学園生活部と一人のオジサン (倉敷)
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おじさん

衝動的に書いてみたくなったから書いてみた。
いろいろおかしい。
続きは分からない。


「なんでオジサン、こんなところで女子高校生と一緒に農作業してるのかねえ」

 

「間が悪かったんじゃん?」

 

「あ、そう? やっぱりそうかあ」

 

 私立巡ヶ丘学院高等学校、その屋上には、菜園が設けられている。この高校の教育理念である『自主自律』。その精神はまず食よりと考えられたが故であった。そしてそんな屋上菜園に、ツインテールの女子生徒と、何だかぱっとしない、高校と言う教育機関には似つかわしくない男がいた。先ほどの男の呟きの通り、オジサンと言っていい年齢であるのはそのくたびれた雰囲気と、顔に刻まれた皺が語っていた。

 

 ツインテールの女子生徒、恵飛須沢胡桃は慣れた手つきでシャベルを扱い土を耕し、くたびれたおっさん、本名不詳は種を植えた場所に水をやっている。

 

「オジサンさあ、いつも間が悪いんだよ。何やってもそうでねえ、最近になってやっと悟ったんだよね。あ、オジサンて駄目な奴なんだって」

 

「そんなに自分を悪く言うもんじゃないってオジサン。実際に今こうやって共同生活できてるんだからさ」

 

「ええ……。だって自分より若い子が上司になったり、部下に昼行燈て揶揄されたり、自信なくなるよね。と言うかそれって間が悪いとかっていうより、ただ単にオジサンがダメなだけかもしれない……。いっそのこと、この水みたいに土に吸収されたいよねえ」

 

 オジサンはぼーっと、水がかけられたことにより色が変わっていく土を見ている。

 

「なんか意味わかんないこと言い始めたぞ……」

 

 恵飛須沢はそんなオジサンに呆れながらも、手を止めることはない。せっせと耕しながら、ちらちらとオジサンのことを気にはしているようだ。オジサンの周りにはどんよりとした空気が溢れていた。

 

「ほらほらオジサン、ちゃっちゃと終らせようぜ。もう少ししたらあいつも来るだろうから、更に終わらなくなるし」

 

「ああ、ゆきちゃんか。確かにドタバタしてるからやりにくくはなるけど、彼女の明るさは凄いよねえ。マイナスイオンでも振り撒いてるんじゃないかってくらいの癒し系だよ。……はあ。会社にもああいう子がいてくれれば良かったのになあ」

 

 一度立ち直るかと思ったオジサンだったが、会社のことまで連鎖的に思い出してしまい、また土を眺める作業に戻ってしまった。どうにもはっきりしない人間である。社会に出てもこんな風では、会社での風当たりが強くなるのも想像に難くないのではなかろうか。

 

「オジサン……いい加減にしないと怒るぜ?」

 

「……うん、ごめんなさい」

 

 シャベルを肩に担いだ恵飛須沢に睨まれたオジサンはその恐ろしさに慄き、思わず謝罪の言葉が口をついていた。女子高校生に怒られる大人。なんとも情けない図であった。その後オジサンは土下座の体制にシフトし、額をコンクリートに擦り付ける間際で恵飛須沢に止められた。キョトンとするおっさん。可愛さゼロである。

 

「いや、土下座はやめような」

 

「はい」

 

 恵飛須沢は笑顔で言った。オジサンも笑顔で応えた。なんとも言えない空気が流れるのを二人は感じた。数秒の沈黙の後、二人はそれぞれの作業へと戻ったのだった。

 

 それからは随分とあっさりと片付いた。オジサンが駄々をこねなければもっと早く片付いたのだが、まあ終わったことは仕方ない。

 

 道具も片付け終わった二人は、手すりに近づき校庭を見下ろした。

 

「相変わらずいっぱいいるねえ。なんかこう、特殊部隊とか来てくれないのかなあ。映画とかだとよくあるよね、そう言うの」

 

 校庭を右往左往している生ものを、指をさして数えながらオジサンは言う。

 

「あれは主人公のところに来てるだけで、他の救出を待ってる人のところには行ってないんじゃない?」

 

 恵飛須沢もオジサンの真似をして数を数えていた。

 

「あ、なるほど。オジサンはつまり脇役ってことか。そりゃそうよね、主役になったことなんてないし。それなら助けが来ないことも頷けるねえ。あ、でも君たちは主役だと思うけど」

 

「いやいや、あたしとか元気だけが取り柄で、最初の方にやられて他のみんなに危機感を与える役だろ」

 

「微妙に具体的で嫌になるよ……。本当にそうならないでね? オジサンが居なくなっても影響はないだろうけど、君がいなくなったらみんな悲しむだろうから」

 

 うわ、本当にいっぱいいるなあ、あれ。オジサンは呟いて、数を数えるのを止めた。

 

「オジサンがいなくなっても嫌だって。あたしもそうだし、ゆきもりーさんもそうだと思うぜ」

 

 絶対に。恵飛須沢は最後にそう付け加えて、数えるのを止め、手すりに背中を預けて空を見上げた。時刻は昼を過ぎ夕方。夕焼けが綺麗な空だった。

 

「そうだといいなあ。今まで人に必要とされたことって片手で数えられるほどだけど、頼られるのは案外好きかもしれない。うん、出来ることはやらせてもらうよ。あ、でも多くは期待しないようにね」

 

「分かってるって」

 

 二人はあはは、と笑いあい、手すりから離れた。

 

「今日も一日終わりだねえ」

 

「こんな日でも、続いてくれれば嬉しいんだけどな」

 

「平和な日々って貴重だったんだなって、何か考えちゃうからねえ、こんな状況だと。ていうかゆきちゃん遅くない? 何かあったりしたのかな」

 

「もう授業も終わってるはずだし、確かに遅いな……」

 

 二人が心配になって屋上の扉に視線を送ると、それが合図だったかのように扉が開かれた。

 そこからは二人の女子生徒が姿を現した。

 一人はゆきちゃんと先ほどから呼ばれていた丈槍由紀。ケモノ耳のように尖っている特徴的な帽子を被っている、オジサンから見ればマイナスイオン振り撒いている系女子である。

 そしてもう一人。丈槍の後ろから姿を覗かせたのは若狭悠里。恵飛須沢が言っていたりーさんとは彼女のことである。オジサン曰く家庭系女子である。

 

「二人ともごめんねー! 早く行かなくちゃと思ったんだけど補習があって、先生が離してくれないんだもん」

 

「それはお前が悪いんだろ……」

 

「それで私も心配になったからゆきちゃんを迎えに行ったのよ。でも今日はそれほどやることはなかったから、くるみとオジサンの二人で終わっちゃったみたいね」

 

「それがさー、聞いてくれよりーさん。オジサンってば遊んでばっかいるんだぜ?」

 

 女三人寄れば姦しいと言う。確かにそうであった。オジサンはきゃっきゃしている女子高校生の力に圧倒されて、遠くからそれを眺めながらそう思った。と言うかオジサン蚊帳の外である。さすがに女子高校生の中にオジサンが入るのは難しいのか。至極当然のことだが。

 

 やることもないオジサンは、しゃがんで土を見る作業に入った。無心で土を見続けるおっさん。傍から見れば不審者としか言いようがない。場所が場所なら職務質問される可能性すらある。

 

「おーい、オジサーン! もう戻ろうよー」 

 

「また土見てるのか……」

 

「オジサン、今日は美味しいカレーよ」

 

 そんなオジサンに声がかかった。優しい世界だ。

 

「カレーかあ。そう聞くと何だかお腹が空いてくるねえ」

 

 そう言いながら立ち上がるオジサン。よっこいしょ、という声が出てしまったあたり、もう年である。

 丈槍、恵飛須沢、若狭の三人はオジサンがこちらに歩いてくるのを確認すると、屋上を後にした。

 オジサンもそれに続いて階段を降りる。

 

 巡ヶ丘学院高等学校、学園生活部、本日も異常なし。

 



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にちじょう

続きを書いてしまった。
書いたのはいいが、終わりが見えずにだらだらしている。
そしてやはり口調が安定しない。



 学園生活部の面々は、その部室として生徒会室を拝借している。室内は外の惨状とは大きく異なり、しっかりと清掃がなされているため、共同生活を営む上での不自由はない。

 

 朝になって部室に集まった丈槍を除く三人は、各々適当な位置の椅子に座って、丈槍を待つ間朝食は取らず水を飲んで談笑していた。

 

「いやあ、人間慣れるものだねえ。少し前までは自分以外女の子しかいなくて大変だと思ってたけど、今じゃそんなの考えることもなくなったよ」

 

 オジサンは恵飛須沢と若狭を見ながら、笑顔でそう言った。

 

「考える余裕がなくなったんじゃねえの?」

 

「オジサンから余裕を取ったら何も残らないから、余裕だけはいつまでもなくす気はないね」

 

「余裕がなくなってもオジサンに残るものはあるわよ」

 

「あ、そう思う? いや、オジサン照れちゃうなあ」

 

「例えば?」

 

「え? えーと……、ほら、ダンディさとか」

 

 若狭は言葉に詰まり、何とかと言った風に答えを絞り出した。

 

「オジサンにはそんなものないよな」

 

「うん、ないと思うなあ、それは」

 

「と、年上の安心感とか」

 

「安心感……安心感か……オジサンとは無縁のものだよな」

 

「うん、よく言われる。男だったらもっとどっしり構えなさいよ! って同僚の女の子に怒られたこともあるよ……」

 

「……ごめんなさい。私さっきは嘘を言ったみたい」

 

「やっぱりオジサンには、そのどこから来るか分からない不思議な余裕しか取り柄がないんだよ」

 

 オジサンはその結論に乾いた笑いしか出なかった。非常事態になっても尚、オジサンには火事場の馬鹿力とか、隠された力がとか、そんな展開はないようである。凡人はどこまでいっても凡人か。

 

 まあ、取り柄がないって言われるよりはよっぽどましだけども。オジサンはそう思うことにして、自分の無能ぶりに目を瞑ることにした。考えれば考えるほどドツボに嵌まっていくのだから、賢明な判断だと言わざるを得ない。オジサンにしてはよくやったほうだ。

 

「オジサンいじめはこれくらいで終わりにして、朝ごはんの用意でもしないかい? というかそうしよう。オジサンのメンタルって意外と柔らかいからね。これ以上やられたら危ないよ?」

 

「はいはい、いじけられたら面倒だからな。りーさん、今日はなにがあるの?」

 

「食料が少なくなってきたわね。また購買部のところまで取りに行かなくちゃならないけど、カンパンはまだ余りが多いから、今日のところはカンパンかしら」

 

 言いながら若狭は蓋の付いた缶を長机に置いた。蓋を開けると、所狭しと詰められたカンパンが姿を現した。まだ缶の底が見えないほど入っている。

 

「カンパンかあ、味は悪くないけど口の中がぱさぱさするよねえ」

 

「口の中の水分全部持ってかれる感じがするもんな」

 

「贅沢言っちゃだめよ? あるだけましなんだから」

 

 若狭がそう言うと、オジサンと恵飛須沢は声を合わせてはーいと間延びした返事をした。

 それから少しして、部室の扉を開くものが現れた。

 

「おはよー! 今日もいい天気だね、お腹減っちゃったー」 

 

 入って来たのは、元気いっぱいに全身を使って挨拶した丈槍であった。今日もいい笑顔である。

 

「みんなおはよう。今日も頑張りましょうね」

 

 どうやら丈槍は一人で来たのではなかったようだ。後ろから、学園生活部の顧問である佐倉慈も入ってきた。佐倉はオジサン曰くほんわか癒し系である。

 

「二人ともおはようさん。いやあ、癒されるなあ。オジサンここに居てよかった、本当によかった。会社クビになって路頭に迷ってこんなところに来たけど、結果よければすべて良しってやつだ」

 

 うんうん、とオジサンは一人で頷いていた。口調はいたって普通だったが、言っている内容は酷いものである。

 

「会社クビになるって、一体何やらかしたんだよ……。ゆきもめぐねえもおはよー」

 

「二人ともおはよう、カンパンがあるから食べてね」

 

「カンパン! カンパンっていいよねえ、サバイバルって味がして」

 

「もう、めぐねえじゃなくて佐倉先生でしょ?」

 

 口々に色々言いながら二人はパイプ椅子に座る。これでやっと学園生活部が全員揃った。全員でいただきますと言ってカンパンに手を伸ばす。一度カンパンを口に入れれば、咀嚼しているうちに口内の水分は奪われ、体が水を欲した。全員がほぼ同時に水を飲んだ。

 

「今日は何やるんだっけ?」

 

 一つ目のカンパンを食べ終わったオジサンは、次のカンパンを指でつまみながらそう聞いた。

 

「購買部に行って食料取りに行く必要もあるけど、それは今日じゃなくてもいいし……そうね。みんなで勉強しましょう。先生はめぐねえとオジサンにお願いしてね」

 

 若狭は次のカンパンに手を伸ばしながら応える。ひょいひょいと多くの手がカンパンの缶に入れられては出て、入れられては出てを繰り返しているが、缶の底はいまだ見えない。一缶に結構な量が入っているようだ。

 

「べんきょーかあ……、数学はいらないよ?」

 

 丈槍はなんとも微妙な表情をしていた。

 

「ゆきちゃんには私がつきっきりで数学を教えてあげるわね」

 

「そんな、めぐねえひどい!」

 

「それじゃ、あたしたちはオジサンの授業だな。今日は何やるんだ?」

 

 恵飛須沢はがっくりと項垂れている丈槍を横目に見て、にやにやと笑いながらそう聞いた。

 

「前は確か、オジサンはどうやったら社会と言う荒波に漕ぎ出でることが出来るか、って授業だったよねえ」

 

「そうね。結果は……酷いものだったけど」

 

 その言葉を聞いて、オジサンはため息を吐いた。あの時は本当に、オジサンて駄目すぎるなあと感じたよ。オジサンは振り返って思った。前回の時は丈槍も含めた三人に授業をしたわけだが、話し合いの結論は『出来ない』だった。その日、オジサンは一人悲しく枕を濡らしたのである。

 

「じゃあ、そうだなあ、オジサンは如何にしてこうなったのか、でも話そうか。授業と言うよりもLHRみたいになるけどさ」

 

「いいじゃん。あたし興味あるぜ」

 

「私も興味あるわね。そう言う話、オジサンから聞いたことないもの」

 

 オジサンは思いの外乗り気な反応に驚いた。そんなの詰まらないと言われると思っていたから、他の案を二、三頭の中で転がしていたのだが、その必要はなかったらしい。二人が良いのならオジサンに否やはない。

 

 どう話そうか、何から話そうか、といろいろ考えながらオジサンは席を立った。

 

「じゃあ、今日の授業のテーマはそれでいこうか。オジサンは色々準備してくるから、少ししたらいつもの教室に来てね」

 

 はーい、と先ほどのオジサンと恵飛須沢のように、今度は若狭と恵飛須沢が返事をした。その様子を見て、オジサンはほっこりとしたようで、笑顔で部室を出ていった。

 

 そんなオジサンたちのすぐ隣では、佐倉が数学の教科書を片手に持ち、既に丈槍に授業を始めていた。丈槍は数学の難解さに声にならぬ悲鳴を上げている。

 

 今日も学園生活部は平和であった。

 

 

 



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じゅぎょう

話は全く進展していない。
というか進展するころが来るのだろうか。


「はーい、じゃあオジサンの教科書三ページを開いてー」

 

「オジサンの教科書ってなんだよ……」

 

 オジサンの授業はいつも2―Aで行われる。ゾンビ騒動のせいで一時は荒れ果ててしまったが、オジサンは暇を見つけてはコツコツと掃除し、何とか授業を行う程度のものには出来たのだ。机や椅子は壊れたり血の汚れが酷かったりと、なかなかいいものが見つからなかったが、いくつかの教室を回り使えるものは調達できた。とは言え、窓を修繕することは出来ず、風は入り放題の酷い有様ではある。

 

 そんな教室内に、教壇と教卓と、机と椅子を三つおき、これまでにも数回授業を行っている。

 

「オジサンの教科書はオジサンの教科書だよ。ほら、見えない?」

 

 オジサンは明らかに何も持っていなかったが、あたかも教科書を持っているかのように手を動かしている。ずばりエア教科書であった。そんなオジサンに恵飛須沢と若狭は哀れめいた視線を送っていた。

 

「はいはい。今日はオジサンに付き合ってあげましょ?」

 

「あれ、りーちゃん反応が冷たくない? おかしいなあ、君はオジサンに優しい子だったはずなのに……」

 

 悲しくなったオジサンだったが、これくらいでめげるオジサンでもない。チョークを持ち、かっ、かっ、かっ、と音を響かせ板書していく。

 

「相変わらず字は綺麗だよな、オジサン」

 

「そうねえ、慣れてるのかしら」

 

 オジサンに似つかわしくない流麗な板書に、二人はオジサンに聞こえない程度の声で話した。内容はひどいように聞こえるが、相手がオジサンなのだから仕方がない。

 

 板書し終えたオジサンは振り返る。

 

「さて、今日はこれから話していくよ」

 

「ええと、なになに……『オジサンの軌跡』?」

 

 恵飛須沢は板書を読み、訝しげに声を上げた。

 

「そう、オジサンの軌跡。最初からだとオジサンが生まれてからとかになるけど、そこまでは興味ないと思うんだ。だからこの学校に来ることになったところでも話そうかなと考えてる。どう?」

 

「それがいいと思うわ。小さいころのオジサンに興味もないもの」

 

「あたしも」

 

 あれ、何か改めてそう言われるとちょっと寂しい。あとりーちゃんが冷たい。オジサンは表情には出さなかったが、その胸に去来する寂寥感を覚えた。まあ、いつものことである。オジサンは一つ咳ばらいをした。

 

「じゃ、じゃあ話していこう」

 

 オジサンはまた板書を始める。話しながら書いていくつもりのようだ。

 

「ええと、まずオジサンは普通の会社員だったんだ」

 

 黒板の端に会社員と書いた。

 

「で、ちょうどあの日にクビになって」

 

 書いた会社員と言う文字に、即座に×を付ける。

 

「次に……」

 

「なあ、なんでオジサンはクビになったんだ?」

 

 恵飛須沢が声を上げた。部室でも言っていた疑問である。

 

「あ、そこ知りたい?」

 

 二人の方を向いたオジサンがそう問うと、二人ともうんうん、と頷いた。

 

「そうだねえ、かいつまんで話すと、オジサンに対して社内での風当たりが強くてね。上司はどんどん自分の仕事までこっちに回すし、同僚は何も手伝ってくれないし、仕事内容も好きじゃなかったし……理由はたくさんあるんだけど、まああの会社が合わなくなって、かと言って辞めても次の就職先があるわけでもなくて。上司に話してみたら、じゃあやめればと言われてねえ。オジサンもカチンと来ちゃってさ、その場の勢いでいろいろ言ってたらクビになっちゃった」

 

 あっはっは、とオジサンは最後に笑った。若狭も恵飛須沢もなんとも言えない表情であった。オジサンのこういう話にはさすがに口をはさめないようである。

 

「でもまあ、クビになってすぐは不安ばかりだったけど、なんとかなってるからね、今。最後に笑う者の笑いが最上ってやつだよ。今が最後ってわけじゃないけど、笑えてるからいいかなと思ってるんだ」

 

「オジサンもいろいろあったんだな……」

 

「そりゃそうよ。四十年ちょっと生きてればそう言うこともある、うん」

 

「でも、そこからどうしてここに来たのかしら?」

 

「ん、じゃあさっきの続きを話そうか」

 

 オジサンは板書を再開した。×を付けられた会社員の隣に矢印を書く。

 

「クビになってどうしようかっていろいろ考えててさ、適当にドライブしてたらこの高校が目に入ってね。オジサンそのとき今と同じでスーツ着てたから、違和感なく入り込めそうだと思って、ふらっと侵入しちゃった」

 

 ええ……、と二人はオジサンのよく分からない行動力に驚くと同時に呆れた。それを気にしながらも、オジサンは矢印の後に学校と書いた。

 

「まあでも本当に、中に入っても誰にも止められなくてさ、あれ、オジサンって本当にここに居るのかなあって不安になっちゃったよ。で、当てもなく校内を彷徨ってたら屋上に出てね。あ、野菜があるって気づいて、ここなら生活できると思ったね」

 

 学校の下に(屋上)と付け加える。

 

「だから屋上で寝転がってたのかよ、オジサン」

 

「ああ、うん。あの時はびっくりしたよ。屋上でごろごろしてたら悲鳴は聞こえるわ、物が壊れる音はするわでさあ。なんだろうと思って隅っこから出てみれば、佐倉先生とゆきちゃんとりーちゃん、それにくるみちゃんもいてねえ」

 

「オジサンには気づいていたけど、こっちには気にする余裕なんてなかったもの。最後には扉押さえるの手伝ってもらってたしね」

 

「あれのおかげで、連帯感と言うかなんというか、オジサンもみんなと仲良くなれた気がするよ」

 

「いい思い出とまではいかないけど、確かにそうかもしれないわね」

 

