ただ一言、”美味しい”と (こいし)
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遠月学園編入編
一話


 薙切えりな

 

 彼女の名前は、最早全国料理界において――特に日本の料理人ならば誰もが知っている。

 日本に存在する"遠月"という、料理界においても有数のブランドのついた学校、通称遠月学園。その総帥を務めている日本料理界の首領、薙切仙佐衛門の孫娘であることもそうなのだが、彼女の神髄はそこではない。

 

 彼女の持つ凄まじさは、最早神の領域とすら呼ばれる程の鋭い賞味感覚――"神の舌"を持っていること。

 

 スプーン一匙分味わえば十分。その料理に使われている調味料の量、食材の生産地、使われた技法、焼いたり蒸したり煮たりした時間、ありとあらゆる情報をその味覚で感じ取ることが出来るのだ。故に、彼女は生まれた瞬間からこの料理界においては人間国宝とでもいうべき資質を持った存在となった。

 

 生まれて初めて離乳食を食べた時、彼女はその鋭い味覚から不味いと一蹴した。そして彼女が食べられる最高の離乳食を創るべく、有名な料理人が死にもの狂いで腕を振るったそうだ。

 それでも、彼女が美味しいということはなかった。天才と呼ばれた料理人たちが死にもの狂いで作った離乳食ですら、彼女は『まぁまぁ』としか言わなかったのである。それは、この出来事をきっかけに料理を止めてしまったものさえいる程の衝撃だった。

 

 それから彼女は物心付いた頃よりその味覚を買われ、様々な有名料理店や企業の味見役となった。卓越した味覚は成長するにつれて更に鋭くなり、料理の知識や技術を蓄えていけばいくほど、料理人として完成に近づいていくほど、料理に隠された情報を隅々まで暴き出す。

 不味いかそうでないかしか言えなかった赤ん坊時代とは違って、小学生程の年齢になれば何がダメで何が上手くいってなくて何を間違えていて、どう不味いのかがハッキリと説明出来るようになったのだ。

 

 最早その頃になれば、彼女の評価によってその後の料理界における運命が決まると言われる程だった。

 

 薙切えりなは天才であり、天才以上の鬼才である。家では重宝され、彼女は幼いながらも世界にとって価値のある人間として世界中から目を集めた。

 だが、そうやって育てられれば性格も高飛車で少し傲慢なように育つのも無理はなかった。

 自身の味覚と同世代では最早敵無しと言わんばかりの料理技術。彼女のプライドは圧し折られることなく増長し、格式高い家柄と自身に向けられる畏怖の視線、大人ですら頭の上がらない自分の価値。彼女の絶対の自信を揺るがすことのない環境が、そうさせたのだろう。

 

 だからだろう。彼女には料理と向き合っている時間以外で、まともに話せる友人はいなかった。

 

 一応、家の計らいで彼女の秘書はいる。同世代で、新戸緋紗子という名前の少女だ。

 えりなとしても、普段から一緒にいてくれる存在として彼女には心を開いている。だが、緋紗子からはそうではなかった。

 秘書であるという立場からか、緋紗子という少女はえりなに対して必要以上に仲良くなろうとはしなかった。絶対の線引き。秘書であり、自分にそれ程自信がなかった緋紗子からすれば、えりなと仲良くするということが恐れ多かったのだろう。

 

 えりなは料理と関わっていない時間の孤独感が嫌いだった。だから緋紗子に頼んで、味見役の仕事を増やそうとする。無論えりなに対する期待度は高い故に、その願いはすぐに受け入れられ、毎日毎日多くの料理を味見しては人の心を折っていくようになる。

 だが所詮は小学生の身体。それだけのハードなスケジュールをこなして、疲れが溜まらない訳もない。

 

 ある時、彼女は疲労で熱を出し、普通の子供らしく寝込んでしまったのである。

 

 

 ◇

 

 

「……ヒマ」

 

 だだっ広い部屋の中、大きなベッドで寝っ転がる女子小学生薙切えりなは、ぽつりと呟いた。

 ベッドの脇には椅子に座って看病をする緋紗子の姿もあるが、もうあらかた看病に必要なことはしてしまったので、居心地悪そうに座っているだけだ。背筋を伸ばしてはいるが、自信無さげに困ったような顔をしていた。

 天井を眺めるえりなの熱はもう大分下がり、頭痛などの症状もなければ食欲だって回復している。こうなってくると、完全に治るまで寝ていなさいと言われても動き回りたくなるお年頃だ。

 

 なんといっても彼女はまだ、小学生なのである。

 

「……ねぇ緋紗子」

「はい、なんですか?」

「……なんでもない」

「あ……」

 

 緋紗子とお話でもして気を紛らわそうとしたのだろう。えりなは緋紗子の方へと顔を向けて話し掛けたが、丁寧な敬語に加えて困ったような表情をする緋紗子に、そんな気も失せてしまった。

 ぷいっと顔を背けるえりなに、緋紗子はしまったと思いながら更に肩を落として縮こまってしまう。

 

「そ、そうですね。では何か暇を潰せるものをお持ちします!」

「え? あ、緋紗子……」

 

 すると名誉挽回といったように、緋紗子は無理矢理テンションを上げてそう言うと、胸の前でぐっとガッツポーズする。そのままえりなの止める間もなく、彼女は部屋を慌てて出ていった。

 それがえりなには自分と一緒に居たくなかったというように見えたのだろう。唇を尖らせて、ぷりぷりと不貞腐れる。掛布団を頭から被るようにして、彼女はもぞもぞと布団の芋虫と化してしまった。

 

「(……普通に友達として一緒にいてくれればいいのに)」

 

 緋紗子のことが嫌いになったわけじゃない。寧ろえりなにとって緋紗子は数少ない好意を持てる人間だ。だからこそ、彼女は緋紗子に秘書ではなく友人としての関係を求めた。

 なのにお互いの距離は一向に縮まらないままだ。小学生ながら料理についてしか見てこなかった彼女は、その高飛車さも相まって素直な気持ちを言葉に出来ず、友達をどう作っていいかわからない。料理なら最高の物が作れるのに、友人関係についてはからっきしのえりなお嬢様である。

 

 だが、そんな彼女の前にとある転機が訪れる。

 

 キィ、という扉を開く音が聞こえた。緋紗子が帰って来たのかと思ったえりなだったが、布団から顔を出して見た先に居たのは、思っていたのとは全く違う人物だった。

 そこには、少年がいた。自分と同じ位の年で、既に大人の仕事や業界を経験して来ているえりなと違い、純粋であどけなさの残った子供らしい少年だ。

 黒い髪に綺麗な金色の瞳、顔立ちも整っており、きょとんとこっちを見ている表情からどこか黒猫っぽいなと思ったえりな。だが次の瞬間には、何故此処に少年が居るのだろうかという疑問が浮かんでくる。

 

「貴方……誰?」

「あ、うん……僕は黒瀬恋(くろせ れん)、道に迷っちゃって……」

「くろせれん? ふーん……じゃあなんで此処に来たの? 親の用事に付いてきたとか?」

「そう、僕の家料理店なんだ。僕料理のことはよく分からないけど、家で一人になっちゃうからって連れてこられたんだ……でも途中ではぐれちゃって、迷ってたら君がいた」

「そうなの……」

 

 えりなは突然現れた少年に対して、少し興味が湧いた。病気で弱気になっていたわけではないだろうが、緋紗子との関係に対する鬱憤や普段のストレスを発散したかったのだろう。ともかく今は話し相手が欲しかったのだ。

 だから、彼女は恋という少年を自分の近くに呼んだ。

 

「それじゃあ恋君。私今暇なの……ちょっとお話しましょう? 後で戻ってくる子に貴方のお父さんとお母さんの所へ案内させるから、それまで」

「ホント? 分かった、良いよ」

 

 恋は緋紗子の座っていた椅子に座り、えりなと顔を合わせる。

 お互い顔立ちが整っているからだろうか、それとも小学生ながらに可愛い、格好いい異性にちょっと意識してしまったからだろうか、どう会話していいのか分からないという気まずい空気が流れた。

 

 えりなは自分から誘っておいてなんだが、何か話しなさいよと内心この気まずさを少年のせいにしていた。友人がいなかった彼女からすれば、こんなときどう接していいのか分からないのである。

 だが、そんな彼女の心を悟ってか、最初に言葉を発したのは恋の方だった。

 

「とりあえず、君の名前は?」

「あ、ごめんなさい。私は薙切えりなっていうの、よろしくね」

「うん、よろしく!」

 

 その時、えりなはとても純粋に笑う恋の笑顔にちょっとだけ見惚れた。今までこんな風に笑いかけてくる同年代の子供は初めてだったからだ。しかも、近くで見ると改めて彼の瞳は綺麗だった。

 黒い艶のある髪に、金色の瞳、どこか猫の様な奔放さがあって、笑顔がとても可愛い少年。だからだろうか、えりなも何だか少し、素直になれた。

 

「……あのね、私友達がいないの」

「そうなの? なら僕が友達第一号だね」

「え、いいの? 私自分で言うのもなんだけど結構面倒くさいよ?」

「じゃあ面倒くさくなったら面倒くさいって言うね」

「それ結構酷くない? 友達なのに」

「そんなもんだよ、友達って」

 

 ケラケラとおかしそうに笑う恋に、自然とえりなも笑顔がこぼれた。病気なんてなかったかのように、なんだか心が温かかった。家族に抱き締められた時に似ているけれど、少し違う。

 家族は最初からある絆であり、無条件で自身を愛してくれる存在だった。けれど、彼は家族でもなければ初めから居たわけでもない。偶然彼と出会い、えりな自身が彼に歩み寄って手に入れた絆なのだ。

 

 だから、家族は違う。人はこれを友情と呼んだりするのだろう。

 

 それからしばらく、えりなと恋は色んなことを話した。主にえりなの話を恋が聞く形であったが、料理店の息子ということもあって、えりなのする様々な料理の話にも嫌な顔一つせずに相槌を打っている。

 あの店の料理はまぁまぁ良かっただとか、あの店の店員が可笑しかっただとか、この前新作の料理を作って褒められただとか、ほぼほぼ料理のことばかり話していくえりな。本当に料理が好きなんだなと、子供ながらに恋はそう思う。

 

 すると、聞き手に回っていた恋のことが気になったのだろう。えりなは自分のことを話すのを止め、ふとこんな問い掛けがした。

 

「恋君は料理はしないの?」

 

 その質問に対し、恋は苦笑しながら指で頬を掻く。

 

「うーん……前に一度料理をやってみたことはあるんだけど……僕、料理の才能がないみたい。良く分からないけど、生まれつき味覚障害? っていうやつらしくて、何を食べても味が薄く感じちゃうんだよね……」

「え……」

 

 それは、えりなにとっては衝撃だった。生まれつき鋭い味覚を持った彼女とは真逆、生まれつき欠陥を抱えた味覚を持った恋。えりなにとって美味しいと感じられるもの、まぁまぁと感じられるもの、不味いと感じられるもの、感想は多々あるが、恋にはそれが分からないというのだ。

 

 美味しいものを美味しいと感じられず、不味いものを不味いと感じられない。

 

 それは、えりなにとって想像を絶する絶望だった。自分の料理人としての価値が神懸った味覚にあると理解している彼女は、目の前の恋が信じられなかった。

 しかも、そんな彼の前で料理の話をいっぱいしてしまったのだ。美味しかった、不味かった、そんな感想を聞いていた彼の気持ちはどうだっただろうか。理解したくても理解出来ない、想像すら難しい話をされて、どう思われただろうか。

 えりなは顔を真っ青にして、俯いてしまった。

 

 しかし、そんなえりなの頭をぽんと撫でる小さな手がある。

 

「!」

「気にしないで。確かに味は良く分からないけど、全く感じられない訳じゃないし……治る可能性だってゼロじゃないってお母さんが言ってたから」

「でも……」

「君が話してくれた料理、きっと想像も付かないほど美味しいんだろうね……それは君の顔を見てたら分かるよ。きっと、料理って楽しいんだよね」

 

 恋は慰めるようにしてえりなの頭を撫でながらそう言う。料理が出来ない訳じゃない――作った料理がおいしいと感じられないから才能がないという判断になるのだ。自信を持って出した料理をおいしいと言ってもらえる、それはきっと料理人が料理人だからこそ得られる幸福。

 しかしその料理人になれない恋には、けして得られない幸福だ。なにせ、その美味しいを自分は共有出来ないのだから。

 

 だが恋は、料理が楽しいことを知った。えりながとても楽しそうに話してくれたから、恋は料理が楽しいことを理解出来た。たとえ自分が美味しいと感じられなくても、彼女は美味しいと感じられるだろう。

 

「ねぇ、僕に料理を教えてくれないかな?」

「え?」

「僕は味は分からないけど……でも、君は美味しいものを美味しいって思える。だから、僕の料理で君に美味しいって言ってもらえればいいな」

 

 恋はえりなの話を聞いて思ったのだ。この子は本当に料理が好きなんだなと。そして、とても幸せそうに料理のことを話すえりなの顔は、とても眩しかった。

 こんな風に人を幸せに出来る料理を作る料理人。素直に凄いと思ったし、その顔を見てるとこっちまでなんだか幸せな気持ちになれた。

 

 だから恋は自分もそうなりたいと思った。人と人とを繋げる料理を作ってみたいと思った。

 

 いや、そんな難しくはないだろう。もっと簡単に、シンプルに、単純に、

 

「僕は、君が美味しいと笑ってくれる料理が作りたい」

 

 恋はえりなに、心から"美味しい"と笑ってくれる料理を作ってみたいと思ったのだ。

 

 



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二話

 私には幼馴染が居る。

 といっても、もう簡単に会えるような場所にはいないし、私としても彼に会えるとは思っていない。私と彼とは、もうお互いに手の届かない程に、立っている場所が変わってしまったからだ。

 

 ――いや違う、私が彼に会えなくなったのは……私のせいね

 

 彼に出会ったのは、私が小学生の時。偶然に屋敷に迷い込んだ彼と出会い、そして友達になった。思えば彼が私の初めての友達で、初めて話す男の子で、初めて料理を教えた人になる。

 あれから数年。中学校を卒業する今日この時も、私は彼のことを鮮明に覚えている。

 多分緋紗子も彼のことは覚えているだろう。私が彼に料理を教えているとき、彼女も一緒になって彼に世話を焼いていたから。

 そういえば彼に料理を教え始めてからかしら。緋紗子も段々と私に歩み寄ってくれるようになったのは。まぁ、それでも秘書としての意識は変わらないみたいで、まだ友人と呼べるほど心置きなく過ごせるような仲ではないのだけれど。

 

 あの日、彼――黒瀬恋君に料理を作って貰ったあの日、私は彼に料理の才能が全くないことを理解した。

 初めは一緒に作っていて、初心者らしい手際の悪さがあるのは仕方がないと思った。それでも一生懸命に作ろうと頑張っている姿には好感が持てたから、今はこれでも良いとも思った。これから上達すればいいのだから。

 数ヵ月間、そう思いながら少しずつ手馴れていく彼に料理を教え続けた。

 

 でも、彼が作り上げたのは私の味覚でなくとも酷いと感じられる料理。

 

 焼き加減や調味料の量、種類、下拵えの質、調理の過程で簡単なミスをすることは多々あること。まして初心者ならばミスをして当然だと言える。

 けれど、私や緋紗子が見ている前で彼はその簡単なミスを盛大なミスへと変えたのだ。

 幸い彼は器用な方で、教えれば食材を切ったり焼いたりといった作業は比較的上手にやり遂げることが出来た。だから失敗したのは味付けの工程。

 

 彼は味付けで使う調味料やソース、出汁といったものを、おおよそ考えられない量で使用したのだ。

 味覚障害によって感じる味の刺激が希薄な彼は、凄まじく濃い味付けによる強烈な刺激でないと、まともに味を感じられない。だからこそ起こったミスだと思う。

 彼は料理人として最悪のハンデを抱えて生まれてきてしまったのだ。

 

 しかし、それだけならまだ良かった。私と彼が疎遠になってしまったのは、彼に料理の才能がなかったからではない。

 

 ――私が彼に、()を吐いてしまったからだ。

 

 一生懸命に作る姿から分かっていた。私に美味しいと言って欲しいと、彼が本気で思っていることは。

 だからだろう。当時多くの料理人達が自分の腕を試す、もしくは腕を上げるといった理由で多くの料理を私に披露してきた。でも、私の為だけに料理を作ってくれるというのは、あの頃の私にとって新鮮でとても嬉しいことだったのだ。

 

 彼は本気で、心の底から私が幸せになれる料理を目指していた。神の舌を持っていると言っても、その意志が変わらなかったことからその本気度が分かる。

 到底無理な話だということは、きっと彼も分かっていただろう。何せ、数多くの料理人達の中で私に美味しいと言わせた者の数は、両手で数えるだけで事足りる程なのだから。

 初心者の彼が作る料理で、私が美味しいと思えるはずがなかった。

 

 でも、私は彼の料理を食べて無理矢理に笑顔を作った。そして言ってしまったのだ。

 

『うん……美味しい、よ……?』

 

 あの時の彼の表情は今でも忘れられない。数々の料理人は、私が不味いと言えば絶望したような表情を見せた。その顔は見慣れたもので、最初は不味いと言うことを躊躇っていたけれど、当時の私の時点で不味いと評することに躊躇うことはなくなっていた。

 なのに、あの時の彼の絶望したような表情はひどかった。金色の瞳を見開いて、生気の抜けた様な表情。死んでしまったのではないかと一瞬思ってしまったくらいだった。

 

 あの時彼は最初から分かっていたのだ――私が不味いと思うことを。

 

 それでも数ヶ月程週に何度か私から料理を習い、必死に努力してきた彼に対して私は嘘を吐いた。吐いてはいけない嘘を吐いた。

 不味いことが分かっていてもそれを私に出してきた彼の気持ちは、どんな気持ちだっただろう。自分の抱えたハンデと向き合って懸命に努力し続けた彼は、それでも私から美味しいというたった一言を本気で引き出そうとしていた。

 

 ならば私は彼に、軽々しく美味しいなんて言ってはいけなかった。

 素直に不味いと言ってあげればよかったのだ。いつも通り、多くの料理人達と同じように、不味いと素直に判断してあげればよかったのだ。

 私自身、知っていたはずだ。無理矢理作った笑顔で、自分でも不味いと分かっている料理を美味しいと言われる悔しさは。そんな気遣いが、料理人にとって最も屈辱であることを。

 

 "美味しい"と言うことで、私は彼から料理を奪い取ってしまった。

 

 あの瞬間、彼は部屋を飛び出していき、以降私の前に姿を現すことはなかった。私から会いに行っても、会えることは終ぞ一度もなかった。

 きっと、彼はもう二度と料理をすることはないだろう。私が料理をすることの楽しさを粉々に壊してしまったから。

 

「――卒業生代表、薙切えりな」

「はい」

 

 あれから数年、遠月学園に入ってエスカレーター式のこの学園で過ごした。中等部では主席で卒業することが出来、今日も代表として挨拶をする。

 壇上に上がり、代表挨拶として定型文を読み上げながら私は思う。彼は一体どうしているだろうか。

 

 私の初めての友人――黒瀬恋君。

 

 彼が初めての友人で、そして唯一の友人。彼以外に、私と友達になった人間はいない。やはり早々友人の出来るような環境ではなかったらしい。あの偶然は、本当に運命的な出会いだったのだと、今更ながら思ってしまう。

 まぁ、もう彼は私のことを友人とは思っていないかもしれないけど。そう思うと泣きそうになるから希望は捨てないでおこうと思う。

 

 いつか彼と再会したら、まずは謝ろうと思っている。そして、今度こそ教えてあげたい。料理は楽しいものなんだということを。今度は私の料理で、彼に美味しいという感覚を感じさせてあげたい。

 

「――以上、卒業生代表薙切えりな」

 

 挨拶を終えて壇上から降りる。この後も仕事が入っている。味見役の仕事だけれど、今日は遠月学園に高等部から入る編入試験の日だ。私はその審査員を任されている。ちょっと面倒だと思っているのは内緒だ。

 式を終え、歩く私の後ろから緋紗子が近づいてくる。今日のスケジュール確認だろうけど、朝にも言われたから大体覚えているのよね。だから伝達というよりも再確認の意味が強い。

 

「この後は編入試験の審査員役として高等部校舎へお願いします」

 

 予定通り、この後は編入試験。面倒ね。でも仕事は仕事、私は薙切えりなとして相応しい態度でもって臨まないといけない。とはいえ、捨石になるような凡人は必要ないけどね。

 今年の編入生は何人になるかしら――ひょっとしたら、ゼロもあり得るかもね。何せ私が担当なんだから。

 

「そう、それじゃあ行きましょうか」

 

 周囲の視線を受け止めながら、私は高等部の校舎へと向かう。

 

 そして、その会場で私は――運命の出会いをやり直すことになる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 遠月学園高等部校舎内、その調理場の一室に多くの編入試験受験者達がちらほらと集まってきていた。

 審査員である薙切えりなの到着はまだだが、時間的にもまだ余裕がある。こんな時間に此処にいる人間は、余程自信があるのか、それとも真面目なのかのどちらかだろう。

 この編入試験を受ける人間は皆、有名料理店のサラブレッド。所謂血筋的にエリートな人間が多い。つまり、この学園についてもある程度の知識がある。腕に自信がある者ばかりだろうが、それでも遠月学園の敷居が低くないことはしっかりと理解しているだろう。

 ピリッと張りつめた空気は、空間内に特有の緊張感を齎していた。

 

 その中で、艶のある黒髪に金色の瞳を持った少年が一人。自分の調理道具の入ったケースを手に、壁に寄り掛かりながら集中していた。実の所、一番最初にやってきた受験生が彼である。

 彼の名前は黒瀬恋――薙切えりなの、唯一の友人である。

 

「(……なんというか、今日は調子が良いな。何か良いことでもあるかもしれないな)」

 

 フ、と笑いながらそんなことを考える。

 思い浮かべるのは、幼い頃の記憶。忘れもしない、薙切えりなとの思い出だ。

 不味いとすら言ってもらえなかったあの日。彼は料理から逃げたのではない――薙切えりなに気を遣われた屈辱と自分への怒りに堪え切れなかっただけだ。

 

 料理は好きだ。あれから彼は、一度だって料理を嫌いになったことなどない。無論、味覚障害は多少マシにはなったものの、未だに治ってはいない。かの薙切えりなをして大きなハンデだと判断されたその欠点は、未だに彼の腕を鈍らせるのだろうか。

 だが、今彼がこうしてここにいるということは――彼がそのハンデを抱えてまで料理がしたいと思ったということだ。

 

 ならば彼は障害を抱えようが料理人として、この場にいる者たちと対等。実力を発揮して、出来れば合格を勝ち取るだけだ。

 

「そろそろ……時間か」

 

 重心を移動させて寄り掛かっていた壁から背中を離す。自分の足で立ち、軽く身体を解した。

 身長はそこそこ高くなっており、黒髪もある程度整えられている。元の顔立ちは良かったから美形に成長しているが、雰囲気からイケメンを気取ったようには見えない。どちらかといえばあまり目立たない落ち着いた雰囲気を纏っていた。

 

 すると、彼が首をコキッと鳴らした瞬間部屋の扉が開いた。そこから現れたのは、この編入審査の審査員。全員が騒然となる中で、どこか納得のいったように笑みを浮かべる恋がいた。

 

「……成程、確かに良いことあったな」

 

 薙切えりな。成長し、小学生だった頃とは見違えたように美人になっている彼女を見て、恋の金色の瞳に力が漲って来た。

 お互い成長して何処か大人びた空気を纏うようになった。でも、根底は全く変わっていない。

 

 二人は未だに過去の思い出で繋がっていて、今もなお――友達だ。

 

 恋の視線はずっとえりなに向いている。審査員として皆の前に立ち、卵を手に何か言っているが、恋には何も聞こえていなかった。ただ、あの日にあったことを思い出しながら、あの日の後に抱いた決意を思い出す。

 編入受験者達が慌てて逃げていくのを尻目に、恋はスッと閉じていた瞳を開いた。黒髪が揺れ、金色の瞳は星の様に煌めいている。

 

 残った受験生は二人――恋と、赤い髪で左目の眉に傷がある少年。

 

 えりなと緋紗子の視線が、赤い髪の少年に向いて、次に恋へと向けられた。

 瞬間、驚いたようにえりなの目が見開かれる。緋紗子も持っていたファイルを落として両手で自分の口を抑えた。

 その信じられないといって表情をしているのが可笑しくて、恋は軽く笑ってしまう。だが今は一受験者と一審査員――世間話をしに来たわけじゃない。

 

「食材は、卵だったな」

「え? え、ええ……ってそうじゃなくて、貴方まさか……!」

「まぁ積もる話は後でしよう。今の俺達は受験者と、審査員だろ?」

 

 自分とえりなを交互に指差しながら、恋は言う。それだけで、えりなは目の前にいるのが自分の知っている黒瀬恋であることを理解した。

 しかし、恋は話は後でしようと言って調理の準備を始める。完全に話し掛けるタイミングを失ってしまったえりなは、仕方なくまずは審査に集中することにした。

 

 あの日の反省から、彼女は料理に関して嘘は言わない。妥協もしない。もしも恋が合格ラインを超えた品を出してこなければ、即座に不合格にするだろう。

 ソレで良い、ソレが良い。恋だって、友達贔屓で入学したいと思うほど落ちてはいない。

 

「じゃ、調理をはじめよう。俺の知る限り最高の審査員だ、全力を尽くすよ」

「そいじゃ俺も! 少々お待ちを、薙切審査員殿!」

 

 恋と赤い髪の少年は調理に入る。

 卵はあらゆる料理で使われるポピュラーな食材。言ってしまえば前菜からデザートまで、どの分野においても使える食材だ。それはつまり、その卵をメインに使う料理は料理人としての腕が最も分かりやすいテーマとも言える。

 

 その中で、味覚障害を抱えた恋がどうするつもりなのか。えりなは一転して不安げな表情を浮かべて見守る。腕を組んだ手に自然と力が入った。

 

 だが、

 

「(はは、何不安そうな顔で見てるんだ君は。相変わらず分かりやすいなぁ)」

 

 それを見た恋の顔に、更に活力が漲る。

 あの日以来彼はずっと料理を勉強し続けてきた。ただ一つ、薙切えりなに美味しいと言って貰うために。彼の料理は全て、薙切えりなの為に作られた料理なのである。

 

 その彼の料理を審査するのが薙切えりな――燃えない訳がない。

 

 そして彼の手で一つの料理が完成する。どうやら先に赤い髪の少年の料理が出来たらしい。えりながソレを審査している途中の様だ。

 だが、どうやらえりなは赤い髪の少年の料理に打ち震えているらしい。恋は察する。普通に美味かったんだろうなと。悔しいと思わない訳ではない――ただ、薙切えりなに美味しいと思わせられる人間がゴロゴロいる。それがこの遠月学園なのだ。

 

 そういうこともあるだろう。

 

「悪いな少年、次は俺の審査だ」

「おっと、悪い」

「それじゃ……主食も食べたようだし、俺の料理はデザートだ。食べてみてくれ」

 

 赤い髪の少年にどいて貰い、えりなの前に恋は料理を出す。出て来たのはプリンだった。卵料理、というより最早卵そのものを使って作られた正真正銘の卵料理。

 えりなはその料理に驚く。プリンというのは、先も言った通り卵そのものが軸となる卵料理ではあるが、その味付けは全て調味料との配合による。調理の技術もそうだが、砂糖や牛乳、カラメルとの調和によって生まれる程よい甘さがあるのだ。

 

 甘すぎてもダメ、卵の味がし過ぎてもダメ、カラメルの出来がプリン本体と合わないのもダメ。

 故にえりなの知る黒瀬恋という少年には難しすぎる料理だと思った。彼は味覚障害――どんな味を作ればいいのか分からないのだから。

 

「……まぁ思うことはあるだろうけど……食べてみてくれ。俺は、君に食べてほしいんだ」

「……ええ、いいでしょう」

 

 えりなは正直、先ほど赤い髪の少年が出した卵そぼろと手羽先の煮凝りを使った化けるふりかけごはんを美味しいと感じた。意地でも口には出さないが。

 故に、その舌は今不味いものを普段以上に欲していない。かつて彼が作った最悪の料理を思い浮かべれば、当然躊躇もするだろう。

 

 しかし、恋が言うのだ。彼女の信じる唯一の友人が、食べてみてくれと。

 

 ならば、信じて食すのが友人として当然。

 えりなはスプーンでプリンを掬い、そのまま躊躇いなくその舌の上へと乗せた。かつて恋を傷つけた、神の舌の上へと。

 

「!」

 

 そして気付く。神の舌が否応なく気付かせる。

 

「……これは」

 

 そのプリンが、美味であることを。想像以上に、予想外に、彼の作ったプリンは高い完成度を誇っていた。彼女の舌が齎す情報が、彼の調理技術の高さを教えてくれる。

 なんのミスもない、完璧な仕事。味も分からない人間が作ったとは思えない程、洗練された技術が垣間見える料理だった。

 赤い髪の少年は奇抜な発想で見たこともない様な料理を出したが、恋は違う。彼は基本に忠実――徹底的に基礎レシピを守っている。そしてその一つ一つの仕事の質が非常に高いのだ。

 奇抜で予想外な仕掛けは何もない。だがそれを補って余りあるハイクオリティな調理技術で一切ミスなく作り上げられた芸術品の様な料理――それが、黒瀬恋の料理なのである。

 

 えりなは恋に視線を向ける。するとそこには、かつての様にえりなに優しく微笑む恋がいた。どうだと言わんばかりに胸を張る彼を見て、えりなはなんとなく胸の高鳴りを覚える。

 きっと想像も絶するような練習と努力を積んだのだということが理解出来た。それはつまり、あの日以降も彼は料理を続けていたことを証明している。えりなは彼から料理を奪ってなどいなかったのだ。

 

「――あの日からずっと、君のことだけ考えて生きてきた」

 

 恋の言葉で、二人の関係が受験者と審査員ではなく、ただの友人に戻った様な気がした。だからえりなも肩の力を抜いて、恋に向き直る。

 

「君が話してくれた料理の話は今も覚えてる。君に教えてもらった料理の味も覚えてる。君が料理の話をする時の、幸せそうな顔は特に……忘れられなかった」

「黒瀬君……」

「だからあの日から、俺の願いは変わらない」

 

 恋はえりなに歩み寄り、彼女の頭にぽんと、大きくなった、けれど変わらぬ温かい手を乗せた。あの日の様に、えりなと恋が出会った時の様に。

 

 彼はもう一度、えりなに自分の夢を問い掛ける。

 

「君に"美味しい"と言って欲しい――それが俺の料理の全てだ」

 

 まるで愛の告白の様な、そんな言葉が彼の全てを表していた。

 

 



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三話

 編入試験が終わり、薙切えりなと別れた恋は帰路についていた。

 隣を歩いているのは同じく編入試験を受けた赤い髪の少年。名前は幸平創真というらしい。先の試験を見る限り、類稀な発想力と丁寧かつ迅速な調理技術を持っているようだ。

 偶然にも彼は恋と同じ寮に入るらしく、道中様々な話をしながら親交を深めている。

 

 彼の実家は大衆食堂の定食屋らしく、有名料理店の人間ではないらしい。あの場にいるにしては雰囲気が違った故に、恋もなんとなく納得した様子。

 ちなみに恋の実家はそこそこ名の知れた店だ。えりなと出会ったあの日は、元々えりなに味見してもらうために出向いていたらしい。まぁ床に伏せっていたので、挨拶程度に終わったようだが。

 

 恋と創真は編入試験にて、見事薙切えりなから合格を言い渡された。創真を合格にするのはえりなも若干躊躇ってはいたけれど、恋に免じて料理の腕は認められたらしい。おそらく、創真だけなら意地で落とされていただろう。

 それを創真に話したら、もう薙切を下手に煽るのは止めようと、彼は溜め息を吐いていた。その様子がなんだかおかしくて、恋はハハと軽く笑ってしまう。

 

「そういや、黒瀬は薙切と知り合いなのか? さっきはあっつい台詞を言ってたけど」

「そうだなぁ……幼い頃に短い間だけど彼女から料理を教わったんだ。色々あってその間以外は会ってなかったんだけど……一応幼馴染で、友達だよ」

「ふーん……深くは聞かない方が良い感じ?」

「ハハ、別に重い話じゃない。想い話ではあるけどね」

 

 なんだそれ、とツッコむ創真。

 だが創真も気になってはいたのだろう。あの編入試験の会場で、黒瀬恋という少年は薙切えりなに殆ど告白のようなことを言っていたのだから。恋愛話というのは古今東西老若男女盛り上がれるテーマだ。

 それに、創真もまだまだ恋愛話に興味があるお年頃だ。薙切えりなが自分の料理の全てとまで言ってのける黒瀬の想いは、色々聞いてみたくなるものである。

 

「あの固そうな薙切が、目に見えて狼狽してたからな。良ければ色々聞きたいな」

「壮大なドラマを期待されても困るが、まぁ簡単な話だ。俺は彼女に"料理"を教えてもらって、その時彼女を笑顔に出来る料理を作りたいと決めた。それだけだ」

 

 料理を教えてもらった。その言葉には色々な意味がある。

 勿論技術もそうだし、知識も教えてもらった。それでも恋にとって一番大きいのは、料理という概念を教えてもらったこと。料理をすることの意味、料理を振る舞う時の緊張感、料理を食べて貰う幸せ、料理が楽しいということ、色んなことをえりなは教えてくれた。

 だから恋はソレを教えてくれたえりなを、自分の料理で笑顔にしたいと思った。

 

「黒瀬は薙切のことが好きなのか?」

「好き? ……どうなんだろう、俺は恋愛経験はないからな。ただ、彼女には感謝してるし、尊敬もしてる。俺の人生を全部彼女にあげても良いと思えるくらいには、大切に想ってるよ」

 

 それは最早好きを通り越して愛の域じゃないのか、と創真は内心思ったが、そっかと短く相槌を打ってそれ以上は聞かなかった。これ以上は無粋だと感じたのだろう。

 恋愛感情に疎い黒瀬は、自分の抱く感情をひたすら料理にぶつけてきたのだろう。そしてそれが全て薙切えりなへの愛であることに気付いていない。

 

 自分もいつか、黒瀬の様に大切に想える相手が出来るのだろうかと少し感傷に浸る創真。料理しか知らないというのは、なんとなく共感を覚える。

 だが自分よりも背が高い黒瀬の横顔は、同年代とは思えない程大人びていて、とても格好良く見えた。

 

「なんか、良いな……そういうの」

 

 創真はふと笑顔を浮かべながら、黒瀬には聞こえないようにそう呟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 一方、薙切えりなは編入試験の結果を二人に言い渡した後、すぐに家に戻ってきていた。祖父に合格者の報告を電話で済ませる約束だったが、それを緋紗子に任せてすたこらと自分の部屋に戻ってきたのだ。

 制服のままベッドに飛び込み、うぬぬーと唸るえりな。布団を両手で握り、何か堪え切れないようにじたばたする。

 

 原因は一つ、黒瀬恋だ。

 

 えりなは自分が高嶺の花であることを知っている。小学生の頃とは違って、自分の価値を実力を正しく認識し、その上で薙切えりなという存在は高貴な者であることを理解しているのだ。自信もあれば、確信もある。

 だからこそ容姿だってそれなりに磨いてきたつもりだし、立ち居振る舞いやマナーもそれ相応に身に付けた。

 

 故に彼女は恋愛経験など全くない。告白されたこともだ。同年代の男子はえりなに告白することなど畏れ多くて出来ずにいたのだから、仕方のないことだろう。

 なのに、黒瀬恋はあんなにも純粋でまっすぐな好意をぶつけてきた。えりなにとっては、恋が料理を続けてくれていたことの喜びもあったのだ。そこへ更に今まで受けたこともない大きな好意による追撃。正直、えりなの初心な心の許容量を大きく超えていた。

 

 嬉しい、とは思う。自分の料理の全てが薙切えりなの為だと言い切ってくれたのだ。顔が熱くなってしまうのは、仕方のないことだと思う。

 まるで少女漫画の様な展開。あの日出会った時から今日までずっと、恋が自分のことを想い続けていたなんて、胸がきゅんきゅんし過ぎてどうにももどかしい。

 ベッドの上を頭でも打ったかのようにジタバタ転がるえりなは、枕に顔を埋めて唸らずにはいられない。

 

「~~~~ッッッ……!!」

「え、えりな様?」

「ふぁっ!? 緋紗子!?」

 

 そこへやって来た緋紗子の声。えりなは顔を真っ赤にしながら顔を上げ、変な声を上げた。

 一部始終を見ていた緋紗子は、えりなのそんな姿が凄く可愛いと思ってしまった。顔を真っ赤にして柄にもなく狼狽えて、どうしようもないもどかしさに軽く涙すら浮かべている。いつもの高貴でクールなえりなとのギャップが、緋紗子の胸にグッと来た。

 

 だが、その原因も知っている緋紗子はえりなの近くに近づいて、懐かしい光景を見るように言う。

 

「……なんというか、凄く成長されてましたね」

「……うん」

「正直、もう彼は料理をしないものと思っていましたが……男の子というのは分からないものですね」

 

 緋紗子は苦笑しつつ、ベッドの脇にある椅子に座った。今日のスケジュールは消化している。こうして会話に花を咲かせるのもまた良いだろう。

 緋紗子の言葉にえりなはいそいそと体育座りになり、自分の膝に顔を埋めるようにしてぽつぽつと言葉を紡いだ。

 

「私だってそう思っていたわ……でも、まさか料理を続けていたなんて本当に予想外よ……もう」

「その理由がえりな様ですもんね」

「や、やめてよ……まだ受け止めきれてないんだから」

 

 本当に可愛い人だと笑う緋紗子。

 緋紗子にとって、黒瀬恋とは自分とえりなを近づけてくれた少年だ。料理を教えるという約束を果たす為、えりなと恋は毎日の様に厨房で色んな料理を作っては失敗や成功を繰り返していた。

 そんな二人は薙切だとか、神の舌だとか関係なく、子供らしく見えた。だから緋紗子も不思議と歩み寄ることが出来たのだと思う。

 

 気が付けば、えりなと一緒に恋に料理を教えるようになっていた。

 

 自分の得意な薬膳料理の知識を惜しげもなく教えてあげたり、ミスをした恋に手とり足とり調理器具の使い方を教えてあげたり、包丁で指を切った恋の手当てをしたり、まるで弟が出来たようで、当時の緋紗子にとってはおそらく――充実した毎日だっただろう。

 だが、えりなの優しさが彼を傷つけ、気付けば彼とは疎遠になってしまっていた。

 彼のおかげで十分にえりなのことを知り、歩み寄れた故に、それ以降もえりなとはそこそこ気兼ねなく話せるようにはなった。しかしやはりそこには何かが欠けていたように思う。

 

 とどのつまり、緋紗子も彼のことを大切に思っていたのだ。大切な友人として、自分とえりなを繋いでくれた人として。

 だから恋愛感情というよりは、まだ出来の悪い弟といった感情が強いが、逞しく成長してくれていたことは素直に嬉しいと思う。

 

「男子三日会わざれば括目して見よ、とは良く言ったものですね」

「……そうね、凄く成長してたわ。背も私より大きくなって、声も落ち着いて低くなって、手も私の頭を掴めるくらい大きくなってた……まるで別人みたい」

 

 でも。えりなはそう言って一呼吸。

 

「前と一緒の部分もあったわ。手は大きくなってたけど、温かかった……相変わらず金色の眼が綺麗だった……格好良くなってたけど、笑顔が可愛いのも変わらない」

「ええ」

「私の知ってる、黒瀬君だったわ」

 

 えりなは頬を少し紅潮させたまま、嬉しそうに目を細めながら優しげな笑みを浮かべる。

 自分が言った言葉で料理を奪ってしまったと思っていた少年。その子が今日、自分の勘違いを覆すように素晴らしい料理を作って見せた。そしてその全てが自分の為に磨いたものだと言う。

 

 嬉しくない、訳がない。

 

「今度、また一緒に料理がしたいわ」

「ええ、そうですね」

 

 たった数ヶ月の時間が繋いだ絆。停止していた時間。雪解けの様にゆっくりと動き出した薙切えりなと黒瀬恋の時間は、二人の関係が変わらないことを教えてくれる。

 過去には色々あっただろう。勘違いもあっただろう。思うこともあっただろう。

 

 しかし二人は今も――友達だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 極星寮――遠月学園に存在する寮の一つで、かつてこの学園に存在する十傑評議会と呼ばれる生徒間の最高権利者、その十の席を勝ち取った生徒が多く住んでいた寮だ。黄金期には十傑の内約半数は極星寮出身であった時代もあったそうな。

 創真と恋は今日、その極星寮に入ることになっている。無論この遠月に存在する寮だ、普通に入寮することは出来なかった。

 

 課題はこの場に存在する食材で、寮長である大御堂ふみ緒さんを満足させること。

 

 まぁそこは薙切えりなを唸らせた腕を持つ二人だ。なんとか突破して入寮することが出来た。

 奇抜で奇想天外な発想から思いも寄らない料理を生み出す創真と、基礎と基本に忠実で、己の中にあるレシピを最高の仕事で芸術の域にまで仕上げる恋。真反対な料理スタイルではあるが、確かな実力がある二人である。

 

 だが薙切えりなと新戸緋紗子以外、この学園にいる人間は知らない。この黒瀬恋という男が、味覚障害であることを。圧倒的なハンデを抱えながら、料理人として高みに這い上がってきている人間だということを。

 

 彼が目指すのは料理人の頂点。

 薙切えりなに心の底から美味しいと言って、笑顔になってもらうこと。それすなわち料理人の頂点と相違ない。

 

「やっとここまで来れた……綺麗になってたなぁ、彼女。でも、昔とちっとも変わらない所もある」

 

 極星寮の一室、部屋の窓から星空を眺める恋は嬉しそうに笑う。

 

「『料理は人を想って作るものなのよ』――そうだったよな、えりなちゃん」

 

 えりなの教え。あの日厨房で最初に彼女が教えてくれたこと。

 そして黒瀬恋の料理の根底に刻み込まれた信念でもある。彼はえりなを想って料理を作る。彼女を笑顔にするために料理を作る。それだけで良い。

 

「また、一緒に料理がしたいな」

 

 奇しくも、いやこれは必然だろう。

 えりなと恋、友達である二人は、長い空白の時間を埋めるように――同じことを思っていた。

 

 これは、やがて『料理界のベートーヴェン』と呼ばれるようになる料理人の物語。

 彼の作る料理は世界中の誰よりも想いが籠った料理。味覚障害という運命を乗り越え、ただ一人の少女の為に作られるその料理に――人々はこう言うことになる。

 

 

 ―――これは、"初恋の味"だと

 

 

 



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四話

「編入生挨拶?」

「ああ、高等部の入学式では編入生の紹介もプログラムに含まれているんだ。だから黒瀬か幸平、どちらかが代表で挨拶することになるんだが……」

 

 翌朝、極星寮に新戸緋紗子が訪ねてきた。というのも、入学式で編入生の紹介があるらしい。

 編入生代表挨拶では代表一人がエスカレーター組で上がって来た在校生達に挨拶をする。言葉は自分で考えてくれて良いらしいが、もしも文章作成が苦手なら定型文が用意されているようだ。

 創真と恋は顔を見合わせて、アイコンタクト。正直なところ面倒なことはどちらも避けたいところなのだが、仕方ないと恋が手を挙げた。

 

 緋紗子が来たということは、えりなの指示なのだろう。そう考えれば、えりなの顔を立てるという意味でも恋が挙手するのは不思議ではなかった。

 

「いいよ、俺がやる」

「良いのか黒瀬? なんかワリィなぁ」

「創真がやるよりは俺がやった方が波風立たなそうだし、気にするな」

「あれ、遠回しにディスられてるのかコレ?」

 

 ともかくとして、こうして編入生代表挨拶をするのは黒瀬恋ということになった。

 緋紗子としてもどちらかといえば恋の方にやってほしいと思っていたので、内心では結構安堵していたのだった。

 

「それじゃあよろしく頼むぞ、黒瀬」

「うん、頑張るよ」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ――と、良い感じに任せたのに……!

 

 入学式の中、舞台袖で新戸緋紗子は頭を抱えていた。

 何故ならその問題の編入生挨拶で、信用して行かせた黒瀬恋が問題を起こしたからだ。次のプログラムは間違いなく編入生挨拶になっている。なのに今壇上には誰もいない。

 

 そう、黒瀬恋の不在が問題になっているのだ。

 

 何故来ないのかと疑問に思う緋紗子だが、恋が大事な挨拶をサボる様な人間ではないと知っている彼女からすれば、当然の疑問である。

 

「えー、編入生代表挨拶の準備が整っていないので、先に次のプログラムを進行いたします」

 

 すると司会の教師がナイスなフォローを持って式を進めた。

 これで少なくともあと数プログラム分は時間が稼げる。その間に黒瀬恋を連れてこなければならない。急いでどうするかと思考を張り巡らせる緋紗子だが、ふとあることに気が付いた。

 

「えりな様……?」

 

 黒瀬恋がいないという話が出た時からだろうか、薙切えりなもまたその姿を消していた。

 そのせいか大分テンパった緋紗子は、二人が駆け落ちでもしたのかと少女漫画的な思考に走ってしまう。まともな人間が居ればどんな展開だと突っ込んだ所だろうが、緋紗子は大慌てでどうしようと狼狽える。

 すると、遠くから「ほら急ぐ!」という声が聞こえた。その方を向いてみると、恋の手を引いて此方へ向かってくるえりなの姿があった。どうやら恋を探しに行っていたらしい。

 

 ホッと息を吐く緋紗子だが、次の瞬間にはその眼を吊り上げて恋を睨み付けた。

 

「黒瀬! 貴様挨拶に遅れるとはどういう了見だ? 一体何をしていた!」

「わ、悪かったよ、この学園広すぎて道に迷ってたんだ……」

「う……ならば仕方ないが……早く道は覚えるんだぞ。次はもう挨拶だ、準備はいいか?」

「ああ、ありがとう。助かったよ二人とも」

 

 黒瀬の言葉に次の句を紡げなかった緋紗子だったが、反省はしているようなので許すことにする。次が挨拶と言っても動じない様子から、ある程度挨拶文は考えて来ているのだろう。

 黒瀬を送り出し、緋紗子は大きく溜息を吐いた。

 すると後ろからクスクスと笑う声が聞こえる。振り向けばそこには、楽しげに笑うえりなの姿があった。

 どうしたのかと首を傾げる緋紗子だが、えりなはあまりに可笑しかったのか、滲む涙を拭いながら彼女に言う。

 

「ふふ……だって、緋紗子……弟の世話を焼くお姉さんみたいなんだもの」

「なっ……え、えりな様! 私は別に……!」

「はいはい。心配なのよねお姉ちゃんは」

「違いますよ!? ちょ、笑ってないで話を聞いてください!」

 

 顔を紅潮させて言い訳を開始する緋紗子に、えりなは可愛い子だなと感想を抱く。奇しくも、先日の二人とは立場が逆転していた。

 

 そんな二人の騒ぐ声を背に、恋は壇上へと上がっていた。

 楽しそうだなぁと思いながら、視線を前に向ける。そこには約千人程の一年生達がこちらを見ていた。あまりの視線の多さに少し、圧倒される。

 だがこんな時こそ堂々と、だ。恋は佇まいを直し、軽く胸を張ってマイクの前に立った。

 ハウリングしないように適度な距離を保ったまま、マイクに向かって――ライバル達に向かって挨拶を開始する。

 

「えー、黒瀬恋です。二人の編入生の内の一人です」

 

 出だしは上々、丁寧な語り出しに皆が耳を傾けるのを感じた。

 だが、ここからは最早宣戦布告になるのだろう。新入生は全て中等部からのエスカレーター組で、殆どが顔見知りで勝手知ったる仲。故に編入生はそこに突然現れる異物同然だ。

 ならば千人という数に埋もれてしまわないようにする必要がある。何せ此処にいる全員が、最終的には自分と同じ目標を胸に抱いているのだから。

 

 気持ちで負けてはいられない。

 

「多分、この場に居る全員がこの学園でてっぺんを取ってやると闘志に燃えているんだろう。自分の料理で挑戦し、自分の腕を磨いて蹴落とし、自分の夢を叶えるために戦う意志があるんだろう。対峙してみれば分かるよ……ここにいる全員が、俺に対して戦意を燃やしていることが……やっぱり、俺の思った通り――凄い奴らがいっぱいいるなぁ、素直に尊敬する」

 

 認めよう。この場に居る全員、自分が捨石になるつもりなど毛頭ないと燃えているのだ。その気迫と向上心、闘志の気高さは認めずにはいられない。それはきっと、恋自身が一生掛かっても理解出来ないものだろうから。

 味覚障害はそれ程までに重い枷である。スタートラインからして、マイナスなのだ。追いつくには生半可な努力じゃ足りない。

 

 でも、だからこそ――負けてはいられない、負けられない。

 

 恋の言葉は、対抗心剥き出しの生徒達の意表を衝く。自然と、全員の恋を見る目が変わっていく。対抗心や闘志といった感情から、素直に恋の言葉を聞こうという興味へと変わっていく。

 でも、と一つ置いてから恋は数秒目を閉じ、そして何か考えたようにスッと目を開いた。告げるのはたった一言。

 

「――俺もそうだ」

 

 闘志もなく、ただ綺麗に言葉を並べていただけだった黒瀬恋という少年。

 その彼が、その金色の瞳を開いた瞬間――その場に居た全員が彼の闘志に当てられた。

 反抗心を解され、油断したその瞬間を狙い打たれたかのような剥き出しの闘志。たった一人の少年から放たれたその闘志は、千対一だろうが真っ向から食い破ろうとする気迫があった。

 

 認めよう、この場に居る全員は恋よりも素晴らしい才能を持っているのだろう。そしてその才能に裏打ちされた自信がある。本当に凄い者達ばかりだ。本当に、この中から捨石が出るなど、全く信じられない。

 だからこそ言い放つ。この場に居る全員を食い破ってでも、自分がこの学園の頂点に立つと。宣戦布告する。

 

「これからよろしくお願いします。編入生代表、黒瀬恋」

 

 恋はぺこりと頭を下げて、スタスタと壇上から去る。

 しかし、それを見ていた全員が彼が姿を消すまで言葉を発することが出来なかった。問答無用で全員を唸らせる闘志と、本気で頂点を取るつもりだという意志の強さ。それは、料理の技術を見るまでもなく――彼が自分達と対等な料理人であるということを理解させた。

 

 侮るなかれ、

 

 驕ることなかれ、

 

 たかが編入生だと思うなかれ、

 

 彼もまた料理人――"玉"に成り得る原石の一つである。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 挨拶を終えた恋を待っていたのは、えりなと緋紗子の二人だった。

 

「良いのかしら? あんな挨拶をして」

「良いさ。この先退学になるにしろ勝ち残るにしろ、言いたいことは皆変わらない。なら言ったもん勝ちだよ……君もそうだろ?」

「……悪いけど、私は違うわ。幼馴染として貴方のことは仲良くしていたいとは思うけど……でも、料理に関して私は妥協しないわ。だから言っておいてあげる」

 

 えりなは髪を手で後ろに靡かせると、ビシッと恋を指差す。その瞳には、幼馴染だろうと関係ないと言わんばかりの闘志が秘められていて、確信めいた口調で恋に断言してみせる。

 

「遠月の頂点はこの私。そして貴方では頂点なんて取れないわ」

「それは俺が味覚障害だからか?」

「あまり言いたくはないけどね。神の舌を持っている私だからこそ断言出来る……ソレはあまりに大きなハンデよ。そしてそんなハンデを背負って取れる程、遠月は甘くはないの」

 

 えりなの言いたいことは痛い程分かる。恋もまた、そのハンデを背負った張本人だからこそ理解出来る。この道で味覚障害というハンデがどれほどの重荷なのかを。

 頂点はおろか、卒業すら危うい。多少はそれを補えるだけの腕を手に入れたのだろうし、その努力は認める。

 

 それでも薙切えりなは言う。お前では無理なのだと。

 

 恋が自分のことをどう思っているのか、それを知った上で言う。これは彼のことを認めているからこそこの言葉。優しさや同情ではない、認めた上で尚自分が格上であることの確信からくる言葉だ。

 余程の天才でない限り、イメージと技術で料理を作っていくには限界がある。何故ならそれは、彼にレシピ以上の進化がないということなのだから。

 

 だがそれでも、彼は諦めが悪かった。いや、今更諦めが付くはずがない。

 

「それでも、俺は君を超えるよ」

「…………そう、それならもう何も言わないわ。精々無駄な努力をするのね」

「あ……っ……」

 

 頑なな恋の言葉に、えりなはもう何も言うまいと踵を返す。厳しい言葉を使ってしまうのは、彼女の素直になれない部分なのだろう。恋もそれは分かっている。

 しかし折角また打ち解けた矢先にこれだ。緋紗子も少し気まずい表情で恋の顔を見たものの、言葉は出ない。逃げるようにしてえりなの後を追って姿を消していった。

 

「全く、君を笑顔にしたいのに、君を超えないといけないなんて……皮肉な話だな」

 

 呟き、恋もその場を後にするのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 その夜のこと。えりなと緋紗子は寮の一室で盛大に狼狽えていた。

 思い出すのは昼間のこと、恋との喧嘩紛いな会話のことだ。えりなとしても、あそこまで言うつもりはなかった。まして彼が抱えている問題に関してはずっと良く知っている筈なのに、感情に任せてあんな風に言ってしまうとは。

 えりなは部屋の隅で体育座りをし、ずーんと重々しい空気を身にまとっている。明らかに落ち込んでいた。

 

 緋紗子はそんなえりなを見て、どう声を掛けたものかと困った顔をしている。

 正直なところ、今回の件はえりなの自爆であり、自業自得。慰めようにも慰められないのが本音だった。

 

「ああぁぁあぁぁぁああぁぁ~……どうしよう緋紗子ぉ……あんなこと言っちゃって、嫌われないかしら……味覚障害は彼のせいじゃないのに……ハッ、神の舌を持つ私から言われたら余計嫌味じゃないかしら!? ど、どどどどうしよう、どうしたらいいの!? 助けてひさえもん!」

「落ち着いてくださいえりな様、キャラ崩壊してます! あと私は緋紗子です!!!」

 

 最早普段のクールビューティさが崩壊してしまっているえりな。障害者に障害云々指摘するのは、正直人間として非常識。それが理解出来ている故に、えりなは余計に動揺している。

 最早涙すら浮かべてえりなは緋紗子に縋り付いている。そして緋紗子も動揺しているのか、えりなの言葉に妙なツッコミを入れていた。

 

 遠月十傑評議会に史上最年少で入った、遠月開闢以来の魔物と呼ばれる薙切えりなとは思えない程の狼狽えっぷり。これは外の人間には見せられないなと思う緋紗子である。

 

「とりあえず後日謝りましょう。彼のことですから、今更えりな様を嫌ったりしませんよ」

「うぅ……そうかしら……」

「さぁ、もう寝ましょう。明日から授業が始まります」

「……そうね」

 

 とりあえず後日謝ることにして、今日は寝ることにした二人。

 明日からは授業が始まる。つまりこの遠月学園における生存競争の幕開けとなるわけだ。

 そしてソレを皮切りにあらゆる場所で開催されるだろう。この学園特有の特殊な校則にして、生存競争における食の決闘が。

 

 その名も――"食戟"

 

 この遠月で、頂点を目指す者達の戦いが開始される。

 

 



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五話

 極星寮で迎えた二度目の朝。

 

 本日より一年生達は遠月学園の授業を開始するようになる。

 遠月の授業では、既にある程度の調理技術を会得していること前提で進行する故に、その授業毎に毎回課題料理がある。その課題料理を作り、その完成度で成績が付くのだ。

 成績次第ではその授業で自分が退学になることもあり得るので、この学園の卒業到達率が極僅かなのも頷けるシステムだ。

 一瞬も気が抜けない。文字通り見た通り、この学園は己を研鑽し続けなければ捨石と成り果てる戦場である。

 

 そんな戦いの初日、恋は新しい制服に身を包みながら一つ欠伸。そして荷物を準備、味覚障害の治療の為に常備している亜鉛やビタミンのサプリメントもしっかり入れておく。

 なってから既に数年経っているけれど、医者曰く舌の活動は正常に近づいているらしい。といっても自分の感覚では未だに味が感じられないのだが。

 

 いつものことかと思い直し、恋は部屋を出る。そのまま廊下を歩いていくと、偶然にも寮の生徒に出くわした。

 

「おや? 君は……新しく入った黒瀬恋君だね! こんな時間に早起きとは感心だね!」

「おはようございます。編入生の黒瀬恋です……よろしくお願いします」

「おはよう! うんうん、挨拶は大事だよね――っと、自己紹介が遅れたね。僕の名前は一色慧、この遠月学園の二年生さ!」

 

 出くわしたのは、この寮に住んでいる先輩――一色慧だった。

 何故か裸エプロンを着用しているのだが、恋は今までの経験上こういう人間もいるだろうと軽く受け止める。また、彼の裸エプロン姿が妙に堂々としていたこともあったのだろう。

 

 軽く会釈する恋に、腰に両手を当てて人の良い笑顔を浮かべる。

 

「昨日の夜に創真君とも挨拶をしたんだが、君はすぐに眠ってしまったからね! 追々挨拶しておこうと思っていたけれど、こんなに早く会えるなんて嬉しいよ!」

「すいません、昨日は色々あったので疲れてしまって」

「仕方ないさ、編入生挨拶ではかなり盛大にやらかしたようだしね! 見てたよ、君の堂々とした挨拶を! 極星寮の生徒たるもの、あれくらい青春しないとね!」

 

 どうやら二年生であっても入学式を見ることはあるらしい。何処で見ていたかは分からないが、こうなってくると他の二年生もあの挨拶を見ていた可能性は否めないだろう。

 しかしそんなことをする物好きな二年生は、総じて厄介な人物に違いない。新入生を観察するということは、新入生の中でも飛び抜けた人間がいるかどうかが気になるということだ。

 その目的としては、新入生潰しをしたいか――もしくは悪意なく親交を深めておきたいか、だろう。そう考えた恋は目の前の妙な先輩を見て、なんとなくこの先輩は大分強かそうだと感じた。

 

 とはいえ、この人の良さそうな先輩だ。今の所は何か害を与えてくるようなことはないだろう。

 

「さ、まずは朝食にしようか! ふみ緒さんがもう準備を終えてるはずだよ。一緒にご飯を食べれば僕たちはもう同じ寮の仲間だ!」

「……そうですね、丁度お腹が空いてきたところでした」

 

 味は感じられないが、とは言わないけれど――恋は先を歩く一色慧の後を付いていくのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 極星寮に現在住んでいる生徒は、恋も含めれば十人。男女比で言えば六対四と言ったところだ。だがしかし、一色の話によれば、同時期に入って来た幸平創真は既に顔合わせが済んでいるらしい。

 大広間に入ると、既に起きている生徒がいた。女生徒で黒髪三つ編みの少し大人しそうな子だ。人見知りなのかは分からないが、恋の姿を見ると少し緊張したように佇まいを正している。

 

 恋は正直、女子という生き物に対する正しいコミュニケーションの取り方をよく知らない。乙女心というものは、男子的に中々理解が及ばないものなのだ。

 とどのつまり何が言いたいかと言えば、二人して緊張状態である。一色が二人を見てうんうんと深く頷いているのが、なんとなく癇に障った。

 

「青春だね!」

「先輩は恋愛経験がおありで?」

「それじゃ朝食にしようか! ふみ緒さーん!」

「……誤魔化したな」

 

 一色慧、真偽は定かではないが恋愛経験は無いようだ。もしくは思い出したくない何かがあったのか。追及される前に一色は広間を出て行ってしまった。

 広い空間に二人残されてしまった恋と三つ編み少女。とりあえず視線が合ったので、恋は頬を指で掻きながら困ったように少女の前に座る。

 

 そうして、どう話したものかと考えていると――少女の方が声を上げた。

 

「あ、あの! 私、田所恵って言います! く、黒瀬恋君、だよね?」

「あ、ああ……田所さん、ね。なんで俺の名前――ああ、編入生挨拶か」

「うん。あ、あのね、私黒瀬君の挨拶聞いて、凄いなって思ったんだ。大勢の人の前であんなに堂々と話すなんて、私には出来ないもん」

 

 少女の名前は田所恵。どうやら恋のことは編入生挨拶で知っているらしい。

 二人の間にある共通の話題が編入生挨拶だけとなると、自然と話題はそこへと集約する。田所はとりあえず自分の思ったことを話そうと、身振り手振り挨拶の時の感想を述べてきた。

 恋としては普通の宣戦布告をしただけだったが、田所恵という少女からすれば凄まじい出来事だったようだ。

 尊敬するとか、凄いだとか、放置しておけば田所はエンドレスで恋を褒め称えそうだったので、とりあえず恋は苦笑して止めることにする。

 

「まぁとりあえず、改めまして……黒瀬恋です、よろしく田所さん」

「あ、ごめんね私ばかり話しちゃって……よろしくね!」

 

 田所恵という少女の人となりはなんとなく理解出来たので、恋も必要以上に肩の力を入れないことにした。

 

「田所さんはやっぱり中等部から上がって来たエスカレーター組?」

「あ、うんそうだよ」

「そうか……やっぱり遠月の授業は厳しいのかな?」

「そうだねー……中等部では座学での栄養学とかあったから、高等部程じゃないだろうけど……私からしたら凄く厳しいところかなって思うよ」

 

 成程、なんて思いながら恋はふと大きく溜息を吐いた。

 田所恵の実力が如何程の物かは分からないけれど、それでも一生徒からすればかなり厳しいカリキュラムとなっているようだ。話だけ聞けば憂鬱になる話である。

 

 と、そんな風に話していれば会話も弾み、お互い打ち解けられたらしい。数分後、創真や他の極星メンバーが起きてくる頃には、緊張することなく会話することが出来ていた。

 そして一色が寮母のふみ緒の下から帰って来ると、相変わらず裸エプロンのまま恋に声を掛けてきた。

 

「ご飯の前に恋君! 君にお客さんが来ているよ。玄関で待っているから、行っておいで。まだ朝食が出来るまで時間があるから」

「え、あ、はい」

 

 朝食前にお客さんのようだ。

 恋は既に騒々しく談笑し始めている極星メンバー達から離れ、広間を出ていく。玄関はかなり広い故に、広間からも近い。

 廊下を歩いて朝の若干涼しい空気を肌で感じながら、恋は言われた通りお客とやらが待っている玄関へと辿り着く。

 

 すると、其処には思い掛けない来客が居た。

 

「!」

「ぁ……え、えと、おはよう?」

「あ、ああ……おはよう……で、何用?」

 

 居たのは恋自身も気が付いていない恋の想い人、薙切えりなその人だった。

 一人で来たのか新戸緋紗子の姿は見えず、なんとなく居心地悪そうにその大きな胸の下で腕を組みながら視線を彷徨わせている。

 注意深く観察してみると、制服姿は先日も見たものの、なんとなく今日の彼女は小綺麗に見えた。本来素のままでも美人なえりなではあるが、今日は軽く化粧をしているのかもしれない。もしくは恋の想い人補正が掛かっているのかだ。

 

 ともかく、えりながわざわざ一人で恋を訪ねてくるなど思いもしなかったので、ぎこちなく用件を尋ねる。

 

「あ、あの、なんというか、こういうことは早めにすっきりさせておきたいというか、舌の奥の更に下の辺りがもやもやして気分が晴れないというか、なんだか気持ち悪くて眠れないというか、だからその……」

「うん」

 

 キョロキョロと視線を動かしながらえりなは早口に捲し立てるが、しかし肝心な内容は全く伝わってこない。内心ものすごくパニックになっているらしい。

 上手いこと言葉が出てこないのか、素直に言葉に出来ないのか、ソレは分からない。けれど、どちらにせよ緊張しているのは目に見えて分かった。

 

 とはいえ昨日の今日のことだ。きっと昨日の喧嘩の様な言い合いを気にしているのだろうということは、恋にも理解出来る。というより、それしか思い当たらなかった。

 だから、恋の方から口火を切ることにする。

 

「昨日はその、悪かった。多分君のことだから、悪意で言ったんじゃないってことは分かってる。君は素直じゃないからな」

「あぅっ……その、私の方こそごめんなさい。貴方のソレは貴方のせいじゃない……それに、私が言ったことはきっと貴方も承知の上だと思う」

「ああ、理解して苦しんで、悩んで……それでも諦めきれなかった」

 

 えりなは先に恋に謝られてしまって、肩を落としながら返すように謝った。プライドも、体裁も関係ない――友人との仲直りに、神の舌も家柄も関係ないのである。

 恋もえりなも、お互いのことはそれ相応に理解している。元より互いが互いを傷つけたいわけではないのだ。寧ろ大切に想っているからこそ、傷付けない様にして、紡いだ言葉はやはり互いを傷つける棘を持っている。

 

 そんなものだ。幼馴染という王道ラブコメワードを踏まえれば、友達以上恋人未満な二人。相思相愛かは別として、大切な存在に触れるには互いに傷付け傷付けられる覚悟が必要なのである。

 

「まぁ必死に追いかけて来たんだ、今更止められない」

「……でも、昨日言ったことは変えられない事実だわ」

「……」

 

 事実は事実、そう告げてくるえりなだが――だが昨日と違ってその言葉には続きがあった。

 照れくさいのか頬が若干紅潮し、ぐぬぬといった表情で少し唸った後、いつも通りのお嬢様的な振る舞いをしながら、尻すぼみにこう言ってきた。

 

「それでもまぁ……応援、してあげる……こともなくもないけど」

 

 語尾が小さくなるのはご愛嬌なのか、狙っているのか、なんだか小さい子供の様で可愛くて、恋は噴き出すように笑う。

 

「も、もう! 笑わないでよ!」

「ごめんごめん……でもまぁ、俺の進む先に君がいるのも事実だ」

「……ええ、そうね」

 

 少しだけ和らいだ空気を引き締めるように、恋とえりなは見つめ合う。

 今の二人は友人であり幼馴染という関係でなく――一料理人同士の関係だった。交差する視線には、友情等の感情を抜きにした緊張感。

 

「だから多分、いつか君に食戟を挑むと思う」

「……そうなるのかしらね」

 

 恋の目的は、えりなの幸せな笑顔を自分の料理で作ること。その為にはえりな自身を超えた料理人になることが必須事項だ。その為にはいずれ彼女と対峙することになる。

 ならば、この学園のあのルールはかなり便利だろう。食戟なんて分かりやすいルールがあるのだ、利用しない手はない。

 

「俺は君に勝つよ」

「あら、私に勝つならもうニ、三世紀くらい時間が足りないんじゃないかしら」

 

 えりなと恋はそう言って笑う。仲の良い友達の様に、楽しげに笑う。

 料理人として争うのは仕方のないことだ。料理人という人種は常に進化を止められない生き物なのだ。それは時に、お互いに鎬を削って高め合うことにも繋がっていくのだろう。

 

 

 こうして恋とえりなは、仲直りするのだった。

 

 

 




友人以上恋人未満


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六話

 何処の学校でも編入生というのは――いやまぁ編入生に拘らず、学校という枠組みの中で過ごしてきた多くの生徒達の中に、転校生や編入生、飛び級生、種類はあれど、そういった特別な存在が入ってくれば、それは往々にして噂になるものである。

 それはこの遠月学園でも同様だったらしく、盛大な宣戦布告挨拶をかました黒瀬恋は勿論のこと、幸平創真の名前も広く知れ渡ることになった。

 

 というのも、今では幸平創真の名前の方が悪名として大きな反響を呼んでいる。

 何故ならあの入学式の翌日から始まった遠月の授業。その授業の中で彼は、編入試験同様奇抜な発想と優れた調理技術で次々と高評価を叩き出したのだ。

 厳しいと有名な遠月の授業と、超一流の講師達による高難度な課題。それを潜り抜けるのは当然容易なことではない。

 それを楽々突破し自信満々に笑う幸平創真は、普段のヘラヘラした態度もあってかなりの反感を買ってしまうのである。

 

 対して黒瀬恋の方はパッとしない。

 あれだけの大言壮語をかましたというのに、授業ではそれ程目立った様子はないのだ。

 評価が低い訳ではない。寧ろ評価は優秀だ。それこそ、幸平創真と負けず劣らずの高評価を貰っている。しかし評価を貰う時もただ高評価を淡々と告げられるだけで、幸平創真の時の様な驚きと意外性、特別な技術や食材を用いるといったものはない。

 とどのつまり、幸平創真の意外性と奇抜な発想の陰に隠れてしまった形になるのだろう。

 

 だが、そんな黒瀬恋に対する講師達の評価は非常に高い。寧ろ、此方は幸平創真よりも黒瀬恋に注目を集めている程だ。

 何故なら、彼の料理は非常に技術の質が高いのである。

 奇抜な発想はないが、基礎と基本に忠実、かつ調理行程の全てにおいて恐ろしく精密かつ最適な技術を振るっているのだ。まるで機械の様に精密で、精巧で、繊細で、丁寧で、最適な調理技術。

 

 それは驚くような奇抜さはなくとも、溜息を吐いてしまうような芸術性がある。

 

 しかしその味は技術そのまま機械的ではなく、確かに誰かの為を想って作られた情熱が感じられた。超一流の講師だからこそ分かるのだ――それが誰か一人の為に作られた料理であることが。そしてそれが自分ではないことも。

 

「黒瀬恋……一体誰の為に料理をしているのだろうな」

 

 講師の一人、フランス料理専門のローラン・シャペル講師は一人呟く。

 授業で彼の料理を食べた時、正直素晴らしいと思った。調理技術の高さだけなら、まさしく自分すらも上回るモノを持っていることを理解し、賞賛に値すると思った程だ。

 しかしそれでも手放しに賞賛し切れないのは、その料理が誰か一人の為に作られたものだったからだ。作り手の想いと、その想いが向けられた先に自分ではない誰かがいる。

 

 料理人は、万人に向けて己の腕を振るう者。

 

 ただ一人にしか届かない料理。ただ一人しか受け入れさせない料理。

 それは如何に調理技術が高かろうと、プロとしては失格だった。

 

「だがこれがもしも――万人に振るわれる料理になったとしたら……フッ……」

 

 シャペル講師は笑う。笑わない料理人と呼ばれた講師は、黒瀬恋という一際輝く原石の成長を思い、笑うのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 授業が始まってからやってきたある日、黒瀬恋は極星寮の一室にて調味料を小皿に幾つも並べていた。塩や砂糖、胡椒、酢、醤油、味噌、多種多様である。それを軽くスプーンで掬っては舐め、その味を確かめる。

 これは彼の日課であり、料理人で居続けるためにはやらなければならないこと。

 味が微かにしか感じられない彼は、己の舌の感覚と常人の感じている感覚のズレを修正するために、今感じられる味を毎日毎日確認している。その感覚一つ一つを記憶し、一つの料理として収束させているのだ。自分が感じている"この味"が常人の"美味しい"になるのだという、認識の修正を行うことによって。

 

 だが言うは易し、行うは難し――感覚一つ一つを束ねるには技術が必要だ。

 それも繊細で何のミスもない、それこそ数㎜のズレもない食材の切り方、数秒のズレもない焼き煮込み蒸し等の過熱時間、効率の良い調理手順、一度だって手を止めない流れる様な身体の動き、その全てを体得していなければならない。

 だから彼はそれを体得した。体内時間を精確に調整し、手先の感覚を鍛え、調理器具を身体の一部の様に使いこなせるようにし、食材の良し悪しを見抜く目と知識を養い、ソレを効率的に動員させるための身体作りを怠らなかった。

 

 相当な努力の末の料理スタイルである。

 

「ん、微修正……かな」

 

 しかも彼の味覚は、少しづつ正常に近づいている。舌の活動が常人に近づいているのだから、味覚だって常人と同じ程度に回復するのも道理だ。

 だがこの調子ならばおそらく完治までにはまだまだ時間が掛かるだろう。医者も何時治るかは分からないと言っており、明日急激に治ることもあれば、数ヶ月、最悪数年経つ可能性もあるのだ。気長にやっていくしかない。

 

 恋は味覚のズレの修正を完了し、一先ずテーブルの上を片付ける。

 

「今日は日曜日で休みだしなぁ……何をしようか」

 

 普段料理ばかりしてきて、まともに休んだことがない恋。

 しかし此処にきてえりなと再会したおかげか、それ程夢に生き急がなくなったらしい。少しだけ、休日というものの過ごし方を考える程度には心に余裕が生まれた。

 この遠月では休日に、自分の料理の研鑽として新しい料理を作ってみたり、知らない知識を蓄えたりといった研究を重ねることが多い。

 だが、恋は此処に来るまでに数々の修練を重ねてきている。詳しくは省くが、彼の料理に対する知識や技術というのものは、既に一級品の域に到達しているのだ。

 となると、彼が己の進化の為に必要としているのは料理の知識量や技術を高めることはではなく、自分の人間としての中身を積むこと。

 料理と薙切えりなしか己の世界に存在しない彼は、料理をどう振る舞うのか、どう振る舞いたいのか、どう作りたいのか、どうしたいのかが存在しないのだ。

 

 どんな料理を作ろうが、その料理から汲み取られるモノは己の中にあるものしか出てこない。

 

 彼には、人間としての魅力――そして彼自身の人生経験を積むことが必要だった。

 

『――黒瀬、アンタ今暇かい?』

「ん、ふみ緒さん。どうしました?」

 

 するとそこへ、寮母である大御堂ふみ緒の声が掛かった。各部屋に通じている通気口の様な連絡管から聞こえているようで、若干くぐもった声になっている。

 

『アンタに良い知らせを教えてあげるよ。三十分後にある人物の食戟が行われるそうだ』

「ある人物? ……まさか、彼女か?」

『察しが良いね、その通りだよ。薙切えりなの食戟さ』

 

 ふみ緒からの知らせを聞き、恋はすっくと立ち上がる。

 薙切えりなの食戟、つまり今の恋の超えるべき相手の料理。見ない訳にはいかないだろう。

 

「ありがとうふみ緒さん……ちょっと出かけてくるよ」

『フン、まぁアンタと薙切えりなとの間にどんな因縁があるのかは知らないけど、精々色々見てくるんだね』

 

 ふみ緒はそう言うと連絡管の蓋を閉めたのだろう。もう何も言わなかった。

 

「因縁、ね。そんな高尚なモノじゃないさ」

 

 恋はそう呟くと、制服の袖に手を通して部屋を出た。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 "食戟"

 それはこの遠月学園で行われる生徒間の料理勝負。

 この食戟は生徒間に起こった揉め事や、言葉ではどうにもならない決め事を料理勝負で白黒付けるための決闘法だ。

 一応食戟を行うためには、勝敗に拘らずお互いが勝利した時に得られるものの価値が釣り合っていることや、審査員が規定人数居ることなど、必要な条件がある。

 しかしそれさえ突破してしまえば一切の介入を気にすることなく、技術や施設、食材、土地、人材、賭けるものに拘らず奪い合いが出来るということ。

 まぁ、時に勝利そのものが名誉として与えられるような食戟もあるけれど。

 

 ともかく今、私――薙切えりなはその食戟を行う者として厨房に立っていた。

 

 勝負の相手は、ちゃんこ研究会の主将である豪田林先輩。

 相撲の力士の様な大きな身体を持った男子で、立派に髷まで結っている。ちゃんこに興味がある以上相撲も好きなのでしょうけれど、力士にならずちゃんこの研究をする時点で、運動はそれ程得意じゃないのだと思う。

 

 私が彼に食戟を挑んだのは、新しい調理施設としてちゃんこ研究会の部室をいただこうと思ったからだ。碌な実績もないし、それなら私が有効活用した方が有益だと思う。

 まぁ当然納得しなかったので、私の十傑第十席の座を賭けて食戟を行うことにしたわけだ。

 向こうが勝てば豪田林先輩が十傑ということになるのだろうけれど、まぁ私が負ける筈もない。

 

 それに、

 

 ――此処で負ければ私を追いかけている黒瀬君に申し訳が立たないわ

 

「!」

 

 そう思って顔を上げた先に、偶然知った顔が見えた。

 

「黒瀬君……」

 

 目が合って、尚更闘志が燃える。

 彼の目が私だけを見ていた。食戟なんて二の次――彼には私しか見えていない。私だけを見てくれている。

 あの金の瞳に見られているだけで、なんというプレッシャーだろう。いつの間にか背中から食い破られそうな程に、手を伸ばしてくる。

 

 ならば見せてあげましょうか、貴方に。

 

「――貴方の追いかける私が、どれほど高みにいるかを」

 

 料理を出し、審査員の判定が下る。

 三人いる審査員が挙げた札に書かれた名前は、全て『薙切えりな』。この時点で私の圧勝が確定。しかしそれではまだ足りないだろう。

 ケチを付けてくる豪田林先輩。

 だから彼にも私の料理を食べさせた。自分の出した料理と、私の料理の差を知って尚ぼやけるというのならぼやいてみればいい。その全てを捻じ伏せて沈黙させて見せる。

 

 結果、私の料理を一口食べた先輩が崩れ落ち、最早何も言えなくなる。

 

 勝利? まだ足りない。

 

 圧勝? まだ足りない。

 

 完膚なきまでに叩き潰し、審査員の結果を相手にも認めさせる。

 観客にも、相手にも、審査員にも、そして何より自分自身にも、文句は言わせない。ちょっとのケチだってつけさせない。私の料理こそ至高で、究極の高み。

 

 この神の舌を持って私は私の最高を世界に振る舞おう。

 

 そんな"完勝"――それが薙切えりなの勝利なのだ。

 

 

「それでは――ごきげんよう」

 

 

 踵を返して背を向ける。視線を上げれば目を輝かせて笑う黒瀬君がいた。

 

「ふふ……全く、本当に仕方のない子なんだから」

 

 これだけの格の差を見せつけて尚貴方は笑うのね。

 私を追いかけて、私の為に料理を作って、私の笑顔が見たいなんて言う貴方には、私がどれほど高みに居ようが関係ないのでしょうね。結局貴方は追いかけてくるんだもの。

 生まれた時から存在する、味覚という絶対的な才能の差。それさえも己の意志と努力のみで埋めてきたんだもの――このくらいじゃもう、貴方は私を諦めようとは思わない。

 

 本当、これまでこんなに人に想われる様になるなんて思わなかった。

 

 貴方は私の初めての友達。 

 あの日私が風邪を引いていなかったら、貴方が両親に連れられていなかったら、貴方が迷子にならなかったら、私が貴方と会話しようと思わなかったら、こうはならなかった。

 たまたまでも、幸運でも、偶然でも良い。

 

 貴方は私と同じ料理人というステージに立って尚、神の舌(わたし)から逃げなかった。

 

 今はそれが嬉しい。だから私は、そんな貴方に恥じない至高で居続けよう。

 私も貴方の夢が叶うと良いって思うもの。あの日あの時、貴方に出会ったあの瞬間から、私も貴方の笑顔に魅入られた。

 

 大丈夫、貴方ならきっと叶えられる。

 

「いつかきっと、私に美味しいって言わせてね。恋君」

 

 "料理は誰かを想って作るもの"、私は貴方にそう教えたのだから。

 

 



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七話

 最近幸平が色々派手にやらかしているらしい。

 どうも、俺が薙切えりなの食戟を見に行っている最中に、極星の先輩である一色慧先輩が遠月十傑評議会第七席だと判明した様で、早々にその座を賭けて勝負を挑んだのだそうだ。

 まぁ食戟を行う条件とか、賭ける対象の価値がつり合わないとかで断られたらしいけど、その意気は個人的に買いだと思う。

 

 更に現在の話になるが、三日後に食戟を行うことになったらしい。

 相手は一年の中でも有名な女生徒で、中学時代から頭角を現していたようだ。

 名前は水戸郁魅――肉を扱わせれば右に出る者はいないとまで言わせるほど、肉という食材に対する高い調理技術を持った少女だ。裏では『ミートマスター』なんていわれる程の腕前とのこと。

 

 事の発端は丼物研究会という同好会の見学に来ていた幸平が、その丼研に待ち受ける廃部の危機を知ったことにある。

 幸平からすればその丼研にあったレシピは新しいアイデアに溢れていたのだろう。だからそれを廃部にするのは勿体ないと思ったのだそうだ。だから代わりに食戟を受けた。

 

 まぁ負けん気が強いのは良いことだけれど、相手はA5級の肉を用意出来る相手。食材の時点で大きなハンデがあるというのに、どう覆すのだろうか。少し楽しみでもある。

 幸平のことだ――大方格安の肉を使っても、類稀な発想力と向上心で突破してみせるだろう。個人的にも、彼が此処で落ちる様な器には見えなかったしね。

 

 さて、閑話休題。

 

 一方同じ編入生である俺はというと、それ程目立った行動をしていたつもりはないのだけれど、何故かとある人物に絡まれていた。

 と言っても、有名な人物ではない。何か功を成したという話も聞かなければ、顔も名前も知らない男子生徒である。良く分からないが彼の表情から鑑みるに、俺に対して相当な怒りを抱いているらしい。

 

 何かした覚えはないのだけれど、彼はどうして俺に怒りを視線を向けているのだろうか。

 

 個人的にはとっとと逃げたいところだが、此処は校舎裏――所謂行き止まりという奴だ。逃げ場になるのは彼が道を塞いでいる一本道のみ。どうやら話を聞かずに逃げることは出来ないらしい。

 

「それで……君は何の用かな?」

「何の用、だって……? クヒヒ……ソレは貴様が一番分かっているだろう?」

「いや、悪いが皆目見当もつかない」

 

 目が血走って、気味の悪い笑い方をしている。青筋を立てて今にも襲い掛かってきそうだ。なんというか、精神的にぶっ飛んでしまっている気がする手合いだな。

 俺の言葉に今度は拳を振るえる程握りしめている。これは対応を間違えたかもしれない。

 

 もしかしたら彼にも何かどうにも出来ない理由があるのかもしれないな。

 

 

「しらばっくれるなら教えてやるぁ!! 貴様は卑しくも僕のえりなたんに近づき、あまつさえ軟派紛いに言い寄っている!! 正直に言ってやる、迷惑なんだよ!! 僕のえりなたんに近づくなッッ!!!」

 

 

 前言撤回――ただのストーカーだった。しかもかなり悪質なタイプだ。

 確かに彼女は美人でスタイルも良いし、料理の才能もズバ抜けていれば、異性だけでなく同性からも好かれるカリスマを持っている。一般男子からも好意を寄せられるのは不思議なことではない。

 ただ此処までの手合いは俺も初めて会った。というかこんなストーカーがいて、彼女は気付かなかったのだろうか。

 結構抜けているところがあるというか、恋愛感情に鈍いところがあるとは思っていたけれど、此処まで来るともう天然の域だ。少なくとも秘書である新戸は気が付いているべきだと思うが、この分じゃ彼女も気付いていなさそうだな。

 

「で、君のえりなたんに俺が言い寄っている、だったか」

「そうだ! 編入してきたときからずっと彼女の周りを付き纏っていただろう!! 挨拶の時も! その翌日の朝も! この前の食戟の時だって!!」

 

 その言葉が自分に突き刺さっていることは気付けないのだろうか。

 なんというか、こういうのを棚上げというのだろう。にしても全部見られていたわけか。どうやら会話の内容まで知っているようだし、少しばかり気分の良いものではないな。

 それに彼女のストーカーで此処まで気性が荒いというのは、中々心配になるものだ。いつか彼女に対して暴挙に出る可能性だってある。

 

 此処で少し、出る杭は打っておいた方が良いだろう。

 

「それならどうする? 君は俺をどうしたいんだ?」

「フヒッ……この学園にいるんだ……食戟に決まってるだろう? 互いの退学を賭けて勝負だ!!」

 

 彼が出してきたのは、食戟を用いた決着。お互いの退学を賭けた勝負をし、俺に勝つことでこの学園から追い出してしまおうと考えたのだろう。

 奪い合いの料理対決。こういう時はストーカー君に便利なルールだと思う。まぁそんな相手に勝てないようじゃ、この学園にいる資格もないってことなんだろうけど。

 

「……成程、食戟ね。君、名前は?」

「クヒッ……僕の名前は二年の周藤怪(すとう かい)。料理人には礼儀が必要……貴様の名前は言われなくとも知っているぞ……さぁ、僕たちの食戟を始めよう!!」

 

 周藤怪、ね。先輩だったのか、とりあえず覚えた。敬語はまぁ、使わなくてもいいか。

 さて、俺の名前は何処で知ったか分からないけど知っているらしい。貴様貴様と呼んでくるから知らないのかと思っていたけど、存外リサーチは怠らないということなのだろうか。

 まぁ良いとしよう。それより勝手に盛り上がる彼の方が優先だ。

 

 とりあえず返答をしておこう。

 俺は彼に近づいていき、ぽんと肩に手を乗せながら言った。

 

「嫌だ。俺は君と食戟する程暇じゃないし、その条件じゃ俺にメリットがない……それに、君を退学にするのに食戟は必要ないからな」

「なっ……!?」

 

 そう、俺に食戟をするつもりは毛頭ない。

 彼はそもそもストーカー行為をしていて、それが今の日本では犯罪と認められている。このまま新戸の所へ行って彼のことを告げ口すれば、すぐにでもストーカー行為の証拠がボロボロ出てくるだろう。

 そうなれば彼は自然、退学になる。

 実力がないからではなく、人間としての常識を外れてしまったからという理由でだ。料理人としては、中々屈辱的だろう。

 

 だが俺は彼に構っている暇はない。

 負ける気はないし、彼を脅威に思っている訳でもない。それでも、彼には俺が戦う価値が見出せない。実力も相応にあるのだろう。才能も俺以上に持ち合わせているのだろう。

 それでも、俺は幸平ではないし、だれからの挑戦も受けるわけじゃない。

 

 なにより――

 

 

「――私怨の籠った料理を作る人間を、俺は料理人と認めない」

 

 

 これにはストーカーとかは関係ない。ただ、そういう人間を料理人と俺は認めない。誰が何と言おうが、彼はただのストーカーで、料理を私怨を晴らす道具にする愚者だ。俺はそうとしか認めない。

 

「君も料理人なら、少し頭を冷やせ。今はなにもしないでおくが、今後も同じ愚行を続けるなら……相応の対処をする」

「ッ……でも……でも……そんな……!」

「それと、薙切えりなと俺は恋愛関係にはないよ」

 

 それじゃ、とだけ告げて、その場を去る。

 無駄な時間を過ごしたとは思わない。人間とはそういう生き物だと俺も理解しているから、誰かが誰かを想う気持ちは、狂気にもなり得るのだ。

 

 でも、それを料理に込めてはいけない。

 

 俺はそれで、一度―――地獄を見たのだから

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 翌朝、またあのストーカー先輩が俺の所へやって来た。

 しつこいなと思いながらも、顔付きが昨日と違って平静を保っていたので話は聞こうと思う。先輩なので、今回は敬語を使おうと思う。

 

「何の用ですか? 周藤先輩」

「ふ、今更敬語なんて要らないさ。昨日は悪かったね、愚かな姿を見せた」

 

 おっと、昨日のことを謝罪に来たらしい。随分殊勝な姿勢を見せてくるものだ。

 一年に二年が頭を下げるなど、プライドを捨てている。こんな姿勢を見せられると、こちらとしてもこれ以上話を掘り下げるつもりはない。

 

「いえ別に。こちらは特に被害は被っていないので」

「その上で改めて、君に食戟を申し込みたい」

「は?」

 

 しかし次の先輩の台詞には驚きを隠せなかった。

 改めて食戟を申し込んでくるとは予想外。だが今回は私怨という訳ではなさそうだ。だとしたら何故――そう思っているのが向こうにも伝わったのだろう。

 周藤先輩は少し自嘲気味に笑いながら告げてくる。

 

「言いたいことは分かる……だが、昨日一晩考えてみて思ったんだ。幾ら昔馴染みといっても、あのえりなた……薙切えりなが男と親しげに話す筈がないと。彼女は料理に対して他の追随を許さない程の真剣さを持っているんだ……だから、君がこの学校に居る以上彼女は君を料理人として見る。ということは、彼女に料理人として認められていないと君が彼女と親しげに話すなんておかしいだろう?」

「成程……それで?」

「ならば、と……僕は君の実力に興味を抱いた。あの薙切えりなが一目置く料理人……しかも一年だ。新人潰しではないけれど――どれ程のものなのか確かめたくなった」

 

 頭の回転が速いんだか速くないんだか分からない人だな。そこまで深読み出来るのなら何故ストーカーと化したのかさっぱり意味が分からない。

 まぁそれは置いておいて、食戟か。しかも一つ上、二年の先輩だ。

 ソレが意味することは、一年という短くも怒涛の試練を生き延びたということ。

 つまり、これから俺達一年生の中で数百人と落ちていく者がいるこの先の試練を受けながら、百人少しの可能性の中に残った"実力"があるということ。

 

 これはどうするべきかな。

 

「無論負けても退学は無しだ」

「なら何を賭けるんですか?」

「そうだな、勝負自体が目的でもあるわけだから……うん、僕が勝ったら薙切えりなに僕を紹介してくれ」

 

 急に現金な感じになったな。

 

「代わりに」

 

 でも、そのあとに周藤先輩が告げた条件は、俺にとってかなりのメリットがある言葉だった。

 彼が勝ったら薙切えりなに紹介する。それはつまり、遠月十傑評議会第十席である生徒にパイプを繋げることが出来るチャンスを与えるということ。それと等価値である賭け物とは、やはりそれ相応のモノでなければならない。

 

 昨日のこともあったから簡単に考えてしまったが、先輩はそれをしっかりと分かっていた。

 

 故に、先輩の出した対価。それは――

 

「君が勝ったら、僕は現在十傑評議会第八席……久我照紀に君を紹介しよう」

 

 十傑評議会第八席、久我照紀。

 現在二年生で、主に中華料理を得意とする傑物だ。まだ会ったことはないけれど、此処に編入する際に色々調べたから知っている。第八席、現在第十席である薙切えりなよりも二つ上の位に立つ存在か。

 

 でも、本当に薙切えりなより優れた料理人なのか疑問だな。

 

 ちょっとだけ、確かめてみたくなった。会いに行くのも良いけれど、此処は安全策を取る方が無難か。

 

「良いな、その食戟受けよう」

「!」

 

 此処から先、食戟が終わるまで――俺と周藤先輩は対等な料理人。同じ舞台で包丁を握る二人の料理人だ。そこに先輩後輩は関係ない。

 

 実力の高い方が勝ち、敗者は地べたを這いずり項垂れる。

 

「期間を空ける必要はない。"今から"やろうか、周藤怪。なに、審査員はならその辺の講師に声を掛けるさ」

 

 

 ◇

 

 

 食戟を受けると言った瞬間、目の前の一年――黒瀬恋の雰囲気が変わった。

 

「今からやろうか、周藤怪」

 

 その口調からは、既に僕のことを先輩だという認識で見ていないことが分かった。恐ろしいまでの切り替えの早さ、そして深さだ。此処まで瞬時に人を見る目を変えられるのか、この男は。

 一瞬、厨房を挟んで向かい合っている様なイメージすら見えた。ご丁寧にイメージの中では服までお互い調理をする時の服で、包丁を突き付けられている様な迫力に圧倒される。

 

 まるでスイッチを入れるように此処まで深い集中力を発揮することが、果たして普通の人間に出来るものなのか。

 

「なに、審査員ならその辺の講師に声を掛けるさ」

 

 まるで誰が審査員でも関係ないと言わんばかりの言葉。自信なのか、それとも別の何かなのか、はたまた――それでも負けるなどありえないという意志の強さなのか。

 

 ついさっきまでは何の覇気も感じない男だった筈だ。下手すれば、その辺を歩いている凡百な捨石と見間違う程、存在感が希薄で何も感じ取れないような奴だった筈だ。

 なのに、料理人としての顔は全くの真反対。対峙しているだけで食い破られそうな迫力と威圧感を感じる。

 

 これで本当に一年なのか――!?

 

 金色の瞳が鋭く光り、僕を射抜く。

 この時僕は思った。一年を勝ち抜いた僕でも、一瞬で思わされてしまった。眠れる獅子を起こすどころか、龍の逆鱗に触れてしまったと。まぁ怒りを買ったわけではないが、そういう比喩だ。

 

 気を抜けば一瞬で呑まれる。

 

 彼には料理人として完成された何かがあった。

 

「さ、リクエストを聞こうか」

 

 彼はそう言って、べ、と綺麗な赤い舌を出した。

 

 



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八話

 唐突にも開始された食戟。

 相対するは、編入したばかりの一年と、既に一年間の篩を超えてきた二年という異色の組み合わせ。この時期にしてみれば、早過ぎる衝突と言えるだろう。

 黒瀬恋と周藤怪――十傑をも巻き込んだこの戦いは、話の起こりから即刻行われたにも拘わらず、大勢の観客を呼び寄せる。

 

 審査員は黒瀬恋が走って連れてきた講師陣。それぞれ専門分野は違うものの、確たる実力と実績を持った料理人達だ。審査員において、不足はない。

 

 調理台を挟んで向かい合う二人の料理人は、既に調理衣服に着替えている。

 黒瀬は黒い長袖のコックコートに、同質の黒いズボン。その上から、腰に巻くタイプのソムリエエプロンを付けていた。

 黒い髪に金色の瞳は、その姿も相まってぎらついた迫力と覇気を感じさせる。

 対する周藤の方は、普通の白いコックコート。

 表情は少しばかり浮かないが、それでも己が望んだ食戟が出来るということに得体のしれない高揚感もあるようだ。浮かない表情に反して、好戦的な笑みも浮かんでいた。

 

「多少唐突で驚きもしたが、これはこれで好都合だ」

「俺としても、早い内に食戟が成立して良かった。こんなところで躓いてもいられない……悪いが勝たせてもらうぞ、周藤怪」

「良いだろう……僕の目的は君の実力を知ること……だから題は君の得意ジャンルで良い。何が良い?」

 

 勝負の前の話し合い。

 内容は、勝負のルールとテーマを決めるというもの。元来こういう話は公平を期すための決め事だが、互いの目的を考えて黒瀬に有利な話になっている。

 周藤の言葉に対して、黒瀬は顎に手を当てて短く思考する。

 彼は得意料理と言われても、これといった得意料理はない。何故なら、味覚が正しい情報を与えてくれない以上、これが得意だと思うことがないからだ。

 

 しかし、それでも自己評価ではなく――他者からの評価で凄まじいと評されるジャンルならばある。彼の料理で凄まじいのは、基礎のプロセス全てを洗練した調理技術の高さ。

 数ミリの誤差も許さぬ、精密さと正確さ。そして味見をせず、味覚以外の徹底して鍛え上げられた感覚が織り成す味。その芸術的なまでの繊細さにある。

 

 故に、此処で彼が出した題材は――

 

「ルールは、互いに同じ料理を作ること。そしてその料理は、和食の定番……肉じゃがだ。この国では、おふくろの味という言葉の代名詞にもなるくらいだ。持って来いだろう」

「……良いだろう。それにしても、中々難しい題だな」

「安心しなよ、俺もそう思う」

 

 和食だった。

 肉じゃがは日本で全国的に親しまれている家庭料理である上に、おふくろの味と言われる様な代表料理だ。

 もっと大きな括りで言えば、和食とは見た目や色使いといった観点で、繊細さや芸術要素が重要さを持つ料理だ。一つ一つの料理の量は大分物足りないのだが、腹を満たすというより、芸術的な見た目や繊細な香りといった鑑賞的な楽しみ方をする料理といえよう。

 

 まさしく、黒瀬恋にぴったりのジャンルだ。

 

「じゃ、始めようか」

 

 細かな規定が定まった所で、調理が始められる――

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 黒瀬と周藤の食戟。その注目度は、観客の数に反して然したるものではない。

 言ってしまえば、十傑やそれに準ずる実力者達にとってはそれ程興味を惹かれる勝負ではないということだ。故に、見に来る観客の殆どは、黒瀬という編入生の実力如何を見に来た者ばかりだ。

 

 しかし、それでもこの食戟を見に来た十傑メンバーがいた。

 

 一人は分かりやすい。薙切えりなだ。

 十傑第十席にして、遠月開闢以来の魔物と評された、神の舌を持つ少女。黒瀬が食戟をするということで、自分の応援にも来てくれたお返しも兼ねているのだろう。

 まぁ、黒瀬が気になったというのが最たる理由だろうが。

 続いて二人目、ある意味当然といえる一色慧だ。

 十傑第七席にして、黒瀬の住まう極星寮の先輩。まぁ彼にしてみれば後輩の晴れ舞台だ。後輩を大切にしている彼としては、見に来ない理由はなかったのだろう。

 

 そして最も以外だったのは、最後の十傑メンバー。

 

 三人目、遠月十傑評議会第八席――久我照紀だ。

 

「アハハ☆ 周藤ちんが俺の名前を借りたいっつーからどんな相手かと思ったけど……一年の雑魚じゃん。期待外れだなぁ」

「……」

「で、も、まさか俺以外に見に来る十傑が二人もいるってことは……そうでもないのかな?」

 

 調理が開始されてから、VIPルームともいえる観戦室で件の久我はそんなことを口にした。えりなも一色も、その言葉に対して無反応を貫いている。

 十傑の中でも久我はかなり軽い性格で、かなり口数が多い。

 更に言えば、十傑としてのプライドなのか自信なのか、格下を見下す傾向がある。雑魚などの言葉が出て来るのも、その性格ゆえだろう。

 

 まぁ十傑同士仲が良いという訳でもない。口数が多くとも、会話が弾むという訳ではないのだろう。

 

「そういえば、久我君。君と周藤君はどんな関係なのかな?」

「ん? ああ……周藤ちんは俺の資材提供者(スポンサー)関係の人間なんだよ。彼の家は巨大ではないけど、質の良い貿易会社でね。そこは、香辛料とか俺の料理研究に役立つ物資を提供してくれてるんだ☆ その関係で知り合ったって感じ?」

「成程……ということは、彼の得意料理は君と一緒で中華料理なのかい?」

「んー、まぁそれもあるけど……どっちかというと、周藤ちんは料理人というより研究者の面が強いんだ」

 

 久我はガラス越しに周藤を見下ろし、不敵に笑う。

 

「彼は料理人として腕を磨いていたのなら、この遠月でも上位に食い込む実力の持ち主さ☆ 何せ――」

 

 視線の先では、周藤が丁寧に下拵えと調理を進めている。

 その様子は、食戟開始前とは別人の様に集中しており、その調理風景は一目でその腕の高さを伺わせた。

 久我曰く、料理人ではなく、研究者――それが意味する所は、彼には己の料理に対する理解が深いということである。

 

 そして久我は言う。周藤怪、その男の実力は、

 

「一年の時、秋の選抜に選ばれた上に……俺が居なきゃ決勝トーナメントに出れていた程だからね☆」

 

 決して並の二年生ではないのだと。

 

「……それでも、黒瀬君だって並じゃないわ」

「お、えりなちんはあの一年生クンの肩を持つのかい? こりゃ噂もあながち間違ってはいないのかな?」

「噂……?」

 

 他の二人が周藤を推していくのが気に障ったのか、沈黙を破った薙切えりな。しかし、それが久我の目にどう映ったのかは定かではないものの、久我は妙ににやにやしながら含み笑いを漏らす。

 どうやらえりなと黒瀬の二人には、遠月の中で何やら噂が流れているらしい。それを知らないえりなは首を傾げるが、久我は面白そうにそれを教えてくる。

 

「くふふふ~♪ えりなちんと、あの一年生クンが……良い仲だってウワサだよん☆」

「なっ……そんなことある訳ないでしょう!? ……ただの幼馴染よ」

 

 それは、二人が付き合っているという噂。

 まぁ、この学園に彼が編入してから、えりなと黒瀬が楽しげに話している光景はそう珍しくない頻度で見られている。えりなの性格と立場からすれば、そういう噂が流れるのもおかしくはないだろう。

 

 頬を一刷け朱に染めながらえりなはそれを否定したものの、しかしその態度はそれ程嫌ではなさそうだ。

 久我はそんな姿が見て、面白いものを見たとばかりににんまりと笑みを浮かべる。

 

「……はぁ……確かに周藤先輩は嘗て秋の選抜に選ばれているわ。資料によれば、授業でもイベントでも、安定して高い成績を残していた」

「うんうん☆」

「それでも、この食戟……勝つのは黒瀬君よ」

「ほほう、その心は? 幼馴染だから彼の料理スタイルを知っているんだろうけど……君にそう言わせるほど、彼は和食が得意なのかい? それとも、純粋に彼の実力が高いのかな?」

 

 久我の言葉に対し、えりなはフ、と笑みを浮かべた。

 まるで何を分かり切ったことを、とばかりに視線を黒瀬の方へと向けたえりな。これと言った根拠はない。確かに彼女は、黒瀬の実力が高いことも知っているし、抱えている問題や並々ならぬ努力も理解している。

 

 それでも、そんなものは関係ない。関係なくとも、彼女は黒瀬が勝つと信じている。

 

「決まってるわ、だって……」

 

 多くの人は大抵それを、惚気(のろけ)と呼ぶ。

 

 

「彼は――私を笑顔にしてくれる料理人だもの。こんな所で負ける筈ないじゃない」

 

 

 穏やかな微笑み。黒瀬恋という幼馴染に絶対の信頼を寄せていることが分かる程、揺るぎない声音だった。

 久我も一色も、そんなえりなの表情と言葉に目を丸くして呆然とする。

 ごく最近のことながら、十傑評議会に彼女が入って来た時は、それはもう凄まじい重圧(プレッシャー)と玉としての覇気を感じたものだ。

 

 なのに今目の前にいる少女は、年相応の恋する女の子そのもの。想像していなかった彼女の柔らかな一面。

 おそらく彼女は全く意識していないのだろうが、それはお喋りな久我を持ってしても、

 

「はぁ……ごちそーさま」

 

 到底からかえるような空気ではなかったようだ。

 

『勝者――黒瀬恋』

 

 そして食戟の結果、勝利したのはえりなの言う通り黒瀬恋だった。

 その勝利宣告に満足気な笑みを浮かべたえりなは、踵を返して観戦室を出ていく。もうこの場に居る意味はないとでも言わんばかりの去り方。

 

 久我としては、周藤が負けたことに対して多少納得のいかない所があったものの――えりなの有無を言わさない言葉を聞いた後だと、なんだか当然の結果の様に思えてしまうのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 勝利したのは、黒瀬恋だった。

 まぁ最初から考えてみれば、研究者として腕を磨いてきた周藤と、常に高みを目指して料理人として腕を磨いてきた黒瀬。純粋な調理技術を見れば、黒瀬が勝つのはある意味当然ともいえた。

 

 彼らが作った肉じゃが。

 

 その評価だが、決定的な差が出たのはやはり調理技術の高さにあった。煮物といえば、煮込む際の熱の通し方や、食材の下拵え、調味料の量や入れるタイミング、煮込む時間等、和食ならではの繊細な調理が求められる。

 急な食戟、急な調理故に、彼等が肉じゃがにした特別な工夫などはない。純粋に基礎レシピに沿って同じ調理方法で同じ肉じゃがが作られたのだ。

 

 それはつまり、純粋な調理技術の高さや食材に対する向き合い方が上手い方が勝つということ。

 すると、講師すら認める高い調理技術を持つ黒瀬恋だ。この戦いで彼が勝つのは最早必然と言えた。

 

「なるほど……見ていれば分かる。君の調理技術は非常に高い……食材を殺さず、一切ミスのない調理、しかもあらゆる調理プロセスが最適かつ最も良いタイミングで行われている。手際が良いどころではないな……君の調理は理想的だ」

「ありがとうございます……でも、俺の料理はまだまだです。俺の理想には遠く及ばない」

「ふ、完敗だ。その飽くなき向上心は、感服するよ」

 

 周藤は敗北を認め、黒瀬恋を認めた。これほどならば、確かに薙切えりなが認めるのも分かる気がしたのだ。

 おそらく黒瀬はまだ本気を出してはいない。純粋に調理技術のみを振るう今回のテーマにおいて、確かに調理で手は抜いていないだろうが―――それでも彼の料理はまだ先があるような気がした。

 

 まだその領域に至っていないのか、はたまた出し惜しみしているのか、それは定かではないが――周藤は彼の実力が一年生という枠を軽く逸脱していることを理解した。

 

「では、約束通り今度久我を紹介する場を設けさせてもらう。セッティングが完了したら連絡しよう」

「はい。それでは、俺はこれで」

 

 食戟が終わったから、黒瀬の言葉は敬語に戻っている。

 約束が守られることを確認した黒瀬は、ふとVIPルームの方を見て、ふと笑う。既に薙切えりなの姿はなかったが、それでも彼女が見に来ていたことは分かっていた。

 

「……少しは格好良いところを見せられたかな?」

 

 そんなことを呟きながら、黒瀬はその場を後にした。

 

 



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九話

 黒瀬恋が周藤怪との食戟に勝利してから数日。

 二年生に勝利したことで、幸平創真ほどではないが、彼の名も学園内に広く知れ渡ることになったらしい。ただ歩いているだけだと言うのに、彼は多くの視線を感じる生活に変わったことを感じている。

 といってもそれは彼の実力だけではなく、彼の整った容姿や貫禄、どっしりとして余裕のある雰囲気から、異性としての魅力を感じさせていることも要因の一つ。

 

 とどのつまり、彼は実力を示したことで注目され、結果モテ始めたのである。

 

 同級生の女子からはよく声を掛けられるようになったし、アプローチのような行動を取られたこともある。今では授業中以外、彼の周りに女子生徒が一人はいるような状態なのだ。

 そのモテっぷりは、極星寮の前に出待ちする生徒まで現れる程である。

 勿論、彼女達も遠月の人間。成績に影響が及ばない範囲でやっているのだろうが、恋としてもここまでモテるのは予想外だった。

 

「むむむ……」

「えりな様……」

 

 だが、そんな彼の状況に不満を持つ少女が一人。

 薙切えりなである。

 

「なんなのよ……今まで見向きもしてなかった癖に、たった一度食戟に勝っただけで黒瀬君黒瀬君って言い寄って」

「え、えりな様……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、えりなはコツコツと指先でテーブルを叩く。

 私は不機嫌ですと隠しもしない表情に、秘書である緋紗子もたじたじだ。あからさまな嫉妬っぷりに、もう絶対黒瀬のこと好きじゃんとツッコみたくなる。だが言えないのが秘書の立場としてもどかしい所だ。

 もっと言えば、最近恋とえりなは全く会えていなかった。

 えりなは遠月十傑第十席としての仕事があったし、近々行われるイベント(・・・・)の準備など色々忙しかったのだ。仮にそれがなかったとしても、恋は恋で自己研鑽に励んでいたし、それ以外では極星寮の面々やアプローチを掛ける女生徒に囲まれていてそれどころではなかった。

 

 結果的に、えりなと恋は同じ学園内にいるにも関わらず、一週間近く会えていないのだ。

 

 お互いの姿を見かけることはあれど、話をすることは一切出来ていない。

 そういう訳で、恋はともかくえりなはフラストレーションが溜まりまくりなのだ。

 

「えりな様……仕事も急ぎではないですし、休憩がてら黒瀬に会いに行かれたらよろしいのでは……?」

 

 それを見かねて緋紗子がそう提案する。

 だが、えりなは一瞬喜びの表情を浮かべたものの――ハッとなるとふくれっ面を浮かべてそっぽを向いた。

 

「ふ、ふん! 何故私がわざわざく、黒瀬君に会いに行かないといけないのよ!」

「……めんどくさいなー」

「何か言った!?」

「いえ別に」

「とにかく! 私は黒瀬君に会いたいなんてこれっぽっちも思ってないんだから! ……ま、まぁ彼の方から会いたいっていうなら、その……会ってあげないこともないけれど」

 

 心の底から面倒くさいと思った緋紗子。

 それもそうだろう。えりなは幼少期よりそのプライドの高さで損をしてきた人間なのだ。今更そのプライドを曲げることなど、余程のことがない限りは出来ないだろう。

 今回のことだってそう。恋の状況に嫉妬して自分から会いに行くなど、なんだか負けたような気がして素直になれないのだ。本当は今すぐにでも会いに行きたいくせに、プライドが邪魔して素直になれず、嫉妬と自尊心の狭間で彷徨ってしまっている。

 

 全くこのお転婆お嬢様は、なんて思いながら緋紗子は溜息をついた。

 

「じゃあ黒瀬を連れてきましょうか?」

「え!? ど、どうしてそうなるのよ! べべべべ別に彼に用事があるわけでもないのにそんな必要はないわけであってだからといって嫌な訳ではないけれど緋紗子がどうしてもっていうならでもだからあれはこうであばばば」

「では、失礼します」

「ちょ!? ちょっと待って緋紗子ぉ!?」

 

 緋紗子は構わず部屋を出た。

 付き合っていられない、さっさと恋と会わせてストレス発散して貰おうと思ったのだ。少しの間だろうが、会わせてしまえばどうとでもなるだろう。

 恋とてあれだけえりなのことを想っているのだから、同じように悶々としている可能性は十分ある。

 さながら気分は恋のキューピットだ。やれやれこんなのは秘書の仕事ではない。

 

 でも、悪い気分ではなかった。

 

「緋紗子、待って、ねぇ本当に会うの? ねぇ待ってってば」

「待ちません」

 

 後から引き留める声をあげながらも強引な手に出ない主人、そんな彼女のいじらしい様が微笑えましいからだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 行きかう人に話を聞きながら、恋を探すこと十分ほど。

 えりなは生徒達に見栄を張るために凛とした様子で付いてきているが、視線が挙動不審だ。内心ではまだそわそわしているらしい。生徒達の前では緋紗子に抗議することも出来はしない。流されるままについて行くしかなかった。

 

 緋紗子はそんなえりなを引き連れながら、ようやく恋を見つけた。

 校舎の外に設置されたベンチで料理本か何かを読んでいる。隣には幸平創真と田所恵がいるようで、時折振られる言葉に返しては本に集中している様子だった。

 本を読むために友人を蔑ろにしないのは、恋らしいというべきだろうか。

 

「お? 薙切じゃん」

「ええ!? な、薙切さん!? あ、新戸さんも……こ、こんにちは」

 

 近付くと、幸平創真と田所恵が自分達に気が付いた。

 緋紗子は彼らに自己紹介していないので、一歩前に立っている自分よりも顔見知りであるえりなの方に注目するのは仕方のないことだろうと思いながら、会釈する。

 すると、その言葉に反応して恋が本から顔を上げ、視線を送ってくる。

 

「あ……ぅ……」

 

 ばち、とえりなと恋の目が合うと、えりなはすました態度を保つことが出来ず、見るからに狼狽える様な表情で言葉に詰まる。

 会いたいと心の奥底では思っていたけれど、いざ会ってみると何を話して良いやら分からないのだ。そもそも話したいことがあったから会いたかったわけではない。

 ただ、自分よりも多く別の女生徒が恋と過ごしているのが嫌だっただけで。

 

 だが、どうしたらいいのか分からずに俯きそうになった時だ。

 

「あぁ……なんだか久しぶりだな」

 

 黒瀬恋が、心の底から嬉しそうに微笑んだ。

 

 周りに人がいるのが分かっていないかのような、無防備な表情。

 えりなにだけは自分の全てを見せても大丈夫と言わんばかりに、恋はえりなに飾らない喜びを見せる。それは、彼の表情を見ていた緋紗子や創真達ですら、一瞬ときめいてしまう程魅力的な表情だった。

 温かい風が吹き抜ける様な、そんな衝撃すら感じてしまう。

 彼のそんな表情を見た者全てが、一瞬時が止まったかと錯覚するほどに。

 

 えりなはそんな彼の表情を見た瞬間、うじうじ悩んでいたことが全て消え去っていくのを感じた。そして身軽になった心が、それでも残ったものを素直に表に出してくる。

 

「……もう、ずるいわ」

 

 そんな顔をされたら、何も言えなくなってしまった。

 恋愛に疎い自分であっても、そんな顔をされたら分かってしまう。どれほど彼が自分のことを想っているのかくらい、すぐに分かってしまう。

 ああ、彼はこんなにも自分のことを大事に想ってくれている。

 えりなの顔は、全く仕方ないんだからという笑みを浮かべていて、恋を見つめる瞳には熱が籠っていた。顔が熱く、心臓の音がうるさい。

 

「はっ……あ、あー……田所、俺ら席外した方がいいんじゃね?」

「あっ……そ、そうだね、黒瀬君、私達先に寮に戻ってるね」

 

 えりなが言葉を発した瞬間、創真達は我に返る。

 如何に鈍感な創真でも、この場に自分達がお邪魔なことくらいは察したらしく、恵に声を掛けて寮へと戻ることにした。

 ちなみに、緋紗子は我に返った瞬間姿を眩ませている。秘書として、またキューピットとしてとても有能な女、新戸緋紗子である。

 

「え? なんでだ?」

 

 だが当の恋は、そんな彼らの気遣いに気が付かない。自分がどんな表情をしているのか、自覚がないらしい。

 流石に創真でも分かる。恋愛感情かどうかは分からないとか言っておきながら、確定じゃねぇかと思うくらいだ。男の自分でもときめいてしまうくらい魅力的な笑顔を浮かべられる相手なんて、そんなの好きな人に決まっている。

 

「お前、今自分がどんな顔してっか自覚した方が良いぞ」

「じゃ、じゃあまたね、黒瀬君、薙切さんも」

 

 創真は呆れたようにそう言って、ハイハイお粗末お粗末~と言いながら去っていく。恵もぺこりと一礼して、創真を追いかけて去っていった。

 恋は首を傾げながら、自分の顔をぐにぐにと揉んでみたが、鏡は持ち合わせていないので創真の言葉の意味は分からなかった。

 

 まぁいいかと思い、恋はえりなの方を見て立ち上がった。

 すると、えりなも創真と同じように呆れた様子で額に手を置いていた。自覚のない恋に危機感を抱いたのだろう。

 

「黒瀬君……貴方、さっきの顔は他の人には見せない方がいいわ」

「さっきの顔?」

「だからっ……あの……とにかく! さっきの顔は私以外にはしないこと!」

「? よく分からないけど、分かった」

 

 首を傾げた恋の様子に、えりなはぐぬぬと唸る。

 もしもさっきの表情を他の女生徒に見られたら、彼に恋をする女生徒は絶対に増える。それは嫌だと思った。別に自分は彼の恋人ではないし、彼を独占する権利などないが、恋が自分以外を見るようになるのは絶対に嫌だった。

 

 人はそれを恋と呼ぶのだが、えりなもえりなで大分拗らせている。

 きっと自分は恋のことを好きなのだろう、というのは自覚したものの、告白するという発想が一切ないらしい。彼女は恋人になるにはどうすればいいのか、よく分かっていないのだ。

 

「……」

「……」

 

 無言になってしまう二人。

 話すことがないのだ。

 

「はは、いざ話そうとすると、話題が見当たらないな」

「そ、そうね」

 

 恋はそんな状況におかしくなったのか、零れる様に笑った。それをきっかけに緊張がほぐれたのか、えりなも自然と笑みを浮かべてしまう。

 恋がベンチに座り直し、えりなが座れるよう空間を空ける。えりなもそれを受けて、別段言葉を交わすことなく素直に恋の隣に座った。

 

 二人並んで、遠月の校舎や行き交う生徒達のいる光景を見つめる。ゆっくり流れていく時間の中に身を任せ、隣にいるお互いの呼吸や鼓動を感じていた。

 狙ったのかは分からないが、座っている彼らの距離は殆どない。肩と肩が触れ合い、少し動けば膝がぶつかる様な位置。自然と座ったらこんな近くに座っていたというのだから、彼らの心の距離がどれほど近いのかが分かる。

 

「……」

「……」

 

 言葉は交わさない。

 無言の状態だったが、心地いい時間が流れていた。お互いにお互いを信じているから、話題がないのなら無理に会話をする必要はない。ただ一緒にいるだけで、二人の心は満たされていた。

 

「……ん?」

「……」

 

 ふと、恋の肩にえりなの頭が寄り掛かる。

 眠ったわけではないが、表情を見るに殆ど無意識に寄り掛かって来たらしい。ぼーっと景色を見ながら、心地良い方へと身体が動いた様だった。

 恋はなんとなくソレが嬉しくて、視線を前に戻して彼女のしたい様にさせる。自分に寄り掛かる程に信頼してくれているのなら、それは恋にとってとても嬉しいことだ。

 感じていたものに、お互いの匂いや熱も加わると、よりお互いに胸が満たされるのを感じた。

 

 恋人ではないが、恋人のような絆で結ばれている二人。彼らが本当に恋人として結ばれるのは、いつになるのか。

 

 それから一時間ほど、二人はそのまま無言の逢瀬を続けた。

 

 

 



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強化合宿編
十話


 ―――遠月学園 宿泊研修。

 

 それは、この遠月学園高等部の入学して最初の学校行事にして、第一の篩だ。

 日程は五泊六日、その間幾つもの料理課題が出され、それを達成出来なければ即退学という凡人を蹴落とす気満々の恐ろしい行事である。

 そしてその審査員として歴代遠月学園で戦い、無事に卒業していった卒業生達を呼ぶというサービス精神満点の駄目押しさえあった。遠月において入学した全生徒の中、卒業まで到達出来るのはほんの数%、彼らは一桁の人間しか到達出来ない場所に立った、超一流の料理人なのだ。

 一学年の中に存在する凡庸な石は、この時点で退場して貰うということなのだろう。

 

 事実つい先程男子生徒が一人、整髪料の匂いが原因で退学を貰った。

 

 その退学を言い渡した卒業生は、四宮小次郎。

 かつて遠月十傑第一席を手にし、卒業後はその年のフランス料理の発展に最も貢献した者に与えられる『プルスポール勲章』を手に入れた男。

 フランスに自分の店を持ち、肉料理に重きを置きがちなフランス料理において、野菜料理(レギュム)に視点を置いた料理を作ることから『野菜料理(レギュム)の魔術師』とも呼ばれている。間違いなく超一流の料理人だ。

 

 だが恋はそんな彼を見て、すぐに分かった。

 

 ―――まるで八つ当たりだな。

 

 実力は確かに超一流なのだろう、大勢の生徒の中整髪料の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚も凄まじい、ほんの些細なことですら店の不評に繋がるなら排除するストイックさも確かに一流だ。

 けれど感情を形にする料理人である恋は、四宮の心境に僅かな陰りを感じていた。

 その姿はまるで八つ当たりをする子供の様で、何処か痛々しい。これが超一流の料理人の姿なのかと、疑問を抱いてしまう。

 

 とはいえそんなことは今、関係ない。

 まずはこの宿泊研修を生き残ることが最優先であって、卒業生の一人の様子がおかしいという要素など、恋にはなんら問題ではない。

 

「黒瀬君、この宿泊研修では並の生徒が全員落とされる。貴方の技術は一級品ではあるけれど、技術だけなら宿泊研修なんてする必要はないのは理解してるわよね?」

 

 そう思考を打ち切った恋に、えりなが話し掛けて来た。

 先日の様子とは裏腹に、今日はどこかシリアスな雰囲気を纏っている。まさしくお嬢様然とした佇まいだ。まぁ、その言葉の裏には恋が退学にならないかという不安があるので、どこかそわそわしているのだが。

 

「まぁな……おそらくは料理人に必要な能力が試されるんじゃないか。調理技術は勿論、現場での対応力、知識……技術だけ持っていても現場で活かせないなら意味がないからな」

「その通り。あの卒業生の先輩方は超一流の料理人、少しでも下手な姿を見せれば即座に退学にされる……精々気を引き締めた方が良いわよ」

 

 えりなの言葉に心配の色を感じた恋は、クスリと笑みを浮かべる。

 気の強い、ともすれば見下している様な台詞を言うえりなだが、恋はえりなの表情や声色から、心は字面通りではないのだろうと察していた。素直になれないえりなお嬢様は、本性では優しいのだ。

 そしてえりなも、恋が自分の心を見透かしたように笑うので、うっ、と気恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 イチャイチャするな、同期達の心が一致した瞬間だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 課題は、卒業生の人数分生徒達をグループ分けして、卒業生のグループごとに行われる。

 恋が振り分けられたのは極星寮の面々とは別のグループだった。創真と恵は同じグループとして別の場所へ向かっていったようだが、恋の知り合いは同じグループには見当たらなかった。

 そして恋のグループを担当する卒業生は、

 

「おはよう諸君、79期卒業生の四宮だ。俺のグループではチームは組まない、個人個人の能力を測らせてもらう……課題は俺の指定した料理を作ること、ルセットを配るから回せ……ちなみに、ルセットの内容は公言禁止だ」

 

 四宮小次郎だった。

 彼が入って来てからピリついた調理場、同じグループの生徒達の表情に緊張感が走っている。まぁ、紹介されて早々に一人を退学にした男だ、恐れるのも無理はないだろうが。

 

 張りつめた空気の中で、四宮のルセットが回されてくる。

 フランス料理の野菜料理を得意としているだけあって、ルセットの内容は当然の様に野菜料理。

 公言禁止というからには、おそらく全グループに同じメニューで課題を与えるつもりなのだろう。まだ課題を受けていないグループに対して、事前情報を与えるのは禁止ということか。守秘義務を守るのも、料理人には必要な心得だ。

 

「食材はまとめてあそこに置いてある。開始の合図と共に好きな材料を確保して調理に入れ……制限時間は三時間、では――取り掛かれ」

 

 開始の合図が出た瞬間、その場に居た全員が食材に向かって走り出した。

 恋も例外なく食材の確保に臨んでいるが、他の生徒達よりも幾らか早く食材を確保し終えていた。食材に近い場所にいたというのもあるのだろうが、スタミナを付けるために身体を鍛えている恋にしてみれば、他の生徒達の動き出しや移動速度は遅かっただけだ。

 

 後はルセットを見て、いつも通り調理するだけ。

 

「さて……やるか」

 

 恋は袖をまくって調理を開始した。

 

 

 ◇

 

 

 そしてそれから少しして、恋は一番最初に四宮の下へと完成した料理を持って行った。

 課題料理はテリーヌ。各野菜の色と甘みを楽しむ料理故に、見た目の華やかさは勿論、調理工程一つ一つを丁寧に仕上げなければ、味と色のハーモニーは生まれない。

 だが、そこは恋の得意分野だ。

 現に四宮に差し出されたテリーヌは、完璧な色合いで仕上げられている。四宮もその見た目の良さに内心では感心していた。

 

「(見た目は完璧(パーフェクト)だ……寸分の狂いもない出来栄えじゃねぇか、調理工程に一切のミスがないことが見ただけで分かる)」

 

 食材選びの段階から頭一つ抜き出た動きを見せていた恋、当然四宮もそれを見ていた故に、一番最初に調理に入った恋に注目もしていた。しかも掛かった調理時間も十分早い―――ミスのない調理なだけでなく、調理工程にほぼロスタイムがない。つまり調理において無駄な動きがないことも理解出来た。

 この段階で四宮の恋に対する評価は高い。

 

「では審査しよう」

 

 そして実食。四宮はテリーヌをナイフで切り、フォークで上品に口に運んだ。

 とはいっても、四宮は実食するまでもなく合格点であると予想していた。ミスのない調理、完璧な見栄え、これで味が伴わないというコミカルな現象が起こるなら、まともな料理人はいない。

 四宮は少し咀嚼してから、自分の予想が当たっていたことを確認して頷いた。

 

「合格だ、お前……名前は?」

「黒瀬恋です、四宮シェフ」

「覚えておこう」

 

 恋は無事合格。

 

 余談だが、この後同じグループ内の生徒達の約30名が退学を言い渡された。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ホテルに帰って来た恋達を待っていたのは、次なる課題だった。

 合宿中のボディービル部の皆様に、牛肉ステーキ御膳を五十食作るというシンプルなもの。ただし、制限時間は一時間という鬼のタイムアタック。

 終わった者から自由時間になるということで、第一の課題を終えた全員が、疲労の中死にもの狂いでステーキを焼き続けた。

 そんな中、恋は真っ先に課題をクリア。

 調理工程にほぼロスタイムの無い恋にとって、こういう課題はお手の物だ。しかも身体を鍛え、スタミナの多い恋は、何食かを同時進行で作ることも可能だ。正確に、精密に、一切の無駄なく調理をこなせる恋にとって、この宿泊研修の課題は相性抜群と言えた。

 

 恋は課題をクリアしてから、早々に風呂へと向かう。

 全員がステーキを焼いていた調理場は中々に暑い。だから少なからず汗を掻いたのだ。部屋に戻って浴衣や入浴セットを持ってきた恋だが、大浴場が何処か分からず少し迷っていた。

 

「此処か?」

 

 そして少し歩いて辿り着いた大浴場。

 露天風呂もあるようで、遠月リゾートに相応しい豪華な作りに圧倒されてしまう。恋も風呂は嫌いではないので、脱衣所で服を脱ぎながら期待に胸を膨らませる。

 

 脱衣所を抜けて浴場に入ると、そこには広々として空間に大きな浴槽が待ち構えていた。大勢の宿泊客を迎えるためか、身体を洗うスペースとシャワーの数はかなり多く、浴槽もプール並に広い。

 

「おお……凄い」

 

 手早く身体を洗って、浴槽に浸かる。

 

「あぁ~……これは気持ちいいな」

 

 ほぅ、と息が漏れる。

 身体の疲れがじんわりと溶けていくような感覚に、得も言われぬ快感を感じた。身体の芯から温まるこの気持ち良さには、中々抗いがたい魔力が秘められている。流石遠月リゾート、癒しの施設には力が入っていた。

 

 ふと見ると、露天風呂に繋がる扉が目に入る。

 屋内の浴場でもこの豪華な作りなのだ、露天風呂がどれほどの物か期待してしまうのは、仕方がないことだろう。

 

「露天風呂~」

 

 広いお風呂に気分を良くした恋は、腰にタオルを巻いて鼻歌交じりに露天風呂へと足を踏み入れた。期待通り、そこには広い露天風呂が広がっている。

 満天の星空を見上げながらお湯に浸かれば、これもまた趣きのあるお風呂の楽しみ方だ。満足満足、と恋は露天風呂を堪能している。

 

 すると、竹で作られた仕切りの向こうから、露天風呂に入ってくる音が聞こえた。

 

「ん? 女湯にも課題クリアした奴が入って来たのか……早いな」

 

 どうやら女湯にも恋と同じ位早く課題をクリアした人間がいるらしい。女性は髪を洗うのに時間が掛かる故に、もしかしたら浴場に入ったのは恋よりも早いかもしれない。

 

「はぁ……気持ちいい」

 

 仕切りの向こうで浴槽に浸かったのか、そんな聞き覚えのある声が聴こえてきた。

 

「まさか薙切か?」

「ふぇ!? く、黒瀬君!?」

 

 どうやら仕切りの向こうにいるのはえりなだったようだ。

 まぁ、これほど早く課題を終える女生徒と言えば、えりなくらいしか思いつかない。当然と言えば当然だと恋は納得した。

 仕切りがあるとはいえ、声の届く範囲にお互い全裸で風呂に浸かっているというのが、なんだか変な感覚だった。

 

 えりなは見られる心配などないというのに、何故か身体を自分の腕で隠してしまう。やはり気恥ずかしいのもあるのだろうが、相手が恋だというのもあるのだろう。

 

「課題クリアしたんだな、流石、早いな」

「え、ええ……あれくらいの課題、当然よ」

 

 仕切りを挟んで会話する二人。他に誰もいないからこそ、憚られることなく出来ることだ。

 

「……」

「……」

 

 なんとなく、お互い気恥ずかしくなってしまう。

 

「あー……風呂あがったら、ちょっと散歩でもしないか?」

「そ、そうね……良いわ、付き合ってあげる」

「ああ……じゃあ、俺は先に上がるから……ゆっくりしてくれ」

「ええ……ありがとう」

 

 結局、気恥ずかしさに耐えられずに黒瀬は露天風呂を去るのだった。

 

 



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十一話

お久しぶりです。
たまの更新ですが、お楽しみくださると嬉しいです。


 温泉で薙切えりなと言葉を交わし、早々に風呂を上がった恋は、少しだけ心臓の音が早くなっているのを感じながら、浴室外に設置されていたベンチに腰を下ろしていた。

 二人しかいない空間で、すぐ隣に生まれたままの姿の女子がいる―――相手がえりなでなくとも、多少意識してしまっても仕方がないことだ。まして恋も料理に生きてきたといっても思春期の男子だ、相応の邪な感情だって持ち合わせている。

 

 浴衣に着替えてなお火照った身体を冷ますように、恋は胸元を上下させて空気を送り込む。汗はすっかり流せたものの、想定外に身体を熱してしまったようだ。

 

「ふぅー……」

「おや? 随分と早いな、正直驚いたぞ」

「! 堂島シェフ」

 

 そうしてえりなが上がってくるのを待っていると、そこへ遠月リゾートの料理長である堂島銀がやってきた。片手に入浴セットを持っていることから、彼も温泉に入りにきたのだろう。

 恋は相手が堂島と分かると、礼を失しないように腰を上げて挨拶した。

 佇まいと雰囲気からわかる、料理人としての格の高さに恋も多少緊張する。なにせ元々は遠月学園十傑評議会第一席の座を欲しいままにし、歴代最高成績で主席卒業した怪物だ。調理技術は勿論、知識、センス、意識の高さにおいても他とは別格の才能を持っている。

 

 羨ましい、と思わないわけではない。

 恋にとってそれは、喉から手が出るほど欲したものだからだ。当然、堂島ほどの才能があれば尚良いのだろうが、恋からすればたった一つ、"正常な味覚"があればどれほどか―――何度そう思ったか分からない。

 

「ここまで早くあの課題をクリアした生徒は初めてだな。生徒が来る前に入浴を済ませるのは毎年のことだが、入浴中にやってくる生徒こそいても、俺の入浴以前に課題を済ませた生徒はいなかったぞ」

「まぁ、俺にとっては相性のいい課題だっただけですよ。それに、薙切は俺より早く終わっていたみたいですし」

「ふむ、薙切えりなか……確かに、彼女は遠月始まって以来の傑物だ。かの神の舌(ゴッドタン)だけでも計り知れない才能だが、それに加えて彼女は薙切の血統として正しく最高の才能を受け継ぎ、最高の環境で育てられたまさに料理界の至宝……順当に育てば、遠月学園開闢以来、史上最高の怪物となるだろう」

 

 かの堂島銀をして此処まで言わしめる薙切えりなの才能と実力。分かってはいたが、それでも恋にとってその月とスッポンとも言える差が辛い。

 片や料理界において最高の才能を持ち、相応しい環境で鍛え上げられた者。

 片や料理界において絶望的な才能の欠如を抱え、悪あがきの様に地べたでもがく者。

 追いつけるはずもないし、追いつこうと考えることすら烏滸がましく、追い抜こうなんて口にするだけでも侮辱極まりない、そんな圧倒的な力の差だ。

 

「だが、君とてその彼女に比肩しうる何かを持っているからこそ、他の生徒がまだ課題に苦しむ中、こうして入浴後のリラックスに努めている。そこは誇るべきだぞ」

「……堂島シェフ、一つだけ率直な意見を聞かせていただきたい」

「いいだろう、なんだ?」

 

 それでも堂島は、恋に対する評価は薙切えりなと関係のないことだと言わんばかりに、恋の課題達成速度を認める発言を出した。

 それを聞き、恋は堂島に―――遠月学園始まって以来史上最高とされた料理人に、問いかける。

 

「例えば、互いに全力を出し、一切の卑怯な手を使うことなく真剣勝負をしたとして、片方は国宝級の名刀を持ち、随一の剣の使い手……片方は竹刀を持ち、剣に関しては非才の身……この条件で非才の者が勝つことはあり得るでしょうか?」

 

 比喩表現に過ぎないが、堂島はその問いかけに一瞬言葉に詰まった。

 単純に聞けば、才能があり相応の努力をした者に、才能がない人間は勝てるのか……そういう問いかけに聞こえる。現に、堂島は一瞬そう捉え、『非常に厳しい勝負だが、勝てないと言い切ることはできない』……そう答えようとした。

 

 だが、恋の述べた条件は才能の良し悪しではない。

 

 これを料理人に置き換えるのなら、剣術の才能が料理人としての才能だ。

 例に挙げられたのは『随一の剣の使い手』と『剣において非才の者』。

 つまりは料理人として随一の才能を持った者と、持たない者である。

 しかし堂島が最初に捉えた意図であるならば、恋の質問はシンプルにこのような言い方になる筈。

 

 ―――随一の剣の使い手に、剣において非才の者は勝つことができるのか?

 

 違う、この男が問いたいのはそういうことではない。堂島は直感でソレを悟り、口に出そうとして答えを飲み込んだのだ。

 

「……」

「……」

 

 数秒の見つめ合い、恋の視線は堂島の答えを待っていた。

 

「―――すまないな、俺にはその答えは分からない」

 

 そして堂島は、その質問に対し答えを出せなかった。出来る、出来ない、口にするのは簡単だ。だがしかし、恋の述べたことの意味を正しく理解することが出来なかったのだ。

 恋の述べた両者が持つ、国宝級の名刀とは、それに対する竹刀とは、何を指すのか、それが分からなかったのだ。

 

 当然だろう、これは常識の範疇を超えた質問なのだから。

 

「……そうですか」

「君はどう思うんだ?」

「俺は……勝てないと思います。何があっても、天地がどう引っくり返っても、非才の剣士は勝てません―――竹刀じゃ、人は殺せない」

「であれば、どうする?」

 

 質問の意図を全て汲み取ることは出来なかった堂島であるが、恋の言う非才の剣士が恋自身のことを示していることは察していた。そして、随一の剣の使い手が薙切えりなであることも。

 そして恋はそれに勝てないと断言した。

 そこで堂島は逆に問いかける。

 ならば、そう確信しているのであれば、何故此処にいるのかと。この場所に居て、その腕を振るうからには、そこに諦めはない筈だろうと。

 

 恋は答える。

 

「俺なら、竹刀を捨てます」

「……そうか……いや、久々に興味深い話を聞かせてもらった。君、名前は?」

「黒瀬恋です」

「では黒瀬、君がこの合宿を生き残ることを期待している」

 

 堂島は恋の答えに対し、深く味わうように頷くと、そう言って浴場へと姿を消していった。恋の答えの意味、それを正しく理解したのかどうかも分からないが、それでも恋は堂島の応援を素直に受け止める。

 そして緊張から解放されたように再びベンチへと腰を落とすと、ふー、と大きく息を吐き出した。やはり相応の緊張によって身体がこわばっていたらしい。

 

「流石は元第一席、やっぱり雰囲気あるなぁ」

「ん、んんっ! 黒瀬君、待たせたわね」

「ああ、もう上がったのか? もう少しゆっくりしてても良かったのに」

「……別に、人を待たせるのは趣味じゃないだけよ」

「はは、そっか」

 

 そこへ女風呂の暖簾を潜って姿を現したえりな。濡れた髪を軽くまとめあげ、同じく浴衣に着替えた彼女の姿は、恋からすればかなり新鮮だった。制服か料理服の姿くらいしか目にしてなかったのだから、当然だが。

 やはり風呂上りだからか、上気した頬がほんのり赤みを帯びている。濡れた髪も相まってそこはかとなく色気を感じさせる風体だった。

 

「隣座っても?」

「ああ、どうぞ」

「それじゃ、失礼するわ」

 

 恋がベンチに座っているのを見て、手ぬぐいで軽く顔に残る水気を拭いながら、えりなは恋の隣を指差す。そして恋が頷いたのを見てから、隣に腰を落とした。

 浴衣は制服と違って布自体は薄く、座るとお尻と太ももにベンチの感触と冷たさがより伝わってくる。慣れない衣装にえりなは二度ほど座りなおした。

 

 すると座りなおして居心地のいい場所を探していたからか、無意識に恋のふとももと自分のふとももが軽く接触するほど近くに座っていることに、あとから気が付いた。

 だが二度も座りなおした後にまた腰を浮かすのは、せわしない子だと思われそうで今更動けないえりな。上気した頬に更に赤みが差し、激しく高鳴る心臓の鼓動に動揺が止まらない。

 

「あ、暑いわね」

「そうだなぁ、水でも飲むか?」

「え、ええ……貰うわ」

 

 動揺を隠すように適当な話題を振ったえりなだったが、幸い恋は暑いのに距離が近いことを指摘せず、苦笑しながら水の入ったペットボトルを差し出してきた。

 渡りに船と、えりなはとにかく熱を冷ますべくペットボトルを受け取り、一気に口を付ける。口内に入ってくる水の冷たさに、普段の何倍も美味しいと感じてしまう。

 

「あっ、と、俺の飲みかけなんだけどって言おうとしたんだが……」

「ぶふっ!?!? けほっ! けほっ!」

「だ、大丈夫か?」

 

 そうして水を飲み込もうとした瞬間、恋から告げられた衝撃の事実に一気に咳き込んだ。喉を逆流する水にむせ返り、咳き込み、鼻にも入ったのか鼻水も出た。

 テンパっているえりなに、恋は慌ててえりなの背中を擦る。その手の大きさと温もりを感じながら、えりなは正直穴があったら入りたかった。

 

 高貴で、孤高で、非の打ち所のない天才令嬢――薙切えりな。

 

 そのイメージが一気に崩れ去るような醜態を晒してしまっていることが恥ずかしかった。しかも、よりにもよって一番見られたくない人の前で。

 なんどか咳き込んだ後、せめてもの意地で鼻水垂らした顔を見られないようハンカチで顔を拭いて、なんとか息を整えながら心を落ち着ける。

 

 そして落ち着いた思考で自分の手に握られたペットボトルの飲み口を見て、落ち着かないことを理解した。

 

「わ、悪かった、流石に飲みかけを渡すのはアレだったな……新しいの買ってくるから、ちょっと待って―――」

「だ、大丈夫です! 別に、ちょっと驚いただけで……か、間接キスくらいどうってこと!」

「……あ、そうか、そういえば間接キスになるのか」

「~~~~~~!?!?!?!?」

 

 恋の言葉で間接キスを意識していたのは自分だけだったと理解し、最早えりなのライフはゼロだと言わんばかりに顔が真っ赤に染まる。神の舌と呼ばれ続けてきた影響か、えりなはキスという概念に対して少し過敏に反応していた。

 それもそうだろう、幼いころより神の舌と呼ばれていた以上、その味覚が劣化しないように努力することは自分以上に周囲が必死だった筈。

 舌の味蕾が死なないように徹底された口内ケアを施し、虫歯や歯周病の予防をし、えりなの周囲に喫煙者や酒類は一切近づけない。

 

 そうして徹底された保護を"神の舌"は受けてきている。

 

 そうなればえりな自身も、自分の舌は特別で大切にしなければならないと無意識下に刻み込まれてしまっている。結果、そこに他人の舌や唇が触れるであろうキスに対し、常人以上の関心を得ていてもおかしくない。

 

「き、あっ、違っ、っ、あ、~~~~もうっ!!」

 

 座った時の近さを意識して、誤魔化そうとしたら間接キスをしてしまって更に意識して、それを口にしたら間接キスを意識していたのは自分だけだったと気づかされ、言い訳も出ないほどに動揺してしまって―――軽傷を誤魔化そうとしたら致命傷を刺されたような気分だった。

 幸か不幸か恋はえりなが何故こうなっているのかを察していないようで、鈍感にも心配そうにえりなのことを見ている。それが余計にえりなの癪に障った。

 

「はぁ……はぁ……全く……んっ」

「大丈夫か?」

 

 なんだか意識している自分が滑稽で、一周回って冷静になったえりなは、改めて恋の飲みかけのペットボトルに口を付けた。一度口を付けたのだ、もう二度も三度も変わらないと思ったのだろう。

 水を飲みながら、えりなは思う。

 神の舌を持ってる自分がこんなに過敏に反応して、味覚に少々不都合を抱えている恋がこんなに鈍いのは何か関連があるのでは? なんていう間抜けなことを。

 

 もちろん関係ない、えりなが耳年増なだけだ。

 

「もう、余計暑くなっちゃったわ……早く行きましょう」

「え?」

「散歩、誘ってくれたでしょう? エスコートしてくださる?」

「……ああ、喜んで」

 

 立ち上がり、つんとそっぽを向きながら手を差し出してそう言ってくるえりなに、恋は一瞬目を丸くした後、笑みを浮かべてその手を取った。小さい頃は同じくらいだった二人の手のサイズは、やはりもう大分違う。

 えりなの白く細い指を、恋の大きな指がそっと包んだ。

 手を繋ぐのではなく、指と指を触れ合わせるような繋ぎ方。振れば簡単に解けてしまうようなその触れ合い、でも確かに二人の手は繋がっていた。

 

「露天風呂でも見たけど、今日は星が綺麗だよ」

「ええ、流石遠月リゾート……合宿でもない限りは見られない景色よ」

 

 外出るためにそうして手を繋いだまま歩きだす。

 他の生徒は課題でいない、人の目を気にする必要はない。えりなは指先の頼りない繋がりが嬉しかった。歩いている振動で解けそうになる度、恋の手がえりなの手を包みなおす。

 

 ―――解ける。

 

 ―――包みなおす。

 

 ―――解ける。

 

 ―――繋ぎなおす。

 

 ―――解ける。

 

 

 ――――――握った。

 

 

 何度も解け、その度恋は少しずつえりなの手を繋ぎ直し、最後はしっかり手と手が握られた。えりなの華奢な手が、恋の大きな手にしっかりと握られた。

 今度はもう、解けそうにない。

 

「……あら、随分しっかり私の手を握るのね?」

「……エスコートを命じられたからな」

「そう……でも、ダメね」

 

 えりなは気丈に振舞い、恋の数歩前に出るようにしてその手から離れる。少し温もりが手から離れるのが寂しく思えたけれど、それでもえりなは悪戯な笑みを浮かべて恋の前に立ち塞がり、恋の顔を覗き込むように少し前屈みになる。

 そして悪戯に目を細めてにんまりと笑うと、スッと再度その手を差し出した。

 

「解けたわ、もう一度」

「……」

 

 解けては、より強く繋ぎ直す――そんな言葉のいらない信頼の駆け引き。

 しっかりと握っていた先程よりも強く、その手を取れとえりなの目は言っていた。

 

 恋は苦笑し、えりなの手を取る。

 最初のように指先に触れ、しゅるりと手のひらと手のひらを合わせるようにくっつけて、そのまま互いの指を交差するように握った。

 

「これでいいか?」

「ええ……これが良いわ、凄く貴方を感じるもの」

 

 そうして笑ったえりなの幸せそうな笑顔を見て、恋も笑った。

 繋がれた手をそのままに、二人はまた歩き出す。

 彼らは恋人ではない。強い信頼で繋がれた、友達だ。

 それでも、恋はえりなに人生を捧げてきたし、えりなもまたその想いに応えようとしている。友達というには、既に二人の間にあるものは大きく、強く育っていた。

 

 恋人繋ぎ――二人の手と手が示す姿を、人はそう呼ぶ。

 

 

 




創真「うわ、またイチャついてら……はいはい、お粗末お粗末」




自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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今後とも応援よろしくお願いいたします。

また、Twitterではハーメルン様での更新報告や小説家になろう様での活動、書籍化作品の進捗、その他イラスト等々も発信していますので、もしもご興味があればフォローしていただければ幸いです。

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十二話

先日十一年間という長い間続いた珱嗄シリーズが完結いたしましたが、無論こちらも完結まで走るつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします!



 ほんの少しずつではあるが、確かに恋とえりなの間に生まれた絆が育まれた夜を越え、強化合宿二日目を迎えた恋達一年生は、初日同様、各卒業生のグループに分かれて課題を与えられていた。

 恋は今日、和食料亭の料理人である乾日向子のグループにて課題である。同グループ内には新戸緋沙子がおり、彼女が常に一緒に付き従っていた薙切えりなは残念ながら別グループだ。

 お互い幼少期からの知り合いであり、今もえりなを通じて親しくしており、また彼女自身も好ましく思っている恋と同グループであれば、移動時に一緒に連れ添って歩くのも必然だった。

 

「昨日はえりな様と話したようだな」

「うん? ああ、そうだな……他愛ない雑談だったけど、久々にゆっくり話したよ」

「そうか……」

 

 そして今は日向子の引率でバス移動している最中。

 自由席だったので自然と隣に座った二人は、これから訪れる課題に緊張する様子もなく他愛ない話をしていた。話題はやはり、互いにとって共通の知り合いである薙切えりなとのこと。最も、緋沙子からすれば二人が互いを想い合っているのは明白なので、その辺りの進展を聞きたいという野次馬的感情もなくはなかったが。

 

 昨晩、先に夕食の課題を終えた薙切えりなを追うべく、出来るだけ早く課題を終わらせた緋沙子。だがえりなを探して彼女が見つけたのは、手を繋いでしっとりとした雰囲気の中星を眺める恋とえりなだった。

 時折言葉を交わしているようだったが、二人の間に交わされる言葉はほんの僅か。

 星空に包まれて、繋がれた手と手の僅かな力の強弱で十分な幸福を感じられていることが、緋沙子にも見ただけで伝わってきた。思わずため息を吐いて、世界一素敵な光景だと思うほどに。

 

「……黒瀬と再会してから、えりな様はとても楽しそうだ」

「そうか……なら、嬉しいな」

「ははっ、お前は謙遜しないんだな」

「そりゃ俺と違って長い間ずっと薙切と一緒にいた新戸のお墨付きだからな」

「……全く、お前は変わらないな……自分の気持ちに素直というか、なんというか……えりな様が惹かれるわけだ」

 

 緋沙子が恋のおかげでえりなが楽しそうだと言うと、恋はそれを否定しなかった。彼自身に確信があるわけではないが、恋は悪戯に笑いながら緋沙子を認めるような発言をする。

 自分自身がえりなに一番近い所にいる、なんて驕るつもりはなく、緋沙子がえりなにとって黒瀬恋が大切な友人だと評するように、恋もえりなにとって緋沙子は特別な人だと認めているのだ。

 そんな人の言葉が間違っているとは、恋には思えなかった。

 

 逆に緋沙子は、そんな恋の素直な評価に少し言葉に詰まり、少し頬を赤くしてぼそりとそう言う。

 

「え、今なんて言ったんだ?」

「聞くな……全く」

 

 自分の気持ちを隠し、人に素直になれないえりなと、人の気持ちを察し、人に素直に接する恋。これで相性最悪というのなら、世の中に相性なんてものはないと緋沙子は思った。

 つまり、お似合いの二人であると。

 

「こほん……言っておくが、私はお前のサポートなどしないからな! あくまで私はえりな様の味方だ」

「? よく分からないけど、分かった」

 

 とはいえ、緋沙子にとって一番はえりなだ。

 彼女が彼女らしく、彼女の求める道を進むことを望んでいるし、その為の助力は惜しまない。此処までのことを見て、恋が料理人として高い実力を持っているのは認めているが、その上で考えても、彼がえりなに相応しいかどうかは別の話だ。

 えりなが彼に惹かれていても、彼がえりなの為に全霊を尽くしていても、現実問題薙切えりなは料理界のトップに君臨する王の血統であり、黒瀬恋は一料理人でしかない。

 

 そして二人が食というもので繋がっているからこそ、黒瀬恋という、料理人としてハンデを抱えた存在が彼女と釣り合うかと言われれば―――現状、否という他なかった。

 

 新戸緋沙子は誰よりも現実を見ている。

 薙切えりなが伸び伸びと動けるように、新戸緋沙子は誰よりも冷静かつ現実的に物事を見ている。己の感情は二の次、事実を鑑みて最適の道を用意するのが秘書としての仕事だからだ。

 薙切えりなが黒瀬恋と恋仲になることが、薙切えりなの人生に問題を引き起こす可能性は十分考えられるのである。

 

「(私個人としては……えりな様と黒瀬がそうなることを祝福したいくらいなのだがな……)」

「ホテルから出て移動するなんて、どんな課題なんだろうな?」

「……さぁな」

 

 窓の外を見て呑気にそんなことを言う恋に、緋沙子は苦笑してそう返す。

 

「(黒瀬……お前が本気でえりな様と共にいたいというのなら、そこに立ち塞がる障害は多い。出来ることなら、折れてくれるなよ……)」

 

 心の中で、そう祈りながら。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから恋達がやってきたのは広範囲の自然環境を柵で囲った会場。

 課題内容は、二人一組になり、その会場内の動植物を食材として収集し、制限時間内に合格点の品を出せというものだった。当然恋が組んだのは共にいた緋沙子である。

 当然というべきか、ペアを組んだ二人は早々に合格を勝ち取った。

 常に鍛えて高い身体能力を持ち、食材知識に関しても十分な勉強をしていた恋が食材を集め、緋沙子が得意の薬膳料理でそれを形にする形での合格だった。

 

 その中で意外というか、驚きだったのは、恋が緋沙子の薬膳料理に的確なサポートをしたことである。

 

 元々恋が調理技術において機械染みた正確さを持っていることは知っていたが、それがサポートという役割においてこれほど機能するとは思わなかった。

 まるで最も良い状態で用意された食材と対面するような感覚すら覚える、非の打ちどころのない下拵え。それを緋沙子が用意して欲しいタイミングで差し出してくる協調力。そして緋沙子の行動を阻害しない動線の確立。

 緋沙子は調理中一人で作業しているような感覚すら覚えるほど、恋のサポート能力の高さには舌を巻いた。

 

「新戸・黒瀬ペア、合格です!」

「ありがとうございます」

「ふぅ……」

 

 合格を言い渡された後、二人は会場内で大人しく時間が過ぎるのを待つことに。

 恋はかなり集中力を使ったのか、目を閉じて眉間を揉んでいた。その様子を見て緋沙子は、先ほどの恋のサポートはやはり、よほどの集中力を使うのだろうと判断する。一見して消耗している、というわけではないようだが、それでも多少の疲労はあるらしい。

 

「大丈夫か?」

「ん、問題ない。基本一人で作ることが多かったからな、誰かと合わせて作るのは慣れてないんだ」

「! ……そうなのか? それにしては随分……いや、正直今までで一番やりやすかったぞ」

「それは嬉しいな……知っての通り、俺の調理スタイルは基礎技術と知識を追求したものなんだ。そして料理や食材にはそれぞれに適した調理法があって、それは誰が調理しようと変わらないだろ? 俺は今回それを踏まえて、新戸の調理速度や工程を見て、その"最適"を合わせにいっただけだ。だからやりやすかったって言うなら、それはそれだけ新戸の調理に無駄が少なかったってことだよ」

 

 恋の言うことを理解して、緋沙子はその事実に内心驚愕していた。

 食材や料理にはそれぞれに存在するレシピと、最適な調理法、最適な調理工程があり、恋は今回緋沙子の調理がその"最適"になるようにサポートしたというのだ。

 それはつまり、恋の事前の下拵えの準備から始まり、調理場の環境を調理工程に沿って随時変化させていく働きが、緋沙子を最適へと導いたということ。

 

 そしてそれが示すことは、黒瀬恋のサポートは他者の調理クオリティを一段上に引き上げるという事実である。

 

 それは今までの人生において料理の知識を貪欲に収集し、それを活かす高い技術を研鑽してきた恋だからこそできることだった。

 

「副料理長に向く能力だが――逆に料理長を食い破る能力でもあるな……」

「?」

 

 恋に聞こえないようにぽそりと呟いた緋沙子。

 それもそうだろう―――こんな真似は、サポートする対象よりも高い技術を持たなければ出来ない芸当だ。

 

「まぁ……知っての通り、俺はこんなだからな。料理の終盤はほとんど見てるだけだったけどな」

「確かにな……だが確実にお前の働きが結果に出ていたぞ」

 

 とはいえ恋は味覚の問題もあって、自分ではなく緋沙子の創造しようとしている味をイメージできない。それはつまり、調理の中盤から終盤にかけて……味付けの段階では力になれないことの証明であった。

 無論、緋沙子の調理工程にあった無駄を最大限消す働きは、料理の質を一つも二つも引き上げる働きだ。味覚というハンデを補って余りある能力である。

 

「ねぇねぇ貴方! 見てたけど凄いのね! あそこまでのサポートなんて誰にでも出来ることじゃないわ!」

「お嬢……距離近すぎて引かれてますよ」

「あら失礼ね! これくらい挨拶の範疇でしょ?」

「ん、と……君達は?」

 

 するとそこへ、雪の様に白い髪と肌に赤い瞳の女生徒が近付いてきた。後ろには付き人なのかそれとも今回ペアになっただけの相方なのか、目元にクマを浮かばせ、ぼけーっとした男子生徒がいる。

 女生徒がやや興奮した様子で近づいてきたことで少し身体を引いた恋だったが、よく見ればかなり整った顔立ちの少女だ。外国人らしさは見た目からも理解出来るが、そのせいかかなり距離が近い。先程も、気が付いたら鼻と鼻がくっつくかと思うほどに近づかれていたくらいだ。

 

 恋が誰かと問いかけると、少女はニッと笑みを浮かべながら名乗る。

 

「私は薙切アリス……キミたちの頂点に立つ者の名前よ!」

「薙切……?」

「そう! 私は薙切えりなの従姉妹なの……だ・か・ら、最近えりながご執心の貴方にはちょーっと興味があるのよねぇ」

 

 すすす、と恋の顔を覗き込むように近づいてくるアリスに、恋はむ、と困惑しながら距離を取る。それによりつんのめったアリスは、おっとと、とふらついた。

 少し滑稽な姿を見せてしまったからか、アリスが恋をジト目に睨む。

 

「む……こーんな美少女に近づかれたのに普通距離を取る?」

「薙切が綺麗なのは認めるけど、だとしたら不用意に異性に近づかない方が良い。此処にいる以上料理人としての研鑽に努めるつもりだが、俺も男だ……邪な感情を抱かないとは限らない」

「え……と……私、口説かれてるかしら……?」

「そんなつもりはないけど……」

「…………ふふん♪ まぁいいわ」

 

 恋に詰め寄ったアリスだったが、恋の言葉に少し動揺したらしく言葉に詰まった。だが恋が紳士にアリスを扱ったということを理解したのか、一気に上機嫌になる。その影響なのか、アリスは恋の指摘通り、一歩恋から距離を取った。

 此処までの振る舞いからかなり子供っぽい一面を持つアリスだが、恋の様に対応されたのが新鮮だったらしい。後ろの男子生徒が少し意外そうにする程度には、素直に人の言うことを聞く姿は稀の様だ。

 

「私のことはアリスって呼んで♪ 薙切じゃえりなと被るでしょ? 私も恋君って呼んでいい?」

「ああ、好きに呼んでくれ。じゃあアリスで」

「なっ!?」

「なーに? なにか不都合でもあるの?」

「い、いや……」

 

 そしてアリスがそれっぽい理由で互いを下の名前で呼び合おうと提案し、恋がそれを素直に受け入れると、緋沙子が声を上げた。アリスがその声に対して笑顔で圧を掛けると、緋沙子も何も言えずに押し黙るしかない。

 えりなは恋と苗字呼びなのに、アリスは恋と名前呼び―――その状況が少し、緋沙子には少々焦りに繋がる。現実的には厳しい関係と分かっていつつも、個人的にえりなと恋の仲を応援している緋沙子からすれば、ここでアリスの登場は強力なライバルの登場に他ならない。

 

 初対面で此処までぐいぐい距離を詰めるアリスが相手となれば、また先程恋がアリスを綺麗だと認めたことを考えれば、非常に不味いと考えざるを得ないのだ。

 

「(いや! まだだ! そもそも幼少期は名前で呼び合っていたのだから、きっかけさえ与えれば名前呼びに戻せる筈だ……何かきっかけを……そうだ!)」

 

 緋沙子は思いつく、えりなの為にこの状況を覆せる一手を。

 

「黒瀬、わ、私も名前で呼んでいいか? 今日はお前と久々に料理出来て、懐かしかったし、む、昔みたいに呼びたい気分なんだ」

「え? ああ、良いけど……どうした? なんか顔赤いけど」

「なんでもない! ごほんっ、気にするな……ああそうだ、私だけお前と名前で呼び合うのはえりな様を仲間外れにしたようで気分が良くない……お前から、お前から! えりな様と名前で呼び合うよう声を掛けておいてくれないか!?」

「む!」

「な、なんだ急に……わかった、次会った時にでも聞いてみるよ」

「よーし!!」

「ぐぐ……やるわね……」

 

 幼馴染というポジションを利用した、名前呼びの自然な流れを作り出した緋沙子の一手。その上で同じ幼馴染であるえりなを巻き込むことで、名前呼びのハードルを越えさせる策へと昇華させた。しかも恋の方から持ち掛けることで、えりなが了承しやすくするという緋沙子の抜かりなさまである。

 恋は急に言葉に勢いを持たせる緋沙子に困惑するが、別段悪い話でもないのでそれを素直に了承した。

 

 対して、緋沙子の意図に気付いたアリスは少し不服そうに爪を噛んでいる。えりなが恋とよく一緒にいることは、一年生の間でもまことしやかな噂話になっていた。アリスはえりなをライバル視している面もあるようで、その噂から、恋に近づくことでえりなに牽制しようと考えていたようだ。

 

「ふんっ、まぁいいわ! じゃあね恋君、貴方ならこの合宿も生き残れるでしょうし……今後ともヨロシクね♪」

「ああ、こちらこそ」

 

 とはいえ今回は挨拶程度に収めるつもりだったのか、アリスは会話もそこそこに去っていく。背後の男子生徒はぺこっと軽く会釈してその背中を追って歩き去っていった。

 恋はこの場で起こっていたアリスと緋沙子のバチバチの意図に気付いていなかったようだが、新しい知り合いが出来たことを素直に喜んでいるようだ。

 

 色々気が利くし空気の読める彼であるが、自分のことに関してはややポンコツらしい。

 

「面白い奴らだったな」

「はぁ……どうして私がこんなに疲れなきゃいけないんだ……」

 

 新戸緋沙子は現実をちゃんと見ている……けれど世話焼きな彼女は一番現実に振り回されていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 恋達から離れていったアリスと男子生徒――黒木場リョウは、自分たちの調理場に戻ってきていた。既に合格を貰っているので、恋たち同様終わるのを待つだけの身だが、アリスは恋と話したことで機嫌を良くしたらしく、時折鼻歌すら聞こえてくる。

 

 黒木場はそんな彼女の姿に、少々気になったのか声を掛けた。

 

「なんか、嬉しそうっすね……そんなに気に入りましたか?」

「そうねぇ……うん、気に入ったかも。黒瀬恋君、えりながご執心だからいずれは接触するつもりだったけれど、確かにあのえりなが惹かれるのも分かる気がするわ。リョウ君はどう思った?」

「なんつーか……底知れないって感じっすかね。料理技術も並じゃないですけど……人柄っつーか、なんか、嫌な感じがしなかったんで」

「そうね、彼は多分他人を許容出来る心を持ってる。というより、この場にいる全員に対して誰一人例外なく、彼はリスペクトを持ってみてるって感じかしら……だからあれほどの技術を持っていても誰も見下さず、常に対等の関係で人と接している」

 

 アリスは恋が自分を見る目の中に、この場にいる全員と何ら変わらない色を見た。この場で脱落していく生徒に対しても、アリスに対しても、恋は同じだけのリスペクトを抱いているのが分かったのだ。

 それはプライドの高いアリスからすれば不服ではあるが、同時に恋がアリスを他と同列に見ているわけではないことも分かったのだ。他と同じだけのリスペクトを持ちながら、それでもきちんと個人を見ている―――それは、アリスにとって嬉しいことだった。

 黒木場も、アリスの後ろでボケッと立っている自分を、恋がしっかり認識していることを感じ取ったからこそ、去り際に会釈したのだ。

 

「案外、リョウ君に負けないくらい貪欲に努力するタイプなのかもね? あれだけの技術を持っているんだもの、目の前のどんなことからも学んできたんじゃないかしら」

「……」

「それに……ふふ、私のこと綺麗だって言ってくれたしね♪ あんなにストレートに邪な感情を抱くかもしれない、なんて言われたのは初めてだったわ」

「お嬢、それが本音でしょ」

「あ、バレた? うふふっ♪ 流石にドキッとしちゃったわ。いろんな意味で、魅力的な人だったわね」

「……修羅場っすか」

「どうかしら? でも、楽しくなりそうね」

 

 上機嫌に笑うアリスは、黒木場の言葉をはぐらかしながら楽しげだ。

 もしもえりなとアリスが料理以外の場所で火花を散らす時が来るとしたら―――そう考えただけで、黒木場は少しだけげんなりする。

 

「はぁ……考えたくもねぇ……」

 

 心の底から、漏れた言葉だった。

 

 




感想お待ちしております。
近々、黒瀬恋のキャライラストを挿絵で入れたいと考えています。
稚拙な画力での提供にはなりますが、ご期待ください!





