島風の唄 (月日星夜(木端妖精))
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はじめに

 はじめに。

 

 この作品は艦隊これくしょん-艦これ-の二次創作です。

 設定改変や設定の消失、独自解釈などが含まれます。

 オリジナルキャラクターが登場します。

 二次ネタなども多分に含まれます。

 ライダーネタ等も多いです。

 肉体的百合もあるっぽいよ。

 上記をよく理解した上でこの先にお進みください。

 

 

 てきとーな登場人物紹介。

 

 シマカゼ

 駆逐艦「島風」になってしまった男。福野(ふくの)翔一(しょういち)という名前だった。

 現状を受け入れる柔軟性を持ち合わせているが、言動は脳筋に近い。

 向こう見ずで好戦的な一面もあるが、基本的には臆病で子供っぽい。

 未だに仮面ライダーごっこをしてしまうような青年だが、代わりに何かを守ろうとする意志は人一倍ある。主に姉の食生活。

 わりと雑食。

 

 朝潮

 駆逐艦「朝潮」。

 生真面目な委員長気質。黒髪ロングは魅力の象徴。

 きびきびとした動きが印象的な優等生だが、おふざけや冗談が言えないという訳でもない。

 意外と負けず嫌い。

 正しい事を正しく行う。

 指差されると怒る。

 

 金剛

 戦艦「金剛」。

 親身になってくれる親しげなお姉さん。

 日常生活ではトラブルメーカーだったりとお茶目さん。

 厳しい一面もあったりする。

 金髪のサラサラヘアーではない。

 陽気にシャレを言う彼女にカクテルを差し出すと真顔になる。

 

 電

 駆逐艦「電」。

 健気で優しい女の子。癒し。

 誰とでも分け隔てなく接する事ができる。

 長く秘書艦を務めるみんなのリーダー。

 なのですと鳴く。

 髪の毛を弄るとやんわり押し返してくる。

 

 伊58

 潜水艦「伊58」。

 ゴーヤ。愛称はでっち。

 語尾もでち。でちでちでち。

 オリョクルでもカレクルでもなんでもござれ。

 海が好きでお仕事が好き。苦なんてなんにもない。

 ニガウリと呼ぶとカチーンとして機嫌を損ねる。

 

 赤城

 空母「赤城」。

 いつもお風呂に入っている印象があるが別にそんな事はない。

 いつも食堂に入り浸っている気がするが別にそんな事はない。

 索敵怠るべからずが信条。

 見つからないように近付くと怒気を孕ませた瞳で射抜いてくる。

 

 北上

 雷巡「北上」。

 駆逐艦が嫌いに見えてそうでもなかったり。

 スーパーパワーで敵を蹴散らす頼もしい人。

 大井とは親友。大井がどう思っているかは別。

 気怠そうな立ち姿からはあまり想像できないが、面倒見が良い。

 勝手に魚雷に触れると頭突きされるぞ。

 

 雷

 駆逐艦「雷」。

 提督を駄目にする……噂は本当でした。

 いや、噂よりもっとずっと凄い。

 とはシマカゼの感想。

 邪気が無く子供らしい振る舞いの中に気遣いが見えるのは、

 さすが電の姉妹といえるだろう。

 許可なく髪を弄るとぷんすこ頬を膨らませる。

 

 吹雪

 駆逐艦「吹雪」。

 一見地味だが取り柄の無い子ではない。

 期待の主人公……になる予定だった。

 ツッコミは上手い。

 何かとシマカゼを気にかけてくれる。

 悪戯をすると両腰に手を当てて怒ってますアピールをする。

 が、怒る事は滅多にない。

 

 提督

 T字人間ではない。

 艦娘を率いる事のできる適正のある選ばれた人間。

 エリート。

 しかし、能力はあるが、艦娘に囲まれると腰が引けてしまう。

 そこら辺の経験に疎いらしい。

 とか言いつつもちゃっかり恋愛経験を積み中。

 書類仕事中にちょっかいを出すと切れる。

 

 アルティメット悟飯

 こっちだ、ウスノロ。



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本編
第一話 俺の体はなぜ島風になったのか


 島風は、まだ……たたかえる……――

 

 

 

 始まりはいつも突然だ、なんて、誰が言ったのだろう。

 どこで聞いたのかも、誰から聞いたのかも思い出せないが、その言葉は本当なんだろうな、と思ったのは、最近の事。

 何をもって『始まり』とするかはわからない。

 でも、『俺達』にとって、それは『始まり』以外の何物でもなかった。

 全身の筋肉が躍動を望むような悲嘆と、狂おしい程の喪失感がもたらした新たな世界。

 吹く風さえも新しいのに、踏み出す一歩は重く大切で、だから、きっと。

 走り出した先に待っているのは、輝かしい未来なんだろうなって思えたんだ。

 

 

 降り注ぐ、熱い雨。

 疲れた体に染み渡る湯の圧力は、風呂桶いっぱいに溜まったお湯に肩まで浸かり込むのとはまた違った気持ち良さがある。

 湯気で曇る視界をそのままに、肩や胸に手を這わせ、擦る。

 それから、わしゃわしゃと頭髪を乱して、このいっときを堪能する。

 

「……ふぅー」

 

 二時間も入んないけどな、なんて自分にツッコミを入れつつ(『いっとき』の意味の事だ)、蛇口に手を伸ばして栓を捻り、湯の雨を止める。それからシャンプーをちょいちょいと手にとって洗髪を始めた。

 

「――おっ?」

 

 腰かけた風呂椅子が少しずれて、そのひょうしに、膝の高さにある台から何かが落ちる音がした。スポンジ……ではない。もっと硬いが、音からして中身の残り少ない物。

 ボディーソープか。そういえば詰め替えは買ったかな……なんて思いつつ床に手を伸ばす。まぶたの裏の暗闇の中では、なかなか目標の位置が掴めない。音はこっちからしたと思ったんだけど……風呂の中だ、反響して、判断を誤っているのかもしれない。

 固くつぶった目に泡立った液体が流れてくる。

 ぐいと右目を拭って、息を吐いた。ちょっとした息苦しさがあり、また、顔の上部に留まる洗剤が、なんとなく口元まで下りてきている気がして、口内に変な味が広がるのにうへぇと呻いた。余計に味が広がって渋い顔になってしまう。

 仕方ない。少しの間目を開けて容器を拾ってしまおう。

 覚悟を決めて、比較的シャンプー液の脅威に晒されていない左目を薄く開く。ぼやけた視界に白煙。それでも、見えない事はない。

 思った通り、ボディーソープの容器が落ちていて、台の下に転がっていた。

 体を折り、お腹と膝をくっつけるようにして台の下に手を伸ばす。

 う、拾った後、蛇口や台に頭をぶつけないよう注意しなきゃな。

 

『――――』

 

 表面に水滴の流れる冷たい容器を手にした時、ふと、誰かの声が聞こえた。

 遠く、不思議に響く声。聞いた事のあるような、でも、知らない女の子の声。

 ……『声が聞こえた』という事象に動きを止めていた俺は、一瞬後に背筋を凍らせた。

 風呂で、シャワーを浴びている時に、女といえば。

 ……いや、そんな、まさか。

 でも、水場は幽霊を引き寄せやすいって言うし……。

 いやいやいや、だが、そんな非現実的な事は……!

 ()()見たくないがために思わず目をつぶってしまったせいで、暗い視界が不安を増大させていく。後悔してももう遅い。今さら目を開けようなどと、シャンプー液が許しても恐怖が許さなかった。

 背後に人の気配。

 ……おそらく気のせいだが、人の気配がするのに、身震いした。

 静寂が耳に痛い。浴室内にこもる熱と何かが、人の呼吸に似た音を作り出す。

 それはきっと、自分自身の呼気だ。それを他人のものと錯覚しているだけ……。

 だいたい、背後に見知らぬ女だとかが現れる原因になる事を、俺は何もしてない。

 頭を洗ってる時だって、今夜の献立を必死に考えていただけで『だるまさんがころんだ』を三回唱えていたりはしないし、誰かの手が俺の頭を洗い出すなんて事も無かったはずだ。

 

『――き――』

 

 だが。

 たしか身を屈める一瞬、目の前の大きな鏡に、誰かの姿が映っていたりはしなかったか……?

 

「…………」

 

 それは俺だ。俺の姿だ。

 ……見えた影は、俺なんかよりずっと髪が長かった気がするが、俺だったら俺なんだ。

 もし違うとするなら……ははは、きっと姉さんが俺を驚かそうとこっそり忍び込んできたに違いない。

 姉さん悪戯好きで子供っぽいからなあ。仕方ない人だ。今夜は好きなもんでも作ってやろうと思っていたが、こんな悪戯を仕掛けてくるなら、嫌いな物・オンパレードにしてやろうか。とうふ一色とか。

 なんて現実逃避をしていれば、微かに聞こえる声。

 くぐもって、薄い壁一枚を隔てた向こうからするような、弱々しいもの。

 隣の部屋の誰か……なんて可能性はない。うちは二階建ての一軒家だ。姉と二人で暮らしているだけで、他に人はいない。その姉も、今は友達やらとコンカツに行っている。

 だから、この家には今、俺しかいないはずなのだ。

 

『――――』

 

 ……聞こえる。

 俺を呼ぶ、みんなの声が。

 ……なんてネタに走ってみても、俺の心から恐怖心が去る事はなく、居直り強盗よろしく居座っている。

 はっきりしない声の残滓が、寒気と共に身を包む。

 耳の奥で耳鳴りがする。勘弁してくれと嘆きたくても、口は固まったままで動かなかった。

 身動きをしなければ、その分だけどんどん怖さが増していって、そろそろ耐えられそうになくなった時……不意に、耳鳴りの正体に気付いた。

 水だ。

 水が、耳に入っている。

 

 ――飯、作ったら、なんか映画でも見ようかな。

 頭の中に自分の姿を思い描いて、それを動かし、料理をさせて、配膳をさせて、返却期限間近のDVDを探させる。

 そうやって順序立てて動かす事に集中していれば、恐怖が薄れる気がした。

 得体の知れない声や影が、俺の中に落ちていく。

 

 午後だ。

 いや、今はもう夜だが、午後三時はとっくのとうに回っている。

 艦これ、やろうかな。

 ゲーム画面を開くイメージ。

 ぷかぷか丸が延々揺れ動く中で、その先で待つ秘書艦の姿を思い浮かべる。

 島風が連装砲ちゃんを抱いて暇そうにしていた。

 ああ、そうだ。(いなづま)金剛(こんごう)じゃなくて、今は彼女を第一艦隊の旗艦に置いているのだった。

 ライトユーザーの俺は、未だ3-2を突破していない。そのため、キス島撤退作戦攻略のために駆逐艦の育成に励んでいたのだ。

 基本は吹雪さんを旗艦にして改二にしようと練度を高めているのだが、時折そうして旗艦を入れ替え、主に演習で得られる経験値の配分をコントロールしている。

 いるのだが……ここ最近は仕事が忙しく、なかなかプレイの時間をとれていないのが現実だ。島風のレベルはおろか、吹雪さんやその仲間達のレベルは遅々として上がらず、なかなか攻略に踏み切れていない。

 仕事の大一番は乗り越えたから、今日からは早く帰って来れるし、やろうと思えばじっくり攻略に集中できるはずだ。

 頭の中の島風が操作まだーと不満気に言い出すのを、頭を振って振り払ってから、目を開く。

 ずっと強く目を閉じていたから、少しの間視界が霞んで、それが晴れると、暗い鏡面が見えた。

 深く暗い水底(みなそこ)のような色合いの鏡。浴室の明かりを受けてなお静かに揺蕩う蒼は、そのずっと向こうに僅かな水泡を映していた。

 

 未だ残る恐怖があった。

 だから、目を開けたままお湯で髪を洗い流し、リンスで整え、せかせかと体を洗いだした。

 その間ずっと、俺は鏡を見つめていた。俺を映し出さない、不思議な鏡を。

 

『――こっちに、きて』

 

 はっきりと声がした。

 聞き覚えのある声だった。

 でも、知らない声だった。

 知っている声優さんの声?

 知り合いの声?

 ……姉さんの声?

 

 ――叢雲さんがふくよかになっちゃったぁ。

 

 頭の奥で、いつか聞いた、姉さんの嘆く声が響いた。

 それのせいかはわからないけど、その時に俺は立ち上がり、一歩、踏み出したんだ。

 台を乗り越えた足が鏡の中へ入り込む。肌全体を包み込む、刺すような冷たさ。

 伸ばした腕が鏡面を揺らし、ごぼごぼと流れる水の中へ沈んでいく。

 体の全てが入った時、ようやく俺は、声の正体に気付いた。

 

 彼女は――――。

 

 

 ――――。

 ――……。

 ――。

 

「ん……」

 

 鈍痛がした。

 頭が、中に鉛でも詰め込められてるみたいに重い。

 うつ伏せになっているのか、息が苦しい。

 腰より下にかかる暖かい物が寄せては引くと、そのたびに恐ろしい程の冷たさが下半身を襲う。

 勝手に体が震えた。

 そうすると、脳にかかっていた影がさっと引いて、目を開くのと同時、思考も視界も光を取り戻した。

 

「んぐ、ぅ……」

 

 腕をついて上半身を持ち上げ、細かい泥砂を抉って膝を前に出し、つく。

 声が漏れた。

 

「う、ぎ……!」

 

 苦しいから、どうしても、声が出てしまった。

 体中がきりきりと痛む。特に、左足。

 なんらかの怪我を負っているのか、と確認しようとついた両腕の合間から覗こうとして、水の波が足にかかるのにうっと顔を上げた。

 足が切断されるような激痛。だけど、凄く痛かったのは一瞬だけで、波が引くと普通に呼吸がきるくらいには治まる。でも完全になくなる訳じゃない。

 もう一度足を見ようとして――この位置からじゃ痛みのある(すね)周りが見えないだなんて考えもつかず――また波が寄って来るのに、先程の痛みを思い出して、泣きそうになった。

 痛いのは嫌だ。痛いのは、嫌。

 それだけを胸に、必死に腕を動かして、前へ進む。不格好な匍匐前進とでも言うべき移動は、なんとか波に襲われる前に範囲外へと体を移す事に成功した。

 

「はっ、は、はっ……」

 

 仰向けに寝転がり、目をつぶったまま大口を開けて呼吸する。

 息を吐けば口周りについた水滴が口内に入り込み、吐けば塩気の混じる息が空へ(のぼ)る。

 強い日差しがまぶたを刺して、だから、腕を持ち上げて目元を覆うとした。

 それがいけなかったのかもしれない。

 

「――ぐ、ぶ……!」

 

 体を動かすのに反応したのか、胃を持ち上げて、肺も胸も破裂させようかとでもいうように、何かの塊が喉までこみ上げてきた。

 体を転がし、腕をつく。猛烈な吐き気に襲われて、耐え切れずに、吐いた。

 

「っえ、えぐっ……! うぇええ!!」

 

 ドシャドシャと砂浜に落ちて跳ね、染み込んでいく熱い水。

 ほとんど胃液の混じっていない何か。喉奥と口の中に錆びた鉄と濃い塩の味が広がると、再びの吐き気に逆らえず、水を吐いた。

 激しく咳き込む。そのたびに水滴が飛ぶ。肩にかかる髪が跳ねて揺れ、頭の上で重い二本の何かが踊る。

 痛い。熱い。苦しい。

 生理的な涙が目じりに溜まると、腕から力が抜けて、どさりと砂の上へ倒れ込んだ。頬や腕に引っ付く砂の感触。頬と地面の間に挟まった髪の感覚。

 どれも、遠くて近い。薄ぼんやりとした思考でそれを捉え、ふと、何してんだろ、と現状に疑問を持った。

 

「くぅ……!」

 

 されど、左足に走った鋭い痛みが思考を許してくれない。

 反射的に閉じた目からとうとう涙が零れ落ち、砂へ消えていく。

 なんだかわからないけど、辛い。頭も体も重い。

 疲れはどこにも感じないのに、痛くて苦しい。

 訳がわからなかった。

 訳がわからないまま、眠りに落ちた。

 

 

 冷たい風が肌を撫ぜる。

 夜空に瞬く星の輝きを倒れたまま見上げていた俺は、ふっと息を吐いて、ようやく身を起こした。同時に、引き寄せた右足の膝に腕を置き、左手は横について、すぐ傍の海を眺めた。

 周囲は暗く、星の光だけが頼りの今では、海の遠くまでは見通せない。寝起きの頭を覚まさせるためにこうして寝転んでいたけれど……さて、これはいったいどういう状況なのだろう、と自分自身に問いかけてみた。

 目の前には波を放つ海。座る場所は砂浜。それが左右にずっと続いていて、後ろの方には森林。

 

 ……漂流した?

 何が、どうして、どうなって。

 浮かんだ答えは即座に否定され、しかも、それ以外にこんな場所に一人でいる理由が思いつかなくて、自分の頭の悪さにうんざりした。

 そうやって空を見上げると、夜の空は変わらず綺麗で、俺の心を落ち着かせた。

 しばらく星を眺めてから顔を戻し、頭を振って思考をリセットする。髪を引っ張って揺れる頭の上の何か。

 それがなんなのかを考える前に右手を持ち上げていた。

 

「ん……?」

 

 手に触れたのは、棒状の……いや、布。細い布だった。

 肌触りは海水に濡れているせいかざらざらとしていて、しかし元はかなり手触りの良い物だろうと予測できた。

 それが二本。

 頭の上で揺れる二本の布。

 なんだこれ。

 布を掴み、手の内で感触を確かめていた俺は、一思いに引っ張って見る事にした。

 すぽん、とあっさり抜ける。引っ張られた髪がばらけて前髪と共に顔にかかるのに、鬱陶しいと手で退ける。それから、布の正体を確かめた。

 

「……カチューシャ?」

 

 黒い布が二本伸びた、見覚えのあるようなカチューシャ。

 ……なんだこれ。俺、こんなものをつけてた記憶はないんだけど。

 というか、カチューシャなどガキの頃くらいに一度か二度ふざけてつけた事があるくらいで、この年になってつけようだなんて思うはずがない。

 なんでこんな物が……?

 疑問と、不安。

 見知らぬものを身に着けているというのは、それが誰のものかわからないというのも含め、そして、見知らぬ場所にいるというのも相まって、いっそう不気味に思えた。

 思わずほっぽってしまう。

 地面に落ちたそれから意識して目を逸らし、頬にかかる髪を手の甲で退かす。

 怖かった。

 夜に、外で、一人。

 心細さを感じると、それを辿って嫌な感情が侵食してくる。

 それを振り払うために、やたらと腕を動かして髪に触れていた。

 

「…………」

 

 それで、気付いた。

 俺の髪は、頬に触れたり、肩にかかるほど長くなんてなかったはずだ、と。

 

「…………」

 

 おそるおそる両手を持ち上げ、両耳の下あたりで髪を握る。

 そのままゆっくりと下へ。

 やはり髪は肩よりも長く、腰辺りまで伸びていた。

 さらに気付く。

 髪に触れていた自分の手に、何かを着けている事に。

 両手を顔の前へ持ってくれば、長い白手袋をしているのがわかった。

 腕の方へ視線を移していけば、二の腕辺りで青と白からなる厚手の布に繋がり、終わっている。

 

「…………」

 

 そこからは連鎖的だった。

 肩やお腹や足を露出した自分の体を見下ろせば、コスプレ染みたセーラー服のような見覚えのある服と、ミニスカートと呼称するのも難しいくらいに短い青色のスカートに、太ももの半ばより上辺りから足の先までを覆う縞々の靴下。視線が足を辿って腰元まで戻れば、両足の付け根にかかり、スカートの中へと伸びる黒い紐。それから、胸部の膨らみ。思わず自分の胸に手を押し当て、心臓の音を確認した。

 ……動いてる。ドッドッと脈動する感触は、一枚の布を隔てても確かに伝わってきた。

 生命の躍動を感じて、若干落ち着きを取り戻す。それでも、心臓は強く跳ねて、全身に血を巡らせていた。

 冷や汗が首筋を伝う。悪寒が背筋を震わせた。

 夢、かな。

 投げ出した足には、いつも()いている黒い革靴の代わりにハイヒールのようなシルバーのブーツがあった。ヒール部分はヒレのような作りだ。速そう、という無意味な感想が頭をよぎった。

 胸元から垂れる、カチューシャの物と同質のリボンを握り締めて、海を眺める。

 頭が現状を受け入れなかった。

 なのに体は、当然のようにこの体を俺の物と認識していて、自由に動かせた。

 砂を深く掻く指も、爪の合間に入り込む砂の粒の感触も、開き続けているせいで乾いてきた目の痛みも、舌の裏に広がる苦味も、ふとももをスカートがくすぐるこそばゆさも。

 

「…………」

 

 立ち上がると、ばらばらと砂が落ちた。まだお尻や背にも、髪にだってたくさん張り付いているだろうけど、払う事無く歩き出す。

 左足の痛みはほとんど感じなかった。

 引いていく波の中に歩を進めていく。蹴飛ばした水が飛沫と波紋を広がらせる。見つめた地面に、何かの動物のような奇妙な足跡が刻まれていく。

 歩ける。バランスを損ない、倒れるなんて事も無く。こんな、つま先立ちに近い足の形なのに。

 膝下まで波がかかる位置まで来て、立ち止まって海面を眺めた。

 夜闇を映し、波に泡立ち、揺れる海面。

 そこに俺の姿は映ってない。

 誰の姿も、映らなかった。

 

「…………」

 

 数歩、下がる。そのさなかに、ざりざりとつま先で泥を引っ掻き、海水を引き込んでいく。

 それから、砂浜に膝をついて、穴を掘った。

 自分で引いてきた道に繋がるように、広く浅い穴をこの手で、無心で。

 泥に淀んだ水が流れ込めば、多少の泡立ちの中に、星の輝きを映しだす水面ができあがった。

 自分が影にならないようにして、水面を覗き込む。

 

「……――」

 

 予想通りの姿が俺を見返していた。

 青ざめた顔は小刻みに震えていて。

 見開いた瞳は、ブラウンを帯びた灰色に輝いていて。

 頬に張り付く髪は数本が垂れていて。

 

 か細い悲鳴が、喉を裂いて飛び出した。

 

 

「……ぅ」

 

 蹲って、体をきつく抱きしめていた。

 柔らかくて、硬い、自分の物ではない体。

 怖かった。

 俺を映し出した海が。

 意味がわからなかった。

 俺が少女へ変わってしまっているのに、すでにそれを受け入れ始めてしまっているのが。

 恐ろしかった。

 

 島風という少女を、俺は知っている。

 ブラウザゲームに登場する、人気の女の子。

 かつての駆逐艦の現身(うつしみ)

 でも、それだけじゃない。

 それだけじゃなくて、島風がいつどこで何をしてきたか……そんな事さえ、記憶の中にあって。

 だから俺は、今この瞬間、誰よりも島風を知っている存在になってしまっていた。

 知らないのに、知ってる。

 それがこの上なく(おぞ)ましかった。

 自分の知らない内に自分の身に起きた異変に、嗚咽(おえつ)さえ漏らし、涙を流した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 こんな年になって泣くなんて。

 どこかにある常識が囁く。恥ずべき姿だ。今すぐ涙を止めるべきだ。

 俺はそれに従った。膝を抱いて、体と膝の間に顔を(うず)めて、ちかちかと瞬くくらいに強くつぶった目の奥で、泣き止もうとした。

 

 それは成功した。

 常識に縋ったから、だった。

 それだけだった。

 現状は何も改善されてなくて、夜だって明けてなくて。

 手の平で頬を擦る。じゃりじゃりと砂の感触。湿った肌の柔らかさ。歪む唇の端に、水。

 へぅ、と、泣き混じりの情けない声が出た。

 

「……意味……わかんないけど……」

 

 声に出してみて、認識する。

 ほんとに意味がわかんないけど。

 だって、こんな、女の子の声になってしまっているだなんて。

 

「島風に、なっちゃった……」

 

 子供のような声は、誰に届く事もなく風の中に消えていった。




海鷹様より素敵なイラストを頂きました! やったね!
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=51780994


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第二話 島風にはならない

 朝日が海を照らす。

 青と白が煌めき、絶え間なく押し寄せる波が、朝の到来を告げていた。

 一睡もせず、膝を抱えたままじっと海を眺めていた。

 徹夜明けの頭の重さと、じんと脳に浸透する疲れ。

 足の裏は熱くて、なのに、ちっとも眠くない。

 こうしてずっと座っている間、考え事をしていた。

 最初は、夜を凌ぐために寝床を探さなければ、と思った。

 でも、そのためには、夜間の森林に足を踏み入れなければならなかった。

 女の子になってしまっているだなんて現実味のない世界の中でも、暗闇や、未知に対する恐怖はわき上がる。

 森に入るのが怖かった。

 だって、何がいるかもわからないのに。

 大型の野生動物がいるかもしれない。毒を持つ蛇や植物がいるかもしれない。

 言葉の通じない人間がいるかもしれない。

 そのどれもが頭の中にあって、だから、結局朝まで動けなかった。

 そうすれば何かが変わるかもしれない。何かが解決されるかもしれない。そういった期待もあった。

 でも、朝日が昇り、俺の体を照らし出しても、何も変わりやしなかった。

 相変わらず髪は長いし、声は高いし、胸はあるし、スカートは短い。

 でも、幾分か、混乱は収まった。

 そして冷静になれば、今度は別の不安や心配が出てくる。

 姉さんは大丈夫かな。会社での扱いはどうなるんだろう。

 昨日は婚活に向かっていた姉さんだ、もしかしたら外食で済ませているかもしれないから良いとしても、今日は……。

 昼は、夜は。明日は、明後日は。

 俺がいなきゃ、きっと姉さんはコンビニ弁当やらで済まそうとするだろう。

 だから俺がいるのに、その俺は、こんな場所にいる。

 姉さんの食生活が心配だった。

 それに、会社の事も。

 ちょうど忙しい時期は終わったとはいえ、一人欠ければそれだけで大きな穴があいてしまう。

 大迷惑なうえに、無断欠勤で俺の評価にも大きな傷がついてしまっただろう。

 これまできっちりやってきただけに、どうしようもない事態であろうと、やりきれない思いでいっぱいだった。

 

 でも、夜通し考えていれば、少しずつ心配は薄れていって――姉さんへの心配は強く残っているけれど――今度は自分の身に考えが及ぶようになった。

 なぜ島風になってしまっているのか、なんて事は考えない。

 きっとそれは無意味な思考だ。答えが出れば元に戻れるというのなら死ぬ気で考えるけど、たぶん、そうはならないだろう。

 考えるのは、『自分の状態』と『これからどうするか』の二点だ。

 ……そう決めて考え始めたはいいものの、頭は軽いような重いような感じでふらふらするし、思考はどうしても「なぜ俺が島風になってしまっているのか」に及んでいく。

 考えまいとしても意味がない。どうやら俺は、そこのところをはっきりさせたくて仕方がないようだ。

 まったく困った奴だ、なんて胸中で独り言ちてみても、現状はおろか、不安も恐怖も消えはせず、一度目をつぶって心を落ち着けた。

 ただ座っているだけなのに、何十分かおきに大きな感情が幾度も襲ってきていた。

 様々な思いや考えは今の頭では到底処理しきれないから、解決できずに、再び感情に襲われての繰り返し。

 傍に落ちているカチューシャに手を伸ばし、砂で汚れた布を掴んで、膝に回した両手の先で握る。ざらざらとした手触りが手の平にあって、それに意識を集中させて、再び思考に没頭する。

 なんで、こんな事になったのだろう。

 こうなる前までの記憶を遡って考えてみても、風呂に入ったところまでしか思い出せず、特別何かあった訳ではないとしか思えない。

 

「――――……」

 

 ふと、何か声が聞こえたような気がしたが、耳を澄ましても波の音か、木々のざわめきしか聞こえず、気のせいだと判断した。

 

 ……それでも結論付けるならば、前触れもなく突然に島風として生まれ変わってしまったか、憑依してしまったか、だろう。

 ではこの島風は、俺がこうなる前はどうしていたのだろうか。

 いきなり俺が入り込んでしまったから、消えてしまった?

 それともこの海で突然に生まれ、島風という艦娘の魂が入る前に俺の魂が入ってしまった?

 ……いくら考えても答えの出ない事だが、いずれにせよ、俺が島風を乗っ取ってしまっているのには変わりない。

 そう考えると、酷く悪い事をしているような気がして、罪悪感にいっそう身を縮こまらせた。

 ……なりたくて、なった訳じゃないのに。

 こんな体――こんな、なんて言うのは失礼かもしれない――になるだなんて予想もしてなかったし、なりたいと思った事もない。

 日常に嫌気が差して、何か非現実に逃げ込みたいと思った事もここ数年はない。

 だから急にこんな事になっても、今すぐ元に戻りたいとしか思えなかった。

 

「戻れる……の、かな」

 

 弱々しく呟けば、か弱い少女の声となって耳に届く。

 これが夢でないならば、どうすれば俺は島風から元の俺、福野(ふくの)翔一(しょういち)に戻れるのだろうか。

 ……戻れないだなんて考えたくない。

 考えたくないのに、もし戻れないなら、まずは最低限生きていける環境を見つけるか作り出さなければ、なんて考えてしまって、カチューシャの布を強く握り締めた。

 砂粒同士が擦れあう音さえ嫌になる。

 なんで、今の状況を受け入れようとしているのだろう。

 それが、人の持つ生きようとする力なのだろうか。

 こうして考え続けていても、動かなければいずれ死ぬだけだから、体が生きる道を模索しているとでも言うのだろうか。

 馬鹿馬鹿しかった。

 それよりも、今すぐ元に戻りたかった。

 日常を送る中で、何かしらの変化を望んだ事はあるけど、こんな変化は望んでない。

 ……でも。

 なってしまったものは、仕方ないじゃないか……。

 

「…………」

 

 布から右手を離し、叩き落すように地面に置く。爪を立てて砂にめり込ませれば、込めた力の分、指が震えた。

 苛立たしさも、何もかもを右手で発散する。

 そうでもしなければやってられなかった。

 得体のしれない、何か暗い感情に押し潰されてしまいそうだった。

 だから俺は、勢い良く立ち上がり、同じように、勢い良く両頬を叩いた。

 

「――っし、こんな事しててもしょうがないぞ!」

 

 自分自身に言い聞かせる。

 今するべき事はうじうじと女々しく過去を想う事ではなく、生きるために未来を見る事だ。

 未来とは、あの森林にある。雨風を凌ぐにも腹を満たすにも、水の確保も、きっとそこでできる。

 でも、ろくに森の歩き方も知らない、植生も知らない、サバイバルの知識もない俺が、ただ森に入って無事でいられるのか。

 ……なんて考えは、一度丸めてそこら辺にでも捨てておこう。

 きっと、たぶん、なんとかなる。

 そう、ポジティブにいこう、ポジティブに。

 それで、なんか楽しい事でも考えておこう。

 そうすればきっと楽しくなって、なるようになるに違いない。

 

 流れるようにそう考えてから、カチューシャに目を落とす。

 砂まみれの、兎の耳でも模したかのような黒いカチューシャ。

 姉さんや会社への心配に、俺自身への心配ときて、次は彼女への心配が出てきた。

 もし俺が元々の彼女を塗り潰してしまったというのなら、俺が言うべき事は、「なりたくてなった訳じゃない」なんて後ろ向きな事ではなく、「君の分まで生きさせてもらう」という前向きな言葉なのではないだろうか。

 じゃなきゃ、彼女が浮かばれないだろう。

 彼女の分まで生きる。それが当面の目標だ。今、決めた。

 目的ができれば、だいぶん頭も心も落ち着いて、しっかりと前が見えるようになった。

 眠気や疲れは遠く、代わりのように、喉の渇きと、空腹。

 

「……艦娘も腹が減るんだな」

 

 ――そんな事は当然、知っているのだけれど。

 なんとなく声に出しつつ剥き出しのお腹を擦れば、乾いた砂がぽろぽろと落ちて下腹部をこしょぐっていった。一瞬妙な脱力感に襲われて、体を折りかける。

 体も服も洗わなければ。いつまでも砂まみれではいたくない。

 まったく、風呂に入ったばかりだってのに、なんてぼやきつつ、森林の方へ体を向けて歩き出す。

 森に踏み入る事への心理的抵抗や不安は隠せなかったが、足は止めなかった。

 止まればずっとそのままな気がした。自分をそんなに弱い人間だとは思いたくなかったが……そんな自尊心の裏では、きっとそうなるだろうという確信があったから。

 背の低い草や木々の立ち並ぶ前まで来て、青臭い匂いや土の香りが鼻腔をくすぐると、不意に自分がなんの装備も持っていない事に気付いた。

 

「…………」

 

 連装砲ちゃんも、背負っているはずの魚雷発射管もない。あるのは体一つ。

 そんな、ヒーローでもないんだから、体一つでどうしろというのだろう、なんていう新たな不安を抱えつつも、俺は無謀に、森へと入って行った。

 

 

 艦娘は人ではない。

 限りなく人に近いが、根本的な所で違っている。

 艦娘が生きるのに必要なのは資材だ。鋼材に燃料。艤装(ぎそう)を使うには弾薬が必要だ。艦種によってはボーキサイトも必要になってくる。

 だが、今俺にとって重要なのはそこではない。

 艦娘は、人と同じ姿をしているが、人を遥かに凌駕する力を持っている。その一点が、俺にとっての望みだった。

 着の身着のまま漂着したらしいこの場所で、駆逐艦・島風となった俺の希望は、戦う船の現身たる彼女の身体能力だった。

 ……のだけど。

 

「……思ったより力、ないなあ」

 

 てきとうな木を押してみながら、ぽつりと呟く。

 それでも、俺よりずっと身体能力は高いのだけど……なんだろう、イメージと違う。

 俺の中のイメージや、読んだり見たりしてきた創作物からでの知識では、相当な力を有しているはずなんだけど……目の前の細い木をへし折る程度もできず、めいっぱいジャンプしたって何十メートルも飛んだりはしない。

 何か間違っているのだろうか。この体はすっかり俺に馴染んでいるけれど、まだ、俺にはわからない使い方があるのだろうか。

 そう考えて記憶を探ってみるも、妙に薄い、船だった頃の記憶ぐらいしか思い浮かばず、やはりこの島風がどこで生まれて何をしていたのかだとか、力の使い方だとかはわからなかった。

 ……艤装の使い方はなんとなくわかるんだけど、装備がない今はなんの役にも立たない。

 木々に囲まれた森の中、腕を組んでううんと唸る。

 

「……やっぱりあれかな」

 

 こう、力を込めて「はっ!」とかやんないと艤装とか出てこないのかな。

 それとも、自分の意思で出し入れはできなくて、現物を装備しなくちゃいけないのかな。

 だとすると困った。普通の駆逐艦ならいざ知らず、島風の装備は一点ものが多いのだ。揃えるのも一苦労だろう。揃えるったって、どうやるのかなんて見当もつかないけど。

 ……で、ここどこだ?

 今さらながらその疑問に辿り着く。

 迷った訳ではない。方向感覚は結構しっかりしていて、どの方から来たのかくらいわかる。

 俺が首を傾げたのは、この世界自体の事だ。

 地球や太陽系を飛び越えて、この世界全体への疑問。

 ここは俺のいた地球なのだろうか。深海棲艦なんて侵略者はおらず、日本には俺の帰るべき家があるのだろうか。

 それとも、まったくの別世界で、家も姉さんもいないのだろうか。

 ……この姿で姉さんの元に戻ったら、確実に売り子(見世物)をやらされそうだな。

 こんな露出の多い格好で人前に出ようなんて、さすがにちょっと無理だ。

 ……この思考、島風に失礼だろうか。

 いやでも、だって、このスカートとか、縦に十センチもないんだぞ? ぴょんと跳ねれば捲れ上がって、黒い下着とこんにちはだ。見せ下着だとかそんな事は関係ない。下着も肌も見せるのは恥ずかしい。

 ……これもまた、今考えても仕方のない事だ。見せる見せない以前に、ここに人の気配など無いのだから。

 

 

 細い川を発見して辿れば、森の深くに池を見つけ出す。この場合は沢というのだろうか。湖? そこら辺の分け方を深く知らないから、とりあえず池と呼称しよう。わりかし深そうで、水は綺麗に透き通っている。それでも大小何匹もの魚が無警戒に泳いでいるのを見つける事ができたので、栄養は豊富なのだろう。

 酷く悩んだが、喉の渇きと空腹には勝てず、水辺に走り寄り、近くの魚が逃げ出したりしない事に関心しつつ座り込んで、水を手にすくって口に運んだ。

 飲んで大丈夫か、お腹壊したりしないだろうか。なんて思ったのは、飲む前と後だけ。

 飲んでいる最中は、ひたすら冷たい美味いとしか考えてなかった。単細胞の馬鹿、という言葉が脳裏をよぎる。我ながらちょっと考え無しだったかな、なんて思いつつ、お次は空腹を満たすために魚に狙いを定めた。

 ……とはいえ、釣り具なんてないし、どうしよう。泳げばいいかな。……見たとこ虫もいないし、綺麗な池だ。嫌悪感はわかない。問題は、服をどうしようって事だ。

 

「……女の子、なんだよなあ」

 

 今の俺。

 しかも、島風というれっきとした少女。見ず知らずの誰かではなく、俺の生み出した妄想の権化という訳でもない。

 画面の向こう側のみでも、知っている相手を剥こうだなんて気が引ける。でも脱がなきゃ水には入れない。水に入れなければ魚は()れない。

 困った困ったとわざとらしく腕を組んでみたが、答えはもう決まっていた。

 当然、このまま飛び込む、だ。

 服を脱ぐのはちょっと無理だ。

 それに、ほら、ちょうど体中砂で汚れてるし、洗濯だ、洗濯。

 

「そーと決まれば……!」

 

 立ち上がって池から距離を取り、カチューシャを落として走り出し、水辺で足を揃えてジャンプ。一気に飛び込む。

 揃えた両手を前に、矢のように突っ込んでいけば、体中が水の中に沈んだ。

 水を掻き、浮かび上がる幾百の水泡の合間から近くの魚を見つけ出す。さすがに驚いて逃げ出しているようだが……。

 ぐい、と両腕を後ろに動かし、体を押し出す。たった一動作。それだけで、ぐんと体が突き進む。やはり常人より身体能力が格段に高い。あくまで人間のレベルだろうけど、それでも、一掻きでこのスピードを叩きだすのは、やはり艦娘ゆえなのだろう。もしかしたら島風だからこそなのかもしれないけれど、今は、どちらでもいい。

 もう一掻き二掻きすれば、手の届く範囲に尾ひれを振る魚の姿。腕を振るって捕獲を試みれば、ぐんと腕にかかる水の圧力に捕らわれて、逃してしまった。

 右へ旋回するように泳ぎゆく魚に狙いをさだめ、足をばたつかせて接近。手刀を突きだすようにして水を切り進み、魚の腹をがしりと掴んだ!

 力強く暴れて逃げようとする魚を胸に抱え込み――ぐにぐにと胸の肉を変形させられるのに、ちょっと怯んでしまったけれど――、逃さないように水面へ(のぼ)っていく。

 

「ぷはっ!」

 

 水の上に顔を出せば、大きく息を吐き出してはーはーと呼吸をする。

 息はまだまだ続いたけれど、水面に出た以上、息を止めている意味はない。暴れる魚を持ち上げて掲げれば、ぴちぴちピチャピチャと跳ねる水。大きく重い魚を両手で持ち上げつつ、獲ったどー、なんて言ってみた。少しテンションが上がる。

 前髪から垂れる水滴を腕で拭ってから、魚を水上に出したまま両足だけで泳いで、陸地に戻る。草の上に戻れば、ぶるぶると体を振るって水を飛ばした。

 

「ふぃー、ゲットゲットっと」

 

 ぱくぱくと口を開閉させる魚と目を合わせ、すまんね、と短く呟きつつ、足をぴらぴらやって靴の中に入った水を流し出す。靴くらいは脱げばよかったかもしれない、と後悔した。

 さて、魚の捕獲に成功した。あとは調理して食べるだけ……だけど、えーと、包丁もまな板もないし、火もない。何よりお腹が空いて空いてしょうがない。枯れ木や乾いた木とか集めておくべきだったか。いや、集めてても、火を起こすには時間がかかる。待ってなんかいられない。

 しょうがないので、手で活け締めする事にした。生魚などよく触るし、生きてるのを捌いた事もある。これくらいはなんて事なかった。

 さて、どう取りかかろう。細いというより太く平たい大きな魚だ。今の俺の腕よりも横幅がでかい。サバを折るようにはいかないだろう。

 とりあえず指でエラを引っこ抜いて血を抜いてしまおう。地面に置いた名前も知らない魚を膝で押さえつつ、手袋を外す。……手袋とか、後で洗おうと思ったけど、そうなると結局服も脱ぐ事になるな、なんて思い至った。

 

「んっ……硬い……!」

 

 華奢な手だからか、少し苦戦しつつもいちおうの処理を終える。そこら辺にあった石でうろこを削ぎ落し、ちょっと悩んでから、指で腹を開いてはらわたを取り除いた。

 何度か足で地面を蹴飛ばして開けた穴に、池から水を移して魚を洗う。頬にかかる髪を腕で拭い、肌に張り付く髪をぺいと剥がしていれば、あっという間に終わる。後は食べるだけだ。

 

「……死んで間もないから、寄生虫は……たぶん……いないといいな」

 

 この魚の名前も種類もわからないけれど、エラも内臓も取り除いたし、口の中や体にはなんにもついてないし……身の中に入ってたら目視はできないけど……。

 いいや、食べよう。

 まだどこか現実味のない今に身を任せて、腹の方からかぶりついていく。大きいだけあって食べ応えはあるかな。

 

「……あんまりおいしくない」

 

 塩か醤油が欲しい。焼けばちょっとはマシになったかもしれない。

 なんて魚に失礼な事を考えつつ、何度も執拗に咀嚼してから飲み込む。

 寄生虫なんて、よく噛めば死ぬって伝説の英雄も言ってた。とりあえずもぐもぐしとけば問題ないだろう。……もし生きていて摂取してしまってても、この艦娘ボディならなんとかなるような気がする。

 食べ終えれば、先程掘った穴に残骸を埋めて、池で口元を洗う。

 お腹は満たされたけど、なんとなく、どこか足りない気がする。何が足りないかはわからないけど……肉とか野菜?

 まあ、とりあえずこれで空腹と渇きを癒す事はできた。水場も確保したし、危険な生物さえ現れなければ、当面はこの場所を拠点として生き延びる事ができるだろう。

 

 

 少し体を休めてから周辺の探索に乗り出した。

 てきとうな果実を見つけては木に登って採ってみたり――微妙な甘さだった――、倒木から太めの木を手に入れたり、枯れ枝や枯葉を集めてみたり。

 その最中、妙なものを発見した。

 

「なんぞこれ」

 

 池に続く小川の先、岩場の合間に湧き出すスライムのようなものが見えて、木の棒の束を置いて近寄り、観察してみた。

 濃い緑色をしていて、でも透き通っているそれが流れる先からは、白煙(しろけむり)が漂ってきている。

 

「……天然温泉?」

 

 身軽に岩に登って向こうを覗いてみれば、これもまた岩場の合間から湧き出している湯がすぐ傍の窪みに流れ込み、小さな温泉染みた湯溜まりを形成していた。溢れた湯は川とは反対の方へ流れていって、緩やかな坂の下に消えている。

 すたっと下り立ち、水面を見てみれば、白く……それと、薄青色に濁っていた。顔を近付ければ、むわりとした熱気が顔にかかって、ぱっと上体を反らしてしまう。頬を撫でながら再度水面を覗き込めば、濁りの中に底が見えた。でこぼこ石があるものの、座れそうなスペースがある。人の手が入っているかは判断できなかった。もし入っていたとしても、長い間管理はされていないだろう。底には幾つも石が転がっているし、周囲には人が来たような形跡は――俺がわかる範囲では――ないし。

 尖った石が邪魔だな。それに、ちょっと浅すぎる。俺だと膝の下ぐらいまでしか浸かれないんじゃないかな。体を寝かせて入ろうにも、それにはこの温泉は大きさが足りないし……などと、もう入る気で考えを進めていて、色々な問題に考えを廻らせる。

 うーんと首をひねると、顔の横にはらりと髪が流れた。鬱陶しい。特に何を考える事も無く指で耳の後ろに掻き上げて、ふと、水面に映る島風()の顔に、あっとなった。

 

「やった!」

 

 ぺち、と手を叩いて、喜びを表す。そういえば、俺は今島風なのだった。成人男性である翔一ではないのだ。この体の大きさはいまいちわからないが、島風ならこの小さな温泉にも肩まで浸かれるだろう。

 頭の上に水平にした手をかざして前へスライドさせ、高さを測ってみる。うーん、実際この体になってしまうと、元々の自分の身長もよくわかんなくなってきた。

 それでもだいたい想像できる。俺がこれくらいだから、島風は……ざっくり150㎝前後?

 あ、この靴常時爪先立ちみたいなもんだから、もうちょい低いかもしれない。

 ……低い、のかなあ。あんまりそういう印象はない。実際にこの体を動かしてみても、目線が低いとは感じないし、腕や足が短いとも思えない。

 それは、島風になっているからだろうか。そこのところの感覚ははかりようがないから、ちょっと困りものだ。

 いや、別に、何も困る事はないか。

 

 温泉の近くで土を盛って小さな山を作り、少し離れた場所にももう一つ、土を盛って山を作る。

 置いてきていた木の枝を持ってきて、それぞれ一本ずつ山に刺し、その二本に繋がるようにもう一本を置く。

 即席の物干しの完成だ。土の山で棒の高さを調節すれば、このみょうちくりんなセーラー服でも地面につかないように干せるだろう。

 そこからまた数歩離れ、つま先で地面を蹴って穴を穿ち、傍の拳大の石を拾って穴を広げる。服を洗濯しようという魂胆だ。すぐ近くに川があるけど、せっかくだしお湯で洗いたいので、穴を掘って湧き出している湯を流し込もうと考えた。

 特に苦も無く湯を引き込む事に成功する。溢れて流れ出てしまうのは、まあ、しょうがない。土混じりの濁った水は、少し経てば、白と青の濁りだけになった。

 

「あちっ」

 

 ちょんと指を入れてみれば、痺れるような熱さに、思わず引っ込めてしまう。

 ……ん、でも、すっごく熱いって訳じゃない?

 よく考えてみれば、俺は一晩野ざらしでいたのだ、体が冷えていてもおかしくない。それにさっき、池を泳いだ訳だし……ことさら湯の熱を感じ取ってしまったのだろう。

 もう一度さっと指を突き入れて温度をはかる。正確には無理だけど、少なくとも入ったら茹でだこにはならないだろうってくらいなのはわかった。

 指先を全部湯に浸し、熱に慣れれば、そのまま手首まで沈めてみる。

 

「おっ、おおお~……?」

 

 くたくたと体から力が抜けるような感覚に、間の抜けた声が出てしまった。

 じんと手に走る暖かさと気持ち良さ。なんだこれ。なんか、風呂や銭湯に入るのとは違った感覚だ。

 心なしか、じゃっかん疲れが抜けたような気がする。

 ひょっとして、あのスライムみたいなのの効能か何かだろうか。疲労に効きます、とか。

 ……そこら辺の知識もないので、なんとも言えない。でも、一つ言える事がある。

 温泉に入らない訳にはいかないって事だ。

 体を温められる所を見つけられるなんてラッキーだ。活用しない手はないだろう。

 しかも川を辿って来れるから、迷う事無く往復もできる。

 運がいいなあ。……いいのかな。島風的に。

 

「ま、なんでもいいや」

 

 温泉なんて目にしてしまったから、さっきから体や服についた砂や汚れが鬱陶しくてたまらない。

 池に入っただけでは落ちない頑固な汚れも、この不思議なお湯で洗い流してしまおう。

 

「……あー」

 

 ……と、思ったのだけど。

 ……洗濯するには、服を脱ぐしかない事に思い至って、参ってしまった。

 脱ぐのには抵抗がある。いや、もちろん元の自分であったなら、こんな誰もいない場所でならさっさと脱ぐ事ができるけど、今は女の子な訳なんだし……何より、体を見てしまうのがなんか、こう、嫌というか。

 自分の体になっているのだから、不可抗力だよ、なんて自分を誤魔化そうとしても、上手くいかない。この島風に無断でそんな事をしていいのか、という疑問があって、答えが出ずに溜め息を吐いた。

 後ろ頭を掻けば、引っかかっていた葉が落ちる。

 ……うん、良心の呵責だとか自制心だとかをぶっちぎって、汚れている事への不快感がマッハだ。もういいや。島風になってしまっている以上、遅かれ早かれ自身の体を見る時が来る。なら今の内に慣れておいた方が良いだろう。何事も素早く済ませてしまった方が良いのは経験則で知っている。知ってても中々やらない事が多いんだけども。

 胸元の黒いリボンをシュルリと引いて地面に落とす。

 

「……むー……」

 

 それだけでもう、なんか背徳感のような変な感情がわきあがってきて、顔に血が上るのがわかった。

 意識しない方が良いのに、リボンを引き抜いた際の首回りの摩擦熱や、胸に触れた腕の感触だとか、衣服を一つ脱ぎ捨てた事への緊張だとかが一気に襲い掛かって来て、眉を寄せて屈んだ。

 ……思った以上に恥ずかしい。ただ洗濯して、風呂に入ろうというだけなのに。

 上着を脱ごうと服のふちを掴めば、否応なしにお腹と接触する。男の俺とは違う、どこか柔らかい、すべすべとした肌。遠く、木々の向こうを眺めつつ、なんとか手に集中しようとする意識を引き剥がして、何でもないとでも言うように上着を捲り上げた。(えり)部分が少し引っかかってしまって、脱ぐのに手こずる。でも、脱いでしまえばそれだけだ。

 肌着なんてものはないので、一枚脱げばもう半裸だ。厚手の布とはいえ、下に何も着ないというのはどうかと思うな、なんて誰かに苦言を呈しつつ、腕で胸を庇って、スカートに取り掛かる。

 ……自分の目に映らないように隠したのに、押し当てた腕から鮮明に伝わる感覚と、腕からはみ出す僅かな肉が、余計に扇情的で、一瞬おっと思ってしまった自分をひっぱたきたくなった。

 いけない、劣情に囚われては生き残れない。というか、なんか、単純に嫌だ。艦娘にそう言った感情を抱きたくない。そう常々思っていたはずなのに、意識は全力で腕にある感触に向いているし、もうそれでいいんじゃないかな、なんて諦めも顔を出し始めている。これも男の悲しいサガか。

 

「なんて馬鹿やってる暇はない」

 

 ここは安全の保障された脱衣所なんかではないのだ。いつ危険生物と顔を合わせる事になるかわからない。そうでなくとも、サバイバルの経験などないのだから、常に周りに注意を払っていなければ……ああ、ほら。いつの間にか、太ももに横一本の赤い線が走っている。

 いったいどこでつけたのかわからないけど、細い切り傷があるのに今更気づいて、自分の不注意さに落ち込んだ。

 

「こんな簡単に傷がつくなんて思ってなかったし……」

 

 言い訳のように呟く。

 その通り、艦娘ボディにこんなにあっさり、おそらくは植物の葉か何かで傷がつくだなんて、思いもしなかった。もっと頑丈だと思っていたのだ。

 砲撃を受けて耐えられるのだから、そう考えるのが自然なはずなのだけど、今腕を通して感じる胸の柔らかさや、体の脆さを認識してしまうと、考えを改めなければならないだろうと思った。

 立ち上がり、スカートを落とす。足の付け根に掛かっているだけの下着も、躊躇なく脱いだ。木を集める際、手が塞がってしまったために仕方なく着けていたカチューシャも外す。靴を脱ぎ、縞々のニーソックスも脱ぎ去ってしまえば、生まれたままの姿になる。

 ……艦娘って生まれた時からすでに服を着ているのだろうか、なんて疑問が()ぎるも、考えても仕方ないと捨て置いて、いそいそと服を洗い出した。

 無心だ。

 風が足の合間を擦り抜けていくのに、なんとなく正座した以外は、特に動きも言葉も無く、黙々と洗濯に勤しんだ。

 肌をくすぐる髪。畳んだ足同士の触れ合い。揉み洗いで汚れを落としている服。

 わざと気難しい顔をして気持ちを抑え込みつつ、洗い終わった傍から即席物干しに通していく。

 二つ目の物干しを作っては洗い、干して、作っては洗い、干して。

 最後に二本立てた棒にそれぞれ靴を引っ掛ければ、それで洗濯物はおしまい。

 お次はいよいよ温泉だ。

 怒った顔を作っていたのに、温泉へと歩を進めると、自然に頬が緩んでしまう。先程の、手だけ沈めた時の気持ち良さや、お風呂の時の心地良さを思い出せば、しょうがない事だった。

 足の先でちょいちょいと湯面をつつき、ゆっくりと入っていく。安全な底を選んで足をつければ、もう片方の足も湯の中に。太ももの半ばまで湯に浸かれているので、これなら肩まですっぽり入る事ができるだろう。

 足で底の石をどかして、座る分のスペースを作り出す。

 

「ふえーい」

 

 そうして腰を沈めれば、思わず溜め息が出てしまった。熱が体中を包んで、ぶるりと体が震えてしまう。

 肩どころか首まで浸かると、流れていく湯がいい感じに体を押して、最高だった。

 それに、妙に気持ち良い。

 ん、いや、言葉で言い表すのは難しいけど、この気持ち良いは、普通の気持ち良いとは違う。

 ゆっくりと、でも急速に体がリフレッシュされていくような感覚。疲れが抜け出て、湯に溶けていくのが感じられる。そんな不思議な気持ち良さ。

 冷えた体に染みるー。極楽。

 なんて気の抜けた声を出してみれば、体がふにゃっとして、壁に背を預けて空を見上げた。

 視界の端には常に葉の緑が揺れている。その合間から、青い空が垣間見える。この清々しさは、なかなか味わえるものではないだろう。

 胸を圧迫する湯の圧力に、ふえーい、ともう一度声を出す。あはは、なんか変。島風の声で、こんな台詞。

 なんとなしに腕を擦りつつ、あー、あー、と声を出して確認する。間違いなく彼女の声だ。俺の重くて喉の奥に引っ掛かるようなのとは違う、よく伸びる高い声。

 こんな事になってしまって混乱していたけれど、今の緩やかな気持ちで改めて考えてみれば、この不思議体験はわりかし悪いものではないような気がしてきた。

 そりゃあ、困ってはいるけど、でもそれはどうしようもないし。

 ならやっぱり、無理にでも良い方向に考えた方が精神的にも良いだろう。

 たとえば、ほら。むさい男から、こんなかわい子ちゃんになれちゃったんだ! だとか、やほー声がよく通るよーだとか。……言ってて寒いなあとは思うけど、ちょこっと本気なのが混じってたりするから困る。一時期、自分の声がコンプレックスになってたんだよな。すぐ治ったけど。でもやっぱり、こんな風に引っ掛かりなく出せるような声には憧れてて。

 だからこれは良い点の一つ。もう一つは、えーと、あー。

 ……あー、いちおう、いや、いちおうというか、うん。島風は好きだし、彼女になれて良かった、だとか。

 深海棲艦になってたりしたら目も当てられなかったかもしんないし、などと悪い可能性を考え、今の状況を良い方に捉えてみる。

 五体満足で、健康で、前より身体能力が高い。

 ああー、とっても素敵な事だあね。

 

 つらつらと自分を洗脳していれば、その内にそんな気になってくる。

 島風さいこー。島風かっこいー。

 そんな島風になれて幸せです?

 …………たぶん、そうなんだろう。

 未知の体験をしている訳だし、仕事から解放された訳だし。

 やろうと思えば引きこもり生活も夢じゃないかもしんない。

 そのためにはより良い環境を求めて動かなきゃいけない訳だけど。

 

「ん……」

 

 益体もない事を延々考えていると、前触れもなく何かが頭の中で瞬いた。

 それは、記憶だった。一片の記憶。

 体中に血が廻っていくように、ただ一つの知識がこの身に浸透していく。

 ほんの数秒の間に、俺は艦娘としての生き方を知った。

 

「…………」

 

 そして、島風としての自分に緩やかに侵されている事を知った。

 それは、昨日、意識を取り戻した時からすでにあった侵食だった。

 俺の意識も心も、島風という艦娘に近付いていく。

 本当は、ずっと感じていた。森の中を当ても無くさ迷い歩いている時も、水の中を泳ぎ、魚を追いかけている時も。

 体の中のどこか大切なところで、細く流れてくる何かに俺が飲み込まれ、塗り潰されていくのを。

 このままではいずれ、俺は俺だった事の何もかもを忘れ、一人の島風となってしまうだろう。

 直感だった。危機感に近い、直感。

 恐怖はもう、昨日の内にさんざん感じた。だからもはや、この現象に恐れを抱く事はない。でも、だからといって黙って受け入れる事なんてできなかった。

 島風にはなりたくない。俺は俺のままでいたい。

 

「…………」

 

 でも、それじゃあこの島風はどうなる。

 俺が乗っ取ってしまった、もはや姿しか残っていない彼女の存在。

 俺がなくなるのは嫌だ。消えてしまうのは嫌。……だけど、彼女の存在を蔑ろにしてのうのうと生きるのも嫌だった。

 

「……なら、どうする」

 

 どうすれば彼女を残せる? 俺の心を騙せるのだろうか。

 彼女を尊重しているつもりになって、何も考えずに笑って過ごせるようになるには、俺はどう生きていけばいいのだろうか。

 ……なんてダークに考えてみたけれど、どうしようもない、しょうがない事にこんなに思いつめても意味はない。意味のあるなしで感情をどうこうできるなら、俺はもっと素晴らしい人生を送ってるだろうけど。

 両手で水をすくい、ぱしゃりと顔にかける。ごしごしと擦ると、少しだけ気分が晴れた。

 

「じゃあ、こうしよう」

 

 島風の要素もきっちり残して、俺も残す。ハーフ&ハーフだ。ちゃんと島風を尊重する。彼女のために、彼女のように戦う。連装砲ちゃんが手に入ったら一人遊びだってする。……は何か違うか。

 

 オッケー。考えが纏まった。俺は、島風じゃない。でも、翔一でもない。今日から俺は……駆逐艦・シマカゼだ!

 

「新たな艦娘の誕生にかんぱい!」

 

 うおー、と両手を上げて叫べば、どこかで鳥の飛び立つ音がして、びくっと身を竦めてしまった。なんとも締まらない。

 ……おふざけを抜きにして考える事にして、えーと、俺が俺のままでいるためには……俺を色濃く残すには、はっきりとしたものを前面に押し出していくしかない。

 

「たとえば、一人称が『俺』とか」

 

 ……うーん、あんましこの声に似合わないけど。でも、わかりやすく、自分の元々の性別を認識できるし、口にするたび確認できる。自分が福野翔一なのだと思い出せるだろう……たぶん。

 ……や、それだけじゃ足りない。なんとなくわかる。それだけでは、やっぱりいつかは島風になってしまうだろう。島風の要素を残そうというのだから、余計にそうだ。

 俺であって島風でもある、『シマカゼ』になるには、なんかもっとこう、他にはない、インパクトのある、かつ俺の要素をいれなければ。

 俺の要素ってなんだろう。世間一般でいうところのオタクで、未婚で……と、特色のない普通の人間だな。思ってて悲しくなるくらいに。

 

「……む」

 

 ぴーんときた。

 普通の人間。普通の人間ではしないような、でも、俺ならするような事を大袈裟にやればいいんじゃないかな。

 

「たとえばー、この年になって、ヒーローごっことか……」

 

 ……ぐさりと胸に何かが刺さった気がした。

 この年になってヒーロー……たとえば仮面ライダーだとかの真似っこなんて、常識で考えれば恥ずかしいしおかしい事だ。

 うん、おかしな事に、時折俺はやっている訳だけど。

 部屋で一人で変身ポーズ……うわー、やってる時は微塵も思ってなかったけど、絵面ヤバいなあ。

 ……でも、俺の趣味の一環であるそれは、多少の恥ずかしさも含んで、より俺を前面に押し出せる気がする。

 

「…………この路線でいってみるか」

 

 今決めた。これでいこう。いくったらいく。伊19ではない。

 むんと胸の前で両拳を握って気合いを入れて、一つの決定事項を作り出す。湯を跳ねさせる勢いで右手を左へびしっと伸ばし変身ポーズ。

 ……大の大人の俺ならいざしらず、島風なら結構いける気がする。

 

「……まあ、うん」

 

 なんか恥ずかしい事に変わりはないけども。

 それで、島風の方の要素はどうしようか。

 姿だけって言うのは尊重するなんていえない。常にスピードを追求する?

 いや、既に最高のスピードは得ている。俺が持つべきなのは、プライドだ。

 島風……いや、シマカゼが持つ長所、この速度。そして名前。今からそれが俺の誇りだ。こればっかりは誰にも譲れない。負ける訳にはいかない。

 

「おっ、私には、誰も、追いつけないよっ!」

 

 俺、と言いかけて慌てて直しつつ、一言一言、彼女の言い方を思い出しつつ真似て、言ってみる。

 異様にしっくりした。やっぱり、一人称に俺は似合わなさすぎる。口に出して言う分には、一人称は私で良いだろう。心の中では、俺で。……常時公務状態か何かだろうか。まあ、私と言うのなんて仕事中ならば常にそうだし、苦にはならないだろう。加えて、よく使う一人称でもあるので、これのせいで島風化が加速するなんて事もないはずだ。

 意識を切り替えていく。自分に言い聞かせる。今から俺は新たな存在となるのだ、と。生まれ変わるんだ、と。

 そうして、この世界で生きていく事を決める。半端に未練を残しては、きっとここでは生き抜けないだろうから。

 

「よっ、と」

 

 (ふち)に手をかけ、立ち上がる。ばしゃばしゃと水が落ち、胸の間から水滴が流れて、へそに受け止められた。む、今の、胸の存在を強く感じてしまった。

 意識を切り替えるとはいえ、そう簡単に女の子の体には慣れる事はできないだろう。本当に今さらだけど、息子が行方不明な事に違和感を覚えているし……。

 そんな事、今はどうでもいいんだ。

 

「っしょーい」

 

 半端な掛け声をかけつつ、片足でぴょんと跳び上がる。湯面から飛び出ると、両膝がお腹にくっつくくらいに畳んで、その一瞬に、先程『思い出した』艦娘としての技能を使用する。

 短い滞空時間は終わりを告げ、下ろした足が湯面を叩く。跳ねた水滴の中に足は――。

 沈まなかった。

 たん、ともう片方の足も湯面に落ちて、そのまま揺らめく湯の上に立つ。

 

「う、む……っとと」

 

 両腕を左右に広げてバランスを取りつつ、揺れる体を安定させれば、ついに俺は水上に立つ事を可能とした。

 これが、ほぼすべての艦娘が備える技能。水上を移動するための、船としての力。

 知識として、今自分がどんな状態にあるのかがわかる。

 

「……ふふふ」

 

 達成感とも興奮ともつかない感情がこみ上げてきて、自然に笑みが零れてしまった。

 艦娘としての、初めの一歩。この俺が、彼女達に仲間入りしたこの瞬間を、嬉しく思う。

 なぜならば、俺が思い描いた通りの結果を出す事ができたからだ。

 この調子なら、俺が島風に飲まれる事はなく、かつ彼女を尊重して生きる事が可能になるだろう。

 それを嬉しく思わないはずがない。

 

「んっ」

 

 声に出す必要はないけど、息を吐きつつこの状態を解き、湯に沈んだ。膨れた湯面が溢れ出し、土の上に流れていく。この温泉に流れ込んできている緑色の液体を眺めつつ、とりあえずは、服が乾くまで風呂に入っていようと思った。



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第三話 奇しくも流れ着いた少女

「すぅー……」

 

 胸の奥まで息を吸い込む。

 深く深く、息を吐く。

 繰り返し、二度の深呼吸。

 両手を前に。

 交差させた手を左右に開いてゆく。緩く曲がった肘の先は、右手は空へ、左手は地面へと向けて。

 左足を、一歩前へ。

 腹の底に力を溜めるように、ゆっくりと腰を落として構える。

 そのさなかに、右手を前へ、左手を握りつつ、腰だめに。

 視線は目前の木に。体の向きも、そちらへ。

 後ろへ一歩。体勢を整えるために左足を下げ、上体を斜めに。重心を、前に。

 それで準備は整った。

 風に揺らめく葉の茂る、人一人よりも太い木へ、いざ。

 

「――っ、とりゃーっ!」

 

 地を蹴り、砂を巻き上げて前へ跳ぶ。一度両足を(たた)み、それから、右足のみを突きだして、矢のように突き進む。

 靴裏が木の表面にぶち当たれば、僅かにしなる幹に、ヒールがめり込み、削る。木片を飛び散らせ、ベキベキと音を鳴らして半ばまで埋まった足を、再度木を蹴りつける事で引き抜き、元の位置へと下り立つ。

 残心。

 最初と同じ構えで腰を落として、体の向きを左へ。そうすると、ミシリと木が折れ、重い振動とともに地面に横たわった。

 

「ふぃー」

 

 ぐいと額を拭ってから、背を伸ばして立ち、倒れている木を確認する。

 うむ、人造人間でもないのに、素晴らしいパワーだ。

 むん、と力こぶを作りつつ、自分のなした事に興奮する。正直ここまでの力が出せるとは思ってなかった。ただのキックで、自分よりも太くて大きい木を倒せるなんて。

 つい先日まではどんなに頑張っても細い木一本倒す事もできなかったのに、なぜ今は倒す事ができたのかには、秘密がある。

 今、俺の体を覆っている、目に見えない防護フィールドの力だ。

 どれくらいの力が出せるのか、試しにやってみたのだけど……結果はこの通り。

 

「ふっふふ~ん」

 

 上機嫌で鼻歌なんかを歌いつつ、自分の両手を眺める。何もないけど、たしかに何かを感じる。

 これこそ、艦娘が持つ技能だ。砲弾を受けても簡単には沈まない秘密。人とは違う部分。

 人から船へ。元となった船の性能をより引き出し、パワーもスピードもぐんと上げた姿だ。

 ぴょん、ぴょん。足を揃え、トントンと小さく跳ねる。マラソンのランナーとかがスタート前によくやるあれだ。重心を元の位置に戻す効果があるらしいが、俺にそんな意図はなく、ただ気分が良いから跳ねているだけ。

 そう、防護フィールド……生体フィールド? を纏っている状態だと、気分が高揚するのだ。というよりも、自分の体力や体の状態を詳しく把握できるというか。だからこそきっと、士気や疲労が艦娘のパフォーマンスに直結するのだろう。……それは人間も同じかな。

 

「びゅんっ! っと!」

 

 抉るように地面を蹴りつけ、跳ねる土など気にせずに森の中へ入っていく。びゅんびゅんと過ぎ去る景色。ぐるんぐるんと回る足に、大きく振るう腕。

 

「速い速い!」

 

 木を避け茂みを飛び越え、ヒールで地面を削って急ブレーキ。左へ方向転換し、走り出す。

 素晴らしいスピードだった。動体視力も良いので、木や何かにぶつかったり、足を引っ掛けたりはしない。よっぽど不注意でもしなければ、転びやしないだろう。

 

「はい、とうちゃーっく!」

 

 今度は両足をくっつけてブレーキをかければ、つんのめるように体が前に出て、転びそうになる。おっとっと、と軽い声を出しつつ両手を前に突きだしてバランスをとれば、無事に止まる事ができた。

 自分の体をぐるりと見回しても、どこにも怪我など無い。森の中を走り抜けてこうなのも、防護フィールドの賜物だ。

 

「ただいまー!」

 

 森の中の開けた一角に、素材そのまま、木で組まれた小屋があった。

 風雨を凌ぐためにここ数日をかけて作り上げた、俺の傑作だ。

 じゃんじゃんじゃん、と口に出しつつ、スキップ混じりに我が家へ足を踏み入れる。ちゃんと靴を脱いで上がらなきゃ。床を汚す訳にはいかないしね。

 我が家の床には、カーペットの代わりに毛布が敷かれていた。あとなんかよくわからない緑色の薄い布。

 これらはすべて、海岸で拾った物だ。壊れたカンテラや綺麗に洗った瓶なんかも置いてある。波に流されてきた物達だろう。毛布なんかはかぴかぴに固まっていたが、あれこれ試行錯誤して汚れと一緒に落として、使える状態にする事ができた。これで地面の上で寝なくても良くなったのである。

 

 一息ついてから、防護フィールドを解く。そうすると、体がずっと重くなったような気がした。たぶん気のせいだろう。すぐに慣れる。

 試してて気付いたのだけど、フィールドを展開して動いていると、体力とかとは違う明確な何かを消費していくのがわかった。燃料だろうな。それ以外に思い当たる物がない。

 特に激しい動きをすれば、多くの燃料を消費する感覚があった。補給の当てのない現状、そういう行動は控えた方が良いだろう。だというのに、さっきは思わず全速力で走ってしまった。反省……。

 

「…………」

 

 今にも崩れそうな、ちょっと隙間のある壁の方へ歩いていって、傍に座って膝を抱える。

 口を閉ざすと、先程までの高揚が消えて失せ、どんどん暗い気持ちが甦ってきた。

 あー、あー、あー。だから無理矢理キャラ作って明るくしてたのに。黙るとこれだ。

 ……考えないようにしていても、男だった時の――つい数日前までの――事を思い出しては、泣きそうになってしまう。たくさんの人に迷惑をかけている事だろう。姉さんには特に心配をさせてしまっているはずだ。

 ……そういった思いの何もかもを割り切って、振り切らなければいけない。

 だって俺はシマカゼなのだ。人と艦娘の融合体、艦娘の新たな可能性なのだ。

 ……とかてきとうにでっちあげて言ってみたけど、あーもう、馬鹿馬鹿しくてたまらない。全然そういう気分にならなかった。

 さっきライダーキックをしてみた時は、あんなに楽しかったのに。

 無邪気な女の子みたいにきゃぴるんとすれば、翔一という男から離れていけていた気がしたのに。

 

「……ふー」

 

 息を吐く。

 駄目だなあ、こんな事ばかり考えてちゃ。もっと建設的な思考をしよう。ほら、これからどうするんだい? まだ寝るには早すぎる時間だし、また島の探索でもする? 海岸に行って、何か有用な物が流れ着いてないか確認しに行く?

 それとも…………海に出る?

 

「…………それは」

 

 ……まだちょっと、無理かな。

 海ってのは広大だ。指針が無ければあっという間に迷ってしまうだろうし、海を走るには燃料を消費しなければならないから、常に燃料切れの恐怖が付き纏う。何もない海の上でいきなり補給ができるはずもないので、そうなったら沈むしかない。それは嫌だ。

 補給と言えば、鋼材モドキっぽいのならこの島にもあるし、怪我や疲労は温泉に浸かれば不思議と治るし、やっぱり今はここで過ごすのが一番だろう。

 ……海に出るのは、怖いし。

 

「…………」

 

 二の腕を(さす)って、自分の中の弱気を押し込んでいく。

 シマカゼに弱気は似合わないよ。俺ならいざ知らず、今は、そうじゃないんだから……強気で行こう、強気で。

 ふるふると頭を振り、頭の上で揺れる二本のリボンの重みに意識を集中させる。それから、別の事へ考えをスライドさせた。

 この島は、あんまり広くない。数時間も歩けば端から端まで行けてしまう。鳥や蛇は確認したけど、今のところ大型の獣は見ていない。ところどころに隕石の欠片みたいな、金属? 交じりの石を見つけて、とりあえず持ち帰ってきて溜めておいてある。はたしてこれは鋼材の(もと)だったりするのだろうか。それともただの石ころ?

 本物だったとして、たぶんこのままじゃ使えないよな。精製しないと。そのための施設や設備なんてないし、作れる訳もないから、言うだけ無駄なんだけどね。

 ボーキサイトなんかは影も形もない。ここら辺にはないのかもしれない。……あれは日本では取れなかったはずだから、もしかしたらこの孤島は日本に程近い位置にあるのかも。……沖縄の方とか?

 飛行機とかが上空を飛んでたりしてくれたらわかりやすいんだけど……残念ながら、深海棲艦が存在する場合、海も空も危険な領域になっているだろうから、飛行機なんて飛んで来ないだろう。つまり、ここがどこかなんて確認のしようがない。……ああ、艦載機でも飛んでれば少なくとも俺以外の艦娘や深海棲艦がいるって事はわかるのに。

 

 ……たとえわからなくても、深海棲艦がいるって可能性は消えない。だからこそ海に出るのが怖かった。海に出たくない理由の半分が未知の外敵との接触だ。

 未知の、とはいうけど、そりゃ、PCの画面越しになら見た事はある。自らが指揮する艦娘達が戦う黒い奴らならば、嫌と言うほど。でも現実ではまだ見た事が無いのだ。艦娘ならあるんだけども。

 ……ちょいと腕を見れば、ほら、艦娘を見た事になる。

 馬鹿な事を考えつつ、それで少しリラックスして両足を投げ出し、意外としっかりとした壁に背を預けた。木そのままなのでおうとつは激しいが、そこら辺考慮して細い木を使いまくったので、背中に伝わる感触に痛みなどは含まれていなかった。

 今の俺……駆逐艦・シマカゼのレベルは、1か2程度だろう。戦闘経験どころか航行経験さえないので練度は極低。……川の上を走ったのは経験に含まれるだろうか? とにかく、そんなよわっちい奴がたとえ駆逐でもエリートやフラグシップ級なんかに遭遇してしまった日には目も当てられない。

 いちおう自身の名と能力にプライドを持とうと誓ったのだから、どんな相手でも負ける気はないが、限度というものがある。それに、敵が一隻で現れるという保証はないのだ。たとえ戦艦でも一隻ならなんとか逃げ出せる自信があるが、二隻ともなるとちょっと怪しい。戦艦でなくとも、軽巡を旗艦とした駆逐艦の集まりである水雷戦隊なんかが現れた日には、絶望的だ。

 それに、そもそも俺は艦娘の武器たる艤装を所持してないし。

 念じれば出るのかと思ってここ数日色々試してみたけど、出てこないって事は装着型なのだろう。装備などそこら辺に生えていたり落ちてたりなどしないから、現状武装できそうな見立てはない。

 武装できなくとも、この身は艦娘だ。防護フィールドを纏った状態の艦娘は常軌を逸した力を発揮する。言ってしまえば、この体そのものが武器なのだ。

 そういう思考の下に、俺は考えた。島風(彼女)を尊重し、俺を残し、それでいてシマカゼとしてやっていくために必要なすべての要素を満たした俺の戦闘スタイルとは何か。

 それが、先程木にかましたキックに行きつくのだ。

 先程は格好つけてポージングからのキックなどしたが、深海棲艦との戦闘ではそんな事をしている余裕はないだろう。艦娘が船であるのと同じように、相手も船だ。航行速度はおそらくかなり速いだろうからただ跳ぶだけでは当たるとは思えないし、相手には砲撃という遠距離攻撃があるのだから、立ち止まっていたら良い的になるだけだ。

 

 膝に肘を乗せて手をぶらつかせつつ、向こう側の壁を眺めて、考える。

 キック……ライダーを前面に押し出すのなら、スピード重視のスタイルの方が良いだろう。

 まあ、速度に優れる島風とはいっても、アクセルフォームやクロックアップ程のスピードはさすがに叩き出せないだろうけども。キックなら、エフェクトなしの回し蹴りくらいはできるかもだけど、クリムゾンスマッシュは再現不可能だな。……スピードロップ……いや、既存の技に括る必要はないか。このシマカゼ専用のライダーキック……シマカゼキックを編み出してしまえば良いだけの話だ。

 

「ふふっ……」

 

 酔っぱらっているみたいな稚拙な思考の末に導き出したのが、「必殺技を考えよう!」なのだから、自分でちょっと笑ってしまった。意識して口元に手を持って行って、お上品にくすくすと笑ってみる。

 怖気が走るほど自分に合わない笑い方だったが、外面だけを見るならばなかなか絵になっている事だろう。なにせ島風だからな。中身がこんなでも美少女である事に変わりはない。

 

 つらつらと考えに(ふけ)っていれば、太陽は真上を通過して落ち始めていた。昼過ぎ。体内時計では午後一時くらいだ。……まあ、てきとーに言ってみただけだけど。そこに意味などない。

 

 数時間単位でじっと考えてみて、思いついた事がある。

 シマカゼとしての自分にとって、重視するべきはスピードだ。そこにヒーローごっこを組み込むなら、攻撃方法はおのずと浮かび上がってくる。全速力で走ってからのライダーキック。これだ。

 ……なんて決めたはいいものの、正直ただのキックが深海棲艦に効くかは怪しかった。通常兵器が通用しない世紀の怪物。唯一対抗できるのが艦娘だというのだから――正確には、そこに『妖精さん』も含まれるのだろう――この体から繰り出される攻撃も通用すると思いたい。

 というか、通用しなければ対抗する手段がなくなってしまうので、効くと考える他ない。効かなきゃ詰む。

 ……それでも、『生身の攻撃など通用しないのでは』という不安は消えなくて、眉を寄せた。

 海に出て成す術もなく沈められるくらいなら、俺はこの島に留まる事を選ぶ。そうなると永遠にこの島でサバイバルをしなければならなくなるのだが……それもまた嫌だった。

 この体(島風)にそんな生活を強い続けて良い訳ないだろうというのと、自分自身、こんな誰もいない場所で一人で過ごしていく事に抵抗があったからだ。

 今はまだ色々と考える事ややる事がたくさんあってどうにかなっているけれど、これがもう数日して本当に落ち着いてきたら、きっと自分は今よりも大きな不安や恐怖を抱えて震える日々を送る事になるだろう。それが簡単に想像できてしまうから、なんとかしてこの島を出たいのだが……その目処(めど)がいつ立つのかは不明だった。

 島を出てどこに行くのか、何をするのかもまったく考えられていないから、問題は山積みだ。

 もし実家があれば――いや、そんな考えは捨てよう。このシマカゼに帰る場所など、今のところないのだ。

 だからもし、海に出て誰か艦娘に会う事ができれば、その艦娘の手引きでどこかの鎮守府にでも所属させてもらおう。そんな漠然とした考えが浮かんだが、その前と後は何も考えられず真っ白で、そして、考える気にもなれなかった。

 望みの薄い事を考えて鬱々とするくらいなら、空元気でヒーローごっこをやり続けてはしゃいでいる方が万倍良い。そういう風に現実を直視するのを避けているから、何も行動を起こせないのかもしれない。

 いちおうここ数日で生活環境を整え、衣食住の確保はできている。

 食事は魚を中心に果物や野草を口にしているし、毎日温泉に入れるから体も服も綺麗で、疲労なんかもちっともない。入浴すれば怪我さえ治るのだから、今の俺はこの島で目覚めた時よりも健康体だった。

 人に必要な飲料水も、川の水を沸騰させてから飲んでみている。正直それだけではまだ飲み水として問題があるような気がするけど、体に異常は起きてないので平気だと思っておこう。

 

 そうだ、ぼーっとしてないで水作ろう、水。

 立ち上がり、なんとなしにスカートの裾を引っ張りつつ仕舞っておいた『薄汚れたポリタンク(小)』を引っ張り出す。中は川で汲んだ水で満杯だ。うんしょと両手で持ち上げ、靴を履いて外へ出て、木陰の下に歩み寄る。

 四角く掘った場所に葉と木の燃え屑が積もっている。中心に、手製の釜戸。

 ポリタンクを地面に下ろし、しゃがみこんで、釜戸以外の不必要なそれらをちょちょいと除けてから、先日傍に置いておいた太めの枯れ木の表面を石で穿ち、足で押さえる。細いながらもしっかりした木の棒を抉った傷口に押し当てて、両手で挟んでぐりぐり回す。原始的な火起こし法だ。ただ、これでできるのは火種だけだ。いきなりぼうっと燃え上がったりはしないので、他に木や葉が必要になる。それらは既に用意してあるので、取りに行く必要はない。

 数回もこなしていればもう慣れたもので、さほど苦労せず火を起こす事に成功した。小さな釜戸(かまど)モドキの下へ集めた木の下に移し、燃え上がらせる。

 

 この石製の釜戸は、川沿いの岩場で大きな石どうしをぶつけ合い、割れた中でそれらしい形の物を拾い集めて作成したものだ。素人仕事だが使えない事はない。実際、海岸で拾ったでこぼこ鍋で水を沸騰させたり、拾った鉄板(!)で焼き魚を作ってみたりしている。魚といえば、海水に浸してから干すだけで美味しい干物ができ上がるのだから、お魚さんは素敵だ。

 そうそう、鍋の入手によって海水から塩を精製する事にも成功している。

 とはいってもこのでこぼこ鍋はかなり小さく、一度にできる量は微々たるものだ。指先くらい。それをちまちま作って焼いた魚に振りかけて食べてみたら、かなりマシな味になった。塩を作り出す苦労も込みで、結構感動した。

 それから、焼いて食べるといえば、森林に生息する大きめの蛇も美味しかった。

 蛇。サバイバルに於いて、蛇と聞くと、もう食料としか考えられない。最初に見つけた時は、毒蛇かどうかなど考えずに、「食べよう」と思ったものだ。

 捕獲し、調理して、食べる時になってようやく毒ないかなと不安に思った。遅い。おっそーい、だ。最近自分の頭の残念さを幾度も実感している気がする。おかしいなあ、現代社会じゃ通用してきた頭なんだけど……恐るべし孤島サバイバル?

 そんな感じで食べるものには困っていないものの、やはり米なんかが恋しくなったりして。

 考えてたらハンバーガー食べたくなってきた。ジャンクフードの味が恋しい。あーあ、クリームソーダ飲みたいなあ。

 望んだだけで出てくる訳がないので求めるだけ無駄だけど、求めずにはいられない。これが欲望だ。素晴らしい。

 

 沸騰する鍋の中身をぼーっと眺めつつ、時折棒きれ(消毒済み)で掻き回したりする。

 しばらくして、家の中から瓶を持ってきて、鍋を火から離し、冷ましてから中身を瓶に流し込む。

 飲料水の完成。

 これを川で冷やして風呂上がりに飲むと美味いのだ。

 

「お水がやっと完成したよ。遅いよね!」

 

 とか島風の真似っこしてみたり。

 台詞が違うのはあれだ、あれ。俺パチモノだし。シマカゼだからだな、うん。

 ……恥ずかしいからって心の中で全力で言い訳しても虚しいだけだと気付いてしまったので、これ以上は何を考える事も無く、再度ポリタンク内の川の水を鍋に注いで、飲料水の作成に取り掛かる。

 

 手に入れている七本の瓶全てを水で満たした俺は、とりあえず家の前に置いて冷ましておいて、夕食にした。無名の魚の干物だ。海の栄養と塩の味が溶け込んでいて美味しい。……美味しい、と言えるくらいの味だ。ちょっと薄味で好みではない。それでも生で食べるよりはマシだ。あの時の俺はどうかしてた。生魚にかぶりつくなんて……いくらなんでも動転しすぎだろう。今も落ち着いているとは言い難いけど。なにせ二十幾つにもなってかわいこぶりっこした女の子の振りなんぞしてるのだ。

 好きでやってる。そう思わないと自分の中の矜持(きょうじ)というか、何かこう、大切なものが砕けてしまいそうな気がした。

 まあでも、実際好きなキャラクターである島風を演じる事にあまり抵抗はない。

 演じるというよりも、彼女として、さらに自分として、その二つを併せ持つ新たな艦娘・シマカゼとして生きると誓っているのだから、女の子の振る舞いをする程度、なんてことないのだ。

 いずれ俺も轟沈の危険に晒されながら、人類の自由と平和を守るために深海棲艦と戦う時がくるはず。

 それを思えば、ちょっときゃぴっとするくらい、些細な事だ。

 

「んなわけねーだろ」

 

 ぼそりと自分にツッコミを入れる。そこにもやはり意味はなくて。ただ、自分を保つためのおふざけの一巻に過ぎなかった。

 食事を終えれば天然温泉へと赴き、日の沈まない内に服を洗って干し、温泉に浸かって疲れをとる。空を見る限り、まだ夕焼け空も遠そうだ。この強い日差しなら短時間で服も乾くだろう。

 そして、昨日までは自分の体が乾くまで犬のようにぶるぶると身を震わせていたが、今日はタオルを持参しているので、わざわざそんな野生児のような事をしなくて済むのだ。

 タオルは拾った。海岸万能説が提唱できそうだ。ほんとに色々拾えて助かっている。

 ……うん、お風呂上がったら、またなんか探しに行ってみよう。

 浴槽(でいいのだろうか?)に背を預けつつ、湯の熱と(のぼ)る湯気が顔を舐めていくのを堪能しつつ、両腕を広げて縁に寄りかかる。ふぅい、と溜め息が出た。

 

()が艦娘になっても、空は青いし地球は回る。これが世界って奴だね」

 

 敵は手強いね、連装砲ちゃん。

 ドラマかアニメのワンシーンみたいに、声に力を入れ、撮影カメラを意識した神妙な表情で言う。

 ただの悪ふざけだ。そうしていると、自分が一人なのも、現状の何も変えられていないのも忘れられて、ただ熱い湯の気持ち良さに浸っていられた。

 暖かな揺らめきの中に意識が半ば溶けあって、そんな中で、この島風の艤装はどこへいったのだろうと、ふと思った。

 ……それはもう、何度か考えた事だ。壊れたか、失くしたか、最初からなかったか。

 失くした説が今のところ一番ありそうだ。そして、もしそうだとしたら、俺がシマカゼとしての俺になる前は、この体は島風として動いていた事になる。

 何の因果かそれを奪ってしまったのだから、大きな責任の下に、この体で生きていかねばならない。たとえいずれ、始まりと同じように、突然に俺の意識が消えてしまうかもしれないという恐怖を抱いていても、今を全力で生き抜くほかないのだ。

 このまま走り続ける。最大スピードで。過去の何もかもを置き去りにして。

 姉さんや、翔一だった頃のしがらみを持ち続けていては速度が落ちる。

 振り返る事もできない。振り返るには足を止めなきゃならないから。立ち止まれば、きっとまた走り出す事は俺にはできないだろう。俺が強い人間でないなんて事は、嫌というほど知っている。

 だから走り続ける。その先で俺が俺でなくなっても、決して足は止めない。

 

「気分はいつもぐるぐるー……とか」

 

 ……言ってみたりして。

 やっぱり、生きていく上では、重く難しく考えるより、お気楽に、楽しく生きていく方が良い。

 非常識にふざけて、子供みたいにはしゃいで、たぶんそうすれば、辛い現実もその内そうでなくなると思う。

 その時には色々振り切れて酷い事になっているかもしれないけど、このまま鬱の海に沈んで出られなくなるよりはマシだ。

 

「んー……」

 

 ふるふると頭を振る。揺れる髪が湯面を揺らした。

 そもそも、艤装についての疑問を思い浮かべたのは、先程自身が口にした『連装砲ちゃん』についてだ。

 いずれ自分が艦娘の武装を手にする時がきたとしても、島風専用の装備、『自立稼働AI搭載兵器連装砲ちゃん』が手に入るかは怪しい。数に限りがありそうだし……。

 ……冗談。自分で動く艤装ではあるだろうけど、AIだとかが入ってるかは正直わからない。

 

 ちゃぷんと音を鳴らして、湯面で手を泳がせる。

 手に入れば嬉しい。自分をもっと確立できる。

 手に入らなければ残念。しかしシマカゼとしての役割を果たす(ロールプレイ)には支障はない。

 でもそれは俺が選べるような事じゃない。結局天に任せるしかないのだ。

 一つ息を吐いて空を見上げた。

 空はまだ、青一色に広がっていた。

 

 

「ふんふー、ふんふふー、ふーん」

 

 鼻歌をしつつ海岸を歩く。波打ち際の砂浜。

 ヒールとつま先がざくざく砂を突きわけて、足間近まで伸びてきた波の色を映す。

 収穫は上々。大小二本の瓶に、四角いアルミ缶を入手している。拾うたびに「お゛ぅっ」と言ってみたりするくらいには機嫌が良かった。

 

「ふふふふーん、ふんふふーん」

 

 泥の上に散らばる海草や貝殻の破片を眺めつつ、抱えている瓶やらをよいしょと持ち直す。波の中に煌めきが見えた。

 ん、そこで波に弄ばれてるのって……。

 

「あー」

 

 波に攫われていってしまう前にと、小走りで駆け寄って拾ってみれば、『修復』の二文字。

 

「おおー……」

 

 高速修復剤。入渠した艦娘に使用すれば、残りの修復時間が十何時間であろうと瞬く間に風呂から叩き出すアイテムだ。ただし、中身は入ってない。当然か。

 こんな物があるって事は、やっぱり艦娘はいるって事か……?

 微妙な感動に気の抜けた声を出しつつ、とりあえずこのバケツも貰っていく事にする。瓶も缶もバケツにイン。銀色が眩しい半円状の取っ手を掴んでぶら下げる。

 その後もふらふらと散歩するような足取りで砂浜を行けば、向こうの方にまたぞろ大きな何かが落ちているのが見えた。

 粗大ゴミ? 不法投棄されたなんかでも流れ着いたのかなあ。

 

「うっ!?」

 

 なんて思いつつ目を凝らして見れば、それは人の形をしていた。

 水に濡れた長い黒髪が散らばり、腰までを波に飲まれて僅かに揺れるのは、どこから見ても人間の女の子だった。



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第四話 看病

「大丈夫ですか!」

 

 波打ち際に伏せる少女を見つけて、さっと血の気が引くような感覚とともにバケツを取り落とした俺は、安否を確認しながら少女へと駆け寄った。近寄ってみてわかる少女の小柄さ。投げ出された両腕にはよくわからない物体が取り付けられている。それと似たような物が少女の背にもあった。

 

「意識は……!」

 

 ない。

 問いかけにも反応がなかったから、察しはついていた。

 すぐ傍にしゃがみこんで、口元に手を寄せる。息をしていない。いよいよもってパニックになりそうだったが、荒くなりそうな息を無理矢理に飲み込んで、重く濡れた少女の黒髪の中へと手を潜り込ませて、首筋に触れた。脈は……だめだ、わからない。

 

「素人知識じゃ……ああ、どうしたら……!」

 

 焦りばかりが募って、早口で呟く。その内容すら頭に入らない状態で、無意味に脈の位置を探ろうと指を動かす。もしかすれば既に手遅れかもしれない人間に触れていると思うと、指先が震えて、なおさら上手くいかなかった。

 

「そうだ……!」

 

 何度やってもわからない中で、奇跡的に打開策を閃く。それは、防護フィールドを纏う事だった。艦娘としての技能を引き出し、能力をアップさせれば、指先から伝わる冷たい体温の感覚ははっきりと感じられるようになった。

 気分の高揚が焦りを吹き飛ばしていく。頭の中にかかった靄が晴れるような清々しさ。それでもまだ、事態に対する危機感は消えない。

 鋭敏な感覚を駆使して脈を探り当てれば、たしかな血流を感じる事ができた。血が流れている。心臓が動いている。……まだ、生きている。

 

「でも、息が」

 

 呼吸がない。もう一度口元に手を寄せて確認してみても、息をする気配はなく、少女は危険な状態にあるといえた。

 こんな場所にいるのだ、きっと溺れたのだろう。なら大量の水を飲んでしまっているのかもしれない。吐き出させれば息は戻る? 人工呼吸をしなければ無理か?

 それもわからない。そんな知識は持ってない。

 乱暴に額を拭って前髪を退かす。汗は流れていない。全身が熱を持つような寒気に襲われているのに、体は正常だった。とにかく、こういった場合の対処法を必死に思い出そうとしつつ、まず気道の確保を試みようとして、彼女が身に着けている背中の機械が邪魔で、仰向けにできない事に気付いた。

 考える事無くそれを外そうと手をかけ、覚えのある感触に目を細めた。鉄に近い何か。これは……?

 今さらながら、それが何かに気づく。認識すればすぐにわかった。これは、艤装の一つだ。おそらく艦橋(かんきょう)と呼ばれるもの。つまりは、彼女は艦娘なのだ。それを認識しても、俺に驚きや何かはなかった。それどころではないからだ。それより、艤装がどういう訳かボロボロなのが気になった。この酷い損傷具合は……いや、少女自身の服や肌にも傷があるのを見れば、深く考えずともわかる。ダメージを受けて中破か大破している状態なのだろう。その上で呼吸が停止している。非常にまずい状態であると言えた。一刻も早く息をさせなければならない。

 そのためにはこの艦橋が邪魔なのだが……!

 片手で掴んだまま少し持ち上げると、少し引っ掛かりを覚えた直後にビッと短い音がして、あっさりと外れた。機械上部と下部の両端から、途中で切れた青色の帯が垂れている。どうやら辛うじて繋がっていたのにとどめを刺してしまったらしい。

 悪い事をしたかもしれないが、今はそんな事を気にしている場合ではない。ザッと砂の上に置いて、今度こそ少女を仰向けに転がす。だらんとした腕が揺れ動き、重く濡れた黒髪が砂粒を纏わせて流れた。

 

「……あ」

 

 目を伏せてぐったりとしている少女の顔は、果たして、見覚えのあるものだった。

 艦娘。駆逐艦。朝潮型の一番艦。

 彼女の名は朝潮だ。死に体のように青褪めた顔で気絶する姿などは当然見た事ないが、その姿は三次元に描き起こしても、ゲームで見た姿そのものだった。

 

「ゃ、んな場合じゃないって」

 

 自分以外の艦娘との初遭遇に、今さらながらに驚愕するのも数秒、すぐに気を取り直して、うろ覚えの応急処置を施す。気道の確保は顎を上げて……それから、心臓マッサージ、を……?

 焼け焦げて破れたブラウスから覗く、薄青色のジュニアブラが覆う僅かな膨らみに一瞬ためらったものの、人命救助に煩悩の入り込む余地などないと頭を振って、すぐさま心肺蘇生に取り掛かった。

 人工呼吸には足踏みしたが、繰り返し胸部を圧迫しても息を吹き返さない少女に、躊躇いよりも焦りが勝って、唇を重ねて息を吹き込んだ。いつか感じた強い塩気と生々しい柔らかさ。これはノーカンだ、と頭の奥で誰かが言った。

 ああもう、馬鹿な事を考えている場合ではないと何度言えばわかるのだろう。人の命がかかっている局面でそんな事を思い浮かべるとは、自分のあほさ加減に心底呆れてしまう。

 根気よく心臓マッサージと人工呼吸を繰り返して、数分経った頃に、ようやく少女……朝潮が自力での呼吸を始めた。

 

「ぅ……」

「っ! 大丈夫!? 聞こえますか!?」

 

 顔をしかめ、呻くように身動ぎした朝潮に呼びかけるも、反応は返ってこず、まだ安心できる域ではないと判断する。

 ええと、息を吹き返した後は、安静にさせて、救急車を……ああっ、救急車なんて呼べないし、呼んでもこんなとこには来られない!

 ではどうすればいい。彼女が意識を取り戻すまでこのままここで待つか?

 いや、でも。

 先程から幾度か触れた彼女の肌から感じる体温は低く、冷え切ってしまっているのがわかっていた。

 だから、たぶん、俺がするべきなのは彼女の体温を平常まで回復させる事だろう。

 

「ごめんね……!」

 

 彼女の両腕に備えられた、壊れた艤装を慎重に取り外して横に置く。彼女の体を運ぶには、それらは邪魔になるから、そうするしかなかった。

 初めて触れた武器や装備に感動する暇など無く、彼女の手を胸の上へ交差させて置き、首の下――いや、脇と膝の下に腕を差し込み、立ち上がると同時に持ち上げた。ぐったりとして重い体は、しかし苦も無く持ち上がる。今の俺にとって、彼女は羽毛も同然だった。垂れた髪が腕を濡らす。脱げかけたサンダルのような靴がぷらぷらと揺れ、足には水滴が伝っている。体に密着させるように抱え込めば、いっそう氷のような冷たさが伝わってきて、これが人の温もりだとは信じられないくらいだった。

 ザリ、と砂を削る。

 

「飛ばすよ」

 

 なんとなしに呟いて、砂を蹴散らして走り出す。当然彼女の体を気遣いながらだが、全速力で住処へと向かった。

 

 

「ただいまっ!」

 

 家に飛び込んでいの一番に、普段自分が寝ている場所へ彼女を寝かせた。靴を履いたまま上がってしまっている事や、彼女に付着した砂や何かが毛布の上に散らばってしまうのは、この際仕方ない。

 素早く部屋の中を見渡し、端っこに駆け寄って、そこに敷かれている毛布を巻き取る。当然、汚れている方を内側にして、だ。それを、彼女の下へ持って行って、枕代わりに頭の下に敷いた。重く濡れた髪に触れると、手袋にじわりと染みができる。手の甲で彼女の頬に触れれば、布越しに伝わる低い体温に、改めて、まず体を温めてやらなければ、と思った。

 体を温めるのには二種類の方法がある。外から暖める方法と、内側から暖める方法だ。この場合、後者は選択できない。内側から――つまりは、温かい飲み物などで彼女の体温を高めるには、彼女に意識が戻っていなくてはならない。よってとれる選択は一つ。湯を沸かして、布で彼女の身を拭き、毛布をかぶせてやる事だけだ。

 一瞬温泉に浸からせてやれば、と考えたけれど、それがもたらす危険性を想像もできなかったので、その手段はとれなかった。今も行き当たりばったりとはいえ、確証の無い方法を施すには、この状況は重すぎた。自分で判断した結果だけど、俺は今、一つの命を預かっているのだ。

 息を取り戻したばかりの彼女には知れた事ではないだろうが、その責任と義務感が、重くのしかかってきていた。

 こんなに身近に死が迫っている人間を――艦娘だが、艦娘も人だ――、俺は二十数年の人生の中でも、見た事がなかった。だから、こんなにも動揺している。絶え間なく流れる思考は、そのほとんどが意味をなさず、体の動きを鈍くさせるだけの邪魔者になっていた。

 それでも、緩やかに体は動く。

 

「ええと……」

 

 ポリタンク。そう、ポリタンクの水を、外の鍋に移して、熱湯を作らなければ。

 ようやく明確な行動が頭に浮かんで、すぐさま実行に移す。水の入ったタンクを抱えて外に飛び出し、火を起こして鍋をかける。そわそわと身を揺らしながら沸騰を待ち、防護フィールドの性能を信じて、熱せられた鍋を直接掴んで持ち上げた。

 

「あつっ……くぅ……!」

 

 当然、火傷しそうなほど熱い。でも、我慢できないほどじゃない。

 願った通りの性能を発揮してくれた防護フィールドに感謝しつつ、家の中に鍋を運び、少女の頭側の、少し離れた位置に置いた。

 

「…………」

 

 そこでまた、彼女を見つめたまま動きを止めてしまう。緩やかに上下する胸。青白い頬。ばらけた髪。投げ出された腕に力はなく、半分死んでいるような印象を受けた。

 破けた個所から露出する肌は、切り傷だったり打撲痕があったりで痛々しい。時折彼女が呻くのは、それが原因なのだろう。

 手当てを。

 短く考え、座ったまま彼女の横へ寄る。剥き出しの肩に手を当て、焼け焦げた布に指を引っ掛け、それから、うんと頷いて、吊りスカートの帯に手をかけた。

 躊躇い交じりにするりと外す。彼女の背に敷かれた分の帯は引き出せないが、腕をとって持ち上げれば、とりあえず服を脱がせるのに支障がない状態にはできた。

 ――そう。脱がせるのだ、服を。

 彼女は汚れている。そのままの意味で、体中、煤だったり、砂だったりで汚れているのだ。

 このまま毛布をかぶせるよりかは、熱く湿らせた布で体を拭いてやって、その後に毛布に(くる)んだ方が良いだろう。

 これは俺の浅い考えでしかなく、それが正しい対処かわからないけど、そうした方が良いという考えの下に実行に移そうとしていた。

 手は止めない。

 止めると、今自分がしている非常識な事――常識的ではあるが、内面を考えれば非常識というか、犯罪的というか――に頭がいってしまって、手当てどころではなくなりそうだから。

 今でさえ危うい。女性経験に乏しい俺には、少女の肌に触れる事や、あまつさえ脱がせるなんて、刺激が強すぎる。

 こんな幼い少女を性的な目で見るなど、よほど愚かで倒錯的で不健全だが、そこはどうしようもなく、自分では制御できない部分だった。だが、そんな気持ちは焦りや彼女を救いたいという気持ちに比べれば、小さなものだ。

 だからこそ、こうして彼女の服を脱がせる事ができている。俺がシマカゼとして生きる事を誓っている事も後押ししているのだろう。シマカゼは艦娘で、当然少女なのだから、同じ少女にそんな欲望は抱かない。だから俺がそんな気持ちを持つのは間違ってる。そう思ってしまえば、本当にその通りになる気がした。

 

「ぅ……」

 

 眉を寄せ、苦しげに呻く彼女のブラウスのボタンを外して開く。片側が上半分消失してしまっているから、手間はかからなかった。先程と同じように腕を持ち上げ、脱がせていく。ジュニアブラも外さなければ。

 砂にざらつく薄青色の布を苦労して外し、スカートや下着も同じようにしていく。なぜだか俺は泣きそうになっていた。その感情の推移は、自分でもよくわからなかったけど、黒いハイソックスを脱がし終え、服を畳んで脇に置いた時には、感情の波は治まっていた。

 この服も洗ってやらないと。……その間のこの子の服はどうすればいいんだろう。

 新たな問題にぶつかりながらも、大きめな布の切れ端を持ってきて、数度畳んでから湯に浸した。もちろん、手袋は外してある。一見清潔に見える白手袋だが、何が付着しているかわからないし、第一わざわざ濡らす意味もないので、今は足の横に無造作に置いてある。

 

 布を挟む肌色の指が、鈍く暗い鍋の色に染まる湯に沈むと、ひりつくような痛みを感じた。火傷の前兆? 火傷の最中? それとももう、火傷を負ってしまっているのだろうか。防護フィールド越しに触れる湯の熱は、ただただ痛くて、よくわからなかった。

 布を絞る。ギュ、ギュと音が出るくらいに固く絞って、余分な湯を鍋に戻す。滴り落ちる湯の一滴一滴に映るシマカゼの顔は、焦りを内包しているとは思えないほど冷めていて――。

 

「…………」

 

 零れて湯面を揺らすまでの一滴をじっと見つめて、自分自身と目を合わせ――――ふと我に返れば、両手にそれぞれ千切れた布を握っていた。

 

「……っ、なにやってんだ俺」

 

 何をぼうっとしているのか知らないけど、今はそんな事してる場合じゃないって何度も……ああ、自分に説教したって意味なんかない。さっさと立って、新しい布を取ってこないと。

 

「…………」

 

 そう思っているのに、どうしてか俺は、布を手にした両手を膝に置いて、朝潮へと顔を向けていた。

 薄く上下する胸。自分以外の呼吸音。低くても、そこにある人の熱。

 この数日間を通して、俺はこの世界を現実だと認識していた。でもそれは……それも結局現実逃避の一時凌ぎに過ぎなかったのかもしれない。

 だって、俺は今、こんなにも目の前の少女を現実として重く受け止めている。自分以外の存在――それも、瀕死――を通してようやく、本当にこの瞬間を現実なのだと認識できたのかもしれない。

 だからこそ、焦りや何かが消えてしまうくらい、彼女の生殺与奪を握るこの状況が、息苦しくてたまらなかった。

 怖い。

 命という確固たるものに向かい合うのが、怖い。

 夜の闇の向こうを直視するのと同じような恐怖だった。

 その気持ちが、いったいどこから、どのような要因でわきあがってくるのかはわからなかったが、ともすれば震えてしまいそうなくらいで、知らずの内にきつく手を握り込んでいた。

 

「……っ、ぁ」

 

 苦しそうに顔を歪める彼女を見たのは、今日何度目か。眉を寄せ、体を強張らせる彼女に、ようやっと正気を取り戻す。そうすると、先程まであった恐怖は影も形も無くなって、拍子抜けしてしまった。

 ……何を恐れていたのだろう、俺は。

 膝に手を当てて立ち上がり、部屋の奥に積まれた雑貨の前に移動する。尖った石や綺麗に割れた瓶に、布の切れ端が何枚か重ねて置いてある。そこへ千切れてしまった布を戻し、他の、比較的清潔そうな布を選んで鍋の(もと)に戻った。

 熱湯に浸し、揉み洗いをして、汚れを落とす。目に映るほどの何かが湯に溶けだすなんて事はなく、ただ波紋だけが広がるのに、よし、と小さく頷いた。この布ならば、彼女の体を拭いても大丈夫だろう。

 今度は布を千切ってしまわないよう、力加減に気を付けて布を絞り、一度広げてしわを伸ばしてから畳んだ。

 朝潮へと向き直る。そうすると、傷ついた裸体を晒す彼女の姿に対して、体の中のどこか深いところで濁った気持ちが流れるのに、むっとむくれてみせた。

 不謹慎。

 傷つき倒れた艦娘に、そういう気持ちを抱くんだ。へぇ、そうなんだ。

 つまり君はそういう奴だったんだな。

 

「…………」

 

 自らに蔑ずまれた俺は、そんな心の移し方をした自分に呆れながらも、それで汚い欲望から完全に目を逸らす事ができた。これは、なかなか難しい事だった。

 痛々しい傷跡や打撲(こん)があり、顔が青ざめていようと、彼女は紛れもなく美しい少女だ。端正な顔立ちは今は陰っているが、初心な俺の心をくすぐるには十分だった。

 しかしそれは、さっきまでの話。

 自分を戒め、正しい心を持とうと努力した今の俺には、彼女は庇護するべき対象にしか見えない。だから冷静に、彼女の頬に布を当て、汚れを拭き取り始めた。

 膝立ちになり、前のめりになった俺の髪が流れて、彼女の頬にかかるのを手の甲で退()かし、髪が彼女にぶつからないよう、膝を擦って移動して位置を調整する。伸ばした左手は、彼女の顔のすぐ左に。曲げた右腕の先に持つ布で、海水にふやけた彼女の唇をそっと(ぬぐ)った。

 布越しの指に、柔らかな肉の感触がして、ふいに脳裏に、唇を重ねた瞬間が浮かんだ。あの時は必死だったから、感覚のほとんどを感じられていなかったのだが、どうやら脳は鮮明に覚えていたようだ。息を吹き込むために抉じ開けた口。離れた際に伸びた細い光の糸……。

 唇を重ねたのは、一度や二度ではない。幾度となく行われたそれは、確かな熱を俺の唇にも残していた。

 

「…………やめた方が良いよ、そういうの」

 

 酷い妄想が脳を駆け巡るのにぼそりと零して、止めていた手を動かす。いつまでも彼女を裸でいさせる訳にはいかない。湯の熱は、さほど彼女の体を温めてはくれないだろう。それどころか、冷めてしまえば、余計に彼女の熱を奪うはずだ。

 首筋を拭い、肩を流れ、二の腕に斜めに走る傷の上をそうっと滑らせて、手の平や指の合間も綺麗にする。一度体を起こして鍋へ布を入れ、ついでに湯の温度を確認する。立ち上る白煙を見てわかってはいたが、まだまだ相当熱い。すぐには冷めないだろう。

 湯が水に戻ってしまう前に決着をつけよう。

 口を引き結んで気合いを入れ、ぎゅうっと布を絞ってから、再び彼女に向き直る。……体の横に手を置いて覗き込むようにして、はたと気付いた。……さっき顔を拭いた時の体勢もそうだけど、これでは覆いかぶさってしまっているような……。

 ううん、これで上手く体が拭けるのだから、この際体勢など気にしていられない。意識してしまうと、消し去った筈の煩悩が胸の内を駆け巡り、そのたびに心臓がどんどんと揺れるのだけど、ああ、もう。

 

「速く終わらせちゃおう……」

 

 自分に言い聞かせるような言葉を口にしつつ、少しスピードを上げて、彼女の胸を布越しに撫ぜた。

 起伏の無い肌をこれ以上傷つけないように、慎重に、しかし、できる限り速く手を滑らせる。

 

「ぅ……!」

「あっ、あ、痛かっ……た?」

 

 

 びくりと震える朝潮に、こっちまでびっくりしてしまって体が跳ねた。びょいんと揺れ動いたうさみみカチューシャが重く髪を揺らす。気遣うように声をかけてみたが、少し息を荒げている以外に反応はなかった。……まだ、意識は戻っていないようだ。

 ほう、と息を吐いて安心する。……安心? なぜ今俺は安心したのだろう。

 理由がわからず首を傾げると、また、頭の上でリボンが揺れた。ちょっと重い。いや、だから、今は余計なこと考えてる暇はないんだってば。

 何か考えるから、思考が逸れて手が止まってしまうのだ。だったらもう、何も考えずにやろう。

 お腹を拭くのも、足や股を拭くのも、もはやただの映像としてしか受け取らない。頭の中は空っぽだ。反復練習した作業をこなすように、ひたすら心を無にして取り掛かれば……ほら。

 

「ふぅい」

 

 ぐい、と額を拭って一息つく。やっと彼女の体を拭き終える事ができた。だが、まだだ、何かを考える前に立ち上がって乾いた布を取ってきて、再度彼女の体を拭いた。必要な事だ。濡れたままにしていては風邪を引いてしまうかもしれない。いや、今の彼女の状態だと、そのまま命を落とす可能性も――。

 

「髪も拭いちゃいましょうねー」

 

 ふきふき、ふきふき。

 擬音を口にしながら彼女の頭を抱え、大雑把に髪を拭いていく。さすがに水分を吸い切る事もできなければ、砂や汚れを完全に落とす事もできなかった。

 ん……。どうでもいけど、今、俺、凄く幼稚だった気がする……。

 何も考えないというのは、馬鹿になるという事ではないのに。

 

 いつも俺が使っているとっておきの掛布団――といっても、ただの毛布だけど――を彼女の肩までを覆うようにかぶせて、一応の完了とする。

 隙間ができないように、彼女の体のラインに沿うように毛布を詰めて、熱が逃げないようにし、数秒、彼女の顔を眺めた。時折呻くのは変わっていないが、ほんの少しだけ顔色が良くなったと思えるのは、気のせいだろうか。

 鍋の中身を外に捨てて、部屋に戻れば、今度は水の入った瓶を手に取る。冷えてなどはいないが、熱くなってもいない。その中身を鍋にいれ、空になった瓶を転がして、もう一本手にし、彼女の枕元に戻った。

 水を張った鍋は、もし彼女が熱を出した時の看病のため(現状、そうなる可能性は低そうだけど)と、彼女が目を覚ました時、すぐに水分を補給できるようにするため。

 正直どういう風に対応すれば彼女の命を救えるのか、未だにわかっていないから、備えられるだけ備えておこうと思ったのだ。

 

「っ、ふ、ぅ……!」

 

 身を捩るように苦しむ彼女にはっとする。ただ眺めているだけでは、きっと救えない。

 でも、体を拭き、体温を保たせようとする以外に、今の彼女に俺ができる事ってあるんだろうか。

 はっ、はっと息を荒げ、俄かに汗を流し始める彼女に、とりあえず、汗を拭く事はしてあげられそうだけど、と思ったものの、それ以外には何も思いつかなかった。

 

「……ううん」

 

 いや、一つだけ、思いついた事がある。

 といっても、彼女の容態を劇的に回復させる方法とかではない。

 ただ、今苦しんでいる彼女が、病床に伏せっている誰かの姿とかぶって見えたから、だから……。

 毛布を突っぱねるように端から飛び出してきた朝潮の手に目を落とす。

 それから、壊れ物を扱うように、そっと手を握った。両手で包み込んだ彼女の左手は、まだ冷たかったけれど、少しずつ熱を取り戻せているように感じられた。

 カーペット代わりの布に手の甲を押し当て、彼女の手が、自然な高さになるよう調節する。負担はかけさせたくない。たとえそれが、腕を持ち上げるだけの小さな力でも。

 

 数時間もすると、だんだんと朝潮の顔から力が抜けてきて、最後には、呻く事もなく静かになった。

 死んだのではない。彼女の手には、今やしっかりとした熱が戻っている。……少し熱いくらいだ。それは、冷たい彼女の体を知っているからそう感じるのだろうか。

 穏やかな寝息をたてる彼女をしばらく眺めていた俺は、そうした時と同じように静かに手を離すと、立ち上がって、家の外に出た。

 強い日差しが降り注ぐのに、手でひさしを作りつつ空を見上げる。

 

「救えた……の、かな」

 

 呟きは、風に流されて消えた。

 まだわからない。幾分顔色が良くなったと言っても、彼女の正確な状態は、医者でもない俺にはわからなかった。

 急に死んでしまうかもしれない。そうでなくとも、凄く苦しむかもしれない。

 そう思うと、あまり傍を離れたくないのだけど、どうしてか俺は外に出てしまった。

 たぶん、頭の中や胸の中で渦巻く様々な感情のせいだと思う。

 艦娘に出会う。その艦娘を救う。艦娘がいる。艦娘以外もいる。世界が広がっている。時が流れている。

 そんな、現実味のある感情や常識がいっしょくたに襲ってくるから、その処理に手間取っているのだ。

 いったい何から手をつければいいのかわからない。ゲームではないから、攻略本なんかない。俺の行動のどれが正解かも、わからない。

 それが現実だ。それを実感していた。

 腕を回し、肩を回し、背中に両拳を当ててぐいっと背を反らせて、伸びをする。うぅぅー、と低音ボイス。

 伸びが終われば、頭を振って、二度、頬を軽く叩く。

 意識を切り替えるための一連の動き。

 

「……まずは、えっと……そうだ、そうだった。彼女の傷を治してあげなきゃ」

 

 口に出して確認する。

 傷をそのままにすると、大変な事になるという知識くらいは、俺にだってある。

 そして、その傷を治す手段を知っているのだから、これを使わない手はない。

 あの温泉だ。緑色のスライムみたいなのが流れ込んでいる温泉のお湯。……艦娘である俺の傷に効くのなら、同じ艦娘である彼女に効かない道理はない。

 ……俺が艦娘であるのかは、ちょっと断言できないかもだけど。

 

 ああ、温泉に行く前にまずは海岸へ行こう。砂浜に空のバケツを置いたままだ。あれがあれば、より多くの湯を汲めるだろう。持ち手があるから、運ぶのも容易だ。

 

「っし、……私、ふぁいとっ」

 

 気分を盛り上げるためにロールプレイをしつつ、胸元で拳を握り込んで、おー、と抜けた声をあげた。

 さあ、日が出ている内に海岸へ急ごう。



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第五話 ようせいさんとのそうぐう

これからの更新は、だいたいこれくらいの時間になっていくと思います。
ご了承ください。


イラストを頂きました!
第1話に掲載中です。
1話後書きにURLも載っています。


誤字を修正しました。


 まぶたが重い。

 薄く開いた視界は暗く、ぼんやりとしていて、そんな事よりも、体中が熱くてたまらなかった。

 たまらず掛布団を退けて、両腕を出す。額にひんやりとした感触があった。

 ……見なくてもわかる。これは、姉さんの手だ。

 

 硬い首を回して顔を向けようとすれば、額を軽く押されて留めさせられた。手が離れると、一瞬の寂しさと、直後に襲ってきた熱に眩暈がした。

 無意識に伸ばした手を、姉さんが両手で包み込む。またひんやりとした感触。

 目だけを動かして見てみれば、ぼやけた視界の向こうに、小さな影があった。

 幼い頃の姉さんだ。両肩から下へ伸びる二本の赤い帯……。

 学校から帰ってきてすぐ、俺の部屋に来たのだろう。

 揺れる輪郭が重なり合うと、穏やかな表情を浮かべた姉さんと目が合った。さらりと流れる長髪が視界の端にちらつく。

 姉さんは何も言わず、ただ、少しだけ微笑んでいて……それに安心してしまうと、途端にまた視界は曖昧なものに逆戻りする。

 でも、いいんだ。

 姉さんが、そこで見ていてくれるってわかるから。

 体が軽くなる。頭の奥に居座っていた重い何かも、いつの間にかいなくなっていた。

 手に意識を集中させる。

 姉さん。

 呼びかけようとしても、口は動かない。でも、俺が何か言おうとしたのを察したのか、姉さんは一度手を離して俺の額を撫でると、また俺の手を、その手で包み込んでくれた。

 それから、俺が眠ってしまうまで、ずっとそうして手を握ってくれていた。

 

 ……姉さん。

 俺は……。

 

 

 手袋の表面を引っ張って、きっちり指先まで嵌める。

 二の腕で締まる袖のような青い布を目で確認してから、朝潮の衣服を抱え直して、木々の向こうを見据えた。

 両足をくっつけるように揃え、トン、と地面を軽く蹴る。短い浮遊の後に、同じ場所へ着地して……直後に、前方へ飛び出し、駆け出す。

 風を裂くように、木々の合間を縫って走る。背の高い草の塊から伸びる緑の葉が、スカートとソックスの合間、ちょうど剥き出しの足をビッと擦った。

 気にせず先を行く。防護フィールドに包まれた体は、ちょっとやそっとでは傷つかないのだから。

 少しずつ燃料が減っていくのを感じる。体力の減少とはまた違う、いわば、燃焼。未知なる喪失感には、もう慣れた。だが、まだ少し気にしてしまう。きっと海上では、これは致命的な隙になるだろう。直さないと。

 

 森林を抜ければ、すぐ目の前に広い海岸が見えてくる。左右にずっと続く砂浜の、向かうは左側。今朝つけた足跡の大半は波に飲まれて消えていたけど、砂浜にはいくつか俺の足跡が残っていた。

 それを辿って――といっても、一本道だけど――、彼女(あさしお)が倒れていた場所へ辿り着く。

 無造作に置かれて、時折波に当てられている壊れた艤装。光を照り返す熱い砂に倒れ、少し埋もれている修復バケツ。散らばったガラス瓶は、集めていた本数の内いくつかが離れた波打ち際で、寄せては返す海水に弄ばれていた。

 瓶は放っておこう。今必要なのは、バケツと……そうだ、彼女の艤装も回収しておこう。重ねて持てるかな。重量は問題ないと思うけど……。

 バケツの縁を掴んで持ち上げ、傾けて中の砂を落とす。上下に振ると砂粒がぱらぱらと出てきた。一瞬海水ですすごうかと思ったけど、この暑さですぐにべたつくだろうな、と思い、やめた。どうせ温泉の方に行くのだから、その時に洗えば良い。左手に持ってぶら下げる。服を落としそうになって、おっと、と体を傾けた。

 

 お次は艤装だ。三つの塊がすぐ近くに落ちている。……落ちている、と言うには、ちょっと大きすぎる気がしなくもないけど。どれもこれも重箱みたいにでかい。なんとなく、自分の腕と見比べてみる。

 

(……普通だったら、この細腕であんな大きな物は持ち上げられないよな)

 

 白手袋が上品さを演出しているから、余計にそう思うのかもしれない。……島風は、全体を見れば上品とは言い辛い気もする。

 

 艦娘のパワーがあれば、持ち上げられないなんて事はないだろう。三つ重ねてもきっと余裕だ。

 艤装の前にしゃがみこんで片手でがっしり鷲掴みにし、持ち上げつつ移動して、もう一つの箱っぽいのに丁寧に重ねる。いくら壊れているからって、乱暴に扱っていい理由にはならない。重ねる事が乱暴だと言われたら反論できないけど。

 最後に艦橋を乗せてできあがり、だ。

 

「さて、いっ!?」

 

 片腕で持ち上げるにはどうしようかと考えつつ手を伸ばすと、指先に鋭い痛みが走るのに、思わず手を引っ込めてしまった。

 ……なんだ、今の。……静電気?

