

 

すると二人は大人しく後ろへ振り返り、一人だけ名指しされなかった神子様は気まずそうに我の方を見る。我は肌を隠している布の一部だけチラリとはだけさせ、平たい胸元と太ももを見せると、甘えた声で囁く。

 

「神子様はその、見たければ、ど、どうぞ…」

 

「う、後ろ向いてます!」

 

神子様の顔が下から上へとみるみると真っ赤になり、我の太ももと胸元へ一度ずつ視線を動かしてすぐに勢いよく振り向いた。

いつも神子様に赤面させられる我だが、今回は我の方が数枚上手の様であった。これも神子様がある程度の年になられると使えぬだろうが、神子様を真っ赤にさせるのは非常に愉快である。普段我をからかう神子様の気持ちが少し理解できた。

 

「ふふふっ。神子様もまだまだ初ですの~」

 

勝ち誇る様に鼻歌を歌いながら、我は脱ぎ散らかした着物を羽織った。

 

神子様が平静を取り戻したのはそれから数分後。周りを偽る為に女性を口説いている内に、本当にそっちの趣味に芽生えてしまったのではないかと心配している頃に神子様は正気に戻った。

神子様はわざとらしく咳払いを繰り返して真剣な空気を作り出すと、落ち着いた口調で青娥に問う。

 

「今の術といい青娥、お前は何者だ?神や仏の遣いとは到底思えぬが、妖怪とも言いにくい。ならばお前はいったいなんなのだ?」

 

神子様の頬は青娥への知的好奇心からか緩んでいる。正体を明かせる青娥は嬉しそうにニヤッと笑みを浮かべると、ワンピースの裾を両手で軽く持ち上げて一礼する。

 

「改めまして。私は霍青娥、またの名を青娥娘々。この国に道教を伝えに来た仙人ですわ」

 

霍青娥と出会ったここから神子様の人生が大きく分岐するのだろう。仏教でも神道でも無い宗教、道教を知った神子様は、ここから新たな道を歩み始める。それは即ち、我の人生も大きく変えることになる。

 




みんな、カメラは持ったか! 山の中へのりこめー^^

布都ちゃんの水浴びシーンを間に挟んだ所為で最後が雑になってしまい面目ありません。上手ければもっといい感じの描写挟んだりできるのでしょうが、嫦娥の所為で私には書けませんでした。嫦娥最低だな。

布都ちゃんの裸に神子や屠自古が赤面した理由は、布都ちゃんの想像とはまた別に、青娥が言った通り、ストレートで言うならエロかったからです。普段アホとたくましさが混ざっている布都ちゃんですが、脱げば大人っぽくなる。そういうギャップ…いいと思います。


さて、前書きにも書きましたが次がいつになるかは私にも分かりません。私も今までのペースで投稿を続けたいのですが、いつ執筆できるかが私にも分からないので、くどいですが不定期になります。
それでもよろしければ今後ともお願いします。



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日本刀

初輝針城プレイ時

1面 わかさぎ姫だよね。道中は➈か

2面 2面か。ばんきっきどんな弾幕使ってくるのかな。

3面 3面は影狼で確か地味に厄介な弾幕使ってくる噂を聞いた。

4面 ……えっ、ボス誰?正邪は確か五ボス。もしかして五ボスと掛け持ちで四ボス勤めてるのかな→八橋登場→あっ(察し)

影の薄いキャラって本当に出て来ないんですね。
こんなんだからライオンにされるんだよ!




「私の店を紹介してほしい、ですか?」

 

「そうだ。知っての通り我の剣は無くなってしもうたから、新しいのを探さんといかんでな」

 

首を傾げる門番の男。いつも剣の鍛錬に付き合ってくれている者で、彼の家は武器倉…武器屋と呼んだ方が伝わりやすいか、そこの末っ子だ。

 

青娥と出会ってから早一週間が過ぎたか。あの後当然だが父上と母上にもお叱りを受け、一週間の間自宅謹慎となってしまった。神子様と屠自古にその件を手紙で伝えたが返事からするに、どうやら我はまだマシな方だったらしい。屠自古は我の知っている馬子殿からは想像も出来ぬ程に怒られたらしく、ぶっ倒れるまで走り込みをさせられ、神子様も母上殿に文字通りボコボコにされたそうな。二人の親に比べ父上と母上の叱りが少なかったのは、理由は何であれ我が数多の妖怪を倒したのが誇らしかったのであろう。どいつも下級妖怪であったが、それでも十の少女が退治できる妖怪では無いのは火を見るよりも明らかだ。故に父上は呆れた表情を作りながらも、我が妖怪を倒したと自慢しているそうな。

因みに事の発端である青娥だが、我の治療が終わった後に我等と馬を山の麓へ下してから姿を消し今どこにいるか見当も付かんが、どうせどこかで悪巧みしているのだろう。青娥の件で一つ。これはこの一週間で気づいた事なのだが、妖怪と一緒に退治した腐った男の正体に思うところがある。結論から言うと腐った男の正体は妖怪では無くゾンビなのだろう。そこに至る過程としては腐った男が退魔の力で浄化されなかった事と、原作で登場する宮古芳香の存在からだ。思い返すと青娥は原作で宮古芳香と呼ばれるキョンシーを操っておったが、このあいだ青娥と会った時は彼女の姿が無かった。おそらく青娥はまだ完全にキョンシーを作る事が出来ないので、練習としてあのゾンビを作ったのだろう。つくづくふざけた輩である。

青娥の事を思い出してまた苛立ってきておると、門番の男は謹慎について知っていたのか、誰もが抱く疑問を聞いてきた。

 

「ですが布都様はまだ謹慎中なのでは?」

 

「今日で終いじゃ終い」

 

一国の皇子の命が危機に晒された割には随分と軽い罰なのも、上記の理由に加えて神子様が自分の責だと父上にお伝えして下さったおかげである。だが僅か一週間の自宅謹慎が信じられんのか、門番の男は不審そうに我を見ておる。疑り深い男は嫌われるぞ…妻帯者に言っても意味がないか。

 

「ええい、さっさと教えんか。何なら別の店に行っても構わんのだぞ。この十市には武器倉が多いのはおぬしの方が知っておろう」

 

「わ、分かりました。ですが私は仕事がありますからお伝えするだけでいいですか?」

 

「元よりそのつもりじゃ」

 

 

 

門番の男が教えてくれた実家の武器倉は我が家から少し離れた場所に立っており、店の前には刀魂の看板が立っていた。店を見た感じは可もなく不可もなく。武器を製作する必要がある為、辺りの店に比べると敷地は大きいが、繁盛している武器倉よりかは小さく、外装もいささか陳腐か。

因みに今の我の格好だが、地味な着物と傘を深く被る事でなるべく目立たぬようにしていた。別に顔を見られてやましい気持ちがある訳では無いのだが、我の容姿についての噂はここ十市では特に広まっておる為、変装もせずに道を歩けば周りの者は我の正体に気付くであろう。それで現代の超有名人の様にパニックになる訳でもないが、すれ違う民達が道を空けんといかんくなり、そっちの方が変装するより面倒だった。

そんな庶民にも気を使える物部布都であるが、我の変装を馬鹿にするかのように店の前には品の良い馬が暇そうにしていた。店を横切る庶民達が馬を見るや早足で通り過ぎる姿から分かるが、どこかの豪族が来ているのであろう。アポ無しで来た我にも問題はあるが、順番待ちになったら面倒じゃのう。

 

「邪魔するぞ」

 

「すいませんお客様。今主人は奥でお客様と対談中でして」

 

ガラリと扉を開けて中に入ると、三十代半ばの女性が申し訳なさそうに頭を下げる。門番の男の話じゃと、今は一番上の長男がこの店を切り盛りしておるらしいからこの女性は長男の妻か。

 

「構わん。適当に見せてもらうぞ」

 

「は、はぁ…」

 

煮え切らん返事をする奴じゃのう…って、失念しておった。変装したのはいいものの身長は子供。子供がこの店に来る時点で多少なりとも身分のある者と言っておるようなもの。おまけに彼女に対する我の口調、あれが庶民の口調で無い事は明白だ。

だが我の変装はあくまで往来で姿を隠す為であって、元より店に入ったら変装用の被り物は脱ごうと思っておったし丁度よいか。我は被っていた傘を脱ぎ、傘の中で束ねていた髪を下ろす。

 

「えっ、ええええっ!?ひょっ、ひょっとして、物部布都様でしょうか?」

 

「あ~うん。そうである」

 

我の髪を見るや目を見開いて大声を上げる女性に苦笑しながら頷く。幸いここには我以外の客は居らず面倒事にはならなかったが、再程の彼女の声は奥にいる店主と馬に乗って来た豪族にも聞こえたらしく、ドタバタと慌ただしい物音が店の奥から響いてくる。どこの豪族が出てくるのかと構えていたのも束の間、店奥から出てきたのは神子様であった。

 

「布都!」

 

「みっ、神子さまぁッ!?」

 

予想外の登場人物に思わず語尾が上がってしまうが、お構いなしにと神子様は我の手を握ってブンブンと大きく振る。手紙によると神子様は確か一か月の間は謹慎中だし、そもそも武器倉に来られる様なお方でもないがいったい何故ここに?

神子様に続くように店の奥から三十代半ばの男性が現れ、妻の女性と同じようなリアクションを取り茫然としていた。

 

「何故神子様がこのような店に?」

 

「丁度よかった。今あなたの剣について話していたところでして」

 

「へっ?それはうれしゅうございます…ではなく、神子様は謹慎中では?」

 

「そんなもの当の昔に終わりましたよ。周りの中では私の謹慎は続いているみたいですが」

 

それってまだ謹慎中は終わっていないではありませんか。要するに逃げ出して来たのですね…。

しかしまあ一週間前に逃げ出して酷い目に合ったばかりなのに、勇気があるのか、楽観的であるのか。厳しい母上殿が知ったらますます謹慎が伸びそうであるが、我が説得して神子様を宮まで返したところで既に宮では問題になっているであろう。存外我や屠自古よりも神子様が一番の問題児かもしれん。

 

「実はここ、七星剣を作ってもらった店でもあるのです。私の所為で布都のお気に入りの剣が駄目になってしまったでしょう?ですから是非ここの一級の品を布都に渡したいと思って」

 

なんと!?ここであの無駄にキラキラとした七星剣が作られたというのか!にしてはいささかボロい気が…。てっきりもっと無駄に外装に気を使う気取った店で作られた物と思っていたが、意外と庶民的な場所で生まれたようだ。

 

「神子様の所為などとんでもありません。我が未熟ゆえの失態であり、そもそもあの女が全ての元凶です。しかも結局襲ってきた理由も分からず仕舞い。思い出しただけでも腹が立ちます」

 

「青娥か。彼女と会った時に少し話しましたが、おそらく彼女は布都を試したかったのでしょう」

 

神子様がそう仰ったのは我もよく覚えておるが、神子様がそこに行き着くまでの経緯はこの一週間考えても分からぬままだった。

我が小さく唸りながら首を傾げると、神子様は微笑ましく笑って優しく頭を撫でてくれた。神子様の手の平の温かさの所為か、妙に頬が熱くなるのが自分でも分かる。

 

「あの時はまだ確証はありませんでしたが、彼女は一度たりとも屠自古の名を口にしなかった。こう言っては屠自古に失礼だが、彼女は屠自古に興味を持っておらず、私とあなたに興味を示していた様に見えます。ほら、私も布都も色々噂になっているでしょう?おそらく聡明と噂されている私には観察力を、勇敢と噂されている布都には武術を試し、私たちが本当に噂通りの少年少女なのか確認した」

 

彼女の事だから私の性別(正体)には気が付いていただろう、と小さく付け加える。

言われるまで気にもしなかったが、思い返せば無視とまではいかぬが、青娥は屠自古の名を一度も呼ばなかった。つまり青娥の狙いは端から我と神子様で、しかも妖怪の襲撃に関してはターゲットは我一人。ならば我が一人の時に襲ってくれた方が本来の力を存分に発揮できるし、神子様に怖い思いをさせずに済んだではないか。いかにも適当そうなあいつの事じゃ。面倒ですから物部様と豊聡耳様の試験を一気にやりしょうですわぁ~とでも思っておったのだろう。

 

「ハァ…。互いに危ない奴に目を付けられてしまいましたな」

 

「フフッ、ですが青娥の力には非常に興味があります…。さて、この話はまた後でしましょうか。今は店の方を待たせていますし」

 

「い、いえ!滅相もございません!このような場でよければいくらでも」

 

相手が天下の皇子と物部氏の娘ともなれば、大の男もこうやって頭を下げる。時にはそれが誇らしく感じ、時にはひどく切なくも感じる。贅沢な暮らしができる豪族に生まれてよかったと思うが、貧富の差はあっても身分の差のない現代日本の記憶があるからか、身分と言うものは未だにどこか慣れない。

 

「ここに来たと言う事は布都も剣を探していたのでしょう?」

 

「ええ。ですが我は剣ではなく、刀を作ってもらいたくここに来ました」

 

 

 

日本刀。日本が生み出した独特な刀で、薄さや形状と言った様々な特徴があるが、一番の特徴は何といっても刃が片方だけの片刃であろうか。和の美を表す形状を持ちながらもその性能は折り紙付きで、折れず、曲がらず、よく切れるの相反する三つを兼ね備えた刀なのだ。折角タイムスリップしたからには我も日本刀を振りたかったが、残念な事に日本刀と呼ばれるものは平安時代末期以降に主流となり、飛鳥時代にはまだ存在しない代物。そんな理由もあり日本刀を手にするのを諦めていたのだが、日本刀への欲求を今一度燃やしてくれたのが布都御魂剣。あれは従来の日本刀とは逆の反りをしており短めの刀だが、基本的な形状は日本刀と変わらないはず。ならば布都御魂剣を元にすれば日本刀を作れるのではないかと思ったのだ。当然布都御魂剣は神が作った剣で、時代も文化も超えて存在している代物。この時代の人の手で作れるかは分からないが、ものは試しである。

とりあえず店主に伝えるよりも先に、実際に布都御魂剣を見た事のある神子様に我が作って欲しい剣について話す。

 

「なるほど、布都御魂剣の形状を使うのか…。これはまた面白そうですね」

 

「ええ。思うに本来あの薄さでは斬るより先に刀が折れてしまいますが、独特な反りと片刃の二つが合わさる事で、通常の剣よりはるかに優れた性能の剣が生まれると思います」

 

「その剣と言うのが、先ほど物部様が仰っていた刀ですか?」

 

「左様。あくまで我がそう呼んでいるだけだが、何事も分別は大事じゃ。形状はこんな感じでこう曲がっておる」

 

我は人差し指でなぞる様に空に思い描いた刀を作る。しかしそれはよく伝わらないのか、主人も奥さんも曖昧な返事をされておった。それに見かねたのか神子様は一枚の紙と筆を借りると、布都御魂剣の反りを逆、つまり一般の日本刀と同じ様に描いていく。お世辞にも質の良いとは呼べぬ筆にも関わらず、描かれていく刀には刀身の形や峰までも細かく写されており、前世から変わらず絵心の無い我は関心の溜息を吐く。チラリと絵を描く神子様の顔を覗き込むと、先ほどまで我に見せてくれていた穏やかな顔ではなく、青娥や妖怪と対面した時の真剣なものであり、その凛々しさに不覚にも心ときめいてしまう。

 

我が頭にある刀の形状をなるべく細かく説明し、神子様が紙に写して視覚で確認できるものへと作り上げていく。この作業を鍛冶屋夫婦はただ静かに見守っており、完成した紙を神子様が手渡すと、まるで命令書を受け取るが如く丁寧に受け取った。

店主は紙に書かれた刀の絵を見て職人としての血が疼いたのか、目力を籠めて一枚の紙をジリジリと睨みつけていた。

 

「どうだろう?もっと細かく書いた方がよければ、もう少し手を加えるが」

 

「いえ、とても分かりやすい絵でございます。……ですが本当にこのような形状で斬れるのでしょうか?」

 

「分からん。仮に形状が布都御魂剣と一寸違わぬとも、そこに行き着くまでの製造方法や素材によってまた変わるだろう。だがもし我の描いている刀を製造できれば、今の剣とは比べ物に性能を誇るはずだ」

 

昔から…と言っても今より何百年も後の事だが、日本刀は海外への有力な貿易品でもあり、日本人は当然の事、外国人の日本刀に対する評価は昔から高かった。我の知る日本刀が再現出来るのなら性能は間違いない。そう、目の前に描かれているものは本来なら何百年後に存在する未知なる武器。それがどれほど価値のある物かは一々説明せずとも分かるだろう。だが、職人なら喉から手が出る程に欲しい紙を持っている夫婦の表情は決して明るいものではなかった。

言わずとも察せる。日本刀の完成図はできているものの、作るまでの過程は未知の領域であり、この時代で作れるかどうかは分からない。更にその完成図を思案したのはまだ十の幼子であり、信用もしにくい。それに加え、日本刀を作成するにあたって質の良い鉄や鋼が必要になるが、この店の雰囲気を見る限り、貧しくは無いが繁盛している店に比べるといささか目劣りする。要は制作費に余裕がないのであろう。

我が二人の心境を読め、天才的な観察力を持つ神子様が読めぬ訳がない。無言で紙を見つめる二人に応え、神子様は懐から両手サイズの膨らんだ袋を取り出して机に置いた。袋が机に置かれると、中から金属がぶつかり合う音とズッシリとした重い音が鳴る。

 

「費用に関しては私が出す。とりあえず頭金として受け取って頂きたい」

 

「み、神子様!?これはあくまで我の買い物で…」

 

「大丈夫。私は資金以外には一切口を挟みませんし、もしこの方が本当に布都の思い描く刀を作り上げても、それは布都とこの方達のものです。あくまで私は布都の代わりに資金を渡すだけであり、投資者は布都です」

 

神子様はいわゆる特許と呼ばれる事への心配をしている様だがそうではない。確かにこの額は天皇家の神子様にとっては勿論、我が物部氏にとっても決して大きい額ではない。しかし民にとっては大金であり、豪族と言えど子供がおいそれと出してよい額ではない。農民ともなればこれで一年は贅沢して暮らせる程だ。

 

「それにさっきも言ったでしょう?布都が剣を失った責任は私にある。なに、役人の無駄遣いに比べると有意義な投資です。それに私は布都に命を救われた、むしろこれくらいはさせて欲しいですね」

 

うっ…神子様の願いとなると我は何も言えん。神子様も分かってその様な言い方をされたのだろう。

 

「分かりました…ではお言葉に甘えさせてもらいます」

 

「ええ、そうして下さい。さて、肝心の投資先のあなた達はどうだろう?なんの成果も上げずにただ投資金を貪るだけになるならそれなりの対価を払う事になるだろうが、成果を上げたら投資金は無論あなた達の物だし、売り上げの一部は発案者であり投資者でもある布都の物になるが、それでも今よりかは繁盛すると思う」

 

決して悪くない話ではあるが未だ主人は首を縦に頷こうとはせず、妻の方も夫の心境が分かるのか沈黙のままだ。もし我が相手の立場なら、是が非でも投資金を受け取って製造に力を入れると思うがそれでは駄目なのだろうか?

 

「あなた達が言いたいのは分かる。未知数の製造方法を生み出すのは並々ならぬ根気と時間が必要となる。ただ開発を続けては、本来のあなた達の仕事が疎かになってしまい、収入は投資金が主なものになるだろう。当然成功すれば投資金はそちらの物になり、売り上げも格段に上がるだろうが、失敗となると投資金は没収となり、進行次第では投資金で貪っていたと判断され路頭に迷う羽目になる。あなた達はそれが怖い」

 

神子様の言葉には一寸の間違いも無い様で店主は静かに頭を下げた。なるほど、確かに投資するこちらとしては、いかに相手が真面目に働いていようとも全く成果が出なければ投資金を無駄に使ったと見るしかない。未知の武器を作る側としては、唯でさえ完成の可能性が低い、言うなれば脆いつり橋を渡る状況なわけだ。そんなつり橋を渡るだけでも大変だが、そこに更に手すりが無くなってしまうのだ。いくらつり橋の先に金の山があろうとも、十分に食っていける収入を持っている彼らからすれば、橋を渡らない選択肢も視野に入る。

 

「だが考えてもみなさい、そもそも何の賭けも無しに大金は入らない。あなたも店を構える者ならそれが分かるはずだ。確かに七星剣を打ったあなたの腕は確かだが、生産性は他店に比べると落ちる。いくら質が良くとも生産量が少なければ、いずれ他の武器倉と徐々に差を付けられ収入が減るだろう。例えあなたの代にそうならずとも、息子や孫の代にはそうなってしまうかもしれない」

 

「そ、それは…」

 

男も思うところがあったのか、反論が思いつかない様子。

 

「ならば今、あなたが布都と契約を結ぶ事が後々起こりうる結末を回避するだけでなく、お子さんや兄弟、そして奥さんに贅沢な暮らしをさせてあげられます。それでもなお断ると言うのなら、私もこれ以上は言わない」

 

流石神子様、こちらからの一方的な提案であるのにも関わらず、完全にペースを掴んでいる。

実際七星剣を打ったこの店主の腕は確かなものであり、あの腕が受け継がれていけば、例え生産性で他店より劣ろうともこの店が無くなる事はまずない。皇子でありながらも、政治に並々ならぬ想いを抱いている神子様は庶民の生活にも結構詳しい。この店がそう易々と潰れる店ではないと分かっておられるはず。

だが神子様は強い口調と、細く幼い体から想像もできぬプレッシャーで相手を追い込み不安を仰ぐと同時に、飴を与える事によって、上手く店主に不安の種を植え付けることに成功した。

これだけでも店主の頭の中にある、安定と賭けの天秤は賭けの方に下がりかけているが、店主が感じているプレッシャーはそれだけではない。あろうことか、その交渉相手が天皇の皇子なのだ。絶対権力者の息子の頼みに二言でイエスと答えぬ店主を見る限り、おそらく神子様は自らの身分をある程度落としておられるのだろう。だがそれでも身なりや雰囲気から、少なくともそこ等の豪族よりかは遥かに偉いというのは、誰の目から見ても明らかであろう。

神子様の話術と地位による二重のプレッシャー。これに首を横に振れる者はそうそういない。神子様もそれが分かった上で話を進めていたのだろう。

我はもはや蚊帳の外にいるので、こうやって冷静に神子様の意図と店主の心境を察することができたが、もし当事者としてこの場に居合わせておれば冷静に状況判断できなかったであろう。

 

「…わ、分かりました。その案、ありがたく受けさせてもらいます」

 

店主は握りしめた拳を震わせながら、我等に深々と頭を下げた。妻の方もそれに続く。店主を震わせるものは怒りか、それとも恐怖からか。少なくとも感動から来ている震えではないのは分かった。

七星剣を打ってくれた恩のある店主をここまで追い詰める必要があるのかと思ったが、こちらからの押し付けとは言えかなりの額を投資するのだ。投資金を持ち逃げされる可能性もあるし、制作の意欲を上げる為にも多少の恐怖も必要か。

 

「そう言ってくれると信じてましたよ。では改めてこちらにお金を送らせてもらいます」

 

ニコリと美しい笑みを浮かべ、頭を下げる店主を見下ろす神子様。それは決して我に向けてくれるような優しいものではない。何というべきだろうか…強いて言うのであれば、身分の力を利用して他者を蔑む者の冷たい笑み、刀を作らなければ唯ではすまないと、覇気の籠った目が怒鳴っている。

これが政治家としての神子様か…。

 

「わ、我からも少し話があるので少々よろしいですか?」

 

店主が可哀想に見えて来たので、空気を壊す様に子供らしいトーンでお茶を濁す。

 

「ええ、もちろんですよ」

 

「んん゛っ!まずは二人とも頭を上げるがよい。あくまで頼んでいるのは我等の方だ、そうかしこまらんでくれ」

 

豪族としての威厳は崩さぬ事を意識しながらも、優しく声をかけて二人の頭を上げさせる。

 

「いくら金を与えるからと言って、人手や設備が必要となる。それに万一すぐに刀を作れたとしても、いくつも作ってみらん事には質の良し悪しも分からん。色々と壁がある故、もし新しい設備の建設や人手の募集に当てが無い時や金が足りなくなれば、手間を掛けるが我を尋ねに来てくれ。ただ投資の増額に関しては、何らかの成果や発展、最悪失敗作でも構わんから持って来なければこちらとしてもやりにくい。それは分かってくれ」

 

「はい…」

 

う~む、やはり不安が強いのか凹んでおるのう…。

 

「あ~、それと我の様な子供の案は不安であろうが、上手くいけば必ず儲かる。それは保証しよう。おぬし等からすれば生意気な豪族の戯れに巻き込まれと思うかもしれんが、頑張ってくれ」

 

我は手を頭に擦りながらなるべく彼の心境を考えて告げると、店主は少し顔を晴らして先ほどよりも力強く頷いた。

 

「はい、分かりました」

 





こいつまた妙なところ伸ばしてんな。
それと神子様がほぼ皆勤賞な件について。

一応理由がありまして、前者に関してはもうそろそろ山場に入ると思うので、子供時代の内に街に出したかったのがあります。何しろ今のいままで舞台が布都家と皇居と山しかない。それと今まで優しい神子様しか書いていなかったので、ここでちょっと悪い神子様を。

後者の神子様の出番の多さですが、布都ちゃん一人で書くのは難しいからです。ならモブを使えばいいのですが、モブって地味に結構厄介なところがあり、そうなると自然と原作キャラの神子様を出すのが楽なんですよ。何より神子様を書きたい(本音)


幻想入りしたらいちふと(友達)書きたく、いちふとの妄想で執筆妨害されております。最近一輪さんにハマってます。次回の投票では是非一輪さんに入れて順位上げてやりたい。


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布都の考え

今回のラストに関して反省も後悔もしない。ですがそれ以前の点にミスがあれば反省も後悔もします。

拙者、何度もガールズラブの度合いは後書きで警告入れて来たでござる。


無事に店主との交渉に成功した我と神子様は、一度店を出て街を見回ることとなった。神子様の謹慎が続いている今、次にいつお会いできるか分からぬので、今日はなるべく一緒に居たかったのだ。神子様も我と同じく、一緒に居たいと言ってくれ我のテンションは非常に高い。だがそのテンションも店を出ると共に視界に入った神子様が乗って来た馬によって下がってしまう。理由としては、この時代での馬での移動=ある一定以上の階級の式が成り立ち、それ即ち非常に目立ってしまう。

一応言っておくが我は恥ずかしがりやではなく、むしろ目立ちたがり屋であろう。だが我の好む目立つとは、例えるなら戦場で一騎当千の活躍をし、また神社で布都御魂剣を返上した時の様な主役として目立つものであって、民を道端に避けさせるような目立ち方は好きではない。だから我は街の往来を歩く時には基本的に傘を被り、なるべく目立たんようにしておる。

話しが逸れてしまったが、要は馬での移動や神子様の容姿は目立つので、街を見回るにはいささか仰々しいのではないかということだ。

しかし店前に馬を置いてけぼりにするのも、馬があるにも関わらず神子様を歩かせるのもいかん。結局我は傘を深く被った状態で、神子様を乗せた馬の手綱を引いて歩き回る事となった。

案の定すれ違う民は皆一様に道を避け、地面に手を付けるとまではいかぬが、深々と頭を下げて我等が通るのを待っている状態だった。

 

「何故布都はその傘を被っているのです?」

 

「このような反応をされるのが余り好きでは無くて。それに今ここで我の正体を明かせば、神子様の正体はすぐ悟られますぞ。元より我等の容姿は目立つのですから」

 

おそらく我等に頭を下げている殆どの民は神子様の正体に気づいておらず、ある程度力のある豪族としか思っていないであろう。だがその正体が皇子と知ればどうなるか分かったものではない。存外今とさほど変わらぬ反応なのかもしれんが、パニックになった後では遅い。

因みに世間で噂となっている我と神子様の容姿についての噂だが、我は美しい銀髪に灰色の目を持つ乙女で、神子様は薄い金髪の少女と見間違える程の美男子。我の髪は銀ないし灰色に近く、また神子様も金よりも茶と呼んだ方が色彩的には合っているのであろうが、いろんな意味で的を射ている噂だ。それに灰色と茶色の二人よりも、銀と金の二人の方が噂映えしやすい。

 

「ふふっ。なるほど、布都らしい理由ですね。私を含め普通の豪族はそんなもの気にしないのに」

 

「流石に店内では先ほどの様に傘を脱ぐので、この中には我の正体に気づいている者もおるかもしれませんが。でも道を歩く度道を避けられるのも面倒ではありませんか?」

 

「う~ん、私も一応皇子の身分は隠して街を出歩いておりますが、そこまで身分を落とそうとは思いませんね。道を退いてくれるならそちらの方が楽ではありませんか」

 

神子様の意見は尤もなもので我はそれ以上言い返さなかった。でも有事の時は兎も角、偶には庶民に混じって往来を歩きたいと思う我はおかしいのだろうか?

 

「ところでこれからどこに向かうのですか?」

 

「少し小腹が好きませんか?ちょっとした外食屋があるので是非そちらに」

 

「が、外食屋?」

 

聞き慣れない言葉に神子様は上を向いて考え込む仕草をする。

そう、現代日本では当たり前の様に飲食店が並んで居るが、この時代には外食と呼ばれる発想が無かった。そもそも外食の文化ができたのは江戸時代の頃。当時の江戸は出稼ぎの為に江戸にやって来た男性が集まっており、料理のできない、あるいは料理をするスペースがない者達の為に飲食店や屋台が広まったのだ。そんなこの飛鳥時代に外食店がある理由は言わずもがな我が原因で、その店も我が家がやっている店だ。

事の発端はこの時代の食事回数にある。多くの者が知っておるだろうが、飛鳥時代の食事回数は朝と夜の二回と一食少ない。別に現代人と比べ少食だから二食しか無いのではなく、我も父上も母上も適当な時間に食い物を摘まむ。それでも基本的に一日二食なのは、多くの民が貧しく一日三食の生活が非常に苦しいからだ。

だがこの時代の民は肉体労働だ。唯でさえ栄養が偏っておるのに、一日二食では明らかにエネルギーが不足している。これが逆に労働の作業効率を悪くしているのではないかと思った我は、父上に相談して試しにとあることを実施した。相談の内容は年一の税を少しだけ増やす代わりに、税収を行った民に格安で昼食を提供する施設を作ること。当然収入どころか赤字になりかねんこの施設に父上は猛反対し、何か月にも渡る長期戦でようやく父上が折れてくれた。

未来の事を伏せつつも上記の事を神子様に伝えると、興味深そうに何度も頷く。

 

「しかし民が昼頃に食事をしなかったのは金が無いからでしょう?ならいくら安くなるとも早々人が集まるとは思えませんが」

 

「ええ、神子様の言う通り、最初は閑古鳥が鳴いておりました。しかしそれも料理に肉や魚と言ったものを追加したらすぐに売れましたよ。勿論追加料金など入れず、格安のままの値段で。数が限られているので先着になるのがいささか不満ではありますが」

 

「なるほど。ですが聞けば聞く程赤字にしかならないと思いますが」

 

「当然ですぞ、何しろ利益を求めてやっているのではございませぬ。警備と同じです。街の治安を守るために大きな街を持つ地主は警備兵を雇いますが利益は無い。ですが人件費と言う赤字がある代わりに、治安がよくなる目に見えない実績が得られます。それと同じであります。食費と言った赤字はありますが、民の健康がよくなる事は立派な利益と呼べましょう。それにこの施設の評判が良くなり、他の地域からここに来る者も居るかもしれません。そうなれば自然と働き手や税収が増える。まあこれに関しては二次的な利益ですがの」

 

こうやってすんなりと説明できるのも、父上や母上に何度も何度もやって来たからだ。いかに民の仕事が大変か、そして民の健康がどれほど大切かを伝えるために、我も実際農民と同じ生活をした時もあったか。

思えばこの件は神子様に話していなかったなと、説明している最中に気が付いた。

 

「…凄い。私も政治について考えて来ましたが、正直私の考えていた事がままごとの様だ…」

 

どうやら神子様からすればその施設は悪くない発想らしく、馬に揺られながら指を顎に当てていた。

しかし神子様、それは違いますぞ。

 

「そんなことはありませぬ。我が考えている政治は国力の増加ですが、神子様の考える政治は民を束ね、有能な政治家を生み出す役人の為の政治。比べるようがありません」

 

政治については今までも神子様と熱く語った事はあるが、神子様の考えている政治は後の歴史に名を残す政策の一片だった。例えば今は(うじ)があれば大抵の者が政治家になれる氏姓制度だが、それを改め力のある役人をより活躍できるようにする冠位十二階や、好き勝手する役人を縛る為の17の約束事、十七条の憲法も既に今の神子様の中にはあり、それだけでも誇れることだ。

それに正直なところ、国力増加に関してはいくら神子様であろうとも未来を知っている我に勝つことは不可能だと思う。結局のところ国力の増加とはいかに国が豊であるということ。例え個人が莫大な金を持って居ろうとも、民が貧しければそれは弱い国だ。あくまで我の個人的意見だがの。

 

「そうかもしれないが…やはりちょっと悔しいな」

 

笑顔を作っているがどこか寂しげな瞳。聡明で大人びている神子様だが、分かりやすい所もあるので察しは付いた。

神子様は百年に一人いるかいないかの天才であるが、決して努力をしていない訳ではない。我が剣や弓の練習をしている最中、神子様は政治についての勉強や実際に役人の相談を受けながらも政治について学んでおられた。神子様にとって政治とは、何よりも時間を掛けてきて学んだものなのだ。だからさほど政治を学んでいない我が、思いもよらない政策をしたのが悔しかったのであろう。

年相応の嫉妬は可愛らしいですが、神子様らしくないですな。

 

「フフッ、なら神子様が役人を、我が民の暮らしを変えていけばいいではありませぬか」

 

「え?」

 

「そうすれば綺麗に役割分担できましょう?互いに欠点を補い政策をする、まさに我等に相応しいやり方であると思います」

 

言ってすぐに出過ぎた事を申してしまったと内心冷や汗をかいたが心配無用だった。いつの間にか足を進めていた馬は止まっており、その上には目を真ん丸にした神子様が跨っていた。どうかしたかと見上げながら首を傾げると、神子様はクスクスと小さく笑みを浮かばせ、手招きして手綱を引いていた我を呼ぶ。神子様の心境がイマイチ分からず、頭の中で無数の疑問符を浮かばせながら神子様の元へ近づく。

 

「少し背伸びしてもらえますか?」

 

言われた通り背伸びをしながら馬に跨る神子様を見上げていると、神子様の手によって被っていた傘が取られ、そしてすぐに額にプニッとした柔らかいものが当たった。

 

「えっ?--~~ッ!?」

 

それがすぐに神子様の唇だと理解した我は、神子様から傘を奪い取るとすぐに被り顔を隠した。

いきなりのキスに顔が沸騰しそうな程に熱くなり、それを神子様に見られるのがたまらなく恥ずかしかった。

 

「今の銀の髪って…」

 

「もしかして、布都様?」

 

「少女にも見える金髪の美男子…」

 

「なら馬に乗られているお方は…」

 

我の髪が露出するのを切っ掛けに、辺りがザワザワと慌ただしくなる。まさか、いや、でも、と神子様に視線が集まっていき、神子様はしまったと苦笑している。数人の疑問が数十人の疑問に広がっていき、やがて疑問は確信へと変わっていく。馬に乗られているお方こそ大王の息子、豊聡耳神子。それがこの場に居た者達が出した結論で、皆一斉に地面に膝をついて土下座した。

 

「やれやれ、バレたら仕方ない。すいませんが布都、外食屋とやらはまた別の機会にしましょう。ほら、おいで」

 

我の元へスッと伸ばされる神子様の白く細い腕。高さ、太陽の位置、見上げる角度、おいでと呼ぶ声色。その何もかもが洗礼された様に完璧で美しく、まるで一枚の絵画を見ているようだった。それは己が手で汚してよいものか恐れる程に芸術的で、でも無意識の内に手が伸びている程に魅力的で。伸ばされた手を弱弱しく握ると我の体は引っ張られ、一瞬で視界が高くなり背中に神子様の温もりと柔らかさを感じた。

神子様は耳元で小さく、これはもういりませんね、と呟いて我が被っていた傘を取る。

 

「では少し、静かなところに行きましょうか」

 

 

 

それから馬を走らせて街から少し離れた川の傍までやって来た。我は道中何も言えなかった。声が出なかったのだ。先ほどの神子様のお姿を見てから、胸がはち切れそうに痛くドキドキが止まらない。神子様の腕の中にいるだけで何物にも変え難い幸福感が全身を過り、チラリと神子様の方を見れば、遠くを眺める瞳に惹かれ、思考が麻痺してしまう。

だからか、馬が足を止めても気づかずに、我の名を呼ぶ神子様の声によって正気に返ったのは。

 

「布都?着きましたよ?」

 

「えっ!あっ…、は、はい…」

 

既に神子様は馬から降りており、皇子を見下ろす形で返事をしてしまった。慌てて馬から降りるが、動揺からか地面を見ておらず着地と同時に石ころに躓いてしまう。普段ならすぐに受け身を取るだろうが、体が思う様に動いてくれない。地面との激突が怖く思わず目を瞑るが、我がぶつかったのは固い地面ではなく、肌触りのよい着物だった。

 

「おっと、危ない。大丈夫ですか?」

 

神子様が抱き止めて助けてくれたのだ。だが我は感謝の言葉が出ずただただ顔が真っ赤になって、もう頭がグシャグシャになって、静かに神子様の胸へ顔を疼くめる。

ああ、もう駄目だ…。正直いつか来ると思っていた瞬間が、先ほどの神子様の姿をきっかけに現実となってしまった。

 

「さっきから急にどうしたのです?公衆の前で口づけしたのが嫌だったのなら謝りますが…」

 

「ち、違いますッ。むしろ逆で、う、嬉しかった、です……」

 

言ってしまった…。恥ずかしさで頭が爆発して死んでしまいそうだ。

顔を疼くめているので神子様の表情は分からないが、口説くのが趣味な神子様の事だ。きっとニヤニヤと笑っているに違いない。そんな神子様の顔を見るのも嫌だったし、顔が真っ赤になっている自分の顔も見せたくなく、ただギュッと神子様を抱きしめてくっついた。

 

「布都」

 

まるで女神のお告げを聞いているような優しい囁き声。

 

「顔を上げなさい」

 

穏やかな言葉と共に頭に温かな手の平がおかれ、静かに撫でられる。

神子様の命に反する事はしたくなかったが、今の我は冷静に物事を考えられなかった。ただ神子様を抱きしめる力をより強め、維持でも顔を見せないとより強く胸に顔を押し付け、顔を上げたくないと意思表示をした。

 

「……やっ」

 

「…困った子だ。ならそのままでいいからしっかり聞いていなさい」

 

着物を擦りながらコクンと小さく頷く。神子様は何を言われるのだろうか見当が付かず、それが期待を生み出し同時に不安をも生み出す。

もし辛くなる話なら聞きたくない。でも幸せになれる話なら聞いてみたい。

前置きから言葉が告げられる僅か数秒の間、頭の中は相反する思考が何重にも絡み合い、まるで二人の自分がいるようだった。いや、本当にたった二つに分かれているのかも判断できない。

文字通り頭がごちゃごちゃになっている事も、神子様にはお見通しだったのか。まるで我を落ち着かせるように背中に手を回すと、子供を宥めるように背中を擦りながら耳元で静かに呟いた。

 

「布都、結婚しよう」

 

「……えっ?」

 

告げられるであろう数多の言葉を予想していたが、奏でられた言葉はそのどれにも当て嵌まらないもので、一瞬にして頭が真っ白になった。茫然と顔を見上げると、告白したにしては随分と澄ました、いつもと変わらぬ神子様の顔がある。

これが夢か現実か判断するのを思考が逃げている。目の前にいる神子様は現実に存在するものなのか。神子様の姿も、信じられない言葉も、心地よい感触も全て偽物では無いかと疑うが、脳が下した判断によると現実は必ずしも理不尽ではないらしい。

神子様は確かに存在する。目には美しい顔立ちが写り、心臓の鼓動が耳に届き、神子様の体を肌が感じている。

 

神子様は抱きしめていた腕を離し互いに顔を見合わせられる程に距離を置くと、再び我の体を寄せてもう一度ギュッと抱きしめてくれた。

 

「布都が落ち着くまで少し話しますね」

 

はい、と返事を出したかったが未だ心の整理ができていないのか声が出なかった。もっと、もっと神子様の言葉が聞きたい。その一心で、必死に何度も頷いて背伸びをしながら神子様を抱き返す。

 

「私は…恋愛感情がどのようなものなのかよく分かりません。恋がどんなものなのか、布都に告白した今でも正直分からない。でも勘違いしないで欲しい。布都が物部氏の娘だから、回りから結婚しろと言われているから告白した訳ではありません。いや、無いと言えば嘘になりますが、それは限りなく無に等しいと断言しよう。恋は分からない。分からないが、布都とはずっと一緒に傍に居たいと心の底から思っている。何よりあなたが他の者に嫁ぐと思うと想像しただけで不愉快だ。だから私は布都に伝えたい。ずっと私の傍に居てください…いや、傍にいるんだ」

 

ああ…こんなに、こんなに幸せを感じたことがかつてあっただろうか、いや、そんなものはどこにも無い。我の人生にも、他の誰の人生にも、ここまでの幸福を感じられた者は後にも先にも、傍にいろと言われた数秒前の自分たった一人。

ほぼ全ての感覚で捉えていた神子様の姿が、告白によりまた夢か現実か分からなくなってしまう。でも、それでよかった。例え夢であろうと現実であろうと、これ以上無い幸せを覚えられるのなら。

大好きな神子様が自分に告白してくれた。必要だと、ずっと傍にいたいと言ってくれた。それがただただ嬉しく、何度も何度も神子様の言葉が頭の中で繰り返される。

 

これ以上無い幸福が目の前にある。それを手にするだけで、首を一回縦に振るだけで幸せになれる。

 

だから我はその幸せを――

 

「…少し、だけ…、待って…下さいますか…?」

 

遠ざけた。

 

泣きたい気持ちを押し殺し、幸せを掴もうと伸ばす手を切り落としながら、悲しみで痛む喉を震わせた。

神子様は怒るどころか、驚いた表情一つ見せずに小さくクスッと笑みを浮かべて、どうして、と呟いた。体が蕩けそうに甘く、いつの間にかこの世で最も好きな音となっていた危険な声。その誘惑に抗いながら、涙を押し殺しながら己が気持ちを伝える。

 

「神子様は大好きです。とっても、とっても、大好きです。ずっと前から好き、でした。我等は女同士ですが神子様とならそんなこと気にもしません。悠久の時を共に過ごしたいと願っています。これでも、妖怪に襲われた時は…神子様に守ってほしかったと、神子様に白馬の王子役を期待したりもしました」

 

「白馬の王子…また布都は面白い例えをしますね。自分で言うとせっかくの布都の好意が離れてしまうかもしれませんが、容姿はそれほど悪くないし、頭も11にしてはいい方です。権力も、土地も、富も持っていますし、他者が私をどう見ているかは分かりませんが、少なくとも布都に対しては優しく接する事ができると自負しています。子供に恵まれる事はありませんが、それでも布都を幸せにしてやれる」

 

分かっております。謙遜されなくとも神子様は百人が百人とも息を吐く程の美しさを持ち、1400年前の者とは思えぬほどに先を読み、頭もきれる。大王の息子で権力もあり、土地も、富も日本の頂点と言ってもよい。神子様の良い噂は後を絶たず、回りから嫌われている事など万に一つもない。何より神子様が我を幸せにしてくれるのは、誰よりも我が分かっている。

客観的に考えても、物部布都個人として考えても神子様との結婚は喉から手が出る程に欲しい。だが…。

 

「ごめんなさい。まさか本当に断られるとは思わず、少し意地悪してしまいました。布都が望むものはなんとなく分かっています。私にはこの国で最も強い名誉がある。でも、権力に関しては…」

 

「はい…。今の権力は物部と蘇我が握っている…。そしてその頂点は我が父と馬子殿」

 

やはり…神子様は天才だ。神子様の才能は様々な方向で発揮されているが、やはりその原点となるのは並々ならぬ頭脳。数百年に一度の才の持ち主が政治の中心地で生まれたからには、後々起こりうる事も予想できるだろう。

今は平穏な宮だが、いずれ物部氏と蘇我氏の命運を賭けた戦が始まる。これは史実や原作の知識からによる決め付けでは無い。確かに結論に辿り着くまでのきっかけは史実や原作の知識によるものだが、自ら調べるにつれ、史実や原作などと言う非論理的なものではない、生きている本物の情報から後に争いが起こると確信した。

今の物部と蘇我は表面上の仲は良好なものだが、互いに裏では爪を砥ぎ、相手の喉元を狙っている状態である。

ここ数年で物部氏と蘇我氏の持つ武器倉の数は倍以上の数に膨れ上がっており、税収を上げてまで米を貯め戦に備えている。数字的なデータだけ見ても戦う準備をしているのは明らかだが、他にも物部氏の人物が蘇我氏の一部を引き込み、その逆も然り。隙あらば政治的地位を落とそうと足を引っ張り合い、また時には相手の土地の金属を奪うなど、表立って公表されている訳ではないが、これらの噂は珍しくない。

この国は確実に戦に近づいている。

 

「本当に蘇我と物部の戦が始まると?」

 

「…はい。そしておそらく、物部が負けましょう…」

 

「…私が気になっているのはそこです。どうして蘇我よりも武力のある物部が負けると?」

 

神子様の言葉に少し戸惑った。先程史実や原作知識を馬鹿にしたが、結局物部が負けるという予想は非論理的と貶したそれ等によるものだ。だが、決め付けるには材料不足としか言えないが、一応それ以外にも根拠はある。

 

「…まず、上に立つ者が蘇我の方が恵まれております。神子様に馬子殿、勿論他の蘇我氏の者の噂も耳に入ります。馬子殿に関してはまだ数回しかお会いした事がありませんが、彼と神子様の策が合わされば物部がいくら考えようとも読める気がしません」

 

「しかし策が全てでは無い。どんなにすぐれた策があろうとも武力に差があればそれを覆すのは難しい。なにより物部氏にはあなたがいる。さっきの策が読めないという言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

 

「我は…神子様と戦いたくありません。いえ、戦いません。それも入れて差があると申したのです」

 

自信過剰と取られる発言だったが、我は少しも謙遜しないし神子様もそれについてこれ以上言及しなかった。それに謙遜だけでなく、実際に我に人を束ねる才や、戦略を練る力があるかと言われると答えようがないのもある。それ等は実際に戦にならなければ表に出る事のない、内に隠されたものだから当然だ。いくら頭がよくとも人を束ねる力が無ければ兵士は付かず、兵を束ねようとも状況に応じた判断ができなければ戦に勝つのは難しいだろう。もっとも、それは神子様にも言える事だが。

抱き合っていた我等はいつの間にか雑草の生えた草の上に肩を並べて座っており、互いに顔を見ず、川に映る赤くなってきた太陽を眺めながら語っていた。

 

「それと、物部が穏健派と過激派に分かれているのも小さくはありません。むしろこれが戦の命運を大きく変えると思います。これはその…ハッキリとした理由がある訳では無いのですが」

 

我の頭に浮かぶのは物部守屋。彼は間違ってものんびりと世を過ごすような人間ではない。異教徒である仏教を根絶やしにしようと第一線に立つ姿が容易に想像できる程に彼の闘志は強かった。彼が存在する限り、物部から火種は無くならない。

 

「つまり布都が考えているのは蘇我と物部の仲が今以上に不安定になって来た時、叔父上と結婚して両者の中を安定させようと。確かに、大王の息子と言えば聞こえはいいが、父上が亡き後、私が継げるかも分からない程に天皇の権力は強くない。仮に私と結婚したところで緊迫状態になった両者が安定するとは到底思えない」

 

大王の力は強い。特に民に対してはその名を出すだけで、抗えない理不尽な力が働くだろう。だがトップの役人から見れば大王は結局のところただの役職に過ぎない…それは少し言い過ぎか。しかしそう言ってもあながち間違いでは無いのが現状だ。

 

「はい。それに加え、仮に神子様が次世代の大王に就けば上手く戦を収めることができるかもしれませぬが、正直なところ神子様には次世代の大王にはなってほしくありません」

 

「ふむ。どうして?」

 

「この緊迫状態の中連続で仏教徒が大王の座に就けば、廃仏派…いや、物部が黙ってはおりません。後先考えない野蛮な輩が神子様の命を狙うかもしれません」

 

これもまた結局は史実を元に考察した結果であるので、我がいかに浅はかな思考をしているかが分かる。史実では用明天皇の次の代は崇峻(すしゅん)天皇が即位するのだが、そこには穴穂部皇子(あなほべのみこ)と呼ばれる、欽明天皇の息子の犠牲があった。史実では穴穂部皇子は、物部守屋(ここでは史実通りの物部尾興の息子、物部守屋と呼ぼう)と手を結び、皇位を望んでいた。そして用明天皇の死後、皇位に就こうとした穴穂部皇子だったが、物部と繋がった者に皇位は就かせないと蘇我馬子によって抹殺された。

また、崇峻天皇もとある失言から蘇我馬子に睨まれてしまい、最後は彼に暗殺されるなど、32代天皇は非常に不安定な状況の世に巻き込まれる。神子様に限って暗殺されるような事は無いだろうが、万に一つの可能性もあるので、32代天皇になって欲しくなかった。

 

「ですが馬子殿との結婚はあくまで我等が幼ければの話です。今から八年も絶てば我等は本格的に政治に参加でき、次第に政治的発言力も高まり、我等の力で戦を未然に防ぐことができるかもしれません。神子様が蘇我を束ね我が物部を束ねれば、いつかそのっ…み、神子様と結婚、できましょう…」

 

自分の口から結婚しようと言うのは気恥ずかしく、終わりの方がたどたどしくなってしまう。虚空へと溶けていく動揺丸出しの言葉。それが神子様にどのような印象を与えたかは、すぐに肩を抱き寄せられた事から察せた。

右肩に回された手により、神子様の胸へ抱き寄せられる。ふんわりとした心地よい香りに全身が包まれ、政治の話をして落ち着いていた心臓が思い出したかのようにバクバクと高まる。

 

「すぐに戦が起これば叔父上と、私達が大人になれば無事結婚できる…か。なら後者になるよう祈らないといけないな」

 

神子様は頬が触れ合う様にそっと我を抱きしめてくれ、大人しくも覇気の籠った声で囁いた。神子様が心の底から我との結婚を望んでくれている、それだけでも我は十分に幸せ者だ。

だが今の神子様の台詞は少し可笑しく、笑いから体が小さく揺れる。

 

「私、面白い事でも言った?」

 

「ええ、仏教も神道も信じていない神子様が誰に祈ると言うのですか?」

 

「…フフッ、なるほど確かに可笑しな話だ。だが都合のいい時だけ心の底から祈る。それも宗教の一つでは無いか?」

 

「ですな」

 

クスクスと笑い合う声が消えると、辺りには今まで気にもしなかった自然の音が流れてくる。川のせせらぎや風に靡く草木、巣に帰る鳥の鳴き声等が、我等の間に落ち着いて自然体になれる不思議な空気を作ってくれる。次第に自然の音が耳から遠のいて行き、代わりに神子様の心臓の鼓動が触れ合っている胸から伝わってくる。きっと神子様にも我の心臓の鼓動が伝わっているだろう。互いに顔を見合わせ抱き合っており、神子様の荒一つ無い美しい肌がクッキリと見える程に近い。

我等が後々どうなるのかは分からない。だが今なら、いや、今こそ自分の一番の望みを伝えるべきだ。

最もシンプルで、愛情を伝えられるもの。

 

「…神子様。キス、してもいいですか?」

 

穴があったら今すぐにでも入りたくなる歯痒い台詞だったが、頑張って言う事ができた。

我は神子様が好きだ、大好きだ。今まで性別やら物部と蘇我を理由にその気持ちを押し殺していたが、もうそれもお終いだ。神子様とキスがしたい。甘く蕩ける様な、絶対に忘れられないキスをしたい。

しかし頭の中が桃色一色に染まっていた我に返って来た言葉は、この甘い空気をぶち壊すには十分なものだった。

 

「鱚?はて、鱚とは動詞として使うようなものでしたか?」

 

抱き合って初めて我はここで神子様から視線を逸らした。正確に言うとガクッと項垂れた所為で逸れたというべきか。どちらにせよ頭にクエスチョンマークを浮かばせる神子様の所為で折角の空気がぶち壊しになってしまった。いや、悪いのは我だ。この時代でキスと言えば当然出てくるのは接吻では無く、魚の鱚である。普段は横文字が出ないようにと意識して話しているが、感情が高ぶった所為で無意識に横文字を使ってしまったらしい。

