奏でられる大地讃頌(シンフォギア×fate クロスSS) (222+KKK)
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第1話 再起動

──歌が、聞こえる。

 

 "彼"の側で奏でられる旋律は、"彼"の直上で鳴り渡る歌声は、どうしようもなく"彼"の心を揺さぶった。

 はるか昔に停止してから以降、茫洋とした感覚しか持たなかった"彼"は。その日、間違いなく意識を取り戻した。

 

──懐かしい、歌が聞こえる。

 

 それは、二人のアイドルが響かせる歌。人々を励まし、熱狂を届ける心からの調べ。

 彼女たち『ツヴァイウィング』が歌う、逆光のフリューゲル。現代のライブで歌われるナンバーだというのに、"彼"はその歌に例えようのない懐かしさを胸に抱く。

 同時に"彼"は、自分が機能の一部、とりわけ歌を聴くための思考・意識分野が起動しているという事実に気づいた。

 まるで、"彼"が歌を聴くために、歌によってその機構を取り戻したかのように。

 

 懐かしい歌を聞きながら、"彼"はどこでその歌を聞いたのか。思い出すために。自身のメモリーを遡っていく。

 

 世界に、豊かな自然に顕れた自分自身。

 ──その全身に幾何学的な模様の走る、継ぎ目のない泥のヒトガタ。頭部と思しき部分からは、長い角と豊かな体毛。

 美しき女性との長く短い語らい。

 ──人の意識を、人の世界を、そして奥底に眠る人の魂が訴える衝動が一体何なのかを教えられた。

 遙かなる冒険の日々。雄々しき怪物との戦い。

 ──あまりにも現代と隔絶した、ルル・アメルを統治するための異端技術による天災の具現。

 

 ──そして、誰よりも共に在った、友との永久の友情、そして別離。

 カストディアンに明確に反旗を翻したことによって起動した、己自身に記述されるセーフティプログラムによって泥へ還るその日までの、"彼"の記録。

 

 しかし、己の1度目の生を振り返っても、それでも"彼"は歌を思い出せなかった。

 否、"彼"のメモリーにその"歌"は記述されていない。それでも彼がそれを懐かしいと思うなら、それは即ち、システムの外に記憶していることに他ならない。

 そこまで考えたところで、記録に残らないがゆえに忘却しかけていた1つの事実を思い出した。

 

 "彼"は、自分がそもそも1度目の自分より更に前に生きていた──いわば0度目、前世とでも呼べるものがあったことを。

 

 "彼"は、前世においてはいわゆる"オタク"と呼ばれる類の人間だった。

 アニメやゲーム、そして漫画などの、いわゆるサブカルチャー系を浅く広くカバーするライトなオタク。

 "彼"の生きていた時代には珍しくもない、若者の間でも一定の市民権を得ている程度の人間だった。

 

 そんな"彼"は、オタクとしての方向性としてある程度"歌"を重視する傾向があった。

 当然、「その娯楽の内容が彼にとって面白い」ということが前提であり、その上で歌がいい作品はより素晴らしいと思う程度だったが、それでも彼は歌を大切にしていた。

 アニメソングを聴くこともあったし、ゲームのサウンドトラックを買ったりもした。

 アイドルのライブを見に行くこともあれば、ただなんとなく駅前の弾き語りの歌に足を止めることだってあった。

 

 いまも奏でられているこの歌は、その時に聞いた歌なのだろう。"彼"はただ漫然とそう考えるだけに留めていた。

 ある程度は起動しているとはいえ、ただ半覚醒しているだけの"彼"はこの"歌"が途絶えてしまえば、また元の微睡みに戻ってしまう。

 それに気づいていた、と言うよりもそうなるだろう事をシステム的に把握していた"彼"は、そこで考えることを切り上げ、歌を聞くことに注力することにした。

 

 今ここで聞いているこの歌で打ち止めであるというのなら、聞けるだけ聞いておいたほうが得には違いない。

 エネルギー的にも、"彼"の機能的にもあまり意味のない考え方から導き出されたその結論は、遥か昔に止まってしまった人間性の残滓が成した1つの選択だった。

 

 

 

「フォニックゲイン、想定内の伸び率を示しています」

 

 アイドルユニット『ツヴァイウィング』のライブ、その会場の地下には、ライブモニター室ともドーム管理室とも思えない施設が広がっていた。

 幾人もの研究者が手元のモニターに向かい数値を管理しており、彼らが何らかを研究しているということを如実に表している。

 

 その内の1人、赤い服を来た男性の隣に座る妙齢の女性は、研究員から上がった報告を聞き安堵の息をついた。

 

「成功みたいね!」

 

 お疲れ様ー☆、とその女性──櫻井了子は、実験の成功を祝う。その言葉に合わせ、研究施設内にも同様の空気が広がっていく。

 彼らは「特異災害対策機動部二課」。旧陸軍由来の特務室「風鳴機関」を前身に持つ組織であり、文字通り「特異災害」への対策を研究する政府直轄の特務機関である。

 彼らはこの地下で、特異災害への対策の研究の一環として、「歌」の持つエネルギーを用いた実験を行っていた。

 歌の持つエネルギーである「フォニックゲイン」は順調な高まりを見せ、まず実験は成功したと言ってもいい状況。

 地上では『ツヴァイウィング』が1曲目を歌い終わり、そのまま2曲目へと入ろうとしていた。

 

 その時。地下の研究施設内に唐突にけたたましい警報音が鳴り響く。個々のディスプレイ表示は赤く点灯し、何か問題が発生したことを明確に知らせている。

 赤い服を着た男、二課の司令「風鳴弦十郎」は、その警報に負けない大声で研究員たちに状況報告を急がせる。

 

「どうした!?」

 

「上昇するエネルギー内圧に、セーフティが持ちこたえられません!」

 

「このままでは聖遺物が起動、いえ、暴走してしまいます!」

 

 その場にいた全員に冷や汗が流れる。彼らが起動しようとしているそれは、強力な力をもつ完全聖遺物「ネフシュタン」。

 経年による劣化のない蛇鱗の聖遺物は、異端技術の最先端を知っている二課ですら抑えきることの不可能なほどの莫大なエネルギーを湛えたそれは、歌姫たちの力によってその姿を取り戻そうとしていた。

 

 

 

 その瞬間、ライブ会場は地獄絵図と化した。

 

 友人に誘われて、しかし友人が都合で来れなくなり1人でライブに参加していた立花響は、『ツヴァイウィング』の歌とライブをとても楽しんでいた。

 響のよく知らないアイドルユニットだったツヴァイウィング。彼女たちの歌は、その歌い始めから響の心をわしづかみにしたと言っていい。

 そして、一曲目が終わる頃には響の思いは会場中のファンと一体となり、ライブの凄さ、歌姫たちの素晴らしさを満喫していた。

 

 しかし、そこで突然会場の中心部で爆発が起きる。熱狂の歓声は阿鼻叫喚へと変わり、人々は我先にと逃げ惑う。

 更に、人々の混乱を助長するかのように砂埃の中から巨大な影が姿を見せた。

 シルエットだけなら生物のように見え、しかしその姿、彩色が既存のどの生物と似ても似つかないそれは。

 今回の実験を行った二課が対抗すべき特異災害──「ノイズ」の姿だった。

 

 ノイズだ、と誰かが叫ぶ。空間から現出するもの、巨大なノイズから溢れ出るもの。

 出現の仕方に差こそあれ、ノイズ達は一様に逃げ出す人々を襲った。

 ノイズに触れられることで体が炭となる青年。死にたくないと叫びながらノイズに囚われ、肉体が崩壊していく女性。

 接触による自壊を恐れることもなく、生き物のカタチをしただけの災害たるノイズ達は人を殺し続けた。

 

 我忘した立花響は、現実味のないままにその惨劇をただ呆然と見続けた。

 まるで悪夢となったかのような会場で、しかし彼女は歌声が響くのを聞いた。

 

(……歌ってる? あれは……ツヴァイウィングのふたり?)

 

 一種非現実的な光景を前に、立花響はただその武踊を見続け、人々を守る戦場の歌に聞き入っていた。

 

 

 

 

「飛ぶぞ翼!この場に槍と剣を携えているのは、あたしたちだけだ!」

 

「で、でも……司令からは何も……ッ奏!」

 

 ステージの上、惨劇を見ていたアイドル『ツヴァイウィング』の1人、天羽奏は相棒の返事を待たずにステージから駆け出す。

 逃げ惑う観客たちとは違い、惨劇を引き起こしたノイズたちの居る領域へと、その身を躍らせた。

 

Croitzal ronzell gungnir zizzl(人と死しても、戦士と生きる)

 

 

 

 特異災害──「ノイズ」。未だ正体が謎に包まれているそれは、人を殺し、自壊する。

 確認自体は有史以前より行われているそれらは、現代においても尚猛威を振るっている。

 ソレらが特異災害と呼ばれる理由は幾つもある。

まず、ノイズは人のみを襲い、殺害する。生物的な見目に反し相互理解を図ることは不可能であり、今まで多くの人間が犠牲になってきた。

 ノイズは接触した相手を自身とともに炭化させることで崩壊する。ソレ以外には長時間の出現によって消滅することを待つ他ない。

 そして、ノイズは人と接触するほんの僅かな時間のみ物理干渉が可能となり、通常時のノイズには全く物理的な干渉が通じない。

 そのため、まともな手段では傷をつけることは不可能である。

 結果、人類はノイズに対し、運良く実体化する瞬間に当たることを狙って弾幕を張るなどの対策しか持てなかった。

 

 しかし、特異災害対策機動部二課は不可抗の災害たるノイズに対して、対抗手段を見出していた。

 

 

 

 『ツヴァイウィング』はアイドルユニットである。しかし、只のアイドルユニットではなかった。

 

 天羽奏の全身を光が覆い、黒とオレンジのカラーリングのボディスーツを身にまとう。

 腕や脚部、頭部や腰回りに機械的なアーマーが展開され、その手には大ぶりな刃を持つ突撃槍が握られている。

 

 

 彼女たちは地下施設の人々同様特異災害対策機動部二課に所属する人類守護の戦士にして刃。

 天才・櫻井了子の提唱する「櫻井理論」に基づいて聖遺物から作成されFG式回天特機装束。

 通称「シンフォギア」を纏う「装者」。それが、特異災害対策機動部二課における彼女たちの立場であった。

 

 

 ノイズの攻撃を捌き、隙ができれば一太刀の下に切り捨てる。その胸に生まれる歌を奏でながら、天羽奏はノイズを散らしていく。

 やがて目前に迫るノイズの大群を見て、高く跳躍する。

 

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        STARDUST ∞ FOTON

 

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 眼光鋭く敵を見据え、空に歌を奏でながら、天羽奏は分裂する槍の雨を放つ。

 刃の豪雨は容易くノイズの群れを蹴散らしていく。

 

 そのまま敵群の中央に着地し、その手に握るアームドギアは回転を開始する。

 彼女のシンフォギア「ガングニール」は、すべてを穿き抉るドリルのような回転を特徴としている。

 その刃からは莫大なエネルギーが溢れ、螺旋を形取り規模を増していく。

 

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          LAST ∞ METEOR

 

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 アームドギアから発するエネルギーの暴風はやがて大規模な竜巻を生み出し、大量のノイズを蹂躙する。

 体躯が建物に比肩するであろう大型ノイズすらも、奏の一撃は容易く打ち破った。

 

 槍を振りぬいた奏は、戦場に立つもう一振りの刃である風鳴翼と合流し、お互いに連携をとってノイズの群れを切り開く。

 

 しかし、多勢に無勢というべきか、数の減らないかのようなノイズたちを前についに1つの限界が来た。

 

「……ッ! 時限式はここまでかよ!」

 

 エネルギー出力の大きく落ちた自身のシンフォギアを見て奏では悪態をつく。

 正式な適合者ではない彼女は、本来薬物投与によってシンフォギアとの適合率を高めているのだ。

 逆に言えば薬物の効果の切れている場合、彼女の力は大きく削がれてしまう。

 

「っきゃあああ!?」

 

 更に悪いことは重なる。彼女の背後から、崩れるような音と悲鳴が聞こえる。

 

 見れば、観客席にいた1人の少女が崩れた瓦礫の側で足を抑え蹲っていた。

 そこにノイズが襲いかかり、少女は恐怖に目を瞑る。

 

 天羽奏はその姿を放置できる人間ではない。ノイズを殺し、人を守っていくことを決めた彼女は、躊躇いなく少女の盾となり、ノイズの前に立ちはだかる。

 

「駆け出せっ!!」

 

 少女に振り向き、奏は言い放つ。その声を受け、少女──立花響は、立ち上がり逃げようとする。

 ノイズ達は弱っている響と奏に狙いを定めたのか、集団で突撃する。

 出力の落ちたギアでは完全に防ぐことは出来ず、奏はガングニールを欠けさせながら受け続ける。

 

 そして、如何なる運命のイタズラか、その歯車は回り始めた。

 

「ッ奏!」

 

 大型のノイズ2体も奏を狙い、ノイズを生み出す濁流を放つ。

 小型ノイズのある程度散発的な突進ですら抑えきるのが難しい状態で、連続的なノイズの攻撃は奏の体力を、ギアの装甲を著しく損耗する。

 やがてそのギアは端から砕けていき、奏を守る装甲が刻一刻とその崩壊へと近付く。

 

 そして。

 

 大きく破損したガングニールの装甲は、1つの生命に突き刺さった。

 

 立花響は、目を見開いた姿のまま、自分に何が起きたのかもわからないまま。

 自身に突き刺さったガングニールの装甲の持つ運動エネルギーのままに壁に叩きつけられ、目を閉じる。

 

 天羽奏はその瞬間を、まるで脳裏に焼き付けろと言わんばかりに鮮明に見ているだけだった。

 

 

 

「おい、死ぬな! 目を開けてくれ! ──生きるのを諦めるなッ!」

 

 立花響は、なぜ自分がこうなっているのかよくわからないままに、その声に目を開き顔を上げる。

 ぼんやりとした視界には、嬉しそうな笑顔を見せるツヴァイウィングの天羽奏の顔が映る。

 どうやら彼女は自分の体を支えてくれているらしく、体に人肌の暖かさが伝わってくる。

 

 彼女はそのまま、響の体を後ろの瓦礫へと預ける。その顔には優しい微笑みを浮かべ、槍を手に立ち上がる。

 

「いつか、心と体を全部空っぽにして。思いっきり、歌いたかったんだよな」

 

 彼女はノイズの群を前に全く気負わず、ただ歩を前へと進める。

 

「今日はこんなに沢山の連中が聞いてくれるんだ。だからあたしも──出し惜しみ無しで行く」

 

 彼女は、既にボロボロで壊れそうな槍を掲げた。

 

 

「とっておきのをくれてやる……絶唱」

 

 

 

──Gatrandis babel ziggurat edenal

 

(歌が、聞こえる。)

 

 "彼"の直上で奏でられる歌声は、どうしようもなく"彼"の魂を揺さぶった。

 先に意識を取り戻して以降、漠然と歌を聞いていた"彼"は。その日、間違いなく世界を取り戻した。

 

(魂を燃やす、歌が聞こえる。)

 

 

 "僕"は、この歌を知っている。

 "ワタシ"は、この魂を燃やす歌を知っている。

 "俺"は、彼女たちの生命の軌跡を知っている。

 

 

──Emustolronzen fine el baral zizzl

 

 

 槍の歌姫のその歌は、一節一節歌われるごとに彼を完全な起動へと導く。

 

 完全聖遺物は、経年劣化の起こしていない聖遺物である。

 欠片だけのシンフォギアと違い、その姿を現代に至るまで引き継いだ異端技術の結晶。

 

 その特徴として、一度励起すれば誰でもその力を扱えるということがある。

 つまり、励起したものは何らかの理由で停止させられない限りその力を行使し続けるということにほかならない。

 

 例えば三位一体を示す不滅の刃「デュランダル」は、起動すればその異名の通り、不滅の炉心として永遠のエネルギーを約束するだろう。

 神の裁きを回避する青銅の蛇「ネフシュタン」ならば、あらゆるダメージを受けても再生する不滅の鎧となる。

 

 しかし、現行の技術では、その扱えるエネルギー規模を考えれば真っ当な手段でそれらを励起させることは不可能に近い。

 聖遺物の覚醒には、聖遺物自身を覚醒させるだけの特殊な要素が必要となってくる。

 聖遺物の技術を取りまとめた"櫻井理論"。それを有する二課の出した答えは、「歌」である。

 特殊な波形による歌を持つもの。即ち「適合者」と呼ばれる存在が歌う歌こそ、聖遺物を起動させるために必要なのだ。

 

 

──Gatrandis babel ziggurat edenal

 

 

 "彼"は、「歌」を聞いていた。

 第3号聖遺物「ガングニール」の後天的適合者、天羽奏の最期の歌。

 シンフォギアのエネルギーすべてを開放する"絶唱"を。

 

 "彼"は、心があった。"彼"は、魂があった。

 しかし"彼"はどうしようもなく、完全たる"聖遺物"だった。

 

 神の作った原初の統括者。

 カストディアンの力を継ぎながら、黄金の魂を輝かせ、カストディアンすら魅了するほどのカリスマを持つもの。

 黄金郷の王、ルル・アメルの英雄王、"天の楔"ギルガメッシュ。

 

 ルル・アメルに完全な統治を敷くことで、余計な知恵も力も持たせない。

 そのコンセプトの下に作られた完全たる彼の王は、しかし成長するにつれ暴政を敷いた。

 英雄王は人が人であることを選び、人が成長するための機会を与える意思持つ嵐の如き存在となった。

 

 "彼"は元来、ギルガメッシュとのマッチポンプによってルル・アメルの王への依存度を高めるために作られる兵器だった。

 すべての無機物と共振し、雷や地震といった自然の猛威を意のままに操る環境操作兵器。

 適切な災害を適切に引き起こし、それを英雄王の導きで踏破する。

 民は英雄王に付き従う盲目のルル・アメルとなり、カストディアンの統治を万全とするものだった。

 しかし、ギルガメッシュはその意向を無視し、自身の正しいと思うことを行う人の統治者となった。

 

 カストディアンは英雄王の暴挙を止めるため、"彼"の機能に更に"聖遺物"をクラックする力を与えた。

 神威を縛り、技術を縛る"天の鎖"。

 バビロニアの宝物庫を統べる黄金の王に対向するために与えられた更なる力は、純粋な力だけならばカストディアンの持つ中でも有数の兵器となった。

 

 カストディアンたちの唯一の誤算とも言えない誤算は。

 その不定形なはずの泥には、存在するはずのない魂が存在していたという1点のみだった。

 どのような因果をたどったかもしれない"彼"の魂は泥に影響を与えた。

 

 "彼"は地に降り立つと、その魂の形に従い泥の形状を人に近しい形状へと固めた。

 その魂は強力な異端技術のエネルギーによって大部分が眠りについたままであったが。

 1人の女との語らいで、彼女のもつ歌を聞いて。

 その魂を、人の姿を取り戻した。

 

──Emustolronzen fine el zizzl

 

 「エルキに作られたもの」という名が示す、ルル・アメルではないモノ。

 楔を封じる鎖としての役割を放棄した、嘗て最強たり得た存在。

 そして、セーフティプログラムによって泥へと還元された、原初の人形。

 星が定めか巡り巡って、ライブ会場の建材として使用されていた"只の泥"だったはずの"彼"

 

 歌が終わり、ノイズが消滅し、天羽奏はその場に斃れた。

 

 それと同時に、最古の叙事詩に語られる、最古の英雄王の友──「エルキドゥ」は完全なカタチで再起動を果たした。



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第2話 歌を奏でるために

 惨劇の起きたライブ会場、その下層にある実験施設。

 

 ネフシュタンの暴走が引き起こした破壊により、研究者たちの大半は瓦礫に押し潰されている。

 強靭な肉体と精神を持つ風鳴弦十郎ですら、あまりのエネルギーによって気絶を余儀なくされている。

 

 それ故に、1基だけコンピュータがギリギリ稼働していることには誰も気づかない。

 そこに示されているエネルギー規模はネフシュタンのそれに比肩し、しかし全く異なるアウフヴァッヘン波形。

 

 同規模の完全聖遺物がそこにあった事を示すデータを表示していたコンピュータは、程なく新たな瓦礫に押し潰された。

 

 

 

 

 エルキドゥは、風鳴翼が天羽奏を抱きしめ涙を流している姿を目撃していた。

 未だ不定形なその肉体の、目だけを再構築して彼女たちの別離を認識する。

 

(……ダメだ)

 

 声を上げることで不用意に自分の存在が気づかれるとまずい事を本能的に察知していたエルキドゥは、声を上げずにその絶望を見やる。

 しかし、彼の胸の内に到来する感情は哀れな2人の絶望を打ち消したいという願いではなく、もっと単純なことであった。

 

(このままでは、天羽奏の歌を聞けなくなってしまう)

 

 自身を完全に起動させた魂からの歌。エルキドゥは、心から彼女の歌を聞いていたいと感じていた。

 

 嘗て自身に人の姿を、知恵を、感情を与えてくれた聖娼シャムハト。

 シャムハトの歌は自分にも伝えられ、エルキドゥは無機物との共振に歌を用いるようになる。

 歌は、聖遺物である彼にとって非常に重いものであり、あまりにも代えがたいものであった。

 

 天羽奏はシャムハトとは全く似ても似つかない。彼女の歌もまた然り。

 しかし、エルキドゥにとってそんなことは些細な事だった。

 

 ただ、歌を聞きたい。

 でも、もう聞くことは出来ない。

 

「知ってるか……翼……。思いっきり歌うとな、すっげぇ……腹、減るみたい、だ……ぞ……」

 

 天羽奏の体組織は、末端から風化を始めていく。

 聖遺物の力を全開に使用し、それを自身の肉体のみに負荷を掛けた代償。

 

 あるいは、天羽奏が先天的な適合者であれば。

 あるいは、天羽奏がアームドギアにのみその力を収束すればこのようなことは起きなかっただろう。

 

 今まさに起きようとする悲劇を目前に、エルキドゥは、その泥の肉体を会場と一体化させ始める。

 全身を音叉と変え、風を、大気を、無機物を操作する原初の機能。

 基礎設定が環境操作のための聖遺物であるエルキドゥがもつ共振能力。

 

 奏の風化した肉体が散る先を風を用いて制御し、羽のような形状のドームの屋根で絡めとる。

 その体の一欠片すら失わないように、優れた周囲との共振能力を遺憾なく発揮する。

 

 やがて。

 

 天羽奏の肉体は完全に風化し、風鳴翼の腕の中から完全に消失する。

 

「ッ奏ぇーーーーーーーーー!」

 

 風鳴翼が慟哭する。大切なモノを失った少女特有の声は、人のいないライブ会場に虚しく響いた。

 

 

 エルキドゥは、奏の遺体を回収し、自身の中で統合していく。それと並行して会場と一体化していた泥を回収し、1つの人型を構築する。

 風鳴翼にも、立花響にも見えない場所。ネフシュタンの暴走によって会場に空いた大穴の中に、その姿が表れる。

 

 その姿は、今まさしく散ったはずの天羽奏に相違ない。違う点といえば、その瞳が朱色ではなく若草色をしているという点のみ。

 その肉体も、その鎧も、手に握る(ガングニール)に至るまで。

 

 エルキドゥは"1度目"の時、自身と相対した最初の人間であるシャムハトの姿を模倣し、自身の肉体を構築した。

 泥に還り、今また再起動したエルキドゥは、"2度目"の彼にとって"最初"の人間である天羽奏の肉体を模倣した。

 

 

 これがエルキドゥのもつ特性の1つ。

 元来持たぬはずだった、カストディアンに与えられたものではない特性。

 人の魂を持って生まれてしまった不定形な泥は、自身の行動しやすい形質を突き詰める事を求めた。

 

 ただ戦うだけなら泥の肉体こそ不死不滅。しかし、腕も足も顔も体もないその泥は、彼の行動を大きく阻害してしまう。

 故に、周囲の獣を模倣し、弛まぬ金属骨を、靱やかな人工筋肉を構築  し、滑らかな擬似表皮を展開し、人であった残滓からか、頭部からグラスファイバーの毛髪を伸ばす。

 

 その結果、彼は世界に浸透する環境変動兵器から自然と調和する泥の野人へと退化した。

 

 魂を持つエルキドゥが手に入れた第3の特性、"模倣"の力は、取り込んだ天羽奏の肉体をほぼ完全に再現した。

 

 

(天羽奏の肉体はこれでいい。しかし、やはり機能が大幅に制限されてしまった)

 

 もちろん、これだけの力がなんの消費もなく使用できるわけではない。

 元来不定形、つまり形状や形質を固定するための機能がないエルキドゥがカタチを固定する。

 

 そのためには、本来の機能である"無機物との共振"と"聖遺物へのクラック"に回すエネルギーや演算野をカタチの固着に回す必要がある。

 ましてやこの肉体はただの模倣ではない。天羽奏の肉体そのものを使用した、いわば有機的な肉体である。

 無機物との共振作用は可能でも、有機体に対してはその力は働かない。

 つまり、自身の肉体だけとはいえ新しい"有機体制御"の機能を構築しなければならない。

 

 結果、惑星に直接作用するほどの能力は、精々自身の周囲1km程度に作用範囲が減衰し、その出力は大きく落ちる。

 

 

 更に、天羽奏と同じ容姿では当然目立つ。その見た目を変えないことには、現代社会ではとても活動できない。

 エルキドゥは自身の肉体をそこから更に変化させる。

 

 翼のように広がった豊かな朱い頭髪は、癖の無い長い直毛へと変わる。 その色は、瞳と同じ若草の色となっている。

 その豊かな体型は、少年と見紛うばかりのものとなる。

 全身をまとう鎧は白い貫頭衣のような布へと変化し、彼の身を覆う。

 

 新たに変化したその姿は、彼が先史文明期にもっとも良く利用していた姿によく似ている。

 シャムハトを模したその姿は、しかし嘗てと異なり、僅かながら女性としての姿を構築していた。

 

 

 新たな自身の姿を構築したエルキドゥは、その身を走らせ誰にも気配を悟らせぬようにその場を脱する。

 その心には、新たに芽生えた感情が渦巻いている。

 

(ワタシは生きている、この大地に足をおろし、風を切り世界を駆けている!)

 

 ライブ会場を脱し、街の中を駆けていく。

 街中の人々はノイズの出現に伴いシェルターへと入っており、監視カメラがこちらを見るだけである。

 しかし、無機物への共振機能をもつエルキドゥにとって自分が通る瞬間のみカメラの目を逸らすことは造作もなく。

 

 その姿を誰かに見られることもないままに、街の外れにある高台へと立つ。

 日がまさに没しようとしている。

 自身の生きていた時代とは何もかも違う、しかしその更に前の記憶では比較的馴染みのある光景。

 

 日没の美しさは何処にあっても変わらない。それを自覚した彼は歌を歌う。

 

 器物であるがゆえにフォニックゲインを作らない、がらんどうの歌。

 大地に微弱な共振運動を発生させる、大地を鳴動させるその唄は。

 

 彼が自身の再誕を祝う、バースデイソングだった。

 

 

 

 

「……よし、これで奏の肉体は大丈夫。次は唄を覚えないと」

 

 エルキドゥは、もう一度奏の歌を聞きたいと考えている。

 そのためには奏の肉体で奏の歌った歌を完全に模倣すればいいと考えていた。

 

 彼(肉体的には彼女)は、ひとしきり大地の唄を歌った後で丘を下り、ツヴァイウィングの歌を探しに行く。

 

 街にあるシェルターからはぞろぞろと人が出てきており、それぞれの家へと帰っていく。

 エルキドゥはその人混みに紛れ、ツヴァイウィングの歌を探す。

 さほど被害の出ていないこともあって店も開き始めている街中を歩き、街角にあるCDショップを見つけCDを購入する。

 支払いの硬貨は他人の持つ硬貨の見た目・組成を模倣したものであり、完全に同一な偽硬貨である。

 地味な完全犯罪を終え、試聴コーナーのプレーヤーの中身をすり替えその歌を聞く。

 

 結局のところ器物であるエルキドゥにとって、一度記録した内容を忘れることはない。

 再び街外れの丘へと戻ったエルキドゥは、その姿を再び天羽奏のそれに戻す。

 

 そして、彼の記録の中の歌を、彼の望んだ歌い手の肉体を用いて歌い上げる。

 

 抑揚、臨場感、ブレスのタイミングすら模倣したその歌は、間違いないく天羽奏の歌であった。

 少なくともこの歌をレコーディングしたCDを商品とすり替えても気付く人間はまずいないだろう、それほどの歌だった。

 

 しかし。

 

「……ッ違う! 違う違う違う!」

 

 エルキドゥは、天羽奏の声そのままに激昂し、天羽奏の肉体そのままに頭をかきむしる。

 事情を知らない人間が見れば、まるでアイドルがスランプに陥っているような光景。

 

 その瞳に激情と涙を浮かべ、彼はその姿を中性的なソレへと変化させる。

 

「どうして、どうして? 僕の歌はこれ以上ないくらいに再現したはずなのに……。なんで、こんなに違うんだ!」

 

 歌には固有波形が存在する。それは歌を歌う者によって異なり、聖遺物の起動には固有波形の一致する歌を歌える人間が必要となる。

 固有波形の決定要素には当然、その肉体なども大きく関係する。

 しかし、肉体が同じであれば起動するのかといえばそうでもない。感情が、魂がそれを起動するに当たって重要なのだ。

 

 例えば、天羽奏はそのノイズに対する執念からLiNKERを用いたとはいえガングニールを起動するに至った。

 本来とても起動に耐えうる適合系数を持たなかった彼女は、その精神から無理やり適合まで持っていくことに成功したのである。

 

 つまり──がらんどうの彼、ただ外面と知識を模倣するだけでしかない彼には天羽奏の歌を歌うことなどできるはずもなく。

 

 天羽奏の歌は、天羽奏でなければ歌えないということだ。

 

 

「──天羽奏は、死んだ。肉体は間違いなく崩壊した……。でも、だけど……」

 

 

 その肉体こそ回収することは出来たが、魂に関してエルキドゥは専門外である。

 天羽奏の魂が何処にあるのかなんて、彼にはとてもわからない。

 

 魂という要素がない、とは思わない。他ならぬ彼が、魂という要素の証拠にほかならないからだ。

 

 

「なら、きっとどこかにある。天羽奏は、その心は、きっと何処かで生きているに違いない」

 

 

 システム的な思考をするはずの聖遺物・エルキドゥは、ありえないことに、しかし自然とそう考えた。

 それが彼の前世の記憶に由来するのか、それともエルキドゥがそうであって欲しいと考えているのかまではわからない。

 だが、エルキドゥはとにかく「天羽奏の魂は存在している」と、そう結論づけたのだ。ならば、次はそれを調べる手段を知らなければならない。

 

「たしか、僕を作ったカストディアン達は魂に関わる技術も知っていたはずだ。なら、彼らの作った聖遺物を調べればそれを知ることも不可能ではないはず……」

 

 カストディアンの技術……異端技術(ブラックアート)を調べる必要がある。

 

「天羽奏は、あの時ガングニールを纏って戦っていた。風鳴翼は、天羽々斬を纏って戦っていた。そして、あの大穴にあった地下施設……」

 

 エルキドゥが肉体を再構築した時、その構築場所であるライブ会場の穴では、人が多く潰されていた。

 それに混じって端末も多く崩壊していたが、しかしデータまですべてが消えてるとは思えない。

 

 まずは、そこか。エルキドゥはそう目標を定め、一度は離れたライブ会場へと疾駆する。

 

 

(近づけない……っ!)

 

 が、付近に来た時点でライブ会場への潜入は断念することとなった。

 物々しい警備、特異災害対策起動部一課による現場の保存など。そこには多く人がいた。

 当然、それくらいならばエルキドゥは気づかれずに潜入を図ることはできる。失敗する確率こそ多少あるが、分の悪い賭けではない。

 

 その分の悪くない賭けのレートを一気に引き上げる存在がそこにいた。

 

「風鳴司令、大丈夫ですか!?」

 

「緒川か。いや、俺は問題ない。それよりも少しでも多く研究員たちを……」

 

 そこに居る二人の成人男性。いや正確に言えばそのうちの1人。

 もはやOTONAとでも表現するべき人間をはるかに超えた人間。

 

 風鳴弦十郎は、地下施設の崩壊に巻き込まれ瓦礫に潰されていたが直に復帰、現地で復興部隊の指揮を執っていた。

 

(アレは無理だ。交戦して負けるとは言わないけど、少なくとも気づかれずに潜入することは不可能って言っていい)

 

 現在の、シャムハト似の姿ではそこまで身体能力が出るわけではない。

 元来シャムハトは普通の女性。聖遺物として強化していてもそこには限界がある。

 

 彼は諦めも早く撤退し、次の手段を考え始める。

 ことここに至っては、もはやうろ覚えな前世の記憶に頼るしか無い。

 

(ええと、どうだったか……。たしか、このアニメは2期とか3期があって……)

 

 過去の記憶を辿る。うろ覚えで不正確な記憶をたどりながら、彼はデータを思い出したら今度こそ自身のメモリーに刻みつけておこうと心に誓った。

 

「!そうだ、確かアメリカにも似たような組織があった!」

 

 ピンときた。まさにそのような表現が似合うような動作とともに、彼はひとつの事実を思い出した。

 その組織の名前までは思い出せないが、そこまで思い出せればとにかく今は十分だと、彼は自身を鼓舞する。

 彼はアメリカへと向かうため、図書館で最寄りの空港を調べることにした。

 

 

 

 

 「米国連邦聖遺物研究機関(Federal Institutes of Sacrist)」通称「F.I.S.」ではその日、ある特殊なデータを確認した。

 強力な聖遺物の反応、アウフヴァッヘン波形の検出ににわかに色めきだつ。場所はバルベルデ北部。スラム街が形成されている地域である。

 

 すぐさま部隊を急行させると、そこには一人の少女が鎖の欠片をお守りのようにかかえて座り込んでいた。

 周囲には乱暴を働こうとしたであろう男たちが気を失って倒れている。少女はまるで怯えたかのような表情でそれを見ていた。

 

 そんな異常な状況で、F.I.S.の実働部隊の隊長は怯える少女を安心させるような笑顔で尋ねる。

 

「さあ、もう大丈夫だ。……これは、君がやったのかな?」

 

「ち、違います! 僕じゃ、僕じゃないんです!」

 

 震えた声で話す少女は、まるで少年のような口調でそれを否定する。

 その胸に抱える鎖の欠片は未だ強力なエネルギーを発しており、それが溢れればまた被害が出るだろう。それが異端技術(ブラックアート)の産物であることは一目見て明らかだった。

 

「いやいや、我々は君を罰したりはしないさ。ただ、事件の詳細を知りたいから君にはすこし取り調べに付き合ってもらいはするけどね。

 おっと、ずっと『君』でも問題かな? 名前、聞いてもいいかな?」

 

 異端技術(ブラックアート)を確認した隊長は偽りの笑顔を浮かべ、少女を優しく諭す。

 

「は、はい! ティーネ! ティーネ・チェルクです! ……ほ、本当に信じてくれるんですよね!」

 

 少女、ティーネ・チェルクと名乗った若草色の少女は、まるで安堵したかのような、隊長のそれより遥かに本物らしい偽りの笑顔をその顔に浮かべていた。



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第3話 天の鎖(1)

 日本で起きたライブ会場の惨劇から1ヶ月。唐突に発生した聖遺物の反応はF.I.S.を歓喜させる。

 

 F.I.S.の研究施設に運ばれたティーネ・チェルクを名乗る少女は、運ばれた先でメディカルチェックを受ける。

 その数値は内戦地域にいたとは思えないほどに健康であり、研究者たちを驚かせた。

 

 どうやら父母は内戦に巻き込まれ、既に亡き者となっているらしい。しかし、ティーネはそれでも気丈に振る舞い続けた。

 研究者たちにとってはどうでもいい事ではあったが、しかし心あるものが見れば彼女が健気で心が強いと思わせるに十分な姿だった。

 

 また、彼女の持っていた鎖の破片は調査の結果、(なかば推測できていたとはいえ)聖遺物であることがわかった。

 どのような聖遺物なのかは現在調査中ではあるが、それを暴走的な形とはいえ多少なりとも起動できたのは所持者であるティーネ・チェルクだけであった。

 

 だからこそ、この聖遺物がどういったものなのかを知るには彼女に聞く必要がある。

 

「それで、この鎖のお守りというのは誰からもらったんだね?」

 

「お母さんからです! 実家のお守りだったって……。ええっと、確か……」

 

 うーんうーん、と悩む彼女を見て、研究者は予想外に情報を知ることが出来そうだと驚いた。

 特に、彼女の地元で何らかの神秘性をもっていたという事実、はわかりやすく聖遺物の由来を知る手がかりとなる。

 

「実家? 君のお母さんの実家とは何処にあるんだい?」

 

「え、ええっと……。僕のお母さんはイラクの人なんです。たしか、昔の神話の鎖を模したものだって……」

 

 そういって少女は、鎖を模したお守りを持ち上げる。その動作に合わせ、聖遺物はじゃらりと音を鳴らす。

 

 鎖。神話において、鎖は意外と珍しいものではない。

 例えば、ペルシャの叙事詩「シャー・ナーメ」に登場する王タフムーラスは、悪神アンリ・マユを始め悪魔を鎖で繋ぎ、使役したという話がある。

 また、北欧神話には巨大な狼である「フェンリル」を縛る「グレイプニル」と呼ばれる鎖も登場する。

 獣を縛り、魔を縛る。鎖とは古来より、人が恐れるものを縛り上げ無力化するために用いられた。

 

 そしてイラク、つまりシュメール方面の神話にも、やはり鎖は登場する。

 

 

「なるほど、つまりそれは天の牡牛を縛った鎖だったわけだな」

 

「ええ、どうやらそのようです。神話において明確な名称のない鎖ですので、我々はこの聖遺物を『エルキドゥ』と呼ぶことに決定しました」

 

「エルキドゥ……牡牛を縛り上げた張本人、神エルキに作られた粘土の野人か」

 

 

 彼女(ティーネ)に対する質問を一旦切り上げた研究者は、所長のもとへ向かい調査結果を報告する。

 鎖の一欠片とはいえ、シンフォギアシステムを作るには十二分な量の聖遺物。完成すれば、そのままティーネが使用することになるだろう。

 

 一応今までティーネに外面だけとはいえ優しく対応していたためか、ティーネはこちらに隔意を抱いている様子はない。

 わざわざLiNKERを使用して装者をでっち上げるより、こちらに従ってくれる真っ当な適合者を用いた方が費用もかからない。

 

「ところで、あの、僕はこれからどうすればいいんでしょう?」

 

 別室においてけぼりにされているティーネは、そう声を上げる。

 その言葉に意識を向けた研究者は所長と目配せし、笑顔を浮かべてティーネの下へと向かう。

 

「ああ、そのことなんだけどね。君も、ノイズと呼ばれる災害は知っているだろう? 我々はノイズに対向するための力を研究していてね。──どうだろう、君さえ良ければ我々に力を貸して欲しいんだ」

 

「? よく言っている意味がわからないんですけど……」

 

「おっと、そうだったね。あの鎖のお守りはね、すごい力を秘めているんだ。そして、それを扱えるのは君だけなんだ!」

 

 研究者は言っている間に興奮したかのか、徐々にその言葉に熱が入っていく。

 もちろん、ここで興奮する理由は彼女が人類を救えそうだからではない。そんな彼女を、聖遺物をF.I.S.が見出した点に興奮しているのだ。

彼女の研究が進めば、この部署の立ち位置はグンと向上することは明らか。栄光を前にした研究者は心からの笑顔を浮かべる。

 

「さあ、君はどうしたい? ノイズから人々を守れるのは君だけだ! 君だけなんだ!」

 

 彼女の来歴を聞き出したところ、父母が死んだ後もバルベルデでできたという友人を紛争で失くすこともあったと言っていた。

 ならば、彼女が仮に人を助ける力を持っていると言えばその力を望むと考えた研究者は、そう言ってティーネを煽る。

 

 歳若いがゆえに持っているであろう青い正義感をくすぐるような研究者の言葉に、彼女は理解しているのかしていないのか静かな微笑みを浮かべる。

 

「……はい、まだあんまり良くわからないですけど、僕の力が役に立つのなら」

 

 ティーネはわずかに沈黙し、次いで逡巡することなく了承する。

 その微笑みには決意が浮かんでおり、研究者も懸念が解消されたことで安堵する。

 

「よし、それじゃあ色々説明しよう。こちらに来てくれ」

 

 研究者はティーネの手を引き、施設奥へと歩いて行く。

 それに従うように歩いて行くティーネは、その顔にいまだ決意の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

(やれやれ、とりあえず潜入することが出来た)

 

 エルキドゥは、目の前の研究者の背中を見ながら心のなかで安堵する。

 

 

 事の発端は、そもそも彼がアメリカの聖遺物研究機関の名称などを知らなかった(正確には覚えていたかった)ことに始まる。

 航空機に潜入しアメリカへと単身渡ってきたエルキドゥは、どうやってその組織から情報を得るかを考えていた。

 しかし、そもそも所在地を知らず、名称は憶えていない。そんなありさまでは、彼が自分から組織に潜入することは不可能だといえる。

 

「どうすれば彼らの場所に入れるだろう……」

 

 もちろん、聖遺物の力を全開で使用すれば発見も侵入も容易だろう。しかし、そんなことをすれば間違いなく目立つ。

 F.I.S.に発見されることもそうだし、ヘタすれば二課に自身のアウフヴァッヘン波形を記録されかねない。

 

 そうなってしまえば自分の存在が常に警戒されることになる。なにせ、自分は強力な完全聖遺物。そのエネルギー規模も大概なのである。

 最初に覚醒した時は、同時に奏の絶唱によるエネルギー放出があったから誤魔化せる可能性もあったが、今はそれもない。

 一度目の侵入まではいいかもしれないが、二度と余所への侵入は叶うまい。

 

 と、そこまで考えてふと逆転の発想が浮かぶ。

 そもそも、こちらから見つけることは不可能。では、向こうからこちらを見つけて貰えばいいのではないだろうか?

 勿論、目立つのはダメだ。完全聖遺物が見つかったなんてことになれば、間違いなく捕まってしまう。

 自由意志を持っているとしても、聖遺物は聖遺物。間違いなく厳重な監視下に置かれ、自由を奪おうとしてくるだろう。奪えるかどうかは置いておくが。

 

 だが、目立たない程度に発見される。つまり、聖遺物の欠片が見つかる程度の発見ならどうだろうか。それなら、向こうも多少の自由を認めて保護してくれるのではないだろうか。

 

 その考えに至ってからの行動は早かった。

 まず、自身の肉体の一部を切り離し、鎖の形に固定する。

 エルキドゥ自身は不定形であり、その総量は人の体積の数倍は容易に越える程である。

 鎖を構築する一部分程度の肉体が損失しても、人が髪を切る程度の損失でしか無い。

 これを用いて、「聖遺物の欠片」、即ちシンフォギアの材料を作成する。

 

 次に、少しでも人間らしさを作るため、自身の内部の「人の魂」、つまりエルキドゥの転生前の魂の持つ要素を基に1つの人格を創りあげる。

 より正しく言えば、記憶も意思も共有するため明確な別人格とは言わない。しかし、機械的な部分が表出することを防ぐことはできる。

 

 そして、なるべく紛争が発生しそうな場所へと向かう。

 F.I.S.に見つかった時に少しでも自然を装うなら、少女が1人でいる環境を作る必要がある。

 図書館などで調べた結果、バルベルデと呼ばれる紛争地帯が中南米にあるという事を知り、その地域のなるべく北限、合衆国に近い地域で波形を出力することにした。

 

 バルベルデについてからはそこで暮らし、人としての感性・感情をより自然なものと変えていく。

 住人にこの地域で死んだ子供がいないかを聞き出し、その死んだ子と友人だったと偽る。

 悲しみの涙をながすことで、彼が住民たちと悲劇を共有していると錯覚させ連帯意識を構築し、その地域へと溶け込みバックボーンを形成する。

 

 そして、同時に優れた容姿を晒して生活していく。己の見た目は聖娼シャムハト、神に仕える巫女たる娼婦の中でも特に優れた見目をしていた彼女のそれを模倣している。

 それが貫頭衣というシンプルな服装をしていれば、馬鹿な考えを起こす男たちが出てくるということは容易に想像がつく。

 となれば、それらに襲われた恐怖で聖遺物を起動させたということにすれば、自然にアメリカの聖遺物関連の組織に保護されるだろう。

 

 果たしてそれは成功し、彼は上手くF.I.S.に潜入することが出来た。これが彼がアメリカに来て1ヶ月の状況である。

 

 

 

「それで、エルキドゥの装者の能力は解析できたか?」

 

「はい。といっても、なかなかその能力を証明できるかは難しいところなんですが……」

 

 F.I.S.研究者であり、ティーネの主担当者は、数週間前に施設へと来た少女の装者としてのデータ、聖遺物の機能をディスプレイに投影する。

 そこにはギアを身に纏ってもほとんど見た目の変わらない、いつもの貫頭衣の姿が映し出されている。

 

「これで本当にギアを纏っているのか……?」

 

 所長の発言も当然。既に判明しているシンフォギアの奏者たちは、ボディスーツのような服に機械的な鎧を纏っている。

 翻ってティーネの場合、姿に変化が見られないのだ。

 

「はい。一応貫頭衣の下にはギア装者特有のボディスーツを纏っていました。どうやら『エルキドゥ』のギアの特性の1つがその不定形さにあるようなのです」

 

 次の画像では、訓練施設でのティーネの戦闘が映しだされている。

 彼女の貫頭衣の端が変形し、鎖となってシミュレータのノイズを打ち倒している。

 また、鎖に限らずその貫頭衣の縁が刃となりスカートを回すようにして周囲を薙ぎ払う、剣のように変形し射出し大量のノイズを撃滅するといった姿が同時に映っている。

 

「なるほど、確かに変幻自在だな。しかし、これで十分に能力を証明できているのではないか?」

 

「いえ、これは能力の一部に過ぎません」

 

 納得した声と同時に疑問を提示する所長に対し、研究者は否定し、更に次の画面を写す。

 そこにはいくつかの波形パターンが浮かんでいる。シンフォギアや聖遺物の起動によって発生するアウフヴァッヘン波形を表示した図である。

 

「このアウフヴァッヘン波形はどれも異なるように見えますが、すべてエルキドゥの起動によって得られた波形です」

 

「別の波形にしか見えないが……。アウフヴァッヘン波形というのはこうも変化するものなのか?」

 

「いえ、通常の聖遺物ならたとえ装者が異なっても波形が変化することはありません。これが、エルキドゥの持つ特性の1つなのです」

 

 これを見て下さい、と更に別のアウフヴァッヘン波形を映し出す。そこにはF.I.S.の装者、レセプターチルドレンの写真と聖遺物も同時に映しだされている。

 

「これをエルキドゥの装者に確認させたところ、エルキドゥの波形が変化しました。詳しく調査した結果、エルキドゥはどうやら他の聖遺物と同じ波形をもって干渉することができる可能性が高いと見られます。いわば、聖遺物へのクラッキングですね」

 

 エルキドゥは、神話において天の牡牛を縛り上げることが可能であった。街を滅ぼす嵐の如き天牛は、その鎖の前に為す術なく封じられたのだ。

 ネフィリムのように、生物的な聖遺物は存在しうる。まして神に遣わされた天の牡牛が聖遺物であった可能性は低くはないといえるだろう。

 それを封じるということは、その鎖には強力な干渉効果があったのではないかというのが研究側の見解である。

 

 余談だが、フォニックゲインを発する歌を歌えないティーネがシンフォギア加工されたエルキドゥを操作できるのはこの力によるものである。

 つまり、ティーネと名乗る「完全聖遺物エルキドゥ」が「聖遺物クラック能力」を使ってペンダントに加工された「エルキドゥ」をシンフォギアとして操作しているということである。

 エネルギーの無駄遣い以外の何ものでもないが、疑われないようにするためには必要なことだった。

 

「ふむ、つまり聖遺物を従え、コントロールする。それがエルキドゥの能力というわけか……」

 

 これは、切り札足りえる。異端技術(ブラックアート)をコントロールする鎖があれば、技術の解析の進む可能性は高い。

 ややもすれば、あのフィーネにすら対抗し、先んじる可能性さえあるだろう。

 

 F.I.S.は二課同様聖遺物を研究するための組織だが、その方針は二課と異なり、歌という不確定要素に頼らず起動することを主題においている。

 仮にエルキドゥを歌に依らず起動することができれば、他の聖遺物も鎖を通して扱うことが可能となるだろう。

 

「よし、上層部に報告だ。彼女の存在は、フィーネから一切を隠し通して欲しいと伝えろ」

 

「分かりました。それと、できれば彼女をレセプターチルドレンの連中と会わせても構わないでしょうか? 干渉効果がどういった原理で発生するかを確認したいのですが」

 

 勿論データはフィーネが確認できない場所に保管する予定ですが、と研究者は要望を訴える。所長はそれを許可し、退出させる。

 研究者の退出後、所長は未だ投影されているディスプレイを見て、その顔に笑みを浮かべる。

 

「ふ、ふふふ……。いつまでも我々の上に立っていられると思うなよ、フィーネ……」

 

 ティーネにとっては予想外であったが、ティーネを名目上保護したこの施設はF.I.S.の中でも比較的米国政府よりの施設であった。

 F.I.S.は聖遺物を研究すること主題に掲げている智慧の信奉者達による研究組織であるが、この施設はあくまで米国主導で立ち上げられたもの。

 研究者や職員も比較的愛国心が強いメンバーで構成されており、それらの所長である彼は政府からの出向者。米国へと技術還元することを目的としているのである。

 しかし、フィーネの影響が少ないということは逆に言えば異端技術(ブラックアート)に関する知識も少ないということ。

 装者もおらず、今まではあまり成果を上げられていなかったが今度は違う。

 

 日本、特に二課が大被害を受け、フィーネが大きく行動できる状況でないことが奏功した。

 彼女──ティーネ・チェルクは間違いなく米国のジョーカーになり得る。所長はそう確信していた。

 



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第3話 天の鎖(2)

「ふーん、別な施設の装者、デスか……。調はどう思うデス?」

 

「……その人も私達と同じ、孤児みたいだから。仲良くできればいいと思う」

 

「うん、そうデスね!」

 

 F.I.S.のレセプターチルドレン、終末の巫女フィーネと成り得る器として集められた2人、暁切歌と月読調は廊下を歩きながら話しこんでいた。

 今話題となっているのは、極秘に通達された新たな装者とコミュニケーションをとってほしいということであった。

 

「しっかし、急な話デスねー。そりゃあ、つい最近見つかったーって話デスけど。しかも極秘って……」

 

「上の人達は、フィーネに知られたくないのかな……」

 

「理由は解りません。ですが、フィーネに知られたくないということだけは確かなのでしょう」

 

 二人の会話に、新たな1人の声が混じる。その声を聞き、切歌と調の二人の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「マム! マムはなにか知ってるデスか?」

 

 マムと呼ばれた女性、ナスターシャはF.I.S.においてシンフォギア、聖遺物への造詣が特に深い人物の1人である。

 そして、真っ当な人間性を持ち、少女たちに母のように接するためとても慕われていた。

 ナスターシャは、切歌の質問を受け首を横にふる。

 

「いいえ、知りません。ただ、その聖遺物が特殊であり、ともすれば戦略レベルで扱えるという話だけは聞いています」

 

 ナスターシャはその知識の豊富さから、今回の件について立ち会うこととなり、多少の事前情報を伝えられている。

 むしろナスターシャがそれくらいしか教えられていないほど、この案件の秘密性は高いと言えた。

 

「ふぅん。どんな人なんだろうね、切ちゃん」

 

「さあ……とと、着いたデスね」

 

 やがて3人は聖遺物の実験場、その監視室へと辿り着く。4年前にある大きな事故を引き起こしたその部屋は、今はすっかり修復されている。

 扉が自動で開き、その中には既に2人分の人影があった。

 

「マリア!」

 

「それに……ええと、その人が例の装者デスか?」

 

 調と切歌が声を上げ2人に駆け寄る。

 そこにいたのは身長も高く女性らしいスタイルの桃色の髪の女性と、若草色の長い直毛の中性的な少女だった。

 長身の女性──マリア・カデンツァヴナ・イヴは、笑みを浮かべて二人の声に返事をする。

 

「ええ、私は少し早めに来てたから、彼女と話をしていたの。ティーネ、彼女達ががここの私以外の装者の……」

 

「暁切歌と!」

「月読調……です」

 

 マリアの紹介に合わせ、切歌と調が挨拶をする。

 

 切歌と調はマリアを慕っている。

 この施設において、レセプターチルドレンの扱いはあまり良いとはいえない。

 

 だからこそ対等に話してくれるマムや、同じレセプターチルドレンとして優しく守ってくれるマリアは慕われるのである。

 

 そして、レセプターチルドレンであるマリアと仲良く話ができているティーネが一定の好印象を抱かれるのにはそれで十分だった。

 ティーネ・チェルクはその顔に微笑みを浮かべ、2人に挨拶を返す。

 

「はじめまして、僕はティーネ、ティーネ・チェルクです。南部の方の施設で装者をやっています」

 

 そうして、胸のペンダントを見せる。

 切歌と調も自分たちのペンダントを見せ、装者であることをティーネに伝える。

 そのまま4人で和気藹々と話していたところで、扉の方から声が掛かる。

 

「ところで、ティーネ・チェルクさん。あなたが此処に来た要件をお話いただけますか?」

 

 少女たちのコミュニケーションを邪魔しないように扉の側で立っていたナスターシャは、一向に要件が進みそうに無いので会話を中断させる。

 その声を聞いて思い出したかのような表情をしたティーネは、3人に向き直った。

 

「ああ、ええとね。僕が扱うシンフォギアの特性の調査のために、君たちと一緒にちょっとした実験をしたらどうかってことなんだ」

 

「実験? ……その特性は、何か他のシンフォギアに関わることなのかしら?」

 

 ティーネの言葉に、マリアが聞き返す。マリアが思い返すのは、妹セレナの纏う銀の腕(アガートラーム)

 エネルギーベクトルを操作するシンフォギアは、セレナの生命を代償とした絶唱により暴走する聖遺物「ネフィリム」を基底状態へと戻すほどの力を持っていた。

 今いるこの実験室で行われたそのことを、思い出し、マリアの表情は自然ときついものへと変わる。

 しかし、その次に聞いたことは更におどろくべきことだった。

 

「うん、そうだよ。僕のシンフォギア「エルキドゥ」は、聖遺物を封じ、操作する聖遺物なんだ」

 

 でも、それがどこまで有効に働くかがわからなくてねー、と呑気そうにいうティーネに対し、マリアは思わず黙り込んだ。

 聖遺物を封じ、操作する聖遺物。彼女の言が正しければ、それさえあればネフィリムを押さえ込めたのかもしれないのだ。

 そうすれば、妹セレナは死なずに……。

 

「? どうしたんだい、マリア」

 

「……ッ! いえ、なんでもないわ。ごめんなさい、急に黙りこんじゃって」

 

 つい感情が表に出そうになったが、しかしよく考えればティーネはその事情を知らない。

 マリアは心を落ち着け、安心させるように笑顔を浮かべる。

 その顔をみて、調と切歌はマリアを心配そうに見つめ、ナスターシャは痛ましいものを見るかのような表情を浮かべる。

 

 で、事情を知らないティーネはそこら辺の機微に気づかず、そのまま話を続ける。

 

「ええと、僕の聖遺物『エルキドゥ』は鎖の聖遺物でね。メソポタミア、シュメールの神話に出てくる天の牡牛を縛る鎖だって言われてる。研究者の人たちが言うには、牡牛も実は聖遺物で、それに干渉することで牡牛を封じたんじゃないかって。で、それを確認するのが今回僕がここに来た理由なんだ。協力してもらっても……いい? ね?」

 

 小首をかしげて、ちょっと困ったかのような表情を浮かべるティーネ。

 その顔を見て、なんとなく毒気を抜かれたマリアは力を抜いて、ちゃんとした微笑みを浮かべる。

 

「ええ、私は構わないわ。マム、いいかしら?」

 

「構いません、というより上層部からの命令ですし、危険な内容ではないので私に逆らう理由はありません。……切歌、調。あなた達も手伝いなさい」

 

 ナスターシャはマリアの確認を許諾し、切歌と調にも伝える。

 

「了解デース!」

 

「うん、わかったマム。それじゃ、いこう? ティーネ」

 

 そう言って、監視室を出て下の実験場へと向かう。

 それをマリアが追い、ティーネが更にその後を追う。

 全員が出たあとで、最後にナスターシャが監視室をロックし端末に向き合う。

 

 

『それでは、まずはじめに起動していない聖遺物に対する干渉実験を行います』

 

 装者4人が揃った実験場。そこにはいくつかの聖遺物がおいてある台が用意されている。

 

 ナスターシャの言葉に合わせ、台の1つが稼働。ティーネの前に鏡の欠片が置かれた。

 

 ティーネはシンフォギアを起動し、自身の鎖を聖遺物「神獣鏡」の欠片と接触させる。

 それと同時に、ティーネはシンフォギアに搭載されているクラック能力を起動する。

 

 瞬間、「神獣鏡」から輝きが放たれる。そのアウフヴァッヘン波形はエルキドゥのシンフォギアによって制御され、その出力や指向性を完全に操作されていた。

 聖遺物由来の力を無力化する「神獣鏡」は、しかし励起前から接してコントロールしているエルキドゥに影響を及ぼせない。

 

 その輝きを、マリア、切歌、調の3人は驚いて見ていた。

 

「ほ、本当に起動させたデス……」

 

『ええ、しかし……』

 

 程なくして、ティーネはエルキドゥの接続を解除する。それと同時に「神獣鏡」のエネルギー放出も停止する。

 

『やはり、エネルギー増幅率がシンフォギアのように歌を用いたものに比べ低いですね。適合系数次第で欠片だろうと増幅できるシンフォギアと違い、エルキドゥによるクラッキングは欠片相応分のエネルギーしか使用できない……』

 

 ナスターシャは、エルキドゥの機能、その限界に予想をつける。

 歌には、感情を乗せることができる。聖遺物の起動・出力には歌が非常に重要なファクターを占めており、その歌に乗せる感情もまた重要な要素なのだ。

 愛や怒りなどといった感情が強くなるごとに、聖遺物はより強く反応する。これが歌による起動が不安定であることの証拠であり、また限界を超えた出力を出せる理由でもある。

 しかし、エルキドゥはあくまで聖遺物としての機能で支配している。

 装者の感情によって変化するのはエルキドゥの支配能力・干渉能力の強さであって、干渉先の聖遺物を限界を超えて稼働させられる訳ではない。

その結果が、これに如実に現れているということだろう。

 尤も、従来の機械的な増幅に比べれば遥かに効率がよく、また安定性は確保できているため優れた成果を上げていることは確認できる。

 

『……では、次にシンフォギアについてです。起動していないシンフォギアと起動したシンフォギア、両者について試してみてください』

 

 そう言うと、マリアがガングニールのシンフォギアのペンダントをティーネに手渡す。

 ティーネはエルキドゥをペンダントに接続し、支配機能を起動する。

 その瞬間、ティーネの全身が新たな装甲に覆われ、その手に槍を現出させた。

 

「他人のシンフォギアを纏うこともできるの!?」

 

 マリアの驚きの声は、切歌や調も驚いたことである。

 ナスターシャはシンフォギアが聖遺物を増幅して鎧にしているものである事を知っているため、特に驚く様子はない。

 ティーネもまた、驚きはない。そもそもエルキドゥのシンフォギアを纏うために同じこと(クラッキング展開)をやっている以上、驚く要素がないのは当然である。

 

『これで最後です。起動したシンフォギアに対してクラッキングを試みて下さい』

 

 そこで、マリアが台上に合ったLiNKERを手に取り、自身に注入する。

 この当時のLiNKERはまだ危険な薬物であるため、必要最小限しか注入していないにも関わらずその表情を苦しそうに歪める。

 これには人の魂を表に出しているティーネも鎮痛そうな表情を浮かべ、様子を眺める。

 

「──ッ、Granzizel bilfen gungnir zizzl(溢れはじめる秘めた熱情)!」

 

 聖詠とともに、その身にシンフォギアを纏う。

 その装備には黒い部分が多く見られ、特に大きな黒いマントを纏う姿は白い貫頭衣を纏うティーネとは対照的な見た目だった。

 

「……待たせたわね、お願い」

 

 ギアの展開を終えたマリアが、ティーネへと呼びかける。

 ティーネは鎖をマリアのギアの胸パーツ、シンフォギアシステムの展開の起点へと接続する。

 

 しかし。

 

「……ぐッ、ァあッ!」

 

 ティーネは叫び声を上げ、接続を解除する。その額にある血管は破れ、そこから血を流している。

 

「ティーネ!?」

 

「だ、大丈夫デスか!? 医療班呼ぶデスか!?」

 

 それを見た調と切歌が慌てて側へと近寄る。しかしティーネは首を振り、何事も無かったかのように立ち上がった。

 その額は未だ破れているが、とりあえずとギアを変形させた包帯で縛る。

 

「何が起きたの!?」

 

 展開を解除したマリアが、落ち着いたティーネへと話を聞く。

 ティーネが呼吸を整え、話し始めようとしたところで、

 

『今のは……クラッキング能力が弾かれたことによるバックファイアですね』

 

 というナスターシャの声が響く。

 それに合わせて、ティーネが口を開いた。

 

「うん、ナスターシャさんの言うとおりみたいだ。僕のギア『エルキドゥ』が聖遺物にクラッキングする時、対象聖遺物に対応する特定振幅の波長を用いて対象に干渉する。使っててわかったけど、これは歌というより聖遺物ごとに適合する特定音階の音叉を創りあげるようなものみたいなんだ。だから、既に歌を使って起動している聖遺物に使っても歌と干渉して弾かれちゃった……んだと、思う?」

 

 これは実際、ティーネ……「エルキドゥ」にとってもはじめての経験だった。

 そもそも、過去にこの能力を使用したのは黄金の王との決闘や自身の後継機たる環境変動兵器「グガランナ」と戦った時である。

 バビロニアの宝物庫から飛び出してくる聖遺物も天牛グガランナも、規模の違いこそあれど既に励起した完全聖遺物。

 歌とは違い、一定の波長のみを放ち続けるため干渉は比較的容易だった。

 

 しかし、シンフォギアシステムは起動させる波長そのものが感情によって多少変動する歌である。

 そのため、その微細な変動に対応することが出来ずに干渉が弾かれ、接続部から直接マリアのシンフォギアのエネルギーを受け止めてしまいバックファイアが発生していた。

 つまり、エルキドゥは完全聖遺物や励起していないシンフォギアになら干渉可能だが、装者が身にまとうシンフォギアに対してのみ干渉機能が使用できないということになる。

 

「まあ、バックファイアだって大したことはなくてよかった。実験に付き合ってくれてありがとう。それじゃあ、ね」

 

 笑顔を浮かべ、装者3人とナスターシャにお礼と別れを述べる。

 今回の実験で、ティーネの施設から求められた必要なデータはすべて得られた。

 これ以上突き合わせる必要はないし、これ以上会う必要もない。

 だというのに。

 

「ええー、もう帰るデスか? どうせならもっとお話とかするデス!」

 

「えっ?」

 

 切歌に引き止められる。確かに仮に会おうと思っても、めったに会えることではない。この機会に話をいっぱいしようと考えることもあるかもしれない。

 しかし、それでわざわざ引き止めるほどだろうか?