 じんじんと痛む人差し指を太ももに擦り付けつつ艤装を覗き込めば、陰から覗く棒状の何かが揺れていた。

 先が尖った三股の、黒い物体。

 

「……げっ、妖精さん?」

 

 もう少し体を傾けてみれば、見えてくるのは、三股の銛を持った小人だった。青髪のおさげに、ダイバーのようなゴーグルを頭につけた、なぜかスクール水着を着用した少女。……少女、でいいのだろうか?

 縦長の黒目でじっと俺を見上げてくるのを見返していれば、彼女の背後からそっと顔を覗かせる妖精さんその二の姿が。こちらはボブな茶髪の、どこぞの高校の制服でも着ているような格好だ。小さく口を開けてこちらを窺う姿からは、あせあせと飛ぶ汗が幻視できそうな不安が感じられた。

 

「は、はろー……?」

 

 顔の横で手をひらひらさせて挨拶すれば、キッと睨むような目つきで銛を突き付けてきた。あらー、これは……警戒されてるのかな。

 ぬいぐるみみたいな見た目の妖精さん(仮)が敵対意思を見せてもこれっぽっちも怖くないが、しかし、敵意を向けられるのは気持ちの良い事ではない。

 でも、彼女達を無視して艤装を持ち帰るという選択はとれそうになかった。手を近付ければ銛で突いてこようとするし……まさか、俺の最初の敵が深海棲艦ではなく妖精さんになろうとは……。

 怖くないよ、攻撃しないよと語りかけても、険しい表情が和らぐ事はない。むむむ、いったい何が俺を警戒させているのだろう。

 と悩みそうになったものの、答えはすぐわかった。彼女達は、俺が左腕に抱える朝潮の衣服をちらちらと見ていた。

 ああ、そうか。この艤装は彼女の装備だ。その装備の妖精さんが彼女を心配するのは、何もおかしくない。

 でもそうなると、ひょっとして、俺が彼女を誘拐したみたいな認識になっているのだろうか? ……凄い犯罪臭。警戒されるのも無理はない。

 いや、でも、あれ? 今は俺も艦娘なんだけど……それでも警戒されているのはどうしてなのだろう。

 ……艦娘なのに、妖精さんと意思疎通できていないから……とか?

 謎だ、と首を傾げれば、つられたように二人も首を傾げた。かわいい。

 そんな彼女達に敵意を向けられるのは本意ではないので、なんとか誤解を解こうとしてみる。

 衣服を指して、彼女を助けようとしている、と説明したり、彼女の艤装を回収しておきたいと説明したり。

 

「……?」

 

 銛を構えながら小首を傾げる妖精さん。

 ……いまいち伝わってない気がする。

 ううん、ええと、人の言葉で話そうとするからいけないのかな。艦娘専用の言語とかあるのか? 聞いた事ないけど。あ、暗号通信? 通信でのみやりとり可能だったとしても、彼女達からそういったアクションを受けた記憶はない。最初のチクリは違うだろうし……。

 うむむと唸りつつ考える。ジェスチャーは駄目だろうか。悪い刺激にしかならない気がする。

 …………。

 

「……あー」

「?」

 

 ちょい、と空を見上げて声を出す。

 なんとなくわかった気がする。

 彼女達の意思を感じるには、こちらから語りかけるだけでなく、彼女達の声も聞こうとしなくてはならないようだ。

 ふむふむ、なるほど……。じゃあ、さっそくそうしてみよう。

 そう思った時には、すでに妖精さんの意思が伝わってきた。残念ながら明確な言葉ではなかったが、こちらが何者か、を問いかけてきていたようだ。

 

「見ての通り、艦娘だよ」

 

 ……たぶん。

 彼女達の声を聞く事を意識しつつ語りかければ、やっとちゃんとした反応が得られた。といっても、怪しげな目で見られたあげく、二人でこしょこしょと言葉を交わしつつ俺をチラ見するという、なんとも言えない感じなのだけど。

 というか、喋っていないはずの妖精さん達から『こしょこしょ』と音がするのはいったいなんなんだろうか。

 声無きやりとりを見下ろしていれば、二人の間でなんらかの結論が出たのか、揃って俺を見上げてきた。同時に、銛の穂先を上げてくれた。警戒が解けたようだ。信用する、といった感じの意思が飛んでくるのに、ありがとね、とお礼を言う。気にするでない、みたいに手を振られた。かわいい。

 妖精さん達の許可も得られたので、彼女達が登った艤装を右腕に抱えて持ち上げた。その際の、俺にとっては些細な揺れが、彼女達にはそうでなかったらしく体勢を崩して艦橋にへばりついてしまった。慌ててゆっくり動かそうとすれば、私達は大丈夫だ、とサムズアップされる。先程までおどおどしていた制服の子さえ、今はきらんと光る瞳でピースサインを出してきている。

 

「じゃあ、動くけど……ほんとに大丈夫?」

 

 『問題なし』の応答。

 そういえば、彼女達艤装の妖精さんは、海の上を走り、戦闘もこなす少女達についていっているのだから、この程度の揺れは本当に大丈夫なのだろう。いちおう気にかけてはおくが、無駄な心配になりそうだ。

 事実、いつも通りの調子で走ってみても、彼女達は振り落とされる事はなかったし、文句も出なかった。ただ、時折歓声のような意思が飛んでくるのはなんなのだろう。速いって? それは、そうだろう。だって速いもん。

 …………妖精さんの無垢な瞳が俺を射抜く。critical! ちょっと速度が緩んだ。

 とかなんとかやっている内に川に合流し、そのまま沿って進めば、開けた場所につく。緩やかな下り坂の先にごろごろと岩が転がっている。今さらながら、あれらはどこからきたのだろうかと疑問に思った。

 考えてもわからないだろうから、考えはしない。その合間から湧き出る温泉が俺にとって有益だ、という認識だけで良いだろう。温泉といえば火山だけど、俺に連想できるのはそれぐらいだ。

 二十年余りの人生の中で多くの事を学んできたつもりだったけど、知らない事はまだまだあるんだ。艦娘という存在もそう。世界の定義もそう。自分という存在も、そう。

 

「……なんでもないよ」

 

 妖精さん達が『どうした』と心配するので、笑顔を作ってみせてから、岩を乗り越えて温泉の前へやってきた。

 近くの地面には、いくつか土の山があり、木の枝が刺してある。初めてここを訪れた時から変わらない光景だ。

 まずは朝潮の服を洗って干そう。そう簡潔に考えて、あ、と短く漏らす。今、一人で決めて、一人で動こうとしてしまったけど、いちおう妖精さん達にも伝えておかなければまずいかな。

 言葉でやりとりできないのだから、なおの事多くアプローチをかけなければならない。そうでなければ、たぶん色々と齟齬が生まれてしまうだろう。

 艤装を下ろし、彼女達へ自分のやろうとしている事を伝えると、なにやらわちゃわちゃと手を動かして訴えてきた。……自分達が朝潮の服を洗う、だって。

 できるのか、と一瞬疑い、次には、その言葉――そういうあやふやな何か――の意味を理解した。

 俺は『朝潮の衣服を洗う』と単純に考えていたが、それってかなり危険だ。主に、俺の性別的な意味で。

 ……彼女の体を拭いたのだから、衣服程度は今さらな気もする。

 それに、女性の服を洗うというなら、姉さんの物を毎日やっていたので、特に忌避感や何かはない。洗濯機にぶち込むだけなのと、この手で揉み洗う事に大きな違いはあるだろうが……ああ、駄目だ。なんか考えてたら、余計に意識してしまいそうな気がしてきた。

 という訳で、衣服の洗濯は彼女達妖精さんに任せる事にした。

 10㎝もない妖精さん達がえっちらおっちら衣服を持ち上げて移動していく姿を見届けた後に、バケツを持ち直してまずは川に向かう。バケツの洗浄のためだ。これはすぐに終わった。

 妖精さん達を窺うと、俺がいつも洗濯に使っている穴の周りに陣取って、湯の中に服を投げ込んでいるところだった。見た目に似合わず豪快だ。ああ、そんな乱暴な……。ひらりと舞うパンツから目を逸らして、温泉に向かう。明日のパンツ、という単語が脳裏をよぎった。

 

 重い……とはあまり思わなかったが、色々持てるだけ持っていた物から解放された妙な身軽さをむず痒く思いつつ、湯気を上げる温泉の前に膝をついた。

 薄青色の湯にバケツを浸し、横へ動かして湯をすくう。ざあっと零れる半透明が、湯面を叩いて水滴を散らした。膝にかかった熱に、頬が緩む。

 お風呂に入ってさっぱりしたい誘惑にかられつつ、両手で持ったバケツごと立ち上がろうとして、ふと湯に流れ込んでいるスライムに目をやった。

 ……この温泉の効能について、考えた事がある。

 傷ついた体を瞬く間に癒すこのお湯は、普通のお湯といったい何が違うのか。

 明確な答えが、この緑色のぷるぷるだ。触れればひんやりとして、ゼリーのような感触がする、よくわからないもの。これがお湯に溶けだして、回復効果をもたらしているのではないだろうか。

 昨日指を怪我した時、突っ込んで確かめたから、たぶんあってると思うんだけど……。

 彼女の体にあった傷の事を思い出しながら、バケツの中身とスライムを見比べる。

 ……どうせ持って行くなら、効果が強い方が良いよな。

 

「……よし」

 

 そうと決まれば、と。

 バケツの中身を捨て、今度はスライムで中を満たす。振るとぷるぷるして面白い。

 スカートの位置を直しつつ、バケツ片手に妖精さん達の下へ戻れば、彼女達は洗い終えた服を眺めて何やら囁き合っていた。洗ったは良いものの、どこに干せばいいのかわからなかったのだろう。

 そこは俺がやろうと提案すれば、いや手分けしてやろう、と返された。そっちの方が速いか。

 そこら辺にある即席物干し竿に衣服を通すんだよ、と説明しつつ、手早く干していく。服が地面につかないように高い位置にある棒には、俺が通していく。

 三人でやればあっという間だ。大満足のスピード。うん、はやいはやい。

 

「じゃあ、速く帰ろう」

 

 手伝ってくれたお礼とともに彼女達を急かせば、意思や何かは飛んでこず、さっと敬礼一つ向けられた。おぅ。俺も返せばよかったのかな、敬礼……。

 バケツを左手に、右腕に艤装を抱え、帰還の準備は万端。『ごぉごぉごぉ!』と妖精さんも準備万端。行きより速く走って帰る。

 家に戻れば、彼女は(うな)されていた。悪い夢を見ているというよりは、熱のせいのようだ。見てわかるくらい汗を掻いているし、毛布が乱れて上半身を露出していた。

 部屋の奥に艤装を下ろし、枕元に膝立ちになる。バケツを下ろすのと、艤装から飛び降りてきた妖精さん達が彼女へ群がるのは同時だった。

 

「く……、ぅ……!」

 

 必死に何かを語りかける妖精さん達に反応せず、ただ目を強くつぶり、布を掴んで苦しむ朝潮。

 

「どいて、妖精さん」

 

 布を取りだし、毛布をどかして彼女の体を拭く。汗でびっしょりだ。今朝の冷たかった体が信じられないくらいに熱くなっている。毛布の方にも汗が染み込んでいて、彼女がこの状態になって長い事を教えてくれた。離れたのは失敗だったかな。……ううん、とりあえず、毛布は違う布に変えなきゃ。

 二度目ともなれば、少女の素肌を直視するのも、それを拭くのも慣れたものだ。それに、彼女の苦しそうな顔を見て、声を聞けば、邪な気持ちなどもはや浮かんでこなかった。それどころか、彼女の苦しみが伝播したみたいに、俺の額にも汗が流れるのを感じた。

 用意していた、水を張った鍋で布を綺麗にし、彼女の体を拭いての繰り返し。それが終われば、今度はバケツに布を浸しておいて、傍の床から布を剥ぎ、綺麗な面を彼女にかけた。部屋の床はもう、ほとんど地面が剥き出しになってしまったけれど、気にする余裕はない。自分が離れている内に彼女の容態が悪化していた事に動揺しているのか、自分でも動きがぎこちなくなってしまっているのがわかって、いらいらする。

 鍋から布を取り出し、水を絞り、畳んで、彼女の額へ。顔を反らして嫌がられたけど、なんとか乗せる事ができた。……こんな反応をするって事は、意識の回復が近いのか。……それすらわからない。

 固唾をのんで見守っていた妖精さん達が、彼女を頼む、と強い意志を飛ばしてくるのに、うんと頷く。

 

「大丈夫。大丈夫だから……絶対死なせたりしない……。大丈夫、俺ならやれる……」

 

 人が死ぬなんて、ない。艦娘が死ぬなんて、それも、こんな幼い子が……そんなのありえない。

 ありえないなら、それはないって事だ。だから、大丈夫。この子は死なない。

 スライムが染みつかない布を捨てて、手で直接すくう。それを、彼女の傷へと擦り込むために、手を伸ばす。

 

「っ、う、ぐぅう……!」

「……!」

 

 腕の傷にスライムを塗り付ければ、傷が痛むのか、それとも別の要因か、今までにないくらい彼女が苦しそうにした。

 それでも、傷が治り始めるのを見た俺は、手を止めなかった。

 非難するような青髪の妖精さんの目も、不安げな茶髪の妖精さんの目も、気にしていられない。

 ただひたすらに「大丈夫」を繰り返しながら、俺は手を動かし続けた。



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第六話 決めろ必殺、シマカゼキック!

 傷を治している最中の彼女の苦しみようは凄まじいものがあった。

 顔を強張らせ、身を捩り、力いっぱい布を握り締めて呻く姿に、何度も顔を逸らしてしまいそうになった。

 途中で彼女が水を吐き出して咳き込んだので、それに手間取りつつ対応し、彼女の寝床を移した。さすがに吐いた水が染みた布の上では寝させられない。

 

 痛々しさが心を委縮させる。治療の手を止めようとする。

 スライムをそのまま使っているからこんなにも苦しむかと思ったけど、そうではなかった。

 スライムを溶かした青色の水を使っても、彼女は同じように苦しんだ。

 どうせ同じなら、効果の強いものを使ってさっさと終わらせてあげた方が良い。

 妖精さん達が彼女へ呼びかける、そういった意思を視界の端に、横腹についた痣などにスライムを擦り込んで、治していった。

 それが終わったのは、およそ一時間ほど経った頃だった。

 

「……いちおう、傷はなくなったけど」

 

 上げていた腰を戻し、誰にともなく呟けば、『感謝します』と妖精さん。なんとなく手の平に目を落とす。手袋をはめたまま長時間スライムに触れていたせいか、湿っていた。

 

「…………」

 

 彼女達の意思に答えないまま、乾いた布を取りに行く。

 雑多な物の中に潜む布を引っ張り出せば、ずるずると重い鋼材モドキが転がり落ちた。

 布切れは、これが最後の一枚。

 こんなに使うなんて予想していなかったから、時折見つけても、これ以上は要らないと拾ってなかった。

 ……もっとたくさん拾っておけばよかったな。剥き出しの地面を見ながらそう思った。

 

「ぅ、ふっ……! ぅ……!」

 

 僅かに口を開けて呼吸している朝潮の横に座り、前と同じように体を拭いた。擦り込んだスライムと汗を除くためだ。

 

「うっ!?」

 

 無心で手を動かしていれば、がしりと腕を握られた。ぎりぎりと万力のような力で締め上げてくるのに思わず顔を歪めてしまう。

 千切れる千切れる、と痛みに悶えはするものの、無意識にそうしているであろう彼女の腕を無理矢理引き剥がすのには抵抗があって、結局彼女が落ち着き、ぽとりと手が落ちるまで動けなかった。

 

「いっ……たー……。絶対あざできてるよ、これ」

 

 掴まれていた部分を擦りながら零す。と、心配そうに俺を見上げてくる妖精さんが目に入った。

 ……あ、今の言葉、ひょっとして当てつけがましかっただろうか。彼女を悪く言った訳ではないよ、と言ってやれば、妖精さん達は申し訳なさそうにしながらも朝潮に向き直って彼女を眺め、それから、鍋の方に走ってきた。

 額に乗せる布の管理は任せろ、とのこと。

 妖精さん達も彼女のために何かをしたがっているようだから、ここは任せた方が良いだろう。

 彼女の額から布を取り上げれば、熱を含んでいるのがすぐわかった。それでも彼女の体はまだ高熱に侵されている。妖精さん達に布を渡す。二人がかりで布を持ち上げ、鍋に投げ入れ、そのまま自分達も鍋の中に入って布をもみくちゃにして……。だ、ダイナミックだ。彼女達の大きさでどうするのだろうかと見ていたけれど、そっか。やるとしたら、体全部を使わなきゃ駄目なんだ。

 しかし、自分の身長ほどもある鍋の中に飛び込めるほどの跳躍力を発揮するとは、妖精さん達も人外のパワーを持っているのかな。……存在からして人外だけど、ええと、なんか違う。

 もやもやを晴らさないまま朝潮の体を拭くのに戻り、それが終われば、鉄板を持ってきて彼女を煽ぎ始めた。

 風を送って、少しでも涼しくなってもらえれば、と思っての事だったが、あんまり効果が無さそうなうえに、『危ない』と妖精さんに怒られてしまった。……仕方ないので、鉄板を戻してきた後は、彼女の傍らに座り込み、手を握っている事にした。

 それぐらいしか、やれる事を思いつかなかったのだ。

 ……昔から、病床に()した俺に姉さんがやってくれていた事。手を、握る事。

 とくに風邪をひいた時なんかは、人恋しくなるから、姉さんの手の温もりは何より嬉しかった。

 彼女のこの症状は風邪や何かではないだろうけど、でもきっと何かの効果を及ぼすと信じて、ただ手を包み込んで、じっとしていた。

 彼女の意識が戻ったのは、それからまた一時間ほどした後の事だった。

 

 

「お水、飲める?」

「…………」

 

 熱も汗も引いてきて、だいぶ顔色が良くなってきた彼女が、唐突にむくりと体を起こした時は心臓が飛び出るんじゃないかってくらいびっくりした。

 ただ、まだ会話ができるような状態でなく、彼女はぼうっとスカート越しの太もも辺りに目をやっていて……それだけだった。

 声をかけても反応がないのは相変わらず。妖精さん達が意思を飛ばしても応答はないらしい。……何かの後遺症だろうか。そんなものが残るだなんて微塵も考えてなかった。

 答えないから水は要らないのだろう……なんて思わない。あれほど体が熱くなって、あんなに汗を掻いたのだから、艦娘といえど水分補給は必須だろう。

 水の入った瓶の細長い飲み口を握り、妖精さん達に視線を向ければ、飲ませてあげて欲しい、と瓶を指差されたので、頷いて返す。

 妖精さんがいてくれて助かった。俺一人だったら、何も答えない彼女に臆して、この手で水を飲ませようなんてできなかったかもしれない。だが明確な後押しがあるならば、多少の心理的抵抗はあってないようなものだ。

 彼女の口元へ瓶を近付け、そこで一度手を止める。

 俯く彼女に瓶だけを突き付けるのは、乱暴すぎる。そう思ってすぐ、彼女の顎をくいと持ち上げた。

 そうすれば、目元から影が引いて、彼女の目を見る事ができた。ずっとつぶっていたから、開いているのを見るのはなんだか新鮮だ。ゲームではずっと開いているけど、現実で見るのとは違う。

 しかし、常ならば空と同じ綺麗な蒼に澄んでいるだろう瞳は、今は暗く、曇っている。顔の前で瓶を揺らしても、それを追って目が動く事はない。意識が戻っているはずなのに、反射の動きすらないなんて、やっぱりどこかおかしくなってしまっているんじゃないのかと不安になってしまう。本当に彼女の体調は回復しているのだろうか。体のダメージは全て消したはずだけど……。スライムを過信しすぎていたか? でも、俺の体はあれで治るのに。

 ぐるぐると渦巻く思考をそのままに、朝潮の柔らかな口に瓶口を当て、そっと唇を割って差し込む。このまま傾けても、口の端から零れていくビジョンしか見えないが……。ええい、ままよ。

 あごを押し上げ、やや上を向かせてから、少しずつ瓶を傾ける。斜めに揺れる水の動きを注視しつつ、彼女が咳き込んでしまわないように、慎重に流し込んでいく。

 ……反応のない人の体を動かすというのはなんだか妙な気分だが、この際仕方ないのだ。俺がやらなきゃ誰がやる。……妖精さんがやってくれそうだ。

 こく、と彼女の喉が動いた。成人した男の喉仏のようにわかりやすいでっぱりはないが、喉元で何かが上下するのはなんとなくわかる。こくり、こくりと喉を鳴らすたびに、彼女の頭や体が僅かに揺れ動いて、それに気をとられて目を向ければ、ちょうど彼女がまばたきをするところだった。

 長いまつげが合わさり、開かれていく。一瞬だったのに、同時に凄く長い間その動作を見ていたような気がした。

 そろそろと伸びてきた手が、飲み口を握る俺の手に添えられる。……! 自分で動いた!

 握る力は弱々しいが、たしかに彼女自身の力で瓶を持とうとして、俺の手ごと傾けている。どうしてかそこに赤ん坊のような印象を受けたが、一つの物事に集中している彼女を見てそう感じたのかは定かではなかった。

 

「はっ……ふ……」

 

 瓶口に吸いついていたのか、彼女が口から瓶を離す際に、ポン、と小気味良い音がした。よほど喉が渇いていたのだろう、ようやく息継ぎをする彼女の口の端に光るものを見つけて、反射的に拭く物を探した。『こっちだ』、と意思。見れば、青髪妖精さんが布を投げ渡してきたので、慌ててキャッチした。ちゃぽ、と瓶が揺れる。彼女が俺の手を離さないから、瓶の位置を動かさないようにしていたのに、今ので、彼女の手から離れてしまった。

 まあ、いいか。零したり、ぶつけたりしないように支えていたようなものだし。

 知性のない目を俺に向けている朝潮に、まだ飲む? と聞いてみても、やっぱり反応はなかった。……妖精さんより意思の疎通が上手くいかない。そういえば、艦娘同士で通信なんかはできないんだろうか。それができるなら、彼女に直接呼びかける事も……って、それはさっき妖精さん達がやってたのか。妖精さんのこれが通信なら、だけど。

 

「んー……だめかぁ」

 

 反応があるかないかをテストするための再三の呼びかけにも応答はなく、目の前で手をひらひらさせても同じ。肩を揺すっても駄目。はっきり名前で呼んでも駄目。提督だぞーとふざけた事を言っても反応なし。

 いよいよもって、これはやばい状態なのではないかという結論を出さざるを得なくなってきた。

 あごに手を当てて、どうすればいいのかを考える。

 といっても、医療知識のない俺にはなんにも思いつかないんだけど……。

 それでも、何も考えないで白旗を揚げるのは嫌だったので、必死に記憶を探っていたのだけど……くい、とスカートを引く存在に思考を中断し、顔を向けた。当然そこにいるのは妖精さんだ。制服の子の方だった。

 

『彼女の症状は、艦娘にとっておかしい事ではない』

「……それは、本当?」

 

 ジェスチャー交じりの、言葉にできない何かを脳内翻訳すればそう言っている気がしたので、聞き返してみれば、うん、と頷かれた。

 おかしい事じゃない、って……しかも、艦娘にとって?

 では今の朝潮の状態は、艦娘であるならば誰にでも起こり得る症状だというのだろうか。

 詳しく知りたくて妖精さんに話を聞けば、脳内翻訳をするのが難しいあやふやな意思をぶつけられた。

 何を言っているのかわからない。まるで専門用語のオンパレードを聞かされているような感じだ。

 首を傾げれば、俺に伝わっていないのを察したのか、妖精さんも困ったように眉を八の字にした。うーん、理解力が足りない。

 

「……とりあえず、この子が水飲めるってわかったし……ええと、次はご飯かな」

 

 気を取り直すように喋り始めて、とりあえず、と口にした時点で自分が島風……もとい、シマカゼなのを思い出し、口調と声音に修正をかけた。妖精さんからのつっこみは特にない。変じゃないかちょっと不安だったんだけど……反応がないとわからない。

 自分で言った通り、ご飯を用意するために外へ出る。長い間彼女の看病をしていたつもりだったけれど、日差しはまだまだ強く、降り注ぐ光が髪を照らして、頬にかかる髪を指で梳いた。

 光が当たるとよくわかるけど、この髪の色って、金髪なのだろうか。それにしてはちょっと色が抑えめだ。でも、金髪って言えない事もないし……色の区分なんて普段意識しないから、よくわからない。

 小屋の入り口の前に立って見て、その左側。壁に雑に突き立った枝から垂れる魚の干物を回収する。うん、ちゃんと乾燥してる。身が分厚いから、もっと時間がかかるかもと心配してたけど、そうでもなかった。

 日光から逃れて部屋に入り込む。屋根の隙間から差し込む光と影が相まって、人工的な明かりがなくても明るい。朝潮はまだ体を起こしてぼうっとしていた。

 

「ご飯持ってきたよ。一緒に食べよ」

「…………」

 

 やっぱり返事はなし。

 上がっていた顔もまた膝に向いてしまっていたので、手袋を脱ぎつつ近寄って、しゃがみ込んで顔を覗き込んでみた。

 彼女の瞳に俺の顔が映る。我ながら眠そうな目つきだ。ぱちぱちとまばたきすると、偶然か、彼女も一瞬まぶたを閉じた。

 

「はい」

 

 干物を手で千切り、切れ端を口元に寄せる。……これにも反応なし。食欲が刺激されたりしないのだろうか。結構おいしいんだけどな、これ。

 無理矢理口に詰め込めば咀嚼してくれるだろうか。

 先程水を飲ませた時の反応を思い出しつつ、しかし、無理に飲み込ませて喉に詰まったらを考えると、無理に食べさせる気にはならなかった。今度は妖精さんの後押しもないし。

 自分の口にいれて、もぐもぐやりつつ、今度はさっきのよりも小さく千切る。それを妖精さん達に差し出して「食べる?」と聞けば、頂戴いたす、と受け取ってくれた。……あ、食べるんだ、ご飯。

 ぬいぐるみみたいな見た目だし、なんにも食べないのかと思っていたが、そうでもないみたいだ。俺が渡した干物の切れ端を更に半分にして、二人で分け合っている。

 それを見ていると、お腹も満たされてしまって、残りは全て彼女達にあげる事にした。

 食べきれないなら置いといていいよ、と言えば、食べきります、と返答。……まじで?

 その小さな体に入り切るのだろうか。自分から全部食べていいよなんて言っておいてあれだけど、結構大きいぞ、この魚。

 まあ、食べきれるというならそうなのだろう。妖精さんが嘘を吐くとは思えないし。

 そうそう、彼女の食事を用意しなくちゃ。どうやら干物は無理みたいだ。当然か、病み上がりなんだ、もっと食べやすいものを用意しなくては。

 お米があればおかゆでも作るんだけど……無い物ねだりをしてもしょうがない。

 部屋の隅へ向かって、影の中に置いてある果物を取って来る。

 リンゴに似た果実。甘さはさほどないが、植物の苦味がかなり薄く、食べやすいものだ。

 熱湯消毒済みの割れた瓶の欠片で皮を剥き、生ごみはつま先で蹴ってあけた地面に埋めて、果実を手の上で分割してから種を抉り出す。……ちょっとボリュームがないけど、考えてみれば、今の彼女にそんなに量は必要ない。

 一切れを更に薄く切って、彼女に差し出す。口元へ運んで、唇をつついてみる。……食べない? ……食べないか。

 じゃあ俺が食べちゃうぞー、と自分の口元に運んで口を開け、はむ、と口を閉じるふり。もちろん、本当に食べる訳じゃない。彼女の反応が見たいだけだ。

 

「…………」

「…………おぅ」

 

 ……虚しい。反応がないのはわかっているのに、何をやっているんだろう、俺は。

 ふぅ、と息を吐きつつ、左手に乗せている残りの果実を見る。お腹いっぱいだって言ったばかりだけど、しかたない、自分で食べるか。

 

「――……」

「ん?」

 

 何かが動く気配に朝潮の顔を見れば、彼女は今さら小さく口を開けていた。

 ……俺の言葉や動きがわかっているのだろうか? それとも、ただの偶然か。

 前者だと思いたくて、そっと口に当ててやれば、シャリ、と噛んでくれた。

 おおっ、なんか感動……。

 

「っ! げほっ、っん、ん……!」

「あっ」

 

 と思ったら、彼女はすぐに咳き込んで、果実を吐き出してしまった。慌てて手を出してキャッチしようとしたけど、掴み損ねて、掛布団代わりの布の上を転がってしまう。

 あー……もう代えが無いのに、汚れてしまった……。でも、そんな大きな汚れではないし、我慢してもらうしかないか。……毛布とか、後で洗濯しとこう。

 果物の欠片を排除し、けほ、と咳き込む彼女を気遣いながら、どうしようか考える。固形物はまだ食べられないようだ。かといって水だけという訳にもいかないだろう。艦娘が水だけで生きていけるというなら話は別だが、少なくともここ数日、俺は普通に空腹を感じていたし、食欲もあった。

 だから彼女も同じだろう、と短絡的に考えるのは自分でもどうかと思うが……妖精さんだってご飯を食べるんだ、艦娘だって同じだと考えてもおかしくはないだろう。

 

 さて、固形物が駄目なら、流動食というか……そんな感じの物を作ればいいだけだね。

 でも、それには布が必要だ。……布、ないんだよな。調理に使うとすればなおさら相応しい布はない。

 ないとわかっていても部屋の中を見回してしまうのは未練がましいと言えばいいのだろうか、しかし、それで俺は使えそうな布を発見する事ができた。俺の手袋だ。

 白くて薄くて清潔そうで、うん、たぶん申し分ない。

 重ねて置いてある、地面についてしまっていない方の手袋を持ち上げ、その中に果物を入れる。正気の沙汰ではない。……おっと、自分に突っ込んでしまった。サバイバルなんて事をしている以上、使えるものを使わないと、待っているのは死だけだというのに、まだ夢気分が抜けていないのだろうか。今は虚空を眺めている彼女のおかげでちゃんと現実なんだって認識を得られたはずなのに……。

 いや、日常の中で軽い現実逃避をするのは、誰にでもある事か。

 鍋の中身を外に捨てに行き、戻ってきたら、石を片手に座り込む。広げた足の真ん中に鍋を置いて挟んで固定し、果実入りの手袋を鍋の中へ。

 後は叩いてぐりぐりしてすり潰し、果汁を得るだけの簡単なお仕事だ。手袋が切れてしまったり穴開きになってしまったりしないよう力加減に注意する以外には、そう苦労もなかった。

 鍋の中に少量できた、濁りのある果汁100%ジュースを空いている瓶に移せば、完成だ。擦り潰した果実の方も食用にできるが、彼女には食べさせられないと判断して、妖精さんのデザートにした。……いつの間に魚は骨しか残ってない。ほんとに干物全部食べたんだ。大食いだ。

 そんな大食いチャンピオン二名にデザートを献上すれば、よいぞよいぞと大喝采。甘いものに目がないというよりは、デザート自体を喜んでいるみたいだった。

 そんな風に体全体で喜びを表現されると、こっちまで嬉しくなってきてしまう。

 この気持ちのまま、朝潮に食事をとってもらう事にしよう。

 

「はい、どうぞ」

「…………」

 

 水をあげた時と同じように、あごに手を添えて持ち上げ、瓶を口につけてやれば、今度もそろりと手を伸ばして、自分で瓶を支えて飲み始めた。

 量が少ないから、すぐに飲み終わり、その手は落ちてしまってけど、彼女が動く姿に安心して、瓶を抜き取った。

 

「…………」

「おー?」

 

 すると、彼女は瓶の行方を追って目を動かした。今までにはなかった反応だ。そのまま俺の顔まで視線が上がってくるかと身構えたけど、残念ながら彼女の目は瓶に釘付けで、俺の存在は認識されていないようだった。

 

「……もうちょっと、いる?」

「…………」

 

 返事はない。だが、目は口ほどに物を言う。彼女が果汁ジュースを求めていないなどと思うほど俺は鈍くない。

 でも、もう果物がないんだよな。

 ……ないなら採ってくれば良いだけの話。

 という訳で、朝潮の事は妖精さんに任せて、俺は果物の採取へ出かける事にした。

 ついでに布や毛布を持って行き、温泉の傍で洗濯してしまう。彼女の衣服と入れ替わりで干して、畳んだ衣服を抱え、その後に果実探しのお時間だ。

 

 森の中を駆け、前に果実がなっていた木を中心に探して、見つければ木を登ってもぎ取る。繰り返して、数度。時間の感覚がないからわからないが、太陽の位置からしてとっくに昼は過ぎているだろう。両腕に抱えるほどの名もなき果実に、バケツとか持ってきておけばよかった、と自分の至らなさに息を吐いた。

 あー……彼女の衣服もあるのだし、もう少し考えて行動しなくては……。

 考えれば考えるほど俺の行動には穴がある。いつもの事だけど、これで俺、この世界でやっていけるのだろうか。

 近い将来、自分の身に降りかかるだろう試練に不安を抱きつつ家に戻り、比較的冷える位置に果物を置いて、まずはお着替えタイムとしゃれこむ。彼女に彼女の衣服を着させるのだ。いつまでも裸では、やってられないだろう。……誰が、かは知らないけど。

 特に着替えについて特筆すべき事もなく、彼女はこの島に流れ着いていた時と同じ格好になった。破けた服から覗く肌は傷一つなく綺麗なもの、という違いこそあるけど。

 

 ボロボロだけど、やっぱり服を着ているだけで違うな、なんて率直な感想を抱きつつ、果物の調理に取り掛かる。

 三つほどの皮を剥いて先程と同じように擦り潰す。うむ、今度は結構量ができた。コップ一杯分とまではいかないけど。

 

 例の如く、すり身の方は妖精さんのお腹に収まる。まだ食べれるのか。宇宙的胃袋? ひょっとしたら、食べた物全てを即座にエネルギーに変換しているのかもしれない。……艦娘もそうっぽいけど。

 いや、ちょっと違うかな。でも限りなく近い?

 そういうものと割り切ってたけど、よく考えなくともここ数日()しかしてないってのもおかしな話だし。

 なんて下世話な事を考えつつ朝潮にジュースを飲ませていれば、もうからっぽになってしまった。

 満足かな、と瓶を離せば、視線が追ってくる。一瞬俺の顔まで上った目線は、すぐに瓶に落ちた。

 もうちょいご所望なのね、と追加で果物をすり潰してジュースを作り、与えて……まだ欲しがっているようなので、すり潰して与えて。ああ、集めた果物、全部なくなってしまった。

 朝潮からの催促ビームに最速で応えるため、再び果実探しの旅に出る。今度はバケツを持って、だ。

 

「…………」

「ん?」

 

 小屋から飛び出そうとして、ふと彼女が何かを言ったような気がして振り返る。彼女は、特に何かを口にした様子もなく、ただ俺を見ていた。

 ……気のせいだったかな。

 わからないというもやもやに後ろ髪を引かれつつ、バケツを抱えて走り出す。何事も素早く、だ。最高速度は防護フィールドを纏った状態でしか出せないけど、今回は纏っていない。あんまり防護フィールドを乱用できないのだ。

 それも、燃料の心配があるからで、食物を摂取する事で得られる燃料の供給を上回らない範囲でなら使用しても問題はないだろう。けど、いつかはこの島を出るかもしれないのだから、無駄遣いは厳禁だ。

 食べれば食べた分だけ燃料が蓄えられるとかだったら、使い放題だったろうな。でも、そんなうまい話はない。たくさん食べれば満腹になるように、燃料も蓄えるのには限界がある。限界以上を得ようとしたらどうなる事やら。試す気には到底なれない。

 考え事をしつつバケツ一杯になるまで果実を集める。っと、これは違う。リンゴモドキに形も色も似てるけど、食べると舌が麻痺(まひ)するおいしくないやつだ。リンゴモドキモドキだね。

 もぎ取る前に気づけて良かった。間違えて採ってしまうと食べられずに捨てる事になるからかわいそうだ。こないだは悪い事した。

 木の幹を蹴りつけて地面に降りると、着地の衝撃でバケツの中身が跳ねた。こぼさないようにバランスを取り、よし、と呟く。

 これくらい集めれば、さすがに彼女も満足してくれるだろう。

 家まで競争、と空気に向かって呼びかけて、足を回して走る。車や自転車に乗っている訳でもないのに、凄いスピードで景色が流れていくのには不思議な爽快感がある。俺は、このスピードに少しずつ惹かれているみたいだった。

 

 開けた場所に出れば、我が家は目の前だ。速度を緩め、ぽっかり空いた入り口から中に飛び込んで、ただいまを言う。

 ……返事はなかった。

 

「……あれ?」

 

 いない。

 朝潮が、いない。

 めくれた布はそのままで、そこに座っていたはずの朝潮が消えている。……艤装もだ!

 妖精さんごと彼女の装備が三つともなくなっていた。

 

「……あいつ」

 

 まさか、海へ?

 体を治したとはいえ、あんなにぼうっとしていたのに……俺が出ていた間にいったい何があったのだろう。

 バケツを置き、部屋の中を見回す。何を探しているか自分でもわからないまま何かないかと見てみたけれど、当然見つかるはずもなく、眉を寄せる。

 出て行ってしまったのだろうか。妖精さんは止めなかったのか? 彼女の意識がはっきりした状態ではなかったから、意思の疎通が図れなかったとかか?

 疑問が渦巻く。最初を除いて、どれも答えの出ないものだ。

 地面に片膝をつき、土に刻まれた足跡を見る。……おそらく彼女の物だ。わりと人の足の形をしている足跡。俺ではこうはならない。

 艤装を身につけて行ったなら、その分の重みもプラスされているだろうから、こうしてはっきりと足跡が残っているのだろう。

 危険だ。

 一も二もなく、危機感が脳内を駆け巡った。

 だって、あんな状態で……装備だってボロボロなのに。

 ……ただこの島内を探索したくなっただとか、俺を不審に思って身を守るためにこの場を後にし、新たな拠点を探しに行った……とかなら、まあいい。でも、海に出るのは駄目だ。危険すぎる。

 

「止めなきゃ」

 

 止められるか?

 自分の呟きに疑問を投げかける。

 彼女がいつ起きだして出て行ってしまったかはわからないが、俺はそれほど長く外に出ていなかったはずだ。

 ……止める権利は?

 

「ある」

 

 断言して、足跡を辿って走り出す。彼女の命を預かった。勝手な事でも、まだ手放してないなら、彼女の行動決定権は俺にある。

 家を出てすぐ、足跡は裏側に回り込んでいる。知性のある動き? 俺を欺こうとしている? どういうつもりなのかわからない。偶然こうなっているだけかもしれない。

 いずれにせよ、追いつくしかない。

 防護フィールドを纏い、最大速力で追跡を開始する。髪がなびく。風に引っ張られる感覚。防護フィールドを纏っていない時と比べると、その感覚は弱い。

 腰ほどの高さまである茂みも、大きな木の根も気にしていないかのように、足跡は途中から一直線になっていた。こっちは、たぶん……ああ、やっぱり!

 森を抜ける。その先には、眩しい砂浜と青く煌めく海が広がっていた。彼女の足跡は点々と浜に残され、押し寄せる波の中に消えている。

 遮蔽物の無い海上のどこにも、人の姿は見当たらない。どうやら俺は遅すぎたようだ。

 波の前まで歩を進めて、水平線を眺める。

 まだ、追うか。それとも諦めるか。

 艦娘の戦闘力の詳しいところを、俺は知らない。

 だからもしかしたら、たとえ艤装が壊れていようと、彼女はこの海でやっていけるのかもしれない。

 この体になって日の浅い俺には判断できないが……その可能性はある。

 でも……もしそうでなかったら。

 

「――……」

 

 曇った空色の瞳が、すぐ近くに見えた気がした。

 ここで諦めるか諦めないか。言い換えてしまえば、彼女を見殺しにするかしないか。

 どっちがいいかなんて、決まっている。

 でも、だけど……。

 海に出るのは怖い。心の準備もできていない内に海に出て、外敵に遭遇するかもしれないのが怖い。

 指針も何もなく、広大な海で彷徨ってしまうかもしれないのが怖い。

 恐怖心ばかりがわき上がってくる。彼女のための勇気だとか、大人の意地だとかはちっとも顔を出さない。

 

「――っ!」

 

 ドオン、と腹の底に響く音が彼方から聞こえてきた。同時に、向こうの方で水柱が上がるのが見えた。

 なに、と疑問に思う暇もなく、再びの重い音と、同じ方向に立ち上がる水柱。

 砲撃だ。攻撃されている。誰が、なんて、言うまでもないだろう。

 ここからでも見えるほどの高さの水柱が上がる攻撃に、身が竦む。あれこそ現実だった。そこへ飛び込んで行く勇気など、俺には持てなくて。

 …………俺には、ない。

 でも、島風には……シマカゼになら、ある!

 作り上げたプライドが、怯む事も逃げる事も許さない。

 右足を振り上げ、伸びてきた波に叩きつけた。

 水飛沫が散る。足にかかるものは防護フィールドに弾かれ、足を濡らすには至らない。

 右足を前に滑らせながら、左足も波の上へ。

 

「シマカゼ、出撃しまぁす!」

 

 自分を鼓舞する気合いの声は、きっと誰にも届いてない。

 いや、俺には届いてるはずだ。シマカゼという艦娘である、俺になら。

 

「くっ……!」

 

 波のせいで不安定な足場に踏ん張る。川の上や温泉の上とは違う。でも、乗りこなせない訳がない。横にした右足で海面を擦りつけ、重心を前に。腕を構えて、水を蹴って走り出す!

 あっという間に最高速だ。前へ前へ前へ、膝同士が擦り合いぶつかり合ってしまいそうなほどに足を回転させて駆ける。

 地上を走るより速く、ぐんぐんと先へ。

 

「……いたっ!」

 

 思っていたほど遠くにいなかったのか、それとも俺の移動速度が速すぎたのか、すぐに彼女とその敵を補足する事ができた。

 立ち止まって砲を構えている朝潮と、巨大な深海棲艦……イ級? イ級なのか? あの大きさで?

 水上に出ている部分だけ見てもその巨大さはわかってしまう。きっとあれはアニメ基準だ。駆逐艦・吹雪よりも大きく、子供を丸呑みできそうなくらい大きな口を持つ異形の者。青い光の灯る双眸は人だまのように揺らめいていて、不気味だった。elite(上級)flagShip(最上級)ではないなんて、なんの慰めにもなりそうになかった。

 ざあっと足下で水が弾ける。減速……気圧されてる? ううん、ブレーキを踏んだ覚えはない。このまま突っ込む!

 策も考えもなく水上を走り、そのさなかに両足を揃え、スキーのように滑り出す。水の飛沫は白煙となって後方へ流れていく。お腹より下を包む冷気が、上半身との感覚の齟齬を生もうとしていた。

 

「やっ!」

 

 両手を前に。水を蹴り上げて飛び出すのは、朝潮の前。

 彼女が息を呑む音がした。同時に、視界の先で大口を開けているイ級の口内から突き出た砲身が、眩く光った。

 細い光線が腹に突き刺さる。瞬間、小さいとは言えない爆発が腹の肉を抉り、衝撃に吹き飛ばされた。

 白んだ視界ががつんと揺れる。擦れた背が熱を持ち、ぶつけた腕が痛みを訴え――ザ、ザ、ザと海面を跳ねさせられているのに気付いて、無我夢中で腕を振るった。

 水を叩く高い音。海面を叩いて跳ね起き、身を捻って足を海へと向け、着水の瞬間に踏ん張って勢いを殺す。地面とほとんど同じ固さの海面は、しかし中々勢いを削いではくれず、彼女の立つ位置から十数メートルも離れた位置でようやく止まった。

 

「ぎ、ぐ……!」

 

 ゆらりと背を伸ばそうとして、お腹に走る鈍い痛みに咄嗟に右腕で腹を庇っていた。焼けつくような痛みと、内臓を直に叩かれたみたいなショックが同時に襲ってくるのに、顔が歪んでしまう。

 こんな痛み……経験した事なんてなくても、耐えられないほどじゃないはずだ……!

 

 

 空気を穿つ音がして、朝潮の体がぐらついた。直撃……!

 

『―――――ッ!!』

 

 朝潮の放った砲弾をくらったイ級が、凄まじい不快音を放った。皿と皿を強く擦り合わせたような、甲高い悲鳴。暴れるように身悶えて波を起こす敵の姿に、ひょっとして、わざわざ彼女を庇う必要はなかったのかな、と思った。

 だが、奴が苦し紛れに放った砲弾が朝潮を掠めると、彼女は大きく体勢を崩して、すぐ傍で吹き上がった水柱に飲まれた。

 

「あっ、のやろっ!」

 

 痛みを堪えている場合ではない。押さえていた腕を離すと、千切れたパンツの紐が垂れるのがわかった。……中破以上になってる。これじゃ攻撃力も……いや、もとより武器などないんだ。体一つでやってやろう!

 そう意気込み、滑り出した瞬間だった。

 小規模な雨と霧のように降り注ぐ水の中で、爆発が起こったのは。

 

「――――ぁ」

「!」

 

 巻き上がった炎は、彼女の姿を照らし出した。砲身が半ばから折れてなくなり、穴開きになった艤装が黒煙を上げている。……壊れた砲を使ったから、無理が出たのだろう。

 爆発は一度に止まらず、左腕の魚雷が誘爆して、いっそう大きな爆発が起こった。赤と黒の光に呑み込まれる彼女に声を出そうとして、そのずっと向こうで、イ級が冷徹に砲身を向けてきているのが見えた。

 彼女を抱き留めようと広げていた腕を体の前で交差させ、再び彼女の前に滑り込む。チカッと光が瞬けば、腕がもげそうな衝撃がきた。かち上げられた両腕に引っ張られ、右足が上がる。水と煙が視界を覆う。

 衝撃に逆らわず、そのまま後ろへ跳んで両手を伸ばし、海面に手の平を押し付けて支点とする。ぐるんと足を振り回してバク転。体と手を起こせば、隙を晒す事無く体勢を整える事ができた。

 追撃はない。どうやら奴は、二度連続で砲撃は行えないようだ。

 その隙に、肩越しに背後を見る。彼女の安否を確認しようとして……浜辺の方まで、誰の姿もないのに戦慄した。

 それも一瞬の事。俺の体から登る煙に紛れて、海面からも吹き上がる煙があるのに気付いて、彼女がどうなったかを理解した。

 沈んだのだ。この海に。

 

「まだだ!」

 

 まだ終わってない。

 沈んでから間もないはずだ。今潜れば、彼女を引き上げる事は難しくないはずだ。

 防護フィールドを解除して、海へと飛び込もうとして――真横を突き抜ける光線に、断念を余儀なくされた。

 忌々しい深海棲艦が……彼女を沈ませる訳にはいかないのに!

 

「だったら、まずあいつから倒す!」

 

 できるできないを考える必要はない。やる。やらなきゃならないから、やる。じゃなきゃ彼女が死ぬ。

 大丈夫、できる。ここはまだ浅いし、俺は艦娘だ。あんな雑魚に負けてたまるかっ!

 

『―――――ッ!!』

「うるさいよ!」

 

 威嚇か何かか、咆哮をあげる深海棲艦から目を逸らさないまま、横へ滑り出す。面舵(おもかじ)。右へ。

 艤装の無い俺が奴を倒すには、常々考えていた『この体の最大速度でぶつかっていく』という戦法をとるしかない。でも、最高速を出すには距離が必要だ。そのための移動をしようとすれば、敵もこちらに向かってくる。そう簡単に距離はとらせてくれないって? でも残念。彼奴(きゃつ)との差がどんどん開いていく。

 当たり前だ。超高速を誇る島風に――シマカゼに追いつける訳がない。加えて、今の俺はなんの装備も持っておらず、身軽なのだ。

 徐々に徐々に反転していく。勢いを殺さないよう、細かい軌道修正を繰り返す。砂浜が目前に迫る頃には、完全に反転を完了していた。反抗戦に入る形。……すれ違う気はないけどね。

 まっすぐ向かっていく俺に対して、イ級は大口を開け、されど砲身は覗かせずに突き進んでくる。そのまま噛みつこうって魂胆? 大きな歯並びが不気味で、寒気が身を包む。

 

「決めるよ!」

 

 弱気を全て吹き飛ばすために大声を出す。ブーツが海を裂く激しい音と、はためくスカートとカチューシャのリボン。些細な感覚の一つ一つが強く感じられる。足に流れる力も、海面を叩き付ける衝撃も、全てが余すことなく伝わってくる。

 空中へ跳び上がり、勢いあまって前転。そんな予定ではなかったけど、勢いを削がれさせないためにさっと膝を抱えてぐるんと回り、元の体勢に戻れば、腕を広げ、右足をずっと伸ばして、急降下キックの形に移行する。

 

『―――――ッ!!』

「とりゃーーっ!!」

 

 スピードによって得られた勢いは、荒ぶってしまいそうな程強く大きいのに、驚くほど素直に行きたい方へ体を運んでくれる。斜め下。俺を食い破ろうと限界まで口を開いて跳び上がる、駆逐イ級の顔面へと、必殺キックを叩き込む。

 ヒールが奴の口の端に突き刺さり、前へ進む力によって削り、斬り裂いていく。頬を、体を、尾までもを、ガリガリと鉄と赤黒い液体を吹き散らせながら突き抜けて――ザァアアッと海面を擦って行く。右足は横に、左足で体を支え、しゃがむような体勢で踏ん張れば、がくんと体が揺れて体が止まる。

 

『――――……』

 

 直後に、背後で熱が膨らんだ。

 轟く爆発音。背中全体に叩きつけてくる衝撃波に髪が前へ流れ、体も持って行かれそうになるのを堪える。煽られた波が幾つも足下を通過していき、やがて静まっていく。

 

「……っ、は、は、ふ」

 

 倒した。

 そう実感すると同時、忘れていた呼吸を再開する。立ち上がりながら短く浅い呼吸を繰り返し、額を拭う。べったりと汗が腕についた。

 決まった。

 胸中で歓喜に濡れた言葉が浮かんで、しかしすぐ焦りに塗り潰される。

 あんなのを倒した程度で喜んでいる場合ではない。彼女を助けなきゃ!

 重ねた両手を前に、海面を蹴る。今度こそ防護フィールドを解いて海中へ潜って行く。

 ぼこぼこと上る水泡の群れ。不幸中の幸いか、ここら辺は海底までさほど距離がなく、太陽光が届いていた。

 少し遠い位置に、海底に横たわる彼女の姿を見つけ、水を掻いて泳いでいく。

 ばらけて広がり、揺蕩う黒髪。僅かに浮いた上半身。海面へと伸ばされた腕。

 その姿全てに言い知れぬ恐怖と、絶対的な「救わなければ」という気持ちを抱く。矛盾しているような、されど同時に存在する奇妙な心。本能と理性。

 彼女の体を抱き上げ、しっかりと胸に抱いて、足をばたつかせて海面へ急ぐ。光が近付いてきた――。

 

「ぷはっ!」

 

 息を吐き出す音は、一人分しかなかった。




ハイスピードロップ
(キック技)


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第七話 どうして朝潮は海に出たのか

繋ぎ回なので短め&大きなお話の進行はなし。
朝潮さんのここがヘン! と思ったら是非教えてください。マッハで改善します。


 

「起きて! ねえ、大丈夫!?」

 

 波に体を揺さぶられる中で、腕の中でぐったりとしている彼女へと呼びかける。息も絶え絶えで、途切れ途切れの声に、彼女は僅かに閉じた目を震わせて……。ああ! よかった、まだ生きてる!

 

「気をしっかり持って! 大丈夫だから!」

 

 意味の通らない言葉を彼女へとかけながら、砂浜へ向かって泳いでいく。粘ついた潮風と光を反射する海面。この上に立って走った方が速いか。いや、彼女を引き上げる事ができそうにない。

 ちかちかと頭の裏で明滅する危機感と焦り。跳ねる水が顔にかかって、汗みたいに流れ落ちていく。やっとの思いで浜に辿り着き、彼女を抱えたまま砂の上にあがった。

 水を吸って重くなった服越しに風が当たると、すぐに体が冷えてしまいそうだと感じた。頭頂部なんかは太陽のせいで熱いのに、体は寒い。それに、肌に張り付く服の感触が気持ち悪かった。

 防護フィールドなしでも軽々と抱えられる彼女の両腕を掴んで立たせようとすると、びくっと身を震わせた朝潮は、次には激しく咳き込んでよろめいた。鳩尾辺りの服を掴まれ、引き下ろすように引っ張られる。うまく体勢を安定させられない様子の彼女の腰を抱き寄せて、俺の体に寄りかからせた。

 彼女が腕を持ち上げようとするのに、腕を押さえていた手を離せば、縋るように肩を掴まれた。ぐっと力がこめられると、彼女は緩慢に顔を上げて、俺の顔を見てきた。

 

「――……」

 

 何かを言う素振りもなく、彼女はそのままふっと力を無くして、またぐったりとしてしまった。

 だらんと落ちた腕の艤装に彼女の体が引っ張られてしまうのを(とど)めながら、森の方に目をやる。

 様々な感情が胸の中で交錯して、何を言う事もできず、感じられなかった。

 ただ、帰ろう、とだけ考えて、彼女を抱き上げ、家路を急いだ。

 

 

 艤装を外して――艦橋から伸びる青い帯は、千切れていた場所どうしを結び付けられていた――再び、彼女を自分の寝床に寝かせ、体を拭いてやるために布を用意していると、彼女の体に取り付けられたままの壊れた艤装からのそりと妖精さん達が這い出てきた。

 どこか申し訳なさそうにしている妖精さん達を見下ろしていれば、不明瞭な意思が飛んでくる。……これは……言い淀んでいるのだろうか? 躊躇いがちに口元に手をやっている二人を見るに、その認識で間違ってなさそうだ。おずおず、という擬音――この場合は、ぎ……ぎたいご? が正しいのだろうか――が出ていそうな二人の様子に溜め息を吐いて、しゃがみこむ。腹に張り付いた服の冷たさが肌に染みた。

 

「どうしたの」

 

 何をそんなにおどおどしてるの、と呼びかければ、申し訳ない、と端的な謝罪。なぜ俺に謝るのかわからない、と返せば、俺の献身に報いず、裏切るような行いをしてしまったと詫びてきた。

 ……献身なんて大袈裟な。いや、これは俺が勝手にそう読み取っているだけか。実際はどういう表現をしているのかわからないけど、彼女達の八の字眉を見ていれば、相応に心苦しく思っているのだろうと察する事ができた。……今日だけで俺の観察眼というか、そういうスキルのレベルがかなりアップしている気がする。

 

「気にしなくていーよ。好きでやったんだし」

『そういう訳にはいきませぬ』

 

 布を握ったままの手を緩く振れば、困り顔から一転して怒り顔に。拳を握り、銛を掲げ、どんな罰でも受けるから、彼女を許してやってほしい、と言ってきた。

 

「だからー、気にしなくていいって」

 

 彼女達の義理堅さ? にちょっとげんなりしつつ、朝潮の体を拭こうとして、自分自身も濡れ鼠になっていたのを思い出した。幸い、家の中の床は布を引き剥がしまくったせいで、剥き出しの地面のみが濡れるに留まっているが……彼女を寝かせた布には、もう水が染み込んでしまっている。……彼女を拭く前に、干しておいた布を回収しに行くべきだろうか。

 ああでも、俺が出かけている間にまた彼女に抜け出されても困る。

 

 スカートのウエスト部分から垂れる黒い紐を手で弄りつつ自身の状態を再認識して、それから、額や頬、肌に張り付く髪の毛の重みを意識して、ふーい、とわざとらしく息を吐いた。思い出したようにお腹の痛みまで出てきた。防護フィールドは案外役に立たないのだろうか。役に立っているからこの程度で済んでるのか。

 

 不思議な力の加護のおかげで、ひりつくような痛みはあるものの、剥き出しになっているお腹に目立つ傷はない。……しかし、下乳が見えるくらいにまでを器用に削り取られた服は、いったい何がどうしてこうなったのだろう。辛うじて紐一本で支えられている下着と違って、肌着の無い上は少しずれれば見えてはいけないものが見えてしまう状態だ。

 彼女の事ばかりに頭がいってて気にしてなかったけど、今の俺の姿も相当酷い。ゲームで見たほどの損傷ではないけど、ううん、体を見下ろしているだけで恥ずかしくなってくる。スカートが無傷なのが救いだ。

 胸元に垂れるリボンを握り、手の内で擦るようにして膝に手を落とす。俺の状態など今はどうでもいい。傷がない事への疑問だって、妖精さんに聞くか、後で考えれば済む話。今は彼女の容態と、なぜ海へ出たのかを聞くべきだ。

 彼女の様子を見ればわかるが、イ級の攻撃による、右の二の腕にある擦ったような傷以外には目立った外傷はなく、露出した肌が赤くなっていて、服の焦げた部分が増えているくらいだった。呼吸は安定していて、熱に浮かされている様子もない。このまま妖精さん達と話していても、彼女は大丈夫だろう。風邪をひかないか心配ではあるから、素早く事情を理解する必要があるけど。

 

「じゃあ、なんでこの子が海に出たのかを教えて?」

『……了解』

 

 ゆっくり言葉を投げかければ、少し間を空けて返答。二人が顔を見合わせた事から、話すか話さないかを決めたのだろう。

 まず初めに理解してほしい、と妖精さん達が言う。彼女は……朝潮は、俺から逃げ出したりした訳ではない。そして、俺を認識していなかったわけでもない。

 驚いた事に、彼女は俺が看病している時には、おぼろげながらも意識を取り戻していたらしいのだ。あの時、妖精さん達は彼女から応答はないと言っていたけど……どうやらそれは嘘だったみたいだ。

 ……嘘、つくんだ。妖精さんって。

 小さくかわいい存在が人間らしい一面を持っている事に少しばかりショックを受けながらも、嘘をついたのは、結局は妖精さん達が慕う彼女のためなのだろうから、しかたないだろうと思った。

 彼女が海に出る事を望んだ。俺がこの家を出た後に、妖精さん達は彼女を引き留めようとしたらしい。だけど、そこまでの意思疎通ができる状態ではなかったらしく、彼女が家を出ようとするのを引き留め、艤装を取り付けたらしい。

 止められないなら共に行き、彼女と運命を共にしようと思った。そう、二人は語った。

 共に沈もうとするほど、彼女の事を……?

 想いの強さに、少しの間口を閉ざしてしまった。

 この世界を現実だと受け入れられなかったみたいに、妖精さんの事もどこかふわふわしたものだって思ってたけど……彼女達にも確固とした意志があり、心がある。

 その事実がなぜか受け入れ辛く……しかし、少しの時間で、なんとか心に浸透させる事ができた。

 彼女達も、一個の生命として扱う。尊重する。そんな当たり前の事を、改めてやろうと思ったのだ。

 小さく頷くと、彼女達も神妙な顔で頷き返してきた。

 …………今頷いたのは、君達の行動に同意を示したからではなくて、自分の心の整理がついたから、なのだけど……ああ、『わかってくれるか』みたいな眼差しが……。

 

「んんっ。そ、それで、結局この子はなんで海に出たの?」

「帰らなければ、ならなかったからよ……」

 

 その理由まではわからなかったのかな、と予想しつつ問いかければ、答えは意外なところから返ってきた。

 

「……大丈夫なの? 起きれる……?」

「ぅ……ええ、だいじょう……」

 

 腕をついて身を起こしながら、朝潮が語りかけてくるのに、慌てて声をかければ、掠れた声で大丈夫と答えられた。最後まで言えてない。大丈夫じゃなさそうなんだけど……。

 体を支えようと一歩、膝を前に出して手を伸ばそうとすると、顔をあげた彼女と目があった。強い意志が灯った、空色の瞳。

 射抜かれるような錯覚を覚えて、少しばかり頭を後ろへ反らしてしまうと、彼女は一つ瞬きをして、ややうつむいた。視線が下に向かう。伏せられた目はどこか哀しげで、心の痛みを誘った。

 

「……大丈夫?」

「……心配は、」

 

 再度問いかけて、しつこいか、と自分でも思ってしまっていると、彼女は下を向いたまま答えようとして……その声は、途中で途切れて、空気中に溶けていった。

 部屋の奥から水入りの瓶をとってきて、飲む? と彼女へ差し出す。俺を見上げ、いただくわ、と短く答える彼女の姿に、なぜか凄く動揺しているのがわかった。それを表に出しはしなかったが、水を口に含み、目を細めて飲み下した彼女が、座らないの、と声をかけてくるまで動けなかった事から、相当なものだと気付いた。……なぜこんなにも動揺しているのか、自分でもわからない。……あ、いや、今、俺を目で追う彼女を見ていてなんとなくわかった。反応なしで動かなかった彼女が、彼女自身の意思で動いて喋っている事に、安心しているのだ。

 生きてる。生きてるってのは、素晴らしい。

 煩わしげに濡れて纏まった髪に触れる彼女を見ていると、自然とそんな言葉が思い浮かんで、その通りだ、と自分自身に賛同した。死んだら二度と会えない。この世から消えてしまうなど認められない。俺は、生きていてほしいのだ。

 ……目の前の、彼女に。

 

「助けて、くれたのね……」

 

 感謝、するわ。

 言葉を選んでいるのか、単に続けて言葉を言えないのか、どこかぎこちない感謝の言葉を述べる彼女に、気にしなくていい、と答える。

 自分の前で命が散るのなんて見たくなかった。だから助けただけ。そこには道徳観念もいくらか含まれていただろうが、大本はその気持ちだったから……独り善がりのようなもの。感謝なんてしなくていい。

 そこまでは流石に口に出さなかったが、彼女は聞き分けよく頷いて、それから、なぜ海へ向かったのかを話した。

 話した、と言っても、ごく短い言葉だった。

 

 帰らなくてはならないから。

 まだ戦えるから。

 

 だから、海へ出たのだという。

 引き留めそうな俺を認識して、外へ出るのを見計らって、抜け出した。

 すべては、彼女の所属する鎮守府に帰還するため。

 自身の状態も把握していたというのだから、帰らなければ、と繰り返し呟く彼女の気持ちの強さが窺えた。

 しかし同時に、まるでそれが強迫観念のようにも感じられて、だから俺は、彼女の手をとって両手で包んだ。

 驚いたような目が向けられるのに、せいいっぱいの笑みで返す。

 

「今は、体を休めるのに専念しよ。ね?」

「でも……」

「今度は助けられないかもしれないよ」

「…………それでも」

 

 帰らなければ。

 その言葉を口にするのはもう何度目か。ひたすら繰り返される言葉は、ふいに彼女が向けてきた潤んだ瞳も相まって、懇願にも聞こえた。

 

「いいよ、帰っても」

「……いいの?」

「十分休息とったらね。それまでは、どこにも行かせない。……ね?」

 

 最後の「ね?」は妖精さん達に向けたものだ。

 嘘を吐いた負い目からか、二人は朝潮を窺いながらも、頷いてくれた。

 彼女の艤装の妖精が俺に賛同すれば、それで彼女の心も傾いたのか、躊躇いがちにではあるが、休息をとってから帰る事に同意してくれた。

 よかった。これでまだ帰るとごねるなら、強制的にお眠り頂こうと思っていたところだ。

 今の彼女の状態で海に出たら、きっと先程の焼き直しになる。俺は彼女を見捨てられない。だから俺は、彼女を守るために飛び込んで……そんな事を繰り返していれば、絶対に無理が出る。

 装備の入手も艤装の修理もできないこの場所では、休んだって、海に出た時の危険度は変わらないだろうけど、せめて体力を回復し、体調を整え、精神面だけでも万全にしてからでも遅くはないだろう。

 俺はそう判断した。彼女の背景を何も知らない上での判断だ。彼女の所属しているという鎮守府から捜索隊などが出ていたりしたら、すぐにでも海に出た方が良いのかもしれないけど……そんなの、確認のしようがない。

 ……いや、彼女に聞けばいいのか。一人で思考を完結させる意味はない。彼女本人が反対しないからって、何もないとは限らないのだ。

 という訳で、「あなたを捜索する部隊が編成される可能性はあるのか」、と聞いてみた。

 そうすれば、今の提督の方針で、行方不明者が出れば可能な限り捜索活動を行うようになっている、という情報を得られた。……それを知っていて、ここに留まる事を了承してくれたのはなぜだろう。

 

「それは……」

 

 彼女は、両手で持った瓶を僅かに揺らして、その理由とこの島に流れ着くに至った経緯を話し始めた――。



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 小話 『対潜警戒任務ヲ遂行セヨ!』

三人称視点。朝潮がシマカゼのいた島に流れ着いた経緯。
口調とかに手こずって泣いてた。
昨日に間に合わなかったのに泣いた。



作品中に登場する艦隊は、ゲーム中で実際に編成し運用している子達のものです。


 快晴の空。

 さんさんと輝く太陽の光が生命(いのち)の海に降り注ぎ、一面青と白が眩しい。

 周囲に人工物の無い広々としたその上を、四つの小さな影が()く。

 縦一列、等間隔に並んだ少女達の足下から、絶えず飛沫(しぶき)と水煙が上がり、後方へと流れていく。

 水上に立つ存在とは二つに一つ。艦娘だ。

 

 先頭は由良(ゆら)長良(ながら)型軽巡の4番艦。

 薄紫の長髪はサイドテールに纏められていて、黒いリボンがぐるぐると交差し、毛先まで巻き付く尻尾(それ)は、風と戯れるように揺れていた。

 緑色の襟と袖を持つ制服姿が奥ゆかしい、十代前半に見える少女だ。

 

 二番目は五月雨(さみだれ)。白露型駆逐艦の6番艦。

 透き通るようでいて深い青の長い髪は、足にまで届きそうな毛先へ続くにつれて色が薄くなっている。前を行く由良と同じように、まっすぐ前だけを見ている。

 黒襟と胸元に垂れるリボンと、二の腕半ばから指の先までを覆う黒手袋が白い制服に映える、十代初めに見える少女だ。

 

 三番目は深雪。吹雪型駆逐艦の4番艦。

 黒髪のショートボブに、スタンダードな白いセーラー服と、白と黒のコントラストが眩い。

 きょろきょろと左右に顔を向ける姿は、周囲を警戒しているというよりは暇を潰す何かを探しているようで、それだけで彼女の性格が見えてくる。時折何かに耳を傾けては、うむ、と呟いている、これも十代初めに見える少女だ。

 

 最後尾が朝潮。朝潮型駆逐艦の1番艦。

 艶やかな黒髪はストレートに長く伸び、さらりと流れて(きら)めく。吊りスカートと白いブラウスの組み合わせはどこか懐かしい感覚を醸し出している。

 きりりと上がった眉と折れない意思の灯った瞳は、今は、忙しなく落ち着きのない深雪の背中に突き刺さっている。前を行く二人と同じ年頃に見える少女だ。

 

 ざあっと風が吹く。夏の暑さと水上の涼しさを同時に運ぶ悪戯な風が波を起こし、少女達がぐわんと上下する。ひゃ、と五月雨が短い声を漏らした。

 

「大丈夫?」

「は、はい。平気です」

 

 そんな些細な事も気にかけて、肩越しに振り返った由良が気遣うように言葉をかければ、自身の足に目を向けていた五月雨が顔をあげて、噛みがちに返答した。

 そう、と囁くような声量で言った由良は、ついでに五月雨の後ろに続いている二人の様子も確認した。左右に目をやっていた深雪は、見られていると気付くと、何食わぬ顔で五月雨の背中を眺め始めた。その後ろでは、朝潮が変わらずきつい視線を深雪の背に向け続けている。

 隊列に乱れも遅れもなし。疲れもなさそう。このまま何事もなければ、休憩をとる事なく帰投できるだろう。

 前に向き直った由良は、自身に積んでいる三式水中探信儀の妖精と数度意思を交わした後は、口を閉じて、水平線へと目を向けた。

 

 ――対潜警戒任務。

 現在彼女達四人が行っているのは、領海内に迷い込む深海棲艦を撃滅または追い返すための作戦行動だ。

 作戦行動、なんて言っても、大袈裟なものではない。軽巡・由良を旗艦とした四人からなる水雷戦隊で鎮守府から程近い海をぐるりと回って戻るだけ。

 対潜警戒とは名ばかり。対潜装備を積んでいるのは由良のみで、他三人は通常の装備だ。というのも、潜水艦などここ数年出現していないのだ。稀に紛れ込む最下級の深海棲艦をやっつけるだけの簡単なお仕事。それが対潜警戒任務。

 彼女達の所属する鎮守府の設立当初は、近海に敵潜水艦が溢れ返っていたらしいが、もはや昔の話。海域の安全を確保してから久しく、戦力や設備が充実した今となっては、ここら辺は平和なもので、この任務に当たる艦娘からは「暇」だの「楽」だの言われている。

 由良率いる水雷戦隊で暇だと思っているのは、深雪一人のようだが。

 その深雪は、つい今しがた何かを思いついたように上を向くと、おもむろに減速し、脇にずれながら朝潮の隣に並んだ。彼女を追って、ぎぃっと朝潮の目も動く。

 

「なぁ――」

「隊列を乱さないで」

 

 口を開いた時にはもう切って捨てられていた深雪は、「はいはい、わかってますよっと」と元の位置へ戻った。聞き分けの良さと、今の行動の意味のなさに朝潮の目つきがさらに鋭くなる。

 常ならば朝潮の注意に少なからず不快感を示す深雪が、特にむくれる事もなくまた左右を見回すのをみるに、ひょっとしたら注意される事が目的だったのだろうか。彼女が何を言いかけたのかはわからずじまいだ。

 朝潮の声に、五月雨がちらりと振り返る。困ったような笑みは、彼女達のやりとりに関してのものだろう。しかしそれも、すぐ穏やかな笑みに変わる。先頭で、前を向いたまま耳を傾けてた由良も、こういう時は軽く注意するくらいだ。どこか気が抜けているのは、しかたないものだった。敵が現れても一匹程度の任務に、毎度真剣に取り組んでいるのは朝潮くらいのものだ。

 といっても、他の艦娘が真剣でない訳ではない。警戒は怠らないし、役割は全うする。軽くふざけたり言葉を交わしたりする事はあれど、(なま)ける事はないし、報告も(おこた)らない。

 ただ、その真剣さの度合いが違うというだけなのだ。

 そんな朝潮も、仲間の気が緩んでしまっている理由はわかっているから、注意する時だってそんなに強い口調で言ったりはしない。深雪に対してきつめなのは、なんというか、癖のようなものだった。

 注意を癖と呼べるくらいには、この四人の付き合いは長い。

 鎮守府設立しばらくして転属してきた由良に、建造された五月雨と深雪。海上で目覚め、彷徨っていたところを発見された朝潮。ちょうど、この隊列と同じ順番で着任している。

 朝潮が初めて由良率いる水雷戦隊に組み込まれてから、数年。人類は徐々に深海棲艦を押し退け、制海権を取り戻しつつあった。

 

「……! 左舷(ひだりげん)に敵影あり、みんな、戦闘に備えて!」

「……ぁ、はい!」

「お? ……おう!」

「了解しました!」

 

 ちょうど領海内を半分回ったところで、遠い波間にこちらへ近づいてくる影を捉えた由良が注意を促せば、戸惑いながらも砲を構える二人に、即座に返答する朝潮。

 しかし、一度認識してしまえば後は早い。五月雨も深雪ももはやもたつく事なく、由良と同じ方向を見据えた。

 ザブザブと波を割り、黒い異形が姿を現す。例の如く、最下級の深海棲艦、駆逐イ級だ。

 

「単縦陣! 由良に続いて!」

 

 このままの陣形で接敵する、と告げた由良が、大きく体を傾けて右へ曲がり始める。角度の割には方向転換が遅いのは、体を傾けるのはどちらへ進むか一目でわかるようにするためだからだ。

 海面に引かれていく二本の白線に沿うように、三人も曲がって行く。

 すると、イ級は自らに向かってくる艦娘の存在に気付いたのか、左へ舵を切り始めた。俄かに速度を上げている。振り切ろうというのか、それとも回り込もうとしているのか。

 どちらにせよ、イ級を逃がすつもりは彼女達にはない。領海内の平穏を守るのが今の彼女達の使命だ。敵を見つけてテンションを上げる彼女達の前に、一隻で現れたのが運の尽き。

 

「砲雷撃戦、始めます!」

「いよいよ私たちの出番ですね!」

「ぃよぉし、行っくぞぉー!」

「いいわ!」

 

 高揚をそのまま吐き出すように、それぞれが自分を鼓舞する言葉を口にする。

 たとえ相手が一隻であろうと、最も弱い敵であろうと、手を抜く艦娘はいない。いつでも全力だ。

 砲を装着した手を軽く上げて合図をし、スピードを上げる由良に合わせて、五月雨達も同じ距離を保って続く。イ級に並べば、巨体に押し退けられた波が低くなりつつ足下を通過するほどの距離で、同航戦となる。

 

「よく狙って……」

 

 腕を伸ばし、20.3cm連装砲を構えた由良を始めに、それぞれも横へ向けて砲身を突き出していく。

 

「てーぇ!」

「たぁー!」

「喰らえーっ!」

「はっ!」

 

 ドドド、と続けて響く重い音。光と熱が一瞬(またた)き、真っ直ぐ突き進む砲弾の全てがイ級の体を直撃した。

 外装を削り、抉り飛ばし、傾くように持ち上がったイ級の横腹に食い込んだ弾丸が爆発を引き起こす。すぐ連鎖して、より大きな爆発がイ級の体を飲み込んだ。

 

「あっ、やったぁ!」

 

 速度を落としつつ、黒煙を上げて沈むイ級に、五月雨が喜色に滲んだ声をあげた。イ級を沈むに至らせたあの爆発を引き起こした砲弾は、彼女の放った物のようだ。胸元で拳を握り込んで小さくガッツポーズをする彼女の後ろで、ちぇー、と深雪が面白くなさそうに砲を下ろした。

 

「今日の一等賞は五月雨ね。みんなもよく頑張ったね」

 

 完全に敵が沈黙したのを確認した由良が、でも、まだ気を緩めないでね、と続けて言うのに、それぞれが返事をして、尾を引く高揚を排出しながら残り半分の航海に戻る。MVPをとった五月雨はにっこり笑顔だ。帰ればご褒美が待っている。成果を出せばそれに見合う報酬が必ず出される。このご時世、艦娘の力がなければやっていけない人類は、彼女達のケアを最優先にしている。

 

「くぅ~、もうちっとはやく撃ってればなぁ! 惜しかったぜー! な、朝潮!」

「……そうね」

 

 高揚が抜け出ていっても、活躍できなかった悔しさはなかなか抜けないらしく、しかし重さや厭らしさを感じさせない口調で深雪が話を振るのに、朝潮も俯きがちになって答えた。どうやら彼女も、自分が一番になれなかった事を悔しく思っているらしい。

 艦娘にとって戦う事が存在する意義だ、という風潮がある。それを果たせないのは……。

 ただ一度の戦いの結果を重く受け止める朝潮に、深雪は頭の後ろで手を組んで、「ま、次頑張ればいーよな!」とわざとらしい大きな声で言った。明らかに気遣われているのを朝潮が気づかない訳がなく、その気持ちが嬉しくも情けなくて、「……そうね」、と先程と同じ言葉で返した。

 二人のやりとりは、前の二人にも当然聞こえている。五月雨は浮かべていた喜びを引っ込めて、少しばかり申し訳なさそうにしていて、由良は、朝潮の気持ちを軽くするにはどうすればいいかを考えていた。

 戦う事に真剣になるのは良い事だ。でも、その一つ一つを受け止めて、全部に重い気持ちを抱いていれば、いずれ潰れてしまう。最近になって、どこからか出てきた『艦娘の在り方』に強く影響を受けている様子の朝潮は、何日も前からこの調子だ。どうにかしてあげたい、と由良は思い悩むのだが、朝潮の考えを変えるのは容易ではないだろうし、戦う事が存在する意義だというのは間違っているとも思えないので、中々難しい話だった。

 しかし一時的に気持ちを軽くさせたりする事はできる。たとえば、甘いものを食べるとか……。

 やっぱりこの手かな、と小さく頷いた由良は、先日入手した間宮券を彼女のために使う事を決めた。

 

「ねえ、」

 

 そうと決まれば、さっそく朝潮を誘おう、と由良が振り返ろうとした時、それは起こった。

 

「え、な、なに……?」

「なんだありゃ? 壁がくるぞ?」

「……霧?」

 

 突然に発生した濃霧が、彼女達の正面から襲いかかってきたのだ。

 まるで高く分厚い壁のような白色を前に、彼女達が混乱するのも無理はない。前を向き、状況を認識した由良でさえ、一瞬それが何かわからなかった。

 日差しが遮られ、影が広がっていく。海面に照り返されて溢れていた熱は、迫る霧に吸い込まれ、代わりに涼しげな風と――同時に、寒気を運んできた。

 

「みんな、止まって!」

「は、わぷ!」

「うわっ!」

「っ……!」

 

 慌てて指示を出す由良が最初に呑み込まれた。瞬間に、物音の一切が消え、次に五月雨が霧の中に消えると、流れていた髪も影も食われるようになくなっていく。

 それを後ろから見ていた二人の危機感は最大レベルにまで上がっていた。

 何かはわからないが、この霧はやばい。そう思うも、深雪は自身を庇う動作をする事しかできず、その最中に飲まれた。彼女の手を掴もうと腕を伸ばしていた朝潮も、ごお、と耳元で風が唸るのを聞いた時には、一面白と灰色の混じった世界に一人走っていた。

 

「これ、は……」

 

 驚きと戸惑いの中で、徐々に速度が落ちていき、やがて止まる。風の音の他には、さああ、と細い何かが流れていく音だけが聞こえる閉塞的な空間。見渡す限り靄に包まれていて、海さえ足下に見える僅かな青だけしかなかった。

 静かだった。

 そこには朝潮の呼吸の音が反響するばかりで、仲間の動く音や声など一切聞こえてこなかったのだ。

 這い寄る恐怖が一瞬にして朝潮の心に侵食すると、たまらず彼女は声を張り上げ、それぞれの名前を呼んだ。応答はない。妖精暗号通信にも返事はなく、完全に仲間と分断された形になった。

 焦燥感に突き動かされて、朝潮が走り出す。いつもは冷静に物事を判断する彼女も、心の揺れ動きに付け入られるような今回の出来事には動揺してしまっていた。

 結果的には、それが朝潮に最初の攻撃を躱させた。

 

「っ!?」

 

 唐突に聞こえてきた細かい振動の音と共に、上空の霧から鉄の礫が降り注ぐ。幾つもの小さな水柱を作り出して行ったのは、明らかに敵の攻撃だった。

 何者!?

 難を逃れ、霧に覆われた空を見上げていた朝潮は、自分で出した問いに自分で答えた。決まっている、深海棲艦だ。

 霧の中に見えた艦載機のシルエット。敵の空母が放つ独特な形をした物。ならば相手は空母か。対空装備の無い朝潮は若干不利だ。

 その事に歯噛みしようとした朝潮は、瞬間、轟音と共に巻き上げられていた。

 

「――――……っ!!」

 

 飛んでいた意識が戻れば、冷たい水滴が散弾のように体にぶつかってきている最中だった。落ちている。自身の髪の流れから素早くそう判断した朝潮は衝撃に備える体勢をとった。直後に海面に激突する。海水が飛び散り、焼け焦げて開いた穴から覗く肌にぶつかっていく。揺れる脳に頭を押さえながら海面に腕をつき、なんとか立ち上がった朝潮は、自身の状態を確認した。中破。敵は一隻ではなかったらしい。雷撃能力を持つ深海棲艦も霧の向こうに潜んでいる。

 

『――ァ』

 

 遠く、壁一枚を隔てた向こう側で、少女の声がした。

 だが朝潮にそれを聞き、認識する余裕はない。艦娘の体を保護し、肉体へのダメージをシャットアウトする特殊な生体フィールドを抜いてきた攻撃の痛みに、身に刻まれた傷を手で押さえて、息を荒げていた。

 

『――ギ――』

 

 囁くような声が反響する。重なるように二つの声が、時折一つになって、あちこちを跳ね回る。

 

『ト――――』

 

 壊れた12.7㎝連装砲と61㎝四連装魚雷に宿る妖精へ意識を向けていた朝潮は、至近距離で聞こえた声にはっとして、顔をあげた。

 敵影はない。姿が見えない。それが恐ろしく、朝潮はどこにも動けなかった。

 だが、止まる体とは反対に、脳は高速で回転していた。

 鎮守府から程近いこの場所で起きた不可解な現象と、強力であろう深海棲艦の出現。これは、すぐにでも報告すべき事項だ。ここ数年の間、この海にこんな事が起こった事などなかったのだから。

 だが同時に、倒すべきだ、とも思った。

 戦う事が艦娘の存在する意義だ。ここで敵を食い止め、沈める事こそ今彼女が最優先でやるべき事ではないのだろうか。

 壊れた砲を握る腕を胸元に掲げ、腰を落として霧の向こうを睨みつける朝潮。意地と誇りと心がせめぎ合って、どうしようもなかった。

 自分が秘書艦であれば。

 朝潮は、そう思わずにはいられなかった。

 秘書艦であれば、提督と直通で通信ができる。

 しかしそれは、反対に言えば、一時的に提督との繫がりを強くする第一艦隊の旗艦、つまりは秘書艦でなければ提督との直接通信はできない事を示している。

 第二、第三艦隊などは常時報告ができない。

 そして、常に通信できるというのは、情報をすぐに伝えられるという事なので、第一艦隊は普通は最前線に出ているのだ。

 朝潮は第一艦隊の旗艦でもなければ、秘書艦でもない。

 この状況を鎮守府にいる提督へと伝える手段は、生きて戻る事だけ。

 ならば結局、敵との戦闘は避けられない――。

 

『見ィツケタ』

 

 そう決意した朝潮の心を吹き飛ばすかのように、突風が吹き荒れ、霧が流れ始めた。引き込むような力に抗い、なんとか踏ん張ってその場に止まろうとする朝潮の耳に、その声は届いた。

 先程から聞こえていた、くぐもった声の正体が、今はっきりと聞こえた。風がやみ、周囲十数メートルだけの霧が晴れると、そいつは霧の中からぬぅっと体を出した。

 

「ぁ……」

 

 人型の深海棲艦。

 黒いレインコートのような服を着た、フードをかぶった少女。大胆に開かれた前面は、人ならざる色をした肌を露出していて、少女が人でも艦娘でもない事を物語っていた。極めつけは、少女の後ろ腰から生える巨大な尻尾。蛇頭竜尾と言うべきだろうか、先になるに従って膨らんでいく尻尾の先端は、異形の頭になっていた。鋭角的なフォルムと鋭そうな歯が並ぶ大きな口。小柄な少女には不釣り合いなシロモノだった。

 その少女の体から立ち(のぼ)る、炎の如く揺らめく血色の光がそうさせるのだろうか、朝潮の体は、震えるまではいかないものの、筋肉まで委縮して、固まっていた。

 目だけで少女の周囲を確認する。他に敵艦は。敵艦の姿は…………ない?

 朝潮は目を見張った。必ずどこかに艦載機を放った空母がいるはずだし、雷撃能力を持つ、たとえば駆逐艦や雷巡なんかがいるはずだと考えていたのだが……その考えを覆すものを見つけてしまったのだ。

 彼女の尻尾に生える背びれは、飛行甲板にしか見えない。

 つまり、艦載機を放ったのは、この少女……。

 新たな空母? では、雷撃能力を有した艦はどこに。……まさか、先程の雷撃も……。

 嫌な予感に慄く朝潮を前に、少女は口の端を吊り上げて笑った。大きく開かれた瞳にも、紅い光が揺らめいている。背にあるリュックのような物を背負い直す動作さえ根源的な恐怖を煽るのに、朝潮は悟った。こいつには勝てない。たとえ装備が健在で、満載の魚雷を全部打ち出して全弾命中させても、倒せるビジョンが浮かばなかった。

 だから、ガチガチに固まる体に鞭打って、後退を始めた。目は前に。敵から目を離さず、攻撃に対応できるようにしながら、背後への移動を敢行する。

 敵前逃亡など恥以外の何物でもない。そう感じるよりも、逃げて、生きて帰って、伝えなければ、という思いの方が勝っていた。

 こんな場所に、こんな敵。放置すれば、自分はおろか、鎮守府が……そこにいる仲間の身が危うい。

 損傷しているためか、それともプレッシャーにあてられているせいか、朝潮の動きは遅かった。

 だが、異形の少女は追う事も攻撃する事もせず、ただ、きょとんとした顔をしていた。

 

『……? ……戦ワナイ? ……人間ナノカ?』

「……!」

 

 片言の、しかし明確な人の言葉で、今の彼女には侮辱ともとれる言葉を吐く深海棲艦。

 心底不思議でたまらない、と、そう表情が言っている。

 

『艦娘デハナイノカ?』

 

 ――――。

 その言葉は、彼女の存在自体を抉り取ろうとする鋭いナイフだった。

 少女の思考の推移はわからなくとも、本気でそう言っているのはわかって、だから、朝潮は……。

 

「っ!」

 

 敵へと向けようとしていた砲身を下ろし、全速力で逃走を開始する。

 戦えば勝てない。逃げに徹さなければ沈められる。

 反省も後悔も、後でいくらでもできる。

 だから、今は、今は……!

 とうとう反転して、敵に背を向けて海上を突っ切って行く朝潮へ、少女は小首を傾げ、不思議そうにした。

 同時に、海面に腹をつけて横たわっていた尻尾が身を起こす。頭や口の左右に取り付けられた主砲副砲が、遠ざかっていく小さな背中へ向けられる。異形が口を開けば、そこからも砲身が突き出て、狙いを定める。

 

『不要ダ』

 

 一斉掃射が、朝潮の姿ごと彼女の意識を刈り取った。

 

 

「――ぷはっ」

 

 分厚い霧の壁を抜けた由良が、止めていた息を吐き出して、大きく息を吸った。

 彼女に続いて五月雨と深雪が霧を抜け、青い海の上をざあっと走って、やがて由良のすぐ後ろで止まる。

 

「けほっ、けほ」

「えぇい、なんだよもう。びしょ濡れだぜ」

 

 咳き込んでいたり、不快そうに体を払っていたりするものの、二人に怪我はない。びしょ濡れだ、と言いながらも、生体フィールドが水滴から身を守っているために、少しも濡れていない。

 

「みんな、大丈夫だった? ……朝潮は?」

「え、あれっ? さっきまで後ろにいたんですけど……」

「ん? 朝潮?」

 

 全員の無事を確認しようと振り返った由良が、最後尾にいたはずの朝潮の姿が無い事に疑問を口にすれば、つられて五月雨が振り返り、それで深雪も振り返った。

 まだ霧を抜けられていないのではないか。そう考えた三人の予想は、どこまでも広がる海に裏切られる。

 

「……え?」

 

 呆然とした声は、誰が零したものだろうか。

 先程まであった異常な霧は今は欠片もなく、青い海が水平線まで続いていた。



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第八話 帰らせない

つむじ風の少女(2)届いたやったー
包装紙ビリビリ!
レ級「ハロー♪」
ネタかぶりの気配EXじゃないですかやだー!


朝潮が島に残る選択をする理由が抜けていた、または薄いため
加筆修正しました。


誤字の修正、歪な文章の修正をしました。(2015/8/10)


「だから、帰りたいのよ」

 

 向かい合って座る中で、伏せていた目を俺に向けてそう締め括った朝潮に、俺は内心冷や汗たらたらだった。

 彼女の話に出てきた未知の深海棲艦って、どう考えても戦艦レ級だとしか思えない。それも、上級クラス(elite)

 航空戦をこなし開幕雷撃能力を有し戦艦ゆえに強力な砲撃を二度行い、しめに雷撃戦に参加し、夜戦もこなす通常敵最強の相手……。

 ゲームでは出現海域が限られているうえに、かなり後の方の登場になるから、ライトユーザーだった俺は直接出会った事はなかったが、攻略動画で見た彼女のアグレッシブさは強烈だったから、凄く印象に残っている。

 そんな奴に砲撃されてよく五体満足でいられたもんだ、と彼女を見れば、彼女は口を引き結んで少しうつむいていた。

 経緯(いきさつ)を話している時もそうだったが、彼女は始終悔しそうだった。敵を前にして、恥を忍んで逃走する事を選んだのに、逃げきれずやられてしまった事を心底悔やんでいる。その気持ちは、わかるような、わからないような……。

 妖精さん達が彼女の膝に寄り添い、気遣うように見上げても、朝潮の表情は晴れない。そんな彼女にかける言葉が見つからず、お互いだんまりで、だんだんと重い空気が流れだした。

 

「アギト……」

「……?」

 

 体にのしかかるような嫌な空気に耐えられず、俺は、気になっていた事を聞こうと口を開いた。

 アギト。たしかにレ級はそう言ったのだろうか。そう問えば、顔を上げた朝潮は、なぜそんな事を聞くのだろうと戸惑っている様子でいながらも、たしかにそう言っていたわ、とはっきりした口調で言った。

 その後に、声が反響していて、途切れ途切れだったから、もしかしたら別の言葉だったのかもしれない、と付け加えるあたり、確信している訳ではないようだが……最初にはっきり言ってしまうあたりに、朝潮という少女の性格が見えている気がした。

 

「アギトかー。お、私とおんなじ名前なんだよね」

 

 なぜ深海棲艦が仮面ライダーの名前を口に出したのだろうと頭の隅で考えつつ、なんとなしに呟く。

 仮面ライダーアギトの主人公、津上翔一と俺は同じ名前を持っている。……あ、いや、彼の本当の名前は違うんだったな。

 

「……あなたは、アギトという名前なの?」

「え? いや、違うけど」

「え?」

 

 ……ん?

 不可解そうに眉を寄せる彼女に、俺の脳はようやく現実に帰還した。ああ、ちょっと妄想の世界に逃げ込んでた……。

 戦艦レ級が本当にアギトと口にしたのだとして、それはきっと仮面ライダーの事ではないだろう。もっと、こう、他の個体名とか、口癖とか、あるいは聞き間違いだとか、そのまんまアギト(あご)だとか、そういう意味だったのかもしれない。ラテン語の方の意味だって可能性もある。……覚醒態(elite)なだけに。

 

()の……あっ、私の名前はシマカゼ。駆逐艦、シマカゼです」

 

 彼女の勘違いを正そうとして、はっとする。

 そういえば、彼女が意識を取り戻してから今までに、自己紹介なんてしてなかった。お互いそれどころじゃなかったからしかたないけど、ゲームで朝潮を知っている俺と違って、彼女は俺の名前がわからず困っていたんじゃないだろうか。

 ひょっとしたら彼女の所属する鎮守府にも島風(ほんもの)がいるかもしれないが、先程の反応からすると、おそらくその鎮守府に島風は在籍していないのだろう。たんに彼女が知らないってだけかもしれないが。

 ちょっと格好つけて、しかし正確なやり方を知らないために緩い敬礼をしつつ名乗る俺に、朝潮は一瞬不思議そうな顔をして――目線が敬礼した俺の手に向かっていた――すぐ、理解したように頷いた。

 

「駆逐艦、朝潮です。このたびは助けていただきありがとうございました。改めて感謝します」

「あっ、はい」

 

 きびきびした口調で名乗り返されるのに、少々気圧されてしまった。なんだか格好良い敬礼のおまけつきである。ボロボロな服を着て正座している状態でもサマになっているのは、年季の違いというやつだろうか。……そもそも彼女はいくつなんだろう。見た目のうえだと、ああ子供ですねとしか言いようがないのだが……彼女は艦娘だ、実年齢は見た目だけじゃはかれない。俺の感じたものが正しいのなら、ひょっとすればうん十歳という可能性も……。

 

「……なんでしょう」

「……いや、なんでも」

 

 こころなしか、彼女の目つきが鋭くなった気がする。たぶん気のせいだ。うん。

 というか、なんで敬語? さっきまで普通に喋っていたはずなのに。

 そう聞けば、彼女はまるで自分の至らなさを詫びるように居住まいを正して、情けない話ですが、と切り出した。

 

「ようやく、今が夢でないという実感がわいてきたのです。あれは……あれも、正夢……」

 

 後半は呟くような声音だったが、しっかり聞こえていた。彼女とその仲間の身に起こった出来事を、どうやら彼女は夢――それもとびっきりの悪夢――だと感じていたらしい。

 だが、俺と向かい合い、レ級との遭遇を口に出して整理をつけ、名乗り合う事で、ようやく正常な心を取り戻せたみたいだ。

 そして、彼女はここに留まるという提案をのんでくれた。

 確実な帰還のためには精神的・肉体的な休息も必要だと理解したのだろう。

 だが、気持ちは逸っている様子だ。留まる、と口にしても、どこか落ち着きなく何度も座る位置を直している。

 それから、自分の気持ちを固めるためか、留まると決めた理由を話し始めた。

 

「……領海内にこのような島はなかったはず」

 

 話す、というよりは独り言に近い声量。

 記憶の整理の次は気持ちの整理をはかっているようだ。

 彼女の呟きを拾えば、この島は鎮守府からは離れた位置にあるのではないかと推測しているのがわかって、だからこそ、彼女も海に出る事に慎重になっているのだろう。

 しばらく考え込んでいた朝潮は、彼女を眺めつづける俺の存在を思い出したようにはっとすると、一言詫びた後に、今度は明確に俺に話しかけてきた。

 

 命の恩人に対してのこれまでの無礼を、どうかお許しください。要約すればそんな風な内容の言葉と共に深く頭を下げようとする朝潮に、ちょっとちょっと、と慌てて肩を押して顔を上げさせた。

 そういうの、いらないって。

 

「ですが……」

「その丁寧な口調もやめてほしいな。同じ……駆逐艦なんだし」

 

 彼女に敬語で話されるのは、画面越しに聞いていた時とは違ってなんだか壁一枚を挟んだような隔たりを感じてしまう。ああ、ゲームで聞いていた時も画面一枚挟んでいたか。ええと、そういうのではなくて、なんというか……さっきまで普通に話していたせいもあると思うんだけど、とにかく、なんかやだ。

 気持ちばかりが先行して「やめてほしい」なんて言ってしまったけど、それは彼女が俺の行いに報いようとしてくれているのを否定しているのと同じだし、というかやめさせる理由が思いつかなくて凄いてきとうになってしまった。

 まあ、もう言ってしまったんだし、できれば対等にお話ししたいんだけど……?

 

 そういう期待を目に込めて朝潮へと視線を注げば、でも、と跳ね除けられた。

 彼女としては、何もできない現状で少しでも報いるための最低ラインが敬語らしく、やめる気はないみたいだ。……やめさせるけど。

 

 それから少しの間押し問答が続いた。

 俺は彼女に敬語をやめさせて普通の会話がしたい。

 彼女は俺に報いるための一歩として敬語で話したい。

 俺の言う事に従うのが俺に報いる事ではないのかとも思うのだが、いかんせん、彼女に敬語をやめさせる理由が「なんかやだし、一度やめてと言ったから意地でもやめさせる」なのだから、どっちもどっちというか……そんな訳で、同航戦、もとい平行線でやりあう事数十分。

 くしゅ、と可愛らしいくしゃみを彼女がした事で、俺も薄ら寒さを感じて、海水に濡れたままだったのを思い出した。なのでまず、体の冷えと服をどうにかするために風呂に入る事になった。

 

「立てる? 歩けるよね」

「はい、大丈夫です」

 

 立ち上がって腰に手を当てる俺に、丁寧に答えてから立つ朝潮。

 俺の声音が少し尖っている理由は、彼女がどうしても敬語をやめてくれないから、ちょーっとだけ不機嫌になっているのと、もう一つ。

 わざと彼女の不快感や敵愾心を煽って、「こんな奴に敬語を使う必要はない」とでも思わせてやろうと思ったのだ。島風・つむじ風の少女verなイメージ。

 ……島風の尊厳や交友関係的に傷をつけそうな作戦ってどうなのさ。

 しかし馬鹿な俺には、それ以外では時間の経過で仲良くなるくらいしか彼女の口調を元に戻す方法を思いつかない。今すぐがいいのだ。俺は、今、俺に対して彼女が普通に話しかけてくれる関係を築きたい。

 それにはやっぱり、悪い印象を与えるのは得策でない気がしたけど、ううん、どうすればいいのかわからない。

 

 家の外に出ると、傾いた太陽がオレンジの光を放ち、木々を染め上げている。綺麗だ、という単純な感想を抱きつつ、一度振り返って朝潮の様子を確認してから、天然温泉の方へ向けて歩き出した。

 見なくてもわかる、すぐ後ろをついてくる存在に、なんだか不思議な気分になってしまう。

 今までずっと俺一人で森の中を移動していたから。……ずっとなんて言うほど日にちは経ってないが……ああ、ここ数日は色々と濃すぎて、時間の進みが遅く感じられる。

 穏やかな風が剥き出しのお腹をくすぐる。……ああ、気にしないでいたのに、僅かな膨らみの露出した部分までもを触れられていくと、嫌でも気にしてしまう。早急にちゃんとした衣服を入手したい。浜に流れ着いてないかなあ……男物スーツ一式……。シマカゼ的にこの服装以外を着るのはマイナスが大きすぎて、たとえそんな物入手しても着れないけど。周りが体操着に着替えていても俺はこの服装でいなければならないのだ。凄い。

 蛇行したり、わざと大きめの木の幹を跳んで越えてみたりして朝潮の反応を確認しつつ――律儀なのかなんなのか、俺の後ろにぴったりくっついてきていた――岩場を越え、温泉の前へ辿り着く。

 

「驚きました……こんなものがあるなんて」

「凄いでしょ。私が見つけたんだよ」

 

 湯煙が蔓延する一帯に、感嘆の声をあげる朝潮に、隣に並んでドヤ顔してみる。……こっち見てない。前からやるべきだったな。

 

「さあ、体を温め」

「あっ、あれって!」

 

 ちゃおう、と続けようとして、大きめの声を発した朝潮に遮られた。おおぅ、とわざとらしく引いてみせる。これもまた、見られていない。人がいるんだからシマカゼモード(ロールプレイ)を続けてボロが出ないか確認してみようと思っているのだけど、見られてないともやっとするのはなぜだろうか。

 

「グリーンゼリー……だから私の傷が治っていたのね」

「ゼリー? あのスライムの事?」

 

 彼女の視線は、岩の合間から溢れて温泉に流れ込む緑色のスライムに向いていた。

 彼女(いわ)く、あれは高速修復剤の元で、貴重な資材の一つなんだって。

 あー、なんとなく察しはついていたけど、これ、やっぱり修復剤の元だったんだ。

 

「自然に湧き出てるものなんだね。じゃあ、遠征なんかで持ってくるのは、こういうとこから汲んできてるんだね」

「そうなります。……よくご存じですね」

「んっ!? ……………………夢で見た」

「そ、そうですか」

 

 あっ、ちょっと引かれたっぽい。答えが電波すぎたかな。しかたないじゃないか、なんも思いつかなかったんだから。

 さて、スライムが安全の保障されたお馴染のものであるとわかったところで、温泉に入ろう、と服を脱ぎだす。破れた布切れと化している上着をスポン。スカートのボタンを外してストン。見せ下着の紐をずらしてしゅるり。最後にカチューシャを外せば、対お風呂決戦形態への変身が完了する。

 服なんかは最初に洗って干すとして、彼女の衣服を干す分の即席物干しを設置しなければ。今は、すでに乾いているだろう布や毛布で全て埋まっている。

 自分の衣服を抱えていつも服を洗っている穴の下まで移動すると、服を着たままの朝潮が後ろについてきた。

 

「……どしたの。脱がないの?」

「あ、いえ……」

 

 疑問に思って問いかければ、彼女は何か言いかけて、しかし何も言わず、ブラウスのボタンをぷちぷちと外し始めた。……自らの手で脱がすのとはまた違った背徳感があるな、なんて冷静に分析している場合ではない。

 可憐な花びらのベールを一枚一枚剥いで現れたありのままの彼女を視界の端に、彼女の衣服を受け取って一緒に洗ってしまう。やります、と言われたけど、洗剤も何もない揉み洗いに手伝いは必要なく、やり始めた今、交代する意味もないので、先に彼女に温泉に入ってもらう事にした。

 俺を置いて入るのに遠慮しているようだったが、押し切って入らせれば、蕩けたような息を吐き出して肩まで沈んでいった。うん、やっぱりあの温泉は艦娘に効くんだな。俺がおかしいんじゃなかったんだ。よかった。

 くそまじめと言って差し支え無さそうな朝潮の顔をあそこまで緩めさせるとは、温泉恐るべし。きっとこの温泉の前には、レ級でさえキチガイスマイルを日々の些細な喜びを知ったような穏やかな笑顔に変えるに違いない。

 あっという間に頬が高潮し、湯煙の中に肢体を隠す朝潮の()()()な姿を眺めて、それから、ふいと洗濯中の衣服に目を落とす。

 どうやら本当に女の子の体に慣れてきたみたいだ。……数日前からの長い付き合いである自分の体と、必死の看病をした彼女だからこそかもしれないが、もはや彼女のスレンダーな体つきをまじまじと見ても、胸のタンクは島風の方が大きいな、くらいしか感想がわいてこなかった。

 

 手早く用意した木の枝を組み上げ、物干しを作っていく。びびーん。工作能力がレベルアップ。現在のレベルはおよそ三。次のレベルまで経験値が一億五千万必要です。

 真顔であほな事を考えながら衣服を干し終え、ようやっとお風呂にありつく。狭い丸型に近付いていけば、ぼうっと空を見上げていた朝潮は、気を遣って端に身を寄せた。好意を受け取って、彼女の前へ足をつけ、体を沈めていく。二人分の体積が水を盛り上げ、地面へと流していった。体の表面に熱が張り付き、芯まで温めにかかる。この瞬間の、じーんとするのが好きだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えていれば、あの、と朝潮。……なぁに?

 

「……私が経験した事は、本当にあった事なのでしょうか」

 

 不安に濡れた瞳。小さな唇が開閉するたびに、微かな、けれどはっきりとした声が聞こえてくる。

 今日会ったばかりの俺に判断を委ねてしまうほど、彼女の体験は現実味がなかったのだろうか。

 ここで「レ級という深海棲艦は実在するから本当だよ」なんて答えるのは簡単だ。

 霧の中から現れただとか、そもそも鎮守府近海に姿を見せただとか、この世界にレ級がいるのかどうかだとか、俺の知らない、不可解な事がたくさんあるけど、俺が自信満々にそう答えさえすれば、彼女の不安はいくらか晴れるだろう。

 だがその代わりに、彼女はすぐにでもその事を報告しようと帰りたがるだろう。

 帰るには海に出なければならない。海は危険だ。今はまだ、彼女を海に出す訳にはいかない。

 

「私にはわからないよ」

「……そう、ですよね」

「ごめんね」

「いえ……」

 

 だから、ごめんね。

 その不安を払拭する事はできないけど、命には代えられないから。

 でも、目処が立ったら、俺が絶対に鎮守府まで送り届けてあげるから。

 だから今はとりあえず、体を休める事に専念して欲しい。

 不安も、仲間を気遣う気持ちもわかるけど。

 

「日が暮れちゃう前にご飯を集めなきゃね」

「ご飯……ですか?」

「この島には人工物が無いし、私に作物を作る能力はないから、自給自足なんだ」

「そうなんですか。そういう事ならこの朝潮、全力でお手伝いさせていただきます!」

 

 ざば、と水を突き上げるように拳を握ってみせる朝潮へ、微笑みを返す。

 意気込む彼女の姿は微笑ましく、俺の心に余裕を与えてくれた。

 この島で目覚めてから、あまり得る事のできなかった余裕。

 やっぱり、人がいて、話せるってのはいいな。

 だから彼女を失いたくない、手放したくないって思うのは、当然の事なんだ。

 降り注ぐ茜色を反射してきらきらと輝く瞳を見ながら、頭の中でこの後の予定を組み立てていく。

 彼女との生活を作り上げる。なんとかして艤装を直すかする。衣服を調達する。

 ……いや、まずはやっぱり、敬語をやめさせる事からだな。

 

 うんと頷く俺に、朝潮も頷く。

 それが何かとダブって見えて……ああ、妖精さんだ。

 ペットは飼い主に似る、ではないが……今の動作はそっくりだったな、なんて思いつつ、手始めに衣服の話を振る。

 そこから敬語をやめさせる話に持っていくのだ。

 口下手な俺には彼女は手強いが、やってやれない事はない、はず。

 

 ――そんな風に、ゆるゆると時間が流れていった。




次回の投稿は8月10日月曜日の予定です<(゜∀。)



海鷹様より素敵なイラストを頂きました! やったね!


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第九話 儀式

短くてごめんね。
話進んでなくてごめんね。
あと二、三話で孤島編終了だからね。
覚悟してね。


タイトルが八話になってたので九話に直しました。


海岸での描写を増やしました。
ある物が流れ着いているのと、それに対する反応です。


誤字修正をしました。多いね。


水色の瓶→水入りの瓶


「焼き魚がやっと完成したよ。遅いよね?」

「いえ、そんな事ないです」

 

 ネタにマジレス……じゃなかった。

 てきとうに口にした言葉に真面目に返してくれる朝潮に微笑みかけて、それから、ちょいちょいと魚を弄って鉄板に張り付いてないかを確認する。……うん、魚の油が上手く働いたみたいで、全然くっついたりしてない。ふわっと香る塩気。焼き魚の良い匂いに、体の中でお腹の虫の鳴く音が小さく反響した。う、と声なく固まり、横目でちらっと朝潮を見る。彼女は、俺の腹の音には気付いていない様子で、木の枝片手に釜戸の火を調節している。

 

 干しておいた魚を、綺麗に洗った木の枝でぐさりと串刺しにしたのを鉄板で焼いた物が、今晩の夕食だ。

 温泉で彼女と話し込んでしまったから、すっかり日が暮れてしまった。

 夜。

 鉄板の下で揺らめいては小さく爆ぜる炎だけが強い光を放ち始める、怖い時間。

 夜は苦手だ。電気が無いと先が見えないくらい暗くなるし、知ってるはずの道を見知らぬ道に変えてしまうし、一人だと心細いし、夜闇の中から手が伸びてきそうだし、後ろには誰かついてきていそうだし。

 でも、今日は大丈夫だ。

 なにせ、朝潮がいるのだから。

 

「ん……」

 

 バチ、と炎が爆ぜるのに、朝潮がぴくりと反応する。

 夕暮れとは違う橙色に顔や体を照らされた彼女は、夜闇の中でいっそう輝いて見える。

 人工の明かりが無いこの島で、彼女は俺の希望だった。

 名は体を表す、ではないが、朝と名のつく彼女が傍にいてくれる限り、俺に夜の恐怖はないだろう。

 なんてポエム染みた事を考えてしまえるくらいには、この数時間で彼女との距離が縮まったと言えるだろう。

 狭い温泉で顔つっつきあわせて長々とお喋りしていたんだ、それも当然の事。それに、彼女は聞き上手だ。俺がこの島でやって来た事などを話している間、真剣に耳を傾けてくれたし、適度に相槌を打ってくれたし。拙い話術ではあまり面白くなかっただろうに、それでも、「大変だったのですね」、と共感してくれて、「これからは朝潮が力になります」と言ってくれた彼女に、俺はすっかり魅了されてしまった。

 朝潮は今や、俺の中の艦娘お気に入りランキング堂々の一位に輝いている。初遭遇ボーナスを抜きにしてもポイントは高い。

 

「どうしました?」

「……なーんでも」

 

 じっと見ていたせいか、朝潮が手を止めて俺を見てきた。他にご命令が? と顔に書いてある。なんでもないよと肩を竦めてみせれば、他に何かあればお任せ下さい、と言って、炎の調節に戻った。

 積極的に俺に力を貸そうとしてくれるのは嬉しいけど、これじゃ対等な……友人というより、上司と部下だ。たぶん、俺が(あご)で使っても、彼女は嫌な顔一つせずに働いてくれるだろう。

 それじゃ嫌なんだってば。

 でも、結局敬語はやめさせられなかったし……どうすれば同じ立場に立てるのだろう。

 あ、いっその事こっちも敬語を使ってしまおうか。彼女がやめろと言えば、やめてくれればこっちもやめる、と言えるし……おお、案外良い案じゃないの。

 

「そっちはもういいですよ。ご飯にしま――」

「……?」

「……ご飯にしよ」

「はい。配膳はお任せを!」

 

 駄目だった。

 何が駄目だったって、まず、敬語で話しかけた瞬間の朝潮の凄く怪訝そうな顔が駄目だった。

 あと、個人的に上司でもない対等だと思ってる相手にご丁寧にも敬語を使うのは、シマカゼ的にアウトだった。気持ち悪いというか、絶対馬鹿にしてるでしょ、みたいな気持ちが出てきてしまって、耐えられない。

 いや、島風だって丁寧な言葉遣いは普通にするんだろうけど、ううん、どうやら俺は彼女とは違うみたいだ。中身が違うんだから当然なんだけど……それだったら連日俺を蝕む島風データの侵攻を止めて欲しい。いつ俺の意識が塗り潰されるか気が気でない。俺がシマカゼになってからは、そのスピードは亀の歩みも同然になっているけど、完全に止まってないのが不安だ。これじゃ俺が消えるのも時間の問題のように思える。なんとか食い止められないものか。

 一つの重要な事に頭を悩ませていれば、彼女がお皿代わりの葉っぱと水入りの瓶を運んできたので受け取った。鉄板を挟んで向かい合い、夕食とする。釜戸に灯る火は明かり代わりになるけど、鉄板は熱されているから触れないように注意が必要だ。

 自分だけで気を付けるのではなく、彼女にも注意を促してから、いただきますの挨拶をして焼き魚にありつく。薄い塩味と野性味溢れる川魚の味。うん、これはこれで良い物だ。

 お腹が減っていたのもあって、串代わりの枝の片方を手に、もう片方で魚の側面を支えつつかぶりついていると、その向こう側で彼女がお上品に食べているのが見えた。

 串の両枝を繊細な楽器でも扱うみたいに支えて、はむ、と静かに口をつける。もちろん背中はびしっと伸びていて、食事の時までくそまじめな感じだった。

 そんな彼女の前で野蛮にがつがつと食べる訳にはいかないので、彼女の手つきを真似しつつ、はむ、と小声で言って魚の腹にかぶりつく。……口内に入る身の量が少ない。ちょっと物足りないな。

 ……別に俺がどうしていようと彼女が注意する訳でもないんだし、いつも通りでいいや。

 そう結論付けて、食欲のままに焼き魚に噛みつく俺は、この時はまだ知らなかった。

 まさか俺が、食べ零しをしていただなんて……。

 …………。

 ……ちょっと身が口の端から零れて膝に落ちたのが恥ずかしかったので現実逃避してしまった。

 彼女を見やれば、何か言いたげにしているし……ああうん、さすがに何が言いたいのかはわかる。落ち着いて食え、だろう。よく言われる。繊細な料理は作れるのに、ご飯を食べる時はどうしていつもそうなんだって、姉さんに。

 食べる際のマナーなんて小学校で教わって以来だったし、今までこれで失敗した事もないから、改善する気はなかったんだけど……。

 

「…………」

 

 ほ、ほら~、朝潮の目が、なんか、こう、咎めるような……ああもう。

 なんだかんだ言って、仲良くなった(はずの)彼女にそういう目で見られたり、失望されたりするのはやだし、これからは気をつけよう。

 と、言う訳で、再び彼女の真似をしてみる。

 背を伸ばして、零さないように、少しずつ()んでいく。

 がっつり食べるのが好きなんだけど……これが人付き合いというやつなのだろうか。

 ちょっとストレス。

 

 ご飯を食べ終われば、水で口をゆすいで、それから、火を消して冷ました鉄板を洗う。

 星明かりだけだともうあんまり動き回れないから、後は寝るだけ。

 小屋の中に入れば、体も睡眠に向けて準備しだしたのか、一気に眠気と怠さが襲ってきた。

 

「きみそっち、私ここ」

「はい。おやすみなさい」

「おや()みー」

 

 寝る直前までお堅い彼女に手を振りつつ、新しく用意した寝床に倒れ込む。と、部屋の奥に置いてある艤装の下に、体を預けて休んでいる妖精さん達の姿が見えたので、緩く手を振っておやすみの挨拶とした。

 仰向けになり、毛布を引っ張り上げようとして、それは彼女に押し渡したのだと思い出す。遠慮する彼女に、でも、これ使わないと体はやく治んないかも、と脅したら、素直に使う事を選んでくれた。そうしてくれると助かる。何もなしに横になる女の子を尻目に、自分だけ毛布を使って安眠するだなんてできないから。

 今日はいつもより体を動かしたので、すぐに眠気が体中を包み込んで、俺を夢の世界へと誘った。

 

 

 翌日。

 本日も晴天なり。雲は疎らに、空は青く広がっていて、雨の降る気配はなし。

 干物的にも洗濯物的にも嬉しいが、代わりに暑いのはどうにもならない。

 今日は彼女と島を探索する事にした。案内兼冒険だ。温泉はもう行ったから、次は砂浜。ついでになんかあったら拾ってこよう。

 

「マルゴーマルマル。シマカゼ探検隊、出撃しまーす」

「ら、らじゃー」

『らっしぇい』

 

 俺の教えた『シマカゼ探検隊員の正しい挨拶』を戸惑いながらもしてくれる朝潮と、なんか違うような意思を飛ばしてくる妖精さん×2を率いて小屋を後にする。

 ちなみに朝潮は壊れた艤装をフルに装備している。妖精さんはそこに乗っかっている形だ。驚いたのは、妖精さんがするりと装備の中に溶け込んでしまった事。

 いったいどうなっているのか非常に気になるところだが、聞いてみても曖昧な意思しか飛んでこなかったし、朝潮もよくわかっていないようなので、気にするだけ無駄だと切り捨てた。申し訳なさそうにする朝潮に気にしないでと声をかけつつ、海岸目指して森を行く。

 途中で朝ごはん(大きめの白蛇。名前はたぶんリキッド)をキャプチャー(捕獲)したので、手早く首を落として土に還しておく。生きるためには仕方ないのだ。

 いちおう、朝潮からは見えないようにやったけど、彼女は少しも動じていないようだった。深海棲艦との戦いの方がよっぽど過酷なのかな。イ級とやり合った時の感覚は、焦っててよく覚えてない。そんな怖くはなかったような。

 ま、敵はイ級だけではないのだし、もっと上の奴らと戦っていれば、これくらいの事を見たって心を乱す事はない、か。

 

 えっちらおっちら森を行き、ハプニングなど無く砂浜につく。

 またバケツが流れ着いていた。当然中身はない。

 こんな物が流れ着くって事は、ここは遠征で来るような海域なのか、それとも鎮守府から近い位置にあるのか。できれば後者がいいな。すぐに辿り着けるってのもあるし、もし前者なら、遠征中の艦娘がこれを手放すような事態に出()っているって事になるから。

 

「付近に通信の気配なし。応答もありません」

『妨害電波の発生は確認できない。安全海域』

 

 朝潮と妖精さん達が水平線へと体を向けて立ち止まったので、何かと問えばそんな返答。……ああ、近くに艦娘が来てないか、深海棲艦がいないかを確認したんだ。

 

「……そのためにここに来たのではないのですか?」

「え? ……もちろん、そのためでもあるけど、物資の調達もね」

 

 何がもちろんなのだろう。咄嗟に嘘をついてしまったが、ちょっとしどろもどろだったせいで、たぶんばれた。しかし朝潮は僅かに目を細めるだけで何も言わず、俺の指示に従う、と言った。

 調達と言っても、やる事は物拾いだ。バケツ(しか)り、空き瓶然り、布然り。今日も大量だ。布が多めに拾えて良かった。……しかし、これらはどこから流れてくるのだろうか。今考えても意味はないとわかっているけれど、どうしても気になってしまった。

 そんな中、俺達は波打ち際にあるものを見つけた。

 

「うわ」

「これは……!」

 

 砂浜に横たわり、波に当てられているのは、そこかしこを損傷して息絶えている駆逐イ級だった。

 でかい。とにかくでかい。

 昨日見た時は海面に僅かに出てた部分だけだったけど、全体を見るとやっぱりでかい。

 横に立って見れば、俺の顔の高さまである。体に触れてみれば、鉄のような感触だった。冷たく無機質で、生き物のような感じがしない。

 

「お腹に風穴開いてるね」

「では、やっぱり……」

 

 やっぱり?