「あれがなかったらオジサンただの不審者だったからな」

 

 三人は思い出話に花を咲かせる。それは傍から見ればごくありふれた日常の光景であったが、現在の状況で行われるそれは、逆に異常とでも認識されるものである。非日常の中で日常と同じように行動できている彼、彼女らは、とても贅沢な時間を享受していると言えよう。

 

「それで、と」

 

 オジサンは学校と書かれた隣に矢印を書き、その先に今と書いた。

 

「これで終わりかな」

 

 オジサンはチョークを置き、教卓にエア教科書を置いた。ご丁寧に置いたときの擬音まで自分でやる徹底ぶりである。いらないところに力を使うのがオジサンであった。

 

「ずっと教科書持ってたのか……」

 

「授業に教科書は付き物だからねえ。せめて先生は持ってないと」

 

 正論のように思えるが、オジサンが言うとどうにも不信感が先に出るのはなぜだろう。雰囲気とでも言うのだろうか。オジサンをオジサンたらしめる部分であるのかもしれない。

 

「ちなみにその教科書は何ページあるの?」

 

「三百五十ページ」

 

「長っ!」

 

「オジサンの人生を綴った教科書だからねえ。そりゃあ長くなるよ」

 

「今の授業でどこまで進んだのかしら」

 

「最初から最後までかなあ」

 

「進み速いな! 一ページに書かれてる内容薄すぎだろ!」

 

 恵飛須沢のつっこみぶりに、オジサンはついつい冗談を言ってしまっていた。若狭もそれが分かったようで、オジサンに乗っかってボケていた。オジサンはいつの間にか笑っていた。若狭も笑っていた。恵飛須沢もその雰囲気にのまれたのか、笑っている。

 

 学園生活部、みんな仲良く授業中。

 

 一方その頃丈槍は、佐倉に数学を教えられ、理解できずに煙を吐いていた。

 

 



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あめのひ

次の話くらいにはシリアスを入れることが出来るだろうか。
自分にもわからない。
ゾンビはいつ出て来るのだろう。


「うわあ、雨降って来ちゃってるよ……」

 

 オジサンは生徒会室から外を眺めて呟いた。それに、近くにいた丈槍が反応した。

 

「どしたのー?」

 

「いやねえ、雨降ってるとさあ、シャワー使えないのよね。ほら、あれ電熱式だから。水なら使えるんだけど、それだと何か洗ってる気がしないし」

 

「あ、そっかー。うーん……」

 

 丈槍はシャワーが使えないことに悩み始めたようだったが、恐らくオジサンの悩みの方がもっと深刻である。まだ成人すらしていない女の子と、四十過ぎのおっさん。体臭に関しては雲泥の差であろう。オジサンには加齢臭という手ごわい敵がいるのだ。それに対して女の子は何かよく分からないが良い匂いがするものである。それはオジサンにとって永遠の謎であった。

 

「まあ、少しの間なら大丈夫かな……大丈夫だといいなあ」

 

「なにが?」

 

「ゆきちゃんにはまだ分からないかもねえ」

 

「?」

 

 オジサンの曖昧な言い方に、丈槍は頭の上に疑問符を浮かべた。オジサンは一人で納得しているようである。

 

 そんな和やかな雰囲気の中、慌ただしく扉が開かれた。

 

「ゆき! 洗濯物を取り込むの手伝ってくれ! りーさんとめぐねえもいるけど、雨が強くなってきたからさ」

 

 入って来たのは恵飛須沢であった。

 

「はーい!」

 

「オジサンは行かない方がいいよねえ」

 

「下着を見たいってんならいいぜ? その後どうなるかは……」

 

「遠慮しておくよ」

 

 恵飛須沢は恥ずかしがる様子もなく、シャベルを振る素振りをした。オジサンは苦笑をして、この場を動かないことに決めた。オジサンにはラッキースケベと言うか、必然的スケベ展開は到底できない、やってはいけないのである。主に年齢的に考えて。そんなことが起きてしまえば、職務質問では終わらず豚箱行きであろう。

 

「じゃあ、行ってらっしゃい」

 

 二人は揃って行ってきますと言って、生徒会室を去っていった。一人残されたオジサン。この場を動かないと先ほど決めたばかりだが、暇だと余計なことばかり考えてしまう気がした。と言うことで、オジサンはオジサンの洗濯物の様子を見に行くことにしたのである。

 

 オジサンの洗濯物は職員更衣室に干してある。室内であるので屋上のものよりは乾くのが遅いが、女の子の洗濯物が干してあるところにおっさんの洗濯物を混ぜるのはどうか、とオジサンが考えた結果であった。他のみんなにもそれを話したところ、反対意見は出なかった。年頃の女の子ばかりだから、至極当然だろう。

 

「うーん、やっぱりあんまり乾いてないねえ。中途半端に乾いてるのが一番気持ち悪いからなあ」

 

 オジサンは、物干し竿やハンガーで至る所に干されているシャツやパンツ、ネクタイ、靴下など、誰から見ても魅力がないだろう洗濯物たちを一つ一つ触っていく。指には若干湿っていて、気持ちの悪い感覚が伝わって来た。

 

「ま、夜までには乾くか」

 

 オジサンが一人で納得していると、扉がノックされた。

 

「あの、入っても大丈夫ですか……?」

 

 丁寧な喋り方からして、佐倉に違いなかった。学園生活部のメンバーの中で、オジサンにこのような接し方をするのは彼女だけである。子供っぽくとも、大人であると言うことか。

 

 しかし、オジサンにはなぜ緊張したように声が震えているのか分からなかった。

 

「ああ、うん、どうぞ」

 

 オジサンの返答を聞いて、ドアノブが回される。入って来たのはやはり佐倉であった。しかし、その視線は下に向けられ、オジサンと目が合うことはない。

 

「どうしたんだい?」

 

「……あ、雨が降って来たので洗濯物を取り込んだんですけど、室内で干すにはハンガーが足りなくなっちゃったんですよ。なので余っていたら貸してほしいと思って……ありますか?」

 

「なるほど。少し待っててね」

 

 オジサンは部屋の奥の方に掛けられていた、使われていないハンガーを持ってきた。どれくらい必要かはわからなかったので、使ってはいるがなくても大丈夫程度なものも洗濯物を外し、佐倉まで持って行った。

 

「これくらいあればいいのかな?」

 

 オジサンは佐倉の視線に入るように少し屈んで見せた。

 

「あ、これだけあれば足りますね。ありがとうございます……! し、失礼しましたー!」

 

 佐倉は礼を言うときに視線をオジサンに合わせた。いや、オジサンではなく室内にかかっているオジサンの下着類に目が行ったようである。それが恥ずかしかったらしく、佐倉は顔を赤くして急いで去って行った。

 

「……そんなに急ぐことかなあ」

 

 オジサンには、その理由は分からなかったようだ。女心なんてものを考えることもなく今まで生きてきたのだから、仕方ないことではあった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「オジサンにはデリカシーって言うのがないよね?」

 

 夕食の時間が近くなり生徒会室に行ったとき、丈槍にオジサンは出会い頭にそう言われた。そのとき走った衝撃たるや雷に打たれたほどであった。

 

「ゆ、ゆきちゃん……いきなり重いボディブローだねえ……いきなりどうしたのよ……」

 

 癒し系の彼女に言われるのは堪えたようで、不意打ちも相まってクリティカルヒットしたらしかった。椅子に座っているオジサンの体は僅かに震えていた。

 

「めぐねえが恥ずかしがってたよ?」

 

「え?」

 

「オジサンのパンツ見ちゃったんだってさ、めぐねえ」

 

 丈槍からの恵飛須沢の連携アタックにより、オジサンはやっと理解した。

 

「ああ……あの時急いで出ていったのはそう言うことかあ」

 

「ま、オジサンのパンツで恥ずかしがってるめぐねえもめぐねえだけどな」

 

「でもくるみちゃんも顔赤くしてたよね?」

 

「あ、おま」

 

 恵飛須沢は慌てて丈槍の口をふさごうとしたが、時すでに遅し。丈槍は言葉を続けた。

 

「今日洗濯物取り込むときにねー、オジサンのが混じってて、くるみちゃんそれ見て赤くなってたもん」

 

「うっ……それは、そのー……」

 

 恵飛須沢の顔は真っ赤である。

 

「普通は恥ずかしい物なんだよねえ。ごめんよ、そこらへん適当過ぎたね」

 

「し、しっかりしてくれよな、オジサン」

 

 オジサンはデリカシーってのがないよな、と恵飛須沢は先ほどの丈槍と同じことを言って隅っこに行ってしまった。余程恥ずかしかったらしい。

 

 オジサンはそれを見て何だか見当違いだと思ったが、嬉しくなっていた。今の状況でもちゃんと女の子をしている姿を見ることが出来て、安心したのである。

 

 学園生活部、今日も賑やかに活動中。

 

 

 




思ったよりも続いたので、一応連載に変えておきました。
また、これからゾンビが現れて話が進展する可能性を考慮し、タグも増やしました。


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みらい

「やっぱり、取りに行かなくちゃかしらね」

 

 家計簿を見つめていた若狭が呟くと、生徒会室で思い思いに行動していた全員が反応した。

 

「この前言ってた食料のことか?」

 

 恵飛須沢は読んでいた漫画を置いて聞き、

 

「まだうんまい棒残ってるかなー。あれおいしーんだよ!」

 

 ソファでごろごろしていた丈槍は飛び起きてうんまい棒の心配をして、

 

「もう、お菓子ばかり食べていると体調を崩すのよ?」

 

 日記を書いていた佐倉は顔を上げ、丈槍の言葉を注意して、

 

「いやあ、ごめんね。もしかして、オジサンが食べ過ぎたせいかな」

 

 窓の外を眺めていたオジサンは苦笑し、若狭の方を見て頭の後ろをぼりぼりと掻きながらそう答えた。

 

「オジサンは成人男性だから、私達よりも食べるのは当たり前だし、ちゃんと考えて家計簿をつけてるわ。ただ最近取りに行くのを怠っていたってことね」

 

「確かになあ。オジサンの授業とか受けてたし」

 

「そうねえ、それは原因の一つかも」

 

「でもそれでいいって言ったのりーちゃんだよねえ」

 

「そうだったかしら?」

 

「あっれー……どうして最近りーちゃんはオジサンに冷たいのかなあ」

 

 オジサンは以前の若狭とは違うと感じ、なぜそうなったのか、自分は何かしてしまったのかと、大して良くもない記憶力を頼りに考えた。数秒の後、オジサンは突然、あっ、と声を上げた。

 

「も、もしかして、前勝手に夜回りに行ったこと怒ってる?」

 

「怒っています」

 

「ちょ、オジサンそんなことしてたのかよ!?」

 

「危ないよオジサン!」

 

「わ、私知らなかった……先生なのに……顧問なのに……」

 

 反応からして、それを知っていたのは若狭だけであったようだ。佐倉はずーんと落ち込んでいる。

 

 そんな多種多様な反応をされたオジサンは露骨に慌て始め、今までに培ってきた謝罪スキルを発揮することにした。笑ってはいるが背後に仁王像がかすかに見える気がする若狭に、オジサンは渾身のヘッドスライディング土下座を決めることにしたのである。

 

「な、なんだ……オジサンから今までに感じたことがない凄みを感じる……こりゃあ何かあるぜ……」

 

 恵飛須沢は覚悟を決めたオジサンの様子に息を呑んだ。佐倉は二人を見ておろおろとし、丈槍は不思議そうに何かをしようとしているオジサンを見ている。一触即発の空気。先に動いたのは若狭だった。

 

「学園生活部心得三条!」

 

 若狭はびしっ、とオジサンを指さす。いきなり聞かれたオジサンは、ヘッドスライディング土下座のタイミングを外され、しどろもどろになりながらも答えた。

 

「あ、ええと、夜間の行動は単独を慎み、常に複数で連帯すべし……だよね?」

 

「よろしい。でもオジサンは一人で行動しました。だから怒ってるんです」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

 オジサンの手札に反論するカードはなかった。故にすぐさま降参したのである。ヘッドスライディング土下座とまではいかなかったが、腰を九十度曲げた綺麗なお辞儀であった。

 

「これからはしないでね? 私は心配なのよ。オジサンだって学園生活部の一員だもの」

 

「うん、今度からはしっかり話すよ。……約束します」

 

 顔を上げた時にぶつかった若狭の眼力に押され、オジサンは約束した。そして椅子に座った。いや、座ったと言うよりは脱力して結果的に座ることになっただけのようだ。若狭に怒られて、オジサンは更におっさんになってしまっていた。

 

「……ふう。よし、この話はここで終わりにしよう。オジサンいじめは良くない。だよねえ、佐倉先生?」

 

 急に会話を振られて佐倉は肩を揺らした。

 

「えっ? あ、その……でもオジサンさんがケガをしたり、もしかしたらいなくなったりするのは駄目だと思います。だから危険なことは控えてくださいね?」

 

「その通りですよ。くるみもゆきちゃんもオジサンに何か言ってあげて? オジサンがいなくなったら悲しいでしょ?」

 

「前にも言った気がするけど、絶対嫌だぜ、あたしたちが残されるのはさ」

 

「誰か一人でもいなくなったりしたらいやだよ? もちろんオジサンもね?」

 

 オジサンはみんなの言葉を聞いて、じーんとした。年を取って涙腺が緩くなっていたからか、もう少しで涙が流れるところであった。

 

「……こういうのはずるいと思うなあ。オジサンみたいな人間には、こういう優しさを使うのは卑怯だねえ。うん、もう絶対に一人で行かないよ。何かある時は誰かに言うから」

 

 オジサンの言葉に、みんなは頷いた。

 

 丸く収まったことを確認した若狭は、一つ手を叩いて本題に入る。

 

「で、食料のことなんだけど、今日取りに行きましょう。購買部にはまだ残っているはずだから」

 

 その言葉にみんなは了解の返事をし、準備に移った。話し合いの結果、行動に移すのは夜からになった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「やっぱり、少なくなってきたねえ、物資」

 

 道中特に問題なく、学園生活部一行は購買部へとやって来た。オジサンと恵飛須沢はシャベルを持ち、それ以外のメンバーは皆物資を詰められるようにリュックサックを背負っていた。

 

「家計簿によれば、もう少しは持つけど……残り少ないのは確かね……」

 

「そっかー……外に出ないといけないのかな? ちょっと、怖いけど……」

 

 棚の上に置かれているレトルト食品やおかしなどの食料品や、シャンプーやボディソープなどの洗剤を数えながら歩いていく。心なしか、皆の雰囲気は暗い。

 

「…………」

 

「めぐねえ、大丈夫か? 何か調子悪そうだけど……」

 

 購買部の中で商品を見ながら話していると、少し離れたところで一人佐倉が俯いていた。入り口付近で辺りを警戒していた恵飛須沢は心配になり、その後ろ姿に声をかけ、近くに行った。

 

「え? あ、ううん。大丈夫よ。ちょっと緊張しちゃって……」

 

 恵飛須沢の声に気づいたオジサンも振り返り、入り口の近くで止まっていた佐倉の方に近づいて行った。

 

「あ……ごめんね、大丈夫、佐倉先生? オジサン年長者なんだからもっと気を配れればなあ……ここがオジサンの駄目なところその一か……」

 

「いえ、本当に大丈夫ですって。最近平和だったから余計疲れちゃったのかもしれません」

 

「うん……それはオジサンも分かるよ。最近運動してなかったから体が鈍っちゃってさあ。今五十メートルとかのタイム計ったら目も当てられない事態になるね、こりゃ」

 

 オジサンは苦笑して佐倉に言う。実際、元々高くもないオジサンの身体能力から考えて、学校、その中でも更に狭い範囲での生活は、オジサンの能力を下げているに違いない。

 

「あ、じゃあ後でタイム計ろうぜ? あたしはハンデでシャベル背負いながらやるからさ」

 

 話を聞いていた恵飛須沢は、にやにやと楽しそうに言ってくる。それに対し、オジサンはいやいや、と手を軽く振った。

 

「若い子に勝つのは無理だって。オジサンが本気で走ったの何てもう何十年も前だからねえ」

 

「ええー、やろうぜー」

 

「……まあ、気が向いたらね」

 

 恵飛須沢が上着の裾を引っ張って来るので、オジサンは仕方なく了承した。それと同時に、少しは運動しようかなとも思っていた。明日からはオジサンの筋トレが始まるかもしれない。

 

 恵飛須沢は約束だからな、と言って廊下に出ていった。辺りの警戒を続けるようだ。

 

「じゃ、佐倉先生、オジサンたちも仕事しようか」

 

「はい、そうですね」

 

 オジサンは佐倉と一緒に、物資の確認と確保を続けている若狭と丈槍を追った。その途中で、オジサンはポツリと言う。

 

「あと、何か悩んでるみたいだけどさ、悩み続けるくらいならいっそのこと人に言っちゃった方がいいときもあるよ? オジサンに言ってくれてもいいし、他のみんなでもいいし、まあ、結局は先生に任せちゃうけども」

 

 突然のオジサンの言葉に驚きながらも、佐倉は笑顔で頷いた。オジサンでも、少しは人の役に立ったようである。

 

 その後ゾンビの襲撃もなく、無事物資の確保は終了した。丈槍はお目当てのうんまい棒を見つけて、ご機嫌のようだ。彼女のリュックサックには大量のうんまい棒が入れられていた。

 

 若狭は今必要なものは揃えることが出来て安心していた。同時に次はない、と不安でもあった。リュックサックには洗剤類が入っているため少し重そうにしているが、歩く程度は問題ない。

 

 佐倉はレトルト類を担当し、詰め込めるだけのものを詰め込んだ。余ったスペースには雑貨類も入っている。

 

 オジサンと恵飛須沢は引き続きシャベルを持って歩いていた。

 

 購買部を出た一行は、そのまま生徒会室に帰ることはせず、図書室に行くことにした。佐倉が寄ってくれないかと提案し、皆が了承したのである。

 

「やっぱりうんまい棒はおいしーなー」

 

「久しぶりに食べたけど、本当にうんまい棒美味しいねえ。子供のころに戻った気分だよ」

 

 そんな彼、彼女らは一列に並んでおり、一様にうんまい棒を口にくわえていた。さくさくと食べ進めている。中でも丈槍は楽しみにしていただけあり、食べるスピードが速い。通常の二倍以上に見える。若狭が、さく……さく……さく……のリズムで食べているとしたら、丈槍はさくさくさくである。

 

「……おい、ゆき。お前それで何本目だよ。あたしたちと食う音が違いすぎるんだけど」

 

「えっとねー、四本目!」

 

「食い過ぎだバカ!」

 

 丈槍の前を歩いていた恵飛須沢は、振り返って丈槍の頭を軽く小突いた。丈槍は涙目になってその場にしゃがんでしまった。

 

「いたい……」

 

「駄目よくるみ。ゆきちゃんを泣かせちゃあ」

 

「だってりーさん、さすがに一人でうんまい棒四本は食いすぎだろ。まだ図書室についてもいないんだぜ?」

 

「でも、ゆきちゃんの後ろの人はもっと食べているみたいよ?」

 

 列の並びは、先頭がオジサン、次に若狭、恵飛須沢、丈槍、佐倉となっている。つまり、若狭が指している人物は佐倉である。いきなり注目を浴びてしまった佐倉は、ギクッ、と声に出して狼狽えた。

 

「……めぐねえ、それ何本目?」

 

「ろ、六本目……」

 

 冷たい風が、佐倉と他のメンバーの間を抜けた。

 

「……まあ、とりあえず歩こうか」

 

 オジサンは、そう言うしかなかった。なかったのだ。

 

 それから少し歩いて、目当ての図書室に着いた。ゾンビ騒動のせいで荒れてはいるものの、本棚に収まっているものが多いため、案外読めるものはある。学園生活を送るにあたっての、重要な娯楽を担う大切な部屋であった。

 

 一行は軽く中を窺い入っていった。

 

「佐倉先生はなんでここに寄りたかったんだい?」

 

「ゆきちゃんの数学のためになにかあるかなと思って」

 

「ええっ!? い、いらないよー」

 

 図書室に来た目的が分かり、丈槍は佐倉の服を引っ張った。精一杯の反抗である。

 

「駄目よー、先生と一緒に勉強しましょ? ね?」

 

「ううー……見つかりませんように、見つかりませんように……」

 

「じゃあ、私も探すの手伝いますよ、佐倉先生?」

 

 丈槍は佐倉を止める方法から、数学関係の本が見つからないように祈る方法に変えた。果たして、その祈りは効果があるのだろうか。それは神のみぞ知る。しかし、探す側に若狭まで入ってしまったのだから、神に祈ったところでどうにもならない気がしてならない。

 

「じゃあ、みんなは見て来なよ。オジサンは読みたい本もないし、入り口で廊下見張ってるからさ」

 

 そう言うと、佐倉、丈槍、若狭は奥に進んで行ったが、恵飛須沢は奥に行くかと思えばすぐにオジサンのところに戻った。

 

「あたしもいようか?」

 

 恵飛須沢は持っていたシャベルを肩に担ぎ、そう言う。

 