我はハァ…とワザとらしく溜息を吐くと、改めて神子様の目を真っ直ぐと眺める。

 

「魚の鱚ではありません。外国の言葉でキスとは接吻の事を指すのです」

 

「鱚が接吻…?」

 

「いい響きではありませんか、キスって。接吻よりもずっと感情的で、甘く切ない、愛の籠った言葉に聞こえます」

 

囁きながら我は神子様を押し倒し、神子様の視界を遮る様に馬乗りになった。キスを強請られた彼女からはいつもの余裕の見られず、どこか必死に冷静な表情を作ろうとしているのが分かる。

 

「なんだか性格が変わったように見えますよ?」

 

「今までの神子様への想いは忠誠心、それが恋心に変われば少なからず性格も変わりましょうぞ。神子様、キス、してくれますか?」

 

頬を染めながら少しだけ首を傾げ、不安そうな瞳で神子様を眺める。普段女っぽくない我だが、この瞬間だけは不思議と少々わざとらしくお願いができたと思う。お願いの効力はあったのか、神子様は小さく笑みを浮かべると、右手をそっと我の頭に回した。

 

「…ええ、いいですよ」

 

我は小さくありがとう、と告げると神子様の唇に自分のそれを落とした。これまでも手の甲や額に触れた優しい唇が、自分の唇に触れている。神子様が声を奏でる時に動く唇。触れるだけで顔が真っ赤になり、しばらく心臓の鼓動が収まらなかったそれに自分の唇が触れていると、今でも実感ができない。

でもその感情の高ぶりも短かった。所詮は唇が触れ合うだけの子供のキスで、ませた幼稚園児がお遊びにやる程度のものだ。我等のキスはそんな無意味で下賤なものでは無い。

一度触れ合った唇を離し、神子様の顔の全体が見られる程に離れる。

 

「屠自古とは既にされたのですか?」

 

「布都が初めてですよ」

 

「嬉しいです。…もう少し、キスしてもいいですか?」

 

「ああ」

 

了承を得たのでもう一度唇を落とす。チラリと閉じた瞼を空けると、神子様は先ほどまでの我と同じように幸せそうに頬を緩ませて瞼を閉じていた。だがもっと、もっと神子様を感じていたい。我にも、神子様にも忘れられないキスにしたい。そう思った我の行動は早かった。スルリと舌を伸ばすと、神子様の唇の間に入り込み、閉じられた歯を無理やりこじ開けようとする。

 

「んんッ!?」

 

ディープキスを知らないのか、神子様の驚愕の声がこもって聞こえる。驚いた拍子に閉じられた歯が僅かに開き、その間をすり抜けるように舌を忍び込ませる。だが神子様の舌全単体に絡ませるには長さが足りなかったので、顔を少しずらして神子様の口を自分のそれで塞ぎ、舌との距離を縮めた。唇の先端だけが触れ合うものじゃない。舌と唾液が絡み合う濃厚な深いキス。

 

「んっ…んんっ…はぁっ」

 

「むっ…ふ…とっ…ん…」

 

ザラザラとした神子様の舌を、先で、表面で、裏で舐め回していく。次第に神子様も理解したのか、おそるおそると舌を動かして我の舌に合わせる。舐め、舐められ絡み合う舌。背筋がゾクゾクと震え、もはや屋外と言うのも忘れ一心に神子様の舌に絡ませる。神子様の唾液を吸い取ろうとするとはしたない音が鳴り、また神子様がゴクッと喉を鳴らす度に自分の唾液を飲んでいるのだと思うと背徳感がたまらなく押し寄せてくる。呼吸するのも忘れ、舌と同じように指を絡ませ、ただひたすらにキスを続けた。

 

 

 

だが時は我等を待ってはくれなかった。この二年後、物部と蘇我の戦いの切っ掛けとなる疫病が発生した。

 

 




野外でディープキスする幼女達か……ちょっと用事思い出した。


主人公なのにこんなにも布都の意図を伝えるのが難しいなんて。余りに纏めてストレートに話してもそれはそれで味気ないものになってしまうのでそれは避けたのですが、やはり小説は難しい。


(以下紺珠伝についての作者の感想ですのでネタバレ注意です)


……いやですね、紺珠伝と未プレイのタグが一緒にあったら評価を1にしてやろうかと思いましたよ。勿論本文を読んでから評価を付けさせて頂きますし、何より紺珠伝のキャラ(サグメさん)はかなり好みなので、むしろ9をつけて応援したいと思っております。サグメさん大好き。

でもプレイされた方なら私に共感される方もいらっしゃると思います。

…なんだよクラウンピースの弾幕!難しいのは六ボスどころかエクストラレベルじゃないですかヤダー! 歴史に00/99+を沢山刻んでしまいました。
嫦娥(純孤)の弾幕もイライラ棒みたいでうどんげ以外苦戦しましたし、ラスぺに関しては全員二ボムでごり押しでした。

紺珠伝未プレイの方、是非プレイしてみて下さい。そしてクラウンピースの洗礼を受けろ!
(初めて東方をプレイされる方は地霊殿・星蓮船・紺珠伝を避けることを強くお勧めします)

しかし難易度は高かったですが、いつでも中断できて何度でもミスできるというのは精神的に非常に楽で、決めボムを決めていれば案外クリアできました。(エクストラとレガシーは知らん)
特にクラウンピースは意地でも取得しようと一人で盛り上がり、非常に楽しい作品でした。


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カチコミ

嫦娥よ、見ているか!? 天人は 桃しか食べない(ドヤァ)


今回初めの方に長ったらしい説明ありますが、なるべく飛ばさずに読んでもらった方がいいと思います。力量不足故、情報量が一点に詰め込まれております。

それと今までわざと!や?の後にスペース入れずに書いていましたが、今回から普通にスペース空けます。改めて見るとやっぱりスペースある方が見やすいと気づきました。


神子様とキスをしてから三年の月日が流れた。我や屠自古は13となり、神子様は14となられた。

来るな来るなと願っていたが現実とは非常なもので、ついに恐れていた事態が起こってしまった。この三年で世界は大きく動き、物部氏と蘇我氏の溝は深いものになっていた。

事のきっかけは二年前から流行り出した疫病。どこからともなく現れた疫病は瞬く間に国中に広がり、多くの病死者が現れ、その数は今もなお増え続けている。幸いと言うべきか我は疫病に犯されはしなかったが、召使の数人が病気となり中には亡くなった者もおると、決して他人事では無かった。

医学技術が発達していない今でこそ、この国は一丸となって病と戦わなければならない。そんな状況下にありながら、物部氏の過激派の一部が、疫病が流行ったのは異国の神を信仰した蘇我の仕業だと言いだした所為で、国は二つに大きく分断されていた。何とか両者の仲をよくできないかと考えている間もなく、両者の仲は本来の姿へと戻っていた。

しかも唯の難癖合いならまだよかった。それならまだ平和的なものだし、難癖合いくらいは現代の政治にもある。しかし力が支配するこの時代ではそれだけで止まらない。

廃仏派は守屋殿を筆頭に、いくつもの寺に火を放ち焼き討ちをし、また仏像を海に投げ捨てたりしており、それに続いて各地の分家の者達も過激的な行為をしている。本来なら蘇我氏が黙っておく訳も無く、目には目を歯には歯をと、蘇我氏も対抗してくるだろうが、今の蘇我は廃仏行為に対して何もできない状態だ。あろうことか仏教徒の用明天皇が自ら廃仏令を出したからだ。仏教を愛して止まない用明天皇が仏教を裏切った訳は、彼もまた疫病に掛かってしまったからだろう。疫病に掛かってしまった用明天皇は己が死を恐れていた。そんな中、物部の誰かが何らかの方法で説得したのだろう。この国から仏教を捨てる事で疫病が治ると信じ込ませたらしく、廃仏行為が天命であるとのお触れを出した。

大王の後ろ盾が出来た廃仏派はそれをいいことにやりたい放題。廃仏派の攻撃はエスカレートしていき、最近では三人の尼の衣を剥ぎ取って全裸にし、公衆の目前で鞭打ちする事件まで起こったらしい。その事件の首謀者もまた守屋殿だった。

しかもこれで廃仏派の立場が危うくなるのなら対処のしようもあるが、実際はその逆。気付けば物部のほとんどが、疫病の原因は蘇我氏と決め付け、守屋殿に賛同する声が多く聞こえた。その中にはあろうことか、父上と母上も入っており、蘇我との戦に前向きな姿勢を見せていた。父上と母上は心優しいお方だが、それでも物部氏のトップである事を除けばごく普通の飛鳥時代の人。蘇我氏が仏教を広めた所為で疫病が広るという、理屈も証拠もなんら無い噂を信用してしまったのだ。

 

勿論何度も蘇我氏が原因ではないとお二人を説得したのだが、全く聞く耳を持ってくれんかった。そして今日も父上は首を横に振るだけで話を聞いてくれん。

 

「もうよい。布都よ、お前の話は聞き飽きた」

 

「しかし蘇我が疫病の原因となる証拠はどこにもないのですぞ!」

 

「なら逆に問う。蘇我が無実だという証拠はどこにあるのだ」

 

父上の返答に対し我は押し黙る。今の父上の質問は悪魔の証明と呼ばれるもので、必ず矛盾が発生してしまう。

悪魔が存在するかという質問にYESと答えれば、当然悪魔がいる証拠を出せと言われる。勿論そんな証拠がある訳がなく、普通はYESと答えた者が嘘つき扱いされるだけだが、逆に悪魔が存在しない証拠を出せと言われれば、それもまたある訳がない。結果悪魔が存在するか否かの議論は平行線を辿るだけ。悪魔の証明が起こりゆる場合、本来なら先に言いだした側、つまり疫病は蘇我が原因と言い出した過激派が先に証拠を出すのが暗黙の了解なのだが、飛鳥時代の人物相手にそんなルールは通じない。

かれこれもう数ヶ月間は同じ言葉で父上を説得しているので、いつかはこう返されるだろうと思っていたが、やはりいざ返されるとどうしようもないな…。

 

「あーもー! どうして父上はそう周りに影響されやすいのですか! 守屋殿がやっている行為は明らかに行き過ぎです! このままでは民の信頼が底に尽く事が分からぬのですか!」

 

そう、廃仏派がやっていることは明らかにやり過ぎなのだ。大王の名を使った一方的な暴力。それは権力的弱者である民達からすれば見ていて気持ちよいものではない。いつかは仏教徒と同じように自分達もああなってしまうのではないかと、物部への恐怖が生まれてしまい、それはやがて反乱に繋がってしまう可能性もある。

 

「父に向ってその口の利き方はなんだッ! 民の信頼がどうなろうと、蘇我が滅びれば関係ないだろう!」

 

「蘇我がこのまま黙って見ているとでも思っているのですか!? 父上が逆の立場ならどうです!? 背水の陣となった彼らは全勢力を上げ反撃してきます。蘇我よりも物部の方が強いと思うならそれは甘いです! 民の信用がなくなれば、いくらこちらに天命があろうとも民達も蘇我に付き反乱を起こすかもしれません」

 

蘇我には馬子殿、そしてなにより神子様がおられる。特に神子様の話術があれば逆境になった事を逆手に取り、申した通りの方法で瞬く間に兵を集めてくるかもしれない。そうでなくとも、このまま蘇我が黙って寺を燃やされるのを見ているだけとは思えぬ。

しかしこれだけ我が言おうとも父上の表情はただ険しくなるばかり。父上はバンと床を叩き、我を睨みつけた。

 

「馬鹿馬鹿しい。もうよい! 布都、お前はしばらく部屋から出るな! 頭を冷やしていろ!」

 

なっ!? そ、そこまで言うかこの石頭。我は物部の将来を案じておるのにも関わらず…。

元々感情的になっていたのもあり、父上の怒鳴り声からすぐ怒りの沸点に達した。我もまたバンと父上以上の力で床を殴りつけると、スッと立ち上がると父上を見下ろしながら言った。

 

「お・こ・と・わ・り・し・ま・す!」

 

厭味ったらしく一文字一文字丁寧に言うと、バシンと勢いよく扉を開く。扉の外から聞き耳を立てていたのか、勢いよく扉が開かれた所為でバランスを崩した数人の侍女が倒れていた。我は侍女たちの中にいる、いつも世話になっている侍女の見つめると刺々しく告げた。

 

「今すぐ剣と札を持ってこい、少し出かける」

 

「どこに行くと言うのだ!?」

 

侍女は頷くとすぐに我の部屋へと走っていき、同時に父上の怒鳴り声が部屋に響いた。父上の低い怒鳴り声は盗み聞きしていた侍女達の肩を震わせたが、外食屋を提案した時に散々父上の怒鳴り声を聞いて慣れていたからか、我は動揺一つ見せずに父上に振り向いた。

 

嶋宮(しまのみや)です!」

 

「なっ!? 馬鹿者が! お前たち、布都を止めんか!」

 

父上は庭に立っていた警備の者二人へと怒鳴りつけると、警備の男二人は情けなく声を震わせながら返事をした。警備兵の中で最も仲のよい、剣と弓の鍛錬に付き合ってくれている二人だ。二人はすぐに持っていた槍を逆手に持って、持ち手の部分を我へと向ける。刃の部分が自分に向いてしまい槍を自由に動かせないが、我に刃を向ける訳にもいかんだろう。

 

「何をしておる!? 男二人あれば武器はいらぬだろうが!」

 

「…そう言えば父上、最近忙しく我の鍛錬は見ておりませんでしたか」

 

我は曇らせていた表情を解いてニッと笑みを浮かべると、父上から警備の男二人へ体を反転させる。警備の男二人もこうなる事は想像できていたのか、苦笑交じりの顔には冷や汗が流れている。

 

「なら丁度いい。二人共、いつものように付き合ってもらうぞ!」

 

掛け声と共に廊下を蹴って、文字通り二人の元へと跳んだ。我と彼らの間には五メートル近い距離があったが、それは一瞬にして縮まろうとする。しかし我の跳躍力を知っていた警備の男二人は驚いてはいない。むしろ待っていたと言わんばかりに、飛んでいる我の進行方向に棒を構える。空中なら上手く身動きが取れないのを利用したようだ。だが我とてただカッコつけて跳んだのではない。重心を前に移動させ車輪の様に回転させると、速度と回転力が込められた蹴り、通称踵落としを進行方向にある棒へと放つ。

槍の持ち手だった物はバキッと大きな音を立てたのを機に、折れ曲がった木の棒へと変わる。着地の邪魔していた木の棒が無くなった事により無事着地で来た我は、相手に体制を立て直す隙を与えずに次の行動に移る。体制を低くして槍を折った男の懐に入り込むと、両方の手の平を男の腹へと打つ。傍から見れば少女に軽く押されただけの様に見えるだろうが、男は一メートル程後方に飛んで地面に倒れた。相撲で言う張り手や突っ張りの様なものだ。

 

「隙あり!」

 

もう一人の男の掛け声と共に我へと伸びる棒。だがそちらの注意を怠っていた訳では無く、伸びて来た棒を手の平で軽くいなすと、先ほどと同じように懐に潜り込む。しかし相手は私の師匠とも言える、武器倉の末っ子の警備の男であり、バックステップをすることで距離を取る。本来なら持ち武器に合わせた距離を取るのは好手だが、相手が悪い。男がバックステップを取るのとほぼ同時に我も続いて男へと跳ぶ。男はしまったと表情を顰めるがもう遅い。男が着地すると同時に、先ほど同様手の平をぶつけて一メートル後方へ飛ばす。

約10秒で警備の男二人を地面に横にさせた我は、男の手からこぼれた槍を拾うと地面に突き刺し、部屋の中からこちらを見ている父上に向かって言った。

 

「我はいつか起こりうる戦に備え、鍛錬をしてきました。しかしそれは蘇我を滅ぼす為ではなく、物部が生き残るため。今一度お考え直し下さい父上。蘇我と共存する道もあるのです」

 

「……」

 

父上は我の瞳を真っ直ぐと見つめるだけで一切の言葉を告げなかった。それが何を思っての事なのか、我には分からないが、これ以上父上と顔を合わせていても互いに冷静になれないのは分かっていた。丁度よいタイミングで侍女が我の剣と札を持って来てくれたのでそれを受け取ると、愛馬に跨り十市を後にした。

 

 

 

父上に申した我の目的地、嶋宮は高市群と呼ばれる群にあるとある豪族の館なのだが、まずは十市群と高市群の位置関係について説明しようか。この二つは隣同士隣接した群であり、地図で見れば高市群が左で十市群が右のご近所さんだ。そして嶋宮に住むとある豪族こそ馬子殿であり、我が会うべき人だった。

しかし隣接すると言っても馬で走って一時間半、休みをいれたら二時間弱は掛かるだろうか。地図上では隣と言えど、実際に移動するとなるとそれなりの距離だ。

高市群に入って真っ先に目に入ったのは、燃やされた木材の集まりを覇気の無い瞳で片付ける民の姿。当事者に聞かずとも、燃やされた木材がなんであったかは検討がつく。寺だ。廃仏派によって燃やされた寺の残骸を彼らは必死になって集め、元通りにしようと働いているのだ。

 

「…野蛮人めが」

 

チッと舌打ちをし、頭に浮かんだ大男、物部守屋に悪態をつく。同じ物部氏とは思えぬ悪逆非道にふつふつと確かな怒りを感じる。我の思想が仏教に偏っている訳では無い。だが物部と蘇我の争いには何ら関係の無い民達を、宗教の違いと言う点だけで、彼らの心の拠り所になっていた寺を燃やしたのが許せなかった。

それから更に馬を走らせたが、似たような惨状の寺が二つほど見つかった。大きい寺は身を挺して守ったのか傷一つないが、小さい寺は標的とされやすいのか上記の通りの有様だ。

これに加え、疫病に苦しんでいる病人が道端に倒れている姿をチラホラと見る。これは十市群にも言える事だが、我が群は率先して病人を隔離する施設を作った為にこの様に道端に倒れている者は滅多にいない。発症者はゆっくりとした寝床を確保でき、非発症者は空気感染を防げる、双方得する案であった為すぐ父上に採用されたのだ。

予め持って来ていた布を結び簡易的なマスクにしつつ十市群の街を進み、我はこの辺り一帯で最も広い家の前に着いた。今まで一度も来たことが無いが、門の前には我が家と同じように二人の門番がおるしここで間違いないだろう。我は門の前で馬から降りると、被っていた傘を脱ぐ。二人の反応は予想通りのものだった。

 

「なっ!? その銀髪、物部布都だな!」

 

「お前を通すわけにはいかん。ここから立ち去るがいい!」

 

門番二人は我の要件を聞くより先に、杖代わりに使っていた槍を本来の持ち方に変え、矛先を我へと向ける。

今物部と蘇我は最悪な状態である。門番という低い身分の独断で、豪族である我を追い払えるのもそれがあるからだ。

だが元よりこうなることくらいは分かっていた。我はスッと腰を落として拳を作ると、門番の男二人を見上げながら言った。

 

「門番は引っ込んでいろ。馬子殿に話がある」

 

 

 

 

ハァ…。自分の短い緑の髪をクルクルと弄りながら、私こと蘇我屠自古は深い溜息を吐いた。これから私達蘇我氏はどうなるんだろうか? 最近そんな事をよく思う。疫病が萬栄するだけでも一大事だというのに、あろうことか物部の馬鹿共が疫病は仏教が原因だとか意味不明な事を言い出し、最近では寺を燃やしたり仏像を捨てたりと好き勝手やっていた。疫病が流行り出した一年前から神子様と会う機会は一気に減り、布都に関しては会うどころか手紙のやり取りもできなくなった。神子様とお会いできるのも、最近では父上との会合ついで程度で、家に来てもほとんど父上とこれからについて話し合っている。その父上も最近では余裕が無いのか、滅多に笑顔を見せなくなり、遂には病気に掛かってしまった。

 

「だぁ~も~、物部の糞野郎共が! ハァ…今頃どうしてるんだろ?」

 

私の頭には最愛のお方の笑顔が映し出される。神子様の事だからきっと今の情勢を打破する策を練っておられるのだろうが、父上含め役人共はどいつもこいつも頭が固いからそこが心配だ。

いかんいかん。最近少しボーとするとすぐに神子様の事を考えてしまう。いや、前からもそうじゃないかと言われれば否定できないが、前以上に悪化している。

そして神子様のついでにもう一人、布都の事も頭に浮かぶ。認め無くないがあいつは神子様並に頭がいい奴だし、争いを好むような奴じゃないから、物部のやり口にも反対するはず。ここ最近あいつの噂は耳に入って来ないところを見ると、きっとあいつは物部の総意とは反対、つまり廃仏行為に対して反論していると私は思うが……。

 

「って、何にせよ私が考えたところでなぁ…。私は二人みたいに賢くもないし」

 

行き着く先は才能を理由にした自己嫌悪。私の悪い癖だ。自分でも分かっているが、神子様と布都は正真正銘の誰もが認める天才なのだ。そんな二人が間近にいるのだから少しくらいの自己嫌悪は許して欲しい。

誰に対してかも分からず溜息を吐きながら許しを乞うていると、突然部屋の外がワーワーと騒がしくなり私は現実へと引き戻された。折角物思いに耽っていると言うのに台無しだ。大方警備の男達が喧嘩でもして盛り上がっているに違いないと決め付けた私は、喧嘩をしているであろう男達を叱る為に重い腰を上げた。

だが扉を開くと共に、只事では無いと理解した。家中の警備兵達が武器を手に、険しい表情で表の門の方へと走っていく姿が視界に横切ったのだ。

 

「なんだなんだ!?」

 

私も彼らに続き、回り廊下を使って門が見えるところまで走る。門へと近づくにつれ警備の男達の悲鳴が聞こえ、まさか物部の奴等が攻めて来たのかと最悪の事態が頭を過る。

現場に到着し騒ぎの原因を見た瞬間に、あぁ…と息を吐いて納得した。確かに私の思った最悪の事態は当たっていた。が、攻めて来た相手は他の誰でもない、物部布都そいつだった。何を思ってかは知らないが、槍を持った警備兵等に囲まれているのを見ると、家に殴り込みに来たようだ。

殴り込みに来た張本人こと布都は、四方八方から槍先を向けられているのにも関わらず、まるで動揺していない。全く動じない布都に警戒してか、皆動かない無音の時間があったが、ヒュ~と風が靡く音と共に警備兵の男達が動き出した。同時に突けば避けようがないと思ったのか、一人の男の合図と共に一斉に布都へと突きを放つ。だが布都は驚く程冷静に体を屈めそれを避け、即座に前方にいる男の足を薙ぎ払って転ばせる。更に布都の攻撃は続き、転ばせた男の右隣りにいる男の溝へ拳を打ち込み、反対側の男の同じ場所へ蹴りをかます。布都が槍を回避して男三人を地面に転がすまでの時間はものの数秒だった。

 

「くっ!」

 

「焦るな、相手は子供一人だ! 槍の長さを利用して一気に倒すぞ!」

 

恐らく警備兵達の纏め役であろう男が後ろにいる四人の男達を鼓舞する。私は戦いについて詳しい訳では無いが、布都相手にそれは悪手だと思う。何度か布都の戦いを見て、布都の強さについて分かった事がある。それは勿論、剣の腕や神道を巧みに使いこなすなどもそうだが、一番の強さは俊敏な速さを利用した独特な立ち回り。

一斉に布都へと襲い掛かる五人の男達。それに合わせ布都も男達へ動く。まず布都から見て一番手前にいた男の槍を左手で軽く受け流して男の懐に入り込むと、顎へ目掛けて平手を打ち込む。すると男は不思議なくらい上へと飛び、バタンと地面に叩きつけられる。

 

「なっ!?くっ、なんてや――グアッ!?」

 

警備兵の視線が気絶した男に行っている間にも布都の攻撃は止まらない。気付けば布都の蹴りがもう一人の男の顔面を捉えており、更に着地と同時に別の男に突進して溝に肘を打ち込む。ゴフッと現実的な呻き声を上げ二人の男が地面に倒れる。

残り二人の警備兵も同じようなものだった。一人はまた懐に入られそのまま張り手を入れられる。もう一人は布都の戦い方を察したのか、懐に入らせまいと上手く間合いをとっていたのだが勝機を急いでしまい、彼が突き出した槍は布都の頭上を素通りし、屈められた足からの蹴り上げを腹へと受けてしまい気絶。

先程まで賑やかだった景色は、倒れた男達の中を一人の少女だけが立っているという死屍累々とした景色に変わっていた。私の他にも騒ぎを聞きつけた召使達が集まっていたが、その光景に何も言えない状態だった。

 

「やれやれ、大人しくしておれば痛い目を見ずに済んだものの。おっ? そこにおるのは屠自古ではないか!」

 

先程までの一騎当千の文字を背負っていた雰囲気はどこにいったのか、私の名を呼ぶ声はいつものアホっぽい布都だった。

 

「いや~よかったよかった。せっかく我がお淑やかに入ろうとしたのにこいつ等としたら礼儀がなっておらんのう。突然我に斬りかかってきよった。まあ武器を使うまでも無い雑魚じゃったが」

 

ここ最近物騒な事件が起きているから警備を厳重にしたと言うのに、こいつときたら雑魚の一言で片づけやがった。つくづく滅茶苦茶な奴だ。もしこいつみたいな奴が物部に五万といるのなら蘇我に勝ち目はないが、幸か不幸か布都程の実力者は物部にも蘇我にもそうそういない。父上から聞いた話によると、ここまで強い奴のほとんどが変人で一つの場所に留まる事を嫌い、世界各地を歩いて妖怪退治を生業としているらしい。

まあ今はそんな事はどうでもいい。私が真っ先にやるべきことは、ニコニコとアホ丸出しの笑みを浮かべる布都の頭を思いっきり叩く事だった。

 

「うにゃっ!? なっ、なにをする屠自古!?」

 

パーンと高い音を立てる馬鹿の頭。周りの召使達はビクッと肩を震わせるが私は一歩も引かず、一年前からほとんど成長していない布都を見下ろしながら怒鳴る。

 

「何がよかっただ! 家の警備兵に何て事してくれる! 家に入りたければ私の部屋に忍び込んで来るとか方法があるだろう!」

 

「じゃ、じゃがおぬしの部屋は知らんし、堂々と正面から入るのが礼儀と言うものであろう…」

 

「敷地内で乱闘しておいて礼儀も糞もあるか! ハァ…ったく。それで、どうして物部のお前が家に来たんだ?」

 

涙目になりながら頭を押さえる布都を軽く睨みつけながら問う。初めは不満そうに唇を尖らせていた布都だったが、口を開くと同時に真剣な表情に変わる。

 

「実は馬子殿にお話があるのだが――」

 

「私ならここに居ますよ」

 

クルリと体を反転させて後ろを見ると、曲がり角から父上と母上が現れた。母上は病気で弱った父上の体を支えており、父上はゴホッゴホッと咳をしながらゆっくり歩いてくる。布都の姿を見た二人の反応は正反対で、父上は病気で辛そうなものの優しい笑みを浮かべており、母上は警戒しているのか布都を睨みつけている。元は物部氏の母上だが、仏教の教えを聞いてからはすっかり仏道に熱心になっており、今では自分の旧姓である物部を敵とみなすほどだ。

そんな母上に睨まれている奴の方をチラリと見ると、既に剣を自分から遠ざけたところに置いて頭を下げており、父上に敵対心は無いと態度で表していた。

 

「物部氏のあなたが、何故私に会いに来たのですか?」

 

普段の父上なら軽い世間話から会話を始めるが、体がきついからか随分真っ直ぐな言い方だった。布都も父上の容体を察したのか前置き等をすっ飛ばして、とんでもない発言を繰り出した。

 

「単刀直入に申します。蘇我馬子殿。物部氏と蘇我氏の仲を良好なものへと戻す為、我と結婚してもらえませぬか?」

 

 

 




悪魔の証明の説明が難しい…。少し間違ってる気がしますが、概要は合ってるかと。

なんか布都ちゃん無双だ(他人事)
まあ10歳から妖怪バンバン倒してたからこんなものでしょう。もはや戦い方がひじりんとなんら変わらない件。ひじみこ(というかみこびゃく)書きてぇ…。

今まで結構のんびり進んできましたが、今回から良くも悪くもストーリーが一気に進みます。



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政略結婚

サグメ「紅魔館は爆発する!」

どんな運命の中でサグメさんがそう言っても爆発しそう(紅魔感)




馬子殿の元へ行った翌日、場は我が家の大広間。氏を持つ豪族の家だが、文明の低さから決して快適とは言えないこの空間はピリピリとした空気で包まれていた。

当然だ。ここでは今まさに、日の本の二大勢力、物部氏と蘇我氏の命運を分ける話し合いが始まろうとしているのだ。

殺伐とした空気を生み出している張本人である父上は、我と隣に座っている馬子殿をそれぞれ見つめた。父上の手元には昨日書いた、物部と蘇我の両者繁栄の為に馬子殿と結婚するとの主旨を書いた手紙が握られている。

 

「まさかこう来るとは…。つくづくお前には手を焼かされる」

 

「蘇我の長、馬子殿と結婚すれば例え父上でも無視できぬと思い、勝手ながら一人で話を付けました」

 

どこか寂しい瞳をしている父上に、我は事務的に冷たく返した。神子様との結婚を諦め、馬子殿と結婚する事になった原因を作ったのは、穏健派の父上の動向が怪しくなったからであり、父上に対する我の感情は決して穏やかなものではなかった。しかし例えこうなった原因の一部に父上の存在があったとしても、馬子殿と結婚すると決めたのは他ならぬ自分だ。父上に怒るのは内心の自由だが、父上はむしろ神子様との結婚を望んでくれていた事を忘れてはいけない。

父上は疲れきった溜息を吐くと、弱弱しく宿敵である馬子殿へ問う。

 

「馬子よ、お前も何故布都と結婚しようと思った。この時期に布都と結婚すればそっちも唯ではすまんだろう」

 

それは我も思った疑問だった。このタイミングでの我との結婚はつまり、悪くなった物部と蘇我の仲を戻しましょうという、政治に疎い民から見ても儀式的なものだ。

当然馬子殿から見れば、我との結婚には大きなメリットはある。何しろいくら天命とはいえ、両者の仲を元通りにする為には廃仏行為を辞めないといけない。我との結婚で廃仏行為が収まるのなら、それだけでも大きなメリットになる。だが、この時代の多くの人間は良くも悪くも感情的で、損得勘定で動かない者が多い。どんなに美味しい条件を提示されようとも、相手が憎き敵であれば結婚を拒む者はいるだろう。今の馬子殿はまさにその立場にある。それにこの結婚は、このままでは蘇我が危ないので助けて下さい、と世間から見られる。プライドを捨ててまで結婚を受諾した馬子殿に何か裏がある。

おそらくここまでが父上の疑問だろうが、我の疑問は違う。確かに傍から見れば天命を得た今、物部の方が圧倒的に有利と言えよう。だが廃仏行為を重ねる内に、物部は民からの信頼を失っている。この時代の民達がフランス革命の様な一揆を起こせるかと言われると微妙なところだが、何にせよ目に見えないところで物部が失っている物があるのは確かだ。馬子殿ならそこを上手く利用してくるかと警戒していたが、考え過ぎか?

 

「私もかなり悩んださ。だが疫病が萬栄しているこの時に我等が争っている場合では無いと、布都さんに言われてね。それに我等は元々物部とは争う気はない」

 

何だろう。台詞だけ聞くと心に響くものなのだが、この信用したくない胡散臭い感じは。青娥ほど露骨な胡散臭さではないが、心の底から信用できるとはお世辞にも言い難い。なるほど、父上が馬子殿を嫌っている理由が少し分かった気がする。物部と蘇我以前に、日本男児の模範と言える頑固で熱血な父上とは相性が悪そうだ。

 

「尾興よ。お前こそ私と愛娘の結婚が嫌ならば、無理にでも止めればいいだろうに」

 

すると父上は気まずそうに隣に座っている母上の方をチラリと向いた。どうやら我が家を出た後に母上と一悶着あったのか、父上はまるで蛇に睨まれた蛙の如くすぐさま視線を我等の方へ戻して来た。その額には冷や汗が流れている様に見える。

母上にどんな心境の変化があったのかは分からないが、我の応援をしてくれているのか? 後で聞こうと思っていたが、父上の言葉で納得した。

 

「…布都の気持ちが神子様にあるのは当の昔から分かっておった。儂も阿佐も布都が想い人と結婚できるようにと陰ながら支えてきた時もあったか。だがいつの間にか儂等は布都の事を考えずに熱くなってしまい、布都に政略結婚をさせてしまった。想い人との結婚を捨てた布都の決断は並々ならぬものだっただろう。せめてその決断だけでも尊重してやりたいのだ」

 

最初の一言が少々気になったが、我の決断で父上が考え直してくれたのならよかった。

父上の気持ちは、同じ娘を持つ馬子殿には十分に伝わったのか、馬子殿はそれ以上追及せずに小さく頷くと、一度咳払いを入れて話した。

 

「そうか…。話を纏めようと思うが、尾興よ。布都さんとの結婚を機に、蘇我と物部の蟠りを無くす。これで構わんのだな?」

 

馬子殿の確認に、父上は首を縦に振らなかった。代わりに馬子殿の隣にいる我へと視線を移し、数秒ほど口を開かず、力強い瞳を動かさずにいた。

 

「…布都よ、今一度聞く。お前は蘇我と戦わん事が物部の為と思うのだな?」

 

問いかける父上の言葉には、並々ならぬ重みが感じられた。当たり前だ。この質問をどう答えるかで、物部氏全体の命運が掛かっていると言っても過言ではない。父上の雰囲気も怒った時とは違う、らしからぬ至極落ち着いたものであり、それが父上の真剣さを表していた。父上の雰囲気に押された我はゴクッと唾を飲み込み、僅かに体を震わせながらも、表情を崩さずに静かに頷いた。

 

「分かった…。ならお前の言葉を信じよう。十年近い間、この時に備え鍛練を積んできたお前だからこそ分かることがあるのだろう」

 

「…父上。その、こうなる原因を作った我が申すのも変ですが、本当に宜しいのですか? まだ十三の小娘の我が儘で一族の方針を変えて」

 

父上は穏健派ではあったが、蘇我に対して友好的と言われたら決してそうではない。父上もまた、一部の過激派と同じようにいつかは蘇我を、仏教を滅ぼそうと企てていた。しかし戦をするにはまだ早いと考え、今は力を蓄えるべきだと好機を狙っていたのだ。

力を蓄え続け数十年。天命を得た今こそ、誰が見ても千載一遇のチャンスだ。その数十年待ってようやく来た好機を、筋の通っていない我の言葉で逃してよいものか、我自身が不安になってくる。

 

「正直なところ、未だ布都の考えは理解できぬ。仮に民衆の意識が蘇我にあろうと、蘇我を滅ぼせば問題はない。大王の命がある今こそが好機だと見ている」

 

「まったく。私の前でよくそんな事が言えるな」

 

父上の本心が聞けるいいところで馬子殿が口を挟んできたので、彼に軽く肘打ちして黙らせる。馬子殿は神子様の様にゆとりある性格では無いが、今回は自分に非があったと自覚があったのか、大人しく黙ってくれた。

父上も空気を読んでか、野次を無視して続ける。

 

「だが疫病で苦しんでいる民の事を考えず、蘇我を攻めることだけ考えていたのは確かだ。疫病が広まっている今こそ、物部と蘇我は手を取り合わんといかん」

 

「父上…」

 

仏教嫌いの父上が、民の為にここまで考えを変えてくれるとは…。我はなんと恵まれた父の元に産まれてきたのだろう。

目頭が熱くなるのを感じるが、ここで泣いてしまっては固い空気が崩れてしまう。

 

「同感だ。私も民の為に何かやらぬと考えていたところ。物部には色々とやられたがそれは水に流そう」

 

父上も馬子殿も、物部と蘇我の共存を認めてくれた。これでいいのだ。これこそが物部が生き残る道なのだから。

だがなんだ。いやにすんなり決まらなかったか? 父上は嘘が上手い方では無い。先程の、我と民を想うが故に考えを直してくれた言葉は本心からだろう。だがこの蘇我馬子。仮にも寺を燃やし、大仏を捨てた物部を受け入れたが、人とはそう簡単に客観的になれるものだろうか。

未だ信用できぬ馬子殿をチラリと眺めていると、警戒対象は突然ゴホゴホと咳をした。会談ですっかり忘れていたが、彼は体調が優れぬ中、今日わざわざここまで来てくれたのだ。

 

「ゴホッ…! すいません布都さん。ここ等で失礼してもよろしいですか?」

 

「はい。こちらこそ申し訳ありませぬ。体調だけでなく、身の危険さえある中来てくださり感謝しております」

 

蘇我のトップである馬子殿が来るには物部の拠点である我が家は危険な場所だが、結婚するなら両親に会いに来るのが礼儀だと、こうして来てくれたのだ。実際のところ礼儀は建前で、本音は父上との今後についての話し合いだろうが、一々そこにはツッコまない。それに普通より倍近い護衛を連れてきておるし、そこに関しての気遣いは不要だったか。

 

「馬子よ。儂は今から各地の一族に文を出す。お前もなるべく早く書け」

 

「分かっている。では失礼する」

 

馬子は部屋に居た護衛を引き連れ、去っていった。馬子殿達が出た後も真剣な表情と堅苦しい体制を維持していたが、彼等の足音が聞こえなくなると同時にホッと一息吐き、姿勢を崩した。

ここでようやく、母上が初めて口を開いた。

 

「布都、本当によろしいのですか? あなたは豊聡耳様のことを…」

 

母上はまるで最愛の人を失ったかのように、酷く疲れきった顔をしていた。よく見れば目が腫れている。きっと自分達のせいで我が幸せを逃したのだと、気にして下さったのだろう。

 

「いいのです。これで日の本に平和が訪れるのなら。何より父上に我の決意が伝わったのなら」

 

「布都、儂からも謝らせてくれ。すまん」

 

母上に続いて父上も謝罪してくるが、あろうことか頭を下げての謝罪であった。子に頭を下げる親など、この時代では珍しいなんてもんじゃない。我は慌てて父上に頭を上げるように説得する。

しかし二人のこの反応…。我はどんだけ神子様が大好きな奴だと見られていたのだ。いや、一切否定できぬが…。

それからも父上は頑なに頭を上げようとはせず、我の言葉に応えてくれるまで幾分の時間が流れた。ようやく我と視線を合わせてくれたので、クスッと笑みを浮かべると、えいっと父上に抱きついた。こんなに我の事を思ってくれるが父上はこの方以外に他に居らぬ。愛を一心に受ける程に幸せを感じられる事はない。ハグは最大限の好意を表せる、素敵な表現方法だ。

 

「大好きです。父上、母上」

 

「ええ。私達も布都の事が大好きですよ」

 

母上の手の平がそっと頭に触れる。しばらく甘えた声を出しながら父上のお腹に顔を疼くめていたが、顔を上げると緩めていた頬を引き締める。

 

「父上も母上も本当に気にしないで下さい。神子様との関係はそう簡単に切っても切れぬものではありませぬ。それに、まだ馬子殿を信用するのもできません。彼の領地は病に苦しんだ民が大勢野晒しにされていました。この結婚は彼の監視でもあります」

 

「ああ、分かっている。優男に見えてあいつはかなり欲が深いからな。布都も気を付けるのじゃ」

 

我が言わずとも、蘇我との付き合いが長い父上には不要の心配か。

 

「ええ。それと守屋殿のところに文を送るのは最後にした方が宜しいかと。下手に彼らに時間を与えればまた面倒な事になります」

 

「そうだな。その点も色々考えんといかんの。布都よ、一緒に今後の事について話し合ってくれるか?」

 

「はい! 勿論です!」

 

 

 

 

それから一か月。この一月で我等は分家の者達へ二通の手紙を送った。一通目の文はあれからすぐに出された、しばらく廃仏行為は控えろとだけ書いた単調なものだった。これは父上の案で、あえて事の全てを書くよりも、単調な文の方が言葉の力が働くとのこと。一通目の文の通り、それから数週間寺が焼かれたり、仏像が捨てられたりとの噂は入ってこなかった。

そして二通目が本題。我が馬子殿と結婚し、それに伴い蘇我との関係を元に戻すと書かれた文であった。これはかなり長く書かれた文であり、蘇我と組むメリット、蘇我と戦うデメリットが思いつく限り書かれており、そして何より戦よりも民を大事にすべきと書かれたものであった。この文、正直最初の蘇我と組むメリットに関しては少々現実味の無いものだったが、残り二つの事に関しては結構よく書けたと思う。

デメリットは父上に散々申した通り、民が離れてしまうと事に、それが信仰の弱体化になってしまうと付け加えたもの。更に隋の話を入れたりもした。日の本よりも遥かに技術の進んだ隋の技術は無視できるものではなく、是が非でも欲しいものだ。しかし仏教が支配している隋の技術を、我等物部氏が盗むのは骨が折れる。そこで蘇我を上手く利用し、蘇我が隋から持ち帰って来た技術をあくまで合意的に盗むことで隋の技術を取り入れる。最後の民に関しての話だが、これは後に生まれる天邪鬼の妖怪、鬼人正邪が聞いたら吐いてしまう程の綺麗事が綴られていた。聖白蓮が聞いたら満面の笑みを浮かべそうだ。

何にせよ、二つの手紙はどちらも確かな影響を与えた。各地の分家達の一通目の返事は、噛み砕いて言うなら、了解の一文字で終わる端的な文だったが、二通目に関しては、感動した、自分が愚かだった等、感情の込められたいささか大げさな文であった。

中には不満を持った者も居ただろうが、それでも本家の父上の影響力は強く、また手紙は論破するには難しいものだったのだろう。ほぼ全てにおいて、返事は友好的なものだった。

そう。あくまでほぼ。

 

皆まで言わずとも、例外が誰かは分かるだろう。物部守屋と彼に仕えている者達だ。

守屋殿の返事は、届いてきた文のどれよりも感情的で怒りが込められているものだった。

断じて否。仏教を許してはならぬ。蘇我こそ疫病の原因と力強く綴られていた。文字はまるで血で書かれたのでは無いかと想像してしまう程に気迫が込められており、思わず目が痛くなってしまう。我は一度、呪いの文を畳んでから、隣にいる父上に聞いた。

 

「父上、守屋殿の文ですが、返事はどうします?」

 

「人を動かすのなら、簡単に意志を歪めてはならぬ。すぐに考えを変える輩に人は付かん。これは儂の父、お前の祖父の言葉でな。生憎儂はその言葉通りにできなかったが、その言葉は今でも儂の胸の中にある。守屋は麻佐良と同じく、儂以上の仏教嫌いだ。中途半端な対応ではいかぬ。一度直に話し合うとしよう」

 

そして守屋殿にだけ送られた三通目の文を送り、それに応えて守屋殿が家に来たのはそれから更に数週間後の事だった。

三年前から堂々とした風貌や不愛想な表情は変わらないが、唯でさえ熊の様な強面の顔からは髭が生えており、子供なら睨まれただけで泣いてしまいそうだ。更に威圧感を後押しするように、体格はよりがっしりとしたものになり、目付きが昔以上に悪い。

守屋殿はドカドカと荒々しく足音を立てながら客間に入ってくると、父上に雑な一礼をしてすぐに話を始めた。

 

「尾興殿、今すぐ布都嬢の結婚を取りやめましょう! 二人は蘇我にいいように使われているだけです!」

 

「生憎だが守屋よ。布都と馬子の結婚は布都自ら望んだものだ。馬子はただ了承しただけ」

 

「何故だ布都嬢!?」

 

冷静な返答が逆に気を立てたのか、守屋殿はますます目付きを鋭くして我の方を見る。本人は睨みつけている気は無いのだろうが、彼の視線は恐怖を通り越して心臓に悪い。

 

「理由は文に書いておろうが。だが付け加えるとするならば、物部が有利と思っているのは我等だけかもしれん。馬子殿は結婚してもらったのではなく、結婚してやった、かもしれない。考えてもみろ。いくら病に侵されたとは言え、あの大王が命欲しさに廃仏令を出すのか? いや、普通ならあり得ない。あの方の仏教への信仰は並々ならぬものだ。政治的な話を抜きにしても、お前達の行為は民達をも傷つけている。これは見過ごせない」

 

「大王は仏教では救われぬと気付いただけだ。それに我等の寺を燃やし傷つく者は仏教徒だけ、ならば問題ない!」

 

わざと言っているのではなく、本心で言っているから性質が悪い。

仏教徒だからと民を苦しめる彼の発言は、怒りの沸点に達すには十分なものであったが、怒りを押し殺してあくまで冷静を装う。

 

「そこだ。その時点でおぬしの行動は受け入れられない。仏教やら神道やらの以前に、領主は民を守り、民を尊ぶべきだ」

 

「その民を苦しめている疫病、それこそ蘇我が原因ではないか。仏教なぞ取り入れたせいで、神々が怒り、疫病が流行った。民を思うのなら、蘇我を滅ぼすべきだ」

 

そもそもこの話がきっかけで争いが始まってしまったのだ。思えばこの噂も、こやつ自ら作った噂かもしれない。

理屈もへったくれも無いこの噂に対し、証拠を要求するよりもいい返しをつい先日思いついた。相手が神の名を使って語ってくるのなら、こっちも神の名を使えばいいのだ。それも美化する形で。

 

「否! 我等が神はそのような心狭き存在では無い。お前は神の名を使い、気に食わぬ蘇我を攻撃する名目が欲しいだけであろう! それこそ神への冒涜では無いか!」

 

「ッ! いくら布都嬢と言えど、その言葉は許せぬぞ!」

 

「許せんのはお前の方だ守屋!」

 

口論が始まったらしばらくの間黙っているようにと予めお願いしていたが、ここ等が潮時と判断したのか、父上が割って入って来た。

父上の怒号に守屋殿は小さく肩を揺らすと、やがて我への言葉を思い出したのか、深く頭を下げた。だがそれは明らかに表面上のものであり、内心では怒りが溢れているのが、震えている体から伺える。

 

「物部を考え、想い人との結婚を捨てた我が娘に対しその言い草はなんだ」

 

「も、申し訳ございません…」

 

「謝罪は行動で表せ。文の通りにするのだ」

 

これが物部の長としての父上の本当の姿…。なるほど、父上の文に納得した者達の気持ちがまた少し分かった気がする。神子様のカリスマとは違う、威圧的なカリスマを父上も持っておられたのだろう。

父上がどんなに威圧的になっても、我にとっては父上。家族と言うフィルター越しからではなく、物部尾興そのものを見た事は今まで無かったのかもしれない。

 

「ぐっ、御意ッ…」

 

頭を下げた守屋殿の顔を覗う事はできない。だがきっと、それは鬼の様な形相になっているのだろう。

それから守屋殿は何も言わず、静かに去って行った。

 




長編を書く上ではどんな形式であれ、やはり山場というのは必要だと思います。山場の無いストーリー、いわゆるほのぼの系でも、長く続けばどこか山場が必要になるかもしれません。
そう、山場は大事です。……ただ身の丈を考えるべきですね。

話のスケールの割に、山場と言うには神子様の胸のように平坦だ。もっとひじりんのような山を作りたい。
マジレスすると神子様は手の平サイズだと思います。


因みに守屋の父の麻佐良さんは疫病です。

ハーメルンにもっと豪族組の小説増えないかなというのもあり、この小説を書き始めたのですが、そもそも最初に豪族組の原作設定を書かないと未プレイの方が分からないじゃんと言う事に最近気づきました。


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思惑

返信やミス修正が中々できず申し訳ありません。


やはり飛鳥時代って難しいですね。時代背景を書くには室町以降の方が楽かもしれない。





 

遂にこの日がやって来た、やって来てしまったと言うべきか。友人二人の記念すべき日であるにも関わらず、我の心境は非常に複雑なものだった。嫉妬と喜びが混ざり合う嫌な感覚。いっそのこと純粋に祝福できたら、あるいは潔く妬めたのならよいものの、二人との強い関係がそれを許してはくれなかった。

嶋宮、馬子殿の館の一室。モヤモヤとした感情で包まれていた我は、辺りに誰もいないのを確認すると、喉まで出かかっていた溜息を開放した。ずっと前から、この日を境に踏ん切りを付けようと決めていたが、この調子だと今後もズルズルと引きずりそうだ。何もかも捨てて逃げたくなってきた。複雑な心境が徐々に悪い方向へと進んでいき、暗い心境が溜息となって外に現れる。

そんな時、綺麗な声と共に部屋の扉が開かれ、諸悪の根源たるお方が入って来た。

 

「ハァ…。神子様…」

 

「ど、どうしました布都!?」

 

いつもなら元気に頭を下げて挨拶するところだが、崩壊したダムの如き勢いで気力が放出されているこの状況では無理だった。むしろ、神子様のお召し物が袴であることが、ダムの崩壊を進ませた。この時代の袴の見た目は現代人の知る袴とは大なり小なり違うが、用途は同じだ。

ああ…、男用の衣装であるのに、どうしてここまで様になってしまうのか。ぼんやりとその原因を探っていると、やはり一番は凛とした瞳によって中世的に見える顔立ちだろうか。それ以外もあった。少女漫画の様に細い体の線が、平凡な男には一生出せない色気を醸し出しており、それ以前に神子様の高貴な雰囲気が服を着こなしている。また、神子様の背丈がこの時代の女性の平均よりも遥かに高い身長もあってか、普段の凛々しさがより一層際立っておられる。

余談だが、この時代の男性の平均身長=現代の女性の平均身長+数センチと思って構わない。その為女性の平均身長はそれよりも更に低い、150cm前後なのだが、我はその平均よりも更に10cm低い140強。現代だと小学高学年相当。畜生め。

 

「…いいですね、神子様は。背が高くて」

 

「えっ、ええ!? よりによって今その話?」

 

一般人なら聞こえない、すぐに消えてしまう程度の声で呟いたのだが、神子様の聴力は誤魔化せなかった様だ。

我を心配して下さっているのか、神子様は俯いた我をひょこっと覗き込む。変わらず我の視線は動かず、また神子様の体制も動かないまま寸秒が経過する。

神子様は我の両手をそっと手に取ると、その芸術作品の様に繊細な手で挟むように、我のそれを包み込んでくれた。

 

「私は、まだ布都の事を諦めている訳ではありませんよ」

 

「…えっ?」

 

その言葉に思わず顔が上がってしまった。

 

「こう見えて私、結構独占欲が強くてね。布都の様な可愛い娘はそう簡単に逃がしませんよ」

 

我の手を包み込んでいた温もりは消えており、神子様の手は我の顎を軽く固定し、もう片方の手は腰に回されていた。大好きな神子様の顔が、互いの息が感じられる距離にある。刹那、神子様とキスした感覚が、四年の時を遡って数秒前の事の様に甦る。体の髄まで蕩けそうになる奇怪な雰囲気に包まれ、心臓がバクバクと高まる。倫理や道徳、人間社会に生きていく上で必要なものが一瞬にして排除されてしまう。

もう一回。もう一度なら許してもらえる。きっと大丈夫。

気が付けば我の思考は神子様ともう一度キスする事で一杯になっていた。まるで禁断の果実を求めるイブの様に、神子様の唇に近づいていく。が、それ等が重なり合う事は無かった。

 

「悪い布都。今日は誰よりも屠自古を見てあげないといけないので、ここまで」

 

「えっ…?」

 

我の唇に触れたのは愛する人の唇では無く、白くほっそりとした指だった。

人をその気にさせておきながら、済まなそうな顔どころかニコッと笑みを浮かべながら彼女はそう言った。感情が爆発していた我は一瞬、情けなくも目の奥から涙が出てきたが、変わらず笑顔を崩さない神子様を見ていると、呆れからか爆発していた感情は収まった。

神子様だけでなく、自分にも呆れていた。今まで抱いていた疑問が一つ解決してしまったのだ。よく物語に登場する、家族を捨ててまで浮気をする馬鹿な女が頭を過った。彼女等の心境は我には一生理解できないと思っていたが、神子様のせいで我もその馬鹿な女の一人に入ってしまったようだ。

言葉にするのは難しいが、強いて言うなら奉仕の心か。理由も無く、ただひたすらに愛する人を尽くしてあげたい、愛らしくも惨めな感情。それが夫と言う鎖から馬鹿な女を解放する。

 

「またいつか、キスして下さいますか?」

 

「ええ、それをあなたが望むなら。でも今日は、ね?」

 

「そう、ですな。何しろ今日は神子様と屠自古の婚礼なのですからの…。ハァ…」

 

改めて自分で口にすると、やはり妬ましさからの嘆息が漏れる。せめてもの愛情表現なのか、宥めるようによしよしと撫でる。

神子様に頭を撫でられるのは心地よく好きなのだが、そもそもの原因はあなたです。

 

何とか神子様に触れたかった我は、少しの間なら抱き合うくらいはいいだろうと謎の結論に到り、早速行動に移そうとしたのだが遅かった。

近くの部屋の扉が開く音が耳に届き、それを合図に我等はわざとらしく距離を取って、唐突に世間話を始めた。

 