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十三話

 その後合宿も三日目に入り、その夜は初日同様団体で宿泊していたビルダーの客に対して料理を振舞うという課題を超え、恋達一年生は各々疲労の溜まった夜を過ごしていた。初日は五十食だった課題も、三日目ともなると八十食に増えるという過酷っぷりに、流石に疲れを見せる生徒が多くなっている。

 恋は調理中の動きに一切無駄がないからかまだ余裕そうではあるが、それでも多少の筋肉疲労は感じているらしく、軽く肩を回していた。

 

 最近はグループ分けのせいもあって極星寮の面々と別行動を取ることが多かった恋だが、今は夜の課題後、久々に極星寮の面々と行動を共にしている。

 

「流石に……今日は疲れたね……!」

「まさか五十食作りの試練が、八十食になって再びやってくるなんて……!」

「ハァー……ハァー……」

 

 真っ白に燃え尽きそうな丸井を筆頭に、フラフラの吉野悠姫や腕をプラプラと揺らして溜息を吐く田所恵、腕をぐいぐいと伸ばす幸平創真と、全員生き残っている極星寮の面々も流石にしんどい様子だ。恋は全員の後ろから歩いているが、そんな全員の様子を見て苦笑している。

 体力作りにおいて余念のない恋でもない限り、連日連夜の料理は体力を消耗する。この状況も当然と言えば当然と言えた。

 

「そういえば今日、課題の時にいたスーツ姿の集団……あれなんだったんだろな?」

「え、創真君、そんな人いたの?」

「知らないよぉ! 課題をこなすのに精一杯だもん!」

 

 すると、まだ余裕がありそうな創真が口にしたことが話題に上がる。課題に取り組むための大広間に点在していたスーツ姿の人間達。初日にはいなかったその存在の登場は、この過酷な強化合宿も相まって中々不穏なものを感じさせる。

 まして自分達がいるのは学校だ―――採点、というものが嫌でも頭を過ってしまった。

 

 恋は昨日の夜、えりなからこの強化合宿の後――秋には更なる篩に掛けられるということだけを聞いていた。詳しいことは訊いていないが、もしかしたらそれに関わる何かを評価しているのかもしれないと予想する。

 とはいえ、今は目の前の課題に全力を尽くすしかない。

 

「全員生き残っているのも良かったけど……中でも黒瀬は頭一つ抜けてるよね」

「そうか? 決められた課題をこなすって点で言えば、俺のスタイルが相性が良いだけだよ。実力が高いってわけじゃない」

「でも今日だって八十食に増えたのにサラッとこなしてたし、昨日だって滅茶苦茶早かったじゃん! なのに全然余裕そうだし」

「吉野だってクリアしてるだろ? 早く作れるのと課題をクリアすることは全く別の話だ。与えられた課題をクリアする能力があるって点では、俺も吉野も変わらないだろ。だから、吉野が俺のことを凄いって言うなら、吉野だって同じくらい凄い」

「っ……黒瀬ーー!! アンタ、滅茶苦茶懐がでっけぇなぁ!! ありがとぉぉぉ!!」

 

 疲労で心身共に疲れ果てていた吉野に絡まれた恋だったが、卑屈になる彼女を励ますとコロッと態度が変わった。感動でドバーッと涙を流しながらオイオイと泣き出す吉野に、恋は苦笑しながらその肩をポンポンと叩く。

 背も高く、人間的にかなり包容力のある恋が小柄な吉野の面倒を見ている光景は、親子か兄妹のようにも見えた。

 

「黒瀬君って面倒なのに好かれそうよね」

「面倒なの?」

「うーん……というより、人をダメにするタイプ? あのママみは正直ずぶずぶに溺れたくなるもの」

「あーなるほどな、確かに黒瀬って話しかけやすいし、迷惑掛けちまっても優しく許してくれそうな雰囲気あるもんな」

「そう! あれは付き合った人をどこまでも甘やかしてダメにするタイプよ」

「で、でも、案外好きな人にはきちんと叱れるタイプってことも」

「あー、そういう可能性も……」

 

 そしてそんな二人の様子を見て、好き勝手に恋の恋愛を語り出す創真達。榊涼子の発言から、どこまでも遠慮なく恋について好き勝手言い出した。恋に特定の想い人がいるからこそそれはもしもの話として話せることなのだろう。

 鈍感な創真ですら、その恋バナに混ざれるくらいなのだから、恋はそういった話を展開しやすい人物ということだ。

 

 するとそこへ、不意に放送が掛かる。

 

 

《――全生徒へ連絡だ、本日もご苦労だった。今から一時間後、二十二時に制服に着替えて大宴会場へ集合してくれ》

 

 

 それは堂島銀の声だった。

 課題が終わった直後にこの放送。まさか、と恋バナをしていた面々も、大泣きしていた吉野も青褪める。慌ててしおりを確認すると、そこには三日目の就寝時間が記載されていなかった。

 もしもこれが印刷ミスではないとするのなら―――十中八九、三日目は終わっていない。

 

 恋は絶句している吉野の肩を、違う意味で再度ポンと叩くのだった。

 

 

 ◇

 

 

 集合した一年生たちに堂島が説明したのは、明日の朝食時間に一般客に振舞うため、卵を使って作るホテルの朝食を作れという課題だった。

 店の厨房に立つための心構えもそうだが、リアルタイムで訪れる客に対して満足のいく朝食を提供できるかどうかを見定めるこの課題―――技術以上に、発想力や精神力も問われる。

 就寝時間がしおりに書かれていなかったのは、翌朝の朝食を試作するための自由時間となっていたからだ。メニューを考えて準備が整えば寝て休むもよし、ギリギリまで試行錯誤してもよし、とにかく明日の早朝六時に試食出来るようにさえすれば自由。

 

 全生徒がその課題に対して息を呑んだものの、やるべきことは変わらない。恋達も一度バラバラに解散し、それぞれ作る料理の思索、準備に入る。

 

「そーいや俺達の編入試験も卵料理だったよな。懐かしいわー、なぁ薙切ィ」

「気安く話しかけないでくれる!?」

 

 すると偶々近くにいたえりなに気安く話しかける創真の声を聞き、俺達、というからには恋は自分もこの輪に入っているのかとその場に留まる。えりなは創真のことを認めていないのか冷たく突っぱねるが、恋がいるからかそれ以上は厳しい言葉を言わない。

 代わりにフン、とそっぽを向いてあくまで上から目線に創真に忠告する。

 

「今回は高級ホテルの朝食、あんな下品な料理は出さないことね。審査員の失笑を買いたいなら別だけれど」

「え、でもお前美味そうに食ってたじゃん。合格もくれたし」

「はぁ!? 誰が! あの時も美味しいなんて一言も言ってないでしょ!!」

「じゃあなんで合格に……はっはーん、なるほど」

「なによ!」

「いやぁ? 流石に黒瀬の前で嘘はつけねぇよなーって思っただけだ」

「知った口を利かないでくれるかしら! っ……全く……まぁいいわ、精々無い知恵を絞ると良いでしょう。ごきげんよう」

 

 にやにやと見てくる創真に憤慨するえりなだが、微笑ましく恋が見ていることに気付き、分が悪いと見たのか早々にこの場を去る。丁度緋沙子が調理場の手配を終えてやってきたのもタイミングが良かった。

 最後にチラリと恋の方へ向けられた視線に、恋はえりなからの気持ちを汲み取る。

 今回の課題、恋とは少し相性が悪いのだ。学年を越えて学園全体を見ても随一の技術を持つ恋だが、今回は発想力が評価基準に入っている。技術は心配なく、元々神の舌を唸らせるつもりで作っているのだから客を相手にするメンタルも問題ない。けれど新しいものを作り出す発想力に関して、恋の抱える味覚障害は致命的だ。

 

 だからこそえりなは恋が合格出来るのか不安だったのだろう。

 

「!」

 

 だが、その視線に対して恋が笑みを浮かべたことで、えりなもまた笑みを浮かべた。この状況で笑えるというのであれば、恋は大丈夫なのだろうと信じることが出来たからだ。

 視線を切って、言葉もなくえりなは緋沙子と共に去っていく。

 

「……なぁ、黒瀬。お前って薙切と付き合ってんの?」

「いや、付き合ってないけど……?」

「んん゛ー……そっかぁ! じゃあ……俺も試作に入る! 互いに頑張ろうぜ!」

「? ああ」

 

 そんな二人のアイコンタクトを間近で見た創真は、何とも言えないもどかしい感情に野太い唸り声をあげたかと思えば、そそくさと去っていく。昨晩恋とえりなが手を繋いで歩いていく姿を見かけたこともあって、おそらく創真は緋沙子と同じくらい恋とえりなが二人でいる姿を見ている。

 鈍感な彼でも、手を繋いで星空の中散歩する男女がいたら流石にカップルだと思う。それが知り合いであれば、嬉しいような、秘密を知ってしまった背徳感といったムズムズするような感情も覚える。

 

 けれどそんなどう考えてもカップルだろと思うような二人が付き合っていないという。なんでやねん、と突っ込みたくもなる。けれど余計な手を出すべきではないという判断の下、創真は課題に取り組むことで考えないようにしたのだ。

 去り行く創真に、恋は自分も課題に取り組むか、とその場を後にした。

 

「あ、そういえば名前の件……また今度でいいか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 黒瀬君達と別れて厨房に向かう途中で、前から歩いてくる二人の人物と目が合った。

 すると、話すこともないし、擦れ違おうと足を止めなかった私に対し、向こうはぴたりとその足を止める。何か話があるのかと、私も反射的に足を止めてしまった。

 薙切アリス――私の従姉妹である彼女。

 中学まではこっちにおらず、デンマークにある薙切インターナショナルで過ごしていたのに、高校に上がると同時に遠月学園に入学してきた。どうやら私に対してライバル意識を持っているようだけれど、正直あまり好ましくは思っていない。

 

 何の用かと思って彼女の目を見ると、白い髪と肌に際立つ赤い瞳で私のことをジッと見つめてくる。妙に圧を感じるな、と思っていたら、急にニッと笑ってきた。

 

「いつまでもそんな風に、女王様気取りでいられるとは思わないでね」

「何かと思えば……忠告ありがとう、一応頭に入れておきます。下々の戯言としてね」

 

 敵意剥き出しの台詞に、私は余裕をもってそう返す。

 なんだか最近は黒瀬君といることも増えたからか、こういう空気感は久々ね。薙切の名を背負い神の舌と呼ばれる私に、こうして楯突く分不相応な輩は多い。そういう輩には容赦なく格の差を理解させてきたし、同じ薙切の名を持つ従姉妹であろうとそれは変わらない。

 私が敗北する未来など、何処にも存在しないのだ。

 

 言いたいことはそれだけかと、彼女の横を通り抜けてその場を後にする。

 

「ああ、そうそう……今日貴女がご執心の恋君にも挨拶したけれど、良い人ね?」

「!?」

 

 けれど、私の背中越しにそんな言葉を投げかけてきた彼女に、私の足は再度止められた。顔だけ振り向いて見れば、不敵に笑う薙切アリスの小憎たらしい顔がある。

 黒瀬君の名前を、下の名前で呼んでいるのも気になったが、彼に何かするつもりなのかと思うと自然と睨み付ける様に彼女を見てしまっていた。

 

「そんな怖い目で見ないでよ……別に何もしてないし――今はまだ、ね?」

「どういう意味かしら?」

「さぁ? どういう意味かしらね? まぁなんにせよ、明日の課題が楽しみね♪」

 

 ばいばーい、と背を向けながら手をひらひらさせて、彼女は去っていく。

 私は数秒その背中を睨みつつ、小さく溜息を吐いて再度歩き出した。彼女が何をするつもりなのかは知らないけど、課題の中で黒瀬君の邪魔をするとか、そういう卑怯な真似はしないだろう。あれでも薙切の血筋なのだし、相応のプライドは持ち合わせているようだしね。

 

 とはいえ、妙に突っかかられたことが不快だったのかモヤモヤした感情が振り払えない。別に悪いわけではないけれど、彼女が黒瀬君のことを恋君と呼んでいるのも不快だ。何故と問われると具体的に説明は出来ないけれど、とにかく嫌だ。

 

「え、えりな様?」

「何よ」

「い、いえ、機嫌が悪そうだったので……」

「別に悪くないわ」

 

 緋沙子がおずおずと話しかけてくるけれど、私は突っぱねた。なんというか、こうして気を使われると自分が小さい人間の様に思えてくるから余計に不愉快だった。

 別になにも不都合なことは起こっていない。ただ身の程を知らない者が突っかかってきただけのこと。

 

 けれどどうしてかしら――とても胸が痛かった。

 

「……格の差を思い知らせてあげます」

 

 だからこのフラストレーションを、私は四日目の課題にぶつけることにした。

 

 

 




「お嬢……やっぱり修羅場じゃないすか」
「私は挨拶しただけよ? でもえりなのあんな顔が見られたのは収穫だったわね♪」





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十四話

 高級ホテルの朝食に相応しい品―――何を作るのか、それを考える生徒達。

 五日間の強化合宿の丁度折り返しにもなる四日目の課題だからか、そこに求められるレベルがグッと上昇しているのを感じていた。

 何を作るべきか、卵料理の朝食に相応しいものはなにか、それを試行錯誤しながら懸命に模索する。疲労した頭で考えると、果たしてこれがベストなのか、まだ何か出来ることはないのか、そういう思考に陥っておちおち眠ることも出来ない。精神をガリガリと削っていく極限の状況だった。

 

 故にこの状況下で眠ることが出来る者は、よほど自分の料理に自信があるということになる。そんな中、恋はこの状況下で早々に体力の回復に努めていた。温泉に入って、大きく息を吐いている。

 

「はぁー……今日は少し疲れたな」

 

 というのも、今日の緋沙子と組んで取り組んだ課題で、慣れないサポート役を務めたことが原因だ。普段から視野を広く持ち、人の些細な変化に気が付く恋にとっても、アレだけのサポートをするのは正直かなり集中力を要したらしい。体力は問題ないが、脳の感じる疲労は大きかったようだ。

 とはいえ、明日の課題について考えなければならないのも事実。露天風呂のお湯を顔にバシャッと掛けながら、恋は何を作るのかを考えていた。リラックスしながら考えるのが一番良いアイデアを出せると考えたのかもしれない。

 

「ま、なんとか頑張ってみるか」

 

 恋はお湯を掛けた両手で顔を覆いながら、一分ほど考えたあとそう言って顎が付くほどに湯船の中へ身体を沈める。たった一分程度で明日作る料理を決めたらしい。

 といっても、恋はそもそもそのハンデから即興で新しい料理を生み出すことは出来ない。となれば、彼は今までの人生で収集した料理の知識とレシピの中から作る料理を選択するしかないということだ。今回彼は既に自分の中にある引き出しから一つを選んだだけ。

 手抜きと言われればそうかもしれないが、それでもこれが彼のベストである。

 

 これがベストだと言えるように、彼は今までの長い人生を料理に捧げてきたのだから。

 

「上がったら一回作って微調整……んで、諸々準備してから寝るかな」

 

 そう言うと、恋はざばっと立ち上がり、露天風呂を後にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌朝合宿四日目、六時前。

 各生徒はそれぞれ割り当てられた調理スペースへと移動し、そこで各々の料理の準備を始めていた。材料、食器、調理器具など、それぞれの考えた料理に必要なものは違ってくる。誰が何を作るのかは不明だが、それでも自分と違う者が周りに多くいる光景は不安を煽った。

 隣の芝生は青く見えるというわけではないが、考え尽くした自分の品よりも他の生徒の品が新鮮に見えるのは当然の現象だろう。

 

 恋が割り振られたのは創真達やえりなとは別の会場だった。会場のグループはE、各会場ごとにアルファベットが割り振られて別々になっている。遠月リゾートというだけあって、やはりその客の数は普通のホテルの倍どころではない。

 

「ん?」

「あら、恋君じゃない。奇遇ね」

「アリスか、おはよう」

 

 すると、恋が割り当てられた調理スペースに着いた時、その隣のスペースには二日目に会ったばかりの薙切アリスが準備を進めている姿があった。

 どうやら隣同士で料理を振舞うことになったようだ。妙な縁もあったものだと思いながら、恋は挨拶もそこそこに準備を始める。食器や事前に下拵えを済ませておいた食材を並べていき、調理しやすい環境を整えていく。

 

 アリスの方は既に準備を終えているのか、恋の邪魔にならない場所に立ちながらジッと恋の様子を伺っていた。準備が終わるのを待っているらしい。

 

「……はぁ、昨日はよく休めたか?」

「! 準備は終わったのかしら?」

「別に口を動かしながら準備出来ないわけじゃないからな」

「そ、なら良かった。ちゃんと休んだわよ、そもそも私は色々準備の方が面倒くさいから、そんなに試作するつもりはなかったしね」

「へぇ……確かに色々見慣れない機材を持ち込んでるんだな」

 

 気になって視線を向けてみると、アリスの調理スペースには調理器具の他に見慣れない機械なども置いてあり、まるで理科の実験でも始めるかのような雰囲気すら感じられる。

 

「ええ、デンマークにいた頃に色々使っていたものをこっちに持ってきたのよ」

「デンマーク……てことは薙切インターナショナルにいたのか?」

「あらご存じ?」

「料理界に関して目立った場所は大抵頭に入れてるんだ……そうか、じゃあアリスは分子ガストロノミーに精通してるんだな」

「へぇー! そこまで知ってるんだ! 勤勉なのね……もしかして貴方も?」

「いや、ある程度齧った程度でアリスみたいに料理に活用出来るほどじゃない。でもそうか、なら面白い品が見られそうだな」

 

 恋は幼い頃から今日に至るまでの間、多くのことを学んできている。それは料理に関することだけでなく、料理に精通する施設や研究についても同様だ。まして自分の味覚と他者の味覚の誤差を正しく再認識するためには、科学の力を用いるのが手っ取り早かったのだ。

 だからこそ、彼は料理を分子レベルで科学的に分析し観察する『分子ガストロノミー』という分野に対し、早い段階で手を伸ばしている。辛さや旨味、酸味、甘味、そういった味を数値として観測出来る技術を使えば、己の味覚との誤差を感覚で理解できると考えたからだ。

 

 恋が美味しい料理を作ることが出来たのは、そういった理由もあるからである。無論、その分野を料理に活かせるほどの勉強が出来る環境にいたわけではないので、あくまでそういった知識と技術の使用経験があるだけだが。

 

「そうなのね、でもそうね……確かに私の料理は最先端の理論に基づいたアプローチで構築された、最早芸術品! 貴方にも見せてあげるわ、あのえりなを超えて遠月の頂点に立つ者の仕事をね」

「それは楽しみだ―――俺も負けないように頑張るよ」

「♪」

 

 自分の得意とする分野にある程度精通している者の出現に気を良くしたのか、アリスは恋の言葉を受けて余計にやる気を燃やす。

 恋としても、分子ガストロノミーを使った化学による料理構築など、滅多に見られるものではない。隣でそれが見られるというのなら是非もなかった。料理に関する全ては、恋にとって学ぶべきもの――希少な技術であれば尚のこと学び取ろうという意識が強く出る。

 

 とはいえ、恋も料理を作らねばならないのは同じ。

 元々の狙いもあったが、アリスの様な普通とは違った料理人が隣にいるというのは、恋にとって僥倖でもあった。彼が今回作ろうとしている料理は、人の目に付かねば意味がないのだ。

 

《時間になった! これから課題の詳細を説明する》

 

 すると、そこへ堂島の声が放送を通じて流れる。どうやら課題の詳細を説明するらしい。

 

《各自、料理を出す準備はできたな?これより合格条件の説明に入る。まずは審査員の紹介だ》

 

 その放送が流れた瞬間、会場の扉が開いて外で待っていたらしい一般客が大量に入ってくる。おそらくは現在遠月リゾートに宿泊しているほとんどの客が此処へ流れ込んできているのだろう。中にはこの強化合宿の為に食材の提供をしてくれているスポンサー関連の人々もいる。

 年代はバラバラ――老若男女、国籍も職種もバラバラに様々な人がいた。

 

《この課題の合格基準は、今から二時間以内に二百食を達成すること! 以上を満たした者を合格とする!》

 

 その中で堂島の放送は続く。

 一般客がいる中で流しているということは、おそらくこの一般客全員に強化合宿についての説明はされているということだろう。ならば客の評価も普段よりやや辛口になると見た方がいい。

 つまり、一人の客の不評がそのまま客を遠ざけることだってあり得るということだ。そんな中二時間で二百食―――とてもじゃないが、過酷な課題と言えた。

 

《それでは――審査開始!!》

 

 そして開始される課題。

 生徒達は一斉に料理の提供、随時作成のループの中へと身を投じる。

 恋も早速、用意していた料理を一般客が手に取るための提供テーブルへと並べながら、追加の制作へと移った。

 

「わぁ!! 綺麗!」

「本当だ! これ、見たことないなぁ」

「これ写真撮っても大丈夫ですか?」

「ええ、どうぞお手に取って見てください」

 

 すると、早速恋の料理に引き寄せられた一般客がいた。

 恋の出した料理が珍しかったからか、または恋の容姿に惹かれてか、主に女性が多い。だがその反応は恋の予想していたものであり、想定通りに客を掴むことが出来たことに内心ガッツポーズをする。

 客の対応をしながら、恋は想定より早いペースで減る料理の補充をしていく。掴みは上々、味も良かったのかリピーターすら出てきた。

 

「やるわね恋君、それ『エッグスラット』ね?」

「ああ、その通りだ」

 

 恋が今回作ったのは、透明な瓶を食器とした『エッグスラット』である。

 アメリカの料理で、ガラス瓶の中にジャガイモのピュレと卵を入れて湯煎した料理だ。今回恋はジャガイモをマッシュポテトにしてパルメザンチーズなどの複数のチーズを加え、卵と共に蒸したもの。更に列を変えた隣には、マッシュポテトをジャーマンポテトに変えた少しスパイシーなバージョンも用意されていた。

 どちらもガラス瓶に入っているからこそ中の色味が映え、そこに二枚のミニトーストを添えることで朝食らしい見た目で提供されている。

 

「これなら冷めたとしても美味しく食べられるし、高級ホテルなら観光がメインの客が大多数だから、フォトジェニックな料理は思い出として映えるだろ?」

「なるほどねぇ、利用客の需要に幅広く応えるための料理ってことね」

「それにこの状況、折角なら色々なものを食べたいと思うのが人間の心理だろ? この料理なら胃に余裕を持たせつつ食べることが出来るから、終盤で腹が膨れてきても最後に食べてみようかなと思わせる狙いもある」

「ふふふっ♪ やっぱり見込んだ通りね」

「あと――アリスが隣にいるのも大きいな」

 

 恋とアリスは手は動かしているが、ある程度前もって準備していたからか会話する程度の余裕があった。

 アリスの言葉に恋は自身の狙いを説明し、次々捌けていく皿に狙い通りと笑みを浮かべる。写真映えのする料理だからか女性の需要が高いようだが、ジャーマンポテトの方は男性も手を伸ばしてくれている。男女の好みを考えて二種用意した恋の狙いは、見事に的中していた。

 

 そしてもっと言えば、薙切アリスの隣であることもこの結果に大きく影響している。これはまぁ、お互い様ではあるが。

 

「それ、『ポーチドエッグ』だろ? 分子ガストロノミーの分野では科学的に作られたレシピすら存在する料理だ……それをトマトリゾットと合わせたわけか、凄いな」

 

 恋が一瞥した先にあったのは、アリスの作った皿。

 白い平らな皿の上に適度に乗せられたトマトリゾットと、その上に乗せられた『ポーチドエッグ』が彩り豊かに盛り付けられていた。日本語では落とし卵とも呼ばれる料理だが、分子ガストロノミーの分野では科学的に必ず美味しく作れるレシピが作られているほどの品だ。

 卵は分子ガストロノミーの研究の中ではよく登場する食材なのだ。アリスが自信満々なのも理解出来る。

 

「その通り! 奇しくも貴方と同じで写真映えするような品になったってことね……おかげで客が集まってきて良かったわ♪」

「お互いにな」

 

 そうしてアリスと恋は次々と捌けていく皿に負けない速度で品を補充していく。

 恋はその広い視野で周囲の客を見て、二種のどちらを多く作るのかを考えながら作っている。その集中力と無駄のない動きは、客の需要に臨機応変に対応することを可能としていた。

 もっとこうしたら、こうすればより良く―――そうして作る度にブラッシュアップしていき、料理の質と需要の供給量を高めていく。

 

 時に匂いで、時に料理風景で、時に品の見栄えで、多くの客を集めては品を手に取らせた。

 

「――――!」

「……!!」

 

 そうしていく中で、アリスと恋はある種競い合う様な意識すら生まれていく。

 十皿、五十皿、百皿――二百皿。

 食べ終わった皿が次々と重なっていく。

 

《黒瀬恋、二百食達成!!》

《薙切アリス、二百食達成!!》

 

 だが彼らの動きは課題クリアのラインを越えても止まらなかった。

 客がいて、まだ作ることが出来て、隣にいる料理人と競い合う楽しさがあって、二人のテンションは高まるばかり。あれだけの余裕と自信を見せていたアリスも、楽しそうに料理を作っていく。

 

 より美味しく、より美しく、より鮮烈に、アリスの料理も作り続けるに連れてその質を向上させていた。まるで恋に引き上げられるように、心が燃えているのを理解する。

 

「(楽しい……! でもそれ以上に、負けたくないわ!)」

 

 勝ち負けなどないし、競うような約束もしていない。

 だが強いて言うのなら、二人の皿の捌ける速度がほぼ同じで、二人の作った品の方向性が似ていたのが理由。自分と同じ速度で走る存在が隣に出てくれば、負けたくないと思うのが当然だろう。

 なにより黒瀬恋という男が薙切アリスを料理人として尊敬し、純粋に負けまいとしているからこそ、その勝負にはなんの悪感情がない。気持ちのいい競い合いが、純粋に楽しいという感情を抱かせるのだ。

 

 アリスはそんな恋の人柄を好ましく思うし、また料理を通じてこうまで通じ合える感覚が気持ちよかった。

 

「やるわねっ、恋君」

「ああ――俺も、頂点を獲るつもりだからな」

「なら競い合いましょう―――どちらかが倒れるまで!」

「望むところだ」

 

 そうして上がるテンションに連れて、二人の料理がどんどん捌けていく。

 とうとう二百食というクリアラインを大きく超えて、二人は三百食を越えた。

 

 そして、その勝負はアリスの用意した食材が切れてしまうまで続き、結局事前に準備した食材の量の差で恋がより多くの皿を捌けさせる。

 結果から言えば、薙切アリスが三百二十食、恋が三百八十食という記録となったのだった。

 

 

 ◇

 

 

 恋もアリスも、制限時間を残して食材を切らしてしまったので、課題はクリアしたということで自由の身になった。

 だがアリスは調理台に背中を預けるようにして座り込んで息を整えており、恋もより集中力を使ったからか腰に両手を当ててグイッと上体を反らしている。両者ともテンションに身を任せて全力を出していたので、少々疲労が溜まったようだ。

 

 だが表情はとても満足そうで、充実している。

 

「あー楽しかった! 食材が切れちゃったから記録じゃ負けちゃったけど、勝負は着いてないからね!」

「勿論、勝ったなんて思ってないよ。またどこかで一緒に料理をしよう」

「ふふふっ、その時は是非情熱的にお誘いして欲しいわねっ」

「なんでだよ」

「♪」

 

 熱い競い合いをしたからか、アリスと恋の間には一昨日初対面とは思えないほどの近しい距離感が生まれていた。友人として、またライバルとしてこれ以上ない熱さを共有することが出来たからだろう。

 アドレナリンが出てやや興奮冷めやらないからか、アリスの言葉も普段より少しテンションが高い。ほんのり大胆な発言すらしてしまうほどに、アリスは恋を良いライバルとして認めているようだった。

 

「リョウ君と勝負する時とは少し違う感覚だったわ」

「リョウ君? 昨日いた男子か?」

「そう、黒木場リョウ君。私の付き人よ。彼は私以上に負けず嫌いだから、もし勝負することがあったら別人っぷりにビックリしちゃうかもね」

「そりゃ楽しみだ」

 

 座っている状態で恋を見上げるアリスは含みのない笑顔でおかしそうに笑い、恋もまたそんなアリスのクスクスという笑い声に自然と笑みを浮かべる。

 すると制限時間を見てまだ時間があるなと思ったのか、アリスは恋にある提案をした。

 

「良ければ一緒にえりなや幸平君の様子でも見に行かない?」

「ん、確かに他の皆の様子は気になるな……行くか」

「じゃあハイ」

「……はいはい」

「♪」

 

 別会場の様子を見に行こうと誘ってくるアリスに、恋は確かに気になると承諾。

 するとアリスは座り込んだまま両手を広げてきた。恋はアリスが何を求めているのかを察すると、小さく溜息を吐きながら仕方がないなとその両手を取る。そしてグイッと引っ張って立ち上がらせてやると、アリスはよろしいとばかりにニコニコと満足気。

 

 そして立ち上がったかと思えば恋の腕に自分の腕を通してぐいぐいと引っ張って歩き出した。

 

「さぁ行きましょう! どんな感じか楽しみね!」

「元気じゃん……それにこの前言ったこと完全に忘れてるだろ」

 

 不用意に異性に近づくべきではないと言った恋の言葉をさっぱり無視してくるアリス。

 その天真爛漫っぷりを見て、流石の恋も諦めて振り回されることにしたらしい。

 

 

 




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十五話

 恋がアリスに腕を引かれながら創真やえりなのいるA会場へと向かった後、歩いている内にアリスも恋の隣を歩くようになっていた。ただ何故か腕を離してはくれない様子に、恋は首を傾げている。

 逃げないかとでも思われているのか? そう思った恋はアリスに別に逃げたりしないと伝えたのだが、アリスは無言でニヤニヤ笑うだけで離れることはなかった。

 

 一体何が目的なのかと思う恋だが、子供っぽくもアリスが悪い子ではないことは理解しているつもりなので、まぁいいかとそのままにさせる。外国人はスキンシップも激しいので、その延長だろうと考えたようだ。

 

「恋君は随分えりなと仲が良いようだけど、どういう関係なの?」

「幼馴染だよ。六歳くらいの時に親に連れられて薙切の家に行ったときに偶然会って、それから数ヵ月くらい料理を教えてもらったんだ」

「へぇ……それからずっと一緒?」

「いや、色々あってその数ヵ月以降はさっぱり会ってなかった。遠月に編入試験を受けた時、審査員としてやってきた彼女と再会したんだ。向こうも覚えててくれたみたいで、今は仲良くしてくれてるって感じだな」

「ふーん……私は五歳までえりなと一緒に暮らしてたから、入れ違いだったのね。ざーんねん」

「そうなんだ」

 

 向かう途中でアリスの質問に答える恋。

 課題をクリアしても食材が尽きてこうしている生徒は二人くらいなものだ。道中、他の生徒はいない。アリスは遠慮なく人に踏み込めるタイプらしく、恋がそれを許容出来るタイプであるのも相まって話は弾んでいく。

 

「編入ってことは今まで遠月にはいなかったのよね? 今までは何をしていたの?」

「親に頼んで色々な国を巡って、料理に関する勉強をしていた。小学校を卒業してからは中卒資格の為に入った学校もあったから、卒業に必要な最低限の出席と点数を取りながらだったけどな」

「へぇー……よくご両親が許したわね」

「勿論反対されたけど、ある時料理を作って食べさせたら許してくれたよ。俺の努力を認めてくれたみたい」

「そう、良いご両親ね」

 

 アリスの問いかけに淡々と答える恋に、アリスはふーんと興味なさげに頷くだけだった。質問しただけで特に興味があったわけではないらしい。恋もまたそんなアリスの自由さに苦笑するだけで、別段不愉快に思ってはいないようだ。これはこれで相性がいいのだろう。

 

 そうして歩いていると、A会場へと到着する。

 恋達の会場同様、中はかなり人が多く賑やかな状況だった。多くの生徒が懸命に料理を振舞い、一般客も自由にそれらの料理を手に取っている。残り三十分だからか、既に課題を達成した生徒もちらほらいた。未だに料理を作り続けてはいるが、表情にはどことなく余裕が生まれている。

 恋は知り合いの姿を探すが、隣にいたアリスが不意に話しかけてきた。

 

「ねぇ恋君、貴方と同じ編入生の幸平君……この課題をクリアできると思ってる?」

「創真? ……さぁ、どうだろうな。俺はクリア出来る実力はあると見てるが、今回は美味い料理を作ればいいわけじゃない。創真もミスをしないわけじゃないから、必ずクリア出来るとは言い切れないな」

「ふふふ……そうね、昨晩彼の試作中に少し挨拶したんだけど……あの品じゃあ到底無理でしょうね―――ほら」

「!」

 

 恋の答えにクスクスと目を細めて笑うアリスが、その白く細い指である場所を示す。そちらへ視線を向けてみると、そこには幸平創真の姿があった。隣には薙切えりなの姿もあるが、そこに集まっている客の数が圧倒的に違う。

 えりなの方には絶えず多くの客が殺到しているというのに、創真のテーブル前には客がいない。そして残り三十分になるというのに、創真の食器返却台の上には十枚にも満たない数の皿があるだけ。

 

 二百皿を捌かなければならない課題で、残り三十分にたった八皿しか捌けていない状況だった。

 

 見れば創真が作っていたのは、スフレ風のオムレツの様だった。だがその全てが時間経過と共に萎んでしまっている。あれでは誰も手に取ろうとはしないだろう。

 創真の失敗は、定食屋と違ってビュッフェ形式では作ってすぐに食べてもらえるわけではないという、根本的なシステムの違いを考慮しなかったこと。今回の課題の品選びで必要なのは、その品の美味しさの継続力と見栄え。

 

 恋が写真映えする見栄えと冷めたとしても美味しく食べられる料理を選んだのは、その重要さを理解していたからである。創真は絶体絶命のがけっぷちに立たされていた。

 

「あらあら……どうやら彼は此処までのようね」

「……さぁ、どうだろうな。まだ三十分ある、どうなるかは最後まで分からない」

「む、此処から巻き返せるとでも言うの?」

 

 ぷく、と頬を膨らませて同意を得られなかったことに不服そうなアリスだが、恋はそんなことじゃないと言いながら、創真の表情を見る。アリスもつられて創真の方を見た。

 創真はこの状況下でも諦めていないのか、ぶつぶつと何か呟きながら何か考えている。そして整理が付いたのか腕に巻いていた手ぬぐいを解くと、ぎゅっと頭に巻き付けた。

 

 その際、偶然か恋と目が合う。

 恋が笑みを浮かべると、創真も好戦的な瞳で笑って返した。

 

「創真は強いよ。逆境だろうと恐れず進める誰より強い向上心がある。だからどんな状況でも、自分に出来るベストを尽くす―――最後の最後まで、何をしでかすか分からない」

「そんな精神論で……!?」

 

 恋の言葉を机上の理論として一蹴しようとしたが、その言葉は創真の行動で遮られた。

 彼は今までと同じスフレオムレツを作ることは変えずに、客を引き寄せる行動に出たのだ。その方法は、食材が料理へと姿を変えていく調理工程をパフォーマンスとして魅せる、"ライブクッキング"。

 

 えりなの方に集まっていた客の中から、子供を手招きしてソレを見せると、子供は素直なリアクションをしてくれる。それにつられて何人かの視線が創真の方へと集まった。創真はそのチャンスを見逃さず、コンロを八口に増やして更に曲芸のようにスフレを作っていく。

 集まった客は、更に野次馬性を刺激して人を呼んでいく。作ったスフレが次々に捌けていき、その品の確かな味に更に良い反応をする客が更に人を呼んだ。

 

 無論、ダメになるスフレがないわけではない。客が増えても、創真の作るペースの方が速いからだ。ダメになるスフレを即座に下げながら、創真はその調理効率を上げていく。恋とアリスがそうだったように、作りながら作業工程を効率化し、更に料理の質を向上させているのだ。

 

 残り十五分、十分、五分、一分―――時間が過ぎていく中で、創真は極限の集中力で作り続け、魅せ続ける。

 

 そして残り五秒となったその時。

 

 

《――幸平創真、二百食達成! ……そして終了、そこまでだ!!》

 

 

 創真は残り三十分という限界状況から、二百食という課題を見事クリアして見せた。

 三十分で二百食を達成するというハイペース、到底誰にでも出来るようなことではない。創真自身もクリアしたことを理解するのに、数秒呆気に取られた表情を浮かべていたくらいだ。

 制限時間が終わったことを理解した創真は、汗だくになりながら手ぬぐいをしゅるりと解き、大きく息を吐き出しながら顔を拭っている。そして恋の方へと視線を向けると、グッとサムズアップした。恋も遠目からじゃ分からないほど小さく頷いて、笑みを浮かべる。

 

 そしてアリスと共に創真の方へと向かうと、アリスがその図太さから創真にぐいぐい話しかけた。

 

「あんな状況からクリアするなんてびっくり! てっきり八皿くらいで止まると思ってたのに!」

「……あ?」

「でもあんな曲芸頼りの料理じゃ、到底てっぺんなんて穫れないわ。必要なのは最先端の理論に基づいたアプローチで構築された仕事……例えば私の料理みたいにね!」

 

 先ほどの自分の予想を覆されたのが少し不服だったのか、創真にダメ出しし始めるアリス。恋はつくづく子供っぽいなと思いながら苦笑するが、言っていることは確かに間違っていない。 

 今回創真はライブクッキングという手法で課題をクリア出来たが、そもそも『高級ホテルのビュッフェ形式の朝食』という課題に対して、下策とも言えるメニューを選んだのは大きな失敗だ。知識も、環境に対する想定もまるで足りていなかったことは覆らない。

 

 今のままならば、遠月の頂点を獲るのは確かに見通しが甘いだろう。

 

「確かにな! めちゃ失敗したわー、超焦ったし」

「!」

「けど、"失敗した"っていう経験は得た」

 

 だが創真はそんなダメ出しに対してもなんのその、自分がやらかしたことを素直に受け入れ、その失敗を次にどう活かそうかと考えるのが楽しい様子だった。これこそ、恋が感じていた創真の強さ。

 逆境も失敗も、全てを己の糧にして突き進む果て無き向上心。

 そんな創真の表情に毒気を抜かれたのか、アリスはまたぷくっと頬を膨らませて不満そうだ。

 

「む……食えない男ね、全く……そうそう、まだ名乗ってなかったわね。私の名前は薙切アリス、君と違ってこの遠月の頂点に立つ者の名前よ」

「薙切ぃ……? それって」

「アリスは薙切の従姉妹なんだとさ」

「あぁ!? 私が言いたかったのに! なんで先に言っちゃうの恋君!!」

「え、ああごめん、格好つけたかったのか……悪かった」

「その言い方だと余計私が滑稽じゃない! もう!」

 

 恋に名乗った時の様に格好付けたアリスだったが、創真の疑問に恋が先んじて答えたことで出鼻を挫かれたらしい。掴んでいた恋の腕をぐいぐいと揺らしながらぎゃーぎゃーと騒ぐ。恋は悪かった悪かったとそんなアリスを宥めるが、アリスの機嫌は直らないようだ。 

 それでも腕を離さないのは何故だろうかと、恋はアリスの意図が分からなかった。

 

「ともかく、私のお父様は、お母様の故郷でもある北欧デンマークを本拠地として、薙切インターナショナルを設立しました。そこは分子ガストロノミーに基づいた最新の調理技術をはじめとして、味覚や嗅覚のメカニズムを探求する大脳生理学までも包括している……美食の総合研究機関! 私は十四歳までそこで過ごし、遠月へやってきたの。えりなを打ち負かし、遠月の頂点に立つためにね」

「へぇー……」

「そしてあなたもよ幸平創真クン。今回はクリアしたみたいだけど、職人芸がもてはやされる時代は終わったのよ」

「……」

 

 アリスは恋の頬をぐいぐいと引っ張りながら、やや早口に言いたいことを創真にぶつける。恋の腕を抱くように捕まえながら、恋に寄りかかるように頬を引っ張る姿はまるでコアラのようだった。そんな状態でそんなことを言われても、創真は反応に困るだけである。

 どうすればいいんだ、とばかりに恋を見た創真だが、恋はその視線に対して引きつった笑みを返すばかり。

 

 ―――なんだこの状況?

 ―――過ぎ去るのを待つしかない、諦めろ。

 

 二人の男は、アイコンタクトで諦めを選択。同時に溜息を漏らす。

 すると、創真の隣で料理をしていたえりなが眉間に皺を寄せながら近づいてくる。腕を組み、不愉快ですとばかりの表情でアリスを睨んでいた。

 

「ちょっと……何をしているのかしら?」

「あらえりな、いたの?」

「うわ……」

 

 声を掛けてきたえりなに対し、アリスは気が付いていたくせに今気づいたとばかりの反応を返す。流石の恋も、その対応に一抹の恐怖を感じてしまった。女同士の争いは恐ろしいとは思っていたが、此処まで相手の心を刺すことが出来るとは思っていなかったらしい。

 アリスはえりなが来ると見せつけるように恋の腕を更に強く抱きしめる。豊満な胸を押し付けるようにしてその距離をぐいぐい近づけていた。

 

「はしたない、黒瀬君から離れなさい」

「え? 別にこれくらい友達同士のスキンシップでしょう? あ、えりなには分からないかしら、友達いないものね」

「ッ……スキンシップでもそんなに長々とくっついていては黒瀬君に迷惑でしょ」

「ふーん、でも―――っと?」

 

 えりなが離れろと言うと、アリスはすっとぼけたようにそれを拒否する。あくまでこれはスキンシップだと言い張り、友達が恋以外にはいたことのないえりなの心をグサグサと刺した。えりなは胸中に浮かぶモヤモヤとした黒い感情を隠しながら、あくまで女性としてはしたないとか、恋に迷惑だとか、そういった理由を付けてアリスを引き剥がそうとする。

 すると、アリスはそれに対して反論しようとしたが―――その前に恋がアリスをそっと引き離した。

 

「悪いなアリス、そろそろ腕が疲れてきた……それに、薙切が辛そうな顔してるから、あまり煽らないでやってくれ」

「……はぁ、分かったわよ」

 

 あくまで自分の都合で離れろと伝え、そしてその上でそれとなくえりなを守るような発言をする恋。その言葉の裏にあるものをアリスはすぐに察した。

 えりなの顔と恋の顔を交互に見て、つまらなそうにすると、またぷくっと頬を膨らませて不服そうにする。

 

「とにかく、貴方達には負けません! 直接打ち負かせるときを楽しみにしてるわ」

「ああ、楽しみにしてる」

「おもしれー、そん時は相手になるぜ」

「ふん……まぁ、"近々"お会いしましょう」

 

 アリスはそう言って去っていく。

 去り際の最後に恋を一瞥して、フイッと視線を切った。

 恋がえりなの悲しそうな顔を見てアリスを引き離したことに、アリスは気が付いていた。えりなが恋に執心しているから、少し見せつけて困らせてやろうかと思っただけだったが、結果を見れば終始恋に振り回されていただけだ。

 しかもえりなにもアリスにも嫌な思いをさせないように立ち振る舞う真摯な対応。正直アリスは、恋の人としての懐の大きさを見せつけられた気分だった。

 

 だが不思議と嫌な気分ではない。

 

「……黒瀬恋君、ね……ふふふっ、ほんと魅力的な人ね♪」

 

 少しだけえりなを羨ましく思うアリスは、クスクスと笑った。

 その後方で恋と目が合い、照れたように目を逸らすえりなの顔を見られなかったのは、アリスにとっては良かったのか、悪かったのか。

 

 

 




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十六話

 無事に四日目を突破し、そして訪れた五日目の夕方―――恋達は再度制服を着た状態で集合を指示されていた。広間に集まった生徒達の表情は暗く、四日目の朝食課題の様な過酷な課題が来るのではないかと恐れている。

 だが時刻は夕方、翌日にもつれ込む様な課題はないだろう。ましてこの後は遠月学園へと帰らねばならないということもあるので、恋は正直あまり心配していなかった。課題をやるには時間があまりに切羽詰まりすぎている。

 料理を作る時間も、審査する時間も、この数の生徒を一堂に集めた状況ではないに等しいのだ。

 だが疲労が溜まりに溜まった生徒たちのほとんどは、その事実に気付かず顔を青くしている。

 

 すると、遂に堂島が生徒たちの前へと出てきた。

 

「―――諸君、それではこの合宿最後のプログラムを開始しよう」

 

 瞬間、生徒達の悲鳴があちらこちらから上がる。

 膝から崩れ落ちる者、天を仰いで悟ったような顔をする者、口から魂が抜けている者、様々だ。中には恋や創真と同じように動じていない者もいるが、総じて阿鼻叫喚の嵐である。

 そんな状況に苦笑した堂島は、ハキハキとよく通る声でその内容を口にした。

 

 

「六百二十八名の諸君に告ぐ! ――――宿泊研修の全課題クリアおめでとう! 最後のプログラムとは、合宿終了を祝うささやかな宴の席だ! 存分に楽しんでくれ!」

 

 

 シン……と、堂島の言葉を噛み砕くための数秒の沈黙が空間を包む。そして堂島の言葉と同時に開かれた扉から、四宮を始めとする全卒業生達が各々の料理を持って現れた。

 そしてこれが現実だと理解した瞬間、生徒達は絶望から一転――歓喜の声を上げる。

 

「や……やったああああああああ!!」

「さあ皆テーブルへ! 今から君等には―――卒業生の料理で組んだフルコースを味わっていただく!!」

 

 大歓声の中、生徒達はテーブルへと案内されていく。

 到達率一桁……遠月学園の卒業生にして、今や超有名料理店のシェフとなったスター達の料理をフルコースで味わえるというこの機会。遠月の人間であれば喜ばない筈がない。寧ろ人生で最も輝かしい記憶として心に刻み込まれてもおかしくないくらいだ。

 大歓声の中、恋達もテーブルに着く。

 自由席だからか、恋の着席した丸テーブルには、恋以外にも四名の生徒が座った。

 

「お互い、無事生き残ったな。恋」

「まぁ、これくらいで落ちるようじゃ遠月ではやっていけないわ」

「つまんないわねぇ、折角生き残ったんだから少しくらい喜んだら?」

「……」

 

 順に緋沙子、えりな、アリス、そして黒木場の四名だ。

 四人で来たわけではなく、二人ずつ恋の座ったテーブルにやってきた様子だった。それぞれ主人と付き人のコンビなので、恋としては場違い感があるものの、全員顔見知りなのでまぁいいかと受け入れる。

 ちなみに恋の右隣にえりなが座り、逆を緋沙子が確保している。アリスを近づけまいとしたのか分からないが、ともかく珍しくえりなも若干の焦りを見せながら隣を確保してきた。

 

 するとがやがやと騒がしい環境故にテーブルごとの会話は聞こえてこないが、恋に椅子を近づけたえりながこっそりと話しかけてくる。

 

「その……大丈夫なの? 卒業生のフルコースでも……貴方は……」

「ああ……そういうことか」

 

 この学園の中で、恋の味覚障害について知っているのはえりなと緋沙子の二人だけだ。だからこそ、卒業生のフルコースを食すというサプライズを聞いた瞬間、恋の傍にきたのだろう。他の生徒達と同じテーブルで食べて、恋の様子からその異変に気付かれることを心配したのだ。

 恋はそれを理解して、なるほどと納得する。だからこそ二人は自分の両隣を意地でも確保しようとしたのだ。

 

 ありがたいと思いながら、恋は思わず笑みを浮かべる。

 

「大丈夫だ、不味いと感じるわけじゃないしな……ただ、皆と同じように美味しいと思えないのは、ちょっと寂しいけどな」

「……そう」

 

 恋もえりなにだけ聴こえるようにそう返した。美味しいと感じられないというのは慣れたものだが、こんな祝福の空気の中皆と同じ感覚を共有出来ないのは少々寂しい。この感覚だけが、恋が人生で一度も経験したことがない感覚だった。

 誰かと一緒に食事をすることで、より一層美味しく感じる。そんな当たり前の感覚を理解出来ないことは、この瞬間少しだけ、孤独を感じさせた。

 

 それを聞いて黙ったえりなを置き去りにするように、このテーブルにも料理が運ばれてくる。恋達の前に置かれた料理はどれも彩り豊かでとても美味しそうだった。そう、美味しいとは感じられないからこそ、この美味しそうだという感覚すら恋には分からない。

 

「……いただきます」

 

 恋は前菜(オードブル)を食べて、

 スープを飲んで、

 魚料理を食べて、

 肉料理を食べて、

 メインディッシュを食べて、

 サラダを食べて、

 デザートまで食べきって、

 

 全てを食して尚―――美味しいという表情を表現することしか出来なかった。

 

 舌の上に乗せられた極上の料理が、恋には僅かに味らしきものがする様な感覚しか与えてくれない。どれだけ集中したとしても、普段トレーニングで微量ずつ口にしている調味料の味を感じとれるだけだ。そしてそれは、けして美味しいという感覚にはならない。

 恋の感じる甘味は人とは違うから、恋の感じる酸味も人とは違うから、恋の感じる辛味も、苦味も、塩味も、人とは違うから――これが美味しいと感じる味なのだろうと思うけれど、恋の味覚はそこに幸福を生み出さない。

 

「……うん、これが卒業生の、プロの味か……」

 

 だからこそ、彼は美味しいとは言わなかった。

 ただ純粋に、自分の味覚で感じる超一流の味をしっかりと刻み込んだ。この味に届かなければならないのだ――――自分では理解できなくても、やると決めたのだから。

 

 えりなはそんな恋の表情を見て、自分がどれほど恵まれているのかを再認識する。

 口にすれば分かる。この極上の料理の素晴らしさと、その感動を理解できる。美味しいと感じ、それに幸福を感じられる。当たり前に得ていた幸福を、噛み締めることしか出来ない。

 美味しい―――これこそ超一流の料理―――感動すら覚えるほどの境地―――素晴らしい―――……称賛の声は幾らでも用意出来るのに、恋の悲しみを理解することが出来ないことが苦しかった。

 

 此処は遠月学園の強化合宿会場。

 そして同じテーブルに着いているのは、神の舌を持つ料理界の至宝である薙切えりなと、料理人として最も致命的な欠陥を持つ黒瀬恋。

 本来であれば共にこのフルコースを食すことなどありえない二人が、どういう運命か同じテーブルで同じ料理を食べていた。

 

「(……そうね……そう、黒瀬君……貴方はあの日、こんな気持ちだったのかしら)」

「恋君、コレ美味しいわよ!」

「メインディッシュか、アリスは結構そういうタイプの料理が好きなのか?」

「ええ、結構この味付け好きかも」

 

 恋は美味しいとは一度も言わない。それは卒業生に対する侮辱だと経験で知っているから。アリスの言葉にも、上手く躱して話を逸らしている。

 えりなは恋のそんな姿を見て、胸が苦しかった。

 そしてかつて、恋が自分の為に料理を作りたいと言い出した日のことを思い出す。

 あの日、美味しいということが分からない恋は何故、料理をしたいと言い出したのか。何故、えりなに美味しいと言ってほしかったのか。その気持ちが少し分かった気がした。

 

 そう―――分からなかったからこそだ。

 

 恋はえりなの神の舌を羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。えりなが料理を楽しそうに語るのを聞いて、羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。誰かが料理を美味しそうに食べる姿を見て、羨ましいと思わなかっただろうか? 思ったに決まっている。

 誰かと一緒に食事をする――その幸福の輪の中に、恋は自分も居たいと願ったのだ。

 そして美味しいと感じられない以上、恋の取れるその手段が、『料理を振舞うこと』しかなかったのだ。

 

「(貴方は優しかった……子供ながらに怒っても仕方がなかったでしょうに、理解出来ない私の話を聞いて、それでも私の為に料理を作ろうと思ってくれた……)」

「? どうした、薙切」

「(美味しいと感じられないからこそ……"美味しい"を作る人に憧れたのでしょう?)」

 

 えりなは気を抜けば泣いてしまいそうだった。

 幼い恋の、あまりにも優しい心を今理解してしまったから。友達と同じことが共有できないことの、世界中の人が知っていることを自分だけが知ることが出来ないことの、その辛さを抱えて尚―――恋はずっと、そこに歩み寄ろうとしていたのだ。

 えりなを笑わせて、美味しいと言わせて、証明したかったのだ。

 

 自分は―――"美味しい"で幸福を感じられる人間なのだと。

 

 どこまでも、残酷なまでに、人に寄り添うその優しさが、えりなはとても苦しかった。どうしてこんなにも優しい人が、こんなにも大きな孤独を抱えなければならないのかと思った。神の舌なんてものを持って生まれた、恋からすれば喉から手が出るほど羨ましいものに恵まれた薙切えりなという存在を、それでも笑顔にしたいと思った黒瀬恋。

 残酷すぎる、そう思うと涙を堪えるのが辛かった。

 

「っ……少し、花を摘みに行ってくるわ」

「……ああ、行ってらっしゃい」

 

 堪らず席を立ち、その場を離れる。

 料理は全て食べ終えていたし、もう恋の味覚障害についてバレる心配もない。えりなは目に浮かんだ涙を拭いながら会場の外へと出る。そして大きく息を吸って、震える唇をぎゅっと噤んだ。

 吐き出した息は震えていて、えりなはぎゅっと自分の腕を掴む。

 

「はぁ……っ……!」

 

 ―――"料理は、人を想って作るものなのよ"

 

 えりながかつて恋に教えた言葉、それが今も恋の心の奥底で彼の料理を支えている。それならえりなは? 至玉の才能を持つえりなの料理には、誰を想う心があるのだろうか。

 そう自身に問いかけ、そして落ち着いた心に今度は燃え盛るような熱が生まれるのを感じる。

 

 そう、自分は料理界の至宝にして神の舌を持つ天才。

 

 薙切えりなだ。

 

「なら、出来ない筈がないわ……彼がやろうとしているのだもの」

 

 ならば彼がやろうとしていることを、自分が出来ない筈がない。

 えりなは今日、彼の孤独の一端を理解した。誰にも理解できない苦しみを背負っていることを知った。その上で彼がやろうとしていることが、どれほど彼の人生にとって価値があるものなのかも、考えることが出来た。

 だからこそえりなも思うのだ。

 

「私も……貴方に笑ってほしいわ―――"美味しい"って」

 

 黒瀬恋に、美味しいと言ってほしいと。

 えりなの記憶の彼方にあった、そして今は黒瀬恋の心にあるかつての自身の言葉が、今彼女の心に熱となって舞い戻ってきたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして全てのプログラムを終えて学園へと帰る時間になる。

 恋達一年生はそれぞれグループに分かれて、数台のバスで学園へと帰ることになっていた。生徒達が荷物を纏めて、ぞろぞろとホテルのロビーに集まってきている中で、人込みの中には卒業生たちの姿もある。

 強化合宿の為にこの遠月リゾートへやってきているが、本来は有名料理店のシェフだ。店をいつまでも閉めているわけにはいかないし、早々に帰る必要があるのだ。

 

 だがそんな中で、卒業生たちが集まってくる生徒の中から数名に声を掛けている姿がある。この強化合宿で良い資質を持った生徒に、卒業前からアプローチを掛けているのだ。卒業生は卒業生で、この合宿に価値を見出してやってきているということなのだろう。

 恋がロビーにやってくると、創真や恵が四宮達卒業生に声を掛けられている姿があった。どうやら知らない所でなにかしらの無茶をしたようだと、恋は察する。

 それに、初日に感じた四宮の刺々しい空気が和らいでいる。創真と恵が何かした結果なのかもしれない。恋はそう考えて、やはり幸平創真という人物は大物かもしれないと苦笑した。

 

「む……黒瀬、話すのは初日以来だな」

「堂島さん」

 

 すると、創真達に声を掛けていたところ、恋に気が付いた堂島が恋に声を掛けてきた。初日に妙な質問をした時から、会話をすることはなかったものの、こうして話しかけてきたということは何か用があるということなのだろうか。

 だがそれは堂島だけに留まらず、創真達に声を掛けていた卒業生のほとんどが堂島の声で恋に気付き、近づいてきたのだ。

 

 人数の圧、しかも全員スター的料理人。流石の恋も少し緊張した。

 

「えーと、なんでしょうか?」

 

 堂島たちの表情は創真達に話しかけていた時とは一転、若干真剣な表情だった。何か気になることでもあったのか、恋はややおそるおそる質問する。

 すると、代表してか堂島が口を開いた。

 

「いや、なに……この合宿中の君の評価は卒業生の中でもかなり高かった。調理技術においてはプロにも匹敵するほど無駄がなく、提出された料理も総じてレベルが高い。四日目の朝食課題においても、君は合格ラインを大きく超えてきた……だからこそ、この場にいる卒業生は納得がいかないことがあるらしい」

「……黒瀬恋、だったな」

「はい、四宮シェフ」

「お前……俺たちのフルコース、どうだった?」

「!」

 

 堂島の言葉に怪訝な表情を浮かべた恋だったが、四宮の言葉で目を見開く。

 

「ハッキリ聞かせてもらうが……お前、美味いって思わなかっただろ?」

「私達も今では店の看板を背負う料理人です。客の僅かな反応でその評価はすぐにわかります……あの時、黒瀬君の表情からは一切の幸福感を感じませんでした」

「……美味しく、なかった?」

 

 四宮の言葉に続いて、乾、水原と、同様のことを恋に問いかけてくる。

 流石に超一流の料理人の目は誤魔化せなかったらしく、恋があのフルコースを美味しいと思っていなかったことを全員が見抜いていた。だがこれは配慮なのか、周囲に聞こえないように小さめの声を話してくれているのは有難かった。

 恋は言うべきかどうか、少し迷う。

 そして不意に堂島と目が合うと、堂島は何も言わず頷きだけを返した。それはきっと、何が原因だろうと四宮達は受け止めることが出来るという意味なのだろう。

 

 しかし―――その原因は、四宮達にはないのだ。

 

「…………これは、誰にも言わないでください。この場にいる人間同士であっても、口に出すことすら禁止させてください」

「! ……良いだろう、今から聞くことは……誰にも言わねぇ」

「わかりました。私達の間でも口に出しません」

 

 だが恋は話すことにした。

 超一流の料理人たちに、問いかけたかったからだ。堂島に問いかけた問いを、もう一度。そして恋の様子を見て、これが深刻な話だということを悟った四宮達は恋の出した条件を承諾する。

 おそらくは黒瀬恋という人間の、根幹に関わるようなことなのだと知った上で、彼らはそれを聞く姿勢を整えた。

 

 そして恋は口にする……一切隠してきた、これからも隠していくその致命的なまでの欠陥を。

 

 

 

「……俺は、味覚障害を持ってます―――あらゆる味を、正しく感じられません」

 

 

 

 空気が凍ったのを、恋は感じた。

 

 

 




卒業生の反応は……?
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十七話

 ……"俺は、味覚障害を持ってます―――あらゆる味を、正しく感じられません"

 

 その言葉が耳を通り抜けて理解に至った時、四宮達は目を見開いて絶句した。

 当然だ、そんな筈があるわけがないと思ってしまう。

 黒瀬恋という少年は、この場にいる全員が認めるほどの料理の腕を持ち、この合宿中自分たちはそれを正当に評価してきたつもりだった。なのに、その料理が全て味覚障害を抱える人間の作ったものだったというのだ。

 

 そんなことがあり得るというのだろうか?

 

 彼が卒業生のフルコースを食べていた時、その表情には辛さがあった。食べるのが苦痛と言わんばかりの色があった。だからこそ四宮達は、自分たちが自信をもって出した料理でそんな感情を抱かれたことがショックだったのだ。

 だからその原因は何なのか、些細なことであろうとも知ろうとした。黒瀬恋を認めているからこそ、その理由は一体なんなのかと。

 

「……まじ、か?」

「はい、正真正銘……事実です」

「っ」

 

 なんとか絞り出した問い掛けに、恋はまっすぐ四宮を見ながら断言する。

 

 それで卒業生達全員が恋の言葉が嘘ではないことを理解した。

 その上でこの場にいることの異常さも、恋の積み上げてきた努力の質が自分たちのソレとは桁外れに違うことも、信じられないが理解せざるを得なかった。

 

 世の中の人間とは違う。そもそもの土台から彼は違う。

 圧倒的なマイナススタートから始めて、彼は今プロにも迫る技術を身に付けて遠月にいる。課題の評価とはいえ、超一流の料理人である自分達全員から認められ、こうして強化合宿を生き残っている。

 それはつまり、誰一人として彼の料理の異質さに気付かなかったということだ。彼が味覚障害を抱えているなんて、露として思わなかったということだ。

 

「黒瀬……お前、どうしてそこまで料理人に拘る……人生を棒に振るとは、思わなかったのか?」

 

 四宮は想像してしまった――――もしも自分に、正常な味覚がなかったのなら、どうなっていたのかを。

 遠月で十傑第一席の座を得て卒業し、卒業後はフランスに一人渡り、自分の店をオープンして、苦難を乗り越えて日本人で初めてのプルスポール賞を獲得し……そんな輝かしい栄光の道がそれでも歩けただろうかと。

 

 とてもじゃないが、出来たなんて自信を持って言えるわけがない。

 

 だからこそ黒瀬恋という少年に問いかけた。

 どうして結果は見えていただろうに、この道を歩いてきたのかと。

 

「…………四宮シェフ、料理をするの、楽しいですか?」

「は? ……そりゃ、そうだろ」

「そう、料理をするのって楽しいんですよ。一生懸命料理して、大切な人に美味しいって笑って貰えたら……どんなに幸せなことでしょう」

「……」

「俺は、皆と一緒が良かった。美味しいものを共有して、手放しで幸せを感じたい……そして味が分からない俺でもそれが感じられる方法を、大切な人が教えてくれました……それが料理人の道」

「そんな……それだけの為に、貴方は……!」

 

 困惑する四宮に恋は困ったような笑みを浮かべてそう言った。日向子はそれを聞いて、恋の苦しみを想像し泣きそうになっている。他の卒業生達も、言葉が出ない様子だった。

 なんて残酷で、なんて優しいのだろうかと、そう思って。

 

「なんて……まぁそんなこと言っても、突き詰めれば単純な話ですよ」

 

 なんだか重苦しい空気にしてしまったな、と思った恋は苦笑しながら言う。

 

「俺はあの日……目の前の女の子に美味しいって笑ってほしかっただけです」

「女の子……?」

「薙切えりな、俺の幼馴染です」

「!? …………いや、そうか」

 

 恋の進む道が茨どころか、針の筵のような道であることを理解して、四宮達は何も言わなかった。もう引き返すには遅すぎるし、引き返す気もないのだろうと理解したからだ。

 黒瀬恋という料理人は、ハンデを抱えて尚この道を進むと決めている。

 四宮達はその覚悟がどれほどのものなのか、想像することすら出来ない。それでも彼の覚悟を尊重し、やめろなんて無責任なことは言えなかった。

 

 最早四宮達は、黒瀬恋という人間を学生としては見られない。

 尊敬すべき一人の料理人の姿だと、そう思った。

 恋には既に、学生という領分を越えた料理人としての覚悟と技術が備わっている。遠月学園で今後生き残れるのかは分からないが、それでも彼が料理人であることを疑う馬鹿はいない。

 

「黒瀬……お前がどれほど頑張ったところで、遠月のてっぺんは安くねぇ。ましてやそんなハンデを抱えて獲れるもんじゃねぇぞ」

「はい」

「それに差別するわけじゃねぇが……そのハンデを抱えたお前に負けるようじゃ、料理人としての名が廃る……もし俺が学園総帥で、お前が第一席に座りでもした時は、それ以外の全員のクビを切るくらいにな」

 

 だから四宮は恋に言う。

 侮辱する意図も、差別する意図もない。ただ純粋に事実を述べ、恋が遠月の頂点を獲ることはそれくらいのことなのだという現実を語る。

 恋もそれを理解しており、動揺することなく頷きを返した。

 

 そして数秒、四宮の視線に強い意思を以って見つめ返すと、四宮は不敵に笑みを浮かべてその手を差し出してきた。

 

「だから、お前がもしも遠月の第一席の座に着いたなら……俺はお前に幾らでも力を貸してやる。その時は例え全ての料理人を敵に回したとしても、お前が一流の料理人だと俺が認めよう」

 

 恋はその手を取った。

 固い握手から伝わってくるのは、四宮小次郎という超一流料理人からの激励。

 味覚障害を抱えていると知ってなお、黒瀬恋という料理人の未来を応援してくれたのだ。そして厳しい現実を覆してみせた先で、黒瀬恋という料理人が進む道を作る力を貸すと。

 

「私もです! 黒瀬君、折れてはいけませんよ……貴方の進んできた道を信じてくださいね」

「乾シェフ……」

「私も、君の進む先が見てみたい……期待しているぞ」

「関守シェフまで……」

 

 四宮に続くように、日向子も、関守も、黒瀬の手を取って激励を残していく。

 これは可能性だ。黒瀬恋という料理人が輝く未来があっても良いだろうという、可能性に賭けた超一流のスターたちによる期待だ。

 

 恋は嬉しかった。

 これほどの人達に激励を貰っては、燃えないわけがない。

 

「私も……卒業したらウチに来るといい」

「なっ!? ちょ待て水原ァ! それはずるいだろ!!」

「早い者勝ち」

「テメェ!」

 

 すると、イタリア料理のシェフである水原が恋に誘いを掛けたことで、空気は一転する。卒業生からのお誘いをいただけるなんて光栄だな、なんて思いながら恋は笑った。四宮を始め、これほどの卒業生達が自分を認めてくれている。

 かつての自分では考えられなかったことだ。

 だがこれではもう問いかける必要もない。

 堂島の顔を見ると、彼は恋が初日に問いかけたことの意味を理解したらしく、笑みを浮かべてただ深く頷きを一つだけした。

 

 その意味は、非才の者が随一の剣豪に勝てるという解答ではない。

 堂島自身もそんな奇跡があっても良いだろうと思っているという、"回答"。

 

 恋はそれだけで十分、救われた気がした。

 

「……ありがとうございます」

 

 だから何も言わず、恋はただ頭を下げてそう言った。

 自分はこうして期待をしてもらえるだけの場所まで来られたのだという喜びと、これから先の自分の未来に期待してくれることの感謝を込めて。

 

 深々と。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 さて、遠月生徒達の帰りのバスが出発した後、遠月リゾートに取り残された生徒が二人。薙切えりなと幸平創真である。どちらも忘れ物をして部屋に取りに戻った結果、帰りのバスに置いて行かれた者同士であった。

 結果的にえりなが迎えに呼んだ車に創真も乗せてもらうことで事なきを得たのだが、車内で二人きりという空間は中々に気まずいものがある。ましてえりなは創真のことを認めていない―――その視線は車窓の外へと向いていた。

 

 会話はない。

 普段なら創真も俺生き残ったけどどんな気持ち? みたいな言葉を掛けたのだろうが、えりなの様子が普段と違って少し重たい雰囲気だったからだ。

 

「……薙切、なんかあったのか?」

 

 だがとうとう堪え切れなくなったのだろう、創真は話しかけた。

 

「別に、貴方には関係ありません」

「……そうか……まぁ悩みがあるなら、俺じゃなくても誰かに相談してみたらどうだ? 黒瀬とかさ」

「! ……黙ってて!」

「わ、わりぃ……」

 

 気を使って言ったことだったが、えりなにギロッと睨まれて創真は黙る。そして流石に気が付いた。えりなと恋の間になにかあったのだと。恋の名前を出した途端に感情的に反応してきたのだ。流石の創真でもそれくらいはわかる。

 だがあれほど仲が良かった二人の間に、一体何があったのだろうと首を傾げた。恋は元々ああいう性格故に、えりなを怒らせるようなことはしないだろう。そう思えばこそ創真はえりなが何に悩んでいるのかを理解することが出来ない。

 

 先ほどは卒業生のフルコースを食べる時も同じテーブルで食事をしていたのだから、仲違いをしたのなら本当についさっきになる。だが恋は卒業生と話していたし、バスに向かう最中もえりなと一緒にはいなかった。

 だとしたら、これは恋とのことではなく、えりな個人の悩みに恋が関わっているということなのだろうか。

 

「……はぁ、ごめんなさい。少し強く言いすぎてしまったわ」

「お、おう……気にすんなよ」

 

 すると、えりなは自分が創真に八つ当たりしてしまったことを反省したのだろう。悩むのを一旦やめて、創真に素直に謝罪した。創真は別に悪くない。ただ自分を案じて励まそうとしてくれただけなのだと。

 創真はそんなえりなにそう返して、とりあえずは重たい空気が幾らか軽くなるのを感じた。

 

「まぁ、お互い無事に生き残って良かったな」

「これくらい当然です。それに、貴方が生き残ったのも運が良かっただけよ

……失敗したという経験を得た? そんな言い訳は通用しないわ。料理人に失敗は許されないのだから」

「そうかねー?」

 

 会話は出来そうだと判断した創真は、話を変えるために無難な話題を提示する。だがえりなはそれに対して当然だと切って捨てる。あくまで創真のことは認めていないらしく、大衆料理店の下品な料理は遠月には相応しくないと思っているようだ。

 そんなえりなの冷たい言葉に、創真は傷ついた様子もなく相槌を返す。

 

「ふん……そうやって底辺で足掻いているといいわ。どうせ貴方程度じゃ"選抜"にも選ばれないでしょうし」

「選抜?」

 

 すると、えりなの口から零れたワードに創真は食いついた。

 

「その事も知らないの? 遠月伝統・秋の選抜! 学園理事や出資者……一堂に介した食の重鎮たちの前で、一年生からの選抜メンバーが腕を振るい競い合う美食の祭典! 生徒にとっては、己の力を学外に示す最初の舞台となる。その選考はもう始まっているの。気づかなかったかしら? 合宿の三日目から、選出委員が会場に出入りしていたのを」

「ああ、あれってそういう人だったのか」

「つまりこの合宿はふるい落としだけでなく、伸し上がる者を見極める意図が隠されていたのよ」

「祭典かぁ、そういうの面白そうだな。なんか沸き立つものがあるっていうかさぁ」

「貴方が選ばれるわけないって言ってるでしょ!」

 

 全く、と呟きながらえりなは車窓に頬杖を突いて外を眺める。創真と会話していると良くも悪くもストレスが溜まってしまうようだ。

 だが、うじうじ悩むよりはまだ気分が晴れたのも事実。緋沙子には車で帰るとは言ったものの、創真がいたことは気持ち的に助かったのかもしれない。一人だったらずっと頭を抱えていた気がしていた。

 

 えりなは悩んでいた。

 黒瀬恋という少年の想いと覚悟の大きさを理解して、その気持ちに応えることが出来ていない自分に。恋のことは好きだ―――でも、彼から送られる気持ちを享受するだけの自分でいいのだろうかと思ってしまうのだ。

 人生の全てをえりなの為に費やして、あれほどの成長を遂げた恋。えりなの唯一の友人で、幼馴染で、気になっている人。

 

 そして今は、えりなも恋に……美味しいという幸福を味わってほしいと思っている。

 

「……はぁ」

 

 だが神の舌を以てしてもそれはとても難しいことだった。

 恋の抱える不都合を打ち消す何かがなければ、それを実現することなど不可能。彼にはどんなに美味なものを作ったところで意味がないのだから。

 

「完璧な品を作れば、それが究極の美食になると思っていたのに……」

 

 ぼそりと呟いて、えりなは唇を噛む。

 恋と別れてから出会った、かつて幼いえりなをして完璧な料理人と思った人物を思い出す。彼の作り出す料理は卓上を彩り、まるで一皿で世界を感じられるような魅力があった。えりなはそんな彼に憧れたし、これこそが理想だと思って生きてきた。

 

 けれど、恋にとってはそうではない。

 

 もしもあの人ならばこの状況でどんな料理を作るだろうか。

 どのようにしてこの難問を突破しようとするだろうか。

 そう考えては、何も思い浮かばない自分に限界を感じてしまう。えりなは制服の上から内ポケットに入れた忘れ物―――当時出会った最高の料理人との写真に触れ、もう一度溜息を吐いた。

 

「貴方が遠いわ…………黒瀬君」

 

 そうして彼女が思うのは、ただそれだけ。

 

 




焦れったい。
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連休編
十八話


 六月―――強化合宿を終えてからしばらく経った頃。

 遠月学園には学園運営の関係でいくつかの授業が休講となり、土日も合わせると少しばかり長めの連休期間が生まれていた。プチゴールデンウィークのようなものだろうが、それはこの時期恒例にある連休だそうで、生徒達は帰省したり、料理の研究に励んだりと自由に過ごしている。

 極星寮の面々も同様で、田所や創真は実家へと顔を見せに行き、極星寮で畑や動物の飼育がある一色や吉野などは寮で思い思いに過ごしていた。授業もなければ外に出ずに新作料理の研究に励む男子勢もおり、休日であろうと結局料理に浸かった生活には変わりなかった。

 

 そんな中で恋は今……薙切アリスと共にデンマークの薙切インターナショナルへと向かっていた。

 

「それにしても突然の話だったからびっくりしちゃったわ」

「悪いなアリス、折角分子ガストロノミーに精通してる人材と繋がったんだし、今の内にその技術を使わせてもらいたいなって思ってたんだ」

「まぁ、折角の連休を恋君と一緒に過ごせるのは楽しそうだからいいけどね♪」

 

 合宿でライバルとしても友人としても仲を深めた薙切アリスは、知っての通り分子ガストロノミーの申し子とでもいうべき才女だ。しかも薙切インターナショナルという屈指の研究施設に総括である母を持つ、コネクションとしても屈指のカードになる存在。

 恋はこの連休があると聞いた時から、アリスにデンマークの研究施設に連れていってもらえないかと相談していたのだ。幼い頃に自分の味覚と正常な味とのズレを数値で確認したことがある彼は、今の自分の味覚と正常な味のズレを確認しておきたかったのである。

 

 今の段階でも、毎朝やっている確認訓練のおかげで料理に支障はないが、この辺りは詳しく把握するに越したことはない。

 アリスもこの連休で分子ガストロノミーの研究で色々試作をしようと考えていたらしく、より最先端の設備が整っている薙切インターナショナルに赴くのも悪くないと考えたらしい。今回は恋というガード役もいるので、黒木場を学園に置いてきているらしいが。

 

「でも私と二人っきりで良かったの?」

「ん? だってアリスしかいないだろ、薙切インターナショナルの設備を使わせてもらうなら」

「そういう意味じゃないんだけど……えりなは放っておいてよかったの?」

「んー、合宿が終わってからなんだか忙しいみたいでな。多分秋の選抜に向けた運営仕事が多いんじゃないか? この連休だって学園運営の関係で生まれたものだし」

 

 飛行機を降りて空港を歩く二人。

 アリスの問いかけに対して恋は特に含みもなく答えていく。合宿でえりなが創真に語っていた"秋の選抜"の準備のせいか、最近恋はえりなに会っていない。時折顔を合わせることもあるが、それでもいつも忙しそうにしており、ゆっくり会話をすることは出来なかった。

 連休に入ってよりその忙しさが増したようで、恋は邪魔をしないように近づかないでいる。その結果、空いた時間でアリスを誘ったわけだが。

 

「そう……まぁいいけど、私も女の子なんだよ?」

「? 知ってるけど」

「なんとも思ってない男の子と二人で旅行なんてしないんだからね?」

「……それは遠回しな告白か?」

「さぁて、どうかしらね♪」

 

 ぷく、と頬を膨らませながら含みのある発言をするアリスに、恋は困ったような顔をする。アリスは子供っぽい反面、コミュニケーション能力の高さからかこういった謎めいた一面を見せることがある。ミステリアスというべきか、掴みどころがないというべきか。

 ともかく、恋は行動を共にしてからというもの、アリスという少女に振り回されていた。

 

 まぁ恋は恋でそういうやりとりを受け入れているようで、別段嫌な思いはしていない。寧ろ恋がこういう対応するので、アリスも伸び伸びと素の自分を曝け出している節がある。

 

「にしても、六月にもなるとデンマークも夏だな。日本と比べるとかなり涼しいけど」

「北欧だもの、私はこっちにいた期間が長いからもう慣れっこだけどね」

「ああ、頼りにしてる」

「お姉さんに任せなさい♪」

「はは、同い年なんだけどな」

「ココでは私の方が先輩だものっ」

 

 上機嫌にくるくる回りながら笑うアリスに、恋は苦笑しながら付いていく。

 連休中はこちらに宿泊する予定なので荷物も多いが、アリスはキャリーを引くくらいで、他は恋が全ての荷物を持っていた。アリスの荷物も持っているが、これは恋が空港で荷物を引き取る時に持つと言ったからだ。

 アリスとしては付き人である黒木場に荷物を持たせることはあれど、こうして女性を気遣って荷物を持たれるのは新鮮だったらしい。キャリーこそ引いているが、気分はお姫様のようだった。

 それに恋がそれらの荷物を持って尚平気な顔でついてくるのもポイントが高い。

 

「そういえばこっちで宿泊する場所に都合を付けてくれたみたいだけど、何処に泊まるんだ?」

「ん? 私の家よ」

「…………アリスの家って、実家ってことか?」

「ええ!」

「っと……………ご両親もいるんだよな?」

「モチロン♪」

「よし、帰ろう」

 

 来た道を引き返して帰りの飛行機のチケットを取ろうとする恋。何が楽しくて同級生の女子の実家に泊まらなければならないのか。しかもご両親までいるとなれば、状況としては娘が男を連れて帰ってきた風にしか思えない。

 恋人の紹介ではないのだから、そんな高確率で誤解を生みそうな状況で挨拶などしたくなかった。恋は面倒見のいいタイプの人間だが、面倒ごとに進んで関わりたいわけではない。

 

「待って待って! ちゃんとお母さま達にも許可を貰ってるから大丈夫だって! 部屋はリョウ君が使っていた部屋を使えばいいし、やましいことなんて何もないんだから堂々としていればいいのよ!」

「……なんて伝えて許可を取ったんだ?」

「え? えーと……友達を連れてくるから、連休中泊めたいって」

「男だって言ってないじゃないか」

「…………てへっ☆」

「帰る」

「わーわー! 待って待って、じゃあちゃんとお母さまにも説明するから! それで許可を取れなかったら他の宿泊所を手配するし、それでどう!?」

 

 ぺろりと舌を出して頭をこつんと叩いたアリスを無視して再度帰ろうとした恋。それをアリスは慌てて引き留め、ならばと別の提案をする。男だと説明した上で許可が取れれば宿泊費も掛からないし、許可が取れなければ他の宿泊所を紹介するという提案。どっちに転んでもメリットはあるし、恋は一先ず溜息を吐きながら帰宅を諦めた。

 アリスの自由奔放さは美徳でもあるが、考えなしな一面は褒められたものではない。恋はジトッとした目でアリスを睨んだ。

 

「まぁまぁ……それじゃあ早速行きましょう!」

「前途多難だな……」

 

 そんな恋の視線から目を逸らしながら、アリスは恋の腕を取って進んでいく。手が鞄で塞がっているので腕を取ったのだろうが、やや歩きづらい体勢になった恋は、再度大きな溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 すっかり空も暗くなり始めた頃。

 あの後薙切インターナショナルの研究施設に軽く挨拶がてらアリスに紹介をして貰った恋は、実験や研究などは明日に回して、そのままアリスの実家へとお邪魔していた。空港に着いたのが昼を過ぎて少し経った頃だったので、諸々回っている内に夜がやってきてしまったのだ。

 やや緊張する状況だが、普通と比べるとやはり大きい屋敷を前に恋は姿勢を正した。

 

 そしてアリスがインターホンから帰ったという旨を伝えると、大きな門が自動で開いていく。メイドでも迎えるのかとやや身構える恋だが、サクサク進むアリスの後ろに付いて自分も歩を進めた。

 門から玄関までの間には庭もあり、テーブルと椅子が設置されている。庭師でも雇っているのか色々な植物が綺麗に整えられており、小さな庭ではあるが庭園としての体を為している。

 

おかえりなさい、アリス(Velkommen tilbage, Alice.)

 

 すると、玄関の扉の前でアリスによく似た女性が出迎えてくれていた。デンマークの言葉なのか意味は汲み取れなかったが、アリスが笑顔で言葉を交わしているあたり母親なのだろうと恋は思った。

 アリスと母親らしき女性が二言三言言葉を交わすと、女性は恋の方に向き直って声を掛けてくる。

 

「あー……えと、コンニチハ。わたし、は、アリスの母のレオノーラ、デス」

「ああ、どうもご丁寧に……アリスさんの同級生の黒瀬恋です。この度は自分が無理を言ってアリスさんに連れてきてもらって……」

「話は聞いてますデス……男の子だなんて聞いていないのだけれど(Han er ikke en pige.)

言い忘れちゃった(Jeg glemte at fortælle dig det.)♪」

 

 話は通っているようだが、アリスに何か叱責するように何かを言っているのを見て、恋は少し気まずさを感じる。やはり男子だと伝えていなかったのが驚かれたのだろう。

 とはいえアリスの悪びれない態度に呆れた様子を見ると、それほど怒ってもいないようだ。小さく溜息を吐くと、レオノーラは再度恋に視線を向けて口を開く。

 

「歓迎シマス、見ての通り部屋はいっぱいありマスから。気にせず、リラックスしていってくだサイね」

「! ありがとうございます。でも良いんですか?」

「ええ、こう見えてアリスも賢い子デスから……アナタのことは、きっと信頼しているのデショウ」

 

 片言の日本語ではあるが、歓迎してくれている様子のレオノーラに恋もホッと胸を撫でおろす。薙切インターナショナルの総括者であると聞いていたので、遠月学園総帥と似たようなおっかなさがあるのかと思ったが、物腰柔らかで優しい女性で良かったと思った。

 

 此処で立ち話もなんだからと中へ通され、貸してくれる部屋に荷物を置いてからリビングで再度、簡単に挨拶を交わす。とはいえ日本語が苦手ならばと、恋の方から気を使ってアリスに翻訳を頼んだ。

 おかげで向こうはデンマーク語のままだが、アリスが橋渡しになることで会話が成立する。

 

「黒瀬君、貴方は薙切インターナショナルの分子ガストロノミーの研究設備を使いたいそうですね」

「はい、幼い頃に少し触れただけでしたが、アリスさんと知り合ったのを機にもう一度最先端の設備を使ってみたいと思いまして」

「そう、向上心があることはとても素敵なことですね。折角いらしたのだから、存分に研究に活かしてください」

「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」

 

 幸い、レオノーラはこうして連休を利用してデンマークまで来るほどの熱意を買ってくれたらしく、薙切インターナショナルの設備の利用を快く許可してくれた。ただ素人が扱うには難しいものもあるので、アリスが同伴で監督するのが条件ではあったが、それでも恋からすれば有難い。

 早速恋は明日、何をしようかと頭の中で思考を巡らせる。少しだけ楽しみに思い、自然と笑みを浮かべた。

 

「代わりと言っては何ですが、アリスが連れてくるくらいですし……貴方も相応に料理をするのでしょう? もしよければ、貴方の料理を食べてみたいのですが」

「!」

「丁度小腹が空いてきましたし、私もまだ少しお仕事が残ってますから……メインとは言いません―――何かお夜食に簡単な品を一つお願いできませんか?」

 

 瞬間、レオノーラの纏う空気が変わったのを感じた。

 優しい声色、アリスの母として納得の美しい顔立ち、好奇心旺盛な笑みは見ていてとても魅力的だ。けれどその笑顔の奥から、熱意だけの凡人ではないだろうな……とでも言いたげな迫力すら感じる。

 

 恋はコレを一種のテストの様に認識した。

 もちろん先程の言葉は覆さないだろう。恋の熱意を受け、最先端の設備を使わせることに異論はない―――だが、恋という料理人にどれだけの価値があるのかどうか、それを図ろうとしている。

 分子ガストロノミーの分野で幾つも賞を取り、天才とまで呼ばれた娘が連れてきた、遠月学園で出会った少年。母として、また研究者として、その少年に興味を抱くのは当然のことと言えた。

 

「……分かりました。では、キッチンをお借りしても?」

「ええ、期待していますね」

 

 恋はその要望に対し、頷きを返した。

 夜食ということで、恋が作るのは付け足しに軽い一品だけだ。だが相手は薙切という名を背負う人物……下手なものを出せば、そこで彼女は恋という料理人に見切りを付けるのだろう。所詮は捨て石だと。

 

 望むところ―――恋は彼女の笑みに対し、強気の笑みを返した。

 

 

 




ちょっとしたオリ展開。
次回で連休終了予定。選抜編に入りたいと思っています。

感想お待ちしております✨



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十九話

デンマークの日の入り時間が21時、22時だと知り、前回の描写を修正しました。
夕食ではなく、夜食へと変更。

また返信は出来ていませんが、いくつもの感想ありがとうございます。
きちんと目を通し、全て励みになっています。
今後とも温かく見守っていただけたら幸いです。


 レオノーラに頼まれて恋が作ったのは、デンマークの一般家庭で作られる家庭料理だった。といっても、この家にある食材がそもそもデンマークの家庭らしいものが多かったから、自然と恋がデンマーク料理を選択しただけだが。

 夜食ということで恋が選んだのはデンマークでも愛される『エイブルスキーパー』。日本に馴染み深く言うのならパンケーキの様なお菓子だ。ホットケーキの様な形ではなく、たこ焼きの様な丸い形をしているのが特徴的。実際日本ではたこ焼き器を使って作ることも出来る。

 

 恋がさっと作ってきたそのお菓子を見て、レオノーラもアリスもまず品の選択に驚いた様子だった。即興で作れと言われて、即座にデンマーク料理を作れる筈がない。それはつまり、恋には少なくともデンマーク料理に対する知識が備わっていたということを証明している。そしてアリスは恋が合宿でアメリカの料理を作ったのを見ていた。

 この事実だけで、恋の頭の中には一体、どれほどのレシピがあるのかと考えてしまう。

 

「しかも、とても丁寧に作られていますね……調理に一切ムラがないのが分かります」

「ん! 美味しいわ!」

 

 食してみれば、見栄えだけではなくその味も確かであることが分かった。特にレオノーラは薙切に嫁いだ人間だけあって、その能力も伊達ではない。神の舌程とまでは言う気はないが、それでも舌は肥えている方だと自負している。

 そんな彼女をして、恋の調理技術の高さには目を見張るものがあったらしい。これが本当に学生の作った品なのかと思うほどに、洗練された技術を理解する。

 

 なるほど、アリスが連れてくるわけだとレオノーラは内心納得した。

 

「お口に合ったなら良かったです」

「ええ、とても素晴らしい腕を持っているのですね。とても美味しかったです」

 

 恋はレオノーラとアリスの反応にホッとした様子で笑い、レオノーラも恋の言葉に素直な賞賛を送った。

 超一流のスター料理人達にも認められたのだから自信を持つべきなのだろうが、恋はそもそも人に食べさせる場合まず不安を感じるのが常だ。自分で美味しいと思えない品を出すのだから当然だろう。

 

「それにしても恋君、デンマーク料理を知っていたのね」

「まぁ、色々雑食に手を伸ばしてきたからな……偶々だ」

「けれどこの品を選んだのは何故ですか? 夜食に向いた品は他にもあったと思いますけど」

 

 すると今度は恋がこの品を選んだ意図についての話へと話題が変わる。

 レオノーラの問いかけは尤もだ。

 デンマークはかつて食に対して文化の発展は少ない国だったが、今は他国からの影響もあってその辺も豊かになってきている。デンマーク料理を選んだのは食材や気遣いからかもしれないが、お菓子でなくとも軽食を作る選択もあった筈だ。

 なのに何故恋があえて『エイブルスキーパー』を選んだのか。

 

 それは、恋がデンマークの生活に着目したからだ。

 

「デンマークの生活は、心を豊かにし、障害を抱えている人も健常者も関係なく、人々と共生するための努力をすることが特徴です。一人一人が自立して、心の安定を図り、人と触れ合う時間を尊ぶ。だからこそ、幸福度で一位と言われる国でもあります」

「『ヒュッゲ』の精神ね。確かに、私達はそういう生活を心がけています」

「だからこそ、仕事中に一人で食べるような軽食ではなく、こうして家族で共有出来るお菓子の方が良いかなと思ったんです」

 

 デンマークの生活スタイルである『ヒュッゲ』。

 冬の時期のデンマークは暗く寒い時間が長く、必然的に人々は家の中で過ごす時間が増える。そういった時間を家族と過ごしたり、好きなことに使ったり、穏やかで心にゆとりを持てる生活を送ることで、前向きな気持ちを保つようにするスタイルだ。

 元々『ヒュッゲ』とは居心地のいい空間という意味の言葉。

 デンマークが幸福度で一位を取っているのも、贅沢やお金持ちになることではなく、心地いい時間を過ごすことに『幸福』を見出しているから。

 

 心の豊かさこそ、最大の幸福であると。

 だから恋はレオノーラとアリスが家族として幸福を共有出来るお菓子を選んだのだ。

 

「なるほど……貴方は人の心に寄り添える料理人なんですね」

「そう、だと良いなと思います」

「案外、恋君は日本よりデンマークでの暮らしの方が合ってるのかもしれないわね」

「うふふ、だったら卒業したら一緒に暮らしますか?」

「え、いやその、ご冗談を……」

 

 恋の意図を聞いて穏やかな笑みを浮かべるレオノーラとアリス。デンマークの生活スタイルや精神を知っていて、それに寄り添うようにこの料理を作った恋に、二人ともかなり好感を抱いたらしい。

 元々アリスは恋に好意的に接してくれていたが、レオノーラもまた恋という料理人を気に入ったようだ。

 料理の腕も高く、見た目も悪くなく、そして何より国が違っても相手に寄り添おうとする尊重力(Respect)と、それを受け入れ愛そうとする慈愛性(Love)を持つ恋。レオノーラからすれば、そして薙切として見ても、恋はとても優良物件だった。

 それにアリスとも仲が良く、こうして二人だけで海外に来るほど親密。

 

「ふふ、アリス……良い人を見つけたわね」

 

 となれば、レオノーラが恋とアリスは恋人同士なのだと勘違いするのも仕方がない。

 

「えっ!?」

「ん? どうしたんだアリス」

「ごほんっ! いや、なんでもないわよ! ええ!」

 

 隣にいたアリスは唐突にレオノーラから掛けられた言葉に素っ頓狂な声を上げる。幸いデンマーク語だったので、恋は意味を理解していない。

 だがアリスだけはこの状況をハッキリ理解出来た。

 確かに恋を家に泊めるために色々はぐらかして紹介したのはアリスだが、レオノーラに友達だと紹介すれば問題ないと高を括っていたらしい。レオノーラに勘違いされていると思い、アリスは段々この状況を冷静に考え始める。

 

「(この状況、もしかして実家に恋人を連れてきた女みたいになってない? あれ? しかもリョウ君も置いてきたことが逆に信憑性を増している気が……あれー?)」

 

 そう考えると、空港で恋が行き渋ったことも、レオノーラが突然恋に料理を作れと要求したのも、そういうことではないのかと辻褄があってくる。

 恋が渋ったのは、こういう勘違いをされるのは面倒だと考えたから。レオノーラが恋に料理を作れと言ったのは、アリスが連れてきた男がどんな人物なのか確かめるため。

 

「(……どうしよう、何も考えてなかったわ)」

 

 アリスだけが、何も考えずにこの状況に取り残されていた。

 恋に対して散々含みのある発言をしていたものの、どうやらソレも考えなしに言っていた言葉だったようだ。アリスから見れば、既に恋はアリスがレオノーラにちゃんと説明してくれたものと考えているし、レオノーラはレオノーラで恋とアリスの仲を応援しようとしている。

 

「(こ、こうなったらお母様の言葉を少しニュアンスを変えて翻訳して、乗り切るしかない!)」

 

 とても面倒臭い状況で、アリスだけが窮地に陥っていた。

 

「黒瀬君、アリスとは、どうやって、出会ったデスか?」

「あ、と……日本語苦手なのに、すみません」

「ふふふ、貴方がこちらに寄り添う、くれましたデスから……私も、と思っただけデスよ」

「えと、ありがとうございます……アリスとは合宿で出会って―――」

 

 恋の国の違いを超えて寄り添う料理を食べてか、アリスの目論見を崩壊させるように拙い日本語で会話し出したレオノーラに、アリスは頭を抱える。

 これで恋人ではないと言ったらどうなるのか―――えりなのようにはしたないと叱られるか、もしくは気に入っている様子だから捕まえて恋人にしなさいと言われるのか……どちらにせよ碌な展開ではない。

 

 うんうんと悩むアリスを置いて、恋とレオノーラは話が盛り上がっているのか楽しそうに会話を楽しんでいる。

 まさしくデンマークの生活スタイル『ヒュッゲ』を実現している空間が成立していた。頭を抱えるアリスを除いて。

 

「? どうしたんだアリス? 顔色が悪いけど」

「アリス?」

「な、なんでもないわ……ちょっと考え事しているだけよ恋君」

「!」

 

 恋がアリスの変化に気付いて声を掛けてくるが、アリスはそれを大丈夫だと言って引きつった笑みを浮かべる。いつも自由奔放に過ごしているからか、こういった窮地に立たされた時に自分の考えなしを後悔するアリス。

 だがその考えなしの発言は、本人の知らない所で事態を悪化させる。

 

「そういえば、黒瀬君とアリス、は、名前で呼び合ってるデスね?」

「ええ、アリスの方から名前で呼んでくれと言ってくれまして。まぁ薙切えりなさんや学園総帥など薙切姓の方が他にもいますから、有難い申し出でした」

「あらあら、そうなんデスね! アリスから……!」

 

 目をキラキラさせて恋の言葉に食いつくレオノーラ。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。既にレオノーラの中では、アリスの方が恋を好きになってアプローチを仕掛けたのだという構図が出来上がっているらしい。自分の娘だからこそ、今まで知らなかった甘酸っぱい話に興奮しているようだ。

 もっと聞かせて欲しいとばかりに若干前のめりになっている。

 

「もっとアリスとの話を、聞かせてくだサイ!」

「おおお母様!! 仕事が残っているのでしょう!? お話はここまで!」

「エー……もっと聞きたいデスのに……仕方アリマセン。黒瀬さん、お話はまたの機会に聞かせてくだサイ」

 

 アリスはこれ以上話がややこしくならないように、強引に話を切ることにした。元々夜食を作らせたのは仕事が残っているからだったはず。それを理由にレオノーラを恋から引き剥がすことに成功する。

 だがレオノーラには恋と二人っきりにになりたい娘が我儘を言ったように見えたらしく、ニヤニヤと笑みを浮かべながら席を立った。

 

 そして仕事に戻るために部屋を出る直前、アリスに耳打ちするレオノーラ。

 

「―――学生の内は、シちゃダメですよ?(Inden for de studerende, er samleje forbudt)

「ッ!? お母さまァ!!」

「うふふ♪ それでは、おやすみなサイ」

「はい、おやすみなさい」

 

 そして部屋を出ていくエレノーラを見送ると、顔を真っ赤にしたアリスと少し肩の力を抜いた恋が残される。同じ空間にいたというのに、二人が先程までの時間で感じたものが全く違っていた。

 アリスは息を整えて、顔にパタパタと手で風を送っている。そして恋と目が合うと、ぷいっと目を逸らした。どうやら自分一人が振り回されたことが不服だったらしく、ぷく、と頬を膨らませている。

 

「優しいお母様だな」

「ふん、そうかしらっ!」

「ま、実の娘と対応が違うのは当たり前だけどな。愛されてるってことだ」

「……まぁ今回のことは私が原因だから、何も言えないけれど……はぁ」

 

 少なくとも、恋に色々気付かれないで済んだことを喜ぶべきかと思いながら、アリスは大きく溜息を吐いた。どっと疲れたようで、普段の様子からはあまり見られない姿を見せている。

 恋もそんなアリスが珍しく、おかしそうにクスクス笑った。それにまた頬を膨らませるアリスだが、恋の気の抜けたような笑顔に毒を抜かれたのか、困ったような顔をしながらも自然と笑みを浮かべてしまう。

 

 レオノーラの誤解を解く必要はあるが、一先ずはこの心地いい時間に身を任せることにしたらしい。

 

「ヒュッゲの精神……だものね」

 

 ぼそっと呟いて、アリスは気持ちを切り替える。

 少々むず痒いものが心に残っているが、それでも折角の連休なのだ。もやもやして過ごすよりは、楽しいことに目を向けた方が良い。

 

「折角だし、明日は少しデンマークを観光してから施設にいきましょ! 私が色々案内してあげます」

「おぉ、良いな。皆にもお土産を買いたいし、よろしく頼むよ」

「ふふん♪ 任せなさい!」

 

 明日のことを話題に出せば、恋も乗ってきて話が弾んでいく。

 アリスは折角デンマークに来たのだから、どうせならこの国の良い所を恋にも紹介したいと思ったのだ。そして恋がそれを楽しみだと言えば、より具体的に何をするのか、何処に行くのかの話へと発展していく。

 早めに出て朝食の美味しい店に行こうだとか、その後にこういう場所に連れていきたいだとか、此処はこういう所でだとか、楽しそうに身振り手振り恋に語るアリス。恋もそんなアリスを見て、かつて料理について語ってくれたえりなの姿を幻視する。

 あんな喧嘩まがいなやりとりをしていたが、案外似た者同士じゃないかと。

 

「聞いてる? 恋君!」

「ああ、聞いてるよ」

 

 話が止まらなくなったアリスのテンションに、恋は苦笑しながら相槌を打つ。

 すると、そんな二人の姿を、部屋から出ていったレオノーラが扉の隙間から微笑ましそうに見ていた。先程のレオノーラの様に前のめりになって色々話しているアリスと、それを受け入れて相槌を打っている恋。

 

 そう、レオノーラは最初から、恋とアリスが恋人ではないことをきちんと分かっていた。これでも結婚し、子供までいる女性なのだ。それくらいは見れば分かる。

 

 分かった上でアリスにあんな耳打ちをしたのだ。

 何故か? それは、レオノーラが勘違いしたと思ったアリスが、素直に恋とは恋人ではないと打ち明けなかったことに理由がある。

 アリスは空港で恋に言った。

 

 ―――やましいことなんて何もないんだから堂々としていればいいのよ!

 

 そう、堂々としていればよかったのだ。

 ただの友達なら、レオノーラの言葉を素直に違うと言えばよかった。けれどアリスはレオノーラの言葉に動揺し、何故か必死にそれを隠し通そうとした。

 

「(ふふふ、アリスにも春がきたってことなのかしら? 本人は鈍感なようだけど♪)」

 

 つまりはそういうことである。

 そうしてレオノーラは、この鈍感なアリスがいつ自分の気持ちを自覚するのか楽しみに思いながら、上機嫌に仕事へと戻っていた。

 

 

 




以上、連休編でした。
いつか閑話でこの翌日以降の話は書くかもです。



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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秋の選抜編
二十話


感想ありがとうございます。


 連休も終わり、それぞれの休日を過ごしていた生徒達が再び遠月学園へと戻ってきた。

 恋もアリスと共にデンマークから帰国し、連休最終日の昼には極星寮にいた。分子ガストロノミーの研究施設をフルに使用させてもらい、今の味覚と実際の味との誤差を完璧に修正してきた。また、アリスに教えてもらう形でその筋の知識も学んできたので、十分有意義な連休を過ごせたと言っていいだろう。

 帰る際にはレオノーラから、またいつでも遊びに来てくれと言われたので、恋としてはコネクションとしても、人間関係的にもありがたい話だった。

 またそれ以外でも、アリスとの二人旅は中々新鮮なものがあり、観光も楽しかった。総じて、良い思い出作りも出来たというものだ。

 帰ってからは極星寮の面々にデンマーク土産のお菓子を配り、喜んでもらえたので大満足である。

 

 さて現在は、その連休が終わって授業が再開して少し経った頃だ。

 未だ、恋は合宿を終えてからえりなと会えていない。

 

 ここ数日は創真のおかげで自分に自信が付いたらしい田所恵が、授業の課題に対し一人でA評価を取るまでに成長していたり、創真自身も何やら連休中にあった出来事で十傑の一人叡山枝津也と揉めたりしているらしい。

 恋は知る由もなかったが、元々創真は色々な所でイベントを起こす台風の目の様な存在だ。そういうこともあるだろうと考えている。

 

「おっまたせー☆ ごっめんねー、俺ってば十傑なもんで色々忙しくってさぁ!」

「どうも」

 

 そんな中、恋は以前食戟で戦った周藤怪の紹介で、十傑評議会第八席久我照紀と会っていた。勝った際は紹介するという約束だったが、一年は強化合宿で、二年は二年で色々バタついていたのでセッティングが遅れたらしい。

 そういうわけで大分時間が経ってしまったものの、周藤はしっかり久我に紹介する場を作ってくれたようだ。

 

「いやぁ、大分前のことだけど覚えてるよ。研究者としての一面が強いとはいえ、あの周藤ちんに勝った君のことは、ちょっと興味あんだよね」

「いえ、あれはあくまで俺の得意分野での勝負だったので……」

「まぁまぁ、先輩の誉め言葉は素直に受け取っときなって☆ それに、あのえりなちんが一目置いてるってんだから当然っしょ?」

「!」

 

 少々待ち合わせに遅れてきた久我だったが、どうやらかなりテンションの高い人物の様で、恋も十傑のお堅い印象から外れた彼を見て少し驚いている。

 その上で以前の食戟を見ていたのか、恋のことを認めているような発言をしてくるが、恋はあくまで得意分野で戦っただけだ。勝敗は決したものの、あれが完全に実力での勝利というには、疑問が残る部分もあるのは確か。

 だがえりなの名前を出されては、恋も素直に受け入れることを選んだのか、苦笑してありがとうございますと口にした。

 

 その言葉にニコッと笑顔を浮かべた久我は、待ち合わせのテーブルを挟んで恋の正面に座る。

 

「で、まぁ? 今回黒瀬ちんと会うことは俺も興味があったから良いとして……あの食戟で賭けられたのは俺を黒瀬ちんに会わせる所までなワケで、もう要件自体は済んだわけだけど……黒瀬ちんは俺に何か用があったりする?」

 

 すると座った瞬間、久我の態度が一変する。

 恋のことは認めている―――けれど所詮は一年であり、十傑には届かないという自負があるらしい。久我はあくまで恋のことを見下していた。

 

「そうですね……久我先輩って十席の中に苦手な人いますか? 俺に似てるタイプで」

「……何が言いたいのかな?」

「いえ……なんというか、久我先輩―――俺のこと苦手なのかなって思って」

「! ……なんでそう思ったのかな?」

「周藤先輩の連絡で、今日久我先輩はオフだって聞いていましたが、遅れて来られましたし……俺の正面に座ってますけど、身体は横に向いてますし、目もあんまり合わないので」

 

 恋は此処に久我が来てからというもの、どうも久我のテンションと態度が噛み合わないのを感じていた。初手で褒めてきたのもそうだが、中々目を合わせない振舞いや、対面に座っても半身で恋に向かう姿勢、興味があると言いながらすぐに帰ろうとする振舞いなど、どうも久我が恋のことを避けているような感じがしたのだ。

 だが恋は久我と面識はないし、何かした覚えもない。となると久我が恋を避けるのは、恋に似た誰かに対して強い苦手意識を持っているからと考えた。

 

 そして、それは当たっていたのか久我は高いテンションを抑えて押し黙った。無意識だったのか、半身だった座り方を正面に座り直し、一呼吸の後に恋と視線を合わせる。

 

「いやぁ……中々痛い所突くなぁ、その人を見る目はヘンタイ的だね☆」

「まぁ俺としては懇意にしたいと思ってるので、気になっただけですけど」

「……君の言う通り、君は俺の倒したい人によーっく似てるよ。料理をする姿なんて特にそっくりだ……あの人―――十傑第一席、司瑛士に」

「第一席、ですか……」

 

 久我の敵視している相手、十傑評議会第一席司瑛士は三年生の先輩だ。

 久我曰く、第一席というだけあって圧倒的な調理技術を持ち、食材の良さを最大限まで活かして卓上に調和を齎すという唯一無二のスタイルを持つらしい。

 そしてその根幹にあるのは、皿の上から『自分らしさ』を消すこと。あくまで主役は食材であり、そこに自分自身は必要ないという極端な思想からくる究極のスタイルだった。

 

 更にそれはあくまで圧倒的な調理技術があってこそ出来るスタイル。久我はそこに恋との共通点を見出し、無意識に恋と司瑛士を重ねて見てしまったのだろう。

 

「といっても、君とあの人じゃ根本的な部分が違うけどね」

「そうですか」

「ま、俺が黒瀬ちんのことを嫌いってわけじゃないから、変に心配しなくていーよ!」

「なら良かったです」

「そうだね……気分を悪くさせちゃったならお詫びと言ってはなんだけど、何かあれば一つだけ、俺が出来る範囲で力を貸すよ。そんじゃ、またね!」

 

 すると久我は自分の苦手意識を見抜かれたことの気まずさと、それによるちょっとした罪悪感からか自分からそう切り出した。奇しくも十傑の力を借りられるメリットを得た恋だが、久我は返事を聞くことなくそれだけ言って去っていく。

 先ほど久我が言った通り、今回二人が会う目的は既に果たされている。話すことは無くなった今、久我がこの場に留まる必要はない。

 

 恋もまた、去り行く久我を止めることはしなかった。

 食戟で勝利したことで手に入れた権利を使っただけで、元々久我に何か用があったわけではないからである。

 とはいえ、恋も久我という料理人がどんな料理人なのかを理解した。

 遠月学園全料理人の中でも、人並外れた向上心と上を食い破ろうとする熱を持っており、その上で、司瑛士に対して随分な執着を見せているようだ。

 

「……アレが十傑ね」

 

 そしてそんな久我照紀―――えりなや一色以外の十傑に出会った恋の感想としては、

 

「なんというか……拍子抜けだな」

 

 それだけに尽きた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 その後、終業式を迎えた遠月学園にて、秋の選抜の出場者が発表された。

 遠月学園第一学年で行われる選抜戦。今までの合宿や授業課題とは違って、完全な個人戦……誰の助けもない、完全実力制の戦いの場である。

 第一学年の生徒の中から実力ありしとされる六十名の人間が十傑評議会によって選出され、食戟を用いたトーナメントによって現時点での頂点を決める行事だ。

 受験の合格者発表の様に、大きな掲示板で名前が掲載されている。

 この六十名に選ばれた段階で、第一学年の精鋭であることは確実。現時点でこの六十名が、第一学年を代表する実力者達だということだ。当然というべきか、十傑である薙切えりなはこの中から除外されているが。

 

 その中には幸平創真や田所恵、薙切アリスや黒木場リョウといった恋の顔見知りも名前を連ねており、極星寮の面々の名前も散見する。更には新戸緋沙子の名前の他に、創真の顔見知りである水戸郁美やタクミ・アルディーニといった名前もある。

 実力のある者は普段の学生生活の中で既に頭角を現し、その名前も噂になる。薙切えりなを始めとして、幸平創真や水戸郁美、薙切アリス、タクミ・アルディーニなんかはその最たる例だろう。

 だからこそ、その名前が選抜メンバーに選ばれているのは、誰もが納得する選抜だった。

 

「え……?」

「あれ……?」

 

 しかしその発表を見た一年生達の殆どが、ある疑念と共に首を傾げる。

 

「え、マジで……?」

「なんでだ……?」

 

 掲載された名前に異論はない。確かに実力の高い者達ばかりが名を連ねており、そのメンバーが覇を競うというのなら、選ばれなかった側からしても心躍る戦いというものだ。

 だがしかし、掲載されている名前ではなく、

 

 ―――そこに無い名前の方が注目を集めていたのだ。

 

「嘘……そ、創真君……!」

「ああ……変だな」

 

 多くの一年生達と共に掲示板を見ていた創真と恵も、その疑問を抱く。

 自分達が選ばれていたのは嬉しいと思うが、ならばこそ疑問に思うのだ。何故、"その名前"が選ばれていないのかと。

 

 そう、この掲示板に―――黒瀬恋の名前は存在しなかった。

 

 一年生達はその事実が疑問で仕方がない。

 黒瀬恋と言えば、編入時の挨拶で誰もがその存在を認識させられた男であり、一年生にして二年生に食戟で勝利し、強化合宿では全ての課題で高評価。合宿四日目の朝食では課題の合格ラインを大きく超えた結果を叩きだし、卒業生達にも認められ、卒業後の勧誘すら受けていたほどの実力者だ。

 しかも薙切えりなや一色慧、久我照紀といった十傑メンバーにも交友があることは、既に周知の事実である。

 にも拘らず、黒瀬恋が選ばれなかったという事実が、一年生達の中で信じられない事実だった。

 

「おかしいわ……恋君の名前がないなんて」

「……そっすね」

 

 創真達だけでなく、アリスや黒木場も同様に怪訝な表情を浮かべており、この選抜においてその一点に納得がいっていない様子である。

 

 ―――ざわ……

 

 すると、ある方向がざわついたのを聞き、集まっていた一年生達の視線がそちらへと向かう。

 全ての視線が集まった先から現れたのは、当人である黒瀬恋だった。

 掲示板の前まで歩いてきた黒瀬はその選抜メンバーの名前を見る。

 そして選ばれた名前を一つずつ確認していけば、小さく頷きながらそれを納得している様子だ。幸平達友人の名前を見つければ、笑みすら浮かべるほどである。

 

 しかし当然、彼自身の名前はそこにはない。

 

「…………あぁ、そういうことか」

 

 ぽつり、とそう呟いた恋は、何かに納得したように溜息を吐いた。 

 それが何を意味するのか、この場にいる一年生達には一切分からない。それは誰一人として知らない事実があるからだ。

 

 ―――どよ……

 

 すると恋が現れたとの同じように、どよめきと共に別の人物が現れる。

 恋もそちらへと視線を向ける。

 そこには恋の予想していた通りの人物がそこに立っていた。生徒達がモーゼの様に割れて生まれた道を歩き、恋の目の前までやってきた人物。その人物は恋をジッと見つめ、恋が理解したことが起こったことを言外に告げてくる。

 恋はそれを理解して、その人物の頭にポンと手を乗せた。

 

「遂にバレたか、薙切」

「…………ええ、黒瀬君」

 

 薙切えりなの悲しそうな表情が地面を見つめ、大勢の人の目がある中だというのに、その手のひらを受け入れている。完全無欠のお嬢様を取り繕う余裕もないほどに、今のえりなは受け入れがたい何かを抱えているということだ。

 そして恋が頭を撫でたその手をえりなの肩に落とし、一呼吸の間を置いて問いかける。

 

「いいよ、聞かせてくれ」

 

 恋の問いかけに対し、えりなはぐ、と唇を噤んだまま、数秒間その言葉を言うことを躊躇する。しかし言わなければならない。それは彼女が十傑であり、自分自身で引き受けた任だからだ。

 意を決して、えりなは告げる。

 

 

「……黒瀬君、十傑評議会に匿名で―――貴方が味覚障害者であるという密告があったわ」

 

 

 空気が、凍る音がした。

 

「え、えええ!?」

「嘘だろ……黒瀬が……!?」

「味覚障害者……!?」

 

 一間を置いて、周りにいた一年生達が一斉に驚きの声を上げる。その事実を聞いて信じられないという感情が全員の胸中を埋め尽くしていた。

 それもそうだろう。今まであれほどまでの功績を残してきた黒瀬恋という料理人が、まともに味を感じられないという事実を、誰もが信じられるはずがない。

 

 だとしたら、自分たちは料理人として欠陥を抱えた男に劣っていたという事実が浮かび上がってくるからだ。

 事実、匿名での密告があっただけでそれが真実であるかどうかは分からない。誰もがその密告を嘘であって欲しいと願っていた。

 

「その、密告を受け、十傑の権限で調査した結果……貴方は……あな、たは……」

「……大丈夫だよ、えりなちゃん」

「ッ!? ……でも!」

「言ってくれ、最初から覚悟していたことだ」

 

 恋に事実を伝えることを恐れるように、えりなは段々と言葉が尻すぼみになっていく。だが恋がかつての様に下の名前で呼んだ瞬間、俯いていた顔をバッと上げた。目尻に浮かんだ涙を隠すこともしなかったえりなだが、間髪を容れない恋の言葉に押し黙ってしまう。

 そして遂に、その真実を公のものとした。

 

「……あな、貴方が……味覚、障害者である確認が……取れました」

「ああ、それで?」

「よって……貴方は、遠月学園十傑評議会六名の賛成により……た、退学となります……!」

 

 ―――"退学"。

 

 今まで数々の生徒達を学園から去らせたその言葉が、一学期を終了したその日に突然、黒瀬恋の身にも降りかかった。

 

 

 




匿名の密告者――恋に突如降りかかる退学宣告。
その時恋は……。

感想お待ちしております!



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二十一話

感想、誤字報告ありがとうございます。


 ◇ ◆ ◇

 

 

「どういうこと……!? 何故こんな……!」

 

 切っ掛けは、一年生の強化合宿が終わって少し経った頃に起こった。

 十傑評議会は秋の選抜戦に向けての準備を既に始めていた。六百名以上の一年生達の中からたった六十名を選出しなければならない以上、対象となる生徒の成績や実力を加味して一人一人しっかり評価する必要がある。その作業は相応の時間が掛かるのだ。

 当然、えりなも合宿が終わればその仕事に加わる必要があり、十傑として選抜に不参加である以上、同じ一年生として率直な意見を求められる立場でもあった。

 恋が合宿を終えてえりなと話す機会を得られなかったのは、そういった背景があったからだ。

 

 だがそんな仕事の最中で、十傑評議会に匿名で一通の密告が届いた。

 

 それを持ってきたのは第九席の叡山枝津也。彼曰く、様々なコンサルティングに携わる自分に届く郵便物の中に、一通の手紙が混ざっていたのだそう。差出人は不明で、その郵便物を持ってきた叡山のスタッフも誰が持ってきたのか知らなかったらしい。

 

「さぁな、この内容が本当かどうかは分からねぇが……真実なら確かめる必要があると思うが?」

「っ……!」

 

 えりなが大きな声を上げたのは、その手紙の内容が衝撃的なものだったから。

 だが叡山が封筒の中に入っていた手紙をひらひらと揺らしながら、真実を追求する必要があると言えば言葉に詰まってしまう。

 そしてそんなやりとりに反応したのは、第八席である久我照紀だった。この時点ではまだ恋と会う前ではあったが、その手紙の内容が内容なだけに反応したのだろう。

 

「"黒瀬恋は味覚障害者であり、遠月学園には相応しくない。即刻退学にすべきである"……ね。でも実際ある程度実力はあるわけでしょ? 仮にこれが真実だったとして、退学にする意味ある?」

「仮に真実だとして、黒瀬恋個人の話なら問題はねぇさ。料理人としてやっていけるだけの腕があるのなら、真実がどうだろうと勝手に結果はついてくる」

 

 久我は恋を庇うつもりは別にない。あくまでその話が真実だったとしても、単純に料理が出来るのなら退学にする意味はないのではないかと言っているだけだ。だが叡山は意外にもそれに対して同意を示して、久我の意見を肯定した。

 

「じゃあ―――」

「だが、由緒あるこの遠月学園に在籍するってんなら話は別だ。遠月リゾートを始めとして、この遠月という名前には巨大なブランド力がある。この名前が付くだけでソコに大きな価値が生まれるほどにその力はデカい……そしてこの遠月学園はそのブランドを背負った一流の料理学校であり、そこに味も分からねぇ存在を置いておくことはそのブランドを著しく傷つける可能性があるんだ」

 

 だがその上で叡山は、味覚障害者という料理人としての信用に関わる不都合を抱えた人間を在籍させることに、大きなデメリットがあることを語る。

 ブランドの力は信用の大きさだ。

 人で例えて言うのなら、例えば『この選手ならきっと金メダルを取ってくれるだろう』とか、『この人の書くお話には外れがない』とか、そういう長い時間を掛けて培われた信用が生み出す力。

 ブランドとはそういうもの―――つまり"遠月"という名前には、それだけで一定水準以上の質を約束する信用力があるのだ。

 

 叡山はそのブランディングを崩しかねない存在を退学することは、何もおかしいことではないと主張する。

 

「火のない所に噂は立たねぇ。俺達はこの学園を取り仕切る十傑評議会だ……だからこそ、学園運営において害になりかねない情報に関しては、しっかり真実を見極める必要があるとは思わないか?」

「まぁ……確かにね」

 

 そしてその主張は正しい。

 多くのコンサルティングに関わり、経済力、経営力においては十傑の中でもトップの実力を持つ叡山枝津也だからこそ、この発言に大きな説得力を持っていた。

 

「そんなわけで、黒瀬恋に関しての調査を行い、この話が真実だった場合の決を採りたい」

「決、ですって?」

「そうだぜ薙切嬢……俺は、この情報が真実だった場合、黒瀬恋を即刻退学にするべきだと考える。その決議だ」

「!!」

 

 それはえりなにとって、最悪の決議だと言えた。

 折角かつての絆と再会し、今日まで少しずつ会えなかった時間を埋めるように過ごしてきたというのに、こんなところでまたも引き裂かれてしまうなど、到底耐えられることではない。

 えりなはその決議に反対すべく声を上げた。

 

「その決議は聊か早計なように思いますわ、叡山先輩」

「ほお? 俺の言うことに何か間違いでもあったか?」

「確かに遠月のブランドを損なうという点では、そういった不都合を抱えた存在を在籍させることに不安を抱くのは当然かと思います。けれど、私の目には黒瀬恋という料理人の確かな実力が見えています! それはこの遠月学園においても秀でた能力であり、それを手放す損失もまた大きいと考えます」

「だが黒瀬恋ほどの実力者ならこの遠月には幾らでもいる。一年では優秀かもしれんが、二年、三年と視野を広げれば奴に勝る連中なんざゴロゴロいるだろう……損失を考えるのなら、奴一人に固執する必要もないはずだ」

「ですがその情報が仮に真実であったのなら、その価値は大きく変わってきます! 味覚障害という料理人として大きなハンデを抱えたまま、それでも彼が卒業まで至る料理人であったのなら―――"遠月"は障害があったとしても、その料理人が持つ可能性を見抜く力を持っているとして、そのブランド力に更なる向上を目指せる筈です!」

 

 思考を回し、コンサルティングに秀で、多くの案件に対するプロデュースや細かなディレクションでも確かな実績を残してきた叡山に、えりなは食って掛かる。どうにかして黒瀬恋の退学の道を消そうと必死になって反論した。

 だが、こういった交渉においてはやはり叡山枝津也の方が一枚上手。

 

「落ち着けよ薙切嬢……そう必死だとまるで、遠月云々よりも黒瀬恋に退学して欲しくないから反論しているように見えるが? 俺はあくまで遠月のブランドを考えて提案しているだけであって、黒瀬をどうしても退学にしたいわけじゃない……俺に食って掛かっても仕方ないだろう?」

「!!」

 

 しまった、と思った時には遅かった。

 隙を突くように叡山はえりなの発言にあった力を突き崩していく。

 

「少し調べたが、薙切嬢と黒瀬恋は幼馴染らしいな? 学園でも度々、かなり親しくしている姿を見るという話も聞いている……十傑足るもの、私情を挟むのは良くないと思うぜ」

「ちがっ……」

「まぁ薙切嬢も十傑に入って間もないのだし、少し感情的になってしまうのも仕方ないことだと思う。だが十傑評議会に入った以上は、この遠月を少しでも良い学園にしていけるように徹するべきだな」

 

 最早えりなが何を言おうと、この場では唯の感情的な意見にしか映らないだろう。叡山枝津也は此処まで想定して、話を進めていたのだ。この会議の場を自分の考えた通りに進めるために、えりなと恋の関係まで調べ上げる用意周到さ。

 流石は、『錬金術士(アルキミスタ)』と呼ばれるだけのことはある。

 この場は既に彼の独壇場だ。

 えりなを説き伏せつつ、また十傑に入ってまだ間もないというフォローまですることで、彼自身の発言力を高めることにも成功している。そうなればこの場において、彼の発言はなにより強い説得力を持つ。

 

「てなわけで、決を採りたいんだが……俺の提案に賛成する者は挙手を」

 

 そうして焦燥感に囚われるえりなを置いて、決議が進められる。叡山の決議を取りたいという案に全員が賛同したわけではないというのに、この場の空気が決議自体は行われるという空気に変わっていた。

 そして叡山の言葉を聞いて、決が採られる。

 

 えりなは勿論手を挙げることはしなかった。極星寮で一緒に生活する一色も同様で、恋に対して退学の意味を感じられないと思ったのか、久我も沈黙を貫いている。えりなは手を挙げない者を見て、期待をした。

 だが、現実は残酷。

 十傑評議会の中で過半数――六名もの人間がその手を挙げている。叡山の提案が可決されたことの証明だった。これで恋の味覚障害が真実であると明らかになった場合、恋は退学にされてしまう。

 

「……決は出たな、調査は言い出した俺の方でやろう。それでこの情報が真実であったのなら、黒瀬恋は退学……決議への協力感謝する」

 

 叡山はそう言うと、やるべきことは終わったとばかりに会議室を出ていく。

 他の十傑メンバーも粛々と部屋を出ていき、一仕事終わったような雰囲気に、えりなはどうすればいいのかと内心不安と焦りでいっぱいだった。

 

 けれど何も案など出てこず―――結局、黙っていることしかできなかった。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 そして現在。

 恋に退学を告げたえりなに、創真やアリス、極星寮の面々が詰め寄っていた。恋はえりなを守るように、詰め寄る面々を堰き止める柵役になっている。

 

「ちょっとどういうことよえりな!! なんで恋君が退学なのよ!!」

「っ……アリス」

「味覚障害ってのは驚いたけど、けど黒瀬は料理が出来ないわけじゃないだろ? それで即退学っておかしくねぇ?」

「そうだよ!」

 

 ぐいぐいと詰め寄ってえりなに追求する友人たちを、恋は一先ず力ずくで引き剥がす。

 

「落ち着けよ、薙切を責めたって意味はないだろ」

「恋君こそなんで落ち着いているのよ! こんなのおかしいじゃない!」

「そうだな、確かにおかしい」

「だったら!」

「だからこそ、落ち着け」

「ッ……!」

 

 落ち着いた様子の恋に苛立ちを覚えたのか、アリスが怒った顔で詰め寄ってくるが、恋はその言葉を肯定した上で冷静になるように言う。その言葉にアリスは言い返せなかったのか、ぐ、と押し黙って一旦は冷静になろうと努めた。

 そして他の面々も恋の言葉には一考の余地があると思い、一先ずは落ち着きを取り戻す。

 

 恋はそんな一同を見て短く息を吐くと、あくまで冷静に語り出した。

 

「確かに俺は味覚障害を持ってるが……それはこの学園に来てから誰にも言ってない。にも拘らずそれがバレたってことは、意図的に俺の経歴を調べた奴がいるってことだ……つまり、これは何者かが俺を陥れるため……もしくはそれによって発生する利益のために仕組まれた可能性が高い」

「ということは……叡山先輩が……?」

「薙切の言う密告の手紙を持ってきたのが叡山先輩なら、おそらくはそこが糸を引いているんだろうな」

 

 恋の説明に対し、全員が納得したように頷く。

 恋の言う通り冷静に考えるのなら、退学にばかり目が行っていて気付かなかったことが見えてくる。恋が自分の抱える障害について誰にも口にしていなかったというのなら、それを意図的に調べた人間がいるのは当然の話だ。

 であれば、この退学の話を持ち掛けた叡山枝津也がその裏で糸を引いている可能性は非常に高い。

 

 しかし恋はそれを推測した所で、この状況を打破できる可能性は非常に低いと考えていた。今回の話はあくまで正当な手順を経て決定されたことを、正当な手順を以って履行しているだけなのだ。そこに不当性がない以上、交渉で突き崩すことは不可能だ。そもそも十傑評議会で過半数が賛同している時点で、コレは学園運営の正当な決定である。

 可能性があるとすれば『食戟』だが……これも決定打として成立しない。

 

「どうにか撤回する方法は、ないのか……黒瀬?」

「難しいな……食戟を挑んだところで、此処まで用意周到な計画を立ててるんだ。審査員を買収して審査結果を捻じ曲げる程度のことはやってくるだろうし……そもそも誰に食戟を挑めばいいのかも定かじゃない。仮に叡山先輩に勝ったとしても、この決定を覆す一手にはなりえない」

「なんで!?」

「今回の決定は、十傑評議会で決定された事項だからだよ。十名の十傑の内過半数、つまり六人の意思で決定された事項である以上……叡山先輩が食戟に賭けられるものは自身の投票の撤回のみで、提案者だとしても退学そのものを取り消す権限は既に叡山先輩にはない」

 

 つまりは、叡山枝津也を食戟で倒して投票を撤回させ無効票にしたとしても、残り九名の投票は生きる。結局は九名の内過半数の五名が賛同している状況は変わらない。

 であれば残り五名、最低でも二名を食戟で打倒し、同様に無効票に変えるという条件を飲ませればいいのかと思うが……そもそも即刻退学である恋に、そんな時間は残されていない。退学の手続きを終える前の今なら叡山一人に対する食戟は有効かもしれないが、他の十傑に挑む様な猶予はないのだ。

 

 結局、恋はこの即時退学という決定を覆す手段を持っていなかった。

 

「まぁ、今回はしてやられたってことだ……皆もすぐに秋の選抜戦が控える選抜メンバーになった以上、この一件に関わっている暇はないはずだ。一先ずは退学を受け入れるしかない」

「そんな……黒瀬君……!」

「とはいえなにか不穏な動きがあるのも事実……このままただで終わるつもりはない」

 

 恋の言葉に重い空気になる創真達だったが、現段階で十傑を相手に勝利出来る力が無いのも事実であり、今回の決定に不当な要素がないことも事実。今の創真達に、恋の退学を阻止する方法はなかった。

 だが恋の言う不穏な動き、という言葉が気になるのも確か。恋がこの学園を去ったとしても、恋を陥れた奴らが存在していることは変わらない事実だ。その存在が創真達に今後危害を加える可能性も低くない。警戒はすべきだろう。

 

 結局、何も出来ないまま黒瀬恋は遠月学園を去ることになった。

 そうして終業式を迎えた今日、遠月学園から黒瀬恋が消え、学園は夏休みへ。

 選抜戦の課題テーマを与えられた選抜メンバーは、この夏休みを使って様々な試行錯誤を経て決戦の日に挑むことになる。

 

 

 だが黒瀬恋の消えた遠月学園の裏ではひっそりと……不穏な影が動き出していた。

 

 

 




黒瀬恋という存在を消した裏にある、何者かの意図。
暗躍する影に気付いた恋の取る行動とは。そして創真達の胸中は。

感想お待ちしております。



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二十二話

感想、誤字報告ありがとうございます。


 選抜メンバーの発表から黒瀬恋の衝撃的な真実の暴露を終えて、恋達は一旦極星寮へと戻ってきていた。退学するにしても荷物は纏めなければならないし、ある程度世話になった者への挨拶くらいはすべきだ。

 恋であれば、ふみ緒や一色などがそれにあたる。

 恋を先頭に極星寮へと戻っていく創真達だが、その中には寮生ではないアリスや黒木場、えりな、緋沙子といったメンバーもいた。恋が退学するという事実を受ければ、せめて最後まで見送りたいと思うのが当然の感情だった。

 

 言葉はない。誰も何を言っていいのかが分からなかったからだ。

 

「……」

 

 そんな中、恋は自身の退学のことよりも別のことを考えている。

 今回、叡山枝津也の差し金によってなのか、それとも何か別の意図があってのものなのか、ともかく恋の経歴を調べた者がいたのは確実だ。

 仮にこれが叡山枝津也の差し金による経歴調査であれば、今回の通告から恋を退学にするための材料を探していたということになる。また逆に別の意図を持った何者かの行動なら、その者がなんらかの目的があって恋の経歴を調べ、それを叡山に横流ししたということになる。

 

 どちらにせよ、黒瀬恋を退学にしたいという意図があったのは確実だが。

 

「(けど……叡山先輩に俺を退学にさせる個人的なメリットがない。十傑とはいえ聞いた限りの人物像なら、そこまで遠月の為に献身するような人物には思えないし……となると、これが叡山先輩の差し金なら、その裏にまた別の黒幕がいそうだな)」

 

 だからこそ、恋はその意図が発生する動機が気になった。

 叡山枝津也と恋は一切交流がない。恋が叡山のプロデュースする案件の邪魔をした覚えもないし、敵対行動を取ったこともないので、彼が恋を邪魔に思う理由は何処にもないのだ。にも拘らず彼が恋を退学にしようとした理由を考えれば、更に裏で糸を引いている者の存在が浮かび上がってくる。

 この考えが当たっているのなら、正直学生の領分を越えた巨大な思想が絡んでいる可能性があった。

 

 逆に別の人物の目的が偶々恋の経歴を調べることに繋がった結果ならば、おそらくその人物は同じ一年生の中にいるだろう。恋は良くも悪くも目立つ存在だったし、今回の選抜にも入っていると誰もが思う実力の持ち主だ。

 退学になるように仕向けた以上、恋を邪魔に思っていたのは確かで、そうなると同学年の中に犯人がいる可能性が非常に高い。

 

「(まぁ、この場合も叡山先輩の裏にいる存在は否めないけれど、俺の経歴を調べた人物と叡山先輩陣営は繋がっていても一枚岩じゃないってことになる)」

 

 そうして視線の先に極星寮が見えてきた頃、恋は自分が退学することで起こることと、何者かにとって発生するメリットを考えだした。

 というのも、黒瀬恋という人間に対して、さほど執着心といった感情は向けられていないような気がしているのだ。単に邪魔だったから、黒瀬恋を排除したような意図が感じられる。

 

「……!」

 

 まさか、と恋は何かに気付く。

 自分が消えたことで得られる直接的なメリットが何も思いつかない。

 それはつまり、黒瀬恋を退学にすることそのものに直接的なメリットになるものはなく、目的の為に邪魔になるものを排除しただけということだ。

 ならば黒瀬恋が消えることで生じるものに、黒幕の目的が隠されているのではないか。

 

 恋は横を歩くえりなをちらりと見る。

 

「(まさか、薙切……か? 俺が学園で関わってきたことの中で、一番料理界に価値を生じさせるものと言えば彼女だ)」

 

 そう、恋は今回の退学を自分を敵視する者の行動ではなく、薙切えりなを狙った結果の行動である可能性を考えた。

 以前新戸緋沙子が懸念したように、薙切の名を持ち、神の舌を持つえりなには、それに相応しい振舞いと環境、人間関係を求める者が多く存在する。所謂貴族主義的な考えだが、高貴な者は高貴な者とだけ関わるべきだという一種の選民思想は、現代においても確かに存在しているのだ。

 

 ならば今回の目的は、薙切えりなから黒瀬恋を遠ざけることではないか?

 

「!」

 

 そんなことを考えていると、極星寮へと到着する。

 恋は重苦しい空気を醸し出す皆を見て、一旦思考を止めた。色々と気になることはあるが、こうして自分のことを想ってくれる友人たちを放置するのは気が引けたのである。

 

「とりあえず、腹が減ったな……空腹だと碌な考えも出てこないし、なんか作らないか?」

「!」

 

 沈黙を破るように寮の扉を開けながら恋がそう言うと、全員が顔を上げて恋の顔を見た。恋はいつも通り穏やかで優しい笑みを浮かべていて、自分が退学になることに一切動じていない。どころか自分達を思いやっていつも通りに振舞ってくる優しさに、創真達の方が心を乱されていた。

 どうしてそんなに冷静でいられるのか、どうしてこんな状況で自分達のことを思いやれるのか、一番辛いのは恋の方なのに―――そう考えては、何もできない無力感に内心悔しさが溢れる。

 

 だがそんな恋の優しさを無下にしないように、創真達もまたいつも通りのテンションを装った。

 

「……だな! 此処は俺がいっちょ美味いもんでも作ってやるよ!」

「私も何か作る!」

「そこまで言うなら、この私が恋君に一番美味しいものを振舞ってさしあげるわ! リョウ君も手伝って!」

「うっす……」

 

 恋が開けた扉から創真、恵、アリス、黒木場が勢いよく飛び込んでいく。明らかな空元気だが、それでも落ち込んだ空気でいるよりはずっとマシだった。

 残ったのは恋とえりな、緋沙子の三人―――だが緋沙子もまた、空気を読んでか扉の奥へと静かに消えていく。えりなと恋を二人にさせてあげようという気遣いなのだろう。

 扉を閉めれば、極星寮の正面で恋とえりなは合宿ぶりに二人きりになった。

 

 恋の言葉を受けても、空元気すら出ないえりなは俯いている。

 

「っと……」

 

 恋は玄関前の階段に腰掛け、階段の下で立ち尽くすえりなに視線を向けた。

 

「気にするなよ、元々味覚障害(コレ)に関しては発覚した段階でひと悶着あると思ってたんだ。即退学とは思わなかったけれど――大した問題じゃない」

「ッ……大した問題じゃない……? そんなわけないじゃない!!」

「……」

「だって貴方は……今まで想像もできないほど努力をしてきて……私なんかの為に、人生を賭けて……! 遠月でここまで結果も出してきたのに生まれ持った障害一つで退学なんて……!! あんまりじゃない……あんまりよ……!」

 

 えりなは恥も外聞も投げ捨て、恋の前で泣き崩れた。

 心の底から受け入れがたい現実を前に、何もできない自分の無力さを嫌悪している。溢れる涙はどれだけ分厚い意地を張り付けても、隠すことが出来なかった。

 

 えりなは恋に去ってほしくなかった。

 

 幼い頃に出会った、たった一人の友達。

 障害なんて関係なく、料理で繋がった幼馴染。

 そして、自分の為に人生を賭けて追いかけてきてくれたたった一人の男性(ひと)

 

「うぅ……うぁ……あああ……っ……!!」

「……えりなちゃん」

 

 離れたくないに決まっている。

 ここまで自分のことを想ってくれる人が理不尽な目に遭うことなんて、受け入れがたいに決まっている。何より、この人の優しさに応えるだけの何かを、えりなはまだ何も出来ていない。

 料理に対してはいつだって公平で、どんな人物であろうと贔屓なんてしてこなかった薙切えりな。そんな彼女が初めて出会い、そして惹かれた黒瀬恋という人。

 

 ―――どんな料理を作る人物よりも、大切にしたいと思った人。

 

 溢れる涙と一緒に、えりなの胸の奥に走るズキズキとした痛みが苦しかった。

 この感情をどうしたらいいのか分からず、子供の様に泣き崩れるしかない。怒ればいいのか、悲しめばいいのか、憎めばいいのか、受け入れるべきなのか、自分の感情をどこに収めればいいのか分からない。分からないから、その苦しみが涙に変わって零れていく。

 大切な人との理不尽な別れなんて、薙切えりなの人生にはなかったのだから。

 

「……」

「! ……うぅうぅ……嫌よ……っ……嫌よ、恋君……!」

 

 恋は階段を下りて、地面に座り込んで涙を流すえりなの身体を抱きしめた。

 そしてえりなは自分を包み込んだその温もりにしがみついて、彼の胸に涙で染みを作っていく。震える肩から伝わる悲しみに、恋の表情が初めて歪んだ。

 

 恋はえりなに涙を流させるために、ここまで努力してきたわけじゃない。

 原点はただ単純に、えりなに美味しいと笑ってほしかったからだった。そして自分には決定的にその力がないことを自覚して、薙切えりなという少女の圧倒的才能との差を自覚して、なおも諦めきれずに此処まで走ってきた。諦めるつもりなど、さらさらなかったのだ。

 けれど、それはあくまで一方的な思いだと思っていた。

 親しくなれたのも、えりなが自分の料理人としての努力を認めてくれているからで、友達として一種の期待をしてくれているのだと、そう思っていた。料理人として、欠陥を抱える者として、誰より他人のことに敏感に気を張り巡らせてきた。

 他人の料理、レシピ、技術、感情、そしてただ、"普通の味覚"という壁に対して、どこまでも理解を深めようと努力してきた。

 

「そうか―――」

 

 だからこそ、恋は自分への理解が足りなかった。

 誰よりも自分の欠陥が嫌いだった。普通の味覚を持って生まれることが出来たのなら……そう願わなかった日は一度もないくらいに。誰よりも他人に優しい恋が一番、自分自身を嫌っていた。いっそ舌を引っこ抜いてやろうかと思ったことすらあるくらいに。

 

 だが涙を流す彼女を見れば、嫌でも理解できる。

 違ったのだ。

 えりなは料理人としての恋ではなく、黒瀬恋という人物を大切に思っていたのだ。

 "神の舌"を持つ彼女は、誰よりも料理を愛している彼女は、これから先の未来、きっと素晴らしい高みを目指して突き進んでいく。料理を愛し、食を愛し、究極の美食を作るために、この業界を牽引する存在になる。料理人として誰よりも価値ある存在になり、それに応える天上の料理人を目指すのだ。

 

 そんな彼女が、料理よりも黒瀬恋を大切だと思った。

 

 障害なんて関係ない。料理人であろうがなかろうか関係ない。料理界に価値のある料理人であるかどうかなんて関係ない。何があろうと関係ない。

 

「君は……この味覚障害(にもつ)ごと、俺を想ってくれていたんだな」

 

 薙切えりなは、黒瀬恋と一緒にいたかった。

 

「れん、君……っ……!!」

「えりなちゃん」

「ぐすっ……!」

 

 恋に呼ばれたえりなは、涙を隠すことなく、ぐしゃぐしゃの顔のまま恋の顔を見上げた。そこにあったのは、初めて見るほど真剣な、恋の表情。

 何故――そう考えるより前に、恋はえりなに告げていた。

 

 

「君が好きだ―――愛してる」

 

 

 それが当然である様に、それが自然であるように、恋は己の心に従って感情を言葉にした。躊躇はなく、羞恥心も、恐怖もなく、己の全部を曝け出しても構わないという強い心を持って、薙切えりなという少女に自分の心を全て明け渡した。

 そして突然の告白に言葉を失ったえりなに、恋は以前一度見せた、とても幸せそうな、何もかも無防備な無垢な笑顔を浮かべてみせる。

 えりなはその笑顔を見て、自分が何をされたのかを理解した。

 

 そう、たった今黒瀬恋は、薙切えりなに恋を教えたのだ。

 

 こんな状況なのに、これから二人の道は別たれるというのに、黒瀬恋は薙切えりなに自分の心を全て渡した。そして薙切えりなの心を奪ったのだ。

 

「恋……君……」

 

 えりなの心に訪れたのは、今までないくらいの幸福と、それと同じくらいに大きな悲しみ。幸福と絶望を同時に味わわせられた気分だった。

 それでも逆らうことなど出来ないくらいに、落ちていく。深く深く、胸の奥、心臓の更に奥の心の更に奥底まで、恋という存在が刻み込まれてしまう。

 

 なんて残酷で、なんて愛おしい痛み。

 

「私も……私……」

 

 けれど、それを受け入れてしまえば、恋は目の前からいなくなってしまう。自分の最も愛おしい存在となって、自分の前から消えてしまう。えりなはそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

 えりなには勇気が出ない。

 

「大丈夫だよ、えりなちゃん」

 

 だから、その分恋は近づいていく。

 

「俺は諦めないよ。今までもそうだったように……必ずまた此処に戻ってくる」

 

 いつだってそうだった。

 幼き日のあの出会いがそうだったように、自分からは動けないえりなの下に恋はやってきた。上手く話しかけられなかったえりなに、恋の方から話しかけていった。友達のいなかったえりなに、料理を教えて欲しいと歩み寄っていた。

 同じことだ。

 

「俺の夢は変わらない」

「貴方の……夢……」

 

 恋は笑顔を浮かべて告げる。

 

「君に、ただ一言、"美味しい"と言って笑ってほしい」

 

 溢れる涙を恋が指で拭った時、えりなの瞳にははっきりと、恋の強い意思が宿った金色の瞳が見えた。諦めていない者の、強く、強い瞳。

 それを見てえりなは不思議とその言葉を信じることが出来た。

 

 まだ、黒瀬恋の運命は終わっていないと。

 

 

 

 




遂に自分の想いを自覚し、伝えた恋。
次回、この窮地に陥った恋の前に、一人の人物が現れて……?