「いや、大丈夫だよ。たまには女の子だけで楽しんできなさい。それに、もし中にいたら大変だからねえ」

 

「まあ、それもそうなんだけどさ、オジサンだけだと不安て言うか……」

 

「オジサンだって男だからねえ、シャベルもあるし何とかなるよ」

 

 オジサンは恵飛須沢の真似をして、シャベルを肩に担ぐように持った。

 

「んー、分かった。でも何かあったらすぐに声を出してくれよ? いつの間にかいなくなってるとか嫌だからな? 振りじゃないぞ?」

 

 大丈夫、大丈夫。オジサンは笑顔でそう言って、恵飛須沢に三人の後を追うように促した。恵飛須沢が行ったのを確かめてから廊下へ出る。そして周囲を見回し、奴らがいないことを確認した。

 

 安全を確保したオジサンはシャベルを近くに置き、上着の内ポケットに手を入れ煙草を取り出し、スラックスのポケットからはマッチを取り出す。

 

「みんなの前では吸えないからなあ」

 

 オジサンは煙草をくわえ、マッチを擦って火をおこし煙草につけた。煙草に火が付いたのを確認すると、燃え続けるマッチは勢いよく上下に振り、すぐに消す。オジサンはゆっくりと、優しく息を吸い、そして吐いた。煙がオジサンの周りを舞う。

 

「……あと、どれくらい続くのかねえ。長くはないんだろうけど……物資も少なくなっていたみたいだし……」

 

 オジサンは誰にも聞こえないように、呟く程度の大きさで一人話し続けた。

 

「俺は、どうしたらいいんだろう。子供のころはヒーローに憧れたけど、まあ今でも憧れてるけど……そんな器じゃないしさあ……」

 

 煙草を吸い、吐く。煙が風に流され消えていった。

 

「……うん、まあ、なるようにしか、ならないか……そうだよねえ」

 

 そうしてオジサンは、四人が戻ってくるまで煙草を吸っては吐いてを繰り返し、一人これからについて思いを馳せていた。

 

 余談だが、オジサンは煙草を吸っているところを見つかり、煙草が体に与える悪影響についてみっちりと若狭と佐倉に説明され、時間にして三十分ほど怒られたのであった。

 

 本日も、学園生活部、変わりなし。

 

 




五話にして未だゾンビ現れず。
どうなっているのだろう。
次、次こそはゾンビが出るかもしれない。
たぶん、おそらく……。


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そら

「あれ、風船? 二十倍って凄いねえ」

 

 購買部から物資を確保して数日経って、オジサンは一人部室である生徒会室で物資の仕分けをしていると、その中からこの場に似つかわしくないものを見つけた。風船の包装には『二十倍ふくらむ!』と書かれている。オジサンは誰が持ってきたのかねえ、とその風船を持ち上げた。

 

「うん、まあ面白そうだから後でみんなに見せようか」

 

 そう決めたオジサンは風船を自分の近くに置き、仕分けを再開した。まあ、仕分けと言っても難しいことはなく、食べられる物はこっちの箱、食べられないものはそっちの箱、と非常に単純な作業である。

 

「ええと、うんまい棒は食べられるもの、と……おお、どんどん出て来るねえ」

 

 うんまい棒が一本見つかると、その下にもうんまい棒、その下にもうんまい棒、と増えていった。ゆきちゃんが持ってきたんだろうなあ、とオジサンは納得した。数えてみると、うんまい棒は合計十五本あった。以前あれだけ食べた後にこれだけ残っているのだから、本当にたくさん持ってきたようだ。購買部によくそんなにあったものである。誰か販売数を増やしてくれとでも言っていたのかもしれない。

 

「これはレトルトカレーだから食べられるし、あ、これはシャンプーだから食べられないね」

 

 そんな風に作業を続けていると、十分ほどで終わった。オジサンの仕事はこれで終わりである。これを細かくしっかりと管理するのが若狭の仕事であった。

 

 ちょうどオジサンの仕事が終わったころ、扉が開かれた。

 

「今日は晴れてよかったわね」

 

「うん、これならさっぱり乾くね」

 

「雨が続くと洗濯物が生乾きで気持ち悪いもんな」

 

「そうよね。着るものによって気分て変わるもの」

 

 ちょうど屋上に洗濯物を干しに行っていた彼女たちも戻って来た。全員がいることを確認したオジサンは、風船をみんなに見せることにした。

 

「お疲れ様。オジサンの方も終わったよ。その中でこんなの見つけたんだけどさ」

 

 言いながら風船を摘み上げた。

 

「風船?」

 

「ゆきが持ってきたのか?」

 

「わたしじゃないよ?」

 

「あ、それ私が持ってきたんですよ」

 

「おや、佐倉先生だったんだ」

 

 オジサンはまた風船を置いた。

 

「めぐねえ、風船をどうするの?」

 

 丈槍が不思議そうに訊ねる。恵飛須沢と若狭は気付いたようで表情を変えたが、オジサンは丈槍と同じように不思議そうにしていた。オジサンとしては、目的とかそんな大それたものではなく、皆で楽しく遊ぶとかその程度のものだと考えていたのだ。

 

「ただ待っていれば助けが来るとも限らないでしょう? 外の人に私たちはここに居ますって、知られないといけないと思うの。だからこの風船に手紙をくっつけて飛ばそうと思うのよ。どうかしら?」

 

「さすがめぐねえ、目の付け所が違うね。でも手紙って言ったら伝書鳩だよな!」

 

 恵飛須沢は目を輝かせながら言った。

 

「おお、いいねえ、伝書鳩。何か風情がある気がするよ」

 

「それなら準備をしないとね。確か理科室にヘリウムガスがあったと思うから、くるみはそれを持ってきてくれる? オジサンは鳩ね」

 

「りょーかい、ちょっくら取りに行ってくる」

 

「じゃあ、オジサンも頑張って来るよ。一時は鳩と一緒に生きようと思ったこともあるからね。なんとかなる気がする」

 

 オジサンと恵飛須沢はともに生徒会室を出ていった。

 

「わたしは何すればいいの?」

 

「三人で一緒に手紙を書きましょう? 佐倉先生は地図帳でこの場所がどこにあるか調べてもらえますか?」

 

「はーい! よーし、すごいの書くよ!」

 

 丈槍は気合十分であった。

 

「分かったわ。……こういうのって顧問が言うべきよね……ごめんね、頼りない先生で……」

 

 若狭のリーダーぶりに、佐倉は自分の不甲斐なさを感じてしまい落ち込んでしまった。

 

「そんなことないですよ。佐倉先生が風船を持ってきていなかったら、こうやってはいませんから。だから、佐倉先生のおかげです。落ち込まないでください」

 

「そうだよ、めぐねえは良い先生だよ。めぐねえがいなかったらこの部もないもん!」

 

 二人の励ましに佐倉は持ち直したようである。落ち込んでいたのが嘘のような笑顔で地図帳を開いた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「オジサンには驚かされたぜ、まさか何も使わないで鳩を捕まえるなんてさ」

 

「座ってたら勝手によって来てねえ。そのまま捕まえられたんだよ」

 

 無事準備が終わった面々は屋上に集まっていた。各自、自分が書いた手紙がくっつけられた風船を二つずつ持ち、オジサンと恵飛須沢は捕まえた鳩に手紙をくっつけていた。籠も何も用意していないのだが、鳩は全く逃げようとはしていなかった。

 

「よし、こんな感じでいいかな」

 

「何かそれっぽくていいじゃん」

 

 鳩の足に手紙を括り付けた二人は、満足げに頷いた。

 

「じゃあ、二人ともいいかしら? みんなで一緒に飛ばしましょ? せーの、一、二の、三!」

 

 佐倉の合図で皆が手を離すと、風船は大空に浮かんでいき、鳩は気持ちよさそうに飛び立った。

 

「誰かに届くかなー」

 

「ゆきちゃん、一生懸命書いてたものね」

 

「届くわよ、きっと」

 

 高く、高く浮かび、そして風に流されていく風船を眺めて、丈槍と佐倉、若狭は希望を込めて言う。

 

「なあ、オジサンは手紙に何て書いたんだ?」

 

「特別なことは何も書いてないよ? ただ、オジサンたちはここで生活してるから、助けに来れる人は助けに来てくださーいって」

 

「助けに、来てくれるのかな」

 

 恵飛須沢とオジサンは大空に羽ばたき、遠くに行ってしまった鳩を眺めていた。

 

「さあ、オジサンには分からないなあ」

 

「はは、そこは嘘でも来るよって言えばかっこよかったのに」

 

 オジサンの素直な物言いに、恵飛須沢は思わず笑っていた。

 

「あ、そう? あはは、オジサンにかっこよさが求められたのは随分と前だから、そんな対応できなくなってるねえ」

 

 オジサンは太陽の光に目を細めながら、どこまでも行く鳩の姿を追っていく。出来ることなら、自分たちが同じように、自由に外の世界に羽ばたけるようになればいいと思いながら。

 

 学園生活部、未来に向けて前進中。

 

 

 




次回、次回にはゾンビが出るはず。
あとそろそろもう一人の子も出したいので、外に行くかもしれない。


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そと

 ある日の生徒会室。その中にはいつものメンバーが集まっていた。しかし皆どこか真剣さを含んだ眼差しである。オジサンは相変わらずちゃらんぽらんな感じではあったが。

 

 誰も声を出さない中、若狭は椅子を引き立ち上がった。

 

「今日、外に出ようと思います」

 

 緊張した面持ちでいる面々を見回し、そうはっきりとした口調で言った。真っ先にオジサンが反応した。

 

「まあ、いつかは出ないとだもんねえ」

 

「うどんもなくなったし、レトルトも残り少ないからな。ちょうどいいタイミングだろ」

 

 オジサンに続き、恵飛須沢が外に出ることに同意した。その言葉通り、今現在学校内に残っている物資は実際少なく、食料品に至っては少しずつ種類が減ってきている。すべてなくなる前に動き出そうとするのは、至極当然のことであろう。

 

「でも……大丈夫なの?」

 

 丈槍は不安そうに言葉を震わせている。

 

「大丈夫よ。みんなで行けば怖くないでしょ?」

 

 極僅かに体を震わせている丈槍の頭を、佐倉は優しく撫でた。するとその震えは収まったようだった。

 

「物資のこともそうだけど、学校以外がどうなっているかもわからないから情報も欲しいの。目的地をショッピングモールにして、それ以外もいろいろと臨機応変にって感じかしら」

 

「あ、じゃあオジサンの車使って行こうか。駐車場にあるよ。ミニバンだからみんな乗れるし、物もたくさん詰め込めるだろうから。もし他の人がいたら乗せることも出来るからね」

 

 オジサンは上着の内ポケットから車のキーを取り出した。それと一緒に、煙草が引っ掛かってポケットからこぼれた。なんとか床に落下するのは回避しようと手を伸ばすが、オジサンの反射神経はそれほど良くなかった。健闘むなしく、煙草は軽い音を立てて床に当たる。

 

「……あ、あはは」

 

 オジサンは笑うしかなかった。以前吸っているところを見つかり、こってり絞られたのである。思い出すだけでオジサンはため息を吐きたくなった。それを見た若狭の威圧がオジサンに伝わる。冷や汗が吹き出し、つい車のキーも落としてしまった。

 

「オジサンさん、体に気を付けてくださいね?」

 

「はい、ごめんなさい……」

 

 本当に心配そうに見て来る佐倉に、オジサンはひたすら平謝りをするしかなかった。オジサンは人からの優しさに弱いのである。謝りながら車のキーと煙草を拾い、煙草をすぐにポケットにしまう。もう落とさないように念入りに奥に押し込んだ。

 

「オジサンには後で話すとして……くるみ、駐車場まで走っていくことは出来る?」

 

 何か良くないものが聞こえた気がして、オジサンは一度肩を震わせた。

 

「いけるいける。昨日オジサンとタイム計ったけど、大丈夫そうだった」

 

「昨日のあれってタイム計ってたんだ。くるみちゃんが急いでわたしのところに来るから怖かったよ」

 

 あはは、と丈槍は笑う。

 

「避難はしごがあるから三階から降りることは出来るけど、くるみさん一人で大丈夫なの?」

 

「心配すんなって、めぐねえ。速い奴が一人で行った方が安全だからさ」

 

 このメンバーで恵飛須沢についていくことが出来る者はいないだろう。若狭は苦手と言うほどではないが運動神経が良い方でもない。丈槍も同じである。佐倉は見るからに運動は得意そうではないし、オジサンに至っては歳である。四十過ぎのおっさんが全力疾走でもしようものなら、足の腱を切る可能性は限りなく高い。

 

「じゃあ、この鍵はくるみちゃんに渡しておくよ。色は黒で、ナンバーは三四一二ね。もし危なくなったらすぐに帰って来るんだよ? あ、でも運転できるのかい?」

 

「少しくらいなら大丈夫だろ」

 

 オジサンは恵飛須沢に鍵を渡す。ちゃり、と音が鳴った。

 

「作戦としてはこうね。三階の教室から避難はしごで降りて、駐車場まで走る。距離は大体百五十メートル。そこでオジサンの車を見つけてここまで乗って来る……行ける?」

 

「任せとけって」

 

 決行は今から三十分後。皆の顔は冴えないが、希望を持っていないわけではない。なんとかなるかもしれない、無事な人が残っているかもしれない。様々な思いを抱き、準備を進めた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 恵飛須沢はシャベルを背負い、駐車場に一番近い教室から避難はしごを下ろし、その時を待っていた。

 

 時間はどんなときであっても平等だ。その時はすぐに訪れた。

 

 恵飛須沢は着地地点にゾンビがいないことを確認し、避難はしごを踏み外さないよう降りた。そして着地と同時に走り出す。うろうろとのろい動きで徘徊しているゾンビに、その動きをとらえることは出来ずに追いつくことはなかった。

 

 元陸上部員の脚力を持って駐車場に到着した恵飛須沢は、すぐにオジサンのミニバンを発見した。しかしその周囲には二人のゾンビがいた。まだこちらには気づいていない。

 

 恵飛須沢は動揺することなく、まず一人を後ろから頭に狙いをつけシャベルで殴り、倒れたゾンビの首をシャベルの先で抉るように切った。切った場所から血が吹き出し、制服にかかる。だが気にしている暇はなかった。

 

 首を切ったゾンビが動かなくなったことを横目で確認し、もう一方のゾンビと対峙する。音に気付いたそれは、すでに恵飛須沢の近くまで来ていた。だが、一対一で負ける恵飛須沢ではない。距離を詰められているものの、シャベルという武器はゾンビたちに比べてリーチが長い。ゾンビは主に手や口で襲ってくるのだ。慌てなければどうとでもなる。

 

 シャベルを横に振り、ゾンビが伸ばしていた手を払いのける。それにより仰け反った体をシャベルで叩き倒れさせ、先ほどと同じように首を切った。

 

 ゾンビはいなくなったが、殺した感触は残っていた。人を殴る感触。首を切る感触。恵飛須沢にとってはもう幾度となくやってきたことである。慣れてはいた。慣れてはいたが、そんな自分が嫌に思うこともあった。少しだけ動きが鈍る。

 

「しっかりしろよ……!」

 

 恵飛須沢はそんな思いを振り払うように車に鍵を差し込んだ。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 一階昇降口を目指すオジサンたちは、一列に並び慎重に階段を下りていく。オジサンの手にはシャベルが握られていた。オジサン以外は物資を詰めるために、購買部に持っていったものと同じリュックサックを背負っている。その中にはある程度の外出用の道具が詰められていた。

 

 シャベルを握るオジサンの手は、汗が酷かった。

 

「良かった……何もいないみたい」

 

 佐倉は一階に着くとぽつりと呟いた。その言葉に皆が頷いた。少しだけ安心したようで、表情に余裕が出てきている。

 

「いやあ、怖いねえ。なんとかなって良かった、良かった」

 

 オジサンは明るい口調で言った。相変わらず手汗は酷い。しかし、それが誰かに知られることもなかった。

 

「後は外に出るだけね」

 

 若狭はもしゾンビがいないとも限らないので、やはり慎重に進んで行く。オジサンも周囲を警戒しながら先頭で歩いていた。丈槍と佐倉はその後に続いた。丈槍の手を、佐倉はしっかりと握っていた。

 

 そして出口に着く。杜撰に打ち付けられたゾンビの侵入を防ぐための板は、意味がないくらいにまばらとなっており、酷い有様であった。ガラスも無残に割られている。逆に言えば、少し身をかがめればそこを通ってオジサンたちはすぐに出ることが可能なのだった。

 

 外に出てすぐにゾンビがいるかもしれないため、シャベルを持っているオジサンが一番初めに外に出た。すぐにシャベルを構えて警戒するが、どうやら近くにはいないようだ。オジサンは手汗をスラックスで拭った。遠くにいるゾンビを見ると、こちらに意識を向けている者はおらず、皆一様に駐車場に体を向けていた。

 

「くるみちゃんが頑張ってくれてるみたいだ。みんなも出てきて大丈夫だよ」

 

 オジサンは皆に外へ出るよう促し、校庭の方へ一歩踏み出した。するとすぐに丈槍、若狭、佐倉が出てきた。そして駐車場の方に目を向けた。

 

「くるみちゃん、大丈夫かな……」

 

「信じて待ちましょ?」

 

「そうそう、くるみちゃん速いし強いからねえ。オジサンじゃ勝てないくらいに」

 

 苦笑して言う。オジサンは五十メートルを計ったときのことを思い出していた。オジサンと恵飛須沢のタイムには、シャベルを背負うと言うハンデがありながらも、三秒以上の違いがあった。若い子には敵わない。改めてそう思ったのであった。それと同時に、若い子には任せたくないとも思っていた。

 

 校舎の陰に身を潜ませて駐車場の様子を窺っていると、少しして、こちらに向かってくる黒いミニバンが目に入った。来た、オジサンは意図せず呟いていた。

 

「え?」

 

 丈槍はその呟きがよく聞こえずに、オジサンを見上げた。

 

「くるみちゃんが来たよ」

 

 オジサンは陰から出て近づいてくるミニバンに手を上げ、自分たちの居場所を知らせた。佐倉と若狭、それに丈槍は恵飛須沢の無事を喜び小さく声を上げる。

 

 ミニバンは速いスピードのままオジサンたちに近づいていき、急停車した。運転席が開くと、そこには返り血を浴びながらも、無事な姿の恵飛須沢がいた。頬は上気しており、疲れが見えた。

 

「早く乗れっ! 奴らが追って来てる!」

 

「う、うん!」

 

 丈槍は後部座席の扉を開き、中に駆け込んだ。若狭と佐倉もその後に続く。オジサンは急いで助手席に乗った。恵飛須沢は全員乗ったことを確認する。

 

「全員乗ったな? よし!」

 

 すぐ後ろに来ていたゾンビをバックしながら轢き殺し、Uターンして校門を目指す。車が来ても避けることがない進路上にいたゾンビたちは、短い声を上げながら死んでいった。

 

 そして、学園生活部一行を乗せた車は、校門を抜け外に出たのである。

 

 本日から、学園生活部外出中。

 

 




ゾンビ登場。
極僅かだけれど。


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みちのり

 私立巡ヶ丘学院高等学校を出発した黒のミニバンは、その運転手をオジサンに変え、荒れ果ててしまった市内を走っていた。電柱は倒れ、道路には大小様々な瓦礫が落ちていて、横転している車も少なくなかった。オジサンのドライビングテクニックなどお世辞にもいいとは言えない。走り続ける車内は、ずっとガタガタと揺れていた。しかしそれに文句を言うものは居ない。その余裕がないとも言えた。

 

 当然のように市内でもゾンビは徘徊していた。淡い希望だったが、それでも今日を生きるための希望であった。ゾンビが広範囲で活動しているという事実は、皆の表情に影を落とした。

 

 だが車が止まることはない。今も尚走り続けている。

 

「おっと、ここも電柱が倒れて通れないなあ」

 

 車の前方には、車にのしかかるように倒れている電柱があった。

 

 オジサンはショッピングモールまでの道順は分かっていたが、度々現れる横転した車や倒れた電柱により少しずつ分からなくなった。

 

「じゃあ、バックして……さっきの角を右ですね」

 

「はーい」

 

 これを見越して、佐倉と若狭は学校の近辺が記されている地図を持ってきていた。それを見ながら、助手席にいる佐倉がナビゲートを担当している。少しずつだが目的地には近づいていた。

 

「このままだと遅くなっちゃうねえ、行くのは明日かな」

 

「そうですね……夜に入るのは、さすがに危ないですし」

 

「だよねえ。出来れば明るいうちに入りたいし……モールの近くに車置けそうな場所ってある?」

 

「ええと……」

 

 佐倉は地図に顔を近づけて探している。ぴょこぴょこと髪が揺れていた。オジサンはその姿に、なんだか子供っぽいなあと自然と笑みがこぼれた。

 

「あ、ガソリンスタンドがありますよ」

 

 地図から顔を上げながらそう言った。

 

「じゃあ、今日はとりあえずそこまでかな。そこが無事ならだけど」

 

 オジサンは角まで戻ったところで右にハンドルを切る。

 