 そりゃあ、先ほどの歓談で多少なりとも仲良くなった気はするが。人の魂を表面化したのが最近なため、いまいち自信が持てない。

 これが昔色々やらかした"1度目"の自分だったら、人の魂の割合が大きかった自分ならここで引き止められる理由が解るのだろうか?

 疑問は浮かび上がるが、しかし年下の少女の誘いを無碍にするのも悪いため笑顔を向けて色んな話をする。

 

 いまどんな生活をしているのか。どのように扱われているのか。親しい人は居るのか等々……。

 他愛のない雑談だが、その雑談をしていくと、徐々に人に近づいていくようなそんな気がしてくる。

 そういえば、とふと思いだす。

 

(そうか、僕がそもそも人間性を取り戻すきっかけになったのって……)

 

 ティーネは、シャムハトとの会話を思い出す。

 人の世界の他愛のない話、王様が如何に名君なのかという話。彼女との話は内容は普通だったが、言葉を交わすだけで、彼の心は人間の魂を取り戻していった。

 彼女がいたから、会話があったから、人から転生した聖遺物は人に戻ることができたのだ。

 

 切歌たちとの会話のなかで、遠く昔のことを思い出し自然に笑顔を浮かべていた。

 

 

 

「ティーネ、またね」

 

「また会うデース!」

 

「ええ、そうね。また会いましょう、ティーネ」

 

 装者3人から掛けられる、再開を希望する言葉。

 ティーネは、エルキドゥの持つ人の精神は。その言葉を受け、嬉しく思う。

 彼女たちは間違いなくいい人達だ。お世辞にもいいとは言えない環境で、それでもこうやって温かい言葉を掛けてくれる。

 

「うん、またね。……絶対に、また会おうね?」

 

 それがなんだかとても嬉しくて、ティーネはその顔に紛れも無い本心からの笑顔を浮かべた。



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第4話 Synchrogazer

 ティーネは、あの後もたまに(施設の人間の監視下の下ではあるが)F.I.S.の奏者たちと交流を持った。

 

 新しく出来た優しい友人との交流は、エルキドゥの表層にティーネという人の魂を徐々に定着化させていく。

 思えば真っ当に人と話すこと自体先史文明期以来であるティーネは思ったよりも会話に飢えていたようだ。

 

「ふんふん、なるほど。マリアはやっぱり優しいんだね。それってさ、調や切歌を守ってあげているんだよね?」

 

「ちょ、ちょっと! もう、いいでしょ別に!」

 

 二桁を超えたか超えないかくらいの歓談の時。ふふふ、と思わず笑い声をもらすティーネをみて、マリアは顔を赤くして憤慨してみせる。

 どう見ても恥ずかしさをごまかしているだけのその姿をみて、より笑みを深くするティーネ。

 

 ティーネは、なんとなくマリアとよく会話するようになっていた。

 もともとティーネのモデルは成人女性のシャムハトであり、彼女をより若くしたような姿である。

 そのため、切歌や調よりも見た目や背丈はマリアに近く、必然彼女と目線を合わせることが多い。

 

 また、切歌と調はお互いがとても仲がいいためよく会話をしている。

 あまり邪魔をするのも悪いと思い、ティーネはマリアを会話相手に選ぶことが多いのだ。

 

「えー、何々、なんの話デスかー」

 

「2人とも仲いいね。切ちゃん、私達ももっと頑張ろう」

 

 そこに、切歌と調が乱入してくる。自分たちの名前が出たことで気になったようだ。

 

「ちょっと、いいの! 気にしないで! というか、調は何に対抗してるのよ……」

 

 調の珍奇な台詞に対応しながら、マリアはため息を吐く。

 と、くすくす笑っていたティーネがふと真顔になり、何かを思い出したような表情をする。

 

「……あー、そういえば。ねえ、みんなは僕が誰に遭わないようにされているのか、知ってる?」

 

 僕はどうやら、誰かがいないタイミングだけこっちに来れるらしくてさ。

 そういって、ティーネは疑問を投げかける。もしかして知っていれば、ということである。

 

 実際、ティーネにフィーネのことは伝えられていない。

 不要な知識を知る必要はないというティーネの所属施設側の意向により、ろくに教えられていないのである。

 

 が、それを伝えられていないのはティーネのみである。フィーネのレセプターチルドレンであるマリアたちには、そのことは当然伝えられている。

 

「誰か、デスか……」

 

「それって……」

 

 知っている、知っているが伝えるべきか悩み口篭る切歌と調の2人。

 マリアもまた、言うべきかどうか悩んでいた。彼女たちにはどれほどその機密が重要なのかの判断がついておらず、言うことで問題が起きることを危惧していたのだ。

 が、その状況を覆したのは彼女たちではなかった。

 

「……あなたが遭わないようにされているのは、フィーネと名乗っている女性です」

 

「マム!? そのことを伝えて大丈夫なの!?」

 

「問題はないでしょう。ティーネに知られて困るような内容ではないのですから」

 

 ナスターシャの発言に、マリアが驚いた声を上げる。

 ティーネはというと、その名前を聞いてもピンと来ないのか首を傾げている。

 

(フィーネ……フィーネ……だめだ、やっぱりわからない)

 

 そもそもフィーネが生きていたのは、カストディアンがルル・アメルときっちり言語を分化するその区切りである。それ以前、カストディアンとルル・アメルがある程度接触する機会のあるような時代にいたエルキドゥは、フィーネより以前に活動していた聖遺物なのだ。聞き覚えがあるわけがない。

 

「フィーネは、終末の名を持つ先史文明期の巫女。リインカーネーションと呼ばれる特殊な技術を用いて現代に至るまで転生を繰り返す彼女は、我々に先史文明期の聖遺物に関する智慧を与えた存在です」

 

「先史文明期から? 転生って、どうやって!?」

 

 ティーネは転生という単語に対し、強い反応を見せる。

 転生と言ってティーネが想起したのは、当然ながら自分のこと。

 ある日突然死んだと思ったら泥人形(エルキドゥ)に転生した。その理由は全くわからないし、人の魂が入っていることにカストディアンが気づいたのは彼を大地に落としてからだ。

 

 それを考えれば、リインカーネーションがどういう技術なのかは知らないが、カストディアンでも再現しようと思えばできる技術のはずだ。つまり、異端技術(ブラックアート)の結晶たる彼にも実現できる可能性がある。

 その技術を理解することができれば、彼は天羽奏の蘇生という目標にグンと近付く。

 そう感じ、ティーネはいつもは見せないほどの積極性でナスターシャに詰め寄る。

 

「ねえ、ナスターシャさん。リインカーネーションって、どういう原理なのか知ってるなら聞かせてよ」

 

 にわかに雰囲気を変えたティーネに、ナスターシャは驚きを見せる。

 そもそもティーネは、あまり雰囲気を変えない人間だった。いつも透き通るような微笑を浮かべ、大抵のことに対してマイペースな反応を見せる。

 勿論、趣味嗜好が普通の人間から逸脱している部分はあまりない。マイペースではあるが、反応の方向は他の子と大して変わらないのだ。

 そういう意味では、ティーネという人間は「よく喋りいつも笑っている」という属性を除けば調が一番近いといえる。

 

 調が感情を露わにするのは、マリアやナスターシャ、そして切歌のことか、弱い立場の人が虐げられる時である。

 どちらも調にとって大切なことであり、それが傷つけられる、それを守る場合に調は強い感情を示す。

 当然だが、人は自身にとって大切なことに対して感情が表れるのだ。つまり、ティーネにとってリインカーネーションはなにか大切なことに関わっているということである。

 

「……いいでしょう。詳しい原理は私にも理解は及びません。フィーネは超常の智慧を持つ者です。私のような只人の知らぬ何かを知っているのでしょう」

 

「いいから……早く!」

 

 その上で、と前置きしようとしたところで、ティーネが更に詰め寄る。その顔には強い渇望の笑みが浮かんでおり、獣が餌を前に押し留められている姿を幻視する。

 

「ちょ、ちょっとティーネ! どうしたのよ、いつものあなたと全然違うわよ!」

 

 マリアが慌ててティーネの肩を掴み、ティーネの暴走を止めようとする。

 しかしティーネは、マリアの腕力も体重も在って無いかのように、一切障害がないかのように歩みを進めていく。

 それに驚いた調と切歌も慌てて加勢するが状況は変わらず、ティーネはナスターシャへと近付く。

 

「ねえ、教えてよナスターシャ(・・・・・・)。僕は、それが、知りたいんだ!」

 

 ついにはナスターシャと額が触れ合いそうな距離にまで詰め寄るティーネ。

 ナスターシャは多少目を見開いたが、直に目を閉じ、口を開く。

 

「落ち着きなさい、ティーネ。それに3人も。私がどこまで知っているかの前提を知らずに聞いて落胆されても困るから、前提を説明したまでのこと。そう慌てる必要は無いでしょう」

 

「……、そうだね。ごめんなさい、ナスターシャさん。それに皆も……」

 

 冷静な表情で諭るナスターシャに、同じように冷静になるティーネ。

 そもそも今知ったところで、此処を破壊して脱走する訳にはいかないのだ。そんなことをすれば、せっかく友になった3人やナスターシャに多大な迷惑を掛けてしまう。それはあまりに非効率だ、とどこか冷静な器物であるエルキドゥが告げる。

 ティーネが落ち着いたところで、ようやくマリア達は手を離す。ティーネの細い体の何処にこれだけのパワーがあるのか、マリアは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「リインカーネーションとは、フィーネが魂を輪廻させるために編み出した技術です。フィーネは何らかの目的をもって、自身の血族の遺伝子構造に刻印を残しています。その目的が果たされるまで、フィーネは死しても刻印を持つものに魂を転生させると聞いています。ここにいるマリア達レセプターチルドレンは、フィーネの刻印があるとされているもの。彼女たちは、フィーネの転生のための器として集められているのです」

 

 その言葉に、思わずティーネは3人を見る。マリア、調、切歌の誰の顔を見ても、それをあまり良いとは思っていない、むしろ怯えているかのような表情を浮かべる。

 

「……そして、フィーネが転生する条件は、刻印を持つものがフォニックゲインに触れる時となります。それまでは、普通の人間としての生を送っていた魂も、フィーネによって塗りつぶされるのです」

 

 そう冷静に言うナスターシャの顔には、言葉とは裏腹に苦渋の表情が浮かんでいる。

 人間らしいナスターシャもまた、今生きている人間をほぼ殺すと言えるリインカーネーションに好感情を抱いていないらしい。

 

「その、魂の刻印の仕方とかってあるのかな?」

 

「そこまでは解りません。そもそもフィーネがそれを実行したのは数千年前です。遺伝子の伝播を考えれば、現存人類の大半が見えないだけで刻印を持っている可能性すらあります。今更改めて刻印することはないでしょう」

 

 ティーネの質問を切って捨てるナスターシャ。

 今までの質問やティーネの来歴、異様な食付きから、ふとナスターシャはティーネが何に拘っているのかを思いつく。

 

「もしかして、あなたは死者を蘇らせたいとでも考えているのですか?」

 

 ティーネは、その来歴でバルベルデの内戦で家族や、そこで出来たという友人を失っていることが語られている。もしかしたら、彼女は彼らを蘇生させたいと考えているのかもしれないとナスターシャは推測した。

 

「…………」

 

 ナスターシャの質問に、ティーネは無言で答える。

 実際のところナスターシャが考えている死者蘇生の理由はティーネのそれとだいぶ違う。しかし、死者蘇生を願っていることは事実なのでティーネは何も答えない。

 

「……どうであれ、あなたがその手段を知ろうと思ったなら、フィーネと問答を重ねるしかありません。遭遇できる時間には来れないのですから、諦めたほうが懸命ですよ」

 

 ティーネに現実を告げるナスターシャ。痛いところを突かれ、ティーネは押し黙る。

 これもまたナスターシャの知らないところだが、ティーネは完全聖遺物そのもの。接触せず、かつアウフヴァッヘン波形を抑えている現在ならともかく、さすがに彼女と接触するのはまずい。

 

 ティーネの生きていた時代において、ルル・アメルでありながら超絶的な強さを持つ存在は幾らでもいたのである。

 今で言う英雄が、先史時代には世界を見渡せば跳梁跋扈していたと言っても過言ではない。

 フィーネはその時代に巫女をしていたという。どのような目的で現代まで転生を続けるのかは知らないが、智慧や転生以外にも何らかの手段で自身と戦闘できる能力があるかも知れない。

 相手が戦闘系の存在なら、ティーネはそこまで警戒はしない。戦闘において自分に勝てるのは結局、同格の友くらいだろうと純粋に信じているからである。

 しかし、エルキドゥは聖遺物である。フィーネのような聖遺物の知識豊富な相手と戦闘してどうなるかはわからない。

 警戒はするに越したことはない、そう結論付けたティーネはナスターシャにいつもの微笑みを見せる。

 

「……わかった。ありがとう、ナスターシャさん」

 

 とにかく、魂を人に刻むことは可能であるということがわかっただけでも収穫だ。

 あとはどうにかしてそれの技術を得られれば、完全な天羽奏の肉体に天羽奏の魂を刻むことで復活を望めるだろう。

 とりあえずの展望が開けたところで、ティーネはひとまず満足する。

 

 と、そこでナスターシャの端末が音を奏でる。

 まだコミュニケーションタイムの終了時間ではない。怪訝に思いながらも、ナスターシャが端末のスイッチを押し会話を始める。

 

「いったいどうしたのですか……!? なんですって……? 分かりました、こちらでも確認します」

 

 ナスターシャが端末の電源を切ると、脇目もふらずに部屋を後にする。

 さすがに立会人がいない場所に集まっていると拙いため、4人は慌ててナスターシャの後を追う。

 いつも集まる実験室から、それを監視するモニタールームへと集まる4人。

 

 先に到着していたナスターシャがモニターの電源を入れたのか、大きなモニターには映像が映し出されている。

 普段は全員のギアの様子や適合系数などを見るためのモニターは、今は全く別の場所を映し出していた。

 そこには荒れ果てた山に、破壊された巨大な構造物。

 真上から撮影したかのようなそれは、どうやら高倍率の衛星カメラから撮影しているようだ。

 そして、そこには幾人かの人影が見える。遠距離からだとわかりづらいが、黄金の鎧をまとう女性と、横たわる制服を着た少女。

 構造物の破壊された頂部に倒れる少女は、死んでいてもおかしくないほどの怪我を負っている。

 

『耳障りな……。何が聞こえている……?』

 

 そこに、質の悪いマイク音声が響く。遠くの集音マイクを使用しているのか雑音が多く、彼女たちの動作からワンテンポ以上遅れて届く。

 

『何だ、これは? どこから聞こえてくる……この不快な、歌……! 歌、だと?』

 

 その声を聞いて、ティーネ以外の全員が驚いた顔を浮かべる。

何度も聞いたこの声は、ヒビ割れた音声でも間違いなく特定できる。

 

「フィーネ……?」

 

 誰が呟いたかその言葉に、ティーネは画面を見直す。

 黄金の鎧を纏った女性が、先ほど話題に出ていたフィーネらしい。

 

『……聞こえる、皆の声が……。……よかった、私を支えてくれている皆は、いつだって側に……』

 

 フィーネとは別の声。この声質からすると、どうやら下に倒れている少女のものらしい。

 

『皆が歌ってるんだ……だから……』

 

 か細い声に、炎のような熱さが響く。

 

『まだ歌える……』

 

『頑張れる……!』

 

『戦えるッ!!!』

 

 モニターの中央に光が灯る。少女の肉体は光の環によって囲まれ、まるで倒れていた事実がなかったかのように立ち上がる。

 雑音だらけのマイクのはずなのに、彼女たちの声ははっきりと響く。

 

『まだ戦えるだと……? 何を支えに立ち上がる? 何を握って力と変える? 鳴り渡る不快な歌の仕業か?』

 

『そうだ……お前が纏っているものは何だ? 心は確かに折り砕いたはず……』

 

『なのに、何を纏っているッ!? それは私が作ったモノか? お前がまとうそれは一体何だッ!? ──何なのだッ!?』

 

 刹那、モニターに閃光が走る。三本の光の柱が衛星にまで届き、一瞬でそのレンズを光で焼く。

 何も見えないモニターの中で、それでも声が、太陽の昇る空に響き渡る。

 

『シ・ン・フォ・ギィィッ――ヴウゥワアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 

 その咆哮のような声を最後に、マイクから音声が切断される。

 エネルギーの奔流に、小さな集音マイクはとても耐え切ることは出来なかったようだ。

 

 今の映像は、F.I.S.に所属している彼女たちを沈黙させるのに十分だった。

 同じシンフォギアを纏っているとは思えないほどに、心に、光にあふれていた彼女たちを見てしまえばそうなるのも無理はなかった。

 

 しかし1人だけ、ティーネはその声に憧憬を抱く。

 あの姿は、彼女が望む「天羽奏」と同類だ。間違いなく、どうしようもなく魂を揺さぶる唄の音を奏でた彼女と同じ。

 あんな唄を歌いたい、あの歌をずっと聞いていたい。人の心を失ったはずのティーネの願いに、僅かに胸のシンフォギアが輝いた。

 

 

 

 

 

 ライブ会場の惨劇から2年、世界を揺るがす大災害「ルナアタック」は未然に防がれる。

 表に出てこない世界では「ルナアタック」を狙った今代の巫女フィーネの消滅と、それを成し遂げた英雄たる装者達の名が知られるようになった。

 

 そして、そこから発生する新たなる災厄。ティーネやマリア達にも、選択の時が迫っていった。



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第5話 飛翔する運命

 空に浮かぶ、大きく欠けてしまった月。

 

 あの戦い……後に「ルナアタック」と呼ばれる事件の後、F.I.S.は特異災害対策機動部二課に戦闘映像のデータを要求。

 首尾よくデータを手に入れたF.I.S.は、そのデータの解析に勤しんでいた。

 

 フィーネに関することは、言ってしまえば二課とF.I.S.どちらにとっても不祥事である。

 今代のフィーネの器は櫻井了子、櫻井理論を提唱した天才である。彼女がフィーネとして目覚めたのは12年前、風鳴翼が天羽々斬を起動させた時だという。

 それ以来、色々な知謀を巡らせ、12年を掛けてこれだけの大事件を引き起こした。

 

 F.I.S.はフィーネが立ち上げた機関であり、言ってしまえばフィーネの不祥事は組織トップレベルの人間の不祥事であるということ。

 そして櫻井了子の不祥事は、二課の技術主任という課内でも高い地位の人間の不祥事となる。

 実情はどうであれ、少なくとも外部から見ればそう扱われてしまうのだ。

 したがって、F.I.S.が二課に「こんなことがないように、データを共有しておきたい」と米国政府を通して言えば、拒否することは難しい。

 特異災害対策機動部二課は、基本的に有事を除いては法律をなるべく遵守するよう心がけている。

 強大な武力を個人が行使できる「兵器(シンフォギア)」を持っているからこそ、法律の遵守による組織への余所からの不満の緩和が大切であることを知っているのだ。

 

 つまり、F.I.S.が二課に要求したように、米国政府を通して真っ当な理由付けでデータを希望すれば、日本政府もそれを承諾してしまう。

 政府が承諾してしまえば、法を遵守する二課も逆らうことは出来ないというわけである。

 

 ティーネは、そのデータから手に入れたフィーネの計画について考えていた。

 

 月が統括するという「バラルの呪詛」を月ごと吹き飛ばし、天変地異を起こして怯える人類を1つに束ねる事で人類を支配するという計画。

 

 (それってもしかしなくても、僕と英雄王の本来の目的に近い気がする。カストディアンに恋慕を抱くって、やっぱり性格とかが近かったからなのかなあ)

 

 ギルガメッシュとエルキドゥのカストディアンに与えられた本来の役割は、エルキドゥがわざと自然災害を起こし、それをギルガメッシュのカリスマで乗り越え統治するというもの。

 要するに、壮大なマッチポンプだったわけである。ルル・アメルは心が弱いものも多く、そうした手段で依存できる存在を作れば盲目的に隸うだろうというカストディアンの想定したシステム。

 ギルガメッシュが反旗を翻し、只の兵器のはずのエルキドゥまで離反する始末だった辺り杜撰というかなんというか。

 まあ、自分の離反はギルガメッシュのカリスマに当てられたからなので、やっぱりギルガメッシュが反旗を翻すことを想定してないカストディアンが悪い。そう思いながら、ティーネは施設内で端末に向かう研究員たちを眺めている。

 

 フィーネがいない今、F.I.S.のフィーネ派閥と米国派閥の間に大きな技術的格差を生み出す可能性は失われた。

 勿論、研究員の質という面では問題はある。

 フィーネ派閥、フィーネの信奉者達はその優れた智慧を持っているからこそ、より優れたフィーネを信奉するに至ったのだ。それ故、基本的にフィーネ派閥のほうがどこかネジの飛んだ才人が多い。

 国歌機関としてはティーネの居る米国派閥のほうが扱いやすいが、その成果の期待値はフィーネ派閥のほうが大きいのである。

 

 米国派閥の不幸中の幸いといえば、(ティーネには知らされていないが)レセプターチルドレンの中にフィーネが現れなかったということだろうか。

 ここでまたフィーネが現れてしまえば、派閥の力関係が変化することなく、今までどおり徐々に引き離されていくだろう。

 ……フィーネがある程度改心しているという事実を知らない以上、彼らにとってはそれが真実だった。

 

 が、そもそも、今はそういったことを問題にしているのではなく。研究者たちがデータ解析のために端末に向かうのも、何も派閥間の成果争いというわけではない。

 端末のディスプレイには月の画像が表示されており、今後の月の描くであろう軌道が示されている。

 やがて、普段はティーネ担当研究者たちの主任である男が、自身の横にいる研究所所長に向き直り静かに口を開く。

 

「……やはり、駄目みたいですね。月は、間違いなく地上に衝突します。我々の研究所でも解析できる事態です。おそらく本部も解析し、本国へと通達しているでしょう」

 

「そうか……」

 

 その言葉に、研究所所長はため息を吐く。

 ティーネは正面の大画面ディスプレイに表示された月の軌道を見る。

 

 荷電粒子砲カ・ディンギルによって破壊された月は、その軌道が僅かに公転軌道から逸らされた。

 その軌道はゆっくりと、だが確実に地上へと向かっている。ルナアタックの傷跡は、こういったところにも表れていた。

 

「……これから、僕たちはどうするんですか?」

 

「……我々米国は、これより独自に生存する道を探す事になるだろう。お前のギアの能力は重要だ、こちらに従ってもらうことになる」

 

 ティーネの質問に、所長はそう答える。

 半ば予想してた答えだが、ティーネはそれに従うつもりはあまりない。というより、従う必要がないという方が正しい。

 この先どう話が運ぶにしろ、ティーネ……エルキドゥの目的は天羽奏の復活。いずれF.I.S.と決別することは目に見えている以上、それが早いか遅いかでしか無い。

 

 さすがに今すぐ離反しようと考えているわけではない。穏便に事を済ませることができるならそれに越したことはない。

 ココらへんは合理的な思考というより人の精神が強くなっていることが影響している。何だかんだ2年程彼らとは付き合いがあるのだから、無碍にするのも問題だろうとまるで人のように考えているのだ。

 

 結局、彼らは本部の、より正確に言えば本部の上層部であり本部の中で国家に近い人々が下した決定により、宇宙への移住計画を考える。

 そのために必要なものは、フィーネが残し、ナスターシャが裏付けをとった遺跡「フロンティア」の起動である。

 最初はそれにエルキドゥを利用するべきだというような話が出た。聖遺物クラックならば、フロンティアの封印解除も容易だからだ。

 しかし、未だに機械起動ができていないエルキドゥを使用するのは危険が伴うということで却下された。今まであまり反抗的態度を取っていないエルキドゥの装者だが、それでも万が一がある。

 人一人に救済計画を委ねることの危険性を考慮し、別な手法を模索することになる。

 

 ということを主任研究者に告げられ、ティーネは少し残念に思った。

 もし自分で起動することができたら、フロンティアに存在する可能性の高いとされるカストディアンのデータの集積体から魂に関する技術を知ることが出来るかもしれなかった。

 そのチャンスを逃すのは惜しいと考えもしたが、しかしいずれ米国がフロンティアを起動させれば、自分もそれに乗ることになる。その時でも(エルキドゥ)にとっては十分だったので、文句をいうことなく従った。

 

 きっと、ここが運命の分岐点だったのだとティーネは後に考える。

 ここで少しでも早く奏に会いたい、と考えるほどに人心が発達していたら。あるいは、周囲の人々のことを考えるだけの気遣いを想像もしないほどに人心が発達していなかったら。

 そのとき自分は、これから進む道とは違う道を選んだのだろう。

 

 そのどちらでもない、中途半端に人心が発達していたからこそ。彼女はある意味最も辛い道程を選ぶことになった。

 

 

 ティーネが主任研究者にこれからを告げられ、自身に与えられた部屋へと帰る途中。

 

 唐突に施設の電気が消え、非常電源の暗く赤い光に切り替わる。

 次いで、大きな爆発音が轟く。音の聞こえた方に行こうとするが、電気が通っていないのかシステムがダウンしたからなのか、自動扉が開かない。

 彼女は仕方なくシンフォギアを纏い、扉を壊して、しかしなるべく端末を破壊しないように突き進む。

 

 先ほど研究者たちがいた端末室が爆発音の発生源と気付き、到着する。

 

 そこには、誰かの襲撃を受けたのか人が倒れている。研究者たちは、破壊された火を放つ施設を慌てて沈下しようと消火器を片手に走り回っている。

 

 ティーネは、端末に表示されるディスプレイを見やる。

 そこには何のデータも映されておらず、砂嵐の中央にFINE(フィーネ)の文字が浮かんでいる。

 

 壁に空いた穴からは、すりガラスのように光を歪ませたノイズが迫る。

 幸い研究所には入ってきてはいないが、最早時間の問題であることは明白である。

 それを見て、研究者たちは死にたくないと怯えた表情を見せている。

 

 

 ティーネにとって、研究者たちは特に注視する存在ではなかった。

 結局彼らがどれほど自分に優しくしても、それは貴重なサンプル兼私兵に対する扱いであることは彼女自身承知していたし、その立場に甘んじていた。

 しかし、ティーネにとって。エルキドゥに芽生えた人間性にとって、彼らは「人間」と扱うべきモノであったことは事実である。

 

 エルキドゥは、人を殺したことはない。

 泥の野人だった頃は、人が側に来ることは1つの例外を除いてありえなかった。

 英雄王と決闘した時は、周囲の人々は決闘以前に離れて様子を見ていたので、彼が巻き込むことはなかった。

 フンババやグガランナという巨大な敵は、そもそも人間ではなかった。

 

 エルキドゥは、人を殺したことがない。

 それは、彼の元になった魂の安定を司る重要な役割を占めていた。

 彼の知る常識において、人を殺すことは悪いことだった。比較的善人の彼は、人を殺すことを望まなかった。

 それは神話の英雄的な精神を持ってしまった苛烈な"1度目"ですらそうだった。

 

 ティーネは、自身のシンフォギアから音を放つ。ノイズの位相を調律する波形はシンフォギアシステム独特のものであり、ティーネ自身の機能では使用できない。

 ノイズの実体化を確認し、周囲の大地を変化させ、大量の鎖を出現させる。鎖は大型ノイズを締めあげ破壊し、数多の小型ノイズを貫き通す。

 

 "2度目"のエルキドゥの戦う理由は、今まで一つに絞られてきた。

 天羽奏の蘇生。自身を揺るがす天羽奏の歌に聞き惚れ、今再び聞くためにとそれだけを願って活動してきていた。

 聖遺物、器物であるエルキドゥは、結局大目標のついでにという程度に他の目的を持っていた。

 "1度目"の先史時代ならそれで十分だった。その英雄的な強さは、それだけで彼の魂を満たしていった。かの王のカリスマは、それだけで彼が生命を、魂を掛けて戦う理由になった。

 

 しかし、今は違う。"2度目"の彼女は、エルキドゥから人間性の強い人格を作られたティーネは、少女たちの優しく強い心に、大人の子を守ろうとする温かい心に触れ続け、優しく甘い魂となった。

 その魂は未完成ながらも、それでも彼女は目の前の死を見過ごすことができなくなっていた。

 

 だから、彼女はノイズを破壊した。人を無慈悲に無感情に殺戮するノイズは、彼女の心を甚く傷つけたから。

 だから、彼女は戦う理由を増やした。殺戮兵器を操る存在を、認めるべきではないと考えたから。それを止めることが、抜本的な解決となることを器物でもある彼女は理解した。

 

 彼女が、自身の目的のために手段を選ばないほどに人心が発達していれば。彼女が、自身の目的以外のことを認識すらしない程度に人心が発達していなければ。

 今から選ぶ選択と、彼女は選択を違えただろう。

 

 だから、彼女は────。

 

 

 

 

 特異災害対策機動部二課は、その状況に全員が焦燥を浮かべている。

 

 黒いガングニール、全世界への宣戦布告、そしてノイズを操る力。

 彼女ら、"フィーネ"を名乗るテロ集団の持つ力は本物であり、今まさに二課の誇る装者が追い詰められている。

 

 日本政府は、櫻井理論を全世界に公表した。しかし、ルナアタックの功績者である英雄たちについては秘匿している。

 風鳴翼がカメラに映っている限り、人類守護の防人であることを晒すことは歌の道が閉ざされることと同義。

 

 それを止めることは、今現在で二課の仮設本部に居る人間では不可能。 現地にいる緒川に任せるほかない。

 誰もがつばを飲み込み画面を凝視する、その時二課のアラームが新たに警報を発した。

 司令である風鳴弦十郎は、真っ先に情報の確認を周囲に取る。

 

「どうした、何事だッ!」

 

「はい、太平洋上空、弾道起動を描いてこちらに向かってくる飛翔体を確認! ですが、これは……!」

 

 オペレーターの一人、藤尭朔也はその情報確認に瞬時に対応、端的に情報をまとめ伝達する。

 その顔には驚きが浮かんでおり、思わずデータを2度見返す。

 

「大きさは人間大、速度はマッハ10……アウフヴァッヘン波形が観測できます!」

 

「波形パターン、不明……。ですが、これはまるで……」

 

 その時、どうやって撮影しているのか飛翔体の映像が映る。

 超音速で飛行するそれは、白い外套で全身を覆い、周囲の空気を取り込み高速で噴射している。

 前面部を白い外套で覆い隠し、その先端は超音速によるソニックブームのダメージを軽減するためか、細く鋭く尖っている。

 まるでミサイルのようなそれは、脚部が装者特有のボディスーツで覆われていた。

 

「馬鹿な、シンフォギアだとォッ!?」

 

 その姿を前に、風鳴弦十郎は思わず机に手をつき椅子から立ち上がった。

 

 

 

 風鳴翼は、ライブの壇上から吹き飛ばされるように蹴落とされ、今まさにノイズの軍勢によって炭化されることを待つ身となっていた。

 その心に焦りはない。自身の夢から覚めてでも、己の防人としての使命を全うする。その顔には、笑みが浮かぶ。

 

「ッ、勝手なことをッ!」

 

 ノイズが集まる様子に、風鳴翼と敵対する女性──黒い烈槍(ガングニール)を纏う、マリア・カデンツァヴナ・イヴは動揺を口に出す。

 

 カメラによる全世界中継は、ルナアタックの英雄の1人、風鳴翼の歌女たる自分との決別を映し出そうとしていた。

 

「聞くがいい、防人の……ッ、何、これはッ!?」

 

「馬鹿な、鎖だとッ!? それは、そのギアはッ!」

 

 聖詠を口ずさもうとした風鳴翼の体を、金色に輝く鎖が絡めとる。

 ノイズの集団から翼を引き上げるその鎖を見て、マリアが驚愕の表情を浮かべた。

 

 鋭く上を見上げれば、ライブモニターのはるか上空へと繋がる鎖の先に純白の外套を纏う若草色の装者の姿が表れる。

 

『気をつけろ、翼! そいつは、今さっき太平洋を超えて飛んできた! ……シンフォギアの装者だ!』

 

 馬鹿な、と翼はその姿を見やる。

 全身に白い外套をまとう彼女は装者には見えない。しかし、よく見るとその外套の下には装者の纏うスーツが見え隠れしている。

 その表情は笑っているが、翼にはそれが笑みには到底見えなかった。

 

 やがて翼を受け止め、ステージへと降りる新たなギア装者。

 その姿をみて、マリアは驚愕から憎しみの表情を浮かべる。しかし、その憎しみは目の前の少女というより、別な何かに向けているかのようだ。

 マリアは少し下を向いて躊躇し、すぐに正面の少女を見据え叫ぶ。

 

 

「どうしてあなたがここにいるの! ティーネッ!」

 

「僕が君たちを止めたいからだよ、マリア」

 

 

 少女──ティーネ・チェルクは。エルキドゥが作り上げた「人に溶け込む」魂は。

 ノイズを操るテロ組織を──ティーネにとってかけがえのない友を止めるために、舞台へと降り立った。

 

 



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第6話 フォニックゲインを、力に変えて

「私達を……止める?」

 

「うん、そのためにここに来た。何があったのかは知らないけれど、たとえマリアが友人だとしてもノイズを操って施設を襲撃するなんて暴挙に出たことを許せない。そのくらいには、僕は優しくなっちゃったみたいでね」

 

 翼を支えるティーネと呼ばれた少女は、マリアの前に立ちそう語る。

 彼女たちが知りあいであるかのように振る舞う姿を見て困惑していた翼は、ふと周囲のモニター塔を見る。

 本来ステージを映し出すそのモニターに、今この状況が映し出されていないことを確認した翼は笑みを浮かべる。

 

(これは……、緒川さん、感謝します)

 

「ティーネといったか、すまないが、私に支えはもはや不要だ。戦場(いくさば)に咲く防人の歌、見事刃鳴散らして見せよう」

 

「……え、あ、うん、そう? 何言ってるかわからないけど下ろすよ?」

 

 翼はティーネに下ろすように呼びかけ、ティーネは何処か戸惑ったようにそれに応じる。

 なにか可笑しなところがあっただろうかと翼は心のなかで首をひねりながら、その疑問を微塵も表情には出さず胸に浮かぶ歌を歌う。

 

Imyuteus amenohabakiri tron(羽撃きは鋭く、風切る如く)

 

 その瞬間、風鳴翼は剣を纏い防人としての姿を晒す。青を中心とした色で構成されたその凛とした立ち姿は、一振りの刃を彷彿とさせる。

 ティーネ(エルキドゥ)は、2年前の彼女を憶えている。当時に比べ背丈も伸びた。ギアも白色の領域が増え、多少形状も変化している。

 表情は記憶のそれとは異なり、己の歌に誇りを持ち、己の果たす使命を全うする強い意志が秘められている。

 天羽奏に先導されていた2年前の彼女とは違うはずなのに、それでもどこか懐かしさを感じる。

 

「すごいね、相変わらず美しい歌だ。いや、ともすれば前よりも綺麗に響くような歌かもしれない」

 

「前……? 私の歌、どこかで聞いたことがあるのか? ティーネは」

 

「うん、まあ、前に少しね。それより、今はノイズと彼女を止めないと」

 

 彼女を歌を聞き、思わずといった風に零すティーネ。

 そのティーネの言葉に耳聡く反応した翼の言葉を軽く流し、ティーネは瞳をノイズに向ける。

 

「ふ、確かにその通りだ。戦場で語る言葉は携えた剣に他ならない。そのことについては、後に問を鞠するとしよう。……マリアが貴女の友というなら、私が彼女を──」

 

「いや、それには及ばないよ。僕がマリアの相手をするから、翼はノイズを頼む。あとごめん、後に何するかわかんないよそれ」

 

 常識的な語彙しか無いことを示すツッコミを残して、ティーネは外套を変化させた黄金の鎖を振るいマリアの下へ駆け出す。

 翼はその彼女の言葉を信じ、壇下のノイズに踊り出る。

 

 手に持つ刀を幅広のブレイドへと変じ、まるで稲光のような藍白の斬撃を放つ。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

             蒼 ノ 一 閃

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 その一撃は切断されたノイズはおろか、余波を受けたノイズすらも炭素へと還す。

 

 翼は斬撃の着弾した地点に流れるように着地し、両手を地に付き天地を逆転する。

 足のブレードを展開した翼は、独楽のように己の体を回転させ、ノイズの集団へと斬りかかる。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

              逆 羅 刹

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 ノイズの群れを切り開いていく姿はまさに旋風と呼ぶにふさわしく、会場にいたノイズが瞬く間に数を減らしていく。

 

 群勢を横断した翼は、その勢いのままに腕の力で跳躍し、空中で姿勢を変える。その瞳は、変わらずノイズを見据えている。

 その背後には光の剣が大量に出現し、会場中のノイズへ向けて雨のように降り注ぐ。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

             千 ノ 落 涙

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 その剣は、まるで流星雨のように降り注ぐ。大型のノイズがいない以上、この攻撃をノイズ達が凌げるはずもなく。

 会場の人々を一時危険に晒したノイズは、まるで蜃気楼だったかのように忽然と姿を消した。その存在の証は、炭となった残骸と翼の攻撃による会場の破壊痕のみとなっていた。

 

 ノイズを殲滅した翼は、壇上へと目を向ける。

 翼には彼女たちの事情はよくわからない。だが、それでも友と戦うというその覚悟を見届けようという思いを抱いていた。

 

 

「どうしたの、ティーネ! 私を止めると言っておきながらその体たらくは! F.I.S.の正式な装者の名が泣くわよッ!」

 

(よく言うよ。そもそも僕のギアの武装は戦闘向きじゃないのにさ)

 

 翼がノイズを殲滅していた頃、ティーネとマリアは壇上を駆けていた。エルキドゥとガングニールの戦いは、ガングニールが明らかに優勢だった。

 

 LiNKERを使用しているマリアと、表向きはシンフォギアを十全に扱えるティーネではその持久力の差は歴然である。そもそも人間ですら無いティーネにとって、長時間戦闘は容易なものだった。

 しかしながら、此処に来てティーネは自身の思わぬ弱点を発見していた。

 

(というか、僕が使ってもシンフォギアって弱い。いや、欠片の力を欠片分しか発揮できないんだから当然なんだけど)

 

 ティーネは、シンフォギアを自分自身(エルキドゥ)の聖遺物クラック機能を用いて起動している。

 この機能はどんな状況であれ、常に十全にギアの持つ聖遺物の欠片の強さを扱うことができる。どれほど精神的に落ち込んでようと、どれほど扱うギアに適正が無くともだ。

 しかし、そもそもシンフォギアとは欠片の力を歌で増幅して戦うための武装である。たとえLiNKERを使用していても、その力は只の欠片とは比べ物にならない。

 

 また、相手がシンフォギア装者であるということもその不利に拍車をかける。

 ティーネのギア「エルキドゥ」は、一応は鎖のシンフォギアである。アームドギアの形状は外套であり、その性質は聖遺物のコントロールや無機物との共振、そして模倣による変化が挙げられる。

 その性質上、例えば相手がルナアタック時のフィーネを相手にしていればほぼ完封できると言っても差支えはない。

 フィーネがどれほど強力な完全聖遺物の組み合わせを使用していても、「エルキドゥ」はそのすべてを押さえ込める。

 聖遺物というアドバンテージがなくなってしまえば、あとは生身の強さや耐久性の差を考えれば結果は歴然となる。

 しかし、この聖遺物クラック機能は励起し身に纏われたシンフォギアには使えない。

 歌という不安定な波長によって自身のエネルギー波長を大きく変動させるシンフォギアに対応出来るだけのクラック機能は、エルキドゥには備わっていない。

 それは完全聖遺物としてのエルキドゥにすら無いものであり、ギアの「エルキドゥ」では尚のこと不可能だ。

 

 結局、エルキドゥの力は多方面多分野における対応力こそ高いが、それだけだ。ティーネの「エルキドゥ」のギア装者としての力は器用貧乏という言葉でしか表せないのである。

 ティーネの肉体、完全聖遺物としての力を徹底的に隠しても尚素で強力な力を発揮するその強固な肉体があるからこそやや不利程度で済ませていられるが、はっきり言えばこのままでは勝ち目がない。

 マリアがアームドギアを展開していないのにこの有り様である。ティーネは非力なギアを考えて、心中でため息を吐く。

 

 この状況では、精々無機物との共振で地面を変化させ風を操り、相手の行動を逐一遮る嫌がらせのような戦法で精々である。

 その共振も、エルキドゥのギアの出力ではシンフォギア相手には心もとない。風を操れるティーネは、どう見ても完全な逆風の中にあった。

そして、まさしく完全な逆境を耐えぬいている時にも、更に悪いことは続く。

 

「大丈夫か!? いまそちらに……ッ!?」

 

 翼がティーネを不利と見て、加勢へと向かう。

 会場を駆け抜け壇上へと飛び上がろうとする翼に、赤紫の丸鋸と翠色の飛鎌が放たれる。

 手に持つ刀でそれを振り払うが、空中で弾き飛ばされたために姿勢制御しつつ再び壇下に着地する。

 

「新手!? 邪魔立てするとは、何者だ!」

 

「加勢なんて、させないデェスッ!」

 

「そっちの加勢は認めないけど、私達は貴女を倒してマリアに加勢する」

 

 新たに戦端に加わった暁切歌(イガリマ)月読調(シュルシャガナ)が、翼の道を阻む。

 その姿をみたティーネは、呆れとも納得ともつかない表情を浮かべる。

 

「あぁ、マリアがいるからもしかしたらと思いはしたけど。3人とも、何やってるんだ……」

 

 彼女の友人たちは、確かに弱者と言える存在だった、きっと不満も溜め込んでいただろう。

 だからってこんなことに加担することもないだろうにと考えるティーネ。

 

 ティーネの不幸そうな来歴は偽りであり、その感情も最初は偽っていた。

 そんなティーネが、たとえ3人と共感できるような仕草をとったとしても、彼女たちの心の傷を理解できているわけがない。

 米国政府の計画では、マリアたちのような弱い立場の存在を切り捨ててしまうものとなる。

 弱者を想えばマリアたちは共感せざるを得ないし、それをとめ、弱者が踏みにじられる事のないようにと願うのは当然のこと。

 まだ魂も不完全なティーネは、そんな3人の気持ちを完全に理解することはできなかったのである。

 

「……ッ、そんな目で私を見るなッ!」

 

 故に、その呆れたかのような表情を見たマリアは激昂し、ティーネを強く吹き飛ばす。

 鎖を振り払われたティーネは、会場の反対側へと叩きつけられる。

 マリアはそんなティーネの下へと跳び、その顔に(ガングニール)を突きつける。

 

「……今からでも、遅くないわ。私達と来なさい、ティーネ」

 

 その声音には、友と敵対したくないという心と、人を害したくないという不安が浮かぶ。

 声に浮かぶ感情を理解しながら、しかしティーネは首をふる。

 

「いや、遠慮しとくよ。理由はどうあれ、僕にとってマリアたちが馬鹿をやってるようにしか見えない。だから止めようって気にはなるけど、馬鹿に加わりたいって思うわけがない」

 

「……そう。ならいいわ、そこで寝ていなさい」

 

 そういうとマリアはアームドギアを展開する。刃が開き、光が収束する。

 たとえギアを纏っていようと、弱っている装者が受ければ昏倒させるだけの槍の一撃。

 最悪、ティーネを気絶させてそのギアを強奪すれば、これ以上彼女による邪魔は入らない。

 

(きっと、あなたは私を憎むでしょうね……)

 

 ティーネのギアは、母親から与えられたいわば形見の聖遺物から作られたと聞いている。

 まるで追い剥ぎのようにそれを奪おうとしているのだ。そうなれば、ティーネはきっと激怒する。

 

(でも、それでもいい。貴女とこれ以上戦うことにならないなら、それで……)

 

 マリアは基本的には善人であり、つまるところその精神性は普通の少女と大差がない。

 だからこそ、人の命を奪うことを、自身の手を血で染めることをためらう。それと同じように、彼女は友との戦いを嫌がっている。

 

 ギアさえ奪えば、ティーネは戦えない、殺さなくとも良い。マリアの思いの篭った烈槍の一撃が放たれようとしたところで、彼女は上空の歌声に気づく。

 

 

「そんな真似、させっかよ!」

 

 マリアが己の直感に従って即座にその場を離脱すると、上手くティーネに当たらないように光の矢が降り注ぐ。

 

「おい、そいつは任せた!」

 

「うん、分かったクリスちゃん!」

 

 イチイバルの装者、雪音クリスは、自分と同時に飛び降りた少女がティーネの下へと降りたことを確認し、翼の援護に弓を向ける。

 

「あの、大丈夫ですか!」

 

 ティーネの下にはオレンジ色のギア、ガングニールを纏った少女が着地する。

 ガングニールの装者、立花響。ルナアタック最大の英雄を、ティーネは見やる。

 

「うん、ありがとう。僕はまだ平気だから、君の仲間を助けに行ってあげて」

 

 そう言って、響に仲間のもとにいくように勧める。

 

 破損しても修復が容易な泥の肉体は、ギアの出す波形に紛れて再生を開始している。

 強力な波形を出さない程度の回復では傷を癒すのに多少時間はかかるが、それだってこの戦闘が終わるまでには復帰できるだろう。

 

 そう考えての勧告だが、響はほんとうに大丈夫なのか何度も念を押す。

 

「本当に大丈夫なんですね? ……私、皆の下に行ってくるので、待っててくださいね!」

 

 そういって響は援護に向かう。何度もこちらをちら見しながら向かっていき、その後はマリアたちに何かを訴えている。

 その訴えは調の激昂を誘発したようで、今は調と戦い……というより、一方的な攻撃を回避することに終始していた。

 

 どうやら調は、響の言葉を偽善者のそれと認識したらしい。ティーネはその調の態度に首をかしげる。

 

(そこまで怒るようなことを、あの子が言うのかなあ)

 

 ティーネは響と交わした少しの会話だけでも、多少性格を掴んでいた。真面目で、人の命を大切にしている少女。それがティーネにとっての第一印象であり、そんな少女が、優しい調を怒らせるようなことを言うだろうかと考えていた。

 

 当たり前だが、お互いの生きる立場が違えば、その言葉の捉え方も変わる。

 調からすれば、響はなんのかんのと普通に日の当たる場所を過ごし世界を救った英雄として持て囃されている人間である。

 そんな響が何か耳触りのいい(と調が捉える)言葉を吐いたとして、それを心から言っていると思うかといえば、その答えは否となる。

 響のことを伝聞以上に知らない調が、痛みを知らないくせに、と激昂するもの無理はない。

 

 響はその言葉に衝撃を受けていた。

 立花響は、痛みを知らないわけではない。自分が皆のために、家族のためにと思ってリハビリを頑張っても、いざ復帰すればそこに待っていたのは理不尽な現実。

 確かに、立花響は月読調のような体験をしてきたわけではない。

 しかしその心に今まで受けてきた傷は、決して浅いものではなかった。立花響は、痛みを知っていたのだから。

 

 受けた衝撃から立ち直ることができていない響は、呆然と攻撃を受けそうになる。

 

(何をそんなにショックを受けたんだ!?)

 

 ティーネは慌てて鎖を射出し、響の周囲を守るように展開する。

 恐らくそうしなくとも他の装者に庇われただろうが、念のため程度の気持ちで使用した。

 

 調はその鎖に驚き、ティーネを見やる。未だに立ち上がれず、それでもギアを展開するティーネに、調は怒りの感情を抱く。

 

(どうして。ティーネは、あんな偽善者のことを認めるの!?)