感想お待ちしています。



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二十三話

感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。



「大丈夫か?」

「ええ……少しだけ、落ち着いたちょちょっと、そんなことしなくていいからっ!」

 

 恋の言葉で少しだけ気持ちを持ち直したえりなの手を取って、恋は彼女を引き起こす。そして立ち上がった彼女の膝に付いていた砂をはたいてやると、何処か子供扱いされているような感じがしてえりなが顔を赤くした。

 どうもえりなが涙を見せたことで、恋がぐいぐい来る。えりなに対する好意が全開に出ており、えりなは既に限界だ。

 

 だが問題は依然として解決していない。

 恋の退学は既に決定されたことであり、この状況から盤上をひっくり返すのは不可能に近いのだ。恋もえりなもそれを理解しており、その上でまだ諦めないことを決意している。

 

「改めて……俺が退学することは現時点でもう覆せない」

「ええ……」

「でも、退学を白紙に戻す方法ならある」

「!」

「案としては、今回十傑評議会で俺の退学に賛同し票を入れた六人……その内の三名を食戟で倒し、叡山先輩の決議を白紙に戻すこと」

 

 恋の退学を覆すための手段として、恋が退学した後、恋の退学を白紙に戻すための食戟を誰かが行い、勝利するという方法がある。恋はそもそもこれは個人的な問題故に、この方法を却下としたのだが、えりなが涙を流した以上方法を選ぶ余裕などない。

 但し、コレを行ってくれる上に十傑に勝利する実力を持つ者など、如何に遠月とはいえ限られてくる。えりなが食戟を行うという道もあるが、そもそも食戟を受けさせるメリットを用意する必要があるので、えりな一人にやらせるには賭け金が足りない。

 

「……実現可能かと言われれば難しいわね」

「ああ、まず現実的じゃない。でも、だからこそ退学がこのタイミングで良かった」

「え?」

 

 恋の語った方法に勝算が薄いことを悟り、顎に手を当てて考え込むえりな。だが恋がそれに対して不敵に笑みを浮かべたことでえりなの表情が変わる。

 どういうことか――そう問いかけようとした時、恋の視線の先にとある人物が立っていることに気付いた。その人物は悠々と極星寮の入り口に向かって歩み寄り、恋とえりなの前で立ち止まる。

 

 恋とその人物は視線を合わせ、恋が今どういう意思を持っているのか、そしてその人物が何をしに来たのか、それを互いに悟った。

 

「良い目をしてんじゃん―――黒瀬ちん」

「こんなところで奇遇ですね、久我先輩」

 

 現れたのは遠月学園第二学年、十傑評議会第八席……久我照紀だった。

 突然現れたその人物に、えりなは目を丸くして驚く。どうして彼が此処に、そう考えた瞬間、恋が食戟で久我と交流を持つ権利を獲得していたことを思い出す。えりなの知らない所で、恋は久我を接触していたのだ。

 

 そして今、その接触を切っ掛けに、このタイミングで久我が恋を訪れた意味とは。

 

「困った時の久我先輩ってね☆ この前の約束通り、困ってるようだから力を貸し付けにきたよん♪」

「頼りになる先輩を持って良かったです」

「ハッハー! この俺の偉大さをもっと敬っておけよー? こんなこと、早々ないんだから」

 

 恋は幸運だった。退学になる直前に十傑の一人と接触する機会を持ち、その上力を借りられる約束を手にしていたのだから。その結果、薙切えりな、久我照紀、一色慧と、恋は図らずとも十傑の内の三名を味方に付けられる人間関係を構築していたのだ。

 これは大きな手札になる。

 えりなは恋がこの学園で紡いできた結果が、料理だけで得たもの以外にもあったことを理解し、恋という存在の大きさを思い知った。

 

「(凄いわ……恋君)」

 

 料理人にとって、自分の店を持つことは誇りであり夢だ。

 そしてその店が一番大事にしなければならないのは、料理の味でも、サーブの丁寧さでもない。

 料理人と客の間にある心地いい信頼関係だ。

 本来厨房と客席で顔を合わせることはない両者の間に、料理という一つだけで生じる繋がりが心地いいかどうか。品に込められた思いやり、華やかさ、工夫、そして何より高められた美味しさが客を笑顔に出来るかどうか。

 勿論食べる側にそこまで汲み取る力はないし、汲み取ろうなんて食べる時に一々考えない。けれど無意識でも確実に伝わってしまう部分に、人を惹きつける魅力があるかどうか。

 それがその品、ひいては料理人の魅力である。

 そして根本的に、絵画であろうが、歌であろうが、芝居であろうが、ダンスであろうが、そして料理であろうが、あらゆる表現には己の中にあるものしか出てこないのだ。

 

 恋にはその魅力がある―――人を惹きつける魅力が。

 

「んで? そんなやる気に満ちた目をしてるからには、何かしでかそうってんでしょ? 手はあるの?」

 

 幸平創真達極星寮の面々は勿論、合宿で会ったばかりのアリスや黒木場までもが恋の退学を聞いて、えりなに食いついてきた。そして十傑の一人であり、一年のことなんて眼中にもない態度を取っていた久我ですらもが、能動的に力を貸しにやってきている。

 これこそが、その証明だ。

 

「勿論、まぁしばらくは退学を受け入れる必要がありますけど……戻ってくる方法はあります」

「いいねいいねぇ! 崖っぷちからの大逆転☆ 圧倒的な格差で押し潰すのが好きな俺だけど、そういう少年漫画みたいな下剋上も大好きなのよ!」

 

 好戦的に笑みを浮かべる恋と久我のやりとりを聞いて、えりなはこの状況から恋は何か大きなことをしでかそうとしていることを悟る。自分で考えてもこの状況から恋を救い上げる方法など思いつかないというのに、恋は退学を告げられてから現在までの僅かな時間で何か思いついたというのだ。

 味覚障害を抱えて尚料理人として高い能力を身に付けてきた恋に驚いたえりなだったが、今それは恋の成長の一端でしかなかったということを理解する。

 

 そもそも皆が感じていたことだ。

 黒瀬恋は、料理人としてだけではない―――人間として、誰よりも大きな器を持っているということは。

 

「(そうだった……恋君がこの学園に来てから、彼が何かに失敗している姿なんて見たことがない……料理だけじゃなく……座学成績も、運動能力も、人への気遣いも、生活態度も、コミュニケーション能力も、なんだって卒なくこなしていた……)」

 

 それが、どれだけの努力の上に成り立っているものなのか、えりな達は理解していなかったのだ。あまりに自然に行われていたことだったから。そして料理学校だからこそ料理の腕にばかり目が行っていたから。

 恋本人が持つ料理以外の能力に一切気が付いていなかった。

 

「(あれだけの料理の腕を身に付けるのにだって相当の努力が必要だったはずなのに、貴方は……それ以外のことも一切捨てずに研鑽してきたというの……!?)」

 

 黒瀬恋という少年は、何一つ捨てなかった。

 料理で大きなハンデを抱えているからこそ、それ以外の全てを決して言い訳にしないように努力してきたのだ。

 故に彼は今、誰よりも才能の差に対する苦しみを知り、誰よりも努力することの尊さを知っている。人間として誰よりも人を思いやり、誰よりも努力を尊ぶことの出来る人格者に成長することが出来たのだ。

 そしてそれは、ある驚愕の事実を浮かび上がらせる。

 

 黒瀬恋は料理以外なら―――なんだって出来るという事実を。

 

「叡山先輩が裏で糸を引いてようがいまいがどっちでもいいけど、どちらにせよこのタイミングで退学にするのはちょっと早計だった」

「どういうことかな?」

「これから遠月は夏休みに入るし、それが明ければ選抜戦……それはつまり、この間遠月学園は内部に向かう意識が大幅に薄れるってことです。十傑含め学園運営は選抜戦に向けて運営を集中させるでしょうし、選抜メンバーは選抜に向けて準備に入る。それ以外の生徒も、授業がない以上各々のことに集中するでしょう」

「ふむふむ、確かに……でもそれってつまり、向こうが裏で暗躍するにはうってつけの期間ってことじゃない? ならこのタイミングで黒瀬ちんを退学にさせたのは、そこで何かするために邪魔だった?」

「いや、おそらくこのタイミングで俺を退学にさせたのは、このタイミングが一番向こうにとってダメージが少ないからです」

「! ……そういうことね!」

 

 恋の言葉に久我が頷きながら相槌を打つと、えりなが恋の思考を察したようにハッとなる。恋はえりなの聡明さに笑みを浮かべ、静かに一度だけ頷いた。

 そう、恋の言った通り夏休み期間中は学内への意識が大幅に薄れることから、恋を退学にした何者かが裏で動きやすくなる。恋を退学にしてえりなから引き剥がすことが目的ならば、その先に更なる目的があってもおかしくないのだ。

 そしてそれ以外にもう一つ。

 手続き的には不当ではないが、評価や料理人としての実力を鑑みるのなら、障害を抱えていたとしても理不尽な退学を強行したのは何故か? 冷静に考えれば、今回黒幕の取った手は確実にその強引さのツケを支払う羽目になってしまうというのに。

 

「そう、自惚れでなければ、俺の退学に疑問を抱く生徒や講師は多分少なくない。正義感の強い奴なら追求することもありえる。だから終業式であり選抜メンバー発表のタイミングに合わせて通告することで、話題性を二分し炎上を避けた。そして夏休みという長期休みを利用してほとぼりを冷ました頃に、明けにある秋の選抜という一大行事で一気に話題性をかっさらう。そうすれば生徒の意識は自然と俺の退学から逸れていくからな」

「なるほどなるほど……そういう意味でベストなタイミングだったってことかー、うわ性格悪っ! けど、ならもっとスマートなやり方があったんじゃないの? 今でなくちゃいけなかったわけじゃないんでしょ?」

「それはおそらく、向こうも恋君の実力を認めているということだと思います。此処までの成績や評価を鑑みて、恋君が今後大きな功績を積む可能性を避けたのでしょう。例えばですが、もし仮に今後恋君が十傑入りを果たすなどの結果を出そうものなら、味覚障害というハンデ一つを取り上げて退学にするのは明らかに理不尽だと誰もが気付きますし、そうなってからでは相応に注目も集めてしまいますから」

「まだ小粒である今、それも選抜を控えていてなるべく密かに消せるこのタイミングがベストだって判断したわけね」

 

 恋とえりなの説明に、一年の勢力図など一切知らない久我ははーんと感心したような声を上げる。というより、黒幕側の戦略があまりにも緻密に仕組まれていることに驚いたといった風だった。

 恋一人を退学にするために生じるリスクを考え、それを最小限に抑えられるタイミングを計り、そして正当な手段で実行したのだ。しかも今日までそれを阻止する隙が微塵もなかったというのが恐ろしい。そんな相手に対し、どう立ち向かうのかと久我は難しい顔をする。

 

 だが、話は此処からだ。

 

「けれどこのタイミングだったことは、私達にも利点を生みます」

「利点?」

「おそらく明日からの夏休みの間、向こうは選抜の準備の裏で何か別の目的の為の準備を始めるでしょう。学内に向く意識が薄れる以上、動きやすくなるわけですから」

「それは分かったけど、何処に利点が?」

 

 えりなの言葉に、久我が眉を顰める。

 黒幕側が動きやすくなることに一体どんな利点が生まれるというのか、その続きは恋が口にした。

 

「向こうが動きやすくなる……それはつまり向こうの意識も学内から外れるってことですよ」

「! ……そっか、つまり黒瀬ちんは―――誰も注目していない遠月学園の中で、何かしでかそうってワケだね?」

「その通りです……といっても、俺は退学になるので行動を起こすのは協力者が必要ですけど」

「はっはーん、俺もナイスなタイミングで来ちゃったってワケね? いやいや、空気ばっちし読めちゃうんだもんなぁ俺ってば☆」

「とはいえ、まだ手が足りないんですけどね」

 

 恋の策は、黒幕が裏で暗躍しやすくなるこの夏休み期間を逆に利用し、黒幕の裏を掻くこと。つまり、黒幕含め生徒たちの意識が学内から外れるこの夏休みの間、大胆不敵に堂々と、"表"で暗躍してやろうということなのだ。

 無論その為には恋の代わりに、恋の為に行動してくれる協力者がいる。それも、この学園で高い実力を持つ協力者が。

 

「―――じゃあ、俺達も協力すれば足りるか?」

「!」

 

 不意に背後から声がした。

 恋達がその声の方へと視線を向ければ、寮の扉が開き――その奥から複数の人影が姿を現す。そこには幸平創真を始めとした極星寮の全員と、薙切アリス、黒木場リョウ、新戸緋沙子といった面々が喜々とした表情で立っていた。

 どうやら話を聞いていたらしく、先程までの重苦しい空気は何処へ行ったのか全員好戦的な熱に燃え上がった目をしている。

 

「……お前達は選抜があるんじゃないのか?」

「おー、それがどうかしたか?」

「……ははっ、大した自信だなぁ」

 

 恋の言葉に対し、創真の返答は何か問題でもあるのか? と言いたげだった。選抜を勝ち抜くためには、本番に向けて様々な準備をし、そこに全ての力を集約させなければならない。それだけ全員が死に物狂いで挑むだろうし、それだけ過酷な戦いになるからだ。

 けれどこの場にいる全員がそれを把握して尚、恋の為に力を貸すと言っている。

 えりなは思う。

 これも恋の人を惹きつける魅力のおかげなのか―――否、違う。

 これは創真達が料理人として、恋という料理人の実力を認めているからこそ、この学園に必要な存在だと判断した結果だ。

 恋に勝ちたい、競い合いたい、学び取りたい、一緒に料理をしたい、様々な自分の我儘(エゴ)の為に立ち上がっただけに過ぎない。

 

 なにより仲間の、友達の為に立ち上がることに、理由など必要としていないだけだ。

 

「じゃあそうだな……助けてくれ、幸平達の力を借りたい」

「ああ、任せなよ」

 

 そう言って笑う創真達に、恋も笑みを浮かべる。

 すると、そんな創真達の背後、寮の中から更に一人の人物が姿を現した。創真達よりも幾分背が高く、歳も一回り以上上の男性だ。料理をしていたのか腰エプロンを巻いており、シャツの袖も腕まくりしている。

 

 えりなはその人物を見て、目を見開いた。

 

「才波……様……?」

「面白そうだな―――そういう事情なら、俺も少し力を貸そうか?」

 

 才波城一郎、またの名を幸平城一郎。

 幸平創真の実の父にして、かつて薙切えりなが究極の美食と称した料理を作り上げた、憧れの料理人が、其処に居た。

 

 

 




現れた幸平創真の父、幸平城一郎。
彼が言う力を貸すという言葉の意味は?
次回、黒瀬恋が遠月を去り……そして、創真達が選抜に向けて動きだします。

感想お待ちしております✨



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二十四話

感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 ◇ ◆ ◇

 

 

「おう創真帰ったか、ちょっと手伝ってくれ」

 

 少し時間を戻そう。

 恋の言葉で空元気に寮の中へと入っていった創真達が厨房へとやってきた時、そこには創真の父である幸平城一郎がいた。何か作っているのか軽快にフライパンを揺らしており、入ってきた創真に気付けば手伝う様に言ってくるほど、自然体でそこに立っていたのだ。

 夏休みに入る前日ということで、創真の様子でも見にやってきたのだろう。

 だが普段なら自然な流れで手伝いに入りそうな創真は、城一郎の予想に反して動かなかった。

 

 それに意表を突かれたのだろう。城一郎は手を止め、創真達の方へと視線を向けて眉を顰めた。見れば創真以外にも大勢の人がいる―――しかもどこか暗い顔をして。

 事情を何も知らない城一郎だが、息子とその友達の様子を見れば何かあったことくらいは想像出来た。

 

「……はぁ、なんかあったみたいだな。それも、料理どころじゃねぇくらいのデカいことが」

「親父……」

「え、と……創真君のお父さんなの?」

「ああ、自己紹介しておくか。どうも、息子がお世話になってます。創真の父の幸平城一郎だ、よろしくな」

 

 城一郎の挨拶に、その場にいた全員がおっかなびっくり会釈を返した。講師以外ではめったに交流しない大人の男性を前にして、少々驚いている様子である。

 とはいえ恋の退学に気持ちを上げられない状況では、普段なら興味津々に食いつきそうな創真の父の登場もインパクトが薄れてしまっていた。

 

 城一郎は折角サプライズ気味にやってきたというのに、間の悪い時に来てしまったらしいと、少し肩を落とす。そして仕方ないとばかりに椅子を引きずって創真達の前に座ると、片手で何かを促すようにしてくる。

 

「父ちゃんが聞いてやるから話してみろ、一体何があったんだ?」

「……実は――」

 

 創真達は先ほどあった全てのことを話した。

 恋という料理人のこと、味覚障害を持っていること、それが原因で急に退学を言い渡されたこと、全てを。そしてその上で自分達が恋を退学にされたくないと思っていることも、包み隠さず城一郎に話した。

 すると、全ての話を聞いた城一郎は顎髭を撫でるように顎に手をやり、その後腕を組んでうーんと話の内容を頭の中で整理し、消化する。遠月学園の卒業生であり、極星寮のOBでもある自身の経験と照らし合わせても、その話に違和感を禁じ得ない。

 

 味覚障害と聞けば確かに料理人としては致命的かもしれないが、そもそもこの学園に入学する際にその辺りの情報は学園側にも提示されていたはず。ならば何故今それが生徒達の耳に入っただけで退学となるのか、城一郎には意味が分からない。

 明らかに、退学にしたいから退学にした意図が隠されているような感じがする。

 

「話を聞いた限りじゃ、その黒瀬って奴は相当腕が立つんだろ? 俺が在学中にも多少身体的に不自由を抱えてる奴くらい居たけど、即退学ってのは穏やかじゃねぇな」

「俺達もそう思ってんだよ、親父。この決定はなんかおかしいってな」

「ほーん……つってもまぁ、当の本人は受け入れてんだろ? じゃあお前らが口を出す様な問題じゃねぇわな」

「そんなっ!」

 

 とはいえ、城一郎は大人として一意見を述べる。

 黒瀬恋が退学にされるという出来事に対し何か不穏な影を感じないでもないが、あくまでそれは本人の問題であり、当人が受け入れているのであれば外野がやいのやいの言う権利はない。

 当然仲間として、理不尽に晒されている仲間に手を差し伸べたい気持ちも分かる。創真達は未だ高校一年生の子供であり、感情のままに行動することが良い結果を生むこともままある。

 

 けれど大人として助言するのであれば、本人の意向を無視して一方的に手助けするのはエゴでしかない。それは仲間であるからこそ、尤も尊重すべきことではないのかと、城一郎は言っているのだ。

 

「……だけどっ」

「だけどな創真。俺ぁこの遠月を卒業したわけじゃねぇが、それでも最高の想い出がたっくさんある。仲間達と一緒に食戟一本でこの寮を盛り立てて、なんだって料理で切り開いていった……辛いことがなかったとは言わねぇが、それでも最高の青春時代を過ごしたって今は思ってる」

「……」

「だから俺が父親として、また先輩としてアドバイスしてやれるとしたら一つだけだ―――"未来の自分が後悔しない選択をしな"」

 

 城一郎の言葉を受けて、創真達の表情が変わる。

 未来の自分達が後悔しない選択。

 どんな選択をしたって、何かしらの後悔は残るものだ。結果が自分の理想通りにいくことなんて、世の中そうそうありはしない。どこかで必ず失敗は起こるし、どこかで取り零してしまうものもきっと出てくる

 城一郎が言っているのは、それでも人生たった一度の選択において、これしかないという選択を選ぶことが出来るかということだ。未来の自分がどのような結果を受けたとしても、あの時これ以上の選択は無かったと胸を張って言えるように生きられるかどうかだ。

 

 ぐ、と拳を握った創真が厨房を飛び出し、自分達が入ってきた寮の玄関の扉へと走る。そして創真以外の全員も同じ行動を取り、自分が今取るべき道へと足を動かした。 

 感情的で、後先なんて何も考えていない、ガキ臭い行動かもしれない。

 

 それでも、自分達が取るべき行動は、これ以外には考えられなかった。

 

「!」

 

 扉に手を掛けた創真の手が止まる。

 扉の向こうから、薙切えりなの泣いている声が聞こえてきたからだ。そしてそれは後から追いかけてきた全員にも聞こえたようで、心の底からの悲しみを訴えているその泣き声に表情を歪める。

 選抜発表の掲示板からこの寮までの道のりの中、誰一人としてなにも言うことが出来なかった。その理由が、このえりなの泣き声に込められている。

 

 そうだ、創真達は悲しかったのだ。ショックを受け、心が痛みを訴えていたのだ。

 恋が何も言わなかったから。弱音も吐かず、辛い表情も見せず、いつも通りに優しく笑う姿があまりに痛々しかったから、創真達は苦しくて何も言えなかったのだ。

 子供の様に嫌だと叫ぶえりなの言葉が、自分たちの気持ちを代弁している。

 

「―――」

 

 その瞬間、恋が何かを言った。

 その内容は聞こえなかったが、扉の向こうで何か――空気が変わったのを感じる。ただ分かったのは、えりなの涙を恋が止めたということ。恋が何かを言ったことで、泣いていたえりなの声が止んだということだけだ。

 

「……?」

 

 首を傾げる創真だったが、扉を開けようとした時、更に新たな声が扉の向こうから聞こえてきた。その声と話の内容から、それが十傑第八席の久我照紀であることを理解する。

 そして扉を少し開けて話を盗み聞きすると、恋が退学を白紙に戻すための方法があるという話をしていた。その為に協力者が必要であることも。

 

 この時点で、創真達の気持ちは決まっていた。

 

 城一郎の言っていた言葉も、これならば何の憂いもない。何故なら黒瀬恋本人が退学を帳消しにするために行動するという意思を見せているのだから。

 全員で笑みを浮かべて頷き合うと、創真は勢いよく扉を開ける。

 

 

「―――じゃあ、俺達も協力すれば足りるか?」

 

 

 そんな言葉と共に、仲間を救いたいという気持ちを表明して。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

 そして時は戻り、現在。

 えりなが目を丸くして驚愕を露わにした人物。幸平城一郎の登場が、この場の空気を大きく変えていた。創真達の登場だけでも大分予想外であったのに、その父親まで現れるとなっては、流石の恋も意表を突かれたような表情をしている。

 しかもその城一郎が、恋に力を貸そうと言い出したのだ。

 退学を白紙に戻すための策に学外の人間の力を借りるのは、流石に大人の過干渉というものではないだろうかと思ってしまう恋。しかし、城一郎の言いたいことはそういう意味での助力ではなかった。

 

「なんにせよ、今すぐ退学を白紙にすることは出来ねぇんだろ? じゃあ戻ってくるまでの間、お前俺の手伝いでもしねぇか?」

「親父の、手伝い?」

「秋の選抜が終わった後、遠月学園ではスタジエールって現場研修期間があんだよ。お前らの言葉を信じるなら、黒瀬君には選抜に出場するだけの実力はあるんだろ? じゃあ復帰までの期間腕を磨く場を失うのは勿体ない。どうせ復帰までは学内で行動することは出来ないんだから、丁度いいじゃねぇか。早めのスタジエールってことで」

「それはまぁ、有難い申し出です」

 

 とどのつまり、これから退学を帳消しにして復帰するまでの間、恋の面倒をみてやるという意味で助力してくれるということである。城一郎は元々寮に一泊して明日には発つつもりだった。同じタイミングで寮を出なければならないのであれば、一緒に連れて行っても問題はないと考えたのである。

 恋もまたその意図を理解し、料理の腕を磨くことが出来る機会に恵まれるのであれば是非もないと頭を下げた。

 

 あまりに突飛な提案に呆気に取られる創真達だったが、悪い提案ではないと知ると困惑しつつも冷静さを取り戻す。とはいえ、城一郎がどれほどの料理人なのかを知らないので、目の前で起こっていることがどれほどの話なのか理解出来ているのは、えりなと創真くらいのものなのだが。

 

「ま、いつまでも寮の前で立ち話するのもなんだから、そろそろ俺達も中に入ろうか」

「え、ええ……そうね」

「久我先輩はどうします?」

「ん、俺は帰るよ! 黒瀬ちんの意思は確認出来たし、俺にやって欲しいこととか諸々詳しいことは後で連絡してよ。一年の中に混ざるのも気まずいし? じゃ、まったねん☆」

 

 とにかく図らずとも大所帯になってしまったので、一先ずしんみりした空気もなくなった所で寮の中へと入ることを提案する恋。久我は一色が出てきていない今、一人だけ二年生ということもあり、聞きたい話も聞いたと帰ることにしたらしく、早々に立ち去って行った。

 そして恋が創真達の方へと再度振り返ると、一転して笑みを浮かべている面々に苦笑する。本人よりもやる気満々な様子を見せられれば、苦笑も出るというものだ。

 

 えりなと共に極星寮の階段を登り、寮の中へと入る。

 もう此処に重い空気はない。

 やるべきことがはっきりしたからだ。

 

「じゃ、料理するか」

 

 笑ってそう言う恋に、創真達はそれぞれ返事を返した。

 

 

 ◇

 

 

 ―――その夜、遠月学園の一室にて二人の人物が向かい合っていた。

 

 一人は遠月十傑評議会第九席、叡山枝津也。

 掻き上げた髪に知的な眼鏡を掛けた、ややヤクザの様な出で立ちの男だが、その実力は確か。数多くの事業を手掛け、手を貸した案件は数百件以上。中等部に入学した当初は、たった一年で同学年の生徒の入学金を全て合わせた額よりも稼いで見せた。周囲からは『錬金術士(アルキミスタ)』と呼ばれるほどの経営手腕を持つ男だ。

 そして今回黒瀬恋を退学へと追い込んだ張本人でもある。

 

 そんな彼に対し、向かい合うように立っていたのはかなり大柄な男だった。髪型も稲妻柄の剃り込みにドレットヘアというかなりいかつい風貌をしている。

 

「お前の密告のおかげで、黒瀬恋を退学に出来た。よくやってくれたなぁ、美作」

「まぁ、偶然すけど……」

 

 男の名前は美作昴(みまさか すばる)

 恋達と同じ一年生であり、創真達の陰に隠れていたものの、入学してからかなりの頻度で食戟を行っている人物である。

 そして叡山が言ったように、黒瀬恋の味覚障害について調べて叡山に教えたのが何を隠そうこの美作昴という男だった。

 

「俺の方にも噂は流れてきていたからな……編入早々あの周藤怪を食戟で倒した一年、黒瀬恋。どんな奴かと思って個人的に調べてはいたが……まさか味覚障害者だったとはな」

「けど、こんな強引に退学にする必要あったんすか? 叡山先輩の指示通り密告書を作ったっすけど、正直奴を退学にする意味は無かったんじゃ?」

「だろうな……俺としても黒瀬を退学にするのは惜しかった。なにせこれだけの実力を持ちながら味覚障害を抱えた料理人だ……順当に成長すればチャリティー的な事業にも手を伸ばせそうな人材だったからな」

「チャリティーって……福祉活動が金になるんすか?」

「直接的にはならねぇよ。だがそのキャリアは幾らでも金に繋げられる」

 

 とはいえ、叡山枝津也という男はそもそも、様々なことに対し金になるかならないかでしか判断しない。料理人としての腕は確かであるが、コンサルティングに対する熱の方がよっぽど強いのがこの男である。また、料理にさほど本気で打ち込んでいないにも拘らず十傑に入っているという事実が、彼の実力の高さを証明していた。

 そんな男だが、今回の恋の退学に関しては内心では惜しいと考えているようだった。美作が報告で持ってきた黒瀬の抱える障害を知った時も、彼は恋に対して利用価値を感じていたのである。

 

 しかし現実は恋を退学に追い込んだ―――何故?

 

「じゃあ何故?」

「お前は知らなくても良いことだ、美作……まぁ既に退学になった奴のことを考えるのは無意味だ。そもそもお前だって、黒瀬恋に対して邪魔だと思ったから色々探ったんだろ? 目の上のたんこぶが消えてよかったじゃねぇか」

「……失礼します」

 

 美作昴は叡山の言葉を聞くと、軽く頭を下げて出ていく。既に必要な話は終わっていると判断したのだろう、叡山もその背中を引き留めることはしなかった。

 扉が閉まり、部屋に一人になった叡山はテーブルに頬杖を突いて溜息を吐く。美作の言う通り、今回恋の退学に多少強引な手を取ったのは事実だ。一先ず退学に追い込むことは出来たものの、彼には色々と今回の後始末が残っていた。

 

 テーブルの上のパソコンを開き、"とある人物"に向けて何か報告書をまとめたメールを送信する叡山。

 

「それにしても……どうして此処まで黒瀬恋に拘るんだろうな」

 

 そしてメール作成ツールを閉じた後にディスプレイに出てきたのは、黒瀬恋の調査データ。今までの経歴や障害に関する詳細まで調査されたそのデータは、これと言って遠月に対し害になるような物ではない。

 そもそも障害一つで退学に追い込まなければならないような人物でもないことは、叡山自身も理解しているのだ。事実、恋の退学手続き申請には障害が原因であるという記載は一切存在していない。単に十傑評議会の決定により退学、という風に記載してあるだけである。

 

「まぁ、どうでもいいがな」

 

 美作昴にも告げなかったその理由は、叡山自身にも分からなかった。

 

 




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二十五話

感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます!


「それじゃ創真、選抜頑張れよ」

「またな、皆」

 

 その翌朝。

 城一郎と恋は極星寮の全員に別れを告げて、遠月学園を去る。

 昨晩遅くまで皆で料理を作っては試食して、時には料理勝負をして、退学する恋を見送る会やかつての第二席である城一郎の歓迎に大いに盛り上がった。極星寮だけではなく、薙切えりな達部外者達もいたので、その盛り上がりもひとしおである。

 

 どうせ翌日からは夏休みで授業もないので、大いに夜更かしをしたのだ。管理人であるふみ緒さんも懐かしのOBに会えて嬉しかったのだろう。今回ばかりはその大騒ぎを許してくれた。

 

「色々やることは多いけど、昨晩話した通りにいけば戻ってこれると思う、とりあえずは選抜頑張ってな」

「……おう」

「恋君」

 

 恋は昨晩、大騒ぎをした後に創真達にやって欲しいことを話していた。実際今後のことを考えてやって欲しいことという感じであるが、それも大したことではなく、選抜をメインに頑張る中でやれるタイミングがあればという感じの頼み事である。

 だからこそ、こうして創真達に応援の言葉を言えば、創真達は少し寂しそうに頷くばかり。自分達に出来ることは、あくまで今の難関に全力で当たることだけである。

 とはいえ希望が失われたわけではない。

 恋は戻ってくるつもりだし、創真達もそれを信じている。

 

 去り行く恋の前に、えりなが一歩出てきた。

 

「……少しだけ離れるけど、また戻ってくるから」

「……ええ、待っているわ」

「その時は、昨日の返事を聞かせてくれると嬉しいな」

「! ……ええ」

 

 えりなと恋の二人にしか通じない言葉を交わし、お互いに少し名残惜しそうに笑みを浮かべた。城一郎はその二人を見て微笑ましそうに笑みを浮かべて、懐かしの極星寮の姿をもう一度見上げてから踵を返す。

 そしてこのままならいつまでも此処にいてしまいそうな気持ちを押し殺して、歩き出した。恋もそれに付いて歩き出す。

 

「……」

「えりな様」

 

 えりなは憧れの人と大切な人の二人が去っていく姿に胸を痛めたが、それでも別れではない。また会えると、恋は言ったのだから。

 緋沙子が優しく声を掛けてきて、えりなはそれに悲しげな笑みを浮かべることで返事をする。大丈夫だと、そういう意思表示を込めて。

 

「また会えるわ……きっと」

 

 そう、信じて。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから数日――恋が遠月を去った後も、学園生活を続いていく。

 えりな達はしばらく胸にぽっかり穴が開いてしまったような感覚があったものの、恋はまた戻ってくるといったので、それまでの辛抱だと言い聞かせて、普段通りに過ごしている。

 夏休みの間に選抜のルールとそのお題も発表され、それに対する試行錯誤に忙しかったのも、そういったマイナスなことを考えずに済んだ理由の一つだろう。

 

 そうして創真達が選抜に向けて四苦八苦している中、恋はと言えば―――……。

 

「そっち、作業終わってるか?」

「はい、あとトマト、アスパラ、玉ねぎの下拵えも終わってます」

「よし、次そっちの下処理頼む」

「了解です」

 

 城一郎と共に様々な場所を巡って料理を作っていた。

 恋の長所は正確無比、一切無駄のない調理技術だ。そしてそれは誰かのサポートに入る場合、メイン料理人の料理の質を更に押し上げる性質を持つ。

 城一郎の実力が恋よりも数段上であることもあり、緋沙子と共に料理をした時ほどの底上げはないが、それでも黒瀬恋という料理人のサポート能力の高さには城一郎も感心していた。

 

 欲しい時に欲しいものが出てくるのは当然として、欲しい調理器具、調味料、香辛料といったアイテムですらもが、気づけば動線の中に設置されているのだ。調理環境が、調理工程によって次々に作り替えられていることが分かる。

 新戸緋沙子が以前合宿で錯覚したように、城一郎もまた、恋の存在を見失うほどに自分という料理人が引き立てられているのを感じていた。

 

「……よし、持って行ってくれ」

「はい」

「……さて、お疲れ黒瀬君」

「お疲れ様です」

 

 完成した料理のサーブを頼み、それが運ばれていくのを確認すると、城一郎は汗を拭う恋に労いの声を掛ける。恋もまたそれに言葉を返すが、城一郎が涼しい顔をしているのに対し、少々消耗している様だった。

 だが城一郎としては、とても目の前の少年が味覚障害だなんて思えないほど、その調理技術の高さに内心驚いている。自分が同じ年だった頃に、此処までの技術を身に付けていただろうかと思うくらいだ。

 血の滲む様な努力の結果なのだろう、と思う。

 

「正直驚いたぜ、お前本当に味覚障害なのかぁ?」

「ええ、そのせいで退学になったくらいですから」

「ハハハッ! それもそうだ……けど、俺はお前を買うぞ黒瀬君。味覚障害を持ちながらもそれほどの腕を持ってるなんて、誰にでも辿り着ける境地じゃねぇ。今は難しいかもしれねぇけど、いずれは世界がお前に気付く……そうなった時が楽しみだな」

「まぁ、そのつもりですけどね」

 

 言いやがる、と恋の背中をポンと叩いて笑う城一郎。

 それに対して、恋は恋で城一郎という料理人の凄まじさを実感していた。というのも、恋は元々城一郎のことは知っていたのだ。幸平創真の父であることまでは把握していなかったが、世界中を飛び回る料理人としてその名は知っていたし、その腕が多くの場所で買われていることも知っていた。

 だからこそ、極星寮で彼に出会えたことはとんでもない幸運だったし、こうして退学後に面倒を見てもらえるという奇跡にも恵まれたことは、本当に良かったと思っている。

 

 寮で料理を振舞った時に、城一郎は恋の実力をある程度見抜いたのだろう。寮を出てから今日を迎え、初めての現場で即サポートを任せられた。それはつまり恋にならそれが出来ると確信していたからだ。

 恋は全力でサポートに回りながら、度々城一郎の動きを観察し、そこから様々なものを学び取ろうとしている。その結果、城一郎の持つ知識ではなく発想から生まれる調理法や、それを化学反応の様に昇華させていく調理技術、そしてなにより新しいものを生み出そうとする強い開拓心は圧巻だった。

 

「(流石はかつて遠月十傑第二席にして、修羅と呼ばれた人物……生まれ持ったセンスと培われた技術、そして積み重ねた経験から来る自由な発想が、彼にしか生み出せない新たな世界を開拓している……)」

「(全く末恐ろしいな。機械並に正確な調理技術……基礎だけをひたすらに反復し続ける狂気にも似た精神がなけりゃ、こうはならねぇ……しかも、即席の相方の呼吸や動きを一切逃さず最適なサポートをする気遣いまで出来るなんざ、学生に出来るような芸当じゃねぇぞ……)」

 

 そうして互いに互いの卓越した能力に賞賛を覚える。

 

「「(凄い/凄ぇな……!)」」

 

 この瞬間、恋は城一郎を学ぶべき偉大な料理人として、城一郎は恋を自分にはない物を持った一人の料理人として、尊敬した。

 

 すると、料理のあと片付けをしようとした城一郎が、ふと気が付く。厨房で使用された調理器具の大半が既に洗われ、あとは然るべき場所へしまうだけの状態にされていることに。

 そしてハッと恋を一瞥した。

 城一郎の料理のサポートをあれだけ正確に行いながら、使用が済んだ調理器具を洗浄していたというのだ。どれだけのタスク処理能力があるというのだろうか、そう思わされる。

 

「……ハッ」

 

 思わず笑ってしまう城一郎。

 黒瀬恋の正確無比な調理技術を支えるのは、長い年月で多くのことを同時に培ってきたことで身に付いた、人並外れた並行処理能力(マルチタスク)。それを使えばこそ、他人のサポートに此処までの同時処理が可能なのだろう。

 

 感心すると同時に、城一郎はワクワクした。

 こんな料理人がいるのだと、新たな発見に高揚する自分を抑えられない。味覚障害を抱えてなかったとしても、此処まで出来る料理人はいない。寧ろ、味覚障害を抱えていたからこそ生まれた料理人が黒瀬恋なのだ。

 

「お前が成長したらどうなるのか……楽しみになってきたぜ」

 

 ぽつり、そう呟いて笑う城一郎。

 あまりの境遇から面倒を見ると言ったものの、まさかの拾い物に内心興奮が止まらない。自分とは生まれ持った才能も、性格も違うけれど、自分が認めざるを得ないほどの努力で料理人をする男―――そんな彼がどんな世界を開拓するのか、城一郎は心から楽しみだった。

 

「今日の仕事は終わりだ。だが、場所を変えてまだやるぞ!」

「え?」

「お前にも、俺の知ってることを叩きこんでやる。お前がどんな料理を作るのか、見てみたくなった」

「…………それは、燃えますね」

 

 城一郎の言葉に恋の心にも熱が生まれる。

 それもそうだろう――尊敬する料理人から、その技術の全てを教えてもらえるというのだ。隅々まで学び取ってやろうと思うのは、当然のことである。

 

 特に、こと黒瀬恋に関しては、その想いだけで此処までやってきたのだから。

 

「選抜でまた成長するだろう創真達に負けねぇよう、お前も頑張らなくちゃな」

「望む所ですよ、城一郎さん」

 

 創真達の知らない所で、黒瀬恋もまた――成長していた。

 

 

 

 




次回から恋君は一旦不在のまま、選抜戦に入っていきます。
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二十六話

感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。
前回は文章がリピートしていたらしく、すぐにご報告していただき本当に助かりました汗
今後ともどうかよろしくお願いいたします。


 激動の夏休みが過ぎ去り、恋の復帰に対する行動はともかく、選抜への対策と己の腕の研鑽に費やしてきたその結果を披露する時がやってきた。

 

 遠月学園―――"秋の選抜戦"の予選当日である。

 

 この予選では、終業式の時点で公開された六〇名の選抜メンバーをA、Bの二グループに分け、その中で上位四名が選抜本選へと進むことが出来る仕組み。要はA、B両グループから勝ち抜いた八名での決勝トーナメントとなるわけだ。

 そして予選のお題は―――『カレー』

 幅の広い料理である以上、そこに自分なりの回答を表現することは難しいテーマだ。そして使用する香辛料、調理方法、具材、カレーの種類など、選択肢が無数に存在する料理であり、尤も優劣の付けやすいテーマでもあった。

 

 予選会場には既に大勢のギャラリーが集まっており、数多くの生徒に加えて、外部からやってきた出資者や著名な料理人、遠月グループの人間の姿もある。過去えりなが創真に説明したように、一年生にとって初めて外部に己の実力をアピールすることの出来る場だということが、嫌でも理解出来た。

 

「うおー……でっけー建物だな……にくみと食戟した会場の何倍あんだろ。マジでこんなところで料理すんのか?」

 

 そんな中、創真は自分がこれから料理をする会場の大きさに驚いていた。水戸郁美と食戟をした際に使った会場も中々大きかったのに、此処はその比ではない。遠月という名前が持つ力の大きさを改めて実感する。

 そして久しぶりの遠月学園の空気を感じ、その変化にも気が付く。まるでこの場が戦場に変わったかのように刺すような緊張感が走っており、食戟以上の熱が此処に集まっているような空気を感じる。

 

「(本当に何もかも違う……会場の規模や客席の数、それだけじゃねぇ……漂ってる空気が張り詰めてるみたいだ)」

 

 創真はその空気に対し、そんな感想を抱いた。

 

「よう、幸平……微かに手にスパイスの匂いが染みついている……少しは勉強してきたみたいだな」

「おお、葉山。へへ、まぁな」

 

 そこへ声を掛けてきたのは、銀色の髪に褐色の肌を持った美男子。彼も選抜メンバーに選ばれているらしく、その手には調理道具の入ったバッグがある。

 

 彼の名前は葉山アキラ―――創真が夏休みの間に出会った男だ。

 

 お題が『カレー』であることを受けた創真は、夏休みの間にふみ緒のアドバイスで遠月内のゼミの一つ、『汐見ゼミ』を訪れた。其処に偶然居合わせたのが彼だ。

 汐見ゼミに講師として存在していた汐見潤という女性のサポートで、通常二年生からであるはずのゼミに一年生ながら在籍していたほどの男である。

 そしてふみ緒に聞いた所、そこの教授である汐見潤は元々極星寮のOGで、創真の父である城一郎の後輩に当たる人物だったらしく、カレーや香辛料の研究者として当時からその辣腕を振るっていたのだそう。創真と葉山が出会ったのは、その汐見潤にアドバイスを貰おうとやってきた際の出来事だった。

 

「お前にとびきり美味いカレーを披露してやろうと思ってな」

「ふん……まぁ、香りのことに関しちゃ――俺に敵う奴なんていやしねぇけどな」

 

 それじゃ、と言い残して葉山アキラは先に会場へと入っていく。

 

「幸平君……貴方、葉山君と知り合いだったのね」

「薙切? おお、夏休みの間に知り合ったんだ」

「そう……彼は同学年の中で唯一、神の舌に匹敵する才の持ち主として注目を浴びている生徒。その卓越した嗅覚は目を閉じていようが、香りだけで複数のスパイスを嗅ぎ分けることが出来るほど鋭敏……まさしく香りにおいて右に出る者はいないほどのスペシャリスト。お題がカレーである以上、彼の本選入りはまず間違いないでしょうね」

「ああ、とんでもねぇ奴だよ」

 

 そこへ話しかけた来たのは、薙切えりなだった。

 彼女は十傑であり、この選抜戦には参加しないのだが、当然運営サイドとしてこの予選を見守る義務はある。それに極星寮の女性陣とは少なからず交流を深めたわけで、秘書である緋沙子も参加している以上は、運営でなくても観戦に来るのは当然だった。

 そして葉山アキラについてはえりな自身も注目しているらしく、強敵であることを創真に語るえりな。香りの達人である彼にとって、カレーはまさしく得意中の得意料理。まず敗北はありえないと予想していた。

 

 とはいえ、幸平創真のことを認めていなかった彼女が、どうしてこう親しげに創真に話しかけてきたのか。二人について知っているものからすれば、そこには少々違和感が残る。

 

「それより幸平君、例の件忘れていないでしょうね?」

「ん、ああ勿論忘れてない」

「ならいいわ……まぁ、貴方も選抜に選ばれた以上は精々無様な品を晒さないよう努力するのね」

「薙切は前に俺は選ばれないって言ってたけどな」

「うるさいわね! 私は今でも認めてはいないわ! ふん、ごきげんよう!」

 

 どうやらえりなは創真に対し何かを確認しに来ただけの様で、その確認が済めばさっさと離れていく。創真から一言からかわれたものの、少し憤慨する程度でさっさと会場へと姿を消した。

 創真が確認された『例の件』。それは当然の如く、黒瀬恋についての件だろう。えりながわざわざ創真に話しかけることがあるとすれば、それしかない。

 

 この夏休みの間、えりなは毎日の様に恋と連絡を取り合い、学園全体が選抜戦への動きを見せる裏で行動を開始していた。それは創真達も同じで、えりなを通じて恋からの指示が下れば、出来得る範囲で動いていたのである。

 とはいえ、学園内にいる者もいれば自宅へ帰省する者もいる以上、その行動にはある程度限界があったのだが。

 

「創真君!」

「おう、田所! 久しぶりだな、どうだった夏休みは」

「う、うん、私なりに準備してきたつもりだけどっ……!」

「そっか、ならお互いに頑張ろうぜ」

 

 すると、そこへ今度は田所恵が駆け寄ってきた。後ろには吉野や榊たち極星寮の同級生たちもおり、久方ぶりの集合に創真のテンションもあがる。皆選抜に向けて相応の準備をしてきたのだ。此処からは同じ寮の仲間でも、競い合うライバルになる。

 

「幸平! どうやら勝負の決着を付ける時が来たようだな!」

「おお、タクミぃ。相変わらず元気だなぁお前」

 

 そして更にそこへ、合宿中に一方的にライバル関係にされたイタリアの料理人であるタクミ・アルディーニが弟のイサミを連れて突っかかってきた。恋はタクミと面識はなかったものの、創真と同じく祖国に店を持つ兄弟であり、その実力も創真と張り合うほどのもの。学内の噂では、創真同様その名前も広く知れ渡っていた。

 この兄弟は強化合宿中の課題で創真と恵のペアに対し、料理勝負を仕掛けたようだが、勝負は着かなかった過去がある。その結果に本人は納得していないようで、それ以降こうして創真に何かと競争心を燃やしているのだ。

 

「ライバルとして互いに選抜に選ばれた者同士、此処でハッキリと実力差を見せつけてやる」

「おお、俺も負けないぜ……ところで隣のは誰だ?」

「ん? 誰って、イサミに決まっているじゃないか」

「えええー……」

 

 余談ではあるが、創真が強化合宿にてこの兄弟と出会った時弟のイサミはかなり丸く太っていたのだが、夏休みデビューとばかりにすらりと痩せた姿になっていた。タクミ曰く、夏バテで夏は毎年こうなるらしい。

 

 

 ◇

 

 

 さて、こうして役者も揃ってきた所で、選手たちも全員が会場入りする。

 秋の選抜とはいえ未だ暑い気温の中、会場の中は凄まじい熱が渦巻き、灼熱かと見紛う程の熱さに包まれていた。無論料理に影響しないように空調が効いているので、その熱さは室内温度の上昇による暑さではない。

 単純に、交錯する闘志が炎となり、熱を錯覚させているだけだ。

 またこの会場の中に沁みつくような純粋な意思の様なものが、創真達選抜メンバーの心にせっつく様な力を持っていた。

 

 そして、いよいよ秋の選抜戦が始まる。

 

《―――ご来場の皆様、長らくお待たせいたしました。会場前方のステージをご覧ください。開会の挨拶を、当学園総帥より申し上げます》

 

 場内に響くアナウンスと共に、会場内のステージに学園総帥である薙切仙左衛門が堂々たる佇まいで前に出た。食の魔王と呼ばれるに相応しい迫力と、大木の様な重厚感を感じさせる雰囲気は、まさしくこの場を制する者に値する人物と言える。

 

 

「……この場所の空気を吸うと、気力が心身に巡っていくのが感じられる。当会場は通称"月天の間"、本来は十傑同士の食戟でのみ使用を許される場所なのだ!」

 

 

 数秒無言で立つ仙左衛門に静まり返る会場。そうして生み出された沈黙の中、滔々と深みのある声が言葉を紡いだ。

 十傑同士の食戟でのみ、使用を許される場所。

 それが意味することを分からない生徒は、この場には一人だっていない。メディアを通した中継でこの会場を見ている全ての人間を含めて、この会場の神聖さを理解する。

 

「それ故に、歴代第一席獲得者へ敬意を込め……肖像を掲げるのも伝統となっている」

 

 仙左衛門が差し示した先で、歴代の第一席達の肖像が並んでいた。その中には堂島銀や四宮小次郎といった、創真達も顔を知っている料理人達の若かりし頃の顔もある。

 それらは全て、かつてこの遠月学園の中で鎬を削り、そして頂点を勝ち取った者達。そこに対する敬意を持たずして、この会場を使う資格はない。

 

「数々の名勝負と、数々の必殺料理(スペシャリテ)が此処で生まれた。諸君らも感じているだろう……だからこそ此処には漂っているのだ、(おり)のように―――連綿と続く(たたか)いの記憶が!!」

 

 選抜メンバーだけでなく、この場にいる全ての人間が理解する。

 今この会場で自分たちの心をせっつく様な未知の力は、この会場で連綿と紡がれていた料理人たちの魂と情熱の残滓なのだと。そしてまた、その歴史の一部となる新たな戦いの始まりに、今立ち会っている。

 

 今日この日はきっといつかの未来で歴史となっているだろう。今並んでいる肖像画の数を増やし、この選抜メンバーの誰かが第一席として名を連ねているのかもしれない。

 けれど今この時、この瞬間だけは―――この時間が料理界の最先端である。

 最も新しい料理界の歴史が、今此処で紡がれるのだ。

 

「そして秋の選抜本戦はこの場所で行われる」

 

 それは予選を突破した生徒だけが、この舞台に立てるという事実。十傑同士の食戟でしか使用を許されない会場で戦うことが許される……それはつまり、この先で十傑になる可能性がありしと認められるということ。

 それだけの価値を秘めた原石同士の戦いを期待されているということだ。

 重圧であり、誇らしいことであり、料理人として最高の賞賛である。

 

「諸君がここにまたひとつ新たな歴史を刻むのだ! 再びこの場所で会おうぞ! 遠月学園、第92期生の料理人たちよ!!」

 

 そしてその言葉と共に仙左衛門の挨拶が締められる。

 歓声が上がり、会場のボルテージは最高潮。

 高まった熱が冷めやらないままに予選のルール説明が行われ、それぞれのブロックごとに別の会場に移動しての予選開始となる。

 

 勝負は一時間後―――両会場で同時に開始されるのだ。

 

「……元気そうで良かった」

 

 そして、そんな盛り上がった会場の隅に、黒瀬恋はいた。

 城一郎に付いて各国を巡りながら料理の腕を磨いていた恋だったが、秋の選抜予選が始まるということで、本選が終わるまでの間応援に行ってやれと送り出されたのだ。勿論、恋を退学にした叡山達の目もあるので、大っぴらに素性を晒すことは控えなければならないのだが、それでも久々に見た創真達の元気そうな顔に笑みを浮かべてしまう。

 髪をいつもと違う髪型にセットして、うっすら色のついた眼鏡を付けることで印象を変えている恋。帽子にマスクも考えたのだが、生徒たちの他にこの会場にいるのは、誰もかれもお忍びで来ているモデルや芸能人といった著名な人物や出資者といった富裕層の人々だ。であれば、そういった人に扮装する方が余程目立たずに済むと考えたのだ。

 

 今の恋は、すらっと高い背と整った顔立ちを最大限利用して作り上げた、芸能人を装った男性である。オーバーサイズのアウターと足のラインが見えるスキニー、そしてハイカットのスニーカーを履くことで、ぱっと見韓流アイドルの様な雰囲気を醸し出すことに成功していた。

 この姿であれば、よほど恋のことを考えている人間でない限りは黒瀬恋だと気付くことは出来ないだろう。

 

「さて……」

 

 会場を移すということで、恋も混雑しない内に外へと出ようとした。

 周囲の何人かに注目を浴びているものの、黒瀬恋だからではなく、純粋にあの芸能人誰だろうといった視線なので放置。

 

 すると、正面に薙切えりなの姿を見つけた。

 

 十傑の賓客席にいたのだろうが、此処にいるということは賓客席でも出口は一緒らしい。とはいえお忍びなので話し掛けるわけにもいかず、隣を通り過ぎようとする恋。図らずともえりなが元気でやっている姿も見られたので、それでよしとするつもりだった。

 

「っ!? ―――ま、待って……!」

「!」

 

 しかし、通り過ぎようとした瞬間、えりなは反射的にといった様子で恋の手首を掴んだ。何かを感じたのか、直感的に手が出てしまったような様子だった。

 驚いた恋は思わず蹈鞴を踏んで、その結果色付きメガネがスルッと顔から落ちていく。幸い落ちる前にキャッチ出来たものの、えりなは眼鏡の取れた恋の顔をしっかりと目撃した。

 

「恋……君……」

「―――ハハ……まさかバレるとは思わなかったな。久しぶり、えりなちゃん」

 

 がやがやと騒がしい会場内で、えりなの耳は愛しいその音だけを、聞いた。

 

 

 




始まった選抜本選、その裏で動く幾つもの思惑。
果たして無事に選抜戦は終わるのか。

次回、夏休み中のえりなと恋君のいちゃいちゃ。
感想お待ちしております✨



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二十七話

今回は本編時間軸から少し前のことです。
いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 ◇ ◆ ◇

 

 夏休みの間、恋と離れ離れになってしばらく―――選抜予選当日まで残り一週間となった頃のこと。各々が選抜に向けて様々な努力と準備を進めている中、薙切えりなは見るに堪えない姿へと変わっていた。

 自室のベッドの上で体育座りをしている彼女。以前の凛とした高貴さなど消え失せたかのように枯れ果て、しおしおになっている姿がそこにあった。傍に控えている緋沙子は正直、どうしたものかと心底困ったような顔をしている。

 

 無論、人前に出る際はいつも通りキリッとした姿を見せている彼女だが、夏休みも中盤を越えた頃から、部屋に戻り人目が無くなるといつもこんな調子になっていた。

 

「あ……あ……」

「(某カオナシみたいになってる)」

 

 しゅんと縮こまったえりなから度々漏れる掠れた声は、まるでどこかの温泉郷にいる仮面さんのようだった。緋沙子としては、毎日毎日こんな状態のえりなの世話をするのは、中々に一苦労である。

 そもそも恋がいた頃は会えない時間があってもこうはならなかったし、いなくなってからは毎日のように恋と連絡を取り合っているというのに、どうしてこうなるのか理解出来ない。何が彼女をこんな状態にしているというのだろうか。

 

 緋沙子は最早慣れた手付きでえりなの制服を脱がせ、部屋着へと着替えさせていく。幸い着替えには素直に協力してくれるので、着替えにさほど労力はいらない。ただし着替え終わると再度体育座りでしおしおになる。まるでデフォルメされたように二頭身の萎れたえりなを幻視するが、現実逃避に違いなかった。

 

「えりな様……どうしてそんなに枯れ果ててるんですか? 恋とは頻繁に連絡を取っているのですよね? 昨日だって夜遅くまで電話していたじゃないですか」

「…………そんなの分かってるわよ……でも、遠いのよ」

 

 えりなは合宿が終わってからというもの、恋との間に途方もない距離を感じていた。彼が自分に掛けてくれた時間と、人生を費やすほどの覚悟を受けて、何も返せない自分に気が付いてしまったから。

 恋はあれほどまでに自分に近づいてきてくれているというのに、えりなはどこまでも恋が遠いと思う。恋の隣にいられるだけの覚悟も勇気も持ち合わせていないから、その距離が途方もなく遠い。

 そんな胸中を抱えている最中で、えりなは恋が退学になったあの日、恋から告白された。

 恋に好きだと言われた時、えりなの心に浮かんだのは幸福と悲しみ。ただ自分も好きだと言うだけで恋の隣に居させてもらえると思う反面で、恋の気持ちに何も返すことの出来ない自分が隣にいる資格などないという罪悪感を抱いてしまったのだ。だからあの時、えりなは自分の気持ちを言葉にすることが出来なかった。

 

 そうして退学になり、学園から姿を消した恋。

 

 結果、えりなの心には色々な後悔ばかりが残ってしまったのである。

 ただでさえ遠いと思っていた恋との距離。それが物理的にも大きく開いてしまった今、えりなの心は後悔と寂しさで押し潰れてしまいそうだった。

 

「電話で恋君の声を聞く度に実感するの……ああ、私は幸せ者なんだなと」

「良いじゃないですか。それだけ想われているということでしょう?」

「でもだからこそ、恋君に尽くしてもらうばかりで何一つ返さないでいる私って……凄く嫌な女じゃない……?」

「……」

「何か言ってよ」

 

 緋沙子はえりなの言葉を聞いて、確かに、と思ってしまったので、何もフォロー出来なかった。今までのことを思い返しても、恋がえりなに対してストレートに気持ちをぶつけていたことはあれど、えりなの方が恋に何かしているところは見たことがなかったからだ。

 恋が他の女子生徒から人気を得た時も、部屋で嫉妬心を募らせるばかりで、緋沙子が連れださなければ会いに行くことも出来ない主人。

 確かに尽くしてもらってばかりで何も返せていない。

 

 緋沙子はえりなの気持ちを知っているから可愛らしいものだと思えるが、何も知らない他人から見たら、単に好意を持ってくれている恋をキープしているだけの女に見えなくもない。言葉にするととても聞こえの悪い悪女である。

 

「ま、まぁ……最近はえりな様も恋の復帰の為に色々行動しているじゃないですか!」

「恋君が考えたことですけどね」

「で、でも恋からの連絡はなにより優先しているじゃないですか!」

「恋君が時間帯を考えて連絡をしてくれてるだけよ。実際いつも同じ時間帯にメールがくるもの」

「ぐ……で、でも恋と連絡を取り合ってるのはえりな様だけで!」

「他の人とも頻繁に連絡を取っていたら、叡山先輩やその裏にいる人に勘付かれるから私に絞っているだけでしょう? やろうと思えば私以外とも連絡は取れるわ」

 

 萎れているくせに無駄に頭の回る主人に言葉が出なくなる緋沙子。

 どうもこの状態になった主人には、どんなポジティブな言葉もネガティブに変換できるらしい。これ以上は何を言っても倍になって打ち返される未来しか想像できなかった。

 すると、今度は萎れたえりなの方から追撃がくる。

 

「それに……よくよく思い返したら、緋沙子も私より先に恋君のこと下の名前で呼んでいたし……アリスなんて恋君と下の名前で呼び合ってるじゃない……べたべたくっ付いているし」

「う……そ、それはアリス嬢が恋と名前で呼び合おうと言い出したので、私もそうすることでえりな様も名前で呼び合える切っ掛けになればと思って……」

「その割に緋沙子の方からは切り出してくれなかったわね」

「ぐぐぐ……」

 

 スルーしていたから気付いてない、もしくは気になっていないのかと思っていたのだが、今更になってねちねち攻撃してくるえりなに緋沙子は冷や汗を流しながら言い訳する。だが半ば八つ当たり状態のえりなには一切通用しなかった。

 原因が何かと言われれば、単にえりながヘタレていただけのことなのだが、面倒でも主人には違いない。緋沙子は甘んじてその詰りを受け入れた。

 

「そういえば……この前の連休では恋君の姿を見かけなかったけれど」

「あ、ああ……確かアリス嬢と一緒に薙切インターナショナルに……あ」

「…………アリスと、二人きりで?」

「……はい、学園にいた黒木場に聞いたので……おそらく」

「アリスと二人で……海外旅行……しかもアリスの実家があるデンマーク……二人きりで……私を置いて……二人きり……」

「い、いや、ですが薙切インターナショナルの分子ガストロノミーに関する設備を使用させて貰うためにアリス嬢に同行を頼んだだけで、きっと恋に他意はないかと!」

「……けれど連休中はずっと一緒に生活していたのは確かでしょう?」

「そ、それは……」

 

 体育座りから不意に立ち上がったえりなは、おもむろにスマホを操作してどこかに電話を掛ける。三回ほどのコール音の後に、その電話は目的の相手に繋がった。

 画面に表示されているのは、薙切アリスの名前である。恋に退学を言い渡したあの日、極星寮で大騒ぎした際に強引に交換させられたのだ。あの時は何を勝手にと思ったものだが、こうなると交換しておいて良かったとすら思う。

 

『はーい♪ こちら薙切アリスですけど? えりなの方から電話なんて珍しいこともあるものね』

「アリス……前の連休中に恋君と一緒にデンマークに行っていたって本当かしら?」

『なぁに? 確かに恋君と一緒にデンマークに行ったけど、それがどうかしたの?』

「……」

『あっ! もしかして焼きもち? いやねぇ、確かに恋君と一緒にデンマークに行ったけれど、あくまで分子ガストロノミー研究の設備を使いたいからってだけで、何もなかったわよ?』

「……そう」

『まぁ恋君は私の実家に泊まったし、お母様にも気に入られたり、夜遅くまで私といっぱいお話したり、空いた時間ではデンマークをデートしたりしたけれど、あくまで友達の範疇だし、ぜーんぜん、何もなかったわよ♪』

「……」

『あれー? えりな? どうしt―――』

 

 プツッと電話を切った。

 そしてアリスの連絡先を迷いなく消去する。

 電話をポイッと投げ捨ててうつ伏せに枕に顔を埋めるえりな。反対にそのすらりと長い足をベッドにバタバタと叩きつけている。かなりイライラしているらしく、時折声にならない荒い呼吸音が枕の端から漏れ出していた。

 

「フ゛ーーー!! フ゛ーーー!!!」

「え、えりな様! 落ち着いてください!」

 

 枕に顔を埋めた後頭部に怒りマークがでかでかと浮かんでいるのが分かる。足先がベッドを叩いては、あまりの力に大きなベッドがギシギシと音を立て、そのスプリングを軋ませていた。

 電話の向こうにいたアリスは普段通り、特にこれと言って何も考えずにえりなを煽ったのだろうが、タイミングが最悪だったらしい。そのコミュニケーション能力の高さから、電話の向こうにいるえりなの感情を正確に汲み取って的確に地雷を踏み抜く手腕は見事。しかしこの時ばかりはアリスの空気を読まない性格を恨む緋沙子。

 

 尻ぬぐいはいつだって苦労人である緋沙子の役割なのである。

 

「このっ!! このっ!!」

「やめてくださいえりな様! 枕をスマホに叩きつけるのは!!」

「ぐぎぎぎぎ!!」

「枕を破こうとしないでください! 散らかった羽毛の処理は面倒です!」

「ん゛ーーー!!」

 

 あまりのストレスに色々と暴挙に出るえりなを、緋沙子は必死に止める。そんな状態でも緋沙子の注意に素直にその行動を止めるのは、えりなの素直な一面だろうか。

 そうやって緋沙子に注意された結果、何も思いつかないのか四つん這いになって拳をベッドに叩きつけるしか出来なくなったえりな。唸り声を上げてぽすぽすと弱々しい拳をベッドに叩きつけるも、全くストレスは解消されない。

 

「なんなのよ!! 緋沙子もアリスも私の知らない所で皆恋君と仲良くして!! 私の恋君よ!!」

「おお……えりな様がついに独占欲にお目覚めに……」

「恋君も恋君よ、私のことが好きなら私だけ見てくれたら良いじゃない! 分子ガストロノミーについての知識くらい私だって教えられるもの! 不用意に誰にでも優しくして!」

「知識ではなく設備を使いたかったのでは……」

「うるさいわよ緋沙子!」

 

 そしてピークに達したストレスにいよいよ耐えらえなくなったのか、語気を荒くして文句を言いだすえりな。萎れていたのが嘘の様に元気になったえりなに、緋沙子の精神は悟りの域に達したらしい。夏休み中盤から毎日毎日萎れたえりなの世話をしていたのだ、いい加減悟りたくもなる。

 嫉妬心と独占欲を剥き出しにしたえりなが、恋の周りに女子がいる状況や、誰にでも優しい恋に対して文句を言い、その度にぽすぽすとベッドを叩く。埃が舞うが、最早緋沙子にはその程度で動じぬ精神力が身に付いていた。

 

「はぁ……はぁ……!」

「……えりな様、そこまで恋のことを想っているならうだうだ考えずにそう伝えればいいじゃないですか」

「それは……そう、ですけど……」

「恋が他の女子生徒と仲良くしていると嫌だと仰るなら、きちんと恋人関係になって嫌だと主張すればいいのです。誰にでも優しいことが面白くないのであれば、えりな様にはもっと優しくしてくれと主張すればいいのです。それくらいの我儘なら、恋は受け入れてくれるでしょう」

「……緋沙子、貴女まるで恋愛経験豊富な人の言い分ですけど……恋人がいたことがあるのかしら?」

「……………いたことありませんけど?」

「説得力がないじゃない」

 

 しかし、そんな動じぬ精神力で悟りの境地に至った緋沙子が優しく諭すも、悟った所で恋愛経験のない人間の言葉はやはり説得力が障子紙レベルだった。えりなの心には一切響かない。

 

 すると、不意に枕の攻撃を受けていたスマホが着信を告げた。

 

 誰だと思いながら画面を見てみると、そこには黒瀬恋の名前が表示されている。

 イライラしていたのが嘘の様に表情が明るくなったえりなは、すぐに通話ボタンをタップして電話に出た。

 

「も、もしもし薙切です」

『ああ、黒瀬だけど……今電話大丈夫だった?』

「ええ! 部屋で休んでいたところだったので……どうかしたのかしら?」

 

 恋の声を聞いて、自分の髪をくるくると指で弄りながら嬉しそうな顔を押し隠すえりな。目の前に緋沙子がいるからだろう、辛うじて取り繕った表情と溢れ出る喜びのオーラが見事に拮抗していた。

 先程えりなが言っていたように、普段は決まった時間に連絡を寄越す恋だったのだが、何故か今日は唐突の連絡だったらしい。えりなも心の準備が出来ていなかったのか少し声が上ずっていた。

 

『いや、そっちは多分夕方くらいの時間帯だと思うんだけど……今ニューヨークに居てさ、時差の関係でこっちは深夜なんだよ。それで……』

「それで……なに?」

『…………いや、少し声が聞きたくなっただけだ。特に用はなくて』

「! ……そ、そう……そうなの……ふーん……」

 

 電話の向こうで恋はニューヨークにいるらしく、どうやら時刻は深夜らしい。だからだろう、夜にえりなの声が聞きたくなったという理由で電話を掛けてきたようだ。夕方であることを考慮したようだが、それでも突然の電話に恋も少々迷惑かどうか気にしていたらしい。

 

 だが、えりなからすればそんなことは些末な問題だった。

 寧ろどこまでもネガティブだった心が一気に絶好調になるほどの幸福を感じている。緋沙子が前にいるというのに頭上に花が咲いたような笑顔を浮かべていた。

 

「じゃ、じゃあ……仕方ないですねっ……少しお話、してあげましょうか?」

『ああ、ありがとう』

「いえ、私もその……ごにょごにょ」

『え? ごめん、ちょっと声が遠くて聞こえなかった』

「なんでもありませんっ!」

 

 先程緋沙子に言われたことを考慮して、多少素直になろうとしたものの、一度で伝わらなかった場合、二度目を言う勇気はなかった。結局、素直になれないままの自分を出してしまう。

 

『ははっ、そっか』

 

 だが、それでも恋は笑ってえりなのツンとした態度を受け入れてくれた。

 それが嬉しくて、えりなは無意識に頬を緩ませる。幸せそうに頬を紅潮させた表情に、緋沙子も不思議と嬉しくなった。

 えりながどんなに距離が遠いと感じているとしても、緋沙子からすればこの二人は深い所で繋がっている。何も心配する必要はなかった。

 

『じゃあ、今日あったことでも話そうか』

「ええ……あ、恋君」

『ん?』

「前の連休でアリスとデンマークに行ってた件について、詳しく訊かせて貰ってもいいかしら?」

 

 それはそれ、これはこれであった。

 

 




ツンデレの嫉妬で出てくる本音は可愛いと思います。
今回を踏まえた上で、次回本編時間軸へ戻ります。

感想お待ちしております✨



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二十八話

 あの後、偶然会場で出会ってしまった恋君と私は学園内の一室へとやってきていた。

 選抜予選が始まっている今は校舎内に人っ子一人おらず、私達のいる一年生の厨房室も誰一人いない。それほどまでに秋の選抜が注目を集めているということなのでしょうけれど、今の私達にとっては都合が良かった。

 

 退学になったことで制服姿ではなく、変装の為に普段と雰囲気の違う衣装に身を包んだ恋君。久しぶりに直接会うというのもあって、普段の数倍くらい新鮮な姿に見えた。今まではいつも落ち着いていて静かな雰囲気の彼だったけれど、こうして韓流アイドルやモデルのようなファッションに身を包むと、かなり刺激的な雰囲気というか、ビリビリとした電撃のようなオーラがある。

 端的に言えば、とても格好良かった。

 

「……その、来ていたのね、恋君」

「ああ、城一郎さんが応援くらい行ってやれって」

「そう……一ヵ月半程度だったけれど、なんだかもう随分長い間会ってなかった感じがするわ……毎日連絡を取っていたのにね」

 

 応援にきたという恋君に、内心少しほっとしている。

 このタイミングで学園を訪れた理由が、また暗澹とした理由でないか少し不安だったからだ。夏休みの最中にも、私達は恋君から送られてきた指示に何度か動いていたけれど、それが決定的に恋君の退学を白紙に戻す働きにはならなかった。必要なことなのでしょうけれど、早い所戻ってきて欲しい私としては、少し不服である。

 とはいえ此処で会えるとは思っていなかったので、思わぬサプライズだった。

 

 私の言い分に苦笑して見せた恋君の表情は、衣装の雰囲気は違ってもいつもの恋君で、私もつられて笑みを浮かべてしまう。

 

「もう予選が進んでる頃か」

「そうね……まぁ二グループそれぞれ三十名はいるのだし、まだまだ時間は掛かるでしょうけどね」

「一人一人料理して審査していくのか?」

「いいえ、広い調理場で同時にお題であるカレーを調理し、制限時間が過ぎた段階で順次審査していく方式よ。だから自分の前の人の料理が評価に影響する可能性もあるし、審査員も美食家として数多くの料理を食べてきた方々ばかりだから、選抜メンバーでも並の料理を出せば即座に最低評価を付けられるでしょうね」

「なるほど……逆に考えれば、初手で強烈なインパクトを叩きつければその他の品を全て潰せるわけか。選抜というだけあって、純粋に実力勝負になる良い審査方法だな」

 

 選抜の予選では選ばれたメンバーの料理が全て点数で評価される。その中で上位四名が本選出場。決勝トーナメントでは食戟と同じ様な形式で戦っていくことになる。

 緋沙子や水戸さんは私も腕を知っているし、相応の高得点を叩き出すでしょうけど、その他はどうかしら。葉山君やアリスなんかも強敵かしらね。

 まぁ、もしも私が出場していたのなら、全員まとめて蹴散らす自信があるけれど。

 

 恋君が出場していたらどうだったかしら?

 ……そもそもの調理技術は一年生の中じゃトップクラス……いや、全学年を合わせても一二を争う技術を持っているでしょうし、それだけでもきっと高得点を引き出すでしょうね。そこから彼の持つ知識からどれだけの工夫が加わるかが肝でしょうけど……彼ならなんだかんだどうにかしてしまいそうね。

 

「極星寮の皆はどうなるかな」

「気になるなら観に行きますか?」

「ん、まぁ応援に来たから観に行こうとは思うけど……少しだけ休憩していこうかな」

「……そう」

 

 椅子を二つ持ってきて一つに座る恋君の意図を察して、私も隣に座る。

 そう、久々に会ったのだから、少しくらいゆっくり話をしたっていいじゃない。緋沙子には少し申し訳ないけれど、ちょっとだけ二人きりで過ごすことを許して欲しい。今日が終わったら、また会えなくなる日々が始まるのかもしれないのだから……ちょっとだけ。

 

「寂しいのって……こんなに苦しいのね」

「ああ、俺もそう思うよ」

 

 ―――ちょっとだけ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから少しだけ二人きりで過ごした後、恋とえりなは一緒に予選会場へとやってきていた。やってきたのは緋沙子のいるBブロックの会場で、二人が到着した時には既に審査が始まっていた。

 下の方から順位を見れば、33点だったり、0点だったり、かなり低い点数が多く続いていき、80点台を越えた上位陣とは極端な評価が目立っている。選抜メンバーたちのいる厨房スペースに目を向ければ、それぞれ数々の工夫と得意分野を活かしたカレーを完成させており、色とりどりのスパイスの香りが観客席にまで伝わってきている。

 

 現在評価が決まっているだけの順位を見ると、Bグループの順位はこうなっていた。

 

 1st:新戸緋沙子 92点

 

 2nd:タクミ・アルディーニ 90点

 

 3rd:北条美代子 87点

 

 3rd:イサミ・アルディーニ 87点

 

 5th:吉野悠姫 86点

 

 ・

 ・ 

 ・

 

 上位ともなればかなりの高得点を叩き出している者ばかりだ。

 前後の料理によって評価にも影響が出るので、点数が純粋に実力差ということにはならないが、それでも美食家として舌の肥えている審査員達を前にこれだけの高得点を叩き出すのは相当の腕がなければ不可能。

 上位四名が本選出場ということならば、現時点ではイサミまでの生徒が本選出場ということになるのだろうが、まだ目ぼしい生徒は残っている。

 その証拠に、次は薙切アリスの出番だった。

 

「緋沙子の出番には間に合わなかったわね……悪いことをしたかしら」

「まぁこの分じゃ本選出場は確実だろうし、本選ではしっかり応援してあげないとな」

 

 そう言ってアリスのサーブを見守る二人。

 分子ガストロノミーの申し子である薙切アリスの料理―――普段のアリスの様子からは想像も付かないが、彼女の脳内には複雑な化学によって構築される料理がいくつも存在している。

 薙切えりなを超えると言った彼女が料理人としての顔を見せた時、その迫力は並の生徒を大きく凌駕していた。

 

 彼女が出してきたのは、カレー料理には到底思えない見た目の料理。緑色の植物を模したような形状をした何かで彩られた皿には、同じく緑色のソースが添えられており、中心には肉なのか、カレーの何かを結晶化したようなものなのか、鮮やかな赤茶色の固形物が存在していた。

 アリスの使っていた厨房を見れば大掛かりな機材が大量に並んでおり、最先端の分子ガストロノミー機器を使ったことが理解出来る。

 恋はそれを見てアリスの料理に使われた技術に関して当たりを付け、アリスの料理が高得点を出すだろうことを評価の前に悟った。

 

《薙切アリス選手―――95点! 暫定一位に躍り出ましたぁーー!!》

 

 結果は見ての通り、アリスは緋沙子の92点を抑えて一位に躍り出て見せる。

 流石は薙切の血統であり、分子ガストロノミーにおける天才少女。十傑入りに最も近いと呼ばれるほどの傑物。その実力を遺憾なく発揮した結果だった。

 恋とえりなはそんな結果を見て、どちらからともなく各々思ったことを共有する。

 

「……食べてみないことには詳しく分からないけれど、あそこにある機材を見れば少なくとも四種類以上の分子ガストロノミー技術を使用している……その腕でアレだけの品に纏め上げるのは流石というべきかしら」

「美食家として名高い審査員達が、まともに解説出来ずにただ美味いだけであの点数を付けた。明らかに常人の理解の範疇を越えた革新的なカレーであることは間違いない……同じ機材を使っても、俺では使いこなせそうにないな。流石にイメージだけであの料理の味を再現するには、分子ガストロノミーに対する学の深さが違う」

「こうなるとアリスと緋沙子、タクミ・アルディーニ君は当確として、同点の北条さんとイサミ・アルディーニ君の決選投票―――いや、もう一人」

「ああ、此処が踏ん張りどころだ……田所恵の」

 

 最早現時点での上位四名が確定かと思われるほどの結果が出ているが、最後に残った料理人が一人。極星寮の生徒であり、創真と共にあの合宿で四宮小次郎と食戟を行い、生き残った少女――田所恵である。

 恋は彼女の顔付きを見て、不意に笑みを浮かべた。

 恋が退学する前は創真に付いて歩くことで緊張を紛らわせていたような節もあったけれど、此処にはAグループの創真はいない。たった一人で戦うしかない場で、彼女の顔はしっかり覚悟を決めた表情を浮かべている。

 

 恋は理解した―――田所恵は今、一人で戦う立派な料理人だと。

 

「アレは……鮟鱇(あんこう)ね。それをどぶ汁にして、田所さんの地元の食材と共にカレーと組み合わせた料理……見ただけで人間味を感じられる、彼女らしい料理ね」

「それに、どうやら鮟鱇の"吊るし切り"をこの場でやってのけたみたいだな。鮟鱇の性質上、まな板の上では捌きづらいから生まれた特殊な捌き方だが……アレは相当難易度の高い技術がいる。それをこの場でやってのけるなんて、相応の腕がなければ出来ない」

「……今まで無名だったのが不思議なくらいね」

 

 田所恵の持つ人間味のある料理。えりなも恋が退学になった夜に極星寮で口にしたので分かる。彼女が作るそれが、技術以上に人の心を打つ料理であることを。

 それを発揮するだけのメンタルを持たなかった彼女は、今まで遠月学園で一切日の目を見ることがなかった。緊張でミスを重ね、授業では最低評価を取り、周りからの責めるような目線にどんどん自信を失っていった過去。

 

 だが創真と出会い、極星寮で試行錯誤を重ね、多くの難関を乗り越えて、今彼女は自分自身の殻を破る―――!

 

 審査員達が恵の料理を口にし、そしてその美味しさに心が癒されていく。人と人との間に生まれる温かい空間をそのまま体現したような料理に、思わず溜息を漏らしてしまうほどだ。

 

「良いなぁ……俺もあそこで料理がしたくなってしまう」

「そうね……私も貴方がどんな料理を作るのか、見てみたかった」

 

 羨ましい、素直にそう思ってしまう。

 

 

《田所恵――91点!! 三位に躍り出たぁあああ!!!!!》

 

 

 この瞬間、Bグループの本選出場者が決定した。

 薙切えりなの秘書である緋沙子を抑えた薙切アリスや、底辺から這い上がって数ある実力者を追い落とした田所恵。そんな大波乱の選抜予選に、会場のボルテージも一気に跳ね上がる。

 そうして会場が盛り上がる中で、恋はふと創真達の方が気になった。

 当然予選の戦いを真剣に見ていたし、知り合いであれば心から応援もしていた。けれど、恋はこの予選の中でとある人物を探してもいたのである。具体的に誰、というものはないが、それでもこの選抜メンバーの中にいるであろう人物。

 

「(……このグループにはいない……てことはA会場の方か、俺の経歴を調べた奴は)」

 

 そう、それは恋の経歴を調べ上げ、味覚障害に付いて密告した人物のことだった。

 恋はこの夏休みの間に色々と思考を巡らせて、叡山によって仕組まれた退学の件は、おそらく味覚障害の密告があったから出た話ではなく、それより前にそもそも決まっていた話だったのではないかと考えていた。

 そこに偶々味覚障害の密告があり、叡山がそれを利用して計画を実行したのだと。

 

 そうでなければ、叡山が恋を退学にする動機がどうしてもないからだ。

 

「(この時点で叡山の裏に別の人物がいるのは確定……それもえりなちゃんに対してかなり執着心を抱いており、料理の味が分からない者を強引にでも排除しようとする、選民思想的な思考の持ち主……)」

 

 恋はその結論に至った段階で、夏休み中に色々な手を打っていた。創真達に行動してもらうことで、諸々未来を想定した手を。

 そしてソレとは別で、恋の経歴を調べた人物の特定もしたいと考えていた。おそらくは叡山と繋がりのある生徒だろうが、恋の退学を計画していた話とは別口と考えるのなら、一年生である可能性が非常に高い。

 

 それだけ手段を択ばない人物であり、十傑の叡山と繋がっている人物ならば、当然選抜に選ばれるだけの実力があってもおかしくはない。だからこの予選はその人物を見つけるチャンスと考えていたのだが、どうやら会場が違ったようだった。

 

「……まぁ、結果を見れば分かるか」

 

 とはいえ、本選に残らない程度の実力なら放っておいても問題ないし、本選に残るのなら直ぐに特定出来る。一先ずはAグループの結果を待つことにした恋。

 

「さて、一先ずこっちは結果が出たわけだし……とりあえず一段落か」

「ええ、A会場がどうなっているかは分からないけれど……本選はこの二週間後……私は不参加だから除外するとしても、現時点での一年生最強を決める戦いになるわね」

「なるほどね……」

「まぁ、恋君が復帰した時はそれも不確かなものになるでしょうけどね。貴方も本選に出場していたとしてもおかしくないもの」

「そう持ち上げるなよ……まぁ、負ける気はサラサラないけどな」

 

 予選が一段落したことで少し肩の力を抜いて話す恋とえりな。

 分かっていたことではあるが、この秋の選抜は現時点での一学年最強決定戦でもあるのだ。優勝した者は正真正銘一年の中で最も優れた料理人という評価を得るし、そこから十傑というステージも見えてくる。

 

 えりなは恋のことをかなり買っているようだが、それでも創真達の戦いの末に頂点を獲った者こそが、この先創真達の期を象徴する人物になっていく。

 

「早く戻らないとな」

「ええ……ところで恋君、選抜が終わるまで応援するのなら……こっちでの宿は決まっているの? 極星寮からは退去したのでしょう?」

「んー、まぁその辺で宿でも取ろうかと思ってるけど」

「じゃあ……私の屋敷に泊まると良いわ」

「え、と……助かるけど、良いのか?」

「なによ、アリスの実家には泊まれて、私の屋敷には泊まれないの?」

「……じゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 

 それはさておき、どうやらアリスと一緒に一つ屋根の下で過ごしたことに関しては、未だ根に持たれていたようだった。

 

 




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感想お待ちしております✨



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二十九話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。
※念のため、障害者というセンシティブなワードを使用する以上はあった方がいいかなと思い、作品のあらすじ部分に本作を読むにあたっての注意書きを追記しました。


 選抜の予選が終わり、遂に本選出場を決めた八名が決定した後のこと。

 恋はえりなの屋敷へと招かれていた。

 遠月学園内部に用意されている屋敷であり、流石はお嬢様というべきかかなり大きな屋敷である。中に入れば内装も相応の豪華さを持っており、一見しただけでもかなり部屋が多いのが分かった。

 人目に付くのは少々避けたかったので、恋は屋敷の前で待機。えりなが予選を終えた緋沙子と合流して帰ってくるのを待っている。

 

「……! 恋!」

「ああ、緋沙子……本選出場おめでとう」

「来ていたんだな……元気そうで良かった」

 

 そしてえりなと共に帰ってきた時、屋敷の前で待っていた恋を見て思わず駆け寄ってくる緋沙子。予選のあとで多少疲れもあるだろうに、嬉しそうな表情を見せてくれる彼女に、恋も苦笑を漏らした。

 追いついてくるえりなも苦笑しており、早々に屋敷に入ろうと言って中へ案内する。緋沙子は秘書として、主人であるえりなと客人である恋の案内に努める。

 

「本人的には予選どんな感触だった?」

「そうだな……私個人としてはかなり自信があったのだが、アリスお嬢の品には驚かされたな。奇しくも二位通過となってしまって、悔しいというのが本心だ」

「そうか……まぁアリスにはアリスの、緋沙子には緋沙子の良い所がある。そこに貴賤はないが……より自分の長所を発揮したのが今回アリスだったってことだ。本戦では見返してやれ」

「当然、そのつもりだ。えりな様の秘書としても、恥ずかしくない活躍をする」

 

 そうして歩く中で、恋は緋沙子に選抜の雰囲気を聞き、緋沙子もそれに素直に返していた。恋本人としても、選抜での料理勝負に参加したい気持ちが強かったのだろう。今回の予選を見て、よりその感情が強くなったようだった。

 自分ならこうする、自分ならこんな料理を選ぶ、自分なら――そういう考えが巡ってしまうのは、やはり料理人としての癖のようなものなのだろう。

 

 ましてこの一月半、恋は城一郎と共に各国を巡っては料理をしてきた。知識も大幅に増え、様々な未知の技術を次々習得し、腕を磨いている。恋がどれほどの実力を手に入れているのか、退学したあの日から恋の料理を見ていないえりな達には分からない。

 

「とりあえず荷物を置いたら食事にしましょうか。今日は特別に私が腕を振るって差し上げます」

「え、えりな様自ら!? よろしいのですか!?」

「ええ、少し試したいこともあるのよ」

 

 すると、不意にえりなが今日の料理を自分が作ると言い出した。

 元々自分で作ることも度々あったえりなではあるが、客人がいる中で腕を振るうことは早々ない。自分の価値をしっかり理解しており、その腕を安売りするつもりはないという意思があるからだ。

 しかし今回何故えりなが自ら料理をすると言い出したのか―――その原因は、彼女の私室の中にある恋愛漫画にある。

 実際、この夏休みの間、選抜メンバーではないえりなはとんでもなく"暇"だったのだ。恋からの指示も別にそう高頻度にあるわけでもなく、緋沙子も選抜は自分の力で、というスタンスだったので、時間は腐るほど余っていたのである。

 

 そこで手を出したのが、娯楽物である漫画だった。

 そして数ある漫画ジャンルの中で、恋という好きな人がいる彼女が恋愛漫画に手を伸ばすのは、至極当然のことと言えた。

 その中で彼女がまず目を付けたのは、料理人としても興味深い恋愛テクニック。

 

 

「(男を落とすのなら―――まずは胃袋を掴む!!!)」

 

 

 だがえりなとて分かっている。

 恋という男はまともに味を感じることが出来ない。つまり胃袋を掴むというテクニックを行使するには、尤も相性の悪い相手だということを。

 しかし、合宿を終えてからえりなは常に恋に美味しいと感じてもらうための方法を模索してきた。その方法は未だ模索中ではあるが、まずは実践することで得られる情報も必要である。

 

 そしてこの相性の悪さをポジティブに考えるのなら、もしもえりなが恋の美味しいと思う料理を作ることが出来る料理人になった場合、それはイコール胃袋を掴むことになるのだ。

 

「(それはつまり、恋君が私の料理でしか美味しいと感じられないという事実が生まれるということ! 美味しいと思わせた段階で、胃袋を掴んだと同義!)」

 

 えりなは燃えていた。

 この難関をクリアすることは料理人としての実力と価値を高めることに繋がるし、また自分の好きな人が自分の料理でしか幸福を感じられないという至福を手に入れることも出来る。一石二鳥である。

 このまま恋愛漫画を参考に好感度MAXの相手にアタックを仕掛けていくつもりなのだろうか。えりなが恋愛漫画の内容を参考にし始めた段階で緋沙子はそう思ったのだが、放置していても平和な光景しか見えないのでスルーしているらしい。

 

 意気揚々と厨房に向かうえりなの背中を見送りながら、緋沙子は恋の表情を伺う。

 料理を作るというえりなに対し、味覚障害を抱える恋はどのような感情を抱くのか気になったのだ。

 

「……なんだか嬉しそうだな、恋」

「ん、そうか? まぁそうだな……気持ちはわかるから、素直に嬉しいよ」

「気持ち?」

「忘れたのか? 誰かの為に料理を作る……それは俺がずっとやってきたことだぞ?」

「!」

 

 そういえば、とハッとなる緋沙子。

 そうだ。誰かの為に料理を作るということを人生を賭けてやってきたのが黒瀬恋という料理人だ。であれば、えりなが恋の為に料理を作ると言い出した気持ちを、誰より理解出来るのが彼だろう。

 料理の味が分からなくても、その気持ちを抱いてくれたことを嬉しく思わない筈がない。そもそも彼は人の気持ちを汲む料理人なのだから。

 

「楽しみだな」

「……じゃあ、部屋に案内しよう」

 

 緋沙子は余計な心配だったか、と思い直し、恋を食卓へと案内するのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 結局、あの後出てきたえりなの料理で恋が美味しいと思うことは無かった。恋も過去の経験を踏まえて、今のえりなと同じく美味しいと思わないものに美味しいとは言わない。料理に対して嘘を吐かない二人だからこそ、そんな評価が嬉しかった。

 とはいえこのままで終わるつもりもない。

 えりなは自分の作った料理と恋の感じた味をデータに取るために、食した恋に事細かな感想を求めたし、恋もまたそれに誠実に答えた。

 お互いにお互いを美味しいと言わせたい者同士、競い合う様に互いの腕を磨き合う。料理人としても、良い好敵手と言えた。

 

 今は食事を終えて、少し食休みをしている時間。

 大きな長テーブルの端の席で、向かい合って座っている恋とえりな。食器類のあと片付けは使用人がやると言って持って行ってしまったので、手が空いてしまったのだ。緋沙子は選抜予選の反省をするようで、厨房に籠ってしまっていない。

 いつ誰が入ってきてもおかしくはないが、それでも今だけは、二人きりの時間が生まれていた。

 

「恋君はいつまでこっちにいられるのかしら?」

「少なくとも本選が終わるまではこっちに滞在するつもりだよ。もし良ければしばらく泊めてくれると嬉しいけど……都合が悪ければちゃんと宿を取るつもりだから変に気を使わないで大丈夫だよ」

「いえ、別にそれくらい構いません。この通り屋敷は広いし、部屋も空いていますから」

「助かる。お礼に明日の朝は俺に作らせてくれ」

「ふふふっ……そんなこと言って、作りたいだけでしょう?」

「バレたか」

「ならお昼は私が作るわ」

「お、じゃあ夜は……そうだな、一緒に作ろう」

「! …………ええ、あの時みたいに、一緒に」

 

 小気味良いやりとりに、二人は楽し気に笑う。

 しれっと本選が終わるまで、つまり二週間ほどの同棲生活が始まる約束をしている恋とえりな。その間、生活するに当たって起こり得る問題や男女の生活の違いなど、取るに足りない問題の様に話を進めている。

 そしてお礼に恋が朝食を作ると言えば、昼はえりなが作ると言い、お互い生粋の料理人であることにクスクスと笑い声を重ねた。

 

 そして夜は――と続きそうな所で、恋が一緒に作ろうと言い出し、えりなもそれを喜んで受け入れる。

 

 かつてえりなが恋に料理を教えていたあの幼き頃以来、同じ厨房で共に料理をすることなど一切なかった二人。それが今、ほんの少しの平穏の中で再び現実のものになる。

 隣り合って料理をするだけが、二人にとってはとても大切なことなのだ。

 

「えりなお嬢様……お風呂の支度が整いました」

「あら……じゃあ先にお湯をいただくわね。上がったら使用人が声を掛けに行くでしょうから、部屋で待っていてくださるかしら?」

「ああ分かった、そろそろこの服装も着替えたかったしな」

「ふふふ……とても似合っているけれど、貴方らしくはないものね」

「褒められていると受け取っておこうかな」

「ええ、褒めてるのよ。まぁ色付きの眼鏡はいただけないけれど」

「っと……」

 

 使用人が浴室の準備が整ったことを知らせにきたことをきっかけに、一旦話が止まった。そしてえりなが立ち上がることで入浴する空気になり、恋も貸し与えられた部屋で待っているように言われて立ち上がる。恋としても予選会場からずっと韓流アイドルの様な恰好を継続しているので、そろそろ着替えたかったらしく、丁度良かったようだ。

 すると恋の服装を褒めながら、らしくはない服装に口元に手を当ててクスクス笑うえりなが、不意に恋に近づいてくる。

 

 そしてその言葉通り、恋が掛けていた色付きの眼鏡を取り上げた。

 瞬間、恋の金色の瞳が姿を現し、パチッとえりなの瞳と目が合う。

 

「……貴方の目は金色で綺麗だもの。見えないのは勿体ないわ」

「……ははっ、素敵な口説き文句だな―――思わずときめいてしまったよ」

「っ! そんなつもりじゃっ……ま、まぁいいわ。それじゃあまたあとで」

「ああ、ゆっくりしてきてくれ」

 

 えりなから投げかけられた言葉に、恋も思わずドキッとした。

 恋と出会ったあの日から、幼きえりなの想い出の中に黒い髪と金色の瞳が印象付いている。そして成長して尚変わらない彼のその象徴的なカラーがえりなは好きだった。思い出の中に大切に色付いていた存在が、思い出そのままに現れたことも、えりなにとっては本当に嬉しかったのだろう。

 だからこそ、取り繕うことなく本心からそんな言葉が出てきた。恋としては、思わぬアタックにグッときたくらいだ。余裕を取り繕って返したものの、内心ではとても嬉しかったのを押し隠していた。

 

 対してえりなは口説いたという言葉に動揺して足早に退出していったが、恋がときめいたというのなら問題ないと羞恥心を殺して訂正をしない。そして恋愛漫画の一ページのようなやりとりだったと、部屋を出てパタパタと小走りになりながら心の中で歓声を上げていた。

 

「……部屋に戻るか」

 

 そう、恋愛漫画の一ページのようだった。

 好きな子が去った後に、少し頬を紅潮させる少年の光景も。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 広い浴室の中で、湯船に浸かるえりな。

 大きな湯船に張られた湯の量からか湯気も多く、並の銭湯や温泉よりも豪華に見える内装。足を延ばして尚余るその広さに、えりな自身も大分リラックスしているようだった。長い金髪もタオルでまとめており、ふぅーと大きく息を吐いて湯の中に身体を預けている。

 

 こうしてリラックスしてると、今日一日のことを思い返してしまうえりな。

 選抜予選が始まったかと思えば、そこで久しぶりに恋と再会し、勢いと流れで二週間も一緒に暮らすことが決まってしまっていた。

 嬉しいとは思う。これから少なくとも二週間は恋が傍にいてくれるのだから、えりなの心はウキウキだった。意地でも表に出す気はないが、それくらい浮かれているのは確か。

 

「変わったわね……私」

 

 そしてそんなことを考えていると、今までの自分と今の自分が全然違うことに気が付く。

 恋がいなくなってから高校で再会するまでの間、えりなはただひたすらに料理人としての頂点を目指すことだけを考えてきた。究極の美食を求め、創真の様な大衆料理は美食とは呼べないと切り捨てて、ひたすらに己の腕を磨いてきたのだ。

 

 なのに、恋と再会してからのえりなは変わった―――否、戻ったというべきだろうか。

 

「恋君と出会ったあの時みたいに……私、浮かれてるのね」

 

 料理を作ることを、楽しいと思うのなんて大分久しく思う。

 恋の為に料理を作ることも、極星寮で色々な料理に触れたことも、誰かと競い合うことも、切り捨てずに見てみれば本当に、とても煌びやかな光景だった。

 

 "……―――えり―――私の言う―――……"

 

「ッ!?」

 

 瞬間、不意に頭を過る恐ろしい声。

 ざばっと湯面を揺らすほどに身体をびくつかせたえりなは、急に心臓をきゅっと掴まれたような不安感に大きく呼吸を乱した。ゆっくりと呼吸を整えて、はぁ、と溜息を吐く。

 リラックスしていても一人だと余計なことまで考えてしまうもの。えりなは立ち上がり、そろそろ上がることにした。

 

 浴室を歩いていき、脱衣所への扉を開ける。

 

「此処が浴室だ、恋―――あっ」

「ああ、ありがとう緋沙おーまいがぁ……」

「あ……あ……」

 

 其処に居たのは、何かの伝達ミスなのか恋を連れてきた緋沙子と、濡れた裸体を晒しているえりなに直面してしまい、唖然とした恋の姿だった。

 

 ―――あ、恋愛漫画で読んだところだ。

 

 あまりの動揺に、えりなはそんな見当違いなことを考えるしか出来なかった。

 

 

 

 




バッチリ見てしまった恋君と見られてしまったえりなちゃん。
恋愛漫画ではこの先どうなっていたのか? 二人の反応は如何に。
次回もご期待ください。

感想お待ちしております✨



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三十話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 恋愛漫画というものは、古今東西万人に好まれる最もポピュラーな娯楽品の一つだ。

 いかなる国、いかなる人種であっても、こと恋愛話に花を咲かせることは万国共通であり、その中で理想のパートナーや理想的なシチュエーションなどに想いを馳せることも多々あるだろう。

 恋愛漫画はその理想を形にした、いわば現実を踏襲しながらも現実的ではない素敵な恋愛を描いた物語。そこには普通はそうならないだろうといったシチュエーションや展開があったり、こんな環境は空想でしか存在しない場所が舞台だったり、自由に描けるからこそファンタジックかつドラマチックな恋愛に胸をときめかせる空想が広がっている。

 

 そんな中で、昨今のラブコメ漫画にはこういう展開がよく見られる。

 

 ・主人公が体勢を崩してヒロインを巻き込んで転倒、倒れた際にヒロインの胸を揉んでいた。

 ・雨の日に傘を忘れたヒロインの服が濡れて、下着が透けて見えてしまった。

 ・ヒロインとぶつかって転倒した際、尻餅を付いたヒロインのスカートの中が見えてしまった。

 

 いわゆるラッキースケベと呼称される一種のハプニングエロ。ヒロインと主人公との距離感を縮める切っ掛けにもなり、読者を喜ばせることができる王道展開である。

 薙切えりなもそんな王道展開を読んで、こんなことは現実にあるはずがないだろうと高を括っていたし、異性に裸を見られる展開なんてそうそうありはしないと思っていた。

 

 だが、

 

「え、あっ……~~~~!!?!?」

「れ、恋! 見るな!!」

 

 見られてしまった。

 他ならぬ恋に見られてしまった。一糸纏わぬ自分の身体を見られてしまった。しかも髪をタオルで纏めている今、本当の本当に身体を隠すものがない状態で見られてしまった。脱衣所なので湯気もなく、漫画の様に局部を隠すような不思議な光も、テロップも、オノマトペも台詞の吹き出しもない。正真正銘、生まれたままの姿を恋に見られてしまった。

 唖然とした恋の目をいち早く我に返った緋沙子がその両手で覆ったものの、それで恋の記憶までもが覆い隠されるわけではない。今の数秒間で恋の記憶の中に、えりなの美しい身体が完全に刻み込まれてしまった。

 

 一瞬何が何だか分からなかったえりなも、状況に気が付くとしゃがみこんで背を向け、バッと胸や股間をその手で隠したものの、見られたという羞恥心が頭をパンクさせている。

 

「わ、悪かった。緋沙子が部屋に来て風呂に案内してくれるって言うから、てっきりもう上がったのかと……ごめんなさい」

 

 そして最後に我を取り戻した恋が、緋沙子に両目を覆われて何も見えない状態で謝罪する。えりなはパンクして思考停止、恋は目を覆われていて動けず、緋沙子もパニックになって必死に恋の目を覆うことだけを考えている。

 

 誰も動けない均衡状態が誕生した。

 

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙が生まれる。

 いや、緋沙子が早いところ恋を誘導して退出させるなり、えりながさっさと着替えるなり、状況を打破するための手段は幾らでもあるだろうに、女性二人はパニックになってこの先の思考が停止していた。

 恋はそれを察したのかどうかは分からないが、緋沙子の手の中で目を閉じ、ゆっくりと手を使って後ろを確認しながら退出していく。そしてどうにか脱衣所の扉を閉めた時、ようやくえりなと緋沙子はハッと正気に戻った。

 

 しゃがみこんだ状態で尚も身体を隠すえりなと、立ち尽くす緋沙子。

 

「……えと……申し訳ありません、えりな様……えりな様が入浴中とは知らず」

「……いえ、まぁ、間違いは幾らでもあるわ……今回のは少し、行き過ぎてるけれど」

「本当に申し訳ありませんでした……如何様にも罰をお与えください……!」

 

 そこまできてようやく自分の行いを理解したのだろう。緋沙子がとてもスムーズな動きで土下座の姿勢を取り謝罪すると、えりなは許すけどショックはショックだと自分の心を隠せなかった。

 再度強く謝罪する緋沙子は、己への罰を求める。

 だが、えりなは何の心の準備もない状態で恋に自分の裸を見られたショックで、それどころではない。自分の身体は変に思われなかったかとか、恋にどう思われたかということばかり気にして、少し不安にも思う。

 

「こうなったらえりな様だけに恥ずかしい思いは……私も恋にこの素肌を晒して……!」

「いやいやいやいやいやいや、そうはならないでしょ!? 結婚前の女子が無暗に異性に肌を見せるのはおやめなさい!」

「ですがえりな様にその肌を晒させた罪は罰を以て処すべきです!!」

「私の肌は別にいいのよ! 恋君が相手なのだし! こら、ちょ、無駄に力強い!?」

「ううううううう~~!!!」

 

 そんなことを考えて黙っていると、とんでもなく怒っていると勘違いした緋沙子が、自分も恋に素肌を晒してくると暴走し始めた。えりなは脱衣所の棚にあったバスタオルを巻くと、出ていこうとする緋沙子を羽交い絞めにして止める。

 どうにかして阻止しようとするが、自分を責める気持ちが止まらない緋沙子はえりなを振り払って出ていこうと必死だった。テンパって妙なことを口走ってしまった気がするえりなだが、暴れる緋沙子を押さえつけるのに必死である。

 目が『><』のような感じになって目尻に涙を浮かべている緋沙子を幻視したえりなは、恋愛漫画でも此処まで拗れることは早々ないと思った。

 

 事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものである。

 結局、えりなを振りほどけなかった緋沙子はへたり込んでずーんと落ち込んでしまっていた。

 

「はぁ……はぁ……全く、入浴を済ませたのに結局また汗を掻いちゃったじゃない……」

「ハイ……私はゴミです……」

「ひ、緋沙子、貴方もう休みなさい……選抜予選で疲れているから落ち込むのよ……私のことは良いから」

「ハイ……失礼します……」

 

 えりなの言葉にすごすごと退出していく緋沙子。扉が開いて閉まるのを見送ってから、一人になってえりなは大きく溜息を吐いた。

 そして一人になると恋に見られたことを思い出して、改めて恥ずかしくなってしまう。お風呂上りということを差し引いても顔を赤くするえりなだが、心臓の鼓動が耳まで響くほどに大きかった。

 

 だがそれでも、別に恋のことを軽蔑するとか、嫌いになるといった感情は一切湧いてこない。寧ろ見られたことで恋が自分の身体をどう思ったのかが気になって仕方がない。

 そう考えると、恋に見られたこと自体は別段嫌でもなかったらしい。

 

「……というか、私だけ見られたのはちょっと不公平じゃない?」

 

 そういうことに気付きだすと、冷静にえりなの思考が暴走し始めていく。自分が見られたことは別に嫌ではなかったが、自分だけ恥ずかしい思いをするのはそれはそれで不服に思いだした。

 緋沙子が冷静でこの場にいたなら、それ以上は行ってはいけないと止めた筈だろうが、こと恋愛に関してはポンコツなえりなお嬢様は止まらない。自分も見られたのだから、向こうも見せるべきではないかと考えだした。

 

「……いつか見せてもらいましょう、いつかね」

 

 とはいえ異性の裸を直視するのは心の準備が出来ていないので、いつか見せてもらうことにして即行動には移さないことにするえりな。そのいつかがいつ来るのかは分からないが、えりなのヘタレ具合からするとそんな一足飛びの行動は年単位で厳しいかもしれない。

 

 結局、再度軽くシャワーを浴びて、頭を冷やすことにしたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ、お風呂いただいた……ありがとうな」

「え、ええ……」

 

 それから少しして、えりなの入浴後に恋も入浴を終えた。

 恋が貸し与えた部屋に戻ってくると、中には寝間着姿のえりなが待っている。少し驚いたものの、恋はえりなにお礼を言って火照った身体から出た汗を拭って入室した。えりなはベッドに腰掛けており、それを見て恋も部屋にあった椅子を持ってきて腰掛ける。

 

 正直、お風呂上がりの女子がこれから自分が寝るベッドに腰掛けている状況に、恋も内心何の試練だと思ってしまうものの、先程の見ちゃった事件の負い目もあって幾らか冷静さを保っていた。

 ちなみに極星寮に入ってすぐの頃、創真も田所恵が入浴中に全裸突撃したという事件があったのだが、その時はこんな空気にはならなかったらしい。

 

「さっきは、その……悪かった」

「いえ……恋君は悪くないもの」

「そうか……そう言ってくれると助かる」

「ええ……今度恋君のも見せてもらえれば、それで」

「……ん?」

 

 なにやら小さい声でよく聞き取れなかったが、不穏なワードが聴こえてきた。だが恋は、えりながそんなことを言うイメージが全くなかったので、気のせいだろうと判断する。頭を冷やしても暴走列車はもう手を離れて走り続けているらしい。

 とはいえ、お風呂上がりの男女が寝室に二人きりという状況は中々によろしくない。恋としては緋沙子にいて貰いたい所だが、既に休んでいるらしいのでソレも期待できなかった。

 

 いや、よろしくないと考えるのは恋がそういう感情を抱いてしまっているからであって、しっかり自分を律していればこの状況も別にやましい状況ではない筈。

 そう考えて、恋は一旦大きく深呼吸して冷静さを取り戻す。

 

「そういえば、選抜までの二週間は授業とかどうなるんだ?」

「え? ああ、本選終了までは基本的に授業は自由参加制なのよ。本戦出場者は本戦での課題を受けて品を考えたり、それ以外の生徒は行われている授業に参加したり、別の研究に打ち込んだり……まぁ授業単位の問題もあるから、授業に参加しない生徒は研究成果などの提出が必須だけれど」

「なるほど……特別期間って感じなのか」

「ええ、私も選抜運営の為の仕事をすることで単位を貰うことになっているのよ」

「最初から思っていたけど、本当に料理人としての研鑽に自由な校風だよな」

「料理人が伸び伸び成長出来る場を整えることで、次代を背負う料理人を生み出すのが遠月学園のやり方だもの。けれど、その環境を整えているからこそ、腕のない料理人は躊躇なく切り捨てる遠月のやり方が受け入れられているのよ」

 

 何気ない話題を振ることで色っぽい空気を払拭する恋。えりなも恋から振られた話題に乗ることで、変な思考に陥っていた状態から脱することに成功した。

 恋もえりなも、お互いに対して並々ならぬ思いを抱いているけれど、大前提として料理人として遠月の頂点を獲りたいという夢がある。だからこそそういう話題になれば、すぐに料理人モードに切り替わることが出来るのである。

 

「色々連絡は取っていたから少しは聞いているけれど、恋君はこの一月半何をしていたの?」

「城一郎さんと一緒に色々飛び回ってたよ。何処にいるとか、何処で料理しているとかは電話とかで伝えたけど、城一郎さんから色々学ぶことも多かったから、大分充実した時間を過ごせたかな」

「そう……才波様の作る料理は幼い頃に食べたことがあって、今でも覚えているわ。まさしく完璧な美食だと思うような料理ばかりで、憧れた」

「……そうだな。俺も一緒に料理していてそう思ったよ……一つ一つの仕事の質が高いし、いつだって新しい発想で世界観を広げていく力は本当に凄かった」

 

 そうして話はどんどん料理人としての話題へと変わっていき、お互いに知っている城一郎の話題になっていく。

 えりなの憧れた料理人であり、恋も師として尊敬する料理人だ。その話題に関して話せることは多い。恋はかつての城一郎についての話を聞いたし、えりなも今の城一郎の話を聞きたがった。

 

「それで……」

「あの時……」

「こういう技術が……」

「繊細な味の層を……」

 

 そうやって話していれば、最初の色っぽい空気はすっかり消えていた。

 楽しく話す時間はあっという間に過ぎていき、電話でなくとも会話が止まらない。

 

 結局、襲い来る眠気に負けて二人が寝落ちするまで、楽しい会話は続いた。

 

 翌朝同じベッドで寝ている二人を見て、緋沙子がドッと冷や汗を掻いたのは別の話だ。

 

 




今回は行くところまで行きそうでいかなかった付き合っていない二人の話でした。
次回は選抜戦の話。

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三十一話

Bグループの予選結果の順位を変更しました。
感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 二週間が経ち、本戦の試合が始まった。

 勝ち抜いた八名の選抜の選手達は、それぞれ通告されたお題を受けて準備を進め、第一回戦を迎える。それぞれの対戦相手は間違いなく、同学年の中でも選りすぐりの実力者。食戟ではないものの、こうして実力者同士が一対一で勝負する機会など早々見られるものではないだろう。

 

 出場者は以下の通り。

 

 ・幸平創真

 ・薙切アリス

 ・田所恵

 ・新戸緋沙子

 ・葉山アキラ

 ・黒木場リョウ

 ・タクミ・アルディーニ 

 ・美作昴

 

 A、B両グループを勝ち抜いたそれぞれ上位四名、計八名が決勝トーナメントで合流した。どの人物も、名が知れ渡っているかはさておき予選では驚くべき品を出している。此処に薙切えりながいない以上、優勝しても一年最強とは言い難いかもしれないが、それでもこの八名が現在一年生の中で最も実力のある八名である。

 

 そして第一試合――お題は『弁当』。

 組み合わせは、幸平創真対薙切アリスだった。

 

 結果から言えば、勝ったのは幸平創真である。

 薙切アリスは分子ガストロノミーの技術を盛大に披露し、手毬寿司を今までにない形で弁当という形に纏め上げてみせた。

 仕切られて配置された十六の手毬寿司を順々に食べていくことによって、計算された味の相乗効果を味わうことが出来る、まさしく計算され尽くした一品。審査員達の評価もまたこれ以上なく高く、最早アリスの勝利かと思われたくらいだ。

 

 しかし、幸平創真はそれに対してのり弁で対抗した。

 知育菓子から着想を得て、単純だが彼も分子ガストロノミーの技術を活用した料理を作り上げたのだ。

 しかも冷めていては少し寂しいという考えから、保温性のある弁当箱を選んだ。のり弁ののりに分子ガストロノミーの技術を生かした工夫を凝らし、なおかつバラエティ豊かに味を楽しめる葛餡を弁当に仕込んで締めへの満足感を作り上げた創真。

 寿司料理としても提出出来る計算尽くしのアリスの品に対し、何が入っているのかの期待感やそれを知った時の驚き、そして温かい料理を楽しく食べることが出来る弁当らしい弁当を出した創真に、審査員の評価は傾いたのだ。

 

「……なるほど、アイツか」

「え?」

 

 正真正銘、レベルの高い戦いの中で、恋もえりなと共にその戦いを観戦していた。

 創真とアリスの戦いは確かに見ごたえがあり、その次も、次の試合も学ぶべきことがとても多い試合だった。

 

 第二試合、黒木場リョウと田所恵の対決――お題は『ラーメン』。

 

 奇しくも実家が港町同士の二人であり、その経験からか互いに作ったのは同じ魚介を使ったラーメンだった。暴力的な味のインパクトを出し、審査員の食に対する本能を一気に掻っ攫った黒木場に対し、田所恵も今までの彼女からは考えられないようなパワーのあるラーメンで勝負をした。

 勝者は黒木場リョウ。

 強い味の正面対決を制した結果である。無論、田所恵のラーメンが圧倒的に劣っていたわけではない。ほんの僅かな差であったことは、黒木場自身も認めているようだった。

 

「おそらく、アイツが俺の経歴を調べた張本人だ」

「っ……彼が、恋君を……?」

「対戦相手……タクミ・アルディーニだったか、俺は面識がないけれど……危険かもしれないな」

 

 第三試合は葉山アキラと新戸緋沙子の対決――お題は『ハンバーガー』。

 勝者は葉山アキラだ。

 予選のカレーではその嗅覚をフル活用したスパイス料理で、香りの爆弾とも呼べる一品を作り上げた彼だったが、その香りを使った技術はカレーだけに収まらなかったらしい。

 無論緋沙子の料理もまた凄まじいものだった。薬膳の知識もさることながら、東洋医学の知識まで網羅する緋沙子の知識量をフル活用して、審査員からモンスター級と評されるほどのハンバーガーを作り上げていた。

 しかし葉山はその上を行く。

 審査員をして、神の舌に届き得るポテンシャルの持ち主と評された葉山の一品は、完璧に思えた緋沙子の料理の粗さを浮き彫りにしてみせたのだ。

 純粋に頂点を目指す葉山アキラと、えりなの後ろ――つまりは二番手を目指し続ける新戸緋沙子との差が、明確に突き付けられた瞬間であった。

 

「美作昴君……確かに、彼は遠月にやってきてからの食戟回数は九十九戦……しかもその全てで勝利している……そのやり方は、到底褒められたものではないけれど」

「やり方?」

「……対戦相手の経歴、料理スタイル、性格、能力、食戟で作られる品とレシピまで徹底的に調べ上げるらしいわ。そして、今までの食戟全てで相手の包丁を奪っている」

 

 そして第四戦―――美作昴とタクミ・アルディーニの勝負が、今始まろうとしていた。

 予選から二週間という期間があった以上、美作昴はタクミ・アルディーニについて調べ上げる時間があった。であれば、今回タクミが作る品やそのレシピに関しても完全に調べ上げているのだろう。

 

 しかも……今回、どういう経緯か選抜戦で食戟を行うことになっている。

 

 タクミの包丁と、侮辱に対する謝罪をそれぞれ賭けて。

 恋は観戦席から、厨房に現れた二人と食戟が行われることを知って、自分を陥れたのが美作昴であることを察したのだ。えりなに美作昴のやり方を聞いて、なおさら確信に至る。

 

「なるほど……俺に食戟を挑む気だったわけか」

「……それで、恋君の経歴を調べたってこと……格下に興味はないけれど……下衆ね」

 

 食戟を行う前に顔を合わせているタクミと美作を見て、えりなも眉を顰めた。

 厨房の声はマイクが収音しているのか、会場全体にも響き渡る。

 対峙する二人の料理人の表情は対照的。タクミが怒りを押し殺して冷たい瞳で美作を睨みつけているのに対し、美作は余裕の笑みで勝利を確信しているような目をしていた。

 すると、不意にタクミが白い手袋を美作に投げつける。

 

「あん?」

「拾え、無粋な君に正しき作法を教えよう。白手袋を相手の足元に投げつけ……それを相手が拾い上げれば、闘いを受諾した証となる。これが決闘(ドゥ・エッロ)の合図だ。我々イタリア人は受けた屈辱を必ず返す。オレが勝ったら、この場でひれ伏し詫びてもらう」

「なるほどねぇ……」

 

 タクミの怒りを正面から受け止め、美作は地面に落ちた白い手袋を拾い上げた。

 観客席で見ていても伝わってくるタクミの激しい怒りを、美作は何とも思っていないような態度を取り続けている。拾った手袋も形式上拾ってやっただけで、そこに何の価値も見出していない様子だ。

 美作は何かおかしいのか、顔を手で覆いながらクツクツと笑いだす。

 

「何がおかしい……?」

「いやぁははっ……悪い、堪えられなくてな……アルディーニ、お前本当に哀れだよなぁ」

「なんだとっ……!!」

 

 美作の言葉に青筋を立てるタクミと、ざわつく会場。

 笑いを堪えながらも、大きく息を吸って心を落ち着かせると、美作は嘲るような表情でタクミを見下す。睨み付けるタクミに対し、敵意を抱く価値すらないような、純粋な哀れみを瞳に映していた。

 

 美作が不意に恋の方を見る。

 

「そもそも、この選抜自体が破綻してるんだよ……十傑である薙切えりなはまぁ良いとして、此処で優勝したからと言って一年最強になったなんて到底言えるわけがねぇ」

「……どういう意味だ?」

「お前だって分かってるだろう? どうやら合宿の時から幸平に対して随分ご執心のようだが……じゃあどうして黒瀬恋には接触しなかったんだ? 幸平には初対面で靴を踏みにじるくらい突っかかっていったのに、どうして同じ編入生だった黒瀬恋には何もしなかったんだ? なぁオイ?」

「な……黒瀬、恋だと……!?」

 

 会場のどよめきがより一層強くなる。

 此処で美作の口から黒瀬恋の名前が出てくる意味が分からなかったからだ。会場にいるスポンサーや美食家たちは黒瀬恋という名前を聞いても、疑問符を抱かざるを得なかったが、生徒達は知っている。

 選抜メンバー発表と同時に退学となった、本来ならこの本戦にいてもおかしくはなかった存在のことを。

 

「……折角選抜で俺の退学に対する注目を逸らせたっていうのに、此処にきて急に蒸し返したな」

「確かに……」

 

 だが恋とえりなは、この美作の行動に意図を探っていた。

 折角秘密裏に恋を排除出来たというのに、退学の話が風化するのを待たずに再度蒸し返す意味はどう考えても存在しない。自分達の隠蔽しなければならないことが増えるだけだ。

 しかし、事態は止まることなく進んでいく。

 

「俺は知ってるぜェアルディーニ……お前は幸平を倒すとか主張することで、黒瀬恋から目を背けたんだ。確かに幸平は目立つ存在だったが……遠月でてっぺんを目指すのなら、二年を食戟で倒した黒瀬恋を無視するのは明らかに変だろ? なんなら、黒瀬を倒すことが一番手っ取り早く実力を示せる手段だった」

「違う……俺は別に」

「敵わないかもしれねぇ―――頭のどっかでそう思ったんだろう?」

 

 美作の言葉に動揺するタクミ。

 どうやらタクミ自身は恋のことをしっかり意識していたらしく、面識がなかった故にタクミのことを知らなかった恋とは対照的に、タクミは美作の言葉に大きく動揺していた。

 恋はタクミの様子を見て多少なりとも何か思わないわけでもないが、それでも直接恋に接触してこなかったことは事実。美作の言葉は嘘であると主張することも出来なかった。

 

「だが分かるぜ……俺もそうだった。幾ら腕が立とうと、俺のやり方でなら勝てると思った……だが、敵わねぇと初めて思わされた。相手のことを知り尽くしてトレースする俺のスタイルでも、黒瀬恋の料理は再現出来なかったからだ」

「トレース……だと?」

「どうせ俺が勝つから教えてやる……俺は二週間前からずっとお前のことを調べていたよ。個人情報から今までどんな料理を作ってきたのか、今回どんな材料を揃え、どんな試作を繰り返したのか、ありとあらゆる情報を集めた! そして、今回……俺はお前と同じ品を作る―――料理人なんて、同じスタートラインに立っちまえばほんの少しのアレンジで勝てちまうもんなんだよォ!」

「!?」

「……が、そんな俺でも再現出来なかったのが黒瀬恋だった。だから退学にしたのさ! 奴の秘密を告発することで、土俵から引き摺り下ろしたんだよ!!」

「なんだと……!?」

 

 会場に衝撃が走った。

 匿名で黒瀬恋の真実を十傑評議会に密告した生徒――それが美作昴だったのである。

 それはつまり黒瀬恋を退学になるように仕組んだのが彼だということだ。その事実を卑怯だと思う生徒も、少なくなかった。

 

 会場中の生徒から非難の声が上がる。

 卑怯者、屑、クソ野郎、そんな汚い言葉が飛び交った。

 

 そして正面にいるタクミも、この事実に美作の胸倉を掴む。それでも尚美作の不敵な笑みは崩れないが、ギリギリと握りしめられた胸倉にタクミの怒りが感じられた。

 

「貴様は……料理人の風上にも置けない……! 確かに俺はどこかで黒瀬恋に対し劣等感を抱いたのかもしれないが……お前の様に相手の土俵から逃げるような真似はしない!! 料理人なら、正々堂々皿の上で語るべきだ!!」

「……ハッ、だがそのおかげでお前はこの本戦にいるのかもしれねぇだろ? 奴がいたら、断言してやる、確実にこの本戦に立っていた! そして代わりに蹴落とされたのは―――予選四位のお前かもしれなかったんだぜ?」

「ッ……!!」

「それに、俺がやったのは黒瀬の秘密を報告しただけ……退学になったのは他ならない十傑評議会の決断だろう? 俺が責められる謂れはねぇよなァ!?」

 

 あまりにも堂々と言い放つ美作に、タクミは胸倉を掴む手を放す。

 そして皺が付いた服を叩いて整えると、美作はタクミを尚も見下ろすようにして言い放つ。

 

 

「証明してやるよ……タクミ・アルディーニィ……お前が本来、この場にいるべき人間じゃあなかったってなぁ……そんで、記念すべき百本目をいただくぜェ」

 

 

 悍ましいほどの威圧感を放ちながら、美作昴が牙を剥いた。

 

 




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三十二話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
今回はいつもより少し長いです。


 ◇ ◆ ◇

 

 

 ―――遠月学園に入学してから、今年は編入生が二人入ったことを知った。

 

 名前は幸平創真と黒瀬恋。

 俺が奴らの顔を見たのは、入学して最初の全校集会でのことだった。間の抜けた顔をした幸平と、物静かに姿勢よく佇んでいる黒瀬。まるで対照的に佇む二人を見た時は、正直大したオーラも感じなかったし、中等部から上がってきた奴らに比べれば実力的にも大したことなさそうな印象を受けた。

 何事も慎重かつ入念な準備をする俺としては、それだけで放っておくわけでもなかったが、パッと見た時の第一印象はそんな感じだったわけだ。

 

 けれど、そんな第一印象を即座に打ち壊したのが、黒瀬恋という男の挨拶だった。

 

 編入生を異物として受け入れない視線を送る俺達を前に、奴はただただリスペクトを語った。自分という料理人を誰よりも才能のない人間として認識し、その場にいる全員を素晴らしい料理人だと認識していた。

 

 

 "―――俺もそうだ"

 

 

 奴が俺達に宣戦布告するのに使ったのは、文字にすればたった五文字のその言葉だけだ。純粋なリスペクトを述べて、媚を売るわけでもなく俺達を格上と認めた上で、奴はそう言って俺達の緩んだ意識を正確に撃ち抜いた。

 全く覇気もオーラも感じなかったその身から、空間を食い破るような闘志を剥き出しにしてきたのだ。そしてそれだけで、俺達全員を一瞬とはいえ恐れさせた。

 

 それからだ―――俺が黒瀬恋という料理人を注視するようになったのは。

 授業でも、強化合宿でも、二年との食戟でも、俺は奴の活躍を間近で観察し続けた。見ているだけで溜息を吐かされるほどに無駄のない調理技術。何の工夫もないレシピでも、アイツが作るだけで高級料理のソレに匹敵する純粋な基礎力。そして他人のサポートをさせれば、メイン料理人の腕を百二十パーセント引き出し最適解へと連れて行く力。

 

 観察すればするほど、黒瀬恋という料理人の実力は頭一つ飛び抜けていた。

 

 勝てるのか? 俺のやり方で、アイツの料理を下せるのか? そんな疑問が頭を過った瞬間、俺はきっと奴に敗北感を抱いていたのだろう。

 それから俺は本腰を入れて奴のことを調べ上げた。

 奴が遠月に来てからどんな料理を作ってきたのか、どんな生活をしているのか、交友関係は、どんな人物なのか、どの程度の知識と技術を持っているのか、苦手料理や得意料理は、好きなことは、嫌いなものは、ありとあらゆる情報を調べ上げて、自分自身にトレースしようとした。

 

 ―――出来ねぇ……!?

 

 だが、出来なかった。

 何度やろうとしても奴と同じことが出来なかった。あらゆる食材に対して、理想的な場所を理想的な角度で、理想的なリズムで切ることが出来なかった。カットを済ませた料理を焼く時も、煮る時も、蒸す時も、炒める時も、奴には見えている理想的な火入れと余熱への移行のタイミングが分からなかった。

 どれだけの努力、どれだけの反復、どれだけの意思があれば身に付けられるものなのか、嫌でも思い知らされた。

 

 俺は才能に恵まれた―――けれど、ひたすらに努力だけを積み重ねた怪物がいることを思い知った。

 

 奴は平凡だ。

 薙切えりなや葉山アキラのような神の舌や優れた嗅覚も持っていない。幸平の様な突飛な発想力もなければ、アルディーニ兄弟の様に長年店で厨房を任されていたわけでもなく、薙切アリスの様な最先端の研究環境があったわけでもなく、黒木場の様に幼い頃から死に物狂いで現場という修羅場を生き延びたわけでもない。

 もう一度言おう、奴は平凡だ。

 ただひたすら、"料理をする"というアクションを身体に叩きこんだだけの凡人だ。

 

 俺は俺のやり方では、黒瀬恋には勝てないことを悟ってしまった。

 奴が怖かった。今までの俺の人生を否定されたような気がしたから。他人の積み重ねたものをトレースし、ほんの少しのアレンジさえあれば勝てると確信していた俺の中の方程式を、奴の存在が粉々に打ち砕く気がしたから。

 

「味覚……障害、だと……?」

 

 だから奴が味覚障害を持っているという事実を知った時、俺は余計に黒瀬に対して恐怖心を抱いた。味も分からねぇ奴が、あれほどまでに完成された料理人の域に達することが出来るわけがないと、俺の中の常識が叫んでいたんだ。

 そして同時に、畏怖を覚えた。

 黒瀬恋は、俺と正反対だ。

 料理人として圧倒的な非才の身でありながら、それ以外の全てで料理人の領域にまで上り詰めてきた男。黒瀬だからこそ、アレだけの料理を作り出せるという現実が奇跡だ。

 

 俺が今まで見つめてきた奴の料理の全てが、奇跡だったんだ。

 

 だからこそ黒瀬の障害について、叡山先輩に密告した。

 あの奇跡をこのまま学園に残しておけば、いつしか誰にも手を付けられない料理人になるとすぐにわかったからだ。黒瀬がいずれ、俺自身の人生を崩壊させかねない衝撃となって襲い掛かってくるのが怖かったからだ。

 少しでも奴の足を引っ張る枷を作ってやりたかった。

 味覚障害者と発覚すれば、多少なりとも奴の肩身は狭くなるし、人が偏見で奴の料理を見るようになる。そうなればいいと思っていたんだ。

 

 それがまさか―――即退学になるなんて、思いもせずに。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

 タクミと美作の戦いは、美作の宣言通りのことが起こっていた。

 選抜第四戦、タクミと美作の勝負テーマは『デザート』。

 そのお題に対してタクミと美作の回答は全く同じ品であった。厨房に立った段階で、両者の用意した食材も調理器具も全く同じ。調理台の上の食材の配置まで、完璧に一致する状態で調理がスタートしたのだ。

 観客もそうなれば美作のストーキングの精度がどれほど高いのか、嫌でも理解できる。

 

 全く同時に調理が開始される。

 練習したかのように、お互いの料理工程は全く同じタイミング、同じペースで進んでいく。

 

「『セミフレッド』――俺とお前がこれから作るスイーツの名前だ」

「!」

 

 そして調理をしながら、美作は余裕の態度を崩さずにタクミに話しかける。先程の挑発に加えて、精神的にも揺さぶりを掛けるつもりなのかは分からないが、それでも両者の手に淀みはない。

 

「イタリア語で半分(セミ)冷たい(フレッド)という言葉で、アイスクリームのような冷たさとケーキのふわりとした食感を併せ持つ。今回作るのは三層のタイプ……当たったか?」

「ハッ、それが二週間前から嗅ぎ回った成果か? ご苦労なことだ」

 

 美作の言葉にも動揺せず、タクミは自身の調理に集中していく。

 同じ食材、同じ品を作る―――そう言うのは簡単だが、料理とて人が変わればその在り方も変わるものだ。タクミはアルディーニの名に誇りを懸けて、同じ品を作ったところで自分が劣ることなどありえないと、強気に調理を進めていく。

 

 だが、美作昴の実力は確かだった。

 

「アルディーニの調理ペースにぴったりくっついていってやがる!? 美作、口だけの男じゃねぇぞ!?」

 

 上から俯瞰的に見ることが出来る観客には、タクミの効率的な調理スピードは圧巻に映る。だがそれ以上に、タクミのスピードに美作は余裕で付いていっていたのだ。

 完璧なトレースをするには、相応の技術力がなければ話にならない。美作昴の実力は、トレース以上に確かな技術に裏付けされたものだった。幾ら突き放そうとも付いてくるその姿は、まさしくこの瞬間にもタクミの身体を縛り上げる鎖の様。

 

「生地作りに入ったぞ!卵と砂糖をふんわりと泡立てていく!」

「くっ……! 突き放せない」

「動きに迷いがなくて細やかだ……分量計算が少しでも狂ったら味が台無しになっちまう。それぐらいの繊細さがいるのが菓子作りだからな」

 

 作業が進んでいく。

 セミフレッドの生地作り。タクミが作ろうとしている三層の生地を完璧にトレースし、美作の手元でも同じものが同タイミングで仕上がっていた。

 

 しかし、美作の本領が発揮されるのは此処からだ。

 

「ここからアレンジだ―――突き放すぜ、アルディーニィ!!」

 

 同じ品をトレースし、そこからもう一つだけアレンジを加える。より良くなるように、より美味しくなるように、美作のセンスを少しだけ加えることで品のクオリティを一段階引き上げるのだ。

 それは生地作りの過程で現れた。

 全く同じ工程で作られていたそれに、変化が訪れる。卵の泡立てに使う技法が『共立て』なのに対し、美作は『別立て』になったのだ。どちらも卵を泡立てることに変わりはないが、前者は卵白と黄身を分けずに泡立てる方法で、後者は別々に分けて泡立てる方法。

 どちらが良いというわけではないが、それでもたったこれだけでも確かな違いが生まれるのが料理だ。

 

 美作のアレンジが続く。

 

「さぁて、次はシロップを作るんだよなァ? このリキュールで!」

「(……リモンチェッロまで!?)」

「トラットリア・アルディーニにはこれをふんだんに使った看板料理がある。これ目当ての客が州中から押し寄せる人気メニューらしいなァ? お前なら必ず使ってくると読んでたんだ!」

 

 シロップを作るのにメジャーなリキュールは、ラムやアマレットといったものが定番ではあるが、完璧にタクミの全てを調べ上げた美作はそれを選択しない。タクミの店で使われているリモンチェッロまでしっかり用意していた。

 タクミの胸中に、幾ばくかの焦りと不安が生まれる。此処まで自分と同じものを作り、こうして自分の思考が完全に読まれているなど、到底あり得ない。

 

「(本当に…全部読まれてるのか…!?)」

「嬉しいぜェ……お前が、俺の思うままのお前でいてくれて! やはりお前はこの選抜にいるべき奴じゃなかったなァ!!」

「くっ……! ならば……この場で俺のレシピを超えるだけだ!!」

「出来るのかお前に? この場に用意した食材は元々の品を作るためのもの――ここから新たな要素を創造する余地はねぇと思うがなァ!?」

 

 しかし、タクミは諦めない。

 此処まで読まれているというのなら、この場で美作とは違うアレンジを生み出せばいいと考えたのだ。自分の店と名に懸けて、そして己と己の弟の名誉に懸けて、それが出来ない自分ではないとタクミは知っている。

 

 そうこうしている間に美作のアレンジが更に進む。

 使用する生クリームにマスカルポーネチーズを加えることで、より深いコクを生み出すことに成功している。これは予選のカレー課題に対し、タクミが行った技法でもあった。

 何もかも相手の培ったものから掠め取っていく美作の品は、下衆なやり方と分かっていてもそのクオリティをより高みへと引き上げていく。

 

「……この勝負、アルディーニの負けだな」

「どうして? 確かに劣勢かもしれないけれど、彼がやろうとしているように何か別のアレンジがあれば、可能性はなくもないとおもうのだけど」

 

 そんな戦いを見て、恋がぽつりと結論を出した。

 えりなはその結論に対して首を傾げざるを得なかったが、恋はえりなの疑問に対してスッとタクミの食材の置いてある場所を指差した。

 

「アルディーニの持ってきた食材の中で、唯一アレンジに使用できる物があるとすれば……あのオリーブオイルを使って生地に新たな層を作り出すことくらいだろう。現時点で卵の泡立て方が美作と違うことも相まって、一見それが最善の策に見えるし、事実そうだ」

「なら、彼がそれに気が付けば……まさか」

「そう、これでは美作の品には勝てない」

 

 調理が進む。

 同時に生地を焼き上げた両者の品に、明確な違いが生まれていく。美作は生地にアーモンドパウダーを小麦粉と置き換えることでより香ばしいスポンジ生地を作り上げていた。タクミの品とどんどん差が開いていくのを、本人も観客も明確に感じ取っていく。

 だが美作の用意してきた最大のアレンジは、即興のアレンジでは到底出すことは出来ない時間を掛けた"下準備"にあった。

 

「この場においてあれほどのトレースを見せた美作昴が、何故かアルディーニの持ってきたあのオリーブオイルだけはこの場に持ってきていない……俺からすれば、それこそが罠に見える」

「ということは……美作君の品には、まだ何かアレンジがある?」

「十中八九、セミフレッドに使用しているあの塩レモンだろうな。アレなら事前準備で工夫を凝らすことが出来る」

 

 恋の示した答えに、えりなは息を呑む。

 調理は進んでいく。

 タクミは、恋の言った通りにオリーブオイルから発想を飛ばし、第四の層にオリーブオイルを使ったレモンカードの生地を作り上げた。この場で出来る最善のアレンジに辿り着いた実力は確かなものだが、やはりその策は美作の予測の範囲内。

 

 完成したそれぞれの品を実食する審査員。

 

 その反応が、タクミが美作の術中にハマっていたことを明確にしていく。

 美作のやり方に嫌悪感を露わにしていた審査員もいたが、それでも認めざるを得ないほどに両者の品に明確な差があることに気付いてしまう。

 

「信じてたぜアルディーニィ! お前がそのお守りのオリーブオイルを使ってレモンカードを作ってくることを!!」

「な、に?」

「だから俺は隠し味として、事前にレモンを塩漬けにした調味料にアレンジを加えた! そう、全てはお前がレモンカードに辿り付くと踏んでの策だよォ! お前は何も知らず、俺の手の中で走り回っていたんだ、全部全部読まれているとも知らずになぁ!!!」

 

 恋の読み通り、美作はタクミのアレンジの方向性まで読み切ってその対抗策を用意していたのだ。この場の即興では出来ない、事前準備の段階で用意された塩レモンへの工夫は、熟成された味を生み出すようにより強い深みとなって品に現れている。

 

 結果、タクミの品は全てをトレースされたことで―――敗北したのだ。

 

「くっ……勝者、美作昴! 食戟により、アルディーニのメッザルーナの所有権は美作昴へ移譲される」

「頂くぜェ……お前の誇りって奴」

 

 そしてタクミの料理人としての誇りである包丁、メッザルーナをぞんざいに奪い取っていく美作昴。膝を突いたタクミにそれを止める力はなく、呆気なく己の料理人としてのプライドをズタズタにされてしまった。

 不意に美作が恋の方へと顔を向ける。

 どうやら先ほどの視線からも、恋がこの場にいることは気付いていたらしい。これも美作のトレースとやらで知られていたのかもしれないが、美作は誰も気づいていなかった恋の存在を明らかにするように、恋を指差した。

 

 観客の視線が恋の方へと向く。

 浮かんだのは、動揺と困惑――当然だ、退学に陥れた美作と陥れられた黒瀬恋がこの場にいるという事実に、動揺しないわけがない。

 

「なんと言われようがこれが俺のやり方だ……黒瀬、文句があるなら下りてこいよ。おっと、退学になったんだったか?」

 

 美作の黒瀬に対する挑発に、会場の視線が恋に向いた。

 審査員として座していた薙切仙左衛門も、試合を見守っていた十傑評議会の面々も、観客も、あまりの事態に黙って黒瀬の反応を伺うことしかできない。隣にいたえりなも、何故美作がこんな行動に出たのかを理解出来ずにいる。

 美作が叡山枝津也と繋がりのある生徒であることは間違いない。

 ならばこの状況は、叡山の意思に背いた行動だ。黒瀬の退学という風化しかけていた一件を、よりにもよって選抜本戦で大々的に観客達に印象付けている。これでは、良からぬ勘繰りを生み出すことを避けられない。

 

 何故、美作が今この行動を起こしたのか―――しかし恋は、美作から向けられる感情と言葉からそれを察していた。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 観客席の後方にいた恋は、一つ頷いて階段をゆっくり下りていく。

 会場に設置された巨大スクリーンに、恋の姿が映し出された。どうやらカメラが恋の方を向いたらしい。そして観戦席最前列へと降りてきた恋の声は、ギリギリ収音マイクで拾われる。

 崩れ落ちて項垂れていたタクミの視線すらも、恋に向いた。

 

「別に否定するつもりもないよ、美作……まぁ、褒められたやり方ではないけれど、お前のやり方が必勝のスタイルというわけではない以上……それを上回れなかった敗者に文句を言う資格はない。単に実力が足りなかっただけだ」

「……ハッ、よく分かってるじゃねぇか」

「けど、アルディーニの敗北にも、俺の退学にも、納得がいっていない者が多いのも事実だ」

「ならどうする?」

 

 恋はあくまで美作のやり方を否定はしなかった。褒められた行動ではないし、料理人として下衆なやり方をしていることは確かだが、それも確かな実力で確立したスタイルである以上は否定することなど到底出来はしない。

 その言葉に観客は騒然としたが、そこから続いた恋の言葉にピタリと口を閉ざされる。

 そう、納得など行っていない。この場において、タクミの敗北も黒瀬恋の退学も、秋の選抜という由緒ある戦いの場に相応しくない不穏な出来事であることは、誰もが思っていた。

 

 そして他ならぬ美作が勝負の前に言ったのだ。

 こんな選抜に何の意味があるのか、と。誰もが納得した戦いを、誰もが認める勝者を、この学年の最強を決める戦いを、この秋の選抜で生み出す筈ではないのか。

 ならば何の憂いもない戦いをすべきだと、美作は言いたかったのだ。

 

 それを裏付けるように、次に放たれた恋の言葉で美作は不敵に笑った。

 

「用意してるんだろう? 他ならぬお前が―――俺との食戟を実現させる手段を」

 

 再度騒然となる会場。

 美作昴の今回の行動の意味……それは、黒瀬恋をこの戦いの場に引きずり出すための行動だった。自分が退学に陥れた黒瀬恋――だが彼自身は黒瀬恋を退学にしたかったわけではない。

 美作昴は最低のやり方で料理人の誇りを踏みにじる料理人だ。

 しかし彼とて一人の料理人。そこには確かなプライドと誇りがある。

 彼はただ黒瀬恋の足を引っ張る枷を作りたかったのに、何故か彼は退学になった。自分のやったことで、退学にしてしまったのだ。

 

 それは、黒瀬恋との勝負から逃げたことと同義ではないか?

 

「ああ、その通りだ……察しが早くて助かるぜ」

 

 美作はそれが認められなかった。タクミが言ったように、黒瀬との戦いから逃げたのだと、美作自身が一番分かっていたのだ。

 だからこそ、勝負の前にタクミに美作が言った言葉は全てこのための芝居だった。恋を退学にしたことで、美作昴は"自分自身"を戦いの土俵から引き摺り降ろしてしまったのだ。

 

 美作は振り返り、審査員席に座する薙切仙左衛門の方へと視線を向ける。

 

 

「薙切仙左衛門総帥……俺、美作昴は――秋の選抜本戦、俺のこの先の出場権を賭けて、あの黒瀬恋と食戟を行わせていただきたい!!」

 

 

 全ては黒瀬恋をこの戦いに連れてくるための行動だった。

 会場が更に騒然となる。

 前代未聞。秋の選抜中に、本戦出場者が本戦出場権を賭けて退学者と食戟を行おうというのだ。そんな暴挙、長い歴史の中でも初めての出来事であった。

 

「……」

 

 仙左衛門はその申し出に対し、数秒黙して考える。

 

「この選抜戦は、由緒ある神聖な戦いである……その出場権を賭けた戦いを認めろと? それは君の意思であっても、儂一人の采配で決められる雑事ではない」

「―――では、貴方一人の決定でなければ?」

「なに?」

 

 当然の様にこの場で決定することなど到底出来ない案件――だが、美作はそれを読んで切り札を切る。

 懐から取り出したのは、一枚の書類だった。

 そこには、複数名の署名と共にこう書いてあった。

 

 ――――――

 

 秋の選抜本選において以下の条件を満たした場合、美作昴と退学者黒瀬恋の食戟を認める。

 

 一つ 美作昴が本戦に出場し、一回戦を勝利すること。

 一つ 黒瀬恋が選抜会場に存在し、食戟を承諾すること。

 一つ 十傑評議会過半数の認可を得ること。

 

 《備考》

 ・以上の条件を満たし食戟が行われた場合、この食戟の勝敗で両者間に発生する賭け品は、『美作昴の本戦出場権』と『黒瀬恋の包丁』以外を認めない。

 ・食戟の開催が決定した場合、秋の選抜運営の関係上その食戟はその日の内に行われるものとする。

 ・また、美作昴に黒瀬恋が勝利した場合、十傑評議会の意思の下、黒瀬恋の退学処置の一切を取り消すことを認める。但し、その後黒瀬恋が秋の選抜本戦において優勝出来なかった場合はコレを無効とする。

 

 

 《署名》

 十傑第七席 一色慧

 十傑第八席 久我照紀

 十傑第三席 女木島冬輔

 十傑第一席 司瑛士

 十傑第二席 小林竜胆

 

 ―――――

 

「なんじゃと……!?」

「十傑評議会の五名から既に認可を得ました。あと一名の認可が下りた場合、この食戟を取り行うことを認めていただきたい」

「……だが、その最後の一名はどうするつもりじゃ?」

「それは――今この場で、そこにいる十傑第十席、薙切えりな嬢に問います」

 

 美作が用意した策は、奇しくも美作が恋を退学にしたのと同じ手段だった。

 恋が退学を取り下げる認可を得るために動くのと時を同じくして、美作は別の手段を使って恋をこの場に呼び戻す策を練っていたのだ。

 意図せず黒瀬恋との戦いから逃げてしまった己を許すことが出来ず、叡山枝津也の繋がりを断つことを受け入れて行動に出たのである。

 

 改めて恋の方へと振り向く美作。

 

「お前が夏休みの間に色々と動き回っているのを知った時、こうすることを決めた……テメェを真正面からきっちり圧し折って、俺は憂いなくこの選抜に臨ませてもらうぞ」

「流石、バレない様に動いていたつもりだったんだが……退学して尚俺のストーカーを継続していたなんて思わなかったよ」

「……いいでしょう、お爺様―――十傑評議会第十席として、この薙切えりなもその食戟を認めます。この場で、美作昴と黒瀬恋の食戟を執り行わせていただけますか?」

 

 美作の策は天晴というべきだった。

 夏休みの間に恋が創真達に指示して行動して貰っていることを、おそらく選抜メンバーのストーキングをしている間に気が付いたのだろう。そして恋が戻ってこようとしていることを知り、ならばと密かに美作も行動していた。

 そして恋の策が芽を出すよりも早く、美作は全ての準備を整えたのだ。

 

「……良かろう、十傑評議会での決定は学園運営における最高決定権である。この場にて、美作昴と黒瀬恋の食戟を認めよう!! そしてその勝者が、秋の選抜準決勝に進出する者とする!!」

 

 そしてその策はえりなの許可を以て完成。

 薙切仙左衛門の宣言と共に―――黒瀬恋が遠月学園へと舞い戻ってきた。

 

 

 




次回 美作昴VS黒瀬恋 食戟
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三十三話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
前回の書類署名欄の部分、名前の順番を変更しました。


 ◇ ◆ ◇

 

 

「……なるほどな。つまり美作は俺達に、退学にした黒瀬を戻す書類に署名しろと言うんだな?」

「ハハッ! 叡山の奴がなんか言い出したかと思ったら、密告者ってお前かぁ!」

 

 選抜予選が開始される一週間前、選抜運営の為に学園に登校していた二人の生徒に対し、美作昴は交渉を行った。

 その二人というのが、十傑評議会第一席である司瑛士と第二席である小林竜胆。共に現時点でこの遠月の頂点たる人物達だった。彼らは三年であり、一年である美作の持ってきた話を聞く義理もなかったのだが、美作にはこの交渉に対する勝算があった。

 

 書類を見てうーんと悩む様子を見せる司に対し、竜胆はニマニマと成り行きを見守っている。

 

 そう、美作はこの二人に対しても綿密な調査を行った。夏休みという十分な時間を費やして、二人の関係性や性格、損得勘定、料理人として求めていることは何か、調べ上げたのである。

 結果、今回の交渉で説得しなければならないのは司瑛士唯一人だと考えていた。小林竜胆は自由奔放な人物であり、面白そうなことには寛容だ。司瑛士さえ頷けば、小林竜胆はきっと乗ってくると確信している。

 だからこそ、その為の準備を整えてきたのだ。

 

「……うーん、だがどんな理由であれ黒瀬は一度退学になっている。それはつまり学園にとって彼を在籍させる意味がないという決定だ……現に俺達も、味覚障害を持つ彼が料理人として成功する可能性は限りなくゼロに近いと思ったからこそ、賛同したわけだからな」

「うんうん、確かにそーだな」

「お前がどう思っているのかは別として、俺達も意地悪で辞めさせたわけじゃない。人一人の人生を左右する以上、公平な視点で判断させて貰ったまでだ。進路を考える学生時代、やり直しを図るなら早いに越したことはないだろう?」

 

 至極正論。

 司達の主張は非の打ち所がないほどに正当で、十傑評議会として公平な判断を下したという事実だけを主張していた。あくまで黒瀬恋という人間の今後を考えて、早い内での再起が可能になる今退学にしただけ。それが学園にとっても、黒瀬自身にとっても、最適な判断だと思ったから。

 

 しかし美作はその意見に対し、交渉カードを切る。

 

「でも、その黒瀬が選抜を優勝するほどの実力の持ち主であったなら……どうすか?」

「! ……確かに、仮にそれほどの腕の持ち主であれば、逆に彼の退学は遠月の損失だな……だが彼が優勝出来る保証がどこにある? 彼が選抜に選ばれていたとして、予選を勝ち抜き本戦に出場出来る確信は? その上で本戦を勝ち抜き優勝するという確証は? それをどうやって証明するつもりだ?」

 

 ここだ―――美作は此処で最大の勝負に出る。

 

「俺が選抜本戦まで勝ち進みます。その俺に黒瀬が勝ったなら、可能性は低くないでしょう?」

 

 司と竜胆はその主張に目を見開いて驚愕する。

 この時点で美作が提示した条件は、美作と黒瀬恋の食戟を認めるということだけ。詳しい契約内容の書かれた書類は未だ渡していなかった。だからこそ司も竜胆も、その首を縦に振ることを良しとしなかったのだ。

 

 美作は本当の書類を渡す。

 そこに書かれている内容に目を通し、司も竜胆も正気かと思った。

 

「……つまり美作が本戦第一回戦を勝つこと、当の黒瀬が会場にいて食戟を承諾―――つまり復学の意思を見せること、そして俺達の十傑の過半数が同意することを条件に、この食戟を行わせて欲しい……そういうことだな?」

「はい、その中のどれか一つでも満たせなかったのなら……今回の話は無かったことにして貰って構いません」

「……一つ目はともかく、二つ目……黒瀬の意思についてだが、事前にこの書類内容のことを知らせれば達成出来る条件じゃないか?」

「いえ、黒瀬には一切知らせません」

「! ……つまりお前は何も知らせず選抜本戦会場に黒瀬が来ると? そしてこの内容を知らせずに食戟を挑む旨だけを伝えて、彼がそれを承諾すると言うんだな?」

 

 この時点で、美作は掛かったと思った。

 即座に却下しないということは、司自身もこの話を受け入れる余地があるかどうかを考えているということ。そこが美作が唯一突ける隙であった。

 

 その為に此処まで苦しい条件まで付けて話を持ってきたのだから。

 

「はい、こう言っちゃなんですが……これは俺のプライドの問題っす。黒瀬恋は一年の中でもトップクラスの腕の持ち主……そんな奴に勝たずして遠月の頂点を獲ったなんて到底思えない。奴から逃げたなんて事実自体、俺にとっちゃ到底認められたものじゃないんスよ」

「確かに……お前の持ってきた話を鑑みれば、食戟を行って優劣を付けることだけが目的だな……けれど仮に黒瀬が本戦準決勝進出を決めたお前に、大観衆が集まっている中で勝利したのなら、遠月学園としてはそれを無視することは出来ない……彼の退学を取り消さざるを得ない、か……なるほど、美作自身にとっても、遠月にとっても利があるよく考えられた書類だ」

 

 司は美作の書類内容を今一度確認して、良くもまぁ考えてきたものだと感心する。

 要約すれば、美作の要望は黒瀬との食戟を行うことだけだ。

 しかしその勝敗に付随する遠月学園のメリットデメリットをしっかり考えた上で、これだけの条件を用意してきている。

 これらの条件を満たせば、美作は黒瀬恋と食戟を行うことが出来る。

 その食戟で黒瀬が勝利した場合、実力主義であると謳っている遠月が不当な退学を行ったという不名誉が生まれるが、それもこの食戟を通せば、在校生徒の主張を聞き入れ復学の機会を与えたということで消失させられる。同時に遠月学園にとっても優秀な料理人の確保が出来るのだ。

 

 最初から此処に話を持っていくことが、美作の交渉だったのだろう。

 司は頷きながら美作の執念を感じ取った。

 

「けどよー、それもあたし達が認めなきゃ実現しないんだろ? 当日は秋の選抜真っ只中なんだし」

 

 けれど、そこで小林竜胆が口を挟む。

 そう、食戟が実現した場合の美作、遠月学園双方に与えられるメリットに関しては良く考えられていると思うが、そもそも食戟の実現が為されなかった場合は意味がない。根本的な話、この書類が成立しない以上は美作の持ってきた話は帳消しだ。

 それに、大前提の話がまだクリアされていない。

 

「そうだな……確かに食戟を行って選抜本戦出場者である美作に勝利すれば、黒瀬の実力を証明することが出来るが……現時点で黒瀬の実力は美作が主張しているだけのものだ。秋の選抜は大勢の出資者や美食家が見に来る神聖な祭典……その本戦会場も本来は十傑同士の戦いでしか使用が認められない、重要施設なんだ。黒瀬本人に、そこを使って食戟するだけの実力があるかどうか……その証明が此処で出来ないのであれば、この話は認められない」

「さぁ美作、その証明を此処で見せてみろ」

 

 流石は十傑第一席と二席、勢いと流れでは認めては貰えない。

 しっかり大前提の話を提示して、それを証明出来なければこの話を受け入れることは出来ないと言ってきた。黒瀬恋の実力がこの書類を認めるに値するものであるかどうか、それを証明出来なければ、神聖な秋の選抜本戦会場を使った食戟など到底認められるものではない。

 司は淡々と、竜胆は期待をするように、美作を見た。

 

 ―――此処が美作が決定的な一撃を出すべきタイミングだった。

 

「これで、その証明になりますか?」

 

 美作が取り出したのは、複数のエアメール便箋だった。

 そして便箋から取り出された複数枚の書類が司と竜胆に手渡される。

 

「これは……!」

「うはっ!」

 

 一枚、また一枚とその書類を全て確認していくと、まさかこの食戟の為にここまでの物を用意したのかと驚愕を隠しえない。

 美作は改めて、その書類の正体を口にした。

 

「それは――遠月卒業生の方々の、黒瀬恋復学に対する署名です」

 

 美作が用意したのは、遠月学園卒業生の力を借りた書類だった。到達率一桁の超実力者であり、今はそれぞれがそれぞれの店を持つスター料理人達の名前と意思表示が、直筆で書かれていた。

 四宮小次郎、乾日向子、水原冬美、堂島銀……名前を確認していくと、おそらく今年の強化合宿に来ていた卒業生達に協力を仰いだことが分かる。エアメールの便箋から、美作が連絡を取ってすぐにこれらの署名書類を書いて送ってきたということも証明される。

 

 美作は恋のストーキングをしていたから知っていたのだ。四宮達が黒瀬恋という料理人を認めていたことを。だからこそ協力を仰げば応えてくれると思っていた。とはいえ、協力して貰えるのかどうかは賭けでもあったが。

 これだけの物を揃えれば、認められると確信して。

 

「お、どろいたな……まさか卒業生に此処までさせる料理人なのか、黒瀬は」

「てかこれがあれば単純に退学を取り消すことだって出来るんじゃねぇの? なのに食戟をすることがお前の目的なのか?」

「……俺は別に黒瀬を退学から救いたいわけじゃないんで……あくまで俺は俺のやり方で奴に勝てることを証明したいだけっす。その為に黒瀬の退学を取り消す必要があるから、条件に加えただけなんで」

「……なるほど、あくまで黒瀬の為ではなくお前自身の為というわけか……良いだろう、俺はこの書類にサインするよ。竜胆は?」

「……良いぜ、こいつがどんな料理を作るのか気になるしな」

 

 サラサラと署名欄にサインする司と竜胆。

 それを確認し、書類を受け取った時点で、ホッと溜息を吐く美作。黒瀬の為ではなく、あくまで自分の為であるが、此処まで労力を割いてようやく勝ち取れた食戟の権利。

 微に入り細を穿つという性格をしている美作にとって、今回は賭けの要素が多すぎた。それに今後自分の選抜本戦勝ち抜きや、黒瀬自身の承諾を得るといった条件を満たす必要がある。

 

 やらなければならないことはまだまだ沢山あるのだ。

 

「ああそうだ司先輩……黒瀬は他人のサポートに付けば、メイン料理人の腕を十二分に引き出す力を持った料理人っすよ」

「……そうか、良い話を聞いた」

 

 最後に美作は司にそう言って部屋を去る。

 去り際に見た、司の期待するような瞳を見て少し気分が良くなった。

 

 黒瀬の為ではない――けれど、黒瀬のせいでこんな労力を割いているのだから、未来の黒瀬にちょっとした面倒事を押し付けてやったのである。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

 食戟を行う宣言を仙左衛門がした直後、タクミと美作が使っていた厨房に食材が運ばれてきた。運んできたのは十傑評議会第一席である司瑛士だった。

 突然遠月の頂点である司の登場に、会場全体が騒然となる。

 司は美作の持ってきた話が実現したことに、強い感心を抱きながらその食材をそれぞれの厨房の横に配置した。用意された食材は全く同じ物。タクミとの勝負でも同じ食材同士を用意していたので、ほんの少しデジャブを感じる光景だった。

 

 そして司は、十傑評議会代表としてこの場を取り仕切るべく口を開く。

 

「どうも十傑評議会第一席、司瑛士です。今回、十傑評議会代表として美作昴と黒瀬恋の食戟を取り仕切らせて貰います」

 

 十傑評議会の決定で行われるこの食戟―――であれば確かに、第一席である司瑛士が出てくるのも理解出来る。会場のざわつきが抑えられ、司の言葉を聞こうとする意思が強くなった。

 

「審査員はこのまま、美食業界の碩学であられる皆様にお願いします。秋の選抜本戦の出場権を賭けた食戟である以上、この食戟も選抜本戦と同様の形式で行いたいと思います……既に四試合もの料理を食している審査員の皆様のことを考えて、テーマは『スープ料理』。この場に相応しい品を期待する」

 

 美作が厨房に付くと、観戦席から下の会場へと黒瀬が現れた。

 周藤怪との食戟でも見せた、黒い調理服に身を包んだ黒瀬恋。料理人としての姿を見せたからか、彼自身から感じられる闘志がひりひり肌を焼く。会場全体が、黒瀬恋という料理人に注目していた。

 

 退学になってから約二ヵ月、知らず知らずの内にフラストレーションが溜まっていたのだろう。居たい場所に居られず、自分が居られない場所で素晴らしい戦いを繰り広げる同級生達を見て、彼の中で沸々と闘志が育っていたのだ。

 そしてそれが美作の行動によって、解放されてしまった。

 一年生達は黒瀬恋という料理人が何故退学になったのか、この場にいたならどんな品を作ったのか、頭の片隅で疑問を抱いていた。けれどその疑問の答えが今、この場で創造される。

 

 知らず知らずの内に、期待という感情が膨れ上がっていた。

 

「感謝するよ美作……お礼に全力で相手を務めよう」

「……っ……望むところだ……お前が編入してから、誰よりもお前の全てを追跡し続けた……そして選抜準決勝まで来たんだ! 今の俺ならお前のトレースだって出来る!!」

「したけりゃすればいい、お前の全力で来いよ」

 

 全ての料理人に対してリスペクトを持つ非才の料理人、黒瀬恋。

 だが、一度厨房に立てば料理人として対等であると闘志を燃やす。己の障害はハンデではない。ハンデにする気も、言い訳にする気もない。やるからには対等な立場で、己の全力を以て勝つ。

 

 恋も厨房に立った。

 

「……では、食戟―――開始!!」

 

 そして司の宣言を以て、美作昴と黒瀬恋、様々な思惑を以て実現された大勝負が今火蓋を切った。

 

 




次回、決着。
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三十四話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
今回はあとがきに黒瀬恋君のキャライラストを掲載しました。
ざっくり描いたので雑なイラストで申し訳ありませんが、読んでいく際のイメージに役立てばと思います汗


 食戟が開始されて、同時に調理に入った恋と美作。

 恋が手に取った食材は、鶏肉と人参、長ねぎ、干し棗、にんにく、生姜、昆布など。それを手早く下処理していき、スープ作りを進めていく。その無駄のない調理姿はとても簡単そうに見えて、観客達の視線がグッと集まっていた。

 そしてそれを見た美作昴が、恋が何を作ろうとしているのかを確認してから動き出す。

 

 事前に何かを作ろうとして集めた食材ではなく、無作為に集められた食材の中で即興で何かを作るのだ。流石の美作昴であっても、そこから恋が何を作るのかを想定するのは難しかった。

 だが食材さえ分かれば、おのずと何を作ろうとしているのか察することが出来る。美作も同じ食材を手にして倣う様に調理に入った。

 

「(―――黒瀬の取った食材、おそらく作ろうしているのは『参鶏湯』!! 韓国の王道スープ料理だが、滋養強壮の効果があり、まさしく食後の胃腸に優しい料理!! その食材からまさしくお前が選ぶ品だ!!)」

「見ろ!! 美作の奴、黒瀬と遜色ない無駄のない動きだ!!」

「何ぃ!?」

 

 そして美作が見せたのは宣言通り、黒瀬恋の完全なトレースだった。少し出遅れたものの、編入してきてからずっと恋のことを追い続けてきた美作は、遂にイメージと自分の動きを合致させることに成功したのだ。

 食材の下処理を済ませ、鶏肉のカットに入る。

 もち米を鶏肉に詰めたりすることでよりボリュームを増すことも出来るが、時間が掛かるし何より審査員の腹の容量的にも優しくない。両者今回はスープ作りにのみ注力していた。

 

 だが、美作の表情がどんどん険しくなっていく。

 

「(くっ……嘘だろテメェ……!! まだ―――!?)」

「悪いな美作―――これは俺がお前達に勝つために身に付けた物だ……簡単に真似できるのなら、俺は此処にいない」

「く、そっ……!!」

 

 今までのトレースとイメージトレーニングに加え、目の前で調理をする手本すらいるこの状況で、美作は恋の動きをトレース出来なくなっていく。

 何故なら恋の動きがより迷いなく、より洗練されていくからだ。調理の中でどんどん無駄を削ぎ落し、その料理のクオリティを再現なく高めていく。次第に美作の作業が置いて行かれていた。

 

 やっていることはわかる。でもその通りに身体が動いてくれない。

 幾百、幾千、幾万回と身体に叩きこんだ基礎――それをただのセンスだけで真似しようなどと、土台無理な話なのだ。

 

「ぐぉぉおおおっ!! ならァ!! ―――アレンジで勝負だ!!」

 

 美作は煮込みだしたそのスープの中に、ジャスミンティーを入れた。

 他人の努力を掠め取ってアレンジを加えることで勝ってきた美作昴の本領。本来参鶏湯において鶏の肉に残った臭みを消すのは一つの課題であるが、美作はそれにジャスミンティーの風味を加えることでアプローチをしたのだ。

 華やかな風味が加わり、美作のスープのクオリティが上がったと誰もが感じる。

 

 そしてスープの灰汁を処理していき、しばらく煮込んでいく両者。

 

 恋は美作のアレンジに対して、特に何をすることもなかった。タクミの様に即興でのアレンジをするわけでもなく、ただ淡々と自分の調理を進めていく。まるでそれだけでいいと自信を持っているかのように。

 

「完成だ」

 

 そして出だしが遅れた分、先に完成させたのは恋の方だった。

 審査員達は料理風景と目の前に置かれた参鶏湯を見るだけで、それが美味いことを確信していた。かつて強化合宿で四宮小次郎が恋に感じたことと同じ――無駄のない調理、最適な技術を最適に行使した料理、それだけのものが揃っていて不味ければそんなコミカルな話はない。

 

 一口啜れば、その確信が証明される。

 

「―――美味い……」

 

 ほぅ、と溜息を吐き、思わず陶酔するほどの完成度。余計なものなど何もない、使われた食材全てが調和し、まさしく一つの料理として産声を上げていた。

 

 薙切仙左衛門はそのわずかな陶酔から目覚めた瞬間、己の服が脱がされていることに気が付く。あまりの美味さ、あまりの完成度に自然とはだけてしまっていたらしい。

 これは薙切家の者が美味な料理を食べた時に起こる現象であり、あまりの美味さに思わず肌を晒してしまうのだ。しかももっと驚きだったのは、仙左衛門以外の審査員の服もはだけていることである。これも薙切家の者が美味な料理を食べた時の現象であり、先の現象を『おはだけ』というのなら、周囲の服すらもはだけさせるこの現象は『おさずけ』と呼ばれる。

 つまりその現象が起こったということは、それだけ恋の料理の完成度が高かったということだ。

 

「比較するわけではないが……先の美作昴とタクミ・アルディーニの品を越えた衝撃があった……これほどの料理人が選抜に出ていなかったとは……!!」

「うむ……美作昴の言葉は正しかったということじゃな」

 

 審査員の一人の言葉に、仙左衛門が頷きを返す。

 すると、その直後に美作のスープが完成した。ジャスミンティーを入れたことによる風味の違いが分かり、審査員達も明らかに恋の料理に加わったアレンジが変化を起こしていることを感じている。

 

 だがしかし、そのスープを一口啜った瞬間―――審査員達の表情が曇った。

 

「……美作、焦ったなお前」

「……っ……」

 

 恋の言葉に、美作は歯を食いしばって俯く。

 彼自身も分かっているのだ、己のアレンジが失敗したということを。

 

「……愚か、とは言わぬ。だが、己のやりかたの限界を知ったか……美作よ」

「はい……」

 

 仙左衛門の言葉に、美作は膝を突いた。

 観客は何が起こったのかを分からないでいる。美作のスープが失敗という意味はなんなのか、そして彼が行った一見良さげに見えたアレンジが、どういう結果を招いたのか。

 

 仙左衛門がそれを改めて説明した。

 

「……参鶏湯における鶏の臭みを消すため、また風味に変化を齎すためにジャスミンティーを使ったのは一見良い選択じゃ……だが、黒瀬恋のトレースを行ったことが仇になったな……彼の調理技術で行われた下処理の段階で、鳥の臭みはほとんど消されていたのだ……そして煮込むことでその臭みは完全に消えていた。しかし美作昴はそこにジャスミンティーを入れたことで、全く別の強い香りをプラスしてしまったのだ。それがスープ本来の香りと喧嘩してしまっておる……!!」

「下処理まで行っていた俺のトレースはほとんど遜色無かった。けど、トレースで追いきれなくなった段階でお前はアレンジで勝負を仕掛けたな」

「それは……逃げ、だったのか」

 

 恋の言葉が決定的だった。トレースをし、そこからアレンジをして勝利を収めるやり方を貫いた美作だったが、恋に勝利を収めるのであればそのトレースから逃げてはいけなかったのだ。きっちり最後までトレースをし続け、その上でアレンジを加えるべきだった。

 トレースから逃げた美作に、勝機はなかったのである。

 

「俺の……負けだ」

 

 敗北を認める美作。

 そしてその次の瞬間、審査員が結果を発表する。

 

 満場一致――――黒瀬恋の勝利だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 食戟が終わり、恋の選抜準決勝進出が決まった。

 予定外の五戦目があったとはいえ、非常に盛り上がった本戦第一回戦を終えて、秋の選抜の熱は最高潮に上っている。

 そして会場内の観客が全員退場した後、選手たちも着替えて裏口から退場していく。会場内には観客選手共にほとんど人がいなくなっていた。

 

 そんな中で、恋は会場内に残っていた。

 というのも条件付きとはいえ退学を取り消されることになったので、司瑛士が準備していた生徒手帳などの受領があったのである。

 会場内で二人きり、第一席である司瑛士に向かい合う恋。白髪のストレートヘアに銀色の瞳を持つ司と、黒髪の癖っ毛に金色の瞳を持つ恋。背丈もほとんど変わらないので、一見して対照的な二人だった。

 

「まずは勝利おめでとう黒瀬……これ、お前の生徒手帳だ」

「どうも」

「素晴らしかったよ、黒瀬の調理技術はまさに基礎を突き詰めた極地だった。美作の話以上の良い腕してるんだな」

「光栄ですね、第一席の貴方に言われるなんて」

「謙遜しなくていい、お前の腕は誇るべきものだ……味覚障害を抱えていても、それほどの腕があれば確かに関係ないな」

 

 司は生徒手帳を手渡しながら、恋の料理を手放しに褒めた。

 恋もその言葉に軽く頭を下げるが、司の言動がどこか別の所を見ているような感覚があり、素直に喜ぶことも出来ずにいる。味覚障害を抱えていることを変わらず致命的な欠点と見ているらしいが、彼にとっては恋の高い調理技術が素晴らしいものに見えているようだ。

 怪訝に思う恋に、司は不意に笑みを浮かべる。

 

「……単刀直入に言おうか、今から俺と一緒に料理をしてくれないか? この会場を使うわけにはいかないが、事前に厨房は抑えてあるんだ」

「第一席と俺で、料理ですか?」

「ああ、メインは俺が作るから……黒瀬にはそのサポートをお願いしたい」

「……どういうつもりでしょうか?」

「何、そう警戒しなくていい。単に美作の話を聞いて興味が沸いたんだ……一度お前と料理がしてみたくなっただけさ」

 

 そんな司の言葉を受けて、恋はどうするかと思ったが―――第一席と料理が出来るなら良い機会かと思ってそれを承諾する。頷いた恋を見て、司はぱぁっと表情を明るくさせた。

 嬉しかったのか、恋の手を取って上下に振る。

 

「ありがとう! じゃあ早速行こうか、食戟のあとで悪いが竜胆も待たせてるんだ」

「第二席の小林竜胆先輩ですか?」

「ああ、彼女も黒瀬のことが気になっているらしくてな、俺と一緒に作った料理を食べてみたいんだそうだ。どうせだから試食係を頼んだんだ」

「なるほど……」

「少し距離感の近い奴だけど、悪い奴じゃないから緊張しなくていい。さぁ、行こうか」

 

 司瑛士の印象からは少々意外だったが、妙にぐいぐい来る司に恋は戸惑いを覚えつつ、背中を押されるようにして会場を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 そして会場すぐ近くの校舎内、厨房室の一つへと移動すると、中には待ちくたびれたのか、いくつかの料理を食べ終えた後の皿が数枚あるテーブルに、小林竜胆が頬杖を突いて待っていた。

 退屈そうにしていたけれど、司と恋が入ってきたことで表情を明るくする。興味の対象がやってきただけだというのに、かなりテンションの上がり下がりが激しい人だという印象を抱く恋。

 

「おー! やっと来たか、待ちくたびれたぞ司ぁ!」

「悪いな、でも快く承諾してくれたよ。黒瀬、こっちが小林竜胆だ……まぁテンションは高いが、気にしないでくれ」

「どうも、一年の黒瀬恋です」

「黒瀬恋なー、あたしのことは竜胆先輩と呼んでくれ。さっきの試合も見てたぜ、参鶏湯めちゃ美味そうだったな!」

 

 がしっと恋の肩に腕を回して挨拶してくる竜胆に、恋は確かに距離感の近い人だなと思いながら苦笑する。ブラウスのボタンを大きく開けた制服の着こなしは異様に煽情的だが、恋は最近えりなの全裸を見たばかりだ。これくらいで動揺するようなメンタルはしていない。

 自然な動きで竜胆から離れた恋は、竜胆を紹介しただけで仲介してはくれない司を見る。彼は先ほどの紹介でやることはすませたとばかりに、厨房で料理の準備をしていた。

 

 この時点で、恋は司の我儘な部分に苦笑する。常識人かと思えば、料理に関しては大分自分の世界がある人物らしい。

 

「さ、やろうか黒瀬。今回作る品は五品、レシピはコレだが……黒瀬にはサポートとして食材の下処理からやってもらいたい」

「……はい、わかりました」

 

 渡されたレシピをざっと目を通し、それがフランス料理の品々であることを理解する。恋は別段問題ないと判断して、レシピを軽く浚っただけで頷きを返した。

 その反応によし、と頷いた司が包丁を手に取ると、恋も厨房の中へと足を踏み入れる。この二ヵ月城一郎のサポートをしていた恋をしても、司の纏う雰囲気で只者ではないことが伝わってきた。

 十傑第一席という称号は伊達ではないということなのだろう。

 

「じゃあ、調理開始だ―――」

 

 司のその言葉と同時、十傑第一席と恋の調理が始まった。

 

 

 




黒瀬恋 キャライラスト

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三十五話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 先の美作との食戟で黒瀬の料理を見た時―――彼の腕に俺は期待した。

 

 なるほど確かに無駄のない調理、それを支える基礎を突き詰めた高い技術力、迷いのなさから感じ取れる知識量とその応用力、時には全く視線を送らずに調理器具に手を伸ばす姿を見れば、彼の視野がどれほど広いのかが伺えた。

 黒瀬の料理は一種の理想形だ。スタイルで言えば、俺のスタイルにとても近い。

 調理の過程や目指す理想は違うのかもしれないが、結果的に俺とほぼ同質の料理を生み出している。皿の上で食材が調和し、一種の芸術的世界観を生み出していた。

 

 だから美作の言葉を聞いて期待していた俺の心は、思いっきりぶん殴られたような衝撃を受けたのだろう。

 

 俺は自分の料理をどこまでも理想に近づけたい。極上の美食として、俺の料理が高みに至れるように。美食の代名詞に俺の料理が選ばれるくらいに、俺は自分の料理が最高の物であって欲しいと思っている。

 だから彼なら―――黒瀬なら、俺の目指している料理に辿り着かせてくれるのではないかと思った。

 今まで出会ったどんな料理人よりも純粋で、そして芸術とすら思える技術力を持ち、そして俺と同質の料理を作り上げるスタイル。運命というものが存在するとしたら、これこそがまさに運命の出会いだと思う。

 

 俺はそれほどに、黒瀬恋という料理人に焦がれたのだ。

 

「黒瀬」

「はい」

 

 調理を始めてどれくらい経ったのだろう。

 調理開始と言った瞬間から、十秒も経てば俺の意識は今までにないくらいに料理に没頭した。なんて料理しやすいのだろうと、瞬時に感じさせられたからだ。

 指示を出さずとも、全て伝わっている感覚。俺の思考が僅かなラグもなく、黒瀬に理解されているような錯覚を覚えるほどに、欲しい物が欲しい形で欲しいままに傍に現れるのだ。

 

 黒瀬の存在を忘れるほどに、俺はただただ料理に集中することが出来た。

 

 食材の声というものがあるのなら、俺は今それを聞いていると思う。今までにないくらい、不安や心配という感情が払拭されている。ただただ、目の前の食材と対話することが出来ていた。

 無駄なものが入ってこない――無駄な時間も、無駄な手間も、無駄な音も、一切俺の意識から除外されているのが分かる。

 そこには黒瀬という存在がいるのに、それを邪魔に思えないほど自然に存在していた。楽しい、そう思う以上に快感だった。

 

「ハハッ……!」

 

 なんだこの感覚は。俺は今本当に料理をしているのか? 無駄な工程が全て黒瀬のサポートで省かれて、俺が通りたい道がクリアに開かれていくような感覚。俺はただ、そこを歩くだけでいい。目の前にある食材を、あるべき自然な状態へと昇華させることだけに集中すればいいんだ。

 

「―――」

「―――」

 

 俺がどこを意識しているのか、今どの工程をやっているのか、黒瀬には全て見えている。なんて広い視野を持っているんだ、黒瀬は。

 こんなこと、誰にも出来やしない。

 

 "黒瀬のサポートは、メイン料理人の実力を十二分に引き出す"

 

 美作の言う通りだな。

 黒瀬は並外れた広い視野と、複数のことを同時に進められる高い並列処理能力(マルチタスク)を持っている。だからこそこれだけのことが出来るのだろう。

 例えば、図書室で友達と試験勉強をする時……友達が深く集中している姿を見ると、自分も自然と集中出来るということがある。黒瀬はサポートに付いた時、それを意図的に引き出せるんだ。

 

 黒瀬の広い視野と並列処理能力でメイン料理人の煩わしい作業を全て省き、ひりつく様な集中力を感じさせることでメイン料理人の感覚を研ぎ澄ましている。これを意図的にやっているのかどうかは分からないが、彼がサポートに入った料理人は、その実力を百パーセント以上に発揮することが出来るということだ。

 どれだけ調子の良い時でも、雑念や無駄を感じることで人は大体八割程度の実力しか出せない。

 だが黒瀬がサポートに入れば、どんな料理人も自分の持つポテンシャルを全て発揮することが出来るんだ。

 

「―――ハッ……?」

 

 気が付けば、俺の目の前に五品の料理が完成していた。

 俺は料理をした実感すらなく、目の前の料理が今まで俺が作ってきたどの料理をも凌駕する出来だと確信する。俺に、此処までの品が作れたのかと自分で驚愕するほどだった。

 

 振り向けば、そこにいた黒瀬は少し疲れた様に指を交差させてぐいーっと伸ばしている最中だった。あれだけのサポートをしておきながら息切れもなく、多少筋肉が熱を持った程度らしい。

 

「なぁ司、食べてもいいか?」

「あ……あぁ、食べてみてくれ―――っとと!?」

「おいおい、大丈夫か司?」

 

 不意に竜胆が話しかけてくる。

 瞬間、時間を越えて動いていたような感覚が現実に引き戻され、同時にたたらを踏んで椅子に腰を落としてしまった。じんわりと汗が滲み出し、自分がどれほど集中していたのかを理解する。

 自分のポテンシャルを全て引き出されたことで、料理をしている最中は気付かないほどに疲弊していたらしい。別に動けないほどではないが、ずっしりと身体が重いのを感じる。

 

「俺も食べていいですか?」

「黒瀬……ああ、構わないが……お前は……」

「確かに味はわかりませんが……何も感じないわけではないので」

「……そうか、じゃあ是非食べてみてくれ。お前のおかげで最高傑作だからな」

 

 俺がただ疲労しただけなのを理解したからだろう、竜胆はキラキラとした目で俺の作った料理に手を伸ばし、黒瀬もまた一口、口に入れた。

 俺も自分がどれほどの料理を作ることが出来たのかを知るために、遅れて一口食べる。

 

 瞬間―――俺の目から自然と涙が零れていた。

 

「あれ……?」

 

 見れば竜胆も、いつも美味い美味いと大きなリアクションをするのに、ただただ静かに咀嚼して、ほろりと一筋の涙を流している。黒瀬だけは、味覚障害のせいだろうか、いつも通りだが。

 

 ああ、でも分かる。

 自分で作った料理だけれど、自画自賛のようだけれど、この料理は俺が今まで作ってきたどんな料理よりも遥かに――食材が生き生きとしているのが分かった。

 あるがままの自然に生きていた彼らの生の躍動を感じる。種も生きていた場所も、その在り方すらも全く違った生き物達が、一つの料理の中で調和していた。

 

 この地球上のどこにだって存在しない理想郷―――その光景を幻視するほどの感動がある。

 

 だからこそ、俺の身体と心が感じた感動が……そのまま涙となって流れたんだ。

 涙を流すことを躊躇する感情も無かった。ただただ自然に涙が流れた。そうすることが当然の様に、心と身体がまさしく一致した瞬間を味わったんだ。

 

「……はぁ……美味しい」

 

 そうして長い間感動に浸った後、あの竜胆が呟くように、陶酔するように静かにそう漏らした。美味しいと、人は此処まで心から言葉にすることが出来るのだと思った。

 

「ああ……美味しいな」

 

 自分の料理で、此処まで感動できるなんてな。

 

「黒瀬……お前は俺の想像以上だった。こんな感動を味わえるなんて、思っていなかったよ」

「そうですか……俺はあんまり実感ないので、申し訳ないですけど」

「ハハ、だろうな。だが俺はお前の力に感動したよ」

 

 それもこれも黒瀬恋という料理人の力あってのことだ。

 彼の腕があれば、俺の料理はまだまだ高みへと昇ることが出来る。この人生でたった一度あるかないかの感動の、その先へと俺を連れて行ってくれる気がした。

 

 だからだろう、俺は彼を心から尊敬し、そして欲したのだ。

 

「なぁ黒瀬……俺の懐刀になる気はないか?」

「……司先輩の?」

「そうだ。俺が卒業してからも、この先のお前の料理人としての人生を俺にくれないか? 俺はお前と一緒に、生涯ずっと料理がしたい」

 

 心からの言葉だった。

 俺は黒瀬と共に、どこまでも、どこまでも羽ばたいていきたい。俺と黒瀬でなら、きっと見果てぬ高みへと到達出来ると確信出来たから。

 

 俺の人生に、黒瀬恋がいないなど最早考えられない。

 

「……まるでプロポーズみたいなことを言いますね」

「ハハ、確かにな……だが気持ち的にはそれくらいの想いでお前を口説いているつもりだよ」

「けど、司先輩が欲しいのは俺のサポートであって、俺の料理ではないでしょう?」

「ああ、そうだな。黒瀬の料理は素晴らしいが、俺が欲しいのはお前のサポートとしての腕だ」

「なら、その話は胸に仕舞ってください。そんな我儘な口説かれ方では、承諾出来ません」

 

 黒瀬は俺の誘いを断った。

 どうして――そう思うが、言葉の内容を汲み取れば黒瀬も料理人。俺がそうであるように、自分の料理にも相応の誇りや価値があるのだろう。俺の懐刀になることでソレが蔑ろにされるのならば、確かに承諾しかねるのも分かった。

 けれど、黒瀬はそこで言葉を止めずに、更にこう続ける。驚くべき発言は、俺も竜胆も度肝を抜かれた程大胆だった。

 

「それに―――俺は遠月の頂点を獲るつもりなんで、それを言うなら司先輩が俺の懐刀になる方が正しいでしょう?」

 

 その言葉は、黒瀬の中で第一席である俺や竜胆にも負けないという強い意思があることを物語っていた。まさか一年の黒瀬に、お前が下だと言い切られるとは思わなかったな。だが不思議と嫌な気分ではない。寧ろ、今までずっと自分自身と料理だけだった俺の世界に、初めて好敵手と呼べるような存在が出現したことを喜んでいるような気分だった。

 

 そうか、確かにそうだ。

 俺が美作に言ったことだったな……食戟を行うだけの実力を黒瀬が持っていると証明しろと、でなければ認めないと、俺は言ったじゃないか。それと同じことだ。

 俺が黒瀬恋を懐刀に出来るほどの料理人だと、俺は未だ証明していない。

 

「……そうか、なら然るべき場所でいずれもう一度口説かせて貰おう」

「諦めるという選択はないんですね」

「当然だ、俺はもうお前のいない人生なんて考えられない」

 

 諦める? それこそあり得ない。

 遠月の頂点……第一席に座った段階で、そんなものに興味はなかった。俺はただ自分の料理とひたすら向き合ってきただけだったから。

 だが黒瀬を振り向かせる手段が、遠月の頂点を証明することだと言うのなら、そうしよう。そして黒瀬自身を下して、俺は黒瀬を手に入れてみせる。

 

「―――いずれお前に、食戟を申し込む」

「……へぇ」

「俺が勝ったら、お前には俺の懐刀になってもらう。この先の人生を賭けて貰うぞ」

「俺が勝ったら、どうする?」

 

 黒瀬の口調が変わる。

 食戟を挑んだからだろう。今、この場にいるのは司瑛士という料理人と、黒瀬恋という料理人。そこに上下関係はなく、ただただ対等に競い合う好敵手だった。

 

 黒瀬が勝ったら、そんなもの決まっている。俺は黒瀬の人生を賭けさせるのだから、俺もそれに見合ったものを賭ける。

 

「当然……俺の全てを賭けよう」

 

 料理人を止めろと言われれば、止めよう。

 腕を切り落とせと言うのなら、そうしよう。

 一生召使をやれといわれれば、甘んじて受け入れよう。

 

 俺の人生の全てを賭けて、俺はお前を手に入れる。

 

 絶対に。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 司との食戟の件は一旦保留とし、今日の所は極星寮へと帰った恋。

 空はもうすっかり薄暗くなっており、久々に極星寮へ帰ることに感慨深いものを感じていた。懐かしさすら感じるが、これも今は条件付きのことだ。この後の選抜で優勝しなければ、恋の退学は覆らない。

 

 気を引き締めないとな、なんて思いながら極星寮への道を歩く。

 すると、その道の途中で人影が一つ現れた。恋の足が止まり、その人影に向かい合う。

 

「……随分と暗い顔してるな、美作」

「よう……黒瀬」

 

 其処に居たのは美作昴だった。

 恋に食戟で敗北した彼は、意気消沈と言った表情で佇んでいる。気力も覇気も消え失せている。恋に負けたことで、何もかもを失ったような顔をしていた。

 実際、彼は今まで信じていたやり方から逃げて敗北したのだ。その事実に対するショックは相当なものだろう。

 

 だが恋はそんな美作に対して、苦笑して歩み寄った。

 

「料理人、止めるなよ? 美作」

「な……なんでそんなことを言うんだ……俺は、お前を退学にした張本人だぞ。それに、今まで大勢の料理人の包丁を奪ってきたような男だ……俺のやり方が間違っていたってんなら、料理人をやる資格なんざ……」

「会場でも言っただろ。お前のやり方が必勝でない以上、敗北は当人の実力不足だって。お前のやり方は確かに料理人としては失格かもしれないが……それでも確かな実力に裏付けられたお前のスタイルだろう? お前にしか作れない料理がきっとある……だから、お前が料理人を辞めるのは勿体ない」

「黒瀬……お前」

 

 恋は美作が意気消沈している理由と、この場に現れた理由を察して、先んじてそれを止める。美作が料理人を辞めようとしているなど、恋は心から勿体ないと感じていた。

 どんなスタイルであろうと、そこに費やした努力を否定される謂れはないのだ。

 ストーカーして料理人の技術を掠め取る。それは裏を返せば、他人の技術を隅々まで学び取るということだ。模倣するだけでは勝てないのなら、学び取ったその全てを使って自分だけの料理を作ればいい。

 

 美作昴には、それが出来る可能性が秘められている。

 

「まぁ、奪った包丁は元の持ち主に返した方が良いかもな。お前がこれから料理人になるなら、百本の包丁はいささか大荷物過ぎる」

「……ハッ……違いねぇな……」

 

 恋が美作の肩をぽんと叩いて横を通り抜けていくと、美作は自嘲するように微かに笑ってそう言った。

 料理人として生きるのなら。そう、美作昴がこれから料理人になるのなら、今までの自分とは決別しなければならない。今までの人生の価値観を破壊して、一からまた作り上げるのだ。

 美作昴という、一人の料理人の人生を。

 

「ああ、そうだ……これから極星寮に帰るんだ。多分、幸平の準決勝出場のお祝いでもしてるだろうから、お前も来るか?」

「……おう、是非お邪魔させて貰うぜ」

 

 通り過ぎて行った恋の言葉に、美作は素直に頷いた。

 料理人として食戟で敗北した美作だったが、それ以上に黒瀬恋という男の器の大きさに改めて感服させられる。どん底に落とされた料理人失格の美作を、それでも価値ある料理人だと救い上げられる人間がどれほどいるだろうか。

 

「ありがとな……黒瀬」

「ハハ、感謝されることじゃない。お祝いは人が多い方が楽しいだろう」

「……そうだな」

 

 完敗だな。そう思う。

 

 ―――美作昴は、黒瀬恋という料理人に憧れてしまったのだから。

 

 

 




次回、本戦準決勝戦とか

沢山の感想お待ちしております✨
返信は私の無精で出来てませんが、いつも励みにさせていただいています汗
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三十六話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。

今回準決勝戦までいけませんでした汗


 黒瀬が戻ってきた夜、極星寮は大いに盛り上がった。

 別に目的があったけれど、条件付きとはいえ、美作の行動のおかげで黒瀬が戻ってきたんだ。後々帰ってきた黒瀬が連れてきた美作も、極星寮の奴らは快く迎え入れた。それくらい嬉しいことだったんだろうし、実際俺もやるせない気持ちがようやく晴れたような、そんな清々しさを感じている。

 

 皆すげぇ良い奴らばかりだ。

 内心では凄く悔しい気持ちがあるだろうに、それでも折れずに俺達の準決勝進出を喜んでくれた。秋の選抜は、一年の中での最強を決める戦い―――美作との食戟の前、そう言ったのはタクミだったかな。

 今ならその気持ちもよく分かる。

 この学園に入る前は、今更料理学校で何を学ぶんだって思っていた。俺はガキの頃からずっと『ゆきひら』の厨房で客を相手にしてきたし、これからも現場で腕を磨けばいいだろうって思っていたから。

 

 けど、いざこの学園に入ったあの日……いや、編入試験を受けたあの日、俺は初めて同年代で俺以上の腕を持つ奴を見た。思えば薙切もそうだったんだろうけれど、その実力を間近で見たのは、黒瀬恋が初めての奴だった。

 表情には出さなかったけれど、正直凄ぇって思った。同年代で、こんな奴がいるのかって、俺自身の自惚れを打ち砕かれた気分だったな。

 

 俺は一週間後、その凄い奴と戦う。

 

 あとから聞かされたことだったけれど、美作の代わりに準決勝に上がった時点で、俺はそのことを感じていたのかもしれない。黒瀬が勝った瞬間、ああ、俺はアイツと戦うんだなってそう思っていた。

 

 この学園に入って良かったと思う。

 あのまま『ゆきひら』に籠っていたら、知らなかった世界が、人が、こんなに沢山いたことも知らなかった。薙切、黒瀬、田所、にくみ、タクミ、葉山、薙切の従姉妹、美作、極星寮の皆、十傑の先輩達、卒業生の人達……皆それぞれのやり方で自分らしい料理を作ろうとしている。

 

 ―――俺は彼女に"料理"を教えてもらって、その時彼女を笑顔に出来る料理を作りたいと決めた。それだけだ。

 

 あの日、編入試験のあと、並んで歩いていた時に黒瀬はそう言った。

 薙切の為に料理人になったと。それだけが自分の全てだと言い切ることが出来ていた。

 あの時点で、黒瀬はきっと俺よりもずっと先を走っていたんだと思う。味覚障害を抱えているという事実を知った今となっては、その覚悟と意思の強さが良く分かる。

 

 ―――黒瀬は薙切のことが好きなのか?