「みんなも疲れてるみたいだし、何事もないといいんだけどねえ」

 

 オジサンはルームミラーで後部座席に乗っている三人を見た。その光景を見て、オジサンは表情を変えた。穏やかな笑みだった。

 

「静かだと思ったら……佐倉先生、後ろ見てみな?」

 

「え?」

 

 オジサンに言われるがまま後部座席を覗いてみると、若狭、丈槍、恵飛須沢の三人は仲良く固まって眠っていた。規則正しい寝息を立てている。皆、その表情は笑顔だった。辛い現実なのだから、夢の中くらい楽しい世界であって欲しい。大人二人はそう思った。

 

「みんな、安心してるのね」

 

「たぶん佐倉先生もそうだと思うけど、こういうのを見ると嬉しくなるよね。信頼されてるんだなあって」

 

 佐倉は三人を見ながら頷いた。その後、少しの間寝顔を見てから体勢を戻した。その表情は笑顔であった。楽しそうに、嬉しそうに。

 

 少し走り続けると、交差点に出た。

 

「ええと、どっち?」

 

「ここは、こうだから……左です」

 

「はいはーい」

 

 少しだけ揺れが小さくなった車は、その後も走り続ける。

 

 しばらく経って、恵飛須沢の意識は徐々に浮上していった。何やら頭がはっきりしないことに気が付き、そこでようやく自分はいつの間にか眠ってしまっていたことを理解した。すぐ近くでは丈槍が幸せそうに寝ているし、その奥では若狭もすやすやと寝ていた。起こすのも忍びなかった恵飛須沢は、丈槍を起こさないようにゆっくりと離れ、運転しているオジサンに目をやった。

 

 オジサンは黙々と運転していた。隣にいた佐倉は寝ている。狭い空間の中に人が集まっているだけでも、多少安心できるようであった。車のスピードは、寝ていることに配慮してか、ゆっくりとしている。まだ着きそうもないな、と恵飛須沢は思い、瞼が落ちそうになったが、車が突然止まったことに驚いて目を開いた。

 

 恵飛須沢は小声で、運転しているオジサンに声をかけた。

 

「どうしたんだよ、まだ着いてないだろ?」

 

「ん、起きたんだね、くるみちゃん。……ちょっと窓の外を見てくれる?」

 

 オジサンは前を向きながら返した。恵飛須沢は促されるまま外を見る。

 

「……っ!」

 

 そこには、恵飛須沢と掘られた表札がつけられた一軒の住宅があった。思わず声が出てしまいそうだった。オジサンはやっぱりか、と小声で呟いた。

 

「見てくるかい?」

 

 恵飛須沢は迷った。見なければ希望を持ち続けられるし、見てしまえば現実が襲ってくる。

 

「……よし」

 

 恵飛須沢は足元に置いておいたシャベルを持った。

 

「一人で大丈夫?」

 

 オジサンは佐倉の足元に置かれているシャベルに目をやり、声をかける。

 

「平気だって。ちょっと行ってくる」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 恵飛須沢は静かにドアを開き、外に出た。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 夜、学園生活部一行を乗せた車はガソリンスタンドに止められていた。夕飯はリュックサックに入れていたカンパンとお茶で済ませ、明日に備えて寝ることになった。しかし学校ではなく外である。ゾンビが近くに出ないとも限らない。故、一時間交代で見張りを立てることになった。今はオジサンの番だ。車に背中を預けて座っていた。近くにはシャベルが置かれている。

 

 オジサンは夜空を見上げた。星が綺麗だった。視線を下へずらした。瓦礫まみれの道路に、倒れた信号機が見えた。ため息がこぼれた。

 

 オジサンは憂鬱な気分を吹き飛ばしたいと思い、内ポケットから煙草を取り出そうとした。しかし、念入りに奥に押し込み過ぎたせいか箱は潰れていて、なかなか取れない。数秒格闘した後諦めたのか、上着を脱いだ。裏返して乱暴にポケットに手を突っ込み、やっと煙草を取り出した。上着は元に戻して肩にかけた。箱の中を覗いてみると、残りは三本だった。

 

 少し腰を浮かせてスラックスのポケットに手を滑らせ、マッチの箱を取り出す。マッチの残りも数えてみると、あと四本だった。ショッピングモールに行くのだから煙草位どこかに置かれているかもしれないが、そこを見られたらまた怒られそうだ。オジサンは迷っていた。とりあえずマッチのほうが重要かな、と考えを止めて無理やり終わらせた。

 

 オジサンは煙草を吸い始めた。少しの間はちょっと気分が良くなりはしたが、周りの景色を見てしまえば、そんなものも雲散霧消した。ニコチンと言えど、現実には勝てないらしかった。オジサンはまた大きなため息を吐いた。煙が舞う。

 

「……んー」

 

「お疲れか?」

 

 オジサンが独り唸っていると、近くで声が聞こえた。オジサンが驚いて声の方に目を向けると、そこには水筒と紙コップを持った恵飛須沢がいた。そのまま恵飛須沢はオジサンの隣に座った。

 

「煙草、吸わない方がいいかな? 煙大丈夫?」

 

「あたしは別に気にしてないって」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 オジサンはまた吸って、恵飛須沢とは反対方向に向かって吐いた。だが気にしていないと言われても、そのまま吸っている気にもならず、オジサンはその後コンクリートの地面に擦り付け、煙草の火を消した。

 

「あれ、いいのかよ」

 

「いいよ。すぐ近くで吸う気にもなれないし」

 

 禁煙する絶好の機会かねえ、とオジサンは思った。

 

「ふーん」

 

 恵飛須沢は大して興味もなさそうに相槌を打った。そして持っていた水筒を開けて、紙コップにお茶を注ぎそれをオジサンに渡した。

 

「ありがと。寝てなくていいのかい?」

 

「車の中で十分寝たし……それに、何か寝付けなくてさ」

 

「家に行ったから……かな?」

 

「……うん」

 

 恵飛須沢は空を見上げ、つらつらと話し始めた。

 

「前に屋上でオジサン言ってたじゃん。特殊部隊がどうたらこうたらってさ」

 

「そんなこともあったねえ」

 

「あたし、あれ結構信じたかったんだよね。私たちは脇役だから助けに来る人がいなくてもさ、他の人の救助は進められてるんじゃないかって」

 

「……そっか」

 

 オジサンも空を見上げた。星は相変わらずそこで輝いていた。

 

「でも、そんな簡単にはいかないよね。外の様子を見て、家の中を見て分かっちゃった」

 

「うん……ヒーロー……居てくれるといいんだけどねえ」

 

「ゆきならこういうだろうな、ヒーローは待つものじゃなくてなるもんだ! って」

 

 そこで二人は目を合わせ、確かに言いそうだなあ、と丈槍の姿を想像して笑った。

 

「……よーし、じゃあオジサンがヒーローに立候補しよう」

 

 オジサンは立ち上がってそう言った。上着をマントのように首のあたりに巻いた。

 

「ええー、オジサンじゃすぐやられそうじゃんか」

 

「いやいや、これが意外と何とかなるんだって。小さい頃はよくやったもんだよ? 友達と一緒にヒーローごっこってやつをさ。オジサンのヒーロー役はみんなに好評だったんだから。こう、ポーズを決めたりして」

 

 オジサンは手を空に向けて上げたり、ベルトを両手で押さえるような仕草をしたりして、恵飛須沢に笑われた。オジサンも笑っていた。若いころのようにはいかないねえ、と。

 

「頼りないヒーローだなぁ」

 

 恵飛須沢は笑ってそう言っていたが、それは面白いからと言うだけでなく、安心したからなのかもしれない。それから、オジサンはヒーローの変身ポーズを練習していた。途中からは恵飛須沢も交じってやっていた。

 

 学園生活部、車中泊。

 

 




小休憩と言ったところか。
ショッピングモールへは次回に到着する予定。


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かいもの

 翌日。一行は無事ショッピングモールへと辿り着いた。入り口付近にはゾンビの姿は見受けられない。オジサンはそこに車を止めた。物資を運び出す面で考えても、出来るだけ近い方がいいだろうと言う判断であった。オジサンと恵飛須沢はシャベルに加えてリュックサックを背負い、それ以外はリュックサックを背負ってライトを持ち車を出た。すぐ近くには何やら紙が落ちていた。

 

「……リバーシティ・トロン館内案内って書いてあるわね」

 

 若狭はそれを拾い上げ、読み上げた。中に入ろうとしていた皆がその声に反応し近寄っていく。

 

「ええと、地下一階が食料品だから、まずはそこに行った方がいいかなあ」

 

「じゃああたしが行ってくるかな」

 

「くるみちゃんだけで行くの?」

 

「おう。まあなんとかなるって。ゆきは自分の心配しろよな。お前が一番危なっかしいんだからさ」

 

「むう、そんなことないよー」

 

「ふふ、じゃあゆきちゃんは先生と手をつないで行こっか」

 

「めぐねえまでー、わたしはそんなに子供じゃないよ!」

 

 と言いながらも、丈槍は佐倉の手を握っていた。恵飛須沢はその手をにやにやと見ていた。丈槍は少しふくれっ面である。

 

 和やかな雰囲気で中に入った一行だったが、そこはやはり酷い状態であった。入り口のドアからして割られており、瓦礫とガラスが散乱していたから予想は出来ていたが、それでも実際に見てみるとそうとしか言えなかった。だが、幸いと言うべきか、一階にはそれほどゾンビの存在は多くない。

 

「思ったよりもいないみたいだし、オジサンも地下に行くよ」

 

 オジサンは奥に走り抜けながらそう言う。ゾンビが少ないからとはいえ、歩いてはいられない。

 

「そうね。奴らは階段を上るのが苦手みたいだから、下に集まってる可能性は高いわ」

 

「いいのかよ。そっちが危ないんじゃないか?」

 

「大丈夫よ。静かにしていれば寄って来ないし、ここは広いから逃げようと思えば逃げられるでしょ?」

 

「くるみちゃんは心配しすぎだよ」

 

 心配の種が何言ってるんだか、と恵飛須沢は言ってきた丈槍に小声で返した。

 

「先生も頑張るわ」

 

 佐倉は何やら意気込んでいた。引率する先生、と見えなくもなかった。もっと頼りにしてほしいとでも思っているのかもしれない。

 

「じゃあ、あのピアノを目印にして集合しましょう」

 

 若狭が広場の中央付近にあったピアノを指さし、そう言ったのを最後に歩き始めた。薄暗い店内だが、持ってきていたライトを点けて進んで行く。途中で分かれ、恵飛須沢とオジサンはライトを一つもらい地下一階の探索を、それ以外は一階の探索をすることにした。皆、慎重な足取りであった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 地下一階に降りた二人を待っていたのは、一階以上に酷い有様になった店内だった。生鮮食料はすべて腐って臭いが酷く、ゾンビも多数徘徊している。二人は臭いに思わず鼻を押さえた。そのままゾンビにばれないように棚の陰に隠れたり、オジサンのポケットマネーであった小銭を転がしたりして探索を進める。

 

「んんー……大半のものは駄目そうだねえ、こりゃあ」

 

 オジサンは少しだけライトで照らして確認している。もちろん、ゾンビが近づいてきそうなときには消しているが。

 

「だな。全部腐っちまってる」

 

 並べられていた、以前は瑞々しかっただろう野菜や肉類を見た後二人はそう言った。今ではすべて変色してしまっていたのである。そうだろうとは考えていたため、二人の表情にはショックの色はなかった。

 

 そこから移動し、次は缶詰が並べられているコーナーに向かった。相変わらずゾンビは徘徊しているが、音に反応して移動していくので、オジサンはまた小銭をゾンビの向こう側に投げ込んだ。

 

「小銭が役に立って良かったなあ」

 

「よし、今のうちに」

 

 缶詰の近くからいなくなっていくゾンビを確認し、忍び足で移動した。シャベルは床を擦らないように少し上げている。

 

「結構残ってるね」

 

「どんどん詰め込んじゃおうぜ」

 

 二人は手分けして手当たり次第に缶詰をリュックサックに入れていく。選り好みなど出来ようはずもなかった。近くにあるものばかり取ったから、同じようなものばかりになってしまったが、気にする余裕もない。出来るだけ詰めると立ち上がる。大量の缶詰は結構な重さがあった。オジサンは持ち上げると少しふらついたが、何とか持ちこたえた。

 

「腰が心配だなあ」

 

「歳だもんな」

 

「うん、そう。人間時間には勝てないねえ」

 

 ゾンビのすぐ近くとは思えないほど、どうでもいいことを会話している。二人はどことなく余裕があった。慣れ、と言うものだろうか。二人はそのまま他愛無い会話を繰り広げながら一階へ上がって行った。

 

 二人が一階に戻り集合場所のピアノまで行くと、すでに三人はそこにいた。皆、手に棒状の何かを持っていた。それが目に入ると、オジサンは手に持っているものが何かを聞いた。

 

「あれ、何それ?」

 

「これねえ、凄いんだよ。しゃかしゃか振ると光るんだー」

 

 丈槍はそれを振って光らせてみせた。

 

「戻るまでに何度か試してみたら効果があってね。これなら学校でも使えそうだと思ってみんなで持ってきたのよ」

 

 聞く限り、それはケミカルライトやルミカライトと呼ばれるもののようだ。

 

「私のリュックサック、これで埋まっちゃった……重い」

 

 佐倉はリュックサックが重いようで、ピアノの近くにリュックサックを置いた。オジサンも同じように置いた。オジサンは缶詰を馬鹿にできないことを知ったのである。

 

「なるほど。こっちは缶詰を取って来たよ」

 

「他のは大体腐っててさ、持ってこられそうになかった。それとあいつらが一杯だったな」

 

 恵飛須沢はリュックサックを揺らした。中に入っている缶と缶が当たり、小さい音が出た。

 

「なら次は上の階ね。もしかしたら誰かいるかもしれないし」

 

「そしたら新入部員に誘おうよ。人が増えたらもっと楽しいよね」

 

「部員が増えたら顧問の私も鼻が高いわ」

 

 そんな楽しい未来を想って、こんな状況においても笑顔になった。いつまでもこんな雰囲気でいけばいいが、そんなわけにもいかないのが今である。

 

「よし、じゃあ行こうぜ」

 

「ここにいても始まらないからねえ。……よい、しょ……!?」

 

 オジサンは自分のリュックサックを持ち上げるのと一緒に、佐倉のものも持ち上げようとした。それがいけなかったのか、それともこれまでの筋肉疲労の結果なのか、オジサンの腰に激痛が走った。そのまま倒れそうになり、慌ててピアノに手をつく。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 佐倉が心配そうに声をかける。オジサンは俯いたまま声を出さない。

 

「お、オジサン? どうかした?」

 

 若狭もオジサンの近くに行き、声をかけた。それを不安に思ったのか丈槍と恵飛須沢もオジサンの近くに行った。皆オジサンの反応を待っている。

 

「……こ、腰が……ぎ、ぎっくり腰ってやつかも……痛ぅ……あははは……はぁ」

 

 オジサンは腰に片手を当てながら乾いた笑いを上げた。顔には汗が滲んでいた。その姿に皆は心配そうな視線を送っている。

 

「言ったばっかでこれかよ……動けるのか?」

 

「まあ、歩くのなら、何とか」

 

「なら車に乗って待っててもらったほうがいいわね。オジサンさん、肩貸しますよ」

 

 佐倉はオジサンの腕を持ち上げて、肩を貸した。しかし思っていた以上に重かったのか、少しよろめく。それに合わせてオジサンが小さく呻いた。

 

「めぐねえだけだと心配だな……あたしも手伝うよ」

 

 オジサンは二人に支えられ、車まで連れられた。若狭と丈槍にはリュックサックを持ってきてもらった。そして運転席を開き、何とか乗り込む。オジサンは息をゆっくりと吐いた。

 

「ああー、その……迷惑かけちゃってごめんね……」

 

「大丈夫ですよ。人手はありますから、ゆっくり休んでてください」

 

「ま、車の番がいたほうがいいだろ」

 

「シップがあったら持ってくるよ」

 

「謝らないで。オジサンに無理させてたのはこっちなんだから。安静にしててね?」

 

 オジサンは優しい言葉をかけ続けられ、何だかこのまま死んじゃいそうだなあ、と縁起でもないことを考えていた。少しだけ痛みも和らいだ気がした。だが、ショッピングモール内を歩き回るのに辛いのは変わらず、結局オジサンは車の中で待機と言うことになった。オジサンと佐倉のリュックサックは車の中に置き、佐倉はオジサンの代わりにシャベルとライトを持っていった。

 

 一人残されたオジサンは車のエンジンを入れ、有事の際にも対応できるようにした。そしてこういう時のための煙草だよねえ、と煙草とマッチを取り出し、窓を開けた。煙がこもって車内に臭いが残ってしまえば、帰って来た時にばれてしまうからである。そう言うところは子供っぽいオジサンであった。まあ、窓を開けたところで臭いは残る。そこまで考えていないのがオジサンらしくはあった。

 

 煙草を吸い始めると少しは良くなった気がした。良くなった気がしただけで、実際には何も変わっていないのだが。オジサンは窓の外に煙草を持って腕を伸ばし、灰を落とした。こうして一人残されると、色々考えてしまうものだ。これからどうなるのかとか、生存者はいるのかとか、皆は無事に帰って来るだろうかとか。図書室に入らなかった時と同じようなことしか思い浮かばず、オジサンは知らず苦笑していた。

 

 楽しいことを考えようと思って昔を思い出していた。まだ夢も希望も持っていたころ。この場所で育って、友達もたくさんいて、楽しい未来が待っているんだろうと能天気に考えていた時のことを。走りは速くて勉強もまあまあ出来た。そこそこモテたし、付き合ったこともある。すぐに別れたけれど。友達と馬鹿をやって先生に怒られたこともあった。

 

 オジサンは何のことはない普通の男だった。だと言うのに今では生き残っている。多くの人とは違って。行きたいと願って、そして死んでしまった人たちとは違って。その理由は何だろう。その意味は何だろう。

 

「……はあ」

 

 オジサンは首を振った。考えても考えても答えは出ないのだ。オジサンはすべての問いに答えがあるとは考えていない。故に深く考えることもない。考え過ぎるのは哲学者にでも任せればいいのだ。

 

 それからどれだけ時間が経っただろう。煙草も吸い終わって手持無沙汰になったオジサンは、疲れからか瞼が落ちそうになっていた。仕舞には舟をこぎ始める。あと一押しでオジサンは眠っていたに違いない。だが、そんなオジサンの耳に叫び声が届いた。若い女の声だった。

 

「おおっ……!?」

 

 驚いて勢いよく顔を上げ、その影響で腰が痛み瞬時に目が冴えた。オジサンが腰を押さえて窓の外を覗くと、ピアノに上ってゾンビから逃げている少女が目に入った。遠くてオジサンにはどんな人物かは分からなかったが、人であるのはなんとなく輪郭で分かった。

 

「くそっ、急げ、急げ……!」

 

 オジサンはすぐに車を走らせ、車高ぎりぎり、と言うよりも少し削っていたが、大きな音を響かせながら無理やり中に入った。そしてクラクションを鳴らし、ゾンビの群れに向かって突っ込んでいく。

 

「オジサンっ!」

 

 声に反応して左を見れば、そこには若狭たちがいた。彼女たちも生存者の声に気づいてここまで来たのだろうか。急いできたようで息が切れていた。しかしオジサンにはその声に言葉を返す余裕はない。クラクションの大きな音に反応したゾンビたちはオジサンの車を見ていた。大きな音を出し過ぎたせいで、他の場所にいたゾンビも近寄ってきている。

 

「そうだ……そのまま……!」

 

 ゾンビの群れの横っ腹に突っ込んでいったオジサンの車は、多くのゾンビを轢きながら、ピアノがセットされている台に乗り大きく揺れた。だがそのまま止まることはなく、車はピアノを掠った。ピアノが揺れ、上に乗っていた少女がその上に倒れる。車はそこを通り過ぎ、壁にぶつかり急停車した。

 

「……っ!」

 

 オジサンはあまりの痛みに、声にならぬ悲鳴を上げた。

 

 痛みを我慢してサイドミラーを見ると、多くのゾンビを轢き殺してはいたが、それでも未だ動いているものはいた。オジサンはもう一度轢いてやると思ってバックしようとしたが、体が言うことを聞いてくれない。

 

 一瞬、今まで以上の痛みが走ったかと思うと、その痛みはすぐさま引いていき、オジサンの意識は少しずつ遠のいていく。恵飛須沢と佐倉がシャベルでゾンビを倒しながら、車に近づいてくるのが見えた。甲高い大きな音が聞こえる。泣いているような声も聞こえた。

 

 これ大丈夫かな、帰りどうするんだろう、あの子は無事かな、みんなごめんね、など色々なことを考えていると、目の前が真っ白になっていった。オジサンはハンドルに頭をぶつけると、そのまま動かなくなった。

 

 学園生活部、要救助者を発見。

 

 

 