 

 心のなかでそう叫ぶ調に、ティーネは気づく様子もない。

 その事実に益々理不尽だという思いを増す調。

 

 

「ッうわああああ!? 何あのでっかいイボイボ!」

 

 と、そこで。

 会場の中央に一際強い光が輝き、そこに大型のノイズが出現する。

 自己を増殖させ続けるそれは、人ならば思わず生理的に嫌悪するかのような見た目をしていた。あんまりにもグロテスクな見目のためか、響が思わず驚きの声を上げる。

 

「……マム」

 

 それを見たマリアは、彼女らに指示を出していたナスターシャに連絡を取る。

 このフォニックゲインの伸び率では、到底あの聖遺物を起動できない。そう考えたナスターシャは、3人に退くことを命じた。

 

「……。わかったわ」

 

 マリアはノイズを槍で砕く。自身で呼び出した味方をわざわざアームドギアを用いてまで破壊するという行為は、思わず二課の装者たちも驚きを隠せていない。

 しかし、その理由はすぐに分かった。増殖分裂型のノイズは、砕け散ったその肉体すべてを一気に増殖させていく。

 

「くそっ、何だこりゃ!」

 

「拙い、一手出遅れたか!」

 

 ノイズを斬り捨て、蜂の巣にしている翼とクリスが思わずと言った体で叫ぶ。

 彼女らが倒したはずのノイズもまた、分裂し増殖しているのだ。

 

 同じくノイズをふっ飛ばしても再生される響のもとに、一旦ノイズを振り払った翼とクリスが集まる。

 

「生半可な一撃では、徒にノイズを増やすだけだ!」

 

「……ッ、どうすりゃいいんだよッ!」

 

 周囲を警戒しながら端的に現状を伝える翼に、クリスが答えを見出せず吐き捨てる。

 そのノイズ達は今も増え続け、今にも会場から溢れだしてしまいそうにも見える。

 

 更に、翼のマネージャーであり二課所属のエージェントである緒川慎次から、会場の周囲には脱出した観客たちがまだ残っていることを説明される。

 その情報に、立花響の脳裏に浮かぶのはライブを見に来ていた友人たち。このノイズを仕損じれば、友人たちが巻き込まれる。

 絶望的な状況を前に、響は決意の表情を浮かべる。

 

「……絶唱。絶唱です!」

 

 

 傷が回復しきらないティーネは、何か衝動に突き動かされるように体を起こす。

 この生命を燃やすかのような気配は、彼女(かれ)にも憶えがある。

 

 ティーネ(エルキドゥ)は、奏の絶唱を知っている。その歌が彼を起動させたのだから、彼はその歌を何よりも鮮明に憶えている。

 嘗てのソレに比べれば、はるかに安定した波動。しかし、その気配は間違いなく絶唱だった。

 

 

 装者の3人は、響を中心に手をつなぐ。

 

『 Gatrandis babel ziggurat edenal 』

 

 3人の歌が響く。ノイズは未だ増殖を続け、今にも溢れ出しそうなほどである。

 

『 Emustolronzen fine el baral zizzl 』

 

 しかし、ソレに何ら恐れを抱いていないかのように、彼女たちは歌い続ける。

 

『 Gatrandis babel ziggurat edenal 』

 

 彼女たちはなぜ恐れないのか。それは偏に、歌の強さを、力を、歌そのものを信じているから。

 

『 Emustolronzen fine el zizzl 』

 

 

「Superb Songッ!!」

 

「Combination Artsッ!」

 

「Set, Harmonicsッ!」

 

 装者達の声が、歌の音が鳴り響く。

 その唄を、そのエネルギーを立花響は調律する。

 立花響のアームドギアは、その拳。手をつなぎ調律する事を特性とするアームドギアは、立花響の思いの象徴である。

 

 負荷を自身のその身に一心に受けた響は、苦痛をその顔に浮かべながらも、そのエネルギーを維持し続ける。

 やがて増殖したノイズをすべて消滅させ、その核となっていた大型ノイズを吹き飛ばした。

 

「ああ、すごい。ガングニールを奏から継いだだけはあるなあ」

 

 響から放たれる虹色の絶唱を見届けたティーネは、そう言って満足な笑みを浮かべる。

 彼女は、響が2年前のあの日にいた事を思い出していた。

 あのときはただ奏の歌を聞く事しか出来なかった少女が、奏の武器をその手に纏い歌をうたう。

 

 彼女の強さを後に伝える人がいた事、その事実を心の底から喜んでいた。

 

「……。あれ?」

 

 その瞬間。自分の肉体に感じた違和感に、ティーネは僅かな疑問を抱きつつも二課の奏者たちの下へと向かっていった。



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第7話 聖遺物と友の心

「と、いうわけで! これから二課で共に戦ってくれる『元』F.I.S.所属のシンフォギア装者のティーネ・チェルク君だ。全員、よろしく頼むぞ!」

 

「あ、えっと、紹介にあずかりました、ティーネです。勝手にF.I.S.離脱して領空侵犯して不法入国してここに来ました。これからよろしくお願いします」

 

 巨大潜水艦である特異災害対策機動部二課の仮設本部。その中は現在華やかな飾り付けがされ、天井に吊るされた横断幕には「ようこそティーネくん」と書かれている。

 相変わらず特務機関とは思えないほどのアットホームっぷりに、なんだこれと思いながらも空気に流され対応するティーネ。

 彼女と同様比較的新入りのクリスを除き、二課の面々はもはや疑問を抱いてすらいないようだ。

 

「随分と斬新な自己紹介だな、おい。気持ちはわかるけどよ」

 

 常識をまだわきまえてるクリスが、とりあえず同情するかのような台詞を口にする。

 同じ装者の響は特にそこら辺を気にかけてるわけではないらしく、「やったー! これから一緒に頑張ろーねっ!」とはしゃいでいた。

 

 本当、どうしてこうなった。自分で道を選んだとはいえ、まさかこうもアットホームで賑やかだと思わなかったティーネは、そう自問せざるを得なかった。

 

 

 時間を遡ること数十分前。

 テロ組織「フィーネ」の装者たちが撤退し、二課の部隊もライブ会場へと到着する。

 しかし、二課の装者たちはギアを解除せず、1人の少女を迎えに行く。

 

「さて。立てるか、ティーネ? 悪いが、何処ぞに帰すわけにはいかない。大人しく同行してもらおう」

 

 上半身だけを起こしていたティーネに対し、翼は心配をしつつも毅然とした対応を取る。

 戦場において、敵の敵が味方になるなどという単純な図式が成立するとは限らない。ましてやティーネはテロ集団と親しげな様子を見せていた。

 怪しむのは当然であり、その上で心配する翼はむしろその優しい人間性を垣間見せているといえる。

 

「うん、大丈夫。大人しく同行するよ」

 

 そういったティーネは、ギアを解除して只の貫頭衣を身にまとう。

 シルエットにはほぼ差が無いが、脚部のスーツや角のようなヘッドパーツが解除されている。

 その姿の変化の薄さに、翼は思わず面食らった。

 

「ふむ、わかりづらいがギアを解除したわけか。ずいぶんと変わったギアなのだな」

 

 感心したような声音でティーネのギアを評する。

 ティーネはハハハと軽く笑い、翼の誘導に従い二課の車両に案内される。そしてその腕に頑丈な電子手錠をはめ込まれ、両脇を黒服の二課職員に抑えられ車両の後部座席へと乗せられた。

 その姿を遠目に見ていた響は、なんかどっかで見たようなデジャヴな光景に乾いた笑みを浮かべ力なく笑う。

 

 しかし、すぐにその笑みも止み、悩んだような表情をみせる。

 

(痛みを……知らない……。私は、偽善者なのかな……)

 

 その心には、調に詰られたことが刺のように突き刺さっている。

 側にいたクリスは心配そうな表情で響を覗きこむがなにか声をかけようとして、結局どう声をかけるものかわからないでいた。

 

 

 そして、その後。

 

 二課へと案内されたティーネは、先ほどのような歓待を受けたのである。

 あまりのほのぼのさ、そして無駄な組織的対応力の高さにティーネの未熟な精神は対応しきれず、先ほどのような頓珍漢な受け答えをすることになった。

 

「んで、あいつらとの関係ってのはどうなってんだ? ってか、F.I.S.ってなんなんだよ?」

 

「そうだな、テロ集団とF.I.S.との関わり、問いたださせてもらおうか」

 

 ひと通り歓迎が済んだところで、空気を改めクリスと翼が質問する。

 ようやく自分の理解できそうな状況になって、ティーネは内心で安堵した。

 

「うん、そうだね。じゃあまずF.I.S.についてだけど。F.I.S.は終末の巫女フィーネと米国政府が立ち上げた、聖遺物研究機関。平たく言えば、アメリカ版二課ってところだね」

 

 まあ、人道性や組織としての方向性は真逆って言っていいと思うけどね。ティーネはついでのように一言付け加える。

 

「ティーネ君から聞いたところ、フィーネ……了子君が米国と通謀していた、その相手こそF.I.S.らしい。日本政府の情報開示以前より存在していたそうだ」

 

「基本的に秘密結社のような組織で、秘匿主義。話を統合すると、智慧を盲目的に求める研究者たちの蟲毒の壺のような場所であり、それ故に米国側も持て余し気味だったと聞いています」

 

 ティーネの台詞に付け足すように、風鳴弦十郎と緒川慎次が情報をまとめる。

 F.I.S.の設立経緯、そこでの研究は櫻井了子、つまりフィーネによって主に執り行われてきた。

 比較的米国側に通じていたティーネの所属していた支部も、結局その技術の根幹はフィーネのソレであり、フィーネが米国との繋がりを維持し貸しを作るために意図的に見逃されていたものにすぎない。

 

「その技術は、普遍的ないし汎用的に聖遺物を扱うというものに特化しているらしい。奏君が使っていたような、本来適合しない人間を装者と変えるLiNKERや、機械的な聖遺物の起動などを主題に置いていたようだ」

 

「LiNKERッ!? では司令、彼女たちはLiNKERを使用しているのですか!?」

 

 弦十郎のその発言に、片翼の歌の果てを思い出した翼が思わずと言った体で問いを投げる。

 ツヴァイウィングのもう一人の片翼、天羽奏はLiNKER……聖遺物の力と人体を繋ぐための、強力な制御薬を使用していた。

 奏が肉体を痛めつけ、血反吐にまみれて手に入れた時限式の力。力を使えないはずの人間に力を持たせるために寿命すらも削るその薬に対し、風鳴翼が反応しないということがあるわけがない。

 翼のその質問に弦十郎がそちらを向く。が、それに答える前にティーネがあっけらかんと口を開く。

 

「うん、そうだよ。なんでも『あなたに優しい』をモットーに改良してるらしくて、天羽奏の使っていたそれに比べ遥かに安定しているらしいよ?」

 

 その軽い態度に、思わず翼はティーネを睨む。しかし、その口調とは裏腹に、ティーネの表情には苦々しげな表情が浮かんでいる。

 

 ティーネは二年前からF.I.S.に在籍しており、改良される以前のLiNKERを使用しているマリアたちも幾度も見てきた。

 改良されたLiNKERは確かに優れてはいるが、そもそもその薬に苦しめられてきた彼女達を知っている身としてはあまり使って欲しくないと考えることは自然である。

 それがわかった翼は、その鋭い眼差しで睨むことをやめる。

 

「そう、か……」

 

「そう。あとは、F.I.S.の聖遺物の機械制御についてだけど……」

 

 その後も、ティーネは自身の知る限りのことを伝えていく。今回の実行犯であるレセプターチルドレンの装者たちや、恐らく背後に居るであろうその保護者。F.I.S.の技術力や保持する聖遺物。そしてそれらがテロ集団「フィーネ」としてまとまっているという事実。

 彼女が一通り説明を終えたところで、クリスが疑問に思ったことを伝える。

 

「……おい。今までの説明だと、ノイズを支配することができる聖遺物がないじゃねえか。どういうこった、流石に聖遺物無くてもノイズ操れるってわけじゃねえんだろ?」

 

 テロ集団「フィーネ」は、ノイズをコントロールする技術を保持している。

 それは今回のライブ会場の襲撃などから用意に想像がつく。しかし、ティーネが挙げた聖遺物には、その能力を持つと思われるものはなかった。

 

「でも、今回強奪されたのはそれで全部だ。僕が知る限り、F.I.S.にある聖遺物でノイズをコントロールできる代物は存在しなかったよ。」

 

 そう断言するティーネ。彼女の持つ聖遺物クラックの力は、米国が機能不明とする聖遺物を調査するための実験に幾度となく用いられた。

 強奪された聖遺物で彼女の知らない物はない。ノイズを操る聖遺物をF.I.S.は持っていなかったのだ。

 

「それはソロモンの杖が強奪されたから、ではないのか?」

 

 翼は響やクリスが遭遇した事件について思い返す。

 ウェル博士が運んでいた完全聖遺物「ソロモンの杖」は、ノイズを操る聖遺物。強奪したそれを使って……と考え、そこでひとつの矛盾が生まれたことに気づく。

 

「いや、そうか。ソロモンの杖を運ぶウェル博士もまたノイズに襲われていた。これが離反し暴走したF.I.S.一部の仕業とするなら……」

 

「そこで何者かがノイズを操っている、つまりノイズを操る聖遺物ないし異端技術を持っていたことに他ならないということか……」

 

 翼の言葉を、弦十郎が引き継ぐ。その言葉に同意するように、クリスは頷いた。響はあまりよくわかってなさそうだが。

 ティーネは彼女らの言葉を聞いて1つ確認したいことが出来た。

 弦十郎の方を向いたティーネは、一つの質問をする。その顔には、何か嫌な思い出があるかのように歪んでいる。

 

「……。ウェル博士? それってウェルキンゲトリクスのこと?」

 

「ああ、Dr.ウェルキンゲトリクス。米国所属の研究員で、ソロモンの杖の受け渡しのために我々が護衛していた人物だ」

 

「だとしたらおかしいよ? 僕が知っているウェルキンゲトリクスは、一種の異端だ。色々手遅れなくらいこじらせてて、僕は彼が心底嫌いだった……ってことはともかく、ウェルキンゲトリクスは異端技術に優れるフィーネを崇拝していた。彼が米国側と武装集団側、どちらに立つかと言えば、それは……」

 

 ティーネはそこで口を閉ざす。あとは言わずもがなだろうと、その態度が示す。

 疑問が氷解したかのような表情を浮かべる弦十郎。考えれば単純なトリックで、要するに只のウェルの自作自演、それに自分たち特務機関が踊らされていたにすぎないということだ。

 彼ら二課がその内情を調査できてさえいれば、今回の事件は起こりえなかったのかもしれない。そう考える弦十郎の心に悔恨の念が浮かぶ。

 クリスはあの時、ウェルにソロモンの杖を引き渡したことを思い出す。真犯人にわざわざノイズを操る聖遺物を与えてしまった。自身が起動したソロモンの杖だというのに、その処分を余所に投げた結果がこれだと内心で自責する。

 

「しかし、ウェルキンゲトリクスが関わってたなら彼女(マリア)たちの蜂起も頷……けない、かなあ。いくら月が落ちるからって、あんな馬鹿な事を……いや、でも……?」

 

 大多数の踏み台とならざるを得ない存在を助けたいというその心を、ティーネは想像することすら出来ない。いまいちマリアたちの動機を理解しきれていないティーネは、そうぼやいた。

 言葉が止み、信じられないものを聞いたという表情の二課。職員周囲の空気の変化に戸惑うティーネは、ふと自身の発言を振り返る。

 もしかして、と思い当たったことを彼らに伝える。

 

「もしかして、月が落ちるって知らない? ……そうか、月の軌道データを収集してるのは米国だから、知らないのも無理は無いのか」

 

 再び慌ただしくなった二課仮設本部。ティーネが記録しているデータが二課に伝えられ、それを元に軌道計算を行う。

 月が地表に衝突、深刻なダメージを発生させる事を確定させた二課は、それを関係各省庁と協議すると伝え、明日の生活のためにと奏者たちを外へと送り出した。

 

 

 船が水面へと姿を表し、港に接岸する。そのハッチが開き、中から響達3人が出てくる。外洋に見えるその水平線には朝焼けが見えるが、未だ月は空に輝いていた。

 立花響は月を見上げ、不安そうに目尻を下げる。

 

(月が……落ちちゃうかもしれないんだ……。調ちゃん達は、まさかそれを知ってて……)

 

 もしそうだとしたら、彼女たちは人助けのために戦っているということだ。会場ではノイズを操りはしたけど、そこに人的被害は出なかった。

 しかし、仮にウェル博士の話が本当だとするなら、車両護衛をしていた人々や、基地の人々を虐殺したのも彼らである。

 悩みの種はそれだけではない。調に言われた、偽善者という言葉。その激情も、響が心を悩ませる一助となっていた。

 

「……私、あの子達と戦わなきゃいけないのかな。困ってる人を助けたいって、その心は偽善なのかな……」

 

 彼女がそう思うのは、本心である。人を傷つけたくない、誰か困っていれば助けたい。

 トラウマになるような悲劇を過程に挟んだため、現在は自分より他人を優先しがちになることもある。

 しかし、誰かを助けよう、誰かを喜ばせようという心根は立花響の本質である。

 槍のシンフォギアを纏いながら、そのアームドギアが手甲のままであるという点にも、それが表れている。

 

 だからこそ、響は答えの出ない悩みを抱える。

 本心を、胸の中からの言葉を偽っていると言われても、彼女は偽っていないのだから。

 

「おいおい、まだ気にしてんのか?」

 

「うゎひゃっ!? っとと、クリスちゃん……」

 

 と、そうやって悩み呆けている響の背後に来ていたクリスが肩を叩く。考えに集中してた響は不意打ち気味な軽い衝撃に驚き、悲鳴をあげた。

 

「あいつらに何言われたのかは知らないけどさ、あんま悩みすぎんなよ?」

 

「そうだな、雪音の言うとおりだ。そんな表情(かお)は、立花には似合わないぞ?」

 

「クリスちゃん……翼さん……」

 

 クリスの台詞に合わせるように、翼が響を励ます。

 その言葉に、響は顔を上げ二人の方に向き直る。

 

「……うん、頑張るよ! 私には二人もいるし……。それに、F.I.S.の人達も歌を歌ってた。きっと、分かり合えるよね」

 

 彼女たちもまた、歌を歌っていた。なら、いつかきっと分かり合える。

 響は胸に浮かぶその考えを、笑顔で迎え入れた。

 

 

 それを、潜水艦内から見ていたティーネ。その表情には、なにか良い物を見たのだと妙に満足気な表情をしている。

 

 ティーネは、複雑に揺れる心を理解することは出来ない。しかし、単純な、それでいて温かみがあると一目で理解できるその光景は、彼女の胸の奥を温める。

 

 響達の姿は、かつてF.I.S.にいた時、ナスターシャをマムと慕う3人との友人関係を彷彿とさせる。

 F.I.S.にいた時、彼女はマリアたちとは友人にはなれたが、親友とはなれていない。細かい心を理解できない彼女は、不用意に関係を踏み込むことがなかった。

 その結果、調やマリアを不用意に怒らせる事になった。

 

「……やっぱり、もう少し心を理解できるようになった方がいいのかな……。もっと人に踏み込んでいくべきかな……」

 

 ティーネは、自身の在り方をより改善していこうと考える。元の人の魂が確として存在する以上、人により近付くことは不可能ではないはずだ。

 きっと、もっと人と関わっていけば。彼女はそう信じ、これからより人と関わっていこうと考えた。──それが、自身にどう変化をもたらすかに気づかないまま。

 

 彼女の肉体が、軋む。その違和感に今度は気づいたが、しかし無視する。

 心を作ることは、彼女が──否、(エルキドゥ)が決めたことだ。それを貫き通す、彼女にとってそれだけの話だった。



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第8話 フィーネ

 夜半時。周囲に明かりは殆ど見えず、泳ぐような暗闇が辺りを包んでいる。

 二課所属の装者たち3人とティーネは、平日の深夜だというのに街外れの閉鎖された廃病院「浜崎病院」が見える路上にいた。

 

「で、あの廃病院に居るかもしれないって話だったか?」

 

 装者の1人、雪音クリスが通信機で確認を取る。

 

『ああ。調査の過程で、F.I.S.がそこに医療機器を搬入しているという情報を得た。ティーネの言葉を信じるなら、F.I.S.の装者たちに慕われているというナスターシャ教授も行動を共にしているだろう』

 

『はい、更にそこには医療機器の他にも計測機器なども搬入していると聞きます。彼女たちの狙いが『フロンティア』と呼ばれる大型聖遺物の起動だとするなら、そのためのデータ観測機器が必要となります』

 

「つまり、それらを搬入するという此処が怪しいというわけだね」

 

 通信機の向こう、二課本部で待機している弦十郎と緒川の返事にティーネが応える。

 ティーネからもたらされた数々の情報は、F.I.S.の戦力を推察する大きな力となった。

 例えば装者がどういったギアを纏うのか。持ちだされた聖遺物がどのようなもので、どう扱うのかなどである。

 

『そのとおりです。事前情報は望外の量を得られていますが、だからといって油断せず頼みます』

 

『今日中で全部終わらせるぐらいの意気込みでいくぞッ! 君たちには明日も学校があるからな!』

 

「了解ッ!」

 

 装者三人の声が揃う。僕は学校ないけどね、とつぶやくティーネの台詞をスルーして、装者たちは作戦行動を開始した。

 

 病院の内部は、外に輪をかけて暗い。心なしか空気も重く感じられる。

 全員がギアを纏っていないため、その雰囲気はF.I.S.を探しにきたというより、むしろ肝試しか何かに来た女学生のようだ。

 

「やっぱり……この元病院っ! てのが雰囲気出してますよね……」

 

 響はその雰囲気に、どこかビクビクしながら歩く。

 どこからか空気の流れが発生しているようで、それがまた恐ろしさを助長させる。

 

「なんだ? ビビってるのか?」

 

 その何処と無く不安げな声を聞いて、クリスがニヤニヤ笑いながら茶々を入れる。

 

「そうじゃないけど……」

 

「二人とも、戯れ合うのはそこまでだ。……意外に早い出迎えだぞ」

 

 からかうクリスと、クリスに反論しようとした響を翼が制する。

 その目は既に廊下の奥へと向けている。

 戦闘態勢に入ろうとした二課装者の三人とは別に、ティーネが周囲を見回し疑問を口にする。

 

「……うん? ねえ、なんか廊下に変な薬品が溜まってるけど、君たちは大丈夫?」

 

 僕は体強いから平気だけど。と告げるティーネの言葉に、3人が余計に警戒する。

 

「薬だと? 此処が廃棄されていたとは言え、病院であることを失念していたか」

 

「くそッ! シンフォギアのプロテクターなしに薬品垂れ流しの場所にいるのはマズイな」

 

 言うが早いが、3人は聖詠を口にしシンフォギアをその身に纏う。

 ティーネもまた口だけの聖詠を言葉に出し、聖遺物クラックでギアを構築する。

 彼女らがギアを纏い終わる頃には、目の前にはノイズの集団が出現していた。

 狭い廊下であるため、大威力の攻撃は使用できない。そう考え、装者たちはノイズを一体ずつ蹴散らしていく。

 

 

「何だとッ!?」

 

 そんな中、最初に異変に気づいたのは遠距離型の雪音クリスだった。

 ガトリングに変形させたアームドギアによる射撃によってノイズを破壊したはずが、炭素分解されずに修復される。

 アームドギアによる破壊で、破壊しきれていないということだ。

 

「ッくそ、どうなってやがる!」

 

 今まで彼女がノイズを攻撃して倒せなかった、なんてことは殆ど無い。あるとしても、防御力が高い大型ノイズや高機動且つ頑強な装甲を持つ飛行ノイズなどの特殊なノイズである。

 まさか雑兵のように出てくる人型小型ノイズを自身の技で倒せないとは思っていないクリスは、その思っていないことが起きた現実に悪態をつく。

 

 クリス同様、風鳴翼も立花響もノイズを破壊することに非常に手間取る。

 彼女たち3人は空気が重い、というより体が重く感じられていた。ギアとの反発が増し、装者の肉体を苛む。

 

「これは……ギアの出力が伸びない、だと……。一体何が……」

 

『──全員、聞こえるかッ? どうやら、先ほど言っていた薬品とやらがお前たちのギアとの適合系数を下げているようだ。今大技を使えば、ギアからのバックファイアで体がボロボロになるぞ!』

 

 翼が自身のギアの出力不足に苦々しい表情を浮かべたところで、二課本部から通信が入る。

 装者をモニタリングしていた二課の端末上には、奏者たちの肉体にかかる負荷が表示されていた。

 ティーネの言った先ほどの薬品、恐らくLiNKERと真逆の作用をする適合系数を下げるための薬によって装者たちはその力を大きく引き下げられていたのだ。

 

『幸いティーネはその影響を受けていないようだ。何かやったのかは知らんが、此処はいったんティーネに殲滅を任せるんだ』

 

「うん、わかった。僕は今のところ影響はないみたいだから、僕がノイズを全滅させるよ」

 

 披露する3人の様子を尻目に、ティーネは過不足無くノイズを殲滅していく。

 聖遺物クラックでギアを起動するティーネはその適合系数が変化しない。そもそも歌で動かしているわけではないのだから適合も何もないのは当然なのだが。

 ノイズを全滅させたティーネは、3人の下へと戻る。

 

「クソッタレ! まさかギアを纏えなくする薬とはな、ちょせえ真似しやがる!」

 

「しかし、一つはっきりしたな。今此処には向こうの装者はいるまい。こちらより更に適合系数が低いのだ、この薬品の影響圏内で戦えばまずギアを扱えなくなるはずだ」

 

 相手のとった有効で厄介な手段に、壁を蹴りながら悪態をつくクリス。

 それに対し、翼はこの状況で考えられる有利な条件を想定していた。LiNKERでようやくギアを纏えるようになる装者にとって、この薬品……Anti_LiNKERは鬼門。

 つまり、装者のいない敵アジトならば、例え適合系数が下がっていても制圧は比較的容易であると考えたのだ。

 

「そうですねっ! それじゃ……っと、そういえば、ティーネちゃんはなんでこの中で平気なの?もしかして、F.I.S.のギアにはこの薬の無効化能力とかあるって言わないよね!?」

 

 やる気を出した響が慌てたようにティーネに向き直る。仮にそれが真実なら、F.I.S.との戦闘では一方的に不利な戦いを強いられる事になるのだ。

 その可能性に、翼とクリスも眼差しを鋭くティーネを見る。

 

(え、拙いな。どうやってごまかそう……)

 

 それに慌てたのはティーネである。無効化機能はもちろん存在しないが、それを言えばじゃあどうやって無効化したのかという話になる。

 自身の能力の内、うまく言い訳に使えそうな設定を考えるティーネ。

時間にして2~3秒笑顔で固まった後、口を開く。

 

「ああ、それはね。僕のギアには無機物との共振機能があるでしょ? それを使って、風をコントロールしたのさ。薬品は気体だったから、僕の方に来ないように誘導することは容易だったよ」

 

「ええ~! そんな便利機能あるなら私達にも使ってよぉ~!」

 

「あ、うん。それは難しいんだよ。えっと、気体って常に流動するからさ、地面とかの固体変化に比べてギアの力をいっぱい使っちゃうんだ。だから、自分の周囲で精一杯で……」

 

 ティーネの回答に、響が思わず鋭いツッコミを入れる。

 痛いところを突かれたティーネは、それに多少早口で返答した。

 エルキドゥの共振機能は無機物に領域的に反応するため、地面も空気も関係ない、なんてことは当然言うわけにもいかず、適当に理由をでっち上げたティーネ。

 

 響はその言葉を信じたようで、「なーんだ、そっかー。残念だなー」と気楽な返事をしている。それに安堵の表情を浮かべるティーネ。

 クリスと翼は二人の様子をみて、僅かに不信感を抱く。

 言っている内容は、彼女が説明してきたギアの性能と合致する。無機物との共振が可能であることも二課の調査で裏付けがとれているため、それを疑う余地はない。

 だが、クリスと翼は一種直感的に、心にティーネに対する妙なしこりを残していた。

 

「そんなことより、早く行こう。マリア達がいないなら居るのは精々ウェルキンゲトリクスくらいでしょ? ──って思ってたけど、何かいるみたいだね」

 

 そう言ってティーネは奥を見据える。

 響や翼、クリスもその気配に反応し戦闘姿勢を取る。

 

 刹那、闇の中より一匹の怪物が襲撃をかける。大きさは大型犬ほどだが、その見た目は犬とは似ても似つかない。

 その怪物の姿を確認したティーネは、一切の躊躇なく回避を選んだ。ティーネのすぐ後ろにいた響が慌てて拳で殴り飛ばす。

 

「な、何あれ!?」

 

「ごめん、響。アレが何なのか気づいたら思わず避けちゃって……」

 

 驚く響に、ティーネは急に避けてしまったことを謝罪した。

 その間も怪物は体勢を立て直し、再び襲撃するティーネは周囲の壁を変形させ、防壁を作り迎撃する。そのやり方は、徹底的に自分やギアを用いて攻撃しないようにしている。

 響の拳を受けた部位は多少傷を負っていたが、既に回復している。先ほどのノイズたちとも異なり、一切炭素分解の予兆すら見せなかった。

 

「炭素分解しない……? この怪物、ノイズではないのか!?」

 

「するってーと、アレが……ネフィリムかッ!」

 

 翼の言葉に、思い当たることがあったクリスがその正体を看破する。

 ティーネが二課に伝えた聖遺物のうち、ネフィリムはトップクラスに危険な聖遺物。

 その性質は、聖遺物やそのエネルギーを食らうことでより強大なエネルギーを発する永遠の飢餓衝動。自律稼動するエネルギー増殖炉である。

 

「なるほど、たしかティーネのギアは励起状態のネフィリムとは相性が悪いと言っていたな。だから回避したのか」

 

「うん。基底状態ならともかく、励起状態だとクラックする前にエネルギー奪われちゃうんだよね……」

 

 ティーネの急な回避行動に納得する翼。エルキドゥの聖遺物クラックは、対象に接続することで起動する。

 心臓部のみが稼働する程度の励起状態ならさして問題はないが、ある程度エネルギーを蓄えたネフィリムの場合、クラックするためのエネルギーを収奪されてしまう。

 また、ティーネは二課に伝えていないが、ティーネ自身は完全聖遺物。ネフィリムが仮にティーネの一部でも食らえば、恐ろしい勢いで完成へと近付くことになる。

 それだけは避けないといけないため、思考レベル以前の反射で回避したのである。

 

 と、ネフィリムがティーネの作った防壁に噛み付くことをやめ、元来た方向へと戻る。

 そこには人影が1つ存在し、足元には檻がある。ネフィリムはその檻に自分から入り、ネフィリムが入りきると檻が閉じる。

 

「やれやれ、まさかもう此処を嗅ぎつけるとは思いませんでしたよ……」

 

「……ウェルキンゲトリクス」

 

 ティーネがその声を聞いた瞬間、露骨に嫌そうに顔を顰める。

 

「やれやれ、君は相変わらず僕のことが嫌いなようですねぇ?」

 

 ウェル博士がそういってティーネを嘲笑する。

 ティーネはウェル博士と最初に会った時以来、基本的に悪感情を隠していなかった。それは偏にウェル博士の英雄願望を心底嫌悪していたからである。

 彼女……否、"彼"にとって英雄とは何より優れ、独りで世界を背負って立つことすら厭わないもの。英雄として生まれたものが、英雄だと考えている。

 ただ英雄になりたい、英雄を求めている等を繰り返しているウェル博士をティーネはまず英雄とは思えないし、その精神性を認めることはなかった。

 だからこそ、ティーネは口すらもきかず、只嫌悪感を露わにした目で睨んでいた。

 

「てめえ、ソロモンの杖を返しやがれ!」

 

 クリスは、ウェルがソロモンの杖を持っていることに気づきそう叫ぶ。

 ソロモンの杖は、知らなかったとはいえクリスが起動させたものであり、気付かなかったとはいえ直接的にはクリスがウェルに委ねたものだ。

 その結果多くの惨事が引き起こされたため、クリスはそれを自身の罪だと思っていた。

 

(だからこそ、少しでも早く止める。とても償いきれるもんじゃないアタシの罪だけど、それでも……!)

 

 ウェルはクリスを見て、溜息を付く。

 

「このソロモンの杖は、バビロニアの宝物庫を開きその中にあるノイズを自在呼び出し制御する。こんな素晴らしい物、所有するにふさわしいのはこの僕をおいて他にいないでしょうに……」

 

 さもそれが当然であるかのように語り、杖を掲げる。その杖からは緑光が走り、廊下を埋め尽くすような数のノイズが出現する。

 更にその杖を振りかざすことで、ノイズ達が一斉に奏者たちに襲いかかる。

 

「如何にそちらにまっとうに動ける装者がたった1人いようと、エルキドゥのギアはシンフォギアの中ではかなり出力が低い。そんな欠陥ギアで、これだけのノイズは凌ぎきれないでしょう?」

 

「──ッ!」

 

 ティーネは後ろに攻撃がなるべく通らないよう鎖の防御を敷き、更に外套を変化させ大量の剣を作成、射出する。

 それでも一気に殲滅とはいかず、逃走するウェルを追いかけられる状況ではない。

 そんな状況に業を煮やしたクリスは、Anti_LiNKERによる適合係数の低下、シンフォギアからのバックファイアを厭わずに大量のミサイルを射出した。

 

 廃病院の外、暗闇に覆われたその場所は爆炎によって明るく照らされる。

 外壁すら破壊したその一撃の代価として、クリスはその場に崩れ落ち、慌てて翼がそれを支える。

 

「翼さん! ノイズがさっきのケージを持って……ッ!」

 

 見れば、気球のような姿をしたノイズがネフィリムの入ったケージを持ち飛んで行く。

 その隣には、以前響達が戦った高速飛行する高機動型ノイズが護衛のように配置されている。

 それを見た翼は、クリスを下におろし駆け出した。

 

「立花はその男の確保と、雪音を頼む! いくぞ、ティーネ!」

 

「ああ、わかった」

 

 翼の台詞に、ティーネは外套を変化させ高速飛行可能な形態を取る。

 そして、一気に加速し、高機動型ノイズを撃ち落とすために飛び込んでいった。

 

 

「……意外とキツイね、これは。このノイズ、ノイズと思えないほどに強敵だ」

 

 ティーネは外套から作成したジェットエンジンのノズルの向きを細かく調節しながら、相手の高機動型ノイズと戦闘を行う。

 最高速度はティーネのほうが上だが、加速能力はノイズが上。更にノイズは小回りも効くし、ある程度物理法則を無視するかのような軌道を取る。

 そして、正面の装甲が頑強であるため、ティーネの弾幕では迎撃しきれない。

 

(とはいえ、このままじゃ洋上に出るからあまり時間をかけるわけにはいかない。となれば……)

 

 ティーネは鎖を射出し、ケージを狙う。ケージ運搬ノイズを守護するために呼び出された高機動型ノイズは、その射線に割り込み頑強な装甲で鎖を弾く。

 その瞬間にティーネは鎖を素早く動かし、そのままノイズの手綱のように鎖を巻きつけた。

 

 鎖を振りほどこうとやたらめったら軌道を変えるノイズ。

 しかし鎖は解かれることは無く、鎖を手繰り寄せたティーネは高機動型ノイズの背中に立つ。

 

 

 ティーネ(エルキドゥ)にとって一番威力の出る技は、鎖でも外套を変化させた剣の弾幕でもない。

 

 元来環境兵器として作られたが故に持つ、エルキドゥの最も原始的な力。

 それは無機物と共振し、環境のもつエネルギーを自在に操作する力。

 欠片程度の力しか出せない今では、本来の出力には程遠い。しかし、それでも尚ノイズを打ち砕くには十分な力である。

 

「手古摺らせてくれたけど、これで終わりだ」

 

 自身の外套をアンカーのようにして体を固定し、同時に地面にも鎖を縫い付ける。

 鎖で大地と繋がれたノイズは、バランスを狂わせ地上に衝突する。

 

 その背中には未だティーネが立っており、鎖を通して大地の熱や微細なエネルギーを自分へと流しこむ。

 ティーネは動けないノイズを見下ろし、エネルギーを収束させた拳を装甲へと振り下ろした。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

           E - Nu - Ma E - Lis

 

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 その一撃は、頑強なはずの高機動型ノイズの前面装甲を紙のようにへしゃげさせ、そのまま爆散させる。

 拳撃のエネルギーは装甲の下の大地にすら穴を空け、その余波は雲を吹き飛ばす。

 

 余剰エネルギーが直上に発光する様は、まるで天地を貫いたかのようなものだった。

 

 

(……どうする。このまま向かっても、私があのノイズを堕とせるかは五分と五分というところか)

 

 その頃、翼の追っていた気球ノイズは既に洋上へと出ていた。

 XDモードならいざ知らず、今の翼は空を駆けることは出来ない。そういう意味ではギアの変形で飛行機構を作り出せるティーネのほうが追跡には有利だったのだろうけど、取り巻いていた高機動型ノイズとの戦闘でこちらにまだ到着していない。

 走りながら翼は、どうやってあのノイズを撃墜するかを考えていた。

千ノ落涙や天ノ逆鱗は、放てる高度より相手が高空にいるため意味が無い。

 ならば蒼ノ一閃ではというと、斬撃の間合いに相手のノイズはいない。

以前の戦いでもそうだったが、彼女は地上から上空のノイズを迎撃するという手段に乏しい。というより、それに優れるのは雪音クリスか、今は次点でティーネ・チェルクのみである。

 

 と、そうする間にも海が迫る。決断を選ぶその瞬間に、二課からの通信が入る。

 

『そのまま、翔べッ! 翼ッ!』

 

『海に向かって翔んで下さいッ! どんな時でも貴女はッ!』

 

 その通信に、今までの一切を切り捨て全力の跳躍で海に身を投げ出す。

 眼下に迫る海には何も見えないが、それでも一切心配せず脚部のブレードをスラスターのように扱いバランスを取る。

 

 瞬間、海が割れ1隻の潜水艦が洋上に姿を晒す。その舳先を足場とし、風鳴翼は更に高く翔んだ。

 高く飛翔した剣がノイズに迫るその瞬間、既にノイズは細断されていた。

 

 下に落ちるネフィリムのケージを回収しようと、翼は脚部のブレードスラスターを使い一気に加速する。

 そして追いつかんとしたところで、翼に言いようもない悪寒が走った。

 

「──ッ!」

 

 とっさに身をひねる。その瞬間、足に(ガングニール)が命中し、翼は小さな悲鳴とともに海に落ちる。

 追いついたクリスと響は、海の上に槍が垂直に立つ姿を見る。そして、その上にはケージをもったマリアが立っていた。

 

「時間通りですよ……フィーネ」

 

 その姿を確認した響に拘束されているウェル博士は、当然とばかりにそう口にする。

 

「フィーネ……だと……?」

 

 クリスが、信じられないとばかりに目を見開く。

 フィーネとクリスには浅からぬ因縁があり、その名を聞いたクリスには複雑な感情が浮かぶ。

 

「終わりを意味する名は、我々組織の象徴であり。……そして、彼女の二つ名でもある」

 

「まさか……。じゃ、じゃあ、あの人は……」

 

 響はそれを嘘だと信じたいと顔にハッキリと出ていた。

 胸の歌を信じなさいと、そう言われ。

 本質は優しい了子さんであると、そう信じていた。否、今も信じている。

 だからこそ、マリアがフィーネであると信じきれなかった。今また世界に敵対しようとするなんて思いたくなかった。

 

 その響の願いを、ウェル博士は無情にも切り捨てた。

 

「新たに目覚めし、再誕したフィーネです!」

 

 再誕したフィーネ、マリアの表情には、決意の感情が浮かんでいた。



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第9話 心を通じさせるために

「マリアさんが、フィーネだなんて……」

 

 響は呆然と呟く。

 フィーネは、自分の前で塵となって消えた。その顔は、まるでいつもの了子さんみたいだった。

 自分の胸の歌を信じてと言った彼女と戦うことなんて、もうないと思っていたのに。

 

 響の心には色々な感情が渦巻く。しかし、状況はそんな響に関係なく進行していく。

 

 

 突如として海面が盛り上がり、風鳴翼が躍り出る。

 水上をまるでスケートリンクのように疾走りぬけ、マリアへと斬りかかる。

 紙一重でマリアは躱し、上に飛んだ翼を見やる。

 

「甘く見ないでもらおうかッ!」

 

 翼は手にもつその(天羽々斬)を巨大化させ、刀身からエネルギーを放つ。肥大化したアームドギアの一撃は、蒼雷の斬撃となってマリアを襲った。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

             蒼 ノ 一 閃

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 ノイズなら十把一絡げに蹴散らすその斬撃は、マリアがマントでその身を包み無力化する。

 いくらシンフォギアといえども、アームドギアから放たれた技をたかがマントで凌ぐということは本来不可能。

 にも関わらず起きてしまったその事実は、マリア・カデンツァヴナ・イヴが戦いにおいて一流の才を持つということ。そしてもう一つ。

 

(くっ、やはり適合系数が上がらない。これではギアの出力が……ッ!)

 

 風鳴翼は一流の戦士にして人類を守る防人。彼女の放つ一撃が真なるそれであるならば、たとえ相手が一流の戦士だろうと容易に切り裂く。

 しかし、それはあくまで翼が万全である場合。適合系数の低下している剣の刃は、名刀の冴えとは程遠い鈍らへと貶められていた。

 

「甘くなど、見ていない!」

 

 それでも尚、風鳴翼はマリア・カデンツァヴナ・イヴにとって強敵だ。

 だからこそマリアは翼が油断するだろうネフィリムを拾う瞬間を狙ったし、自身のマントによる戦闘時の優位性を考慮し海上での戦闘を行っている。

 翼の切り払いをマントで往なし、そのまま強打により潜水艦に叩きつける。

 

 翼と距離が離れた時を見計らい、ネフィリムのケージを上空に投げる。

 ネフィリムのケージは高空に飛び、そのまま姿を消した。

 それに翼が驚く暇もあればこそ、マリアは足場としていた槍より跳躍し、翼が体勢を立て直した潜水艦上に着地する。

 水面に浮かぶ(ガングニール)は、まさにその伝承の通り装者たるマリアの手に戻った。

 

「だからこうして、全力で戦っているッ!」

 

 そう言い放ち、歌とともに斬りかかるマリアに、翼は動かない体を動かして戦い続ける。

 翼の心に浮かぶのは、その槍の冴えと歌の鋭さ。なぜこのように歌える者が、戦わなければいけないのかという運命の残酷さ。

 マリアを振り払おうとして放った逆羅刹すらも防がれ、先に受けた傷によって動きが鈍った瞬間を突かれ槍で吹き飛ばされた。

 

 

「あいつ、何を!?」

 

「最初に受けた傷が効いてるんだ!」

 

 翼の吹き飛ばされる姿を陸から見ていたクリスと響は、最初に翼が槍を足に受けた事を思い出す。

 このまま翼が負けることになればまずい。遠距離に優れるクリスはクロスボウ型のアームドギアを向ける。

 それを見て、ウェル博士は笑みを浮かべる。まるでそれも自分の予定通りだと言わんばかりに。

 

 時間通り、とウェル博士は言った。それは彼と彼女たち(・・)が時間を合わせて行動していたということに他ならない。

 F.I.S.の装者はマリアだけではない。女神ザババの二振りの剣(イガリマとシュルシャガナ)もまた、ソロモンの杖を守るために戦場へと加わる。

 

 ウェル博士を拘束している響めがけて、幾つもの丸鋸が飛来する。

 流石に博士を盾にするなんてことは響が思うはずもなく、博士から手を離し攻撃を回避する。

 

「ッどこから!?」

 

「これは、神獣鏡か。見つからないわけだ、よッ!」

 

 彼女達の唐突な出現の理由を看破したティーネは、更に飛来する丸鋸からクロスボウを構えるクリスを守るように鎖を展開する。

 高速回転する鎖は丸鋸を逸しはするが、やはり基礎強度が足りないのか容易に破壊される。

 そしてこじ開けられた防御を突くのは、丸鋸を放った月読調(シュルシャガナ)、では無く。

 

「なんと、イガリマッ!」

 

 調の切り開いた道を狙い、クリスに襲いかかる切歌。その手に握られる大鎌(イガリマ)は、その形状にあったトリッキーな斬撃でクリスに迫る。

 接近戦の能力の低いクリスは瞬く間に劣勢に追い込まれていった。

 

 一方の調は、脚部の歯車(ギア)を展開し路上を走る。その間にも髪飾りから小型の丸鋸が放たれ、響を切り刻まんと迫ってくる。

 

 響は丸鋸を見据え、あえて回避を避け腰を落とす。オールマイティに対応できるように構えたその瞬間、拳で瞬く間に丸鋸を打ち払った。

 ──だが、それは調とて予期していたこと。響の足を止め、大技をぶつけるための時間稼ぎにすぎない。

 その脚部から巨大な丸鋸を展開し、まるで車輪のように響へと向かう。その細い轍は、アスファルトを抵抗なく切断しながら迫ってくる。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

           非常 Σ 式・禁月輪

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 巨大な鋸が目前に迫るという現実離れした光景に、慌てて響はその場から離脱する。

 その一瞬後、響のいた場所は大きく深い斬痕が残されていた。

 

「うん、これは……。クリス、援護するよ!」

 

 ティーネはその二人の戦いを見て、より劣勢であろうクリスの援護にまわる。

 切歌の大鎌がクリスの腹部を強打しようとした時、ティーネの放つ鎖が鎌を縛り動きを封じた。

 イガリマは接近戦用の武装がメインのギア。その動きの初動さえ封じてしまえば、その力は大きく削がれる。

 

「ッ!?離す、デェスッ!」

 

「離すわけが、ないッ!」

 

 鎌を振ることで振り払おうとする切歌だが、ティーネはその怪力で鎌の動きを押さえつける。

 その隙に離脱したクリスは、クロスボウから放たれる光の矢で切歌を狙う。

 

「切ちゃん!」

 

 その様子を見た調は、響との戦闘を中断し切歌の方へと意識を向ける。

 ツインテールのような2つの髪飾りをそれぞれ展開し、その先端に巨大な鋸を生成する。

 彼女は自身を回転させるように髪飾りを振り、その勢いのままに2枚の円盤を解き放った。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

           γ 式・卍火車

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 クリスが矢を放つと同時に、調の巨大鋸は切歌とクリスの間にまるで盾のように着弾する。

 イチイバルの矢はその鋸によって切歌には命中せず、鋸を吹き飛ばすにとどまった。

 

「チィッ……!?」

 

 クリスからの射線が途絶えた一瞬で、切歌は鎌の刃を新たに2本展開しその展開領域の鎖を出現と同時に切断、振り払う。

 ティーネは自身の鎖が破壊されたことを感知するや否や新たに鎖を放つが、その展開は一手遅かった。

 鋸が砕け、視界が開いたその瞬間には切歌がクリスの懐まで迫る。

 クリスはとっさの攻撃を防ぐことが出来ず、その手に持っていたソロモンの杖を弾き飛ばされた。

 

「させない!」

 

「それはこちらも、同じこと」

 

 新たに鎖を展開したティーネがソロモンの杖を捉えようとするも、同時に展開された丸鋸の雨に鎖がバラバラに破壊される。

 距離が離れていた響が駆け出すも、既に側にいた切歌が跳躍し、宙にあったソロモンの杖を奪取した。

 

 最初に響に突き飛ばされていたウェル博士、そして切歌と調が一箇所に集合する。

 響は集中を切らさぬように神経を張り詰めさせながら、彼女達の博士と彼女達の会話を聞く。

 見た限りだと、あまり仲が良さそうには見えない。どうやらウェル博士は、ティーネだけじゃなく切歌と調にも嫌われているらしい。

 

 響の横にクリスも並び、(イチイバル)を構える。その照準は覚束ず、かなり疲弊していることが伺える。

 クリスはあまり大きな傷を負ってはいないが、そもそも適合系数が低いのに大技を放ったという時点で体に大きな負荷がかかっていた。

 いざというときに戦力足りえず、またしてもソロモンの杖を手放してしまったクリスは己の無力さに内心で歯噛みしていた。

 

 

 陸の戦いのその一方で、翼とマリアの戦いは徐々にその差が詰まっていた。

 

 LiNKERで無理やり適合系数を上昇させたがゆえに時間が経つごとに力が落ちるマリア。

 Anti_LiNKERで落ちていた適合系数が時間が経つごとに元に戻る翼。

 真逆な立ち位置に立つ二振りの刃は、互いの状況を把握するが故にその現実を理解する。

 

 しかし、それでもマリアは誇りを胸にその(うた)の冴えを魅せつける。

 歌姫として、己の実力のみで世界を勝ち抜いてきた程の歌声に、思わずという体で翼が叫ぶ。

 

「なぜだ、なぜ。そうやって歌えるというのに、貴様は戦うッ!? お前たちの目的は、一体何だ!?」

 

 只のテロ組織なら、こういった問は行わない。風鳴翼は一振りの剣、自身の使命を果たす刃だ。

 だが、マリア・カデンツァヴナ・イヴは間違いなく優れた戦士。その瞳は決意に満たされ、その歌からは彼女の信念が溢れる。

 彼女は、ウェル博士のように濁りきった顔の人間ではない。ならば、世界に敵対するなどという大事をするには、それだけの理由があるはずだ。

 

 そう思っての問いかけに、マリアは一度瞑目し、すぐに刮目する。

 

「正義では守れぬものを、守るためにだ」

 

 その口から出た言葉は、彼女の決意を表している。

 そこに欺瞞はない。彼女が決意に身を固めていることが、同じく信念で身を固める翼には理解できた。

 

「……それは、月の落下による被害から人を守るためだと、そう思っていいのか?」

 

 だからこそ、こうして問いかける。彼女の心を、真意を知るために。

 

「──ッ! そうか、そちらにはティーネが居る。ならば、その事実も知っていて当然か。そうだ、月が落ちる事を知っても、政府は何もしない。秩序を守る輩は、自分たちの秩序さえ守れれば弱者がどうなってもいいと考えているッ! だから、私達は正義に救われぬ弱者を救うッ! そのための、力だッ!」

 

 彼女がそう言った途端、空間から突如として突風が吹き荒れ、大型のティルトローター機が姿を表す。

 ティーネの言う「神獣鏡」、その力の一端を引き出した超常のステルス性能。彼女達が何処からとも無く姿を見せた理由がそれだった。

 

 マリア、切歌、調は跳躍して、機体から降りるワイヤーロープに掴まり機内に回収される。

 それを翼と響は見ているだけだったが、クリスは違う。どんな理由があれ、ソロモンの杖を奪わせるわけには行かない。

 己の罪の証を取り返すため、クリスはイチイバルをライフルに変化させようとするが、ティーネがそれを止めた。

 

「なんで止める!? 此処で落とせば終わりだろうが!」

 

 クリスが思わずティーネの方を向いて暴言を吐く。

 それに言葉で答えず、ティーネは機体を指さす。その機体は空間に溶けこむように姿を消し、二課の探査システムは愚か、クリスのスコープにも映らなくなる。

 

「神獣鏡は、光を操る聖遺物だ。それを上手く扱えば、ああやってあらゆる電磁波干渉すら無効化する。狙っても当たらないものを、やらせる必要はないでしょ?」

 

 神獣鏡がどういった聖遺物なのかを仔細に知っているティーネの返答に、理解はしたが納得したくないという表情をクリスは浮かべた。

 正論だとわかってはいるものの、結局ソロモンの杖を取り逃がしてしまったことには変わらない。

 

 既に機体の消えた海上を見据えたクリスは、次こそは絶対に取り返すという決意を胸に刻み込んだ。

 

 

 あの後、どうすればマリア達と通じ合えるかを悩んでいた装者たちは、潜水艦の中から出てきた弦十郎の言葉でとりあえず方向性を見出した。

 いや、主に1人は言ってる内容を理解出来てないのかもしれないが、とりあえずやってみることを決めた。

 

 ティーネは彼女達が立ち直るさまを見て、やはりいいものだなあなんてのんきなことを考えている。

 

 と、響がふと思い出したかのようにティーネのもとに近づいてくる。

 

「? どうしたの、響」

 

「うん、そう言えばって思って! ティーネちゃん、秋桜祭に遊びに来てよ!」

 

「いいよ。で、何なんだいそれ」

 

 秋桜祭、私立リディアン音楽院の学校祭である。

 出店が出たり派手に飾り立てるところは普通の学校祭とほぼ同じだが、音楽院であるリディアン特有のイベントとして、歌の勝ち抜きステージが存在しているなどの特色もある。

 

「え、軽っ!?」

 

 という事も知らずに適当に返事をするティーネに、思わず響がツッコミを入れる。

 ティーネにとって、響は普通に信頼できる人間なので変なことには誘わないだろうと高をくくっている部分がある。

 尤も、それ以上に完全な人心を作るにあたって多く経験をつもうと考えたゆえの結論だが。

 

 その後、響の説明を受け改めて了承するティーネ。

 様子を見ていた弦十郎からも許可が降り、晴れてティーネは秋桜祭へと行くこととなった。

 

「ねえ、ティーネちゃん。どうせだから先に服買おうよ服! いっつもその、えっと、合羽みたいなのじゃダメだと思うんだJK的には! あ、ついでに友達にも紹介したげなきゃ! それから~……」

 

「……え?」

 

 心が発達していないティーネは、基本的に表現できる感情が少ない。

 いつも顔が笑っているというだけで、なにも常に人生が楽しいとかそう思っているわけではない。

 彼女の顔に明確に感情が出るのは、歌を聞く時とウェル博士の話題を聞いた時ぐらいのものだ。

 

 そんな彼女だが、響のたたみ掛けるような発言に何か嫌な予感を感じていた。

 

 彼女の肉体機能には、汗をかくという機能はない。だというのに、戦いのさなかに海水がはねたのか、額から水がまるで冷や汗のように顔の表面を伝っていった。



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第10話 帰る場所/還らぬ心(1)

 秋桜祭当日。学園祭ということもあり、リディアン音楽院は多くの人で賑を見せていた。

 世界的トップアーティストを輩出したことでも有名なリディアン音楽院は、外部からの来場者も多く来ており、制服姿以外の老若男女の姿も多く見られる。

 

 そんななか、地面まで伸びてそうな若草色の直髪を風になびかせた1人の少女が、入り口付近で所在なさげに立っている。

 少女の顔は非常に美しく整っているが、なんとも言えない微妙な表情を浮かべている。

 その純粋な美を強調するかのような白いワンピースに白いハイヒールは、似合っているはずなのにとても動きづらそうにしていた。

 

「……、なんでこうなったんだろう」

 

 少女……ティーネ・チェルク(エルキドゥ)は、普段の貫頭衣姿ではなく、明らかに少女然とした格好で迎えを待っていた。

 エルキドゥは完全聖遺物であり、元来性別は存在しない。

 故に、どちらの性別の形態をとってもあまり気にすることはない。事実"1度目"、ギルガメッシュと行動を共にしていた時は今の姿に酷似した少年の姿を象っていた。

 今は少女の姿をとっているし、その性格も肉体に引かれるのか少女的になっている部分は確かにある。

 

 しかし、お洒落とかそういったことはまた別である。基本的に中性的な存在だが、原初の魂の性別は男性。

 ギア装者に男性がいないからこそ現在は少女の姿で誤魔化しているのであり、何も当人が少女趣味に目覚めたわけではないのだ。

 

 だからこその違和感であり、待っている間も結構な頻度で自分の格好を確認している。

 その姿が外出用の服装を確認している少女に見えるわけで、周りからの注目を集めている。

 

「やっほー! ティーネちゃん。ごめんね、待たせたでしょ?」

 

 そう言って学校の方から来たのは立花響、ティーネの服装を選んだ張本人の1人である。

 隣にはおとなしそうな少女がついてきている。限定的ながら二課の協力者として活動することもある少女、小日向未来だ。

 元陸上部なだけあり体力もそこそこあるのか、体力バカの響と一緒に走ってきてるにもかかわらずさして疲れてる様子はない。

 

「もう、響ったらはしゃぎ過ぎ! えっと、この子がティーネちゃん?」

 

「そうそう! 前に見せたでしょ、写真。選んだ服もちゃんと着てるみたいだけど……」

 

 ティーネの下にやってきた響は、そう言ってティーネの姿を見やる。

 響が選んだ服ではあるが、その服をティーネが試着することはなかった……というか、貫頭衣という明らかに目立つ格好のティーネを服屋に連れてくるわけにもいかず、友人たちに写真を見せてどんな服が似合うのか相談して選んだのだが。

 だから、響がその服をティーネが来ているのを見るのは初めてだった。

 

「うわ~、ティーネちゃんすっごい似合ってる! やぱり美少女は特だね~」

 

 率直な感想でティーネを褒める響。その感想に、訳もなく恥ずかしくなりなんとなく目線をそらすティーネ。

 自分に恥という感情があったことに内心驚きつつも、まあ似合うのも当然だろうと考えてもいた。

 

 ティーネの姿の元となった存在は、嘗て先史文明記の古代バビロニアで神に仕える聖娼の頂点に立つ美女シャムハトである。

 その美しさは純粋に完成されており、模倣したエルキドゥがその美しさを再現しきれてないにも関わらず大概の服装が似合うほどのものだった。

 だから、似合うなんて言われてもそれは自分にじゃない、シャムハトを褒めているようなものだ。

 

「ふ、ふぅん。まあいいからさ、いろいろ案内してよ」

 

 とは考えたもののしかしやはり何かむずがゆさに駆られるティーネ。

 響はその恥ずかしがるティーネを見て笑顔を浮かべる。

 

(ティーネちゃん、なんだか表情変わるようになってきたなあ)

 

 ティーネと初めて会った時、ティーネはいつも笑っていたがそれだけの印象があった。

 あまり表情を笑顔から変えることもなく、一種超然としているような在り方に響は、まるで彼女が人のふりをしているかのような漠然とした違和感を感じていた。

 が、会話を重ねるにつれてそういった面は減り、表情もかなり変化するようになっていた。

 

 笑顔を浮かべているのは変わらないが、笑顔でありながらかなりわかりやすい表情を浮かべる彼女に逆に驚いたものだ。

 今もその顔は笑っているが、眉尻は下がっているし頬は赤い。恥ずかしさが表情にしっかり出ている。

 

「うん、行こう! 楽しいとこいーっぱい案内してあげる!」

 

 そんなティーネの手を掴み駆け出す響。バランスを崩しそうになったティーネは、慌てて足を前に出しその後についていく。

 未来は慌てるティーネを引っ張る笑う響を見て、困ったかのような、しかし嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

 響には笑顔が似合っている。そう思う未来にとって、一時でも不安を忘れ楽しんでいる響を見るだけで自分も元気になる気がしてくる。

 待ってよ響ー、と未来は笑いながら二人を追いかけていった。

 

 

 周る、廻る、目が回る。

 正直なところ、ティーネは響のバイタリティ……というより、女子高生のバイタリティをなめていた。

 

「じゃあ次はあっち行こう!」

 

「えー、さっきもビッキーが決めたじゃん! 次は私が決めるって~」

 

「にしても、よくそんなロングヘア絡んだりしないねー。服もめっちゃ似合ってるし、まるで『アニメ』のヒロインみたい」

 

「ティーネさんの綺麗さも、私達の服飾センスもナイスです!」

 

 途中で合流した響の友人たち、安藤創世、板場弓美、寺島詩織もまた活力あふれる少女たちであり、ティーネは彼女達に絶賛振り回されていた。

 完全聖遺物である自分が疲労するなんてありえないはずなのに、確実になにか、主に精神が消耗している。ティーネはそう感じていた。

 その精神が反映されているのか、心なしか体も重い。しかし、なんとなく心地いい気分がする。今までにない疲労感に見合う、確かな満足感。それもまた、ティーネが感じることの1つだった。

 

「もう、全員やり過ぎだよ? ティーネちゃん目を回してるじゃない。それに、3人ともそろそろでしょ?」

 

 いろいろ引っ張り回されたティーネをみて、流石にやり過ぎだと響らを窘める未来。序に、創世達に時間を知らせる。

 

「え、あっ! ほんとだ、サンキュー未来、助かったよ!」

 

「さすが小日向さん! 時間に気を配るその姿勢、ナイスです!」

 

「ぅあ~、忘れてたかったのに! ヒナ、どーして言っちゃうのさ……」

 

 その未来の言葉に、3人がそれぞれの対応を見せる。気合を入れる弓美に、未来の気遣い(?)を褒める詩織、目を背けてたかった嫌なことを嘆く創世。

 彼女達の反応と未来の言葉に、ティーネが首を傾げる。

 

「どうしたの、何か3人でやるの?」

 

 とりあえず何か知ってそうな響に、ティーネは疑問を投げかける。

その質問に、響は笑いながら説明する。

 

「うん、実はね……」

 

 

「さあ、勝ち抜きステージ! 次なるは……一年生トリオの挑戦者達!」

 

「優勝すれば、生徒会権限の範疇で望みが何でも1つ叶える事ができるのですが、彼女達は果たして、何を望むのか!?」

 

 壇上に立つ司会の少女は、そう言って同じく壇上へと姿を見せた3人の少女に問いかける。

 3人はそれぞれアニメや特撮のようなのコスプレをしており、ひとり除いて堂々とした立ち姿だ。

 

「勿論、アニソン同好会の設立です! 私の野望も伝説も、全てはそこから始まります!」

 

 その中の1人、中央に立つ板場弓美はそう宣言する。

 後ろに立つ詩織はその姿をマイペースに褒め、名前の割に常識人な創世はもはやままよとばかりに首を振る。

 

「おお、3人が歌ってるね。楽しそうで何よりだ」

 

 ティーネがアニソンを歌い始めた3人を見てそう評する。

 一緒に聞いている響と未来はアニソンというチョイスに苦笑いを浮かべている。

 そして案の定サビに入る前に鐘が鳴らされる。マイク持っていろいろ悪態をついている板場に、会場が笑いに包まれる。

 

「あはははは!」

 

「ははは、面白かったねー」

 

 響とティーネも案の定笑っている。ティーネは普通に歌と会話が面白いと思って笑っているので、ツボに入ったように笑う響とは微妙に笑う理由がちがうのだろうが。

 一頻り笑って、ティーネは一息ついて椅子の背に寄りかかる。

 

(やっぱり、心っていいなあ……)

 

 心から笑えたのは、否、笑いが浮かび上がるほどに心が発達したのはいつ以来か。遥か過去、先史文明期に友と世界を遊び倒した時位だろうか。

 あのカリスマある黄金の友とは異なる柔らかで暖かな友達によって、ティーネは嘗てとは異なる心、英雄ではなく、人としての情動に溢れた心を獲得しようとしていた。

 

「……?」

 

 ふと、最近度々感じる違和感を一際強く感じたティーネは自分の体を見る。

 普段の貫頭衣と違うくらいで、至って普通の自分(エルキドゥ)にすぎない。だというのに、まるで違うものを見ているかのような錯覚を感じる。

 

「……、疲れてるのかな、きっと」

 

 今日は色々大変だった。女子らしい服を着て来いといわれ、学園祭を引っ張りまわされ。

 だから、精神的に疲労しているのだろう。さっきも疲労を感じていたのだ、それがまだ続いているのだと、そこで思考を打ち切った。

 

「さて、次なる挑戦者の登場です!」

 

 司会の少女の声が聞こえ、顔をそちらに向ける。既に違和感は感じない。

 ステージの脇から、まるで押されてつんのめったかのようにして一人の少女が出てくる。

 特徴的な白い髪に、後髪の一部のみを伸ばしたツインテール。

 

「響、あれって!?」

 

「うっそぉ!?」

 

 その体躯は小さめで、厚底の可愛らしいブーツを履いている。

 しかし、その体躯に似合わず女性的なスタイルの少女は、恥ずかしそうに顔を俯けている。

 

「……雪音だ。私立リディアン音楽院、二回戦は雪音クリスだ」

 

 3人の隣に来た風鳴翼が、笑ってそう答える。

 二課の誇るシンフォギア「イチイバル」の装者「雪音クリス」は、リディアンの一員として、歌が嫌いという言葉を肯定できなくなった少女は、その壇上で歌を歌い始めた。

 

 

「すごいなあ。うん、本当にすごい綺麗な歌だよね」

 

 恥ずかしそうな歌い出しに始まるも、徐々にその歌声の調子を上げていく。

 その歌声を聞いて、ティーネが誰にともなくつぶやく。絶唱とは異なる、しかしティーネにとっては同レベルかそれ以上に心の、魂の篭った歌音。

 会場に響くその歌は、聞いている人達を心から感動させる。否、人ではないティーネもまた、その心を強く震わせる。

 