 なんの事だろ、と考えて、彼女に聞かせてもらった話を思い出す。

 この島へ流れつく前、そして、霧に飲まれる前、彼女は仲間と共に駆逐イ級を撃破している。その致命弾が、五月雨による腹への砲撃だったはずだ。

 よく見れば、このイ級の遺骸は、話に聞いていた、撃破されたイ級と損傷具合が酷似している。

 では、このイ級は彼女達が倒したもので、それが流れ着いているって事は、ここはその海域からそう離れていないという事?

 

「いえ、そうなると、この島は領海からごく近い位置にある物になってしまいます。でも、周りにこんな島はなかった……」

「じゃあ、なんでこいつが流れてきてるんだろう」

 

 安易な疑問に、朝潮は答えなかった。

 そりゃそうか。彼女にわかるはずもない。俺にだってわからない。

 この海に出て、周りをぐるーっと回ってくればわかるかもしれないが、そんな危険な事はまだできない。

 だから今は、この疑問が解決する事はない。

 口元に手を当てて考え込む朝潮に声をかければ、彼女もそう判断したのか、俺の顔を見て頷いた。

 

◆ 

 

 彼女を引き連れて小屋に戻り、蛇の腹を開いて焼いて朝ごはんにして、それから、布を洗いに行く。

 ついでに朝風呂だ。ちょっと贅沢だね、と朝潮に話を振れば、黙々と服を脱いでいた彼女は、「たしかに……そうですね」と不思議そうに言った。

 何を不思議がっているのだろう。目で意味を問うと、お風呂といえばもっぱら入渠で、純粋に身を清めたり体を休めたりするためのお風呂というのが不思議な感じなのだそうだ。

 その感覚は俺にはよくわからないが……そうか、不思議な感じなのか。

 ふむふむと腕を組んで納得の素振りを見せていれば、彼女は今度は俺に対して不思議そうな顔をした。たぶん、どうして俺がこんなに大袈裟に納得しているかがわからないのだろう。当然だ。これに意味などない。やる意味もない。

 

 お湯に浸かっている間、また彼女とお話をする。昨日は俺のこれまでの話だったから、今度は彼女の話を聞きたい。そうお願いすれば、「つまらない話になるでしょうが……」と前置きをしてから、静かに語り始めた。

 

 

「……ふぅ。そろそろあがろっか」

「はい。……指がふやけちゃった」

 

 彼女がどこで生まれ、どういった経緯で鎮守府に着任し、何をして来たのか、そのほんの少しだけを話して聞かせてもらって、色々と想像を巡らせていた俺は、一つ息を吐くと、結構な時間お風呂に入っているなと思い至り、彼女を促して出る事にした。

 乾いた布で体を拭いて、干されている布に触れて、こっちも乾いているのを確認し、すべて回収して小屋に帰る。ほかほかと体から昇る湯気。火照った体は、影に入って少し冷やさないと、日の下で動けないくらいだった。

 

 お昼ご飯を挟んで、俺は今、彼女と並んで座り、前にいる二人の妖精さんを見下ろしていた。

 衣服はとりあえず体に布を巻いてカバーする事にして、彼女の体が完治するだろう、およそ三日後までのプランを練っていたのだ。

 まず最初にやるべきなのは、装備の修復だ、と妖精さんが提案した。

 しかし俺達にはその技術も設備もない。妖精さんも含めて、だ。彼女達はそれぞれ砲と魚雷の妖精。武装の修復は管轄外なのだ。

 ではどうするのかと聞けば、彼女達はこう言った。

 

『我が同胞を呼び出すのだ』

『契約するのです』

 

 大事な結びつき、関わり、呼び出す……断片的な意思を統合すれば、そんな感じだった。

 契約と言ったって、どうやって? というか、妖精って契約制なの? ……派遣社員?

 

「彼女達妖精と契約するのは、本来司令官の役目なのですが、臨時的に艦娘と結びつきを持ち、働く事もあると聞いた事があります」

「ふぅん……それって私じゃなきゃ駄目なの? あ、嫌なわけじゃないよ。聞いてみただけ」

 

 すらすらっと説明してくれた朝潮にありがと、とお礼を言って、妖精さん達に疑問を投げかけてみる。我ながら少し誤解を招きそうな物言いだったので、慌てて訂正した。

 

『どちらかというとよし』

『燃料ちょうだいするけどいいよね。答えは聞いてない』

 

 ……なんかイラッとする意思を受け取ったんだけど、まさか妖精さんに苛つく事などある訳がないし、気のせいだったんだろう。

 燃料を貰うと言われて不安になったが、その量は妖精サイズ、つまり俺にとって極々わずかものらしいので、快諾した。それで彼女の装備が直るなら、受け入れない理由がない。

 彼女はまた、俺にやらせる事に申し訳なさそうにしていたが、別にこれくらいはどうって事ないし、妖精との契約には興味がある、と自身の気持ちを伝えれば、やっと微笑んでくれた。そうそう、気に病む事なんてないんだ。好きでやってるんだから。

 

『では儀式をするのです』

 

 神妙に言った妖精さんが、二人で顔を合わせて頷き合うと、歌うように何かの意思を発し始めた。

 

『超こいこい~』

『体は粒子でできている~』

『仲間の燃料、力ずくで奪われん~』

『契約したもんね~』

『いざ出陣~』

 

 ……全部俺の勝手なアテレコだけど、なんか本当にそういう意味の意思が飛んできていた気がする。

 彼女達がびしっと俺を指差すと、ふいに肩に重みがあった。びくっと体が跳ねてしまう。と、ころころと膝の上に何かが転がり落ちてきた。ずれたカチューシャの位置を直しつつ、何かと確認してみれば、それはまさしく妖精さんだった。



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第十話 工廠妖精さん

第九話に、砂浜にあるものが流れ着いた描写を加筆しています。


工廠(こうしょう)妖精ただいま着任! 建造・開発・修繕はお任せよ!』

 

 俺の膝の上にころんと落ちて、スカートの上を転がって膝の上に仰向けになった妖精さんが、顔を上げてそう宣言した。艦娘の挨拶っぽい。でも、俺の下腹部を見ながら挨拶されても、少しばかり反応に困るんだけど。

 

『さっそく建造でございますな! 資材よこせ』

 

 青髪が魚雷の妖精さんとかぶっているおさげの女の子が、ぐわんと上体を反らして俺を見上げ、なんだか横暴な意思を飛ばしてきた。

 資材? いいよ。

 今解体するから待っててねー。

 

「……あの、何を」

「え? ……えへへ」

 

 工廠妖精さんをすくい上げて両手で柔らかく抱いてカンカン(隠語)しようとしていると、朝潮が怪訝そうに聞いてきたので、笑って誤魔化す。やだなあ、冗談だよ。妖精さんに乱暴する訳ないじゃない。

 

『おそろし』

 

 やかまし。

 短い意志を切って捨てれば、工廠妖精さんが俺の手を両手で押して体を抜こうとしてたので、解放してあげた。再び膝の上に着地し、そのまま地面に敷かれた布まで駆け下りて、魚雷の妖精さんと砲の妖精さんの前へ立った。

 

『よく来た。歓迎するぞ』

『よろしく』

 

 ああ、妖精同士も初対面では挨拶するんだね。呼び出したくらいだから知り合いなのかと思ったけど、そうでもないみたい。

 何もないところから出現したから、ひょっとしたら今生まれたばかりなのかもしれないな……。

 

『では失礼して』

 

 さっと振り返った工廠妖精さんが、懐からモンキーレンチを二本取り出して、頭の上に掲げ、カンカンカンと三度打ち合わせた。と同時に、俺の体の中のどこかの部分で、燃料が減少する感覚。

 

『呼ばれて飛び出て……』

『呼ばれて飛び』

『呼びっ、れて飛び出てじゃんじゃじゃぁん』

 

 三人の妖精さんが一気に工廠妖精さんの背後に現れる。なんか息合ってないし一人噛んでるっぽいし大丈夫なのかな、この子達。

 

『おはつ~』

『挨拶は大事ね』

 

 ビビビッと手を挙げて意思を飛ばしてくる三人……緑髪ショートのハンマー持ちと金髪ポニテの手ぶらさんと赤髪ツインテールのなんかスプレー缶みたいなの持ちに、こちらも挙手で返礼する。

 四人揃っているのを見れば、ああ、とようやく思い出せた。この子達、工廠画面の建造欄で忙しなく動き回っている妖精さん達か。建造専門じゃなかったんだ。……そりゃそうか。

 

「さっそく頼みたいんだけど……奥にある装備を直したいんだよね」

『確認』

『ボロボロやばい』

『腕が鳴るぜ』

 

 早速頼んでみれば、それぞれわちゃわちゃと動いて気合いを示して見せるのに、少し笑ってしまった。コミカルな動きが可愛らしく、面白い。彼女達は至って真剣なようだけど。

 ふと横を見れば、朝潮が口元に手を当てて何かを考えているようだった。

 

「……どうしたの?」

「あ、いえ。……設備がないのでは、彼女達も働けないのでは、と」

「あー、うん。忘れてた。ないとどうにもならないよね」

 

 何か言いたげだな、と思って声をかけてみれば、そんなごく当たり前の疑問を投げかけてきた。当たり前と言っても、俺の頭からはすっぽり抜け落ちていた事なんだけども。

 

『設備?』

『だ~いじょぶ、ま~っかせて』

『資材くれればすぐ(つく)るよ』

 

 と、頼もしいお言葉。

 しかし、資材が欲しいと言われても、そんなもの持ってない。

 ゲームじゃないんだし、時間経過で資材がわいて出るなんて事も無かったので、ここにあるのはガラクタばかりだ。……駆逐イ級を持ってきて解体でもすれば良かったかな。皮で服は作れそうだし、骨や歯でナイフや他の武器も作れそうだったけど……それ程のガッツは俺にはないから見送っていた。でも、せめて5inch単装砲だけでも口の中から引き抜いてくればよかったかな。

 困ってしまって、魚雷と砲の妖精さんに目を向ければ、不思議そうに首を傾げられた。……資材に関しての考慮はしてなかったっぽい?

 これじゃ呼び出した意味がないじゃん、と溜め息をつこうとして、しかし、首を傾げていた二人が、資材なら周囲にいっぱいある、と意思を飛ばしてくるのに、息を飲み込んだ。

 周囲……この小屋の外に、たくさん? どういう事だろう。

 

『木材いっぱい』

「……木? 木も使えるの?」

 

 資材と言えば、燃料弾薬鋼材ボーキ、その四つだけではないのか?

 そう疑問に思ったのだけど、彼女達の説明で納得した。艦娘関連ではその四つが重要だけど、普通に何かを作るならそれ以外の資材を使う事もある、とのこと。

 それで今は、艤装を直すための設備を作るための木材を得るために木を倒してきてほしい、と、そう言ってる訳だ。

 ……お使いクエストかな?

 や、嫌ではないけど。朝潮のためならばそれくらいの労働は(いと)わない。彼女は俺に恩を感じているようだけど、俺だって正直、彼女がいてくれて助かってるので、彼女のために何かをしたいとも思っているのだ。

 そういう訳で外に出て、木を押し倒すために防護フィールドを纏った訳だけど、当然のように朝潮もついてきた。

 

「何もしない訳にはいきませんから」

 

 そう言って意気込む彼女を小屋に戻らせる訳にもいかなかったので、手分けした方が速いと自分を納得させて、とりあえず周辺の木を押し倒しにかかった。

 艦娘ボディの真の力の前には、この細い腰よりも一回りも二回りもでかい木の幹など簡単に圧し折れてしまうのだ。艦娘凄い。

 朝潮でさえ同様の事をやってのけているので、やはりこれは艦娘の標準的なパワーなのだろう。駆逐艦でこれなのだから、軽巡や重巡、戦艦にもなると、いったいどれほどの力を有しているのだろう。気になる。

 

 ガサガサと隣の木に寄りかかるように倒れ行き、葉全体を騒めかせる木に、虫とか落ちてこないよな、と警戒しつつ、地面に横たわるのを見届ける。

 ……葉の方はいらないよね。そしたら、たぶん、切らなきゃいけないんだろうけど、あいにくのこぎりなんてないし……どうしよう。

 ああ、いいや。蹴っ飛ばそう。

 

「そいや!」

 

 弾むように足を前に出して、振りかぶっていたもう片方を、先端付近の幹に叩き込む。メギメギと凄い音がして、これも簡単に圧し折れてしまった。少し繋がっている部分は、反対側から同じように蹴る事で分断する。

 朝潮が倒していた分も蹴りにかかると同時、彼女には、既にやっつけた木を小屋内に運んでもらう事にした。入り口の大きさは問題ないけど、奥行がちょっと心配だ。でも、彼女がひょいと木を担ぎ上げ、小屋内に入って行くのを見送れば、木も完全に入り込んでしまった。問題なさそう。

 さて、特筆すべき事もなくもう一本もただの木にしてしまったので、これは俺が担いで小屋内に持ち込んだ。工廠妖精さん達がやたら嬉しそうな意思を飛ばしてくるので、頼むよー、と声をかけておく。サムズアップで返された。流行ってるの? それ。

 いったん設備造りは彼女達に任せておくとして、俺は海岸に行って、イ級の体内から5inch単装砲を抜き出して来る事にした。

 朝潮には、妖精さん達を手伝うよう伝えておく。俺についてきても、特にやる事はないだろうしね。それでも最初に「一緒に行きます」と言ってくれたのは嬉しかった。少々機嫌が良くなったので、道中鼻歌をしつつ海岸へ到着。シズメシズメのサビ部分が終わった辺りだった。

 イ級の遺骸は、波に攫われたりせずに野ざらしになっていた。黒い体が太陽の熱を吸収してかなり熱されているようだ。まずは付近に流れ着いていた、損傷の無い瓶を手にして海水を汲み、イ級の体にかけて冷やす。ちょんちょんと触れて温度を確かめ、大丈夫そうだと判断すれば、いよいよ口の中を覗き込む。押し上げた歯は固く、こうして口を開けたイ級の中を覗き込んでいると、急に動き出して食べられてしまうような想像をしてしまった。くわばらくわばら。

 舌の代わりのように突き出ていた砲身をがっちり掴み、ぐいと引く。何かに引っかかるような感覚を気にせず、馬鹿力で引き抜く。ズボッと嫌な……それでいて少し爽快感のある感覚と共に、深海棲艦の艤装を鹵獲する事に成功した。

 うむ、よし。……それで、歯や皮は……ううん、やめとこう。やっぱり、なんか、やだ。

 もし後で妖精さんに求められたら持ってこようとは思うけど、今これを解体したり、持ち帰る気にはならない。必要そうでなければ、口内にあった単装砲だって、本当は触れたくないのだ。ばっちい。

 そんな事言ってられる事態でないのはわかってるけど、避けられるものは避けていきたいものだ。なんでも我慢してたらストレス溜まりそうだし。

 さて、わりと大きい単装砲を抱えて来た道を戻ると、なんか小屋が家にランクアップしてた。

 呼称としての家ではなく、ちゃんとした『家』だ。木の枝を組み合わせて作ったすっかすかの小屋ではない。加工され、やすりにかけられたような木板でできた、木造の家だ。

 これの凄いところは、扉ができているところだな。それに、家の大きさも変わっている。大きくなった、と単純に言い表せるものだが……さて、俺が出ていた短時間にいったい何があったのだろう……。

 立派になった家の脇にイ級の艤装を下ろし、扉の前に立つ。二階建て……それとも天井が高いのだろうか。この広場を丸々使っているかのような大きさだ。

 

「た、ただいまー……?」

 

 おそるおそる扉を開けてみれば、見慣れていた「入ってすぐ広々とした室内」はなく、廊下があった。左右に壁がある。なんとなく圧迫感を持ってしまうのは、仕方のない事なのだろう。

 

「お疲れ様です!」

 

 しっかり設置されている玄関の前には、朝潮が立っていた。俺の姿を確認すると、びしっと敬礼する。俺の帰りを待っていたのだろうか。

 

「妖精さん達は?」

「設備及び施設を作成後、建物の大幅な改築を始め、居住区・工廠を設置しました。畏れながら、生活環境の向上があるならばと許可を出しました。これまでの委細な報告が必要であればお申し付けください」

「…………ん、構わないよ。こんなに速くできるんものなんだね。凄いなあ」

 

 何やら気合いの入った様子できびきびと報告する彼女の横へ、玄関に靴を脱いでから上がると、じぃっと見られた。……今の言葉じゃ不足かな。

 

「なんか、気合い入ってるみたいだけど……」

「はっ、彼女達の働きに応じ、また、本格的な施設の稼働の目処が立ったので、こちらも立ち居振る舞いを改め――」

 

 ……ああ、要約するとつまり、妖精さん達が頑張ってるからいてもたってもいられなくなるほどにテンションが上がってしまった、と。

 でもね、俺は提督とかじゃないんだから、そんな畏まられても困るんだよね。

 という訳で、せっかく上がっている彼女の気分を落とすのはどうかと思いながらも、普通に接してくれると嬉しい、と伝えると、俺がそういうのを嫌がっているのはわかっていたのか、しょんぼりして謝ってきた。あああ、そんな風に落ち込ませるつもりはなかったのに……。

 垂れた犬耳と萎えた尻尾を幻視しつつ、彼女を慰めて、工廠に案内してもらう。靴下越しに感じる冷たい木板の感覚が新鮮だ。

 視界の端にいくつか扉が見える。廊下の両壁に等間隔で並ぶいくつかの扉。その内の一つが、妖精さん達の仕事場に繋がっているらしい。うわ、ノブまでついてる。鉄製だ。この鉄はどこから出てきたんだろう……。

 ノブを下ろし、扉を押し開く。中は応接間のようになっていた。中央にテーブル、両脇に椅子。どちらも木製だ。向こうの壁にもう一枚扉があるのを見るに、その先が本当の仕事場なのだろう。

 しかし、道中朝潮が言うには、あんまり工廠の中に入って欲しくないと妖精さん達が言っていたらしく、許可が取れないだろう今は、椅子に座って待つ事にした。……凄い作りがしっかりしてる。全部の体重をかけても小さく軋むだけで、壊れる気配はない。これはひょっとして、家具職人とかも呼び出されているのでは……。

 家に帰って来るまで、防護フィールドを張って来てたから、多少燃料が減っていてもわからない。でも、この調子でばんばん妖精さんを呼び出されてしまうと、補給が間に合わなくなってしまいそうだ。むやみに増やさないでくれとお願いしようかと思ったが、しかしこの仕事っぷりを見ると、口出しするのも(はばか)られる。

 うーん、まあ、減った分だけご飯食べて、燃料の補給に勤しめば良いだけか。

 壁に防音機能などはさすがに持たせられてないらしく、一つ隣の工廠からは、重い音と振動が絶えず伝わってきている。小刻みに揺れる椅子が微妙に気持ち良い。

 妖精さん達が現れるのを待つ間、朝潮にこの家にできた部屋を教えてもらう事にした。

 玄関、工廠、保管庫、食堂、台所、トイレ、寝室、お風呂……ここが、この家が鎮守府だ! みたいになってるんだが。私聞いてない。

 

「しかし、驚きました。目の前で次々と家具や設備ができあがり、木製の壁がせり上がっていくのはまるで魔法のようでした」

「あ、やっぱり艦娘から見ても異常なんだ。凄いよね、妖精さんって」

「はい。思えば、私はあまり彼女達の事を知ろうとしていませんでした」

 

 だから、彼女達がこれほど凄まじい働きをする事を知らなかった。

 艦娘を建造するのも、艤装を開発するのも、当然の働きとして認識していたらしい。

 しかしここに来て、違った視点で彼女達と接すれば、それがどれ程凄い事か理解できたのだと言う。

 つまりは、今、朝潮は俺と同じような驚きを感じている、って事だね。

 

「寝室かあ。……ひょっとして、ベッドができてたり……」

「ええ、脚付きのベッドも作成されていました。さすがに布団は作れなかったようですが……」

 

 それでも十分凄い。もう地面に直接寝る必要がないって事なのだから。

 地面に布一枚敷いただけでは、横になった時、布越しに土の感触がするし、臭いだってある。おうとつには苦しめられたし、それからおさらばできるなら万々歳だ。妖精さん万歳。

 しかし、これだけの物を作るには、俺達が倒した二本の木だけでは全然足りない気がするんだけど……。

 

「彼女達の要請で、周りの木を倒しました。……その、」

「ううん、問題ないよ! ありがとね」

「当然の働きです!」

 

 やはり彼女が働いてくれたらしい。それで、少しばかり広場が広くなっていた気がしたのか。……切り株やらはどうしたのだろうとかは考えない。残ってたっけ? 残ってなかったのなら、どうにかしたという事だ。どうにかできたって事は、俺が気にする必要はないと言う事。

 それから、勝手な事をした、みたいに朝潮が眉を下げつつ言うのに、かぶせるように声を発して感謝を述べる。彼女は一転して笑顔を浮かべ、ぐっと拳を握ってみせてくれた。うんうん、笑顔が大事。朝潮の笑顔はとっても素敵。

 

 後で台所でなんか調理してみようかとか、お風呂覗いてみようかとか、そういった話をしていれば、奥の扉が開き、妖精さんが出てきた。青髪おさげの工廠妖精さんと、朝潮の艤装の妖精さん二人だ。喜色に顔を染めているのを見るに、修繕が完了したのだろう。

 工廠妖精の代表らしい青髪妖精さんが、改めて俺がいない間にやった事を報告し始めた。ほとんどは朝潮が教えてくれた事と同じだったけど、一つ初めて聞いた事があった。それは、俺が集めていた鋼材モドキをしようして鋼材を作り出し、それを使用した、という話。

 

 構わない構わない、俺が持っていたってなんの役にも立たなかったから、使って貰えて嬉しいよ。

 朝潮がまた申し訳なさそうにするので、明るく元気に妖精さんに伝えれば、妖精さんの表情も彼女の表情も明るくなった。浮き沈みが激しい……。そんなに気にする事ないのに。俺の事を気にかけて申し訳なく思うのに、妖精さん達が俺の集めた物を勝手に使う事を許したのは、その必要があったからなのだろうし。

 それに、それで俺が不利益を被る事も、怒る事もないってのは、賢い彼女ならわかっていたはずだ。

 それでも暗くなるのだから、ううん、くそまじめとしか言いようがない。もちろん良い意味でだ。

 

「良い判断だね、優等生」

「はっ、いえ、その……ありがとうございます」

 

 特に考え無しに褒めてみたけど、別の世界の島風のせいか、『優等生』という単語が嫌味にしか感じられなくて、慌てて口を噤んだ。意図せずからかいの言葉を選んでしまったのかもしれない。とにかく、彼女はそれに気付いていない様子で、てれてれと手を合わせて頬を朱に染めていた。

 

 さて、修理が終わり、家ができて、新たな装備も作り出せそうな生活環境が整った。

 彼女が帰るための準備ができ始めてしまったのは残念でならないけど、彼女の良き友人であるためには、ここは喜ぶべき場面だ。

 それに、鋼材さえあれば装備が作れるなら、いよいよ俺も俺の艤装を手に入れられると言う事だ。男として、武器という物に憧れが無い訳ではないから、これは素直に楽しみだ。弾薬の調達ができなければ弾なしだろうけど、一度でいいから持ってみたい。

 

 まあ、いくら設備が整ったからと言って、いきなり帰れる訳でもないだろう。

 彼女一人では複数の深海棲艦に行く手を阻まれれば厳しくなるだろうし、かといって低練度の俺を連れて行っても結果は変わらなさそうだ。

 だから、俺がやるべき事は深海棲艦と戦い、練度を上げる事。そのために、この島付近の海に出る事。

 羅針盤が開発できれば、安心して海に出られるだろう。コンパスでもいい。

 いずれかを持って、力量を上げるために海上へ行く。戦う術を身に着ける。

 もし俺が本気で彼女と共に彼女の所属する鎮守府へ行きたいと願うなら、そのくらいこなさねばならない。

 ……そんな風に自分を鼓舞してみたけど、俺が鎮守府に行きたい行きたくないに関わらず、彼女に「絶対に無事に送り届ける」と約束したのだから、行く事は確定だ。

 

 艤装の妖精さんと朝潮が喜びを分かち合っているのを横目に、工廠妖精さんにイ級の単装砲を持ち帰って来た事を伝えると、そこから弾薬を得る事ができれば、複製して増やす事も可能かもしれない、という答えが返ってきた。

 これは本当に、俺が艤装を手にするのも近いかもしれない。

 

 わくわくを感じるままに口の端を吊り上げ、妖精さんにぐっと親指を立てて見せれば、妖精さんも同じように返してきた。

 

 装備の開発を了承。仮称鋼材モドキを収集されたし。その意思を受け取った俺は、了解と返答して、目をつぶった。

 やる事が決まるというのは気持ちが良い。心が安定するゆえに、気分も安定する。

 新品の木板の匂いを感じながら、俺はこの後の行動予定を組み立て始めた。



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第十一話 シマカゼ、出撃しまーす

第九話に加筆しています。詳細は第九話のまえがきに。


「よっ……と」

 

 窓代わりの四角い板を押すと、下部が枠から離れるので、置いてある小さな木材をつっかえ棒にする。どこかで見た事あるような、古いタイプの窓だ。

 僅かに見える外には、地面の茶色と森の緑が広がっている。入り口からずぅっと反対側の窓から見えるのは、森の中だった。

 ……この家、やけに広いと思ってたら、やっぱり森の中まで続いてたんだ。

 土の香りと植物の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ふー、と吐き出す。立派な寝床があると、外敵の心配をしなくて済むから、清々しさも倍増だ。

 ここ数日森の中を歩き回って、蛇や魚よりも大きい動物なんか見てないけどね。

 

 工廠妖精さん達が俺の艤装を作ってくれている間、朝潮に家の中を案内してもらっていた。

 彼女もすべての部屋を見て回った訳ではなかったようで、二人してきょろきょろ頭を動かして歩き回った。

 どこもかしこも木造で、たまにちょびっと鉄が使われている感じ。木造というだけなのに、かつての母の実家を思い出すような古臭さを感じてしまうのはなぜだろうか。匂いは、記憶のどこかにある校舎のようなもので、古い感じは全然しないんだけど……不思議なものだ。

 

 それぞれの部屋を気分の赴くまま訪れては、部屋の中を見ていく。

 妖精さん達が使ったのは鋼材モドキだけではないらしく、外に見当たらなかったでこぼこの鍋や鉄板は建築に使われてしまったらしい。空き瓶なんかも同じく。

 代わりに、食堂の食器棚にはガラス製のコップがいくつか等間隔に並べられていて、持ち手のついた鍋はでこぼこではなくなって流し台の横に置かれていた。お風呂場に続く脱衣所には木製の洗面器があり、その表面を薄い鉄板が覆っていた。たぶん鉄板の行方はここだろう。

 これもまた木製のレバーを捻れば、蛇口からちょろちょろと水が流れてきた。まさか水道まで作ったのだろうか。……いや、少しして水が止まってしまったのを見るに、空き瓶に溜めておいた水なんかがここに使われていたのだろう。無駄遣いしてしまった。

 

「帰ってきたら手洗いうがいができるね」

「助かります」

 

 ちょっとした喜びを朝潮と共有する。ここから温泉まではちょっと距離があったから、せっかく体を綺麗にしても戻ってくる頃には少し汚れちゃってたんだよね。

 そうそう、後で妖精さんにどうやって水を出すのか聞いておこう。

 

 気になっていた寝室も覗いてみると、一つの部屋に二つのベッドが置いてあった。内装は、扉を開けた位置で立って見ればよくわかる、左右対称だ。左右どちらの壁際にもベッドがあり、小さなタンスがある。

 注文せずとも必要な家具が大量に作られている。……家具コインとはなんだったのか。

 後で要求されても困るから、そんなもの知らないって事にしておこう。代わりに、働きに見合うだけの料理は振る舞うけど。妖精さん達は蛇とか食べられるだろうか。むしろ食べられる側のような気もするけど、鋼材モドキの収集のついでに蛇を捕まえとこう。

 

「そろそろ鋼材モドキを集めに行こっか」

「はい、お任せ下さい」

 

 一通り家の中を見て回ったので――二階への階段があったけど、その先は忍者屋敷みたいに天井になってるだけで、二階はなかった――、妖精さんからの頼まれ事をこなしてしまおう、と朝潮に声をかければ、彼女はほんの少し緩んでいた気を引き締めて、小さく頷いた。お堅いなあ、もう。

 鋼材モドキは石ころと同じで形も大きさもまちまちだ。主に温泉辺りでよく拾えた気がする。手ぶらで行くと持てる数がかなり制限されてしまうので、バケツを持っていく事にした。

 そのバケツはいったいどこにあるのだろうか。脱衣所にはなかったな。……ひょっとして、バケツも使われてしまったのだろうか?

 あれの行方を考えつつ歩いて、ふと、立ち止まる。そうすると、つられて朝潮も立ち止まり、俺の顔を注視してきた。その青い瞳を見つめ返す。

 ……後で彼女の台詞でも言おう。

 とかくだらない事を決心して、何も言わずに歩き出す。彼女も、何も聞いてこなかった。聞かれても答えられないけど。

 

「もしかしたら、彼女達の(もと)にあるのかもしれません」

 

 思い当たる部屋を廻り始めて三つめの扉を開いたところで、そう朝潮が話しかけてきた。……それもそうか。あれはただのバケツじゃなくて、高速修復材の入れ物なんだし……妖精さん達のところに置いてある可能性はある。

 というか、家の中を歩き回っていた時に見た記憶がないから、あるとすれば、まだ入っていない妖精さん達の仕事場だろう。

 という訳で、長い廊下を行き、応接間のような部屋を通って、工廠への扉の前に立つ。声をかけるかノックするかで少し迷ったが、聞こえなかったらを考えると色々と居た堪れなくなりそうだったので、扉を叩く事にした。

 コンコン、と握った手の甲で二度、木板を叩く。

 少しして、扉越しに『待ってて』と意思が飛んできた。

 肩にかかる髪をくりくりと指先に絡めて弄ったりしつつ、言われた通りに待っていれば、ノブが()り、扉が開いた。キィキィと音をたてて開いた扉の先は、壁だった。……左右へ続く通路になっているみたい。何か硬い物を叩く音や、ギコギコとノコギリでも使っているみたいな音が聞こえてくるので、仕事場はこの廊下のすぐ先で間違いなさそうなんだけど……わざわざ通路を作るって事は、よっぽど見られたくないのだろうか。それとも、立地の問題?

 視線を下にやれば、足下に扉を支えている青髪おさげの妖精さんを発見した。工廠妖精さん達のリーダっぽい子。主任妖精さん。

 ところで、彼女は今どうやってノブを捻ったのだろうか。

 

「お仕事中にごめんね。バケツを探してるんだけど……」

『?』

「ほら、鋼材モドキを集めるのに必要かなって思って」

『それならあるよ。もってけドロボー。ついでに装備の開発とお手入れが完了したよ。もってけドロボー』

「あ、うん」

 

 ……え、これなんて言ってるんだろう。まさか、俺の脳内翻訳機通りに「泥棒」なんて言ってる訳ないだろうし……。ううん、妖精さんの意思を理解するのは難しいなあ。

 横目で朝潮を確認してみても、彼女はじっと妖精さんに目を向けてるだけで、動揺しているような様子はない。妖精さんの意思をきっちり理解できているのか、それとも理解できではいないけど顔に出してないのか、はたまた妖精さんの意思を受け取ってないのか……なんて、考えても意味ないな。

 

『スリップストリームだ、私の後に続け』

 

 俺に背を向け、掲げた腕をくいと引いてみせる妖精さんの代わりに扉を支えつつ(その必要はないけど、なんとなく)、走り出す妖精さんの後に続く。入っていいのかな、と思ったけど、妖精さんがついて来いと言っているのだから大丈夫だろう。いや、言ってはいないけど。……ややこしいな。

 後ろに朝潮がついてきているのを気配で確認しつつ、短い廊下を小走りで進む。妖精さんは全速力でぱたぱたと走っているけど、正直歩いてでも追いつけそうだ。それではなんだか悪いので、小さく前ならえのポーズでついていっている。速度の調節が難しい。ちょっとスピードを出したら蹴飛ばしてしまいそうだ。

 左へ曲がり、階段を下りて、涼しげな地下へ。固められた土の壁が先へ続く狭い通路の奥には、重厚な鉄扉がどんと構えていた。

 ……地下まであるんだ。妖精さん半端ないな。

 扉脇の壁に走り寄って行った妖精さんが、かなり低い位置にあるスイッチを押し込むと、少しして、扉が真ん中から割れて両脇にスライドし始めた。おお、ハイテク……この動力はどこから、なんて考えちゃいけないんだろうな。

 なんて一人納得してたら、向こう側から扉を押して動かしている妖精さん二人の姿を目撃してしまった。手動……。って、よく見たらこの扉、見た目は鉄っぽいけど、中身は木だ。は、ハイテクじゃない……。

 

「ハイテクじゃないね」

「そうでしょうか。物資や資材が足りていない現状でここまでの物を作り出すのは、彼女達の技術の賜物だと思います」

「そ、そう」

 

 思った事を何の気なしに朝潮へと投げかけたら、真面目な言葉が返ってきた。ずっとだんまりで何考えてるのかと思ってたけど、妖精さんについて考えてたのね。

 彼女の言う通り、よく考えてみたらやっぱりハイテクな扉を抜ければ、白く塗装された眩しい部屋についた。壁の素材は木みたいだけど、白く塗られている。ペンキ? でも、そんなのなかったはず……どうやって塗ったんだろう。気になる。聞いちゃ駄目かな。気分を害したりしないだろうか。

 うむむ、と唸っていれば、リーダー妖精さんは俺達を巨大な機械の前に案内した。俺の半分くらいの大きさで、壁にはめ込まれている、楕円形の機械。俺が集めてた鋼材モドキとイ級の単装砲でこれ程の物が作れたのか。なんか感動。

 床が一段、円状に盛り上がっていて、こっちは木製のようだ。足下をしげしげと眺めていると、どきなさい、と注意されたので、素直に従って円から退く。妖精さんは、朝潮に円に乗るよう呼びかけた。

 

『艤装装着準備、レディ?』

「うん、いいわ」

『おんしゃー』

 

 あ、俺が言おうと思っていた朝潮の台詞、先に本人が言ってしまった。そっか、妖精さんに対しては普通に喋るのか。……俺にもそんな感じで喋っていいのに。

 朝潮が出入り口の扉の方へ体を向け、両手を広げて立つのを眺めていると、壁に嵌まっている楕円状の機械――機械でいいのだろうか、これは――が振動し始め、半円状になっている先端が開かれた。そこから、ぽーん、と何かが飛び出してきて、朝潮にぶつかる。あっと声が出てしまった。

 謎の何かがぶつかった朝潮はしかし、平気な顔をして肩に通ってきた青い帯の位置を調整し、それ――艦橋をしっかりと背負った。続いて、楕円形の機械の方に向き直り、12.7cm連装砲と61cm四連装魚雷をそれぞれの妖精さんが運んできたのを受け取り、魚雷をベルトで左腕に固定し、右手で砲を持った。

 

「完成! 朝潮ロボ!」

「……?」

「なんでもないよ」

 

 何も言ってないよ。

 小声で呟いた言葉に反応して、身を捻ってこちらを見る朝潮に、笑顔で首を振ってみせる。そうすると彼女は、砲の握り心地を確かめたり、装備の妖精さんと何か意思を交わしたりしつつ、円の上から退いた。

 

『艤装装着準備、レディ?』

「あ、うん」

 

 リーダー妖精さんに意思を飛ばされて、ようやく自分も朝潮と同じように艤装を装着するんだと思い至った。そういえば完成したと言っていた。仕事が速い。

 どきどきしつつ円に乗り、出入り口の方を向いて立つ。

 そうするともう後ろは見えないから、いつ艤装が飛んでくるのか確認できないのに動悸が激しくなった。うう、緊張する……。

 とりあえず朝潮に(なら)って両腕を広げて待ってみる。

 それは思っていたよりも唐突にやってきた。

 

 どん、と背中に何かがぶつかる感触。ついで、床にガシャンと重い物が落ちる音。

 よろめいた体を立て直せば、斜め前に立っている朝潮が目を丸くしていた。振り返って床を見れば、そこには、大きめの61cm四連装魚雷がある。青髪の妖精さんが下敷きになっているのを見つけて慌てて膝をついて持ち上げれば、涙を浮かべた瞳で見上げられた。うっ、罪悪感……。

 

「ご、ごめんね? え、でも、なんでくっつかなかったんだろ」

『防護フィールド纏ってなかったから』

「え、あ、そう、そっか」

 

 しどろもどろになりつつ防護フィールドを纏うも、今さら遅い、とリーダー妖精さん。ごめんなさい……。

 朝潮の艤装の妖精さんにそっくりな、スク水着用の妖精さんを手の平に乗せれば、悲しげな意思をいくつも飛ばされたので、ごめんねを繰り返して宥める。断片的に理解できる言葉は、『嫌?』『いらない?』と否定的な言葉。もしかしたら、俺が装着を拒否したみたいにとられているのかもしれない。そういうつもりじゃない。そんなつもりはなかったのに。

 

「あの、艤装の装着の仕方とか、知らなくって……」

「先に伝えておくべきでしたね……。申し訳ありません」

 

 俺の言葉にいち早く反応した朝潮が、そう言って頭を下げた。君が謝る事なんてないのに。

 ああもう、なんで俺っていつもこうなんだろう。ほんと馬鹿。

 自虐していても仕方ないので、手の平の上の妖精さんと、楕円形の機械の中にある12.7cm連装砲の陰から覗いている妖精さんへ向けて、今度はちゃんと装着するからね、と呼びかければ、はやくはやく! と急かすような意思が飛んできた。

 よかった、立ち直りが早い。魚雷の子ももう笑顔を浮かべているみたい。ぴょんと跳んだ彼女が魚雷発射管に溶け込んでいくのを見届けてから、艤装を持ち上げ、装着を試みる。

 ええと、どんな風に……魚雷の先端は下を向いていたっけ? 箱型の魚雷発射管には、左右の端に半円状の鉄の帯がついている。横面にネジがあるのを見るに、これを背中に着けて、ネジを回して半円を腰に食い込ませて……っとと、いたた、締めすぎた! ネジを回して緩める。

 ちょうど良い感じです! と魚雷の妖精さんが伝えてくる位置で止め、手を離せば、ぴったり背中にフィットした。少し体を揺らしても落ちる気配はない。

 位置を教えてくれた妖精さんにお礼をしつつ、今度は12.7cm連装砲を押し運んできていた妖精さんから受け取って、その妖精さんが砲身に飛び乗り、溶け込むのを見届けてから、横向きのグリップを握り込んだ。人差し指の位置に押し込む部分がある。これがトリガー……かな?

 確認しつつ押そうとして、おっとと、と踏み止まる。安全装置があるかは知らないが、押して撃ってしまったら先程以上の失態だ。

 艤装に目を向けていれば、中にいる……のかどうかわからないが、その妖精さん達から歓声が上がるのを感じた。装備される事に喜びを覚えているのがありありと伝わってくる。ううん、だったらなおさらさっきは悪い事をした。

 

 天井にある光源に砲をかざしてみると、高い高いでもされてるみたいな声が聞こえてくる。少し動けば、背中でも嬉しそうな声。

 動くだけでそんなに楽しそうにされると、こっちまで楽しくなってくる。

 腕をぐるんぐるんと動かして、重みに引っ張られる腕の感覚を堪能し、左右のバランスを取りつつ円から()り、さっと腰の高さで両腕を広げる。

 そのまま後ろへぐるんと肩ごと回転させて、両手を前に構える。

 

「さあ、フルスロットルで行こう!」

 

 フルなのは装備スロットだけだけど。

 さて、リーダー妖精さんの白い目に晒されながら、砲を見やった。

 装備が手に入ったのは嬉しいけど、手が塞がるのはいただけない。いや、武器を手にしたままジャンプキックはできるだろうが、バランスをとるのが難しそうだ。

 そもそも、装備を二つも身に着けた事によって、スピードが落ちてないか心配だ。……防護フィールドを纏っていて重みを感じるくらいだ、確実にスピードは落ちているだろう。これだとスピードとキックで戦う俺のスタイルが活かせないかもしれない。しかし今さら武器は要らないなんて言えないし……。

 

 ……いいや。考えるのはやめだ。今はとりあえず武器を使う事を考えてよう。それでもし、島風化が極端に進むようになってしまったら、改めてどうするか考えよう。……妖精さん達が喜んでいるところに水を差すなんて俺にはできないし。

 魚雷の側面、右側に砲を引っ掛ける部分があったので、そこにかけて固定し、ぶら下げる。重心が後ろに寄っている気がするが、これで手が空いた。……あれ? 空いてどうするのだろう。拳で戦うつもりだったんだっけ?

 

『バケツ持ってきた。求む山盛り』

「うん、いいわ」

「……いつでも出撃可能です」

 

 他の工廠妖精さん達がバケツを四つも持ってきてそんな意思を飛ばしてきたので、ここぞとばかりに朝潮の台詞を言ってみれば、朝潮は微妙な顔をして、しかし俺に向けて砲を持ち上げてみせた。

 

「それじゃあ、シマカゼ探検隊、再び出撃するよ!」

「らじゃー!」

『わっしょい』

 

 緩く手を挙げて宣言すれば、力強い返答と、妖精さんのズレたような意思が返ってきたので、一度工廠妖精さんに向き直り、お礼を言ってから、地下施設を後にした。

 地上部分に出れば、蒸し暑さが体を包み、木板の匂いが鼻腔をくすぐった。気のせいだろうけど、なんだか重苦しいのから解放された感じがする。地下にいたからかな。艤装を背負っている今の方が体的には重いはずなんだけど。

 バケツ両手に外へ出る。艦娘二人と妖精さん四人の大所帯だ。新しい仲間が増えたというのも、また不思議な感じがする。そうだ、と思いついて、艤装に向けて「これからよろしくね」と声をかけておく。『頑張ります』と元気な意思を発した艤装は心なしか輝いて見えた。

 

 まずは温泉に向かい、そこを中心に鋼材モドキを探していく。そのさなか、朝潮の妖精さんから嬉しい話を聞いた。現在ここの温泉をあの家に引こうとしているらしい。経過は順調。近日中に開通予定。速ければ明日には家でお風呂に入る事ができるようになるみたい。なんと頼もしきかな妖精さん。

 

 鋼材モドキの収集は手分けして行った。

 とはいっても、人の手が入っていないためか、岩場ではそこら辺にごろごろ転がっているので、遠くまで行く必要はなかったんだけど。

 四つのバケツいっぱいに鋼材モドキを集めても、まだまだあるように見える。温泉の湧きでている大岩や、傍に転がっている大きな石なんかにも鋼材モドキが含まれているようだ。

 鋼材……鉄ってこんなに簡単に手に入るものなのだろうか?

 そう首を傾げてしまったが、よく考えれば高速修復剤の元だというスライム……グリーンゼリーなんてのがとれる世界だ、そういうものなんだろう。

 特に意味もなく点呼をとってから家に戻る。森の中を通る際中、目を凝らして周囲を見渡し、物音に耳を澄ませ、得物を発見すればすぐさま捕獲。おっきな蛇のキャプチャーに成功した。名前はたぶんソリッドだろう。……あれ、これ前も言った気がする。

 ついでにリンゴモドキも収穫しておいて、それで手いっぱいになった。肘にかけた蛇、脇で押さえたリンゴモドキ、両手に持った鋼材モドキが盛りだくさんのバケツ……。頭の中で大成功の三文字が躍っている。

 

『ご苦労。大義であった』

「ははー」

「……?」

 

 たぶんそんな尊大な物言いはしていないだろうけど、両腰に手を当てて俺を見上げるリーダー妖精さんの姿がふんぞり返っているようにも見えたので、恭しくバケツを献上する。彼女が二度手を打てば、部屋の奥から(まだこの部屋の先があるのだ)他の工廠妖精さん達がやってきて、バケツを頭上に持ち上げて運んでいく。……力持ち。

 

「妖精さん、お昼ごはん食べる?」

『……用意していただけるのなら』

 

 しめてある蛇を持ち上げながら妖精さんに問いかければ、なんだか微妙な返事。……蛇は嫌いかな? 独特の臭みがあるから、仕方ないね。

 妖精さんには果物中心に用意しよう。

 

「朝潮はヘビ、大丈夫だよね」

「はい、問題ありません」

 

 ふむ。気を遣ってそう言ってる訳でもなさそうだし、本当に大丈夫なんだろう。

 いったんここに艤装を預け、台所に赴き、蛇の調理に取りかかる。蛇口から水を出す方法は聞いたし、なんと包丁まであるので、かなり調理周りの事情は変わってきてた。(さば)くの楽ちん。水洗いも楽ちん。出たごみは外に持って行って地面に埋める方式だ。

 わ、フライパンまである……すばらし……。

 

「なんだか、とても楽しそうですね」

「そお? そっかな~」

 

 片手に持ったフライパンをゆらゆら揺らしつつ、横に立つ朝潮を見る。そんな楽しそうに見えるかな。

 

「ちゃちゃっと焼いちゃうから、朝潮は座ってて」

「いえ、そういう訳には」

「いいのいいの。朝潮()()は食べる立場なんだから。どっしり構えててよ」

「……そう、言うのであれば……待ちますが」

 

 うわ、凄く不服そう。

 何もやらせない方が彼女には毒かな。でも、彼女はきっと、言えば何時間でも待っていてくれるような気がするし……。

 ゲームでの彼女の放置時の台詞を思い出しつつ、くるんと手の内で回したフライパンを、コンロっぽいのに置く。流れで火をつけようとして、ん? と止まった。あれ、ひねりが無い。……ああっ、まさかこれ、火は自分で用意しなくちゃ駄目なのか?

 

「木の棒ですね! お任せ下さい!」

 

 俺の動作で察したのか、それとも知っていたのか、朝潮が嬉しそうに言って、俺が何かを言う前に部屋を出ていった。むむむ、それくらいは俺だけでできるんだけど……仕方ない、好意に甘えて、リンゴモドキの皮でも剥きながら待っていよう。

 ああ、包丁があるって素敵だ……。

 

 迅速に木の枝と葉を持ってきた朝潮に礼を言って火を作り、現代的な環境で楽しく調理をし、調味料が無いのを凄く口惜しく思いつつ、木製の皿に盛って、テーブルに置く。

 それから、残りはおぼんに乗せて急いで妖精さん達の下に持っていく。どうせ先に食べていてと言っても朝潮は俺の帰りを待つだろうから、急いで往復した。わらわら集まってきた妖精さん達がリンゴモドキを見て嬉しそうにしてくれたので、笑みを浮かべつつ食堂に戻った。

 やっぱり朝潮は俺を待っていた。律儀というかなんというか……。

 つるつるとした手触りが心地良いお箸で蛇をいただき、食器を洗って、少し休んでから工廠へ赴く。

 

『海に出ると聞いた。こいつを持って行け』

「ありがと」

 

 聞いたというか、君に伝えた気がするんだけど……いや、俺の脳内翻訳が間違ってるのか。

 楕円形の機械の前に立つリーダー妖精さんから携帯型の羅針盤を受け取る。

 ゲームではラスボスとも言われている羅針盤には、おそらく四人の妖精さんがついている事だろう。この現実でも、同じように航路を妖精さんに任せる事になるのだろうか?

 小さな羅針盤を腕時計のように左腕に巻いてしまって、ついでに食器の受け取りをしようとリーダー妖精さんに声をかけると、使った、と意思。

 ……ん? これ、どういう意味だろう。使った……食べ終わった? でも、妖精さんが食器を出す気配がない。またお皿を頭上に掲げて持ってくるもんだと思ってたんだけど。

 再度確認しても、使った、としか返ってこなかったので、思考を放棄した。

 もし食器を回収してほしいなら、そう言ってくるだろう。今は、彼女が言っていたように、海へ行くための心の準備を……。

 

「海、ですか?」

「ん? うん。言ってなかったっけ」

 

 怪訝そうに尋ねてくる朝潮にそう言いつつも、彼女がこんな事を言うって事は伝え忘れてたって事だろうから、説明しておく。

 慣らしのためと練度向上、および島付近の探索を目的として海上に出る。練習航海というやつになるかな。

 

「なるほど……そういえば、私を助けていただいた時が、初めて海に出た時なのでしたか」

「うん。その時が初めて。でも、結構必死だったからなあ……あ、気にしなくていいんだよ。ね? ただ、今改めて海に出て、平気かなって不安になっただけで」

 

 長めの台詞を口にすると口調がぶれてしまうのを気にしつつ、彼女に説明する。

 むむ、朝潮のこの顔は、俺が助けた事を気に病んでる顔だ。もう、気にしないでって何度も言ってるんだけどなあ。

 艤装を装着しつつ天井を仰いで、それから、朝潮の顔を見る。行こ、と声をかければ、間を置いて、返事。よし、ちょっと気が逸れてきたな。

 彼女が艤装を身に着けるのを待ってから、外に出る。森を抜け、海岸に出て、波打ち際へ歩み寄って行って……そこでいったんストップだ。

 

「準備はいい?」

「ええ、いつでも大丈夫です」

 

 うん、そうだろうね。

 いいか、と聞いたものの、準備が必要なのは俺の方だ。

 やっぱり、改めて海を前にすると、怖くて足踏みしてしまう。緊張も凄い。

 この海に出れば、いつ命を落としてもおかしくない状況が常に続く状態になる。そのプレッシャーに耐えられるだろうか。朝潮のような少女が耐えられるのだから……などとは言えない。彼女は強い。肉体的にも精神的にも。ボロボロになったって仲間のために帰ろうとするくらいだ。弱いなどとは口が裂けても言えない。

 対して俺は、ただ目の前の状況だけを見て海に出ただけで、そこに覚悟や何かはなかった。

 だからこんなにも怖気ついてしまっているのだろう。

 ううー、なんか、なんか気分を盛り上げる事ないかなあ。

 

「……準備はいい?」

「はい。すぐにでも行けます」

 

 海へ出るのを先延ばしにするみたいに、再度朝潮に問いかければ、頼もしい答え。

 はー、自分で海に出るって予定組んだんだから、こんなところで止まってたら迷惑だよ。

 んー……。

 

「……どうしたんですか?」

「……ちょっとね」

 

 びし、と右腕を左斜め上へ突き出してジャスティスポーズを取りつつ、どうにか気分を盛り上げられないかを考える。

 ……完全に島風になりきっちゃえば「へっちゃらだし」って言えそうなんだけど、それだとなんか危ない気がするんだよな。

 かといってこのまま俺でいれば、迷いも恐怖も消え無さそう。

 あいのこのシマカゼだと、半々って感じだ。大丈夫と駄目が半分ずっこ。

 とん、と砂を蹴って小さく飛び、足裏全体で着地して、ガクンと衝撃がくるのを脳で受け止める。

 もう一回ジャンプ。

 防護フィールドを纏っている今なら、もっともっと高くジャンプできそうで、それを想像すると、少し心が軽くなった。

 なら、じゃあ、これだ。

 数歩下がって、と。

 

「ほっと」

 

 朝潮の背後から、前方へ向かって跳躍する。彼女の頭上で体を丸めて一回転。目の前に着地すれば、砂が飛び散って、ええい、そんなの気にしていられない。

 

「索敵!」

 

 背を伸ばし、びしっと水平線を指差す。

 

殲滅(せんめつ)!」

 

 左足を軸にくるりとターン。胸の前で、握った左の拳を右の手の平に打ち付ける。

 そして、ガイドさんのように、前方を右手で薙ぐ様に指し示す。

 

「いーずーれーもー」

 

 マッ、ハー!

 ぱしんと手を打ち、ぱっと両側に開いていく。

 

「シマカゼ、出撃しまーす♡」

「……は、朝潮、出ます!」

 

 打ち寄せる波にぴょんと飛び乗り、前へ滑り出すと、遅れて朝潮も海の上へ出てきた。

 戸惑うような気配を気にせず、前だけを見て進んでいく。しかし、思ったようにスピードが出ていなかったのか、それとも無意識化でそうして欲しかったのか、横に朝潮が並んだ。

 顔を見てきているのがわかる。し、視線が痛い……。

 しかし気付かないふり。さあ、後悔に……もとい、航海に集中しましょ!

 

「あの、先程のは……」

 

 あ、聞いちゃうんだ。

 

 

 なんとか気を持ち直し、彼女と言葉を交わすうちに海上を怖いとは感じなくなって、すぐ。

 霧が出てきて、その中からレ級eliteが!

 ……なんて事もなく、島をぐるりと一周して、今日の練習航海は終了した。

 敵が出てきてくれれば、朝潮の「さっきのポーズはなんですか」攻撃から逃れられたかもしれないのに、こういう時に限って出ないってのはどうなのさ。

 そう簡単に敵に出会っても困るけど、ああ、今日は出会いたかった。

 帰ったらその意味を教えてあげる、で誤魔化してたけど、どうしようかな。

 

 純粋な目で俺を見つめる朝潮への対応に頭を悩ませつつ、とぼとぼと帰投するのであった。



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第十二話 いざ鎮守府へ

更新遅れてごめりんこ
誰か通信を文にした時の書き方教えてください……ワレアオバしかわかんないです。

次回の更新は8月17日月曜日を予定しています。


無理でした。
次回の更新は8月18日火曜日を予定しています。
予定です。


 吹き付ける潮風が伸ばした左足の表面をぬらりと撫でていく。太ももの付け根が擦れて熱くなるくらいに勢いよく足を振り伸ばせば、爪先に巻き上げられた海水が弧を描いて海面から伸びていく。

 

『――!』

「っ……!」

 

 防護フィールドを纏った全力のハイキックが、ショートヘアの女の頬に突き刺さる。ビシリと骨を伝わる痛みと衝撃。細い体つきの癖に、押し付けた足の甲から伝わってくるのは、鉄の塊を叩きつけられでもしたような重みだった。

 伸ばした足の先で海水が飛沫となって散らばっていく。彼女の耳から頬までを覆う無骨な黒い鉄板が軋み、その音が足を通して伝わってくる。

 黒髪を揺らし、青い光の灯る目を向けてくる重巡リ級に押し返されないように、歯を食い縛って足を振り抜く。右へ回転する体に任せて敵に背を向け、そのまま止まらず右足の回し蹴り。細い線を描くように半透明の水が伸びていく。遠心力を乗せた踵は、最初の一撃で僅かに怯んでいたリ級の頬を再び叩いた。流動する(なまり)のような、柔く硬い不気味な肉の感触。青白い肌を震わせ、顔を歪めて一歩大きく下がったリ級へと、しなる左足に力を溜めつつ反転、この隙を逃さずリ級の前へ跳び上がる。奴の顔よりも僅かに高い宙で、三度目の蹴りつけ。引き連れた海水が、足ごとリ級の顔を打つ。

 

『グ――ォ』

 

 ザシャザシャと海面を擦るように後退する彼女の前で着水する。大きく屈伸し、広がる波紋の中に衝撃を逃していく。痛む足に目を向けた一瞬に、頭上を一筋の風が通り抜けた。

 

『!!』

 

 ボォン、と腹の底に響く炸裂音。見上げた先で、リ級が黒煙に包まれた自身の顔を押さえて悶えていた。朝潮の精密な援護射撃。音からするに、会心の一撃か。

 ――いや、奴の動作はただの反射だ。おそらく、さほどダメージは入っていないだろう。

 瞬時に分析し、立ち上がりざまに背後へ足を出して後退していく。擦り付けた海面が白く波立ち、水飛沫を撒き散らしていく。倒れ込んでしまいそうな危うい動作で距離をとる。奴が頭を振り、煙を払い、立ち直ろうとしているのを睨みつけながら、腰を落とし、左右に手を広げて構える。背負った魚雷が腰に食い込む。揺れる砲で重心がぶれる。それを整えるための、一呼吸の間。その間でリ級が立ち直った。無防備で至近に立つ俺へと、両手に備えたイ級のような異形の砲を向けようとして――ぶんと振るって、俺の背後から飛んできた砲弾を払った。弾かれて弧を描き、斜め向こうに水柱を立てる砲弾を気にせず、朝潮が作ってくれた時間を活かすために、全力で水を蹴って走り出す。急な動作に体中の筋肉が悲鳴を上げた。

 一歩一歩が重く海面を叩き、波を作っていく。だが、いくら足下が荒くなろうと、動き出してる俺を止める事はできない。

 離した距離をどんどん詰めていく俺へと、今度こそリ級が砲を向けてくるのが見えた。それが合図だった訳でもない。前へ小さく跳ね、両足を揃えてしっかりと海面を踏みしめ、全ての勢いを前方へと向かわせながら跳躍する。体を丸め、膝を抱えて一回転。体勢を整え、右足を伸ばし、矢のように突っ込んでいく全力のキックを叩き込む。

 

『――――!』

 

 装甲(ビキニ)に覆われていない腹にヒールが突き刺さり、止まらず、抉っていく。皮が裂け、黒い中身が覗く。

 

「うっ!」

 

 火花を散らしてガリガリと進む中で、リ級が苦し紛れに振るった異形の砲にぶつけられて、勢いを削がれて背中から落ちた。ひやりと全身を包む悪寒。地面と変わらない硬さの海へ叩き付けられた魚雷発射管越しに、ほとんどの衝撃が胸まで突き抜けて、一瞬息ができなくなった。閉じかけた左目をなんとか押し留め、視界いっぱいに広がる――迫りくるリ級の足から逃れるために、ごろごろと転がってその場から離脱した。

 途端、拳銃でも撃ったみたいな大きな音がして、飲み込まれてしまいそうな高さの波が襲い掛かってくる。慌てて腕で水面を押して体を持ち上げ、跳び上がって回避する。

 あ、あぶなー……。

 波が迫るなんて言っても、艦娘ゆえに水をかぶる事はないが、代わりに壁が迫ってくるのと同じ状況になってしまう。それはなかなかの脅威だ。だから当たる訳にはいかずに飛んだ。潜り抜けてやり過ごせるのは潜水艦くらいのものだろう。

 着水し、立ち上がって、全速力で後退する。足は海についたまま。背中から吹き付けてくるような風が、熱くなった体を冷ましていく。

 

「大丈夫ですか!」

「ん、問題ないよ!」

 

 朝潮の隣まで下がって、ようやく足を止める。お互い無事を確認しつつ、それで状況を整理した。敵艦隊、駆逐二隻撃沈。残りはこのリ級だけ!

 

『――――!!』

 

 胸の内側を不安で掻き毟るような怨嗟の声を上げるリ級に、しかし俺も朝潮も怯みなどしなかった。戦いの中で異様に盛り上がる高揚が恐怖を覆い隠す。どれ程恐ろしい敵だろうと、戦いの中では怖くない。

 しかし、さすがは重巡と言うべきか、これほど打撃を浴びせ、砲弾を命中させても、動きに陰りが無い。損傷具合は……小破と言ったところか。

 

(かく)乱お願い!」

「了解。朝潮、突撃する!」

 

 いくらリ級が硬かろうと、ダメージが通ってない訳じゃない。だったら、沈むまで何度でも攻撃するだけだ。

 リ級へ迫りゆく朝潮を視界の端に追いやり、背を向けて前進する。背中を撃たれるなんて不安はない。朝潮はきっとやってくれる。

 引っ張られるうさみみリボンと風に流れる髪の毛の重みを後ろに、どんどん距離を開けていく。大きな砲撃音。水面を叩く音。不気味な叫び声の中に、朝潮の勇ましい声が小さく響く。

 

「んっ」

 

 急ブレーキをかけてその場でターンする。本当なら、勢いを殺さず反転したかったが、そんな時間的余裕はない。信じいてはいても、朝潮が心配だった。また海の底まで迎えに行くのはごめんだ。だからとっとと片づける。

 かなり減速してしまったが、二つの装備のために最高速を出すための時間も縮まっている。それは、本来のスピードを出せないという事でもあるが、奴にはこれで十分。

 駆逐艦に足蹴にされて呻く奴には、不完全なジャンプキックで十分だ。

 最初はスケートのように滑り出し、勢いが乗ってくれば走り出す。滑るか走るかは気分の問題だ。腰を低く、頭の位置もずっと低くして、体に受ける風の抵抗を減らし、最高速度で駆け抜ける。

 ばたばたとはためく服の音は、車の窓から聞こえる風の音に似ている……なんて場違いな事を考えてしまって、瞬き一つして、気を引き締める。リ級の砲撃をギリギリで躱した朝潮が、背後で盛り上がった海面に足を取られて体勢を崩したところに、狙いをつけるリ級。駆逐イ級のような砲が口を開け、砲身の代わりに青白い光を貯め込み始め――そこまでだった。

 視界が回転する。海面が迫る。伸ばした両手で海面を叩き、側転。バク転。もいっちょバク転、それからロンダート! 足りない速度を補うために、連続で回転し、宙に身を躍らせる。

 敵に背を向けて飛びかかる奇妙な体勢から、身を捻り、海に向いていた体を空へと向け、顎を下げて下方を見る。ずっと伸ばした足の先に、リ級の頭が迫っていた。

 

「やーーっ!!」

『! ォ――!!』

 

 寸前で気付いて俺を見上げようとしたリ級の右目を、ヒールが切り裂いた。突き抜ける足に続いて、俺の体もリ級の顔を擦っていく。広げていた腕の半ばがリ級の額を打ち、仰け反らせると同時、俺の足が海面に辿り着いて擦り始めた。転ばないようにしゃがみながら水煙の中に突っ込んでいく。前に出した右足を横向きに。それでかなり減速できる。

 上半身が前後に揺れて、完全に止まり切ると、背後で声。

 掠れた呻き声が最期の言葉を発しようとして、炸裂音に飲まれた。立ち上がり、振り返れば、黒煙に包まれて倒れ行くリ級の斜め前方に、砲を構える朝潮の姿。

 ボッ、ボッと体の各所から火を噴きだしたリ級は、足から沈んでいく最中に爆発を巻き起こし、熱い風を吹かせた。細めた目を腕で庇い、揺れる足下に注意していれば、すぐに収まる。

 風に持ち上げられていた髪がふわりと背中に戻るのを、首の後ろに手を入れてばさりとやって整え、それから、朝潮を見た。

 

「……ぶい」

 

 高揚のまま勝利のVサインを突きだせば、彼女も控え目なピースサインを胸元に作った。

 

 

「艦隊が帰投したよ。めっちゃ速いね」

 

 本日二度目の練習航海から戻り、工廠へとやってきた俺は、第一に例の機械の前で立つリーダー妖精さんにそう言い放った。俺の隣で朝潮も敬礼している。

 

『ご苦労。艤装の点検をする(ゆえ)、すぐ外したまえ』

「はっ」

 

 ……もうこの子が提督でいいんじゃないかな。

 なんとなくそんな感想を抱きつつ、言われた通りに装備を外し、寄ってきた工廠妖精さんに渡していく。

 その中で、艤装から飛び出した魚雷の妖精さん×2と砲の妖精さん×2が床に下り立ち、俺達を見上げてきた。お疲れ様、と意思が飛んでくるのに、同じくお疲れ様と返す。

 ……見た目的に凄くややこしいな。俺の艤装の妖精さんには呼称をつけておこう。ええと、ええと、ええと……。

 

『わたし1号』

『わたし2号』

 

 ……悩んでも思いつかなかったので、なんて呼んで欲しいか、と直球で聞けば、そんな簡潔な答えが返ってきた。そ、そんなんでいいの。

 

 奥の部屋へと運ばれていく艤装を見送り、最後に、自分の装備の妖精さんともいったんお別れの挨拶をする。

 この後は入渠して、それから夕ご飯作って、練習航海行って洗濯してお掃除して就寝の予定。

 ここ数日でできたサイクルだ。練習航海も、実施は既に十回を超えている。

 一日三回。朝昼夕。島の外周を回るだけのコースを、徐々に広げていけば、だんだんと深海棲艦との遭遇率が上がってきた。

 最初は最下級が単体で、と楽な仕事だったのだけど、それが二匹になって三匹になって、昨日は軽巡ト級とかいう気持ち悪いのが率いてた敵水雷戦隊をやっつけて、それで今日、とうとう人型と出会ってしまった。

 重巡リ級。駆逐や軽巡より明らかに固く、その砲撃は驚異的。なまじ人に近い容姿をしているせいで不気味さが凄かったし、正直攻撃するのにちょっとばかし躊躇してしまったけど、奴がこっちに気付いて攻撃してきたのを皮切りに、なし崩し的に撃破してしまった。幸い、足裏に残る感触は、たぶん人の肉を削るほど生々しいものではないと思う。だからまだ、平気だった。現れたのが戦艦とかでなくて良かったなあ、なんて暢気に思える余裕さえあった。

 それに、それより気になる事があるのだ。

 

「お昼にお風呂ってのにももう慣れたね」

「そうですね。出撃に入渠はつきものですから」

 

 部屋に代えの服を取りに戻り、それを抱えて、朝潮と共にお風呂へ直行する。

 三日前、リーダー妖精さんに紹介された家具職人の妖精さん。彼女は服飾関係にも強かったらしく、余っていた布でボロボロの服を元通りにしてくれたどころか、予備を二着ずつ用意してくれたのだ。それぞれ素材はどうなってるんだろ、とか余計な事は考えず、素直に喜んで受け取った。これでようやっと常時下乳見せ子でなくなる。いくら精神が男だといっても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。見られる相手が肉体的に見て同性の朝潮しかいないのだとしても――妖精さんは、何か違う――、好き(この)んで肌を曝け出していたいとは思わない。

 なので、服が直ったのは本当に嬉しかったのだが、よく考えれば直っててもこの服は露出度が高い。朝潮の服と見比べればなおさらだ。だから結局恥ずかしい事に変わりはないのだが……恐ろしい事に、もう慣れてしまった。

 

 木で編んだかごに着替えを入れ、脱衣所の棚に置いて、それから服を脱ぐ。カチューシャを着けている事にさえ違和感が無くなってきているのは、果たして単に慣れただけなのか。大袈裟に動くと頭の上でちょっとした重みが揺れ動くのは、癖になる心地良さがあって、着用を気にしなくなったのはそのせいかもしれない。

 タオル代わりの布もかごにぽいして、体を隠すなんて事はせず、浴場への扉をスライドさせる。

 温泉を直接引き込んでいるこのお風呂は、わかす労力要らずで、常時湯が溢れている。枯れたりしないのかな、と不安に思うこともしばしばあるけど、今のところその気配はない。

 浴室内に溢れる湯気がいい感じに体をくすぐる。なんとなく腕を組みつつ、まずは頭と体を洗う……と。

 ちゃちゃっと手早く済ます中で、湿った髪を手で梳きつつ、ふと思った。防護フィールドを纏っている時は大丈夫だけど、それ以外の時には、潮風で髪が傷んでしまいそうだ。コンディショナーとか開発されないかな。……無理か。

 

 

「あの……」

「んー?」

 

 湯船に浸かり、縁に腕と顎を乗せてだらーんとしていると、傍に寄って来た朝潮が話しかけてきた。

 といっても、ずっと話しっぱなしで、その最中に、ふと朝潮が声を暗くした感じだ。

 そんな顔をして何を言いたいのかなんて、すぐにわかった。

 そろそろ鎮守府に戻りたい。そういう意味の言葉を、朝潮は口にした。

 

「……駆逐艦二人で重巡を撃破できるくらいの練度なら、もう遠くまで行くのに不安はないかもだけど」

 

 それも、雷撃戦に至らない昼戦でやっつけているのだから、申し分ないだろう。

 不安だった俺の練度は、戦いを繰り返すうちに研ぎ澄まされ、今や普通に艦娘を名乗っても問題ないくらいになっている。

 相変わらず近接戦というか、キック主体の戦闘スタイルなのは、俺に致命的なまでに砲撃のセンスがなかったからなのだけど……。

 十発撃って十発外す、放った魚雷はUターンして戻ってくる、至近で外す……。

 慣れれば、練習すれば、と思っていたけど、向上の気配がないのでみんなに相談すれば、朝潮は苦笑いするし、リーダー妖精さんは匙を投げるしで酷いものだった。

 だから、戦闘で艤装は使っていないのだけど……俺の艤装の妖精さんは、それを納得している。無理に使って、それで傷つくのは駄目だから、と。ならなぜまだ艤装を身に着けているかと言えば、それは俺が艦娘だから、の一言に尽きる。

 いつかは朝潮と共に彼女の所属していた鎮守府へ帰る時が来るだろう。上手くいけば、俺も着任できるはず。そうしたら、俺だって無手ではいられない。基本集団行動の中で、一人だけ艤装を持たず、という訳にはいかないだろう。

 だから、今の内に慣らすために、今も身に着けている。そういう形でも役に立てるのは嬉しいと、妖精さん達が言っていた。

 

「あなたがまだ駄目だというなら、従います。でも、どうか……」

「そんなに畏まらなくたって大丈夫だって。うん、大丈夫だよ……」

 

 この島を()つ、か。

 ここで目覚めてから色々あったけど……ここを後にする事には、抵抗はない。

 ただ、やっぱり海へ出る心の準備ができていなくて、戸惑ってしまう。

 もう何度も海に出ているけど、それは日常の延長線上みたいで、どこか違う。

 本格的に長い航海に乗り出すというのに、拒否感が出てしまうのは……やはり、俺が臆病だからだろうか。

 でも、そうやって先延ばしにするのもそろそろ限界だ。

 工廠妖精さん達も言っていた。この島を出るなら速い方が良い、と。

 時間が経てば経つほど彼女達はここに生活の基盤を作り上げていく。生活のサイクルを作り上げていく。

 それこそ、これからずっとここで過ごす事になったって大丈夫なくらいに。

 だから、完全にここで生きていく環境を作り上げてしまう前に、出た方が良い、とリーダー妖精さんは言った。

 そろそろ年貢の納め時かな。

 ほふー、と息を吐くと、横で背を伸ばして座っていた朝潮が僅かに身動ぎするのが、湯を通して伝わってきた。

 

 

「じゃあ、作戦会議始めるよ」

 

 夕飯後、今日のお勤めを終えた俺は、工廠に赴いて全員集合の号令をかけ、ついに朝潮を鎮守府へと帰す事を宣言した。

 それには俺もついていくし、妖精さん達も行く事になる。艤装の妖精さんは艤装に乗り込めるからいいとして、残りの工廠妖精さん四名と家具職人さん三名はどうするのか、という話と、どこへ向かえばいいのか、という事。

 あてどない旅をするには、この海は広すぎるし、危険すぎる。何かとっかかりが無いと、俺の気持ちうんぬんは関係なく、この作戦を決行する事はできない。

 しかしそこは、羅針盤妖精さんの出番だった。

 今まで役目の無かった彼女達羅針盤妖精さんの役目は、深海棲艦側の妨害電波と襲撃に遭い、進路を見失った艦娘の代わりに目的地への道を導き出す、というものだ。

 その方法は独自の観念に基づくもののようで、時には艦娘も提督も怒ってしまうような海へと導く事もあるという。

 ……非常に不安だが、指針が何もないよりは遥かにましだ。これで作戦決行が決まってしまった。

 それから、妖精さん達だけど、ミニチュアのような船で海を行く、と言い出した。そんな船で大丈夫か、と本気で心配してしまったが、彼女達を侮ってはいけない。たった数時間でこれ程の家を作り上げてしまう子達なのだ。その不思議パワーは人知を超えている。

 俺と契約しているから、俺の傍でならこのちんけな船でも高性能を発揮できる、とはリーダー妖精さんの談。ちんけって。……ああもう、俺の脳内翻訳はどうなってるんだ。

 さて、二つの問題は解決の目処が立ち、作戦会議は終わりを告げる。

 この後は……身辺整理でもしようか。……ん、身辺整理はちょっと違うか。

 

 

 いよいよ出発を明日に控えた夜。

 部屋に一つある窓を開けて月夜を眺める朝潮に、俺はベッドに横になりながら視線を向けていた。

 だいたい早寝早起きの彼女がこんな時間に起きているのも珍しければ、憂いを浮かべて月を眺めているなんてのも珍しい。

 月光に照らされた彼女は、表情も相まっていつもの気丈さは影もなく、か弱い少女のように見えた。

 ふと目が覚めればそんな状況だったから思わず眺めてしまっていたが、何か思うところがあるのだろう彼女をこそこそと眺めるのは良くない。

 自然を装って寝返りを打ち、目をつむる。まぶたの裏の暗闇には、朝潮の横顔があって、より強く目をつぶった。

 そういえば、俺もどきどきして寝れなかったはずなのに、いつの間にか寝てたな。

 自分で思っていたよりも能天気だったのかもしれない……なんて考えているうちに眠気が襲ってきてふわ、とあくびをした。

 彼女に聞こえたかも、なんて心配をする余裕もなく、重ねた手を枕にして眠りに落ちていく。

 微かな視線を感じるのは、気のせいか、そうでなかったのだろうか……。

 

 

 今日も快晴。出発するには良い日だけど、海面が照り返す煌めきは目に痛いくらいで、少しくらい曇っててもいいのに、と思ってしまった。

 海を背に、点呼を取る。

 

「工廠妖精さん」

『全員揃ってます』

「家具職人さん」

『右に同じです』

「朝潮さん」

「問題ないです」

「私」

「……」

『……』

 

 おや、シマカゼがいないぞ。こりゃ出発は見送り確定だな。

 ……あ、うそ。嘘です。そんな睨まなくても……。

 

「じゃ、シマカゼ、出撃しまーす」

「朝潮、出ます!」

『いざ出陣!』

 

 気合い十分の朝潮に、おー、と腕を上げる妖精さん達が続く。旗艦は俺なので、彼女達に遅れないよう砂浜を行く。

 布で作った袋の紐を肩にかけ直し、波打ち際へ。ちなみに袋の中身は干した魚を包んだ物と代えの服と、高速修復剤を瓶詰した物を幾つか、だ。同じ物を朝潮も肩にかけている。

 海に出て、滑り出す。水平線に影はなし。ちら、と左腕の携帯型羅針盤を見てから、全員の先頭を走る。

 昨日までに広げた航行範囲に至るまでに、まだ数分ある。それまでには、さすがに覚悟を決めよう。

 これから新しい世界に飛び込む。そうしたらもう、戻れない。元の自分には。

 後戻りできないなんて、泣きたくなるくらい怖くて嫌だが、仕方ない。

 せいぜい人のため世のために深海棲艦と戦ってやろう。

 

 

「はっ!」

 

 朝潮のかけ声と共に飛来した砲弾が、俺が最高速で向かう先の駆逐ロ級にヒットする。鉄を裂くような(おぞ)ましい声が海面を震わせるのを気にせず、側転、バク転、ロンダート。フルスピードのキックをロ級のニヤケ面に叩き込み、横腹を削って海面を擦り、爆発を背に立ち上がる。

 

「私が一番? やっぱり? そうよ――」

 

 決め顔でMVP台詞を言おうとして、途中で横を朝潮が抜けていくのに、慌てて打ち切って追いかけた。

 駆逐艦程度を倒したくらいではいちいち台詞を言わせてくれないようだ。まあ、もう何体も倒してるからね。

 

 知らない海に出れば、やはり深海棲艦の出現率が上がって、交戦回数も増えてきた。

 ただ、敵の数は毎度一隻か二隻だし、駆逐以外は滅多に出ない。出て軽巡だ。キモイ奴。

 

『ひゅーひゅー』

『やるねー』

 

 お船に乗った妖精さん達がやんややんやと歓声を飛ばしてくるのに、肩越しのピースで応える。凄いでしょう凄いでしょう。だって速いもん。

 前を向いて、それから額を拭う。暑い、という訳ではない。ずっとどきどきが続いている感じで、どうにも落ち着かないのだ。

 変わらない水平線が感覚をおかしくしているのか、それとも未知なる旅路に興奮しているのか、鎮守府という場所に不安を感じているのか、自分でもよくわからなくて困ってしまう。

 朝潮の前に出れば、彼女は俺のそんな様子を察した様子で、ゆっくりでも大丈夫です、と気遣ってくれた。

 ううん、でも、大丈夫。行くなら、一刻も早く彼女を帰してあげないとね。

 という訳で、羅針盤の妖精さんカモン。

 

『えー、羅針盤……回すの?』

 

 あ、一番やる気ない子が出てきた。

 羅針盤の縁からにょろっと出てきた緑髪ショートの妖精さんは、眠たげに閉じた……というか、完全に閉じている目を擦りつつ俺の腕の上で羅針盤を見下ろし、それから、おもむろに回し始めた。

 緩やかに止まった針の指し示す方角は、北西。オッケー、そっちね。

 

「進路を北西に、取舵!」

「取舵!」

『そこ! インド人を右に!』

 

 進路を変えて進み始めると、眠そうな妖精さんは羅針盤の中へ帰っていく。

 と思ったら、今度はツインテールの魔女っ娘な妖精さんが出てきた。おや、どうしたのだろう。

 魔女っ娘妖精さんは、マジカルなとんがり帽子を押し上げ、マジカルな矢印付きステッキを振り上げて、かつん、と羅針盤を叩いた。すると、キリキリと音をたてて羅針盤が回り出す。妖精さんは、間を置いて再び矢印ステッキを羅針盤に叩きつけ、針を止めた。

 向かう先は……北東?

 速度を緩めつつ首を傾げていれば、一仕事終えたような表情を浮かべた妖精さんが羅針盤の中に戻っていった。

 なんかよくわかんないけど、今度はそっちに進めばいいんだよね?

 

「えーと、進路を北東に、面舵!」

「……? 面舵!」

『ふぁいとー、いっぱーつ』

 

 進路を切り替え、右へ。妖精さんの言う通りっと。

 ざあっと水を散らし、涼しげな風の中でスカートをはためかせる。涼しいのに、日差しが強くて暑い。でも大丈夫。艦娘は日焼けしないから。……ん? 一部の艦娘はすっごい日に焼けてた気がする。

 

『らしんばんまわすよー!』

「んー?」

 

 一分経たない内に元気な意思が飛び込んできて、左腕に羅針盤の妖精さんが現れた。ポニーテールの妖精さんだ。頭にヒヨコが乗ってる。小さい。

 えいえいえーい、と勢いよく回された羅針盤が、妖精さんの手によって押し止められる。ぷるぷると震えていた妖精さんがふぅっと息を吐いてから羅針盤に溶けて消えると、残ったのは、進むべき道を指す針のみ。

 

「…………」

「……どうしました?」

『なんで止まるの?』

 

 思わず速度を緩めてしまっていたみたいで、やがて体が止まってしまうのに、朝潮が怪訝そうに問いかけてきた。他の妖精さん達も、意思とは違って相当不思議がっている。

 でも、一番不思議なのは俺だった。

 なぜなら、この羅針盤の針は南を指しているからだ。

 

「……南へ」

「え?」

『?』

 

 朝潮と向かい合うように立って、そう伝える。羅針盤が指し示しているのは、今来た道の方角だ。

 

「な、なぜですか? なぜ戻ろうと……」

『よーし、らしんばんまわすよ!』

 

 疑問と焦りがないまぜになったような表情を浮かべた朝潮が詰め寄ってくるのと、左腕から声がしたのは同時だった。

 俺と朝潮の視線が羅針盤へ注がれる。いつの間にか腕の上にいた赤い髪の妖精さんは、俺達の事などお構いなしに、笑顔で羅針盤を回しにかかっている。

 そして、今度は針が止まる事はなかった。

 ぐるぐるぐるぐると回り続けたまま止まらない。妖精さんはそんな羅針盤をじっと見つめて、それから、不意に消えてしまった。

 

「これは、いったい……」

「故障……って訳でもなさそうだけど」

『……どうした』

 

 キリキリと針の回る音が途絶えない羅針盤を指で小突いて止めようと試みても、止まらない。いや、指で押さえれば一時は止まるのだが、離せばすぐにまた動き出す。

 訳がわからなくてリーダー妖精さんの問いかけに羅針盤を見せれば、彼女はぎょっとして顔を強張らせた。な、何その反応。なんかすっごく不安になってくるんだけど……?

 

「ん?」

「っ!」

『……?』

 

 不安というものはだいたい的中するもので、再度羅針盤を止めようとした時、冷たい風が足下を吹き抜けた。

 急速に広がる影が体を覆い隠すのに、雨かな、と空を見上げて……それで気付いた。横から壁が迫っている。壁のような白煙。濃霧。

 

「あ!」

「っと」

 

 耳元で風が唸る音がして、霧に呑み込まれる。寸前で朝潮が腕に抱き付いてきたのをもう片方の腕で支えてやりながら、なんだこれ、と周囲を見回す。垂れて揺れる布袋は、何も答えてくれなかった。

 

「霧? ねえ、朝潮、これ……」

 

 俺の腕に掴まる彼女に問いかけようとして、顔を真っ青にしている彼女に、それが何か思い至った。

 彼女があの孤島に流れ着く原因となった霧だ。

 なぜこれが? 疑問を抱きつつも、流れていく霧の中を見回す。日の光が遮られて暗い。それに、体が冷えていく感覚が気持ち悪さを誘う。

 

「彼女達は……」

 

 不安げに顔をあげた朝潮が呟くように言うのに、妖精さん達が船ごと姿を消している事に気付く。

 意思を飛ばしても応答がない。代わりに、頭の中に雑音が流れた。耳障りな、脳を引っ掻くような音。

 動悸が激しくなる。明らかな異常事態と、弱々しい朝潮の姿に、否が応でも緊張が高まって……それ以上に、悪い予感が止まらなかった。背に冷たい汗が浮き出ると、それが全身に広がって、思わず自分の体を掻き抱きたくなってしまう。

 でも、それはできない。右手は布袋で、左手は朝潮で埋まっている。だから、見た目の上でだけは、背を伸ばしてしっかりと立っていた。 

 ごうごうとうなる風の音が耳の横を通り過ぎるたびに、悪寒が増大していく。

 

「っ!」

 

 気配を感じてそちらに顔を向けても、流動する霧しかない。その中に人影など無く、なのに、不安は晴れない。唇を噛み、睨みつけるように周囲を見回す。朝潮は、変わらず俺の腕に抱き付いてた。弱気でいるというよりは、迂闊に動けば何か良くない事が起こりそうだと思っているかのようだった。少なくとも、横顔からはそう読み取れた。

 

『――――』

「! だ、誰!?」

 

 微かな声が聞こえて、その方向に目を向けて声を荒げる。咄嗟に魚雷発射管にかかっていた砲を右手に取り、小さく投げてグリップを掴みとる。流れるままに霧の向こうへ砲身を向ければ、黒い染みが広がるように人影が膨らんだ。

 途端、強い風が吹いて、霧が押し広げられていく。何者かの姿も、それで露わになった。

 

『招カレザル者ガイルナ』

 

 レ級、elite。

 いつか、画面越しに見た強敵。朝潮の話を聞いても、自分には縁遠いと思っていた存在が、目の前に現れた。

 彼女に纏わる赤い光が炎のように揺らめくと、尻尾みたいな異形が体を持ち上げ、次には海面を叩いていた。水滴が飛び散り、小さくない波が広がって、俺達の身体を上下させる。俺の腕に縋ったままの朝潮が、浅い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと左腕の魚雷を構えた。

 

『ン……?』

 

 姿を見せた時からずっと笑顔だったレ級が、不意に眉をひそめた。弧を描いていた口が一文字になると、怪訝そうな声。

 

『オ前ハ、確カニ沈メタハズ……』

 

 ぞくっとした。

 沈めた、という言葉に強い忌避感を覚えて、足を下げてしまう。つられたのか、朝潮も一歩下がっていた。

 バシャンと、海面が叩かれる。風圧で彼女の前髪が揺れ、フードが膨らんだ。赤い光の中で輝くアメジスト色の瞳が、俺とその横を順繰りに見る。すっと目が細められた。

 

『マア、イイ。モウ一度沈メルダケ……』

「――!」

 

 限界だった。

 張りつめた緊張と恐怖が弾ける。砕けそうなくらいに握り込んでいたグリップのトリガーを押し込んで、砲弾を放つ。振動と破裂音。一直線にレ級の体へと向かっていった弾丸は、持ち上がった細腕に軽く払われて海面に沈んだ。

 

「なっ、あ」

 

 彼女の戦闘能力を考えればおかしな事でないはずなのに、酷く驚いて――同時に、レ級の足下で海面が盛り上がり、次には爆発した。朝潮が放った魚雷が直撃したのだ。

 至近で爆発した魚雷の衝撃がこちらにまで伝わってきて、体勢を崩しかける。降り注ぐ水滴が小雨となって体を叩く。朝潮に引っ張られた腕を強引に持ち上げると、彼女の体もついてきた。思わず彼女の方を見てしまう。

 

『……』

「……!」

 

 そんな事をしている場合ではなかった。

 レ級を包む霧が晴れる。そうなる前に、朝潮を連れて逃げ出してしまえば良かったのだ。

 でなければ……魚雷が命中したのに、微動だにしていないレ級と再び相対する事などなかったかもしれない。

 砲を握る手が弱まる。指先の感覚が曖昧になる。

 何度攻撃したって無駄だと理解してしまった。一度そう思ってしまったから、もう、攻撃する気なんて起きなくて……だから、腕を振るって朝潮を振り解いた。

 よろめく彼女の肩を抱いて支えながら、一歩前へ。腕を離し、そのまま朝潮の前に掲げるようにして伸ばす。彼女が俺を見る気配がしたが、顔を向ける余裕は俺にはなかった。

 朝潮を庇う形になった俺に、レ級は笑みを浮かべる事もせず首を傾げた。

 

『ヤハリ……イヤ、オカシクハナイ、カ』

 

 言葉の意味がわからない。

 一人理解したように頷いたレ級は、次には歩き出していた。

 重い空気を引き連れて、なんの気負いもないように、俺達の……俺の、前に。

 

『今度ハ確実ニ沈メヨウ』

 

 言葉と共に笑みを向けられて、それでも動けなかった。小刻みに震える体は言う事を聞かず、レ級を目の前にして、頭の中は恐怖一色に染まっていた。

 断片的に視界に流れる何かが現実を塗り潰していく。ノイズの走る声が聞こえて、だから、どうしても、()――。

 

『サラバダ』

 

 がくんと体が揺さぶられる。そう錯覚する。下ろしかけていた右腕が勝手に持ち上がって、レ級の顔に照準を合わせる。レ級もまた、持ち上げた手の先を俺に向けていて――。

 空を切って迫る手刀に、身を竦めて目をつぶる。それしかできなかった。砲撃する事すらできずに、自分を庇う事しかできなかった。

 風が後ろ髪を持ち上げる。後ろに庇った朝潮が、息を呑む気配がした。

 

『――――』

「ぅ……?」

 

 いつまで経っても思っていたような衝撃がこなくて、薄く眼を開いてみれば、目の前に四本揃った指先があって、ぎょっとしてしまった。思わず背を反らす。

 そうすると、レ級の様子がわかった。彼女は、その体勢で静止していた。まるで彫像みたいに。腰から生えている尻尾さえ、どこか遠くを向いたまま止まっていて、動く気配がない。

 

「ぁ、さしお」

「……!」

 

 今のうちだ。逃げるなら、今しかない。喉の奥から声を絞り出して呼びかければ、はい、と声なき返事がした。でも、彼女の動く気配がない。声と同じで、動く意識もないのかもしれない。だから腕で彼女を押して、一緒に下がろうとして――。

 

「え……」

 

 信じられないものを見てしまって、足を止めた。

 攻撃の態勢で止まっているレ級の目から、一筋の涙が流れ出した。頬を伝い、顎先に流れて、海へと落ちる。ピチャ、と弱々しい音がするのが場違いすぎて、それがなんなのか、すぐには理解できなかった。。

 

『愛おしき……未来ある若者よ』

「っ!」

 

 かと思えば、小さな口が開閉して、言葉が紡がれる。

 思わず身を固くしてしまったが、レ級は変わらず攻撃しかけた姿勢のままで、目だって、瞬きもなく開かれたまま。

 ただ口だけが動いて、流暢な日本語を発していた。

 

『ヒトの行き着く先は滅びのみ』

 

 彼女の声で、まるで彼女とは違う言葉。理解するにはこの状況はおかしすぎて、言葉は耳を素通りするばかりで。

 背の服を、朝潮が掴む。その感覚があって、それで体中の制御権を取り戻した。強張った足を少しずつ滑らせ、後ろへ。

 

『切り開きたいと願うなら、進化を』

 

 もはや言葉など聞かず、ただ後退する事に専念しようとした。でもそれは、先程と同じく遅すぎる判断だったようだ。

 レ級が瞬きをすると、最期の一滴のように大粒の涙が流れて、それを煩わしげに腕で拭ったレ級は、ぎろりと俺達を睨みつけた。それだけで体が固まってしまう。怖くて頭が真っ白になってしまう。目の前にある『死』そのものを回避する方法が思いつかなかった。彼女を……朝潮を沈めさせる訳にはいかないのに。だって、そうしたら、認めるしかなくなってしまう。死は現実に起こり得るものなのだと認めるしかなくなってしまう。そんなの嫌だ。

 

『……オ前達艦娘ニ未来ハナイ』

 

 もはやこれまでか。そう思っていたのに、どういう訳かレ級は不可解な言葉を忌々しげに吐き捨てると、(きびす)を返して霧の中へ歩き出した。その影が完全に濃霧の中へ消えてしまうと、ごう、と風が唸って、激しく霧が動いた。

 乱れる風に、髪も体もカチューシャも煽られて、服だってばたばたと大きな音をたてる。その音がやけに大きく聞こえた。

 無意識に顔を庇い、背を丸めていれば、やがて風が治まる。

 

「ここ、は……」

 

 顔を上げれば、目の前に広がるのは海の青と空の青。霧などどこにもなく、朝潮の呆然とした声を後ろに、俺は下ろしかけた手を胸に押し当てた。脈動する鼓動が熱い肉の向こうにあって、それで自分を落ち着けようとした。

 

『霧を抜けた。無事か』

 

 ざああ、と波を割って進む小さな船が目の前に出てきた。妖精さんの意思も飛んでくる。だけどそこには不安や焦りなどは欠片もなく、さほど心配していないような感じだった。

 

「なんとか……なんとか、無事、なのかな」

 

 心の整理がつかないままに言って、朝潮を見る。彼女は、乱れた髪を柔く押さえて、呆けた顔をしていた。そんな間抜けな顔を見ていれば、さすがに心が落ち着いてきたので、砲を魚雷発射管にかけて、自由にした右手で彼女の肩を揺らし、声をかけた。はっとした彼女が、俺を見て不安そうにする。

 

「あ、あれは、夢では……」

「大丈夫。大丈夫、だったみたいだよ」

 

 震える声で言う朝潮を安心させるために、同じ言葉を繰り返して言い聞かせる。夢……そういえば、彼女の語った事を、彼女と過ごした数日の間に肯定した事は一度もなかった。そのためか、彼女はあの島に流れ着く前に体験した事を夢だと結論付けていたらしい。

 いや、先程までの、まるで現実味のない何かを夢だと思いたくなるのも……夢……あれは、現実だったのだろうか?

 彼女がこんな事を言って、妖精さんも霧が、と言っていたのだから、夢なはずがない。でも、あんなの、あんなのは……。

 

「ん……」

 

 頭を振って、弱気を飛ばす。

 そんな事考えたって仕方ない。夢でも夢じゃなくても、今、みんな無事でいられているのだから、なんでもいいじゃないか。

 細く息を吐いて、すぅっと息を吸い込む。

 落ち着け。落ち着いて。もう、もう大丈夫なんだから。

 

「…………」

 

 ……あ、布袋、霧の中に落としてきちゃった……。

 余裕を取り戻したふりをして、わざとらしく右手を見る。握っていたはずの布袋はどこにもない。いつ落としたかなど覚えてないけど……命を落とすよりはましだったと考えておこう。

 

「少し休憩しよう」

「……」

 

 朝潮が落ち着くのを待つために、妖精さん達にそう伝えれば、了解した、と返答。小さなお船が俺達の前を回るように動いて、背後の方で止まった。

 

 

 それからしばらくして、朝潮が普段通りの調子になると、何やら謝罪してきた。そうなっていたのは仕方ないと思うのだけど、彼女は自分を許せないらしく、悔しそうに手を握り込んでいた。

 そんなのは俺も同じだった。そう伝えても、彼女はやりきれないようで――あんなのに二度も出遭って、攻撃した上で生きているのだから、凄いと思うのだけど――、今度はそれを宥めるのに苦労した。

 

「私なんて、ほら、砲撃したのにぺしっと弾かれちゃったでしょ?」

「……私の魚雷も、通用しませんでした」

 

 ……あ、駄目だ。なんて言えばいいのかわからない。

 なので、素直に彼女がまた落ち着くのを待つ事にして、羅針盤をつついたり周囲を警戒したりして時間を潰していた。

 

「すみません、もう大丈夫です」

 

 さほど時間がかからず立ち直った彼女の方を振り向き、うんと頷いてみせて、それから、特に理由もなく食事にする。

 用意していた干物、俺の分はなくなってしまったけど、朝潮が自分の分をわけてくれたので、食べそびれると言う事はなかった。

 妖精さんが空を見ろと言ったのは、食事を終え、座り込んで休憩している時だった。

 

「なに? ……艦載機?」

「あれは……」

 

 すわ敵か、と慌てて立ち上がって空を仰げば、視界の端に動いていく小さな何かを見つけて、目で追った。それは、向こうの方へ飛んでいく艦載機だった。敵の、ではない。恐らく空母か何かの……って事は、近くに艦娘がいる?

 

『艦娘より通信あり。聞く?』

「え、うん、聞く聞く!」

『対潜警戒任務、所属と名前を、こちら日向』

 

 ん? 何?

 ……あ、誰何(すいか)されてんのか。

 なんだか言葉足らずな感じの妖精さん達の意思を受け取って、それをいちおう朝潮にも伝えれば、彼女は驚いたように顔を上げて、もしかして、と呟いた。

 

「……どうしたの、朝潮。何やってんの」

『通信中。黙れ』

「え。あ、うん」

 

 手を耳に当てて黙りこくってしまった朝潮にどうしたのかと問いかけたら、妖精さんに怒られてしまった。……妖精さんに、というか、彼女達は姿を見せていないせいで、まるでお船に怒られたみたいで、ちょっと惨めな気持ちになった。

 

「……確認が取れました。やはりここは鎮守府近海、私、帰って来られたみたいです!」

 

 通信が終わるや否や、喜色満面で俺に報告する朝潮に、こちらも笑顔で「やったね」と返す。言ってから遅れてその意味を理解して、えっと間の抜けた声を漏らしてしまった。

 霧を抜けたら鎮守府の近くにワープしてました、だって? な、なにそれ。あ、でも、朝潮の話でもそんな感じではあったな。じゃあ、もうすぐ陸に上がれるって事?

 その答えが、水平線の向こうからやってくる。戦艦……いや、たぶん航空戦艦の日向と、ええと、駆逐艦の菊月の二人だけが、俺達へと近付いてきていた。




マリンブレイクブロー
(キック下位技)

パワフルキック
(キック技)

ストライクシマカゼ
(キック技)


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第十三話 翔一の終わり

ずい……う……

これからの投稿は不定期かつ五千文字前後を予定しています。
予想以上に鎮守府編書くのきついとかそういう裏事情はなく、元々の予定だったとさっき決めました。

ずいう……ん……


 

 航空戦艦日向(ひゅうが)。伊勢型戦艦の2番艦。それから、睦月型駆逐艦、9番艦の菊月。

 遠方から近付いてくる人影を眺めつつ、どうにか記憶の海の中からサルベージした艦種艦名を胸の内で呟く。間違っている可能性が高いが、声に出すつもりはないので、たとえ間違っていても問題はないだろう。誤った認識を口にする事がないよう気をつけなきゃいけないな。

 

 ささっと髪を手で梳き、服の端を伸ばし、スカートの位置を気にしつつ、横目で朝潮を見る。彼女はびしっと背を伸ばして、日向達の方を見ていた。引き締まった表情からでも、待ち望んでいた帰還が間近にある事を喜んでいるのがわかる。それに少しだけ引っ掛かりを覚えて、口をへの字にしつつ、うさみみリボンを手で持ち上げる。うん、どこに出しても恥ずかしくない島風だ。これなら大丈夫。きっと、大丈夫なはず。

 身嗜みを気にしていれば、ザアザアと艦娘が海の上を走る特有の音がして、目の前に二人の艦娘がやって来た。並び立った二人の視線が一瞬俺に向けられて――ぎ、と体が固まった――、すぐ朝潮に移る。

 

「朝潮、よく無事で戻ったな」

「みなお前の身を案じていたぞ」

「はい、ご心配をおかけして申し訳ありません」

 

 それぞれが朝潮に言葉を投げかけると、彼女ははきはきと答えた。

 俺はと言えば、場の空気に身を固くしていて、ただ三人の様子を窺っていた。

 

 日向。日本の人という印象を強くする茶髪のおかっぱ頭で、戦艦だけあって、でっかい艤装を身に着けている。胸から腹にかけて覆われている分厚い鉄と、背側から突き出る太い砲身が肩の位置からそれぞれ二本……二門ずつと、太ももの両脇にもそれぞれ二門ずつあって、それらは背の艤装に繋がる砲塔から生えている。手には鈍色の飛行甲板。見た目は盾っぽい。

 どれも格好良いが、威圧感がある。日向の背の高さも相まって、結構なものだ。今まで一緒にいたのが朝潮や妖精さん達だったせいで自分の背の事をあまり考えていなかったが、女性と言えるだろう外見の彼女を見ると、自分が小さくなっていると強く実感した。長身怖い。

 

 菊月。こちらは朝潮とどっこいの背丈だ。黒い制服に長い白髪(はくはつ)が良く似合っている、可愛らしい少女……なのだが、表情はやや険しい。と、俺は感じるのだけど、そういう感情を抱いているという訳ではなさそうだ。この表情が彼女の標準なのかもしれない。真面目そうというか、厳しそうな印象を受けた。

 手にしている、俺達のとは違った形の連装砲は、本来であれば彼女のような小柄な女の子には似合わないはずなのに、えらくしっくりしていた。持っていて当然、という風に感じる。声か、顔つきか、雰囲気か。そのどれもが原因であるのだろう。

  

 なぜ俺がこんなに縮こまってしまっているのかと言えば、その二人……日向と菊月の物言いや声音が硬かったからだ。厳しめというか……ああいや、朝潮の無事を喜んでいるのはなんとなくわかる。だけどそれ以上に、なんだろう……見た目とのギャップというか……。

 これは、俺が彼女達の事をあまり知らないからそう感じているだけかもしれない。でも少なくとも、今の俺よりも背の低い菊月から発せられた声には、率直に言ってビビってしまった。……最近厳しめの声聞いてなかったし。

 朝潮の場合は、声を張っていても怖くない。けど、初対面……とは言い辛いけど、そんな二人の第一声がそういうのだったので、委縮してしまったのだ。

 とはいえ、外面は真面目を装えているはずだ。不審な点はないはず。

 しかし場違いな感は拭えない。だって俺、紛い物だし。敬礼とか、朝潮の真似っこでしかできてないし……。どうにか取り繕うつもりではあるけど、ボロが出るだろうな。出そう、ではなく出る、だ。絶対気づかれるだろう。そう思えてしまうから、内心かちこちになっているのだ。

 

「それで、彼女に助けて貰ったのか」

 

 朝潮が軽く経緯を話せば、日向の視線がこちらに向いた。あ、菊月の視線も……。

 

「はい。それと、司令官に至急、お伝えしたい事が……」

「うん、提督も君の話を聞きたがるだろう。だけど、その前に」

 

 ぱしゃ、と足音がするのに、気持ちを落ち着けるためにお船に向けていた目を日向に移す。彼女は完全に俺に体を向けていた。

 

「日向だ。朝潮が世話になったみたいだな」

「いえ……あっ、私は」

 

 んく、と息を呑んで、いったん言葉を切る。

 こうして面と向かって話せば、厳しいと感じていた声は、いつか聞き慣れたものと変わらない、普通の声だと思えた。さっきそう感じてしまったのは、朝潮以外の艦娘に緊張してしまっていたからだろう。

 だから、怖がる必要はないし、シマカゼ(ロールプレイ)を崩す事もない。ただ、自然に、自分(シマカゼ)ならどうするかを念頭においた振る舞いをすればいいだけだ。

 

「シマカゼです。スピードなら誰にも負けません!」

「そうか。よろしく」

 

 口にしたのは定型文ではあるが、俺自身の言葉でもある。誰の前でも俺がそういう艦娘であるための台詞。

 日向は特に動じる事なく、よろしく、と、そう締め括った。

 

「私は菊月だ」

 

 今度は菊月が短く挨拶してくるので、こちらにも名乗り返す。うっ、菊月の方は、やっぱりちょっと厳しい感じ。観察するような目がそう思わせるのだろうか。……あー、今リボン見られてるのがわかる。

 

「まあ、立ち話もなんだ……私達も帰投するとしよう」

 

 君もついてくるといい、と日向に言われたので、首肯する。良かった。ここでさよなら、というようにはならないようだ。

 ところで、ええと、所属を聞かれなかったけど、そこら辺はもう朝潮が伝えたのかな?

 そうでないなら……聞かれなくても名乗らないと失礼だろうか。聞かれてないのに名乗る方が失礼?

 所属なんてないから答えようがないんだけど、そこら辺のことを考えずにはいられなくて、頭の中で疑問が渦を巻いていた。

 

 日向がこっちに背を向けて滑り出すと、菊月も俺を見つつそれに続いた。動き出す朝潮を追って海面を滑る。俺の後ろに妖精さん達の乗ったお船がついてくきた。

 ……対潜警戒の任務はほっぽっていいのだろうか。彼女達はその最中だったはずだけど。

 妖精さんの最初の言葉を思い出しつつも、しかし「どうなのだ」と聞く勇気は出なかったので、黙って朝潮の背を眺める事数十秒。む、と先頭の日向が小さな声を発した。どうしたのだろうと体を斜めにして朝潮の肩越しに前方を見れば、向こうの方からまた別の艦娘がやってくるのが見えた。……ああ、夕張だ。緑の髪を緑のリボンで縛ってポニーテールにしている。それから、緑のスカートに、胸元にはオレンジのリボン……うん、夕張だ。メロンカラー。それと小さな制服とへそ出しルック。

 艦橋に接続された巨大な砲――単装砲と連装砲が一緒に乗っている――の調子を確かめるように艤装に目を向けていた夕張は、進んで行く俺達に気付いて顔を上げると、「あれっ」と目を丸くした。

 

「あれ、おかしいなぁ。なんでそっちから日向が来るの?」

「おかしいのは君だ。報告はどうしたんだ」

 

 海面に立ち止まる夕張の前に日向も停止したので、俺達も足を止めた。不思議そうに首を傾げる彼女に、呆れたように日向が言うと、今度は「まさか」という顔をした。

 

「ひょっとして、内蔵型羅針盤の調子が……やだ、私ってば」

「……仕方のない奴だな」

 

 一緒に行くぞ、と声をかけて夕張の横を通り抜けていく日向に、菊月、朝潮、俺と続く。ん、彼女を置いてっていいのかな。なんか呆然としてるけど……あ、慌ててついてきた。腰を落とし、砲のグリップを握り込んだ夕張がぐんと加速して俺の後ろへと移動してきて――あっ、お船に足を引っ掛けた!

 

「へぶ!」

「だ、大丈夫……?」

 

 余程引っ掛け方が悪かったのか、安定していたはずの体勢が崩れて海面に顔から倒れ込む夕張に、思わず止まって声をかけてしまう。列を乱すのはよくない、とは思ったものの、朝潮達も速度を緩めている気配がしたので、たぶん大丈夫だろう。

 蹴られて転覆しかかっているお船の下に移動して持ち上げると、『頭ぶつけた!』『ぶつかったー!』と騒がしい意志が飛んできた。うわ、中どうなってるんだろう。かなり大変そうだ。

 そっとお船を海に置けば、感謝、と短い意志。腰をかがめ、膝に手を置いてお船を見下ろしつつ、どういたしまして、と返答する。わりと大丈夫そう? では、夕張の方はどうかな。

 顔を上げれば、彼女はちょうど体を上げて座ったところだった。額を押さえて「いたた」と零している。声をかけようとして……躊躇ってしまった。理由はよくわからない。開きかけた口を閉じて、彼女を眺めた。

 揺れる緑髪は、光に照り返されればよくわかる銀髪だった。緑がかった銀髪。そういえば、(しろ)髪はまだしも、銀髪とはかなり奇抜な髪色だ。……そうでもないか? 染めたりだとかウィッグ以外では見た事ないけど。

 

「あっ、ごめん! 大丈夫!?」

 

 お船が夕張に寄って行くと、彼女はすぐさま謝って、それから、口を閉じて黙り込んだ。視線がお船に向けられていると言う事は、妖精さん達と何かしらの意思を交わしているのだろう。やがてお船がその場で方向転換し、俺の方へ戻ってきた。しゃがみこんで抱え上げれば、『な、なにごと!?』と意思。あっ、抱えて欲しくてこっち来たんじゃないのか。

 

「恥ずかしいとこ見せちゃったわね。ごめんなさい、もう大丈夫!」

 

 前半は俺に向けて、後半は先頭の日向に向けてだろう、声を張って手を挙げた夕張に、俺は言葉をかけるタイミングを逸した事を察して、体を前に向き直した。

 個人的に彼女は好いていた艦娘だ。できれば言葉を交わしたかったが、今はそれよりもみんなについていって鎮守府へ行く事が先決だ。そこで己の処遇を決め、どなるかがわかった後でも、彼女と話そうとするのは遅くないはず。

 だから決して、気後れして何も言えなかったという訳ではないのだ。……うん。

 ただ、一つ言えるのは、艦娘ってのは現実で見ても、誰も彼も美のつく女性なのだろうか、と思った。

 

 

 不思議な地下水道を通り、辿り着いた小部屋にて内線電話らしきもので日向が誰かへ連絡するのを待ってから地上へ上がれば、そこはもう鎮守府というものの敷地内だった。

 小道の先に、大きな建物の背中が見える。たぶんあれが本拠地……って言い方は変かもだけど、鎮守府の中核的な建物なのだろう。

 左の方には、高いフェンスに囲まれた四角い建物が並んでいる。あれはなんだろう。そう古くないみたいだけど……マンション? こんなとこに? いや、マンションにしては階数が無いか。でも、アパートってほど小さくないし……いいや。名前がわからなくても死にはしない。きっと、ここで生きる人達の居住区か何かだろう。

 

「どうしたの? そんなにきょろきょろして」

 

 辺りが珍しくて視線を飛ばしまくっていた俺を不思議に思ったのか、夕張が声をかけてきた。顔だけで振り返れば、俺が何かを言うより速く「ああ」と納得した様子。

 

「見ない顔だと思ったけど、ドロップ艦かな」

「ドロップ……」

 

 やっぱりそういう言い方があるんだ。なんて思ってれば、夕張は「あっ」と口を押さえて、それから、ごめんね、と謝罪してきた。何が……ドロップ艦って言い方をした事、だって?

 へぇ、俗称なんだ、ドロップ艦。そう呼ばれるのを嫌がる艦娘も多いらしいから、今のは失言だった、と。

 正式には自然発生型艦娘だとか、あるいは単に発生艦と言われるらしいけど、どっちの呼び方も大差ない気がする。ドロップ艦も発生艦も。

 でも、多くの艦娘にとっては違うらしい。俺にはよくわからない話だった。

 

「でも、そっか。そうしたら、色々わからない事だらけよね。よかったら、私が教えてあげようか? 案内なんかをしてあげようと思うんだけど、どう?」

「それは、助かるけど」

 

 助かりますけど。

 口に出した言葉と内心で考えた言葉との食い違いにむぐ、と口を結んで、しかし、夕張がそれに反応を示さないのに、タメ口でも問題ないのか、と判断した。誰に対して丁寧な口調にするか、タメ口をきくかの判断が難しい。そう考えてしまうのは、まだまだシマカゼになりきれていない証拠だ。考える事なく自然に動けるようになれれば、その時は……その時は、俺、どうなるんだろう。

 ……今を生きる事に疑問を抱かなくなる、とか?

 

「配属先が決まって、時間が空いたら私の工廠に来て。場所は、あっち」

 

 夕張の工廠? そんなものがあるのか。……明石がいないのかな、この鎮守府。

 指差された方に目を向ければ、なんかどでかいコンビニみたいなのが小さな塀の傍にあった。……あれかな。青色の看板立ってるけど……いやあれ、コンビニだ。……え、コンビニ?