オジサンが頑張った回。
色々とおかしいところもあるかもしれない。
次回はオジサン以外のメンバーの視点の話か、それとももう学校に戻った後の話か。
基本的にオジサンの視点だから、学校に戻ったあとの話の可能性が高い。
また次回の投稿はタグにある更新不定期の通り、遅くなると思われる。
もし書けたら投稿します。


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よなか

遅くなるかと思ったら、意外と早く書いてしまった。
アニメを見たらいつの間にか書き始めていた。
それが理由かもしれない。


 オジサンはいつの間にか、見知らぬ場所に立っていた。前後の記憶が曖昧だった。周りは瓦礫だらけで、人っ子一人いない。学園生活部の皆も。ただ孤独だった。

 

「あれ、誰かー?」

 

 呼びかけに答えるものはない。ただ虚しく、声は虚空に消えていく。

 

「……誰もいない?」

 

 オジサンは仕方なく一人歩き出す。歩いていれば誰かに会うだろうという楽観的思考であった。多くの人間がゾンビとなっている状況で、そんな考えをしていては生きていられないだろうに。だがオジサンは自分の思考に違和感を持たない。人間と行動を共にしている期間が長いと、それが普通に思えてしまうからだろう。生きている人間がいると思ってしまう。

 

「瓦礫ばっかで歩きにくいねえ」

 

 オジサンは大きいものは避けたり、小さいものは蹴り飛ばしたりして進んで行く。地面が隆起している場所もあった。歩いている途中、オジサンはどこか不思議な感覚に陥った。自分はこんなに歩けただろうか。先ほどまで、歩けないような状況だったのではないか、と。

 

「くっ……」

 

 額が痛みを発した。オジサンは思わず呻き、そこを手で押さえる。温かいものが手に触れた。血が、流れていた。

 

「何だ、何か、おかしい……?」

 

 違和感が大きくなっていく。オジサンは立ち止まっていた。視線を感じて、横を見た。

 

「ひっ……!」

 

 そこには、今までに何度も見たゾンビがいた。オジサンは小さく情けない悲鳴を上げる。大きな声を出さなかったのは、その経験故だろうか。それとも、男としてのプライドか。

 

 オジサンは走り出した。今の自分はシャベルも持っていないし、一人だ。戦ったとしても勝てるか分からない。もしやられれば、奴らと同じになる。それだけは嫌だった。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 

 息を切らせて走っていく。何度も瓦礫に躓いた。それでも止まらず逃げていく。

 

 それからどれだけ逃げただろう。景色は変わり、そこはいつの間にか学校の中だった。普通ならばあり得ない状況だったが、オジサンにはそんなことを気にしている余裕はなかった。都合のいいことに、近くには生徒会室、学園生活部の部室があった。オジサンはまるでオアシスに入るかのように、安心した面持ちでその前に立った。

 

「いやあ、大変だったよ。オジサンみんなに置いて行かれたのかと……!?」

 

 中に入り、いるであろう彼女たちに言う。しかし、そこにいたのは、変わり果てた姿の皆。呻き声を上げ、生者を貪り食らう奴らになった彼女たち。悪夢だ。オジサンは、これを現実とは認めたくなかった。

 

 オジサンは叫んだ。言葉にならない声で。そして――。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 目が覚めた。窓の外からは光が射していない。今は夜のようだ。オジサンはワイシャツ姿で、生徒会室にマットを敷かれ寝かされていた。シーツがかけられている。その上には上着があった。汗が酷かった。背中はびっしょりだし、手汗も。着替えようと思って起き上がろうとして、痛みと同時に思い出した。

 

「……はあ。そう言えば腰やっちゃったんだっけなあ……みんなは、まあ、無事だろうねえ。俺、ここにいるんだし」

 

 痛む腰を押さえて、もう一度寝転がった。そのまま寝てしまおうと思ったが、そうしたらまたあの夢を見てしまいそうだった。それがどうしようもなく怖かった。

 

 朝までどうしようかと考えて、いつだかに見たぎっくり腰に効くというストレッチをやってみることにした。仰向けの体勢で膝を曲げ、力を抜いて横にゆっくり倒していく。これを繰り返していくと痛みが和らぐ……とかそんな感じだったったけ、と朧気な知識でストレッチを進めていった。

 

 当たっているかどうかは分からないやり方であったが、やっていくと少し楽になった気がした。思い込みの力なのかもしれない。オジサンは単純な人間だから、催眠などにはすぐかかってしまうだろう。

 

「ふう」

 

 オジサンはストレッチを止めて息を吐いた。余裕が出てきたのだ。まあ、相変わらず立ち上がるのは難しいが。暇だなあと思い、徐に顔を横に向ける。

 

「あ」

 

 ソファで寝ていたらしい少女と目があった。ソファから少し体を起こしていた。少女は目を丸くしている。オジサンと同じようにシーツをかけていた。オジサンはその少女に見覚えがなくもなかった。ショートヘアでボーイッシュな雰囲気である。年齢は丈槍たちと同じくらいに見えた。

 

「や、やあ……えっと、おはよう? いや、こんばんはかな?」

 

「あ、はい、こんばんは……誰ですか?」

 

 何だか普通に会話が成り立っていたから大丈夫かと思ったが、やはり駄目だったようだ。少女はソファに座り、オジサンに訝しげな視線を送っている。オジサンはどうしたものかと考えて、

 

「ええと、オジサンはオジサンだよ。君は?」

 

 聞かれている通り自己紹介をすることにした。

 

「……直樹美紀です」

 

 直樹美紀と名乗った彼女の顔には、オジサンて名前じゃないでしょう、と不信感が現れていた。オジサンはそれが分かったが、あえて無視して話を進めた。

 

「よろしく、直樹さん、こんな体勢だけどさ。腰をやっちゃっててねえ」

 

「分かってます。さっき、声が聞こえましたから」

 

「あ、じゃあオジサンが起こしちゃったのかな。ごめんね」

 

「いえ、謝られるほどのことでも……」

 

 距離感がつかめていない者同士、なんとも微妙な雰囲気である。若干の沈黙が訪れた後、オジサンは記憶を頼りに切り出した。

 

「間違ってたら悪いんだけど、ピアノの上にいたのは君かな?」

 

 直樹は表情を変えた。オジサンはその表情の変化を見て納得していた。だから見覚えがあった気がしたのか、と。

 

「……はい。車が当たって倒れて、そのまま気絶してしまいましたが」

 

「……ごめんなさい。あの車運転してたのオジサンです……」

 

 オジサンはあの時を思い出して失敗したなあと思った。オジサンの考えではピアノに当たらないようにゾンビを蹴散らし、壁に当たる直前に急停車すると言うのが理想だった。しかし現実と言うのは非情である。車はピアノを掠り、壁に当たって止まったのだ。理想に、現実は遠く及ばないものとなっていた。まあ、あの緊急事態では焦ってしまって、そう上手く出来ないものなのはオジサンにも分かっていたが。

 

「あ、謝らないでくださいよ。そのお蔭で助かったみたいですから。ありがとうございました」

 

 オジサンは、自分の周りにはいい子しかいないなあ、としみじみ思った。

 

「うん、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 それからまた訪れる沈黙。話題が長続きしなかった。直樹は室内を見回して言う。

 

「他の人もいるんですよね? さっき、みんなって言ってましたし」

 

「オジサン含めて五人だね。オジサン以外はみんな女の子だから、仲良くできるんじゃないかなあ」

 

 オジサンは楽しそうに笑う。あの中に入ったら、この子はどう思うだろう。最初は明るさに戸惑うかもしれない。でも、仲良くできそうだと思った。

 

「そう、ですか……ふわぁ……あ、すみません……」

 

 直樹は顔を赤くしてそう言った。目には涙が溜まっていた。

 

「眠いなら眠ったほうがいいよ。疲れてるだろうしさ。オジサンも寝よう」

 

 オジサンがそう言うと、直樹はもう一度すみませんと言って横になった。すぐに寝息が聞こえてきた。やはり疲れがたまっていたらしい。オジサンにその寝顔は見えなかったが、安心していたらいいなあと思った。

 

 オジサンは天井を見た。汚れが酷かった。後で掃除しないと、オジサンは思った。

 

「新入部員、になるのかな、彼女は」

 

 オジサンは直樹が加わった学園生活部を思い描いた。

 

 ゆきちゃんは相変わらず笑顔で、くるみちゃんは最初は戸惑うかもしれないけど仲良くやっていくだろうし、りーちゃんもそうかな、考え過ぎちゃうところがあるからねえ。佐倉先生は嬉しいだろうなあ。歓迎会をやろうって言うかも。直樹さんはその中で戸惑ってるけど笑顔って感じかな。

 

 明日からまた楽しそうだ。オジサンは最後にそう思って眠りについた。

 

 学園生活部、無事救助完了。

 

 



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こうない

直樹美紀さん回、のようなものだろうか。
この後は日常回が続くと思われる。
ゾンビを出したいと思ったら出る可能性は無きにしも非ず。



 朝となり、オジサンは窓から射しこむ陽の光を感じて目を覚ました。窓を遮るものがない関係で、オジサンには光がそのまま注がれており、眩しいくらいだった。

 

 起き上がろうとして、あれ、ぎっくり腰の時ってどう起き上ればいいんだっけ、と考えた。またもやあやふやな知識で、四つん這いになってから起き上がるのがいいはず、と決めた。四苦八苦して、時間をかけながら起き上がる。オジサンはいつも若干前屈みの気だるげな姿勢であったが、腰が痛むからかピシッとした新社会人のような有様であった。ただ、以前よりは痛みが治まっているようだ。軽いもので良かったとオジサンは思った。

 

「これじゃ、本格的に足手まといだよなあ」

 

 オジサンはぽつりと呟いた。元々それほど役に立っているとは考えていなかったが、動くのが遅いと言うのは今の状況では命取りだろう。どうしようかねえ、と室内を見回していると、未だ寝ている直樹が目に入った。自然と笑みがこぼれた。オジサンが起きて物音をたてているが起きないと言うことは、少しは安心してくれているのかもしれない。

 

「さて、どうしようか」

 

 立ち上がったは良いものの、やることがない。椅子に座ろうかとも思ったが、腰に負担がかかりそうだからやめた。上着が目に入ったが、同様の理由でそのままにしておいた。

 

 数秒考えた結果、リハビリがてら歩くことにした。出来る限り音を出さないように扉を開いて廊下に出た。相変わらず汚れが酷い。一度は掃除をしようとしたが、幾らやっても終わらなくて諦めたのである。

 

「清々しい朝とはいかないねえ……」

 

 朝の空気で、肺は清々しさに満たされた気がしたが、この惨状とでも言うべき廊下や教室を見てしまえば、そんな気分もすぐになくなる。掃除すべきかなあ、とオジサンは思いながら歩いていると、前から若狭と恵飛須沢が歩いてきた。二人はオジサンを見ると、慌てて走り寄って来た。

 

「お、オジサン! 歩いてていいのかよ!?」

 

「だ、大丈夫なの!?」

 

 二人とも必死な様子で矢継ぎ早に言ってくるので、オジサンは面食らった。オジサンは一歩後ずさりした。腰が曲がり痛みが走る。声が出そうになって、無理やり苦笑に変えた。

 

「あ、あはは、大丈夫、大丈夫。まだちょっと痛むけど、歩く分には問題ないって」

 

「本当? 無理してない?」

 

「無茶したばっかだから信じられないんだよなぁ」

 

「オジサンよりも直樹さんの心配してあげなよ。いきなり環境が変わるから、疲れてるだろうしさ」

 

「直樹さん?」

 

 オジサンが言うと、二人は見当がつかない様子である。首を傾げていた。

 

「あ、まだ名前聞いてないんだね。ほら、ショッピングモールにいた子だよ」

 

「ああ、あいつか。ピアノの上で気絶してたから連れてきたんだ。怪我もないようだったし、寝かせておいたんだけど、もう起きたのか?」

 

「今は寝てると思うよ。夜中にオジサンが起こしちゃってね。名前だけ聞いてもう一回寝たんだ」

 

 二人は納得したようで、様子を見て来ると言って去って行った。オジサンはまた歩き始めた。歩き始めたが、やはり目的もなく彷徨えるほどここは広くはない。すぐにバリケードの場所に着いてしまった。

 

 オジサンはバリケードを見上げた。椅子や机を組み合わせて、そこそこの高さがあるものだ。簡単にはゾンビの突破を許すものではない。数が来られると、少々厳しいかもしれないが。

 

「これ昇ろうとしたら、一気に来そうだねえ」

 

「何がですか?」

 

 声に驚いて振り返ると、そこには直樹がいた。立ち姿からは怪我をしているところは見受けられない。恵飛須沢はああ言っていたが、実際に見てみないと心配なのだ。夜中起きた時には体がシーツで隠れていたから、どうなのかは見えなかったしねえ、とオジサンは一安心した。

 

「あ、おはよう。まあ、何でもないよ」

 

「そうですか……おはようございます」

 

 挨拶を返してきた直樹だったが、まだ眠いのか目を擦っている。欠伸をしそうになって噛み殺していた。夜中のことがよっぽど恥ずかしかったのだろうか。

 

 起きてきた直樹を見て、やっぱり起きた時に音出して起こしちゃったのかなあ、と思ってオジサンは一人反省した。

 

「りーちゃんたちには会った? あの、えーと、長髪の子とツインテールの子なんだけど」

 

 直樹は首を傾げた。先ほどあった二人とあまりにも似た反応をするものだから、オジサンはばれないように顔を背けてくすっ、と笑ってしまった。幸い、直樹は気にしていない。

 

「誰にも会いませんでしたが……教室の中を見たりしていたので、行き違いになったのかもしれないですね」

 

「そっか。まあ、後で会うだろうしね。他のところも見ていく?」

 

 オジサンは踵を返し、直樹の前に進んでそう言った。

 

「いいんですか?」

 

「オジサンのセリフだよ。目的もなく歩いてもつまらなくてねえ。オジサンの暇つぶしに付き合ってもらっていいかな?」

 

 直樹は調子が出てきたようで、微かに笑って頷いてくれた。

 

「ありがと。じゃあ行こう」

 

 オジサンは来た道を戻り、最早使われていない教室を紹介する。ほとんどはあの時から変わっておらず、惨劇の後を物語るものだ。見ていて気持ちのいいものではないからすぐに出る。音楽室や放送室の特別教室もさっと流して見た。歩いている途中、腰が痛むときもあったが、動けなくなるほどではない。オジサンは構わず歩いた。

 

 ふと、オジサンはある教室の前で足を止めた。直樹は止まったオジサンを不思議そうに見上げて、同じように止まった。

 

「どうしたんですか?」

 

「いやね、今日からここで生活していくんだから、ここの紹介も必要だなあと思って」

 

 その言葉を聞いた直樹は更に上を見上げて、掲げられているプレートを見た。2―Aと書いてある。直樹は意味が分からずオジサンに言う。

 

「今までと同じ教室にしか見えませんが……」

 

 そう言われると、オジサンはニコニコして扉を開いた。直樹は教室内を見て、驚いてすぐにオジサンを見た。オジサンはいたずらが成功した子供の様に、しかし嫌みのない快活な笑い声を上げた。そして中に入る。直樹も後に続いた。

 

「綺麗になってるでしょ? ここで授業をやってるんだよ。こんな状況でもさ、今まで通りって大切だと思うから」

 

 教室内は清掃がなされており、多少の汚れがあるものの、他の教室とは比べ物にならないほどである。直樹は一瞬暗い顔を見せたが、すぐに戻った。

 

「……そうですね」

 

 オジサンは直樹のちょっとした変わりようが気になったが、こんな時だ。嫌なことの一つや二つ、あって然るべきだろう。オジサンにだってある。オジサンはその変化には声を出さず、そのまま会話を続けた。

 

「いやあ、頑張ったからねえ。直樹さんも一緒に受けてくれると嬉しいよ」

 

「気が向いたら、受けようと思います」

 

「うん、うん。楽しみにしてるよ」

 

 一通り室内を見終わった後、二人は廊下に出た。最後は生徒会室だ。若狭と恵飛須沢は分からないが、姿を見ないのだから恐らくいるのだろう。そしたら皆は直樹さんを学園生活部に誘うだろうし、にぎやかになるだろうねえ、とオジサンは思う。楽しみになった。生徒会室に向かう足が少し速まる。オジサンは柔和な笑みを浮かべていた。

 

 横に並んで歩いていた直樹は、そんなオジサンを見て微笑みながら小声で呟いた。

 

「……子供みたいな人ですね」

 

「あ、そう?」

 

 聞こえないと思ったのか、直樹はオジサンが反応を返したことに顔を赤くして慌てた。オジサンが怒ると思ったのだろうか。

 

「え、あ、その、別に悪い意味じゃありません。ただそう思ったってだけで……」

 

 直樹はやや俯き気味になり、最後の方の声は消え入りそうなほどであった。

 

「でも、そう言ってくれると嬉しいねえ」

 

「え?」

 

 予期せぬ答えに、直樹は呆けた声を出し顔を上げた。

 

「だってさ、若く見られたら嬉しいじゃない?」

 

「そう言う、ものですか?」

 

 直樹は戸惑った様子で言葉を詰まらせて言う。オジサンは調子を変えず、いつも通りに明るい声で続けた。

 

「そう言うものだよ。若さなんて欲しくても手に入るものじゃないもの。オジサンも歳でねえ。腰だってやっちゃってるし」

 

 あはは、とオジサンは笑う。直樹もそれを見て笑った。よく笑う人だ、と直樹は思った。

 

 学園生活部、今日からいつも通り。

 

 



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しょうかい

何とか八月になる前に書き終えることが出来た。
次回はもっと遅くなると思われる。
あと、アニメは結構原作と変わっていて面白いですね。


『あれからどれだけの時間が経っただろう。私たちはまだ無事に生活している。由紀さんは相変わらず笑顔で、胡桃さんも変わらず私たちを支えてくれている。若狭さんも皆を引っ張っていてくれる。オジサンさんも、皆を安心させようと振る舞っている。私はどうだろう。何か、皆の役に立ってくれていればと願う。』

 

 私はそこまで書いて一度ペンを置いた。すぐ近くでは由紀さんが寝ている。可愛い寝顔だ。彼女の笑顔が曇る日は来て欲しくない。寝返りを何度もうっている子供っぽい仕草を見て、罪悪感が湧いてくるときもある。でも、だからこそ、私は最期まで先生でいようと思えた。

 

 私は持っている手記を閉じた。いや、遺書と言ったほうがいいのかもしれない。特別誰かに当てたものではないけれど、もしこれが誰かの手に渡る時は、恐らく、私はもう、私ではないだろうから。

 

「……っ」

 

 そうなってしまった私を考えて、体が震える。こんな姿、皆には見せられない。オジサンさんには、一度見せてしまっているけれど。思い出して、顔が熱くなる。

 

 確か、あの時も日記をつけたはずだ。私はノートのページをめくり、時間を遡った。パラパラと音が鳴って、随分と書いたものだと感慨深くなる。そうやっていると懐かしくなり、最初のページから見てみた。

 

 ボールペンで書いているから、修正個所はすべて二重線が引かれていた。中には一ページすべてが真っ黒になっているものもあった。この生活が始まったころに書いたものだ。私は先生なのだからしっかりしなくてはいけない、生徒に心配をさせるわけにはいけない、と必要以上に力み過ぎて疲労が溜まっていて、暗いことばかり書いていたような気がする。あまり、思い出したいものではなかった。

 

 少しして目的のページを見つけた私は、あった、と心の中で呟いた。

 

『昨日、私は確かに噛まれたと思った。腕は痛みを訴えていたし、血が流れるのを感じていた。だから、私は生徒会室の扉を皆にすぐに閉めさせた。中からは由紀さんの悲痛な叫びが聞こえてきて、涙が流れそうだった。でも、私は一人奴らの中にいた。いた、はずだった。気が付いたときにはオジサンさんに抱えられていた。オジサンさんが苦しそうに息を切らせて階段を上って行ったから、あの場所は多分、屋上だ。陽の光を眩しく感じられたのを、微かに記憶している。だけれど、そこからの記憶がない。血が流れ過ぎたのか、それとも人ではなくなっていってしまったのか。それはよく分からない。ただ次に目が覚めた時には、安心したようなオジサンさんの顔がすぐ近くにあって、思わず声を出してしまった。オジサンさんの、困ったように笑った顔が、印象に残った。』

 

 その日の書き込みはそこで終わっていた。私は改めて読んでみて、オジサンさんはいったい何者なのか、と疑問が湧いた。これを書いた日はそんな考えが浮かぶほど頭が回っていなかった。だから今になって不思議に思う。

 

 噛まれたり、傷をつけられたりしたら、今もまだたくさんいる奴らの様になってしまうのだろう。恐らく、それは間違いではないはずだ。だから、私も例外ではなく、自分が消えて学校を徘徊しているはずなのに。

 

「……」

 

 でも、今私は皆と一緒に生活している。出来ている。噛まれたと思ったのは気のせいだったのだろうか。そうであれば、オジサンさんが急いで助けてくれたと言うだけで、納得はできる。でも、そんなことはない。あの時、確かに。オジサンさんが、何かをしてくれたのだろうか。