 クリスは、その歌を歌いながらも徐々に顔を綻ばせていく。

 昔は、自分の歌が嫌いだった。破壊しかできないと思っていた

 

 でも、今は違う。クリスは確かに歌が大好きで、それを受け入れてもいいのだと心からそう思えた。

 

 やがて歌いきったクリスが一礼をすると、会場中が拍手喝采に包まれる。

 ティーネもまた、横にいる響達と一緒に心から拍手をする。

 

 

「勝ち抜きステージ、新チャンピオン、誕生です!」

 

 その興奮冷めやらぬ中、司会の少女が審査の結果を確認し、会場中に聞こえるようにクリスの勝利を確定させる。

 結果を聞いたクリスは大きな驚きと、それに隠れそうな、だがしっかりとある喜びの表情を見せる。

 

「さあ、次なる挑戦者は!? 飛び入りも大歓迎ですよー!」

 

 その余韻に浸らせること無く、司会の少女はクリスの肩を抱けそうなほど距離に近付き、挑戦心の有無を周囲に問いかける。

 クリスは司会の少女の突然の接近に、今度は驚きと羞恥の混在した表情で僅かに体をすくませる。

 

「やるデス!」

 

 と、そこで1人の少女が声を上げる。立ち上がった少女……否、少女たちにスポットライトが当たり、その姿を鮮明に映し出す。

 ティーネにとっては2年前から知っていたその姿は、響達にとってはつい最近見覚えのあるもの。

 

「ッあいつら!?」

 

 クリスが驚くのも無理は無い。確かに公にはその姿が公開されていないとしても、彼女達はテロ組織として活動していた少女たちだ。

 まさか、正面から堂々学園祭に来るなんて思いもよらなかったのだ。

 

「チャンピオンに……」

 

「挑戦デース!」

 

 暁切歌と月読調は、一種敵地とすら言えるリディアン音楽院に、隠すことなど何も無いとばかりに姿を見せた。

 

 

 

 壇上ではクリスが切歌に啖呵を切っていた。切歌は切歌で何やらクリスを挑発しているのか、お互いに……主に、クリスが睨みつけている。

 

 その様子を見ていたティーネは、まさかの展開に驚いていた。

 そもそも彼女らの目的がわからなかった。なんでわざわざこんなところに来て、歌の勝負をしようとするのか。

 歌に余程の自信があって、歌唱力で勝利して装者の心を折るという作戦なのか。あまりにも突飛な思考すら飛び出る始末。

 しかし、ふと先の戦いを思い返して気づいた。

 

「……そうか、奴らは雪音の、いや私達装者のシンフォギアを狙っているのか」

 

 同じように気づいた翼が、切歌達の目的を把握する。

 ネフィリムを育てていたアジトは、早々に二課によって制圧されている。そこから押収された大量の聖遺物の欠片もまた然り。

 

「ネフィリムが聖遺物を吸収することで育つということは、ティーネによって伝えられている。察するに、奴らは聖遺物を分散して保存していなかったのだろう」

 

 だから、歌の勝負である。どうやら、流石に公衆の中で一戦やるつもりはなかったようだ。

 このステージに勝てば、生徒会権限で何でも一つ願いを叶えられる。歌に勝つことで、ペンダントを頂こうという腹なのだろう。

 

 そうやって考えている間にも、ステージでの状況は進行していたようだ。

 

「それでは歌っていただきましょう! えーっと……」

 

「月読調と……」

 

「暁切歌デス!」

 

「オッケー! 二人が歌う『ORBITAL BEAT』、もちろんツヴァイウィングのナンバーだ!」

 

 自己紹介を済ませた彼女達が歌う曲目を、司会の少女は宣言する。

 その曲名に反応したのは当然ツヴァイウィングの1人だった風鳴翼、そして。

 

「なんのつもりの当て擦りッ! 挑発のつもりかッ!」

 

「……ぇ? なんで……だって、それは!」

 

 ツヴァイウィングに、と言うより天羽奏に途轍もない思い入れのあるティーネが思わず声を漏らした。予想外からの反応に響や未来、そして翼までもが驚いた表情を見せる。

 

 ティーネの心中に、あの歌は奏(と翼)のものなのにという思いが募る。単純に考えれば、デュエットソングで自信のある歌を選んだんだろう。そう分かっていても、理不尽な怒りがティーネの奥底からこみ上げてくる。

 しかし、その怒りは長くは持たなかった。

 

 彼女達が歌い始める。シンフォギア装者なだけあり、その歌は正確で、何より魂が込められている。

 その歌に思い入れの深い翼やティーネも、思わず黙りこむ。

 

「翼さん……」

 

 やがて2人が歌い切ると同時に、響が心配そうな表情を翼に向ける。

その顔を見ずに、無意識になのか翼が心中をこぼした。

 

「……なぜ、歌を唄う者同士が戦わねばいけないのか……」

 

 彼女達は翼への当て擦りなどではなく、真に歌を唄っていた。

 歌声には、間違いなく歌への愛と誇り、情熱にあふれていた。

 

 そこまで歌と共にある少女たちと、同じく歌の中に生きる自分たちが戦わなければいけないのか。残酷な現実を前にした翼の声には、紛れも無い哀しみの感情が込められていた。

 

(すごい、彼女達は、奏の歌を唄っていた)

 

 一方ティーネは、翼と似た、しかし全く異なる感想を胸に抱く。

 ティーネにとって、歌とはただ歌うべき人が歌うからこそ価値があると考えている。だからこそ、自分が奏の歌を歌っても奏の歌に聞こえなかった、自分の歌には価値がなかったと考えていた。

 しかしどうだろう。切歌達の歌が、奏より歌が上手いかどうかは関係ない。彼女達は、彼女達自身で奏の歌を歌い上げた。

 人は、誰かの歌だって自分の歌として歌っていけるのだ。それはつまり。

 

(僕がやっていることは、もしかして違うんじゃないだろうか。奏を蘇生させるより、僕は奏の歌を後に継いでいくべきだったんじゃないだろうか)

 

 ティーネは、間違いなく人の心に手を伸ばしている。

 人だからこそ、価値を後世に引き継ぐと思えるのだ。過去を振り返るのではなく、未来に向けてその顔を向けて歩めるのだ。

 

 だから、(エルキドゥ)は此処で決断を下した。

 

(ッ!? ……あれ、なんだろう)

 

 一瞬だけティーネの感じた違和感。今までにないほど強力で、一瞬で消えたソレは今は毛ほども感じない。

 だというのに、体が体の気がしない。手を動かしてみても普通に動くし、顔を動かしても普通に視界が変化する。

 

 それでも、ティーネはその違和感を捨てられずにいた。それは、まるで決断的に在り方を間違えたかのような不安を心に宿すモノだった。



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第10話 帰る場所/還らぬ心(2)

「決闘……だと?」

 

 あの後、歌うだけ歌った切歌と調は、何らかの理由あってか結局クリスのペンダントを奪うことなく会場から離脱した。

 装者達は逃げる彼女達を捕らえようとしたが、学校の人々を狙うと言われてしまえば手をだすことなんて出来ない。

 そこで、切歌と調から提案されたのが「決闘」の申し出である。

 

「はい。察するに、向こうも後がない……ネフィリムを成長させるためには、我々のシンフォギアがどうしても必要なのでしょう」

 

 弦十郎の問に翼が答える。

 ネフィリムは聖遺物を食らう聖遺物。聖遺物を取り込み、さらなる出力を発揮する自律型の完全聖遺物である。

 しかし、少なくとも二課が最後に確認した浜崎病院の制圧戦では、未だ出力は低くティーネ曰く発展途上の段階でしかなかった。

 

「なるほど、確かに彼らがネフィリムを用いて何らかのアクションを起こすというのなら、それは完全体のネフィリムを用いるものでなければおかしい……。とすれば、二課のシンフォギアを奪えなければ、自分たちのギアを与えるほかない……それは避けたいということですね」

 

 翼の言葉に、緒川が納得したように頷く。F.I.S.の装者は3人のみ。貴重な戦力だ、手放す訳にはいかないだろう。

 だからといって無理に奪うにも、あの場では2対4。ただでさえ適合系数が二課装者達に比べて低いというのに、数も倍ではとても勝てたものではない。歌で勝負を挑んだのもそういった理由だろう。

 結局、戦闘になれば被害がどうであれ勝てないのは切歌たちなのだ。であれば、せめて数の不利を埋めるために決闘を申し込むということもするだろう……テロ組織らしからぬものではあるが。

 

「まあ、どうあれ向こうから決闘の日時場所は伝えるってんだ。こっちは黙って白手袋(ガントレット)投げられるまで待ちゃいいのさ」

 

「……そうだな。それに向こうは期限を切っているつもりだろうが、先にこちらから見つけてしまえはどちらにせよ同じことだ」

 

 クリスがややこしくなる前に話を切る。

 結局そうするのが最善だと考えた弦十郎は、方針の内容を彼女の意見に付け加えるだけに留めた。

 

「う、う~ん。とりあえず相手の出方を見るッ! てやつですね師匠!」

 

 響がわかってるのかわからないのか微妙な例えを持ち出す。

 大体合っているが色々足りてない発言に弦十郎は微妙な笑顔を浮かべた。

 

「…………」

 

 そして、その場にいた全員が今まで黙っている1人の人間を見る。

 彼女──ティーネ・チェルクは、心此処に在らずといった茫洋とした表情で響の横に突っ立っている。

 明らかに方針会議に集中してる様子ではない。ルナアタック以前の響のほうがマシなレベルの棒立ちだ。

 

「……ティーネちゃん?」

 

「…………」

 

 話に集中していないせいで誰かに声を掛けられることは数あれど、声をかける側になるのは滅多に無い響がティーネに声をかける。

 その呼びかけにも答えず、ぼんやりした表情を変化させない。

 

「起きろ、このバカ!」

 

 思わずクリスが怒鳴って頭をひっぱたく。

 流石に頭を叩かれれば気づかないなんてことはなく。

 普段ならそれなりに力を入れて叩いても微動だにしないはずのティーネは、思い切りバランスを崩して我に返ったようにクリスの方を向く。

 

「……!? え、な、何? 急にどうしたの?」

 

 本人にとっては急な出来事に慌てるティーネ。明らかに話を聞いていないと主張するその態度に、あまり気の長くないクリスの顔が怒りに染まる。

 

「お前なあ、元お仲間の話なんだろ!? それをお花畑で聞き逃すって、お前はバカの中のバカなのかッ!?」

 

 怒鳴るクリスに、驚きで怯え竦んだような表情をするティーネ。

 

「……うん、ごめん」

 

 その言葉を聞いて自分が悪かったことを自覚したティーネは、反論すること無く頭を下げる。

 とりあえず反省した様子を見て溜飲を下げたクリスは、ティーネに今までの内容を説明した。

 その方針に異議も問題も感じなかったティーネは了解し、自分の部屋に戻っていく。

 

 

 

「……で、ありゃ一体何だ? 何がどうなってああなったんだティーネ君は?」

 

「それが、皆目検討がつかないといいますか……」

 

 普段はマイペースで余裕を崩すことのあまりないティーネの散々な様子に、弦十郎が原因のその場に居たであろう残った装者たちに問いかける。

 響が代表して答えるが、残りの二人もそれに同意するかのような表情しか浮かべていない。

 

「何か理由があるとすれば、ティーネがF.I.S.装者達の歌を聞いたことくらいでしょうか」

 

「つっても、戦場で嫌ってほど聞いてるだろ? あいつらの歌、何か今回だけおかしいってのか?」

 

 あたしはそう思わなかったけどなぁ、と言ってクリスは頭を掻いた。なんともむず痒い、ハッキリとしない状態に苛ついているようだ。

 翼だって、響だってそんなことは思っていない。彼女らの歌は戦場同様その心に、力に溢れていた。今回だけ違うとすれば、精々曲目程度だ。

 

「……曲目? そういえば私が初めて彼女と出会い、共に戦ったあのライブ。その時、ティーネが私の歌を懐かしむような事を言っていました。今回あの装者達が私と奏の歌を歌ったことが、どういった理由かはともかく彼女の琴線に触れたということかもしれません」

 

「ふぅん。だとすると熱烈大ファンなんじゃないか、アンタのさ? だから別な奴が歌って頭真っ白になったとか?」

 

 翼が挙げた理由と思われる内容に、クリスがからかい半分推理半分で茶化す。

 それに翼が怒鳴ろうとするが、しかし一理あるのかも知れないと思案する。

 今回の事でティーネが何がしか反応する理由としては、ないわけではないのかもしれない。というより、それ以上の理由に繋がる手掛かりが無いというのが正しいが。

 

「おいおい、真面目に取るのかよ……。ったく、調子狂う……ッ!?」

 

 悩みこむ翼を前に肩透かしされたようなクリスは、唐突になり始めたアラームに反応しモニターを見やる。

 そこにはノイズの反応が大々的に示されており、しかしすぐに消滅した。こんなことができるのは当然ソロモンの杖だけであり、F.I.S.だけだ。

 とすれば、これは彼女達の仕業以外にありえないということ。

 

「古風な真似を……決闘の合図の狼煙とはッ!」

 

 二課でしか知れぬ方法で場所を知らせるそのやり口に、翼が声を上げる。

 その間にも位置を調べていた藤尭が、発見した座標に驚愕する。

 

「位置特定ッ! ……此処はッ!? 東京番外地、特別指定封鎖区域……ッ!」

 

 その場所に、装者3人も驚きを隠せない。そこは、彼女達にも二課にとっても因縁浅からぬ場所。

 

「カ・ディンギル跡地だとォッ!?」

 

 今はルナアタックと呼ばれているあの戦い。櫻井了子……フィーネと戦ったあの場所。

 そこで同じ名を名乗る相手と相見える。それは、残酷な運命を予兆させるに足りるだけの知らせだった。

 

 

「決着を求めるのに、お誂え向きの舞台というわけか……」

 

「へぇ、僕は此処に来るのは初めてだなあ。あ、でも映像でなら見たことあるよ!」

 

 折れたカ・ディンギルが見える丘を歩いて行く4人。

 あのあと、部屋にいたティーネと合流した3人は、F.I.S.に指定された決闘の場所へと向かっていた。

 ティーネは今は多少持ち直している……ようなフリをしていることが丸わかりなカラ元気な態度をとっている。

 あまりにもいつものティーネらしく無く、不安な部分もないわけではない。しかし、仮にF.I.S.と戦うなら多少でも前線で持ちこたえられる人員が居るに越したことはない。

 マリア、切歌は前衛型、調がオールマイティやや前衛寄りであることを考えれば、後衛特化のクリスと前衛3人で揃えられる二課が有利なのは言うまでもない。

 それにそもそもティーネがいやいや来ているわけではなく、一応自分から合流してきたのである。簡易的なスキャンでも体の調子は極めて平常通りだったため、出撃は許可されたのである。ただし、肉体に何か異変があればすぐ戻るようにとも言われているが。

 

(よし、体は動く。違和感なんて、無いはずだ。大丈夫、誰が相手になっても役割はこなして……?)

 

 ティーネは自身が不調になっている気がする(・・・・)だけで、それ以上の問題は無いとそう思っていた。

 だから、出撃しても問題はない。切歌だろうがマリアだろうが、抑えてみせる……と、そう意気込んだ矢先。

 登り切ったその場所に、装者は誰一人としていない。居るのは1人の男だけ。

 

「……ウェルキンゲトリクス、またお前か」

 

「やれやれ、相変わらず……というか、前より感情が出ていますねえ? 何か面白いことでもあったんですかぁ?」

 

 苛ついた表情を見せるティーネを盛大に煽るウェル。

 思わず怒鳴り返そうとしたティーネを抑え、翼がウェルに問いかける。さらにクリスも、切歌と調、そしてマリアの不在について言及した。

 

「どうした、貴様1人か? ならばこちらとしても色々と手間も省けるのだがな」

 

「っていうか、あいつらはどうした? 決闘って言ったのはあいつらだろうが!」

 

「彼女達は謹慎中です。全く、崇高なる使命を果たすべきだというのに、子供の遊び感覚で色々やられてはたまりませんからねえ」

 

 2人の言葉に、大仰に身を竦ませるウェル。その表情に、崇高なる使命を帯びている様子は欠片ほども見当たらない。

 ティーネは心を落ち着けてウェルを睨む。腹立たしいそのニヤケ顔を見なければいけないのは業腹だが、しかしこれはいいチャンスでもあった。

 

「……それで? わざわざ装者4人の前に、たった1人? お笑いだね、此処でその崇高なる使命とやらを全うせずに捕まりなよ」

 

 ウェルに対してのみの毒舌に、ウェルは三日月のように口を歪ませる。

 瞬間、ウェルの手元にあったソロモンの杖が瞬き、大量のノイズが出現した。

 

「さて、そううまく行きますかねぇ?」

 

 そう言うと、ノイズの半数、飛行タイプの機動力に優れるノイズが街へと向かおうとする。

 

「クソッ、ちょっせえ真似をッ!」

 

 ギアを展開しながらそのノイズたちを睨むクリス。見れば残りの装者もギアを纏って戦っている。

 手持ちの武器をすぐにガトリングへと変化させ、街へ向かおうノイズをどんどん撃ち落としていく。

 それを尻目に残りの3人は、地上に出現したノイズを殲滅していく。

 

「どうした、こんなもんでアタシらを……ッ!?」

 

 そういうクリスの足元が大きく隆起し、まるで大地が破裂したかのようにして、黒い生物のようなモノが出現する。

 クリスは地面が割れるときの衝撃に巻き込まれ、空へと打ち上げられる。そしてすぐに落下を始め、衝撃を殺すことも出来ず背中を強打、そのまま意識を失った。

 

「これは……ネフィリムッ! よもやこれ程までに肥大化しているとは!」

 

 そのネフィリムの以前とはかけ離れた姿に驚きを隠せない翼。

 大地を割って出現したネフィリムは、明らかに以前に比べ巨大化していた。以前より成長を続けていたようで、大型犬ほどだったそれは今や人を遥かに超える巨体となっていた。

 

「これ程までに? いえいえ、まだまだ遠いんですよ僕らの理想には。ですので、皆さんを叩き潰して、そのギアを頂かせてもらいますよ?」

 

 ウェルがそう言うと同時に、ネフィリムは倒れたクリスの下へと歩を進める。

 

「翼、クリスを! 僕が空中のノイズを倒す!」

 

「っ、承知した!」

 

 倒れたクリスを守るため、戦端を切り上げ一気にクリスの下へ駆ける翼。ティーネは背中に巨大なウィングを展開し、空へと舞い上がる。

 空中で大量の鎖を展開したティーネは、クリスのお陰でかなり数の減っている飛行型ノイズの群れをまるで鎖で逃げ道を塞ぐかのようにして取り囲む。

 そのまま、翼を維持できるギリギリのラインまで鎖を広げ、一気に収縮させる。

 

 大量に展開された鎖は、網どころか壁のようにノイズに迫り、逃げる隙を与えない。

 中にいたノイズ達は鎖で作った領域に呑まれ、一気に押し潰された。

 

「よし、あとは地上を……ッ!」

 

 ティーネが地上を見れば、翼とクリスがノイズの粘液によって動きを封じられている。

 その2人をカバーするように、響が1人でネフィリムと戦っていた。

 

 

「ッ、ティーネちゃん?」

 

 地上でネフィリムと正面から戦っていた響の援護するかのように、空中から剣が降り注ぐ。

 光の剣ではなく、実体を持つ剣の弾幕。これを展開するのは響の知るかぎり一人しかいなかった。

 

「まさか2人が動きを止められるとはね。加勢するよ響!」

 

「うん、ありがとうティーネちゃん!」

 

 ティーネは地上に降り、ネフィリムと戦う響の援護に回る。

 ネフィリム相手には厳しい制約があるティーネだが、戦力にならないわけではない。ウェルの召喚するノイズ達を、響の手を煩わせない内に破壊するだけでも大分響の負担を減らしていた。

 だから、響は歌声を響かせる。どんな時でも1人じゃない、皆で戦っているというその思いが、響の鼓動を高鳴らせる。

 戦場でついた勢いをなくさない内に、ネフィリムを殴り飛ばそうとした響の耳に、ノイズを呼び出しながらのウェルの言葉が届いた。

 

「ルナアタックの英雄よ、確かにすさまじい力だ。そうやって君は、我々の使命を止めようとする! 無辜の民が月の落下で滅ぶのを、その拳で助長する訳だァ!」

 

「ッ!?」

 

 その言葉は、そこまで響が揺さぶられる言葉ではなかった。ちょっと動揺して、それだけだ。

 だから、戦場でその少しの動揺がどれほど拙いことになるのかを響は理解することになった。

 

 すこし詰まったその拳を、ウェルの言葉を振り切るように響は前へと伸ばす。

 

 

 

その瞬間をティーネは見過ごすはずがなかった。彼女の肉体能力は優れている。普通の人類ではとても成し得ない優れた視力と情報解析能力は、響の行動の危険性を把握する。

 だから、ティーネは鎖で響を引き寄せようとした。あのままでは、響が危険な目にあってしまう。

 鎖が間に合う可能性は五分と五分。だが、間に合わせてみせる。大切な友を守るために、人の心(ティーネ・チェルク)は奮起した。

 

 「エルキドゥ」のシンフォギアは、鎖を展開しない。展開しないはずがない。聖遺物の自分の指示を、聖遺物で動くシンフォギアに過不足無く伝えているはずなのだ。

 しかし、現実に鎖は展開されず、「自分(エルキドゥ)」はシンフォギアに指示を伝えず。

 

 響の伸ばした腕が、ネフィリムの口に綺麗に収まる。

 

 鋭い牙が多く生えるその顎を、ネフィリムは理性なき獣のように躊躇いなく閉じる。

 

「……ぇ?」

 

 自分の腕に、牙が食い込んでいる。

 響はその現状を認識したが、しかしあまりに現実から離れたその状況に精神が対応できていない。

 

 後ろで援護していたティーネは、その状況を絶望的な表情で見つめている。

 

 あまりの状況に動きを止めてしまっている2人の「人間」を前に、ネフィリムは口にした「餌」を、猛獣のように一気に引きちぎった。

 

「立花ァァアアアアアッ!」

 

 翼の絶叫が響く。赤い血が、まるで噴水のように溢れ、やがて止まる。

 響は自身の左腕のその断面を、血が出ないようにというより痛いところを抑えるという本能のまま残った右手で塞ぐ。

 

「あ、ああ……」

 

 腕を失ったというその現実を理解し、直視したくないというように首を振る。

 そこで視界に入ったネフィリムが、自身の腕を咀嚼し飲み込んだ姿を見て。

 

「ぅぁああああアアァァーーー……ッ!!」

 

 立花響は絶叫を上げ、崩れ落ちた。



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第10話 帰る場所/還らぬ心(3)

「イッたあアアアアアアぁああああッ!!!」

 

 ウェルの狂笑がカ・ディンギル跡地に響く。その顔は悦楽に歪んでおり、ウェルが如何に人から外れているのかが容易に読み取れる。

 

「パクついたぁッ! シンフォギアをぉ! コレでぇ!」

 

 この状況は、ウェルにとっては好都合。シンフォギア、つまり聖遺物を食らわせる事でネフィリムは成長していく。

 だからといって、いちいち装者たちのペンダントを食べさせるだとか、そんな勿体無いことは考えてもいない。それはあまりにも非効率なのだ。

 

 装者がまとうギアは、聖遺物の力を増幅したもの。つまり、起動前の小さな欠片を食わせるよりもよほど都合がいい。更に言えば、そのほうが後々餌として再利用することだって可能なのだ。

 特に融合症例第1号である立花響の場合、その肉体にも聖遺物が混じっている可能性も十分にある。であれば、普通に装者のギアを喰らわせるよりよほど効率がいいかもしれない。

 

 完全聖遺物ネフィリムは、自立稼働する増殖炉。(ガングニール)という聖遺物を食らったそれは、さらなる出力を獲得しようとしていた。

 

「さあ、始まるぞ! 覚醒の鼓動! この力が、フロンティアを浮上させるのだぁ!」

 

 

「なんで、なんで動かないんだ……。僕は、僕なのに、どうして……?」

 

 響の惨状に、不明瞭なことを呟くティーネ。その言葉には、当人にしかわからなぬ悔恨の思いが刻まれていた。

 

 あそこで、ティーネが鎖で響を助けられていれば。

 もしかしたら、助けられなかったかもしれない。あの状態から、鎖が間に合う可能性は精々五割程度だったのだから。ともすれば、エルキドゥの シンフォギアを破損するような事になったかもしれない。

 歌による増幅機構を使用できないティーネは、シンフォギアの核部分の聖遺物、自在に変形する「エルキドゥ」をギアの機構で展開する程度。増幅が出来ない以上、破損をしたパーツはそのままになる。そうなれば、ギアの不備ということで事実上自分は戦場に立つことを認められなくなる。

 

 そうなれば、奏の蘇生まで一気に遠のいてしまう、それは間違いなく事実だ。

 

 それでも、ティーネは助けたかった。自分の目的を捨てて、否、最初に抱いた願い(初期設定された目標)を捻じ曲げてでも助けるべきだったのだと、そう考えていた。

 ティーネは気づかない。何故、体に不備が起きているのか。何故、ギアが起動しなかったのか。

 ある意味でティーネは、自分がどういうものなのかすら忘却しているとさえ言えた。

 

「響……ごめん、ごめんなさ…………?」

 

 俯きながら響に謝るティーネは、ふと、響の様子がおかしいことに気づいた。

 響は、腕を失ったその体を震わせていた。痛いのか、恐怖しているのか。何れにせよ、この状況で身が震えるということは十分にあり得ることだろう。

 しかし、ティーネは何か違うものを響に感じていた。

 

 ティーネは改めて響を見直す。震えているその体に触れれば、その肉体は決して弱っていないことがわかった。

 響の肉体は、負傷して体力を失ったから震えているわけではなかった。精神が摩耗して、体の統制が取れていないというわけでもなかった。

 

「……ゥゥウ」

 

 勢い良く響は顔をあげる。その唸り声は普段の明るい声色を潜め、生物とは思えない不協和音を奏でる。

 瞳の中には聖遺物の影響なのか赤い光が瞬き、その全身は黒く染まっていく。

 

「ゥゥウウゥァアアアアアアッ!!!!」

 

 唸り声は咆哮へと変わり、目は瞳がわからないほどに赤く強く発光する。その鋭さは人のものではなく、理性を失った獣の如き姿をしていた。

そのあまりの姿に、狂笑していたウェルも笑うことを止め、思わずつばを飲み込んだ。

 ノイズに捕らわれ身動きを封じられていた翼は、見覚えのある響の姿に呆然とする。

 

「これは……。……立花の……」

 

 今までの戦いをモニターしていた二課も、響の様子に言葉を失っている。

 

 立花響は、聖遺物が体内に埋まっており、肉体と聖遺物の融合という特性を持っている。

 その力は肉体の活性化などの強力な特性を秘めており、響が爆発力を生み出す源でもある。

 ただし、その力は不安定。響が聖遺物の力を抑えきれなくなれば、それは破壊衝動として響の肉体に姿を見せる。

 

「暴走……だと……」

 

 弦十郎は、響のその姿を見て呆然と呟くことしか出来なかった。

 

 その言葉を皮切りに、暴走する響は全身からエネルギーを放出し、側にいたティーネを弾き飛ばした。

 ティーネはカ・ディンギルに叩きつけられ、息を詰まらせる。

 放出されたエネルギーはそのまま響の失われた腕部分へと固着され、新たな腕を構成する。

 

「聖遺物ののエネルギーを腕の形に……?」

 

 まるでアームドギアを構築するかのようなその所業に、翼が戦慄する。

 それは、響の腕が、肉体までもがシンフォギアとなってしまったかのではないか、そう脳裏によぎってしまう程の現象だった。

 

「アアアアアアアアッ!!」

 

 歌ではない、曲ですら無い。不協和音の咆哮を辺りに響かせ、一瞬でネフィリムの懐へと潜り込む。

 立花響の姿をした獣は、ネフィリムを殴打し、蹴撃する。

 そこに技術はなく、ひたすらに相手を滅ぼすための戦い方だった。

 

「や、やめろ! ネフィリムは、これからの人類救済に不可欠なモノ……それを、それをォ!」

 

 そのあまりの戦闘に、ウェルの表情が歪む。メガネを押し上げていることにも気づかず、両手で顔を抑えるほどに慌てていた。

 自分勝手に嘆くウェルを照らしていたはずの月光が、雲よりなお濃い物体によって陰る。

 何事かとウェルが上を向くと、そこには1人の人間が急降下してくる。

 

「ウェルキンゲトリクスッ! お前が、お前がァッ!」

 

 先ほどカ・ディンギルに叩きつけられたティーネが、落下の勢いに任せウェルの頭を鷲掴み、死なない程度に地面に叩きつけ昏倒させる。

 その後、今度は自然に展開できた鎖で翼とクリスを粘液で縛るノイズを破壊し、2人を開放する。

 

 クリスは未だ気絶しているが、とりあえずウェルを気絶させている以上ノイズ等によって狙われる心配はない。

 それを確認した翼は、ティーネの横に駆けつけ響とネフィリムの戦いで何が起きているのかを1片も見逃さないよう警戒しながらティーネ礼を言う。

 

「すまん、助かった! それでどうする、どうやって立花を止めるッ」

 

 翼の問いかけに、ティーネは自身の扱える手段を考えていく。

 やがて、考えがまとまったのか翼に向き直るティーネ。

 その両肩に手を置き目を合わせ、自分のできること、そしてそのために翼に何をして欲しいのかを頼む。

 

「とりあえずネフィリムさえ止められれば、僕は止める手立てが無いわけじゃない……でも、僕じゃ生物体にまでなったネフィリムに手を出せない。だから翼、どうにかしてネフィリムを……」

 

 ネフィリムを基底状態、せめて心臓部以外の肉体的部分さえ破壊できれば鎖の聖遺物クラックで無力化できる。

 暴走する響だが、歌も何も無く聖遺物によって単調な認識しか持たない獣のような今ならば、同じく聖遺物クラックを試みる価値があるかも知れない。

 当然バックファイアも存在するだろうが、それだって通常のギア展開時に比べれば少ないだろう。

 

 自分が無力を晒したせいで響が傷ついたのだ。ティーネは今、響を助けられる可能性が少しでもあれば実行するという決意を胸に抱いていた。

 

「……承知した。ならば私は……ッ、いや、まず立花を抑えねば!」

 

 ティーネの策に乗ろうとした翼は、しかし途中で意見を変える。

 何かあったのかと戦場に目を向け直すティーネ。そこには、ネフィリムの心臓を抉り引き千切る暴走した響の姿。

 

 その心臓を投げ捨て、響は天高く跳躍する。手を繋ぐための特性のはずのアームドギアが、触れたものを貫き通す槍へと変わる

 絶対に命中し敵を貫き通す撃槍の一撃を、心臓の無いネフィリム程度に止められるはずもなく。

 ネフィリムを構成していたすべてを吹き飛ばし、閃光が辺りを包み込んだ。

 

「……ッくそ、何だ、何がどうなってやがる!」

 

「──ッ、響、響はどうなった!?」

 

 光が止んだ後、ティーネがそう言って先ほどの戦場を見る。閃光と轟音に目を覚ましたクリスが、状況を把握できず困惑したような声を上げる。

 そこにはネフィリムの姿は残されておらず、未だ全身を黒く赤い光で覆う響が立っていた。

 その姿に安心するのも束の間、響は気絶しているウェルを睨む。

 

「マズいッ!」

 

 流石にウェルキンゲトリクスが死ぬ程嫌いなティーネでも、だからと響に殺されていいわけでない。

 というより、ウェルキンゲトリクス程度のために響が手を汚すなんてとても認められないという方が正しいが。

 

「もういい、もういいんだ立花!」

 

「とりあえずお前落ち着けって! 黒いの似合わないんだよ!」

 

 響を止めるために翼とクリスが駆け寄る。

 ティーネはギアから鎖を展開し、抑えつけられている響に鎖を接続する。

 

(ッ、なんだこれ! 響の中に聖遺物が此処まで融合しているなんて……ッ。いや、今はそんなことどうでもいい!)

 

 接続してティーネが最初に驚いたのは、響とガングニールの融合度合いである。全身に蔦を張るように広がったガングニールは、響の肉体を強く蝕んでいた。

 あまりの響の肉体的状況の悪さに、しかし今はそれを気にしている場合でもないとティーネは意識を集中する。

 一応装者の意思で起動しているシンフォギアへのクラッキングに、バックファイアによる負荷が自身の肉体にかかる。ティーネの両目からは血の涙を流し、口の端からは血が溢れていく。

 それでも、ティーネは罪悪感と使命感から構わず聖遺物の沈静化を試みる。

 

 やはり今現在ガングニールが歌で出力調整されていないからなのか、クラックは成功し響の体を覆う黒い影をゆっくりと消していく。

 それと並行してシンフォギアを基底状態へと移行させるティーネ。やがて、体重を翼とクリスに預ける状態で元の姿に戻る響。気を失っており、それを取り戻せそうな様子には見えない。

 

 ティーネは鎖を収納し、自分の顔から流れる血をギアの外套で拭う。とりあえず、ティーネが見たところ響は未だ死には至る程ではなかった。

 あまりにひどい聖遺物との融合状況を考えれば予断は許されないが、それでもとりあえず安堵していた。

 

(そういえば、今回は普通に鎖を使用できてたな……)

 

 てっきり自分が危険な状態に落ちるからこそ、先だっては肉体がギアの使用を途絶したのかと思っていた。

 しかし、バックファイアによるダメージを負う状況にも関わらず、今回はギアの機能を使用できていた。

 何か別な条件があったのだろうか、だとすると何が条件なのかと考えこむティーネ。

 

(……まあ、いいか。使用できることを嘆くもんでもないしね)

 

 しかし、特に何か共通点を見いだせず、ティーネは考えることを止め、響が投げ捨てたネフィリムの心臓の下へと向かった。

 

 

「皆さん、響さんをこちらへ!」

 

 やがて到着した二課の面々に、未だ意識が回復しない響を預ける。

 そのままストレッチャーで運ばれていく響を見て、二課の装者たちは不安な表情を浮かべる。

 

「安心しろ、響君は俺達が絶対に助けてやる。大船に乗ったつもりでいろ!」

 

 潜水艦だがな! と快活に笑い、装者たちの心配を解こうとするのは現場指揮を執っていた弦十郎である。

 流石にウェルという首謀者の1人であろう人間を捕らえられたということは大きく、弦十郎も現場に出てきていたのだ。

 弦十郎の言葉に、全員安心したような表情を浮かべる。勿論、響のことは心配だ。しかし、それでも弦十郎にそう言われればなんとなく安心できる。

 無理や無茶を押しのけて進む彼の存在は、装者たちの心を解すにはうってつけだった。

 

「それに、今回は大手柄だしな! これで大きく事態も動く。この事件も終わりが近いというものさ」

 

 そういう弦十郎達が回収しているものには、気絶し縛り上げられたウェル博士はもとより、彼が持っていたソロモンの杖、そして石の箱に収められたネフィリムの心臓があった。

 

「うん、そっか。それなら嬉しいよ。……響をコレ以上、戦わせなくて済むんだから……」

 

 弦十郎の言葉を聞いたティーネはそう漏らす。彼女の表情には安心、そして悔恨の表情が浮かんでいた。

 

 

 

 ティーネはあの後、念のためネフィリムの心臓に触れないよう周囲の地面を変化させ箱を作成、その中に封じた。

 そして、ウェルを地面から作った鎖で縛り上げ、ソロモンの杖を拾いクリスに手渡した。

 

「はい、クリス」

 

「お、おう……あ、ありがとよ……」

 

 急に手渡されて驚いたクリスだが、それでも無事ソロモンの杖を回収できたことに礼を言うクリス。

 ソロモンの杖は、少なくともクリスにとっては自身が開放してしまった罪科の象徴。そのソロモンの杖も無事回収し、これ以上被害がでることもなくなるだろう。

 そう考えて、やっと少しは肩の荷が降りたのだとクリスは安堵する。

 

 ティーネはそんなクリスと少し話してから、翼にも呼びかけ一旦3人で集合する。縛り上げて気絶させてるウェルも一応側に、且つ手が出せない程度に他の聖遺物から離して置いてある。

 

「……で、こいつ一体どうなっちまったんだよ、暴走なんてしちゃってよ。……なあ、あたしが気絶した後、一体何があったんだ?」

 

「そうだな、説明せねばなるまい」

 

 クリスがそう切り出し、その始終を見ていた翼が答える。ティーネもそれに情報を足していき、現状に至った経緯をまとめる。

 響が腕を食われたこと。それによってガングニールが暴走してしまったこと。

 ウェルやソロモンの杖はティーネが制圧・回収したこと。

 そして、ネフィリムは響によって撃滅され、その後はクリスと翼が頑張って抑えている間に、ティーネの聖遺物クラックで暴走するガングニールを基底状態に戻したこと。

 

そこまで説明したところで、ふとクリスから疑問が溢れる。

 

「なあ、腕を食われたって言ったが、いま腕残ってるじゃねえか。暴走中に作った腕ってのは、ギアの力を固定化したもんだって言ってたよな」

 

「そうだ、アームドギアのように立花が作り上げたものだ」

 

 クリスの疑問に、アームドギアの生成をそれこそ幾度と無く行ってきた翼が答える。彼女が見る限り、アレは間違いなくそれと同系統のモノだった。

 翼の答えは、クリスにさらなる疑問……と言うより、嫌な予感を覚えさせるに足るものだった。

 

「それで、その腕が残ってるってことは……」

 

「……私には、確かなことは未だわからない。ティーネ、お前なら何か知っているのではないか?」

 

 クリスの想像に、翼はほぼ確信した答えを持ってはいた。

 だが、それは確定した情報ではない。なればこそ、より答えを知っていそうなティーネと問への解を聞く。

 ティーネの表情は沈痛で、それが2人の予想があたっていたことを如実に示す。

 

「……うん。響はその肉体が聖遺物に侵されている。腕を失ったことでそれが顕著になったのかもしれないけど、今の響の細胞はかなりが聖遺物との融合したものになってる。これ以上戦えば、それだけガングニールに侵食されることになる。そうなれば響は……」

 

 

 

(そうだ、響を戦わせるわけにはいかない。もう、響が戦う必要なんてない。ノイズだって現れないから、響が力を使わざるを得ない日なんて来るわけない)

 

 響を運び病院へと向かう車を見送るティーネ。その顔には、回復しない限り二度と響を戦場に出させないという決意が宿っていた。

 最近自分(ティーネ)と統率がとれなくなってきている肉体(エルキドゥ)に、新たに願いを与える(目標を追加する)ティーネ。

 

 その行為は肉体から何の抵抗も反発もなく、それこそ自分の体を扱うように滞り無く実行された。

 



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第11話 想いの終端

「ドクターが捕まり、マムの病状が悪化……。私、どうすればいいの。わかんないわよ、セレナぁ……」

 

 テロ集団「フィーネ」が移動手段兼研究施設として使用している着陸状態のローター機の中で、マリア・カデンツァヴナ・イヴは足を抱えて蹲る。

 その声に宣戦布告をした時の勇ましさはなく、道を見失った1人の少女の不安を感じさせた。

 

 マリアは強者のために救われない弱者を、理不尽な月の災害を避けられない人々を救うために立ち上がった。少なくとも、当人はそう思っていた。

 しかし現実では、脱走者である自分たちを追撃してきた軍人はおろか、何の罪もない少年たちの命が奪われることを只傍観する事しか出来なかった。

 ネフィリムの成長のために、ギアをまとう装者とは言え人を食らわせるという、人道から外れすぎた行為を許容せざるを得なかった。

 

 そこまでして、結果自分たちは未だ何も成し遂げられていない。ソロモンの杖もネフィリムも二課の手に渡り、事態は悪化する一方だ。

 犠牲を減らすために、そのために正義に背を向け悪を成すと決めた。犠牲を減らすために、人を犠牲にしてきた。

 その結果がこれでは、あまりにも意味が無い。只の凶悪犯罪者でしかなく、それ以外の何も自分たちには残っていない。

 

「セレナ……私……」

 

 マリアは自身の懐に仕舞っていた1つのギアのペンダントを取り出す。

 そのペンダントは破損しており、ギアとして動く様子はない。

 

 そのギアの名は、銀の腕(アガートラーム)。セレナ・カデンツァヴナ・イヴ、マリア・カデンツァヴナ・イヴの妹が適合したシンフォギアである。

 

 欲しかった力ではないと言い、シンフォギアを必要以上に扱おうとしなかったセレナ。

 戦いを、争いを嫌うセレナは、ネフィリムが実験で暴走した時に姉を、人を信じた。

 きっと皆が何とかしてくれると信じ、躊躇わずシンフォギアを纏った。

セレナのギア「アガートラーム」の力はエネルギーベクトルの操作。暴走したネフィリムを基底状態へと戻すために、荒れ狂うエネルギーを自身の身一つに受けたのだ。

 全てはそこにいた人の生命を守るため、絶唱すら厭わず、己の生命を費やしたのだ。

 

「セレナ……あなたは、あの時生命をかけて皆を助けた。なのに、助けられた私は、貴女の遺志を継ぐと決めた私は誰も助けられない……ッ!」

 

 セレナは、自分を信じたのだ。マリアなら、皆を助けられるのだと純粋に信じていたのだ。

 その願いを承けたはずの自分は、誰も助けられない。セレナと違い、自分の歌で世界は救えない。

 

「……もう、どうにもならないの……? 私は、私の歌では、誰も……」

 

 ナスターシャは、現在危険な状態である。一応マリアが応急処置をしたおかげで多少は持ち直しているが、もともと病気がひどく、今までも気力で生きているような状態だったのだ。

 生化学の天才であるウェルによるサポートで病状を抑えられていたが、今はそのウェルもいない。

 二課に捕らえられている彼を連れ戻すことは、相当な難行であることは想像に難くない。

 

 かといって、二課に投降するべきかというと、それにもマリアは難色を示す。

 

 特異災害対策機動部二課はマリア達のいたF.I.S.に似た組織であり、フィーネからの技術供与を元に聖遺物を研究している。

 どういった組織体制なのかはわからない。ただ、今まで戦ってきた装者たちを見れば別に悪い組織ではないのだろう。

 しかし、それでもマリアは踏ん切りを付けられない。

 

 マリアはセレナを見捨てた実験場の研究者たちを、ひいては「強い」立場の人間を信じられなかった。

 セレナの生命を賭けた歌を聞きながら、それを只の音として処理した彼ら。命がけで彼らを助けたセレナのことを助けもせず、役立たずのモノ扱いした彼ら。

 マリアも、組織としての「フィーネ」も、そういった人間から見捨てられる人を助けることが行動原理なのだ。

 

 二課は、F.I.S.のような非人道的組織ではないかもしれない。しかしその確証が得られていない以上、投降してもナスターシャが助かるとは限らないのだ。

 であれば、やはり様々な要素を加味した上で、慎重に行動を起こさなければいけない。

 色々な状況に雁字搦めに縛られたマリアは、先の見えない状態、そしてその中を進まなければいけない現実に心が折られかけていた。

 

 

 その様子を陰から見ていた調と切歌は、お互いに顔を見合わせる。

 

「やっぱり、マリアは相当参ってるみたいデスね……」

 

「……うん」

 

 2人から見ても、マリアが疲弊していることは容易にわかる。

 それも仕方ないと言える。切歌や調と違い、マリアは機体の操縦から資材の管理やらをウェルやナスターシャと共に行っていたのだ。

 今まで3人で行っていたことを1人で、行動方針すら決めなければいけない。かと言って、長々悩んでいられる時間もない。

 マリアが追い詰められるのも当然だといえる。そして、マリアをずっと慕ってきた2人がマリアを助けたいと思うのもまた当然だった。

 

「……ねえ、切ちゃん。私、マリアを手伝いたい。マムを助けたい」

 

「それは私もおなじ気持ちデス! でも、いい考えが…………、そうだ!」

 

 何かを思いついた切歌が、調に耳打ちする。それを聞いた調は、切歌のアイディアに勝率を見出したのか同意するようにコクコクと頷く。

 

「うん、それいいかも。やってみよう、切ちゃん!」

 

「合点デース! となれば、マリアにも手伝ってもらわないとデス」

 

 そう言って、通信でマリアに協力を求める切歌。

 その考えを聞いたマリアは、今の自分ではそれ以上の策を思いつかないと見切りをつけ2人の計画に乗ることを提案した。

 

 

「海上で聖遺物の反応だと?」

 

「はい。どうやら一瞬だけ強い反応を示し、すぐにロストしたようです。現在、波形パターンを照合しどのような聖遺物なのかを確認しています」

 

 発電施設と併設された大規模な整備港に停泊していた潜水艦。二課仮設本部がにわかに慌ただしくなり、別室にいた弦十郎と緒川がブリッジに姿をあらわす。

 その間にも通信でデータを共有していたようで、定位置に着くなり情報の確認を取る弦十郎。

 

 現在唐突に現れた聖遺物の反応。完全聖遺物ほどのエネルギーゲインではなかったが、それでも聖遺物のエネルギーは危険なことに変わりない。

 藤尭は波形パターンの照合作業を行い、その結果のデータに驚いた。

 モニターに表れるのは「IGALIMA」という聖遺物の呼称。

 

「波形パターン、出ました。この波形は、イガリマです!」

 

「イガリマだとッ!? F.I.S.の装者のギアの反応が、何故海上で……。そして、この一瞬の反応。ということは……」

 

 特定された聖遺物を告げられた驚いた弦十郎は、しかしすぐに意識を切り替え、相手の目的を推察していく。

 機体の燃料を消費してまでわざわざ海上で、しかも一瞬だけ。相変わらずのステルス性なのだろう、機影は確認できない以上その波形の一瞬の出現を元に向かう他ない。

 たとえ、それが罠であろうともだ。

 

「……罠、ですね」

 

「……罠、だな。分かっていながらというのもアレだが、かといって放置するわけにもいかん。とりあえず、響君達が集まったら向かうとしよう」

 

 装者たちは、本部に居着いて降りることも滅多に無いティーネを除けば皆街に住んでいる。

 防人を謳う翼ですら、普段は街を拠点とする。以前のように学校地下に本部があるならともかく、リディアンに通う必要を考えれば常に仮設本部に居るわけにもいかないのだ。

 幸いというか、一度反応が出てからそれ以上に何かが起こったという兆候は見られない。

 

「しかし、一体何のために……」

 

 

「ふっふっふ、我ながらナイスなアイディアなのデスよ! こっちから相手に襲撃できないというのなら、向こうに見つけてもらうまでデス!」

 

「この機体のステルスは聖遺物由来。たとえティーネでも、一度展開された神獣鏡のステルスは見つけられないもんね。切ちゃん、すごい」

 

 そう言って、機体後方、荷台の出口近辺で相手が来るのを待つ切歌と調。

 

 彼女達の立てた作戦は簡単。二課の本拠地である潜水艦に吶喊し、ウェルと聖遺物を回収する。そのために、向こうから自分たちを見つけてもらうというものである。

 なるべく洋上におびき出して装甲を破壊してしまえば、潜って逃げることも不可能になる。そして、内部に潜れば装者の1人、雪音クリスのイチイバルの飽和攻撃を抑止することもできる。

 残るのは「立花響(ガングニール)」、「風鳴翼(天羽々斬)」、そして「ティーネ・チェルク(エルキドゥ)」となるが、彼女らも大威力攻撃は制限されてしまう。

 翻って、自分たちのギアはと言うと。こちらもアームドギアは大掛かりなものなので、屋内戦闘では制限される。

 それでも、勝利は疑っていない……とまでは言わないが、それでもこの1戦だけなら高確率で勝てると踏んでいた。

 

 2人の手に握られているグリップ付きの注射器、その中には薄く輝くような翠色の液体が満たされていた。

 

『2人とも、来たわよ! ……私は、この機体を維持しなければならないから手を貸せない。ドクターの回収を優先して、聖遺物の回収は後。──無茶だけはしないでね』

 

 待機している2人のもとに、操縦者であるマリアからの通信が入る。

 その声には2人に危険をくぐってもらわなければいけないという辛さと、危険な目にあって欲しくないという気遣いがにじみ出ており、それが益々切歌と調を奮起させる。

 

「まっかせるデース! 最初の一回、無茶はそれだけデス!」

 

「大丈夫。最速最短で任務をこなしてみせるから」

 

 そう言った2人に対し、返事の代わりに荷台の出口の扉が開く。

 機体の真下には二課仮設本部の潜水艦がその姿を見せ始めていた。

 

「行こう、切ちゃん」

 

「行くですよ、調!」

 

 切歌と調は、お互いの首筋にLiNKERを注射する。

 肉体に掛かる負荷を無視し、荷台から飛び降りる。高速で落下することで受ける空気の壁をものともせずに、2人は同時に歌を詠む。

 

Zeios igalima raizen tron(夜を引き裂く曙光のごとく)

 

Various shul shagana tron(純心は突き立つ牙となり)

 

 聖詠とともに顕れた2振りの女神の剣は、潜水艦の艦上に着地する。

 

「最速で!」

 

「最短デス!」

 

 アームドギアを展開した2人は、更に胸の内の歌を聞く。ナスターシャの容態を考えれば何よりも速度が尊ばれる電撃戦。そんな状況下で、2人は力を惜しむつもりはなかった。

 

 

「くそッ、取り付かれたかッ!」

 

「ああ、よもやこうまで拙速を重用するとは……。司令、我々は艦上に向かいます!」

 

 相手の行動のあまりの早さに、司令室にいたクリスは舌を巻く。

 F.I.S.、特に切歌や調は何のかんのと言って此処まで戦術的、というか目的遂行のみに特化したような行動をしてみせたことはなかった。

 決闘を申し込んだり、歌による勝負を仕掛けてきたりという今までの行動を、無意識の内に参考にしすぎていたらしい。

 それは翼も同じらしく、気を入れなおす様に体に力を入れ、戦意を顔に奔らせ戦場へ向かうことを告げる。

 

「すまん、頼むぞ翼ッ、クリス君、ティーネ君ッ! 彼女達を止めるんだ!」

 

 翼の言葉に、弦十郎が頷き命令を出す。その命令を受け、翼とクリスが駆け出す。

 その言葉に違和感を覚えたのは、同じく集まっていた響だった。

 

「あ、あれ?師匠、私はー……」

 

「……すまん、事情はすぐに説明する。今はとりあえず出撃を控えてくれ」

 

 自分の名前が呼ばれてないことに気づいた響が弦十郎に質問をするが、弦十郎は返答を濁らせ、一旦先送りにする。

 その弦十郎の深刻そうな表情に、響が反論できることはなく。

 

「え……あ、はい。……分かり……ました」

 

「……大丈夫、大丈夫さ。僕達だけで十分だから、ね?」

 

 何か自分だけ除け者にされているような感覚に、響は落ち込みながら返事をする。

 響のその姿に罪悪感を感じ続けているティーネが、とりあえず励ますような事を言って、他の2人の後を追う。

 

 3人を見送った司令室。彼らは痛々しい雰囲気を醸し出している響に何か声をかけてあげることも出来ない。

 落ち込んでいる響の頭を、弦十郎がわしわしと撫でる。突然のことで、だけど自分を励まそうとしていることがわかった響は、少しだけ持ち直しモニターを見る。

 

 そこに映っていた切歌と調は、ギアから流れる戦場の歌とは異なる、魂が直接歌う言葉を紡いでいた。

 

「絶唱……だと……ッ! まさかッ、あいつらの狙いはッ!」

 

 弦十郎はその歌を聞き、何故相手が此処までの電撃戦を敢行したのかを思い知る。

 響はその歌を聞き、心に1つの情景が浮かぶ。2年前のあの日、自分を守るために散った彼女。

 

「なんで……ダメだよ。LiNKERに頼る絶唱は……」

 

 響は切歌と調の歌に、風に舞い散るようにその肉体が消滅した天羽奏を幻視した。

 

 

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal』

 

 ハッチへと向かう翼の耳に、魂を燃やす歌が聞こえる。

 

「──ッ、この歌は!」

 

『Emustolronzen fine el baral zizzl』

 

 その生命を輝かせる、覚悟に満ちた歌声にクリスは思わずと言った声を上げる。

 

「まさか、歌うのかッ!? クソ、此処からじゃ止められねえッ!」

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal』

 

 自分の願いを徹すために唄うその歌は、ティーネの心を強く揺さぶる。

 

「生命を燃やす……それほどまでに、彼女達の願いは……」

 

『Emustolronzen fine el zizzl』

 

 歌の終わりとともに、翼達に通信が入る。

 

『3人とも急げッ! あいつらは、絶唱で無理やり押し入るつもりだ──この艦にッ!』

 

 

 調はその全身に鋸を展開する。そのシルエットは鋸によって巨大化しており、脚部にすら巨大鋸が展開された姿はまるで機械の巨人だ。

 そうやって展開された鋸が唸りを上げる。無限軌道による途切れぬ斬撃こそが、シュルシャガナの絶唱。調は一気に艦の上部装甲を切り開き、内部へと繋がるトンネルをこじ開けた。

 

「行くよ、急いで切ちゃん! あんまり長くは持たない……から……ッ!」

 

「分かってるデス!」

 

 絶唱のバックファイアで口の端から血を零す調。その姿に焦りを感じながら、切歌が返事をする。

 こじ開けられた大穴に飛び込み、調は鋸で、切歌は大鎌で最外壁以外の横壁を破壊し艦を突き進む。

 有象無象の相手には用事はない。彼女達は職員を巻き込まぬように注意しながら、独房や研究室のありそうな場所を手当たり次第に探していた。

 

「待て、行かせるかッ」

 

 が、掘り進むより掘り進んだ後を追いかけるほうが速度が上となるのは必然。崩壊した壁を頼りに追ってきた二課の装者たちが、破壊活動を行う調と切歌に対峙する。

 戦闘フィールドは切歌と調の想定通り艦内。多少開放感が増したとはいえ、十分な閉鎖空間。二課の装者たちの大威力攻撃は封じられたと言える。

 更に運がいいことに、立花響の姿がない。拳主体の彼女は、こういう領域では最も手強いと考えていた切歌たちにとっては嬉しい誤算だ。

 

「……いくデスよ、調。こいつらちゃっちゃと片付けるデス!」

 

「うん、分かってる!」

 

 そういって互いを励ます2人は、一気に突撃してくる。

 大鎌を巧みに操り瓦礫を回避しながら最短を突っ切る切歌と、周囲の瓦礫を巻き込み全てを切り開く調。

 翼は、この状況でどちらが厄介かを思案し、すぐに調の方が厄介だという結論を下す。

 

「クリス、ティーネ! 私はシュルシャガナと斬り結ぶから、2人はイガリマをッ!」

 

 そう言って、脚部にすら展開された巨大な鋸を振り回す調の懐に潜り戦闘を開始する。

 

「おうよ!」

 

「分かった!」

 

 クリスとティーネは翼に応え、切歌の前に立ち塞がった。

 

「お前ら、どきやがれ、デス! こっちは時間が無いんデスよ!」

 

 そう言って、絶唱を展開したイガリマを振りかざす。

 クリスとティーネはそれに相対する様に、マシンガンと鎖を展開する。

 

「魂ごと、マスト、ダァーイッ!」

 

 先の時間がないという言葉通り、間髪入れずに斬りかかる切歌。

 相手が絶唱している以上、クリスとティーネに慢心はない。狭い場所でお互い器用に場所を入れ替えながら、切歌の大鎌を躱し、往なす。

 

「くそったれ! 攻めきれねえッ!」

 

「さすがに場所が悪いんだ。ここではクリスのギアはあまり使えないから……。でも、時間が経てば取り押さえるのも楽になるはずだ!」

 

 流石にこの状況では、2対1でも攻め切れない。クリスの焦るような声に、ティーネが落ち着くよう呼びかけながら戦いを続ける。

 

 その現状に汗を流すのは、相手をしている切歌もまた同じだった。

 圧倒的に有利なフィールドなのに、攻撃を当てられない。切歌はその現状にどうしようもなく焦りを感じていた。

 ドクターの生化学の智慧が無ければ、重い病のナスターシャを救うことが出来ない。だから、ナスターシャを助けるためにドクターを連れ去りに来たのだ。

 だというのに、大切な命を守るための行動を妨害され、さらに絶唱のバックファイアのダメージも徐々に強まっていく。

 

「ちょろちょろとうっとおしいデス! こっちは、マムを、助けなきゃ、なのに……ッ!」

 

 無意識に苛立ちが募っていた切歌は、思わず自身の思いをぶつけていく。

 その言葉にティーネとクリスはそれぞれ感じ入ることのあったのか一瞬動きを止め、再び戦いを続ける。

 

「……だったら、こんなことしないで素直に投降しろッ! そりゃ、罰は当然あるだろうけどよ……それでも、無闇に被害ばかり広げてんじゃねえよ!」

 

 クリスはそう言って、切歌を説得しにかかる。

 その無闇に被害を広げてるという言葉に、詰まったように動きをとめる。

 やがて、切歌はその鎌を下ろし俯いた。

 

「……本当は分かってたデス、私達がやってることが無駄だってことも。被害を広げてるってことも! でも、でもッ!」

 

 彼女自身も、分かっていた。弱者を助けると銘打ちながら、今まで誰一人助けられていないということを。戦禍を広げるばかりだということを。

 それでも、彼女は認められない部分があった。最初のうちは自身の過ちを吐露していた切歌は、その語調を徐々に強めていく。その手にある死神の鎌(イガリマ)を握る手に力が入る。

 そうやって話す切歌の足元には、徐々に血が広がっていく。

 俯いた顔を上げれば、切歌はその目からは血の涙をこぼし、口からも血を流し続けていた。

 

「お前らを信じられるものかデスッ! いや、仮にお前らを信じたところで、その上の政府とかは自分たちだけ助かろうとするに決まってるデスッ! それじゃ、それじゃ意味ないじゃないデスかッ!」

 

 その言葉の端々から、彼女達がどう扱われていたのか、米国がどういう風に月の落下を捉えていたのかが解る。

 彼女達が二課を頼るわけがなかった。だって、彼女達にとって政府の下部研究機関とはF.I.S.のことであり、政府とはアメリカの政府だ。

 たとえ国を変えたところで、それが大きく変わるものなのだと信じられるわけがなかったのだ。

 

「だから、ドクターを連れ戻して、私達みたいに救われなかった人を、助けるんデスッ! ──だから、どけえええエエエエッ!」

 