「布都、そろそろ始まるぞ…って、神子様もいたのっ?」

 

近くの部屋から出て来た足音の発生源は、扉を開けるや神子様の姿を見て目を丸くした。それからすぐにムスッとした顔に変わり、露骨に神子様を睨みつけた。我と神子様の関係を少なからず知っている彼女だからこそ、我等が二人っきりで居たことに嫉妬したのだろう。

 

「…神子様。まさか私との婚儀の日に、他の女を口説いたりしてないよね?」

 

「勿論。今日はあなただけを見ていると約束しましたから」

 

今の神子様の言葉、現代日本だったら“今日は”の部分がアウトになってしまうが、一夫多妻が当たり前のこの時代では問題無い発言だ。現に屠自古も嬉しそうに頬を染めている。

 

「それにしても、とてもよく似合ってますよ。一瞬我を忘れるほど見惚れてしまった」

 

早速始まる神子様の口説き文句。だが今回ばかりは神子様の口説き文句は大げさでは無かった。

神子様が袴を着ているのなら、相手である屠自古もまた特別な衣装を着ていた。今の今まではその身支度に時間が掛かっていたのだ。

屠自古の着ている服は、表裏白一色で仕立て上げられた白無垢(しろむく)と呼ばれる物に似ていた。我の知っている白無垢は端的に言うなれば真っ白な和服なのだが、和服と呼ぶにはいささか形が違う。しかし神子様の袴にも言える事だが、どちらも後の婚礼衣装の片鱗が見られる。

因みに一応我も、屠自古と同じ婚礼衣装を着て馬子殿と婚儀を上げたのだが、互いに幸せを求めた結婚ではない為にアッサリと終わった。

 

「嬉しい…。本当に私、神子様と結婚できるんだ」

 

「これからは晴れて夫婦だ。夫が女だと締まらないか」

 

「そんなこと無い。相手が神子様なら夫とか妻とか関係ないから」

 

「フフッ、そうか。いやなに、屠自古に不満が無いのならよかった」

 

「神子様に不満なんて…。不満が無いのが不満なくらいです。いや、口説き癖があるのが不満か」

 

「それは…善処しよう」

 

「する気無い癖に。いいんだよ。神子様は神子様なんだから」

 

あ~、今すぐ月でも降って来ないものか。あるいは御柱が降ってきても、地面からミシャクジが出てきても構わんのだが。

好きな方が他の女とイチャイチャしている姿を見るのはここまでイライラするものなのか。いくら今日が一生に一度の婚儀とは言え、気に食わない。今なら二人を殺した後に自殺できる気がする。

 

「ええい! 我の部屋でイチャコラやるならさっさと出て行かんか!」

 

「はいはい。分かりましたよ、母上様」

 

「だー! 母と呼ぶでない!」

 

 

 

 

散々悩んでいた神子様と屠自古の結婚式も、一度始まればすぐに終わった。本当にこれで結婚ができたのかと思うほどに簡略なものだが、幸せそうな屠自古の笑みを見る限りそれは間違いなく事実なのだろう。

馬子殿と結婚してからは、家系図的には屠自古は娘となり、その屠自古の伴侶である神子様は義理の息子。恋愛至上主義の平安時代ならいざ知らず、この時代ではどう接してよいのやら。

そう悩んでかれこれ二つの月が流れたが、神子様との間に生まれた新たな関係性は、決して悪い方向には進まなかった。神子様の身内になったのもあってか、ここ数年間ほとんど会えなかったのが嘘のように、短い周期でお会いできている。

もっとも、以前の様に和気あいあいと二人っきりで語り合う事はできなくなり、やはり神子様と会う時は周りの視線を気にしてしまう。しかし神子様はさほど気にしていないのか、今までと変わらず接してくれ、それが我に笑顔を与えてくれる。

 

さて、物部と蘇我の争いもめっきり減り、徐々に平和ボケして来たある日のこと。神子様の案で、昔の様にいつもの三人で山に行くことになっていたのだが…。

 

「何故おぬしと二人で山を登らねばいかんのだ」

 

「それはこっちの台詞だ。ハァ…、神子様に急用が無ければ神子様と二人っきりで山を歩けたのに」

 

ガックシと項垂れながらのどかな山道を歩く我と屠自古。屠自古の申した通り、神子様は何やら急用ができたらしい。ならばわざわざ屠自古と二人で山に行く必要もないのだが、二人仲良く山に行くのもよいでしょう。そう神子様に言われたら我等は拒否できず、嫌々ながらここまで来たのだ。常々思うが我等は神子様に弱すぎる。もう少しバシッと言っても天罰は下らんと思うが。

にしてもこいつ。

 

「さらりと我を省くな。親不孝者め」

 

「どこの娘が親の浮気を応援するんだよ。お前には父上がいるだろうが」

 

「ハッ、寝言は寝て言え。そんなに馬子殿が好きなら変わってやってもよいぞ」

 

馬子殿は醜男ではないが、かと言って良くも無い、ごく普通の男だ。そもそも容姿以前に、我は未だに彼が苦手だ。彼もまた我には妻としての多くを望んでいない様に見え、彼とは夜を共にするどころか、政治以外の話をすることも珍しいくらいだ。

しかし彼の不満点よりも、我が想い人である神子様の美点の方が数多くある。未だ我が心が神子様から離れられるのも、現状に不満がある事よりも、神子様に魅入られているからと言えよう。

 

「冗談ぬかせ。例え国一つをくれたって誰にも渡さない」

 

「おぬしもたいがい馬鹿な女じゃのう。仮にも相手は女だと言うに…」

 

「それに関しては…なんも言えないな。神子様がもっと平凡なお方なら変わっただろうけど」

 

我の皮肉に対して屠自古は苦笑して返した。この皮肉は屠自古だけでなく、自分への皮肉でもあった。

屠自古の言う通り、神子様がもっと普通の女の子であれば我も屠自古もこうはならなかっただろう。上司と部下の関係で、無難に付き合っていたはずだ。

だが実際の神子様は身分・容姿・才能、その全てを持って世に現れたお方だ。むしろ神子様の虜になっているのが我等二人なだけ、神子様は自重していると言えよう。

 

「まっ、惚れた弱みって奴さ。それよりさっきから気になってたんだが、お前の腰にあるのって剣か?」

 

屠自古の視線と交差させるように視線を落とすと、腰にはわずかに曲がった黒い棒があった。その黒い棒こそ剣を収める鞘、そして鞘に納められている剣こそ四年の歳月を経てこの世に生まれた新たな武器、刀だ。武器倉の主人曰く、まだ試作段階らしいが、ほぼ完成品に近いとのことで試運転も兼ねてこうして手元に置いていた。実際試し切りもしたが、その切れ味は今まで使っていた剣が錆びた棒に思えるほど。

 

「屠自古にしてはよい着眼点ではないか。これは刀と言ってな。我が物部氏の宝剣、布都御魂剣を模して造られた新たな武器だ」

 

「これが武器、ね…。にしては細くて弱っちそうだ」

 

この美しい造形を見てその反応とは。

 

「フッ、やはり屠自古は凡人じゃのう」

 

「お前は何かにつけて私を罵倒しないと気が済まないのか。陰険女」

 

「事実を言うて何が悪い」

 

口喧嘩をしている我等だが、声の抑揚は平坦で、互いの顔すら見向きもせずにトコトコと山道を歩いていた。もはやこの手の喧嘩は日常茶判事であり、最近では感情的に殴り合いをすることもなくなった。

 

「おおかた私よりも自分の方が神子様にお似合いだと思ってるんだろ」

 

「よう分かったな、全くのその通りだ。全てにおいてお前より我の方が上だ」

 

「青娥をぶっ潰した後はお前だからな。チビで貧乳の小娘」

 

「その頃にはお前は灰になっておるがの」

 

そうこう言い合っている間に山の中腹に到着した。我はまだ大丈夫だが、貧弱な屠自古の為に休憩することにしよう。自分の優しさに涙が出てきそうじゃ。

我等は木々に囲まれた中にポツンとあった石に背中合わせで座ると、どちらとも分からぬ静かな息が響いた。

葉の天井から漏れた太陽の光が我等の体を温めてくれ、優しい風が肌を優しく撫でてくれる。背中にいる屠自古も少しは役に立つようで、ぬくぬくとした人肌が心地よい。この三つが我の意識を曖昧なものにさせ、ゆっくりと眠りの世界へと誘おうとする。

だが一つ、ある気配が我の心地よい昼寝の時を邪魔していた。

 

「にしても神子様の急用って何だろうな? 父上との会談は無い筈だし、物部との会談ならお前の耳に入っているだろ?」

 

「すまん屠自古。ちとお前と話す余裕は無さそうじゃ。我から離れるなよ」

 

「は? お前なに言って――」

 

屠自古がこちらに振り向いた刹那、木の上から屠自古目掛け矢が飛んできた。我は素早く屠自古を抱き寄せると、空いたもう片方の手で飛んできた矢を掴んだ。矢の先端から麻酔効果のある液体と同じ匂いがしたので、すぐさま投げ捨てる。

 

「えっ? な、なにっ?」

 

驚いている屠自古を尻目に、矢が飛んできた方向へ札を投げつける。すると小さな爆発音と共に木の上から悲鳴が聞こえ、上から黒装束に身を包んだ男が落ちて来た。

暗殺者にしては随分と手応えの無いな。残りの連中もこの程度か…いや、命が掛かった戦いでの慢心は自殺行為に等しい。

そうしている間にもまた四方から同じように矢が飛んでくる。全てを目で捉えている訳では無いが、何万回も聞いた弦の音が四つ重なっていたのでそれが分かった。先程札を飛ばした際に取り出しておいたもう一枚の札に素早く力を籠め、我等を囲むように四角形の結界を生成すると、矢は結界に遮られ地面に落ちる。

 

「言っておくが(得意分野)で我を殺す事は容易い事ではないぞ。もっとも、その程度の腕なら剣を持とうと我を殺せそうもないが」

 

挑発が効いたのか、それとも元より結界を張られたら戦略を変える予定だったのか。四人の男達は木から飛び降りると、その手に短刀を持って我等に飛び掛って来た。

 

「屠自古、結界から出るで無いぞ。それと嫌なものを見たくないなら目を瞑っておれ」

 

「ちょっ! 布都!?」

 

腰を低くし構えながら結界の外に出ると、前から飛んできた男に一閃を繰り出した。男はそれを受け流そうと短刀を前に出すが、それはただの一閃では無い。刀を抜く際に鞘との摩擦で力を溜め、切っ先が鞘から出た時にその力が速度となって放出される技。後に抜刀術と呼ばれるものであった。

男が構えていた短刀は子供のおもちゃだったのか。そう思える程に刀の切れ味は鋭いもので、ひび割れ一つなく真っ二つに割り、そのままの勢いで男の胴体を切り裂く。切り口から赤い液体がしぶきとなって放出される。

ッ…この手で人を斬ったのは初めてだが、これは想像以上にキツイな…。

だが今は罪悪感を覚えている場合では無い。死体となった男の横を前転しながら横切ると、先ほどまで我がいた場所を三つの刃が空振りした。

 

「おっと」

 

受け身を取って体制を整えていると、三人の男達が飛び掛ってきていた。三人は横一列になると、タイミングを合わせ斬りかかってくる。三人からの同時攻撃。並大抵の輩ならこの時点で詰みになっているだろうが、伊達にフットワークを重点に置いた鍛錬を続けて来ただけはある。一つは体の重心をズラして避け、一つは刀を交じり合わせ、一つは鞘を使って受け止めた。瞬時に相手の攻撃を理解し、同時に三つの行動を行う。いくら鍛錬を積んできたとは言え、普通の人間にはほぼ不可能だろうが、神道の力で五感が研ぎ澄まされている今の我なら容易い事であった。

三人の男の攻撃が20回程続いただろうか。三人掛かってきても小娘一人殺せない焦りからか、三人の息が合わなくなり、攻撃が一点に集中した。男達は自らの失態に目を開いたがもう遅い。三本の剣は体制を低くした我の頭上でガチンと音を立ててぶつかり合い、音が鳴ると同時に男達の胴体から鮮血が飛び散った。

 

「ぐああああっ!」

 

三人の痛々しい悲鳴が重なり合い、僅かな差はあれど、ほぼ同じタイミングで地面に倒れ伏す。刀をヒタヒタと流れている血をブンと振って飛ばし、男達に切っ先を向ける。

 

「誰の命で我と屠自古の命を狙う?」

 

戦闘不能状態で脅されているのにも関わらず、彼らは口を割ろうとはしなかった。仮にも暗殺を命じられた者達だ。そう簡単に口を割ろうとはしないだろう。

ならここに更に一つ条件を付けようとするか。単純だが人間の醜い本心が見られる方法で。

 

「…最初に答えた一人のみ助けてやろう。あとの二人は四肢を切り落とした後で殺す」

 

意識して目を鋭くし、無様に横たわっている彼等に告げた。途端、今まで無表情だった彼らの顔に焦りが見られた。そして男の一人が、騙されるな、と声を震わせながら他の二人に告げた。

正直なところ、我の精神は初めて人を傷つけ、殺めてしまった事への罪悪感で滅入っていた。未だ刀を持つ右手には、彼らの肉を斬った生々しい感覚が残っている。この状況では彼らに止めを刺すどころか、四肢を切断するなど不可能だ。

だが少しはポーカーフェイスが上手くなっていた様だ。心情が顔に出る事はなかったらしく、真ん中に倒れていた男が切羽詰まった声で、一人の男の名を上げた。

 

「も、守屋様に命じられました! ほ、ほら、言ったぞ!」

 

「き、貴様! 戯言をぬかしよって!」

 

「我等を裏切るつもりか!?」

 

こいつらの黒装束を見て一瞬忍者を連想させたが、この無様なやり取りを見る限り、我の思い描く忍者とは違うらしい。

足元で始まる罵り合い。人間の汚い部分。我が意図してやった事とはいえ、やはり見ていて気分がいいものではない。

元よりこれ以上殺生を繰り返すつもりはなかったので、我は裏切り者の男と、彼の口から出た守屋への嫌悪感から息を吐くと、刀を収めた。

 

「な、何を!? こいつらを殺し俺を助けてくれるのではないのですか!?」

 

「元よりおぬしらを殺すつもりはない。が、救う気もない。三人仲良く旅の薬師が来るのを待っておればよかろう」

 

これ以上彼らの相手をする暇は無かった。

この暗殺が守屋の仕業だとするなら、これは反逆である。今は一刻も早くこの事を父上、馬子殿、そして神子様に伝えるべきだ。

 

「き、きさっ――」

 

彼らを無視して屠自古の元へ歩み寄ろうとした刹那、裏切り者の男の声が不自然な形で途切れ、激怒していた二人の男の声もプツッと消えた。

えっ、と声を漏らしながらぎこちなく振り向いた瞬間、頭が真っ白になった。

 

「ひっ!」

 

屠自古の息を飲む声が聞こえた気がしたが、茫然としている我は屠自古を心配する余裕はなかった。

我の視界に映るのは、首から上にある頭が無い、斬り口から噴水の様に血を吐き出す三つの肉塊。鋭い何かで切断されたのか、リアルなマネキンかと思うほど切断部分はきれいだ。

恐怖や嫌悪感。そんなものは感じない。感じる暇も無かったのだ。ただ茫然と、先ほどまで罵り合いをしていた、生きた人間たちの姿が脳裏に浮かぶ。

 

「あら。物部様と言えど、人の死は慣れていないようですね」

 

敬語だが馴れ馴れしく感じる気に食わない口調。甘く色っぽい、わざとらしい声。

あれから一度も彼女と会ってはいないが、この声を間違えようは無い。

 

「…青娥」

 

「はぁ~い。いつも笑顔であなたの隣に現れる。霍青娥ですわ」

 

フワフワとまるで綿の様にゆっくりと降りて来たのは、青を主に置いた衣服を纏っている仙人、霍青娥そのものだった。あれから四年の月日が流れるが、成長した我等とは違い、青娥には月日を感じさせる変化は一つも無い。唯一四年前と違うのは、彼女の纏っている羽衣が赤い液体で汚れており、今もなおヒタヒタと液体を垂らしていることか。

 

「な…ぜっ――」

 

上手く言葉が出て来なかった。何故彼らを殺した? 何故ここにいる? 何故また我等の前に姿を現した?

青娥に対する疑問は、混乱した頭でどうにかできるものではなかった。仮に疑問が一つだけだとしても、今は舌すら回らない。

 

「うふふ。彼らを殺したのは、私の存在を知られたくないから。ここにいるのは物部様にお伝えする事があるため。あなた方の前に姿を見せたのは、世が大きく動き始めたから。説明はこの程度でよいでしょうか?」

 

「あ…あ、あぁ…」

 

落ち着け。落ち着くのだ。今この場で道徳を青娥に説いたところで何の意味も無い。彼女の晴れやかだが胡散臭い雰囲気は、今しがた三人の男を殺した奴が出せるものではない。彼女にとって、殺した三人の男は物語の背景、それ以外の何物でもないのだ。

覚られてもいいから深呼吸をするのだ。今は人の生死については何も考えるな。彼女は我等に対して友好的だが、いつ牙を剥くか分からん。青娥を刺激せぬように話を進めろ。

 

「我に、伝えたい事、とは、なんだ?」

 

「ええ、そうでしたわ。物部様、こんなところにいる場合ではありません。あなたのお父様とお母様が例の守屋さんから襲撃を受けております」

 

「なっ!? なんだと!?」

 

襲撃!?

だとすれば我等の暗殺はクーデターの一端に過ぎないのか。いや、ただの時間稼ぎとも考えられる。だが時間稼ぎが目的なら下手に我に刺激を与える必要はないから、やはり我等の命を取るのも目的?

違う! 今はあれこれ考えている場合では無い。

ブンブンと首を大きく横に振ると、急いで身体能力強化の術を発動する。

 

「あら。ひょっとして助けに行かれるのですか?」

 

「当たり前だろう!」

 

「それは結構な事ですが、そこで気絶している屠自古ちゃんはどうするの?」

 

「ッ! お前が連れて帰って来い! とにかく我は急ぐ!」

 

普通なら気絶した屠自古を青娥に預ける事など絶対にしないが、切羽詰まった状況ではこうするほか無かった。

我は荒々しく青娥に命じると、駆け足でその場から立ち去った。我が願うは父上と母上の安否のみ。

 

「はぁ~い…。うふふ、面白くなってきたわ。屠自古ちゃん、あなたも少しは使えそうね」

 

 

 




布都ちゃんよ(神子様へ)叫べ アイ ルァ ヴェッ トゥルルルル 


飛鳥時代の婚礼衣装はググっても分かりませんでした。おそらく特別な衣装を着ないのかもしれませんが、この作品では袴と白無垢ということで。


白蓮165 神子162 一輪160 屠自古157 こころ156 青娥155 布都142くらいのイメージ(小並感)
神子様はこころちゃんより小柄派の方もいますが、イケメン神子様が好きなのでこのくらいと想像。(それでもひじりんより低いのが重要)

あと、何かとは言いませんが
白蓮>超えられない壁>青娥&一輪>屠自古>こころ>神子≧布都


人間組が妖怪と殴り合いしているのを見る限り、ある一定ラインまでの身体能力強化はそこまで難しくないのでしょう(適当)
達人の指の動きを五倍にしたら矢を掴めるらしいので是非挑戦してみてください。




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感情


こころちゃんが出る訳じゃないですよ。
物部録とか安直なネーミングで分かる通り、ネーミングセンスが全くありません。向上する気もありません(できません)
ですので最近はいかにも適当そうなサブタイをつけれるように、身を砕くほどの努力しております。

個人的に今回が一番書きたかった回です。




汗を跳び散らし心臓が弾けそうな中、無我夢中で山を駆け下り、そこで待たせていた愛馬に足を変えてから既に太陽の移動を僅かに感じられる程に時間が経ってしまった。馬子殿の領地での山登りだったので未だ父上と母上がいる我が家に到着することは無く、ようやく我が街の端のそのまた端についた。

いつもは汚れ一つない青空に昇る煙が視界に入り、それが屋敷より上がっていると思うと不安がより一層強まる。

馬の尻を蹴り、更に速度を上げるように命ずる。だが彼女は四年前の妖怪に襲われた時以上に全力を尽くしてくれており、より速度を上げろと言うのは無理難題であった。

 

「どけぇ! 前を空けよ!」

 

立ち上がる煙を指しながら雑談している農民たちを怒号する。我の声に気づいた農民達はすぐさま道を空け、許してくれと頭を下げるが無視して突き進む。

 

「父上! 母上!」

 

四年前と同じだ。あの時も神子様が死んでしまうのではないかと不安で押し潰されそうだった。だがあの時神子様は無事に土蜘蛛の攻撃から耐えてくれていた。父上も母上もお強いお方。神子様と同じように耐えて、あるいは守屋を返り討ちにしてくれているはずだ。

 

しかし我の思いを嘲笑うかのように、家に近づくにつれ、煙も大きくなってくる。これでもなお楽観的な予想ができるほど我の思考回路は単純なものではない。

現実もまた、理想通りには進まない。正門に面する道の一つ手前の通りに着いたが、真昼間だと言うのに人っ子一人おらず、道端には複数の血だらけの死体が転がっている。煙も我が家から上がっているもので間違いない。

 

「頼む! 頼むッ!」

 

そして家の前の道に出ると、正門の前に立っている二人の門番が目に入った。だがいつも世話になっていた二人ではなく、家の者ですら無い。二人は我の姿を見るや、一寸の躊躇も見せずに持っていた槍を構える。

このまま突進すれば二人を突き飛ばせるかもしれないが、この子が傷つく可能性があるので却下。だが丁寧に下馬する時間すら惜しい。

我は足を胴体に潜らせ愛馬の背中に立つと手綱を引き、そこで発生する慣性の力を利用して大きく前に飛んだ。

 

「と、飛んだ!?」

 

空中で体をねじって全身を回転させると、落下と回転の二つのエネルギーを加えた太刀を彼らに浴びせる。辺りの建物よりも高く跳ぶのを見て動揺したのか、二人の門番の構えが崩れており、彼等からの攻撃を避ける必要は無かった。

チンと刀が鞘に収まった音の他に、ボトンと重い何かが複数地面に落ちる音がするが、そちらを振り向きはしなかった。音の正体が体から切断された頭部と、繋がっていた胴体であることは分かっていた。

 

人を殺すことに躊躇の無い青娥を恐れていた我が、同じ日に二人の首を躊躇なく刎ねるとは…。

 

「今空に人影が見えたが何事だ? お前はここの娘!?」

 

敷地内から一人の男が来ると、彼の声を聞きつけて中からぞろぞろと現れる。数は六人、全員槍を持っているが、そのうち半分は槍の他に弓も持っている。弓を持っている三人は槍を地べたに投げると矢を番え、残り三人は矢が当たらないよう低姿勢になりながら突進して来た。

 

「邪魔だ!」

 

ビュンと弦が揺れる音と共に、我も地面を蹴った。飛んできた三本の矢の内の一本が、我の脳天へと真っ直ぐ飛び、他の二つは避けずとも的外れの方向に飛んでいた。この矢を射た者は中々いい腕をしているが、精度を上げる為に威力を犠牲にした矢を掴むのは難しくなかった。我は脳に突き刺さる直前の矢をバシッと掴むと、突撃して来た男の一人へと投げた。中距離からの攻撃を予想だにしなかった男はこれに反応できず、その喉元に一本の矢が軽くだが突き刺さった。

常識離れの技により仲間が一人殺されたのにも関わらず、残りの二人は足を止めずに槍を突き出した状態で突撃してきた。だがその手に持っていた槍は、一瞬にして短い棒へと変わった。我の刀が二本の槍を叩き切ったのだ。

目にもとまらぬ速さでの一閃だったのだろう。男達は何が起こったのか分からないのかきょとんとするが、すぐに現実を理解したのか、使い道のない棒を捨て、背中を見せて逃げていく。

 

「逃がすか!」

 

反逆の罪のある者に情けはいらない。これは狩りだと自分に言い聞かせ、闘志の消えた二つの背中を刀で切り裂いた。即死とまではいかないが、このまま放っておけば失血で死ぬだろう。

 

「ひっ!」

 

「う、撃て!」

 

睨みつけた三人の男は情けない声を上げると、それぞれ三本の弦を揺らして矢を放つ。今度は三本全部が我に向かってきているが、何本来ようと関係ない。我が今一度刀を振るうと、飛んできた矢は折れて辺りに散らばった。矢を掴めるのなら当然、矢を斬る事だって可能だ。

弓兵等が槍を持つ前に間合いまで近よると、それぞれ一太刀ずつ斬りつけた。どれも首筋などの急所を狙ったもの、即死か致命傷かの二つに一つ。

どうやら門近くにいた兵士達はこれで終わりの様で、これ以上中から人が出てくる気配は無い。

 

「父上! 母上!」

 

正門を潜ると、囲いで見えなかった中の様子が明らかになった。

そこはもはや我の日常はどこにも無く、見慣れた我が家の玄関には無数の使用人達の死体が転がっていた。皆、ずっと我が家族を助けてくれていた者で、我が友でもあった。そこには我の師とも言える、武器庫の末っ子の門番の姿もあった。

我が内に燃える怒りが収まり切らず、体が震える。

 

「許さんぞ…。絶対に許さんぞ守屋ァッ!」

 

「ふ、布都様!?」

 

屋敷全体に響く大声で叫び、屋敷へと飛び込もうとしたその時、屋敷の中から一人の女がやって来た。この14年間ずっと我の世話をしてくれていた侍女の姿だった。彼女の衣服は血で汚れているが、動きからするに彼女の血ではないらしい。

 

「おぬしは無事であったか! 父上と母上は無事か!?」

 

「す、すいません。私は隠れていただけで、旦那様と奥様の事は…」

 

「いやよい、気にするな。お前が無事でよかった」

 

自分の身を投げ打ってでも雇い主である父上と母上の命を守るべきだったと、彼女は自分を責めているのかもしれないが、彼女は既に我の家族の一人。世事抜きに、心の底から彼女が無事でよかったと思っている。

 

「外に馬を待たせておる。お前はあの子を使って神子様の元へ行け」

 

「そ、そんな。布都様を置いて逃げるなど…」

 

「この惨状を知れば神子様ならすぐに援軍を送ってくれ、我の助けになる。お前は逃げるのではない。さあ、さっさと行くのだ!」

 

今ここは十四年の思い出が詰まった我が家では無く、戦場のど真ん中だ。そこに丸腰の彼女を置いておくなど、こっちの方が心配だ。すぐに頷かなかった彼女だが、自分の力で現状をひっくり返す事はできないと冷静な判断をしてくれたのだろう。彼女は悔しそうにコクンと頷くと、我を横切って門を潜る。

そこで周り廊下から剣を持った男が現れた。

 

「ここにも一人いるぞ!」

 

それが男の最後の言葉だった。仲間が駆けつける前に彼の頭には深々と刀が突き刺さり、何一つ声を上げずにバタンと倒れた。

我は投擲した刀を回収すると、周り廊下の奥からやってくる集団に刃を向ける。この数からするに、おそらくこの襲撃の中心となった部隊は奥にいるのだろう。

彼らは今までの奴等よりは強かったが、未来の武器である刀を手にした我の敵では無かった。刃を滑らせるだけでも肉を斬れる鋭さを持つのが刀だ。まさに一撃必殺とも言えるその武器は、素早く動き回る我の戦闘スタイルと相性は抜群であった。

 

「があっ!」

 

応援に来た最後の一人が倒れるのを確認すると、一度刀を収め家の奥へと進む。

そこでドタドタと自分の足音以外の物音が一室から聞こえ、その扉を勢いよく開いた。そこにいたのは四人ほどの鎧を着た男と守屋、そして壁を背もたれに座っている母上の姿があった。皆の視線が我に集まり、襲撃者の五人の顔は驚愕の、母上の表情は安堵のものへと変わり、気が抜けてしまったのか母上を守っていた結界がスッと消えた。今の今までずっと結界を張って身を守られておったようだ。

 

「何故布都嬢がここに? いや、あの程度の奴らでは、そなたを暗殺するのは不可能か」

 

「隠す気も、弁明する気も無いのだな」

 

「そうだ。拙者は神の名の元、異教徒である蘇我を潰す。それが物部の使命。腑抜けの当主などいらん」

 

守屋はスッと足元に転がっている死体の一つを指しながらそう言った。

その死体は異様だった。狂気を感じる程に不自然に、歪み一つ無く背中を切り裂かれていた。いくら我の持つ刀でもここまで真っ直ぐに人を斬る事は不可能だ。必ず硬い部位に当たるとそこで歪みが生じてしまうが、この死体にはそれが一切見られない。

が、ここで客観的に見た、死体の非現実な面が頭から抜け落ちた。その死体が羽織っている衣服に見覚えがあったのだ。

そう、今朝出かける前に会った父上が着ていたものと瓜二つのもの。

 

「うっ…ううっ…あなた…」

 

シーンとした一室に響く母上の泣き声。母上は守屋が指している死体を見ながら、嗚咽を漏らしている。

父…上…。そんな…、本当にあれが父上なのですか…?

 

「尾興殿は最後まで阿佐殿を守りながら戦った。腑抜けだが物部の当主であっただけはある。誇りにするとよいだろう」

 

「ほ…こり、だと? 父上を殺しておいてぬけぬけと!」

 

守屋への怒りから唇を噛み締め腰に差した刀を引き抜くと、守屋の周りにいた四人の男達も剣を構える。

だが守屋は一人動かず、ただじっと刀を眺めていた。やがて守屋は自分を守る様に前に立つ四人の男達を下がらせると、腰に差した剣を抜いた。

それは反りが逆なものの我が構えている刀とよく似た形状だった。それもその筈。それはまごうことなき、刀を作る際の原型となった神の剣であった。

 

「布都御魂剣、だと…? 貴様! 反逆を起こすだけでなく、布都御魂剣も盗んだのか!?」

 

「違う。神が拙者に与えてくれたのだ。そう、俺こそが神の代弁者! 俺がいる限りもはや貴様ら一家など必要いらんのだ!」

 

途端、守屋の雰囲気が一転して変わり、今までの雰囲気が崩れ落ちる。これが奴の本当の顔。いや、異教徒に向けるもう一つの顔なのかもしれん。

布都御魂剣の存在が守屋の覇気を何十倍にも膨らせているのが分かる。まるで覇気が実態となって全身を襲い掛かり、強制的に跪かせようとしている。

 

「ぐっ…」

 

生存本能が体全身に、このままでは殺されると、警報を送っている。体がガタガタと震え、守屋が一歩近づいてくるたびに足が一歩後に引いてしまう。

これが神剣を持った者の闘気というのかっ? 

…逃げろ。足の速さでは我が上だ。逃げたら生き延びることができる…。だが父上を殺した相手に背中を向けられない。何よりここまで生き延びてくれた母上を見捨てる事はできない。

我の視線は守屋、正確に言えば奴が握っている布都御魂剣から離れられず、気が付けば周り廊下を支える柱が背中にぶつかった。

 

「しまっ――」

 

そこで生まれた一瞬の隙を突かれ、布都御魂剣が我へと振り下ろされた。布都御魂剣の発する覇気が、受け止めようと手を動かす事さえ封じている。

死を覚悟し目を閉じたが意識が消える事は無く、母上の叫び声から目を開いた。

 

「布都! 逃げなさい! 今は何もかも捨てて逃げるのです!」

 

すると目の前には守屋の腕を押さえ付けている母上の姿があった。後ろには四人の男達が母上に向け剣を振るっているが、結界がそれを防いでいる。母上は我の目を真っ直ぐ、絶体絶命の状況下にいながらもかつてない力強い瞳で訴えかけて来た。母上の強い瞳を脳が認識した刹那、金縛りに掛かっていた我の体が途端に軽くなった。

そしてすぐさま攻撃しようとするが、母上の言葉で止められる。

 

「逃げなさい!」

 

「邪魔だ!」

 

布都(ふつ)

血まみれのこの空間には似つかわしくない、いや、この世で最も死に近いこの空間だからこそ似合うのか。身も凍る程に美しい音が、無数の音を無視して静かに鳴った。

かつて父上が言った。布都御魂剣は剣を振った時に布都(ふつ)と特徴的な音を鳴らすと、固い岩石ですら紙の様に斬れると。

目の前でまさにそれが行われていた。母上の体がスーと、まるで果物を半分に切るが如く真っ二つに割れていった。

余りにも残酷な光景。だが体が半分に別れる直前まで、母上は笑顔で我を見守っていた。

 

「あ…あぁ…。はは…うえ…。我は、あなたを…心の底から愛しておりました…」

 

既に聞こえていないと分かっているが、真っ白になった頭を動かして部屋から走り去った。

 

「何をしている、追え!」

 

「ハッ!」

 

背中から追手の足音が聞こえるが決して振り返らず足を動かす。心はもうぐちゃぐちゃで、本当なら今すぐに怒りに身を任せてあいつらを皆殺しにしてやりたい。だがそれは無謀であり、母上は我を逃がすために命を投げ打ってくれた。母上の死を無駄にしてはいけない。

木を足場にして囲いを飛び越えると、そこには何故か二頭の馬の姿があった。その内一頭は我が愛馬で、もう一頭の上には逃げた筈の侍女の姿があった。

 

「お、お前!」

 

「追手が来ます! 早く!」

 

彼女の言う通り馬に飛び乗ると、家を背中に駆け出した。

 

「行こう…神子様の元へ…」

 

「…はい」

 

 

 

 

血まみれの布都が私の元へ訪れて数十分か。茫然として何も口にしなかった布都を無理やり入浴させていた間、私は浴室に近い一室で、布都と同行していた侍女に話を聞いていた。

どうやらここに来る直前までは布都も何とか意識を保っていたらしく、道中で大まかな経緯を伝えていたのだろう。彼女の説明は実に分かりやすかった。

 

「以上が布都様から聞いた話でございます」

 

流石布都の侍女だけはあり、私を前にしても動揺を見せずに話してくれた。私はできる限り自然な笑みを浮かべると、静かに頷いた。

 

「ご苦労。下がってよい」

 

「はい」

 

侍女が部屋を出ると、私は一度だけ息を吐いた。

 

「布都御魂剣…そこまでの代物とは」

 

侍女からの又聞きになるが、その話が本当なら布都御魂剣は人知を凌駕した切れ味を持つ、文字通り最強の剣だ。布都から聞いた話では、布都御魂剣はご神体であり戦に使う剣では無く、性能だけなら実践的ではないと言っていたが…。布都が私に嘘を吐く訳は無い。とすれば、布都御魂剣の力は、あくまで伝説上の話として隠されていたと考えるべきか。理由としてはやはりその強さ故だろう。いくら強力な武器であろうとも、強すぎる力は災いの元。だからあの剣で争い事を起こさない様に、布都の先祖が伝説と言う名の仮面で隠したのだろう。

だがあの守屋の事だ。その伝説を信者の誰よりも信じ込み、それが眠っていた布都御魂剣の力を呼び覚ましたのかもしれない。

 

「…すまない布都」

 

「何故、神子様が謝るのです?」

 

誰もいない部屋での独り言に返事が来たので驚いた。集中し過ぎて周りの音が聞こえていなかったのか、扉の一つが開かれており、そこには月明かりを背景にした布都の姿があった。暗くて顔がよく見えないが、普段の彼女にある活気が感じられない。

私は近くに立っている蝋燭に火を灯し、手招きをした。すると布都はいささか乱暴に扉を閉めると、小走りで私へ抱き付いてきた。布都は私の胸元に顔を埋めて肩を震わせるだけで、それ以上何も口にしなかった。

 

「…布都」

 

こんな時私は彼女にどうしたらいいのだろうか。彼女を優しく抱き締め、慰める事は簡単だ。だが果たして私にそれが許されるのか。この人の醜さが詰まった私の身で、ただひたすらに正しき道を突き進む彼女を私が抱き留めてよいか。否、と誰もが答えるだろう。仏も神も、人もそれ以外の存在も首を揃えてそう答えるはずだ。

 

「み、こっ…さ…ま」

 

まるで裸足のまま寒空の下放り出された幼子の様に体を震わせる布都。それは今すぐ温めないと凍え死んでしまいそうな程に弱弱しいものだったが、私は彼女に手を伸ばせなかった。

さながら私は牛車に乗った姫で、彼女が道端で凍えている幼子か。私は苦しんでいる彼女に手を差し伸べたいが、子供一人を助けるために牛車から降りてしまえば周りの視線がきついものに変わるのを察し、手を伸ばせない偽善者。

違う…。

私は姫なんかじゃない。彼女が姫で私が幼子なのだ。私は自分が助かろうと姫に手を伸ばそうとしているが、身分の差から手すら伸ばせない弱い人間…。

喉の奥が痛くなるのを感じる。心からの友である布都一人を救えない無力さ、そして何よりも愚かさから、感情が涙となって溢れ出そうだ。

 

「だき…しめて…」

 

「…ああ」

 

手を伸ばす事に一瞬戸惑ったが、私の腕で布都の悲しみが少しでも和らぐのなら、私の塵にも等しい自尊心は必要ない。微かな動作で壊れてしまう割れ物を扱うかの如く、私はひたすらに優しさだけを意識して彼女をそっと抱いた。

布都の体…心は、冷たい北風の様に冷たい私でも温まってくれたのか、震えが少し和らいだ。

 

「…もっと、強く…」

 

「…」

 

それはただ抱きしめるよりもずっと難しいものだった。今の布都を強く抱きしめてしまったら、砂で作られた建物の様に崩れ去ってしまいそうに脆く見える。だが私が躊躇している間に、布都はもう一度同じ言葉をか細く呟いたので、私は布都の言葉通りに動いた。

布都の体は私の不安とは裏腹に、小さく細いものの鍛えられた筋肉を感じられ、日がな一日室内にいる私では到底壊せそうにもない。

私が布都を慰めている筈なのに、布都を抱きしめていると不思議と心が落ち着いてしまう。私が正常な人間であったのなら、こんな感情は抱かないだろう。ならば私は正常な人間とは真逆の、正常でない人間なのだ。

などと一人で自己完結していたが、布都の要求は未だ変わらなかった。

 

「…も、っと…」

 

「え?」

 

彼女の言葉が一瞬理解できず、それが躊躇を生み出し力が緩んでしまう。だがこの躊躇は先ほど布都を抱きしめる時に抱いたものとは違い、純粋な疑問から出た躊躇だった。

しかし布都の悲しみを少しでも癒すためだと、私は目一杯力を籠めて彼女を抱きしめた。これ以上ないくらいに強く、荒々しく、感情的に彼女を抱きしめる。それは一歩間違えれば、私が彼女を絞め殺していると見られる程に。

だが…布都の要求は変わらなかった。

 

「…もっと。つよ、く。強く、強く!」

 

未だ顔を伏せつつも、布都は未だそう繰り返す。可能な限り善処しようと思ったが、これ以上は私の腕力の限界だと言おうとした時、布都の要求の本当の意味が分かった。

私はそこで布都の肩を持って少しばかり遠ざける。そこでようやく布都の顔を見ることができた。そこには私が見慣れた、愛らしい笑顔の布都の面影はどこにもなく、まるで死人の様に瞳から光が消え、白い健康的な肌を真っ青なものに変えた衰弱した彼女だった。

 

「ちち、うえ…せなかから…きら、血が…。ははっ、うえが…ふたつに、中が…。ひとの、にくのかんしょく…はなれない」

 

布都は光の無い瞳の奥から、ポロポロと涙を零しながら必死に言葉にしてくれた。

そうか…。布都御魂剣の切れ味が人にも通用するならば、それは人の中が見えてしまう惨たらしい惨状となるだろう。布都はそうなってしまったご両親の姿を間近で見てしまったのだ。それに加え、布都は自らの手で人を殺めた。両親の生死、同族の惨たらしい姿、罪悪感。それらが一斉に布都の心を殺そうとしている。いや、現に今布都を殺そうとしている。

だがそんな中、布都は私に救いを求めに来たのだ。きっと生物に備わった生きるための本能が働き、半ば無意識の内に私の元へ来たのだ。そう、思うようにした。そうしないと私は彼女を“抱け”無かった。

 

私は布都を抱き寄せると、その唇に自分のそれを落とした。布都は一切の驚きを見せず、また私も四年前の様な高揚は無かった。だがそれでも、四年前以上に激しく舌を動かした。布都が舌を動かさない分、接吻を、キスをより情熱的なものにするためだ。

布都を床へと押し倒すと、その着物を荒々しく剥ぎ取っていく。それはまるで女に飢えた下賤な盗賊の様に、欲望のまま布都の裸身を隠している布を剥ぐ。

扉から微かに漏れる月光とぼんやりと揺らめく蝋燭が、生まれたままの姿となった布都を照らす。雪の様に白い肌が僅かな光を妖艶に照らし、同性でありながら無意識にごくりと唾を飲み込んでしまう。

布都の身体は決して女らしいとは言えない。胸は大きくなく、背も女性と言うより少女と言うべきだ。だが布都からは、かつて彼女の水浴びを見た時と同じように、名状しがたい妖しい色気が漂っている。それが本来色気の無い筈の身体を、どんなに豊満な身体よりもいやらしいものへと変貌させる。

その魅力の正体は何だろうか。普段纏めている髪を解いたからか。いつも凛々しい彼女が、一人の女へと顔を変えるからか。

 

「みこ、さまっ…強く」

 

いや、そんな事はどうでもよい。今は目一杯、欲望の赴くままに彼女を抱きたい。

 

「ああ…。いつものお前が戻って来れるほどに、感じさせてやる」

 

 

 





あらぁ^~百合百合がレズレズになりましたわぁ^~

警告タグ付け加えるの嫌だったので、描写は薄めにしました(いつも)
非力な私を許してくれ

最初は限界に挑もうかとも思いましたが、天罰が下ると思ったのでチキリました。てか後半みたいな百合豚歓喜な感じの描写はともかく、グロい描写は普通に書きたくない。


とあるとしあきが言いました。ひじみこほど(ABCの)Cをやっているの前提で話を進めるカップリングも珍しいと。ならふとみこも同じ感じでいいよね?(錯乱)



…真面目な話をするとですね、やはり神子様は攻めだと思うのですよ。


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不安定


何話か前の感想で”申す”の使い方が間違っているよと教えていただいたのですが、先日ようやく修正できました。おそくなり申し訳ありません。


それと今さらですが、基本的に前書きは端的にして、書きたいことは後書きに長々と書いております。前書きは(基本)真面目で後書きと感想は砕けた感じと思って頂ければ。
前書も結構ふざけていますが。

ここ最近の感想で胸の話が多いのも後書きの所為。


生まれて初めて隣でもぞもぞと動く何かによって起こされた。目覚めは悪くない方の筈だが体が酷く重くまだ睡魔に身を委ねたい欲求がある。特に昨晩何をしたのか、何故か右手が筋肉痛で地味に痛い。どうして体がこうなってしまったのか未だ思考が追いつかず、ぼんやりした頭と視界のまま隣を見ると、そこに裸の布都の寝顔がありようやく昨晩の事を思い出した。

そうか…。私は昨晩、布都と枕を共にしたのか。

意識がハッキリしたのと同時に、昨日味わった布都の身体の感触も甦る。彼女の舌、耳、首筋、僅かに膨らんだ胸、その先端にある桃色の果実、そして彼女の中。私はそれらを文字通り、欲望のままに味わい続けていた。抱いている最中は夢中になっていたが冷静に思い返してみると、恥ずかしさのあまりに顔に手を当ててしまう。

上品さの欠片も無かったな…。しかし布都のあの声を聞いていたらどうにも歯止めが利かなかった…。

脳裏に過る布都の甘い声。媚薬を盛ったのかと疑われるほどに布都の身体は敏感で、私が一度指を撫でるだけで布都は高くて甘い声を何度も漏らした。その声がまた私を獣へとさせたのだろう。

やれやれ…。周りが思うほど女に興味がある訳じゃなかったがそれも今日でお終いのようだ。

だが他の女が布都と同じ様に、同性()を興奮させられるとは思わない方がいいか。私からあそこまで理性を失わせる布都は間違いなく極上の素質を持っている。それを他の女に求めるのは贅沢と言えよう。

私は小さくフッと笑みを浮かべると、未だスヤスヤと心地よく眠っている布都の頭をそっと撫でる。昨日起きた惨劇に巻き込まれた少女には見えない、穏やかな寝息だ。

 

「んっ…み、こ…さま…だい、すき…」

 

「嬉しい事を言ってくれる…」

 

寝言でも私を求めてくれる。それはどんな言動で示すよりも信頼できる、正直な感情なのだろう。

このまま布都の寝顔を眺めながら癒されたいが、そろそろ起こして服を着せないと不味いか。疲れている布都を起こすのは気が引けたが、裸の布都を誰かに見られたら色々と面倒な事になってしまう。私は彼女を優しく(さす)り、そして頬を擽る様に撫でて耳元で囁いた。

 

「布都、起きて」

 

「う、うぅん…みこ、さま?」

 

「ええ、おはよう布都」

 

布都はしょぼしょぼと、薄らと開いた瞼を幾度か動かしながら私の名を呼んだ。次第に意識がハッキリとしてきたのか私の顔と肌を見、同じように自分の衣一つ着けていない身体に視線を動かし、昨晩の出来事を全て思い出したのだろう。布都の顔が一瞬にして、まるで太陽の様に真っ赤に変わり全身を布団で隠した。

 

「あ、ああ…えっとそのあの…」

 

「布都。まずはお互い服を着ましょうか。話はそれからです」

 

「は、はい…」

 

それから服を着た私達だったが、部屋は依然と静かだった。布都はただただ顔を真っ赤にして俯き、私から軽く声を掛けてもより一層顔を真っ赤にしてまたすぐに俯くだけだった。その初々しい反応が溜まらなく愛らしく、私までほんのりと頬が熱くなるのを感じる。

と、一見すれば微笑ましいやり取りの様に見えるが、布都は今もなお苦しみを抱え続けているのだ。それは私と一晩を共にし、幸せを感じている今だからこそ、より一層重くなっているに違いない。

布都に告げるべきか…いや、今はまだその時ではない。とりあえず今は少しでも布都に幸せを感じてもらいたい。

少し離れたところに肩を縮めて座っている布都の後ろに回ると、背中からふわりと抱きしめた。

 

「あなたは何も悪くない…。悪いのは人の悪しき欲です。あなたはこれ以上戦わなくていい、罪を感じなくていい。あなたはただひたすらに良き事を行ったのです…誰よりも」

 

「神子様…」

 

私の名を呼ぶ掠れた声と共に、布都の顔が私の方を向く。その頬は赤く可愛らしいが、それとは裏腹に瞳には涙が浮かんでいる。罪悪感から逃れるために私に抱かれることを望んだが、今は抱かれた事がまた罪悪感となって布都の重石になっている。それはきっと、私が抱えている石がまるで小石に感じられる程だろう。

私は彼女の瞳に溜まった涙を撫でるように拭い、そして彼女にキスをした。柔らかな感触が唇から感じられる、触れるだけの少々物足りなく思えるキス。けれどそれは激しいキスをするよりもずっと、私の中に芽生えた確かな愛情を伝えられるものだと思えた。

 

「布都、私はこれから守屋を討伐する為の軍を用意します。既に昨晩の時点である程度命令は出していましたが、叔父上もこちらにいらすだろうから本格的な軍議が始まる。あなたはどうします? 少しでも嫌なら――」

 

ここにいなさい。そう言おうとしたが、私の口からそれが出る事は無かった。

 

「行きます。我は守屋を絶対に許しません。我がこの手で、奴の首を刎ねて父上と母上の敵を取ります」

 

復讐か…。止めるべき、何だろうか? 私が読んだ書物の一つには、憎しみからは争いしか生まないと書いてあるものがあったが、果たして本当にそうだろうか。布都には何一つとして汚点は無いのにも関わらず、彼女は放心状態になるほど追い詰められていた。そんな彼女に復讐をするなと言える輩がいるのなら、随分と幸せな頭をしている。

しかし守屋へ復讐を果たすまでの間に、布都の身は危険に晒される。心理的な面からすれば復讐の手助けをしてやりたいが…。

 

「分かった。だがお前は戦う必要はない。私と共に後方での指示に専念してもらう」

 

「で、ですが布都御魂剣を持つ守屋を相手にできる手練れは…」

 

だからこそだ。一撃必殺の神剣の前に布都を出すわけにはいかない。

 

「強いのは剣であって彼はただの人間だ。倒し方はいくらでもある。お前はそれを私と一緒に考えるのだ。さて、と。寝床から一緒に出るのは不味い。私は一度自室に戻るので布都は後から来てください」

 

前線に立てないのが不満なのか、頬を膨らませながら渋々と頷いた。普段凛々しい布都の、こんなにも愛らしい姿を見られるのは私以外にそういない。そう思うと、布都の一挙一動のどれもが愛おしい。私はクスッと笑みを浮かべると、扉を開き廊下へ足を出したが、そこから先に足が進むことはなかった。突如部屋からドタッと物音がしたのだ。

何事かと慌てて振り向くと、一瞬時が戻ったのかと疑った。そこには昨晩の様にガタガタと体を震わせ、虚ろな瞳でジッと私の方を見つめる布都の姿があった。

 

「どうした布都!?」

 

私は急いで彼女に駆け寄ると、まるで病人の様に血色が悪くなった唇が微かに動いた。

 

「いか、ないで…」

 

「布都?」

 

彼女の言葉の意味が瞬時に理解できなかった。確かに私達は、今流れているこの時だけを考えたら別れる事になるが、またすぐに再開できる。行くなと言うには短すぎる別れだ。

それでもしばらくあその状態が続き、私が何度か布都の名を呼び続けていると目が覚めたようにハッと我に返り、体の震えは止まり血色がよくなった。

 

「わ、我は…」

 

「どうした布都? やはり昨日の事が…」

 

「み、神子様が離れた途端、急に頭が真っ白になって…それで、えっと…」

 

布都自身、己の心境が理解できていないのだろう。これ以上追及しても布都を混乱させるだけなので、私は静かに布都を抱きしめて宥めた。

 

「気にしないで。落ち着くまで一緒にいます」

 

「は、はい…すみませぬ…」

 

それから少し世間話でもして布都を落ち着かせ、また部屋を出ようとしたのだが、布都は同じような状態になってしまい私は部屋から出ることができなかった。その時も布都は私に向って小さく、行かないでと呟いた。またすぐに会えると言っても彼女の耳には入らず、彼女の名を呼びながら手を握っていると元に戻ってくれた。

だが今度はハッキリとおかしくなっていた時の事を覚えていたらしく、彼女はサーと顔を青くした。

 

「み、神子様。我は…。我は、壊れて…」

 

「大丈夫。大丈夫だ」

 

掠れた声で必死に私の手を握る布都。それは離れたくないと訴えて助けを乞いており、私の手を握り閉める力とは裏腹に弱弱しい布都の心境が感じられた。

常日頃役人達の愚痴を聞いていた私は人の心には詳しい方だと思っていたが、人生経験の浅い私が熟知できるほど人の心とは簡単なものではないと改めて知らされた。両親の死が脳裏に浮かぶのか、人を斬った感触を思い出すのか、それとも昨晩の行為から私は布都の心にとって無くてはならない大きな拠り所となってしまったのか。そのどれかかもしれないし、どれでも無い他の何かが原因なのかもしれない。ただ一つ言えるのは、今の布都は私と離れてしまったら心が不安定になってしまう事だった。

いくら動揺していても布都もそれには気づいたようで、自分の心がおかしくったという事実がまた彼女を傷つけていた。

彼女は小さく嗚咽を漏らしながら、ごめんなさいと何度も私に謝った。

 

「うっ、ひっぐ、我には、気にせずに、行ってください。す、少しすれば、大丈夫なはずです」

 

「…そんなあなたを一人にできる訳ないでしょう。ほら、一緒に行こう」

 

私が手を差し伸べると、布都は絶対に離さないと言わんばかりの力でギュッと手を握り絞める。少々痛かったが、小動物の様に必死な彼女は不謹慎ながら可愛らしい。

結局自室に戻るまでの間、手を握っている姿を何人もの侍女や使用人たちに見られ、その度に布都は涙目になってごめんなさいと謝ってきた。敷地的な面から見ると宮は広いが、人間関係は狭い。特に噂好きの侍女達の事だから、昼には宮中に私達が手を繋いで歩いていた事は広まるだろう。されば色々と面倒な事になるだろうが、それもまた一興と考える事にした私は、布都の頭を撫でて励ました。

私の自室に着いても布都は私の手を一向に放そうとはせず、時折謝りながら私に寄り添っていた。それは部屋に呼んだ蔵人(くらうど)に指示を出している時も変わらなかった。

 

「今日にでも討伐隊を出す。既に大王の許可は取っており、指揮権は私にあるとのこと」

 

「し、しかし豊聡耳様はまだ十五…。それにその…」

 

蔵人はチラリと私に寄り添う布都へと視線を移す。蔵人の視線が怖かったのか、布都はビクッと肩を震わせ逃げる様に私の背中に隠れた。

布都が叔父上の妻であることは周知の事実。それは私よりも武力を持っている権力者の妻を寝取っているということ。ただでさえ情勢が混乱している中で、これ以上余計な火種を起こしたくない気持ちが蔵人の中にはあるのだ。無論蔵人の思考は正常であり、当然であり、ごく一般的だ。だから布都を抱き、情勢が混乱している真っ只中でも傍に置いておきたいと思う私の思考は異常であり、意外であり、奇抜なものなのだ。

自分がおかしいのは分かっている。それでも私は布都の傍にいてやりたい。

 

「彼女の話はお前の耳にも入っているはずだ。今彼女はとても傷ついている、私が傍にいてやらねばならない。叔父上には私から直々に話をする」

 

「しかし…」

 

「私に同じことを言わせる気か?」

 

「申し訳ありません。すぐに軍議の準備をして参ります」

 

深々と頭を下げた蔵人は急ぎ足で部屋から出て行くと、蔵人とすれ違う様に一人の男性が部屋に入って来た。

それは鬼の様な形相をした叔父上の姿だった。ドタドタと足音を立てるその姿には余裕が見られない。

まずは様子を見るか。

 

「叔父上、守屋の話は聞きましたか?」

 

「その事でお話が…布都さんはご無事でしたか」

 

部屋に入ってせわしなく一礼した叔父上は、そこでようやく布都の存在に気づいた様だ。だが仮にも自分の妻である布都と私が手を握っているのにも関わらず、素っ気無い言葉だった。

 

「私の妻が…暗殺されました。おそらく…いや、間違いなく守屋の仕業です!」

 

「なっ? 叔母上がか?」

 

掠れた声で叔母上の死を伝えた叔父上は、彼らしくない感情的な声を上げて守屋の名を叫んだ。

 

「はい……。それだけでなく……屠自古が守屋に捕まりました」

 

「なんだとッ!?」

 

何故屠自古が守屋の手に落ちている!? 