 

 僅かに、違和感を覚えた。

 

「……あれ? めぐねえ何読んでるの?」

 

 いつの間にか起きていたらしい由紀さんの声が聞こえて、私ははっとして顔を上げる。すぐ近くに由紀さんの顔があった。数学の本を読んでるの、と誤魔化すと、由紀さんは嫌そうな顔をして離れてくれた。そして着替え始めた。上手く誤魔化せたみたいだ。

 

 あっ、と私は大事なことを思い出して、先ほど書いたものの後に、少し付け加えようと思った。私は期待に胸を膨らませ、今まで書いていた文字よりも幾分丁寧に書く。

 

『今日は新入部員が来るかもしれない。今から楽しみだ。』

 

 ノートを閉じて、そっと横に置いた。

 

 違和感は、いつの間にか消えていた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 生徒会室には全員が集まっていた。腰の関係で立っているオジサンの隣には、直樹が気まずそうに座っている。オジサンの隣にいるのは、少しでも知っている人の近くにいたほうが気が楽だからだろう。オジサンと直樹が朝から校内見学をしていたのは既に皆に伝えてあった。だから不思議に思っている者もいないようだ。

 

 オジサンは腰に手を当てている。朝から歩いて疲れたのだろう。背筋を伸ばして腰に手を当てていると、何やら若く見えた。今のオジサンなら三十代と言っても嘘だとはばれないに違いない。弱っているときに若く見えるとは、オジサンは案外稀有な人間なのだろうか。それが必要とされるものかどうかは別として。

 

「あなたのことはオジサンから聞いたわ。直樹さんよね? 制服からして、ここの生徒だと思うけど」

 

 直樹たちとは長机を挟んで向かい合って座っている若狭が、真っ先に声を上げた。若狭の両隣には丈槍と恵飛須沢が座っている。佐倉は丈槍の近くで立っていた。皆の視線が直樹に集中する。直樹の言葉を待っている間、誰も口を開かない。それだけ注目されているようだった。

 

「……2Bの直樹美紀です」

 

 直樹は緊張した様子で名乗った。

 

「あ、じゃあわたしが先輩だね!」

 

 丈槍が手を上げ、胸を張ってそう言った。どこか誇らしげだ。心なしか、えっへん、という言葉が聞こえてきそうである。

 

「わたしは3年C組丈槍由紀だよ。よろしくね、みーくん」

 

「み、みーくん……ですか?」

 

 直樹は突然のあだ名に困惑し、思わずと言った様子で聞き返した。

 

「そう、美紀だからみーくん! 可愛くない?」

 

「美紀でいいです。可愛さは求めてないので」

 

 直樹は素っ気なく答える。丈槍が苦手と言うわけではなく、どう対応したものか困っているようだ。頬には赤みが差している。

 

「えー、みーくん可愛いのに。ね、めぐねえ」

 

「もう、強引過ぎよ、ゆきちゃん。美紀さんも困っているみたいだから、ほどほどにね」

 

 今にも抱き付いていきそうな丈槍を見て、佐倉はそう言った。元気が良すぎるのも困りものね、とでも思っているのかもしれない。

 

「むぅ、めぐねえが冷たいよー」

 

 そう言う丈槍を見て、恵飛須沢は笑った。

 

「まあでも、そうやってどんどん行くのがゆきの良いところだよな。あ、あたしは恵飛須沢胡桃だ。よろしくな」

 

 恵飛須沢は今思い出したかのように、自分の名前を最後に付け加えた。それに続くように、若狭が直樹に手を差し出した。

 

「若狭悠里よ。よろしくね、美紀さん」

 

「どうも」

 

 直樹は差し出された手をしっかりと握り返した。

 

 まだ直樹の表情はやや硬いが、それでも最初ほどではない。彼女たちの雰囲気に触れ、人となりが分かったからだろう。

 

「じゃあ、最後は私かしら」

 

 佐倉は息を整えて、朝から頭の中で用意しておいたセリフを言う。

 

「佐倉慈です、よろしくね。そして歓迎します。ようこそ、学園生活部へ。顧問としてもとても嬉しいわ」

 

 そう言われた直樹はきょとんとした顔になり、首を傾げ、そして。

 

「あの、学園生活部とは何でしょうか?」

 

「……え?」

 

 笑顔で言い切り、決まった、と思っていた佐倉だったか、予想していなかった返答が来て呆けた声が出た。沈黙が流れる。そんな中、オジサンが咳ばらいをした。そして申し訳なさそうな顔で話し始めた。

 

「えーと、その、何だろうね、あー……実は、学園生活部については、直樹さんに何も言ってなかったんだよね、オジサン……あはは」

 

「……え?」

 

「本当に散歩してただけでさ。伝えてたのは、ここにいるのはオジサン以外女の子ってくらいで……」

 

「え? ……え?」

 

「その、何だろうねえ。端的に言って、今佐倉先生滑ってます」

 

「そ、そんなっ……今上手くできたと思ったんですよ!? せめて最初くらいは先生らしくと思って、朝から考えてたのに……」

 

「うん……ごめんなさい」

 

 オジサンは佐倉の意気消沈した姿を見てそう言った。もし腰が痛くなかったらいつぞやのヘッドスライディング土下座を敢行していたに違いない。

 

 まるで漫才でもやっているかのような二人を見て、直樹はくすっと笑った。丈槍はそれを目敏く見つけた。長机に身を乗り出して、直樹の手を取った。

 

「やっぱりみーくん可愛いよ!」

 

「か、可愛くありませんっ」

 

 直樹はそっぽを向いて否定する。頬は赤くなっている。照れているのが丸わかりだ。

 

「一安心、ってところかしら」

 

 そんな二人を見て、若狭は息を吐いた。

 

「りーさんは心配し過ぎなんだよ。それほどのことじゃないって」

 

「そうね……そうよね」

 

 若狭は丈槍に褒められて照れている直樹を見て、眩しいものを見つめるように目を細め、優しく微笑む。仲良くやっていけそうな人で良かった。そう、若狭は安心していた。

 

 オジサンと佐倉も、いつの間にか仲良く、かどうかは分からないが、じゃれあっている二人の姿を見ていた。柔和な笑みを浮かべている。学園生活部について説明しようと言う考えは、すっかり抜けてしまっていた。

 

 学園生活部、今日も楽しく活動中。

 

 



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ゆめ

書き終えてしまった。
今回はオジサン回。
学園生活部メンバーの出番は少ない。
オジサンに興味ないよって人は読み飛ばしてもらっても大丈夫くらいの話です。


 丈槍と直樹が仲良くなったのかはさておき。生暖かい視線を感じた直樹が、「は、話を進めましょう!」と言ってきたので、学園生活部の説明へと移った。意気揚々と言った風で話し始めようとした佐倉だったが、唐突に手を上げた丈槍に止められた。

 

「はいはーいっ」

 

「ど、どうしたの?」

 

 自分を猛烈にアピールしてくる丈槍に、佐倉は戸惑っている。

 

「わたしが教えてあげるよ!」

 

 そう言うや否や、丈槍は直樹の手を取った。

 

「え?」

 

「学園生活部の部活はね、学校全体が舞台なんだよ!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださ――」

 

 丈槍はそう言って、止めようとしている直樹を気にすることもなく、共に廊下へ出ていった。廊下を駆けていく音が聞こえ、少しずつ遠ざかって行った。残されたメンバーは、恐る恐ると言った様子で佐倉の方を見る。

 

「わ、私が言おうとしてたのに……」

 

 やはりそこには落ち込んでいる佐倉の姿があった。ずーん、と言う効果音が似合いそうだ。オジサンと若狭と恵飛須沢は、顔を見合わせ苦笑した。何だか、佐倉はこんな役割が回って来る星の下に生まれてしまったのかもしれない。

 

「まあ、部員同士で親睦を深めるって言うことにもなるしねえ。い、良いんじゃないかなあ」

 

「そうだよめぐねえ。元気出そう、な?」

 

「ゆきちゃんだって、先生の負担を無くそうと頑張ってくれてるんですよ」

 

「そ、そうなのかしら……」

 

 少し立ち直った佐倉。その言葉に、他の皆はうんうんと頷き同意を示す。

 

 最近、佐倉のポジションが決まりかけている気がしてならないオジサンたちであった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 立ち直った佐倉と他二人を置いて、オジサンは少し休んでくるね、と言って一人自室として使っている職員更衣室へと戻った。中には今日の分の洗濯物が至る所に掛けられていた。設置されているロッカーの中には、購買部から拝借してきた衣服が入っている。だがさすがにスーツなどは売られてなく、男子生徒用の制服くらいしかなかった。故に、今までの生活の中でオジサンがスーツ以外を着ることはなかった。意外と用意の良かったオジサンは、ワイシャツを持ってきていたので何とかなったのだ。

 

 室内はそれほど広いとは言えないが、一人で使う分には問題なかった。そしてオジサンは広い場所よりも狭い場所を好む。広い場所は落ち着かないのだ。だから、ここはちょうどいいのだろう。

 

「ふう……」

 

 オジサンはゆっくりと姿勢を下げていき、いつも使っているマットに横になった。歩き始めた時は殆ど問題なかったのだが、それも時間が長くなると腰に来るらしかった。横になると、いつもは気にならないところも気になって来る。

 

 自分の部屋としたときに掃除はしたのだが、やはりそれも完璧にやったわけではない。横になって見てみると、室内にある埃やらなんやらの塵があるのが見えてしまった。オジサンは潔癖症でもなければ綺麗好きと言うわけでもないが、こう見えてしまうと気になるものである。

 

 掃除したいなあ、と思うオジサンだが、寝転がってからもう一度立ち上がるのは勇気が必要だった。掃除をしたい欲求と、腰の痛みを我慢する勇気を天秤に掛けた結果。

 

「まあいいか」

 

 となった。事なかれ主義、と言うよりも痛みが怖いだけであろう。

 

 オジサンは何かやることはあったかなと考えたが、特に何も浮かび上がってこなかった。寝ようにも、昨日良く寝たから眠気も起きない。どうしようか、と呟いて。

 

「あ」

 

 上着がないことに気が付いた。生徒会室に置きっぱなしにしてしまったのだ。以前は大事なものも入っていたが、今では何もない。だから必要ではないのだが、いつもあったものがないと言うのはどこか気持ちが悪かった。そしてオジサンはまた天秤にかけ、その結果。

 

「まあ、いっか」

 

 気持ち悪さは持ち前の鈍さを活かし、極僅かに抑えた。ある意味才能である。

 

「うーん……どうしよう」

 

 オジサンは一人ぽつんと呟いてみたが、誰もいないのだから反応もない。このまま考えていると、思考がネガティブになっていきそうだったので、オジサンは仕方なく目を瞑った。何も考えないように、すぐさま寝てしまいたかった。でも夢は見たくなかった。夢よりも、今の方が幸せだから。

 

 眠くなくとも、目を瞑っていればいつかは意識が落ちるものだ。腰を動かさないように体をもぞもぞ動かし調整し、無理矢理寝ることに集中した。眠れないと思っていたオジサンだったが、数分後にはもう寝息を立てていた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「――い! 先輩!」

 

「ん? ……んんー」

 

 オジサンは誰かに呼ばれる声がして、目を開けた。久しぶりに聞いた声だった。もう、聞くこともないはずの声だ。しかし、オジサンはその時気づくことはなかった。

 

「やっと起きました? まったく、仕事が終わったからってそのまま寝るやつがありますか。こんなに散らかして」

 

 オジサンの近くでは、オジサンよりも若々しくエネルギーあふれる若者が、オジサンのデスクの周りに散らばっている書類の山を片付けていた。ぶつぶつと文句を言っている。それを見てオジサンは首をかしげた。オジサンはその若者の名を呼ぶ。

 

「小山君?」

 

「はい? 何ですか?」

 

 小山と言われた若者は振り向いた。

 

「何でここに?」

 

「もう忘れたんですか? 仕事帰りに一杯飲みに行こうって言ってくれたじゃないですか」

 

「あ、そうだったっけ?」

 

 オジサンはそう言われると、そう言う気もした。オジサンは少しずつ思い出してきた。

 

「そうですよ。僕ももう終わりましたから行きましょう。あ、今からやっぱり行かないって言うのはなしですよ? 急いで終わらせてきたんですからね」

 

「そんなことは言わないよ」

 

 オジサンは座っていた椅子から立ち上がった。違和感を覚えたが、気にすることはなかった。

 

「じゃ、行こうか」

 

 オジサンと小山は、連れだって会社を出て外へ行く。もう夕方を過ぎ夜に近くなっていたが、夏と言うこともあり未だ汗が滲むほど暑かった。暑さにげんなりとした二人が出口で突っ立っていると、生暖かい風が二人の頬を撫でた。そうすると、どちらからともなく歩き始めた。

 

「夏は嫌だねえ。歩くだけで汗が出るよ」

 

 オジサンは近所の居酒屋に行こうと考えていた。小山は並んで歩いている。

 

「それ、春にも言ってましたよね」

 

 小山は前を向いたままオジサンに答えた。

 

「あれ、そうだっけ?」

 

「春は嫌だねえ。陽の光が気持ちよくて眠くなってくるよ、って」

 

 小山はオジサンの声を真似て言って見せたが、全く似ていなかった。オジサンは苦笑する。

 

「よく覚えてるなあ。俺すっかり忘れてたんだけど」

 

「もちろん覚えてますよ。こんな適当な人でもやっていけるんだ、と元気が出ましたから」

 

 小山はからからと笑った。その言葉に嫌味はなく、オジサンを慕っていると言うことが伝わって来る。小山は独特の爽やかさを持った、気持ちのいい男だった。

 

「あ、そう? いやあ、それは良かった。俺でも誰かに良い影響を与えられるとはねえ」

 

 自信持っちゃおうかなあ、とオジサンは続けた。それを見て、小山はまた笑った。そんなどうでもいい会話を繰り広げながら、二人は更に暗くなってきた夜道を歩く。夜空には星が輝き始めていた。

 

 もう少しで目当ての居酒屋に着きそうな頃、小山が聞きづらそうに口を開いた。

 

「……あの、先輩?」

 

「ん、どうしたの?」

 

「また、上の人と言い合いしたって聞きましたよ。……大丈夫なんですか?」

 

 オジサンはうーん、と唸った。夜空を見上げて、また前を向いた。

 

「さあねえ。駄目かもしれないし、駄目じゃないかもしれない。俺には分からないね」

 

「そんな適当な……」

 

「不満を持ちながらやり続けるのもどうかと思うしさ。実際、今の仕事好きじゃないし」

 

「でも、言ったところで変わらないじゃないですか」

 

 オジサンはそうなんだけど、と前置きをして。

 

「それでもやっちゃいけないことってあると思うんだよ」

 

「やっちゃいけないこと、ですか?」

 

 小山にはそれが何なのかは分からなかった。

 

「……うん」

 

 オジサンはそこまで言って口を閉じ俯いた。その続きを説明する気はないらしい。小山はそれが分かったようで、気にはなるが詮索しようとはしなかった。オジサンの表情は晴れない。嫌な沈黙が下りてしまった。小山はどうしたものかと考えて。

 

「秋は嫌だねえ。何か中途半端じゃない」

 

 小山はオジサンの声真似をして、そんなことを言った。オジサンは顔を上げた。微妙に笑っている。そんなことを言ったのは、ちょっとだけ記憶に残っていた。

 

「それもしかして、俺の真似かな? あはは、似てないねえ」

 

「え、似てませんか? おかしいですね、僕の十八番なんですけど」

 

 小山は真面目腐った顔でそう言い、すぐに笑った。良い後輩を持ったなあ、とオジサンは嬉しく思った。出来れば、こんな毎日が続けばいいんだけど、そこまで考えて、誰かに呼ばれた気がした。女性の声だった。オジサンは振り返った。小山が不思議そうに同じ方向へ視線を向ける。だがそこには通行人はいるが、オジサンを呼んだ者はいないように思われた。

 

「何かありましたか?」

 

「いや、気のせいだったみたい」

 

 オジサンはまだ後ろを見たまま固まっていた。

 

「あ、ありましたよ。ここでいいんですよね?」

 

 そんなオジサンに声が掛けられた。小山を見ると、居酒屋を指さして止まっていた。

 

「あ、うん。今行くよ」

 

 何とも気の入っていない返事をして、オジサンは視線を元に戻し小山のところまで歩いていく。その途中で、また声が聞こえた。よく聞くと、聞き覚えのある声だった。それも一つではなく、幾つも聞こえる。皆、「オジサン」と呼んでいた。思わず立ち止まる。

 

「……オジサン、か」

 

 オジサンはようやく理解した。ああ、と言うことは、これは。オジサンの視界が突然ぶれ始める。小山の姿が消えていく。町並みも、人通りも、何もかも。

 

 ――そして。

 

 はっ、と目が覚めた。どれくらい時間が経ったのかは分からないが、起こしに来た人もいないようだから、それほど経ってはいないのだろう。オジサンが顔を擦ると、涙が手に付いた。どうやら、泣いていたらしい。なぜ泣いていたのか。何か夢を見ていたのだろうか、と思い出そうとしたが、

 

「……何だったっけ」

 

 結局、泣くってことは悲しいことだろうから、思い出さない方がいいか、と独り言ちた。でも、オジサンの胸の中には理由のわからない喪失感が渦巻いていた。だから、自分はこう言いたいような気がしたのだ。

 

「……冬は嫌だねえ。だって寒いんだもの」

 

 自分で言っていて意味が分からないが、オジサンはなぜだか涙が出そうになった。おっさんの泣き顔なんて誰も求めてないよ、と自分を笑い飛ばして涙を引っ込める。

 

 どこかで誰かが笑った声が、聞こえたような気がした。

 

 学園生活部、オジサンは一人夢を見る。

 

 



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ひるごはん

何とか書き終ったけど、これ終わるのだろうか。
時間がなくて書き進めるのは遅れそうだけれど、完結はさせたいと思う。
あとアニメ見ていたら、モールから書き始めるのも面白そうだなあと思いました。
いつか息抜きにオジサンinショッピングモールを書くかもしれない。


 わたしは学校が好きだ。そう言ったらみんなは変だって言うかもしれない。もうここは学校じゃないよって。だって今の学校は教室だって汚れちゃってるし、帰ることも出来ないし、校庭だって荒れちゃってる。それに、先生も生徒も全然いないんだもん。でも、わたしは今の学校が好きなんだ。その中でも、学園生活部は大好き。みんな仲良く楽しい。めぐねえもいるし、りーさん、くるみちゃん、オジサン、それに今日、みーくんが入った。

 

 あれ、入部はしてないんだっけ?