 最後の力を振り絞ったのか、その一瞬は間違いなく今までで最も早い一撃だった。

 もっとも、だからといってティーネやクリスが見切れぬはずはなかった……本来ならば。

 しかし、切歌の、ひいては今回蜂起したレセプターチルドレン達の本心はクリスの、そして人の優しさを持ってしまったティーネの心を動揺させていた。

 

(……あ、まずい。こいつは、一手出遅れた……)

 

 ほんの一瞬、クリスの行動が遅れる。今から回避しようにも、身体能力の優れるティーネならともかく、クリスが回避することは難しいだろう。

 

(あーあ、あたしも年貢の納め時か……。でも、せめて最期まで足掻いてやるさ)

 

 それでも最期まで諦めないと言うように、クリスはバックステップの姿勢に入る。

 何処かのおせっかいが言うように、クリスは生きるのを諦めなかった。

 

 だから、回避するつもりのティーネは、別な行動判断をすることが出来た。

 

 その時浮かんだティーネの考えは、ともすればギアも破壊されるかもしれない。しかし、それでもクリスを守ることはできる。

 あの時響を守れなかった。その悔恨の念がティーネを行動させる。

 

 

 今回は、ティーネの体は思い通りに動いた。

 

 

 

「……え?」

 

 クリスは、躱せないと思っていた。例え回避行動に移っても、あの大鎌は自身の体を貫き切り裂くだろう、そう考えていた。

 しかし、何時まで経っても刃が届かない。バックステップした体が、後方の地面に着地しバランスを崩し尻もちをつく。

 

 その視界に映るのは、クリスをかばうように立っているティーネ。

 その背中の中央から、翠色の刃が伸びる。角度からすれば、肺を、下手をすれば心臓すら傷つけているかもしれない。

 

 やがて、刃が引き抜かれる。

 

 刃を支えに立っていたティーネは、その場に崩れ落ちた。足元には、血だまりが広がっていく。

 切歌は、自分のやったことながらもショックを受けた表情でその場に立ち尽くす。

 

「……おい、ふざけんなよ。どうしたんだよティーネ! お前すっげえタフじゃねえか! なんでへたり込んでんだよ……なあ!」

 

 クリスは目の前にある現実を受け入れたくないと、ティーネを起こすためにと頬を軽くはたく。

 その様子に、切歌は自身が何をやったのかを機械的に説明する。

 

「……イガリマの絶唱は、魂を切り裂く一撃。そこに物質的な防御は意味は無い。絶対の、一撃、デス……」

 

 そういって、血涙に交じり本当の涙を一筋流し、切歌はギアを維持できずにその場に倒れる。

 バックファイアによるダメージからか、その顔からは血が溢れていく。

 

「嘘だろ、そんな、嘘だろ……? ティーネ、お前、死んじまったなんて、そんなわけ無いだろ!」

 

 

 クリスの言葉が虚しく響く。どれほど嘆こうとも、起きた現実は覆せない。

 ティーネ・チェルクを名乗る魂は、今ここでその胸を貫かれ、死に果てた。

 

 

 そして、倒れていた「エルキドゥ」の目が開いた。



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第12話 戦いの終わり

 ティーネ・チェルクと、そう名付けられた人格はふと目を覚ました。

 周囲は何も無い青い海。水面も水底も見えない無重力領域に、ティーネは揺蕩っていた。

 ティーネの記憶にも、エルキドゥの記録にも残されていないそこに、しかしティーネは奇妙な既視感を感じる。

 何処で感じたことだろうかと、ただただ思い返す。

 

「……そうだ、僕はコレを見たことがある」

 

 何故忘れていたのだろう、遥か過去の"彼"の記憶。起動する前、ただ聖遺物に宿っていただけの頃の"彼"は確かにこの空間にいた。魂だけの存在だった"彼"がいた場所。それはつまり、今のティーネもまた、魂だけなのかもしれないということ。

 ふと自分の四肢に目をやれば、末端から徐々に崩壊している。その有様を見れば、自ずと自分の状況に理解も及ぶ。

 

「僕は……死んだのか……。いや、違うな。今まさに死んでいっているのか」

 

「────」

 

 そのつぶやきに答えたのか、世界が青一色から変化する。

 世界に幾何学的な文様が走り周囲の青が泥で満たされ始める。下半分が泥の大地になり、そこから泥の巨人が姿を見せる。

 頭に角と長い毛髪を生やしたその姿は、恐らくティーネの憶えている限り最古の姿。泥の野人(エルキドゥ)は、言葉にならない言葉を発する。

 ティーネは、その言葉の意図を理解できる。自分の声だ、理解できないわけがない。

 

「……そうか、僕は道を間違えたのか。『ワタシ』の最初に指定したプログラムの指針を違えようとした。……天羽奏の蘇生から、離れる道を選んでいった」

 

「────」

 

「だから、『ワタシ』は僕から肉体の主導権を取り上げた。僕が完全な魂となり、完全聖遺物の肉体が本当にただ魂に従う肉体となる前に、魂の影響力を抑えようとした」

 

 完全聖遺物「エルキドゥ」の元々の製造目的は環境の変動を扱う只の機械であり、そこに自意識が発生する余地はない。ソレはただ、誰かが動かす内容に従うのみだ。

 他者の思考によって動かされるはずの只の道具は、自分で意思を持ち自分の肉体を動かすことで擬似的な生命としての力を得た。嘗ての神話の時代は、「エルキドゥ」を動かしていたのは何の変哲もない「人」の魂であり、だからこそ「エルキドゥ」はその意思に逆らうことは微塵もありえなかった。

 

 だが、その魂は摩耗した。"彼"は長い年月の眠りによってその魂が聖遺物に取り込まれていった。覚えていた記憶はあくまで記憶でしか無く、感情も精神も殆ど擦り切れてしまっている。

 いまのティーネは、その魂の残滓から作り出された擬似魂魄にすぎない。

 その魂を作ることを決定したのも、"2度目"のエルキドゥの目標を直接的に設定したのも人の魂ではなく、聖遺物としての在り方。

 自分を起動した「歌」を聞けなくなることを恐れた「エルキドゥ」の本能だ。

 

 ティーネは、主導権を与えられていたに過ぎない。

 人の中に紛れ暮らし、天羽奏の蘇生を果たすための情報などを集めるために、肉体の運用を肉体(エルキドゥ)自身から任されていた、それだけだったのだ。

 だというのに、ティーネはそれを忘れていた。人に近づきすぎた彼女は、人としての感性を、在り方を、意志の力を手に入れてしまっていた。

 

 だから、未来に目を向けてしまった。奏の歌を未来に向けることを「魂」としての目的(ねがい)にしてしまった。再起動した聖遺物に刻まれた「天羽奏の蘇生」という目的を否定しようとした。

 

 勝手に聖遺物のプログラムを書き換えようとする擬似魂魄(プログラム)は、エルキドゥにとってはウィルスも同義。

 であれば、肉体の主導権から切り離すのも当然。ウィルスに感染した端末をネットワークから切り離すように、ティーネはエルキドゥから一時切り離された。

 

 そして、それでも、ティーネは(エルキドゥ)を動かせた。聖遺物を動かすのはプログラムであり、聖遺物を扱おうとする人の意思。

 ティーネ・チェルクは人ではなかったが、意思だけで聖遺物を動かせるほどに人へと近づいていた。

 いずれ人へとなってしまえば、「エルキドゥ」はそれに従うより他になくなる。

 

 仮にそのような状態になれば、「エルキドゥ」からそこに何ら変化を加える事はなくなる。ティーネを切り離そうとしていたのは、エルキドゥが「人に近いウィルスが勝手に自分を動かそうとしていた」という認識をしたからに過ぎない。

 ティーネが人であれば、排除なんてするわけがない。唯々諾々と道具のようになることが当然だ。

 

 だが、まだティーネは人ではなかった。だから、エルキドゥはティーネを消去するための手段を模索した。

 そして、見つけた。エルキドゥにとって幸運なことに、それは戦いの最中にあった。

 

「イガリマの絶唱は、標的の魂そのものを切り裂く一撃。ティーネ・チェルクのみを消去するというその目的に最も合致する手段だ」

 

「────」

 

 雪音クリスを庇うというその行為を、自身の破損も厭わず許可・実行したのはそのためだ。

 イガリマの絶唱をあえて受ければ、ティーネ・チェルクの魂は消失する。

 

 勿論、完全な魂でない以上完全な消滅はありえないだろう。現に、ティーネの消滅速度は徐々に低下している。人の魂、自意識的部分が消滅すればそこで崩壊は停止し、更に時間を掛ければ徐々に復活させることも不可能ではない。

 しかし、主導権を「エルキドゥ」が握った今、ティーネ・チェルクの魂が再び人の魂となる可能性は限りなく低い。

 

「……ねえ、ワタシが僕のいうことを聞いてくれるかはわからない。でも、1つだけ。イガリマで僕が死んだことだけは、言わないで欲しいんだ。僕達の事情のために、魂殺しをさせただなんて、それはあまりにも酷すぎる」

 

 自分の崩壊を認識したティーネは、エルキドゥに向かって言葉を紡ぐ。

 自分(ワタシ)自分()を殺すそのために、切歌の刃を使った。自殺騒動のギロチン役をやらせたなんて事を切歌に伝えたら、彼女がもしかすれば怒るかも、悲しむかもしれないから。

 

「────」

 

 その言葉に、僅かに首肯する泥の野人(エルキドゥ)。目的遂行の邪魔になるような行為ではない以上、それを受け入れない道理もない。エルキドゥは今まで自身を使っていた(ティーネ)の提案を、自身のプログラムに刻み込んだ。

 

 やがて、エルキドゥは「模倣」を始める。いま崩壊間際を漂う「魂」としてのティーネ、その表層的な人格をプログラム化し、完膚なきまでにコピーする。

 泥の肉体は縮み、今までどおりのティーネの姿へと変化していく。その顔には、ティーネのいつも浮かべていた笑顔が浮かぶ。

 そのどこまでも完璧な、そうであるがゆえに人らしからぬ模倣をした「エルキドゥ」が空間から消えゆくのを見届けたティーネは、やがて崩壊に逆らえずその意識を閉じた。

 

 

 胸を刺し貫かれ、血に塗れたエルキドゥが立ち上がる。その顔には苦痛を堪えるような「極自然な」表情を浮かべている。

 

「ティーネ! お前、無事なのか!?」

 

 クリスが立ち上がった「ティーネ」に駆け寄る。先ほど魂を貫く一撃を与えたという切歌の言葉に反し、彼女は魂を持っているかのような表情を浮かべていた。

 心配そうな表情を浮かべるクリスに、「安心させようとする笑顔」を浮かべるエルキドゥ。

 

「うん、大丈夫だよ。ごめんね、心配したでしょ?」

 

「っまさか! あたしは、別に……。なあ、どうして平気だったんだ?イガリマの絶唱は魂を傷つけるってそいつが言ってたんだ、それがデタラメぶっこいてたとかってわけでもなさそうだし」

 

「うぅん、よくわからないなあ。多分、絶唱を維持しきれていなかったとかじゃ無いかな? 恐らく適合系数の低下による絶唱の解除がギリギリで間に合ったんだと思うよ?」

 

 真っ赤になって照れるクリス。しかし、その表情をすぐに真剣なものと変える。

 ティーネは、確かに絶唱の一撃を受けていた。だが、確かに直前の切歌は、絶唱のバックファイアからか顔から大量の血を流すほどの状態でもあった。

 あの絶唱も見た目だけを保って、その性能までは保持しきれていないと言われれば、そうかもしれないと思えてもくる。

 

 

「大丈夫か、2人とも!」

 

「切ちゃん! ねえ、切ちゃん!」

 

 2人の戦闘が終わったことを確認した翼がクリス達の元へ駆け寄る。

 その後ろでは調が切歌を心配し呼びかけている。切歌同様に顔から血を流しているが、それでも切歌ほどのダメージは負っていない。

 切歌が倒れた時点で戦闘を止め、自分からギアを解除したのだろう。ふらついているが、それでも自力で切歌の下へ歩み寄るだけの体力はあったらしい。

 

「ああ、あたしらは平気だ。だけどこいつらは流石にほっとくとマズイぞ!」

 

 声をかけ続ける調と倒れて動かない切歌の様子から、予断が許されない判断したクリス。

 翼も同意見のようで、ギアの通信機から本部に連絡する。

 

「わかっている、ギアを取り上げた後で医療班を回してもらわなければ。……司令、状況終了しました。艦内は大分荒らされましたが、こちらの負傷者はティーネのみ。それよりF.I.S.の装者たちが……」

 

『こちらでも状況は把握している。いまそちらに医療班を回したから、スマンがお前たちはその場で待機していてくれ』

 

 弦十郎の指示を了解し、待機する3人。

 調は、その通信内容を聞いて驚いたように顔をあげる。

 

「助けて……くれるの……? なんで……」

 

 その質問に、3人は顔を見合わせる。彼女達、特に翼やクリスにとってそれは至極当然の結論でしか無い。

 勿論、色々と理由はあるだろう。しかし、主たる理由はただひとつ。

 

「……ふっ、さてな。だが、生命が手から零れ落ちるのを見過ごすわけにもいくまい」

 

「まぁーな。どっかの誰かさんに影響されてるのさ、きっと」

 

 多くを語らず、そこで言葉を止める2人。

 その言葉にとても衝撃を受けたかのように目を大きく見開く調。

 そこから何かを言う前に、医療班が切歌、調、そしてティーネ(エルキドゥ)をストレッチャーに乗せて、医療ルームに運んでいく。

 

 その様子を見ていたクリスは、翼に声をかける。

 

「で、その誰かさんもいまやばいかも知れない……よな」

 

「……確かに、な」

 

 クリスの心配を肯定する翼。事件も大分解決に近づいているが、それでもなお2人の顔は曇ったままだった。

 

 

 

「私のせいだ……。私があそこに行ければ、調ちゃんも切歌ちゃんも、それにティーネちゃんだってあんなに傷つくことはなかったのに……」

 

 立花響は、待機していた司令室でうつむき、泣いていた。正面のモニターには、ストレッチャーで運ばれていく3人の少女の姿が映っている。

 誰も彼も全力で戦い、ギアの負荷によって、そして戦いの結果によって大きな怪我を負ってしまった。

 

 自分のアームドギアなら、歌を調律する力なら彼女達の絶唱の負荷を軽減できた。自分に負荷を回すことで、バックファイアを軽減できたはず。

 そう考えて、響は自分の無力さに涙をこぼす。

 

 翼達が出撃した後、響は改めて弦十郎に自分が出撃できない理由を問いただした。

 その結果、返ってきたのは響がこれ以上戦えば死ぬという明確な現実だった。

 

 自分がかさぶたと思っていた黒い欠片は、聖遺物が表出したもの。

 侵食する聖遺物が、響の体を蝕んでいるということを示すそれは、いずれは響の生命を食いつくすということだった。

 だから、これ以上ギアを纏わせられない。纏ってしまえば、それだけ死に近付くのだ。

 

「でも、それでも……。私1人が出られなかったせいで、皆が危ない目にあって。それで、いいのかな……」

 

 それでも、自分の生命を守るために3人の少女が大怪我をしたという事実は、響の心に暗い影を落とす。

 

 2年前に自分だけが生き残った負い目、それに端を発するサバイバーズ・ギルトは響の自身の生命の優先順位を低くしていた。

 大切なモノと分かっていても、誰かのためにならそれを使用することを躊躇わない。

 

 そんな響だからこそ、自分の生命のために3人の生命を危険に晒すのはあべこべなのだと、そう無意識に考えていた。

 

「……あいつらは、君を守りたかったんだ。響君、君が皆を助けたいと願うようにだ」

 

「師匠……」

 

 悶々と悩みこむ響に対し、弦十郎が声をかける。

 不安げな表情を浮かべたまま見上げてくる響に対し、弦十郎は言葉を続ける。

 

「そして、それはF.I.S.の装者も一緒だ。誰も彼もが、何かを守るために戦っている。……響君、君がもし今も彼女達を守れなかった事を悔しく思うなら、いつか君が、本当に大切な時に彼女達を助けてやるんだ」

 

「……はい、はい! 分かりました、師匠!」

 

 弦十郎の言葉に多少悩みが晴れたのか、ぎこちないながらも快活な笑顔を浮かべる響。

 

「ま、だからといって無茶だけはやめろよ? 少なくとも、その体が治るまではギアの使用は厳禁だ」

 

「あ、あはは……わかってますって」

 

 ついでのように付け加えられ弦十郎の一言に、自分の現状を忘れていたのか頭を掻く響。

 前途多難だなと弦十郎がため息を吐いたところで、1つの通信が入る。

 

「どうした藤尭、何があった?」

 

「はい、これは……上空、F.I.S.からの通信信号です! どうしますか、司令?」

 

 その言葉に、二課に緊張が走る。

 既にF.I.S.は真っ当に活動できるような状況ではない。装者2名が行動不可能。二課も実質2名が行動不可だが、現状それでも2対1。

 更に、その装者が戦場に出ればF.I.S.のエアキャリアーを守る人員はいなくなるため、遠距離戦ができるクリスが居る以上相手は機体を離れられない。

 最早選べる道は破れかぶれか降伏の二択である。

 かといって、破れかぶれもマズイといえばマズイ。この艦の破損を考えれば潜航は不可能、そうなれば、最悪特攻されればお互い相打ちになる。

 しないだろうとは思うが、相手が自棄になっていたらそうなる可能性も十分にある。

 

「……繋ぐしかあるまい。向こうの出方を別モニターで監視しておけ!」

 

 そういって、部下に通信回線を開かせる。

 正面モニターのディスプレイ上には、F.I.S.装者たちのリーダーであるマリア・カデンツァヴナ・イブの姿が浮かぶ。

 その顔には緊張が浮かんでおり、思わず響も、そして二課の人々も固唾を呑んで見守る。

 

『……我々「フィーネ」は……』

 

 画面に映るマリアは、そこで一旦言葉を区切る。今から言うためには決意が必要だと言わんばかりに、少しだけ目を閉じ、息を吸う。

 

『……日本政府に、投降、します』

 

 屈する他ないと、そう結論づけた表情のマリアの言ったその言葉は、テロ集団「フィーネ」との戦いを終わらせる一言だった。



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第13話 新たな戦端

 風鳴弦十郎は、切歌と調に荒らされた二課仮設本部の最奥地、異端技術を使用する者たちを捕らえておくための独房に来ていた。

 

「さて、今日は君達の事情などに関して色々聞きたいことがあってここに来た。体調とかは問題ないな?」

 

 異端技術犯罪者を捕らえると言っても、何か特殊な仕掛けがあるわけではない。万が一の脱走騒ぎなどに装者や弦十郎がいち早く対応できるように二課仮設本部内に設置されているに過ぎない。

 一般的な面会室のようなその硝子の向こうには、1人の少女がパイプ椅子に腰掛けていた。

 

「……尋問に来ている相手にこういうのはおかしいとわかっているけれど、質問させてちょうだい。切歌に調、そしてマムは無事なの?」

 

 日本政府に投降した武装集団「フィーネ」。

 そのリーダーであり、「フィーネ」の生まれ変わりであるマリア・カデンツァヴナ・イヴは、聖遺物関連の技術を扱える可能性を考慮し二課に設営された独房に収容されていた。

 そして、そのマリアを尋問するために独房を訪れた弦十郎に対しての最初の一言がこれであった。

 マリアの言葉に、弦十郎はマリアが仲間を大切にする普通の少女であることを理解した。そんなマリアを心配させないよう、弦十郎は敢えて朗らかに返答する。

 

「切歌君と調君は、絶唱のバックファイアによる肉体の損傷が酷い。だが、生命に別状はない。暫くは動けないだろうが、リハビリを頑張れば後遺症も残らんだろう。だが……」

 

 と、ここで言葉を切る。この先の言葉を言うべきかどうかで、弦十郎は頭を悩ませる。

 独房に入れられても様子を見る限り、彼女は心優しい1人の人間にしか見えない。否、実際に彼女は優しい人間であり、だからこそ真実を知って行動せざるをえなかったのだと弦十郎は理解していた。

 そんな彼女に辛い真実を伝えるべきではないのではないか、そんな彼女にだからこそ辛くとも真実を告げるべきなのではないか。

 

 弦十郎は、どちらにするべきか決めかねていた。

 

「私なら大丈夫。だから、どうか真実をお願い」

 

 少しの間口を閉じ考えこむ弦十郎に、自分が心配されている事を自覚したマリアは、真実を受けても平気なのだと続きを促す。

 その言葉にもまた少し悩むも、本人が望むならとすぐに切った後の言葉を話す。

 

「ナスターシャ教授の容態は、あまり良くはない。情けない話になるが、我々の医療技術・知識はウェル博士と比べて優れているとは言えないのが現状だ」

 

 そう言って悔しそうに手を握りしめる。マリアはその言葉に、やはりという感情しか浮かばなかった。

 もともと余命幾許もないナスターシャを生かすには、優れた技術力と対応力が不可欠。

 二課の技術も優れているが、ウェルはその方面、人体分野や生化学においては掛け値なしの天才である。彼だからこそより優れたLiNEKRを作れたし、ナスターシャの病状を遅らせることも出来たのだ。

 だからといってウェルが協力するかというと、そんなことはなかった。

 ナスターシャが運び込まれた時に、弦十郎はマリア同様独房に居るウェル博士に協力要請を依頼した。一応嘗ての仲間相手を助けるための要請に、返ってきたのは

「はぁ? なんで私がそんなことしなくちゃあならないんですかぁ? どうせ僕の夢も叶わないんだ! わざわざ他人の願いを叶えてやる道理なんて無いだろう!?」

 という、彼の性格がよく分かる答えだった。

 

「とりあえず、ナスターシャ教授はこちらも全力を尽くすつもりだ。……絶対に、助けてみせる」

 

 それでも、心の底からそう言ってくれる弦十郎の姿にマリアの心は救われている。

 F.I.S.と違い、二課は人を大事にし、人命のために生命を賭けて戦っている。あの装者たちも、そういった組織だからこそああも真っ直ぐ戦えるのだろうとマリアは感じた。

 

「……ありがとう、本当に。聞きたいことがあるなら何でも聞いて。私の知っていることなら、すべて答えるわ」

 

 それ故に、自分の知る全てを話すことに何の躊躇いもない。彼らならきっと、救われない人を救おうと行動してくれるだろうとマリアは確信していた。

 

 

「フィーネじゃ、ない?」

 

 司令室に集められた装者たちに言った弦十郎の言葉に、響は驚いたような、納得したような表情をする。

 捕らえられたマリア・カデンツァヴナ・イヴと、響は話をしたことがある。一種戒めから解き放たれた彼女の言葉や性格は、戦場とは違う彼女本来のものだった。

 優しく、リーダー的気質というより誰かを守りたい、助けたいという保護者気質な彼女はフィーネとも、そして櫻井了子ともかけ離れたモノだった。

 

「じゃ、じゃああたしらは、フィーネと……フィーネと戦ってたってわけじゃないってことなんだよな?」

 

 クリスが何度も確認するように問いかける。クリスにとって、フィーネとは一言で言い表せない複雑な関係にある。

 歪ではあるが、それでも一時期家族のように暮らしていたフィーネとそう何度もやりあいたい訳ではない。

 だからこそ、フィーネと戦っていた訳ではないというその事実に、小さな救いを感じていた。

 小さく安堵の表情を浮かべるクリスを横目に、ふと翼が気になったことを弦十郎に聞く。

 

「……では、レセプターチルドレン……フィーネの器足り得る彼女達に、フィーネは宿っていないということなのですか?」

 

「ああ、恐らくはな。とは言っても、俺達の技術じゃあ誰かの体に魂がいくつあるのかなんて解るわけもない。だが、マリアの知る限りで残りの2人に性格が変わるような兆候は見られなかったそうだ。万が一残りの2人のどちらかにフィーネの魂があるのだとしても、彼女は人格を塗りつぶすことを良しとしなかった。そういうことだろうよ」

 

 本当にそうなのか、その確証はない。だが、この予想が違うはずがないのだと弦十郎は確信していた。

 

「きっとそうですよ! やっぱり了子さんは了子さんだったんですって!」

 

「ばーか。そもそもフィーネがいなかったってだけだろ?」

 

 弦十郎の言葉を聞いて、了子が誰かを害していないことを喜ぶ響に、そもそも戦ってないと笑うクリス。

 そのどちらが正しいにせよ、彼女達は和解したはずのフィーネと戦っていたということに対する負い目がなくなったためか何処と無くスッキリしているように見えた。

 2人の様子を見ていた翼も同じ感覚を得ていたのか、その顔には優しい笑みが浮かんでいる。

 

「……そうか、マリアがフィーネじゃなかったんだ。ああ、よかった」

 

 響らと同様に弦十郎の言葉を聞いていたティーネも、安堵の言葉を吐く。いつも浮かべている笑顔も、若干緩んでいるようだ。

 弦十郎は、その笑顔にふとした違和感を感じる。

 

(……別に、おかしいところがあるわけではない。あの表情も今まで何度も見た、よく見ていた表情そのままだ。だが、何故こんな違和感がある……?)

 

「安心したら何だか気が抜けたなあ。先に僕は部屋に帰ってるね?」

 

 弦十郎が疑問について考えている間に、ティーネがそう言って部屋を出る。

 その足取りは軽く、今しがた知った事実に喜びを隠せていないようだ。

 

「あ、おい。まだ報告は……ったく、しょうがねえなあ」

 

 ティーネが止める間もなく行ってしまったため、ため息を吐く弦十郎。

 あの様子では本当に喜んでいるようにみえる。弦十郎は、自身の感じた違和感も気のせいだったのだと断じた。

 しかし、心の奥底には違和感を感じたという事実が刺のように突き刺さっていた。

 

 

 

(よかった、マリアがフィーネではなかったのか。コレで、心置きなく目的行動に移れる)

 

 廊下を歩くエルキドゥは、真実マリアがフィーネではないことに安堵していた。……その安堵の方向性が、弦十郎の想定していた方向ではなかったというだけで。

 エルキドゥにとって、フィーネの知識・見識は厄介である。仮にマリアがフィーネだとしたら、エルキドゥが確実に目的を達成するためには、マリアが二課を大きく離れるタイミングを待つ必要があっただろう。しかし、マリアがただのマリアならそこを勘案する必要はない。

 となれば、後はF.I.S.である彼女達が研究したデータから、二課が「フロンティア」に対するアクションを決定する前に迅速に行動するだけだ。

 

 エルキドゥはティーネが浮かべていたような笑顔を浮かべる。既に自身のいた部屋を通り過ぎ、今は修理中の仮設本部の下層部へと向かっている。

 装者が単独で来ることの少ないエリアであるため、研究職員達は1人で歩いているティーネ(エルキドゥ)を見て不思議そうな顔をしている。

 そんな視線を気にも留めずに、エルキドゥは扉の1つを開き、その部屋の内へと入っていった。

 

 

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは弦十郎との面会を終え、再び独房に戻っていた。

 独房内にある簡素なイスに座りながら、マリアは今後のこと、そして何よりもナスターシャのことを考えていた。

 二課の医療技術を以ってしても、ナスターシャは長くは持たないと弦十郎は言った。しかし、彼の言葉は、表情はとても力強く、そして何より大人としての包容力に溢れた姿だった。

 だからこそ、マリアは二課を信じたいと、心からそう思うようになっていた。そして、それと同じく自分が何かするべきではないのか、とも。

 

「マム……私は……」

 

 彼らを信じていいの、と自問する前に、二課の仮設本部に轟音が鳴り響き、そのけして小さくない船体が大きく揺れた。

 あまりの衝撃にマリアはバランスを崩し床に倒れる。

 

「一体何が……ッ!?」

 

 よろよろとその身を起こし、独房の外に目をやる。その次の瞬間にマリアの独房前の廊下に大穴が空き、その勢いのままに独房の扉が引きちぎられる。

 周囲からは人々の困惑の声と状況に対処する声が、大音量のアラートに混じって聞こえてくる。

 そして、大破壊によって起きた埃煙に浮かぶ1つの人影から、マリアに向かって声がかけられた。

 

「……やあ、僕の提案を聞いてくれないかな? マリア」

 

 

「どうした、一体何があったッ!?」

 

 司令室では、先ほどの轟音と振動に対し周囲から情報を集める弦十郎の姿があった。

 周りの職員たちも持ち場について情報を集めるものや、振動の原因を探るべく震源へと向かうものなど様々。

 そして、そういった彼らの情報を取りまとめた緒川が弦十郎に対してなにが起きたのかを伝える。

 

「どうやら艦内下層、聖遺物を保管していたエリアで何らかのトラブルが発生したようです。そこを起点に艦内の床壁天井が破壊されていました。そして、その壁の破壊痕についてですが……」

 

 モニターにその部屋の破壊の痕が映る。幸いにして死者は出ていないようだが、部屋が徹底的に荒らされており、その壁は内側から大きく拉げられている。

 

「確認したところ、聖遺物保管庫からは複数の聖遺物が強奪されていることが確認されました。現在確認のとれているところでは、シンフォギア同様の加工をされた神獣鏡、ソロモンの杖、そしてネフィリムの心臓が強奪されていました」

 

「何だとッ!?」

 

 そのどれもが強力な聖遺物。神獣鏡は残り2つに比べれば大して強力ではないが、F.I.S.の研究データから聖遺物由来のエネルギーを分解する光を放つことも可能であることが明かされている。

 ソロモンの杖とネフィリムの心臓は語るに及ばず。どちらも使い方次第では容易に世界と渡り合えるだろう、それほどの物品である。

 急に訪れた最悪とも言える事件に対し、騒ぎを聞きつけた……というより何が起きたのかを聞くために、部屋に戻っていた装者達が司令室に集まってきた。

 

「司令、一体何事ですか!? 先ほどの轟音と振動は一体何があったのですか!?」

 

 集まった装者、翼、響、クリスの3人を代表し、翼が詰め寄り気味に弦十郎に事件の詳細を問う。

 弦十郎は先ほど知った事を一通り説明し、画面を見直す。

 

「……というわけだ。どこかの馬鹿が聖遺物を奪った……ってだけならまだいいんだが。状況はそれより悪いだろうな」

 

 そういう弦十郎の顔には、希望的観測は一切見られない。

 弦十郎には、既に犯人の目星がついていた。何故こんな行動を起こしたのかはともかく、此処まで超人的な破壊行動を行えるのはギア装者か弦十郎本人くらいのものだ。

 そして、今この場には1人だけ、ギアの装者がいない。

 

「……ッ、まさか司令、コレを成した犯人は……」

 

 装者達の中で、翼が最初に感づく。次いでクリスがはっとしたような表情を浮かべる。

 

「そんな、嘘だろ。だってあいつは、生命を賭してあたしをかばったりするようなお人好しだ! そんなあいつが……」

 

 クリスの顔には、信じたくないという表情が浮かぶ。

 その言葉に、響も誰がこの事件を引き起こしたのか理解する。

 とても納得の行くことではないが、しかし現実として起こせるのは彼女しかいない。

 

「司令、コレを」

 

 緒川がそう言うと、モニターが切り替わる。艦内の壁に空いた幾つもの穴、それらは一直線に繋がっていた。

 まるで、目的地に向かうために最短距離を突き進んでいるとしか思えないその痕跡は、ある1つの場所へとつながっている。

 

「この穴の並びを結んだその先にあるのは、マリアさんのいる独房です!」

 

「そうか、藤尭! 独房の監視カメラの映像を回せッ!」

 

 その情報を知って直に、弦十郎が指示を出す。

 

 

 破砕された独房の扉。その向こうにある人影は、女子ならば大きめの部類だが、それでも自分よりも背が低い程度。

 その条件に該当する人間は、二課まわりにそう多くはいない。ましてこんな破壊行動を起こせるとすれば、風鳴翼ともう一人程度だろう。

 人影が、独房に侵入してくる。赤いアラートランプに照らされるその姿を見て、マリアは思わずといった風に叫んだ。

 

「どうして、貴女が……ティーネッ!」

 

 

 カメラの映像が大型モニターに映しだされた時、響は驚きのあまり唇を震わせる。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、モニターに映る少女と共に戦い、共に遊び、共に笑った記憶。それを思い出し、響が信じたくもない言葉を零す。

 

「ティーネ……ちゃん……?」

 

 座っているマリアの前に立つティーネ・チェルク(エルキドゥ)は。

監視カメラに気づいたのか、響達に、眼前のマリアに目線を向け、いつもどおりの笑みを浮かべた。



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第14話 胸の歌を、響かせて

「単刀直入に言うよ、マリア。僕と一緒に来てくれないかな。そうすれば、ナスターシャを助けることも不可能じゃない」

 

 独房を盛大に破壊し、マリア・カデンツァヴナ・イヴの前に立つティーネ(エルキドゥ)から告げられた言葉に、マリアは眉を顰める。

 ナスターシャを助けられるからついてこいというティーネの言葉。

 マリアは当然、ナスターシャを助けたいと思うかどうかを聞かれたなら当然、二心無く助けたいと言うだろう。

 しかし、今それを自分に問う意味もわからなければ、それを聞くためだけに大破壊を引き起こす理由はもっとわからない。

 

「……あなたは、何故こんなことを起こしたの、ティーネッ!」

 

 わざわざ今自分にこんな提案をするためだけに、ここまで大規模な行動を起こす意味は無い。ティーネは、なにか別な理由があってこれだけのことをしでかしたのだ。マリアにナスターシャを助けたいかどうか聞いたのも、恐らくついでだろうとマリアは踏んでいた。

 だからこそ、声を荒らげて問いただす。ティーネの言葉への答えを返さなかったのは、あるいは未だ悩んでいるマリアの心を反映しているのかもしれなかった。

 

 そして、そのマリアの問いかけをエルキドゥは斬り捨てる。答える必要性はないし、答えたところで何も変わらない。

 

「僕は、君に来てもらえないか聞いているんだよ、マリア。仮に君が答えを知りたいなら、共に来てくれたら幾らでも教えるさ」

 

 笑顔は、変わらない。いつもの柔和な笑顔を不自然なほど普段通りに浮かべたその表情は、笑顔という名の無表情。

 マリアは、どうするべきかを考える。どういう答えを出すべきなのか。

 

 今この場には、切歌も調もいない。ナスターシャは療養中だ。この場で出せるのは、それは100%自分だけの答えに他ならない。

 

 そう考えて、マリアは独房に来てからの二課の装者たち、そして風鳴弦十郎との面会を思い出す。

 彼らは間違いなく、正しい正道を歩いている。守れる限り法を、生命を守り、勇敢な意思を以って超常災害に立ち向かう。

 自分たちのようなテロ組織を構成していた愚かな子供にすら、彼らは真摯に向き合い、対等な約束を交わしてくれる。

 

 対して、今のティーネはどうだろう。彼女は、何もこちらに明かさない。ただメリットがあるというだけで、こちらの疑問に答えるつもりすら無い。

 

 そこまで考え、なんだ、と息を吐く。どちらに着くべきか、なんて今のマリアにとってはあまりにも明白だった。

 

「……いいえ、貴女の提案は却下する! 今の貴女は、とても信頼できるものではない!」

 

 今のティーネはにはとてもじゃないがついていけない。そして、それ以上に二課の人々の優しさを信じたい。

 それが、今まで大人を、組織を、誰かを信じてこれなかったマリアの結論だった。

 

 エルキドゥは何も言わない。その言葉を聞いても特に驚いた様子もなく、また慌てる様子もない。まるでどちらになっても考えがある、と言わんばかりに表情ひとつ変えずにその場に佇んでいる。

 

「そうか、それは残念だよマリア。まあ、どちらにせよフォニックゲインを自力発生させることのできる人間が必要になる可能性はあるからね、君がどう言おうと、僕のやることは変わらない」

 

「──ッ!」

 

 その言葉を聞き、戦慄するマリア。瞬間、マリアの懐に潜るエルキドゥ。

 戦闘者として生身でもかなり優れたセンスを持っているはずのマリアは、そのエルキドゥの今までとは段違いのスピードに反応できない。

 慌てて対応しようとするマリアに対し、エルキドゥはその腹部を強く殴打し意識を刈った。

 

「ッ、どう……して……」

 

 そこまでの強行に出るとは思わなかったのか、それともそもそもこんな行動を取る理由がわからなかったのか。

 どちらの意図があったのかも分からない言葉を残し、マリアは崩れ落ちた。

 

「さて、それじゃあ行こうか」

 

 そんなマリアの言葉を気にも留めず、エルキドゥは足元に倒れ伏すマリアを抱えその場を離脱する。

 エルキドゥは展開しているギアからではなく、自分の肉体から自分の身ほどもある太い鎖を出現させ天井を貫く。

 その鎖は何枚天井を貫いても勢いが衰えることも無く、停泊中の艦の上部装甲を突き破ってエルキドゥの通る道を作り上げた。

 

 鎖をアンカーのように艦の上部装甲に引っ掛け、巻き上げる。艦よりも軽いエルキドゥは、マリアを抱えたまま鎖で空けた穴を通り、一気に艦の外に踊りでた。

 そしてそのまま港へ降りようとしたところで、彼の空けた穴を通って2人の人影が現れた。

 

「お前の空けた穴、利用させてもらったぞ。神妙に縛につくか、大捕り物を演じるか、好きな舞台を選ぶといい!」

 

「てめえがなんでこうも暴走をしているかは知らねえが、馬鹿が馬鹿やってんだから止めるのが筋ってモンだ!」

 

 そう言って刃を、矢の切っ先を向けるのは、二課所属のシンフォギア装者たる翼とクリス。

 彼女らにとっても友人だったはずのティーネの唐突な凶行を止めるために、2人の戦士がエルキドゥと相対する。

 

「……邪魔をするなら、蹴散らすまでさ。翼、クリス。大怪我をしたくないなら退くといい」

 

 そう言ってエルキドゥは鎖を展開する。ぱっと見の外装こそシンフォギアを使用しているが、エルキドゥは完全聖遺物。そのエネルギー出力はノーマル状態のシンフォギアとは比較にならない。

 普段展開される鎖とは桁違いの本数の黄金の鎖に、しかし翼とクリスは油断なく、小さく笑う。

 

「……天の鎖よ!」

 

 号令とともに、神牛すら縛る神の鎖が翼たちを襲う。

 そもそも本来勝負にすらならない。同じ完全聖遺物であるネフシュタンの鎖に比べ殺傷力こそ低いが、だからといってギアを破壊できないわけではないし、その強度で負けるわけではない。

 クリスのアームドギアの斉射すら上回るその鎖は、2人の姿を一気に覆い隠す。

 例え装者だろうと一瞬で蹂躙される鎖の壁を作りながら、それでもエルキドゥは手を緩めない。純然たるスペックでは勝っているはずの彼は、その蹂躙の中心から目を逸らさなかった。

 

 

「翼さん! クリスちゃん!」

 

 立花響は、ギアの展開を許されなかったために戦場に出られず、未だ司令室で戦闘の様子を見守る事しか出来なかった。

 画面に映るのは、最早戦場なのか災害なのかもわからないほどの鎖の波濤。

 明らかにシンフォギアの出力を逸脱したその攻撃を、二課の司令室に備わっているセンサーはしっかりと捉えていた。

 

「どういうことだッ! あれだけの力をシンフォギアで放とうとするなら、絶唱ぐらいは使わなければ不可能なはずだ!」

 

 計測モニターに映し出されるそのエネルギー量は、まさしく圧巻。そして、不思議なほどに安定した数値を出していた。

 数値を測定することで何か手掛かりを探そうとしていた藤尭は、ティーネの普段のデータと今のデータを比較するなかであることに気がついた。

 

「コレを見てください、司令!」

 

「どうした、藤尭ッ! ……これはッ!?」

 

 そこに映るデータは、シンフォギアに搭載されているセンサーが計測したエネルギーと、二課仮設本部が取得した外部センサーによるエネルギー。

 普段ならそこに殆ど違いの見られないそれは、いま大きな隔たりを見せている。

 

「シンフォギアの出力が通常と変わらない……だと……!?」

 

 シンフォギアのエネルギー量は一定。ティーネ・チェルクという少女の展開するギアの特性なのか、今まで同様に常にフラットなエネルギーを放出している。

 それに対し、外部センサーから測定されるエネルギーはそれとは比較にならない。ギアではない何かによって、彼女は莫大なエネルギーを発揮しているということだ。

 そんなことができる手段は、とても限られてくる。

 

「し、師匠! それって、ティーネちゃんも私と同じ……?」

 

 聖遺物と融合することで生身でも強大なエネルギー発揮する「融合症例」である響が、慌てたように問いかける。

 しかし、弦十郎はその言葉に黙って首を横にふる。融合症例は、肉体と融合するとはいえあくまで基本は「シンフォギア」である。生身の肉体とギアのエネルギーに差が出るわけではない。

 更に言うなら、それでも出力の波形が違いすぎる。

 感情を強調させることでより強大なエネルギーを出す聖遺物は、融合してもその性質は変わらない。例えばガングニールが暴走するのは、響が何らかの理由で感情を負の一色に染め上げられたときだが、その場合出力は上昇するが不安定になる。

 今回のティーネ・チェルクのエネルギー波形は、大きいことを除けば普段通りの波形なのだ。

 つまり、融合し感情を暴走させるのではなく、只純粋にエネルギーが増しているということに他ならない。

 

「……まって、コレは!」

 

 そこで、藤尭同様にモニターをチェックしていた友里あおいが、特殊な波形の出力を確認する。

 

「これは……アウフヴァッヘン波形!? 解析……出ました!」

 

 アウフヴァッヘン波形は、聖遺物の出す独自の波形。つまり、彼女のエネルギーは聖遺物に由来するということになる。

 一体何の聖遺物を使っているのか、もしかすると強奪された聖遺物が何か関係するのか。

 その言葉と同時に、正面モニターに聖遺物の名称が表示される。

 モニターに映る文字は"ENKIDU"。ティーネ・チェルクのシンフォギアと全く同じ波形が、彼女そのものから検出された。

 

「エルキドゥ……だと……」

 

 本来ありえないその事実に、弦十郎は言葉を溢すことしか出来なかった。

 

 

 1人なら一瞬で制圧されるだろう鎖の嵐を、翼とクリスは磨き上げたコンビネーションで切り抜ける。

 クリスのミサイルで押しとどめた隙に、翼が斬り捨て破壊する。

 翼の落涙で地面に縫い付け、クリスのガトリングが破壊する。

 彼女達のコンビネーションは、見るものを魅了させる程に洗練されていた。

 しかし、それでも壁は厚く、硬い。このままではスタミナ切れで敗北する可能性がある。

 

「……このままではジリ貧だ。雪音、私が一瞬の隙を作る、見逃すなッ!」

 

「おうよ、任せろッ!」

 

 状況を打開せんとする翼の言葉に、躊躇なく言葉を返すクリス。

 その即答に笑みを浮かべた翼は、空を覆う鎖の壁を切り払い、一瞬だけ空を映す。

 一瞬の空隙。その隙を過たず、巨大な剣が壁を切り開く。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

             天 ノ 逆 鱗

 

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 巨大な剣が、鎖と2人を頒つように艦に突き立つ。天ノ逆鱗という剣は、今この場で盾としての役割を果たした。

 その僅かな防壁の間に、クリスが巨大なミサイルを展開する。小型ミサイルと異なり背中に展開されたその弾頭は、ティーネがいる方向に照準を合わせる。

 

「ぶっ飛べェッ!」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

    M E G A  D E T H  F U G A

 

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 その爆風は、軽い鎖を容易に吹き飛ばす。

 鎖の領域に空いた穴を抜けるように、翼とクリスは囲いを破る。

 

 一瞬の隙をついて囲いを突破した2人は、爆炎に紛れ一気にティーネを昏倒させんと狙いを定める。

 爆炎を切り裂く蒼雷の斬撃と、逃げ場を失くすようなミサイルの雨。回避の出来ない波状攻撃を、エルキドゥは甘んじて受け入れる。

 

 

「……どうなった?」

 

「わからん。だが、コレで終わればいいのだが……」

 

 着地した2人が、そう言って攻撃を叩き込んだ場所を見据える。

 翼もクリスも、ティーネとの戦いに大きく違和感を感じていた。先ほどの異常な出力の攻撃はもとより、その戦術に至るまで、今のティーネは何かがおかしい。

 自分の低出力を知っているからこその戦いぶりとはかけ離れた今の戦いは、ティーネらしからぬといえる。

 

「うん、まさか此処まで強いとは思わなかったな。このギアも、もう持たないかも知れないね」

 

 その言葉に、2人は会話を止める。

 ミサイルの煙が晴れたそこには、ギアにヒビの入った、しかし本人の傷があまりにも小さいティーネの姿がある。

 よく見れば、その肉体は徐々に修復を始めている。人間離れしたその状態に、思わず翼が叫ぶ。

 

「馬鹿な、なぜ肉体が修復される!? それではまるで……ッ!」

 

 ネフシュタンを使っているかのような、と言いかけて止める。ネフシュタンの鎧は、フィーネと共に風に散った。

 その場にティーネはおらず、既に機能停止し崩壊したネフシュタンを手に入れ、修復できるはずがない。

 

「……ネフシュタンは鎧が肉体を直すんだ。あいつのギアは、鎧はボロボロだってのに体だけが治りやがる! あいつはネフシュタンを使っていない、いったいどんな野暮いこと(bogus)使ってやがるッ!?」

 

 クリスがそう言って、ティーネを睨む。

 2人の見ている間にも、ティーネの肉体は少なくとも外見上は完全に修復されていた。

 

『聞こえるか、2人ともッ!』

 

「司令? はい、聞こえています! そちらでは何かわかったのですか!?」

 

 その言葉に、姿勢を崩さぬままに翼が答える。

 今この状況をひっくり返すための情報を求める翼に対し、弦十郎は解ることだけを伝えた。

 

『ああ、彼女の肉体から高出力エネルギー反応を感知した。そして、そのエネルギー波形は彼女のギアと同様、『エルキドゥ』のアウフヴァッヘン波形の波形パターンと一致することを確認した』

 

 その言葉に、2人は息を呑む。肉体そのものから聖遺物の反応が出るということは、聖遺物をその身に取り込むということ。それはまさしくフィーネ、そして立花響と同じ「融合症例」に近い特性だ。

 しかし、今までそんな兆候を一切見せておらず、そもそもギアのペンダントを持っている時点で色々と食い違う。

 

「ですが司令、融合症例だとするには彼女には色々と不審な点が……」

 

『……そうだな。だが、とりあえずそれだけが現状で判明している事実だということだ。恐らく、『エルキドゥ』の千変万化の無形のギアの力が、ああやって肉体を修復する力へと変化しているのではないかと推測している』

 

「ああ、もうまどろっこしいな! 要するに、でかい一撃でぶっ叩けばいいんだろ!? いちいち回りくどいんだよオッサンはよ!」

 

 クリスにとって今一番重要なのは、(恐らく)ソロモンの杖を奪ったのがティーネであり、だからこそ止めなければいけないということだ。

 2人の話を打ち切り、クリスがティーネに銃口を向ける。その言葉に、今は問答する時ではないと翼もその剣を構えた。

 

 

 響は、司令達が戦闘指示に集中している間に艦上へと向かっていた。

 

(やっぱりダメだよ、ティーネちゃん! 友達同士でこんなふうに戦って、誰かを傷つけてなんて、絶対間違ってる!)

 

 彼女達の互いを傷つけることを厭わない戦闘に、響はいてもたってもいられなくなっていた。

 未だギアの使用が死に至るということにあまり実感がなかった響は、戦場にいる友を止めるために力を使うことを決意したのだ。

 

 艦上に到達すると、そこに広がっていたのは、倒れ伏す翼と満身創痍のクリス、そして多少傷を負っている程度のティーネだった。

 

「翼さんッ! クリスちゃんッ!」

 

 慌てて2人に駆け寄る響。

 クリスはその声を聞いて思わずぎょっとした表情を見せる。

 

「お前、何やってんだこの馬鹿! お前が今、戦場で、何の役に立つってんだよ!? 悪いコト言わないから戻れって!」

 

 そういって響を下がらせようとするクリスに対し、一歩も引かずにティーネの前に立って2人を庇う響。

 その瞳には強い意志が宿っており、何を言っても下がる気配が見当たらない。

 

「……響、君は僕と戦うのか? 翼とクリスはその道を選んで、こんな末路となったけど?」

 

 エルキドゥの問いかけに、響は頭を振る。

 最初から戦うなんておかしい。人は、言葉で、歌で通じ合える。そう信じる響は、その思いを違えることをしない。

 

「どうしてそうやって戦うなんて言うの!? まず話しあおうよ! 私達は、言葉が通じるんだよ!?」

 

 だから、彼女はその主張をぶれさせない。偽善でも何でもなく、彼女がそう信じたいからこそ言えるのだ。

 

「うん、いいよ?」

 

 しかし、そう返されるのは初めてだった。

 

 へ?と響が首を傾げるその目の前で、エルキドゥはギアを解除する。

 勿論当人の戦闘能力が高いのだからあまり意味はないが、武装解除をしたというその意志は伝わる。

 

「さて、僕の主張は次のとおりだ。まず、フロンティアを浮上させたい。フロンティアは先史文明期の遺産で、カストディアンの智慧が詰まっている。だから僕はその智慧が欲しい。ここまでで質問はあるかい、響?」

 

 唐突に自分の目的を盛大にバラすエルキドゥ。彼にとって、そもそもばらしても何も惜しくないのだから当然だが。

 

「え?え、あ、えっと、ティーネちゃんはどうしてその智慧が欲しいの? それと、どうしてマリアさんを攫おうと……?」

 

 まさか話し合いが本当に行われるとは思ってなかったのか、慌てて質問する響。一応大切な部分はしっかり質問できているあたり、話し合いを望む姿勢は本物であることがわかる。

 

「うん。まずマリアだけど、単純に優れた歌の歌い手が必要になるかも知れなかったから。マリアなら、話し合いでついてきてくれるかもって思って」

 

 来なかったけどね、というティーネに呆れる響。

 そりゃあんな大破壊行為して脱走しようって元友達当時敵だったティーネに言われても怪しむ要素満載だっていうことは響でもわかる。

 

「そして目的だけど、コレは言えない。言ったら、絶対に反対されるからね」

 

「……ッ! で、でもさ! 絶対に反対っていうけど、それでも、二課の皆とか、色んな人に協力してもらえるかもしれないんだよ!」

 

 そうすれば争わなくても良い、と響が言う前に、エルキドゥは首を振る。

 

「いや、それはムリだろう。人はだれでも、摂理を捻じ曲げることは嫌うだろうしね。二課の人達は真面目で優しい、きっと正しい人達なんだろう。だから、僕の願いは認められないと思う。──さあ、どうする響? 僕は、目的を譲ることは出来ないよ」

 

「わ、私は……ッ」

 

 どこまで言っても、己を明かさず平行線を辿る答えしか伝えないエルキドゥと、それでも諦めきれない響。

 その2人を遮ったのは、一発の銃声だった。

 

「ごちゃごちゃとやかましいッ! 馬鹿がアホやってるってのは見りゃ解るんだ! まず連れ戻して、そっからだ!」

 

 満身創痍のクリスが、それでも戦意衰えず砲火を浴びせかける。

 エルキドゥは、それでも笑顔を崩さぬままに鎖で銃弾を弾き、クリスをそのまま吹っ飛ばす。

 そして、そのままクリスを完全に戦闘不能にするために一回り大きい鎖を放つ。

 

「クリスちゃん! ──Balwisyall Nescell gungnir tron(喪失へのカウントダウン)!」

 

 友の戦いを止める、それだけの思いを胸に、響は暴走以来初めてギアを纏う。

 全身がまるで燃えるように熱く、その体熱で周囲の大気が揺らぐ。

 

 弾丸のように駆ける響は、クリスを襲わんとしていたエルキドゥの鎖を受け止め、抑えこむ。

 エルキドゥはその響の姿に、恐らく初めて表情を変えた。

 眉を顰めたその顔は、響の危険さに気づいているということを示していた。

 

「僕の今の鎖は、普通なら止められなかったはずだ。だというのに響、君はそれを容易に止めた。そこまで君が危険だなんて、僕は気づかなかったよ」

 

「危険でも何でもない! 私は、守るために力を使うんだ。だから、だからさティーネちゃん、戦うなんてやめようよ、ね?」

 

「……いや、戦わなければダメだ。君は、戦ってはいけないんだ」

 

 意地でも戦わないためにその力を身に纏う響に、矛盾するような言葉を投げ掛けるエルキドゥ。その手には、今までとは別のギアのペンダントがある。

 響は、盗まれた聖遺物の中にはシンフォギアのように加工された聖遺物があるという話も聞いていた。

 

 聖遺物クラックの力で、エルキドゥはギアを起動する。

 

「響、僕は人が死ぬことは駄目だと定義されている。だから、君を死なせはしない」

 

 響は、その全身を薄く輝かせる。ギアから放たれる余剰エネルギーは、艦上に黒い足跡を残す。

 胸に響くのは、歌と痛み。普段なら耐えられない程の痛みも、友達のためになら耐えられる。

 

 エルキドゥは、全身にギアの鎧甲を纏う。深い紫色の鎧は、まるで異界との境目を示す色。

 楽園の縮図を表すその聖遺物は、エルキドゥの全身を覆い、その鎧を鈍く輝かせた。

 

「ティーネちゃん。私は、ティーネちゃんを止める。止めて、連れ戻して、ティーネちゃんの願いのためにどうすればいいのか一緒に考える! だから……だから!」

 

「……神獣鏡(シェンショウジン)、彼女を死から解き放とう」

 

 2人は、否、1人の装者と1体の聖遺物は対峙する。己の願いを、目的を果たすために、2人は互いに向かって疾駆した。



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第15話 欠けた鼓動

 立花響は、正面に立つティーネに向かってトップスピードで駆け出す。胸の思いを届けるために、暴走する友を止めるために。

 その熱気は空気を焦がし、そのギアの輝きは留まるところを知らない。

 

 立花響は融合症例、聖遺物と肉体が融合し、肉体自体に聖遺物としての特性が発生してきている状態だ。爆発的なパワーや驚異的な回復力など、その恩恵は多岐にわたる。

 響の肉体に融合している、2年前の事件で心臓付近に突き刺さった聖遺物(ガングニール)は、先の戦いで腕を落とされた傷を修復する過程で全身に大きく侵食範囲を広げた。

 体から放出される大気を揺らめかせる程の熱量も、排熱機構で排熱しきれない聖遺物の余剰エネルギーでしかない程の莫大なエネルギー。

 今の響は、シンフォギアでは考えられないほどの大出力・高エネルギーを実現していた。

 

 想定よりかなり速い速度での接近に、エルキドゥの反応が遅れる。その拳は、完全聖遺物であるはずのエルキドゥをしても反撃に移れない。

 

 エルキドゥは現在、不慣れな「神獣鏡」のシンフォギアの起動、そして同時に「エルキドゥ」のシンフォギアの展開を行っている。本来持つ完全聖遺物としてのエネルギーを、エルキドゥはそれらの機能に流用しているため、本体出力は通常時より下がっている。

 それでも、ギアを解除することは出来ない。ティーネ・チェルクによって刻まれた、「命を守る」「立花響を戦わせない」「『ティーネ・チェルク』という魂がほぼ死んでしまったことを教えない」というエルキドゥの行動指針(プログラム)は、聖遺物であるエルキドゥが擬似人格を持つ内は書き換えられない。

 勿論、それらの方針を維持することで主方針である「天羽奏の蘇生」が果たせなくなるというなら、副方針を無視することは可能だろう。だが、エルキドゥがこの戦いで負けたとしても、行動不能にならない限りは離脱手段は十二分に残されている。従って、3つの副方針をエルキドゥは遵守することを当然とする。

 だから、戦闘では「装者」としての立ち位置を維持し続け、かつ「立花響」の「命を守る」ために、「エルキドゥ」「神獣鏡」の2つのギアをを展開し続けなければならない。

 

 普段より出力を向上させている響と、通常形態より出力を落とさざるを得ないエルキドゥの戦いは、結果として、立花響の優勢で進んでいった。

 やがて、鋭い拳の一撃がティーネの腹に突き刺さる。手甲型のアームドギアは、二重のギアを纏うエルキドゥの防御を容易に貫通し、盛大に弾き飛ばした。

 

 

「ガングニール、響ちゃんが押しています! どうやら紫色のギアを展開するためにエネルギーを割いているようです!」

 

「あのギア……神獣鏡(シェンショウジン)をわざわざエネルギーを使ってまで展開しているってことか……? だが何故だ、何故不利になってまであのギアを使用することに固執する?」

 

 二課でモニタリングしている弦十郎は、ティーネの不可解な行動に首を傾げる。

 神獣鏡は、F.I.S.が機体を隠蔽するために使用した超常のステルス性能を実現する聖遺物。F.I.S.の立てた計画における役割は、聖遺物由来の力をかき消し、フロンティアの封印を解除することにあるということがマリアの発言で分かっている。

 ティーネが神獣鏡のシンフォギアをわざわざ纏って戦うということは、戦いを有利にするためではないだろう。もしそうなら、ステルス機能を使って戦うほうがよほど優位に戦えるはずだ。

 

「一体何を考えている……? いや、聖遺物由来の力を掻き消す力を求めているのだとすればそれは……ッ!」

 

「司令、何かお気づきになられましたか!?」

 

 ひとつの可能性を思い浮かべた弦十郎の言葉に、緒川が尋ねる。

 弦十郎はモニターを注視したまま、言葉を続けた。

 

「ああ、おそらくは……だが。ティーネ君は、響君を助けようとしているのかもしれん」

 

「? 司令、それはどういう……ッ?」

 

 

「ティーネちゃん、私ね。前、友達に何にも言わないで、一人で秘密を抱え込んでたことがあるんだ」

 

 艦の後方に着弾したティーネに対し、響は諭すように、というよりもむしろ心から悩みを共にしたいという思いを語る。

 

「私、それで未来を怒らせちゃってね。今は仲直り出来たんだけど、その時にわかったんだ。独りで思いを抱え込んでいても、もやもやするだけで、何処にも進むことが出来ないってこと。だから、絶対に! ティーネちゃんが何を抱えてるのか教えてもらう! こんな事をしなくても、きっと解決できるから!」

 

 ここまで来ても、エルキドゥのためを思っての響の言葉に、エルキドゥは響の顔を見る。その表情は笑顔のままだが、響にはその顔がどこか苦み走ったようにも見えた。

 そして、響の言葉を否定し、響の願いを否定する言葉を紡ぐ。

 