昨日の布都の侍女から聞いた話によると確か屠自古は青娥に任せたはず。こちらに来てないので叔父上の館(嶋宮)に運ばれたと思っていたから気にもしていなかった。チラリと布都の方を見ると、私と同じように目を見開いて驚いている。

…しまった。昨晩は侍女から話を聞いてすぐに布都が現れた為に気づかなかったが、そもそも守屋が布都と屠自古の居場所を知っている時点でおかしいのだ。あれは私達三人だけの個人的な話だから、知っているのは一部の人間に限られている。

クソッ! 信用できぬ女とは分かっていたがここに来て私を裏切るか。

 

「そして守屋は我等が尾興を襲撃したと話を広め、国中の物部の軍勢を集めております。勿論こちらも昨晩から兵を掻き集めております」

 

「ええ、私も戦の準備を進めております。ひとまず軍議を行いたいと思いますが、それはその文を見てからにしましょう」

 

先程から気になっていた、叔父上の懐にある一枚の文に視線を向けながらそう言った。それはグシャグシャに握り閉められたのか皺だらけになっており、それだけ面白く無い事が書かれているのだろう。

私は叔父上から文を受け取ると、隣にいる布都にも見えるように開いた。そこに書かれていたのは、人が書いたとは思えない残酷な言葉が書かれた文だった。最低限の礼儀は未だ弁えているのか言葉自体は丁寧なものだが、書いてあるのを簡単にまとめると。布都を寄越せ、もしそうしなければ人質となった屠自古を公衆の面前で犯し、最後には惨たらしい拷問の末に殺すと。

ここまで性根の腐っていた奴だったか守屋…っ。 

グシャッと無意識の内に文を握っており、文にまた皺が増える。

 

「豊聡耳様。奴に下手な時間を与えてはいけません! 妻だけでなく屠自古も殺されたら私はっ!」

 

「み、神子様…。何故守屋は我を欲するのでしょうか? もはや奴にとって我には何の価値も…」

 

言われてみれば確かにそうだ。そこで怒りに我を忘れていた事に気づき、一旦深呼吸をする。

屠自古を人質に要求するならば、こちらがギリギリ要求に応えられる範囲内で、戦力を奪おうとしてくるはずだ。例えば武器を寄越せ、兵糧を寄越せ、叔父上を殺せと。だがそのどれでも無く、布都を寄越せと言っている。

反逆を起こした守屋がどうやって戦力を集められたのかは分かる。襲撃を始める前に、各地に蘇我が尾興殿を殺したと嘘の文を送ったのだ。先に偽の情報を広める事で後から我等が否定しても、裏切られた末に尾興殿を殺され、感情的になった物部の者達は誰も信じないだろう。仮に民達の間で真実が広まろうとも、それも結局蘇我が広めた噂で片づけられる。

……そうか。だから守屋が布都を欲しているのだ。ならば守屋は下手に布都を傷つける事はできない。これは上手く行けば…。そうするには敵地にいる布都からの情報が必要となるが、手荒な真似はされなくとも監視はあるだろうからそれは難しい。

 

「……」

 

「神子様?」

 

「…そうだった。そもそもお前は私から離れられないのだったな」

 

私の悪い癖だ。物事を考えるにあたり、一度決めてしまった前提条件を中々変えられない。その結果が今の状況を生み出したと言ってもいいのだ。

 

「離れられない? あえて黙っていましたが布都さん。あなたの心が私に無いのは分かっていましたし、それをとやかく言うつもりはありませんが、私の前では隠そうとはしませんか?」

 

「…すいませぬ馬子殿…。でも、その…」

 

叔父上の言葉は正論だった。私達に対し怒鳴り散らさないだけ、叔父上はまだ客観的に物事を見てくれている。

布都も心は衰弱しているが、思考力まで衰えている訳では無いので叔父上の言葉は尤もだと理解している。だがその上で、布都は私から離れられないのだろう。

 

「叔父上。今の布都の反応を見ても分かる通り、彼女はご両親の死が原因で非常に心が不安定なのです。私が言っても嫌味に聞こえるだけかもしれませんが、今は多めに見てやってください」

 

「…分かりました。では私は軍議室に向かいますので、豊聡耳様もお早く」

 

愛する妻が殺され、娘が人質にされている叔父上の心境もまた辛いものだろう。よく見ると目の下に隈を浮かばせている叔父上は、少し猫背になりながら部屋を去って行った。

叔父上が去った事でまた私と布都の二人っきりの空間に戻る。前線に出るなと言ってすぐに、布都を敵地のど真ん中に送り込むのは随分と都合のいい話だ。だから私はその話題を言おうにも言えなかったのだが、無言の間は露骨だったか布都からその話題を振って来た。

 

「神子様…我の力が、必要なのですね?」

 

やはり布都は自分の力が必要不可欠だと気付いたか。

 

「だがあなたは――」

 

「大丈夫、です…」

 

そんな顔をされて大丈夫と言われても説得力が無い。仮に無理やり布都に作戦を遂行させたとしても、私から離れたら作戦どころか何も出来なくなってしまうのだ。そんな彼女に大役を任せられない。

かと言ってそれ以外に屠自古の身を守る方法はかなり限られる。

 

「布都。今あなたは屠自古の事は考えなくていい。あなたはこれ以上背負ってはいけない」

 

「だ、大丈夫です。その、神子様が普段身に着けているものがあればきっと…。それを神子様として思えば、神子様からもは、離れ、られ、る、かも…」

 

「私から離れるとすらまともに言えないのですよ。今のあなたではとても。それに、仮に私の所持品を持って正常を保てたとしても、それを奪われたらどうするのです?」

 

「そ、それは…。でも屠自古が!」

 

分かっている。私とて屠自古を助けたい気持ちは一緒だ。だがこの状態の布都を守屋の手に渡せばどうなるかは分からない。些細な言葉に騙されるかもしれないし、下手すれば殺されるかもしれないのだ。

しかし布都を守屋の元へ送るのが最善策な事に変わりない。

 

「……なら私の服を置いておく。それで一度離れ、もし布都がしばらくの間大丈夫だったらそれで話を進める。駄目なら大人しく諦めなさい」

 

「は、はい…」

 

私が上着を脱いで布都に与えると、彼女は切なげな表情をしながらそれを受け取った。上目遣いで見つめてくる布都の頭を軽く撫で、部屋から立ち去った。背中からは微かに乱れた吐息が聞こえたが、聞こえないふりをした。

軍議室に向かう最中に視界に井戸水を汲む侍女の姿が入り、私は何も考えずにフラフラとそちらに歩み寄る。私の姿を見て驚いた侍女だが、空の容器を持って来いと命じるとすぐさま持って来てくれた辺り、やはり宮に仕えているだけはある。

侍女を下がらせ一人になった私は、桶に映るゆらゆらと揺らめく自分の顔を見ながら呟いた。

 

「…布都。すまない…」

 

彼女の心は壊れてしまった。人の心とは決してもろいものでは無い。きっと昨日の布都の周りで起きた出来事を、別の誰かが体験した場合、必ずしも心が壊れるとは限らないだろう。だが布都は壊れた。それはきっと、どこまでも真っ直ぐに進んできた、純粋な彼女だからこそそうなってしまったのだ。

侍女が持ってきた容器で桶の水を汲む。容器いっぱいに入った透き通った水。きっと一昨日までの布都はこれだったのだ。容器は布都そのもの、水の透明さは布都の真っ直ぐで純粋な心で、容器いっぱいの水は今まで布都が積み重ねて来た、努力や人間関係や、愛情や信頼と言ったもの。だが昨日、この水は変わった。

私は屈んで砂をひと掴みすると、それを容器の中に放り込んだ。途端に水は土色に濁り、汚らしい土が容器に広がる。そして汚れた水を一度地面に捨てると、一度空の容器を眺める。この空っぽな容器が、私に抱かれる前の布都。

そして今度は空の容器で土を掬った。水を掬った時の様に容器いっぱいとはいかないが、今の布都の心は、土がいっぱいに詰まったこの容器なのだろう。今まで自分が貯めて来たものの代わりとして、私と言う名の土を無理やり心に敷き詰めている。

…やはり、抱くべきでは無かったのだろうか。空になった容器を一気に満たすのではなく、少しずつでいいから時間を掛けていれば。

 

「私はどこまで間違えればよい…。何が天才だ。何が神の子だ」

 

「神子様…?」

 

私の名を呼ぶ彼女の声が耳に入り、慌てていつもの表情を作ってそちらを振り向くと、僅かに体を震わせながら、私が着ていた衣服を大事に抱きかかえている布都の姿があった。

 

「大丈夫で、ございますか?」

 

「それは私が言いたい。僅かに体が震えているが、どうだ?」

 

「我は平気、です。これなら…」

 

付き合いの長い私でなくとも、無理して告げた言葉だと分かるだろう。でもこれ以上布都を止めても、それはまた彼女を苦しめる要因となるだろう。守屋が布都の身柄を要求している以上、屠自古を助けるには布都の力に頼らざるをえない。

 

「…分かった。軍議室に行こう。そこで私の考えを伝える」

 

「はい」

 

私は布都の手を握ると、彼女の手を引っ張って軍議室に向かった。

 

「布都。お前の心がどうなろうとも、お前が望む限り私はお前の傍にいよう」

 

「えっ?」

 

「だから、今回だけは耐えてくれ…。屠自古を、頼む…」

 

「…はい。我にお任せを…」

 

 





なんだかなぁ…シリアスな百合っていいよね(恍惚)
ヤンデレ百合はポエム斬りを思い出します。
でも私の中のヤンデレはヤンデレの妹CDみたく傷つけるのではなく、今回の布都ちゃんみたく文字通り病気なのが好きです。

正直神子様視点はあまりやりたくなかったのですが、布都ちゃんがおかしくなってしまった以上仕方ない。布都視点にしても、やはりどこかで客観的に布都の心境を説明しないと布都の重みがあまり伝わらないので。

案の定と言うべきか、青娥は色々と引っ掻き回しますね。原作では既に神子様が世を収めた後で会ったらしいですが、こんなに無意味に話を引っ掻き回せるキャラは放置できません。まさに東方界のナイアルラトホテプ(リアル童貞)
とりあえず困ったら青娥か嬢娥の所為にしよう。
でも真面目な話、紫とか原作意識したらそこまで便利キャラじゃないと思うんですよね。(というか紫は便利過ぎて逆に不便)それよりも人に惹かれやすい青娥は非常に使いやすい……気がしますん。

まあなんでこんな話をするのかって言うと、わざわざ執筆する気は無いですけど脳内で時折他キャラ憑依を稀に想像しているからです。
うどんげかナズーリンの憑依はいいなと思っております。特にうどんげの能力は東方一好きです。厨二過ぎてもうね。
そう考えるとやはり従者組は結構動かしやすい気がします。しかしくんぬしさんも言っていましたが、妖夢は主人公にするには使いにくい。
そして私の中の憑依最難関が純孤です。


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交渉

更新が遅れて申し訳ありません。
書きたいとは思っていたのですがどうもパソコンを前に置くと意欲がなくなってしまい、試しにスマホで執筆したら(執筆速度は遅いですが)進みました。
必ずしもパソコンが効率いいと言う訳ではないみたいです。

それと今回一ヶ所間違ったルビを振っているのですが、わざとです。




「ここから出せ! 脳筋外道醜男!」

 

「仏教徒だけあり下品な女子だ」

 

「ハッ、悪いことはすぐに仏教に繋げる。まるで子供だな」

 

気絶していた私が意識を取り戻した時には、既にこの狭い部屋に閉じ込められていた。ここがいったいどこで、どういった経緯でここに連れてこられたのか。混乱していた私の前に現れたのは、気絶した私をここまで運んだと語る青娥だった。青娥は私の質問を一切受け付けず、ここが物部守屋の館で、今私は人質となっている事だけ伝えると、クスクスと見た目だけは上品に笑いながら壁に穴をあけて部屋から出て行った。私もその穴を潜ろうとしたが、青娥が抜けるとすぐに穴は塞がってしまい、それからは誰一人としてこの部屋に入ってきていない。

私を閉じ込めている物部守屋の事は知っている。何たって過激な廃仏行為を率先してやっていた奴の名だ。何度父上の口からその名が忌々しげに出てきたか、両手だけでは数えきれない。

そして今現在も変化のないまま閉じ込められている私は、閉じ込めている張本人、物部守屋が偶然近くを通ってきたのでこうやって怒鳴っていた。

一応大切な人質として扱われているのか部屋は綺麗だが、私の背丈で大の字に寝っ転がるのがギリギリなくらいに狭くて非常に居心地が悪く、その不満も込めた怒鳴りだった。

 

「私を人質にしたって無駄だぞ。父上はそんなに甘い性格じゃない」

 

「ギャーギャーと煩いぞ。やれやれ、布都嬢といい最近の女子は随分と活発だな…」

 

「私をあいつと一緒にするんじゃねぇ!」

 

扉をバンバンと叩きながら格子の隙間から部屋を覗く守屋へと怒鳴るが、奴は呆れ顔をするだけでまともに取り合ってくれない。

ちくしょう…。神子様や父上の足枷になりたくないのに、どうすればいいんだよ。

 

「それと、もう騒ぐのは止めた方がいい。あまり生意気な態度を取るなら、馬子に送ったこの文の通りになるぞ」

 

すると守屋は一枚の文を格子の隙間から部屋に落とした。

文の最後の方に汚れがあることから、本来ならこの文を父上に送る予定だったのだろうが、この時の私は細かい所を気にする余裕も無かった。

本当に強い女なら、この文を見てもなお戦い続けるのだろうが、私にはできなかった。そこに書かれている内容は、父上が要求に応えなければ私を公衆の面前で犯し、最後には拷問して殺すと書かれたもの。私も蘇我も頭領の娘。いくら政治に興味が無くとも、それでも役人達の汚い話はどうしても耳に入ってくる。話の中には下品に笑いながら、拷問をして白状させたと言う役人の声が入った事もある。私はその時、その下品な役人に対して嫌悪感を抱くことはあっても、拷問された人の事を可哀想だと思いはしなかった。いや、少しは哀れみを持ったのかもしれないが、それもほんの僅かだ。だって、私には無縁の話であり、噂話で終わる事であり、非現実な世界だからだ。だが私は今、その非現実の世界に立たされている。

政治の裏側が視覚化した言葉の連なりは、私の心を恐怖に染め上げ、足腰の力を奪うのには十分な力を持っていた。

 

「お前程の美人を犯したいと思っている男は大勢いる。どいつもこいつも豊聡耳皇子の様な美男子とは程遠い男ばかりだ」

 

「……っ!?」

 

言葉が出なかった。たった一枚の文を見せられただけで屈してしまった事が悔しかったが、一思いに殺すよりも惨たらしい屈辱と拷問を自分が受けると思うと、歯がガタガタ震えて何も言えない。

布都だったら、布都の様に強かったら私だって戦えるのに…っ。

 

「布都嬢が来てくれるのを祈っておくのだな。拙者とて本心ではない」

 

「っ…よく言う。こんな事書いておいて」

 

「それを書いたのは拙者では無い。もっとも、お前がどう思おうが構わないが」

 

吐き捨てるようにそう言うと、守屋はどこかへ去って行った。

また一人っきりの静かな空間に戻ると、私は開かれた文をクシャクシャに丸め込み、扉を背もたれに座り込んだ。

 

「嫌だよ…助けてよ神子様…」

 

さっきまで粋がっていたのに、たった一枚の紙を渡されただけで瞳の奥から涙が溢れ出てしまい、自分でも情けない奴だと思う。

でも怖い。拷問も凄く怖い。拷問と言うくらいだから、きっと殺してくれと悲願するような苦しみなのだろう。でもそれ以上に、私の身体を神子様以外の奴に触れさせたくなかった。神子様は何もできないこんな私を愛してくれる。そんな気持ちを裏切りたくない。

……もし布都が私の立場だったらどうだろう。強いあいつの事だ。こんな文なんか見せられても一歩も怯まずに、自分なりの方法で戦い続ける筈だ。結局私は布都に何一つとして勝てない。政治もよく分からない、歌もそんなに上手くない、剣も振れないし容姿だってあいつの方が可愛い。唯一勝っているのはあいつより成長したこの身体くらいだけど、そんなもの勝ったとは言えない。

 

「なんで私はこう…嫌な奴なんだ…」

 

気が付けばいつもいつも布都に嫉妬している。布都は神子様との結婚を捨ててまで、物部と蘇我の平和のために父上と結婚した。私は絶対にそんなことできないし、そもそも思いつきもしない。

私が神子様の正妻になってからも、布都は私を暗殺者の手から守ってくれた。わざと私を殺す事だってできたのに。

 

不意に脳裏に浮かんだ、私を見捨てて幸せそうに口づけしている神子様と布都の姿。二人はこんな弱い私とは違い、真っ直ぐで優しい。きっと私を助けようと今も何か策を考えてくれるだろう。

でも私なんかを助けるために、将としても優秀な布都を送り込んで来るとは思えない。私の身と布都の身では価値が違う。結局私は好きでもない男達に汚され心を殺された後、体まで殺されるのだ。

狭い部屋の片隅でその時が来ないことをひたすらに祈り続けてどれくらいの時間が流れただろう。扉の隙間から漏れる太陽の光が作り出す影が、この文を見た時に比べると大きくズレている事に気付いたとき扉が開いた。開かれた扉からは二人の屈強な男が入ってきて、私を見下ろしながら言った。

 

「おい、守屋様がお呼びだ。出ろ」

 

「えっ?」

 

嘘…? まさかもう?

でも非力な私がこの男から逃げられる訳がなく、それが二人となれば抵抗すら許されないだろう。

半ば茫然とした頭で立ち上がると、二人の男達に広々とした一室に連れられた。まずはここで犯されるのかと想像するだけで吐きそうだったが、部屋の中には複数人の男に囲まれた女の姿があり、少なくとも今すぐに犯される心配は無いだろうと安堵の息が出た。男に囲まれた女こそ、守屋が要求していた布都その人だったのだ。

だが安心したのはほんの一瞬で、私は不思議とすぐに現実を見る事ができた。確かに布都は私を助けてくれる存在だが、それは同時に守屋が欲しがっている重要な人材。私なんかの為に差し出してよい相手ではないのだ。

 

「馬鹿野郎! なんでここに来てんだよ! 私なんかほっとけば…っ!」

 

「神子様におぬしを頼むと言われた。だからここに来ている」

 

私の方をチラリと見ながらそう呟いた布都の顔は、何処と無く辛そうだった。顔色が悪いと言うよりも生気がないような、理由もなくそう感じられた。

 

「よく来てくれた布都嬢。まずはその事に礼を言おう」

 

「っ…。父上と母上を殺しておいて、よくのこのこと我の前に顔を出せるな」

 

なっ? 布都のご両親を殺した!?

それが本当なら守屋は物部から見て反逆者じゃないか。何故守屋に多くの兵が付いている?

 

「全ては仏教を滅ぼすため。戦乱の世に犠牲はつきものだ」

 

こいつ、あろうことか自分で殺しておきながら、布都にそう言うのか。しかも一瞬たりとも戸惑いや動揺を見せていない。コイツの中では神道が全てであり、その他の宗教は忌むべき邪教。邪教を滅ぼすためなら同族を殺すことも躊躇は無いのか。

布都の背中は怒りから震えている。

 

「それで……おぬしは屠自古を人質に我に何を望む」

 

「ああ、襲撃の甲斐あってか無事に物部の軍勢を集めることに成功した。だが父上と尾興殿の仲の悪さを知ってる者からすると、今回の反逆は蘇我だけでなく拙者も怪しく見えるらしくてな。ここで拙者を疑ってくるとは予想してなかったが、布都嬢が生き残っていてよかった」

 

怪しいも何もてめぇが犯人じゃねぇかと、怒鳴りつけようとしたが、後ろにいる男二人に押さえつけられそれは叶わなかった。

そういやこいつ等、守屋が布都のご両親を殺したって聞いてもなんも反応しなかった…。守屋の息の掛かった奴等ってことか。

 

「布都嬢は拙者の元で軍師として働いてもらう。もっとも、軍師と言っても形だけだが」

 

なるほど、そう言うことか。政治に詳しくない私だが、守屋の考えは実に分かりやすかった。要は布都をどこか適当な位に置いておくことで、自分への疑いを晴らしたいのだ。

物部本家の生き残りの布都が自軍にいることは、それだけで兵士の士気はあがり、集まってきた有力者達の信用も得られる。

だがそれはあくまで布都が大人しくしていればだ。あのじゃじゃ馬な布都がそんな要求に答える訳がない。

 

「……分かった」

 

しかし布都の答えは私の予想とは裏腹のものだった。

 

「な、何言ってんだ布都! 私の事なんか気にすんな! さっさとそいつらを倒して、お前のご両親を殺したのはそいつだって叫べよ!」

 

そうだ。今僅かにでも守屋へ疑いの目が向けられているのなら、それを利用しない手はない。守屋を疑っている有力者の前で真実を語ればそれで事は済むのだ。

だが布都はそうしようとせず、ただ生気の無い瞳で私を見つめてくる。

 

「叫んだらどうなる? 人質のおぬしは無惨な死を迎えるだろう」

 

「それくらいの覚悟、神子様と結婚した時からできてるさ!」

 

「そうか…。おぬしは我とは違い強い女だ。そうかもしれん。まこと、凄い事だ。だが神子様にはおぬしを捨てる覚悟は無かった。我もまたそんな神子様を捨てる事はできない」

 

布都は今までに無いくらい静かに、冷淡に告げた。いや、告げると言うよりも、ただ言葉を並べただけだ。錯覚なんかじゃない。明らかに布都の様子がおかしい。

心がこの場所に存在せず、まるでどこか遠くをぼんやりと見ている。

守屋もまた布都の変化に気づいたのか、嬉しそうに頬を緩めている。

 

「何言ってんだよ布都! 今ここでそいつを止めなかったら大きな戦が起こるんだぞ! お前の大好きな民が沢山死ぬことに―-」

 

物部の軍、蘇我の軍と言っているが、結局その兵士のほとんどが徴兵された民。布都に会うまでの私は、民のことを、私達豪族に奉仕するだけの存在と思っていた。だが布都の話を聞く内にその考えは変わった。自分がいかに愚かだったのか気付いたのだ。民こそ力であり、財産であり宝である。そう私に語る布都の真剣な表情は今も鮮明に覚えている。

だが私の言葉は、酷く冷たい布都の声によって遮られた。

 

「それがどうした?」

 

「……え?」

 

「民など、物部など、蘇我など、もうどうでもいい。ただ神子様が我の隣にいてくれたら……。あぁ、神子様……」

 

布都は虚ろな瞳をしながら、身に纏っている服をギュッと抱き締める。感情に身を任せていたので今まで気付かなかったが、それは普段神子様が着ておられる男物の着物だった。

もはや普段の布都を知らずとも、今の布都が異常なまでに神子様に執着しているのは誰の目からしても明らかだ。守屋の側にいた男達も、守屋と同じようにニヤニヤと布都を笑っている。

何笑ってんだよ……。こうなった原因はお前達なんだろうが……っ!

 

「ハッハッハ! なるほど、布都嬢の考えは分かった。ならこの娘の身の保証に加え、拙者に協力したらもう一つ約束しよう」

 

「……神子様…愛しております…」

 

「……ふん、一度しか言わんぞ。この戦、我等物部の勝利は約束されている。だが念には念を入れるべきだ。布都嬢、おぬしが本当に飾り物ではなく軍師として働いてくれるのなら、豊聡耳皇子には一切危害を加えないと約束しよう」

 

何だよその条件。そんなの信用できるわけ。

 

「分かった。……だが、神子様に傷一つ付けてみろ。貴様等の家族と嶺民を皆殺しにしたあと、永遠の苦痛を与えてやる」

「っ!?」

 

刹那、先程まで勝利を確信して笑顔だった男達の表情が恐怖に塗り変わった。それは私も、私を拘束している兵も、守屋も同じだった。布都の声が、人の心を感じられない残虐な妖怪の声に聞こえたのだ。

布都の言っている事は嘘でもハッタリでもない。このおかしくなった布都ならやりかねない。今もなお神子様と呟いているこの女なら本当にやりかねないと、声を聞いた全員が心の底から恐怖している。

私はまだよかった。だが布都の殺気を当てられている守屋の側にいた男の内一人が、その殺意に耐えらなかったのかバタリと口から泡を吹いて倒れた。

 

「と、とにかく交渉は成立だ。だからその殺気を納めるのだ」

 

布都にその言葉は聞こえていなかったのか、虚ろな瞳で何もないところを見上げ、またもう一度神子様の名を告げた。守屋に対しての返事は無かったが、布都から放たれていた殺気はスッと消えた。

 

「も、守屋殿。ほんとうにこのような気狂い(きぐるい)が軍師として役に立つのですか?」

 

「ああ、間違いない。それにおかしくなったからこそ使える。万一我々に不利な状況を作ろうとすれば、その小娘を晒し者にすればいい。そうなれば豊聡耳皇子を傷つける事になる。今のこの女にそれは出来ない」

 

守屋の視線が私の方に向くが守屋の言葉は耳を通り抜け、気にもならなかった。

私はただ、おかしくなってしまった布都の背中を眺めているしかできなかった。





う~ん、難しいですな。戦記ものが上手い人って、普段どんなもの見ているのでしょうか。

にしてもなんかドロドロしてきたなぁ。いやぁ、楽しいです(ゲス顔)
こう布都ちゃんって凄く涙目にさせたくなりますよね。布都斬りてぇ…。


前回投稿してすぐのお気に入り増減を見ると、やっぱりここ数話は特に人を選ぶ回だと思います。特に前回は、しばらく時間を置いて自分で見てみると正直な話、違和感を覚えたりもしました。しかしまた数日置いて見てみたら我ながらよく書けてんじゃんとも感じたので、その時の心境によってもまた感じ方が大きく変わるのかもしれませんね。
まあ小説ってんなもんだと思いますん。
で、まあ行き着いた結論ですが、少なくともシリアスな話は朝読むもんじゃねぇなと思い、昼に投稿しました。


そんなことよりも大事な話があります。
実はですね、最近特に神子様がセクシーで悩ましいです。装飾品着けている神子様の手足首色っぽいよぉ。もえ先生のマントにくるまる神子様がもう……ね?
一度神子様の色気に気付いてしまうともう遅いです。


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賢将


け、賢将…っ

ナズーリンに キミはほんとに馬鹿だな と言われたいです。
でも一番は ほんとに探していたものが見つかったよ と赤面で言われたいです。
ナズ可愛いよナズ。


因みに今回の話とナズーリンは一切関係ありません。
(ナズを期待した方は)悔しいでしょうぬぇ


私は守屋様の父上、麻沙良様の代から仕えていた者である。私は記憶力が良い方であり、特別裕福な家では無かったが時折麻沙良様からお借りした書物の内容を事細かく覚えていたことから、その知恵を買われて今や守屋様の参謀となっていた。

本家の生き残りの娘がこの屋敷に来た時も私はその一室におり、事の終止を見ていた。声を荒げる下品な蘇我の小娘に、堂々とした立ち振る舞いの守屋様、そしておかしくなった本家の娘。

この娘の事は昔から気に入らなかった。それは私だけでなく、他の者達もまた心のどこかでは嫌っていたに違いない。女子でありながら剣を振るい、矢を放ち、表舞台に堂々と出るその姿は品が無いとしか言えない。だがそんなものはただの表面上の理由でしかない。結局のところ、私もその他の者も彼女に嫉妬しているのだ。

何人もの男を相手にしても、もろともしないその強さ。斬新な発想と年不相応の知識を持つ才覚。顔でも悪ければそれをダシに笑えるのだが、絶世の美男子と噂される豊聡耳皇子の隣にいても見劣りしないとのこと。事実、初めて彼女を見た時は、不覚にも彼女の美貌に感嘆したものだ。

そう、だから私は彼女を嫌いではあるが、本当に心の底から憎い訳では無い。他の者もまたそうだ。何しろ蘇我を庇護しているのにも関わらず、未だあの守屋様の評価が下がっていないのだから驚きだ。確かに守屋様は彼女に対して、蘇我を守ろうとすることへの不満を持っているが、それ以外の点では彼女を高く評価している。だからこそ、守屋様は彼女が馬子と結婚すると聞き人一倍怒ったのだ。

しかし私の評価は先の一件で下がった。私の知る物部の天才児は、豊聡耳皇子に依存した無様な女へとなり下がったのだ。しかもあろうことか、夫がいながら義理の息子の名前を私達の前で呼んだのだ。

守屋様はそんな女を軍師として取り込もうとしている。私にはそれが辛抱ならなかった。

 

私は少し乱雑に軍議室の扉を開けると、男物の着物に頬を摺り寄せている気味の悪い女の姿が目に入ってきた。我等物部の大戦の為の軍議に、こんな女がいると思うと吐き気がする。しかし守屋様の一言でこの場にいるからには、無理やりここから追い出すわけにはいかない。それにここには守屋様の腹心以外にも、先ほどまで守屋様の事を疑っていた各地の有力者たちの姿もいる。ここは適当にあの女が出した案に穴を見つけ、追い出すのが得策と言える。

 

一通り集まったのを確認すると、守屋様が軍議の開始を告げた。

同じ物部と言えど、血の繋がっていない者も居り決して一枚岩ではない。そもそも私は守屋様に仕えているが、私自身は氏など当然持っていない。なのでこの場に居る有力者達が各々案を出し合い、一番よいと思われた策を取り入れることとなる。

まず、最初の一人が話し始めた。もっともそれは策と言えるものでは無く、今あるこの軍勢で蘇我を滅ぼすという、ただの意気込みだった。だが感情的に亡き尾興とその妻の無念の晴らすと言えば、この場にいる多くの者がそれに賛同して今すぐにでも攻撃するべきだと叫び出した。叫んでいないのは、守屋様と私、そしてあの女だけだ。

先程から変わらずに着物を抱き続ける彼女の姿を不審に思った男の一人が、彼女に声をかけた。

 

「布都様! あなたは父上と母上の敵を討とうとは思わないのですか!」

 

(かたき)…? ああ、そうだな。だが今は全員の話を聞いてからではないか?」

 

少し意外だった。私の予想では豊聡耳皇子の名を呟くか、もしくは守屋様に皮肉を言うのかと思っていた。

随分と冷静な返事に盛り上がっていた男達は一度静かになり、咳払いをした男が別の案を繰り出した。

やはり流石本家の娘だけあって発言力が強い。本当に彼女がこの場で真実を暴露しないか、額から汗が流れる。しかし守屋様は大丈夫とおっしゃったなら、私はそれを信じるしかない。それにもし、真実を話そうものなら蘇我の娘の命は無い。あの女が何か不審な点を見せたら、守屋様の一声で殺せるようにしているのだ。

結局二人目の話も似たようなもので、蘇我へ突撃しようと言ったものだった。違う点と言えば、道中にある寺を壊して進もうと付け加えられている事か。

 

「次に、お前の案を伝えるのだ」

 

「はっ!」

 

守屋様からの命が下ると、私はなるべく落ち着いて話し始めた。軍師とはいかに冷静に状況を把握するかが大切である。説明する段階から既に、軍師としての裁量が試されるのだ。

 

「まず私は攻めるのではなく、守るのがよいと思われます」

 

「蘇我を相手に我等がただ突っ立っているだけと言うのか!?」

 

頭の固い男の一人が声を荒げる。これだから馬鹿は困る。

 

「我等物部の多くが弓の得意なものが多い。ならそれを活かすなら攻めるのではなく守り、確実に相手の兵力を奪っていくことがもっとも確実な策と言えましょう。更に唐から伝わる書物によると、攻めるには守りの二倍以上の兵力が必要となる。どうやら蘇我もかなりの兵を集めているようですが、二倍とまではいくまい」

 

「おぉ~」

 

私を怒鳴った男も含め皆の声が重なり合う。やはり唐から伝わる書物は決して悪いものでは無い。ただ唐は仏教であることがいかんのだ。何故神道の素晴らしさが理解できんのか。

どうやら攻めようと叫んでいた男達も私の言葉に呑まれたのか、守りの方針もありかと言っている。そう、自分の案を通すにはいかに冷静であるかが大事と言えよう。より先を見ている風貌のある者こそ、信用できるものだ。

 

「具体的にはどのように守る?」

 

「この屋敷を稲で大量に囲み、強力な壁とするのです。そうすれば蘇我の貧弱な兵は手も足も出ないでしょう」

 

再び部屋に男達の関心の声が重なった。そう、稲で囲い強力な防衛を築く事こそ私の案の最大の特徴。さながら稲城とでも言うべきか。

守屋様も何度も首を縦に振っておられ、私の案で確定の様だ。

 

「なるほど。では布都様、あなたはどう思われます?」

 

他の有力者の前であるからか、守屋様の口調が丁寧なものへと変わる。彼女はそれに対し守屋様にニヤッと笑って返した。挑発のつもりなのかは知らないが、やはり十四の小娘の挑発はその程度のものなのだろう。現に守屋様はただ冷静な表情で小さく頭を下げるだけだった。

 

「では我の案を話そう。まず我も、先ほどの彼と同じように守りを固めるべきだと考える」

 

「おお~。やはり布都様も」

 

単純な思考をしている男達の声が重なり合う。私が守るべきと告げた時とは随分と反応が違う。だがそれも当然だろう。いくら本家が襲撃されたとは言え順当に考えれば現時点の頭領はあの女であり、何より守りの方針の利点を先ほど私が説明した。大方私の案が良かったからそれに合わせただけに過ぎない。どうせすぐにボロが出る。

 

「じゃがこの屋敷を稲で囲うのはいかがなものかと思う」

 

「ほう…。私の案に何か不満があると?」

 

「ああ。まずこの屋敷は防衛に徹するにはいささか狭い。だがかと言って稲で固めるには広い、要するに防衛には不向きの大きさだ。広さは大事である。例えば弓兵が使う大量の矢を置いておく場所や、折れた剣や槍の予備、傷兵の医療施設、兵糧、水。これらをこの屋敷のどこに置いておく?」

 

やはり狂っても物部の天才児。その辺りには気づくか。だがまだ甘い。

 

「屋根裏や廊下をふんだんに使えばそれくらいの量造作もない。それにこの時の為に稲も多く蓄えておる」

 

「ふむ、まるで蘇我の軍勢が我が家では無く、こちらに来ると分かっていたような口ぶりじゃの」

 

「っ! も、守屋様!」

 

今の発言は明らかに悪意あるものだ。私は慌てて守屋様の方へ視線を向けるが、守屋様の反応は首を横に振るだけだった。それどころか私をギロリと睨むではないか。今のは私の失言であると、彼の瞳が怒鳴っている。

 

「おぬしがどれだけ戦について詳しいかは知らぬが、防衛に当たって注意すべきは火攻めと兵糧攻めだ。この二つに対する対策はあるのか? 火の矢が一斉に飛んで来たら稲はあっという間に燃えるじゃろう。一度兵糧の輸送が途絶えれば、たちまち兵の士気は落ちるじゃろう」

 

「稲は泥を固めておけばいい。こちらと向こうの兵力にさほどの差がないなら、兵糧攻めになることもない。囲んで来たら一点突破すればいい」

 

「なるほど、だが家自体に火が飛べばそれで終わる。唯でさえ防衛は兵糧との戦いになる。敵が放ってくる火矢に一々水を使っていたらあっという間に水が底に尽くだろう」

 

気味の悪いくらい淡々と述べる彼女の姿に、周りの者達の呟きに変化が現れた。

そうかもしれない、布都様の言う通りだ、ここでの守りは危険か。

完全に流れを逃したことに察した私は一度彼女の話題を逸らす事にした。そもそも彼女は私の案に反対するだけであり、自分の案を一つも出していない。他人の案に難癖を付けるのなら誰だってできるのだ。

 

「なら聞きましょう布都様。あなたの案を」

 

「ふむ、一度話題を逸らすか。それもまたよかろう」

 

こいつ…。どこまでも私を馬鹿にして。

 

「では我の案だが、我は山を使った防衛をしようと思う」

 

や、山だと!?

彼女の口から出たものは誰もが予想しなかったようで、ざわざわと辺りがうるさくなる。

 

「そもそも彼の言った、攻めるには二倍の兵力が必要。彼は攻城戦と言いたかったのかもしれんが、この屋敷で防衛に必ずしも二倍の兵力が必要とは限らん。まずうぬらにはあるその前提を壊しておこうと思う」

 

「そんなはずはない! 私が読んだ書物には確かに!」

 

「十なれば即ちこれを囲み、五なれば即ちこれを攻め、倍なれば即ちこれを分かち、敵すれば即ちよく闘い、少なければ即ちこれを逃れ、しかざれば即ちこれを避く。敵の十倍の兵力がいれば囲み、五倍であれば攻撃し、二倍であれば敵を分断して戦い、同等の兵力なら最善を尽くし、こちらの兵力が少ないなら引き上げ、敵の兵力が多ければ戦い自体を避けろ。おぬしの見たのはこれではないか?」

 

っ…!?

まさに私が読んだ書物そのものの内容だった。それは数年前に一度、ほんの短い時間の間に読んだものであり、記憶が曖昧になっていたのだ。それでもなおその言葉を口にしたのは、書物に書いてある言葉は信用を得るに当たって非常に高い効果が期待できるからである。

ここですぐに否定していれば、また周りの評価は変わっていただろう。だがあまりにも流暢に言葉を連ねる彼女に押されてしまった私は、咄嗟の嘘を吐くことができず、結果として周りからの視線が関心から冷笑へと変わった。

 

「そう、これには倍の兵力は分断しろとある。おぬしの言う戦法では分断どころか一点に集中してしまう。これでは駄目だ。次に我の知る限り、攻城戦に必要なのは三倍であり、それも条件として勇気、錬度、士気、装備同等の両軍においてだ。向こうに大王の名がある以上、士気や勇気が同等とは思えぬ。最後に、そもそもこの屋敷を稲で囲んだところで、それは城と呼べるものでは無い。我も唐の城をその目で見たわけでは無いが、少なくとも最低でも宮の大きさのものと城と呼ぶと我は思っておる」

 

……負けた。私の完敗だった。もはや私の言葉は誰一人として信用されないだろう。私もかつて討論になるにあたって、相手の知らぬ知識を並べて無理やり論破したことがある。この手の話になると、いかに相手の知らない話を知っているかになる。それが仮に嘘であろうとも、あそこまで堂々と話されては皆信じてしまう。

今すぐこの女に怒鳴りつけたかったが、私は守屋様の参謀としてこの場にいる。他の有力者がいる以上、ここで私がこれ以上恥をかけば、それは守屋様の恥となる。

私は爪が肉に食い込む程に拳を握りながらもひたすらに耐え、彼女の言葉に何も返さなかった。

 

「さて、では山での防衛について話すが、まず敵としては山を真っ直ぐと突き進むわけにはいかんだろう。人数が多ければ多いほど分断しなければならん。敵軍の細かな兵数は分からんが、おそらく三千はある。山の地形はそれだけで分担に適している。そして同時にこちらが上になる以上、地の利もあり、兵糧や武器を置く場所もある。無論飲み水も膨大にある。雨風も、今から掘っ立て小屋を建てれば申し分無いだろう」

 

山を使って防衛をする。聞けば聞く程納得できるものだが、それでも設備の整っていない場所に大人数で過ごすことができるのか? いや、それは難しいだろう。いくら今が七月の夏とは言え、外で寝れるものか。それに外だと妖怪もいる。

今まで私の案に散々難癖付けて来たが、今度はこっちの番だ。私は見つけ出したボロを指摘しようとしたその時だった。不意に視線を感じそちらを見ると、守屋様が私を睨みつけていた。最初は理由が分からなかったがすぐにそれが、これ以上恥を晒すなと言っている事に気づいた。

クソッ。この女、まさかここまで考えて自分の案を出す前に私の評価を下げたのか? ……いや、そんなはずはない。今のおかしくなったこの女にそこまで頭が回るはずが…。

 

「素晴らしい案ですな。ですが布都様。山は妖怪が多く存在しています。そこを根城にするのは無謀かと思われますが、そこはどうされるのでしょうか?」

 

まさかの援軍だった。最初に発言した男が、申し訳なさそうに彼女へと告げた。そこで周りの者達も山での防衛の最大にして最悪の弱点に気づいたようで、一気に騒がしくなる。

だが彼女は一つの動揺も見せず、小さくも雑音が混じる中ハッキリと聞こえる声でとある山を告げた。

 

「生駒山。神霊の加護により妖怪が嫌う山。そこを我等物部の拠点とする」

 




書いててスッキリした回でしたが、やっぱりこういう戦記物は難しいです。読むのは好きなんですがね、魔弾の王とか、落ちてきた龍王とか(後者は八割不純な動機で読んでいますが)
知識量がものをいうのか、センスが必要なのかすら分かりません。(おそらく前者でしょうが)


何だかんだ布都ちゃんは知識で論破した事ってそんなに無い気がします。今作で露骨な踏み台はこの人が最初でしょうか。以前守屋の登場時にも話しましたが、実は守屋も最初は口の悪い踏み台予定でした。

今回一人称にしたモブは確かに頭のよい人です。実際に記憶力だけなら布都ちゃんより上でしょう。
ですが単純に財力の差と言いますか、布都ちゃんは書物を何回も読めるのに対し、今回の男はほんとに時々しか見れない(という脳内設定です)。
印刷技術って大事ですね。印刷技術の発展は歴史に大きな影響を与えたと思います。
相手の知らない知識で論破するというのは、茨歌仙を意識しました。


それと豆知識的なものについていくつか。


まず布都ちゃんの言った長い言葉は孫子のものですが、これは遣唐使が日本に持って帰ったきたものであり、本来ならこの人たちは知らない筈です。ですが遣唐使前と後で細かく別けると何も書けなくなるので許してください(布都ちゃんが)なんでもしますから。

次に物部と蘇我のこの戦、丁未の乱(ていびんのらん)と呼ばれるものですが、戦死者が双方合わせて数百名らしいです。ですので本来なら数千ほどの兵はいないでしょうが、一国の命運を別ける戦いになると思うのでスケールアップしております。

あと攻撃する際に三倍の兵力が必要というのは近代に入ってからドイツ辺りの国がやった実験です。だから今回の男は記憶がごちゃ混ぜになっていた一方、現代の知識がある布都ちゃんはその違和感に気づけたのでしょう
(誰だよ記憶力がいいって言った奴)



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風邪ひいて遅れました。
でも一番の理由は見直しが面倒くさかったからです。
なら見直ししなければいいじゃんと思われる方もいるかもしれませんが、見直しは絶対に大事です。作品をよくするもっとも単純で大事な事が見直しだと思います。
だからと言って書き終わって二週間以上放置して見直しするのはどうかと思うのですよ。
とどのつまり非力な私を許してくれ。



物部の軍が生駒山へと移動している。その伝令を聞いた私はすぐに軍を生駒山へと出発させた。同時に使いの一人に生駒山の大まかな地図を書かせ、数十個の木製の駒も持って来させた。そこが間違いなく決戦の舞台となる。なれば必然的にそこの地形を把握する為の地図と、兵士に見立てた駒が必要だった。

注文した品は、本拠地となる生駒山近くの広場に着いた頃には完成されており、それ等を受け取ると机の上に広げた。宮にある机に比べ随分と不格好な机の上に広げられた地図を、私の他に叔父上や、秦河勝(はたのかわかつ)膳臣賀挓夫(かしわでのおみかたぶ)と言った我等蘇我に仕えてくれている氏の長達もそれを見る。

 

「物部の軍はこの川沿いを拠点としているはずだ」

 

私は地図の上に書かれた川の傍に適当な数の駒を置いていく。山で防衛をするなら水に困らない川の傍が一番だ。増水や氾濫を恐れて少し離れた場所にいる可能性も十分にあるが、かと言ってわざわざ川から遠く離れた場所に陣を構えるとも思えないので、川沿いにいると見てよいだろう。私の言葉に皆異論は無い様で、首を縦に振っている。

 

「山での防衛になる以上、敵兵の士気は決して高く無いはず。河勝、そんな時あなたはどうする?」

 

「一気に駆け上がって問題ないと。士気の低い兵士など勢いに押されすぐに逃げ出しましょう」

 

「だが敵とて馬鹿では無い。山での防衛が兵士の士気を下げるとは分かっているはず。それに見合う利点があるのではないでしょうか?」

 

河勝の言葉に叔父上が続ける。妻を失い、娘を人質に捕らえられてもなおその冷静な判断力。尊敬すべきか恐れるべきか。少なくとも今は前者か。

元々この国は大きな争いが少なく、山攻めはおろかここまで大規模の戦の前例が無いので、この戦がどう動くのかは読みにくい。叔父上の言う通り、まずは相手の立場になって動いていかなければならないな。

 

「ああ、こちらから攻める以上向こうの方が地の利がある。それだけでも厄介だが、向こうの方は既に数日前から生駒山に籠っている。兵一人一人が地形の把握もできているはずだ。これだけでも私達の方が不利と言える」

 

「ならば下手に攻めずにここで牽制していましょう。そうすればいずれ向こうが根を上げます」

 

今度は河勝の隣に立っていた膳殿が案を出し、数人の者達がそれに賛同するように首を振る。私もそれが効率的でよいとは思うが、山に籠もるからには、こちらが攻めて来なかった時の為に何らかの対策をするだろう。

我等を挑発するに当たって一番効果的なのはやはりあれか。

敵の立場になりどのような挑発をしてくるのかを考えていると、まるで答え合わせするかのように私達の前に伝令が駆け寄って来た。

 

「た、大変です! 山の麓に降りて来た敵が、仏にとんでもないことを!」

 

「大変なことだと! それはなんだ!?」

 

河勝の大きな怒鳴り声に伝令は僅かに肩を震わせながらも、河勝に負けない声量で話し始めた。他人より耳がよい私にはいささか喧しいが、戦場での伝令はこれが普通なのだろう。

 

「仏像を石の様に蹴ったり、真っ二つに折ったり燃やしたり、あまつさえ小便をかけたりと」

 

「なっ、なんと罰当たりなっ!」

 

伝令の言葉を境にさっきまで牽制しようと言っていた膳殿はもちろん、彼の意見に賛同していた者達の顔が憤怒へと変わる。唯一それを重大に受け止めていないのは私だけだった。冷静な叔父上もまた、仏を愚弄する行為に並々ならぬ怒りを抱いている。

そう、我等蘇我を挑発するに当たってもっともよいものこそこれだ。敵の挑発だと頭では理解しているが、怒りが止まらないのだ。私も一応仏教徒の端くれ。彼等とまではいかないが、楽しい報告では無い。

このまま敵の挑発を放っておいては、いずれ我慢できずに勝手に突撃する者も現れるだろう。そうなる前に一度、敵の挑発を止める為にもここは一度突撃を試みるか。

 

「敵の仏への愚弄、見過ごすわけにはいかん。まずは一度仕掛けようと思うが異論は無いな?」

 

「はっ!」

 

私の問いに全員の返事が重なり、小さく頷いてそれに返す。

我が軍は三千の大軍。それを大胆に三十に別けた計三十個の部隊で動くことにした。できるだけ数を減らすことで、山の中でも臨機応変に戦えるようにするのだ。

本当はもっと別けたかったが、あまりに戦力を分断したら一方的にやられてしまう。足場の悪い山での戦いな以上、敵も戦力を細かく分けて攻撃してくるだろうから、百人くらいが丁度よいだろう。

まずは七つの部隊を山へと向かわせることにした。

 

 

 

 

「敵軍。七つの部隊が接近中です! 一部隊百前後と思われます」

 

「凄いな。布都嬢の読み通りではないか…」

 

山に来てから早数日。その間にいくつかの小屋を作れたとは言え、それでも多くの兵が野宿となり結果として士気が落ち始めていた。まさか我等を騙してここに連れて来たのかと思っていたが、彼女の読み通りの展開になったことで、拙者の中に芽生えていた疑心は晴れていった。

この山の地図をぼんやりとした瞳で眺めている布都嬢を見ながら、拙者は彼女に声を掛けた。

 

「布都嬢、今からどうする?」

 

ここには拙者の息の掛かった者しかいない為、布都嬢に敬語を使う必要は無い。他の有力者はここから別の場所で待機しており、そうさせたのは拙者では無く布都嬢だった。何故わざわざ自分の不利な状況を作り出したのか、最初不審に思っていたが、もう布都嬢の敵対心は拙者には無い。彼女の心は豊聡耳皇子ただ一人に向けられているのだ。実に単純で分かりやすく、故に扱いやすい。

 

「…狼煙を上げればよかろう。それが最初の合図であろうが」

 

今にも消えそうな声で呟くと、あれからずっと着ている男物の着物に頬を寄せる。どんなに賢く武に長けていても、所詮は女子。心は男にくらべてずっと、脆くて浅はかなものだ。

しかし最初は不気味に感じていた彼女の行動も数日共にしていれば慣れるもので、今では周りの兵達も彼女の奇行に目もくれなかった。

 

「狼煙を上げろ!」

 

「はっ!」

 

拙者の合図と共に、既に用意されていた複数の薪に火が灯される。火はすぐに薪全体に広まり、やがて薪らは大きな煙を上げて空へと昇った。万が一この合図が見えなければ作戦は失敗になるので、念には念をと複数の薪を同時に燃やしていた。

無事に下に合図は伝わったのか、豆粒の様に小さい蘇我の軍の右翼側から物部の騎馬隊が現れた。騎馬隊は歩兵とは比にならぬ速度で敵の前線部隊に突撃……することはなく、ある程度離れた場所で馬を止め、騎馬上から矢を撃って攻撃した。騎馬上で矢を射るのは非常に困難である為、弓と馬の心得のある者達だけで作られた少数精鋭だ。故に敵を射抜く矢の数は決して多くはないが、それでも敵からすればたまったものではない。すぐに敵の歩兵部隊は矛先を騎馬隊へと変えて突撃した。すると騎馬隊は応戦するのではなく、歩兵部隊から背を向けて距離を取った。戦場にあるまじき姿だが、また一定の距離を保つと足を止め、矢を放つ。敵も負けじと矢を放っているが、こちらは精鋭のみで構成した部隊だ。飛距離も当然こちらが上であり、敵の矢は騎馬隊に届いていない。

 

「騎馬隊は命令通りに動いておるか?」

 

「ああ、だが他五つの部隊はそのままこちらに来ている」

 

「読み通りか。では麓にいる本隊にギリギリまで引き寄せるようにと伝えろ」

 

布都嬢は拙者ではなく、彼女の隣に待機していた一人の男にそう告げた。すると男は少し離れた場所でポツンと立っている男の元まで走り、布都嬢の命令を伝える。それを聞いた遠くに立っていた男は小さく頷くと、走るのではなく大声で先ほど布都嬢が命じた通りの内容を叫んだ。声での伝達にすることで命令を素早く送っているのだ。