 

 そう思って、わたしは隣にいるみーくんを見る。学校の中を案内していたけど、オジサンがほとんど見せてしまっていたみたいで、どこを見せても反応が薄くてちょっと悲しかった。そんなみーくんを、まだ見せてないと思う屋上に連れてきたんだけど、「菜園まであるんですね」と言っただけで、やっぱり反応は薄かった。わたしが騒ぎ過ぎてるだけなのかな。

 

「ねえねえ、みーくん」

 

「……何です、ゆき先輩」

 

 みーくんはわたしのことを先輩と呼んでくれる。今までそう呼んでくれる人なんていなかったから、嬉しくて、嬉しくて。初めて言われた時は舞い上がっちゃった。何度ももう一回言ってと繰り返しちゃって、呆れられてため息を吐かれた。反省。もう言わないようにしよう。

 

「みーくんは入部するの?」

 

「……分かりません」

 

「えー」

 

 わたしが不満の声を上げると、みーくんは手すりに体重を預けて校庭を見下ろした。わたしも同じようにしようと思ったけど、怖くて下は見られなかった。どうしよう、と視線を彷徨わせて、空で止まった。そこを見れば、どこまでも広がっている綺麗な青があった。気分が良くなる清々しい日だ。今日も良いことがある気がした。

 

「楽しそうではありますけどね」

 

 そう言ったみーくんの顔は、わたしの場所から見えなくて分からないけど、何となく笑ってるような気がして。それで、私の頬は緩む。そしたらちょうど、みーくんがこっちを向いた。

 

「何で笑ってるんですか」

 

 みーくんは微妙な表情をしていた。笑っていてくれればいいのに。

 

「みーくんは可愛いなぁと思って」

 

「……いい加減慣れました」

 

「そんなみーくんも可愛いよ!」

 

「はいはい、もう戻りましょう」

 

 みーくんは私の横を通り過ぎて、去って行ってしまった。怒らせちゃったかな。そう不安になったけど、みーくんはわたしを置いていくことはなくて、屋上から出ないでちゃんと止まってくれた。わたしは小走りで追って、一緒に屋上を出た。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 眠りから覚めたオジサンがしばしの間中空を見つめていると、体が空腹を訴え始めた。自分の腹時計にそこそこの信頼を置くオジサンは、生徒会室で昼飯の時間だろうと起き上がる。だが、まだ素早く起き上がることは出来なかった。

 

「それにしても……何だったのかねえ」

 

 今は落ち着いたが、未だにあの喪失感のようなものの正体は分からない。夢が関係しているのだろうが、起きてしまった今では何も覚えていなかった。オジサンは何なのかを探る当てもなく、しこりが残るようで気持ちが悪かった。

 

「……」

 

 気分は乗らなかったが、自分が暗い顔をしていれば皆に心配をかけてしまう。人目がある時くらいは明るい、いつも通りの姿で行こうと決めた。これは自分の問題なのだから、他人に迷惑をかけることは出来ない、と。

 

 職員更衣室から出たオジサンは、雰囲気がガラッと変わっていた。先ほどまでの暗さはなくなり、顔には笑顔が浮かんでいる。普段通りの、オジサンだ。あとは猫背さえあれば完璧だった。しかし、それも長くはもたない。笑顔はすぐに剥がれ落ちた。普段通りを意識するほど、そう出来なくなっていった。

 

「……はあ。こんなことになってるのも、全部腰が痛いせいなんだ。早く治らないかなあ」

 

 思えば、こうなってから無駄に考えることが多くなってしまった気がする。その前から考えるときはあったが、胸に残るほど深く考え込んだことはない。そう、そうだよ、とオジサンは何もかもを腰の痛みが悪いことにして、開き直ることにした。何も考えないようにした。

 

 こつ、こつ、こつ、とオジサンの靴の音が廊下に響く。もう丈槍の校内案内は終わったのだろうか。廊下は静けさに包まれていた。まるで誰もいないみたいだ。自分が一人、ここで生きている。そう思ってしまって、オジサンは頭を振った。自分に苛立ちを覚えた。煮え切らない自分が嫌いだと、今日ほど感じた時はない。

 

「ああ、もう……」

 

 くそっ、と吐き捨てるように言った。それでも胸の苛立ちは収まらない。オジサンは歩くペースを遅くした。こんな姿のままでは、皆のところになんか行けない。オジサンは周りを見て気分を晴らそうとしたが、何を見ても駄目だった。教室を見れば惨状が思い浮かび、窓の外を見てみれば蠢くゾンビばかり。空は雲一つなく綺麗な青空だったが、どうしてか、それでも気分は変わらなかった。

 

 行きたくないとは思いつつも、歩いていればいつかは着く。オジサンの視線の先には、もう生徒会室があった。オジサンは自分の頬を、赤い跡が残らないように叩いた。そして何度か深呼吸をする。吐く息は震えていた。

 

「……ふう」

 

 オジサンは柄にもなく緊張しているのを自覚した。生徒会室の扉の前で開けるのを何度か躊躇った後、意を決して静かに開いた。そこには皆がいた。思い思いに過ごしているようだった。中でも丈槍と直樹は仲良くなったようで、近い距離で話していた。丈槍が抱き付いている様子からして、直樹に懐いていると見えなくもない。

 

 オジサンは中に入り、仲良くなれたのかな、と思って二人を見ていると、丈槍と目が合った。

 

「あ! めぐねえにりーさん、オジサンが来たよ」

 

「はーい」

 

「あら、ちょうどよかった。じゃあお昼にしましょう。オジサンさん、椅子に座れますか?」

 

 奥で昼食を作っていたらしいエプロン姿の佐倉は、オジサンにそう言いながら余っている椅子を持ってきた。そしてオジサンに一番近い場所にそれを置く。

 

「うん、まあ、たぶん」

 

 曖昧な返事だった。何とか室内に入ったものの、自分は普段通りにやれているかが気になってしまい、それどころではなかった。ただ、まだ腰が痛くなってから椅子に座ったことがなかった、と言うのも理由に挙げられるのかもしれない。

 

 その言葉を聞いて佐倉は心配そうにしながらも、料理を持ってくるためか奥に戻って行った。奥と言ってもそれほど広くはないので、見える位置にはいる。そこには佐倉と同じようにエプロンを着た若狭の姿があった。鍋から湯気が立っているから、何か煮ているのだろうか。

 

「肩貸そうか?」

 

 オジサンの近くの椅子に座ってシャベルを磨いていた恵飛須沢が、シャベルを置いてそう聞いた。

 

「いや、一人で大丈夫、だと思う」

 

 あまり屈まないようにすれば大丈夫なはず、として上を見上げ、背筋を伸ばすようにして座った。すると意外にも痛みを殆ど感じない。オジサンはほっと息をつく。これなら大丈夫そうだ。

 

「座れてよかった……」

 

「痛くなったらすぐ言えよ?」

 

「そうさせてもらうよ」

 

 オジサンは自然と笑顔になった。人と話していると、考え込むことはなくなったのだ。

 

「あの、大丈夫なんですか?」

 

 先ほどまで丈槍と話していた直樹がそう聞いてきた。丈槍は運ぶのを手伝いに行ったようだ。先ほどまで座っていた場所にその姿はなかった。

 

「大丈夫だよ。ご飯食べて寝てれば治るからさ」

 

「あまり無理をしないでください。無理をさせてしまった私が言うのもなんですけど……」

 

「そうだぞオジサン。我慢すんなよ?」

 

「そんなに言わなくても分かってるよ。そこまで子供じゃないって」

 

 オジサンが何の気なしにそう言うと、直樹はくすっ、と笑った。

 

「でも子供っぽいですよね」

 

「うっ、ま、まあそうなんだけど……」

 

「ふふ、嬉しくないんですか?」

 

「あはは……なかなかやるねえ、君」

 

 直樹は楽しそうな笑みを浮かべて言ってくる。オジサンはつい最近直樹とした会話を思い出して、言い返せないなあと諦めて苦笑した。子供っぽいと言われて嬉しい時もあるけれど、嬉しくない時もあるようです。オジサンは一つ学んだのだった。

 

「なんだよー。二人だけで分かり合っちゃってさー」

 

 恵飛須沢は拗ねたようで、そっぽを向いていた。

 

「分かり合ってると言うか……いじられてるって方が合ってるんじゃないかなあ、これ」

 

「そんなんじゃありませんよ、先輩」

 

「せ、先輩?」

 

 直樹はふいに、オジサンのことをそう呼んだ。

 

「あ、駄目でしたか?」

 

「べ、別に駄目なわけじゃないけど……何で先輩?」

 

「オジサンに先輩は合わないだろ」

 

 そっぽを向いていた恵飛須沢は視線だけをオジサンたちに向けて言った。オジサンも同じ思いのようで、うんうんと頷いている。

 

「他の人みたいにオジサンと呼ぶのも気が引けますし、かと言って他の言い方も思いつきませんから。この部活の先輩と言う意味で言ったんですが……止めた方がいいでしょうか?」

 

「い、いや、良いんじゃないかな、うん」

 

 先輩と言う言葉の響きに、オジサンは引っ掛かりを覚えた。ついさっき、聞いた気がした。もやもやする。もう少しで思い出せそうなのに、その少しが出てこない。オジサンはその間、ぼーっとしてしまった。直樹と恵飛須沢の二人は心配そうにそんなオジサンを見ている。その視線に気づいたオジサンは、慌てて口を開いた。

 

「せ、先輩って言われたのが懐かしくてね。ちょっと思い出に浸っていたと言うか」

 

 あはは、とオジサンはそう弁解した。二人は生暖かい目で見守っている。深く聞かれなかったからいいんだけど、何だろう表しにくいこの気持ち。腑に落ちないオジサンだったが、どうにか話題を変えようと視線を泳がせると、皿を持った若狭が目に入った。

 

「あ、りーちゃん。もう出来たのかな?」

 

「ええ、今日はスパゲティよ。オジサンの分は大盛りだから楽しみにしててね」

 

「いいのかい? 嬉しいけどみんなに悪い気もするなあ」

 

「いいじゃないですか。オジサンさん、頑張りましたから」

 

 若狭の後ろから佐倉も歩いてきた。その隣には丈槍がフォークを持っている。

 

「そうだよ。頑張ったご褒美ってやつだね!」

 

「ご褒美かあ。じゃあ、ありがたく受け取らせていただきますか」

 

 机に料理が並べられる。ミートソーススパゲティは出来たてで、湯気が立っていた。おいしそうだ、オジサンは思う。料理を見ると余計に腹が減ってきた。

 

「みんなの分はある? じゃあ、手を合わせて」

 

 全員に行き渡ったことを確認し、椅子に座った佐倉は掌を合わせた。他の皆も同じようにする。

 

「いただきます」

 

 特別合わせようと意識したわけではなかったが、そう言ったのはほぼ同時だった。そして食べ始める。

 

 そこでは皆が楽しそうで、幸せそうで、この後もこれが続けばいいと願わずにはいられないような光景だ。オジサンはミートソースで口の周りを汚す丈槍を見て笑ったり、本当に美味しそうに食べる直樹を見て笑ったり、何だか笑ってばかりだった。

 

 でも、内心考えていた。

 

 今は、いつまで続くのか。

 

 全てが終わってしまう前に、自分も覚悟を決めなければならない、と。

 

 学園生活部、満腹。

 

 



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たばこ

六巻を読んだ結果、物凄く次巻が読みたくなった。
あの引きは卑怯だ、先が気になる。


 今日も快晴。電気も溜まって良い日になりそうだ。園芸日和、とでも言えるだろうか。外を見てから、私は屋上につながる階段を上っていく。

 

 美紀さんがここに来て数日が経った。まだ正式には入部していないけれど、ほぼ部員と言っても差支えないだろう。ゆきちゃんとも仲良くやっているようだし、今では美紀さんにゆきちゃんの面倒を見てもらうこともある。何だか二人は姉妹のようだ。子供っぽい姉と、しっかり者の妹――。

 

「そう、妹……」

 

 妹。その言葉が私の頭の中を回る。理由は分からないけれど、私の胸が締め付けられるような感覚があった。何もないのに。どこにも、悲しむところなんてないはずなのに。

 

「疲れているのかしら」

 

 多分そうだ。いえ、そうに決まっている。こんなときは楽しいことを考えればいい。例えば美紀さんが入部すること。これは時間の問題だろうから、そうなったら歓迎会でも開こう。サプライズでクラッカーを鳴らしてみるのも面白いかもしれない。

 

 そう考え始めたら、不思議な感覚は消えていった。気のせいだったのだろう。私は一度息を吐いて、屋上への扉を開いた。ギイ、と小さく音が鳴る。隙間から陽の光が差しこんできた。薄く目を開けて扉を開ききる。

 

「……オジサン?」

 

 誰もいないだろうと言う私の予想は覆され、視線の先には手すりに肘を置き、ぼんやりと空を見上げるオジサンがいた。そんな姿は今までにも何度か見たことはあるけれど、いつもと雰囲気が違ったから声をかけるのに戸惑ってしまった。煙草を吸っていて、片手でその箱を持ち上げている。

 

「もう……」

 

 私がどれだけ言ってもオジサンは煙草を止めない。私は少なからずむっとしてオジサンに近づいて行く。オジサンは私が来たことが分かると、視線をこちらに向けて笑った。その笑みは、どこかぎこちないように感じる。

 

「やあ、りーちゃん。どうしたんだい?」

 

「菜園の様子を見に来たんだけど、どうやら不良を見つけてしまったみたいね」

 

「あはは、その不良ってオジサンのことかな」

 

「もちろん」

 

 そう言っても、オジサンは動じていない。表情に変化が見られなかった。困ったなあ、と呟いてまた空を見上げた。やっぱりどこかいつもと違う。何かあったのだろうか?

 

「……ふう」

 

 オジサンは息を吐いた。煙が風に乗って空に消えていく。疲れている、のかもしれない。でも、私にその理由は分からなかった。

 

「どうかしたの?」

 

「え、何で?」

 

「いつもと、様子が違うから」

 

「あ、そう? ……そっか」

 

 私がそう言うと、オジサンは手すりから離れて小さく伸びをした。腰を気にしているように見えるから、まだ快調とはいかないようだ。でも、それが理由という風でもない。

 

 私がそうやって探っていると、オジサンは私に聞こえないくらいの大きさで何かを呟くと、持っていた煙草の箱を見せてきた。中には何も入っていないのか、振っていたが音はしなかった。

 

「……実はさ、この煙草、貰い物なんだよ」

 

「それが、今のオジサンと何か関係しているのかしら?」

 

「関係っていうか、原因かなあ」

 

 オジサンは曖昧に笑った。普段なら見ない笑い方だった。それがまた、私の不安を誘う。

 

「夢、見たんだよね、昔の。まだオジサンが会社に勤めてたころのを。起きた時は全然思い出せなかったんだけど、直樹君に先輩って言われたのが引っ掛かってさ」

 

 オジサンは、美紀さんに先輩と呼ばれてから、彼女のことを直樹君と呼ぶようになった。私たちが何でそう呼ぶのか聞いてみたら、学生のころから先輩と慕ってくれる後輩には君付けで呼んでいたそうで、その名残らしい。ゆきちゃんは、直樹君じゃ可愛くない、と怒っていたけれど。あれは面白かった。

 

 思い出して和んでいた私とは対照的に、オジサンは脱力するように息を吐き、吸った。

 

「で、ずっともやもやしてたんだ。まあ、煙草でも吸えば消えるだろって思ってね。それでこれを見たら、思い出してきちゃってさ。ああ、そう言えばって」

 

「何を思い出したの?」

 

「会社の後輩、だった子って言えばいいのかな……今、無事なのか分からないし。ま、彼のことについてあれこれを思い出したんだよ。自分でも何で忘れてたのかわからないくらいに。いやあ、彼がいればこの状況も何とかしてくれたかもしれないのにねえ。残念、残念」

 

 そう言ってオジサンは笑っていたけれど、小さく鼻をすすった音が聞こえてきた。よく見ると、オジサンの目が赤い。泣いていたように見える。その後輩の人との思い出は、大切なものだったのだろうか。

 

 踏み込んではいけないような気がして、私は深くは聞けなかった。オジサンにも、どうしようもない悩みと言うのがあったのだと思うと、私の胸がちくりと痛んだ。

 

 しばしの沈黙が流れる。爽やかな風が吹き、私の髪が流された。穏やかな陽気だと言うのに、ここだけは暗く見える。私が口を開けずにいると、オジサンは無理矢理と言った風に口を開いた。気を遣わせてしまったらしい。自分を情けなく感じた。

 

「ああー……何だかごめんね。辛気臭い感じでさ。煙草ももう消すよ」

 

「吸ってていいわよ。たまには、ね」

 

 今のオジサンに駄目だと言うのも気が引けた。いつもよりも弱々しく見えて、このまま消えてしまいそうな雰囲気だったから。それで、私は強く出ることが出来なかった。

 

 私の言葉を聞いたオジサンは、小さく頷く。

 

「私はまた後で来るから。戻った時に言ってね?」

 

「……ん」

 

 オジサンは私から視線を外してまた同じように空を見上げ始めた。反応からしてうわの空だった。煙草から煙が立ち上り、ゆらゆらと舞っていた。私はそれを見て心配になったけれど、オジサンにしてあげられることもない。私はまだまだ子供なのだと言うことを気付かされた。私は浮かない顔で屋上を後にした。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 太陽の眩しさに目を細めた。耐えられなくなって視線を下げれば、今も尚変わらずそこにいる奴らが目に入った。獲物を求めて彷徨っているかのようだ。一人一人は大した脅威ではないが、数が多い。厄介な相手だ。オジサンは赤くなった目で、彼、彼女らの様子を見ている。

 

「……」

 

 オジサンは口の中で転がしていた言葉をこぼした。誰にも聞こえずに、それは消えていく。

 

「……ふう」

 

 オジサンは持っていた空の箱を見た。今まで吸っていたものだったが、銘柄は知らなかった。

 

「確か、いつも同じの吸ってるからって、自分のをくれたんだっけ」

 

 小山は気の利く男だった。明るく、気遣いが上手く、過度な遠慮はしない。付き合いやすかった。オジサンが会社に残り続けることが出来たのも、彼の影響が大きかった。

 

「君は今、どこにいるだろう」

 

 視線は保ったまま、小山に話すようにオジサンは続けた。

 

「生きていてくれることを祈るよ。俺は君ほど頼りになる男を知らないから」

 

 そう言うと急に風が強くなり、持っていた箱が手から逃げて飛んで行く。慌てて手を伸ばして取ろうとしたが、風に乗ったそれはそのままどこかに行ってしまった。もう、見えるところにはいない。しばしの間、何が起きたのか分からないようで、手を伸ばした体勢のまま呆然としていたオジサンは、急に笑い始めた。腹を抱えて笑っている。そのせいで腰が痛みを発し、苦笑いに変わった。

 

「い、つつ……はは、頼るなってことかねえ。厳しい男だよ」

 

 ひとしきり笑った後、短くなった煙草の火を消した。そしてそれを校庭に向かって落とした。オジサンはポイ捨てかな、と頭をよぎったが、今回だけは勘弁してくださいと心の中でお願いした。

 

「最後だったし、ちょうどいいのかな、うん。よし、頑張ろうか」

 

 オジサンはすっきりした顔でそう言う。気持ちの整理がついたようだった。

 

「君みたいにスマートにはいかないだろうけどさ、俺は俺なりに何とかやってみるよ」

 

 オジサンは手すりから離れた。そして出口まで歩いていく。その途中、不意に立ち止まった。空き箱が飛んでいった方向を眺めた。

 

「未練がましいなあ、俺」

 

 自分で自分を笑う。視線を戻して、また歩き始めた。

 

 もう立ち止まることはなかった。

 

 オジサンは一人、何を思う。

 

 



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はんかち

「――っ!」

 

 あたしは勢いよく体を起こした。息が上がっていた。震えもあった。それらを深呼吸をして落ち着かせる。陽はまだ上っていなかった。右隣ではゆきがなぜか笑顔で寝ていて、その奥では美紀が規則正しい寝息を立てて寝ている。左隣ではりーさんが鼻提灯を作ってすぴーと寝ていて、その奥ではめぐねえがほっとしたような顔で寝ていた。何かいつも通りで安心した。自然と笑ってしまう。でもすぐに引っ込んだ。

 

「……夢、か」

 

 あの日の記憶はいつまでもあたしを追ってくる。好きだった先輩をこの手で殺した記憶。初めて奴らをシャベルで殺した記憶。忘れようとしても忘れられない。忘れちゃ、いけないんだと思うもの。

 

 夢のショックが落ち着くと、背中が汗で酷いことになっていることに気が付いた。着替えようにも服に余裕はない。このまま寝るのも難しいから、あたしはみんなを起こさないよう静かに立ち上がって廊下に出た。

 

 廊下は綺麗な月明かりに照らされて、結構明るかった。掃除でもされてたら、幻想的な風景にでもなっていたんじゃないかってくらいだ。もしかしたら懐中電灯でもないと危ないかもしれないと思っていたけど、そんなことはなかった。左右を確認してみると、まだ夜中だから誰もいない。当たり前か。少し風に当たったら、すぐに戻って寝直そう。

 

 適当に廊下を歩く。あたしの靴の音だけが響いていた。夜風を浴びながらの散歩は気持ちいい。りーさんにばれたらこっぴどく叱られそうだから、長くは出来ないけど。ゆきはよく怒られてるよなぁ、と思って一人笑ってしまった。子供っぽくて危なっかしい奴だけど、今ではいなくてはならない大事な奴だ。初めて会った時、あたしが先輩を殺してしまったときも、あいつはあたしと一緒に泣いてくれた。悲しんでくれた。それが、あたしは嬉しかった。

 

「ありがとうってのは、今更過ぎて言えないよな」

 

 そうだよな、と自分で頷く。それに、面と向かって言うのも恥ずかしい。仲良くなると逆にやりにくくなることってあると思う、うん。あの時言えればよかったけど、そんな余裕あたしになかった。

 

「……あ」

 

 そこで思い出した。あの時オジサンに貸してもらったハンカチを持ったままだった。いつも持っていたから、いつの間にか自分のものだと勘違いしてたんだ。あたしが涙とか鼻水とかで汚しちゃったから、洗って返すって言ってそのままだった。ポケットに手を突っ込むと、やっぱりそこにはそれがあった。白無地のハンカチ。あたしはそれを目線の高さまで持ち上げて見つめた。

 

「……」

 

 返すタイミング、完全に逃してる。オジサンが何も言わないからだ、とも思うけど、オジサンのことだからこれはあたしにあげたって思ってるか、それとももう忘れてるかもしれない。勝手にもらったものにするのも悪いしどうしよう、と悩んだあたしはとりあえずハンカチを適当に折ってポケットに戻した。トイレの近くまで来ていたから踵を返す。

 

「思い出してそのまま、は気持ち悪いしなぁ……」

 

 今返そうにも時間が時間だ。夜中に行くのは駄目だろう。オジサンが偶然出てきてくれればいいんだけど、そんな都合よくいくわけない。でも早く言った方がいいし、と色々悩んで職員更衣室の近くでうろうろしていた。すると、前触れなく扉が開いた。

 

「……ん? あ、くるみちゃん」

 

「……」

 

「だ、大丈夫かい? 止まっちゃってるけど」

 

「……あ、あたしは大丈夫、全然。何もないって、元気元気」

 

 あまりに都合よくオジサンが出てきたから、ちょっと固まってしまった。不思議そうに私を見るオジサンに、矢継ぎ早に話して自分を落ち着かせる。その時、オジサンが驚いたようにあたしを見たのが少し気になった。