 ―――好き? ……どうなんだろう、俺は恋愛経験はないからな。ただ、彼女には感謝してるし、尊敬もしてる。俺の人生を全部彼女にあげても良いと思えるくらいには、大切に想ってるよ。

 

 俺の単純な質問に、黒瀬はそう答えた。

 そう、それが全て。俺は恋愛とか、好きとか、まだよく分からないけれど、それでも黒瀬のその言葉を聞いた時、目の前にいるコイツは俺とは違う世界の人間だな、なんて思った。誰かを心から愛おしく思っている奴を、初めて見たから。

 

 ―――なんか、良いな……そういうの。

 

 だから、黒瀬にも聞こえないくらいの小さい声でそう呟いたのはきっと、俺がアイツを羨ましいと思ったから。

 恋愛がしたいわけじゃない。好きな人が欲しいわけでもない。ただ単純に羨ましかったんだ。漠然と料理をするわけじゃなく、食べさせてやりたい人がいて、その為にどこまでも努力出来る姿が。

 眩しくて、キラキラしていて、幸せそうで、強くて、そんな黒瀬の在り方を羨ましいと思ったんだ。

 

 コイツに勝ちたいと思った。

 同じ編入生、同じ年齢、けれど俺よりも腕の立つ料理人。第一印象がそうだったからかもしれないけど、俺は黒瀬を内心ライバル視していたと思う。そりゃそうだろ、入学して最初に出会ったのがアイツだったんだ。競い合う立場になる以上は、誰より負けたくないと思う。

 出会い方が違ったなら、こうは思わなかったかもしれないけどな。

 

「……創真くん」

「! 田所、起きてたのか」

「う、うん……ちょっと水を飲もうと思って。そしたら創真くんの姿が見えたから」

「そっか……」

 

 極星寮の玄関前、色々と考えながら階段に座って空を眺めていたら、そこに田所がやってきた。寝間着姿だから、言葉通り寝ていたんだろう。

 ふと、田所は眠くないのか俺の隣までやってきて、一人分のスペースを空けて隣に座ってきた。どうしたのかと思って田所を見ると、照れくさそうに笑ってくる。

 

「え、えへへ……ちょっと眠れなくて。そうだ、創真くん、準決勝進出……改めておめでとう」

「おう……サンキューな」

「…………創真くんも、眠れないの?」

 

 そう、田所はこういう奴だ。

 誰かが悩んでいたり、不安を抱えていたりすると、こうして傍に寄り添って力になろうとしてくれる。凄く優しくて、良い奴だと思う。

 きっと今も、俺が何か思い悩んでいるんじゃないかと思って、話を聞いてくれようとしているんだろうな。そういえば、この学園に来て田所が一番一緒にいる時間が多いかもな。

 

「いや、ちょっと遠月に来てからのことを考えてた」

「遠月に?」

「知ってるだろうけど、俺さ、元々『ゆきひら』で料理してて、今更料理学校なんて……そう思いながら遠月に来たんだ」

「……うん」

「そしたら、意外にもとんでもねぇ奴らがいっぱいいてさ……同年代でこんなにすげぇ奴らがいるんだって思った。お前もだぜ、田所。だから、もっと、もっと強くなりてぇって……今はそう思ってる」

 

 空に浮かぶ月を掴む様な、途方のない話。

 この遠月で頂点を獲るってことはそれくらい難しい。それでも誰か一人が必ずその頂きに立つ。俺が来たこの遠月学園は、そういう奴らが必死に競い合っている世界だってこと。

 俺も、そこからの景色が見てみたい。

 

「……私ね、創真くんに初めて会った時、関わりたくないなぁって思ってたんだ。編入生で、皆からあまり受け入れられていない時期から目立っていて、丼研代理で食戟もしちゃうし、色々滅茶苦茶で、私なんかとは全然違うタイプの人だなって思ったから」

「そ、そうか?」

「うん……でもね、創真くんはいつだって自分が良いと思ったものにまっすぐだっただけ。そして、私や極星寮の皆、水戸さんやアルディーニ君達みたいに一度は険悪だった人とも仲良くなって、時には支えてくれて……創真くんに会えて良かったって、今はそう思ってるの」

「……田所」

 

 田所が恥ずかしいことを言ったと思ったのか、立ち上がって一歩前に出ることで顔を見せないように移動した。けど、そんなことを想っていてくれたのかと思うと、俺自身も少し照れくさくなる。

 こんなにまっすぐに人に感謝を伝えられるのも、きっと田所の良い所なんだろうな。堂島先輩も言っていたっけ、田所の料理には人に寄り添い、食べる者の心を温かく持て成そうとする『心遣い(ホスピタリティ)』があるって。

 

 こういう所なんだろうな。

 

「聞いたよ、次の準決勝……黒瀬くんと戦うんだよね」

「……ああ、そうだな」

 

 田所から不意に次の試合のことを聞かれて、また少し不安が戻ってくる。

 どうしたら黒瀬に勝つことが出来るのか、たった一週間の間に俺に出来ることは何か、それを考えても今は何も浮かばない。黒瀬は既に、料理人としてとても高い領域に立っている。何のために料理を作るのか、その意思がはっきりしているから。

 技術以上に、まっすぐブレない精神が強い。

 

「っ…………あ、あのねっ、創真くん!」

「!?」

 

 けど次の瞬間、田所が急に大きな声を上げた。

 

 驚いてパッと顔を上げると、いつのまにか目の前に立っていた田所が俺の両手をその両手で包み込んだ。座っていた俺は月明かりを背にした田所を見上げる形になる。

 よくそうなっているけれど、一段と顔を赤くして、羞恥心からか潤んだ瞳が俺の目をしっかり見つめていた。

 

「私ねっ……創真くんを応援してるよ! 黒瀬くんも大事な極星寮の仲間だけど……私は、創真くんに勝って欲しいって……そう思ってるからっ……!」

「―――た、どころ……」

「このおまじないね……創真くんが教えてくれた時、凄く肩の力が抜けたの……予選の時もそれを思い出して、凄く力が沸いてきたんだよ。だから……創真くんも緊張した時は、私がこうして手を包んだことを思い出して? きっと、頼りないかもしれないけど、きっときっと……私は信じてるから」

 

 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにそう言う田所の言葉は、素直に俺の心を打った。田所の小さな手に包まれた両手が温かい。この温もりが、どこまでも俺に勇気と力をくれるような気がした。

 凄く嬉しいと、そう思う。

 黒瀬のことも仲間だと思っている。けれど、それでも田所は俺を信じて、俺に勝って欲しいと思ってくれていると、思うだけではなく言葉にしてくれた。

 普段はこんな大胆なことなんてしない田所が、こんなに力強く応援してくれるなんて、滅茶苦茶背中を押される気がした。

 

 そして同時に、田所から貰った勇気のせいか、心臓の鼓動がドクンと脈打つ。身体が胸の奥からじんわりと熱くなるのを感じた。でも嫌な感じではない―――寧ろ、身体中に力が漲っている。

 

「……創真くん……顔、真っ赤……」

「え……?」

 

 見つめ合う田所の潤んだ瞳に、顔を赤くした俺が映っていた。

 思わず田所の手を握ってしまう。包んでくれていた両手を、それぞれの手で取っていた。

 

「そうま……くん……?」

「わ、悪い田所……でも、凄く力湧いてきた。ありがとな」

「あ……うんっ」

 

 田所に名前を呼ばれて、急に湧き上がるような妙な感情を抱く。むず痒いような、照れくさいようなそんな感覚に、俺も立ち上がって田所の手を放す。そして何かを誤魔化すように田所にそう言った。

 俺が一体何を誤魔化したのかも、俺には分からない。

 けれど、田所が優しい笑顔で頷いた時、俺は妙にその笑顔に見惚れた。

 

「(なんでだろうな―――田所から、目が離せない……)」

「じゃ、じゃあ……私もう寝るね、おやすみなさい」

 

 沈黙が生まれたからだろう。田所がいつもの様に照れくさそうに笑うと、そう言って俺の隣を通り過ぎていこうとした。

 

 それを、俺は何故か反射的に止めてしまう。

 田所の手首を握った手がやけに熱かった。妙に敏感になった俺の手から、田所の脈を感じる。俺は、なんで田所を引き留めたんだ?

 けれど、焦った俺の口は、絞り出したように声を出す。

 驚いた様子の田所がこちらに振り向いた。

 

 

「あ……と、俺、絶対勝つから……見ててくれよな、田所」

 

 

 普段から強気に突っ走ってきた俺にしては、少し勢いに欠けた言葉だったと思う。

 けれど、田所は目を丸くしたあと、ふと柔らかな笑顔で頷いた。

 

 

「うん―――……ずっと、創真くんを見てるよ」

 

 

 その言葉が、今まで送られたどんな言葉よりも嬉しかった。

 田所の応援が、俺の中にあった不安も弱気も全部吹き飛ばしてくれた。いつも通りの俺を、いつだって傍で支えてくれていた田所だからこそ、今の俺を奮い立たせてくれたんだと思う。

 これも、遠月に来なければ無かった出会いなんだ。

 田所は俺と出会えて良かったと言ってくれたけれど、そんなの俺だってそうだ。

 この遠月に来て黒瀬を始めとするライバルに出会って、極星寮の仲間に出会って、田所に出会った。俺の方こそ、田所に出会えて良かった。こんな風に応援してくれる奴、滅多に得られるものじゃない。

 

 黒瀬にどうやったら勝てるのか―――そんなことを考えるのは俺らしくない。

 俺はいつも通りやればいい。

 俺が良いと思ったものを、俺らしく作ればいいんだ。そうやって作り出した品を、黒瀬にぶつけてやればいい。結果なんて後から付いてくるもの……その良し悪しで悩むなんて、無駄なことだった。

 

 田所が寮の中へと姿を消す。

 俺も部屋に戻ろうと扉に手を掛け、もう一度夜の月を見上げた。

 

「……うん」

 

 手を伸ばし、その月を掴もうとしてみる。

 遠月の頂点を手にすることは、夜空の月を掴む様なものだと思ったけれど。途方もない話だと思ったけれど、今はそうは思わない。

 

 空に伸ばした手をグッと握りしめ、月を手にする。

 

「……負けねぇぞ、黒瀬」

 

 今ならほんの少しだけ、月を掴めそうな気がした。

 

 

 




ここにも甘い空気を感じますね!
恋とえりなの影響でしょう。

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三十七話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 遠月学園秋の選抜 準決勝戦。

 

 経てば早い一週間で、とうとうこの日がやってきた。予選から諸々あったものの、最終的に勝ち上がってきたのは一年生を代表する四名。

 

 香りを支配する抜群のセンスで王者の風格すら見せた、葉山アキラ。

 勝利への執念と食した者を屈服させる暴力的料理を作った、黒木場リョウ。

 定食屋の倅ながら、抜群の発想力と新しい料理を生み出してきた、幸平創真。

 そして、退学者ながら美作昴を食戟で下してその力を示した、黒瀬恋。

 

 対戦カードはそれぞれ、葉山アキラ対黒木場リョウ、幸平創真対黒瀬恋となった。

 この準決勝にはそれに相応しい審査員が集まっており、今までの美食家たちではなく、かつてこの遠月学園で十傑の座に就いていた卒業生達が集結していた。

 

「久々だな……この空気、やはり滾るものがある」

 

 遠月学園第69期十傑第一席、堂島銀。

 

「あら、黒瀬君はきちんと勝ったんですね! 良かったです」

 

 遠月学園第80期十傑第二席、乾日向子。

 

「……まぁ、こんな所で躓く様な奴ではなかった」

 

 遠月学園第79期十傑第二席、水原冬美。

 

「ほーん……センパイ方が目を掛けるような奴がいるってことか。面白いじゃん」

 

 遠月学園第88期十傑第二席、角崎タキ。

 

「……そりゃ、期待もするだろ―――あんな料理人は存在しなかったんだからな。勿論、他の奴らも粒揃いのようだが」

 

 そして、遠月学園第79期十傑第一席……四宮小次郎。

 

 この五名が今回の準決勝の審査員を務める。

 四宮は本来ならこの場に来ることは出来なかったものの、美作が予選前から連絡を取ったこともあって事前に予定を空けたらしい。結果審査員としての声が掛かった時、二つ返事で了承を返した。

 黒瀬恋という異例の料理人への期待もそうなのだろうが、合宿で食戟を行った幸平創真や、異質な資質を見せていた葉山アキラ、及第点を取りながらも底知れなさを感じさせた黒木場リョウという、バラエティ豊かな三名にも四宮は期待を寄せていた。

 だからこそこの四名がどのような料理を作るのか、誰が勝つのか、それを間近で見てみたいと思ったのだ。

 

 そして、審査員の紹介が終わったところで最初の試合の選手が入場する。

 向かい合う二つの入場口から出てきたのは、幸平創真と黒瀬恋。

 この準決勝のお題はどちらの対戦カードも『洋食のメイン料理』。

 定食屋で生きてきた幸平創真には不利なテーマの様にも思えるし、発想力から生まれるアレンジや新しさを開拓出来ない黒瀬恋にとって、幸平創真は相性が悪くも見える。

 まさしくどちらが勝つのか分からない勝負であった。

 

「幸平、調子はどうだ?」

「ああ、残念ながら絶好調だよ……負けねぇぞ、黒瀬」

「上等だ―――俺も、お前と戦える日を心待ちにしていたよ」

 

 厨房を挟んで向き合う恋と創真は、互いに好戦的な目をして短い言葉を交わす。

 編入してからずっと、二人は互いを意識していたように思う。恋は創真に自分にはない物を見ていたし、創真も恋に自分にはない物を感じていた。編入試験の時からそうだった……創真と恋はまるで正反対だったから。

 

「……」

 

 恋はこの二ヵ月で城一郎から聞いていた。

 幸平創真には料理人としての優れた才能はないと。けれど彼には、失敗を恐れずひたすらに突き進んでいける心があると。

 失敗は経験に。

 敗北は糧に。

 新しいことに、未知に飛び込んでいくことに躊躇しない。

 神の舌であろうと、それに比肩する嗅覚だろうと、勝利への執念だろうと、最先端の科学技術だろうと、そんな恵まれた才能に屈する感覚などない。

 生まれ持った才能以上に、積み重ねてきた経験と努力で本当に美味い料理を作り上げるのが、幸平創真という男なのだと。

 

 だからだろう、恋は創真を尊敬している。

 どこまでも負けず嫌いな彼は、才能というものに真っ向から立ち向かっているのだ。そしてそれは、恋がずっとやってきたことでもある。

 初めて出会った、同類だった。

 

「あぁ楽しみだ……幸平、お前がどんな料理を創るのか、心から楽しみに思う俺がいる」

「ハハッ、これから勝負するってのに、不思議な奴だな」

「それは関係ないだろ? お前も俺が越えなきゃいけない、優れた料理人には違いないんだから」

「薙切は認めないけどな」

「おいおい無粋なことを言うなよ幸平」

 

 しゅるり、腕のバンダナを解いて頭に巻く創真。対して指を伸ばして解す恋。

 

「此処には俺と、お前だけだ―――今は俺を見なよ」

 

 そう、今この場にいるのは恋という料理人と、創真という料理人だけだ。

 審査員も、他の生徒も、何も関係ない。この場で、この瞬間で、二人の料理人が己の全力をぶつけるだけの話だ。そこに余計なものは一切必要ない。

 創真もそれが分かっているのだろう。恋の気持ちいいまでの清々しい闘気に、己の心が燃えていくのを感じ取った。此処まで真正面からのリスペクトと勝利への執念をぶつけられることなど、早々ありはしない。

 

 きっと熱く、そして楽しい勝負になるだろうと確信する。

 どちらが勝っても、きっと悔しさなんて生まれない。互いの料理に同じだけのリスペクトを抱くことが、こんなにも容易い好敵手。

 互いに負けたくないと思う相手だからこそ、互いに相手が勝っても手放しに賞賛出来る。それだけの品を作ってくると信じているから。

 

「秋の選抜準決勝、お題は『洋食のメイン料理』だ! では―――調理開始!!」

 

 そして、戦いの火蓋が切られる。

 恋も、創真も、同時に調理に入った。

 

 

 ―――絶対に、勝つ!!!――――

 

 

 二人の料理人の闘志がぶつかり合い、大きな熱となって会場に波及する。

 どちらも編入生であり、どちらも優れた才能なんて持っていない。けれど努力と経験と、それ以外の積み重ねの全てで此処まで上ってきた料理人だ。

 その泥臭くも美しい姿は、時に人の心を打つ。

 

 会場にいた全ての観客達が、息を呑んでその調理を見守っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 勝負の行方を見守る人々の中に、えりなもまた居た。

 恋がどのような料理を創るのかは、これから見守っていれば自ずと分かってくるだろうが、それでも相手が幸平創真というのが少々気になるところである。

 えりな自身は創真のことを認めてはいないが、それでも恋が創真のことを高く評価しているのは分かっていた。その創真が作る料理、それが如何なるものなのか気にならないわけはない。

 

「……」

 

 それに、準決勝が始まる前、えりなは恋に会っていた。

 応援に一声掛けようと思って会いに行っただけだったが、そこで見た恋の表情はいつになく真剣だったのだ。えりなとしては、幸平創真に負けるような恋ではないと思っていただけに、その真剣さが驚きでもあった。

 けれど、恋はえりなにこう言い切る。

 

『幸平は……多分この遠月で一番、俺と相性の悪い相手だよ』

 

 恋にとって、えりなの神の舌も、葉山の嗅覚も問題ではない。確かに凄まじい才能であり、それを上回ることは出来ないかもしれないが、それでも戦う分には対等に戦ってみせるという覚悟がある。

 けれどこと幸平創真はそうではない。

 飛び抜けた才能はなく、それでも培ってきた経験と自由な発想力から作り上げられる料理は、いつだって食べた者の予想を超えてきた。恋と同じく才能というものに恵まれなかった料理人であるけれど、決定的な差がそこにはある。

 

 此処で恋は、再度己の抱える味覚障害という壁にぶち当たったのだ。

 

 才能がなく、料理を努力と経験で作り上げる料理人が二人。異なる道を進んできたとはいえ同じ条件で、片や味覚障害を持ち、片や健常者。それは料理人というステージで戦うのであれば、純粋な差となって現れる。

 レシピに忠実な恋と、アレンジと独創的な発想を開拓する創真。

 味はともかく、どちらに魅力を感じるかは明白だ。

 

 えりなは恋のそんな言葉を聞いて、まさか、と思った。

 けれど今までのことを考えれば、幸平創真がそれだけの結果を残してきたのは確か。実際この準決勝まで上ってきているのだから、そこに嘘や誤魔化しは利かない。

 

 ―――恋が負けるかもしれない。

 

 開始の宣言と共に動きだした二人を見ながら、えりなは底知れぬ不安に表情を曇らせていた。

 

「恋君……」

 

 なにより、恋のその言葉を聞いて何も言えなかった自分が恨めしかった。

 応援の言葉を掛けにいったのに、条件付きでも恋が学園に戻ってきたことに浮かれていたのだろうか。秋の選抜は終わっていないのだ、えりなは緩んでいた自分の意志を恥じた。

 

「!」

 

 すると、創真と恋の作っている料理の完成形が見えてくる。

 見るに、創真は色々な肉の部位をふんだんに使った『ビーフシチュー』。

 恋は一見ビーフシチューにも似ているが、牛肉の赤ワイン煮……『ブフ・ブルギニヨン』を作っているらしい。フランスのブルゴーニュ地方の郷土料理の一つだ。こちらも煮込みに向いた部位を幾つか用意してきたようで、肩ロース、バラ、イチボの三種類が見える。

 フランス料理の店を持つ四宮がそれに僅かに反応したが、笑みを浮かべてお手並み拝見といった態度を取っていた。

 

 どちらも牛肉を使った強い味の料理を持ってきているらしいが、その調理風景は全くの別物。

 各部位の肉をそれぞれ適したやり方で処理、加熱していく創真の調理は、どんな完成形を目指しているのかを予測させない。また逆に、恋は美作の時にも見せた無駄のない調理技術によって、誰もが理想とするような完成形へと食材を変化させていくのが分かった。

 

 全く毛色の違う二人の料理人――けれど両者の表情は、とても楽しそうだった。

 

「どうして笑っているの……?」

 

 えりなには二人の気持ちが分からなかった。

 楽しく料理をする、それはわかる。けれど勝負の場で、相手よりも美味しい料理を作らねばならない場で、どうしてそんなにも楽しそうなのか。

 

 互いに高い実力を持っているからこそ、調理工程が激しく移り変わっていく中で、恋と創真は一瞬目が合う。観客はその一瞬で、二人の闘志が更に燃え上がるのを感じた。

 コンロの火が付いた瞬間に、その炎が会場を熱するような気がする。

 二人が包丁で食材を切る度に、空気中で剣戟の音を錯覚する。

 火花が散るような互いの熱量が、空間に広がり、観客を巻き込んでいた。

 

「―――恋君、何を……!?」

 

 そしてそうして進んでいた調理の最中で、不意に、恋が動きを止める。

 目を閉じて、何かを考えている様だった。

 今まで恋が調理工程の中で動きを止めることなど無かったのに、此処にきて彼が動きを止めたのは何故か。その無駄な時間が、彼にとって必要だというのだろうか。

 

 ゆっくりと目を開いた恋が笑みを浮かべ、えりなの方を見た。

 

「まさか……!?」

 

 それだけでえりなは、恋が何をやろうとしているのかを察する。

 だがそんなことはあり得ないと、特別ルームのショーウィンドウに張り付いた。それは黒瀬恋だけは決して出来ない筈のことだからだ。

 えりなは今まで、恋の持っている膨大な知識と経験から作り出される料理を素晴らしいと思っていた。余計な工夫など無くても、その料理は美食足りえると。

 

 けれどこの場において、それだけでは勝てないと恋は確信している。

 

「恋君……まさか、やろうと言うの……? 此処で、レシピ以上の創造を……!!」

 

 幸平創真に勝つためには、味覚障害という限界を超えた己の料理を作り上げるしかない。これは単純な技術力の問題ではない。創真が恋よりも高い実力を持っているというわけではない。

 彼は彼にしか作れない料理を、今日に至るまでずっと"模索し続けている"料理人なのだ。

 レシピの持つ可能性を十全に引き出すだけでは足りない―――皿の上に、己を表現する料理を作れなければ幸平創真には勝てない。

 

 人の心を打つ料理は、技術やレシピの向こう側にしか存在しないのだから。

 

「…………それなら、信じましょう……貴方の意志を」

 

 えりなは何も言わず、ただ恋を信じることにした。

 最早戦いは始まっている。今更、もう止めることは出来ない。

 恋がそれをやるというのなら、それを信じなければ応援の意味がない。何も言えなかった自分が、心まで彼を信じられなければ嘘だろう。

 

 恋はこの場で限界に挑戦しようとしていた。

 

「見せて頂戴恋君……貴方が創る、"想像(アレンジ)"を……!」

 

 新たなものを生み出せないという限界を、超えるために。

 

 

 




感想お待ちしております✨




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三十八話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 目を閉じてから、恋は少しだけ考えた。

 

 一人一人、料理人として研鑽を積み、より良いものを作ろうと日々励んでいる遠月学園。

 研鑽を積む中で、新たな発見があったり、新たな知識を得たり、新しい料理の創造に励んだり、失敗したり、そうやって全員が今日より明日、明日より明後日と成長しようとしている。

 

 けれど、恋はそうすることが出来ない。

 味覚障害というハンデを背負った彼は、多くの知識を広げたり、珍しい食材や各国の料理のレシピを頭に入れても、そこから先に新たな進化を遂げられないのだ。

 だから彼は積んだ―――一つを、毎日毎日積んできた。誰もが最初に倣う様な基礎中の基礎と呼ばれる術を、丁寧に丁寧に、何度も何度も積んできた。

 それしか彼には出来なかったから。

 味が分からないことは、彼にとって辛く苦しい現実である。

 今までがそうだったように、彼は自分の舌を呪わずにはいられなかった。けれど諦めきれない夢の為に、彼はただひたすら積むしかなかった。

 

 そうして手に入れたのが、純粋かつ武器足りえる唯一無二の技術。

 

 しかし分かっていた。

 レシピを作り出すことの出来ない自分に、料理長(シェフ)は到底辿り着けない場所であることも。技術があっても、誰かが創ったレシピでしか料理が出来ない料理人……それは果たして、料理人と言えるのだろうか?

 

「幸平の奴、テール肉を焼いてやがるぞ……?」

「ビーフシチューならバラ肉が定石だが……」

 

 手を止めた恋とは対照的に、創真の調理は進んでいく。

 ビーフシチューに使う肉に、様々な部位の肉を用意した創真。初めに彼は、尻尾(テール)肉を焼き上げ始めた。

 テールは牛肉の中でも、最もゼラチン質が多い部位。ゼラチン質によるとろみをデミグラスソースや出汁とも絡み合わせてコクを作り出そうというのだ。そうすることで、白味噌の風味を壊すことなくコクだけを深めることが出来る。

 そして香辛料にクローブとブラックペッパーを使うことで、よりビーフシチューの味に深みを持たせる工夫を凝らしていく。

 

「(ああ、凄いな幸平……それがお前の料理か)」

 

 更に創真は牛タン、ヒレ肉、ハチノス、ハラミと次々別の部位の肉を違った調理法で調理し、ビーフシチューに纏め上げられるのか疑問に思うほど大量の肉を使っていく。

 オリーブオイルやバターを使って鮮やかな焼き色を付けたり、鍋ごとオーブンで煮込んだり、その調理法は多岐に渡る。

 

 観客も騒然となっているが、恋はそれを見て理解した。

 

「(この瞬間にも、お前は今自分の作るべき品を構築してるのか……)」

 

 創真は本気だ。

 本気でこれだけの喧嘩しそうな肉の数々を、一皿に纏め上げようとしている。そしてそれこそが自分らしい一皿になると信じて。

 

 恋はゆっくり視線を上に向けた。

 観客席よりも上、特別席でこちらを見ている薙切えりなが其処に居る。心配そうな顔で、恋のことを見ていた。思わず苦笑する。

 

「(……そう、俺が欲しいのはたった一つだけ……)」

 

 神の舌を持つ彼女に、料理で笑顔を。

 恋の心が決まった。

 

 止まっていた恋の手が動き出す。

 用意していた三種類の部位肉を下処理していく。その動きはやはり無駄がなく、恋が下処理を終えた肉はまるでそのままでもかぶりつけそうなほど、鮮やかな下拵えがされていた。間違いなく、最高の状態に仕上がっている。

 そしてフライパンに油を引き、最初にベーコンを焼きだした。

 

「黒瀬の方も動き出したぞ!」

「赤ワイン煮か……用意した肉は肩ロース、バラ、イチボの三種か」

「イチボって……腰から尻の中にある希少部位じゃねぇか……!」

 

 多少焼き目が付けば取り出して、今度は用意した牛肉を焼いていく。

 これも表面に焼き目が付く程度にして一度取り出す。

 

 油を引き、今度は事前に切っておいた人参、玉ねぎ、セロリを炒めに入った。恋の淀みない動きに観客の視線もグッと見入るようにな視線へと変わっていく。まるで簡単そうにやっているその工程の一つ一つが、とても洗練されたものであることが嫌でも伝わってきた。

 そうして完成へと向かっていくその品の終着点を、誰もが想像する。

 

「同時に作ってるあの鍋は……肉を漬け込んだ後のマリネ液か!!」

「すげぇ……アレだけの仕事をしているのに、アク取りも完璧だ……!」

 

 左右の手が別々の仕事をしていると思えるほどに、作業と作業のスイッチがスムーズ。食材に軽く熱を通しながらも、事前に牛肉を漬け込んでおいた赤ワインと香味野菜のマリネ液を濾している。

 そして炒めている野菜の中に先程の肉も投入し、更に熱しだした。薄力粉を加えながら炒める。

 会場に肉を焼く良い音が響き渡り、創真の調理音と合わさって急激な食欲をそそった。

 

 創真の方も、それぞれ調理を済ませた肉をいよいよ一つにまとめに入った。

 少し目を離した内に既にその姿はビーフシチューらしい姿へと変わっており、その中にゴロゴロと様々な部位の肉がふんだんに使われている。

 

「幸平の奴……あんなに大量の肉を使って大丈夫なのか……!?」

 

 観客がその光景に幾ばくかの心配の声を漏らすが、それを見ていたえりなは創真の意図に予想を立てていた。

 

「まさか……あれらの肉は全て付け合わせ(ガルニチュール)とでも言いたいの……!?」

 

 ガルニチュール。

 意味としては付け合わせという意味だが、メインとなる料理を引き立たせるための品として存在するものだ。あくまで創真のメインはビーフシチューであり、その中に存在する各部位の肉がそのシチューを引き立たせる付け合わせであると、えりなは予想していた。

 そんな突飛な発想をすること自体がおかしな話だが、それでも創真はそれをやろうとしている。

 

 方法としては考えつきもしないような暴挙ではあるが、もしもそれを一つの皿に纏め上げることが出来たのなら―――とんでもない威力のビーフシチューが誕生する!

 

「恋君―――っ! アレは……!」

 

 これでは恋の料理が如何に完成度が高かろうと、そのインパクトだけで勝利をもぎ取りかねない。そう思って恋の方へと目を向けたえりなが、また別のものに気が付いた。

 恋がまた別の鍋で作っているものがあるのである。

 その中にあるのは、白い液体のようなもの。

 

「ホワイトソース……? けれど、少し色味が違う……もしかして……」

 

 そうこうしている間に恋の料理も、次第に完成形へと姿を変えつつあった。

 マリネ液を少しずつ入れながら煮込み出した牛肉が、赤い色が少しずつその姿を変えていく。水、コンソメを入れつつ煮込んでいき、恋も創真同様ガルニチュールを投下した。既に入れられた肉を邪魔しては意味がないので、投下されたのはブーケガルニ……パセリ、タイム、セロリ、ローリエなどだ。これもマリネ液の中で付け込まれていたもので、赤ワイン煮の味にじんわりと溶け込んでいく。

 更にトマトペースト、塩コショウを加えながら味を調整していった。無論味など分からないので、恋の感覚を分子ガストロノミー施設を使ったすり合わせ成果が此処で活かされている。

 そしてマッシュルームを切って入れつつ、更に此処に赤ワインを入れた。ブルゴーニュの郷土料理であることもあり、銘柄はブルゴーニュ産のワイン。その相性は抜群である。

 

「―――……完成だ」

「さぁ、おあがりよ!」

 

 そして仕上げにホワイトソースを一回して、完成。

 創真も同時に完成したらしく、恋が完成を告げたのと同時に盛り付けを終えていた。

 

「……どっちから行く?」

「……じゃ、俺から行くぜ」

 

 同時に出来上がったこともあって、順番をどうするか聞く恋に、創真はそれならと先にサーブする。

 各部位の肉が大量に入ったビーフシチュー。一見すれば肉同士が喧嘩して纏まらない一皿になりそうな見た目だが、その完成度は如何に。

 

 そして堂島達が静かにそれを口にした瞬間……口の中でジェットコースターの様に目まぐるしく変化する旨味の爆発が起こった。

 

「う、美味い―――!!!」

「次から次へと、旨味が展開されていく……ほろりと解ける頬肉かと思えば、コリコリと弾力のある牛タンとハチノスが現れる……!」

「このハラミは炭火で焼いてるのか……シチューと絡めても良いアクセントになってやがる……一見バラバラな品に見えるが、その実精密に組み立てられている……!」

 

 一口、また一口とシチューを頬張る堂島達が、創真の品にある緻密な旨味の連鎖を語っていく。その目まぐるしい旨味の変化は、まさしくアトラクションの様に完璧な構成を成立させていた。

 肉の部位ごとに食感も変わり、シチューの味に対してけして飽きさせないほどのバラエティ豊かな楽しさを与えてくれるこの品は、まさしく食の遊園地。

 

 堂島達はまるで遊園地を全力で遊び尽くす自分達の姿を幻視した。若き日の青春時代、友人と共にあれもこれもと我武者羅に楽しんだことを思い出させてくれるような、そんな料理だと思った。

 

「素晴らしい……! これほど無茶苦茶な発想を良くここまで纏め上げたものだ……!!」

 

 総評して、堂島達の評価はとても高いものであった。

 会場がその評価に歓声を上げ、コレは幸平の勝利かと思わされる。調理中の音や香りで食欲をそそられたこともあり、今会場の観客達の注目は創真の品へと向けられていた。

 

 だがそれでも、未だ恋のサーブが終わっていない。

 

「今度は……俺の品をどうぞ」

 

 恋の料理が審査員の前に並んだ瞬間、会場内が一気に静まり返る。

 確かに創真の料理はとんでもない品だった。それでも、歓声を上げていた客が強制的に恋の料理に意識を向けさせられたのである。

 それは黒瀬恋の放つ闘志が、未だに――どころか今まで以上に熱く燃え上がったからだ。彼から放たれる異様な雰囲気に、観客達は固唾をのんで押し黙る。

 そして創真も同じだった。

 恋の放つ異様な雰囲気―――今までの恋とは何かが違うと、肌にひりつく闘志で分かる。

 

 一体、どんな品を作ったというのか。

 

「では……黒瀬の品をいただこう」

 

 そして遂に、その品が堂島達の口に入る。

 メインである牛肉を掬って口に入れた堂島達だったが、創真の時とは正反対に静かにその一口を咀嚼していた。

 

 リアクションの少なさに、観客達は黒瀬恋の品は幸平創真の品に劣っていたのか? そう思う。現に、堂島達がその一口を静かに飲み込んだ時……彼らは一人残らず、二口目を口にすることをしなかった。

 スプーンを持って空中に置いていた手を、そのままテーブルに落とす。そして口を開くことをせず、天井を仰ぐようにして鼻から大きく息を吸い込んでいた。

 

 あまりにも静かで、けれど何かを噛み締めているような反応に会場の誰もが口を開くことが出来ずにいる。

 

「―――……沈黙を作ってしまい、すまない。口を開くことが勿体なかったのだ」

 

 そうしてたっぷり十数秒、口を閉ざしたままだった審査員達が天井を仰いでいた顔を戻し、堂島が静かにそう言った。

 口を開くことが勿体なかった……その意味を、観客に説明しなければならない。審査員とはそういう役割を持っているのだから。それでも、その説明に入るまでの数秒間、彼らは口を開くのが惜しそうにしていた。

 

 口火を切ったのは、四宮だ。

 

「ブフ・ブルギニョン……フランス料理では王道のメイン料理だが……赤ワイン煮というだけあって、牛肉のボリューム以上に香りで楽しむことも出来る料理だ。だが煮込んでいけばアルコールは飛ぶし、牛肉のインパクトでワイン本来の香りなんてほとんど残らない……だが、こいつにはほのかなブドウの香りが残っていた」

「食した瞬間、強烈な旨味を与える牛肉が舌の上で解け、越されたマリネ液と調和して重厚感のある牛肉本来の旨味を脳へとダイレクトに伝えた……しかしその後に訪れたブドウの風味が、その旨味を優しい後味へと落とし込んでいる」

「黒瀬、お前"グレープシードオイル"を使ったな?」

 

 四宮達がまず注目したのは、赤ワイン煮と言えどほぼ香りなど残らないワインの風味を残した恋の工夫。

 恋は完成したそれに対し、ホワイトソースと共に少量のグレープシードオイルを掛けていたのだ。葡萄油とも呼べるそれはそれ単体ではそれほど香りも味もしないけれど、だからこそほんの僅かなブドウの香りだけが引き立たされる。しかも赤ワイン煮という料理と同時に食すことで、まるでワインの風味を感じるような錯覚すら覚えてしまうのだ。

 

 先程四宮達が口を閉ざして鼻から空気を取り込んだのは、ワインを飲む際に口の中で空気と香りを混ぜて楽しむのと同じこと。恋の赤ワイン煮そのものが、ほんの僅かな残り香まで楽しみたいという、四宮達の欲求を刺激してみせたのだ。

 

「それに、このホワイトソース……チーズを混ぜてありますね。赤ワイン煮にピッタリのアクセントになっています」

「それに、このマリネ液の味付けが凄い……散りばめられたセロリやパセリ、タイム、ローリエの他にも、幾つかのスパイスが混ざっている。ブドウの残り香と混じって喧嘩していない……完璧な調和」

 

 そして日向子や水原が更に恋の施した工夫に気付く。

 香りの強化とそれによって発生する酸味や塩味に対し、チーズを織り交ぜたホワイトソースがそれをまろやかに解きほぐし、より深みのある味を生み出していた。

 

 創真の品が味の遊園地だというのなら、恋の品はまさしく人工物など何もない自然の生み出した絶景を想起させる。

 味と香りと食材の調和がそこにはあり、楽しむのではなく、慈しむような心で味わうのが正しいと、一口で理解させられたのだ。

 

 だからこそ、堂島達は何も言わず……静かに恋の料理を慈しんだ。

 

 黙して食べ、全身でその味を感じることこそが――彼らの取ったリアクションだったのである。

 

「食材の下処理の完成度、香りのバランスを一切崩さない最適の配合、そしてそれらを調和させるための無駄のない構成……まさしく黒瀬の調理技術があっての品だ」

「幸平の品も、黒瀬の品も、それぞれ牛肉を扱った強い品ながらそのアプローチは全くの正反対……どちらも甲乙つけ難い料理だった」

 

 四宮が総評し、堂島が両者の品をそれぞれ食べた感想を述べる。

 どちらも素晴らしい品であったことは変わりない。創真の我武者羅に楽しめるビーフシチューも、恋のただ静かに味を慈しむブフ・ブルギニョンも、この選抜準決勝に相応しい品だっただろう。

 

 しかしてその評価、判決は下さねばならない。

 

「では、結果を言い渡そう」

 

 堂島の言葉を切っ掛けに、審査員達が備え付けの筆で半紙に勝者の名前を書いていく。五名の内、三名以上の票を獲得すれば決勝へと進出することが出来る。

 

 その結果は―――

 

 

「票数、四対一……黒瀬恋の勝利だ」

 

 

 ――――恋の勝利だった。

 

 歓声が上がる。

 この会場でとても熱い戦いを繰り広げた二人の料理人を讃える拍手が、雨となって二人の上を降り注いだ。鳴り止まない拍手の音が、この戦いの熱量を物語っている。

 恋と創真は向かい合った。

 此処にいるのは、激しい戦いを終えた二人の料理人。仲間であり、友人であり、好敵手であり、そして勝者と敗者である。

 

 身体をビリビリと叩く様な拍手に包まれながら、全力で料理したからか滲む汗を拭う創真。バンダナを取って、顔を大きく拭った。

 

「……負けたわ、やっぱすげぇな黒瀬」

 

 何かを堪えるように、それでも悔しそうに笑ってそう言う創真。

 後悔はない。それくらい出し切った。自分にしか出せない料理を出した自負もある。その上で恋の料理が上だった―――それを、素直に賞賛出来るくらいに完敗だと思った。

 負けたけれど、悔しいけれど、それでも清々しい気持ちだった。

 

 黒瀬恋という料理人と全力で戦えたことが、とても誇らしかった。

 

「―――俺が勝てたのはお前のおかげだよ、幸平」

「え?」

「お前に出会わなかったら、きっと俺は今日の品は一生作れなかった……だから、またやろう」

「!!」

「お互い始まったばかりだ……これから先、もっと競い合って、今日より熱い勝負をしよう……どうだ? 燃えるだろ?」

 

 勝った奴が何を言ってんだ、そんな風に思うけれど、それでも嫌な気持ちはなかった。

 黒瀬恋はこういう男だ。

 自分に料理人としての才能がないと分かっているから、どんな料理人にも敬意を払う。何処までも対等で、何処までも人の想いを汲む男なのだ。

 だからこそ、この言葉が本気であることもよく分かる。これから先、長い時間を過ごす中で、今日よりもっと、明日よりずっと、熱い勝負をしていくのだ。

 

「おう……次は負けねぇよ」

「ハハッ、望むところだ」

 

 拳と拳を合わせる二人。

 

 二人の料理人の未来まで祝福するように、再度大きな拍手が鳴り響いた。

 

 




次回、葉山対黒木場。
あと第一席がなんかしてきそうです。

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三十九話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 まるで食戟でも終えたかのような熱気の中、恋は会場を後にする。

 次は黒木場と葉山の試合が始まるのだ。

 恋と創真の戦いとは違い、優れた資質の持ち主同士の戦いだ。それはきっと洗練され、鮮やかに彩られた美食が作り出されることだろう。観客はそれを心待ちにしているし、それに応えるだけの実力を持った二人なのだから。

 

 出口から退場する際、対面から黒木場リョウが歩いてくる。おそらく創真が出て行った出口の方には葉山がいるのだろう。向かい合って歩く黒木場と恋は、お互いの姿を視認して一旦足を止めた。

 普段アリスの傍に居る時とは全く雰囲気の違う黒木場に、恋はなるほどと思う。アリスの付き人であれば相応の実力を兼ね備えていると思っていたが、このマグマの様な闘気を目の当たりにすれば納得出来た。

 

「勝ったみてぇだなァ、黒瀬恋」

「まぁね……黒木場は随分雰囲気が違うな。火傷しそうだ」

「ハッ!! 余裕こいてられんのも今の内だ……決勝で待ってやがれ」

「余裕なんてないよ。お前も葉山も、とても強い料理人だからな……結局どちらが勝ちあがってきても、俺のやることは変わらない。だから余裕そうに見えるだけだ」

「フン……まぁ見てろ、葉山も、お前も、俺の料理で食い破ってやる!」

 

 黒木場はこれから戦う葉山だけではなく、勝ちあがった先で戦う恋に対しても闘志を剥き出しにして、会場に歩いていく。結果がどうなろうと、恋のやることは変わらない。全力で戦うだけだ。

 歩き去る黒木場は、己の闘志を受けてこれほど気持ちのいい相手がいるのかと、密かに笑みを浮かべる。葉山と戦うことは当然だが、その先で戦う相手が恋だというのなら、勝敗がどうこう以上に自分自身が戦ってみたいと思えた。

 

 勝つ―――葉山アキラに。

 

 己も間違いなく、料理人として頂点を目指す者の一人なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 出口である通用口から会場外の通路に出た恋を待っていたのは、先程の勝負を見ていた薙切えりなであった。特別室から降りてきて、恋のことを待ち構えていたのだろう。

 嬉しそうな笑みを浮かべながら、出てきた恋を出迎えてくれた。

 

「お疲れ様、素晴らしい品だったわ……恋君」

「はは、わざわざ下りてきてくれたのか、えりなちゃん」

 

 今は葉山と黒木場の勝負に皆が注目しているので、この外通路には人気はない。今は恋の手前、素直な自分自身を曝け出すえりなの姿があった。

 ツンと張り詰めたような雰囲気は柔らかく解れ、身体の前で手を組むえりな。

 頬には赤みが差しており、柔らかく細められた潤んだ瞳は恋のことだけを見つめている。緩やかに弧を描いた口元は、自然とそうなってしまったような笑みを作り上げていた。

 えりな自身は自覚していないのだろうが、傍から見ればそれはまさしく恋する乙女そのものの姿である。

 恋はそんな彼女の姿を魅力的だと思うし、またそんな風に自分を見てくれるえりなを素直に愛おしいと思えた。

 

 これで付き合っていないという事実だけが、この状況にミスマッチしている。

 

「けれど、冷や冷やしたわ……まさかこの土壇場でアレンジに挑むなんて……」

「俺も、今のままじゃダメだと思ったからな。でも、上手くいって良かった」

「そう……でも貴方という料理人の進化を見ることが出来て、私も嬉しかったわ」

「ああ、おかげあと一勝で一年最強らしいぞ」

「ふふふっ……まるで他人事ね。まぁ、私がいる以上は永遠に二番手ですけれど」

 

 クスクスと笑い合う二人だが、おそらく現時点の一年の中ではトップクラスの実力を持つ二人だ。その会話の内容はあながち冗談ではない。

 とはいえ今この瞬間にも黒木場と葉山の料理が始まろうとしているのだ。あまり長話もしていられない。次の相手がどちらになるのか、恋達と同じテーマで料理する以上二人がどのような品を作るのか、それを見る必要がある。

 

 それを察してか、一頻り笑った後、えりなが自分の特別室へと恋を誘った。

 人混みを気にせずにゆっくり試合を観戦出来るのなら是非もない。恋もその誘いを喜んで受けいれた。

 

「じゃあ―――」

「やぁ、黒瀬」

「司先輩」

「えっ……」

 

 そうして移動しようとした瞬間、そこへ十傑第一席である司瑛士が声を掛けてきた。

 どうやらえりなと同じく恋に会いに来たらしい。今来たばかりなのでえりなの普段見られないような姿を見てはいないらしいが、それでもえりなと恋が一緒にいる光景を見れば、多少なりとも察するものがあるようだ。

 

「黒瀬は薙切と仲が良いんだな。そういえば、幼馴染なんだって?」

「ええ、まぁ」

「恋君……司先輩と交友があったの?」

 

 それなりに親しげに声を掛けてきた司に恋が自然の返事を返したことで、えりなは二人の関係に興味を示す。

 

「あー……なんというか」

 

 だが恋は司との関係をどう説明したものかと少々困ったような顔をする。

 その隙に、空気を読まない司が何も考えずにあるがままのことを口にした。

 

 

「ああ、俺が黒瀬の人生をくれって言って口説いてる最中なんだ」

 

 

 空気が凍る音がした。

 司の言葉に恋は何言ってんだこの人は、と顔を抑えて天を仰ぎ、えりなは呼吸を忘れたようにぽかんと口を開けて唖然としている。そんな二人の様子を見て、司は何か問題でも? みたいな表情で首を傾げていた。

 そして数秒の後、我に返ったえりながバッと恋の方を見て、パクパクと口を動かしだす。どういうことだ、と言いたいのだろうが、謎なことが多すぎて言葉が出てきていない。

 

「な、ど……っ……!」

「あーあー、落ち着いてくれ、深呼吸」

「すー、はー……ど、どういうこと!?」

 

 そして恋に言われて深呼吸をした後、どうにか疑問を言葉にするえりな。

 ぐいっと恋に詰め寄って、司の言葉の意味を問いただす。

 だがその疑問に答えたのは、詰め寄られた恋の方ではなく、これまた司の方だった。自分自身にこれといってやましい気持ちがないからだろう。淡々と事実のみを語り出す。

 

「実は美作との食戟のあと、黒瀬にサポートして貰って試しに料理を作ったんだ。そしたら今までにない完成度の品が作れてね……俺は感動したよ、黒瀬の腕に惚れた……だから、黒瀬には生涯俺の副料理人として一緒に料理をして貰いたいと思ったんだ」

「しょ、生涯……恋君はそれを承諾したんですか!?」

「いいや、残念ながら振られてしまったんだ。けど俺は諦めていない……俺の料理の為にも、必ず黒瀬を俺のパートナーにするつもりだ」

 

 司の説明に動揺するえりな。

 料理人として、恋の腕を第一席である司が買っているというのは、まだ分からない話ではない。けれど、生涯彼のサポートとして黒瀬が料理をするというのは、少々いただけない話であった。

 恋は元々えりなに美味しいと言って貰いたいがために料理人となり、今もその気持ちは変わっていない。それにあの夜、涙を流す自分にあんなにも情熱的な愛を伝えてくれたのだ。

 

 だからこそ、えりなはこれから先もずっと恋と一緒にいられると勝手に思っていたし、そこに邪魔が入る余地などありはしないと考えていた。

 

 けれど、司瑛士という男が現れたことでその認識は一気に瓦解する。

 えりなと恋がずっと一緒にいられるという淡い考えは、所詮はえりなの思い込みでしかなかったのだ。将来がどうなるとか、具体的なことは何も考えずにいたことが仇になった結果である。

 

「れ、恋君は、私の幼馴染です!」

「? ……ああ、恋人とかそういう話なら別に構わない。黒瀬が誰と付き合おうが、結婚しようが俺には関係ないからな……ただ、俺が料理人として生きていく限りは、黒瀬の時間は俺が貰う」

「それってつまり、司先輩が料理をする時はずっと恋君と一緒にいるってことですか?」

「まぁそうなる。薙切が黒瀬と恋人になりたいならそうすると良い。まぁ俺に付き合ってもらう以上、薙切と一緒にいる時間はかなり少なくなるだろうが、仕方ないことだ」

「どういう思考をしたら恋人より仕事が優先されるって言うんですかっ?」

「ええ……でも、俺はそのつもりで黒瀬を欲しているんだ。そうなった場合、黒瀬の恋人には我慢してもらうしかないだろう?」

 

 恋の目の前でえりなと司が水掛け論の問答をし始めた。

 恋と恋人になるとか結婚するとか、そういった話をすっ飛ばして会話しているあたり、えりなも冷静ではない。だが司も、恋をパートナーに出来た暁には恋人を放置してでも自分の料理に付き合ってもらうと言い切っているあたり、大分自己中心的な発言をしていることに気が付いていないのだろう。

 えりなの剣幕にやや押され気味になりつつも、言いたいことはハッキリ言う司。押し問答はどこまでも平行線だった。

 

「そもそも……薙切は何をそんなに怒っているんだ? 薙切は黒瀬の幼馴染なだけだろう?」

「な……」

「黒瀬のことを大切に思うお前の気持ちは素晴らしいことだと思うけれど、黒瀬の人生は黒瀬の物で、これは俺と黒瀬の問題だ。薙切が口出しすることじゃないと思うが」

「それは……」

 

 しかし流石は三年生というべきなのだろうか、えりなの言葉の弱点を突いてあくまで正論で黙らせてくる。えりなも、痛い所を突かれて言葉に詰まってしまった。

 そう、えりなはあくまで恋から想いを告げられただけで、それに返答をしていない。まだ彼と明確に恋人になったわけではないのだ。

 

 けれど、その返事は恋の退学が正式に消えた時にすると決めている。今その返事をして恋と恋人になったところで、彼が優勝を逃して退学になると考えると不安でたまらなくなるのだ。

 別れが苦しいことは、えりな自身が既に体験してしまったことである。

 それに、えりなの返事を先送りにしたのだって、恋がえりなの恐怖を察したからだ。

 あの告白のタイミングでえりなが返事を出来なかったのは、恋人となってしまえば訪れる別れに、より強い悲しみを感じてしまうことを確信していたからだ。

 彼女の心は、大切な人と離れ離れになる孤独には耐えられなかったのである。

 

 これこそが、ここまで言われても尚、恋と恋人になる一歩を踏み出せない理由だ。

 

「その辺にしておいて貰えますか、司先輩」

「……そうだな、まだ黒瀬に了承して貰えた話ではないし。いずれは認めてもらえるよう、俺も日々腕を磨くよ」

「食戟の件、本気なんですね」

「当然だ。お前なら選抜を優勝することも出来る筈だ……まずは頑張ってくれ」

 

 押し黙ってしまったえりなを見て、恋は流石に止めに入る。

 司も別にえりなを攻撃するつもりはないのか、恋の言葉に素直に引いてくれた。そして一言応援の言葉を残して去っていく。

 互いの人生を賭けた食戟の件は、けして冗談なんかではないと、その背で語りながら。

 

 すると恋は、己の勇気の無さを間接的に指摘されて俯いたえりなの手を取った。その感触にゆっくり顔を上げたえりなの頭を、恋は苦笑して撫でる。

 

「気にしなくていい。今は目の前のことに集中すればいい」

「……そうね、もう調理は始まっているでしょうし、早く行きましょう」

「ああ」

 

 通路の途中にある階段を登っていき、えりなの特別観戦室へと向かう二人。

 繋がれた手はそのままに、少しだけモヤモヤした気持ちを抱えながらえりなは恋の少し前を歩いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……」

 

 そしてそんなやりとりを、陰から聞いていた人物がいた。

 黒木場リョウを通用門まで見送りに来ていた薙切アリスである。

 ついでに恋におめでとうの言葉の一つでも言おうかと考えていた彼女だが、えりなが現れてつい身を隠してしまったのだ。どうしてここにえりなが居るのかと思って覗き見していたら、出てきた恋を見て嬉しそうに歩み寄る彼女の姿に全てを察してしまう。

 

 あれほどまでに無防備に笑うえりなを、アリスは見たことがなかった。

 幼い頃、一緒に住んでいたこともあるアリスでも、えりながあんなにも自分を隠さずに話している姿を見るのは初めてのことだったのだ。

 衝撃だった。

 

 そしてだからこそ分かりやすかった―――えりなは恋に恋心を抱いているのだと。

 

「……そっか」

 

 その後現れた第一席の言葉に噛みつくえりなに、アリスは自分の胸の中に生まれた黒い感情に気が付いた。黒瀬の人生に関する話に、そこまで必死に噛みついていることが何を意味しているのか、えりな自身は分かっているのだろうか。そう思いながら。

 モヤモヤした黒い感情を自覚して、アリスはそっと恋の顔を覗き見る。

 そこにはいつも通り苦笑する恋の姿があって、えりなを見る恋の瞳に、少し特別な色があることを理解した。

 

 ―――そう、恋君もえりなが大切なのね……。

 

 アリスはえりなと恋がお互いを大切に思っていることを理解した。

 おそらくは両想いなのだろう。このまま放っておけば、何もしなくても恋人になって、お互い料理人として幸せな人生を送っていくのだろう。それが確信出来るくらいに、アリスにとって二人は素敵な人物だったし、それが可能なくらい二人は優れた料理人だった。

 

 けれど、それでもアリスは自覚してしまった。

 

「嫌なのね、私……恋君を取られるのが」

 

 自分の心の中にも、えりなと同じ感情があることを。

 そしてそれを諦められないくらい、自分が我儘であることも、彼女は知っている。

 

 えりなと恋が恋人ではないらしいことは、司との会話で察することが出来た。

 ならばまだチャンスは残されている。えりなに勇気が出ないというのならば、それでもいい。そんな軟弱な意思で、恋に応えられないえりなに恋のことは渡せなかった。

 

「ごめんねえりな……私、こっちでも負ける気はないから」

 

 料理人としても、一人の女としても、薙切アリスは負ける気はない。

 恋のことが好きだと自覚した以上は、司にもえりなにも、他の誰にも彼のことを渡すつもりはない。

 

 特別室へと去っていく二人の繋がれた手をジッと見つめながら、アリスは静かに覚悟を決めていた。

 

 

 




試合の決着は次回です。
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感想お待ちしております✨



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四十話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 準決勝第二試合が始まってから、その調理風景はまさしく激しい攻防戦となっていた。

 黒木場リョウの暴力的な旨味を想像させる調理風景に対し、調理過程から脳を刺激するような香りの爆発を起こす葉山アキラ。

 両者の実力は傍目から見て、全くの互角に見えた。それぞれ確固たる個性が調理に現れており、どちらも自然と客の目を引く魅力がある。

 

 恋と創真の勝負と同じくテーマを『洋食のメイン料理』としているが、先程の恋達の品を見た後での試合だ。その評価は、互いの品以上に第一試合の品とも比べられる。今二人は同時に恋や創真とも勝負をしているのと同義だった。

 

 そんな彼らが作っている品は、黒木場が『鰻のマトロート』、葉山が『鴨のアピシウス風』。どちらも素材の良さをそれぞれのやり方で活かした料理を作り上げようとしている。

 創真が素材を含め一皿で個性を表現したり、恋がその芸術性すらある料理に初めてアレンジを加えたり、第一試合とは一風変わった勝負になっていた。

 

「気に入らねぇ……! テメェには勝負に対する温度がねぇ。此処は戦場だ、勝ち残る意志がねぇ奴は――――失せろ!!」

「そうだな……確かに勝とうって意識はお前より薄いかもな。理由は簡単―――この鼻があればお前に負ける方が難しい」

「なんだと……!」

 

 そしてその相性も、第一試合とは対照的。

 どちらも相手を敵として見ており、噛みつき合いをする血の気の多いやりとりが多くなっている。あまりに対照的な試合の様子に、観客の反応も息を呑む様な、手に汗を握るような反応になっていた。

 そうして調理は進んでいく。

 鴨肉にスパイスを搦め、そこから生み出される強烈な香りに食欲がそそられる会場。単にスパイスを使っただけでは作れない極上の香りに、葉山アキラの珠玉の才気が垣間見えていた。審査員側も葉山の実力を見て、その評価と品に対する期待が高まるのを感じる。

 

「見事な香りですねぇ……どうやったらこんな香りを作り上げられるんでしょう」

「地獄の合宿でもそうだったけれど……どんな状況でもコンスタントに実力を発揮出来るタイプ。とにかく状況に対するブレが少ない」

「それだけ自分の腕に揺るぎない自信があるんだろ」

「うむ……自信、それ以上に貫禄すら感じる王者たる風格。既に彼には決勝で戦う己の姿が見えているのかもしれないな」

 

 日向子の言葉に反応するように、それぞれが葉山への興味を示した。

 地獄の合宿でも葉山の実力は相応に発揮されており、それは卒業生の面々の印象にも強く残っていたらしい。香りを圧倒的な武器として扱う葉山のスタイルは、そもそもが相手から一つのアドバンテージを奪う強力なスタイルだ。

 料理を味わう上で使用されるのは主に触覚、味覚、嗅覚の三つ。次点で視覚で楽しむ料理もあるが、主要な感覚はこの三つだろう。

 

 嗅覚を支配する葉山は、その時点で料理を構成する食感、味、香りの内、香りのみなら誰にも負けない料理を作り上げることが出来るということなのだから。

 

「将来十傑入り確定とされるだけある……葉山アキラ、底知れぬセンスの持ち主だ」

 

 堂島がそう締め括れば、観客の中でも葉山への期待値がぐんと上昇した。

 しかしながら、黒木場とて実力では劣っていない。

 

「お前が香りのパフォーマンスをしようが……俺には関係ねぇ! 食い破るだけだ!!」

 

 彼が思いだすのは、先の試合。

 幸平創真と黒瀬恋の作り上げた品だった。どちらも自分には思いつきもしないし、技術的に作れない料理でもあった。それが彼の中で更なる闘志となって、彼のパフォーマンス力を底上げする。

 彼は己の闘志の強さによってその実力が際限なく発揮される料理人だった。

 

 マッシュポテトを作り上げ、自家製のブリオッシュと、次々に己の手札を切っていく。完成度を増していく料理の姿は、葉山へと移っていた興味を強制的に黒木場へと引き戻そうとして―――葉山の笑みで止められる。

 

「ッ!?」

「パフォーマンスで収まるとは思わないことだな」

 

 そう言って先に完成させたのは葉山。

 調理中の黒木場を置いて、先にサーブが始まる。

 

「鴨のアピシウス風でございます」

「カラメル化したハチミツがつやつやと……! 鴨肉一面にまぶしたスパイスが匂い立つ! 香りだけでもとろけそうなのに……こんなのを口に入れたら、どうなってしまうの……!?」

「それでは……実食だ!」

 

 一見し、香りを感じ、食べる前から葉山の料理に対する期待が高まる堂島達。

 そして一口食した瞬間、口の中でその期待が想像を超えて爆発する。あまりの衝撃にかつて十傑として名を馳せた卒業生達が揃ってその旨味に悶えた。

 神の舌に比肩する嗅覚と、香りを自在に操る葉山のセンスは、最早学生の領域すら超えているのだ。

 

 スパイシーな味もさることながら、やはり強烈なのは口に入れた瞬間弾ける極上の香り。

 鴨肉の素材を活かしたスパイスの味付けと、そこから生み出される芳醇な香りが舌と脳をダイレクトに刺激し、この品の完成度の高さをこれでもかと主張してくる。

 黒木場がいくつもの手札を切って猛攻を繰り広げていた最中、葉山もまたそれ以上の手札をこの品に仕込んでいたらしい。

 

 まさしく全てを鷲掴みにされたような衝撃があった。

 

「素晴らしい……!」

「確かに……これだけのセンスの持ち主なら、十傑入りも遠い話じゃねぇのは納得だな」

 

 堂島の笑みに同意するように、四宮もまた葉山の実力を認める発言を残す。

 総合して、葉山の評価はとてつもなく高かった。

 

 振り返り、睨みつけてくる黒木場を見る葉山。不敵に笑みを浮かべ、これが格の差だとでも言いたげな目で黒木場を見返していた。

 

「お前がどれだけ手札を切ろうが関係ない……お前の持ち札じゃ俺には届かねぇよ」

「―――……ようやくお前から勝負の温度を感じたぜ、そうでなきゃ……喰いごたえがねぇ!!」

「!」

 

 それでも、黒木場の目は死んでいない。

 彼はいつだって勝負の場で生きてきた男だ。この程度の逆境であろうと、そこに諦めの文字はなく、いつだって逆境を食い破りながら生きてきたが故の闘志が更に燃え上がる。

 葉山も自分の料理に自信があるだけに、黒木場のその闘志を受けて少し怯んだ。此処までの差を見せつけて尚、死んでいない瞳が今まで相手にしてきた料理人との違いを感じさせたのだ。

 

 そうやって完成させた黒木場の料理が、葉山の料理を食べた後の審査員の前に置かれる。

 

「味わいやがれ―――"鰻のマトロート"!」

「まあっ……! なんて力強いボリューム感でしょう!」

「ふん……でも香りの豊かさでは余裕で負けてる。威勢だけがいい奴にどうせロクな品は……」

「早く食え。冷める……!!!」

「あ゛?」

 

 しかし葉山の料理を食べた後の堂島達には、香りというステージにおいては葉山の品には及ばないことが分かる。この段階で、黒木場の料理に対する期待度は葉山より下だった。

 事実、卒業生の中で最も後輩である角崎タキは素直にそれを口にする。対して黒木場は失礼にも強い語気で早く食えと言うが、ともかくは実食となった。

 

 一口食す堂島達―――その一口が、自分達の期待や予想を覆す爆弾の爆破スイッチだった。

 

 口に入れた瞬間に弾けた鮮烈な刺激。

 体の奥底から脳天に電流が突き抜けたような衝撃があった。

 その正体は、黒木場が鰻の中に仕込んだプラムの酸味。港町育ちの黒木場が目利きした新鮮で旨味のあるたぷたぷとした鰻の脂、そこに加えられたプラムのフルーティな酸味が舌の上に広がる。

 まさしく混然一体―――鰻の味を一段階上へと押し上げる工夫がなされていた。

 

 だがここでは終わらない。黒木場の仕込んだ爆薬は更なる高みを目指す。

 

「付け合わせのブリオッシュとマッシュポテト……こいつらとウナギの身も一緒くたにして、全部まとめて頬張るんだ」

「……!」

「さぁはしたなく食らいつけよ! 足腰立たなくなるまでな!!」

 

 その言葉にせっつかれるように、日向子たちは一気に料理を頬張る。次々に連鎖爆発するその味の暴力に、まさしく屈服させられるような感覚に陥った。

 葉山の料理が天にも昇るような香りで鴨を羽搏かせたのに対し、黒木場の料理にはその圧倒的な爆発力で獲物を地に屈服させる力がある。

 

 これまた対照的な料理に、堂島達も手放しで賞賛の声を送った。

 

「一年で此処まで出来る奴がいるとは、今年は豊作だな」

「うむ、どちらも甲乙付け難い、素晴らしい料理だった」

 

 四宮の言葉に同意するように、堂島も頷く。

 だが、二人の料理の実食が終われば、残すは勝敗を決めるのみ。

 

 恋と創真の時とは違い、随分と悩む様子を見せた審査員達だったが、遂にその結果が打ち出される。

 乾日向子、水原冬美は葉山を、堂島銀と角崎タキは黒木場を選ぶ。二対二、残すは四宮の評価でどちらが勝者かが決まる。

 

 会場の注目が四宮へと集まった。

 

「そうだな……俺は―――葉山アキラだ」

 

 そして告げられたのは、葉山アキラの名前だった。

 実際どちらも全く差のない拮抗した勝負であったことは、四宮とて理解している。故に最後に物を言ったのは食べた側の好みの話。黒木場の料理よりも、葉山の料理の方が四宮の好みだっただけの話であった。

 実力だけで言うのならば、どちらもほぼ同じだけの実力を持っている。香りにおいて無類のセンスを持つ葉山に対し、黒木場の戦いにおける執念に支えられた料理センス。互いに恵まれた才を、確たる努力で研鑽してきた者同士、実力勝負では差が付かなったのだ。

 

 これがもしも勝敗をハッキリ付けられない審査員が居たとしたなら、話はまた変わってきたかもしれないが、四宮はそんな曖昧な判断をしない人間である。

 それでも強いて言うのなら、今後の料理界において葉山の嗅覚の方に価値を感じたというだけの話だろう。

 

 

「勝者―――葉山アキラ!!!」

 

 

 堂島銀の宣言に、観客が沸く。

 これもまた、良い勝負だったということだろう。

 

 だが、当人同士は静かに睨み合っている。

 結果が出てから、互いの料理を食してみれば分かったのだ。相手の料理が己の料理に負けているとは思えないことが。そして己の料理が相手の料理に勝っているという確信が持てなかったことも。

 試合の結果は葉山の勝利で決着が付いたものの、互いに引き分けだったと思っている。純粋な実力勝負では勝負がつかなかったと。

 

「……ま、結果は結果だ。先に行くぜ、黒木場」

「チィッ……!! 次こそは絶対に負けねぇ……覚えておけ葉山」

「ああ……俺も次は、白黒はっきり格付けしてやるよ」

 

 故にこそ、葉山は勝ち誇ることはしなかったし、黒木場もリベンジを告げるだけで素直に結果を受け止める。

 

 そして黒木場は会場を去り、葉山はその背中をジッと見送ったのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 少しして、決勝戦に関する発表の為に会場へと黒瀬恋が現れる。

 恋はそこで、黒木場が去った後に厨房に残っていた葉山と初めて顔を合わせた。話したことはないけれど、それでもえりなに聞いた話や今の試合を見れば、相応の実力者であることは既に十分理解している。

 

 なんなら、神の舌に比肩するセンスの持ち主―――超えておくに越したことはないとすら思ったほどだった。

 

 対する葉山の方も、黒瀬恋という料理人の実力には一目置いている。

 自分の鋭敏な嗅覚とは真逆で、味覚障害を抱えているにも拘らず決勝まで上ってくる実力の持ち主。幸平創真と関わりがあっただけに、創真の人物も努力量も理解していた葉山は、その創真を下した恋に明確な脅威を感じている。

 そもそも感覚のハンデを覆してきた男だ。

 ならば、嗅覚が優れていることはアドバンテージに考えてはいけないと。

 

「初めまして、だな……黒瀬恋」

「ああ、試合見てたよ。良い料理だった」

「どうも…………これは別に偏見とか、差別する意図があるわけじゃねぇが、一つ聞かせてもらえるか?」

 

 声を掛けたのは葉山の方。

 恋もそれに対して素直な賞賛を送り、葉山はストレートな言葉に少しやりにくそうにしながらも、恋に質問を投げかける。

 恋はその言葉に対して少し首を傾げながらも、ああ、と頷いた。

 

 それを受けて、葉山は少し言いづらそうに問いかける。

 

「お前は……そのハンデを背負ってまで、どうして料理人を目指すんだ?」

「……どういう意味だ?」

「知っての通り俺は人より鼻が優れてる。そんな俺だからこそ分かるんだ。人間、感覚器官一つの優秀さで、料理人としてどれほど優位に立てるのか。立てちまうのかが……なのにお前はその一つが損なわれた状態にも拘らず、俺と同じステージまで勝ち上がってきた。その努力はきっと生半可なものではないと思うし、凄いことだと思う……だが、そうまでして料理人でなきゃいけない理由はあるのか?」

 

 えりなもそうだろうが、葉山は自分だからこそ分かると断言出来た。

 嗅覚、味覚、種類は違えど、料理人としてその感覚器官が優れていることがどれほどのアドバンテージになるのか、彼にはよく分かる。努力は勿論積んできたつもりだが、やはりこの鼻のおかげで先程の料理を作れたのだし、遠月の厳しい課題もさほど苦労せずにクリアすることが出来てきた。

 

 仮にこの嗅覚がなかったとしたら、もしくは平凡な嗅覚だったとしたら―――自分はどれほどの料理人だっただろうか?

 

 そう考えれば、黒瀬恋という料理人がどれほど規格外の料理人なのかがよく分かる。彼の努力は、誰にも馬鹿になど出来ないほどに、生半可なものではない。

 だからこそ気になったのだろう。

 それほどの努力、覚悟を持って料理人を目指す理由は何なのか。

 

「なるほど……お前も神がかった感覚の持ち主だからな、そう思うのも当然か」

「気を悪くしたなら謝る」

「いや、別に気にしてない……そうだなぁ」

 

 謝る葉山に手を振って気にしてないと言う恋。

 そしてその疑問に対して少し考えた後、恋はふと笑みを浮かべて堂々と答えた。

 

 

「うん―――俺に勝ったら教えてやるよ」

 

 

 不意打ちだった。

 編入挨拶の時に見せた、金色の瞳に浮かぶ闘志が一瞬で葉山の心を揺さぶる。ギラギラと刺すような鋭い闘志。葉山はその一瞬の衝撃に一歩後退った。

 冷や汗が一筋流れ、目の前にいる料理人がこれから戦う相手であることを再認識させられる。なにより黒瀬恋の目が言っていた、"見下すな"と。

 

 そんなつもりはなかった。

 けれど心のどこかで思っていたのだろう―――黒瀬は味覚障害者だから……と。

 

 侮るつもりも、嘲るつもりもなかった。けれど自分が優れた嗅覚の持ち主で、黒瀬が味覚障害の持ち主であることを、何処か優劣の様に認識していたのかもしれない。

 それが先程の疑問に僅かに含まれていたことを、恋は容易に見抜いたのだ。

 だからこそ、その質問には闘志を以て応えた。

 

「そんな腹で戦おうっていうのか? 随分優しいんだな葉山……俺が何も言わなかったら、お前確実に負けてたぞ」

「っ……ああ……俺が間違っていた。謝るよ……全てはお前に勝ってから訊かせてもらうとしよう―――黒瀬恋、もう欠片ほどだって侮りはしない」

「それでいい……全力のお前を期待している」

 

 そしてテーマが告げられる。

 お題は『秋刀魚を活かした料理』

 決戦は一週間後。

 

 対戦カード

 黒瀬恋 対 葉山アキラ

 

 一年最強を決める秋の選抜。

 最後の戦いがいよいよ始まろうとしていた。

 

 

 




今回は四宮シェフ参戦により三つ巴は無く、決勝は葉山と黒瀬の勝負となりました。
感想お待ちしております✨



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四十一話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 『秋刀魚』が題材になり、一週間後の本選に向けた試作期間へと入った。

 葉山も恋も、それぞれ己の出せる全てを尽くすべく様々なアプローチを始めており、魚河岸に赴いては鮮度の良い秋刀魚を購入し、試作料理の制作に入っている。

 

 完全な真剣勝負。

 彼らは常時張り詰めた緊張感の中にいた―――筈なのだが。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……いや多すぎるでしょ!」

 

 極星寮の厨房で試作を作る恋の周りには、何故か人が多かった。

 極星寮の寮生でもないのに、調理をする恋の背後、邪魔にならない所に座って見ているのは薙切えりな、新戸緋沙子、アリス、黒木場、幸平創真、田所恵、美作昴の七名。

 恋は別に周囲の環境や人の視線で集中を乱されるようなことはないので、試食してくれるなら別に良しとしているが、妙に人口密度の多い空間である。

 

 元々は恋が一人で料理をしていたのだが、最初に創真と恵が様子見にやってきたのが始まり。そこで恋が二人に試食を手伝ってくれと頼み、二人とも快く了承してくれたのだ。

 そこへアリスが黒木場を連れて差し入れにサンドウィッチを持ってきたのだが、創真達が試食をするということを知ると、ならば私も、俺もとその場に居座ることになる。

 そして更に緋沙子を連れたえりなが様子を見に来て、アリス達が試食をするということを知って、それなら自分が一番最適だろうと主張してその場に座した。

 

 この時点で試食係六名という大所帯となったのだが、では美作はというと?

 

 彼はそもそも最初からこの場に潜んでいたのだ。恋という料理人に憧れを抱いた彼は、より一層彼に近づくためにストーキングを続けていたらしい。全員にドン引きされたものの、妙に堂々と言い放つ彼に、創真達もまた何も言えなかった。

 

 そういうわけで恋一人の試食係が七人になってしまったわけなのである。

 

「急にどうしたんだよ薙切」

「どうしたじゃないわよ、試食に七人も必要ないでしょう」

「つっても黒瀬に最初に試食を頼まれたのは俺と田所だぜ?」

「なんならえりなが最後に来たんだから、そう言うならえりなが帰ればいいじゃない」

「この中で試食役に一番適した人材は私以外にいないでしょう。アリスこそ、差し入れを持ってきたなら帰ればいいじゃない」

「まぁ、酷い。リョウ君も何か言ってやってよホラ!」

「……俺は決勝行けなかったんで、一回黒瀬の料理を食ってみたいっス」

「ホラ!」

「今の何処に貴女の正当性があったのよ!」

 

 ぎゃーぎゃーと言い合いを始めるアリスとえりな。

 こんなにうるさくしても恋の集中が乱されないのは流石と言うべきなのだろうが、すぐ後ろで繰り広げられている修羅場に気付かないというのは、それはそれで追々面倒くさいことになりそうな気もする。

 

 とはいえ誰も引く気がないのは、やはり我の強いメンバーだからだろうか。

 

「つーかさ、俺が準決勝でビーフシチュー作った時試食頼みに行ったら断ったじゃんお前。この私に試食を依頼するには幾つもの審査を越えて、それなりの報酬を用意しないといけないのよ、とか言って」

「創真君、薙切さんに試食して貰おうとしてたの!?」

「おう、でも突っぱねられちまってさぁ。まいったわー、まぁなんとか形に出来たから良かったけど」

「えりな? じゃあどうして今回はそこまで試食に協力的なのかしらー?」

「っ……別に、恋君は幼馴染なのだし……それくらい協力したっておかしいことじゃないでしょう!」

「へー、ふーん、ほーん? 本当にそれだけかしら?」

 

 背けられたえりなの顔を執拗に覗き込みながらアリスはえりなを問い詰める。えりなの気持ちを知っているアリスとしては、此処でそんなおためごかしを述べるえりなに少し冷たい気持ちが生まれた。

 とはいえそれならそれで、アリスも勝手に攻めるだけの話である。えりなが委縮しているのなら、都合が良いのも確かだった。

 

「なによ、じゃあアリスはどうしてそこまでこだわるのよ」

「あら、知りたいの? 私が恋君の為に力を貸そうとする理由が知りたいの?」

「ちょ……な、なによ」

 

 すると、不意に仕返しとばかりに質問を返してきたえりな。

 アリスは詰め寄って既に近かった距離を更に近づけた。アリスの口がえりなの耳元に近づくと、えりなにしか聞こえないような声でコッソリとその理由を告げる。

 

 

「―――私が、恋君を好きだからよ」

「ッ!?!?」

 

 

 これは、アリスだけが一方的にえりなの気持ちを知ってしまったからこそ、対等な条件にするためにあえて教えたのだ。驚きにアリスの顔へバッと視線を向けるえりなに、アリスはにっこり笑って距離を離す。

 その笑顔にえりなはうすら寒い気配を感じ、同時にアリスがとんでもなく強大な存在に見えた。料理人としては格下と思っていたが、女としては世間知らずのえりなより何枚も上手だと思わされたのだ。

 

 アリスが恋のことを好き―――そしてそれは友達としてとか、そんな甘い表現ではない。一人の女性が、一人の男性を好きになったということ。

 

 先日、自分と恋の関係を崩しかねない司瑛士(ライバル)の出現に得体の知れない不安を抱いたばかりだというのに、その司と違い、此処に来て本当の意味で恋を奪いかねない薙切アリス(こいがたき)が現れた。

 えりなの中にあった焦燥感や不安感が一気に大きくなる。

 

「なんだ、随分賑やかだな……ほら、とりあえず幾つか作ってみたから試食を頼むよ」

 

 するとそこへ丁度恋が数品秋刀魚を使った料理を作って持ってきた。両手が皿で塞がっているが、危なげなく持っているあたり器用さが伺える。手を貸さずともテーブルに皿を置くことは出来るだろうが、えりなが動く前にアリスが恋に近づいていった。

 

「恋君、手伝うわよ♪」

「ああ、ありがとう」

 

 恋の手から皿を受け取り、テーブルに並べるアリス。恋も二枚皿を受け取って貰えば幾分動きやすくなり、残りの皿もテーブルへと並べていく。

 そんな二人の姿は妙に息が合っており、慣れたような空気すら感じられた。デンマークに行ったときにも同じようなことをしていたのだろうか―――そう思うと、えりなは胸がきゅうっと締め付けられるような気持ちになった。

 

 切ない、苦しい、そんな感覚。

 

「おお、結構色々作ったんだな……いただきます……んーッ!? 凄ぇ美味い!」

「このアクアパッツァも美味しい……口の中で秋刀魚の身がほろほろ解れて、噛まなくても味が舌に染み渡るみたい!」

「コレは秋刀魚本来の香りに加えて、数種のスパイスでより香ばしくなってる。葉山の香りを扱うセンスは一級品だが、黒瀬も決して負けてねぇ」

「ッ!! 俺がこのお題で作るなら選んでいたかもしれねぇな、このカルトッチョも相当レベルが高ぇ……」

 

 各々が試食しては高評価を口にする。

 だがえりなはその光景を呆然と見ていた。緋沙子が心配そうに声を掛ければ、ハッとなって我に返るも、少しの間動くことが出来なかった。

 

 恋を見れば、それに気づいた恋が首を傾げてくる。

 えりなは自分の中に浮かんだ嫌な気持ちを気付かれたくなくて、必死に取り繕った。創真達同様恋の料理に箸を伸ばして試食する。そして神の舌から感じ取れる情報から、いつも通り自分なりの評価を述べた。

 何を述べたかはあまり覚えていないが、それでもおかしなことは言っていなかっただろう。恋もなるほど、と頷いていたから、きっと力になれた筈だと思った。

 

「ねぇねぇ恋君、こっちのはなぁに?」

「っと、それは……」

 

 するとアリスは恋の腕に自分の腕を組んで、品の説明を求めだす。

 引っ張りながらも、恋の腕に自分の身体を密着させている。えりなにはそれが破廉恥な行為に見えるが、それでも恋愛漫画などでもそういったアプローチは有効に作用していた。

 恋の顔を見ると、特に嫌がっている様子はない。アリスのそんなスキンシップにも慣れた様子で苦笑している。

 

 色っぽい空気には見えないが、それでも二人の親密度が高いのはよく分かった。

 

「……えりな様?」

「……帰るわ。行きましょう、緋沙子」

「えっ、は、はい!」

「ごきげんよう」

 

 えりなはそんな二人をこれ以上見たくなくて、自分の中の嫉妬心に気付かれたくなくて、気丈に振舞いながらその場から逃げた。

 辛い、苦しい、切ない、そんな痛みを覆い隠しながら、恋を取られたくないクセに、アリスの行動から目を背けて逃げることしかできなかったのだ。

 

 そんなえりなに少し驚きながらも、見送る恋達。元々様子を見に来てくれただけだったので、この場に留まる意味も確かにないのだが、突然のことで少々呆気に取られた。

 しかしアリスだけはそんなえりなを見て、ムッとした表情を浮かべている。

 まるで何もせずに逃げていくえりなに不満を抱くように、勇気の出ないえりなに苛立ちを覚えるように。

 

「……何か様子がおかしかったけど、何かあったのか?」

「……さぁ? えりなも忙しいんじゃない?」

 

 何か勘付いたような恋の言葉に、アリスはしらを切った。

 

「(えりなの馬鹿……いつまでもそんなんじゃ、本当に私が取っちゃうからね)」

 

 恋のことは大好きだ。

 でもアリスはえりなのことだって大切に思っている。

 自分が幸せになることでえりなを傷付けることは、彼女としても良しとしていなかった。正々堂々、後腐れなく、恋と結ばれたいと思うからこそ、えりなというライバルにも相応の勇気を求めている。

 

 えりなが結ばれようが、自分が結ばれようが、きちんと納得したいし、してほしいと思うからこそ、アリスはえりなの臆病さに不満を抱いているのだ。

 

「……ねぇ恋君」

「ん?」

「決勝戦のことをお母様に伝えたのだけど、お母様、決勝の審査員でこっちに来るらしいわ」

「そうなのか。案外早い再会になったな」

「ええ、決勝が終わったら一緒に挨拶にいきましょ♪」

「ああ、そうだな」

 

 アリスはそれでも手は緩めない。

 確かに、えりなに勇気を出して欲しいとは思う。

 けれど―――いつまでも待ってはあげるほど甘くはないから、恋愛は甘酸っぱいのである。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 その夜、極星寮の厨房で未だに試食を繰り返す恋。

 他の面々は既に帰るか部屋に戻っており、この場には恋の他に創真だけがいた。美作も残ろうとしていたけれど、空気を察してか今日は帰った様だった。

 静けさの広がる厨房で、恋の調理する音だけが響く。

 

 トントントン……包丁の小気味いいリズム。

 カチ、シュボッ……コンロの火がうねりを上げて。

 パチッパチッ……脂が跳ねる音が耳を叩いて。

 

 普段自分が料理をする時にも聞いている何気ない音が、ブレずリズミカルに空間で音楽を奏でている様だった。恋の無駄のない調理が生み出すそのメロディが、聞いていてとても落ち着くのを感じる。

 創真は恋の調理風景を見つめていた。

 準決勝、そこで自分が負けた相手……恋の料理にあって自分の料理にないものを学ぼうと。

 

「……なぁ黒瀬」

「ん? なんだ、幸平」

 

 料理中に悪いと思いながらも声を掛けた創真に、その手を止めることなく恋はそう返した。サポートに入る時に比べれば使う並列思考(マルチタスク)量も少ないので、調理の腕を落とすことなく会話するくらいは余裕らしい。

 流石だな、なんて思いながら創真は続けた。

 

「俺、お前と勝負して、お前の料理を食べて……少し思ったことがある」

「……なんだ?」

「黒瀬の料理はさ、なんつーか……すげぇ安心するんだよな。邪念がないっつーか、純粋に食べる側のことを考えて作ったんだろうなってのが凄く伝わってくる……まぁ、薙切の為にってのがあるんだから当然なんだろうけど」

「へぇ、自分じゃ分からないけど、そうなのか」

「だから思ったんだ。俺に足りなかったのは……何のために料理を作っているのかってことじゃねぇかなって……漠然とゆきひらで最高の料理を作りたくて、誰よりも美味い料理を作る料理人になりたくて、親父を超えたくて、今まで我武者羅にやってきたけどさ……俺の料理を食う奴のことはあんまし考えてなかったんだ」

 

 創真は準決勝で敗北してから、ずっと考えていた。

 自分の料理に欠けている物はなんだったのか。そしてこの先進化するためには何が必要なのか。恋を見ていれば、恋の料理を食べれば、それが分かる気がしたのだ。

 

 あの夜、自分だけを見て応援してくれた田所のことを思い出しては、その応援に応えられなかった自分が許せなくて。

 

 だから思ったのだ。

 自分は、自分の料理を食べさせてやりたい人はいるのかと。

 客に料理を出すのは店として当然のサービスだ。けれどそうではない……恋の様に自分の料理で笑顔にしたい人はいるのか、それを考えたことはあるのかということを、考えるようになったのだ。

 料理が上手くなる、良い料理人になる、それはあくまで手段でしかなく、目的ではない。料理人の本懐は、その先―――食べた客の笑顔にある。

 

 月を背に柔らかく笑った田所恵の姿が浮かぶ。

 

「俺、もっともっと、美味い物を作れるようになりてぇ……でも考えたらさ、それ以上に俺の料理が一番美味いって言ってほしい奴がいるって気付いた」

「……そうか」

「絶対黒瀬の影響だぞ」

「視野が広がったってことだろ? 料理に熱中できるのは幸平の良い所だが……それで見落としていたものに気付いて、それを大切だって思えたなら、それは幸平にとって必要なことだったんだよ」

 

 確実に恋の影響だと言う創真に、恋はハハッと笑ってそう返した。

 それが成長となるか、停滞となるかは創真次第。恋はえりなを笑顔にしたくて料理人として努力を積んできて、結果ソレが成長に繋がったが、誰もがそうなるとは限らない。

 

 時にその想いが足を引っ張ることだってあるし、時にその想いが大いなる躍進を遂げさせることだってある。

 

 全ては自分次第だ。

 

「で? 田所に告白はしたのか?」

「ッ!? な、なんでわかんだよ」

「違うのか?」

「ちがッ、くねぇけど、恋愛感情かどうかはまだ分かんねぇじゃん」

「ハハハッ! 田所にお前の料理が一番だって思ってほしいんだろ? そんなの、好きだからに決まってるじゃないか」

 

 恋の言葉に、創真は息が詰まる。

 

「お似合いだと思うよ、お前も田所も、良い子だからな」

「ぐぎぎ」

 

 普段から大人びた恋にそうからかわれ、創真は悔しそうにそう唸った。

 

 

 




料理と恋愛の比率は4:6くらいのバランスで行きたい本作です。
感想お待ちしております✨



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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今後とも応援よろしくお願いいたします。

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四十二話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
今回少し暴力的な表現があります。


 そして数日が経ち、両者ようやく自分の作る品の形が見えてきた頃。

 秋の選抜決勝に対し、期待、興奮、緊張といった様々な感情が集中する中で、とある場所では別のことが進みつつあった。生徒、講師、選手、遠月学園内のあらゆる意識が選抜に向いた今だからこそ、誰にも気付かれない状態で。

 

 十傑第九席叡山枝津也が動いていた。

 

 折角退学にしたというのに戻ってきた黒瀬恋。それに協力し、己を裏切った美作昴。己の提案に乗ったくせに、戻ってきた恋に執心し始めた第一席司瑛士。全て黒瀬恋という生徒を中心に遠月第一学年が動いているとでも言わんばかりの、急激な変化。

 自身の策やそこに含まれた意図、今後に繋げるための方策、その全てを台無しにされた叡山の胸中は決して穏やかではなかったのだ。

 

 無論黒瀬恋が彼にとって金になる可能性を持った人材であることは、今も変わらない。けれど彼にとって黒瀬恋が好ましい存在かどうか、己の邪魔になる存在になり得るかどうか、それは別の話だ。

 

「ええ……黒瀬恋が戻ってきました。選抜への参加権も手にし、選抜決勝に出場することになっています」

 

 電話で誰かと話しながら、叡山は不愉快な心情を隠すことなく表情に浮かべている。

 受話器の向こうで何を言われているのか、それは分からない。けれど料理よりもあらゆるコンサルティングを成功させ、金にすることに夢中な彼にとっては、けしてこの状況は良いとは言い切れない。

 黒瀬の退学とは、この電話の向こうにいる人物たっての依頼だったからだ。

 その依頼に対し適切な処理を済ませた叡山の手は、手駒であった美作に裏切られるという形で台無しにされ、その恋が戻るだけに留まらず秋の選抜決勝まで進んでいる。

 それは依頼主からすれば到底認められるようなことではなかったらしい。結果的に叡山枝津也に対する信用問題に関わってくる。

 

「……分かりました。今度こそ、完全に黒瀬を潰します」

『―――』

 

 そしてその信用を取り戻すための最後の機会が与えられた。

 電話を切った叡山は、少しの間目を閉じて何かを考えると―――どす黒い闇を感じさせるような鋭い瞳を浮かべながら立ち上がる。策は決まったのだろう、メールで数人に指示を出しながら歩き出した。

 

 そしてそれが終われば別の場所へと電話を掛け始める。

 

 十傑評議会第九席にして、『錬金術士(アルキミスタ)』と呼ばれるこの男。その手腕は本物であり、蛇の様に獲物を刈り取る策が、黒瀬恋に襲い掛かろうとしていた。

 彼の言う、黒瀬恋を潰すという言葉は―――一体何を始めるのか。

 

「……」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 とうとうやってきた決勝前日。

 葉山アキラは、明日の決勝戦に向けての準備を整えていた。

 と言っても今は傍には汐見潤もおり、料理の完成形も見えているので、料理の食材や調味料、調理器具のメンテナンスをしているだけ。

 

 考えるのはやはり、明日の決勝戦のことだろう。

 恋がどのような品を出してくるのか、自分の料理に懸ける想い、優勝への執念、色々な感情が浮かんでは葉山の中で闘争心へと変わっていた。既にやることは変わらず、今はもう恋を一人の強敵として認めているのだ―――葉山は全身全霊を懸けて勝利を捥ぎ取ろうと考えている。

 

「遂に決勝戦だね……葉山君がこんなに成長して、私も嬉しいよ」

「何を大人ぶってんだ潤……まぁ見てろよ、明日は俺の最高の品で黒瀬に勝ってみせるさ」

「うん、頑張ってね。確かに彼は強いけど、葉山君だって負けてないよ」

 

 葉山アキラは、元々スラム出身の孤児だった。

 その日の食事にも必死にならなければ生きていけないような汚いゴミ溜めで、子供ながらに必死に生きていた。優れた嗅覚を持っていても、己には世界を変える力が何もないことを、毎日の様に思い知っていた日々。廃棄された食材にありついては、店の人間に殴打され、逃げるように残飯を食らっていたみじめな人生。

 死ぬほど悔しかったし、辛かったし、涙を流した回数など数えきれない。

 

 けれどそんな人生を変えてくれたのが、この汐見潤という女性だった。

 

 ―――君の嗅覚は、世界を変えちゃうかもしれない。

 

 偶々葉山の居た国を訪れていた日本人の女性。スラムにいた彼女を少し助けてやっただけの、そんな他人同然だった彼女だけが、あの汚い世界から葉山アキラという存在を救い上げてくれた。

 優れた嗅覚。それだけで世界を変えることが出来る可能性を示して、葉山を料理人の道へと誘ってくれた。

 

「どうしたの? 葉山君」

「……なんでもねぇよ」

 

 だから積んだ。

 彼女の為に積んできた。勉強も、技術も、知識も、なんだって我武者羅に努力してきた。己の可能性を信じてくれた女性(ヒト)の期待に応えるために、この鼻で世界を変えてやろうと思った。

 

 あの時の彼女の選択こそが、この料理人の世界に一石を投じる選択だったのだと、証明するために。

 

 そしてその成果を目に見える形で証明出来る日が、遂にやってきた。遠月学園秋の選抜決勝戦……ここで優勝を果たすことが出来たのならば、葉山は胸を張って汐見潤という女性の期待に応えたと言いきれる。

 

「……黒瀬は俺とは全く方向性の違う料理人だ」

「そうだね、あんな料理人はきっとそういない」

「何の力も才能もない状態で、それでもアレだけやれる奴なんて正直驚いた。こんな奴もいるんだって思ったよ……俺だったら、アイツと同じ条件でアイツの様にやれたかは自信がない」

「うん、彼は本当に頑張ったんだと思う。誰よりもマイナスからスタートして、私達が当然の様に持っているものを身に付けるための努力をしてきたんだから」

「だからこそアイツに勝つ。俺と正反対な黒瀬を認めているからこそ、俺の全力でアイツに勝ちたい」

 

 葉山アキラという人生に意味をくれたのは汐見潤だ。

 葉山はこの嗅覚に誇りを持っているし、彼女と繋げてくれた運命にすら感謝する。今までこの鼻と共に成長してきたし、彼女の為にどこまでも素晴らしい料理人になる努力をしてきた。

 そして選抜決勝、最後に立ちはだかったのは味覚障害の料理人。

 なんて数奇な運命だろうか。

 優れた感覚を持って生まれ、そこに意味を見出されてここまで来た自分の決勝の相手が、それを持たざる者。

 

 であれば、優れた嗅覚や味覚障害なんてものは最早勝負において関係ない。

 

 どこまでも対等だ――だからこそ勝ちたい。

 互いの持つ全てを尽くして競い合いたい。まさしく最後に相応しい相手だと思うから。

 

「最高の一日になりそうだ……」

 

 無論負けるつもりなど欠片もないが、勝っても負けてもきっと、最高の瞬間が待っている。葉山の言葉に、潤は笑みを浮かべる。

 二人は共に、明日の決着の時を待っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして恋もまた、己の作り上げる料理を完成させ、その仕込みを行っていた。

 新鮮な秋刀魚は用意してあるが、勿論念のため当日の朝にも魚河岸にて選ぶつもりでいる。それ以外の食材や仕込みは必要だ。調理自体は翌日の会場で行わなければならないので下拵えは最低限であるが、それでもそれがあるかどうかで恋の料理のクオリティが大きく変わってくる。

 食材を用意し、明日への準備を整え、集中力も気力も最大限まで高めていく。恋のコンディションはとてもいい状態だった。

 

 緊張感と高揚感が入り混じり、頭もすっきり冴え渡っている。全てが恋の身体に力を漲らせる源となっているような、そんな気分。

 

「うん、良い感じだな」

 

 大きく深呼吸をしてからそう呟く恋。

 準備は終わり、あとは明日の早朝に魚河岸に向かって出来ればより質の良い秋刀魚を調達するのみ。その為には少しでも休息をとる必要がある。

 恋はもう寝ようと考えて、誰もいない厨房から出た。決勝戦は明日の正午からなので、十分余裕をもって挑むことが出来るだろう。

 

 そうして己の部屋へと戻ろうとした―――瞬間、何者かによって殴打された。

 

「ッ―――!?」

 

 後頭部に固いものが叩きつけられ、不意打ちだったのもあって恋の意識が一瞬でブラックアウトする。最後の瞬間に恋が見たのは、何者かの人影だけだった。

 

 

 ◇

 

 そして訪れた決勝当日。

 会場には次第に人が集まってくる中、審査員も生徒も、数多くの出資者や美食家達の姿がちらほらと現れる。まだ開始時間には余裕があるというのに、これだけの人が姿を現しているということが、この戦いの期待値を証明している。

 葉山アキラも既に会場入りしており、厨房に調理器具や食材を運び込んでいた。彼に対する注目も凄まじく、それは時にプレッシャーとなって料理人に襲い掛かる。それに慣れるために早く入るという意図もあったのだが、不思議と葉山はそのプレッシャーすら心地よく感じていた。

 

 これから黒瀬恋という強敵と戦うのだ。

 ならば、この震えはきっと武者震いだろう。

 

 自分の全力を以て打倒したい相手。自分の全力を尽くすに相応しい相手。これ以上ないくらいに、彼との勝負を心待ちにしている。

 だが、正午まで残り二時間、一時間と時間が経つにつれて会場内がざわつき始めた。

 

 

 ―――黒瀬恋が現れないのだ。

 

 

 前回の準決勝では、かなり余裕をもって会場入りしていた彼が、残り一時間になっても姿を現さない。

 会場の観客だけではなく、葉山自身もそれに疑問を抱く。アレだけの強い意思を持つ男が、敵前逃亡など考えられない。であれば、何かトラブルでもあったか、此処に来られない事情が生まれたかだろうが、葉山にはそれを知る術はない。

 

「何やってんだ……黒瀬の奴」

 

 ぼそっと呟く葉山の胸中に、早く来いと焦りが生じる。

 こんな不本意な結末を、彼は望んでいなかった。

 

「このまま黒瀬恋が姿を現さなかった場合……当然不戦勝として、秋の選抜は葉山アキラの優勝となるぞ」

「ッ……そんな!?」

 

 そんな彼に、薙切仙左衛門が残酷な事実を突きつける。

 葉山は動揺の声を上げると、ギリッと歯を食いしばって苛立ちを露わにした。こんなふざけた結末で、自分の実力を証明したなんて到底言えるはずがない。ましてや汐見潤への恩返しなど、出来たなんて言えるわけがない。

 早く来い、何をしている黒瀬、と内心で焦りと苛立ちを募らせる葉山は、無駄だとわかっていながらも会場内に恋の姿を探してしまう。

 

「っ……?」

 

 すると会場、観客席の後方で慌てたように動き回っている生徒を数名見つけた。

 

「あれは……幸平……それに黒木場、薙切アリスまで……何を……まさか……!」

 

 そこにいたのは、必死な表情で何かを探し回っている創真達の姿だった。その様子からただならぬ気配を感じた葉山は、黒瀬の身に何かがあったのだろうことを察する。おそらくはこの場に来られないほどの何か―――彼らが探し回っているということは、事故にあったなどのアクシデントではなく、恋の姿そのものが消えたとみて間違いない。

 何らかの妨害があった……そう考えるのが一番自然だった。

 

「(この状況で黒瀬の邪魔をしてメリットがあるのは誰だ……? 黒瀬が決勝で優勝すると都合が悪い……黒瀬が優勝出来ないとどうなる―――そうか、美作の誓約書類!! 狙いは黒瀬の退学か……!!)」

 

 ハッと気付いた葉山は、黒瀬の妨害をした存在の目的を察する。

 ならばこの状況を作り上げたのは、黒瀬の退学を最初に提案した者。美作の密告を受けてそれを利用し、黒瀬を退学に追い込んだ人物に違いない。

 

 そう、十傑第九席叡山枝津也だ。

 

 だがそれに気付いたところで、この場に恋が現れなければその目的が果たされてしまう。だからこそ創真達が探しているのだろうが、時間は刻一刻と迫ってきている。

 ならば、葉山に出来ることはなにか。

 

「……どこへ行く、葉山アキラ」

「不戦勝だなんて、ふざけた結末を俺は受け入れられない。だから、此処に黒瀬恋を連れてきます」

「……ここは神聖な戦いの場じゃ。数多くの者が時間を割いて此処にきておる……それを勝手な都合で予定を変えるなど、許されることではない」

「なら時間内に黒瀬を連れてくれば文句はないでしょう? まだ三十分ある」

「……良かろう、だが黒瀬恋を連れてくるにしろ来られないにしろ、貴様は必ず時間内に戻ってくるのだ……よいな?」

「……分かりました」

 

 この試合を不戦勝にしないこと―――つまり、葉山もこの場に居なければ勝負は成立しない。どちらの勝ちにも、どちらの負けにもならない。

 葉山も黒瀬を探しに行くことを選んだ。

 

 仙左衛門の言葉に頷きを返して会場から出て行こうとする葉山。

 だが、その向かう先から不意に声がした。

 

「その必要はないぜ、葉山アキラ」

「! 美作……ッ!! 黒瀬!」

「……や、遅れて悪いな、葉山」

「お前……何があったんだ……!?」

 

 現れたのは美作昴と、彼に肩を貸してもらう形で姿を現した黒瀬恋だった。

 だが恋の姿を見て絶句する葉山と、騒然となる会場。審査員達も目を見開いて彼の姿に驚愕を露わにする。

 

 治療こそ施されているが、恋はボロボロだった。

 

 右腕に巻かれた包帯、片足を負傷しているのか歩き方がぎこちなく、顔にも湿布や絆創膏があり、その奥に青痣などが見え隠れしている。口元も切っているのか、赤く滲んでいた。どう見ても、何らかの暴行を受けたような跡が多数ある。

 それでも黒い調理服に身を包んで現れたということは、そんな様でも勝負をする気で来たということなのだろう。

 

「お前、その腕……大丈夫なのか?」

「……ああ、コレか。まぁ、いつも通りではないな」

 

 だが葉山は、恋の右腕を見て心配する。

 恋が今まで料理している姿を見れば、右が彼の利き腕なのだ。その腕が満足に使えないというのは、彼の精密な調理技術をブレさせることに繋がるのではないかと思ったのだ。

 事実恋の掲げた右腕はプルプルと少し揺れていた。痛みがあるのだろう、恋の頬には少し汗が滲んでいる。

 

 そんな状態で戦うというのか―――この葉山アキラと。

 

「何があったんだ……美作」

「……俺も黒瀬に何があったのか、詳しいことを知ってるわけじゃねぇ。俺はただ、黒瀬に何かが起こることを事前に知ることが出来ただけだ……結局止められなかったけどな」

「……本気でやる気か、黒瀬」

 

 美作の言葉にグッと拳を握りながら、葉山は再度恋に問いかける。

 すると恋は美作の腕を離し、一人で立つ。そのまま少し歩きづらそうに前に出ると、美作の持っていたクーラーボックスを受け取って、自身の厨房台の上に置いた。

 調理用具を並べて、用意してきた食材も取り出していく。

 

 そしてカタン、といつもの包丁を手に取ると―――それを左手に持ち替えた。

 

「当然だよ葉山……この程度のハンデなんて、この舌に比べりゃ蚊に刺されたようなものだ」

 

 答えは決まっていた。

 金色の瞳に宿る闘志は以前変わらず燃えている。

 

「……なら、遠慮はしない。手加減なしで行くぞ」

 

 それを受け、葉山もまた覚悟を決めた。

 恋の身に何があったのかは分からない。しかし彼は今ここに居て、満身創痍でありながらも勝負をすると言っている。

 

 ならそれを受けるのが礼儀というものだ。

 

 時間はもうすぐそこまで迫っている。

 恋と葉山は厨房に付く。美作は会場から退場し、観客席へ。

 審査員達は二人の意志を尊重し、この時点では恋の身に起こったことは目を瞑った。

 

 

 そして始まる―――不穏な気配の渦巻く、秋の選抜決勝戦が。

 

 

 




次回、恋の身に起こったこととは。
感想お待ちしております✨




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四十三話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。
前話の感想にて叡山先輩の能力や人格に理解が深い方が多く、嬉しかったです。
諸々違和感を感じられているかと思いますが、今後の展開にご期待ください。


 選抜決勝戦が始まった。

 黒瀬恋が傷だらけで現れたことに、会場内の動揺は大きかったものの、恋と葉山がそれを承諾して試合を開始したことで一旦は収まる。歩き方は多少ぎこちないものの、それでも動けないほどではないらしい黒瀬の動きから、多少心配はあるものの、次第に試合への興味へと感情が移り変わっていく。

 葉山の料理から漂ってくる香りや、ペースこそ落ちているものの変わらぬ恋の正確無比な調理姿は、白熱した料理人同士の戦いを想起させた。

 

 だが右腕を負傷した恋が、左手で尚も普段と変わらぬパフォーマンスを保てているのは何故なのか。それが気にならない者はいなかった。

 

「恋君……一先ず大丈夫みたいね。でも、左手で大丈夫なのかしら?」

「……まぁ、元々彼は左利きだもの」

「えっ!?」

 

 必死になって恋を探していたえりな達は、恋の姿を確認してホッとしながら、試合の行く末を見守る。アリスは左手で万全の料理が出来るのかと心配したものの、えりながそこに衝撃の事実を告げた。恋の利き腕は右ではなく、左だというのだ。

 えりなの方に驚いた顔で視線を送ると、えりなは未だ心配そうに恋を見つめながら過去のことを語る。 

 

「私も気が付いたのは最近だけれど、幼い頃の彼は左手で包丁を握っていたわ。おそらく大抵の厨房が右利きに優しく設計されているから、無駄な手間を増やさない様に両利きになる訓練を積んだんじゃないかしら」

「なるほど……じゃあ左で作った方が上手く作れるってこと?」

「いや、彼の調理姿をみてきた限りでは、どちらも同じくらい自在に使えるんだと思うわ。おそらく左手で作ったところで右と然程変わらないでしょうね」

「じゃあ……不利な状況は変わらないのね」

 

 応援しているだけに、恋の身体に見える負傷が痛々しく見える。おそらくは少し動かすだけでも鈍い痛みが走るだろうに、恋はアドレナリンが効いているのかそれを無視していつも通りの動きを保っている。あとから反動が酷くならなければいいが、全てはこの試合が終わってからの話だ。

 すると、えりなとアリスの下へ緋沙子が駆け寄ってくる。

 

「えりな様、アリスお嬢……! 今、会場ロビーで美作昴に話を聞こうと、幸平達が……お二人もいらっしゃいますか?」

「! ええ、行きましょう……この勝負自体に意味はないもの」

「……恋君が負けると思うの? えりな」

「大事なのは勝敗ではないわ、アリス。死力を尽くした勝負であったかどうかよ……恋君の負傷を見れば、どちらが勝っても遺恨が残る。葉山君が勝ったとしても、恋君の負傷がなければ……恋君が勝っても、葉山君が恋君の負傷に集中力を乱されなければ……会場の観客や審査員以上に、本人達ですらそう考えられてしまう以上、この試合で優劣は付けられないのよ」

 

 えりなの言葉に噛みついたアリスだったが、えりなの正論に言葉を返すことは出来なかった。優劣の付かない無意味な試合……それでも全力を尽くして戦う二人の料理人。哀れと思うか、それとも無様と思うか、それとも――その答えはアリス達以上に、恋達が感じていることだろう。

 えりなが先行し、緋沙子がそれに続く。

 アリスは唇を噛んで悔しそうにしながら恋と葉山を見るが、もどかしい感情を押し殺し、遅れて二人のあとを追いかけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 えりな達がロビーに辿り着いた時、美作昴に対して黒木場や創真が詰め寄っていた。

 黒木場はいつものぼんやりした姿ではなく、怒り心頭といった様子で巨体の美作の胸倉を掴んでいるし、創真もまた眉間に皺を作りながら静かに美作から話を聞こうとしている。

 その後ろには極星寮の田所や吉野、榊、伊武崎、丸井、一色といった面々もおり、そこから少し離れたところには司や竜胆、久我の姿もある。えりな達も合わせれば、随分な人数が恋に何があったのかを知りたがっているのが分かった。

 

 美作は葉山に問いかけられた時は詳しく語らなかったが、これだけの面々がいるのであれば黙するわけにもいかない。

 幸い司の計らいで人払いはされているらしく、この場にはえりな達しかいなかった。

 

「美作ァ……どういうことだ! 黒瀬をやったのは何処のどいつだ!」

「落ち着けよ黒木場……俺だって、黒瀬の負傷には腹が立ってんだぜ」

「リョウ君、落ち着きなさい」

「……チッ!」

 

 美作の言葉を聞き、アリスに窘められたことで一旦は胸倉から手を放す黒木場。料理人として、また己に勝った葉山や決勝に進んだ黒瀬の勝負を尊重していたこともあって、黒木場はそれに水を差した人物に心底腸が煮えくり返っているようだった。

 だがそれはこの場にいる全員が思っていることだ。

 一番荒れていた黒木場が一旦牙を収めたことで、全員に多少の冷静さが戻る。

 

 それを感じ取ったのか、胸元の皺を正しながら美作は静かに語り出した。それは決勝カードが決まった日から、四日が経った頃のことだった。

 

「俺は黒瀬に負けてから……今一度自分を見つめ直すため、また黒瀬という料理人から学ぶために、黒瀬のことを追いかけていた。以前までやっていたトレースに比べれば、ただの追っかけの様なレベルだったがな」

 

 創真達はカードが決まった翌日、恋の料理を試食する場に美作が居たことを思い出し、確かにそんなことをしていたと頷く。

 今回恋の危険に気が付いたのも、美作がそうして恋の周囲を追いかけていたおかげなのだろう。その点に関しては、今回美作がいてくれて助かったという思いもあった。

 

「だが同時に、俺はあの食戟で叡山枝津也を裏切ったことになる。その影響が黒瀬に及ぶのは避けたかった……だから俺は同時に叡山枝津也の周囲のことも探っていたんだ。そこで、三日前……奴が電話で黒瀬を潰す話を何者かとしているのを偶然聞いたんだ」

「なっ……じゃあ今回の件は全て十傑九席の仕業ってこと!?」

「仮にも十傑ともあろう者が、こんなクソみたいな手段に出たってのか……!」

 

 美作の言葉に吉野が大きく反応し、物静かな伊武崎も怒りに語気が荒くなる。

 だが、美作はその言葉に対して軽く首を横に振った。その認識には語弊があると、そう言って、自分が知っている限りのことを話す。

 

 美作がその日、恋の危険を察知して叡山の周囲を探った結果、叡山枝津也のやろうとしていることを知ることが出来た。彼が本気のトレースを以ってすれば、そのくらいのことは簡単に知ることが出来たのである。

 故に美作は先回りして、その策を台無しにするべく動いていたし、その為の準備も万全に整えていた。

 

 そして彼は言う―――その対策は間違いなく、成功したのだと。

 

「どういうことだ? テメェの叡山対策が成功したなら、黒瀬はあんな目に遭ってねぇだろうが」

「そこが間違ってるんだよ、黒木場……お前らは叡山枝津也について全く知らない。奴は十傑第九席の座にいる実力者だぞ。しかも数々のコンサルティングを成功させ、『錬金術士(アルキミスタ)』とまで呼ばれる男だ……黒瀬を潰すって言ったって、暴行を加えるような愚策に出るほど、奴は馬鹿じゃない」

「……美作君、叡山先輩の策の詳細を教えてもらえるかしら?」

 

 黒木場の言葉に、美作はそこが違うと説明する。

 そもそも今回、恋を襲った暴行が叡山枝津也の策であるのならば、あまりにもお粗末な策だとしか言いようがない。彼は前回の退学騒動の時ですら、リスク管理を考えてもかなり強引な手段を取ったと言っていたのだ―――きちんと自分の行動を客観視出来る能力を持つ叡山が、一歩間違えば……否、事態が発覚すれば確実に自分の首を絞める策を決行するとは思えなかった。

 

 だからこそ、危機を事前に察知していた筈の美作が止められなかった事態でもあったのである。

 

 そしてその言葉を聞いて、えりなが美作の知った叡山の策を問う。

 美作は順を追って説明し始めた。

 

「俺が調べた限りでは、奴の目的は黒瀬を決勝で優勝させず、再度退学にさせることだった。その為に、出来る限りの妨害工作を取ろうとしていたんだ」

「それが……あの暴行じゃないってこと?」

「ああ、叡山はあくまで裏で手を回して黒瀬が決勝で良い品を作れないようにする策を練っていた。策は大きく三つ、まずは黒瀬の調理器具に細工をすること、次に決勝前日、黒瀬の用意した食材を使えなくすること、そして黒瀬が早朝魚河岸へ行けないように邪魔をすることだ」

「あくまで恋君の料理のクオリティを下げる方向で妨害工作をしようとしていたってことね?」

「その通りだ薙切アリス。まぁそれらに関しては俺が事前に察知していたこともあって、黒瀬にも話を通して、黒瀬が休んだ後に俺が別の場所に移動させて守ることが出来たんだ……現に、今黒瀬はそれらを使って料理をすることが出来ている……だが」

「そこで誤算が起こったのね?」

 

 美作は事前に叡山の策を全て恋に伝えていた。

 その結果、恋が食材の仕込みを終えて休んだ後、美作がそれを別の場所へと保管することで妨害工作を阻止することになっていたのだと言う。

 決勝前日の夜……美作は恋が一人で集中するということで、指定された時間まで恋の部屋で待機していた。そして時間になったところで厨房に下りていったのだが、そこに恋の姿はなかったのである。

 

 怪訝に思ったものの食材や調理器具は無事だったので、美作は約束通りそれらを別の場所へと移動させて保管した。

 しかし、それが終わった後も恋は姿を現さなかったのである。叡山がどのようにして早朝の魚河岸に恋を行かせないようにするのか、それもきちんと把握していただけに、前日の夜、このタイミングで恋が姿を消すのは想定外の事態だったのだ。

 

「俺はそのまま黒瀬を探した……ついさっきまで厨房にいたんだ、そう遠くには行っていない筈だと思ってな。だが一晩中探しても黒瀬は見つからず、明るくなってきた頃にようやく見つけた時……黒瀬は極星寮の裏、畑の隅でボロボロの状態で気を失っていたんだ。灯台下暗しとはよく言ったものだが……気付けなかった俺自身が間抜けだった」

「そんな……」

「俺はすぐに保健室へ運んで手当を施した。明らかに暴行を加えられた傷が多かったが、幸い骨折はなく、打撲や擦り傷ばかりだった。おそらくは黒瀬自身が抵抗した結果だと思うが……アレだけの負傷だ、おそらくは数人掛かりで襲われたと見て間違いねぇ」

 

 美作の話を聞いていけば、熱くなっていた黒木場も段々と事態を飲み込んでいく。

 美作のトレース能力は折り紙付きだ。それはタクミを下した時に証明されているし、一時的にとはいえ恋の技術すらトレースしたのだから、信用出来る力だろう。

 その美作が調べて知ったことなのだから、叡山の策は間違いなく予測出来ていた。その上で恋に暴行を加えるといった策は無かったと言っているのだ。

 

 であれば、恋への妨害工作を企てた叡山の策に隠れて、別の何者かが恋への暴行を企てたという事実が浮き彫りになってくる。

 

「……なるほどな、だがそれでも状況証拠的に叡山が仕出かしたことだと言われてしまえば、否定することが出来ないぞ? 会場で詳しく語らなかったのは美作、お前も物的証拠を持っているわけではないからだろう? 誰が企てたことか分からない以上、あの場で話すのは現状崖っぷちの叡山を即刻突き落とすようなものだ」

「まぁ確かに叡山の柄の悪さを見れば、ぱっと見やってもおかしくねー雰囲気あるしなぁ」

 

 だがそれを理解した所で証明出来ない状況が苦しかった。

 司と竜胆が美作の話を聞いて、苦しい事実を正確に突いてくる。その指摘通り、美作には叡山の策と今回の暴行が別々の問題であることを証明する物的証拠がなかった。それもそうだろう。美作としては黒瀬が万全の状態で決勝に挑めれば良かったのだから、それで叡山を貶めようとしたわけではない以上証拠など必要はなかった。

 美作も予測出来なかった事態が起こったからこそ、後悔先に立たず、後の祭りといった状況である。

 

 故にこそ、葉山から問われた時、美作は何も語らなかったのだ。

 あの場には薙切仙左衛門も含め、料理界における多くの重鎮達が居たし、何より遠月学園全校生徒や数多くの美食家達が観客として存在していた。

 その注目を浴びる中で、下手に叡山の首を絞めるような話をすれば、それこそ暴行を企てた者は全てを叡山のせいにして姿を眩ませただろう。状況証拠が全て、叡山にとってあまりにも不利になるように出来ていた。

 

「でもこのままじゃ黒瀬がそのせいで負けちゃうかもしれないじゃん! そうしたら……また、退学に……!!」

「いや、そうはならない」

「え……?」

 

 しかし問題は叡山や別の黒幕の話ではなく、今勝負をしている恋が負けたら再度退学になってしまうということだった。吉野が泣きそうになりながらもその話を出すが、それに対して否定を返したのは、これもまた司瑛士である。

 竜胆も司の横でニマニマと笑みを浮かべており、司の言葉の意味を分かっているらしい様子だった。

 

「どういうことですか? 司先輩」

「そもそもの話だよ、薙切。黒瀬の退学は叡山の提示した議案に対し、十傑の過半数が賛同したからこそ成り立ったものだった……だが、俺と竜胆はその議案に反対することした」

「ということは……」

「十傑の内、黒瀬の退学に反対したのは四人。賛成したのは六人だったから、俺と竜胆が反対することによってこの議案は覆される。まぁ、黒瀬が一時的とはいえ学園の生徒に戻ったからこそ、議案の賛否を差し戻しに出来たんだけどな」

「ようは、美作が黒瀬の奴を学園に戻さなかったら出来なかったってこった♪」

 

 司の言葉を受けて段々と理解し始めた吉野が、その表情を少しずつ明るい物へと変化させていく。

 美作の誓約書の通りならば、恋の退学は優勝出来なければ再度施行される予定だったが、司と竜胆はそもそも施行される議案そのものを破棄したのだ。これならば仮に恋が優勝出来ずとも、恋は今まで通り遠月学園の生徒として在籍することが出来る。

 

 安堵からか全員の表情が少し緩さを取り戻した。

 

「だが警戒は必要だろうな……美作の推測が当たっていたとするのなら、黒瀬本人に対して相当嫌悪……もしくは憎悪を抱いている人物がいるということになる。しかも叡山を利用するあたり相当頭も切れるんだろうし、暴力という手段を使う以上どんな形でも黒瀬を排除したい意思を感じる……今回の一件では終わらないと思うぞ」

「この由緒ある遠月でなんて下衆な所業……これは料理人に対する侮辱だわ……!」

「えりな様……」

 

 司がそう纏めると、えりなはあくまで冷静を保っていたものの、拳をグッと握ってそう呟く。恋が傷つけられたことも許せない事態だったが、料理人の利き腕を狙ったこと、料理ではなく暴力という手段で邪魔をしたこと、それが許せなかった。真剣に研鑽を積む遠月の料理人全員に対する侮辱だと。

 緋沙子はそんな怒りを露わにするえりなを見て平静を保てたが、己の中に燻る怒りを打ち消すことは出来なかった。

 

 そしてそれはこの場にいる全員がそうなのだろう。

 

「―――そろそろ……結果が出る頃だな」

「……葉山と黒瀬の勝負か」

「でも……」

 

 美作が会場の観客の声を聞き取り、決着の時が近いことを悟った。

 だがその結果を見るのが少し嫌だと感じてしまう。

 しかし、えりなは先行して歩き出した。この勝負では優劣は付けられない……そう言ったけれど、それでも二人の料理人が全力で戦っているのは真実だ。

 

 その結末だけは、同じ時代に生まれた料理人として、また遠月の覇を競う者として、見届けるべきだと思ったのだ。

 

「っし……行くか!」

 

 そのえりなの背中に動かされたのだろう。

 創真がそれに続き、その後に一人、また一人と続いた。

 

 秋の選抜決勝戦、その結末をその目でしかと見るために。

 

 

 




次回、秋の選抜決勝戦決着 選抜編終了
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四十四話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 恋がボロボロの状態で現れた段階でかなり騒然となったものの、試合が始まってから調理が進めばそんな心配も要らないことを恋は証明してみせた。

 右腕を負傷したことなどハンデにはならないという言葉通り、左腕をメインにして以前と変わらぬ調理技術を見せる。動き自体はスローになっているものの、そこに無駄な工程やミスは一切存在しなかった。

 ただ身体に痛みは走っているのか、表情に時折何かを堪えるような色が見えてはいる。スムーズに歩けないのか移動速度も遅く、恋は普段以上に先々の工程を見据えることで、行動速度の低下を補っていた。

 

 今回のテーマは『秋刀魚を使ったメイン料理』。

 

 対する葉山が今回作ろうとしているのは、秋刀魚を使ったカルパッチョだった。

 本来なら前菜であるその料理をメイン料理となるこの場に持ってきたのは、香りという武器を究極まで高めることで、前菜料理をメインを張れる料理へと進化させることが出来ると確信しているからだ。

 黒木場との戦いではスパイスを無数に組み合わせることで、重厚感のある香りへと進化させた葉山であったが、今回は別―――秋刀魚の香りを際立たせる為に、あえて使用するスパイスを一つに絞っていた。

 カルパッチョの表面をバーナーを使って炙っていき、その香りを更に強化。その品はまさしくメイン料理といっても過言ではないほどの存在感を放ちだす。

 

 その完成度に観客の視線も向かうが、恋もまた自身の料理を作り上げていく。

 

 恋が今回選択したのは、秋刀魚を使ったガーリックステーキ。

 三枚に下ろした切り身に小麦粉をまぶし、丸めて焼いていくのだが、そこで恋は更なるアレンジを加えていた。もう一つ別の場所で、秋刀魚を細かく叩いて粘り気の出るまで潰したものを用意していたのだ。

 秋刀魚の切り身に対して用意したそれは、『秋刀魚のなめろう』である。

 恋は小麦粉をまぶした切り身の上にシソの葉を乗せると、その上になめろうと薄く広げてから丸めていく。別々の調理を施された秋刀魚同士を組み合わせて一つにしたのだ。

 

 そうして焼いていけば、三層に分かれた秋刀魚の身がステーキとして一つになっていく。本来なめろうを何かに包んで焼く料理は、『さんが焼き』と呼ばれるのだが、恋は今回それをステーキと組み合わせることを考えたのだ。

 創真との戦いでアレンジを身に付け始めた恋が、少しずつ己の料理に向かい合って出した結論がこの品なのである。

 そしてオリーブオイルでトマト、ニンニクに熱を入れていき、白ワイン、レモン果汁、みじん切りにした大葉、醤油、はちみつを混ぜた調味料を更に煮詰めていく。

 立ち昇るニンニクの香りとほのかに香るレモンの風味が空気を彩っていくようだった。

 

 恋もまた、葉山同様秋刀魚の香りを活かすための構成を考えてきたのである。

 

 一見すれば、両者互角の戦い―――だが、本人達にとっては拭えぬやりきれなさがあった。

 

「(くそっ……黒瀬も普段と変わらねぇ実力を発揮してる……! 俺だってミスもなくやり切っている筈なんだ! なのに、なのにどうして―――納得がいかないんだ……!!)」

 

 葉山は集中力は切らさず、なんなら普段以上に広い視野で思考出来ている状況で、それでも悔やまずにはいられなかった。

 恋の身体に走る複数の負傷……そのたった一つの事実が、葉山の中で拭えないやりきれなさの原因。今自分が普段以上のポテンシャルを発揮出来ていると確信しているからこそ、あの負傷がなければ恋はもっと良い品を作り上げることが出来たのではないか? そう考えてしまうのだ。

 

 視線を送れば、恋の表情には苦悶の表情が浮かんでおり、嫌な汗も浮かんでいる。ベストコンディションとは到底言えない姿だ。

 

「(くそっ! くそっ!! こんな勝負が俺のやりたかったことじゃねぇ……!! ちくしょう!!)」

 

 全力を尽くす―――けれどその果てにある結末に納得が出来ないことを、葉山は確信してしまっている。ベストコンディションかつ最高の出来になることを確信したというのに、葉山の表情は何処までも悔しさに歪んでいた。

 観客も葉山のその表情に鬼気迫るものを感じたのか、固唾を呑んで見守りだす。誰もがその戦いに口を挟むことを躊躇っていた。

 

 対して恋も、そんな葉山の感情を感じ取ったからだろう。苦悶の表情を浮かべながらも、必死に歯を食いしばって笑みを浮かべた。

 

「(悪いな葉山……伝わってくるよ、お前の悔しさが。こんな勝負にしてしまったのは、俺の失態だった……この状態でも普段以上のパフォーマンスを発揮しなけりゃ、お前はきっとどんな結果でも満足できない……だが、俺の料理スタイルにこの負傷は致命的だった。無理やり動かそうにも―――右手が思う様に動いてくれない)」

 

 料理開始から強引に動かし続けた右腕。

 秋刀魚を三枚に下ろしたり、食材をカットしたり、まだ疲労の少ない段階で負荷の多い作業をこなしていったものの、火入れの段階で既に恋の右手はほとんど感覚がなかった。ジンジンと走る痛みと熱で、思う様に動かすことが出来ないでいる。

 

 勝敗はどうあれ、葉山に納得のいく結果だったと思ってほしかったのだが、それでも恋の身体の方が先に限界を迎えていた。

 

「(くそっ……フライパンを上手く握れない……! 身体ごと動かすしかないか―――ちくしょう、なんてザマだ!!)」

 

 全身を総動員させて普段の作業を代替するが、それではいつも以上のポテンシャルは発揮できない。恋は己の限界を超えようと必死に歯を食いしばるものの、その想いは肉体に届いてくれなかった。

 

 そうして完成した二人の料理は、その完成度こそ非常に高い品になっているが、二人の料理人の表情には達成感など何処にもない。

 

「完成だ……」

「……こっちもだ」

「……座ってろ、俺が持っていってやる」

「ああ……悪いな、葉山」

 

 二人して完成させた料理をサーブする。

 既に限界を迎えている恋の身体を気遣って、葉山が恋の料理も一緒にサーブした。普段皿を持つ機会なんて幾らでもあるというのに、恋の皿を持った腕にずっしりと重さを感じる。重量ではない、そこに込められた想いの重さを感じたのだ。

 

「……っ」

 

 香りを嗅げば葉山には分かる―――恋がこの料理に施した工夫も、それを作り上げるために積み重ねたであろう時間も、どんな痛みの中で料理をしたのかも、痛いほど感じ取ることが出来てしまった。

 歯を食いしばりながら、決して表情には出さないように審査員の前へと並べる。

 

 薙切仙左衛門、薙切レオノーラ、そして堂島銀。三人の審査員は、目の前に出されたその料理を見て、香りを感じて、その品の完成度を知る。

 

「色々な感情が渦巻いているが……審査に入ろう」

「そうデスね、聞きたいこと、いっぱいあるデスが……まずは実食シマショウ」

「では……いただこう」

 

 まずは葉山の『カルパッチョ』を食する三名。

 食べた瞬間に口いっぱいに秋刀魚の香りが広がり、腰が砕けるほどの衝撃となって三人の身体を襲った。一度味わえば分かる、この料理に施された工夫の数々が。

 

 黒木場との戦いで見せたスパイスの組み合わせは、まるで煌びやかな装飾の施された宝剣のようだったが、今回のカルパッチョはまさしく秋刀魚一つの香りの集中させた鋭いレイピア。

 数々の香りを使わずとも、たった一つの香りのみで美食足りうる世界を顕現させる。

 

「このカルパッチョは確かに、メイン足りうる領域へと昇華されている!」

「ドレッシングに使われているワインビネガーとオリーブオイルもさることながら、秋刀魚の肝を和えていることで、そのコクが秋刀魚本来の脂の甘さを強調! 溢れる香ばしさと風味に溺れそうになります!」

「薙切レオノーラさんが急に流暢になったぞ!?」

「まさか、"おはだけ"によって片言がはだけたとでもいうのか!?」

 

 堂島の言葉とレオノーラの反応に、観客が騒然となる。

 葉山アキラの品が、そこまでの完成度を持っているということが明らかになり、恋の負傷も相まってこれは葉山の勝利かと多くの者が思った。

 

 だがまだ恋の料理が食されていない。

 勝負は両者の品を食べてからが勝負である。

 

「では……黒瀬の秋刀魚のガーリックステーキをいただこう」

「ニンニクとレモンの香りがいいデスね……秋刀魚の香りを打ち消していますが……はむ――――ッ!!?」

「これは……!」

 

 食する前の香りでは、レモンの風味香るガーリックソースが主張して秋刀魚が目立たなかったが、一口食した瞬間審査員達の表情が変わる。

 

 秋刀魚本来の香りだけではなく、なめろうと共に焼いたことで、強くストレートな秋刀魚の香りと柔らかくほのかに存在する秋刀魚の香りが、同時に襲い掛かってきたのだ。ガーリックソースの香りに包まれていたからこそ、それが口の中で溶けた瞬間に爆発する秋刀魚の香りがより強調されている。

 更に秋刀魚のステーキというべき確かな身の中になめろうの層を組み合わせたことで、少し噛むだけで柔らかく噛み切れるような食感を生み出していた。香り、食感、そして口に入れる前から飲み込んだ後に残る風味まで、次々と変化していくバラエティ豊かな味と香りが楽しい。

 

「葉山が鋭く穿つレイピアならば、黒瀬の料理はまさしく蛇腹剣の様な自在さがある!」

「流石は恋君ですね。レモンの風味のあるガーリックソースだけでなく、ステーキ内に仕込んだシソの葉がより爽やかなアクセントになっています。ステーキとサンガ焼きを組み合わせたこともさることながら、香りを扱う技術で勝る葉山君にも劣らぬ工夫で秋刀魚の香りを強調しています」

「まだ片言がはだけたー!! 黒瀬の品も負けてねぇ!!」

 

 これもまた、堂島とレオノーラの高評価を得て、恋の勝利の可能性も高まってくる。

 観客の歓声があがり、決勝戦に相応しい勝負にボルテージも最高潮。

 

 そして結果発表の時がやってくる。

 

「どちらも甲乙つけがたい、互角の品だった。どちらも料理人の顔が見える品であることに変わりはなく、両者にとって必殺料理(スペリャリテ)となり得る料理である……故にこそ、その勝敗を分けたのは……どちらが必殺料理としてより高い完成度であったか」

 

 最高のパフォーマンスが出来たと思う葉山と、負傷しながらも普段通りの実力を発揮した恋。どちらも料理人の顔が見える品であったと評価され、必殺料理(スペシャリテ)として相応しい品だと言われる。

 どちらも必殺料理であり、どちらも互角の品であったが故に、その完成度が勝敗を分けた。

 

 恋も葉山も、その完成度という言葉に、最早聞くまでもなく勝敗を悟る。

 

「黒瀬……今回は引き分けだ、お前が万全なら……俺は負けていたかもしれねぇ」

「……悪かったな。多分、お前にとって大事なことだったんだろ? この選抜」

「まぁ……いいさ―――次は完璧にお前に勝つからな」

 

 結果発表の直前、短く交わした言葉に恋も葉山も笑みを浮かべた。

 

 

「勝者―――葉山アキラ!!」

 

 

 片腕を上げて勝者としての姿を見せる。

 納得はいっていなくても、それでも黒瀬恋の普段通りの実力に勝ったことは事実。ならば自分が勝者だと言われても、一先ずは強引に受け入れることが出来た。

 

 歓声が上がり、秋の選抜の勝者を讃える拍手が鳴り響く。

 

 様々なことがあったこの秋の選抜。

 それもようやく此処で終わりを迎えることが出来た。葉山アキラを勝者として、そして現時点で高い実力を持った一年生の姿を再認識したことで、その競い合いには一種のヒエラルキーが生まれる。

 選抜に選ばれなかった者、選ばれても予選敗退した者、本戦に出場した者、決勝を戦った者、明確な上下意識が生まれた。

 

 これを覆そうとするのか、もしくは臆して勝てないと考えるのか、それがこの先の彼らの玉としての資質を左右する。

 

「結果はどうあれ、皆良く戦った! 願わくば、選抜に選ばれなかった者も含め、更なる研鑽を今後も見せて欲しい。それでは――――これにて秋の選抜、閉幕とする!!」

 

 最後に仙左衛門がそう語り、今年の秋の選抜が無事、終了した。

 

「……―――」

「っ! 黒―――!!」

 

 そしてその宣言を聞いた瞬間、眩しい天井の照明を見上げていた黒瀬恋の意識は途絶える。ふらりと身体が倒れていく感覚に、恋は限界か、と内心で苦笑した。

 最後に隣にいた葉山が咄嗟に動いたのが見えたが、恋は限界を超えたことでスイッチが切れるように視界が暗転するのをただ受け止めていた。

 

 

 




秋の選抜編終了です(拍手
葉山とも良い関係を築けそうですね。
色々暗躍するものがありましたが、次回からスタジエール編までのお話になります。

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四十五話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 選抜が終わったその夜、それぞれがそれぞれの反省を思い返していた。

 色々な思惑が交錯していた波乱の選抜戦だったが、そもそも此処は料理人としての腕を磨く遠月学園である。

 恋の退学騒動、美作の食戟二連、そして最後の恋の暴行騒ぎ、様々なことが起こっていたからこそ意識が散漫になっていたところだが、この選抜で発生した勝利も、敗北も、それぞれがきちんと受け止めなければならない問題である。

 決勝に進んだ葉山と恋はまだしも、予選で敗退した者、本戦で敗退した者、その全ての結果が現実となって生徒達を襲う。悩み、苦しみ、自身の皿と向き合う精神力が必要になってくるのだ。

 

 そんな中、試合後に倒れ、一旦は保健室に放り込まれたものの、今はえりなの屋敷の一室に移動させられた恋。

 ベッドに横たわる恋の横には、座するえりなと後ろに控えて立つ緋沙子がいた。

 つい先ほどまでは創真達極星寮の面々も居たし、アリスや黒木場、葉山、美作もいたのだが、恋の状態も落ち着いているし、夜も更けたことで一先ずは全員がそれぞれの宿へと帰っている。

 

「……とりあえず、何ともなくて良かったわ。美作君の手当てが早かったから傷跡や後遺症も残らないらしいし、三日も安静にしていれば、完全には治らないでしょうけど、普段通りに動き回れるようになるみたいね」

 

 疲労と負傷によって気絶しただけだと医師が判断したことで、とりあえずは安堵の息を零すえりなだったが、後ろに控えていた緋沙子の表情は浮かなかった。

 

「……えりな様」

「? 緋沙子……どうかしたの?」

「恋も退学せずに済みましたし、選抜も無事終了したので……しばらく、お暇をいただいてもよろしいでしょうか」

「え……どうして?」

「私では……えりな様の傍にはいられません……!」

「ちょ、緋沙子っ!?」

 

 突然部屋を出て行った緋沙子に驚いた声を上げるえりなだったが、あまりに差し迫ったような雰囲気を纏っていた緋沙子を見て、追いかけることが出来ない。

 恋を放っておくことも出来ず、緋沙子を追いかけることも出来ず、立ち尽くすことしかできなかった。遠ざかっていく足音を聞いて、肩を落としながら椅子に座る。

 

 恋は暴行に遭い、緋沙子は屋敷を出て行ってしまった。

 静かな部屋に一人取り残されたえりなは、眠っている恋がいることも分かっているが、それでもモヤモヤとした孤独感を抱いてしまう。恋に恋愛感情を抱いているというアリスや、人生のパートナーに勧誘している司、憧れを抱いているという美作、此処まで恋に対して興味を抱いている者がいるという事実もまた、その孤独感を増大させていた。

 恋は幼馴染で友人ではあるし、自身に恋慕の情を抱いてくれているが、それでもえりなのものではない。

 緋沙子も、えりなの付き人であって真に友人足りえているわけではない。

 

「……複雑ね、人間関係って。料理のことしか考えてこなかったから、私には分からないわ……人とどうやって友達になるのか、どうやって仲良くなればいいのか……貴方に、どうやって好きって言えばいいのか……私には分からないのよ、恋君」

 

 一人になると考えてしまう。

 料理人として完全無欠を体現してきた自分には、人との付き合い方が分からない。人の上に立つことは出来ても、対等に向き合うことが出来ない。下々の人間と見下してきた者達の気持ちなど、出来ない者の気持ちなど、えりなには理解出来ないのだ。

 

 だからこそ恐ろしい。

 

 完全無欠だからこそ、失敗することが恐ろしい。人の気持ちを理解出来ないからこそ、人と打ち解けられる自信がない。自信がないからこそ、勇気も出ない。

 

「このままじゃいけないって分かってる……分かってるのよ……このままじゃ、貴方を取られちゃう……」

 

 アリスと一緒にいる恋。

 司と料理をする恋。

 美作に付き合う恋。

 創真や極星寮の面々と仲良くしている恋。

 黒木場や葉山と楽しそうに勝負をする恋。

 

 ……置いてけぼりの、自分。

 

 そんなイメージが頭に浮かんだえりなは、不意に椅子から腰を上げて、恋の顔の横に手を突いた。覆い被さる様にして恋の顔を覗き込む。目に掛かる前髪を掻き分けて、恋の頬に手をそっと添えた。

 こうすれば自分の手の中に恋の身体がある。この瞬間だけは恋の全てがこの手の中にある。けれど、その心にはけして手が届かない。

 

「……このまま少し近づけば、唇が触れてしまうわね」

 

 額がくっつくほどに近づいて、恋の唇に自分の吐息がぶつかるのを感じる。

 そのままキスをしてしまおうかと考えてしまうが、それでもそんなことが出来るはずもない。えりなの読んだ恋愛漫画の様にはいかないのだ。

 

 それでも、このまま少し近づけば、恋を感じられる。

 

 えりなは少し息を飲んで、その唇に……―――

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 屋敷を出て行った緋沙子もそうだが、恋のいない極星寮では創真もまた敗北の悔しさを飲んでいた。準決勝で敗北したのは一週間前。けれど決勝戦で恋と葉山が作った料理を目の当たりにした時……もしも決勝に自分がいたのなら――そう考えて、おそらく勝てなかったと思ってしまう。

 料理人の顔が見える料理、その料理人にしか作れないような唯一無二(オンリーワン)、料理人としての誇りもプライドも全て載せた究極の一皿。

 

 ―――"必殺料理(スペシャリテ)"

 

 恋に敗北して、自分が料理をする意味を考え始めた創真。

 きっとその答えを出した先にあるのが、自分だけの必殺料理(スペシャリテ)なのだと、決勝戦を見て確信した。

 

 だからこそより悔しさが燃え上がる。

 今の自分では辿り着けない領域に、恋と葉山はいる。それがどうしようもなく自分の無力さを思い知らせてきたのだ。

 

「ちくしょう……このままじゃダメだ」

 

 極星寮の厨房で、創真は自身の秋刀魚料理をイメージしては、やはり届かないステージに歯噛みする。

 定食屋で漠然と城一郎の腕を盗んできた創真には、その技術を裏付けするだけの知識も、経験も足りていない。時折薙切えりなや競ってきた者達に指摘されてきたように、己の無知が此処にきて今の自分の限界を告げていた。発想力では越えられない、地道な研鑽の壁が立ちはだかっている。

 このままでは上にはいけない。

 今の自分の殻を打ち破らなければ、これ以上は進めない。

 

 ましてや、誰かの一番になんて到底なれやしない。

 

「創真くん」

「はぁ……悪いな田所、準決勝では応援してくれたのに」

「う、ううん……それは気にしなくていいけど……大丈夫?」

 

 そこへやってきたのは、やはりというか田所恵だった。

 恋の無事を確認した後から、自分のことを考える余裕が生まれたことで、少し曇った表情を見せ始めた創真を心配していたのだろう。

 創真の謝罪に首を横に振って気にしなくていいと言う恵。逆に創真を心配して声を掛けるが、創真もまた苦笑して返した。

 

「まぁ、結構凹んだけど……やることは変わんねぇ! これからは俺の、俺だけにしか作れない料理を形にしてやる! これまでの俺の料理に、新しい光を当てるんだ!」

「! ……うん! そうだね!」

 

 しかして、創真は今まで何百回と敗北を積み重ねてきた料理人だ。

 今回の敗北を経て尚、折れることなどありえない。寧ろ、自分が至れないステージを垣間見たことで、更なる成長を遂げることを決意する。

 必ず至る、その場所へと。

 そしていつかは必ず、遠月の頂点へと辿り着くのだと。

 

 二ッと笑った創真に、恵もまた明るく笑った。いつも通りの創真の姿に、心配の色も消え去ったのだろう。

 

「見てろよ田所、俺はもう二度と……お前の前で負けねぇから」

「え……う、うん」

「じゃあ、おやすみ! 俺ももう休むわ……明日は黒瀬の見舞いにでも行こうぜ」

 

 そう言って去っていく創真の背中を見送りながら、恵は創真の言葉を反芻して、その意味を理解していく。

 二度と負けない―――創真ならば言いそうな言葉ではあったが、そこに自分が見ている前で、と付けた意味は何だろうか。それは、田所恵の存在が特別ということではないか? 普段料理にしか興味がないような向上心の塊のような男が、田所恵という少女に特別な感情を抱いている? それは、それはつまり。

 

 恵は心臓の音が段々と大きくなっていくのを感じる。

 顔が熱くなっていくのもまた、止められなかった。

 

「……創真君……期待してもいいのかな……私」

 

 もしもその期待が、当たっているのだとしたら。自分の考えてしまうイメージが現実のものになるとしたら。そう考えただけで、恵の心に喜びが生まれてくる。

 

「私も、頑張るよ……ふふふっ」

 

 淡くときめく感情は、果たして恵だけの感情なのか、それとも二人だけの感情なのか。

 膨らむ期待と、ときめきに、恵もまた、成長しようと思う。

 

 いずれ高みに立つであろう幸平創真という料理人に、負けないように。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、そうして苦悩する生徒達の中で、暗躍していた叡山枝津也もまた頭を悩ませていた。自室のデスクで髪を掻き上げ、苦渋の表情で歯噛みしている。

 それもそうだろう……黒瀬恋を退学にするべく行動したのは確かだが、それでもこの状況は一切想定していなかったのだ。美作に邪魔をされ、結局自分の作戦は全て阻止された以上、黒瀬恋への暴行は完全に想定外。

 

 けれど、叡山はその暴行を加える企てを誰が考えたのか分かっていた。そもそも、黒瀬恋を退学にするという計画は、その人物が叡山を通してやろうとしたから生まれたことだ。ならば今回のことはその人物が差し向けたことに違いない。

 結果的に黒瀬恋の退学は結局白紙。

 暴力にまで手を伸ばしたその人物が、この結果に満足するはずがない。

 

「くっ………クソがッ! 俺を嵌めやがったってのか!」

 

 それでも現状、叡山の立場が危ういのも確か。

 美作が阻止したことで未遂とはなっているものの、叡山が恋の妨害工作をしようとしたことは確かな事実。それが発覚すれば、恋に暴行を加えたことも叡山の指示として判断されてしまう可能性は高い。

 そうなれば、最悪退学……最低でも十傑の座を剥奪され、停学処分が通達されるだろう。

 しかも時間は既に残されていない。

 恋の負傷に関する事実確認は既に行われているだろうし、明日明後日には全ての事実が明らかになって叡山は終わりだ。たった一日足らずで、自分と暴行事件との関連性がないことを明らかにするのは流石に不可能。

 

 さらに暴行事件が叡山の手によるものだと確定された場合、今後のコンサルティングや今抱えている案件にも多大な影響を齎すし、これまで携わってきた案件にも信頼を失うという意味で損害を与えることになる。発生する賠償金は想像するだけで気が遠くなるほどの高額になるだろう。

 叡山の資産的に払えないわけではないが、それでも叡山の積み重ねてきた全てを崩壊させかねない事態だ。

 

「いや……最初から、そのつもりだったってのか……?」

 

 焦りと憤りを感じながらも、流石は『錬金術士(アルキミスタ)』というべきか、一先ず冷静に考えてその事実を考える。

 黒瀬恋を退学にしろ、という指示を受けた時から、少しおかしいとは思っていた。味覚障害を槍玉に揚げて退学を通告するという強引な手段を取ったことも、戻ってきた黒瀬恋に妨害工作を施すという手段を取ったことも、叡山がそうするように誘導されたことだったのだ。

 

「くっ……だが何故ここまで黒瀬に執着する……? 奴が学園に居ようが居まいが、大局には何ら関係ない筈。何故……!」

 

 叡山を此処まで陥れた流れの中心にいるのが、黒瀬恋だ。

 叡山も今後のことを考えて色々な所で行動していたし、裏で手を回したことも多い。けれど黒瀬恋のことに関してだけが、想定の範疇を越えていた。

 

 何故、何故ここまで黒瀬恋に執着するのか、叡山には分からない。

 

 だがきっと、そこにこそ現状を打破する方法があると考える。

 黒瀬への暴行を企てたその人物が、唯一無理を通してまで押し通そうとした事案が黒瀬恋の排除だというのなら、きっとその人物にとって最も邪魔な存在が黒瀬恋なのだろう。

 

「良いぜ……良いだろう……ならば徹底的に邪魔してやる……! この俺様をコケにすることが何を意味するのか、分からせてやる……!!」

 

 ドン、とデスクを叩いて叡山は唸る様にそう言う。

 断崖絶壁に片手でぶら下がるようなこの状況で、叡山枝津也は己を利用し貶めた人物への敵対を決意した。

 十傑第九席の意地? 『錬金術士(アルキミスタ)』のプライド? そんなものは最早今の自分には必要ない。ただ全ての地位や肩書を捨て去って一人の叡山枝津也になったところで、無力ではないと証明するのだ。

 

 このままで終わる、叡山枝津也ではないのだと。

 

「思い知らせてやる……! 今に見ていろ……!!!」

 

 

 ◇

 

 

 そして翌日……叡山枝津也に学園から通告が下される。

 全校生徒にも周知するようにその通告は全掲示板で掲載された。

 内容は以下の通り。

 

 

 【通告】

 

 下記の者、重大な校則違反により十傑評議会第九席の座を剥奪し、また罰則として二週間の停学処分とする。

 

 ・遠月茶寮料理学園 第二学年 叡山枝津也

 

 

 

 




恋愛→恋愛→シリアスでお送りいたしました。
感想お待ちしております✨



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四十六話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 あれから三日が経って、ようやくまともに動けるようになった恋。

 痛みが引いたことで歩き方がぎこちなかったのも治り、パッと見た感じでは特に平常通りの様に見える。まぁそれでも多少手当した部分が見えているが、既に料理をするのも問題なく出来ていた。

 療養の為に授業に出席することは出来ていなかったので、復帰は今日から。合間にある体育などは見学になるだろうが、三日も料理をせずにいたので、鈍った感覚を叩き直す必要があるだろう。

 

 一先ずは教材や調理用具を取りに行くため、早朝の内にえりなの屋敷を出て、極星寮へと向かっていた。この三日間えりなや使用人に介抱して貰っていたので、一人になるのは久しぶりである。

 早朝ということもあって、また生徒の姿もない。

 

「っ~~~……っはぁ……一時は動くのもしんどかったけど、随分マシになったな」

 

 グイッと身体を伸ばしながら、肩を回して自分の身体の調子を確認する恋。

 右腕も多少重さはあるものの、動かすことに痛みはない。身体で青痣になっていた部分も既に激しい痛みはなく、少し負荷が掛かった時に鈍く痛みが少しある程度だ。

 

 もうすぐ秋も深まるという時期だからか、学園内の木々にも多少の変化が起こりつつある。葉の色も少しずつ変わろうとしており、青い内に落ちる葉も多くなってきていた。

 残暑はまだまだ暑いものの、それでも季節の変わり目を感じさせるようなものが視界に入るようになっている。 

 

「にしても、アレは一体……」

 

 そんな中、恋は思い出す……自分が暴行を振るわれた時のことを。

 厨房を出て意識を失った恋が目覚めた時、そこは見知らぬ小屋の中だった。遠月学園の備品倉庫だろうか。色々な物が置いてあったが、薄暗く、どこかに繋がれてはいなかったが、両手は縛られていた。

 そして目を覚ました恋が目の当たりにしたのは、学園の生徒かどうか分からない黒い衣装に身を包んだ数人の男性。体格的に女性はいなかったと思うが、彼らは顔をマスクで隠していた。

 

 一切声を発することはなく、既に決めてあったのか静かにその拳を振り抜いてきたのである。淡々と殴る、蹴るを繰り返す男達に、恋は足を動かして抵抗した。小屋の中を逃げ回り、時にタックルや両手の振り下ろしなどで反撃もした。

 それでも両手が縛られていたことが枷となって上手く動くことが出来ず、複数人で同時に襲い掛かられればひとたまりもない。

 結局は袋叩きにされ、最後には木材か何かで右腕を思いきり殴打された。折れはしなかったものの、走る激痛に蹲ってしまい、それからまた意識が飛ぶまで暴行を加えられたのである。

 

 そこから先は美作が語った通り。

 発見後に治療を受けて、そのまま試合に臨んだわけだが……恋もまた今回の暴行事件が叡山の仕業とは思っていなかった。

 

「……明らかに俺を目の敵にしている奴がいるな」

 

 心当たりはない。

 けれど叡山枝津也に恨みを買った覚えもないし、仮に彼の仕業だったとしても、美作の話を信じるとすればもっとスマートなやり方を行使してくる筈。恋の中ではこの時点で、学園内外問わず、自分に対して非常に敵意を抱いている人物がいるという確信があった。

 だとすれば、その人物にとって恋がこの学園にいることは非常に邪魔だということになる。

 

 自分に都合のいい生徒以外に遠月の頂点を獲られては不味い? ―――ならば恋以外の生徒にもその可能性がある者は多い。

 

 味覚障害者が遠月にいるのが気に食わない? ―――ならば叡山がやろうとしたように、妨害工作をして退学にさせる方が理に適っているし、暴行に走るほどの憎悪にはなりえない。

 

 そうではない、そもそも根本の話だ。

 黒瀬恋という人物が遠月学園でやろうとしていることが、その人物にとって非常に許せないことなのだ。味覚障害や遠月の頂点に関してはおまけのようなものだろう。

 だとすれば、他の生徒にはない、彼個人がこの学園で取る行動にその憎悪を抱く原因があるのだ。

 

「原因はやっぱり……彼女かなぁ」

 

 その原因になり得る可能性が一番高いのは、やはりというか、薙切えりなだった。

 恋が彼女に関わること、親しくすることを不愉快に思う者は、生徒の中にもいた。実力を証明した今でこそ受け入れられつつあるが、二年の周藤怪も元々は熱心な彼女のファンだったからこそ、恋に喧嘩を吹っかけてきたのである。

 

 神の舌を持ち、食の眷属の血統である完全無欠の料理人……それが薙切えりなという少女。

 

 しかもそれに加えてあの美しい容姿に、研鑽を忘れぬストイックさ、多少の傲慢さが許されるその在り方までもが、多くの人々を惹きつける。

 であれば料理人業界にとって至宝とされるその存在に、黒瀬恋という汚点があることが許せない人々も一定数いるのは当然だ。

 

「…………彼女を一方的に知っている程度の美食家や出資者、料理人では此処まではしないだろうし……ならより彼女に近しい人物の仕業か?」

 

 恋はそこで今回の暴行事件を企てたのが、薙切えりなが恋と親しくすることを恨んだ者の犯行だと仮定して、その犯人は薙切えりなに近しい人物だと推測する。もっと具体的に言うのであれば、親族や兄弟が最有力。次点で親友や付き人が挙げられるが、そもそも友人がいないえりなと、その付き人が緋沙子である時点で、それらの犯行である可能性は低かった。

 そこで恋は、えりなの両親については全く知らないことに気付く。数ヵ月程度一緒に料理を作った幼い時期も、ついぞ彼女の両親の顔を見たことはなかった。

 

「……そういえば、彼女の言葉に逃げ出したあの日以降……何故か彼女と会うことは出来なかったな」

 

 恋は今更ながら疑問を感じ始める。

 恋がえりなの嘘に傷つき、屋敷を飛び出していったあの日以降、恋はえりなに会おうとしなかったわけではなかったのだ。えりなが会いに行ったこともあったし、恋がえりなに会いに行ったこともあったにも関わらず。

 

 この学園で再会するまで、二人は一度だって面会することは敵わなかった。

 

 これは果たして偶然だったのだろうか? 