因みにすぐ近くの男が叫ばずに走っているのは、一々叫ばれると鬱陶しいからとのこと。

 

「神子様。戦では情報伝達の早さも大切なのですよ。例え二百の兵を削っても…」

 

そう、この山には計二百人の兵達が部隊も組まずに突っ立っている。ただでさえこちらの方が兵力は下、にもかかわらず兵力を削いでまで情報伝達に力を入れるのが布都嬢の作戦だった。

戦力が落ちた分、その伝達速度は確かであり、麓の開いた場所にいる一人の兵が赤い大きな旗を振った。情報が伝わった合図である。

すると布都嬢は机に広げている地図の上にある駒を動かし、そして取り除いた。取り除かれた駒は、拙者の視界に映る光景と照らし合わせると、蘇我の部隊計五つだった。

 

 

 

 

 

 

「申し上げます! 六部隊、七部隊が他の部隊から離れ、数十人程度の騎馬隊へと突進!」

 

「なに?」

 

新しい伝令を聞いた私はすぐ、六・七部隊の近くに騎馬隊を模した駒を置いた。数十人程度の騎馬隊だと? しかも向こうから突進してくるのではなく、こちらが突進とは…。

 

「詳しく説明しろ」

 

「敵は弓を持った騎馬隊のようで、こちらが近づくと離れる様子」

 

弓、距離を取る…。そうなると騎馬隊は囮、適当な数の兵を釣り上げるエサと考えるのが妥当か。誘導した先には待ち伏せしている兵がいるはず。だが待ち伏せならそこまで兵の数は多くないだろう。ここはあえてエサに釣られ、物量で叩き潰すのが吉か。待ち伏せを見抜かれたとなれば敵の士気は大きく下がる。

 

「分かった。八から十の三つの部隊をそちらに回せ。そして十から二十までの部隊は――」

 

麓へ向かった五つの部隊へ続け。そう言おうとしたが、忙しなくやってきた伝令の男の叫び声により遮られた。

 

「大変です! 麓へ向かった一から五部隊が壊滅しました!」

 

「なんだと!?」

 

「どういうことだ!?」

 

先程の伝令とは違い、今度の伝令には私だけでなく叔父上も驚愕の声を上げ、椅子から立ち上がった。伝令は息を乱しつつも、大声で事を説明した。

 

「麓に敵の大量の部隊が現れ一斉射撃。瞬く間に崩壊しました。千近くはいたと思われます」

 

「しまった…」

 

私とした事が大きな思い込みをしていた。敵は山の地形を利用して、随所に兵を置いた防衛戦をしてくるとばかり考えていたが、山に拠点を構えたとしても地形が安定している麓なら兵を集めて置いておける。つまり今山の中はほとんどもぬけの殻であり、麓に兵が集まっているのだ。となれば麓への攻撃に力を入れるべきか。

 

「二十五から三十を残した全部隊は麓へ突撃しろ。川勝は援軍部隊の将を、膳殿は攻撃部隊の将を務めてください。細かい采配は各自任せますが、決して深追いはしないように。危険を感じればすぐに退却を」

 

「はっ!」

 

二人は声を重ねながら頭を下げると、闘士を纏わせながら早足で去って行った。

 

「山を拠点にすることといい、物部の奴らがここまで器用な戦い方をするとは思えない…。まさかとは思いますが豊聡耳様…」

 

「大丈夫ですよ。布都は私を裏切らない、絶対に」

 

冷や汗を垂らして少し垂れ目になった叔父上に軽く笑みを向けた私は、立った時に転げてしまった椅子を立て直して座ると、また地図上の駒を動かした。敵の攻撃は東、そして正面からか。更に狼煙の上がっていた場所はこの辺りか。なるほど、まったくお前は敵に回せば厄介だよ、布都。

数百の兵を失ったとはいえ、未だこちらの兵力が上。敵も野戦は望まないだろう。本格的に山での戦いが始まる。

私は待機していた兵士の一人を呼ぶと、残った兵を集めるように命じた。

 

 

 

「伝令! 十五部隊、奇襲に失敗し壊滅しました!」

 

「クソッ、やはり敵兵が多いな」

 

十五部隊とは騎馬隊を囮にして奇襲を仕掛ける予定だった部隊。伝令によると、少しは傷跡を残せたようだが、十五部隊を滅ぼした敵はそのままこちらに上ってきているようだ。戦の序盤、布都嬢は本隊を麓に固めて置いておく、至極当然だが大胆な案により敵兵を一気に数百減らすことに成功したが、もう一つの騎馬隊を囮とした作戦は失敗に終わった。こちらの方が被害は少ないものの、元の数がこちらの方が少ない分結果は五分五分と言ったところか。

 

「心配ならおぬしが前線に立てばよかろう」

 

「…いや、拙者もここにいる」

 

これまでの振る舞いから布都嬢がこちらを裏切ることはないと思うが、万一こちらを裏切るような事があれば即刻殺さねばならん。彼女の発言力は物部を束ね、そして分裂させる事ができる。そこは注意するべきだと軍師がしつこく言ってきたので、この場を離れるわけにはいかなかった。いくら布都嬢との口論に負けたとは言え、彼は亡き父上が買っていた軍師()だ。

 

「おぬしが前線に立てば百人力なんじゃがのう。まあよい」

 

それは拙者に限らず布都嬢にも言えることなのだが、軍師になったからには後方で命令を出すことに専念すべきだと、彼女はここから離れようとしない。それは布都嬢を見張り役でもある拙者もここから離れられないのだが、よく考えてみればここは崖沿いだ。いくら布都嬢と言えど、ここから飛び降りる事はできないだろう。すぐ傍に滝に打たれる泉もあるが、それも浅く飛び降りたものなら即死だ。万一裏切ったとしても逃げ道がないのだから、ここまで気を張って見張る必要もないのかもしれんな。

 

「八部隊を後方に下げて囮とし、九を前に出せ。八部隊を追ってきた敵を上下で挟み撃ちにするのだ。無論九は脇道を使って敵にばれない様に動け」

 

「はっ!」

 

「十部隊は十一、十二、十三と組んで中腹の(ひら)けている場所で敵兵を向かい打て」

 

「了解しました」

 

十部隊は通常の兵がいる部隊だが、十一は大盾を持った兵のみで、十二と十三は弓兵で構成されている。開けていると言っても通常の野戦にくらべれば狭い場所であるため、大盾を持った兵は巨大な壁になりうる。布都嬢直々の大楯部隊の訓練光景を見ていたのだが、いかにしてこちらが傷づかずに敵兵を傷つけるかを意識した戦い方を布都嬢は教えていた。巨大な盾の隙間から伸びる槍は非常に脅威である。その後方から弓まで飛んでくるのならなおさらだ。

 

「そして三・四部隊は丸太の用意をしろ。四の道、五の道から敵が上ってくるはずだ。数度転がした後、丸太に続いて突撃しろ」

 

また一人の伝令が少し離れた場所に立っている伝令へと駆ける。騒がしい戦の最中でならここ等で叫んでも敵兵には全く気付かれないだろうし、高度が下がるにつれ配置している伝令の間隔を短くして情報漏洩を防いでいる。

 

「伝令! 二の道から来た敵兵は逃亡!」

 

「そうか。ごくろう」

 

布都嬢はさほど興味なさげに朗報を流したが、二の道は足場も安定して道幅もそれなりにある非常に大事な道だ。ここを防衛できたのはかなり大きい。因みにこの、二の道や三の道などの名称は、基本的に担当する部隊と同じ数字にしており、山を正面から見た場合右から順に一・二としている。できるだけ分かりやすく、なおかつ細かく分ける事によって、より的確な指示ができるのだろう。蘇我がここに来るまでの数日間、一番忙しかったのが伝令部隊の者達と、部隊を率いる部隊長達だった。彼らはこの数日中ほとんど体を動かさず、ひたすら作戦と地図を頭に叩き込まれていた。

拙者はまたチラリと布都嬢が眺めている地図を確認すると、山の中腹の中心地に自軍の駒と敵軍の駒が大きく固まっていた。その他にも敵軍の駒はまばらにいるが、どれも自軍の駒がその進行を防いでいる。布都嬢は駒が密集した部分をトントンと叩くと、また一度豊聡耳皇子の着物に頬を寄せた後、伝令の男に告げた。

 

「おそらく中腹で硬直状態が続く。ここらの兵を支援へと回せ。負傷者を小屋へと運び、矢の補充をさせろ」

 

「っ、待て布都嬢!」

 

拙者は半ば無意識のうちに命令を止めた。ここらの兵を支援に回す。それは即ち、この付近にいる拙者の部下達をここから遠ざけるということだ。布都嬢は支援を理由に、警備を薄くすることが目的ではないかと根拠も無しに疑ったのだ。

 

「…なんじゃ? おぬしは負傷者や矢の尽きた弓兵の支援がいかんと申すか?」

 

「…いや、なんでもない。口を挟んですまなかった」

 

そうだ。この数日布都嬢に注意するようにと念入りに言われたせいで無駄に疑ってしまったが、これまでの伝令の多くが朗報である。布都嬢が今更敵に付くはずがないのだ。

 

 

 

それからも我が軍の防衛が崩れることは無かった。布都嬢の言う通り、中腹の中心が激戦区となっているが、大盾を持った十一部隊の力もあってか大きな被害はでなかった。それでも敵の勢いが衰えた訳ではなく、中腹の戦いは依然激しいものだ。

少し逸れた道から攻めてくる部隊は、あらかじめ仕掛けて置いた罠や奇襲によって脱兎のごとく逃げていった。罠は上から丸太を転がす、落とし穴などだ。前者は周りに木がたくさんあり、尚且つ斜面の多い山では使い勝手がよく、また後者の落とし穴は整備の行き届いていない山の中では見分けるのは困難だ。

どちらも自然の粗さを利用した罠である。山での防衛がどのようなものか見当もつかなかったが、かなりいい方向に働いている。

 

「そろそろよいか。待機していた部隊で一の道を使って、二の道から来る部隊の背後を取る」

 

「何故今この瞬間に? そもそも二の道から敵が来るという伝令はないぞ?」

 

布都嬢の口ぶりからするに何かを待っていたようだが、入ってきた伝令の中には二の道から敵が来ると理由づけるものは無かった。

すると布都嬢は現在激戦区となっている中腹を指さし、そこから二の道までを滑らせる。二の道と激戦区となっている中腹は直接繋がっているわけではないので、待機している部隊を使うなら援軍に回したほうがよいはず。

 

「中腹にいる兵はこちらの方が下。にもかかわらず未だ中腹の部隊は壊滅せず、それどころかこちらが有利。となると敵は正面からではなく、左右から中腹を襲おうとするだろう。そう考えた場合、相手が使う道は二と四」

 

「なら目立たない四の道を使ってくるのが普通ではないか」

 

「いや、四の道は足場が悪い。それに現時点では中腹がこちらの主戦力となっている。四の道を使って少数の兵を送り込んでも大した打撃にはならない。それよりもこちらに悟られてもよいから二の道を使って中腹にいる部隊を叩くのがよいと思うだろう。故に一の道を使って回り込ませ、二の道を上ってきた敵を叩く。中腹と二の道の間にも兵を置いておけばよいだろう」

 

流石物部の天才児。気がおかしくなろうともその頭脳は大人顔負けなんてものじゃない。まだ敵が二の道を使って増援を送り込んでくると決まったわけではないが、彼女についていけば物部は間違いなく勝てる。

勝利を確信した拙者は小さく拳を作り、蘇我の本拠点の方を向いて小さく笑った。

そしてそれから間もなく、また新たな情報が入ってきた。

 

「読み通り、二の道から敵兵が二百ほど来ておりました。現在交戦を開始しましたが、奇襲が成功してこちらが有利です」

 

「やはりか。ご苦労、引き続き情報収集を頼む」

 

布都嬢の一声に伝令は頭を下げてまた忙しなく麓の方へと走っていった。

素晴らしい…。最初の奇襲に失敗したものの、それ以降は全て布都嬢の思い描いた通りに戦が進んでいる。緊張感のない座り方をしているが、その小さい体には建御雷神(タケミカヅチノカミ)が宿っているようだ。いや、現に今、布都嬢には建御雷神(タケミカヅチノカミ)舞い降りているのだ、そうに違いない。我々物部には日の本の神々がついておられるのだ。

異国の神を引き入れた愚かな蘇我共よ。今日が、この戦が貴様らの最後だ。この戦は我々の勝利で終わる。そうなればこの日の本から仏教などと言う邪教は消え去り、また昔のように皆が神道を敬う時代が戻ってくる。

仏教を広めようとした大王及び、息子である豊聡耳皇子には責任を持って死んでもらうつもりだったが、豊聡耳皇子は大人しく布都嬢に渡すのが吉か。万一豊聡耳皇子に危害を加えようものなら、何百もの神を宿して布都嬢は拙者に刃を向けるだろう。いくら拙者が布都御霊剣を持っていようとも、神を宿した彼女に勝てるとは思えない。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだ。

 

「布都嬢、よくやった。やはり今から拙者も前線に立つ。なにか命令を――」

 

僅かに残っていた布都嬢への不信感がスッと消えた拙者は、布都嬢の肩に手をポンと置いた。布都嬢は一瞬中腹を指さして何か言おうとしたが、拙者の言葉も布都嬢の言葉も男の声によって遮られた。反射的にそちらを向くと、男はまるで妖怪から逃げるかのように全力でこちらに駆け寄りながら、酷く焦った声色でこう言った。

 

「大変です! 蘇我の兵が現れ、人質の娘が逃げ出しました!」

 

なっ――?

刹那、布都嬢の方へ視線を戻すと、眼前に先ほどまで彼女が腰かけていた椅子が飛んできていた。

 

 

 

※超簡略化した地図。参考程度に(PC専用)

 

              「小屋   崖

               (屠自古) 崖

                   」 

        |六 |  川 拠点(布都)  |七|

        |の |  川        |の|

        |道 |  滝 ――崖―――   |道|

        |  |  川    (   中腹    )

      |    |  川  森森(   中腹    )森森森森

      |五|森森|  川 |四|岩森森森森 |三|森森|  二  |森森|一|

      |の|森森     |の|岩森森森森 |の|森森|  の  |森森|の|

      |道|       |道|岩森森森森 |道|森森|  道  |森森|道|

     

 




Qスマホだと最後の地図(爆)が見れないのですがどうすればいいですか?
Aフィールで感じて下さい

Qフィールで感じるとはどういうことですか?
Aフィールで感じるということです


今回は一応戦ということで視点変更がどうしても多くなりました。こういう時は三人称にしたくなるんですよね。三人称に一人称を上手く混ぜつつ書いていればこんなことにはならなかったのですが、難しいので大人しく一人称で進めております。
しかし肝心な戦闘描写は一個もありません。あくまで指揮官側の視点で進めました。

前回の後書きでも似たようなこと言いましたが戦記ものは難しくややこしいので、少々強引ながら一話で終わらせました。次回は布都ちゃんが活躍しますよ。


◇以下今回出て来た二人についての豆知識的なもの
いつも通り雑に調べただけなので、ほどほどにお願いします。

膳臣賀挓夫(かしわでのおみかたぶ)
とりあえず丁末の乱の参加者一覧にあったので拝借したのですが、詳しくはしりませんが、天皇の食膳を(つかさど)る氏族だったとか。(食膳を掌るってどういうことなの…)
ただ聖徳太子の奥さん計四人の内一人が彼の娘のようです。

第一皇女(正妻)
推古天皇(当時は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと))の娘、菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)

刀自古郎女(とじこのいらつめ)
説明不要。可愛い。

橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)
WAKAEAN 気になった人は調べてみてください。

そして膳大郎女(かしはでのおほいらつめ)
産んだ子供は八人と四人の中で一番多く、聖徳太子の愛を一番受けていたと思われる女性。聖徳太子が亡くなる一日前に亡くなった事から、心中したとも言われているみたいです。

聖徳太子の子は十四人のようですが、神子様はどうしたのでしょうか。
やっぱり我等が娘々大先生のお薬ですかね(ゲス顔)


○秦河勝
ご存知の通り秦こころの秦ですね。
河勝は聖徳太子の側近であり、裕福な商人だったらしく朝廷の財政にも関わっていたそうです。平安京や伊勢神宮の建設にも関わっているとか。
今回の戦は丁末の乱の存在を意識して書いているのですが、その丁末の乱では守屋の首を斬ったという話もあるそうです。(他の誰かに弓で射殺されたとも見た気がしますが)
他にも沢山話はあるみたいですが、(これ以上調べるのは面倒なので)これくらいで。


こころちゃんを不純な目で見てしまう今日この頃。全部あのスカートが悪い



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脱出


これは経験不足からか性格からかは分かりませんが、どうも話を区切るのが不得意で掘り下げて行きたいタイプなんですよね、それも中途半端に。ですので綺麗に話をカットしている小説を見ると、これなんだよなぁ…としみじみ思います。



私が狭い掘立小屋から広々とした自然豊かな世界に飛び出せたのは、外の見張りの男達の悲鳴が聞こえてすぐだった。いったい何が起こったのか、寝転がっていた体を起こして立ち上がると、武装した複数の男たちがゾロゾロと小屋の中に入って来た。

他の男達よりも少し豪華な防具をしている一人の男が、私の前まで来ると膝まずいた。

 

「蘇我屠自古様でございましょうか?」

 

「あ、ああ…。ひょっとしてお前たちは」

 

「豊聡耳皇子のご命令により助けに参りました。ご無事で何よりです」

 

神子様が私を助けるために遣いを寄越してくれた。まだ敵陣のど真ん中だというのに、その事実がただただ嬉しくて自然と頬が緩んだ。

やっぱり神子様は私の事を捨てないでくれたんだ、よかった…。

嬉しさと安心からか、涙が一粒だけ零れた。男は空気を読んでくれたのか、静かに懐から一足の靴を取り出して私の前に置いた。そう言えばここに来るまでも籠で運ばれたから履物が無いんだった。この辺の気遣いも神子様らしい。ちょっとしたところに隠れた神子様の優しさを頂くのも、ずいぶんと久しぶりな気がする。私は急ぎつつも丁寧に靴を履いたのだが、もっと急ぐべきだったのだろうか。小屋の外から、戦が始まってから何度も耳に入って来た、伝令の男の声がした。

 

「蘇我がここにいるぞーっ!」

 

「くっ! もうバレたか!」

 

「隊長! 既に来た道は断たれております!」

 

「お、おい! 私も詳しくは分からないが、今戦の中心地は麓の方なんだろう? なら敵はそんなにいないんじゃ…」

 

私はバレた不満を言っているのではなく、強行突破できるのではないかと思ってそう聞いた。すると男は申し訳なさそうに小さく頭を下げると、周りの男達に命令を下した後に返してくれた。

 

「敵に覚られぬよう少数で来たので、敵が少しでも集まってしまえば…」

 

そ、そんな…。ようやく神子様の元へ帰れると思ったのに、結局ここから出られないなんて…っ。ずっと待っていた希望が一瞬にして、弱弱しい蝋燭の火のように消えてしまった。それはずっと狭い場所に幽閉されていた私には残酷な運命であり、私はこの時初めて仏の存在を疑った。真に仏が人を救うのなら、今ここでその加護を私に与えてほしい。

しかし私に希望の道を照らしてくれたのは仏ではなく、私を助けに来てくれた男だった。男の手は少し震えていたが、その内で何を思ったのか、ピタリと震えは止まると力強い瞳で私を見つめてこう言った。

 

「敵に見つかった場合は、なんとしてでもあなた様を物部布都様の元へお届けせよと、豊聡耳皇子から命を受けました。我々が道を開くのでどうか!」

 

「なっ!? お、お前等はどうするんだよ! こんな敵陣の中で残りでもしたら…。それに布都だって今は!」

 

「お願いします! 今はそれしか道が無いのです!」

 

「隊長! もう時間がありません!」

 

その身を挺して私に道を作ってくれる、だから男は手を震わせていたのだ。初めて会った私の為に、彼らは命を張って戦ってくれる。なら私は今ここで迷っている訳にはいかなかった。彼等の意志を無駄にしない為にも、私は大きく頷いて、彼に続いて掘っ立て小屋から飛び出した。

 

三十以上の物部の兵達がすぐ傍まで来ており、布都の元へ続く道からも十人近くの男達がこちらにやって来ていた。前方と後方の敵を合わせるとパッと見ただけでも四十五。それに対しこちらの兵はわずか十五だ。

 

「突撃! なんとしても屠自古様の道を作るのだ!」

 

「はっ!」

 

隊長の掛け声に、残り十四人の兵達の気迫の籠もった声が重なる。私を守る方法は至極簡単だった。前から来る敵をまるで騎馬兵の如き力で押しのけつつ、後ろから来る兵が近づいて来たら二人が足止めをする。単純で、残酷な戦法。私の足が遅いばかりに、私を入れた十六人の部隊は一人、また一人と少なくなっていった。

別れる間際、私に豊聡耳皇子とお幸せになって下さいと、皆笑顔でそう言ってくれる。神子様と婚礼の儀を上げた時にも同じ言葉を何度も言われたが、今の私にはその言葉がとてつもなく重く聞こえた。皆私より年上の男達だ。彼等には一人ひとり愛すべき妻がおり、そして子がいるのだろう。彼等は愛すべき家族を捨ててまで、私の為に命を使ってくれる。

 

「ぐああぁぁっ!」

 

また一人、私と神子様の幸せを願ってくれた男の悲鳴が聞こえる。これが、これが戦なのかよ…っ。こんな命のやり取りが、こんな悲しい戦いでほんとに世が変わるのか…。

私は恥を捨て、ボロボロと涙を零しながらひたすら走り続けた。つい先ほど知り合ったばかりの男達の死が、まるで長年の友や兄弟の死のように胸が痛むのだ。

 

「なんでだよ! なんでお前たちは自分だけ助かろうとしないんだよ!」

 

すると男達は一瞬私の方に顔を向けると、こんな状況でありながら何故か笑顔を私に向けた。まただ、死んでいった男達も同じように笑顔だった。どうしてこんな状況で笑える…。

 

「私達は屠自古様から土地を貰い、恵みを貰い、そして仏の教えを頂いた。私達はその恩を、税や戦と言った方法で返しているのです」

 

「ええ。そのおかげで私達は今こうしてこれまで生きて来られたのです」

 

返って来た彼等の意志は、また私には分からなかった。私は彼等に米粒一つとしてあげていないのだ。私はただ屋敷の中で毎日平和に過ごして来ただけで、彼等に土地を与えたのも、仏の教えを伝えたのも父上やお爺様達だ。恵みに関しては父上もお爺様も関係なく、彼等の努力の賜物によるものだ。

それでも彼等が嘘を吐いているようには見えない。こんな状況でわざわざ嘘を吐く理由も無い。彼等は本心からそう言ってくれるのだ。

 

「っ! ありがとう…。絶対、神子様と幸せになるから」

 

だから私は、これ以上彼等の意志を弱めない様にそう言った。

私が布都の元へたどり着いた時には、隊長以外の全員がその命を絶った。

 

 

 

 

刹那、布都嬢の方へ視線を戻すと、顔面に先ほどまで彼女が腰かけていた椅子が飛んできていた。拙者は咄嗟に両腕を交差させて顔面への直撃を回避し、後ろへ大きく跳んだ。交差する直前に、彼女の小さな腕が拙者の腰にある布都御魂剣に伸びているのが見えたからだ。

拙者は受け身を取るよりも布都御魂剣を渡さない事に集中し、一度彼女から離れるとすぐさまそれを抜いた。

 

「裏切り者ォォ!」

 

待機していた部下の数人が大声を上げながら彼女に突撃する。神道も使えない者が数人束になったところで彼女には敵わないと頭では理解していたが、感情がそれを拒んでいるのか、口が上手く動かずに部下を止めることはできなかった。

我が部下達の雄々しき突撃に対し、彼女は面倒くさそうに頭を掻きながら、地図を置いていたボロい木の机を蹴って彼等へと飛ばした。いくら木でできていると言っても大人数人分の距離を飛ぶものではない。予想だにしなかった攻撃に部下たちは対応できずに、机の突進をもろに受けた。そして彼女は倒れた部下の一人が手にしていた剣を奪い取ると、ひるんでいる部下たちの首を躊躇なく刎ねた。

 

「やはりボロじゃのう…。ちと斬っただけですぐ駄目になる」

 

彼女は力を失いバタリと倒れた三つの死体を気にも留めず、血に染まった剣を捨てた。

刹那、真っ白になっていた頭は怒りの炎で包まれた。

 

「貴様ぁぁぁっ!」

 

「ふふっ。おぬしが我に怒鳴るのか? 見当違いにも程があるぞ。こやつらが死んだのはおぬしが招いた結果じゃ」

 

「お前、いつから…っ!」

 

拙者は剣先を彼女に向けながら、唾が飛ぶのも気にせずに怒りのまま問うた。すると彼女は何を驚いたのか目を開き、そしてケラケラと腹を抱えて笑った。つい先日布都御魂剣を向けた時はその闘気を当てられただけで戦意を喪失したというのに、今は布都御魂剣に脅えている様子すら見られない。

 

「我等家族を殺しても文一つで物部が皆自分に従うと思っていた事といい、つくづくおぬしは馬鹿じゃのう。屠自古が人質になっておらんかったら、戦にすらならんかったかもしれんな」

 

「それでは!」

 

「ああ、端からおぬしに付く気は無い。我がおぬしの言葉を信用すると思ったのか? おぬしの言葉よりも妖怪の言葉を信ずるほうがまだ容易いわ」

 

彼女は拙者をニヤニヤと馬鹿にした顔で、嘲笑うように罵って来た。少しでも情報を聞き出そうと考えていたが我慢の限界だ。拙者は小さく、彼女の後ろに回っていた部下の一人に、彼女を殺す様に合図を送った。

だが部下の攻撃は空振りに終わった。気が付けば、一瞬の内に部下の後ろに回り込んでいた彼女は、部下の腰に掲げた短剣を奪い取り、それで首を掻き切った。同時に、近くにいた部下の一人にその短剣を投げつけ、目にも止まらぬ速度で飛ぶ短剣は部下の眉間に突き刺さった。

顔色一つ変えずに人を殺すそれは、まるで悪鬼の如き所業。

 

「なんじゃその目は? 我が妖怪にでも見えるか?」

 

「そうだ! 部下の命を弄ぶ貴様を妖怪以外の何と呼ぶ!」

 

「お~お~、これはまた見事なブーメランじゃのう。我が両親を殺し、我が門番を殺し、我を支えてくれた者を殺したおぬしが、命を弄ぶじゃと? …ふざけるのも大概にしろよクソガキ」

 

聞き慣れない単語が耳に入ったが、それが何かと考えようとは思わなかった。そんな余裕は無かったのだ。

自分より年下の、それも狂った小娘にガキ扱いされた。それは成人し、妻を持ち、今や物部を率いている拙者に対する最大の屈辱の言葉だった。

 

「殺す! 殺してやる!」

 

「布都ぉおおおお!」

 

拙者は怒りに任せ斬りかかろうとしたが、拙者の叫び声をもかき消すほどの女子の大声により、良くも悪くも冷静さを取り戻した。そこには人質にしていた蘇我の娘がこちらに走って来る姿があった。そうだ、豊聡耳皇子もこいつも、この娘を人質に要求を呑んだ。二人にとってこの娘の存在はそれほど大きいのだ。

なら…!

 

「その娘をなんとしても捕らえろ! その娘さえ人質にすれば奴は手も足も出ない!」

 

「ッ…屠自古! さっさとこっちに来んかノロマ!」

 

奴はそう言って娘へと駆け寄ろうとするが、同じく拙者も娘へと駆け寄ると、小さく舌打ちをして足元に転がっている小石を投げて来た。女子の投石など普通は怖くも無いが、投げる者があの布都嬢なら話は別だ。拙者もまた小さく舌打ちをして足を止め、投石の軌道から逸れた。彼女は娘へと向かっている部下達にも同じように投石をして足を止めようとしたので、それを止める為に彼女の方へと向かう。

 

「ええい! 生憎今貴様の相手をしている暇は無い!」

 

彼女は拙者から離れながらも器用に体勢を崩して石を拾い、それを投擲してくる。しかしいくら速かろうと所詮は石、鎧を着ている拙者が注意すべきは顔のみ。事実投石は顔面を狙ったものが多く、正確であるがそれ故に弾きやすい。

 

「豊聡耳皇子はどうした! 彼がいなくては心が落ち着かんのではないのか!」

 

「ああ! 貴様の所為かおかげか、今でも神子様が愛おしくて集中できぬ。詫びの一つでもしたいのなら、今すぐ屠自古をこちらに渡して神子様に会わせて欲しいものじゃ」

 

どうやら拙者はもちろん、部下たちも裏切りを受け冷静に分析できていなかったようだ。今まで奴の気迫に押されていたが、よく見ると手足が不自然に震えているのが分かる。それでも拙者の部下たちが手も足も出なかった事を見ると、やはりとんでもない輩だ。

 

「屠自古様! 今です!」

 

聞き慣れない男の声に反射的に振り向くと、蘇我の一人の兵士がこちらの兵士四人を相手に戦っていた。しかし四人を相手にできたのは少しの間だけ。すぐに男は四人の一斉攻撃を避けられずに串刺しになった。だがその僅かな時間が二人の少女の再会を許してしまった。

 

 

 

 

心臓が破裂しそうな程にバクバクして、足が石の様に重い中、私は自分の為に犠牲になってくれた名前も知らない彼等の意志に押されて布都の元までたどり着くことができた。

 

「布都!」

 

無我夢中で嫌いな奴の名前を呼ぶと、布都は緊張感の無い場違いな笑みを浮かべて、嫌みったらしい声で言った。

 

「まったく、おぬしのせいで――」

 

「みんな、みんな死んでしまった…。私の所為で…!」

 

名前も知らない十五人の男達の死に様が脳裏に焼き付く。

惨たらしいとか、悲しいとか、そんな感情は一切なかった。ただひたすらに、私はごめんなさいと何度も心の中で謝りながら、布都に心の内を話した。

 

「…それが戦じゃ。お前を助けた者達だけでは無い。麓では大勢の兵達が死んでいる。その者等一人一人に友がおり、家族がいる。そんな当たり前の事を分かってない輩が世には沢山――ッ!」

 

私を励ましているのか貶しているのか分からない布都の言葉は区切れ、代わりに私の体は一瞬だけ空を飛んだ。

 

「つくづく空気の読めん輩じゃのぅ」

 

グルグルと目まぐるしく動いていた視界が安定すると、先程まで私達がいた場所には剣を構えた守屋が立っており、まるで血に飢えた野獣のような瞳で私達を睨みつけていた。

 

「蘇我の娘と接触できるように立ち回ったのは素直に褒めよう。だがそこからどうやって逃げるつもりだ?」

 

そこで私はようやく、布都がいた場所が崖際だったこと。そして私達は崖を背に、ギリギリなところで立っている事に気づいた。四方からは守屋の手下が武器を持って一歩ずつこっちに近づいている。

 

「布都、お前ならこんな奴等武器が無くても勝てるだろ?」

 

「あほう。いくら我でもそんなことできるわけなかろうが」

 

ギリギリと布都は歯を鳴らしながら、私の手を取って一歩また一歩後ろへ下がっていく。布都も恐怖を感じているのか手が震えている。

当たり前だ。現に私だって体が震えている。前方には数十人の敵兵。後ろは断崖絶壁。

 

「それにそろそろヤバくての…」

 

「これ以上にヤバい事でもあんのかよ?」

 

前面の虎、後門の狼を絵に描いたこの状況に付け加え、まだヤバい事があるってのか?

空から御柱でも降って来て、地面からミシャクジが這い出て来るでもない限り、これよりヤバい状況にはならないだろうが。

だが現に布都の手の震えは尋常じゃないし、手汗もびっしょりだ。まさか本当に御柱が降ってミシャクジが出て来ないだろうな…。

前面の虎、後門の狼よりも、何かに脅える布都が怖くなり私の体も震えてしまう。

 

「ああ……もう数日神子様に会ってない」

 

……は?

 

「ここ数日妄想に妄想を重ねて耐えてきたがもう限界じゃ」

 

「はぁっ!? そんな事!? この敵陣のど真ん中にいて、かつ逃げ道も無い状況でそれ!?」

 

私の予想を一周回った上で斜め下を行く言葉に思わずずっこけてしまい、崖から滑り落ちそうになってしまった。慌てて布都の体を掴んで体制を整え、深い溜息を吐きながら布都の顔を見ると、布都が冗談ではなく本気でそう言っているのが分かった。

真っ青な顔に光の感じられない瞳。口元は不敵な笑みを作っているが、無理やり作っているのが分かる。

 

「漫才はそれで終わりか? さてどうする。このまま飛び降りて死んでもらっては困る。それなら…」

 

「お生憎じゃな。貴様の言葉を信ずるくらいなら妖怪の言葉を信ずる方がマシと言ったじゃろう。そういう訳だ。我等はここから飛び降りる」

 

刹那、私の体がふわっとした感覚に包まれた。木から飛び降りる時に一瞬感じるもの。私は高い所が好きで昔はよく木登りをしていたものだが、今後木登りをすることは無いだろう。私はこの時を境に高所恐怖症になってしまった。

 

「へ? うわああああああ!」

 

「馬鹿な!? ここから飛び降りただと!?」

 

守屋と共感することは一生無いと思ったが今は例外だ。ここから飛び降りるなんて馬鹿に決まっている。

体全身、特に顔に逆風を感じるがそれよりも死を間近に感じる。近所の店よりも遥か近く、死が、来世への扉が私のすぐ隣にまでやって来ている。

 

「口を閉じろ。舌を噛むぞ」

 

布都はそれだけ言うと空中で私を両腕で抱きかかえ、崖を蹴って軌道を大きく逸らした。逸れた先には出っ張った岩があり、それをまた足場にして大きく横を跳び、また似たような方法で横へ跳んだ。そうやってジグザグに飛びながら落下の勢いを殺したのか、ただのカッコつけなのかは分からないが、いつの間には私は地面に立っていた。いや、私は布都に抱きかかえられているので私自身は足を地面に付いていないが、布都の足は地面についている。

 

「…お前逃げようと思えばいつでも?」

 

「おぬしを待っておったんじゃ。すまん、急ぐぞ」

 

それから布都は、猪も茫然として口を空ける速度で山を駆け下りて行った。私は道中何度か布都に声を掛けたが、布都は神子様、と呟くだけで私には何も言わなかった。

守屋と戦っている姿を見て、最後に会った時のこいつは演技だと思っていたが、やはり布都は本当におかしくなってしまったのだろうか。それでも布都は私を助けるために一人で守屋の元へやって来た。

…また助けられたんだな、布都に。

 

「布都様、それに屠自古様!」

 

演技とは言え軍師をやっていただけあり、現在どこで戦いが起こっているか把握していた布都は、争いを避けて無事に蘇我軍の本拠地までやって来た。私を抱えたままここまで走って来た所為で限界なのか息が荒いが、それでも布都は周りの兵達を無視して一直線に駆けて行く。

そして遂に、私にとっても布都にとっても会いたかったあの人の姿が映った。

 

「神子様!」

 

私と布都の声が重なる。椅子に座っていた神子様は私達の姿を見てホッと胸を下ろし、そしてずっと見たかった優しい笑みを浮かべてくれた。

だがその刹那、私の視界はぐるりと一回転し、背中に痛みが走った。

 

「神子様ぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「うわっ!」

 

近くから魂の籠もった布都の叫び声と、驚く神子様の声がする。ここで私は、自分が布都に投げ飛ばされて地面と激突したことに気づいた。

視界いっぱいに広がる空のように、心が爽やかな青色に包まれた。

なるほど、日の本の頂点に立つ蘇我の娘である私は。私の義理母でありながら私の夫を狙う性悪女に。履きつぶした靴のように捨てられたのか。うん、我ながら実に冷静に状況判断できている。

 

「おい! 布都!」

 

怒りに震える拳をぶつけようと立ち上がった私だが、振り上げた右手はストンと落ちた。

 

「んっ…ふぅ…んあっ…。みこ、さまっ…」

 

「ふ、と…。せ、めて…、あとで…ん…」

 

接吻。唇と唇を触れ合わせる、愛情表現の一つである。抱き合うよりもっと強い愛情表現であり、それは特別な人としかやってはいけないもの。

それが今まさに私の目の前で繰り広げられていた。しかもあろうことか、二人は舌を絡ませている。

わたっ…、私だってまだっ、唇と唇が触れ合う接吻しかして、ないのに…っ。

しかし脱力している私も、周りにいる父上や他の者達も無視して二人の接吻は続いていた。神子様は止めようとしているが布都に押さえ付けられているようだ。

 

「ハァ…、ハァ…、みこ、さまっ…」

 

「ちょっと、布都!?」

 

布都は一度神子様から唇を離すと、あろうことか外、しかも沢山の視線の中で帯を解き、服を脱ごうとした。チラリと布都のヘソが見えてようやく我に返った私は、すぐさま二人に駆け寄って目いっぱい布都の頭を殴った。力加減を間違えた所為で手が痛かったが関係ない。

 

「ハァ゛…ハァ゛…。な、何してる布都!? おまっ、おまっ…! と、とにかく服を整えろ!」

 

すると布都は一度キョトンと首を傾げて自分の服を眺め、そして馬乗りにした苦笑している神子様を見、最後に辺り一帯を眺めた。

ここでようやく自分が何をやったのかを思い出したのか、ボンと布都の顔が一瞬にして真っ赤になり、涙目になりながら服を整えて帯を結ぶと、ここまで走って来る時よりも更に速く走って行った。が、途中でピタリと止まると、また神子様の方へ駆け寄り、神子様の後ろに隠れて顔を背中に押し付けた。

 

「……」

 

「ア、アハハハ…。ま、まあ屠自古。布都も色々あったのです。周りの者もこの件は他言無用とする、さっさと散りなさい」

 

神子様の一声により辺りの一般兵は勿論、ある程度の位を持っている者も気まずさにゾロゾロとこの場を去って行く。その中には父上の背中もあったが、私はどう話しかけていいか分からなかった。

 

「……死にたい……」

 

羞恥に染まった布都の呟きが聞こえた私は、神子様を睨みつけながら小さく溜息を吐いた。

私達三人だけとなった蘇我の本拠地には、神子様の乾いた笑い声が寂しく響いていた。

 




今回の描写、どこかのっぺりしてるなと思いつつ、どこを修正していいのか分からない無能っぷり。

そして行き着く先は結局百合。


今回改めて、布都ちゃんよりも屠自古の口調の方が難しいと感じました。もう少し~やんよをナチュラルに入れていきたいのですが、それが意外と難しい。なにより布都ちゃんは横文字が使えるメリットを持っているので書きやすいんですよね。プライドとかの言葉を一々誇りとかその他の日本語に変更するのがめんどうです。
幻想入りしたら神子様がイデオロギーとかバリバリ横文字使っていたのですが、時代背景が飛鳥だと流石に自重しないと。それでも青娥が横文字使ったら違和感を覚えないのがまた彼女らしいです。

神子様の口調は敬語と威厳のある口調を私の気分で混ぜております。ある意味それが一番らしいかなと思いますが、やはり神霊・心綺楼・深秘録どれも微妙に違うので最初は結構悩んでいました。
個人的に深秘録の男口調がドストライクですが、いざ書くとなると神&心ミックスが神子様らしい気がします。まだ子供ですので、もう少し大人になったら口調もまた変わるかもしれません。
神霊の神子様と結婚して、心の神子様のファンクラブに入って、深秘録の神子様の駒遣いになりたいです。

今後書籍以外で神子様の出番は期待できませんが、布都ちゃんの自機化は可能性はあるので(設定欄での登場が)楽しみです(お燐と星ちゃんを見ながら)


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種明かし

本当なら前回の投稿からすぐに更新できたのですが、次の話にてこずっております。おそらく結構遅くなると予想。

今明かされる衝撃の真実(ただのちょっとした伏線回収です)

それと憑依鈴仙の短編的な黒歴史ノートを投稿しました。大したものではありませんが一応報告させてもらいます。


 

「我が名は物部布都! 本家頭領である物部尾興の娘である!」

 

生駒山前に立ち並ぶ物部の大軍へ、平野全体に響き渡る大声で叫ぶ布都。その後ろ姿は、つい先程まで顔を真っ赤にして私の背中に隠れていた少女と同一人物とは思えない。

牽制状態とは言え、戦の中にいながらも私は布都達が帰って来てからの事を思い出していた。

 

 

 

布都が衣服を脱ぎだした時には私も混乱してしまっていたが、屠自古の拳によって、殴られていない私も冷静さを取り戻す事ができた。

あれから私はふて腐れる屠自古の機嫌を取り、そしたら今度布都が拗ねていたので布都の機嫌も取り、すると今度は屠自古が安心したのか急に泣き出したので宥め、布都がキスを強請って来たので抱擁で我慢させたりと戦よりも忙しい時間を過ごした。

この二人の好意を受け取って感じたのは、これ以上女性を手元に置こうものなら疲労で倒れてしまうかもしれないということだ。二人とも愛らしく、可愛く、美しく、賢く、強いと、まさに理想の女性と言えるが、身分の高い女性の中でも嫉妬深い。特に布都に関しては、壊れた(あの)時からは更に嫉妬深くなっており、一度屠自古の方を向くだけで頬を膨らませる。それでも屠自古を五体満足で助けてくれたのだから、優しい子である。

いくらか時間を掛けて二人の機嫌を直すことに成功した私は、一度生駒山へ進軍した兵を戻す様に命じた。屠自古がこちらの手に戻った時点でこの戦はほぼ終わりなのだ。

すると屠自古がチョンチョンと私の袖を引っ張り、そちらを向くと屠自古は首を傾げて立っていた。久しぶりに眺めるその愛らしいその姿に、私は彼女の頭を撫でながら、どうしたのか聞いた。

 

「どこまで神子様の計算だったの?」

 

「どこまで、と言うと?」

 

「私、人質になっていた時に一度だけ布都と会ったんだけど、その時布都、神子様を助けるために神子様を裏切るって支離滅裂な取引に応じてさ」

 

なるほど。どうやって布都を向こうの軍師にさせるか悩ませていたのだが、向こうから布都を取り込んできたのか。つくづく騙されやすい男だな、守屋とは。とは言え守屋の方も決して考えなしに布都を軍師に誘ったのではないだろう。むしろ私も守屋の立場であれば、少なからず何らかの立場に布都を置かせていた。

言うのも、これに似た概要を今から屠自古にするのだが、元より尾興殿を失った今一枚岩ではなくなった物部を、守屋が束ねるのは不可能と言ってもよい。いくら本家の親戚とは言え、本家の親戚は他にもたくさんいる。守屋に賛同しついて行くのは物部の中でも強い廃仏派だけだろう。そこで守屋が目を付けたのが布都の存在、そして屠自古を利用して布都を操ること。しかしいくら布都を裏から操れるとはいえ、布都をポツンとてきとうな役職に就けているだけでは他の物部の有力者達に不振に思われる。そこで並外れた布都の才とも相性がよく、周りの有力者達にも不審がられない軍師の立場を布都に与えた。

私は人の心が読める訳では無いので守屋の心境は分からないが、例え守屋が自ら言わずとも、これらの事実を上手く利用して布都を軍師にさせるつもりだったので結果は大きく異ならんだろう。

さてと、屠自古に分かりやすく説明するにはまずどこから話すべきか…。

 

「屠自古は叔父上の元へ送られてきた手紙を知っているか?」

 

私の質問に屠自古はコクンと頷く。左腕にガッシリとしがみ付いて唇を尖らせる布都を適当に宥めながら、それなら早いと説明を始めた。

 

「まずあの時点で守屋の狙いが布都の名声と気づいていた。布都の名は物部を纏めるのには十分、その力を求めていた。だがそれは諸刃の剣。無論敵もそこまでは馬鹿ではないので、屠自古を使って布都を操ろうとした。守屋の行為を一から十全て足蹴りする必要はなかったので、私は布都に物部に付いた振りをするように命じた」

 

「それで布都はあの時すんなりと守屋の案に乗ったのか。ったく、本当におかしくなったと思ったじゃねぇか」

 

「はんっ。元はと言えば間抜けなおぬしが捕まるからいかんのだろうが」

 

「うるせぇ! だいたい悪いのは私じゃなくて青娥の奴だろうが!」

 

ギャーギャーと私を間にした二人の言い合いも、かれこれもう七年近く前から続いているのか。七年の歳月を思えば、もっと二人の扱いが上手くなりそうだが、生憎一向に二人には敵わない。これは将来ますます尻にひかれそうだ。

にしても青娥、か。今度彼女に会ったらどうしてくれよう。彼女もまた私のお気に入りであったが、屠自古を守屋の手に渡した罪は大きい。皇子()を侮辱した罪として大罪人に仕立て上げるのは簡単だが、青娥の術には興味がある。幸い青娥の存在を知っているのは我等三人だけで、叔父上を含む役人達は、屠自古を攫った犯人が青娥とは知らない。ここは隠しておくのが後々の為になるか。

まあ青娥の処遇は屠自古に任せよう。そして布都には……。いや、それも今考えなくともよい。とりあえず今私がすべきことは、少し目を離すとすぐに喧嘩をする二人を止めることだ。

 

「はいはい、続けますよ。えっと、布都を敵に信用させるところまで話しましたか。次の策としては、布都がいる大まかな地点を私に教えることだろうか。これは狼煙を使わせることで解決した」

 

「なんで布都の居場所を知る必要があったの?」

 

ふふっ。屠自古には少し分かりにくかったか。

屠自古の疑問に思ったことを恥じずに、素直に質問してくるところもまた彼女の美点の一つだ。無駄な誇りを持っている者は時として、無理やり話題を変えてでも自分が分からない事を隠そうとするが、屠自古はそんなことはしない。

危険なところにいた屠自古が無事に私の元へ帰って来てくれた喜びからから、いつも以上に屠自古が愛らしい。

屠自古の愛らしさに喜びを感じていると何やら察したのか、左腕にしがみ付いている布都は抱き付く力を強め、そして呆れたように溜息を吐いた。

 

「やれやれ、これだから屠自古は」

 

「あぁん? なんか言ったかチビ助」

 

「命の恩人に対し、随分と頭の高い奴じゃな」

 

「命の恩人だからってなんでも言っていい訳じゃねぇだろうが」

 

「はいはい、話を戻しますよ。布都の居場所が知りたかったのは、その周辺に屠自古がいるからですよ」

 

「えっ? 何で布都の近くに私が……。そうか!」

 

そこで屠自古は分かったようだ。屠自古はよく自分を卑下するが、頭の回転は悪い方では無い。民を思いやる心も持っているし、布都の話を理解して受け止められるだけで十分に頭がいい方である。

隣にいる私と布都が異常なだけだ。特に布都。布都に比べたら私の才能なんてたかがしれている。

 

「そう。布都が裏切った場合、すぐさま人質となっている屠自古に罰を下す必要がある。布都が現在地を教えてくれる事は、大まかではあるが屠自古の居場所を伝えることにもなる」

 

「なるほど、流石神子様。あっ、でもさ、私を助けに来てくれた人達…。どうして彼等は敵にバレずに私の元までやって来れたの?」

 

一瞬屠自古の顔が曇った気がしたが気のせいか。私もここ数日色々あって疲れているし見間違いか、そうでないのなら……もしかしたら屠自古を助けた兵士達のことだろうか? 帰って来たのが二人だけということを見ると、屠自古を助けに行った彼等はもう死んでいるのだ。そして屠自古は彼等の死に様を見た。そんなところか。

しかしこの件に関して私は口出しする気はない。そもそも屠自古の顔が一瞬曇ったのも勘違いかもしれないし、仮にそうであってもその原因が彼等の死とも限らない。何より屠自古の救出を命じたのは他ならぬ私だ。私が彼等に死ねと命じ、彼等はその命に従った。故に私は兵士の死について偉そうに語れる立場にはいない。

もし屠自古の悩みが私の予想通りであれば、それは私よりも布都が聞いてあげるべき悩みだろう。

 

「屠自古も覚えているだろう? 昔私達が生駒山で妖怪に襲われたことを」

 

「そりゃあ勿論。一生忘れられないよ、あれは」

 

屠自古の顔が急にゲッソリとなる。あの土蜘蛛とか言う妖怪を刺した時、体から溢れ出る大量の小蜘蛛を間近で見たのを思い出したのだろう。現に私もその時の光景が脳裏に浮かんだ。私も屠自古程では無かったがその光景を見ていたが、数年経った今でも忘れられない。

私はまったくもってその通りだと、小さく笑みを浮かべて屠自古の言葉に頷いた。

 

「ふふっ、その通りだ。その時布都の治療の為、青娥に付いて行った川を覚えている?」

 

「……ああっ! そうか! なんか見覚えのある景色と思ったら、あそこはあの時のっ!」

 

「ええ。元々布都にはできる限りあの近くに本拠地を構えるようにお願いしておいた。そしてもしそれが成功しなかった時も兼ねて、狼煙を上げる様にさせたのです。何故そこに本拠地を構えるようにしたかは、もう分かったかと思いますが、かつて私達も通った洞穴ですね。あの洞穴の出入り口はどちらもさして大きくなく、隠密行動にはうってつけのもの。と言っても敵は数日山に籠もる訳ですから見つかる可能性も十分にある。だから屠自古の元へ布都が行った日に既にそちらに人員を送り、あの洞穴の出入り口を隠しておいた」

 

「な、なるほど…」

 

「一番理想的な展開としては屠自古が布都とではなく、あなたを助けた兵達と共に帰り、布都が隙を見て守屋を殺す事だが、そこまで上手くはいかなかった。だが何にせよ、あなた達が無事に帰った事でこの戦はもう終わりが見えている」

 

屠自古はう~んと唸り声を上げて腕を組むが、どうやら分からなかった様だ。苦笑しながら降参ですと告げたので、私は答えを言った。

 

「元々物部がこの戦を仕掛けて来たきっかけは他でもない、頭領である布都のご両親の敵討ち。しかしその犯人が我等蘇我ではなく、あろうことか守屋の仕業と知れば、集まって来た物部の皆はどう思うか? 答えは明白。ならば我等が真実を語ればいいのだが、宿敵である我等の話を聞く者などいないだろう。だが唯一、当事者であり、蘇我に立ってもなお発言力を失わない者が一人いる。それが布都。だからこそ守屋は布都の身柄が欲しかった。しかし布都が屠自古を連れてこちらに戻って来た以上、布都が真実を語らない理由はどこにもない。

それに不幸中の幸いと言うべきか、屠自古と布都が義理とは言え親子の関係なのもまた助かった。布都は屠自古を想う私の為、屠自古を助けてくれたのであり、本来物部の布都が蘇我の屠自古を助ける義理は無い。無論これは客観的に見た周りの評価であって、実際のところこの二人は互いに持ちつ持たれつのよい関係だ。私が布都に助けを乞わなくとも、布都は屠自古を助けに行っただろう」

 

「べっ、別に我は神子様の為に屠自古を助けたまでです!」

 

「なにも隠さなくてよいでしょう、誇れることなのですから。さて、先程から話がよく逸れるので戻そう。

大事なのは物部の有力者達からどう見られるか、ここです。もし屠自古と布都が親子の関係でなければ、布都が屠自古を助けた原因は自然と私に向くでしょう。そうなれば周りの評価は少し極端かもしれないが、男の為に一時的に物部(ものべ)寝返った女になる。しかし布都と屠自古に親子の縁があれば、これまた少し極端だが、人質にされた娘の為に泣く泣く守屋に従っていた母へとなる。実際どちらも両極端な例だが、大事なのは守屋の下に付いていた事に大義名分があるかどうかです」

 

「う~ん…。分かったような、分からないような。守屋にとって真実を知らない有力者達が邪魔なのなら、なんで布都がいた場所はみんな守屋の手下だったんだ?」

 

む? それは私も初耳だ。私が布都へ下した命令はそこまで多くは無く、重要なところ以外は布都に任せていた。本来なら精神状態が不安定な布都にこれ以上考え事をさせたくなかったのだが、布都が、自分は大丈夫だから私は私がやるべき事に専念して欲しいと言ってくれたので、重要な点以外はその場その場の行き当たりばったりだった。だから先ほどまでの戦も、私と布都の戦で間違いはないのである。ただ勿論、予め洞穴がある地点に人が集まらない様にと攻撃範囲は決めていたが。

 

「あの感情的な輩の事だ。下手にあの場に有力者を置かせておけば、首を斬ってでも兵を纏めようとする。そうならん為の軽い措置じゃ。元より崖から逃げる予定じゃったし、屠自古さえ手元に居れば味方は必要ないからの」

 

が、崖から脱出? つまり布都はあの崖から飛び降りて、そのまま屠自古を抱えてここまで走って来たのか? いやはや、素直に褒めてあげるべきか、少しは呆れるべきか。どちらにせよ布都が実力者であることは大変心強いことには変わりないが。

屠自古に話すべき事はこれくらいだろう。布都に抱きしめられている為動かすことができない左の掌を右手のそれで叩き、パンと音を立てると改めて屠自古の方を向いた。

 

「まあ一通り話し終えたでしょうか。さて屠自古、あなたは叔父上に顔を見せてやりなさい。ずっとあなたの心配をしていたのですよ」

 

すると屠自古はポンと手を叩いてそうだったと呟いた。やれやれ、せめて屠自古には叔父上を大事にして欲しいのだが、親の心子知らずとはこのことか。何にせよ私が言えた義理では無いな。

 

「いけね。じゃあ神子様、また後でね! 布都、私がいないからって神子様に手を出すなよ」

 

「シッシ、さっさと行け馬鹿もん」

 

「…絶対なにもするんじゃねぇぞ! 絶対だからな!」

 

念には念をと、布都を指差しながらしつこく繰り返す屠自古に対し、布都はまるで蚊を追い払うような手付きで返した。屠自古はいまいち納得しない表情だったがこれ以上叔父上を放ってはおけないと、渋々と去って行った。

やれやれと一息吐こうと思ったのも束の間、屠自古の姿が見えなくなった次の瞬間に布都が正面から私に抱き付いてきた。本当ならキスをしたかったのだろうか、その足はつま先立ちになっているが、身長差のせいで布都の唇は私に届いていない。

それはあまりに一瞬の出来事で初めは少し驚いたが、何が起こったのか理解した私はクスッと笑みを浮かべた。

 

「どうしたの、布都?」

 

「神子様のいじわる…」

 

私はあえて姿勢を伸ばした状態でわざとらしく首を傾げると、布都はぷくっと頬を膨らませて小さく不満の声を漏らした。

こうして布都と触れ合うのも数日振りか。それ以前は月に一度か二度しか会えずそれに慣れていたが、ここ数日布都の事も心配で心配でしょうがなかったからか、たった数日振りなのに布都の事が愛おしい。

 

「ちゃんと口にしないと伝わりませんよ?」

 

「んっ…。抱きしめて、キスして下さい…」

 

私の思考が正常であれば、屠自古の事を考えたら今ここで布都を抱きしめたいと、キスしたいとは思えないだろう。今屠自古は叔父上との話で、叔母上の死を知らされているはずだ。私の元に戻って来た屠自古はきっと涙を流し、酷く傷ついているだろう。

だが私は正常では無い。私は酷く歪んでいる。だから私は布都を優しく抱きしめ、そして彼女の唇に自分のそれを落とした。

 

 

 

それから間もなく屠自古が泣きながら私の元へやって来た。その後ろには叔父上の姿もいる。布都は叔父上に深々と頭を下げたが、叔父上は小さく手を振って返した。叔父上の視線には布都も私もほとんど映って居らず、私の腕の中で泣いている屠自古の背中を寂し気に見ていた。

泣いている屠自古に私は何一つとして声を掛けることができず、ただ私はそっと屠自古を抱きしめた。

そして屠自古が泣き止むと共に、一度下げた兵をまた生駒山へと出撃させた。物部の兵達は山にはおらず、平たい原っぱに陣を構えていた。

 

 

 

 

「我が名は物部布都! 本家頭領である物部尾興の娘である!」

 

馬上にいる布都の小さい背中を眺めながら、私はつい先程までの事を思い出していた。

おっと、いけない。いくら互いに睨み合っている状態とは言え、今は戦場のど真ん中。総大将である私が上の空では示しがつかん。

 

「何故我がこちらにいるか、不審に思う者もいるだろう! それは――」

 

「笑止! あなたは我等物部よりも色恋を選んだ! そのような者の言葉など聞きとうないわ!」

 

布都の声をかき消すほどの大声が戦場に響いた。私もこの目で見るのは初めてだが、あの熊の様な強面の男こそ物部守屋なのだろう。守屋の視線が布都の方からこちらへと向く。私と視線が合った瞬間に少しだが表情に反応があったことから、私を意識して見たのだろう。

 

「なるほど。確かに噂通りの、女子なら一目で恋に落ちてもおかしくは無い美男子! 余はあなたもその一人ということだ!」

 

「そうだ! この裏切り者!」

 

守屋に続くように一部の兵下達も布都を罵るが、声を上げている兵士は守屋の周りの者達だけだ。それでも全体の三割はいるが、ある場所を境に兵士の反応が一変している故に分かりやすい。

 

「そうだろう! おぬしが我の話を聞きたくないのは当然じゃろう! なにしろ、我の両親を殺した者こそ他ならぬ守屋! 貴様なのだから!」

 

ざわっ……

刹那、敵味方関係なく戦場全体がガヤガヤと騒がしくなった。上手いぞ布都。相手が割り込みにくい言葉を使いながら、重大な事実を最後に持って行った。

布都の放った言葉は敵前でありながらもめ事を起こすには十分で、すぐさま馬上にいる物部の有力者たちは反応した。

 

「どういうことだ守屋!? やはり貴様が襲撃したという噂は本当だったのか!?」

 

「断じて否! もはや布都様は我等物部の敵でありますぞ!」

 

「どの口が言うか! 我が最愛の娘、屠自古を人質に取っておき、何よりその手で我が父を、母を、殺しておいてどの口が言う!」

 

激しい怒りが込められた布都の言葉は、物部の有力者たちの心を動かすのに十分だった。それ程布都の声は怒りが籠もっていた。肉親をその眼前で殺された時の悲しみ、そして怒りが伝わってくる。我が最愛の娘のところはかなり棒読みに聞こえたが、言葉の力強さは確かなものであり、それを気にしている者は私ぐらいしかいないだろう。

更に布都は後押しをするように告げる。

 

「我が父と母の骸を調べればすぐに分かる! 父と母は我が物部の神剣、布都御魂剣によって殺された! これが何を意味するかおぬしたちなら分かるだろう!」

 

「布都御魂剣…!? 貴様、まさかその懐にあるものは!」

 

布都や守屋の声に比べてその声は小さかったが、私の耳ではその一部始終がハッキリ聞こえた。馬上にいる男の一人が守屋の服の内にある何かを見つけたようで、他の馬上に乗った男達もその何かを発見したようだ。

 

「守屋!」

 

「なんとか言え!」

 

「真ならならただではすまんぞ!」

 

「その懐にあるものを出せ!」

 

守屋は四方八方から怒鳴り声を浴びせられ、守屋の部下らしき男達がそれを止めようとするが、怒鳴り声を浴びせている男達の部下がそれを止めている。今ここで攻めたらそれでこちらの勝ちだが、それでは意味が無く、我等は黙ってその光景を見ていた。既に士気が大幅に下がった事で、端にいる兵士たちが数人逃げていたりもした。

 

「黙れ…」

 

「今なんと言った!?」

 

ッ! いけない!