 

「修理・建造ドックの反対側。寮の前を通って、その先。妖精の(その)の向こう側にあるの」

「妖精の……園?」

「妖精達の住まう区画よ。妖精のほとんどは、そこで過ごしているの」

 

 詳しい話は、案内の時にね。そう言って彼女が話を切るのに、前を向いて、その……ようせいのその、とやらに想いを馳せる。先程別れたお船に乗っていた妖精さん達、ひょっとしてそこに向かったのだろうか。彼女達は『行く』としか言わなかったし、どこに、と聞いても答えなかったから、少し気になっていたんだけど……居場所がわかって安心した。もしかしたら、どこかへ帰ってしまったのかもと思っていたから、なおさらだ。長い付き合いだし、いなくなられると寂しい。

 

 窓のない、立派な建物の裏側……その端の方の扉を開いて中に入る。踊り場……入ってすぐ、階段のある場所だった。冷えた()()がするのに、なんとなく鼻を擦りつつ、みんなに続いて上がっていく。夕張が話しかけてくれていた時には感じなかったけど、知らない場所を無言で進むのに小さくない不安を感じた。見上げた先の朝潮の髪が揺れるのを眺めて気持ちを落ち着かせようとしても、ここについてから今まで、彼女が一言も俺に声をかけていない事に気が付くと、余計不安が募ってしまった。

 でも、話しかけてくれなんて言えないし、こっちから話しかけるような雰囲気でもない。そもそも今は言葉を発してはいけない場面ではないだろうか。この建物内で私語は厳禁……とか。だから夕張も話をやめたんじゃないかな。

 だったら黙って足を動かしていよう。声を出して注意なんかされたら、変な空気になってしまいそうだし。

 そう判断して昇る事三階分。上への階段はもう一つあったけれど、黄色いロープに「立ち入り禁止」の札で封鎖されていた。

 扉を一つ抜ければ、長い廊下が姿を見せる。右側に等間隔で窓が並び、左側には扉が並ぶ。小さな机と花瓶なんかもあった。床には紅く硬いカーペットがずっと続いていて、壁も赤茶色で統一感がある。

 廊下全体に清潔な香りが満ちていた。窓からそそぐ光と相まって、綺麗な印象。なんというか……高級な、というか、高尚な、というか。ともかく、一介の人間だった俺が踏み込んでいい場所ではない気がした。

 

 中央辺りに、一際立派な扉があった。木製で両開き。ノブは金色。いかにも、といった感じ。

 その前に立った日向がコンコンとノックをするのにあわせて、どくん、と心臓が跳ねた。背中に嫌な汗が流れる。

 いつ以来だろう。こんなに緊張したのは。

 ……凄く最近、同じようになった事があった気がする。

 

「どうぞ、なのです」

「失礼する」

 

 中から少女の声で返事があって、日向がノブに手をかけ、扉を押し開けた。

 横並びに立ったこの位置からでは、中の様子は窺えない。だからこそどきどきしてしまう。

 スカートの後ろの端をちょいちょいと引っ張りつつ、朝潮が歩き出すのに合わせて、俺も歩き出す。

 いよいよ、提督とご対面だ。



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第十四話 着任

艦娘ラッシュ。効果:私の頭がパンクする
みっちゃんは良い子だよ、ほんとだよ。



 

 広い部屋だった。

 内装は小奇麗で、クリーム色の壁紙が柔和な雰囲気を作っていた。

 扉から見える正面の壁には窓があり、右の壁の前に、立派な机と白い制服を着た青年。それから、机の両脇に立つ少女二人。茶髪に金目のアップヘアーが(いなづま)で、薄紫の目で紺色の髪のロングストレートなのが暁だ。こっちは髪と同色のツバ付き帽子をかぶっている。

 電の方は、灰色の画板のような物をスカートの辺りで両手に持っていて、二人共に白と紺からなるセーラー服を着ていた。よく見なくても幼い少女だった。

 おそらく提督だろう青年を含め、三人の視線が一瞬、俺……の横の朝潮に向けられる。ちょっと……紛らわしい目の動きだな。どきっとしちゃった。

 

 入室したのに誰も何も言わないまま足を進めていく。最後に入った夕張が扉を閉め、俺と朝潮の前に立つ日向・菊月の横に並んだ。机の横に立っていた暁も、ちょこちょこと小走りで夕張の隣に来る。くるんと回って前を向く。その一瞬、視線が合った気がした。

 

「艦隊帰投。まあ、一人を除いて、だが」

「うん、ご苦労様」

 

 細目の青年は、顔に似合った爽やかな声で日向を(ねぎら)った。黒髪の短髪で面長。髭なんかはなく、どこか幼さの残る顔。海軍……の制服なのだろうか、白くきっちりした服と、白手袋。を着用していて、そういう制服の場合にセットになっているだろう帽子は……部屋の隅にある帽子掛けみたいなのにかけられていた。

 机に両肘をついて手を組み合わせながら言う姿は、なんだか妙な貫禄がある。俺とそう年は変わらないように見えるのに。

 一目と一言目の印象だけで自分より凄い人なんだろうと思えてしまって、だけど、不思議と悔しさとかはなかった。それは彼に欠片も嫌味な感じが無いからだろう。好青年って、きっとこういう人の事を言うんだ。

 

「それで……ああ、それで、彼女が帰ってきたんだね」

「ああ。朝潮」

 

 前に立つ四人が左右にずれて、朝潮が二歩前に出るのに、俺も前に出た方が良いのかと迷う。……一人後ろに残るのもおかしな話だろう。朝潮に少し遅れて隣に並んだ。青年は組んでいた手を解いて立ち上がると、「よく帰ってきてくれた」と最初に言った。

 

「駆逐艦朝潮、ただいま帰還しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「構わない。君が戻ってきてくれて嬉しいよ」

 

 びっ、と敬礼する朝潮に、青年は軽く手を挙げて答えた。複雑な表情が浮かんだ顔は、しかし微笑んでいる。

 

「さて……そうだな」

 

 青年は何か逡巡するように日向達の方へ視線を巡らせると、そのまま電へと顔を向けた。そうすると、電も青年を見上げ、控え目に頷いた。

 

「……日向、菊月、夕張、それと暁。すまないが、先に寮に戻って体を休めていてくれ」

「ええっ、なんでよ!?」

 

 そこにどのような意図があるのかはわからないが、退室を促す青年に大きな声を上げたのは、夕張の横に立つ暁だった。胸元で両手を握って抗議する彼女に、青年は困ったように日向を見て、意図を察した日向が、変わって暁に呼びかけた。

 

「暁、行くぞ」

「で、でも、話はこれからって感じじゃない!」

「菊月も、ほら」

「ああ……話というのが気にならない訳ではないが、仕方ないな」

 

 食い下がろうとした暁は、同じ年頃に見える菊月が素直に頷いて、退室しようと歩き出した日向に続くのを見ると、あわ、と慌てたように青年と菊月を見比べて、「しょ、しょうがないわね!」と出口に向かった

 

「また後でね」

 

 去り際、夕張が俺の方を見て囁いたので、頷いて返しておく。

 

「日向。この事は……」

「内密に、か。まあ、そうなるな」

 

 意味深な言葉を提督と交わした日向が軽く頭を下げてから扉を開け、退室する。それに続く少女達の背を見送っていると、パタンと扉が閉められるのを確認してから、さて、と青年が声を発した。顔を戻せば、かっちりと目が合う。ぴょこりと頭のリボンが揺れた。

 

「改めて、お帰り、朝潮」

 

 ついに俺に声がかけられるかと思ったら、青年はまた朝潮にそう言って、ぐるりと回るようにして机の前へと歩を進めた。後ろ腰に両手を回して立つ。

 

「そしてようこそ。君が彼女を助けてくれたと聞いている」

 

 あ、話しかけてきた。

 てっきり朝潮が何かしら返答すると思っていたから、反応が遅れて、ただ目を向けるだけになってしまう。

 

「俺は藤見奈(ふじみな)……藤見奈仁志(ひとし)。……大佐。この鎮守府を任されている」

 

 不死身な……? 富士? ……ああ、つまりは提督さんという訳だ。

 緊張の汗を手の内に握りつつ、彼の青い瞳を真っ向から見つめ返す。

 自己紹介……ここは名乗りを上げるべき場面か。

 なら。

 

「駆逐艦、シマカゼです。スピードなら誰にも負けません。速きこと、()()のごとし、です!」

 

 やや強張った体とは裏腹に、声は非常にのびのびとしていて、緊張なんて欠片も感じられないものだった。朝潮を真似た敬礼をすると――内心失礼に当たりませんようにと願いながら――提督も敬礼で返してくれた。その事にほっとして笑みを浮かべれば、彼もまた、どうしてか下げかけた手を見ながら笑って、すぐ表情を引き締めた。

 

「島風。君のおかげで朝潮が帰ってこられた。感謝する」

 

 気をつけの姿勢で深く頭を下げる提督に、そんなに大した事は、と腰が引けそうになっていれば、「司令官さん」、と、電が咎めるように囁いた。

 それに何を言うこともなく顔をあげた提督は、「君達の身に起きた事を詳しく教えて欲しい」と、真剣な表情で言った。

 

 

 朝潮が経緯を話す。

 対潜警戒任務中に霧に呑まれた事。その中で出遭った未知の深海棲艦の事。孤島に流れ着き、俺に介抱された事。そこで傷を癒し、俺と妖精さんの助けを借りて海に出た事。そして、再び霧の中で同じ個体と出遭った事。

 そのさなか、高級そうな布のかかった机の上に置かれた電話機がプルルと鳴って、電が受話器を取っていた。艦隊帰投の報告。……あの通路の電話はここに繋がっていたのか。

 

「やはり、神隠しの霧か……」

「神隠し……?」

 

 椅子に座り、再び手を組んで肘をついた提督は、深く考え込むように目を伏せた。

 霧……あの霧の中の出来事は、朝潮が言葉に出して説明しても、なんだか夢の中であった事みたいに曖昧だ。実際にあったはずだっていうのはわかってるけど……でも、明確な意思の(もと)に断言はできない。

 

「由良の報告を聞いてすぐ、海に発生する濃霧について調べたんだ」

 

 キィ、と椅子の軋む音。

 取り寄せた資料によると、その霧はたびたび海上に現れて艦娘を飲み込んでは、消し去ってしまう恐ろしいものらしい。いついかなる時に、どのような条件で発生するかはわかっていないが、その脅威は凄まじいものがある、と提督は語った。

 

「大規模作戦で活躍したような練度の高い艦隊が一度に消えた事もあったという」

 

 一艦隊、六人の艦娘が一度に霧に呑まれ、帰ってこなかった。……あのレ級が霧の中で艦娘を沈めたというのだろうか。……一人で? それは、いくらなんでも。

 

「まさか霧の中に未確認の深海棲艦がいたとは……これについて、すぐに問い合わせる事にする。情報を持ち帰ってきてくれてありがとう、朝潮、島風」

「いえ……」

 

 提督が感謝の意を示すと、朝潮は表情を曇らせてしまった。それは、レ級を倒せなかったからなのだとわかった。

 無事に帰ってきただけで奴を倒す事はできず、ただやり過ごす事しかできなかった。その事が心に引っ掛かっているのだろう。

 俺は……ふとすれば思考が霞んでしまう感覚に、無意識に考えるのをやめた。

 

 もしかしたら、その深海棲艦を倒せば、霧の発生を止める事ができるかもしれない。唸りつつ呟いた提督に、電が体を寄せて何か耳打ちすると、難しい顔をしていた提督の表情が少し和らいだ。

 

「そうだな……そうだ。今は、ただ、朝潮の帰還を喜ぼう」

「なのです」

「ありがとう、電」

 

 ふっと笑って、それから俺に目を向けた提督が、「この話は、他の子には話さないで欲しい」と一区切り置いた。

 なぜ? 先程も……日向に釘を刺していたけど、注意喚起などはしないのだろうか。

 横目で見た朝潮は、疑問を浮かべるでもなく、ただ真剣な目を提督に向けていた。彼女は提督の言葉に疑問を抱いていないのだろうか。いや、例え抱いても、彼の采配を信じているから口にしないだけかもしれない。

 俺は彼とは付き合いが浅い。彼を信じて疑問を胸の内にしまうなんて事はできない。だから疑問に思った事はそのままにせず、すぐ聞いてしまう事にした。

 

「混乱を避けるためだ。未知なる深海棲艦の正体がはっきりし次第、みんなに知らせようと思う。もしその敵の詳細がわからなくても、数日中に全艦娘に通達する。『霧が現れればそこに敵がいる』と知っていれば、被害を抑える事ができるかもしれない。だがまず、敵の正体がはっきりしているかを確認する。正確な対策を練るためだ。それまでは全体で出撃を控えさせたい」

 

 なぜですか、という問いに、提督は丁寧に答えてくれた。最後の言葉は電に向けてのものだ。電は手にしていた画板を持ち上げて、おそらくは挟んであるのだろう紙をぺらぺらとめくった後に、うんと頷いて、それを提督への返事とした。

 出撃を制限するのにも色々と手間がかかるのだろう。それはきっと、書類とかだけではなく、個々の艦娘の感情だとか。

 

「……進化、か」

 

 目元に影を落として、提督が呟く。

 進化。

 それは朝潮が語って聞かせた中での、レ級の言葉だ。

 あの時俺は、異様な状態で言葉を話すレ級の声をほとんど聞いていなかったけれど、朝潮は違ったらしい。その一字一句を正しく理解していたらしく、提督に伝えた。

 人の行き着く先は滅びのみ。切り開きたいと願うなら、進化を。

 それはまるで、艦娘の……人類側の成長を、未来を願うような言葉。

  不可解で不気味だ。何か、大きな意思を感じてしまう。瞬きの中に映ったレ級の顔に一瞬恐怖が甦って、すぐに消えた。

 

「さて……今度は君の話を聞きたい。君に関しての話を、差し支えなければ教えてはくれないだろうか」

「いいですよ」

 

 やけに腰の低い言い方を不思議に思いつつ、了承する。

 最初に話すのはやはり、砂浜で目覚めた時の事か。

 時折り挟まれる質問に返しつつ、体験した事をおおまかに話していく。

 島での活動から、所属に関してまでの話。

 さすがに別世界の男の意識がこの体に宿っていて、島風の意識などどこにもないなどとは言えなかったから、砂浜で目覚めた以前の記憶は曖昧だ、で通す事にした。

 俺の記憶が砂浜に打ち上げられているところから始まっているのを考えると、もしかしたらこの島風はどこか別の鎮守府にいたっていう可能性もあるかもしれない。

 それに関して、提督は各所に問い合わせてくれると言ってくれたのだが……俺としては、できればここに着任したい。

 もし俺の前の島風を知る艦娘や人間に出会ってしまったら、色々と誤魔化しようがない気がするし……最悪解体されてしまう危険性もある。

 しかしだからといって「私は発生艦です」と断言してここにいさせてもらったとして、もし俺が他のどこかに所属していたなら、そこに問題が(しょう)じてしまうだろう。

 迷惑はかけたくない。それに、好意を無碍にする事もできない。

 俺の所属が明らかになってしまった時は……その時は素直に受け入れるとしよう。その先に何が待っているにせよ、それが最善だ。

 

「では、確認が取れるまでは……第十七艦隊に身を置いてもらおう。数日中に結果が出るはずだから、その時にまた、ここに来てもらう事になる」

「了解しました」

 

 言葉と共に頷いて、何も反対意見がない事を伝えつつ、十七艦隊、というのに胸の内だけで首を傾げる。

 だいぶん数字があるけど……いったいどういう艦隊なのだろうか。

 

「ここまでの旅路で疲れているだろう。長く時間を取らせてすまなかった。君達に食事を用意してある。艤装を外してきたら、食堂に行くと良い」

「お心遣い感謝します」

「この程度の事はさせてもらうよ。それと、朝潮。実はもう一つ、話があってね」

 

 そろそろ話も終わりか、という時に、提督がそう切り出した。用意されているというご飯に頭が持っていかれそうになっていたけど、やけに穏やかな彼の顔を見ていると、そっちが気になってきた。

 

「君の帰りを心待ちにしていた子達がいる。その子達を、ここに呼んでいる」

「……!」

 

 朝潮が僅かに動揺するのが横目に見えた。と同時に、タイミングよく、コンコン、とノックの音。

 入ってきたまえと提督が直々に声をかければ、少し間を置いてノブが捻られ、ゆっくりと扉が開いていく。俺の方に少し寄った朝潮が、黙って扉を見つめるのが気配でわかった。

 

「てーとく、艦隊が戻ったよ」

「……あれ?」

 

 はたして、入ってきたのは伊58……ゴーヤだった。彼女が、朝潮の帰りを待ち望んでいた子……という訳ではなさそうだ。今、提督「あれ?」って言ってたし。

 

「……なに? ゴーヤの顔に何かついてる?」

 

 スクール水着に、セーラー服の上着だけという格好で、明るいピンクの髪が特徴的な潜水艦娘。望遠鏡らしきものを首から下げている少女。

 若干疲れた顔のゴーヤは、部屋の中を見回すようにしてそれぞれの顔を見ると、自分の頬をぺたぺたと触りながらそう言った。

 

「いや、別に……」

「そう?」

 

 後ろ手に扉を閉めて机の前へ歩いてきたゴーヤは、提督に言葉を返しつつも、その視線は俺の方に向いていた。気のせいとか、朝潮を見てるとかじゃない。がっつり俺を見ている。薄紅色の不思議な輝きに見つめられると、なんだか気恥ずかしくなって身動ぎをした。

 が、それもすぐに逸らされる。

 

「ね、てーとく。報告報告!」

「どうしたんだ。何かあったのかい?」

「うん。対潜警戒任務中、領海外に潜水カ級率いる敵潜水艦隊を発見、これをやっつけました!」

 

 えへん、と大きめの胸を突きだすように背を反らしてふんぞり返るゴーヤに、何? と提督は怪訝な顔をした。今の話に何か引っ掛かるところでもあったのだろうか。……ああ、潜水艦が潜水艦を撃破したってとこ? たしかにそれは変だ。

 

「ずっと遠くに黒い点がぐるぐる回っててね、なんだろうなー怖いなーって思いながらこの水中望遠鏡を覗き込んだの。そしたらね、敵だ! ってわかったんでち!」

 

 提督の困惑をよそに、ゴーヤが得意気に望遠鏡を持ち上げてみせた。

 結構距離があったけど、同じ場所を回り続けていたから、どんなに遠くからでも魚雷を当てるのは難しくなかった、と続けたゴーヤが、今度は身振り手振りを加えて話す。

 

「魚雷さんを放ってすぐ、ゴーヤは海面目指して急速浮上! ざっぱーん! 海の上に飛び出て、衝撃を回避したでち! 凄いでしょ!」

「あ、ああ。凄い……うん、凄いな。大手柄じゃないか」

「でしょ! ゴーヤ、ちゃんと頑張ったでしょ?」

 

 褒めて褒めて、と言わんばかりに机に詰め寄るゴーヤに、提督はこくこく頷きつつ背を反らした。……あの目の動きは……あ、()()()な、と察してしまって、一度目を閉じて提督の失態を見なかった事にする。いくら好青年でも、貫禄があっても、若さはどうにもならないようだ。思ってたよりゴーヤはでかかったからしょうがないね。

 などとあえて主語を抜かして曖昧に提督を擁護していれば、MVP祝いに新しい水着を買って貰える事になったゴーヤが「やった、やった」と飛び跳ねていた。

 

「それじゃあ、ゴーヤは次の出撃までお休みするからね」

「ああ、ゆっくり休んでおいで」

 

 とたたっと扉の前まで走って行ったゴーヤは、そこで一度振り返ると、小さく頭を下げた。退出の挨拶みたいなものなんだろうか。顔を上げた彼女は、また俺を見ていた。不思議そうな顔。見た事ない奴だな、とか思われてそうだ。

 何も言わずに彼女が出ていくと、途端に部屋の中が静かになった。

 あー……賑やかな子だったな。なんか、言動だけじゃなくて、雰囲気が。

 

「んんっ……えー、すまなかったな」

 

 なぜか目を泳がせながら提督が声をかけてくるのに、何が、とは流石に返せず、小首を傾げるに(とど)める。変なところを見せた、とか? それとも、ゴーヤの態度だろうか。いや、特におかしなところはなかったけど、原因はそれくらいしか思い浮かばなかった。

 提督からの説明も特になかったので、まあ、気にする程の事でもないだろうと判断しておく。

 それから数分もせず、再びノックの音がした。提督が口を開こうとして一度躊躇い、しかし「入ってきなさい」としっかりとした声で言った。今度こそ来ただろう、と顔に書いてある。その通り、入ってきたのは朝潮の姉妹艦、荒潮と満潮、それから吹雪型の駆逐艦、叢雲だった。

 どきりと胸が鳴った。

 

「失礼するわ」

 

 ツンとした声を放った叢雲を先頭に、荒潮と、荒潮に腕を取られた満潮が入室する。どうしてか満潮はそっぽを向いていた。

 この三人の中で俺の目を引いたのは叢雲だった。先頭だったから最初に目に入ったのもあるし、あまり見ない長い銀髪やぱつんと揃えられた前髪、スレンダーな体の線が出ているワンピースタイプのセーラー服(スカートに当たる部分も真っ白だ)と、思わず順繰りに見てしまうくらいには興味を惹かれる。姉さんのお気に入りだった子、という印象が強い。

 それから、頭部左右にある前向きのツノみたいな……近未来的浮遊ユニットも凄く気になってしまった。固定されてない。浮いてる。それは、現実で見ると言葉には言い表せない不思議なもぞもぞを感じさせて、彼女の頭を目で追っていれば、ジロリと睨みつけられた。うわ、怖い。

 俺の右斜め前で止まった叢雲が、後ろの二人を促す。朝潮型の二人……朝潮と同じ制服の二人が朝潮の前に立った。ただし、朝潮に背を向けている。

 ちなみに、荒潮は朝潮に似た容姿だ。髪が少しふわっとしていたり、ぱっちりと目を開いてたりと印象は違うが、姉妹だけあって大まかなパーツが同じように思えた。

 満潮の方も、部屋に入った際にこっち側に顔を向けていたからよくわかる。顔つきが朝潮とよく似ていた。

 ベージュ色の髪をお団子ツインテとでも言うべき髪型にしていて、薄黄色の綺麗な大きな目をしているのに、それが鋭く感じられてしまうのは、彼女のキツイ物言いを知っているからだろうか。……でも、目も鼻も真っ赤に腫らしている彼女を、怖いとかキツイとは思えなかった。

 

「荒潮、ただいま参りましたー」

「……ふん」

 

 のんびりとした声で提督に敬礼してみせた荒潮に、腕を組んで窓の方に顔を背ける満潮。提督は苦笑しつつ手を挙げて応えた。

 挨拶を終えた荒潮が満潮を覗き込むようにして腕を取り、一緒にこちらを向く。ちょっと! と声を荒げて抗議の視線を送る満潮をどこ吹く風と受け流しながら、荒潮は朝潮と向き合った。

 朝潮は、顔こそ逸らしたり俯かせたりする事はないものの、瞳を揺らして唇を引き結んでいた。

 今、彼女の中でどのような感情が渦巻いているのかは想像に難くない。ので、少し右へずれて、叢雲と並ぶ形を取った。姉妹の再会に俺はお邪魔だろう。

 

「朝潮ちゃん」

「荒潮……」

 

 名前を呼び合い、見つめ合う二人。何も言わずとも伝わってくる、無事を喜ぶ気持ち。傍から見ていてそう感じるのだから、正面に立つ朝潮には、その気持ちがより強く伝わっているだろう。

 

「無事に帰ってきてくれて嬉しいわぁ」

「心配、かけたわね」

 

 のんびりした口調なのに、そこに乗った感情は大きく、でも、穏やかで。

 朝潮が答えると、窓の方を見ていた満潮の肩がぴくっと小さく跳ねた。お団子から垂れる髪が揺れる。たぶん、朝潮の方を向こうとして、(とど)まった?

 しかし、次の荒潮の言葉にはさすがに反応してしまったようだ。

 

「心配したわよぉ~、私も、満潮ちゃんも」

「はぁ!? 私は心配なんかぜんっぜんしてなかったわよ!」

 

 ガッと音が出そうなくらいに荒潮へと顔を向けた満潮が捲し立てる。必死だ。でも目も鼻の頭も赤い。心配してなかったというにはちょっと説得力が足りなかった。

 

「あら~、じゃあ、満潮ちゃんはどうしてお布団の中で泣いていたのかしらぁ?」

「なっ、泣いてないわよ! ちょっと涙ぐん……あっ、ちが……!」

「うふふふ」

 

 語るに落ちるというか、墓穴を掘った満潮は腕組みを解いて否定しようとして、しかし何も思いつかなかったらしく、キッと朝潮を睨みつけた。

 

「だいたいあんた、よくもまあノコノコと帰ってこれたものよね!」

「……帰って来なかった方が良かったって言うの?」

「そんな訳ないじゃない!!」

 

 羞恥や怒りの矛先が朝潮へと向かってしまったのかと思ったけれど、彼女は朝潮の言葉に大きく頭を振って否定した。つぶった目から散った煌めきは、たぶん見間違いじゃない。

 

「私がどれだけ……またっ、また何もできないままなくしちゃうんだって……!」

「満潮……」

 

 感極まったように息を詰まらせて言う満潮の瞳は、やはり涙に濡れていた。言葉の途中から朝潮の肩の辺りを掴んで胸に頭を当て、肩を震わせて……そんな彼女の肩を、朝潮はそっと抱いた。

 

「心配、したのよ……! 悪い……!?」

「……ううん、悪くなんかないわ」

「っ、…………」

 

 しばらく、満潮のすすり泣く声だけが室内にあって、しんみりというか、湿っぽい空気にあてられて鼻の辺りにじんときていると、不意に肩を小突かれた。何事かと横を見れば、俺に顔を向けていた叢雲が「行くわよ」と短く言って、扉の方へ歩き出した。え、行くってどこに。というか、俺? あれ、叢雲は朝潮との再会を喜ばないのだろうか。

 疑問は尽きないが、ちら、と提督に目をやると頷かれたので、彼女の後を追う事にした。まあ、あの空気の傍にいるのもあんまり良くないかもしれないし、退出するのが正解なのかも。

 扉の前で提督に体を向けて、会釈するように頭を下げる叢雲にならい、俺も退出の挨拶をする。彼女が扉を開けて俺を促すので、先に廊下に出た。窓から差し込む明かりは柔らかくも暖かいのに、廊下はひんやりとした空気に満ちていた。

 

「ついてきなさい。歩きながら話すわ」

「あ、はい」

 

 部屋の中と外の雰囲気の違いに頭が切り替わらない内に、叢雲がスタスタと歩き出してしまうので小走りで後に続いた。歩く速度はそう速くなく、すぐに追いつく事ができた。話すと言うのに後ろにつくのはどうかと思って、隣に並んで歩調を合わせると、彼女は横目で俺を見て、すぐ前へと視線を戻した。

 

「私は叢雲。司令官にアンタを案内して回るよう頼まれたの」

「私はシマカゼ。……よろしく」

 

 俺の、案内役。

 どこか冷たさを含む声で告げられたのは、つまりそういう事だった。

 かつて聞いた声と違って突き放すようなものを彼女に感じてしまって、でもそれはたぶん気のせいだと判断し、名乗りに一言つけ加えたのだけど、彼女はふんと鼻を鳴らすだけで言葉を返してはくれなかった。

 踊り場に出て、階段を下りていく中でも、これ以上話す事はないとでも言うように、カツカツと音を鳴らしてどんどんと下りていってしまうから、なんだか気圧されてしまった。

 叢雲ってこんな子だったっけ。俺はあんまり育てたりしてなかったからわからないけど、ええと、どうだったかな。

 

 ――この子、可愛いわね。

 

 記憶を探ろうとして、ふと後ろから聞こえた声に足を止める。

 俺の後ろからパソコンの画面を覗き込んで、姉さんが言った事……。

 

「何をしているの?」

 

 俺が立ち止まってしまっているのに気付いた叢雲が、不機嫌そうに俺を見上げてそう問いかけてくるのに、どこかに飛んでいた意識が戻る。その間に彼女の表情は不機嫌そうなものから怪訝そうなものに変わっていた。

 

「……」

「そういえば、案内といえば、夕張と約束してるんだけど」

「なんですって?」

 

 何かを言いかけたような彼女へ、ふと思い出したように夕張との話を伝えると、彼女は一転して眉を寄せて不機嫌顔に戻った。う……凄く威圧的だ。身が竦んでしまうような迫力がある。

 

「ここに来た時に、夕張が色々案内してくれるって」

「……アンタ、それを司令官に伝えた?」

「伝えて、ない……です」

 

 ……圧力が増した。

 今にも叱責されてしまいそうな事に内心びくびくしていると、彼女は眉間に指を当てて深く溜め息をついた。

 

「仕方ないわねぇ。次から気をつけなさい」

「は、う、うん」

 

 あれ、怒られなかった。許されてしまった。

 ……やっぱり、冷たいという印象は間違っていたのだろうか。

 しかし、叢雲の不機嫌顔は治っていないので、本当に間違いはこれっきりにしようと心に誓った。ほうれんそうは社会人の心得だ。それを怠った俺に非があるので、ここは謝るのが正解だ。

 なので、彼女がまた歩き出してしまう前に謝罪の言葉を投げかければ、叢雲はしばらく俺の顔をじっと見つめた後に、誰にでも失敗はあるわ、と囁くように言った。

 背を向けて階段を下りていく彼女を追う。この靴でも階段の上り下りには苦労しない。彼女の横に並ぶと、彼女は俺を見ないまま口を開いた。

 

「約束の時間は何時(いつ)?」

「配属先が決まったらって話してました」

「そう。その前にまずドックへ案内するわ。艤装を外したら食堂ね。夕張さんの所へ行くのはその後になさい」

「そうします。あの……ありがとうございます」

 

 冷たい声音なのは変わらないのに、気遣われているのが凄くよくわかってしまってお礼を言うと――シマカゼには合わないかも、とは思いつつも――、彼女は立ち止まって少しの間俺の顔を見てきた。俺も足を止めて、その夕日に似た色の瞳を見返す。

 何秒かして、彼女はそのまま何も言わずに前を向いて歩き出した。……さっきからなんなんだろう。俺の顔に何かついて……って、これゴーヤと同じリアクションだ。

 また彼女の横に並ぶ。

 気のせいかもしれないけど、彼女の纏う雰囲気が少しだけ和らいでいる気がした。



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第十五話 明石の工廠

BGM 明石のアトリエ……じゃなかった、明石の工廠。すっごく良い曲です。

まだ案内が終わらないどころか全然お話が進んでなかったりする。
次話で案内が終わってお話が動き出すかな。

プロット完成の時は近い。邪魔誤字はすべて排除する。


 

 来た道を戻るようにこの建物を出て、砂利道を通って左右に続く道に合流する。裏口とでも言うべき建物への出入り口から見て、Tの字になっている道だ。ちょうど直線部分が俺と叢雲の歩いてきた部分。現在は横棒に差し掛かったところ。叢雲が右に曲がるのに合わせて、小石を蹴飛ばしながら俺もついていく。砂利道を歩くのなんていつ振りだろう。なんだか子供の頃を思い出してしまう。あの頃は父さんも母さんも生きていて、四人でよく旅行に行ったな。

 

 道の脇に申し訳程度に植えられた背の低い木(といっても、俺や叢雲よりは大きい)なんかが影を落としていて、この小道は不思議な雰囲気が漂っている。悪いものではない。左側にミニマンションみたいな建物群へと続く道があって、その前を通って先へ進む。建物のある敷地を囲むように立つフェンスは、向かう先にまで続いていて、それに沿って進んでいくと、ドック……修理・建造ドックのある一角に着いた。背の高いコンクリートの塀に囲まれた大きな建物だ。右側のコンクリート壁には所々錆びたクリーム色のゲートがあった。高い位置についたランプは、だいぶ長い事使われていないように見えた。

 

 周囲にはコンテナのような物から雑多な木材なんかが置かれていて、しかし散らかっている、という印象はない。作業着を着た妖精さんらしき小さな影が木材の影に見え隠れしていて、何をしているのだろうかと興味を惹かれた。

 

「ここがドックよ。艦隊が帰投したら、旗艦以外はまずここに来るの」

「ここが……」

 

 ぽっかりと大きな口を開けている建物の前で立ち止まって、説明を受ける。

 提督に呼ばれでもしない限りは、出撃から戻ったらここで艤装を外して、それから提督に報告に行くか、入渠しに行くかするらしい。……入渠……体を治す場所はここではないのだろうか。

 ……お風呂かな。大浴場みたいなところなんだろう、たぶん。入渠施設にはそういうイメージがある。

 

明石(あかし)! 明石、いる!?」

「――ぃはーい、います、いますよー!」

 

 遠慮なんてないとでも言うように建物内へと足を踏み入れた叢雲は、入ってすぐにある軽トラックを避け、奥の方へ呼びかけた。よくわからない巨大な機械や、作業台に似た何かの向こうから慌てたような気配がして、すぐ、医療機器(寝台付きのドーナツ)みたいな機械の陰からピンク頭が顔を覗かせた。

 

「そんな大声出さなくたって。どうしたの? 修理?」

「いいえ。艤装の預け入れよ」

「叢雲……じゃなくて、そっちの子ね」

 

 ピンクの長髪をおさげにした、黄緑色の目の女性が機械から離れて俺達の方へやってくる。半袖のセーラー服に、手首までを覆う水色のシャツ……それから、両脇が大胆に開いて素肌を覗かせているプリーツスカート。裾部分が赤いフリルみたいになっていて、お洒落な感じ。……よおく見覚えのある姿だ。

 

「こんにちは、明石の工廠へようこそ。あなたとは初めまして、だよね」

「はい。駆逐艦、シマカゼです。少しの間お世話になります」

 

 自己紹介をしつつ軽く頭を下げる。頭上で揺れるリボンが、こういう時には凄く不真面目な感じがして、少し居心地が悪くなった。

 スパナと覗き窓のついたお面……フェイスガードらしき物を手にした彼女は、少し腰を折って俺と目線を合わせると、「工作艦、明石です。礼儀正しい子ね」と笑った。……見た目と違って、という意味だろうか。本来ならもう少し自由に振る舞うべきなのだろうが、どうしてもそれは難しい。もう少しこの場所に慣れたら、自分らしさの追求に挑戦してみよう。

 

「どういう意味かしら」

「別に、どこかの誰かが礼儀正しくないと言っている訳ではないよ?」

「……大声出して悪かったわね」

 

 明石の言葉に思うところがあったのか、不機嫌そうに問いかけた叢雲は、明石が意味ありげな視線を向けるのにたじろいで、ばつが悪そうに謝罪した。……明石の頬に何かぶつけたような跡があるのは、さっきの叢雲の呼びかけが原因なのだろうか。

 

「私はここで、主に艤装の修理や点検、改修、改造などをしているの。装備の事で困ったら相談してね?」

「はい。その時は、よろしくお願いします」

「うんうん。じゃあ、艤装を外して?」

「わかりました」

 

 スパナやフェイスガードを傍の台に置いてから手を差し出してきた彼女に、まずは持っていた砲を渡して、それから、背中の魚雷を外しにかかる。……ちょっともたついていたら、明石が後ろに回って外してくれた。その際、魚雷発射管と背中に取りつける部分の二種類に分かれて、そういう構造だったんだ、と知った。魚雷発射管と、それを背中にくっつけるための薄い部分。そうなってたんだ、それ。

 

「ここで預かった艤装は、点検した(のち)に保管されます。出撃の時以外に手元に置いておきたいときは、提督か秘書艦、助秘書の子に申請して許可を貰って、それからここに取りに来てね」

「艤装を部屋に持ち帰る時は、その前に同室の者に一言声をかけておく事ね」

 

 明石の説明に叢雲がつけたす。ああ、そうか。一人部屋で過ごす訳じゃないんだから、同じ部屋の人間とコミュニケーションを取るのも大切……同室?

 ……同室って、他の艦娘と?

 それは何か不味い気がする。……あ、でも、同室っていったって駆逐艦の子か。年の離れた子供と接するようなものだ。気にしすぎなければ同じ部屋で過ごしても大丈夫だろう。色々、敢えて見て見ぬ振りをしている部分はあるけども。

 ……大丈夫、そういうのは朝潮で慣れた。だからきっと大丈夫。

 

「じゃあ、大切に預かるね。他に何かあるかしら」

「後は、酒保の説明くらいね」

「明石の酒保の事ね。主に提督向けの雑貨を取り扱っている場所よ。あなた達が何かを欲しいと思ったら、反対側にある『コンビニエンス妖精』に行くか、外出許可を貰って外に買いに行くかしてね」

 

 コンビニエンス……妖精……。

 微妙なネーミングセンスはいったい誰のものなのだろう。き、気になる……。妖精さんは喋れないから、妖精さん自身がつけた名前という訳でもないだろうし……あ、そのコンビニ、妖精さんが働いてるのかな。その姿を見てみたくなった。

 そんな事を考えつつ頷くと、明石もうんと頷いて、

 

「本棟二階にも酒保……食堂はあるから、ご飯の時はそっちだね。もう案内はした?」

「まだよ。どうせ後で一緒に行くもの」

「そう? ああ、そうそう」

 

 本棟……というのは、提督の執務室があるあの立派な建物の事だよね。まだ背中側しか見ていないけど……二階、か。執務室は三階だった。そういえば、階段はその上まで続いていたな。……ああ、建物の真ん中から生えてた塔みたいなのに繋がってるのかな。時計塔?

 

「体に不調を感じた時も明石にお任せ。軽いものなら治せるよ」

「……」

 

 医者も兼任しているのかな。いや、彼女の能力に、彼女を旗艦に置いて放置しておくと、小破以下の艦娘を一人から最大五人まで修理してくれるというのがあったな。

 残念ながら、かつて提督であった俺は彼女を迎えていなかったから、その詳しいところはわからないまま。

 でも、今はこうして生の彼女と話せるのだから、これからいくらでも知っていけるという訳だ。俺も彼女を求めて奔走した者の一人。ついに出会えた感動は忘れずに記憶しておこう。彼女の役目を考えれば、何度も会う事になりそうだし、そういう気持ちは大切だ。

 なんて、少し気取った事を考えつつ、明石の抱える艤装からにょきっと生えた妖精さん達と別れの挨拶を交わし――達者でな、という意思を飛ばされた。たぶん翻訳を間違えている――、明石の工廠を後にする。

 

「さあ、食堂へ急ぐわよ」

 

 急かす叢雲に従って来た道を戻っていく。来る時は気付かなかったが、塀の向こうから人の気配がした。向こうにも何かあるのだろう。そこの説明はないのかな。聞けば早いか……と思ったものの、どうしてか彼女の背に声をかける気が起きなくて、ただ、人の息づく気配に意識を寄せていた。明石の工廠の向こう側にも、気配がある。あっちには何があるんだろう。案内はご飯の後、かな。

 建物……本棟に入り、一つ階段を上って、二階。長い廊下を行く際、ちらほらと艦娘の姿を見かけた。窓の外を覗いていたり、同じ方向へ歩いて行ったりしている姿は、見知った姿の気がするのに、一目では誰だかわからなくて、それが凄く人間らしく感じられた。こういった思考は、やはり彼女達に失礼だとは思うけど、彼女達とは違う世界を生きていた俺にとっては、大袈裟なくらい不思議に思えてしまう。

 ふわふわとした認識が確かな形を持つように、遠く離れた艦娘という存在を身近に感じるようになる……うん、言葉に言い表せば、そんな風になるだろう。

 左側に何個もある扉の上側にある札を眺めていれば、突き当りにつく扉を開ける叢雲に続くと、そこもまた廊下だった。目の前に扉。右は壁。左は通路。叢雲は足を止めずに正面の扉を開いた。上の札に食堂と書いてあったから、ここがそうなのだろう。

 足を踏み入れれば、視界が開ける。結構広い場所だった。幾つも机や椅子が並んでいて、窓から差し込む陽の光で室内は明るく、左奥のカウンターの向こうでは、艦娘でも妖精でもない女性達が忙しなく行き来していた。

 

「ここが食堂よ。ま、見てわかるわね」

 

 俺を振り返った叢雲が言うのに頷いて、再度周囲を見回す。部屋の隅には観葉植物なんかもある。

 向こう側の出入り口と、こっちの出入り口の傍に食券の販売機らしき物があって、それからここにもちらほらと艦娘の姿があった。

 右の方の席に並んで座るのは、潜水艦娘の伊19と伊168だろうか。青紫色の髪のツインテール……トリプルテール? と赤紫のポニーテール。ゴーヤと同じように、透き通るような綺麗な髪色をしている。イクの方は水着姿で、イムヤの方はゴーヤと同じセーラー服の上着の下に水着という格好だった。室内でもその姿なのか。どんぶりを抱えて麺ものを啜っているイクの横で、イムヤはスマホらしき機器を弄って、相方の食事が終わるのを待っている様子だった。

 中央付近には、これもまたよく知っている顔がいた。

 艶やかな黒髪を長く伸ばした、弓道着姿の美人さん。正規空母の赤城だ。流石に胸当てはしておらず、飛行甲板や弓なんかを持っていないと、一回り小さくなった印象がある。物静かにスプーンを口に運んでいた。

 わ、食べてる姿が凄くお上品だ。思わず見惚れてしまう。

 ああいう人に作った料理を食べてもらって、「おいしい」って笑顔になってもらえたら、すっごく幸せなんだろうなあ。

 

「気は済んだ? 落ち着きがないわね、アンタ」

 

 おっと。あんまりきょろきょろしていたから、叢雲に呆れられてしまった。

 でも、俺が部屋の中を見回している間は黙って待っていてくれた辺り、良く気配りができる人なのだろう。

 短く謝罪すれば、ツン、と擬音が聞こえそうな風に顔を逸らされてしまった。あれ、謝罪はいらなかったかな……。

 今回は食券なんかはいらないらしく、カウンターまで行って用意されているご飯を受け取る事になるらしい。カウンターの向こう、銀の流し台の傍に、こちらに背を向けて何かを切っている女性がいて、えらく見覚えがある後姿だな、なんて思いつつ、ふと通り道にいた赤城の方を見た。

 ……なぜ彼女の前にはカツカレーとカレーうどんがあるのだろうか。……あ、その、トレイの横のって、ひょっとしてカレーパンかな?

 よく見れば結構な速さでスプーンを行き来させてカレーのお皿を綺麗にしていく彼女に後ろ髪を引かれながらカウンターへと辿り着く。ガチャガチャと鉄や何かを動かす音が響いている。

 ささっと俺達の前に来たのは、若い女性だった。艦娘ではない。たぶん、普通の人。忙しそうなのに笑顔を崩さないのは、流石はプロと言ったところか。

 

「司令官がこの子に用意している料理を受け取りに来たわ」

「ああ、はい。ええと、朝潮ちゃんと島風ちゃんの分でしたね」

「一人分でお願いするわ」

「かしこまりました。ちょっと待っててね」

 

 女性が左の方へ向かって行って、キャベツを切っていた女性……あ、艦娘。艦娘の、鳳翔さんだ。女性が彼女と二言程交わすと、頷いた鳳翔さんは手早く手を洗うとさらに奥に引っ込んでしまった。

 ……割烹着だった。

 普段の薄紅色の着物の上に割烹着。長い黒髪をポニーテールにしている彼女の、間近で見ずともわかるおっとりとした顔つきは、ううん、あれが噂のお艦という奴なのだろうか。たしかに、凄く柔和な雰囲気がどことなく母さんに似ている気がする。

 やがて鳳翔さんがトレイを持ってやってきた。

 

「お待たせしました。あなたが、島風ちゃんね?」

 

 湯気を上げるミートスパゲティに、コーンスープと、水の入ったコップ。食欲をそそるラインナップだ。

 自己紹介をする鳳翔さんに、こちらも名乗り返す。子を見守るような暖かな眼差しは、それが新入りへ向けられるものだとわかって、ああ、子供扱いされてるなと察した。いや、見た目の上では完全に子供だけど……。

 そういえばどこかの自由奔放な島風は、彼女の膝枕でお昼寝をした上によしよしと甘やかされていたな。……いや、俺はやらないけど。……やらないやらない。

 

「大変な目にあったと聞いています。しっかり食べて、しっかり休んでくださいね」

「ありがとうございます。そうします」

 

 この後もまだ案内してもらうけれど、わざわざ違うと否定する必要もないので、笑顔を浮かべておく。愛想笑いではない。気遣いが嬉しいのだ。人に想われるっていうのは、素敵な事だね。

 そこへ女性がやってきて、カウンターの上に切った羊羹の乗ったお皿と湯呑みを置いた。叢雲の前だ。

 

「どうぞ」

「あ、私は……!」

「お仕事の合間には、息抜きも大切ですよ」

 

 何かを言いかけた叢雲は、しかし鳳翔さんの言葉に一度ぐっと押し黙ると、ありがと、と呟くように言った。……なんだか微笑ましいものを見ている気分だ。

 しかしあんまり見ていると、またぎろりと睨まれてしまいそうだったので、トレイを持ち上げてから鳳翔さんと女性に改めてお礼を言って、中央付近の机に移動した。

 お肉のソースの香ばしい匂いと、スープの匂いを嗅いでいたら、強い空腹感を思い出してしまった。お腹ぺこぺこだ。朝潮より一足先に頂かせてもらおう。

 

「いただきます」

 

 手を合わせてから、袖を下ろして手袋を外し、膝の上に置いて、おしぼりを手に取る。熱い布で手を拭き、スプーンを手に取ってコーンスープに浸す。とろりとした感覚がスプーン越しに伝わってきて、口内に唾液が溢れてきた。一口口に含めば、甘い匂いが口内に充満する。舌の上を滑り、胃へと落ちていく熱いもの。体の中から暖められる感覚に、ほう、と息を吐く。うん、おいしい。

 水を飲んで後味を流し、フォークに持ち替えてスパゲティに刺す。もう一本スプーンがあるのはきっとこれ用なのだろうが、あいにく俺はスパゲティにはスプーンを使わないのだ。ぐるぐるっと巻いて頬張れば、酸味とはっきりとした肉の味が広がる。この味の濃いの……久し振りにまともなものを食べた! って感じだ。

 おいしい料理に夢中になっている俺を、叢雲が羊羹をつつきながら、意外そうに見てきていた。



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第十六話 案内

遅くなってごぬんね



色々誤字脱字を修正しました。
夕張を湯張りと誤字るとか許されざるね。


お腹が満たされたせいか、少しばかり眠くなってしまって、目を擦りつつ食堂を後にした。廊下を行く叢雲の背をぼんやりと眺めながら追う。

 お皿を返す際に見た、お礼を言った時の鳳翔さんの微笑みや、部屋を出る時に見た、数枚のお皿が積み上がった前で静かにカレーを食べ続ける赤城の顔なんかを思い浮かべて、笑みを零す。穏やかな光。……廊下に差し込む陽光の事だ。まだ昼前の爽やかな光は、先程の食堂と同じ暖かさを感じさせてくれた。

 建物を出て、T字の道を今度は左へ。『修理・建造ドックの反対側。寮の前を通って、その先。妖精の(その)の向こう側』。そこが、夕張が構える工廠のある一画。

 

 コンビニエンス妖精とやらは、前を通った時に見た限りでは、やたら大きなコンビニというだけだった。はたして何が売っているのだろうか。燃料とか、鋼材とか? そのすぐ隣、コンクリート壁に囲まれた場所が、妖精の園と呼ばれているところだろう。普通の人が通れそうな扉の脇に妖精さんサイズの小さな扉があって、傍に建つ2メートルほどの番小屋らしき物には小さな窓があって、その向こうには、門番役なのか、警備員みたいな格好の妖精さんが一人座っていた。……うつらうつらと舟を漕いでいたけど、あれは……あれで、大丈夫なんだろうか。

 

 さて、やってきた夕張の工廠は、明石の工廠と外観は同じだった。ただ、周りを囲むようにある塀には、ゲートの代わりか、地面に続く道の先に長方形の穴が開いていて、右への(くだ)り階段と、奥の方に巨大なクレーンがあるのが見えた。海がすぐ傍にあるのか、ほのかに(しお)の香りがする。もう嗅ぎ慣れた匂いだ。

 工廠の前に角材木材が置かれているのは明石の方と一緒。でも、中の様子は結構違う。トラックやらはないし、大型のよくわからない機械もない。ただ、壁際に沿って銀色の台があり、その上にずらっと艤装のような物が置かれていた。天井からは吊り電球に混じって、艦載機の模型みたいなのが吊り下げられていて、展示会みたいだな、と安直な感想を抱いた。

 

「とりあえず……入ってみます?」

 

 入り口を前にして立ち止まった叢雲がこちらを振り返るので、それがどういう意図なのかを考えつつ問いかけると、頷いて返された。……ああ、彼女が動くのを待たずに行動を起こさねば。ここにいるであろう夕張と約束しているのは俺だから、彼女に先導してもらうってのは変だ。案内してもらう流れでここに来たから、同じように動くと思ってしまっていた。叢雲が歩き出したら後を追う、みたいな。

 建物内に足を踏み入れる。外から見えていた通り、中はさほど広くなく、ここは単に物を運び込んだり置いておいたりするだけの部屋なのだろうとわかった。入って右側にスライド式の扉がある。夕張がいるのはその奥だろうか。

 扉の前に立ち、少し迷ってからノックすると、「はいはい!」とくぐもった声。ぱたぱたと慌ただしい足音がして、曇りガラスに影が映る。ガラリと扉が開けば、夕張が姿を現した。何も装備していない身軽な体に、深緑色のエプロンをかけている。胸元にある『yubari』の刺繍が可愛らしい。その名前が()()()()()というのは悲しい事なのだろうか。

 

「あ、来たのね。入って入って! ……あ」

 

 女性に対して結構失礼な事を考えていれば、彼女は俺に手招きしつつ部屋の方へと体を向けようとして、そのさなかに動きを止めた。ゆっくりと振り向いて顔を向けた先は、俺の後ろ。そこには叢雲がいるだけだけど……どうしてか夕張の表情が少し硬くなった気がして、気になった。

 

「……叢雲ちゃんも上がって」

「……ええ、お邪魔するわ」

 

 お互い、何か思うところがあるかのような声音だ。二人の間には何かがあったのだろうか。喧嘩してる……とかではなさそう。俺の考えの及ばないような、何か深い事情でもあるのだろう。安易に触れない方が良さそうだ。しかしふと、『あれ、どうしたんですか二人とも。そんな怖い顔しちゃって』なんて笑顔で問いかける自分の姿が脳裏をよぎったのだけども、さすがにそれは能天気すぎるし、それで空気が重くなったら嫌なので、ここは部屋の中に興味がある振りをして二人の様子には気付いていないという事にした。いや、興味があるのは事実だから、嘘ではないか。

 今度こそ部屋に入った夕張に続く。部屋の中は結構広かった。全体的に鈍色で、鉄みたいに重い雰囲気がある。それはあちこちにある工具や作りかけの物体Xだったり、大きな魚雷を抱いているピンク頭の艦娘のせいだったりするのだろう。

 ……ん? いや、ピンク頭は華やかだけど……。

 

「適当なところにかけて待ってて。すぐ準備しちゃうから」

 

 エプロンで手を拭きつつぱたぱたと駆け、部屋の奥にある扉の向こうへ行った彼女を見送ってから、窓際のパイプ椅子に座っている少女を見る。ぱっちりとした目と目が合った。

 

「およ」

 

 提督のいたあの部屋でも見た、潜水艦の艦娘、ゴーヤだ。スク水にセーラー服という出で立ちは変わらず、首に下げていた望遠鏡の代わりに大きな魚雷を抱えて撫でていた。……撫でていた。見間違いじゃない。ペットや何かにするような優しい手つきだった。その動きは、俺と目が合った今でも止まっていない。

 

「新入りさんだ。こんにちはー!」

「こ、こんにちは?」

 

 大きな声で元気な挨拶。少々戸惑いつつ答えると、あ、まだおはようでした、と訂正された。ああ、うん。おはよう。

 

「ゴーヤはゴーヤでち。新入りさんの大先輩なのでち。だいっだいっだいっだいっ大、先、輩! なのでち!」

 

 あ、うん。先輩として敬って欲しいんだなー、ってのは痛いほど伝わってきた。

 とりあえず自分の艦種と名前を言うと、ゴーヤはむふんとふんぞり返って、薄目でこちらを見てきた。……なんか催促されてる気がする。なんだろう……えーと。

 

「……よろしく、先輩さん?」

「うんうん。新入りさんはお利口さんでち。いーい? ゴーヤはずーっとこの鎮守府にいる大先輩なんだから、でっちなんて気安く呼んじゃ駄目なんだからね!」

「でっち……?」

「でっちじゃないでち!」

 

 一瞬それが、語尾からきた渾名なのだとわからなくて聞き返すと、彼女は椅子を倒しそうな勢いで立ち上がって抗議してきた。呼ぶなとむくれられても、その振る舞いにでっち先輩と気安く呼びかけたくなってしまって困る。親しみやすい雰囲気というか……ああ、ひょっとしてそのせいででっちって呼ばれてるのかな、ここのゴーヤは。

 

「ゴーヤ、先輩?」

「ん! そうそう、ゴーヤ先輩、だよ。新入りさんは以後、口の利き方に気をつけるよーに!」

「はーい」

 

 なんだろう、室内なのに風を感じる。でっち先輩の方から。

 ……なんだろうな、片手を腰に当てて偉そうにしているのが微笑ましくて、全然嫌味じゃない。話していて欠片も緊張を感じさせない相手というのは貴重だ。だからか、俺はもう、でっち先輩が好きになり始めていた。

 

「そういえば、でっ……ーヤ先輩に聞きたい事があるんですけど」

「質問? いいよ。なんでも聞いて?」

 

 彼女の横へ移動しつつ、前から気になっていた「潜水艦娘は水中で呼吸ができるのか」を聞いてみた。

 

「当然! 水の中で息ができなくっちゃ、溺れちゃうでしょ?」

「潜水中の移動って、やっぱり泳ぎなんですか?」

「そうでち。ゴーヤの泳ぎは誰にも負けないでち!」

「泳ぎ比べ……ううん、魚雷はどうやって放ってるんですか?」

「魚雷さん? 魚雷さんは、こう……こう……でち!」

 

 壁に背を預けて質問を重ねれば、彼女は嫌な顔一つせず答えてくれた。手にしていた腕より太い魚雷を両手で持って、こう、と放る仕草をする彼女に、自然と笑みが浮かんでしまう。

 

「叢雲もこっちに来たら?」

 

 では、魚雷はいったいどこから取り出しているのか、を聞こうとして、不意にでっち先輩が叢雲へと顔を向けた。つられて、そっちを見る。所在なげにしていた叢雲は、ゴーヤの呼びかけにすぐには答えず、少しの間俺達を眺めていた。

 

「まだここに慣れてないの? ゴーヤは、そろそろ叢雲とも仲良くお話ししたいでち」

「別に……そういう訳ではないわ。ただ……」

 

 慣れてない、とはどういう事だろうか。

 叢雲は、俺と同じようにここに来て日が浅いって事?

 言い淀んだ叢雲は、それきり口を(つぐ)んでしまって、何も言わなかった。ただ、こちらへやって来て、ゴーヤを挟んだ反対側の壁に背を預けた。

 

「『こっち』に来て、もうずいぶん経つでち」

「……そうね」

「まだ……忘れられないでち?」

「忘れられるものではないわ。でも、大丈夫よ。気にしないで」

「なら、いいでち」

 

 やはり、叢雲には何かしらの事情があるのだろう。言葉からして考え無しに聞いてしまっていいようなものではなさそうなので、ここは黙って成り行きを見守っている事にした。

 ……そう思ったのだけど、二人の会話はさっきので終わったらしい。話している際のどこか重い雰囲気はもう無くなっていて、ゴーヤは小さな笑みを浮かべて魚雷を撫でだした。たぶん、言葉の外でなんらかの意思がやりとりされたのだろう。それは、妖精さんとするような『曖昧だけど明確なもの』ではなく、場の雰囲気や相手の言動から読み取る類のもの。今の俺では彼女達から読み取れるものは少ない。付き合いが浅いために、表面的な事しか推測できないのだ。観察眼のある人間なら、初対面でもその考えの全てを知る事ができるのだろうか。

 

「はい、お待たせ!」

 

 ちょうど良いタイミングで、奥の扉から夕張が出てきた。エプロンは外されていて、見知った服装になっている。露わになっているおへそが眩しい。……あ、俺もおへそ出してた。むむむ……もはや羞恥さえわかない。これは良い兆候なのか悪い兆候なのか。

 

「夕張、できたの?」

 

 落ち着いた色合いのポシェットを肩にかけている夕張の手には、双眼鏡が握られていた。でっち先輩の言葉はそれを指してのもの、なのかな。

 

「一応はね。最終的な調整は、やっぱり使ってみてもらわないとできないわ」

 

 でも、妖精が宿ったから、もうほとんど完成しているのと同じよ。

 ゴーヤに双眼鏡を手渡しながらの夕張の説明に、宿る? と首を傾げてしまった。それが、その双眼鏡がどういった物なのかを不思議がっているととられたのか、夕張の目が俺に向いた。

 

「これが気になるかな?」

「えーっと……。……はい」

「やっぱり? これはね、潜水艦娘専用の兵装、水中双眼鏡なの」

 

 なんだか説明したそうだったので、邪険にできず頷けば、彼女は嬉々として双眼鏡の説明を始めた。

 水中望遠鏡を改修して作り出した物で、潜水艦娘の能力をもう少し引き出し、視界をより遠くまで伸ばす事ができて、ついでに構えている間は簡単なソナーとなって敵性反応を検知し、妖精さんが伝えてくれるようになっているらしい。

 改修……夕張が開発した物、なんだ。

 ちらりとでっち先輩を見やれば、双眼鏡を覗き込んで室内を見渡していた彼女は、双眼鏡からにゅるりと出てきた妖精さんに気付いて手を下ろし、見つめ合った。声のないやりとり。お互い朗らかな笑みを浮かべているのを見るに、初顔合わせは上手くいっているようだ。

 

「それじゃ、私は行くから。後で感想聞かせてね?」

「任せるでち。この装備の性能を全部引き出してやるでち!」

 

 力強いでっち先輩の答えに満足したのか、うんうんと頷いた夕張は、俺達の顔を順繰りに見て、お待たせ、と改めて言った。双眼鏡の説明を受けていた俺は待ったような感じはしていないのだけど、叢雲はどうだったのだろう。ここに入って来た時と同じ表情だけど……。

 

 

「改めて、私は夕張。軽巡洋艦よ」

「シマカゼです。駆逐艦です」

 

 工廠の前まで来て、初めて彼女と名を交わす。そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は向こうの事を知っているから気が付かなかった。普通に話していたし。

 三人並んで歩き出す。右が夕張、左が叢雲。……単横陣? あの砂利道は、三人並んで歩ける幅はあったかな。

 

「島風ちゃんって呼んでいいかしら」

「構いません。あなたの事は、夕張さんと呼んでも?」

「ううん、呼び捨てでも良いんだけど……そんな急には無理かな。ええ、どうぞ」

 

 呼び捨てか。面と向かってだと、なんだか違和感が強い。たぶん、彼女の方が俺より背が高いからだ。精神的、前の肉体的に見れば俺の方が年上だったのだけど、今は彼女の方がどう見ても年上で、その奇妙な認識の違いが、呼び捨てを躊躇わせる理由……かな。

 

「さて、案内はどこまで進んでる?」

「本棟の食堂への道と、明石の工廠とあなたの工廠だけね」

「そう。じゃあ、まずは……」

 

 俺を挟んでの、叢雲と夕張、さん、の会話。最初に顔を合わせた時の、お互い言葉を詰まらせるような感じが、今はしない。気にしないでおこうと思ってたけど、そういうところに気がついてしまうと、どうしても気になってしまう。

 

「夕張さんは、なぜ工廠を開いてるんですか? ……人手不足?」

「そういう訳じゃないのよ。ただ、ちょっとね……」

 

 気を逸らすために、コンクリート壁に開いた出入り口へと案内しようとする夕張さんへと問いかければ、彼女はどこか言い辛そうに、自分の工廠を持つに至った経緯を話してくれた。

 装備の試し撃ちや、使う事が好きで、着任当時からそういった役割を買って出ていた夕張さんは、次第にその仕組みや構造にも興味を持ち始めた。試すだけでは気が済まなくなり、明石の工廠に飛び込んで、点検や修理に携わるようになった。

 明石の所に……って、なんだろう。弟子入りでもしたのだろうか。あ、それで認められて店を立ち上げた……みたいな?

 

「そー、その、ね……? ちょっと、趣味が高じて、買っちゃったのよ」

「……何を、ですか?」

「工廠。土地と建物」

 

 ……ええー。それは、なんというか……思い切った事をするなあ。

 あ、買った、という事は、ひょっとして艦娘って、お給金とか出てるのだろうか。

 

「……引いた?」

 

 壁に四角く開いた出入り口を抜け、手すりの無い低い階段の上へ出ると、夕張さんは立ち止まって、どこか不安そうに聞いてきた。いいえ、と首を振る。そういう思い切りの良いのは好きだし、引いたりなんてしない。頭に浮かんだ言葉をそのまま言えば、彼女は「よかった」と安心したように笑った。

 

「でもこういうのって、やっぱり変な趣味なんじゃないかって時々思うの」

「素敵な趣味だと思いますよ、私は」

 

 海に向かって高く伸びるクレーンを見上げ、ただ思った事を口にする。潮風が頬を撫でて、髪を揺らした。海の煌めきは、いつどこで見ても綺麗で、素敵だ。

 そう言ってもらえると嬉しいな、と彼女は笑った。

 

「良い物を作れば作るだけ、誰かが笑顔になって、それで評価されて。そういう場所なのよ、ここは」

「……でも、不安になる?」

「まあ、そこは、ね?」

 

 今のって、この鎮守府全体の案内?

 たぶん、そうなんだろう。ここは、夕張さんがのびのびと、好きな事をできる場所なんだ。

 そういう場所なのと変な趣味ではないかを気にするかは別みたいだけど。

 実際どうなのだろう。機械弄りが趣味の女の子って。……うーん、普通な気がする。

 

「さ、ここを見て。ここは、昔軍艦が停泊していた場所。今はただ、海を眺めるだけの場所になってるんだけどね」

 

 階段を下り、平坦な石製の地面が広がる場所から、コ型に隔たれた海と陸地の境目を眺める。それから、水平線。遠くに島の陰影がある。……いや、あれは『近く』に分類されるのか。朝潮は、鎮守府近海には島はなかったって言ってたような気がするし。

 

「今は、軍艦はないの?」

 

 見える範囲にない、まだ見た事の無い物の名前を出す。

 もし一隻もないなら、あれやこれやの全てが艦娘任せという事になる訳だけど……。

 俺の疑問は、その通りだった。軍艦と呼べるような船は、深海棲艦が現れてから艦娘が助けに入るまでの数年の内に軒並み沈められてしまったらしい。

 そこら辺の話は、今詳しく聞くべきではないだろう。気になるけど、どう考えてもすぐには終わらないだろうし、後で自分で調べるとしよう。今が西暦何年かくらいは、聞いても良いかもしれないが……いいや。一つ知ったら二つ目が知りたくなる。

 港をぐるりと回って、海沿いに進む。煙突みたいな用途不明の建造物や、所々にあるクレーンみたいな謎の何かが気にかかるが、わざわざ説明を受ける必要性は感じられなかった。もし艦娘に必要な物なら、教えてくれるだろうし。

 遠くにフェンスが見えてくる。それから、小さなマンションみたいな建物群。その正体をようやっと聞く事ができた。あれは艦娘の寮らしい。駆逐寮だとか軽巡寮だとかが密集している。一番後ろに見える横長の建物は、空母用の修練場らしい。……弓道場? 空母の、と聞くとそんなイメージがわいてくる。

 

 俺が寝泊まりする事になるであろう駆逐寮内部の案内は、後ほど叢雲がしてくれるらしい。……当の彼女は先程からずっと黙っているのだけど、大丈夫なんだろうか。話しかければ答えてはくれるけど……。

 でっち先輩や夕張さんに会ったからこそ、改めて感じる、彼女の話しかけづらい雰囲気。こちらと一枚壁を隔てた向こう側にいるような、つまるところ……一匹狼というか。

 悪い子でないのは、ここまでのやり取りでわかっている。だからきっと、この雰囲気は、生来のものというよりは、彼女の事情によるものなのだろうと推察できた。人には人の人生がある。艦娘にも、生きてきた分だけの蓄積がある。画面の向こうならばそのほとんど全てを知れただろうけれど、今は同じ場所に立っているから、手探りで交流していくしかない。時折冷たく重い気配を発する彼女の笑顔を見てみたいと思ってしまうのは、おかしいだろうか。

 

 足を進め、ちょうど、ドック……明石の工廠の裏側へとやってきた。体育館みたいな大きな建物の傍らに、小さなお店がある。赤い暖簾に『やみま』の文字。右から読む形式だ。間宮さんのお店? 横の大きな建物はなんだろう。

 その疑問はすぐに氷解した。体育館だ、これ。外観から、扉の形状までそっくりそのまま、かつて学生の時に何度も足を運んだ体育館だった。実際の名前もそのままらしい。なんでこんな物がここにあるんだろう。……いや、用途はわかるけど、場違いというか、激しく合わないというか。これなら白いラインの引かれた運動場とかの方がまだマシだ。……別に体育館に何か悪いところがあるという訳でもないけど。

 

「出撃や業務の無い人は、ここや、本棟にあるトレーニングルームに足を運ぶ事が多いの」

 

 体を鍛えたり体力を伸ばしたりするトレーニングは、艦娘にはあまり効果が無いらしいけど、代わりに体をスムーズに動かせるようになったり、僅かに強くなったりするらしい。つまりは、走り込みなんかをすると経験値が少し溜まる……みたいな?

 作戦行動中における判断力を養うのは、主に演習だったり正規の訓練だったりするらしい。正規の……やっぱり、こういう場所って、起床時間から訓練からと、なにからなにまできっちり時間が決まってるのだろうか。

 

「そういう訳じゃないんだけど……みんな、きっちりやりたがるのよ」

 

 夕張さんに聞いてみたら、それは違うとわかった。ここは確かに鎮守府と呼ばれるれっきとした軍事施設なのだけど、WW2時代の大日本帝国海軍や、海上自衛隊と比べると規律や規定は厳しくなく、緩くぼかした規則の上で艦娘達は過ごしているらしい。これは、この鎮守府に限った話ではなく、日本各地にあるどの基地でも同じなのだという。

 

「どこの基地も泊地も鎮守府も、私達のための作りに変わったの。」

 

 目に見えない規範や規則などだけでなく、目に見える建物の位置や作り、施設なんかも、そういう風になっている。

 「私達の自由意思をできる限り優先しようとしているんじゃないかな」、と夕張さんが締め括った。

 

「体育館、ちょっと覗いてみる?」

「はい。お願いします」

 

 入口の方を指しつつ俺を見る夕張さんに、ぜひ、と答える。久し振りに中を見てみたいと思ったのと、もしかしたら内装が知っているものとはかけ離れているのではないかという期待からだ。

 入り口に手をかけた夕張さんが、ガラガラと小さな音をたてて扉をスライドさせる。弾んだ調子の歌が聞こえてきたのは、その時だった。

 

「那珂ちゃんはぁ~、ア・イ・ド・ル、だぁ~かぁ~らぁ~♪」

「いぇーい」

「いえーい……」

 

 静かに扉が閉じられた。

 ……今、少し開かれた扉の隙間から見えた限りでは、ステージ上で那珂ちゃんがマイク片手に歌っていて、ステージより下にはその姉妹艦である川内と神通が、小さな棒を掲げて左右に振っていた。

 

「使ってるみたい」

「……そうですね」

 

 夕張は、なんて事ないようにそう言って、扉から離れた。

 ……なんだかいけないものを見てしまったような気がするんだけど。

 叢雲の方を見れば、彼女もなんだか微妙そうな顔をしていた。

 撤退。そそくさとその場を離れ、甘味処間宮へと足を運ぶ。中まで案内するのか、と不思議に思っていれば、どうやら夕張さんが俺達に奢ってくれようとしていたみたい。でも、先程スパゲッティを食べたばかりだから、遠慮しようと思ったのだけど……。

 

「せっかくこう言っているのだし、遠慮なく頂いちゃいましょ」

 

 意外な事に、叢雲が乗り気になってお店に入って行ったので、言葉を重ねて断る事もないだろう、と後に続いた。店内に入れば、ふわっと甘い香りが漂ってきた。あんこの匂いかな。先を行く叢雲が適当な席に座るのを見て、その対面の椅子を引いて腰を下ろす。木製の椅子。店内は、全体的に和風だった。

 壁にかけられたおしながきや、そうそう、入り口の外側に垂れていた暖簾(のれん)だとか、古めかしい感じ。でも、店内は傷や汚れは見当たらず、綺麗なものだった。

 入って左のカウンターの奥に、間宮さんらしき後姿がある。店内の奥の方の席には、グレーの髪の少女が小さなパフェみたいなのを長いスプーンでつついていた。店内にいるのは、俺達を除けば、その一人だけだった。

 んっ、と少女がこちらに顔を向ける。ポニーテールが揺れて、それで、彼女が誰なのかがわかった。目を細めて俺を見て、次に手を翳してこちらを眺めるのは、青葉だ。

 

「何を頼もうか。なんでもいいからね?」

「トリーズンディスチャージにするわ」

「あ、じゃあクリームソ……なんだって?」

 

 なんか今、叢雲の口からよくわからない言葉が飛び出した気がするんだけど。おしながきに向けていた顔を思わずがっと叢雲へと向けてしまう。何? と怪訝そうに見られた。……聞き間違いかな。

 

「どうしたんですか?」

 

 再度おしながきを見上げようとして、夕張さんの笑みが少し引き攣っているのを見てしまって、そう聞けば、なんでもないよ、と手を振られた。どうしたのだろう。……あっ、おしながきにさっき叢雲が頼むって言ったやつ見つけた。三千円って書かれてるんだけど。

 ちなみに俺が頼む予定のクリームソーダは、三百五十円。……叢雲。

 ポシェットを開いて中を覗いていた夕張さんが、やがて俺と叢雲の分の注文を間宮さんにして、商品が来るまでの間。ふと叢雲の斜め後ろに、青葉が立っていた。

 

「ども、みなさん。青葉です。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「よろしくないわ」

 

 夕張さんに向けた言葉だったのだろうが、彼女が答える前に、叢雲が即座に返答していた。にっこり笑顔な青葉の顔に汗が流れる。恐ろしく邪険にするような言い方だったけど、叢雲は青葉との間にも何かあるのだろうか。

 気になって眺めていれば、叢雲はそれをどうとったのか、ばつが悪そうに「冗談よ」と目を逸らした。

 どうぞ、と夕張さんが目の前の席を手で示すと、青葉は「きょーしゅくです!」と会釈して席に着いた。持参していたパフェとスプーンを置くと、さっとペンと手帳に持ち替えた。どこから出したの、それ。

 

「ではでは、取材させていただきます!」

「やっぱりそうなるのね」

 

 嫌そうな顔で溜め息を吐く叢雲。

 青葉の標的は、どうやら俺のようだ。新入りに興味がおありらしい。興味津々といった様子で名前や艦種、どこから来たのか何をしているのか、とか……おおよそ考えつくような質問をされて、別に嫌でもなかったので答えている内に間宮さんがおぼんを抱えてやってきた。

 

「お待たせしました。どうぞ」

「うわ」

 

 ゴト、とやたら重々しく置かれたのは、叢雲の頼んだなんたらとかいうパフェだ。黒紫の半透明の大きなグラスに、山のようなクリームやらシフォンやら……。うわー。凄いボリューム。

 

「やや、お祝いですか?」

「いいえ、私が頼んだものよ」

「私のはこっち」

 

 自分の前に置かれたクリームソーダに手をかけつつ、間宮さんに笑いかけておく。よろしくね、と小さく声をかけられた。

 

「あれ? 夕張さんは何も頼んでないんですか?」

「あー、私は、ちょっと、ほら。今お腹いっぱいで」

「ふむふむ」

 

 おぼんを胸に抱えて引っ込んでいく間宮さんに、青葉が疑問を零すと、夕張さんは困ったように笑った。

 さらさらっと手帳に何やら書き込む青葉。あっこら青葉、なに書いてるのよ、と夕張さん。どうやらこっちの二人の仲は悪くないみたい。……叢雲は、なんだか会う人会う人と壁を作って話してる気がする。明石とはそうでなかったみたいに思えるんだけどな。

 ちなみに青葉のこの取材は、新しい子が入ったら毎度やっている事のようで、彼女に俺が着任した事をどれくらいの人が知っているのかと聞かれてわかる範囲で答えたら、やりました! 情報の早期入手です! とガッツポーズをした。

 

「さっそく書いちゃうぞ!」

 

 何やら一人で盛り上がって、小さなパフェをかき込んだ青葉は、胸を叩きつつ席を立って風のようにお店の外に出て行った。あれ、お会計……。

 ところで、書くってなんの話だろう。やっぱり、新聞?

 

「そうそう。時々掲示板に張ってあったりするの。面白くはあるんだけど……」

「迷惑だわ」

 

 夕張さんがぼかした部分を、叢雲が補足した。率直だ。ああ、ひょっとしてさっきの青葉に対しての態度って、叢雲も取材を受けて不快な思いをしたから、とかだったりするのかな。

 クリームソーダのアイスをすくって一口食べつつ、叢雲の顔を見る。その下半分までをパフェが覆い隠しているのだから、それの巨大さが窺える。もう半ばまで削られていてこれだ。……というか、食べるペース結構速いな。

 

「……いいなぁ」

 

 みるみるうちに山が擦り減っていくのを眺めていると、横からぽそりと声がした。ちらりと見れば、夕張さんはポシェットを手で押さえて憂鬱そうな顔をしていた。……聞かなかった事にしておこう。

 大して時間もかからず巨大パフェはやっつけられ、俺達は店を後にした。青葉の代金はいつの間にか(から)のグラスの横に置かれていた。彼女の動きは見ていたはずなんだけど、いつの間に置いておいたのだろう。この俺の目をもってしても見抜けぬとは。

 案内は続く。明石の工廠の方へ出て、ゲートの外の説明。外は、軍に従事する一般の人達の活動の場、らしい。艦娘は秘匿された存在であるから、こんな風に隔離染みた配置になっているんだって。その割には、外出許可はすぐに出るらしい。……そんな簡単に外に出られるものなんだ。

 本棟と呼ばれる立派な建物の横をずっと行くと、入渠施設に辿り着く。ここも大きな塀に囲まれた場所だ。明石の工廠が艤装のドックだとしたら、こちらは艦娘のドック、らしい。中も少しだけ見せてもらったけど、雰囲気やイメージはあれだった。スパ……じゃなくて、えーと。温泉施設? ……そんな感じ。マッサージチェアとか並んでたし。

 舗装された道を行けば、本棟の正面に出る。左右に広い立派な建物。中央から一本の四角い塔みたいなのが伸びていて、大きな時計が埋め込まれていた。時計塔というやつだろうか。目の前の両開きの扉の向こうには玄関ホールや受付なんかがあって、艦娘はこの正面玄関から入る事は滅多にないそうだ。建物の前……俺達の立つ後ろの方に道が続いていて、ゲートで途切れている。ゲートは頻繁に開かれているのだろうか、手入れされているらしく、真新しい鉄扉だった。

 

 鎮守府前の道を進めば、港へ繋がっている。ここもやはりコンクリート壁で遮られ、壁は海の向こうまで続いていた。そこから、夕張の工廠に戻る。鎮守府の敷地内の案内は、これでだいたいおしまい。本棟内の『教室』やトレーニングルームの話は聞いてるけど、実際には足を運んでない。でも、夕張さんが言うには、話だけ聞いていた場所はすぐに向かう事になる、らしい。教室……教室、かあ。授業でもするのかなあ。教師はやっぱり足柄さんなのかな。

 

「さて、私とはここでお別れね」

「今日はありがとうございました。助かりました」

「気にしないで。何かわからない事があったら、いつでも頼ってね」

 

 とん、と胸を叩いてみせる夕張さんに、間宮でも、ありがとうございました、と手を揃えて頭を下げる。クリームソーダが飲めて感激。甘味を口にしたのは二週間ぶりくらいのはずだけど、体感では数年ぶりだと思えたから、なおさら。

 

「ふふ、なんならいつかまた、一緒に間宮に行きましょうね」

「ふっ」

「……今鼻で笑わなかった?」

「いいえ。良いお姉さんだなって思ったのよ」

 

 お姉さん……? 確かに夕張さんはよくしてくれるし、優しい人だけど、姉さんかといえば、違う。姉さんはもうちょっと能天気で馬鹿っぽくて、いつも笑ってて……。

 

 月の光が差し込む窓の前で、空を見上げる朝潮の姿が頭に浮かんで、あれ、と首を傾げた。

 ……朝潮はあんまり笑わないけど……でもどうしてか、異様にしっくりした。

 

「わ、私は別に、そういう打算があって案内した訳じゃないのよ? ね?」

 

 おっと。考え事をしていたら、何やら話を向けられた。曖昧に笑って誤魔化すと、本当なんだからね? と言葉を重ねられる。……何が? とは聞けなかった。

 

「さあ、次は寮へ案内するわ。ついてきなさい」

「あ、はい。あの、本当にありがとうございまし、たわっ!」

 

 叢雲が俺を促しつつ踵を返して歩き出すのに、再度夕張さんへお礼を言いながら叢雲の後を追おうとして、どん、とその背にぶつかってしまった。よろけた体を持ち直して顔を上げれば、彼女はこちらを振り向くでもなく立ち止まっていて、耳に手を当てていた。

 

「……。……どうやら案内はお預けのようね。救援要請よ」

「え?」

 

 振り返った叢雲は、真剣な表情で俺と夕張さんを見ると、出撃するわ、と端的に言った。




時間の関係で那珂ちゃんのファンになるイベント(強制)が没になりました。


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第十七話 覚醒する本能

イベントボスの大安売りがあるんですって。


 

「救援要請って?」

 

 叢雲の急な言葉に少々理解が遅れてそう問いかければ、彼女は俺に背を向けて足早に歩き始めた。聞こえなかったのだろうか。それとも、黙ってついて来いって事? ここに残れ? ……何か言ってくれなきゃ、何もわからない。振り返って夕張さんを見れば、彼女は険しい表情でこちらに歩み寄って来ていた。彼女も行く気なのだと察した。俺も動くべきだ。叢雲に、ついていくべき。

 でも、出撃って……救援要請って、どういう事? さっきの叢雲の動作――耳に手を当てていた――からするに、他の艦娘と通信を行った? 直接要請を受けたって事? でも、なんで叢雲に。

 わからない尽くしのまま叢雲の背を追う。白い背中は何も語ってくれない。

 

「勝手に出撃していいの?」

 

 理解できないまま進む事を嫌って、彼女に言葉を返してもらうために、まず重要であろう事を聞く。出撃するには、きっと提督の判断とかが必要なはず。もしかしたら、救援要請に応える場合はその必要はないかもしれないけど。

 

「……私の権限を(もっ)て出撃を認可する」

 

 少しだけ振り向いて横顔を覗かせた叢雲は、歩みを止めないまま、そう言った。

 権限。彼女には、その権限があるというのか。いや、問題はそこではない。だから彼女に誰かから通信がきて、だから彼女は出撃すると言った。俺はきっと、その編成に組み込まれたのだろう。

 そう判断した時に、「実戦経験はあるか」と彼女がこちらを見ないままに問いかけてきた。あります、と端的に答える。駆逐二人でリ級を倒した、などは言わなくて良いだろう。余計な話と切って捨てられそうだ。

 妖精の園の前に差し掛かった時、叢雲はその出入り口へと向かう先を変えた。小屋の壁が叩かれると、居眠りをしていた門番妖精さんが鼻提灯を破裂させて飛び起き、わたわたと腕を動かした。それで、出入り口の鍵を開けたらしい。ガチャリと音がした。

 敬礼をする妖精さんを放って、扉を開けてずんずんと進んでいく叢雲に、俺も慌てて続く。ちょっと妖精さんの扱いが悪いような気がした。……サボってたからかな。

 妖精の園に踏み込んだ俺は、わ、と声を出してしまった。塀に囲まれた中は、出入り口付近こそ人間サイズの壁があるが、前方に続く道の先にはミニチュアのような建造物が広がっている。レンガ造りの家や煙を上げる煙突付きの家なんかの傍に、妖精さんが出歩いている。全てが妖精さんサイズの様々な物が、ここにあった。

 ああいや、この石畳のような道は、よく見れば人間サイズのままずっと続いている。道の先、遠くの壁際に、黒く大きな建物があった。どうやら叢雲はそこを目指しているらしい。

 道すがら、石畳の両脇に走り寄ってきた妖精さん達がこちらを見上げ、敬礼の仕草をするのに緩く返していると、程なくして黒い建造物の前についた。どういった施設なのか見当がつかないが、中に入ればわかるだろう。鉄扉を開いて中に入る叢雲に続くと、薄暗い廊下が俺達を出迎えた。後ろの夕張さんが壁のスイッチを入れて電気をつける。この廊下は、数メートル先で左に曲がるようになっていた。それ以外には何もない。

 角を曲がると、少し先に階段があり、広い空間が見えた。工廠のような施設であるが、どこか見覚えのある部屋。向かい側に壁はなく、トンネルのように長く続いていて、遠くに光があった。

 

「……。近海を警備中の天龍水雷戦隊からの救援要請に応え、私を旗艦として緊急出撃するわ」

「え、でも」

「オッケー。敵は?」

「潜水カ級二隻、潜水ヨ級三隻、潜水ソ級一隻。うちカ級一隻は撃沈に成功とのこと」

 

 ……口を挟もうとしたけど、挟めなかった。武器がないのに、出撃するって、どういうつもりなんだ?

 俺の不安をよそに、横に並んだ夕張さんが「潜水艦ですって?」と驚いた様子で言った。

 

「近海に潜水艦が現れるなんて、何年ぶりだっけ?」

「今日振りね。ゴーヤさんが撃沈したのははぐれではなく偵察だったのかしら」

 

 ま、そんな事を考える意味も時間もない。そう話を切った叢雲は、光の方へ顔を向けた。

 

「準備は良い?」

「いくらでも積めるわよ」

「うん、大丈夫」

 

 何も大丈夫な事なんてないが、今ピリピリしている叢雲に物申す気にはなれず、夕張さんが叢雲の少し離れた横に並ぶのを見て、真似して、感覚を開けた場所に並んだ。そのまま、数秒。沈黙がおりて、不安が増大する間に明かりが弱まり、暗くなってきた。同時に、足下から向こうの光の方まで、床と天井に点々と電気が灯っていき、揺らめく水面を照らし出した。すぐ近くの床に『出撃』のパネルが青白く光るのを見て、ようやくこれがどういう事か、ここがどういう施設なのかがわかった。

 

「よし、出撃するわ!」

「軽巡夕張、出撃!」

「……!」

 

 横に並ぶ二人が一歩前に出て、さらに水面へと飛び込んで行くのを横目に見つつ、防護フィールドを纏って、二人の動作を真似して跳ぶ。タァン、と水面を爪先とヒールが叩く音。弾けた水滴が光となって落ちていく。どこかから、ビィー、と重く響くブザーの音。加速して滑り出せば、天井の一部がガコンと開いて、零れ落ちるように艤装が降ってきた。隣の二人を見ていた俺は、一瞬反応が遅れて取り損ないそうになったものの、両腕で抱える事によってなんとか落とす事だけは防いだ。叢雲や夕張さんと比べれば、随分と不格好なキャッチだ。少々羞恥を覚えつつ、三式だか九四式だかの爆雷投射機らしきものを、体のどこに取りつけるのか考える。手か、足か。形状的に取りつけるのは難しい気がする。こういう時こそ確認、と二人の方を見ようとして、再び天井が開いた。降ってくるのは、たぶんソナーだ。箱みたいなのを、今度はしっかりと片手で受け止める。爆雷と、ソナー。完全対潜装備だ。

 よろしく、と唐突に二つの意思を向けられて肩が跳ねる。艤装の妖精さんの意思。姿を見せないままの挨拶に、こちらこそよろしく、と小声で返す。なんだか、あんまり感じがよろしくないんだけど、なぜだろう。

 俺の艤装はこれでおしまいらしく、これ以降降ってくる事はなかった。夕張には追加で二個、叢雲には一個追加されていたけど、これはスロットの関係だろうか。どちらも改造済みなのだろう。俺はそうでないから、二つだけ、と。

 光の中を抜け、強い日差しの下に出る。反射的に細めた目をなんとか開けて、叢雲を先頭に一列に並ぼうとしている夕張さんの後ろに移動する。それから、とりあえずソナーを右腕に固定(できるか不安だったけど、なぜかくっついた)し、後ろ腰に爆雷を張り付けて、フリーになった両手を振りつつ走り、ほうっと一息ついた。こんな風に出撃するだなんて露とも思わなかった。いつか見た、吹雪がやっていたようなのとは違ってかなり簡素ではあったけど、なんかもう既にいっぱいいっぱいだ。あれ、毎回やるのかな。

 

「……。現在天龍率いる水雷戦隊の損害、睦月小破、響、天龍中破」

「対潜装備を持っているのは天龍だけよね」

「その天龍を残して響と睦月は戦線を離脱したようね」

 

 あの人は殿を務めているようね、と囁いた叢雲の声が、風に乗って耳に届いた。しんがり。敵の足止めをするあれか。……それって、かなり危険な状態なのでは? 敵は五隻で、中破している天龍が一人って、さすがに分が悪すぎる。たとえ天龍が高レベルだったとしても、多勢に無勢だ。

 

「状況は悪いと言えるでしょうね」

「……なら、なんでそんなに冷めてるの?」

 

 ふと零した言葉に、叢雲だけでなく夕張さんまで俺の方を振り向いた。……言い方が悪かったか。でも、あんまりに叢雲の声音がぶれないから、なぜ、と疑問に思ってしまったのだ。

 

「平静を失っても、速度は変わらないからよ」

 

 冷たく、少し尖った声。それは、最初に会った時からずっと変わらないはずなのに、なんでか異様に突き放したものに聞こえた。何かよくわからない感情が胸にせり上がる。なおも言い募ろうとして、夕張さんが俺の顔を覗き込むように見てきた。

 

「熱くならないで。叢雲ちゃんの言い方は刺々しく感じるかもしれないけど、でも、その通りでしょ?」

「それは、そう……ですが」

「冷静に、この先の事を考えて」

 

 諭すように、ゆっくりと、優しく。ザザザと重なる波を掻き分ける音の中で、髪を揺らせて俺と目を合わせる彼女の姿に、胸の中の何かが引いていくのがわかった。

 大丈夫、と夕張さんが笑う。

 

「天龍達の身を案じているのは私も同じ。叢雲ちゃんもこう見えて、内心大焦りなんだから」

 

 そう言われて叢雲の方を見れば、彼女は「何言ってくれちゃってんの」とでも言いそうな顔で夕張さんを見ていた。

 ……ああ、そうか。冷めてるなんて訳、ないか。叢雲も夕張さんも、改になってるくらいに何度も戦っているはず。常に死と隣り合わせの日々の中で、冷静さを失わないようになるなんて、考えればすぐにわかる事のはずなのに。

 俺には全然そういう経験がないし、その認識も……足りなかったから、わからなかった。だけど今は、理解できる。焦ってないだけで心配してるって事が。

 当たり前の話なのに、それを疑うなんて、自分で自分の神経を疑ってしまう。謝罪しようとすると、そっと口元に一本立てた指を寄せられた。謝罪は要らない、のジェスチャー。それよりもこれからの事を、という意味なのだろう。

 

「んんっ。……とにかく、最大船速で急行するわよ!」

 

 緊急出撃までしてあの人を沈ませたら、龍田さんが黙っていないわ、とよくわからない一言を付け加える叢雲に、どういう意味だろうと夕張さんを見上げれば、前を向こうとしていた彼女の顔が少し引き攣っているのが見えて、その意味も理解した。

 

『龍田だよ~。死にたい船はどこかしら~』

 

 薙刀片手ににっこり微笑む美人さんの姿を想像して、背筋を震わせた。怒らせてはいけない人だ。

 ふるふると頭を振ってリボンを揺らし、気を紛らわせる。それから、すぅっと息を吸い込んだ。

 

「ねえ」

「?」

 

 意識を切り替える。心も切り替える。俺寄りだった考えを、艦娘として、シマカゼとしての自分に移行させていく。

 

「天龍って人が大変で、急いで助けに行かなきゃいけないんだよね?」

「……そう言ったはずよ。なぜ確認するの?」

 

 意識して、ふっと不敵に笑う。不安や陰りなど一切含まない笑み。振り向く二人へ、自信を持って言い放つ。

 

「シマカゼなら、もっと速く走れる。すぐにでもその人達のところに行けるよ」

「なんですって?」

 

 おそらく俺がそう感じてしまうだけの、咎めるような声にも、笑みは消さない。

 

「ほら!」

 

 言った事を証明するために、隊列から外れ、全速力で走る彼女達を追い越して前に滑り出て見せる。後ろ腰で手を組んで振り返り、踵で波を裂きながら走る。二人共が驚いていた。緩く口を開け、目を開いて俺を見るのは、まさに驚愕しているという状態だろう。

 

「シマカゼが先行して、みんなを助けるから!」

 

 二本指を眉の上に当て、びっ、と叢雲へ差し向ける。じゃあね、のジャスチャー。ぽかんとしていた叢雲は、その言葉に気を取り戻したのだろう、怒ったような表情で、「わかったわ。行きなさい!」と俺の背を押した。……本当に行っていいの? 良いって言うなら、行くけど。

 

「無茶しないでね。すぐ追いつくから!」

 

 夕張さんに目を向ければ、彼女も後押しするように言ってくれた。シマカゼのスピードを認めてくれたって事だ。嬉しくって、心の底から笑う。それから、足の位置を入れ替え、水平線へと体を向けた。

 風を切って走れば、もう、誰も俺にはついて来れなかった。

 

 

 進む途中で進行方向がわからない問題に考えがいって、どうしようかと悩んでしまったけれど、撤退してきた響と睦月と擦れ違う事で向かう先を認識した。立ち止まって話すべきかと思ったけど、彼女達は俺が救援だとわかると、立ち止まる事なく横を通って行った。その際に、響から通信が入る。妖精を介したものだとなぜかわかった。自然と耳に手を当て、意思を受信する。天龍を助けて欲しいという、短いながらに切実な言葉。擦れ違う際に見た彼女達は、どちらも悔しそうにしていた。その想いを汲んで、さらにスピードを上げる。体中が強張るような負担があって少し辛いが、死ぬ訳ではないから大丈夫だ。

 

 数分もせず、遠方に人影を捉える事ができた。 紫がかった短い髪に、女性的なフォルム。近付くにつれてそれが――天龍が、ボロボロだというのがわかった。

 叢雲と似た頭部の謎ユニットが無事なくらいで、黒い制服も短いスカートも、中に着ている白シャツも、所々肌を覗かせるほどに破けていて、焼け焦げている部分もあった。黒煙を上げ、赤い光を灯す後ろ腰の艤装に変わってか、銀と赤からなる刀を片手に、周囲に潜んでいるのだろう潜水艦を相手にしているようだった。

 その彼女の数メートル前に、どういう意図を持ってか、潜水艦が顔を出した。水が滴るずっしりとした長い黒髪に、顔の下半分を隠すようなマスク。あれはカ級だったかヨ級だったか。たしか、カ級?

 

「む!」

 

 天龍が回避運動をとるように横へ移動し始めた、その後ろ。音もなくぬるりと敵潜水艦がもう一体出てきた。ヨ級。異形の口から上半身を出した女性のような怪物。それが、天龍の背を狙っているように見えた。

 やらせるか。頭を低くして、全力で駆け出す。海面を力強く蹴りつけ、前へ前へ走っていく。天龍が気付いていないという事に慢心しているのか、ヨ級がこちらに気付く気配は欠片もなかった。ただ、たぶん、カ級の方は俺に気付いたはず。でもその時にはもう、俺は空へと飛びあがっていた。体を丸め、膝を抱えて一回転。勢いの方向をヨ級へ定めて急降下キックを放つ。

 

「うぇえいっ!」

『――!?』

 

 気合い一声(いっせい)、伸ばした右足の先から突っ込んでいく最大速のキックは、俺に気付いたヨ級の顔を捉える――その寸前に、海の中へ潜られる事で、避けられてしまった。

 ザシャァア、と海面を擦って勢いを殺し、すぐに振り返る。ちっ、避けられるなんて!

 

「なんだお前!」

「救援!」

 

 カ級の方も、不意打ちが失敗したと見るやすぐに潜水してしまって、パッと見は、周囲に敵はいなくなった。俺の方に下がってきた天龍が、怪しむように声をかけてくるのに、同じ声量で返す。金色の一つ目がぎろりと俺を睨んだ。左目を覆い隠す眼帯のせいか、余計に怖い。

 

「新参が一人か。頼もしいな」

 

 にっと口の端を吊り上げる彼女に、私が来たからには、と返そうとして、ずいっと近付かれるのに、喋れなかった。肩を抱かれるように引っ張られて、強引に動かされる。

 

「ちょ、ちょっと、なに!?」

「ちっ、潜水艦と戦った事はないみてぇだな」

 

 痛いくらいに肩を掴まれるのに、腕を掴んで引き剥がせば、彼女はうんざりしたように「ほんとに頼もしいぜ」と言った。あ、それ、ひょっとして皮肉!?

 

「立ち止まるな。オレを気にするな。戦うってんなら敵にだけ集中しろ!」

「う、うん!」

 

 強い口調とは裏腹に軽く肩を押されて、さっきの行動の意味を知る。それは、そうだ。立ち止まっていれば良い的だ。ましてや相手は海中に潜む潜水艦だ。敵の姿が見えているならまだしも、相手の位置も動作もわからないんじゃ、攻撃の予兆を見て回避なんてできない。

 天龍の言う通りに弧を描くように動き出す。彼女は「借りてくぜ」、と俺の後ろ腰の爆雷を一つ抜き取ると、反対方向に移動し始めた。

 っとと、彼女を気にしてはいけないんだった。周囲に気を配りつつ、艤装の妖精さんに意思を飛ばす。潜水艦の位置を割り出す事はできるか。九三式水中聴音機の妖精さんからの返答は、『静かにするなら』だった。それって、止まれって事? そいつはちょっと無理な相談だ。そうしたら、俺も爆雷投射機で戦うしかないのかな。……てきとうに投げて当たるか? もう一つも天龍に渡してしまった方が良い気がする。

 

「避けろ!!」

「えっ、……!」

 

 爆雷投射機を気にしていたせいか、迫る軌跡に気付くのが遅れた。左斜め前。すぐ近くまで迫る魚雷に反応して、右へ体を投げ出す。その動作にどれ程の意味があるのか、傍を通った魚雷が突如として爆発を起こし、衝撃に飲み込まれた。

 幸い、跳んだ時の体勢が良かったらしく、体がめちゃくちゃに回転する、なんて事はなく、海面に顔面から突っ込んで、斜めに突き立つような体勢のまま数メートル滑ったくらいで済んだ。……海面は硬くて、打った鼻が痛いとはいえ、水は水。摩擦熱はなかったし、防護フィールドのおかげで濡れてもいない。……間抜けな姿を晒させてくれた敵への怒りは凄まじいけど。

 動き出しながら立ち上がる。どうやら移動は座った状態どころか、たとえ倒れていたって、海面と接していれば行えるようだ。ちゃんとした姿勢よりはいくらか速度は落ちそうだけど、そのおかげで、立ち上がる隙を狙ったらしい魚雷は避ける事ができた。ひょこ、と顔を覗かせてこちらを窺う潜水艦に、爆雷を手に取って振りかぶると、察知したのか、潜って逃げられた。……いや、それでは逃げられない。爆雷なら、水中の相手にも攻撃ができるはず――!?

 

「たわーっ!?」

 

 魚影のような魚雷の影を視認して、慌てて回避行動をとる。今度は逃げきれなかった。至近で爆発した魚雷の衝撃に、ごろごろと海面を転がってしまう。そのさなか、怒りに任せて海面を叩き、横回転しつつ跳び上がって体勢を整え、着地と同時に後方へ。魚雷が放たれたであろう方向に、顔を覗かせる潜水艦の姿。なんでわざわざ浮上してくるわけ? おちょくってんのか。

 そいつに向かって天龍が爆雷を投げ込もうとして、しかし途中でやめて横へ飛び込んだ。ごろんと転がって立ち上がる天龍の横を魚雷が通り過ぎていく。あんなに近くを通っているのに、爆発しない……?

 その事を不思議がっている場合ではない。今魚雷を放ったらしき敵が、海面を盛り上がらせて姿を見せた。ヨ級でもカ級でもない、見た事のない潜水艦。小さな異形をの上顎から上を、まるで帽子のようにかぶっている。……奴が潜水ソ級? カ級、ヨ級、ソ級といるはずだから、それしか該当しない。おそらくそうなのだろう。

 二匹の異形を片腕に抱えたソ級は、こちらが翻弄されているのを嗤うように揺れると、再び海の中へ消えていった。

 

「くっ!」

 

 また一本、近くで起こった魚雷の爆発に吹き飛ばされて、海面を擦って後退する。傷などは負ってないけど、ただただ避けるだけしかできていない事に歯噛みする。救援に来たのに、なんにもできてない。それが悔しかった。

 顔を出すカ級に攻撃を加えたくても、別方向から放たれた魚雷を避けている間に潜ってしまう。その後に現れた奴も、その後の後に現れた奴も同じ。これでは、敵の魚雷が切れるまで延々この状況が続いてしまう。それを打開するには、叢雲達の到着を待つか、倒すしかない。

 

「……ふぅー」

 

 倒す。こんなに多い相手の攻撃の隙をどう突くか。

 それはもう思いついた。でも、結構危ない橋を渡る事になる。

 やらなくたって、叢雲達がくれば劣勢からは脱する事ができるかもしれない。それを待たずにやろうと思ってしまうのは……一方的に撃たれて頭にきてるのもあるけど……どうしても。

 どうしてもこのシマカゼが、奴らを倒したいからだ。

 助けに来た。だから助ける。じゃなきゃ、俺の気が治まらない。

 

「頼んだよ、妖精さん」

『任せて』

 

 ソナーの妖精さんに一声かけ、ブレーキをかけて、その場に止まる。爆雷を投射機に差し込み、手を払う。

 息を吐き、腰を落として、『静かに』する。両手は前に。ゆっくりと広げて、左腕は肘を腰につけ、右手は体の中心、顔の高さの、その前方へ。目を閉じれば、風が海の上を通る音や、海面を滑る人の音、それから、僅かな息遣いがはっきりと聞こえてくる。

 どくどくと心臓が脈打つ音の中に、妖精さんの意思が混じったのは、その時だった。

 

「!」

 

 ソナー妖精さんの示した右へ顔を向け、構えはそのままに体も向ける。すぐさま、前へと跳躍。真下へきた魚雷を飛び越えようとした瞬間に、また魚雷が爆発した。爆雷妖精さんがジャンプの瞬間に落とした爆雷もまた、連鎖して爆発する。その衝撃を推進力に、跳び蹴りの体勢に移行していた俺は、全身矢のように放たれた。今まさに、海上へ頭を出したヨ級に向かって。

 

『――!!』

 

 足裏が顔に突き刺さった瞬間には、もう突き抜けて海面を擦って着水していた。ザアア、と波が立ち、水煙が巻き起こる。それらは、背後で起きた爆発と爆風で晴らされた。

 まずは一体。立ち上がり、振り返ると同時に急加速。視界に入った、おそらくは天龍への雷撃の後に出てきたであろうカ級目指して、最高速で突っ込んでいく。キックで仲間が倒された事に呆けているのか、こんなに大胆に向かっているというのに向こうの動きがない。その隙を狙う。悪いけど、敵のアクションを待ってやるほどお人好しじゃないんでね。

 駆けて駆けて、姿勢を低くし、スライディングの要領で海面に滑り込んでいく。はっとしたように潜ろうとするカ級の首に足先が突き刺さった。そのまま顎をぐいと蹴り上げ、勢いのまま体ごと持ち上げてやる。灰色の体がずるりと引き出され、駄目押しに反対の足で蹴りつければ、ついに全身が外へと出てきた。

 カ級を暴き出すために勢いの全てを使ったために、その場で立ち上がり、ジャンプして、思い切り足を振り抜く。頬を打ち据えた勢いのまま半回転。カ級に背を向けて海に下り立つ。それから、歩き出した。

 ボチャンと重い物が落ちる音。やがて海面が盛り上がり、波と大粒の水滴を撒き散らした。よし、倒せたみたい。

 残りはカ級とヨ級とソ級が一体ずつ。二対三。敵の数が減って余裕が出てきたためか、まだ魚雷を打った後に姿を現すという不可解な行動をするヨ級が、潜りざまに天龍の投げた爆雷の餌食になった。これで、あと二体。

 でも、今ので爆雷は品切れだ。キックだって、そう簡単には当たってくれないだろう。実を言えば、さっきの無茶なキックで小破してしまったみたい。機動力がほんの少し落ちているのがわかって、眉を寄せた。よっぽど隙を突かなきゃ、攻撃を当てるのは難しくなっただろう。

 敵は減ったのに、打てる手が無くて避けるだけしかできない。そして、天龍の方は完璧に魚雷を避けられるのに対して、俺はどうにも読みが甘いのか、避け方が悪いのか、魚雷の反応範囲から逃れられずに少しずつダメージを受けてしまっている。このままじゃジリ貧だ。

 ――いや、どうやらそうでもないらしい。

 

「お待たせ!」

「沈みなさいっ!」

 

 いつの間に来ていたのか、叢雲と夕張さんが横並びになって滑ってきていて、そのまま一斉に爆雷を放った。もちろん、艤装からだ。五つも六つも飛んで行った小さなドラム缶みたいな爆雷は、海中に逃げ込んだ二体を一気に撃破してしまった。……あんなにあっさり。

 二人は俺の横までやってきて、夕張さんが「今ので終わり?」と聞いてきた。頷けば、ふう、と一息。

 

「あんたらか。助かったよ」

「礼には及ばないわ。さっさと帰投するわよ」

 

 砕けた敵潜水艦の艤装が浮いている方を眺めながら滑ってきた天龍が、緊張を解いたように緩く笑んで、叢雲に礼を言った。つんとして切り捨てられたけど。

 

「チビ共は無事か?」

「……ええ。あなたが逃がした時のままよ」

 

 腰の鞘に刀を収めながら、天龍が響達への心配を口にした。彼女達も天龍を心配していた。……浅くない信頼が窺えて、なんだか体がむず痒くなってしまう。

 その天龍が今度は俺を見て、ついでにこっちに歩み寄ってきた。

 

「よう。お前さん、無茶な戦い方をするな」

「……そうかな」

「ああ。戦いのイロハがなってねぇな」

 

 あはは。駄目だし食らってる。

 仕方ないか、あんな風に戦ってたんだから。

 

「だけど筋は悪くない。鍛えりゃ相当使えるようになりそうだ」

「どうも」

 

 ……褒められてるのか? これ。……褒められてるんだよな。

 素直に喜んどこう。

 

「無茶したのね。……でも、よく頑張ったわ。偉い偉い」

 

 夕張さん(こっち)はストレートに褒めてきた。えらいえらいと頭を撫でられたんだけど、えーと、すっごく微妙な気分です。いや、嬉しいと言えば嬉しいんだけど、頭を撫でられるような年ではないので……気恥ずかしいというかなんというか。

 あ、妖精さんもありがとうね。

 ソナー妖精さんと爆雷妖精さんを労えば、弾んだ調子の意思が返ってきた。あれ、最初と比べて、なんだか気安い感じ。

 戦いを通して信頼を勝ち取れたとか、そんな感じかな、なんて考えていれば、叢雲が鋭い目つきで遠くを見ているのに気付いた。同じ方を見ても、水平線しかない。……いや、ずっと向こうの方に、黒い点々がある気がする。

 

「……! 十二時の方向に敵影確認! 軽巡一、駆逐三!」

「うそ、こんな時に……!」

 

 どうやら新たな深海棲艦のお出ましらしい。ただ、今度は潜水艦じゃなくて、軽巡率いる水雷戦隊のようだ。……敵影確認、でかなりドキッとしたけど、なんだ、弱いのばっかだね。

 

「撤退は……間に合わないわね」

「置いて行っても構わねぇよ」

 

 艦隊の損傷具合から判断を下す叢雲に、シャッと刀を引き抜いて構える天龍。……そうか、みんな今、対潜装備しかないんだ。だからただの水雷戦隊相手でもかなり険しい表情してるんだ。

 ……あれ、でも俺、艤装使わなくてもあれくらいなら倒せるんだけど。実際島にいた時はやってたし。……ノーコンだからね、体一つで戦うしかなかったのだ。

 現在小破しているけど、それでも軽巡一隻だけなら潰せる。そう自信を持って言える。……残った駆逐三隻に狙い撃ちにされて終わりそうな気もする。朝潮がいれば話は違うんだけど……ああいや、誰か一人でも砲撃で援護してくれたなら、やっつけるのはそう難しくなかったはず……って、だからみんな険しい顔してるのか。

 ようやっと事態をのみ込めて、背中に冷たいものを感じていれば、敵影はぐんぐんと近付いてきて、もう目を凝らさなくても何級かまでわかるくらいになっていた。なんか一番右の……ちょうど俺の直線状の駆逐が赤く光ってる気がするんだけど、あれってひょっとして上級種(elite)では……。

 

「まだ少し爆雷が残っているわ。受け取って」

「ありがとうございます」

 

 夕張さんが手渡してきた爆雷を投射機にセットし、それから、叢雲の指示に従って後ろに下がる。梯陣形。損耗の無い叢雲と夕張さんを先頭に突撃して、至近から爆雷を当てて一気に決めるつもりらしい。現状とれる手は多くない。斜め後ろに立っている天龍も、かなり消耗しているらしく、息が荒い。さっきはそう見えなかったのに、我慢していただけなのだろうか。

 

「さあ、行くわよ!」

「たまには一種類の武装で戦うってのも、いいかもね!」

「……!」

 

 自身を鼓舞する言葉を発しようかと思ったけれど、咄嗟に思い浮かばず、天龍同様無言で滑り出す。白く立つ波を蹴散らし、敵艦隊へ突撃。巨大なイ級eliteがまっさきに口内の砲身を俺に向けてきた。俺狙いか。お目が高いね。後ろ腰に手を伸ばし、爆雷を握る。大丈夫! と爆雷妖精さんの意思。……うん、大丈夫。奴の攻撃なんて避けてみせる。そして、仕留めてみせる。

 単横陣で向かってくる敵艦隊との接敵まで残り僅か。他の敵艦もそれぞれ砲を動かし始める。イ級eliteの砲身はぶれずに俺に向けられているままだった。すぐには撃たず、確実に当てようとでもしているのか、生意気な。

 

「消えろっ!」

 

 叢雲のかけ声と共に、爆雷を投射しようとして、海面が膨れ上がった。腹に響く爆発音が連続で鳴り響き、水柱が高く立つ。真っ二つになった船体が宙に舞い上げられ、ばらばらに砕けたものと混じって飛び散る。

 

「……!?」

「な、え?」

 

 困惑の声は、誰のものだったのか。まさに今砲撃してこようとしていた敵艦隊は、瞬き一つ分の間に粉々になって、海面を漂っている。

 今のは、いったい……?

 

「やりぃ! 深雪様が一番だぜぇー!」

「大丈夫ですかーっ!」

 

 やたら元気な声と共に、遠くからこちらへ向かってくる人影があった。どうやら味方の援護があったようだ。全体で減速して泊まり、一息つく。危機が去って、どっと疲れが圧し掛かってきた。叢雲なんかは、「あっぶないじゃない、びっくりした……」なんて呟いていた。……あれ、疲れとは関係ないな、これ。

 

「どうやら間に合ったみたいね。……酷い怪我」

 

 由良を先頭に、深雪と五月雨が続いて目の前へとやって来た。心配された天龍は、頭の後ろを掻きつつ、ああ、まあ、助かった、とどこかやりきれなさそうに言った。……二度助けられた事に、思うところがあるんだろうな、たぶん。

 さて、天龍水雷戦隊の救援に駆けつけた俺達だったけど、逆に窮地に陥り、由良水雷戦隊に助けられてしまった。それはとてもありがたい事だけど、あまり格好良くはないな。格好良い悪いで生死を決めたくはないけど。

 

「ちょうど海上護衛から戻ったのね」

「ええ。戻るのが少し遅れちゃったけど、結果的にはそれが良い方に作用したみたいね。……余計だったかな」

「いいえ。危ういところだったから助かったわ。ありがとう」

 

 旗艦として改めてお礼を言う叢雲に、由良は控え目に頷いて、間に合って良かった、と言った。

 

「なぁ、なんか見ない奴がいるな」

「叢雲さんといるって事は、凄い人なのかなぁ」

 

 ……五月雨と深雪がこしょこしょと内緒話をしているみたいだけど、聞こえてる聞こえてる。……凄い人? ……叢雲が?

 ああ、出撃を認可できる立場にあるって、相当凄いのかも。かもじゃなくて、凄い、か。

 でも、そんな権限を持っている叢雲には、色々と訳があるみたいで……。

 あー、気が抜けたせいか、気にしないでおこうと思っていたものが色々と気になって仕方ない。

 むぐむぐと唇を動かしていれば、俺達は彼女達と共に帰投する事になった。まともな武装を持っている彼女達に守ってもらう形になる。

 ……ううん。なんか、締まらないな。仕方のない事だけど。

 先を行く彼女達の後ろで、ちょっぴりブルーになったりした。





ソニックペネトレイト
(不発)

トルネイドブレイク
(必殺キック技)

スプラッシュラッシュ
(キック技)

深雪スペシャル
(魚雷)


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第十八話 吹雪

睦月は犠牲になったにゃし。部屋割りの犠牲……その犠牲にゃし。
にゃしぃいいいいいいいい。

案内編がようやく終わりを迎えました。司令官のおかげです。


 

 艦隊帰投。

 由良水雷戦隊・天龍と別れ、俺達は緊急出撃用の施設へと戻ってきた。

 借り物の艤装はここで返却するらしい。整備員らしき妖精さんがわらわら出てきて、艤装を渡すとわっしょいわっしょいと運んでいった。なにあれかわいい。

 

『わりとサティスファクション』

『こわかった』

 

 運ばれていく艤装から顔を出した妖精さん達が、そんな意思を伝えてきた。

 爆雷の妖精さんは満足げで、探信儀の妖精さんは少し不満気。ごめんねとありがとうを伝えると、どちらも笑顔になった。

 

 少し汚れてしまった服を払ったりして身嗜みを整え、出撃と帰還の報告をするために、提督の下へ向かう運びとなる。

 ……のだけど、ちょっとした不具合が生じているのに立ち止まって、とんとんと床を爪先で叩き、靴の調子を確かめる。

 

「……何をしているの。行くわよ」

「あ、はい」

 

 ここに戻ってくる時も感じていたんだけど、なんだか靴の具合が悪い。ぐらぐらするというか、ギチギチ言うというか。なんだろう、ちょっと無理させ過ぎたかな。でも見た感じ、なんともないんだけど。

 首を傾げつつ、俺を促す叢雲に返事をして、歩き出す。……ヒールに違和感。なんて思っていたら、出入り口の段差に引っ掛けてしまった際に、ぽっきり折れてしまった。あらまー……どうしましょ。

 左のヒールはなんともないんだけど、よく蹴りに使ってた右足の方は駄目になっていたみたいだ。足を伸ばすと(かかと)でしか立てず、地面に足をつけていると左右に揺れる。左足に体重を寄せれば問題ないけど、歩くのはちょっと辛そうだ。

 

「どうしたの? あら、ヒールが折れちゃったのね」

 

 遅れている俺に気付いた夕張さんが戻ってきて、難儀している俺を見ると、あー、と理解したように頷いた。

 なんだか恥ずかしい。自分の不注意で靴を壊してしまうだなんて。

 あと、ヒールが折れるってアクシデントが、男性にはないものだから、そこも少し気恥ずかしかった。

 

「すみません」

「謝る事はないわ。それより、代わりがいるわね。……あ、ちょっと、そこの君」

 

 近くにいた妖精さんに一声かけた夕張さんは、代わりの靴を用意するよう頼むと、ちょっと見せて、と片膝をついて俺の足に手を当てた。靴を覗き込む彼女の頭を見下ろして、それから、向こうの方で立ち止まってこちらを見ている叢雲へ目を向ける。……あ、不機嫌っぽい? ただ立っているだけにも関わらず、そんなオーラが見えた気がした。待たせちゃってるからかな。

 

「裏も……かなりボロボロね。結構無茶してるでしょ」

「……少し」

「ううん、少しでこうはならないと思うんだけど。どうすればこんな風になるのかしら」

 

 募る申し訳なさに内心冷や汗を流していると、ヒールだけじゃなく、靴裏なんかも見ていた夕張さんに、咎めるようにそう言われてしまった。キックしまくってたらこうなりました、とは言い辛くて言葉を濁していると、妖精さんが靴を一足持ってきてくれた。いや、靴というよりはサンダルかな。そっか、サイズとか見てなかったもんね。ぴったりの靴を持ってくる訳ないか。

 妖精さんにお礼を言って、靴を履き代える。うーん、靴を履いてるのに爪先立ちじゃないってのに、凄い違和感。あと、なんか目線が低くなった気がする。屋内では靴は脱いで動いていたから、気のせいだとは思うんだけど。

 

「こっちの靴は、そうね……うん、私が直してあげる」

「え、いいんですか?」

 

 そこまでしてもらうのは気が引ける……というか、直せるんですか?

 夕張さんは、にっこり笑って、もっと頑丈なのを(こしら)えるわ、と言った。なぜそんなに良くしてくれるのだろう。理由はいまいちわからなかったが、シマカゼがその靴でなくなるのは少し困ってしまうので、彼女の好意をありがたく受け取る事にした。

 俺の靴も、妖精さんの手によってどこかへ運ばれていく。夕張さんが指示を出していたみたいだから、行き先は彼女の工廠かもしれない。

 

「お待たせしました」

 

 ぱたぱたとサンダルを鳴らして急ぎ叢雲の下に行き、謝罪の言葉を口にする。彼女は何も言わずに背を向けて歩き出した。やっぱり不機嫌なのかなー。もたもたしすぎたか。

 後ろ頭を掻きつつ、彼女を追って小走りに駆けだした。

 

 

「失礼――」

「っと、ごめんよ!」

 

 執務室の前まで来て、ノブに手をかけようとした叢雲は、扉が開いて飛び出してきた深雪に肩をぶつけられてよろめいた。慌てて夕張さんが背を押さえて転倒を防ぐ。

 

「うわ、本当ごめん、じゃない、すみませんでした!」

「深雪ちゃん、何やってるのー!?」

 

 その場で駆け足しながら向き直って謝り直した深雪は、ぶつかった相手が叢雲だとわかると、大袈裟に頭を下げた。室内からぱたぱたと五月雨がやって来て、夕張さんに支えられて体勢を立て直している叢雲と、「マズった」とでも言いたげな顔をしている深雪を見回すと、す、すみません! となぜか謝った。

 

「……気にしないでいいわ。大事な用があるんでしょ? 行きなさいな」

「あー、そうそう! 朝潮の奴が帰ってきたって!」

 

 朝潮?

 ……ああ、そういえば朝潮の話に深雪達の事が出ていたな。今思い出した。そうか、彼女達は朝潮と同じ隊だったのか。

 それで、彼女の帰還を知らされて急いでいる訳だ。

 

「って訳で、ごめんな。よし、行くぜ五月雨!」

「あ、深雪ちゃん待ってー!」

 

 じゃ、と軽く手を挙げた深雪が風のように駆けていくのを、五月雨がぱたぱたと追う。長い髪が揺れるのを眺めていれば、ふう、と叢雲が息を吐いた。

 

「大丈夫?」

「……ええ」

 

 問いかければ、叢雲は二の腕辺りを手で払いつつ、目を細めて廊下の奥を眺めた。深雪と五月雨の去って行った方。

 一種の寂寥感。そういったものが彼女の瞳から読み取れた……気がしたのだけど、叢雲がすぐに扉の方に向き直ってしまったために、本当にそうだったのかがわからなくなった。

 推測はできるが、今は考え事をしている暇はないようだ。再度ノックをした叢雲がノブを捻って扉を押し開け、失礼するわ、とつんとした声音で言った。

 叢雲に続いて入室する夕張さんの後にくっついていく。二度目ともなると、この豪華で踏み入り難い雰囲気の部屋に入る事には、抵抗を感じなくなってきた。

 部屋の中央には、数時間前にここに来た時と同じように(とはいっても、顔ぶれは違うが)、天龍、響、睦月と由良の四人が中央に並んで立ち、提督と、机の脇に立つ電――おそらくは秘書艦なのだろう――と向かい合って、何事か話していた。

 横一列の並びに加わる。俺は端っこだ。

 なんだかこうしていると、学生の頃を思い出すな。お店でも同僚と横並びになる事はあったけど、なぜだかこういうのは学生の頃の印象が強い。そっちの方が長い経験だったからかな。

 

「お疲れのところすまない。報告を聞こう」

「ええ。まず最初に――」

 

 提督が促すのに合わせて、叢雲が報告を始める。救援要請を受けてその場で艦隊を編成、助秘書の権限をもって出撃を認可し、緊急出撃。潜水艦による強襲部隊を撃滅。警備任務に従事していた天龍と共に無事帰投した。

 纏めると、そんな感じ。……そういえば、ジョ……助秘書……って、なんだろう。たびたび名前を聞くけど、秘書艦の補佐? ああ、だから叢雲はそういった権限を持っていたのか。

 うんと頷いた提督は、緩く片手を上げて、よくやってくれた、と俺達を労った。

 

「危うくかけがいのないものを失うところだった。感謝する」

「ですって」

「……不甲斐ねぇな。潜水艦程度にやられるなんてよ」

 

 感謝を受けた叢雲がなぜか天龍に話を振ると、天龍も天龍で自分を責めるような事を言って天井を見上げた。……話噛みあってないんだけど、あれ、俺何か聞き逃したかな。

 

「いや、責めている訳ではない。対潜装備を最小限にしていた俺のミスだ」

「……司令官さん」

 

 天龍をまっすぐに見つめて自責する提督を、電が咎める。俯きがちな顔に困ったような表情を浮かべているという弱々しい印象と違って、しっかりとした声だ。

 提督が謝罪の言葉を口にした事に対しての言葉なのだろうか? 上が軽々しく頭を下げてはいけない、とか。

 

「この数年間、近海に潜水艦が現れる事はなかったから、仕方ないと思うな」

 

 提督をフォローするように、由良が言う。彼女の容姿は、だいたい中学生かそこらに見えるのに、すっかり落ち着いた、ゆったりとした声だった。

 見た目と年齢の違いにも、はやいとこ慣れないといけないかもしれない。

 

「ああ。温い環境にすっかり慣れちまってよ、おかげでこのザマだ」

 

 ハッと笑って腕を広げる天龍。胸の下側や、裂けたスカートから覗くふとももを惜しげもなく晒しているのは……ああ、そんなところに目がいってしまうのは、うん、(よこしま)だな。提督も、組んだ両手に顔の下半分を隠し、真剣な顔してそっと目を逸らしていた。

 

「ううー、睦月、なんにもできなかったのです……」

「……」

 

 少し服が汚れている程度の睦月がしゅんとして、制服の下半分が破れてお腹が出てしまっている響は、何も言わず帽子のつばを引いて、深くかぶった。

 

「気にするな……と言うのは酷か」

 

 彼女達の事を想ってか、慰めようとした提督は、しかし途中で言葉を切り替えた。

 なぜ? そこでそうやって許してやる事が心を軽くするのではないのだろうか。

 しかし、天龍達の様子を見る限りでは、そうではないらしい。不満気で悔しげな……そう、叱責された方がマシだ、みたいな、そんな雰囲気があった。

 

「……A海域を使わせてくれ」

「ふむ……演習の予定はなかったな?」

「今日は、C海域で15時からだけなのです」

「よし、許可しよう」

 

 提督が電に確認すると、彼女は抱えていた画板みたいなのに挟まれた紙束をぺらぺらと捲って、そう告げた。

 A海域……とかってのは初耳だ。案内されてなかったし……でもどうやら、演習で使われる場所のようだな。演習ってのは、友軍とやるもののはずだけど、だとするとひょっとして、今この鎮守府には別の鎮守府の艦娘が来てたりするのかな。

 

「うっし、お前ら。風呂入ったら特訓だ。一から鍛え直すぞ」

「はい! お願いします!」

「……やるさ」

 

 拳を握って強めの口調で言う天龍に、力強く頷き返す二人。提督は、そんな三人を見て、退室してよし、と言った。

 

「頑張ってね」

「よぉーし、睦月、頑張りますよー!」

「うん」

 

 小さく手を振って励ます由良に、それに対しても頷いて返した睦月と響は、かなり気合いが入っているみたいだった。張り切ってるなあ。なんか、微笑ましい。

 

「何かあったらオレを頼れよ。借りを返すぜ。……じゃあな」

 

 由良に一言投げかけた天龍は、睦月と響を引き連れて出て行った。その三人も退室の際、軽く頭を下げていた事から、やはりあれはそういう挨拶なのだろう。覚えておかねば。

 

「さて、まず……由良。君達の働きに見合った報酬を用意しよう。何がいい」

「あの子達の分も、由良が勝手に決めちゃっていいのかな」

「後で、でもいいんだ。今はとりあえず、君の望みを聞きたい」

「……由良は、みんなが朝潮とゆっくり話す時間が欲しいって思ってるんだけど……」

「休暇だな。うん、朝潮も少し休ませなければならないし……わかった」

 

 他の二人からも何か要望があれば伝えてくれ。

 提督が言い終わると同時、電が紙を一枚ぺらりと抜いて、由良へ差し出した。静かに礼を言った由良が受け取ると、それで由良への話は終わりらしく、退室を促された。

 彼女が部屋から出て行く際、――ちょうど、室内へと向き直った時に――目が合った。ほんの数秒俺を見ていた由良は、特に何かを言う事もなく提督に顔を向けて頭を下げると、扉を開けて出て行った。

 ……なんで最後に俺を見てたのだろう。また、あれかな。誰だこいつって思われてたのかな。

 

「また助けられてしまったな」

 

 扉の向こうに意識を割いていると、ふと提督に声をかけられている事に気付いて、ゆっくりと顔を向け直した。

 

「君にも報いたい。だから、何か望みがないかを聞きたいのだが……」

「……」

「ああ、いや。そうか、そうだな……たとえば……うーん」

 

 望みがないか、なんて聞かれても、特に何も思い浮かばないので黙っていれば、提督は一人で何事かを納得して、うんうん唸りだした。

 よく意味がわからずに首を傾げていると、見かねたのか、電が提督の耳元に口を寄せて、ぽそぽそと囁いた。ああ、と顔を上げる提督。

 

「それはお金でもいいし、お菓子や本などの現物でもいい。君に外出許可は出せないが、できる限りの事は叶えたい」

 

 ……ああ、何を悩んでいるのかと思ったら、俺が黙った理由の事か。

 あの孤島で目覚めてからここに来るまでの記憶しかないと話している俺に、何が欲しいかと聞いても、どの程度の事を望めば()いかがわからないと判断したのだろう。事実、俺は何を言えばいいのかわからなかった。

 ご褒美って、お金とかお菓子とかなんだ。俺に外出許可が出せないのは……正式にここに所属している訳ではないから、だろうな。

 他の鎮守府に自分が所属していたらを思って憂鬱(ゆううつ)になっていると、視界の端にいる叢雲の顔が目に留まった。そこから、夕張さんの方へ目がいく。

 ……そうだ、彼女が俺の靴を直してくれるって言うし、対価は用意したいよな。

 

「じゃあ、お金が欲しいです」

「ああ、わかった。あまり大きな額は出ないが……一応聞いておこう。幾らぐらい欲しいんだい?」

「いくらくらい……? ……いくらくらいだろう」

「……どうして私の顔を見て言うのかな?」

 

 靴の修理費はいくらかな、と夕張さんを見れば、不思議そうに聞き返された。ええと、理由は言わないでおこう。お金はいらないって言われそうだし。直った靴を渡される際に、電撃的に代金を渡してしまえば押し切れそうだ。そうしよう。

 ……あ、でも、いつお金もらえるんだろう。……聞くか。

 

「すぐに欲しいんだね。それもそうか。後で叢雲に渡しておくから、受け取ってくれ」

「わかりました」

 

 お、そういうのの受け渡しも助秘書である叢雲の役目なのかな? それとも、相手が俺だから叢雲に頼まれたのだろうか。

 続いて提督は、叢雲と夕張さんにも褒美は何が良いかと尋ねた。

 休暇。それが叢雲の答え。珍しいな、と自然に思ってしまった。彼女とは数時間の付き合いだが、休みを取りそうに見えなかったのだ。でも実際は、彼女は端的に休みが欲しいと言った。

 ……それもまた、彼女の過去に関係のある事なのだろうか。

 夕張さんの答えは、ネジ! だった。……ネジって、あのネジ? 改修に必要な……。

 

「……それはちょっと」

「ええー。一個だけ、一個だけでいいから、なんとかならないかなあ」

 

 一本指を立ててせがむ夕張さんに、しかし提督は渋い顔をする。貴重な物なのだろう。もしくは、それを報酬とできるほどの働きではなかった、とか。

 渋る提督に、一個だけ、と押し込んでいく夕張さん。

 彼が助けを求めるように電を見ると、電はまた書類を捲って、「一つ余裕があるのです」と言った。

 

「ほんと!? それが欲しいな。欲しいなー!」

「わかったわかった。電、頼む」

「なのです」

「やったー!」

 

 万歳する勢いで喜ぶ夕張さん。テンション高いなあ。好きな事をできるって喜びが大きいんだろう。隣にいる叢雲はうるさそうにしているけど。不機嫌メーターがあったら半分以上昇ってる感じ。

 隣の部屋に向かった電が――地味なせいで扉に気付かなかったが、出入り口の他に、隣室に続く扉があった――封筒を持って出てきて、夕張さんにそれを渡した。それにネジが入っているのだろう。……小さいんだ、ネジって。

 

「ああ、念願の改修工廠開設……! 夢が広がるわ……」

 

 両腕で胸に封筒を抱えた夕張さんは、恍惚としてそう言った。……この様子ではすぐには戻って来そうもない。

 

「……そういえば、叢雲。案内は終わったのか?」

「後は寮に通すだけよ」

「そうか。……そうしたら、そのまま休んで良い。引継ぎだけしてくれれば、後は自由にして良いぞ」

「わかったわ」

 

 引継ぎ……あ、助秘書って、当番制なの?