 

「……まさか、あの頃からずっと俺を彼女から引き剥がそうとしていた?」

「よぉ、黒瀬ェ……」

「! ……叡山先輩」

 

 すると、そこへ叡山枝津也が姿を現した。

 九席の座を剥奪され、停学中だと聞いていたが……早朝のこの時間だからこそ、誰にも見られずに外に出てくることが出来たのだろう。その姿はかなり憔悴しているらしく、オールバックにセットしていた前髪は重力に従って垂れ下がり、目の下にはうっすらとクマが出来ていた。

 この状況で恋に会いに来たということは、十中八九暴行事件に関することなのだろう。恋はそう考えて現れた叡山の前で足を止めた。

 

「随分やつれましたね……誰かに陥れられでもしましたか?」

「ハッ……その言い方からして、テメェを襲った奴は俺の指示じゃなかったってことくらいは分かってるみたいだな……あるいは、その黒幕が誰なのかも見当がついてんのか?」

「具体的に誰か、とはわかりませんが……怪しいのは薙切えりなの親族ではないかなと思ってます」

「ハン、その根拠は?」

 

 叡山は恋を試すように、恋の推測を訊く。

 それは恋自身の推測が当たっているのかどうかよりも、黒瀬恋という人物がどれほど出来る人間なのかを確かめるための質問のようだった。そもそも彼はこの一連の流れの全容を把握している……必要なのは、自分が扱える手札を把握することである。

 

 恋は叡山が現れた目的を考えながらも、自分の推測を語り出した。

 

「そうですね……第一に、俺に対する敵意が強いことからして、俺を狙うのは俺個人の行動に関することが原因だと考えました……中でも他の生徒と違う行動。可能性が高いのは、薙切えりなに近しい人物であることでしょう」

「ほぉ」

「第二に、俺への干渉は全てこの遠月学園内で起こっている。つまり少なからず学園に関係する人物が犯人です……卒業生か、学園運営か、生徒の親族か、講師か……まぁその辺でしょうけど、学園運営や講師であれば、俺を退学にするためにこんな周りくどい手段を取る必要はないし、わざわざ十傑を動かす必要もない。となると残るは卒業生か親族……先の条件も踏まえ、『薙切』という家柄を考えれば親族が最有力でしょう。同時に卒業生であれば、学園内のことも知っている分やりやすい」

「……それで、結論は?」

「今回の暴行事件を引き起こしたのは、薙切えりなの父親か母親……もしくは両方ではないかと」

 

 恋の結論を聞いて、叡山は疲れた目を閉じて少し深呼吸をした。

 そして楽しそうにクツクツと笑いだす。目を掌で覆い、嬉しそうに笑っている。

 

「クックック……クハハハハハッ……!! ああ、最高だ……黒瀬、お前が使える奴で良かったよ」

「……どういう意味ですか?」

「正解だよ。まぁ正確には彼女の父親が黒幕だがな……そして、俺を陥れた張本人でもある」

「……復讐でもする気ですか?」

「っ当たり前だァッッ!! この俺を誰だと思ってやがるッ!! 散々利用されて、コケにされたままで黙っていられるか!!」

 

 叡山が言うには、恋を襲った黒幕の正体は、薙切えりなの父親だった。

 恋はその事実を受け止めながらも、叡山の瞳に沸々と燃える憎悪と憤怒の感情を汲み取る。復讐に燃える叡山枝津也にそう問いかければ、癇癪を起こしたように叡山は怒鳴り声を上げた。

 

 傷つけられたプライド、貶められた地位、失った信頼、その全てが怒りと憎しみとなって叡山の復讐心へと変貌している。やつれていても鬼の様な形相は、彼自身が冷静ではないことを証明していた。

 

「安心しろよ黒瀬……今後俺がテメェに危害を加えるつもりはねぇ。どころか、お前を狙う黒幕を倒す手伝いもしてやるよ……だから、力を貸せ」

 

 今の叡山には、薙切えりなの父親に復讐することだけしか頭にない。

 そして恋にとっても都合のいい話だと言わんばかりに、叡山は恋に協力を要請してきた。自分を貶めた人物への復讐の為に、恋の力を利用しようというのだ。

 無論、協力することは別に問題ないし、恋とてこれからも何か妨害をしてくるのであれば、早いうちにケリを付けたい事案ではある。けれどここで叡山に力を貸すことが、事態を解決へと導く手になり得るとは到底思えなかった。

 

 復讐に囚われた男の手を取れるほど、恋は冷静さを欠いてはいないのである。

 

「お断りします……それに、今の先輩にはもう俺に危害を加えるメリットがない。であれば、協力を約束しなくても、俺には一切の損得勘定が発生しません……それに、いずれはぶつからなければならない相手です―――俺は堂々と立ち向かいますよ」

 

 叡山の横を通り過ぎていく。

 叡山は一瞬怒りの表情を浮かべたが、自分が今情緒不安定なことは分かっているのだろう。怒鳴ったかと思えば冷静に話し出すような、そんな状態が普通だなんて到底言えない。こんな話の持ち掛け方も、けして普段やってきた交渉とは天と地の差があるくらい稚拙だ。

 恋に断られることも、何処かで冷静な自分が分かっていた。

 

 だから項垂れ、その場で膝を突く。

 

「……薙切薊……それが名前だ」

「……ありがとうございます……まずはゆっくり休んだ方が良いですよ、叡山先輩。心も、身体もね」

「ハ……お前こそ、どんな恨みを買ったのか知らねぇが……精々気を付けることだ」

 

 最後に歩き去っていく恋の背中に、えりなの父親の名前を告げる。

 そして恋に気遣われたことでより惨めになったのか、最後は今までのような強気で冷静にそう返した。憔悴し切った自分では、碌な考えなど出来はしないと分からされてしまったのである。

 復讐心は燃えている―――だがあくまで冷静に、いつも通りに、策略と謀略と裏工作を張り巡らせて、少しずつ相手を追い詰め圧し折るのが彼のやり方だ。

 

 恋は去り際に叡山に言われた言葉を思い返す。

 

 

「どんな恨みを買ったのか……確かに、どんな恨みを買ったんだろうなぁ……」

 

 

 えりなの父親が黒幕だとしても、恋にはその恨みを買うだけの心当たりがなかった。

 

 

 

 




次回からスタジエール編に入ります。

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スタジエール編
四十七話


スタジエール編開始です。
感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 それから数日が経ち、秋の選抜の興奮も段々と落ち着いてきた頃に、一年生の中には一つの話題が挙がっていた。

 此処まで授業での課題に加え、地獄の強化合宿、数々の食戟、そして秋の選抜と、多くの壁を乗り越えてきた生徒達。だが、それはあくまで前提として食べてくれる講師や審査員がいることや、本物の客への対応やサービスに触れない課題であったことなど、個々人の料理スキルを測る課題が殆どだった。

 つまり現在一年生達の中には、創真やアルディーニ兄弟の様に、現場で客を相手に料理を作るような経験をした生徒は少ないのだ。

 

 そこで、秋の選抜を終えて明確な実力差を認識し、更なる競争意識が高められたこの時期に、新たな試練が立ちはだかってきたのである。

 

 

 ―――"実地研修試験(スタジエール)"

 

 

 日本に存在する、遠月とコネクションを持った料理店へと期間限定で生徒を派遣し、現場での仕事を経験させる試験である。その料理店のレベルは一般の大衆料理店から、高級レストランまで様々。店舗によってそれぞれやることは違うし、問題を抱えていることもあるが、ある程度実力を付けた生徒達を現場へと放り込むことでその空気を経験させるのだ。

 

 無論、役に立たなければ遠月の看板を傷つけたとして退学。

 また、何か一つ目に見える実績を残せなくても退学だ。

 

 生徒達は現場でプロから何を学び取るのか、そして店のクルーとして店に何を出来るのかを考えることが求められている。

 

「スタジエールねぇ……最近汐見ゼミに入り浸ってるかと思えば、そんな話が出てたのか」

「へへ、まぁな。葉山には色々デカいこと言っちまった手前、ちょっと気まずかったけど……選抜でアイツが作ったカルパッチョ、食ってみたくてよ」

「でもここの所毎日行ってるよね、創真君」

 

 そして此処極星寮でも、話題はスタジエールのことで持ち切りだった。

 選抜が終わり、恋が復帰するまでの三日間、創真はどうやら優勝者である葉山の下へと赴いては、自分だけの料理について色々と模索していたらしい。恋が戻ってきてからも毎日の様に汐見ゼミに赴いては、帰ってきた後、恋に色々質問してくるようになったので、彼なりに殻を破ろうとしているのだろう。

 今日はそんな慣れたルーティーンの中でスタジエールに付いて汐見潤から聞いてきたらしく、それを恋にも共有していた。

 

 寮の厨房でメモを片手にする創真と話しているのは、恋、恵の二人である。

 

「黒瀬、この野菜の切り方のアッシェ、シズレ、コンカッセの違いってなんだ?」

「アッシェは繊維に関係なくみじん切り、シズレは一定方向に形を揃えて刻む、コンカッセは粗く刻む粗みじん切りだ」

「なるほど、え、じゃあこのジュリエンヌってのは?」

「千切りのことだな」

「ふむふむ……てか、スタジエールではなんか、目に見える実績を残さなきゃいけないってのが気になるよなぁ」

 

 メモには何処かで集めてきたのか、フレンチの調理技法の名称や香辛料の名前など、選抜が終わってから勉強してきたことが書いてあるらしく、それの詳細を恋に聞いている創真。恋が復帰してからは、毎日こんな調子で恋に自分の知らないことを聞いては、新たな技を身に付けようとしているのだ。……

 その吸収力も非常に高く、恋としても教えたことを少しずつ身に付けていく創真は、教えていて気持ちがいい生徒である。

 

 スタジエールの話に戻り、創真の言葉に恋は少し考える素振りを見せた後に、口を開いた。

 

「まぁ合宿の時の延長なんだろう。一つの店のクルーになる以上は、店に何が出来るのかが大事……自分がその店に不可欠な要素足りえるか、また与えられるかを証明することが、実績ってことなんじゃないか?」

「んー……なるほど」

「な、なんだか自信なくなってきちゃうなぁ……不安になってきたよ」

「田所なら大丈夫だろ、普段通り、自分が良いと思ったことをやればいいんじゃね?」

「創真君……うん、頑張るよ!」

 

 創真の言葉に表情を緩ませる恵。

 復帰してから随分と距離が近くなったな、と思う恋だが、そこに無駄に足を突っ込むつもりもない。ただ微笑ましいものをみたとばかりに笑みを浮かべるばかりだ。

 

 そしてスタジエールに付いて考える。

 恋としても、料理技術にはそこまで不安はないし、店のレシピがある以上遅れを取るつもりもない。並列思考(マスチタスク)の広い視野を持つ彼からすれば、現場でも足手まといにはならない自負があった。城一郎と共に客を相手に二ヵ月間厨房に立っていたのだから、その空気感だって十分理解しているのだ。

 だが味覚障害者、という肩書が店に不信感を与えないだろうか、という一点に付いては少々気がかりである。

 

「……ま、なるようになるか」

「それにしても、黒瀬って何でも知ってるなぁ。フレンチ、イタリア料理、中華、和食、スパイス……ここ数日色々聞いてきたけど、全部スラスラ答えてくれるから恐れ入ったわ」

「う、うん! 遠月にはそれぞれ得意な分野に特化した人は多くいるけど、ここまで高水準でオールマイティに知識と技術を身に付けている人はそういないと思う!」

「まぁ……我武者羅に身に付けてきたからな。それに、どんな料理でも料理の基礎は変わらないからな……切る、熱する、冷やす、混ぜる……そういった一つ一つはどんな料理でも一緒だから、基礎を突き詰めれば万事に通用するんだ。知識は後から幾らでも詰め込めるしな」

「はー、言ってることはわかるけど、実際にやるってなったら随分難しいぞそれ」

「そこは俺の努力の賜物だよ、ハハハ」

 

 笑う恋に、創真と恵は改めて目の前にいる料理人の格の違いを思い知る。

 才能ではなく、狂気染みた反復練習と努力で殻を破った料理人。包丁を握れば、何か作りたいと工程をすっとばして料理に入るのが普通なところ、恋は料理を作る前に包丁の握り方一つから積んできたのだろう。

 幼い頃からやんちゃだった創真からすれば、当時それが分かっていても到底真似することはできなかったと確信出来た。

 

「おしっ! ……もっと教えてくれ、黒瀬!」

「ああ、いいよ」

「このポシェってのは―――」

 

 創真は更に気合いを入れて恋に質問していく。

 聞いても分からなかったことは実際に実践で教えてもらうことで、着実に身にしていく。恋のお手本の様に完璧な仕事でやって見せて貰えれば、嫌でも理解していく創真。恵も中等部で習ったことを復習しながら、恋がやって見せることで更に知識を深めることもあった。

 

 研鑽は続く―――そして、スタジエールが始まろうとしていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてスタジエール当日、生徒達は配布された書類に記載された店に向かう。

 最初の店舗だからか、まずは単独ではなく二人一組で挑むらしく、まずは現地の最寄駅で待ち合わせをしてから、揃って料理店に向かう形となっていた。

 

 恋も事前に配布されていた店へと向かうことになっており、現在その最寄り駅で待機している。その他の面々から個人的に聞いた話では、どうやら創真と緋沙子が同じ大衆料理店へ、えりなと恵も同じレストランと、意外にも近しい人物同士でペアが組まれているらしい。実力のある生徒がない生徒と組んで足を引っ張られた結果、退学……そんな事態を避ける為の組み合わせなのかもしれない。

 葉山や黒木場、アリスに関しても、少なくとも選抜予選に選ばれていた生徒がペアになっているらしい。まぁ二店舗目からは一人でスタジエールに向かう以上、同じ境遇の生徒が他にもいることは緊張感を和らげる効果を期待しているのかもしれない。

 

「緋沙子あたりは今頃驚いているかもな……幸平のことは認めてないみたいだし」

 

 くつくつと小さく笑いながら、スマホに送られてきた友人たちからのメッセージを見る恋。すると、そこへ恋のペアになる人物がやってきたらしく、ガラガラとキャリーバックを引く音が恋の傍に近づいてきた。

 視線を向ければ、そこには恋も顔を知っている人物が立っている。恋の姿を見て、少し驚いているようだった。

 

「や、話すのは初めてだよな。黒瀬恋だ、よろしく……アルディーニ」

「……ああ! タクミ・アルディーニだ。タクミでいい……君とペアになるとは驚いたが、嬉しいよ。こちらこそよろしく頼む!」

 

 やってきたのは、タクミ・アルディーニだった。

 本戦第一回戦で美作に敗北した彼の姿を恋は見ていなかったのだが、顔付きを見ると吹っ切れているらしく、敗北を引きずっている様子はなかった。寧ろ恋とペアになったということで、よりやる気に満ち満ちている様子だ。

 握手を交わして自己紹介をすると、タクミは少し真剣な表情になる。

 

「……選抜の後、美作からメッザルーナの返却があった。君から返すように言ってくれたらしいな……ありがとう」

「俺は美作に助言しただけで、包丁の返却は結果的にそうなっただけだよ」

「それでもだ……だが、俺は美作に敗北して己の未熟を思い知った。だからこそ、俺は己が納得する成果を上げるまで、メッザルーナは使わないと決めたよ」

「……成果っていうのは?」

「―――美作に勝つ。そして、己の弱さを克服するんだ! ……俺は今まで無意識に君に劣等感を抱いて、接触を避けていた。全部美作の言ったとおりだったんだ……そんな意識では、遠月の頂点どころか幸平に勝つことだって出来はしなかった」

 

 タクミは美作に敗北したことで、己の弱さを思い知っていた。

 幸平創真にライバル意識を抱き、彼に負けないよう研鑽を積んできた自負の裏に、自分より強い者への逃避心を押し隠していたこと。そしてそれを指摘されて言い返せなかった自分の弱い心。

 それがどれだけタクミの自信とプライドを打ち砕いたことか。

 そして味覚障害者である恋が美作のトレースを越えて勝利した瞬間、己の怠慢を自覚させられたのである。

 

「黒瀬恋……俺は君に敬意を表する。君の技術も、知識も、料理人としての格も、全ては才能に恵まれなかった君の努力に裏付けされたものだ……俺は自分を恥じたよ。今は勇気をもって君にこう言わせて貰いたい――――君にも、負けないと!」

 

 だからこそ今のタクミは、創真と同じだ。

 己の限界を知った今、自分自身の殻を打ち破る闘志に満ちている。

 

「……俺も尊敬しているよ。君は優れた料理人だ」

「むぐっ……! ご、ごほん! そうストレートに言われると調子が狂うが……ま、まぁ良い。このスタジエール中、よろしく頼む」

「ああ、じゃ……店に行こうか。場所は分かるか?」

「あ……え、えーと」

「ははっ、そう慌てなくていいよ。こっちだ」

「ぐぅ……すまない」

 

 とはいえ人間的にはまだまだ青いらしく、恋の器の大きさにたじたじになるタクミ。なんの取り繕いもなくストレートに褒められることに動揺するタクミを、恋は笑みを浮かべながら落ち着かせる。

 書類を取り出して慌ただしく店の場所を確認しようとするタクミの肩を叩き、指を差して道を示しながら先を歩き出せば、タクミは肩を落として付いてきた。

 クールなやりとりを想定していたようで、自分の滑稽な反応に羞恥心を抱いているらしい。

 

「今回、どんな店なんだろうな」

「あ、ああ……遠月のコネクションだからな、相応のレストランかもしれないな」

「逆に大衆料理店だったらタクミの得意分野だろう? その時は頼りにしているよ」

「フッ、任せてくれ。その際は、トラットリアアルディーニで鍛えた実力を存分に見せてあげよう!」

「……お、あそこだな」

 

 そんな話をしながら歩いていると、駅に近い場所にある店だったのか、すぐにその店の姿が見えてきた。 

 タクミは恋が指を差した先を見ると、そこには高級料理店ではなく、一般の客が入るような店構えの店があった。遠目から見てだが、赤と緑色を使った看板からどことなくイタリアンな雰囲気すら感じられる。

 

 直前の会話から、イタリアンの大衆料理店ではないかと期待したタクミは、表情をぱぁああっと明るくした。

 

「どうやら今回のスタジエールは俺の独壇場になりそうだな! 黒瀬恋!」

 

 天狗の様に鼻を伸ばして自信満々にそう言うタクミに、恋は苦笑しながらも店に近づいていく。すると店の中からウェイトレスなのか、制服を着た女性が看板を手に出てくるのが見えた。店頭で呼び込みでもするのだろうか、と思った瞬間――恋はその店がどんな店なのかを理解した。

 

 未だ背後で自信満々に胸を張っているタクミに、恋は告げる。

 

「残念だなタクミ、俺達のスタジエールはどうやらイタリアンじゃないみたいだぞ」

 

 え、と思いながらタクミも店の前に出てきたウェイトレスを見て、その店の詳細を理解する。ピシッと石化したタクミを置いて、恋は苦笑した。

 店頭に出てきたウェイトレスが声を出し始める。

 

 

「―――従者喫茶『Love☆STERLING』ですぅ♪ ご主人様ぁ♡ どうぞお立ち寄りくださいませぇ~!」

 

 

 甘ったるい声、フリフリの白黒衣装、カラフルに彩られた看板を掲げる姿。

 恋は思い返せば、その可能性があったことを認識する。最寄り駅はJR山手線『秋葉原』駅で、駅の近くにある店舗であり、そして看板がカラフルな色使いの店。

 更には店頭で呼び込みをしているメイドが居れば嫌でも理解出来た。

 

「……メイド喫茶、か……?」

「いや、従者喫茶って言っているから……多分メイドだけじゃなく、執事もいるだろうな」

 

 予想の遥か斜め上の店だった。

 こうなると、恋とタクミ……常人より顔立ちの整ったメンズが選ばれていることにも、少々隠れた意図を感じざるを得ない。というより、執事がいてもメイドがメインであろう店に派遣する生徒が、どちらも男子というのは如何なものだろうか。

 

 顔を見合わせた二人。

 恋は小さく溜息を吐き、タクミは頭を抱えた。

 

「いらっしゃいませぇ~……あっ! もしかして、遠月の生徒さんですかぁ? わぁ、イケメンさんですねぇ~! ご案内しますぅ♡」

 

 そんな二人に気付いた呼び込みメイドが声を掛けてくる。

 頭を抱えるタクミを他所に、全力で違います、と言いたい恋であった。

 

 

 




スタジエール編はコメディです。
頭を空にしてお楽しみください。
感想お待ちしております✨



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四十八話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


「うんうん、流石は遠月さん! タイプの違う美形が二人も! 見事な人選ね!」

「……はぁ、どうも」

「なんなんだ、この状況は……」

 

 従者喫茶『Love☆STERLING』

 黒瀬恋とタクミ・アルディーニがスタジエールの派遣先としてやってきた店は、料理店というよりは従者に扮した従業員の接客サービスを主に、それなりの料理が食べられる、所謂接待喫茶店だった。

 女性従業員は特注のメイド服を着用し、男性従業員は執事服を着るのが店内のルール。無論、厨房で料理を作るのもメイドと執事である。

 

 内装としては上から見て縦に長方形の空間に四人掛けのテーブルが八つ、カウンター席が六つ、基本は二人用に長いソファとそれぞれ向かいに椅子の置かれたテーブルが二つ。二人用の席はテーブルをくっ付ければ最大八人くらいは座れそうだった。

 カウンター席の奥には飲み物を作る空間があり、そこから奥の空間は見えないが、おそらく厨房があるのだろう。

 

「開店前からの到着じゃなくて良かったんですか?」

「ええ、今日は平日だし、人手は足りてる日だからね! まぁ明日からは開店前から来てもらうことになるけれど、今日の所は午前中に仕事を覚えて貰って、午後の忙しさがピークになる時に戦力になって欲しいのよ」

「なるほど……了解です。自己紹介が遅れて申し訳ありません、遠月学園からスタジエールで来ました。黒瀬恋です……こっちはタクミ・アルディーニ」

「タクミ・アルディーニです……よろしくお願いします」

 

 時刻は十時過ぎ。開店してまもないからか、まだ店内に客はいない。

 それでも店内にいるメイド達は厨房の準備や店内清掃など、何か仕事を見つけて真面目に働いていた。客前じゃないからか笑顔なわけではないが、妙に姿勢の良い仕事姿に、従者らしさが垣間見える。

 

 自己紹介をする恋とタクミは、イメージしていたほど色物な雰囲気ではないのかもしれないと思い始めていた。

 

「マネージャーの龍美静香(たつみ しずか)よ。名前がちょーっとゴツイから、店の中ではメイド長って呼んでね! 一応こういう店だし、お客様の耳に入っても問題ないよう設定には忠実にお願いね!」

「わかりました、メイド長」

「わ、わかりました」

「よろしい♪」

 

 対して龍美静香と名乗ったマネージャー……設定名『メイド長』は、見た目二十代後半ほどの若い女性だった。かなり大きめの店なだけに、店を預かる人物としてはかなり仕事の出来る人物なのだろう。

 設定に忠実に、と言ったメイド長の言葉に、恋はもう順応したのか自然にそう呼んで返事を返し、まだ空間に馴染めないタクミは恋に引っ張られるように頷きを返した。

 

 すると、メイド長は客がいないことを確認してから、働いていた四名のメイド達を集める。どうやら本当に平日開店直後の客入りは少ないらしい。恋達をメイド達に紹介するつもりなのだろうが、メイド達が整列した瞬間―――空気が変わった。

 パン、と軽く手を叩いたメイド長の口調が変わる。

 

「―――皆さん、以前から伝達した通り……旦那様のお知り合いから短期間新たな執事を二名紹介していただきました。こちら、黒瀬恋君とタクミ・アルディーニ君です」

『よろしくお願いいたします!』

「っ……!?」

 

 一糸乱れぬ動きで、四人のメイド達が同時にお辞儀をした。メイド長もまるで本当にお屋敷のメイド長らしい振舞いで、そこにはカラフルな店構えや内装から感じるふわふわとした空気は一切ない。

 本物ではなくとも、従者としてなりきり、此処にやってくる客を主人としてサービスを展開する。そのプロ意識を感じさせられた。

 

 姿勢の良さにも表れていたように、客がいない時ですら、この店の中にいる以上徹頭徹尾従者になりきる。それがこの店のプライドだと、たった一度のお辞儀で理解させられてしまった。

 

「このお屋敷にいる間は、お二人とも本名は非公開となります。執事として働く間は、黒瀬君は下の名前から『レン』、タクミ君はファミリーネームから『アル』と名乗ってください。良いですね?」

 

 そしてメイド長がそう指示してくるのを聞いて、恋もタクミもスッと背筋を正した。

 この店でスタジエールをする以上は、この店のルールに従わなければならない。この店のプライドがそこにあるというのであれば、恋もタクミもそのプライドを背負うのだ。

 

 恋はスッと右手を胸に当てて右足を引き、左手を横方向へ差し出す。

 女性がするお辞儀作法は一般に『カーテシー』と呼ばれるが、恋がやったのは西洋で男性がするお辞儀作法である、一般に『ボウアンドスクレイプ』と呼ばれる動きだ。

 妙に様になったその仕草に、恋達を圧倒したメイド達も目を丸くして見入ってしまった。

 タクミも右手を胸に当てて、左手を後ろに添えて姿勢を正す。イタリアにはお辞儀の文化はないが、それでも紳士らしい佇まいにこちらも様になっていた。

 

「承知しましたメイド長。お初にお目に掛かります、只今メイド長よりご紹介に預かりました。レンと申します。短い期間ではありますが、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」

「同じくご紹介に預かりました。アルと申します……若輩者ではありますが、尊敬すべき先輩方と共に働けることを光栄に思います。合わせて、ご指導の程よろしくお願いいたします」

 

 自分達でも急なスイッチの入れ方をしたと思っていたメイド長達だったが、まさかこうまで完璧に返されるとは思っていなかったのか、一瞬言葉を失ってしまう。

 遠月の制服を着ているのでまだ学生として見ることが出来たが、まるで一瞬本職かと思ってしまう程の丁寧な振舞いだった。

 

「……す、すっごーい! 遠月の生徒さんってそういうマナーも教わるの!?」

「滅茶苦茶カッコよかったぁ!」

「これで料理も出来るんでしょ? 良い旦那さんになるよー!」

「早く執事服着て欲しい」

 

 四人のメイド達はその挨拶にロールプレイを崩して完全に素を出してしまう。恋達と同じ高校生だったり、大学生だったり、総じて若い女性達だからか、そのテンションの上がり方もかなりフレッシュだった。

 先程のメイドロールプレイの時との差が激しく、別人の様に感じてしまう。

 

「うんうん、良い感じだね! これなら文句なく即戦力だよー。とりあえずキャラ設定はこのくじを引いて貰って、その後更衣室で執事服に着替えて貰おうかな」

 

 メイド長もロールプレイを切って高評価を述べた。

 恋とタクミはアイコンタクトの後に笑みを浮かべ、自分達のするべきことをお互いに理解したことを察する。

 

 そしてその後、メイド長がメイド達に指示を出したのを待った後、メイド長の出してきた箱からくじを引いて、更衣室へと向かった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 更衣室に案内され、用意されていた執事服へと着替える二人。

 コスプレかと思いきや結構しっかりした作りの衣装で、着るのも一苦労だった。白の長袖Yシャツの上に黒ベスト、その上から燕尾服を着用し、下は黒のスラックスに黒靴下。驚いたのは黒の革靴まで用意されていたことだった。

 少し手間取りながらも着替えた恋は、未だ着こなせていないタクミを手伝う。

 そして二人とも衣装を着た後、燕尾服のポケットに入っていた白い手袋を付けて完成。

 

 タクミは自分よりも背の高い恋の執事姿を見て、妙に様になっていると思った。無論タクミとて似合っていないわけではないのだが、恋に比べると少し見劣りする気がしている。

 恋からすれば、黒い執事服に金髪碧眼のタクミの見た目はギャップがあっていいと思うのだが、隣の芝生は青く見えるというやつだろうか。

 

「そういえばタクミ……っと、ここではアルと呼んだ方が良いか。アルはどんな設定だったんだ?」

「そうだな、じゃあ俺もレンと呼ぼう……俺の設定は……『爽やか王子系執事』だった。レンはなんだったんだ?」

「『クーデレ執事』だった。クーデレってなんだ?」

「っと……えー、クールとデレを合わせたキャラ属性。普段クールな人物が親しい相手には甘えたり、好意を表に出すことにイメージギャップを感じる……だそうだ」

 

 お互いの設定を確認すると、タクミは爽やか王子系の執事で、恋はクーデレ執事だった。タクミは普段の振る舞いから少し意識するだけで出来そうな感じだが、恋はクーデレという概念に首をひねる。

 ネットで検索したタクミの説明を聞いても、クールに振舞いながら、客に好意を感じさせるという矛盾を解消できずにいた。

 

 タクミもまたクーデレという概念を理解出来たわけではないが、分からないことはメイド長に聞けばいいだろうと言って、恋を励ます。

 

「……ま、なるようになるか」

「ああ、もう開店はしているのだし、メイド長から早い所業務に関する指導を受けようじゃないか」

「そうだな」

 

 更衣室を出て、来た道を戻る二人。

 一本道を通って突き当りの扉を開ければ、そこはカウンターの奥にある厨房だった。先程の四人の内、メイドの一人が厨房担当なのか、厨房で準備をしている。注文が入ればすぐに調理に入れる状態だった。

 

「お、着替えたわね。うん、良い感じね! 設定は見たかしら?」

「はい」

「よろしい……今日はランチタイムが過ぎるまでとその後閉店までで二人はホールと厨房を交代で入ってもらうわ。まずはレン君が厨房、アル君がホールでお願いね……メニューは少ないし、作る料理も難しいものは一切ないから安心して頂戴。厨房で分からないことは、其処に居るあかりに聞いてくれたらいいわ」

「ん! よろしくね、レン君」

 

 そこへメイド長が入ってきて二人の姿を確認すると、そのまま指示を出してくる。

 恋とタクミの仕事は厨房とホールどちらもらしく、それを交代で務めるらしい。そして厨房担当のあかりと呼ばれたメイドが笑顔で挨拶してきたのを、恋は会釈して返す。

 

 恋があかりの仕事を手伝うべく隣へと移動すれば、メイド長はじゃああとは任せたわよ、と言ってタクミを連れてホールへと去っていった。

 あとの説明はあかりから受けろということなのだろう。あかりは恋が隣に来たのを感じて、たははと少し緊張したように笑いながら口を開いた。

 

「いやぁ、男の子と二人で話すのは緊張しますなー……こほん! えーっと、レン君は遠月の生徒さんだから、メニューを見て貰って注文が来たら料理を作ってもらうよ! 見ての通りウチは料理がメインのサービスではないけれど、それでも手を抜いていい仕事ではないからね。メイドのサービスの為にあえて完成させないって品もあるし、とりあえず新人さん用のマニュアルレシピがあるからそれを見て貰っていいかな」

「これですか?」

「そ。ランチメニューの看板はオムライス……これはメイドがケチャップでリクエスト文字や絵を描くから、ソースとかは無しで単に卵でチキンライスを包んだ状態の物を作るよ。他にもナポリタン、カルボナーラ、アラビアータの三種類のパスタメニューと各種パフェもあるから、サイドメニューも合わせると少し多いかな?」

「…………いや、大丈夫そうです。全部基本的なレシピですし、サービスに繋がる部分を気を付ければ問題なさそうです」

「はぁ~……流石は遠月の生徒さんだねぇ……料理に関してはもうお手の物って感じだぁ」

 

 あかりから渡されたマニュアルレシピをサラサラッと読めば、この店特有のレシピというわけでもなく、極めて一般的なレシピで作られるメニューだった。

 これならば覚えるまでもなく、恋にとって然程難しくはない作業である。パフェの種類をサッと覚えて、恋はパタンとレシピを閉じた。

 

 感心したような声を上げるあかりに苦笑しながら、恋は一先ず食材と調理器具の場所の確認をする。あかりは面倒見がいいのか、面倒を見たがるタイプなのか、恋にそれらの場所を教えながらトテトテと後ろを付いてきた。

 話し方や所作を見れば多少大人びて見えるものの、大体150センチ前後の低い身長をしているので、何処か愛くるしさが滲み出ている。恋と並ぶと結構身長差があった。

 

「オーダー入りました。絵パフォ有のうさオム二つ、ナポリタン一つ、クマバーグ一つお願いします」

「! 了解です。さ、レン君お仕事だよ! オムライスは私が作るから、他二つお願い」

「承知しました」

 

 そこへ遂にオーダーが入る。

 段々と客が入ってきたのか、一気に厨房の空気に緊張感が混ざる。あかりは卵を割ってオムライスを作り出し、恋はナポリタンとクマの顔のハンバーグを作り出す。

 従者喫茶ということで料理の見栄えも中々ファンシーさを要求されるが、恋からすればレシピのある料理はお手の物だ。即座にナポリタンとクマ顔のハンバーグが完成していく。

 そしてオムライスを作っているあかりがわたわたしている間に、今度は倍近い量の追加オーダーが入る。恋は唇を舌でなぞりながら、調理を開始した。

 

「スタジエール開始だな……!」

 

 料理人としての、本領発揮である。

 

 

 




メイド四人の名前は順次公開していきます。
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四十九話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 スタジエール初日。

 様々な店で現場を経験する生徒達は、課題とは違って多種多様に変化する現場での仕事に困惑しながら、己に出来ることを模索していた。

 時間によってピークの違う客の人数、客の年齢層、そしてそれによって求められるサービスの変化。臨機応変に対応出来なければ即店の信用を落とすことに繋がり、その責任を取ることは出来ない己の無力さも思い知ることになる。

 

 そんな生徒達の中、緋沙子と創真は共に大衆料理店である『洋食の三田村』でスタジエールをしていた。

 初代から綿々と繋がれてきた店であり、現在は三代目。以前までは地元の常連客によって支えられ、ひっそりと経営していた店であったのだが、最寄りの駅に新幹線が止まる様になってからはより多くの客が殺到するようになったらしく、その対応にてんてこ舞いになっている状況らしい。

 スタジエールとして、此処で実績を残さなければならない二人。

 元々ゆきひらで現場経験を積んでいた創真は、快刀乱麻の勢いで次々と客を捌き、スタッフの連携に的確な指示を出すことでソレに対応。最初は戸惑うばかりだった緋沙子も、悔しさを押し殺して必死に食らいつき、終盤は遅れることのない仕事っぷりを見せつけた。

 

 初日の仕事としては、十二分な活躍をして見せたと言えるだろう。

 

 現在は閉店後、夜の清掃をしている最中だった。

 選抜初戦敗退という結果に己を責めていた緋沙子は、現場の対応力で創真に劣ったことでまた落ち込んでいたのだが、店長やスタッフに褒められることで少しだけ自分が店に貢献したことを自覚していく。創真にもこの調子で頼むと言われれば、彼女の中でも少しずつ闘志が戻ろうとしていた。

 

「幸平創真、そっちの清掃は終わったか?」

「おー。ま、初日はどうにかなって良かったな」

「まだスタジエールは数日ある。だからといって気を抜くなよ」

「ああ……他の奴らはどうしてんだろーな?」

 

 清掃も終わり、店の制服から着替えるために更衣室へと向かう二人。

 意外に良いコンビ感が出てきたところだが、創真の言葉に緋沙子は少しだけ憂いを帯びた表情を浮かべた。

 思い出すのはえりなのことだろう。選抜敗退の自分と違って、えりななら問題なくやっているだろうと思い、また己の弱さに嫌気が差す。

 

「っ……まぁ、なんだかんだ選抜本選まで上がった者ならば、それぞれ上手くやっているだろう」

 

 首をぶんぶんと振ってモヤモヤした感情を振り払うと、緋沙子は無難にそう返す。

 そうだ、えりなだけではなく、選抜本選に上がった者であればこの程度の課題をクリア出来て当然だ。黒木場や創真、タクミは現場経験が豊富だし、優勝した葉山に限ってはその力を発揮する場は幾らでもある。

 

 そして黒瀬恋に関しても、それは同様。

 

「そういや、黒瀬は何処に行ったんだろうな? 新戸は薙切と一緒で、黒瀬と幼馴染なんだろ? 何か聞いてねぇの?」

「む……さぁな、恋がどこに行ったのかはまだ聞いてない。ちょっと待て、携帯に連絡が来ているかもしれない」

「ふーん……」

 

 創真がふと恋の行先を聞く。緋沙子と創真、両者の共通の知り合いであったからこそ出した話題なのだろう。えりなのことでもよかったのだが、互いが気安く話題に挙げやすい人物なら恋が一番だったのだ。

 創真の質問に、緋沙子は仕事が終わったこともありそう言って更衣室へと入っていく。女子が着替えるのだから、そちらを気にしないようにして創真も男子更衣室に移動し、エプロンを取って手早く着替えた。

 

 緋沙子の着替えを待ちながら、創真は今日のことを思い返す。

 今回やってきた三田村では、環境の変化によって業務がパンクしている状況が明らかになった。創真や緋沙子がきたことでソレは一時的に改善したものの、それは二人がいるスタジエール期間のみのこと。

 二人がいなくなった後もこの状況が続くのであれば、いずれは経営破綻を起こして店はお仕舞だろう。創真はそのことを考えると、どうにかしなければならないのではないかと思い始めていた。

 

「……」

 

 ―――目に見える実績を上げる。

 その意味を、恋はこう言っていた。

 

『まぁ合宿の時の延長なんだろう。一つの店のクルーになる以上は、店に何が出来るのかが大事……自分がその店に不可欠な要素足りえるか、また与えられるかを証明することが、実績ってことなんじゃないか?』

 

 店に対して不可欠な存在になれるか、そして不可欠な要素を与えられるのか。それが実績としての証明。

 創真も緋沙子も、店にとって必要な人材たる実力は初日で十分示すことが出来ただろう。だが創真の懸念した通り、二人がいなくなった後もこの店に残していける何かを残せていない。

 

 それでは、実績とは言えない。短期のアルバイトと変わらないのであれば、スタジエールの意味がないのだ。

 

「……待たせたな。今確認したら、恋から連絡が入っていたぞ」

「お」

 

 するとそこへ着替えを終えた緋沙子が出てくる。

 遠月の制服姿に変わった彼女は、己のスマホを操作しながら創真に声を掛けてきた。創真もそこで一旦思考を打ち切って、緋沙子の方へと意識を向ける。

 緋沙子はメッセージを見て、恋のスタジエール先を確認すると、ブフッと笑い声を漏らした。首を傾げる創真に、咳払いをしながら画面を見せる。

 

「どうしたんだよ……え、と…………じゅ、従者喫茶?」

「ンンッ! 調べたところ、どうやらメイド、執事の恰好をして給仕する喫茶店のようだな……アルディーニ兄と一緒に執事として働いたらしい」

「スタジエールってそういう場所も込みなの? 遠月……計り知れねぇわ」

 

 創真の言葉で差し出していたスマホを引っ込めると、緋沙子は恋が執事をしている姿を思い浮かべて、案外良いかもしれないと思っていた。

 自分がえりなの付き人だったからか、その姿が鮮明に思い浮かべられたのだろう。とはいえ、給仕されるのが自分というイメージにえりなへの不敬を感じて、再度ぶんぶんと頭を振った。

 

 すると、新たにメッセージと一枚の写真が送られてくる。

 

「!」

 

 そこには、執事服を着てポーズを取る笑みを浮かべる恋の写真があった。

 どうやら店のHP内に期間限定で在籍する執事として掲載する写真を撮ったらしい。ウェブで公開するものだから、宣伝がてら友人にも見せて良いと許可を貰ったようだ。

 

 写真には想像していた以上に様になっている恋の執事姿が映っており、正直普段から美形だとは思っていたものの、想像以上に良いと感じた緋沙子。アイドルに想いを馳せるような、好きなキャラクターが新衣装を着てくれたような、そんなムズムズするような感情を抱いていた。

 こんな執事に尽くされてみたいと思ってしまい、妄想で身体がフラフラと揺れる。緋沙子は今、一般に『推し』と呼ばれるものへの感情を理解した。

 

「(これは、良い……なんというか、良いぞ。形容する言葉は見つからないが、良いということは分かる……! 私この写真凄く好き!! 待ち受けにしよう)」

「新戸? どうしたんだ、画面を食い入るように見てっけど……」

「ハッ! な、なんでもない! 気安く話しかけるなっ」

「え、何? 俺この数秒でなんの地雷踏んだ?」

 

 フンフン、と鼻息荒く歩き出した緋沙子に、創真は戸惑いつつその後ろを付いていく。初日の営業が終わった今はもう帰るだけなので、向かう出口は一緒なのだ。

 

「(これはえりな様にお送りした方が……いや……私がえりな様に連絡を取るなど、許される筈がない。恋のことだ、えりな様にも送っているだろう)」

「百面相してるわ……忙しい奴だなぁ」

 

 結局その日は、百面相をする緋沙子にこれと言って突っ込むことも出来ず、二人は駅で別れることとなった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そしてスタジエール二日目、『Love☆STERRING』では。

 

 

「―――いらっしゃいませ、お嬢様……お席にご案内致します。お荷物をお預かり致します、お手をどうぞ」

「は、はいぃ~……!!」

 

 

 執事として大躍進を遂げた恋の姿がそこにあった。

 執事としてのサービス、接客のマニュアルを覚えた恋は、一晩掛けてソレをブラッシュアップしてきたのである。

 なお、今日の設定は『主人を愛する執事』。

 一人相手であろうと、複数人相手であろうと、まるで愛しい主人に対して接する執事のように対応してくれるのだ。

 細かなところに気を配り、些細な変化すら見逃さない。買い物途中の客には入り口から荷物を持ち、手を引いてリードする。椅子を引いて座らせ、満点の微笑みと共にチェイサーを差し出すまでがセット。かつ業務が滞らない程度にしっかり線引きもしている。

 

 的確にガチ恋勢を生み出す恋は、店の中を歩いているだけで視線を集める存在となっていた。

 

「アル、絵有りオムライス二つ、ボロネーゼ一つ、クマバーグ三つ、ナポリタン二つ、内一つは量少なめで頼む」

「了解した。三番テーブルと六番テーブルの料理があがる、持って行ってくれ」

 

 恋がカウンターから厨房に注文を伝えると、タクミがそれに応える。ほんの少しだけ見える二人の姿に、女性客がノックアウトされていた。

 

「はぁ……尊い」

「アル君とレン様のツーショット……捗るぅ」

「推しが尊すぎて辛い……」

「はぁっ……はぁっ……心臓が痛いぃ~……!」

 

 いつもはメイド目当ての男性客が多いのだが、今は男性客と女性客の比率が同じくらいになっている。一緒に写真を取ったり、食べさせて貰ったりといったサービスの注文率が普段の倍くらいになっていた。売上という意味では十分すぎる貢献をしているだろう。

 今日から本格的に執事として働き始めた二人だが、初日に偶々来ていた客が恋とタクミのことをSNSで拡散したらしく、リピーター含め多くの客が見に来たのも大きい。

 

 イケメンと美少年に愛情たっぷりに挟まれた時には、女性客も卒倒するレベルである。

 

「お待たせいたしましたお嬢様……こちら、特製オムライスになります。私の方で、絵を描かせていただいてもよろしいですか?」

「は、はいっ……お願いします!」

「書いてほしい言葉などありますか?」

「お、おまかせしますぅ!」

 

 恋がオムライスを持って行って声を掛けると、先程までは余裕な様子で恋を見物していた女性は、おどおどした様子で挙動不審になる。遠目から見守る分には余裕だが、いざ近付かれると限界化するようだった。

 最早会話することすら限界を超えているらしく、恋の質問に自分の要求を言えずおまかせを選択する。

 

 すると恋はクスリと笑って、ケチャップでオムライスに文字を書き始めた。

 

「え……これって―――」

「他の方には……言いませんよ?」

「――――きゅう」

 

 そこに書かれたものを見てハッと恋の方を見た女性客に、恋は囁くようにしてそう言った。突然距離が近い場所に美形があり、耳を直撃する囁き声がオーバーキルを引き起こす。一気に致命傷を負わされた女性客は、顔をゆでだこの様になって失神した。

 オムライスには、普通にハートマークが書かれていた。オムライスの丸みで下にケチャップが流れているが、女性客が見た時、ハートマークの下には小さく文字が書かれていたのだ。

 

 恋はその気配り能力で、その女性客の服が新品だったことに気が付いていた。故に、その服が似合っている旨を文字で書いて褒めたのだ。そしてそれが直ぐに隠れるように、書く場所の角度も考えて書いてみせたのである。

 

 身嗜みに気付いてもらう 1000ダメージ

 美形と急接近 5000ダメージ+2COMBO

 耳元で囁き  6億ダメージ+3COMBO

 特別扱い&悪戯な笑み 無限ダメージ+4COMBO

 

 戦闘エフェクトでもあれば、こんな感じでダメージを食らっていたに違いない。そう思わざるを得ない女性客。

 そしてそんな彼女を見て、恋の致命傷サービスを受けたいと思う女性客から更に注文が殺到する。この間、メイド達も恋に負けないくらいのサービスを男性客相手にやっているのだが、どうしても恋ほどの自然さが出ない。どこまでも芝居感が拭えないのだ。

 

「(レン君のあの本当に愛してますよ感何なの!? 私がされたいんだけど!?)」

「(すっごーい……見てるだけでキュンキュンしちゃーう……)」

「(昨日のアル君の爽やか王子様も凄く良かったけど……なんか今日のレン君はエロい! エロいよ!!)」

 

 メイド達の心境は恋に対する嫉妬や羨望などでいっぱいである。

 自分達の接客以上の本気度が凄まじい。特に相手を想う感情がビシビシ伝わってくるのだ。包み込む様な包容力、細かなところに気付く気遣い能力、不愉快にならない程度の的確なコミュニケーション能力、人見知りで遠慮する間もないサービスを展開していく誘導力……その全てが完璧な執事を爆誕させていた。

 

「ミミ先輩……七番テーブルのお客様お帰りです。テーブルのバッシングお願いしていいですか?」

「か、かしこまりました」

「? ……大丈夫ですか? 顔が赤いですけど」

「だだだ大丈夫ですぅ! すぐに!」

 

 恋は七番テーブルの客の見送りを済ませると、手の空いているメイドに仕事を頼む。奇しくもメイド達の中で一番後輩だったのだが、恋に顔を覗き込まれると客同様に顔を真っ赤にして仕事に向かった。

 まだ入って数ヵ月の彼女の名前はミミ……恋と同じで高校一年生の少女である。

 先輩達は気持ちは分かる、と思いながらも純情なミミの乙女心に苦笑を漏らした。男性相手にサービスをする立場であるが、それで男性への免疫が付くわけではない。

 

 にも拘らず、美形、気遣い上手、桁外れの包容力、そして世界が違うんじゃないかと思うほどの色気、それらを併せ持った執事服の恋に近づかれたら、レベル1でいきなり魔王戦に放り込まれた勇者の様になるのも当然だった。

 

「レン君」

「ああ、メイド長……どうしました?」

「このままでは死者が出るわ……一旦アル君とチェンジでお願いします」

 

 すると、このままでは恋という逸材が死屍累々、阿鼻叫喚の地獄絵図を生み出してしまうと思ったメイド長が、恋にそう言ってくる。

 指示ならばと思って従おうとした恋だが、メイド長の顔を見た瞬間ピタリと動きを止めた。

 

「メイド長……鼻血が出てます」

「貴方のせいよ」

 

 実は一番ダメージを食らっているメイド長だった。

 

 




恋君色気爆発です。
感想お待ちしております✨

色々やりたいこともあり、同時進行するため本作の更新は月木以外の曜日にさせてください。
毎日更新とはいかなくなりますが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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今後とも応援よろしくお願いいたします。

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五十話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 スタジエール三日目を終えて、恋とタクミは近くのファミレスにやってきていた。

 目的は勿論、スタジエールの課題である『目に見える実績を残す』ことについて話し合うことだ。従者喫茶という、料理よりも給仕にサービスの重きを置いた店で、料理人が何を残すのか、それを考えなければならない。

 恋の前には水が、タクミの前には紅茶があり、タクミは友人と二人でファミレスに来ることはあまりないのか、少しそわそわしていた。

 

「さて、タクミはどう思う? あの店で俺達がやるべきことについて」

「あ、ああ……働いてみて、料理にこれといった問題があるわけではないし、お客様にも不満がある様にも見えない。寧ろ、サービス自体には今後効率化や利便性の向上を図れる余裕もある気がするが」

「確かにな」

「そもそも、料理人である俺達が料理に重きを置いていない店で何をすればいいんだ?」

 

 こうして話し合いを持ちかけたのは恋だが、タクミの言葉も最もだった。

 スタジエールとして何か目に見える実績を残すことが求められている二人。だがあの従者喫茶にはこれといって問題があるわけではないし、何か改善点を求められているわけでもない。

 ましてや料理に関して然程重要度が高くない店において、料理人である自分達に何が出来るのかが、タクミには分からなかった。

 料理への改善点であれば、確かに幾らか提示することも出来るのだろうが、元々+αのサービスありきで料理を作らなければならない店である。料理の品質を上げることは無駄にはならないが、客の需要はそもそも美味いか不味いかではなくメイドや執事のサービスを受けることなのだ。

 

 料理の品質向上が、根本的に実績となりうるかは微妙なラインだ。

 

「レンは……あっと、すまない、仕事の時の呼び方が抜けなくて」

「ハハ、いいよ恋で。俺もタクミって呼んでいるしな」

「そ、そうか……じゃあ恋は、どう考えているんだ?」

 

 恋の呼び方が店では名前と同じレンであるからか、その呼び方が抜けないタクミ。恋はそれに対して名前呼びで構わないと言うと、タクミは少し照れくさそうにしながらそれを受け入れた。

 元々良く交流している創真ですら、彼はフルネームもしくは苗字で呼んでいるので、男友達を下の名前で呼ぶことは早々ないのだろう。

 

 恋はタクミの問いかけに対して少し考える素振りを見せた後、静かに口を開いた。

 

「俺達はそもそも料理人だけれど、仮に今後店を背負って立つ料理長(シェフ)になった場合店の格がそのまま自分達の格になる。タクミは将来自分のトラットリアで料理を作るんだろうけど、レストランの評価は料理だけで決まるものじゃないだろ?」

「ああ……そうだな」

「店の内装、雰囲気、スムーズな給仕、清潔感、料理を注文して出てくるまでの時間、そして料理の質……そういった総合的なサービスの上に評価は付けられる。今回の従者喫茶においては、料理の質を補って余りあるその他のサービスがあるわけだ」

 

 恋の言葉にタクミは頷くと、何かに気付いた様に自分も考えを巡らせる。

 

「つまり……俺達があの店を経営する側になった場合、どう伸ばすかを考えるわけか」

「そう。俺達が来る前といなくなった後で、明確に変化がなければアルバイトと変わらないからな……そこで、だ。俺はあの店の需要について考えてみた」

 

 恋はそこで水を一口、口に含む。タクミもつられるように紅茶を飲むと、潤った口で再度語り出した。

 

「あの店の需要は、明確に言うとメイドや執事っていう非日常的な存在が給仕してくれることではない。寧ろ本物のメイドや執事が本気で給仕してきたら、お客さんは緊張して委縮してしまうからな……品格で主人より執事やメイドの方が勝ってしまうのは、あの喫茶店の本質的には合っていない」

「……つまり真の需要とはどこにあるんだ?」

「秋葉原という街は電気街的な一面もあるが、世間一般のイメージとして日本のアニメや漫画文化の色濃く反映された街だ。だからあの喫茶店のような場所にいるメイドや執事に対しても、アニメや漫画のイメージが先行しやすい」

「確かに、お客様の多くは男女問わずキャラクターグッズを身に付けている者が多く見られたな。ストラップや缶バッジなどちょっとした物から、キャラクターTシャツまで、その度合いは色々だが」

「そう、つまりメイドや執事に対して一種アイドル的な魅力を感じているからこそ、彼らは来ているわけだ。だから本物の執事やメイドよりは、少々気安い関係性が求められている」

 

 恋の説明にタクミはなるほど、と頷きながら考える。

 

 メイドと執事に限らず、婦警、ナース、CA、アイドル、獣耳などなど、本来であれば関わるようなことのない存在と、少し仲良く交流してみたいという願望に応えたのが、従者喫茶のルーツだ。

 実際にいるそれらの存在は本来交流など持てないし、そもそも親しく振舞ってなどくれない。婦警に絡んでいこうものなら、逮捕も辞さないだろう。

 

 だからこそ喫茶店という気安い場所で、サービスとして、親しげに交流してくれるメイドや執事が需要になるわけなのだ。アニメや漫画の中にいるような格好いい、可愛い存在と一時でも交流できるその時間こそが、最大の需要なのである。

 

「……ならばなおさら俺達に出来ることはあるのか? 悪いが、俺はそういうジャパニーズアニメーションに疎い……あまり力になれそうにないんだが」

「だから……ほい、これ」

「……なんだその物々しい物体は」

「失礼な……今日メイド長から借りたんだ。メイド長おすすめのメイド、執事の出てくるアニメの全巻Blu-rayBOXです」

「…………で?」

「これからコレの鑑賞会をします。二期まであるらしいけど、一期だけなら大体五時間あれば見終えるみたいだから、今からな」

「見なきゃダメか……?」

「郷に入っては郷に従え、客の需要を理解出来なきゃ良い店は作れない。此処は秋葉原、その需要に対する理解は深めないとな?」

「…………………分かりました……!」

 

 恋も苦笑しながら出してきたそれは、メイド長厳選のアニメBlu-rayBOX。

 パッケージにはおススメと言うことだけあって、可愛らしいメイド服のキャラクターが涙目であわあわしているイラストが描いてある。スカートの丈は短く、白のガーターベルトを強調するようなポージング。どんな神風に吹かれたのかと思うほどに激しく捲りあがるスカートを押さえつける姿は、そういう文化に疎いタクミには少し煽情的過ぎた。

 一見して、エッチなアニメじゃないかと思ってしまうようなパッケージだった。

 だが恋の言うことも一理ある。需要を理解出来なければ、それに応えることは出来ない。今の段階でもそれなりに需要に応えられているのだろうが、二人が理解しなければいけないのは客を悦ばせる振舞いではなく、それを含めたサービスの展開方法だ。

 

 客がメイドや執事に求めている願望を踏まえた上で、出来るサービスを模索する。

 タクミは恋も乗り気ではない表情をしていることを理解し、随分と間を置いて頷くのだった。

 

 イケメン達の、夜を通した美少女メイドアニメ鑑賞会が始まる。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 スタジエール四日目。

 恋とタクミは少々寝不足の目を擦りながらも、従者喫茶へと出勤した。いつも通り執事の恰好へと着替え、メイド達と一緒にテーブルを整えたり、食材を整える。開店まではまだ時間もあり、慣れた様子で準備を整える二人のおかげで、大分余裕のある段階で全ての準備が終わってしまった。

 

 メイド長も流石にこんなにも仕事の出来る二人が来るとは思っていなかったようで、全ての仕事が無くなってしまう時間が生まれたことに、呆気に取られる。すると恋とタクミがそうやって呆気に取られているメイド長に近づいて、話し掛けてきた。

 

「メイド長……ちょっといいですか?」

「え、ええ……どうかしたの?」

「スタジエールの身ですが、少しこの店の改良点を考えてきまして……よければ参考にしていただけないかなと」

「改良点……なるほど、三日働いてみて何か思う所があったのね? 良いわ、聞きましょう」

 

 恋とタクミが口にしたのは、店に対する改良点について。自分自身の店に対して、研修生である二人から何か意見されるのは少々思う所もある。だが恋とタクミの戦力は非常に高い。この二人からの意見であれば、この店の為に何かいい変化を齎せるかもしれないと考えたメイド長。

 メイド達も仕事がなくなったからかその話を聞きに集まってくる。話を促したメイド長に、恋は口を開いた。

 

「サービスメニューの増加を提案します」

「ふむふむ、その理由は?」

「この店には基本的に、メイド、執事が食前に気持ちを込めるサービスや食べさせるサービスなどがありますが、料理だけで言えばケチャップでメッセージを書くオムライスしかサービス料理が存在しません。それは選択肢が狭いと思うんです」

「確かにね……それで、何を増やそうっていうの? 基本的にウチは料理が出来る子を優先して雇ってるけど、遠月の生徒さんほどのレベルじゃないから、難しい料理は厳しいわよ?」

 

 恋の提案に対して是非を考えるメイド長だが、恋はこの店の状況、スタッフの能力、調理環境を踏まえた上で出来ることを考えてきたのだ。美少女メイドアニメを一気に鑑賞した二人に、最早失うものなどなにもない。妙な貫禄すら感じさせる佇まいで、恋はメイド長の言葉を受け、確かにと頷きながら言葉を返す。

 

「はい、なので難しいメニューではありません」

「というと?」

「『ラテアート』を提案します」

「ら、ラテアート? それって、結構難しいと思うのだけれど……出来るの?」

「ちょっと見ててくださいね……」

 

 恋が提案したのは、ラテアートだった。

 困惑するメイド長に、恋は早速自分でラテアートを作って見せる。手早くコーヒーと泡立てたミルクをカップに注ぎ、スルスルと爪楊枝などを使ってリーフの柄を完成させた。

 

 それを見たメイド長達は、おお、と僅かに感心の声を上げる。

 だがやはりどう見てもこんなに綺麗に書くことは出来なさそうだと思ってしまう。メイド達も、コレを今すぐ作れと言われても無理だと思った。

 

「確かに凄いけれど……これ、私達には今すぐにできることじゃないでしょ? こんなに綺麗に書けそうにないし……絵心があるわけじゃないのよねぇ」

 

 実際にそう言って困ったような顔をするメイド長。

 しかし、それにタクミは確かにと頷きながら言葉を返した。

 

「確かに綺麗なラテアートを書くのは一朝一夕では難しいでしょう。しかし、綺麗に書く必要はないと思います」

「え?」

「ラテアートは、そもそもエスプレッソとミルクの割合さえ間違えなければ基本的な味はそう変わりません。ラテアートが多少不格好でも、味は保証出来ます」

「味はそうかもしれないけど……! 待って……なるほど、そういうことね?」

「そう、この店の持ち味はあくまでメイドと執事! そのサービスには個々人の良さがありますが、このラテアートは視覚的に書いた人の個性が出やすいのです! それはメイド一人一人の個性を視覚化し、この店で受けるサービスに対しての感じ方をより豊かにすることが出来ると考えました」

「ふふふ……何より、絵心は一朝一夕ではいかないからこそ、他のサービスと違ってメイドや執事自身の感情が出やすい。下手くそなラテアートを出す時、ほんのり見える照れくささが萌えに繋がる……!! 良い、良いわよ!!」

 

 恋とタクミの意図に気付いたメイド長が、新たな萌えの発掘に燃え上がる。

 恋の接客を見て、メイド達が思っていたことの中に、客に対する自然体さがあった。作り物の笑顔や愛情ではなく、素のままの自然な感情が魅力となる―――そんな姿を、このラテアートは作り出すことが出来る。

 

 絵に自信があれば自信をもってラテアートを出す姿が、自身がなければ下手な絵をおずおずと出す姿が、個性豊かなイラストを個性豊かにサーブする姿こそが、一つの光景として需要となりうるのだ。

 

「レン君、ラテアートのやり方を最終日までにメイド達に仕込んでもらえるかしら? 他の子達にも連絡を取って、少し人数を増やしたシフトを組むわ」

「お任せください。でも急な呼び掛けで大丈夫ですか?」

「レン君が執事服で教えてくれるってなったら皆飛んでくるわよ」

「あ、そうですか」

 

 メイド長の中で納得がいき、その良さを理解した結果、その提案が受け入れられた。

 恋がラテアートのやり方を教え、タクミがその間の仕事を引き受けることに。

 燃え上がるメイド長の熱に、この店に更なる活気が出たようだった。

 

 

 その後、ラテアートを教えられたメイド達が夢見心地に接客する姿が散見されたが、それはそれで需要に応えたらしい。

 

 

 




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五十一話

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本作の更新は、毎週月曜と木曜がお休みとなります。


 最初のスタジエール最終日を終えた。

 恋とタクミの提案から始められたラテアートは、概ね成功を収めることが出来た。ラテアート導入と共にお客へのアンケートも始めたところ、寄せられた意見には大多数の高評価を貰うことが出来ていた。

 また恋とタクミ以外の執事スタッフも、ラテアートが上手くなるにつれて出来る執事感を出すことに成功し、メイドスタッフの分かりやすい需要供給に対しても、ちゃんと存在感を主張することが出来るようになっている。

 

 個々人にとっても、ラテアート一つスキルとして身に付いたことでちょっとした自信に繋げることが出来たのか、皆表情が少し明るくなっていた。誰にでも出来るようなことではないからこそ、ラテアート一つで店に出る影響が大きかったということだろう。

 

 更には、月一で閉店後にラテアート選手権が開かれることになった。

 月末の閉店後に、各々がラテアートを作り、全員でどのラテアートが一番良いか競うのだ。一番になったラテアート制作者には賞品として、翌月の間執事、メイド問わず制服のランクが一番上になり、更に時給が少し上がることになる。

 またラテアート選手権の優勝者は、店内に名前が掲載されるので、客からの覚えもよくなるのだ。こういう喫茶店には役者やアイドルなどを目指す者も多く、働く中でファンを増やす機会があることは大きなメリットになるだろう。

 

 総評して、ラテアート一つで店にある程度の需要を生み出し、スタッフ達の活気を高めることに成功したのであった。

 

「はぁー……これで恋君やタクミ君ともお別れなのね……」

「ええ、お世話になりました」

「正直、正規採用したいくらいの逸材だけれど……仕方ないわね」

 

 今は最終日の閉店後。

 溜息を吐くメイド長に苦笑する恋とタクミだが、それだけ買ってくれたということだ。素直にありがたいと思いながらも、メイド長の言葉に少々申し訳なさも感じている。

 

 だが残念に思うのはメイド長だけではない。その他、メイドスタッフ、執事スタッフのメンバーも同じだ。

 働く中で、またそれ以外で接する中で、恋やタクミはその人柄からスタッフ全員からの信頼を得ることができた。閉店後だというのに、恋とタクミが最後ということで全員が残っているのがその証拠だろう。退勤登録はしたのに、帰らないで二人を見送ろうとしてくれるスタッフ達の気持ちが嬉しかった。

 

「遠月学園は卒業まで行くのが厳しい学校って聞いているけど、貴方達二人ならきっと大丈夫! まぁもし退学になっても、ウチで雇ってあげるから安心しなさいな」

「はは、ありがとうございます。その際は、是非」

「うんうん! じゃあ、今日はもう少し店閉めないでおいてあげるから、皆も二人に挨拶してちゃんとお別れするのよ?」

『ありがとうございます!』

 

 メイド長はそう言うと、店の奥の事務所へと引っ込んでいく。自分がいるとやりづらいと考えたのだろう、空気を読んで姿を消したようだった。

 するとそこからメイド達も執事達も、恋とタクミの近くに歩み寄ってそれぞれ挨拶をしてくる。勤務中のフォローに対する礼だったり、ラテアートを教えたことの礼だったり、寂しいと言ってきたり、送られる言葉は様々。

 恋もタクミも、その場にいた全員から連絡先の交換を求められたものの、スタジエール中だからということでソレを断った。だが、落ち着いたら一度二人で店に顔を出すと約束し、その時は連絡先の交換も約束したようだった。

 

 この店でかなりの信頼を得ることが出来た二人。

 顔を見合わせて、短く笑い合った。

 

「皆さん、この一週間ありがとうございました」

「料理人としてではなく、店としての広い視点を学ぶことが出来て良かったです。俺達も、皆さんのおかげで成長出来たと思います」

 

 恋とタクミも、スタッフ一同に対し頭を下げて礼を言う。

 調理技術を高めることは、遠月において最重要事項だと思っていたけれど、店を構えることになれば、此処で学んだサービスに対する意識はもっと重要なことだった。それを学び、実践で経験することはけして無駄ではない。

 

「今度は客として、また遊びにきますね」

「俺もです」

 

 そして顔を上げてそう言った二人に、メイドと執事達は顔を見合わせてクスリと笑うと、音もなく並んで一斉に礼を返す。

 初日に見た時よりもずっと揃っており、また優美に見えるその佇まいは、メイド服や執事服も相まって本物の様に魅力的だった。

 

「我々一同、お二人のご来店を心よりお待ちしております」

 

 前に出てそう言ったのは、この中で一番先輩であるメイドのうらら。

 そしてその言葉に倣い、全員が一斉に声を揃えてこう告げる。

 

『いってらっしゃいませ、旦那様!』

 

 それは、これから遠月という過酷な世界に戻っていく二人に対する、心からの激励だった。二人はそれを受けて、必ずまた顔を見せにこないといけないなと苦笑する。

 

 

 そうして、二人は温かく見送られながら最初のスタジエールを終えた。

 当然、合格という結果を勝ち取って。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、タクミとも別れた翌々日。

 最初のスタジエールを乗り越えた生徒達は、次のスタジエール先へとそれぞれ向かう。

 恋もまた、次のスタジエール先への書類を受け取っており、その店へと向かっていた。今回は単独スタジエールのようで、相方と合流することなく単身で現地集合が指示されている。前回は従者喫茶だっただけに、恋は次こそレストランなのだろうと予想していた。

 極星寮の面々も、えりな、緋沙子においても、第一のスタジエールを突破したようで、スマホに入った連絡を見て、恋は気合いを入れ直す。

 

 そうしてやってきた店は綺麗な店構えで、どうやら新店らしかった。昼間だがまだ営業はしていないらしく、所々準備中の雰囲気を醸し出している。

 店の入り口に近づいていくと、中からふと聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「―――おいおい、こっちは開店準備で忙しいんだぞ。学生の相手なんか……ったく、堂島さん根に持ってんのかよ……分かった、だが少なくとも秋の選抜で決勝に進んだくらいの奴にしてくれよ。使えねぇ奴は即刻叩き出すからな」

 

 店の名前を見てみれば、そこには『SHINO,s TOKYO』と書いてある。

 どうやら恋の次なるスタジエール先は、従者喫茶から随分とふり幅の大きい場所に着地したらしい。まさかの派遣先に、恋は苦笑しながら店の扉を開けた。ベルの音が鳴り、視線が集まる中挨拶をする。

 

 

「失礼します―――遠月学園からスタジエールで来ました、黒瀬恋です。お世話になります」

 

 

 黒い髪、金色の瞳、店の外からの逆光を背にすることで醸し出される貫禄ある雰囲気に、店内で動いていたスタッフ全員が動きを止めた。

 その中で唯一、店の外にも声を聴こえさせていた男が不敵に笑みを浮かべて近づいてくる。赤みを帯びた髪、眼鏡をしていても熱を感じさせる眼光、身に纏うその雰囲気はまさしく強者そのものだった。

 

 四宮小次郎が、そこにいた。

 

「……ハ、決勝進出者とは言ったから少し予想してはいたが……お前の方が来るとはな。選抜以来か、黒瀬」

「お久しぶりです、四宮シェフ―――優勝者の方じゃないですが、大丈夫ですか?」

「言うじゃねぇか、準決勝で審査したのは俺だぞ。決勝での話は聞いてる、葉山アキラは確かに優秀だが……万全の状態ならお前が優勝すると思うくらいには、俺はお前を買ってるぞ……怪我はもう良いんだろうな?」

「ばっちりです、期待に沿う仕事をしますよ」

 

 遠月元第一席にして、フランス料理で日本人初のプルスポール賞を獲得した超一流の料理人、四宮小次郎。

 恋がスタジエール先に指示されたのは、その彼が出した彼の店の東京支店だった。遠月としても、彼クラスの店に派遣するなら選抜決勝に進んだ生徒でなければならないと判断したのだろう。とはいえ、従者喫茶からの一線級レストランという振れ幅に驚きはあるが。

 

 恋を買っていると言う四宮に、恋はならばその期待に沿う仕事をすると言い返す。 

 自信ではなく、己が四宮の店であっても力になってみせるという覚悟だ。どちらにせよ、スタジエールである以上実績を残さなければ意味がないのだから。

 

「ではムッシュ黒瀬、最初の仕事だ」

「はい、なんでしょうか四宮シェフ」

「まずは――――大工工事と内装の仕上げだ」

「ですよねー」

 

 恋は腕まくりしながら、四宮の指示に苦笑を漏らした。

 中で働くスタッフの仕事を見ても分かるとおり、内装がまだ完成していない。東京支店をオープンするということで、まだまだ準備が整っていないのだろう。

 そうして黒瀬が作業に入ろうとすると、四宮は他のスタッフに挨拶しておけと言って、そのまま奥に工具を取りに行ってしまった。

 

 恋は指示に従い、スタッフ達の下へと歩み寄っていく。

 

「どうも初めまして、遠月のスタジエールできました。黒瀬恋です」

「あ、私はサービス責任者の高唯(カオウェイ)よ」

「私は肉料理担当料理人のリュシ・ユゴーだヨ、と言っても、私達はSHINO,s本店のスタッフで、こっちが落ち着くまでしばらく応援に来てるってワケなのサ」

「なるほど」

 

 恋の挨拶に親し気に返したのは、サービス担当責任者の高唯と肉料理担当のリュシ。どちらも女性だが、日本人ではないのか名前や喋り方から海外の色が強い二人だった。フランス料理、しかも本場で出している本店のスタッフなだけあって、日本人は四宮だけなのだろう。

 恋が会釈をすると、高唯が直ぐ傍にいたフランス人の男性を紹介してくれた。

 

「こっちの彼が、パリのSHINO,s本店で副料理長を任されていた、四宮シェフの右腕ってところね」

「……アベル・ブロンダンだ、よろしく。まぁ頑張って」

「どうも、よろしくお願いします」

 

 握手を交わすも、アベルはどうやら恋のことをあまり受け入れていないようだった。スタジエールとは、いわば研修生だ。プロの厨房で研修生が出来ることなんてたかが知れていると思っているのだろう。事実、現場の研修などまだまだ未熟者が多いのが現実だ。

 恋もその歓迎されない態度を理解しながらも、アベルの手の感触から相当腕が立つことを理解する。長年料理をしてきた者の手だと感じた。

 

 それから恋は作業に入る。

 幸い手先が人並以上に器用な恋は、大工工事においても役に立つのである。

 

「黒瀬、こっち手伝ってくれ」

「はい」

 

 時には壁面の装飾の取り付けをしたり。

 

「黒瀬、こっちも頼めるカ?」

「了解です」

 

 時には店内資材庫の整理をしたり。

 

「黒瀬、こっちもお願い」

「今行きます」

 

 時には搬入されたテーブルと椅子のセッティングもしたり。

 恋が手伝うと二倍くらいのスピードで作業が終わるので、作業が進んでいくに連れて、親しげに接してくれる高唯やリュシだけではなく、少し不服そうだったアベルや四宮ですら恋に協力を頼むようになっていた。

 正直料理人としては一流でも、DIYに関しては人並な彼らだ。恋の様に器用に動き回れる人材がいれば、こういう場において重宝するのは当然である。

 

 しかも嫌な顔せず頼みを聞いてくれる恋の物腰柔らかな態度が、この店の輪の中に自然と溶け込むことを許していた。

 

「黒瀬、こっち持ってくれ」

「はい」

 

 そうしていると、今度は四宮に頼まれ食器棚を一緒に運ぶ。

 少々重いが、肉体的にも鍛えている恋が協力すれば容易に運べるようで、さくさく運ぶことが出来ている。しかも恋は腕の位置を四宮の腕の高さに合わせて少し下げているらしく、四宮に掛かる重量を軽くする気遣いまでしていた。

 ただでさえ広い視野を持っていた恋は、従者喫茶で経験を積んだことで店全体をカバーするほどの視野の広さを獲得したのである。その成果が此処でも出ていた。

 

 ホールから厨房の方へと食器棚を運んでいく恋と四宮。スタッフの三人は感心した様子でその姿を見ていた。

 

「黒瀬の奴、とても有能じゃナイカ」

「物腰柔らかで大人びてるし、今日初めて会ったとは思えないくらいあっという間に馴染んでしまったわね」

「……四宮シェフと随分仲が良さそうだと思ったが…………納得だな」

「アハハ! あのコミュニケーション能力は、アベルにはないカラナ!」

「うるさいぞリュシ! 手を動かせ!」

 

 高唯やリュシは勿論、アベルも四宮と仲の良い恋のコミュニケーション能力を見て、諸々納得が言った様子だった。

 彼らは元々冷酷だった四宮を知っており、強化合宿で創真や恵と食戟をしたことで態度が軟化した四宮に対し、事情を知らない三人は不思議に思っていた。そこに恋という妙に四宮と親しげな遠月の生徒が現れたことも。

 

 だが恋という人間の人格、器用さ、仕事に対する姿勢、痒いところに手が届くような働きを見れば、四宮が何かに感化されたことも理解出来たのである。

 

「だが、料理人としてはどうだろうな……」

 

 揶揄いながら作業に戻るリュシを睨みながら、アベルは小さくそう呟いた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そうして諸々の準備を整えた翌日。

 プレオープンの時刻が近付いてきた時。

 恋は四宮の用意した白いコックコートを身に纏い、本日のプレオープンに出すコース料理のルセットを頭に入れていた。従者喫茶と違って調理の手間も、複雑さも段違いに跳ね上がる、まさしく一流の品々。

 だがルセットとしては、恋はこっちの方が馴染み深い。城一郎の下でもサポートとして実質スタジエールをこなしてきた経験もあるのだ―――ルセットを見て、少しイメージを整えれば問題はなかった。

 

 ルセットを確認した恋に四宮が近付いてくる。

 

「黒瀬、今日は俺の東京支店のプレオープン初日だ。このプレオープンに俺の東京進出の成功が懸かってる……一瞬たりとも抜かるなよ?」

「勿論、任せてください」

「フ、期待してるぞ。お前がどんな仕事をするのか、見させてもらう」

 

 恋の腕を知り、その料理を食したからこそ、四宮には恋に対する信用があった。幅広い料理知識。基礎を追求した桁外れの調理技術。そしてなにより合宿で四宮のルセットで恋が作った料理を食した時に理解した、一切のミスが無い超効率的かつ無駄の一切を許さぬ調理スタイル。

 葉山の嗅覚や創真の飽くなき向上心、黒木場の厨房での執念、薙切アリスの科学技術を駆使した最先端料理――その一切を見て尚、四宮には恋の桁外れの調理技術こそ魅力的に見えたのである。

 

「じゃあ、用意しておけ」

「はい」

 

 そう言って四宮が厨房を出ていく。最初の客の出迎えの為にスタンバイしたのだろう。

 プレオープンとはそもそも、本格的にオープンする前に出資者や知り合いを呼んで、本営業同様に料理を振舞う、スタッフの連携などの調整を兼ねた仮営業期間だ。数日掛けて行われるこのプレオープンは、客の反応を見ながら日が変わるごとに出すメニューも変化し、最終日にはスタッフの考えた料理でコンペも行われる。

 

 この店では日ごとに三種のコースを用意し、コースによってメイン料理も変化、口直しの品も増えたりする。作る品は決まっているが、フレンチの作業量の多さを考えれば、客の反応に沿って臨機応変な対応が求められるのだ。

 

「黒瀬、今日は私のサポートに入ってもらうナ。慣れてきたら、アベルのサポートも兼任してもらうカラ」

「了解です」

「伝えておいた下準備は済んでるナ?」

「はい、皮むき、オマールエビのブイヨン作り、蛸と大根は半日丸煮済みです」

「よろしい!」

 

 恋はそろそろ客が来ると思い、早々に位置に付く。

 やることのイメージも正確に構築し、まずは何をすべきかを把握した。そして順次位置に付くアベル、リュシの様子を観察しながら、彼らの動きもまた視野に入れていく。恋の中で集中力が上昇していき、段々と心が静けさを保ち始めるのを感じていた。

 

 城一郎の所でサポートに入っていた時のことを思い出す。

 あの時はスタッフこそいたものの、実質たった二人で店にやってくる客に料理を振舞うこともあった。どんなに忙しい現場でも、最善最良を尽くす動きを心掛けてきた恋。

 例え四宮小次郎の店であっても、やるべきことは変わらない。

 

 まして、黒瀬恋という料理人がサポートに入ることの意味を、四宮達はまだ知らない。

 

「最初の客が来た―――準備は良いな?」

 

 四宮が厨房へと入ってくる。

 瞬間、アベル達の放つ雰囲気から一気に空気が張り詰めた。凄まじい緊張感の中、集中力と料理人としてのプライドが空間を埋め尽くす。

 oui(ウィ)chef(シェフ)、と返事を返すアベル達は、即座に調理に入ろうとした。

 

 だが、一瞬。たった一瞬だけ、背後がぶわっと風が吹く様な圧力に手が止まる。

 

「っ……!」

 

 四宮自身も、驚きに目を見開いたくらいだ。

 だがすぐに調理に入り、プレオープン初日の料理を作り始める。集中力は切れておらず、段取り良く順次作業を進めていくアベル達。客は次々に来店し、その注文状況も刻一刻と変化していく。高唯の中継で店内の情報を知り、それに合わせて出す料理も変化させなければならない。

 だからこそ、一瞬たりとも気を抜いてはいけないのだ。

 

 なのに、にも拘らずだ。

 

「(黒瀬……こいつ、サポート能力が桁外れだ……!?)」

 

 アベルは恋のサポート能力に動揺を禁じ得なかった。

 確かにルセットは事前に公開し、恋も頭に入れてきたのだろう。だが、このルセット達は全て本店でアベル達が何度も作ってきた料理だ。彼ら以上にこのルセットを知っている者はいないし、彼ら以上に作り慣れた者もいない。

 

 けれど恋のサポートがあるだけで、自分の料理の質がグンと上がるのを理解した。無駄の一切が片っ端から潰されていくのを感じさせられる。

 やっていることは普段と何も変わらない――なのに料理の質が普段とは比べ物にならない程上昇していく。

 

 原因は明確―――黒瀬恋のサポートがあるか、ないかだ。

 

「黒瀬―――」

白身魚の出汁(フュメ・ド・ポワソン)、終わってます。あと、こちら手長海老(ラングスティーヌ)です」

「! メルスィ!」

 

 指示を出さずとも、全てが欲しいタイミングで完了している。

 リュシのサポートに入っていた故に、最初こそリュシは恋に指示を出そうとしていたものの、次第にその指示すら無くなっていく。厨房に響くのは、四宮の指示と静かな調理の音だけ。

 

 リュシは次第に恋の事を気にしなくなっていく。恋に指示を与える必要がないと理解し、己の料理に没頭し出したのだ。恋のことを気に掛けなければならないと頭の隅では分かっているのに、恋のサポートを一番受ける身であった彼女は、無自覚に恋を調理思考の中から外し始めたのだ。

 

「(リュシの調理効率が今までにないくらい上がってやがる……黒瀬のサポート能力を甘く見ていたな……)」

 

 だが四宮は状況を見て、このままでは恋のサポートを受けたリュシの作業効率が上がったことで、料理の完成順とサーブのタイムラグが発生する危険性を感じていた。リュシの料理の質が上がっている以上、コースの質にムラが出るのも避けたいと考える。

 

 しかし、そんな四宮の危惧も――恋は理解していた。

 

「―――」

「! ……黒瀬、アベルのサポートも入れ。出来るな?」

「!?」

 

 恋を見た瞬間、四宮に恋はアイコンタクトを送ってきたのだ。

 このままでいいのか、と。

 四宮は恋に余裕があることを理解した。その上で、ならばコース料理と調理効率のアベレージを整えつつ引きあげる手に出る。それは、恋にアベルとリュシのサポートを初日からやらせることだった。

 

 驚きの目で四宮を見るアベルだったが、四宮の言葉に恋は短く返事を返す。

 

oui(ウィ)chef(シェフ)

 

 ただ簡潔に、了解と。

 

 

 




秋の選抜の結果が変わったので、本作では準決勝敗退となった創真君は別の場所へ行ってもらいました。
城一郎さんを唸らせた恋のサポート能力が光ります。
感想お待ちしております✨



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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五十二話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 ―――どうなってるんだ!? コイツは!!

 

 四宮の指示でアベル、リュシ両名のサポートを兼任し始めた黒瀬恋の動きに、アベルは困惑を隠せずにいた。

 客の食事ペースはそれぞれ違う。早く食べ終わる者もいれば、話に夢中で食事のペースはゆっくりな者もいる。だからこそ作る料理の順番はその都度変わるし、臨機応変な動きが求められるのが普通だった。

 

 東京支店のプレオープン初日。

 誰よりも、それこそ店の看板である四宮以上に気合いを入れてきた。コンディションも最高で、張り詰めた緊張の中でもテンションだけは高く保っていた。今までで最高の料理が作れると思うほどに調子が良かったのだ。

 なのに、黒瀬恋のサポートを受けると此処まで違うのかと思い知らされる。

 

 完璧なタイミングで欲しいものが欲しい動線に置かれている。アベルとリュシでは調理工程も速度もリズムもバラバラなのに、それを同時に把握してサポートをしきっているのだ。

 それは同時に、客の状況を誰よりも早く把握していることに他ならない。

 高唯の中継報告を受けて、出した料理が完食されるまでの時間を把握して、どのテーブルがどんなペースで食べるのかを把握し切っている。故に彼の中では行動の優先順位が明確になっているのだ。

 

「二番テーブル、ペース早いです。肉料理すぐ出せますか!」

「下処理終わってます」

「リュシ、五番テーブルの料理は?」

「あとは仕上げだけデス」

「黒瀬に任せて三番テーブルに取り掛かれ」

oui(ウィ)chef(シェフ)

 

 高唯からくる緊急の要求にも、まるで想定していたかのように最大限の仕事を終えている。遂には調理工程の一部を任されるまでその手を伸ばしてきている。

 スムーズに流れる仕事の流れ、突然の要求が来ようと動揺することなく対応できる確信が厨房にあった。

 

「(こんなに、余裕が生まれるものなのか……!?)」

 

 料理を作っているのは四宮達、本店料理人達だ。

 けれどこの流れを作っているのはスタジエールである黒瀬恋のサポート。厨房の仕事から無駄が消えていき、全員の集中状態がどんどん料理だけに向けられるようになる。

 

 結果、東京支店プレオープン初日にして、本店で出している料理以上のクオリティがコースで並んでいた。

 

 やりやすく、作業に停滞がない。無駄な工程が省かれ、次の工程に移るための準備が全て終わっていることが、こんなにも楽だとは思わなかった。

 

「(黒瀬……こんなのが学生の領域だと!? 冗談じゃないぞ……!!)」

 

 アベルは黒瀬のサポートを受けて作業に余裕が生まれたからか、恋に対する動揺が集中を乱し始める。

 尊敬する四宮小次郎という料理人から、東京支店の料理長を任されたことを誇りと思っていた故に、本営業前にスタジエールにこのまま良い恰好をさせて堪るかと思ってしまったのだ。

 

 故に、余裕があるといっても気の緩みは許されない現場では致命的な雑念を抱いてしまった。

 

 ―――ガシャ……

 

「(しまっ―――!!)」

 

 雑念からアベルの手元が狂い、調味料のビンが調理台の上から落ちた。

 床に落ちればビンは割れて、足元に散らばるだろう。そうなれば清掃に手間が掛かり、余計な時間を食ってしまうのは明白―――本店であればスタッフにも数がいるし、研修スタッフ(スタジエ)が邪魔にならないよう清掃に入ればまだ何とかなった。

 だが今この東京支店では三人の料理人と、黒瀬というスタジエールだけ。

 

 このプレオープンにこの店の前途が懸かっている今、このミスは致命的過ぎる

 

 ゾワッと心臓が収縮するような感情が身体を走り、落ちていくビンがスローモーションに見えるほどにアベルは血の気の引く思いだった。

 

「―――タマネギ(Échalote)シズレ(ciseler)、終わりました。チェックを」

 

 だが、その落ちていくビンを空中でキャッチした手があった。

 同時に視界に入ってくる皿の上に、これから作らねばならない料理の下処理済み食材が乗っている。

 

「っ……あ、ああ、大丈夫だ。そのまま進めてくれ」

「oui」

 

 黒瀬恋の手だった。

 動揺で心臓が大きく脈打つのを感じながら、彼の持ってきた下処理のチェックをし、そのまま次の工程へ進むことを指示する。恋は返事を返してすぐに次の行動に移っていき、気づけば調味料のビンはまるで落ちたことなどなかったかのように、調理台の上に戻っていた。

 

 助けられた、そう理解するのに一秒掛かった。

 

「くっ……!」

 

 反省し、今はこの店の為に何が出来るのかを考えるべきだろうがと自分を叱責。再度調理に意識を集中させ、今はより良い料理を作ることだけを考えていく。

 恋のサポートのおかげで対応に余裕があったことが幸いした。アベルの動揺による影響はほとんどなく、スムーズな流れは途切れない。

 

「四番テーブル、到着遅れるそうです」

「一番テーブル魚料理を先にやります」

 

 突発的な要求を持ってくる高唯の表情にも、焦りの色が一切浮かばなくなっている。

 報告を受けた恋が即座に流れをスイッチするからだ。四宮もリュシもアベルも、恋の選択に合わせて行動を変化させていく……それが一番最適解であることを、恋の行動から理解出来るからだ。

 

 SHINO,s本店で働く一流料理人だからこそ、恋の行動の意味をすぐに理解し、次の行動を変化させることに何の躊躇いもない。疑問すら抱けないほど、それが最適の流れだと確信出来た。

 

「!」

ありがとう(Merci)

 

 リュシは既に恋に口で指示を出すことすらしなくなった。

 目で訴えれば、恋は即座に応えてくれると確信しているからだ。調理工程の中で恋にアイコンタクトを送れば、欲しい場所に欲しいものが出てくる。調理が一切止まらないことが、リュシの調子が良くなっていることを証明していた。

 

「黒瀬、七番テーブルの前菜の下処理は済んでるな? そのまま完成まで作れ」

「oui,chef」

 

 四宮の調子も良いことは、長年付き添ってきたアベルなら直ぐに分かる。

 今までにない厨房の空気感。四宮が気に掛けなければならない情報が激減したことで、四宮自身も最低限の指示を出すだけで、あとは料理に集中出来ているからだ。

 プレオープン初日も終盤になった頃には、肉、魚料理とまではいかないが、前菜やデザート、スープ料理であれば、手が回らない時に恋に任せることも普通になっていた。

 

 恋もまたその指示に対して即座に行動に移り、ルセットを完璧に仕上げて見せる。

 しかもその調理工程の中でも最低限のサポートを同時並行で行ってみせた。

 

「(とんでもない並列処理能力(マルチタスク)……一体どれほどの努力を……!)」

 

 アベルは既に恋を学生、スタジエールだなんて思っていなかった。

 自分達と肩を並べることの出来る料理人であると、そう認めていた。

 

 そしてプレオープン初日は、そのまま一切の不安もトラブルもなく、大成功を収める。

 

 最早この厨房で黒瀬恋を認めない者など、いなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はぁ……はぁ……ふぅー……お疲れ様でした」

 

 初日の営業が終わり、スタッフが厨房に集まった時点で、恋は消耗激しく息を乱していた。当然だろう、サポートをこなしながら終盤は一部の料理を担当していたのだから。

 その場にいたスタッフは勿論、四宮達料理人の中にも、汗を滲ませながら息づく恋に、文句を言う者はいなかった。

 

 四宮に向かい合うように、アベル達料理人が立ち、横にホールスタッフが控える形になる。恋もアベル達同様四宮の前に立っていた。

 

「プレオープン初日はこれ以上ない手応えだった。特にこれといったトラブルもなく、客からの評判も最高評価が多い。この調子で、明日以降もプレオープン最終日まで頼む」

『oui! chef‼』

 

 四宮の言葉に、スタッフ全員が一斉に返事を返す。

 その後ホールスタッフが退出していき、残ったのは四宮達料理人と、ホール責任者である高唯だけになった。意図的にこのメンバーを残したのだ。

 アベルやリュシは四宮の意図を理解しているらしく、?を浮かべながら汗を拭う恋を放置して重い表情をしている。高唯もその心情を察しているのか、大成功に終わったというのに表情は重かった。

 

 四宮が口を開く。

 

「……分かってると思うが、今日の成功は黒瀬がいたからこそ出来たことだ。アベル、リュシ……この事実をどう思ってる?」

 

 四宮を含め全員が理解しているのだ。

 この大成功の要因は恋のサポートがあったからで、恋は本来この店のスタッフではない。スタジエールで来ているだけであって、本営業時には彼のサポートは存在しないのだ。

 

 にも拘らず、プレオープンで普段以上の味を作り上げてしまった。

 本営業時に今日の客が来たとして、味が落ちたと言われてしまえばこの店の未来はどうなるだろうか? 四宮の東京進出は失敗に終わるだろう。

 

「正直……甘く考えていました。この一日で、黒瀬はこの店に不可欠な存在になってしまった……情けなく思います」

「私もダヨ、今日は普段以上のパフォーマンスが出来たと思う。けど、それは黒瀬がいなくちゃ出来ないことだと、そう思われたくはないナ」

 

 アベルもリュシも、己が作った今日の料理を、恋がいなくても作れなければならない。それはつまり、恋が今日埋めてくれた無駄に気付かなければならないということだ。

 四宮もまた、それらの言葉に頷きを返す。

 

「その通りだ。それにアベル、今日は黒瀬に救われたな? 中盤、お前の意識は散漫になっていたな……そこから立て直したから良しとしただけだが、本来なら叩き出していたところだ」

「……oui,chef……申し訳ありません」

「……だが、裏を返せば俺達が出せる料理はまだ成長出来るということだ。全員頭にしっかり刻み込んどけ。黒瀬はあくまでスタジエールだ! 最終日まで黒瀬におんぶにだっこな状態を続けるようなら、お前らにSHINO,sの厨房に立つ資格はねぇ!」

「「「oui! chef!!!」」」

 

 四宮の言いたいことは明快だった。

 黒瀬恋のサポートがなくとも、今日の味を出せるようになれということ。最終日までに成長しろということだ。

 あまりにも黒瀬のサポート能力が高かったことで、四宮達は自分達のポテンシャルを最大限発揮する経験を得た。ならば次はそこをデフォルトで叩き出せるようになるように、成長することが必須事項。

 

 東京支店の成功とは、今後も継続的に高い評価を得続けることでしか得られないのだから。

 

「そして黒瀬……今日は良くやってくれた。だが初日でその消耗、最終日までもつと良いな? 今後も継続して今日のサポートが出来ないなら、店の人材としてはまだまだだ。料理人として、店を営業し切るスタミナを身に付けろ」

「はぁ……はぁ……すぅ……はい、明日以降もよろしくお願いします」

「よし、じゃあ店を閉めるぞ。明日以降も抜かるな」

『oui,chef!!』

 

 四宮の締めの言葉で、全員が再度気を引き締める。

 そして先に四宮が厨房から出ていくと、厨房にあった緊張感がふっと緩んだ。

 

 恋がは、と息を吐くと、突然ガシッと肩に腕が回される。

 

「!」

「すっっっごいじゃないカ! 黒瀬ぇ! 今日は大活躍だったナ!!」

「ええ、ホールも料理が安定して出てくるからバタつかずに済んだし、本当にやりやすかったわ」

「リュシさん、高唯さん」

 

 腕の先を見ると、そこにはキラキラした瞳で笑うリュシと、微笑みを浮かべた高唯さんがいた。先程までの重い表情とは一転したテンションの高さに、恋は呆気に取られる。

 良くも悪くも、引きずらないということなのだろうか。反省は反省として、切り替えることが出来る彼女達を、恋は素直に尊敬した。こういう時に、やはり自分よりも幾年経験を積んだ大人なのだと再認識させられる。

 

 外国人故にかなりフレンドリーにスキンシップを取ってくるリュシさんだったが、恋はそういう人種にも慣れているので悪い気はしていない。褒められたことに素直に笑みを返した。

 

「ああ言っていたケド、四宮シェフがあんなに人を褒めることはないんダゾ! 本当に凄い料理人ダヨ! そうだよね、アベル!」

「……ああ」

 

 リュシが興奮したようにアベルに話を振ると、アベルもまた恋を見て小さく頷いた。彼の方は反省を引きずっているのか、未だに少しやるせなそうな表情を浮かべている。

 

「黒瀬、今日は助かった……ありがとう。明日からもよろしく頼む」

「……はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 だが、それはそれとして恋に礼を言うアベル。

 認めているのだ、ただのスタジエールではないと。再度交わされる握手は、昨日の初対面の時とは違って力強く、互いに互いへのリスペクトがあることを伝えあう。

 

 ふ、と笑うアベルに、黒瀬もニッと笑みを返した。

 

 料理人として、厨房に立てば対等―――恋が遠月学園に入る前からずっと掲げていたその信念。

 恋はそれをこの現場でも、実力で証明したのだった。

 

 




次回は皆さんが気になっている創真君がどこに行ったのかのお話。
感想お待ちしております✨



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五十三話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 恋が従者喫茶で働いていた終盤の時期、一通の電話がある人物の下へと届いた。

 その電話は本当に突然で、電話を掛けた側も、掛けられた側も、久々の会話だったように思う。

 かつての学生時代を共にした同期の戦友同士であったこの二人。

 だが電話を掛けてきた方が連絡をしないでいたことから、一切交流が途絶えていたのだ。掛けられた方は何処かでのたれ死んでいるのではないかと心配すらしていた。

 

 そんな状況での一本の電話。

 

 驚愕に声を上げてしまったのは仕方のないことだろう。

 

「!? 城一郎! 城一郎か!?」

『おー、銀、久しぶりだなぁ。今ちょっと話良いか?』

「久しぶりで済ませるか! 卒業してからフラフラとどこぞへ消えて、連絡も滅多に寄越さないから俺は何処ぞでのたれ死んでるんじゃないかと……!」

『悪い悪い、今電話したからいいじゃねぇかよ』

「全くお前という奴は……! で、何の用だ突然」

『いやー俺の息子、創真のことは知ってるだろ? 今遠月なんだけどよ、そろそろスタジエールの時期だよな?』

「む、ああ……確かにそうだ。既に最初のスタジエールも終盤の時期だろうな」

 

 元十傑第一席堂島銀と、その同期、元十傑第二席才波城一郎の電話である。

 城一郎の切り出した話題に何故この話題を、と思う堂島だったが、ともかく話を聞くことを優先したらしい。話題に出たのは幸平創真、城一郎の息子のことで、更には現状遠月リゾートの料理長としてもその運営に関わっているスタジエールのことだった。

 幸平創真といえば、堂島としても随分と印象深い生徒である。

 強化合宿で初めて出会った創真は、どこか城一郎の面影を残しており、元第一席であった四宮にも食らいついた。溢れる向上心と闘争心に満ちた少年、というのが第一印象だったように思う。

 そして秋の選抜で二度目の邂逅。

 彼は準決勝で敗退したものの、平凡な才能でありながら努力と経験で突き進んでいく開拓者たる姿は、まさしく一つの玉の資質。堂島としても、彼という原石が料理人としてどんな未来を開拓していくのか、楽しみに思っている。

 

『そのスタジエールでさ、創真の奴をお前のトコにやってくれねぇかな?』

「な……それは、出来なくはないが……どういうつもりだ? 息子とはいえ、お前がコネを使う様な真似をするなど、珍しい」

 

 城一郎の話は、堂島の所に息子である創真をスタジエールとして派遣させて欲しいということだった。

 確かにこの遠月リゾートは強化合宿でも贅沢な設備を展開したように、かなり大きく高級なホテルだ。遠月学園とも同系列ということで関わりも深い場所であり、多くの美食家が利用する場所でもある。

 元第一席である堂島自身が料理長をやっていることもあり、用意される料理の数々も並ではない。

 

 だが、それでもホテルだ。

 店で料理を出すのとは訳が違うし、その一人当たりの作業量も比ではない。タイムテーブルはきっちり決められているし、客によって食事の時間も全く異なる。料理のレシピも、フレンチや中華など、固定されたジャンルがあるわけでもない以上、その数は多岐に渡る。

 

 しかもそれだけ巨大な施設であれば、たった一人の学生がスタジエールで実績を残すのは不可能だ。

 

「何かあったのか?」

『んー……黒瀬恋のことは、知ってるよな?』

「! ああ……選抜決勝は俺も審査していたからな」

『まぁ怪我を押しての一戦だったみたいだが……どう思った?』

「…………嘘偽りなく評価するのなら、怪物だな。味覚障害を抱えていながら、その調理技術だけならかつての俺やお前以上だ。今の遠月学園で考えれば、技術力は全学年トップクラスだろうな……自身では美食など感じられないというのに、この境地にいるのは正気の沙汰ではない。彼はその身に凄まじい覚悟と精神力を秘めている」

 

 そこで話題に出たのは、黒瀬恋のことだった。

 城一郎も堂島も、それぞれ何処かで彼と関わりを持っている。堂島は選抜や合宿で、城一郎は二ヵ月の夏休み期間を共に仕事をして、黒瀬恋という料理人を見てきた。

 

 その中で城一郎は、彼に対して思う所があったのだろう。

 堂島の評価に対しても、その通りだな、と相槌を打ちながら、少しトーンを落として言葉を続けた。

 

『あいつは凄ぇよ……あの年齢で、もう自分の料理の本質を理解してやがる――いや、自分の料理の本質に気付いたから、料理人になったというべきか……ともかく、あいつは既に自分が行き着くべき境地を理解して、今も尚成長している……俺が思うに、ああいう手合いは才能の有無に関わらず、無我夢中にまっすぐに伸びていくタイプだ』

「ああ……確かにそうだな」

『創真と同年代であんな料理人がいることは、きっと何かの縁だ。これから先、創真はきっと、長い時間黒瀬の背中を追い続けることになるだろう……それはきっと苦難の日々だ。まぁ創真ならへこたれねぇんだろうが……一度折れちまった(・・・・・・・)俺としては、少しの親心も抱くってもんだ』

 

 城一郎の言葉で、堂島はその意図を理解した。

 料理人として、あまりにも大きな才能を持っていた才波城一郎。彼は勝ち続け、誰もが知らない未知の荒野を開拓してきた。学生時代、食戟をすればどんな料理を魅せてくれるのかと誰もが期待したし、その期待にいつだって応えてきたのだ。

 しかし、その期待は時にプレッシャーとなって彼を襲った。

 戦う舞台が大きくなればなるほど、彼の心に重圧となって生みの苦しみを与え続けたのである。未知の荒野を開拓すること、誰もが期待する美食の新たな世界、それを生み出し続けなければならないというプレッシャーに、彼は一度折れてしまったのだ。

 

 だからこそ、自分と同じ様に料理をする創真を心配にも思うのは当然。ましてや黒瀬恋という格上の料理人が同世代にいる以上、創真を襲う苦悩は城一郎の比ではないだろう。

 

「……息子を成長させる機会が欲しい訳だな?」

『ま、簡単に言えばそういうことだ。無理なら無理で構わねぇよ。こう言ったが、俺は創真がこれからぶち当たる壁に関しちゃ何の心配もしてねぇ……ただ、今の遠月で生き抜くにゃ、俺はアイツに教えなさすぎた……何の知識も与えねぇまま放り込んじまったからな。そろそろ、アイツも本来備えてなきゃいけねぇ知識や技術を得る機会があっても良いんじゃねぇかって思ったんだよ』

「……フ、修羅と呼ばれたお前が、随分と丸くなったものだな」

『案外、今の方が気楽で好きだけどな』

「ああ、俺もそう思う……良いだろう、幸平創真をウチで鍛えてやる。あくまでスタジエールだからな、実績に変わる条件は俺の方で用意しておく。ホテルではチームで実績を出すもの、どんなに頑張ったところで個人の成果には繋がらないからな」

『助かる、ありがとうな。それじゃ、また連絡するわ』

「ああ、偶には顔を出せよ」

 

 電話が切れる。

 堂島は数秒スマホを眺め、ふと笑みを浮かべながらポケットにしまった。久々の電話で何を言うかと思えば、息子に対する愛の籠った頼み事だとは思わなかった堂島。戦友の変化に幾許かの喜びを感じながら、気分が良いことを自覚する。

 

 そして今度は遠月リゾートの固定電話から、遠月学園へと連絡を取り始めた。

 戦友との約束だ、早々に手続きを終えなければならないと思ったのだろう。次のスタジエールで創真に何をさせるべきかも考えつつ、遠月リゾート料理長として。堂島銀は意気揚々と動きだした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、恋が四宮の店へと到着した日。

 幸平創真は遠月リゾートへと迎え入れられた。

 強化合宿以来の遠月リゾートに到着した時、出迎えたのはなんと料理長である堂島銀。かつての合宿の時とは違い、今日は料理長として強い覇気を纏って創真を出迎えた。スタジエールとはいえ、これから短期間共に働く身として、学生という身分を捨てさせるためだろう。

 

 対面して、創真は瞬時にその意図を分からされたくらいだ。

 

「ようこそ幸平―――遠月リゾートへ」

「っ……どうも、お久しぶりっす堂島先輩!」

「此処に来たからにはスタジエールという能書きも、学生という肩書きも捨てて貰う。一人の料理人として、この遠月リゾートに貢献しろ。役に立てなければ、それまでだ」

「……うすっ!」

「良い返事だ……では、仕事場へ案内しよう。まずは何をするのか、説明する」

 

 堂島の圧に、創真は息を飲みながらも強気に返す。

 どんなに厳しい課題であろうと、乗り越えなければ必殺料理(スペシャリテ)に辿り着くことも、黒瀬恋や葉山アキラに勝つことも、出来はしないのだ。

 

 やるしかないのなら、やるだけである。

 

 すると、創真の意気込みに頷きを返した堂島は、笑みを浮かべて創真を案内し始めた。

 並んで歩く二人。

 重い空気は最初だけで、挨拶が終われば堂島も創真も気さくに話を出来る空気になっていた。

 

「以前お前達が使った様に、この遠月リゾートには厨房が複数存在する。それは遠月リゾートに十数種類複数の宿泊施設が点在しているからで、宿泊施設も旅館形式だったりホテル形式だったり様々だ。以前お前達が朝食の課題で審査員であった宿泊客のことは覚えているか?」

「はい、なんか金持ちっぽい人もいれば、普通の家族連れとかもいて、客層は幅広いなとは思いましたけど」

「その通り。遠月リゾートは数十種類の宿泊施設を持つが、その全てが別に高級宿泊施設なわけではない。当然、一般に手が届きやすい宿泊施設だって存在している」

「宿泊施設によってランクが違うってことすか?」

「そうだ。そしてそのランク毎に、それに見合った厨房、料理人が数多く存在するのがこの遠月リゾートのシステムだ」

 

 遠月リゾート。

 富士山と芦ノ湖を望むリゾート地において、十数軒の高級ホテルや旅館を経営する遠月ブランドの観光部門施設。

 その内情を知った創真は、堂島がそこで自身に何をさせるつもりなのかを薄々気付き始める。

 

 宿泊施設ごとにランクが違い、厨房設備や出される料理に関してもランクに沿ったものが出る。ならばそこで料理を作る料理人のランクも、勤務する施設のランクと同程度ということになるのだ。料理長ということは、堂島は遠月リゾートの中でも最高級施設で料理を監督する立場にあるのだろう。

 

 ならば幸平創真は? この遠月リゾートにおいて何処に位置する料理人なのか。

 

「遠月リゾートに存在する施設のランクは大きく分けて四つだ」

「四つすか」

「一般客が通常宿泊する施設、いわばレベル1。次に一般客でも手は出せるが、少々ランクが上がるレベル2。その上が富裕層や美食家が通常利用するレベル3。そして、その中でも政界や料理界においてもトップクラスの重役が利用する正真正銘高級施設がレベル4」

 

 遠月リゾートに存在する十数種類もの宿泊施設の中に存在するランクをレベル表現で説明する堂島。創真はその説明を受けて、つまりはレベル4で働く料理人は正真正銘一流の料理人ばかりだということを理解する。

 そして紛れもなく、目の前にいる堂島がそのトップに立つ料理人なのだ。

 

「幸平には伝わっていないが、この遠月リゾートに限っては、スタジエールでの実績を残すという課題は一先ず忘れて貰っていい」

「え、と……どういうことすか?」

「スタジエール期間である今日から一週間、お前にはレベル1の厨房から働いてもらう。そして一日毎に各レベルの料理長からお前の働きに対する評価を受け、次のレベルに進めるかどうかを俺が審査する……意味は分かるな?」

「……レベルを上げられるかは、俺の腕次第ってことすか」

「その通り! そして覚えておけ――――最終日までにレベル4に上がれなければ、スタジエール不合格としてお前は遠月を去ることになる!」

 

 堂島の言葉に、創真は背筋が凍るような衝撃を受ける。

 レベル4―――つまりは一流の料理人達が働く厨房に入る実力を証明しなければ、創真は退学になるということだ。

 

 これが、城一郎から話を受けて堂島が考えた創真への難題。

 

 遠月リゾート総料理長として、堂島銀は手を抜かない。戦友の息子だからといって、贔屓してやるつもりもない。成長出来なければそこまで。この遠月リゾートは今まで綿々と紡がれてきた遠月というブランドを背負っているのだ。

 学生だから、スタジエールだから、そんな言い訳は許されないのだ。

 

「さぁ着いたぞ幸平……まずは此処がお前が最初に働く場所だ」

「……!」

 

 辿り着いたその場所は、旅館形式の宿泊施設である。

 裏口に回り、厨房に入る扉の前で堂島はドアノブに手を掛けながら創真の目を見た。

 

「死に物狂いで成長しろ、幸平創真。期待しているぞ」

 

 そして、激励と共にその扉を開く。

 

「―――ウスッ!!」

 

 創真は堂島銀という超一流の料理人からの激励に、気合いを以って返事を返した。

 

 

 




創真君、堂島銀の下へとスタジエールです。
遠月リゾートの仕組みに関しては、独自設定となります。
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五十四話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 四宮の所でスタジエールを進める恋。

 二日目のプレオープンでは大活躍で終えた彼は、三日、四日目とその類稀なサポート能力を十全に駆使してこの東京支店の評価を底上げし続けた。

 

 それに、サポートとはいえ、野菜料理(レギュム)の魔術師と呼ばれるほどの料理人の下で料理をする以上、恋も学ぶことは多い。

 無駄のあるなしは別として、経験によって培われた技術は恋の目に宝の様に輝いている。食材の下拵えなどのサポート、時に料理を仕上げること、下げられた皿から客の食事ペースの把握、厨房内を見渡す視野、これだけでも初日は消耗したというのに、恋は三日目から調理技術の学習も同時並行で行っていた。

 

 当然消耗は激しく、閉店時には立つことすら難しくなっていたほどだ。だがそれでも恋のフランス料理に対する技術が、そして理解度が深まっていくにつれて、サポートの質も更に向上していく。

 それはサポートされていた四宮達が一番感じていたことだろう。

 なにせ恋のサポートが日に日にブラッシュアップされ、フランス料理だけではなく、それぞれに対する理解や親密度が深まっていけばいくほどより適したサポートに変わっていくのだから。

 

「くっ……!!」

「………っ!!」

 

 アベルもリュシも、それを感じるにつれて表情も本気度を増していく。調理に対する力の注ぎ方も、集中力も、気迫も、初日のソレとは段違いだ。

 最早厨房は戦場だ―――黒瀬恋というスタジエールに飲まれないために、厨房にいる全料理人が包丁の一振りに、火入れのタイミングに、空気を肌で感じるのに、全力だった。

 

 当然、四宮もその光景に料理長としてではなく、料理人としての熱が高まっていくのを感じている。

 

 恋によって無駄が消される――つまりは恋が消していく無駄を理解することで、己の料理は更に成長していくことに繋がるのだ。リュシも、アベルも、四宮ですらも、サポートだからこそ見えている恋の視野を理解し、そして自分の技術の向上へと繋げていく。

 此処にいるのは一流の料理人のみ。

 ならば、それくらい出来ない筈がなかった。

 

「二番テーブルの肉料理、あと二十秒であがるヨ」

「アベル、三番、六番テーブルの前菜が出た。六番テーブルから次の料理に取り掛かれ、黒瀬、手は空いているか?」

「いけます」

「よし、五番テーブルのメインがそろそろ下がる頃だ。デザートを作れ、下準備は終わってるな?」

「勿論」

 

 調理効率が上がれば、今まで以上に目まぐるしく厨房の状況が変化していく。

 その分四宮の指示も頻繁に飛び交う様になり、各々の状況判断も最善が問われるようになる。各々の調理効率が上がったとして、それらを連携としてまとめ上げるのは更に難しくなるのだ。

 最早プレオープンだとしても、本店以上の気迫で挑まなければ即座に置いて行かれる。

 

「(少しでも気を抜けば、サポートの黒瀬に全てを持っていかれる!! 俺の作る料理が黒瀬が作ったようなものにされてたまるか!!)」

「(熱くなってきたヨ……! もっと、もっと!! 私の全部一皿一皿に捧げなきゃナ!!!)」

 

 アベルもリュシも、必死の表情だ。

 恋のサポートが上がれば上がるほど、自分がやるべきことが最低限の料理になっていく。それは突き詰めていけば、黒瀬恋という料理人に全て誘導されて料理を作るようなものだ。それは最早自分が作ったものではなく、作らされた料理に他ならない。

 

 無論、恋がメインで作ったからといってアベルやリュシに勝る料理を出せるかと言われれば、答えは分からないだ。あくまで一流の料理人である二人だからこそ、高いサポート能力にせっつかれる気持ちを感覚で理解している。

 これが料理を齧った程度の人間であれば、誘導されていると気付くこともなく料理を作っていた筈だ。

 

 この厨房で、高い次元での切磋琢磨が行われている。戦いという次元で、行われている。

 

「(認めるぞ、黒瀬―――お前は今の俺達に必要な料理人だった)」

 

 そして四宮もまた、恋のことを認めていた。

 停滞から抜け出すために踏み出した東京支店進出。原点を見つめ直すために、何のために料理をするのかを見つめ直すために、四宮は日本へと戻ってきた。そのタイミングで堂島が送ってきたのが黒瀬恋。

 

 味覚障害の料理人。

 

 けれど、だからこそ分かる。

 彼はブレず、ただまっすぐに己の原点を見つめ続けていた。今こうしてこの店で、超一流の料理人達を相手に猛威を振るうまでになったのも、ミス一つを許さぬ調理技術を手に入れたのも、全ては彼の原点が今も燦然と輝いているからだ。

 

 味覚障害だから、彼は調理中にミスがあっても味から気付くことが出来ない。

 だから彼は己の料理からミスというミスを消す努力をしたのだ。

 

 血の滲むような努力をして、此処に立っている。

 才に溢れ、常に高みを目指してきた四宮とは正反対。才が欠如し、常に0を1にするための努力をして地を這いずってきたのが黒瀬なのだ。

 

「(お前が此処まで来るのに、どれほどの辛酸を舐めてきたのか、苦渋の道を進んできたのか、想像も付かねぇ……だからこそ、俺はあの合宿の最後に味覚障害って事実を知った時、お前を尊敬したよ―――俺には出来ねぇことをやってのけた奴だってな)」

 

 最初から四宮が黒瀬恋を信用していたのは、自分の店で働けるだけの調理技術を持っていたことが最たる理由ではない。それだけならああまで目を掛けるような言葉は言わないからだ。

 四宮が目を掛けるような言葉を使うほどに信頼していたのは、己には不可能なことをやってのけるほど努力を積んだ人間として、恋を信頼していたからである。

 

 己の宿命から逃げなかった彼を、尊敬したからである。

 

「(だから、この俺が見せてやるよ……お前に、高みに立つ者の料理を!!)」

 

 四宮の腕に力が籠められる。

 集中力がグンと上昇し、四宮から放たれるプレッシャーが強くなった。重力が重くなったかのような圧力に、恋も含め三人が息を飲む。恋のサポートに負けないように必死に走っていた二人ですら、初めて感じた四宮の気迫。

 

 この厨房において、料理長は己だと断言するような背中からは、溢れる才能と弛まぬ努力と積み重ねた経験によって誕生した、超一流の料理人のオーラが幻視出来た。

 

「(凄い……四宮シェフの触れた野菜が、まるで活力を取り戻すように生き生きしだしている。技術ではなく―――四宮シェフ本人が持つ圧倒的センス……!!)」

 

 その姿に、恋もまた圧倒される。

 城一郎にも感じたように、四宮からも格の違いを感じた。経験や技術では決して真似出来ない、その料理人だけが持つ、その料理人だけが見えている世界。

 

 己の料理を一つの世界として、その一皿に表現する圧倒的感性が、四宮の身体には宿っている。

 

「気合いを入れろ……ラストスパートだ!」

『oui!!! chef!!!!』

 

 四宮が完成させた皿を手に、サーブ台の上へと運ぶ。

 そして振り返って、堂々とした姿で更に発破を掛けた。

 

 三人の料理人は、その厨房の頂点である料理人たる姿に、更なる熱量で返事を返した。

 

 彼らの成長は止まらない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして二件目のスタジエール四日目、幸平創真もまた、遠月リゾートで戦っていた。

 初日に放り込まれたレベル1の旅館はあくまで一般客相手の料理。創真も遠月秋の選抜準決勝へと進んだほどの料理人であり、此処を突破することはそう難しくはなかった。

 

 旅館形式ということもあって和食をメインにしていたものの、朝食、昼食、夕食とメニューは当然変化し、お膳に乗せて運ぶこともあって量は少ないものの、和食として見栄えや彩りは今まで以上に繊細にならなければならない。

 創真は恵や恋の料理を手伝ったこともあり、和食にも多少の心得があったことで、このレベル1を初日で突破することに成功したのである。

 

 二日目のレベル2は、ホテル形式だった。

 当然和食のみではなく、和洋折衷様々なメニューが待ち構えており、それぞれの料理に対して適した調理技術が求められる。食材の種類も増えていき、料理人の人数は多いものの、創真に割り振られた仕事量一つとっても、レベル1の比ではない。

 しかし創真とて元々は一つの店を持っていた身。

 レベル2の仕事量も実力を振るって突破してみせた。

 

「っ―――!!」

 

 だが、問題はレベル3からだった。

 三日目、レベル3の厨房へとやってきた創真。初日、二日目と一日おきにレベル上げることに成功した創真は、この勢いでレベル4まで行くと意気込んでいたものの、レベル3は文字通りレベルが違ったのだ。

 美食家が利用するだけあって、高級料理がずらりと並び、コースの数も一つや二つではない。レベル3は最大で五つのコースから選ぶメニューとなっており、しかも毎日コースメニューは変動するシステムになっていた。

 つまり一日経てばやることが変わるということ。コースに慣れることはなく、どんなジャンルの料理にも対応できるマルチな汎用性が高い水準で求められていた。

 

 その圧倒的作業難易度に、創真は三日目、このレベル3を突破することが出来なかった。

 そして四日目の今も、今までと同じように仕事をこなすことが出来ずにいる。

 

「(すげぇ……! 定食屋とも、初日二日目の厨房とも全く桁が違う……! 次から次に違うジャンルの料理に対応しなきゃならねぇし、そもそも大体の知識が備わっているものとしてここにいる料理人ばかりだ……! 付いていくのでやっと……!)」

 

 創真の持っている技術と、知識としての名称が食い違う。

 創真が今レベル3で付いていけているのは、選抜後に恋から色々な技術と知識を教わっていたからだ。

 選抜後の殆どの時間を全て研鑽と勉強に費やしていた創真は、選抜の時よりも多くの技術と知識を身に付けることが出来ている。だが、それを実践で活用するには至っていないし、また足りない知識もまだまだ多いのだ。

 

 それを今身に付けなければ、創真にレベル4への扉は開かれない。

 

「(黒瀬に感謝しなきゃな……! あれがなきゃ、今頃足を引っ張ってた!)」

「幸平、コースCの前菜の下処理を! コースAの食材も出しておけ」

「うすっ!!」

 

 指示が飛び、すぐに動き出す創真。

 

「(コースCの前菜は確か三種の盛り合わせだ……! まずはコースAの食材を出して、手間の掛かる食材から下処理していく!)」

 

 頭に入れておいたレシピとコースメニューの構成を思い出し、創真は的確に調理を進めていく。新しい技術、新しい知識、新しい現場、新しい経験―――その全てを吸収して創真は成長していた。

 恋から教わった知識、城一郎から学んだ技術、遠月で経験した全てのことが、今遠月リゾートという現場で一つに集約されていく。幸平創真という料理人を、大きく成長させていく。

 

 

「(黒瀬がやっていたこと、親父がやっていたこと、その意味が今なら分かる!! 料理の奥深さが、知らないことが! 嬉しくてたまんねぇ……俺はもっと、成長出来る!!)」

 

 

 ついていくのでやっとの状況でも、創真の身体には力が漲る。

 己の成長と、未知との出会いに感情が、情熱が、心の奥底から歓喜の声をあげていた。

 レベル3の料理長、ピカラ・ハントは、そんな創真の姿に笑みを浮かべて更なる壁を、課題を、次々に創真に投げていく。

 

「(スタジエール、堂島シェフから任された時はどんな生徒かと思ったが……中々どうして面白い……!)」

 

 彼は堂島から創真に対する話を聞いていた。

 堂島の戦友から息子を預かっていること、腕はあっても知識に欠けている彼に色々と叩きこんでやって欲しいということ、役に立たなければ当然叩き出して構わないということ、様々な話を。

 元々遠月リゾートは宿泊のための観光場所だ。

 料理店とは少し違うし、厨房の在り方も全く違ってくる。それでも創真は必死についてくるし、仕事の終わりに質問まで投げかけてくるほどに向上心に富んでいた。

 

 ピカラとしても、殻を破ろうともがく料理人に手を貸したくなる気持ちはよく分かる。

 堂島が後進を育てる道の一つとして、この遠月リゾートの総料理長になった意味も今なら理解できるというものだ。

 

「幸平、次はコースEの食材を出しておけ! その後はコースDの前菜、肉料理、魚料理の下処理だ! 食材が一つ尽きたから、前菜のみコースCのものと差し替え!」

「了解っす!」

 

 提示される仕事をこなし、臨機応変に対応していく。無論量が量なので創真一人でやるわけではない。下処理は下処理でチームがあるが、それでも一人一人の仕事量は多い。

 

「(さぁ、レベル3を抜け出せるか? 幸平)」

 

 行く末の気になる幸平創真という料理人に、ピカラは期待に胸を膨らませていた。

 

 

 その日は結局、創真はレベル4へ上がることは出来なかった。

 

 

 




創真君がフランス料理だけではなく、多ジャンルの料理知識を獲得し始めました。
恋君も技術や経験では到達できない領域に目を向け始めたようです。

感想お待ちしております✨



自分のオリジナル小説の書籍第②巻が発売となりました!
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五十五話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 スタジエールも六日目。

 最終日を残してとうとう研修期間も終盤に入ってきた。遠月から派遣されたそれぞれの生徒達も、各々腕を磨きながら店に何の貢献ができるのか模索し続けている。ある店では抱えている問題を解決するために、ある店では改善点を洗い出して、何か実績を残すべく生徒達は必死に力を尽くしていた。

 

 そしてその中で幸平創真は、遠月リゾートで今も戦っている。

 

 六日目にして未だレベル3を脱することが出来ていない創真。今日の結果次第で、レベル4に上がれるかどうかが決まるのだ。

 レベル3に上がった最初の日はついていくのでやっとだった創真。知らない技術、知識もあれば、身に付けていても知識としてどういうものなのか知らなかったことや、知識として知っていても技術として身に付いていなかったものも数多くあった。

 しかし今は、自分自身の未熟さを思い知るとともに、新たな経験値を獲得するこの大チャンスに燃えている。

 

 一日毎にどんどん技術を吸収して成長しつづける創真は、ついに六日目にして他の料理人となんら遜色ない仕事が出来るようになっていた。

 

「Aコース食材出してます!」

 

 レベル3に入ってから一日目、二日目と経験を積むことで現場の流れを掴んだのもあるだろうが、身に付けた技術や知識を即座に実践に活用する創真自身の地力が強く出ている。へこたれることはなく、成長する自分自身にただただ歓喜していた。

 

「Cコース前菜、下処理終わってます。チェックを」

 

 創真が配置された下処理のチームの中でも頭一つ抜きんでていく仕事ぶり。

 既に創真の働きは、レベル3でも十分優秀な領域にまで到達していた。

 

「カサゴのアビエ終わりました! 人参のスュエ、チェックお願いしゃす!」

 

 彼が手本としてイメージするのは、やはり恋だろう。

 創真にとって、今まで出会った全ての料理人の中で一番理想的で、無駄のない調理技術を持つのが恋なのだ。遠月に入ってから一番ライバル意識の強い料理人なのだ、その動きは脳裏に強く焼き付いている。

 

 そうして俊敏に動き、的確に仕事をこなしていく創真に、レベル3の料理長ピカラも舌を巻いていた。凄まじい吸収力と向上心だとは思っていたものの、ここまで急成長を遂げるとは思っていなかったのだろう。

 

「(幸平創真―――面白い奴だ)」

 

 この場にはいない堂島に言う様に、ピカラは軽く頷く。

 急成長を遂げる創真の前に、今レベル4への扉が開かれていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 さて、そうして生徒達がスタジエールに勤しんでいる中で、遠月学園ではまた別の変化が起こっていた。

 第一学年の生徒達がスタジエールで学校内にいない今、校舎の中には二、三年の生徒達だけが存在しているわけだが、選抜が終わってすぐの時期に起こったことが、この瞬間大きな話題となって生徒達をざわつかせていた。

 その話の核となる事柄は当然、叡山枝津也の十傑落ちだ。

 無論、叡山が十傑から外れたこと自体が話題の中心であるわけではない。話題の核はその後のこと―――つまり、次の十傑は誰になるのかということだった。

 叡山が十傑第九席から落ちたことにより、必然的に繰り上がりで薙切えりなが十傑第九席に上がるわけだが、空いた第十席の座に誰が座るのか……それが今学園内で生徒達をそわそわさせているのだ。

 

 そして一年のスタジエールがもう終盤に差し掛かっているこの日。

 二、三年の前に十傑第十席に就いた人物の発表があると通達があった。

 

「十傑新第十席か……一体だれなんだろうな……」

「やっぱり三年じゃねぇかな? 三年ともなれば、現十傑以外にも腕の立つ先輩は多いぜ」

「だが二年だって強者はゴロゴロいるぞ? 専門分野を持つ奴だっているし、久我の例もあるんだ、わからねぇぞ」

「でもやっぱり―――あいつ(・・・)じゃないか?」

 

 学内では誰が十傑になるのかの予想話が飛び交う。

 既に決定しているということなので、話を受けていない自分達ではないことは確かなのだ。となれば、一体誰なのかが気になるところだった。

 耳をすませれば、そこかしこから予想の話が聴こえるこの状況で、実力者たちの名前がぽんぽん上がる。三年や二年の中でも腕の立つ人間は多いのだ、話題性には事欠かない。

 

 すると、そんな生徒達の期待に応えるように校内放送が掛かった。

 

 

『全校生徒の皆、少し前に通達した新十傑第十席の発表を行う。皆の上に立つ者になるわけだから、きちんと聞いてほしい』

 

 

 落ち着いた声の主は、現遠月十傑第一席の司瑛士だ。

 その落ち着いた響の声は、自然とざわついていた生徒達を静かにさせた。気になる情報の発表ともなれば、当然なのだろうが。

 

『先日の一件は周知の事実だろうが、遠月第九席が外れることになり、現十傑第十席の薙切えりながその座に繰り上がった。その結果第十席の座が空いたわけだが、その空きを誰が埋めるのか、というのが話の趣旨だ』

 

 改めての状況説明に、生徒達は静かに続きに耳を澄ませる。

 

『まぁ焦らすのもなんだから、まずは結論からいこうか』

 

 すると司の単刀直入な話し方から、早速全生徒達が気になっていた話が始まった。

 

 十数秒の間ごそごそと何かが動くような音がマイクに乗って聞こえてくる。何か準備をしているのだろうか、と生徒達がジッと話の続きを待っていると、その物音が止んで再度音声が放送に現れた。

 

『では準備が出来たから、挨拶して貰うとしよう。新たに遠月第十席に就いたのは、彼だ』

 

 司の言葉に皆が息を飲んだ。

 そして席を入れ替わる数秒の後―――その声が全校生徒の耳へと届いた。

 

 

『―――この度新たに遠月第十席に就いた、二年、石動賦堂(いするぎ ふどう)だ』

 

 

 新たに遠月学園十傑評議会第十席に就いた男……石動賦堂。

 その名前は、第一学年を除けば今聴いている全生徒が知っている名前だった。

 

「やっぱりアイツだったのか……」

「まぁ、当然と言えば当然だよな」

 

 生半可な人物であれば新十傑に抜擢されたことに反感を得たことだろうが、彼に関しては大多数の生徒から納得の色が見える。それほどの実力者なのかと、一年生であれば思ったことだろうが、彼らが知らないのも無理はない話だ。

 ざわざわと新たな十傑の発表に口数が多くなる生徒達。

 今後の十傑がどのようになっていくのかと様々な想像を膨らませるが、それでも彼の就任に否定的な意見はさほど見当たらない。

 

 挨拶は続く。

 

『こうして十傑第十席に就いた以上は、相応しい振舞いと実力を証明し続けていこうと思う。諸々思う所もあるかもしれないが、よろしく頼む』

 

 力強い声と誠実な挨拶は、石動賦堂が芯の通った人物であることを想起させる。二、三年は彼がどんな人物なのか、どれほどの腕の持ち主なのかを知っているのでイメージは容易いが、それでも彼の力強い声はとても頼もしさを感じさせた。

 

 彼らが石動賦堂を知る理由は、恋達一年生が入学する以前の時期にある。

 創真や恋という編入生に加え、薙切の系譜であるえりなやアリス、黒木場や葉山といった才能に溢れる料理人が数多く存在する、まさしく玉の世代とでもいうべき今期の第一学年。その中でも、彼らが入学して早々に、薙切えりなが中学時代からの実力を鑑みて遠月第十席へと即就任した。

 入学時に即十傑入りというのは、とてつもない偉業だ。

 

 だが、えりなが十傑第十席に就く前―――そこには、当然別の人物がいたのである。

 

 そう、それこそが今回十傑第十席になった石動賦堂という男。

 えりな達が入学する前、つまり彼は一年生の終わり際ではあっても、遠月十傑の座に就いていたのだ。相応の実力を持つ料理人であったし、えりながいなければ今も彼が十傑第十席にいたことだろう。

 

 それほどの人物なのである。

 

『では、新たな十傑の誕生を祝ってくれると嬉しい。それじゃあ、放送を終わるよ』

 

 短い挨拶の後、司が話を締めて放送が終わる。

 薙切えりなによって十傑落ちし、再び十傑へと舞い戻ってきた男。考えてみれば全校生徒が納得するその采配は、無駄な反発を買うことはなかったものの……少しのピリつくような緊張感を学園内に走らせた。

 以前まで十傑にいたその人物が戻ってきただけだが、それでも過去と今では随分と状況が違う。

 

 今回の十傑入りは、けして石動がかつて実力で勝ち取った十傑入りとは違って、叡山が落ちたことによる繰り上がりの様なものだ。それに納得がいかないのは、きっと石動本人なのだろう。放送からでも、それほど喜びがあるわけではないことが伝わってきたくらいだ。

 それに、彼は薙切えりなの入学と同時に十傑から外された経歴がある。そのえりなの下の位に就くこと自体、彼にとっては屈辱なのではないだろうか。

 

「……どうなってくんだろうな」

「さぁ……」

 

 ぼそっと男子生徒が呟いた言葉は、きっと大多数の生徒達が思っていることだろう。別に不味い状況ではないし、何か不都合のある事態に陥ったわけでもない。それでも自分達の上に立つ十傑に不穏な影が走ったことが、遠月学園内に大きな波紋を生んでいる。

 

 そしてそんな中で、石動と同じ二年である一色慧もまた、学園内の少し不穏な空気を感じ取っていた。

 普段の明るい振舞いとは一転して真剣な表情を見せる彼は、少し溜息を吐く。

 

「何もないといいけどね……」

 

 何かが起こる気がする―――そんなことを考えつつ、今後何か不穏な事態にならないことを祈るばかりだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてスタジエール最終日。

 遂にピカラに認められ、レベル4の厨房へとやってきた創真は初日ぶりに堂島と対面していた。コックコートに身を包んだ堂島の姿は、普段とは一転して一人の料理人としての迫力がある。

 創真もレベル4でどんな仕事をするのかと息を飲んでいたものの、意外にもレベル4の厨房はレベル3の厨房とは違って人もあまりおらず、段違いに静かだった。

 

 創真は厨房内をキョロキョロと見渡してから、何をすればいいのかと堂島に視線を向ける。すると堂島は笑みを浮かべながら、そんな創真に対して説明を始めた。

 

「フ、良くここまで来たな。幸平創真」

「うす、なんとかって感じっすけど」

「とはいえ、残念だがこの厨房に君の仕事はないのだ」

「え?」

 

 放たれた堂島の言葉に、創真は呆気に取られた。

 仕事がない、とはどういう意味なのか。

 

「この厨房では、完全予約制の遠月リゾート内でも最高級宿泊施設に泊まる客に振舞うコースメニューを作る。だが、完全予約制なのは宿泊施設だけではなく、料理人の指名も含めた予約なのだ」

「つまり……指名された料理人が作る義務があるってことすか?」

「その通り。このレベル4の厨房では俺を含め、数名の一流料理人だけがその腕を振るうことを許される。遠月出身もいるが、どいつも在籍していれば十傑を取っていただろう料理人ばかりだ……幸平の仕事は、この最終日―――俺達の仕事を見学することだ」

「見学……」

 

 堂島の説明で紹介されるも、厨房内の料理人たちは創真に目もくれない。一心不乱に己の料理に注力する姿は、創真にどこか恋を想起させた。

 見学、と聞いて少し落胆した様子だった創真だったが、堂島の目は本気だ。見学することに何の意味があるのだろうか思ったが、それでもすぐにその意図に気が付いた。

 

「何を掴めるかは、お前次第だ」

「……うす!」

 

 必殺料理(スペシャリテ)へと辿り着くヒントが、そこにあるのだろう。

 超一流の料理人達の調理に対する姿勢、振るわれる調理技術、そして指名された以上彼らでないと作れない料理の数々、それらから創真が得られるものはきっと多い。

 

 レベル3をクリアした段階で、堂島は創真のスタジエール合格を言い渡すつもりだったのだ。そして知識や技術を身に付けてきた創真に、必殺料理とはなんなのか、料理人としての高みとはどういうものなのか、それを見せる機会を与えた。

 そこには、恋が四宮から垣間見た高い次元にいる料理人の領域があると。

 創真は穴が開くほどに彼らの調理を見つめた。一挙手一投足に注視し、あらゆる情報をイメージとして己の中へと落とし込んでいく。

 

 身に付けてきた知識も技術が、創真に目の前の光景に対する理解を与えてくれていた。

 

「(城一郎、幸平創真は……やはりお前の息子だな)」

 

 そしてそんな創真の姿に、堂島もまた調理に入りつつ、短く笑みを浮かべる。

 

 

 

 その日、幸平創真は遠月リゾートでのスタジエール合格を、堂島から言い渡された。

 

 

 




幸平創真君成長を遂げました!
石動賦堂君はオリキャラです。
えりなが十傑に入る以前には、十傑第十席に誰かいた筈だと考えて誕生させました。
今後の動きにご期待ください。

感想お待ちしております✨



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五十六話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 スタジエール最終日。

 遠月リゾートでの課題を見事クリアしてみせた創真の裏で、恋もまた四宮の店で最後の戦いを終えていた。プレオープン最終日は最後に貸し切りの客が来るということで、早めに一般客を帰らせて、一旦静けさを取り戻した店内。

 厨房内では恋が来てからの一週間を戦い抜いたアベルやリュシ、恋がおり、四宮はホールにて貸し切り客を待つためにスタンバイ中である。

 

 短く息を切らすアベル達は、自分達の成長を感じていた。恋のサポートにメインを奪われないように必死に己の料理と向き合い、強制的に地力の向上を余儀なくされた一週間。己の無駄と向き合い、己の欠点と向き合い、己の未熟さと向き合った。

 結果的に恋のサポートから逃げきることは出来たものの、生きた心地がしなかったとはこのことだろう。

 

 そして恋もまた短く息を切らしているが、初日程の消耗が見られない。一週間ぶっ通しで働き続けた故に、日毎積み重なった疲労もピークに達しているだろうに、最終日の今は平気な顔で立っている。

 プレオープン最終日が早めに客を帰したということもあるだろうが、それでも一日サポートの質を落とさず動き続けても平気な程度にはスタミナを身に付けたようだった。意識せずとも最高の仕事をする、そんな感覚が身体に染み付いたのだろう。

 

「いやぁ……なんとか終わったな」

「疲れたヨ、まだ一週間しか経ってないのかと思うくらいにナ」

「全くだ……だが、黒瀬のおかげで随分成長出来た。ありがとう黒瀬」

「いえ……こちらこそ、貴重な経験を得られました」

 

 アベルからの感謝に、恋もまた汗を拭いながら笑みを返す。

 切磋琢磨の厨房で戦い抜いた今、四宮を含めた四人の料理人の間には言葉以上の信頼が生まれていた。こと厨房で共に料理をすることに関してなら、言葉を交わさずとも信頼出来る料理人になれたのである。

 一週間とは思えない程の濃い時間を過ごした今、この厨房に今後に対する不安はなかった。

 

「貸し切り客が来た。お前らは休んでろ、俺の客だからな」

「え、良いんですか?」

 

 するとそこへホールで待機していた四宮が戻ってきた。

 どうやら貸し切り客が来たらしく、アベル達が最後の仕事だと意気込んだところで四宮がそれを手で制する。自分の客だからということで、全ての料理を自分で作ると言い張るのだ。

 貸し切り、しかも知り合いともなれば確かに気の知れた仲なのかもしれないが、それでもフレンチにおいて調理には手間が多い。流石に一人では多少待たせる羽目にならないだろうかと心配するアベル。

 

 だが四宮もそれは理解していたのだろう。

 不意に恋の方へと視線を向けた。恋はその視線の意味を理解し、ふと笑みを浮かべた。

 この話の流れなら、そういうことなのだろう。

 

「黒瀬、全力で俺のサポートに入れ―――この一週間、三対一でお前のサポートを受けていたからな……俺と一対一だ」

「なっ……!?」

「oui,chef」

「黒瀬まで……!」

 

 アベルは驚愕だった。

 四宮のことを見縊っているわけではない。けれど、三人の料理人をそれぞれ飲み込む勢いでサポートし切った恋のサポートを、たった一人で受けるともなればその度合いは一気に変わってくる。

 今まで三分割されていた恋の作業リソースが全てたった一人に注がれた場合、生半可な料理人では飲み込まれてしまうのが関の山だ。実際、プレオープン初日のリュシがそうだったのだから。

 如何に四宮が料理人としての総合力で勝っていても、サポート能力だけなら恋は超一級品だ。心配は多少なりとも存在する。

 

 しかしそれ以上に、期待もあった。

 

「お前のサポートを受けた俺の料理がどうなるのか気になるな。全力で来い、俺の歴史上最高級の品を作るぞ」

「ごくっ……」

 

 超一流の料理人である四宮小次郎と、超一級品のサポート能力を持つ黒瀬恋。

 この二人が共に料理をした結果起こる化学反応―――そこから誕生する料理とは、一体どれほどかと。

 

 ―――調理に入る二人。

 

 思えば調理の外から恋の動きを見るのは初めてのアベルとリュシ。改めて外から見れば、恋の動きの全てに見惚れてしまう。

 まるで最初からそう仕組まれていたように、恋の動きが四宮の動きに連動しているのが分かった。様々なタイミングで、恋の行動が四宮の調理に連結している。

 

「恐ろしいな……まるで料理人が次にどんな動きをするのか分かっているかのような動きだ。下準備の手順、調理環境の変化、動線の確保、その全てが未来予測の様に料理人の全てを邪魔していない」

「正直黒瀬のサポートを受けてるときは、アイツの存在を忘れてしまうくらいなんだよナ」

「外から見れば分かる……黒瀬恋はどこまでも人に寄り添う力を持つ料理人だ」

 

 人を理解し、人の気持ちを察し、人の為に行動する。

 それが出来るから、恋のサポートは無駄のない調理技術と相まってどこまでも心地いいのだ。完璧に用意された下準備も、料理人の視界にすら入らない動線も、全ては料理人のポテンシャルを最大限引き出すためのもの。

 恋自身はサポートとして、メインを食ってやろうだなんて欠片も思っていない。どこまでもサポートに徹しているだけ。

 結果的にそれがメインを支配することに繋がりかねないだけなのだ。

 

「凄い……あっという間に品が出来ていくゾ……!」

「無駄がないから、とても簡単そうに見えるのが恐ろしいな」

 

 そうして完成していく料理は、今までとまるで違うと思うくらいに存在感があった。

 今までと何が違うのか、一見すれば分からない。けれど美食としての存在感は、料理の見た目以上に伝わってきた。

 

「―――さぁ、完成だ」

「ふぅっ……」

 

 そうして完成したその料理を、料理長自ら運んでいく。

 恋も手伝う様に皿を幾つか持って、その後ろを付いていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ホールに出た時、テーブルには恋も知っている顔が並んでいた。

 乾日向子や水原冬美など、強化合宿で知り合った卒業生の面々と、講師のシャペル先生。四宮同様、超一流の料理人達が勢揃いだった。

 驚きで少し目を丸くする恋だったが、それは日向子たちも同じだったようで、恋の姿を見て驚きの表情を見せる。

 

 四宮と共にテーブルへと料理を置いていくと、最後の皿を置いた後に日向子達が声を掛けてきた。

 

「黒瀬君、どうしてここに?」

「スタジエールです、縁あって四宮シェフの店に」

「なるほど、君のスタジエールは此処だったか……元気そうだな黒瀬恋」

「はい、シャペル先生もご壮健のようでなによりです」

「シャペル先生は、私達と同時期に遠月にいらっしゃった先生なんですよ!」

「へぇ、そうなんですか」

 

 相変わらず気さくに声を掛けてくれる日向子に苦笑する恋。だがスタジエールということを知って、日向子達はなるほどと懐かしむ声を上げた。

 学生時代のスタジエールがどんな経験だったのか、彼女達にも印象深い思い出があるのだろう。とはいえスタジエール先が元第一席の店となると、そのプレッシャーもひとしお。

 とはいえ、四宮が何も言わないということは順調なのだろうと思う。

 

「今回、全ての料理を黒瀬のサポートの下俺が作った……今までの俺の料理だと思ったら、度肝を抜かれるかもな」

「黒瀬君が四宮先輩のサポートを……?」

「ほぉ、料理長のサポートを任されるほどとは……スタジエールとしては破格の実績だな」

「では早速いただきましょう」

 

 四宮が料理の説明を終えて、あとは食べるだけという状況が整う。

 全ての料理を四宮が作ったこと、そしてそのサポートを全面的に恋が務めたことを知り、今までと一体何が違うのか、それを確かめるべく全員がその料理を一口舌の上へと乗せた。

 

 

 ―――瞬間、美味しい、という感覚を感動が凌駕した。

 

 

 次の一口へ行きたい、という巨大な衝動と、今口に入れている一口を極限まで味わいたいという情動が体内で鬩ぎ合う。普段の四宮という人間からは考えられないほどに愛情に溢れた一皿。

 この料理がどんな皿なのか、詳しい分析を行おうとする料理人としての癖が一切機能停止していた。

 

「……はぁ……これは、言葉に出来ません」

「なんと温かみのある味……まるで童心に返るような」

 

 どういう味がどんな風に美味しいのか、そんなことを述べるのが憚られるほどのその感動を、思い思いに感覚で表現するしかない。不意に笑みを浮かべてしまいたくなるような、そんな温かく誰かの為を想われた料理がそこにはあった。

 恋は四宮の方を見る。

 四宮は卒業生達とは違う、初老の女性の傍で優しく笑みを浮かべていた。女性は美食家らしい雰囲気はなく、ただただ四宮の料理を口にして幸せそうに、嬉しそうに笑っている。

 

 恋はサポートをしている最中に感じていた。

 四宮が誰かを想って料理をしているということを。それは恋愛的な感情ではなく、もっと深い、感謝と尊敬と愛情に溢れるようなそんな感情。一目で理解出来た、あの女性は四宮の母親なのだろう。

 そして、四宮が料理人を志した原点が―――彼女なのかもしれないと。

 

「……今までの四宮からは考えられないほど、高い次元の一皿になってる。まるで一皿一皿が必殺料理と言っても過言じゃない」

「合宿の時から考えられない程の一皿でした……凄い」

 

 そしてその感動を味わった後は、料理人として二口目、三口目と食して冷静に分析していく。合宿からそう時間も経っていないというのに、成長にしてはあまりにも途轍もない変化。日向子達は四宮の皿が数段上の次元へと昇華されていることを理解した。

 その原因が何かと問われれば、思いつくのはやはり黒瀬恋という料理人の力だろう。

 

 スタジエールでやってきた生徒が、四宮の料理を全てサポートする。

 

 言葉にすればその意味がどれほど凄まじいことか分かるだろう。そもそも四宮が自分の作業をスタジエールに任せたこと、そのサポートを受けた皿が此処までの美食に昇華されていること、そのどちらもが通常ならあり得ないことだ。

 恋は味覚障害の料理人―――しかし、サポートであれば味に関する仕事は全て料理人の仕事だ。恋は料理の味付けに関する工程には一切手を加えていない。

 

 だからこそ、黒瀬恋という料理人は、サポートという分野であれば味覚障害というハンデを打ち消すことが出来る。

 

「黒瀬のサポート能力は超一級品だ……多少相手を知る時間は掛かるが、サポートに入った料理人のポテンシャルを全て引き出すことが出来る。環境による雑念やノッキング、集中力の問題で生まれるストレスを全て排除する黒瀬のサポートは、料理人を強制的に調理へと集中させる性質を持っているんだ」

「それってつまり……」

「そう、普段はあらゆるストレスで発揮出来ない100パーセントの実力を、黒瀬は引き出すことが出来る」

 

 恋に対する興味を抱いていた日向子たちの思考を察してだろう。四宮が母親から離れて恋の力の説明をした。恋のサポート能力を間近で受け続けた四宮だからこそ、その性質を良く理解している。

 恋のサポート能力は、無駄のない調理技術と相まって、料理人が調理中に感じるストレスを全て排除する。それは例えば、次に使う調味料はどこか、次の工程に移るための準備は、この食材を移す容器は、といった料理中に起こる出来れば省きたい手間を埋めるということだ。

 それは料理人が一切のノッキングなく、スムーズに全ての工程を行えるということ。ストレスがなければそこに集中することが出来るわけで、邪魔されることなく高まる集中力はより良い品を生み出すことに繋がっていく。

 

 結果的に、恋のサポートを受けた料理人は例外なく、どんな皿でも己の必殺料理に匹敵する料理を作ることが出来るし、必殺料理はより高い次元へと昇華させることが出来るのだ。

 

「正直、このままウチに迎えたいほどの逸材だ」

「四宮先輩がそこまで言うなんて……私も黒瀬君と一緒に料理してみたいですねぇ」

「……私も、興味ある」

「俺もだ」

 