守屋から発せられる並々ならぬ気迫、おそらくこれを殺気と呼ぶのだろう。それを感じた私は反射的に布都の名を呼んだが、布都は私より早く気づいていた。

 

「今すぐそやつから離れろ!」

 

だが布都もまた、気づくのが遅かった。不注意だったと言うべきかもしれない。

 

「黙れと言っているッッ!」

 

布都(ふつ)、と騒々しかった戦場に一瞬だけ小さな、しかしどんな音にも呑まれない美しい音が辺りに響いた。

かつてここまで美しくも残忍な音があっただろうか? いや、そんなものは存在しない。後にも先にも、ここまで血の気の引く音はこの布都御魂剣だけだ。

ボトンと複数の何かが地面に落ちる音と共に、守屋の周りにいた男達が馬上から崩れ落ちた。その胴体の上には頭部が見当たらない。

 

…………

 

一瞬の静寂。そして次の瞬間には敵軍は混乱に包まれた。兵士たちの動きは主に三つに別れた。

一つは状況が掴めずに逃げ出していく者。一つは守屋を反逆者と判断し、殺そうとするもの。そして守屋を狙う者を殺そうとする者。

三つ目の兵士たちには一切の迷いが無かった。こうなることも予期して予め命令を下していたのだろう。自分に逆らう者は誰であろうと殺せと。

私を含めた多くの者が布都御魂剣の音を聞き、茫然としていたが布都は違った。混乱の中でも聞こえる大きな声で叫ぶ。

 

「反逆者守屋と戦う意志のある者は一度離脱するのだ! 離脱しない者は敵と見なす! 神子様!」

 

私の名を呼ぶ布都の声で我に返る事ができた。そうだ、私は蘇我を率いる総大将である。総大将の私がたった一つの音に恐怖し、逃げ腰になってはいけない。私が戦うのではないが、上に立つ者として敵に怯みを見せてはいけない。

私は腰に携えた七星剣を抜くと天へと掲げ――

 

「ああ。皆の者! 味方を裏切り、我等が仏を侮辱し、そして世の平和を乱す逆賊を滅ぼすのだ! 全軍突撃せよ!」

 

敵軍へその剣先を向けた。

 




あの時の→アノトキノ!(満足街風)
崖から脱出を!? →自力で脱出を!?

どうしても脳内変換が自重しません。


神子様の一人称のなにがいいってその頭の良さと洞察力から他人の心境まで説明できるところなんですよね。それでもいささか書きにくい点はありますが。
まあ神子様の一人称もあくまで神子様から見たものですが。


ラストの方の学芸会っぽいノリをせめてもう少しくらいシリアスな感じにしたかった。う~んこの文章力。


変Tさんってお胸の大きさはどのくらいなんでしょうかね。純孤さん並の大きさであの変Tシャツならそうとう強調されるろ思うので私は神子様と同じ手の平に収まるくらいと思います。にしても純孤さん色っぽい…。どこぞの蛙とは違うな。
今度のコミケはクラピの仕返し本が多そう(小並感)




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決着


普通に執筆に時間かかりました。今までの平均文字数からすると文字数換算だけなら三話にカットできそうです。

無事委託販売で、よく神子様を書かれる絵師さんの総集編本が買えたので満足です。




「全軍突撃!」

 

「おおおおおおお!」

 

神子様の掛け声と共に我等は声を上げて一斉に突撃した。

敵軍(物部の軍)はその半数以上が混乱、もしくは逃走しておりもはや物部対蘇我ではなく、蘇我対守屋になっている。当然戦力の差は歴然であり、その差は目視だけでも十倍に近い。だがそれでも布都御魂剣の力は凄まじく、あの音を聞いた者の戦意は明らかに下がっている。

馬に乗って先陣を切っている我は、後ろにいる将兵に向けて伝えた。

 

「逃げ遅れた者もいるだろうから戦意の無い者は殺すな。だがこちらに歯向かうのなら、そいつは逆賊だ。躊躇なく殺せ」

 

「はっ!」

 

将兵は我が今言った事を後ろにいる数千の兵達に伝え、兵達は掛け声を了承の合図にして答える。例え守屋が一撃必殺の布都御魂剣を持っていようとも、今の我なら一人で相手にできる。そうなれば残りの兵を味方に任せておけばよい。

そう考えていたのも束の間、突然敵の前衛が後ろに引き、代わりに弓兵が前衛に出て来た。更に馬上にいる守屋もまた、弓と矢を受け取り、遠くの何かを見ているのか目を細めている。守屋を含む弓兵は、突撃する我等を狙うには弓の向きが上向きであり、その全てが軍の中心に向けられている。敵が何を狙っているのかすぐにわかった。神子様だ。

 

「放て!」

 

守屋の掛け声と共に、数百の矢が一斉に放たれた。我はすぐに馬の背中に立つと腰の刀を抜き、後方へ放物線を描くように大きく跳んだ。下から驚愕の声が聞こえてくるがそれを拾っている余裕はない。我の目の前には軽く見ても五十は超える矢が迫ってきているのだ

我は咄嗟に懐から三枚の札を取り出すと、それを飛んでくる矢へと放つ。三枚の札は空でピタリと不自然に止まると、自身を中心に長方形の結界の壁を作り出す。三つの壁により多くの矢を止めることができたが、中心の結界が一本の矢によってバリンと粉々に破壊された。敵にも当然、守屋を含め結界に通じた神道使いはいる。そやつが結界破壊の力を矢に付与させたのだ。

 

「くっ!」

 

結界を破壊した矢を開いている手で掴み、追ってくる残りの矢を刀で叩き折っていった。だが刀で叩き折るには数が多く、全ての矢を防ぐことはできなかった。体の横を素通りする矢が増える度に顔が青ざめるのが分かるが、足に地を付けるまでの間は一瞬も気を緩めずに空で矢の進行を防ぐ。

着地した辺りには神子様の周りに矢が集中している。神子様のお体には傷一つ無いが、神子様の周りにいた兵士や将の鎧を矢が貫いている。

 

「くぅっ!」

 

重心の移動ができない空中で無茶な動きを連続して行ったからか、手足の筋肉に大きな負担を掛けてしまった。肉離れ一歩手前と言ったところか。

 

「布都!? 大丈夫か!」

 

見上げると神子様が馬上から心配してくれていた。

改めて神子様をお守りすることができた事に実感しホッと胸をなでおろすが、すぐ気持ちを切り替える。

 

「神子様! すぐに後方へ退却して下さい! 乱戦になれば弓が飛んでくることは減ると思いますが、万一ということがあります。それに矢は神子様を狙っておりました。敵は総大将の神子様を殺せば勝機があると思っております」

 

「しかし一度前に出た総大将の私が下がると言うのは兵達の士気に…」

 

「それくらい我や他の将達が何とかします。あなたはご自分の命を最優先に動いてください。それが総大将の何よりの務めであります」

 

神子様は納得のいかぬ表情をされていたが、馬上から戦いの中心地となっている場所を見るとやがて顔を青ざめ、小さく頷いた。

それでよい。元より神子様は後方で策を練り、指示を出すのが務め。我の言葉で物部が全員こちらに(くだ)ると、そこまで楽観的には考えていなかったものの、ここまで急に戦が再開されるとも思っていなかった。確かに総大将の後退は少なからず兵に影響を与えるが、あんなものが相手ではどの道士気は落ちる。

 

布都御魂剣。

我が物部が祀る神剣。それの恐ろしさは、全てを切り裂く切れ味だけではなく、敵から戦意を奪う圧倒的な殺意と覇気だ。かつて我が家に祀られていた時もそうだが、布都御魂剣は刀身を抜かず、ただ置いてあるだけでも常人にも分かるレベルの力を発している。それが強い殺意を持ち、実力者の手に今現在渡っているのだ。

我も守屋が襲撃して来た時と屠自古を助ける時の二度、布都御魂剣の覇気を浴びたが、あれをごく普通の人間が浴びようものならたちまち戦意は喪失する。

事実、最前線からは布都御魂剣の力をその眼前で目の当たりにした者の恐怖する声が聞こえる。このままずっと剣と剣を交えていたら、この兵力差でもこちらが不利になる。何千もの兵をたった一本の剣で切り伏せる事ができるのが、あの布都御魂剣。

 

「弓兵! 構え!」

 

後方から聞こえる神子様の声、正確には神子様のお言葉を代弁する兵の声に合わせ、我は背中に掛けていた弓を構え、矢筒から一本の矢を取り出す。残念なことに背の低い我は、近くにいる馬上にいる将の背中を借り、馬の上に立って視点を高めて標的を探す。戦場を暴れる集団の一番前にいたのですぐに見つかった。

そう、軍議の時神子様が仰っていた守屋を殺す案がこれだ。布都御魂剣は接近戦では、あらゆる矛を折り、盾を砕く無敵の剣。しかし持ち主が死ぬ人間である限り殺す方法はいくらでもある。その最も単純かつ効率的なのが、矢で守屋を殺すこと。

右手の布都御魂剣を振るい、こちらの兵の体を真っ二つに割っていく守屋の姿を遠目だがハッキリと確認すると、一度小さく深呼吸すると矢を掲げた。

 

「放てぇぇぇ!」

 

神子様が上げていた腕を下ろされたのだろう。男の掛け声が戦場に響き渡り、同時に弦が震える音がそこら中から鳴った。当然耳元にあった弦も震えた。

我の放った矢は守屋の額目掛けて一直線に進んでいった。我の矢の他にも、守屋へと飛ぶ矢はいくつもあった。先程守屋が神子様を狙って一斉に放ったように、今度は守屋目掛けて一斉に飛んでいるのだ。しかもその数は数倍にもなり、何よりこの物部布都が放った矢があるのだ。自らの放った矢の行く末を確認しながらも、矢筒からもう一本取り出そうとしたその時、突然守屋の前に、彼の兵士達が立ち塞がった。

小さく驚きの声が出るのと同時に、守屋の前に立ちふさがった兵の一人に我の放った矢が突き刺さった。我の矢だけでは無い。まばたきをする暇も無く、次々と兵士の体に何本、何十本の矢が突き刺さり、肝心の守屋の体には矢は掠りもしていない。

 

肉盾。これが奴等の作戦だった。

盾とは本来人の命を守るための道具だ。故にそれは人の体を隠すほど大きい方が心強いが、大きければ大きいほど持ち運びや使い勝手が困難になってくる。それに対し、人とは見事な盾になると言える。自ら動く為持ち運びは楽であり、瞬時に判断し動くことが可能であり、時に攻撃に転じることも可能な最強の盾だ。

言葉にするだけなら、理解するだけならそれはとてつもなく単純な事だ。余は身代わりなのであり、この時代なら決して珍しい事では無い。

だがそれを受け入れるには尋常ならざる覚悟が必要だ。これは盾になる本人だけの事を言っているのではなく、盾に攻撃する加害者の事を言っている。

 

「ひぃっ!」

 

辺りからそれと同じ、また違ったとしても恐怖心の籠もった小さな悲鳴が上がる。

一切の迷いなく盾となる異常行為、その体に何十もの矢を受けようとも立ち続ける狂気、そして矢でボロボロになりながらも頬を緩めたまま死ぬ盾。一度矢の雨を凌ぐと共に再び突撃してくる、一撃必殺の剣とそれを守る盾達。

これ等の光景を見て恐怖を感じない者がいるのなら、それはまた彼等と同じく狂っている者しかいない。或いは、武士と言う軍事力に特化した者達とその部下達ならこの光景にも怯まず戦えたのかもしれないが、ほとんどの兵は普段作物を耕している農民。例え死を覚悟していようとも、それでも受け入れられないものはある。

 

「怯むな! 矢は確実に効いている! 撃ち続けるのだ!」

 

勇敢な将の一人が掛け声を上げるが、その声が耳に届いた者はごく僅かだった。中には矢を射ぬく者もいたが、矢は人の心そのもの。心に乱れが無ければ矢は自然と自らの望む場所へと飛ぶが、乱れが大きければ大きいほど矢は明後日の方向に飛ぶ。

布都(ふつ) 

布都(ふつ)

布都(ふつ)

徐々にほんの少しだが音が大きくなっていく。我が足場にさせてもらっている馬もまた、その音を拒絶しており、突如音とは反対の方向に体を反転して走り出したので、足場を地面へと戻す。馬に乗っている将も、口では怒っているがどこか安堵の顔が見られる。

 

かつて我の心すらをも恐怖に染め上げ、戦意を失わせる覇気にそれを後押しする非人道的な戦法。おそらく意図せずに守屋は布都御魂剣の力を最大限に引き出したのだ。

 

「やはりこうなったか。今一度戦えると思っておったぞ、守屋」

 

こちらの兵を掻き分けて来たその強面の顔に、我は矢を放った。

 

 

 

 

布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)布都(ふつ)

死へと誘う美しい音が耳から離れない。後方にいながらも、私の耳元でその音が鳴り止む事は無かった。周りの者達も少しは聞こえているようで、皆顔を必要以上に顰めているが冗談じゃない。こんな音を聞き続けていたら間違いなくおかしくなる。私の心が弱いからでは無く、常人よりも遥かに耳がよいからと断言できる。

聞こえる度に体全身に鳥肌が立ち、心臓を鷲掴みされたかのように苦しく、恐怖以外の一切の感情を殺そうとする死が具体化した音。今なら閻魔の癪を振り下ろす音や、牛頭馬頭の笑い声を聞きながらでも安眠できそうだ。

 

「豊聡耳皇子。酷く顔色が悪いです。一度離れた方が」

 

「は、ははっ…。魅力的な案だが河勝、この音は本当に危険だ。士気が下がるなんてもんじゃない。下手すれば私達は音だけで負けてしまう」

 

「いや、まさかそこまでは」

 

「まさか、と思えるならそれに越したことは無い。どの道この音を聞き続けた者は使い物にならん。急ぎ後方にいる音をさほど聞いていない兵を弓を持たせ、細かく別けろ。こちらに付いた物部の兵達にも似たように言え。弓で射殺すのだ」

 

布都(ふつ)

また精神を抉り取る死の音が聞こえ、体の支えが一瞬だけ疎かになってしまった。隣に立っていた河勝が慌てて私の背中に手を回して支えてくれたおかげで怪我は無かったが、このままでは本当に意識が持っていかれる。

 

「よい、か。脱走兵を下手に止めようとはするな。とにかく正常な兵の士気を少しでも維持し、一人一発でもよいから矢を打たせろ。そうすれば、勝て――」

 

「――申し上げます!」

 

未だかつてここまで怒りを覚えた伝令はいなかった。虫の居所が悪いと、真っ当に働いている者に対してこうも殺意を覚えるのか。

静かに伝令を見下ろすと、私の機嫌の悪さを察したのか伝令は肩を震わせて比較的声を抑えて告げた。

 

「げ、現在物部布都様が守屋と交戦しております。周りにも自軍の兵は居りますが皆戦意喪失しており、実質お一人で敵軍を止めており」

 

「なっ! あの馬鹿!」

 

すると私の体は嘘のように動いてくれ、未だ耳に死の囁きが鳴りながらも私はすぐに伝令に叫んだ。

 

「すぐに布都を呼び戻せ! 予定とは違うがこの戦、既に勝ちは決まっておるのだと伝えろ! 河勝もさっさと動きなさい!」

 

「は、はっ!」

 

「ぎょ、御意!」

 

「はぁ…はぁ…」

 

いけない、明らかに正常な判断ができなくなっている。まともに呼吸すらできないのが何よりの証拠だ。

周りの者も今の私を恐れ、肩を縮めている。実質的な権力では私より上の叔父上ですら、今の私はどこか怖いのか、私を見る目に恐れが見える。

…落ち着け。こんな音がなんだと言うのだ。この音が人の心を打ち砕くと言うのなら、既に人の心を捨てた私には効かない。

これ以上作戦を考える必要は無い。河勝に伝えた通りに進めば、数百しかいない守屋の兵はすぐに倒れる。人を盾にして矢の雨を躱しているようだが、それにも限界がある。守屋の剣が私に届くことは無い。

だが考えるべきはそこでは無い。今私がすべきことは、伝令を聞いた布都がどうするか考えること。

 

「布都、お前ならきっと、私の命令を無視して戦うだろうな…」

 

今の私には布都の心を一から十まで考え、読むことはできない。それでもなんとなく、ただの感だが布都は守屋と戦い続ける。その内に籠められた憎しみからか、それともこれ以上民から死者を出したくない善意からか、布都は戦うだろう。

なら私は…。

 

「誰か、小さな白膠木(ぬるで)を持っていないか?」

 

「探せばあると思いますが、何に使うので?」

 

誓願(けいがん)しよう。仏教徒らしくな」

 

 

 

 

我の放った矢は、また一人の兵の体によって遮られた。だがそこに驚きや恐怖は一切無く、これもまた想定通りだと、守屋の間合いに入るまで矢を放ち続けた。時に布都御魂剣で矢を弾きながら、時に味方を盾にしながら守屋と彼の部下は叫びながら近づき、右手に持った布都御魂剣を我へと振った。

布都(ふつ)

やはり間近で聞くとこの音の恐ろしさ、そしてこの音を聞き続けながらも足を止めないコイツ等の精神力に驚かされる。我は直前で守屋の一撃を避けると、守屋のすぐ隣にいた兵士の一閃を刀で受け止め、後方へ飛んで間合いを取る。

そしてすぐさま刀を逆手に持って親指と人差し指を自由にすると、矢筒から二本の矢を取り出し、二本同時に弦に掛け放つ。二本の矢は守屋の隣にいる二人の兵の首を貫通する。

 

「神道こそ、神こそが善なり!」

 

一切怯まずに突き進む守屋一同。意気込んだはいいもの、布都御魂剣に加え百人近くの敵を一人で相手するのは流石に厳しいか。

なんてな…。何を今さら怖気づいておる。もはや壊れたこの心で、いったい何を恐れればよいのか。

 

「ここが貴様の墓場だ、守屋!」

 

叫びながら弓を背に掛け、矢筒の中の矢が飛び出さない様に矢筒の蓋を閉めつつ、守屋へと駆ける。掛け声を上げた手前、守屋を避けるのは締まらないが、見栄えの為に死んでは意味が無い。まずは邪魔な部下達を片付ける為、守屋の間合いに入るギリギリ手前で我は大きく前に飛び、僅か百人近くの敵軍のど真ん中へと飛ぶ。着地に邪魔な奴は札を飛ばして無理やり退かせる。

 

「殺せ!」

 

着地とほぼ同時に、四方八方から槍が伸びて来る。それも予想通りの攻撃であり、予め空中で取り出していた結界用の札を発動させ、透明の壁を作り出して槍を弾く。どれだけ士気が高くとも、突如現れた結界に攻撃を弾かれれば隙は生まれる。ほんの一瞬の隙だが、その一瞬の隙で殺せるのが日本刀。周りにいた男達の首元に日本刀を滑らせるように、我はその場で一回転した。

 

「くがっ…」

 

頸動脈をも刹那の間に斬る事ができるのも日本刀あっての業。

すぐ目に入った一人の男の首を斬る。これもまた、骨を切断せず頸動脈を斬っての殺害。刺せば体から抜き取るまでの間に自分が刺されてしまう。だが下手に斬っても、興奮状態からか感覚が麻痺しているであろうこいつ等の動きを止めるのは難しい。敵軍のど真ん中、一対多数の状況で我が狙うべき部位は首に限られていた。

一人、二人、三人……八人。

おそらくそれくらいの数を殺し、死体が我を守る壁になってきたところで、軍の先頭にいた守屋が我の前へやって来た。

 

「袋の鼠だな」

 

「どこを見て言っておる。おぬしが軍の最前線から離れた今、袋の鼠になったのはおぬしらの方だ。布都御魂剣の力を活かした一点突破、それが唯一無二の勝利だったと言うのに我の乱入程度で足を止めるとは呆気ない」

 

我の四方八方には確かに守屋の軍勢がいるが、足を止め格好の的となった今、それを更にこちらの軍が囲んでいる。おそらく後方で神子様か馬子殿が指示を出していたのか、リカバリーが早かったな。

 

「元より布都嬢、お前が来たら足を止めるつもりだった」

 

守屋は布都御魂剣をチンと鞘に納めると、周りの兵に手を出すなと合図を送った。すると周りの兵達はいやに素直にそれを受け入れ、我では無く周囲の敵へとヘイトを向ける。

 

「ほう? いや…なるほど。そういうことか。我もまた随分感情的な女と思われておる」

 

口調も声色も、頭も冷静だ。守屋の言葉に乗る必要は微塵も無い。後はここから離脱して囲んでいる兵達に矢を打たせればそれで終わる…それは分かっている。だが我の体は、心はそうしなかった。

守屋は端からこうするつもりだったのだ。たった数百の軍勢で既に千弱の兵を戦闘不能の状態にしたが、守屋含め全員の息が上がっている。未だ目は血走っているが布都御魂剣の音を間近で聞き続けて来たのだ、精神もボロボロに違いない。つまるところ、守屋の目的は神子様だったのではなく物部布都。

そして先程の言葉は守屋の挑発。自分の手で、俺を殺してみろとこいつは言っているのだ。屠自古と同じように我を人質とするつもりなのか、それともただの悪足掻きかは分からぬが、またむさ苦しい男に好かれたものだな我も。

 

「上等だ。やはり貴様は我がこの手であの世に送らんと気が済まん」

 

「そうだ、それでいい。お前を倒し、拙者が物部氏を束ねる」

 

牽制状態だった周りの兵達が戦い始め、自然と我等の周りが開けてくる。

 

「世迷言を。どこまでも非論理的な理想主義者だな」

 

「何が悪い。神道に全てを捧げ、神道の為に突き進む、それが拙者の正義だ!」

 

正義と来たか…面白い。正義とは実に不安定で不正確なものだ。我…いや、仏教徒の目からすれば守屋は救いようのない悪であり忌むべき狂信者だ。現に我の知る歴史上の物部守屋もよくそう書かれていた。だが仮にもし守屋が戦で勝っていたのなら、その視点は一転する。守屋は邪教から日の本を救った英雄となったのかもしれない。

正義とはそんなもの、そんなことはとうの昔に知っている。

 

だが、だからこそ我はその正義を否定する。

 

それは数々の民を苦しめたからでも、屠自古を人質にしたからでも、そして我が両親を殺したからでもない。

もっと単純で崇高な正義がこの世にはある。

 

「違うな守屋」

 

「お前から見たら拙者が悪、当然だろう」

 

「違う…」

 

「なに?」

 

勝者が正義となり敗者が悪となる、一人殺せば悪となり百人殺せば正義となる。そんな結果次第で変動するものは本当の正義と言わない。

正義とは、正義とはもっと純粋で、至高であり、美しいもの。

 

「貴様はこの世で最も高貴で偉大なお方、豊聡耳神子様に逆らった」

 

勝った者が正義、ならばそれは――

 

「神子様こそ勝者、故に貴様は敗者」

 

神子様が人を殺す、ならばそれは――

 

「神子様こそ天道、故に陰に潜む者は死を」

 

神子様が仏教を必要とする、ならばそれは――

 

「神子様こそ絶対、故に神道は邪教」

 

そうだ――

 

「神子様こそ正義、故に貴様は悪だ」

 

 

 

 

「ふふっ…、やはり面白わね、あの娘」

 

常々豊聡耳様に依存しているなとは思っていたけど、彼女の存在そのものを正義と考えるだなんて。守屋の事を狂信者と思ってるようだけど、私からすればあの子の方が守屋よりもずっとおかしな狂信者。

あぁ…あの二人より面白いものなんて後にも先にも一つも無い。守屋や彼の部下みたいに狂っている人間なら星の数ほどいるが、豊聡耳様と物部様の異質さは他と違う。彼女等は賢く、論理的で現実的で、民衆を想い動いているが故に面白い。誰から見ても彼女たちは善…いいえ、正義と言うべきね。でもその内にある心は、通常の人間のものを綺麗な球体と見ると、凹凸が激しく多いのだ。

 

「おっといけませんわ。物部様がどうやってあのインチキな剣と戦うのか見学しないと」

 

会話を盗み聞きするだけなら上空(ここ)でもいいけど、やっぱり見るならもう少し近くで見ないと。

物部様の言霊の強さにうわの空になってしまい、少しばかり二人の戦いを見そびれてしまったが、物部様の戦術はすぐにわかった。

布都(ふつ)と一度は死んだ私の耳にもあまり心地よくない綺麗な音が鳴り続ける中、物部様はそれを刀では一切受けずに全て避けきっていた。少しでも誤れば即死になる状況下で、己が身一つで剣を捌こうと思うだけでも並々ならぬ覚悟でしょうけど、思うだけなら誰だってできる。彼女の凄い所は実際にそれを行動に移し、なおかつあの音を耳元で聞きながらも避け続けているところだ。

突きには体を逸らし、横への一閃には屈み紙一重のところで避ける。だが決して凄いのは物部様だけじゃない。守屋もまた凄まじい剣技を繰り広げていた。

まず物部様は避けるだけでなく、それと同時に守屋へと斬りつけている。当然だ。本来回避とは褒められた技では無く、一番良い攻撃の対処法は防ぐだ。物を使って守るのが常識であり、回避なんてものは余程の手練れじゃなければ難しい。誰もが誰も避けれるものなら盾なんて存在しない。なら攻撃を防ぐのではなく避ける利点は、反撃を決めやすい、この一点に限る。攻撃の瞬間こそ防御が一番疎かになる。だからこそ身軽でなおかつ回避なんて度胸のいる事ができる物部様は強いのだ。

そんな物部様の回避からの反撃を守屋もまた避けていた。正確にはその全てを回避しているのではなく、左手に巻いている鉄の鎖で防ぐこともあるが、互いに傷を負っていないことに変わりはない。

 

「…………」

 

既に合戦は終わっていた。守屋の兵達が死んだわけでは無い。二人の闘争心が彼等を恐怖させ、魅了して戦意を失わせているのだ。布都御魂剣の音が鳴りながらも彼等は足を震わせ逃げることなく、二人の戦いを見守っていた。剣と剣の斬り合いでありながら、互いの剣が一切触れることが無い異質な戦いを。

 

「火事場の馬鹿力という奴か。貴様がそれほどの手練れとは」

 

「お前こそ、以前は布都御魂剣を見ただけで戦意を喪失していたのに何故戦える」

 

「我には神子様がいる! それだけだ!」

 

なるほど。心が壊れちゃったのが幸か不幸か、布都御魂剣の放つ覇気と音に動じなく、感じなくなったと言うべきか。にしても…戦場のど真ん中で人妻が義理の息子の名を叫びまくるのはどうなのかしら。って思うのも野暮ね。現にそこを気にする者は私以外に一人もおらず、皆二人の戦いに魅せられている。さっきは野暮な疑問が頭を過ったが、二人の戦いはもはや演武と言っても頷ける程に異質で美しいものだ。もっとも、演の文字を使うには二人の闘志と殺気に似合わず、そこを踏まえた上で言葉に表すならやはり死闘でしょう。

しかし物部様も守屋も所詮は人間。互いに体力や集中力が限界に近付いている。この戦いももうそろそろお終いね。

あら? あの兵達を掻き分けて走って来る馬は…。

 

 

 

 

布都(ふつ)

守屋が振るった布都御魂剣が我の髪を数本ほど斬った。まさに紙一重の回避に、何度目か分からぬ刹那の安堵。今回の振りは少し大きかった、今度こそはと奴の胴を斬りつけようとするが、我の腕の振りを見ると同時に後方へ跳んでカウンターを避ける。

 

「ハァ…ハァ…ハァ…」

 

野獣の如き眼光を負けじと睨みながら息を整える。互いに心身共にもう長くは続かない。

この守屋の動きはやはり我と同じく身体能力の強化に違いない。それが霊力を使ったものか、布都御魂剣の加護かは分からぬ。だが少なくとも守屋への負担は、昔から同じ術を使っていた我よりも重いようで、その使用も我の方がずっと上手(うわて)だ。しかし我もまた、戦意喪失とまではいかんが布都御魂剣の音を間近で聞き、その刀身が肌すれすれをよぎる度に集中力が削がれている。

体力・武術・霊力共に我の方が上、にも関わらずここまで続いているのはやはりあの剣が全てだ。どうやってもあれの存在は無視できるものでは無い。守屋も我が必要以上に警戒しているのが分かってあの剣を使っている。

それでも布都御魂剣は最強ではあるが万能ではない。守屋の集中力も体力の低下と共にかなり低下している筈だ。あとはそこを……狙う!

力強く地面を蹴って守屋へと駆ける。やはり注意が散漫していたのか僅かだが反応が遅く、迎え撃つために少し荒い大振りになった。

 

「今!」

 

全神経を守屋の手、正確には布都御魂剣を振るう右手首に向け、そこに結界を発生させる。

守屋の襲撃(あの日)から時々ある疑問を抱くことがあった。それは、何故母上は我が来るまで無事であったのか。布都御魂剣はありとあらゆるものを斬る。例え我が百の力で振るい、守屋が一の力で振るおうともその剣を持つ者が勝負を制す。母上はあの時結界の中で己の身を守っておられたが、今思い出してもあの結界が布都御魂剣を止められる強大な結界とはとうてい思えない。母上は結界術が得意な方であられたが、かと言ってずば抜けた規格外の結界が貼られるわけでもない。なら母上はどうされておったのか。答えはこの合戦が始まる直前にようやっと分かった。

母上は布都御魂剣を振らせなかったのだ。正確には音を出させなかった。布都御魂剣はその音と共にあらゆるものを切り裂く、それは逆に言うと音が鳴らなければ力を発揮できないのだ。布都御魂剣の弱点を母上が知っておられたのか、咄嗟に思いつかれたのかは分からぬが、母上は守屋が剣を振るう度に瞬時に結界を張って身を守られた。

これが布都御魂剣に対する奥の手。突然手元に透明な壁が発生すれば動揺しない訳が無い。最後はがら空きになった胴を斬るだけ、そう思った刹那――

 

バリン

 

と、まるでガラスが割れたような音が聞こえた。この時代の日本にもガラスは確かに存在するが、戦場のど真ん中でバリンと割れる品は見た事がない。

答えを確認する前に無意識の内に体が動き、地面に体を擦り付けるように滑らせた。心が壊れてもなお生存本能を刺激する美しい音が、確かに頭上で鳴った。

 

「ッ!」

 

今自分がどこで何をしているのか、混乱して状況を上手く呑み込めなかったが、この場に横になっていたら確実に死ぬ事だけは把握できた。何をどうやったのか、恐らく横に転がりながら膝を曲げ、膝のバネを利用して逃げるように跳んだのだろう。ハッと我に返ると、目の前には剣を構えてこちらに走って来る守屋の姿があった。

慌てて刀で迎え打とうと構えるが、ここで我は自分の持つ刀が不自然な程滑らかに折れていることに気が付いた。

 

「お前が結界を使って来る事は分かっていた! 死ねぇっっ!」

 

どうすれば助かるか、不思議と頭だけは妙に冴えていて、案はすんなりと浮かんだ。守屋は我に止めを刺せると思い、これまでにないくらい感情的になっており、いなすのは容易い。大きな結界を生み出して少しだけ時間を稼ぐこともできるし、横へ避けて回避することもできる。一度後方へ大きく跳んで間合いを取ることもできる。

だが先程の全力疾走から突然のスライディング、そこからの超低姿勢からのジャンプ。それは崖から飛び降り、馬上から後ろへ大きく跳ぶ事よりかはずっと簡単だ。だが余りに強引に、硬直状態の筋肉を瞬時に爆発的に動かし過ぎた。

結果、痛みは無いが足が麻痺して動かない。突然足に麻酔を打たれたように足が痺れ、感覚が鈍い。

 

 

終わり…か。人の死とはなんと呆気ないものだろう。あんな剣を横に一振りするだけで人は死んでしまう。布都御魂剣の音は未だに怖いが、死そのものはさほど怖くは無かった。元より前世で一度死んだのだろうし、きっと閻魔に裁かれて輪廻の輪を回るのだ。

でも、死は怖くなくとも神子様と別れるのはどうしようもなく怖い。ずっと、ずっとずっと神子様と一緒にいたかった。あの方のお傍で、あの方を永遠に支えたかった。物事が全て数十分の一の速さに見える。これが走馬灯と言う奴なのか…。

 

神子様と一緒に、幻想郷、行きたかったな…。

 

「布都ッ! これを!」

 

何よりも美しく綺麗で、大好きな声が我の名を叫んだ。神子様だ、神子様のお声だ。背中からでお姿は見えないが、神子様の声を我が聞き間違える訳が無い。

神子様の声が、あの世へと行きかかっていた我の心をこの世へ戻してくれた。

守屋はもう間近に居り、後ろを振り向く余裕は無かったが、神子様が何を投げたのは言葉の雰囲気で分かった。それがハッキリと何かは分からない、どこで手に入れたのか分からない。唯一つ、それが布都御魂剣を受け止められることは、周りの景色が数十分の一の速さに見えている走馬灯の中にいる我には、いや、神子様の事を馬鹿みたいにひたすら考えている我には分かった。

飛んできた何かを、既に剣を振り下ろしている守屋から一切視線を動かさず右手で捉えると、それで布都御魂剣を受け止めた。

 

ガキン!

 

この戦いで初めて、剣がぶつかり合う音が静かに、だがはっきりと響いた。

 

「なっ!?」

 

目の前で起きた事が信じられないのか、守屋は目を大きく開き、我もまたおそらく似たような表情で手に持っているそれを半ば茫然と見ていた。

細長い鉄製のそれは、金持ちの象徴とも言える黄金を装飾にしており、柄には太陽を連想させる黄金が付けられている。我が使っていた刀と比べたらその派手さは月とスッポン。しかし決してけばけばしく無く、後に国宝になるだけあり気品に溢れている。

 

「ば、馬鹿な…? この剣を受け止められる剣が存在するはずが…」

 

「七星剣…。神子様の愛刀だ。後の世、神子様が持つ物は神子様と同じく伝説となり、国宝となるだろう」

 

「くっ、なにを…?」

 

「それだけ偉大なお方と言うことだ!」

 

我は足が痺れていたのも忘れ、無我夢中で守屋を押し返す。布都御魂剣の力を慢心していた守屋は動揺してか我の足に違和感を覚えなかったようだ。弾き飛ばされるや否やすぐに間合いを取り、我の持つ七星剣に視線を奪われていた。

互いに足を麻痺、集中力の散漫と、どちらか万全な状態であったのなら一瞬で勝負が付く状態だった。

だがいくら守屋の気が動転しているとはいえ、身体的デメリットを抱えた我の方が不利なのは変わらない。足が麻痺しているのを悟られるな、下手に動かず七星剣を警戒させろ。

未だ、何故飾太刀の七星剣にこれほどの力が込められているのかは分からぬが、刀身からは只ならぬ力を感じるのは確かだ。守屋もそれが分かっていて攻めるのを躊躇っている。

 

「……」

 

「……」

 

少しだが感覚が戻って来たのはいいが、これ以上こちらから攻めなければ流石に感づかれるかもしれん。我が今使えるものと言えば、邪魔になるので置いていた弓と矢筒が偶然足元にあるのと、小さな結界を発生させる札だが、結界に関しては先ほど破られた一礼がある。なら使うのは。

 

「結界破りの術か。我の事を信じ切っていた割には用意周到じゃな」

 

「お前でなくとも、いずれ阿佐殿のように対処してくるとは思っていたのだ」

 

「やはり我の予想通り、か」

 

我はできるだけ余裕があるようにふるまいながら、ゆっくりと屈んで落ちている弓と矢筒に手を伸ばす。いくら多少の距離はあるとは言え、身体能力が上がっている守屋ならすぐに接近できる距離だ。ここが攻め時と覚られてしまえば、死は免れないだろう。守屋が気になって仕方がないが、余裕を見せる為にはビクビクと震えずに堂々としなければならない。慌てず、遅すぎず、ごく自然に落ちている物を拾う。たったこれだけの事がとてつもなく難しく、長く感じた。

かなり危ない賭けだったが、演技が上手く行ったのか無事落ちている弓と一本だけ矢の入った矢筒を拾う事に成功した。守屋は未だに動いていない。

 

「矢を持ってどうする?」

 

「なに、最後に軽い願掛けでもしようと思ってな」

 

矢筒に残った最後の一本を取り出すと、体を逸らして空へと矢尻を向ける。

大丈夫、大丈夫だ。今の時代の戦の概念はまた変わっている。ひとたび一対一の一騎打ちとなれば周りの者は手出しを禁じられ、また相手が名乗る間は攻撃をしてはいけない。その暗黙のルールがこの時代の日本にはある。その思想が後の元寇の時に日本は苦しむことになるだろうが、今はその思想に助けられている。

スーと深呼吸をして意識を集中させると、それを天高く上に放った。

無事矢を放つ事にも成功し、足も走るのは難しそうだが多少動かすくらいならできそうだ。あとはこの腕次第。

 

「…待たせたな。さあ来い、守屋!」

 

守屋からしても、これ以上の対峙は無駄。故に自然にこっちに来るように挑発すれば違和感を持たずに来る、その考えは間違っていない。

そうだ、頭を使え物部布都。戦いとは腕っぷしだけがものを言うのではない。今我には布都御魂剣を受け止められる剣がある、風向き、風量、細かなタイミング、立ち回り、これを全て考えながら戦え!

 

「うおおおお!」

 

布都(ふつ)

 

ガキン!

 

鎧を斬ろうとも、美しい音以外を発さない布都御魂剣がまた金属のぶつかり合う音を鳴らした。戦場ではごく普通の音が新鮮に感じる。

我は左に一歩ずれて守屋から距離を取り七星剣を素早く振る。

 

「クッ!」

 

守屋は今まで左手に巻いた鎖帷子で刀を防ぐことが多かったが、布都御魂剣を防ぐ七星剣の力は未知数だ。カウンターを決めようと構えていた布都御魂剣を持った右手を動かして身を守った。

棒立ちじゃ怪しまれる。一歩一歩でもいいから少しでも足を動かし、時には体を下げて守屋の思考を奪っていく。守りに入れば違和感に気づかれる可能性がグッと高まるので、とにかく攻める。

 

「ッ!」

 

よし。防戦一方になるまで追い込んだ、我の仕込んだ罠にも気づいていない。あとは――

期を待つだけ。そう勝利を確信すると同時に、視点がグルンと一転した。理由は何か分かった。

足払い。この子供でもできる単純な技の前に、未だ万全じゃない足は負けてしまったのだ。左肩が地面とぶつかり、慌てて視線を頭上に向けると剣が間近に迫っていたので咄嗟に七星剣で受け止める。

 

「ぐうっ!」

 

「チッ! しぶといぞ!」

 

ドゴッと鈍い音と共に腹に激しい痛みが走り、数メートル程地面の摩擦を受けながら流された。

 

「ゲホッ、ゲホッ!」

 

「何かおかしいと思ったらとんだ食わせ者だ。余裕のある態度に戻ったと思ったら突然空に矢を撃ち、今までのようにちょこまかと動き回るのを止めた。拙者がさっきまでいた場所にもう少しで放った矢が落ちて来る、そんなところか」

 

「ふ、ははっ…。間抜けなおぬしなら騙しとおせると思ったのだがの…」

 

このポンコツ足め。せめて立つぐらいできんのかッ。

 

「まだ減らず口を。だがそれもこれで終わりだ。この激戦の勝者が得る名誉がどれほどのものか、お前になら分かるだろう」

 

我を殺せばここにいる者が皆自分に付いてくると。まだそんな非現実的な甘い妄想をしておるのかこいつは…。

 

「やれやれ、いい加減おぬしのお花畑の頭にも飽きて来た」

 

立つのが不可能と判断した我は、自分の足と守屋の思想に呆れて首を小さく振りながら、ゆっくりと我の元へと歩いてくる守屋を見上げる。

 

「それが辞世の句で良いのだな?」

 

守屋は布都御魂剣を構えると、その剣先をこちらに向けて肘を引いた。防がれない様に突きを選ぶか。なるほど、もはや移動できない我には効果的だ。

……ああ、やはり神子様の家臣にして友でもあるだけはある。

 

 

我は天才だ。

 

 

「ああ、さらばだ。守屋」

 

我が言い終えると共に、ブシュッと生々しい音が鳴った。今までの演武とも言える戦いの最後に相応しくない音だ。

 

「がっ…あがっ…ぁ…」

 

言葉では無く、偶然声帯が振動した事によって聞こえた音が消えると、守屋の体がバタンと我の隣に倒れた。その頭上には矢が深々と突き刺さっており、勝利を確信した男は一瞬にして惨たらしい死体へと堕ちた。刺さっている矢は紛れもなく、我が放った最後の一本だった。

 

「放った矢こそ最後の切り札。その読みまで合っておるし、我の足の違和感に気づいたのも誉めてやろう。だが我の方が三枚は上手じゃったの」

 

我は決して守屋を過小評価しなかった。守屋は必ず我の足の違和感に気づくと思っておったし、放った矢も不振に思うと思った。だから我は守屋をある一点へと追い込むような立ち回りをした。守屋からすればその時点でかなり怪しんだのだろう。何しろ我の戦闘スタイルは、ちょこまかと走り回って相手を翻弄する戦い方。それが途端にごり押し戦術となって、動かなくなったのなら自然と冷静になって状況を考え始めるだろう。疑問が浮かんだら今度はどうするか、まずは検証してみるしかあるまい。

相手の足の状態を察知するのに適したのが足払い。そこで我が体制を崩せば、守屋の疑問は一気に確信へと変わる。あとは地面に倒れた小娘を殺すだけだが、自分の頭上から矢が降って来る可能性があるならその場に突っ立っている訳にもいかない。だから守屋は一度移動する為に我を蹴飛ばした。

 

「おぬしに蹴られた時、数メートルも吹っ飛んだのは地面に薄い結界を張って摩擦を減らしておったのだが、流石にそこまで気づかんかったか」

 

物言わぬ死体へとピラピラと見せびらかす様に札をひらつかせる。

にしても、定位置に矢が落ちることを大前提とした策だったがもう二度とやりとうない。神経が疲れるのもだが何より心臓に悪い。

 

「布都!」

 

「神子様!」

 

護衛の兵数十名を周りに構えて神子様がやってきた。当たり前だがその腰には、有事の時は必ず携えている七星剣の姿が見られない。神子様は周りの護衛の兵に馬上から耳打ちすると、兵の一人が大きく頷き、未だポツンと突っ立っている兵達に向けて守屋の手下を捉えるようにと促した。大将にして切り札の守屋を失った今、抵抗しようとする者は一人も居らず、皆武器を捨てている。

 

「まったく、また無茶して」

 

馬から降りた神子様は懐から手の平サイズの布を取り出すと、それで我の頬を拭った。ごしごしと力強くこすられた所為で少し痛かったが、神子様と五体満足のままこうしてお話しすることができた喜びから気にはならなかった。

土と血によって黒茶に滲んだ布を見て呆れたように溜息を吐く神子様に、我はチラリと目線を落とし七星剣を眺めながら言った。

 

「神子様、この七星剣はいったい? 昔拝見した時はただの剣で」

 

「仏です。仏が力をくれたのです」

 

「へ? 何ですか神子様、突然宗教家みたいに」

 

神子様は小さな掛け声と共に曲げていた足を伸ばすと、未だ地面に座り込んでいる我に手を伸ばしてくれた。伸ばされた手を取り立ち上がると、そのまま神子様のエスコートの元、同じ馬に一緒に乗った。

 

「私は宗教家ですよ。頭に一応がつきますがね。ですが本当です、私がこの像を作り、もし布都に勝利を与えてくれるのなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てると誓願(けいがん)した時、この七星剣に尋常ならざる力が宿った。これ以上でもこれ以下でもありません」

 

「それが本当なら、仏とは随分打算的で、意外と身近にいる存在なのかもしれませんな」

 

「ははっ、違いない」

 

「しかしこの力、さぞかし名のある仏と見えますが四天王…と言うのは?」

 

「四天王は欲界で仏法を守護する者。持国天(じこくてん)増長天(ぞうちょうてん)広目天(こくてもくてん)といるが、おそらくその力は最後の毘沙門天のものだろう。毘沙門天は武に長けた仏と聞く」

 

そうなると我は将来幻想郷に行けることができたら、あの虎娘に礼の一つでもせんといかんのか。いや、そもそも我がいなければ仏教がこの国に広がらなかったのかもしれんのだから、ここはウィンウィンの関係と考えてよいか。

 

「……ふぅ。少し疲れました、神子様…」

 

「お疲れさまです。気の済むまで休みなさい」

 

そこから次に目覚めるまでの記憶はまったくなかった。ただうっすらと、神子様の柔らかな香りに包まれていたこと意外は。

 




論理的って漢字ですけどもはや横文字と言っていい程近代的イメージ(ロジカルシンキングは近代と言うか現代?)
まあそんな事は置いて置き、ついに守屋との決着がつき、山場を越えることができました。いや~予想以上に時間と話数を使いましたが楽しかったです。山場に入ってからもう10話近くでしょうか。

守屋との決着どんな感じにしようかいくつか考えていたのですが、絶対に取り入れたかったのは七星剣に毘沙門天の力を宿す事です。史実でも聖徳太子は白膠木で仏像を彫り、四天王寺の建設を※誓願し、それにより見事守屋の首を射抜いた。はたまた寅年寅日寅の刻(深夜四時)に毘沙門天を召喚したなどの話があります。
※(仏様と誓うこと)『仏教では祈るという言葉を使わないみたいです(今は知りません)』
ともかく上記の話があるのでそれを七星剣の力に宿すと言う形で活かしたかった。でも唯でさえ最近布都の弓の設定が活かされておらず、また守屋は弓で射殺されたという話を聞く為弓を使いたかった。なら最後はやっぱり弓で倒すかと思ったのですが、一騎打ちの状態で普通に弓で倒してもドラマティックでは無い。ならやはり軍師らしく、頭を使い尚且つ意味不明なまでの弓の技量を混ぜるのがよいのでは、と思いこんな形になりました。
七星剣で普通に守屋を斬る話も書いていたのですが根性論となったので、それはこの作品の雰囲気と違うかな~と思ってやめました。叫び声が連続しており、それが逆に緊迫感を殺していたので。