 そういえば秘書艦もころころ変えられたっけ。

 叢雲が電から用紙を渡されると、そこで退室してよし、と言われたので、三人で部屋の外に出る。退出の挨拶はびしっと決めた。……それが硬く見えていたらしく、部屋を出た後に「緊張してた?」と夕張さんに心配された。無駄な力が入ってたみたい。まあ、まだ慣れてないから。……慣れてないから仕方ないのだ。何に慣れてないのかは自分でもよくわからないが。

 

建物を出て。T字路の突き当たり。夕張さんの工廠は左で、艦娘の寮へは右に行かなければならない。なので、夕張さんとはここでお別れだ。

 

「あ、あの」

「? ……どうしたの、島風ちゃん」

 

 別れ際、彼女に靴が直るのはいつぐらいになるのかを聞くと、すぐとりかかるから、明日には返せるわ、と言った。

 じゃあ、と肩まで手を上げて「じゃあね」を言おうとする彼女を制して、どうして靴がボロボロなのかを話す。

 直してもらうのに、傷ついた理由を話さないのは何か違うと思ったのだ。

 余計な事かもしれないが、話しておきたかった。

 

「ああ、そういう使い方……」

 

 主に蹴りを主体で戦ってきたから、と伝えると、彼女はどこか納得したように頷いた。

 

「砲雷撃が苦手なので、それで……」

「そうなんだ? 駆逐艦の子でそういうのは珍しいわねー。ふふ、大丈夫、苦手はいつかなくなるから」

 

 そういうの、とは、キック主体……つまり接近戦を仕掛ける事を指して言っているのだろう。駆逐艦の子では、という事は、戦艦やらは頻繁にやっているのだろうか?

 

「そういう訳じゃないんだけど、どうしても近付かれてしまう事ってあるのよね。力が強い戦艦の人なんかは、主砲を動かすよりも手を動かして応戦する方が速いって考えるみたいで」

「へえ。やっぱり、戦艦の方がずっと力は上なんでしょうか」

 

 駆逐艦と比べれば、それは当然。俺の問いにそう答えた夕張さんは、駆逐艦の子は速さが武器ね、と(おぎな)った。

 

「スピードなら自信があります。私のキックなら、きっと戦艦だって倒せます」

 

 速さといえばこの(シマカゼ)だ。

 びっと敬礼しつつ言うと、夕張さんは笑って頷いてくれた。でも、後ろで聞いていた叢雲は違ったらしい。

 

「自信があるのは良い事ね。けど、基礎を疎かにしてはいつか自分の首を絞める事になるわよ」

「う、はい……」

 

 隣に来た叢雲に戒められて、しゅんとしてしまう。ちょっと調子に乗ってしまった。そうだよね、砲撃や雷撃がまともにできないなんて、艦娘としては欠陥品もいいとこだ。

 ちゃんと訓練すれば、当たるようになるかなあ。

 

「そういう事なら、もっともっと頑丈に作るから、期待しててね」

「はい。お願いします」

 

 俺の様子に苦笑していた夕張さんが、俺の戦闘スタイルに合わせて靴を直してくれると言ってくれたので、改めて頭を下げて感謝を示す。

 それから、「またね」、と手を振って別れた。

  

 駆逐寮は、ミニマンションの建ち並ぶ敷地に入ってすぐの、最前列組がそうだった。それぞれA棟だとかB棟だとか呼ばれているけど、そう呼ぶ人は少ないんだとか。

 俺が寝起きする事になる場所は、一番右の建物だ。玄関に入ると、古い匂いがした。下駄箱があるからだろうか。それとも、内装が木造っぽいから?

 先導する叢雲は、靴を脱いだりはせず、そのまま広い廊下へと上がった。……土足なんだ。じゃあ、この下駄箱はなんなんだろう。なんにも入ってないけど。

 玄関からすぐの広間には、左右に扉、正面に昇り階段と、カウンターのようなスペースがあった。寮監のいた場所、らしい。その横に、もう一つ扉。

 

「寮監の人って、普通の人?」

「さあ?」

 

 さあ? って。ここを管理、監督する人の事なのに、関心無さそうだ。……その人とは、あんまり関わりはないのだろうか。

 

 今はいないの? と聞くと、今はもういないわ、と返された。出かけてていないのかって意味の問いかけだったんだけど……それって死んだって事かな。と思ったけど、そうでなくて、艦娘寮ができた初期の頃はいたらしいけど、現在は寮監はいないんだって。

 

 右の扉の先は談話室で、左は宿直室……今は、物置になっている。寮監のいたカウンターの横の扉は、お手洗いだ。トイレ。

三段ほど上がると、小さな踊り場で折り返しになっている。正面の壁に掲示板があって、そこに広報紙が一枚だけ貼ってあった。これが噂の青葉作の新聞なのだろう。さっと目を走らせて確認した限りでは、俺の情報はなかった。それは当然か。

 『新入荷 間宮さん特製スイーツとは』『木陰に伏せる人影の正体』『栄光の第一艦隊 正規空母赤城さんに突撃インタビュー 詳細は←』……うん? 詳細とやらがない。矢印を目で追っても、画鋲(がびょう)が四つ残っているだけで、そこに貼ってあったのであろう新聞――であっているのだろうか――は影も形もない。

 その行方に思いを馳せる時間は、流石に無かった。流石の認識力か、横切る中でそれだけの情報を頭に入れ、考える事ができたけど、そこまで。

 階段を一つ上がれば、小さな踊り場と、まっすぐ伸びる廊下があって、左右にいくつか扉があった。

 

「あ……」

 

 ……廊下の向こうの方、一つの扉の前に、朝潮がいた。五月雨と深雪の二人と何かを話している。艦娘の聴力ならば聞こえるだろう会話はしかし、耳に入ってくる事はなかった。

 ただ、久しぶりに朝潮の姿を見た気がして、彼女と話したくてたまらなくなった。

 でも、彼女は今、穏やかな微笑みを浮かべて二人と再会を喜び合っている。……邪魔しちゃ悪いだろう。叢雲は、三段ほど上で俺を振り返って待っていてくれているけど、それに甘えて朝潮の下まで行く気にはなれなかった。

 ……案内が終わった後なら、たぶん好きな時に会いに行けるだろう。今は、このまま先に進むとしよう。

 妙な痛みを感じる胸をぐいと拭って、階上へと目を向けた。

 叢雲を促して、もう二つ階を移動する。

 三階。

 最上階にあたるここの、真ん中辺りの部屋が目的地らしい。目的の部屋に行く途中に、給湯室を見かけた。コンロとか、やかんとかがある狭い部屋。

 

「ここね」

 

 部屋の前で立ち止まった叢雲が、一度俺を振り返って確認してから、ノックはなしにノブに手をかけた。ええと、四番目の右の部屋、四番目の右の部屋……っと。うん、覚えた。

 

「あ、お帰りなさい」

「ぽい?」

 

 部屋の中には、二人の少女がいた。黒髪一つ結びの吹雪に、金髪緑眼の夕立だ。前髪に赤いリボンが結ばれている。白いセーラー服の吹雪と、黒い……制服の夕立が対照的だ。

 硬めのカーペットに直で座ってテーブルを囲んでいた二人のうち、吹雪が立ち上がった。……叢雲を迎えるためだろうか。立ち上がった理由は、俺にはよくわからなかった。

 

「そちらの方は……」

「新しいメンバーよ。最低三日はここで過ごす事になるわ。……ほら」

 

 振り返った叢雲に促されたので、押して支えていた扉から手を離して、一歩前に進む。……ああ、扉の前だけ一段下がっていて、ここで靴を脱ぐようになっているみたい。

 

「駆逐艦、シマカゼです。少しの間お世話になります」

「初めまして。特型駆逐艦、吹雪型1番艦の吹雪です。よろしくお願いしますね」

「白露型駆逐艦、夕立よ。よろしくね」

 

 吹雪はびっしと敬礼してはきはきとした挨拶を、夕立は立ち上がって緩い挨拶をしてきたので、二人に軽く頭を下げて、「よろしく」を返す。

 ふと、机の上に目がいった。四角く大きな、四本足の木机の上には、様々な物が置かれている。といっても、ほとんどがお菓子だ。ずっと昔に食べたっきりで、最近はあまり目にする事もなくなった駄菓子などが散らばっている。懐かしいな、なんて呟いてしまった。

 丸いモナカに色とりどりの小さなグミがたくさん入ってるのは、なんだっけ。くだものの森だっけ。爪楊枝も一緒に入ってる奴。よく姉さんにねだって、一緒に買いに行っていた。……小さい頃の話だ。

 

「私はまだ用事があるから、また出るわ。……何かあったら吹雪を頼りなさい」

 

 それと、あんたたち、間食は程々にしておきなさいよ。

 そうつけ加えた叢雲に向けて、感謝を伝えるために口を開く。

 

「わかりました。ここまでの案内、感謝します」

 

 心からの感謝を伝えるも、叢雲は数瞬突き刺すような視線を俺に向けただけで、何も言わずに部屋を出て行った。残された俺はというと、敬礼しようと上げかけた手を中途半端な位置に浮かせて固まっていた。

 

「……あたしじゃ不足っぽい? むー。叢雲さんは意地悪っぽい」

「あはは。えーと、島風、ちゃん? 上がって? お茶いれるね」

 

 呼びかけられるのに振り向けば、吹雪が笑いかけてきていた。テーブルを挟んで反対側では、スカートを手で押さえながら座った夕立がむくれていた。

 知っているようで知らない二人の下に残されてしまった。……まあ、見た目子供相手に緊張する事などそうないから構わないけど、それでもどこか少し、居心地の悪さを感じつつ、二足並んでいる靴の横にサンダルを脱いでカーペットの上に踏み出した。

 窓際の台にある電子ポットを用いてお茶を入れている吹雪の後姿を見つつテーブルに歩み寄って、駄菓子へと目を落とす。……大きなドーナツもある。

 

「プレーンシュガー?」

「……りんぐどーなつの事っぽい?」

 

 なんとなく呟くと、訂正されてしまった。ふっと笑って腰を下ろし、床に手をついて正座する。やっぱり居心地は悪いけど、立っているよりは座っていた方がマシだと思ったのだ。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 俺の前に湯呑みが置かれるのに顔を上げれば、にっこり笑顔に迎えられる。眩しい。……昔君の事を地味だなって思ってごめん。正直この部屋に入って最初に目にした時も地味って思ったけどそれも謝っとこう。

 なんて変な事を考えつつ、しかし声には欠片も出さずにお礼を言うと、どういたしまして、と柔らかい言葉。

 

「島風ちゃん……で、いいんだよね」

 

 隣に座る吹雪を目で追う。距離が近いのは、テーブルの大きさの関係か。

 頷けば、彼女も一緒に頷いて、あのね、と切り出した。

 

「私も夕立ちゃんも、ここに来て日が浅いんだ。だから、そんなに固くならなくっても大丈夫だよ」

「……そう、ですか?」

「そうそう。あたし達、とれたてぴちぴち、発生したてのぺーぺーっぽい」

 

 へー、そうなんだ。発生したてって事は、彼女達はどちらも発生艦なんだ。

 

「それでもう艦隊に配属されてるんですね」

「あー……配属されてるっていっても、実戦はまだ経験した事ないんだ」

 

 この第十七艦隊は、新人が入る自由艦隊らしい。とりあえず編成されて、来る深海棲艦との戦いに向けて練度を高めているんだとか。

 といっても、現在新人はここにいる二人だけ。今、三人になった。新人じゃないのにこの艦隊に編成されるのは、演習のために一時的に来てくれる軽巡の先輩などで、練度が高いのに常時編成されているのは、別の鎮守府から来た叢雲くらいのもの……らしい。

 そういえば、叢雲は「また出るわ」と言っていた。あの口ぶりからするに、彼女もこの部屋で寝泊まりしているのだろうか。

 

「ね。だから、敬語なんていらないんだよ。できれば、自然に接して欲しいな」

「ルームメイトになるんだから、仲良くやっていきたいっぽい?」

 

 ね、と笑いかけてくる吹雪に、こくりと頷いてみせる。

 普通に接して欲しいって気持ちはわかる。ので、少しばかり心の準備をして、意識を切り替えてから、彼女達と接する事にした。

 

「じゃあ、改めて、私はシマカゼ。よろしくね」

「うん! よろしくね、島風ちゃん」

 

 はっしと両手をとられて握られ、輝かんばかりの笑顔を向けられた。溶ける溶ける。眩しいってば。

 なんだろう、この子。なんか、普通の子って感じがする。朝潮や叢雲にあった、戦う人って雰囲気が無い。……新人だから?

 これじゃあ、普通の子供と接するのと変わらなくて、戸惑ってしまう。

 

「もしかしたら、すぐお別れになっちゃうかもしれないけど……」

「大丈夫!」

 

 戸惑いを押し隠してそう言えば、強めの口調で「大丈夫」と言われた。……何がだろう。

 言葉が続く事はなかったので、その意味はよくわからなかったけど、彼女がテーブルに体を向け直すのに合わせて、俺も身体の位置をずらした。

 

「実は今、お菓子パーティしてたぽい。今から歓迎パーティに早変わりするっぽーい」

「駄菓子しかないけど……よかったら、食べて?」

 

 ……さっきから、なんなんだろう。優しさが身に染みるんだけど。

 裏もなく影もなく、見返りも求めて無さそうな、純粋な好意ばかりがぶつけられる。この鎮守府にいる人はみんな良い人ばかりなのだろうか。相対的に、俺の心が汚く思えてくるんだけど……。

 

「ありがと。あ、コリコリ梅だ。なつかしー」

「ふわパチもあるっぽい。おすすめはどーなつっぽいー」

 

 どれも見た事のあるラインナップだ。郷愁に似た何かに身を包まれて、じんとしてしまう。

 二人があれやこれやと俺の前に駄菓子を寄せてくるのに苦笑しつつ、ありがたく頂戴する。安いのにおいしい、不思議な味の数々。大人になってから久しく口にしていなかったけど……こういった駄菓子の美味しさの秘訣は、みんなと一緒に食べるから、というのもあったんだと思う。

 ねりねりねるのとか、素面でやれたもんでもないはずなのに、笑顔で促されて、色が変わる事にいちいちはしゃいで、一つ一つ感想を言い合って、一口ずつ、順繰りに食べてみて……そんな風にしていると、居心地の悪さなんていつの間にかなくなってしまって、俺は、自然と笑みを浮かべて、彼女達と話していた。

 子供の頃に戻った気分……という訳ではない。なんだか不思議な気持ちだ。大人の精神のまま、子供みたいにはしゃいでいる。それが楽しい。そこに違和感がない。

 

「賑やかで楽しいっぽい! もっともっと食べちゃうっぽい!」

「たくさん食べるのが強さの秘訣らしいです! 今日はとことん食べよう!」

 

 口の中に残った濃い甘みを緑茶で流しつつ、笑顔でいすぎたせいなのか、テンションが振り切れ始めた二人を眺めて口の端を上げる。猛然とにぎにぎフルーツグミを口に詰め込み始めた吹雪を眺めて、息を吐く。

 新しい環境と人との関係に、一瞬で溶け込めてしまえた。それが驚きだった。でも、その驚きは小さくて……二人の様子を注意深く窺うなんて事をしなくても、今突然に話しかけたって、そのまま楽しくお喋りできるような仲をすでに築けてしまえたのは、深く考えずとも、この二人の心根のおかげなのだろうと思えた。

 どれくらい話していたかは覚えてないけど、詰み上がった空の袋や、数度入れ直した緑茶の事を考えれば、相当な時間が経過しているのだろう。部屋に一つある窓の外は、まだまだ明るいが、少なくともお昼は回っていると思えた。

 

「ねぇ、吹雪ちゃん」

「ふむふむふぐ……ふぐ?」

 

 ふぐ? だって。リスみたい。

 流れでそう呼ぶ事になった彼女の名前を口にすれば、頬を膨らませた吹雪が、なあに、とでも言いたげにこちらを見た。両手で口元を覆い隠してもぐもぐやっている。

 その手をとって、両手で握る。最初に彼女が俺にやったみたいに、少しだけ持ち上げて、彼女の顔をまっすぐ見る。……はやいとこ口の中のもの飲み込んでくれないと、笑っちゃいそうだ。……笑った。耐えらんなかった。

 

「っふ、吹雪、ちゃん……!」

「んっ、な、なあに?」

 

 ごっくんと飲み下した吹雪が、不思議そうに小首を傾げる。

 いや、ごめん。なんとなくこうしたかっただけで特に言う事はなんにもないんだけど……ああ、ほんとにごめん。

 でも、とりあえずなんか言っとこう。

 

「センターの座はいただく」

「……那珂ちゃん先輩?」

 

 どうやら俺のテンションも結構上がっていたみたいで、意味も理由もない変な行動に、汚い大人らしく理由付けをするために、宣戦布告をしておく。

 いつか必ず、吹雪にとって代わって、あの宣伝ポスターの真ん中に映ってやる……とかなんとか。

 

「?」

「アイドル目指してるっぽい? でもでも、那珂ちゃん先輩は手強いっぽいー」

 

 大きく首を傾げた吹雪の手を離せば、夕立がテーブルに突っ伏すようにしながらそう言った。……那珂ちゃん先輩? なんで那珂ちゃんの話が……ああ、センターか。

 

「ああ見えて那珂ちゃん先輩は相当強いらしいっぽい。たゆまぬ努力と鍛錬の賜物か、着任から僅か48日で二回の改造を重ね、二水戦の旗艦にまで上り詰めたっぽい。噂では、戦艦の先輩を投げ飛ばした事もあるっぽい~」

「そ、そうなんだ。那珂ちゃん先輩ってそんなに強かったんだ……知らなかったな」

 

 なんだかとんでもない話を夕立がして、吹雪がしきりに頷いた。……その話、真に受けても良いんだろうか。今朝見た那珂ちゃんは歌って踊れるアイドルって感じではあったけど……。

 

「あ、夕立ちゃんは、結構物知りなんだ。面白い話をたくさん知ってるんだよ」

 

 俺があまり話を信じていないとわかったのか、吹雪が補足をしてきた。物知り……夕立が?

 いや、別に変だとは思わないけど。

 机にほっぺたを押し付けている夕立を見れば、彼女はそのままの姿勢で、横髪を耳にかける仕草をして、それから、起き上がって、一つの空袋を手に取った。

 

「ねりねりねるので有名なcrankinの社長は、元々うだつが上がらない科学者だったっぽい。薬品どうしを混ぜ合わせる様子から着想を得て、一念発起して会社を立ち上げたっぽい」

「へー」

 

 ……雑学クイズ? その知識はいったいどこから仕入れてきたのだろう。

 でも、妙に凄そうな話を聞かせてくれた夕立に、こくこくと頷いてみせておく。

 満足気に笑った夕立は、次ににぎにぎフルーツグミの袋を手にして、雑学を披露しだした。

 

 

「あっ、もうこんな時間!」

 

 無尽蔵にわいて出てくる駄菓子を肴に、わいのわいのと盛り上がっていれば、不意に吹雪がそう言って膝立ちになった。つられて顔を上げ、窓を見る。外はもう暗くなり始めている。うわ、結構長い事パーティしてたみたい。時間の感覚がなくなってた。

 

「ゴミの山を片付けないと、叢雲さんに怒られちゃうっぽい~」

「叢雲ちゃん、怒るとすっごく怖いから……ええと、袋、袋……」

 

 吹雪の探し求めているであろうレジ袋っぽいのを拾い上げて、手渡す。それから、彼女達を手伝って、こんもり山となっている駄菓子の抜け殻を集めて、袋詰めにしていった。

 叢雲が戻ってきたのは、ちょうど全部のゴミを三つの袋に詰め込み終え、その口を縛り終えたところだった。

 

「……夕餉に誘いに来たのだけど……吹雪?」

「ああっ、あー……あはは」

 

 三つ寄せられた、丸々太った袋を見て、それから俺達を見回した叢雲は、目を細めて射抜くように吹雪を見た。

 ゆうげ……夕ご飯? 無理無理。絶対入んないですって。……とか言える雰囲気ではない。

 

「程々にしておきなさいと言ったはずよね? どういう了見なのかしら……?」

 

 入り口前に立つ叢雲の体から赤い光が立ち上っている……。いやいや、気のせい。幻視だ。……あ、でも、これ、説教不可避っぽい。吹雪が笑って誤魔化そうとしても、叢雲の表情は少しも変わらない。

 そろそろと立ち上がろうとすると、ぎんっ! と睨まれて身が竦んだ。こ、こわい。

 やっちったっぽい、と蚊の鳴くような声で夕立が言うのが聞こえた。それが最後の言葉だった。

 その後に三人揃ってこってり絞られたのは、言うまでもない事だった。



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第十九話 靴☆+1

謎の靴回。
五話くらい後からまともに深海棲艦と戦い始めるようになると思います。

ちょっとぐだぐだしてるかも。


 海の傍の白いテラス。

 横を向けば、ずっと続く砂浜と、波を寄せる青い海が広がっている。

 潮風が匂いを運ぶ。夏の海。

 強い日差しが反射して、どこまでも輝きが続いている。

 

『翔一。翔一ってば』

 

 遠くで、俺を呼ぶ声。

 砂浜に立つ姉さんが、にっこり笑顔で手を振っていた。

 

『翔一』

 

 さらりと流れる黒髪を片手で撫ぜて、姉さんは再度、俺の名を呼んだ。

 

『こっちにきて』

 

 黒いスーツが熱されて相当暑いだろうに、いつもと変わらない笑顔で、小さく手招きをする。

 姉さん。食事中だよ、今。ほら、姉さんもまだ、全部食べ切ってないじゃないか。作ってくれたお店の人に失礼だよ。

 

『こっちにきて、翔一。こっちにきて』

 

 ……わかった、わかった。

 あんまりに姉さんが俺を呼ぶから、姉さんを呼び戻すのは諦めて、こちらが行く事にした。

 俺はもう、出されたものは平らげているし――。

 ふと、服の裾を引かれる感触がして、皿に向けていた目を上げる。

 机の脇に立つ島風が、じっと俺を見つめていた。

 

『こっちにきて――』

 

 波の音の中に反響する姉さんの声は、いつしか細く消えて、聞こえなくなった。

 

 

 目が覚める。

 柔らかな布団に沈んでいる体を動かして、横になると、ぽろりと目尻から涙が落ちた。布団に染み込む熱い水の気配に、それを拭おうと持ち上げかけていた手を落とす。ぽすん、と気持ちの良い音がした。

 

「ん……」

 

 うめいて、数秒。頭から送られてくる信号を遅く反映して、ゆるゆると伸びをする。足の先が掛布団を押し退け、肩や胸までが露わになった。寝間着である青い縦線入りのパジャマの、一番目のボタンが外れているのに気付いて、緩慢な動作で付け直す。それから、下敷きにしていた自分の髪を引っ張ってしまわないように気をつけつつ身を起こした。

 頭のすぐ上に天井。……二段ベッドの上部分。……この上には叢雲が寝ている……はず。

 昨晩早くに布団に潜り込んでいった怖い女の子の事を思い出しつつ、布団越しのふとももに両手をおいて、向かい側の二段ベッドを眺めた。部屋の中央に置かれたテーブルの、その向こう側。下の段は吹雪で、上の段が夕立。……仕切りに上体を乗り出すようにして寝こけている夕立が、なんだか死体みたいに見える。トイレにでも行こうとして、でも行けなかったのだろうか。辛そう。

 ふあーあ、と大きなあくびを一つして、その頃になると、ようやっと眼が冴えてきた。頭も働き出して、ここがどこか、自分が誰かがわかってくる。

 ()は島風。……じゃなくて、シマカゼ。……に、なったらしい、男。ここは艦娘寮の、暫定自室。ルームメイトは、先程の三人。

 

 遮光カーテンの隙間から漏れ出す光に目を細め、ベッドの縁に腰掛ける。体重が乗る部分だけが歪んで、木板の軋む音。なんとなしに頭を掻いて、それで、頭の上に何も乗っていない事に気が付く。うさみみカチューシャ、どこに置いたっけ。……ああ、枕の横。壁際。

 振り返って相棒を見つけると、少し背を倒して右腕を伸ばし、黒い耳の部分を掴みとる。勢いをつけて元の姿勢に戻ると、強めにベッドが軋む音がして、それから、上の段から叢雲のうめく小さな声が聞こえてきた。

 おおっと危ない、起こしてしまう。……いや、今、何時だろう。窓の外はもう明るいみたいだけど……とカーテンの方に目をやって、特に強い光がある訳でもないのに小首を傾げた。……あれ、さっきは結構明るいように見えたんだけど……。時計とか、どこかにないかな。

 部屋の中を見回し、入り口の上に丸い時計がかけてあるのを見つける。時刻は午前三時五十二分。鎮守府では早起きする事になるだろうと思っていたが……いくらなんでも、こんな早くに起きるものではないだろう。でも、二度寝しようと思えるくらいの眠気は残っていなかった。

 だから、ベッドに腰掛けたまま、干されている夕立の頭をぼうっと眺めながら、頭に浮かんでくるあれやこれやを考える事にした。

 そう、姉さんの事、とか……。

 

「……」

 

 そんなの、考えたって仕方ないってわかっているのに、どうしても俺はそれを考えずにはいられなくて、息を吐いた。

 2024年。それが、今の年。昨日、吹雪に聞いた際、夕立が教えてくれた。

 俺が生きていた2015年から、約9年の月日が流れている。転移に憑依ときて、タイムスリップまでしてしまっているのだから、俺という男は、いっそ幸運と言えるくらいには、不思議な出来事に見舞われているのだろう。割り切っても割り切っても割り切れない感情は、際限なくわいてきて、俺を苦しめる。こんな、寝起きで意識が曖昧な時や、寝入る際の少しの時間でなければ、そんな感情なんか心の奥底に押し込めてしまえるだろうに、今はそうじゃないから、自分の身や、島風の事や、姉さんの笑顔を想って、辛くなってしまう。

 全部、取り戻せなさそうなものだ。どうすればいいのかわからない。何をすればいいのかがわからない。

 艦娘になったのなら、人のために深海棲艦と戦えばいい……とか、そういう話ではない。

 自分でもよくわからないけど、とにかく……わからなかった。

 

「……」

 

 目元を拭う。そこに涙はないけど、どうしてか湿っている気がして、もう二回、腕を擦りつけてから、強く目をつぶった。

 姉さん。……姉さんは、いつも笑っていた。

 姉さんが泣いているのなんて、二度しか見た事がない。

 その二度目が、両親の葬儀の時だったから、いつか思い出せない一度目の時も、きっと相当な事があったのだろう。……それ以外ではずっと笑顔だった姉さんとは、もう会えない。

 

「…………」

 

 左上を向く。天井の隅。……顔を動かした理由は、特にない。

 ただ、胸の中に溢れそうになった何かに耐えるために、思考を塗り潰して、どこか違う場所を見ようとした。

 過去ばかり見ていても仕方ない。未来の事を考えて、意識を切り替えて行こう。

 ……その未来も明るくなさそうだから、また憂鬱になって溜め息を吐いてしまうのだけど。

 三日……今日を含めて、あと二日。その間に、俺がどこかの鎮守府に所属していた艦娘でないかが判明する。そして、それがわかった時、俺は……。

 ……どうしようもない。どうしよもない事を考えていても仕方がない。

 考えるのは、やめよう。

 

「ん……」

 

 カチューシャを頭につけて、それから、着替えるためにベッドから下りて、ベッドの下の引き出しを開ける。……、うん、ある。島風の服。

 昨日着ていたものは洗濯に出してしまったから、残るは島から持ち帰ってきた代えの服だけだったのだけど、あれは妖精さんがお船に乗せて持ち帰ってきていたから、俺の手元に戻るかどうか不安だったのだけど……そうそう、お金と一緒に叢雲が持ってきてくれたんだった。……お金の入った封筒、どこにやったっけ。……タンスじゃないし……枕の下?

 いや、思い出した。机の引き出しの方に入れたんだ。共同の場所にぽんと置いとくなんておかしいかもしれないけど、みんなが手を出すとは到底思えなかったし、そこに置く事にしたのだ。七万円入っていた。

 色々込みで五万円と、理由不明の二万円で、計七万円。……二万円はどこからきたのだろう。

 ちゃっちゃと手早く着替えを済ませ、パジャマはどうしようか、と周囲を見回す。……答えになるようなものはなかったので、畳んで布団の上に置いておく事にした。

 サンダルを履いて廊下に出る。勝手に出ていいかはわからないけど、中にいる気になれなかった。まだ、女の子だけの空間というのに慣れていないのかもしれない。自分の体や精神を顧みればあり得ない話だけど、『間違い』が起こっても困るし。……そんな風に考えてしまうから、怖いのだ。

 普通の人間なら、そもそも間違いが起こるかも、なんて考えすらしないだろうし……。ああ、いいや。詮無い。とりあえず外に出よう。

 静かな廊下をゆっくりと行き、トイレに寄ってから外に出る。薄暗い空と、涼しげな風。ほのかな潮の匂いと、どこかで微かに響くカーンカーンと間延びした音。

 不思議な雰囲気に包まれながら、艦娘寮を後にする。

 行き先はない。ただ、走りたくなった。外に出た理由はそれだけではないけど、体に風が吹き付けると、心が浮ついて、体を動かしたくてたまらなくなった。

 だから走る事にした。朝の走り込み、ジョギングというやつだ。朝というには些か早すぎる時間帯かもしれないが、『はやい』は『すごい』だ。早起きは美徳。なのでよし。

 脇を締め、肘を横腹につけて、小走りで砂利道を行く。妖精の園の方へ。そちらに向かう事に意味はない。その先には夕張さんの工廠があるが、こんな時間に押しかけても起きていないか、そもそもいないだろう。コンビニエンス妖精はやっているだろうか。たったか走る事数分で妖精の園の脇に構えているコンビニに辿り着く。……明かりついてる。二十四時間営業なのだろうか。……入ってみようかな。

 

「んー……」

 

 悩む必要はあんまりないし、興味を抱いたなら足を踏み入れた方が良いだろう。今入らなかったら、中はどうなってたんだろうってもやもやするだろうし。

 という訳で入店すると、聞き覚えのあるメロディーが鳴った。

 

『いらっしゃいやしー』

「わ……ほんとに妖精さんだ」

 

 コンビニエンス妖精は、名前だけかと思ったけど、店員なんかも妖精のようだ。コンビニ定員染みた妖精さんが一人、妖精サイズのレジカウンターに立っている。……もう一人は、カウンターの奥に積まれた雑誌に何かの機械をかざしていた。

 店内を見回す。思ってたより普通な感じ。雑誌コーナーに、飲み物売り場に、お菓子売り場に、と、普通のコンビニとあまり変わらない。売り物のラインナップは艦娘向けのためか、どこか偏りがあるように思えたけど、それ以外に違いは見いだせなかった。強いて挙げるなら生活用品の種類が多いってくらいか。バスタオルとかある。普通のタオルなら、コンビニにもあった気がする。

 

「……妖精フィギュア」

 

 お菓子売り場の脇に、食玩が置いてあった。働く妖精シリーズ、だって。工廠妖精さんとかが、小さな箱の中からこちらを覗いている。……ん? これ本物じゃないよね。

 つんつんとつついてみても、箱の中から外を見ている妖精さんが反応しなかったために人形と判断できたけど、遠目に見ると生きているのかそうでないかの判断は難しそうだ。

 こういった精巧な物を見ると買いたくなってしまうが、あいにく今はお金を持ち合わせていない事に思い至った。

 外に出る時は毎回財布を持ち歩いていたけど、俺の財布をシマカゼが持っている訳がないし、お金の入った封筒は机の中だ。

 ……もうそろ百万に届こうとしていた貯金ももはや俺の手から離れていってしまったという事実から意識して目を逸らし、レジにいる妖精さんを見る。縦線ぽい目が時折瞬きされるくらいで、動きがない。改めてフィギュアを見てみると、ううん、やっぱり、これの造りは凄い。……妖精さんが作ったのだろうか。自分達を作るってどういう心境なのだろう。艦娘にも熱烈な妖精さんファンがいるとか?

 

 一通り店内を見て回り、妖精さんフィギュアに後ろ髪を引かれつつ、店員妖精さんに挨拶をしてから外に出た。じめっとした空気が肌に触れる。店内は空調が効いていたみたいだから、その違いに気持ち悪さを感じて、腕を擦る。少しすれば慣れたけど、中と外を行き来した時の空気の違いに慣れる事はできなさそうだと思った。前もそうだったし、そこは艦娘になっても変わらない部分なのだろう。

 サンダルを鳴らして走り出す。夕張さんの工廠の先に、港……と言っていいかわからないが、そこに出られるから、ぐるりと回って明石の工廠の方まで行こう。

 脱げやすいサンダルに気をつけつつ、一定のリズムで足を動かす。前から吹いてくる風が髪を持ち上げる。海の上を走るのとはまた違った気持ち良さ。風を感じるのって気持ちが良い。外に出て良かったな。

 

「お?」

 

 爽やかな気分になっていると、夕張さんの工廠の前に、本人が立っているのが見えた。首の後ろに片腕を回し、もう片方は空に突き上げ、ぐーっと伸びをしていた。ふー、と息を吐いて腕を下ろした彼女は、足音に気付いてこちらを見ると、目を丸くした。

 

「あら、島風ちゃん。どうしたの? こんな時間に。靴が気になった?」

「いえ、早くに起きちゃったので……夕張さんこそ、どうしたんですか?」

 

 彼女の前で止まって、言葉を交わす。そのさなかに、彼女が起きている理由がひょっとしたら俺の靴のためではないか、と思い至った。夕張さんがこの時間にこうして伸びなんかをしている理由は、その通りだった。

 

「あはは……ちょっと、困っちゃってね。ほら、具合とか見るのには履いてもらわないといけないけど、それをするにはあなたを待たなくちゃいけなくて、でもその頃には靴はできてるはずだから……ああ」

「ええと……靴を履いてみたらいいんですか?」

 

 なんだか疲れた様子で苦笑いを浮かべる彼女におずおずと聞けば、首肯された。今いいなら、お願いしたいんだけど、と言われて断る理由は俺にはない。

 彼女の工廠に案内され、前にでっち先輩と会った部屋へと通される。今回は、さらにその先の部屋にまで入る事になった。

 

「少し汚れちゃってて……ごめんね」

「いえ、大丈夫です」

 

 確かに、木机や棚なんかには雑多な機械やそのパーツなんかが置いてあって、黒く汚れた雑巾や、よくわからない何かもあるけど、特別汚いとは思わなかった。こういう場所って、こんな感じだろうっていう先入観があるからかな。オイルか何かの臭いは少しキツイが、耐えられないほどでもない。

 椅子を出してきた彼女の指示に従って座り、持ってこられたシマカゼのブーツを履く。おおー、ヒール部分が直ってる。……あと、なんか軽い?

 

「少し歩いてみて」

「はい」

 

 促されるまま席を立ち、部屋の中を歩いてみる。変な感覚はしないか、と聞かれたけど、ぐらぐらもぎしぎしもしない。大丈夫そうだ。

 

「うん、一応の修理はそれで終わりなんだけど、次はその靴をより頑丈にするための話しなんだけどね?」

 

 再び椅子に腰を下ろした俺に対して、夕張さんは、「キック主体、接近戦を主にしていたと聞いていたけど、どんな感じに戦っていたのかしら」と聞かれた。……どんな感じ、と言われても。

 って、普通の人はキック主体と言われても、ジャンプキックや急降下キックだとは思わないか。

 そこら辺を、言葉選びに苦労しつつなんとか伝えると、夕張さんは目をぱちくりとして、それって効くのかしら? と首を傾げた。

 

「この鎮守府に来る前、朝潮と二人で重巡リ級を撃破しました。その艦種くらいまでなら、効くんだと思います」

「ううん、そうかしら。島風ちゃん軽そうだし、そんなに威力出るかなあ」

 

 と言われても、効くものは効くのだ。

 何度も不思議そうに首を傾げる夕張さんに、どうしてそんなに不思議がっているのかを聞けば、パワーが足りないじゃない? と当然のように言われた。

 

「私のスピードを乗せれば、パワーならうんと出ます」

「……たしかに、速度があれば、相対的に力も上がっていくだろうけど……ああでも、そうね、実際倒せてるのよね?」

「はい」

 

 力強く頷けば、彼女は一つ唸り声を上げた後に頭を振った。その後はもう、割り切ったように話を進め始めた。

 

「キックの威力に靴が耐えられないのね。少し頑丈にしただけの今の状態では、またいつヒールが折れてしまうかわからないのよねー」

「……どうすればいいんですか?」

「うん、もっともっと頑丈にしちゃえばいいのよ。ね、あなたの靴にネジを使ってもいかしら~?」

 

 ……さっきまで見えていた疲れが消えて、急に元気になった。棚の方から持ってきた封筒をがさごそ言わせて小さなネジを取り出した彼女が陽気に問いかけてくるのに、こくりと頷く。……そのネジを、ブーツのどのあたりに使うのか、俺には想像もできないのだが……使って、より靴が頑丈になるというのなら、こちらから頼みたいくらいだ。

 

「決まりね。さぁて、夕張さんの初めての改修工廠、開設よ~」

「……おー」

 

 うきうきという文字が浮いて見える様子の彼女に合わせて、声をあげておく。凄く楽しそう。

 

「初めてだから、少し手間取っちゃうかも。時間がかかるだろうから、お茶を用意しようと思うのだけど、どうかしら?」

「いただきます」

 

 ふんふんと鼻歌をしつつ奥の扉に向かおうとした夕張さんが、くるりと振り返って問いかけてくるのに、そう返す。今の彼女に否という気にはなれなかった。もちろん、お茶は嬉しいが。

 淹れてくるわね、と弾んだ調子で言われて、夕張さんを見送って数分。マグカップを持って戻ってきた。紅茶らしい。お茶というから緑茶とかだと思っていた。

 

「お砂糖は何本?」

「全部ください」

 

 彼女が握った五本のスティックシュガーを見て、とりあえず全部いただいておく。甘くない紅茶は飲めないのだ。だから、全部。

 

「甘いのが好き? ミルクもあった方が良かったかしら」

「んー……大丈夫です」

 

 ミルクティーでも普通のでも。

 こんな場所で飲むのもなんだから、と夕張さんに促されて、一つ前の部屋に戻る。さっきの部屋よりこちらの部屋の方が清潔だ、という事なのだろうか。置かれた椅子に座って、再び彼女を見送る。

 改修ってどれくらいの時間がかかるのだろう。お茶を持って待たせるくらい短い時間?

 足をぶらぶらさせつつ、息を吹きかけて適度に冷ました紅茶を啜る。五本分の砂糖が良く溶け出していて甘い。あまうま。あ、クリームソーダ飲みたい。

 なんて事を考えながら待つ事十分ちょっと。扉の奥の方で鳴り響いていた駆動音が止まると、やがて、ブーツを手にした夕張さんが戻ってきた。

 

「はーい、お待たせ! 改修が完了したわ!」

 

 一仕事終えた顔で俺の前にやって来た夕張さんは、じゃん、と靴の全容を見せるように回転させた。

 ……見た目は変わってないような気がするんだけど。

 

「成功の手応えはあった。だから、あなたのブーツの頑丈さはぐんと……とまではいかないけど、上がってるはずよ」

 

 これでよっぽど無茶な使い方をしない限りは、大丈夫ね。

 しゃがんで俺の足下に靴を揃えて置く夕張さん。サンダルから足を抜き、ブーツに差し込んで、しっかりと履いてみる。……頑丈になってるのかな、これ。

 

「サンダルの方は、私が妖精の園に返しておくわ。ふふ、良かったら感想聞かせてね?」

「はい、ありがとうございました。もっともっと速く走れるように頑張ります」

 

 彼女にマグカップを返し、それから、腰を折って礼を述べる。靴が戻って、凄く安心している自分がいたから、感謝の念もより大きなものだった。

 ……あ、そうだ。

 

「あの、どうして私に良くしてくれるんですか?」

「え?」

 

 とても気になっていた事があったので、この際だから聞いてみる。

 夕張さんは、最初からなんだか親切にしてくれていた。貴重だろうネジだって、俺の靴に使ってくれたし……俺が新人だから? それとも、他に理由があるのだろうか。

 あー、と言い辛そうに目を逸らした彼女を見る限り、どうやら理由がありそうだった。

 しかし、俺に思い当たる節はない。いったい何が彼女にそうさせたのだろう。

 

「言い辛いのなら、話して頂かなくても大丈夫ですけど」

「いえ、そういう訳じゃないんだけど……。えー、と」

 

 そういう訳じゃ、といいつつも、あっちを見たりこっちを見たりでかなり言葉に詰まっている様子だ。……聞かない方が良かったのかな。

 

「その、私、恥ずかしい姿見せちゃったじゃない?」

 

 申し訳なく思っていると、決心したのか、まっすぐ俺を見据えた夕張さんが、それでもどこか恥ずかしそうに話し始めた。

 

「だから、イメージを覆して、いいお姉さんだって思われたくて……」

 

 ……ああ、なるほど。

 恥ずかしい姿ってなんの事かと思ってたけど、最初に会った時にこけてたやつか。

 その後の親切な彼女の方ばかりが印象に残っているから、すっかり忘れていた。……その点で言えば、彼女の目論見は成功していた事になる。

 ごめんなさい、と夕張さんが言う。

 

「なぜ謝るんですか」

「下心ありきで優しくしていたのよ。だから……」

「そんな事ないです」

 

 なおも言葉を続けようとする彼女を制して、首を振ってみせる。

 夕張さんのは、下心なんていうものじゃないと思う。自分を良く見せたいと思うのは誰しも抱く気持ちだし、それで悪い事が起きた訳でもない。むしろ、俺は彼女に助けられてばかりだ。

 

「すみません、余計な事を聞いてしまって。……夕張さんは、いいお姉さんです」

「……そう思ってくれているの?」

「はい。今もそう思ってます」

 

 少しの間目をつむった夕張さんは、目を開くと、ありがとう、と呟くように言った。

 

 

 夕張さんの工廠を後にし、シマカゼの靴で敷地内をぐるりと一周する。海の前を走っていると、水平線から日が昇ってくるのを拝む事ができた。訳もないのにじんとしてしまう。それだけで、今日一日が良い日になると確信してしまった。

 部屋に戻ると、起きだしてきた叢雲と鉢合わせしそうになった。ノブに手を伸ばした状態で固まる叢雲の顔が頭にこびりついて離れない。たぶん、珍しい表情だろうから。数瞬の間に立て直した叢雲は、泰然(たいぜん)とした表情で、早起きね、と短く言った。

 

「おはようございます。叢雲……さんも、早いですね」

「目が覚めちゃったのよ。……ああ、おはよう」

 

 先に行くわ、と出て行ってしまった叢雲を見送ってから、時計に目をやる。まだ四時過ぎだ。起きなきゃいけない時間は何時だったかな。

 

「さて、と」

 

 靴を脱いでカーペットに上がる。靴下越しの足裏に、硬くも柔らかい不思議な感触を感じつつ、棚に走り寄って、封筒を取り出す。お金が入っている封筒だ。

 結局、さっき偶然に靴を渡されてしまったから、電撃的にお金を渡す作戦は失敗してしまった訳だけど、だからって渡さない選択肢はない。

 今から再び夕張さんの下へ赴き、渡してしまおう。そう思ったところで、疲れた様子の彼女の姿を思い出す。もしかしたら、靴の修理を終えて寝てしまっているかもしれない。そこに押しかけるのは迷惑だろう。初めは、今日の午後あたりに行こうと思っていたのだから、代金を渡すのはその時にした方が良さそうだ。

 さて、そうすると少し時間ができてしまった。

 棚に封筒をしまい直し、二段ベッドをみやる。夕立は相変わらず干された布団のような状態で寝入っている。……辛そう、という感想をまた抱いてしまったので、はしごを登り、彼女の両肩をそっと押し上げ、起こさないように注意を払いながら枕へと頭を置かせた。

 穏やかな寝顔は、起きている時とはまた違った印象に見える。朝の道と夜の道が違うように思えるのとおんなじ感じ。こうしてみると、夕立はまさしく上品なお嬢様といった感じだ。

 っとと、人の寝顔をじっくり見るなんて、非常識極まりない。それに、色々とアウトだ。俺の性別的に。……いや、今は女だけど。

 するするとはしごを下り、再度時計に目をやる。五分も経ってない。当然か。……二度寝するって選択肢はないし……あ、そういえば、各階に簡易シャワー室があると聞いたような。

 朝風呂ならぬ朝シャワーと洒落込もうかな。

 服は……さすがにこのままでもいい気がするけど、念のため、代えてしまうか。

 

 そのまま簡易シャワー室に向かった俺は、タオルが備えられていなかったので、コンビニエンス妖精へと走る羽目になった。

 お金使っちゃったけど、残りで足りるといいな、代金。



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第二十話 寝坊助と広報紙と軽空母

 シャワーを浴びて着替え、広い脱衣所に並べられていた洗濯機にパジャマと服を持ってきて回す。乾燥機一体型の高性能仕様。取り出した衣服は、すっかり乾いていた。その代わり皺々(しわしわ)だけど。

 午前六時十二分。

 部屋に戻ったのが、そのくらいだった。

 

「あ、島風ちゃん、おはよう。早いねー」

「おはよう、吹雪ちゃん」

 

 胸元のリボンをきゅっと結びながら振り返った吹雪と挨拶を交わす。ちょうど着替えを済ませたところみたい。服の皺を伸ばすのに手間取っていなければ、気まずい事になっていただろう。

 ……あ、気まずくなるのは俺だけか。

 

「……夕立ちゃんがまた干された布団みたいになってるんだけど」

「ああ、あれはね、目を覚まそうとしてるみたい」

 

 目を覚まそうと、か。静かな寝息が聞こえてきているような気がするのは気のせいだろうか。

 

「このくらいの時間に起きるんだね、みんな」

「うん。こればっかりは決まってて、六時に起床、七時までに食堂に行って朝ごはんってなってるんだけど……夕立ちゃーん?」

「……ぷぉぃ」

 

 説明の中で吹雪が呼びかけると、夕立はその体制のまま変な声を出した。

 毎朝こうなんだ。

 吹雪は、困ったように笑いながらそう言って、彼女を起こすのを手伝ってくれないかと頼んできた。

 

「うん。七時までって事は、早く起きて行かないと、ご飯食べそびれちゃうって事だもんね」

「それだけじゃないんだ。八時半から授業もあるし……」

「授業? ……学校?」

 

 あ、教室があるんだっけ。そこで勉強する事を授業というんだな。体育館もあるし、なんか学校みたいだ。

 

「夕立ちゃーん、そろそろ起きないと駄目だよー?」

「ぷぉおおぃ……」

 

 はしごを(のぼ)って夕立の体を揺する吹雪。なんか怪獣みたいな声出してるんだけど、あんまり揺すらない方が良いんじゃ……。

 成り行きを下から眺めつつ、どんなに揺すられても声をかけられても起きようとしない夕立に、長期戦になりそうだ、と判断して、一度顔を下げる。上ばかり見ていると首が痛くなってしまう。

 それだけのために移動させた視界に、気になるものを見つけて、目を動かした。吹雪の寝ていた場所。綺麗に畳まれた掛布団……その上に置かれた枕。えーと、引っかかったのはこれじゃない。……何かあったような気がするんだけど……ああ、あった。

 たぶん、枕が置いてあっただろう、ベッドの頭側の布団の上に、長方形の紙が一枚置いてあった。四隅に小さな穴が開いていて、表面には文字がびっしり。左下の四角い枠の中に、手書きで黒髪の女性の絵が描かれていた。

 

「……赤城の絵?」

「へぇっ!? って、きゃーっ!」

「うわ!」

 

 俺の言葉に反応したのか、大きく動いたらしい吹雪が足を滑らせて落ちてきた。どしん、と大きな音が鳴る。うわ、腰から落ちた! 痛そう。

 

「だ、大丈夫……?」

 

 腰を擦りつつ体を起こした吹雪に声をかけつつ、引き起こしてやろうと手を伸ばす。彼女は素直にそれに応じて手を取り、立ち上がると、素早い身のこなしで俺の前に出て紙を拾い上げ、背に隠しながら俺に振り向いた。

 

「だ、大丈夫、大丈夫! なんともないよ!」

「……なら、いいけど」

 

 うんうんと大袈裟に頷く吹雪に、それ、なぁに? と意地悪く聞いてみる。

 隠すって事は言及されたくないものなんだろうけど、おそらく枕の下にあったのだろう紙に、赤城の絵とくれば、興味を抱かずにはいられない。はたして吹雪()()()はどういった意図でそんな事をしていたのかなあ? 私わかんないなあ~?

 

「そ、それってなんの事?」

「赤城さんの絵が描かれてる、その紙。……あれ? もしかしてそれって、広報紙の……」

「あ、あれれー? なっ、なんでかなー?? なんでここにこれがあるんだろー??」

 

 し、白々しい……。

 顔の前に持ってきた紙を持ち上げてみせる吹雪に、さあ? と首を傾げる。そういえば、昨日、吹雪が赤城に憧れてるって話を聞いたけど、どう考えてもそれ関係だよね、その紙。

 

「私、返してくるね! し、島風ちゃんは夕立ちゃんの事よろしくねっ!」

「あ……」

 

 風のように逃げて行ってしまった吹雪を見送って、ちょっとやり過ぎちゃったかな、と反省する。

 それから、夕立を見上げた。干された布団なのは変わらないけど、騒がしくしたためか、ううん、と(うな)っていた。覚醒の時は近い?

 これなら起こすのも楽そうだ。はしごを上って夕立の肩に手をかける。たんたん、と二度叩きつつ声をかければ、ううぅん、と鬱陶しげな声。まったく、困ったお寝坊さんだ。

 

「夕立ちゃん、おー、きー、てー!」

「……うう~、おきるから、おきるから、叩くのやめてほしいぽぃ~」

 

 二回ほど追加でとんとんやってやると、夕立はようやく顔を上げて、目をつぶったまま抗議してきた。

 

「ちゃちゃっと着替えちゃわないと、もっと叩くよ?」

「いや~」

 

 ほれ、と手の平を上げてみせると、見えているのかいないのか、夕立は緩く頭を振りながらもぞもぞと掛布団を押しやった。その場で座り込み、ぐしぐしと目を拭う。ようやっと緑の目が見えた。

 

「はしご、下りれる?」

「もうちょっと待って……ぅぅ、朝は弱いっぽい。島風ちゃんは……早起きっぽい?」

「そうといえばそうかもね」

 

 ほっ、とはしごから飛び降り、ベッドの上を見上げる。パジャマ姿の夕立も、のろのろと下りようとしてきていた。落ちそうで危なっかしい。いちおう見ておこう。

 無事に彼女が下り、俺がやたら自分の衣服の状態を気にしている内に夕立が着替えを済ませると、そのタイミングで吹雪が戻ってきた。「起きたんだね。じゃあ、給湯室に寄ってから、食堂に行こう」……とか、先程の事をなかったように振る舞っている。あんまり苛めるのもあれなので、何も言わないでおこう。

 しかし、貼ってあった紙を持って行ってしまうなんて、吹雪って案外やんちゃなのかな。それとも、それ程までに赤城に対する憧れが強い?

 昨日聞いた限りじゃ、まだ一度しか姿を見てないって話だったけど、いったいどうしたらそんなに強い憧れを抱けるんだろう。戦いの中で救ってもらった、は別の吹雪か。うーん、想像もつかない。

 給湯室にはなぜか洗面台があった。流し台の横。少し低い位置。壁には鏡がかけてあって、顔を洗い、歯を磨き終えた夕立がちょいちょいと前髪を弄っていた。

 

「急がないと朝ごはんなくなっちゃうっぽい」

「夕立ちゃんがお寝坊さんだからだよ、もう」

「んー、お寝坊仲間は増えなかったっぽい?」

 

 道すがら交わした会話。

 ……増えても夕立が寝坊していい理由にはならないと思うよ。

 食堂につくと、もう人もまばらで、あまり残っていない。何かの料理か、香ばしい匂いが残り香となって漂っていたりはすれど、ご飯を食べている人は少ない。……あー、やっぱり朝潮もいない。みんな集まるだろうこの時なら、会えるかもって思ったんだけど、遅すぎたんだね。

 いないものは仕方ない。話せる機会は、またすぐに訪れるだろう。

 三人揃って朝食Aセットの食券を買い、奥のカウンターまで持っていく。買うと言っても、食券は無料だった。この時間帯は、らしい。朝昼夜はお金はいらないけど、それ以外は有料って仕組み。よくできてる。

 

「おはようございます。これ、お願いします」

「お願いするっぽい」

「おはよう。今日もギリギリねー。鳳翔さん、朝食A三つ」

「はい、すぐ用意しますね」

 

 昨日も見た女性と挨拶を交わし、近くの席に移動する。鳳翔さん、朝からここで働いてるんだ。実戦には出ないのかな。

 ちょっとした疑問を抱きつつ、できあがりを待つ。カウンターの上の方にかけられた時計は四十二分を示している。ほんとにギリギリだ。

 三人前は、十分もせずにできたみたい。取りに行って戻ってきて、「いただきます」と急いで手を合わせる。

 

「あつ、あつ。ふう、やっぱり朝はお魚とお味噌汁が一番っぽい」

「そうだね。ゆっくり食べられれば、もっと美味しいとおもうんだけどなぁ」

「眠気には勝てないっぽい~」

 

 朱色のお椀を両手に持ってふーふーと息を吹きかける夕立に、お箸を器用に使って焼き魚を割っていく吹雪。……食べ方、しっかりしてるなあ。それに比べると、俺の食べ方はかなり汚いと思われそうなので、そうと気付かれる前に食べてしまう事にした。すなわち、早食い。

 

「ごちそーさま!」

「ええっ、島風ちゃん、もう食べ終わったの!?」

 

 お箸を置いて、ぱしっと手を合わせれば、夕立との会話に花を咲かせようとしていた吹雪がびくっとして俺を見てきた。ふふん、速いでしょ。熱いのとか平気なんだよね。だからすぐ食べちゃえるのです。

 

「あたしも負けてられないっぽい!」

 

 感化されたのか、夕立もお茶碗を持ち上げて猛然と食べ始めた。『掻き込みはじめた』、ではない。急いでても食べ方はしっかりしている。赤城みたい。急いで食べないとね、と吹雪も忙しなく箸を動かし出したので、頬杖をついて眺めつつ、待つ事にした。

 ごちそうさまでした、と二人が手を合わせたのはほとんど同時。時刻は七時二分。ちょっとオーバーしちゃったね。

 おぼんごと食器を返却し、一度部屋に戻る。授業の支度のため、だって。

 

「今日の授業は実技もあるっぽい」

「艤装取りに行かなきゃ……間に合うかなあ。先生怒ったら怖いよ」

「四十分までに着けば大丈夫っぽい!」

 

 自信満々に言っているとこ悪いけど、七時十分回ったよ。明石のとこまで行って本棟まで戻るのには十分もかからないだろうけど、余裕はなさそうだ。

 

「島風ちゃん、また後でね!」

「うん、頑張ってねー」

「っぽい!」

 

 筆箱やノートなんかを詰め込んだ手提げバッグを肩にかけた二人が、慌ただしく部屋を出て行く。小さく手を振って見送った後に、俺も出かける事にした。棚から封筒を取り出す。少し減ってしまったお金。

 これを夕張さんに渡しに行こうと思うんだけど、今起きてるだろうか。……なんて考えていても仕方がない。行ってみよう。

 と、考え無しに夕張さんの工廠に向かったのだけど、木材の陰で何かの作業をしていた妖精さんに不在だ、と伝えられた。寮に戻っているのか、それとも出撃か。徹夜っぽかったし、やっぱ寮で寝てるのかな。

 

『明石のところに行った』

 

 念のため、妖精さんに夕張さんがどこに行ったかわかるかと聞けば、そんな答え。ああ、反対側……。

 

「ありがとう」

『気にするでない』

 

 感謝を伝えると、妖精さんはふりふりと手を振ってくれた。こちらも手を振り返しつつ、進路を明石の工廠に向け、走り出す。

 途中で吹雪や夕立と会うかと思ったけど、そんな事もなく明石の工廠に到着。一声かけてから中へ入る。相変わらず軽トラックがでんと置いてあって、色々な物が積まれていた。

 

「はいはーい、ただいまー」

 

 奥の方から明石の間延びした声が聞こえてくる。ぱたぱたと軽い足音。ドーナツみたいな機械の陰からひょこりと顔を覗かせた明石は、俺を見つけると、どうしたの、と要件を訪ねてきた。

 

「ここに夕張さんが来てるって聞いたのですが」

「夕張に用事ね。待ってて、今呼んでくるから」

 

 さっと引っ込んで、足音が遠ざかっていく。明石、またほっぺたが煤けていた。日々何かしら開発しているのだろう。それとも、手入れかな。いずれにせよ、働き者だ。

 そう待たずに明石が夕張を連れてやってきた。小走りでくるのを見ると、邪魔しちゃって悪いな、という気持ちが浮かんでくる。だって夕張さん、なにかしらをしにここに来てたたんだろうし。

 

「島風ちゃん、どうしたの? 靴の調子が悪いのかしら」

「いえ、これを渡そうと思いまして……」

 

 封筒を持ち上げてみせ、受け取ろうと手を伸ばしてきた彼女の手に押し付ける。握ったのを確認すると、素早く手を引いて腰の後ろに隠す。返却不可。突っ返す事はできないよ、という形。

 

「これは……お金!? え、私受け取れないわよ、こんな……えっと」

「大事な靴を直して、より強くしてもらったお礼です。どうか、受け取ってください」

 

 俺の様子を見て、封筒を持った手を彷徨わせる夕張さんに、感謝を織り交ぜてそう伝える。それでも、夕張さんは封筒を返そうとした。

 

「夕張。遠慮したいって気持ちはわかるけど、受け取っておきなよ」

「明石……でも、悪いよ、こんなに」

 

 ……額が大きすぎたのかな。ネジってのがいくらなのか、修理にいくらかかったのかがわからなかったから、全部渡したのだけど、それが余計に遠慮させる要因になってしまっているみたい。

 でも、たとえ千円でも彼女は受け取らない気がする。正当な対価だと思うんだけど。緊急出撃した俺がお金を貰ったように、靴を直してくれた夕張さんがお金を貰う。なんにもおかしくないはず。

 

「だったら、これからこの子に色々やってあげればいいんだよ」

 

 代わりの案を明石が出した。

 艤装の修理、整備、開発。

 そういったあれやこれやをする代わりに、今この場でお金を受け取る。

 ほんとはそれでも嫌だろうけど、俺の気持ちも受け取るには、そうやって『納得』を作るしかないみたい。

 

「島風型……島風につきもののD型の姿がないし……提督の話でもそうだったから、その開発を請け負うってのはどうかな」

「それは……島風ちゃんが造ってほしいって言うなら、やってみるけど」

「そこまでしていただくのも……と遠慮していてもしょうがないですね。ぜひお願いしたいです」

「決まりね。夕張、私も手を貸すから、さっそく開発に取り組みましょう」

「ええ、わかったわ。島風ちゃん、できる限り早く仕上げてみせるからね!」

 

 とりあえず答えると、夕張は困惑気味の表情を一転、俄然やる気が出てきたようで、笑顔でそう言った。……ところで、D型ってなんだろう。ぜひ、とは言ったけど、どんな艤装なのかさっぱり想像がつかない。五連装酸素魚雷?

 

「あ、でも私、明後日には、この鎮守府を出る事になるかもしれないのですが」

「……そうなの?」

 

 これを伝え忘れてはいけない。俺は、自分の所属が不明で、それが明後日までにはわかる事を話した。どこかに所属していた場合、おそらくすぐにここを離れるだろう事も。

 純粋な発生艦ではなかったのね、と頷いた夕張さんは、次に「なら明後日までに終わらせるわ」と胸を張った。頼もしい。

 

「じゃあ、お願いしますね」

「任せて。明石も手伝ってくれるなら、最高の出来になると思うわ」

「期待してね」

 

 笑顔で軽く手を上げてみせる二人に、そういえば、そうなると明石への対価は、と思い至り、聞いてみた。

 律儀な子ね、と呟いた明石は、「それはD型が完成してから話そう」と、先延ばしにした。彼女は夕張さんの後押しをしたけど、自分が何かを受け取るとなると、遠慮したくなったみたい。それはたぶん、貰うのが嫌なんじゃなくて、対価が払われる事を想定していないというか、そういうのが欲しいからやっている訳じゃないからなのだろう。……そもそも、対価は提督から払われている訳だし……ひょっとして、俺のやっている事って結構な迷惑なのでは?

 今さらその考えに当たったけど、もう事は進んでいる。夕張さんは俺の差し出した封筒を受け取ってくれた。代わりに、装備の開発なんかを請け負ってくれると言った。それでおしまい。

 お金が駄目なら、菓子折りとか、ギフトとか、なんでもいいから彼女達を労うものを持ってこよう。

 去り際、明石に好きな物はないかと聞いてみた。「た~る?」と首を傾げたけど、えーと、なんだろう、それ。タール? ……タバコ?

 

「シュガータール?」

「あ、そうそれ」

 

 夕張さんが助け舟を出すと、明石はあー、と何度か頷いた。

 ん、なんか聞き覚えある。……あ、コンビニエンス妖精で見かけた駄菓子! タバコみたいな形をしたやつだ。

 

「次に来る時は、それを持ってきますね」

「んー……わかった。お願いするね」

 

 一つ約束事を作って、明石の工廠を後にする。

 ……あっ、お金ないのに、どうやってシュガータール買うんだ、俺。

 しまった、できもしない事を約束してしまった。……なんとかしてお金を調達しないと。

 その方法は思いつかないけど、やると約束したからにはやるのだ。……出撃すれば日当とかでるんだろうか。出撃させてもらえるかなあ。いちおう艦隊所属ではあるけど。

 

 考え事をしつつ本棟までの道を行く。行き先が寮じゃないのは、持て余してしまったこの時間に、やろうと思っていた事があるからだ。

 本棟二階。『資料室』のプレートがある扉の前にやってきた。

 2024年から過去までの歴史を知ろうと思って、ここで調べようと足を運んだのだが……あーっ、と……ここって、勝手に入っても良いんだろうか。提督の許可が必要だったり……。そもそも、鍵がかかっていて入れないかも。

 

「うだうだ考えてても意味ない。鍵閉まってたら帰ろ」

 

 なんとなく口に出してやる事を決めて、ノブに手をかける。ひんやりとした鉄の感触。ゆっくり捻ると、はたして鍵はかかっておらず、引く事で扉を開く事ができた。

 最初に感じたのは、少しばかり重い空気。古い紙や埃の臭い。それと、ファイルとかの、独特な臭み。

 鉄製の棚が横並びにずらーっと並ぶ薄暗い部屋に足を踏み入れる。扉から手を離すと、ガチャン、と存外大きな音がして肩が跳ねた。ぴょこりと、つられてうさみみリボンも揺れる。

 僅かにずれたカチューシャの位置を直しつつ、部屋の中を歩いて回る。結構広い。棚が入り組んでいて迷路みたいになってる。並んだファイルには出撃の記録や資材の入出などの記録があって、ここに入って良いのか悪いのか、よくわからなくなってきた。

 所々に、黒い板のようなもので挟まれたノート的な物もあって、その一冊の上部に指をかけ、引き抜いて流し読んでみる。

 

「……前任の提督の……うわ、大怪我して引退したんだ。…………痴話喧嘩が原因かな」

 

 今いる提督の前の人は、秘書艦と喧嘩して怪我をし、それが理由で退役したと記されている。何したら艦娘パワーを振るわれるほどの喧嘩になるんだろう。秘書艦が誰なのか気になる。気性の荒い艦娘か、気難しい艦娘か。

 っと、気にしていてもしかたない。俺が求めているのは艦娘や深海棲艦の歴史だ。冊子を棚に戻す。

 ここら辺は違うみたいだし、棚を変えよう。

 キーワードは……『最初の艦娘』……よし、ヒットした。この一冊がそうだ。

 

「……馬鹿やってないで真面目に探そ」

 

 手に取った店屋物のチラシを元の場所に戻して、室内を探索する。

 それにしても、埃っぽくてかなわない。それに、薄暗い。遮光カーテンに遮られた奥の窓から漏れる光が僅かな光源になってはいる。朝だからそれだけで十分なんだけど、ううん、なんとなく電気をつけたくなってしまう。

 う、ここは行き止まりだ。ここから先には進めない。引き返そう。

 棚にあるファイルや冊子の背表紙や、見える範囲での表紙を流れる視界の中で認識しつつ、求めるものを探していく。奥に行けばいくほど本や資料が新しくなっている。そう気が付いたのは、部屋の向こうの壁が近付いてきた頃だった。

 

「反対じゃん」

 

 おそらく歴史関連の資料は古い方にあるだろう。

 ぽそりと呟いて、がらがらの棚から目を離し、踵を返す。……そのさなか、妙な物が視界に入った。

 黒い山。……本の山。

 ねずみ色のカーペットの上に、乱雑に積まれた本、冊子、ファイル。それぞれが開いたり紙を零したりしていて、山を作っている。……何かの拍子に棚から落ちてしまったのだろうか。

 見てしまった以上、見過ごすわけにはいかない。本を拾うべく、黒い山に近付いて行こうとして、ふと、もぞ、と本が動いた気がした。

 ……?

 

「……ぃ」

「んっ?」

 

 今、何か聞こえたような。

 具体的には、その、目の前の本から。

 ……気のせいか。本が喋るとかないし。

 

「そこの……キミぃ」

「わっ、ほ、ロイミュード!?」

 

 くぐもった、低く響くような恐ろしい声にびっくりして跳び退り、ファイティングポーズをとる。まじで声がした! 本から!

 

「誰がロリ少女や! あー!」

 

 もぞもぞっと動いた本がざらざらと崩れると、苦しげな声が聞こえてきた。……あ、これ、誰か下敷きにされてる? 本の山はそれ程大きく広がっていなかったから、人なんていないって判断してたんだけど……駆逐艦の子……朝潮とかならすっぽり収まりそうな感じだった。

 そうとわかれば、臨戦態勢に入ってる場合ではない。艦娘とは言え、大量の本に押し潰されている現状はなかなか辛いだろう。カーペットだって綺麗ではないし。

 走り寄り、本をさっさかどかしていくと、小さな手から赤い袖、それからこげ茶色の頭と、次々に少女の姿が露わになってきた。

 

「大丈夫ですか?」

「うう……いつつ……」

 

 腕をついて身を起こしたのは、軽空母、龍驤(りゅうじょう)だった。ツインテールが少し埃に汚れているけど、払ってやっていいものか悩んでしまう。洋服のようで和服みたいな赤い上着や、首元の勾玉みたいな飾りに、黒いスカートから覗く細い足とか、目を彷徨わせて彼女の容姿を観察していると、後ろ頭を擦っていた彼女が「ありがとな」と言った。

 

「けどキミ、ここ、許可なく立ち入りは禁止されてるんやけど……」

「あ、やっぱり?」

 

 思ってた通り、ここは入っちゃけない場所だったらしい。龍驤は、ツインテールの端をぱしぱしと叩きながら、やっぱり? ってなあ、とじと目で睨んできた。

 …………。

 

「まあ」

「……まあ?」

「まあまあまあ、いーじゃないですか。ほら、私が勝手に入って来たから、先輩が助かったんですから」

「そらそうやけど……先輩?」

 

 立ち上がってスカートを払う彼女に合わせ、俺も立ち上がって、どうにか誤魔化そうと、ちょうどいい位置にある龍驤の肩を叩く。

 彼女は一瞬納得の素振りを見せて、俺の言葉に引っかかったみたいに目を合わせてきた。

 

「あー、キミが噂の新人か! うちは軽空母・龍驤や。こう見えて歴戦の空母なんやでー」

「そうなんだ凄いですね!」

「……信じてへんな?」

 

 おっと、さすがに大袈裟に反応しすぎたか。

 今ここで追い出されては困るので、本の隙間に落ちていた帽子……じゃなくて、サンバイザーだかいうやつを拾い上げ、手で払ってから彼女に渡す。再度礼を言った彼女がそれを頭に取りつけている間に、しゃがんで周りの本を手に取り、抱え始めた。

 

「手伝ってくれるん? 助かるわ。でも……」

「わかってますって、これとそれを片付けたら出て行きますよ」

「ほんなら、まあ、良いけど」

 

 これとかそれとかあれとか曖昧な表現で自分のやりたい事を押し通す大作戦は、龍驤先輩の納得を持って成功となった。

 

「私、戦艦・シマカゼです」

「ほーか、戦艦かあ。こりゃまたコンパクトな戦艦が来たなあ……って、キミ……冗談が過ぎるよ」

「いつかそれくらい強くなってやるって意気込みです。さ、先輩、この本は……この棚に入れちゃっていいんでしょうか?」

「せんぱ……うん、ええよ」

 

 自己紹介を交えつつ、本を片していく。うーん、本に埃が……。この部屋、あんまり掃除されてないんだろうか。寮や、ここの廊下とかはすっごく綺麗なのに。

 

「そういえば、龍驤先輩はここで何を?」

「ん? 資料の整理や。今日はうちが助秘書に任命されててなあ、やから『いってみよう!』と気合い入れてたんやけど……あはは、空回りしてもーた」

「助秘書……大変そうですね」

 

 なんだか色々やる事ありそうで。

 龍驤は、そうでもないよ、と首を振った。全部の本を棚に戻したところで、俺へと体を向ける。

 

「それに、助秘書を任されるっちゅー事は、それだけ信頼されてるって事なんよ。嬉しいし、張り切ってしまうなぁ」

「先輩って凄いんですね」

「そーや! 赤城や加賀にも負けないくらい凄いんやで!」

 

 ふっふーんと胸をはってみせる龍驤に、そうなんだ凄いね、と純粋な感想を述べておく。……みんな自分に自信を持ってるのかな。よく胸を張る姿を見る気がする。……悲しいけど。……何が、とは言わない。

 

「ま、キミも頑張って戦艦を越える船になるんやな! 応援しとるで!」

「ありがとうございます。さて、片付け終わりましたし……検索を始めよう」

「……資料片し終えたら出てくんと違うの?」

「それは終わりましたけど、これはまだ終わってないので」

「……あー、あー、あー、そういう……キミなあ」

 

 あら、やっぱりこの作戦は駄目か、と思ったのだけど、溜め息をついた龍驤は、腰に手を当てつつ、「しかたないなあ、なに探しとるん?」と見逃してくれるどころか、探すのを手伝ってくれるみたいだ。

 

「艦娘が現れ始めたのがいつか、とか載ってるのってありますかね」

「んー……たぶん、向こうの方にあると思うけど……なんでそないなもん探しとんの?」

「興味本位です」

 

 小首を傾げた龍驤の言葉に答えれば、彼女はなおも不思議そうにしながらも、その本の下に案内してくれた。

 それを読んだら、今度こそ出て行くように、と厳しめに言われて、しっかり頷く。本の持ち出しは禁止やで、と念押しをした龍驤が戻って行った後に、棚に背を預けてページを捲った。

 

 

 2010年、7月中旬。最初の深海棲艦が発見されたのは、九十九里浜だった。

 海岸に打ち上げられている巨大な魚を、付近の住民が撮影の為に近付くと、突然体を持ち上げて暴れ、波に浸ると、猛然と海の中へ消えて行ったという。

 それを皮切りに世界中の海で同型と思われる異形の魚が目撃されるようになる。

 当初深海魚の一種がなんらかの異常で浅い地帯に移住してきたのではないかと考えられていたが、同年9月14日、日本の漁船(第五ちゆり丸)が雷撃を受けて沈んだ事で(同時期に各地に停泊していた船が幾つか攻撃されていた事も含め)、認識は一変し、この敵性異形を未確認深海魚と呼称し、対策を練るようになった。

 夏の日の海はどこも閉鎖されるようになり、海に面した街からは、月日が過ぎ、人々が危険の臭いを嗅ぎ取り始めると、徐々に人影が無くなっていった。

 

 数年の時が流れる内に海は異形で溢れ、各国との貿易が困難になっていく。

 この異形は種類を増やし、空までをも覆い尽くしたのだ。

 人型なんかも確認されて、より事態は深刻に。

 

 2013年四月、最初の艦娘が姿を現した。

 海上自衛隊から作られた特設海上防衛隊が敵性未確認深海魚(仮称深海駆逐艦。装備が駆逐に似通っている為)と交戦中、海の上を滑り出て、加勢したのだ。

 

 少女の話と妖精の存在、実際に艦娘が建造できてしまった事で、政府はかつての戦争と同じように鎮守府を設立、艦娘と協力して戦う事になったが、少女を矢面に立たせてというのは、内外に関わらずかなり心証が悪い。

 そのため艦娘の存在は極秘となって、国民には知らされなかった。

 

 

 百数十ページにのぼる本の内容を要約するとそんな感じだった。後半はおそらく提督向けの鎮守府運営のいろはがつらつらと書かれていたのでそこは省き、読み終えたのは、三十分後くらい。

 肩を回したり腰をひねったりして凝りを解しつつ、本を元に戻して、部屋を後にする。龍驤に挨拶をしようかとも思ったけど、仕事の邪魔をしてまでする事でもないだろう。近くにいれば一声かけるぐらいはするが、わざわざ奥まで行って言う事ではない。

 部屋に戻り、少しの間ぼうっとする。やる事が思いつかない。吹雪や夕立が戻ってくるのは夕方だろうか。そんな事を考えつつベッドの縁に腰かけていた。

 十二時を回ってだいぶん経ったという時に、吹雪と夕立が戻ってきた。授業というのは三時間だけで、お昼前には終わるらしい。お昼を食べに食堂に行こう、と誘われたので、暇をしていた俺は喜んで賛成した。

 

「そういえば、叢雲さんは?」

「さっき一度帰ってきたよ。またすぐどこかに行っちゃったけど……どこに行ったんだろう」

「叢雲さんは、きっとまた港の方に行ってるっぽい。物思いに耽っている姿がよく見られているっぽい」

 

 おや、夕立はそんな事にも詳しいのか。

 しかし、港……って、夕張さんの工廠の方から抜けていける場所の事だよね?

 そこにずっといるのかな。……なんだか重そうな雰囲気。彼女の過去に何があったのか、話を聞くたびに興味が募っていく。夕立はそれも知っているのだろうか。聞けば答えてくれそうだけど、不用意に聞くものでもない、と自制する。

 食堂につく。朝と同じで時間を外してしまっているせいか、人がまばらだった。むむ、また朝潮に会えなかった。……夕食こそ、会えるといいんだけど。

 直接部屋に赴くのは少し気が引けるので、少々後ろ向きな決意を固めつつ、食券販売機の前に立つ。

 

「島風ちゃんは何にするの?」

「あたしは昼定食Bにするっぽい」

「じゃあ……C?」

「私は、Aにしようかな」

 

 それぞれ別のものを選んで、カウンターに持っていく。ここも朝と変わらず、女性と鳳翔さんが切り盛りしていた。

 C定食はチキン南蛮だった。日替わりランチっぽい。

 吹雪や夕立とお話ししつつ、ゆっくり食べ進めていく。主に、授業とは何か、とか、先生ってそんなに怖いの、とか。

 

「先生は厳しめっぽい。遅刻してないのに怒られちゃったっぽい……」

「あ、それでちょっと遅く戻ってきたんだ」

「次に遅刻ギリギリで来たら、宿題倍にするって言われちゃってたね」

 

 それだけはいや~、とスプーンを握り締めて涙を流す夕立に苦笑いが零れる。朝、ちゃんと起きれるように毎日叩いてあげようか、と持ち掛ければ、それも勘弁っぽい、と首を振られた。

 

「吹雪ちゃんは怒られなかったの?」

「私は……」

「吹雪ちゃんは真面目さんだから許されたっぽい」

「……ふーん、真面目、ねぇ」

「あはは……」

 

 今朝の広報紙の事を想い出しつつ吹雪を見やれば、誤魔化し笑いをされた。いけないとわかりつつも赤城が描かれた広報誌を持ち帰ってしまうなんて……危険な香りがする。

 十中八九鼻が馬鹿になってるだけだと思うけど。

 

「あ、あのね、私――」

『――えー、館内放送。龍驤や。駆逐艦・島風。執務室まで来なさい。駆逐艦――』

「……放送」

 

 吹雪が何事か言いかけた時に、放送が入った。短いノイズの後、食堂内に龍驤の声が響く。スピーカー……ああ、向こうの方にあるな。

 何かしちゃったっぽい? と聞いてくる夕立に、うーん、と曖昧に首を傾げる。心当たりはすっごいあるけど、今ここで言うのはよくない気がする。

 しかし、資料室に勝手に入ったのはまずかったか。何がまずいって、俺だけじゃなく龍驤まで咎められてそうって事だよね。助秘書は提督の信頼があって任命されるもの。……ひょっとしなくても、かなりヤバい事しちゃったのでは……。

 

「私、行ってくるね」

「あ、うん」

「行ってらっしゃい?」

 

 素早くご飯をやっつけてしまって、コップを掴んで水を一気飲みし、それを置いておぼんを持ち上げ、二人に声をかける。早食いを見られたせいか、二人は少し呆けているみたいだった。

 カウンターに食器を返し、ごちそうさまでしたを伝え、急いで廊下に出る。

 数段飛ばしで階段を駆け上がり、三階へ。提督の執務室へ続く廊下まで来て、少しスピードを落とし、早歩きで両開きの扉の前までやってきた。

 緊張を孕んだ胸をぐいと拭い、二度、扉をノックする。

 

「どうぞ、なのです」

 

 電の声を聞いてから、一拍置いて扉を開く。

 どんな叱責があるかを考えると、緊張の汗が流れでそうだった。

 

「失礼します」

「うん、島風……こっちに来なさい」

 

 提督は、前に見た時と同じような表情をしていたけど、それもどこか硬い気がした。

 机の両端に立つ電と龍驤も、真面目な顔をしている。

 

「……あの」

「島風。君の所属が判明した」

 

 彼らの前に立ってすぐ、沈黙に耐え切れなくなって口を開こうとした俺に、提督が静かに告げた。

 それはきっと、俺が叱責よりも恐れていたものだった。



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  茶番「第一回犯人は誰だクイズ」

台本形式。超短い。
前書きか後書きにいれようと思っていたのですが、微妙な長さになってしまったので投稿します。
読まなくても問題ないです。

タイトルの通り、かなりくだらない感じになっているので、読んで不快になっても責任はとれないです。


 

 (ぽぽぽいぽい ぽいぽい ぽいぽい ぽぽぽぽ

  ぽーいぽーいぽーいぽーい)

 

夕立「はじまりましたー、第一回、犯人は誰だクイズ~」

島風「えらく唐突だね」

夕立「吹雪ちゃんを縛ってあたしを呼び寄せた人の言う事ではないっぽい」

吹雪「ごめんなひゃい……」

島風「猿ぐつわがずれてる」

夕立「ぽぽいのぽい」

吹雪「もごもご……」

 

島風「さて、夕立ちゃんを呼び寄せたのは他でもない、これに関する話をしたくてね」

夕立「青葉さんが書いた広報紙っぽい? いつ見ても絵が綺麗っぽい」

吹雪「もごご~!」

島風「おおっと、赤城さんの絵を見て吹雪ちゃんが興奮しちゃったみたい」

吹雪「もごっ!? もご~!」

夕立「必死に首を振ってるっぽい」

島風「えー、なんと吹雪ちゃんは、勝手にこれを持ち出してしまいまして……」

夕立「吹雪ちゃんがそんな事するはずないっぽい?」

吹雪「…………」

島風(凄い気まずそう)

 

島風「えー、まあ、吹雪ちゃんがすっごく真面目だってのは私もわかってるけど。

   だから、変だなって思ったんだ。吹雪ちゃんなら、もし広報紙が欲しくなっても

   踏み(とど)まるはずだろうに、って」

夕立「……つまり?」

島風「吹雪ちゃんを(たぶら)かした誰かがいるに違いない!」

夕立「おお~。たしかにそうっぽい。その人はきっと、吹雪ちゃんより偉い人っぽい」

島風「同じ新人の夕立ちゃんや、後輩にあたる私が後押ししたって、断りそうだもんね、吹雪ちゃん」

 

夕立「場所柄、それは駆逐艦の子でしかありえないっぽい」

島風「駆逐艦で、偉くて、先輩で……それって、もしかして?」

吹雪「……」

島風「わかった! レディな暁先輩だ!」

吹雪「!?」

夕立「……惜しいっぽい?」

島風「えー、じゃあ……怖そうな不知火(しらぬい)先輩?」

夕立「この鎮守府にはいないっぽい」

島風「……じゃあわかんない」

吹雪「……叢雲さんだよ」

夕立「あ、吹雪ちゃん、猿ぐつわとったっぽい? またつけなきゃ」

吹雪「つけなくていいよ!? もう、私が悪い事したのはたしかだけど、何も縛らなくたって……」

島風(マジ泣きしそうな気配がする)

夕立 (おふざけがすぎたっぽい)

 

島風「それで……叢雲さんが、広報紙を持って行って良いって言ったの?」

吹雪「うん……えーとね、昨日の事なんだけど……。私が掲示板の前で、その、広報紙を持ち出そうか悩んでたら……」

夕立「吹雪ちゃんの赤城さん好きはよっぽどっぽい」

島風「しっ」

 

――吹雪。そこで何をしているの

あっ、叢雲ちゃん。えーと、その……この、赤城さんの絵、すっごく綺麗だなーって思って……

――ああ、それね。あの人、絵も上手いから。……で、どうしたの? ……それが欲しいの?

え、ち、違……う、ううん、そう、なんだけど……

――ふぅん。それ、貼ってあるのは青葉さんの趣味なだけなのよ

……え?

――別に持っていったって誰も文句は言わないと思うわ。まともに読んでる子は少ないし

そ、そうなんだ。えと、ありがとう、叢雲ちゃん

――いいわ。それより、そんな場所でずっと立っていたら邪魔よ。持っていくならさっさとなさい

う、うん!

 

吹雪「――という事があって」

島風「あれ? じゃあ、あの紙って、別に持ってきちゃってても悪くなかったって事?」

夕立「叢雲さんに言われて、なら、吹雪ちゃんが持ってきちゃうのも納得っぽい」

島風「じゃあなんで、私が見つけた時にあんなに慌てたの? それに、返してくるって」

吹雪「それは、やっぱり悪いかなって思ってたのもあるし……」

島風「あるし?」

吹雪「うう……は、恥ずかしかったの!」

島風「へぶ!」

夕立「あ、吹雪ちゃんの投げた猿ぐつわが島風ちゃんの顔にクリーンヒットしたっぽい」

吹雪「あっ、ごめんなさい! だ、大丈夫……?」

島風「~~~~!!」

夕立「わりと痛いっぽい?」

 

夕立「えー、第一回犯人は誰だクイズは、これにておしまいっぽい。特にヤマもオチもなかったぽいから、

この後はお菓子パーティするっぽい」

島風「」

吹雪「ゆ、夕立ちゃん、島風ちゃんが息してない……」

夕立(無理矢理オチ作ったぽいな)





真面目なブッキーがなぜあんな事したのか、という裏のお話。
理由書いとかないと吹雪が悪い子になってしまうので、急遽書きました。
そもそも赤城さんにこれくらい憧れてるよって描写したいならもっと他に書き方あっただろうにね。

次回予告。

ついに所属が判明してしまったシマカゼ。
ここを離れる前に、せめて朝潮と少しだけでも話したい、と鎮守府内を探し回るのだが、彼女の姿はどこにもなくて……。

次回、「別離」
投稿日時は未定です。


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第二十一話 帰りたくない、会いたい

『向こうは君をすぐにでも引き取りたいと言っている。俺としても、君をすぐに帰してやりたいと考えている。だがこちらの都合で、少し時間がかかってしまう。明日の夕刻までにこちらの準備をしておくから、君も心構えをしておくといい』

 

 ゆっくりだったか、矢継ぎ早だったか、言葉の速さが曖昧になって頭の中を流れた。

 何も答えない俺に提督は一方的にそう告げて、退室を促した。仕事が多くあるのだろう。提督の立派な机の横に置かれた、背の低い二つの机についた電と龍驤が、山のような書類をせっせとやっつけ始めていた。

 突然に――というのは語弊があるかもしれないが、突きつけられた現実を受け止めようとしている間に執務室を後にしていて、気がつけば、食堂にいる吹雪と夕立の前まで戻ってきていた。

 

「おかえり、島風ちゃん」

「怒られたっぽい?」

 

 ほとんど食べ終わっている二人のお皿を眺めていた目を、二人の中間あたりに向ける。

 数秒、吹雪も夕立も黙って俺の言葉を待っていた。

 

「……所属が判明したんだって」

「所属?」

 

 聞き返してくる夕立に、そういえば、そこら辺の説明はしていなかったな、と思い出した。

 数日の間しかここにいられない可能性。そんなの、彼女達と話している間は忘れていた。

 席を引いて、どっかりと座る。体が強張っているような、力が入らないような、不思議な脱力感。きりきりと脳の後ろ側が痛んでいる。

 よくない気持ちが足先から上の方へ這い上がっていく悍ましい感覚を無視して、二人に俺の立場を話す。

 

「それで、今日所属がわかったんだね。よかったね、すぐ帰れそうで」

「……そうだね」

「んー……なんだか顔色悪いっぽい。どうしたの?」

 

 笑いかけてくれていた吹雪は、夕立がそう言うと、俺の顔をまじまじと見つめて、大丈夫? と気遣うふうに聞いてきた。

 

「その……もう一つ、あって」

「?」

 

 その鎮守府の記憶がない。

 前にどこかにいたという記憶はなく、ここが初めての鎮守府なのだと彼女達に話す。

 

「記憶喪失? ……だから、そんなに不安そうにしてるっぽい?」

「うん。……不安なんだ」

 

 夕立の言う通り、俺は、俺の知らない島風を知っているだろう鎮守府に行く事を不安に思っている。

 それは、俺が島風でないと判明してしまう事に対してでもあるし、単純に、未知なる場所への不安でもある。

 ……いや、不安というより、怖いのだ。

 あの島とこの鎮守府の外側は、暗く塗り潰されていて、世界などどこにも広がっていないのではないか。

 そんな事あるはずないのに、そう思ってしまう。考えてしまう。

 この場所を離れれば、俺という存在が綺麗さっぱり消えてしまうのではないかという恐怖も、同時に抱いていた。

 それらがいったいどこからくるのか、まるでわからない。

 ここを離れたくないという気持ちに理由付けしているだけなのかもしれない。

 ……もし俺がどこかの鎮守府に所属していたなら、そこに行くしかないだろう、なんて思っておいて、いざ本当にそうなるとこれだ。

 正直、ここでないどこかになんか行きたくなかった。

 一日二日でそれ程大きな愛着がわいているという訳でもないが、それでも……。

 

「……帰りたくないっぽい?」

「……ここが、島風ちゃんにとっての初めてだから?」

 

 食堂の中にある僅かな騒めきの中で、二人が静かに問いかけてきた。

 頷けば、それきり吹雪も夕立も黙ってしまう。

 行きたくない、帰りたくない、なんて、ただのわがままだ。

 でも……。

 

「せっかく吹雪ちゃんや夕立ちゃんと仲良くなれたのに、もうお別れだなんて……」

「それは……あたしも寂しいっぽい。吹雪ちゃんや島風ちゃんと一緒にお菓子パーティしたの、すっごく楽しかったっぽい」

「私も……。でも、島風ちゃん。元いた鎮守府に帰ったら、きっとすぐに不安は晴れるよ。だって、元々島風ちゃんのいた鎮守府でしょ? みんな、すぐ仲良くしてくれるよ」

 

 だから、大丈夫。

 明るい笑顔でそう言い切る吹雪に、俺も自然と笑ってしまった。

 そんな風に言われると、ほんとに大丈夫だって気がしてくるから不思議だ。

 

「吹雪ちゃんって、なんか……凄いね」

「……凄い? 私が?」

 

 きょとんとした吹雪は、次にはぶんぶんと両腕を振って「そ、そんな事ないよ!?」と否定した。

 そんな必死になって否定しなくてもいいじゃん。動作が大袈裟で、ちょっと笑ってしまった。

 

「そうかなあ? 凄いと思うんだけどな」

「その凄さ、吹雪ちゃんは自覚なしっぽい」

「え、なに? なんの話なの!?」

 

 俺達が、吹雪の何を指して凄いと言っているのか、どうやら彼女にはわからないらしい。

 あの「大丈夫」と笑顔は素なのか。いやまあ、吹雪が計算してやっているなんて想像もつかないんだけども。

 

「吹雪ちゃん、大丈夫だよ」

「そうそう、大丈夫っぽい」

「だから何がなの!? 教えてよぅ~」

 

 あ、へたった。

 机の開いてる部分に伏せて微妙に頭を震わせる吹雪に、夕立と顔を合わせて、くすりと笑った。

 

 

 一度部屋に戻ってきて、丸テーブルを囲んで座る。

 

「ぽぽぽい。第一回島風ちゃん作戦会議っぽい~」

「私、お茶いれるね」

「お願い」

 

 わーぱちぱち、と手を打つ夕立を横に、吹雪と言葉を交わす。

 作戦会議ってなんだろうね。いつの間にそんな話の流れになってたのかな。

 

「ずばり、島風ちゃんは鎮守府に帰りたくないっぽい?」

「それは、そうだけど。……でも、もう大丈夫。吹雪ちゃん見てたら、覚悟できたから」

「え? なあに?」

 

 正確には、吹雪ちゃんの笑顔を見てたら、だ。

 似てるんだ、吹雪は。いつでもどこでも、とびきりの笑顔。そんな姉さんに。

 顔だけ振り向く吹雪に、なんでもないよ、と手を振ってみせる。電子ポットを弄っていた吹雪は、そう? とだけ言って、手元に視線を戻した。

 

「……第一回島風ちゃん作戦会議はこれにておしまいっぽい」

「……なんだったの?」

 

 なぜか唇を尖らせて不満気にしている夕立に問いかければ、別になんでもないっぽい、とそっぽを向かれてしまった。……作戦会議の体をなしてなかったからへそを曲げたのか、それともすぐに終わってしまったのが気に入らなかったのだろうか。

 

「あ、でも」

「なになに? お悩み相談っぽい?」

 

 わ、反応速い。気のせいか目を輝かせて顔を寄せてくる夕立に、少しずつ背を反らしながら、思い浮かんだ言葉をそのまま口にしようとする。

 別の鎮守府に『戻る』事への不安はかなり収まったけど、もう一つ、心配事というか、気掛かりがあるのだ、と。

 

「はい、どうぞ」

「あ、ありがと」

 

 ことんと目の前に湯呑みが置かれる。白く立つ湯気越しに吹雪にお礼を言い、彼女が夕立と自分の分をテーブルに置いて腰を落ち着けるまで、いったんお話はお預け。

 

「それで、どうしたの?」

「うん、鎮守府に戻るのは明日の夕方頃らしいんだけど……」

 

 その前に、朝潮と話がしたい。

 俺の言葉に二人はきょとんとして、それから、「じゃあ、朝潮さんの所に行く?」と聞いてきた。

 

「あ、や、でも、部屋に押しかけるのは迷惑じゃないかな。お昼の時とか、夕飯の時とかに食堂ででも……」

「でも、話したい事があるなら、今すぐ行った方が良いっぽい」

「ふふっ。朝潮さんとお話したいけど、勇気が出ないんだね」

 

 いや、勇気が出ないというか……。

 ……あー、吹雪の言う通りかもしれない。

 ここに来てから、朝潮と言葉を交わしてないから、どういう風に顔を合わせればいいのかを忘れてしまった。変な話だけど、そうとしか言いようがないのだ。

 

「ひょっとして、島風ちゃんが最初に会った艦娘は朝潮っぽい?」

「……うん、そう。ええと……一緒に、この鎮守府まで来て。あ、それまでも、何日か一緒で、力を合わせて戦ったりしたから」

「重巡を倒したって言ってたよね。島風ちゃんの方がよっぽど凄いよ。私なんか、まだ深海棲艦と戦った事ないんだよ?」

「あたし達、演習しかした事ないっぽい。はやく実戦やりたいっぽい~」

 

 むくー、と頬を含まらせる夕立。吹雪が赤城さんに憧れているみたいに、夕立にも憧れている人がいて、だから、早く強くなりたいんだと昨日話していた。

 その憧れてる人、というのが演習で見た夕立改二だというのだから、なんというか……まあ、うん。

 

「そういえば、午後は二人とも予定はないの?」

「午後は、出撃とか、遠征とか、演習とか、いっぱいあるんだけど……私達はまだ新人だから、やる事が無くて」

「午後はもっぱらお茶してるっぽい。時々トレーニングルームに行ったり、予習と復習をするっぽい」

 

 露骨に話題を逸らせば、二人共すぐに乗ってくれた。

 予習と復習……夕立はちゃんとやっているのだろうか。宿題忘れの常習犯というイメージがあるのだが。

 

「そんな事したら拳骨じゃすまないっぽい」

 

 何を言ってるんだ、と膨れる夕立だけど、苦笑している吹雪を見れば、たぶん以前にやらかしてるんだろうな、と予測できてしまったので、うんうんと頷いておいてあげた。

 

「それで、島風ちゃんはどうするの? 朝潮さんに会いに行く?」

「会いたい、けど……」

「そんなに会い辛いっぽい?」

「うん……」

 

 俯きがちに答えれば、たしかにその様子だと、すぐには無理っぽい、と夕立が肩を竦めた。

 湯呑みを手に取り、息を吹きかける。(ふち)に跳ね返って戻ってきた熱い吐息に顔を離しつつ、だから、夕ご飯の時に食堂で会うつもり、と言った。

 

「ほんとは、朝か昼に会いたかったんだけど……」

「むむ。あたしのせいっぽい?」

「そういう訳じゃないよ。私の勇気が足りなかったせい、だから……」

 

 夕ご飯の時に、食堂で。

 朝潮と話す。今、そう決めた。

 

「もしかしたら、もう話せなくなるかもしれないからね」

「…………」

「ん? どうしたの、吹雪ちゃん」

「え? あっ、ううん、なんでもない! なんでもないよ!」

 

 拳を握って決意していると、何やら吹雪がぼうっとして俺を見ている事に気付いた。どうしたのかと聞けば、手を振って「なんでもない」の一点張り。……すっごく気になるんですけど。

 

 そんな事を気にしていたせいか、それとも話がシフトして盛り上がってしまったせいか、夕ご飯を食べに食堂に行っても、朝潮に会う事はできなかった。

 ……直接部屋に行くべきかなあ。それはちょっと、心理的抵抗があるんだけど……。

 そんな事を考えつつ、シャワーを浴びに行って、戻ってきたら、三人でトランプをやって就寝の運びとなった。

 種目はババ抜きだ。吹雪ちゃん弱い……。顔にすぐ出る人、初めて見た。

 叢雲も誘ってみたんだけど、やらないの一言でバッサリ切られてしまった。今日も布団に潜り込むのが速い叢雲。彼女とも仲良くなれれば良かったな。

 ……ここを離れてしまうのだから、仲良くなっても、余計辛くなるだけか。

 

 明日こそは、ちゃんと朝潮と話せますように。




したいのに、先延ばしにする。
不思議な心理。

※ 追記 ※

さらっと嘘予告になってたの意図せずです。許して。
次回、一航戦赤城、登場。


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第二十二話 勇気

 朝潮には、朝食の時に会えるかなって思ったけど、寝坊助さんの出現に阻まれて会う事はできなかった。

 三人だけで部屋に戻る。叢雲は、どうやらまた港の方に行っているらしい。確認した事が無いから本当にそうかはわからないけど。

 

「ねえ、島風ちゃん。本当に昼食の時間まで待つの?」

 

 困ったように問いかけてくる吹雪に、頷いて返す。昼なら夕立も起きているし、二人とも、今日は授業が無いらしいし、それならすぐに食堂に行けるだろう。

 

「ほんとのほんとにお昼まで待つの? もしかしたら、お昼前にここを出る事になっちゃうかもしれないんだよ」

「……うーん」

 

 そう念押しされると、弱ってしまう。

 二人がどこかから持ってきてくれた真新しい手提げ袋に衣服を詰め込む手を止めて、傍に立つ吹雪を見上げる。

 俺の準備が終わって、向こうとここの準備が整えば、きっとすぐにでも発つ事になる。提督も、ええと、前の提督も、それを望んでいるみたいだし。

 そう考えればたしかに今すぐにでも朝潮の下に行かなければならない気がするけど、でもやっぱり、心の準備が……。

 

「……あ」

「行く気になったっぽい?」

 

 ベッドに背を預けてファッション誌を読んでいた夕立が顔を上げる。二人とも、どうしても俺に今すぐ行かせたいみたい。

 でも、俺が声を上げたのは、違う要因だ。

 

「夕張さんや明石……さんに、今日ここを出る事になったって伝えなきゃ」

「どうして?」

「装備の開発を頼んでたの。明日までには仕上げるって言ってたけど、ほら、今日になっちゃったから」

 

 何が、を省いて説明すれば、納得したように頷いた夕立は、雑誌を閉じてベッドの上に置くと、立ち上がって俺の前にやってきた。

 

「吹雪ちゃんについていくっぽい」

「私に、じゃなくて?」

 

 俺を見ているのに、俺じゃなく吹雪の名前を出す夕立を不思議に思ったけど、吹雪ちゃんは島風ちゃんについて行く気満々っぽい、と指差した。

 横にいた吹雪は、何やら服を正したり、髪を撫でたりしておめかししている様子。

 やがて「よし!」と気合を入れると、「さあいこ、島風ちゃん!」と俺を急かした。……いや、別に、ついてくるのは構わないけども。……今の吹雪の毛づくろいみたいなのはなんだったんだろう。

 

 

「明石さんも夕張さんも、凄く忙しそうだったっぽい」

 

 寮を出て、明石の工廠へ向かう道すがら、夕立が昨日の明石の様子を話して聞かせてくれた。妖精さんもびゅんびゅん飛び交っていて、まさにフル回転! といった感じだったらしい。来客に対応しようとした夕張さんが小さな缶を踏んづけて転んでいたんだとか。……その話は必要だったのだろうか?

 明石の工廠に近付くにつれ、騒がしさが増してくる。工廠前の木材が積み重なっているエリアには、妖精さんが忙しなく行き交っていた。見慣れた工廠妖精さん……がうじゃうじゃ。同じ顔があっちにこっちに……。ちょ、ちょっと貧血が……。

 

『おお君達か。無事で何よりだ』

「ひゃ!?」

 

 突然後ろから飛んできた意思にびっくりして、思わず飛び退いてしまう。うわ、今俺の喉から凄い恥ずかしい声が出た。

 ばくばくいう胸を押さえつつ、意思の出所を探して背後の地面を見回す。……いた。工廠妖精さん。……ひょっとして彼女は、あの孤島で俺達と共にいたリーダー妖精さんだろうか。

 

『中に用事かね。……呼んだから、そこで待っていると良い』

「あ、うん。ありがと……ございます?」

 

 なんとなく敬語でお礼を言えば、可愛らしい敬礼をしてくれた妖精さんが背を向けて仲間達の下に行こうとして、途中で足を止め、俺達を振り返った。

 

『そうそう、コンビニに新メニューの妖精フィギュアが入荷しているから、ぜひ味わってくれたまえ』

「……うん」

 

 ……味わう? たぶん、味わい深いだとか、じっくりと、的な意味の意思だったのだろう。

 それにしてもどこかで聞いた事のあるような言い回しだ。……ひょっとして、妖精さんの意思を文章にするのって、聞いた者によって違ってくるのだろうか。たとえば、金剛さんが妖精さんと意思を交わしたとして、妖精さんの言葉が全部カタコトになっていたりだとか……。

 憶測の域を出ないし、考えてもしょうがないか。

 

「お待たせしました! あ、あなた達ね。どうしたの?」

 

 妖精さんの集団に消えて行ったリーダー妖精さんの姿を目で追っていれば、明石がやってきた。今日も頬が煤けている。位置が微妙に違うので、その日その日についてる汚れみたい。

 

「えーと、D……ごにょっていうのは、どれくらい開発が進んでますか?」

「ああ、進歩が気になったのね。夕張が頑張ってるから、形になってきてるよ。でも、まだまだ時間がかかりそうなの」

「そうですか……」

 

 兵装の名前が思い出して誤魔化し交じりに聞けば、装備の開発にはまだかかると言われて、困ってしまった。俺の様子を怪訝に思ったのか、どうしたのかと問いかけてくる明石に、今日の夕方にここを出る事になってしまったと伝えた。

 

「夕方……それはまた、急ね」

「すみません。お願いしたのに、こんな事になってしまって……」

 

 むむ、と顎に手を当てて難しい顔をしていた明石は、俺が頭を下げると、ぱっと笑顔になって「心配しないで!」と拳を握ってみせた。

 

「急ピッチで進めれば、完成までには持っていけるから。動作テストができないのが心配だけど……」

「大丈夫なんですか? えと、体の方は……」

 

 彼女達の身を案じて、でも、一言だけじゃ装備の心配をしているととられそうだったので、つけたした。

 明石は、「疲労回復はお手の物だから、三日間通しでも問題ないよ」と、俺の心配を払拭した。

 それでも悪いと思う気持ちはなくならなかったけど、そう言い切る明石を前にして俺がうじうじしていても仕方ないので、お願いします、と頭を下げた。

 

「任せて。仕上がったら提督に伝えるから、安心して待っててね」

 

 戦艦に乗ったつもりでいてね、と冗談めかして言った明石は、急いで工廠内に戻って行った。

 

「新しい装備、ちょっぴり羨ましいっぽい」

「へへ」

 

 工廠を離れつつ、夕立と言葉を交わす。夕立は、初期装備か、教材の模型にしか触れた事がなくて、そういうのを羨ましがっているみたい。吹雪はどうなのだろうと顔を向ければ、何やら考えを巡らせている様子だった彼女は、俺を見て、それから、一歩前に出た。

 

「よし、栄光の第一艦隊の赤城さんに会いに行こう!」

 

 俺達の前に出て後ろ歩きをしながら吹雪が言った。ふんすと息を吐くのは、気合いの表れだろうか。

 輝く瞳を向けられても、俺は「急に何言ってんのこの人」くらいしか思えなかった。

 

「何がどうしてその結論に至ったの?」

「えーと……秘密!」

「赤城さんに会いたいだけっぽい?」

 

 嬉しそうに笑って、理由を話さないと言った吹雪に、夕立が核心をつく言葉を投げかけた。それは俺も思った。でも、吹雪がそれだけで俺まで連れて行こうとするとは思えない。

 

「ち、ちがうよっ?」

 

 あせあせと手を振って否定する吹雪に、夕立がわざとらしく訝しげな視線を送った。おや、吹雪苛めかな。俺も加わろう。

 じとっとした視線を吹雪に注げば、彼女は眉を八の字にして弱り切ってしまった。それでも理由を話す気はないらしい。

 

「わかった。赤城さんの所にいこっか?」

「んー、賛成するっぽい。でも、赤城さんがどこにいるのか、吹雪ちゃんは知ってるっぽい?」

「あっ……」

 

 あって言ったよこの子。赤城さんのいる場所、知らないんだ。

 それでどうやって会いに行くのかなー、とじと目を再開すれば、吹雪ちゃんはまたぶんぶんと両手を振って、

 

「だ、大丈夫! きっと大丈夫だよ、たぶん! あはは……」

 

 そんなに焦ってて自信なさそうな「大丈夫」では、いくら吹雪が言ったとしても信用できないよ。夕立が横で「騙されちゃいけないっぽい」と呟くのが聞こえた。……うん、さっき「信用できないよ」なんて考えたけど、実際は吹雪が笑って大丈夫と口にすれば、本当にそんな気になってしまうから、なんでもかんでも彼女の言葉を信じてしまわないよう気をつけなければ。……とはいえ、吹雪は吹雪だし、悪い事なんか言わなそうだしやらなそうだし――広報紙の件は悪い事ではなかった――、赤城さんの場所がわからない事にしても、吹雪に責はない。いる場所がわからないなら、探しに行けば良いだけだ。

 

「今日の赤城さんは出撃の予定も演習の予定もないっぽい。いるとしたら、食堂か寮か修練場っぽい」

 

 ……夕立が物知りなのは昨日おとついで十分わかっていたつもりだけど、さすがに個人の行動を押さえているとまでなると、少し引いてしまうのだけど。

 

「それはわかってるんだけど」

「あ、わかってるんだ」

 

 吹雪は夕立の言葉に、当然といった様子で頷いた。……ひょっとして、おかしいのは俺なのだろうか。

 でも、他の艦娘の行動や日程なんて知らないし……ああ、そこは、ここで過ごしていれば自然と知れるようになってくるのかな?

 

「とりあえず、空母寮に行ってみよ?」

「おっけー。……競争する?」

「かけっこ? 夕立ったら、結構速いっぽい!」

 

 行き先が決定したので、ふとなんの気なしに道中の遊びを提案する。夕立は即座に乗り気になって、不敵な笑みを浮かべた。吹雪も、自分の性能には自信があるみたい。特型の意地、と言うとなんか格好良い。

 まあ、かけっこは俺が一番だったんだけどね。

 

 

「おお、おはよう。……キミら、そんなに急いでどうしたん?」

 

 敷地内に入ってすぐの駆逐寮と違って、空母寮は修練場が併設されている関係上、一番奥にあるので、わりかし距離があった。だから、結構な体力が持っていかれて、ぜーはーと息を荒げる俺達に、一つの寮の入り口前にいた龍驤が声をかけてきた。紙飛行機を手に首を傾げた龍驤は、しかし次に、ああ、と納得したようだった。

 

「ほほーん、わかったで~。キミ、戦艦じゃなくて空母を目指す事にしたんやな~」

 

 ならうちを目指すといいで! これ程の船は他におらん! とない胸を張る龍驤に、いやいや、違うよと頭を振って否定する。う、リボンが揺れるのさえ苦しい。遊びに全力を出す必要はなかったか? でも、みんな全力疾走してたから、手を抜いて走るなんてできなかったんだ。結果、遠い空母寮まで駆けっぱなしで、ふう、ふう……よし、そろそろ息が整ってきた。

 

「赤城に用事? 赤城なら今朝がた弓道場に向かってそれっきりやけど……」

 

 んく、と空気を飲み込んでしまって、少し咳き込みながら、まだ苦しげに膝に手をついている二人に変わって質問する。よし、弓道場……修練場ね。

 

「ありがと、ございます。ふ、吹雪ちゃん、夕立ちゃん、行ける?」

「う、うん。はぁ、ふぅ」

「…………」

 

 夕立が息してない。

 と思ったら、ぷはぁ、と大きく息を吐いて、その後にゆっくり深呼吸をしだした。そういう呼吸法? 夕立がすぐに息を整えたのを見て、吹雪も真似して息を止め、顔を赤くしている。……あ、我慢できずにぷはっとやった。魚みたいに口をぱくぱくして酸素を求めている。

 吹雪が落ち着くのを待っていると、ふと、誰かが近付いてくる気配がした。

 

「戦艦でも空母でもないものを目指していると言うのなら……そうか。君は航空戦艦志望なのだな」

 

 日向だった。今日は艤装を身に着けておらず、なんだかすっきりとしている。言葉はちょっと意味が分からなかったが、彼女の真面目な顔を見ていると、たぶん幻聴か何かだったのだろうと判断できた。

 

「だが、駆逐艦の君には艦載機は乗せられないんだ。残念だけど……」

 

 幻聴じゃなかったらしい。こちらに憐れむような眼差しを向けてくる日向は、どうやら本気で言っているみたいだった。いや、航空戦艦も目指してないけど……なんでそんなに残念そうな顔をしているのだろう。

 

「それはそうとして、私は龍驤に話があるのだが」

「うち? うちは全然構わへんけど」

 

 ちら、とこちらに視線を向ける日向。どうやら俺達はお邪魔のようだ。吹雪もだいぶん楽になってきたみたいだし、さっさと修練場の方に行くとしよう。

 日向と龍驤に挨拶してから、俺達は修練場へと移動した。

 

 修練場……弓道場とも呼ばれているらしい横長の建物は、木造だった。寮三つ分くらいの横幅がある。結構広い。でも、入り口はわかりやすい場所にあったので、行き先に迷ったりはしなかった。ただ、勝手に中に入っていいのか少し悩んでしまった。

 それに、吹雪がまた息、荒くなってるし……というか、なんか辛そうだし。

 どうやら緊張しているみたいだ。これから憧れの人と会うというのだから仕方ないのかもしれないけど、まだ会う前からこんなだと、いざ目の前にしたら卒倒するんじゃないかと心配になってくる。

 

 さて、中に入ってしまうと、すぐ靴を脱ぐ場所があった。玄関……やっぱりここは入り口で間違ってなかったみたい。人の気配のない廊下が前に続いている。左側の角には水道があった。水飲み場。

 廊下を進んでいけば、準備室だとか、居間のような部屋を見かけた。壁に古ぼけた避難経路の図が貼ってあって、それでこの建物に中庭がある事がわかった。

 もし赤城さんが鍛錬をしているのなら、中庭にいるだろう、と夕立が言うので、俺達は中庭に向かう事にした。……いつの間にか並び順で吹雪が一番後ろになっている。ここに来ようって言ったのは吹雪なのに。

 

「吹雪ちゃん、大丈夫?」

 

 足を止めた俺につられて振り返った夕立が、吹雪の身を案じる。

 

「き、緊張して……ふぅ」

 

 額に手の甲を当てて上を見上げた吹雪は、それから両手で顔を拭うと、もう大丈夫、と弱々しく笑った。……そんなに強い緊張を感じるなんて、赤城は吹雪に何をしたのだろう。

 

 中庭は、長方形の短辺に人の立つスペース……木板の床があって、途中から奥の方まで土と草が広がっていた。

 滑りの良いスライド式の木扉を開けて中を覗き込んだ俺は、中に立つ人を見て、はたと動きを止めてしまった。赤城……赤城さんだ。

 ちょうどこちら側に体を向ける形になって弓を構え、矢羽をつまんで弦を引いている。強い眼差しが、ここからは見えない的を見据えていた。

 ぴんと張りつめた空気。呼吸をするのも憚れるような、厳とした雰囲気に、扉に両手をかけたまま覗いていると、俺の体の下に潜り込んだ夕立が、同じように扉に手をかけて顔を出し、そっと中を覗いた。慌てて吹雪も夕立の下に体をねじ込む。……辛そうな体勢だけど大丈夫なのだろうか。

 だんご三姉妹な状態で赤城さんに視線を戻す。彼女は集中しているのか、俺達には気付いていない様子で、同じ構えのままでいた。

 艶やかな黒髪を光が流れる。凛々しい横顔が、こちらにまで緊張感を伝えてくる。手に汗を握ってしまうような、不思議な圧力。

 

「――!」

 

 やがて、ガシャンという音とともに矢が放たれ、一瞬後に的に突き立つ気持ちの良い音が鳴った。直撃。的が見えていないのにも関わらず、俺は矢が的の中心に突き刺さったのだろうと確信した。

 額に汗を滲ませ、弓を下ろした赤城さんに向けて、ぱちぱちと拍手をする。つられてか、夕立と吹雪も手を打って彼女の勇姿を称えた。

 だが赤城さんは、素早く、体ごとこちらに向き直って、鋭い目で射抜いてきた。手が止まってしまう。剣呑な光を瞳にたたえた彼女は、少し……いや、結構怖かった。

 

「あら、吹雪さん」

「あ、あっ、ひゃい!」

 

 すぐに、それが嘘だったみたいに柔和な笑顔になった赤城さんに、知らずほうっと息を吐いた。一番下の吹雪が四つん這いのままぺたぺたと部屋の中に侵入し、跳ね上がるように立ち上がって気をつけのポーズをする。わあ、がっちがち……。夕立と一緒に部屋の中に入り、吹雪の両隣りに立つ。

 

「一緒にいるのはお友達かしら。初めまして。私は赤城」

「夕立よ」

「シマカゼ、です」

 

 名前を交わすと、赤城はまず、先程睨んだ事を詫びてきた。どうにも気配なく近付かれるのが苦手らしい。彼女の眼光に晒されて肝が冷える思いだったが、こんな美人さんに謝らせてしまうと、俺が悪い気さえしてきた。……勝手に入って勝手に覗き見していたのだから、悪いと言えば悪いのだろうか。

 

「それで、どうしたの?」

 

 着ている物の関係か、両腰に手を当てるような格好で吹雪に問いかける赤城さん。袖が捲られて腕が露わになっているのが涼しげだ。

 

「あ、あのっ!」

 

 余裕があって、立ち姿も表情も穏やかな赤城さんに対して、吹雪はテンパっているようだった。両手を前で揃えて、気持ちが逸っているかのように大きな声を出す。落ち着かせた方が良いのだろうか。背中を撫でてやる、とか。

 なかなか言葉が出てこないらしい吹雪だったが、赤城さんは、そんな彼女の言葉をじっと待ち続けてくれた。急かしも促しもしない。そうすると、その内吹雪は落ち着いてきたようで、一度大きく息を吸って吐くと、赤城さんを見上げた。

 

「前に私に言ってくださった事を、もう一度……聞きたいんです」

「私が、言った事を……?」

 

 ふむ、と思案顔になる赤城さん。

 吹雪の言う『前』とは、前に一度会った時の事だろう。というか、一度しか会ってないって言ってたし、それしかないか。

 それを聞くためにここまで来たのか。……でも、なんで俺達を連れて?