「……それで進むことができなくなるのは君たちだけだよ。僕は、それでも進んでいける。前を見ずとも、何も見えずとも、僕は僕であるかぎり進むことができる」

 

 鎖を展開する攻撃から一変、エルキドゥは手持ちの大型の笏を構える。それはまるで扇が開くかのように新たな形態を展開し、まるで花のような姿を見せる。

 神獣鏡のアームドギアは、破邪のエネルギーを蓄え、鮮烈に輝く光輝を放った。

 

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          Kug - Gal Su - Lu - Ug

 

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 急に変化した攻撃手段にとっさに響は回避行動をとるが、それでも回避しきれず閃光が腕を掠る。

 

「ッ!?」

 

 ただ掠っただけの攻撃、すぐに切り返そうとした響は自身の肉体に走る激痛に顔を顰める。

 攻撃を中断し距離を取り、響は攻撃を受けた部分を確認する。励起しているシンフォギアの展開するバリアコーティングが、その部分だけ働いていない。

 響の様子がおかしいことに気づいたエルキドゥは、その腕の傷をみて響の状態を理解する。

 

「聖遺物『神獣鏡』は、魔を祓う鏡。このギアの威光は、聖遺物に基づくエネルギーを打ち消す力を持っているんだ」

 

 苦痛を堪える響に対して、エルキドゥは自身の攻撃がどういったものだったのかを説明する。神獣鏡はステルス性を実現する光学機能の他にも、聖遺物に由来する要素を祓う閃光を放つ聖遺物。

 聖遺物としての格はあまり高くなく、シンフォギアの出力も小さい。だが、こと対聖遺物において、この聖遺物に勝る聖遺物はそうはない。

 

「解るかい、響。この光は、君の肉体を覆うシンフォギアを破壊する。その胸にあるガングニール諸共に、だ」

 

 エルキドゥは、自身に展開される神獣鏡を敢えて見せびらかすように視界に晒す。

 それこそが、出力を減少させてまでエルキドゥがこのギアを用いて戦う理由。立花響の生命を守り、戦わせないようにするための「神獣鏡」のシンフォギアだった。

 

「……! じゃあ、戦うけど戦っちゃ駄目って言うのは、この戦いで、私を戦えなくする、ってこと……?」

 

 響はその言葉に、悲しい気持ちが湧き上がる。

 勿論、自分を心配してくれることは嬉しいし、ティーネの発言が真実なら響は甘んじて光を受ければ命が助かるのだろう。

 しかし、それでは誰かを守る力を失ってしまう。力を失った立花響は、果たして誰かのためになんて言える立場になるのだろうかと、響は考えてしまう。

 そして何より。

 

「でも、それで、私のために誰かが居なくなっちゃうなんて、私のせいで友達が遠くに行っちゃうなんて、そんなこと……!」

 

 己の命のために友人が消えることを許容するなんて、立花響には考えられなかった。

 シンフォギアの排熱機構がひとりでに展開される。あまりに溜まりすぎた余剰エネルギーが、高温の蒸気となって周囲に放出される。

 響の瞳には赤い光が明滅し、犬歯を剥き出すような表情を作る。

 

「そんなこと……、許せる、ものか!」

 

 聖遺物の侵食が進み、その感情の昂ぶりに合わせより爆発的なエネルギー出力を獲得する。

 艦の上部装甲が響の脚甲の形に融解し、踏み込んだ強さを示すかのような深い足跡を形作る。

 

「そんな、更に速くなるのかッ!?」

 

 響の突撃に反応し、正面に神獣鏡の笏を展開したエルキドゥは光撃を放つ。

 それをギリギリで見切った響は、聖遺物との融合症例としての力を全開にしてティーネに連続で拳を叩き込む。

 

 エルキドゥは鎖で往なし、己の拳で迎撃する。最初のうちはまだなんとか拮抗していたが、なお響の拳は勢いを増していき、やがてその均衡は崩れた。

 反撃の鎖を、響は躱す。エルキドゥが反応する間もなく、その懐に潜り込み拳で顎をかち上げた。

 

「────ッ!!」

 

 言葉にならない声を上げ上空へ打ち出される。と、その勢いが急激に止まり、一気に引き寄せられる。

 何が起きたのかと目線を下に向ければ、先ほどの反撃の鎖を掴み、殴り飛ばされたエルキドゥをもう一度引き寄せていた。

 

「最速で最短で、真っ直ぐに、稲妻の様にッ!! 私の思いを、届けるためにッ!」

 

 どう足掻いても回避の出来ない、この状況で。エルキドゥは僅かに笑みを深める。

 

「……最短で、真っ直ぐに。それは君の誇るべき利点だと僕は思うよ、響」

 

 エルキドゥは、この状況から響を打破する術を見出した。

 響がエルキドゥに歌を響かせるために行ったこの行為は、逆に言えば、そこに攻撃を設置すればその一撃は響に当たるということ。

 神獣鏡の脚部ユニットパーツが展開される。光背の様に展開された鏡の円環がエネルギーを収束する。本来歌の持つフォニックゲインを高めて放つそれは、エルキドゥの残存エネルギーの大半を注ぎ一気に臨界点に達した。

 腰を落とし拳を構えている響は、展開された光輪に愕然とする。今の姿勢から回避することはほぼ不可能であると判断した響は、脚部のバンパーを伸ばし、一気に開放する。

 

 バンパーの反動で落ちてきているエルキドゥに吶喊し、拳でその胴体を殴る。

 その体がくの字に折れ曲がるが、それでもエルキドゥは神獣鏡の展開を解除しない。

 

「だから、僕は君を止められる。真っ直ぐな君だから、僕は君を戦わせないようにすることができる」

 

 紫白の光が、鏡環から放射される。聖遺物を消し去る破魔の光は、響の目にまるで箒星のように映った。

 

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          Kug - Gal Mul - An

 

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 その光の一撃は、響の全身を飲み込む。響のギアの外装が破壊され、その肉体を侵食する聖遺物を打ち消し、崩壊させていく。

 響は眩しい曙光の中で、自身の胸に湧き上がる歌が止まってしまった事を理解して、そのまま意識を失った。

 

 

「……装者、立花響は戦闘不能。ガングニール、反応途絶しました」

 

 二課のバックアップメンバーの一人、情報処理を担当する藤尭はモニターの情報を司令室の全員に聞こえるように伝える。

 カメラに映るのは、倒れ伏す立花響と、その側に立つ満身創痍のティーネ。響の胸は僅かに、だが規則的に上下しており、生命活動は安定して行えているようだ。

 その姿をみた弦十郎が、ポツリと呟く。

 

「やはり、これが狙いだったようだな……」

 

「……神獣鏡は、聖遺物を打ち消す聖遺物。ティーネさんは、響さんの侵食を止めるために神獣鏡を使っていた、ということですね」

 

 緒川の言葉に頷く弦十郎。ティーネ・チェルクは、立花響の暴走後の侵食度合いから、響を戦わせたくない旨の発言をしていた。

 今回無理をしてでも神獣鏡を使用していたのも、全てはその目的を果たすため、ただそれだけなのだろう。

 

「だが、一歩間違えれば自分も敗北していたはずだ。ここまで大規模な犯行に及んでおきながら、そのようなギリギリな戦いをするということは……」

 

「ギリギリの状態でも脱走する自信があるのか、若しくは……目的を達成しないことを選ばない、ないし選べないということですか?」

 

「あるいは、そのどちらもか……。こうなると、ティーネ君が今回の事件を起こした目的を知りたい。仮に先ほどの推測の内後者があたっているなら、その目的を推察することも重要だろう」

 

 弦十郎はそう言って、モニターで響の倒れた姿勢を整えているティーネに目を向けた。

 

 

「ふう。さて、マリアが起きない内に早めに連れて行かなくちゃ。流石に今の僕は満身創痍が過ぎている……ッ!」

 

 響を打破し、侵食する聖遺物を打ち消したエルキドゥがマリアを抱きかかえようとすると、そこに銃撃と剣撃が放たれる。

 見れば、どうにかこうにか気絶から復帰したらしい翼とクリスが複雑な表情を浮かべこちらを睨んでいた。

 

「……立花を救ってくれたことには感謝する。だが、済まないが取り押さえさせてもらおうか」

 

「流石にそこまで満身創痍なら、2対1でも遅れは取らねえよ」

 

 満身創痍なのはお互い様だけどな、と付け足す。その台詞の通り、お互いの負傷はまさに満身創痍と呼べるもの。そして、互いに満身創痍なこの状況下ならばこそ、まず逃がすことは無いと翼とクリスは考えていた。

 

 ここまで負傷ないし損壊してしまえば、クリスや翼とエルキドゥとの個体的な戦力比が小さくなる。その上で数で優っている以上、エルキドゥの勝率が大きく下がるということは紛れもない事実。そういう意味では、クリスの台詞はある意味正鵠を得ていた。

 

「流石に、この状態で2人の相手は無理だね。だから、奥の手を使わせてもらうさ」

 

 そのクリスの発言に誤算を指摘するとすれば、エルキドゥは逃走手段をきっちりと確保しているということ。ただ、それだけである。

 エルキドゥが外套から取り出したのは、鎖に繋がれたソロモンの杖。その聖遺物をみたクリスが、思わずカッとなり叫ぶ。

 

「ッてめえ! それを使う気かッ!? それは、人間を殺すための武器だぞ! 人間が持ってるべきじゃないんだよッ!」

 

「ああ、ノイズを呼び出すということに使う気はないよ。──これは門の鍵だ、厳密には人を殺す武器じゃないさ。あくまでこの杖はバビロニアの宝物庫を開き、内部からノイズを呼び出し操るものでしかない」

 

 どういう意味だッ! と銃口を向けるクリスを無視し、エルキドゥはソロモンの杖に己自身のエネルギーを流用する。鎖で完全制御下に置かれたソロモンの杖は、エルキドゥが望む機能を実現する。

 エルキドゥによって与えられるエネルギーによって、通常時にもまして輝きを増したソロモンの杖。エルキドゥはそれを空中に向け、おもむろに閃光を照射した。

 

「貴様、何をしたッ!」

 

 唐突な行動に、翼が問い糺す。が、ノイズが出現することはなく、ソロモンの杖のエネルギーが照射された空中に黄金の波紋が浮かび上がる。

 

「宝物庫の鍵を開けたんだよ、翼。大丈夫、使い終われば閉じるさ」

 

 黄金の波紋に鎖を射出し、宝物庫内から必要な聖遺物を縛り、励起させる。

 いまエルキドゥにとって必要なのは、この場から必要な物を持ち出し脱走すること。それがわかっているからこそ、目的のものをすぐに見つけ鎖で絡めとる。そのまま聖遺物クラックの機能を用いて、対象聖遺物を使用可能な状態に切り替えた。

 

 エルキドゥによって引きずり出されたそれは、黄金の波紋を通り現世へと姿を再び表す。

 その物体は、黄金の船。緑玉の翼を翻し、玉座を載せて飛ぶ飛空戦車。古代インド地方の伝承に残される天空を駆ける戦車、黄金帆船(ヴィマーナ)

 少しも欠けた要素の見られないその財宝は、まさしく聖遺物としての完全さをまざまざと見せつける。

 

「馬鹿な……それは、完全聖遺物……?」

 

 二人の装者は、ティーネがソロモンの杖を使用する理由を見つけた。

 エルキドゥのシンフォギアは、聖遺物をクラックする能力を持つ。クラック対象が完全聖遺物であるなら、その力を十全に扱える。だから、エルキドゥのシンフォギアは完全聖遺物と相性が良い。

 だからこそ、自身が扱える完全聖遺物を確保するために、エルキドゥはバビロニアの財宝の蔵を開く手段としてソロモンの杖を奪取したのだ。

 

 エルキドゥが出現した聖遺物にマリアを抱えて飛び乗ると、その聖遺物は一気に高空へ飛翔し戦場を離脱する。

 

 あっという間に翼の、そしてクリスの射程外に消えてしまったそれを呆然と見送る。その足元の艦に残された大きな損壊は、戦いが終わっていないこと、友と戦わなければならないということを如実に示していた。



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第16話 願いに至る道

「……発見しました。『エルキドゥ』のシンフォギアの位置は東経135.72度、北緯21.37度付近の海上、F.I.S.より押収されたデータに記されている『フロンティア』近辺の座標となっています」

 

 修復中の二課仮設本部、ティーネによる破壊行動に巻き込まれなかった司令室では、大型モニターに現在の装者の位置を調べるための追跡地図が映し出されていた。

 あれから、二課では現場を離脱し飛翔する黄金帆船(ヴィマーナ)の追跡を試みていた。しかし、超音速かつ非慣性起動で飛翔するそれの追跡は困難を極めた。

 そこで、二課は途中からヴィマーナではなく乗っているティーネのシンフォギアの移動の痕跡の調査に切り替えた。あくまで発信記録を追跡するだけで良かったので、その逃走位置も戦いから3日ほどという短時間で割り出すことが出来たのだ。

 発見箇所を衛星カメラを用いて撮影・拡大表示すると、そこには確かに黄金の聖遺物が映っている。

 

「フロンティア……正式名称は『鳥之石楠船神』。フィーネ……了子くんがF.I.S.に残したデータには、カストディアンが作ったという星間航行船だとあったな」

 

「ええ、ですがなぜティーネさんがそれを求めるのか……。仮にF.I.S.と目的が同じであれば、そもそも僕達の側に付いていないでしょう。つまりF.I.S.のように月の落下による無辜の民の救済ではないか、若しくはそれよりも重要な目的があるということでしょうか?」

 

 弦十郎と緒川は、ティーネがなぜフロンティアを求めるのか、その目的を推測しようとしていた。

 

 フロンティアは空を飛ぶ巨大な聖遺物にして、カストディアンの残した遺跡。米国はそれを用いて地球外逃走を図り、F.I.S.は高官や富豪だけではなくできるだけ無辜の民を助けられる手段を望んだ。

 ティーネはそのどちらにも付かず、単独で犯行に及んだ。つまり、彼女の目的はそのニ者と異なっている可能性が高い。

だが、と弦十郎は頭を振る。

 

「情報が、足りんな……」

 

「ええ、我々も情報収集をしているのですが……。どう探っても2年前に米国に保護される以前の彼女の経歴が見つからないのが現状です。彼女に何があったのか、それがわからないことにはここまでの大規模犯行に及んだ理由を見つけるには……」

 

 弦十郎の言葉に、緒川も同意するように頷く。

 ティーネの目的が解かれば、次の行動も解るだろう。そう思って過去の情報を調べようとしたが、どう探っても見つからない。

 そもそも、ティーネの母親が中東方面の出だとF.I.S.に証言したらしいが、その割にティーネ・チェルクという名前に中東方面の命名規則が使われていない。

 米国政府はそれを父方から与えられた名前だと記録しているが、母方から一切影響のないというのも不自然でしか無い。

 そして、その父方の家もまた見つからない。2年前にバル・ベルデに滞在したことのある旅行者や現地民に、チェルクという名前は残っていないのである。

 これでは、その名前すらどこまで本当なのか怪しいとしか言えないのが現状である。

 

「そして、あの特徴的な見た目すら誰も知らなかった、というわけか……」

 

「ええ、バル・ベルデ北部の彼女がいたとされるスラム地域を虱潰しにあたっていますが、スラム街に来るまでの姿を見たことのある人間は今のところ……」

 

 ティーネは中性的な見た目だが、それが地味なのかというと決してそんなことはない。

 長く癖のない若草色の髪、貫頭衣のような民族的衣装、そしてどこか人間離れした美貌をもつ彼女はハッキリ言えば目立つ。とても目立つ。

 その特徴的な見目でありながら、誰もそれを知らないということは普通に考えればありえないというべきだろう。

 

「どうなってる……まるで2年前に急に現れたかのような……。2年前といえば、いや、しかし……」

 

「2年前、ライブ会場の惨劇ですか……。しかし、当日参加した観客の中にティーネさんの名前はありませんし、カメラにあんな特徴的な姿が映っていれば誰か気づいているのでは……」

 

「だが、探って見る価値はある。あの時起きた大規模な異端技術・ノイズ関連の事件はアレだけだからな、もしかしたら何か拾える可能性もあるだろう」

 

 弦十郎が2年前と聞いて思い浮かべるのは、ルナアタックの始まり、完全聖遺物「ネフシュタン」の暴走を引き起こしたライブ会場の惨劇だ。

 確かにその舞台は日本で、ティーネが見つかったのはアメリカ。関係ない可能性も十分にあるが、それでもただ四方八方に手を伸ばすよりは可能性があると弦十郎の勘が告げていた。

 と、その時司令室に通信が入る。通信元は集中治療室、同じく奇跡的に被害が起きなかったナスターシャの病室だ。

 

「意識が戻られましたか、ナスターシャ教授? 一体何故通信を……?」

 

『ええ、あなた達のお陰で、ある程度は持ち直しました。私が通信したのは、病室の外から漏れ聞こえた話題に情報を提供できるからです。……ティーネ・チェルクの目的、大雑把にではありますが予想ならば出来ます』

 

「ッ! それは本当ですか!? それを教えていただけると!?」

 

 ナスターシャの通信は、二課の司令室に驚きをもたらした。ティーネの目的を知るための情報を得られるとあって、弦十郎は食いついた。

 予想でしか無いとはいっても、ナスターシャはティーネと2年の間幾度も交流を繰り返してきた。二課での交流のほうが密度は大きいかもしれないが、見つかった当初のティーネの根本的な情報を知ることのできる可能性が見いだせたということだ。

 

『はい。ですが1つだけ。マリアと切歌、調は私が誑かしたようなものです。ですので、そちらに協力する代わりに、マリア達の罪を軽くして欲しいのです』

 

 ナスターシャは、二課にF.I.S.装者達の減刑を望む。ナスターシャは、ナスターシャ自身が望んたことにマリア達を手伝わせただけなのだと、そう思っている。

 だからこそ、子供達に与えられた罪は、本来母親が引っ被るべきなのだ。優しい子供達に非道な真似をさせた母親(マム)の、せめてもの贖罪として。

 その思いを受け取ったのか、弦十郎は神妙に頷く。

 

「……約束しましょう」

 

『……ありがとう。ティーネ・チェルクは、魂に関わる技術を望んでいます。フロンティアは莫大な情報を持つ異端技術の集積体。そこならば、魂の転写技術があると見込んでいる可能性があります。……彼女は、死者を蘇生したいと思っているようでした』

 

 その言葉を聞き、弦十郎も何故ティーネがああも話したがらないのかを理解した。

 二課の人間はよくも悪くも基本的に善人で、正義感と倫理観を持つ人間である。死者蘇生と聞けば、同情や共感を覚えることはあっても協力することはまず無いだろう。

 だから、ティーネは単独で行動した。協力を得られないとわかっているからこそ、早期にこちらが対応する力を削いだのだろう。

 

「──だとしても。死者の蘇生が実現されてしまえば、人の生命を軽くしてしまう。死してなおそれを取り戻せるなら、それは人から歩みを取り上げてしまう。……俺達は、君を止める事を諦めはしないぞ、ティーネ君」

 

『それが正しいことだと、私も思います。人は、犠牲を悼み、悲しみ、やり直したい思うでしょう。ですが、それだけを思っていては人は前に進めない。教訓を糧によりよい未来を導き出す事こそが、人間が前を向いて歩を進めるために重要なのですから』

 

 未だ動きを見せないヴィマーナを見ながら独白した弦十郎に、同意するかのようにナスターシャはそう答えた。

 

 

 立花響は、いつもの見慣れた医務室目が覚めた。肉体的なダメージはそこまででもなかったため比較的すぐに目を覚ますことが出来たのだ。

 

「響ッ! よかった、目が覚めたんだ……」

 

 見舞いに来ていた小日向未来が、響の手を握り込む。その手は震えていて、また未来を心配させてしまったと後悔する。

 

「うん、ごめんね未来。私、いっつも未来に迷惑ばっかりかけてる」

 

「ううん、いいの。響が無事だったから、それでいいの」

 

 響の謝罪に、そんなものはいらないと未来は首を振る。そうやって響の側にいてくれる未来は、響の心を優しく癒してくれる。

 ふと、響は自分の胸の傷を見る。2年前から胸にあったガングニールは、既にその全てを掻き消されていた。

 

「……私の歌、ティーネちゃんに届かなかったのかな……。だから、胸のガングニールも失って、私の胸から、歌が湧き上がらなくて……奏さんの歌も、無くしちゃって……」

 

 ガングニールがなくなれば、立花響は戦えない。去ってしまった友人に、歌を届けることが出来ない。その事実に、響は顔を曇らせた。

 そんな響の顔に、未来は少しだけ眉尻を上げ、響の顔を両手で挟み込む。

 

「そんなこと無い! 響は確かに戦う力を失ったかもしれないけど、でも……。それでも、響は歌を歌えるでしょ! 歌を失ってなんかないよ!」

 

 怒ったような表情で響を励ます未来。励ますというより叱ってるようなその語調に、響は目を見開く。

 いつかあったあの日、胸の歌を信じなさいと言った彼女は、ガングニールを信じろといったわけではない。

 ガングニールを纏えば、歌が流れ胸に歌詞が湧き上がる。でも、それはあくまで響の心から生まれた歌詞だ。ガングニールがなくなったからといって、歌がなくなるわけではない。心の歌とギアの歌の相関関係において、先にあるのは心の歌。それを証明したのもまた、彼女が記した櫻井理論である。

 

「……そっか、私、まだ歌えるのかな……。ううん、伝えるんだ。私の胸の歌を、今度こそティーネちゃんに届けてみせる!」

 

 胸の歌は、無くなるわけがない。響がその心に歌を持つ限り、その歌は世界に響き渡るのだと、響は気を持ち直す。

 その顔には凛々しく眩しい笑顔を浮かべ、響は未来に向き直る。

 

「ありがとう、未来! やっぱり未来はすごいね、私がそばに居て欲しい時にそばに居てくれて、私が欲しい時に欲しい言葉を言ってくれる!」

 

 そうやって、響は未来のことを陽だまりのようだと笑顔を深める。笑顔でやる気に満ちたその顔を見て、未来も笑顔を浮かべた。

 

(うん、やっぱり響には笑顔が似合ってる)

 

 小日向未来のことを陽だまりなのだと、彼女の親友は口癖のように言ってくれる。そんな立花響のことを、未来は太陽のようだと思っている。

 何時でも明るく、誰かを照らしてくれる。誰かを助け、笑顔を浮かべる友人は、小日向未来にとっての太陽なのだ。

 

「……よぉし、頑張るぞーッ!」

 

 そう言って、響は治療ベットから降り、その両足で立ち上がる。まだ多少ふらついているが、それでもしっかりとした足取りで司令室へと向かう。

 彼女の手はベッドから起きた時と変わらず、未来の手と繋がっていた。

 

 

 エルキドゥは、日本の南方、沖ノ鳥島近海にヴィマーナを浮かべていた。

 普段は中空に浮遊するそれは、エネルギーの蓄積をするために飛行機能をカットされ、太陽エネルギーを蓄積するために緑玉の翼を広げ波に揺られて漂っている。エルキドゥはまるで錨のように鎖を展開し海底と接続、大地とのエネルギーラインを確立する。

 その鎖は基底状態の神獣鏡のシンフォギアへと繋げられ、エネルギーを蓄積し続けていた。

 

 エルキドゥの特性である聖遺物クラックで使用できる神獣鏡の出力では、海底に眠るフロンティアの封印を解除できない。

 だからこそ、エルキドゥは莫大なエネルギーを注ぎ込み無理やり神獣鏡の出力を底上げするという手段に出ていた。

 

 マリアは既に目を覚まし、その様子を眺めている。友人に気絶させられ、目が覚めてみれば黄金の聖遺物の上で波に揺られている。

 独房にいたマリアは当然ガングニールのギアを持っておらず、此処からの脱出はどう考えても不可能。現状を打破するための手段はなく、マリアにできることは何もなかった。

 

「……ねえ、ティーネ。あなたの聖遺物クラックでフロンティアを開放できないの?」

 

 ふと疑問に思ったことをマリアが口にする。その言葉に、エルキドゥはマリアに向き直った。

 

「うん。最初はそうやろうと思ったんだけどね。この封印を解かないと、そもそも僕がフロンティアを認識できないんだ。封印を実行している聖遺物が何処にあるのか、それともフロンティア自身が封印しているのかはわからないけど、それがわからない以上神獣鏡に頼るしか無いみたいだ」

 

 まるで今も友であることを疑っていないかのように、いつもの態度で対応するティーネ。こうやって振舞っている間も、その笑顔も、マリアにとってはティーネであるようにしか見えない。

 だから、なぜティーネがここまでの行動を起こしたのかわからない。自身を脅迫し、昏倒させてまで連れてくる意味も意図も理解できない。

 

「……ティーネ。貴女は結局、何を望んでいるの?」

 

 自分が最早逃げ出せない以上、せめて少しでも情報を集めようと考えたマリアはそう問いかける。

 エルキドゥはどうしようか悩む素振りを見せる。やがて、話すことにしたらしくマリアに向き直った。

 

「ううん……。まあ、いいか。この状況じゃあ、マリアが逃げ出すことも通信することも出来ないだろうからね。ただ、1つ言っておこうかな。認めろとは言わないけど、どうか否定しないで欲しい。──僕の願いは、死んだ人間を生きかえらせること。今の僕にとって誰よりも鮮烈だったある人を復活させることこそ、僕の願いだ」

 

 その願いは、マリアの心を強く揺さぶる。

 死者の復活こそがエルキドゥの願いだという。わかりやすく単純な欲求だからこそ、マリアは心から共感できる。マリアもまた、心から大切に思える人を失ったからだ。

 

「──そう。否定する気はないわ、私だって同じような手段を持っていればそうしたかもしれないから」

 

 そして、だからこそそんな願いは認められないとも思う。死者は蘇らない、だからこそ自分は死んだ妹──セレナの遺志を継いで立ち上がったのだから。

 もしかすればこの思いは、自分の大切な人は蘇生しないのだから他の人も蘇ってはいけないという醜い感情なのかもしれない。だが、マリアはそれでもその願いを認められなかった。

 

 マリアの言外の思いを理解したのか、エルキドゥは判っていたように首をふる。

 

「知ってるさ。だからこそ、僕はこういった強硬手段に出たんだ。君たちとは違って、僕は未来を見てはいけないんだ。最初の目的を見失ってしまえば、それは僕の存在証明(アイデンティティ)の崩壊を招いてしまうからね」

 

「それはどういう──ッ!?」

 

 マリアが言葉を紡ぎきる前に、エルキドゥは鎖を回収する。ヴィマーナの動力部に火が灯り、翠色の光輝を全体に走らせる。

 エルキドゥは機体を上昇させ、波を被ることのない程の高さで静止させる。

 

「さて、準備は整った」

 

 エルキドゥは再び神獣鏡のシンフォギアを身にまとう。そのギアにはこれ以上ないほどにエネルギーが蓄積されており、今にも破裂しそうなほどに輝いている。

 照準を海中、F.I.S.が調べたフロンティアの座標へと向ける。脚部パーツから展開された鏡が、銀色の円環を構築する。その中心部には、エネルギーを転換した破魔の光が収束されていく。

 

 やがて十分に蓄積された閃光は、流星の如き尾を引いて放たれた。

 

 光の柱は海面を突き破り、接触した周囲の海水を蒸発させる。それでも尚勢いは落ちず、海底へと突き刺さる。

 瞬間、海底に展開されていた聖遺物の波動が打ち消される。その力は、大いなる遺跡を隠蔽するためのもの。封印が剥がされ、その遺跡は浮上を開始する。

 

「浮上しろ、フロンティア。神々(カストディアン)が星に降り立った鳥之石楠船神は、今この時から方舟(ma-gur)となるッ!」

 

 遺跡の上層構造物が、やがて海面を突き破る。隠蔽が解き放たれたそれは、まさしく先史文明でしか成し遂げられないような巨大な船のシルエットを見せる。

 その様子を、マリアはただ呆然と見ているほかなかった。そんなマリアを尻目に、海面上に露出した大地にヴィマーナを降ろす。

 

過去(目的)に拘るしかない僕は、この遺跡を以ってその過去の本懐を達成する、してみせるッ!」

 

 遺跡の大地に降り立ったエルキドゥは、その瞳に願い(プログラム)を輝かせた。



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第17話 フロンティア

 エルキドゥはフロンティアに上陸後、その中枢部である動力部へと歩みを進めていた。

 

 エルキドゥが迷う素振りすら見せないのは、エルキドゥの持つ聖遺物クラックの力でフロンティアの構造を把握したからに他ならない。

 その後ろにはマリアの姿もあり、フロンティアの回廊にヒールの音を響かせる。

 

「あなたの聖遺物クラックでも起動に持ち込めないなんて、フロンティアには余程のエネルギーが必要のようね」

 

 エルキドゥによる起動が出来なかった聖遺物は今まで見たことがなかったため、マリアはそう言って驚き混じりに呟いた。

 その言葉にエルキドゥは肩を竦める。実際彼自身もフロンティアを自力で起動できるものと踏んでいたため、こうやって動力部に向かうことになるとは思ってもいなかったのだ。

 今のエルキドゥがフロンティアを起動させるには、完全聖遺物としての力をマリアの前で全開にする必要があった。マリアにバレても最早問題にならないかもしれないが、そこまでする必要もなかったエルキドゥはそのまま動力部へと向かっているのだ。

 

 やがて大きく開けた部屋へと二人が到着する。その部屋の中央には巨大な球体が鎮座しており、その周囲には鉱石の結晶のような構造物が存在している。

 コレこそがフロンティアの動力部。巨大遺跡たるフロンティアを動かす原動機である。

 その動力部を前に、エルキドゥは懐から厳重に保管されたネフィリムの心臓を取り出し、自身から出した鎖を接続した。

 当然ながら、ネフィリムは聖遺物であるエルキドゥのエネルギーを捕食する。しかし、互いに完全聖遺物であり、かつ心臓しか無いネフィリムと完全状態のエルキドゥのクラッキングではどちらが優位になるかはわかりきっていた。

 

「……おっと、流石に多少はエネルギーを吸われるね。でも、これでネフィリムも僕の支配下だ」

 

 聖遺物である自身のエネルギーが吸われるよりも早く、エルキドゥはネフィリムの機能を掌握する。そしてそのまま、エルキドゥはネフィリムの心臓をフロンティアの動力部に押し付け、ネフィリムの聖遺物の吸収機能及びエネルギー増殖炉の機能を励起させた。

 遺跡の動力部及び結晶構造体に光が入り、遺跡全体が明るく照らされる。フロンティアが正常に稼働し、エネルギー量を確認したエルキドゥは安堵の息を吐いた。

 

「よし、まだ完全な浮上ができるレベルじゃないけどまあいいや。あくまで用事があるのはデータバンクだし……と、そうだマリア」

 

「何? 私は何か手伝えるわけでもないし、そもそも今の貴女を手伝うつもりもないわ」

 

 何かを思い出したのか、エルキドゥが言葉を切りマリアに向き直る。それに対しマリアは、エルキドゥが何を要求するつもりだろうと、その要求を受け入れるつもりはないと突っぱねた。

 そんなマリアの取り付く島のない態度に苦笑するエルキドゥ。

 

「いや、今のところ別に何かを要求するつもりはないよ。それより、マリアも調べたいことがあるなら調べるといい。歌が必要になることがあるまでは用もないし、いい機会じゃないかな。ナスターシャを助ける手段とか調べてみたらどうだい?」

 

 そういってエルキドゥはフロンティアのコンソールの1つを指し示す。 今のマリアが何かをしようとしても、エルキドゥを邪魔することは出来ない。そして目的の邪魔でないのなら、エルキドゥはマリアが何をしようとも気にするつもりもなかった。

 

「……そう。ならお言葉に甘えさせてもらうわ、ティーネ」

 

 そしてマリアもそれがわかっているからこそ、ティーネの薦めを甘んじて受ける。もっとも、その表情には呆れの感情が色濃く浮かんでもいたが。警戒しなさすぎというべきか、この友人は必要なところ以外に無頓着な部分が結構見られるとマリアは思った。

 そんなマリアの感情もつゆ知らず、エルキドゥはひたすらにフロンティアに集積された情報を探す。彼の主目的である死者蘇生、それを成し遂げるための魂の転写技術を求め続けた。

 

 

 立花響が気絶から回復し司令室に到着した時、司令室には多くの人が集まり情報交換などに勤しんでいた。

 現在の二課仮設本部はかなりの部分が損壊している。小さな会議などを行う会議室なども破壊されたエリアであり、ある程度の広さの司令室で諸々の作業を行っているものが殆どだった。

 

「うっひゃぁ、みんな集まると広い司令室も狭く感じるなぁ。とと、師匠! 立花響、復活しました!」

 

「おお、響君か。一応肉体的な損傷は少ないが無いわけじゃないからな、あまりアクティブに動きすぎるなよ?」

 

 二課が改めてどれほど人がいたのかに驚いていた響は、弦十郎を見つけ復帰したことを伝える。弦十郎はそんな響に対し病み上がりであることを注意した。基本的に立花響という少女が向こう見ずであることには変わりない以上、周囲が注意しなければならないのである。

 

「あはは、いくら私でもギアもなしに無茶なんてよっぽどでもなきゃやんないですって」

 

 冗談とでも思ったのかそうやって笑う響の後ろには、心配そうに響を見つめる未来。未来としては響が無茶をするのはギアを纏う前からなので、結局心配である部分は変わらないらしい。

 その様子にため息をつく弦十郎。彼の心には一つの懸念があった。

 立花響という少女の根幹、原因はどうであれ人助けをしたいからするという衝動。未来の表情を見る限り、例えギアが無くとも無茶をすることには変わらなそうだ。

 もし、それが今でも変わらないというのなら。そんな思いを込めて弦十郎は響に問いかける。

 

「……ギア、か。なあ、響君。君は、ここで戦わないという選択肢もある。今までのようにノイズと戦うためのギアを失ったということは、逆に言えば戦場に出なくてはいけない、なんてこともないわけだ。だから、それを踏まえた上で聞こう。君はそれでも……」

 

 戦うのか、と言いかけたところで響が微笑む。その先は言わなくてもわかるというように、首を振った。

 

「はい。私は多分、誰かを助けるために自分の力が使えるのなら戦場に行きます。ギアがなくたって、できる事もあるって、今はそう信じてますから。──それに、私は戦いに行くんじゃありません。誰かを助ける、人助けに行くんです!」

 

 響は、笑顔で堂々と言い放つ。人助けをしたいという部分は変わっていないが、ギアがあろうとなかろうと歌があるという風に進歩したその考え方は、ある意味では今まで以上に難物となっている。

 やれやれ、と苦笑を浮かべる弦十郎。彼は自身のポケットから一つのペンダントを取り出し響に手渡した。

 赤い宝石のようなそれは、基底状態のシンフォギアのペンダント。響がそれを手にしたのは初めてだったので、思わずまじまじと見る。

 

「師匠、コレは……?」

 

 疑問に思った響の質問に、弦十郎は困ったような、しかし響をこれ以上ない程に信頼した笑顔を浮かべる。

 

「それは、ガングニールのシンフォギア。マリア君から押収したブツだな。今は本人も連れ去られているし、君が使ってもいいだろう……使えるのなら、だがな」

 

 一応口ではそう言うが、使えないなんて欠片ほども思っていないことが見て解る表情をしている。

 

「師匠……ッ! ありがとうございます!」

 

 そう言って響は、大切そうにガングニールのペンダントを両手で包み胸に当てる。今度こそ、大事なものを失わないように。

 

「ま、全部終わった後のガングニールの行く先はマリア君と協議して決めろよ? ……決戦の日も、そう遠くなさそうだからな」

 

 からかうようにそう告げた後、表情を引き締めた弦十郎はモニターに顔を向ける。

 響や未来もそれに釣られるように顔を向けると、そこには周囲の水を押し流し徐々に隆起していくフロンティアが映る。

 ただし、まだ浮遊するだけのエネルギーが不十分なのか、大地の頸木から解き放たれきっていない。その隙を狙っているのか、その周囲には米軍の艦艇が集結していた。

 

 

「上からの指示だと、ここを制圧しろって話だが……」

 

「おい、どんどん持ち上がってるぞ。俺達はいつの間にガリヴァー旅行記のラピュータ島に来ちまったんだ」

 

 米軍の艦艇、そのカタパルトから発艦した偵察機部隊は、フロンティアの上空を旋回していた。制圧すべき大地は自分たちの艦が赤子に見える程ですらなく、まさしく島そのものを相手にしているかのようだ。

 そんな陸塊が今まさに重力から解き放たれようとしているのだから、見ている側としては圧倒される他ない。

 基本的に整地された滑走路などのようなものはないため、着陸するならヘリの類のほうが有用だろう。そう報告しようとした矢先にそれは起こった。

 

 光が歪曲し、虹色のプリズムを空間に発生させる。その奇怪な現象にパイロットが何が起きたかを確認する前に、機体の主翼と尾翼が切り落とされた。

 

「ッ何が起きた! マズい、機体が墜落……?」

 

 だが、機体は墜落しない。失速はしているが、中空にとどまっている。 奇妙な浮遊感は、まるで急降下のようにGが無くなっているかのようだった。

 やがて機体は静止し、ゆっくりと地上に降ろされる。他の偵察機も同様に無力化され、パイロットたちはまるで白昼夢を見たかのように目を白黒させていた。

 一人のパイロットが、誰にともなく言葉を吐く。

 

「一体……何が……?」

 

「ああ、申し訳ないけどここは大切な場所なんだ。必要なことが済むまでは立ち入らないでくれるとありがたい」

 

 そのパイロットの独り言に、答える声が大地に響く。パイロットたちが声の聞こえた方を向くと、捻くれた螺旋のような剣を持つ一人の少女らしき人間の姿があった。その背中からは鎖が伸び、フロンティア内部へとつながっている。

 少女の顔を認識したパイロットの一人が、自身の記憶に一致した名前を叫ぶ。

 

「貴様、ティーネ・チェルクかッ!」

 

「さて、どうだろう。どちらにせよ、君たちには関係のない話だけれど」

 

 エルキドゥはそう言って鎖を振るう。不可思議な軌跡を描いた鎖は、パイロットの全員を拘束、そのまま締め上げて昏倒させた。

 昏倒させたパイロットたちを放置して、エルキドゥは島の端に立つ。軍艦は浮上しかけているフロンティアを砲撃しているが、目立った成果は見られない。

 その情景に嘆息するエルキドゥ。その手にある螺旋の剣が光り、周囲の景色を歪ませ虹色の光を放つ。

 

「とりあえず、砲座を全部切り落とそうか」

 

 そう言って、剣を器用に振るう。それと同時にその剣は艦砲までの空間を捩じ斬り、砲座を破壊する。捩じ斬られた空間はそこを通る光を歪ませ、プリズムによる虹を走らせる。

 やがて全ての砲座のみを沈黙させたエルキドゥは、昏倒させたパイロットたちを担いで空母の甲板へと飛翔する。乗組員達が迎撃するも、エルキドゥの外套が広がりその弾丸の全てを防ぐ。

 

 その空母の甲板上にパイロットたちを置いたエルキドゥは、銃を向ける空母の乗組員にまるで何でもない事のように告げる。

 

「さて、そろそろ離れたほうがいいよ? もうじきフロンティアは完全に浮遊する。僕は必要な情報は手に入れたからね、フロンティアの浮遊と同時に僕は世界に1つ宣言するから、それを聞いてから対応を決めるべきだと思うな」

 

 笑顔を浮かべたエルキドゥの言葉に、それでも歴戦の乗組員たちは言葉の意味に戸惑いながらも怯まず銃撃する。

 それを外套で防いだエルキドゥは、忠告はしたよ、とだけ呟き翼を広げフロンティアへと戻っていった。

 

 

 今回の米軍艦隊が無力化されるまでに所要した時間は10分程度。人を一人も殺さずに行われた離れ業に、二課のモニターを見ていた面々は戦慄していた。

 圧倒的なまでの戦闘技術と鎖の汎用性、新たに持ちだした謎の聖遺物と相手の手札には際限がない。どう対策を取るべきなのか、モニター前の職員たちは決めあぐねていた。

 そんな中、響はどことなく嬉しそうな表情を浮かべており、未来が思わず尋ねる。

 

「ねえ、響? どうしてそんな嬉しそうにしてるの?」

 

「うん、私の歌、届けられそうだったから! ティーネちゃん、誰も殺したりしなかった。誰かを殺したりするような願いのためにフロンティアに居るわけじゃないんだ! だったら、歌だって聞いてくれるって信じれる!」

 

「……響は相変わらず変わってるね。でも、それってすっごく響らしいよ」

 

 そうやって笑顔を浮かべる響。いつもどおりすぎる響に、未来は呆れ2割賞賛8割程度に褒める。

 

「ふ、立花らしい事こそある種の本懐というものだろう。芯鉄通った剣こそ名刀の冴えを見せるものだ」

 

「まぁーな。馬鹿は馬鹿らしく馬鹿なことしてりゃ、結果の方からついてくるさ」

 

 そんな二人の会話に、二人の言葉が挟まれる。

 響は聞き覚えのある言葉に喜びの表情を浮かべ、二人に駆け寄った。

 

「翼さん、クリスちゃん! 無事だったんだ、良かったぁ」

 

「へっ、アタシらがあんな簡単にやられるか……って、まあボロボロにされちまったのはそうだけどさ」

 

「心配をかけて済まないな、立花。挙句お前一人を戦場に立たせてしまったことの不明は、次の戦場にて晴らさせてもらうさ……っと、その胸のギアは……?」

 

 翼が、響の胸に煌めくギアのペンダントについて質問する。

 響は先程の弦十郎との会話について説明する。自分はきっと、人助けのためになら力がなくても戦場に立ってしまうこと。だからこそ、とマリアのギアを預けられたこと。

 全てを聴き終わった二人は、やはり立花響は立花響だという納得したという笑顔混じりの表情を浮かべる。

 

「ふむ、これもまた立花らしいということだな。さて、それで状況は……」

 

 と、翼が言葉を切りモニターを見やる。画面に映るフロンティアは、今まさに浮上を開始しようとしてる。

 その舳先に立つティーネは、不敵でも何でもない普段通りの笑顔を浮かべていた。

 やがてフロンティアが完全に海を離れ、浮遊を開始した。そしてそれを 待っていたかのように、ティーネは二課のモニターへと体の向きを変えた。

 

『さて、この放送を聞いている人へ。信じるかは自由だけど、これは冗談でもフィクションでもない。……完全にフロンティアが浮遊した今この時を以って、僕は世界に1つ宣誓しよう』

 

 その言葉は、世界中へと響き渡る。電波ジャック機能を搭載でもしていたのか、フロンティアに立つティーネの姿が全世界へと公開されている。

 大半の人間は、それをいたずらだと認識しただろう。しかし、世界の裏側を知っている人間ならばそれをいたずらだとは思わない。

 いたずらであろうとなかろうと、人々は何かが起きたのかとモニターを注視し、次の言葉を待った。

 

『僕の要求は1つ。シンフォギア装者をフロンティアに寄越してくれること、ただそれだけだ。期限は1週間……は短いかな、よし、2週間にしようか。期限を超えても誰も来なかった場合、僕は全世界に無差別にノイズをばら撒く。証拠は見せられないから、真実かどうかは君たちで判断してくれるといい』

 

 別に期限ギリギリでもいいから、朗報を待ってるよ。そう言って、電波ジャックが終了する。

 その様子は二課でもしっかりと映されており、全員が疑問符を浮かべる。二課はティーネの目的が人間の蘇生だからではないか、そう考えていた。だからこそ、そこに装者を求める意図がわからない。

 

「装者を……よこす?」

 

「……何でだッ!?」

 

 その要求の不可解さに、奏者たちも首を傾げていた。しかし、だからといって冗談だとは欠片ほども思っていない。ティーネの表情はいつもと変わらない笑顔だったが、だからこそ真実味があった。

 仮に言っていることが本当なら、自分たちがいかなければ世界中が災禍に見舞われるのだ。期限をわざわざ伸ばした辺り、来ないことを想定していない可能性もあるが、だからと見逃す訳にはいかない。

 

「ティーネちゃん……」

 

 すでに沈黙した全世界中継を前に、響のティーネを呼ぶ呟きが寂しく響いた。



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第18話 神の被造物

 エルキドゥの通達から12日。2週間という期日は間近に迫っていた。

 

 全世界に対する、と言うより日本政府に対する要求、及び無差別テロの予告の予告は、当然ながらテレビ等でも取り沙汰されていた。

 その中でも、「シンフォギア」「装者」とは何なのか、ノイズを操れるのは本当なのかといった話題が主に焦点となっていたが、しかし1週間も経った現在ではその動きも沈静化されていった。

 実は映画の撮影だったのではないか?何時だったかのアメリカの宇宙人が出たというジョークラジオのようなものなのではないのかというところに落ち着きつつあった。

 尤も、まだ期日の2週間に対して半分の期間しか過ぎていない現状では、完全な沈静化は難しい。下火にはなっているが、噂は消えていないというのが現状だった。

 

「っていう噂の沈静化とかも二課のお仕事なんですよね。ティーネちゃんの調査と並行してやってるってんですから、二課の皆さんもやっぱりすごいですよね翼さん!」

 

「ああ、そうだな。だからこそ、我々もまた出立の時までに少しでも刃を研ぎ澄ませておく必要があるということだ。二課の人々の努力を無為にするわけにはいかんからな」

 

 そう言って元気に雪の登山道を駆け上がっているのは、巷で話題のシンフォギア装者こと立花響と風鳴翼。

 翼は幼い頃からの鍛錬、響は弦十郎との修行で手に入れた肉体を更に鍛えるため、こうして自主トレに励んでいた。尚、トレーニングメニューは風鳴弦十郎考案のものである。

 普段は彼女らの鍛錬に付き合うこともある弦十郎は、現在二課がとても忙しいということで監督には来ていない。

 その代わりというわけでもないが、その2人の後ろからついてくる1つの人影が見える。

 

「だ、だから、待てっつってんだろおい……。あたしはお前らみたく、バカな修行に慣れてねえっ……てんのに……」

 

 フラつき息も絶え絶えな少女、雪音クリスはそう言って先を行く2人を呼び止める。

 クリスはギアを見て分かる通り射撃能力が高く、戦闘時の判断力などにも優れている。戦闘者なだけあり、常人に比べれば生身でもそこそこ程度の力はあるだろう。

 だがしかし、マンガや映画やアニメでしかないような修行に付き合えるような人外じみた体力は持っていない。歳相応の少女としては多少優れている程度の肉体能力だったクリスは、修行に付き合い始めて早くも後悔していた。

 

 やがて頂上についた装者たちは、レストハウスで休憩用のベンチに横並びに座る。

 主にクリスにとって過酷なトレーニングも休憩ということで、クリスは息も絶え絶えに背もたれにより掛かった。

 

「こんなアホみたいな修行で成果でるってんだから信じらんねえよなあ……」

 

「アホみたいって、確かに師匠のトレーニングは言ってる意味がわかんないことが殆どだけど……。でも、映画とかでやってたからきっとすごいんだよ!」

 

「確かに雪音の言うとおり、正直なところあまり効率がいいとは言えない。だがな雪音、効率だけを追い求めても強くなれるものではないぞ?」

 

「わーかってるって。それがわかってるからお前らの修行にひいこら付き合ってるんだろ?」

 

 クリスも、自身が肉体的にはあまり強くないことはわかっている。だからこそこうやって2人の映画的トレーニングを自分でもこなそうとしているのだ。

 艦上でクリスが戦ったティーネ・チェルクは、なぜだか分からないが生半な力ではなかった。せめて少しでも弱点を無くすことで決戦に備えようとするクリスの根幹には、今一度奪われたソロモンの杖がある。

 

(ティーネは、ソロモンの杖を使わないといったが……だからって、誰かが持ったまんまにして良いようなもんじゃない。あたしが起動した杖なんだから、あたしがしっかり始末付けなきゃいけないってもんだ)

 

 そう決意するクリスの心には、杖のせいで大切な場所を守れなくなるかもしれない恐怖がある。自分が歌を歌える学校に、自分の歌を好いてくれる級友。新しく手に入れた帰る場所を、自分の不手際で失うことは今のクリスにとって何よりも辛いことだった。

 だからこそ、クリスは決意を固めている。ティーネ・チェルクは杖を聖遺物を出し入れするための鍵として扱っている以上、取引などで渡すことは基本的に無いだろう。ならば、正面から皆でぶつかって、ティーネごと杖を奪還することが今のクリスの目標となっていた。

 

 三人の装者たちがベンチに座って休息していると、それぞれの端末に同時に連絡が入る。

 

「はい、翼です……司令?」

 

『三人とも、そろそろメニューは一周できたか?こちらのティーネ君に関する調査に進展があった、終わってたら一旦帰投してくれ』

 

 応対した翼たちに、弦十郎がそう伝える。その言葉に、装者たちは色めきだった。

 

「ティーネちゃんの情報何かわかったんですか!?」

 

『ああそうだ。だが、修行が終わってなかったのならちゃんと終わらせてから来いよ? あのメニューはワンセットで効果を発揮するはずだからな!』

 

 響の言葉にそう答え、電話を切った弦十郎。修行を終わらせてから、という言葉にクリスは顔を青くした。

 3人がそれぞれ端末を切り、翼と響はクリスに向き直った。その2人の横には空のジョッキが、クリスの側には生卵の入ったジョッキがあった。

 

「飲むのか、コレを……」

 

 トレーニングメニューの1つにある、某映画を参考にした生卵ジョッキ。激しい運動の後にこんなゲテモノのような物を飲まなければいけないという事実に、クリスはげんなりした。

 

 

「通信終わりましたか、司令」

 

「緒川か。ああ、どうやら修行はほぼ達成しているらしくてな。戻るにもそう時間は掛からんだろう」

 

 そう言って、弦十郎はモニターを見やる。モニターに映るアウフヴァッヘン波形は、ティーネ・チェルクの持つ「エルキドゥ」のそれと相違ない。

 

(これが真実だとすれば、俺達は勘違いをしていたのかもしれない……)

 

 ボロボロに破壊された端末のデータから判明した出力は、当時起動したネフシュタンと同等以上。完全聖遺物並みのエネルギー出力のデータが表示されたモニターを、弦十郎はじっと見つめていた。

 

 

 

 2日後、海抜にしておよそ2000m前後を浮遊しているフロンティア、そのコントロールルーム。

 医療技術や月の落下を止めるためのデータを集め終えたマリアは現在、エルキドゥが二課の本部を脱走する際に持ちだした缶詰をもそもそと食べていた。エルキドゥもまた必要なことは調べ終えたらしく、現在は外で装者を待っている。

 やがて缶詰を食べ終えたマリアは、大きくため息を吐く。

 

「……はあ。そろそろ2週間経つけど、ティーネは一体何を考えているのかしら。死者蘇生とは言うけれど、自分からは何も明かそうとしないし……」

 

 この2週間、結局ティーネに関する有力な手掛かりは得られなかった。 マリアが何を聞いても、決して計画の中身を話そうとはしない。

 装者を集める理由もわからなければ、どうやって死者蘇生をするのかも謎。結局マリアの歌は必要なかったのか、マリアに何かを要求することもない。だからこそマリアもこの2週間で必要な情報を集め終えたることが出来たのだが。その手段のことを思い、マリアは再びため息を吐く。

 

「それにしても……。月の落下を止めるためには、フォニックゲインを集め束ねてバラルの呪詛を再稼働させればいい。ティーネだって、これを邪魔することはしないでしょうね。彼女の計画と何ら関係ないのだもの」

 

 だが、とマリアは考える。月はいわば巨大な聖遺物。嘗てのルナアタックで機能不全に落ちたそれを再稼働させるだけのフォニックゲインなんてどうやって集めればいいのだろうか。

 答え自体は既に出ているにも関わらず、マリアは未だに思い悩んでいた。

 

(フォニックゲインを高めるのは"歌"に他ならない。だけど、どれだけの歌を歌えば月を元に戻せる? LiNKERが必要な時限式を含め、ギア装者は高々七人。例え立花響の調律があったとしても、それでどうにか……?)