どうでもいい裏事情から話しを変えて人気投票の話。

現在人気投票期間ですが悩んでおりまだ投票しておりません。
悩んでいるのは投票するキャラについてではなく、神子様以外に投票しようかどうか考え中です。東方には魅力的なキャラが多く、当然投票したい好きなキャラは他にもたくさんいるのですが、ただの自己満足と分かっていても神子様一人に投票するのもいいかなと思ったり。
ポイント制だったら躊躇なく神子様に全ポイント使いますがどうしましょう。
神子様以外に投票するならひじみこころ、一輪、映姫様、青娥、純狐とかかなぁ…。

人気キャラよりも少し低めの好きなキャラを投票したい感じです。

◇ 最後に作中のちょっとした豆知識。

牛頭馬頭→地獄の獄卒。

ガラス→紀元前4000年前からあったようです。五世紀頃にはシリアの方で平板のガラス製造に成功したようです。日本でも弥生時代の遺跡から発見されたらしく、バリンと割れる品は飛鳥にはもうあったんじゃないかなぁ~(やけくそ)

毘沙門天→この前ニコ動見てたらですね


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戦の後



ちょっと一息筆休み。気楽にすんなり書けました。



世は大きく変わった。いや、戦とは無縁の、徴兵されなかった農民達からすればそこまで変わっていないのかもしれない。それを視野に入れると世が変わったと思う者の方が少数なのかもしれないが、この日の本の中心地である天皇の住まう宮は大きく変わった。

天皇の住まわれる高貴な場でありながら、使用人や彼等の主である豪族達はドタドタと慌ただしくあれやこれやと抱えて右へ左へ走り回っている。

法で管理された現代ならともかく、権力者が一声かければそれがまかり通る時代。そこまで慌てる必要は感じられんが、彼等からすれば戦が終わった後の方が一大事なのだから多めに見るとするか。

我は小さく苦笑しつつも、その慌ただしい光景が微笑ましく思え小さく笑みを浮かべる。彼等とは対照的に廊下を静かに渡り、目的の大きな扉の前に着くと、膝を床につけ小さく一礼して名を名乗る。

 

「どうぞ」

 

「失礼します。馬子殿」

 

扉の先に座っていたのは一応我が夫ということになっている馬子殿だった。高御座(たかみくら)(天皇の玉座)と見間違えてもおかしくない…と言えば流石に盛り過ぎだが、そこらの役人が座るのは許されないであろう派手な椅子に腰かけておられた。その表情は満足げで、我を下座に着くように柔らかい口調で促した。

 

「それで馬子殿、話しと言うのは?」

 

「あなたなら皆まで言わずとも分かるでしょう。我等蘇我は物部に勝利した。勝者が得られるものが何かは分かっておられるはず」

 

「土地、ですな」

 

「ええ」

 

勝者が戦利品を受け取る、それはごくごく当たり前のことで、馬子殿は別段欲にまみれた事を言っているのではない。だがそれで、はいそうですかと頷けるほど理に適った言葉でもない。

 

「確かに蘇我は物部に勝ちました。だが物部の多くは未だ存命しており、戦犯は守屋とその一派です。ですから…」

 

「蘇我がもらえる戦利品は守屋が納めていた土地だけ、と? それでは割に合わない」

 

分かっておったがやはりそう来るじゃろうな。事実蘇我の軍の大半は馬子殿のものであり、またそれ以外の兵達も馬子殿の息の掛かった者達のものだった。馬子殿は間違いなく蘇我の勝利の功績者だ。天下を取った彼の取り分が、守屋が納めていた領地だけでは割が合わないのは確かだ。

 

「布都さん、私もこれ以上争いは避けたいのです。そこであなたから、物部の残党に正式に蘇我に降伏するように説得して下さい。それでこの戦いは、本当に終わりと言えます」

 

「…御意」

 

 

 

表向きは物部と蘇我の戦、実際は蘇我と守屋の戦、後に丁末の乱と呼ばれる戦が終わって七回ほど夜が流れた。

目が覚めて我が血眼になってやるべき仕事は無かった。強いて言えば、馬子殿曰く物部の残党の有力者達と今後について少しばかり話したくらいで、それ以外の時は体を休めていた。仮にも物部の頭領である我がこんなにものんびりできるのは、神子様が代わりに働いてくれているからである。

無論家臣である我の為に神子様に負担を掛ける訳にもいかぬと申したが、今は体を休めることが仕事だと役人モードの口調で言われたので逆らうことはできなかった。そしてようやく今日、神子様から動いてよいとお許しが出たので、馬子殿の元へ行った結果がこれである。

 

「所詮は馬子殿も欲深き人間ということか。それが間違っている訳では無いが、ああなると人の底は見えて来る…。さてはて…」

 

ドタドタと無駄に着飾った役人が横切る。流石に我の前で止まって一礼はしたものの、世がこんな状態でなければ無礼者と叱責されても文句は言えない。まあ我も堅苦しいのは嫌いな性質なので、我自身が咎める事は無いだろうが。

 

「我の戦もまだ終わってないようじゃな…」

 

史実では聖徳太子は蘇我馬子の力が強すぎてそれほど自由に政治が行えなかった、という一説があると聞く。事実それがどうかは分からない。何しろ聖徳太子の存在そのものがあやふやで不確定だ。

だが現に、後に聖徳太子と呼ばれるであろう神子様はこの世に存在する。神子様の望む政治を馬子殿が拒む可能性が少しでもあるなら、神子様のお力にならなければ。

しかしどうしたものか。いくら物部を束ねる力を持っているとはいえ、また戦争を起こしては守屋と同類だ。何より神子様が蘇我に立っている以上、我は蘇我に対して攻撃できん。

我は未来、正確には近代以降の政治を少しではあるが知っている。いや、例え現代の政治を全く知らなくとも、現代の価値観を持っているだけでそれは国を動かす者として大きな武器になる。だが人の腹を探り、どのようにして相手を出し抜くかに関しては地のスペックが要求される。こんな時こそ本物の天才である神子様の力が発揮される。

 

「う~む、やはりこの手の事は神子様が一番…。しかし馬子殿に対する評価は憶測でしかない以上、神子様にお話しするのも…」

 

顎に手を当て、廊下の木の目を眺めながら歩いてぶつくさ呟いていると、突如真横にあった扉がガラガラと開かれた。

 

「私がどうかしましたか?」

 

「うわっ!? って、神子様?」

 

驚いた我を、首を傾げ不思議そうに眺める神子様。チラリと目線をズラして神子様が出て来た部屋の中を覗くと、先日の戦の時に本陣にいた一人の男が座っていた。我と視線が合った彼は頭を軽く下げて来たので、我もまた同じように返す。

 

「河勝、話は以上だ。あなたにばかり頼んですまない。今度何か礼の品でも送ろう」

 

「お気になさらず。皇子のお力になれるのなら何よりです」

 

我の時とは違って深々と頭を下げた河勝と呼ばれた男性は、我と神子様がいる扉とは別の扉を開いて部屋を去って行った。

 

「とりあえず、中で話しましょうか」

 

「え、え~と…」

 

「私に話せない事か?」

 

「うぅ…、怒らないで聞いて下さると」

 

 

 

 

 

布都が目を覚ましたのは、戦が終わってから二日後の事だった。死んだように眠っていた布都が私の名を呼んで目を覚ました時は、安心と喜びで涙ぐんでしまったのは私と布都の看病をしていた侍女だけの秘密だ。

戦が終えてから世は大きく変わろうとしていた。これまで多くの重大な役職についていた物部が負けたのだ。その空いた席を奪い取ろうとする者は蘇我は勿論、その他の氏もまたこれを好機だと私や叔父上にゴマをすり始めた。

普通なら信用にできる者に空いた役職を与えて終わりなのだが、今回はそうもいかない。何しろ表向きは物部は戦に負けたが、実際のところ物部はまだ力を持っている。物部が兵の半数以上を失う前に、戦犯の守屋が死んだことであの戦は終わった。物部の有力者達も守屋によって殺された者もいたが、生き残った者もいる。そんな彼等がはいそうですかと負けを認め、大人しく役職を明け渡すわけがなく、結果蘇我の方が優勢とは言え、以前のぎくしゃくとした関係は治っていない。

とりあえず私は、蘇我も物部も今は戦後の事後処理、戦死者の供養や遺族への賠償に集中するようにと私が直々に話をつけた。相も変わらず頭の固い連中ばかりで手間がかかったが、布都の体調が回復するまでの間は大人しくしておくように双方に説得(命じた)。物部の者達も何故か私の言葉は聞いてくれるようで、叔父上の部下の者達が会談した時よりもすんなりと私の要件を受け入れてくれた。私の口が上手いのか、私の言葉が理に適っていたからか、布都の存在が彼等にとって大きいのか。おそらくどれも正解だろうが、順序をつけるのならやはり布都の存在が彼等にとって大きいのが一番だろう。布都は正式に尾興殿の後を継いで物部の頭領になった訳では無いが、彼女は上に立つに相応しい頭脳と武を兼ね備えている。皆まで言わずとも、布都が物部の後を継ぐのは周知の事実だったのだから、守屋やその一派を除いて内部分裂が起こらないのだろう。

そういう点では、布都に兄弟がいないのは良い事なのかもしれないな。腹違いの兄弟は多いらしいが。

 

「皇子、どうされました?」

 

「ん、ああ。すまない、少しボーとしていた」

 

せっかく本命の河勝との対談だと言うのに気が緩んでしまった。

 

「一日何十の者も相手にしておるのです、少しお休みになられては?」

 

「なに、下心ある者の話は適当にやってる、心配するな。それより分かっているな? 物部の力が衰えた今、我等は多くの寺院を建て、信仰を集めることとなるだろう。その時はお前の力を借りることになるだろう」

 

「心得ております」

 

「お前への分配は増やしておくように私からも馬子殿に伝えておく。馬子殿も横には振らんだろう。それだけ我等蘇我はお前に期待している」

 

「ありがたきお言葉」

 

うむ、と彼の忠誠の籠もった言葉に満足げに頷く。河勝は布都ほど信用している訳では無いが、というより布都より信用している部下は他にいないのだが、彼は私の言う通りよく動いてくれる優秀な部下だ。

私の性別の秘密は未だ教えていないが、私も徐々にだがハッキリと女の体に成長してきているのでいずれ私から言わずとも気づくかもしれない。私の本当の性別を知ったところで掌を返す様に態度を変えたりはしないだろうが、念には念を、なるべく彼には働きに見合う以上の分け前を与えて恩義を与えておく必要がある。

少しばかり目を細めて河勝の姿を見ていると、部屋の外から小さくだが布都の声が聞こえて来た。そう言えば布都は叔父上に呼ばれていたと言っていたな。

 

「河勝、布都が来たのでそろそろ切り上げにする」

 

「え? 布都様が、ですか?」

 

「ああ」

 

彼の耳には聞こえないのだろうが、私には布都が私の名を呼んだのがハッキリと聞こえた。耳が良すぎると言うのは便利なものだが、感覚が普通の人間と違うのは時に面倒だ。

この年で早くも重くなってきた腰を上げると、扉を勢いよく開く。

 

「私がどうかしましたか?」

 

 

 

 

「なるほど、布都は叔父上を警戒しているのか」

 

神子様に我の思っていたことをそのまま話し終えたのだが、神子様の表情は少々強張っている。

や、やはり言うのは不味かっただろうか? 神子様が馬子殿のことをどのように思っておられるのかは、正直よく分かってはいないが、もし神子様が我が思っている以上に馬子殿を尊敬されているなら、間違いなく地雷を踏んでしまった。

 

「まあいいんじゃないでしょうか? 叔父上の好きにさせておけば」

 

「へ? なんとも、えらく軽いですな…」

 

「元より私と叔父上は敵対している訳でもなく、協力し合っている。彼が力をつけたところで、私に不利益が生じる訳でもない」

 

馬子殿を好きにさせておくと決めた判断材料は、神子様らしい損得勘定だった。人間だれしも損得勘定はするしそれは当たり前と言えば当たり前のことなのだが、やはり神子様はこの時代のお方にしては客観的に物事を見、メリットデメリットで判断されることが多い。

出過ぎた事を言ったと頭を下げて謝ろうとするが、それを遮る様に神子様はだが、と付け加えた。

 

「だが、私の政治を邪魔するのなら…例え叔父上が相手でも容赦はしない」

 

それは神子様の綺麗な声から紡がれたものとは思えない氷のように冷たく、人の心の籠もっていない声だった。

背筋がゾクッと震える。恐怖からでは無い。感動によるものだ。

軍事力や資金面に置いて今やこの国の頂点に立っている馬子殿をも、神子様は一瞬の躊躇いも無くそう仰った。いくら我と二人だけの場とはいえ、こんなことをここまで冷淡に、しかし感情に籠めて言葉にできる人間はそういない。やはり神子様は上に立つべきして立っているお方だと、改めて惚れ直した。

 

「おやいけない。布都は叔父上の妻だったな」

 

「何を今更。神子様の為でしたら、後世に残虐で愚かな女だと罵られようとも剣を振るいます」

 

「それは頼もしい限りだ。だがあくまで布都の憶測だし、叔父上が物部の領地の多くを受け取るべきなのは事実です。……物部はもう負けるべきだ」

 

「心得ております」

 

下手に土地を奪わず力を残しておくと、いつまた守屋の様な反乱分子が生まれるとも限らない。人の思想とは伝染していく。特に新聞やネット等という情報ツールが無いこの時代では、情報得る主な手段は自分で見るか他人から聞くかの二つだ。我等豪族にはそれに加え文や書物も情報の一つではあるが、この国で紙を使える者はほんの一握りだ。この時代の人々は純粋で、それ故に恐ろしい。ある日突然吹き込まれた嘘が真実だと受け入れてしまう可能性がある。

そうならない為にも、物部は縦の繋がりもだが横の繋がりを弱めなくてはならぬ。さもなければ後々、蘇我に警戒され滅ぼされるだろう。

 

「明日、物部一同が集まります。皆すぐに納得するとは思いませぬが、必ず説得してみせまする」

 

「ええ。こちらとしても、下手に土地の多くを奪って反抗されても面倒だ。半分以上は貰う気は無い。だが半分は必ず…」

 

「貰うと。分かりました。神子様が物部の土地を必要とするならば、我が用意してみせましょう」

 

さて、意気込んだがいいが我が物部の領地全体の半分となるとかなりの広さになる。それを蘇我に献上するように説得するには骨が折れる。

 

「期待していますよ。…どの道その半分はあなたのものになるのですから」

 

「む? すみませぬ、最後の方が聞き取れなかったのですが」

 

「何でもありません。ただの独り言です」

 

 






この間久しぶりに男性向けの恋愛漫画読んで、最初は初々しい男女カップリングにニヤニヤしていたのですが、ハーレムになって来た途端ニヤニヤが消えてパタンと閉じました。ハーレムが特別嫌いな訳じゃないんですけど。
恋愛は少女漫画の方が好み(真顔)


東方のカップリング(恋愛)で一番好きな組み合わせはゆかれいむです。
霊夢好き好き~って感じのも好きですが、ゆかりんが霊夢と親として姉として接し、それに対し霊夢がちょっと意識している感じのがグッドです。


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物部の会合

戦が終わってからまた少し雰囲気が変わってきております。
聖徳太子が行った政治などを神子様がするならばどんな感じだろう、と小説の展開に合わせてぼんやりと考えております。

布都ちゃんヤンデレ化といい、作中の雰囲気があれやこれや変わり、特に序盤のほのぼのを期待されている方には申し訳ないです。でも調べればそれだけ題材として美味しい話が溢れてくるのですよ。





一カ月ほど前までは亡き父上と母上が治めており、現在は事実上我の物となっている地、十一群。

その中心こそが我が家と、我が家の周りに並ぶ町だ。町と呼ぶにはまだまだ店屋が少ないものの、これでも父上の存命中から我が時折口を出して改革していたので、他の町よりかは発展している方だ。

あれから一月も経っていないのに、随分長い間離れていたように感じる。馬に乗って町を歩いていると、民が皆温かい言葉をかけてくれたが、用事があるのでまた今度と言って適当にあしらった。彼等とはまた、今後の税や改革について話すべきことがたくさんあるが、それは今では無い。

今やるべきことは物部を束ね、物部を降伏に導くこと。

 

その大部分が傷ついてボロボロになってしまっているが、懐かしの我が家の纏う空気は落ち着く。既に門の前には多くの護衛兵や馬や牛車でごったがえしており、中もガヤガヤと騒がしい。本来なら家主である我が持て成すところなのだが、皆が気を使って先に家に集まってくれたのだ。どの道奪われて困るようなものは守屋の襲撃後に泥棒が入ったのか全部奪われており、公共施設として寄付しても財政上の問題はさほどない。無論、それだと我が雨風を凌ぐ場所が…まあ神子様のところがあるが、父上と母上との思い出の詰まった家を売り払うつもりはない。

まるで極道の親分のように、人で作られた道の間を通って我は家へと帰って来た。

 

「まずは皆の衆、よう集まってくれた」

 

我が家で一番広い部屋に、各地を収める物部の代表者が集まっていた。だいたい二十人から三十人の間だろうか。代表者の集まりと言う割に、ところどころ若い面があるのは我と同じようにこの戦で親を亡くしたのだ。我は上座に座り、部屋全体に響くようにいつもより大きな声で挨拶をすると、皆一様に頭を深々と下げた。

 

「いえ、我等こそ先に上がり申し訳ありません」

 

木蓮子(いたび)の奴が疲れたので先に上がろうと申して」

 

「なっ! 何を言う小事(おごと)! 違います布都姫、私では無く小事が」

 

物部木蓮子に物部小事、どちらも物部氏の繁栄に培った先祖達の名を受け継いだ者だ。我よりは年上であるが二人ともまだ二十歳前後と若い。最後に彼等と会ったのは戦の最中では無く、彼等の祝言だったか。

余談だが布都姫と言うのは我の愛称みたいなものだ。十年以上も前に親戚、特に年の近い子供に様付けさせるのは堅苦しくて嫌だったので、呼び捨てで良いと言ったのだが、とんでもないと一蹴りされた。それでも様付けは止めてくれと言ったところ布都姫と、様付けと大差ない仰々しい愛称がついたのだ。我も女子、姫と呼ばれて悪い気はせんのでそれをすんなり受け入れる事とした。まあ愛称で姫と付けんでも、権力的には姫と呼ばれてもおかしくない力はあるのは確かだ。

だから親戚の中で若い衆は布都姫と、それ以外の者達は通常通り布都様と呼ぶことが多い。稀に守屋のように布都嬢と呼ぶ事もあるが、どちらにせよ我を呼び捨てにする者は神子様と屠自古を除けばほとんどいない。

 

「ふふっ、よい。おぬしらを野外に待たせておく訳にもいかん。それにこらからやるのは楽しい話でもない。体を休めておいてむしろ正解じゃ」

 

和気あいあいとした雰囲気を切り替えるぞと、言葉の裏に隠された本音を皆しかと察せたようで、部屋の空気が一瞬で重くなった。

 

「布都様、これから我等物部はどうなるのでしょうか?」

 

「…単刀直入に言うべきか遠回しに言うべきか、ここに来るまでにかなり悩んだが、やはり初めに結論から言った方がよいだろう。我等物部は蘇我に全面的に降伏する」

 

ざわざわと室内は騒がしくなり、皆の形相が更に強張った。中にはそれを覚悟していた者もおったようで落胆しているのもいるが、それはごく少数であり、ほとんどの者が力強い眼で否定の意を示している。

 

「我等物部は負けたのではありません! 全てあの守屋の仕業でしょう」

 

「そうです。世はまるで物部が負けたといった噂が流れておりますが、虚言もいいところ! 我等はまだ戦えます!」

 

布都様、布都姫と何十人の男が一斉に我の名を大声で呼び、その心意気を叫ぶ。二人までならともかく、三人以上は神子様じゃないのだから一度に聞き分けられんと察せんのか。まあ心意気があるのは良い事だ、その力は成長への糧になる。だがその力を発揮するのは蘇我との戦では無い。

とりあえずだ。

 

「静かにせんか!」

 

部屋中どころか、屋敷全体に響き渡らせるつもりで怒鳴り声を上げた。途端シーンと部屋は静かになり、表で待っている牛車のモーと間の抜けた鳴き声が流れた。

確かに我は傍から見れば十四の小娘だ。だがこの場にいる全員、丸腰でも相手にできる自信はある。それを知っている彼等にとって、我の言葉はそれほど強いのだ。と、神子様が言われたのでそうなのだろう。

我は一度ふぅと小さく息を吐くと、彼等に言い聞かせるようにできるだけ柔らかいトーンを意識した。

 

「蘇我と戦をしてどうする? 勝つつもりか? 既に物部が負けた噂は日の本全体に流れており、今までどっちつかずだった地方の者等も蘇我に(くだ)っている」

 

「ですが我々にはあなたが、布都様がいらっしゃいます!」

 

確かに我は軍師としても将としても平均以上の素質を持っている。謙遜しなくても誰も文句は言わんだろう。だが…。

 

「…おぬしらは我を買いかぶり過ぎだ。我は何倍もの敵を相手に戦えるほど策士ではない。何より、神子様が蘇我にいる以上、我は蘇我とは敵対しない」

 

正直、神子様の事を伝えるかどうかはかなり迷った。我からすれば、この言葉は神子様への揺れること無き忠誠心の表れだが、彼等からすれば女子の色恋沙汰の為に、お前等は降伏しろと言われているようなものだ。返答は比較的落ち着いた態度だったものの、明らかに口調は怒っていた。

 

「戦の最中もですが、あなたはよく豊聡耳皇子の名を口にしています。仮にもあなたは馬子の妻なのでしょう?」

 

「赤子でも分かるような政略結婚に愛もへったくれもないわ。おぬしらだって数年前までは我と神子様が結婚すると思っておったであろう」

 

皮肉を言ったつもりが痛い所を突かれたのか、彼等はうっと押し黙った。実際親戚の会合の時、我と神子様の間の噂を聞いたのか、神子様と結婚するようにとよく炊き付けてられていた。

 

「おぬしらにとって我と神子様の間はもう終わったのかもしれんが、我にとってはまだ終わっていない。それに、我が神子様と争いたくないのは何も色恋では無い。無論、それが全くないと言えば嘘になるが、かの…んん゛っ! 彼と一度でも話した事のあるものなら分かるだろうが、彼には常人にはない風格と覇気があり、まるで自分の何もかもが見通されているような感覚を覚える」

 

これも、所謂恋は盲目による評価では無く、あくまで可能な限り客観的に見た評価だ。

言われてみてば身に覚えがあるのか、物部の中でも位の高く神子様と謁見されたことのある数人は唸る様に押し黙っており、その姿を見て他の者達も何となくだが察することはできたようだ。

 

「それに神子様は争いを好むお方ではない。日の本を今後どう改善すべきかと、まだ六つや七つの頃から考え、そして学んでおられた。物部が降伏したからと言って、その処遇が非道なことは無い」

 

役職も全部が全部蘇我一色になることもまずないだろう。重要役職は蘇我に侵食されるかもしれないが、露骨なまでに蘇我一色にすればそれもまた物部の反発を生み出す影響になる。それでも、この中の多くの者が役職を失うだろうが、それも致し方ない。

 

「なるほど、確かに布都姫の仰る通り、豊聡耳皇子はよき人格者なのかもしれません。ですが豊聡耳皇子も所詮は馬子の駒ではありませんか」

 

ッ……所詮? ……駒?

 

「……口を慎め」

 

「…は?」

 

「口を慎め小事。貴様、どの分際で神子様を所詮と、駒と言った…。次に神子様を軽んじることがあれば、その舌二度と回せんようにしてやる」

 

「うっ! も、申し訳ありません!」

 

どいつもこいつも、神子様の事を何も分かっていない。彼女がいったいどれほどこの国に重要なのか、そしてどれほど歴史の転機となる政治を行う方なのか分かっておられない。

途端やる気がなくなった。そうだ、此奴らは馬鹿なんだ。崇高で偉大な豊聡耳神子様の素晴らしさを何一つとして分かっていない屑共――――

……いかん、また思考が神子様一色になっていた。こんな暴走、神子様もお望みでは無い。我は神子様の隣に居られるから神子様の素晴らしさを知っているが、この中のほとんどが神子様と会った事すらない者だ。

 

「こちらこそすまんかった、頭を上げてくれ。少しばかり深呼吸させてくれるか」

 

最悪だ。馬鹿はどっちだ。向こうが友好的に接してくれているのに、それを無為に投げ捨てるつもりか。やはり駄目だ。戦が終わり、心のどこかで踏ん切りがついたのか、神子様の隣にいなくても普通の状態でいられるようになったと思っていたが、これじゃ当分治りそうにない。

何十もの視線が集まる中、それを無視して懐から一つの文を取り出し、広げた。神子様が我の事を想って綴ってくれた歌だ。決して誰にも教えない、口にも出さない、心の中でも読まない、我だけの歌。それをほんの数秒、たったそれだけの間眺めているだけだが、確かに心にゆとりが戻った。

我ながら気持ち悪いぐらい病んでおるなぁ…。馬鹿な女と思われても反論できんぞい。

 

「ふぅ…、改めてすまない小事。だがまあ皆も、できる限り神子様への無礼は控えるように。おぬしらが神子様を、そして神子様を想う我をどう思っておるかは正直知らんが、神子様がこの国をよくするお方であるのは事実だ」

 

「…あなたのお言葉から豊聡耳皇子がどれほどのお方なのかは分かりました。そのお方が国をよくされるのも事実かもしれません。しかしながら、我等の生活が悪くなるのであれば、どれだけ素晴らしいお方であろうとも降伏するのは難しいことです。なにより、先程小事も申しましたが、豊聡耳皇子は馬子の力に強く頼っているのも事実。豊聡耳皇子が我等に友好的でも、馬子がそうでなくては意味がありません」

 

「確かに、おぬしらの生活は食に困るようなことは無くとも、今までのように贅沢できんようになるのは避けられんじゃろうな」

 

隠す気の一切ない我の言葉に部屋全体が、それなら、やはり、なら、と騒がしくなる。

土地と言っても一概に一区切りで分けられるものではない。どれだけ広い土地を持っていようと山あり谷ありの土地しかなければ、その収入は少ない。逆もまた然りだ。それでも、土地の半分が奪われるなら税収の減り方は火を見るよりも明らかだ。

我が少しぼんやりしている間にも部屋にいる皆の気持ちは一つに固まっていく。今の生活を失うくらいなら…と言う者も居れば、我等なら絶対に蘇我に勝てると根拠のない自信を元に発言する者もいる。

彼等は分かっていないかもしれんが、仮に土地が半分になったとしても、ごく一般的な農民の生活に比べれば天と地ほどの差がある。もっとも、物部の中でも一番収入のある我が、彼等に農民達の生活を語ったところで逆効果にしかならぬのは重々理解しているので、そこに関しては何も言うまい。

もっともそれ以外なら躊躇なく言うがの。

 

「で? ならおぬしらは戦をするのか?」

 

またピタリと声が止んだ。

彼等はつい数秒前まで、戦をやるべきだと室内が団結していた。だが我の言葉に、そうだ、と頷くものは一人もいなかった。皆本心は、戦を起こして勝ちたいと思っているだろう。だがそうは言わない。頭領である我の前だから発言を躊躇っているのも中にはいるだろうが、ほとんどの者は今の我の冷淡な口調から、我が物部に付く気が無いと改めて理解したのだろう。そして彼等は、我も蘇我に付こうとしている今、戦を起こしたところで自分たちが負けると気付いているのだ。

蘇我は戦をする前より力を増している。頭領である我が蘇我と戦う気が無く、それどころか神子様と共に自分たちの前に立ちふさがるのだ。それに加え、守屋の内部分裂の所為で互いにどこか疑心暗鬼になっている。そんな状態の物部を、頭領と言う肩書を持った我以外の誰が仕切ると言うのだろうか。そして誰が神子様の頭脳を前に戦術を練るのだろうか、誰が我の武の前に立ち塞がるのだろうか。

 

「物部は強かった。そう、もはや過去のことなのだ……。我とて物部を滅ぼしたくてこのような事を言っているのではない。物部が生き残る為にこう言っているのだ。長い物には巻かれよ、強者に媚びよ。それは一見すれば情けないことかもしれないが、それで生きられるのなら良いではないか。

我はこれ以上、身内から死者を出しとうない。戦に負ければ、女子供も殺され、よくても領地から追放され、野盗や妖怪に脅えながら生きていくしかなくなる。おぬしらはそうなってもよいのか?」

 

ここに来て女子供を武器に説得するのは卑怯なのかもしれない。だが決して飾りだけの言葉では無く、我の立派な本心だ。我は物部を生き残らせる為に、今まで日夜鍛錬に励んできた。決して蘇我を滅ぼし物部の天下を取る為の努力では無い。

皆の瞳に宿っていた戦意が僅かだが薄れているのが読み取れる。おそらく彼等の脳裏には自分の愛する妻子が浮かんでいるのだろう。

だが沈黙はある青年、木蓮子(いたび)の声によって破られた。木蓮子の声は震えていた。この重々しい沈黙の中、発言するのには強い勇気が必要なのだから、声が震えているぞと茶化すものは誰もいない。むしろ彼の言葉は揺れる物部の長たちを纏めるものだった。

 

「し、しかし…神道は、神道はどうするのですか!?」

 

木蓮子は感情が抑えきれないのか手を震わせ、ほんの少し潤んだ力強い瞳を我に向けた。

一瞬だけ静寂が戻ってきたが、すぐに周りも、彼に続くようにそうだ、と最初はか弱い声で、だが徐々に声を大きくしてそうだと同じ言葉を繰り返す。

 

「そうだ! 蘇我が天下を収めれば、神道はどうなる!」

 

「何故この国に住む神々が異国の神に逆らう!」

 

「神々は常に我等に恩恵を授けてくれた。その神に対して我等は恩を仇で返すのか!」

 

その言葉は我に対してではなく蘇我への、いや、自分自身に対しての言葉だった。

守屋は神道をこよなく愛した狂信者だった。神道には他宗教、仏教やキリスト、イスラム教のような経典がない。何か特別な掟を守ると言ったことのない、ある意味曖昧な思想だ。だが言い換えればそれは、なにものにも縛られない自由な道とも言える。守屋の行った事は自由と言う言葉で正当化してよいものではないが、彼が神道を想う気持ちはある意味自由を求める心の裏返しだったのかもしれない。

これは守屋を正当化して美化しようとしている訳では無い。なんたって我は今でも奴がもう一回殺したい程に憎い。だが、目の前で自分へと叫ぶ彼等は別だ。

 

「すいません布都様。やはり我等は、蘇我に降伏はできません!」

 

「それは自分の生活が今より苦しくなるからでも、蘇我が好き勝手するのが嫌だからでもなく」

 

「はい! 我等は神道を守りたいのです!」

 

ふむ、皆良い顔つきをしておる。

彼等(我等)は自らの思想を守るために、仏教を広めようとする蘇我を批判し続けて来た。だがその純粋な思想はいつの間にか、何かにつけて蘇我を批判するだけの自我の無いイデオロギーになり下がっていた。

そこにようやく、我も含めて物部は彼女に気づかされたのだ。

 

「その言葉に、嘘偽りは無いな? 神道を守るために戦うと覚悟はできておるのか!」

 

「うおおおおっ!!」

 

部屋全体が、屋敷全体が、物部全体が今この瞬間、真に一体となった。

ふぅ…まったく、常々あなたは恐ろしいお方ですよ。

我は拳を天井へと上げて盛り上がる男達を尻目に、上座から少し横へとズレる。我の意図の掴めない移動に、盛り上がっていた者達は拳を上げたままポカンとした表情で我を眺めている。

 

「…もうよいですよ、入って来ても構いません」

 

「どうやらそのようだな。では失礼する」

 

上座に一番近い扉が開かれると共に、我はそちらに向けて深々と頭を下げた。今我の視界には床の木目しか映っていないが、祭りの様に騒がしかった部屋が一瞬にして静寂に包まれた事から、彼等の顔が茫然としているのは頭に浮かんでくる。

 

「なっ、なななっ!」

 

突然入って来た美男子と言うべきか美少女と言うべきか判断に悩む人物の登場に、首を傾げる者も中にはおるだろうが、“彼”のことを知らない者でも、我や一部の者たちの反応で理解したはずだ。

ドドドドと部屋が揺れた。皆一様に、我と同じように地面に手を付け、そして頭を下げているのだ。

 

「知っている者もいるかと思うが、改めて名乗ろう。私の名は豊聡耳神子。現大王の息子だ」

 

「は、ははっ!」

 

神子様は表を上げろとは言わず、初めにポツリと空に溶けそうな小さい声で呟かれた。

宗教とは面白いものだと。

 

「宗教とは面白いものだ…。自分の思想が絶対であると考え、自分の行いは善だと思っている。信仰の対象たる存在を崇め、それ以外の崇拝は許されない邪教と見る。自分の価値観の多くをそれで決める、とても素晴らしい、とても美しい、とても豊かな発想だ。

いったい神道とは誰が初めに考えたものなのか、仏教とは誰が初めに生み出したものなのか。私は一度、そんな彼等と会ってみたい。本当に神の、仏の代弁者たる人ならざるものが地上に現れて教えを説いたのなら、人でなくとも構わない。

君たちは幸運だ。これからこの国に多く広まる、新たな思想が生まれる瞬間に出くわせたのだから。さあ皆、表を上げよ!」

 

その声は言霊。無意識の内に彼の言葉に従いたくなる、抗えない魔力が込められている。彼に抵抗しようと、反論を考える者は既にいない。

彼は、彼女は我等とは次元が違い過ぎる。

 

「神道を幹とし、仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせ現実的繁栄を達成する。

神を敬え、そして祟りに脅えよ!

仏を敬え、そして祟りを沈めよ!

我々は神も仏も拝まなければ真に救われることは無い。神と仏が争う時代はもう終わった」

 

 




今回は神仏儒集合思想を元に書きました。概要は本文通りのイメージ通りで問題ないと思います。

神子様が幻想郷に復活して驚いたのは、人と妖怪の共存もあるでしょうが、神道と仏教が再び分裂した事にも驚いたと思います。因みに神仏分離は江戸以降からそれが出て、明治にハッキリ別けたらしいです。


神子様優遇過ぎないと思われる方がいられるかもしれませんや、原作の自機組の評価や聖徳太子の伝説をかんが見ると、まあ大丈夫かなとか勝手に思っております。
というか豪族組作品が少しでも増えないかな~と思って書き始めたので、これくらい押さないとやってられないのが本音です。



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物部家

久々ののんびり回。

神子様が出ている東方卓遊戯(東方キャラのTRPG動画)ないかなと探していたらサタスぺと呼ばれる作品があったのでそれを見たのですが、案の定女PCで女NPC口説いていたのでホッとしました。
クトゥルフ以外全然分かりませんが、その動画は凄く楽しめました。

投稿が遅れたのはまあ色々ありますが、ハンティングゲームの獲物が粉塵を落としてくれなかったからです。あと十個くらい必要。


「流石です神子様。あれほど簡単に皆の心を一つにするとは」

 

物部の会合が無事一つの決断を下して終わり、すっかり静かになった我が家の一室。我は他に誰もいないのをいいことに、神子様にめいっぱいくっついて甘えていた。彼女は柔らかい笑みと共に我の肩に手を回し抱き寄せてくれ、神子様の温もりと香りに包まれて頬がだらしなく緩む。

 

「私はただ布都に助言をしただけ。あそこまで話を持って行ったのは他の誰でもない布都、あなた自身です」

 

肩へ回した手が頭へ移り手の平がそっと我の頭を撫でる。既にこれ以上の行為をしているのに、こうやって互いに寄り添い合っているだけで心臓がバクバクと破裂しそうなまで鼓動し、全身が幸せでいっぱいだ。

 

今回の会合で改めて感じたが神子様は人を動かす力、現代で言うならカリスマ性を持っておられる。果たしてその力をご自身がどれだけ自覚しておられるか真意は分からぬが、無意識にせよ意識的にせよ神子様はそれを十二分に活かして話を進められる。神子様はああ言われたが、実際のところ今回の一件は神子様のカリスマと話術により成功した。

まず初めに物部の降伏を宣言し、そこから相手の反論を聞き、それを理の適った事実で返す。人とは賢い。理の適った方針に、よほどの落とし穴が無ければ少なからずそれが正しいものだと理解する。理解してしまうと言った方がよいのかもしれない。だがいくら理の適ったことであろうと、その通りに動かないのが人間だ。もし人間が理の適った、効率的な行動だけをする種族なら娯楽なんてものは生まれないだろうし、宗教と言った考え方も生まれないだろう。衣食住さえあれば人間は生きていけるのだから。

神子様は人の在り方を知った上で、あえて相手を感情的にさせる。今回なら神道の存在が彼等に火をつけたように。そして感情的になった者を蜜のように甘い言葉で囁き、落とすのだ。

神子様からすれば、おそらく女を落とすのも男を落とすのもそこまでの過程はさほど変わらないのかもしれない。

つくづく恐ろしいお方だと、最愛の彼女を見上げる。

 

「ですが布都、私の事を想ってくれるのは嬉しいですがあまり感情的にならないように。あなたが怒った時はひやひやしましたよ」

 

「うっ…胆に命じておきます。ですがその、やはり神子様のことを悪く言われるとどうも…」

 

「明らかな侮辱の言葉ならともかく、あの程度の事で感情的になっていたらせっかくの布都の名声も悪くなってしまう。それは私にとっても不都合だ。嫌でも直しなさい」

 

「で、ですが」

 

それでも神子様を軽視する言葉を耳にして冷静ではいられないのだ。神子様こそ我にとっての正義であり、天道であり、神であり、仏である。

そんなあなた様を軽視しようとするなら例え誰であろうと許すつもりはない。己が本心を言おうとした時、神子様の両手が我の頬を挟みそれぞれ反対の向きへ頬を引っ張った。

 

「い、いふぁい、いふぁいです、みふぉさま」

 

グニグニと上へ下へと両手を動かして四方八方に頬を伸ばしながら、神子様は優しい笑顔で告げた。普段は見惚れてしまう笑顔が怖かったが、容赦のない頬への攻撃が痛くそれどころではなかった。

 

「布都は私の事となると見境が無さすぎです。私の力になりたいのなら、日の本の天才児、物部布都として力になりなさい。そして……」

 

おそらく赤くなっているだろう頬がようやく解放されると、今度は突然体が引っ張られて神子様の胸元へ引き寄せられた。

 

「甘えたい時は幼馴染の布都として甘えなさい。公私混同はほどほどに、ね?」

 

ギュッと、背中に回された神子様の両手が我の体を抱きしめる。

ああ、もう…。こんな、こんなことばっかりするから公私混同してしまうまでに神子様の事を想っているのに、この方の飴と鞭はあまりに卑怯だ。我でなくとも、神子様に口説かれたら首を横に振れない。

きっと今自分の顔を見たのならニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべて喜び、もし声を上げるなら裏返ってしまうだろう。だから神子様の胸元にうずくまり、彼女に顔を見せない様に何度も何度もコクンと頷いた。

 

 

 

 

翌日。もう夏に入ったと言うのに妙に肌寒い中、ゆさゆさと揺らされて我は目を覚ました。昨日は何があったのか、いつから眠っていたのか、睡魔が強すぎて頭が記憶を遡る事を拒否していたが、我を起こしていたのが神子様と気づいたとき脳が一瞬で活性化し、昨晩の事を思い出した。つくづく現金な体である。

チラリと自分の体に視線を落とすと、そこには衣服を一切纏っておらず僅かに膨らんだ平坦な胸が露出していた。下も何も着ていないのが感覚で分かる。既に神子様は着替えを終えており、今部屋で裸なのが自分一人と意識すると途端に恥ずかしくなる。

 

「すす、すいませぬ。すぐに支度を」

 

慌てて辺りに脱ぎ散らかした、正確に言えば脱がされた衣服を手元まで引っ張ると、見下ろす様に立っていた神子様は軽く頬を緩めて膝を屈めた。神子様はそのスラッとした細い指を我の肩にちょこんと当てると、なぞるように下へ動かしながら呟いた。

 

「そのままの方が私は嬉しいかな」

 

唯でさえ昨晩の余韻で肌が敏感になっている所為か、甘い声が籠められた指の魔力は凄まじかった。指が胸のてっぺんに触れた途端体がビクンと跳ね上がり、これ以上は本当に危ないと判断して裸身を布団で隠した。

 

「き、着替えますので出て行って下さい!」

 

残念、と不満げな声だが余裕のある笑みを浮かべて、神子様は我の額に唇を落として部屋を出ていった。

朝っぱらから怒鳴った所為で変な息切れを起こしてしまい、興奮からか上手く呼吸を整える事ができず、ようやく呼吸が整ったと思いきや意識せず口が勝手に動く。

 

「……幸せ……」

 

こんな日が続いてしまったら間違いなく駄目人間になってしまう。そう思いつつも神子様の余韻が残った体の興奮が収まるのには時間が掛かった。

 

脱ぎ散らかした服を羽織ると、丁度そこで侍女が我の服を持ってやって来た。随分よいタイミングに来たなと内心首を傾げていると、どうやら神子様の命で服を持って来たようだった。実際は不倫関係というのに、侍女の対応は我等を普通の夫婦として接してくれているのがまた幸せだった。

寝間着から普段着に着替え終え昨日会合のあった部屋へと行くと、既に二人分の料理が出されており、片方の料理の前に神子様が座っておられた。

 

「お待たせしてすみません」

 

「いえ、構いませんよ。それでは食べましょうか」

 

「はい!」

 

今までも神子様と一緒に朝食を頂く機会はあったが、こんなに幸せな朝食は生まれて初めてだった。本当の夫婦のようなやり取り。何気ない一言も、神子様の声で紡がれた言葉なら我を幸せにしてくれる。

もはや朝食が何だったのか、自分が何を食べていたのかさえ覚えていない。ただチラチラと朝食をお食べになる神子様の姿を見、時々視線が合うと、慌てて視線を食事に戻して描き込むように食べる。隣からクスクスと神子様の声が聞こえるが、あえて聞こえないふりをする。

 

「もう少し一息吐いたら、この家も元通りになるとよいですね」

 

「はい。父上と母上の形見をいつまでもボロボロのままにしておくわけにもいきませんので」

 

守屋の襲撃と火事場泥棒によって、我が家はあちこち破れたり壊れたりしていてボロボロだった。この部屋と我と神子様が寝泊まりした部屋だけは比較的無事だったので綺麗にしたのだが、残りの部屋はボロ屋敷だ。それでも貧しい農民たちの家よりかはずっと快適なのだが。

それもあって朝食は我等が食べるにはいささか貧相なものなのだが、我も神子様も不満は無かった。本来なら床を共にすることを許されない我等に対し、ごく自然に接してくれる事が何よりも優先して侍女たちへ望むものだ。

 

「ところで神子様」

 

「ん? なんでしょう?」

 

「我が家に寝泊まりして下さったのはとても嬉しいのですが、その、屠自古の方はよいのですか? 馬子殿も我等に対して何も言いませんし…」

 

この時代の浮気とは現代に比べるとそこまで重いものではない。結婚の儀も女性の家に一晩泊まって一緒に餅を食べればそれで成立するだけはあり、離婚も互いに飽きたら離婚しましょうかで終わる。それでも自分の妻が堂々と浮気をしていて愉快に思う夫は、はたしているのだろうか。それに歴史上の蘇我馬子は名目上の理由とは言え、自らの不始末を妻を寝取ったという理由で口封じしたこともある。

このタイミングで神子様にその内を話したのは、ようやく互いに少しだが一息吐ける時間にありつけたからであり、前々から馬子殿の目は気にはなっていた。

神子様はあぁ、と軽い相槌を打って箸置きに箸を乗せると九十度振り返って我を正面に置いた。

 

「安心しなさい。叔父上には以前知恵を貸した時があってね、その時私の知恵を貸すことを条件に布都に手を出さないことを約束したんですよ」

 

我が馬子殿と結婚したのは十三の時だったから、それより前に馬子殿に知恵を? しかも馬子殿の対応を見る限り、ただの口約束にしては随分と律儀に守っておられるようだがどのような約束を…まあよい。今は馬子殿を特別意識する必要はないということか。ならもっと喜ぶべきかのう? どうも不可解な返答だったので実感が無い。

 

「屠自古も…布都が気にする事ではありません。戦の前に言ったでしょう? お前が望む限り私はお前の傍にいると。だから布都は何も心配する必要は無い」

 

神子様は口元を緩め、ぽんぽんと我の頭を撫でると食事を再開した。それとは対照的に我はしばらく動けずに神子様の方を向いていた。

何故だろう? 神子様の言葉は本当に、今すぐこの場で飛び跳ねたいくらいに嬉しかった。その気持ちに嘘偽りは無い。だがどうにも屠自古の事が気になっていた。別にあやつに負い目を感じている訳ではこれっぽっちも無いが、屠自古もまた件の戦で心に大きな傷を負った点においては我と同じ。そんな屠自古を尻目に、我だけ神子様を独占してよいものか。

だが理屈では分かっているが一秒でも神子様の隣にいたい気持ちも真実だった。疑問が解決したのにも関わらず、気持ちがざわざわとしていて落ち着かない。

 

「ふふっ、やはり布都は優しいですね。屠自古の事でしょう?」

 

「えっ!? いやその…なにゆえそう思われたのですか?」

 

すると神子様は我の手元をちょんちょんと指差した。手元の感覚に妙な違和感があったので急いで確認してみると、箸を逆に持って食事を再開していた。慌てて箸を持ち替えるが、それで神子様の目が誤魔化せるわけが無く、我は口をとがらせて渋々と頷いた。

 

「安心しなさい。確かに私は屠自古のことを傷つけることとなっても、布都の隣にいると決めていましたし、その旨を屠自古に伝えようとしました。でも私が言うより前に、屠自古が言ったのです。私の事はいいから布都の隣にいてあげて、あいつは凄く傷ついたから私が隣にいてあげて、と」

 

「屠自古がそのようなことを…」

 

「あなたが思っている以上に屠自古は強い子だ。だから私達は今、屠自古の好意に甘えることとしましょう」

 

そうか…。初めて会った時は腹への打撃一発で泣いていた屠自古も、今ではもう十四。女の子は大人っぽくなるのが早いと聞くが、身体つきだけでなく心も大きく成長したのか。一応我も神子様も屠自古と同年代だが、我には前世の記憶があるし、神子様に関しては前世の記憶どころか神や仏の生まれ変わりと思われても文句は言えないほどに早熟しておられた。何でも噂では赤ん坊の頃から言葉を話されていたとも聞く。こんな我等が傍にいたのもあってか屠自古の成長は、分かりやすいようで分かりにくい曖昧な立ち位置にあったが、もはや身も心も我よりも大人かもしれぬ。

 

「そう、ですな。しかしそれなら尚更、屠自古に笑われない為にも今後について話し合わなくてはなりませんね」

 

「流石布都。私も食事が終わってから布都と話そうと思っていたのですよ、今後の政治や統治についてね」

 

「そちらも改めて神子様とお話ししようとは思っていましたが、今我が気になるのは次期皇位についてです」

 

現天皇であり神子様のお父上でもあられる用明天皇は三十一代、つまり三十二代目の皇位についての話。

次期皇位は現天皇のご子息である神子様のもの、という簡単な話では無い。皇位は当然、天皇家の血筋を引いている者のみが許される位であり、当然神子様にもその権利はある。だがそれは神子様に限った事では無く天皇家の血を持つ者は他にも沢山いる。

その中でも神子様を差し置いて候補者となっている者が二人。一人は蘇我側についていた泊瀬部皇子(はつせべのみこ)、我の知る歴史では後に崇峻(すしゅん)天皇と呼ばれる方で、もう一人は物部側についていた穴穂部皇子(あなほべのみこ)の名を持つ方だ。お二人は同じ欽明天皇を父に持つ兄弟であられるのだが、後継者争いをしているだけあって仲は悪い。

神子様はそっちかと、一国の頂点の座に興味なさげな口調だった。

 

「馬子殿からその話は来ていないのですか?」

 

我は口に入れた米を飲み込むと、同じように米をパクパクと食べている神子様に視線を動かす。

後に聖人とまで呼ばれる聖徳太子が何故天皇になれなかったのか、いくつかの説があるが、説の一つは用明天皇が皇位されてから僅か二年で亡くなってしまったことだろう。その頃の聖徳太子はまだ幼く、天皇の座に着くには難しいと判断された。だがしかし、神子様の父君は我等が幼い頃から体調が良い方では無かったものの今もまだ存命されており、神子様も十五と皇位に着くのに問題ない年齢まで成長された。

 

「全くないという事もないが、正式な場では一度も無かったから叔父上はまず間違いなく泊瀬部皇子を即位させようとするでしょう。私が子供の頃から決めていた約束を、私が大人になったという理由で破っては叔父上の名に傷がついてしまう。それに…」

 

「それに?」

 

「あくまで勘だが、叔父上は私の元にこれ以上力が集まるのを避けようとしている。私に対して友好的なのは変わらないが、彼とて私が怖いのだろうな。いやはや、才がありすぎるのも困る」

 

「うむ、まったくでございます。少しはうつけ者を演じても罰は当たりませんぞ」

 

唯でさえ隠しきれない覇気とカリスマがあると言うのに、幼き頃より更に磨きの掛かった観察眼と並々ならぬ頭脳を見せられたら馬子殿でなくとも警戒する。

能ある鷹は爪を隠すと言うが、神子様はあえて爪を常時見せる事により、自らの発言力をより強固なものにしている。その成果が昨日の会合での、神子様と謁見された経験のある彼等の反応だろうが、それも決してよい方向ばかりに進むわけでは無いのだ。

我ながら良い事を言ったと、うむうむと腕を組んで頷くが、何故か神子様は苦笑していた。

 

「いや、そこはほら、調子に乗るな~ってところじゃない?」

 

「神子様を叱咤する役割は屠自古に放り投げております。我はどこまでも神子様のお言葉に賛同し続けます」

 

「むむ、それは嬉しいようで心配になる発言だ。布都、昨日も言いましたが…」

 

おそらく神子様は我を心配して、自我を持って行動しなさいと言おうとしたのだろうが、彼女の口がそう告げる事はなかった。彼女の瞳に映る物部布都の可能な限りの笑顔が、彼女の口を止めたのだ。

 

「大丈夫です。しっかり自我を持った上で我は発言しております。神子様のお言葉に賛同し続けるのは、神子様が過ちを犯さないと信じているからこその発言です。だからもし万一、神子様が民の暮らしを無意味に厳しくする政策を取ろうとするならば、我は全力でそれを否定させて頂きます」

 

我はただ神子様が恋しい故に賛同している訳では無い。神子様が真に日の本に必要となり、この国の転機を作る偉大な方であると分かった上で神子様に賛同している。もし神子様が人格者でなく、またあるいは凡才なら、欲望に忠実なら、観察眼の乏しいなら、上に立つ者としての資格が無いのなら、我は神子様に賛同するのはおろか、彼女に付いて行っているかも分からない。現金な奴だと思われるかもしれないが、一切の否定はしない。

それは空想上の話であって、実際の神子様は天才で、自らの欲よりも他者を想い、並々ならぬ観察眼を持ち、上に立つ者としての資格が誰よりもあるのだから。

 

「…凄く嬉しいよ、布都。でもね、私はあなたが思っている程完璧でも無いし、正義でも無い。邪魔するもの何であろうと排除する、私がそんな人間であることはお前の為にも理解しておいた方がいい」

 

神子様は微笑みながらも今にも泣きそうな瞳で我をジッと眺めながら、彼女らしからぬか細い声で告げた。そこで我はようやく、自分が今までどれほど神子様にプレッシャーを与えていたのか理解できた。神子様とて過ちを犯す人間であることは心のどこかではちゃんと分かっていたのにも関わらず、少しばかり口が動きすぎてしまった。

いい感じの雰囲気が一転し、部屋が急に静かになった。

 

「すいません、ちょっと弱音を吐いちゃいましたね」

 

「あ、いや、そのえっと…」

 

話題を切り替えるべきか励ますべきか、何をどうするのが神子様にとってよいのか、滅多に見せない神子様のか弱い一面に頭がパニックになっていたようで、腕を無駄にブンブンと振っていた。今の神子様が求めている言葉が何なのか、出かかっているのに言葉が喉に詰まって上手く言葉にして伝えられない。

まるで高速旗揚げゲームをしているかの如くあわあわと手を振っていると、神子様はクスッと笑みを浮かべると我の頭をポンポンと叩いた。それから神子様は先程までの会話が無かったかのように、これ美味しいですねと食事を再開しており、一方我は腕が斜め四十五度の状態のまま固まっていた。

一応この話題は流れたのだから、それをわざわざ掘り返してくそ真面目に応対する必要は無く、そのまま流す方が上手い人間関係の在り方なのだろう。だが、気づけば彼女に依存しまくっているこの心は、神子様が隣で落ち込んでいるのを流す事ができなかった。

 

「神子様! よければ食後に一緒に町を回りませぬか!」

 

「へ?」

 




相変わらずこの布都ちゃん病んでます。
初めの頃は沢山の百合好きの方が見てくれているんだな~と思っていましたが最近は、流石に見てくれている人全員が百合好きじゃないよな? となんとも言えない不安があります。
まあもしこの作品を見て頂いている方の九割が実は百合好きでなくとも私は百合を書きますがね!!!