 赤城さんは、わかりました、と頷いた。あの日貴女(あなた)に言った事を、そのままね? と確認を取る。吹雪は、はい、と大袈裟に頭を振った。

 

「ある人が言った」

 

 目をつぶり、その言葉を思い出すように、また、誰かに想いを馳せるように、赤城さんが言う。鮮やかな唇が、優しくも確かな言葉を紡ぎ出す。

 

「明日会えなくなるかもしれない私達だから、大切な気持ちは今伝えよう」

 

 ――――。

 心に冷や水を浴びせられたかのように、一瞬思考が止まった。

 クールだけど、ほんとは誰よりも熱い心を持つ人の言葉です。そう言って笑う赤城さんを見上げ、それから、吹雪の後姿を見やる。

 

「貴女が海を怖いと思っても、それは咎められる事じゃない。その気持ちを誰かに伝える事を怖がらないで。私達は、いつでも、いつまでも貴女の味方なのだから」

「はい……!」

 

 感極まったように返事をする吹雪に、赤城さんは笑みを零して、これで良いかしら? と俺達を見回した。頬に朱が差している。同じ言葉を繰り返すのは恥ずかしかったのだろうか。でも、躊躇いや何かはなかった。彼女の言葉は本物だったから。

 ……吹雪は、もしかして。

 

「赤城さん」

 

 ふと、冷たい声が聞こえた。

 囁きのような声量。あまり感情のこもっていない、なんだか怖い声。

 

「あら、加賀さん」

 

 出入り口を見れば、加賀(かが)が立っていた。どこかキツイ印象のある無表情を赤城さんに向けている、サイドテールの女性。赤城さんと同じような格好だけど、袴の色は青い。前に見た加賀はクールな人ってイメージだったけど、実際に見ると、暗めで怖いと感じてしまうのは、彼女がまさに暗がりに立っているからだろうか。ちょうど出入り口の辺りは窓がないから、日の当たらない場所になっている。大きめの窓がある室内とは結構違う。顔に影がかかっていて、目つきの悪さがいっそう際立っていた。

 

「赤城さん、ちょっといいかしら」

「ええ、少し待ってて」

 

 出入り口から動かないまま呼びかける加賀に待ったをかけた赤城さんは、俺達を……吹雪を見下ろした。まだ何かあるかしら、と聞いてきているみたいだ。吹雪は、びしっと背を伸ばして「そのっ、あ、ありがとうございました!」と敬礼した。

 

「それでは、私は行くわね。あまりここに長居しては駄目よ」

「はい。すぐに出て行きます」

 

 そう言って加賀の方へ向かって歩き出した赤城さんは、出入り口で振り返ると、吹雪さん、と呼びかけた。

 

「貴女の活躍に期待しているわ。頑張ってね」

「は、はいっ!」

 

 焦りと喜びが混じったような吹雪の返事に満足したのか、赤城さんは目を細めて微笑むと、加賀に連れられてどこかへと行ってしまった。

 

 

 場所を移して、甘味処間宮。四人席に三人で座った俺達は……いや、俺と夕立は、向かい側に座る吹雪が、両肘をつき、両手で頬を押さえて完全にどこかに旅立ってしまっているのを眺めていた。

 

「はぁ~ん……赤城さん、格好良かったなぁ……」

「その気持ちは、まあ、わからないでもないけど」

「吹雪ちゃんが赤城さんに憧れる理由もわかるっぽい。あんな姿を見せられたら、魅了されない訳がないっぽい。一寸のずれもなく的の真ん中に射られた矢……一航戦の誇りは伊達じゃないっぽい?」

 

 饒舌に赤城を評する夕立に、しかし吹雪はトリップしたままだ。大丈夫なのかな、この子。色々と。

 このままではなんにも話ができないので、彼女の手を掴んで揺すり、現実に引き戻す。

 

「あ、あれ? 赤城さんは?」

「吹雪ちゃん、大丈夫?」

 

 間宮まで自分の足で歩いてきたというのに、まるで覚えてないとでも言うような言葉に呆れてしまって、思わずそう問いかけたのだけど、吹雪ははっとして誤魔化し笑いで切り抜けた。

 

「それで、吹雪ちゃん。私を赤城さんの所に連れて行ったのって、ひょっとして……」

「うん。あの言葉を聞いてもらいたかったんだ」

 

 やっぱり。

 大切な気持ちは今伝えよう。それは正確には赤城さんの言葉ではないみたいだったけど、彼女の言葉は、たしかに俺の胸に響いた。

 

「私が言っても、きっと説得力なんてなかったから……どうしても赤城さんの言葉で、赤城さんの声で伝えたかったの」

「島風ちゃんが消極的に朝潮に会おうとするのを変えたかったっぽい?」

「そうだよ。だって、島風ちゃん、そんな風にしてて、もし最後まで朝潮さんと話せなかったらって思うと……」

 

 悲しそうに目を伏せた吹雪は、次には、力強い目を俺へと向けた。

 だから、なんとかして勇気を持ってもらいたかったの。一歩を踏み出す勇気を。

 俺の手を取った吹雪の言葉には、熱がこもっていた。それらはすべて俺に向けられたものだった。

 

「吹雪ちゃん……」

 

 ……勇気、受け取ったよ。

 君がそこまでしてくれたのに、朝潮と会える機会を待とうだなんて言えないよ。

 だから、勇気を持って、俺から会いに行く。

 『大丈夫』だよね。きっと朝潮は、嫌な顔なんてしない。だから、大丈夫。

 

 俺が自分から朝潮に会いに行くと宣言すると、吹雪と夕立は、頑張って、と俺を励ました。

 俺と朝潮の間にわだかまりがある訳でもなく、喧嘩したりしている訳でもないのに、ここまでさせてしまった。それを申し訳なく思うと同時、嬉しくも思った。だって、俺のために動いてくれたのだ。俺の事を考えて。

 

「それじゃあ、朝潮さんに会いに行こっか」

「うん!」

「でもまずは、その前に腹ごしらえするっぽい。せっかく間宮に来たんだし」

 

 あ、それもそうだね。お店に入ったのに、お水だけ飲んで帰るなんて失礼だ。

 でも、俺、お金持ってないから、なんにも注文できないんだけど。

 なんて思っていたら、事情を察した吹雪が奢ってくれる事になった。

 なんか情けない。

 

「ありがとう、吹雪ちゃん。……でも、お金、大丈夫?」

「うん、大丈夫!」

 

 お財布事情を心配してそう聞けば、彼女は明るく笑って「大丈夫」と言った。隣で夕立が何か言いたそうにしていたのが気になったけど、吹雪の言葉を信じて、運ばれてきたクリームソーダに舌鼓を打つ事にした。

 

 ……赤城さんの言葉。

 吹雪は、自分が言ったって説得力なんてなかっただろう、なんて言っていたけど、そんな事ないって思った。

 きっと吹雪がそう言って、そして「大丈夫」と笑ってくれれば、俺は勇気を持てていただろう。

 長いスプーンで氷を掻き混ぜながらひっそりと考え、それから、間宮のアイスに蕩けている吹雪を見る。

 ……彼女達と別れるのは寂しいけど、永遠のお別れじゃない。……きっといつかまた会えるよね。

 別の鎮守府に行ったら、早くそうなれるように精進しよう。

 そのためにまずは、ちゃんと『島風』として生きるようにしなくちゃね。



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第二十三話 俺の見たいもの


酷かった誤字脱字を修正しました。
まだ残ってるかも。


 勇気を持って一歩を踏み出す。

 いざ、朝潮の部屋へ。

 二人には、先に部屋に戻ってもらった。一人で行かなければならないと思ったのもあるし、朝潮に会った時の自分の感情がどう変化するか予測がつかないから、それを見られたくないというのもあった。

 動揺したり挙動不審になったり、どもったりする姿を友達にみせる勇気……なんてものは、さすがにいらないよね。

 

「すぅー……はー……」

 

 駆逐寮、二階。奥まった場所に、朝潮の過ごす部屋がある。階段の方から見て、右側。七番目の扉。

 この部屋が正解だというのは夕立から聞いている。

 重ねた手を胸に押し当てて、静かに深呼吸して気持ちを落ち着け、扉を見上げる。それから、二度、扉をノックした。

 さっと手を背に隠し、反対側の手で忙しなく横髪を()く。手袋と髪の毛が擦れるこそばゆさに、口先をすぼめ、ぺろりと唇を舐める。

 朝潮が出てきたら、どうしようか。どんな顔をすれば良いんだろう。……出てくるのは、朝潮じゃないかもしれない。ルームメイトは誰なんだろう。それは聞いてなかった。見知らぬ艦娘だと、ちょっと困ってしまうな。対応とか。

 そんな風に悶々と考えたりして、数分。

 カチューシャの位置を気にして弄ったのは、もう何度目だろうか。

 ……誰も出てこない。

 

「…………」

 

 再度ノックしても、反応はない。ノブを捻ってみれば……開いた。

 そうっと中を覗いてみると、室内はもぬけの殻だった。整頓されたベッド、窓際にたてかけられた折り畳み式の机、化粧台……。思わず見回してしまったけれど、この部屋には誰もいない。

 出かけているのだろうか。この部屋の全員が。……もしかして、出撃してしまった?

 

「…………」

 

 冷たい汗が背中を滑り落ちた。

 ……俺は、無駄に迷ったり悩んだり、そうやって会うのを先延ばしにしている内に、彼女と話す機会を無くしてしまったかもしれない。

 現状を正しく認識すると、鼻の奥がつんとして、視界がぼやけてきた。

 後悔や自責の念がわいてくるのを、頭を振って振り払う。目を(ぬぐ)って、一歩、後ろに下がる。部屋の外に出れば、支えを失った扉が独りでに閉まり、小さな音を響かせた。

 

 

 

「会えなかった?」

「うん……」

 

 部屋に戻った俺は、こみ上げてくる辛いものを堪えながら、二人に報告した。テーブルの前に膝をつき、そのまま正座をして、俯く。頭の中に靄がかかったみたいにぼんやりして、上手くものを考えられなかった。

 

「部屋には誰もいなかったっぽい?」

「……うん」

 

 夕立の問いかけに頷けば、彼女はううん、と唸って思案に耽った。

 

「朝潮に出撃の予定はなかったはず。だから、きっとこの鎮守府内のどこかにいる可能性が高いっぽい」

「……それ、ほんと?」

「嘘は言わないっぽい」

 

 俺へと向けられた夕立の目には、嘘や冗談の色は見られなかった。今ここで彼女がそんな事をする意味はない。でも、聞き返さずにはいられなかった。自分の過ちで、自分のミスで、したかった事や見たかったものが見れなくなって。

 でも、そうじゃないと、夕立が言った。そうならないかもしれない、って。

 (にわ)かに活気が戻ってくる。

 朝潮と話せない訳じゃない? 探し出して会う事ができれば、このままおしまいにはならない?

 

「島風ちゃん。一緒に朝潮さんを探しにいこ?」

 

 立ち上がった吹雪が、俺に手を差し伸べた。手の動きを目で追って、そのまま吹雪の目を見上げる。輝く瞳が、まっすぐに降り注いできていた。

 

 

 出撃や業務なんかがない艦娘は、トレーニングルームに行く事が多い。……夕張さんが教えてくれた事だ。

 だから俺達はまず、本棟のトレーニングルームに向かう事にした。食堂がある階と同じ、二階。資料室がある廊下とは、食堂を挟んで反対側。二部屋分の広さを確保した大きい所が、トレーニングルームだった。壁や柱の白が眩しく、降り注ぐ電気の光もまた眩しい。窓の少ないこの部屋の光源はそこみたい。

 室内にはダッダッダッと重い音が断続的に響いている。大きな機械や黒い長椅子(背もたれの無いやつ)などの向こう側。たぶん、扉からは見えない一番奥の方に、誰かが何かをしているらしい。朝潮……だろうか。

 

「入ってみなきゃわからないっぽい」

「そうだね……よし」

 

 清潔というか、健全な雰囲気の満ちる室内に入れば、機械の駆動音や、人の息遣いがよく聞こえた。複数。この部屋にいるのは、一人ではないみたい。

 

「わあー……トレーニングルームって、こんな風になってたんだ」

 

 吹雪が目を輝かせてきょろきょろと機械達を見回す。場所は知っていたけど入った事はなかった、だって。夕立は何度かここを使用した事があるそうだけど、吹雪の方は、先輩がたくさん来るだろう場所だからと気後れしていて、覗く程度しかした事がなかったみたい。

 それでも、朝潮を探すために一緒にここへやってきてくれたのだから、吹雪には感謝しなければならない。俺にできるせいいっぱいは、笑顔でありがとうを伝える事だけだけど……きっと、それでいい。下手に物で返すより、この気持ちの全部を渡した方が、きっと喜んでくれる。

 ……今は朝潮を探す事を優先しよう。恥ずかしいとか、そういう多くの邪魔なものが俺の心を阻んでいる。時間を置かないと取り除けなさそうだ。

 

 機械の点検をしているらしい一匹の妖精さんを横目に、奥へと進む。

 自転車みたいなペダルのついた横長の、だけど車輪のない機械や、椅子とハンガー……と言っていいのだろうか、棒がついてる機械とか(たぶん背筋を鍛える装置だろう)、そういうのにはあまり人がいなかった。

 あまり、というか、一人だけだ。

 一人だけ自転車っぽいやつでじゃこじゃこやってる艦娘がいたんだけど、それが、初対面にも関わらず苦手な印象を持っている人だったので、傍を通るのに少し躊躇ってしまった。

 

「龍田さん、怪我治ったっぽい……?」

「どうなんだろう。まだ腕に包帯してるよ?」

 

 歩きながら、吹雪と夕立が内緒話をするようにひそひそやる。

 龍田、そう、龍田だ。紫がかった暗めの髪を肩まで伸ばしていて、すらっとした体を白い薄手の……病衣? みたいなのに包んでいる。見慣れない格好。制服みたいな、黒くて、だけど胸元は白く胸を強調するようになっているあの服ではない。でも、頭の上に天使のわっかが浮いている。いやに機械的だけど。

 表情は窺えなかったけど、吹雪か夕立のどちらかの声が届いてしまったみたいで、ギッとペダルを止めた龍田が振り返った。

 左右にわけられた前髪。気弱そうに垂れた眉。紫色の瞳はどこか暗い。左目の端に泣きぼくろ。……一目ではおっとりとした印象しか抱けないが、彼女に目を向けられて足を止めた二人の様子を見るに……その印象は間違っているのだろうと確信できた。二人とも、少し体を硬くしているのがわかったから。……それはもしかしたら、先輩に会ってしまったから緊張しているだけなのかもしれないけど、たぶんそれだけじゃない。

 かくいう俺も足を止めて、彼女の顔を見返した。

 

「もうほとんど、怪我は治っているわよ~」

 

 間延びした声だった。耳に浸透するような、ゆっくりした声。ハンドルから手を離して体を起こした龍田が、腰を捻って右腕を見せる。右腕は、指先から、袖に隠れた肘の方まで包帯でぐるぐる巻きになっていて、肩から吊り下げられていた。骨折した人みたい。……え、艦娘ってこんな大怪我するの!?

 

「でも、天龍ちゃんが大人しくしてろって言うから~……もう大丈夫なのにねぇ」

「……その、それ、やってて大丈夫なんですか?」

 

 唇に指を当て、ふい、と天井を見上げて誰にともなく言う龍田に、おそるおそるといった様子で吹雪が問いかけた。あ、勇気あるなあ。俺なら絶対話しかけられない。

 それ、とは、その自転車みたいなやつの事だろう。大人しくしてなきゃいけないのなら、それをやっていていいのか。

 龍田は、だって、と不満気にこちらを見た。

 

「体を動かしたくてたまらないんだもの~」

「気持ちは……わかりますけど」

 

 ね、しょうがないでしょう? みたいに人差し指を立てて笑う龍田。彼女がやっていたいと言うなら、俺達が何かを言う意味はない。本当に駄目なら、誰かが止めるだろうし、天龍だってすっ飛んでくるはずだ。

 だからほら、早く先に行こう。すぐそこに朝潮がいるかもしれないんだよ。ほらほら!

 

「わ、わ、島風ちゃん、押さないでっ」

 

 まだ何か言いたげにしていた吹雪の背を押して、奥へと進む。ごめん吹雪、俺、あの人ちょっと苦手みたい。彼女に悪いところはないんだけど……ただ、俺があの人の笑顔を苦手だって思ってしまったってだけで。

 だからあまり、彼女の前に立っていたくなかったのだ。かなり失礼な事を考えているとはわかっているものの、気持ちの問題は如何ともしがたい。どうしたの、と声をかけてくる吹雪に首を振って曖昧に誤魔化し、隣を歩く夕立に目をやる。夕立は、龍田の方を気にして振り向いていた。背後からじゃこじゃこと音がしだす。

 

 奥には、ランニングマシーンがずらっと並んでいた。その内三つが使用中。一番奥の壁際にいるのは、緑色の制服に身を包んだ……たぶん、大井? 何やら必死の形相でマシーンの手すりをがっちり掴み、ひたすら足を回している。……あれって降りられなくなってる訳じゃ……ないよね。

 小さな窓の前には、窓越しの空を見上げながら緩やかに走る鈴谷と、その横で、壁をじっと見つめて同じ速さで走る青葉がいた。二人共緑色のジャージを着ている。……艦娘の裏側を見ている気分になってきた。いやまあ、ずっと同じ服って方がありえないのはわかってるんだけど。

 

「……いないね、朝潮」

「そうっぽい。ここじゃないみたいね」

 

 お目当ての人物がいない事に肩を落とす。……すぐに会えるほど話は甘くないか。

 

「どうしよう。次は、体育館に行ってみる?」

「体育館は――」

「おや、あなた達は……」

 

 夕立が何かを言いかけた時、ふと気配が近付いてきた。ランニングマシーンから下りた青葉だった。首にかけた白いタオルで、額に滲む汗や首筋をささっと拭いた彼女が俺達をぐるりと見回し、それから、俺の顔を見て動きを止めた。

 

「島風さん。すみませんねー、まだ記事は書けてないんです」

「はあ……そうなんですか」

 

 いきなりなぜ謝ったのかと思えば、一昨日の取材の話か。それで広報紙を作るつもりなんだ。

 

「あ、みなさん、ちょっとそのまま!」

「え、あの、私達急いでるんですけど……」

 

 はっとした青葉は、俺の両隣に立っていた吹雪と夕立の肩を押して俺にくっつけると、さっと両手を広げた。床に向いた両手の傍に、どこから現れたのか、妖精さんが二匹駆け寄って、抱えていたものをぶん投げた。手帳と鉛筆。その二つをキャッチした青葉は、立てたえんぴつをこちらに突き付け、片目をつぶって三歩ほど下がると、何やら手帳に書き始めた。……いや、だから、急いでるんですけど……。

 と思っていたら、できた! と青葉。……記事が? 速いなあ。

 

「見せてほしいっぽい」

 

 そそっと寄って行った夕立につられてか、吹雪もついていって青葉の横から手帳を覗き込む。わあ、と感嘆の声。俺も気になってしまって、二人にならって青葉の傍に移動し、手帳を見た。

 

「……これ、私達の絵?」

僭越(せんえつ)ながら描かせていただきました。これを記事に掲載しても、よろしいでしょうか?」

 

 横並びに三人立って、少し見上げた形の俺達が描かれている絵。さらさらっと鉛筆を動かしていただけだというのに、結構細かいところまで描き込まれている。俺達のぽかーんとした間抜け面とか。……いや、夕立だけなんか決め顔してる。にやりと口の端を吊り上げて悪そうな笑みを浮かべている。

 

「お上手っぽい」

「光栄です! ちらっ」

 

 ちら、と青葉が俺を窺ってきた。……擬音を口に出してなかった? 今。

 

「こんな素敵な絵なら、こちらからお願いしたいくらいです」

「ありがとうございます! あとは文章を思いつくだけ……それでは失礼します!」

 

 笑顔から一転、真剣な表情でランニングマシーンに飛び乗った青葉は、そのまま動く床の上を走り出した。あれは、あれかな。走ってるとアイディアが浮かぶ的な……。そういえば、手にしていた手帳やらがいつの間に消えている。妖精さんが回収したのだろうか。

 

 目をつぶって走る青葉を横目で見た鈴谷が、くすりと笑みを零していた。

 

 

 本棟を出た俺達は、今度は体育館へと移動した。

 

「……どうしたの? 夕立ちゃん」

「んー、んんー……それが思い出せないっぽい」

 

 さっきから指先で額をとんとん叩いて難しい顔をしている夕立に声をかければ、そんな言葉が返ってきた。思い出せない病にかかっているらしい。あんまり話しかけてもっと忘れさせたりしちゃったら悪いし、そっとしておこう。

 

「ここだね」

「そういえば吹雪ちゃん、体育館って鍵かかってないの?」

 

 扉の前に辿り着いた時に、ふと浮かんだ疑問を吹雪にぶつける。ないよ? どうして? と首を傾げられた。

 

「それは、ほら、勝手に入っちゃう子がいたり……」

「……?」

 

 ……あれ? 俺、何か変な事言ってるかな。吹雪が理解してないような顔してる。

 必要ないのかなあ、鍵。悪い事をする人はいないって事?

 ここに住まう人達の善性について考えつつ扉を開き、身を滑り込ませる。外から覗き込むだけでも良かったかもしれないけど、吹雪や夕立も見るだろうから、見やすいようにと中に入った。なんの気なしに、というか、善意から起こした行動というか。まさかそれが吹雪を失う事に繋がるとは、この時の俺は思ってもみなかった。

 

「……那珂ちゃん先輩?」

「川内先輩と神通先輩もいるね」

 

 最初に目にしたのは、壇上に立つ那珂ちゃんだ。アイドルらしい綺麗な衣装――改二の衣装で、両手に持ったマイクを胸に抱いて、やや前のめりでステージ下を見ていた。ステージ下には、吹雪が言った通り、川内と神通がいる。タン、タンとリズムを刻むようなステップを踏みつつ、二人同時に左上へ腕を伸ばし、腰を揺らして……踊りの練習してる?

 ちなみに、この二人は改二の衣装ではなかった。改造されてないのかも。

 

「……?」

 

 那珂ちゃんが俺達に気付いて顔を上げ、ぱっと顔を輝かせた。なんだか嫌な予感がしたのと、「思い……出したっぽい……!」と夕立が呟いたのは同時だった。

 

「じゃじゃ~ん! ()えある那珂ちゃん親衛隊に選ばれるラッキーでハッピィーな子の発表だよ! じゃららららら……そこのキミだーっ!」

 

 びっしと白手袋に包まれた指を突き付けられたのは、はたして誰だったのか。振り返った川内と神通は、「げっ」とでも言いそうな顔をした後に、目を逸らした。……なんだろう、その反応。踊りの練習してるの見られたのが嫌だったのだろうか。なんて考えていれば、川内がこちらを見て手を上げ、ちょいちょい手招きした。

 

「そこの君。えーと、名前なんだっけ? 黒髪の君」

「わ、私?」

 

 自分を指差して驚く吹雪に、あ、俺じゃなかった、とちょっと動揺してしまう。黒髪の君、と言われて、一瞬自分の事かと思ってしまった。今は金髪みたいな髪色なんだった。

 

「ご、ごめんね、ちょっと行ってくるね」

「え、うん。……え?」

「吹雪ちゃん……骨は拾うっぽい」

 

 先輩に呼び出された後輩な感じで川内の方へ走っていく吹雪に、夕立がナムーと手を合わせた。……何やってんの?

 川内と神通に囲まれた吹雪の前に、ステージから下りてきた那珂ちゃんがマイクを押し付ける。

 わたわたと受け取る吹雪。何を教え込まれているのかわからないけど……あれって、すぐに抜け出してこられそうにないんだけど。

 そういえば、さっき那珂ちゃんは親衛隊を発表すると言って吹雪を呼んだ訳だけど……親衛隊? ……ファンの強制確保? 那珂ちゃんや川内だけでなく、神通からもそれぞれ話しかけられて、あっちにこっちに首を回して目をぐるぐるさせている吹雪は、明らかな混乱の中でこちらに手を振ってきた。中途半端に持ち上がった腕が左右に揺れ、『た・す・け・て』『ヘ・ル・プ』と信号を送ってきている。……たぶん。

 ……………………。

 とりあえず、ぐっと親指を立てて前に突きだしておいた。あの中に飛び込んで行く勇気がない。というか、飛び込んだら最後、長時間拘束されて朝潮に会えなさそうな気がするんだ。

 

『し、島風ちゃんっ、夕立ちゃん~!』

『さあ、那珂ちゃんと一緒に歌って踊ろう!』

 

 キーンと鳴ったスピーカーから悲鳴と元気な声が流れてくる。

 夕立を見れば、彼女は神妙な顔で頷いた。吹雪は置いていくしかない。そう言っている気がした。

 

「撤退!」

 

 号令をかけ、開けっ放しの扉から外に飛び出す。

 ごめん吹雪。君の事は決して忘れない……!

 

 

「最近体育館は那珂ちゃん先輩の練習場に変わっているのを思い出したっぽい」

「……何か思い出そうとしてたのは、それだったんだね」

 

 そういえば、トレーニングルームでも何か言いかけてた気がするし。

 吹雪と涙の別れをした俺達は、次はどこに向かうかを話しつつ本棟へと向かっていた。

 トレーニングルームにも体育館にもいなかった。演習でないならABCのどの海域にもおらず、遠征や出撃はない。いるだろうと予測できる場所は、後は入渠ドックか娯楽室か。

 入渠ドックはお風呂代わりにもなるし、くつろげる場所もある。娯楽室にはダーツやビリヤードだとか、ちょっぴり大人の遊びが多く取り揃えられているらしい。

 

「そういえば、由良さんがみんなと休むって言ってたような」

「むむむ……もしかしたら、外に出てるかもしれないっぽい」

 

 執務室での由良と提督の会話を思い出しつつ夕立に伝えれば、朝潮がこの鎮守府にはいないかもしれないという予測がなされた。まさか。それだと、夕刻までに朝潮が帰ってこなかったら……。

 

「まだそうと決まった訳ではないっぽい。とりあえず、娯楽室に行ってみるっぽい!」

「うん……」

 

 もしそうだったらを考えると立ち止まりそうになってしまったけれど、夕立がことさら明るい声で元気づけてくれたので、止まる事はなかった。

 

「安心して。あたしは最後まで一緒に探してあげるっぽい」

「夕立ちゃん……ありがとう!」

 

 優しい言葉に、胸が詰まってしまって、ちょっと泣きそうになってしまった。

 俺なんかのためにそこまで言ってくれるなんて。嬉しくて、だから夕立に笑いかけると、彼女も笑みを返してくれた。俺の肩をぽんと叩き、先に行こうと促す。

 

「……それにしても、吹雪ちゃんには悪い事しちゃったね」

 

 歩き始めると、いい年して感極まって涙ぐみそうになっていた自分を恥ずかしく思い、誤魔化すように吹雪の名前を出した。

 助けを求めてきたのに置いてきてしまったのは、ちょっと恩知らずだったかな。反省……。

 これで嫌われたりしないといいんだけど。この埋め合わせは……ううん、できるのだろうか。

 

「見つけたわ!」

 

 吹雪の怒る姿が思い浮かばなくて眉を寄せていると、後ろから声がしたので、足を止めた。……なぜ夕立はホールドアップしているのだろうか。

 

「夕立! あなた、宿題は終わってるのかしら?」

「……ぷぉい」

 

 ずんずんと歩み寄ってきたのは、(いかずち)だ。電の姉妹。わ、近くで見るとほんとにそっくりだ。髪の色も、目の色も似てる。違うのは、あふれ出る元気さと勝気さ? 左の髪にあるヘアピンや、襟についたⅢの形のバッチも、電とは違う部分。

 

「明日の宿題係私なのよ? ちゃんと提出してくれなきゃ困っちゃうわ!」

「……了解っぽい」

 

 曖昧な返事をした夕立の前に回り込んだ雷は、腰に手を当てて夕立の顔を覗き込み、鼻先に指を突き付けた。

 ……夕立、目を逸らしながら言っても説得力ないよ。

 

「またマコトに怒られてもいいの? ほら、私が手伝ってあげるから、宿題終わらせちゃいましょ!」

「えー、夕立は島風ちゃんのお手伝いで忙しいっぽい~。ね?」

 

 雷に腕を掴まれた夕立が、ね、ね、とウィンクして俺に必死のアピールを飛ばしてくる。……ひょっとして夕立、俺と一緒に朝潮を探す事を名目に宿題をサボろうとしてた?

 …………。

 

「いいよ、後は私一人で探すね。ここまでありがと、夕立ちゃん」

「だって! さ、行くわよ!」

「まま待って欲しいっぽい! 夕立の知識は必ず島風ちゃんの役に立つっぽい! だから――」

 

 なんか命乞い染みた言葉を口にしながら雷の手によってずるずると引きずられ、夕立は連行されて行った。なむー、と手を合わせておく。

 

「さて、気を取り直して……」 

 

 とりあえず、この本棟にある娯楽室に行ってみよう。場所は三階だったかな。……さっそく夕立の知識が欲しくなってしまった。ええと、どこかに案内図はないのだろうか。

 三階に行って端から端まで探してみたり、一階に戻って、広々としたロビーにびっくりしてみたりをして、数十分かけて娯楽室に辿り着いた。三階の入ってすぐにあったので、あれだけ探したのはなんだったんだ、と自分の不注意さに落ち込んだ。

 再度気を取り直し、娯楽室に入ってみる。中は薄暗く、窓が少ない。三つ並べて置かれたビリヤードの台には、遊びに使うのだろう棒を手にした叢雲が立っていた。

 

「あ、ど、どうも」

「…………」

 

 俺に目を向けた叢雲は、なぜだか知らないが怒っているみたいだった。

 いや、この暗さのせいでそう感じているだけだろうか。叢雲は、体を折って棒を構え、先の方に手を添えて、台の上の球に狙いを定めた。

 彼女を見ていると気まずくなってくるので、部屋の中を見回す。

 壁も床も、赤と黒からなる柔らかな布……カーペットや壁紙になっていて、まさに大人の遊び場、という感じがした。壁にかかってるピザみたいなのは、ダーツだろうか。部屋の奥の方には、大きなピアノと、遊技台がいくつかあった。

 ここにも朝潮はいないみたい。なら、長居は無用だ。

 そう思って部屋に背を向け、外に出ようとしたのだけど。

 

「待ちなさい」

「へぅ!?」

 

 鋭い声が背中に突き刺さるのに、思わずぴーんと背を伸ばしてしまった。はっとして口を塞ぎ、さっきの変な声を無かった事にしようとする。

 おそるおそる振り返れば、叢雲は棒を布で拭いているだけだった。目は伏せられている。痛いくらい、静かだった。だから俺は、先程聞こえた彼女の声が本当にあったものなのかわからず、しばらくの間、直立していた。

 

「アンタは」

 

 どれくらい固まっていたのだろうか。

 キュ、キュと音が鳴るだけの空間に、水滴が落ちるように冷たい声が広がった。

 細く開かれた目が俺に向けられる。電灯が発するオレンジ色に照らされて輝く夕日色の瞳。いっそう寄せられた眉は、彼女が何かに対して強い不快感を抱いているのを表していた。

 呼びかけられたまま、また少し沈黙があった。俺も彼女も何も言わずに、ただ目を合わせて立つだけの、辛い時間。そろそろ変な笑いが出そうになってきた頃に、ふっと叢雲が目を逸らした。

 ほぁー、と止めていた息を吐く。心臓が脈打つ音が耳の奥に響いていて、それで、自分が凄く緊張している事を自覚した。

 

「……何をしているの?」

「えーと、それは……」

 

 なぜ、そんな事を聞くんだろう。それはわからないけど、でも、答えない訳にはいかないだろう。

 それがたとえ、明らかに彼女が最初に言おうとした何事かではない言葉だとしても、だ。

 

「朝潮を探してるんです。その……会いたくて」

「朝潮を?」

 

 腰の後ろに回した両手でスカートのゴムを弄りつつ、一言付け足す。オウム返しに言った叢雲は、それなら、外に出てるわよ、と思わぬ情報をくれた。

 

「そ、外って、この鎮守府の外……ですか?」

「ええ。ここで言う外とは、そういう事よ」

 

 あ、そうなんだ。

 たぶん正式に決まった呼び方ではなく、艦娘達の間でそういう風に言われているのだろうけど、俺はそれを知らなかった。外って言う機会はそうなかったし。

 ……じゃなくて。

 そ、外に出てるって事は……じゃあ、もう、俺は……彼女の。

 

「……お昼頃には戻ってくると話していたわね」

 

 目の前が暗くなるような感覚に俯いていると、ぼそりと叢雲が言った。

 ……それは、本当の話なのだろうか。ほんとに朝潮はお昼前に帰ってくるのだろうか。……もう一度、会えるのだろうか。

 

「……正面ゲートの前で待っていたら?」

「そうします。……ありがとうございます、叢雲さん」

 

 教えてくれて。

 頭を下げると、叢雲は何も言わずに棒を構え、こつんと球を突いた。

 これ以上話す気はないみたい。彼女の邪魔をしないよう、外に出るとしよう。

 再度頭を下げて、ノブに手をかける。扉の方に向き直る一瞬、叢雲が俺を見た気がした。

 

 

 本棟正面玄関から真っ直ぐ、舗装されたコンクリートの道路を少し行ったところに、クリーム色のゲートがあった。叢雲が言うには、ここから帰ってくるらしいけど……外の人間には秘匿されているはずの艦娘が、正面から堂々と帰ってくるものなのだろうか。

 一本の木の下でゲートを眺める事、十数分。ビー、と大きくなったブザーに肩を跳ねさせ、開き始めたゲートを見る。やがて一台の乗用車が入って来た。ピンク色の、小さな車。気のせいか、運転席に由良がいたような。

 ……そ、そういう風に来るなんて想定してなかった。だから、車が本棟の方へ走って行って、広場で右に曲がり、進んでいってしまうのを見送る事しかできなかった。

 ……あっ、追いかけなくちゃ!

 たったかと追いかけていくと、駐車場に辿り着いた。大小様々な車が止まっている。……こんな場所、あったんだ。ここを案内されなかったのは……する必要がないから、か。

 

「朝潮!」

 

 奥まった一角に止まった車のエンジンが止まり、ぞろぞろと人が降りてくる。深雪に五月雨に、満潮に荒潮、そして朝潮。最後に運転席から、由良。呼びかけながら走り寄れば、全員がこちらを見た。みんな外行き用なのか、普通の服を着ている。

 

「朝潮!」

「どうしたのですか?」

 

 いつかの新入り、とか、誰かしら、とか、朝潮以外の声は耳に入らなかった。

 驚いている彼女の手をはっしと掴んで両手で包み込む。彼女はますます目を丸くして、どうしたのかと聞いてきた。

 白いシャツに黒いスカートといったクラシックな洋服。おしゃれなベルト。朝潮の装いは、彼女の魅力を引き立てて、お人形さんみたいに仕立てていた。

 

「ちょっと! なんなのよあんたは!」

 

 息を整えつつ彼女の姿を視界に収めていると、横合いから伸びてきた手が俺の手をはたいて、朝潮の手から離れさせた。満潮だ。朝潮と似たような、やや幼い服装の彼女は、俺と朝潮の間にずいと割って入ると、まなじりをつり上げて俺を睨みつけてきた。

 

「満潮、この人は……」

 

 すぐにでも俺の胸倉に掴みかかってきそうな勢いの満潮を、朝潮がなだめる。俺が朝潮を救った張本人なのだという説明がなされると、はあ? こいつが? とあり得ないものを見る目で満潮に見られた。視線の先はうさみみリボン。

 

「満潮ちゃん? 間違ってしまったら、言わなければならない事があるわよね~?」

「う……す、ご、しつ…………でした」

 

 荒潮に促されて苦い顔をした満潮は、素直に……素直に? 何やら謝罪らしき言葉を口にした。言葉を選んでたみたいだけど、あれ? 結局そういった類の言葉は話されなかったような。

 でも、恨めしそうに、しかしどこか恥ずかしそうに頭を下げた彼女に言及する気にはなれず、彼女が横に退いた事で見やすくなった朝潮の顔を真っ向から見た。

 どうしたのですか、と再度の問い。

 

「私ね、ここを出て、別の鎮守府に行く事になったんだ」

「! ……それは、いつですか?」

 

 今日。今日の、夕方。そう告げると、朝潮はびっくりしてしまったみたいで、少しの間何も言わなかった。

 

「それはまた、急ですね。……おめでとうございます。帰る場所が見つかったんですね」

「……素直に喜べないかな」

 

 寂しそうな顔をしてくれる彼女に強い安堵を抱きながら、そんな事を言ってしまう。

 こんなの、わざわざ人に伝える気持ちではないのに。だけど俺は、朝潮に何か言って欲しくて、わざと口に出した。そうすれば彼女は、俺を気遣ってくれた。

 

「ねえ、この鎮守府を出てく前に、お願いしたい事があるんだ」

「なんでしょうか。この朝潮にできる事なら、なんでも言ってください」

 

 とん、と胸を叩いてみせる彼女に、思わず笑みを浮かべてしまう。頼もしくも微笑ましい。きりりと引き締まった表情は格好良く、かわいい。

 

「笑って欲しいんだ。朝潮に」

「……?」

 

 笑顔を見せてほしい。

 それが、俺が朝潮に会った時に言いたかった事で、俺の見たいものだった。

 これを言うのには勇気が必要だ。だから、胸の中にある色々な力を振り絞って彼女に気持ちを伝えたのだけど、彼女はあまり理解していないみたいだった。『それは新しい暗号なのでしょうか?』とでも聞き返してきそうなくらい。

 

「なあなあ、笑って欲しいってどういう意味だ?」

「さあ……?」

 

 傍で成り行きを見守っていたのだろう深雪と五月雨が小声で言葉を交わすのが聞こえた。……俺の言葉、誰にもわかってもらえてない?

 いや、ちらりと横目で見た由良さんは微笑ましげにしていたから、きっと理解してくれている。でも、肝心の朝潮は駄目みたい。

 だったらわかってもらえるまで言葉を重ねるだけだ。

 

「私、朝潮の笑顔がとっても好きなの。真面目な君がはにかんでくれるのが好き。その笑顔を、別の鎮守府にまで持っていきたいの」

「私の……笑顔を、ですか?」

 

 最初の一言でさえ顔が真っ赤になってしまいそうなくらい恥ずかしいのに、それだけではまだ理解してくれなさそうだからと、言えるだけ言ってみれば、ようやく良い反応が得られた。

 そう、朝潮の笑顔。目を細め、柔らかく笑う君の顔が見たい。姉さんに似た君の笑顔が。

 ――いや。姉さんは今、関係ない。朝潮だけを見なきゃ。彼女の笑顔だけを望まなきゃ。朝潮に姉さんの面影を見るだなんて、そんな事しちゃいけない。

 

「その……まっすぐそう伝えられると、恥ずかしくなってしまいますね」

「う、ごめん」

 

 頬に朱が差した朝潮が、照れたように少しだけ顔を(そむ)けた。その仕草さえかわいらしい。

 

「……ふふっ。私などの笑顔でよければ、いくらでも持っていってください」

 

 作り笑いではなく、どうやら心底からの笑顔で彼女がそう言うのに、こくりと頷いた。

 

「離れたって、朝潮の事は忘れないからね」

「私も、あなたの事は忘れません。受けた恩も……いずれお返しします」

 

 空色の瞳が瞬く。そっと手を握り合った俺達は、互いに互いを忘れないと約束し、笑いあった。

 これでもう、怖いものはなくなった。いつでもここを発つ事ができる。

 大丈夫。たとえ島風(ほんもの)を知る誰かに会ったとしても、俺は(シマカゼ)だ。問題なんてきっとない。

 だから、大丈夫。

 

 

「――所属が判明したというのが間違いだったとは、どういう事ですか!?」

「すまない。ほんっとうにすまない」

 

 放送が入ったので、荷物を纏めて執務室にやってきた俺に最初にかけられた言葉は、謝罪だった。

 

「ごめんなさいなのです。電のせいで……」

「いや、電のせいじゃない。俺がろくに確認もせずあいつの言葉を信じたからで……」

「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、私が前にいた鎮守府って……!?」

 

 手提げ袋を取り落として机に詰め寄る俺に、申し訳なさそうにした提督が事情を説明した。

 昔の俺を知っていて、俺を探していたどこかの提督というのは藤見奈提督の血縁で、その人がすぐにでも引き取りたいと言うのを真に受けて俺に通告した。だが実際は、その提督の(もと)に過去に島風が着任していた形跡はなく、建造やドロップしない事に悩んでいた矢先の問い合わせに飛びついて、嘘を並べ立てたらしい。藤見奈提督が聞かされた島風の過去話も、電が今手にしている書類も全部うそっこで、藤見奈提督は相手が血縁ゆえにころっと騙されてしまったという訳だ。

 机に両手をついて何度も頭を下げる提督を、電も咎める事なく、むしろ電さえも頭を下げている。

 べ、別に、どこにも所属してなかったって事がわかったのはいいし、謝らなくたって怒ってないけど……あ、あはは……俺、あの、朝潮に……ああー!

 

『朝潮の笑顔がとっても好きなの』

『離れたって、朝潮の事は忘れないからね』

 

 頭の中に響く自分の声。握った朝潮の手の温かさ。照れたように笑う彼女の顔。

 だ、だめ。はずかしすぎて死ぬ。はずか死にする。

 あああー! 間違いだってわかってたなら、あんなに恥ずかしい事は言わなかったのに!!

 

「すまなかった。最大の便宜は図る。補償もする。どうか、許してほしい」

「……顔をあげてください。いいです。いいですよ、提督」

 

 私をここに置いていてくれるなら。

 ただそれだけ言った俺に、提督は困惑した様子で、できうる限りの補償を、と言葉を重ねた。

 ……よくよく考えてみれば、今回の件は、彼がそんなに謝るほどの事ではない気がする。咎められるべきは嘘を吐いた血縁の提督の方だ。書類を偽造してまで藤見奈提督を騙した。きっと、俺の知らない島風の過去話は、提督が早期に決断してしまうような、そういう同情心を煽るようなものだったのだろう。たしかにその判断力や決断力を彼の欠点として責める事はできるだろうが……。

 ……なんて推測に意味はない。大事なのは、俺はここにいられるのか、という事への答えと、次に朝潮に会った時にどんな顔をすれば良いのか、だ。

 さよならを交わしたのに、あんな事を言ったのに、次の日にばったりなんてしたら、居た堪れなさ過ぎる。そ、そうだ。俺の異動はなしになった事をみんなに伝えてもらおう! それがいい。それが俺の求める補償だ。

 

 なんとか自分を納得させて提督に伝えれば、彼は二つ返事で俺がこのまま第十七艦隊に身を置いていて良いと言ったし、俺の知り合いに俺がここで過ごす事を伝えてくれると約束してくれた。ついでにとってつけたように頼んだシュガータールも調達してくれるみたい。

 そこまでしてくれるなら、もう俺に言う事はない。荷物を戻すのは少し面倒だけど、幸い量は少ないし。

 

 それにしても、ほんっとーに良かった。

 俺はまだ、ここにいられるんだ。

 この事をさっそく吹雪や夕立に伝えるために執務室を退出し、手提げ袋を抱えて走った。

 二人が今地獄に身を置いている事など、この時の俺の頭からはすっかり抜け落ちていたのだが……それは些細な話。

 二人は大いに喜び、一緒に笑ってくれた。

 手を取りあえば、この場所と、この子達と繋がっている、一緒にいられるって実感がわいてきて、少々うるっときてしまった。

 

 こうして俺は、正式にこの鎮守府の一員となったのだった。




ようやっとスタート地点に立てました。
これからも様々な事が主人公の身に起きていきます。
引き続きお楽しみください。


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   小話 『吹雪ノ一日!』

やりたい事の一つができた。
吹雪主体のお話。


 夏も半ばに迫り、いよいよもって朝は寝苦しさで目覚める事が多くなってきた。エアコンなんていう便利な物は大きな施設にしかなく、艦娘寮の各部屋には、どこからか引っ張り出されてきた扇風機が鎮座していた。この部屋の救世主は、今は項垂れていて動いていない。

 

「ぅ……ぅん……」

 

 涼を求めて掛布団から両手を出し、暑さに呻いた吹雪は、どろっとした体中の感覚に目を覚ました。もう少し涼しければ布団の中でまどろむ事もできただろうが、この暑さだ。とろんとした目をしていた吹雪は、眉を寄せて布団を退け、足の先からベッドの外に出していった。腕をついて身を起こし、縁に腰掛ける。いつもは結ばれている髪は、今は下ろされて、寝癖がついていた。

 小さなあくびを噛み殺しながら立ち上がった吹雪は、寝汗で濡れた体の不快さにカーテンを開こうとした手を止め、シャワーを浴びに行こう、と端的に考えた。

 シャッとカーテンを開けば、朝の陽射しが部屋いっぱいに降り注ぐ。視界が白く染まってしまうほどの光。左手を目元にかざして視界に入る光量を制限した吹雪は、そこで、傍のベッド……その下の段にいるシマカゼが、もう起きている事に気付いた。

 

「おはよう、島風ちゃん」

「おはよ、吹雪ちゃん」

 

 眠気を含んだ吹雪の声とは違って、シマカゼの声は溌剌(はつらつ)としていて、起きだしてから時間が経っている事が窺えた。格好も青いパジャマではなく、彼女を象徴する丈の短い服だ。うつ伏せになって枕に顎を乗せているシマカゼは、どうやら本を読んでいたらしい。グルメ系の雑誌は、夕立が貸した物だろう。

 

「みんなも、おはよう」

『キュー』

 

 ベッドに近付いた吹雪は、腰を折って、シマカゼの周りに埋まっている艤装達に挨拶をした。

 先日夕張の睡眠と引き換えに開発が完了し、シマカゼの手に渡ったD型……自立稼働兵装だ。大中小と揃ってヘラのような手を上げ、返事をする。

 四角い頭に円柱状の体。頭には二本の角のような砲身。顔はデフォルメされていて、太い長方形の黒い線を縦にした目に、ωを描く口があった。これらはただ描き込まれているだけなのではなく、彼らの感情によって変わっていく。

 大きいのだけが救命浮き輪をしていて、右から左に読む形式で『しまかぜ』と書かれている。

 シマカゼはこれを連装砲ちゃんと呼んで可愛がっているようだ。大きいのが連ちゃん、中くらいのが装ちゃん、小さいのが砲ちゃん。ネーミングセンスの欠片もない。

 近い位置にいた小さいの――砲ちゃんの頭を撫でて喜ばせていた吹雪は、ふと、シマカゼが自分をじぃっと見つめてきている事に気付いた。

 

「なあに、島風ちゃん。……どこか、変?」

 

 ボタンでも外れているのだろうか、と自身の体を見下ろす吹雪だが、パジャマの前部分はきっちり閉じられているし、汚れや何かは見当たらない。ひょっとして、寝癖だろうか。さわ、と髪に触れた吹雪は、しかしそこまで髪が跳ねたりしていないのに、小首を傾げた。

 理由がわからない。

 でも、まあいいか、と吹雪は思考を放棄した。

 

(島風ちゃんが見つめてくるのは、よくある事だし)

 

 こうしてシマカゼが誰か、または何かを黙って見ている姿は珍しくない。七日ほどの付き合いである吹雪だが、寝食を共にしていれば、そういった癖ぐらいはわかるようになっていた。興味の対象や、それについて何かを考えている時によく、彼女はこうしてじっとその眼差しを注ぐのだ。

 つまり今は、吹雪について何かを考えている、という事。その内容は少々気になるものの、シマカゼが声を発する気配がないので、吹雪は難敵夕立を起こしに向かった。

 ベッドの上。夕立は奥の壁に背を預けて、深く頭を落としていた。穏やかな寝息が聞こえてくる。起きようという努力が垣間見えたが、結局寝てしまっている。これを起こすのは一苦労だ。少なくとも、自分だけでは。

 そう判断した吹雪は、はしごの上で振り返って、シマカゼへと声をかけた。

 

「島風ちゃん、夕立ちゃんを起こすの、手伝って」

「いいよ、任せて」

 

 二つ返事でベッドを出たシマカゼと交代するためにはしごを下り、一歩退いた吹雪は、代わりにはしごを(のぼ)って夕立を起こしにかかるシマカゼを眺めた後に、一言断ってから着替えを纏めて簡易シャワー室へと急いだ。

 手伝ってとは言うものの、ここ最近の夕立の目覚ましはシマカゼの役になっているのだ。いてもしょうがない吹雪は、身繕いするために部屋を出たという訳だ。

 

 服を脱いで洗濯機に放り込み、スイッチを押して回す。ゴウンゴウンと重い音をたてて稼働する洗濯機から離れた吹雪は、そのまま浴室内に足を踏み入れた。冷たい床に背筋が震える。でも、温かいシャワーを浴びれると思えば、耐えられる。

 簡易とは名ばかりの広いシャワー室。天井付近には黒い鉄パイプが何本も走っていて、壁にかけられたシャワーの数は十を超えている。その内一つに向かった吹雪は、ノズルを手にとり、下部にある栓を捻って水を出した。一分もせず湯気が立ち始める。それでようやく、シャワーを浴びる事ができる。

 

「ふー……」

 

 べたついていた体をお湯が洗い流していく。表面から浸透する熱が穢れを剥がしていく。肩を撫ぜ、胸を撫でた吹雪は、芯からも発せられる心地良さに、熱い吐息を漏らした。

 床を打つお湯が、がらんどうの浴室に雨の日のような音を響かせる。立ち込める白煙が、誰かの視線から守るように、吹雪の体を覆い隠していった。

 

 泡が落ち、寝癖が消えて、使われたアカスリが元の場所にかけ直される。

 一通り身を清めた吹雪は、ここには無い浴槽に浸かる代わりに、熱いお湯を体の前面に当てて堪能した。

 ノズルが吐き出す幾筋もの湯が鎖骨の間に当たって弾け、透明の線が胸の間を滑り、腹から太ももへと流れていく。天窓から差し込む光の加減で、一筋の湯はなだらかな曲線を通るたびに明滅した。水の玉となって足の付け根に留まっていた水滴が、後続の湯に流されて、名残惜しげに排水溝へと消えていく。

 濡れた髪を持ち上げる腕は、健康的な白さの中に赤みが混じっていた。体が温まったゆえに、頬はほんのり赤く染まっていて、ほう、と湯の雨に紛れた吐息は少し熱い。二の腕を優しく擦り、再度胸へ当てた吹雪は、目を閉じて上機嫌でお湯を受け止めた。

 柔らかな肌の上を水滴が伝う。細い腕に隠された発展途上の胸は薄く、艦娘ゆえに成長の余地はない。改造による胸のタンクの増量は、夕立ならともかく吹雪には期待できないだろう。

 そんな未来への不安はこの少女には無いらしい。改造された自分の存在を知らないというのもあるし、艦娘が成長しない事について深く考えた事がないというのもある。何より、薄ぼんやりと『いつか大きくなるだろう』と考えているのが大きい。

 期待が裏切られるのはいつになるだろうか。いずれにせよ彼女は、ずっとこの姿のままだ。

 神秘のヴェールに包まれた柔らかな肢体は、解き明かされる事の無い不思議を秘めたまま、戦う乙女のために色づく。

 キュ、と栓が閉められて、お湯が止まった。ノズル口から滴る水滴もまた、どこか名残惜しそうにしていた。

 

 

 さっぱりした吹雪が部屋に戻ると、ちょうど夕立が起きだしてきているところだった。今日は起こすのに随分時間がかかったらしく、はしごを下りる夕立をシマカゼが急かしている。

 きっと夕立もシャワーを浴びに行くだろう、と、吹雪はタオルを用意する事にした。さすがに服まで引っ張り出す事はしない。親しい間柄とはいえ、そこまではできないからだ。

 日常の中で培われた気遣いをみせる吹雪を尻目に、特に何も考えていなさそうなシマカゼがベッド下の引き出しから夕立の着替えを引っ張り出していた。遠慮がないというべきか、羞恥心が無いというべきか。

 しかしシマカゼは、夕立に衣服を手渡した際に、ん? と怪訝な表情をして、次には「あっ」と声に出して体ごと明後日の方向に向けた。たんに何も考えていないだけだったようだ。

 恥ずかしいと思ったのかな。夕立にタオルを渡しながら思う吹雪だった。

 

 朝食を済ませ、部屋に戻った三人は、それぞれ準備を始めた。今日も吹雪と夕立は授業だ。本日からここにシマカゼも加わる事になった。島風ちゃんと一緒にお勉強できるんだ、と嬉しそうにしている吹雪とは違って、夕立はいつも通り面倒くさそうにしている。シマカゼは、少女向けの文房具である小さめの筆箱を見つめて、何かを考えているようだった。

 

「……どうしたの? お古は、やっぱり嫌?」

「ううん、そんな事ないよ」

 

 自分が渡した筆箱を眺めるシマカゼに不満の色を見た吹雪が声をかければ、彼女は薄く笑って否定した。

 ただ、私にはちょっとかわいすぎるんじゃないかな、なんて言って、手提げ袋の中に筆箱を押し込む。

 

「そんな事ないよ」

 

 かわいすぎるのでは、という疑問に反射的に口を開いた吹雪だったが、何が「そんな事ない」のか、「かわいすぎる」とは何か、その正確な意味を理解しての事ではなかった。シマカゼの声に自虐が混じっていたのをうっすら感じたから、否定したというだけ。……いや、自虐というのは些か大袈裟すぎるかもしれない。シマカゼの精神性を考えれば、薄桃色の筆箱は、自分には合わないと感じるのも当然だろう。

 

「ありがと、吹雪ちゃん」

「……んーん」

 

 お互いが完全に理解して発した訳ではない言葉で伝わらなくとも、感情でのやりとりはできている。気遣いと、それを嬉しいと思い、感謝する気持ち。微笑みあう吹雪とシマカゼに挟まれた夕立は、特に意味もなく口の端をつりあげて悪い笑みを作った。

 

 

「おはよう」

 

 教室は、本棟一階の南側に位置している。三人が連れだって教室に入ると、教壇に立つ長身の女性が静かに挨拶した。

 

「おはようございます」

「おはようっぽい」

「……おはようございます。今日からよろしくお願いします」

 

 吹雪、夕立、シマカゼの順に挨拶を返し、頭を下げる。女性は、シマカゼを一瞥してから、教室内へと顔を向けた。それぞれの席には、十数人の艦娘がついている。いずれも駆逐艦だ。比較的経験の浅い者から、実戦経験のある者まで幅広くいる。

 三人は教室の後ろの方の席に着いた。黒板の上にかけられた丸時計は、八時二十七分を指している。ギリギリの到着だ。

 

「ねぇ、先生って人間なの?」

「島風ちゃん、その言い方はなんか……」

 

 机の脇に手提げ袋を下げたシマカゼは、さっそく前の席の吹雪に疑問を投げかけた。そっと振り返った吹雪が小声で返すと、シマカゼは「あ、ごめん」と誰かに対して謝罪しつつ、口を手で塞いだ。

 

三原(みはら)(まこと)先生。海軍の人ではなくて、普通の人間っぽい。好きなものは長ネギのお味噌汁で、特技は手品っぽい」

 

 教師用の大きな机の後ろに立つ女性の素性をシマカゼに教えたのは、斜め前の席に座った夕立だ。

 三原真。腰まで届く長い黒髪を一つに束ねて垂らし、黒いスーツを着用した女教師。紅い目は鋭く細められていて、すっとした鼻と口は、彼女を見る人に中性的な印象を抱かせる。スーツが腰の部分できつくしまっていて、その細さを知らせてくれなければ、一目で彼女を女性と見抜くのは難しいかもしれない。人を惑わす妖しい美しさ。そういった意味では、彼女は普通の人間とはいえないのかもしれない。

 シマカゼは、そんな彼女を薄いながらも僅かにある胸で女性だと判断した。培ってきた観察眼の賜物だ。本人の前でそれを言えば拳骨を頭に落とされる事は間違いないが。

 時計の針が八時三十分に到達する。チャイムはない。この『教室』にもスピーカーはあるが、そういった用途には使われていないようだ。

 教壇に立つ真が机から引き出したのは、出席名簿だ。くっついているペンを手にすると、一人一人、艦娘の名前が呼ばれていく。いろはにほへと……ではなく、あいうえお順だ。『さ行』に差しかかって、自分の名前が呼ばれるのを身構えていたシマカゼだったが、何事もなく『た行』に移ってしまった点呼に拍子抜けしてしまった。

 

「お前達と共に学ぶ新しい仲間が参加している。島風、自己紹介をしなさい」

「あ、はい!」

 

 最後に夕立が呼ばれるまで、名前を呼ばれなかったシマカゼは、ひょっとしてこのまま何もなしで授業が始まってしまうのではないかと焦っていたが、名簿をしまった真が思い出したようにそうつけ加えるのに、慌てて立ち上がった。瞬間、何十本もの意識の糸がシマカゼの体に突き刺さった。

 (ひびき)、 (あかつき)、 (いかずち)、 初春(はつはる)、 子日(ねのひ)、 若葉(わかば)、 初霜(はつしも)、 (かすみ)、 綾波(あやなみ)、 如月(きさらぎ)、 睦月(むつき)、 菊月(きくづき)、 長月(ながつき)、 春雨(はるさめ)……。

 教室中の視線を一身に集めたシマカゼは、緊張に体を硬くしながらも、無難な自己紹介をした。

 

「本日からみなさんと一緒に勉強する事になりました、シマカゼです。よろしくお願いします」

 

 格好とは違った真面目な挨拶に、ぱちぱちとみんなが拍手で迎えた。その音は大きくなかったが、受け入れられた安心感に、シマカゼはほっとして着席した。椅子の足下に(つど)っていた連装砲ちゃんが(いた)わるように『キュー』と鳴く。

 八時四十分から一時限目が始まる。保健の授業。艦娘の体や性能についての知識を深めるための授業だ。

 最初に、宿題に出されていたプリントが回収される。係りの子が事前に集めていたものを先生の下まで運んでいくだけだから、そう時間はかからない。

 今日の授業内容は、『燃料の必要性』だった。艦娘に必要不可欠な燃料とはどのようなものなのか。どう補給するのか。燃料がなくなると、艦娘はどうなってしまうのか。

 そこでシマカゼは、孤島で朝潮が(おちい)っていた呆然自失とした状態が、燃料を失い、補給しないまま一定時間を過ごした結果だと知った。燃料は何かを食べる事でも得られるが、それすらできていないと、非常に危険な状態に陥り、他者の手を借りなければ動けなくなる。そして、助けがなければ朽ちていくだけ……。あの時の朝潮は、かなり危険な状態にあったという訳だ。

 五十分にわたってその関連の話が詳しく語られ、黒板に走る白字を生徒達がそれぞれノートに書き写していく。

 カリカリという、シマカゼにとっては懐かしい音が教室に満ちていた。

 

「海上に現れる霧の話を知っているか?」

 

 授業の終わりに、真はそう切り出した。

 数人が知った反応を返す。シマカゼもその一人だ。海上に現れる霧。それは、あのレ級が潜む不思議なものに他ならない。

 

「その内知らせが張り出され、注意喚起がなされるだろう。お前達には先に私から伝えておく」

 

 霧の向こうの強敵。それと出遭ってしまった時、どうすれば良いのか。心構えと対策。

 

「この話を聞いて……海に出たくなくなったら、言いにきなさい」

 

 そう締め括った真は、プリントと名簿を抱えて教室を出て行った。

 次の授業は体育だ。体操着に着替え、外に集合しなければならない。扉が閉まるその瞬間まで静寂に満ちていた教室中に、慌ただしい気配が広がる。

 体操着が間に合わなかったシマカゼはそのままの格好で行く事になる。彼女にとってそれは違和感がないらしい。そうでなければならないとも考えているようだ。幸い、格好が違うからといって彼女を責める艦娘はここにはいなかった。

 

 

 三時間の授業を終えれば、昼食だ。賑わう食堂に到着した三人は、いつものように昼定食ABCを選んでカウンターまで持っていくと、急いで空いている席を確保して座った。

 

「どうしたの、島風ちゃん」

「んー……朝潮、いないね」

 

 きょろきょろとシマカゼが辺りを見回しているのを不思議に思った吹雪が問いかけると、彼女は身を捻って入り口の方を眺めながら答えた。授業の合間も同じことを言っていた。どうやらシマカゼは、教室にはいなかった朝潮の姿を探し求めているらしい。

 

「島風ちゃんには残念だけど、朝潮は遠征に出てるっぽい」

「え、そ、そうなんだ」

 

 そうと知らずに朝潮を探し続けていたのが恥ずかしいのか、俯きがちになってさっさかと髪を梳き始めるシマカゼに、吹雪は頬杖をついて、ふふ、と笑った。

 

「……なに?」

「……島風ちゃんは、本当に朝潮さんの事が好きなんだね」

「え? 私が? うーん……」

 

 きょとんとして、次には悩み始めてしまったシマカゼだが、いつも何かにつけて朝潮の話をする彼女を見てきた吹雪には、それが照れているように見えた。

 実際そうなのだろう。悩んでいたのは最初だけで、何か思い出した様子をみせてからは、上気した頬に指を当てて明後日の方を見ていた。吹雪と夕立の視線に気付くと、こほんとわざとらしい咳払いをして、それから、「そう、かも」と呟いた。

 自分の中で納得したのか、うんと一つ頷いたシマカゼが顔を上げた時には、顔の赤さは消えて、ただ、綺麗な笑みが浮かんでいた。

 

「私、朝潮の事、好きだなあ」

 

 異性としての好きではなく、同性として、に近い意識。愛情ではなく友情。短くも濃い苦楽を共にした仲間。最初に出会った艦娘。自分を孤独からすくい上げてくれた女性(ヒト)。ここまで要素が積み重なれば、好意を抱かない訳がない。

 それはまっすぐで、穢れのない気持ちだった。

 朗らかな笑顔と共にされた告白は、聞いた吹雪の方が少し恥ずかしくなってしまったくらいだ。

 シマカゼにとっては、その質問も、気持ちを外に出す事も、『恥ずかしい』より『嬉しい』が勝っている。彼女にとって、朝潮とはそういう存在なのだ。

 ただ、吹雪や夕立には、そういったシマカゼの気持ちの深いところまでは読み取れない。

 

(なんだか、素敵だな)

 

 膝の上で指先を絡めた吹雪は、対面に座るシマカゼの笑顔に、無意識に笑みを浮かべながらそう思った。

 

 男の子みたいに笑う子。それが彼女に対する最初の印象だった。

 ――なんていっても、提督以外の男性を見た事は無いんだけど。

 島風ちゃんは、朝潮さんの話題をよく出す。自分では気づいてないと思うけど、その話をする時の島風ちゃんは、ずっと女の子らしく笑う。

 それはまるで……まるで。

 ……なんだろう。わからなくなっちゃった。

 

 心の中に浮かべた言葉の途中で、相応しい言葉を見失ってしまった吹雪は、行き詰った思考をいったん閉じた。

 それでもこみ上げてくる微笑ましさのようなものがあって、だから吹雪は、しばらくの間笑顔をやめられなかった。

 

「そろそろご飯ができるっぽい。とりに行こ」

「ん、そうしよっか」

 

 夕立の提案に乗った二人が席を立つ。ちょこちょことシマカゼを追う連装砲ちゃんが、小さな鳴き声をあげた。

 

 

「お、来てくれたんだ!」

「はい。今日も、よろしくお願いします」

 

 昼過ぎの、自由時間。吹雪は、体育館に足を運んでいた。

 この時間の体育館は、那珂ちゃんの練習場に変わっている。主戦力に食い込めるほどの戦闘力を持つ彼女は、かつては出撃の機会が多かったが、前に上げた大きな戦果と引き換えに、こうして使われていない時の体育館を自由にする権利を得て、その休日の大半を練習に当てている。

 動きやすい短パントレーナー姿でやってきた吹雪は、入り口付近で準備運動らしき動きをしていた川内(せんだい)と言葉を交わした。

 茶髪のツーサイドアップに、同じ色の瞳。吹雪よりも頭半分高い軽巡のお姉さんだ。

 

「それじゃまず、ランニング、軽く十周いってみよう!」

「はい!」

 

 先導する川内に続いて、線の引かれた館内を走り始める吹雪。

 彼女がなぜこんな事をしているかと言えば、それは数日前にまで遡ったあの日に原因がある。

 シマカゼがこの鎮守府を去り、別の鎮守府へ行ってしまう。その前に朝潮に会いたいという彼女の気持ちに応えるべく、共に生真面目な少女の姿を探し求めて敷地内を歩いていた時、この体育館に寄った吹雪は、那珂ちゃんの一声で強制的に親衛隊にされてしまった。

 一緒に歌おう、踊ろうと言われても、突然すぎて意味が分からず目を白黒させていた吹雪だったが、川内と神通(じんつう)に押し切られて、彼女達の練習に付き合う事になったのだ。

 最初はシマカゼの事を心配していた吹雪だったのだが、教えられたステップを踏み外して転んだ際、手を貸してくれた那珂ちゃんの顔がどこまでも真剣だった事に心を入れ替え、真面目に練習に取り組み始めた。

 吹雪は実直だ。だがどこかずれている。汗を流し、川内と神通の二人に合わせて踊る一体感を覚え、那珂ちゃんに「センスがある」と褒められると、ほんの少しその気になってしまった。

 

「はっ、はっ、ふ、……はぁー」

「よし、ちょっと休憩。三分ね」

 

 陸の上をひた走る経験はあまりなかった吹雪は、こうして自分の足を回して地上を走る事に、海の上を滑る時と同じ喜びを感じていた。それがどこからくる感情なのかはわかっていないが、とにかく、走る事は苦しくも楽しく、温まった体は、この後の練習でさらに熱くなっていくだろう事を思うと、よくわからない、でも良い気持ちがわきあがってくるのだった。

 

「姉さん」

「お、音響の設置は終わったね」

 

 ステージ横の準備室から出てきた神通が、二人の下にやってくると、そのまま体育館後方の、長いカーテンがかけられた壁際まで移動した。

 ――神通。姉妹と同じ茶髪は肩辺りまで伸びて、毛先が外に跳ねている。後頭部に結われた緑色のリボンでハーフアップにしている。前髪が左右に大きく跳ねているのが特徴的だ。どこか気弱そうな表情も、特徴といえば特徴か。

 

 川内と神通がカーテンを両端まで捲れば、巨大な横長の鏡が現れる。これも那珂ちゃんの要望で備えられた物だ。任務の報酬。お金がかかっている。

 

「はいはーい、那珂ちゃんとうじょーう! 今日も一緒にがんばろーね! きゃはっ☆」

 

 吹雪が彼女達の踊りや歌の練習に参加するのは、これで三度目だ。二回目は様子見と言った感じだったが、今日、吹雪が自主的にここに足を運ぶと、本格的に歌に合わせた踊りの練習が行われる事になった。

 茶髪のお団子頭に、ぱっちりとした目。アイドル衣装ではなく、上下ジャージ姿で――それでもどこか華がある――現れた那珂ちゃんは、きらりんと星を飛ばしながら吹雪に言って、跳ねるように鏡の前に出た。元気いっぱいの笑顔に、はい! と吹雪が答える。

 吹雪の隣に並んだ川内と神通も、お揃いのジャージ姿だ。

 

「……ほんとに、君が来てくれて助かったよ」

「え……?」

 

 体を動かして感覚を確かめている那珂ちゃんを眺めていた吹雪は、肩を抱かれるのに目を瞬かせた。那珂ちゃんから離れながら、川内が囁く。内緒話だ。

 

「なんてーかさ、君もすぐ逃げちゃうと思ってたし」

「逃げるだなんて、そんな……私『も』?」

「あー、まあ……」

 

 反射的に否定しようとした吹雪は、川内の言葉に引っかかるものを感じて、彼女の顔を見上げた。頬を掻きながら顔を逸らす彼女は、明らかに何か言い辛いものを抱えていた。

 

「……あの子ねー、ここじゃ結構やり手だったからさ。『一緒にアイドルやろう』なんて言っても、印象の違いに戸惑って逃げちゃう子ばかりでさ」

「はあ……」

「こないだも、えーと……白髪(はくはつ)の…………あー」

「菊月です、姉さん」

「そうそう。菊月ちゃんね」

 

 那珂ちゃんの武勲に憧れたのか、話を聞こうと――その技術を教授してもらおうとやってきた菊月に、ソロでの活動に疑問を抱いていた那珂ちゃんは、これ幸いと猛アピールしてアイドル道に勧誘した。

 結果は、川内の話した通りだ。噂にあった那珂ちゃんの姿との違いに驚いた菊月は、去ってしまった。

 

「ああ見えて結構傷つきやすい子でね。それからも何度か駆逐艦の子に声をかけてたみたいなんだけど……失敗するたびに目の周り赤く腫らしちゃってさ」

「……私は」

「姉さん。それ以上は……」

 

 そんな話を聞いてしまっては、吹雪はもう、ここから抜け出す事はできなくなった。元々自分の意思で練習を続けようとここに来たのだ。でも、それはまだ、どこか軽い気持ちだったのかもしれない。ついていけなかったらすぐにやめてしまうような、そんな軽さ。

 神通が川内を止めたのは、吹雪がそうなってしまうのを……そうさせてしまうのを止めるためだったのだが、それは些か遅かったようだ。

 

「私、頑張ります! どんなに辛くったって、途中で投げ出したりしません!」

「吹雪ちゃん……」

 

 気合い十分、数割増しで声に力を入れた吹雪が、胸元で拳を握って、強い口調で言い放った。

 那珂ちゃんの話をすれば、彼女がこうなるのは明白だった。川内の狙いはそこだったのだ。一人で頑張る那珂ちゃんの望みを叶えるために、卑怯だとわかっていても、この話で吹雪の意思を絡め取った。

 神通だって、話を止めたものの、想いは同じだ。誰よりも早く強さのステージを駆け上がって、大好きな歌と踊りを封印して鍛錬に励み、その果てで自由に歌う権利を勝ち取った彼女に、どうしても好きな事をさせてやりたかった。

 彼女の欲しがるパートナーを与えるには、川内と神通には練度が足りない。艦種によってある程度上下関係が決まるのはどこの鎮守府でも共通の事項だが、戦闘力によって発言力が変わってくるのも、また共通事項だった。

 ギリギリ改になったばかりの二人では、(しん)の仲間を探し出してくるのには多大な時間がかかるし、その間、本業である戦闘も、そのための備えである演習や自主鍛錬も、那珂ちゃんの相手さえも疎かになってしまう。だから中々時間が取れずに困っていたのだが……ここにきて、期待の新星の登場だ。

 那珂ちゃんの武勲をさほど知らず、知ってはいても、戦時において鬼のような強さを発揮する彼女を……戦艦すら投げ飛ばす彼女の姿を見た事のない新人で、『アイドルしよう』と言われても、混乱しながらも話を聞こうとする姿勢を崩さなかった吹雪ならば、那珂ちゃんと共にやっていけるのではないかと思えた。

 だから引き込んだ。だがそれは、川内や神通が認識している『無理矢理』ではない。彼女達の話は確かに吹雪の認識を変えた。でもそれだけだ。

 吹雪がアイドルを、その練習をやろうとしたのは、同情や何かのためではない。……それも少しは混じっていたが、大本は、吹雪がそうしたいと思ったから、だ。

 改二に憧れた夕立が勉強より実戦を優先し、いつかの出撃を夢見て演習に積極的に参加しようとしているのと同じように、また、実戦を経験し、駆逐艦の身で重巡すら打倒したというシマカゼのように、自分も、赤城に憧れるだけでなく、何か明確で、強い気持ちで向き合える、大きな努力が必要な事を成し遂げなければならないと思っていた。

 だから自分の足で踏み込んだ。アイドルの世界に。その入り口に。

 それは吹雪の意思だ。それはきっと、吹雪にとって譲れない部分。

 

「吹雪ちゃん! 意気込みは十分だね! でも、アイドルへの道は厳しいよ!」

 

 ふと大きな声が聞こえて三人が振り返れば、練習の準備を整えたのか、那珂ちゃんが大振りに手を振っていた。輝くような笑顔からは、彼女が落ち込んだり、はたまた苦痛を噛みしめて戦闘に身を投じる姿は少しも想像できない。穢れを知らず純粋で、力仕事なんて知らないように手足は細くて、爆発するような元気の中に儚さも併せ持つ不思議な魅力。

 

「すぐ行くよ! ……よろしく頼むね、…………特型駆逐艦」

「吹雪ちゃんです、姉さん」

「……よろしく頼むね、吹雪」

「あー……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 那珂ちゃんに返事をした川内が、小声で吹雪に言う。……名前を忘れていたようだが、神通が助け舟を出すと、何事もなかったかのように真面目な顔で続けた。

 その締まらなさにどういう顔をしていいのか一瞬悩んだ吹雪だったが、結局表情を引き締めて、真剣な顔で、自分の意思を表明した。

 満足したように微笑んだ川内と神通に連れられて、那珂ちゃんの下に来た吹雪は、「内緒話してたねー!」と頬を膨らませる那珂ちゃんにたじたじになりながらも、これからの自分の事を考えて、きつく手を握り込んだ。

 きっとこれが、自分の未来を切り開く。だから一生懸命頑張らなくちゃ。

 

 決意も新たに、ダンスの練習に挑む吹雪。

 彼女がステージに立つのは、そう遠くない未来かもしれない。

 ついでに、それを見たシマカゼと夕立が揃って口を半開きにして呆けるのも、遠くない未来……かも、しれない。

 でもそれは、また別のお話。



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第二十四話 戦・艦・大・和

『こっちにきて』

 

 姉さんの声が、水底に響く。

 揺蕩う青と揺らめく水面。

 浮き上がろうとする手はぐにゃぐにゃとぶれて、薄く開いた視界はほんのりとした明かりしかなく、その光も、あってないようなもの。

 

――こっちにきて。

 

 ……聞こえる。俺を呼ぶ、姉さんの声が。

 行かなくちゃ。

 俺、行かなくちゃ。

 

 指先が震える。海のうねりに揺さぶられて、左右に揺れる。

 腕に力を込め、爪の先まで伝えて、一本一本、指を順に折りたたんでいく。

 背に、腰に、足に。

 伝播する力が体を動かし、不明瞭な視界のまま、体を起こそうとする。

 

 こっちに来て。

 

 遠く、高く。

 水面に映る誰かが、ずーっと遠くで何かを言った。

 それが何かわからなくて、それが何かを知りたくて、起き上がろうとしていた体から力を抜く。

 背中に触れる柔らかなクッション。視界の端に伸びる緑色の塊。きっとそれが、俺が今、背を預けているモノ……。

 ひんやりとして、つめたくて、きもちいい……。

 

 ちゃぽん、と、耳の奥に水音が響いた。

 一粒の水滴が湯船に落ちた時のような、雨の降り始めの中で、ふいに鮮明に聞こえた雨音のような、そんな小さな音。

 ぼやけた天蓋から、誰かが下りてくるのが見えた。

 腕も足も広げて、長い髪もゆらゆらと(おど)らせて。

 金色に似たきらめきが降り注ぐ。

 やがてそれは、俺に覆いかぶさるように、この海底へとやってきた。

 ……鏡?

 落ちてきたのは、鏡……なのだろうか。

 俺にそっくりの女の子が……俺の腕を押さえ、クッションへと押し付けた。

 近付いた顔は一部分のみがはっきり見えていて、長いまつげだけが鮮明に見えて。

 もっと近くで見たい。それが何かを確かめたい。

 誰かの体を押し退けようとして、だけど、跨られた両足や、絡めとられた指に窮屈になって、細く息を吐いた。ボコボコと白く泡立つ空気が海面へと(のぼ)っていく。

 生き物みたいに上へ伸びる俺の髪が、覆いかぶさる少女の髪と混じる。

 

『――――』

 

 視界の端に、泡が零れていくのが見えた。

 ……混じり合うように、少女の声が透明に響く。

 

 なんて言ったのか知りたいのに、気になるのに……こうして重なり合っていると、温かくて、心地良くて、どうでもよくなってしまう。

 ……ずっと、ここにいても、いいかな。

 目元に覆いかぶさった手が視界を暗闇で塗り潰す。

 そっと、唇に触れるものがあった。

 

 

「……ん」

 

 浮遊感に襲われて、覚醒した。

 薄目を開けてベッドの板を眺めて、なんとなく、その先に叢雲の姿はないのだろうと直感した。

 ……それはたぶん、俺が起きたのが扉の閉まる(かす)かな音を聞いたから、だからだと思う。

 体の位置を少し動かすと、首元に寄りかかっていた連装砲ちゃんの末妹(?)……砲ちゃんが胸の上に転がり落ちてきた。慌てて手で支える。……腕に抱けるサイズの砲ちゃんとはいえ、艤装は艤装。結構重いし、四角くて角があるから、胸が痛くなってしまった。

 知らず俺の顔を歪めさせた小さな兵器は、すやすやと気持ちよさそうに寝息をたてている。これを起こすのは忍びない。なので、そっと枕の横に埋めて、腕をついて体を起こした。

 ギシリとベッドが鳴る。暗い部屋の中、隣の二段ベッドに目をやれば、こちらに顔を向け、片腕を枕にして眠る吹雪の輪郭と、床にうつ伏せになって死んでいる夕立の姿が見えた。……朝寝坊しないように起きていようと何かして、失敗して落ちたのだろう。ベッドの上に戻してあげなきゃ。

 ベッドの足側で寝ている連ちゃんと装ちゃんを起こさないように静かにベッドを抜け、夕立の前にしゃがみ、さらさらの金髪に隠された頭をつんつくとつついてみる。

 ……反応なし。完全に寝てます。

 

「夕立ちゃん……起きて、夕立ちゃん……!」

「んぅ……」

 

 肩を揺すって声をかけてみるも、返事をしたのは吹雪だった。起こしてしまったかと顔を見れば、良い夢でも見ているのか、へにょっとした笑みを浮かべていた。よだれ垂れそう。……というか、凄いだらしない顔……。こちらも起きる気配はなし。

 ええと、仕方ない。床で寝させ続ける訳にもいかないし……よっ、と。

 うつ伏せの夕立の脇の下に手をいれて抱き起こす。……自分以外の女の子って、なんでこんなに柔らかく感じるんだろう。なんてくだらない事を考えつつ、夕立の頭が俺の肩に乗るように抱っこして、立ち上がる。寝息が首筋にかかってくすぐったい。

 ……持ちやすいやつ……俗にいうお姫様抱っこをしようと思ったのだけど、力が足りなかった。結構重い。……そう、人間は結構重いのだ。夕立が特別重いと言っている訳ではない。

 落とさないように両腕でしっかりと抱えているために、手が空いておらず、はしごを上るのに少し難儀した。はしごが急な段差でない事が幸いして、なんとか上に上がり、夕立を寝かせる事ができたけど、着替えるために引き出しに向かって、島風の服を取り出している時に、(あ、生体フィールド纏えば良かったんじゃん)と思い至ってしまった。……いや、うん。使うまでもなかったんだよ。そうそう。じゃなきゃ俺が馬鹿みたいじゃない。

 そういえば、『防護フィールド』と俺が呼んでいた艦娘を守る不可視のバリアー……それの正式な名前が生体フィールドなのだと、こないだ授業で習った。

 受けた衝撃を体全体に広がらせて発散させる不思議な力。それで、どれ程の攻撃を受けても身体的欠損は早々起きないらしい。代わりに、衝撃を受けすぎると、まず服が耐え切れずに破けてしまうのだとか。もちろん一度に強い衝撃を受けても同じ。

 体に傷ができるのは、よっぽどの事がない限りないらしいけど、しかし艦娘自身の体調や気持ちに左右されるこの障壁は、時にとても脆く、傷つきやすい艦娘もいるという話だった。

 

 着替えを終えれば、寮の外に出る。

 最近日課にしているランニングをするためだ。

 朝は早くに目が覚める事が多く、そのままおめめぱっちりな事もまた多いから、なんとなく始めてみた。

 どこかの吹雪を真似しての事だったんだけど、これが中々気持ち良いのだ。

 風を感じるのは、好き。

 体の全部が風と一体になり、意識までもがスピードの世界に溶けていく。

 その歓びは筆舌に尽くしがたい……というほどではさすがにないけど、気持ち良いのはたしかだ。

 だから今日も、こんなに薄暗い時間から外を走る。

 コースは、艦娘寮から始まって夕張さんの工廠の前を通り、海に出て、そのままぐるーっと回って来て明石の工廠の方まできて、寮に戻るというもの。

 何メートルくらいだろう。1500mは越えてると思うけど。

 まあ、距離や時間は関係ない。走れればそれで良いのだ。ルームランナーは駄目。景色が流れないし、風も弱い。体は熱くなるけど、心は熱くなれないのだ。

 潮風が頬を撫でる。港は静かなものだった。遠くからコーンコーンと不思議な音が聞こえてくるくらいで、後は、風と波の音だけ。

 

 逢魔が時、という言葉がある。

 日暮れの、暗闇が押し寄せ、魑魅魍魎と出遭うと言われる時間帯。

 今は、その反対だ。

 日が昇る前のこの時間帯は、どこか幻想的で、光の押し寄せるその瞬間までは、何か綺麗で小さなものに出会えそうな、心を浮つかせる時なのだ。

 ……ちょっとロマンティックすぎるかな。

 走っている時は考え事が捗るから、吐き出す息の合間に、そんな変な事を考えてしまう。

 高い空に流れる黒い雲を見上げ、無心で走ろう、と思った時だった。くしゅん、と可愛らしいくしゃみの音が聞こえてきたのは。

 それはちょうど今しがた過ぎ去った場所から聞こえてきて、でも、足を止めて振り返っても、そこには誰もいない。すぐ横は建物や雑木林か、はたまた地面が途切れて波を打ち寄せる海になっているかだ。

 ……人の気配はある。ぐす、とぐずつく声も聞こえた。いったいどこから……?

 

「……あ」

「――っ」

 

 音の出所を探して地面の端まで歩み寄った俺は、その下に長方形の足場があるのを見つけて、ついでに、銀色の頭も見つけた。思わず声を漏らした俺に気付いた叢雲は、はっとして俺を見上げると、腕で目元を拭って立ち上がり、睨みつけてきた。

 ……そんな睨まなくても。

 

「よっ、と」

 

 ぴょんと飛び降りて、意外と広い足場に立つ。ああ、立ってても、壁に張り付いていれば上からじゃわかんないな。

 

「……なんで下りてくるのよ」

「こんな段差があったんだ。秘密の場所?」

 

 明らかに俺を鬱陶しく思っているだろう叢雲の言葉をあえて無視して、笑いかける。

 別に、そんなんじゃないわ、と顔を背けられた。

 こう薄暗いとあんまりよくわからないけど、綺麗な夕日色の瞳は、今は僅かに濡れている……気がする。

 

「…………」

「…………」

 

 やばい。

 高揚した気分のまま下りて、フランクに話しかけてしまったけど、我に返れば俺はこの人が苦手なんだって思い出した。

 だって怖いし。……それに、何を話したら良いかわからないし。

 でも、俺から話しかけたんだから、何か言わなきゃ。

 えーと、えーと……。

 

「アンタは……」

「はっ、う、はい?」

 

 あっ、ここで何をしてるか聞こうとしたら、かぶせるように彼女が声を発したので、どもってしまった。

 取り繕うように返事をしながら、お腹の前で手を合わせる。肌に這わせた指に意識を集中して、彼女の顔から目を逸らさないようにした。

 

「…………」

「…………」

 

 再びの沈黙。

 ややうつむいて海の方を見ていた叢雲は、体ごと海へと向けてしまうと、それきり喋らなかった。

 時々瞬くだけの目からは何も読み取れないし、星明かりに照らされるだけの横顔からは、何を考えているのかはわからない。

 

「……今日の午前に演習があるわね」

 

 しばらくして、叢雲が出した話題は、今日の授業の演習の時間の事だった。

 二時間目の体育の後に続いて三時間目が演習。

 第十七艦隊に所属する俺達と一緒に戦うのが、叢雲や川内、神通らしい。

 同じ班になるのだから、いちおう挨拶をしておかねば。

 口の中で咳払いをしてから、抑えめの声量で言う。

 

「よろしくお願いしますね」

「ええ。……よろしく」

 

 ちら、と俺を見た叢雲は、やっぱり何を考えているのかわからなかった。

 

 

輪形(りんけい)陣!」

「はい!」

「ぽい!」

 

 体育の授業は、海の上で行われた。B海域。みんながみんな艤装を背負って、陣形や隊列を組んでは離れ、また組んでを繰り返している。号令をかけているのは、この艦隊の旗艦となった川内だ。

 砲ちゃんを腕に抱いて、連ちゃん装ちゃんを侍らせつつ、神通を含めたみんなで川内を囲み、名前の通り輪を作る。そのまま決められたコースを十数秒走ると、「散開!」の号令でばらばらに離れる。お次は複縦(ふくじゅう)陣。号令と共に二列横隊になり、航行する。先頭を川内神通、真ん中を吹雪と夕立、後方を俺と叢雲という形。叢雲がいるのは、次の時間のために俺達と連携を強めるためなんだとか。

 

 艤装を背負い、砲ちゃんを抱えていると、やはり結構スピードが落ちてしまう。それでもみんなに遅れるなんてありえないけど、実戦でこれだと、有効な蹴りができなくなりそうで、少し困ってしまっている。

 ブーストとかできないかな。できないよなー。

 

「オッケー。そのまま私が言った通りに陣形を組み替えながら、ここ三周しといて!」

「みんな、私に続いてください」

 

 軽巡の先輩方は多忙だ。他の子達の様子も見に行かなければならないらしい川内が離れていく。神通は引き続き俺達を見てくれるみたい。

 先輩は他にも球磨(くま)多摩(たま)、天龍龍田、それに由良がいて、それぞれ生徒達を指揮している。川内は由良の手伝いに行ったのだろうか。

 よそ見をしている場合ではない。この反復練習は咄嗟の判断や、戦闘中に声を聞き分け、すぐさま行動に移せるようにするためのもの。陣形の名前は知っていても、実際の動きをあまり知らない俺には必要な授業という訳だ。

 

 三十分の間、繰り返し陣形、隊列、位置取りを練習した。前半十分は移動と準備、後半十分は今回の反省点と次のこの授業で何をやるのかの説明。それが五十分の授業の内訳。

 席順で並んだ俺達の前に、横一列に並ぶ軽巡の先輩方。ここでも川内が一人声を発していた。彼女が軽巡内でのリーダーなのだろうか。

 次の授業では連合艦隊での陣形の組み方をやるらしい。大人数かー……たくさんの艦娘で、となると、結構迫力ありそう。変に緊張しちゃわないよう、気をつけなきゃね。

 

 二時間目が終わり、三時間目が始まる。

 A海域に移動して、演習の授業。

 これは名前のまんまだ。友軍との演習。

 でも、その友軍ってのがどこにも見当たらないんだけど。

 迎賓室はあるらしいし、来てるのは確かなんだろうけど。

 

「あれ? ……ああ、そっか。授業で演習システムを習ったのって、島風ちゃんが来る前だったもんね」

「演習システム?」

 

 俺の呟きに反応した吹雪が、納得したように頷いた。

 何それ。聞き覚えのない単語。なんだか機械チックだ。

 

「あたしが説明するっぽい!」

「じゃあ夕立ちゃん、お願い」

 

 みょいーんと横から割って入って来た夕立が、その位置のままで演習システムとは何か、を教えてくれた。

 妖精さんの技術の結晶。各鎮守府から集められた艦隊データと戦闘データを(もと)に、立体映像の艦娘を、特殊な電磁波を流した一定の範囲内に出現させ、あたかも生きているかのように動かし、それと戦闘をする事で腕を磨く。

 ……なんかトンデモな話だね。

 

「それじゃあ、本物の艦娘は来てないの?」

「うん。あんまり他の場所から来るって事はないっぽい。でも、ない訳じゃないっぽい」

「そうなんだ。うん、ありがと」

「知らない事があったら、また夕立に聞くといいっぽい!」

 

 頼って頼ってと期待の眼差しで言う夕立に、素直に「そうさせてもらうよ」と答えておく。

 それから、海を眺めながら、自分達の番が回ってくるのを待つ。今は別の艦隊がやっているみたいだ。ここからじゃ姿は見えないけど、遠くから砲撃音が聞こえてくる。

 

 それにしても、演習ってそういう風になってたんだな。ホログラムだとか、そういうのを相手にしてたんだ。

 自艦隊が受ける小破中破といった損害は……演習が終われば綺麗さっぱり消えてるのを考えるに、そう判定されているだけ、だったのかな。つまり、ここで現れる艦娘には実際に触れる事や触れられる事はできないって事?

 あ、演習で相手艦隊が喋らないのって、そういう理屈だからか。音声はないんだね。

 つらつらと考え事をしていると、俺達の番になった。おっとと、いちおう艤装の様子を見ておこう。

 砲の妖精さんと魚雷の妖精さん……1号さん2号さんに意思を飛ばせば、問題なし、の返答。連装砲ちゃん達も元気そう。これなら問題ないね。スピードが落ちてるのが不安だけど。

 それに、相手は深海棲艦ではなくて艦娘だ。まるきり人を、それも女性を蹴ったり撃ったりするのには抵抗があるけど、こればっかりは慣れなきゃ駄目だ。

 戦場では躊躇った者から死んでいく……なんて気取って言ってみたり。

 でも実際そうなのだろう。深海棲艦がたとえ人の姿をして、言葉を話そうと、敵同士なのだから、油断すれば沈められるのはこっちだ。海の藻屑になりたくなければ、戦うしかない。

 

 川内と神通、そして叢雲を加えた俺達六人で海域に入れば、バチ、と変な音が耳元を通り過ぎて行った。

 それだけじゃなくて……なんだろう、空気中に静電気でも走ってるみたいな、妙な感覚がある。これが特殊な電磁波? 落ち着かないなあ。

 

『準備はいいか!』

 

 うわ!

 どこかから飛んできた意思に、声を出さずに驚く。

 今のは、妖精さんの意思か。でも、どこから?

 辺りを見回しても、誰のどの艤装の妖精さんが意思を発したのかがわからず、そして誰も反応していない事に困惑していれば、十メートルほど向こうの海面に光が集い、人の形を作り上げた。

 

『相手のチームの登場だ!』

 

 光の欠片が一人の女性となって収まっていく。……華やかな女性。

 艤装で纏められたポニーテールは膝まで伸びる長さで、焦げ茶色と落ち着いた色合い。服の方は上が白のセーラー服、下は赤のスカートと、はっきりした色になっている。

 注連縄(しめなわ)みたいなリボンが大きな胸の間に垂れていたり、肩や二の腕までが露出していたり、左右で色違いの靴下を履いていたりだとか、薄赤色の和傘を差しているだとか、頭部にある左右一対の電探らしき髪飾りに散りばめられた桜だとか……目につくところはたくさんあるけど、最も目を引くのは、彼女の背後にある巨大な艤装だろう。46cm三連装砲……だっただろうか。彼女すら覆い隠してしまいそうな巨大さを誇る艤装には、それが四門取りつけられていた。連装砲フルスロット……大艦巨砲主義?

 

『人が歩むのは人の道……その道を拓くのは、天の道』

 

 ……何言ってるかわからない。

 大和撫子を体現したかのような艦娘、戦艦大和は、表情もなく、口だけを動かしてそう語りかけてきた。……これ、妖精さんの意思と同じもの? って事は、これは彼女が喋っているのではなくて、本当は妖精さんがアテレコしてる感じなのかな?

 両手で支えた和傘をくるりと回す彼女の隣に、また光が集まっていく。今度は小さい。駆逐艦サイズ。

 

「あっ」

 

 と声をあげたのは、夕立だ。

 姿を現したのは、夕立改二だった。犬耳みたいに跳ねた髪の毛、紅く染まった瞳、成長した胸……それと、表情のない顔。

 

『お楽しみは……これからだ』

 

 夕立改二の口パクに合わせて妖精さんの意思が飛んでくる。うーん、聞き覚えのある……やっぱり意思を反映した文章って、俺の記憶から似た単語とかが引っ張り出されてるんだろうな。

 妖精さんがライダーマニアな可能性もあるにはあるけど。

 

『これは手強いぞ!』

 

 ……え、相手二人? こっち六人いるんだけど。

 光の粒子となって消えた二人の艦娘と、六対二という構図に動揺を隠せないでいると、油断しないで、と川内が注意した。

 

「初めて見たなあ、戦艦大和さん。すっごい強いんだって」

「夕立の改二もめちゃんこ強いっぽい!」

 

 吹雪と夕立は、まあ、油断はしてないみたいだけど……目を輝かせてはしゃいでるな。夕立はわかるけど、吹雪までこんな風になるのはなんでだろう。強い者に憧れるのは自然の摂理?

 

「陣形組むよ。単縦陣」

「相手に航空戦力はないので、空への警戒は必要ありませんね。最初は周囲に警戒してください」

 

 実戦じゃないためか、どこか緊張感を欠いた声で川内と神通が指示し、状況を分析して俺達に話した。

 これもお勉強の一環だ。説明を耳に入れつつ一列に並ぶ。

 

『演習、スタートします』

 

 えらく普通な妖精さんの意思と共に、ブザーの音が鳴り響いた。滑り出す前の四人に続いて、俺も列から外れたりずれてしまわないように注意しつつ動き始める。

 互いにはっきりとした戦力しかないから、このまま接近してぶつかり合う流れになるのかな。なんだか普通な感じ。……いや、相手にだけ空母がいて、銃弾の雨に襲われる事になったりしたら嫌だけど……演習って聞いて、特別なイメージを抱いて緊張していたから、普通と変わらない動きに拍子抜けしてしまった。

 さっきのホログラム……ホログラフィック? が忽然と消えたみたいに、相手が瞬間移動してきて側面に現れる、なんてトンデモ展開もなさそうだし、行って撃って終わりかな。

 腕に抱いた砲ちゃんの頭を撫でながら気楽に考えていれば、ふいに、ヒュウ、と風の音が聞こえた。

 もちろん、俺達は動いている訳だから、風の音がするのは当然だ。でもその中に、妙に気になる音が混じっていたというか……。

 

「! 散開っ!」

「え?」

 

 叫んだのは叢雲だった。いつもの冷たくて厳しい声に混じった焦り。考えるより先に体が動いて、右へと走っていた。少し遅れて、振り返ろうとしていた吹雪や夕立、川内と神通が左右に割れる。

 瞬間、爆発した。

 

 視界が揺れる。足場が波立つ。がくがくと揺れ動く全身に頭が揺さぶられ、一瞬意識が飛びかけた。

 それでも、体勢は崩さなかった。ざあざあと降り注ぐ雨から顔を庇いながら、腕の中の砲ちゃんを落としていない事を感覚で認識する。腕をずらして見てみれば、先程まで俺達がいた場所には、今まさに海へと戻っていく巨大な水柱があった。そこを中心に大きな波が波紋となって広がり、周囲に逃げていたみんなの体を翻弄していた。

 

「うっそ、この距離でなんて……!」

 

 回避の際に転んでいたのか、吹雪と夕立に川内と神通がそれぞれ手を貸していた。本当なら自分で立つのを待つ方が良かったのだろう。でも、誰もが動揺しているみたいで、今だけは、普通の判断ができていないようだった。

 

「まだ走り始めて五分も経ってないよ……?」

「うう~、故障っぽい……?」

 

 ふらふらとした足取りで立ち上がった二人が、戸惑いを多分に含んだ声で言った。

 故障って、演習システムが?

 

「いいえ、故障ではないわ。あれはそういう艦娘よ」

 

 常と変わらない表情で、緩やかに移動しながらの叢雲の言葉に、いくらなんでも距離が、と呟いた神通は、途中で口を引き結んで、川内に視線を送った。その意味を理解したのだろう川内が頷いて、俺達に指示を出そうとした時。

 第二射がきた。

 

「――――ッ!」

 

 空気を貫いて飛来した砲弾が海と激突する。

 二発目はさすがに耐え切れなかった。予測もしていなかった体は衝撃に弾き飛ばされ、海面に体中をぶつけながら転がった。

 回転する視界に、連ちゃんと装ちゃんが投げ出されている姿が見えて、でも、どうする事もできなかった。

 一発目によって降り始めた局地的な雨がやまない内に放たれた二発目。高い高い水柱が先の方から崩れて散らばり、大粒の水が撒き散らされる。それは落ちてくる段階でさらに細かくなって、ついには霧となった。

 なんとか立ち上がれた俺の足下に漂っていた白い霧は、雨粒が海面を叩くたびにどんどんせり上がって来て、ついには落ち行く水柱よりも高くなった。

 風に流されて流動する霧は、まるで押し寄せる壁みたいで……だから、何かを思い出す。

 そうやって動きを止めたのが、逆に幸いしたのかもしれない。

 

「なっ!?」

「くっ!」

 

 高い位置の霧を突き破って飛び込んできた夕立改二が、海へと下り立つまでに射程内にいた川内と神通を撃ち抜いた。勢いに負けて転がる二人の服が損傷する。中破以上。

 夕立改二に頭上を飛び越えられた吹雪と夕立は、立ち上がろうとした姿勢のまま固まっていた。背中を見せる敵を攻撃する、なんて考えは頭に浮かんできすらしていないらしい。状況が理解でないのだろう。俺だってできてない。砲弾が飛んできたと思ったら、夕立改二まで飛んできた? ……意味がわからない。

 わからなくても時間は動く。夕立改二は、表情筋を少しも動かす事なく首を(めぐ)らせた。得物を求めているかのような動き。胸の内に芽吹いた恐怖心が、俺に状況への理解を促した。

 敵がきた。交戦しなければ。武器はある。でもまだ抜いてない。吹雪ならすでに持ってる。でも呆然としていてとても動ける状況じゃない。

 だったら、俺は?

 

「私の前を遮る愚か者め!」

『――――』

 

 ドォン、と腹に響く砲撃音があった。

 最も早く立ち直り、夕立改二の視界の外にいた叢雲が攻撃したのだ。敵の判断は迅速だった。ふっと力を抜くように――まるで風に揺れる枝葉のように――回避行動をとった。結果、直撃するはずだった砲弾は、彼女の肩を(かす)めるに(とど)まった。それでも、至近弾。ダメージは大きいはず。すぐには砲撃できない体勢で口を開閉させる夕立改二に、誰かがもう一度攻撃する事ができれば、撃破は容易いだろう。

 それをなそうとしたのは、やはりというか、叢雲だった。

 おそらく砲を構え、照準を合わせ、今度こそ倒そうと砲撃しようとしたのだろう。

 しかしそれは叶わなかった。

 三発目の砲弾が降ってきたのだ。叢雲の位置に、ピンポイントで。

 

「叢雲っ!」

 

 斜め後ろで起きた衝撃に踏ん張りながら、振り返って彼女の姿を探す。……いた! 水柱の影。身を投げ出して回避したのか、ごろごろと転がっている。服の損傷はない!

 

『――――』

 

 叢雲の無事を確認してほっとする俺は、不意に走った悪寒に、なりふり構わず前転した。頭上を通り過ぎた砲弾が海面を穿つ。立ち上がって即座に振り返り、魚雷発射管にかかった砲を引き抜こうとして――違う、砲ちゃんがいる、それで攻撃しなくちゃ!

 慌てて砲ちゃんを両手で構え、夕立改二に照準を合わせようと動かす。だが彼女は止まったままでいてくれたりなどしなかった。ぱくぱくと口を動かし、声なき声を発しながら、それでもなお何一つ感情の浮かばない顔で俺の狙いから逃れ、夕立と吹雪の方へ接近していった。

 さすがの二人も、敵が迫れば気を取り直す。夕立と吹雪が武器を構えるのは、敵が近付いてくるよりも早い。そして距離は近い。撃てば当たる!

 ――なんて、甘い話はなかった。そもそも夕立の速度に疑問を持つべきだったのだ。

 夕立に狙いを定める事に集中した二人の背後に、砲弾が落ちる。悲鳴と波がうわっと持ち上がると、直後に横殴りの雨が体を叩いた。敵を見失わないように、目に海水が当たる可能性を度外視して目を開けていた俺には、着弾の勢いと波に乗って、こちらに背を向けたまま迫ってくる夕立改二の姿が見えた。

 彼女が振り返ろうとするのが、ゆっくりとした視界の中に流れる。一滴一滴が空中に縫い止められたように動かない中で、夕立改二だけが緩やかに動き、俺へと向かってきていて……。

 

「はっ!」

 

 真横を通り抜けた砲弾が、夕立改二の髪を穿った。不意打ちに近い攻撃を、奴はまたしてもするりと避けたのだ。

 だが勢いは削がれた。砲弾の後を追うように飛び出した叢雲が、夕立改二に接近する。組み合うように腕をぶつけ合い、至近での砲撃戦を挑む叢雲に、援護するためか、体勢を立て直した川内と神通が加わった。さらに、沈んでいなかったらしい(かなり際どい格好になってはいるが)吹雪と夕立まで加わろうとしているのだから、もはや負けの要素はなかった。

 ……戦艦大和の存在さえなければ、だけど。

 どこにいるかわからないその敵が、夕立改二と叢雲……助けに入ろうとする川内と神通、ちょうどその中心に砲弾を叩き込んだ。

 豪雨のような水滴と嵐のような暴風に吹かれて、髪の毛がばさばさとはためく。

 ……見えた。弾道。どこから飛んで来たのか……捉えた!

 

「っ!」

 

 仲間の無事も確認せず、合図も声もなく、最大速度で離脱する。自分が何をするかを仲間に伝えなければならないなんて、今の俺の頭には無かった。ただただ、強敵を潰さなければと考えていた。

 最高速で駆ける。前だけを見て走る俺の両隣りに、連ちゃんと装ちゃんがくっついてきた。どちらも損傷なし。吹き飛ばされていた時、体操選手みたいな華麗な着水を見せてたもんね。わかってた。

 

 頭上を煽ぎ見れば、今まさに空高く飛んでくる砲弾の影が見えた。

 ……飛んでくる? って、あれ俺めがけて落ちてきてるじゃん!

 

「わわわっ!」

 

 大慌てて回避行動に移る。右へ、右へ。艤装が重いとはいえ、このスピードでは急に方向転換したら転んでしまいそうだ。なんて言ってる場合じゃないけど、でも転んだらお陀仏だし……うわ、落ちてきたっ!

 

『キュ~』

 

 豪快な音を立てて水柱がそびえたつ。波に乗ってぴょんと跳んだ装ちゃんが陽気な声を発した。

 着弾した。でもそれは、俺から十数メートル以上離れた場所に、だった。

 俺が回避行動をとり続けたからあんなに離れた場所に落ちたのではない。最初から狙いが甘かったみたいだ。

 あんな雑な砲撃なら、注意してれば怖くない!

 再び加速して真っ直ぐに走り出す。ジグザグに走って攪乱しようかとも思ったけど、それより一刻も早く戦艦大和の下まで辿り着く事が重要だと考えた。

 

「ん!」

 

 変わらない景色の中をびゅんびゅん飛ばして走る事数分。ようやっと、片腕を突き出して艤装を操っている戦艦大和の姿を視界に捉えた。

 都合二回の砲撃はてんで見当外れの位置に落ちてきていたから予想してたけど、こちらに顔を向ける戦艦大和……からはなんの意思も読み取れないけど、たぶん、俺達の姿が見えてて撃ってる訳じゃなかったんだと思う。

 最初の数発はともかく、その後の精密射撃は夕立改二が現れてからだったし、彼女はしきりに口を動かしていた。それは戦艦大和に俺達の詳しい位置を伝えるためのものだったのではないだろうか。

 もしそうだとしても、一歩間違えれば味方の砲撃で沈むかもしれないというのに、それを促す夕立改二は……それを運用している提督のいる鎮守府とは、とんでもなく恐ろしい場所のように思えた。

 

「敵艦、見ゆー!」

 

 初めて口にする言葉と共に突撃する。多少調子っぱずれでも構わない。戦艦大和の大きな体を見て身が竦むのを避けるために……勇気を振り絞るために声を出したのだから。

 光の無い瞳が俺を射抜く。その姿がどんどん近付いてくる。いや、俺が近付いて行っているのだ。彼女が動く気配はない。

 

 ――無理。

 

 これ以上は、無理!

 体を押し潰しそうな恐怖に襲われて、急ブレーキをかけてその場に止まる。反応が遅れて少し進んでからUターンしてきた連ちゃんと装ちゃんに、俺の足が弾いていた水飛沫が降りかかる。キュー、と鳴かれた。

 

 深海棲艦みたいに異形でもないのに、それに、喋っても、表情を動かしてもいないのに、どうしてか彼女から威圧感や何かを感じて、止まってしまった。

 それが吉か凶か……艤装を稼働させ、俺へと砲身の全てを向ける彼女の姿を見れば、答えは明白だった。

 砲ちゃんを放り投げる。優しくなんてしてる余裕はない。でも、無意識の内にそうしてしまったみたいで、近い位置に落ちた砲ちゃんが俺を見上げてきた。顎をしゃくって指示を出す。

 今からじゃ俺は逃げられないけど、でも、この子達を逃がす事はできる。この子達が無事なら、攻撃は続行できる! ……はず!

 それに俺だって、このまま黙ってやられる気はない。魚雷発射管にかかった12.7cm連装砲を手にする。朝潮型と同じ形状の物。

 全ての砲口から煙を上げる大和は、すぐには撃ってこなかった。今までぶっ続けで撃ち続けてきたなら、砲塔を冷やす時間か、次弾装填の時間が必要だろう。

 その間に攻撃する?

 ……いや、例え雷撃でも、彼女を無力化する事はできないだろう。小破か、あるいは中破には追い込めるかもしれないが……低い望みだし、それに、戦艦大和が最強と謳われた所以(ゆえん)は――少なくともゲームの中では――、たとえ中破に……大破に追い込まれても、高威力の砲弾を放ってくる事だ。駆逐艦の身では、その攻撃ですら危うい。一発大破もありうる。

 ……無力化されたらどうなるんだ?

 あの表情の浮かばない不気味な顔を見ていると、たとえ俺がボロボロになって動けなくなっても容赦なく砲口を突き付けてくる姿が容易に想像できて、こんな時だというのに体が震えた。

 

『――――』

「っ、くるか!」

 

 砲口から出ていた煙が薄れて来た時に、戦艦大和が口を開閉させた。合わせて、恐怖に打ち勝つために声を張り上げる。

 砲身が再度動き、微調整されて、俺に向け直された。俺が動かないと知って悠長に……でも、俺はやられるつもりはない。俺には秘策があった。

 ゆっくりと、砲を持ち上げる。狙いは、戦艦大和の……額。露出した頭を狙うのは定石だ。とはいっても、直撃したとして、防御を抜けるかどうかは賭けだけど。

 連装砲ちゃん達はとっくに大きく距離を取っている。さあ、後はあんたが撃つだけだ。

 

『――――』

 

 ぴく、と彼女の体が動いた。それが合図だった。

 幾度の砲撃が重なり合って一つの轟音となる。空気を震わせるそれらがまっすぐに迫ってくる時には、俺は既に斜め後ろへ跳んでいた。それも、ただ跳ぶだけじゃない。後を考えない、そのままでは仰向けに転がってしまう程の、無茶な身の投げ出し方。

 それが功を奏して、俺に当たるものは一つとしてなかった。代わりに、すぐ近くを砲弾が通り過ぎる。引き裂かれた風が俺の体にも衝撃を与える。左腕が意思に反してぐおんと動いて、でも、砲を持ち、伸ばした右腕は無事だった。

 ボオン! と直撃音。額を打ち抜かれた戦艦大和が顎を跳ね上げて僅かに仰け反る。それを見届ける前に、背中から海面に落ちて、艤装の軋む音を聞いた。体もただではすまない。骨がミシリとなる音が体の中に響いた。肉が引き攣る感覚も、それが引き起こす痛みもあって、だから、着水の衝撃で跳ね上がった海水が顔にかかった時に感じたのは、『冷たい』だった。

 体中が熱くなっている。緊張のために。流れ出た汗のために。鈍痛を訴える左腕のために。

 

「ふ、くっ……ふふ」

 

 倒されるのはてめぇだぜ……なんて。

 次々と海に突き刺さる砲弾の音がして、腕をついて身を起こそうとしていた俺は、背後から襲ってきた高い波にうっとなった。視界が目まぐるしく回転し、足がもつれて、だが転がってやり過ごす。一秒間目をきつくつぶって、次に開いた時には、もう視界は鮮明だった。

 右腕をついて跳ね起きる。戦いはまだ終わってない。あれだけで倒されてくれるだなんてさすがに思ってない。調子に乗って他人の台詞を言ったりしてみたけど、そうやって強がってないと、ほんとに怖くて、嫌になってしまいそうだった。

 

 彼女を見れば、未だに空を見上げ、胸を突き出すような体勢で止まっていた。それがまた恐怖を煽る。普通ならなんらかのアクションがあるはずなんだ。なのに彼女には何もない。怒りもしなければ痛がりもしない。何も言わない。

 黒煙が上っているのを見れば、多少なりともダメージは与えられたと考えられるんだけど……

 

『――――』

 

 艤装が擦れ合う音だけがして、彼女が体を戻した。やはりその顔にはなんの色も浮かんでいない。感情のない瞳が再び俺に向けられる。

 ……怯んじゃ駄目だ。気迫で負けるな!

 

「はぁああああ!」

 

 ただ口を開いて、吐く息に乗せて音を出す。

 叫び。意味のない声。

 自分を鼓舞するためだけのもの。

 額から煙を上げる彼女が、俺に腕を差し向けた。

 また砲撃するつもりなんだ。さっきと同じ手は……いけるか?

 わからない。今度は位置を調整されて撃たれるかもしれない。そもそも、目の前の海面に当てられただけで、たぶん俺はやられる。だったら回避行動を……だから、今からじゃ間に合わないんだってば!

 

「だったらっ!」

 

 乱暴に発射管に砲をかけ直す。その時間すら惜しい。手袋が少しずれるのも構わず、一歩踏み出し、高く飛ぶ。

 前方への跳躍。勢いなんてほとんどない。だから、キックは選択肢に入らない。

 やれるのは……!

 

「つあっ!」

 

 ふとももがお腹につくくらい右足を上げて、両手で支えて引き、足裏を空へと向ける。そのまま俺を見上げる戦艦大和の首筋へと、勢いを乗せた踵落としをぶつける。

 

『――――』

 

 声はなかった。

 ずしんと衝撃のほとんどが体に返ってきて、顔が歪む。痛い。打ち付けた足も、体の中も。

 でも、踵が……ヒレのような形の、夕張さんによって頑丈になったヒール部分が、戦艦大和の首に食い込んでいた。

 それでほんの少しだけ、彼女は膝を折っていた。

 俺程度の重さでは膝をつかせるまではいかなかったが、それなりの衝撃は与えられたらしい。

 

「とりゃーっ!」

 

 気合いを込め、首にかけている右足に力を込めて体を持ち上げようとし、同時に左足で彼女の胸を蹴りつける。硬い胸当ての感触。ガリ、とヒールで服越しの鉄を削りながら、思い切り蹴って宙返りし、離脱する。

 これで彼女の頭上に光のわっかでも現れて、爆発してくれたら万々歳なんだけ、どっ!?

 

「っ!」

 

 ドッ、と胸が潰れる感覚に視界がブラックアウトした。一瞬見えた、伸びてくる手の平。――掌底。

 

 ――力が強い戦艦の人なんかは、主砲を動かすよりも手を動かして応戦する方が速いって考えるみたいで。

 

 頭の中に夕張さんの声が響いた。

 ザザザ、と足が海面を抉る。どれほど上手く吹き飛ばされればそうなるのか、両足での着水に成功していた俺は、焦点があってすぐさま体中に力を込めて急停止した。

 

「ぐっ……けほっ」

 

 叩かれた胸を押さえてずきんと痛むのに咳き込む。

 ふと、パンツの紐が片方千切れているのに気付いて、愕然とした。

 それは俺のパンツがやられたからじゃない。たしかにパンツも大切だけど、そうじゃなくて、今の一発でどうやら中破辺りまで持っていかれた事に驚いたのだ。

 なんてパワー。これでこんなんじゃ、砲撃なんてまともにくらったらばらばらになってしまうのでは……。

 

『――――』

「はっ、はっ、は……!」

 

 荒い息を飲み込む。砲に手をかけ、再度構える。狙いは……同じ、額。

 今度は躊躇しなかった。待つ理由がないから、彼女めがけて砲撃した。

 

「あっ!?」

 

 でも、駄目だった。当たらなかったのだ。

 こんなに近くで、しっかり狙いも定めていたのに、撃つ瞬間、力をいれすぎていた腕がびくりと跳ねて、砲弾は明後日の方向に飛んでいった。

 

「まずっ……!」

 

 長く大きな砲身が向けられている。

 食らいたくない。あんなの、当たりたくない!

 咄嗟の判断で左に身を投げ出した。戦艦大和は、砲撃の直前に少しだけ身を捻って、俺が立っていた場所の隣――俺から見て右側――に攻撃していた。

 波に翻弄されながらも、俺は自分自身を称賛した。避ける前、俺の頭の中に自分が右側に回避する癖があるのが思い浮かんだ。だから左に跳ぶのを選択したのだけど、どうやら大正解だったらしい。さっきのカウンターを学習したのだろうか、俺の避ける場所を予測して撃った戦艦大和を前に、立ち上がるのにはそう苦労しなかった。

 体の事を考えない無茶な回避を繰り返していたから、どこもかしこもすっごく痛いんだけど、直撃を貰ってないだけましだ。

 僅かに腰を落とし、今度はしっかりと砲を構える。額じゃなくて体に、この際艤装でも良いから、当たってくれと願いながら砲撃する。

 

「うそっ」

 

 思わず声が漏れた。放たれた砲弾は、彼女のすぐ傍に着弾したものの、小さな水柱をたてるだけで、彼女にはなんの損害も与えられなかったのだ。その内に彼女も俺に向き直ってしまう。

 くそ、こうなれば……たぶん、今の体じゃ、この状態じゃできないかもしれないけど、あれ、やってみるしかないか!

 

「行こ、連装砲ちゃん!」

『キュー!』

 

 さっきは当たったのに、なんて愚痴を言っている場合ではない。

 彼女が攻撃してくる前に、遠巻きに眺めていた連装砲ちゃん達に声をかけ、全速力で戦艦大和の周囲を旋回してもらう。

 ぐるぐる、ぐるぐる、彼女を囲んで回る連装砲ちゃん達のスピードは徐々に上がっていく。この子達は俺について来れるスピードを持ってる。だから、こんな事もできるんだ!

 相変わらず無表情だが、どの連装砲ちゃんを狙っていいのか戸惑っているのだろう、戦艦大和は、体を捻って自らの周囲を回る者達に照準を合わせようとしている。

 撃つか。その距離で撃てば自分自身も体勢が崩れるのは免れないだろう。そうしたら俺は、12.7cm連装砲を乱射しながら魚雷で特攻するぞ。一発くらい当たるだろう、たぶん。

 しかし彼女は一向に撃つ気配はない。ずっと翻弄されている。少しずつ軸がぶれて、だんだん俺に対して横向きになり始めている。

 これはきっと、普通の艦娘相手には使えない手だ。相手が戦艦大和だからこそ……あれ? 何かおかしい。戦艦大和だから? ……?

 ……疑問は、今は置いておこう。今大切なのは、攻撃を加える事だ。

 この技を試す時がきた。連装砲ちゃん達との合体技。

 前へと進み、連装砲ちゃん達の合間を縫って戦艦大和の前に体を晒す。彼女はまだ連装砲ちゃんに翻弄されている。すぐこっちに対して構えるかと思ったけど、それなら、まあいい。

 俺も彼女に背中を向ける。右足を前に、左足を後ろにして腰を落とし、目の前をびゅんびゅんと過ぎ去っていく連装砲ちゃんを注視する。

 ……今!