 

 と、ふとそこでマリアは疑問に思う。先ほどのギア装者の数には、当然ながらティーネ・チェルクも入っている。ティーネは例え最低限の起動とはいえ、エルキドゥのシンフォギアをLiNKER無しで起動することが出来るのだから、間違いなくギア装者だろう。

 つまり、彼女は自分よりフォニックゲインの発生に優れているのではないだろうか。だとするならば、何故わざわざ自分をこんなフロンティアに連れてきたのだろう。

 ティーネは歌が必要だからマリアを連れてきたと言っていたが、ただ歌が必要なら、ティーネ自身が歌えばいいのだ。彼女の言から考えればマリアでなければいけない道理もなく、LiNKERを使わなければギアの起動もままならないマリアを連れてくる意味は無い。

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは甘く優しい人間であり、その人間性が色々と計画の足を引っ張ることもあった。しかし、だからといってそれがマリアが無能であるということではない。むしろ人間の持ちうる才覚という点において、彼女はかなりの逸材といえるだろう。

 その才覚は、徐々にティーネ・チェルクという存在の実像を編み上げていく。

 ティーネ・チェルクのやけに規則的なフォニックゲイン。適合率が高い割に最低限度しか起動できないシンフォギア。それらの特徴は、彼女が自身のギアに宿る聖遺物クラックというスキルによって他のギアを起動させた時にも同様に現れていた。

 そして、もしティーネがマリアのような時限式を連れてこなければならないほどに歌がもしも歌えないのだとしたら。

 

 今までのピースが次々に当てはまる。ティーネ・チェルクという少女の真の姿が、その推察から明らかになっていく。

 

「ティーネ……あなた、まさか……」

 

 

 エルキドゥは、フロンティアの外部で二課の装者が来るのを待っていた。期日である今日になっても未だに来ていないため、今日を過ぎてしまったらどうしたものかと思案していた。

 

「……まあ、人死を出さないっていう副目的を維持したままでも、現状主目的の達成可能性はある。ある意味ではそれも問題なんだけど」

 

 現在のエルキドゥは、先史文明期ともティーネ時代とも違い、ある意味では尤も原初の状態に近い。即ち、プログラムに従う器物という属性を強く維持している。

 だからこそ、設定された条件のために目的の達成難易度が上昇したとしても、それが達成できる可能性がある内はその手法を模索するというシステムに囚われていた。

 この世界への宣言が不発に終わってしまっては、ただでさえ以前似たようなことをやって失敗した事案があったために単なるジョーク程度に扱われてしまうだろう。そうなっては、次に何をどう宣言しても無視されてしまいかねない。

 だが、仮に全てジョーク程度に扱われるようになったとしても、それで主目的が達成できないわけではない。よって、ノイズをばら撒くという手段をエルキドゥは選択できなかった。そういう意味でこの現状は、ある意味でエルキドゥが追い詰められているとも言えた。

 

 だから、それを感知した時エルキドゥは胸をなでおろした。

 エルキドゥの持つ無機物への干渉能力、そこから派生した優れた対無機物察知能力によって、エルキドゥは高速の飛翔体がフロンティアに向かっていることを確認していた。

 

「……ミサイル攻撃……なわけは無いだろう。フロンティアが落ちたら、困るのは米国も日本も一緒のはず。しかし、それでも明らかに弾道線を描いてる」

 

 まさかエルキドゥのみをピンポイントで狙うミサイルなんてことも無いだろうし、一体何を飛ばしているのか。確認するために、エルキドゥは飛来する方角を注視した。

 そして、その視力で確認しうる限り、間違いなく小型のミサイルがフロンティア目掛けて突っ込んでくる。青い弾頭に、白い胴体。その長さは精々人の二倍といったところ。

 明らかに攻撃であるというのに、エルキドゥはそれを見て待ち焦がれたかのような表情を浮かべた。

 

 ミサイルは空中で分解され、中から三人の人影が飛び出した。

 聖遺物の鎧をまとい、歌の音を鳴り響かせて。特異災害対策機動部二課 所属のシンフォギア装者、風鳴翼、立花響、雪音クリスは空に浮かぶフロンティアの大地に降り立った。

 

「やっときたか。期限ギリギリだったね」

 

 そう言って笑顔を浮かべるエルキドゥに、装者達は複雑そうな表情を浮かべる。

 

「あ、あのねティーネちゃん……。えっと、ね……」

 

 やがて響が、三人の気持ちを代表して切り出そうとするが、それでもどうにもまごついている。まるで、聞いてはいけないことを聞こうとしているかのようなその態度に、エルキドゥは首を傾げる。

 その響の態度に業を煮やしたのか、クリスが響の言葉を遮った。

 

「だぁー、もうッ! まどろっこしいのは嫌いなんだ! 単刀直入に聞かせてもらう、てめえは──」

 

 

 

「師匠、これって確か、アウフヴァッヘン波形でしたっけ?」

 

「そうだ。聖遺物が起動する時に放たれるエネルギーの特殊な波形パターンだな」

 

 修行が終わった後、響達は二課の司令室まで戻ってきていた。そこに表示されているのは、聖遺物の起動波形パターンを示すアウフヴァッヘン波形。

 

「……で、これはティーネのギアの波形なのか?」

 

 ここに呼ばれた理由がティーネ・チェルクの調査関係である以上、クリスはここに表示されているアウフヴァッヘン波形がティーネ・チェルクのギアの波形であると推察した。

 しかし、弦十郎はその言葉に首を振った。

 

「クリス君の言葉は半分当たっている。この波形はティーネ君の「エルキドゥ」の波形だが、この波形が観測されたのは全く別のタイミングであり、ティーネ君のギアから観測した波形ではないんだ」

 

「はあ? ってことは何だ、誰か別な奴がティーネのギアを使ってたとか?」

 

 弦十郎の言葉の内容に、どうやったらそんなことになるのかとクリスが最初に思いついた理由を挙げる。しかし、それにも弦十郎は首をふる。

 

「いいや違う。この波形は2年前、ツヴァイウィングのライブで観測されたものだ」

 

「──ッ!! バカな、あの場にあったのは槍と剣、そしてネフシュタンだけだったはずですッ!」

 

 声を荒げる翼。彼女にとって、先の弦十郎の発言内容は到底聞き流せるものではなかった。ライブ会場の事件は、彼女がその眼前で全てを見届けざるを得なかったものだ。彼女に刻まれた記憶において、ティーネのギア「エルキドゥ」の聖遺物が介在する余地はなかった。

 興奮する翼を前に、弦十郎は静かに語り続ける。

 

「だが、事実だ。このアウフヴァッヘン波形は、破損した端末からデータをサルベージした結果発見された。そして……」

 

と、弦十郎はその波形が発生した時刻を表示する。

 

「……この波形が発見された時刻は、周囲のマイクに記録されていた奏君の絶唱のタイミングと一致する。つまり、ティーネ君のギアに使用されている聖遺物は、あの場に存在し、奏君の絶唱によって励起したものだと考えられる」

 

「そ、それじゃあ、今のティーネちゃんは……?」

 

 それは、ティーネ・チェルクの語った来歴が嘘であると断じるに十分だった。弦十郎の発言はあまりにも衝撃的であり、響は、信じられないというような声音で問いかける。今、フロンティアにいる彼女は本当は誰なのか、と。

 その問に弦十郎は直接は答えず、話を続ける。

 

「最初は、俺達も目を疑った。もしかしたら、ティーネ君は例えばネフシュタンの鎧のような聖遺物に肉体を侵食されきってしまったのかもしれないと思った」

 

「……しかし、違ったのですね」

 

「……そうだ」

 

 ティーネ・チェルクの肉体には、簡易的なスキャンでは一切の異常が見られなかった。弦十郎は当初は「エルキドゥ」のシンフォギアの千変万化性を考えれば、表面的にでも元の肉体のように見せることでスキャンを騙せるのかとも考えた。

 それが否定されたのは、とある1人の少女の告解からだ。

 

「……あたしが使ったイガリマは、確実にティーネの胸を貫いたデス。あの時のイガリマは、間違いなく絶唱状態だった。手応えを考えてもイガリマは間違いなくティーネを殺してしまった筈、デス」

 

 そういって司令室に入ってきたのは、手錠をかけられた1人の少女。暁切歌は顔を俯かせ、その目には涙が浮かんでいる。

 

「お前……」

 

「切歌ちゃん……」

 

 切歌は涙を流しながら、自身のやったことを説明していく。無茶して、無理に思いを通そうとした結果起こしてしまった悲劇は、自身の背負うべきものだと切歌は理解していた。

 

「今、あの体を動かしてるのはティーネの魂じゃないデス。イガリマの絶唱を防ぐことは、あの時のティーネに、できなかった、筈デス、から……ッ」

 

 そう言ってしゃくり上げる切歌に、クリスは心配そうな表情を見せる。

 

「つまり、今ティーネ君の肉体は魂ではない何かが動かしているということであり、彼女の肉体とギアから放たれるアウフヴァッヘン波形は、2年前に観測されたものと同じ。ダメ押しをするなら、我々が調査する中で、それ以前に彼女の存在したというデータや痕跡は一切見つかっていない」

 

 弦十郎の説明に、装者たちは顔色を変える。

 2年前に唐突に現れ、その原因がライブ会場の惨劇の時の謎の聖遺物の反応。その聖遺物は、天羽奏の絶唱によって励起した。ティーネ・チェルクはそれ以降にしか姿を見せず、同じ波形の聖遺物で戦っている。

 

 そして、シンフォギアシステムもなく歌のみで起動する聖遺物は、ギアの核に使用されるような欠片のようなものではない。

 

 それは、つまり──

 

 

 

「──てめえは、完全聖遺物なんだな、ティーネ」

 

 クリスのその一言に、エルキドゥの顔から笑いが消える。それは、彼女の言っていたことが真実であることを如実に表していた。

 

 

 

 エルキドゥは、やがてため息を吐いた。隠し事がバレてしまったことを多少残念に思うような、そういう様子を表した。

 

「……すごいね、そこまで判ったんだ」

 

「ああ。だからこそ、お前が何を求め願うのか、私達には分かっている──ティーネ。奏は、もう死んだんだ。そして、彼女はそれでも歌の中に、それを聞いた人の心に生き続ける。お前は、それでも──」

 

 ティーネ・チェルクの願いは死者蘇生。彼女にとって、何よりも鮮烈な価値を残し死んだ人間といえば、それは起動した天羽奏に他ならない。それが二課の出した結論であり、その結論は一分の隙もなく正解だった。

 

 風鳴翼は、恐らく誰よりもティーネ・チェルクに共感できる。天羽奏の死は、彼女の心に深い爪痕を残したのだから。

 ティーネ・チェルクにとって、自身を起動した天羽奏の歌はきっと何よりも大切なものだったのだろう。切歌と調がツヴァイウィングの歌を聞いて驚いたように、翼の歌を聞いて褒めたように。2年の歳月の変化を少し聞いただけで理解できるほどに、ティーネの心には奏の歌が染み付いていたのだ。

 だからこそ、ツヴァイウィングのメンバーとして、自分がティーネを止めなければならないのだと、翼は心からそう思っていた──この時までは。

 

 

 

 エルキドゥが、その輪郭をぼやけさせる。外套を大きくはためかせ、その姿がぶれ始める。

 

「──奏は、死んでなんかいない。ただちょっと、心が無いだけだ」

 

 翼の言葉が、エルキドゥの琴線に触れたのか、今までにないほどに無感情で、だからこそそれらしい声色を作りだす。

 女子にしては比較的高めのその背丈は更に伸び、より女らしい肉体へと変化する。

 

「だから、僕は心を求めた。魂無き肉体を動かすために」

 

 口の端から零れ落ちる言葉は、最早誰に語っているのかも分からない。ただ、彼が何を求め願ったのかを独白する。

 癖のない直毛のはずが、まるで鳥の翼のように広がっていく。若草のような春の髪は、燃えるような橙へと変化する。

 

「フロンティアには、必要な知識のすべてがあった。先史文明期の巫女フィーネのリインカーネーションのように、魂を魂として肉体に刻印する技術は、僕の望む知識だった」

 

 中性的でありながら、どこか人間離れした美しさは消え、鋭く、強く、活気に溢れた女性的な顔へと変化する。

 目の前で唐突に起きた変貌に、装者たちはどこか唖然とした心持ちで見ていた。

 

「だから、後は魂だ。それが何処にあるかは、細かくはわからない。だけど、天羽奏の魂があるとすれば、それはきっと君たちのどちらかの中にあるはずだ」

 

 変貌した彼女が手に持つのは、破損した欠片をかき集めて作られた出来損ないの(ガングニール)

 しゃべり方は、違う。瞳の色だけは、違う。

 だが、その声も、その姿も、その顔も。

 

「……かな、で……?」

 

 翼が、その手から天羽々斬を取り落とす。直感的にわかったのか、経験的にわかったのか。あの肉体は、ちゃちな模倣では無く、天羽奏の肉体そのものだと理解してしまった。

 

「僕の名前を、改めて教えよう。ティーネ・チェルクは、崩壊した擬似人格の名前だ。僕は、今でいうところの完全聖遺物である『神の被造物(エルキドゥ)』」

 

 槍以外一糸纏わぬその肉体を、シンフォギアの装甲が覆っていく。立花響とは肉体を覆う箇所を逆にしたそれもまた、天羽奏の姿に相違なかった。

 

「僕は、奏の歌を聞きたいんだ。──だから、奏の魂を、心を寄越せッ!」

 

 その叫びを皮切りに、エルキドゥは槍を携え、剣を落とした翼へと斬りかかった。



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第19話 大地の歌

 その槍の一撃が風鳴翼を捉える前に、立花響は前に出た。

 ティーネが完全聖遺物「エルキドゥ」であり、天羽奏の魂を求めてこうして刃を振るうこと、そして、その肉体に天羽奏の散ったはずの肉体を使用していること。そのことは、当然ながら響の心にも大きな衝撃をもたらした。

 

 しかし、それとこれとは関係なかった。

 

 ただ単純に、自分を助けてくれた、生きることの大切さを教えてくれた天羽奏が、風鳴翼に刃を突き立てるなんてシーンを見たくなかった。大好きなツヴァイウィングが戦うなんて見たくなかった、ただそれだけだった。

 

 響の篭手(ガングニール)が、(エルキドゥ)(ガングニール)とぶつかり合い火花を散らす。

 

「ッやめようよ! こんなこと、奏さんも望んでないよ!」

 

 両手を交差させて槍を支えながら、響はエルキドゥに呼びかける。

 その言葉に、エルキドゥは奏の顔に凄絶な笑みを浮かべ、槍に更に力を込める。

 

「そんなこと、僕にはわからない。僕の体に奏の魂は残されていないし、僕は奏と話したこともないんだから」

 

 奏の声で、そう言葉を漏らすエルキドゥ。その身に纏うギアから流れる歌は、嘗てあの会場で響が聞いた歌そのものであり、そして、だからこそどうしようもないほどにがらんどうの歌。

 やがて、エルキドゥの槍から伝わるその怪力に地面が耐え切れなくなり、響の足元に大きく罅が入り大地にめり込んでいく。それでも、自身の後ろに居る翼を守るため、響は痛みをこらえ槍を防ぎ続ける。

 

「おい、ボサッとしてんなッ!」

 

 その隙を突いたクリスが、翼と取り落とされたアームドギアを掴んで後方に下がる。その直後に、響が吹き飛ばされ、先程まで翼が呆然と立っていた場所に槍が突き立った。

 翼は今自分が立っている場所が戦場であることを思い出し、クリスから手渡されたアームドギアを構える。しかし、その目の焦点はどこかぶれており、剣の切っ先も震えていた。

 

「奏、じゃない。そう、そのはずなのに……」

 

 その戦うスタイルは、間違いなく2年前の天羽奏のそれに相違ない。だからこそ、翼は未だ困惑していた。

 エルキドゥの持つ「模倣」の特性は、嘗ての天羽奏の戦い方をその肉体に完全に写し出していた。

 

「下がったところでッ!」

 

 エルキドゥはクリス、そして翼を貫かんばかりの勢いで槍を投擲する。

 その槍を、クリスがハンドガンに変形したアームドギアの射撃で迎撃した。

 どれほどの勢いで槍を投げてこようと、射線を変えるくらいならばクリスにとって容易。

 弾丸が刃を滑り、槍の軌道をそらす。

 

「はっ、ちょせえッ!」

 

「いや、まだだッ!」

 

 勝ち誇るクリスに対し翼が叫ぶ。風鳴翼は幼い頃より修練を積んだ戦士であり、だからこそ精神的に不安定な今でも危険を無闇に見逃すことはそうはない。

 まして、ガングニールを持つ装者の一撃がどれほどのものなのか、シンフォギアシステムを纏い戦うようになった初期から、幾度となく翼は見てきた。だから、その槍の危険性が判る。

 

「そんなことでは、逃がさないッ!」

 

 ガングニールは、装者の手を離れていても尚標的を狙い続けている。多少軌道を逸らしこそしたが、その軌道を槍自体が自動で修正する。

 射撃後であり離脱できる姿勢になかったクリスは、槍が狙いを定めたことに息を飲む。

 

「何だとッ!?」

 

「やらせる、ものかッ!」

 

 間一髪で、剣を握った翼が大きく横から切りつけ、弾き飛ばした。大きく弾かれた槍は軌道修正しきれず、翼とクリスを外れ地面に突き刺さる。

 

「油断がすぎるぞ、雪音ッ!」

 

 そうクリスを窘めた翼は、エルキドゥに向き直る。その構えに隙はなく、例え精神的に不安定でも翼が翼たる所以を見せていた。

 そして、だからこそエルキドゥは翼の不調を察する。

 

「翼、君は油断はしていないだろうけど、やはり心は不安定みたいだね」

 

「何を、……ッ!?」

 

 エルキドゥがそう呟いた瞬間、翼の肉体に鎖が巻き付く。強靭な黄金の鎖は、精神的に不安定だった翼を捉えるには十分だった。

 

「な、に……? バカな、ガングニールを使うのでは……ッ!?」

 

「奏の姿だから、奏の武装だけを使うわけじゃない。例えどんな見た目であろうとも、僕が完全聖遺物であることに変わりはない」

 

 その鎖はエルキドゥの背中から出ており、フロンティアの地下を通り翼の足元から出現していた。

 万全の翼なら、この不意打ちにも対応することは容易だっただろう。

 相手が奏の姿をしていたからこそ、奏の戦い方しかしないと無意識に考えていた。相手が千変万化の聖遺物であるということを忘れてしまっていたのだ。

 

「……ッ、不覚をとったかッ!」

 

 脱出しようともがく翼を前に、弾き飛ばされたガングニールを手元に呼び寄せるエルキドゥ。逃げる暇すら与えまいと、エルキドゥは大きく槍を振りかぶった。

 

「やらせるかよッ! 十億連発でッ!」

 

 だが、それを黙ってい見ているクリスではない。両手のアームドギアをガトリングに変形させ、エルキドゥに対し弾幕を張る。

 

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       B I L L I O N  M A I D E N

 

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 エルキドゥも、流石にその弾幕を無視することは出来ない。槍を回転させて盾のように弾幕を防ぐ。そしてそのまま、己の背部に白いマントを展開する。

 マリアが展開するガングニールのように自在に動くそのマントは、エルキドゥが纏っていた貫頭衣同様に自在に変化し動くエルキドゥの肉体そのもの。

 エルキドゥはそれを自身とクリスの間に展開し、弾幕を完全に遮断した。

 

「だったら、全部乗せだッ!」

 

 クリスはその壁を破るため、ガトリングを展開しながら更に腰にミサイルポッド、背中に大型ミサイルを展開する。

 エルキドゥの外套を吹き飛ばさんと、銃弾に加わり榴弾の雨が降り注いだ。

 

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     M E G A  D E T H  Q U A R T E T

 

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 ガトリングに加え小型榴弾と大型ミサイルの連撃は、エルキドゥの外套防御を容易く突き破る。

 爆破の衝撃で縛鎖が緩み、翼は縛りを抜けクリスのもとに合流した。

 

「済まない、助かったぞ雪音」

 

「アンタも大概頼りないからな、シャキッとしろよな」

 

「……面目無い。だが、もう大丈夫だ。この身は剣、切っ先を鈍らせるような真似はしない」

 

 クリスの軽口に真面目に対応する翼はしかし、その言葉とは裏腹に翼は未だ割り切れていなかった。それほどまでに、奏の姿の敵と戦うことは翼にとって心を削るモノだった。

 やがて最初に大きく飛ばされた響も同じく2人のもとに合流し、今は爆風と砂煙によって視界の通らないエルキドゥのいた場所を見やった。

 

「……やった、のかな……?」

 

「わかんねえよ。流石にこんだけぶちかませばとは思うけど、相手は完全聖遺物そのものだ。そう簡単に片が付く相手とも思えねえ」

 

 そういったクリスの言葉に応じるかのように、砂煙が竜巻によって巻き上げられる。

 その装甲はズタズタで、その槍にも罅が入っている。しかし、本体である生身部分にはかすり傷の1つもなくエルキドゥは槍を構えていた。

 ガングニールが唸りを上げる。そのエネルギーを螺旋に束ね、周囲の砂煙を払い除ける。

 

「貴様、その(なり)ならず技さえも……ッ!」

 

 翼の激昂に、エルキドゥは答えずエネルギーの奔流を解き放った。

 

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          LAST ∞ METEOR

 

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 シンフォギアの技は、個人の歌から発生するとはいってもあくまでシンフォギアの機能にすぎない。シンフォギアに掛けられている莫大な数のロックが個人に適合する形で開放され、それぞれの独特な技を作り出しているのだ。

 だから、エルキドゥにとってその模倣は容易。天羽奏の外したロックと同じロックを外し、同じ機構を用いてエネルギーを放っているに過ぎない。

 

 つまり、エルキドゥの技と元の奏の技との違いといえば、歌ががらんどうでしか無いことと、扱えるエネルギー総量の桁が違うというだけである。

 

 フロンティアの一角を大きく抉り、その竜巻は大地を薙ぎ払う。完全聖遺物としてのエネルギー出力に任せた一撃は、手にある槍を砕き、そして対峙する装者たちを吹き飛ばした。

 

 

 

「莫大なエネルギーによる攻撃、装者3人のダメージ、甚大です! このままでは……」

 

 二課仮設本部の司令室、モニターには装者達のシンフォギアから送られるバイタルデータが映し出される。全身至る所に赤いアラートが表示され、そのダメージの深さを物語っていた。

 

「くそッ! 相手は完全聖遺物、いわば了子君との戦いのそれに近い。通常状態のシンフォギアでは、3人がかりで勝てるものではないというのかッ!」

 

 戦闘型の完全聖遺物は、それが十全の力を発揮する限りその強さはシンフォギアの比ではない。ネフシュタンと融合し、その力を発揮したフィーネは装者3人と互角以上に渡り合い、体が縦に引き裂かれてもなお再生するだけの回復力すら持ち合わせていた。

 

「マズい、翼さんッ!」

 

 緒川がモニターに映る状況を見て顔色を変えた。モニターには、倒れ伏す翼に近付くエルキドゥの姿。その手にある砕けた(ガングニール)神の泥(エルキドゥ)でつなぎ合わせ、再構成していく。

 

「起きろ、翼ァッ! くそ、こちらから援軍を、いや、いっその事俺が出向けば……ッ」

 

「待って欲しいデス!」

 

 司令官としての任務を放棄することを視野に入れた弦十郎の言葉に、少女の声で待ったがかかる。

 

「その前に、私達が行くデス! いや、行かせて欲しいのデス! 私がティーネを殺しちゃって、そしてこうなったんですから、私がせめて何とかしなくちゃなんデス!」

 

「……ドクターの作ったLiNKERなら、まだ在庫が残ってる。だから、お願い。例え魂が亡くなったとしても、私はティーネを止めたい。人の命を大切にした友達に、人殺しなんてさせたくない」

 

 F.I.S.所属のギア装者、暁切歌と月読調はそう願い出た。自身の罪と向き合い、友を思うその心から出たその行動に、弦十郎は神妙な表情を浮かべる。

 

「捕虜の身分でおかしいことを言っているとは思うけど、でも……?」

 

 調が更に言い募ろうとしたところで、その頭に大きな手が乗せられる。大人らしい包容力に溢れた力強いその手は、調の頭を優しく撫でる。

 

「みなまで言うな。それがお前達のやりたいことだって言うなら、俺達大人が叶えてやらなくてどうするって話だ! ──緒川ッ! 藤尭ッ!」

 

「分かってます。送迎ミサイルの準備は出来ています!」

 

「弾道、計算済みですよ!」

 

 その言葉に、切歌と調は驚きの表情を浮かべた。彼女らの周囲の大人に、真っ当な人間はナスターシャしかおらず、こうも優しくやりたいことをやらせてもらえるなんて思ってもいなかったのだ。

 2人の手錠が解かれ、それぞれのシンフォギアのペンダントが手渡される。こちらを信じる真摯な瞳に、2人の心が熱くなる。

 ふと、弦十郎が伝え忘れた事があるかのように顔を上げた。

 

「ああ、そうだ。出撃するなら条件がある。──いいな、絶対に無茶だけはするなッ! 生命を無体に扱うような真似だけは絶対に許さんッ!」

 

「ッ了解デース!」

 

「……ありがとう。──貴方は、変わらないのね」

 

 信頼され、大切にされ、子供の無茶を許してくれる。そんな弦十郎の言葉に、2人の心が満たされていく。

 そのまま2人は緒川に連れられて発射装置へと急ぐ。

 

「ま、それが俺の性分だからな……うん? 今のは……」

 

 調の最後の言葉につい自然に返事をして、その不自然さに首を傾げる。真実を問いかけるにも、調は既にいない。

 

「……まさか、な」

 

 

 エルキドゥは、倒れ伏す翼に対し歩を進めていった。継ぎ接ぎだらけの鎧を纏い、無理やり固めた砕けた槍を持つ姿は、無理やり「天羽奏」の記号を保とうとしているようにも見える。

 

「2年前、あの場で奏の魂を宿した可能性が最も高いのは君だ、翼。君の中に奏の魂があれば、響を手に掛けずに済む」

 

「ぐッ……」

 

 ダメージが深いのか、翼は起き上がれない。

 否、ダメージだけならば自身の矜持を以って立ち上がることも出来たかもしれない。だが、翼は未だに悩んでいた……悩んでしまっていた。

 奏の魂には、もしかしたら程度の心当たりはある。単なる幻聴や、もしかすれば自分の空想にすぎない可能性もあるが、翼は奏が死んだ後も奏の声を聞いたような覚えがある。

 自分の生きたいという思いから生まれた幻像かも知れないが、若しかすれば、という思いも捨てきれていない。

 

 そしてもしそうなら、翼が死ぬことで奏は蘇ることが出来るのだ。本当に出来るかは分からないが、エルキドゥは千変万化であり、数多の聖遺物を湛えるバビロニアの宝物庫を握っている。フィーネのように魂を扱う技術が先史文明期に存在したことを考えれば、多くの聖遺物を扱うことの出来るエルキドゥが実現する可能性は十分だ。

 

 ダメ押しに、今のエルキドゥの台詞もある。自分が先に犠牲になることで、自分の優しく強い戦友にして後輩を守ることに繋がる。人類守護は、防人の勤め。それは、同じ戦士に対してもそうあるべきではないだろうかと思ってしまう。

 

(私が、犠牲になれば……立花は、守れる。ならば、ここでいっそ……)

 

 エルキドゥが槍を振りかぶる。処刑人のように、断頭台のように一分の無駄もなく、その槍は振り下ろされた。

 

 その振り下ろされた槍を、拳が掴みとる。

 立花響は、大きなダメージの中で尚立ち上がりその槍を捉えていた。

 

 激昂していたことで受け身が遅れた翼や、遠距離型でダメージに対する受け身能力が比較的低いクリスとは異なる。常に接近戦で、鍛えた肉体とタフネスを維持して戦う響はそのダメージを抑えることに成功していた。

 だから、今一度立ち上がれた。だから、大切な人を守ることが出来た。

 

 捉えた槍から伝わる力に、エルキドゥは完全に一切の手加減なく殺すつもりだったことが読み取れた。その事実は、響を強く狼狽させる。

 たまらず響は、エルキドゥに向かって叫ぶ。

 

「ッ、どうして!? あんなに誰も殺そうとしなかったのに、こんな……」

 

()()しなければ達成できないのなら、()()するさ」

 

 エルキドゥの願いを叶えるためには、風鳴翼か立花響、その2人のどちらかにある可能性の高い奏の魂が必要だ。

 だが、魂に干渉する聖遺物こそバビロニアの宝物庫に存在するものの、複数あるかも知れない魂のどちらかのみを奪うというピンポイントな聖遺物は見つからなかった。

 となれば、その魂を採取するエルキドゥの取れる方法は1つに限られる。即ち、対象を殺害することにより肉体から開放された魂を確保し、自身のもつ天羽奏の肉体に刻印することのみ。

 事ここに至って、エルキドゥは彼女達を殺すことを躊躇わない。そうしなければ、エルキドゥの主目的は絶対に達成されないのだから、躊躇う道理をエルキドゥのプログラムは持ち得ない。

 

 その瞳に、一切の感情は見えない。ただそうしなければならないというシステムに則って動く機械となったエルキドゥを前に、響は悲しみと激情を抑えきれない。

 

「ダメだよ、こんな、ことは……ッ!」

 

 響の心に火が灯る。ティーネは、人の命を大切にしていた。仮に友人の心が失われたのだとしても、その友人の身体で人殺しなんて、絶対にさせたくなかった。

 だが、満身創痍の響と肉体的には無傷のエルキドゥがいつまでも拮抗できるはずもなく、徐々に槍が押し込まれていく。

 

「ならば、まずは君からだ、立花響」

 

「ッよせ、私の魂に奏の魂があれば、立花を傷つける必要なんて無いのだろうッ!? やめろ、立花はッ……!」

 

 残酷な宣告に、翼が声を上げる。防人たる自分が不明で大切な人が死ぬなんてことを、翼は二度と味わうつもりなんてなかった。

 しかし、その言葉に誰よりも強く反応したのは、他でもない響だった。

 

「私の生命を守るために、なんて理由で、翼さんが生命を捨てる必要なんてないんですッ!」

 

 響は言葉を飾らない。その言葉は、心からの言葉でしかない。

 

「奏さんだって、自分が生き返るために翼さんが死ぬなんて絶対嫌に決まってますッ!」

 

 だからこそ、その叫びは、翼の心に響く。

 響はいつか緒川に、翼に、未来に、皆に言われたことを大声で繰り返す。

 

「私は、奏さんの代わりにはなれないッ! 翼さんの代わりにもなれないッ! 私は私ですッ!」

 

「私の生命も翼さんの生命も、誰の生命も誰かで変えられるものなんかじゃないッ!」

 

「だからッ! 翼さんの生命を私の生命の代わりにだなんて、言わないでくださいッ!」

 

 

「誰かの代わりに死ぬなんて、そんな悲しい思いのままで──生きることを、諦めないでッ!」

 

 

「────ッ!!」

 

 

 その言葉は、風鳴翼の心を貫いた。

 何を自分は生命を捨てようとしていたのか。今の自分が本当に本心から誰かの為にと生命を使おうとしたのか、なんて言うまでもない。

 自分の不備で取り零した生命を取り戻したい、だなんて利己的な理由で死を選ぶなんて。罪の意識から逃れようとするあまりに、生きることを諦めるなんて。そんなことは、天羽奏が最も嫌った行為に他ならないではないか。

 翼の瞳に活力が戻る。立花響の呼びかけに答えるように、その体を、心を奮い立たせる。

 

「そうだ、な。生きることを諦めたりしてしまえば、それこそ奏に笑われる。──己が意思(やいば)を欠けさせては、それは(つるぎ)に非ずということッ! 行くぞ『ティーネ』ッ!私は人類守護の勤めを果たす防人にして、一振りの剣。そして、奏と共に翼を翻すツヴァイウィング! 他の誰でもない、風鳴翼が歌を聞けッ!」

 

 今までに無い力強さで、翼は颯爽と立ち上がる。一切のブレなく構えたアームドギアが、翼の歌を刃に乗せる。その剣は二刀に頒かたれ、翼の心を反映するがごとく燃え上がる。

 その輝きはまさしく何処までも飛べる翼。両翼を翻す炎の鳥。

 

 その姿を見た響は、己の脚部ユニットのパワージャッキを展開、その力を開放することでエルキドゥを天高く蹴り上げる。

 エルキドゥはその動きに対応しマントでガードをしたが、響はガードをしたままのエルキドゥをガードのそのままで打ち上げた。

 

 そして、見失っていた翼を再び広げた鳥は天空に狙いを定め、炎のように空へと舞い上がった。

 

「その翼、僕が素直に受ける道理はないッ!」

 

 エルキドゥはマントを変形させ、何重にも重ねた防壁を創りあげる。更にその防壁から鎖を展開し、翼を捕えんとした。

 だが、その鎖は、そして防壁は撃ち貫かれる。

 

「まだ、まだだッ! こっちは全弾撃ち切ってねえんだよッ! だからさっきと合わせて十億連発、改めて全部貰っとけッ!」

 

 地上で同じく負傷し倒れていたはずのクリスが、ガトリングだけをエルキドゥに向けて放っていた。今の彼女が出来る全力の射撃は、翼を地に落とそうとする縛鎖の尽くを撃ち砕く。

 炎は青く転じ、まるで風鳴翼そのものが炎になったかのように錯覚させる。クリスの弾丸は、遮るものなき空の道を作り出していた。

 蒼き炎鳥が空を駆ける。親友の姿を模した、しかし歌も、目も、その在り方も似ていないエルキドゥへと、炎は飛び込んでいった。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

           炎 鳥 極 翔 斬

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 防ぐ手立ての無いエルキドゥは、それを受ける他なく。

 天羽奏の見た目だけを模した偽の片翼は、炎に貫かれ地上へと堕ちた。

 

 

 空を舞い上がった翼が、エネルギーを失いかけた状況で尚扱える限りのスラスターをうまく展開し地上に降り立つ。

 その側に響とクリスが駆け寄り、体力を消耗した翼を支える。

 

「うわっとぉ。大丈夫ですか、翼さん」

 

「ああ。大事無いとは言わないが、こんな事で折れては剣の面目が損なわれるからな」

 

 心配する響に、冗談交じりに答える翼。翼の顔は先ほどまでの不安定さは微塵もなく、いつも通りの翼だった。

 その様子にホッとする響とクリス。

 

「んで、ティーネのやつは結局どうすんだ?」

 

 そのホッとした顔を見せたくなかったのかクリスはすぐに顔を背け、焼け焦げ地面に倒れているエルキドゥを見る。

 

「まだ死んだなんてことは無いはずだ。強さのあまり加減するなど出来なかったが、ティーネの今の肉体は頑強極まりない。カ・ディンギルを崩壊させた一撃を当てても、尚肉体に大きなダメージは見られないからな」

 

「ならいいけど。……? おい、オッサン。こっちに何か飛んできてるけど、あんた何か判るか?」

 

 クリスがふと空を見る。火器をふんだんに扱う彼女だからこそ直感的に理解したそれについて、司令である弦十郎に通信で問いただした。

 まさかどこぞの外国の攻撃兵器かと、翼と響が身構える。

 

『ああ、切歌君と調君をそちらに送った。……その様子を見ると、もう終わったのか?』

 

「ああ、なるほどな。まぁ、こっちは片が付いたようなもんだけどよ……」

 

 その言葉に、翼と響は脱力する。上空でミサイルが展開され、ギアを纏った調と切歌が着地する。

 切歌と調はそのまま隙無く武器を構えたがしかし、どうにも生温いその場の空気に二人は首を傾げた。

 

「あ、あれ……? 決意固めて来たデスけど、もしかしてもう、終わってるですか……?」

 

「……もしかしなくても、無駄足? LiNKERを無駄に打っただけっていうのは、流石にちょっと悲しいよ切ちゃん……」

 

「え、えーっと……ドンマイ?」

 

 切歌が顔を赤くし、調が肩を落とす。そんな二人の状況に、思わず響が声を掛ける。

 全体的に生温い空気が流れたところで、その空気をかき消すような声が全員の元に届いた。

 

『──無駄足とか言っている場合ではない! 今のうちにもう一度体勢を立てなおしてッ!』

 

 装者達の目の前に半透明のモニターが展開される。そのモニターと司令室のモニターには、連れ去られたマリア・カデンツァヴナ・イヴの姿が映っていた。

 彼女は切羽詰まったような表情をしており、その姿に全員が再び緊張を取り戻す。

 

『それはどういう──ッ!?』

 

 そう言いかけたところで、モニターに映るエルキドゥの姿に弦十郎は戦慄する。

 あれだけのダメージを受けながら、エルキドゥはしっかりと立ち上がったのだ。

 

「……まさか、ここまでダメージを負うことになるとはね。これ以上奏の身体で戦えば、この肉体を不必要に損壊してしまう」

 

 既に鎧もボディスーツも大部分が破損し、その肉体にも傷が刻まれている。天羽奏の蘇生を第一義とするエルキドゥにとって、これ以上の肉体の損壊は看過できなかった。

 

「装者も、五人か。さっきのことを考えれば、奏の肉体を損壊させずに戦うことで目的を達成することは不可能と言っていいだろう。──だから、別な手段を講じよう」

 

 その言葉とともに、エルキドゥの足元に幾何学的な文様が走る。エルキドゥの指令を受けたフロンティアは、複合構造船体としての特性を活かし動力部を分離・移動させる。

 大地からせり上がりエルキドゥの下に出現した、球形の動力部。そこにあるのは、鎖によって自動制御されるネフィリムの心臓。

 

 エルキドゥは、心臓(ネフィリム)動力部(フロンティア)に鎖を繋げ、自身の肉体と一体化を果たしていく。

 

「事ここに至って、最早考える機能なんて必要無い。目的を果たすためならば、僕はどんな手段をも用いよう」

 

「ネフィリムの心臓を元に、無限のエネルギーを生成する。そうすれば、大地と繋がりのないこのフロンティアでも、僕は本来の姿を以って戦える。フロンティアの動力と一体化をすれば、理性を失ったとしても自動的にフロンティアを維持することになるだろう。そうすれば、僕が本気で戦ってもフロンティアが落ちることはなくなる」

 

 その姿が、天羽奏から離れていく。顔はのっぺらぼうのように凹凸の無い物へと変化し、その姿は巨大化していく。

 女性的な身体から男とも女ともつかない人の原型のような人型へと変化していく。その肉体に無駄な要素はなく、その体躯は人をはるかに超える。

 全身に幾何学的な模様が走り、頭部からは角が生える。エルキドゥの持つ人間性の最後の欠片なのか、その頭部には長い毛髪が生えている。

 

「何だよ、こりゃあ……ッ!」

 

 クリスは、今までとは桁が違う程の変貌に絶句する。

 そこに、フロンティアの内部で情報を調べていたマリアからの連絡が入る。

 

『シュメールのギルガメシュ叙事詩に曰く。泥の野人エルキドゥは、人に成る過程でその力を大きく削ぎ落とされた。フロンティアのデータベースで詳しく調べたところ、聖遺物エルキドゥは複雑な物体を模倣をすることで大きくその力を減衰させたとされている。つまり、あの姿が原初のものだとするなら、その力は──』

 

「──正しく、計り知れない威圧感だな。これが、完全聖遺物『エルキドゥ』の本来のエネルギー……」

 

 翼のこぼした言葉が、静まり返った周囲に虚しく響く。

 その威圧感は、正しく人外。単騎で世界を左右しうる神の如き熱量を誇る原初の野人は、表情は愚かパーツすら無い顔を装者たちに向ける。

 

『理性を落とせば、僕は嘗ての力を取り戻す。なぜなら人の精神の模倣は、只の器物である僕にとっては最も大きなエネルギー消費を強要する行為だからだ。理性を失えば、僕は主目的以外の全てを切り捨てるだろう。天羽奏の蘇生のために必要な魂は、ここにいる翼と響の生命を奪えば事足りる。安心するといい、どうなっても世界には被害が出ないだろう──君たちを除いて』

 

 まるで感情を感じられず、誰の声ともつかない音声がその場に鳴り渡る。

 

「ティーネちゃん、ティーネちゃんはそれでいいの!? そんな、人の在り方を捨てちゃうなんて……」

 

 響が思わず叫ぶ。その心からの叫びに、エルキドゥは微動だにしない。

 やがて、先ほど同様に音が鳴る。

 

『ティーネという人格は、僕のものではない。彼女の事を思うなら、その名で僕を呼ばないことだ……これから、呼ぶ機会も無くなるだろうが。──さあ、これで全てに決着をつけよう、シンフォギア装者。僕は、エルキドゥ。泥の、人、型──……』

 

 その言葉を最後に、その動きから意思が消える。

 全身の模様が発光し、言葉にならない咆哮を上げる。

 これ以上ないくらいに美しい、星そのものの声。

 人の歌とは全く違う、大地そのものが唄うかのような無機物の共鳴を上げ、泥の野人(エルキドゥ)は今再び世界に顕現した。



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第20話 天の歌

「────────ッ!」

 

 原初の咆哮が、フロンティア全体と共鳴する。

 大地そのものが唄うかのようなそれは、意思の介在しない音叉の共鳴に過ぎない。しかし、あまりに巨大にすぎるその唄を前に、装者たちはその歌を掻き消されそうになっていた。

 

「クソッ! シンフォギアの力じゃあまるで歯が立たねえッ!」

 

 エルキドゥの巨体にめがけ、大量のミサイルを発射したクリスが叫ぶ。

 今まで幾度と無く放ったそれは、エルキドゥの全身を構成する頑強な肉体の、その毛髪を焦がす事すら適わない。

 そして、相手が咆哮を一つするだけでその暴風は周囲を薙ぎ払い、フロンティアの大地は装者たちを吹き飛ばすように大隆起を起こす。

 

「──扱えるエネルギーの規模が違いすぎる。その差をどうにかしなくては、歌は愚か刃を届けることすら能わんぞッ!」

 

 隆起攻撃を跳躍で回避した翼が戦況を端的に纏める。エルキドゥとの戦闘において何よりも問題となっていたのは、その戦力格差に他ならない。

強力な聖遺物であるネフィリムの心臓を取り込んだエルキドゥは、そのエネルギーを無限に保てる。元々環境そのものを操作する聖遺物として、エネルギー転用能力を基礎に作られたエルキドゥは、無限の炉心を得た今ほぼ無敵とすら言える力を保持していた。

 その格差をどうにか埋めなければ、まず正面から対峙することすら不可能。現状はいわば、"赤い竜"となったフィーネ相手に通常のシンフォギアだけで立ち向かうようなモノ。理性がないからこその単調な攻めのお陰で今は凌ぐこと事態はできているが、一切の傷を与えられないのでは意味が無い。

 しかし、誰の助けも得られないこの限界状況の中でそう簡単に手段が見いだせるわけもない。

 

 エルキドゥの豪腕をギリギリで回避した切歌が、自棄になったように叫ぶ。

 

「だからって、どうしろって言うデスかッ! 絶唱したところで、今のティーネを相手にしても無駄になっちゃうデスよッ!」

 

 絶唱はシンフォギアの扱える最大規模の攻撃手段だが、その反動は大きい諸刃の剣。

 更に言えば、所詮欠片程度の聖遺物のエネルギーを増幅する技でしかない。通常時に比べれば遥かに強力だが、現在対峙しているエルキドゥのような強力な完全聖遺物を停止させることは不可能である。

 

「絶唱……ッ! そうだ、絶唱! S2CAで皆の絶唱を束ねればッ!」

 

 その切歌の言葉に、響が一案を思いつく。

 S2CAは絶唱のエネルギーを束ね増幅することで、奇跡の一撃を必然と変える力。

 装者の数が多ければ多いほど、その力は増す。5人の装者が居る現状ならば、それによるダメージも期待は持てるだろう。

 しかし、それはひとつの欠点を孕んでいる。

 

「ダメだ、それでは立花の負担が大きすぎるッ! お前は既に融合症例ではないのだぞッ!」

 

 S2CAは、そのエネルギーを取りまとめる立花響に大きな負担がかかる。 聖遺物からのバックファイアを殆ど押さえ込める融合症例の時点でも、その負荷は響が思わず声を上げるほどだった。人数も増えた今それをやってしまえば、生命にすら関わるだろう。

 

「畜生ッ! エクスドライブが使えれば……ッ!」

 

 クリスが悔しそうに吐き捨てる。エクスドライブは、大量のフォニックゲインを用いて起動するシンフォギアの限定解除モードだが、人がいない現状ではフォニックゲインの量もたかが知れている。

 かつてエクスドライブを実現した時も、3人の装者に対して装者候補に成り得たリディアンの生徒十人以上分の斉唱によるフォニックゲインで限定解除できたのだ。如何に装者といえども、5人では数が少なすぎてどうしようもない。

 ああでもないこうでもないと、攻撃の回避に徹した装者達の通信しながらの作戦会議の中、調は人知れずマリアと通信していた。

 

「……。──だからお願いね、マリア」

 

「調? どうしたデスか?」

 

 切歌の言葉に、調は何でもないと首を横に振る。調が通信を切った頃には既に作戦方針は決まっており、取りまとめた翼の言葉に装者たちは耳を傾けた。

 

「取り敢えず、一点に攻撃を集中させるぞッ! 今できる事は、あの堤に一穴空けられるか試すより他にはない!」

 

「それっきゃねえか──おい馬鹿、肉弾のみのお前は最後だからなッ! まずは、あたしからだッ!」

 

 破壊範囲が大きく、且つ遠距離が得意な自分が先鋒を取るべきだ。そう考えたクリスは自身の背部から巨大なミサイルを展開する。人が乗ることすら可能な程の大きさのミサイルは、そのノズルから噴射を開始する。

 

「チャチがダメなら、こいつでッ!」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

       M E G A  D E T H  F U G A

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 放たれた巨大ミサイルは、エルキドゥの装甲の如き皮膚を貫かんと迫る。己を砕かんと迫る巨大な弾体を、エルキドゥはその腕で叩き落とした。

 エルキドゥの視界が爆炎に染まる。炎と煙の中にあっても一切の支障なく行動するエルキドゥは、残る一本を迎撃しようと辺りを見回す。

 

「────────」

 

 しかし、その周囲は爆炎に飲まれ確認できない。エルキドゥが無機物との共振機能を用いて周囲を探知するより早く、上空から飛来したミサイルがその頭部を直撃した。

 

「ばぁか、何処見てやがんだよッ! 目ン玉無くして前も見えねえのかッ!」

 

 その更に上空で、先ほどのミサイルに乗って上空へと移動していたクリスが叫ぶ。その背中には新たに2本のミサイルが装填されており、今にも発射されようとしている。

 

「とっとと起きろティーネッ! 起床のベル、もってけダブルだッ!」

 

 ミサイルが直撃した僅かな隙を突くその発射は、間違いなく雪音クリスの射手としての才覚が優れていることを示す。

 エルキドゥは追加のミサイルを防ぐことが出来ず、そのままさらなる爆炎の衝撃をその頭部で受けた。

 

「行くデスよ、調ッ!」

 

「うん、行こう切ちゃんッ!」

 

 大きく体勢を崩したエルキドゥのその頭部に、切歌は鎖を射出し角に絡める。その鎖を動索とするのは、ギロチンのようなイガリマの刃。

その刃の上に切歌と調は飛び乗り、調はシュルシャガナの髪飾りから巨大な丸鋸を同時に四枚展開する。

 

「ぶち斬ってその見えない目を覚まさせてやるデスッ! 私と調のッ!」

 

二重奏(デュエット)でッ!」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

         断 殺 ・ 邪刃ウォttKKK

 

        裏 γ 式 ・ 滅 多 卍 切

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 切歌の腰部アーマーのブースターが起動し、断頭台の刃がその巨大な頭に迫る。シュルシャガナを展開した調もその刃と同調し、加速する。

 そして直撃する寸前に調はその運動量のまま鋸をパージし、2人でイガリマから離脱する。

 女神ザババの剣ニ振りの連撃はエルキドゥの頭部にさらなる衝撃を与え、その巨体を地面へと押し倒す。

 

「いい仕事だ、2人共。行くぞ、立花ッ!」

 

「はい、翼さんッ!」

 

 そして、倒れたエルキドゥの頭部に最後の追撃を与えるために、翼と響は高く空へと舞い上がる。

 翼のアームドギアである刀が両刃となり、その大きさを著しく巨大化させる。まるで龍の鱗の様なそれは、昇り龍とは逆に地上へと切っ先を向ける。

 狙う先はエルキドゥの頭部、未だに残っているイガリマの刃。

 

「弓と刃の雨垂を以って、その一点穿ってみせる。防人の剣と歌、その寝ぼけ頭にしかと刻めッ!」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

            天 ノ 逆 鱗

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 翼と響、2人分のスラスターの推力は通常の逆鱗より尚早く、尚鋭い剣となる。天から下る流星はその勢いを保ったまま、エルキドゥの頭部にあるイガリマの刃の峰に切っ先を合わせた。

 今までにない程の爆音が轟き、エルキドゥの頭部にイガリマを食い込ませる。その剣の柄から翼は飛びのき、残る響は拳を高く振りかざした。

 

「これ、でぇえええッ!」

 

 響の腕部ユニットが変形し、大型スラスターを展開する。そのユニット内部ではギアが高速で回転し、拳の安定性・貫通力を高めていく。

 今出せる限りの全霊を込めた響のその拳は、天ノ逆鱗の柄を打ちエルキドゥに全エネルギーを伝える。

 地面に倒れたエルキドゥの頭部が大地にめり込み、その周囲を大きく陥没させ、クレータを作り上げる。

 

 響は拳撃の反動で大きく飛び上がり着地する。既に攻撃を終えていた装者たちが響の下に集まる。

 今出来る限り、最高の連撃だった。それを自覚しているからこそ、彼女達はエルキドゥを注意深く観察する。

 

 そして。

 

「……そんな、馬鹿な」

 

「──あんだけやってこんな結果たあ、情けなくって泣けてくるッ!」

 

 翼の言葉と、クリスの罵倒。

 装者達の目の前で、エルキドゥはふたたび立ち上がる。イガリマを押し込まれてついた額の傷は深いものの、それも直に修復されていく。

 ここまでやっても尚、到底及ばない程の莫大なエネルギー量。ネフィリムとエルキドゥという2つの聖遺物の融合体は、通常のシンフォギアの力を遥かに凌駕していた。

 

「───────」

 

 エルキドゥの咆哮が轟く。周囲の大地をその身に纏い、その(かたち)を雄牛と化す。

 装者たちが迎撃姿勢をとる間も無く、大地の巨牛はフロンティアを疾駆する。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

            Gu - Gal - An - Na

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 嘗て彼が戦った天の牡牛を模したそれは、ただ単純に突進するだけの技。一切の特殊力場もなく音を凌駕するその突進は、物理法則に則り衝撃波の嵐を巻き起こす。

 頑強なエルキドゥの体表、及びそれを覆う大地の外殻はその影響を受け付けないが、その周囲はそうはいかない。

 その蹄、その双角は、かつて街1つを滅ぼした嵐のように装者たちを蹂躙した。

 

 

 

「やはり、ただのギアで勝てる相手ではない……どうにか、どうにか彼女達が勝つための力を……ッ!」

 

 時間を少し遡り、フロンティア内部では戦場の不利さを悟ったマリアがエルキドゥを抑えこむための手段を探していた。

 メインのモニタールームと呼ぶべき場所で、球形の端末を前に情報の収集とエネルギーの計算を行っていく。

 やがてそれらの作業も終わり、マリアが出せた結論は一つだった。

 

「──絶唱を束ねたところで、相手に撃ち負けてしまったらそこで全てが終わり。やはり、出力的に必要なのはエクスドライブしかない。……だけど、そのためのフォニックゲインをどうやって集めればいいの……?」

 

 そこから先が、思いつかない。こんな時にマリアがよく頼るのは、異端技術の知識の豊富なナスターシャ。しかし、彼女はその病状が悪化し、重体でとても話を聞ける状態にはない。

 どうすればいい、自分は何をすればいいのだろうか。マリアは自問自答を繰り返し、思考の坩堝に嵌っていく。

 

 だから、戦っているはずの月読調からの唐突な通信が入った時には飛び上がるほどに驚いた。

 

『……ねえ、マリア。聞こえる?』

 

「──ッ調!? どうしたの、戦闘は大丈夫なのッ!?」

 

『落ち着いて。今は戦いながらこっそり通信してるの。マリアにだけ聞こえるようにしてって』

 

「そ、そう。それで、何かわかったことでもあったの?」

 

 まるで誰かにそう指示されたかのような調の言葉に首を傾げつつも、マリアはその先を促す。

 

『うん。あのね、マリア。私の中にいる「フィーネ」からの伝言。「フォニックゲインは、歌や思いが届けば、フロンティアはそれを収束することが出来る。世界中皆が歌を歌えば、世界中からフォニックゲインが溢れてくる」だって』

 

 その言葉に、マリアは顔を蒼白にする。フィーネは、その魂を刻印した相手を塗りつぶして自身と変える。仮にフィーネの魂が調にあるのだとすれば調が調でなくなってしまう可能性すらあるのだ。

 

「調、あなたまさかフィーネに……ッ!」

 

 そのマリアの言葉に、調は言葉で否定する。その言葉には、いつも通り自分たちを心配してくれるマリアを案ずる響きがある。

 

『ううん、大丈夫。もう出る気は無かったみたいだけど、応援みたいなものだって。──仮初でも、自分の名前を名乗ったのだからシャキッとしなさい、だって』

 

 フィーネからの伝言といって調が伝えた内容に、マリアは面食らった。 マリアは、フィーネが基本的に自分たちの事を実験動物くらいにしか思ってなかったと記憶していたため、まさかそのフィーネが自分を激励するような台詞を言ったというのは青天の霹靂だった。

 

「──まあ、取り敢えず大丈夫なのね。……いいわ、私が世界中からフォニックゲインを集めてみせる。私の歌で、世界を今度こそ救ってみせるッ!」

 

 気を取り直し、改めて自分の使命を胸に刻まんとするマリア。調はそんなマリアの言葉に、優しく声を重ねる。

 

『……そんなに気負わなくても大丈夫だよ、マリア。マリアはマリアらしくすれば、きっとそれだけで皆歌ってくれる』

 

 その言葉に、マリアは思わず目を見開いた。

 調のその言葉は、間違いなく本音だとマリアは断言できる。ずっと一緒にいたのだ、わからないわけがない。だからこそ、調のその言葉()信じてもいいと思った。

 しかしマリアは、本当に世界がマリアらしい歌についてきてくれるのか悩んだ。今までついてきていたのは、偶像として偽った自分にではないかと考えてしまっていた。

 自分だけでは答えがだせなかったマリアは、判断材料が欲しくてつい調に問いかける。

 

「それは、どうしてそう思うの? 私は、偽りの自分で人を導いてきた。演じた姿で歌った歌で、人に呼びかけてきた。そんな私が、今更自分らしく歌を歌ったところで……」

 

『──だって、マリアは優しいから。まるでお母さんみたいだもん、みんな一緒に歌ってくれる』

 

 その答えは単純で、だからこそこれ以上なく調にとっての真実だった。

 清々しいまでの言い切りように、マリアはいつの間にかこわばっていた肩の力を抜く。

 

「……そう。なら、調を信じて、今まで信じてこなかった分、皆を、世界を信じてみましょうか。──でも調、お母さんみたい、はないでしょう?」

 

『そんなことないよ。優しくて、いっつも守ってくれたんだもん。──だからお願いね、マリア』

 

「ええ。皆に、そして貴女の中のフィーネにもよろしく伝えて頂戴」

 

 そう言って、通信を切る。マリアの浮かべた表情には、不安や迷いといったものは一切映しだされていなかった。

 

 

 

 その大地は、海水を湛えた水たまりも、ネフィリムによって育まれた草木も無い。天牛によってただ踏み砕かれ荒れ果てた荒野となっていた。

 

(強い……ッ! コレが、完全聖遺物『エルキドゥ』ッ! やはり、完全聖遺物には勝てないというのか……)

 

 天牛の蹂躙によって、大地に身を横たえる装者たち。翼は地につけた頭を動かし、ゆっくりと大地の外殻を解くエルキドゥの姿を見ていた。

 

「翼さんッ! 逃げてッ!」

 

 響の悲痛な叫びが翼の耳に届く。

 エルキドゥの姿が再び巨大な人型となり、翼の下へと近づいてくる。心は全くと言っていいほど折られていないが、それでも肉体が動くかどうかは別の話。

 

「動け、うごけよッ! 何であたしの身体は動かないんだッ!」

 

 クリスが涙を零し必死に立ち上がろうとする。しかし、その意志に反して足は動かず、涙まじりの声が虚しく空に散る。

 圧倒的な頑健さを誇ったエルキドゥの巨大な腕が、倒れ伏した翼の身体に伸びる。

 

(……最早コレまでか。せめて、友だったお前に手を汚させまいと、そう願ったが……届かず、終い……?)

 

「───────────?」

 

 と、翼の身体に触れる直前で、エルキドゥの腕が止まる。倒れた装者たちは、不思議と身体が軽くなったのか上体を起こして周囲を見渡す。

 辺りに漂うのは、何処と無く黄色く輝く光の粒子。人の心に触れているかのようなその灯火は、フロンティアから、そして何よりエルキドゥの肉体から放出されていた。

 想定していない事態に、エルキドゥは行動を中断し周囲を見回し原因を探す。

 

「これは────歌、デスか?」

 

 声が聞こえるわけではない。音が鳴り響く訳でもない。歌の調も聞こえない。

 それでも、奏者たちにはエルキドゥから湧き上がるそれが歌であると直感的に察していた。

 

 皮肉にも、エルキドゥが近づいたからこそその歌が装者たちに届いたのだといえる。

 エルキドゥが取り込んだものは、フロンティアを動かす動力部。フロンティアの心臓であるそれは、フォニックゲインをフロンティア全体に循環させる。

 だから、フロンティアが束ねたフォニックゲインがその心臓を通るのは必然であり──人々の歌を届けるのもまた、当然だった。

 

 

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴは歌う。責任感に駆られたものでもなく、誰かに命じられたからでもなく。

 フロンティアのモニタールームの光景は、一度エルキドゥが使用した世界への電波ジャックを用いて世界中へと放送されていた。

 否、モニタールームだけではない。フロンティア外部での大規模な戦闘の映像もまた同時に流されている。今、少女たちの歌に血が流れているということを世界に伝えるために。

 

 マリアはマリア自身の意思と心を刃に変え、空から世界へと歌い掛けた。

 

(私は、私らしくすればいい。優柔不断で、引っ込み思案な私だけど、それでも──私は、歌える)

 

 長く歌っているためか、その額には汗が浮かぶ。それでも尚疲れを見せず、自分が自分らしくあるようにと歌を歌い続けた。

 その偽らざる歌には、正しく心が宿っている。マリアは、ふと自分がアイドルをやっていた時も人はついてきてくれていたことを思い出す。

 

(ああ、あの時私は偽ってはいなかった。例え視野が狭まっていたとしても、あの時の私は掛け値なしに自分の思いを届けようとしていた)

 

 だから、きっと自分は人々に支持された。ファンに共感してもらえた。言葉すら通じぬはずの、世界で尚歌うことが出来た。

 歌は心を届けるものだとマリアはハッキリと理解した。だからこそマリアは歌い、縛らず偽らず、掛け値なしの本当の心をぶつけていった。

 表示されているモニターを見れば、十二分な量のフォニックゲインが溜まっていることが判る。世界の人々の歌が、フォニックゲインを通してフロンティアに広がっていく。

 

「これで、私がやるべきことは終わりね……」

 

 その光景を見たマリアは、そうやって一息つく。

 そして、少し身体を休めたマリアは、より強い意志を瞳に表す。その表情には、一切の邪念のない、しかし不敵な笑みを浮かべる。

 

「だから、これからは私がやりたいことをするわ。きっと、それが何よりも大事だから。……そうよね、調、切歌、マム」

 

 いまのマリアがやりたいことは1つ。友を助け、友を連れ戻す。優しく、そして愛に溢れたマリアは、それをやって当然と本心から言い切れた。

 何にも縛られず、何にも囚われないその一言を呟いたマリアは、まるでその言葉に反応するかのような幻聴のような声を聞いた気がした。

 

『うん。頑張って、マリア姉さん。マリア姉さんなら皆を守ってくれるって、私は今も信じてる』

 

「──ッ。ええ、そうねセレナ。貴女が信じてくれるなら、私は奇跡だって起こしてみせる」

 

 そう誰にともなく呟いたマリアは、友の下へと駆け出した。

 

 

 

「そっか、歌が聞こえるんだ。皆が、歌ってくれてるんだ……! ──だったらッ! S2CA、フォニックゲインを、力に変えてッ!」

 

 その歌を装者たちで共に抱くため、響はそのギアの力で調律を開始する。

 人の意志の総体たる人類の祈りの歌は、装者達の心と身体を強く後押しする。シンフォギアが、それに内蔵された聖遺物が装者たちに力を与える。

 フォニックゲインの高鳴りは、装者達が再び空へと向かう力を与えんと天空の大地に響き渡る。

 

(……でも、この歌は私だけじゃ……ッ!)