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予想図


言葉の意味って時と場合、あるいは人によっても変わる事がありますよね。
最近私の中でエンターテインメントの意味が変わりました。半年以上前は娯楽とか演劇とかの一般の意味でしたが最近エンターテイメント(略してエンタメ)と聞くと制圧・支配と言った意味になっております。


今回はとりあえず一話は絶対に挟んでおきたかった回です。逆に言うと一話入れたらとりあえずいい感じ。


食事を終えた私は、一息つく間もなく布都に引っ張られて外へと向かった。半ば無理やり、少し痛んで色褪せている着物と菅笠(すげがさ)を着せられ、くれぐれも目立つような行動は控えるようにと言われて。民の飾らない素顔が見る為のことだろうが、何も菅笠まで被せる事はないだろう。そう言うと布都は、私の容姿、特に髪は目立つのだから隠す必要があると返して来た。癖が強過ぎるからこうなってしまうだけで、好きでこの髪型になっている訳ではない。だからといって決して嫌いではなく、個性的という点ではむしろ気に入っているので無理に抑え込もうとはしないが。

ともかく、私自身個性的と自負しているこの髪型は他人から見ればそれ以上に個性的に見えるのだろう。結局私は着慣れない菅笠をいやいや被り、肌触りの悪い着物を羽織って布都の後ろを歩いた。

らしくない愚痴を言って変に気を使わせてしまったかと少々気負いしていたが、この対応を鑑みるに意外と気にしていないのか? やあやあと右へ左へ、道を譲って頭を下げる民達へと手を振る布都の背中を眺めながら彼女の意図を探っていた。

私も自分で町を出歩いた経験は何度もあるが、やはりと言うべきか、私が出歩いた時と今では民の対応が違った。それは私の方が布都より身分が上だからでは無く、民との接し方が私と布都では大きく異なるからだろう。私とは違い、布都は多くの民から話しかけられていた。少数とは言え中には気さくに話しかける者もいたくらいだ。

 

「お身体はもう大丈夫ですか?」

 

「色々と大変でしょうが、頑張って下さい」

 

「わー、布都様だー」

 

「これから私達はどうなるのでしょうか?」

 

「噂では蘇我がこの地を収めると聞いています」

 

「これ以上税が重くなれば俺たち暮らしていけません」

 

彼等の言葉は大きく二つで、布都の体を気遣い応援する者と、これからの自分たちの境遇について聞く者、そして一部例外に純粋無垢な子供たちの声があった。布都はどれに対しても言葉を返した。体の心配をしてくれた者には感謝を、今後の暮らしを心配する者には安心しろと、寄って来た子供たちには屈んで目線を等しくして頭を撫でてあげた。

私もけして、必要以上に頭を下げさせようとする無意味な気位は持っていないが、かと言って彼ないし彼女達と深く接しようとは思わない。だからこそ、私が歩く時と布都が歩く時では道の賑やかさが違うのだろう。

傘をクイッと上げて陰に隠れていた布都の顔を眺める。それはまるで戦や人の死と言った、この世の影を一切知らない朝日の柔らかな光を連想させる笑みだった。普段私へ向けてくれる笑顔とはまた違う表情に、改めて惚れ直しながらもどこかちょっと悔しい面もある。もう十年の付き合いだと言うのに、まだまだ知らない事がたくさんある。

寂寥感を覚えながら民と話している布都の姿を少し遠目に眺めていると、十に満たない小さい女の子が、私の恰好が不思議だったのか傘の中身を覗き込んでいた。一瞬どうしたものか戸惑ったが、布都が優しく民に接している最中冷たくあしらうのもおもはゆい。私は少し気障に口元を上げると、手をポンと少女の頭に置いた。

 

「またね、お嬢さん」

 

「ふぇっ?」

 

これが民との正しい接し方なのかどうかは分からないが、少なくとも悪い対応では無いだろう。私が布都の元へ歩き始めると丁度布都の方も一区切りついたようで、布都は私の少し斜め前に位置取ると町歩きを再開した。

流石布都が深く関わっていた土地だけはあり、街並みの立派さは都に負けるものの活気はこちらの方があり、見慣れない店もちらほらあった。私は街並みを楽しみながら、先程民の一人が言っていた税の話題を出すことにした。

 

「それで布都、実際のところ税はどうするのですか?」

 

「神子様はどう思います?」

 

どう、か。

正直なところ、民は生活が苦しくならない程度であれば出来る限り収めるべきだと思っている。それが彼等の仕事であり義務であり、我が国の発展に繋がるのだ。だがそう言うと布都はまず間違いなく怒るだろう。

 

「…下げるべきだろうな」

 

「はい、我も同意見です」

 

思った通りの返答だが問題はこの先。税収の低下は国力の低下に繋がるのは布都も分かっているはず。今は何かと入用な時期なのだが、それよりも税を少しでも緩和するべきだと布都は言うのだろうか?

さて、どう話を進めて行けば上手く布都の考えを聞き出せるか…。素直に布都の意図が分からないと言えばよいのに、変に見栄を張ってこんなことばかりやっているから布都に勘違いされるんだよなぁ。でも今更なんでと聞くのも恰好が悪い。

とりあえず聞き出すにはまず自分の考えから言うべきだろう。現時点で思い付く税を下げるべき利点は…。

 

「全国的に広まった疫病、それに追い打ちを掛ける大戦。民達はこの二つに強い不満と恐怖を持っている。妖怪からも常日頃脅えている彼等からすれば、いくら仏教の教えを受けようともそれだけでは現状がいいとは思わないだろう」

 

私の答えに対して布都の様子はどうだろうか。内心少し冷や冷やしながら布都の表情を確認していると、ニコリと笑みを浮かべてくれたのでホッと胸をなでおろした。本音と建前半分ずつで構成された言葉は及第点だったようだ。

私はけして人格者ではないが、こうやってできる限り民の立場になって物事を考えられるだけまだ民の事を想っている方だろう。

 

「やはり神子様はお優しい方ですな。我もまあ、無論民の生活について考えてなかった訳ではないのですが、我はあくまで国力の増加の為に税を下げるべきだと考えていたのです」

 

私はけして優しい人間では無いよと、やんわりと否定しようと思ったが、続けて繰り出された言葉にそれどころではなくなった。私は無意識のうちに小さく驚きの声を漏らしていた。すると布都は軽く苦笑し話を続けた。

 

「国力の増加とは必ずしも大王の御力だけではありません。仮に大王の元にこの世のあらゆる財があろうとも、それに従う民がいなければ財は意味をなしません。極端でしたので少し言い換えると、従う民がいても民の健康状態が悪ければ国力が強いとは言えない。そう思いませぬか?」

 

国力の増加の為に税を引き絞るだけ絞って国の元に財が集まろうとも、それにより民が弱ってしまえば元も子もないということか。例えばもう遠い昔のように思える守屋とのあの戦、その時最前線で戦っていたのは当然民達だ。もし仮にあの者達の健康状態が戦の前から悪ければ、それは当然士気にも関わるし実際の戦力にも影響を及ぼすだろう。極端だと呆れた口調で言えば、おそらく布都は乾いた笑いをするだろうが、例とは大げさな方が分かりやすい。

確かに当たり前のことだが、改めて誰かの口から言われると首を頷きたくなる。

 

「これは民を戦力として、あるいは働き手として見た場合のものです」

 

「ん? その口ぶりからするとまだ何か考えがあるのですか?」

 

「はい。むしろ我にとってはこっちが本命と言った方がよいかもしれません。どう説明すればよいものか…」

 

布都は歩いたまま腕を組み、う~むと子供らしく首を傾げる。布都は昔から子供らしからぬ子だったが、時折だが見せる子供らしい仕草は大人になった今でも変わらないな。そこがまた布都の良さで、部下、友人、軍師、物部の頭領、そして想い人としての様々な一面を私に見せてくれる。その一面がある時ころりと変わる瞬間に私は何度もときめかされた。首を傾げるその姿はときめくと言うよりも、ほっこりの方がしっくりくるが。

心中で一人、布都の魅力を語っていると、噂の彼女は突然ポンと手を叩いた。どうやら上手い説明の仕方を思いついたようだ。

 

「無礼な例えになるのですがお許しください。例えば神子様が毎年十の収入を得ているとし、それしか財がないものとします」

 

「ふむふむ」

 

十では桁が足りなくないかと思ったが、こんなことで口を挟むのは野暮なので相槌だけにしておく。

 

「その十の収入の使い道ですが、年に食事に七ほど使う必要があります」

 

「食事に七も使うのですか…。それはそうしないと生きていけないという事ですね?」

 

「はい。必ず、最低でも七は使います。しかしそれでも三は手元に残る事になります。では神子様はその三の財産を何に使おうとしますか?」

 

何に使うかだと? またえらい難問が出たものだ。すぐに思い浮かぶ私が欲しいものは、やはりより多くの土地や強大な権力だがそれは話の方向性が違う。となると他に私が買っている物と言えば書物や骨董品などだが、食事に収入の半分以上を使うのなら書物や骨董品も買えないだろう。布都は遠回しに言ったが、要は私がごく一般的な民の立場ならどうするかと聞いているのだ。そうなると……収入をいったい何に使うのだろう? 一応民の暮らしはそれなりに見回っている方だと自負していたが、ここまで思いつかないとは…。

私はしばらくの間考え込んだが、結局答えが出なかったので両手を上げた。

 

「降参です。答えはなんでしょう?」

 

「正解はですね…我にも分かりません」

 

「はぁ?」

 

問題を出した側が答えを知らないんじゃ問題にならないじゃないか。そんな私の心境を察したのか、布都は手を口の前に置いて面白そうに小さく笑った。

 

「ふふっ、正確には残ったその三は使わないと言った方が正しいですな」

 

この子はいったい何を言っているんだ…。何故せっかく余った収入を全部使おうとしない……そうか。

 

「確かに考えてみればそうだ。いつ何が起こるか分からない彼等は、それを出来るだけ貯めておこうとする」

 

「ええ。もし翌年が凶作だったら、税が突然上がったら、妖怪や動物に農地を荒らされたら。そんな時の為に彼等は米を貯めておく」

 

「ごく普通の事なのに、思い付かなかったな」

 

「決して恥ずべき事ではありません。神子様はまさに国の税を貰う立場にあるのですし、すぐに気づかれただけ流石でございます。ともかく、彼等の多くは今後の為に収入の残りをなるべく貯めておくのですが…」

 

そこで私は口元に人差し指を当てる仕草をした。ここから先は可能な限り自分で考えたかったのだ。布都も分かってくれたのかコクンと頷いて口を閉じる。

話しが長くなって頭から抜けかかっていたが、この話は税を下げた場合の民の利点についての話だった。私は民を戦力的、労働力として考えた場合の話をしたが、布都はそれとは違う意図があると言って先程までの話に繋げた。

当たり前だが民達は余裕がある時に貯蔵を増やしておく。それに気づかなかったのは私が愚かだと言うのもあるが、同時に私には余裕があり過ぎるからというのもあるだろう。明日の食事に悩んだことは生まれてこの方一度も無いのだ。これ等を前提に考えた場合、税を減らせば彼等にどんな影響が出るか……すぐに一つ答えが浮かんだが余りにも簡単すぎる答えに、それが本当に正しいのか不安になってくる。こんなもの、それこそ子供だって分かるものだ。

 

「毎年の生活に、余裕ができるな…」

 

「そうです!」

 

これ以上答えを求められたら大人しく降参しようと半ば諦め感覚で、まるで前置きかのようにサラリと思いついた考えを言ってみることにしたのだが、まさかこれが本当に正解とは思わずに一瞬茫然としてしまった。

 

「そしてもし生活にある一定以上の余裕ができたのなら、彼等が一日に費やす時間にも余裕ができる事にはなりましょう」

 

生活に余裕ができれば時間にも余裕ができる、まさにその通りだ。私達が普段、今日明日の食事を探さず家に居られるのは、余裕があるからに他ならない。だが余裕が生まれたところで彼等が何をするのだろうか? まさか蹴鞠や歌を詠む訳ではなかろう。

 

「時間の費やし方は人それぞれ、それこそ一つにくくる事など到底できませぬが、ですがこう考える者は必ず出てきます。もっと米を、金を稼ぐ方法は無いか、そうすればもっと暮らしが楽になるのに」

 

ここでようやく布都の意図がハッキリと分かった。

 

「そうか! 食の余裕は時間の余裕に繋がり、時間の余裕は様々な意欲に繋がる。そしてその中の、ほんの一部でもより儲けを求める者が」

 

「ええ、その者は何らかの商売をしようと、あるいは何か金になる物を作り出そうとするでしょう。それこそ町の、強いては国の発展に繋がりましょう」

 

ごくごく当たり前で、言われたら誰でも理解できる。私が今この場で他の誰かにこの話をしても、なに当たり前のことを言っているのだと笑われる。私自身何故こんなにも単純な話にここまで驚いているのか正直分からない、分からないが胸にストンと心地よく落ちた。

 

「そしてどの者にも自由な商売ができるように、数日に一度の間隔で誰もが商いをできる場、市を開くのもよいと思っております。定期的な場を開くことでより先を見通した商いを可能にするのです」

 

布都はまるでイタズラを仕掛ける子供のように活き活きと、立てた人差し指をクルクルと回しながら話を続けるが、私は市という言葉が気になった。私の記憶が正しければ市という言葉は、青娥からもらった易経(えききょう)と呼ばれる書物に記されていたが、この国にある易経は私が知る限り青娥がくれた一冊のみだと思うのだが…。勿論私が知らないだけで易経以外の書物に記されていた可能性も十分にある。しかしキスと言った言葉やそれ以外にも布都は時折聞き慣れない言葉を使う。それ事を考慮すると……いや、これ以上考えるのは止めておこう。布都にどんな秘密があるのかは分からないが、布都が私に言わないのならそれだけ隠したい秘密なのだろう。ただ単に忘れているだけかもしれないが…。

 

「なるほど、市か。それなら様々な商いが気軽にできるようになるのですね」

 

だから私は市には深く追求せず、軽く流すことにした。

 

「はい。それからですね!」

 

そこからも布都は楽しそうに、自分が考えている政策について語っていた。

市の話から続き、金貸しの話。ある一定以上の利益を得られる商いをする将来の有望な者には金を貸し、より大きな商いをやる機会を与えるもの。

今度はその金の話から続き、今も一応貨幣は存在するがそれが世に広く使われてはおらず、物々交換が主である。だが物々交換の場合どうしても円滑に取引が行かない場合もあるので、布都は貨幣をより広く進めるために、金と貨幣を交換できる仕組みを作るのもよいと言った。私達天皇家の元にある程度の貨幣を持ってきた場合、それを金と交換できるようにする。そうすることで貨幣に確かな価値を与えるらしい。正直私には何を言っているのかよく分からなかったが、この話をする初めに、これは我等が存命中には不可能でしょうがと言っていたので、あくまで頭の中で思い描いているだけのようだ。それでも貨幣の普及もまた国力の増加に繋がるようである。

 

「あっ、申し訳ありません。我ばかり一人で話して」

 

「構いませんよ。布都の話はとても面白いものですから。他には?」

 

「えっと、安全に隋に渡る事ができるようにする大きな船の開発や、各地の穀物や果物の種を集め、それを各地へ分配することも曖昧にですが考えております。前者は隋への行き来だけでなく、海路を使用した国内の取引、そして漁業の発展にも繋がります。後者は栽培に向いている地を片っ端から当たる事で、一部でしか生産できないものをより多くの場所で生産できるようにさせる為です。可能であれば、隋から取り寄せた食べ物も、食すより先に各地に広めて生産を可能にすることがよいと思います」

 

なるほど。隋に渡る為に質の高い船を作る事は大事だと考えていたが、後者の発想は無かった。我等は立場上、命令を下せば季節のものであれば何でも食する事ができるが、民は遠方の名産品を取り寄せて食べることはできない。もし各地で生産できる食物の種類が豊富になれば、民達の食生活も一段階上がり、それもまた目に見えない利点に繋がるのかもしれない。

 

「それとこれは我が直に、気長にやるつもりですが、勉学の機会を少しずつではありますが民に与えるつもりです。読み書きとまではいかずとも、世がどのように動いているか、どのような職があるのか、どのような政策があるか。そういった、ものを知る機会を与えればそれだけ民の発想も豊かになり、思わぬ発想が生まれるやもしれません。こんなところでしょうか」

 

「学ぶ機会ですか。学ぶ楽しさを知る者として、それは是非手伝いたいです。しかし今布都が言った話を叶える事ができれば、この国はかなり変わりそうね」

 

「はい。ただ、多くの人間は大きな変化を拒みます。安定した日常を求めるのが一般的であり、神子様のように常に高見を目指す者は少数。いくら我等が力を持とうとも、いきなりあれやこれやと変えていけば不満を抱く者が現れるでしょう」

 

「唯でさえ戦が終わったばかり。今すぐ税を減らし民に勉学の機会を与えたところで反感を買うだけ。手近なところから行くなら市や船の開発、それと各地に寺院建てることか。それでもかなり忙しいじゃないか」

 

次から次へと出て来る私達がやるべきこと、その多さと難解さに私は苦笑交じりに言った。

私も布都も口にしなかったが他にも道の整備や港の建設、特にここから博多へと続く道は人が通りやすく妖怪や山賊に襲われることが多く、その辺りについても対策を取らなくてはならない。

 

「大丈夫ですよ」

 

「そうか?」

 

「はい。我と神子様が力を合わせれば、我等一代でこの国を隋より強い国にすることも、けして不可能ではありませぬ」

 

布都はドンと自分の胸を叩き、してやったりといった表情で、夢物語のような言葉を放った。私は隋の事は書物でしか知らないが、それでも途方も無く強大な国というのは重々理解している。だからこそ私の先祖は隋と交易をするために仏教を広めようとしたのだ。そしてようやく隋と交易ができるようになったと思った矢先、この子は隋を超えると言い出した。

やはりこの子は、布都は面白い。

 

「ふふっ、それはまたえらく強大な山ですね」

 

「何事も目標は高く、そうしなければ我等ではアッサリと超えてしまいます」

 

そうかもしれないな。守屋との戦も、様々な障害や予想外の出来事があったが私達はなんとか無事に超える事ができた。あの時のように、また布都と一緒に大きな山を登るのも面白い。

 

「生憎私は布都と違って目の前に山があれば登るのではなく壊しますから、一緒に山登りはできませんね」

 

「むぅ。神子様のイジワル」

 

「フッ、よく言われるよ」

 

 

 

結局私達は日が暮れるまで語り合い、互いの意見を言い合った。布都の告げた言葉の多くは、きっと私達が生きている間に達成することはできないだろう。仮に達成したとしても、それはきっと理解されず、受け入れられることない。それでも私達は、今の世に何が必要なのか、何をすればこの国が大きくなれるのか。私が布都を押し倒すまで、会話が途切れることはなかった。




今回神子様が市について触れました。実際どのくらいから使われたか分かりませんが、市と調べるとその易経という道教の本が出てきたので描写にしてみた感じです。
で、当然ですが作中には市以外にも当時使われていない言葉がたくさんあります。どれほどリアリティを求めるかは人によって自由ですが、私は言葉まで当時の言葉に制限して書いてはおりません。
とりあえず布都ちゃん以外は横文字使わない、決めているのはこれくらいです。それで時々気になった単語を調べて、それが作中で使えそうならちょろちょろっと入れていくスタイルでやっております。



一度でいいので内政ものを書きたかったです。
書きたいにしろそうでないにしろ一話は書くべきだと思っていたので丁度よかったです。
このくらいの時代に印刷技術や紙の大量生産技術持って転生したら下手なチート能力よりチートだと思う。




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事の真実

どもお久しぶりです。
早速遅れた理由ですが単純にモチベーションのダウンですね。今回の話が内容描写共に書くのがめちゃくちゃ難しく、書くのを面倒くさがっていたらこうなりました。
というのも今回で一気にここまでの話の裏話というか真実的なものを明かす回でして。

おそらく二~三話前から読み直してもらったほうがいいかもしれません。




「時間を作って頂き感謝します、叔父上」

 

「それは構いませんが、あなたの方から持ち掛けて来るとなるとどうにも怖い」

 

遣いによって開けられた扉を抜け、叔父上に一礼をする私に、派手な装飾のついた椅子に座りながら彼は肩を竦めた。長年彼の挙動を見て来たが、彼の言葉の真意は私でも判別がしにくい…。もっとも、言葉の真意と彼を口車に乗せられるかどうかは別だ。

とりあえず適当に笑みを作り、固い雰囲気を壊すように緊張感の無い普段通りの声色で話した。

 

「いえ、そんな。ただ少し叔父上には報告したいことがあって今日は参りました」

 

再び軽く頭を下げ、上がった目が叔父上のそれと合うともう一度笑みを浮かべる。しかし今度の笑みは作り笑いでは無く、純粋に“お願い”する時の笑みだ。上げられた私の顔を見た刹那、叔父上の首元が一瞬だが動いた。薄暗い部屋でのほんの一瞬の出来事だったが、人によっては心境が表情以上に首に出る時がある。前々からそれを知っていたので首元を注意深く見ていたが、今日は首元以外にも右手を僅かにそわそわさせていることに気づいた。叔父上はなるべく自らの内を悟られない様に常に冷静な態度を取っており、右手の動きは勿論唾を飲み込む行為だって普段は滅多に見せない。やはり叔父上は少なからず私を警戒している、恐れていると言った方がよいのかもしれない。

 

「報告、ですか」

 

「ええ…。まずは叔父上の命じた通り、物部は蘇我に降伏し、その領地の半分を譲る事を約束しました」

 

布都への命を、何ゆえ私が自らの手柄の様に語ったのかと疑問を抱いたのだろう。叔父上は下唇を少しだけ噛み、そわそわしている右手がまた少し大きくなった。だが私と布都の関係を知っている叔父上はすぐに合点が言ったようだ。なるほど、と柔らかい笑みを浮かべた。

 

「あなたも布都さんと一緒に同行したのですね」

 

「はい。布都一人では難しいと判断したので勝手ながら」

 

「いや、物部の降伏が何よりの優先でしたので構いませんよ」

 

本当は一日で話が付き、翌日は布都と楽しんでいたのだがそれをわざわざ報告する必要は無いだろう。二度目の布都の抱き心地を思い出し軽く妄想の世界に入りかかっていたので、一度心の中で咳払いをして切り替える。

 

「ですが物部もただで頷いた訳ではありません。私が彼等を説得する時に一つの教えを与え、それに対し彼等は一つの条件を提示してきました」

 

「教えと条件?」

 

今までの話の流れからするなら本来並ぶ言葉は“提案”と“条件”の二つだろう。だが私が物部の説得に使用したのは提案では無く、新たな教え。叔父上の傍にいる一人の男は、私が言葉の選択を誤ったと思ったのか表情が動くことは無かったが、叔父上の眉はピクリと動いた。やはり叔父上の挙動が昔より分かりやすくなっている。おそらく可能な限り自然体でいようと思っているのが緊張を生み、逆効果となっているのだろう。

 

「ええ。まず教えですが、これはいつぞや叔父上にも話したかもしれませんが、私は本格的に神道と仏教を混ぜた神仏習合を進めたいと思っております」

 

「なっ。いや、確かに前に一度その話を聞いた事はありますが、それは蘇我と物部の両者の関係が硬直していた時の策として考えていたものだったはず」

 

元々神仏習合の考えは、今から十数年経ってもなお蘇我と物部の関係が変わらない時に、両者の関係を良好なものとし世を収める策として考えていたものだ。未来(その頃の私)なら今より更に発言力も強まっているだろうし、物部の頭領は布都になっているだろうから、決して楽では無いだろうが徐々にだが確実に広まると思っていた。

それを蘇我が優勢になった今に使ったのは、やはり今後を考えた場合有効的と判断した為だ。

 

「その通りです。当時の私の言葉に嘘偽りはありませんが、そもそも物部が蘇我へ敵対心を向けているのは他ならぬ自らの思想を守るため。まだ余力が残っている彼等に対し、土地という目に見えるものと、神道という内なるもの二つを奪う(要求する)のは不可能と言ってよいでしょう」

 

「しかしそれでは仏の教えが世に広まるものか…」

 

「確実に広まりますよ、仏の教えは。叔父上は神と仏を信仰する者の違いを考えたことがありますか?」

 

「仏に救いを望むかそうでないか、神の豊穣や祟りを信ずるかそうでないか。こうではないのでしょうか?」

 

流石叔父上、露骨に神道を貶そうとしない辺りに他の者との違いを見せている。しかし今は叔父上に感心している時では無い。ここからの言葉は決して実証がある訳では無く、でまかせが入っている部分も多い。そんな言葉で相手を信じ込ませるにはさも当たり前のように堂々と、噛まず急がずに丁寧に話す必要がある。

 

「はい。間違っておりません。仏を信ずる者も神を信ずる者も皆、そのような思想があって神仏を敬っているのでしょう。ですがその彼等も気づかないある傾向があるのですよ」

 

「傾向とは?」

 

「あくまで必ずでは無いのですが、仏を信仰する者は若者が多く、神を信仰する者は古老が多い。若者は新たな信仰に救いを求める一方、古くから神々を敬っている古老は神々を疎かにできない。結果、子供は仏を信じたい一方親がそれを許さない状況も中にはあるようです」

 

「ふむ。なるほど確かに、どこかで似たような話を耳にした事があるな」

 

おそらくそれは布都から叔父上の元に流れたのだろう。私もこの話は布都から聞いた話なのだ。相手が神を信仰しようが仏を信仰しようが、別け隔てなく接する事ができる布都だからこそ得られた話なのだろう。生まれながら両親は勿論、身内から仏の教えばかり聞かされていた私、そして叔父上には考えたことも無い話である。

 

「若者と古老の立場が逆であるならともかく、若者の心が仏にあるのなら、時が経てば必ず仏教は世に広まるでしょう。それに加え、私達のような都に近い者はこれからより多くの寺院が立つかもしれませんが、地方(在郷)に住む者達は物部も多くを知らない神を祀っている話も聞きます。その様な者達の事を考えた場合、神道を弾圧する行為は面倒な争い事を増やすだけです。神と仏のどちらも敬うべきだという考えは、叔父上にとっても悪い考えではないと思います」

 

実際叔父上の本心は知らないが、少なくとも人前で神道及び信者を根絶やしにしようとは口が裂けても言えない。戦の火種が無くなる事を押しているこの話、これに対する反論は決して容易くないだろう。

 

「…私もよい案とは思いますが、そう簡単に両者を混ぜる事はできるのですか? やるとしても具体的な方法が無くては」

 

叔父上は一瞬言葉を詰まらせたのか、出だしの声が不安定だった。確かに政治的立場からすれば神仏習合は理に適っているが、そう簡単に受け入れられない事は紛れもない事実である。一度固められた思想は一年や二年で変わるものでは無い。物部の会合の時は布都の言葉が火種となり、私の言葉が燃え上がったので上手く彼等をまとめることができたが、この国全員の思想を一斉にあのように纏められるのは不可能だ。

だからこそ答えは簡単なのだ。

 

「そこまで難しい話ではありませんよ。今日明日で思想をころりと変えようと思っている訳では無く、まずは両者の関係性を良くし、ゆっくりと徐々に混ぜていくのです。時には新たな話を生み出しながらゆっくりと」

 

一見丁寧な返答に聞こえる私の言葉だが、つまるところ神仏習合をすぐに広めるのは無理だから時間を下さいと言っているものだ。それでも私は決して遜ることなく、自らの言葉に過ちは一切ないと信じ語る。それが相手の心を掴む単純でもっとも有効的なものだからだ。

もし私が誰かに愛を囁く時「あ~、私はあの~、あなたのことをえ~、愛しています」と言っても相手も興ざめだろう。叔父上を説得するのも女を口説くのも根本的な部分は同じだ。一切ぶれない心と言葉を、時には無理やりにでも作り、相手を説得する。

 

「しかし…」

 

「安心して下さい。叔父上がわざわざ参拝に行く必要などは必要ありませんし、仏教は今よりも多く広まる。そうなれば隋との交易もしやすいでしょう」

 

叔父上の息を吸う音が大きくなり、少しだが彼の体が後ろに逸れた。あれやこれやと仏教について語っているが、元をたどれば蘇我が仏教を広めようとしたきっかけは、隋との交易を円滑なものにするため。叔父上がどれだけ仏を敬い、仏の教えを大事にしようとも、隋との交易がやりたいという欲は大なり小なりある。

私の読みは当たっていたのか叔父上は黙りこくる。頭で考える叔父上だからこそ、利点の多い私の話に難癖をつけにくい。

さて、余り叔父上に考える余裕を与えるのも厄介だと判断し、すぐに話題を切り替える。

 

「思った以上に長話になりすっかり忘れていましたが、物部が出した条件についてもお話ししますね」

 

「あぁ、そうでしたね…」

 

「物部が出した条件ですが、物部が差し出す土地の半分は布都のものとする。これを飲まなければ交渉は決裂だと」

 

「なんだと!? そんな馬鹿な条件があるかッ!」

 

これに反応したのは叔父上では無く、叔父上の傍で静かに座っていた男だった。彼は荒々しく声を上げて私に鋭い視線を送ったが、すぐに我に返ったのか部屋全体に響き渡る声で謝罪を示した。私がその気になれば、私に暴言を吐いたという名目で、彼の首を刎ねるとまではいかないがある程度の罰を与える事はできる。しかし彼は叔父上のお気に入りで、下手に彼に突っ掛れば自然と叔父上との関係も悪くなるので、彼を罰するつもりはない。叔父上もまた、自らの心境を代弁してくれた彼を咎める気は無いようだ。

 

「物部は、どのような理由でその条件を提示したのですか?」

 

「守屋が治めていた土地の相続ですが、守屋の一家がいなくなった今、それを相続すべきは守屋の一番近い親戚である布都であり、そもそもの所有権は我々にはない。もっとも、実際に守屋がそこまでの土地を持っていた訳もなく、これはあくまで表面上のものです。実際は可能な限り叔父上、あなたの元に力を収束させない為に違いない。やはり蘇我の頭領であるあなたにはどうしても敵意が向けられており、可能な限り反抗しておきたいと言った意図が見えました」

 

相続に関する話はともかく、完全な私欲に塗れた話は無視できなかったようだ。叔父上もずっと昔から分かっていた事だろうが、改めて物部から敵意を向けられていると言われ、顔をしかめている。特にそれが土地の所有権が掛かったものなのなら尚更癇に障るだろう。

 

「ですが叔父上、布都は他でもないあなたの妻だ。布都の力量や、彼女が戦を好まないことはあなたもよく知っておられるはず。これで物部が付くのなら安いものと思います」

 

……。

…しまった。ここで私は深く考えもせず思いつく言葉を口から出していた事に気づいた。つい話を急ぎ過ぎてしまい、叔父上に答えを強要してしまったのだ。

今の言い方ではまず間違いなく…

 

「…私の妻? とんでもない。布都さんは実質あなたの妻でしょう?」

 

やはりそう返されるでしょうねぇ…。あ~も~、話の流れが私の方にあったから調子に乗ってしまった。一回盛り上がれば否が応でも一直線に進もうとする私の悪い癖だ。

内心頭を抱えて悶えながらも、表面はあくまで冷静を保ったままを維持する。私が叔父上を観察しているように、叔父上もまた私の挙動を根深く観察しているかもしれないのでそこも意識しておくが、こうやって意識すればするほど逆に表にでるものだ。きっと今私が動揺している事はバレバレだろう。

 

「確かに、布都の心は私にあります、それは否定しません。叔父上からすれば布都の元へ土地が渡る事は、私の元へ土地が渡る事と同義なのかもしれません」

 

「しれない? 実際そうではないのですか? あの方はあなたの為なら何だってしそうですが」

 

くぅ…。ここに来て常日頃の布都の愛が響いてくる。布都なら私が叔父上に対して戦を仕掛けると言ったら、はいの一言で戦を始めそうで恐ろしい。いや、それでも布都が私を愛してくれる事はこれ以上ないくらい嬉しいから一切の不満は無いが。

仕方ない、やりたくなかったがここは守りを捨てて攻めるしかない。守れば最後、余計な疑心感を生ませてしまう事になるので、私がこの場で捨てるべきは盾一択。

 

「否定はしません。布都は土地を寄越せと言ったら喜んで私に土地を差し出し、得た土地を私の為に使えと言えば使うでしょう。あの子はそういう子だ。しかし叔父上、私は叔父上との関係を複雑なものにする気は毛頭ありません。もしあなたを排除することで私に理があるのなら私の選択肢は一つしかない。だが私にとっても、この国にとってもあなたを倒す利点は全く無い。そして何より、私にはあなたの愛娘の屠自古がいる」

 

「……」

 

「私が怪しいと言うのなら物部が差し出した土地全てをあなたのものにしても構いません。もっとも、それで物部がどう動くかは私の知った事ではありませんし、そこで布都がどう動くかは私にも分かりませんが」

 

叔父上の傍にいる男の視線を感じるが、私の視線は叔父上の瞳から一切ずれない。今まで私は友好的な瞳で叔父上と接してきたが、今は叔父上を明確な殺意を向けて睨みつけている。私は今後も互いに協力し合う事はあっても、叔父上の元につく気は無い事を、そしてもし私の邪魔をするのならこの国の頂点に立った者であろうと容赦はしないという私の意志を再認識してもらう。

一切視線を逸らさず、揺らさず、眼力だけで叔父上を殺す気持ちで彼を睨みつける。少なからず私を疑っている叔父上に対し、この眼差しが吉と出るか凶と出るかは賽の目次第だが、例え賽の目が私に悪い結果になろうとも、そうなれば賽を壊すだけ。それに叔父上が私の性格をよく理解している事を考慮すると、吉の目の方が多い。自分と同じく、私が理によって動く人間であると叔父上は知っている。

 

「……ハァ、あなたには負けましたよ。私が少なからず疑っていた事も悟られていたようですね」

 

叔父上が溜息を吐いて緊張をほぐすと、それに続くように私もホッと息を吐く。

 

「ええ、まあそれはお互い様です。では土地は布都に与えるという事でよいですね?」

 

「構いませんよ。あなたの仰る通り、布都さんが戦を好む人間で無い事はよく分かっていますし、彼女ほどの才を持つ者に渡る方が民にとってもよいでしょう。ですが、これ以上物部が何か言ってきた場合は――」

 

「その時は私自ら兵を牽きますよ、布都を連れて。勝った暁には叔父上に残った土地を献上することも約束いたしましょう」

 

 

 

 

彼…彼女は小さく一礼をすると、ではと小さく言って背を向けて去って行った。彼女の足音が完全に聞こえなくなった時に私の傍にいた男が口を開いた。足音が聞こえなくなったとはいえ、彼女の耳がどれほどの良さか分からない為かその声は小さかった。

 

「どう、されましょう?」

 

「どうもこうも無い。従う他なかろう」

 

「従う?」

 

ドンと肘掛けを怒りに任せ叩いた。感情の暴走は冷静な判断力を損なう、それは分かっているが今この怒りをぶつけるのはこの方法の他無かった。

私の元に入るはずだった土地の半分を物部布都に与える? そんなことをよくもまあ私に面と向かって言えたものだ。いくら彼女が今回の戦の功績者であり、所有権を持っていると言っても、たった一人で土地の半分を貰うのは異様だ。そもそも物部が件の会合でそのような条件を出してきたのかも怪しい所だ。だが私が物部から酷く嫌われているのは確かであり、彼女の発言を正式な場で疑うことは避けたい。

 

「だが土地の半分…。いや、それよりも神仏習合を勝手に進めるとは。どうするべきか…。いや、何にしても彼女の存在が強過ぎる」

 

「暗殺という手もありますが」

 

「論外だ。心を見通す眼力を持つ彼女にそんな手が通用するとは思ない。仮に覚られず襲撃したところで、物部布都を相手にできる手練れはいない」

 

物部布都よりも強い人間自体は何人か心当たりがあり、会おうと思えば呼び出せばすぐに会える。だがあそこまで強い者のほとんどは、大妖怪や神や仏の遣いと言った人知を超えた存在と多く接している所為か、人の世に興味を持たない。仮に大金をはたいて依頼したところで、変わり者同士彼女と意気投合して反旗を翻してくる可能性も十分にある。

 

「それにこちらが兵を上げれば彼女は物部の残党を掻き集めて対抗できる。だが物部からすれば彼女の後ろには我等蘇我がいる。彼女は事実上、物部を手中に収めながらも蘇我としての力を持っている」

 

「ではどうすれば?」

 

「彼女の存在は確かに危険だが、けしてこちらに敵意がある訳では無い。これは間違いない。あちらが敵意を見せない限り、こちらから仕掛ける理由も利点も無いのもまた事実。何もしない、これが得策だ。それに…」

 

「それに?」

 

「逆に言えば彼女の立ち位置は非常に不安定で狭いものだ。並みの人間なら立っていられないほどのね」

 

 

 

 

何とか山場を乗り越えることに成功した私は、ふぅ…と一息を吐いて自室の扉を開けた。誰もいない静かな部屋に入ると、羽織ものを乱雑に床に投げ、部屋の奥に置かれた座椅子に腰かけた。

 

「ククッ、フフッ…」

 

「あらん。ずいぶんご機嫌ですわね、豊聡耳様」

 

肩肘を付いたままチラリと視線を動かすと、色々と私の計画を狂わせた原因の青髪の仙人が壁に穴を空けて入って来ていた。彼女の処遇は色々考えていたのだが、今の私は彼女を罰する気分では無かった。

 

「青娥か。お前にはいくつか思うところがあるが、私は今機嫌がいい」

 

「さっきの馬子さんとの話し合いですか? でもあれ、そんな上手くいったようには見えませんでしたわ」

 

「時折変な音が入ると思ったがやはりお前だったか」

 

青娥は気配を消す術を使っているのか、いつも神出鬼没に現れる。だが青娥が現れる前には必ず、上手く言えないが音に違和感が生じる。その違和感をよりハッキリと感じ取れるようになれば、こいつの登場に一々驚く必要も無くなるのだが、まだその域まで達してない。

 

「全ては上手くいったよ。これで物部の土地の半分が布都のものとなり、世には徐々に神仏習合の教えが広がる。そして叔父上も我が手中に落ちた。それが分からない辺り、お前もまだまだだな」

 

すると青娥は明らかにムッとした表情になり、わざとらしい甘い声を作った。こういう仕草を見る度、青娥の本質はある意味嘘が下手なのだと思う。自分の本心を隠さずに気軽に打ち明けられるのが青娥の本質。それだけ聞けば立派に聞こえるが、それはあくまで本質の話であって、青娥の口から出る言葉には偽りが多く存在する。

 

「なら教えてくれませんか? あなた様の思惑を」

 

ニッコリと、彼女の内を知らない男ならたちまち見惚れるだろう笑顔をして彼女は首を傾げた。

 

「思惑と言ったらまるで私が悪い事を考えている様じゃないか。それに見返りも無しに口の軽い女に真実を告げたくはないな」

 

「まあ、豊聡耳様ったら。私の体が欲しいならそんな回りくどい事しなくとも、いつでも相手に――」

 

「生憎私は口も尻も軽い女には興味が無くてね」

 

青娥が美人であることは私も理解はしているが、彼女の性格とその笑っていない目が治らない限り私が彼女を抱きたいと思うことはないだろう。もっとも、その二つが治ったところで、わざわざそんな面倒な事を進んでもしないが。

 

「うう…ひ、酷いッ。そんな言い方あんまりです!」

 

「ウソ泣きをするならもう少し演技に磨きをつけなさい。条件はそうだな…、最近より一層道教というものに興味が出た。道教の書物をありったけ貰おうか」

 

「えぇ~。既にかなりの数お譲りしたじゃないですかぁ」

 

ぷんぷんと声に出し不満げに頬を膨らませる。どうしてこう布都が頬を膨らませるのと青娥が頬を膨らませるのでは、こんなにも抱く感情が違うのだろうか。方や愛しさを抱き、方や殺意と呆れが生まれる。とりあえずいい年した、それも腹が真っ黒な女がやって許される仕草ではない。口に出せば青娥を怒らせてしまうかもしれないので言わないが、その代わり下手に付き合うつもりは無いと無視をする。

 

「お前がくれたものも面白かったが、どれもこれも表面的な事しか書いていない。私はもっと本質的なものを読みたいのだ。仙人になったお前なら、当然持っているだろう? 青娥」

 

「…えぇ、確かに持っていますわ、もっと道教の深い部分の書かれたものを。それが読みたいと言うことはつまり、仙人になりたいということで?」

 

仙人、か。確かにそれも悪くないかもしれない。青娥のように自由気ままにふらりふらりと世界を旅するのも楽しそうだ。だが私にはこの日の本をより良い国にする責任があるので、今すぐ世界を旅しようとはこれっぽっちも思わないが。

少し私自身が仙人になりたいのかどうか考えてみたが、答えは自分自身分からなかった。

 

「さあ? だが自らをより高めるという道教の考えは非常に私好みだ。少なくとも仏教よりはずっとな。それに知識の拡大は発想力の糧となり、ものの見方が広くなる。それでは駄目か?」

 

「大丈夫ですわ。むしろその考えはとても仙人向き、ますます豊聡耳様を仙人にしたくなりましたわ。交渉成立です。ですので」

 

まるで子犬が餌を強請る様に、キラキラと瞳を輝かせて私の口から出る真実を期待していた。私はやれやれと溜息を吐くと、少し目つきを鋭くして青娥を真っ直ぐ見つめる。

 

「分かっている。だが、一つ言っておくがこの話は他言無用だ。既にお前は一度私を裏切っているのだ。二度目はないと思え」

 

「あら。確かに私は屠自古ちゃんを守屋に渡し、物部様に家が襲われている事を教えましたが、そうするなとは一言も申されませんでしたよ」

 

「余計な事はするなと言った筈だ。私が命じた通りに進めろと」

 

「ですからそうしたではありませんか。私はちゃんと守屋をけしかけて、物部様の両親と屠自古ちゃんのお母様を殺させた。結果物部は瞬く間に兵を上げ、それを蘇我がやっつけた。見事な手腕なこと」

 

青娥の口から放たれたのは、償いきれない私の罪。その言葉にどれほどの重みが乗っていると知りながら、煽る様に上辺だけの敬語で告げる。

私はギリッと唇を噛み締め、強く握った拳を肘掛けにドンと叩きつけると、明らかな敵意を青娥に向けた。

 

「ッ! その過程でお前が面倒な事を起こしたから布都も屠自古も深く傷ついた! 屠自古が人質とならなければ、すぐに集まった物部に守屋が反逆した事を告げ、内部分裂まで持って行き、被害も最小限にできたのだ!」

 

「あらあら、ご自分の事は棚に上げて私に説教ですか? いいですね、私そういう説教は大好きですの」

 

この女狐がッ…。未だ衰えてない、この毘沙門天の力の宿った七星剣なら、例え仙人であろうとこいつを殺せるか?

いや、駄目だ。布都が布都御魂剣を持った守屋に勝ったのと同様、いくら強い武器があっても私では青娥を殺すことはできない。私にとってこの七星剣はあくまで威厳を示す為の道具であって、私自身この剣を振ったのは指で数えられる程度だ。それに布都の話では、青娥は布都を遥かに凌ぐ力を持っていると感じたらしい。もし青娥がその気になれば、柄に手を置く前に私の首を刎ねる事ができる。実際の青娥の力は未知数だが、検証する訳にもいかない。

私が自らに下した結論は、この程度の挑発で感情的にならず適当にいなす。これだった。

 

「……」

 

「ひょっとして怒っちゃいました?」

 

「…いいだろう。まずは物部の土地の半分を布都に与えた理由だが、それは単純に布都が力を付けることは私自らの力が増えるのと同義だからだ」

 

青娥は無視されちゃいましたと、肩をすくめて大きな溜息を吐く。

 

「それに加え、布都により自由に統治させたかった。あの子の治める土地は必ず後に発展していく。それにはまず布都により広く自由な土地を渡したかったのだ」

 

「随分と信頼しているのですね。両親を殺した割に」

 

「ッ! 私が最も信頼しているのが布都…だ。他の誰でもない。確かに私は布都を愛せる立場にないのかもしれない。だが疫病が蔓延したこの国を前に進める為、布都の両親の死は必要だった。

青娥、これ以上私を煽るのなら私はお前に対し、金輪際怒りを覚える事はなくなるだろう。それを肝に銘じておけ」

 

「それは嫌ですね。ふふっ、承知しました」

 

これ以上その件に触れられたら堪忍袋の緒が切れ、剣に手が行きそうだったので、私は青娥に脅しをかけた。先程の言葉の意は、今一度私を煽った時私の中での青娥の価値を、人を煽ってばかり楽しむ低能でつまらない存在にするということだ。

目立ちたがり屋の青娥にとって、私が青娥へ興味を無くす事は下手な侮辱の言葉よりも辛い。それが分かった上で私は脅しの言葉に“殺す”とは使わなかった。

 

「話を続けるぞ。次に神仏習合だが、これも叔父上に話した通り。下手に神道を捨てろ、土地を寄越せと言っても彼等が頷くはずはないだろう。神仏習合は物部に手っ取り早く降伏させる為の駒だ」

 

もっとも、実際の会合で物部の者達を思い出す限り、神仏習合は最後の一押しにしかならず、実際はあの戦での布都の活躍があってこその交渉だった。その点は守屋が布都御魂剣を盗んだのが功を奏したのだが、それは不謹慎か。

 

「駒、と言いましたか。流石です。では何故馬子に事後報告といった形で今日報告されたのですか? 物部との会合の前に豊聡耳様も馬子と会う機会はあったでしょうに」

 

「青娥、我ながら神仏習合とは面白い案とは思わないか? おそらく仏教が広まった隋で、神仏習合を言ってもまず間違いなく受け入れられないだろう。しかし経典の無い神道の広まった日の本で神仏習合を言えば結果は変わる」

 

「おや、まるで結果を知っているような口ぶりですわね」

 

「結果は知らないさ。だがまず間違いなくこの教えは広まる。いや、広めてみせる。私の名と共に」

 

私の口ぶりで青娥は察したのか、なるほどと珍しく真面目な表情で小さく頷いた。どうやら先程の脅しが聞いたのか私を煽る気配は無さそうだ。

 

「神仏習合は力を蓄えた状態の物部との交渉だけでは無く、名声を得、民の信頼を勝ち取る為でもある」

 

「正解だ。そしてそれを広めたのは他の誰でもない、この私、豊聡耳神子でなくてはならない。事前に叔父上に話せば利用されると思ったからな。あえて神仏習合を実際のものとする事を言わなかったんだ。それに加え、物部の陣営には今すぐに受け入れる必要は無いから、話を広めるように伝えてある。蘇我に明け渡す土地の半分を材料にしてね」

 

「なっ!? ではあの物部様に渡る土地の半分は?」

 

「そう。あの土地は物部から見れば、これ以上蘇我に力を収束させない為の最後の悪足掻き。その対価が噂話を広めるだけとなれば喜んで引き受けるだろう。一方蘇我、正確に言えば叔父上から見ればあの土地は物部を降伏させる為の致し方ない出費。物部が一丸となってやってくれば叔父上とて唯ではすまない。納得いかない部分はあるが、布都は名目上叔父上の妻だ。名目上は自分に不利益が無い以上呑むのが道理と取る」

 

「結果豊聡耳様は物部が明け渡す土地の半分と、名声の二つを手に入れた、と。なんともまあ…。しかし一つ疑問に思うのですが、何故そこまで名声や信頼を得る必要があるのですか? 別に何もしなくとも、豊聡耳様の噂は世に少なからず広まっておりますよ」

 

「後々の行う政策を考えても名が売れているのは利点だが、目先の事を考えると名声があれば徴兵が容易になるからか」

 

「徴兵…ということは馬子に裏切られた場合ですか?」

 

「ああ。叔父上が私を裏切った場合、いくらか私の元に付いてくれる者もいるだろうが、それでも蘇我の多くが敵に回るだろう。そうなった時、私の味方は物部と付いてきた者達だけとなる。正直それでも私と布都だけで勝てる自信はあるが、叔父上は油断ならない。蘇我に対抗する兵を集める為にも名が広まった方がいいんだ。人は正義の元で戦いたいものだろう?」

 

肩肘を付きながら小さく笑うと、何がおかしかったのか青娥は一見すればとても愛らしい、だが性根の腐りきった笑みで返してくる。

 

「とても正義を名乗る人の顔ではありませんよ?」

 

「ならお前の抱く、正義を名乗る奴の顔が間違っているのさ。自分が正義だと奴はどこかしら人として欠陥している。私のような、上に立つ者は特にな。

もっとも、これはただの備えであって、実際のところ私と叔父上は互いに互いの秘密を握っている。お前も知ってのとおりだ」

 

「布都さんのご両親暗殺の一見ですわね」

 

ああ、と小さく頷く。

元々布都のご両親を暗殺する計画は数年前から考えていた。無論何度も他に手はないかと考え直したが…いや、言い訳はよそう。

いくら皇子とはいえ、今よりも幼い私一人でその計画を進めるのは不可能だったので、私は叔父上に計画の旨を伝えると、物部を大きく揺らせるこの案に叔父上は賛同し、先日遂にその案は幕を閉じた。

流れとしてはこうだ。

疫病が流行り、再び険悪となった蘇我と物部。そこで私達はわざと父上(大王)が、廃仏派の“蘇我が他国の神を国に迎えた為に疫病が広まった”という根も葉もない噂を信じたことにした。それが廃仏行為に対する天命だった。そして守屋を筆頭とする行為が過激化する中で、一人の少女が動き出すこともまた予想していた。布都である。布都は私の予想通り、叔父上と夫婦になるという案で蘇我と物部の仲を改善しようとした。事の流れを知っている叔父上は表面上物部との仲を改善しようとし、尾興殿は愛娘の為にと蘇我との仲を改善しようとしてくれた。結果一時は燃え上がっていた過激派筆頭の守屋は腑に落ちぬままの状態になり、そこで青娥の出番だ。

青娥が守屋をけしかけ、それに応じた守屋が布都のご両親を殺し、その罪を蘇我に擦り付ける。そして守屋が物部一族を引き連れたところで、布都が物部の軍勢の前で真実を語り内部分裂を図る。こういった流れだったのだが、実際のところ守屋もそう簡単に首を縦には振らず時間を食われ、また青娥の悪戯のせいで屠自古が人質になってしまい、そう全てが上手くは進まなかった。が、結果は数年前から予想していた通りのものだ。

 

叔父上が女として布都に手を出さないのは、この計画を発案した見返りとして、布都に手を出さないことを誓ってもらったからだ。

 

「ん~、おおよそ理解はしました。でも最後に一つ、一番気になるのはどうしてわざわざ屠自古ちゃんのお母さまを殺させる必要があったんですか?」

 

「簡単さ。愛する妻を亡くした男の表情は読みやすいだろう? 叔父上が手中に収まったと言ったのはこれさ。想像以上に効き目はあったようだ」

 

「……」

 

あまり聞かれてほしくない質問にわざわざ返してやったというのに、青娥はぽかんとした表情で私を見つめるだけだった。らしからぬ彼女に、どうした、と声をかけるとふふっと微笑みながら青娥は言った。

 

「いくら私でも、表情一つの為に肉親を殺そうとは考えもしませんわ」

 

「ならそれだけ私がおかしいってことだ。さて、もういいだろう。見返りの品は今後定期的に持って来い」

 

「ずいぶんあっさりしてますこと。でもそっちの方が豊聡耳様らしいですわね。それでは」

 

青娥はぺこりと頭を下げると、髪に刺した髪飾りを使って壁を空け出て行った。青娥が空けていった穴からは、気味の悪い薄ぼんやりした月が、穴が閉じるまでの僅かな間部屋を照らしていた。

 

 




一話で一気に謎を明かす典型的素人。

一応事前にプロットは組んでたりはするんですが多分色々と穴だらけですね。
そもそもこんなに長くなる予定もなかったとはいえ、今になってもっと馬子を掘り下げておけばよかったと後悔。原作キャラ以外の扱いが総じて雑。
歴史の勉強大事(しない)


神子様の外道っぷりはまあこんな感じでいいかな~くらいですね。生前は屠自古以外の新霊廟組はかなり色々やっちゃってるイメージです。布都ちゃんに関しては公式設定の時点でとんでもないですし。


更新遅れた挙句、話・描写共にこれですいません。とりあえず評価とかあんまり気にしないようにしてのんびりやっていきます。


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