 

「はっ!」

 

 一番体が大きい連ちゃんが俺の跳び出した先にちょうど来るタイミングで跳躍する。足から突っ込んでいって、連ちゃんが俺の前を通るその一瞬のみ、それを足場に変えて、跳ね返される勢いも含めて再度の跳躍。足を振り回し、爪先の向かう先を戦艦大和へと変えて突っ込む。

 彼女はすぐさま反応した。でかい艤装があるにも関わらず、その場で体を回転させ、俺に向き直ったのだ。両腕で俺の足をガードすると、そのまま掴みかかろうとしてくる。その手をかいくぐって腕を蹴りつけ、多少勢いを削がれながらも再び回る連装砲ちゃんの方へ跳ぶ。今度は装ちゃんを蹴りつけて反転。風を切り裂くキックで戦艦大和を捉えようとして――彼女が俺へ手を伸ばしているのが見えた。

 掴もうとしているのではない。その構えは、照準を合わせ、艤装に命令を下す時の……。

 鼓膜を震わせる爆発音に、俺の意識は一瞬で刈り取られた。

 

 

「あ、起きた?」

「……吹雪ちゃん?」

 

 俺が目を覚ましたのは、自室だった。

 覗き込んできていた吹雪がほっと息を吐くと、向こうのベッドに背を預けて何かの雑誌を読んでいた夕立が、「体は痛まないっぽい?」と首を傾げた。

 体……ああ、そっか。俺、やられたのか。

 傍にいた連装砲ちゃん達が心配そうに俺を覗き込んで、手で撫でてくるのに微笑みかける。

 身を起こすと、胸とお腹がきりりと痛んだ。……でも、予想していたほど大きな痛みじゃない。

 

「その様子なら大丈夫っぽい」

 

 きょとんとしてお腹を撫でていれば、雑誌を置いた夕立が歩み寄ってきた。

 

「あの後、演習はどうなったの?」

「通常運行っぽい」

「私達は、負けちゃったんだけどね……」

 

 そうか、普通に進んだのか。というか、やっぱり負けちゃったのか、俺達。

 

「夕立の改二は凄かったっぽい。最後は手にした魚雷どうしをぶつけて自爆して、それであたし達も大破させられちゃったっぽい」

「島風ちゃんが倒れちゃってたから、先に部屋に戻らせてもらったんだ。みんな心配してたよ?」

「それは……悪かったって伝えておくね」

 

 心配かけて。

 俺がそう言うと、吹雪は慌てた様子で「別に島風ちゃんが悪い訳じゃ」なんて言い始めた。いや、そういう意味で言ったんじゃなくて。

 ……ふう。ちょっと笑ってたら、痛みも引いてきた。そういえば、服、破けてたはずなのに、今は直ってる。吹雪か夕立が着替えさせてくれたのかな。叢雲の可能性は……ないない。

 どちらにせよ、なんか恥ずかしいなあ、もう。

 

「んーん、服は最初と同じだよ」

 

 恥ずかしいながらも聞かずにはいられなかったので、直球で聞いてみれば、吹雪は首を振って否定した。同じ? じゃあ、なんで直ってるんだろう。修復剤じゃあ服までは直らないはずだよね。

 

「そもそも修復剤が必要なほど怪我はしてなかったっぽい」

「……どういう事?」

「島風ちゃんは、演習が始まってから……正確には、海域に入ってから、妙な気分にならなかった?」

 

 不思議な事を言う夕立に話を聞けば、逆に問いかけられた。

 妙な気分……んー、空気がばちばちしてた時に、なんか心が浮ついていたような気がするけど……それが服となんの関係があるんだろう。

 

「演習の際に流れる特殊な電磁波には、二つの役割があるっぽい。一つは艦娘の姿を投射する板となる事……もう一つは、艦娘の心を揺らす事っぽい」

「艦娘の心を揺らす?」

「そう」

 

 うむ、と頷いた夕立は、こう続けた。

 演習中、艦娘が緊張感を得るために、些細な動揺を大きな動揺に、小さな緊張を体が強張るほどの緊張感に変えたり、相手の攻撃から痛みを得たり、攻撃を受ければ動揺したり、自分が損傷したと錯覚したりと、そういった様々な要素が付与されるらしい。

 

「島風ちゃん、これが演習だって忘れちゃわなかった?」

「相手に対して強い恐怖心を抱いたっぽい?」

「……それは、あったけど」

 

 二人が言うには、それが特殊な電磁波によるものなのだという。

 初めてこの方式の演習に挑む艦娘は、誰しも最初は俺のように強い影響を受けるらしい。服が破けたと錯覚するほどに。

 でも、俺の症状……といっていいのかわからないが、俺の体験は普通よりも少し強く影響を受けていたみたいで、さすがに初挑戦の艦娘だって気絶するほど緊張したり痛みを感じたりはしないらしいんだけど……それって、俺が軟弱だったからこうなったって事なのかな。

 だって、過度の緊張や恐怖が気絶をもたらしたっていう訳だし。

 

「怖いって思ったり、緊張したりするのは仕方ないと思うな。私も、初めての時はすっごく緊張してたから」

 

 あー、吹雪も、そうだったんだ。

 俺だけが特別弱虫じゃないってわかって安心したよ。……そんな安堵の仕方ってどうかとは思うけど。

 ……で、なんで夕立は顔を背けてるのかな?

 

「……夕立は、演習を楽しみにしてたから、最初から楽しくやってたっぽい」

「……そーなんだ」

「そうっぽい」

 

 ……そーなんだ。

 

「し、島風ちゃんだって、次からはもう大丈夫だよ! うん!」

「吹雪ちゃんにそれ言ってもらうと、すっごく安心する……もっと言ってー」

「ええっ? えーと……だ、大丈夫、だよ……?」

 

 うわ、すっごく自信なさげ。

 やっぱり自然の「大丈夫!」が一番か。

 

「今、何時?」

「三時っぽい。おやつ食べる?」

「それよりご飯食べたい。お昼食べ損ねちゃったんだなー」

「それじゃあ、間宮さんのところに行こっか」

「吹雪ちゃんのおごり?」

「……なんでそうなるのかな。……いいけど」

「あ、いいんだ」

 

 やったー、吹雪ちゃんのおごりだ。クリームソーダ五十杯食べよ。

 とか言ったらさすがの吹雪も怒りそうなので、逆におごってあげよう。

 ……いや、無理か。俺、一文無しだし。

 月始めにお小遣いが入るって聞いたけど、はやくこないかなあ、八月。そうしたら存分に吹雪にお返しできるのに。

 そんな事を考えつつ、彼女達に連れられて、間宮に向かった。

 

 起き抜けのクリームソーダは最高でした。

 

「そういえば、叢雲さんが島風ちゃんとお話したいって言ってたっぽい」

 

 ……それを聞かなければ、ほんとに最高だったかもしれないんだけどな……。





ブレイブショット
(砲撃)

ハイパーラダーヒール
(踵落とし)

ハイスピードロップ
(未完成)


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第二十五話 艦娘の戦う理由とはなにか

「アンタはなんのために戦っているの?」

 

 午後。

 甘味処間宮から戻る際、連装砲ちゃんにもアイスやモナカを食べさせてあげたくて、でもアレルギーとかあったら困るな、なんて思って、間宮に質問しにいった。『さすがにわからない』と申し訳なさそうにされた。……そりゃそうか。

 連装砲ちゃんには食事は我慢してもらう事にした。

 

 吹雪と夕立には先に戻ってもらっていたから、少し急ぎ足で部屋に向かう。

 アレルギーになるものとそうでないものってのは誰に聞けばわかるだろうか、と質問する相手を頭の中に思い浮かべながら寮への砂利道を行く。

 叢雲と擦れ違ったのは、そのすぐ後だった。

 

 最初、彼女は横目でちらりと俺を見ただけで、そのまま通り過ぎようとしていた。

 叢雲は俺と話したがっていた、と夕立が言っていたけど、そんな様子は微塵もなくて、だから、それは勘違いか何かだったんだろうな、なんて思いながら、腕に抱いた砲ちゃんを持ち直しつつ前を見て――呼び止められた。

 振り返れば、まっすぐ俺を射抜く叢雲の瞳があった。

 話したい事、というのを今から話すのだろうと直感した。体ごと向き直ると、叢雲は一度余所に目をやってから、再び俺の顔を見て……そして、そう言ったのだ。

 俺はなんのために戦っているのか。

 

「えーっと……」

 

 睨むような目つき。

 俺と向き合ってただ立つだけの叢雲が、どういう意図でその質問をしたのかわからなかった。

 ついでに言えば、いきなりそんな事を聞かれても、そんなの考えた事もなかったから、困ってしまった。

 

「人間を守るために……では、ないの?」

 

 だから、口に出したのは、漠然と抱く艦娘の戦う理由だった。

 叢雲の目がすっと細められた。

 

「ああ、そう。……やっぱりそうなのね、アンタ」

「……あの、私、何か間違った事言ったかな……?」

 

 何かを納得したかのように呟いた叢雲に、よくわからないけど、自分が彼女の望まない言葉を選んでしまったのだとわかって、問いかけた。それが彼女の機嫌をさらに損ねる質問だとは思わずに。

 

「……もういいわ。行きなさい」

「…………わかりました」

 

 これ以上話す気はない、と言外に言った叢雲に、その怒りの理由もわからないまま、砕けた口調を正してから、その場を後にした。

 寮に入っても、叢雲の言葉の意味も、なぜ怒ったのかも、全然思いつかなくて、釈然としないまま部屋に戻る。

 

「あ、お帰り島風ちゃん」

「さっき叢雲さんが帰ってきてたっぽい」

「ただいま。外で会って、ちょっとだけ話したよ」

 

 内容はよくわからないものだったけど。

 口には出さずにそうつけ加えると、何かあったっぽい? と夕立が察しの良さをみせた。

 ……あ、そうだ。二人に叢雲のしてきた質問をすれば、俺の答えがどう間違っていたかわかるかも。

 

「ねね、吹雪ちゃんと夕立ちゃんは、なんで戦ってるの?」

「……? なんでって、えーと」

「急な質問っぽい。……叢雲さんとのお話はそれ?」

 

 唇に指を当てて「うーん」と考え込む吹雪に、包み菓子をテーブルに転がしてつっつきながら、夕立。

 そう、と答えれば、二人もそれぞれ答えてくれた。

 

「私は、司令官や、ここのみんなのため……かな。私を拾ってくれた司令官のために、それから、一緒に過ごすみんなのために、戦ってる」

「あたしも提督さんやみんなのために戦ってるっぽい。戦って戦って、はやく改二になるためでもあるっぽい」

 

 二人の戦う理由は、およそ同じようなものだった。

 俺が叢雲に答えた事と、そう変わりない内容。

 

「……私も、似たような言葉を叢雲さんに言ったんだけど……なんか、怒らせちゃったみたい」

 

 怒らせた、と言った時の二人の顔は、なんとも微妙だった。

 怒らせちゃったんだー、とでも言いたげな感じ。

 

「島風ちゃんはなんて答えたの?」

「人間を守るためだ、って」

「……? 立派な理由っぽい。なんで叢雲さんが怒ったのか、夕立にもわからないっぽーい」

 

 ぽーい、とお手上げしながら放り投げた小さなチョコを額で受け止める夕立。口で受け止めようとして失敗したんだな。カーペットに落ちそうになったチョコは、たまたま落下地点にいた装ちゃんの手によって救われた。ありがとう装ちゃん。君の勇姿は忘れない。

 

「きっと何か理由があるんだよ。叢雲ちゃんだって、何もなくて怒ったりなんか……しないよ?」

 

 吹雪がフォローする。叢雲に対して悪い気持ちを抱いてほしくないのだろう。

 ……自分の言葉を自分で疑ってない?

 でも、理由かー……理由なあ。

 思いつかない。全然。俺もお手上げだ。

 

「人間を守るのが艦娘の使命じゃないのかなあ……」

「……あっ」

 

 俺の前、テーブルの上に置かれた小さなチョコを見下ろして呟くと、吹雪が何かに気付いたように声をあげた。

 理由、わかったのかな。期待して見上げれば、吹雪はその期待通り、笑顔で口を開いた。

 

「叢雲ちゃんが怒ったのって、きっとしまむぅ!?」

「そこまで! っぽい」

 

 理由を教えてくれようとした吹雪の口を、夕立が塞いだ。早業だった。横合いから伸びてきた手に握られたチョコが吹雪の口に放り込まれて、吹雪は途中で口を閉じざるを得なくなったのだ。

 

「もぐぐ……」

「って、夕立ちゃん、どうして止めるの?」

「うーん、何を言っても、きっと島風ちゃんのためにはならないっぽい」

「私のためにならない、って……何が?」

「島風ちゃんには悪いけど、あたしと吹雪ちゃんは少しおでかけするっぽい!」

「もぐもぐ……もっ!?」

 

 口元に手を当ててもぐもぐやっていた吹雪の襟首を掴んだ夕立は、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。残されたのは、俺と連装砲ちゃん達だけ。

 

「……なんなんだよ」

 

 ぽつりと愚痴を零すと、寄り添ってきた三匹がぺちぺちと手で叩いて慰めてくれた。

 

 

 提督にお呼ばれした俺は、ひたすら折っていた包み紙を紙飛行機に変え、自分のベッドめがけて放ってから、助秘書の加賀に連れられて本棟の執務室へとやってきた。机に肘を置いて手を組む提督と、定位置で画板を抱えている電。見慣れてきた風景に、加賀が加わる。

 

「急に呼び出してすまなかったな。今朝の演習の件で君を呼んだんだ」

「構いません。……何か、やりました? 私」

 

 演習の件、と言われてまっさきに思い浮かんだのが、大和の姿と、飛来する砲弾と、暗転する視界だった。あそこで気絶した俺への叱責でもあるのかと身構えてしまったが、提督は軽く手を上げて「そうではない」とすっぱり切り捨てた。

 

「君は単身、初期位置にいた大和の下まで駆け、交戦したとなっているが……これに間違いはないか?」

「……ありません。たしかに戦艦大和と戦って負けました」

 

 机の上の書類は報告書か何かだろうか、それを指で叩いて問いかけてきた提督に答えれば、ふむ、と難しい顔。

 ……独断で動いた事への叱責……いや、怒ってる訳じゃないんだっけ。

 じゃあなんだろう。……考えてみても、やっぱり悪い事しか思い浮かばなくて、参ってしまった。

 その答えは、提督から出された。

 

「君の速度は知っているが……些か速すぎるんだ」

「速すぎる、ですか? それは、私は速いですけど……いけませんか?」

「いや、よくないって言うんじゃないんだ。ただ、気にかかっただけで」

 

 すっと姿勢を正した提督が、「だから正しく計測したいと思い、君を呼んだ」と話した。

 この後俺に用事がないなら、早速計ってほしいと頼まれたので、了承した。断る理由はないし、それに、速さを計るって事は走るって事だろうから、悩みごとの解決のためにも思いっきり走りたかった。

 ……走ると考え事が捗るんだよね。

 

「詳しい話は計測が終わった後に、加賀からさせよう。加賀、頼んだ」

「わかったわ」

 

 控え目に頷いた加賀に促され、退室する。

 傍をちょこちょこと歩いて付いてくる連ちゃんと装ちゃんを眺めつつ、叢雲が怒った理由を考え、しかしもやもやが頭の中に充満するだけで明確な言葉が何も浮かんでこない事に困っていると、前を行く加賀さんがちらちらと俺を見ている事に気がついた。

 連装砲ちゃんが気になるのだろうか。それとも、俺自身に何か用かな、と当たりをつけつつ彼女の顔を見上げれば、少しの間目を合わせてきた。

 歩いている関係上、彼女はすぐ視線を前へ向き直したけど、なんとなく俺に聞きたい事があるんだろうな、と思った。

 いや、そうじゃなきゃこう何度もチラ見してこないか。

 

「どうしたんですか?」

「……いえ」

 

 声をかければ、逡巡するような間を置いてから、静かな返答。

 言い辛い事か、言いたくない事か、今はなすべきではない事か。

 なんだろなーと見続けていれば、加賀は前を向いたまま話しかけてきた。

 

「何か悩みごと?」

「えっ……あ、はい」

 

 どきっとした。

 だって、何も喋ってない、あまり親しくない相手だというのに、見透かされてしまったから。

 俺ってそんなに顔に出やすいのだろうか。それとも、加賀の察しが良いだけ?

 

「戦う理由について、少し」

「……それは悩むようなものなのかしら」

 

 立ち止まらず、顔だけ振り返ってそう言った加賀は、声音は平坦だけど、心底俺の悩みを不思議に思っているようだった。

 廊下の終わりの扉をくぐり、階段を下りる。カツカツと響く靴の音。加賀はもう、階下を見ている。返す言葉を探している内に、どうやら返事のタイミングを逃してしまったみたいだ。

 だからといって俺の悩みが消える訳ではない。少しでも多くヒントが欲しくて、本棟から出る際に、彼女の戦う理由を聞く事にした。

 

「加賀さんは、どうして戦っているのですか?」

「国のためよ」

 

 一秒もなく返された。短くも迷いのない言葉。だけど少し間を置いて、誰かのためでもあるわ、と小さくつけ加えられた。そっちはどこか揺れ動く意思のようなものが感じられて、だから、何か具体的な事が俺の頭にも浮かんできそうだったけど、砂利道を歩いていると、その振動がだんだんと形になりそうだった何かを薄れさせてしまって、結局答えは得られなかった。

 

 

「はーい、お待たせ? 加賀さんと……島風ちゃん? どうしたの?」

「提督からの指示よ。この子のデータを取れ、と」

 

 夕張さんの工廠へやってくると、加賀は近くにいた作業着妖精さんに夕張さんを呼びに行かせた。小走りでやってきた夕張さんは、本腰をいれて何かに取り組んでいたのか緑色の作業着姿だった。所々黒く汚れていて、何を弄っていたのだろうと想像を働かせてしまう。……ルービックキューブ的な物しか思い浮かばなかった。

 

「了解。私の得意分野よ、任せて!」

 

 ドンと胸を叩いた夕張さんは、手にしていたレンチがちょうど体の真ん中の線――人体の急所に上手い事当たったらしく、うっと息を詰まらせて顔を青くした。……痛そう。

 

「じゅ、準備してくるから、ま、待ってて……」

「そう」

 

 やや前かがみになって胸を押さえた夕張さんが緩慢な動作で工廠の奥に戻っていくのを、加賀は無感動に見送った。心配とか欠片もしてなさそう。そんなものなのかな。

 ややあって、見慣れたヘソだしルックに着替えた夕張さんが、艤装を身に着けてやってきた。手には、分厚い手帳みたいな機械の端末。あれで俺のスピードを計測するのだろうか。そういえば、どこで計るんだろう。この鎮守府にグラウンドはなかったはずだから、体育館か……ここら辺で?

 と思っていたら、海に出る事になった。C海域。

 

「これから島風ちゃんには、ここから1km先の目印がある所まで走ってもらうわ」

「わかりました」

 

 端末を操作しながら説明した夕張さんが――端末から照射された光が四角い板を作り出し、文字や絵を浮かび上がらせていた――、どこか不調が出たら妖精さんに言って、とつけ加えた。夕張さんの手元に描かれた青白い光に指が走ると、アナウンスが流れて、そうすると、鎮守府の方から小さなお船が走ってきた。

 

『待たせたな』

 

 おお、その声(?)は……リーダー妖精さんと愉快な仲間達か。

 俺のために来てくれたのかな?

 

『暇してた』

 

 ……ああ、そう。

 お船の後方に繋げられたブイが、お船が波を割いて進んでいくと通り道のようにぽこぽこ伸びていくのを見送っていると、じゃあ始めるけど、準備は良ーい? と夕張さん。

 大丈夫です。いつでも万全です。頭の中以外は。

 走ればすっきりするだろうから、計測が終わった頃には身も心も万全になってるだろう。

 あ、そうだ。

 

「夕張さん」

「はいはい、なあに?」

 

 端末を俺に向けてマーカーがどうのこうのとアナウンス音声を鳴らしていた夕張さんに、彼女が戦う理由を聞いてみた。不思議そうに目を瞬かせた夕張さんは、んー、と空を見上げて、

 

「……空を泣かせないため?」

「……ロマンチック?」

「あはは。ちょっと大袈裟すぎたわね、うん。この日常を壊さないために戦ってるのよ」

 

 照れ混じりの笑みを浮かべた夕張さんは、それを誤魔化すように、ブイの横に立つよう俺を促した。

 

「好きなタイミングで走り出して良いわ。ただし、走る直前に必ず声を発してね」

「……? では、いきます!」

 

 声を発しろという意味がよくわからなかったが、一言断ってから走り出した。文字通り、海面を蹴って急加速し、ばしゃばしゃと水を蹴飛ばして駆ける。

 走っていると、悩みについて考える前に、さっきの夕張さんの言葉の意味が分かった。

 きっとストップウォッチだかのスイッチを入れるタイミングをはかるために俺の声が必要だったのだろう。

 それと、この計測……砲ちゃんを抱えたまま行って良かったのだろうか?

 腕の中で大人しくしている砲ちゃんは、それなりに重い。ずっしりしてる。これを持って千メートルも走るとなると、多少どころではないタイムの差が出てくると思うんだけど……。

 それに、後ろについてきている連ちゃんと装ちゃんのタイムとかも計られているのだろうか。

 なんてつらつら考えながら走っていれば、ゴールのブイが見えてきた。ここまでの道を示していたブイとは色違いの赤いブイ。傍にお船がいる。

 ゴールテープを幻視しつつ走り抜けて、少しずつスピードを落としていく。ふー、と息を吐き出し、肺の中の空気を忙しなく入れ替える。ちょっとお腹が(あたた)まったな。でも、まだまだ走れそう。

 数秒遅れて連ちゃん装ちゃんもゴールした。ぴこぴこ手を振って褒めてオーラを出していたので、頑張ったねーと頭を撫でておく。愛犬家になった気分。腕の中の砲ちゃんもキューと鳴いて撫でてと抗議してきたので、こっちもよしよししておく。

 

『戻りましょ』

 

 妖精さんがお船の中から意思を飛ばしてくるのに頷いて返す。

 これで計測は終わりなのかな。案外時間がかからなかった。

 緩やかに走って夕張さんと加賀の下に戻れば、端末を弄っていた夕張さんが「速かったわね」と言った。

 

「スピードには自信がありますから。何秒でした?」

「一分切ってるわね。えーと……」

 

 驚き……でもないか、1㎞走でかなりのタイムを叩き出したみたい。

 秒数を教えてもらったけど、昔の俺の1500m走のタイムと比べれば、その速さは一目瞭然だった。

 それだけでなく、このタイムは今のところどの鎮守府の島風よりも速いのだという。

 

「時速44ノット、といったところかしら。誤差とはとても言えないわね」

「何か問題があっあんですか?」

「うーん、問題というか……島風の平均的な速度は約41ノットなのよ」

「……?」

「改になった高練度の島風だというならこの数字も納得できるんだけど……島風ちゃんはまだ未改造よね?」

「はい。まだ、その……発生したてのぺーぺー、ですから」

 

 新人である事をアピールすると、夕張さんはなおもううむと唸って、端末とにらめっこしだした。

 

「結果が出たのね」

 

 今まで黙りこくっていた加賀が急に話しかけてきたので、びくっと肩が跳ねてしまった。今の、俺と夕張さんのどっちに話しかけたのだろう。夕張さんは反応せず端末から出る光の板を見つめているから、きっと俺なんだろう。

 

「平均よりも高い値が出た場合、提督はあなたの練度を集中的に高め、改にしたいと言っていたわ」

「改……ですか? でも、私、まだ……」

 

 淡々と語られたのは、俺の改造計画だった。そんな事を急に言われても、反応に困ってしまう。

 改造って、なんか危険な香りがするし、そもそも俺、レベルに直せば五にもなってないと思うんだけど……。

 

「提督はあなたを戦力として見ているの。期待に応えるか応えないかは、あなた次第(しだい)

「は、はい……」

 

 う、なんか急に肩が重く……。

 戦力として見られてるだなんて言われると、緊張しちゃうなぁ。

 

「……そう硬くなるほどの事でもないわ。無理はさせられないはずよ」

 

 俯きがちになった俺を心配でもしてくれたのか、加賀はそうつけ加えた。相変わらず平坦な声だけど、気遣ってくれたのだろう事は、なんとなく察せた。

 ……あ!

 あ、ひょっとして、赤城さんが言っていた『クールだけど誰よりも熱い心を持つ人』って……吹雪が俺に聞かせたかった事を言った人って、もしかして加賀……さん?

 

「……? 何かしら」

 

 じーっと加賀さんの顔を見ていれば、最初俺の言葉を待っていたらしい彼女は、やがて眉をひそめてぺたぺたと頬に触れた。あ、なんか、雰囲気が和らいだような……認識の違いかな。

 

「考えててもしょうがないか!」

 

 加賀さんに少し親しみを感じていると、夕張さんが声をあげた。端末を操作して光を消し去ると、それを艤装と腰の間にしまい、俺達に向き直る。

 

「これで計測はおしまい。お疲れ様」

「お疲れ様です。ありがとうございました」

「私は帰って報告書を作るから……あなた達はどうするの?」

「計測の結果を先に提督に伝えるわ。……あなたはもう自由にして良い」

「わかりました」

 

 加賀さんの言葉は、前半が夕張さんに、後半が俺に向けられたものだ。

 これでほんとにおしまいらしい。もっといろいろやるのかと思っていたけど、そうでなかったから、ちょびっと拍子抜け。

 夕張さんの工廠の前に戻り、そのまま加賀さんとも別れる。寮に戻る道を歩きつつ、この後はどうしようか、と考えた。

 部屋に戻っても吹雪と夕立はいないだろうし、ごろごろしてたって答えは見つかりそうもない。いっそ知り合いや他の艦娘にも、どうして戦うのかを聞いてみようかな。

 ……朝潮の戦う理由も聞いてみたい。「司令官のためです」とすぐに答えてくれそうだけど。

 とりあえず、寮や本棟を歩き回って、見かけた艦娘に片っ端から……あー、いや、話しかけやすそうなら、聞いてみようかな。顔見せにもなるし、うん、良い案だ。

 

「戦う理由か。世のため人のため、だな。前は違う事を考えていた気もするが……今は、これだ」

 

 艦娘寮敷地内で会った日向。

 

「この戦争を終わらせるためだ」

 

 駆逐寮内で会った長月。

 

「勝利を司令官に、そして姉妹達に届けるためだ。……何かおかしいか」

 

 長月の隣にいた菊月。

 

「平和を取り戻すため、と考えているけどぉ~……ふふっ」

 

 同じく駆逐寮内で見かけた荒潮。

 

「そんなの決まってるでしょ。深海棲艦を滅ぼすためよ」

 

 荒潮と一緒にいた満潮が、聞いてもないのに答えてくれた。

 ……ちょっと怖かった。

 

「そりゃーキミ、勝つためやろ」

 

 艦娘寮敷地前の砂利道で擦れ違った龍驤。

 

「みんなのために……それに、綾波自身のために」

 

 本棟の階段の踊り場で掲示板を眺めていた綾波。

 

「司令官のために……なーんてね。みんなのためよ」

 

 三階への階段を上がっている際に会った如月。

 

「新入りさんを守るためって言ったら、嬉しい? そういう喜びを守るためでち」

 

 三階の廊下、一つの扉から出てきたでっち先輩。

 

「……電は、みんなの笑顔のために戦っているのです」

 

 でっち先輩に連れられて再びやってきた執務室にて、提督にこれからの演習の事や、本格的に第十七艦隊を運用し始める事などを話した後、退室前に、電。

 

 誰しもがそれぞれ戦う理由を持っている。

 でも、それは俺も同じのはず。だから、なぜ叢雲が怒ったのか、ますますわからなくなってしまった。

 ひょっとしてあれは怒っていた訳じゃなかったかもしれない、とも考えたけど、それはちょっと無理がある。不快そうにしていたし。ではなぜ怒っていたのか。俺の発言が彼女の意に沿うものではなかったから、というのはわかるけど……じゃあなんて答えれば良かったんだろう。

 

「新入りさんは、自分が戦う理由を探しているでち?」

「……そう、なんでしょうか。よくわかりません」

「新入りさんは、変わってるでち」

 

 変わってる、と言われて、思わずでっち先輩の顔を見たけど、彼女は特別俺を(けな)したりだとか、そういう意図があって言った訳ではなさそうだった。感じたままを口にしただけ、といったような表情。

 俺がこうして悩んでいる事を不思議がってもいるようだった。

 俺には、みんながみんな戦う理由を持ってる事が不思議なんだけど……でも、考えてみれば当然か。何も考えずに戦争に身を投じる人なんていないだろうし。

 そう考えてしまうのは、俺が……普通の艦娘ではないから、なのかな。

 ……朝潮の話も聞きたいなあ。きっと答えは想像通りだろうけど、それでも、彼女の顔を見て、彼女の声で直接伝えられたい。そうすれば、何か答えが得られるんじゃないかって気がするんだ。

 そんな風に思っていたからだろうか。

 朝潮と会えた。でもそれは、望んだような形で、ではなかった。

 階段を下りていると、由良水雷戦隊が上ってきていたのだ。みんな大なり小なり損傷していた。当然、朝潮も服が破れ、肌を覗かせていて……だから、一瞬頭の中が真っ白になって、気がつけば彼女に駆け寄り、その手を取っていた。

 

「朝潮、大丈夫!?」

「は、はい。私は大丈夫です」

 

 ころころと転がり落ちた砲ちゃんが両手を上げて着地した。

 周りの目なんか気にせず、彼女の状態を確認する。肌に傷はない。服の損傷具合からして大破までいってしまっているみたいだけど、生体フィールドが彼女の体を守ってくれたみたい。

 ほっとして朝潮の顔を見上げれば、彼女は心配そうに俺を見ていた。それで、自分がかなり無遠慮に彼女の体を見ていた事を思い出して、慌てて手を離した。顔に血が上るのがわかる。あ、あ、なんか、すっごく恥ずかしいんだけど……。

 

「ご、ごめんね。朝潮が怪我してるみたいだったから、びっくりしちゃって」

「お気遣い感謝します。艤装は損傷してしまいましたが……怪我などは」

 

 して、ないんだね。良かった。

 再度息を吐く。朝潮は、真面目な顔をして俺を見上げて、どうしたのですか、と静かに問いかけてきた。

 ……たまたまここでこうして出会ったから、駆け寄っただけ。……それだけ。

 ほんとは、聞きたい事があったような気がするけど……無事を確認したら、忘れちゃった。

 ……でも、言いたい事は、できたかな。

 

「ねえ、朝潮」

「……なんですか?」

 

 もう一度手を取ると、彼女は目を瞬かせて、問い返してきた。

 

「私、朝潮のために戦う」

「私の……ために、ですか……?」

「うん、今決めた」

 

 俺の言葉をいまいち理解できていない様子の朝潮。

 それでも、構わない。

 やっとわかった。

 朝潮を……艦娘を、みんなを守るために戦う。それがシマカゼのやりたい事。シマカゼはそのために戦う。いつもみんなと笑い合えるように、そうすれば、私の居場所はそこにあるって、わかったんだ。

 

「なんかよくわかんねーけど、良い話?」

「なんか、素敵だねー」

 

 俺が朝潮を止めてしまったために、一緒に足を止めていた深雪と五月雨が、俺達を見ながらそう言った。由良も、何も言わないけど、俺達を見ている。

 ……三人にも、戦う理由は、当たり前のようにあるんだろうな。

 艦娘なら誰でも持っている、理由。

 俺にはそれがないらしいってわかった。だからさっき、ちょっと不安になった。

 俺は艦娘であって艦娘でなく、人であって人でない。

 艦娘でありながらも……やっぱり人間として生きたい。

 艦娘が人のために戦う存在なら、人間である自分は、艦娘としての力を使って艦娘のために戦おうって、そう思った。

 ……傲慢かもしれないし、まだまだ全然、力も足りてないけど……決意すれば、自分のやるべき事だって見えてくる。

 朝潮の手を離し、すっと壁際に寄る。

 

「止めてしまってすみません。ありがとうございました」

「ううん、大丈夫。伝えたい気持ちは、全部伝えられた?」

「はい」

 

 優しい笑みを浮かべた由良に、力強く頷いて返す。

 提督への報告のためか、三階へ上っていく四人を見送った俺は、砲ちゃんを拾い上げてから、飛ぶように階段を駆け下りて外に出た。

 向かう先は、港。叢雲のいるであろう、海に近いあの足場。

 もしかしたらいないかも、なんて事は今の俺の頭にはなくて、実際、その場所に着いた時、叢雲は私服姿で海を眺めていた。

 

「叢雲!」

「……何?」

 

 ばっと飛び降りて、勢いあまって海の上に出る。ばしゃりと海面を蹴りつけ、足場の上に戻ると、叢雲は鬱陶しげに俺を見た。

 

「私の戦う理由、見つかったんだ」

「だからどうしたっていうのよ」

「謝りたいんだ。怒らせちゃったから」

 

 腰に手を当てて睨みつけてきた叢雲に、ごめんねを言う。

 わかったんだ。彼女が怒った理由。俺の言葉の何がおかしかったのか。

 自分の考えではなく、そういうものだからそうしている、という答えだったから、彼女の怒りを買ったのだろう。

 だから見つけた。なんのために戦うのか。自分の考えを。

 この島風も含めた、艦娘すべてを守るために戦う。そう決めたんだ。

 一瞬頭に浮かんだ朝潮の――姉さんの笑顔が、じんと胸を熱くさせる。

 

「……そう。ま、せいぜい頑張りなさい」

「うん。……ありがとう」

 

 顔を背けた叢雲からは、もう怒りや何かは感じられなかった。

 俺は彼女に感謝の言葉を投げかけた。

 だって、叢雲がそういう風に問いかけてくれなければ、きっと俺は、漠然と戦う理由を持つだけで、ちゃんと考える事もせず戦っていただろうから。

 それじゃ駄目なのだろう。

 よくわからないけど、そう思った。

 

「あ、でも、わからない事があるんだけど……」

 

 砲ちゃんを抱え直しながら、もう一つ、考えてもわからなかった事を聞いてみる。

 叢雲は、何も言わないながらも、俺へと目を寄越した。

 

「なんで私がそうだってわかったの?」

 

 俺がそういった、戦う理由を持たない奴だって、どうして叢雲がわかったのか、その理由が見つからなかった。

 思想だとか、そういう事は口にした事はないはずだし、そもそも叢雲とはあまり顔を合わせてないのに、なんでわかったんだろう。

 

「勘よ」

「……缶?」

「わざと言ってる?」

 

 あ、いえ、まあ。

 拍子抜けするほどあっさり、理由が判明した。でも、それはなんというか、ちゃんとした理由ではなかったから。

 いや、勘がちゃんとしてない理由だって訳じゃなくて。

 でも、求めていた答えとは違ったというか……。

 ああ、自分でも何考えてんのかわかんなくなってきた。

 

「……隣、いていい?」

「ご自由に」

 

 だから、叢雲の隣でゆっくり考える事にした。

 彼女への苦手意識は、なぜだかかなり薄れてきたみたいだし……せっかくだから、この機会に彼女と仲良くなってしまおうかな、なんて考えて、ふと、そういえば叢雲の戦う理由ってなんだろう、と気になった。

 

「……仲間を失わないためよ」

「そっか。そうなんだ……なんか、優しい理由だね」

「何がよ」

「なんでも」

 

 少しの間迷った素振りを見せた叢雲は、結局理由を話してくれた。俺に言わせたのに、自分が言わないのはフェアじゃないと思ったのだろうか。彼女の心を読める訳ではないからその理由はわからなかったが、少なくとも、彼女の戦う理由はわかった。

 失わないため、は言い換えれば守るため。叢雲の仲間といえば、最初に思い浮かぶのが、ルームメイトの吹雪と夕立だ。きっと叢雲は、彼女達や、この鎮守府のみんなのために戦っているのだろう。

 それが優しいと感じられた。

 なぜかはわからないけど……頬を朱に染めて腕を組み、ずっと遠くの水平線を眺める彼女の横顔を見れば、理由なんてどうでもよくなってしまった。

 

 俺は、強くなる。その素質もあるみたいだし、提督も、そのための場を提供してくれると言った。

 だから、誰かが決して沈まないように……朝潮や、吹雪や夕立や、叢雲や……みんなが傷つかないように、今よりずっと強くなって、みんなを守るために戦いたい。

 よし、やる気出てきた。今日も明日も頑張るぞ! っと。

 

 ぺちんと片手で頬を叩いてみたけど、ふと嫌な事を思い出してしまった。

 ……あー、頑張る前に……砲撃の腕をなんとかしないといけない。

 気合いが入ったはいいものの、大きな壁が目の前にある事を思うと、しおしおと気力が萎えてしまった。

 改になったら射撃の腕とか上がんないかな。

 ……無理か。

 地道にがんばろ、と決意した俺は、壁に背を預けて、水平線を眺めた。

 いつかそこに勝利を刻めるといいな、なんて考えながら。



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第二十六話 シマカゼ改

 最近同じ夢ばかり見る。

 暗闇の中、ただ何もせずに立っているだけの、退屈な夢。

 自分が立つ周りだけがほんのりと明るく、暗がりと明かりの境目に浮かぶ島風がこちらを見つめてきてて……でも、何か話しかけてきたりはしない。

 退屈に負けてそこから移動しようとすると、ぬっと伸びてきた手に腕を掴まれて止められる。

 その場に(とど)まれば手が離れ、彼女を見やれば、じーっと見つめ返される。

 

 まるで監視されてるみたいだ……なんて、起き抜けのぼやけた頭でよく考えた。

 

 

 俺が他の島風より平均的な能力が上回っている事が判明してから十数日。夏真っ盛りで、強い日差しが鎮守府にも海にも降り注いでいる。

 あの日からたびたび提督の指示で、夕張さん監督の(もと)に何度か計測を行った。速度だけでなく、パワー、反射速度、判断力……。そういった様々な事が順次試されていったのだけど、なんというか、結果は微妙なものだった。

 たしかに力や速度は無印どころか、改の島風をも上回っているところがあるらしい。でも、他の能力は新人そのもの……練度の高い島風とサシでやりあったら、負けると断言できるくらいには。

 戦場での判断力観察力は、演習や実戦で培わなければ高まらないようだ。

 だから提督は、俺を含め、第十七艦隊の新人駆逐艦、吹雪と夕立と共に、攻略済みの比較的近海での実戦投入を決断した。

 まあ、そんな大袈裟なものではなくて、普通に駆逐イ級や軽巡ト級やらをぼこぼこにして、時々流れてくるようになった潜水艦をきゅっと絞めるだけのお仕事。

 もちろん海に出るのは俺達駆逐艦だけでなく、川内先輩と神通先輩も一緒に来てくれるのだから、怪我をするのも稀だった。今日までに二十一回の出撃をしているけど、一番の損害は俺の小破だった。

 背に備え付けた爆雷を用いたフルパワーキックを放った際の怪我。厳密にいえば、敵からの損害はない事になる。……無茶するなって、みんなに怒られたけど。

 その場では反省して、もう危ない事はせず、真面目に砲雷撃の練習をしようと誓ったけれど、鎮守府に戻って、夜、布団に潜り込んだ頃には、次はどんな必殺キックをしようかと考えていた。

 ……要するに、俺はそういう人間だったのだ……なんて。

 近接格闘のみで戦うしかない事は、何度も一緒に出撃する内にみんなわかってくれたし、俺がキックで敵を仕留めてVサインやサムズアップをすれば、それぞれ同じように返してくれた。

 そんな風にしてると、朝潮と一緒にあの孤島で過ごしていた日々を思い出す。

 たった数日間、でも、俺にとっては、長く濃い時間。

 共に海に出た回数も、今では正規の出撃回数を下回ってしまったが、初めて連れ立って波の合間を滑った時の緊張は忘れられない。

 朝潮がまっすぐ前を見て、慣れた様子で警戒と航行を同時にこなす、その横顔を見ているのが精いっぱいだった。自分なりに出撃というものにいろいろ考えるところがあったから、もっとうまくやれると思っていたのに、警戒か朝潮を見るかのどちらかしかできなくて、凄く手間取った。

 朝潮が時折思い出したように俺のやったポーズについて聞いてくるのは、逆に俺の体から硬さを取り除いてくれていた気がする。

 度を過ぎれば毒なのは、何にしても同じだけど。

 

 出撃を重ね、敵とまみえれば、練度も上がる。

 こうやって戦い続ければ、俺に足りなかったものも得る事ができるだろう。

 順調に力をつけ、今日、ついに俺は改へと改造された。

 吹雪と夕立も同じタイミングで改になった。

 「どうせなら、みんな一緒に改造されたいね」と約束していたから、それが実現して嬉しかった。

 この世界では艦娘の練度はレベルのような数値では表せてはいないみたいだけど、ならどうやって進化のタイミングを知るのかと言えば、改造可能レベルになると、こう、胸がぽかぽかして、なんとなくわかるようになるのだ。

 特段光ったりだとかはしなかったけど、その温かさのおかげで俺達は自分が強くなれる事を知った。

 肝心の改造だけど、寝て起きたら終わっていた。

 明石の工廠に向かった時は、それはもういろいろ想像を働かせて怖くなってしまっていたのだけど――ドリルとかペンチとか手術台とか――、ベッドの上にうつ伏せになって、明石に整体マッサージを施されれば、痛くも気持ち良くて眠ってしまって……目が覚めれば、気分はすっきり爽快、パワーアップしていた、という訳だ。

 足とか肩とか、変に癖がついていた部分を直してくれたらしくて、体中から疲れや凝りが抜けて、まるで生まれたばかりの体になったみたいだった。

 工廠内で肩を回して調子を確かめつつ、吹雪と夕立の改造が終わるのを待っていた俺は、妖精さん達が施術室にノコギリやバーナー……そしてお醤油とおにぎりを持ち込んでいる事にはついぞ気付かなかった。

 ……香ばしい匂いには気付いたけど。

 

 二人の改造が終われば、姿は変わらずとも、何かがたしかに変わった事を二人と喜び合った。

 吹雪は単純に強くなった事を、夕立は改二に一歩近づいた事を。

 そして俺は、誰かを守る力を得た事を。

 ……守るなんて言ったって、具体的な事は何も考えてないけど、強くなって、戦って、一体でも多く敵を倒す事ができれば……それが速ければ速いほど、仲間を守る事に繋がると思ったから。

 結局戦うだけなのだから、今までとやる事は変わらないんだけど。

 

 問題は、その後に起こったのだ。

 改になった俺の力を計測するために(もちろん、あらかじめそういった指示をもらっていた)夕張さんの下に足を運び、海に出て、速度から計測を開始した。前にやったのと同じ、1km走。

 結果は、前より多少タイムは伸びていたものの、ほとんど変動なし。

 力の検査だって、専用の機械を押し上げて計るのだけど、叩き出された数値は改になる前と一緒だった。

 ……全然成長してない。

 それはきっと、改造直後だから……なんて言い訳はきかない。その後の出撃でわかったけど、吹雪と夕立は、目に見えてパワーアップしていたのだから。してないのは俺だけ。

 

「おかしいわね……改造が失敗したなんてないでしょうし……」

 

 改になって二度目の検査。四角い小さな端末を弄りながら唸る夕張さんに、俺は不安を抱えて彼女を見上げていた。

 何か、この結果が間違いだったような言葉が出てくるのを期待していたのだけど、夕張さんが「ひょっとして」と前置きをして話したのは、まったく反対の内容だった。

 

「普通の島風と違う、あなたの特異な能力値(ステータス)のせいかもしれないわね」

「私の……ステータス?」

「憶測なんだけどね」

 

 俺の力は異常だ。近代化改修も施していないはずなのに、日々少しずつ伸びる記録。

 艦娘にはあり得ない成長が、俺にのみ起こっていた。

 前例のない事だった。

 だがその成長の代わりに、俺には正規の手段……普通の艦娘が強くなる方法が適用されないのではないか。

 荒唐無稽、とは言えない。俺は艦娘の体には詳しくないし、その点で言えば夕張さんは半分専門家のようなものだ。彼女がそう言うなら、きっとそうなんだろう。

 

「……なんだ、悩むような事じゃなかったみたいですね」

「そう……かしら? 普通と違うというのは……」

「誇らしい事です。それに、成長しない訳じゃないみたいですから、これから地道に力をつけていきたいと思います」

 

 そう。何を不安がる必要があるというのだ。

 たしかに、通常の艦娘のように、一気に火力や装甲を上げたりはできないが、その代わり、限界がくるまで、自分のペースで、素材もなしに強くなれるというのだ。デメリットはあるがメリットもあるし、困る事もない。

 だから、笑みを浮かべて、不安が晴れた事を夕張さんに伝えれば、「前向きな子ね」と苦笑された。

 

「うん、考えてみれば、心配は何もなかったわね。ただ、あなたは他に前例がないから、無茶だけはしないでね」

「気をつけます。お心遣い、感謝します」

「……なんか、硬くなってない?」

 

 最近サマになってきたらしい敬礼をびしっと決めながら返答すれば、夕張さんは苦笑を困ったような笑みに変えて、砕けてても構わないわ、と言った。

 こうして促されるのはもう何度目になるのか。

 恩のある人だし、尊敬している人でもあるので、夕張さんに対して敬語を崩すつもりはない。

 あ、タメ口で話している相手は尊敬してない、という訳ではない。もしそうだったら、俺は叢雲の角みたいなので突き殺されてしまうだろう。怖い。

 

「これからもデータ取りは継続して(おこな)っていくから、聞きたい事があったら遠慮なく聞いてね」

「はい。ありがとうございました」

 

 お礼と共に頭を下げると、両脇に立つ連ちゃんと装ちゃんもぺこっと頭を下げてそのまま倒れた。

 

 

「むむ~、見よ、このパワー!」

「力がわいてくるみたいだよぉ~」

「……そう、凄いわね」

 

 部屋に戻れば、ご機嫌な光を撒き散らす吹雪と夕立に挟まれた叢雲が虚空を見つめて同じ言葉を繰り返していた。

 あの、二人共……無事改になれたのが嬉しいのはわかるけど、叢雲を巻き込まないでやってあげて……。

 

「島風ちゃん、見て見て! 夕立、こんな大きなダンベル持てるようになったっぽい!」

 

 うわ。

 夕立は、腕より太いダンベルを軽々と上下させていた。危ない。……それ、値札ついてるけど、ひょっとして衝動買いしたのかな。

 

「島風ちゃん、近代化改修って凄いね! こんなに強くなれちゃうなんて知らなかったよ」

 

 あー……なるほど。

 二人はめいっぱい近代化改修されてとても強くなれたのが嬉しいみたい。

 花の幻影を飛ばしながら半透明のゴムボールをにぎにぎしている吹雪に、とりあえず「お疲れ様」、と声をかけておく。

 それから、二人に挟まれて目が死んでいる叢雲さんの手を引いて救出した。

 力が増した喜びを注がれた叢雲は、かなり参っている様子だった。

 無遠慮に手を取った俺に睨みの一つでもくれるかと思ったけど、彼女はふぅっと深く息を吐くと、するりと手を抜いて、ふらふらとした足取りでベッドに歩み寄り、数秒はしごを眺めてから、緩慢な動作で(のぼ)り始めた。

 

「つっぎのえんっしゅうっが、たっのしっみぽーい」

 

 妙な節をつけて歌う夕立に、こくこくと頷いて同意する。

 俺は性能などは変わってないから力を試したいとかそういう欲求はないけど、成長したい、強くなりたいとは思っているので、そこら辺は夕立と同じ気持ちのはずだ。

 

「明日の授業に演習があるから、その時に確かめてみようね」

 

 ゴムボールをテーブルの上に転がした吹雪が、にこにこ笑顔のままで提案した。

 新しい力を試そうだなんて、かなり舞い上がってるなあ、吹雪。普段なら言わなそうな事だ。

 でも、今日じゃないんだ? トレーニングルームに行けば、すぐにでも力を試せると思うんだけど……近代化改修って、やると疲れるのかな。……いや、二人共つやつやしてるし、そういう訳じゃないんだろう。

 じゃあ何か、と考える前に、吹雪が立ち上がった。制服からジャージへ着替える吹雪に、「今日も鍛錬っぽい?」と夕立。

 ああ、なんか走り込みとかしてるらしいね、吹雪も。

 朝のランニングとか、お昼にどこかへ行って何かの練習をしてるみたいだし、張り切ってるね。さすが真面目さん。

 ランニングは、あいにく俺とは時間帯が違うから一緒に走る訳じゃないけど、同じ事をしている分、頑張りを共有しているみたいで、なんか俺まで頑張ろうって気持ちになってきてしまう。

 俺も何かやってみようかな。トレーニングルームで。……そこにいる誰かに砲雷撃の師事を仰いだ方が良いだろうか。今のところ俺の腕は改善されてないし……。

 どうにも、砲雷撃だけは上手くいかないんだよなあ。

 それに、連装砲ちゃんとの連携も練習しなきゃ。

 こっちは俺の意思を汲み取ってくれる連装砲ちゃん達のおかげで、最初から高水準の行動ができたけれど、俺のスピードが上がるにつれて、連携に齟齬が生じ始めてきてしまっている。

 彼女(?)達の速度アップも今後の課題かもしれない。

 ……夕張さんにお願いしたら、チューンナップしてくれるかなあ。ワンツースリーで、はい、ぽんと……なんて手軽さでできるものではないだろうし、難しいか。

 でも、歩調が合わないのはちょっと困るんだよな。

 前の演習の時、戦艦大和の下まで全速力で駆け抜けた数分。砲弾が飛んできていなければ、連装砲ちゃん達との距離は離れるばかりだっただろうし、そのまま大和の下まで辿り着いてしまったら、せっかくの連装砲ちゃん達のサポートをなくして戦わなければならなくなってしまっただろう。

 だから、彼女達にも成長して欲しいんだけど……俺みたいに、何かすれば能力が上がるって訳でもないみたいだし……夕張さんか明石に頼んで改修してもらう? それにはお高いネジが必要、かもしれない。

 手柄を上げて、その報酬に提督にネジを要求してみようかな。

 

「それじゃ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃいっぽい」

 

 連装砲ちゃん強化計画の算段をつけていると、準備を終えた吹雪が部屋を出て行った。その背に見送りの言葉を投げかける。

 少し静かになると、夕立もようやく落ち着いてきたみたいで、小さな缶をどこかから引き出してきて、その中に入っていた飴をくれた。おお、コーヒー飴。ありがたくいただきます。

 ころころと口の中で飴を転がしつつ、テーブルの傍に腰を下ろして足を投げ出し、後ろに手をついて思考に(ふけ)る。

 連装砲ちゃん達のパワーアップばかり考えていて、自分が怠けていたらしょうがない。

 でも、今の成長スピードでは、みんなを守れるくらいの強さになれるのはずっと先になってしまいそうだ。それこそ年単位でかかりそう。

 そりゃ俺は速いけど。速いは正義だけど、それだけじゃ駄目な事って、きっとあるんだと思う。

 俺も強さを求めないと。

 ……と一口で言ってみたはいいものの、さて、何をしたら強くなれるのだろうか。

 地道に、ではなく、ある程度の速度でもって成長したい。

 光よりも速い進化などは望まないから、何かないかなー。

 砲雷撃が得意な先輩……って、ええと、計測の際夕張さんにはお手上げされちゃったし、十七艦隊のみんなも同様。朝潮も駄目だし……潜水艦や空母の方に見てもらうのは、どう考えても違うよな。

 

「……夕立ちゃん、私が砲雷撃をちゃんとできるようになるには、誰に習うのが一番良いと思う?」

「んー……。んん-……」

 

 こういう時こそ物知り夕立の出番だ、と問いかけてみれば、飴でほっぺたを膨らませてながら雑誌を読んでいた夕立は、顔を上げると、酷く悩み始めた。

 ……ああ、俺の腕は、すぐには言葉が出てこないくらい悪いって事ね。わかってるけど。

 

「……先生っぽい?」

「先生……って、三原先生?」

 

 各種授業を担当する俺達の担任。

 

「砲雷撃戦じゃないけど、素手での戦いなら、先生がいいかもしれないっぽい。噂では、那珂ちゃん先輩や金剛先輩なんかは、先生に師事していたらしいっぽい」

「……何を習ってたのかな。先生、人間だよね?」

「それは間違いないっぽい。夕立も、この噂は半信半疑だけど……島風ちゃんに教えてあげられるのは、これくらいしか……」

 

 眉を下げて申し訳なさそうにする夕立に、慌てて「ううん、すっごく助かるよ」と笑ってみせた。

 せっかく俺の事を考えて教えてくれたのだから、まずそこから当たってみる事にしよう。

 ……あんなに細い先生が、艦娘である先輩方に何を教えたのかは想像もつかないけど、教わったらしい那珂ちゃん先輩は、実際凄い速さで強くなったらしいし。

 

「すぐに行くっぽい?」

「うん。善は急げっていうし、今なら先生もお仕事ないかもしれないからね」

「じゃああたしもついて行くっぽい。先生の手品には前から興味があったっぽい」

 

 おっけーっぽい。ぽーいぽいぽい。

 夕立の口癖を真似ながら頷いて、立ち上がって伸びをする。ちょこちょこと髪を整えながら夕立が缶や雑誌をしまうのを待って、出発した。

 目指すは本棟、その四階。

 

「本棟って、三階までしかないんじゃなかったっけ」

「その通りだけど、上に続く階段は島風ちゃんも見た事ある?」

「あるけど……屋上とか、屋根裏に続くのかなって思ってた」

「屋根裏から時計塔に行けるっぽい。先生の過ごす部屋は、そこにあるっぽい」

「……なんでそんなとこにいるのかな」

「そこまではさすがにわからないっぽい。……先生がこの鎮守府に来た時期も、その経歴も、誰も知らないっぽい」

 

 それ、先生が凄い不審人物だって言っているようなものじゃ……。

 さすがに提督は知っているだろうな。じゃなきゃここにいられないだろうし、授業なんてできないだろうから。

 それに先生は凄く理知的で落ち着いているし、あの人に何かやましい事があるとは考えられない。

 経歴がわからないのは……きっとたまたまだろう。

 ……ああ、もう。そんな話を聞かされると、少々不安を抱いてしまうのだけど。

 これから会いに行こうとしているのに、それはまずいよね。だから理由を考えてみた。うん、しっくりくる。

 先生は先生。不安を抱く相手ではない……はず。

 

 本棟へ辿り着き、薄暗い階段を上っていく。前にここで抱いていた不安は、当然今はない。

 見上げた視界の先、壁にある掲示板。僅かな光が差し込む窓。この空間に満ちる冷たい雰囲気。隣に友達がいるなら……腕の中に、両脇に、連装砲ちゃん達がいるなら……何も怖くない。

 こんな事を考えてしまうのって、どうしてだろう。今さらこの場所を怖いとか怖くないとか……それは、ここが不安ではなくても、今から向かう場所にいるであろう人に対して、不安を感じているから?

 ……他人の心はわからないと言うけれど、自分の心もわからないものだ。

 うだうだ考えていてもしょうがない。三階に上がり、立ち入り禁止の札がかかったロープを前に夕立と顔を合わせる。

 

「那珂ちゃん先輩や金剛先輩は、先生に会いに行くためにこのロープを跨いでいったのかな」

「んー、たぶんそうっぽい。だって、先生に会うには、ここを通るしかないっぽい」

 

 ……だよね。建物の反対側の階段には、上へ続く階段ないし……授業が終わった後や、授業の無い日の先生に会いたいならば、このロープを跨ぐか(くぐ)るかするしかない。

 だから俺達は、僅かな緊張と罪悪感を持って、持ち上げたロープの下を潜り抜けた。今この瞬間、他の誰かがこの場に現れたら、いったい自分達はどうなってしまうのだろうなんて想像が頭の中を走り、それでも、一段一段、確実に上へと歩を進めた。

 

 天井裏に出る。どこもかしこも木造で、梁や太い柱のようなものがあちこちにあって、息をすれば、そういった木材の匂いがした。でも汚くはない。埃などが見当たらないのは、先生が手入れをしているからなのだろうか。足下の感触を確かめつつ歩き出せば、結構丈夫っぽい、と夕立。

 

「うん。ちょっと軋むけど、思ってたより音とかしないね」

 

 歩いてみればわかるけど、床代わりの木板は俺の体重などないものかのようにそこにあって、普通に歩いてみても、脆い印象など無かった。走ったって大丈夫そう。

 きょろきょろと周囲を見回していた夕立は、次には小首を傾げていた。何かに疑問を抱いているみたい。それがなんなのかわからなかったけど、それなら聞くのが速い。

 

「妙に綺麗っぽい。隅の隅まで……先生は、綺麗好きっぽい?」

「そうかもしれないね。あ、あそこから廊下に出れるのかな?」

 

 扉はないけど、その形にぽっかり空いてる場所を発見した。その部屋に踏み込めば、四角い壁伝いに階段があって、ずっと上に続いていた。螺旋階段みたい。なんかお洒落だな、こういうの。

 細い手すりに手を当てながら上っていく。この階段もしっかりした作りになっている。

 五階相当の場所に、扉があった。ただしそこは壁だ。いくらこの階段のある空間が狭い作りになっているからって、これじゃあ、先生の部屋って、下手したら物置部屋よりも狭いのではないだろうか。

 質素で狭苦しい生活をする先生を想像してしまって、勝手に不憫になる。もしそうなら、部屋を移してあげればいいのに。うちとかどうだろう。駆逐寮にはまだまだたくさん空いてる部屋があるし。

 

「開けるっぽい?」

「……それしかないよね」

 

 なんとなくといった様子で確認してきた夕立に、もう少し上に行ったところに見える大きな時計の裏側を眺めていた俺は、顔を戻してそう答えた。

 鉄のノブを握り、そっと押し開ける。ノックを忘れた、と思ったのは、中の様子を認識してからの事だった。

 

 広かった。

 まず、部屋が広い事に頭がいった。

 外壁と内壁の間は一メートルもないだろうに、この部屋は、少なく見積もっても六畳以上ある。壁紙もカーペットも落ち着いた色合いで、三方の壁を本棚が囲んでいた。古びた本がぎっしり詰まった棚は天井にぴったりくっついている。部屋の奥、中央に備え付けられた机には、一人の女性が座っていた。

 長い茶髪と電探カチューシャ。耳くらいの高さの左右で髪をお団子にしていて、でも、多くの髪が柔らかに流れ、この部屋に満ちる不思議な光に照らされていた。

 俺に似たグレーの瞳は長いまつげに覆われ、物憂げに伏せられている。大人びた顔立ちはそのまま彼女の生きてきた年数を表しているかのようだった。肩出しの巫女服……に似た、和服と洋服の相の子のような、華やかな衣服を身に纏った彼女は、かつての俺の艦隊でも主力の一人だった艦娘、戦艦の金剛だった。

 頬杖を突き、ティーカップ片手に手元に視線を落としている彼女はどうやら足を組んでいるらしく、その姿に気圧されてしまう。元気で快活で、天真爛漫な彼女の姿を心に描いていた俺にとって、大人の女性そのものの彼女の横顔は、息を呑んでしまうには十分だった。彼女が座る机の前、左右に立つ三人の女性にも、気圧された原因はあると思う。金剛の姉妹艦、比叡(ひえい)榛名(はるな)霧島(きりしま)

 

 ――比叡は茶髪の女性だ。黒い帯に金のでっぱりの電探カチューシャは姉妹共通の物。短めな後ろ髪の毛先、その両端が外に跳ねている。青色の瞳は、姉である金剛に向けられている。

 服も姉妹と同じものだが、唯一姉妹と違うのは、黒い帯で締められたチェック柄のスカートだ。他の三人は袴をイメージしたスカート――フリルがついていたり色違いだったりはするが、共通の物――なのに対し、彼女のスカートは別の国の物と思えた。

 

 榛名は大和撫子だ。腰まで伸びる黒髪ロングに、橙色の瞳。大和とは毛色の違った、でも同じ正統派と言える慎ましやかな女性。胸部装甲は戦艦ゆえに主張が強いが、それを押し隠す柔和な雰囲気があって、そこに立っているだけでほっとする何かがあった。

 

 霧島は末の妹。楕円形の眼鏡をかけていて、姉妹の頭脳であるのだろうと思わせる知性的な雰囲気を纏っている。肩にかかるくらいの黒髪は疎らに切り揃えられ、組まれた腕は相応の力を秘めているのだろうと窺わせた。

 彼女の瞳もまた、長姉である金剛に向けられている。

 

「――――」

 

 先生に対して身構えていたからだろうか。扉を開けきる刹那の間に、四人全ての姿を視界に収めてなお考える余裕があった。なぜ彼女達がここにいるのか。先生はどこか。そもそもなぜこの部屋はこんなに広いのか。

 ……そこまでは、さすがに考えられなかった。木板の軋む音に四人が四人俺達へと顔を向けて、僅かに目を見開いた。きっとそこには、戸惑いの色が浮かんでいるんだと思う。

 

「ハ、ハアイ、オハヨウゴジャイマース」

「おはよう……ございます?」

 

 もうお昼過ぎだから、正しくはこんにちは、だけど……なんて思いつつ、俺へと軽く手を上げて挨拶した金剛に挨拶を返す。

 

「お姉様、噛んでます」

 

 少し腰を折って金剛に顔を寄せた霧島が囁くと、はっとした金剛は、いったんティーカップを置いてコホンとわざとらしい咳払いをすると、にっこり笑って「オハヨウゴザイマース!」と挨拶した。

 …………さっきまでここにいた凄く大人っぽい金剛はどこにいったのだろう。今俺の前にはイメージ通りの天真爛漫そうな金剛がいた。ぴょこりと頭頂部で揺れたのは、俗にいうアホ毛だろうか。

 

「お姉様、今の時間帯のご挨拶は『こんにちは』ではないでしょうか……」

「oh、そうネ……オホン、コンニチハー!」

 

 ひらひらと手を振りながら三度目の挨拶をする金剛に、膝元に右手を当てて「こんにちは」と頭を下げておく。ちょこちょこ歩いて脇を抜けた連ちゃんと装ちゃんが部屋の中に入ると、ああ、と比叡が声をあげた。

 

「広報紙の子ね」

「おおー、ワタシが任務でこの地を離れている間に着任したニューフェイスデスネ!」

 

 口を○の形にして大袈裟に驚いてみせた金剛は、次にはにかっと笑って、「帰国子女の金剛デース!」とお決まりの挨拶をした。

 広報紙? 俺と夕立と吹雪の姿が描かれたあの紙が掲示板に貼られていたのは、そう長い期間ではなく、今は別の物になっているはずだけど。

 

「第一艦隊主力戦艦の金剛先輩っぽい」

「っ!」

 

 ぬぅっと後ろから張り付いてきた夕立が耳元で囁くのに、身を強張らせてしまう。え、なんでそんな密着して……というか、俺の後ろに隠れるみたいにしてるの?

 

「出て行くタイミングを見失ったっぽい……」

「……いや、いいよ。出ておいでよ」

 

 変に怖気づいている夕立の腕を引っ張って横に立たせると、そっちの子も新人かしら? と霧島。夕立の身に僅かに力がこもったのが、掴んだ腕から伝わってきた。

 

「白露型駆逐艦、夕立っぽい」

「ユウダチッポイデスネー、覚えましタ!」

「お姉様、夕立、が名前でよろしいかと」

「フム、では、ポイとはどういう意味デース?」

「く、口癖っぽい」

 

 ああ、夕立がたじたじに……。

 

「あなたのお名前は?」

 

 榛名が柔和な笑みを浮かべて、俺にも自己紹介をしろと促してきた。

 う、さすがにこう、今の俺から見て体の大きな四人に視線を向けられると、どうしたって緊張してしまうな。特に、金剛は栄光の第一艦隊所属……つまりは赤城さんと同列な訳で。

 たぶん今の俺と夕立は、傍から見れば赤城さんを前にしてかっちんこっちんになっている吹雪みたいに見えるだろうな。

 これではいけない。緊張なんて丸めてぽいしなければ。

 横にいる夕立にも聞こえないくらい細く息を吐き、吸う。その一度でできる限り体を解し、自然体で口を開く。

 

「島風型駆逐艦、1番艦の島風です。スピードなら誰にも負けません!」

「へぇ……ワタシ達を前に、負けないと言い切るとは恐れ入りマース」

「……!」

 

 すっと細められた目は、いっそ寒気を感じるくらい冷たくなって……陽気でも間抜けでもない、恐ろしい雰囲気を発し始めた金剛に、きゅっと唇を引き結ぶ。足に寄り添った連装砲ちゃん達の冷たさがいやにはっきりと感じられた。

 

「なんてネ」

 

 ぱちん、とウィンクを飛ばされて、悪戯な笑みを浮かべる彼女を見て、はっとする。

 ……どうやら今のは、彼女なりの冗談か何かだったようだ。それにしてはちょっとシャレにならない迫力があったんだけど……。

 

「お姉様、新人に今のは少々厳しかったのではないでしょうか」

「おおぅ、そ、ソーデスカ? ちょっとしたお茶目のつもりだったのデスガー……怖がらせてしまったようデスネ」

 

 霧島が眼鏡のつるを指で押さえながら金剛に耳打ちすると、ありゃ、とでも言いたげな表情で俺達を見た金剛は、腕を広げてもう一度ウィンクした。

 

「ワタシ達は貴女方の着任を歓迎シマース!」

「比叡です。怖がる必要はありませんよー!」

「榛名です。仲良くしていきましょうね!」

「霧島です。そういう訳です。さ、緊張は解れたかしらー?」

 

 姉妹順に発言するのには何か決まりでもあるのだろうか、しかし、ここまでの歓迎ムードと敵意の欠片もない笑顔を向けられて、まだぼけーっとしているほど俺も人間慣れしていない訳ではない。……この場合は艦娘慣れか。ほんの少し混乱していたから余計に重圧を感じてしまったものの、彼女達が悪い艦娘でないのは、考えなくてもわかるはずだ。この鎮守府にいるのだから。

 

「さて、島風と夕立はなぜ先生のお部屋に来たのデスカ?」

 

 ん? と窺ってくる金剛に、どう答えるべきかと夕立の横顔を見れば、彼女は彼女で別の何かを考えているようだった。ここは俺が答えるしかないみたい。

 

「それは……先生に用事があったからです」

「当然の話デスネー、ウムウム」

 

 俺の答えの何がそうさせるのか、金剛は得意気に腕を組んで椅子の背もたれに背を預け、ギィと鳴らした。

 

「……先輩方は、ここで何を?」

「うっ?」

 

 会話する事で完全に落ち着きを取り戻した俺は、机の上に積まれた古めかしい本や筆記用具の合間に置かれたティーカップだとか、かなり小さいが 三段のトレーからなるナントカティースタンドだかいう、お菓子などが乗せられた物を見つけて、完全に寛ぎモードに入っていた彼女達を思い出し、質問してみた。

 ……のだけど、「うっ」てなんだろう。……何その、必死に話題に上らせないようにしていたのに聞かれてしまった! みたいな顔は。

 

「い、嫌デスネー、ワタシは先生に帰還報告をしようとここに足を運んだだけデース! 先生がいらっしゃらなかったので、こうして落ち着いてしまいましたガ! 決して! ヤマシイ事など何もしてないデース!!」

「そぉうです! 金剛お姉様はなんにも悪い事などしてません!」

「……お姉様『は』?」

 

 ぐっと握った拳を顔の高さまで持ち上げて力説する比叡になんとなく揚げ足取りをすると――ただ相槌を打とうと思っただけだったのだが――大仰に頷いた比叡は、得意気に笑って、

 

「お姉様の手を汚させる訳にはいきません! 家宅捜査はお姉様の妹分である我々が――」

 

 しゅばっと俊敏に比叡の後ろに回り込んだ榛名が両手でその口を塞いだ。

 ……気のせいかな。今、あんまり良くない言葉が聞こえてきたんだけど……。

 

「机の半分が片付けられていて、半分が乱雑になっているのはそのためっぽい?」

「ひ、比叡ちゃん何言ってるデース! 誤解されてマース!」

 

 顎に手を当てた夕立が鋭い目つきで推理染みた言葉を口にすると、金剛はあわあわと比叡に視線を送った。

 

「フォロー!」

 

 チャッと眼鏡を手の平で押さえた霧島さんが小声で叫べば、榛名の拘束から解放された比叡はあっちにこっちに目をやって言うべき言葉を探し始めた。

 

「えっとアレですアレ! なんだったかなー! 丸いものだったような気が! あーそうそうそう! 探し物です!!」

「! ……そう、私達は探し物をしていたのよ」

 

 今まさに思いつきましたやったぜ! みたいに深く息を吐いて額を拭う比叡の意思を汲み取ってか、霧島がそう続けた。

 …………。

 探し物……ってなんだろ。ここで何か失くしたのかな。あの慌てようから察するに、人には言えないもの? ……こっそりプレゼントとか置いて行こうとしてたとかだったらロマンティックだな。どうやら金剛は三原先生を慕っているみたいだし。

 自分を納得させる方向で話を纏めようとした俺だったけど、夕立はそうではなかったらしい。「誰の何を探してるっぽい?」と突っ込んだ質問をした。

 ゆ、勇気あるなあ……。

 

「そー、それは……榛名?」

「へっ? は、あ、いえ、そのー……比叡お姉様?」

「えっ、えーと、ええーと、こん、くっ、うう……ああ!」

 

 最初に霧島が答えようとして、思いつかなかったのか榛名にパスして、榛名も比叡にパスして、比叡は金剛にパスする事ができなかったらしく、頭を抱えて苦悩した挙句に、電探カチューシャを引き抜いて部屋の奥へと放り投げた。本棚の中央ほどでパシッと不可視の何かに弾かれたカチューシャが床に落ちると、振り向いた比叡が「私の電探を探してたんです!!」と言い切った。

 夕立は完全に沈黙した。たぶん、これ以上突っ込んでも意味ないと判断したのだろう。その方が良い。あんまり人の事情にずかずか入り込むものではない。

 しかしさっきの……カチューシャの跳ね返り方が凄く不自然だったんだけど。

 席を立ってカチューシャを拾った金剛も、手渡されて感激している様子の比叡も、ほっと胸を撫で下ろしている榛名も、眼鏡の位置を直している霧島も、横に立つ夕立でさえ、気付いていなかったみたいだけど……俺の目にはたしかに見えた。上から四段目、金剛の頭の位置の右あたり。そこへ向かって投げられたカチューシャが、棚に当たる前に弾かれたのを。

 ……いったいなんだったんだろう。目の錯覚?

 気になって気になってしょうがないので、自然な動きを装って彼女達の傍を通り過ぎ、本棚を見上げる。うんと手を伸ばせば届く位置。背伸びすれば確実に届くかな。

 

「何してるデース? あんまり触っちゃ駄目デスヨー」

「わっ!?」

 

 脇の下に手が通されて、ひょい、と持ち上げられる。お腹の下あたりがふわっとする感覚に耐え切れず声を漏らした。ちょうどその時に、伸ばした指先が本棚の中、背表紙を並べる本達の前の何もない場所を捉えた。

 カタンと音がして、四角い板が零れ落ちる。倒れるようにして床へ吸い込まれていったそれは――。

 

「ほっ、と」

 

 地に落ちる前に比叡が掴み取った。

 

「? こんなのありましたっけ?」

「写真立てでしょうか?」

 

 それはまさしく写真立てのようだった。写真が入っているだろう面を下に向けて持つ比叡に、金剛に持たれたまま手を差し伸べれば、つられたように手渡された。さて、どんな写真が入ってるのか拝見するとしようか。

 ふっふっふ、気になったものは最後まで見なければ気が済まない性質(タチ)なのだ……なんていう訳ではないけど、比叡に手を伸ばしたら渡してくれたから見てみようと思っただけ。

 金剛も写真が気になるらしく、俺を胸に抱くと、肩越しに覗き込んできた。髪が頬をくすぐってこそばゆい。

 

 写真は至って普通のものだった。薄手の洋服……黒い上着に同色のロングスカートを着た黒髪ロングの女性と、銀色の髪を肩まで伸ばし、緑を主体とした上下を着た少女が仲睦まじげに手を握り合い寄り添っている。その横に、赤毛を後ろで縛ったスーツ姿の少年――年は10歳くらいだろうか――が照れたように立っていた。

 

「おおお、髪を下ろした先生デース! これは激レアデース!!」

 

 う゛っ、み、耳元で叫ばないで……。

 って、先生? ……ひょっとして、この黒髪の女性は、髪を下ろした先生なのだろうか。うわー、縛ってる髪を解くだけでこんなに印象変わるんだ。隣の女の子は三原先生の娘さんかな。……並んで立っているとあんまり年の差がないように見えるけど、さすがに妹って事はないだろう。

 

「おめでとうございます、お姉様!」

「おめでとうございます!」

 

 金剛が喜びの声を上げたためか、下の妹三人がパチパチと手を打ち合わせてよくわからない祝福の言葉をかけた。当の金剛は写真を食い入るように見つめている。抱えられていて離される気配のない俺は、せめて金剛が写真を見やすいように写真立ての位置を調整して固定していた。

 

「何をしているの」

 

 静かな声が部屋の中に響いた。

 途端、金剛がびくりと身を跳ねさせて直立の姿勢をとるのに、予期せず解放された俺はたたらを踏んで本棚にぶつかった。棚の作りが丈夫だったおかげか、本が落ちてきたりはしなかったが、ぶつけた肩が痛い。

 反射的に閉じていた目を開けば、部屋の中の様子がよく見えた。出入り口に立つ夕立の、そのすぐ後ろに先生が立っている。怒っている訳でもなければ、眉を寄せていたりだとか、不機嫌だったりする様子でもない。ただ疑問を投げかけただけ……のようなのに、夕立は目を丸くして固まっているし、金剛四姉妹も石になったみたいに微動だにしなかった。手を打とうとしているのをそのままに固まっているから、まるで魔法のようだと思った。

 

「部屋に入るのは構わないけど……勝手に私物に触れるのは感心しないね」

「ハ、ハッ……! 申し訳ありまセン……!」

 

 素早く振り返った金剛は、叱責ともとれる先生の言葉にしゅんとしてしまった。アホ毛も萎びれてへたれている。

 

「島風」

「はひ!?」

 

 すぐ近くで声がするのに肩が跳ねる。金剛に向けられていたはずの視線が、いつの間にか俺へのものに変わっていた。

 

「宿題は終わったのかな」

「ま、まだ……です」

「提出は明日だよ。ちゃんとやっておきなさい。夕立もね」

「ぽぴ」

 

 背後からの先生の言葉に、夕立が引き攣ったような声を出した。たぶん相当驚いたんだろうな。そんな顔してる。

 

「私が部屋にいない時は出直すなりしなさい」

 

 こちらへと歩み寄りながら、みんなに注意する先生は、やはり怒っているようには見えない。でもなんでだろう。さっきから首筋がちりちりするんだけど……。

 金剛の方に行くと思えた先生は、どうしてか俺の前へやってきた。それが、俺の手から写真立てを取り上げるためだと気づいたのは、すでに先生がそれを棚に戻している時だった。

 

「金剛、比叡、榛名、霧島。お帰り。それと、お疲れ様」

「ハ、ハイっ!」

 

 この場では金剛が姉妹の代表として受け答えをしているのだろう、他の三人は硬直が解けたようではあっても、口を閉じて何も言わなかった。

 

「藤見奈君のところには顔を見せに行ったのかな」

「ハイ! テートクには一番に会いに行きマシタ!」

「ならいいんだ。用事はそれだけかな」

「うぅー……ホントは久しぶりに手合せ願いたかったデスガ、ここはいったん引かせていただきマース! 比叡! 榛名! 霧島! 行きマスヨ!」

「はい、お姉様!」

「それでは、失礼致します」

「ご迷惑をおかけしました」

 

 手早くティーセットを片し、机の上を整頓した三人が金剛を追って部屋を出ると、途端に部屋にしんとした空気が流れた。残された俺と夕立が顔を見合わせると、「君達はまだ用事があるのかな」、と先生。

 そうだった。俺は砲雷撃を……いや、強くなるための秘訣を聞きにここにやってきたんだった。

 

「強さを求めるか。なんのために」

「仲間を守るためです。そのために私は、力をつけなければなりません」

 

 そういった事を話せば、問いかけられたので答えた。先生は目を細めて、そうか、とだけ呟いた。

 

「あの子も同じ理由だ」

「……あの子?」

「……金剛。彼女も君と同じ理由で力を求め、私の下を訪れた」

 

 それがなんだというのだろう。金剛には何かを教えたんだよね。彼女に教えたから、俺には教えられないというのだろうか。

 

「その通り。君に私の技術は教えられない。精神面に問題があるからだ」

「……それ、は」

 

 精神面って、それって。

 ……いや、俺が島風の体を得てしまった事なんて、先生にはわからないはずだ。

 たとえ先生が本物の島風を知っていて、俺と本物の差異に疑問を抱いていたとしても、まさか別世界の男の意識が入り込んでいるなどとは夢にも思わないだろう。

 事実その後に続いた先生の言葉は、このシマカゼの中身とは関係ないものだった。

 

「宿題にすぐに手を付けられないメンタルでは私の技術は教えられない」

「そんな……」

「と、いうのは冗談だ」

 

 じょ、冗談?

 ……真顔で冗談言わないでくださいよ……びっくりするじゃないですか。

 はー、と息を吐いて後ろ髪に手を通す。手袋の中の手は僅かに汗に濡れていた。

 

「だが君にとって、危険のあるものというのは確かだ」

「……だから、教えていただけない?」

「知りたいのなら自分の手で模索しなさい。そうした方が身に染みてわかるだろう」

 

 ……それだと本当に、俺には扱えない技術って事なんだろうか。

 そもそも技術って、なんの技術だろう。先生ができて、強くなれるといったら、格闘技とか?

 人間の頃より遥かにパワーアップした今の俺なら、それくらいできそうな気がするんだけど……。

 危険……危険、かあ。先生に言われちゃうと、怖気づいちゃうな。無理に技術とやらを追う必要もないし、砲雷撃の練習を手伝ってくれる相手を探した方が良いかな。

 

「砲雷撃か……こんな事を言うのも酷だけど、君にはその適性はないようだね」

「え、それって……私って、砲も魚雷も使えないって事、ですか?」

「……そういう艦娘は時々いるみたいだね。実際何人か見た事がある」

「その人達は、どうやって戦っていたんですか?」

 

 もしそれを知る事ができれば、俺にも反映できるかもしれない。期待を込めて先生を見上げれば、先生は緩く首を振った。

 

「砲と魚雷を使い続けた。君のように身一つで挑もうとする艦娘は早々いない」

 

 俺のように戦う艦娘がいない? でも、戦艦の人達は接近戦を……いや、違うか。そもそも最初から接近戦を挑むつもりで近付いたりしないだろうし、キックだってしないだろう。

 ……では、その人達は。

 先生は、その先の事は何も言わなかったけど、適性がないのに砲と魚雷を抱えて戦場に出た艦娘がどうなったかは想像に難くなかった。

 

 今のところ、君には今のスタイルが最も合っているのだろう、と先生からお墨付きをもらった。

 ……それだけで十分かもしれない。今まではただ砲撃や雷撃が下手だからって理由でキック主体に戦っていたんだし、それをちゃんとした人に認められるのは、自信に繋がる……はず、だから。

 

「夕立も私に何か用事かな」

「……あっ、あたしは、先生の手品が見てみたいっぽい!」

 

 今の今まで出入り口の傍で佇んでいた夕立が、急に声をかけられたために、少し遅れて反応した。

 手品か……。写真立てが隠れてたのも手品かなあ。

 

「手品? ……ああ、そういう事か」

「見せてくれるっぽい? 何が飛び出すか楽しみっぽい!」

 

 何かを納得している様子の先生の前に駆け寄った夕立が、目を輝かせて先生の一挙手一投足に注目し始めた。先生、まだやるとも見せるともいってない気がするんだけど……。

 と思っていたら、先生に手招きされた。手品、やってくれるんだろうか。それなら俺も見てみたい。テレビとかでマジックショーなんかは見た事あるけど、生でってのは経験がないし。興味ある。

 右手を俺達の前に差し出した先生は、手の甲と手の平を二度ずつ見せて何も持っていない事を知らせると、それを俺達の目線の高さに持ち上げた。何か出すマジックかな。花とか出てくるのかな、とわくわくしていると、ふっと手がぶれて、パチンと指を鳴らす音がした。

 

 

「島風~。大丈夫デスカ~、し~ま~か~ぜ~」

「……?」

 

 視界をひらひらと遮るものがあって、瞬きをすれば、それが金剛の手なのだとわかった。

 あれ、ここって……寮の前の砂利道?

 

「島風ちゃん、具合悪いっぽい? 医務室に行く?」

「いや……大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃってただけ」

 

 数度素早く目を瞬かせて、それから、足下を見る。連装砲ちゃん達三体が足下に寄り添って俺を見上げてきていた。

 ……えーと、なんでここにいるんだっけ。

 

「那珂ちゃん先輩のところに行く途中っぽい」

「金剛さんがいるのはなんで?」

「もー、島風ったら何言ってるデース! 強くなりタイ! そう願う島風のために、ひと肌脱ぐと言ったデショ?」

「そう、でしたっけ」

 

 ほんとに大丈夫? と寄り添ってくる夕立に頷いて返しながら、目だけで周囲を見回す。ここにいるのは金剛と夕立と連装砲ちゃん達と、俺だけ。他の姉妹や先生はいない。……先生? ああ、そっか。先生のところから戻ってきて、寮の前で金剛さん達とまた会って、それで少し話をしたんだった。

 そうしたら金剛さんが、先生の技術の一端を見せてくれると言ったから、それを今から見に行くところだったんだった。

 

「さあ、ついてきてくださいネー!」

「島風ちゃん、行こ?」

「うん」

 

 たったか走り出す金剛についていくために、一度頬を擦って意識をはっきりとさせる。

 よし、もう大丈夫。今日は日差しが強いから、熱中症か何かになりかかってたのかもしれない。対策をしっかりとっとこう。

 でも艦娘の体ってそんなに(やわ)だったっけかな、なんて考えつつ、俺は夕立と一緒に金剛さんの後を追った。

 

 この後に待ち受ける艦娘との衝撃的な再会なんて、この時の俺達は考えもしなかった。




TIPS
先生は金剛達が私物に触れた事には本当に怒ってない。
よくある事だし、微笑ましいとも思っている……らしい。

・写真立て
写真に写っていたのは、真と、少し成長して髪が伸びている三原深月と、ネギ先生。


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第二十七話 技術

 夏の陽射しが砂利道に降り注ぐ午後。

 熱のこもる首元に風を送るため、後ろ髪に手を通してばさりとやると、隣を歩く夕立が「今日も暑いっぽい」と声をかけてきた。

 

「夏だもんね。かき氷とか食べたくなっちゃう」

「それも良いけど、スイカも食べたいっぽーい」

「こんな日こそ紅茶が飲みたいネー! モチロンHOTでお願いシマース!」

 

 先導する紅茶先輩……じゃなかった、金剛先輩が肩越しに笑いかけてきた。こんな日こそ、って、さっき先生の部屋で飲んでたような……。あれは紅茶じゃなかったのかな。

 俺は飲むならミルクティーがいいな。お砂糖どばどばミルク増し増しなやつ。それかクリームソーダ。

 あー、こんな日こそクリームソーダが飲みたいネー。出撃とか増える前にお小遣い入ったから、思ってたより少なくて、今あんまり余裕ないんだよなあ。でも今月は期待できそう。諭吉さん何人お引越ししてくるかな。一人は来てほしいなー。

 

「さあ、体育館につきマシタヨー! ぽいぽいちゃん、ここであってマスカ?」

「ぽ……あってるっぽ、あってます」

 

 欲に濡れた思考でいると、金剛と夕立が高度なやりとりをしていた。

 『お前今日からぽいぽいちゃんって呼ぶからな』『やめてほしい切実に』……みたいな。

 ただの想像だからたぶんそんな事どっちも考えてないだろうけど、夕立がなんで言い直したかは気になる。どえらい先輩相手だからかな。仕方ないね。

 

「では突撃シマース! follow me!」

「は~い」

「ぽい」

 

 ガララッと扉をスライドさせて踏み込んでいく金剛に緩く返事をしながらついていく。ぽいぽいちゃん……もとい夕立は鳴いて返事をした。……いつも思うけど、時々「ぽい」だけで喋る時あるよね、夕立。

 言いたい事はなんとなくわかるけど。……なんか悔しいな。

 

 広いだけあってやや涼しい体育館には、四人の艦娘がいた。ステージ下の二つ並んだパイプ椅子に座る川内先輩と神通先輩に、ステージ上にはお目当ての那珂ちゃん先輩が改二衣装でマイク片手に立っていた。

 ……その横には、フリルやヒラヒラのついたやたら可愛らしい格好の吹雪がいた。

 スピーカーからじゃんじゃか流れてる軽快な音楽はなんだろう。……ひょっとして、歌の練習してた? ……吹雪も?

 

「ハイ皆さん、コンニチハー!」

「くぉっ、金剛せんぱ……島風ちゃんっ!? ゆ、夕立ちゃん!?」

 

 マイクを両手に握っていた吹雪は、金剛の登場に驚いたかと思えば、俺達を視界に捉えると目を剥いた。

 びっくりしてるみたいだけど、驚いてるのはこっちも同じ。吹雪……その格好はいったい何かな。

 

「金剛ちゃん? 帰って来たんだ~」

「ただいまデース! 那珂ちゃんと手合せするためにやってきましたヨ~」

 

 驚いた様子で立ち上がって振り返る川内先輩と神通先輩や、壇上であわあわしている吹雪などお構いなしに那珂ちゃん先輩に手を振る金剛。

 親しげだ。そういうイメージはなかったけど、ううん、どこの艦娘も同じ友人関係や知り合いがいる訳じゃないのは、当然の話だ。

 

「ぽい」

 

 そっと顔を寄せてきた夕立とひそひそ囁き合う。ねーね、吹雪ちゃんのあのかっこ、なんだろね。アイドル?

 

「吹雪ちゃんがここで那珂ちゃん先輩と同じ練習をしてたなんて知らなかったっぽい」

「夕立ちゃんが知らないだなんて、珍しいね。何かの陰謀かな?」

「かも。吹雪ちゃんはきっと秘密兵器だったっぽい。それを知ってしまったあたし達は、那珂ちゃん先輩に消されてしまうっぽい……!」

「ひえー、こわい」

 

 ひそひそひそ。

 俺達が顔を寄せ合って囁きあっていると、吹雪はマイクを胸に押し当てて俺達を注視し、顔を赤くさせたり青くさせたりしていた。

 あんまり面白がってると倒れてしまいそうだから、からかうのもそろそろやめにしようか。吹雪泣きそうだし。

 

「吹雪ちゃーん」

 

 手を振ってみれば、吹雪は真っ赤な顔で控え目に手を振り返してくれた。どういった経緯でその格好をする事になって、ステージに立っているのかわからないけど、吹雪なら変な理由ではないだろう。今はステージから下りて金剛と何事か話している那珂ちゃん先輩と同じ、アイドルになると言うのなら、それもいいんじゃないかな。恥じらう姿かわいいし。

 ステージに寄って行って、俺と夕立で下から呼びかけても、吹雪はスカートを押さえるような仕草をするだけで下りてこなかった。ので、ステージに手をかけて体を押し上げ、ステージへよじ登る。夕立に手を貸して引っ張り上げれば、吹雪ちゃん包囲網の完成。ふはは、逃げ場はないぞ吹雪ちゃん!

 

「吹雪ちゃん、アイドルになったの? 衣装かわいいね」

「いやっ、これは、その」

「よく見ると那珂ちゃん先輩の衣装と似てるっぽーい」

「あっ、あのね、あの……うぅ」

 

 ありゃ。

 フリルを弄ったり言葉をかけたりしてたら、とうとう吹雪は蹲って膝を抱えてしまった。腕の中に顔を埋めたから、顔も見えない。

 ……あれ、本気で落ち込んでる?

 

「ごめんね、吹雪ちゃん。偶然とはいえ……知られたくかった?」

「そ、そういう訳じゃないけどぉ……恥ずかしいよ……」

「恥かしがる事はないっぽい。夕立達は吹雪ちゃんを笑ったりなんかしないっぽい」

「で、でも、変じゃないかな……私が、アイドルなんて……」

 

 変。……じゃ、ないって言ったら、そりゃ、吹雪のイメージではないけど。

 真面目な吹雪が、いかにもな衣装に身を包んでマイクを手にしているだなんて想像もした事がなかったから、さっきは面食らってしまった。

 でも、今はもう、単純にかわいいとしか思ってない。きっと彼女が歌ったり踊ったりしたって、純粋に称賛できるだろう。

 あ、でも、その衣装なら、縛ってる髪は下ろした方が良いんじゃないかな。

 

「うー、那珂ちゃんにも言われたけど、髪を(ほど)いたら、何かが変わっちゃいそうで……」

「それはきっと良い変化っぽい。勇気を出して。吹雪ちゃんなら、きっと踏み出せるっぽい!」

 

 顔を上げた吹雪が、首元で纏められた後ろ髪を気にするのに、夕立が優しく諭す。

 なんかすっごいアイドルモノみたいな雰囲気出てるんですけど。……ううん、こういう空気、苦手だったんだけどなあ。ふわふわした空気というか。

 今はそんなでもない。むしろ、吹雪の背を押したくなってしまう。

 友達が迷ってるなら迷いを振り切る手伝いをしたいって考えるのは、当然の事だよね? なんにもおかしくないはず。

 

「……うん、わかった。ここまできたら、やるしかないよね!」

 

 ぐっと拳を握って勢い良く立ち上がった吹雪は、すぐに縛った髪に手を伸ばしてヘアゴムを抜き取った。ほどけて散らばる髪を、頭を振ってふわりと広げ、整えた吹雪は、雰囲気ががらりと変わって、どこに出しても恥ずかしくない美少女になった。

 かわいいのは元からだけど、まっすぐな真面目さがそれを隠していたから、今はそれがなくなってありのままの姿を見せている。アイドル衣装で魅力もアップ。那珂ちゃんと並んでも、見劣りはしないだろう。

 ぱちぱちと手を打って、かわいいを連呼する。照れたように頬を掻いた吹雪は、そういえば、と気を取り直す風に、俺達がなぜここに来たのかを聞いてきた。

 

「金剛先輩が、えーと……真先生の技術ってやつを見せてくれるっていうから」

「手品は凄かったから、きっとその技術も凄いものに違いないっぽい」

「技術……それって……」

 

 そういえば、先生が見せてくれたはずの手品の事、なんにも覚えてないんだけど……惜しいなあ。頼んだらまた見せてくれるだろうか。とりあえず後で夕立にどんなのだったか聞くとして、今は吹雪だ。『先生の技術』と聞いて、吹雪はやや俯いて呟いた。心当たりがあるのだろうか。そっと金剛の方へ顔を向ける吹雪にならって、俺と夕立もそちらを見る。

 

「那珂ちゃんは今、怪我とかする訳にはいかないんだよ。いくら金剛ちゃんの頼みでも、お手合わせは受けられないな」

「ムムム……怪我をさせないようにしマスから、そこをナントカ!」

「ダメッたらダメだよ。体術なら那珂ちゃんの方が上だし、手加減なんてしたら、金剛ちゃんが怪我しちゃうでしょ?」

 

 ……あの話しぶりだと、ひょっとして、先生の技術って那珂ちゃんも習得しているのだろうか。しかもそれは、金剛よりも高く深く。

 そして、体術って事は、やっぱり格闘技みたいなものなんだ。金剛はそれを見せてくれようと、那珂ちゃんに話にきたんだろうけど……難航してるみたいだ。

 怪我したくないっていう那珂ちゃんの気持ちは察する事ができる。こんなに素敵な相方を捕まえて一緒に練習に励んでて、その途中で足や腕に怪我なんかして中断したりする訳にはいかないだろう。それに、練習をするって事は、それを発揮する場があるって事だろうし、なおさら怪我は避けなければならない。

 これは、諦めた方がいいかもしれないな。金剛一人では見せられない技術のようだし、見られないならそれで、俺も諦めがつく。気になるといえばそうだけど……俺には俺の戦い方があるし、大丈夫。

 

「手合せしてくれるなら、間宮の新作パフェを奢っちゃいマース!」

「えっ。……あー……うー」

「勝ち負けは関係ありまセーン! でも那珂ちゃんが勝てば、コレにアイスのタダ券もつけちゃいマース! どうデスカー? 惹かれちゃうデショ?」

「うぅ~、アイドルに甘い話は厳禁だよ~! 恋もスイーツも御法度なの~!」

 

 文字通りの甘い誘惑に耐えて突っぱねる那珂ちゃん。しかし、なんというか、さっきまでは鉄の意思を感じさせる厳しい表情だったのに、へにょへにょと崩れてしまっている。……あと一押しでいけそう。

 

「……先生の特製ケーキもお付けシマス」

「ええっ、ほんと!? ほんとだよね!? 嘘だったら酷いよ!」

 

 それまでの押せ押せモードから一転して、静かに囁いた金剛の言葉に、那珂ちゃんはあっけなく屈した。金剛に詰め寄って無理矢理小指を絡ませ、ゆーびきーりげーんまーん、嘘ついたら魚雷千発当てちゃうぞ! と約束させた。金剛はなぜか憂鬱そうに横目になっていた。

 

「じゃあ、すぐやっちゃうよ! 川内ちゃん、神通ちゃん、椅子どけてー!」

「はいはーい!」

「もう、那珂ちゃん……」

 

 姉妹を使って広い場所を作った那珂ちゃんが、金剛と距離をとってから向かい合う。……マイクを握ったままでいいのだろうか。危なくないのかな。

 なんて考えていると、合図もなしに那珂ちゃんが駆け出した。頭を低くして素早く金剛の間合いに入ると、腕を伸ばした。拳は握られていない。掴もうとしてる? その場でどっしり構えていた金剛は、那珂ちゃんの腕を自身の腕で叩き落すと、そのまま腕を絡め取ろうとした。だがどういう訳か、金剛が掴んだはずの那珂ちゃんの腕はするりと抜けていった。

 走ってきた勢いのほとんどを動作に費やしたかのように金剛の目の前で止まった那珂ちゃんが反対の腕も伸ばす。マイクを持っている方の手。帯を狙った手はさっきと同じように叩かれ、そして、同じように、掴もうとした金剛の手から逃れた。

 伸びた手が弾かれ、掴まれた腕を返して抜け、足を入れ替え、居場所を入れ替えながら、激しくも静かな攻防が続く。手が触れ合うたびパシッと音が鳴り、はためく袖や翻るスカートの音が混じる。

 目まぐるしくて、手の動きは見えているのに、二人が何をしているのかよくわからず、必死に目で追った。技術というだけあって洗練された動きは、それだけするのがやっとで、その動きにどういう意味があるのか、何を狙ってやったのかなんて、さっぱりわからなかった。

 

「――!」

 

 防いで防がれてばかりの中で、ついに那珂ちゃんの手が金剛の腕を捉えた。左手で金剛の右腕を掴んだ那珂ちゃんは、それを下へ引き込みながら、肩から突っ込み――それ以上は、何をしたかわからなかった。

 ただ、那珂ちゃんよりも頭半分大きい金剛の体がふわっと浮いて、床へと叩きつけられそうになって、しかしそうはならず、一回転した金剛はしっかり二本の足で床を踏みつけた。どしん、と重量感のある音が響く。今度は金剛が仕掛ける番だった。技の成功を信じて疑わなかったのだろう那珂ちゃんが一瞬硬直した隙に、握られていたままの腕を握り返して引き寄せると、先の那珂ちゃんと同じ動きで床へ投げつけ、はっとした那珂ちゃんが身を捻って体全部を回転させ、ズダダッと着地した。

 

「どうしマシタ、那珂ちゃん。腕が鈍ってマース!」

「そうかもね。金剛ちゃんに返されちゃうなんて、ちょっとショック!」

 

 軽口を言い合う二人は、どちらも不敵な笑みを浮かべているけど、額に汗を滲ませ、肩で息をしていた。

 数十秒もないやり合いだったのに、きっとそれには相当な集中力が必要で、どれだけ体力があってもどんどん消費していってしまうのだろう。……金剛と那珂ちゃん先輩だからこそ、この消耗具合なのかな。

 再び二人がぶつかりあったのには、やはり合図などなく、そしてこれまでの経過時間と同様、決着までの時間も短かった。金剛の手によって床に叩きつけられた那珂ちゃん先輩が「きゅう……」と目を回した事で勝敗が決した。背中から落ちたけど、大丈夫なんだろうか……。

 吹雪も心配だったらしく、ステージを飛び下りて那珂ちゃん先輩の下に駆けていったので、俺と夕立も後に続いた。

 

「やっぱり腕が落ちてマスネー。鍛錬を怠っては駄目デース」

「うー……はっ!」

 

 那珂ちゃん先輩の手から転がり落ちたマイクを拾った金剛の声に反応してか、はっと目を開いた彼女は、がばっと身を起こすと金剛に縋りついた。

 

「ね、ねえ、先生の特製ケーキも、勝ち負けに関係ないよね! ね!?」

 

 さ、最初に気にする事それなんだ。

 金剛が緩く首を振ると、那珂ちゃん先輩は床に手をついて頭を垂れた。よっぽどショックみたい。先生の作るケーキってのは、そんなに美味しいのだろうか?

 

「んー、しょうがないデスネー。先生からいただいたケーキ、那珂ちゃんにもわけてあげマース!」

「本当!? あ、ありがとぉー! やったー! やっほーい!」

 

 ぴょーんと跳ねた那珂ちゃん先輩は、その勢いのまま金剛に抱き付くと、ぐるりと回り込んで、再び正面に戻った時には、だいぶ落ち着いていた。

 

「那珂ちゃん、大丈夫ですか? 怪我は……」

「大丈夫だよ、吹雪ちゃん。那珂ちゃんはへーき!」

「兵器だけに……なんてネ」

 

 寒い。

 金剛先輩、寒いです。そのギャグは寒い。

 一人でフッフと笑っている金剛先輩から目を逸らして、吹雪と那珂ちゃん先輩を見る。並んで立つと、衣装も込みで凄い華やかだ。うーん、よいぞよいぞ。なんだかわからないけど、嬉しくなってくるというか、元気が出てくるというか。不思議な気持ちだ。

 

「さあ、島風! どうデシタ?」

「あ、えーと、とにかく凄いって思うばかりで、技術の事はよく理解できなかったんですけど……」

 

 意識の外に置いた金剛先輩から声がかかったので、歩み寄りつつ言葉を返す。

 でも、理解できた事が一つある。

 あんな精密な動きは、どれだけ練習したって俺にはできそうにないって事!

 

「オ、オゥ、そうデスカ。なら仕方ありまセン。習得しようと言うならば力を貸そうと思いマシタがー、その必要はなさそうデスネ!」

「お心遣い感謝します。良いものを見れました。参考にさせていただきます」

「島風はお堅い時とオチャらけた時のギャップが大きすぎデース。もっとfriendlyにドーゾ!」

 

 と言われましても。

 すっごくノリ良くて感じ良い金剛先輩だけど、そんなすぐには砕けた態度はとれない。

 今すぐタメ口きいても気にしないでいてくれるだろうけど、そこは、俺の気持ちの問題だ。

 

「じゃあ吹雪ちゃん、那珂ちゃんは金剛ちゃんとスイーツ食べに行ってくるね! 歌の練習も踊りの練習もしてほしいけど、そこは吹雪ちゃんの自由だよ。那珂ちゃんだけお休みなんてズルイからね!」

「そんな事ないです! 私、もっともっと頑張りますね!」

「もー、頼もしいぞー、このこのっ」

 

 気をつけのポーズで額をつっつかれる吹雪を眺めていれば、金剛先輩にお別れの挨拶をされたので、頭を下げておいた。また会いマショ~、と嵐のように去っていく金剛先輩と那珂ちゃん先輩を見送れば、やっぱりというか、静かになったと感じてしまう。スピーカーからは未だに軽快なミュージックが流れているというのに。

 

「吹雪ー、どうする? 練習続けるんなら、私達も付き合うけど」

「はい、お願いしますっ」

 

 川内先輩と神通先輩は、那珂ちゃん先輩に代わって吹雪の練習を監督するつもりみたい。頑張るなあ、吹雪。それだけ本気って事なんだろう。

 

「……夕立ちゃん、吹雪ちゃんがアイドルになろうと思ったきっかけが何かとか、知ってる?」

「知らないっぽい。そういう話もしてなかったはずだし、なんでアイドルになろうとしているのか、謎に包まれてるっぽい」

 

 そこら辺も、後で吹雪に聞いてみようかな。

 

 

「そ、それじゃあ、歌うね」

 

 恥じらう吹雪を押し切って、練習中の歌を聞かせてもらう事になった俺達は、用意されたパイプ椅子に腰かけて、深呼吸する吹雪を見上げた。今だけのソロライブ。

 さっきもかかっていた軽快な曲が流れ出すと、吹雪は両手で握ったマイクを口元に持っていって、高く歌い始めた。

 引っ掛かりのない、よく通る声。少したどたどしさが窺える歌い方。まだ踊りを合わせる事はできないって言っていたけど、これだけでも十分絵になっていた。

 ……歌、上手いな。ちょっと意外。

 歌の方も一番までしか覚えてないらしく、そこまで歌い切った吹雪は、フェードアウトする音楽の中でふぅっと息を吐いた。額や首元を拭う姿に妙に色っぽさを感じて、友人の小さな成長に、俺はまた感動してしまって、ちょっと涙が出た。ぱちぱちとひたすら手を叩く。この気持ちが、少しでも彼女に届くように。

 

 

 その後は、吹雪の踊りの練習に付き合ってダンスレッスンをしてみたり、先生の技術を一つだけできると言う吹雪に実践してもらってマットの上に叩きつけられたり、コンビニエンス妖精で駄菓子を買い込んでお菓子パーティをしたりと、充実した時間を過ごした。

 ……宿題の事を思い出したのは、消灯時間を過ぎて布団に潜り込んだ後だった。夕立に泣きついて一緒にやってもらったおかげで、なんとか翌日提出できたけど、眠くてしかたなくて、授業中に居眠りしてしまった。

 先生、怒る事はないし、語気を荒げたりなんかも全然しないんだけど、だからこそ悪い事すると凄く委縮してしまう。怒らなくても怖いのに、怒ったらどれくらい怖いんだろうか。……絶対怒らせたくないな。




TIPS:「私の技術」とは「私が編み出した技術」ではなく「私が習得した私の持つ技術」という意味。

TIPS:曲名は『Love&Peaceの三原則』

ブッキーがシマカゼを投げ飛ばすシーンはカットの憂き目に。
身を持って受けてもやっぱり技術を理解できず、細かい事が苦手なシマカゼには習得は難しいと判断される。身に染みてわかる、というやつ。

次回は雷の悩みを解決するお話。
たぶん。


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第二十八話 雷電姉妹のお悩み相談

更新再開。


話タイトルのお悩み相談ですが、諸事情により大幅に削られています。
雷暁響とのお買い物イベントや、電との会話イベント、電のレベルのお話などをずっぱりさっぱり切ってしまったので、かなり歪な感じに。

しかし上手い事処理できなかったので、この形でお送りします。
実力が足りなかったのです。この場を借りてお詫び申し上げます。

残り十話ほどの本作ですが、もう少しの間お付き合いいただければ幸いです。


 

「好きなモノは好きなんだって 何十回でも言っちゃお~」

「……その気の抜ける歌はなんなの?」

 

 ベッドの縁に腰かけて、連装砲ちゃん達と戯れながら先日吹雪が歌って聞かせてくれた曲を口ずさむと、テーブルの前に座ってお茶を飲んでいた叢雲が顔をしかめて問いかけてきた。

 

「ひみつ~」

『キュ~』

 

 しー、のポーズを取れば、連装砲ちゃん達も真似して鳴いた。手が短いから口まで届いてないけど、仕草がかわいいので許す。ねー、と顔を見合わせてみせれば、叢雲は露骨に嫌そうな顔をした。

 今日は、夕立は上機嫌な様子で出かけていて、吹雪は例によってダンスに夢中みたい。なので、今この部屋にいるのは俺と叢雲だけ。

 叢雲が港や娯楽室に行ってないのは珍しい。そろそろお休みも終わるから、なんだって。たぶんこの後はトレーニングルームとかに行ったりするんだろう。

 体の準備を整える叢雲だけど、明日に予定されている出撃にはついてこないみたい。第十七艦隊には、代わりに那珂ちゃん先輩が入る事になっている。

 そういえば、今までは第十七艦隊での出撃しかした事がなかったけど、今回は第四艦隊と一緒の出撃だ。朝潮のいる艦隊。由良水雷戦隊。なぜ彼女達と共に海に出る事になったのかと言えば、まあ、なんというか……俺のせい?

 朝潮を探し求めて徘徊する俺を見かねた提督が、一緒にいられる機会を作ってくれたのだ。

 会っちゃいけないと言われている訳でもないし、会えない訳でもないのに、話す機会を逸し続けるのは、ひとえに俺の弱さゆえである。

 なんか、顔を合わせづらい。自分でも理由はわからないけど。

 朝昼晩と食堂に赴いた際も、姉妹艦や同じ艦隊の子と食事をしている彼女の下へ行く気にはなれず、それ以外では自分から会いに行くしかないから、今日まで一言も話してない。まともに言葉を交わしたのは、前に彼女に俺が戦う理由を話した時が最後だ。

 もっと強くなったら、とか、ちゃんと砲雷撃ができるようになったら、とか、胸を張って朝潮の前に立てるよう考えてしまうのは、彼女に自分の良いところを見せたいからなんだと思う。

 で、なかなか強くなんないし、どころか最近あまり調子が良くないので、会いに行こうと思えず……提督に気を遣わせてしまった。

 彼への礼は戦果で返そう。深海棲艦をたくさんやっつける。それが俺の仕事でもあるしね。

 ……とはいっても、さっきも言った通り、ここのところ不調続きだから、良い働きができるか不安なんだよな。

 体調が悪い訳じゃない。たしかに少し頭が重かったり、怠かったりするけど、動くのに支障はない。それより気になるのは、能力値(ステータス)が下がっている事だ。

 調子が悪いのと関係があるのかはわからないけど、計測の結果がどうにも芳しくない。トレーニングや演習、出撃がそのままパワーアップに繋がるはずなのに、数値は上がるどころか徐々に下がり始めている。夕張さんも明石も原因はわからない、と言っていた。現状そこまでのパワーダウンにはなっていないので問題ないけど、このまま際限なく落ちていくのは勘弁願いたい。

 どうすれば下降を止められるのか。……専門家がわからないと言ったのだから、俺が考えても仕方のない事だ。成り行きに身を任せよう。滲む恐怖は胸の内で握り潰してしまって、今は前だけを見て、未来の事だけを考えていく。

 うん、それがいい。

 

 ……さて。

 

「あら、どこかへ行くの?」

「ちょっと散歩に」

 

 部屋の中にいたらなおさら体が鈍ってしまう。トレーニングルームに行くか、敷地内をぶらぶらしよう。

 さんざん戦っても能力値(ステータス)が下がるのは止められてないから、トレーニングは焼け石に水にしかならないかもしれないけど、気は治まる。

 ……風を感じたいな。敷地内を走って回るか。

 用意するものは特にない。出入り口に腰を下ろしてブーツを履いて、膝の上に飛び乗ってきた砲ちゃんを抱けば、準備完了。出発進行!

 行ってきます、の挨拶に、叢雲は湯呑みに口をつけて、答えなかった。でも、目をつぶる事が挨拶を返してくれたみたいに思えて、少し嬉しくなった。

 木造の廊下を歩いて抜け、外へ出る。今日も相変わらず暑い。近々近辺で花火大会が行われるらしいけど、俺達艦娘にはあまり関係のない話だ。……外出許可を取りつければ……いや、ここからでも見れるかな?

 ちなみに情報の出所は青葉の広報紙だ。掲示板に貼ってある新聞みたいな紙は、立ち止まって読んでしまうくらいには有益だ。でもこれって勝手にやってる事なんだよね。お仕事だったらお給金が出そうなクオリティだけど。俺の事だって、広報誌が各寮に貼られたからこそ、ほとんどみんなに知られる存在となった訳で。初対面の相手が自分の名前や顔を知っているのは結構大きい。広報誌の話題から自然に話せるようになっていくし、青葉さまさまだ。感謝の妖精さんフィギュア十七種コンプリートセット送りつけたらわりと普通に喜んでくれた。気に入ってくれたようで何よりだ。

 花火は……んー、どこかにいいスポットはないだろうか。そもそもどの方面でやるのかまでは覚えてないな。後で広報誌を確認しよう。今は走るの優先。

 

 たったか走っていると、流れてくる風にふわりと包まれて、それが気持ち良くて、いつも気付かない内に笑顔になってしまう。悪い事ではないけど、知らない内に、というのが厄介だ。誰かに見られたら恥ずかしいし。

 夕張さんの工廠の前を突っ切り、道すがら作業している妖精さんに挨拶をして、港の方に出て裏手をぐるーっと回るルートを行く。縁のすぐ傍の海面を泳いでくる潜水艦娘達を発見。でっち先輩に伊19、それから、伊168だ。急いでいるという様子ではなく、海面に顔を出して平泳ぎしていた。……帰投したところかな。だとしたら、地下通路を通ってきていないのはなぜだろう。こっちの方が楽なのかな。

 速度を緩めて眺めていれば、俺に気付いたでっち先輩が手を振ってきた。小さく振り返せば、他の二人もこちらに顔を向けて手をふりふりする。でっち先輩に負けずフレンドリーそうな人達だ。話した事はないけど、もし話す機会があれば、すぐに打ち解けられそう。

 彼女達と話す事なく先を急ぐ。忙しなくする理由なんてないけど、今はなんとなくそうしたい気分だった。明石の工廠の方へ入って、そこでも働く妖精さん達と挨拶を交わしつつ、今度は本棟の前側へ。石畳みたいな地面や整えられた地面に、切り揃えられた芝生などが多くなって、見栄えの良い道。ここを走るのもなかなか楽しい。景観というのも大事なんだなー、とか思ったりしていると、その中に丸っこい大きな何かがあるのを見つけた。端の方。芝生の生えた、その中央辺りに植えられている木の根元。白いセーラー服を纏った、薄紫色の髪を短く切った艦娘。

 ……さっきからぴくりともしていないような気がするんだけど、あれ、大丈夫なんだろうか。日射病とか? 具合悪くて休んでるのかな。

 考えている内に不安になって、足を止めてしまった。本棟の正面の広場。ここは静かだ。遠くから聞こえてくる重く響く船の声や、人々の息づく気配以外には、風が木々や葉を揺らす音くらいしかない。

 歩み寄ってみれば、その少女の寝息が聞こえてきた。安らかなもので、何か悪い事があってそこに寝転がっている訳ではないらしい。肩も緩やかに上下しているし、たんに涼んでいたら寝てしまっただけ、とかなのだろう。心配する必要はなかったな。

 

多摩(たま)ちゃ~ん」

 

 ぱたぱたと騒がしい足音が近付いてきた。振り返れば、軽巡洋艦の球磨(くま)が走り寄ってくるところだった。茶髪の長髪。カクカクしたアホ毛が前後に揺れている。格好は、丸くなっている少女と同じ物。

 木の根元で寝ている少女へ走って行った球磨は、そのまましゃがみこむと、多摩と呼んだ少女の肩を揺らして起こしにかかった。

 

「こんなところで寝てると風邪ひくクマ。起きるクマ!」

「にゃぁ……寝てないにゃ……」

「寝てるクマ! 鼻提灯出てるクマー!」

「これは水風船にゃ……多摩はお祭りを楽しみにしているだけ……にゃ」

「多摩ちゃん! ……眠ってしまったクマ」

 

 ころんと転がされた多摩は、話している間ずっと目をつぶっていた。それがまるで寝言で会話しているように見えてしまって、浮かんでくる笑みを抑えるのが大変だった。だってなんか、奮闘してる球磨を前に笑ってしまうのは失礼かなって。

 そういう気遣いは必要なかったみたい。球磨は俺など気にせず、大胆にも多摩を担ぐと、そのまま本棟の裏へ走って行った。

 彼女達が完全に見えなくなるまで見送ってから、反対方面へと顔を向ける。

 俺も、走るのを再開するか。

 

「大丈夫? 休憩は必要ない?」

『キュー』

 

 特に意味のない問いかけを連装砲ちゃん達にしてから、再び駆け出す。先程の光景を思い出すと、足裏から伝わる衝撃もいっそう心地良く思えた。

 

 あまり進まない内に、また一人の少女が蹲っているのを見かけた。本棟の横面。校舎裏みたいなとこ。

 煉瓦に似た壁の傍にいるのは、球磨や多摩の同型……その末っ子の木曾だろう。後姿からもなんとなく察せた。白い帽子に短めの黒髪。姉妹と同じ白いセーラー服を覆い隠すように、黒く重厚なマントが背中を覆っていた。つまりは、改二。マントは左肩には少しかかる程度で、右肩の方はすっぽり埋まっている。ううむ、ただそこに座っているだけなのに、妙な貫禄がある。マント格好良い。サーベルを帯剣しているのもポイントが高い。

 知識では口調が硬く、天龍と同じように怖い印象のある艦娘だからお近づきになりたいとはあんまり思えないけど、遠巻きに眺める分には良いだろう。

 と言う訳で、距離を取って芝生の上に逃げ込み、高い塀の傍、植樹されたのだろう大きな木の裏に隠れ、幹に手を当ててそっと覗いてみた。俺の足下に集った連装砲ちゃんも、だんご三姉妹となって木曾の動向を窺う。

 ……彼女は一体何をしているのだろう。ミカン箱……大きめのダンボール箱の前に片膝をついて、眺め回しているみたい。宙に浮いた片手が所在無さげに揺れている。捨て猫でも見つけたのかな。ベタすぎる。この鎮守府に猫を捨てる人なんていないから、違うだろうけど。

 ……まさか、ダンボール箱相手に話しかけてる?

 格好良い彼女がそんな事をしていると想像してみると、なかなかにシュールだ。真偽を確かめるために、耳を澄ませて艦娘イヤーをフル稼働させる。想像通り彼女は何やらダンボールに話しかけているようだった。

 …………。

 隠密性に長けたこだわりの逸品……落ち着く……何時間でも入っていられる……。

 風に乗ってきた声からは、妖精さんの意思のように断片的な言葉しか読み取れなかったけど、なんかおかしな事言ってるってのはわかった。

 なんでそんなにダンボールに構うのだろう。意外な趣味? 青葉が黙っていなさそうな。

 しかしなんというか、異様な事をしているのに、彼女に対して幻滅するだとか、そういったものは何もなかった。

 格好良いイメージが崩れないのは、姿による影響も強いけど、一番はあれかな。元々そんな感じのイメージも抱いていたから、かな。末っ子ってそんなもの。

 

「木曾っちー、何やってんの?」

 

 うんうん、と一人で納得していると、上の方から声がした。二階の窓を開けた北上が覗き込むようにして木曾を見下ろしている。……今日は球磨型デーなのかな。やけに同型の子を見かける。これで大井も見る事ができたらコンプリートだ。

 

「姉さん……なんで」

「んー? あー、大井っちが探してたよー。なんか怒ってたみたいだけど、なんかしたの?」

 

 上を見上げて固まる木曾は、どうやら呆然としているようだった。ここからでは表情までは窺えないが、声音からそう察する事ができた。それに、北上の問いに答えないままでいるし、間違ってないと思う。なぜ彼女が呆然とするのか、その理由がわからなくて、覗き見しているこっちとしてはもやもやしてしまう。ただ、少しばかり面白そうな気配がしたので、息を潜めて様子を窺う事にした。

 反応が得られない事に首を傾げた北上は、垂れた三つ編みおさげを手の甲で押し退けつつ体を戻すと、んじゃね、早く行きなよー、とのんびりした声で言って、それきり顔を出さなかった。……窓開けっ放し……。

 

「……いない」

 

 窓の方を気にしていると、木曾が呟くのが聞こえた。見れば、ダンボールを持ち上げて、壁を見ている。……何をしてるのかさっぱりわからないけど、哀愁漂う背中を見ているとなんとなく切なくなってきたので、意味もなく応援した。いや、ほんとに意味なんてないけど。

 頑張れ木曾っち。負けるな木曾っち。マント着てみたいよ木曾っち。

 眼帯とかマントとか着けて格好つけたいお年頃なんて、もうとっくの昔に過ぎているんだけど、俺の心はまだまだ若く、そういったものを求めがち。特に今は、何をしようが咎められない姿をしているから、なおさらだ。かけっこをしようがライダーごっこをしようが、子供の姿なら許される。木曾は……中学生くらいかな。ぎりぎりごっこ遊びもいけるだろう。マントを翻して悪の大幹部ごっことか……いけない。変な妄想してた。きっと調子が悪いせいだね。時折立ち眩みが起きるようになったのも、時々吹雪を弄っちゃうのも、クリームソーダを六杯も飲んじゃうのも、全部調子が悪いからだ。そうに違いない。

 ねー、と小声で連装砲ちゃん達に同意を求めれば、キュー? と見返された。あれ? 無条件で同意してくれないんだ……。

 不思議そうに俺を見つめる連装砲ちゃん達に苦笑を返し、木曾の観察に戻る。……あれ、なんか……こっちを見ているような。

 えーと……。

 

「おい」

 

 ……私は木。私は木。私は木。

 

「おい」

 

 なんと、俺の隠密術が通用しない。

 なんて馬鹿言ってる場合ではない。ひょっとして、怒ってるのかな。薄いブルーの目が細められているのは、陽射しのためだろうか。金の装飾が施された眼帯の威圧感が半端じゃない。というか、サーベルに手をかけてない? 手首引っ掛けてるだけ? いずれにせよ超怖いんですけど。

 ……さっさと出て行くのが得策かな。

 

「お前、そこで何を――」

「そこにいたのね」

 

 何を、と問いかけながらも、俺が何をしていたのかは想像がついているのだろう、やや気に障っているかのような笑みを浮かべてこちらへ来ようとした木曾は、二階の窓から降ってきた声に固まった。

 きっとそれは、緊張からくるものなのだろうなと、なんとなくわかった。

 

「大井姉さ、っ!?」

 

 振り仰いだ木曾は、窓から飛び出してきた大井に言葉を途切れさせて、咄嗟に受け止めた。どさっと重量感のある音がしたものの、大井が地面と激突するなんて事はなく、その体は木曾の両腕にすっぽり収まっていた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。うわあ、凄いもの見ちゃった。

 

「危ないだろ」

「危なくないわよ。受け止めてくれるでしょ?」

 

 地に足を着けた大井は、木曾と向き合うと、当然といわんばかりに言い切った。強い信頼が窺える言葉だ。でも、だからって飛び降りるのはよくないと思う。論理的な観点からと言うよりは、精神的な意味で。艦娘の頑丈な体だからできる荒業だ。それゆえに、俺みたいに普通の精神を持ってる人間からしてみれば、ひやっとするどころじゃないくらいびっくりした。

 受け止めた木曾はそうでもないみたいだけど、なんか、それとは違う感情でも抱いているのか、微妙な顔をしていた。不満そうというか、ふてくされたような顔。それはすぐに消え、さっきと同じ凛とした表情に戻る。彼女が何を思ったのかは、俺にはわからなかった。

 

「怒って……ないのか?」

「どう見える?」

「どうって……」

 

 腰に手を当てる大井に、困惑した様子の木曾。込み入った事情があるようだけど、少ない言葉だけ交わす二人からは事情を読み取る事はできなかった。

 でも、大井の登場で木曾の注意は完全に俺から外れたみたい。良かったー。わりと本気で怖かったんだよね。

 以降も二人がこちらに意識を向ける事はなく、腕を掴まれた木曾は、たじたじになって連れていかれてしまった。気配が遠ざかるのを確認してからふぅいと息を吐く。あー怖かった。やっぱりあんまり近付かない方が良さそうだ。ああいう感じの艦娘には。

 

「えーっと……」

 

 さて、木曾がやたら気にしていたダンボール、今もそこにある訳だけど、いったい何が彼女の気を引いていたのだろう、その検証のために近付いてためつすがめつしてみたけど、別になんて事ないただのダンボール箱だった。ひっくり返しても中身が空だってくらいしかわからない。

 そういえば木曾はこれを持ち上げて「いない」とか呟いてたけど、中に誰か入っているとでも思っていたのだろうか。……そんな馬鹿な話はないか。誰がダンボールの中に入り込むというのだ。そんな酔狂な人間はいない。もしいるとしたら、そうだな。かくれんぼしてる幼い子供くらいだろう。

 それで、このダンボール箱はここに放置してていいのかな。かたしといた方が良い? ……連装砲ちゃん達に聞いてもわかんないか。ただ、二階の窓は閉めといた方が良いよね。

 開きっぱなしの窓を見上げていた俺は、顔を戻したついでにダンボールの位置も最初に見た時と同じ位置に直すと、本棟の入口へと足を向けた。

 

 

「ねえ、電は本当にそれでいいと思ってるの!?」

「知らないのです……雷ちゃんの事なんて、もう知らないのです!」

 

 二階の踊り場に辿り着いたくらいだった。切迫した声が聞こえたかと思うと、カンカンと階段を急ぎ下りる音がして、小柄な影がすぐ横を通り抜けた。胸に両手を押し当て、顔を俯かせた電だった。

 秘書艦である彼女が執務室の外に出ているのを初めて見た……なんて一瞬思って、それから、三階の方を見上げた。電を追おうとしたのか、二階と三階の間の足場まで下りてきていた雷は、俺の姿を認めるとブレーキをかけて、止まってしまった。やや赤らんだ顔に、上下する肩。強張った表情は、怒りや後悔を窺わせて、だからか、彼女は顔を背けると、俺に背を向けて猛然と階段を駆け上がって行った。

 

「……喧嘩かな」

「いや、そうじゃない」

 

 腕に抱いた砲ちゃんに話しかければ、えらく静かな声で砲ちゃんが言った。

 

「……って、え、砲ちゃんが喋った!」

「……」

 

 びっくりして、両手で包み込んだ砲ちゃんを高く持ち上げると、不意に背後に気配を感じた。顔を向ければ、響が泰然として立っていた。なんだ、砲ちゃんじゃないのか。残念。

 というか、いつの間に後ろに?