 四宮が手放しに褒めることなど早々ないので、この四宮に此処まで言わせる黒瀬のサポートとはどんなものなのか、卒業生全員が興味を示す。これで遠月学園の一年生だというのだから、末恐ろしい。将来はどんな料理人になるのかと、期待に胸も膨らむというものだ。

 講師だからかシャペルと言葉を交わしている恋を見て、四宮達の表情からスッと笑みが消える。

 

 そう、例えサポートとしては凄腕だとしても、メインで彼が料理を作るとなれば、そうもいかないからだ。サポートとしては超一級品の腕を持っていても、メインでは彼の味覚障害は大きな壁となる。

 超絶技巧の調理技術を持っていても、超一流の料理人となるためには、未だ料理人として破らねばならない壁が大きかった。

 

「なんにせよ……黒瀬の進む道は茨の道だ。どうなるかは分からねぇが、見守るしかねぇよ」

「そうですね……」

 

 そうして期待と心配の入り混じる視線の中、恋はスタジエール最終日を合格で終える。四宮の東京支店プレオープンは大成功、評判は高まり、料理人達も大きく成長した。これ以上ない実績である。

 

 

 だが、最終日の夜に行われた新メニューコンペに、恋が参加することはなかった。

 

 

 

 




スタジエール編終了!
次回から、月饗祭編に入ります。
いよいよですね。

感想お待ちしております✨



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月饗祭編
五十七話


感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 スタジエールを終えて、合格した一年生達が遠月学園へと戻ってきた。

 そして、既に一年生であってもスタジエールという現場を生き抜いた時点で、その実力は最早二年生と戦える領域であることを証明出来たも同然。帰ってきた恋達一年生の中には、二年からの食戟を申し込まれる生徒も多かった。

 極星寮の中でも幸平創真はその申し込みの数が多く、帰ってきて早々に食戟を連発する始末。まぁ、丼研での騒動や選抜準決勝でも注目を集めたのだ、それも当然と言えた。

 

 と言っても、これが創真の実力を認めたが故の挑戦なのかは分からない。

 幸平創真という料理人は、元々大衆料理の定食屋出身という肩書から遠月学園では見下されてきた料理人だ。食戟で勝利しようと、強化合宿で生き残ろうと、選抜で準決勝に出ようと、彼の実力を認めたくない者は未だに多い。

 だからこそ、スタジエールから戻ってきた段階で、二年の中に幸平創真を叩き潰そうとする意志が働いた結果の食戟とも言える。選抜では黒瀬恋を潰そうとする動きがあったから隠れていたものの、本来一年の中で問題視されている生徒と言えば幸平創真が真っ先に上がるのである。

 無論、彼を強者と認めた者も、それはそれで挑んできているのだが。

 

 しかし、帰ってきた幸平創真は、最早選抜準決勝の時とはその実力を大きく成長させていた。

 

「お粗末!」

「ぐ、ぅぅ……!」

 

 極星寮に帰ってきて早々に食戟を行った創真は、二年の甲山鉄次を圧倒的な実力差で打倒してみせたのである。

 遠月リゾートで各国様々な料理技術を叩きこまれ、その発想力の幅を大きく広げた創真は、今や選抜準決勝の時とは別人。遠月学園では当たり前の様に持っている筈だった知識と技術を身に付け、その技術を現場で研ぎ澄まし、そして超一流の料理人の料理を丸一日ずっと盗み見てきた彼の実力は、最早並の二年生では到底太刀打ち出来ないレベルへと到達していた。

 

「えーと、他に俺に果たし状出してくれた先輩方って、います?」

「私出した」

「俺もだ」

「じゃあ今からやりましょうよ、ね? いいでしょ?」

 

 そして観戦していた生徒の中から更に果たし状を出した二年を見つけると、その場で食戟を開始。その全てを蹴散らしていく。

 

「この際だから言っておきますけど、俺に食戟を挑む上で果たし状とかそんなまどろっこしいもん大丈夫っすよ。いつ何時、誰からの食戟でも受け付けるんで……そこんとこよろしくっす」

 

 そう言って突きつけるのは、自分自身が誰にも負けないという確固たる自信と覚悟。定食屋の倅と思うなかれ、たかが大衆料理店の人間と思うなかれ、この幸平創真はこの遠月において玉となり得る資質の持ち主である。

 彼をただの凡人だと、実力を認めずに挑むのであれば、その時点で負けている。

 スタジエール期間で少し髪が伸びただろうか、やや大人びた風格を纏いだした創真の姿は、見る者が見ればかつての才波城一郎を想うかもしれない。

 

 会場を騒然とさせながらその場を後にする創真。

 その足の向かう先、会場出口には、同じく帰ってきた恵達極星寮の面々が驚きの表情で立っていた。

 

「お、皆久しぶりだなぁ、全員合格したようで良かったぜ」

「呑気な事言っとる場合かーーー!! 幸平アンタ帰ってきて早々なにしてんの!?」

「いやぁ、帰ったら極星寮に俺宛の果たし状がこんもりあってよー。ハハ、燃えちまったわ」

「燃えちまったって……無茶苦茶な」

 

 その面々に笑いかけた創真だったが、吉野がテンション高くそこにツッコミを入れる。

 スタジエールはそれぞれにとっても難関だっただけに、それをクリアしてホッとしていた。なのにそれが終わって早々食戟をやらかす創真に、付いていけなかったのだろう。

 創真がそれに対してヘラヘラと笑いながらなんのことはないとばかリの反応を返すと、吉野達は勢いを失くしてがっくりと呆れた表情をする。

 

「あれ、黒瀬はいないのか?」

「ああ……黒瀬君なら、なんか寮に彼宛に呼び出しがあったみたいよ?」

「そうなのか……まぁ、無事極星寮全員クリアしたみたいで良かったわ」

「……ま、そうだね!」

 

 創真はこの場に恋がいないことに疑問を抱いたが、そこは別途呼び出しがあったらしく、榊がそれを説明すると納得した様子。

 なんにせよ、スタジエールを乗り越えて全員また集まれたことを喜んだのだった。

 

 

 ◇

 

 

 一方、創真達同様スタジエールから帰ってきた薙切えりなは、何でもないような表情を装いながらある場所へと向かっていた。凛とした佇まいを崩さず、まっすぐに目的地へと向かう。

 そう、黒瀬恋に会いに行くのである。

 凛とした表情ではあるが、その瞳にはどこか喜びの色があった。およそ半月ぶりに恋に会える日が来たのだから、当然と言えば当然なのだろうが。

 

 極星寮に到着すると、恋は校舎裏へ呼び出されて出て行ったと言われたので、現在はそこへと向かっている。誰に呼び出されたのかは分からないが、スタジエール直後の一年には度々食戟を申し込む者がいると聞いてはいたので、おそらくはその類だろうと思っていた。

 

「(まぁ恋君なら早々負けはしないでしょうけど、わざわざ校舎裏なんて人気のない所に呼び出しなんて……っ!? まさか、告白!?)」

 

 えりなの足が少し速度を上げた。

 食戟の話かと思っていたが、よくよく考えたら一般に高校生活で校舎裏や体育館裏に呼び出しと言えば、告白か不良に絡まれるの二択である。勿論フィクションの話だが。

 えりなは恋愛漫画を最近よく読んでいたので、もしかしたら告白の呼び出しかもしれないと考えてしまう。

 

「―――」

 

 背筋に走る冷や汗を誤魔化しながら、校舎裏に到着すると、なにやら話し声が聞こえてきた。ドキッとして、忍び足に近づき、こっそり影から覗いてみるえりな。

 すると、そこには恋の後ろ姿とそこに向かう合う大柄の男の姿があった。どうやら告白という雰囲気ではない様子に、えりなは内心ホッとする。

 

 だが、その男の顔を確認して見覚えのある顔に眉を潜めた。

 

「新、十傑第十席?」

「そうだ……叡山枝津也の失脚を受けて、薙切えりなは十傑第九席に繰り上げられた。その結果空いた十傑第十席に……この俺、石動賦堂が就くことになった」

 

 其処に居たのは、入学以前に顔を見た程度であったが、元十傑第十席に就いていた料理人。二年生の石動賦堂その人だった。

 話を聞いてみると、どうやらスタジエールに行っている間に十傑第十席の後任が見つかっていたらしい。これから一年生にも周知されるのだろうが、えりなとしても納得できる人選だった。

 

 石動賦堂。

 彼は現二年の中では唯一一年の内に十傑入りした逸材である。

 現在の十傑には叡山枝津也を除き、久我照紀、紀ノ国寧々、一色慧と三名の二年生がいるが、彼らは二年に上がった際、旧三年生の十傑勢が卒業した後の空枠に収まる形で十傑になった面々なのだ。

 故に、この石動賦堂という料理人は現行二年生の中でも早咲きの料理人だった。

 彼は秋の選抜でも決勝に進み、一度はあの久我にも勝利を収めているほどの料理人である。少なくとも、秋の選抜の時点では当時同学年で最強の名を欲しいままにしていた男だ。

 

「一年の時は最強と呼ばれてもいたが、当時一色や紀ノ国はさほど熱を感じさせない料理人だったからな……俺自身は自分をそう高く評価してはいない。あいつらの本気は、未だ未知数だからな」

「秋の選抜でも勝負は着かなかったと?」

「そうだ、久我は好戦的な奴だからまぁ本気だったと思うが……一色や紀ノ国に関しては選抜での順位など興味はない様子だったからな……そこそこの結果が出せれば良かったんじゃないか。とどのつまり、一年を経て尚、現二年の序列は明確になっていないのが現実だ。実際、二年に上がった段階で俺は十傑の座から落ち、遅咲きの久我達は俺よりも上の座に座ったからな」

「……それで、再度十傑になった石動先輩は俺に何の用ですか?」

 

 自己紹介から二年のヒエラルキーに関して図らずも知ることになった恋は、本題に入ろうと話を促した。

 正直な話、今の二年生の中で誰が一番実力があるのかなど、恋にとってはどうでもいい話だ。十傑の序列で言うのなら紀ノ国寧々が二年最強ということになるのだろうが、石動の話を信じるのなら一色慧は本気を出していないとのことだし、久我とて得意分野で勝負するのならその腕は他の追随を許さない。

 元々二年に上がった段階で空いた枠に座れず十傑落ちした石動は、実力的に今の十傑二年の面々に劣るのではないかとも思うが、最終的には全員倒して第一席に座るつもりなのだから、恋にはなんら関係のない話だ。

 

 石動はすまない、と挟んでから本題に入る。

 

「そういうわけで十傑第十席に就いたわけだが、十傑内でも最下位であることには変わりはない。一度十傑第十席を追われた俺が再度この座に就くことを認めない者も少なからずいる……そこで、だ。俺は三年や薙切えりなを除き、現行二年を含めても……今十傑に最も近いのは君ではないかと思っている」

「……それで?」

「君に、十傑第十席の座を賭けた食戟を申し込みたい」

 

 えりなはそれを聞いて、目を丸くした。

 十傑に対して誰かが食戟を挑むのならまだわかるが、十傑の方がその座を賭け品に食戟を挑むなど、早々ありはしないからだ。なにせ十傑の座は、学園運営に関われる以上の待遇が得られるのだから。

 十傑とは学園が持つありとあらゆる権限や財力、その一部を手中にしてる存在。己の料理のためであれば、莫大な予算を使い、日本中の職人が喉から手が出るほど欲しがる食材、調理器具、設備を望むだけ手に入れることが出来る。オークションに出れば200万円超え確実の古典料理書にも簡単にアクセス可能であり、研鑽の為であれば学園の力で何処へだって行くことが出来る。

 そういう存在なのだ。

 

 だが石動賦堂という男は、己の十傑という地位に待遇以上のプライドを掲げているらしい。己がその座に相応しいことを証明することの方が、彼にとっては重要だということだろう。

 

「(でも、恋君にとっては降って湧いたような大チャンス……この勝負に勝てば、十傑になることが出来る……)」

「……逆に、その勝負で俺に何を賭けろと? 食戟は互いに賭け品の価値が対等である必要がありますよね?」

「!」

 

 確かにそうだ。

 十傑の座という賭け品に見逃していたが、もしも恋が負けた場合に石動は何を要求するつもりなのだろうか。えりなは静かに石動の表情へと視線を向ける。

 

 すると、石動はふ、と笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

「俺が勝ったら―――黒瀬、お前は遠月を去ってもらう」

 

 

 何を馬鹿な、と叫びそうになったのを、必死に堪えるえりな。

 この勝負で恋が勝てば確かに十傑第十席の座に座ることが出来るが、負けたら自主退学ということだ。確かに石動からすれば、勝てば十傑第十席の座を不動のものに出来るし、その上強力なライバルをこの競争から退場させることが出来る。仮に負けたとしても、元も十傑は彼にとって降って湧いたような称号だ、今までと変わらないのなら痛くもかゆくもない。

 釣り合っているようで、あまりにもメリットデメリットの配分がおかしい勝負だ。

 

「さぁ、受けてくれるか? 黒瀬恋」

「……!」

 

 決断を迫る石動に、えりなはごくりと息を飲む。

 恋がどのような判断を下すのか、緊張で息が浅くなるのを感じた。

 

 しかし、恋はその脅しの様にも取れる石動のプレッシャーに、なんら動じた様子もなく睨み返す。

 

「なるほど―――そっち(・・・)が本命だな?」

「ッ!?」

 

 恋の言葉に目を向いて上体をやや引いた石動。頬に冷や汗を流し、恋の放つ圧倒的プレッシャーを感じていた。

 

 恋はそんな石動に対して、淡々と言葉を続ける。

 

「……十傑第十席の座を出せば俺が乗ると思いましたか? 石動先輩、自分が十傑第十席の座に就くことを認めさせたいなら、こんな遠回りなことしなくていいでしょ……十傑の座なんて賭けずに、同じ十傑の二年、もしくは薙切えりなに勝負を仕掛ければいい」

「っ!」

「二年のヒエラルキーがどうのこうの言っていたけど、とどのつまり久我先輩達に勝つ自信がないんでしょう? だから第一席じゃなく、十傑第十席の座にしがみつこうとしている……十傑第十席の座なんて要りませんよ、俺が欲しいのは遠月の頂点です」

「ぐ……言わせておけば好き勝手なことを言ってくれる!」

「それに―――お前の本当の目的はそんな小さいプライドを満たすことじゃない」

 

 恋の言葉に青筋を立てる石動に、恋は更に畳みかける。

 

「俺を学園から追い出すこと……それが本当の目的だろ?」

「!!」

「選抜以前からちょろちょろと鬱陶しい思惑が付きまとっていたけど……遂に尻尾を出したな? 俺を追いだしたら十傑上位の座でも約束されたか? さて、じゃあ食戟の話をしようか。十傑第十席の座は要らない、代わりに……俺が勝ったらお前の裏にいる存在について何もかも吐いて貰う……この食戟、成立させるか?」

 

 えりなはゾッとした。

 黒瀬恋をこの学園から排除しようとする動きに関しては、彼女も認識してはいた。だが叡山枝津也を失脚させた以上直接的な干渉はなくなると思っていたのである。それが新たな十傑を添えて、今度は恋に直接的な攻撃を仕掛けてきた。

 となれば、一連の黒幕は十傑の采配すらある程度干渉出来る力を持った人物ということになる。元々叡山枝津也を駒として使っていたのだから当然かもしれないが、今回は新たな十傑に自分の駒を就任させているのだ。

 

 それはつまり、石動賦堂を十傑に選抜した十傑メンバーが敵の手先である可能性を示唆している。

 

「っ……この話は無かったことにしてくれ」

 

 石動は恋のプレッシャーに負けてか、己の抱えるリスクの大きさを察してか、そう言って去っていった。食戟は成立しない。

 残された恋は溜息を吐くと、静かにぽつりと呟く。

 

「……そろそろかもな」

 

 そうして恋もその場を後にする。

 結局、えりなは自分の知らない所で起こっていることの大きさを知り、動揺のあまり去り行く恋に声を掛けることが出来なかった。

 

 

 




二年時のエピソードに関しては独自設定です。
シリアスが戻ってまいりました。
でも月饗祭ではイチャイチャします。

感想お待ちしております✨





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五十八話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 さて、スタジエールも終わり、一年生の間にも十傑第十席が変わったことが知れ渡った頃。すっかり秋となって、赤に黄色にと鮮やかに姿を変えたいた紅葉が美しく、食欲の秋ということもあって料理学校である遠月学園でも、そのモチベーションやテンションは緩やかに上がっているようだった。

 そんな中、秋の恒例行事として一年の中でも実力上位勢と十傑全員との交流の機会が設けられこととなる。

 

 遠月学園秋の恒例行事―――『紅葉狩り』である。

 

 紅葉に包まれた場所に設置された会場で、主に秋の選抜本戦を戦ったメンバーと十傑の面々が交流を持つこの行事。一年側は今年の選抜優勝者である葉山アキラを筆頭に、黒瀬恋、幸平創真、黒木場リョウ、薙切アリス、田所恵、新戸緋沙子、美作昴、タクミ・アルディーニ、そして薙切えりなを加えたメンバー。

 そして対する十傑側も勢揃い。

 

 遠月学園十傑評議会。

 

 第一席 司瑛士

 第二席 小林竜胆 

 第三席 女木島冬輔

 第四席 茜ヶ久保もも

 第五席 斎藤綜明

 第六席 紀ノ国寧々

 第七席 一色慧

 第八席 久我照紀

 第九席 薙切えりな

 第十席 石動賦堂

 

 この十名が、現在遠月学園の頂点である十名。そう聞いたからかもしれないが、やはり目の前にするとオーラを感じてしまうし、上級生ということもあって一年側にも少々の緊張感があった。

 

「今年の一年は多少知った仲だから、去年よりは気楽かな」

「おー、確かに司と黒瀬は一緒に料理した仲だし、選抜の一件で大体顔見知りだもんなぁ」

「そうだな、黒瀬と話すのは正直心が休まるから助かる」

「じゃあ司は黒瀬と少し離れたところに座ろうな。交流会なんだから話したことない下級生と交流するのが上級生としての気遣いってもんだぜ! 黒瀬も協力してくれよな」

「り、竜胆……俺を殺す気か……? 」

「まぁ、俺はいいですけど」

「離すにしても、せめて真ん中くらいの距離にしてくれよ……」

 

 座敷席だったが、座る場所を決める際は竜胆がそんなことを言って勝手に席を指示したので、十傑側は席次順なので自動的に司が一番上座の端に座らされた。そして対面には優勝者である葉山が座り、本来ならその隣に恋が座るべきなのだろうが、黒木場、アリスを挟んで恋が座ることに。

 司としては恋とゆっくり話す良い機会だと思っていただけに、少し肩を落としているのが印象的である。

 

 そうして始まった交流会としての紅葉狩り。全員の前にはお膳でお茶菓子とお茶の入った湯呑が置かれ、思い思いの時間を過ごす。

 

「―――」

「―――!」

 

 静かな空間で会話が盛り上がるようなことはないが、度々言葉が交わされることもあり、特に一色や竜胆なんかは一年生との交流を楽しんでいる様子。

 話している光景があると緊張感も和らぐのか、場の雰囲気的には決して悪い空気ではない。司も、竜胆の助けもあるが、葉山が会話をリードするように質問を投げかけたり、アリスがぐいぐい発言することで大分会話に参加することが出来ていた。

 どうやら、概ね交流会としての目的は為されているようである。

 

 しかしそんな中、恋はというと、対面に座る少女からの視線に、少し困惑していた。

 

「……」

「……」

 

 じぃーっと視線を送られることで、恋は何かしたかと思うものの、ただ興味本位で観察されているらしいことを察し、どうしたものかと頬を掻く。

 大きなぬいぐるみを抱きしめながら、じっと見てきているのは、十傑第四席茜ヶ久保ももである。身長140センチという小柄な見た目の可愛らしい少女だが、これで三年生。敬意をもって接するのは当然だが、何故こんなに視線を送られているのか分からないのでどう接したものか迷うのは当然だろう。

 

「ええと、茜ヶ久保先輩。なにか?」

「……黒瀬恋って名前、可愛いね」

「え」

「響きも綺麗だし、恋って文字が可愛い」

「ああ……ありがとうございます。茜ヶ久保先輩の名前も可愛らしくて素敵だと思いますよ。もも、とひらがななのも音の響きも先輩にぴったりです」

「……恋にゃんは分かってるね、改めて、茜ヶ久保ももだよ。こっちはブッチー」

「黒瀬恋です、よろしくお願いします。ブッチーさんも」

 

 恋の名前を可愛いと褒めるももに、恋は苦笑を返しながら褒め返した。それに気を良くしたのか、ももはむふーっと鼻息を漏らして恋に自己紹介をする。接した感触では人見知りというか、あまり他人に心を許さないタイプの人間のようだが、恋の包容力を以ってすれば打ち解けるのは早かったらしい。

 まして恋は人の感情の機微に聡い。

 ももの機嫌の上下を表情や声色、瞳から汲み取って、上手に気持ちよく話をさせている。恋にとってはコミュニケーションが苦手な者が相手だろうと関係ないのだ。そもそも幼少期から高慢ちきだったえりなと上手に会話をすることが出来ていたし、学園に来てからは色々と我の強い生徒達と巧みに親交を深めている。

 

 恋のコミュニケーション能力は既に遠月の頂点だった。

 

「出来ればもも先輩って呼んでも良いですか?」

「うん、もももそっちの方が好き」

「ありがとうございます。もも先輩はお菓子作りのスペシャリストだと伺ってますけど、SNSもやられてますよね?」

「え、うんやってるよ……見てくれてるの?」

「料理関係の情報は色々チェックしてるので……ほら、もも先輩のインスタもフォローしてます」

「ほんとだ……えへへ、ありがとね」

 

 二人の会話を横から見ていた司は、恋のコミュニケーション能力の高さに恐れおののいていた。

 恋はももが提示した名前という話題から、下の名前呼びまでの最短距離を爆走し、更には相手の得意な話題を提示した上で自分がそこに興味があるという意思表示を的確に示してみせたのだ。もっと言えば、もものインスタをフォローしていることを教えるために、スマホを見せるという自然な流れで物理的な距離まで近づいている。しかもそれが一切わざとらしくなく、他人に対して常に壁を作っている茜ヶ久保ももという人物を知っているが故に、彼女が警戒心を露わにすることなく初対面の人間と接している姿が驚愕だった。

 

「あ……」

「? どうしました?」

 

 すると不意にももが恋と距離が近いことに気が付いたのだろう、小さく声を発した。

 それを聞き逃さなかった司は内心でほくそ笑みながら、冷や汗を拭う。

 

「(そう、茜ヶ久保……お前は人見知り(こちらがわ)の人間の筈だ……他人に対してその距離感は耐えられない……!)」

「司、なんでお前無駄にシリアスな顔してんだ?」

 

 このままではこの状況で人見知りをしているのが自分だけになってしまうことを恐れたのか、司は気が気でない様子でももの様子を伺っている。

 だが、恋が追撃とばかりに柔らかく微笑み、スマホの画面でももが作ったスイーツの一つを指差した。指し示されると見ないわけにはいかず、ももは距離を取るタイミングを失ってしまう。

 

「中でもこのお菓子が一番印象的で……個人的にはこれが一番可愛いなって思ってるんですけど」

「それ、今までで最高傑作のやつ……この時はかなり調子が良くて、色々凝ったんだ」

「このワンポイントで付けられたトランプ柄の模様とか素敵ですよね。全体の雰囲気を上手く底上げしていて、ストロベリーとブルーベリーの色の対比ととてもマッチしてます」

「! そうなの、これは不思議の国のアリスをテーマに作っててね……ちょっと貸して……ほら、こっちの写真は反対側も映ってるんだけど、こっちにはウサギをモチーフしたケーキがあって」

「なるほど……あれ? この配置もしかして上から見たら時計みたいになってますか?」

「!! そう! 上からは撮ってないのに、よく分かったね」

「なんとなく想像したらそうかなって思いまして……色々な工夫があって凄いですね」

 

 すると恋がインスタに上がっているもものお菓子写真の中から選んだのは、ももにとって最高傑作だったお菓子だったらしく、そこから彼女のテンションもグンと上がったのが分かった。

 勿論偶然ではない。

 恋はお菓子の完成度もそうだが、自撮りなので一緒に映っているももの表情から、一番良い顔をしている写真を選んだのだ。結果それは当たっていたらしく、ももは恋の言葉にわかってんじゃんコイツ! とばかりに言葉が饒舌になっていく。

 コミュニケーションが苦手な者にはありがちだが、打ち解けてくると饒舌になっていくタイプらしい。

 

「(何をやってる!! 距離が近いぞ茜ヶ久保! それじゃまるで俺一人が日陰者みたいじゃないか!)」

「なぁ司、涼しい顔で何思ってるかはわかんねーけど、多分超くだらないこと考えてるだろ」

 

 話していると恋に対する心の壁がなくなって、ももは距離が近いことなど気にならないくらいに、ぐいぐいと恋に自分のお菓子に対する話を饒舌に語り出す。自分のスマホを取り出すと、これもあれもとインスタには上がっていない写真を見せて楽しそうに話していた。

 司はそんな彼女の姿を見て、頭を抱えたくなった。

 黒瀬のコミュニケーション能力の高さは自分も体感したものの、まさかこれほどとは思っていなかったのだ。というか、流石にここまでコミュニケーション能力が高かっただろうかと疑問すら覚えるレベルである。

 司は知る由もないが、従者喫茶での経験が此処で爆発しただけだ。

 

 スマホを見せるために恋にくっつくももは、高揚した様子でついには恋の目を見て話しだす。目が合った時に一瞬我に返ったものの、恋が笑みを浮かべながら興味深そうに聞いてくれるのを見ると、安心したようにまた話を続けていく。

 恋は既に話を展開したりはしていない。

 ももの話に対して相槌を打って、時に質問を挟みながら聞き役に徹している。それでも会話が途切れないのは、ももが恋に次から次へと話を展開しているからだ。

 

「やばいな黒瀬……三年の先輩相手に、しかも初対面の異性にあんな距離感で話すとか俺には出来ないぞ」

「いや美作、お前のストーキングも相当やばいからな?」

「つれないこと言うなよアルディーニ、お前も結構素質あると思うぜ」

「心から放棄したい素質を提示してくるな!」

 

 そうしていると、この交流会の中で恋とももの会話が一番盛り上がっている光景になっていく。自然と周りの視線は彼らに集まり、見た目で言えばまるで兄が妹の自慢話を優しく聞いているかのような二人に、各々色々な感情が浮かんでいた。

 美作の感想に対してタクミが反応するも、ストーキングし、された二人特有の会話が展開される。やや緊張していたものの、いつもの調子を取り戻していく一年生達に、十傑側の上級生たちも若干肩の力が抜けた様子だ。

 

「っ……っ……っ……!」

「えりな様、お顔が、お顔が不味いことになってます」

 

 だがその中で、恋の隣に座っていた薙切えりなは、恋ともものやりとりにガクガクと身体を振るわせて目を剥いていた。嫉妬やら焦りやら不安やら怒りやらで混沌とした表情を浮かべている。

 緋沙子がそれに対して諫める様な言葉を投げかけるも、えりなの耳には入っていないらしい。ももがスマホを見せるために恋の腕にぴったりくっつく度、えりなのこめかみに青筋が入る。

 

「(近いわ! 茜ヶ久保先輩分かっててやってるのかしら……!? あれはもう胸を押し付けてるようなものじゃない? いや茜ヶ久保先輩のスタイルではパッと見た感じさほど気にならないのかもしれないけれど、男性側からすれば胸は胸よね?)」

「えりな様、百面相してます」

「(恋君もあんなに顔を近づけて、人たらしにも程があるでしょう!? 器大きすぎないかしら!? 何、パーソナルエリアがないの? 恋君の距離感オールフリーなの?)」

「えりな様、何を考えているかわかりませんが、戻ってきてください」

 

 司のようにぐちゃぐちゃと目の前の光景に心を乱されるえりな。

 そんなえりなの姿に気付いたのだろうか、ももはえりなの表情と恋を交互に見てから、えりなに対してふっと笑って見せた。まるで敗北者を見下すようなその笑みに、ピキッとえりなの中で何か嫌な音が聴こえる。

 

「そういえば……恋にゃんはお菓子、作るの?」

「ええ、もも先輩ほど専門的じゃないですけど」

「そうなんだ……じゃあももがお菓子作りを教えてあげる」

「本当ですか? 光栄です」

「このあと空いてる?」

「ええ」

「じゃあこのあとももの専用調理室で一緒にお菓子作り」

「わかりました、楽しみにしてます」

「ももも楽しみ。ももが誰かとお菓子をつくるなんて滅多にしないんだから、自慢してもいいよ」

 

 あっという間に二人きりのお菓子作りが決まっていくのを見て、最早止められない勢いに誰も口を挟めない。

 もっと言えば、恋のサポート能力を知っている人間からすれば、コレはフラグ立ったと思わざるを得ない。具体的に言えば司や竜胆、緋沙子あたりである。

 

 そして、まるで旧知の仲の様に親密な距離感で話を続ける二人のやりとりは、結局創真が十傑の座を賭けて誰か食戟してくれないかと言いだすまで続いた。

 

 

 ちなみに創真の食戟は全員に断られた。

 

 

 




イチャイチャってそこ?
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五十九話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


「ここがももの専用調理室だよ」

「やっぱり十傑の専用調理室だけあって凄いですね……最先端の調理設備が一通り揃ってますし、広い」

「普段は此処でお菓子を作ることも多いんだ……ブッチーは此処に居てね」

 

 紅葉狩りで一年上位勢と十傑の交流会は恙無く終了し、今はもう散り散りに解散した後。

 スタジエールで何か大きく成長した様子の創真は、ひたすら上を目指して十傑に食戟を挑もうとしているようだが、結局紅葉狩りの中では全員に断られてしまっている。

 唯一久我だけがある種のレスポンスを返したものの、結局十傑と一年の間には大きな差があるのだという説明をするだけで、その場での食戟成立とはいかなかった。

 

 何か一つでも料理で勝るものがあるのなら、食戟を受けても良い。

 

 それでも、そう言った久我に創真が何か反応していたので、恋はこれから創真は久我に突っかかっていくだろうと予想している。

 楽しみに思いつつ、恋は紅葉狩りで親交を深めた茜ヶ久保ももと共にお菓子作りをするべく、彼女の専用調理室へとやってきていた。

 

 お互いコックコートに着替えているので、すぐにでも調理が始められる状態。

 

「恋にゃんはお菓子作りで大切なのはなんだと思う?」

「うーん……そうですね、まぁ料理である以上は技術は必要でしょうけど……お菓子作りで、というなら……やっぱり楽しさじゃないですか?」

「楽しさ?」

「お菓子って食事とはちょっと違う一面があるじゃないですか。見て楽しい、心躍るような見栄えに加えて、甘いお菓子はそのままストレートに幸福感を得られるみたいですし……お菓子の家、なんて話がある以上、夢みたいな楽しさがあって欲しいものじゃないですか?」

「……そうだね、確かにその通り。だからこそももは、お菓子作りで大切なのは……可愛くなきゃダメだって思ってるの」

「可愛い、ですか」

「男女問わず、可愛いものは皆大好きだし、見てるだけでも幸せになれる。恋にゃんの言う通り見栄えでも、そして味でも、どこまでも可愛いを詰め込めるのがお菓子なんだよ」

 

 恋にお菓子作りのなんたるかを教えるももは、調理台の上に材料や調理器具などを用意していく。

 可愛いという概念を追求する彼女は、自分の作るお菓子が好きだ。

 幼い頃から彼女が可愛いと評価したものは、いつだって世の可愛さにおける流行を生み出してきたし、自分自身とて可愛くなれるように歩いてきた。可愛い可愛いと言われて育ってきた彼女は、えりなにも似た自尊心を抱いている。

 

 だからこそ、可愛い自分が作ったお菓子が一番可愛いと、確固たる自信を持っているのだ。そもそも、お菓子を作る自分が一番可愛いという理由で遠月に来たくらいなのだから。

 

「恋にゃんは、味覚障害を持ってるんだよね?」

「……ええ」

「私は正直、そんな事情はどうでもいいんだ。お菓子の可愛さは味だけじゃないし、恋にゃんが料理をすることだって別に好きにすればいいと思ってるから」

「責めるわけじゃないですけど……なら、どうして夏休み前の退学に賛成を?」

「反対する理由が特に無かったから。確かに料理人としては味覚障害って致命的だと思うし、私個人は恋にゃんのこと何も知らなかったしね。他人がどうなっても別に興味はなかったんだよ」

「なるほど」

 

 ももが準備した材料や調理器具から、何を作るのか大体を予想しながら、恋はももに質問を投げかけた。

 それに返ってきたのは、無関心からくる賛同だったという答え。

 茜ヶ久保ももという少女は、良くも悪くも個人で完成する世界観がとても強い。己が突き進む道では確固たる自信を持っているし、他人に目をくれず、己の感性を強く信頼している。

 だからこそ恋の退学騒動では別段反対もしなかったし、叡山の言葉に多少の理解もあったから賛同に手を挙げたに過ぎなかった。

 

 恋はその返答に、茜ヶ久保ももという人物を深く理解していく。

 

 彼女の他人に無関心で突き進むという価値観は、他人に惑わされないということであり、己の感性への強い信頼は、一切迷うことがないという強みでもある。それで井の中の蛙とならなかったのは、彼女自身に恵まれた感性と才能があったからだ。

 恋は、彼女の閉鎖的な価値観が今後どんな成長を見せるのかを想像して、他と同様強いリスペクトを抱く。

 

「でも今は恋にゃんのこと知ったし、良い子だなって思ってるよ」

「それは光栄ですね」

「司や竜胆も恋にゃんと料理をしてから、恋にゃんに好意的だし……私もちょっと気になってたんだ」

「ああ、聞いたんですね。俺と司先輩が料理したこと」

「うん、選抜中急に恋にゃんの復帰に手を貸してたから、聞いたんだよ」

 

 選抜本戦中、美作が仕掛けたあの策に司と竜胆が同意していたことはももにとって驚きだったらしい。それもそうだろう、元々恋の退学に同意したメンバーの中に司も竜胆も名を連ねていたのだ。それが何故あんな暴挙に手を貸しているのか気になって当然だろう。

 ももはその行動の意味を疑問に思い、選抜の後に司と竜胆に話を聞きに行ったのだという。つまり、恋のサポート能力についても、多少は聞いていたということだ。

 

「じゃあ始めようか恋にゃん―――君の力を見せてよ」

「……全力を尽くしましょう」

 

 紅葉狩りの交流中に成立したこの状況。

 仲良くなれたことは事実であるが、これは茜ヶ久保ももが恋の能力に興味を抱いていたが故の結果だった。どさくさ紛れにこの状況を約束させた時、ももにはももの考えがあったということだろう。

 

 しかし恋としては、十傑第四席にしてお菓子作りのカリスマと共に料理が出来るという経験は、願ってもないこと。

 

 ―――そのポテンシャル、どれほどですか。

 

 袖を捲って、料理人としてのプレッシャーを放つ茜ヶ久保ももに、そう思って笑みを向けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 調理が始まってから、茜ヶ久保ももは内心驚きを隠せなかった。

 お菓子作りとは、普通の料理とは使う材料も技法もかなり偏ったものになってくる。ケーキやチョコレート、飴など、お菓子作りでは完成した品を更に組み合わせるアイデアだって少なくない。

 彼女自身が保有しているお菓子作りの技術だって、誰にでも出来るものではない技術が多かった。

 

 なのに、恋はその調理工程に余裕をもってついてくる。

 ましてや自分自身の調理効率が大幅に向上していることを理解出来た。無駄が消え、自分自身の調理に今まで以上に没頭することが出来ている。恋の存在が無意識に思考から外れていき、自分の手の中で食材が思った通りに変化していくのが分かった。

 

「(これが、司や竜胆が言ってた恋にゃんのサポート能力……! 確かに凄い――というか、聞いていた以上!! 私の身体が恋にゃんに支配されてるみたいに、私のポテンシャルが全部引き出されていく……!!)」

 

 スタジエールでかつての第一席、四宮小次郎の厨房に入ったことで、黒瀬恋の力は大きく研鑽されている。もっと言えばメインで作る料理ではなく、ひたすらサポート能力を研鑽し続けた結果、四宮レベルの料理人でない限り、一対一では恋のサポートに飲まれずにはいられないほどになっている。

 十傑第四席であり、お菓子作りという特殊ジャンルのスペシャリストである茜ヶ久保ももは、まだ完全に飲み込まれてはいないが―――それでも、全力で臨まなければ自分の料理が恋の力によって生み出されたものに変質することを理解し、必死に食らいついていた。

 

 そしてサポートにおいては十傑すら簡単に食い潰せる恋の調理技術と視野の広さを知り、ももは己の感性と世界観が強制的に広げられていくのを感じる。

 調理において無駄が消えるのなら、自分自身のリソースを別のことに割くことが出来るのだ。そして完璧な工程は、完璧な結果を生み出すことに繋がる。

 ももの頭の中で、ぶわっと様々なアイデアが溢れてきていた。

 

 この工程が此処まで完璧に用意されているのなら、もしかしたらこういうことも出来るのではないか? 

 

 これが出来るのなら、これも出来るのではないか? 

 

 もしかしてアレも足すことも出来るかも?

 

 様々なアイデアが、調理前に想定していたイメージを装飾していき、更に成長させていく。そしてそのイメージはノータイムで調理に反映され、自身のイメージがそのまま手の中で具現化していくのが分かる。

 

「(可愛い―――可愛い――――可愛い―――――!!)」

 

 ももの表情が変わる。

 自分の中の可愛いという概念が、そのまま具現化していく姿が心の底から嬉しくて仕方がなかったのだ。口は笑みを作り、目はキラキラと理想の誕生に色めき立つ。

 恋のことなど最早思考から外されていき、研ぎ澄まされた集中力が次から次へと彼女の感性を昇華させていた。

 

「(凄いな、もも先輩……今まで出会った料理人の中で一番、己の料理に対する理想が明確だ。可愛いという概念が、人の形を取ったのかと思うほどのずば抜けた感性だ)」

 

 対して恋も、茜ヶ久保ももという料理人の凄まじさを理解していた。

 四宮も城一郎もそうだったが、己の目指すものに明確な理想があって、それが己の感性と合致している。

 今まではその恵まれた感性と才能で挫折なく第四席まで上り詰めることが出来たが、それ故に容易に人より優れることが出来た彼女は、その感性の本領を発揮出来ていなかったのだ。

 

 しかし、恋がサポートに入ることでソレが開花した。

 

「(感性だけなら司先輩よりも凄いんじゃないかこの人?)」

 

 司瑛士は食材の魅力を極限まで活かすことに徹する、いわば職人的なアプローチをする料理人だ。感性もあるのだろうが、高い調理技術や深い食材への知識、理解、そして経験から生み出されるものの方が大きい。

 対して茜ヶ久保ももは、作っている料理は他のパティシエと変わらない。

 だがその可愛いものへの優れた感性と、高い調理技術を掛け合わせることで、人の感情を大きく揺るがす表現者的なアプローチが強い料理人なのだ。

 

 『可愛い』を表現する料理センス、その感性だけなら、十傑内でもトップと言っても良いのではないかと、恋は思った。

 

「はぁ……はぁ……っ……はぁ」

 

 そして完成する料理。

 恋は余裕そうな表情をしているが、今まで使っていなかった脳領域を使ったような、そんな疲労感からかももは大分消耗している様子だった。額に汗が滲み、顔も紅潮し、荒い呼吸はその消耗の度合いを示している。

 

「っ……!?」

「っと、大丈夫ですか?」

「……うん……ちょっと、疲れただけ」

 

 ガクン、と膝が折れたももを咄嗟に支えた恋は、その軽い身体を抱え上げて椅子に座らせた。さりげなくお姫様抱っこをされて、ももの顔は更に赤くなった。

 

「はい、もも先輩、水です」

「あ、ありがと……んっ……」

 

 恋がコップに水を注いで渡すと、ももは息を整えながらそれを受け取り、熱を冷やすように一気に煽った。しゅるりとコックコートの襟元を開き、パタパタと手で風を送る。

 

 そうして落ちついてくると、たった今自分が作り上げた料理に視線を送った。

 

「…………最高傑作、更新」

「凄いですね」

 

 作り上げたのは、ケーキの城だった。

 飴細工やチョコレートなど、様々な食材を以って装飾されたその一品は、まさしく御伽の国に登場するようなお城そのもので、茜ヶ久保ももの感性をそのまま形にしたような広い世界観すら感じさせる。

 料理として、そして表現として、この一品は最早芸術だった。

 味の分からない恋にも、その品は一目で"可愛い"と理解出来る。

 

 茜ヶ久保ももという料理人の、人並外れた抜群の感性の極地が具現化されていた。

 

「……ねぇ、恋くん(・・・)

「?」

 

 すると、先程まで恋にゃんと呼んでいたももが、突然恋のことを名前で呼び始めた。どこか神妙な様子で恋を見る彼女の目は、どこまでもシリアスに何か強い意思を秘めている。

 首を傾げる恋に、ももはゆっくり立ち上がり、ふらふらと覚束ない足取りで恋の服をぎゅっと掴んだ。正面から寄りかかるような体勢だが、そうでもしないと立っていられない消耗なのだろう。恋はももの負担を減らすように、膝を着いた。

 

 身長差の大きい二人だ、膝を着いた恋の肩に手を置いてなんとか姿勢を安定させたももは、自分の視線よりも同じか少し下に来た恋の目を見つめる。

 

「……こんなに可愛いお菓子、私作ったことなかった」

「……はい、もも先輩は凄いと思いますよ」

「でも今の私じゃ、もう二度と作れない……恋くんがいなきゃ、これは作れなかった」

「光栄です……」

 

 ももの恋を見つめる瞳には、消耗に反して何処か熱を帯びている。

 恋もまたその熱に気付いていたが、どこか怪しい光に困惑する。

 

「こんなの作っちゃったら、もうどんなお菓子を作っても満足できない……だから」

「もも先輩?」

 

 恋は肩に置かれた手がぎゅっと強い力で服を掴んだのを感じ、料理人としてのプレッシャーとは違う圧力を放つももに、流石に動揺した。声を掛けるも、ももからの返答はない。

 そして動揺する恋に対して、ももは怪しげな笑みを浮かべてこう告げた。

 

「―――これからの人生、ずっと、私と一緒にお菓子を作って?」

「え」

 

 最初、司瑛士と同じようなこと言いだした、と思った。

 ただ彼女が司と違ったのは、拒否権などないという我儘を押し通そうとしているところである。問答無用、絶対に逃がさないとばかりに握りしめられた服が、それを証明している。

 

 

「約束ね?」

 

 

 どうやらとんでもない形で好感度が振り切られたらしかった。

 

 




修羅場修羅場。
次回、恋とももの様子を覗き見していたお嬢様と第一席の視点。

感想お待ちしております✨





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六十話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 時間は戻って、ももと恋が一緒に調理室へと入っていった時。

 二人の後を付けてきた薙切えりなは、こっそり調理室の外から二人の様子を伺っていた。紅葉狩りの時の距離感ほどではないが、此処に来るまでの間も仲が良さそうに話が弾んでいた様子で、少なくともももの方は完全に恋に対して心を開いている様子。

 流石は高慢だったえりなをして絆されてしまった恋のコミュニケーション能力というべきだろうか。自分至上主義の司瑛士や粘着ストーカーの美作昴、破天荒な幸平創真にストイックな葉山アキラ、自由奔放な薙切アリスなどなど、個性豊かな人物達を相手にして尚、関わった人物には例外なく慕われる恋は、生粋の人誑しという奴なのだろう。

 

 もっと言えば彼に誑し込もうという気はないのだから、本当にその人となりに惹かれる者が多いということ。

 料理人としてではなく、人間としての器があまりにも大きかった。

 

 とはいええりなとしては気が気ではない。

 いや、告白されているのだから返事を返せばすぐにでも恋人関係になれるのだろうが、えりなはその告白の際に退学を帳消しに出来たら返事をくれと言われていた。にも拘らず退学が取り消されて既に一ヵ月以上が経過している。

 タイミングを逃したと言われればそれまでだが、単にえりながヘタレただけの話。

 これだけずるずると返事をしないでいて、恋が色々な人と仲良くしている姿をみれば、もう自分への恋慕の情はないのかもしれないと思っても、仕方ないことだった。

 

「むむむ……」

 

 こんな滑稽な真似をしているのを見られたくはないので緋沙子は置いてきたえりな。

 室内でイチャイチャと一緒に料理をしている(えりなにはそう見える)のを見て、恋のサポートとして高い技術力と茜ヶ久保もものお菓子作りにおける天賦の才が合致して、とても良いコンビだと思えてしまうのが悔しい。

 恋のサポート能力の高さ故に、調理中のももの表情がどんどん生き生きしていくのが分かる。その手がまるで料理という概念を超えて、何かを生み出そうとしていると思ってしまうほどに、二人の調理は時間を増せば増すほど洗練されていた。

 

「(……恋君の技術が選抜時とは比べ物にならないくらい洗練されてる。技術力、というより、その安定感と発揮される実力のアベレージが上がっているといった所かしら……以前にも増して簡単に出来そうに見えてしまうのは、それだけ彼のやっていることに無駄がないからだわ……今もサポートをしながら茜ヶ久保先輩の技術を学習している、人並み外れた学習意欲と習得速度―――これが恋君の高い技術力を会得出来た理由ね)」

 

 じっと見ていれば、その高い次元での調理光景にえりなも料理人としての思考が働く。恋の実力の向上、そしてそのレベルの向上を理解し、彼の高い技術力の理由を察した。

 無駄のないサポートが、完璧な調理へと料理人を誘う。

 恋にもしも正常な味覚があったとしたら、あのサポート能力と同じ技術力が一品に注がれることになる。えりなは思う、そうなればこの遠月の頂点は決まっていたかもしれないと。味覚障害だからこそ、彼はメイン料理人として未完成なのだ。

 

 ならば、彼の技術力に神の舌があったなら―――

 

「(私と恋君なら……きっと、この世に存在しない究極の美食を作れる)」

 

 恋とえりなが揃えば、出来ないことなど何もない。

 えりなは大人になった自分と恋が、同じ店で一緒に料理をする光景を思い浮かべ、それが手に入ったらどれほど幸福だろうかと思った。胸がきゅうっと締め付けられるほどに、その光景に焦がれてしまう。

 

 やはりえりなは、恋のことが好きだった。

 

「(……恋君)」

 

 だが、えりなが恋にその気持ちを告げようとすると、どうしても心の中でブレーキが入ってしまう。退学騒動の時は、恋人になってしまったら別れが辛くなってしまうと思い、勇気が出なかった―――そう思っていたが、騒動が収束した今は違う。最初こそ勇気が出ないだけと思ったいたものの、心のどこかで、頭のどこかで、恋に告白することに対する謎の不安や恐怖があることに気付いたのだ。

 

 それは振られることの恐怖ではない。そもそも告白されているのだから、振られるわけではない。そうではなく、もっと根本的に心に根付いたような恐怖心がえりなの告白を躊躇わせている。

 

 

 "えりな―――美―――ゴミ―――"

 

 

 ゾクッと背筋が凍るような声を幻聴し、咄嗟に身体を抱きしめた。

 血の気が引く様な感覚に心臓がドクンと脈打つ音を聞く。

 

「……薙切、顔色が悪いが大丈夫か?」

「! ……司先輩」

 

 するとそこに声を掛けてきた人物がいた。

 第一席の司瑛士だ。

 顔色が悪い自分を心配してか、少々おっかなびっくりといった様子で声を掛けてくれたらしい。ふぅーっと息を吐き出して、少しずつ落ち着いていくのを感じながら大丈夫だと返す。すると司も、無理はするなよと言いながら調理室の中を伺いだした。

 

 どうやら司も恋とももの様子を見に来たらしい。

 

「……やっぱり流石だな黒瀬、スタジエールで成長したのか更に磨きが掛かってる」

「……司先輩はどうして此処に?」

「黒瀬は俺が懐刀にしたい料理人だからな……腕の立つ料理人なら、あのサポートを受ける前と後じゃ見える世界が異なる。黒瀬のサポートを受けてする料理は、ある意味麻薬だ……自身のポテンシャルが十二分に発揮される快感は、一度経験すれば忘れることは出来ない……これで茜ヶ久保が黒瀬を欲しがらない筈がないだろう? 黒瀬は俺のパートナーにするんだ、ライバルは少ない方がいい」

「そこまで……」

 

 えりなは未だ今の恋のサポートを受けたことはない。

 緋沙子はそのサポートを受けていたが、合宿課題中のことだったし、緋沙子自身えりなの後ろを付いていくことを絶対としていた時期。また恋はえりなの大切な人だとわきまえていたが故に、緋沙子はそれほど恋に執着しなかったのだろう。

 だから司ほどの人物がそう言い切る恋の腕には、正直興味を引かれてしまう。自分も恋と自分が組めば、という想像をしてしまった手前、否定も出来なかった。

 

「勿論、黒瀬無しでその実力を発揮出来ればそれが一番良いんだが……黒瀬の真似をするのは今から十年以上は掛けないと無理だろうな……アレはおそらく小さい頃からひたすらの反復練習で身に付けた習性のようなものだ。自分の料理スタイルが確立してきた今、ソレを壊して黒瀬と同じことをやろうとすれば、どんな天才でも彼がそれに掛けた時間の倍は掛かる」

「だから、恋君のサポートを受ける方が手っ取り早いと」

「ああ、だがライバルは多いだろうな……俺達三年は今年で卒業だ。そうなれば黒瀬にアプローチを掛けられる時間は少ない……茜ヶ久保の可愛いものへの執念は知っているだろう? あれほどの執着心を持つ彼女が黒瀬を手に入れようとすれば、どんな手段に出るか分からない。正直、こわい」

「最後にヘタレないでください」

 

 とはいえ司の言うことも一理ある。

 十傑として何度か話したこともあったが、茜ヶ久保ももという人物は、可愛いものへの執着心がとんでもなく強い。己こそが可愛いと思っているし、己の作るお菓子が一番可愛いと本気で信じている。なまじ第四席の座を得ているのだから、当然だ。

 故に彼女が〇〇にゃん、○○みゃんと可愛がる意味も込めてあだ名をつけて呼ぶ時、彼女はその相手のことを見下している。己よりも格下だからこそ、彼女は上位者として格下を対等に扱わないのだ。

 その証拠に、司や竜胆に対してはあだ名をつけて呼んでいない。

 

 それほどまでに自分至上主義かつ可愛いものに対する執着心を持つ彼女が、黒瀬恋のサポートを受けて過去最高の可愛いスイーツを作り上げてしまったなら……その可愛さに届かないこれからを受け入れられるはずがない。

 司の言う通り、どんな手を使ってでも恋を手に入れようとしてもおかしくはないだろう。

 

「! 料理が完成したみたいだ……」

「!」

 

 司の言葉に中の様子を伺うと、フラフラのももを支える恋の姿があった。

 

「……まぁ、消耗した先輩を支えただけ……」

 

 それをお姫様抱っこで運ぶ恋の姿があった。

 

「殺っ……!!」

「待て待て待て待て薙切! それは物騒過ぎる! 中には包丁とかあるから!」

「丁度いいじゃないですか」

「お前黒瀬のことになると見境なくない!?」

「これが薙切の血統です」

「食の眷属ってそういう意味だったっけ!?」

 

 思わず嫉妬心から物騒な発想に飛んでしまったえりなだが、幸い司の必死な説得で思い留まる。お姫様抱っこなど自分ですらやってもらったことがないのに、と思いながらも、爪を噛んだ。

 まずは会話を聞いてみようという司の提案で、二人して聞き耳を立てる。

 すると、中から息を切らしたももの声と心配そうな恋の声が聞こえてきた。どうやら恋のサポートを受けて消耗したももを介抱しているらしい。司ですら恋のサポートを受けた後は座り込んでしまったくらいだ、その小さな身体に対する消耗はかなりのものだろう。

 

『……ねぇ、恋くん』

『?』

 

 恋にゃんと呼んでいたももが、恋のことを名前で呼んでいる。

 司とえりなは思わず顔を見合わせた。

 

「不味いな、茜ヶ久保が黒瀬のことを対等に見ている……! アレは確実に堕ちたぞ」

「……名前呼びするのちょっと早くないですか?」

「そろそろ正常に戻ってくれないか薙切!?」

「私は十年くらい掛かったのに……」

 

 ぶつぶつと呟くえりなに司は困った顔をするが、事態はどんどん進んでいく。嫉妬に拗ねるえりなは放置して、司は事の成り行きを見ていた。

 

『……こんなに可愛いお菓子、私作ったことなかった』

『……はい、もも先輩は凄いと思いますよ』

『でも今の私じゃ、もう二度と作れない……恋くんがいなきゃ、これは作れなかった』

『光栄です……』

 

 ももの目が怪しく光るのを見て、司は本気で不味いと思った。

 

『こんなの作っちゃったら、もうどんなお菓子を作っても満足できない……だから』

『もも先輩?』

 

 これ以上は不味いと思い、司は扉に手を掛ける。

 

『―――これからの人生、ずっと、私と一緒にお菓子を作って?』

『え』

『約束ね?』

 

 ガチャっと勢いよく扉を開け、中へと突入する司。

 えりなはその行動を見て、ハッと我に返り、遅れないように中へと突撃した。此処で出遅れたらますます入りにくくなってしまうと判断したのだ。

 

 入ってきた司とえりなに、ももと恋の視線が向かう。恋は驚きを、ももは不愉快さを隠すことなく表情に浮かべた。

 

「それは困るな茜ヶ久保、黒瀬は俺の先約がある」

「……何? ここはももの専用調理室、勝手に入らないで欲しいんだけど」

「お前に黒瀬は渡さない」

「は? どうせ司の独り相撲だよね? 恋くんはこれから私とずっと一緒にお菓子を作るんだよ。邪魔しないでくれるかな」

「それを言うならお前のソレも勝手な押し付けだろう? 黒瀬の了承を得たわけじゃない」

「……ムカつくなぁ、こんなにムカついたのは初めて。腕は認めてたけど、司ってこんなにウザかったんだね」

「それは普通に傷つく」

「弱っ……司先輩弱っ……!?」

 

 飛び込んできた司の言い分に、ももは殺すぞとばかりに睨みつけながら反論する。喧嘩勃発もかくやとばかりの言い合いだったが、シンプルな悪口に司の心が傷ついた。どちらも自分至上主義の一面を持つ二人だが、どちらかと言えば強気に出るのはももの方だったらしい。

 ツッコミを入れたえりなに目を向けたももは、更に不愉快とばかりに眉間に皺を寄せる。

 

「で、えりにゃんはなんで此処にいるの?」

「……私も同じです。恋君を茜ヶ久保先輩には渡せません」

「それは料理人として? それとも薙切えりなとして?」

「それは……」

「即答出来ないなら黙っててくれない?」

「……っ」

 

 ももにはえりなの気持ちはバレているのだろう。紅葉狩りの時に気付かれたような素振りもあった。

 司の時も、恋の前でハッキリと自分の気持ちを言葉に出来なかった故に言い負かされてしまったが、今回も同じだった。ももに司よりもキツイ言葉で言われてしまい、えりなは押し黙ってしまう。

 

 告白された以上、此処にいる誰よりも優位に立っている筈なのに、此処にいる誰よりも弱かった。

 

「いくら司でも、恋くんは譲れないかな」

「お前のものじゃない、黒瀬に先に誘いを掛けたのは俺だ」

「先だとか後だとか、そんなのに拘るなんて器が小さいなぁ」

「お前心抉るの上手過ぎないか?」

 

 口喧嘩になると司が的確に傷つくので、ますます不機嫌になったももがこんな提案を出してくる。

 

「……じゃあ食戟で決める? お題は自由……お互いに恋くんのサポートを受けて必殺料理(スペシャリテ)を作って、どちらが実力があるのか勝負すればいい……全てのポテンシャルが発揮出来る以上、まぐれ勝ちはない。実力の優劣は明確に測れるでしょ?」

「良いだろう、望むところだ……審判はどうする?」

「丁度良く神の舌がいるんだから、使えばいいじゃん」

「確かに……これ以上ない適任だな」

 

 とんとん拍子に進んでいく茜ヶ久保ももと司瑛士の食戟。

 お互いに黒瀬恋のサポートを受けた全戦力で必殺料理を作り、それを神の舌で優劣を判断してもらう。これ以上なく実力差が明確に出来る勝負に、ももも司も燃えていた。

 

 負けた方が黒瀬恋を諦める――そういう条件だ。

 

「それでいいか? 黒瀬」

「いいよね? 恋くん」

 

 黙って見ていた恋の方へと話は決まったとばかりに視線を向けた二人。三年二人の視線を受けて、恋は淡々と言った。

 

 

「ダメに決まってるでしょ、解散」

 

 

 食戟不成立。

 その後、二人は一時間恋に叱られて泣いた。

 

 

 




修羅場を収める能力も高い恋君でした。
もも先輩の強気な喧嘩は書いてて気持ちよかったです。

次回は本格的に月饗祭へと入っていきたいと思います。
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六十一話

お久しぶりです。
八月後半は少しお休みをいただいていました。

更新再開致します。
頻度としては以前と同じ、月木休載の週五更新です。

どうぞよろしくお願い致します。


 ―――月饗祭

 

 遠月学園もすっかり秋を迎え、一年のスタジエールも終わって生徒達の中にも落ち着きが見え始めた頃、学園内は秋の選抜以来の一大行事に空気が色めき立っていた。

 遠月学園も料理学校としてかなり特殊なカリキュラムを組んでいるとはいえ、学校は学校。普通の学校同様に文化祭に該当する行事が存在する。

 

 それが月饗祭。

 毎年50万人以上の人が訪れる化け物イベントである。

 

 料理学校らしく、主に各団体、有志、個人によって出店される店で思い思いの料理を振舞うことが通常。店を構えるに当たって料理人のメンバーや料理ジャンルは自由だが、遠月というブランドだけあって、その店と料理人のグレードによっては高額の金が行き来する。

 中でも出店におけるポイントとして、出店エリアが三つに分かれている。

 

 一つ目が目抜き通りエリア。

 学園の正門から道なりに続く大通りで、仮設テントなどで作られた店がずらりと並ぶ最も人通りの多いエリア。

 

 二つ目が中央エリア。

 学園にある調理棟の設備を使用した、仮設テントでは提供しづらい専門料理を主とした店が並ぶエリア。

 

 三つ目が山の手エリア。

 平均客単価の大きい、高級志向のエリア。隠れ家的な建物がぽつぽつと並び、そこをレストランとして使用するが、料理人としての知名度が無ければ集客は困難。それゆえに。十傑の殆どはこのエリアに店を構える。

 

 これらの三エリアの中から自分の出店する店のグレード、料理ジャンル、そして自身の実力を鑑みて、その出店場所を選択するのだ。

 そして五日間という開催期間の中で、その売り上げをエリア毎にランキング化し、その日の売上順位は毎日公開される。当然、上位に食い込めば翌日以降も人を集めやすくなるし、ひいては自分の売名にも繋がるだろう。

 

 そして最後に最も重要なルール。

 この月饗祭で出店する以上は―――赤字を出せば即退学であるということ。

 

 無論、出店するかどうかは個人の自由だ。

 

「出店自由とはいえ、赤字で即退学とは……遠月学園らしいな」

 

 そんな少々浮ついた空気感の中で、恋は一人、そのルールを確認していた。

 月饗祭のルールはHRにプリントで配布されたので、それを見れば遠月らしく、普通の学園祭とは違うことが容易に分かる。創真はまともに読んでいなさそうだったが、月饗祭自体には参加する気満々な様子だった。

 

 ベンチに座って一人そのプリントを眺めていた恋だったが、一通り目を通すと紙面を下ろし、はぁと溜息を吐いた。横に置いておいたペットボトルを手に取り、中の水を一口煽る。

 最近は人といることの方が多かったからか、一人の時間が少し新鮮に感じた。

 

「まぁ……俺は出店しないかな」

 

 ぽつりとつぶやく恋。

 遠月の頂点を目指すに当たって、その知名度はかなり重要なファクターになってくるが、それでも味覚障害の料理人として店を出すのは正直気が引けた。味覚障害であるということを秘密にして、当たり前の味覚を大前提にやってくる客を騙したくはないし、仮にそれを公表して店を出した場合、人が集まるとも思えなかったのだ。

 

 これは実力云々の問題ではなく、単純に世間体や人の偏見の問題である。

 

 色眼鏡が付いてしまう以上、どんなに美味しくてもそこに懐疑的な思考が混じるのだ。それは無名の恋には覆すことの出来ない事実。無暗に出店して退学になる道を選ぶほど、恋は無鉄砲でもなかった。

 

「じゃあ、ももの店を手伝ってよ……恋くん」

「……いつから其処に居たんですか、もも先輩」

 

 すると、その呟きを聞いてか恋に誘いを掛ける茜ヶ久保ももが隣に座っていた。ご丁寧にブッチーまで隣に座らされている。気配もなく現れたことで、恋は驚くタイミングを逃してしまった。

 

「歩いてたら偶々恋くんがいて、月饗祭のプリントを見てたから丁度いいかなって」

「なるほど……出店に関して、料理人の学年は関係ないんですね」

「うん、各部活も出店するし、学年毎のイベントじゃないから、交流と勉強の意味も兼ねて知り合いの上級生の店に入れて貰うことは、よくある話だよ……まぁ、この時期までに上級生との関わりを持てるかどうかは、その人次第だけど」

「上級生は下級生とはいえ人手が手に入り、下級生は上級生の技術を盗む機会を得られるってわけですか……なるほど、よく考えられてますね」

「そう、だから恋くんもももの店で一緒に料理しよ? 自慢じゃないけど、私遠月に入ってから二度月饗祭を経験してるけど、毎年売上一位だったんだよ」

「それは凄いですね」

 

 ももの勧誘に恋は素直に驚いた。

 そして同時に考える、この月饗祭に出店せずに名前を売る方法を。

 

「もも先輩、出店している店への協力って別に一店舗だけじゃなくても大丈夫でしたっけ?」

「え? まぁ、その辺の制限はないけど……店舗の登録に必要なのは代表者の名前だけで、誰がどこの店で料理しているかどうかまでは、月饗祭のパンフレットには記載されないから」

「なるほど……じゃあ大丈夫そうですね。もも先輩のお店のお手伝い、ちょっと保留させて貰ってもいいですか?」

「……いいけど、何をするつもりなの?」

「まだ詳しくは決めてないですけど、俺なりの月饗祭の参加方針が決まりそうです。なんで、ある人に相談させて貰おうかなと……それじゃ、失礼します。おって返事させて貰いますね」

 

 恋はももの誘いを保留にして、動き出す。

 ベンチに取り残されたももは、恋からすぐに承諾の返事がもらえなかったことに少し不満を抱くが、それ以上に恋が何をしようとしているのかが気になった。恋は独り言で出店はしないと言っていたので、店を出すわけではないのだろう。

 

 だとしたら、何を?

 

 想像が付かない恋の行動に首を傾げ、ももはブッチーを抱きしめた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんな恋の行動とは別で、幸平創真は久我照紀に挑むべく中華料理研にやってきていた。中華料理に通ずる料理人であり、秋の選抜にも選ばれていた北条美代子の案内で連れて行かれた中華料理研究会の拠点。そこでは月饗祭に向けて、麻婆豆腐を一糸乱れぬ動きで作る中華料理研の料理人達が、熱気を放つ光景を作り上げていた。

 

 そしてそれの統率を取るのは、当然久我照紀である。

 

 十傑第八席の座に座る彼の作り上げた城は、中華料理というジャンルにおいて遠月一のレベルを誇っていた。創真達に気付いた久我が、その麻婆豆腐を振舞い、それを口にしただけで伝わる旨味と辛味。極上の辛さが、その証拠

 しかも、中華研からランダムに選出された料理人十名が、全く同じ速度で全く同じ味を作り上げるという統率力も凄まじい。

 

「これが本物の辛味だよ幸平ちん。この強烈な辛味と美味さのコンビネーション……定食屋の味じゃ絶対にかなわないっしょ? そしてウチの連中は、この味を完璧に再現できるよう仕込まれてる。この俺によってね」

 

 宣戦布告に来たつもりが、圧倒的実力差を歴然のモノとされてしまった創真。

 黒瀬恋が十傑に近い場所で交流を図っていたことで曖昧になっていたが、十傑という称号は決して甘いものではない。十傑第十席であろうと、その実力は一般生徒とは隔絶された位置にあるのだ。

 

 まして今回は各々が得意ジャンルを作ることが許された月饗祭。

 辛さを活かした中華料理を作らせたなら、この久我照紀に一分の隙も無い。

 

「遠月の学園祭は、毎年50万人が訪れるお化けイベント。一日1000食ぐらいは出せなきゃ上位には食い込めないからねん」

「(1000食……!)」

「幸平ちんの人員はたった一人……レシピもまだだったよねぇ。ねえ幸平ちん、俺に何で勝つつもりなのか、良かったら教えてくれる?」

 

 重たい圧力と共にそう問いかける久我に、創真もまた笑みを浮かべた。

 

「勿論、料理でっすよ……!」

「ハハッ! 黒瀬ちんならまだしも、秋の選抜で決勝にも残らなかった幸平ちんが?」

 

 強気に言い返した創真に対して久我が放った言葉。

 その言葉に創真はむ、と表情を曇らせる。此処でも出てきたのは、やはり黒瀬恋の名前だった。十傑の中でも注目されているのは、秋の選抜で優勝した葉山アキラではなく、黒瀬恋。

 創真の進む先、何処へ行っても付いてくる黒瀬恋という壁に、創真も内心穏やかではない。

 

「……黒瀬なら、久我先輩に勝てるっていうんですか?」

「さぁね、負けるつもりはないけど……客観的に見ても、主観的に見ても、黒瀬ちんの実力は君達一年生の中じゃ飛び抜けてる。まぁ総合的に見れば俺達十傑や神の舌を持つ薙切ちん程じゃないかもだけど、個人の技術力だけなら既に俺達十傑を越えてるだろうね」

「……てことは、黒瀬以外は眼中になしってことすか?」

「否定はしないよん、まぁ撤回させたいなら―――料理で結果を出してみせてよ」

 

 久我は否定しない。

 あくまで久我の中では創真は恋より格下であり、何処まで行っても眼中にはないのだ。敵とすら認識されないことに、創真は闘志を燃やしながらもその場を後にした。

 

 打倒久我照紀―――だが同時に創真の中で、黒瀬恋という料理人に対する闘争心も燃え上がる。

 

「やっぱ、最後には黒瀬にも勝ちてぇな……」

 

 基本的には勝負を挑まれることの方が多くなった創真が、強く意識してしまう料理人が黒瀬恋。料理人として、そして人として、一切の嫌悪感なく素直に尊敬出来る人物だからこそ、ストレートに勝ちたいと思えた。

 

 遠月学園にやってきて得た、黒瀬との出会いは――幸平創真にとって、料理人として大きな転換点だったのかもしれない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 茜ヶ久保ももと別れた恋がやってきたのは、遠月内にある二年の調理棟。普段は二年生の授業や調理の為に使われる場所故に、恋の他には二年生ばかりが行き交っていた。

 恋が今回の月饗祭で自分の知名度を上げるために取る行動、それはとある人物の協力を仰ぐことが一番効果的だった。

 

 スイスイと人混みを抜けて辿り着いた一室、その扉に二度のノックをする。

 すると中から扉が開かれ、その部屋にいた人物が顔を出した。

 

「! お前……何しに来た」

 

 その人物は恋の姿を見て少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐにシリアスな視線で恋に問いかける。歓迎的な色はなく、ただ単純に恋が何故此処に来たのかを疑問視する色だけが、その視線にはあった。

 恋もその問いかけに対して苦笑しながら返事を返す。

 

「ちょっと相談したいことがありまして、少しお話できませんか」

「相談……? お前が俺にか」

「ええ、これは貴方じゃないといけない話なんですよ―――叡山先輩」

 

 恋の言葉に眉を潜めた人物、それは元十傑第九席の叡山枝津也だった。

 十傑を追われてからしばらく、あまり健康的な生活を送ってはいなかったのか目元にはクマが刻まれている。

 恋の言葉に眉を潜めたものの、話を聞くつもりはあるらしく扉を開いて恋を中へと誘った。恋は軽く会釈しながら中へと入り、中に設置されていた椅子にデスクに座る叡山に促されるようにして、ソファに座る。

 

「それで……何の用だ?」

「月饗祭で、ちょっと協力して欲しいことがありまして」

「……何をするつもりだ? 出店するってんなら、俺は別に協力するつもりはねぇぞ。月饗祭では俺も多くの店のプロデュースをすることになってる……忙しいんでね、お前の些事に付き合ってる暇はない」

「十傑第十席に就いた石動先輩……裏におそらく例の黒幕がいますよ」

「!! ……なるほどな」

 

 恋の言葉に拒否の姿勢を貫いていた叡山だったが、恋の一言で顔色が変わる。

 その言葉だけで理解したのだろう、もしくは知っていたのかもしれない。

 

 恋は月饗祭とは別で考えていた。

 己を襲った黒幕が月饗祭で動く可能性は高いということを。

 毎年50万人も客が訪れるこの一大行事、外部から入り込むなら絶好の機会だ。人も多ければ何か暗躍するにも適した環境となる。であれば、恋に対してであろうが、学園に対してであろうが、何かするにはうってつけのタイミングだろう。

 

 まして薙切えりなの父親がその黒幕だというのなら、薙切えりなに接触してくる可能性は非常に高い。

 

「……確かに、俺が十傑だった時の段階じゃ……この時期が明確に動き出すタイミングとして計画されていた。今はどうか分からねぇが、新十傑の石動が奴の手先だってんなら十分に実行可能だろうな」

「というと?」

「……お前の退学がそうだったように、十傑評議会の過半数の賛同を得られた場合、その決議は学園運営における最高決定権を持つ―――奴はそれを使って現総帥を失脚させ、新総帥の座に就くつもりなんだよ」

「……なるほど」

 

 そして明かされる、黒幕の恐るべき計画。

 学園の最高権力を手に入れたのであれば、暗躍することもなく堂々と動くことが出来る。そうなった場合、恋だけではなく多くの生徒にとって都合の悪い学園へと変貌させられる可能性が高い。

 ましてや恋を排除するために容赦ない手段を取った人物だ。良心があることを期待するのは、難しい。

 

「それで、お前の用件はなんだ?」

「ええ、ちょっと思いついたので……この月饗祭で―――一番注目を集めたいんですよ」

「何……?」

 

 恋の不敵な笑みに、叡山枝津也は再度眉を潜めた。

 




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六十二話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 各々の思惑が行き交いながら、月饗祭本番に近づくにつれて学園内の空気もすっかりお祭りモードになっていく。

 極星寮では一色を代表に一つの出店を出店するようだし、創真は対久我照紀の策を練るべく日夜試行錯誤を繰り返し、恋もまた自分のやり方で知名度を上げる策を練っていた。

 そのせいもあってか、ここ数日はえりなと恋はあまり会話をしていない。

 秋の選抜同様、十傑にはこの一大行事に対し、運営としての仕事があるのだろう。彼らもまた店を出す以上、ある程度大人側が仕事を担っており、秋の選抜程の仕事量ではないようだが。

 

 そして月饗祭まであと数日といったところで、恋は創真や田所と一緒にいた。

 叡山枝津也とは無事に話を付け、協力を取り付けることが出来たので、現段階で恋のやることといえば、月饗祭に出店される店の確認や普段通り調理技術の研鑽くらい。ならば創真の店の協力をということで、こうして一緒にいるのである。

 

 遠月十傑評議会第八席である久我照紀は、中華料理のスペシャリストだ。

 彼の作る料理は、辛さの先にある旨味を十分に理解した、まさしく料理人の顔が見える料理。実際創真が試食した麻婆豆腐も、舌が痺れるほどの強烈な辛さがあり、その先に確かな美味さがあった。ただ辛いだけではない、昨日今日で作れるようなものではない辛味の美食。

 対して創真は大衆料理としての麻婆豆腐しか作ったことがない。

 それは辛さがなく、万人が食せるまろやかさが勝つ一品。本格的な中華料理に対抗するには、刺激もインパクトも段違いだ。

 

「昨日薙切や新戸にも試食して貰ったんだけど、まぁ色々知らないことばっかでさ」

「中華料理の辛味の基礎は教わったんだろ? 麻味(マーウェイ)辣味(ラーウェイ)についてとか」

「おお、あとはまぁ中華料理のレシピとかも色々集めてきて、田所に色々試食してもらったんだけどさ。やっぱり久我先輩にはてんで届かない」

「まぁ専門分野ってのは、素人では到達出来ない積み重ねを経て自分のものにするから専門分野なんだし、それは仕方ない」

「うーん……そうだ、黒瀬もいっちょ麻婆豆腐作ってみてくれよ。何か違いが分かるかもしれねぇし」

「まぁ、いいけど」

 

 創真はおそらく現段階では越えられない専門分野の壁に、どうやって勝ればいいのかを考える。久我との勝負をするのであれば、中華料理というジャンルは創真からすれば大前提の話。久我の得意分野だからこそ、そこにまぐれという要素が介在する余地はなくなるのだ。

 創真に麻婆豆腐を作ってみてくれと言われ、それを了承した恋は手早く麻婆豆腐を作っていく。中華料理に限らず、古今東西あらゆるジャンルに精通した知識と技術を持つ恋は、唐突に作れと言われても高い水準で一品作ることが出来るのだ。

 

 完成した麻婆豆腐の見た目は、久我照紀の作る麻婆豆腐に近い鮮やかな赤。見た目からも伝わってくる辛味、香りから確信出来旨味が、食欲をそそる。

 

「じゃあ、一口」

「私も、いただきます」

 

 レンゲを手に取り、恋の作った一皿から一掬い。

 創真と恵はおそるおそるその麻婆豆腐をぱくりと口に入れると、一瞬で舌から脳へとダイレクトに走る辛味を感じた。まるで雷撃の様にひりつく痛みと、発火するように熱くなる身体。そしてその刺激を越えた先に感じる確かな美味さが、次の一口を誘ってくる。

 

 久我照紀の麻婆豆腐ほどとまでは言わないが、それでも劣らない完成度。

 即興で作らせてここまでの一皿が作れるという事実が、創真と恵に衝撃を与えた。

 

「まぁ、これは単純に俺が知識として知ってる麻婆豆腐のレシピを忠実に再現しただけの一皿だ。作ろうと思えば誰でも作れるけど、裏を返せば相応の技術力さえあれば中華を専門としていなくてもこの程度は作れるってことだ」

「なるほど……まぁ、黒瀬レベルの調理技術は例外だけどな」

「うん、黒瀬君はこの程度なんて表現で納めちゃいけない部類だと思う」

「あれ? なんか素直に褒められてる気がしない」

 

 恋の作った麻婆豆腐を食して、より一層創真は中華料理で勝負することの無謀さを思い知る。とりわけ、辛味という面で戦うのはあまりにも勝算がなかった。

 これは中華料理といっても、早々に辛味を主とした料理で勝負するのは諦めた方がよさそうだと判断する。

 

「……! そうだ、あれなら……」

「創真君?」

「田所、ちょっともう一回試食頼む。黒瀬は作るのを手伝ってくれ」

 

 そこで創真は何か思いついたのか、恵にまた試食を頼む。恋は味覚障害なので試食役には向かないので必然的に恵に試食を任せることになるが、代わりに調理に関するアドバイスを頼まれる。

 

「良いけど、何を作るの?」

「ああ、胡椒餅(フージャオピン)だ!」

「なるほど、台湾の出店ではポピュラーな一品だな。肉ダネを生地で包んで焼きあげるから、手でもって食べることも出来るし、コストも高くない……辛味に特化した久我先輩の中華料理と差別化も図れるし、良いチョイスかもな」

「昔親父に教わった料理でさ、これならいけると思うんだ」

 

 創真は突破口を見つけたように瞳を煌めかせ、ニッと歯を見せて笑う。

 これならば確かに、麻や辣などの要素を気にせずに勝負をすることが出来るし、台湾も中華料理の系統ではあるから久我照紀のフィールドでの勝負も成立する。

 あとはどこまでそのクオリティを高めることが出来るかを追求すれば、少なくとも料理としての釣り合いは取れるだろう。

 

 あくまで、料理同士の勝負は、だが。

 

「だが向こうは十傑の権限を持ってるからな、集客力と店の外観に掛けられる資本がまず違う。そこはどうするつもりなんだ? パンフレットを見たけど、幸平の店の場所って久我先輩の店の目の前だろ?」

「ああ、合宿の朝食課題の時を思い出してな。アレをクリア出来たのは、隣が薙切で客がいっぱいいたからってのがデカかったんだ。上手く俺のとこに客が流れてくれたからな……今回俺が狙うのは、久我先輩の店に並ぶ客を奪う作戦だ!」

「なるほど……だがその策を達成するには、胡椒餅だけでは厳しいな。用意出来る材料にも限りがあるし、限られた食材でもう一品くらいメニューを用意した方がいいかもな……中華料理としては最も人気といって過言じゃない拉麺系の料理とかどうだ?」

「拉麺か……でも確かに、肉ダネを生地に包む以上視覚的な物珍しさしか集客力を持たないのは辛いな……味も想像しづらい」

 

 今回の対久我照紀の勝負は、本質が料理の味ではない。

 この月饗祭というイベントでの勝負である以上、勝負を決めるのはあくまで売上。つまりは集客力がものをいう勝負だ。

 であれば、久我の料理との差別化を図るだけではまだ一歩足りない。客を奪うという方針は決して悪くないと思う恋だが、その策が具体的に定まっていないのは無策と同じなのだ。

 

 故に、もう一品作ることで集客力の強化を図ることを提案する。

 別に拉麺でなくとも構わないが、客を誘う要素は何も視覚的なものばかりではない。

 

「俺らの同期にはいただろ、秋の選抜で誰よりも人を惹きつける料理を作る料理人が」

「! そうか……!」

 

 創真は恋の言葉にハッと気付いたようで、頭の中でアイデアを纏めていく。

 思い出すのは秋の選抜の予選のことだ。

 お題はカレー。そこでA、B両グループ合わせて尚トップクラスの一品を作り上げた、香りのスペシャリスト―――葉山アキラ。

 

 彼の料理は、調理中から既に香りを放ち、多くの人々を惹きつけた。

 そう、香りは視覚以上に人を惹きつける重要な要素になり得るのだ。それは彼が証明しているし、事実色々な料理店でその効果を実感する者は多いだろう。

 

 そしてそれはきっと久我の客の興味を惹きつけるには大きな武器となる。

 

「サンキュー黒瀬、方針が決まってきた」

「ああ、俺は出店しないから、月饗祭中何か協力が必要なら言ってくれ。手が空いてたら力を貸すよ」

「おう!」

「それじゃ俺に出来ることはもうなさそうだし、俺は行くよ」

「ああ、ありがとな」

 

 恋はそう言って出ていく。

 確かに作る料理が定まった以上は、あとは創真自身の試行錯誤であり、試食が出来ない以上は恋に出来ることはもうない。知識を披露することは出来るが、これ以上の助言や助力は創真の望むところではないと、恋は分かっていた。

 

 だが、恋が出て行った後、創真はふと気になって恋の出て行った扉を見る。

 

「どうしたの? 創真君」

「いや……アイツ出店しないのに、手が空いてたら、って……月饗祭中何かする予定なのかと思って」

「あ、確かに……でも黒瀬君なら何か頼まれてたりしそうだよね。薙切さんのお店を手伝うのかもしれないよ」

「ああ、なるほど……よし、じゃあ田所! 気を取り直して、試食頼むぜ! 当日までに、最高の肉ダネを作る!」

「うん! 頑張ろう!」

 

 恋の行動が気になったものの、その疑問は恵の言葉で一先ず納得したらしく、すぐに調理へと意識が戻った。

 相手は十傑第八席の強敵なのだ。

 時間は一秒たりとも無駄には出来ない。

 

 二人は気合いを入れて、月饗祭の準備に励むのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 創真達の下から離れて歩いていた恋だったが、後ろから彼に声を掛ける人物がいた。

 

「恋君、ちょっといいかしら」

「ん、ああ、えりなちゃん。なんか久々だな」

「え、ええ、お互い少し……忙しかったみたいだから」

「元気そうで良かったよ。それで、どうしたんだ?」

 

 振り返った先に居たのは、薙切えりなだった。

 久々に顔を合わせるものの、お互いに表情を緩めて笑えば、気まずさなんてものは二人の間に存在しない。

 軽く挨拶を交わした後、恋はえりなの用件を聞こうとする。

 

 すると、えりなは少し躊躇いがちに間を置くと、おそるおそるといった様子で口を開いた。

 

「あの……月饗祭で私も店を出すのだけど、良ければその……恋君も手伝ってくれないかしら」

「ああ、そうか……十傑は全員店を出すって話だし、えりなちゃんも出すのか。エリアは山の手エリア?」

「ええ、そうなの。テーブル数はそんなに多くないし、予約制にするつもりだから一般的な料理店と比べれば慌ただしくならないと思うけど、よければ……どうかしら?」

「良いよ。ただ出店はしないけど俺も少しやることがあって、全日協力することは出来ないかもしれない……それでもいいかな?」

「! ええ、大丈夫よ。追々スケジュールを擦り合わせましょう!」

 

 茜ヶ久保ももの時と違って即答で承諾する恋に、えりなはぱぁっと表情を輝かせた。

 少しとはいえ、一緒に料理が出来ることが嬉しいのだろう。また、恋のサポートを受けたことが無かったということもあって、恋と自分の合作を作れるというのも楽しみになっている様子だった。

 えりなは内心狂喜乱舞になっていることを押し隠しながら、恋と後々スケジュールの擦り合わせをすることを提案する。

 

 だがその言葉の端々に喜びが隠しきれていないテンションがあり、恋は苦笑しながらそれを承諾した。

 スケジュールの擦り合わせでも、恋と一緒にいる時間が約束されたのが嬉しかったのだろう。また店を作るに当たって、何かと恋に話しかける口実も出来たので、一石三鳥といっても良い。

 

「店のスタッフは緋沙子も一緒なんだろ? 何か手伝うことはあるか?」

「ええ、今のところは人手も足りてるから大丈夫そう。何かあれば頼らせて貰えるかしら」

「ああ、いつでも言ってくれ」

「ありがとう、それじゃあ準備を進めるから。また」

「頑張ってな」

 

 恋の協力を得られたことを喜んでいたからだろう、一層やる気を出したえりなは少し名残惜しそうにしながらも、店の準備に去っていく。恋は何かあれば力を貸すと言ったものの、優秀な秘書である緋沙子が手伝っている以上は人手も時間的余裕も順調に進んでいるだろうから、何か手を貸すこともなさそうだと思った。

 

 まぁなんにせよ、恋としてもえりなと一緒に料理が出来ることは嬉しいことである。

 寧ろ恋の方から月饗祭ではえりなの傍に居ようと思っていたところだったから、向こうからの誘いは願ったり叶ったりだ。

 

「楽しみだな、月饗祭」

 

 恋は気分よく、また歩みを再開した。

 

 




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六十三話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 そして、いよいよ始まる月饗祭当日。

 各々の店の準備も十分に整い、あとは全力で客を呼び、料理を振舞う五日間を生きるのみ。全校生徒が一ヵ所に集まって、開会式を行っていた。

 仙左衛門の挨拶が終われば、流れる校歌の伴奏。

 創真は全員が歌えることに驚いていたが、一番は同じ編入生である恋も歌えていたことだろう。流石というべきか、歌詞を覚えてはいないらしく歌詞カードを用意してきていたのだ。

 校歌斉唱中、恋は歌いながら創真に予備の歌詞カードを渡してきたが、そもそも音程を知らない創真に歌えるはずもない。

 

 創真は黙って、悟った表情のまま口パクを決行した。

 

 という感じで始まった月饗祭。

 極星寮で出す店も、創真の出す屋台も、久我の出す店も、その他入学して恋が知り合った友人たちがそれぞれ出す全ての店が、営業を開始する。

 

「司さん……約束、忘れないでくださいね」

「……ああ、分かっている」

 

 久我と司のそんな会話が掻き消されるほどの、喧騒と共に。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 以前も確認した三つのエリアは、それぞれ場所を異なって営業しているわけだが、その相場はおおよそ以下の通り。

 

 目抜き通りエリア 一食およそ500~1000円

 中央エリア 一食およそ1000~5000円

 山の手エリア 一食およそ5000~∞

 

 山の手エリアの相場は、一般庶民であれば中々手を伸ばしづらいほどの高級店ばかり。∞ってなんだとツッコみたくなるが、掛けようと思えば幾らでも値段を吊り上げることが出来るのだろう。

 なにせこの場所には十傑のほぼ全員が店を構えているのだ。遠月のトップ層が集まるこの場所に、美食家達の期待は大きく寄せられている。

 

「司先輩、こっち完成です」

「よし、次を頼む」

「はい」

 

 そんな中、恋は月饗祭開催直後―――司瑛士の店でその手腕を振るっていた。

 司の構える店はあえて薄暗くデザインされた、テーブルも三つしかないような小さい店だ。中央でスポットライトに充てられた厨房が鎮座し、恋と司がそこで調理をする。

 白髪銀眼の司と、黒髪金眼の恋。

 二人の白と黒が互いに邪魔をせず、狭い範囲で調理を進めていく様はまるで舞踏を見ているようで、料理を振舞われることも忘れて見入ってしまう。

 

 既に三つ全てのテーブルが埋まっており、全員が業界では名の知れた美食家達だ。

 開催した今、現遠月第一席の料理を味わいにきたのだろう。どうせなら頂点の料理を食べたいと思うのは、美食家ならば当然の発想だ。

 だが彼らとしても驚きだったのは、恋の存在だろう。

 秋の選抜を見に来ていた者は知っているが、まさか第一席がサポートとして起用するほどだとは予想も出来なかったらしい。

 

 見ているだけで分かる、その調理技術の鮮やかさ。

 簡単そうにこなしているその工程の一つ一つに、大木の如き積み重ねを感じ、鳥肌すら立つ。

 

「お待たせしました―――どうかお口に合いますように」

 

 そしてサーブされるその瞬間まで、自分が料理を食べにきたことすら忘れてしまっていた。コト、と小さな音と共に目の前に置かれた料理を見て、一瞬どうすればいいのか分からなくなる。

 ハッとなって料理が振舞われていることを理解し、自分達の本当の目的を思い出すと、食器を手に取って目の前の皿に意識を向けた。

 出されたのはフランス料理では定番ともいえる彩り野菜のテリーヌ。

 野菜料理の魔術師とも呼ばれる四宮小次郎が最も得意とするジャンルだが、恋のサポートを受けて司が作ったその料理も、決して引けを取ることはない。

 

 一口、その料理を口に入れる美食家達。

 

「―――」

 

 瞬間、彼らの頬にはつーっと一筋の涙が零れた。

 口の中に広がる、食材達の生命と、生きていた頃以上に躍動する脈動を感じ、幻視した景色はまさしく楽園。美しさと儚さを体現したような、そんな命の尊さが此処にあった。

 

 味を感じる以上の感動で心臓が大きく高鳴る。

 こんなにも生きることが尊いのだと、思考ではなく感覚として理解させられた。

 悲しくもないのに、躊躇する暇もなく涙が流れたのは、彼らにとって確かな感動があったことの証明。

 

「―――……素晴らしい、これが現遠月第一席の料理か。かつての堂島シェフにも劣らぬ一皿だ」

「確かに……寧ろ超えているのではないか?」

 

 そして二口、三口と食べ進めるにつれ、冷静な分析が出来るようになる。

 この遠月における史上最高成績保持者である元第一席、堂島銀の料理がかつて遠月で出した料理とも比べて、引けを取らぬと判断する者も多かった。

 

 だが、司はその評価に恐縮ですと返しながら、ですがと続ける。

 

「今日の料理は、僕一人では作れない料理なんです。あちらの黒瀬のサポートがなければ、今召し上がられた料理の感動は半減していたでしょう」

「なんと……それほどなのか? 彼の力は」

「ええ、現状遠月学園で最も高い調理技術を持つのが彼です。次の第一席は彼だと言われても、僕は驚きません」

「なるほどな……未来が楽しみだ」

 

 司の言葉に驚く美食家達の興味が、黒瀬恋へと向けられる。

 これほどの感動を生む料理を作り上げる司が、ここまで推す料理人。気にならないわけがなかった。秋の選抜で恋を見た者は彼が味覚障害者だということも知っているが、それでも彼の実力には舌を巻かざるを得ない。

 

 司と恋の目が合う。

 司がふと笑みを浮かべると、恋は軽く会釈を返した。

 

 

 そしてここから―――黒瀬恋の名前は飛ぶ鳥を落とす勢いで急激に広がっていく。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 月饗祭の開催前日の夜――恋は叡山枝津也の私室にて当日から最終日までの流れを確認していた。恋の目的と、叡山の復讐を同時に進める作戦は、この二人の力があれば十分に実行可能。

 恋の目的は、将来の為と、現状自分に付きまとう黒幕への対抗手段を得る為の、ある種名声を手に入れること。

 彼自身は別に目立たなくても良いが、なまじ一年最強と囁かれていることも知っているし、調理技術においては遠月一と司を始めとする多くの料理人に認められてもいる。ならばそれ相応の名声とそこから波及する発言力を手に入れることは、後々自分を守ることに繋がると考えたのだ。

 

 そこで、この月饗祭で叡山のコンサルティング能力を頼った。

 

「まずは開催初日―――司瑛士の店でサポートだ。第一席の店だ、最終日は予約も殺到するからな……おそらく事前予約で初日に予約を入れているのは、美食家の中でも目抜き通りや中央エリアには見向きもしない、より美食家志向の奴らが来る。そういう奴らの人間性はともかく、発言力、発信力ってのは馬鹿にならない。こいつらの舌を掴めば、高級志向の奴らにはお前の名前は一気に拡散されるだろう」

「なるほど……」

「そしてその拡散力は、時間が経てば最終的に庶民層にまで届くようになる。月饗祭が終わって尚お前の名前は少しずつ広がっていくはずだ」

「流石は第一席の店……司先輩が快く引き受けてくれて良かった」

 

 作戦は単純、現状黒瀬恋の持つ最たる手札であるサポート能力を活かした、月饗祭での売名である。

 第一席の店を皮切りに、恋はこれから五日間多くの店でのサポートをすることになっていた。そしてその中には、叡山のプロデュースする店も幾つか入っている。

 

 更には――

 

「正直、驚いたけどな……第一席司瑛士の店だけじゃ飽き足らず……第四席茜ヶ久保もも、第六席紀ノ国寧々、第七席一色慧、第八席久我照紀、第九席薙切えりな……これだけの店のサポートの約束を取り付けてきたってのは……」

「いえ、紀ノ国先輩以外は皆知り合いでしたし、もも先輩とえりなちゃんに関しては向こうからお誘いいただいていたので」

「つかその紀ノ国にはどうやって約束取り付けたんだよ」

 

  ―――恋は、十傑の約半数の店にサポートに入る約束を取り付けていた。

 

 叡山としては自分の協力なんているのかと思わざるを得ないのだが、それくらい黒瀬恋という人間のコミュニケーション能力の高さは正直驚愕を禁じ得ない。

 ほとんどが知り合いだったからといって、ならば紀ノ国寧々はどうやって口説き落としたのかと訊いてみれば、恋から帰ってきた返答は更なる驚愕を叡山に与えた。

 

 

「それは勿論―――食戟で」

 

 

 一瞬、驚きに思考が止まる。

 

「!?!? お前、アイツと食戟して勝ったのか!?」

「まぁ……一応。といっても、アレは状況的にも色々俺に有利だったので、料理で勝ったとは言えませんけど」

「マジかよ…………まぁいい、とにかくこれだけの十傑メンバーの店で名前を売ることが出来るのはデカい。五日間の中でタイムスケジュールを割り振ったが、向こうには伝えてあるな?」

「ええ、この日のこの時間に行きますと各人に伝達済みです」

「よし……その上で、俺のプロデュースする店が数店と、目抜き通り、中央でも数店、手伝える時間は限られるが、これもタイムスケジュールに割り振ってある。かなり忙しくなるし、作る料理ジャンルも変化するから体力の消耗は激しくなるが……大丈夫なのか?」

「ええ、四宮シェフの所で、スタミナだけは鍛えられたので」

 

 不敵に笑う恋に、叡山は頼もしいねと言いながらハ、と笑いを返した。

 なんにせよ協力者がこれだけの結果と実績を引っ張ってこれる人物であるのなら、叡山としてもやりやすいし、やりがいもあるというものだ。

 

 タイムスケジュール表を恋に渡すと、今度は別の話を始める。

 

「だがただ店の手伝いをするだけじゃあ意味がねぇ……人づてにお前の名前は伝わるかもしれねぇが、全ての店で確実にお前の印象を残す手段がいる」

「というと?」

「月饗祭では毎日、各エリアの売上ランキングが新聞で出回るし、一日毎に決まった時間で行われる放送でも、その名前は発表されるんだ。つまり、お前が手伝った店でこのランキングを軒並み席巻しちまえば―――お前の実績は手伝った店側に証明される」

「店側に?」

 

 首を傾げる恋に、叡山はにやりと笑みを浮かべた。

 

「そうだ、例えばスポーツでもいい。優勝候補たちを軒並み押しのけて、無名の奴が優勝した時……お前はどう思う?」

「……どうやってその結果を得たのか気になりますね」

「その通り……つまり、放送や新聞――メディアにとっては美味いネタになる。確実にそれらの店には新聞部などの取材が入る……そこでそいつらはこう言うんだ」

 

 

 

 "―――黒瀬恋のサポートがなければ、こんな結果は出せませんでした"

 

 

 

「!」

「初日でこの言葉が引き出せたなら最高だ。二日目、三日目に黒瀬恋のいる場所は注目を集め、そこに人が集まるようになる。そして毎日売上ランキングに変動が起こせたなら、お前の実力は客にも周知の事実となるだろう」

「……なるほど、流石は叡山先輩。経営のこととなると凄まじいプランニングですね」

「こんなのはプランニングなんて言わねぇよ。お前の馬鹿みてぇな調理技術とサポート能力がなきゃ成立しないんじゃ、こんな賭けみたいなプランは絶対に立てない」

「逆を言えば、この賭けに勝算があると思ってくれたってことでしょう?」

「……ま、事前にお前のサポート能力を見せて貰ったからな。お前の力は俺自身が良く知ってる」

 

 恋の苦笑に叡山は少々居心地の悪いむず痒さを感じながらも、偏屈にそう返す。

 実際、叡山が挙げた十傑メンバーとは別に、叡山自身がプロデュースする店のサポートを彼が許している時点で、叡山が恋のことを認めている証明だ。賭けの様な作戦も、恋の力があれば成立すると確信しているからこそのこと。

 恋は叡山からの信用を理解して、より一層気合いを入れた。

 

「期待には応えますよ、全力で」

「ああ、そうしてくれ」

 

 翌日、叡山の想像以上の結果を出すことなど、予測もしないままに。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 初日午後から恋は司の店の他に、目抜き通りと中央合わせて三つの店をサポートした。内二つは叡山のプロデュースする店。一つは恋が個人的に知り合いだった二年の周藤怪、極星寮では丸井善二が所属する宮里ゼミの出していた店。

 

 そしてその夜、初日の結果が出る。

 

 山の手エリア売上ランキング――――一位 司瑛士

 中央エリア売上ランキング―――――一位 久我照紀

 目抜き通りエリア売上ランキング――一位 叡山プロデュース店

 

 結果的に、三つのランキングの内久我照紀の店を除き、二つの店を売上一位へと押し上げることに成功したのだった。

 

 

 




この結果は叡山先輩の持つ事前宣伝能力で広まった大きな期待に、恋君が応えきった結果です。
異なる方向で飛び抜けた能力を持つこの二人が組むと、店舗経営においてかなり強力なコンビになりますね!

感想お待ちしています✨





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六十四話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 初日を終えて、売上ランキングの出た時点では誰も恋の存在など認識していなかった。 

 だが、当然新聞部は優勝候補を押しのけた司や叡山プロデュースの店への取材に走った。叡山枝津也の想定通りに動いたメディアは、確実に叡山と恋の欲していた言葉を引き出すことに成功する。

 

 すなわち、黒瀬恋のサポートあっての一位だったということ。

 

 それはすぐさま紙面のトップを飾り、それは月饗祭での注目を全て恋へと集める力へと変化していく。広がる黒瀬恋の名前と活躍は、生徒達の中にじわじわと侵食していき、その存在感は学年を越えて全校生徒の知るところ。

 

「黒瀬恋の手伝った店が売上一位になるらしいぜ」

「一体何をしたんだ……?」

「さぁな、でもこの店の評判はすこぶる良かったみたいだ」

「第一席はともかく、ほとんど無名だった店も売上一位だからな……明日も同じ場所なのかな」

 

 噂が噂を呼び、全校生徒の中では黒瀬恋の話で持ち切りだった。

 当然だ、二年連続で総合売上一位を取っていた茜ヶ久保ももの店を越えて一位を取ることは、言葉以上の偉業だし、目抜き通りエリアでも注目されていた店があった中で無名の店がトップを取った。

 それが全て黒瀬恋によるサポートがあったからとなれば、彼が一体何をしたのか気になってしまうのは当然なのだ。

 

 とはいえ司の店はともかく、叡山プロデュースの店に関しては恋のサポートもあったが、叡山枝津也のプロデュース力に後押しされた部分も大きい。ようは叡山と恋のダブルパンチでトップへ浮上したのだ。

 まぁ、都合が良いので叡山はこれを全て黒瀬恋の成果として喧伝しているのだが。

 

「黒瀬が手が空いてたらって言ってたのは、こいつか……!」

「凄い、売上一位を取らせるなんて本当に難しいのに……」

 

 そしてそれは当然、久我と勝負をしている創真達の耳にも入る。

 創真達のいる中央エリアのランキングでは久我の店を抜くことは出来なかったものの、手伝った店はちゃっかり上位へと食い込んでいる。恋の活躍は、初日の段階で飛躍的な結果を叩き出していた。

 

 創真は新聞の紙面でソレを知り、恵も黒瀬の偉業に目を丸くしている。

 

「そんなことより、秋の選抜の上位陣が軒並み赤字になっていることについて詳しく訊かせて貰えるかしら!?」

「どうすんだ薙切ィ……発注ミス連発しやがって」

「けれど最終確認は葉山君がするはずだったでしょ!」

「(多分それもお嬢がやるって言ってた気がする)」

「まさかここまで売れねぇとはなぁ」

「あわわ、どうするべ……笑ってる場合じゃないよ創真君……!」

「騒々しい!」

 

 だがそんなことよりも、今この場においては秋の選抜優勝者である葉山を始め、恋と美作を除く選抜上位陣がそれぞれの店で軒並み初日赤字を叩き出したことが問題だった。

 憤慨する薙切えりなの言葉を無視してグダグダと責任のなすりつけ合いをする葉山とアリス。赤字なのにヘラヘラと笑う創真と青褪める恵。

 

 由緒ある遠月の誉れある秋の選抜の名が、このままでは形無しになってしまう。十傑として、また薙切の血統として、えりなとしてはそれが許せなかった。

 

「ともかく切り替えましょう! 今後の売上をどう伸ばすかを考える方が建設的だわ!」

「黒木場、お前の主人をどうにかしてくれ」

「諦めろ……こうなったお嬢はもう止まらない」

 

 それでもアリスはいつも通り自由奔放に振舞っているし、それに振り回される葉山と黒木場はガクッと肩を落としている。

 創真が月饗祭で久我に喧嘩を売るという行動を取って目立ちまくったことで、それをずるいと感じたアリスが汐見ゼミの出店に無理やりメンバー入りしたのが、この三人チームの始まりなのだが、どうやら相性が悪かったらしい。

 

 また創真としても、これからどうするべきかは本気で考えていた。

 恋のアドバイスもあって、初日から胡椒餅に加えて担仔麺を提供していたのだが、結果的には赤字。これは恋が中央エリアでもその腕を振るったことで客が流れたのも影響している。久我の店と恋のサポートを受けている店、二つの店に客を取られた結果だった。

 こうなっては無料提供で客を集めることも視野に入れ、なおかつ集まった人を即座に捌く人員が欲しいところ。それも、創真と同レベル以上の仕事が出来る人材だ。

 

「んー……美作とかにヘルプを頼めたらいいんだけど、俺アイツとあまり関わりないからな」

 

 パッと思い浮かんだのは料理人のトレースが出来る美作昴だったが、創真は秋の選抜で美作と戦ったり、話したりはしていない。ようは繋がりが薄い故に、そんなことを頼める間柄でもなかった。となるとどうするべきか、本気で悩みだす。

 このまま赤字が続けば、間違いなく創真と恵は退学になってしまうのだ。なりふり構ってはいられない。

 

「……仕方ねぇか」

「創真君?」

 

 すると創真は大きく溜息を吐きながら難しい顔を浮かべる。

 美作がダメともなると、タクミや水戸郁美が浮かぶが、彼らも自分の店がある。頼みを引き受けてくれる可能性は低いだろう。

 となれば、創真の知り得る限りでヘルプを頼める人物は一人だけだった。

 

「……黒瀬に、ヘルプを頼むわ」

「……そっか、うん、それがいいかな」

 

 絞り出すように零した言葉に、恵は創真の気持ちを汲んで何も言わずに頷いた。創真としては恋を頼ることだけはしたくはなかったのだろう。此処に来るまでの数々の課題、イベントにおいて、自分の遥か先を行く恋の背中を最も意識していたのは幸平創真だ。

 勿論友人だと思っているし、また、いつかは勝ちたいと本気で思っている。

 

 ライバルとして強く意識しているからこそ、手を借りずにこの苦境を突破したかったと思うのは、仕方のないことだ。

 しかし自分の意地やプライドで恵まで退学にさせてしまうのは、創真には許せなかったのだろう。田所恵と自分の意地を秤にかけて、創真は意地を張るのをやめたのだ。

 

「その必要はないぜ、幸平」

「! ――――美作?」

 

 すると、その瞬間その場に入ってきた人物がいた。

 創真が最初に思い浮かべた人材、美作昴だ。

 えりなが緋沙子を連れて葉山達三人にガミガミと説教をしている光景を背景に、現れた美作に創真は思わず目を丸くする。何故此処に現れたのかと思いながら、立ち上がった。

 

「人手がいるんだろ? 手伝いに来た」

「……お前が俺を手伝う理由なんてどこにもなくねぇか?」

「ま、関係は薄いからな……黒瀬がな、幸平がピンチなら手伝ってやってくれって頼んできたんだ。あいつ、お前と約束してたんだろ? 必要なら手を貸すって」

「あ、ああ」

「思ったより忙しくなっちまったらしくてな、だから代わりに俺をよこしたってわけだ。特に問題ないようなら俺が出張ることもなかったんだが、今日の結果を見る限りじゃ大赤字だったみたいじゃねぇか。だからきてやったんだよ」

 

 それは、黒瀬恋からの助っ人だった。

 恋は約束は守るタイプの人物だ。だからこそ、創真に必要なら手を貸すと言っておきながら、頼まれても手を貸せない状況になったことで、代替案を用意したのだろう。それが恋に憧れを抱いている美作に頼むという手段。

 そしてその美作は恋からの頼みを快く承諾し、こうして創真の所へとやってきたのだ。

 

「……ありがてぇ! お前がいてくれるなら、頼もしいぜ」

「当然だ、俺のパーフェクトトレースを舐めるなよ。明日はお前自身が二人になると思いな」

「とはいえ、黒瀬気を回しすぎだろ。いつ頼まれたんだよ」

「ついさっきだよ。多分黒瀬も売上ランキングを見たんじゃないか?」

「ぐぐぐ……なんか情けを掛けられたみたいで釈然としねぇけど、赤字は事実だから何も言えねぇ……!」

「ッハハハ! まさしくぐうの音も出ないって奴だな」

 

 恋の気遣いに対して複雑な表情をする創真だったが、それを見て美作が笑うと、自分の力不足とはいえより悔しそうな表情を浮かべたのだった。

 悔しさはバネにしてより成長していく創真なら、この悔しさを力にいつか恋に勝負を挑む日も近いのかもしれない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして二日目、意気揚々と自分の店の準備に勤しんでいた創真だったが、そこへ同じく店の開店準備でやってきていた久我照紀が近付いてきた。

 

「やぁやぁ幸平ちん、調子はどう? 昨日の結果を見れば、無謀なことをやってるって分かったっしょ? まだ此処でやるつもりなのかな?」

「ああ久我先輩、胡椒餅食べます?」

「いらねっす☆」

 

 久我としても目の前をちょろちょろと動き回られるのが煩わしいのだろう、創真に対してかなり攻撃的な発言が多い。

 まぁ格下だと思っている一年が無謀にも突っかかってきているのだから、久我としては面白くはないのだろう。現時点で売り上げには天と地ほどの差があるのだ、その自負も自信も当然のものだった。

 

「昨日は夜にもなーんか動いていたみたいだけど、対策は思いついた?」

「ま、ぼちぼちって感じっすね。なんにせよ、まだ勝負はこれからっすよ」

「ふーん……まぁ、好きにやると良いよ。俺の店との格差は絶対に埋まらないけどね……退学にならない程度には、精々頑張るといい」

「久我先輩こそ、油断してると足掬われますよ」

「ご忠告どーも☆ けど今日に限ってはそれはないと思うよ」

「?」

 

 好戦的な久我に対して創真もまた強気に返すが、売り上げの差は歴然だ。創真に何を言われたところで、結果は見えているのだから何も響かない。

 まして初日で赤字を取っているのだ、負け犬の遠吠えとはこのことである。

 しかしそれでも食いついてくる創真に対し、久我はより一層不敵な笑みを浮かべた。

 今日に限っては、その言葉の意味が分からず首を傾げる創真。油断はない、という意味ならば今日に限ってなんて言葉を使うことはないだろう。であれば、初日とは違う要素が今日の久我の店―――『久我飯店』にはあるということだ。

 

 すると、開場したのだろう。ちらほらと客の姿が見え始める。

 

「久我先輩、そろそろ戻ってきてください」

「あいよー、ああそうそう幸平ちん……昨日の新聞見た?」

「―――!!」

 

 それを受けて店長である久我を呼びに、一人の人物が久我飯店から出てきた。

 返事を返す久我は、気分良さそうに創真にそう話し掛ける。

 創真はやってきた人物を見て、目を剥いて驚いた。其処に居たのは、初日でその名を学園中に広めた張本人。

 

 久我は驚いて声が出なくなっている創真を見て、より気分を良くする。

 

「……黒瀬……!?」

「ああ……おはよう幸平。調子はどうだ?」

 

 その衣装はいつもの黒いコックコートではなく、久我飯店のチャイナ風調理服だ。つまり、二日目黒瀬恋が最初にサポートに入る店は―――

 

 

「ってことでぇ! 今日の午前中は黒瀬ちんがウチのサポートに入るから――よろしくねん☆」

 

 

 ―――創真が挑む、『久我飯店』ということだ。

 

 美作の応援は有難いと思っていたところに、その応援を寄越した黒瀬恋が更なる一撃を加えてきた感覚だった。

 居心地悪そうにしている恋を見れば、このタイミングのサポートは意図したものではないのだろう。実際、タイムテーブルを組んだのは叡山だ。恋としては、まさか初日で創真がここまでの大赤字を出すとは想定していなかったのだろう。

 

 少々やりづらそうにしている恋は、頬を掻きながら創真に言う。

 

「まぁそういうことだ……悪いな二人とも」

「…………上等! どうせいずれは超えなきゃいけない壁だしな、この際二人纏めて相手してやる!!」

「俺がいるのは午前中だけだけどな」

「くそったれ!! やるぞぉ田所!」

「う、うん」

 

 最早ピンチに次ぐ大ピンチでやけくそ気味の創真は、ずんずんと自分の屋台の中へと去っていく。恵も恋に軽く苦笑を漏らしながら、その背中を追いかけた。

 

 気付けば久我は店の中へと戻っていたらしく、その姿はない。

 取り残された恋もまた久我の店へと戻っていく。

 

「……明日は時間があるし、幸平の店を手伝いに行こうかな」

 

 少しの罪悪感を抱えながら。

 

 

 

 

 




恋君、鬼畜! と言いたいところですが、叡山先輩ならこの状況を読んだ上でタイムスケジュールを組んだ可能性もなきにもしもあらず。

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六十五話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


「うっそぉん……」

 

 月饗祭二日目、久我飯店にてサポートに入った黒瀬恋の力を見て、久我照紀は絶句していた。

 これは当然ながら初日でも起こっていた事象ではあるのだが、これに久我が気付くことが出来たのは、彼が十傑であり、中華研の他会員数十名と共に料理を作る店を統括していたからだろう。

 

 二日目の月饗祭が開場してからたった二時間で、恋のことを聞きつけたのだろう、現状久我飯店には初日以上の行列が出来上がっている。正直開場当初から行列が出来る勢いが初日とは段違いであることを感じていた久我は、この行列の勢いを自分達で捌き切れるかと若干の焦りを抱いていた。

 しかし黒瀬恋のサポート能力を甘く見ていた。

 彼は開店当初、統一された久我のレシピを完璧に再現。練習によって培われた一糸乱れぬ調理に、見事に合わせてみせた。それだけでも驚愕の技術力だと思わされたのだが、時間が経てば経つほど、久我は自分の店の中で起こっている変化に気付かされる。

 

 客の反応が、初日よりも大きくなっているのだ。

 しかも、店で調理する全員の動きの質が向上していくのが分かる。結果的に久我のレシピで作られる品の質が、普段以上に向上していた。何故だと思いながら原因を探せば、それは当然黒瀬恋の存在が原因だ。

 恋のサポートは十傑並の実力がなければ容易に飲み込まれてしまうほどの代物。故に久我はともかく中華研の面々は早々に飲まれてしまったのだ。

 

 そして全員が普段の練習通り一糸乱れぬ動きを心掛けるからこそ、恋が一人の質を上げてしまえば、全員が無意識により優れた動きに合わせようとする。結果的に全員の動きの質が連動して向上したのだ。

 

「(黒瀬ちんのサポートが、コイツらの調理効率を爆発的に引き上げている……!! 料理の完成速度が初日と段違いじゃん!!?)」

 

 無駄がなくなれば、料理が完成する速度も上がる。料理速度が上昇すれば、客の回転も速くなる。そうなれば、行列を捌く速度も上昇する。

 久我飯店の売上の上昇率は、初日と比べると段違いだった。

 

 当然、メリットしかないこの状況で―――それでも久我は表情を歪ませている。

 

「(くっ……黒瀬ちんに俺の店が支配されてる……!! しかも―――)」

 

 そう、ここはあくまで久我がリーダーとして作り上げた店。久我によって統一されたレシピ、久我の鍛錬によって統一された調理技術、店の営業すら久我が統括しているのだ。なのに、レシピは容易く再現され、統一感を失わないままに久我の鍛錬以上の調理技術を発揮する会員、店の回転すら恋の手によって向上している。

 

 たった二時間で、久我飯店の中心は久我ではなく黒瀬恋になってしまったのだ。

 

 久我は十傑であり、何十人と同時調理をしている空間だからこそ、現状恋のサポートに飲まれることなく自身も調理をすることが出来ている。

 だがしかし、だからこそ久我は恋が上昇させた調理効率に合わせなければ、提供する品の品質が均一にならなくなる。意識は飲まれていないが、それでも恋の力に引きずり回されている感覚が拭えなかった。

 

「(これが……黒瀬ちんのサポート能力!! 司さんが執着するわけだよ……!! くそっ、初日は俺の動きに合わせていた奴らなのに、今は黒瀬ちんの動きに俺達が合わせられている……! しかもその方が店にとって良い結果を齎しているなんて―――どういう冗談だっての!?)」

 

 故にこそ、久我は現状を納得出来なかった。

 自分が先頭切って走ってきた店が、たった一人のサポートでこうまで好き勝手に支配されるとは思わなかったからだ。自分の力ではなく、恋の力で店が好転している現状を、彼のプライドが許すことが出来なかったのである。

 

「麻婆豆腐二つ!」

「こっちは青椒肉絲をお願いします!」

「麻婆豆腐一つ!」

 

 それでも客の注文は飛んでくるし、もっと言えば行列は続いている以上常に満席状態だ。現状を変化させる為に動こうものなら一気に客の回転が滞ってしまう。かといって恋の様に調理で周囲を変化させる力は久我にはないのだ。

 結局、このまま走る以外に選択肢はなかった。

 

「―――!」

「――! ――――!!」

 

 ただでさえ店内の状況に焦燥感を抱いていた久我の耳に、更に別の情報が入ってくる。

 行列を捌く速度を上がっても、待ち時間は生まれてしまう。その待ち時間を退屈に思う客が段々と離れ始めたのだ。初日よりも早い時点での客離れに、久我はその原因を探る。

 

 すると、その原因は自分の店の前で屋台を営業している幸平創真にあった。

 幸平創真の提供する胡椒餅(フージャオピン)の物珍しさと改良された担仔麺に、空腹感を煽られた客の興味が移動し始めたのだ。横目で覗いてみると、胡椒餅は初日と変わらない。けれど、もう一つのメニューである担仔麺の方に変化が起こっていた。

 巨大な肉の塊が中央に鎮座しているのだ。

 

「(あれは―――)」

 

 その肉の塊を崩した客の器から、まるで月が出るかのように中から何かが出てきている。そこから爆発するように食欲をそそる香りが放たれ、客足がどんどん創真の店へと流れていく。

 その匂いの正体は、葉山アキラから着想をえた『カレー』の香り。

 

 これこそが、創真が麻婆豆腐で勝てないことを認めた末に改良を重ねた、時限式麻婆カレー麺。

 

 新たな料理の世界を開拓する幸平創真が、自分なりに作り上げた中華の形だった。

 

「くっ……!!」

 

 しかも行列が流れて回転速度が下がるかと思えば、助っ人に現れた美作昴が加わったことでそれなりに店の回転も早かった。黒瀬恋のネームバリューで増えた客の分、幸平創真の奪える客の数も増えたということなのだろう。

 

 内側からは黒瀬恋が店を支配し、外側からは幸平創真が客を奪ってくる。

 

 久我としては、店の内外から一年二人にタコ殴りにされている気分だった。

 

「(くっそ……! この一年共!!)」

 

 自分とて、一年の頃に出会った司瑛士という男に勝とうと日々努力してきた。

 秋の選抜を終え、紅葉狩りの時に初めて話した司に食戟を挑み、敗北してから。久我は再度司瑛士という料理人に挑み、倒すために努力を重ねてきた。誰よりも負けん気が強く、誰よりも向上心を持って研鑽を積み重ねてきたからこそ、確固たる自信を持っていたし、それに伴った振舞いをしていた。

 

 だからこそこの月饗祭で司と約束を交わしている。

 司が過去に中央エリアで出した店で五日間連続売上一位を取ったという経歴を知って、同じことを成し遂げた場合は食戟を受けろという約束を。

 こんなところで、一年に邪魔されるわけにはいかないのだ。

 

「その程度じゃ―――ウチには勝てないよ幸平ちん!!」

 

 久我の動きが変わる。

 恋のサポートに引き摺られていたのが、しっかりと地に足を付けて調理をし始めたのだ。恋もその変化に気付いて笑みを浮かべる。

 中華研の面々も、その変化によって自然と自分の動きが変化していることにようやく気が付いた。

 

 久我照紀と黒瀬恋の二人が、殴り合うように調理効率をどんどん上げていく。

 

「(黒瀬ちんのサポート能力は確かに凄まじい! 最適解へと正確に導き、料理人の全ポテンシャルを強制的に引き出す力がある―――だけど、これだけの人数に共通する最適解を導き出すのは二時間やそこらじゃ無理でしょ!! なら!!)」

「(久我先輩は俺よりも中華研の皆の癖や性格を知っている……だからこそ俺のサポートで効率化された調理工程を中華研専用にカスタマイズし始めたのか……なるほど、此処からは殴り合いですね……!)」

 

 恋が効率化した調理工程を基に、久我は中華研に最も適した形へとカスタマイズする。

 中華研の面々が一番やりやすい形、それでいて料理の質が向上するように。月饗祭に本気で挑み、中華研の面々を一から叩き上げてきた久我だからこそできる、恋への反撃の形だった。

 

 恋はその意図に気付き、今度はそのカスタマイズされた調理工程に合わせて更なる最適解を突きつけていく。それを久我が更にカスタマイズし、それを恋が―――そうやって繰り返される料理のディスカッションが、久我飯店の料理人全員のテンションを一気に上昇させた。

 

「(これはこうすれば―――)」

「(なら―――こうでしょ!)」

「(それならこっちの方が―――)」

「(プラスでこっちも―――!)」

 

 久我と恋の熱が広がる。

 ただでさえ一糸乱れぬ調理光景が客の目を引いていたというのに、出される料理と同じくらい、客は久我と恋の調理する姿に見惚れてしまっていた。

 

 四川料理の辛さと相まって、久我飯店という店の熱量が客に強烈なインパクトとなって刻まれていく。

 

「さぁ!! まだまだこれからでしょ!!」

 

 遠月十傑評議会第八席、久我照紀という料理人のポテンシャルは、恋のサポートを許容することではなく――――恋のサポートとの殴り合いによって引き出されたのである。

 

 

「(ああテンション上がってきた――――もっと、もっと喧嘩しようよ黒瀬ちん!!)」

 

 

 歯を剥いて笑みを浮かべる久我は、楽しくて仕方がなかった。

 こんなに料理が楽しいと思うのはいつぶりだろうか。司瑛士に勝つために試行錯誤してきた全てが、恋との喧嘩によって引き出されていくのが分かる。自分の全力を、自分の全てを、今自由に発揮出来ているのが分かる。

 

 最高の気分だった。

 

 スイッチこそ、幸平創真と黒瀬恋への闘争心だったが、今はもう創真の店の売上も、自分の店の売上も頭になかった。今この瞬間、自分のレシピが、技術が、進化していくのが気持ち良かった。

 料理人として、己の料理に没頭させられる感覚に永遠に浸っていたいくらいに。

 

「(付いてこれるよなお前ら――――これが久我照紀の四川料理だ!!)」

「(闘争心が久我先輩の力を何倍にも引き上げている……闘争心だけなら十傑一かもしれないな……!)」

 

 そうして調理は続く。

 

 恋と久我の殴り合いが喧嘩から他を惹きつける闘争へと変化していく様、その熱量はまさしく――――辛さを恐れぬ四川料理の様だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして正午を過ぎ、恋がサポートに入ってからの約四時間は久我飯店と創真の屋台の売上は鰻登りだった。午後もあるが、おそらく二日目の売上ランキングでは久我と創真の店が上位に入ることは間違いないだろう。創真も二日間の売り上げを黒字に変えることが出来、とりあえずは窮地を脱した。

 

 とはいえ、恋一人が両者の勝負介入したことでこれだけの変化が起こったことは、久我にとっても創真にとっても予想外だっただろう。

 

「はぁ……はぁ……あー、サポートありがとね黒瀬ちん……げほげほっ……あ゛ー! 疲れた……」

「だ、大丈夫ですか? すいません、午前中だけになってしまって。午後も別の店に行く予定なので」

「大丈夫大丈夫……はぁ、はぁ……今は交代の中華研メンバーを増やしてなんとか店を回してるから……いやー楽しかったよ、司さんが黒瀬ちんに執着するのも分かる……黒瀬ちんと一緒に料理するのは、正直滅茶苦茶テンションあがった……はぁ……はぁ」

 

 そして午後に入って恋が抜けるとなった時、交代の中華研メンバーに店を任せて久我は恋の見送りをしていた。司やももと同様、久我もかなり消耗したようで、息が切れている。自分のテンションに任せて全力疾走し続けたのだ、無呼吸運動でぶっ続けに動き回ったようなものだ。それも当然のことだろう。

 対して恋はサポートに徹していたので、これといって平気そうにしていた。無論消耗が全くないわけではないが、久我と比べれば大したことはなさそうだった。

 

 まぁ恋がやっていたことは、例えるのなら問題を全力で解こうとしている生徒を答えに導いていたのと同じことだ。技術的に調理やレシピに対する理解度、読解力が深い分、その答えを導き出す労力は少なく済むのである。

 

「午後大丈夫ですか?」

「うん……はぁー……まぁ少し休ませて貰うけど、一、二時間くらい休めば今日は乗り切れるでしょ。明日はちょっと体が重そうだけど」

「ならよかったですけど」

「全く、黒瀬ちんといい幸平ちんといい、今年の一年は可愛い奴が多いなぁ☆ あ、これ皮肉ね……でも、おかげで自分にあそこまでの品が作れるんだって分かったことは感謝してるよ。俺もまだまだ成長出来るってね」

「俺がサポートしててあんな喧嘩に発展したのは久我先輩が初めてです。こっちも、良い経験でした」

「うん……良ければまた一緒に料理しようよ。今回はしてやられた感じあるけど、次は度肝抜かしてあげるからさ☆」

「はい、それじゃあ楽しみにしてます」

 

 そう言うと、軽く手を振って見送る久我に会釈し恋は次の店へと去っていく。そして人混みの中に恋の姿が消えた時、ふーっと大きく息を吐き出して久我は天を仰いだ。

 

「全く、可愛くない後輩だなぁ」

 

 思わず笑ってしまいながら。

 

 




以上、対久我先輩でした。
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六十六話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 それぞれの活躍もあって、月饗祭二日目の売上結果は以下の通り。

 

 山の手エリア 一位 茜ヶ久保もも

 中央エリア 一位 久我照紀

 目抜き通りエリア 一位 叡山プロデュース店

 

 二日目恋がサポートに入ったのは、久我の久我飯店と今回一位だった叡山プロデュース店の二店舗。山の手エリアは恋の介入がなかったせいか、その売り上げランキングで例年の覇者である茜ヶ久保ももがトップに躍り出た。

 そのせいもあって、司瑛士の店が初日一位を取ったのはやはり黒瀬恋の活躍が大きかったのでは、という噂もじわじわと大きくなってきている。

 今や黒瀬恋という料理人の名前は、月饗祭において一つのトレンドとして人々の中に広がっていた。

 

 また明日以降は何処の店に行くのか、それは未だ不明だが、こうなってくると恋への取材を試みようとする新聞部員もいる。

 だがここで取材を受けては、翌日以降に恋がサポートに入る店への注目がメディアによる力と錯覚されてしまうという叡山の言葉もあって、現時点では拒否していた。あくまで黒瀬恋という名前が人々の口伝手に広がった結果、店に注目が集まったという事実が欲しいのだ。

 そうすることで、黒瀬恋の実力というものがより大きい存在を持つ。

 叡山枝津也のプロデュース能力は、やはり遠月十傑にいただけあって今なお健在。月饗祭二日目にして、黒瀬恋の知名度は学園内外においても強く印象付けられる結果になっていた。

 

 とはいえ、叡山としても此処まで上手く事が進むとは思っていなかった。

 初日はともかくとして、ランキングにその力が及ぶのは早くても二日、三日目からだと考えていたからだ。初日からこうまで良い結果が出たのは、ひとえに黒瀬恋のサポート能力が料理以外にも料理人の本質的な魅力を引き出したからだろう。

 改めて、最初に叡山が思っていた、黒瀬恋は金になるという考えは間違っていなかったのだと再認識させられた。

 

「それで今日の午前中はももの番だね……初日二日目は全然テンションが上がらなくて、大変だった」

「でも二日目は売上一位じゃないですか」

「昨年に比べたら売上自体は少ないよ……一位でも内訳を見たら質が落ちてるのは明白」

「なるほど……じゃあ、今日はぶっちぎりの一位を取りましょうね」

「うん、恋くんと一緒なら大丈夫。ももと恋くんなら、誰にも負けない可愛いお菓子が作れるから」

 

 そして月饗祭三日目。

 今日は中日ということで、一際忙しい日だ。なにせ今日恋がサポートに入る店は、山の手エリアの店"のみ"。

 茜ヶ久保もものスイーツ店と一色慧率いる極星寮出店の店の二つ。

 

 つまりどちらも十傑の店であり、結果的に山の手エリアでの売り上げがどうなるのかの注目が集まっている。それと同時に、中央エリアと目抜き通りエリアに恋の手が介入しない場合、売上結果がどうなるのかも注目が集まる。

 叡山の権謀術数による押し引きが此処にあった。

 恋が初日二日目と、売上ランキングに大きな変動を齎す存在であると認識されている今、彼が介入しない場合のランキング結果は強い比較対象として大衆の印象付けられるのだ。

 それはつまり、四日目と五日目に再度変動を起こした場合、恋の力がより強烈な力として認識されることになるということ。

 

 注目度は既に十分――――あとは注目を浴びた状態で如何に強烈なインパクトを与えるか。

 

 この叡山の策がハマった場合、恋は遠月学園一年生にして料理業界に名を轟かせる超新星となり得る。

 

「じゃあ始めよっか」

「ええ、でも夢中になって倒れないでくださいね」

「大丈夫、今日は午前中だけの営業にしたから」

「え」

 

 ともかく最初は茜ヶ久保ももの店でのサポートである。

 前回一緒に作った時の経験から、ももの身体を心配する恋だったが、どうやらももは午前中だけの営業だけで十分売上一位を取れると思っているらしい。相当な自信だと思ったが、恋はふとスマホを取り出してもものインスタを開く。

 

 するとそこには、月饗祭前日の時点で掲載されていた写真と共に宣伝があった。

 

 写真は、恋と共に作った時のあの巨大ケーキの城の写真。

 加工も若干入っているが、今までももがスマホで撮っていた写真以上のクオリティで撮られたそれは、明らかに専用のスタジオで撮影されたものだと分かった。見た目だけで鮮烈なインパクトを与えるその写真だけでも、大量の反応を貰っている。良いねやコメントの数を合わせても、数万単位だ。

 そこに普段は料理の名前と一言位しかなかった、ももの宣伝コメントが付属している。

 

 ――――

 

 月饗祭三日目は午前中のみ営業。

 今まで作ってきたどんなスイーツよりも可愛い、とびっきり特別な品を提供するよ。

 

 全品スペシャリテ。

 

 だから、四日目以降は少し質が落ちるかも。

 もものスイーツ、食べにきてね。

 

 ――――

 

 絵文字もないかなり淡泊な文章。

 普段は料理名だけでもハートや星などの絵文字をふんだんに使って文面すら可愛く彩るというのに、今回の文章には一切それがない。

 それだけで、もものフォロワーたちには伝わっただろう。これは今までと何かが違うぞと。茜ヶ久保ももが可愛く彩る必要すらないと判断するほどに、手放しで食べに来れば分かると言わんばかりの宣伝をしたのだ。

 

 その期待度は、今や月饗祭における恋の注目度以上。

 

「ほら、見てみて」

「うわ……」

 

 ももが窓から店の外を指差した時、そこには久我飯店もかくやと言わんばかりの行列が生まれていた。初日の売上で司が勝てたのは、恋のサポートもあったが、ももが三日目に懸けていたせいもあるのかもしれないと思うほどに。

 

 

「月饗祭の売上なんて関係ないよ――――今日此処で、ももが一番可愛くあればそれでいい」

 

 

 それは茜ヶ久保ももからの期待と信頼と、凄まじいほどの重圧(プレッシャー)でもあった。

 黒瀬恋を信じているからこそ、自分が最も可愛くあれる時間を寄越せと言ってきているのだ。共に料理をしたあの日から、恋と作った品を越えられないというジレンマに苦しみ続けてきたももの胸の内に、膨大なまでのフラストレーションが溜まっていたのだ。

 

「さぁ開店だよ恋くん……ももをとびっきりのお姫様にしてね」

 

 可愛さの権化―――突き詰めればそれは、狂気にも至る。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そう、これ、これだ―――この感覚が忘れられなかった。

 

 私が恋くんに興味をもったのは、秋の選抜の時だった。

 選抜予選前に味覚障害者であるという事実が発覚して、退学の決議が取られて退学した彼が、何の因果か戻ってきて――選抜決勝を戦った。その時に司と竜胆が何故か彼の復帰に協力していたこともあって、ももは恋くんに興味を抱いた。

 

 話を聞いてみれば、どっちかというと司の方が彼にご執心で、彼のサポート能力が司の心を虜にしているらしいことを知った。竜胆も、彼の腕には大層認めているらしい。

 司も竜胆も、口にはしないけど腕は確かな料理人だ。

 十傑第一席と二席というだけあって、ももには到底できないようなスタイルで料理を作る。まぁ負けるつもりは毛頭ないけど、その肩書きに恥じない料理人であることは確か。

 

 そんな司があそこまで欲しいと思うサポート能力。

 

 どれほどかと思った。

 だから紅葉狩りの時、竜胆の思い付きで彼が私の前に座ったことは丁度良かった。コミュニケーションを取るのが苦手な私だったけど、彼は私が話しやすい会話のリズムを作ってくれて、心地よい強引さで私が話しやすい空気に引っ張ってくれた。

 今思えば、恋くんは最初こそ色々と言葉をくれたけど、最後は終始私の話を楽しそうに聞いてくれていた。コミュニケーションに苦手意識のあった私が、あんなにも楽しく饒舌に会話が出来たという事実が、私自身驚きでもある。

 それくらい、彼が私に気を使ってくれたんだろうけど。

 

 恋くんと話すのはとても楽しかった。

 だから一緒に料理をしようと安心して誘えたし、彼なら距離が近くても逆に安心することが出来たくらい、心を開いていたと思う。

 

「―――!」

「―――あはっ」

 

 そして一緒に料理をした時、私の中で彼の評価は鰻登りだった。

 人間的に見ても、こんなに魅力的な男の子はいないと思う。にも拘らず、そんな彼が今までで一番ももを可愛くしてくれる人だった。

 

 ならこれは運命だと思う。

 

「もも先輩」

「うん」

 

 ほら、もう具体的な言葉も要らない。

 料理をすることで、ももと恋くんは一心同体ってくらい通じ合えてる。こんなことが出来る人が、ももの運命の人じゃないなんてあり得る? そんなことは絶対にありえない。

 

 ももは御伽噺のお姫様だ―――だから恋くんは私の王子様。

 

 私を可愛くして、もっともっと、もっと可愛く、もっと可愛く、目に入れても痛くないくらいに、私の作るスイーツを可愛くして。

 

「可愛い……」

「美味しい……! 味覚以上に、心がときめきを抑えられない……!!」

「この場で暴れ狂いたいくらいに、この感情をどう表現していいか分からない~~!!」

 

 ほら、私と恋くんの作るスイーツを食べた人がみんな、心を奪われていく。もう今後の人生で、今日食べたスイーツ以上の可愛さに出会うことはない。永遠にももという偶像に縛られて生きていくことになる。

 

 そう、私は茜ヶ久保もも―――私が一番可愛くなくちゃ気が済まない。

 

「仕上げお願いします」

「うん任せて」

 

 恋くんの仕事を受け取って、最後のデコレーションを仕上げていく。

 今日はもう何個作ったかな……でもアイデアが溢れて止まらない。脳が焼き切れるんじゃないかってくらい身体が熱くなって、汗が止まらないけれど――それでも作ろうとする手が止まらない。

 

 アイデアがそのままダイレクトに形になっていく快感がたまらなかった。

 もっと、もっと、もっと……!

 

「―――!」

 

 余計な音が消えていく。視界が白くなっていく。それでも感覚だけが走り続けて、私の手は何かを作ってる。

 上下左右の感覚もなくなって、ふわふわとした感覚の中で、私は、ももは―――

 

 

 

 ◇

 

 

 

 気が付いた時、ももの視界には天井が映った。

 額に濡れタオルが置かれていて、枕に畳まれた誰かの上着がある。身体を起こそうとするも、異様なけだるさと身体の重さで起き上がれなかった。

 

 何がどうなったんだろうと思いながら濡れタオルを手に持って、顔だけ横を向くと丁度部屋の扉が開いた。そこでようやく此処がももの店の中であることが分かる。

 入ってきたのは換えの濡れタオルを持ってきた恋くんだった。

 

「ああ、目が覚めましたか」

「……恋くん……もも、どうして……?」

「料理中に倒れたんですよ。全力で走り続ければ当然消耗するのに、限界を超えて動き続けたらそうなりますよ。もも先輩は小柄ですしね」

「そっか……途中から身体の感覚なんて気にしてなかったよ」

 

 どうやらももは倒れたらしい。

 前回の全能感が忘れられなくて、久々の感覚にどっぷり溺れてしまったみたいだ。恋くんと一緒に作るとアイデアが溢れて止まらなくなるからなぁ。

 

「多分頭を使いすぎた知恵熱だと思うので、今日一日安静にしていれば元気になれますよ」

「そっか……」

「久我先輩や司先輩みたく提供する料理が決まっているわけじゃないですからね、もも先輩の場合は。作りながら色々と可愛さを追求した結果でしょう」

「今、何時? 店の営業はどうなったの……? テイクアウト用のスタッフも一応配置してたけど、私が倒れた時まだ営業時間残ってたよね? というか恋くん、次のサポートがあるんじゃ……」

「落ち着いてください」

 

 落ち着いたら色々と思い出して、若干の焦りが生まれた。

 けれど恋くんが無理やり起き上がろうとしたももの肩をそっと抑えて、濡れタオルを交換しながら声を掛けてくれる。そのおかげで少しだけ落ち着きを取り戻して、不安を抱えながら恋君の言葉を聞く姿勢になれた。

 

「今は14時です。一色先輩には事情を伝えてあるので、大丈夫ですよ」

「14時……」

「店の方は事前通知通り、午前中で閉店しました。スタッフも今は思い思いに月饗祭を楽しんでいると思います」

「大丈夫だったの……?」

「まぁ、もも先輩みたいなアレンジは無理ですけど、メニューのレシピはありましたし、サポートしながら色々勉強させていただいていたので。お客さんにはそれとなく事情をお伝えして、俺が作ることを承諾した方のみ提供させて貰う形で営業しました」

「……そう……ありがとね」

 

 ももが倒れた後、恋くんは最大限現場の指揮を執ってくれたらしい。無事に営業を終わらせ、客への対応も誠実で好感が持てる。彼の腕ならももの作ったレシピを高水準で作り上げられるだろうし、多少の批判は受けるかもしれないけど、尤も被害が少ない形で納めてくれていた。

 

 ポケットからスマホを取り出してSNSを開いてみる。

 そしてエゴサで軽く評判を攫ってみると―――そこには称賛の言葉がずらりと並んでいた。閉店間際のコメントでも悪評や批判は一切見当たらない。

 

「これ……」

 

 ―――第四席のスイーツ店、最高! 将来世界的なパティシエになるだろう

 ―――茜ヶ久保ももの作る可愛さは底知れない。私は今日天使を見た

 ―――第四席が途中で倒れたみたいだけど、正直その後に出てきたスイーツのクオリティに劣化が見られなかった。黒瀬恋という子が事情を説明してくれたけど、とても誠実な対応がとても好感を持てた。

 ―――黒瀬恋がサポートに入ると聞いて少し奮発したが、大当たり。出費以上の価値がある料理だった。

 

 ももへの評価と恋くんへの評価が半々、ももが若干多いかなって感じだけど、そこには批判的な意見が一切ない。元々私のファンが多かったのもあるんだろうけど、これは想像以上だった。

 

「恋くん……これは一体」

「……もも先輩が倒れた時点で、店を閉めるか、事情を説明して終了時間まで営業するかの二択で、スタッフ全員が俺の指揮でなら続けられると言ってくれたので、続けました」

「……」

 

 恋くんはももが見せたスマホの画面を見て、苦笑しながらそう説明してくる。

 確かにそうだった。

 ももが倒れた以上、店を即閉店しても良かった。それはももの責任だし、恋くんやスタッフの責任にはならない。客からの批判も、ももが受け止めて当然の事態だった。

 

 それでも恋くんは最後まで営業することを選び、そして最高の結果を残してくれていた。ももが気を失っている間に、ももの店を支えてくれていた。

 恋君はぼんやりするももの目を見て、少し照れくさそうに言う。

 

 

「そして営業する以上は―――もも先輩の店に泥を塗るような真似はしません」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、私は思った。

 

 

 ―――ああ、この人を自分のものにしたいと。

 

 

 




もも先輩の、実力的に恋のサポートに飲まれてはいないけど、溺れている感じが伝わっていたら嬉しいです。

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六十七話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 結局その後、ももの介抱で一色達の店へとやってきたのは三日目も終盤の頃だった。

 一色は別に売り上げに執着していないし、極星寮の皆で店を作ることが最大の目的だから構わないと快く許してくれたものの、それでも時間に遅れたのは事実。

 恋は残り少ない時間の中、一色達が何故かホストクラブの様な指名サービスをやっているのを見て、従者喫茶の経験を活かした全力サービスを展開した。

 

 結果、恋がやってきてからおよそ二時間で一色達の店には大量のマダムや若い女性が並ぶことになった。恋が一色の店にやってきたのを聞きつけたのもあるのだろうが、ももの店で稀に見るバズりを見せた後ということもあって、一目見ようと尋常ではない人がやってきた。

 幸いにして創真の屋台と違い、この店は極星寮の皆で出している店だった故に人手は足りている。料理を作るサポートは最低限に、恋の給仕能力が全面に発揮される二時間であった。

 

 結果的にやってきた時点で十分な売り上げを出していた一色の店も、恋ブーストによってその売り上げを伸ばすことに成功。

 

 最終的なランキング結果はこうなった。

 

 山の手エリア 一位 茜ヶ久保もも

        二位 一色慧

 

 中央エリア  一位 幸平創真

        二位 久我飯店

 

 目抜き通りエリア 一位 タクミ・アルディーニ

          二位 丼研

 

 午前中のみの営業であってもぶっちぎりの売上一位を獲得した茜ヶ久保ももの店に次いで、一色の店は二位に浮上。

 中央エリアでは恋ブーストの反動で全員の消耗が激しかった久我飯店の勢いが落ち、結果創真達の猛追に追い落とされた結果に。

 目抜き通りエリアでは出張版トラットリアアルディーニを展開するタクミや、水戸郁美が率いる丼研が躍り出る結果となった。

 

 恋が山の手エリアにいたこともあって、目抜き通り、中央通りでの結果には注目がいく。また山の手エリアという高級志向のエリアで、午前中営業の店をトップにしたこと。一色の店が二位になったことで、恋が手伝った店がワンツーフィニッシュを決めたこと。

 それらのおかげで、恋の評判も高まるばかり。

 

 特に、棚から牡丹餅といった感じではあるが、茜ヶ久保ももが倒れた後を完璧に営業したことが最も強く効いている様子だった。サポート能力だけかと思えば、メインで料理を作らせても十傑の店を営業し切る能力があると証明されたからだ。

 

 つまり、黒瀬恋=十傑レベルの料理人という図式が出来つつある

 

「三日目までは十分、というより想定以上の結果だな」

「ええ、まぁ色々ありましたけどね」

「四、五日目は土日ということもあって、より人が来る。一般階級から、上流階級の人間までまんべんなくな。三日目までの結果で、お前には今月饗祭で一番の注目が集まってる。少なくともお前の発言一つで、それなりの影響力が出る程度にはな……十傑ではない十傑、なんて呼ばれてるくらいだぞ」

「SNSでの通称ですよね? 正直、照れくさいですけど」

 

 そしてその夜、恋と叡山は此処までの結果を見て、最終日まで残り二日のことを話していた。

 今回、三日目の収穫で一番大きかったのは、茜ヶ久保ももが自身のSNSを使って大バズリを起こしたことだろう。結果的に黒瀬恋という料理人にSNS上で多くのファンが生まれたのだ。茜ヶ久保ももが一種のインフルエンサーとなって、黒瀬恋をトレンドにのし上げた形である。

 

「そこでだ、ホラこのアカウントをくれてやる。今日からはお前が管理しろ」

「……勝手にアカウント作ってるじゃないですか」

 

 そして叡山枝津也はその流れを見逃さなかった。

 恋には伝えていなかったが、茜ヶ久保ももがSNS上で宣伝していることは確認していたのだろう。月饗祭初日が終わって恋が一つ結果を出した段階で、叡山はインスタやツイッターに恋のアカウントを作成していたのだ。シンプルなフリーメールを制作し、恋の名前で始められたそのアカウントには、三日目が終了した時点で既に十万人以上のフォロワーが付いていた。

 

「うわぁ、なんか大量のフォロワーがいるアカウント買い取ったみたいで、微妙な気持ちです」

「正真正銘お前の実力に付いてきた数だろ。まぁ茜ヶ久保先輩の力もあるんだろうが……お前、元々アカウント持ってたか?」

「ええ、呟いてはいないですけど、料理人のSNSを見る様に。フォロワーも十人くらいで」

「じゃあそっちは消せ、今日からこっちがお前の本アカだ」

「……了解です、あとでフォローしていたアカウントをフォローし直しておきます」

 

 恋はあまりSNSでは呟いたり写真を投稿したりしない。

 SNSを開くときはもっぱら人のツイートを見るために使っており、そのほとんどが大体料理人のアカウントだ。なのに今から十万人以上が注目し続けるアカウントを管理しなければならないという事実に、何か呟かないとダメかななんて少しうんざりした表情をする。

 

 とりあえず未だツイート数ゼロのアカウントで、挨拶程度の文章を投稿しておく。

 すると即座に大量の反応が返ってきて、コメントでこの三日間の感想がぶわーっと送られてくる。通知が止まらない様子に、冷や汗すら浮かべた。

 

「ま、有名人になったSNSなんてそんなもんだ。じき慣れる……明日からはそこにサポートに入る店の事前告知をしておけ。既に評判、発言力、発信力共にお前は十分な存在になっている……あとはどれだけの人に直接その実力を体感させるか、そして心を掴めるかが鍵だ。人間なんてトレンドに集まってくるものだからな、明日明後日はおそらくお前のいる場所に人が集まることになるだろう」

「なるほど……四日目は紀ノ国先輩の店と目抜き通りエリアの店が一つでしたね」

「ああ、出来ればどっちも売上トップを目指したいところだが、無理に目指さなくても良い。現時点で想定以上の結果が出せてるからな、欲を掻いてヘマ打つのが一番最悪だ」

「流石は叡山先輩、引き際もちゃんと心得てるってことですね」

「ふん、この程度が分からない奴が多いから、俺みたいな奴が美味しい思いを出来てるのさ」

 

 叡山が鼻を鳴らしてそう言う。

 既に恋の名声を高める作戦はおおむね成功している。これ以上求めても大差はないし、これ以上の名声を月饗祭で得られるのであれば、今でなくともいずれ手に入るのは明白だ。なら無理をする必要もないと、叡山は長期的な目線で冷静に判断しているのである。

 恋もその意図を察して、了解の頷きを返した。

 協力を依頼した時は正直どうなっていくか分からなかったものの、蓋を開けてみれば恋の実力も叡山のプロデュース能力も互いにとって想定以上。

 

 結果として、黒瀬恋は料理業界に新進気鋭の料理人として名を轟かせることになった。

 

「それで……例の黒幕さんの動きはどうですか?」

「ああ、月饗祭自体には今のところ影響はない……が、不穏な動きが幾つか見られた」

「不穏な動き?」

「十傑の約半数に対して、奴の手先が接触した可能性がある。例の計画を実行する可能性が高くなってきたな」

「まぁ……俺の排除を秘匿して学園の改革という意図でなら賛同しそうな人多いですからねぇー……主に司先輩とかもも先輩は自分至上主義ですから、自分が料理しやすい環境になるのなら喜々として賛同しそうです」

「ああ、俺もそう思う。お前は十傑の面々と随分親しくなってるが、それとこれとは別の話だ……もし奴が黒瀬の排除を公約として掲げたとしたのなら絶対に賛同は得られないだろうが、それは改革が上手くいった後でもいいからな。まずはこの学園の権力を手に入れることが出来れば、結果として十分おつりが出るレベルだ」

「そうですね」

「だが逆に、奴が今回接触した十傑の面々に黒瀬の排除をほのめかすようなことを伝えているのなら……その時点で計画はご破算――残念でしたってことになるけどな」

 

 そして話題は恋をどうにかして排除しようとしていた例の黒幕の話へと移行する。

 恋が月饗祭で話題をかっさらう裏で、叡山は別に動いていたのだ。元々十傑にいたことで計画を知っていたこともあり、十傑達に接触する人間がいないか、人海戦術で監視していたのである。

 また入場者のチェックも入念に行っており、この月饗祭で不穏な動きがないか事細かに探っていた。

 

 結果、十傑に接触した形跡を発見。

 

 この月饗祭による学園の一般開放に乗じ、事を起こす気なのだろうと叡山は見ている。黒幕の手先らしき石動賦堂が十傑第十席に就いた時点で、既に十傑の中の何名かは黒幕の手の内に取り込まれているのだろうが、恋の影響は十傑にも及んでいる。

 楽観的に見れば、恋の影響を受けて黒幕と手を切る十傑がいてもおかしくはないが……そうもいかないだろうというのが叡山の見解だ。

 

 学園が改革されて十傑がこれまで以上に優遇され、動きやすくなった場合、彼らにとってメリットしかない。

 例えば司瑛士や茜ヶ久保ももは恋を欲しがっているので、改革が成功したなら校則やカリキュラムの変動から恋を手に入れやすく出来るだろう。恋と料理をする機会も容易に増やせる。

 

 そして恋のサポートを受けた十傑の実力は寧ろ、改革後に生まれるであろう生徒達の反発心を圧し折る強力な一手になり得るのだ。

 

「薙切えりなの方は大丈夫なのか?」

「ええ、実は月饗祭が始まってから頻繁にやりとりをしてますよ」

「そうなのか? お前も忙しくしてるし、アイツも店があるだろ」

「まぁ、だから朝と夜にちょっとだけですけどね。彼女の店は最終日に一日手伝うことになってますし、向こうも楽しみにしてくれてるみたいです」

「はーん、まぁ惚気を聞く気はねぇ。お前が薙切えりなとやりとりをしていて不穏な気配を感じていないなら、問題はないんだろう」

「とはいえ、気を引き締めていきましょう。お互いに」

「ああ、いざという時の準備はしてきたからな」

 

 恋と叡山は互いに笑みを浮かべ、これから迫りくる黒幕の計画を圧し折る意志を見せる。この学園を好き勝手にやらせるわけにはいかないし、また黒幕に協力するような十傑ならそれこそ違う意味での改革が必要だ。

 

 その為に、此処まで準備を重ねてきたのだ。

 月饗祭然り、それ以前のことも然り、恋は恋で、叡山は叡山で手札を用意している。必要ならば、戦う用意が出来ていた。

 

「一泡吹かせてやる」

 

 叡山の復讐心は、未だ燃えている。

 

 

 




今回少し短めです汗
イチャイチャしたりシリアスしたり、月饗祭も佳境です!
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六十八話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 そして始まった月饗祭四日目。

 幸平創真と久我照紀の勝負は、一先ず三日目の段階で売り上げを越えた幸平創真の勝利とされたが、創真的には総合売上の勝負をしているらしく、勝負は最終日まで持ち込むことに。とはいえ久我飯店は三日目に消耗から落ち込んだものの、四日目には全員が元のコンディションに復活。

 一度恋ブーストで全ポテンシャルの発揮を体験したからだろう。行列の数も捌くスピードも初日に比べて大幅に向上しているので、このままなら創真が総合売上で勝利することはないだろう。

 

 四日目は三日目までと違って、土曜日ということもあって来客数も段違いに多い。

 どのエリアでも増える客の数にてんやわんやになりながら、各々の腕を存分に振るっていた。

 

 そして現在は午後。

 午前中に恋がサポートに入ったのは、目抜き通りエリアにある精進料理の屋台だった。

 緋沙子の影響もあって薬膳知識にも富んでいたからだろう、恋は此処でも十分に活躍する。事前にSNSで告知していたこともあって、大量に流れてきた人に屋台の生徒達は驚いていたものの、久我飯店すら飲み込んだ恋のサポートがあれば、それを捌いていくのも容易かった。メニューの数が二三品程度だったのもあるのだろうが、行列は一気に捌けていったのである。

 恋が抜けた後に残った行列に店の生徒達は青い顔をしていたものの、次はすぐに紀ノ国寧々の店に行かなければならないので、頑張ってもらうしかなかった。

 

「……来たわね」

「ええ、少し遅れましたか?」

「時間通りよ。それで……貴方のサポート能力は聞いているけど、蕎麦打ちの経験はあるのかしら?」

「まぁそれなりにって感じですね。でも、生半可に学んだつもりはありません」

「そう……貴方のことは私もそれなりに認めているつもりだから、期待を裏切らないでくれたらそれでいいわ」

「はい」

 

 そうしてやってきた紀ノ国寧々の店で、恋は軽く挨拶を交わしながら準備に入る。彼女が出す店は、彼女自身が最も得意とする蕎麦をメインとする蕎麦屋だ。

 紀ノ国寧々という少女は、『江戸そば』の流儀を現代まで継承してきた神田のそば屋を実家に持ち、自身の必殺料理のジャンルも蕎麦である。故にこそ、この遠月において蕎麦を作らせれば右に出る者はいないほどの実力者だ。

 

 叡山との会話では彼女と食戟をして勝利したという恋だが、その詳細はともかく寧々の恋に対する態度は幾らか柔らかい。彼女を知っている者からすれば、それほど関わりもない間柄の恋に此処まで柔和な対応をする寧々に対し、若干の驚きを見せるかもしれない。

 彼女と恋の間に何があったのかは分からないが、それでも自身の最も得意とする蕎麦を作る厨房に入れることを認めるくらいには、彼女も恋を認めているのだろう。

 

「じゃあ始めましょう。今日は忙しくなるわ」

「はい」

 

 厨房に入った恋と寧々は、流石は蕎麦を作る厨房というところか、和風料理らしい調理器具や食材の用意された空間でそれぞれ調理に取り掛かる。

 事前に何を作るのかメニューの詳細、席数などは聞いていたので、恋としても迷いなく調理に取り掛かることが出来た。寧々以外のスタッフがいないこともあって、店の内装はやや小さめである。本来なら自分以外の人間を厨房に入れるつもりはなかったのだろう。

 この店からは、そんな自分の料理に対する自信やストイックに自身へのハードルを上げる姿勢を感じられた。

 

 恋としては好感を抱ける。

 

「じゃあ客を入れるわよ。お昼時だから、最初からピークタイムだと思って」

「了解です」

 

 寧々が店を開ける。

 お昼から開店するつもりだったのだろう、店の外にあった準備中の掛札を営業中へと切り替えて、客を招き入れた。

 

 十傑第六席、紀ノ国寧々との料理が始まる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ―――紀ノ国寧々にとって、自身の料理とは日々の積み重ねだった。

 

 恵まれた家柄に生まれた彼女の周りには、物心ついた頃から料理というものがあった。特に蕎麦作りに関しては見ない日などないくらいに身近にあるものだった。

 家元の娘として生まれた以上、彼女もまた蕎麦作りの技を学び、料理人としての道を歩むことになるのは必然といえる。

 

 ただ、彼女はそれほど要領が良くなかった。

 和食特有の繊細な技術も、蕎麦作りにおける数多くの知識、技術も、一度や二度では習得することは出来ない。それでも、他の人間よりも不器用に積み重ねることしか出来なかった彼女は、どこまでも努力を重ねた。家元の娘だから、というが大きかったのかもしれない。蕎麦が打てないことが、自身の価値を消失させると無意識に思っただろう。

 結果的にはこの遠月で第六席の座に座るほどの実力を身に付けたのだから、その努力は計り知れない。

 

 とどのつまり、紀ノ国寧々という人物は努力の天才なのだ。

 

 自身が才能に恵まれた人間ではないことを早い段階で悟り、それでも努力で此処までの実力を身に付けた料理人。天才に嫉妬しながら、それでも折れなかった強い少女である。

 

「……!」

 

 だからこそ、黒瀬恋という料理人に対する尊敬の念は、きっと十傑の中でも一番強い。自分とは違って家柄に恵まれたわけでもなく、寧ろ味覚障害という大きすぎるハンデを抱えてなお、十傑に比肩する実力を身に付けた彼を、紀ノ国寧々が尊敬しないわけがなかった。

 秋の選抜前にはよく知らなかったこともあって、退学騒動に賛同を示した彼女だったが、秋の選抜を見て、月饗祭での活躍を聞いて、他の十傑にも認められていることを知って、今ではそれを恥じている。

 

 黒瀬恋は、弛まぬ努力によって料理をする自身と同種の料理人なのだ。

 

「(黒瀬……蕎麦打ちの経験はそれなりと言っていたけど、一目で盤石と分かる高い基礎能力がある……! サポート能力が高いとは聞いていたけど、確かに味覚障害者だからこそ、自身の研鑽に費やした時間が違うのね)」

 

 寧々は恋のサポート能力を体感して、普段とは違う感覚に驚愕を示す。

 他の十傑の面々が恋のサポートを高く評価しているのは知っていたが、此処まで自分の料理に没頭出来るなど、想像していなかった。

 

 欲しいものが、欲しいタイミングで、欲しい状態で手元に現れる。

 繊細な技術が求められる和食作りにおいて、雑多な思考や手間がどれほどストレスになるか、寧々は良く知っているのだ。それが恋のサポートによって極限まで削られることで、寧々は想像以上に己の料理に没頭することが出来ている。

 

「(これは才能―――いえ、彼自身の努力によるものね。器用なだけでここまでのことは出来ない……磨かれた技術に加えて、他者への高い観察眼、そして料理への深い知識が為せることだわ)」

 

 己のポテンシャルが恋のサポートで全て発揮させられている感覚を、彼女は心地よいと感じた。努力を積んで高い実力を身に付けた彼女だからこそ、天才には嫉妬や羨望もある。自分には簡単に出来ないことを、天才は易々とやってのけるのだ―――その姿に、苛立ちを覚えた回数は数えきれない。

 けれど今は、己の理想とする料理が己の手の中でイメージ通りに生まれていくのだ。まさしく蕎麦作りにおけるお手本のような技術を持つ寧々だが、そんな彼女の中にある理想形ともいえる蕎麦をイメージ通りに作ることが出来ている。

 

 それはまさしく、自分が天才になったような全能感だ。

 

「(凄い―――私の中に、こんな力があったのね)」

 

 それを引き出したのは間違いなく黒瀬恋のおかげだろう。

 それに依存しようとは思わない。彼女はストイックに己を磨いてきた料理人だから。

 黒瀬恋のサポート能力ではなく、ポテンシャルを全て発揮することが出来れば、自分が此処まで出来るのだという事実に注目していた。

 

 そして彼女の考え方であれば、この実力を自分の力で発揮出来るようになろうと考える。今はサポートありきだが、自分のポテンシャルならここまで出来ることが証明されたのだから。

 いつかは、黒瀬のサポート無しでも―――そう思わざるを得なかった。

 

「(嬉しい……私は、私はまだ成長出来る)」

 

 嬉しかった。

 自身を凡人だと思っていたが、凡人なりの努力でも辿り着ける境地があるのだと知れたことが。

 そしてなにより、自分よりも不利な状態だとしても、同じように努力をして此処まで這い上がってきた料理人がいることが。

 

 同族意識というべきだろうか―――ともかく、紀ノ国寧々は黒瀬恋という料理人を心から尊敬していた。

 

「(貴方なら、私の気持ちも分かるでしょうね……天才に憧れ、それでも負けたくない、そうやって努力してきた凡人の気持ちを)」

 

 だが対する恋は料理をしながら、寧々の調理から感じられる一種の依存にも近い空気を感じ取っていた。信頼にも似ているのだろうが、何か違うその空気に、眉を潜める。

 

「(紀ノ国先輩の動き……若干手を抜いている……? いや違う、無意識に俺に任せようとしている仕事範囲が大きくなっているのか……!)」

 

 それは、天才に対する劣等感を抱いていた彼女だからこそ起こったことだろう。

 並の料理人であれば恋のサポート能力に気付くこともなく飲まれるだろうことは、寧々とて早々に理解出来ていた。だからこそ飲まれないように全力を尽くすのが、今まで恋がサポートしてきた十傑や一流の料理人達のスタンスであったのだが―――寧々は違った。