 

「……それならよかった。で、何かあったのかな? ここまで来たってことは、オジサンに会いに来たようにも思えるけど」

 

 オジサンがそう言うのは当たり前だ。職員更衣室の方向には夜中に行く必要のある場所なんてない。トイレはこことは反対方向だ。心配そうに見てくるオジサンに、あたしはポケットからハンカチを取り出して渡した。

 

「ほら、これ返そうと思って。借りたままだったから。さっき思い出してさ」

 

 オジサンはそれが最初何か分からないようで、不思議そうな顔をした。

 

「これは……ああ、あの日の。別に返さなくてもいいよ。オジサン的にはあげたって思ってるからさ」

 

 あたしが考えていたことと同じで、思わず笑みがこぼれる。そんな私を見て、オジサンは不安そうな表情になった。すぐ顔に出るオジサンに、あたしはまた、ちょっと笑ってしまった。

 

「……に、二度笑い……もしかして、変なこと言っちゃった感じかな?」

 

「違う違う。予想通り過ぎてさー」

 

 オジサンは首を傾げた。説明するのも変だし、何でもないと付け加える。

 

「まあいいや。それで、これどうする?」

 

 オジサンはハンカチを持って言う。折り目が付いている以外は、綺麗な状態だ。

 

「ん、ならもらっておこうかな、折角だし」

 

「うん。じゃあ、はい」

 

 オジサンはあたしに笑いかけながらハンカチを渡してくる。受け取りながらあたしはその笑顔を見て、何となく安心して頬が緩んだ。

 

「……また変なこと言っちゃった?」

 

「何もないって」

 

「それならいいんだけど」

 

 オジサンは納得のいってない表情をしていた。でも、あたしが理由を言うのはさすがに恥ずかしい。

 

「じゃあ、あたしは寝るよ。……りーさんにばれないうちに」

 

「ああ、うん。りーちゃん怖いからね……オジサンもすぐ寝よう。おやすみ」

 

 そうしてあたしは来た道を戻る。ふと振り返ってみれば、オジサンと目が合った。そしたら手を振って来た。あたしも振り返す。何となくだけど、下校風景を思い出した。友達と一緒に帰って、分かれ道に来た時と似ているように思えたから。まあ、そんなの気のせいなのはわかってるけど。

 

 だけどあたしは気分が良くなって、でもその気持ちは外に出さず、そろりそろりと部屋に戻った。まだみんな寝てるだろ、なんて軽く考えてたら、扉を開けた先には正座して如何にも怒っています、と言った感じのりーさんとめぐねえがいた。まさかのダブルパンチだ。冷や汗が流れる。もうこれは怒られる流れだった。

 

 やっちまったなぁ、と思いながら、どうしてオジサンが今の時間に起きてきたのか、今になって気になった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 恵飛須沢が部屋に戻ったことを確認したオジサンは、ゆっくりと口を開いた。

 

「直樹君、もう出てきていいんじゃないかい?」

 

 そう言うと、校長室に身を潜めていた直樹が姿を現した。

 

「ばれてましたか」

 

「慌てて隠れようとしたのが見えちゃったからさ」

 

 あはは、と笑うオジサンを見て、直樹はくすっと笑った。

 

「先輩はいつでも変わりませんね」

 

 オジサンは、さっきから笑われてばかりだなあ、と呟いて頭を掻いた。渋い顔はしていないので、それが嫌なわけではないようだった。

 

「直樹君はどうしてここに? と言うか何で隠れたの?」

 

「くるみ先輩が出ていくのが分かったので、少し考えてから後を追ったんですよ。一人での夜間行動は危険ですから。そしたらここに着きました。隠れたのは、その、あのタイミングで見つかるのも気まずかったので……」

 

「なるほどねえ。りーちゃんが起きてたら、かんかんに怒ってるだろうね」

 

「ふふ、でしょうね」

 

 直樹は微笑んで言う。笑顔なのはいいことだけど、もしかしたら次はあなたの番だと言うことを忘れているのでは、とオジサンは思った。だが胸の内だけで留めた。自分だって変わらないのだから。ただ、誰かが言わなければオジサンのことはばれない。オジサンはそのちょっとした希望を見ていた。

 

「そう言えば、先輩は何で起きたんですか?」

 

「うん? あー、トイレに行こうと思ってさ」

 

 この歳になるとトイレが近くなって嫌になるよねえ、と誰に同意を求めるでもなく、上を向いて呟いた。

 

「一人で大丈夫ですか? 腰、まだ治ってないんですよね?」

 

「ん、まあ大丈夫だよ。大分回復したから」

 

 オジサンは腰をさする。実のところは分からないが、直樹はその一言だけでも安心できたようだった。ほっと安堵のため息を吐く。

 

「なら良かったです。早く元気になってくださいね」

 

「もちろん。おっさんパワーをなめちゃいけない。明日には治ってるかもだ」

 

「何ですか、おっさんパワーって」

 

「そりゃあ、あれだよ。よく分からない精神的な力みたいな」

 

「……本当、子供っぽいですよね。ゆき先輩と変わりませんよ」

 

 そう言う直樹は、どこか楽しげな雰囲気を纏っていた。

 

「えー、オジサンもさすがにゆきちゃんよりは大人だと思ってるんだけどなあ」

 

 と言いながら、オジサンは歩き出した。突然歩き出したオジサンに驚きながらも、直樹は並んで歩きだした。トイレの方向だった。直樹は気付いたように声を上げる。

 

「あ、もしかして話が長すぎましたか?」

 

「いやいや。もう夜も遅いから寝たほうがいいと思って」

 

 夜更かしは美容の大敵でしょ、とオジサンはさも分かっている人の様に言う。その姿が似合わなくて、直樹は顔を背けて笑った。前を見ていたオジサンは、気が付いていないようだった。

 

「じゃ、オジサンはトイレに行くから。おやすみ」

 

 部屋の前に来て、オジサンは立ち止まってそう言った。

 

「はい、おやすみなさい」

 

 直樹はオジサンに軽く会釈をして中に入った。中からは一瞬怒っているような声が聞こえて、オジサンは巻き込まれないうちにそそくさとそこを離れた。

 

 オジサンはそのままトイレの方に歩いていく。

 

 そうして、学園生活部の夜は更けていった。

 

 




話しは進展していない。
申し訳ない。

自分で設定しておいて呼び方を書き間違えていた。
何ということでしょう。


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しんぱい

遅くなって申し訳ない。


 朝。学園生活部の面々と直樹は、いつものように生徒会室に集まっていた。そして朝食も終わり、各自今日の仕事をこなそうと動き始める。オジサンと佐倉は食器を洗っていた。恵飛須沢は見回りに、丈槍と若狭は屋上の菜園の様子を見に、それぞれ立ち上がろうとしたとき、それに先んじて直樹が立ち上がった。

 

「聞いてほしいことがあります」

 

 直樹がオジサンたちに助けられてから一週間ほどが経った。直樹はもう部員同然に馴染んでいる。その間、丈槍は入部の時を今か今かと待っていたし、恵飛須沢は気にしていないようで気にしていて、若狭も入部することに期待していた。佐倉に至っては焦らされ過ぎて疲れていて、オジサンはそろそろかなあ、とのん気に考えていた時だ。

 

 だから皆、直樹のこの言葉の次にくるのは入部に関することだろう、と当たりを付けていた。若狭はスカートのポケットを上から触って、入っている物を確認した。

 

「実は、学園生活部に正式に入部したいと思っています。……いいでしょうか?」

 

 やや不安そうに、直樹は言った。その一言で、他の皆は笑顔になった。丈槍は勢いよく椅子から立ち上がって、直樹に近づいて彼女の手を取った。いきなりのことに直樹は驚き、顔を赤らめる。

 

「ゆ、ゆき先輩!?」

 

「よくないわけないよ! 反対する人がいたらわたしがやっつけちゃうよ!」

 

 そう言うと丈槍は振り返って若狭たちの方をみて、カンフーのような動きをした。口でふしゃー、と鳴き声のようなものを出している。どう見ても弱そうだ。恵飛須沢のチョップ一発でKOに違いない。

 

「するわけねえだろ? それに、もう部員みたいなもんだったしな」

 

 恵飛須沢は丈槍を呆れたように見て、そして直樹に視線を動かし笑って言った。

 

「そうよ。手伝ってもらったことだってたくさんあるもの」

 

 恵飛須沢と若狭の言葉に、直樹ははい、と言って頷く。その顔は満面の笑みであった。

 少し離れたところで食器を洗っていたオジサンにも、笑い声が届く。楽しそうで、幸せそうで。オジサンは自然と頬が緩んだ。横目で少し様子を窺えば、直樹のすぐ近くに丈槍が椅子を移動させて、近い距離で何かを話していた。丈槍は楽しそうだったが、直樹は面食らっている様子である。他の二人はその様子を保護者の様に見守っていた。

 

「うんうん。これでやっと新入部員を迎えることが出来るなあ。……あれ、佐倉先生?」

 

 オジサンは横で食器を洗っている佐倉に声をかけた。しかし反応がない。視線を向けてみると、どこか燃え尽きたボクサーのような雰囲気を醸し出し、俯いている佐倉の姿がそこにあった。手元の食器を落として割ってしまいそうだと思って少しの間見ていると、案の定手から食器が離れた。オジサンはすかさず手を伸ばし割れるのは回避できたが、一体どうしたのだろうか。

 

「さ、佐倉先生?」

 

 もう一度声をかけると、驚いたように肩を揺らして顔を上げた。

 

「あ、すみません……やっと部員が増えたと思うと……その、涙が出そうになっちゃって……」

 

 ふふ、と佐倉は泡を洗い流した手で目元を拭って微笑む。綺麗な笑みだった。

 

「一番楽しみにしてたの、佐倉先生だもんねえ。良かった、良かった」

 

 そんな様子を見て、直樹はほっと息を吐き椅子に座った。

 

「でも何で今なのかしら? もっと早く入部してくれてもよかったのよ?」

 

 若狭がそう聞くと、佐倉はぴたっと手を止め分かりやすく反応した。大変気になるようだ。聞き耳を立てていた。直樹はそれを気にした様子もなく、ああ、それは、と話し始めた。

 

「先輩の腰が治ってから言おうと思っていたんですよ」

 

 そこで自分が出て来るとは思っていなかったオジサンは、水を止めてタオルで手をふき直樹を見た。

 

「気にしてたのかい?」

 

 オジサンの問いかけに、直樹は一つ頷いた。

 

「当たり前です。私のせいで悪化させてしまったんですから」

 

「あれは仕方ないさ。オジサン、ヒーロー志望だし」

 

「ヒーロー?」

 

 オジサンの言葉に直樹は首を傾げた。若狭も同じようにどういう意味か分からないようだったし、隣にいた佐倉も不思議そうな目でオジサンを見た。丈槍は「おお!」と何だか楽しそうに声を上げた。恵飛須沢は見当がついたのか、呆れたような視線をオジサンに送るが、その表情は穏やかなものだった。

 オジサンは微妙な空気になったのを察したのか、苦笑した。

 

「深い意味はないって。ただ、子供の頃からヒーローに憧れてたってだけだよ。困っている人がいたら助けたいと思うぐらい、普通でしょ?」

 

「だから、私を助けたんですか?」

 

「うん、まあ、そう言うことかな」

 

 少しの沈黙が下りる。

 

「……また誰かが危険な目に遭っていたら、自分の身を顧みずに他人を助けようとするんですか?」

 

 直樹は語調を強めてオジサンに問いかけた。

 

「ど、どうしたの、みーくん? なんだか怖いよ?」

 

 すぐ近くにいた丈槍が、直樹の腕を掴んだ。少し震えていた。直樹はそんな丈槍を気にした様子もなく、オジサンを真っ直ぐ見ている。

 

「大事なことなんです」

 

「美紀さん?」

 

 質問の意図が分からず、オジサンは直樹の勢いに押されたじろぐ。

 

「た、多分、助けようとするかな」

 

「自分が死んでしまうかもしれないんですよ?」

 

「……そうだねえ」

 

 オジサンは息を吐いた。片手で頭を掻く。色々考えて、考えて、答えを探す。数秒考えて、自分を笑った。考えるまでもなかったのだ。

 

「うん、助けるよ」

 

 オジサンの口をついたのは、考えるまでもなく最初から思っていたことだったのだから。

 

「なんで……!」

 

 直樹は俯いてしまった。肩が震えている。

 

「テレビの中のヒーローに憧れたっていうのもあるけど……人ってさ、誰かを助けて、助けられて。情けは人の為ならず、って言葉もあるくらいだし、そう言うのが大事だと思うんだ。今は状況が状況だから、難しいのは分かるけど。それでも、出来る限りはね」

 

 子供っぽいかなあ。オジサンは恥ずかしげに言う。それを聞いた直樹は、そこに留まることが出来なくなって。そして。

 

「――っ!」

 

「みーくんっ!」

 

 丈槍の手を振り払って、生徒会室から出て行ってしまった。残された皆は、深刻そうな表情だ。

 

「なんであんなにムキになっていたのかしら?」

 

 若狭は率直な疑問を口にする。

 

「オジサン、何か言っちゃいけないこと言っちゃったかな……」

 

 オジサンは肩を落とし、ため息を吐いた。

 

「……私は、何となくわかる気がします」

 

「めぐねえ?」

 

 佐倉は話し声のなくなった室内で、一人声を上げた。次いでオジサンに視線を移した。目が合ったオジサンは、いつになく意思のこもった瞳に射抜かれる。

 

「美紀さんは、オジサンさんが心配なんですよ」

 

「心配?」

 

「はい。自分を一番大事にして欲しいんだと思います。助けられたからこそ、その気持ちが強いじゃないでしょうか」

 

 それを聞くと、若狭と恵飛須沢も頷く。

 

「そりゃわかるけどさ。ま、あたしたちより過ごした時間が短いから仕方ないな」

 

「そうね。もしオジサンが危険なことに首を突っ込むようだったら、無理矢理止めるか、一緒に行くわよ。いまさら言うことじゃないもの」

 

 二人は顔を合わせて笑った。

 

「わたしたちには当たり前だったけど、みーくんにとっては違ったってこと?」

 

「そう言うことね、ゆきちゃん」

 

 オジサンはこそばゆいものを感じた。自分を大事に思ってくれているのが伝わってきて、胸の奥が熱くなる。

 

「……ん。ありがとう」

 

 辛うじて、そう言うのが精一杯だった。

 このままここにいると危ないと思ったオジサンは、すたすたと扉まで歩いて行った。

 

「オジサン?」

 

「直樹君を探しに行ってくるよ」

 

 それだけ言うと、オジサンは振り返りもせず生徒会室を出た。何時になく機敏な動きである。

 

「オジサン、どうしたんだろ?」

 

「泣いてるとこは見られたくなかったんだろうなぁ」

 

「涙もろいものね」

 

「それじゃあ、私たちは美紀さんの歓迎会の準備をしましょう?」

 

 佐倉の言葉に否を唱えるものはいなかった。いつ帰って来るかは分からないので、出来るだけ早く飾りつけをしてしまおうと、皆がてきぱきと動き始める。

 そんな中、若狭は気付いたようにポケットからクラッカーを取り出す。先ほど使うつもりだったのだが、タイミングを逸してしまってそのままだったのである。若狭はそれを机に置くと、また室内の飾りつけを始めた。

 

 学園生活部、今日は華やかに。

 

 



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こうかい

お久しぶりです。


 廊下に出てみたものの、オジサンには直樹がどこに行ったかなど分かりようもなかった。とは言え戻るわけにもいかない。オジサンは新鮮とは言い難い朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、自分を落ち着かせた。目尻に溜まっていたものを手の甲で拭う。

 とりあえず歩き始める。

 目についた扉から手当たり次第に開けるが、直樹の姿はない。この階にはいないのだろうか。オジサンは階段に着いてそう思った。だとすれば上か下か。

 

「屋上、だといいんだけどねえ……あそこ、落ち着けるし、何か話すのには最適だからなあ」

 

 ぽつりと呟き、階段を上り始めた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 屋上に出ると、眩しくも心地のいい陽の光が降り注ぐ。オジサンは目を細め、直樹の姿を探す。菜園の奥まで行くが、直樹は見つからない。

 

「いない、か……」

 

 ため息を一つ吐き、踵を返した時、その視線は一点に集中した。

 

「……直樹君」

 

 直樹は扉のすぐ近くで座っていたのだ。彼女はオジサンの言葉に反応することもなく、体育座りをして俯いている。顔を上げてくれない直樹に、オジサンはどうしたものかと考えて、

 

「ああ……その、ごめん、直樹君」

 

 オジサンは頭を下げた。

 直樹はそんなオジサンに対し、顔を上げた。その表情は暗い。

 

「何で、謝るんですかっ」

 

「女の子泣かせちゃったってことだから、男として謝らなくちゃなあと思ったんだけど……」

 

「……っ」

 

 直樹は何も言わない。オジサンは自分が失敗してしまったのだろうか、と気が気ではなかった。何か言ったほうがいいのだろうけど、言葉が浮かばない。二人の間に静かな時間が過ぎる。

 

「……私は」

 

 そんな中、直樹が重い口を開いた。

 

「私は、皆さんに感謝しています」

 

 直樹はオジサンの目を見て、そうはっきりと口にした。

 

「私は皆さんに助けてもらいました。あの時来てくれなかったら、きっと今、ここでこうして生きていられないと思います」

 

 オジサンは何も言えなかった。

 

「でも……」

 

 直樹の瞳から涙がこぼれる。

 

「もっと……もっと早く来てほしかった……そしたら……きっと……っ!」

 

「……え?」

 

 オジサンの口から出たのは、そんな間の抜けた声だった。

 直樹はまた俯き、その表情は伺い知れない。

 オジサンはどうしたらいいのか分からなかった。

 直樹は言った。感謝していると。

 直樹は言った。もっと早く来てほしかったと。

 オジサンは、自分が何か大きな失敗をしてしまったのだと、そう感じて、手を力いっぱい握りしめた。

 

「……我が儘が過ぎますね……助けてもらったのに、こんなこと……」

 

「全然、そんなことはないよ」

 

「……ありがとうございます」

 

「理由を聞いてもいい、かな。その、きっと、の続き。言いたくなかったらいいんだけどさ」

 

 オジサンは暗くなってしまった空気を吹き飛ばそうと、努めて明るい声音で話す。

 

「……私には、友達がいました。こんなことになってしまってからも、ずっと一緒にいた友達が……でも……ある時、友達は私を置いて出て行ってしまいました……余裕が出てきた今になって、思ってしまうんです」

 

「そのお友達も、助けられたかもしれない……」

 

 直樹はゆっくりと頷いた。

 

「ここは電気も水道も生きてて、お風呂まで入れて……一度考えてしまったら止まらないんですよっ! もしかしたらここで一緒に過ごせたかもしれないって! 笑いあえたかもしれないって! そうやって……どうしても消えないんです! こんなこと、考えたって無駄だって分かってるのに!」 

 

 堰を切ったように次々と出て来る心の叫び。

 オジサンは黙って聞いていた。

 

「先輩が、みんなが、頼れる人だってわかればわかるほど、この気持ちは消えてくれないんですっ! 私は、自分が情けなくて……っ」

 

 そこでオジサンは自分が言った言葉を思い起こした。

 ヒーロー志望で、出来る限り助けたい。

 こんな身近な人も助けられていないのに、自分は何を言っていたのだろう。

 オジサンはただ悔しかった。

 

「直樹君」

 

「……はい」

 

「そうやって考えるのはね、当たり前のことだと思う。それが正しいんだよ」

 

「え?」

 

「こういうこと言うと、何て言うか、怒るかもしれないけどさ。子供っていうのは大人に頼るものなんだ。オジサンだって子供の頃は大人の世話になったりしてたしね。で、こうやって大人になって、その時世話になった分を子供たちにお返しする。そうやって、どうにかこうにかうまいこと回っているんだと思うんだ」

 

 話しながらオジサンは直樹の隣に腰を下ろした。

 

「だからね、自分を責める必要なんてないんだ。責められるのはオジサンの方だよ。殴られてもまだ足りないくらいにね。……簡単に助けるとか言ってごめん。直樹君の気持ちなんて何もわかってなかった」

 

「あ、謝らないでください!」

 

「でも」

 

「い、いいんです、本当に。オジサンに話したら、少しすっきりしましたから」

 

 そこでようやく、直樹は小さな笑みを見せた。

 

「そっか」

 

 オジサンはほっと息を吐く。

 

「うん、なら安心した」

 

 不意に直樹が立ち上がった。オジサンもつられて立ち上がる。

 

「戻るかい?」

 

「はい。戻って、お騒がせしたことを謝ります」

 

 そう言う直樹の表情は、先ほどまでとは全く違う、綺麗な表情だった。泣いていたから、目は赤くなってしまっているけれど。

 

「オジサンも一緒に謝るよ」

 

 そうして、二人は屋上を出ていく。

 少しして、彼らをクラッカーの音が迎えた。

 

 

 

 新学園生活部、今日から始まり。

 



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