 

 装者達の持つギアに、歌の力が浸透する。封印を解き放つその輝きはしかし、ギアに絶唱を超える負荷を掛けていた。

 その莫大なエネルギーの奔流は、歌を聞いた全ての人類が捧げたもの。 星に住む人という人が歌う、70億の絶唱。

 だからこそ、そのエネルギーを調律する響はその歌が重く感じられる。

 

 立花響は、英雄ではない。一人で何でもなんて出来ないと知っているから、他者と手を繋ぎ、関わりを求める。一人では出来ないと知っているから、彼女は他の誰かを信じられるし、顔も知らぬ誰かの為に手を伸ばせる。

 

"────Seilien coffin airget-lamh tron(望み掴んだ力と誇り咲く笑顔)"

 

 だから、立花響はマリアが来てくれると信じていたし、その銀の腕(アガートラーム)に手を伸ばせた。

 一人では出来なくとも、二人なら、皆となら。立花響は誰かを守るために戦えるのだと、その願いを歌に込めた。

 

 

 

 フォニックゲインの光が、まるで星そのものが歌うかのようにその場を満たす。

 

「───────────」

 

 エルキドゥは、その光景に見入っていた。今や理性を持たぬ聖遺物でありながら、否、聖遺物だからこそ。

 その歌の輝きに圧倒され、その歌を求めて手を伸ばす。この一時に限り、エルキドゥは主目的すら見失っていた。

 

 そして、その手が光に触れようとした時。

 

「───────────ッ!」

 

 突如として、エルキドゥの巨体が吹き飛ばされる。フロンティアの艦上構造物に叩きつけられ、大地に伏せる。

 すぐに立ち上がったエルキドゥは、その輝きを仰ぎ見た。

 

「ティーネ、お前がいまどう思っているかは私達にはわからない。否、そもそも何かを思っているのかもわからない」

 

「……だけど、少なくとも私達は、ティーネを連れ戻したいと願ってる」

 

 青と桜色の輝きがその姿を見せる。輝く翼を持ったその姿は、天を征く御使を彷彿とさせる。

 大地に根ざすエルキドゥには、例え大地そのものを浮遊させても届きえない中空に、彼女達はその身を舞わせる。

 

「だから、お前が眠ってるってんなら起こしてやる。例え人格が滅んだとか言ってても、無理矢理にでもな!」

 

「私がやったことは、取り返しがつかないことデス。だから、絶対、取り返しをつけてみせるデス!」

 

 赤と翠の翼の煌きが、エルキドゥの本能を強く揺るがす。

 まるで、茫洋とした魂しかなかった自分が、人になること願った美しい歌を聞いたかのように。

 

「自分らしくあることが大切なのだと、皆が私に教えてくれた。だから、貴女も自分らしくあったほうがいい。……そのためにも──」

 

「──絶対に、絶対ッ! 自分(ティーネちゃん)を取り戻させて見せるッ!」

 

 銀と金の腕は、理性なきプログラムに手を伸ばす。エクスドライブの輝きは、完全聖遺物であるエルキドゥに勝るとも劣らず。

 

 プログラムに従うエルキドゥは、今は目覚めぬ天羽奏、その魂を得るために今一度咆哮する。無機物と共鳴するその咆哮は、原初の星に轟く大地の唄。

 天使の如き少女たちは、友を助けるためにその咆哮を正面から受け止める。人の祈りを束ねるその歌は、惑星に響く(ソラ)の音楽。

 

 ──世界中が歌う中で、大事な友とも一緒に歌を歌うために。空にある大地の上で、天を舞う装者たちは、今再び地に根ざす泥の人型(エルキドゥ)と対峙した。



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第21話 星が音楽となった日

「装者6名、エクスドライブ展開確認! エネルギー出力、安定しています!」

 

 二課仮設本部、その司令室では戦場の様子をモニタリングしていた。

 そのモニターに映るのは、大地を踏みしめた泥の野人と、エクスドライブを展開して空を舞う装者。

 モニターから観測されるエルキドゥの出力は莫大だが、だからといって今の装者達のエネルギー総量も負けてはいない。否、人類の祈りを束ねたその歌は、むしろエルキドゥを上回っているといえるだろう。

 

「これだけのエネルギー規模なら、エルキドゥを沈黙させることも……ッ!」

 

「ああ、不可能ではない。──エルキドゥが、今の出力が最大なら、だ」

 

 期待を口にする藤尭に、弦十郎はそう答える。その瞳は、モニターに映るエルキドゥの出力は、その数値こそ莫大だが基本的にフラットな出力を維持している。

 普通なら、それはエルキドゥが全力を常に出していると考えるべきなのかもしれない。人間ならともかく、エルキドゥは聖遺物。理性を捨てたからこそ、力の調整を行うとは思えない。

 しかし、それでも弦十郎は不安を抱く。何かを忘れているような漠然とした不安が、弦十郎の胸の内に溜まり続けていた。

 

 

 

 エルキドゥは理性を失ってはいたが、それは本能のままに行動するということではない。ある意味では本能のままにではあるが、その本能は動物と異なりプログラムに沿ってさえいれば複雑な行動を起こすことも出来る。

 手段を選ぶだけの知性はエルキドゥにはないが、だからと言って手段を取れない訳ではないのだ。

 

 今彼が対峙している装者達のエネルギーは、彼自身を上回りかねない。

 如何に無限の動力炉であるネフィリムの心臓を得ているからといって、それが無制限の出力を生み出せるわけではない。

 エネルギーが尽きないのと、無限のエネルギーを扱えることは別問題だということを、彼はプログラム的に理解している。

 

 だから、目的のために足りない力を他で補おうとすることはエルキドゥにとっては当然のことだった。

 

 エルキドゥの肉体から緑色の光が漏れる。放たれた光条はまるで雷のような軌跡を描き、大気中に黄金の波紋を作り出す。

 その波紋にエルキドゥはその巨大な腕を突き入れ、宝物庫から財宝を取り出さんとする。

 

「マズイッ! あいつ、また聖遺物を取り出すつもりだッ!」

 

 その光景を見たことのあるクリスは、相手が何をするつもりなのかを理解した。

 新たなる完全聖遺物を手に入れることで、より強大な力を発揮する。エルキドゥのとった選択肢は、単純明快で、だからこそ強力な手段となる。

 通常エルキドゥの聖遺物クラックによる励起は、自力で莫大な動力を獲得するネフィリムやデュランダルのような聖遺物でもない限りはクラッキング解除とともに基底状態へと移行する。

 そして、励起させ続ける限りにおいてエルキドゥは自身のエネルギーを聖遺物クラックに割り振る必要がある。だから、通常時に出力が劣っている相手と戦う場合ならば、この選択は悪手たり得た。

 だが、と翼は呟く。

 

「──ティーネは、無尽のエネルギー源足り得るネフィリムの心臓を持っている。つまり……」

 

 エルキドゥが宝物庫から取り出したのは、黄金に輝く牡牛の飾り。エルキドゥと比して尚巨大なその黄金細工は、天に煌く牡牛座が顕れたのかと錯覚させる。

 その飾りを、エルキドゥは起動させる。黄金の天牛は乱雲を纏い、雷を閃かせた生きた台風と化す。

 先ほどのエルキドゥは、大地を纏い牡牛を模倣した。だが、これは模倣とは全くの別物。天にありて天を駆ける、神罰そのものの具現化であった。

 

「完全聖遺物を……完全励起させるなんて……ッ!」

 

 マリアのギア、アガートラームにはエネルギーベクトルを変換するといった機能が備わっている。

 先ほどのように響だけでは不可能だった絶唱をまとめあげられたのも、その力によるものだ。

 だからこそ、マリアには判る。エルキドゥは、自身のエネルギーを損なわず新たに天の牡牛(グガランナ)を起動させたのだ。

 

「──────────ッ!」

 

 言葉にならない号令を合図に、天の牡牛が空を駆ける。エルキドゥの立てぬ天の領域を、グガランナは疾走する。

 牡牛の放つ嵐は、先ほどの衝撃波の比ではない。正しく世界を荒らす颶風そのもの。

 

「だとしてもッ! 私達が負ける道理なんてないッ! 負けていい理由も、ティーネちゃんを諦めていい理由もッ!」

 

 その光景を見てもなお、響は本心からそう言った。響は負けるつもりは微塵も持ってないし、負ける可能性なんてこれっぽっちも考えていなかった。

 ただ、友達を連れ戻す。そこに戦闘の勝敗なんて関係ないという響の思いに、その場の装者たちは笑みを浮かべる。

 

「こと、この場に至ってそんなことを言えるなんて……貴女の偽善って、芯まで貫いてるんだ。──なら、胸の歌を、信じなくっちゃ」

 

「──調ちゃん? 何か言わなかった?」

 

 調のつぶやきに、響がよく聞こえなかったのか聞き返す。何でもないとだけ告げた調に、どこかで聞いたような気がすると響は首を傾げた。

 そんな2人に、クリスは戦場でのんきなもんだと呆れる。

 

「おい、ぼさっとしてんなよ。──行くぜ、ブルファイトだッ!」

 

 天をひた走る黄金の牡牛を前に、クリスはその口角を吊り上げる。クリスの声に、装者たちも決意を顕に眼差しを向ける。

 

 天の牡牛は嵐を纏い、全てを蹂躙するために装者たちに迫る。神罰そのもたる吹き荒ぶ暴風は、彼女達を粉々に砕くためにと空を駆ける。

 

「行こうッ! 皆で、手を繋いでッ!」

 

 響の号令に、誰にともなく装者たちは手を取り合う。その全身が眩く輝き、束ねた祈りが星のように煌めく。

 装者たちは光の矢と成り、流星のように大地へと向かう。

 

「■■■■■■■■■ッ!」

 

 猛牛の嘶きと人類の歌がぶつかり、天の牡牛(グガランナ)はまるで紙細工のように撃ちぬかれた。

 嵐を束ねていた黄金細工が崩壊していく。その破片は装者達の光を乱反射させ、美しい万華鏡のような天の道を作り上げる。

 

 その光景に、エルキドゥは宝物庫からさらなる聖遺物を取り出す。

 黄金の波紋から顕れたのは、美しい花の彫刻をあしらったか極大の盾。それを己の身に取り込んだエルキドゥは、まるで花が咲くかのように開いた防御力場をその身に纏った。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

         Hum - Ba - Ba

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 七種七層の防御力場は、あらゆる攻撃を防ぎきる絶対無敵の神の鎧。森を守る守護者を象る、七枚の聖衣。

 嘗ての敵が纏うとされた七枚の衣、そのオリジナルは宝物庫には既に無い。類型の聖遺物を基に模倣したそれは、しかしオリジナルと遜色ない防御力を誇る。

 

 光の矢と、防御力場が衝突する。

 聖なる衣による防御力場は果たして、装者達の攻撃を完全に受け止めた。光の進撃は止まり、エルキドゥは止まった矢に手を伸ばす。

 

 だが、それでも光は失われていない。矢……否、必中の槍(ガングニール)は、その本分を全うするべく力を発揮する。

 

 意識が統一されているかのように、言葉を交わすこともなく装者たちは手を繋ぎ変える。

 立花響を先頭に、全てを貫く槍のように。

 

 響のアームドギアが変形する。今まで篭手だった立花響のガングニールが、まるで本来の槍のように一点を貫く形となる。

 

 絶対に手を届かせる、1つになった装者達のその思いが、聖遺物にさらなる力を与える。

 エクスドライブの出力によってその力を開放されたガングニールは、全員の光を束ねたかのように今までにないほどに光り輝いた。

 

 防御力場にヒビが入る。本来ならありえないことに、シンフォギアの輝きは神代の盾にその刃先を刺し込む。

 エルキドゥはどれほど力を込めようとも、その盾に本来の盾以上の力を発揮させることは出来ない。対し、装者たちは極小の欠片たる聖遺物の力を、今もフロンティア中で奏でられる歌によって何処までも増幅させる。

 

 罅が広がり、一枚、また一枚と衣が破壊されていくことを、エルキドゥは見届けることしか出来ず、愚直にその肉体を固め続ける。

 100%の力しか発揮できない聖遺物(エルキドゥ)には成し得ない意志(うた)の力は、エルキドゥが嘗て手に入れ、そして捨ててしまった可能性そのものだった。

 

 やがて最後の万物を防ぐ絶対の盾は、全てを貫く槍を前にその偽り無き偽りを証明する。

 その巨大な神代の泥の肉体を、抵抗などないかのように光の槍は貫いた。

 

 

「エルキドゥ、大幅にパワーダウン! どうやらネフィリムの心臓が破壊されたようです!」

 

 穴が空き、崩壊するエルキドゥから感知されるエネルギー量は先ほどのような無限の出力とは程遠い。

 当然エルキドゥ自体のエネルギーは未だ十分に上位完全聖遺物としての力を保持しているが、それもネフィリムの心臓による供給がある場合と比べればだいぶ劣る。

 そして、肉体を大きく損壊したエルキドゥは、自身のエネルギーの大半を修復……と言うより、現状維持に回すことで精々なのか、エネルギー放出量が一気に下がり、その肉体も崩れ落ちないように支えているだけでそれ以上動く気配がない。

 

「……感じた不安は、どうやら杞憂だったようだな。やれやれ、俺の勘も鈍ったもんだぜ」

 

「それ、司令の好きな映画だったらどんでん返しが来る予兆ですよ」

 

 弦十郎、皮肉交じりにがそう呟くと、それをからかうように藤尭が突っ込む。

 お前なあ、と言葉を返す前に、警報音が司令室に響く。

 慌ててモニターを見れば、アラートが表示された画面にフロンティアの現在のパラメータが映しだされる。

 

「どうした、何が起きているッ!?」

 

「これは──フロンティアが下降を始めていますッ! エルキドゥが、地表に向けてフロンティアを動かしているようですッ!」

 

「馬鹿なッ! 装者たちが飛行している以上、落ちるのは自分だけだぞッ!?」

 

 二課自慢の解析システムから伝えられた情報は、エルキドゥの賭けた最後の戦術。

 敵対者を誰も巻き込めないままに墜落する方舟は、そのまま海面へと向かって加速を続けた。

 

「落下予測地点は、フロンティアが埋没していた座標と一致しますッ! 海面に接触まで、あと60秒ッ!」

 

「──まさか、まだ何かを持っているというのか……ッ!?」

 

 何をするつもりなのかわからない、しかし確かに目的を持ったエルキドゥの行動に、自身の勘が当たってしまったのではないかと弦十郎は苦い表情を浮かべた。

 

 

 エルキドゥは、自身を維持しながらひたすらに計算を繰り返した。

 どうすれば、目的を達成できるのか。どうすれば、その願いを叶えられるのか。

 

 ネフィリムの心臓によるブーストは尽きた。完全聖遺物エルキドゥは単騎でも十二分に強力な完全聖遺物だが、エクスドライブの装者6人を相手にしては分が悪い。

 ましてやフロンティアの動きを制御しながら、崩壊した身体をこれ以上崩壊させないように維持することにエネルギーを費やしてしまえば、後は考えることしか出来なかった。

 

 装者たちが如何に努力しようとも、エルキドゥがエルキドゥである限りにおいてそこから変わることはない。

 エルキドゥを破壊するという可能性も当然あるが、装者達が「ティーネ・チェルク」という人格を取り戻すことを考えていることはシステム的にも把握している。

 だからこそ、エルキドゥは只々思考し続ける。次の行動、何を行えばいいのかをシステムに定義づける。

 

 そして、エルキドゥがとった選択は──最も自身の機能を活かせる場所へと出向くことだった。

 

 エルキドゥは、無機物と共鳴し環境を変化させる聖遺物。その力の範囲には大気や水といったものも含まれているが、しかし彼が最も力を振るえるのはその大地に在るときである。

 大地を求めたエルキドゥは、フロンティアを下降させ始めた。その目的座標は、フロンティアが封印されていた海域。

 フロンティアが元々存在していた地点ならば、着水しても尚大地が海面を下ることはない。ならば、そこを選ぶのが最も合理的だとエルキドゥは判断した。

 

 その浮遊する方舟は、自由落下よりなお速く水面へと空を駆ける。急に動き出したフロンティア、そしてエルキドゥの姿に装者たちは気を引き締める。

 

「まだやるってのかッ! あいつもいい加減夢から……ッ」

 

 クリスは同情半分に悪態をつく。夢を叶えられるという現実を望むことは決して悪いことではないのだと、クリスは今なら素直にそう思える。

 だが、それは大なり小なり自分が願う未来のためのものであるべきだとも考えている。少なくとも、今のエルキドゥは夢を叶えようとしているのではなく、夢に囚われているようにしか見えない。

 

「──覚めないのは、その夢を叶えられるという現実を見ているからではない。夢を叶えなければいけないという"(かこ)"に囚われているからだ」

 

「だから、鎖から解き放つ。それが、私達が友であるティーネの為に出来る事。友であるティーネの為に、私がやりたいこと」

 

 クリスの言葉を引き継ぐように、翼が、そしてマリアが語る。

 

「私だって、ティーネにいっぱい謝りたいんデスッ! だから、そのためにもティーネを連れて帰ってくるためにッ!」

 

「──未来を見ないシステムなんて、2振りの刃でバラバラにしてあげるんだ」

 

 切歌と調が、刃を掲げそう断言する。

 

「行こうッ! ティーネちゃんを起こすためにッ! 歌が好きだったティーネちゃんならきっと、歌が聞こえれば目を覚ましてくれるからッ!」

 

 響の手とマリアの手が繋がり、そこを起点に翼のように左右に装者が手をつなぐ。

 友の心に、今度こそ歌を届けてあげるために。装者たちは流れ星のように地上を目指した。

 

 

 エルキドゥはフロンティアを着水させる。海底を不用意に傷つけないよう、着水間際で減速したフロンティアは僅かな波を立てながら着底する。

 

「─────────────」

 

 エルキドゥの全身に走る幾何学模様が、フロンティア全体に広がっていく。

 やがてその力は海底へと、そしてそこを基準に地殻へと広がっていく。

 

 エルキドゥの本分は、無機物と共鳴する環境操作能力にこそある。無機物と共振し、環境のもつエネルギーを自在に操作する力。人の姿を保ったままでは、その全力は発揮できない。模倣に力を割いてしまうと、それだけエネルギーを集められる範囲が狭まってしまうからだ。

 

 エルキドゥの姿が、崩壊しかけた人型から更に溶けていく。最早何を模倣することもなく、最低限しか形の維持を行わない。

 その姿は、天に手を伸ばさんとする聖塔(ジッグラト)。星の力を集約する、只1本の槍。

 

 やがてエルキドゥの侵食は、地殻を超え、マントルを超え、その地軸にすら手を伸ばす。

 惑星が動くためのエネルギーは、極めて膨大である。だからこそ、エルキドゥはそれに目をつけた。

 

「─────────────」

 

 槍が三層に分離する。惑星の自転を、星核の対流を、大気の流動をエネルギーと変えて自身へと蓄積する。

 余剰分のエネルギーは、分離した槍の層の間から嵐のように吹き荒れ、周囲の海を巻き上げ、枯らしていく。

 

 既に顔もない彼が、空に仰ぎ見るは6本の尾を引く一筋の流星。

 人の歌を束ねた装者達に対するは、星の力を束ねた一撃でなければならないと、エルキドゥは本能的に把握していた。

 だからこそ、星の力を束ねた。星の表層に生きるものには影響のない程度でしかない、星にとってはほんの僅かなエネルギー。しかし、その力が一点に集約したそれは、天地を貫く槍と成る。

 

 

 

 その槍を、響達は地上に向かいながら見続けた。

 既に人型すら保たなくなった友人は、その全霊を賭して悪夢を見続けようとする。

 その槍に纏うは響達とは全く異なる、星を束ねた原初の音楽。人も、生物も、大地も無い始原の惑星を束ねた一撃は、まさしく星そのものの原始の歌なのだろう。

 

「それでも、負けるもんかッ! 歌は、自分の心を伝えるものなんだッ!何も伝えられないその歌に、負けるわけがないッ!」

 

 響のアームドギアであるその篭手が、四肢を覆うアーマーが分離し、黄金の腕を作り上げる。

 

「それでも、負けるものかッ! 友である貴女を連れ戻すために、貴女と未来(あした)を見るためにッ!」

 

 マリアのアームドギアであるその剣が、全身を纏うドレスが分離し、真銀の腕を作り上げる。

 響とマリアはその巨大な手を繋ぎ、全ての人の歌を1つに束ねる

 

 

「─────────────ッ!」

 

 エルキドゥの言葉にならぬ咆哮を以って、天地を貫く一撃は解き放たれた。

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

           E - Nu - Ma E - Lis

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

「いっ………けえええええッ!」

 

 装者達の心から放たれる叫びは、これ以上ない程に思いをぶつける歌となってその一撃に立ち向かいぶつかり合った。

 

 嘗てのカ・ディンギルすらも超えるその槍は、星を束ねた原始の力。惑星環境兵器たるエルキドゥの誇る最大の破壊。

 それとぶつかる金と銀の腕は、エネルギーの衝突に耐えかね罅が入る。徐々に外装が剥がれ砕けていくその腕は、しかし繋ぐことだけは絶対に止めない。

 

「友達だったあなたに、帰ってきて欲しいんだ……だからッ!」

 

 響は、否、装者たちは誰もがその破戒の奔流の中にあって尚、前を向いている。その思いの丈をぶつけている。

 エルキドゥはそれを見ない。目を失い、人の形すら失ったエルキドゥは、前を向くことも思いを持つことも出来ない。

 だから──彼が負けるのは最早必定であり。

 

「起、き、ろぉおおおおおおッ!」

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

          V i t a l i z a t i o n

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 その腕は天地を貫く一撃を超え、繋いだ手を離すこともなく。

 これ以上無いほどに高まった歌と心を、エルキドゥに叩き込んだ。



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最終話 天の方舟/熾天領域

 何処とも知れない、深い領域。まるで水の中のようなその世界には、或る魂の残滓が漂う。

 女神の剣によって破壊されたその魂は、しかし完全な魂ではないが故に滅びを免れていた。

 

 勿論、だからと言ってその残滓が何かを思えたわけでもなければ、何かを感じ得た訳でもない。

 残滓は所詮残滓でしか無く、そこに意志は最早微かにも存在していない。彼はいつだって、それこそ先史文明のその時から聖遺物でしか無く、聖遺物を動かすのは人の心でしかないのだ。

 例えこの領域に歌が届いたところで、何の行動機能も備わっていない残骸が何かの行動を起こすことは不可能だった。

 

 だから、その領域に起きた変化は、稀な必然によって起こった奇跡だったといえるだろう。

 

 その青い領域に、泥が溢れ出す。世界は泥に沈み始め、世界に幾何学模様が奔る。

 魂の残滓のその記録を、それが持っていた感情を泥は再構築し始める。

 

 聖遺物は、人の心に、思いに、歌に反応しその願いに合わせて力を行使する。

 ソロモンの杖は持つだけで思い通りにノイズを召喚・操作を可能とし、フロンティアは端末に手を当てるだけで大体の操作を行うことができる。デュランダルのように所持者の感情を塗りつぶすような聖遺物だって、その所持者の思いに反応し力を行使することには変わりない。

 

 だから、装者たちの心からの歌は、それを載せたシンフォギアの突撃は、あらゆる模倣を辞め、最も原初の聖遺物としての在り方に近くなっていた「神の泥(エルキドゥ)」を動かした。

 ティーネという人格を取り戻したい、連れて帰りたい──前を向いて一緒にいきたいというその願いを、エルキドゥは叶えるために行動する。

 

「……そっか、僕は、皆に……」

 

 やがてその全身が構築され、ティーネはその記憶を、想い出を取り戻す。

 魂が崩壊したとしても、その人格情報や記憶は記録としてエルキドゥの肉体に刻まれている。千変万化のエルキドゥにとって、自身の想い出や魂は電気信号として容易に扱えるため、特殊な技術体系なしに転写することができた。

 皮肉なことに、人間とは違う聖遺物だからこそこうして死から蘇生を果たすことができたのだといえた。

 

「……外に、戻らなきゃ。──やっぱり、僕は奏を蘇生するって考えるべきじゃなかったのかな。翼を、皆を殺そうとして、それで奏が歌ってくれるわけもないのに……」

 

 敵対者としての歌なら歌う可能性もあるが、ティーネが聞きたかったのはそんな歌じゃない。それすらもわからないほどに、「エルキドゥ」は追いつめられていたということだろう。

 今となっては、エルキドゥはティーネを人と区別できていない。ティーネの意志に逆らうこともなく、前までのように生きていけるだろう。

 

「──ああ、それでも。僕は、君の歌を聞きたかった…………?」

 

 と、その時泥と水の世界に、1つの旋律が聞こえる。限りなく自分に近く、そして何処か遠いその歌は、その世界中になっている。

 どこから聞こえる、なんて考えることもない。この世界はティーネとエルキドゥの精神の世界なのだ。ならば、聞こえる場所は彼ら自身の内部からに他ならない。

 

「これは、まさか。……でも、そうか。これなら────」

 

 ティーネは、その拳を握り胸に当てる。祈るかのようなその仕草は、ティーネに、そしてエルキドゥに残された最後の希望だった。

 

 

 

 泥の塔が崩れ落ちる。崩壊し大地に堆積した泥は、やがて1つに纏まり、1人の少女の姿をとった。

 その顔は、いつものようなほほ笑みを浮かべていない。どこか泣き出しそうな表情を浮かべた彼女は、間違いなく心をもった人間だった。

 

「ティーネちゃんッ! やったぁ、戻って来てくれたんだッ!」

 

 笑顔ともに放たれた響の言葉に、他の装者たちも思い思いに駆け寄ってくる。

 どのギアも罅が入り破損部もあり、戦いの中でどれほどの痛みを背負わせてしまったのかとティーネの表情が曇る。

 

「──響、うん、戻ってこれたよ。ありがとう、君たちの歌が『僕』を動かしてくれたんだ。僕の心を、取り返してくれたんだ」

 

 ティーネの言葉は、紛れも無い感謝の言葉。一度死んだ自分がまた戻ることが出来たのは、紛れも無く自分を大切に思ってくれた友人達の歌のおかげだ。それを嬉しく思うのは当然だし、心から感謝をしていた。

 

「ティーネッ! ごめん、ごめんなさいデスッ! あたしのせいで、あんな、あんな……ッ!」

 

 切歌が涙を流しながらティーネに抱きつく。その震えた肩に、ティーネは手を置き首を振る。

 そもそも、あれはエルキドゥ(ティーネ)の自殺に付き合わせてしまったのだ。ティーネからすれば、どう考えても自分たちが悪いとしか思っていない。

 ティーネは優しく聞こえるようにその旨を説明したが、切歌はそれでも抱きつくことを止めない。ティーネはそんな切歌を相手に天を仰ぎ、取り敢えず泣き止むまで待つことにした。

 

 

「……お、お恥ずかしいところをば見せてしまったデス……」

 

「いや、いいよ。というか、僕が悪いんだから切歌は気にしなくてもいいんだよ? ホントだよ?」

 

 照れる切歌に、改めて自身の意思を伝えるティーネに、切歌は真剣な表情をして首を横に振った。

 

「こっちこそ、いいんデス。ティーネがそう言ってくれても、例え原因がどうであれ、あたしがティーネを殺したことは事実なんデス。──だから、二度とこんな思いをしないように、誰かにさせないように頑張るって決めたデス!」

 

 例え自殺まがいとしても、自分のやったことには変わらない。だからこそ、と前を向いて進もうとする切歌を見て、やはり人間はすごいものなのだとティーネは痛いほどに実感した。

 そっか、とだけ呟いてティーネは手を離す。

 その後も、他の装者たちがティーネと積もった話をしようとしたが、そんな彼女達を翼が抑える。

 

「おいおい、なんで止めんだよ! こっちは言いたいこと色々あるんだ、それを──」

 

「気持ちはわかるが、流石にここで話を続けるのも問題だろう。──見ろ」

 

 そう言って翼が指を向けたのは、フロンティアの外縁部。エルキドゥとネフィリムというユニットを失ったからか、外縁部から徐々に崩壊し、海に崩れ落ちていく。

 

「汐を被っても良いというなら、このようなところで話し込むのも構わんが。まずは崩壊が最も遅い艦橋部に向かうべきだろう。帰投についても、先ほど二課に対して要請したからな、帰るための機体が着陸する場所を確保しなくては……」

 

「げッ、まじかよ……。なんつーか、最後だってのにしまんねえなあ……」

 

 翼の言葉に、クリスがボヤきながら歩き始める。幸いというか崩落速度は遅いため、このままなら歩いても十分に間に合うだろう。

 

「……そうか、そうだね。──帰投、か。二課は確かに、帰るべき場所だ」

 

「……? おいティーネ、お前何やってんだ? そのまんま突っ立ってても海に落ちちまうぞ?」

 

「大丈夫さ、今行くよ」

 

 動こうとしないティーネを心配したクリスの呼びかけに、何かを考え込んでいた彼女は返事をして、フロンティアの中央部へと足を向けた。

 

 

「いやぁ、つっかれたぁー!」

 

 響がそう言ってへたり込む。その体を覆っていたギアは既に消失し、戦闘前の衣服に戻っている。

 

 フロンティア中央部、人工的な石の床が広がるその場所は、ヘリなどの垂直離着陸機なら発着も容易な地形となっている。

 が、エルキドゥと戦っていたのはフロンティアの前方部の大地の広がる荒野。そこからの道程は、激戦を繰り広げ、既にそのギアの機能が停止した奏者たちには酷なものだった。

 

「だめだぁ、もう歩けねえ……。って、もう来たのかよ!」

 

 特にクリスのような体力が(比較的)少ない人間にとっては、なおのこと苦行だったろう。寝そべって空を見上げたクリスはしかし、空にいたその機体を見てすぐに身体を起こした。

 クリスの声に他の装者達が上を見れば、かつてマリア達が使っていた輸送機がフロンティアに向かって降りてくる。

 

「お前達、よくやったッ! どうやら無事にティーネ君を呼び戻せたようだな!」

 

 着陸しようとしていたその機体の内から顔を出したのは、二課で司令を出しているはずの弦十郎。戦闘も終わり、司令室からの補助は自分がいなくとも出来るだろうと思った弦十郎はそのまま機体に乗って装者達を迎えに来たのだ。

 

「さあ乗れ! 積もる話はそれからだ!」

 

 弦十郎の言葉に、それぞれが立ち上がり機体に向かう。だが、そんな彼女達を尻目にティーネは機体に向かおうとはしなかった。

 まるでまだやり残した事があるとでも言わんばかりに微動だにせず、ティーネは懐に手を入れる。その様子を不審に思った響達は、乗り込まずにティーネのもとに駆け寄る。

 

「どうした、ティーネ? 何か問題でもあったのか、でなければ早めに乗るべきだぞ? 帰りの座席も限りがあるかも知れないからな」

 

 翼が軽い冗談交じりにティーネに何故帰還するための機体に乗らないのかを尋ねる。しかしその目は、ティーネが懐に入れた手の動きを見逃さないようにとその一挙手一投足をしっかりと見張っている。

 様子がおかしいと思ったのか、他の装者たちや弦十郎達二課の職員も機体から降りてくる。

 

「……ああ、そうだね。だけど、僕は──帰れない。そこに帰す人は、もう決まってるから」

 

 翼が見ている中でティーネが懐から取り出したのは、赤く輝く宝石のような、小さなペンダント。

 基底状態のシンフォギアが、ティーネの手に握られていた。

 

「ティーネ、何をッ!?」

 

──────── elkidu tron(我が生命を、友に捧ぐ)

 

 その言葉は、紛れも無く心が宿っていた。

 起動したティーネが強く祈り、強く想った1つの願い、それを形にせんとするのは、その胸から聞こえる聖詠だった。

 自身を別けて作られたシンフォギアは、愚直なまでにその願いに応える。

 

 嘗て、ティーネがシンフォギアの装者の()()をしていた時と同様に、その肉体は貫頭衣のような外套のアームドギアに包まれる。

 その内側には、肉体にフィットするような形状のシンフォギアのボディスーツ。頭部に構築された鹿の角のような分岐した頭飾りは、まるで原初の姿の時の角のような形状となっていた。

 

「おい馬鹿ッ! 何するつもりだッ!」

 

 クリスが大声で叫ぶ。その言葉に、ティーネは笑みを浮かべる。

 

「帰すべき人を、帰すんだ。僕に心が出来たから、彼女を帰すことも出来る。急がないと、誰も傷つけない機会は今しかない、から……」

 

「一体何を……ッ!?」

 

 ティーネの肉体から、緑色の光が放たれる。中空に出来た黄金の波紋は、宝物庫へと繋がる扉だ。

 装者が、二課の職員が止めるより先に、翼とティーネの間に巨大な剣が突き刺さる。女神ザババが振るう一振りとされるその聖遺物は、魂に干渉する機能を持つ翠玉の剣(イガリマ)の完全な姿。

 

 剣が突き立った衝撃で、疲労の激しい翼はよろめく。ダメージが深いティーネも同様のようで、ギアを纏っているにも関わらず、自分の起こしたその行動でふらついた。

 

「剣、だと……!」

 

「いいや、盾だ。そして、君の中の魂に触れるための端末でもある」

 

 そう言うと、ティーネはシンフォギアから鎖を展開し、イガリマに接続する。そして、その姿を今再び変じていく。

 髪の色を変え、背を変え、肉体を変え、声すらも変わる。

 

「かな、で……?」

 

 その姿に、翼は呆然と言葉を紡ぐ。

 

「ティーネ、なぜまた……ッ、まさか、貴様……ッ!」

 

 翼の前に姿を現したのは、エルキドゥのシンフォギアを纏った天羽奏の姿。白い貫頭衣を纏ったその姿は戦士には見えず、むしろ好きな歌を歌っていた時の姿に近い。

 その顔に浮かぶ決意の表情に、翼は何かを察したのか言葉を荒らげた。

 

 そしてそんな翼の言葉に返事をすること無く、ティーネは心の歌を歌い始めた。

 

 

"Gatrandis babel ziggurat edenal"

 

 天羽奏の姿をしたティーネの歌は、翼に否が応でもかの時を思い出させる。だからこそ、ティーネが何をしようとしているのかわかり、それを止めようとする。

 しかし、肉体さえ保全されていれば疲労自体は存在しない「完全聖遺物エルキドゥ」の行動を、戦いで疲弊した翼が止めることは出来ない。

 

 その歌に合わせ、エルキドゥのシンフォギアがその出力を向上させ、自身の特性を拡張していく。

 

"Emustolronzen fine el baral zizzl"

 

 接続された鎖を通じ、イガリマの機能をその身に共有させる──その力を自身のギアに模倣させる。

 

 元来無機物としか共鳴できない聖遺物である「エルキドゥ」は、「ティーネ」の想いに応えてその特性を変化させていく。

 ティーネの外套が変化し、翼の身体を包み込む。そしてその接触面から、有機体である風鳴翼の肉体そのものと共鳴を果たす。

 

"Gatrandis babel ziggurat edenal"

 

 元来の機能にない有機体との共鳴は、エルキドゥのギアを崩壊へと導く。外套が徐々に崩壊し、その身を纏うボディスーツも粒子へと変換される。

 

 魂が電気信号だとするならば、肉体が崩壊した瞬間にそれと接触していた風鳴翼が魂を保持している可能性が高いとティーネは考えていた。

 だからこそ、「エルキドゥ」は戦闘時に風鳴翼を優先して狙い、その肉体の崩壊に合わせて彼女の持つ全ての電気信号を剥奪することで魂を手に入れようと考えていた。

 

"Emustolronzen fine el zizzl"

 

 しかし、今はそうする必要がない。エルキドゥのシンフォギアを「強い願い」によって機能拡張したティーネは、有機体と共鳴することで対象の電気信号──魂の構造を把握し、魂に干渉するイガリマを"模倣"して、天羽奏に相当する電気信号を自身の肉体へと転送する。

 

 聖遺物の力を装者に合わせて増幅・拡張するシンフォギア、そのエネルギーをバックファイアを顧みず使用する機能である「絶唱」。

 ティーネ・チェルクの生命(こころ)を捧げた絶唱は、「天羽奏」の魂の電気信号、その全てを自身の再構築した「天羽奏」の肉体へと移し取った。

 

 天羽奏の肉体と、ティーネ・チェルク……「エルキドゥ」の肉体が離れる。

 盾のようにそびえていたイガリマは弦十郎の一撃で砕かれ、その光景は機体側に居た人々に晒された。

 

 そこにいたのは、絶唱で無理な機能拡張をしたために崩壊が迫る「エルキドゥ(ティーネ)」、押し倒されたかのように倒れている翼、そして翼がその肉体を支える「天羽奏」。

 

 翼は、自身の肉体にのしかかる重みに呆然とする。目の前に居るティーネは、奏の肉体を保持していた。だが、ティーネは目の前に居る。では、いま自分に倒れかかり、呼吸をする彼女は誰なのか。

 忘我していた翼の上で、「天羽奏」が薄ぼんやりと目を開ける。

 

「……あれ、翼、か……? あたし、は……? まあ、いいや……何だか、腹が減ってて……」

 

「…………奏ッ!」

 

 未だに自意識がハッキリしていないのか、彼女は寝ぼけたようにそう言って再び目を閉じる。

 思わず翼は彼女を抱きしめる。その肉体は崩壊すること無く、翼の腕にしっかりと重みを伝えてくる。

 弦十郎はその2人の様子と、それを見守るようなティーネの顔から、剣の向こう側で何があったのかを理解する。

 

「ティーネ君、君は……ッ!」

 

 弦十郎の絞りだすような声に、平坦で、だからこそどう聞いても我慢していることが判りきった、そんな声色でティーネは言葉を返す。

 

「……僕は、帰れない。帰るなら、奏が帰るべきなんだ。……それに、散々と迷惑を掛けて、響に、翼に、クリスに、マリアに、切歌に、調に、二課の皆に、僕は助けられた」

 

 ティーネが弦十郎の方を向いて呟く言葉は、しかし誰かに伝えるための言葉ではなく、自身に言い聞かせるような言葉。

 

「だから、僕は皆を助けたい。この身にそれが許されるなら、僕の生命を、友に捧げよう」

 

 ティーネの言葉とともに、その肉体の一部が鎖へと変化し、フロンティアに錨のように突き刺さる。フロンティアの中枢部、コントロールルームなどが置かれている人工エリア以外の全てが崩落していく。

 弦十郎はその様子を見ることもなく、ただティーネを真っ直ぐと見て、何処か呆けたように言葉を漏らす。

 

「それが、君の願いなのか……。人を、皆を助けることが……」

 

 弦十郎の言葉に、ティーネはしかし頭を振った。

 

「それは、正確ではない。今回の僕は途中で色々と馬鹿なことをやったのに、彼女達はそれでも僕を友人と言って助けてくれた。今の僕は、そんな友人達をただ心の底から守りたい、助けたい」

 

 ティーネがその思いを、自身の願いをつらつらと語る。

 

「僕は博愛主義じゃない、嫌いな人間は嫌いなままだ。だから、僕は友を助けるために、序に人類を助けるんだ。──知ってるかい、風鳴弦十郎。神代の時代、先史文明の昔から、僕は友人のためになら、神さえも敵に回せたんだ」

 

 そう言ってティーネが浮かべた笑顔は、別れを心の底から悲しんでおり、だからこそこれ以上ないくらいに本音であることを示している。

 

「で、でも、それじゃあティーネちゃんはッ!? ティーネちゃんはどうするの!?」

 

 機体から降りて、その会話を聞いていた響はそう言って涙を流す。一時離れて、敵対して、戦って。そして、歌を聞いてくれて、自分たちに助けられたと言ってくれた友人が今また別れる。そんなことは響にとっては耐えられないほどに苦痛だった。

 

「そうだッ! お前がいくら言おうと、一旦連れ帰って、皆で対策考えりゃいいじゃねえか! 何で、お前が……ッ!」

 

「そうよ。ティーネ、貴女は信じられないのかもしれないけど、私達皆で、絶対何とかして……ッ」

 

 クリスはそう言って怒鳴り散らす。その後ろではマリアが震えそうな表情で、しかし信じてほしいと不敵な笑みを浮かべる。

 その2人の後ろには切歌、調もおり、その全員が同じような感情を抱いているのは明白だった。

 

「……どちらにせよ、時間切れだ。先の絶唱による自分自身への機能拡張で、僕の肉体は大きな負担を受けたからね。後は、崩壊を待つばかりだ。皆を助けるには、今しかないのさ」

 

 皆の前で、そう呟くティーネ。皆が見守るその前で、ティーネの身体は徐々に崩れている。

 紛れも無く近づいているティーネの寿命に、彼女を引き止めるすべも、引き止めてもどうしようもないことを響達は悟った。

 

「でもまあ、あまり悲観しなくてもいいさ。僕は千変万化、不定形の完全聖遺物だ。機能が停止したとしても、その肉体が真の意味で消えることはない。いずれまたどこかで、歌が聞こえれば起動することもあるだろう」

 

 その時に、また会えればいいなと呟くティーネの顔は、しかし再会することは無いだろうと諦めている。今から自分がやろうとすることを思えば、それも当然と言えた。

 だから、その言葉に対しての響の言葉は、ティーネを驚かせた。

 

「……うん、分かった! いつかまた、会いに行く! 大丈夫だよ、何処に居るにしても、きっと会えるから。──絶対に、絶対ッ!」

 

 力強く言い切った響の顔をみて、その言葉をさも当然だと受け取る装者達の、弦十郎ら二課の人々の顔をみて、驚き、安堵の笑みを浮かべるティーネ。

 

「そうか、うん。きっと響が言うならそうに違いない。待ってるから、いつか会えるその日を。──さあ、行くといい。僕は再び、フロンティアを起動させるから」

 

 響達が、名残惜しそうに機体に乗る。離陸するその機体の窓からは、フロンティアに残ったティーネをずっと見続けている皆の顔が覗いている。

 やがて機体がある程度離れた時、浮上したフロンティアの姿をみた響達は驚いた。

 

「四角い、船……?」

 

 無駄な遺跡構造体を分離し、重力操作・モニタリングルームなどのような最低限の構造体のみを残し、それに張り付いた大地を共鳴・変形させたフロンティアは、巨大な立方体のカタチへと変形していた。

 それが今、空を浮遊し天へと飛んで行く。その光景をみた弦十郎は、思わずといった体で言葉を溢す。

 

「アトラ・ハシース……ウトナビシュティムの方舟か……」

 

「それ、なんですか師匠?」

 

 弦十郎の呟いた言葉に、響が質問する。

 

「シュメールの洪水神話に登場する方舟だ。ノアの方舟とは違い、完全な立方体の形状をしていたとされている。……なるほど、大切なモノを守るための形としては、案外お誂え向きなのかもしれないな……」

 

「大切なものを、まもる、船……」

 

 天へと向かうその方舟を見続けながら、弦十郎はそう話す。

 響達は、方舟が天へと向かうその姿を、見えなくなるその最後の時まで目を離さず見届けた。

 

 

 

「ああ、結局奏の歌は聴けなかったなあ……」

 

 いまや宇宙空間にまで到達した「方舟(ma-gur)」の中で、ティーネは寂しそうに呟く。

 その肉体は既に3割が泥に還っているが、それでもやりたいことをやり通すまでは崩壊しるものか、と自身を気力で維持し続ける。

 

「でも、まあ、いいか。いつか迎えに来てくれるって言ってたからね。だったら、僕はそう言ってくれる友を守ればいい」

 

 その約束もまた、「ティーネ」が自分を保ち続けるためのモチベーションになっている。

 彼女達は、絶対にその約束を守るだろう。ティーネは心からそう信じており、だからこそ自分がやるべきことをやってみせると意気込んでいた。

 

 ティーネの崩壊が6割を過ぎたあたりで、眼下には石の地表が見えてくる。表層が割れたその下には、人の言葉を乱す「バラルの呪詛」を発生させる遺跡が露になっている。

 その遺跡が露出した座標に、ティーネは方舟(ma-gur)を下ろし、自身の崩壊していく肉体を鎖へと変え、アンカーのように接続する。

 フロンティアと月の遺跡、そして「エルキドゥ」はその鎖を介して一体化していく。月の遺跡を侵食するエルキドゥは、その機能を完全に停止させていく。

 やがて完全に沈黙した月遺跡に、今度はフロンティアのシステムを介入させる。フロンティアのコントロールシステムは機能停止した月遺跡を乗っ取り、月遺跡自体が持つ星への、そして人への観測機能を補助するアジャスト機構を用いて正しい公転軌道へと月を移動させていく。

 

「これで、月は元に戻る。バラルの呪詛も消える──僕は、君たちを助けられたのかな……」

 

 そう呟くティーネは、その肉体がほぼすべて崩壊している。視界は横になり、辛うじてモニターなどが見えているようなものだ。

 いまや、月に立つその「立方体(ma-gur)」は月を通し、世界を見通す演算器となっている。それと直接つながったティーネは、最後の力を振り絞りその視界に響達の居る場所を映す。

 そこに映る響達は月を見て、そしてふと何かに気づいたように笑顔を浮かべた。

 

「…………ああ、ありがとう。僕、は────」

 

 その言葉を最後に、ティーネは基底状態へと戻る。只の泥に還ったその姿を、月遺跡とフロンティアの放つ明かりが優しく照らしだしていた。



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エピローグ

──歌が、聞こえる。

 

 月の地表上、月面構造物として新たに名前の付けられた「アトラ・ハシースの方舟」の管制室。

 もはや何も残らない、遺跡の明かりに照らされているだけのその場所で、"彼女"はそうやって目を覚ます。

 

 歌が響くはずの地球から遠く離れたその領域で、それでも遺跡に歌が聞こえてくる。

 

──懐かしい、歌が聞こえる。

 

 それは、二人のアイドルが響かせる歌。人々を励まし、熱狂を届ける心からの調べ。

 彼女たち『ツヴァイウィング』の歌は、月の公転軌道にある"彼女"の胸に鼓動を抱かせんとするものか。

 

 既にその身が崩壊し、その端末は世界から隔絶されてしまったというのに。それでも、"彼女"はその歌にどうしようもないほどの喜びを胸に抱いた。

 

 

 

 

 その日、そのライブ会場はこれ以上ない程に沸き立っていた。

 

「皆ー! 今日は、ツヴァイウィングの完全復活ライブに来てくれてありがとう!」

 

「ずっと表舞台に戻ってこれなかった分! あたしは、今日、聞いている「皆」の為に、最後までしっかり歌いとおすからな! それじゃあ次は、『ORBITAL BEAT』だ!」

 

 ステージに立つのは、2人の少女。天羽奏と風鳴翼は、両翼揃ったボーカルユニット「ツヴァイウィング」として今再びステージに立っていた。

 また翼と共に歌えるという喜びを、ファンに歌を聞いてもらえるという嬉しさを歌にのせた奏は、歌いながらこれまでのことを思い出していた。

 

 

 蘇生した天羽奏はフロンティアで気を失った後、二課のメディカルルームで目が覚めた。

 目覚めた奏が最初に目にしたのは、自分が助けた少女と、自分の片翼の少女。聞けば自分が死んでから既に2年以上が経過しており、翼は年齢的には自分と同世代となっていた。

 身体を起こした奏に抱きついた翼は泣いており、奏はそんな翼に冗談交じりで相変わらず泣き虫で弱虫なのかとからかった。

 

「……ふふっ、奏は変わらないな。相変わらず意地悪だ」

 

 そういった翼の顔には余裕が浮かんでおり、前みたいにポッキリと折れそうな気配が薄い。どうやらこの2年で大分心も鍛えられたらしく、奏は嬉しいような、なんとなく寂しいような気配に駆られた。

 

 その後、新たに修復された肉体に異常がないか医療スタッフに調査してもらったところ、驚いたことにその肉体はシンフォギアやLiNKERによってボロボロになる以前の状態にまで回帰していたことがわかった。

 変化はそれだけではなく、シンフォギアや聖遺物への適合系数もLiNKER無しで十分戦えるほどに上昇していたと聞き、奏はとても驚いた。

 

 前者については、エルキドゥが一番最初に天羽奏の肉体を再構成した時、崩壊直前に再構成してもまたすぐにボロボロになる状態だった。それでは結局歌を聞いていられないと考えたエルキドゥによって、肉体は修復されたのだ。

 そして後者についてはティーネが特別何かをした、というよりはエルキドゥそのもののせいだといえる。

 何の事はない、エルキドゥという完全聖遺物に肉体を取り込まれていた天羽奏の肉体は、千変万化の聖遺物「エルキドゥ」と融合状態にあった。そのままフォニックゲインを身体に蓄積したりシンフォギアを使用したりするために、天羽奏の肉体が聖遺物からのバックファイアに耐えられるようにと手を加えられていただけのことだった。

 だからなのかは分からないが、奏の肉体には1つだけ、外見的にも以前の肉体と違う箇所が存在していた。

 

 奏は病室に置いてあった姿見を見ながら、自身の姿を確認していく。やがて手鏡で顔を確認した時、その瞳の色を不思議に思う。

 

「奏、その瞳──右目の色は、元の朱色に戻らなかったね」

 

「翼……。そうだな、あたしは会ったことのない、『ティーネ』って奴の色なんだっけか」

 

 翼の言葉に、奏は思いに浸るようにそう答えた。鏡に映るその瞳は、朱色と若草色の月目となっていた。

 自分の死後、その肉体を保持していたという完全聖遺物「エルキドゥ」。天羽奏の絶唱によって励起したというその聖遺物は、自分を蘇生させるために色々な行動を起こしたらしい。

 その行動の一環として、エルキドゥが人間社会に溶け込むために作り上げた擬似人格、それが翼達のいうところの「ティーネ」らしい。

 

「うん。奏の歌を聞きたいって一心で、色々やってた娘だ。もしも話す機会が出来たなら、その時は優しくしてあげると嬉しい」

 

「その"色々"がほんとに色々やったんだって? そこまでやるのかって驚いたよ、本当にさ。でもま、歌を気に入ってくれて、好いてくれるならそりゃあたしのファンってことだろ? アイドルやってたんだ、ファンは大切にしなくっちゃだろ」

 

 笑いながら奏が言えば、翼もはにかんだような表情を浮かべて頷く。ニ年経ったとしても、その笑顔がきれいなことには変わらないのだと、奏は妙な感慨を抱いた。

 そうしてなんとなく暖かな空気が流れたところで、あ、と用事を思い出したかのように翼は奏に改めて向き直った。

 

「そうだ、奏。司令が私たちのことを呼んでいたんだった。司令室で待っているらしいから、一緒に行こう?」

 

「旦那が?」

 

 司令からの呼び出し、について心当たりは山ほどある。というか、二年も死んでたんだからその間の話とか色々することもあるだろう。そう思った奏は、手鏡をベッドに置いて翼と共に司令室へと向かった。

 

 

「ちっす、司令(ダンナ)。呼び出しって聞いたんだけど、なにかあったんですか?」

 

 特異災害対策機動部二課仮設本部司令室の扉を開き、奏は翼と共に中へと入る。そこに待っていたのは、司令を務める風鳴弦十郎及び二課の職員たち。

 そして、その他にも立花響や雪音クリスといった二課の装者に加え、F.I.S.に所属していた装者のマリア・カデンツァヴナ・イヴに暁切歌、月読調が待っていた。後者の3人はどうやらまだ拘束されているようで、特殊な拘束服を着せられていたが。

 

「おっと、後輩の面々も待たせちまったかな。……あれ、お前らってまだ拘束期間解けてないんだったか」

 

 拘束服を着ていた3人を見たことで、ふと思い出したのか奏がそう口にする。

 ナスターシャの要求した減刑は、確かに日本政府に通った。実行犯が年若いことに加え、それを実行しようとしたナスターシャとウェル博士が子供の純粋な思いを利用していたという事実(ナスターシャが3人を利用した事実に関する分は当初の要求の一部として了承済みだったが)が浮き彫りとなったこと。

 そして、最後の戦いでエルキドゥの破壊兵器としての力の危険さ、それを止めたことを評価されたマリア達の減刑はしっかりと適用された。…… 尤も、大犯罪には違いないため未だに拘束自体はされているのが現状だが。

 

「来たか、奏君。さて、今回集まってもらったのは他でもない──我々は現在、ティーネ君を月から取り戻す為の作戦行動を計画している」

 

 その言葉に、響やクリスは思わずガッツポーズを作る。切歌や調もつくろうとしたが、拘束服を着ていたため叶わなかったようだ。

 いつか会いに行くとは約束したとは言っていたが、ティーネが月に構造物を接続してから現在までに大体一週間ほどしか経過していない。まさかこんなにも早くその機会が訪れるとは思っていなかったのだろう。

 

「おおッ! 流石師匠! それでそれで、どういう作戦にするつもりなんですかッ!」

 

「……うむ。まず前提から説明しよう。現在の月遺跡は、『バラルの呪詛』を停止させているが、月の遺跡自体は十分に稼働している。つまり、やろうと思えば全人類に洗脳を起こすことだって不可能ではない、ということだ」

 

 その言葉に、装者達の顔色が変わる。人の相互理解を遠ざけるバラルの呪詛を停止させ、世界を守るために落下する月を止めた方舟は、逆に言えば月を制御するコントロールを一点に集約している。

 つまり、そのコントロール権を握るということは、言い換えれば世界中の人類の心を支配することにほかならない。

 

「だからこそ、どの国家も月へ向かう機会を虎視眈々と狙っているだろうことは想像に難くあるまい。いや、この日本だって上がそう思っているだろう。それを踏まえた上でこの作戦で必要になるのは、そういった連中に先んじて行動をするということだ」

 

 月を止めたからと、人の心がそう簡単に変化するわけではない。ましてや民族というアイデンティティ、国家という大規模コミュニティともなればなおさらだ。

 しかし、先に行動すると言ってもどうすればいいというのか。奏はそれが難しいだろうことも知っている。嘗て大規模実験、及び活動を認めてもらう際にも、上層部が生命の危機的状況に遭遇したことでようやく許可が降りたほどだ。

 

「ですが、司令。それは言うほど簡単ではないのでは? 我々は所詮国家の下部組織に過ぎません。そんな我々が他の国家に先んじて行動するということは……」

 

 翼も奏と同じような事を思ったらしく、そう言って弦十郎に質問する。だが、弦十郎はそれに対し笑みを浮かべる。

 

「確かに翼の言うとおり、少なくとも兄貴の手を借りることにはなるだろう。だが、他の国にはないアドバンテージを俺たちは持っている。それが──シンフォギア装者たる君達だ」

 

 そう言って、計画書をテーブルに広げる。広げられたその中身を見た響は目を輝かせ、クリスは頬を引き攣らせる。そこに書かれていたことは荒唐無稽と言えるがしかし、シンフォギアがあるならば達成する可能性は十分に見込めた。

 

 ふと、その計画書を見ていた奏は首を傾げる。横を見れば、翼も首を傾げていた。

 

「……うん? なあ司令(ダンナ)、響とクリスの奴はいいとして、他の奴らは何をすればいいんだ?」

 

 計画書──月へ直接向かうメンバーの中には響とクリスの名前しか載っていない。確かに今はギアを持っていない以上、奏が直接の作戦に関わることは出来ないかもしれない。F.I.S.所属のメンバーはLiNKERを用いなければギアを纏えない関係上、名前が載っていないのはわかる。

 しかし、だとすれば翼の名前もないのはおかしいだろうと、奏は暗にそう問いかける。

 

「ふふふ。安心しろ! 直接向かうメンバーもそうだが、君達にはこっちの計画書が用意してある! いいか、人員の都合上()()迎えにいけるメンバーは限られるが、それでも敢えて全員で迎えに行く! そのための作戦だ!」

 

 弦十郎の妙なドヤ顔とともに提出されたその書類の表紙を見た時に、奏と翼は思わず目を見開いた。

 そこにあるのは、「ツヴァイウィング再始動」と題された企画書、そして直接迎えに行けないメンバーのための作戦……そして、とある楽曲の歌詞と楽譜だった。

 

 

(なあ、月の上にお前は居るんだろう? 会ったことのない、話したこともない。そんな、あたしの命の恩人)

 

企画書を提出されてから1ヶ月。ライブで全力で歌いながら、天羽奏は空の彼方に思いを馳せる。

 

 「ツヴァイウィング再始動」と銘打たれたその企画書は、翼と奏に託されたティーネ奪還計画の要。ティーネの聞きたがっていた奏の歌を核とした、フォニックゲインの大量投射計画。

 今やっているこのライブ会場以外でも、マリアがアイドルとして復帰しており、そちらでもコラボ企画と題して同じタイミングで同じ歌を歌う手筈となっている。

 また、切歌と調の2人はその二箇所を結ぶレイライン──フォニックゲインを効率よく徹すことのできる地球の霊脈から、月面へ照射するためのラインへと切り替える座標で同様に歌を歌う予定だ。

 

 ──月面のティーネ奪還計画は、そのまま上に提出したのでは間違いなく却下される。だからこそ、二課のメンバーは月面の支配権を得られるという建前の計画をでっち上げた。

 フロンティアの破棄された残骸を、ナスターシャ教授等と協力して利用することで、歌から発せられるフォニックゲインを集積・照射して月の優先権を握るというのが計画の要だと政府には説明してある。

 またそれに先立ち、宇宙空間でも宇宙服もなく強力な耐久性を持つ装者達を単純で比較的安価なミサイルで宇宙に送り出し、月面上での歌による遺跡の支配計画を並列して行うとも伝えている。

 

 「ティーネ」という要素がない場合なら人類の心を支配することも可能だったその計画は、上層部の眼鏡に適ったのか迅速に進められることとなり、そして1ヶ月を迎えた今日のライブと相成った。

 今頃二課仮設本部の送迎ミサイルに乗った響とクリスが、月の公転軌道に合わせたタイミングで射出されている頃合いだろう。

 

 ライブ会場のドームが展開され、夕日が会場を照らしだす。夕日の逆光で姿を見失いそうな、そんな幻想的な光景は見るものの魂を否応なしに強く揺さぶっていく。

 全世界に中継されているそのライブは、世界の人々の心を1つに束ね上げていく。

 

(お前は、あたしの歌を楽しみにしていたんだろ? なら、聞かせてやるさ、あたしの、心からの歌をッ! 一言一句、聞き逃すなよッ!)

 

「さあ、次がラストナンバーだ! 最後の歌は、あたしらの十八番、『逆光のフリューゲル』!」

 

 天羽奏はその歌を宇宙(ソラ)の向こうに届くようにと、より一層声を張り上げた。

 

 

 

(歌が、聞こえる)

 

 "彼女"から遠く離れた青い惑星からの歌声は、嘗て無いほどに"彼女"の魂を揺さぶった。

 先ほど取り戻した意識は、聞こえてくる歌のフォニックゲインが高まるほどにハッキリとしてくる。

 

 崩壊したはずの泥が再構成されていき、徐々に形を作っていく。

 

(魂を揺さぶる、歌が聞こえる)

 

 

 "僕"は、この歌を知っている。

 "僕"は、この歌が持つ心の熱量を理解している。

 "僕"は、この歌を皆が届けてくれていると信じている。

 

 

 「方舟」の内部に光が満ちる。地球の地表で高められたフォニックゲインは、地球上の特定のラインを通りある一点、フロンティアの「残骸」が放棄された座標を通じて月の「方舟」へと照射される。

 既に稼働している月の遺跡の内部には、「方舟」の制御機構によってその流れをコントロールされたフォニックゲインが循環する。

 やがて溢れだしたフォニックゲインは、その遺跡内で唯一励起していない1つの完全聖遺物へと流れ込んだ。

 

 完全聖遺物は、経年劣化を起こしていない聖遺物である。

 欠片だけのシンフォギアと違い、その姿を現代に至るまで引き継いだ異端技術の結晶。

 

 その特徴として、一度励起すれば誰でもその力を扱えるということがある。

 つまり、励起したものは何らかの理由で停止させられない限りその力を行使し続けるということにほかならない。

 

 しかし、現行の技術では、その扱えるエネルギー規模を考えれば真っ当な手段でそれらを励起させることは不可能に近い。

 聖遺物の覚醒には、聖遺物自身を覚醒させるだけの特殊な要素が必要となってくる。

 聖遺物の技術を取りまとめた"櫻井理論"。それを有する二課の出した答えは、「歌」である。

 特殊な波形による歌を持つもの。即ち「適合者」と呼ばれる存在が歌う歌こそ、聖遺物を起動させるために必要なのだ。

 

 やがて、地上からの歌に交じり、別な同じ歌も聞こえてくる。酸素のないこの月面上にあって、尚の事生命を繋ぎ束ねるその歌は、歌い手こそ違えど、紛れも無くツヴァイウィングの歌。ただ聞いているその間にも、その歌声は増えていく。"彼女"が焦がれた奏の歌は、七色の声を束ねた虹色に輝く(フリューゲル)となっていた。

 

 月の遺跡、方舟の制御室へと響くその歌は、大気ではなく、歌そのものの力を遺跡に響かせる。方舟はフォニックゲインを溢れさせ、人の想いが具現化したかのような黄金の粒子があたりを包み込む。

 

 千変万化の完全聖遺物「エルキドゥ」は、例えその肉体が完全に泥化したとしても、それが聖遺物の機能を失ったことにはならず、劣化を引き起こすこともない。

 建材に使われるような状況になっても、泥の柱を砕かれても、人型を保てず崩壊しても。それは、聖遺物の状態が基底状態へ移行しただけにすぎない。

 だから、適合者足り得る者が歌う、己へと届けという心を発露させた歌を聞いた「エルキドゥ」は、自身の肉体を励起させていく。

 その肉体はもとより、その聖遺物を支配する"彼女"さえも完全な状態へと再構築する。

 

 その姿は、若草のような明るい緑を思わせる。

 中性的な姿に、極めて長い長髪。人間離れした美しさは、事実その肉体そのものは人間ではないことを表している。

 しかしその顔が浮かべる歓喜の表情には、紛れも無く人間の感情が浮き彫りとなっている。

 

 "彼女"は、自身の居る制御室の、その自分の正面に居る人影を感じとった。

 

 先程から響く歌声は、まるで遺跡全体が歌を歌っているのかと思う程に近くから聞こえてくる。

 

 "彼女"を励起させるその歌は、彼女が産まれたことを祝うバースデイソング。

 

 

 

 

 

 やがて"彼女"──ティーネは瞼を開き、髪と同じ若草色の瞳を晒す。

 

 7人の友の歌に迎えられ、瞼を開けた世界にいたのは────。

 

 

 

 

 

 



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