 

 恋のサポートに飲まれることを良しとしていないけれど、恋のサポートで得られる全能感に溺れてしまっている。

 多少のことは恋がやってくれると理解してしまった結果、自分はこれだけに集中すればよいという範囲を無意識に定めて、それ以外を放棄し始めたのだ。

 

 自分の料理に没頭するあまり、全能感に溺れたいあまり、恋にサポート以上のことを求め始めだしてしまっている。

 自分が"天才"であったのなら――そんなもしもを体験しているこの状況が、彼女が最も溺れてしまう甘い毒になってしまったのだ。

 

「(これは―――不味いな)」

「(凄い、凄い……! 私にはこんなことが出来たのね……!)」

 

 恋はその全てをどうにかサポートし切っていたが、この状況を不味いと感じていた。

 寧々は仮に成長したとしても恋のサポート無しでは物理的に不可能なことまで、自分のポテンシャルなら出来ることなのだと錯覚し始めていた。

 

 恋はこのままだと、自分が紀ノ国寧々という料理人を破壊してしまうと確信する。

 

「紀ノ国先輩」

「! ……なにかしら?」

「すいません……手首を痛めました」

「!? ……大丈夫なの?」

 

 そこで、恋は嘘を吐いた。

 寧々が見ていない所で軽く調理台に膝をぶつけて音を出し、それから手首を抑えて負傷の宣告をする。すると寧々はそれに驚きながらも冷静に状態を確認。

 

「調理は問題ないです……でも、サポートできる範囲は少し狭くなりそうです」

「そう……なら、出来る範囲でやってくれればそれでいい。痛みが酷いようなら、無理はしないでいい」

「了解です」

 

 恋はサポート範囲は狭まるが、問題はないと言う。

 寧々はその言葉にさほど酷い負傷ではないと理解し、胸を撫でおろしながら無理をしないようにと言って調理を再開した。

 

 すると、そこからの動きは先ほどまでと打って変わって凄みが増していく。

 恋が負傷したことが念頭にあるからだろう、自分がしっかりしなければという意識が強くなったことで、寧々は自分で出来ることは自分でやるようにし始めた。恋に任せることをせず、ストイックな自分を取り戻すように腕を振るう。

 

 恋のサポートは、先程までと変わらぬ仕事をしているが、それでも寧々の動きが変わったことでその相乗効果は先程までとは桁違いだ。

 

「(! ……そう、馬鹿ね私は。私は天才じゃない―――今の私に出来ることをやるだけ)」

 

 そして調理をする中で、変わらぬサポートに恋の嘘を見抜いた彼女。

 その嘘の意味を理解して、また己を恥じた。

 

 天才かどうかは関係ない……今の自分に出来ることを全力でやらない者は、凡人にすらなれはしない。

 

 味覚障害の料理人である黒瀬恋はそれを理解しているからこそ、寧々を遠回しに正したのだ。

 

「(本当、舌を巻くわね……貴方は凄い料理人だわ)」

 

 それに気付いた寧々は、改めて、黒瀬恋に対する尊敬の念を強めたのだった。

 

 

 




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六十九話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 紀ノ国寧々との調理は、それから順調にクオリティを上げていき、客の反応も右肩上がりに向上していった。蕎麦というからには、お昼時を過ぎれば客足も減っていくかと思われたが、十傑の店であることや恋の宣伝効果もあってか客足は途絶えなかった。

 他の店を巡れるようにだろう、量は少なめに制作したざるそばが特に売れ行きが良い。まぁ一度に作れる量とメニューとして提供する量を考えれば、その方がコストも調理効率も良いのだろう。

 

 そうしてようやく客足が落ち着いたのは、月饗祭の売上放送が行われる18時を回る頃であった。

 用意しておいた分の蕎麦が全て捌け、現在は店を閉めている。店内の清掃を行いながらも、期せず出来上がった二人きりの空間に、恋も寧々も一息ついた様子だった。空も暗くなっているので、店内の灯りがあるとはいえ少し深夜の静けさのような空気が漂い始めている。

 

「ご苦労様、今日は楽しかった。久々に」

「ええ、お疲れ様でした。紀ノ国先輩も流石ですね、先輩の蕎麦打ちは見てて圧巻でした」

「貴方の盗み取ろうとする視線は正直生きた心地がしなかったけどね……高い基礎能力があるから出来ることだと思うけど、作る度自分の蕎麦打ちを修正していく貴方も大概よ」

「や、すいません。サポートに入るとその人の動きや意識の方向とか色々見てるので、自然と学ぼうとしちゃうというか」

「……大した向上心というか、学習意欲というか……まぁ、そういう意識があるからこそ、此処までの腕を手に入れたんだろうけど。茜ヶ久保先輩や司先輩、久我の所でもサポートにその調子で入ったんでしょ? なら色々学べたんじゃない?」

「ええ、それぞれスタイルが違いますから、もれなく勉強させて貰いました」

 

 そこで最初にその静けさを破ったのは、意外にも寧々の方だった。

 調理中の会話はほとんどなかったというのに、開店当初とは打って変わってかなり打ち解けた態度になっている。

 というのも、恋のサポートはほとんど一心同体と言わんばかりに動いてくれるので、通じ合っている感覚があるのだ。本当は恋が一方的に全部汲み取ってくれているだけで、通じ合ってはいないのだが、そう錯覚してしまうくらいに恋は支える料理人の意図を汲み取ってくれるのである。

 

 だからこそ、十傑や超一流の料理人といった恋のサポート能力の価値を理解出来る料理人であれば、言葉はなくとも共に料理をした時間が互いの心の距離を近づけてくれる。

 話してみてそれなりに恋の人となりを知っているからこそ、余計に寧々は恋に対してある程度心を開くことが出来たのだ。

 

「明日は何処?」

「明日は一日薙切えりなの店を手伝うことになってます」

「そう……確か幼馴染?」

「ええ、まぁ小さい頃に過ごしたっきり、再会したのは此処に編入してからですけど」

「その割に仲が良いのね」

「まぁ、友達ですから」

 

 寧々は最終日の恋の予定を聞いて、そういえばと恋とえりなの関係性を思い出す。

 特に興味もなく聞いていたけれど、選抜前の決議の時に反対したえりなの姿や、それに対する叡山の言葉には、恋とえりなが幼馴染であることが含まれていた。寧々は恋の苦笑を見て、恋にとってえりなは大切な幼馴染なのだろうということを理解する。

 

「……なるほど、だから私に食戟を挑んできたのね。正直驚いたけど、そういう理由なら納得もいくわ」

「まぁ、それだけってわけではないですけど……」

「けれど、貴方が食戟で私に要求してきたことを考えたら、別に私じゃなくても良かったんじゃないの? それこそ、石動や久我の方が席次は下なんだし、やりようは幾らでもあったと思うけど……あえて私を選んだ理由はなに? それとも……私が一番勝てそうだと思ったの?」

 

 すると、寧々は恋との食戟を思い出しながらそう問いかけた。

 恋と寧々が月饗祭以前、密かに行った食戟の理由。そこで恋が彼女に求めた賭け品とは一体何なのか、それは謎のままだ。

 

 しかし、その要求内容を考えると必ずしも紀ノ国寧々でなくてもよい内容らしい。ならば、恋が紀ノ国寧々を選んだ理由は一体何なのか―――それが、寧々には疑問だった。

 黒瀬恋の人となりを考えれば、決して勝てそうだからという理由ではないことくらい理解出来る。だが寧々の中に燻る天才への劣等感が、そう言わせたのだ。

 恋はそれに苦笑を返しながら答える。

 

「そういうわけでは決してないですよ。ただ……十傑の中で一番尊敬出来るのが誰かと訊かれたら、俺は紀ノ国先輩だと思うからです」

「! ……どうして?」

「それは紀ノ国先輩も感じてるでしょう? 先輩の実力は、純粋な研鑽を堅実に積み重ね続けてきた、確かな基礎と技術の結晶です……これは才能やセンス以上に、経験がなければ得られないものだ……貴方が一番、俺が手本にすべき姿勢を持っている」

「……―――そう、だからあの要求を私にしたのね」

「ええ、ただ十傑の一人だからという理由で挑むには失礼ですから。貴女にこそ、俺は挑みたかった」

「そう……特に興味もなかったけど……後輩に慕われるのは良いものね」

 

 寧々は真正面から純粋な尊敬の言葉を受けて、自分自身の胸の中にじんわりと広がる感情を理解した。ただただ夢中になって積み重ねてきた自分のことを、こうもストレートに尊敬してくれる後輩は初めてだった。

 しかも黒瀬恋は極星寮の生徒だ。あそこには一色慧もいるし、なにより彼は司や竜胆、もも、久我、えりなと十傑には親しくしている者も多い。

 

 にも拘らず、交流もほとんどなかった自分を一番尊敬していると言ってくれたことが、どれほどの意味を持つか、恋は知らないのだろう。

 

「けど、それなら本当に良いのかしら。貴方の要求通りに私は行動するけれど、そうなれば貴方にとっては都合の悪い展開になると思うのだけど」

「ええ、無理に抑制したところで俺の力はたかが知れてる。なら、早々に戦って勝つ方が分かりやすいですし、確実なので」

「そう……まぁ、その為の食戟だったのでしょうし……分かった、それなら私が貴方の切り札になってあげる」

「ありがとうございます、紀ノ国先輩」

「寧々で良いわ、この先貴方と私はもう秘密を共有する仲間よ……それに、料理人としての姿勢なら、私も貴方を尊敬するわ」

「……そうですね、寧々先輩」

 

 寧々も恋も、笑みを浮かべて握手をする。

 食戟で交わされた、二人にしか分からない約束。それがこの先の展開にどんな波紋を呼ぶのかはまだ分からない。けれど、互いに同じ様に研鑽を積んできた努力の料理人である二人だからこそ、互いを尊敬し、信頼することが出来る。

 

「そうそう、ついでだから私も将来実家の店を継いだ後、貴方を雇い入れたいって言ったら、どうする?」

「えぇ……勘弁してくださいよ」

「ふふふ……冗談よ。でも、また一緒に料理がしたいのは本当」

「それは勿論、いつでも声を掛けて下さい」

 

 すると、丁度学園放送が流れ始める。夜空に星が見え始めた遠月学園に、今日の売上ランキングが発表された。

 

『本日の売上ランキングを発表致します! まず山の手エリア一位は―――』

 

 焦らすような放送を聞きながら、窓から外を見つめる寧々がぽつりと恋に言う。

 

「今日は楽しかった。多分、人生で初めて……料理を楽しいと思ったかもしれない」

「……そうですか」

「ただ上達することが好きで研鑽を続けてきたけど……貴方と一緒に料理をして、少し世界が広がった気がする―――ありがとう」

「ええ、俺もです」

 

 そうして外の明かりを背に振り向いた寧々が、ふと微笑んでみせる。

 恋もそんな彼女に対して笑みを返し、そこでランキングが発表された。

 

 

『一位は――――十傑第六席、紀ノ国寧々の江戸蕎麦屋!!』

 

 

 研鑽を積み重ねてきた努力の料理人の店が、この日の頂点に立った瞬間だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ……そして四日目の月饗祭が終わった夜。

 

 最終日に向けて、とある場所に数名の人物が集まっていた。

 部屋の中に用意されたテーブルに付いているのは、遠月学園十傑評議会の半数。

 

「皆集まったかな」

 

 第一席―――司瑛士

 

「お腹空いたなぁ」

 

 第二席―――小林竜胆

 

「竜胆は月饗祭中食べ歩いてたんじゃないの?」

 

 第四席―――茜ヶ久保もも

 

「相変らず底なしの胃袋だ」

 

 第五席―――斎藤綜明

 

「……」

 

 第六席―――紀ノ国寧々

 

「まだ例の方が来てません」

 

 第十席―――石動賦堂

 

 十傑の内六名の人間が集まっているこの状況が何を意味するのか、それを理解出来る人物は今のところほとんどいないだろう。しかし彼らのいる部屋の扉を開ける人物がいた。

 

 漆黒のコートを靡かせ、その手まで黒の皮手袋で覆った病的に肌の白い男性。黒髪に一分白いメッシュの入ったその髪も相まって、少し不気味な空気を纏うその男性は、コツコツと歩きながらテーブルの上座にゆっくりと腰掛けた。

 

 

「さて……集まってくれてありがとう、とうとう月饗祭も明日が最終日だ」

 

 

 静かな空間に響くのは、ゆったりとした低音の声。

 十傑の面々は先程までの会話が嘘だったように真剣な表情でその言葉を聞いている。そんな彼らに構わず、男は続けて口を開いた。

 

「君達に賛同してもらったことで、ようやく僕も動ける。とはいえわざわざ伝統ある月饗祭に無粋な水を差すつもりはない―――だから、僕が動くのは月饗祭の校内放送の後になる。そこから……この遠月の新しい歴史が始まるんだ」

「そして新体制の遠月では、貴方や十傑を中心とした学園運営が始まる……ですよね?」

「その通りだ。今の腐った料理業界を変えるためには、必要な改革だよ……このまま由緒ある遠月学園が凡庸な料理人ばかりを輩出する場にしていくのは、損失でしかない」

 

 男の言葉に司が言葉を返せば、男はにっこりと笑いながらそれを肯定する。

 遠月の改革――それを行うために、彼はこの場にいた。この場に集まった十傑の面々はそれに賛同し、彼の改革を進める協力をしている。

 黙って男の話を聞く姿勢を取る十傑達に、男は悠々と語った。

 

「今日は明日、僕が動くことの伝達の為に集まってもらった。メールなどの連絡でも良かったんだが……改めて皆の意志が変わっていないか確認の意味も兼ねて、直接伝えさせて貰ったんだ」

「じゃあこの場にいる時点で、その意志は確認出来たんじゃ?」

「そうだね茜ヶ久保……君達の意志が変わっていないようで安心したよ。茜ヶ久保は昨日倒れたと聞いている、今日は月饗祭でも店の営業時間が午前中のみになっていたし、まだ回復していないんだろう? 体調が優れない中来てもらって申し訳ないね」

「別に……念のため少し休んだだけだから」

 

 ももはこういったメールでも済むような集まりはあまり好かないのか、早く解散させろと言わんばかりに発言したが、男はそれに対して素直に申し訳ないと言ってにっこり笑う。

 その笑顔に不気味さを感じたからだろう、ももは小さくそう言ってブッチーを抱きしめた。

 

 とはいえももの言葉は御尤もと思ったのだろう、男は立ち上がって最後にまた口を開く。

 

「それでは今日は解散としよう。明日からは君達も忙しくなる……しっかり休息を取るといい」

 

 そうして部屋を出ていく男を見送って、取り残された司達はふと息を吐いた。

 重苦しい空気感から解放され、緊張感が途切れたからだろう。思い思いに姿勢を崩す。

 

 すると解散ならばと石動や斎藤が立ち上がり、続々と部屋を出ていく。

 続いて寧々も退出しようとするが、不意にそこへ司から声が掛かった。

 

「そういえば紀ノ国は今日、黒瀬のサポートを受けたんだろう? どうだった」

「! ……どうとは?」

「彼のサポート能力は超一級品だ。紀ノ国といえど、何か感じるものがあったんじゃないかと思ってね」

「…………それを聞きたくて集まったわけじゃないですよね?」

 

 寧々はその言葉を聞いて、部屋に残っている司、竜胆、ももの三名がこの場にきた理由を悟った。この三人は、というより司とももは恋に執着している十傑メンバーだ。であれば、今日恋のサポートを受けた自分が、恋の腕を狙っているかどうかの確認をしたいのだろう。

 寧々は不意に、冗談ではあったが、将来自分の店で雇い入れたいといった発言をしたことを思い出し、一瞬言葉に詰まった。

 

「……やっぱりかぁ……」

「ち、違います! 私は恋の実力は尊敬に値すると思いますけど、別にそういうわけじゃ」

「恋くんのこと恋って呼んでる……なんで?」

「え、と、茜ヶ久保先輩、目が怖いんですけど……」

「うわ、めちゃくちゃ濁った目してるじゃねーか……こわ」

「竜胆も紀ノくにゃんも、あとついでに司も……恋くんはもものだから、手を出さないでくれない?」

「そういうわけにもいかない、黒瀬と俺が組んだ方が一番良い料理を作れる」

「は? それ以上ふざけたことを言うなら、その口縫い付けるけど」

「針と紐出して言われると本気っぽいからやめてくれないかな……?」

 

 寧々は彼らの会話を聞いて、特に茜ヶ久保ももの恋に対する執着心がより強くなっているのを感じた。何をしたんだ恋は、と思う寧々ではあったが、それでも恋がこれだけの料理人達にその腕を認められていること自体は素直に嬉しく思う。

 その感情から笑みを浮かべていたのだろう、それを見たももが淀んだ瞳に苛立ちを浮かべてくる。

 

「何? 紀ノくにゃん、今日一日恋くんと二人っきりだったからって調子に乗らないでね。今日だって、最初恋君のサポートに飲まれてたよね?」

「な、何で知って……まさか、見てたんですか……?」

「え、茜ヶ久保……もしかして今日午前営業だったのって、そういう……?」

「うははー! お前、やるなぁ。シンプルにストーカーじゃねーか」

「別に、恋くんがどうしてるかなって見にいっただけ。ストーカーじゃない」

 

 こわ、と思う寧々は、一番やべーのは茜ヶ久保先輩だと理解した。

 何があったのかは分からないが、恋はどうやら茜ヶ久保先輩に大層気に入られているらしい。それこそ独占欲を剥き出しに周囲を警戒させるくらいには、ももの恋に対する執着心が凄まじかった。

 

「別に何もないですけど……恋に迷惑は掛けないでくださいね」

「表出なよ、司諸共ブッチーの餌にしてあげる」

「サラッと俺も入ってるんだが!?」

 

 先程の男が明日に何かを起こすという話をしていたが、寧々は正直、恋を中心としたこの修羅場の方がやばいのではないかと思い始めていた。

 

 

 




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七十話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 そうして始まった月饗祭もとうとう最終日。

 今日も今日とて大勢の人で賑わい、それぞれ最終売上を伸ばすべく、また自分の料理を世に広めるべく、腕を振るう一日が始まった。

 

 恋の注目度も未だ健在であるが、今日はえりなの店で一日サポートに入ることになっている。彼女の店は完全予約制となっており、既にこの日に入る客は事前に決まっていた。神の舌のネームバリューは相当なもので、予約制だとしても開店から閉店までずっと満席状態が続く予約状況である。

 そこにプラス黒瀬恋の名前が加わるのだから、その料理を一口食べてみたいという人間は多かったものの、予約していなかった者には残念な結果になった。

 

 とはいえ薙切えりなも新戸緋沙子の力を借りて、予約リストの管理は完璧だ。テーブルに着く客は全員もれなく美食業界に名を馳せる者ばかり。彼らに認知されたのであれば、恋やえりなの名前もこれ以上なく拡散されることになるだろう。

 

「恋君、準備は出来たかしら?」

「ああ、大丈夫だよ。それにしても、随分立派な店を作ったもんだな」

「ええ、緋沙子が色々手配してくれて、私が指揮を執ったけど、良いお店になって良かったわ」

「じゃあ最終日は今まで以上の最高の品を出して、外観以上の中身を見せないとな」

「当然そのつもりです。恋君と料理をするのなんて小さい頃以来だから、ずっと楽しみにしていたわ」

「俺もだよ」

 

 普段の黒いコックコートに着替えた恋の下へやってきたえりなの声に、恋が言葉を返す。

 お互いに料理をする準備は万端。

 黒瀬恋と薙切えりな―――二人が一緒に料理をするのは、幼き日のあの時以来。懐かしさを感じながら、互いに互いの成長を感じられる瞬間を心待ちにしていたのは間違いない。ワクワクしているのだろう、互いに笑みを浮かべると、厨房に向かって歩き出す。

 

「月饗祭では色々大活躍だったみたいね」

「おかげさまで、色々と勉強させて貰ったよ」

「正直驚いたわ、月饗祭中遠月十傑約半数の店で仕事をしたのなんて、史上初じゃないかしら? まぁ……正直不安もあるけれど」

「かもしれないね……まぁ、色々考えて俺に出来ることを探った結果だ」

 

 会話をしながら歩く二人。

 えりなはこの月饗祭中、恋の名前が広がっていることもしっかり聞いていた。十傑の店どころか、各エリアにある店をサポートして回っており、更にはその全ての店が売上ランキングで上位に入るという偉業を為していると。

 恋のサポート能力が高いことは勿論知っていた。それは茜ヶ久保ももとの調理でも垣間見ていたし、司から話を聞いていたから。

 

 けれど売上ともなれば料理の腕だけでは獲れるものではない。そこには間違いなく、店を経営する上で人を集める魅力があった筈なのだ。恋は料理人として、店に調理以上の貢献をしてきたことになる。

 獲得した名声、発信力、実力、それらは恋のいく先々で彼を支える力となっていた。

 そうなると、えりなとしても恋のサポート能力が人並外れたものであることを再認識させられてしまう。

 

 だからこそ、今日この日―――彼と共に料理をすることが楽しみで仕方がなかった。

 

 自分が料理を教えたあの時間。

 それが彼を此処まで素晴らしい料理人に導くきっかけだったのだ。尊敬以上に、その事実が誇らしく思える。

 

「特に茜ヶ久保先輩の店では大活躍だったみたいだけど……」

「あー……まぁちょっともも先輩が張り切り過ぎて倒れちゃってね」

「恋くんが介抱したの?」

「え? それはまぁ、そうだけど」

「……そう」

 

 とはいえ、そんなことよりも恋がサポートして回った店の中には十傑達も多くいるのだ。第一席である司瑛士すら魅了した恋のサポートを受けた十傑達が、恋を欲しがらない筈がない。

 自分の知らない所でライバルが増えているのではないかと危惧しているのだ。

 

 特に危険だと思っているのは、茜ヶ久保ももである。

 元々あれほど恋に執着を見せていた彼女が気合いを入れて午前営業にしていたことから、彼女の恋に対する信頼が強いのは容易に想像できる。そして当然の様に取ったその日の売上トップ―――恋のサポートへの信頼は、期待以上に応えられたということだ。

 その上茜ヶ久保ももが倒れた後、恋なら甲斐甲斐しくその介抱を行っただろうことも想像できるからこそ……えりなは茜ヶ久保ももが恋に対する感情を強くしている可能性は非常に高いと思っていた。

 

 根拠は自分が恋に優しく介抱されたら、それを想像したら正直ダメになってしまいそうだったからである。

 

「恋君は将来、料理人としてどうするかとか考えてるの?」

「ん? そうだなぁ―――君の返事次第かな」

「っ!? ……あ……」

 

 そこで一歩踏み込んだ質問をすると、苦笑しながら恋に返された言葉に息が止まった。

 催促しているわけではない、けれど彼は今もえりなが勇気をもって返事をくれる瞬間を待っている。その意志を見せてくれていた。

 

 こんなにもだらだらと引き延ばしている返事――――それでも彼は、今もえりなを好いてくれているのだ。それが、たった一言で伝わってしまった。

 

「あ、あの……私も、その……」

 

 えりなは途端に頬を朱に染めて、身体の前で手を絡めながらもにょもにょと口籠りだす。不意打ちの右ストレートを食らって思考が真っ白になってしまっていた。

 恋はそんなえりなの動揺した様子にクスリと笑うと、その背中をぽんと叩いていつのまにか到着していた厨房へと入っていく。

 

「あっ……」

 

 急がなくても良い、という恋なりの意思表示なのだろうが、えりなは厨房へと姿を消した恋の背中を追いかけて、自分も厨房へと入っていく。

 そうすると其処には緋沙子もいるので、返事の話は出来なくなった。恋なりの気遣いなのだろうが、えりなはまた返事を返せなかったことで若干落ち込む。

 

 とはいえ、これから開店なのだ。

 料理人として全力を尽くすべき場所で、いつまでもへこたれてはいられない。ましてや当の恋の前で調理するのだ。無様な姿を見せるわけにはいかない。

 

「こほん、それでは緋沙子――開店してくれるかしら」

「承知しました」

「恋君には事前に伝えたコースメニューを作る手伝いをして貰います。種類は五つ、状況によって臨機応変に変化させるかもしれませんが、レシピは頭に入ってるわね?」

「勿論、問題ない」

「よろしい、では今日は売上トップを目指します―――遠月の頂点たる美食を作りましょう」

 

 気を取り直したえりなの指示が飛ぶ。

 そして最後の締めくくりの後、緋沙子は開店するためにホールへ。えりなと恋はそのまま厨房にて調理を始める。既に四日目までの間である程度効率化が図られているのか、整理された状態で置かれた食材、調理器具を見て、恋も袖を捲った。

 

「では、始めましょう。恋君、貴方の成長を見せてちょうだい」

oui、chef(ウィ シェフ)

 

 四宮小次郎の店でのスタジエールを思い出しながら。

 神の舌を持つ天才、薙切えりな。

 味覚障害の鬼才、黒瀬恋。

 互いにそれぞれ神懸った感覚と神懸った技術を持つ者同士が組んだこの日、一体どんな化学反応が起こるのか。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 調理が始まってから、薙切えりなは己も気が付かないほどにスルリと、過去最高の集中状態に入った。入った後で、自然に調理に集中する自分にハッと気が付いたくらいに、あまりにもスムーズだった。

 自分の指先、肌の感覚、意識、思考、調理工程の段取り、その全てが鋭敏になっているのが分かる。思ったように体が動き、無駄な動きもなくなっていくのが分かった。

 

 原因は勿論、黒瀬恋のサポートを受けているからだろう。

 

 薙切えりなは、あの堂島をして遠月開闢以来の怪物になりうる資質の持ち主と言われるほどの料理人。その調理技術も、料理知識も、料理センスも、全てが一級品であり、その全てを薙切の血統として極限まで研ぎ澄ませてきた。

 だからこそ分かる、恋のサポートが自分の調理工程における手間を全て省略していることが。

 

 一つの料理の調理工程が20あるとして、その中で作業を大きく分けた時に作業内容が5つになった時、その5個の工程の間にある4つずつの手間。それを恋が省いてくれているのだ。

 それはつまり、えりなは全ての調理工程を大きく分けた時の5つの工程をダイレクトに行うことが出来るということ。1が終われば4つの手間を省いて2の作業へと即座に移行できるというのは、全くストレスを感じさせない。

 しかも、工程と工程の間にある手間が全て完璧な仕事で、完璧なタイミングで用意されていくのだ。必然的に、えりながミスさえしなければイメージ通りの完璧な料理が生まれるのは当然のこと。

 

 集中が深くなれば、己の調理に没頭していき―――余計な思考も、ストレスもなくなっていく。

 

「(これが―――貴方が手に入れた力……! 私のポテンシャルが、全て引き出させていくのが分かる……!!)」

「(流石えりなちゃんだな……調理工程にほとんど無駄がない―――けど、物理的にそれを失くすことは出来ない。ならそこを俺が補えば、当然クオリティは爆発的に跳ね上がる……!!)」

 

 恋のサポートを受けて、えりなのサポートをして、互いに互いの動きに感化されていた。恋のサポートによって無駄が消えたえりなの調理は、彼女自身の持つ最高の資質とポテンシャルを極限まで引き出されていく。反対、調理中に進化していくえりなの調理に、恋もまた自分の視野が広がっていくのを感じる。

 

 今まで、恋がサポートに入ることでメイン料理人の無駄な労力が減り、その結果自身の調理に没頭することができるという効果が発揮されていた。

 だがそもそもメイン料理人の無駄が少なければ、恋の労力も減るのは当然のこと。

 

 

 ―――であれば、恋が及ぼす影響と同様の影響が、恋に起こってもおかしくはないのではないか?

 

 

 恋のサポートによってそのポテンシャルを極限まで引き出された薙切えりな。

 薙切えりなの殆ど無駄のない調理によって、そのサポート能力を極限まで引き出される黒瀬恋。

 

 互いが互いの能力を最大まで引き出す起爆剤となって、二人の調理は際限なく進化していく。

 

「(―――恋君が次にどんなサポートするのか、肌で分かる)」

「(えりなちゃんが次になにをして欲しいのか、直感で理解出来る―――)」

 

 互いが互いの動きを理解し、信頼し、互いの動きを予測し合う。

 最早これはサポートやメイン料理人といった垣根を超えていた。紀ノ国寧々が錯覚していた通じ合っている感覚―――まさしく、この二人は互いが互いのことを分かって、通じ合っていた。

 

 信頼している。

 信頼されている。

 そのどちらもを確信しているからこそ、安心して任せられる。

 安心して腕を振るうことができる。

 

 一人の天才がとある分野で努力を重ねたとして、その才能と努力が噛み合った時、最高のパフォーマンスを発揮することが出来る。

 

 それと同じことが起こっていた。

 

「ははっ……!」

「ふふっ……!」

 

 笑う二人。

 薙切えりなという珠玉の才能と黒瀬恋という極限の技術、その二つが完璧に噛み合った。この瞬間こそ、美食の歴史の新たな転換点だと言っても過言ではない。

 

 えりなは楽しかった、嬉しかった。心から溢れる歓喜の感情が抑えられなかった。

 

「(嬉しい……嬉しい――!! ああ、恋君……あの日、何度も失敗して、何度も苦しそうに料理を作っていた貴方と……こんな風に料理が出来る日がくるなんて……貴方が料理人として走り続けてきてくれたことが、苦しくなるくらい嬉しいの……!)」

 

 ともすれば泣いてしまいそうだった。

 幼き日のあの時間――恋は不味い料理しか作れない、味覚障害という圧倒的なハンデを抱えた非才の少年だった。そして一度は自分の嘘で傷つけてしまい、料理を嫌いになってしまったかと思うくらい、料理人としては残酷すぎる運命を背負っていた。

 

 なのに、それなのに、恋は追いかけてきてくれた。

 薙切えりなという少女を独りにしないでくれた。

 幼き日の彼が、きっとその過酷さを知らずに口にした、『えりなに美味しいと笑ってほしい』という言葉を嘘にしないように―――彼は走り続けていてくれた。

 

 どれほど血反吐を吐く様な日々だったのだろうか。

 どれほどの努力と、挫折と、苦悩を重ねてきただろうか。

 

「(―――諦めてしまいたいって思わなかったの? ……逃げ出してしまおうって、投げ出してしまおうって……そうは思わなかったの?)」

 

 そうなっていてもおかしくはなかった。

 いやむしろ、そうなっていて当然のことだと思った。彼が料理人を続ける可能性はほんの1パーセントにも満たない確率だったに違いない。

 

 けれど、1パーセントの薙切えりなへの想いが――彼を此処まで連れてきてくれたのだ。

 

「(楽しいわね、恋君……あの日の続き―――一緒に料理をしましょう)」

 

 えりなの動きが変わっていく。

 美食を追い求めるような調理ではない。それはまるで、彼女が本来そうだった姿を取り戻そうとしているようだった。

 

「(ああ、そうだな……えりなちゃん……そうだった、君はそうやって料理をしていたよ)」

 

 その動きに気付いた恋の胸の中にも、じんわりと広がる温かい喜びの感情が生まれる。

 それは恋がかつて幼い頃に憧れた、小さな料理人の姿だった。

 

 ―――楽しいわね。

 ―――楽しいよ。

 

 そう、薙切えりなは黒瀬恋に料理を教えた時、こう教えたのだ。

 

 

 "料理は、人を想って作るものなのよ"

 

 

 二人が心に想う人は今、目の前にいた。

 

 

 




イチャイチャ。
でも料理してるだけです。
表現力の挑戦。

感想お待ちしています✨





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七十一話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 黒瀬恋と薙切えりな、その組み合わせによって生み出される料理はどれほどのものなのか。それを想像しない者は、きっと今日の遠月学園にはいなかっただろう。

 なにせ今やこの年に入ってきた一年生の中でもっとも有名で、もっとも対極とも言っていい二人だ。

 

 片や中等部からのエスカレーター入学で、薙切の血統。神の舌という至宝たる才能に恵まれた遠月開闢以来の天才。

 片や高等部からの編入生で、無名の料理人。味覚障害という致命的な欠陥を抱えながら、遠月史上最大の異端児。

 

 全く対極の人生を歩みながら、同じ料理人を志した二人。にも拘らずそれぞれが違う武器を持ってこの遠月で出会った。

 神の舌に、神懸った調理技術が加わったなら―――一体どれほどか。

 

 そしてその空想が現実となった一皿を味わった者は、皆美食としての究極を体感した。舌の上で広がり、喉を通過して尚鼻を突き抜けて、脳の全機能を刺激するような感動が鳥肌を生み、体中を広がるような活力が細胞を若返らせるようだった。

 味を分析し、何が使われて、どんな技術が使われているのか……そんな美食家としての職業病の様な癖すら、圧倒的な力で抑え込まれてしまったような巨大な感動。

 

 味を感じた瞬間、嗅覚で脳を叩き起こされ、肌が震え、その目が天国を幻視し、全ての音をシャットアウトして、全ての意識がその感動に集中した。五感全てで、感じさせられたのである。

 ある者は、ただ無言で完食し、尚も数分の余韻を必要としてから、たった一言こう零した。

 

 

 ―――この感動を言葉にするには、この世界にはあまりに語彙が不足している。

 

 

 数多くの美食を食してきた美食評論家たちが、こぞって……美味しいという言葉でしかコレを表現することが出来なかった。無論、何が使われて、どんな技術を用いて、そんなことは理解出来ている。だがそんなことを口にするのが憚られるほど、二人の料理は素晴らしかったのだ。

 

「……さて、今日の客は全員来たか?」

「ええ、料理も全て提供したし……一先ずは一段落って感じかしら」

「そういえば、ホールに空いた一番良いテーブルがあったけど、あれは?」

「あれは……もしも才波様がいらっしゃった時にご案内しようと思って」

「ああ、なるほど……じゃあ言ってくれれば良かったのに。なんだったら、俺から連絡した」

「それは……良いのよ。私が一人前の料理人になった時……あの方はふらりと立ち寄ってくれると約束してくださったから」

「……そっか」

 

 そして今、全ての料理を提供し終えて一段落した頃。厨房で一息付いていた恋とえりなは、不意にそんな会話をしていた。

 調理が終わった直後こそ軽い消耗があった二人だったが、恋による一方的なサポートではなく、互いが互いの腕を高める動きをしていたことで、その消耗は十傑の面々が感じたものよりも少なく済んでいる。恋のことを理解し、通じ合うことが出来たえりなだからこその結果だった。

 

 恋はえりなが城一郎を料理人として尊敬していることを知っている。だからこそ、今回えりなの店で空けられていたテーブルが彼のためのものだと知って、なるほどと納得した。

 恋なら城一郎の連絡先を知っているので、なんだったら連絡することも出来たのだが、えりなとしては忙しい城一郎に迷惑を掛けたくないという気持ちもあって、テーブルを用意するくらいしか出来なかったのだろう。

 

 いじらしい一面に思わず笑みを浮かべながらも、恋は料理人として、ほんの少しのジェラシーを感じてしまう。まだまだ、成長しなければと。

 

「……片付けは俺がやっておくよ、えりなちゃんはホールの方を見てくると良い。客はまだ食事中だからな」

「ありがとう、ちょっと行ってくるわ。ここはお願い」

「ああ」

 

 それはともかくとして、店はまだ営業中。客は提供した料理を食している最中だ。シェフとして、客を全員見送るまでが仕事である。

 えりなは恋の言葉に甘えて厨房を出ていき、恋は手早く厨房を片付け始めた。

 

 サポートをする上で調理環境を臨機応変に変化させていた恋であれば、何処に何があるのか誰よりも把握している。片付けはスムーズに行われていった。

 

「……?」

 

 月饗祭も終わりに近づいてきたからだろうか―――ほんの少しの不安がよぎる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてホールにやってきたえりなは、緋沙子にもう予約客は全員きたかと確認を取り、昨日までとは違って粛々と音もなく食事を取る客に視線を向けながら、店が上手くいっていることを確認する。

 何か問題はないか、客への配慮不足はないか、そういった細やかな部分を確認していくが、一先ずは問題ないようだった。

 

 城一郎の為に用意したテーブルには、まだ誰も座っていない。

 当然と言えば当然だが、少しの期待があっただけ、残念さからシュンとなる。

 

「ところでえりな様、今日も一つ、テーブルを空けておられますが……それも一番いい席」

「いいのよ、いざという時のための席、だから……」

 

 緋沙子の言葉にも少々はぐらかしを入れながらそう答えるが、やはり残念さが勝つのだろう。その表情は少しだけ影があった。

 恋と料理が出来ただけでも十分幸せだったというのに、こうなるともっとと求めてしまうのは人間の欲深さなのだろうか。

 

 すると、不意に扉の開く音が聴こえてきた。

 緋沙子とえりなの視線が向かう。予約客は全て出迎えたというのに、新たな客の来訪に緋沙子は首を傾げ、えりなは一度手放し掛けた期待を再燃させる。

 

「一体どなたでしょうか……見てきます」

「まさか――……」

 

 緋沙子が扉の方へと駆け寄っていく。

 その背中を見送りながら、えりなも遅れてその後から歩いていく。

 

「あの、お客様ご予約はお済ですか? 当店は予約制でして―――!?」

「―――やぁ、久しぶりだ。えりな」

 

 出迎えた緋沙子の顔から血の気が引いた。

 そして扉の奥から聞こえてきた声に、えりなの顔も青褪める。

 

 

「お、お父、様……!?」

 

 

 現れたのは、憧れの城一郎ではなく……えりなの父、"薙切薊"だった。

 漆黒のコートに黒手袋、黒髪に一束白いメッシュが入っているのが特徴的な容姿。光を吸い込んでしまう様な黒い瞳と病的なほどに白い肌は、一見して不気味な雰囲気を身に纏っていた。

 

 数歩後退ってしまったえりなに対し、数歩店の中へと踏み込んできた薊。

 するとそれを庇うように両者の間に割り込んだ緋沙子が、あくまで冷静に対応した。

 

「困ります、お客様……当店は予約制となっておりまして―――」

「えりな、君の料理はこの程度の人種に振舞うためにあるのではない。もっと仕事する相手を選びたまえ。君の品位が霞むよ」

「!」

 

 だがまるで緋沙子がいないかのように言葉を被せて、薊は店内にいた客を見渡しながらそう言い放った。

 店内にいたのは美食業界では名前も知れた出資者や美食家達だ。それをこの程度の人種と呼び、品位が霞むとまで蔑んだ男に、黙ってなどいられない。

 

「なんだと貴様!!」

「謝罪したまえ!」

「無礼な!!」

 

 感動に酔いしれていたところに刺された無粋な言葉。余計に腹立たしいと思うのは当然のことだろう。

 だが不敵に笑みを浮かべる薊に対し、数名の人間がその正体に気付いていく。その正体が事実ならば、今ここに彼がいることは衝撃の事態だ。

 

「ん……? お、おい、あの男って…」

「あ、ああそうだ間違いない……! でもなんで今になって……!?」

「あの男は何年も前に、遠月から追放されたはずだ!」

 

 そう、薙切薊は何年も前に、ある出来事が原因で、遠月より追放された料理人だった。無論、追放されたのだからこの遠月学園に入ってくることも禁じられている筈。しかも何故このタイミングで、この店にやってきたのかも疑問だった。

 

 だが、それはそうと無礼な物言いを許せない人間はいる。

 

「ふん、何を怖じ気づいているのかしら。食事の席にズカズカ入ってきてさっきの物言い、貴方の方こそ品位があるとは言いがたいのではなくて?」

「お姉ちゃんナイスぅ」

 

 そう言ったのは、レトルトカレー業界のトップでもあるハウビー食品のCEO&COOに座する千俵なつめ&おりえ姉妹だった。実は秋の選抜予選でもカレーの審査にいた二人だが、薊はそんな二人を前にして尚ふてぶてしく笑みを浮かべながら言葉を返す。

 

「レトルトカレー界のトップにおわす方々ですね。子供騙しの味を世界中に撒き散らすビジネスは順調ですか?」

「ああ!? もっかい言ってみろやテメェこのクソボケがああああ!!」

 

 あまりに失礼な言葉に青筋を立てる姉妹だったが、そんな彼女達を鼻で笑う様にして薊は続けた。

 

「食の有識者を名乗る者たち……果たしてその中の何人が、本物の美味というものを理解しているだろう。真の美食……それは優れた絵画や彫刻、音楽に似ている。その真の価値は品格とセンスを備え、正しく教育された人間にしか理解できない。真の美食もそういうものなのだよ。限られた人間だけで価値を共有すべきであり、それこそが料理と呼ばれるもの。それ以外は料理ではない。餌だ」

「ご高説痛み入るけど、あなたが何を仰っしゃろうと詮無きことですわ」

「そうでしょうか? 血は確かにそこにある、そして教育もだ。さあえりな、君がどれだけ腕を磨いたのか見せて欲しい」

「え……あ……」

 

 そうして自分自身の持論を語りながら、えりなへと迫る薊。明らかにこの場を支配しているのはこの薙切薊だ。この店のシェフであるえりなは明らかに委縮してしまっており、客としてやってきていた美食家達もまたあまりの言い分に手を拱いていた。

 だがしかし、薊がえりなが空けていた城一郎のための席へと向かおうとした瞬間、その方に手を置いて止める者が現れる。急に現れたその人物にハッとなる薊は、少しの驚きと共にその人物へと視線を向けた。

 

 えりなもまたその視線を追いかけると、そこには厨房で片付けをしていた黒瀬恋がいた。

 

 ふと見ると、その背後に緋沙子が少し息を切らした様子で佇んでいる。どうやら自分の手に負えないと判断し、恋を呼びに行ったらしい。えりなは思わず、ほ、と安堵の息を漏らした。

 

 

「……お客様、店で食事をする以上は―――店のルールやマナーを守っていただかないと」

 

 

 恋が金色の瞳を細めてそう言えば、薙切薊もまた不愉快そうに眼を細めて恋を睨み付けた。

 

「……黒瀬恋、何故君が此処にいる? まさかえりな、この店で共に料理をしていたのではないだろうな?」

「!? ……それは」

「えりな、友人は選ぶべきだとは思うが……この男に関しては、縁を切るべきだ。食の世界において、彼以上に唾棄すべき存在はない」

「そんな!? 恋君は……!」

「黒瀬恋……僕の娘に近づくのは止めて貰えないかな? 君も薄々勘付いているのだろうが、再三に渡る警告を無視したつけは大きいよ」

 

 一方的にえりなに言い放つ薊に、流石のえりなも声を荒げたものの、それすら無視して恋に敵意を向ける薊。肩に置かれた恋の手を払い、尚も不愉快そうに恋を睨みつけている。

 恋としては何もした覚えはないが、父親が娘に近づく男を嫌うというには、いささか憎悪の感情が大きい。どうやら何かのっぴきならない事情があるような様子だった。

 

 とはいえ、えりなが怯えているのも事実。

 恋は自分と薊の間にどんな事情が存在するのかはさておいて、一先ずはその敵意に応えることにした。

 

「警告? ああ、面と向かって言えないから遠回しに陰口をばら撒いてチクチク攻撃する中学生のイジメみたいなやつですか? 申し訳ないです、蚊に刺された程度のことだったので気にも留めてませんでした」

「貴様……あまり調子に乗らないことだ……君の様な料理人として致命的な欠陥を抱えた人間が、美食を汚すことこそ損失以上の重罪だよ」

「料理をすることに罪があるとするならば、食物連鎖から勉強し直すことをおすすめします。命をいただくことに罪の意識があるということであれば、素晴らしい心掛けと思いますよ? 貴方はきっと食材を尊ぶ良い料理人になれるでしょう」

 

 恋の皮肉に青筋を立てる薊は、感情を露わにして恋を侮辱するが、それもまた恋の皮肉で打ち返されてしまう。

 どんな崇高な持論を持とうが、どんな主張をしようが、どんな信条を持とうが勝手だが、恋にとってはあくまで他人の主観でしかない。押し付けられる義理はないし、それに同意する意味もないのだ。

 

 であれば、薙切薊がどのような主義主張を呈してこようが、黒瀬恋は勝手に言ってろで終わる話である。

 

 この場において恋の主張は唯一つ、店のルールに従い、予約をしていないのなら退店してくれということだけだ。それ以外の論議に付き合うつもりは毛頭ない。

 

「ご退店願います、お客様」

「いずれ分かる……興が削がれた」

 

 恋が、これ以上はないと視線で示せば、薊は不快さを隠そうともせずにそう言って踵を返した。

 状況が悪いと踏んだのだろう。此処でどのような主張をしたところで、恋の主張を聞いた後では、美食云々の前に店のルールを守らぬ不届き者にしかならない。そのような無様を晒すことを、彼のプライドは許さなかったのだろう。

 

 どんな横暴も、どんな主張も、ルールの中で正当に行われなければ唯の戯言でしかない。

 

 だが薙切薊と黒瀬恋が対峙した。

 それだけで、この遠月学園に何か大きなことが起ころうとしていることを、誰しもに理解させたのだった。

 

 




遂にきました、薊さん。
どうしてこんなに恋を嫌うのか、その理由とは?
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七十二話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


「また会おう、えりな」

「……っ」

 

 恋との睨み合いの末、店を去る薊。

 えりなは委縮して言葉に詰まるものの、不愉快さを隠そうとしない薊が何とも言えない圧力を放っていたからだろう。 

 他の客が視線を送る中、悠々と店を出ていく薊。

 

 だが、店を出て行った薊を出迎えたのは、外で待機していた遠月の運営委員会及び総帥である薙切仙左衛門だった。

 騒ぎを聞いてあとから店の外へ出てきた恋やえりな達も、その光景に驚愕の目を浮かべる。だが恋はふとその集まった人々の後方に叡山の姿を見つけ、なるほどと納得した。

 

 この状況は薊の侵入をいち早く察知した叡山が仕掛けたものなのだろう。

 薙切仙左衛門やその他の学園運営に関わる委員会全体に呼びかけるなど、遠月の生徒の中では叡山くらいでなければ出来ないことだ。

 

 対峙する仙左衛門と薊。

 

「ああ、出迎えて貰わずともこちらから伺うつもりでしたのに」

「薊……! 貴様は遠月より追放された身。去れ! 貴様にこの場所へ立ち入る権利はない。二度と薙切を名乗ることは許さん」

「えりなが持って生まれた神の舌を、磨き上げたのは僕なのですよ? 僕を追放しようとも、血と教育は消え去りはしない」

「儂の最大の失敗だ。あの頃のえりなを貴様に任せたことはな」

「失敗はお互い様ですな、僕がいれば遠月を今のようにはさせなかった。下等な学生を持て余すことは愚の骨頂ですよ」

「それを決めるのは我々ではない。遠月の未来を決定するのは、才と力持つ若き料理人たち! 貴様一人が喚いたところで何も変わらぬ!!」」

 

 恋は二人の会話から、薙切薊が言う薙切えりなへ施した教育、という言葉が気になった。えりなの薊に対する恐怖心や委縮した態度は、どう考えても異常だ。

 この学園で再会してからも、えりなは美食を極める、といった方向で料理を作る様になっていた。今日共に料理をした時には、かつてのえりながそうだったように、ただ誰かを想って料理を作る料理人になっていたのに。

 

 勿論、それは成長したことによって心の変化があったのだろうと思っていたが、その原因もまた薙切薊によるものなのだとしたら―――彼は薙切えりなという料理人の芯を歪ませる何かを施したということだ。

 隣で青い顔をするえりなを見て、恋は静かに彼女の背をポンと叩いた。

 

「っ!? ……恋君」

「大丈夫だよ、俺が付いてる」

「!……ええ、ありがとう」

 

 ハッとなったえりなだが、恋がこの場に似つかわしくない微笑みを向けてそう言うと、何処か守られているような安心感と共に、少しだけ固まった息を吐き出すことが出来た。

 

「遠月十傑評議会……彼らには学園総帥と同等以上の力が与えられている……例えば十傑メンバーの過半数が望むことは、そのまま学園の総意となる」

「何を言っている……?」

「彼らは変革を良しとしていますよ」

 

 だが、そう言って薊が取り出したのは一つの重要書類。

 手渡されたその書類に目を通した仙左衛門は、そこに書かれている驚愕の事実に若干目を見開いて眉を潜めた。

 

 そこには、学園総帥薙切仙左衛門を失脚させること、そして新たな総帥に薙切薊を据えることに、十傑評議会の過半数が賛同をしめしているという事実が書かれている。

 つまり、かつて恋を退学に追い込んだのと同じ手法を使って、今度は自分自身を遠月学園の最高権力者へと押し上げたのだ。

 

 こうなってしまえば、薙切仙左衛門は反論の余地はない。かつての恋がそうだったように、正当な意思決定によって仙左衛門は総帥の座を追われ―――新たな総帥に薙切薊がなる。

 

「……そうか」

「おや、あまり驚かれませんね。いささか受け入れるのがお早いようですが」

「ふん、お前の要求を受け入れたわけではない。あくまで儂は、未来ある若き料理人の意志を汲んだだけに過ぎん――――薊よ、あまりこの遠月の学生を甘く見ないことだ」

「ご忠告痛み入ります。ですが、これからは私が遠月総帥……崩壊し切っている遠月学園をあるべき姿へと導いて見せますよ」

 

 しかし薊の要求、十傑の裏切りを目前にしたところで、仙左衛門の驚きは小さかった。その上すんなりその決定を受け入れる様な態度すら取っている。まるでこうなることは分かっていたかのような態度に、薊は訝し気な表情を浮かべるが、決定は決定――薙切薊は遠月学園新総帥の座を手に入れたのである。

 

 すると、仙左衛門の背後から一人の学生が出てきた。

 恋も見つけていた、叡山枝津也だ。

 

「……叡山枝津也、どうして今此処に? 十傑を追われた君が」

「相変らず憎たらしい言動ですね、薙切薊新総帥―――お情けの立場に就けてそんなに嬉しいですか?」

「……何?」

 

 敵意というにはあまりにも積もりに積もった復讐心を露わにした叡山に、薊はどういう意味だと眉を潜める。

 お情けで与えられた立場という言葉に、えりなも首を傾げた。この状況を作り上げた薊の謀略には呆気に取られていたというのに、それを上回る何かがあったというのだろうか。

 

 すると、隣にいた恋が薊の横を通り抜けて叡山の横へと立った。

 

「黒瀬恋……まさか、君達は……」

「十傑過半数の賛同を以て、新総帥となる計画は……十傑を追われた叡山先輩から聞いて、ずっと前から分かっていました。それを事前に防ぐことも出来たけれど、俺達はそれをしなかった」

「どういうことかな?」

 

 黒瀬恋と叡山枝津也……薙切薊の謀略によって、様々な被害を受けた二人の料理人。だがだからこそ、薙切薊が排除したいと思っていたからこそ、この二人が最も彼への対抗手段としての力を持っていた。

 対峙する両者。

 事前に全てわかっていたという恋に、薊は何処かうすら寒い物を感じながら、それでも余裕を崩さずに問いかける。

 

 すると、今度は薊が驚愕する番とばかりに―――恋は言った。

 

 

 

「今回貴方に賛同した十傑の中には、あえて貴方に賛同するように俺がお願いした人がいます」

 

 

 

 それは、恋と叡山が選んだ選択肢だった。

 新総帥になられることは、きっと学生たちにとっては未来の芽を摘まれるような事態である。それでもそれを見逃したのには、れっきとした理由があった。

 

 その理由とは、薙切薊の策を何度潰した所で、本人が表に出てきていない以上は意味がないと判断したから。

 

 恋が何度戻ってこようと、しつこく次の手を打ってくるのだ。であれば、本人をどうにかしない限りはこういうことは今後もずっと続いていく。

 だからこそ。

 

「貴方に表に出てきてもらって、しっかり根本から叩き潰させていただく。それが、俺と叡山先輩が取った策です」

「!!」

「お飾りの総帥の座なんてくれてやるよ、その代わり俺達は抵抗する。勿論料理人らしく、料理でなァ」

「……仙左衛門殿も、これを知って?」

「然り―――叡山枝津也から事前に話を聞いて、ならばこの学園の未来は若き料理人達の闘志に賭けることにしたのだ」

「そんな博打に乗るなんて、お飾りだろうが総帥は総帥―――その権限で出来ることは貴方も理解している筈ですが」

「貴様に賛同する十傑の中に、裏切っていない者がいるとしてもか? 儂に起こったことが、次は貴様に起こらぬとは思うまい?」

「っ……つまり、この策に踏み切った時点で……」

「そう、貴様は戦いの場に引きずり出されたのだ―――黒瀬恋と叡山枝津也の手によってな」

 

 仙左衛門の言葉に、薊は歯噛みした。

 屈辱―――そう、屈辱を感じている。一度は十傑から落とした叡山枝津也が此処までの脅威になるとは思っていなかったし、なにより黒瀬恋だ。

 薙切薊が最も忌み嫌っていた存在に、ここまでしてやられるなど、屈辱以外のなにものでもない。

 

 金色の瞳が闘志を以て己を睨みつけている。

 

 料理人としての格だというのか、それが。

 薊は不愉快さを隠すことなく、余裕を見せる余裕もなく、黒瀬恋を強く睨み付けた。

 

「……いいだろう、黒瀬恋―――こうなっては、君を排除することに権力という力は意味を為さない。やはり君を消すためには、正々堂々……正面から料理で打ち負かすしかないらしい」

「初めからそうすれば、今の屈辱もなかったと思いますけどね」

「黙れ! ……僕がこの学園に改革を施す為には、どうやら君達が最後の障害になるようだ。であれば、戦おう……いずれは君達をこの学園から消してみせよう。追って、戦いの場を設ける―――戦争だ。君達も君達の軍隊を用意するといい」

「上等です……ああ、今貴方に賛同している十傑メンバーはそちら側として扱って貰って構いませんよ。元々、そちらの理念に賛同する面があったのは変わりありませんから」

「それはどうも。予定外のことはあったが、それでも今日、革命は成った……私が総帥である以上、遠月は変わる」

 

 薊と恋の睨み合い。

 おそらくこの構図こそが、遠月学園新体制と現体制を象徴する二人になるだろう。とはいえあくまでお互いがお互いにとって害を為す存在であるというだけで、この両者に関してはこれといって、遠月の進退は関与しないのだが。

 

 それでも、薙切仙左衛門が総帥を退いてまで託された遠月の未来は今、黒瀬恋の双肩に懸かっていると言っても過言ではないだろう。

 

「僕は必ず君を否定する」

「なら、それを覆すまでです」

 

 こうして、薙切薊の遠月学園新体制が始まった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、一度薙切薊は立ち去っていき、月饗祭は恙無く閉幕となった。

 十傑の過半数の裏切りという衝撃のスクープはすぐさま学園中へと広まっていき、遠月学園新総帥に薙切薊が就くという事実は学内外へと一気に広まる事態となった。

 

 現在は月饗祭の片付けをしている最中だ。

 各店舗、売上の整理や店の解体など、色々とやらなければならないことは多い。目抜き通りエリアのテントはすぐに片付くが、中央や山の手エリアの立派な外観の店はそうもいかない。それなりの人員を割いて、片付けを行うことになっていた。

 薙切えりなの店でも、それは同様である。

 

「……恋君は、お父様がこうすることを知っていたの?」

「俺も叡山先輩に聞いただけで、今日こうなると思ってたわけじゃないけどね。学園のことはどうこう言えないけど、自分の身を守るための予防線は張ってたんだ」

「そう……私は、どうすればいいのかしら」

「どうしたいんだ?」

「私は……恋君がいなくなるのは、イヤよ」

「そう……でも、何もしなければそうなる。だから、本当に大切なものを守るためには、戦うしかないんだ」

「でもお父様に逆らうなんて……いえ、違う……私は、怖いのね……」

 

 緋沙子が店の解体指揮を執る中、恋とえりなは一緒にいた。流石に自体の当事者たる二人なので、緋沙子が気を使って気持ちを落ち着かせる時間を設けたのだ。特にえりなに関しては、トラウマが再発したように、薊がいなくなった今も委縮したままである。

 恋が傍にいるから少しはマシなのか、自分の気持ちを冷静に客観視することは出来ているようだが、それでも纏まらない思考に困惑しているようだった。

 

 肩を落とすえりなに恋はくしゃ、と頭を撫でる。

 大きく温かい手のひらの感触がとても頼もしくて、えりなはじわりと泣きそうになった。

 

「大丈夫だ、何があったって―――俺が君を守るよ。例え十傑全員が相手でも、俺一人だけだったとしても、全部蹴散らしてみせるさ」

「でも! 貴方には大きすぎるハンデがある……そこを突いた不利な戦いを仕掛けられたら!」

「その時は、皆が付いてる」

「!」

「俺一人じゃダメなら、皆を頼るよ。香りで勝てないなら葉山を頼る。科学力で勝てないならアリスを頼る。発想力で勝てないなら幸平を頼る。俺にはこの学園で出会った凄い奴らがいっぱいいる……この一年足らずの間、競い合ってきた時間が無価値かどうか、思い知るのは向こうの方だ」

「皆……」

「それに、勝算がないわけじゃない」

「え?」

 

 トラウマの再発でネガティブになっているえりなに対し、恋はあくまで笑みを浮かべながら大丈夫だと断言する。戦う意思も、実力も、十分すぎるほどに頼もしい仲間がいると。新たな遠月がどんな料理人を生み出すのかは知らないが、だからと言って今までの遠月で研鑽してきた料理人達が無価値と断ずるのは早計である。

 

 そして、最後に恋が語る勝算という言葉に、えりなは顔をあげて目を丸くした。

 恋はそんな彼女に不敵な笑みを浮かべながら、こう言った。

 

 

 

「―――その為の、月饗祭だったんだからな」

 

 

 

 恋が月饗祭で得たもの、それは今後の戦いを大きく左右する。

 戦いは、既に始まっていたのだ。

 

 

 




恋君が月饗祭で得たものとは?
ただサポートしまくっていただけですが……つまり?
感想お待ちしています✨





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七十三話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 かつて恋とえりなが出会い、そして共に料理をしていた幼い頃。

 えりなはよく笑う、純粋無垢で、少し素直になれないいじっぱりな普通の少女だった。神の舌をもって生まれたことで、料理においては幼い頃から凄まじい才能を発揮していた彼女であったが、それでも今ほど料理というものに美食性を追求するような性格はしていなかった。

 

 ―――料理は、人を想って作るもの。

 

 幼き日に恋にそう教えるくらいには、彼女の中の料理は自由で、人の想いに溢れているものだった。美味しくあることは勿論大事だが、それ以上に料理にもその一皿に込められた人の想いがあることを、彼女は分かっていたのである。 

 では何故そんな彼女が美食を追求し、今や不味い料理や大衆料理を認めないような人間性になってしまったのか。

 

 それは、恋がえりなの嘘に傷つき、飛び出していった後のことであった。 

 

「………緋沙子、恋くんは?」

「ええと……今日も、来ていません」

「そう……やっぱり、嫌われちゃったかな」

「そんなことは、ないと思います」

 

 恋がえりなの嘘に飛び出していってから、恋はえりなの所へ遊びに来なくなった。少なくとも、幼いながらえりなの付き人をやっていた緋沙子が知らないと言う程度には、彼との接触はなくなっていた。

 一日、一週間、半月と経って、えりなと恋が再び料理することはなかった。

 嫌われたか、と不安になるえりなを緋沙子は必死に励ますも、同じように幼い緋沙子には、恋の気持ちを推し図ることなど出来ず、これが喧嘩なのか、仲違いなのか、お互いを想い合ってのことなのか、判断出来ない。

 

 えりなは意地っ張りな少女だ。

 だからいつも恋の方から来てくれていたことで、自分から恋の下へと訪れるのは気恥ずかしかったのだろう。待つだけで、何もできない時間だけが過ぎていった。

 

「えりな」

「! お父様」

 

 すると、恋とえりなが出会わなくなってから一月が経った頃。

 不意に薙切薊がえりなを呼んだ。

 その頃のえりなは父に対して恐怖心は持っていなかったし、料理人としても高い実力を持つ薊に尊敬の心だった持っていた。

 

「どこへ行くのですか?」

「えりなは、良い料理人になりたいかい?」

「はい!」

「ならば付いておいで……君に、料理を教えてあげよう」

 

 えりなが連れられて行ったのは、薄暗い部屋だった。蝋燭に灯った火が唯一テーブルの上を照らしているような、そんな薄暗い部屋。

 父のただならぬ雰囲気と薄暗い部屋に不気味さを感じなかったわけではないが、それでも幼いえりなは父を疑うことはなかった。

 言われるままに椅子に座らされ、目の前に置かれた二つの同じ料理を前に父の言葉を待つ。

 

 薊はえりなに対し、ゆっくりとしたトーンで淡々と言葉を投げかける。

 

「食べてごらん……どちらが正しい味付けかな?」

「ん……左です。右は動物性油脂が主張しすぎていて、調和していません」

 

 神の舌を持つえりなは、その問いかけに対して即座に応えを出す。

 幼い頃より数々の料理を食し、その評価を的確に言うことが出来たえりなにとっては、このような問いは造作もない。食した瞬間舌の上に広がる無数の情報を正確に理解し、神の舌は微かな粗さをも暴き出す。

 

 だが、その返答に対して薊が告げた言葉は―――

 

 

「よろしい、では右の皿の料理をその屑かごにいれなさい」

 

 

 ――おおよそ、えりなが想定していたものとは大きく違っていた。

 

 驚き、えりなは薊の顔を見上げる。

 そこには表情のない薊の顔があり、子供ながらにゾッとした。父のこれほどまでに冷たい表情を見るのは、えりなとしても初めてだったのだろう。

 

 とはいえ、えりなも料理人の端くれ。食材を無駄にすることは料理人としてやってはいけないことだと、薊の言葉に躊躇を見せる。

 

「で、でも……料理を粗末にするのは……っ!?」

 

 しかしその躊躇を許さぬとばかりに、薊はえりなの左手首を掴むと、強い力で無理矢理それをやらせようとした。

 ギリギリと締め上げる様な力が、幼いえりなの細い手首に悲鳴を上げさせる。折れてしまうのではないかと思うほどの痛みに、えりなの目尻に涙が浮かんだ。

 

「痛っ……お父様……痛いっ……痛い、です……!!」

「やるんだ」

「ひっ……!」

 

 あまりの痛みと父のプレッシャーに、えりなは涙を浮かべながらおそるおそる右の皿の料理をビチャビチャと屑カゴに捨てた。神の舌にとっては不完全な料理であっても、料理を、食材を粗末にしたことに強い罪悪感を抱くえりな。

 だが父に対する恐怖心の方が大きく、捨てた後に父の顔を覗き込めば、薊はにっこりと笑って見せた。

 

「よろしい」

「っ……」

「いいかいえりな……情けを持ってはいけない」

「情け……」

 

 薊はすっかり心が消沈してしまっているえりなを揺さぶる様に、蝕む毒を投与するように、えりなの両肩に手を置いて、言葉を頭上から振らせた。

 

 

 ―――不出来な品を決して許すな。この父の認めるもの以外は屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ。屑だ。芥だ。塵だ……。

 

 

 淡々と、一定のリズムで繰り返し繰り返し、そう言い聞かせた。

 美食でないものは屑だと、不出来な料理は塵だと、父が認めないものは芥であると、そう言い聞かせた。

 

 何度も、何度も、何度も、来る日も来る日も、えりなの中に刻み込まれるまで、教育という名の洗脳を続けた。

 

「お父様が認めるもの以外は…………ごみ……」

 

 そうして毎日の教育を受けて、憔悴し、虚ろになった瞳でそう呟くようになったえりなに、薊はただ微笑んで頭を撫でた。それが正しいことであると、褒めるように。

 だがそんな中でえりなの心の中に残っていたのは、恋との思い出だった。

 

 人を想って作るのが料理―――そう教えた自分が、心のどこかで父の教えを拒絶していた。

 

「お父様……あの、恋君に会いたいです」

「恋君? ……ああ、以前此処に通っていた黒瀬さんのご子息か……ダメだ」

「ど、どうして、ですか?」

 

 だからだろう、えりなは意地を張る余裕もなく、まるで恋に縋るように父に懇願したことがあった。このままでは自分という料理人の価値観が壊されることを、無意識に理解していたのだろう。恋に会って、どうにか自分を保ちたかったのだ。

 

 しかし、薊はそれを拒否した。

 薊と恋に関わりはなかった。であれば、友人と会うことくらいなら、料理と関係のないことでなら、許してくれると思っていたのに。

 

「えりな、友人を持つことは良いことだ。優秀な人間との関わりは自分の世界を広げるきっかけになり、それは料理人としての成長にも繋がる……けれど、わざわざ下等な人種と関わる必要はない」

「下等だなんて……恋君は、友人です」

「いいかいえりな……父は、ダメだと言ったぞ。なんども言わせるものじゃない」

「ひっ……!」

 

 えりなの目線に合わせるように膝を着いて、真正面からえりなと目を合わせながら、薊はえりなの肩に手を乗せた。痛みはない、けれどほんの少し強く掴まれたことで、えりなは最初の手首を掴まれた時の痛みを思い出す。

 恐怖が心を支配し、父の言うことは絶対なのだと刷り込まれた心が、薊の言葉に首を縦に振らせた。

 

 痛みと言葉と強制した行動によって、えりなの心を破壊し、えりなという料理人を滅茶苦茶にした薊。教育という名の洗脳は、その後えりなが試食の仕事で料理を地面に叩きつけたり、棘のある言葉で料理人の心を穿つようになって初めて、仙左衛門がその事実に気が付くまで続いた。

 

 薊は薙切、遠月を追放され―――えりなは父の洗脳から解放された。

 

 けれど、薊の教育はずっと彼女を縛り続ける。

 仙左衛門は気が付くのが遅すぎた。

 薊の洗脳は、既に取り返しのつかない深さで薙切えりなの心を縛り上げていたのである。

 

「えりな……気が付くのが遅くなってすまぬ……何か、やりたいことや欲しいものはあるか?」

 

 追放を言い渡し、尚も不敵に笑う薊が連れて行かれた後、取り残されたえりなに仙左衛門はそう言った。

 すると、えりなは光のない瞳でその言葉に数秒の沈黙を返す。

 欲しいもの、やりたいこと、そう言われて、えりなは自分が何をしたいのかが分からなかったのだ。父の言葉が強い呪縛となって、彼女の料理人としての本心を押し潰してしまったから。

 

 だがそれでも、えりなは、たった一つだけ、呪縛の中でも手放さなかったものがあった。最後の最後まで、吹き荒れる父の言葉の嵐に晒されながら、洗脳の恐怖に傷つきながら、それでもその小さな身体で縋り付いていた光があった。

 

 

「……恋君に、会いたいっ……」

 

 

 たった一人の友達に、会いたい。

 零れた涙が、えりなに残された唯一の本心。

 仙左衛門は静かに、えりなを抱きしめた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 月饗祭の片付けを終え、極星寮に戻ってきた恋を出迎えたのは、薙切仙左衛門だった。

 あの一連の騒動の後、総帥を追われた彼は恋と話すために彼の帰宅を待っていたのである。

 そして仙左衛門の誘いで、すっかり夜も静まった学園内の道を二人で歩きながら、彼は恋にえりなの過去を話した。薙切薊が行ったこと、えりなが唯一守り抜いた恋との思い出、今にも続いている教育という名の呪縛について、全てを。

 

 恋はその話を聞いて、ただ夜空を見上げた。

 憤りはある。何故その場にいなかったのかという後悔もある。けれどそれは最早手遅れであり、今となっては覆せない過去の話だ。

 

「儂はその後、えりなの要望を聞き入れ君と接触しようと動いた……だが、その時君は日本にいなかった。様々な国を転々とし、今に続く料理人としての研鑽を始めていたのだ……とはいえ、それ以前から薊の奴が君の家へ圧力を掛けていたようだがな」

「そうですね……俺の家も小さい料理店ですが、今思い返せばあの頃父から遠回しに薙切の家に行くことを禁じられました。代わりに色々な国へ勉強に行かせて貰ったわけですが……事情は教えて貰えませんでしたね」

「薊が何故此処まで君を敵視しているのかは分からぬ……だがそれでも君という存在は、えりなにとっても、薊にとっても、そしてこの遠月にとっても今や大きな存在になっておる」

 

 仙左衛門は立ち止まり、数歩進んで振り返った恋に言った。

 

 

「幼い頃、そして今も、えりなにとって救いの光が君なのだ―――黒瀬恋」

 

 

 黒瀬恋という少年が、あの時代にえりなと出会っていなかったのなら。

 黒瀬恋が料理人の道を進んでいなかったなら。

 今この瞬間、えりなはもっと冷たい料理人になっていただろう。彼がいたからこそ、創真の大衆料理や不完全な料理を認めずとも、遠月の一料理人として許容する程度の寛容さは失わずに済んだのだ。

 

「だから、俺をこの遠月に呼んだ(・・・)んですか」

「……そうだ」

 

 黒瀬恋が遠月学園にやってきたのは、最終的には恋の意志ではあったが、実はそこには仙左衛門の手引きがあった。

 元々恋は味覚障害者。

 料理学校に関わらず、入学願書にはそういったセンシティブな事情も記載せざるを得ない。例えば、足を失っているから車椅子生活を強いられている、といった事情を知らないのは学校側としても問題になってしまう。そういった事前情報の伝達は必須だ。

 

 そんな彼が、中でも料理学校に入学願書を出して受け入れられる可能性は非常に少ない。ましてや遠月学園は最高峰の料理学校だ―――入試を受けられずに終わることだって十分あり得た。

 

 それでも彼が遠月に願書を出し、編入試験を受けることが出来たのは、仙左衛門による恋の両親への接触があったからである。

 実力を示す必要はあるが、それでも最高蜂の料理学校へ通えるかもしれない。

 そんな話に恋が乗らないわけがなかった。

 

「都合が良いなとは思いました。遠月に編入出来るかもしれないなんて話が降って湧いたことも、味覚障害を事前に願書に記載して何の連絡もなく通ったことも、神の舌を持っている薙切の血統だからと言って、編入試験に一生徒であるえりなちゃんが試験官としてやってきたことも……何もかもが俺にとって都合が良すぎた」

「……」

「この為に仕組んだことだったわけですか」

「薊が行動を起こすことまでは予想出来なかったがな……だが、えりなとの約束を儂は忘れてはおらなかった。そして、今なお続く薊の呪縛からえりなを解き放てるとしたら、君をおいて他にはいないと思っておる」

「全く、良い大人が揃いも揃って情けないですね……」

「返す言葉もない……」

 

 恋は納得がいったとばかりに溜息を吐いた。

 つくづく、薙切えりなを取り巻く環境は厄介なことが多いと思ったのだろう。とはいえ恋としては、この学園に来られたこともえりなに再会できたことも、それで良かったと思っていた。

 

 確かに許せないこともある――けれど、今はえりなの傍にいるのだ。

 

「えりなを、どうか救ってやって欲しい」

「俺に人を救うなんて高尚な真似は出来ませんよ……ただ」

「?」

 

 深々と頭を下げる仙左衛門に、恋はえりなを想う。

 

 

「今も昔も変わらない―――俺は彼女にただ一言、美味しいと、笑ってほしい」

 

 

 仙左衛門は恋の強い瞳に、一瞬とはいえ安堵してしまった。

 それほどまでに、強い瞳だった。

 それは、神の舌を持つえりなを笑顔にするという意思。えりなを幸せにするという夢。その為に必要ならば、彼女を傷つける全てから全力で彼女を守るという覚悟。

 

 黒瀬恋は初めて出会ったあの日からずっと、薙切えりなを愛している。

 

 

 

 




小さい頃から薊の邪魔をする恋君。
風化することのない。えりなと恋の絆。
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七十四話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 恋が仙左衛門から話を聞き終えてから、先行きの不安定さを示すように雨が降ってきた。ノイズの様に耳を打つ雨音が遠月学園を包み込み、薄暗くなった夜に鬱蒼とした重たい空気が流れる。

 

 そんな中で、新総帥となった薙切薊は遠月学園の一室で司瑛士と向かい合っていた。互いに向かい合って椅子に座り、飲み物がテーブルに置いてある程度の状態。薊の表情はあくまで余裕を持っており、司もまた何を考えているか分からない表情でお茶を飲んでいた。

 本来であれば革命を起こした直後の今、えりなの住まう屋敷へ出向き、かつて中断せざるを得なかった神の舌の教育など、やるべきことを進めたいところではあったが、恋との対立もあってそれが出来なかったのである。

 

 現状、恋と叡山による薊への対立をどうにかしない限りは、己の改革を進めることは出来ない。これは契約を交わしたわけではないが、要はプライドの問題でもあった。恋と叡山を障害として認めたのに、改革を進める―――その行動は己の言動に対する説得力を失わせかねない。

 また、そうなった場合黒瀬恋の仕掛けた十傑内にいるであろう裏切り者が、何をしでかすかも不安要素だった。司を呼び出したのは、その不安を拭うためだ。

 

「司瑛士、十傑第一席の君から見て……僕達側の十傑の中に黒瀬恋に与する者がいるとするなら、誰だと思うかな?」

「……さぁ、斎藤や石動は分かりませんが、それを除いても僕達は黒瀬と親しいですからね。俺を含め、誰が黒瀬の味方をしてもおかしくはないです」

「……なるほど、では君はどうかな? 調べた限りでは、君は十傑内でもとりわけ黒瀬恋に執着しているようだけど」

「いや、黒瀬に対する執着心で言えば茜ヶ久保の方が凄い気がしますけど……」

「そうなのかい? そうなると、彼女が大分怪しいか」

「(多分想像しているより数倍くらい度合いが違うと思うけどな……)」

 

 司の言葉を受けて、顎に手を添えながら真剣に考える薊に、司はそっと目を逸らして愛想笑いを作った。

 正直な話、恋が反逆した十傑の中で裏切るように要求した人物が誰かを、司は知っている。なんなら茜ヶ久保ももも、小林竜胆も、紀ノ国寧々も知っている。斎藤と石動の二人に関しては分からないが、少なくとも司が把握しているだけでもその四人は知っているのだ。

 

 なにせ――――その四人全員が、恋によって裏切りを頼まれた十傑であるから。

 

 司も竜胆も、ももや寧々も、実は全員月饗祭の最中で恋と接触している。

 その際、恋は直接薊による接触があったのかと訊き、そこであったと答えた十傑に裏切るよう要求した。だから質問だけなら、久我もその質問を受けている。

 恋がより多くの十傑の店にサポートに入れるよう動いたのは、その為の布石でもあった。叡山から今回の革命に関する話を聞いてからずっと、十傑を裏切らせるための算段を立てていたのだろう。

 そして今回、それは上手く薊の裏を掻き、こうして彼の行動を阻害するに至っている。

 

「まぁいい、黒瀬恋の談を信じるのなら……君達は全員僕の思想に相応の理解があってこちら側にいる。なら、戦いの最中で裏切るなんて真似はしないだろう? 黒瀬恋の目的が僕の敗北なら、正々堂々に反するような真似はしない筈だ」

「……随分と黒瀬のことを信用しているみたいですが、なら何故そんなにも黒瀬を敵視するんですか?」

「……」

 

 だが恋のことを考えた結果、わざと裏切らせたからと言って、正々堂々の勝負をするのであれば、自分側の十傑が裏切ることはないだろうという結論に至り、一旦思考を切った。

 すると司は、薊が随分と黒瀬恋のことを信用していると感じ、今回のことへの矛盾について指摘する。黒瀬恋のことを敵視している割には、黒瀬恋の人間性は信用している―――そんな矛盾を。

 薊は司の指摘に少し押し黙る。

 

「そもそも、これから貴方がやろうとしている改革が進めば、遠月学園の中で彼ほど貴方の思想を体現出来る人物はいない。貴方がやろうとしているのは、僕達十傑やそれに類する料理人によって美食を追及し、才能に恵まれない料理人にもその成果を平等に与えること……その結果、遠月学園の全生徒が十傑レベルの知識、アイデア、技術を手に入れ、その平均水準は爆発的に上昇する」

「その通りだ」

「ですが黒瀬の調理技術は僕達十傑をも上回っている……僕達十傑のアイデアやレシピを、彼は僕ら以上のクオリティで作り上げることが出来るでしょう。それは結局、貴方が非才の料理人に禁じる美食の追求にも等しい……貴方は何故、黒瀬を敵視しているんですか?」

 

 黒瀬恋の調理技術は遠月でもトップクラスだ。

 ずば抜けた正確さ、無駄のなさ、芸術にも至る繊細さすら感じられる珠玉の調理技術。

 それを遠月から排除する意味は一体どこにあるのか。

 

 薊は少しの間を置いてから、静かに口にする。

 

「……確かに、彼の調理技術は僕も認めているよ。彼ほどの技術力の持ち主は、そうはいない……彼が一般的な味覚さえ持っていれば、おそらく第一席の君や神の舌を持つえりなにも匹敵する怪物になっていただろうね。加えて人格者であり、基本的には温厚、気遣いや気配りも完璧で、コミュニケーション能力も人一倍高い……さらには先の月饗祭で名を轟かせるに至ったサポート能力は驚愕を禁じ得ない……味覚障害を抱えて尚、余りある価値が彼にはある」

「ならどうして」

「だからこそ、僕は彼を認められない。いや、僕だからこそ彼を認めるわけにはいかない……この遠月に、そして神の舌の周りに、彼の存在は邪魔でしかない」

「美食の追求において薙切――神の舌は国宝級の価値を持つ……黒瀬の存在が、それを失わせると?」

「これ以上を君が知ることに、意味はないよ」

 

 そう言って、これ以上話す気はないとばかりに立ち上がった薊は、早々に部屋を立ち去っていく。司はその背中を見送ると、一人取り残された状態でぽつりと呟いた。

 

「私情、か……どうやらかなり厄介な藪を突いたみたいだな、黒瀬は」

 

 薙切薊が黒瀬恋を敵視する理由。

 黒瀬恋の人間性も、実力も認めている――けれど料理人としての彼を認めるわけにはいかないと言った薊。料理人としての能力や味覚障害が問題ではないとするのなら、その理由は当然私的な感情の問題になってくる。

 薊が恋に抱く敵意の理由。その核心にはきっと、神の舌が関わってくるのだろう。

 

 黒瀬恋と薙切えりな―――二人を取り巻く現状に、彼は一体どんな感情を抱いているというのだろうか。

 

「まぁ……この状況は寧ろ都合がいいかもな」

 

 それはそれとして、司瑛士はふと笑みを浮かべる。

 

「このままいけば……黒瀬と食戟で戦う日も近いかもしれない」

 

 柄にもなく―――彼は料理人として黒瀬恋と戦ってみたいと思っていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「えりなちゃん?」

「あ……恋君」

 

 雨が降ったことで仙左衛門と分かれ、極星寮へと帰ってきた恋が見たのは、食堂に緋沙子とえりながいる光景だった。

 屋敷に帰ったと思っていたのに、何故極星寮へとやってきたのか分からず、首を傾げる恋。すると、そんな恋に気付いたえりなと緋沙子が近付いてくる。

 雨に濡れた様子もないので、おそらく恋と入れ違いにやってきたのだろう。一色達が彼女達を出迎えていたみたいだが、どうやら恋を待っていたらしい。

 

 すると、未だに薊の登場によるショックから抜け出せていないのか、少し暗い表情のえりなに変わって、緋沙子が恋に事情を説明するために口を開いた。

 

「恋のおかげか屋敷に薊新総帥は現れていないが、いずれはえりな様に接触してくるだろうと思ってな……今のえりな様は動揺しているんだ……会わせるわけには……」

「それで咄嗟に極星寮に来たわけか」

「此処なら恋もいるし……せめて気持ちを落ち着かせる時間を稼ぐことは出来ると思って」

「そうか……良い判断だと思うよ。流石だ、緋沙子」

「私には出来ることは、精々これくらいだ」

「十分過ぎる」

 

 恋はしゅんとなる緋沙子の肩をぽんと叩き、少し居心地悪そうに佇むえりなの傍に歩み寄った。 

 するとえりなはようやく気心しれた人物の登場に少しホッとしたのか、また薊の登場によって不安が大きくなっているのか、恋の袖をきゅっと握ってその背に隠れるように近づく。まさしく借りてきた猫のようになっている彼女を見て、恋は苦笑した。

 

「黒瀬君、事情は大体新戸さんに聞いたよ。大変だったろう、ふみ緒さんも許可してくれているし、しばらく薙切さんには極星寮に泊まって貰ったらどうかな」

「助かります、一色先輩」

「気にすることはないよ、薙切さんは今までも時折寮に遊びに来てくれていたし、黒瀬君にとっても大切な人なんだろう? なら、極星寮の仲間として歓迎しないわけにはいかないじゃないか!」

「そうだよ黒瀬! えりなっちも大変だったねぇ! いくらでもいてくれていいからねぇ~~!!」

「え、えりなっち!?」

 

 するとえりな達を迎えてくれていた一色達も温かく声を掛けてくれる。

 特に薊とのいきさつを聞いたのだろう、寮の全員が同情を露わにしてえりなを取り巻く環境を嘆いていた。吉野や榊、恵は目尻に涙すら浮かべており、創真達男子も憤りを隠せない様子。

 

 だが、それはそうとして極星寮には空き部屋がない。

 

 恋と創真、二人の編入によって空いていた部屋が埋まってしまったのだ。

 そうなると女性陣の部屋に泊まらせて貰うのが一番良いと思う恋だったが、何故かその進言は受け入れられなかった。

 

「いや黒瀬の部屋に泊めるのが一番いいに決まってるでしょ」

「なんでだよ」

「黒瀬君なら変なこともしないだろうし……薙切さんなら変なことしても良さそうだし……」

「今なんて言った?」

「薙切さんも、信頼している黒瀬君が一緒なら、一番安心できるんじゃないかな」

「一色先輩、おかしいのはその裸エプロンだけにしてください」

「いいじゃねーか黒瀬、選抜の時は薙切の屋敷に泊まってたんだろ?」

「同じ部屋で寝泊まりしたわけじゃないぞ幸平」

「私も、恋の部屋に泊まらせて貰うべきだと思う」

「緋沙子、お前以前俺がえりなちゃんに相応しいかどうかだの言ってなかったっけ?」

「恋君……私は、貴方と一緒なら……」

「絶対俺が来る前から決めてただろ、この流れ」

 

 首を傾げた恋に、畳みかける様な恋の部屋コールが止まらなかった。

 どうやら恋が帰ってくる前に恋の部屋に泊めることは全員の総意で決まっていたらしい。これが恋でなかったのなら、きっと強い信頼関係があったとしても女性陣が自分達の部屋に泊めただろうが……薊の教育を受けていた少女時代に恋との思い出だけが心の支えだったことや、遠月学園での恋とえりなのやりとりを思えば、それが一番最適だと誰もが思った。

 恋であれば、きっと不安に押しつぶされそうなえりなを安心させられると、全員が信頼しているのだろう。また男女ということで間違いが起こる可能性もないわけではないが、恋ならこんな状態のえりなを押し倒すような真似はしないという信頼もあったし、なんなら間違いが起こったとてこの二人なら別に良いだろうという気持ちもあった。

 

 結局、えりな本人が恋の部屋が良いと言う以上、あとは恋が納得するかどうかである。

 恋の部屋にえりなを泊めて、恋が別の部屋に泊まるということも提案したものの、不安そうに袖を掴む力が強くなったことで、恋は折れた。

 

「はぁ……分かったよ。後で布団を運ぼう……ベッドは好きに使ってくれ」

「ひひ、一緒に寝ればいいじゃん」

「吉野、それ以上ふざけるなら流石の俺も手を下さずにはいられないぞ」

「あ、あれ? 黒瀬? 黒瀬っち? いつも優しい君が怖い顔になってるぞ? や、やだなぁ、冗談だって! 待って! やめて! 怖い怖い怖い! なにするつもり!? ぎゃーーだだだだだだ!!!」

「凄い、無駄のないアイアンクローだ。締め上げる工程に無駄がない」

「流石黒瀬、技術力なら天下一だな」

「それは料理の技術の話じゃあああだだだだだだだ! ごめんなさい! 調子に乗りました! 私が悪かったです反省しました黒瀬さん、いや様ぁ!」

「次は命を貰う」

「うぅぅぅ……温厚な人ほど怒らせたら怖いとは言うけど……」

「今のは怒るというより叱られただけだと思う……」

 

 吉野が宙に浮くんじゃないかと思うほどの力でアイアンクローを行った恋だったが、必死の謝罪で吉野を離す。

 調子に乗りすぎたことを反省する吉野は、榊の指摘でぐうの音も出なかった。

 

 結局、えりなは恋の部屋に泊まることが決まり、そこからは暗い空気を吹き飛ばすように、極星寮で歓迎会という名の試食大会が始まる。

 翌日から始まる、薙切薊との対立に向けて、英気を養うように。

 

 

 




ようやく月饗祭最終日が終わりました汗
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七十五話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 翌日、薙切仙左衛門の失脚と薙切薊の新総帥就任の一報は、全校放送にて学園中を瞬く間に駆け巡った。テレビの映像でも薊の姿は映し出され、就任挨拶という体で彼自身が進めようとしている学園改革の話がつらつらと流されていく。

 恋も編入の際に挨拶をした会場で、遠月の一大ニュースということで多くのメディアや料理界の名の知れた出資者が押し寄せる中、彼は悠々と語る。

 

「生徒の諸君ごきげんよう、薙切薊だ。今から話すのは僕が目指す理想の世界……遠月学園を改革する内容についてである」

 

 彼が語る遠月の未来。

 作り替えるために考えている全ての計画について、彼はなんら間違ったことなどしていないと言わんばかりの様子で、少しオーバーに口にしだす。

 

「まず一つ目……今学園内に存在している調理の授業、ゼミ、研究会、同好会……それらの勢力をすべて解体する。全部ゼロに。研究会もゼミ制度も一切廃止だ」

 

 解体、つまり無くすということだ。

 水戸郁美の所属している丼研や、葉山が大事にしている汐見ゼミ、恵も所属する郷土料理研究会など、それら一切の学内団体を全て、この学園内から排除しようというのだ。

 当然それに対して反対の声が学園中に上がるが、放送を聞いている生徒の声が別の場所で演説をしている薊に届くわけもない。

 

「そして二つ目……学園内に新たな組織を立ち上げる。僕がピックアップした生徒だけが集う、新たな美食を探求する精鋭組織。これを仮に、中枢美食機関(セントラル)と呼称する。君たちがこれから作る料理は、すべてセントラルのメンバーが決定する。君たちはもう料理を創造しなくていいんだ」

 

 ただでさえ反対意見が多く上がる中で、薊が更にそれを上回る改革内容を告げた。

 それは今までの遠月学園を根底から覆すような改革である。

 今までの遠月は、完全な実力主義の世界であり、実力さえあれば創真のような大衆料理店出身だろうと関係なく、上へあがることが出来るルールだった。各々が各々にしか作ることが出来ない必殺料理へと至る道を探り、そして唯一無二の玉となる競争社会。

 

 仙左衛門なりに言わせるのなら、1%の玉を作るために、99%が捨て石となる世界だ。

 誰もが玉となる資質を持ち、また誰もが捨て石になる可能性を秘めている。

 だからこそ各々が死力を尽くして競い合い、その果てにある頂きを目指す。だからこそ、十傑とは気高く重い称号であり、そこに価値が生まれていた。

 

 しかし薊が言っているのは、全くの逆の世界。

 料理界において美食以外のものを存在出来なくするために、遠月にいる全ての料理人に選別した優れた料理人達の技術、アイデア、知識を与えることで、個性を失くし、ただ美食を正確に作り上げる料理人を量産する。

 そういう学校にすると言っているのだ。

 確かにそうすれば全ての生徒が十傑と同じレベルの料理人となることが出来る。いずれ社会に出た時も、きっとあらゆる現場で活躍できる料理人となるだろう。時間が経てば、遠月学園を卒業した料理人は全員確かな実力を持った料理人しかいない、なんて囁かれる時代が来るのかもしれない。

 

 けれど、その先にあるのは己の個性を全て殺し、料理技術だけを持った空虚な料理人だけだ。

 

「逆らう者は、とても残念だが学園を去ってもらうことになる。それに君たちは考え違いをしている。今までのシステムのほうがよほど不条理だ。実力主義を口実にして脱落者は完全放棄……料理人にも性格の差異があり、成長のスピードが違うにも関わらずだ。あまりにも暴力的だとは思わないか?」

 

 だがその言葉の選び方から、まるでそれが今までとは違い、これから先の遠月学園が天国になるのだという錯覚を与えてくる。

 この遠月学園での課題では、確かに多くの生徒が退学になっていた。実力のない者から次々とこの学園を去り、生き残っても次から次へと新たな試練が襲い掛かってくる。

 

 例えば選抜に選ばれなかった者や、月饗祭で黒字でもランキング上位には上がれなかった者――そこには己の実力の無さに悔しい思いをしている生徒達がいるし、立ち直れないほどの挫折に苦しんでいる生徒だっていた。

 そんな才ある者と自身を比較し嘆く生徒達からすれば、薊の改革は天恵のように思えただろう。

 

「これからの調理授業は、すべてセントラルの教えを伝える場となる。誰もが等しくその恩恵を享受する。つまり……十傑レベルの技術、アイデア、レシピをやがてここにいる全員が修得するんだ。そこは無益なぶつかり合いのない世界だ。不必要な退学、不必要な選別、不必要な競争……そこから君たちは自由になる」

 

 幸平創真や黒瀬恋―――才能や環境に恵まれずとも、努力と経験で天才たちと渡り合ってきた料理人のことなど、脳裏にも過ることなくその甘い毒に溺れようとする。

 そんな生徒達の弱い心に、じわじわと侵食する薊の言葉。

 

 

「いいかいよく聞いて――――君達は、捨て石なんかじゃない」

 

 

 その言葉が、実力なき生徒達にとってどれほどの救いになるかを、薊はよく理解していた。

 

 しかし、そこまで言って薊は少し間を空ける。

 とはいえ、この改革を進めるには障害があることも、この場で伝える必要があるからだ。此処で強引に改革を進めると告げることは、今自分に賛同している十傑の裏切りを許すことに等しく、そうなれば自身がやったように、十傑の権限で総帥の座から落とされる。

 故に、薊は少しトーンを落として口を開いた。

 

「だが、今までの環境でやってきた以上受け入れられないと思う者もいるだろう……事実、僕の改革に対して真向から対立してきた生徒がいる。総帥の立場すら危うくなるような方法でね……だから、僕はその生徒を反対勢力の代表としてみなし、新総帥となった以上その意志をきちんと受け止めていこうと思う」

 

 先程までの改革内容とは打って変わって、でも多くの生徒の興味を引く言葉が、更なる注目を集める。

 とはいえ流石は薙切薊というべきだろうか。

 先程まで改革でのメリットや利点を滔々と語った後で、それを邪魔する存在がいるという印象を与える演説の段取りは、まるで生徒達の味方である自分にたてつく生徒がいる、というような認識を擦り込んでいく。

 

 しかも、新総帥として対立してきた生徒であろうとも、誠実にその意見を受け止めようという姿勢を示すことで、よりクリーンなイメージを与えることに繋げていた。

 

「そこで、改革に対する旧体制保守派の代表生徒にも話をして貰おうと思う。遠月学園第一学年、秋の選抜でも決勝に進んだ実績を持つ……黒瀬恋君だ」

 

 保守派の代表―――それは当然、黒瀬恋だった。

 ここでも薊の策略が打たれた結果なのだが、本日早朝に演説の件を薊の手の者から伝えられた恋は、何の用意もなく急遽この場に呼ばれている。

 薊の紹介で演説台に立たされた恋だが、以前から改革内容を詰め、演説に関しても事前に詰めていた薊と違い、即興で、かつ悪印象を植え付けられた状態で、対抗演説をしなければならないこの状況は、明らかに不利だった。

 

 今この場で下手な演説をしようものなら、薊の整然とした演説との比較を以って改革賛成派はその勢力を増し、保守派は勢いを大きく削られてしまう。

 この会場には叡山も駆けつけているが、このどうしようもない状況に、正直やられたと表情を歪めていた。このような一手で黒瀬達の力を削ぎに来るとは想定していなかったのだ。

 

「(黒瀬からの連絡で駆け付けたはいいが、この状況じゃもう手は出せねぇ……! 黒瀬が下手な演説をすれば、現状折角作り上げた薙切薊と対等な立場が一気に瓦解する……! 月饗祭で黒瀬の発言力、発信力を爆発的に高めたことが仇になってやがる……! 完全に裏を掻かれた!)」

 

 焦る気持ちを抑えきれず、叡山は薊の一手に歯噛みする。

 黒瀬恋という料理人は既に月饗祭での行動のおかげで、話題性、発言力、発信力、影響力、その全てで高い存在感を放つ料理人になっているのだ。そして薙切薊によって集められたメディアも相まって、SNS、テレビ、新聞、雑誌、あらゆる媒体でこの演説は拡散される。

 

 黒瀬の演説一つで、保守派である自分達の進退が決まると言っても過言ではない。

 

「(黒瀬ェ……! 無難な演説でもいい、とにかく堂々とだ……薙切薊の権力に臆していると取られるような態度や言葉を取るなよ……!)」

 

 叡山が苦しい表情で見つめる中、黒瀬恋が数秒の沈黙の後―――口を開いた。

 誰もが注目する第一声。

 

 

「料理人とは―――なんだ?」

 

 

 スッと細められた金色の瞳に、この場に取材として集まっていた全員が気圧された。テレビ越しに見ていた生徒達も、背筋にゾッとした悪寒が走る。それは編入挨拶の時に見せたあのプレッシャーを思い出させるような一撃だった。

 当時あのプレッシャーを直に感じた一年生達は、思い出すようにして、より強い雷を落とされたような気分だっただろう。それと同時に、黒瀬恋という料理人が薙切薊に対立するに値する人物であることを、全員に思い知らせた。

 

 そうして、たった一言で薊の印象操作を塗り替える迫力を見せつけた恋に、叡山も薊も、目を見開いて驚愕する。

 

「薙切薊新総帥の改革内容……一面から見れば確かに料理業界に有能な人材を輩出するために即効性の高い策だ……だがもう一度訊く、料理人とはなんだ?」

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。

 そんな音が聴こえるほどに静まり返った現場で、恋の声だけがその存在を許されているような気さえする。

 

「決められた人間が作った決められたレシピを、決められた手法で、一定の技術力を持った者が、高い精度で再現出来たらそれが美食か? それが誰よりも上手くできたら、世界一の料理人か? ならこれから先、この由緒ある遠月学園はただの料理人製造工場ってことでいいのか?」

 

 十傑レベルの技術、アイデア、レシピ―――確かに魅力的だ。

 だがそれは現時点での話だ。何故なら、この改革通りに進んでいくのであれば、遠月学園の将来に今の十傑以上の人間が、今後現れることはないからだ。

 今の十傑が作り上げる基盤を伝えていくだけの、十傑という装置が出来上がるだけ。

 

 ならば正しく、遠月は料理人製造工場へと変貌することだろう。

 

「遠月に限らず、この料理業界で培われてきた歴史に真っ向から泥を塗るこの改革に、俺は賛同出来ない。お前達の作りたい料理はどんな料理なんだ? お前達の目指したい料理人はどんな料理人なんだ? 仮にこの改革通りに卒業した後、現場で役に立たないと判断された時、お前は遠月が間違っていたと思わずにいられるのか?」

 

 恋の言葉は単純明快。

 この改革が進めば、こういう料理人になるわけだが、それで胸を張れるのかと問いかけている。それが自分の将来なりたい姿でいいのかと。

 

 

「己の料理に嘘をつくなら、言い方を変えただけでお前達は結局捨て石だよ」

 

 

 薙切薊とは全くの反対意見。

 捨て石じゃないと言い切った薊の言葉を否定し、改革に賛同するなら自ら捨て石になったも同然だと言い切った。

 

 その言葉に、薊の演説に流されそうになっていた生徒達が、思いきり頬をぶん殴られたような衝撃を受ける。そして、甘い毒に内心喜んでいた自分を恥じた。

 

「薙切薊新総帥……先程の改革は、どう進めるつもりですか?」

「っ……そうだね、君達保守派の意見は真向から受け止めると言った以上、同好会やゼミの解体に関しては取り返しがつくよう、すぐに進めるつもりはない。ただ、僕のやり方を知ってもらうためにも、カリキュラムに関してはセントラル中心の授業を始めさせてもらうつもりだ」

「であれば、俺達との交渉の結果が出るまでは、取り返しのつかない運営権を行使するつもりはないということで良いですね?」

「ああ……そういうことになる」

「それが聞ければ、十分です……ではこれで対立派代表としての演説とさせていただきます。それでは」

 

 即興の演説で言いたいことを言いたいだけ言い切った恋は、あまつさえ薊から『取り返しのつかない運営権を行使しない』という言質、このメディアが集まる場で捥ぎ取ってみせた。

 叡山の心配や不安など必要なかったと思わせるくらい、堂々と薙切薊に一発入れて無傷で帰ってきた恋の存在は、まさしく対立派代表たる強烈な印象を与える。

 

 薊が仕掛けた対立派潰しも跳ねのけ、黒瀬恋という料理人は堂々と会場から姿を消した。

 

 




感想お待ちしています✨

本作について活動報告を更新いたしました。
今後の更新に関わることなので、ご一読いただけたら嬉しいです。
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七十六話

お待たせいたしました、更新再開です!


 薙切薊と黒瀬恋の演説よりしばらく、遠月学園は保守派と改革派に二分された。

 薊と恋はそこからこれといって接触もなく、動きもなかったのだが、学園の中は料理の研鑽とは別の意味で―――ピリついた空気に包まれている。

 本来であれば、薊の告げた自治組織の解体作業が始まっていたのだろうが、恋の存在がその動きを食い止めていた。結果的に均衡状態が生み出されているこの状況で……日に日に積み重なったフラストレーションが生徒達の中で今にも爆発しそうになっている。

 

 これは抱いている苛立ちを、保守派が改革派に、改革派が保守派に向けているわけではない。改革という一つの事象が起こった今、それを左右する二者が動かずに沈黙を保っていることへ向いている。

 特に、この学園が改革へと向かっている以上、保守派は黒瀬恋が動かないことに対して少なくない苛立ちを覚えていた。

 

 つまり今、学園のフラストレーションの向かう先には、保守派改革派問わず黒瀬恋がいると言っていい。

 

 改革派は黒瀬恋を邪魔に思っているからこそ、保守派は黒瀬恋が動かないからこそ、文句の一つでも言いたくなるものだ。

 

「現状、お前に対してかなりの不満の声が上がってる。どうするつもりだ黒瀬」

「どうもこうもないですよ、セントラルのカリキュラムがどんなものなのかを体験するためにはある程度時間を置く必要があります。生徒達はかつてのカリキュラムと改革後のカリキュラム、両方を経験して自分がどちらが良いと思うのかを決める以上、寧ろ保守派と改革派の勢力図が確定するのはこれからです」

「それで、その勢力図が確定したらどうする?」

 

 だが恋はその状況を別段気にしてはいなかった。

 叡山の問いかけに対して放っておいたことの理由を述べれば、叡山はその先の話を問いただす。これはある意味政治的な戦いだ、叡山のコンサルティングとは少し毛色が違うので、叡山としても慎重にならざるを得ない。

 恋が此処まで薊に対して取ってきた行動が、叡山の思惑を超えていることは最早言うまでもない。ことこの戦いにおいては、恋の方が叡山よりも先を見据えて動くことが出来ているのだ。

 

 今や、この二人のどちらがブレインとして機能しているかと言われれば、恋の方に軍配が上がる。叡山としては恋の考えが読めないことで、先行きが見えない現状に焦りを覚えてしまう。

 

「勢力図が確定した場合、おそらく保守派はマイノリティになるでしょう。これまでの遠月の実力主義に苦悩してきた生徒は大勢いますから、十傑レベルのスキルを身に付けられる、競争のないカリキュラムを経験すればそちらに流れることは避けられない」

「そりゃそうだが、だとしたら不利になるじゃねぇか」

「いや、そうでもないですよ。改革後のカリキュラム、方針の本質は、真の美食を追求するのは選ばれた才ある料理人でなければならないという所にあります。つまり、セントラルに選ばれなかった料理人は、言葉にしないだけで薊総帥が"捨て石"と判断した料理人ということです……その上で、更に自分の料理を捨てた料理人が何百人いたところで、障害にはなりえない……まして、その全員が十傑レベルのスキルを手に入れた所で、現十傑の一人だって倒せませんよ」

「……つまり保守派や改革派の勢力がどうであろうと関係ないってことか? じゃあそれが確定するまで待つのはどういう意味があるってんだ?」

「この戦いは、薙切薊自身に負けを認めさせなければ意味がない。であれば、どこまでも正々堂々を貫きます……勢力図はその一環です。改革派の勢力が大きいという、この戦いにおいては無関係な情報も、一見こちらが不利な状況に見える以上、覆されれば一種学園内の世論は大きく傾く」

 

 恋は学園内の情勢がどういう風に変化した所で、恋と薊の戦いには一切関与しないという本質をきちんと理解していた。

 これが例えば、全校生徒をあげての格闘バトルロイヤルであれば、確かに敵の数はそのまま勝敗を分ける要素になりうる。しかしこの学園内で行われているこの戦いは、真の美食を切り開くのは旧体制と新体制、どちらなのかというものだ。

 

 その勝敗は全て料理にて決着する以上、何千人が相手であろうと究極の一皿には敵いはしない。行き着く先は結局、皿と皿のぶつかり合いでしかないのだ。

 

 恋が動かなかったのは、そういう意味で勢力図がどうなろうと関係がないからというのが理由の一つ。しかし、理由はもう一つあった。

 

「それに……積もりに積もったフラストレーションは、きっとこの均衡を崩そうと動きます」

「そりゃ……いや、待て……だとしたらその向かう先はお前だろう? どうするつもりだ? 食戟でもしようってのか? だが薙切薊がお前との約束通り、取り返しのつかない運営権を行使しないでいる以上、此処でお前が改革派の生徒と食戟を行うのは印象が悪いぞ」

「まぁ、だから俺は食戟をするつもりはないですよ。そもそもこの均衡状態はなるべくしてなった向こうの手でもありますしね……薊総帥が動かずに沈黙を保っている今、俺も不用意に動けない状況が作られたんです。俺と薊総帥が再度衝突するためには、この均衡を自分にとって優位な形で破る必要がある。ここで俺と改革派の生徒が食戟を行えば、薊総帥にとってはこちらに付け入る絶好の隙になるでしょうね」

「……じゃあこちらにとって優位な均衡の破り方ってのは、なんだ?」

 

 恋はその問いかけにふと笑みを浮かべた。

 現状この均衡に対してフラストレーションが溜まっているのは、保守派も改革派も同じこと。そのどちらの勢力からも、我慢できずに勝手に動き出す生徒はちらほらと出てくるものだ。

 ここで恋にとって有利だったのは、薙切薊が今後の改革においてその改革手順を明らかにしたことだった。

 

 つまり、恋の存在によって食い止められている『自治組織の解体』。

 

 改革派の生徒は、薙切薊の辣腕によって半ば洗脳のごとき思想を植え付けられている。十傑の煌びやかなスキル、確約された自分達の一流への道、活躍する自分の将来像、それを現実的なものとして提示してくる彼の改革は、心の弱い者ほど溺れたくなるものだ。

 だからこそ、薙切薊の思想は正しいと信じたくなるし、その改革が楽園を作るためのものなのだと疑うことをしなくなる。

 

 であればその改革を妨げる恋の存在は疎ましいだろうし、薊が動けないのであればと考えてもおかしくはないだろう。

 

「おそらくですが、じきに食戟の申請が増えますよ。それも、改革派による自治組織の解体を賭けた食戟が」

「それは……だが、それを引き受ける必要のない食戟のはずだ」

「そう、それにそれが成立して仮に改革派が勝利した場合、薙切薊は動かずとも自治組織の解体を進められるという事実が生まれます。敗北した所で、自分の改革とは関係なく、学園内に不和を齎す生徒であるとして挑んだ生徒を切り捨てるだけで、批判を収めることが出来る」

「成立するって言いたいのか? そんな食戟が」

「そう、おそらく―――極星寮で」

 

 恋は不敵に笑みを浮かべる。

 己が住んでいる大切な場所にいる自分よりもずっと破天荒な料理人達を思い浮かべて、自分や薙切薊の思惑や優位不利など関係なく、この均衡を崩す存在があるのであれば、それはきっと彼らなのだろうと。

 

 だが、薙切薊は恋のその思惑を外れる動きを見せようとしていた。 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

  

 あの演説から数日が経ち、恋の想像通り学園内で過激な生徒達が動きを見せようとしている頃合い。保守派と改革派の間に生まれた溝は深まるばかりで、ひりついた空気が学園内の至る所で火花を散らしていた。

 

 そして恋の想像通り食戟の申請は増えた。

 各自治組織、団体、ゼミ、部活動に対して解体を賭けた食戟を挑み出した生徒達が増え、それはそのまま薙切薊政権の力の強さを感じさせている。

 現状各団体はその食戟を受け入れるようなことはしていないが、改革派の煽りや批判の声が段々と大きくなっている今、いつ挑発に乗って食戟を成立させる団体が出てきてもおかしくはない。

 

 とりわけ、黒瀬恋の所属する極星寮の面々にもその手は伸びようとしていた。

 しかし青天の霹靂――――そんな状況で薙切薊が動いたのである。

 

 授業が終わり、空が暗くなってから極星寮でも夕食の時間を楽しんでいた頃、不意に薙切薊が極星寮を訪れたのだ。

 

 

「やぁ、極星寮の諸君―――こんばんは」

 

 

 当然、唐突な訪問に驚く極星寮の面々。中には恋の姿もあり、この訪問には少々驚きを隠せないようだった。さらに言えば、現在極星寮には薙切えりなもいる。

 彼女の過去を聞いた極星寮の面々からすれば、彼女を追い詰めた元凶である薙切薊への警戒心が高まるのは当然のことであった。

 

「薙切薊ぃ……!?」

「なにしにきやがったんだ……!!」

「何、娘の顔を父親が見にくるのは不思議な話ではないと思うが? アリス君の突飛な行動には驚いたよ」

「それで? 薙切の顔を見に来るためだけに黒瀬のいる極星寮に顔を出したってんすか?」

「幸平創真君……まぁその通りだ。現状学園内に走る緊張感や苛立ちの空気は君達も感じているだろう? その最たる理由は、僕と黒瀬恋君との間で改革に関する進展がないからだ……このままでは料理人育成という新旧体制共通の目的すら停滞してしまうだろう。それは僕としても願うところではないからね」

 

 薙切薊の訪問に対し、えりなの周囲を女子達が固め、前に出た男子達が応対する。一番前に出たのは幸平創真だった。こういう時、大人が相手であろうと強気に出られるのは、幸平創真の長所だろう。

 だが、そんな彼に対して薙切薊はさも真っ当な意見を投げかける。

 この現状に対して、新総帥として何か対策を講じたいというのは理解出来ない話ではない。料理人の育成を目的としている料理学校で、現在のような停滞を見逃すことはできないだろう。

 

「けど、今の黒瀬とアンタの立場を考えたら不用意な接触はトラブルを引き起こす元になると思うんすけど?」

「ふむ、随分と嫌われたものだね……けれど、幸平創真君、それに極星寮の諸君……いや、保守派の生徒全員に言えることだが――――仮に僕が学園を脅かす敵だったとして、君達に何かできることがあるとでも思っているのかい?」

「!?」

 

 何を言っても此処まで警戒されていては話にならないと思ったのか、薙切薊は少しだけ言葉に圧を乗せてくる。創真達はその言葉に対して眉を潜めて押し黙った。

 

「僕がこの改革に踏み切った時、それに真向から反対し、改革に停滞を齎すという実績を上げたのは黒瀬恋君だけだ。君達は所詮黒瀬恋という神輿を担いで騒いでいるだけの生徒でしかないだろう? 事実、彼がいなければこの極星寮ですらも、解体の対象として今頃無くなっていたのだから」

「!?」

「極星寮が、なくなる……!?」

「そんな……」

 

 薊の言葉に慄く創真達に、薊は悠々と続ける。

 

「いいかい? 僕が総帥でいられるのは、黒瀬恋君が十傑にあえて賛同を呼び掛けた結果だ。つまり彼がその気になれば、すぐにでも僕をこの学園を追い出すことが出来る……現状そうしないのは、僕が今後この学園……つまり君達の将来に関与しないようにするためだ。改革が悪だというのなら、今の君達は黒瀬恋によってその脅威から守られているだけの存在でしかないんだよ」

「……」

「そんな君達が黒瀬恋の庇護を受けながら反抗的な行動を取ったところで、僕にとっては滑稽にしか映らない。無論、僕自身も彼の恩情によって生かされているも同然だから、言えた義理ではないけれど」

 

 薙切薊の言っていることは、創真達にも理解出来た。

 つまり、保守派も改革派も、現状騒いでいる生徒達にはなんの発言力もないということだ。学園内の世論という意味ではその声に力はあるのだろうが、それでも十傑という学園運営内の最高決定権が新体制の手にある以上、何かを変える力は彼らにはない。

 

 今この学園内で薙切薊と対等に話をすることが出来るのは、黒瀬恋唯一人なのである。

 

「そこでだ、黒瀬恋君……君もこの現状を変えることに不満はない筈だ。そろそろこの改革派と保守派の争いに明確な終着点を決めたいと思うのだが、どうだろう?」

「……願ってもないですね。自分も同じことを考えてました」

「ありがとう……ここでは皆さんの夕食を邪魔してしまうな……外で車を待たせてある、ドライブでもどうかな?」

「……いいですよ、ゆっくり話しましょうか」

 

 薙切薊と黒瀬恋、邪魔の入らない場所で二つの勢力の代表同士が話をする。

 その事実の錚々たるやないだろう。

 創真達は外へと出て行こうとする恋の背中に心配の視線を送るが、恋は何でもないことの様に笑みを浮かべるとそのまま出て行った。

 

 創真達の脳裏には、薊に言われた言葉が反芻する。

 

 今の自分達には、何もできることはなかった。

 

 




書いていて頭痛くなりました。
料理しなよって思いました笑

感想お待ちしています✨

また再開後の更新ペースですが、週一更新にさせていただければと思います 
具体的には月曜日に一話更新でやっていきたいと思います!
休止中にあれこれやっていたら、現在作家として、またクリエイターとしてのお仕事が軌道に乗っていきそうなので、そちらに注力したいというのが理由です。

趣味での二次小説執筆ではありますが、しっかり完結させるつもりなので、どうぞ最後まで楽しんでいっていただければ幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します!



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七十七話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 車窓から入る街灯の光が一定の感覚で車内を照らす。

 そこは高級車特有の静かな走行音と運転手の運転技術の高さから、静かな密室空間となっていた。一般的な車とは違って、L字ソファの様な椅子が設置されている黒のリムジン。

 黒瀬恋と薙切薊は少し距離を離した位置で、座っていた。

 車内にはある程度の設備が整っているらしく、薙切薊が自ら動いて恋へと飲み物を渡す。中身はただの温かいお茶のようだが、香りから高級な茶葉を使っているのだろうということは恋にも分かった。

 

「味覚障害を抱える君にとっては、上等な茶をもてなされたところで水や白湯とそう変わりないのかもしれないが……まぁ話をする以上は飲み物はあった方が良いだろうからね」

「いえ、ありがとうございます」

「さて……それでは早速話をしよう」

 

 恋に対しての皮肉にも取れる言葉を放つ薊だが、恋とてそれに腹を立てる様な器の狭い人物ではない。それに、これは振舞う以上は高級なものを用意する、という薊なりのもてなしなのだろうと、恋も察していた。

 

 飲み物を用意して喉を潤したところで、薊と恋の対談が始まる。

 この遠月学園の改革をどうしていくのかの話し合いが。

 

「現状、今の遠月学園は改革と旧体制の間で停滞している状態だ。セントラルの教えによって確かなスキル向上の成果は出てきているが、それでは旧体制を廃止するほどのメリットにはなりえていない。私はこの改革を進め、部活動、研究会、ゼミといった団体を解体することで、その分のリソースを実力ある料理人の輩出に割きたい」

「でも、旧体制は完全実力主義の競い合いの世界であっても、そこから輩出された料理人の全てが確かな実績を以って各国で活躍されてますよね。それに、学園を一歩出れば結局どの業界も競い合いの世界です。現十傑並のスキルがこの業界のトップを張れるならまだしも、この世界には彼ら以上の腕を持つ料理人は幾らでもいる……であれば、改革によって温情を掛けられた生徒も、結局は学園を出た後に淘汰されるだけです。改革は料理人育成という点では問題の先延ばしに過ぎないと思いますが」

 

 まずは互いの主張の交換。

 

 薙切薊の主張は、料理人育成という点において実力主義の競い合いをし、無意味に生徒を退学させ、数人の玉を作る為に実力のない料理人を増やし続ける体制に意味はないというもの。

 黒瀬恋の主張は、学園を一歩出れば遠月以外の場所で磨かれた玉が大勢いるのだから、結局は実力主義の世界に出る以上、旧体制を廃止するのは問題の先延ばしでしかないというもの。

 

 これは玉を重んじるか、無価値な料理人を生み出さないことを重んじるかの違いかと思いがちだが、それとこれは全く話が違う。

 

「環境、師、仲間、道具、色々なものが揃えば確かにそれ相応の実力を身に付けることは可能でしょう……けれど、どんな業界であれ、最後は結局自分で自分を成長させるしかないんですよ。力は力でしかなく、技術は技術でしかない……それを使う料理人の腕を成長させるのは、周囲の存在ではなく、自分自身の弛まぬ反復練習と、努力の積み重ねです」

「……」

「そんなことを話す為に来たわけじゃないでしょう。おためごかしは要らないんですよ、貴方の改革の本質……目的は、そんなちっぽけな建前じゃない筈だ」

 

 誰からも無理だと言われて、それでも自分一人で努力を積んできた恋だからこそ言えた。

 

 甘えるなと。

 

 セントラルのカリキュラム―――確かに全生徒に高いレベルのスキルを身に付けさせることが出来るのだろう。無駄を省き、誤った情報を与えず、失敗の経験もなく、一直線に最適解を示すことで、最速最短で十傑の才能の恩恵に預かれるのだから。

 だが努力とはそういうことじゃない。

 失敗から学ぶことは、十や二十ではない。多くの情報、経験の中から最適な解答に辿り着く過程にだって、人それぞれ気付くことがある。無駄と切り捨てるには、最速最短ではない遠回りにだって価値があるのだ。

 

 無駄を愛し、失敗を受け入れ、砂漠の中から一粒の砂金を見つける様な情報精査に全力を注ぎ、摩耗しながらも自分の力で自分の正解を積み重ねることを、努力と呼ぶのだ。

 

 失敗はけして逃がしてはくれないし、誰かに省かれた無駄は消えるわけじゃない。

 

 一人で戦う時、結局何処かで襲い掛かってくるのだ。

 失敗の経験も、無駄を味わう苦さも、奪う権利は誰にもないのである。

 

「……」

「改革の内容がどうこう言う段階はもう終わってます……俺が問いたいのは、貴方がどういう理由でこの改革を進めたいのか――――その信念の部分です」

 

 そして、薙切薊と話したいことはそんなことではない。

 恋は今回の薊の行動、言動の矛盾に気が付いている。

 

 改革―――料理界の躍進のため、学園の全生徒を一流の料理人に出来る遠月を作ると言いながら、その裏では美食は選ばれた人間のみで創造していけばいいと言っているし、自身の基準に満たぬ大衆料理やB級グルメは全て塵だと断ずる価値観の持ち主。

 到底あの演説で述べたような救いの手を差し伸べるような人物とは思えない。

 

 であれば、この改革の本来の目的は料理界の躍進や料理人育成への注力にはない。

 

 恋の追求に、薊は少し間を置いてから口を開いた。

 

「……君には分からないだろうね、今の料理業界が腐りきっていることが」

「腐っている?」

「そうさ、君のいる極星寮……学生時代、青春の時代、僕もあそこにいた。そして出会った―――才波城一郎に」

「城一郎さんに?」

「知っているのかい? そう、僕の学生時代、極星寮黄金期と称される青春の時代に、彼はいた。他の者とは遺伝子から違うと思わされるほどの才気に溢れた料理人だった……彼の作る料理は人を感動させ、まさしく美食とはコレだと言わんばかりの品々に僕は心を奪われたよ」

 

 薊の語り出した話の中には、恋の師の一人とも言える城一郎の存在があった。

 遠月学園極星寮黄金期の時代、薙切薊が出会った料理の天才。その存在が、今この時の改革にどうつながるのか。

 恋は眉を潜めながらも、黙ってその話に耳を傾ける。

 

「だが、料理業界は才波先輩をダメにした。彼の一際輝く才能と実力に低能な馬鹿舌の美食家気取りが妄執し、相応しい場所で相応しい者に出されるべき料理は食い散らかされた……才波先輩は絶望し、遠月から、僕の前から姿を消したんだ」

「……」

「僕は絶望と共に怒りを覚えたよ。あれほどの料理人をダメにした腐った業界に……だから僕は変える―――故にこそ、この改革は料理業界に対する救済に他ならない」

 

 なるほど、と恋はとりあえずは理解した。

 薊が城一郎を尊敬してやまないことも、城一郎に辛い過去があったことも、一先ずは理解して、その為の改革を行おうとしていることもとりあえずは納得出来た。

 

 しかし、それでは説明のつかない事柄もある。

 

「理由は分かりましたけど……それじゃあ俺を目の敵にするのはどういう理由ですか? 今の話じゃ説明がつきませんけど。まさか味覚障害者が料理人をやっているからってだけじゃあないでしょう? それだけなら、執拗に学園から追い出そうとするほどの理由にはならない」

「……フ、まぁそれは今の話とは全く別の話だよ。別に君の実力を疑っている訳ではない。なんなら今の遠月学園に留まらないレベルで、料理人として高い技術力を持っているとすら思っているよ」

「……それはどうも」

「だがだからこそだ―――僕は君の存在を許すことが出来ない。美食のなんたるかも分からない君が、神の舌を満足させることが出来るわけがない……君は、えりなの傍にいるべき人間ではないんだよ」

「薙切えりなの傍にいるから、気に食わないということですか?」

「違うな――――君が神の舌に挑もうとしているから気に食わないんだ」

 

 神の舌に挑もうとしているから、気に食わない。

 その言葉に恋は、薊の中にある何か主観的な感情を感じた。憎悪、怒り、そしてほんの僅かな後悔の色、そんな感情を。

 

 愛娘に男が近付くのを嫌がる父親としての感情というわけではなく、もっと個人的な感情が理由であるように思えた。

 

「俺の料理人としてのスタンスが気に食わないと?」

「君はどうやらえりなに美味しいと言わせることを夢に料理人をやっているらしいね。だがそれは夢に見ることすら烏滸がましい愚行だよ。そもそも、ものの味が分からない君がどうしてそんなことが出来るというのかな?」

「……なるほど、仙左衛門元総帥から貴方とえりなちゃんの間にあった過去の話を聞きましたが……どうやら俺が神の舌の傍にいることが問題ではなかったみたいですね。もしかして―――神の舌関係で何か挫折でもしましたか?」

 

 

 瞬間、薙切薊が黒瀬恋の胸倉を掴んだ。

 

 

「……!!」

「……図星ですか? という事は―――同族嫌悪ですか」

「君に何が分かる……!」

「分かりませんよ、貴方のことは貴方にしか分からない。そして、俺のことも貴方には分からない」

「君がこの先どれほど成長し、どれほどの料理人になったところで、君の夢はまさしく夢物語だ……! 叶わないことが確定している夢を追いかけるなど愚の骨頂……君は喜んで崖の下へと落ちようとしているピエロに過ぎないんだよ」

「そのピエロが、かつての貴方だからか?」

「!!」

「神の舌……そんな大層な才能を欲しがる者は多いでしょう。さっき貴方が語った、城一郎さんの才能に妄執した人々がいたように……貴方もその一人だ。何かを成し遂げる為に、えりなちゃんの神の舌を欲している。そんな貴方が神の舌によって一度挫折している……ともなれば、えりなちゃん以外にもいるんでしょう? 神の舌を持った誰かが」

 

 恋の言葉を聞いて、薊は言葉に詰まり、恋の胸倉からゆっくり手を放す。

 恋は沈黙を肯定と受け取り、薊の真意を段々と察していく。

 

 つまりは薙切薊は黒瀬恋に自分を重ねている。

 失敗した自分と同じことをやろうとしている恋に同族嫌悪を抱いているのだ。何があったのかは分からないが、おそらく今の恋と重なる点は多いのだろう。

 

「貴方と俺は違う……俺が神の舌を唸らせることができるかどうかじゃない。やると決めたことを諦めるか否かの違いだ」

「君は……その先に絶望しかないと知ってなお進むというのか?」

「それでも進まなきゃ、その先はない。夢の終わりを告げるのは、いつだって自分自身ですよ」

 

 意見は違った。

 薙切薊と黒瀬恋は、似ているようで、根本的な部分が違っていた。

 

「…………食戟をしよう」

 

 薊は大きく溜息を吐いてから、ぽつりとそう零す。

 薊と恋の間にあった確執の正体が、今明らかになった。

 

 けれどそれは改革と旧体制の戦いには関係ない。今は為さねばならないことを、互いに為さなければならない立場に立っているのだから。

 

「無論、公平な食戟だ。ただし団体戦、"連帯食戟"……セントラルから選抜した料理人達を出す―――君も、保守派の料理人から選抜して自分達の軍隊を作りたまえ。勝った陣営が今後の学園運営権を持つ……どうかな?」

「分かりやすくていいですね。受けて立ちましょう」

「どうせなら、僕と君の間にある確執にも決着を付けたい……僕も選手として出場しよう。連帯食戟のルールは簡単に言えば、1stからFinalまでの五戦をそれぞれ選出メンバー数名で戦い、三本先取した陣営の勝利。君達がFinal boutまで生き残った場合、最後は僕が出る……審査員にえりなを、相手は君だ―――黒瀬恋」

 

 薙切薊の提案に恋は少し驚いたが、確かにそれならごちゃごちゃした問題にわかりやすく決着を付けることが出来る。

 それに、これは薊が恋の実力を認めているからこその提案だった。

 四宮小次郎や幸平城一郎をして、学生のレベルを超えていると評価されている恋だ。恋がサポートに入れるチーム戦で戦うなら、現十傑でも少々骨が折れるだろう。まして一対一であれば、なおのこと。

 

 だからこそ薊は自分自身で決着を付けることにしたのだ。

 学園在籍時は十傑第一席の座に就き、薙切の名を手に入れ、えりなの父親でもある自分が、同族嫌悪してやまない黒瀬恋という存在と戦うことに。

 

「……いいですよ、やりましょう。そろそろ、進級試験も近いですしね」

 

 そしてその意図を汲んだ恋は、闘志を瞳に宿してその提案を受け入れた。

 

 

 




連帯食戟が決まりました。
やっと料理しますね。

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七十八話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます!


 あの後、薊の指示で極星寮まで戻ってきた車。

 そこから一人下りた恋は、薊と短い挨拶を交わす程度で寮へと戻ってきた。既に話したいことは話し終えたのだから、これ以上言葉を交わす必要はない。

 後は料理人らしく、皿の上で語るのみである。

 

 寮に戻ってくれば出迎える創真達と対面したが、少し考えを纏めたいと短く告げて恋は部屋へと戻った。決して悪い状況になったわけではないと告げてあるので、創真達も一先ずは心配はいらないと思っている。

 

「……」

 

 部屋の中で一人考える恋。

 状況は別に悪くなったわけではない。寧ろ分かりやすく決着を付ける場が設けられたことで、互いの陣営が自身にとって自分の主張を通す手段を得た形になった。薙切薊の真意や目的も知ることが出来た今、恋が思案している内容は食戟に関することではなかった。

 

 恋が考えているのは、この食戟で決着が付いたあとのことだ。

 

 仮にこれで薙切薊が勝利した場合。

 その場合は恋を含め、保守派に属していた生徒達は粛清対象として即退学になるだろう。解体が滞っていた全ての団体も軒並み解体され、薙切薊が理想とする学園統治が成就される。そして、残された薙切えりなは薊の理想の為に使い潰され、最終的には遠月を統べる者として"教育"されていくのだ。かつての洗脳教育の続きが、始まる。

 

 逆に恋が勝利した場合。

 この場合、薙切薊は遠月学園より去ることになる。彼に与した十傑、改革派の生徒達に関しては、退学とまではいかないが相応に立場が悪くなるだろう。少なくとも、十傑は保守派として戦った者に入れ替わるだろうし、総帥の座が空く以上そこにも誰かが就く必要がある。おそらく仙左衛門が戻ってくるか、あるいは―――……。

 

「今が勝負の時、かな……」

 

 ふと窓の外を見れば、雲が晴れて夜空に月が浮かんでいるのが見えた。

 外から差し込む月光に照らされて、恋は一つの決意をしようとしている。

 

 この食戟は別段問題ではない。勝とうが負けようが、恋の料理人としての道が絶たれるわけではないし、負ける気もさらさらないからだ。

 恋にとっての問題はこの食戟を最終戦まで勝ち抜いた時、薙切えりなが審査員となって自分の料理を食べるという点だ。

 

 それはつまり神の舌に挑むということ。

 

 薙切えりなに美味しいと言ってほしいという一念で此処までやってきた恋にとって、この事実がどれほどの意味を持つか、他の者には想像もできないだろう。

 

「!」

 

 するとそこへドアをノックする音が鳴った。

 恋は思考を打ち切って扉を開ける。すると、扉の向こうにはつい今しがた思考していた薙切えりながいた。足首までの長いスカート状の寝間着に身を包み、少し不安そうな表情で立っている。

 恋はそんな彼女を見て苦笑すると、そっと中へと招き入れた。元々えりなは彼の部屋で寝ることが強制的に決められたので、極星寮にいる間はここが彼女の部屋でもある。

 

 恋が扉を閉めると、部屋の中で立ったままのえりなはゆっくりと恋の方へと振り返った。

 

「……お父様と、どんな話をしたの?」

「……」

 

 少しの間を置いて、まず彼女が問いかけてきたのは、薊と恋がどんな話をしたのかということだった。

 帰ってきてから恋の様子がおかしいと思ったのは、きっとえりなだけではないだろう。それでもこの質問を投げかけることが出来るとしたら、きっと彼女だけだった。

 

 恋はその問いかけに対し、小さく溜息を吐き出してから、ゆっくり椅子をえりなの方へと向けて置いた。えりなも恋の意図を察してだろう、まずは落ち着いて話をする為に恋の置いた椅子へと腰を下ろした。

 もう秋も過ぎ去ろうとしている時期。恋はテーブルに置いてあったブランケットをえりなの肩に掛けると、自分は向かいにあるベッドに腰掛けた。

 

「……改革を進めるか否か、連帯食戟で決めることになった。向こうは十傑で構成されたセントラルのチームを出してくるだろうから、こっちも保守派で構成された最強のチームを作る必要がある」

「……それに勝ったら、お父様は手を引くってことかしら?」

 

 恋の説明に、えりなはそう問いかける。

 食戟で決める―――その方法自体はおそらくえりなだけではなく、他の生徒達もきっと納得のいく話だろう。料理人らしく、公平なジャッジの下料理で勝負を決めるのだから。

 そこで恋の作る現状考えうる最高のチーム。この選抜にはおそらく秋の選抜優勝の葉山や、追随する実力を持つ黒木場や創真、アリスも候補に入るだろう。二年生を含めれば、選択肢は更に広がる。

 

 えりなは勿論、自分も恋の力になるつもりで考えていた。

 だが……、

 

「そういうことだな。ただし、えりなちゃんも十傑だからね。仮にも薊総帥が統治する学園で十傑という学園運営に関わる立場にいる以上、俺が作るチームに君を入れるのは認められないだろう」

「なっ……!」

 

 恋はえりなをチームに入れられないと断言した。

 理由としては現在薊を総帥とする学園で十傑に所属する以上、立場的には向こう側の人間であるからだ。つまり、現在十傑の立場にいる人間は、十傑を辞めない限りは全員恋のチームには入れない。

 だが、恋がえりなをチームに入れない理由はもう一つあった。

 

「それに、君は怯えてる。真向から薊総帥と対立する覚悟がないのなら、仮にチームに入れられたとしても、俺は君をこの食戟から遠ざけたと思う」

「っ……」

 

 薙切えりなは薙切薊への恐怖を克服できていないからだ。

 かつて施された洗脳とも取れる教育に支配され、精神的なトラウマから薊を前にすると足がすくむほどの恐怖に囚われてしまうえりな。そんな調子で、まともな料理が作れるとは到底思えない。

 恋は別にそれを責めたりはしない。

 怖いものは怖いと思って当然だ。それをどうにかしろと強制することは、誰にも出来はしないのである。故にこそ恋はえりなをこの食戟から遠ざけた。

 

 恋の言葉にぐうの音も出ないえりなは、自身の勇気の無さに歯噛みする。

 そもそも、薙切薊への恐怖に立ち向かうことが出来ていたのなら―――夏休みの直前、恋の告白を受け入れることが出来たのだ。

 

 未だに恋へ返事が出来ていない以上、何を言おうとえりなの言葉に説得力はない。

 

「でも……私を除いて、現行十傑の先輩方に勝てる人材なんてそうはいないでしょう? 一色先輩や久我先輩だって十傑である以上はチームには入れないのだし、一年生だけでチームを組むつもり?」

「その辺は大丈夫だよ。こっちには俺を始め、葉山や創真、タクミ、美作、アリスや黒木場、頼れる奴はいっぱいいるし……なにより―――叡山先輩もいる」

「!」

「それに、こっちのチームに入れられないからといって、久我先輩や一色先輩が向こうのチームで出てくることもないよ。十傑の中に俺の内通者がいることを考慮すれば、改革の賛同者でない上に俺と交流の深い一色先輩や久我先輩をわざわざ起用する危険を冒すことはしないだろうから」

「けど十傑上位の先輩方は残っているわ。恋君の実力は確かに十傑にも劣らないと思うけれど、葉山君やアリス達が味方したからといって勝てるとは思えない!」

 

 だが、それでもえりなは食い下がる。

 恋の実力はそれこそ、この学園内に留まらないほど高い。おそらく一対一なら第一席である司をも倒しかねない調理技術を持っていると断言できる。

 しかし連帯食戟はチーム戦だ。

 選出メンバーによっては連戦することだってあるし、恋一人が勝っても他が負けてしまえば敗北することだってありえる。そんな条件で互角の勝負が出来るとは到底思えない。

 

「それでも勝つしか道はない」

「無茶だわ!」

「そうかな?」

「そうよ!」

「―――神の舌に美味しいと言わせることより、難しい?」

「!?」

 

 そこで初めて、えりなは恋の目を見た気がする。

 彼はジッとえりなの目を見つめていた。金色に煌めく、その強い瞳は負ける気なんてサラサラないと主張していた。神の舌に美味しいと言わせること、それ以上の試練などなにもないと言い切る様に。この戦いに勝つことなんて、何でもないことの様に。

 

 恋はえりなが来る前に考えていたことを思い返し、ふと笑みを零した。

 

「実はこの食戟……最終戦には薙切薊総帥が自ら腕を振るうことになってる。相手は俺……審査員は君だ、えりなちゃん」

「なっ……!?」

 

 驚愕の事実にえりなはガタッと音を立てて立ち上がる。

 かつて恋を傷つけた幼い日より、食の判定においてえりなは嘘を吐かない。それは薙切薊と黒瀬恋の審査員を務めたとしても変わらないだろう。

 

 恋の腕は知っている。だが、薊の実力も知っているのだ。

 それを比較して、恋が薊に勝利する可能性はどれほどか―――えりなの顔は青褪める。

 

 

 

「そこで俺は、君に美味しいと言わせてみせる」

 

 

 

 は、と息が止まるような言葉だった。

 恋の目を見れば、それは嘘でも冗談でもない言葉だと言わんばかりに、闘志が伝わってくる。えりなは何故今そんなことを言うのかと思ったが、ふと考えて気付いてしまった。

 

 この食戟で恋が負けた場合……恋とえりなはもう二度と会うことは出来なくなるという事実に。

 

 だからこそ恋は全力で勝つつもりだし、敗北が許されない以上、ここで神の舌に美味しいと言わせる料理を出さなければならないと理解している。その瞬間が、今生えりなに料理を振舞うことが出来る最後の機会になるかもしれないのだから。

 えりなはその全てを理解して、どうしようもない理不尽に怒りすら覚える。薙切薊が来た段階で、恋が行動しなければ、今頃生徒達の大切な居場所や将来の創造性が奪われていた。恋がいなければ、粛清という体で退学させられる生徒も多かっただろう。

 

 恋がいたからこそ、この食戟で決着がつくまで、全てが守られたのだ。

 

 そしてこの学園に恋がいたからこそ、恋とえりなは再会し、引き裂かれるかもしれない状況になった。

 

「……どうして、こうなるのよ」

「えりなちゃん……」

「私は薙切の名を持つ人間として、神の舌を持つ人間として、相応しい実力と振舞いを身に付けるために必死に努力してきたわ! 貴方だって、此処まで血の滲む様な努力をしてきたからこそ、今ここにいるのに! どうして……こんなことになるのよ」

「……まだ負けると決まったわけじゃないだろ」

「現十傑上位勢とお父様を相手に、保守派の十傑や私の力も無しにどうやって勝つというの!? 葉山君や幸平君、アリスや黒木場君、この極星寮の人達の実力は知ってるわ! もしも彼らなら勝てると思っているのなら、十傑の実力を甘く見過ぎよ! つい先日の月饗祭で、貴方が一番理解した筈でしょう!?」

 

 えりなの言うことは尤もだった。

 食戟で決めることは仕方ないと思う。けれど明らかに勝算が低すぎるのだ。

 月饗祭で幸平創真は久我照紀に挑み、日間売上で一度勝ったものの、結局料理で勝つことは出来なかった。どころか、四川料理では敵わないと悟ったからこそ、搦め手のメニューとサポートメンバーの獲得、久我の客を奪うという作戦を立てたのだ。

 

 つまり、料理人としてであれば、創真は久我との料理勝負から逃げたと言っても過言ではない。

 

 選抜準決勝出場選手である創真ですらそうだったのだ。

 将来はどうか分からないが、現段階で優勝者である葉山を含め一年生が十傑に勝るなど、えりなには到底思えなかった。 

 恋はその言葉を聞いて、確かにそうだと思う。

 月饗祭でいくつかの十傑の店のサポートに入った恋は、その実力を間近で体験した。その感覚でいえば、十傑上位勢に創真達が勝てるかと言われれば、首を縦に振ることは出来ない。

 特に司瑛士や茜ヶ久保ももの実力は、最早卒業生に近い領域にいると感じるほどだった。唯一無二のセンスとそれを活かす調理技術、アイデア、レシピ……その全てが現一年生よりも上。

 

 このままなら、勝利の目は万に一つもないだろう。興奮した様子のえりなに恋は少し口を噤んでしまう。

 

 だがそれでも、やるべきことは変わらない。

 

「……それでも勝つ。戦わなきゃ大事なものを守れないから」

「無理よ……」

「なら証明するよ」

「?」

 

 立ち上がったえりなの目に浮かんだ涙を、指で拭いながら恋は優しく笑った。

 

「十傑が相手だろうと、俺達は戦える―――泥臭い競い合いからしか生まれないものが、どれだけ凄いのかを」

 

 戦いは、食戟の前から始まっている。

 恋は作るつもりなのだ…………高い実力の料理人を集めた最良のチームではなく……

 

 

 ―――勝つためのチームを。

 

 

 




難産すぎる……汗
恋君が食戟前に何か始めるようです。

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七十九話

感想、ご指摘、誤字報告いつもありがとうございます!


 連帯食戟を行うに当たって、恋は自分のチームを作らねばならなくなった。

 そこで一先ず彼が集めたのは、彼が知る限り高い実力を持った料理人達である。

 

 極星寮の広い厨房には今、恋や創真達極星寮の面々の他に、えりな、緋沙子、アリス、黒木場、葉山、美作、叡山、タクミ、イサミ、郁魅、久我といった、現在校生の中でも選りすぐりの料理人達がいた。

 更に言えば此処には、葉山の付き添いでやってきた汐見潤や、急な話にも拘らず自分にも無関係ではないからと足を運んでくれた幸平城一郎。東京支店の定期視察に丁度来日していた四宮小次郎に、元遠月総帥である薙切仙左衛門といった卒業生たちもいる。

 

 正直、なんだこのメンツはと思う在校生の面々だったが、寧ろこのメンツを一挙に集めた恋の人脈が強すぎた結果であった。実はこの男、夏休み中共に料理をしていた城一郎は勿論、スタジエールの際にはサラッと卒業生たち全員と連絡先を交換していたのである。当然、この場にいない堂島達とも連絡を取れる。

 創真達はその事実を知った時、そのコミュニケーション能力なんなの? と、恋に対し畏怖を覚えたくらいだ。

 

「あぁ……ったく、学生時代から危なっかしいとは思ってたが、薊の野郎ここまでとはな」

「城一郎さんが原因ですよ」

「わってるよ恋。だからわざわざ来たんじゃねーか」

「というか黒瀬、急に連絡してきたかと思えば、どういう用件なんだ? 明日の夕方までに帰る予定だから今日一日くらいは時間はあるが、正直学園内のいざこざに俺は関与出来ねぇぞ?」

「そこはまぁ、これから説明します。わざわざ来ていただいてありがとうございます、四宮シェフ」

 

 あのお調子者の久我や動じない創真、そしてえりなですら置いてけぼりにして、城一郎や四宮と対等に話している恋。

 その姿を見て、創真達はこそこそと驚愕を共有している。

 

「ねぇ、黒瀬の奴、なんか凄い人達とコネクション繋げてない?」

「というか丁度空いてたからと言って、電話一本できてくれる関係なんだ……あの人合宿でもいた四宮シェフよ? 最近東京にも支店を出して、滅茶苦茶有名になってるし」

「そのほかの卒業生とも繋がってんだろ? ……堅実に将来の道切り開いてんな」

「流石は恋君ね♪ ついでに言えば、私のお母様……薙切インターナショナルの総括にも気に入られているし、モチロン連絡先も交換しているわよ?」

「待て待て、頭が追い付かん」

「そういえば、スタジエールで一緒だった従者喫茶でもスタッフ全員と連絡先の交換を求められていたな。俺も流れで交換してしまったのだが……」

「そもそも、黒瀬は現十傑のほぼ全員と連絡先を交換してるぜ? 俺の調べた限りじゃ、幸平の親父さんと一緒にいた時期に、有名な芸能人や美食家、料理界での出資者とも何人か繋がってるし、スタジエールで四宮シェフの店にいた一流料理人達やスタッフ達とも繋がってるみたいだぜ」

「そんなことを言いだしたら、俺と黒瀬が組んでからどれだけの美食家やインフルエンサーが俺を通してアイツにコンタクトを取ろうとしたことか……確かにコンサル業はやってるが、俺はアイツのマネージャーじゃねぇってのに」

「もしかして黒瀬って……かなりの有名人になってる?」

「月饗祭がデカかったな……今となっちゃアイツの発言一つで、それなりの影響力があると思うぜ」

 

 目の前の光景に留まらず、アリスから、美作から、タクミから、叡山から、ぽんぽんぽんぽんタケノコの様ににょきにょき出てくる新情報。恋の人脈は留まることを知らず広がり続けていく宇宙の様だった。

 すぐ近くで生活していた同じ寮で同級生の恋が、いつのまにか遠い存在になっていたと知って真っ白になる悠姫。恋の料理人としての実力の高さにばかり目がいっていたが、そもそも黒瀬恋という人間は、とんでもないカリスマを秘めた人格者であることを忘れていたらしい。

 

 まぁ、上流階級の人間である薙切えりなに好意を寄せられているのだ。そもそも当然と言えば当然のことである。

 

「ま、かの有名な城一郎シェフに会えたのは光栄だったから、いいけどな」

「ん? ハハ、こっちこそその若さでプルスワール賞まで獲った四宮シェフが恋と知り合いとは、正直驚いたぜ」

「どうも」

 

 そんな悠姫たちの会話を他所に、城一郎と四宮もここぞとばかりに挨拶を交わす。

 この業界の者であれば、正直夢の共演と言わんばかりの光景だった。

 

 さて、それはさておき恋はこの場に集めた全員の前に立つ。

 恋が前に出たからだろう、全員が視線を恋へと向けて静かになった。

 

「まずは皆集まってくれてありがとう。事前に軽く伝えた通り、今後この学園の改革の進退を決める食戟を行うことになった。ただ普通の食戟とは違い、今回行われるのは連帯食戟だ」

「連帯食戟?」

「ざっくり言えばチーム戦ってことだ。両陣営それぞれメンバーを用意し、五本勝負をする。今回は一戦につきそれぞれ数名の料理人を出して食戟を行い、多く白星を獲った側の勝利という勝負だ。それを五戦やることになるわけだ」

「……つまり、セントラルの十傑を全員倒さないといけないわけか」

「十傑相手に三本先取……つまり選出メンバーの内の最低でも六人が勝つ必要があるってことだよね?」

「いや、体力が続くなら連戦で同じ人が出場しても良いからな。相手との相性もあるが、戦略次第では有利な勝負を仕掛けることもできるんだ。それがこの連帯食戟のポイントだな……普段の食戟と違って、必ずしもベストコンディションで戦えるわけじゃない」

 

 恋の説明になるほどと頷く創真達。

 連帯食戟は料理人同士の戦いではあるが、そこには戦術もあり、戦う料理人同士の相性次第で覆る結果もある。十傑が相手とはいえ、必ずしも負けるとは言い切れないのだ。

 

「それで、此処に集めたってことは……此処にいる中からチームを作るってことなのか? 随分と人数がいるが……」

「そうだよ葉山。まぁ連帯食戟においてチームの人数は規定がない。向こうは十傑に加え何人かの料理人で構成されたチームを出してくるだろうけど……別にそれ以上の人数を用意してもいいんだ。なにせ連帯食戟は五本先取とはいえ、その形式は勝ち抜きトーナメント式だからな」

「つまり……出場して負けた選手はその後の戦いには参加できないってことか?」

「その通り」

 

 ざわつく一同。

 連帯食戟―――任意の人数で戦う特殊な食戟。勝ち抜き制であり、負けた者は以降の食戟には参加できない。選手同士のサポートが認められており、文字通りチームワークでの勝負になる。

 

「そして今回の最終戦……つまり五回戦だが、こっちが二本取って最終戦まで縺れ込んだ場合、そこに薙切薊総帥が直々に出場することになっている。相手は俺を指名されていて、審査員は薙切えりなだ」

「なっ!? 総帥自らが!? それありなの!?」

「生徒じゃねぇのにいいのかよ!」

 

 全員を宥めながら、恋は話を続ける。

 そもそも連帯食戟は殲滅戦だ。どちらかの料理人が全滅するまで勝負を続けるのである。極論、一人でも相手チーム全員と連戦して勝てる者がいれば勝てる勝負なのだ。まぁそこまでのスタミナがあるものなど早々いないが。

 

 このルールを考慮すると、恋側のチームは恋のサポートを常に使い続けるわけにはいかなくなる。

 最終戦まで縺れ込んだ時、恋のスタミナが尽きていてはいけないからだ。もっといえば、改革派の生徒達を納得させるためには、この場にいる全員をチームとして出場させることは出来ない。数で押し切ったと思われては、勝利してもそこに禍根が残すわけにはいかないのだ。

 

「ともかく、此処に集まって貰ったメンバーの実力、得意分野、相性を考慮して、勝つためのチームを編成したい。そうだな……俺を含め大体八人くらいのチームを作るつもりだ」

「敵は十傑と薊総帥なんだろう? 相性を考慮したとして、勝てる見込みはあるのか?」

 

 葉山の問いかけに、全員の注目が集まる。

 薊は恋が相手をするとしても、相手は十傑だ。おそらく月饗祭で最も十傑の実力を知った恋から見て、勝算がどれほどあるのか気にならない筈がない。

 

 恋はその視線を受けて、軽く溜息を吐きだす。

 そして率直な意見を述べた。

 

「現時点じゃ、万に一つも勝算はない」

「……俺達じゃ、敵わねぇってことか?」

「そうだよ黒木場。実際、今の段階じゃ現十席の石動先輩くらいには勝てるかもしれないけど、上位勢には勝てないだろうな。特に第四席のもも先輩から上は、別格と考えて良いと思う」

「じゃあどうするの? 恋君」

「この連帯食戟が行われるのは、二週間と少し後だ。それまでにチームを鍛え上げる」

「どうやって?」

「俺と戦ってもらう。月饗祭で十傑のレシピや技術は学んだからな、見たことのある料理の再現くらいならできる……まずはそれに勝てる実力を身に付けて貰いたい」

 

 恋が月饗祭で十傑の店を巡ったのは、この時のための布石でもあった。

 あの時点で、恋は薊がなにかしら仕掛けてくることを予想しており、十傑メンバーに賛同するよう根回しをしていた。そして薊との決着を付ける際には、おそらく食戟になる可能性が高いことも理解していたのだ。

 つまり恋は、十傑を相手に食戟で戦うことになる可能性を予測して、十傑の技術や実力を間近で見るために月饗祭で動いていたのだ。勿論、自身の影響力や発言力の向上も狙っていたが、先を見越して敵情視察も兼ねていたのである。

 

 今の恋であれば、十傑の面々が作り上げたレシピや潜在能力を全て解放した状態での実力を知っている以上、十傑以上のクオリティでそれらを再現することが可能。

 無論そこから工夫やアイデアを加えることは出来ないのであくまで再現でしかないが、それでも全力状態の十傑の再現が出来る時点で十分脅威だ。恋のサポートがない以上、この再現だけでも十傑に勝つことが出来ると言っても過言ではない。

 

「つっても我武者羅に勝負するだけじゃ……」

「なるほどな、だからこそ俺らを呼んだんだな? 黒瀬」

「その通りです、四宮シェフ……城一郎さんと四宮シェフには今日一日だけでも、皆に料理の指導をしていただけたらと思いまして」

「ま、今回のことは俺の責任でもあるからな。俺は構わねーよ」

「チッ、正直学生の指導なんざ今更だが……まぁいい。授業料として今度東京支店に臨時スタッフとして働きにこいよ、黒瀬」

「ありがとうございます」

 

 そしてその再現料理に勝つための指導を、四宮と城一郎に頼む恋。メンバー全員それぞれの持ち味がある以上、その指導法は異なるだろうが、実力的にも世界レベルのこの二人であれば一日だけでも十分為になるものを与えてくれると考えたのだ。

 更にダメ押しとばかりに、恋はえりなと仙左衛門の方を見る。

 

「……なるほどな、その評価を儂らにさせようということか……全く、一体どこまで手を打っているのか」

神の舌(わたし)とお爺様の評価であれば、確実な優劣が分かるということね……」

 

 えりなはチームには入れられない。けれど協力する意思がある以上、恋もその力を借りることに躊躇いはない。また仙左衛門も恋と協力して薊を誘い込んだとはいえ、えりなの件を恋に任せた手前、ここで協力しないという道はないだろう。

 恋による全力状態の十傑の再現料理、城一郎と四宮による料理指導、神の舌を持つえりなと食の魔王である仙左衛門の確実な審査、これだけのものをサラッと根回しして用意する恋の手腕には、流石にこの場にいる全員が脱帽だった。

 

 

 

「この特訓を経て、俺達のチームメンバーを決定したいと思う」

 

 

 

 恋の不敵な笑みに、この勝負への本気度を感じる創真達。

 遠月学園による数々の試練を乗り越えてきた創真達だったが、退学も何も掛かっていないこのメンバー入りを掛けた特訓こそが、桁違いの試練に思えた。

 

 




恋君の根回しが光りまくる回でした。
叡山先輩はこの状況を作った恋に、薊対策の際俺必要だったかな?と内心凹みがち。

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八十話

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 それから、恋が作った十傑の全力状態料理の再現を前に、創真達は連敗を喫していた。

 司瑛士の食材を活かし、己を消失させる料理。

 茜ヶ久保ももの芸術と称するに値するスイーツ料理。

 紀ノ国寧々の洗練された技術に裏打ちされた蕎麦料理。

 久我照紀の辛さの極限を昇華させた四川料理。

 月饗祭で実際に間近で見てきた十傑の料理を全て完璧に再現した恋の皿に、創真達は勿論今も十傑である久我や一色、元十傑である叡山、トレースを得意とする美作ですら、敵わなかったのだ。

 

 周囲から底知れないと評されている一色や、同じ十傑である久我が敵わない。その事実に正直全員が衝撃を受けた。

 その理由としては、十傑の全力状態の再現だったから、というのがあるだろう。これが普段の十傑の発揮する実力の再現であれば、久我は己の再現に対しても対等に渡り合えただろうし、一色とて本気で挑めば勝てる可能性もあった筈だ。

 

 勝てるかもしれない―――それが勝てないに変わってしまうほどに、恋がサポートに入った際の十傑の実力は桁違いなのである。

 

 結果的に連戦連敗。

 先に再現料理を提示され、実際に食し、どうやって作られているのかも分かった状態で挑んでいるというのに、それに勝る料理を作ることが出来ない。創真達の胸中は穏やかではなかった。

 

「まぁ分かってもらえたと思うけど……これだけの実力差があるわけだ」

 

 何度も挑んでは負けて、スタミナ切れになった者からへたり込んでいった厨房で、死屍累々と休んでいる創真達に恋はそう言う。

 合宿や秋の選抜、スタジエール、月饗祭を経て、己の確かな成長を実感していた彼らからすれば、十傑との実力差があまりにも隔絶している事実を見せつけられたのである。内心ではスタミナ以上に打ちのめされている自分がいることだろう。

 

 恋は自身が作った再現料理を片付けながら、滔々と語った。

 

「無論、連帯食戟で皆が十傑に勝てる方法はある」

「! どうやってだ……?」

「俺がみんなのサポートに入れば、全力状態に入れない十傑に勝つことは十分可能だよ」

「!!」

 

 恋の料理人としての技術力は確かに学生の領域を超えているかもしれない。だが料理人としての実力は決して高いわけではない。彼は彼だけの料理を作ることが出来ないのだから。

 美作の様に他人の料理を再現することは出来ても、そこから一歩先を行くアレンジは出来ないのだ。

 とはいえ、技術力の差で同じレシピを同じように作れば恋の料理の方が勝るのだが、それは料理人とはいえないだろう。少なくとも、恋自身はそう思えない。

 

 それでも、彼が世界レベルの料理人にすら認められた武器が、その類まれなサポート能力だ。彼のサポートは最早一介の学生料理人を化けさせることが出来るほど、驚異的な力なのである。

 その恩恵に預かれば、創真達も十傑に勝つことが可能だ。

 

 だが―――

 

「……それじゃ、十傑には勝てても食戟には勝てない……だろ?」

「その通り」

 

 座り込んでいた葉山の言葉に、恋は頷きを返す。

 確かに恋のサポートがあれば勝てる可能性は高くなる。だが、それだけではメンバーを選出する意味がない。恋が一人で戦えばいい話だ。

 今回はそれだけではない。

 食戟に勝たねばならないのだ。恋一人では確実にスタミナ切れで最後まで戦うことが出来ない。

 

 だからこそ、恋以外のメンバーには十傑を倒す実力を身に付けて貰わないと困るのだ。

 

「ともかくだ、秋の選抜を勝ち抜いただけあって、きっちり最低限の基礎技術は身についてる。何人かは自分の料理スタイルや武器ってもんを確立しつつあるみたいだしな……それでもお前らが勝てない理由……それは、現十傑とお前らでは知識と技術力に大きな差があるからだ」

「あの四宮シェフ……知識と技術力って……どういうことですか?」

「そのままの意味だ。フレンチにはフレンチの、スイーツにはスイーツの、それぞれの料理にきちんと歴史と今日までの積み重ねがある。技術にはその技術が生まれるだけの理由があるし、その理由の先に今ある料理が生み出されてきたんだ。その積み重ねの上澄みを掬っただけで使いこなせているつもりなら、そりゃ大きな間違いだぜ」

「技術と、歴史……」

「黒瀬は確かに技術力は高い。だが、お前らだって相応の技術は身についているのに、どうして此処までの差が生まれるか分かるか?」

「それは……」

 

 恵や悠姫が四宮の言葉に思案の表情を浮かべると、それを見て創真や葉山、黒木場といった選抜決勝レベルの実力者達は苦い表情になった。

 薄々考えてはいたのだろう。

 どうして自分と黒瀬恋とではこれほどまでに評価の差が生まれるのか、と。やっていることは同じで、多少恋の方が上手いことは認めよう―――だが、それだけでこれほどまでに他者からの評価が変化するなど、到底思えなかったのだ。

 

 その思考を察したのだろう。四宮はフンと鼻を鳴らし、その口を開いた。

 

「黒瀬は、使っている技術がどういうもので、どういう時に使うべきものかを理解した上で、その他の技術との掛け合わせている。お前達は同じことをやっているつもりでも、黒瀬はお前達と同じ時間で倍以上の工程を織り交ぜているんだ。そしてそれらがすべて料理のクオリティを上げる結果に繋がっている」

「私達が足し算だとするなら、黒瀬君は掛け算の料理をしているってことですか?」

「その通り……料理と料理が互いに殺し合うこともあれば、互いの味を引き立たせることもあるように、調味料と調味料が相乗効果を生み出すように、料理技術だって組み合わせれば相乗効果を生むんだ。だから黒瀬の料理はお前達より数段上の料理となっている」

 

 恋は幼い頃から基礎技術と知識を幅広い範囲で学んできた。そしてそれだけを身体に叩きこんできたからこそ、己の使う技術の鋭さは他の追随を許さない。

 だがその技術の掛け合わせを身に付ける手段は、技術力の向上ではない。

 

 その技術を知っているかどうかだ。

 

 創真達は己の得意分野では凄まじい力を発揮するが、それ以外の分野においてはまるで知識も技術も足りていない。そこにこそ、得意分野を伸ばすための何かがあるかもしれないのに。

 

 四宮の言葉になるほどと頷く創真達に、今度は四宮の後ろにいた城一郎がラフな口調で続きを語る。

 

「そこで、だ。今から俺達が、お前達の料理を見て思ったこと、足りてねぇことを教えていく。俺達がいるのは今日だけでそんなに時間がねぇから、細かく説明はしてやれねぇが……そこはまぁ、自分で考えて身に付けねぇとな」

「これは合宿じゃないから退学(クビ)にはならねぇが……俺の手を煩わせるんだ、それ相応のレスポンスを返せねぇ奴は容赦なく指摘していくから覚悟しておけ」

 

 四宮と城一郎の言葉に、ごくりと誰かが唾を飲み込む音がする。

 正真正銘、世界レベルで戦う超一流の料理人達の指導を受けるのだ。相応の覚悟と集中力がなければ乗り越えることなど出来ない。

 

 スタミナ切れでへたり込んでいた全員がなんとか立ち上がり、その瞳に熱を灯す。

 合宿では如何に生き残るかを考えていた彼らだったが、今は違う――――黒瀬恋に守られているだけの自分達ではないと、証明するための闘志に燃えていた。

 この世界レベルの料理人達の指導で、必ず成長し、十傑を倒せる料理人となることを、決意する。

 

「やる気満々ってか……よし、じゃあやるか」

「料理開始だ」

『はい!!』

 

 四宮の言葉に、大きな返事が重なった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして創真達が修行モードに入った後、恋は寮の外を出歩き、一人思考に耽っていた。再現料理を作った以上、あの場で恋にやれることはもうないのだ。後は四宮やえりな達に任せるしかないのである。

 だからこそ、恋は自分のことに集中するべく寮から出てきたのだ。

 

 恋の考えていること―――それは、どうやってえりなに美味しいと言わせるかだ。

 今日まで積み重ねてきたことは決して無駄にはなっていない。現に自分の技術力は並々ならないレベルになったと自負しているし、それは四宮達一流の料理人達にも認められている。

 けれど、遠月の卒業生であり、一流の料理人であることは薙切薊も変わらない。その彼が、神の舌を唸らせることが出来ないと挫折している。

 

 流石の恋も、その事実が如何に今回の勝負の厳しさを証明しているか、きちんと理解していた。味覚障害を持つ自分が、神の舌を唸らせる料理を出すことの難しさも。

 

「どうしたもんかなぁ……」

「何が?」

「また突然現れますね……」

「ちょっと腕上げてね……よし、で、どうしたの? 恋くん」

「いや炬燵に入るような感覚で腕組みに来ないで下さいよもも先輩」

「段々寒くなってきたからね、恋くんの手はおっきいね」

「手袋付けてるじゃないですか」

「恋くんは素手でしょ? もものにゃんこ手袋であっためてあげる」

「それはどうも……」

「で、なにか悩み事? もも先輩だから話聞くよ?」

 

 そうしてぼそりと呟いていた恋の隣に、何故か唐突に現れた茜ヶ久保ももがいた。おそらく小柄故に見えない死角から潜り込んできたのだろう。するすると腕を組んで手を繋いでくるその素早さに、恋もなすがままだった。

 絶対に離れないという鉄の意志を感じた恋は、小さく溜息を吐きながらももの好きなようにさせる。恋からすれば、その見た目も相まって妹のような感覚なので、あまり気にしないことにしたらしい。

 

 残念ながらももの心境はそんなものではないのだが。

 

「食戟のことは?」

「聞いてるよ。連帯食戟で恋くんのチームと勝負するんでしょ? 恋くんたちが負けても恋くんだけは退学にならないようにお願いしたから、ももたちが勝ったら恋くんはセントラルに入ってね」

「裏でなんか着々と進めてますね」

「あと恋くん、悪いんだけど五戦の中のどこかでももと対決してほしいんだけど良い? 食戟しようよ」

「待ってください、圧が凄い。食戟の中で食戟しようとしてます?」

「うん。連帯食戟の勝敗はどうでもいいんだけど、ももと恋くんの二人で食戟がしたいんだ。で、ももが勝ったら恋くんを貰うね。恋くんが勝ったらももをあげる」

「早い早い、会話のBPMバグったんですか。人生を賭ける戦いはそんなテンポで決まらないですから」

「やるでしょ? やるよね? やろうよ」

「もも先輩少し会わない内に二段階くらい進化してませんか」

 

 月饗祭を終えてから恋はももと会っていない。

 月饗祭が終わった後、ももは薊との話し合いの場に行ったり、セントラルに入ったことで環境の変化に伴った書類仕事に追われたり、改革派と保守派に分かれた学園の運営で奔走したりと忙しかった。また恋も叡山との打ち合わせや裏での根回し、薊とのいざこざで忙しかったのも相まって、両者は顔を合わせていない。

 

 そのせいだろうか、ももは普段以上にフラストレーションが溜まっていた。にも拘らず紀ノ国寧々が妙に恋と親しげになっていることや、薙切えりなが同じ部屋で寝泊まりしていることなどを知って、なおさら彼女の心の中が大炎上した。

 そこに食戟をすると聞いて、ならばとこのような手に打って出たのだ。欲しいのなら力づくで奪い取ってしまえの精神が煌々と燃えていた。

 

「とりあえず、食戟は断るとして」

「なんで?」

「いや、勝っても負けても自分に得がないじゃないですか」

「……もものこと嫌い?」

「いえ、尊敬してますけど……」

「尊敬? 好きってこと?」

「いやまぁ……好き、んー……まぁ、好きの部類ですけども」

「じゃあ両想いだね、食戟しよ?」

「そうですね、とはならないんですよ」

「恋くん、あんまり我儘言わないで欲しいな」

「ちょっとそろそろ落ち着いて貰っていいですか?」

「……仕方ないなぁ」

 

 どんな障壁も突撃の一点突破でぶち抜く暴走列車のようなももに、恋は冷や汗を流しながら一先ず落ち着かせる。ももはガンガン行こうぜの精神で押して来ていたが、恋に両肩を抑えられたことで不服そうにしながらも、一旦落ち着いた。

 恋はももの押しの強さ、そしてフラストレーションを溜めすぎた結果を知って、時折ガス抜きしないとだめかもしれないと、心のメモ帳にしっかり書き留める。

 

「それで、どうしたの?」

「いえ……どうしたら神の舌を唸らせられるのかな、と」

「知らない。この話は終わりだね? じゃあももの話の続き」

「いやバッサリ過ぎません?」

「知らないよ、そんなの。どうやったら、とか、ももはそんなこと考えてお菓子を作ってないもん。美味しいかどうかなんて結局は人の好みだよ……神の舌だってそう。どんな食材が使われているのか、どんな調理をしたのか、どんなアイデアを使ったのか、全部舌の上で分析できるからといって、それが好きかどうかは別の話でしょ? えりにゃんだって、あんなすました顔してめちゃくちゃ臭い料理が好きかもしれないし、激辛料理が好きかもしれない。極論を言えば脳みそと舌は別の器官だもん」

「!」

「だから……恋くんは恋くんが思う、最高の料理を出すしかできないよ。出したら、あとはもう何も出来ない。食べる人に自分の全部を皿に載せて差し出すまでが、私達の仕事だから」

 

 自分の問いかけに、ももはそんなことかと一蹴した。

 それに対して真剣な話なのだと言おうとした恋だったが、ももはけしてどうでもいいから一蹴したわけではない。そもそもそんなことを考えるのは無駄なことだと思っているから一蹴したのだ。

 

 人が美味しいと思うかどうかなど、食べてみなければ分からない。

 だからこそ、料理人は自分が良いと思ったものを最高の仕事で差し出すしかできないのだ。その先の味覚までどうこうしようなど、料理人の領分を大きく逸脱している。

 そんなことを考える暇があるのなら、少しでも自分の料理と向き合った方がより建設的だ。

 

「……そう、ですね。確かにそうです」

「でしょ? ももも、恋くんの料理は凄いと思うよ。その全部で戦えばいいんじゃない?」

「……もも先輩って、凄いですね」

「先輩だからね。じゃあそんな凄い先輩と食戟」

「しません」

 

 恋は笑った。

 良くも悪くも、茜ヶ久保ももは自分のやりたいことに素直でまっすぐだ。そんな彼女だからこそ、恋の些細な悩みも一息で吹き飛ばしてしまったのだろう。

 

 恋は改めて、茜ヶ久保ももという少女を強敵だと思った。

 

 

 




もも先輩、つよい。
もう一話くらい挟んでから、食戟に入っていきたいと思ってます!

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八十一話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 四宮や城一郎が、時間内で最大限教えられることは教えたと言って帰った夜。

 極星寮の厨房に、えりなはいた。

 ぶっ通しで料理をし続けた創真達は、当然息も絶え絶えに疲弊し、解散となってから現在。既に泥の様に眠りについている。教えられたことを整理しようと考えていたのだろうが、身体がそれを許さなかったのだ。

 

 えりなは仙左衛門と共に料理の分析をしていただけなので、スタミナ的には全く疲弊していない。今こうして厨房で料理をすることくらいは、問題ないコンディション。寧ろ今日の味見で創真を始めとした十人以上の料理人のアイデアや工夫、イメージを一度に目の当たりにした彼女は、自分の中で思いついたアイデアやレシピをすぐにでも形にしたかったくらいである。

 それに、この連帯食戟で恋の戦力となれない自分があまりにも無力だった故に、気分転換をしたかったというのもあった。

 

「……」

 

 思い出すのは恋の作った全力状態の十傑の料理。

 えりなからしても、どれも素晴らしい料理だったと思う。その人の顔が見える、まさしく必殺料理となり得る珠玉の一品達だった。世界観、技術、アイデア、魅力、味、その全てが創真達を上回っていた。

 カタン、と手に持っていた匙を置いて、小さく溜息を吐く。

 目の前に出来たのは、てなりで作った普通のありふれたフレンチ料理。特にこれといった工夫もなく、特別な技術も使わず、集中するわけでもなく、ぼーっと散漫な意識で作っただけの料理だ。

 

 えりなは恋のことを考える。

 

 ―――恋君は、どうしてあんなにも強いのだろう。

 

 この学園で再会してから、恋はいつだって強く、ブレることのない姿でいた。編入試験でも、編入生挨拶でも、二年との食戟でも、合宿でも、退学になると言われたあの時も、秋の選抜でも、月饗祭でも、そして……今この瞬間も。

 自分なんかでは到底計り知れない艱難辛苦に見舞われているのに、どうしてあんなにも強く折れずいられるのか。弱音も吐かず、ただ立ち向かうことが出来るのか。

 

 あの自分にとっては恐怖としか思えない薙切薊にも、堂々と。

 

「迷ってるね」

「! ふみ緒さん」

「神の舌の持ち主とは思えない腑抜けた料理だ……私が審査員なら食べるまでもないくらいにねぇ」

 

 そこに現れたのは、この極星寮の寮母であるふみ緒だった。

 夜も更けて厨房を使っている者がいるので、軽く見にきたのだろう。創真が最たる例だが、厨房で思案に耽って寝落ちする者など、この寮では珍しくもないのだ。

 

 ふみ緒の言葉に自嘲するような笑みを漏らすえりな。

 自分でも分かっているのだ。この料理が美食とは到底程遠い、平凡な料理であることなど。

 

「……お父様と戦うと決めて、恋君の下にあれだけの人達が集まりました。仮に私が恋君の立場だったとしても、ああはならなかったでしょう」

「だろうね。奴は料理人としては欠陥を抱えているかもしれないが、人間としては誰よりも人情に篤い奴だからね……誠実で、まっすぐで、ダサい真似はしない……だから皆が寄りかかりたくなるのさ」

「寄りかかられ過ぎれば、人は重さで潰れてしまいます……でも、恋君は弱音も吐かないで、いつも強く立っている……どうして、そういられるんでしょうか。私には、分からないのです……」

 

 ふみ緒のいう恋の在り方は、まさしく理想的な人格者だと思う。

 そう在りたいと思うし、そう在れたらどれだけ良いだろうかと、誰もが思う筈だ。そう在れるのなら、きっともっと―――と、今の自分と理想の差に誰もが思い悩む。

 だからこそ、どうして、そういられるのか……えりなには理解出来なかった。

 

 ふみ緒はその言葉を受け、確かにね、と呟きながら、厨房の入り口からえりなの近くまで歩み寄ってくる。その辺にあった椅子にゆっくり腰掛けた。

 

「……確かに、奴はあまり弱音を吐かない。辛そうにしている姿は見たことがないし、いつだってみんなの一歩後ろで穏やかに笑っているような男さ……」

 

 ふみ緒の言葉を聞きながら、えりなも傍にあった椅子に腰かける。テーブルを挟んで向かい合う二人。

 

「でもね、私は奴が味覚障害だって聞いた時……なんだかストンと腑に落ちたよ。だからか、ってね」

「だから、とは?」

「どうしてみんなそれが分からないのか、私は不思議なんだけどねぇ……味覚障害を抱えながら料理を作ることのなにが(・・・)楽しいんだい?」

「!」

「少なくとも、私が奴の立場なら全く楽しくない。自分が何を作ってるのか分からないんだからね……人がどれだけ喜んでいても、その価値を自分だけが分からない現実を喜べるはずがないだろう?」

「で、でも恋君は、私に美味しいと言ってほしいからって……それが、彼の夢だから……」

 

 ふみ緒の言葉に、心の何処かで分かっていたような核心が揺れる。

 えりなはその核心を見てみぬふりするように、恋の夢のことを口にした。そうだ、恋の夢は薙切えりなに美味しいと言わせること……その為に料理人としての技術を磨いて、再会してくれた。確かに味覚障害の人間が料理をすることは楽しくないのかもしれない……けれど、夢を持っている恋にとってやりがいがなかったわけではない筈だ。

 

 そう思って、えりなは動揺する心を抑えつける。

 

 しかし、ふみ緒はえりなが口にした『恋の夢』という言い訳をばっさり切り捨てた。

 

 

「あのね――――人は夢を描くだけで強くはなれないんだよ」

 

 

 ふみ緒の言葉に、えりなは息を飲んだ。

 

「確かに、夢ってのは素敵なもんさ。人の持つ強い原動力になるし、夢に対する憧れや願望が強ければ強いほど、努力することを苦と思わない奴だっている……けど、夢は現実から自分を守ってくれはしないんだよ」

「……っ」

「奴がアンタに美味しいと笑ってほしいという夢を持っていたって、味覚障害は消えないし、止めておけと制止する現実の声は消えないし、奴が身に付けた実力を得るまでに必要な努力が省略されはしない。ただでさえ人よりマイナスのスタートなのに、夢さえあればその全てが帳消しにできるなんてのは……ただの現実逃避だよ」

 

 ふみ緒の言葉は正論だった。

 夢は原動力であっても、夢一つで人は強くはなれない。夢を叶えるために必要な努力や失敗、挫折、苦しみや後悔は一切省略されない。夢があるから頑張れる、なんていうのは本気で夢を叶えようとしていない人間の現実逃避である。

 

「それなら……どうして恋君は……」

「―――"覚悟"さ」

「!」

 

 ならば何故恋は強く在れるのか、その答えをふみ緒は『覚悟』と表現した。

 

「奴は料理自体は楽しいなんて思っちゃいない。美味しいという感覚も分からない。一緒に食卓を囲む幸福も理解出来なければ、料理人として客が美味しいと笑うことの幸せを実感することだって出来ない……それでも、料理人であることを選んだ」

「選んだ……」

「奴は最初から決めているんだよ。これから先、料理で感じられるあらゆる幸福を理解出来なくても、たった一つ、アンタを笑顔に出来る料理を作るってね。だから奴は強いのさ……どんな困難も、障害も、必ず叶えると決めた夢の為に打ち破る覚悟があるから」

「覚悟……」

「アンタにはないのかい? 奴の覚悟に応える強い意志が」

 

 えりなは自分を恥じた。

 恋は幼い頃描いた夢を諦めずに努力したからこそ、此処まで来たと思っていた。いや、間違ってはいない。けれど、その諦めなかったという事実の重みを全く理解出来ていなかった。

 

 ―――"覚悟"

 

 恋が弱音を吐かないのは、既に苦難の多い茨の道であることを覚悟していたから。

 恋がいつでも逃げずに立ち向かうのは、それを乗り越えて夢を叶えると決めていたから。

 恋が強く在れるのは、何があろうと自分の進む道を譲る気はないと決意していたから。

 

 覚悟、覚悟だ。全ては料理人を目指すと決めた瞬間に、恋は自分の人生に降りかかるあらゆる艱難辛苦を覚悟していたからこそなのだ。

 

「……私は」

「アンタが奴を想うこと以上に……奴の覚悟は強いってことさ」

 

 であれば、恋のえりなに対する告白は、恋愛感情を越えた決意表明だ。

 えりなを思い此処までやってきた恋のことだ、えりなに告白した時点で恋人のその先の未来まで考えていたことだろう。つまりは人一人の人生を背負う覚悟があの時点であったということだ。

 自分の夢を叶えることも、えりなの人生を背負うことも、どちらも成し遂げると決めたのである。

 

 ならばこそ、黒瀬恋が薙切薊とああまで対等にやりあうことが出来たのも納得が出来た。

 

「……」

「……あとは、アンタが決めることだよ」

「―――はい」

 

 ふみ緒はえりなの目の色が変わったことを見て、もう何も言うことはないだろうと話を切り上げた。えりなの返事を背に受けながら、厨房を出ていく。

 

 えりなはふみ緒が出ていくのを見送りながら、己の心の中に生まれた―――否、もやもやと渦巻いていた何かが晴れて、己がどうしたいのかの答えを知る。

 

「恋君……ごめんなさい……私、貴方の決意には応えられないわ」

 

 そしてぽつりと、でも確かに、そう呟いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌日、彼女は朝早くから一人極星寮の外へと出ていた。昨日の特訓の疲れもあって、緋沙子もまだ疲れで寝ているからこその一人。

 それでも向かう先に誰がいるのかを理解した上で、えりなの足は力強く地面を蹴る。臆する色は全くなく、凛としたかつての姿を取り戻したような――いや、それ以上に迫力すら感じる様な覇気を纏っていた。

 

 そうして彼女はまっすぐに学園内へと入っていき、大きな扉を開いて中へと入る。

 中には、早朝にも関わらずきっちり黒い衣装に身を包んで仕事をしている様子の薙切薊がいた。

 

「おや……これは驚いたな。どうしたんだいえりな、君が会いに来てくれるのは嬉しいが……少し意外だった」

「お父様、連帯食戟の件……聞きました」

「ああ、黒瀬恋との話し合いでね。こちらは十傑を柱としたセントラルのメンバーで臨むつもりだよ……無論、十傑であるえりなにもこちら側で出場して欲しいところだが……素直に言うことをきいてくれはしないんだろう?」

「当然です……それに、今日はそのことについてお話があってきました」

「なるほど。では聞こう……なにかな?」

 

 薊を前にして尚、毅然とした態度を崩さないえりな。かつての恐怖教育を感じさせない彼女の姿に、薊は内心疑問を感じながら話を聞く姿勢を整えた。

 えりなは強い意志を秘めた瞳で薊を睨み付けると、断固とした態度で告げた。

 

 

「私、薙切えりなは、十傑第九席の座を返上させていただきます! お父様、えりなはこの戦い、お父様の敵です!!」

 

 

 えりなのその宣言に、薊は驚きもあったが、ああやっぱりという納得もあった。黒瀬恋と対立していることに変わりはないが、やはり薊自身黒瀬恋という人間の影響力、人間性を認めていたのだろう。

 洗脳まがいな教育でえりなの心を縛っていると確信していたが、恋であれば、その鎖からえりなを解き放つこともやってのけるかもしれないとも思っていたのだ。

 

「……そうかい、いいだろう。どちらにせよ、えりなが味方した所で十傑を要するセントラルの料理人に敵う生徒はいない。残り二週間足らずでせいぜい足掻くといい」

「そうさせて貰います……ああそうそうお父様」

「? なにかな」

「私、お父様の敵とは言いましたが――――恋君の味方をするとは言ってませんから」

「それはどういう……」

「ごきげんよう」

 

 薊はえりなの離反を受け入れたものの、不意に飛び出たえりなの意味深な発言に困惑を隠せなかった。薊の問いかけを無視して早々に出て行ってしまうえりなに、薊は小さく溜息を吐く。

 

 薊の敵になる……だが恋の味方をするとは言っていない。

 

 どういう意味だ? と思う薊だが、考えたところで何も分からない。薊と恋、二人の料理人の戦いに、えりなは何をしようというのか。

 

「……いずれにしろ、やるべきことは変わらない、か」

 

 恋と薊の対立、改革と保守の争いが動き出した今……二人の周囲にいる人間達にも、変化が起こりつつあった。

 

 

 




えりなお嬢様がアップを始めました。

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八十二話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 翌日から、恋が集めたメンバーは放課後になると極星寮の厨房に集まるのが当たり前になった。恋の作った再現料理に打ち勝つための術を研究し、想像し、形にするためのディスカッションが始まったのだ。

 ああでもない、こうでもないと、各々のアイデアで料理を作り、お互いに試食をして意見を交換して、また次の料理を作る。その繰り返し。

 

 既に一週間という時間が経っていた。

 

 創真が大衆料理店らしい自由な発想で形にした料理も、葉山の嗅覚やアリスの科学的なアプローチから否定される。

 葉山の嗅覚にアプローチした料理も、美作のトレースの範疇だったり、久我の香辛料の知識から否定される。

 黒木場の破壊力満点の料理も、恵や叡山の繊細な料理の前に否定される。

 

「葉山、これはどうだ?」

「……これじゃダメだな。香りのインパクトはかなりのものだが、その分その他の粗さが目立つ」

「一色先輩、ここが上手くいかなくて……どうしても雑味が消せないんですけど」

「なるほどね。そういうことなら、この工程をオリーブオイルを使ってやってみたらどうかな?」

「やってみます!」

「ちょっとリョウ君! 仕事が適当になってるわよ? もうへばったのかしら?」

「そんなわけないだろうが!!」

「んまっ! 言葉遣いも荒くなってるわよ!」

 

 今までは競い合っていた料理人達が、十傑を倒す為に一丸となって互いを引っ張り上げている。より上に、より良い物を作る―――その一心で。

 

 四宮や城一郎に教わったことは、真新しいことばかりではなかった。

 寧ろ自分達も分かっていたことの方が多かったが、それでもその理解度、汎用性、付随知識は桁違いに深まったように思う。やはり自分達が無自覚に使っていたものをしっかりと理解することが、料理にも奥深さを持たせることに繋がったのだ。

 

 この厨房には今、各々が持つ武器や知識、感性、アイデアがオープンに広げられている。それぞれがこの放課後までに収集してきた知識が、培ってきた技術が、磨かれた感性が、互いの料理を刺激しそのクオリティを大幅に引き上げていく。

 

「! これは良い線いっている気がするな」

「確かに! 凄いよ創真君!」

「へへ、さっきの皿で皆に指摘されたことを俺なりに改善してみたんだ」

「この皿ならなんとか十傑と対等に戦えるかもしれないわね♪」

「だが、対等じゃまだまだだ。勝つためには、もっと強い皿が必要だぜ! この俺の様になぁ!! 新作だ食ってみろ!!」

「っ! 黒木場君の皿も随分とクオリティが向上しているね! 凄いよ!」

「これは先輩として、俺も負けてられないね☆」

 

 気合いは十分。

 料理人として厚い経験と才を持って磨きあげてきた実力は、食戟とは言わずとも原石同士のぶつかり合いで急激に成長を遂げていた。スタジエールで学んだこと、各々が得てきた気付き、失敗から学んだこと、恥を投げ捨て、プライドを圧し折って、その全てが曝け出し、共有すること。

 その結果が、少しずつ結果に表れていた。

 

 だが、それでも恋の再現した料理にはまだまだ及ばない。

 成長していく彼らなら、全力状態に入れない十傑に食い下がれるかもしれない。けれど、それでも創真達が仮想敵として見ているのは恋の再現した全力状態の十傑の料理なのだ。

 

 一つの世界観すら感じさせる、まさしく料理人の顔が見える一皿。

 

「(けどまだだ……技術や知識を駆使することは大前提の話)」

 

 創真は現時点で自分が出せる最高の皿を前に、眉を潜めて考える。この段階で満足していては、恋の求める水準に全く満たないと理解していた。

 

「(恋君はその領域で極致に至っている料理人……そんな大前提の段階で勝負しようなんていうのは、甘いわね♪)」

 

 アリスも創真や黒木場の皿から更なるアイデアを飛ばし、今までの自分の殻を破るべく集中力を高めていく。恋がこのメンバーを集めたのは、十傑の領域へと踏み込める者だと評価しているからだ。

 ならば、その先を目指さなければ嘘だろう。

 

「(黒瀬ちんの再現した料理の中には、俺の全力状態もあった。それを俺一人でも作れるようにならないと意味がない……それじゃあ司さんには、勝てない!)」

 

 久我もそうだ。

 久我はこの中で唯一、再現料理の中に自分の料理があった料理人だ。月饗祭で味わったあの最高の集中状態は、本当に凄まじかった。理想をそのまま現実にすることが出来る感覚―――あの状態に入ったなら、何でもできるとすら思えたほどに。

 だがきっと、それは恋のサポート無しでは入ることは出来ないだろうことは、久我自身も理解していた。

 

 けれど、限りなく近い領域には迫れる筈だ。

 

 ――――もっと

 ――――もっと

 ――――もっと

 ――――もっと!!!

 

 成長しようとする意志は強く、止まらない。

 彼らは無意識だった。無意識に、黒瀬恋という料理人の覚悟に奮い立たされていた。恋の覚悟を知っているわけではないし、気づいているわけでもない。ただ、恋という料理人に期待されている事実が、個々の心を奮起させていた。

 

 料理人としての実力ではなく、彼の料理人としての在り方が尊く、そして尊敬に値する人間だったから。

 

 

「―――……ちょっと、いいかしら?」

 

 

 するとそこへ、不意にそんな声が掛かる。

 全員が厨房の入り口へと視線を向けると、そこには妙に真剣な表情を浮かべた薙切えりなが立っていた。

 

 この一週間、朝早く寮を出ては、遅くまで帰ってこないようになった彼女。その様子にどうしたのかと疑問を抱いていた者は多かっただろうが、緋沙子には何か説明をしているらしく、彼女が大丈夫だと言ったので心配はしていなかった。

 

 そんな風に隠れて何かをしていたらしい彼女が、不意に姿を見せたのである。

 どうしたのかと、全員が料理をする手を止めたのもおかしな話ではなかった。

 

「ふー……少し、頼みたいことがあります」

 

 彼女は息を整えるように、気持ちを落ち着かせるように一呼吸置いてから、そう言った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 極星寮でそんなことが起こっている中、逆にセントラルの十傑の面々もまた、己の料理に向かい合っていた。

 誰もいない自身専用の厨房で、司瑛士は一人、イメージを膨らませる。

 

 別に恋達と食戟で戦うからではない。

 彼にとって、この食戟は別段どうなろうと興味はなかった。負けるとは思っていないし、勝ったところで別に得られる改革が進むだけで自分に何か得があるわけでもない。少し環境が自分に都合のいいものに変わるだけだ。

 

 彼が自分の料理に向かい合っているのは、単純に自分の料理を高めていくため。黒瀬恋のサポートを受けて体感した、全力状態の自分の実力―――その一端でも掴み取るための研鑽である。

 

「すぅ―――………」

 

 大きく息吸い込み、閉じられた瞳の奥で集中力を高めていく。

 恋がサポートすることで料理人から省かれるものは、工程の中にある無駄な動きと、それに付随するストレスや雑念だ。無駄な動作を省くことは、人に腕が二つしかない以上限界がある。

 けれど、雑念やストレスは自分自身の中で生じる感情的ノイズであって、それは心の持ちようで限りなく減らせると考えたのだ。

 

 しかし言葉にするほど簡単ではない。

 

「―――さぁ、俺の皿に宿っておくれ」

 

 集中力が限界まで高まったところで、まるでスイッチを設置するように、料理中にいつも思っている言葉を口にする。

 恋が齎してくれる超集中状態とは天と地ほどの違いがあるが、それでも己一人で到達できる限りの集中状態をいつでも発揮できるように、司は集中スイッチを作ることにしたのだ。

 

 無論これは周りに雑音がなく、人の視線もなく、食戟の緊張感もないフラットな状況で作り上げたものだ。スイッチがあるからといって、衆人環視の前でこの状態に入れなければ意味がないのだが。

 

「……!」

 

 そしてスイッチを入れた司は、凪いだ水面の様に波の立たない心で調理を開始する。作るのは、月饗祭の時に恋と一緒に作った料理だ。あの一皿に一人でどれだけ迫れるか、それが今の司の目標だ。

 集中力は絶やさず、流れる様な動作で調理を進めていく。

 こうなると本当に些細なラグで集中力が乱れてしまう。恋との調理で最高の集中状態を知ってしまっているからこそ、その差にどうしてもストレスが発生してしまうのだ。

 

 結果、出来た料理に司は満足いかなかった。

 

 その完成度は、今までの司からでは考えられないほどに高い品だった。一人で作りあげたのであれば、十分全力状態に迫るクオリティと言える。

 だが、それでも並ぶことが出来ていないのは、本当に一枚の壁を越えられていないような感覚を残す。

 

「ふぅ……流石に今の俺ではこれ以上は難しいな」

「んーにゃ、十分良い仕事してると思うぜ?」

「……竜胆、いつからいたんだ?」

「調理が中盤くらいの時かな」

 

 すると、溜息を吐いた司の呟きに帰ってくる声があった。

 視線を向ければ、そこには小林竜胆の姿がある。どうやら集中していたせいで彼女が入ってきたことに気付かなかったらしい。となれば、調理に入ってしまえば人の目が合っても集中が途切れないことが証明されたようなものだ。

 

 故に、司も竜胆の勝手を強く責めたりはしなかった。

 

「そうか……勝手に食べるなよ全く……黒瀬と作った品と比べて、どうだ?」

「ん……どっちも美味かったけど、やっぱ前の奴の方が上だな。比較するとどうしても粗さに気付いちまう」

「だろうな……全く、黒瀬のサポート能力には舌を巻くよ」

「そりゃ、一人より二人の方が出来ることは多いから仕方ないんじゃねぇか? 寧ろ単独で此処までの品が作れるのは十分凄いことだと思うけど」

「ああ、俺も無理に高望みはしないさ。けれど、あの感覚を知ってしまっているとどうしてもな」

 

 欲張りになってしまう。その言葉を苦笑と共に飲み込んだ司に、竜胆も笑みを零した。

 人間とはとにもかくにも欲張りな生き物だ。その感情は仕方がないものである。

 

「そういえば、茜ヶ久保のやつが黒瀬に食戟を申し込んだらしいぜ?」

「は?」

「勝った方が負けた方の人生を貰うって条件で」

「黒瀬が受けたのか?」

「んーにゃ、断られたってさ。随分不機嫌そうにしてたぜ」

「なんだ……まぁ流石の黒瀬でもそんな勝負には乗らないよな」

「でもそれが余計アイツの火をつけたみたいでな、お前と同じように一心不乱に料理してたよ」

 

 かんらかんらと笑う竜胆に、司はそうかと返す。

 セントラルの十傑達は別に今回の連帯食戟に熱いわけではない。けれど黒瀬恋という存在が影響を齎しているのは、保守派の面々だけではないらしい。十傑側も、期せずして己を高める行動に出ている。

 結果的に、それは連帯食戟の準備へと繋がっていくだろう。

 

「この食戟に勝ったらどうするつもりなんだ? 司」

「どうもしないよ。黒瀬に関してはこの学園に残すように総帥に言ってあるからな……あちらが敗北した場合、黒瀬も負けた手前勝手な行動は出来なくなるだろうから……そこで改めて勧誘を掛けるべきかとは思っているよ」

 

 お前も諦めてないじゃねーかと苦笑しながら、竜胆はいつのまにか完食した司の皿の上に食器を置く。

 

 恋と薊の対立から始まったこの食戟。

 セントラル側も、恋側も、モチベーションの方向は別として、同じように己の腕を磨いている。戦いの果てに勝利の女神はどちらに微笑むのか、恋と薊の確執はどうなっていくのかは、誰にも想像できない。

 

 

 食戟の日は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 




ようやく食戟に入れますね。

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八十三話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 連帯食戟成立から二週間―――ついに、その時はやってきた。

 

 全校生徒が一堂に集まった会場で、向かい合うのは黒瀬恋と薙切薊の二人。旧体制の競い合いの世界を望む者と、新体制で己の信念を貫き通したい者。互いにコックコートを身に纏い、研ぎ澄まされた集中力と澄んだ緊張感で火花を散らしている。

 会場は静かだった。

 無言でただ向かい合って立っている二人が生み出している緊張感に、息を飲むことしか出来なくなっているからだ。

 

 手首を持ってゆらゆらと揺らしながら立っている恋、腕を組んで微動だにせず立っている薊。この二週間の間に両者共出来るだけのことはしてきたらしく、その表情には一切の弱音や怯えはない。

 

「……ついにこの時が来たね、黒瀬恋。その面構えを見る限り、どうやらやるだけのことはやってきたようだ」

「そっちこそ、二週間前までとは一変して随分料理人らしい雰囲気になりましたね」

「それはそうさ、今日の僕は遠月学園総帥としてではなく……薙切薊という料理人としてここに立っているのだから」

「結構、手加減は必要なさそうですね」

 

 挨拶代わりにと、互いにお互いの調子を伺いながらさらに闘志を燃え上がらせる。やることは最早変わらない。あと数時間で勝敗がつく―――この遠月学園の未来が決まる。

 

 そうする中で、二人の挨拶が終わったのを確認したからだろう。司会役を任されていた女子生徒、川島麗が緊張感を露わにしながらも、開会の宣言をした。

 

 

《そ、それでは! これより、薙切薊新総帥率いるセントラルと、黒瀬恋率いる保守派による、連帯食戟を開始いたします!!》

 

 

 その宣言で、ぶるりと鳥肌が立つような感覚に襲われる会場内。いよいよ始まるのだ、この遠月史上、最も壮大で、最も異質で、最も強い料理人達の戦い……否、戦争が!

 

《まずは互いの陣営の選手紹介から! セントラル側からは、当然ながら現十傑が揃い踏み!》

 

 通用口から悠々と姿を現したのは、誰一人として笑みを浮かべず、薊同様に集中力を高めていた十傑の面々。触れれば針に刺されるような空気感に、川島麗は一瞬言葉に詰まりながらも一人一人紹介していく。

 

 

 第一席 司瑛士

 第二席 小林竜胆

 第四席 茜ヶ久保もも

 第五席 斎藤綜明

 第六席 紀ノ国寧々

 第九席 石動賦堂

 セントラル 白津樹利夫

 セントラル 鏑木祥子

 

 

 ここの薊を加えた計九名。

 第三席の女木島や第九席だったえりな、一色や久我といった面々を除いた分、セントラルから補填されたメンバーがいるが、それでも過半数が十傑上位勢で固められたこれ以上ない布陣。

 雰囲気からして格が違うとすら思えるその佇まいに、黒瀬恋側の生徒達も勝てるのかと不安になってくる。

 

「やぁ黒瀬、こうして対面するのは久々だな。まぁ茜ヶ久保は時折会いに行っていたみたいだが……調子は良さそうだな」

「どうも司先輩……そちらこそ、揃いも揃ってコンディションは良さそうですね」

「まぁな、悪いがこの戦いお前達に勝ち目は薄いと思う。この食戟に熱いわけではないが、どうやらこっち側もそれぞれできるだけ上げてきたみたいだからな」

「そうですか……でも―――」

 

 川島が黒瀬恋側の選手紹介をしていく声が響く。

 黒瀬の背後にあった通用口から、ぞろぞろと選抜されたメンバーがその姿を見せた。

 

 

「―――こっちはそれ以上に上げてきたみたいなので」

 

 

 セントラル側と打って変わって、入場した瞬間燃え盛るような熱気を感じさせるような闘志が会場に拡散された。

 澄み切った水面の様に静かな十傑達に対し、恋側のメンバーは焼き尽くすような業火を彷彿とさせる意志の強さを感じさせる。

 

 

 幸平創真

 葉山アキラ

 一色慧

 久我照紀

 黒木場リョウ

 田所恵

 薙切アリス

 叡山枝津也

 

 此処に黒瀬恋を加えた計九名。

 恋の選抜した、最高戦力である。こちらにも十傑であった久我や一色、叡山がメンバーに入っており、恋も加えればセントラル側にも引けを取らない布陣であることは、会場の誰もが感じ取れた。

 

「……みたいだな」

 

 そしてそれは司も感じ取ったのだろう。少し面食らったようだが、面白いとばかりに笑みを浮かべながらそう返した。

 残念ながら選抜されなかったタクミや美作、緋沙子といったメンバーは、観客席からこの戦いを見守っている。悔しそうな表情をしているが、それでもこの選抜に文句はないのだろう。後は託すばかりだ。

 

「こっちに与していない第三席の女木島に声を掛けるのかもと思っていたが、そうしなかったんだな」

「まぁ、選手として出てもらうには説得が難しそうだったので……でも、この戦いに女木島先輩が関与していないわけでもないですよ」

「……何かありそうだな」

 

 不敵に笑う恋になにやらゾッとするものを感じるが、尚も自身の勝利を信じて疑わない司は同じように笑みを浮かべながら背を向けた。

 恋も司も、互いのチームの待機スペースへと移動する。厨房を挟んで、両チームが向かい合う形になる。

 

 それを確認した川島が、今回の連帯食戟のルールを説明し始めた。

 

《今回の連帯食戟は、所謂殲滅戦!! ワンバウト三対三で勝負をし、敗北した者からリタイヤ! リタイヤした選手は次バウト以降の試合には参加できません! 最終的に相手チームの料理人全員を敗北させた方の勝利となります!》

 

 つまり、チーム対抗の勝ち抜き戦だ。最後まで立っていた料理人がいるチームが勝ちという、至極分かりやすいルールである。

 連戦すればスタミナも削られるし、溜まった疲労が悪影響を及ぼせば実力差が覆ることだってあり得る以上、誰を出場させるのかの戦略もしっかり考えなければならない。それが連帯食戟の最大の特徴だ。

 

《そして、今回の食戟を審査する審査員をご紹介いたします! WGOの執行官の方々です!!》

 

 そして現れた審査員が、更にこの会場を騒然とさせた。

 WGO―――"World Gourmet organization"

 全国に構えられた全ての料理店を最高三つ星で評価を付ける審査機関であり、一つ星でも付けばその料理人の評価は桁違いに跳ね上がる。その全ての評価を明記した教典があり、料理人の業界では知らぬ者などいないほどの最高機関だ。

 

 そのWGOから、審査員として執行官が派遣されたのである。

 

 現れたのは黒髪ロングヘアーでクロスするように頭上に巻かれた白いリボンが特徴的な女性、黄色いスーツに身を包んだ黒人の男性、青いスーツに身を包んだ金髪白人の男性の三名。各国の料理店を審査するだけあって、やはり所属する者の人種も様々なようだ。

 

「どうだい黒瀬恋、これ以上ない審査員だろう? 彼女達であれば、一切の贔屓なしに目の前の皿を評価してくれる……不満はあるかな?」

「ええ、まさかこんなところで気が合うとは思いませんでした」

「? どういうことかな?」

「WGO―――ええ、勿論知ってましたよ……つい最近縁があった場所ですから。まさか、同じ場所に声を掛けていたとは思わなかったです」

「……?」

 

 悠々不敵に恋に声を掛ける薊に、恋は少し呆気に取られながらも笑みを返した。

 もちろん審査員に不満などあるはずがない。これ以上なく公平な審査が為されるだろう。薊が八百長での戦いを望んでいないことも十分伝わってくる、最高の人選だと賞賛することもやぶさかではない。

 

 だがこの二週間の間で、恋もまたこの戦いに向けて根回しをしていたのだ。神の舌を満足させられなければ勝利出来ないこの戦い、薙切薊と黒瀬恋の間にある確執を解消するためのこの戦い――――であれば、この場にいなければならない人物がいるはずだと。

 故に薙切仙左衛門に話を聞き、働きかけたのだ。

 

 黒瀬恋が、いると確信していた薙切えりなとは別の……"神の舌"に。

 

 

「―――相変らず、陰気な面よな……薊」

 

 

 その言葉が響いた時、薙切薊の表情が凍り付いた。

 振り向き、其処に居た人物を視界に入れた瞬間、ここまで悠々としていた表情に初めて強い感情が溢れた。焦りや不安、動揺、困惑、全部がぐちゃぐちゃになって顔に出てくる。

 そこにいたのは、着物を着たマロ眉の女性だった。どこか雰囲気が凛としている時のえりなにも似ているその女性は、WGOの審査員達よりもずっと雰囲気がある。

 

「真凪……!?」

「そこの小僧にこんな場所に引っ張り出されて何かと思えば……お前と顔を合わせることになるとはな」

「……何故だ、何故彼女が此処にいる!! 黒瀬恋!?」

 

 古風な話し方をする女性は、薙切真凪……薙切薊の妻であり、えりなの実の母。そしてなにより、えりなと同じく『神の舌』を持ち、WGOの全執行官を統括する、特等執行官である。

 恋が彼女を引っ張り出してきたことで、薊は動揺のあまり声を荒げてしまった。

 

「神の舌を満足させるかどうかの戦いをするんだ……えりなちゃん一人の審査じゃ平等とは言えないでしょう? 俺は勿論信頼しているけれど、それはこの会場の生徒達には分からないことです。俺と仲が良いと周知されている彼女の審査が仮に俺を勝者としたとして、その審査に彼らが納得できるかどうか分からないのが理由の一つ」

「……!」

「もう一つは、俺と貴方の間にある確執を全部まとめて解消するなら……関係者は全員いた方が良いでしょう? 俺にとってのえりなちゃんがそうであるように、貴方にとっての薙切真凪さんにも同席してもらいたいと思っただけです」

「彼女にも審査をさせようというのか君は……?」

「違いますよ……そんな権限は俺にはない。あくまでこの場に来てもらっただけです……まぁ、食べてみたいと仰られたなら、それを止める権限も俺にはないだけです」

 

 つまり恋は、神の舌を満足させるだけの品を作らなければならないこの戦いで、互いに取って大切である二人の神の舌を用意したのだ。過去に何があったのかは知らないが、それでも薙切薊がこの改革を起こそうと思った初期衝動には、この真凪の神の舌が関与していることは確かだったから。

 神の舌を巡る二人の男の戦いで、その重要人物が蚊帳の外というのはおかしな話である。

 

「……本当かい、真凪」

「ああ、そうじゃ。まぁ、精々遠月学園の一生徒が作る料理故に食す気は毛頭ないが……神の舌を唸らせる品を作ると豪語するのだ―――それなりの品を出さないとただではおかぬぞ」

「……なるほど」

 

 真凪は退屈そうに審査員席の椅子に座った。身体が弱いのか、少々痩せ気味の彼女だが、その佇まいと滲み出ている迫力は本物である。

 審査員として呼ばれた執行官たちは、審査員席に座るのも躊躇して、結局真凪の後ろに立って控えることを選んだようだった。

 

「……いいだろう黒瀬恋、君の覚悟も十分伝わったよ。最終戦でもしも僕と君が戦うことになったのであれば―――二人の神の舌、どちらも魅了した方が勝ちだ」

「望むところです」

「此処までやれば平等性や公平さに文句を言う者は誰一人としていないだろう。さぁ、勝負を始めよう……この連帯食戟で勝利した者こそが、この遠月を担う新たな光となる」

 

 戦いが始まる。

 全ての選手のベストコンディションである今、苛烈な戦いが期待される第一戦目が。

 

 

 ―――"1st BOUT" 開戦。

 

 

 

 




ということで、BLUE編はやりません。
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八十四話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 1stBOUTを開始する際、誰を選出するかの段階。

 薊サイドも恋サイドも、取った選択肢は示し合わせたように同じだった。

 前に出てきた選手たちに騒然となる会場。お互いの陣営にいるメンバーも相手側の選択に驚きを隠せない様子だった。

 

 何故なら、前に出てきた三人の中に、薊と恋がいたからである。

 

 両陣営、大将が初手で出場してくるなど連帯食戟の歴史でも前代未聞だろう。この連帯食戟では敗北した料理人はリタイヤ―――次戦以降は一切関与することが出来なくなるのだから。

 それでも彼らが初戦で出場を決めたのは、お互いの確執は置いておいて、まずはこの学園改革の実権を握るに相応しい料理人であるかどうかを証明するためだ。

 

 薙切薊。学園総帥に就いたはいいが、その実力は肩書き上のものでしか目にしたことのない者がほとんどだろう。元十傑、雑誌にも載っていたほどの料理人……だがその実力はいかほどなのか?

 対して黒瀬恋。学園内でその実力を目にした者は多く、月饗祭で手にした名声や現代のSNSにおけるその発信力の強さも並々ならない。味覚障害の料理人、はたしてその実力は全学を代表して薙切薊に対抗できるほどなのか?

 

 力の証明を、する必要があった。この初戦で。

 

「考えることは同じのようだね、つくづく君は学生とは思えないな」

「代表を背負って立ってますからね、俺一人の戦いで済むならこうはいかないですけど」

 

 薊の後ろには1stBOUTの出場メンバーである、紀ノ国寧々と石動賦堂がいる。恋の後ろには幸平創真と叡山枝津也がいた。

 出場するメンバーに大将を入れるという方針は同じのようだが、薊側は一席と二席を温存しているあたり、1stBOUTでの確実な勝利を取りに来ているわけではないようにも思う。

 

 であれば、ここは創真や叡山にとっても踏ん張りどころだろう。向こうが抱えている十傑メンバーの中でも下位の二人が出てきているのだ。此処で負けようものなら、その上の司達には確実に勝つことが出来ないことの証明をするようなものである。

 

「とはいえ君と僕の勝負はあくまで最後まで互いが生き残っていた場合の約束だ……故に、今回は対戦相手はずらさせて貰うけれどね」

「勿論」

 

 ということで、対戦カードは以下の通り。

 

 黒瀬恋 VS 石動賦堂

 幸平創真 VS 紀ノ国寧々

 叡山枝津也 VS 薙切薊

 

 黒瀬の相手は十傑に返り咲いた元二年生最強と謳われた男、石動賦堂。かつて秋の選抜では、成長前ではあったものの久我ですら下したことがあるという料理人だ。

 薊の相手も元々は十傑に籍を置き、料理人としてコンサル業にのめり込まなければ、現十傑上位陣をいくらか食っていたかもしれないと評価される男、叡山枝津也である。薙切薊に嵌められ、その地位も名声も信頼も一度失ってしまった男が、今この瞬間の為に料理人としての姿を取り戻していた。

 

「勝つぞ、1stBOUT」

「たりめーだ! 任せな」

「ぶっ潰してやるよ」

 

 コックコートの袖を捲りながら声を掛けた恋に、手ぬぐいをぎゅっと頭に巻き付けながら創真は気合十分に返事をし、叡山も珍しく眼鏡を外して静かにそう返した。

 いよいよ、勝負が始まる。

 

 

 ◇

 

 

 各対戦の料理テーマは、事前のくじ引きで決まる。食材は上等なものが豊富に用意されているので心配はいらないが、此処で仮に相手にとっての得意料理が当たったのならその有利不利は明確になってしまうだろう。

 

 恋と石動賦堂のくじ引きは石動が譲ったこともあって、恋が引くことになった。既に創真と紀ノ国寧々は『そば』、叡山と薊は『鶏料理』とテーマが決まっており、それぞれ食材選びへと姿を消している。

 この二人のくじ引きは最後だったのだ。

 

「ようやくお前と戦う時が来たな、黒瀬恋」

「石動先輩、やっぱり薊総帥に付いてたんですね」

「ハッ、お前には一発で見抜かれたけどな」

「まぁいいですよ、もう裏での駆け引きは必要ない段階ですしね」

 

 恋がくじ引きに手を突っ込んで、一枚カードを引き抜く。

 そこには『イタリアン』と書いてあった。恋が石動にそのテーマを見せると、石動は少し目を丸くさせて、次の瞬間には不敵に笑いだした。

 

「よりにもよってイタリアンを引くとは、お前がついてねぇのか……それとも俺がついてるのか……黒瀬、イタリアンは俺の得意料理だ!! 無論慢心はしねぇ、俺の全力で叩き潰してやるよ」

「なるほど……それは都合が良いな」

「なに?」

「苦手なテーマだから負けました、なんて言い訳されちゃたまらないからな」

 

 恋の口調が敬語から素のものになっている。

 勝負が決まり、テーマが決まった今、此処にいるのは先輩後輩ではなく一人の料理人同士。対等、故にこそそこに敬いや遠慮など必要ない。

 

 純粋にぶつかって、勝った方が勝つ。

 

 そんな恋の雰囲気の変化に石動は得意分野が当たったことの喜びも萎んでいき、ただ単純に……恋という料理人と戦うのだという強い闘志だけが湧き上がってきた。

 

「……掛かってこい黒瀬―――勝つのは俺だ!」

「上等だ……おこぼれで十傑に返り咲いたその身の丈、しっかり暴いてやる」

 

 恋と石動の間に火花が散った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 あの日、俺は全てを失った。

 十傑の座に上り詰め、あらゆるコンサル業で荒稼ぎし、その地位に驕らず堅実な実績を積みかさねることでこれ以上ない人生を歩んでいた筈だったのに。

 あの男が声を掛けていた時、俺は更なるチャンスが舞い込んできたと思った。料理人として料理業界の躍進など欠片も興味はなかったが、それでも業界の変化に対して最先端を行けるということは、誰にも踏み荒らされていない餌場を独占することが出来るようなものだ。この俺がその絶好の機会に賭けない筈がない。

 

 成功させるつもりだった。この俺に失敗などありえない。何者も障害になどなりえないと確信していた。

 

 けれど失敗した。気付けば全ての責任を背負って俺の地位は失墜していた。落ちるところまで落ち、別に自分達の地位や実力が向上したわけでもねぇのに、失敗した俺を格下と決めつけ見下してくる奴がわんさか増えた。

 黒瀬の奴が俺の想像していた以上の料理人だったのが、そもそもケチがついた原因。あいつは味覚障害の料理人……だからこそ超一級品の調理技術を身に付けた男―――しかし、奴の恐ろしい点はそんな所じゃあない。

 

 そもそも黒瀬恋という男は料理人としてではなく、いや、人間として恐ろしいのだ。

 

 どこの世界に、味覚障害を抱えながら料理人を志そうという子供がいるのか。

 どこの世界に、ハンデを抱えながら世界に通ずる調理技術を習得する人間がいるのか。

 どこの世界に、そのサポート技術で料理人を化けさせる料理人がいるのか。

 

 どこの世界に―――薙切という名を前に此処まで優位に事を進める学生がいるというのか。

 

 奴は料理人という前に、一種のカリスマだ。

 かつてのナポレオン、ローマ皇帝、織田信長といった絶対的英雄の資質を持った人間に違いない。人を魅了し、人を率い、人に愛され、人を動かす……そんな魅力を持った人間なのだ。

 なによりその身に秘めた覚悟の重さが違う。

 

「叡山、君と会うのは久々だね……少し痩せたかな?」

「……俺はテメェの顔を一瞬たりとも忘れたことはなかったぜ、薙切薊……この瞬間をずっと待っていたんだからな」

 

 食材を選んでいる最中、不意に薙切薊が話しかけてくる。自分が俺に何をしたのかも忘れたような顔で、いつも通りの不敵な笑みを浮かべていた。本当に心の底から腹立たしい野郎だ。

 

 おそらく、この薙切薊も黒瀬同様一種のカリスマを持った男だ。でなければ此処までの行動を取ることは出来ない。

 だが俺からすればこの薙切薊のカリスマは黒瀬恋に劣る。あいつはブレない。信念があり、相応の覚悟を持っている。料理人として、奴ほど完成した人間はいないだろうとすら思う。時間を掛けて実力を高めていけば、世界に羽ばたくに違いない。

 

 だから俺はアイツに賭けた。

 

「君が僕を恨むのは致し方ないことだとは思うが、それでも君も同意の上で進めていたことだろう? それが手のひらを返したように黒瀬恋の味方に付くとは、随分と腰が軽いことだ」

「なんとでも言えよ、俺はいつだって勝つ方にベットする。だから今回お前は負ける……黒瀬恋は次代の遠月を担う料理人だ」

「……以前の君とは随分変わったようだね。君という人間がまさかそこまで一人の人間に惚れ込むとは思わなかったよ」

「遠月の未来とか、料理業界の発展なんかにゃ興味はねぇよ……今も昔も、俺の興味は金になるかどうかだ!」

「だが……」

「そのためにはお前が邪魔だ……俺をコケにしたツケを支払ってもらうこともそうだが、黒瀬と組んだのはその為でしかねぇ―――まぁ、お前を消した後に奴で金儲け出来るって考えがないわけじゃないけどな」

「なるほど……あくまで君は拝金主義を貫いていると主張するわけか、なら精々そのまま健闘するといい」

 

 薙切薊は興味を失ったように食材選びへと集中しだす。

 俺の言葉が何も響いていないことはよくよく伝わってくるが、それでいい。こいつが俺にとってどれほど金になる人材でも、今後組めるとは到底思えない。邪魔な奴は排除する。今回はそこに復讐心が加わっているだけだ。

 

 俺は食材に向き合う。

 奴に陥れられた時からずっと、俺は黒瀬に協力しながらも料理人としてのスキルを磨いていた。黒瀬も分かっていたように、俺も最後の最後には食戟がものを言う戦いになると予想していたからだ。

 正々堂々、料理人として料理で勝つ―――これ以上に確実で、覆しようのない勝利はない。小細工はなし、卑怯な手も使わない。

 

 俺の料理で、愚直に勝つ。

 

 それが今回最もスマートなやり方だから。

 

「……」

 

 一つ一つ食材を吟味して、俺は頭の中で作る料理を構築していく。テーマがついさっき決まった以上、この食戟は即興で作り上げる料理対決……つまりは料理人としての経験と地力が強く結果に影響する戦いだ。

 となると今回全員が十傑並の実力を持っていたとすれば、単純にこの学園で三年間戦い抜いてきた三年生が幾分有利だろう。たった一年でも、磨いてきた経験と時間は桁違いだ。

 

 幸平の様に幼い頃から現場に立っていた者もいるが、積み重ねてきた時間の質と密度は別の話だ。

 だからこそ、今回コンサル業にのめり込んで料理人としての研鑽を怠ってきた俺にはかなり敗色が濃い。ましてや相手は薙切薊、勝算は限りなく薄いだろう。

 

「俺がやるべきことは……」

 

 ならば俺がここでチームの勝利の為にやるべきことは、出来ることなら勝つこと。そしてそれが出来ないのならば―――この後の戦いに向けて、こちらにとって有力な要素を繋げることだ。

 俺が勝つことではなく、この食戟に勝つことに徹することが俺のやるべきことである。

 

「よし……」

 

 俺は頭の中でやるべきこと、作る料理を構築し、その為の食材を手に取っていく。

 大局を見ろ―――俺達がこの連帯食戟で勝利するための最善の一手。相手は敵の大将なのだから、そこに対して自分が出来ることを探せ。

 

 黒瀬恋の勝利が、俺達の勝利なのだから。

 

 

 




各勝負、どうなるでしょうか。
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八十五話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。

※恋と石動のお題をピザ→イタリアンに修正致しました汗


 セントラル側に潜む、十傑内の裏切り者。

 その正体は、月饗祭以前、恋が食戟を仕掛け勝利を収めたという相手――――紀ノ国寧々である。月饗祭では共に店を盛り上げた恋と寧々であったが、その裏ではこの状況を作り出すための駆け引きが行われていた。

 

 恋が要求したのは、主に二つ。

 

 一つは薊政権への賛同。

 薊の行う改革に賛同し、十傑の一人として彼が学園総帥になるための一助となることである。薙切えりな、久我照紀、一色慧といった当時の十傑勢がこの改革に否定的であり、司やももがどちらかと言えば恋側に偏っていたこともあって、このままでは折角掴んだ薊の尻尾を逃してしまうと思った恋は、確実に薊をこの学園に引き入れるために寧々を味方に付けようと動いたのである。

 結果的に寧々の賛同、そして司達の賛同を得たことで薊はこの学園に引きずり出されることとなった。

 

 そしてもう一つは、本格的に恋と薊の食戟が執り行われる際、全力で戦うこと。恋の味方だからといって手を抜くことや八百長をする必要はないと、そう伝えたのである。

 これは恋が寧々の料理人としてのスタンスを尊重した結果の要求でもあり、十傑に挑む者達への尊重でもあった。懸命に努力を重ねて此処まで上り詰めてきた寧々に対し、料理でわざと負けろだなどと、口が裂けても言うことは出来ないし、創真達もこの食戟の趣旨に関わらず、十傑と戦う以上は己の力で勝ちたいと望むだろうからだ。

 

 結果的に、この二つの要求を呑んだ寧々は恋の言う通りに薊を支持する側に回ったし、今もこうして食戟の場で敵として立ちはだかっている。

 

「よろしくっす、紀ノ国先輩」

「ええ……よろしく」

 

 相手は幸平創真。

 大衆料理店の倅であり、その実力も恋と比べれば明らかに格下の料理人――と、思っていた。少なくとも恋と出会う前の彼女であれば、テーマが蕎麦だと決まった今、彼に負けるだなんて欠片も思わなかっただろう。この交わした挨拶にも、ある種見下したような文言が追加されていたかもしれない。

 

 けれど目の前にいるこの男は、あの黒瀬恋が選んできた料理人なのだ。

 

「……貴方、蕎麦打ちの経験は?」

「やー、紀ノ国先輩とやりあうのにお題が蕎麦ってことで恐縮っすけど、あんましないっすねー」

「……そう。でも負ける気はなさそうね」

「当然―――俺も料理人なんで、初っ端から負ける気では厨房に立たないっすよ」

 

 負ける気はない、どんなに不利でも己の全てで勝つつもりで厨房に立つという強い意志を感じた。寧々はそんな創真の負けん気の強い表情を見て、特に不愉快な感情を抱くことはない。

 その言葉はその通りだと思うからだ。

 

 負けるつもりで勝負をする奴はいない―――そう、その通りだ。

 

「なら私も全力で挑ませて貰うわ。お題が蕎麦である以上、私のプライドに懸けて貴方を打ち負かす」

「! ……いいっすね、胸借りさせていただきやす!」

 

 そうして互いに調理に入るために向かい合う厨房に着いた。

 寧々は衆人環視の中ではあるが、厨房という神聖な領域に入ったことで、ある種の静けさが自分の精神に訪れるのを感じる。この食戟が始まる前から、あるいはこの日が始まったその時から、寧々はずっと静かな集中が続いていたように思う。

 

 視野が広く、頭もすっきり冴えて、余計な雑念が拭われたような心地よさ。

 

「(ずっと……天才という言葉に取り憑かれて、羨望、嫉妬、ある種の怒りにすら飲まれていた気がする……けど――――)」

 

 視線をゆっくり移動させて、石動賦堂と向かい合って調理を開始していた恋の姿を視界に入れる。調理をする表情は真剣そのもの……集中力と闘志が形になって見えるような気がするほどの迫力は、彼の覚悟の現れなのだろう。

 食戟の最中だというのに、寧々はそんな彼の一挙手一投足に見惚れた。

 

「(―――そう、関係ないのよ。私より凄い料理を作る天才がいても、それは私の実力になんら影響しない……努力で積み重ねた全てが、私の料理だ)」

 

 並べられた食材に視線を戻し、寧々はクスリと笑う。

 天才だなんだと拘る必要はないと、月饗祭の時に悟らされた。それも自分よりも圧倒的に非才の存在であり、年下の男に。

 

 どんなに高い実力を持っていても、全力で臨まなければ凡人にすらなれない。

 

 覆しようもなく、紀ノ国寧々は挑み続ける料理人だ。

 決して挑まれる天才ではない。

 

「(だから……今日も積み重ねよう。勝つためではなく、私の……私だけの料理を積み重ねていこう。今できる、全部を形にすればいい)」

 

 調理が始まる。

 その動きは、蕎麦職人としてまさしく理想的。お手本の様に叩き込まれ、磨き抜いてきた全ての経験が垣間見えた。観客として見ていた全ての人間が思わず息を飲む。

 

 生地を捏ねる様も、麺を切る様も、その一挙手一投足に迷いがない。緊張や迷い、躊躇いもなく行われていくその姿は、彼女が積み重ねてきた全て。

 

「ほぅ……」

 

 それを見ていた審査員達も、彼女の実力は一料理人として非常に高い領域にあると確信する。薙切真凪ですら、感心するような笑みを見せた。

 

 彼女が今回の蕎麦打ちで選んだ蕎麦粉は一番粉。

 昔ながらの蕎麦打ちによく使用され、完成時の香り高さも非常に優れた代物である。無論香りというのは環境にも作用されるものだが、ここは空調がしっかり調整された遠月学園内の会場であり、時期的にも秋終盤。問題は何もない。

 彼女は更にかき揚げを作り出す。

 蕎麦に対してかき揚げというのは、王道も王道の組み合わせだろう。これ以上なくシンプルで、小細工など何もない品を作っていた。

 

 それでいいのだ―――こと蕎麦作りにおいて、彼女に小細工など必要ない。

 積み重ねてきたものを出すだけでいい。

 

「凄い……紀ノ国先輩の動き……」

 

 恵が呟く。

 恵だけではない。控えのスペースで見ていた両陣営の選手たちも感じ始めていた。

 寧々の動きに見覚えがあるような、そんな気がしたのである。そしてその正体に気付いた者から、各々違った反応を見せた。

 

「あれはまるで……まるで黒瀬みたいだな……」

「……ふん」

 

 そう、その無駄のない効率的な調理姿はまさしく―――黒瀬恋を彷彿とさせた。

 司の呟きに、不愉快そうに鼻を鳴らすもも。認めたくはないのだろうが、ももですら認めざるを得ないほどなのだ。

 言うまでもなく、黒瀬恋と紀ノ国寧々は同種の人間だ。才に恵まれずとも、努力と経験によって己を磨いてきた料理人。その度合いは違うが、それでも走ってきた道は同じなのである。

 

 つまり、技術を突き詰めてきた寧々が辿り着く場所もまた、黒瀬恋と同じ。

 

「黒瀬程とは言わないが、こと蕎麦打ちに関して、その動きに一切の無駄がねぇ。こりゃ恐れ入ったなぁ」

 

 普段はおどけた様子でいる竜胆ですら、研ぎ澄まされた雰囲気で料理を進めていく紀ノ国寧々の姿に感心の声を漏らす。惚れ惚れするほどだ。

 

「相手の得意料理に加えて、こんな相手に幸平は勝てるのか……?」

「難しいかもしれないわね……」

 

 だが、そうなると対する創真への関心も寄せられる。

 蕎麦打ちの実力差は歴然。相手の慢心は欠片もない。そんな状態で幸平創真が勝つ道筋がどれほど残されているのかと。

 葉山の呟きに対し、アリスが苦い顔で応える。

 

 そうして視線を向けられた先、幸平創真は―――製麺機で蕎麦を作っていた。

 

「……やー、最近の製麺機ってのは便利だな。手軽に麺が作れる」

 

 くるくるとレバーを回せば、ところてんの様に綺麗に切りそろえられた麺がにゅるにゅると精製されていく。その姿に何やってんだあのアホは思う生徒も多かったが、そもそも蕎麦の手打ちは本当に優れた職人でなければ逆に不味い代物になりかねない。そう考えると、製麺機で麺を作るというのはあながち間違った選択ではないのだ。

 

 それに、創真の調理の中で注目すべきは麺づくりの工程ではない。

 

 よく見てみれば、不自然に使われている複数の鍋が見受けられた。寧々の様にかき揚げを作っているというわけではなさそうだが、蕎麦作りよりも手の凝んだ何かがそこにあるようだった。

 そしてなにより、創真の表情が尚も楽しそうに笑みを作っている。

 

「……そんなタマじゃねぇな、幸平は」

「ハ、そういや、この程度で折れる様な奴じゃなかった……この二週間で嫌というほど思い知らされたからな」

 

 葉山と黒木場が、そんな創真の様子を見て思い直す。

 勝てる勝てないで戦っているわけではないことを。厨房に立ったなら、己の料理に全てを注ぐこと以外にすべきことなんてない。

 

「大丈夫だよ―――創真君なら、きっと負けない」

 

 そして紀ノ国寧々の料理を見て凄いと漏らした田所恵が、確信するようにそう言い切る。この中で最も怖気づきそうだった気弱な彼女が、なにより幸平創真という料理人の勝利を信じている。

 

 不意に恵と創真の目が合った。

 

「―――」

「―――」

 

 その一瞬のアイコンタクトで、創真の笑みはより闘志に燃え、恵の表情もふと和らぐ。通じ合っているようなその一瞬のやりとりは、何処か月饗祭の時の恋とえりなを彷彿とさせた。

 

「……ねぇ、あの二人付き合ってると思う? 今の見た?」

「いや知らねぇよ……けどまぁ……時間の問題だろ」

「俺としては幸平ちんと田所ちんは結構相性良いと思うけどね~」

「創真君と田所君は出会ってからほとんどずっと一緒にいるからね! もしくっついたとしても、僕は大いに祝福するよ!」

「一色先輩ならそう言うでしょうね」

 

 そんな二人を見て、こそこそと野次馬話を繰り広げる保守派の面々。

 まるで恋愛に興味がなさそうだった創真が、田所恵にだけ見せたあの表情の意味は果たして……気になってしまうのは当然である。

 

 とはいえ、その辺は追々追求することにしたらしく、一頻り話した後はまた戦いの行方を眺める姿勢へと戻ってきた。

 

「……そろそろ、両者共完成しそうだね」

「一体どんな品を―――」

 

 その瞬間、別の場所からどよめきが生まれた。

 そちらに視線を向けると、イタリアンという題材で勝負を行っていた恋と石動賦堂の方にも動きがあったらしい。見れば石動賦堂も黒瀬恋も、イタリアンの王道パスタでの勝負をしているようだった。

 互いに麺を茹で、それぞれの調理を進めている。

 

 イタリアンにおいてパスタとは、小麦粉を使って作られた食品全ての総称だ。その種類は多岐に渡り、一般的なスパゲティの他にも、フェットチーネ、リングィーネ、ペンネ、マカロニ、ラザニア……その全てがパスタなのである。

 

「流石だな……イタリアンを得意としているだけあって、石動先輩の動きは洗練されている」

「アルディーニがそう言うってことは、相当なんだな……」

 

 観客席にいたタクミが石動の動きを見てそう呟けば、隣にいた水戸郁魅が歯噛みする。繰り上がりで十傑に入ったと言っても、彼は一度二年生最強の座に立った男だ。凡庸な手合いではないのは紛れもない事実である。

 だが、それでもタクミは焦る様子もなく笑みを浮かべた。

 

「だが、それでも恋の相手ではない」

「? どういうことだ?」

「イタリアンにおいてパスタの重要な点は、いかにして優秀なアルデンテに仕上げるかだ。芯を残し、歯ごたえの残る麺に仕上げる為には、茹で時間が非常に重要になってくる。更に言えば、パスタの種類にもよるが、茹でた後にソースと絡める工程がある以上、麺には茹でた後もずっと熱が通り続ける……市販のパスタ麺のパッケージ書いてあるような茹で時間で作れば、完成時には柔らかすぎる麺になってしまうことも多いんだ」

「てことは、作るパスタによって茹で時間も多岐に渡るってことか?」

「ああ、カルボナーラ、ナポリタン、ペペロンチーノ、様々なパスタによって茹で時間を経験と感覚で調整する。イタリアンは非常にシンプルかつ豪快な品も多いが、非常に繊細な感覚が必要なんだ」

 

 本場イタリアで店を構えていたタクミの言葉に、郁魅はなるほどと頷いた。

 

「だがそれで黒瀬が勝つってどうして言えるんだよ?」

「……俺はかつて奴と共にスタジエールで働いたことがある。従者喫茶というお世辞にも料理をメインに売っている店ではなかったが……その中のメニューにはナポリタンやカルボナーラといったパスタも含まれていた。まぁ、ナポリタンは日本発祥だが……」

「!」

「店を回しながらだが、奴の作ったパスタは本場イタリアンに十分以上に通用する代物だったよ。ともすれば、この俺すら上回る技量の持ち主だ。流石と言わざるを得ない」

「じゃあ……」

「ああ、そんな奴が店の回転も何も考慮せず、ただ一皿のパスタに集中して作った時、いかに石動先輩がイタリアンの名手であっても―――俺は敗北するイメージが浮かばないな」

 

 息を飲んだ郁魅は再度恋の方を見る。

 無駄のない調理は当然の如く。

 この戦いで大将を務める前人未踏の道を歩む料理人は、いつもの様に、目の前の皿に全てを懸けていた。

 

 

 




そう、ここは北海道ではない。
原作紀ノ国寧々が敗北した要因はないのです。創真、どう戦うのか。
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八十六話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 創真と寧々の料理が完成した段階で、恋と賦堂の調理も終盤に差し掛かっていた。

 互いに作っている料理の完成形が見えてくると、周囲で見ていた生徒達や審査員達もそれに適した期待を抱き始める。

 奇しくもその対決内容は、創真と寧々の料理対決と対照的かつ似通った形となっていた。

 

 基礎と磨き抜かれた技術によって作られる寧々の江戸蕎麦に対する、創意工夫と自分らしさを追求して追いすがる創真。

 それと同様かつ対照的に、基礎と磨いてきた得意分野で戦う賦堂に対し、ありとあらゆる基礎と磨き抜かれた調理技術で他を圧倒する恋。

 

 どちらも磨き抜かれた技術を振るう者と、己のフィールドで皿を構築する者との戦いという構図になっているのだ。但し、所属するチームはあべこべに。

 

 勝負の形としては面白い形だと思う審査員達を他所に、まずは先に完成した創真と寧々の審査へと移行する。

 

「まずは紀ノ国さんの方からですね……なるほど、調理過程の動きから既に高い完成度を期待していましたが、これは想像以上の完成度……食べずとも香り立つ蕎麦の匂いが、貴女の蕎麦打ちの技術力を伺わせます」

「料理名は『九割そば~桜えびのかき揚げを添えて~』、です」

「作っていたのは桜えびのかき揚げか……こちらも色鮮やかで無駄のない完成度。一級品の蕎麦を隣においても負けない存在感が食欲を誘う」

 

 審査員の反応は上々。そもそも調理過程を見ていただけに高まっていた期待値を、その完成度は超えてきたようだ。香り立つ蕎麦の香り、麺の完成度、かき揚げの存在感、その全てが一つの料理として見事に調和しており、おそらく紀ノ国寧々という人物が生涯作ってきたであろう蕎麦の中でも、最高の出来であることは間違いないだろう。

 

 そしてその審査員の反応は観客の生徒達に大きなざわめきを生んだ。

 それもそうだろう。紀ノ国寧々はそもそもこの遠月学園第二学年最高位の十傑であり、立場でいえば第二学年最強の料理人だ。しかも江戸蕎麦の伝統を繋いでいる家柄の下に生まれ、そのあらゆる教えを正しく受け継いでいる。

 

 経歴は勿論、その料理人としての実力は最早疑いようがない。

 

 その彼女の料理を、WGOの執行官が賞賛したのだ。彼女の勝利を確信する者も少なくなかった。

 

「では、実食といきましょうか……」

 

 そして彼女の蕎麦を食べ始める執行官たち。

 蕎麦の食し方を知っているのだろう。しっかりと香りと共に食するように一口口に含む。するりと舌の上に乗ったその麺に、執行官たちの表情が変化した。

 

「これは……! 口に含んだ瞬間突き抜ける様な蕎麦の香りとだしつゆの香りが溶け合って、素晴らしいハーモニーを奏でています! 更には、その香りを引き出す為に使われた一番粉の蕎麦麺が、香りに負けない完成度でするりと啜れますね! なにより、この麺の透明度……一番粉で作られた蕎麦は透き通る白さとするりと啜れるのが特徴ですが、無論蕎麦打ちの技術あっての代物ですからね……ミス紀ノ国の蕎麦打ちの実力は相当ハイレベルであるといえます!」

「それにこの桜えびのかき揚げも素晴らしい! 元々衣を少なめにしてカラっと揚げるものだが、見事にサクサクとした食感と桜えびの甘さ、香ばしさを引き出している……! 蕎麦の香りとも見事にマッチして、互いが互いの味と香りを引き立たせることに成功しているぞ……! つゆに付けなくてもいいくらいの奥深い味わいだ……!!」

「日本の学生に此処までの料理人がいるとは……!!」

 

 溢れ出すような賛美の言葉に、紀ノ国寧々の表情は変わらない。いつも通り、クールな表情でそこに立っている。喜びがないわけではない―――ただそれ以上に、彼女はもう天才に憧れ、ないものねだりとちんけな承認欲求に盲目になっていない。

 己の料理を磨くことのみを追求し、天才でない自分自身に出来る最大限を発揮する。凡人にすらなれなかった己を恥じた彼女に、もう自分自身を見失うことなどありえない。

 

 少しだけ会釈をするだけで、彼女は自分の料理について語ることをしなかった。自分の料理の良い点や魅力、工夫を語ることは、蛇足だと思ったのだろう。

 

「箸が止まらない……! これほど味わい深いというのに、するりと食べられることで無限に食べていたいと思うほどだ!」

「まるで体内に芸術を取り込んだような感動――――!」

「これが古くから伝わる伝統の味……これから先もずっと―――」

 

 

『"そば"にあってほしい―――!!』

 

 

 三人の執行官は腹の奥に感動を取り込んだような衝撃に、心を丸裸にされてしまったような気分だった。

 最早彼女の勝利を疑う者は一人もいないだろう。恋側のメンバーも、これほどクリティカルな品を出されては、蕎麦打ちの技術でも負けている創真が勝つ可能性は極僅かにもないと思わされる。

 

 だが、その観衆の思惑を無視して紀ノ国寧々は後に控えていた創真に向かって口を開いた。

 

「これが私の全力……貴方がどんな料理を出すか分かっていたとしても、貴方が私以上の蕎麦打ち職人だったとしても、私は迷わずこの品を出す。勝てるというのなら、やってみなさい」

「……ハハッ、紀ノ国先輩……言うことまで黒瀬みたいっすね。そこまで言われちゃ、俺も燃えないわけにはいかねぇっすよ! 今度は、俺の品を見て貰いましょうか!」

 

 寧々の横を通り抜けて、感動の余韻に浸る執行官たちの前に自身の品を出す創真。執行官たちは今半端な品を求めていない口になっていることもあって、創真の料理の審査に少し億劫になっているような表情だったが、目の前に出されたものを見て驚きに目を見開いた。

 

「こ、これは……!!」

 

 そこにあったのは、蕎麦というにはバラエティ豊かな料理だった。

 そうめんのように一玉ずつ小分けにまとめられた複数種の麺と、それに合わせるように並べられた五つのつゆ皿。中には通常のだしつゆの他に、つけ麺に付ける様なつゆもあれば、豆乳を使っているような白いつゆもある。

 

 それは蕎麦というのにはいささか型破りな姿をしていた。

 

 

「名付けて――"ゆきひら流 色彩蕎麦"! おあがりよ!!」

 

 

 彼は最初にこの蕎麦というお題が出た瞬間に、正攻法で真正面からぶつかれば確実に己が敗北することを理解していた。黒瀬恋という料理人を知っている以上、蕎麦一つとはいえそれだけに打ち込んできた料理人に、付け焼刃で蕎麦を作る自分が勝れると思うほど傲慢にはなれない。

 だからこそ、彼は蕎麦というフィールドで自分らしい料理を追求した。伝統や現存する蕎麦という枠組みを超えて、自由に自分らしい皿を作ることで、伝統を打ち破ろうとしたのだ。

 

 そうして作られたのが、この料理。

 

 創真は蕎麦粉を選ぶ際、一番粉ではなく二番粉に目を付けた。

 というのも、一番粉と二番粉を併せて打った蕎麦に、『藪そば』という代物があることを知っていたからだ。これは三大蕎麦の内の一つであり、紛れもなく伝統の蕎麦料理だ。

 だからこそ彼は思いついた。

 蕎麦粉を限定するのではなく、二番粉を基調に一番粉や三番粉をブレンドすることで、歯ごたえや香り、麺の見た目が違う麺を複数作ることを。そしてそれら全ての麺に合うつゆを作り、バラエティ豊かな蕎麦の形を作り上げたのだ。

 

「……っ! 驚きました……ですが、鍛え抜かれた名刀を相手になまくらを幾ら持ってこようと、勝ることは出来ません。付け焼刃では何の意味もありませんよ?」

「そいつは……食べれば分かることでしょ? 執行官殿?」

「……それでは……」

 

 思わず面食らった執行官だったが、発想一つで越えられる程紀ノ国寧々の作った品は甘くはないと言う。だがそれでも創真の食えば分かることだという一言に一蹴され、ぐ、と言葉に詰まりながらも大人しく実食へと移る。

 

「……やはり蕎麦の香りは先ほどのミス紀ノ国のものとは雲泥の差……製麺機で作っただけあって相応のものだな」

「こちらのつゆはそれぞれ配置に対応したものを使えばいいのですか?」

「そうっすよ、それぞれの麺の下に置かれたものを使ってみてくださいっす」

「香りだけでも勝敗は明確だと思うがね……さて……」

 

 今まで食してきた蕎麦と全く違う、型破りも型破り、異色の代物に執行官たちも躊躇いを隠せなかったが、さほど期待をせず、それでも一口口に入れた。

 

 

 瞬間―――創真の作った品の真価に気付く。

 

 

「これは……! ミス紀ノ国の蕎麦ほどの香りはないにも拘らず、つゆと合わせて食すと、逆にそのほのかな香りが見事なアクセントとなって強い印象を残している……!?  これらの麺は……まさか、主役とも言える蕎麦の麺をそれぞれ一番粉、二番粉、三番粉をブレンドして、"つゆ"に合わせて作ったというのか……!?」

「その通り! 蕎麦打ちでは到底紀ノ国先輩には敵いっこない……だから俺は下手に手打ちをせず、製麺機を使った。けど、それにはもう一つ理由があったんすよ……それは、製麺機による安定した麺作りのクオリティ! それら全ての麺の完成度は、製麺機を使ったほぼ同一のクオリティ……けどだからこそ、ブレンドした蕎麦粉の差が如実に感じ取れる! そこにそれぞれの麺に合っただしつゆを作って、五種類の蕎麦を一皿に構築したってわけっす」

 

 創真の説明に、執行官だけでなく会場全体がざわめき出す。

 おそらくこの場にいる生徒達の中で、創真と同じ発想に至れるものはいなかっただろう。伝統と歴史の深い蕎麦という料理を作る時に、誰が五種類の蕎麦を作って一つにまとめようと思うのだろうか。しかも製麺機で麺を作ることそのものを利点へと昇華させてくるなど、早々思いつくことではない。

 

 これこそが、大衆料理店出身であり、自由に発想を飛ばすことに躊躇いがない創真だからこそ生み出せた蕎麦料理だった。

 

「何より驚きなのは、製麺機というハンデを背負っていながらも、完璧に配合された蕎麦粉だ……五種類全ての麺が、対応するつゆに合うよう見事に配合されている!」

「しかもこれらのつゆは本来別の料理で使われるものですね? ラーメン、うどん、つけ麺、餡掛け蕎麦、そして本来の蕎麦つゆ……貴方は蕎麦粉をブレンドして、それらをイメージして作られたつゆに合った歯ごたえや啜りやすさの麺を作り上げた。蕎麦というフィールドは一切ブレさせることなく、他の麺料理の魅力を調和させてみせたわけです」

「五種類それぞれの味と麺の違いが飽きさせない味わいを生み出している……ミス紀ノ国が一つの味を極限まで深く掘り進めた品だとすれば、ミスタ幸平の蕎麦は幾重にも重なる広がりを持たせた味わいのある品……! 全く新しい切り口から、蕎麦という料理にアプローチを仕掛けている! 非常に好奇心を擽られる一品だ……!」

 

 

『凝り固まった価値観が、粉々に打ち砕かれる―――!!!』

 

 

 ずずずと啜る執行官たちは、創真の作った複数の麺とつゆを楽しんでいた。

 味、発想、そしてそれを一皿にまとめる構築能力と実現するだけの実力―――幸平創真という料理人もまた、学生というには信じられない素質の持ち主と言わざるを得なかったのだ。

 紀ノ国寧々の蕎麦に抱いた感動とはまた別種の感動を抱いた執行官たちは、この勝負の勝敗に悩まざるを得なかった。

 

「拮抗している……蕎麦単体の完成度でいえば、ミス紀ノ国の品に軍配があがるが……ミスタ幸平の品は蕎麦という料理そのものの新境地を開拓している……どちらも甲乙つけがたかった」

「そうですね……審査する側としては苦しいですが、これは両者ドローとしか言いようがありません……!」

 

 結果、執行官が出したのはドローという前代未聞の審査だった。

 

「なっ……それじゃあこの先の戦いはどうなるんすか?」

「ドロー……つまり決着がつかなかったということ、それは相手を破ることが出来なかったという意味でもあります……故に、この場合は両者敗北ということになりますね」

「ッ……!?」

「創真君……連帯食戟の公式ルールにも……ドローの場合の規定は一応そう定められてるんだ。こればかりは仕方がないよ」

「一色先輩……」

 

 創真はその審査に納得がいかない様子だったが、傍に近づいてきていた一色に止められた。一瞬感情のままに文句を言おうとした創真だったが、これに関しては理不尽でもなんでもなく、正式なルールに則って定められた結果であることを理解する。

 

 すると小さくない溜息を吐き出しながら、頭に巻いた手ぬぐいを取った。

 

「……そうっすか」

 

 勝てなかったことを、しみじみと受け入れながら。

 

 

 

 




覚悟ガンギマリ紀ノ国先輩相手に、しかもお題が蕎麦という超不利状態で創真はよくやったと思います。
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八十七話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 創真と寧々の審査が終わり、その勝敗が両者敗北のドローとなった後、会場の興奮冷めやらぬ中、続いて恋と賦堂の勝負にも決着がつこうとしていた。

 学生料理人達の戦いにしては初戦からハイレベルな品々だったこともあり、WGOの執行官たちも今後の品に期待が高まっている。全国の美食を審査してきた彼女たちの肥えた舌は、通常時よりも美食足りうる品を求めていた。

 

 そんな中審査へと移る恋と賦堂の料理。

 

 お題はイタリアンということだったが、今回両者が作ったのは奇しくも同じパスタ料理。パッと見た感じでは、恋はシーフードパスタで賦堂はペペロンチーノを作ったようだった。

 

 互いに初見では完成度の高い見栄えをしている。

 先程の創真と寧々の対決で出てきた料理には、両者様々な工夫を凝らしていたものの、今回両者が出してきた品にはこれといって、一目見て感じ取れる以上の工夫はないようだった。

 

 そんな品を見てほんのり落胆の様な色を見せた執行官たちだが、それでも審査員としての使命は忘れていないのだろう。食す段階に入れば、その表情は真剣そのものだった。

 

「ではまずは、ミスター石動の品からいただきましょうか」

「ええ、見た目は普通のペペロンチーノだが……これはイタリアにあるアーリオ・オーリオだな」

「たっぷりのオリーブオイルとにんにく、イタリアンパセリ、にんにくの香りも相まって非常に食欲をそそるな……」

 

 各々粛々と所見を述べてから、フォークに巻いて一口舌の上に乗せる。

 そして味に集中するためか、目を閉じてゆっくり咀嚼した。

 

 会場全体がスッと静かになり、執行官達の反応を待つ。初戦からあれほどの戦いが繰り広げられたのだ、今回もどれほどの品が出たのかと期待するのは当然の反応だ。ごくり、と誰かが飲み込んだつばの音すら聞こえてきそうなほどに、緊張が走る。

 しかし、そんな期待に対して執行官達はスッと目を開くと軽く頷く程度でフォークをコトリと置いた。

 

「なるほど……ミスター賦堂、とても丁寧に作り上げられていますね」

「アーリオ・オーリオとは、パスタだけに使われるものではないが、にんにくとオリーブオイルを使ったソースのこと……通常のペペロンチーノとは僅かに異なる代物だが、しっかり乳化作業も行われているし、なによりパスタ特有のあっさりと食べられる部分を補うように、ガツンとにんにくの味が良い形でインパクトを与えてくれる」

「シンプルな品だからこそ、一つ一つの工程を雑に行えばそれはすぐに露呈する。ミスター賦堂の品は、非常に丁寧かつ料理の持ち味をしっかり引き出しているな」

 

 執行官達の口から出てきたのは、賦堂の料理を賞賛する言葉。

 だが、その言葉に反して彼女達は置いたフォークを取ることはせず、たった一口で賦堂の品を食べるのをやめてしまった。

 

 そんなもう十分だとばかりの表情に、賦堂は納得がいなかったらしい。

 

「その通り! イタリアンは俺の得意分野! 今回のアーリオ・オーリオに使ったオリーブオイルも俺が厳選し、普段から愛用しているものを使用している! にんにくの香りと味を活かし、やや固めのアルデンテに仕上げた麺とソースを絡めることで、食べ応えのある一品へと昇華させたんだ! それに―――」

「もう十分だよ、石動賦堂」

「んなっ……黒瀬てめぇ……どういうことだ!」

「そんな程度の工夫やささやかな個性は、執行官の皆さんからすればお見通しってことだ。それを語らなかったってことは、語るほどのことでもないんだよ。今お前が誇らしげに語ったことなんて」

「ッ!? て、てめぇ……!!」

「作っている時から察しはついてたよ、お前の実力は」

 

 もっと注目しろとばかりに、己の料理のあれやこれやを語る賦堂に対し、恋は遮るようにその語り口を黙らせた。そして彼の口から出てきたのは、落胆のような色。

 恋の表情からは既に、勝負は着いているとばかりに闘志が消えていた。料理を作っている時から既に勝利を確信していたのだろう―――恋は特に躊躇うこともなく、淡々と執行官達の前に己の料理をサーブした。

 

「次は俺の料理の審査をお願いします」

「……いいでしょう」

 

 そして動揺している賦堂を尻目に、恋によって賦堂の品は下げられてしまう。

 執行官達も下げられていく皿を見て、特に止めることはなかった。

 

 文句の一つを挟む暇もなく、執行官達の視線は恋の品へと向かう。

 

「ごく一般的なシーフードパスタですね。こちらもガーリックの匂いと立体的な盛り付けから食欲をそそられますね。見栄えはまさに完璧と言っても過言ではないです」

「シーフードとガーリックの香りも程よく溶け合っている。これだけでもミスタ賦堂にも劣らない丁寧な仕事が伺えるな」

「では、実食を……」

 

 所見を述べる姿は、先程の賦堂の時とほとんど同じようなテンションだった。

 しかし、同じなのはここまで――――一口食べた瞬間、執行官達の表情が変わる。

 

「これは―――!」

「なんだ……これは……? 私は一体何を食べた……?」

「言葉に出来ない……これは……!?」

 

 三人揃ってその衝撃を言葉にすることができないでいるようだった。

 至って普通に作られた突飛な工夫もない、ただのシーフードパスタ。そう、語るとすればそれが全てであり、それ以上の言葉は要らないほどにシンプルな品だった。それだけ見るなら、先程の賦堂の品とそう大差ない品とも言える。

 

 だが、明らかに賦堂の品とは何かが違っていることを、彼女達は一様に感じ取っていた。

 

「も、もう一口……!」

 

 WGOの執行官たる自分達が一口で何も理解出来なかったという事実が、彼女達の心に動揺を生む。しかしもう一口食べなければ理解出来ない以上、二口目を口にするのは仕方のないことだった。

 そして集中してもう一口放り込み、今度はゆっくりと咀嚼しながら味、食感、香り、その全てを感じ取ろうとする。

 

 そうすることでようやく、彼女達は恋と賦堂の品の違いを理解した。

 

「これは……驚きというべきか、奇跡というべきか……」

「ええ……」

「この品には、驚くべき工夫は一切ありません……まさしく理想的なレシピで作られたごく一般的なシーフードパスタです……ただ、その完成度が桁違いに高い」

 

 そう、恋がやったのは以前食戟で周藤怪を破った時と同じこと。

 普通の料理を、普通に作っただけ。調理技術に任せた力技とも言えるが、工夫を一切しないシンプルな調理技術のみで作り上げた一級品をぶつけただけなのだ。

 とはいえあれから恋も大幅に成長している。

 四宮達をして、世界に通用するとまで言わしめた恋の一級品の調理技術だ。そんな彼の成長能力はその調理技術に比例するように高い。その基礎力から一度見た技術を模倣することが容易いからだ。

 

 そして創真を始めとした同期や先輩達の発想や工夫、アイデア、経験に触れ、その全てを学習してきた彼は、今や技術以外のスキルも身に付けつつある。

 

 つまり、執行官の三人が一口目で恋の料理の評価を言葉に出来なかったのは、何の工夫もないただのシーフードパスタに、一切のダメが見つけられなかったからだ。

 

「完璧……という言葉を使うことは、料理を評価する上でないだろうと思っていましたが…………その言葉を使うに値するほどの一品でした。まさに非の打ち所がない……シーフードパスタという料理を作るに当たって、これほど理想的な皿はないと言えます。勿論人の好き嫌いはあるでしょうが、この皿からは使われた技術、調理工程、その全てにほんのささやかなミスすら感じ取れません……」

「かといって機械的というわけではない……調味料やパスタの茹で加減、味付けにおいて、人間的な調整やアプローチが存在している。一種の芸術とすら言える……!」

「ミスター黒瀬……これはわざとそうしましたね?」

 

 執行官達は恋の一皿の非常に高い完成度に驚きながらも、それ以外の要素が感じ取れないことに気付き、その原因は恋がわざとそうしたからだと見抜いた。

 質問を投げかけられた恋は頷く。

 

「はい」

「貴方の品からは、純粋に貴方の持つ高い調理技術が十全に振るわれています。結果、一般的なシーフードパスタにも拘らず、その味は非常に高い次元のものへと昇華していました。まさしく美食と呼べるほどの一品です……家庭料理のレシピも、作るものが違えばこうまで化けるものなのかと衝撃を覚えた程に……しかし、であれば貴方にはそうしない選択肢もあったはずなのです」

「確かに……ミスター黒瀬の調理技術であれば、イタリアンというお題の中で選択できるメニューは他にもあった筈……それこそ、高難易度の料理で勝負していれば、圧勝することも可能だ」

「けれどそうしなかった……それは、手加減ですか? それとも相手への侮りからですか?」

 

 執行官は恋という料理人を見定めるように問いかけた。

 恋はその視線を受け止めながら、応える。

 

「手加減をした覚えはありません。無論、侮っていたわけでもありません。俺は料理において手を抜く様なことはしませんし、出来るような余裕もない……ただ、俺もまだ模索している最中の料理人だということです」

「……模索、ですか」

「ご存じかもしれませんが、俺は味覚障害を抱えた料理人です。だからこそ技術を身に付け、此処まできました……でも、技術だけでは到達出来ない領域があることを知って、そこへ到達するためにはどうすべきなのか、ずっと模索しています。そしてこの戦いで必ずそこへ到達するつもりです―――だから、今回お出しした一品は、今日までの自分が積み重ねた全てを形にしたものです。であればメニューはシンプルであればあるほど良かった……それが理由です」

「……なるほど、確かにこれほどの一品であれば、貴方以外には作れないでしょう。まさしく、貴方の顔が見える料理……この平凡な一皿が、貴方のスペシャリテ足りえています。素直に、賞賛させていただきます」

 

 恋はこの戦いに人生の全てを懸けていると言っても過言ではない。

 薙切薊との決着以上に、薙切えりなとの未来が掛かっており、神の舌への挑戦なのだ。その戦いに勝利するためには、今のままではいられない。四宮やももが垣間見せた、己の世界を料理に内包させることが出来る領域に到達しなければならないのだ。

 

 恋だけが作り出せる、恋だけの領域に。

 

「貴方もまた、殻を破らんとする料理人ということですね」

 

 結果がモニターに映し出される。

 満場一致、黒瀬恋の勝利だった。

 

 だが納得がいかない者が一人―――石動賦堂である。

 

「なんでだよ!! 黒瀬の品が俺より上だっていうのか? そんなただのシーフードパスタの何が俺の品より勝っているというんだ!?」

 

 理解が出来ないという声色で食い下がる賦堂に、執行官は冷静に告げた。

 

「何も違いませんよ。工夫という点ではミスター賦堂の品の方が工夫されていましたし、味のインパクトという点でも、貴方の方が勝っています。丁寧な調理にも、好感が抱けます。将来有望な料理人の一人といっても良いでしょう」

「ならば何故!?」

「それでも尚、貴方の料理は学生の域を出ないのです。一料理学校の中であれば、トップクラスといっても良いかもしれませんが……一流の世界には貴方以上の料理人は履いて捨てるほどにいます。対してミスター黒瀬や先程のミス紀ノ国の品は、既に学生の域を超えていました……今回の戦いの勝敗を分けたのは、いわばプロとアマチュアの一線を越えているかどうかが明確に出たということですね」

「なっ……!」

「貴方は一度十傑に入ったからと、己を過大評価しすぎたんだよ……結局、胡坐をかいた時点で貴方は十傑の器ではなかったということです。石動先輩」

 

 恋の言葉遣いが元の丁寧なものへと戻っている。勝負が終わったからだ。

 覆らない敗北に、石動賦堂は何も言えなかった。

 

 十傑の器ではない―――その言葉が、深く深く突き刺さって。

 

 

 




恋君の積み重ねたものの集大成。そして次の領域へと進むための一歩でした。
感想お待ちしております✨





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八十八話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 恋と賦堂の食戟に決着が付いた直後。

 それを見ていた薙切真凪が不意に口を開いた。その視線の先にいたのは黒瀬恋であり、彼女の表情からは伺い知れないが、放たれた言葉からは彼への興味が滲んでいることが分かる。

 

「お前、名前は何と言ったか」

「! ……黒瀬恋です」

「黒瀬……そうか思い出した……お前、幼い頃にえりなとよく遊んでいたという少年だな? 味覚障害を抱えていたと記憶しているが……よもや此処までの料理人となっているとは驚きだ」

「! 俺のことを御存じで?」

「これでも一応は母親だ。幼かった娘の近況くらいは耳にいれていたさ……まぁ、さほど親らしいことは出来ていなかったがな」

 

 話によると、どうやら真凪は恋の存在を知っていたらしい。とはいえ耳に入った情報程度の認識のようだが、幼い頃のえりなの近況から恋についての情報は記憶していたようだ。

 恋の料理を見て一概には信じがたいと思ったようだが、それでも記憶と照らし合わせて考えた結果、同一人物だと確信する。

 

 味覚障害―――その不都合の持つ苦悩や悲しみ。真凪はこの場にいる人々の中で唯一、それをよく理解していた。

 神の舌を持つ彼女は、その味覚の超感覚故に(・・・・・)食へ絶望した者だから。薙切薊が神の舌の前に挫折した理由もそこにある。

 

 神の舌を持つ薙切母子と味覚障害の恋。

 対極の感覚器官をもつ両者は、極端な賞味感覚故に食に対して苦しんでいる。当たり前に常識的な範疇の感覚器官であれば、何も考えずに楽しめたであろう食事。しかし極端な味覚だったからこそ、料理業界において非常に高い能力をもつ存在になった。

 

「この食戟、何故薊の奴がたかだか遠月学園の一生徒と争っているのかと疑問に思っていたが……なるほどそういうことか……面白い」

「何を理解したのかはわかりませんが……この食戟、貴女も無関係じゃない。神の舌を持つ貴女とえりなちゃんを、今日この場で満足させる」

「ふん……まぁ確かに、お前の調理技術はこの場の誰よりも高いことは認めよう。調理工程や完成した品、そして執行官の評価からしてもそれは明白だ。確かに、もしやすると、この神の舌を魅了するほどの品を作るのは、味覚障害の料理人かもしれぬな」

 

 恋の言葉に笑みを浮かべてそう言う真凪の言葉には、期待の感情はなかった。そうなれば儲けもの程度の感情でしかなく、もしもそうなったのなら、今まで指折りの料理人達が成しえなかったことを、味覚障害の料理人が成すことになる―――その可能性に対する興味でしかなかった。

 現に、今回恋が作った料理に彼女は手を付けていない。それが食すに足る料理ではないと既に判断しているからだ。恋もそれを理解している。

 

「そこで見ていると良いですよ。食べたくなったら、いつでも言ってください」

「ふん、己の宿業を受けて尚その言葉を吐ける精神力は褒めてやる。まぁ小指の先程度には期待をしておいてやる」

「十分です」

「精々頑張るといい。丁度最後の食戟も決着が付いたようだしな」

 

 その言葉に厨房の方へと視線を向けると、執行官達は既に薊と叡山の品を評価し終えており、その勝敗がモニターに映し出されていた。

 

 

 勝者は、満場一致で薙切薊だった。

 

 

 とはいえ叡山は動揺や取り乱すようなこともなく、ただ敗北の事実を受け止めるように大きく天を仰ぎながら息を吐き出している。コンサル業にのめり込んでいた自分が、多少料理に真剣になったところで勝てる相手ではないと分かっていたのだろう。

 それでも彼が悔しさに表情を歪めていない所を見ると、彼は彼なりにやるべきことやりきったということだ。

 

 その証拠に。

 

「ふぅ……流石は元十傑というべきか……まさか君が此処まで腕を上げているとは思わなかったよ叡山。だが、結果は結果……君はリタイヤだ」

「……ああ、そうだな。だが目的は果たせた」

 

 そう言葉を交わす両者の額には、じんわりと汗が滲んでおり、軽く呼吸も荒くなっていた。

 

 明らかに消耗している。

 高い実力を持った料理人同士の食戟ともなれば、恋と賦堂の時とは違い、互いにぶつけなければならない品の質を可能な限り高めなければならない。大きな力に押されれば、対抗する為に大きな力を出さねばならないのと同じこと。そしてそうするためには相応の技術と集中力を発揮する必要がある。

 

 薙切薊は勝負に勝利したようだが、叡山は薊を大きく消耗させることに成功していたのだ。それはつまり、叡山が薊が消耗せざるを得ないほどの品を作り上げたということの証明に他ならない。

 そしてこの消耗こそが、叡山が後に繋げるための一手。

 薙切薊はおそらくこの後の食戟では出場してこない。だが黒瀬恋はこの後の戦いでも出場しなければならない時があるかもしれない。戦いを重ねればタフな恋といえど消耗する。

 

 だからこそ、この一戦が唯一薙切薊を消耗させることが出来る戦いだったのだ。

 叡山はそのことを理解した上で、己が出来る最大限のことをした。最終戦で戦う際に、恋にとって少しでも対等な条件で戦えるように。時間が経てばある程度は回復するかもしれないが、身体に残った疲労は完全には消えないのだから。

 

「なるほど……君を切った僕の判断は間違っていたかもしれないな。見事だよ、叡山枝津也」

「は、今更何を言ったところで変わらねぇよ。お前は今日潰される……覚悟しとけ、最後に笑うのは俺だ」

 

 そんな言葉を交わせば、両者はそれぞれの陣営に戻っていく。

 最初の創真と寧々の戦いに対し、恋と薊という両大将の見せた戦いはあまりにも静かに決着が付いた。

 

 ―――1st Bout 終了……

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それぞれの陣営の待機場所へ戻ってきた恋達と薊達は、2nd Boutまでのインターバルを前に各々の健闘を称え合い、次の戦いに向けての戦略を練り始める。

 やはりというか、その場で話題に上がったのは幸平創真の試合だった。

 

 環境、経験、技術、闘争心、あらゆる要素で圧倒的強者であった十傑の紀ノ国寧々に対し、引き分けたのだ。その事実は筆舌しがたい価値があった。

 この連帯食戟は殲滅戦だ。一戦ごとにリタイヤする者が確実に出る以上、一回のBoutごとに両陣営の数は少しずつ減っていく。

 

 今回の結果としては、恋側は一勝二敗、対して薊側も一勝二敗だ。恋と薊がそれぞれ勝利した以上、創真と寧々の勝敗がそのまま互いの有利不利を決めかねなかったのである。そんな中圧倒的優位に立っていた紀ノ国寧々に対し、引き分けた創真の功績は相当大きい。

 なにせ先の試合で圧倒的な実力を見せた二年最強の料理人、紀ノ国寧々を引き分けとはいえ共に敗退させることに成功したのだから。

 

「よくやったな幸平、まさかあの品に対して引けを取らない品を作り上げるとは思わなかったぜ」

「サンキュー葉山。まぁ、負けちまったけどな」

「だが蕎麦や寿司、串打ちなんかの技術は、磨き抜かれたものであればあるだけシンプルに超えるのは難しいもんだぜ。天才であったとしも、どれも十年単位で習熟させるものだからな……それに引き分けたってのは、結果以上の偉業といえる」

「あら、リョウ君がそこまで褒めるなんて珍しいわね」

「事実ですよお嬢……俺が幸平の立場だったとして、闘争心やアイデアだけで勝てるほど、積み上げられた純粋な技術は甘くねぇ」

「負けは負けだ……あとは、頼んだ」

 

 とはいえ、創真はこの引き分けを敗北と捉えていた。

 この連帯食戟は遠月の将来を決める戦いでもある。遠月のてっぺんを目指す料理人として、勝ち残り、この戦いを最後まで戦い抜きたいと思っていた。

 

 結果は初戦で引き分けによる敗退。

 この上なく悔しく思っていることだろう。幸平創真とはそういう男だ。

 

 葉山と黒木場。二人の料理人は創真にとっても得難いライバルと言える。実力も、才能も認めている。だからこそ、この後を任せることに何の不安もない。

 二人の肩にぽんと手を置いて、後方へと下がる。その背中に声を掛ける者はいなかった。

 

「この後、どうするんだい? 黒瀬君」

 

 創真の背中を見送りながら、あとから戻ってきた恋に振り返りながらそう問いかけるのは一色だ。食戟の結果をみれば、おそらくは最上の成果を出すことに成功した。恋はまだしも、他二戦は配色の濃い戦いにも関わらず互いに欠けた人数は同数。

 まだまだ戦力の差はない状態で、この後の戦いを行うことが出来る。だが個々人の実力で言えば、間違いなくセントラル側の戦力の方が勝っているのが現実だ。

 

 であれば2nd Boutでの戦いがこの先の流れを決めるだろう。

 慎重にならざるを得ない。

 

 だが恋はその問いに対しても悩ましい表情を見せることはせず、淡々と答えた。

 

「まず間違いなく、向こう側は最高戦力を出してくるはずです。今の勝負で互いにこの連帯食戟の主導権が握れなかった以上、俺達もセントラル側も2nd Boutは可能な限り勝ち数を得たい。なんなら三戦三勝で終わらせるのがベスト……そしてまだこの戦いが前半であることを考えれば、消耗という点でも終盤に残したい最高戦力を出すデメリットは限りなくゼロに近いですからね」

「司瑛士、小林竜胆、茜ヶ久保ももの最高戦力がそのまま出てくるとなったら、相当厳しい戦いになるね……」

「消耗を重視して、斎藤先輩が出てきてもおかしくはないですけどね」

「それでも勝率は1st Boutの比じゃないわよ? 恋君」

「だ、誰が出るんだべ?」

 

 竜胆はまだしも、司とももに関しては恋の影響もあってその実力は非常に高い領域にある。学生の領域はとうに超えており、得意分野に限れば卒業生にも比肩しうるレベルだ。

 

 特に、茜ヶ久保もも。

 

 彼女は最早十傑第四席という称号すら見劣りするレベルの料理人に成長している可能性がある。スイーツ特化の彼女ではあるが、その力は今や第一席―――司瑛士にも勝るかもしれない。

 そうなってもおかしくないほど、全力状態での調理経験と黒瀬恋への想いは彼女という料理人を変えてしまったのだ。

 

 つまり、この時代でなければ全員が第一席となっていてもおかしくはないほどの料理人達が三人相手。

 

「次は――」

「次は俺が出るよ、黒瀬ちん。司さんとは、俺がやる」

「久我先輩……」

「最高戦力を出してくるとなれば、多分司さんは確実に出てくるでしょ? 後の二人が茜ヶ久保先輩や竜胆先輩、斎藤先輩の中から出てくるとしても、ここは俺に任せてちょ」

「……分かりました、じゃあ一人は久我先輩だとして、もう一人は葉山、任せていいか?」

「ああ、いつでもいいぜ」

「残る一人はどうするの? 恋君」

「残る一人は―――!」

 

 久我、葉山とこのメンバーの中でも高い実力を持つ二人を選出したあと、恋は最後のメンバーを選出しようとしたその瞬間、背筋を走るプレッシャーに振り向いた。

 厨房ステージを挟んで向かい側。

 薊達の立っている更に奥に設置された椅子に、ぬいぐるみを抱きしめながらジッとこちらを見ている目があった。

 

 

 ―――出てこい。

 

 

 そう言っているのが分かった。

 グリーンの瞳は前髪の奥でぼんやりと確かな眼光を放っており、感情の昂ぶりを抑え込むようにして滲み出る闘志は今にも爆発しそうになっている。

 

「あと一人は…………俺が出よう」

「!? 黒瀬の連戦だと? 確かに先の戦いでテメェには対した消耗はないのかもしれねぇが、この戦いテメェが負けたら終わりなんだぞ!? 分かってんのか!」

「分かってるよ黒木場……だが、お前なら分かるだろ。あれほどのプレッシャー……無視すればどうなるか分かったもんじゃない」

「……チッ! 勝てんのか?」

「勝つしかない。お題次第ではあるけどな……それに、問題は早い内に解消するに限る」

「…………負けたら承知しねぇぞ」

 

 茜ヶ久保ももが黒瀬恋を呼んでいた。

 故に、2nd Boutのメンバーは黒瀬、久我、葉山の三名。こちらも得意分野に特化しており、その分野の勝負であれば学生の領域を超えた料理人達。おそらくは恋側が出せる最高戦力の形の一つだ。

 

 そして恋には確信があった。

 おそらく、いやまず間違いなく仕掛けてくる。

 茜ヶ久保ももは、この2nd Boutで確実に―――

 

 

 

 ―――黒瀬恋に対し、食戟を仕掛けると。

 

 

 




1st Bout終了となります!
さて、修羅場始まりますね!

感想お待ちしております!


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八十九話

感想、誤字報告、ご指摘いつもありがとうございます。


 2nd Boutを前に、一先ずのインターバル。

 

 連戦による消耗は確かに戦略の一つではあるが、食戟として最低限必要なパフォーマンスが出来る様にインターバルが設けられている。時間にしておよそ15分程度のインターバルでしかないが、その間トイレに行ったり水分補給をしたり、また次戦の作戦を練ったり、自由に使える時間だ。

 そのインターバルで、各陣営共に会場から姿を消して用意された控室に引っ込んでいる。

 審査員の面々は会場にいるものの、思い思いに1st Boutの試合を振り返りながらインターバルを過ごしていた。

 

 そんな中、同じく最終審査員に選ばれていた薙切えりなもまた、インターバルの最中お手洗いをすませて会場外の通路を歩いていた。

 本来なら恋達の陣営に顔を出したいところではあったものの、第三勢力として自身も裏で動いている手前、それをするのは憚られたらしい。少しもやもやっとした表情を浮かべながらも、濡れた手をハンカチで拭っている。

 

「―――」

「?」

 

 すると、不意に廊下の先、曲がり角の向こうから何やら話し声が聞こえてきた。

 誰の声だろうかと気になり、足音を殺すようにしてこっそり様子を伺うと、その先には二人の人影がある。背の高い人影に向かって、小さい人影が行く手を阻むように立っていた。

 

「―――恋君、次……分かってるよね?」

「……もも先輩」

「(恋君!? と、茜ヶ久保先輩……!?)」

 

 思わず覗いていた視線を切って隠れてしまうえりな。

 おそらくこの食戟を除けば、えりなが最も興味を引かれている組み合わせの二人である。恋への恋情を抱いているのは自分だけではないと、最も大きな衝撃を与えてきたのがこの茜ヶ久保ももという少女なのだ。アリスという恋敵がいることも相まって、えりなは恋との女性関係に関しては激しい焦燥を抱いている。

 

 しかも2nd Boutを前にして、この二人が何を話すというのか、それはえりなの心に大きな動揺を走らせた。

 

「ええ……次も、俺は出場する予定ですよ」

「なら、ももが前に言っていたことも受けてくれるってことでいいんだよね?」

「食戟ですか」

「そう―――お互いの人生を賭けて、ももと戦ってよ」

「(お互いの人生を賭けて!?!?)」

 

 ももの発言に、えりなは目を見開いて驚愕した。

 お互いの人生を賭けた食戟―――それはもはや食戟で賭けられるもののスケールを大きく逸脱している。遠月での三年間を終えたとして、その先の人生まで食戟委員会が管理し続けられるものではない。食戟が成立して仮にどちらかの人生がどちらかの手に委ねられたとしても、卒業後委ねられた人生においては二人の自由意志による管理になってしまう。

 

 ましてやこんな半ば人身売買のような賭け品が許されて良いはずがない。

 

「(―――いや、違う……そんなことは茜ヶ久保先輩も分かってる筈……でも、この連帯食戟の最中なら……学校の進退を賭けた食戟、遠月にいる全ての料理人の人生が掛かった食戟の中でなら、茜ヶ久保先輩の提示した食戟も罷り通ってしまう……!!)」

 

 これほどの大規模な食戟だ。スケールにおいては料理業界の未来が掛かっているといっても過言ではない。ならば二人の料理人が互いの人生を自由意志に任せて賭ける程度、麻痺した感覚で見逃されるだろう。

 

 そしてそれが決行されて、仮に恋の人生が茜ヶ久保ももの手中に落ちてしまうようなことがあれば、この食戟の根底を大きく揺るがす事態になるだろう。なにせそうなれば恋が敗北するということだから、連帯食戟自体ほぼ薊側の王手。恋達も退学になり、仮に恋が学園に残されたとしても恋はもものものだ。

 

 えりなは全てを失う可能性にゾッとしてしまった。

 

「(恋君、貴方はどうするの……?)」

 

 そんな動揺を必死に抑え込みながら、ももの言葉に対する恋の反応を伺うえりな。

 すると、そんなえりなをさておき、恋は少しの間を置いてから力強く答えた。

 

「……ええ、いいですよ。その食戟、お受けします」

「!! ……正直、こんなにすんなり受け入れてくれるとは思わなかったな」

「どうせ負けたら終わりなんですから、どちらでも同じことです」

「負けたら一生ももの傍にいて貰うことになるって、ちゃんと分かってる?」

「ええ、負けたら結局全て終わりですからね……それに、この勝負に勝てなかったとしたら、もも先輩の店で料理するのも悪くない就職先だと思いますし」

「恋君が考えているより、ずっと重たいかもしれないよ?」

「あはは、当然負ける気なんてサラサラないので―――負けた時は土下座してもも先輩の足にキスしたっていいですよ」

「ふーん……分かった、じゃあももが勝ったらあの会場のど真ん中でソレをやってもらうから、覚悟しててね」

「(会場の! ど真ん中で! 土下座して足にキスさせる!? 恋君に!?)」

 

 恋が食戟を受け入れたことに対してももは多少困惑したようだったが、恋の強気な発言に対し少しカチンときたのだろう。売り言葉に買い言葉と言わんばかりに無茶苦茶な約束を取り付けてしまった。

 もしもももが勝利してその光景が現実のものとなったのなら、仮に恋以外の面々が勝利したとしても、この連帯食戟は保守派の敗北で決定づけられてしまう。

 

 なにせ保守派代表である恋が、セントラルの一料理人に敗北し、足先に土下座キスだ。決定的以上に終わっている。

 

「―――その代わりと言ってはなんですけど」

「え?」

「(え?)」

 

 だが、そこで恋は話を終わらせなかった。

 恋がももに敗北した場合、恋の人生はもものものになり、あの会場のど真ん中で土下座キスするという条件に対する―――その代わり、とは。

 

 正直、ももとえりなは恋が何を言い出すのかと焦った。

 これだけのリスクを背負わせたのだ、その代償はどんなものになるのか想像も付かなかったのである。

 ドキドキしているももとえりなを他所に、恋はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「俺が勝ったら―――もも先輩にやって欲しいことがあるんで、断らないでくださいね」

 

 

 

 詳しくは言わない恋。

 だが詳しく言わなかったことで、ももはあらゆる可能性を考えて動揺が隠せなかった。やって欲しいこと、というからには、ももにとってそれは屈辱的なことなのかもしれないし、なんでもないことかもしれない。しかし断らないでくださいね、という言葉が、少なくともある程度ももが断る可能性がある要望であることを匂わせてくる。

 

 料理人としての何かなのか、もしくはもも個人としての何かなのか、それがはっきりしないことがももをはげしく動揺させた。

 

「な、なな、なにをさせてつもりなのっ?」

「どもってるし噛んでますが……いえ、まぁそれは勝ってから言いますよ」

「え、ええ~……」

「まぁ、しいて言えば……身体を貸してもらう? って感じですね」

「か、からだ!?」

「(恋くぅん!?!? ななななにを!?)」

 

 恋は何でもないことの様にさらりととんでもないことを言い、ももとえりなは同様に分かりやすく慌てだす。

 二人とも恋に対して恋情を抱いているとはいえ、ここまでドストレートに身体を求められたとあっては、流石に動揺もするというものだ。ましてやももとえりなはすこーしではあるが、耳年増な一面もあるので、少々脳内ピンク色な妄想が走っているらしい。

 

「それじゃ、また後程」

「ひゃっ! う、うん」

 

 恋はそんな二人を他所に、ももの肩をぽんと叩いて擦れ違う様にその場を去っていく。向かう先にはえりなが潜んでいるのだが、えりなは一本道の通路故に隠れる場所がないことを理解する。あわあわと慌てるも、すいっと曲がってきた恋はえりなの姿を見てクスリと笑った。

 

 どうやら恋はえりなの存在に気が付いていたらしい。

 

 恋に視線で促され、えりなはおずおずと歩いていく恋の隣についた。来た道を戻っていくような形になるが、結局行く場所は同じ会場だ。どういう道を行くのかは自由である。

 

「……恋君、さっきの話……茜ヶ久保先輩に言ってたのって? もし勝ったら先輩に何をさせるつもりなの?」

「ん? ああ、あの賭けの話か……いや、別に何も考えてない」

「え!?」

「だから、何も考えてないよ。ただ、頼みたいことがあるって意味深に言っただけ」

「な、なんのために!?」

 

 恋の真意について躊躇いがちに聞いたえりなだったが、恋はそこにこれといった思惑はないと答えた。驚くえりなに、恋は苦笑しながらどうしてそんなことをしたのかの真意を口にする。

 

 そこには、あくまでこの連帯食戟に勝つための戦略が秘められていた。

 

「もも先輩が俺に好意を抱いてくれているのはまぁ、分かってる。その気持ちは嬉しいとは思うし、人生ごと欲しいって言いきれるほどの気持ちは素直に凄いと思うんだ」

「え、ええ」

「だからこそ、今回はその気持ちを利用させて貰った。少し罪悪感もあるけどね……一種の揺さぶりに過ぎないけど……ああ言っておけば、もも先輩の集中力も多少揺らぐんじゃないかなって。一応俺も連戦になるわけだし、心理戦を仕掛けさせてもらったんだよ」

「……なるほど」

 

 つまり、恋はももと戦うに当たって、彼女の集中力を削ぎにいったのだ。

 個人の範疇であれば、料理人として正々堂々戦うことが恋の性分ではあったが、人生の掛かった食戟、かつ自分の置かれている立場を考えれば、己の性分を優先させるわけにもいかなかったのである。

 

 えりなはそれを聞いて、恋が今回の食戟に対し本気で勝ちに来ていることを理解した。

 もちろん、戦う上で対戦相手の料理人に対しリスペクトを持っているし、全力でぶつかり合いたいと思っていることは変わりないだろう。しかし、その上で盤外で出来る戦術や調理中に出来る戦略はしっかり使っていくことを惜しまないのだ。

 

「少しでも勝つ可能性をあげる……これは俺だけの勝負じゃないからな」

「なるほどね……」

「まぁ、人の好意に付け込んだ形になるから、あまりいい気はしないけどな」

 

 はは、と苦笑する恋の表情からは、ももの好意を利用した形になったことへの罪悪感が伺えた。えりなはそんな恋を見て、内心安堵する。

 恋がももに対して好意を抱いているからこその言動ではなかったこと、もそうだが、それ以上に恋が心理戦で相手の腕を鈍らせる策を行ったことに対し、乗り気ではなかったことに対して。

 

 勝負に飲まれたわけではなく、恋が恋のままであることが一番、安心できた。

 

「まぁ、もも先輩は強敵だから、出来ることはやっておくって感じだな」

「そう……まぁ、恋君が負けたら終わりですものね」

「当然、負ける気はサラサラないよ……もも先輩との食戟がなくとも、今日は俺の人生の全てが掛かっているしな」

 

 そんな会話をしながら、少し歩いてえりなと恋は会場へと戻っていく。

 1st Boutの熱は冷めやらぬ会場に入れば、既に準備を終えたチームメイトもおり、対面の薊達もちらほらと戻ってきていた。

 

 恋はチームメイトの下へ、えりなは審査員席の方へと別れていく。

 

「戻ったか、黒瀬」

「ああ、そろそろお題決めのくじ引きだしな」

 

 恋を迎えた葉山の言葉に、そう返す恋。

 食戟で作るお題。このお題は勝敗に大きく関わってくる。ある意味、食戟開始前の一番緊張する場面だ。

 

 そして一人、また一人と会場に戻ってくる。

 最後に戻ってきたのは、まだ動揺冷めやらぬ様子の茜ヶ久保ももだった。

 

「それでは、2nd Boutのお題決めに行きたいと思います! 今回の選出メンバーの方々、くじ引きをお願い致します!!」

 

 ももが戻ってきたと同時、お題決めのくじ引きが始まる。

 今回恋側の選出メンバーは、恋、葉山、久我。そしてセントラル側のメンバーは、司、もも、斎藤だった。どうやら竜胆は温存でいくことにしたようである。

 

「いよいよ勝負だな、黒瀬」

「そうですね、司先輩……まぁ、先輩の相手は俺じゃないですけどね」

「……みたいだな、少し残念だ」

「言っててくださいよ司さん、今日は俺が勝たせて貰いますんで」

「久我……そうだな、やる以上は俺も全力で行かせて貰うよ」

 

 火花が散る2nd Bout。

 闘志も初戦以上のメンバーが対峙し、優劣の付かなかった1st Boutを終えての戦いも熾烈なものになることを会場全体に確信させた。

 

 

 




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九十話

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 いよいよ始まった2nd Boutのお題決め。くじ引きで決まるそのお題決めをするために、両陣営の出場選手が中央ステージへと上がっていた。

 

 恋の陣営からは、黒瀬恋、葉山アキラ、久我照紀の三名。

 薊の陣営からは、司瑛士、茜ヶ久保もも、斎藤綜明の三名。

 

 1st Boutにて付かなかった優劣、この戦いの主導権(イニシアティブ)を確実に取るために、互いに最高戦力と言えるメンバーを選出している。そうでもなくとも、第一席、第四席、第五席と、第二席の小林竜胆を除けば薊側の持つ最高位のメンバーであり、この学園で生き残ってきた三年生達。

 

 一年である恋と葉山、そして二年の久我のメンバーとはいえ、単純に学年間の実力差に加えて最上位の十傑勢―――贔屓目なしに判断しても、勝算は薄いというのが観客生徒達の評価だった。

 

 そして今回の勝負の対戦カード。

 

 司瑛士VS久我照紀

 茜ヶ久保ももVS黒瀬恋

 斎藤綜明VS葉山アキラ

 

 恋が連戦ではあるが、第一席の相手が恋でなかったことは、事情を知らない者からすれば意外と言える。

 

 三組のくじ引きが順々に行われ、その中身が開封された。

 その結果は以下の通り。

 

 司と久我の食戟のお題は『緑茶』。

 ももと恋の食戟のお題は『レモン』

 斎藤と葉山の食戟のお題は『チーズ』。

 

 どれもメインで輝く様な食材ではないが、だからこそ各々の得意分野で作ることが出来る自由度の高い食材だ。なにせそれらの食材を軸にしていれば、それがメインディッシュであろうとデザートであろうとどんな国の料理であろうと、自由に作って良いのだから。

 

 1st Boutとは違い、これらのお題ではどちらの陣営にも有利不利は出ない。相手が十傑最高戦力だからこそせめてお題でのアドバンテージに恵まれればと思っていたものの、そうならなかったことに恋側の人間からは少々の落胆があった。

 

「《ではお題も決まったところで、2nd Boutの食材選びとメニュー決めの時間を――――》」

「ちょっと待って」

 

 だが、お題が決まって食材選びの時間へと移行する宣言がされようとした時、その言葉を茜ヶ久保ももの鋭い声が遮った。

 用件は勿論、食戟についてのことだろう。

 

「《えと、茜ヶ久保選手……どうしましたか?》」

「それ貸して」

「あっ!」

 

 急に呼び止めてきたももに困惑した様子の川島麗だったが、その質問にももは応えることなく彼女の手にあったマイクを奪い取った。そしてそのまま人見知りな性格は何処へ行ったのかと言わんばかりの堂々とした態度で言い放つ。

 

 

「《この2nd Bout、連帯食戟とは別で食戟を申し込みたい。私と黒瀬恋の対決で》」

 

 

 騒然となる会場。

 食戟の中で食戟を行うという所業に、という意味合いもあるが、十傑という地位にいる茜ヶ久保ももが、立場的に下にいるはずの黒瀬恋に食戟を挑むという構図に驚いているのだ。

 そもそもこの連帯食戟の勝敗が今後の料理業界を左右すると言っても良いというのに、これ以上の何を要求するつもりなのかも、事情を知らない生徒達からは想像も付かない。

 

「な、食戟ですか!?」

「《そう、既に本人の了解は得てるから、あとは正式に食戟委員会が承認すれば食戟成立》」

「で、でも、何を賭けて行うつもりなんですか!?」

 

 川島の問いかけに騒然としていた会場が一度静かになる。

 それはこの空間内で一番知りたいことだからだ。ももはその静けさの中で、何の躊躇いもなくその内容を口にした。

 

 

「《この食戟、賭けるのはお互いの人生。この勝負で私が勝ったら、私が彼の全てを貰う……!》」

 

 

 静かになったと言っても多少のざわめきは残っていた会場が、その言葉で完全にシンとなった。賭けられている品物に絶句した―――わけではない。

 

 茜ヶ久保ももは気が付いていないのだ。

 自分がどういうことを言ったのか。それが何を示しているのかも。

 

 静かになった会場の空気が、自分の想像していた雰囲気と少し違っていることに気付いたももは、小さく首を傾げた。皆が何を思って声を発せない状態にいるのか、理解出来ないでいる。

 だが、そんなももに恋が苦笑しながら歩み寄ってくると、自然を会場の視線が恋の方へと注目した。

 

「あー……もも先輩、食戟はまぁいいんですけど……まさかこんな大胆に宣言するとは思いませんでした」

「? ……なんで? 食戟をするって言っただけだけど……」

 

 恋の苦笑を見てももは尚も首を傾げる。

 自分は何もおかしなことは言っておらず、これから緊張感の中で戦いが起こる展望しか想像できない。何故こんなにも奇異な目で見られなければならないのかと、若干不機嫌になるまであった。

 

 しかし、そんな彼女に対して恋が言い放った次の一言が、勝負の空気感に浸っていたももの脳みそを完全に冷静にさせてしまう。

 

 

 

「だってもも先輩……今の言葉、食戟をするって言い変えただけで、全校生徒、かつ少なくないメディアの前で、公開プロポーズしたようなものですよ?」

 

 

 

 ももは一瞬、その言葉の意味を理解することが出来なかった。

 そして自分の言った言葉の意味を一分ほど考えると、ようやく周囲が自分を見る目の意味に気が付いたのか、今度は堂々とした態度はどこへやらといった様子で慌てだす。

 今までは話しやすく好意を抱いていた恋と一対一だったからこそ、ガンガン気持ちをオープンにしていても恥ずかしくなかったし、なにより恋なら引かずに受け止めてくれるという信頼があったのだ。

 

 けれど今回は違う。

 不特定多数―――メディアも含めれば数万人単位で見られる可能性がある場で、その気持ちを堂々と公言してしまった。なんならSNSで有名なインフルエンサーでもあるももの一大ニュースは瞬く間にSNSで呟かれ、トレンド入りしてしまう可能性も低くはない。

 

 もっと言えばこの学園の生徒、特に第一学年の生徒達の間では、黒瀬恋と薙切えりながただならぬ仲であることは周知の事実。となればこのももの発言は、薙切えりなから黒瀬恋を略奪するという行為に見えることだろう。

 食の魔王の血族である薙切えりなとパティシエ業界における規格外の天才料理人茜ヶ久保もも―――どちらもこの業界では有名な人物であり、その容姿の可憐さも相まって大勢のファンがいる。

 

 その二人が黒瀬恋というこれまた新進気鋭の料理人を取り合っているのだ。

 

 絶句した空間が生まれるのも、致し方のないことである。

 

「な……な……~~~~~!!!!」

 

 顔をトマトの様に真っ赤にした茜ヶ久保ももは、パニックに目を回してあわあわと言葉にならない声をあげた。持っていた大きなぬいぐるみのぶっちーで顔を隠し、その場に勢いよくしゃがみこんでしまった。

 どうやら事前に与えていた恋の揺さぶりを振り払う為に勝負のことに集中した結果、周りからどういう風に見えるかどうかに思考が回っていなかったらしい。恋の術中に見事にハマった結果であった。

 

 最早精神は平常ではないももを見て、恋は想像以上の打撃だったなと苦笑を漏らす。

 ともかく食戟は成立したということで話を進めるように川島に促すと、呆気に取られていた川島はももが落としたマイクを拾い上げて、こんどこそ連帯食戟の進行を続けた。

 

 食材選びの段階へと移行する。

 

 恋ともも以外の面々は居心地悪そうに食材置き場へと移動していく。恋は蹲るももに声を掛けるわけでもなく、少し短い息を吐いてから同じように食材置き場へと足を向けた。

 その数十秒後、ももは羞恥心に耐えかねてか、逃げるように会場から食材置き場へと駆け出して行った。

 

 残された会場の視線は自然、えりなへと向く。

 思いもよらぬ巻き添えを食ったえりなは、気まずそうに眼を伏せたのだった。

 

 




間隔が空いて申し訳ないです 


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九十一話

いつも感想、誤字報告、ご指摘ありがとうございます。


 2nd boutが始まってからそれぞれの調理に入った時、両陣営の調理風景は対照的というか、その様相が違っていた。

 

 セントラル側、司瑛士や茜ヶ久保もも、斎藤綜明の三人においてはそれぞれがそれぞれで調理をしているのに対し、恋側の三人はそうではない。連帯食戟は出場選手同士のサポートが許されているというルールを存分に活用し、恋が二人の調理を手伝っていた。

 

 それが意味するところはつまり、恋というサポートが入ることによる全集中状態の料理人が生まれるということに他ならない。

 久我照紀と葉山アキラ。

 両者とも今世代の玉の一つであり、類稀なる資質と実力を兼ね備えた料理人であり、その全戦力を発揮することが出来れば十傑第一席にだって届き得る傑物だ。恋という料理人がサポートをすることで彼らの集中力は全て目の前の一皿にのみ注がれる。

 

「……やはり流石だな、黒瀬……!」

「それはどうも……!」

 

 司もそれを理解し己の料理に集中するものの、やはり恋がサポートに入った十傑レベルの料理人は恐ろしいのだろう。久我や葉山の鬼気迫る底知れないプレッシャーに、身体が重くなるような感覚すら感じてしまう。

 とはいえ、それでも司は十傑第一席。

 しかも恋がサポートに入らなくとも、全集中状態に限りなく近づけるように研鑽してきている。その成果はあの小林竜胆ですら認めるほどの完成度だ―――久我がピカイチの素材だとしても、司の準全集中状態に届き得るかは分からなかった。

 

 それでも、全力を尽くすしかない。

 料理人は料理を始めた瞬間、その一皿に身を投じるしかできないのだから。

 

「―――っ」

 

 久我と司のお題は『緑茶』だ。

 フレンチが得意な司と四川料理が得意な久我。二人にとってお題によるアドバンテージはさほどない。渋みや苦味、風味の強い緑茶を使った料理となれば、やはり相応の工夫が必要になってくる。

 

 最も大事なのは、お互いの得意ジャンルにどう組み込み、昇華させていくのか。

 

「(黒瀬ちんのサポートはやっぱり超一級品だね……! 俺も出来る限りこの感覚に届くように頑張ったつもりだけど、桁違いに調子が良くなっていくのがわかる……!)」

 

 そんな中、久我は自分の調理がイメージ通りに進んでいく感覚に苦虫を嚙み潰すように笑みを浮かべていた。調子が良いことが嬉しいやら、悔しいやら、複雑な気持ちだったからだ。

 けれど、恋は調理には一切手を加えていない。久我がそう頼んだからだ。

 調理工程に合わせた調理環境の変化、それにのみ注力しており、それによって久我の調理は一切のノッキングを起こすことなく進んでいく。

 

 複雑な感情も、調理が進んでいけばすぐに集中が押し流してくれた。

 

「(でも、司さんの料理は数段上にある―――もっと、もっと集中しろ……出来る限りを尽くすんだ……!!)」

「(久我から凄まじいプレッシャーを感じる。下手すれば食い破られかねない気配だ……黒瀬のサポートのおかげ、だけじゃないな、これは……!)」

 

 久我が更にもう一段集中を深くした瞬間、そのプレッシャーに司は恋のサポートの力だけではないと確信する。久我照紀自身の実力が、自分の知っているものよりずっと洗練されているのだ。

 おそらく、恋のサポートがなくとも十席上位に食い込んでくる可能性が、今の久我には感じられた。

 

「(面白い……だが、それでも負けるつもりはない……さぁ―――)」

 

 それでも司は笑みを浮かべて、そのプレッシャーの中凛と立つ。

 己の調理へと意識を集中し、いつものように、食材に対して語り掛けていく。

 

 

「(―――俺の皿に宿っておくれ……!)」

 

 

 司瑛士の料理は、恋というサポートを失くしてもなお、限界までその領域へと手を伸ばしていく。どこまでも食材へと真摯に向き合い、己の存在を消していく。

 今度は逆に、司の放つプレッシャーが膨れ上がったことで久我の身体がズンと重圧を感じる。恋のサポートを受けながらも押しつぶされてしまいそうなそのプレッシャーに、久我は歯を食いしばった。

 

 負けたくない―――その意志だけで、グッと足に力を込めて立つ。

 

「ぐっ……!」

 

 だが、集中が途切れてしまいそうなほどの重圧に飲まれてしまいそうになる。

 まずい、そう思った瞬間。

 

「久我先輩」

「!」

 

 恋が一声だけ、名前を呼んだ。

 ハッとなり、久我は恋に視線を向ける。恋は自分の調理を進めながらも、葉山のサポートをしながらも、久我の視線に一瞬だけ視線を向けた。ばちっとぶつかる視線に、久我は恋が何を言いたいのかを理解する。

 

 プレッシャーに惑わされてはいけない。

 やるべきことはたった一つ―――今の自分の全てを更に注ぐこと。

 

「(あとはやるしかないってことだね……黒瀬ちん!)」 

 

 歯を食いしばって笑う久我は、プレッシャーの中であってもやるべきことは一つしかないということを改めて理解する。司の実力が高いことは既に分かり切っていること……だがそれ以上のことはない。

 今できることを全力でやることに尽力するしかないのである。

 

 久我の集中が更に深くなった。

 プレッシャーとプレッシャーがぶつかり合って、火花が散っているような錯覚すら覚えるほど。

 

「此処で勝つんだ―――あんたに」

 

 それでも、久我が無意識に漏らしたその言葉が、その火花を錯覚ではないと思わせた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方そんな二、三年の火花が散っている中、葉山アキラと斎藤綜明も調理の中で互いに闘志を燃やしていた。

 こちらも恋によるブーストが掛かった葉山の放つプレッシャーは相当なもので、初めて恋のサポート能力を目の当たりにした斎藤は、その圧に冷や汗すら感じている。司やももと違い、彼は恋という料理人の実力や能力に関しては噂に聞いていた程度で、さほど実感を持っていなかったのだ。

 

 普段はさながら武士の様に冷静で、落ち着いた余裕を感じさせる振舞いをする斎藤。調理中はまるで武士が一本の名刀を振るっているかのような熟練感を感じさせる彼だが、今はまるで斬ることの出来ない巨岩を前にしているような、そんな感覚だった。

 

「(1st Boutではその全力を見ることは敵わなかった故に、黒瀬恋がこれほどの力を秘めているとは想定外だな……! まして相手は今年の秋の選抜優勝者……なるほど、これは司や竜胆が注目するわけだ……!)」

「(十傑第五席、斎藤綜明先輩―――黒瀬の力を侮っていたらしいな……闘志がぶれてるぜ!!)」

 

 そしてその感覚はそのまま揺らがぬ精神に僅かな隙を生んでいた。

 天性の嗅覚と調理センスを持ち、神の舌に届き得る資質とすら謳われる葉山の集中力が加速していく中、その僅かな隙が料理のクオリティに大きな差を作り出す。

 

 まして今回二人の調理のお題は『チーズ』。

 

 あらゆるジャンルの料理で使われる汎用性の高い食材であり、匂いや味の存在感も大きい食材だ。久我達同様、得意な料理ジャンルにおけるアドバンテージはほぼ対等。だが単品で香り、味の存在感が大きいという点において、香りという研ぎ澄まされた武器を扱う葉山の方が、明らかに有利といえた。

 

「(くっ……明らかに心が揺らいでいる……! この重圧、飲まれかねない……ならば)」

「!」

 

 しかし、それでも流石は歴戦の三年生というべきだろうか。

 恋によるサポートを受けた全力状態の葉山が放つプレッシャー。それに飲まれそうになる自分を自覚し、一度調理の手を止めた。

 

「すぅーーー……ふーーー……」

 

 そして目を閉じ、数秒の一呼吸を入れる。

 そうして目を開いた時、彼の精神に乱れは存在しなかった。

 

 無理に揺らいだ精神状態で調理を進めるのではなく、しっかりと立ち止まって仕切り直す冷静さ。普段から目を閉じた姿を見ることが多い彼だが、呼吸の後に見せたまぶたの奥―――鋭い眼光が本気の闘志を滲ませている。

 

「……は、上等……!」

「ここからだ……!」

 

 そんな彼に葉山は更に意識を料理に集中させ、次第に表情も無表情になっていく。

 感情も思考も、筋肉の隅々までが料理をすることに没頭し始めたのだ。料理に関係ない筋肉は緩んでいき、料理に必要な筋肉が繊細に動く。

 

 感覚が研ぎ澄まされ、極限の集中状態は葉山の嗅覚を更に一段上の次元へと引き上げる。

 

 

 ―――すん

 

 

 鼻が空気を、匂いを吸い込むその一嗅ぎの音が、葉山の料理をより高みへと押し上げていた。

 

 この瞬間、恋は葉山の料理人としての資質が完全に開花したことを理解した。恋がサポートすることによって、彼がこの一時のみ入った極限の集中状態が、葉山の天性の嗅覚と組み合うことで、想像以上の力を発揮させることに成功していたのだ。

 

「悪いな斎藤先輩―――この勝負、俺の勝ちは揺るがねぇ」

 

 それは料理を完成させた時、葉山の言葉にあった底知れぬ確信が証明していた。

 

 

 




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九十二話

大変お待たせしました。
投稿頻度が月に一二回程度になるかもしれませんが、何卒今後ともよろしくお願いいたします。


 2nd boutが開始して、葉山・斎藤、久我・司の二組の戦いが繰り広げられる中、中央に向かい合う様に設置された厨房に立つ二人の料理人もまた、その腕を振るっていた。

 

 黒瀬恋と茜ヶ久保もも。

 

 今回の連帯食戟とは別で人生を賭けた食戟を行う二人。

 調理開始前、各メディアも通した公開プロポーズを行い精神的に激しく動揺していたももだったが、調理に入った瞬間からはその動揺は一切表情から消え去っていた。恋の仕掛けた揺さぶりもものともしない執念がそこにはあるのだろう。

 『レモン』というスイーツにはもってこいのお題を前に、茜ヶ久保ももの実力とセンスは遺憾なく発揮されていた。全ての動作、調理工程、なにもかもがパーフェクト。

 

 的確に進んでいく調理風景は、完成していく料理の完成図に期待を寄せる視線を集め、彼女の一挙手一投足から感じる技量の高さは最早学生の領域を超えていると確信させた。

 

「(恋君―――ももは、負けないよ)」

 

 彼女の目の前で同じように料理をする恋にちらりと視線を送る。

 セントラル側と違い、反抗勢力である恋達のチームは他二人のサポートを恋が行いながら料理を進めている。つまり恋はお荷物を抱えた状態で戦っているに等しい。

 

 ももはそれが気に食わなかった。

 自分の料理を如何に可愛く、如何に素晴らしく仕上げるか、それが全ての料理において、他人の世話を焼きながら料理をするなんてナンセンス。ももにとってはまず論外だ。

 

 料理人は、己の料理に心血を注ぎ、己の料理で高みへと昇っていくもの。

 

 そう考えるからこそ、ももは高い技術を持っているにも拘らず、格下を支える恋の姿に苛立ちを覚えてしまう。

 それは自分の様な料理人に使ってこそ相応しい力であると。そんなところで埃を被っていていいものではないのだと。

 

 何より、黒瀬恋という男の隣にいるのは、自分自身であると言いたくて。

 

「ふぅ……次は―――」

 

 作業速度は加速する。

 黒瀬恋への執着と、己の料理に対する絶対の自信が、彼女をどこまでも突き進ませる。意識は目の前の作業に集中していき、彼女の脳内に広がる広大な世界観が集約されていく。

 

 今この瞬間、茜ヶ久保ももという料理人の立つステージを更に引き上げていた。それこそ第一席である司瑛士すら凌ぐかもしれないと思わせるほどのプレッシャーを放ち、会場内の観客の目を引き寄せてしまう。

 出来上がっていく工程、無駄なく動く小さな身体、そのくせ誰よりも力強い気迫を秘めた瞳、その全てが可憐だった。大胆で、繊細で、美しい。

 

「―――……すげぇ」

 

 誰かがそう零した。

 その言葉は、大なり小なり会場内にいた全員の心に去来した共通意識だっただろう。

 それほどに、茜ヶ久保ももは圧倒的だった。

 

 

 ―――勝てるだろう。

 

 

 もも自身にもその確信があった。このままならば、あの黒瀬恋を倒すことが出来ると。

 事実、今この瞬間もものコンディション、気力、調理工程その全てが過去最高の状態だ。己が周囲に放っているであろうプレッシャーに比べれば、恋から感じる気配は想定を超えていない。

 直感も、経験も、この瞬間の感覚も、目の前の事実も、その全てが勝利を確信していた。

 

「(恋君、その程度? そうじゃないよね―――やっぱり、お荷物を抱えているからそうなるんだよ)」

 

 チラリと恋を一瞥して、ももは落胆の色を隠せなかった。

 他二人のサポートをしている分、彼の持つリソースはやはり半減する。自分と戦うに当たって、半分の力しか己の更に注げないのだから、勝てるはずもないのだ。

 

 恋の方に一瞬向いた意識を、再度己の料理へと戻す。

 最早自分自身の勝ちは揺るがない―――黒瀬恋は此処で敗北する。

 そしてリーダーを欠いた保守派は瓦解し、この連帯食戟もセントラル側の勝利で終結するだろう。そうすれば遠月は新しい制度での学園に改革されていき、自分の手元には黒瀬恋が手に入る。

 

 めでたしめでたし、だ。

 

「(あとはこれを――――!)」

 

 

 だが、その瞬間だった。

 集中していたが故に耳に届いていなかった観客の声が大きくなり、ももに"それ"を気付かせた。

 

 歓声に視線を向けて見れば、どうやら久我の料理が完成したようだった。司の料理も同時に完成したようで、先に審査に入ろうしているのが分かる。ももは集中していたが故に感じていなかった時間経過を理解し、勝負がいよいよ終盤に入ろうとしていることを自覚する。

 

 しかし、その空気感に一瞬気が緩んだそのタイミングだった。

 まるで己を圧し潰すかのような強大なプレッシャーが降りかかってきたのは。

 

「ッ!?」

「―――お待たせしましたもも先輩」

 

 そのプレッシャーの中心にいたのは、黒瀬恋。

 彼は頬を流れる汗を手で拭いながら、金色の瞳でももに視線を送っていた。一体何が、と思ったももの視線が、不意に恋の真後ろ―――葉山の調理が終わっている事実を捉える。

 

 そう、久我と葉山の調理が今、同時に終わったのだ。

 

 それはつまり、彼らに割いていた黒瀬恋のリソースが全て戻ってくることを意味する。

 

「申し訳ないですね、少し大変でしたが……でも俺が調理する時間くらいは十分残せました」

「……! まさか……サポートに徹していたのは、この為だったの……!?」

「ええ……一応、俺もこっち側の頭やってるんで、俺が負けることの意味くらいは理解してますよ。けれど、だからといってこの2nd boutで得られる主導権を渡す危険性も無視できない……ならここで3勝はまだしも2勝くらいは持っていく必要がある」

「だから……早めたんだね……? ももとの勝負を除いた二組の決着を……!!」

「その通り―――きっちり勝利を捥ぎ取った上で、俺はこの食戟にも勝つつもりです」

 

 ももは気付く。恋がこの2nd boutで講じた作戦に。

 ももとの食戟……この戦いに勝つには恋も全力を出さなければならない。ましてや他二人のサポートをしながら料理をしたのでは決して勝てないことくらい、聡明な恋には当然理解出来ていた。

 けれど問題はももとの食戟は別として、連帯食戟の勝負も視野に入れなければならないということ。1st boutで優劣が付かなかったことで、2nd boutでの勝敗数は今後の勝負の流れを大きく左右する。なんなら、ここでの結果が決着に直結するといってもいい。

 

 だから恋は考えた。この2nd boutで主導権を奪いつつ、ももとの食戟に勝つための戦略を。

 

 それがこれ。

 他二人のサポートに大幅なリソースを割き、相手よりも早く料理を完成させることで、その後に恋が自分の料理を行うという方法。

 司が準集中状態に入れるようになっていたことは想定以上だったので、久我と同時に完成させては来たものの、それでも斎藤綜明は未だ完成には時間が掛かる。そしてそれは完成までに時間が掛かるスイーツを得意とするももも同じこと。

 

 此処までの流れ全てが恋の思惑通り――――そしてここからが、黒瀬恋の本領発揮。

 

「サポートしつつも、全ての下準備は終わらせました―――ここからは本気でいきます」

「……流石だね、恋君。正直、びっくりした……でも、嬉しい。こんな程度だったら、がっかりしてたよ……!!」

 

 恋とももは同時に調理を再開する。

 先程までが最高だと思っていたのに、恋のプレッシャーを感じてどこか喜びを覚えたももは、先程よりもずっと漲る気力を感じていた。自分が欲する黒瀬恋という男が、料理人が、自分の想像を超えてきたことが何より嬉しかったのだ。

 

 イメージが加速する。アイデアが溢れかえる。試行錯誤が止まらない。

 手元にある料理が何度も何度も既定の路線から外れ、より魅力的な方へ、より可愛い方へ、より美味しい方へとアレンジ、ブラッシュアップされていく。

 

「もっと、もっと可愛く――――!」

 

 それは、まるであの日の再現だった。

 月饗祭で恋と共に料理をしたあの瞬間の、まるで己の中の世界観が目の前に実体化していくような感覚。自分のイメージがそのまま現実になり、次から次へと魅力的なアイデアが溢れ出していった、あの時の。

 

 恋のサポートがある時の様に調理工程にストレスがないわけではない。無駄が一切消されていることなんてないし、当然ノッキングする瞬間はある。

 けれどそれを受けた上で、恋への想い、恋という存在が凄まじい料理人であることの事実が彼女の心を最高潮に昂らせ、自分も、と引き上げられた闘争心とテンションが一時的にあの時と同じ集中力を彼女に与えたのだ。

 

 つまり、この瞬間だけは茜ヶ久保ももは正真正銘全戦力で此処に立っている。

 この瞬間だけは、第一席司瑛士を超えているといっても良い。

 

 恋が相手だったことが、ももの心を燃やしたのである。

 

「楽しいですね――――もも先輩」

「うん、楽しいよ! 恋君……!」

 

 二人とも互いに敵同士だというのに、別の料理を作っているというのに、まるで一緒に料理をしているかのように呼応している。

 火花が散り、その迫力から空気がズンと重くなるような錯覚を、見ている者達に与えていた。

 

 調理が進んでいた筈のももに、恋の無駄のない調理技術が少しずつ追いついていく。凄まじい速度で進む調理には、まるで舞踊のような美しさがあった。

 

 

「さぁ、勝負です……もも先輩」

 

 

 そして時間は過ぎていき―――調理は終わる。

 完成した料理は、両者の目の前にあった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 見れば分かった。

 黒瀬と茜ヶ久保先輩が今、とんでもなく楽しんでいることくらい。実力が拮抗しているのか、差があるのか、それは正直判断が付かなかったけれど、それでも俺よりずっと高い領域にいることは理解出来た。

 

 得意ジャンルが何かって話じゃない。

 これは純粋に、定食屋でガキの頃から料理してきた俺とは違う道で、ちゃんと料理って奴を真剣に学んできた奴らがいて、黒瀬達はその中でもずっと高みにいる料理人なんだ。

 

 この学園に入ってきてから俺が学んできた全てを、黒瀬や薙切、十傑の料理人達は幼い頃から学んで、その知識を持って研鑽を積んできた。幾ら親父が世界的な料理人で、そこから色々と学んできたからといっても、差があって当然なんだ。

 現場での経験は俺の強みだけど、それだけで純粋な積み重ねに対抗するには限度がある。紀ノ国先輩に引き分けたのはある意味、奇跡みたいなもんだった。

 

 悔しいと思う。

 俺は勝てなかったから、もう今日の厨房に立つことはない。

 それが何より自分の実力不足が原因であることが、心底悔しくてたまらなかった。

 

「創真君?」

「ああ田所……大丈夫だよ」

「そうは見えないけど……」

「! ……まぁ、ちっとばかし堪えたけどな」

「黒瀬君のこと?」

「……色々だな。俺ももっと、鍛えねーと」

 

 そばに居た田所が心配そうな顔で俺を見ていた。

 田所が不安そうにしているのも、誰かを心配そうにしているのも、よく見る光景だ。けど、こんな風に俺を見る田所は新鮮だな。あるいは、俺自身がそうさせているなら、きっと俺は今までにない顔をしているのかもしれない。

 

 ま、やることは変わらない。これまでも、これからも。

 悔しさに歯を食いしばることはあっても、心が折れることはない。俺も、きっとあの領域にいくのだと思っているからだ。

 

 黒瀬と茜ヶ久保先輩が料理を完成させた。

 激しくぶつかり合っていたプレッシャーが静かになっていき、まるで舞台が終わりを迎えるように、楽しそうだった二人の表情は真剣そのものへと変化し、睨み合っている。

 

 今目の前で起こっている2nd bout、そして二人の食戟。

 

 その両方の決着が、付こうとしていた。

 

 

 



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九十三話

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 2nd bout出場の全料理人の料理が完成した。

 黒瀬恋と茜ヶ久保ももの品が完成した時点では、既に審査も進んでおり、まずは久我と司瑛士の品が審査される。彼らのお題の品は《緑茶》だ。

 

 そのお題で二人が作った料理は、やはりというか、お互いの得意ジャンルを活かした毛色の違うものになる。

 

 司瑛士は『4つの緑茶によるグラデーションビュレ・スープ』を作り、一方久我は『緑茶黒酢豚』を作り上げた。フランス料理と四川料理、全く違う二つのジャンルでそれぞれ作られたそれは、WGOの審査員達をして想像以上にハイレベル。

 高校生のレベルで出されていいような品では到底なかった。

 

 特に――――司瑛士の料理は、学生の領域を大きく逸脱している。

 

 久我照紀は黒瀬恋のサポートによって、正真正銘全戦力をもって調理に当たっていた。

 二学年と三学年。一年の差がありその研鑽された技量にも大きな差があることは分かっている。それでも十傑である久我の全戦力が発揮されたなら、同じ十傑であろうとも勝ることは難しくなるのだ。それほどの脅威になるのである。

 

 しかし、司瑛士はその脅威を地力で跳ねのけた。

 

 あるいは、徹底して己を消失させ、食材に食材の命をそのまま宿し昇華させるその料理スタイルであったからかもしれない。

 彼は不完全ながらも、恋がサポートに入った時の極限状態に近い集中状態になることに成功したのだ。それはももが恋への恋情からストレスを無視して没頭していったのと同じで、自身の料理を高めようという強い意志で集中が乱れないようになったのである。

 

「これは……!? なんという品だ……これでまだ学生だと……!?」

「4種の緑茶の風味を一切殺さず、極限まで生かし切っている……」

「これが今の遠月の十傑第一席……まさに珠玉の素材ですね」

 

 久我の料理を先に食した審査員達が、一気に司の料理に魅了されてしまう。極限状態の久我と準集中状態の司、その条件下であって司に軍配が上がるということは、決定的な地力の差が明白になったということ。

 そもそも久我と司の間にあった基本的な実力差が、勝敗を分けた。

 

「だが……ふぅ……流石に危うかったよ。黒瀬にばかり意識を向けていたら、足元を刈られていたかもしれない……」

 

 

 だがそれでも審査結果には出ていた。

 

 司瑛士  2

 久我照紀 1

 

「お前の闘志、プレッシャー……けして無視できないものだった。俺も全力以上を出さなければ負けていたかもしれない。前とは比べ物にならない料理だったよ」

「……」

 

 久我照紀という料理人が、過去司と対決した時よりも飛躍的に成長したいたことを。

 この対決が始まった最初、司は久我を相手にならないと思い、料理をしながらもその意識は黒瀬恋に向いていた。黒瀬恋を倒すため、また手に入れるため、司は目の前にいる相手を無視して料理していたのである。

 

 それを強引に向き合わせたのは、久我の放つプレッシャーだった。

 恋によって引き出された極限状態であったのもあるが、それ以上に久我の司を食らわんとする闘志がそうさせたのだ。そしてそれに見合うだけの実力を、久我は身に付けてきていた。

 

 その証拠に司はかなり消耗したようで、厨房に寄りかかる様にして息を整えている。頬を流れる汗は、見る者に久我が勝っていた可能性を感じさせた。

 結果は久我の敗北であり、司の勝利ではあったものの、それでも司瑛士という料理人が才能とセンスで現れた孤高の存在でなく、この遠月の凌ぎ合いで磨かれた末に生まれた存在であることを証明する結果となった。

 

 この時代の遠月は、十傑という枠組みを超えて実力のある料理人が数多くいるのだと。

 

「司さん、次は……勝ちますからね」

「ああ……またやろう。だが、次も負けないぞ、久我」

 

 握手を交わす両者。

 勝敗は決したが、それでも互いに高みを目指す料理人。再び矛を交えることもあるだろう。

 

 その時は、また全力で。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 久我と司の勝負が終わり、続いて葉山アキラと斎藤綜明の審査へと移行した時、恋とももは厨房に並んでその行方を見ていた。

 久我と司の勝負の結果を受けて、二人の表情に動揺はない。敗北に対する焦燥も、勝利に対する安堵もない。ただ粛々とその結果を受け止めている。

 

「……これでこっちの一勝だね」

「ええ、そうですね」

「けど、まさか司があんな風に消耗させられるとは思ってなかったよ。恋君のサポートあっての勝負だと思うけど、あそこまでとはね」

「久我先輩も強くなることに貪欲ですからね。少し環境を用意すれば、一気に伸びましたよ。俺も負けてられないと火が付いたくらいです」

「ふーん……ただの足手まといってわけじゃないみたいだね」

 

 久我や葉山を恋の足手まといでしかないと思っていたももだったが、どうやらそれは違うらしいと認識を改める。あの司瑛士をあそこまで消耗させ、審査でも一点を捥ぎ取っていった実力は認めざるを得なかった。

 

 だが、ももの思考は連帯食戟よりも恋との勝負に向けられている。

 己の作り上げた料理と、恋の作り上げた料理。どちらが上なのか、はっきりさせる瞬間は近い。その勝敗によって、今後恋を独占出来るか否かが決まる。

 料理が完成してしまえば、その審査の時を待つ時間こそ緊張してしまうもので、心臓の鼓動もわずかながらに速くなっているのを感じていた。

 

 自分の品に自信がないわけではない。

 むしろ今までで最高傑作と言ってもいいだろう。闘争心、集中状態、コンディション、アイデア、その全てが一つとなって理想の料理を現実のものへと作り上げたと思っている。

 誰が相手であろうと負けるだなんて欠片も思わない出来だ。

 

「恋君、ももに勝てると思ってるの?」

「勝ちますよ。そうしないと、大事なものを失うのなら」

「ふーん……大事なものって、えりにゃんのこと? それとも遠月学園のこと?」

「うーん……それもありますけど……都合が悪いんですよ、薊総帥のいう学園が実現したら」

「都合が悪い?」

 

 セントラルと反逆者連合の勝負が始まってから、なんとなくリーダーとして認識されていた黒瀬恋。事実そうだし、恋としてもその自覚はあるのだろう。

 しかし恋がどんな目的をもって戦っているのか、何を考えているのかは、深く掘り下げられていなかった。ただ純粋に、新体制での学園生活を嫌がったというだけではないのだろうか。

 

 ももは恋に詳しく話すように促す。

 すると恋はその金色の瞳で会場を見渡してから、気持ちを吐き出すように深い息でその意図を言葉にした。

 

 

「―――この生徒の数だけ、まだ学んでないことが沢山ありますから」

 

 

 その言葉に込められていたのは、この場にいる全ての料理人に対する敬意と、底の見えない向上心。恋が叶えたい夢に必要なことなのだ。彼はこの場にいる全ての料理人から学べることが失われることを嫌がったのだ。

 

 いずれ神の舌に届くように、そして届いた後にも道を迷わないように。

 

 恋は十傑だとか、遠月の頂点だとか、そんなものは見ていない。己の夢、薙切えりなに美味しいと言わせる夢を叶える為に必要ならば、十傑にもなろう、遠月の頂点にも立とう、そういう認識でしかないのだ。

 その立場や権威、名誉には何の興味もない。

 ただ必要だから、彼はそこを目指したにすぎなかったのである。

 

「……そっか」

 

 だから連帯食戟を挑んだ。

 夢を叶える為には、この遠月学園にいる十人十色な料理人達の個性、知識、技術、思考を新体制で潰されてはかなわないから。

 

 とどのつまり、黒瀬恋という料理人もまた……己の夢に忠実なのである。

 

「……ふふ、恋君のこと大人で人が出来てるなぁって思ってたけど、やっぱり年相応な部分もあるんだね」

「?」

「結局のところ、自分の目的のためにこの学園を取り上げられたくないってことでしょ? おもちゃをとりあげられたくない子供みたい。ふふふ」

「はは、そりゃそうですよ。まだ俺も高校一年生ですから―――我儘だって言いますよ」

 

 そう言って恋が破顔する。

 まるで勝負などしていないかのように、おかしいことを可笑しいとただ笑うその姿は、ここまで見てきたリーダー然とした姿とは反対に、高校一年生の少年らしかった。

 

「でも、もも先輩もそうですよ?」

「え?」

「もも先輩だって、まだ高校三年生の子供です。まだまだ俺達、大人にならなくてもいいでしょう。大人じゃない今出来ることをしなきゃ、勿体ないですよ」

 

 高校三年生ともなれば、多少なりとも最上級生としての振る舞いや明確な人格形成が成されてくる。大人になった、と言われる人も出てくるだろう。現場で多くの大人と触れ合う機会が多いこの遠月であれば、なおさら子供じみた一面は失われていくものだ。

 

 しかし、それでもまだまだ子供であることに変わりはないのだ。

 

「その割には、人生を賭けた選択をしてるみたいだけど? 味覚障害を持ってるのに料理人になるとか、ももとの食戟とか」

「大胆な選択も、無鉄砲になれるのは子供だからですよ。まだこの手の中に守るものが少ないから選べる行動もあります。俺はこれから、こんな無鉄砲さに身を委ねられなくなるくらい大事なものを、これからいっぱい手に入れていくんです」

「なるほどね……」

 

 ももは恋がここまで行ってきた全ての行動を思い返し、納得した。

 編入試験の挨拶の時からそうだった。恋の行動は大胆で、無茶で、それでもそこで必ず結果を出してきたからこそ、そのカリスマ性に人が寄ってくる。

 その根幹にあったのは、彼が自分が子供であるという自覚を持っていたことだった。

 

「おっと、今度はこっちの勝ちですね」

「……ふーん、やるじゃん」

 

 見れば審査結果が出ている。

 葉山アキラと斎藤綜明の戦いは、恋によるブーストが掛かった葉山アキラの圧勝であった。斎藤綜明に敗因があったとすれば、黒瀬恋という料理人と接点が無く、その力をよく把握していなかったことだろう。

 普段通り、いや司やももに引っ張り上げられて普段以上の力を発揮したと自負していた彼だったが、この2nd bout、黒瀬恋という存在によって底上げされていたこの食戟のレベルについてこられなかったのである。

 

 もう一度やればきっと相応の勝負を繰り広げるだろうが、この連帯食戟では敗者に次はない。

 

 そして続く恋とももの審査が始まる。

 人生を賭けた食戟の結果に、前の二戦以上の注目が集まっていた。

 

「さぁ、決着を付けましょう」

「そうだね」

 

 互いが自分の皿をサーブする為に、並んでいた二人は反対へと歩き出した。

 

 

 




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