 

「なんで言い合いになっちゃうのかしら。ダメダメよ」

 

 二階の通路に続く扉を開けて出てきた暁が、呆れた風な仕草で言って響に並んだ。上階を見上げる二人にならって首を動かす。

 喧嘩じゃない? じゃあ、さっきのはなんだったんだろう。ただ事でないのは確かだと思うんだけど。

 

「問題ないよ……とは言えないな」

「電があんなに怒ってるの初めて見たわ。……もう」

 

 気になったので、大丈夫なのかと問えば、そんな答え。

 とにかく雷を止めに行こう、と響が言う。頷いた暁と二人で階段を上っていくのを見送った俺は、連装砲ちゃん達に目を向けて少しの間考え、すぐ、彼女達の後を追う事に決めた。

 あんな声を聞いてしまったら、気になってしょうがない。それに、ちょっかいを出すべきじゃないかもしれないけど、できるなら何か手伝ってあげたかった。

 

 執務室の扉の前で、三人が顔を突き合わせて話していた。静かな廊下だから、扉を潜り抜けた時には、嫌でも会話の内容が耳に入る。

 雷は今すぐにでも提督の下に飛び込むとしているようだ。理由は――電をいじめてるから?

 初耳だ。そんな事するような人には思えないし、そういう関係には見えなかったんだけど。

 

「そうじゃないって、わかってて言ってるでしょ」

「それは……」

「私達相手に意地を張る必要はないよ」

「……わかってるわよ」

 

 いや、どうやらそうじゃないみたい。

 歩み寄っていくと、三人は、連装砲ちゃんを引き連れて来た俺に目を向けて、しかし何も言わずに会話に戻った。この問題に俺が参加しても良いという事だろうか。雷は少し話し辛そうにしているけど……。

 それでも、響と暁が促すと、雷は観念したように首を振って、言い合うつもりはなかったんだけど、と前置きした。

 

「電ったら、なんにも話してくれないし……私相手にもよ? 変だ、変だってずっと思ってたから、頭に浮かんだ事をそのまま言ったの」

「『秘書艦をやっているのは嫌じゃないか、ひょっとして苛められているのではないか』……って?」

「でも、でもそれは本気の言葉じゃなかったのよ。私はただ、電の気持ちを聞きたかっただけで……」

「わかってるわ。最近、あの子は部屋に戻ってきたって、思いつめた顔をしてたもの。暁だって、『どうしたの?』って聞きたかったわ」

 

 それでも聞けなかったのは、電が聞かれたくなさそうだったから。それでも雷は問いかけた。一番付き合いが長く、一番近しい間柄だったから……自分には教えてくれる、と、そう思っていたらしい。

 現実はそうではなかった。雷相手でも電は何も語らなかったらしい。さっきあんな風に言い合っていたのは、ひょっとしたら、憤りや、何か他の感情のせいだったのかもしれない。

 ちょこちょこ口を挟んで成り行きを聞く俺を、三人は鬱陶しがったりせずに話してくれた。おかげで事情は呑み込めたものの、しかしこれは親しい間柄の者にしか解決できなさそうな案件だったので、首を突っ込む必要はなかったな、と反省した。電が思いつめていたなんて、執務室で何度か顔を見る程度の俺にはまったく気付けなかったし。

 これ以上はただの野次馬になってしまうか。

 

「謝らなきゃ……駄目よね」

 

 お腹に当てた両手の指を絡めて、伏し目がちに言う雷は、でも、なぜ電が怒ったのかがわからない、と言った。

 

「たぶん、司令官の事を悪く言ったから……だと、思うんだけど」

 

 悪く言った、なんて言っても、雷が口にした司令官への悪口にあたる部分なんて、電にいじわるしてるんじゃないか、の一言だけだ。

 それだけであんなに怒るはずがないから、きっと他にも理由があるんだ。雷だけでなく、響も暁も、そういった結論に達していた。

 謝るのならその原因を探るのは必要だ。雷は眉を八の字にしたまま、響と暁は腕を組んだり顎に手を当てたりしてうんうん唸って考え始めた。

 ……けど、そんなに考えるような事だろうか、これ。単純な理由だと思うんだけど。

 

「好きだから、じゃない?」

「……?」

 

 そう口にすれば、三人ともが不思議そうに俺を見上げた。……そんな顔で見られると、自分が間違った事を言ったんじゃないかと錯覚しちゃいそうなんだけど。

 いや、事実、確証のない推測ではある。でも、話を聞いただけの俺にはこれくらいしか思いつかなかった。

 

「好きな人の事を悪く言われたら、誰だって気分が悪くなるし、怒るよ」

「たしかにそうだけど……でも、それだけであんなに……」

 

 あれ、なんか上手く伝わってない気がする。

 なおも考える素振りを見せる雷に、悩んでいたから、余計苛立ってしまったのかも、と響が言った。雷の言葉だったからこそ、あんな風に怒ったんじゃない、と暁が続ける。

 

「そっか、そうよね。……悩んでるのに、問い質したりなんかしちゃ駄目よね」

 

 こくりと頷いた雷が、こういうの、自分で気づかなきゃいけなかったんだろうけど、と呟いて、俺の顔を見た。

 

「教えられないとわからないなんて、まだまだね」

 

 まだまだ、という言葉には、きっと様々な意味が詰まっているのだろう。

 やはり俺は口を出すべきではなかったのかもしれない。彼女達の間で解決するのが良かったのかも。

 三人を見ていると、そんな風に感じてしまった。

 

 謝ってくる、と言い残して、三人が去っていく。今度は追わなかった。好奇心や興味は、自制しなければならない時がある。それを忘れるだなんて。……これは、調子の悪さは言い訳にはできないな。

 それでも彼女達が仲直りできるなら、良いんだけど。

 ……ああ、気になってしょうがない。

 意味もなく天井を見上げて無心でいると、すぐ横の扉が開いて、提督が顔を覗かせた。気まずそうな顔をしているのを見るに、ここでの話が聞こえていたのだろう。あ、と声を漏らす提督を見上げれば、彼は廊下の向こうに目をやって、それから、一言だけ零した。すまない、という短い謝罪。

 それが何に対するものかはわからなかったけど、提督に、電が何に対して思い悩んでいたのかとかを聞く気にはなれず、俺もその場を後にして部屋に戻った。

 少しの間、他の何かをする気にはなれず、ベッドに横になっていた。

 

 夕食の時に、人のごった返す食堂内で俺を見つけた雷達が、結果を報告しにきた。

 仲直りは成功。話も、少しだけど聞けた、って。

 

「私達に話してくれなかったのは、自分でも気持ちの正体がわからなかったからだって言ってたわ」

 

 それはきっと、大きいものだったのだろう。

 その想いの正体には勘づいたけど、なんというか、ちょっと不思議な感じだった。

 現実味がないというか、夢心地というか。

 笑顔で手を振って自分達の席に戻っていく彼女達を見送ってから、席についてコップを手に取り、水を飲む。

 そういうものって、ほんとにあるんだなあ、なんて思った。



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第二十九話 海上護衛任務

短く区切っていきます。


 

 霧が満ちていた。

 日の光も月の光も通さない分厚い霧が、海を覆っていた。

 何かの爆ぜる音がする。バチバチと断続的に……それと、燃える音。

 海に沈みゆくものが最後に放つ力強い光。揺らめく炎が吐き出す火の粉は、白粒の霧を照らし、明かりの役割を果たしていた。

 静かな海に、水音が響く。パチャ、パチャ……海面を歩行する音。ズルズルと、何かを引き()る音。

 霧が押し退けられていく。奥から小柄な影が歩み出ると、この霧は、舞台に役者を迎えるように、自ら後退していった。

 赤い光だった。

 血色を瞳に灯す人型の、されど人でない者が、そこにいた。

 レインコートに似た黒い皮を纏う、人類の敵。深海棲艦。

 両手はコートに入った切れ込みに突っ込まれていて、腰から伸びる巨大な尻尾は、死んだように海面に横たわっていた。

 

『――――』

 

 目だけで辺りを見回した異形――戦艦レ級と名付けられた少女は、誰にも聞こえない声量で短く呟くと、にぃっと口の端を吊り上げた。狂気の笑みだった。

 周囲に広がるのは、炎を吹き上げる亡骸たち。

 死体に囲まれてなお笑う少女……。なんてことはない。これは彼女が作り出した光景だった。

 いつものように目障りな奴を、いつものように霧の中(テリトリー)に誘い込み、いつものように完膚なきまでに叩きのめした。

 だから今、彼女は機嫌が良かった。今なら、たとえ深海棲艦に敵対する艦娘が一人で自分の前に現れても、適当に甚振ってから死に方を選ばせてやろうと思えるくらいには。

 

 すすり泣く声がした。

 レ級の背後……霧の向こう側。

 幼いような、それでいて、普通の女性のような声。

 声を抑え、息を呑んで、涙を(とど)めようとしているかのような、悲壮な声が断続的に響いていた。

 

『五匹』

 

 くぐもった響きを持つ声が霧の中に広がる。

 前触れなく、レ級が声を発した。

 

『壊シテヤッタ』

 

 今日の天気は晴れだった……そんな風に、当たり前の事を当たり前に告げるみたいに、レ級が言う。

 すんすんと、すすり泣く声。顔からゆっくり振り返ったレ級は頭を傾けて、霧の向こうを眺めた。

 

『次ハ……』

 

 霧が晴れる。

 局地的に。

 レ級が見つめた方だけが、逃れ行く霧のために、海面が露わになる。

 黒く澄んだ、波の無い海の上に、座り込む少女がいた。

 両手で顔を覆って、肩を震わせて、背を揺らして。

 泣き声の正体だった。一人の、艦娘。

 布が擦れる。レ級が足を伸ばして、その少女へと歩み寄っていく。青白くも艶めかしい足が、低い波を割いて前へ出て行く。

 あと数歩のところで、レ級が止まった。持ち上がった片手が、その指先が一度艦娘へと向けられて、でも、そこでは止まらずに動く。頭を覆う布にかかった指先が端をつまむ。

 尻尾が動く。巨体を震わせ、頭を持ち上げると、鋭い歯を噛み合わせて揺れた。鋭角な下顎から水滴が滴り、海へと消えていく。身を捩って振り返った尻尾は、レ級と並ぶようにして少女へと顔を向けると、金属音を鳴らして口を開いた。

 ズラリと並ぶ鋭い歯の奥には、深い闇が続いていた。その中に一つ浮かんだ薄紫の光が、人魂のように妖しく揺らめく。

 頭の両脇に備えられた冷たい砲身も、口の中のその光も、凶器と言える異形の尻尾も、狂気の笑みを浮かべるレ級の目も、全てが泣いている少女に向けられていた。

 

『サァ、誰ヲ沈メヨウカ』

 

 海に沈みゆく仲間に囲まれて、少女は一際強く、声をあげて泣いた。

 

 

「んー、良い天気!」

 

 甲板に出てぐぐーっと伸びをすると、青空から伸びる日光が頭のてっぺんから体までを照らして、暖かさに体が震えた。血の巡りが心地良い。

 僅かに揺れる足下に目を落とし、後ろ腰で手を組んで、しばらく揺れを楽しむ。

 海上護衛任務。

 第四艦隊と第十七艦隊が合同で行っているのは、輸送船の護衛だった。

 当日作戦内容を伝えられた時は、遠征任務という事で気が抜けたのだけど、それは間違いだった。

 かつて俺が提督だった時には、遠征任務は艦娘に損害が与えられる事は絶対にない安全なものだったけれど、これが現実になるとそうもいかない。深海棲艦が現れれば戦うし、攻撃を受ければ損傷するし、最悪轟沈もする。

 出撃も遠征も、危険度にさほど変わりはないのだ。

 そう認識を改めたは良いものの、港に現れた船に乗り込み、僅かな船員と挨拶を交わし、鎮守府を出港すると、海は平和そのもので、船内外の巡回なんかをしていても、こう、どんどん気が抜けてきてしまう。

 初めてのまともな任務って事で緊張していた俺はどこへいったのだろうか。

 

「あつっ」

 

 広い甲板の最先端へ歩いて行って、鉄製の手すりに腕を置けば、予想外の熱に背が跳ねた。

 腕を擦りつつ手すりを睨みつけて、ああそうだった、と独り言ちる。こう天気が良いと、元気な太陽さんによって鉄は熱せられるのだ。生体フィールドを纏ってない時の艤装――12.7cm連装砲と61cm四連装魚雷――や連装砲ちゃんなんかもそうだし、だから、引っ付かれると困るので、今は三匹とも離れた場所でじゃれあっている。

 ここだけ見ると暢気でのどかで、任務ってなんだっけって思えてしまうのだけど、いけないいけない。気を引き締めなければ。今も船の周りには、由良、深雪、五月雨、そして、朝潮が滑り、周囲を警戒している。彼女達だけでなく、船員達も真剣だ。命懸けなのだから、当然。それで俺がぽやぽやしてたら失礼にも程があるし、信用もなくしてしまう。

 でも、今はそう、休憩中みたいなもので……結構大きなこの船を囲むように走る先輩方の、その一人を上から覗くくらいは許されるだろう。

 といっても、ここから見えるのは由良だけだ。カタパルトで飛ばした水上偵察機をキャッチして(!)回収した由良は、おそらく中の妖精さんと二言程交わしてからカタパルトにセットし、シュパーンと射出した。

 空へと舞い上がっていく水偵を見送ってから、手すりに背を向けて体を預け、腕を組む。

 今この船には軽巡が四人いる。由良に、川内先輩に、那珂ちゃん先輩に、神通先輩。みんな海上護衛向けの装備になっていて、全員が水偵を装備している。艦娘だけならまだしも、守るべき対象がいるこの任務では、先んじて敵を見つける事は最重要なのだ。

 この船自体もソナーだかなんだかで敵の接近を察知しようとしているらしいけど、詳しい事はわからない。

 初めてこういった任務にあたる俺に、川内先輩は言った。最初は自分でやれる事だけをやっときな、と。

 俺が今やれる事は、こうしてここで、敵が現れるか、交代の時間まで体力や燃料を温存しておく事だ。

 やれる事からやっていくのは大事。慣れたら自己判断で動けるようになるだろうけど、今はこうして空を見上げるか、ぶらぶら歩き回るくらいしかできない。

 他のみんなはどうしているのだろう。慣れている軽巡の先輩方はさっさと散ってどこかへ行ってしまったし、吹雪と夕立は男の人に何かを聞いていた。俺も一緒に聞くべきだったかもしれない。先輩方にならって外に出たのが間違いだった……かも。

 背を跳ねさせて手すりから離れ、そのまま歩き出す。二人は何を聞いていたのだろう。今さらながらにそれが気になってきた。

 ……が、向かった先は、最初にいた船内ではなく、船の側面。手すりから海を眺めれば、離れたところを走る朝潮の姿を見つける事ができた。目を凝らせば、この船と並走する彼女がぐっと近くに見えて、水飛沫の中に流れる髪やきめ細やかな肌も、凛々しい横顔も、はっきりと目に映った。艦娘の身体能力の無駄遣いだ。

 朝潮は、真剣な顔をしてまっすぐ前を見つめ、スケートみたいに滑っている。時折横……船とは反対の方に目が向けられるのだけど、なんだろう、その仕草が、格好良いというか。……無駄がない? 上手い言葉が見つからないけど、いうなれば、そう、慣れている……か。

 たぶん彼女は、護衛任務はもう何度となくこなしているのだろう。迷いが見えない。気も緩んでない。そういうのになんとなく憧れてしまうのは、俺が新人だからだろうか。

 ……新人って言っても、出撃を繰り返して改にまでなってるんだ。そろそろ新入り気分も卒業しないと駄目か。あんまり『新人だから』を連呼してると、それを免罪符に大小問わず失敗してしまいそう。そういう経験があるから、なおさらそう思った。

 自分に厳しく。自らを戒めなければ、自分だけでなく周りにも迷惑をかける事になる。今はそれが生死に繋がる。真面目にやんなきゃ。

 だから今は、朝潮ウォッチングをしている場合ではない。直接顔を合わせられないからって、一方的に姿を見れるのを幸いと覗き見るのは卑怯な気がしてきたし、そろそろ吹雪達の下へ行って指示を(あお)ごう。彼女達だって護衛任務は初めてのはずだし、いろいろ意見や感じた事を共有できるはずだ。

 

「…………」

 

 ふと、頭が重くなった。

 とばりが下りるみたいに視界が暗くなって、でも、すぐに光が戻る。

 立ち眩みに似た現象。思わず目元を押さえて、しかしその時にはもう、症状は完全に引いていた。

 

 連装砲ちゃん達に声をかけて、だっこだっこと手をぴこぴこさせる砲ちゃんに、仕方ないので熱さを我慢して抱き上げてやってから、船内に足を運んだ。外は波と風の音だけだったけど、中へ降りるとまた別の音が耳に届く。部屋や何かが細かに振動する音や、機関部か何かの駆動音。それから、足に響く重低音。

 狭い通路を進んでいくつかある部屋の内の一つに足を運べば、そこに吹雪と夕立がいた。十数人いたはずの船員は今は一人しか残ってない。

 

「そう、元々この船は漁船だったんだよ。そしてこの漁船は、商船を改造した物だったんだ」

 

 ラフな格好をしている男性は、ガタイの良い見た目通りの重い声で、しかし微かな笑みとともにそう言った。……なんの話をしているのだろう。船の歴史?

 というか、あの人は船長じゃなかったっけ。年長の人。永井さん、だっけ。

 

「あ、島風ちゃん」

 

 二人に歩み寄れば、最初に吹雪が気付いて俺を見た。続いて夕立も振り返るのに、軽く手をあげてみせておく。どうも、と船長にも挨拶をすれば、彼は頷いて、すぐ踵を返すと、部屋を出て行った。

 去り際、よろしく頼むよ、と言われたのはいいけど、ええと、会話の途中ではなかったのだろうか。何か気に障るような事したかな。

 

「ああ、それはたぶん……」

 

 何かを言いかけた吹雪が、あー、と言い淀むと、口を噤んでしまった。え、教えてくれないの?

 気分を害してしまったようだったら、謝らなきゃいけないと思うんだけど……。

 困ってしまって、砲ちゃんを抱き直すと、ううん、と夕立。

 

「怒ったとか、そういう訳じゃないっぽい。私達の邪魔をしないようにってだけぽい?」

「そうかな。そういう感じじゃなかったけど」

「ううん、きっとそうだよ! ほら、じゃあ、えーっと……どうしようか?」

 

 ……そうなのかなぁ。

 なんか腑に落ちないけど、吹雪が違うっていうんなら違うんだろう。

 気を取り直して、お仕事の話をしよう。

 俺はそれを聞きにきたんだから。

 

「何をすれば良いかは事前のブリーフィングで教わってるよね?」

「うん。でも、具体的な内容は……」

「教えてくれないって事が、教えてくれてる事っぽい?」

 

 軽巡の先輩方も、他のみんなも、俺達が初めてだって事を知ってても何も教えてくれなかった。

 でもそれは、逆に言えば、教える事はないって事なんじゃないかと夕立が言った。

 こういう風に船内で話していたって良いし、気を張って船の上から周囲を警戒していたって良い……そういう風に、自由に動くのが正解だって事?

 

「敵が発見されれば短距離での妖精暗号通信か、船内放送で伝達されるから、夕立達は心構えだけしておくのが良いっぽい」

「燃料の消費を抑えて行動しなくちゃだから、艤装を身に着けている今は、あんまり動き回らない方が良いと思う」

 

 二人の意見は、ここでこうして出番がくるまで待つ事、だった。たしかに、生体フィールドを纏ってない時の艤装はそこそこ重い。あっちにこっちに移動していれば余計な体力を食う。それがいざって時に影響するかもしれない事を考えれば、動かないの方が良いのかもしれない。

 

「私もここにいていい? どうせなら纏まってた方が良いよね」

「そうだね。歩き回ってたら、船の人達の迷惑になっちゃうかもしれないし」

 

 俺の言葉に同意を示す吹雪の言葉に、『船の人達』って俺達の事じゃない? なんて思ってしまった。艦娘も元々は船だった。つまり今、船の上に船が乗っているという状況で……。いや、だからなんだっていう話だけど。

 横髪を指で押して耳にかけつつ体の向きを変えて、歩き出す。コツコツと踵が床を踏む音。連ちゃんと装ちゃんがちょこちょこと後をついて歩く音。

 

「ここにいるつもりはないっぽい?」

「ん?」

 

 部屋と廊下を分ける壁には、扉の無い出入口がある。夕立が問いかけてきたのは、ちょうどそこを通り抜けようとした時だった。

 ここに……ああ、そう、ここにいようとしてたんだっけ?

 ちらりと廊下の方に目をやってから、少し考える。……結論はさほどせずに出た。

 すぐに戻るよ、と夕立に告げて、部屋を後にする。

 何か用事があって甲板に上がる、という訳ではない。なんとなく外に出たかったのだ。

 

『敵艦見ゆ。二時の方向。各員戦闘態勢』

 

 甲板に出ると、妖精さんの意思が飛んできた。計ったようなタイミングだ。船の速度が二段階ほど遅くなる。後ろの方で、船内放送が流れるのがくぐもって聞こえた。

 

「よぉーっと!」

「うわ!」

 

 ズダン! と大きな音を立ててすぐ傍に川内先輩が降ってきた。位置的に……艦橋の上から飛び降りてきた?

 引いてしまった体を戻しつつ川内先輩に声をかけようとして、彼女の周囲の床に二つ影があるのを見つけて口を閉ざした。薄く丸い影が見る間に濃く大きくなっていくのに、空を見上げつつ素早く身を引く。

 視線が上がった時には、すでに二人は着地していた。ズダダン、と床を鳴らして、僅かに膝を曲げていた二人が背を伸ばす。神通先輩と那珂ちゃん先輩だ。三人揃って上の方にいたらしい。こんな時でも着地と同時にポーズを決めている那珂ちゃん先輩のアイドル根性に感心しつつ、川内先輩の手振りを読み取って近寄っていく。

 

「戦闘に入る時の手順は覚えてる?」

「はい。号令と同時に集まって、隊列を組んで、対応に当たります」

「正解。でもそれ、形式なだけだから、実際は敵が来たってわかったらさっさと船から下りて。合流と隊列組むのは海の上でも遅くない。吹雪達にも伝えといて。私達は先に行くから」

「は、はい」

 

 早口で確認した川内先輩は、俺が答えない内に床を蹴りつけて、一度の跳躍で手すりの向こうへ消えていった。二人もすぐに続いて跳躍する。

 比較的軽い艤装だからこそなせる移動法? ていうか、川内先輩、まだ改二じゃないのにもう忍者っぽい……。

 いや、改二になっても忍者にはならないけど。

 

「島風ちゃん!」

「ど、どこ集合っぽい!?」

 

 魚雷の側面に掛けてある砲を手に持つべきか悩んでいると、吹雪と夕立が息せき切って駆けてきた。二人を手すりの方へ誘導しながら、川内先輩の教えを聞かせる。吹雪なんかは事前に聞いていた話との違いに目を白黒させていたけど、夕立はすぐに呑み込めたみたい。

 

「つまりは、すぐ戦っても良いって事っぽい!」

 

 そこまでは言ってなかったような。

 あ、でも、下りた際に目の前に深海棲艦がいたなら、無視して合流しに行こうとするなんてできないだろうし、その結論は間違っていないのか。

 

「詳しい事は、戦闘が終わってからにしよ。それで、島風ちゃん、どうやって下りるんだっけ?」

 

 手すりに手をかけた吹雪の問いかけに、俺はすぐに答えられなかった。波を()いて進む船。髪を揺らす潮風。船は止まってないし、当然橋が下りてるなんて事もない。……先輩方みたいに飛び降りるしかないんじゃないの、これ。

 

「ええっ、と、飛び降りるの?」

「夕立は一向に構わないっぽい。もたもたしてると――」

 

『敵五隻、艦種軽巡一、軽空母一、駆逐三』

 

「もたもたして――」

 

『軽空母撃沈、駆逐大破一』

 

「もう行くっぽい!」

 

 話している間に状況は変わっていく。船を護衛している由良水雷戦隊は、敵が現れた場合船の周りを固めるために戦闘に参加できないので、今の妖精さんの報告は三人の先輩方によるものだとわかる。

 残り四隻と知った夕立が焦って手すりを乗り越え、海面へと落ちていった。あっと声を上げた吹雪を横目に、俺も手すりに足をかけて、蹴りつけて飛び込んでいく。あああっ、と吹雪の情けない声が遠のく。船に沿うように上がる飛沫と波を避けるためにできる限り遠くへ着水できるようジャンプしたんだけど、生体フィールドさえ纏っていれば水は関係ない事に思い至って、海面に立って早々疲れた気分になった。

 行動に無駄が多い。わかってるけど、うんざりする。このやるせなさは敵にぶつけて晴らそう。イ級あたりなら今の状態でも必殺キックで仕留められるだろう。

 敵艦隊にイ級さんがいるかどうかは知らないが、っと。

 

「わ、わ、わ!」

 

 両手は胸元に、膝は緩く曲げて、まるで縮こまった状態で少し離れた場所に降ってきた吹雪が、波に足を取られて案の定バランスを崩しかけたので、滑っていって手を貸した。

 上手い具合に掴んだ手を引っ張って体勢を整えさせて、ついでに腰も支えると、目線がかちあった吹雪は、声を跳ねさせながらお礼を言った。その後に、彼女の横腹に添えた俺の手に目をやると、「なんか、凄いね」とはにかんだ。

 ……どういう意味だろう。

 身体能力なら、吹雪だってこれくらいはできると思うんだけど。

 

「そうじゃなくてね」

「……あ、ちょっと待って」

 

 頬を掻いて何かを言おうとする吹雪を制し、彼女から離れて、額に手を当てる。

 ここ最近の不調の種類にはいろいろあって、前兆があるものってのもある。それを感じたのだ。

 うー、きたきた。脳みそざわつくー。

 

「どうしました!」

「二人とも、遅いっぽい~!」

 

 船の進行に合わせて移動していた朝潮が傍までやってくるのが、声でわかった。険しい声がすぐ傍でしたかと思うと、ざあっと水音がして、人の気配が横に。

 あいにくと視覚が馬鹿になっている今は、それが誰かは確認できないけど、朝潮だって事はなんとなくわかった。

 夕立の急かす声も遠く、「だ、大丈夫?」と心配する吹雪の声もまた遠い。

 ……いけない。耳鳴りまでしてきた。ていうか、すっごく、気持ちわる……。

 

「気分が悪いのでしたら……私がついています。あなた達は先に行って……すぐ追いつきます」

「う、うん。じゃあ、島風ちゃん……私達、行くね?」

 

 気配が遠ざかっていく。……変なの。吹雪ならもうちょっと何か言いそうなものなのに、あっさり行ってしまった。

 それがなんでか寂しくて、寄り添ってくれている朝潮っぽいのに体を預ける。

 あー、あったかい。

 肩に回した腕から伝わる熱。俺を支えようと身を寄せる彼女の柔らかさも……目も耳も聞こえないからか、より強く感じられた。

 ……あ。

 

「?」

「治った」

 

 強い光が広がる。キィィ、と遠くの方から音が戻ってきて、正常を取り戻した。

 横を見れば、怪訝そうに俺を覗き込む朝潮の顔が間近に見えた。

 

「それは……本当ですか? 本当に大丈夫なのですか?」

 

 怪訝そうに、というよりは、心配しているみたい?

 こんなに近くに朝潮の顔があるのに、その表情の種類さえわからないなんて、まだどこかおかしくなってるのかな。

 いや、体は正常だ。思考もクリアだし、砲撃音だって耳に届いている。うん、大丈夫。

 

「朝潮が来てくれたおかげかな」

「何を……。大丈夫なようでしたら、あなたも戦列に加わってください」

「りょーかい。ありがとうね、朝潮」

 

 言葉を交わしつつ、滑り出して、少しずつ速度を上げていく。

 船護衛組の朝潮は今、船の側面から離れられない。一緒に行く、という訳にいかないのは残念だ。

 いえ、と短く言った彼女と少しの間目を合わせて、それから、戦闘が起こっている方へ走る。

 なんだか不調になる前よりも気分が良いような気がした。力や速度も元通りになっている気さえする。朝潮パワー? ……まあ、気のせいか。

 

 船の前方、ずっと先に黒い影と黒煙が見える。動き回る艦娘と深海棲艦。すでにいくつか浮かんでいるだけの奴らがいる。それが、先輩方にやっつけられた敵の姿だろう。

 残ってるのは、駆逐級が二隻と、軽巡級……今神通先輩に向けて砲撃したのは、軽巡ホ級だろうか。異形に食われているかのような女性の姿……上顎に覆われた頭の上半分は、狂ったように揺れ動いて、しかし完全に神通先輩をロックオンしているようだった。奴を囲む川内先輩と那珂ちゃん先輩には目もくれていない。吹雪と夕立は、赤いオーラを纏った駆逐イ級を相手に撃ち合っていた。……今飛び跳ねたあいつ、足が生えていたような……。後期型、だっけ? ちょっと強いやつ。

 戦場とは少し離れた場所で漂う駆逐……ロ級が、まだ誰かを攻撃しようというのか、口から砲身を覗かせてもがいていた。ただ、砲身は折れ曲がってるし、体からは黒煙が上がっているし、とても戦えるようには見えない。

 だが放置すれば、万が一背中から撃たれる可能性もある。

 ……決めた。俺の相手はあいつだ。死にかけだけど、とどめを刺す。

 キックで決めよう!

 速度を上げる。走り出す。足裏を海面に叩きつけ、一歩一歩に力を込めて、やがてくる瞬間のために力を蓄える。

 距離はさほどない。でも問題ない。元々速さは出ていた。

 このまま突っ込む!

 小さく前へ飛ぶ。両足を揃え、着水の瞬間、跳ね返ってくる衝撃も含め、全部の力をバネにして跳躍する。

 足を振り回し、体の向きを変えていく。頭は海へ、足は空へ。

 背に備えた艤装で揺れる砲を手にかけ、引き抜く。狙いは、動かない深海棲艦へ。刹那に照準を合わせ、グリップを握り込み、指の腹でトリガーを押し込む。

 

『――――!』

 

 砲口が火を噴いた。跳び出した砲弾が寸分違わずロ級の頭を撃ち抜く。

 低い水柱の中に、声はなかった。

 体勢を整え、バシャアン、と水を跳ね飛ばして海面に下り立つと同時に、片膝をつくようにして衝撃を逃がした俺の背後で爆発が起こる。

 突風に運ばれた熱が背を撫で、髪を前へ流していく。

 

「っよし!」

 

 立ち上がって、控え目にガッツポーズ。決まった決まった。

 やるねー、俺。その気になれば音より速い! なんてね。

 僅かな興奮を散らすように、心の中で声をあげておく。

 

「ん、あっちも終わったみたい」

 

 先輩方の方を見れば、軽巡はすでに姿はなく、イ級eliteも五人がかりで袋叩きにされればひとたまりもなかったようで、腹を見せて浮かんでいた。

 川内先輩がトドメの一撃を放てば、貫かれたイ級が爆散する。それでもう、何も残らなかった。

 

「はーい、みんな集まれー!」

 

 那珂ちゃん先輩が手を挙げ、声を張り上げて呼びかけるので、小走りで駆け寄っていく。

 

「まだ気を抜いちゃ駄目だよー、右見てー、左見てー、よーし?」

 

 左右を指差し、顔を巡らせる那珂ちゃん先輩にならって、俺と吹雪と夕立が、そろって前後左右の確認をした。

 周囲に敵影なし。よーし、だね。

 

「お疲れ様です。由良さん達と合流し、報告を行います。そろそろ時間なのでそのまま交代し、今度は私達が船の周囲につく事になりますが……大丈夫ですか?」

 

 神通先輩がこの後の動きを説明してくれた。大丈夫、とは……あれ、俺の事?

 怪我したり疲れてる人はいないか、って事でもありそうだけど、これは俺の事っぽいな。

 

「大丈夫です、問題ありません」

「あたしも大丈夫っぽい」

「損害ありません。大丈夫です!」

 

 それぞれが答えたところで、船が近付いてきた。まだ速度は緩めたままだ。完全に危険が去ったとわかるまでは速度は戻さないみたい。

 艦首の前を滑る由良へみんなで近付いていく。

 とりあえずは、流れはわかった。こんな感じで護衛をしていけばいいんだね。

 交代一回目……って事は、あと二時間ちょいか。

 頑張ろう。



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 第三十話 嵐の前の

特に何が起こる訳でもない繋ぎ回です。
内容うっすーい!
次回の更新は三日以内にしたいと思っています。


 船周囲に配置されての護衛、船上に戻っての交代または戦闘までの待機。これを数度繰り返して、目的地に到着すると、少し時間ができた。休憩の時間。陸地にだって深海棲艦の脅威が及ばないとは言い切れないから、気を抜くのはいけないかもしれないが、そもそも俺達艦娘は船から外へは出てはいけない身。陸が近付いた際に全員が船内に入り込み、警戒はこの地の普通の人(一般的ではない人)に任せて、素直に休息をとっていた。

 積み荷が運び出されるのを揺れとして感じていると、壁際に身を預けている俺の下に、吹雪と夕立が近付いてきた。

 

「具合は大丈夫?」

「体調不良っぽい?」

 

 俺の体を心配しての事だったみたい。まあ、見ての通りだ、と返せば、二人はあんまりわかっていない様子で俺の体を見た。怪我とかもないよ。

 なんのために俺を上から下まで眺めたのかは知らないが、吹雪と夕立は俺が本当に平気だと知ると、しゃがみこんで、連ちゃんと装ちゃんを構いだした。頭を撫でたり胴を触ったり。キュ~、とゆっくり鳴いているあたり、彼女達もまんざらでもなさそうだ。ちなみに砲ちゃんはいつも通り腕の中に抱いている。戦闘時や急な対応を迫られた時には取り落としてしまう事も多く、先刻の戦闘時にも(潜水艦交じりの水雷戦隊だった)放ってしまったので、ご機嫌取りのために撫でまわし甘やかし、船の人が好意で用意してくれたおやつを貢いだりしていたのだ。

 その甲斐あって砲ちゃんの機嫌も直ったような、そもそも機嫌は損ねていなかったような、というか急に放っぽっても楽しそうだったというか……。

 砲ちゃんの気持ちがどうであれ、意図せず手放してしまう事があるのは確かなので、償いをするんだけど、自己満足以外の何物にもなっていない気がする。言い換えれば、単にけじめをつけているだけ、か。自分の中で。

 一緒に戦う友達なのだから、もっとちゃんと扱ってあげないとね。

 小さく千切った甘食(あましょく)の断片を口元に近付けてやると、ωの口で食いついてもそもそやる。くぅー、かわいい。半分程になっている焼き菓子を自分の口にも運んで、咀嚼する。もそもそ。牛乳が欲しくなる食感。口の中が乾く感じ。でもあまうま。

 連ちゃんと装ちゃんにも甘食は与えていたんだけど、今は吹雪と夕立が持ち寄った別のお菓子を食べている。円柱状の、なんか高級そうなチョコ菓子っぽいのと、シュガータール。あ、そのシュガータールはココア味のやつだ。色が黒い。

 ポリポリ食べる連ちゃんは、どことなく犬っぽい。あんまり表情が変わらないからわかり辛いけど、尻尾があったら振り回してそうなくらいには吹雪に懐いてるんじゃないかな。

 

「姉さんは、霧の中に潜むと言われている深海棲艦の事を知っていますか?」

 

 不意に、神通先輩の声がした。

 話し声の中で、それだけが鮮明に聞こえたのはなぜだろうか。

 顔を上げて船内に目を向ければ、細い机の合間に川内型の三人が集まっていた。離れた机に、由良水雷戦隊が固まって談笑している。仲が悪いわけでもないのに、こうはっきりと分かれてしまうのはなぜだろう。任務中だからかな。

 二つの机に挟まれて、片方は立って両手を胸元に添えていて、もう一方は机に半ば腰かけるようにして横を向いてた。神通先輩と川内先輩。那珂ちゃん先輩は、机の手前側に座って手鏡と向かい合っていた。光が反射する丸鏡には、口元を指でほぐしたりして笑顔の練習をしている彼女の顔が映っていた。

 

「んー? なんか強敵って聞いたけどー……それがどうかしたの?」

 

 ポッキンをぱくぱくと口の中に入れて、チョコのついてない部分をくわえ、指で口内に押し込んだ川内先輩が聞き返す。

 神通先輩は、どこか言い辛そうな様子で――実際そんな事はないのだろうけど――言葉を重ねる。

 

「今はこうして出撃や遠征が再開され、何事もなくこなしていますが……その霧の発生条件はわかっていないと聞きます」

「言いたい事はわかるよ。気をつけろって事でしょ?」

 

 レ級のいたあの霧の事が提督や三原先生の口から伝えられてからしばらく。艦娘の間では、霧の話は広く認知されているけど、実際この鎮守府で遭遇した事があるのは俺と朝潮を除けば、誰もいない。

 他ならぬ提督の話だからみんな疑ってはいないけど、実感はしていないようだった。

 実際、海に出たって、霧が出る事はあってもレ級が出る事はなく、他の鎮守府や泊地の実情もわからないのでは、常に心にこれを置いて警戒しろって方が無理がある。

 ……あー、霧に襲われた俺だって、随分暢気に海を眺めていたし……経験のない子達にとっては、俺以上にその傾向が強いだろう。

 

「鬼とか姫だったら、守りながら戦うのは厳しいなー」

 

 鏡から目を離さないままで那珂ちゃん先輩が言う。

 ……戦艦級とか空母とかなら大丈夫なんだろうか。ヲ級とかル級とか、まだ見た事ないから、その強さのほどはよくわからないんだけど。

 しかし確かに、守る対象があると、とれる行動の選択も少なくなるし、やり辛くなるだろう。こっちにも空母や戦艦がいるならまた話は違ってくるのかもしれないけど、無い物ねだりをしてもしょうがない。俺達の艦隊に戦艦や空母はいない。

 もしそういう大型を相手するなら、雷撃にかけるしかないな。砲撃じゃ大したダメージにならないだろうし。

 俺の場合は、そもそもどっちも当たらないからなぁ……いつも通り、近接攻撃かスピードキックを仕掛けるしかないかな。

 前に戦ったリ級は重巡だけど、キック一発じゃ沈まなかった。戦艦にもなると、何回蹴りを叩き込めば倒せるのだろうか。

 ……俺は一人じゃないんだから、何発必要か、なんて考える意味はないか。蹴って怯ませる事ができれば、仲間の直撃弾への助けになるかもしれない。それぐらいの認識でいいだろう。あ、でも、あんまり敵の近くでうろちょろしてたら邪魔になるよな。今まではそんな事はなかったけど、一発や二発では沈まない相手には、朝潮と二人で、でしか挑んだ事がない。

 朝潮は抜群の読みで俺が離れた時に当たるよう砲撃してくれたし、俺の思考が読めてるんじゃないかってくらい合わせてくれてたけど、大人数になるとどうだろう。吹雪や夕立と一緒に戦った時に、誤射なんかはないだろうか。二人の戦闘経験は俺とそう変わりがない。間違いだってあるだろう。経験の内のほとんどを一緒に戦っているから、俺の戦闘スタイルは二人共理解しているし、これまで誤射なんかなかったけど、それも大型を相手するとなるとどうなるかわからない。

 ……まあ、未攻略や、解放済みであっても強敵がいる海域に俺達が行く事になるのは、早々なさそうだし……これもまた、考える必要はないのかもしれない。

 この海域は、出てきたとして軽空母が最も手強(てごわ)い敵だ。それくらいなら一蹴りで倒せる。

 艦載機を展開されると俺はお手上げだけど……ぶんぶん飛び回る奴らに砲弾を当てるのはひときわ難しいし。てきとうに撃ってれば当たる事もあるけど、そう何度も起こる事ではない。

 

「……もし強い奴が現れたら、死ぬまで戦うしかないっぽい?」

 

 装ちゃんを抱えて立ち上がった夕立が、小首を傾げて言った。どうやら神通先輩の声は、彼女にも届いていたらしい。

 ……それは、こうして船の護衛についている場合は、って事かな。

 

「逃げ出す訳にはいかないもんね……」

 

 連ちゃんの頭を撫でつつ、俺を見上げた吹雪が不安げに呟く。君もか。

 そうだね。守る立場である俺達に撤退は許されない。そんな事をすれば俺達だけでなく、艦娘全体の信用に関わる。だから、たとえレ級が出てこようと、逃げちゃいけないのだ。

 そう考えると艦娘というのは、なかなか難儀なものだ。替えがきくってのも辛い。

 自分が倒れても、自分と同じ性能の艦娘はいくらでも作り出せる。ドロップ艦ならタダだ。うちの提督はそういうのを(いと)っているっぽいので、使い捨てにされる心配はないのだけど、艦娘全体の運用の仕方と、こういった護衛任務の決まりを考えると、どうしたって逃げられない時が来るだろう。

 艦娘は替えがきくけど、艦娘を知り、海を恐れず物資や資源を運んでくれる人間は少なく、替えがきかない。

 

「そこまで気負う事はないと思うな」

「由良さん」

 

 こつこつと足音を立ててやってきたのは、向こうで話していたはずの由良だった。

 少しだけ眉尻を下げて、気遣わしげに語りかけてくる彼女に、吹雪は立ち上がり、夕立と一緒に体ごと向き直った。

 

「心がけは大事だと思うけど……思いつめると、参っちゃうもの」

「……でも、もしそういう時がきたら……」

 

 勝てないとわかっていても、戦わなければならないよね。

 俺達の前まで来て立ち止まった由良は、ううん、と微かな動作で首を振って、心配しないで、と言った。

 

「そういう時に、一番に離脱するのは、あなた達駆逐艦の子だから」

 

 快速の駆逐艦は、よっぽど非常時なら、戦うではなく撤退し、情報を持ち帰るのが役目になる。

 その場合、殿を務めるのは軽巡の先輩方になるのか。

 ……それはそれで、嫌だな。

 

「夕立は、逃げたくないっぽい。最後まで戦いたい」

「……私も」

 

 夕立と吹雪も、俺と同じ意見みたい。実際その場面に直面した時、情報を持ち帰るためなら、たぶん、残った先輩方がどうなるのかわかっていても、撤退を選択できるとは思うけど……話を聞いているだけの今この場では、そんな事は考えられない。

 ……そう、そんな事は、考えられない。

 島風は最後まで戦う。今度は逃げない。大丈夫、ちゃんと、強くなってるから……。

 

「……そういう非常事態は、早々起きないかな」

 

 二人の答えに、困ったように笑った由良は、一度何か言いかけて……一呼吸の間を置いてから、そう言った。たぶん、最初に言おうとしたのとは別の言葉。

 前の提督の時から俺達の所属する鎮守府に籍を置く由良だけど、その十年ちょっとの年月の中でも、解放済みの海域に確認されていない種類の深海棲艦の乱入なんていうのは、滅多に起きるものじゃないらしい。彼女がそう教えてくれた。

 時々敵が大きな動きをする時があるけど、そんな時も、確認された以上の種類の深海棲艦が現れる事はないって。

 

「不安になっていたみたいだったから……迷惑だったかな」

「いえ、そんな事は……。お話、ありがとうございました」

 

 ゆっくりと話す彼女にお礼を言うと、由良は「そう」、とだけ言ってはにかんだ。

 

 

 元来た航路を辿って、鎮守府への帰路につく。海上護衛任務は、行き帰り安全にさせるためのものだ。鎮守府に帰りつくまでは、この任務は終わらない。

 再び船上での待機。何もないのが一番だけど、ほんとに何もないと退屈なので、深海棲艦が現れないかな、と不謹慎な考えを持ってしまう。

 甲板に出て、突出した建物の周りを歩く。船内で大人しくしてようかとも思ったけど、また外に出たくなったのだ。避難経路の確認と割り切り、見回っている。

 壁に備え付けられた救命浮き輪なんかを眺めつつ歩いていると、壁際にずらっと並ぶマシーンを見つけた。なんだろう……タイヤの無いバイクみたいなやつ。その内の一つの前に船員の男性が膝をついていて、バイクっぽいのを弄っていた。

 

「何してるんですか?」

「うわっ!」

 

 気になったので声をかけてみれば、大げさに驚かれた。尻もちをついた彼の傍には、工具箱が置いてある。点検でもしてたのだろうか?

 でも、船の人って、こうして上がってきちゃいけないんじゃなかったっけ。危ないから。そういう説明がされた気がするんだけど。

 

「あんた……あんたが艦娘って奴か?」

「そうですけど」

 

 若い男だった。船長と同じようなラフな格好に、短刈りにした黒髪に、彫りの浅い顔。二十いってるかいってないかくらい。こんな人、最初の集まりの時にいたっけ?

 

「凄い格好してるな……制服なのか?」

「……まあ、そんなものです。あなたはここで何を?」

 

 服の事に言及されて、おお、と短い上着の裾を引っ張る。お腹も、太ももへの線も、黒い紐も見えてる、当然恥ずかしい格好。……いや、恥ずかしいなんて感情は当の昔に消え去ってるから、この感情の正体は……男性に肌を見られる事への些細な羞恥心?

 たぶん、それ。露出した太ももやお腹なんかに、彼の目線が這い回っているのを感じてしまって、うっとなった。艦娘の鋭敏な感覚には、人の目の行き先なんてのは手に取るようにわかるし、目の動きを見ていなくたって、なんとなくどこを見られているかは察知できる。

 興味本位みたいなものだろう。それか、男の(サガ)か。こんな美少女が際どい服着て歩いてたら、たぶん俺だって見てしまう。そこにどういった感情があるかは別だけど。

 この男性の目にも、変な色は見られない。どちらかというと、疑惑の眼差し……って感じ?

 

「ああいや、俺は、いや、私は、バイクの点検を……」

「バイク? ……車輪がついてないみたいだけど、バイクなんですか、これ」

 

 最終的な目線の行き先は連ちゃんと装ちゃんだった。俺の足下の二体にそれぞれ目をやった男性は、独りでに動くめんこいのに釘付け。返事もどこか上の空だった。

 連ちゃん装ちゃんが『キュー』と鳴いて手を上げれば、びくっと肩を跳ねさせて、恐る恐るといった様子で手を上げ返す。何この人、面白い。

 

「こいつには元々車輪はないよ。水上バイクってやつだ。聞いた事ないか?」

「初耳です」

 

 壁に備えられている幾つもの水上バイクとやらの一つを眺める。深い青を基調とした色の、ええと、車高? が低い物。ハンドルはついてるし、ブレーキレバーっぽいのもついてる。短いけど。レバーというより、トリガー?

 それと、あれがない。座るところ。座席……サドル? シート? だかがなくて、たぶんこれは、立って操作する形のものなんだろう。

 

「ジェットスキー、マリンジェット、シードュー……呼び方には色々あるが、こいつはその内の一つ。正式には水上オートバイと呼ばれる物のスタンドアップタイプだ」

「スタンドアップタイプ?」

「一人乗りって事」

 

 手の甲でコツンコツンと車体を叩いた男性が、にっと口の端を吊り上げて説明する。

 

「ここにあるのはどれも特注品さ。危ない海を走るために相応の装備が備えられている」

「海を走る……って、あなた達が?」

「緊急の時だけさ。あんたらがやられて、さあ次は俺達の番だって時に逃げるための……ああいや、すまん。変な事を言った」

 

 得意気に語りながら、工具箱から薄汚れた布を取り出した男性は、その動作のさなかにはっとして、俺を見上げた。口を滑らせた、みたいな顔をしている。別に気分を害したりはしてない。彼らも無防備に外海に出る訳がないと理解できるから、当然の備えだと受け取った。

 そう伝えると、男性はほうっと息を吐いて、ズボンの膝辺りを払う仕草をした。

 

「実を言うと、こうして海に出るのは初めてなんだ」

「新人さん?」

「ああ。だからあんたら艦娘ってのを見るのもこれが初めてで……いや、こんな見目麗しい女の子だとは思わなかった」

「頼りなく見える?」

 

 車体を布で拭く男性に、少し屈んで膝に手を当てて問いかければ、そんな事は、と声を詰まらせた。思ったんだな、きっと。それもまた仕方のない事。見た目だけ見れば、艤装を身に着けているとはいえ、俺は細い女の子な訳だし。これが艤装を身に着けた扶桑とかだったら、初見でも凄い人だって思えるんだろうけど。

 

「ほら、こいつは衝撃弾を吐き出す拳銃さ。見えるか」

 

 少し気まずそうにした男性は、ひとまず水上バイクの解説をする事によって場の空気を切り替える事にしたらしい。車体を引っ張って僅かに傾けてみせた男性は、壁側の方を指差して言った。ハンドルの下側に、拳銃がベルトで固定されている。おお、武装……なんだかロマンを感じる。

 

「衝撃弾なんて言っても、こけおどし程度さ。射程も短いし、精度も低い。まあ、元より奴らには通常の兵器は効かないっていうし、これくらいでいいんだろう。あんまり衝撃があるとバイクから放り出されちまうしな」

 

 ふうん。反動でバランスを崩すくらい、この乗り物は体勢を保つのが難しいんだろうか。

 

「ああ、ほら、ここに紐がついてるだろ? カールコード。乗車時にはこれを手首に巻き付けるんだ」

 

 もし万が一投げ出されても、紐が外れる事によってエンジンがストップして、バイクだけが先に行ってしまうのを防ぐんだって。

 ただ、深海棲艦に追われている最中にエンジンが止まったら、たぶんそこで終わりだと思うと、男性は苦い顔をした。

 

「だからこいつは、スピード重視だ。従来の水上バイクの速度を一回り上回ってる。最高速度は時速120キロ……あんたにわかりやすいように言えば、65ノットってとこだな」

 

 げ、このバイク、俺よりずっと速いのか。

 ……そう聞くと、この青いマシンが途端にかわいくなくなってくる。

 むむむ……。

 

「でも、乗り辛いんですよね?」

「スピードを出せば安定するさ。無茶な動きさえしなければ転倒の危険もない。水上バイクは沈まないしな」

 

 むむむむむ。

 気に食わないなあ。

 なんて顔をしてるのが変だったのか、彼は笑いを堪えたような顔をして、まあそう邪険にするなよ、とさらにバイクの説明を続けた。

 乗り方とか、注意点とか……聞いたのはこっちだけど、やけに丁寧に話してくれるな。

 バイクが好きなのかな。こうして手入れしてるみたいだし。……船外に出てまで。

 

「あー……俺が外に出てるのは内緒にしててくれないか?」

「…………」

「頼むよ、な? ええと、ほら、こいつに乗らせてやるからさ。あ、鍵は入ってすぐの棚に……」

「いえ、結構です。任務中ですので」

「そ、そんな事言わずにさ。こいつでターンするの、本当に楽しんだぜ?」

「ああはい、わかりました。内緒にしておきますから、早く船内に戻った方が良いですよ」

 

 手を叩いて急かすと、彼は大慌てでバイクを拭き回し、ハンドルを握って一度捻ると、満足したように頷いた。それから、俺の事を窺いながら手早く工具を仕舞い込むと、箱を持ち上げて、そそくさと建物内に走って行った。ああ、そっちにはたしか船長が……って、注意する間もなく行っちゃった。

 

「……こいつ、そんなに速いのかな」

 

 水上バイクをつんつんとつついてみる。こんなのがすっごく速いというのだから、なんか納得いかない。日本の技術も進歩してるって事? 戦時下に近いこの情勢で、妖精さんの手も借りずに?

 いや、他の機能を削って速度アップに集中させるとかなら既存の技術でもできるだろうけど。

 あーあ、もっと速くなりたいなあ。

 ね、連装砲ちゃん。

 

『キュー?』

 

 同意を求めて彼女達を見回せば、そうだね! みたいに手を上げてきた。うんうん、わかってくれるか。

 何よりも、誰よりも速くなりたい。守りたい人がいるから……なんて。

 素敵な笑顔の女の子を思い描いていれば、俺を呼ぶ声が聞こえた。そろそろ交代の時間だ。お次は船の周りについての護衛。

 たとえ敵が現れても動けない時間。どうせなら、待機中に敵が現れてくれればいいのに。

 って、だから、不謹慎だってば。



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第三十一話 未知との遭遇

遅れてしまって申し訳ないです。
その上短いです。
次回で一区切りつくところまで書きたいと思います。


 

『敵艦見ゆ。十時の方向。各員戦闘態勢』

 

 船周囲の護衛について十数分経った頃に、妖精さんからの通信が入った。頭の中に直接飛び込んでくる意思に、多いな、と呟く。

 深海棲艦の襲撃は、行き帰り合わせてこれで五度目だ。

 攻略済みと、比較的安全な海域と言われているだけあって、現れる敵艦の戦力は小さいけれど、こんなに頻繁に出てくるものなんだろうか?

 この広い海、敵と出遭う可能性って、そう多くないと思うんだけど……でも、この船が何度もこの航路を行ったり来たりしてるのを相手側も理解してるのだとしたら、狙って現れているのかもしれない、とも考えられる。

 ……この思考に意味はない。敵さんが船の行方をわかっていようがいまいが、来る時は来るし、来たら戦う。それだけの話。

 そして今、俺は船を守るためにこの船の側面という位置から動けないので、戦闘に参加できない。

 艦種、軽巡級二、駆逐級一と告げられた敵戦力と、船から飛び降りて来た由良水雷戦隊が交戦するのを遠目に眺めるしかない。時折飛んでくる砲弾も、船には掠りもしそうにないので、応援するくらいしかやる事がないのだ。つまりは、暇。あの赤い軽巡、こっちに来ないかなあ。来たら叩きのめしてやるのに。……あ、由良の放った砲弾が赤い軽巡に直撃した。今の凄いな。波間に隠れて回避行動をとっていた相手の動く先を予想して、狙い撃ち。さすがベテランなだけはある。

 ベテラン? ……って、そういえばひょっとして由良……さんって、大先輩?

 ええと、深海棲艦が現れたのは2010年で、艦娘が現れたのは2013年頃……鎮守府の設立はそれよりも後だろうから、十年近く鎮守府に籍を置いているという由良さんは……考えるまでもない。かなりの古株だ。

 そんな相手を由良由良と心の内で呼び捨てにしていたのを知られたらどうなる事やら。本人には怒られなさそうだけど、周りに怒られそう。先輩は敬わねば。上に倣え。

 いや、今からさん付けするようにしたのに他意はない。……純粋に、彼女の優しさには惹かれていたし、今の戦闘も目に焼き付く鮮やかさがあったから、呼び方を変えたってだけで、そこに下心はない。今まで敬称をつけていなかったのは、提督時代の名残と、これまでそう呼んできたせいで変える機会がなかったというだけだ。だから、他意はないんだってば。

 

『軽巡撃沈、駆逐二隻撃沈……確認完了。攻撃チームは直ちに帰投せよ』

 

 なんて自分に言い訳している内に、敵は全滅したようだ。今回も損害なし。俺達はもとより、由良水雷戦隊の面々の練度はかなり高い。この海域の深海棲艦に遅れをとるはずがない。思い返せば、朝潮って砲撃外した事なかったし。……最初の、大破状態の時を除いて、だけど。

 この中で一番被弾の危険があるのは、俺だろうな。もちろん、体調不良のせいだ。

 こうして海の上を走っている際にも、時折くらっとくるし、視界が白ばむ時がある。

 原因も、発症のタイミングもわからないから、戦闘中に何かが起こってもおかしくない。特に俺は戦い方を理由に相手に近付く事が多いから、そんな場所で立ち止まってしまえば被弾の確率はぐっと上がる。

 今日まだ一度も攻撃を受けてないのは、ひとえに仲間が優秀なのと、俺のスピードはまだまだ奴らを上回っているからってだけだ。

 たとえちょっとくらっときても、立ち直り、瞬時に状況を把握し直し、避けるために移動の方向を修正する程度訳ないし、俺が何かする前に連装砲ちゃん達が察知して支援砲撃を開始してくれる。この子達も心強い味方だ。

 頼もしいね、と砲ちゃんの頭を撫でてやると、腕の中の砲ちゃんは俺を見上げようとしながら手をぴこぴこさせて喜んだ。かわいい。

 さ、敵がいなくなったからって気を緩めないで、しっかりしよう。何か失敗しても、体調不良だから、なんて言い訳もしたくないし、キバっていこう。

 ザアー、と、風が海を撫でていく音。船の前の方から、由良さん達が戻ってくるのが遠目に見えた。小さかった人影が大きくなり、はっきり顔が見えるくらいになると誰も手傷を負っていないのが確認できて、内心ほっとした。さっきは彼女達は手練れだから大丈夫だ、みたいな事を言ったけど、攻撃を受けたら、を思うと、多少なりとも心配してしまう。たとえあらかじめ『損害なし』を伝えられていたとしても。

 ……過剰だろうか、こういうの。

 いや、こういった気持ちに過剰も何もないか。

 

「お疲れ様です」

「うん、ありがとう」

 

 船上に飛び乗るために、船の側面――今回は俺のいる方へ彼女達がやってきたので、先頭の由良さんに声をかければ、優しい笑みが返ってきた。……なんだか照れてしまう。後続の五月雨、深雪、朝潮と、軽々とした動作で、船上へと跳び上がっていく、その一つ一つに声をかけ、言葉を返された。深めのお辞儀と一緒に「ありがとうございます」、得意気な笑みと一緒に「次こそやってやるぜ」、俺を気遣う眼差しと一緒に、「何かありましたら、我慢せず仰ってください」。

 曖昧な笑みを、それぞれへの返事として、最後に跳んだ朝潮の姿を目で追った。手すりの向こうへ行ってしまえば、ここからではもう、甲板上は見る事ができない。一抹の寂しさを表すように、すでに姿の無い彼女の靴から離れていた水滴が、後ろの方に落ちていった。

 

 腕で口元を拭う。なんとも煮え切らない気持ちがあった。背中が寒くなったり、暑くなったりするような、嫌な感じのやつ。

 それはどーにもこーにもならないもので、だから、せっかく彼女と言葉を交わしたっていうのに、ちっとも気分が優れない事にいらいらして……こんな時は、思いっきり、胸が苦しくなるまで走って、うんと疲れた後に深呼吸すれば、二酸化炭素と一緒にやな気持ちも吐き出せると思うんだけど。

 今は任務中だ。持ち場から離れる訳にはいかないし、スピードは、船に合わせなきゃならない。難儀なものだ。

 速度を落としていた船が元のスピードに戻るのに合わせて、ギアを上げる。

 風が流れた。

 生体フィールド越しに感じる、爪先が波を切り裂いていく感触。跳ね散る海水が足や指先にぶつかって弾ける衝撃。冷たい風が太ももを通り過ぎていく爽快感。吹き上がる白煙さえ、ほんとは気持ちの良いもので、なのに今は、そう思えなかった。

 ……こればっかりは体調不良のせいにしても良いよね。

 額を手で押さえ、二度頭を振ってから、ふう、と息を吐く。気持ち悪さや吐き気に似た微かな何かには、なんの助けにもならない動作だけど、気持ちは少しだけ晴れた。

 頭の中に朝潮の顔を思い浮かべる。俺を心配している顔。それでも直立して、びしっとした小さな体。

 目は前に向けたままだったから、そんな彼女の姿が目の前の海に現れて、立ったまま俺の前をぴったりくっついてきた。

 嬉しい。

 彼女が、俺を気遣ってくれるのが。

 彼女の心が、俺に傾けられているのが。

 なぜ、なんて疑問は浮かばなかった。ただ、心がそう感じて、頭もそれで埋まって……でも、それを邪魔するものもあった。

 憤り。

 自分に対するもの。

 だって、彼女を心配させている。不要な気を遣わせてしまっている。

 俺が元気なら、彼女は俺の事なんか気にせず任務に集中できるのに、俺がこんな風になっているせいで、困ったような、悲しい顔をさせてしまった。

 ……彼女には、笑っていてほしい。

 だって、だっていつも……いつだって笑ってた。

 あの日も、そうだ。

 あの日……俺を呼んだ――。

 

『――ザ――ザザ――』

「っ」

 

 う、なんだ、今の。

 ざらついた手で脳を直接撫でられたような不快感。それと、耳鳴りみたいな雑音。

 ……妖精さんの意思? 今のみたいなのは……感覚は、妖精さんからの通信でしか感じた事の無いものだった。

 でも、今まで通信に失敗した事なんてなかった。理解できない意思は、こんな気持ち悪いものじゃなくふわふわとした曖昧なものとして届いたし……。

 じゃあ、今のはなんだったんだろう。

 首を傾げるのと、その原因だろうものがビリリとした空気と共に広がっていくのは、ほとんど同時だった。

 

『霧……』

 

 空まで覆い隠す巨大な白壁。質量と圧力を持っているかのような分厚い白煙が、どんどんこちらへ迫ってきていた。

 

「あっ……」

 

 と言う間に、俺の体も、船も、霧の中だった。

 ごおお、と静かなうねりが耳元で鳴り続ける。いちだんと涼しくなった空気が、手袋や袖に覆われていない素肌に触れると、ぶるりと体が震えた。

 ちょっと、寒いな。

 ……なんて考えている場合ではない。異常事態だ。

 こういう場合は、通信を試みれば良いのか? あ、でも俺、自分から通信繋げようとした事ないや。やり方がわからない。ええと、耳に手を当てて……どうするのだろう。

 霧に飲まれ、誰の声も聞こえないのに、こんな風に冷静にものを考えられたのは、すぐ横に船の横腹が見えていたからだった。

 船が押し退けている海水が海面に落ちる音は絶えず聞こえてきているし、駆動音も遠くにある。恐怖に飲まれたりだとか、パニックになったりする気配は自分には無かった。

 

 不意に、霧が晴れた。

 局地的に。

 船の周りだけ……船の向かう先が、少しだけ。

 その現象には覚えがあった。記憶は薄く、本当にあった事なのか、よく覚えていないけど――。

 薄暗くなった視界の先に、赤い光がぼうっと浮かび上がった。

 あれは……。 

 

『――ザ――敵艦見ゆ。十二時の――ザザ――。各員戦闘態勢』

 

 五つの人影があった。

 船の進行上にあるそれは横並びになっていて……こちらに、背を向けていた。

 

『……?』

 

 でもそれは、船が速度を緩めるまでだった。

 音か、気配か、他の何かか。要因はともかく、向こうは俺達の存在に気付いて、ゆっくりと振り向いた。

 黄金の光が揺らめいていた。

 ずらりと並ぶ女性型の化け物、その中心に立つ異形が放つ、初めて見る光。

 駆逐級や軽巡級に比べて、格段に人に近付いた容姿。

 戦艦タ級……フラグシップ。

 白く長い髪。黄金色の光を流す濁った瞳。真一文字に引き結ばれた唇。女性的なフォルムの体を包むセーラー服に、場違いにも見えるブルマ。ボロボロの布が、マントのように彼女の背にあって、それから……左肩に、異形が食らいついていた。魚のような、されど機械のような冷たさを持った物体。ヒレのように伸びる物が、それをただの尖った肩当のように見せていた。

 

『敵六隻。艦種……戦艦一、空母二、重巡二、駆逐一』

 

 六体?

 戦艦タ級だけでも異常だというのに、遠くに並び、こちらを静観している深海棲艦のメンバーは、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。

 大きな艤装を布の中に隠すように立つタ級の左右に、伸ばした両手を重ねて杖に置いて佇むヲ級が二体。頭に大きな異形をかぶった女性型の空母だ。白い髪はそう長くなく、頭の……左右に四門の砲を備えた円形の異形から垂れる布が、マントのようにヲ級の背を覆っていた。青白い光を目にたたえて、杖をついて立つ姿は圧迫感がある。頭のそれから生える白いのは、牙か髭か。その二体の左と右、それぞれに、赤い光を纏った重巡リ級がいた。一番左にイ級flagshipみたいなのもいる。が、こいつはどうでもいい。

 ……この海域に軽巡や軽空母以上の敵が出てくるなんて聞いてない。というか、そもそも出現の仕方がおかしかった。

 こいつらは霧から出てきた。しかも、最初はこちらに気付いていないようだった。それが何を示すかは正直わからないけど、不気味なのは確かだった。

 ……どうするべきか。

 俺が判断に迷った、その時。タ級が両腕を広げ、空を見上げた。

 すぅっと息を吸い込む動作。

 

『――――――ッッ!!』

 

 分厚い鉄を引き裂くような、悲鳴染みた咆哮が響き渡った。

 長く長く、耳を覆いたくなるくらいに長く声が続く。

 風が吹き、霧が流れ、薄暗さがどんどん増していって……僅かに見える空は、青さをどんどん失っていき、やがては星々が輝く黒となった。

 

『――――。行ケ』

 

 風に乗って、誰かの声が聞こえてきた。底冷えのする、生気を感じさせない声。それはタ級が言った言葉なのだと、すぐにわかった。奴がこちらを指差したからだ。俺を、ではなく、船を。

 すると、二体のリ級が前傾姿勢をとり、ドン、と重い音を残して走り出した。

 船の周囲を固めている場合ではない。というか、わけがわからない。あいつが叫んだ。そしたら、夜になった。理解できない。いっそう暗くなっていく周囲に、不安と焦りが募る。

 奴らが走ってくる。水音が聞こえる。なのにもう、音でしか判断できないくらいに辺りは闇に包まれていて、混乱した。

 どうすればいい? どうすればいいんだ? 先輩に判断を仰ぐのが正しい? 言われていた通りに船を守っているのが正しい? リ級達を迎撃するのが正しい?

 何をすれば良いのかわからない。頭はこんがらがって、使い物にならなかった。

 ――いや。

 混乱するな、冷静になれ!

 ぱしんと頬を叩く。気合いを入れる。

 やる事は一つだ。船を傷つけさせない。

 なら、俺がするべきは奴らの動向を気にしつつ船を守る事だ。

 奴らの姿が見えないというなら……見えるようにすればいい!

 

 背負った魚雷の艤装にかけられ、揺れる12.7cm連装砲を手にする。

 右手でグリップを握り、トリガーに指の腹を当て、前へ構える。狙いは……先程リ級達が見えた場所。

 船に程近いこの位置からで、なおかつ奴らとの距離が離れていたこのタイミングなら、さっき見えていた位置に撃っても当たる確率は高い。俺の場合、狙っている訳ではないからなおさらだ。

 迷っている暇はなかった。

 撃つ事によって生まれるメリット、デメリット……そんなのは頭になく、ただ、自分の考えを実践するためにトリガーを押し込んだ。

 激しい振動が手首を襲った。肘を曲げ、身を反らせて衝撃を逃がし、再び腕を伸ばして、砲撃。重低音とともに噴き出した火花が一瞬目の前を照らし、すぐに闇に塗り潰される。腕の痺れを気にせず、三度目の砲撃。――! 手応え有り!

 

「照明弾いきます! 不意を討たれないよう気をつけて!」

 

 由良さんが張り上げた声が、霧の中にうわんうわんと響き渡った。音の波が感覚的にわかるような不思議な環境下において、彼女の声は俺の心を落ち着かせた。不安と恐怖を()()ぜにした興奮が、少しだけ引く。

 冷静に。冷静に、もう一回。

 見えない敵に向けて砲撃する。衝撃に備えた体に応えた腕が僅かに上へ逸れ、砲弾は曲線を描いて見当外れの空へと飛んでいった。

 その事に落胆する前に、風を切る音を捉えて、はっとして空を見上げる。

 光が昇っていた。光の塊。シュパッと言う音とともに船から打ち上げられたそれが、ずーっと上の方で膨れ上がる。燃焼音を発し、僅かずつ落ちながら、小さな太陽として光を撒き散らす、あれが照明弾という事なんだろう。

 艦娘の装備ではない……誰も照明弾なんて持って来てなかった。ならばあれはきっと、元々この船に備えられている物なのだろう。

 

「っ!」

 

 顔を下げれば、間近に迫ったリ級が見えた。

 船に向けて砲撃するでもなく、俺に向けて攻撃するでもなく、馬鹿正直に、でかい艤装で覆われた両手を振って走ってくる。全力疾走だ。青い瞳は、確実に俺を見ていた。

 狙いは俺?

 ……かどうかはわからないけど、向かってくるなら戦うしかない。

 構えて、撃つ。先頭を走るリ級の横に着弾して、水柱を上げた。外した。でも、二体に影響が無い訳じゃない。激しく波打つ海水が迫ると、先頭のリ級は瞬時に屈伸して、水を撒き散らして跳ね上がった。

 重そうな艤装なんてないかのような、しかし重量感を伴った跳躍。着水に備えて膝を畳みながら下を向いたリ級の目と、その姿を追って顔を上げた俺の目が合った。

 何かの意思が読み取れるという事もなく、すぐ目の前にリ級が落ちてきた。巨大な波紋を広げるおまけつき。あいにくと俺は一跨ぎで避けてやったけど。

 目の前の赤いリ級に砲を向けようとして、背を伸ばすそいつを見て、やめた。どうせ当たらない。せっかく向こうが勝手に近付いてきたのだから、(比較的)得意の格闘戦で相手をしてやろう。

 このリ級の背後には、駆け寄ってきているもう一体がいるという事を頭に置きつつ、焦燥を押し隠して背の艤装に連装砲をかけた。

 キュー、と腕の中の砲ちゃんが鳴く。……あっ。

 えーと……存在を忘れてた。

 どうせ同じ当たらないなら、彼女も使ってやれば良かったな。

 ちらりと目をやった砲ちゃんは、しゅんとしたように頭を垂れていた。……後でめいっぱい甘やかさなきゃ。

 そのためには、今をなんとかしないと!

 

『オ――――』

 

 吐く息とともに声を発したリ級が、俺を見る。交わった視線は、しかしすぐに外される事になる。

 身を屈め、屈伸したリ級によって。

 

「っ、させないよ!」

 

 何をしようとしているのかはすぐにわかった。

 こいつ、跳ぼうとしてる!

 判断のままに体を動かす。最低限バネ代わりの足に力を溜め、全力の跳躍。やや後ろ向きに跳び上がると、同時に跳んだリ級がぐんぐんと俺より上へ(のぼ)って行った。

 させるかって言っただろ!

 伸ばした手が、冷たい肌に触れる。リ級の足。細いと思っていた足は全然そんな事なくて、きっとそれは、俺の手が小さいからだろうな、なんて思考が流れていった。余裕からじゃない。でも、他の理由でもない。

 思考が途切れた時には、俺はリ級の足首辺りをがっちり掴んでいた。

 

「おりゃーっ!」

『クッ!』

 

 肘を曲げ、文字通り足を引っ張る。奴の跳び上がる力と、俺が引く力。どちらが強いかは、はっきりしていた。

 このシマカゼに決まってる!

 

『オオ――!』

 

 息を吐き出すような声がすぐ傍でする。俺を見下ろしたリ級は、ぐんと体を引っ張られるのに呻いて、直後に海面に叩きつけられた。

 俺が投げ飛ばしたのだ。さすがはシマカゼ。能力値(ステータス)が下がってるっていっても、このぐらいはまだできるみたい。

 元々怖い顔を歪ませて起き上がろうとするリ級の前へ着水する。小さな波が奴の体を揺らすと、その後ろの方からもう一体のリ級が走ってくるのが見えた。

 距離が近い。ちょうどさっき、先頭のリ級が跳び上がろうとした場所――っ!

 

『――!』

「ああもう!」

 

 屈伸し、跳ね上がったリ級を追って俺も跳び上がる。さっきの焼き直し。

 こいつら、俺が目的じゃなくて、船の上に行くのが目的か!

 でも、なんのために?

 疑問に思考を廻らせられたのは、そこまでだった。

 俺の手がリ級の足を捕まえ、力任せに引こうとして、視界がぶれた。

 引き落とそうとしたリ級に、逆に引っ張り上げられたのだ。

 ぐんと持ち上がった体は、船の上へ。胃がふわっとする浮遊感に体が包まれたのも一瞬、リ級が乱暴に足を振ると、俺はあっさりと弾かれて、甲板の上を転がる羽目になった。

 肩をぶつけ、肘を擦って、体が無理な方に曲がろうとして。回転する視界の中で、なんとか正常を取り戻そうとして背中から硬いものにぶつかるのに息を詰まらせた。

 

「いっ、たぁー……」

 

 手すりだ。鉄製の手すり。その下の壁。

 どうやら反対側の縁まで吹き飛ばされたらしい。

 軋む艤装と、投げ出された砲ちゃん、船の下に取り残してきてしまった連ちゃんと装ちゃんの事が次々と頭に浮かんで、今が戦闘中だという事に体が強張り、さっと立ち上がる。

 瞬間、砲弾のように飛んできたものが真横を通り過ぎた。

 視界の端に星のように流れる長い青。

 

「きゃああ!」

 

 船から落ちていったのは、五月雨だった。悲鳴が聞こえた直後に派手な着水の音が聞こえる。

 それを()した敵がいるはず、と前を向こうとして、今度は黒い砲弾が横を通り抜けていった。

 尾を引く赤い光の残滓。リ級が船の外に飛び出していったのだ。おそらく、自身が吹き飛ばした五月雨を追って。

 勢い良く振り返って、手すりに体を押し付けて下を覗く。霧は遠巻きに船を囲んでいる。夜闇も、照明弾によって払われている。今ならはっきりと、船の下が見えた。

 立ち上がろうとした五月雨が、降ってきたリ級が着水した際に起こした波に転がされていた。そんな彼女へ大きな異形がついた腕を向けるリ級。

 

「まずっ……!」

 

 助けなきゃ。

 そう考えて、手すりを飛び越えようとして……でも、できなかった。

 ずぅん、と大きな音。船が僅かに揺れ、体勢を崩しそうになって、一歩下がる。

 振り向けば、もう一体のリ級が船上に上がっていて、赤い光を揺蕩わせていた。



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第三十二話 船上の戦い

 

 鳴り響く警報は、船が悲鳴を上げているかのようだった。

 

 僅かに揺れる船の上で、俺は二体目のリ級と対峙していた。

 禍々しい赤い光は、照明弾の強い光と混ざり合って、揺らめいている。大きな艤装に覆われた両腕をゆっくりと持ち上げたリ級の動きにはっとして、俺は右手を背中の艤装に伸ばした。……よし、連装砲は無くしたりしてない。これなら!

 ドォン、と腹の底に響く大きな音がした。それは、背後……船の外からだった。

 先程見た光景が目の表面を撫でるように流れていく。五月雨を船から弾き落とし、自身も追った最初のリ級が、異形の砲を、波に翻弄されて立ち上がれずにいる五月雨に向けていた光景。

 心が後ろへ傾く。船の外。意識が逸れたその一瞬は、五月雨の事が頭から離れず、振り向きそうにさえなったくらいだった。

 敵を前にしてそんな行動。殺してくれと言っているようなものだ。

 馬鹿な隙を晒す俺を敵が見逃すはずもなく、向き直った時にはもう、赤い揺らめきを纏って伸ばされた腕は俺に向けられていた。

 この距離で砲弾は避けられない!

 

 ――そんな事ない。

 そんな事なくって、俺のスピードなら、体を傾けて、せめて直撃は免れるくらいはできるはずだ。

 だというのに、刹那の間で俺が下した判断は、『避けられないのだから衝撃に備える』だった。

 重巡の放つ砲弾を受け止めろ、と自分に命じたのだ。命知らずにもほどがあった。

 もっとも、俺の思考にそんな傍観の念みたいなものは紛れていなかったので、その判断が正しいと信じて……いや、信じる暇さえなく、交差した腕で顔を庇った。

 直後に、さっきと同じ砲撃音。同時に、ドッ、と肉を打つ音。

 

「っ、……?」

 

 衝撃は……ない。かざした腕の合間から覗き見える視界には、由良さんだろう足がリ級の下へ駆けていって、そのままぶつかるのが見えていた。

 タックルで押し倒そうかというくらいの勢い。きっと、そうでもしないと、たとえ相手の注意が他に向けられていて、不意打ちだったのだとしても、軽巡の由良さんではリ級を相手にして力で圧倒する事なんてできないのだろう。だがそれで砲の狙いは逸れた。

 砲弾が近くを飛び去っていく。押し退けられた風が横髪を巻き上げ、引き千切らんばかりに掻き乱した。痛い痛い痛い! 根元どころか頭皮ごと持っていかれそうな激痛に片目をつぶって頭を下げ、風の暴力が過ぎ去るのをただ待つ。踏ん張りが弱かったのか、よろけて手すりに背をぶつけ、体勢を崩しかけてしまった。慌てて反転して手すりにしがみつく。滲む涙が零れそうになるくらいになってようやく風が止んで、ふわりと髪が下りた。

 うぐー、髪が、頭が……じゃなくて、由良さんは、リ級は!?

 冷たく嫌な汗が吹き出すのを感じながらも、手すりから下を覗き込んだ。由良さんを心配しているのに、五月雨の事を先に確認せずにはいられなかった。

 

 激しく波立つ海面で体勢を整えた五月雨は、砲撃を警戒しつつ後退しようとしていたが、波に浮かぶ白い線から読み取れる軌跡では、その後退は少し斜めにずれてしまっていた。そのためリ級は船を背にする形になって、五月雨は、船への損害を気にして撃つに撃てなくなってしまっているようだった。砲を構えてはいるものの、牽制するに留まっている。……いや、リ級がお構いなしに砲撃したのを見るに、なんの抑止力にもなっていなかったのだろう。

 慌てて横へ体を投げ出して回避する五月雨に、リ級は何を思ったのか、煙を吐き出す異形付きの腕を勢いよく振り下ろして体の後ろへやると、重心の移動に合わせて駆け出した。あいつ、自分の手で直接とどめを刺すつもりか!

 見ていられなくて、加勢しようと瞬時に思考を巡らせる。だけど手すりを乗り越えて下に()りるのでは間に合わない。俺の砲撃じゃ当たらない。それでも注意を引く事はできるか? 引けなかったら?

 思考の行き着く先は五月雨がどうなるかの想像だった。顔から血の気が引くのを感じる。今さら砲を手にしようったって遅い。すでにリ級は五月雨の間合いに入り込み、腕を伸ばしていて――。

 

 横合いから掴みかかった那珂ちゃん先輩に軽々投げ飛ばされ、海に叩きつけられていた。何が起こったのか理解できなかったのは、俺だけでなく五月雨も同じのようで、きっと、魔法みたいに投げられたリ級だって、目を白黒させているだろう。

 追撃と腕に備えられた連装砲を至近距離から放つ那珂ちゃん先輩。砲火に照らされた彼女の顔は真剣そのもので、いつもの彼女とはまるきり様子が違っていた。

 ボボォン! 直撃弾が二発。反動で後ずさった那珂ちゃん先輩の背を五月雨が支えた。

 流れるように攻撃されたリ級は、黒煙を上げてはいるものの沈む気配はなく、どころか立ち上がった。輝く眼で二人を睨みつける姿に固唾を呑んで見守って――。

 

「たぁっ!」

『フン』

 

 はっとして振り返った。

 腕に直接嵌め込んだ20.3cm連装砲(由良さんの規格に合わせられている)ごと腕を振った由良さんの攻撃が、立ち直ろうとしていたリ級の横面にぶつけられようとして、しかしあっさりと腕を捕まえられて止められた。腕を引っ張られ、勢いのまま投げ飛ばされた由良さんの体が甲板の木板を跳ね、擦り、跳んでいく。そのさなかに放たれた砲弾がリ級の頭頂部を掠った。あんな体勢から砲撃するなんて! でも、惜しい。今一歩のところで当たらなかった。リ級の傍の建造物にも影響はない。船に損害を出さないよう、できるだけ空を狙って撃ったのかもしれない。他の建造物の陰に入ってしまった由良さんの真意は窺い知れなかった。

 

 煩わしげに倒れた由良さんへと腕を向けるリ級に、ヒュンと風を切って飛来した小さな何かがぶつかった。後頭部に当たったのだろう、衝撃に僅かに背を丸めたリ級を跳び越して、船の外からやってきた川内先輩が俺の前へ下り立った。大きな着地音とともに広がるスカートと、運ばれてきた強い潮の香り。活き活きとしてツーサイドアップを跳ねさせる川内先輩の目線は背後に向けられている。たぶん、俺の姿は映ってない。

 振り返りざま、ぶれる勢いで腕を振るった川内先輩から(つぶて)のような物が放たれ、怯んでいたリ級の頭を打つ。ダン、と鈍い音。たまらずリ級は一歩後退し、怨嗟の声を上げた。遅れて地面に落ちた何かがころころと転がり、止まる。光を反射するあれは、コイン……いや、百円玉?

 

「なになになに、なんだってーの! なんで夜になってんの!?」

 

 立ち止まっている場合ではない、と砲を引き抜こうとして、肩越しに振り返った川内先輩が問いかけてくるのに、一瞬固まってしまった。

 うわ、川内先輩ってば、喜色と戸惑いが混じった凄まじい変顔してる。

 じゃなくて、ええと、彼女の言動を見るに、やっぱりこうして夜がもたらされたのはおかしな事なのか。てっきり俺は、ゲーム中で短時間で夜戦に持ち込まれるのはこういった理由なのかと自分を納得させようとしていたのだけど、その必要はないらしい。そもそも今まで深海棲艦にそんな特殊能力があるだなんて聞いた事もないし……考えには無理があるし。という事は、あのタ級は……なんなんだ?

 「って、あんたに聞いても仕方ないか!」と前へ向き直った川内先輩が、弾んだ調子で続ける。

 

「なんでもいーや、私と夜戦しよっ!」

『――――……』

 

 嬉しそうに走り出す川内先輩の声が聞こえているのかいないのか、リ級は自らに走り寄る敵を一瞥すると、横へと砲を向けた。由良さんのほうじゃない。壁……建物の方だ!

 

「おーい、無視すんなー!」

 

 船を傷つけられるのはまずい。川内先輩もそう思ったのか、腕を振って袖から滑り出てきたコインを握り込むと、リ級めがけて素早く投げつけた。が、三度目はさすがに通らない。掲げられた異形の砲の丸い外殻に弾かれてしまう。

 そして、川内先輩がの手が届かないままに、リ級が砲撃してしまった。

 

「あぐっ!」

 

 ボォン、と直撃する音。扉を押し開けて飛び出してきた朝潮が、射線上に体を割り込ませたのだ。

 数瞬遅れてそれを理解した俺は、頭が熱くなるのを感じた。なんて無茶をするんだ。そういう思いと、リ級への怒りが吹き上がって、わななく手でどうにか砲を引き抜いて胸元に持ち上げた。

 

「おりゃっ!」

 

 動きを止めているリ級へ飛びかかった川内先輩が、蹴りや掌底を何度も見舞い、砲の盾で防がれながらも、なんとか船の外へ押し出そうと奮闘し始めた。持ち直した由良さんもそこに加わってリ級を押し出す。船の上じゃ、俺達はむやみに攻撃できない。だからどうにかして、奴にはご退場願わないといけない。

 俺も二人に加勢するべきだろう。そう思ったのに、朝潮の事が心配で、彼女の方へ駆けだした。

 砲弾の勢いを殺し切れずに壁に激突してしまった朝潮は、ボロボロになった服のあちこちで肌を露出させて、ぐったりとして壁にもたれかかっていた。きっと死んではいない。でも、中破か、大破状態になってしまっている。もう一撃くらったらどうなるかは、想像したくない。

 そんな姿を見てしまえば、もう、加勢よりも彼女を守る事ばかりが頭を埋め尽くしてしまう。

 彼女の笑顔を奪われる訳にはいかない。死ぬなんてありえない。また笑いかけてほしい。

 激情に似た熱く苦しい気持ちが駆け巡っていく。床板は激しく軋んで、俺の足を跳ね返していた。

 

「このっ……!?」

「ううっ!」

 

 川内先輩の苦しげな声が聞こえてきた。同時に、硬い物同士がぶつかりあう鈍い音。ズダダンと、誰かが床に叩き付けられる音。

 そっちに視線を向ける暇も余裕もない。だから、何がどうなっているのかなんてわからなかった。俺に見えているのは、痛ましい朝潮の姿と、罅が広がり、陥没した建物の壁が崩れかかっている事だけだ。

 彼女との距離はそうなかった。だからすぐ傍まで行けると思っていた。

 邪魔が入らなければ、実際そうなっていただろう。だがそうはならなかった。俺を狙ったリ級の砲弾が建物に当たり、壁だったものを撒き散らした。

 回避のために体を傾け、(いちじる)しく速度を落としながら、素早く壁とリ級を確認する。建物への損害は、扉のかなり上の外壁が完全に崩れ落ち、中の部屋と明かりが見えてしまっているのと、今なお壁が崩れようとしているところ。リ級の方は、攻撃を外したのを忌々しく思っているのか、呻き声を出して腕を振った。再び腕が持ち上げられた先には、朝潮がいる。

 撃たせるか!

 キュ、と靴裏を擦らせて、バネみたいに飛び出していく。

 

「どああっ!」

 

 その時だった。

 扉を壊すかのような勢いで出てきた男が、床に倒れ込んだのは。

 水上バイクを整備していたあの青年だった。なぜ彼が飛び出してきたのか。なぜ、危険なこの場所に出てきてしまったのか。

 彼へと注意が逸れる。それは一瞬の事。三秒にも満たない中で、倒れ込む男と、その頭上の壁が崩れて瓦礫が落ちようとしているのと、ぐったりしている朝潮を見て、思考した。

 

 どちらを助けるか。

 

 距離的には男の方が近い。少し方向を変えて駆けていけば、落下してきた瓦礫から彼を救い出す事が可能だろう。でもその場合、朝潮は間違いなく撃たれる。

 彼を捨てて走っていけば、朝潮を庇う事はできる。でもその場合、男は怪我をするだろう。タイミングが悪い。良くて重症か、最悪死ぬかもしれない。どうなるかまではさすがにわからない。

 どっちを切り捨てるのか。どっちを助けるのか。

 伸びに伸びた時間の中で、緩やかに動く体と共に、思考を回さなければならなかった。

 

『――――!』

 

 ずきずきと頭が痛む。

 人間を助けるべきだ。そのために俺達はここにいる。彼らが安全に海を渡るために。

 俺達の失敗は艦娘の、ひいては軍全体の信用の損失に繋がる。なんとしてでもそれは避けなければならない。艦娘なら替えが効く。だから人間を助けるのが正しい。

 流れるように、人の方へと思考が傾いていく。おかしなくらい、自然にそう考えていた。

 そう気づいたいのは、視界から完全に朝潮の姿が消えていたからだった。

 ハイスピードカメラで捉えられた映像みたいに、壁だった瓦礫は埃と欠片を引き連れて男へと落ちていっている。

 助ける。

 助けよう。

 人間を。

 

 耳鳴りに似た空気のうねりの中で、それは違う、と私の声がした。

 

「はっ!」

 

 床板を蹴りつけ、前へ跳ぶ。左腕を朝潮へ向けて伸ばす。彼女へ届かせるために、守るために。

 体を投げ出すさなかに、右腕は、背負った艤装にかけられた連装砲を引き抜いていた。手の内に握り込んだグリップは熱くも冷たくもなく、ただ、きつく握った手の痛みと、そこからくる熱だけが感じられた。

 重なって二度、砲撃音がした。軽い音、重い音、その二つ。

 放った砲弾が、青年を襲う瓦礫を吹き飛ばす。その時には、視界の端に朝潮の姿があって――。

 

「――――」

 

 めちゃくちゃに乱れた視界に、降り注ぐ白い壁と何かもわからない色々があって、ぶつかって、ぶつかって、ぶつかって。

 気がつけば、痛む体を丸めて、狭い部屋の中に横たわっていた。

 

「いっ! ……くぅ……!」

 

 慌てて腕をついて体を起こすと、ずきりと背中が痛んだ。背中の、左の真ん中あたり。そこが凄く痛い。

 昔に腕の骨を折った時よりはマシだけど、心臓みたいにリズムを刻む痛みには、涙を滲ませずにはいられなかった。膝を出して体を運び、傍の机の影に隠れる。相変わらず警報は鳴り響いていて止む気配はない。大きな声と砲撃の音がして、船が揺れた。パラパラと埃や何かが落ちる音を聞きながら、お腹に触れる。いつも露出させているお腹。ゆっくり擦り付けながら手を上へやっていくと、胸に当たった。……露わになった胸の下半分と、千切れた服の端。視線を落とせば、少し張った胸と、スカートに垂れるパンツの紐があった。

 ……砲撃を受け、中破、もしくは大破。

 生体フィールドを抜けた痛みが体を襲っている。身動ぎすれば、刺すような痛みがあって、思わず息を吐いた。

 

「朝潮……」

 

 彼女の名前を呟く。

 壁に背を預けて動かなくなっていた彼女は、長い髪が垂れていたゆえに顔が見えなかった。青白い顔をしていたのではないか。泣いていたかもしれない。一度頭に思い浮かべてしまうと、不安と心配が胸に満ちて、這うようにして壁際に寄っていった。壁に開いた大穴からは、外の様子がよく見えた。

 向こうの建物の傍で、由良さんと川内先輩が二人がかりでリ級の片腕ずつを抱えて、暴れ狂うリ級を船の外に運ぼうとしていた。激しい抵抗に揺さぶられながらも、それは成功した。手すりから突き落とされたリ級を追って、二人共が下りていく。それを見届けてから、立ち上がり、背が痛むのに中腰になって、外へ出た。

 外と中とは穴があって地続きも同じだというのに、外に出ると息がしやすくなった気がして、大きく息を吸って、吐いた。左右に、呻く男と、何も言わない朝潮がいる。

 口の中で朝潮に謝罪してから男に駆け寄り、膝をつく。男は顔を歪め、足を押さえて必死に痛みを耐えているようだった。

 俺の砲撃によって粉々になった瓦礫の一部が、運悪く彼の足を打ったのだろう。傍に転がる、子供の頭くらいの大きさの瓦礫を一瞥して、男に声をかける。

 大丈夫ですか、という問いに緩く頷いた男は、それきり言葉には反応してくれなくなったので、一言断ってから、肩を貸して無理矢理ぎみに立たせた。

 

「も、もっと優しく……!」

「速く動いてください」

 

 吐く息の合間にか細く抗議する男の言葉を無視して、急かしながら歩く。足を庇って動きが遅い男を、穴を通って建物内に連れ込むと、奥の出入り口の傍に座らせた。

 なぜ出てきたのだ。そう問い詰めたかったけど、そんな暇はない。すぐに外へとって返し、今度は朝潮の前に屈んだ。

 

「朝潮……。朝潮……!」

 

 頬に手を当てて顔を上げさせると、彼女は気を失っているのだとわかった。

 声をかけ、体を揺すれば、ん……と吐息を漏らして、目を開けた。あわさったまつげが開いていくのは、こんな時なのに、目を引いた。

 

「わ、たし……は」

「朝潮! 良かった……。動ける? どこか痛いところはない?」

 

 側頭部に手を押し当てて頭を振った朝潮は、俺を見上げて目をしばたたかせると、次第に瞳に理知的な光が灯り出し、そして、俺の肩を掴んで身を起こした。

 

「状況は!?」

「朝潮、君はもう動けない。中に運ぶから。歩けないようなら言って」

「わ、私は、大丈夫です。まだやれます」

「だめ!」

 

 立ち上がろうとする彼女の肩を押さえて、声を荒げる。朝潮は、瞳を揺らして俺の顔を見た。強い語調になってしまったから、戸惑っているようだった。

 

「言葉を変える。朝潮は、中の人を守ってて。外は私がやる」

「しかし」

「うるさいよ。私の言う事聞いて」

 

 朝潮の腕を持ち上げて(かつ)ぎ、立ち上がる。持ち上げられるように、彼女も一緒に立ち上がった。怪我をしていないか心配だったが、彼女は口を閉じて俺の様子を窺っているだけで、どこかが痛んだりはしていないみたいだった。

 良かった。彼女の生体フィールドはしっかり仕事をしたようだ。代わりに服が酷い事になっているが、怪我するよりはマシだろう。ああでも、男性の警護を頼んだのに、そいつに肌を晒させるなんて駄目か。何かないかな、羽織るものとか。たしかさっきの部屋に布みたいなのがあったはず……。

 

「あの……」

「……」

 

 すぐ傍で話しかけてくる彼女の声に、唇を動かす。耳朶を打つ弱々しい声は、すぐにでも言葉を返してしまいたくなる魅力があったけど、駄目駄目、朝潮の事だ、上手い事言って俺を丸め込んでなんとか戦線に加わろうとするだろう。それはだめ。許さない。

 

「申し訳、ありません……私が不甲斐ないばかりに」

 

 床に目を向け、気落ちしたように呟く朝潮を見る。久しぶりに見た彼女の落ち込む姿。

 自分を卑下する事なんてないのに。

 船を守るために、咄嗟の判断で砲弾に身を晒すなんて、たぶん俺にはできない。

 それに、朝潮は勘違いしてる。

 

「私は怒ってる訳じゃないよ。これ以上、君に傷ついてほしくないだけ」

「……、……はい」

 

 俺の言葉に反応して顔を上げた彼女は、口を開いて、しかし、出かかった言葉を飲み込むようにしてから、素直に頷いた。

 なんと言おうとしたのだろう。前を向き、考えを巡らせつつ、屋内に足を踏み入れる。上階と違って薄暗い部屋。物置部屋的な何かだろうか。さっきは気付かなかったが、木箱や棚なんかが多くある。でも、机と椅子もあった。床には書類や何かが散らばっている。足を引っ掛けないよう注意して歩き、項垂れている男の傍に朝潮を座らせた。

 

「そのままでいてください」

 

 俺達に気付いた男が緩慢な動作でこちらを見ようとするのを止めるために声をかけると、男は大袈裟に肩を跳ねさせて、縮こまってしまった。

 

「ちょっと待っててね、何か羽織れる物探すから」

「そのくらいは……」

「やらせて。すぐ終わるから」

 

 おずおずと話す朝潮の声を遮って、答えを聞かぬまま部屋の中へと振り返る。

 ざっと見回した感じ、布や衣類はいくつかあった。でも、床に落ちてるのは駄目だ。たぶん一度踏んづけてるし、そうでなくとも降り積もった瓦礫の残骸とかで汚れてる。チャリンと蹴飛ばしたのは、小さな何か。拾い上げてみれば、タグのついた鍵だった。……水上バイク108と書かれている。バイクのキーか。今はこれに用はない。綺麗な布はどこだ。

 棚の方はどうだろう、と開けて回れば、ちょうど良さそうな薄布を見つけた。手触りも悪くないし、変な臭いもしない。手に持って振ってみても、埃が落ちたりはしなかった。

 

「これで肌を隠して。いい、朝潮。外に出ちゃ駄目だよ」

「……了解しました。この方を連れて、中の方達に経緯を説明しておきます。……無理はなさらないでください」

「うん。ありがと」

 

 彼女の首に腕を回し、肩に布をかけてやると、布の横端を掴んで俺を見上げた朝潮は、呟くようにそう言った。微笑みかければ、薄い笑みを返される。

 よし、その笑顔でやる気は満タン。パッションってやつも満タンだ!

 

 素早く外に出て、川内先輩達が下りて行った方の手すりに駆け寄る。ぶつかるようにして鉄製の柵に手をかければ、夜闇の中を飛び回る艦載機の姿が見えた。(おびただ)しい量だ。あのヲ級二体が放った物だろう。

 わんわん飛び回り、下の海めがけて銃弾をばらまくそいつらは、船には目もくれていなかった。時折勢いつけて船の上を跳び越していくやつもいるが、向こうの方へ行くと、下から飛んできた砲弾に撃ち抜かれて爆散した。ナイスショット。那珂ちゃん先輩かな。

 と、暢気に眺めている場合ではない。海面では、吹雪、夕立、深雪の三人が、艦載機相手に奮闘していた。機銃の雨に降られて、頭を庇いがちに動き続けていて、比較的被害は少ないようだ。それでも三人とも少なからず服が破けているから、大破するのも時間の問題だろう。

 

『――――』

 

 ふいに、空が晴れた気がした。

 雨上がりの空。からっとした晴天。

 銃弾の雨に降られた日の事。

 

「…………?」

 

 自分の呼吸をはっきりと感じて、どこかへ飛んでいた意識が戻る。

 俺が下に下りたって、きっと三人の仲間に加わるだけだ。

 だったら!

 

「……よし」

 

 集中する。

 飛び回る異形共を睨みつけて、右手の砲を握り込む。空気を震わせ、空気を穿つ銃弾を吐き出す、赤い瞳の異形達が、途端にゆっくりとした動きになる。

 一ヶ所に固まって、それでもぶつからずに縦横無尽に飛び回る異形。そいつらを殲滅するために左手を背の魚雷発射管に伸ばそうとして、手の内に冷たいものがあるのに気が付いた。

 水上バイクの鍵、持ってきちゃってたんだ。

 何を考える前に邪魔な鍵は口にくわえて、再度背の魚雷に手を伸ばす。一本抜き取り、そして思い切り身を捩った。左腕を振りかぶる。限界まで引き絞る。少し離れた場所で好き勝手している異形達の下へ、直接魚雷を投げ込んだ。

 艦娘の膂力によって放たれた魚雷は、海の中を泳ぐように、しかし先端をぶれさせながら艦載機の方へ向かっていく。

 奴らに知能があるかは定かではないが、一機が気付いて離脱を計ると、周囲の物達も散開しよう動き出す。

 そんなのはお見通しだった。

 すでに構えていた砲が唸る。吐き出した砲弾は、煙の尾を引いて魚雷にぶち当たった。

 爆発。

 熱と風が巻き起こり、たまらずよろめいて尻もちをついた。

 キィキィと音を鳴らして小刻みに揺れる船に、手をついて立ち上がり、どうなったかを見る。

 大きな黒煙が浮かんでいた。もくもくと流れ動くそこから、いくつか黒い線が飛び出ている。撃墜に成功した艦載機の残滓だろう。

 

「む!」

 

 煙の中を突っ切って、生き残りが飛び出してきた。今にも機銃を使ってきそうな敵に、しかし集中力が切れた直後の俺は対応が遅れて――。

 艦載機の奥部が、ぐわっと持ち上がった。

 

「ぃよっし!」

 

 錐揉み回転して空中で爆発した艦載機から顔を庇っていれば、たぶん、深雪だろう声が聞こえてきた。今の、深雪がやったんだ。よく当てられたな。

 感心しつつ、再び手すりに身を寄せて下を覗き込む。

 

「島風ちゃん、ありがとう!」

「後は任せるっぽい!」

 

 ぶんぶんと笑顔で手を振る吹雪に、砲を構えて空を警戒しつつ、俺を振り仰ぐ夕立。遅れて深雪がお礼を言うのに、手を振って返す。

 礼には及ばない。全部は倒せなかったみたいだし。

 

「来たっぽい!」

 

 黒煙が薄れれば、追加で遠くから迫りくる艦載機の群れが見えた。それと、煙を上げながら飛ぶ生き残りの艦載機。

 まだあんなに……。

 

「元を絶たないと駄目だ」

 

 砲を艤装に引っ掛け、くわえていた鍵を手に握って呟く。

 空母ヲ級をなんとかしなきゃ、際限なく……って訳じゃないだろうけど、艦載機が飛んでくる。一刻も早く二体を倒すべきだ。

 シュポン、と気の抜ける音がして、空に打ち上がる物があった。照明弾の追加だ。

 少しもせず、横に神通さんが下り立ってきた。

 ちょうどいい、ここは彼女に任せよう。

 

「神通先輩、みんなをお願い!」

「構いませんが……何か考えがあるのですか?」

「まあ、そんなところです」

 

 短く言葉を交わし、遠くの空を見る。艦載機は、さすがの速さか、、もうすぐそこまで迫っていて、気の早い奴なんかは、もう海面に向けて機銃を撃ち出していた。

 散らばる下の三人に、船の上から艦載機に狙いをつける神通先輩。

 正直、普通じゃそれでも手が足りないだろう。相手はたくさんいるから、撃てばどれかに当たるだろうけど、それだけ。

 専用の装備じゃないから、どうしたって艦載機の相手は辛いはずだ。

 だからとっとと片付ける。

 

 神通先輩に背を向け、建物の方へ走る。

 目的の物はすぐ見つかった。

 特徴的な青色の機体。水上バイク。

 鍵を差し込んで捻れば、エンジンが動き出した。うん、ちゃんと動く。

 

「ちょっと借りるよ」

 

 誰にともなく呟いて、壁に取りつけられていた水上バイクのハンドルを握り、引っ張る。メキメキと音がして取り外しが完了した。…………非常事態ゆえ致し方なし。あとで弁償させられたりは……うん。

 剥がれた壁板から目を逸らし、ハンドルを握った状態で担ぎ上げる。これくらい、今の俺ならなんて事はなかった。バイクなだけあって重さは感じるが、持ち運びに苦労はしない。

 

『キュー』

「あ、砲ちゃん」

 

 バイクの位置を調整していれば、小さな砲ちゃんがちょこちょこと走ってきた。

 抗議のつもりか、ぴこぴこ手を動かすのに苦笑して、ごめんね、と謝罪する。

 今はちょっと、抱えて上げられそうにない。

 首を傾げた砲ちゃんは、俺の足元までくると、ぴょんとジャンプしてお腹辺りにしがみつくと、そのままよじ登ってきた。……ちょっと今の動きは、かわいくなかったかな。

 肩に乗った砲ちゃんを見れば、キュー、と鳴かれた。さっさと行け? いや、んな事は言ってないと思うけども。

 

 ぶるぶる震えているバイクを持って手すりの方へ走っていけば、そこで断続的に砲撃を繰り返していた神通先輩がちらりと俺を見て、すぐ前を向いた。

 

「……それは?」

「バイクです」

 

 と思ったら、目を丸くして顔だけで振り返ってきた。綺麗な二度見。

 彼女の問いに答えれば、見ればわかります、とぴしゃりと言われてしまった。

 

「それで何をするつもりですか」

 

 手すりの外へ跳び出そうとして、神通先輩の問いに動きを止める。ドォン、と至近距離で砲撃音。耳を塞ぎたくとも、両手が塞がっている。耳鳴りに眉を寄せて、

 

「空母を叩きます」

「正気ですか」

「大丈夫です。バイクの使用許可はすでに頂いてます」

「……そういう事ではありません」

 

 ドォン。砲撃の音。また一つ、敵艦載機が煙を噴き上げて落ちていった。

 前から目を逸らさないまま溜め息を吐いた神通先輩は、あなたは本当に無茶ばかりしますね、と残念そうに囁いた。

 ……なんでそんな声音なのかわからないけど、まあ、俺は普通じゃないみたいだし、ちょっとくらい無茶しないとちゃんと戦えないんだ。許して欲しい。

 口には出さず、心の中だけで言うと、聞こえている訳でもないだろうに、神通先輩が頷いた。

 

「わかりました。行ってください」

「ありがとうございます」

 

 神通先輩の許可が出たので、バイクを担ぎ直して、一度下を見て人がいないのを確認し、手すりに足をかけた。大股。再度砲撃した神通先輩が、気をつけて、と注意するのに頷いて返し、飛び降りた。

 着水までの短い時間で、体の下に下ろしたバイクを蹴りつけるようにして立ち、思い切り右のハンドルを捻った。

 エンジンが唸り、吸水口が稼働し始める。海面に下りれば、大きな波が広がった。一拍の間。その間に、船付近で働いていた連ちゃんと装ちゃんが飛びついてきて、直後にぐんと体が引っ張られた。慌ててハンドルを握り込む。よじ登った二匹は、砲ちゃんと同じで、両肩で落ち着いた。ちょっと重い。

 

 いきなりフルスロットルだけど、なんの問題もない。吹雪達の声がした気がしたけど、すぐに後ろの方へ流れていった。ほんとに速いな、これ。

 暴れ馬のように跳ねるバイクを御そうとしつつ、暗闇の向こうを睨みつける。

 こっからは私のショータイムだ!

 ……なんてね。



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第三十三話 独奏・シマカゼのキック

『第八話 帰らせない』に海鷹様から頂いた素敵なイラストを掲載しました!
良かったら見てね☆


 ぐらりと視界が揺れた。

 何度も跳ねる機体のせいじゃない。波のせいでもない。

 後頭部を殴られたような痛みに目が眩んで、危うく水上バイクの上から投げ出されそうになった。

 慌ててスロットルレバーを握り込み、体重を上手く移動させて蛇行しつつも、体勢を立て直す。

 ハンドルの左側、トリガーに似たブレーキレバーに指先を引っ掛けて軽く引けば、がくんと揺れた機体が僅かに速度を落とした。その間に方向を修正する。向かうは、最初に奴らがいた場所だ。

 局地的に霧が晴れ、照明弾が周囲を照らしているといっても、タ級がもたらした夜はまだ続いている。そのため、ずっと向こうは真っ暗で、俺の目ではどこに敵がいるかわからなかった。

 いくら艦娘の目が良いといっても、夜目が利くわけではないらしい。それでも、あいつらは光っているのだから、見つけられたっておかしくないんじゃないかとは思うんだけど。

 時速120キロの最大速度で直進していけば、すぐに敵の姿が見えてきた。

 最初より少しばかり後退した位置に佇むタ級flagship。……その一体だけ。

 他はいない。ヲ級二体とイ級flagshipは、見回した限りで見える範囲にはいなかった。

 ひょっとして、もっと船の近くに移動した?

 だったらタ級に向かっている場合ではない。左に重心を移動させ、機体を傾けて一息に方向転換する。ぐるんと視界が回転して、高く跳ね上げた水が飛沫となって向こうの方へ降り注いでいった。

 スロットルレバーをぐいと捻れば、軋みをあげて船体の先端が持ち上がった。乱暴に足踏みして無理矢理海面に戻し、船へと取って返す。

 タ級からのアクションはなかった。戦艦ならばあの距離からの砲撃でも届くだろうし、外したとしても影響はでかい。それがわからないのか、それともわかっていてやらないのか。

 考えても仕方のない事だ。まずはヲ級をやっつける。それだけ考えて行こう。

 背後にも注意を割きつつバイクを繰れば、あっという間に大きな船の横腹が見えてきた。

 そして、由良さんと対峙するヲ級の姿も。入れ違いになった? 不覚だ。

 

 ほとんど止まっている船から離れた位置で、数が減った艦載機を相手している吹雪達とは反対の方で、二つの人影がぶつかり合っている。ヲ級が振るう杖を、由良さんは腕の砲を進路上に合わせて防いでいた。硬質な音が何度も響く。叩かれるたびに体勢を崩しそうになる由良さんにひやひやする。

 近接戦って戦艦が好むんじゃなかったのか、なんて思考が走ったけど、考えてる暇はない。距離をとりながら砲撃しようとした由良さんが、杖を打ち付けられ、ヲ級がかぶる頭の異形が、空気を震わせて放った砲弾に吹き飛ばされた。

 声もなく、波を割って転がっていく由良さんから目を離し、ヲ級を睨みつける。ハンドルを動かし、進路を調整。スロットルレバーを目いっぱい捻って、もっと速度を出そうとする。

 でも、これが最大速度だ。これ以上のスピードは出ない。いや、これで十分! みるみるうちにヲ級との距離が縮まっていく。

 

『……ッ!?』

「連装砲ちゃん!」

 

 駆動音に気付いたヲ級が勢い良く振り返るが、もう遅い。連ちゃん装ちゃん砲ちゃんに指示を下せば、肩から身を乗り出した三匹が前のめりになって砲撃を開始した。右の連ちゃん左の装ちゃん、右の砲ちゃん左の連ちゃん。

 ドン、ドン、ドォン。交互に放たれる砲弾は、まっすぐ飛んでヲ級の周囲にぶつかっていく。弾け飛ぶ海水や波に自由を奪われ、身動きが取れなくなるヲ級へ、ハンドルを上に引っ張って船体を持ち上げ、ウイリーさながら突っ込んでいく。

 轢き逃げアタックを食らえ!

 

『グゥッ!』

 

 ドカンとバイクが揺れた。重く大きな物と船底が激しく衝突し、乗り越え、ガリガリと削って、再び海の上へ落ちて走り出す。

 船の横腹を前へ突き出すようなブレーキの仕方。立ち上がろうとしている由良さんに近付いてゆく。っとと、このままじゃぶつかってしまう。体を傾け、投げ出されないように気をつけながら急旋回。巻き上がる逆上がりの雨の中、風に絡まれた髪の毛が顔の横を流れていった。バイクの向きは、にっくきあいつに固定だ。

 

『キュ~』

 

 青い機体で前方の水滴を跳ね飛ばし、よろめいているヲ級へ突っ込む。前傾姿勢になった俺に、何をしようとしているのか察した連ちゃんと装ちゃんが左右の海へ身を投げ出した。遅れて砲ちゃんも肩の上から飛び出していく。顔を向けずに彼女達の退避を確認してから、機体を蹴りつけて小ジャンプ。さらにハンドルに着地して一瞬屈伸、刹那に溜めたパワーで前へ跳ぶ。

 

「とりゃーっ!」

『オ――』

 

 跳び蹴りの体勢で突っ込んだ俺を振り仰いだヲ級が、驚愕に顔を染める。いける! と思ったけど、位置の関係で俺のキックはヲ級がかぶる異形を蹴りつけるだけに終わった。ブーツを受け止めた相手の砲身が一本曲がったものの、異形を破壊したりだとかはできなかった。鉄を削る不快な音と火花が散る。ヲ級が背を反らす中で、異形を蹴りつけて宙返り。やってきた水上バイクにどうっと腹を打たれて連れ去られて行くヲ級を遠目に、一拍置いて海面へと下り立った。足を畳んで衝撃を逃がす。

 なんとかバイクから逃れたのか、波の合間を転がっているヲ級を見つけ、着地の姿勢から立ち上がりざまに駆け出す。背後から飛んできた砲弾が、立ち直ろうとしていたヲ級の片腕を穿つ。おそらくは由良さんの支援砲撃。ナイスショット!

 小さな爆炎が広がり、煙となる間に懐へ潜り込む。

 

『オオ――』

「はっ!」

 

 苦痛に顔を歪め、それでも接近した俺に対して行動を起こそうとするヲ級の腹に、勢いを乗せた拳を叩き付ける。

 肉を打つ感触。だけど、重厚な鉄を叩くかのような衝撃が拳に返ってくる。怯んで、素早く数歩後退したヲ級を追って、一歩踏み込む。振りかぶった左の拳を同じ位置へぶつけ、引き戻す中で右の拳を突き出し、痛む拳を気にせずに、今度は左拳を振るう。振るう、振るう、振るう。

 秒間数発。スピード重視の殴打を繰り返す。

 

『ヌ、グ……!』

 

 忌々しげに声を漏らしたヲ級が、俺の腕を振り払うように、右手に持った杖を振った。視界の端でそれを捉えた俺は、伸ばしていた手を引っ込めつつ、右へ体を傾けて避ける。顔の傍を通って行った杖に、ふわりと持ち上がった後ろ髪が背中に風を送り込んだ。清涼感に笑みを零す。

 僅かに目を開いたヲ級が、返す杖で叩き付けようとしてくるのを、半身になってずれる事で躱す。黒く長い杖の先が海面を叩き、細い水柱を作り出した。

 

「遅いね」

『――――!』

 

 流れに逆らわず、流されるように、綺麗に。

 歯を噛みしめて、杖の先を跳ね上げたヲ級に、おっと、と暢気な声を漏らしつつ半歩後退する。背を反らせば、顔の前を尖った杖の先端が通り過ぎていった。巻き上げられた水の軌跡が、下の方からぱらぱらと水滴になって消えていく。

 顔の高さで杖を両手で支え、握り込んだヲ級は、今度は突きを放ってきた。空母といっても怪物は怪物。流石の膂力か、空気を穿って俺の顔に迫る杖は、たしかな迫力を伴っていた。

 まあ、見えてるんだけど。

 杖の横に手を当てて進路をずらしながらヲ級の側面に移動し、攻撃を外した隙をついて、跳び上がって首筋に肘を叩き込む。元々前に出ていた体が沈み込んでいくのに合わせて、握り拳を背にぶつければ、水を跳ねさせて倒れ伏した。

 

 じんじんと痛む手をひらひら振りつつ、立ち上がろうとするヲ級に手を貸す。といっても、肩を掴んで引っ張ってやっただけだ。同じ方向へ力が加われば、簡単にヲ級は立ち上がった。

 意図していたものではないだろうから、よろめいていて隙だらけだ。

 身長差の関係で、ちょうど鳩尾あたりにパンチを見舞えば、苦しげな声を上げてヲ級が後退する。でもやられっぱなしという訳ではない。素早く直立すると、頭の異形の砲が火を噴いた。

 吐き出された砲弾は、この至近距離だ、俺に直撃はしないものの、周囲の海を荒立てて、危うく足を取られそうになった。波に気を取られている内に詰め寄ってきたヲ級の杖に二の腕を打たれ、勢いに負けて海面を転がる。海は冷たかった。打たれた腕や痛みの残る背に、反動を受け止めてずきずきしていた両肩も、海が冷やしてくれた。転がされたというのに、なぜだかほっとしながら、自ら転がって距離をとる。

 あんまり離れすぎたら奴の砲弾の餌食になる。ずっと遠くまで行ったら、艦載機を放ってくるだろうか?

 いや、それはないか。きっと、全部の艦載機を吐き出したからこそ、こうして自らの手で戦ってるんだろうし。

 

 勢いを殺さないよう、腕をついてすぐさま立ち上がり、足の位置を入れ替えて回転。追撃を警戒しての動きだ。

 ヲ級は、さっきの場所から動いていなかった。ただ、顔は別に向けられている。船の方……由良さんが、煙を噴く砲を構えていたから、俺が離れたタイミングで砲撃してくれたのだろう。でも、砲撃音は聞こえなかった。耳が馬鹿になってる訳でもないのに……目の前の敵に集中しすぎた?

 キィィ、と耳の奥で音がする。耳鳴り。ああ、これのせいで音が聞こえなかったんだ。気付かなかった。

 気にする必要はない、とヲ級へ向かっていく中で、耳鳴りが治まり、風の音や砲撃音、警報の音や、耳障りな艦載機の音が一気に戻ってくる。

 眉を寄せ、目を細めて耐えつつ、俺に顔を向け直したヲ級が横薙ぎに振るった杖を、頭を下げ、姿勢を低くして回避する。直後に全身のバネを使い、半ば跳び上がるようにして上体を持ち上げ、元の姿勢に戻れば、杖も腕も振り切ったヲ級と目が合った。

 

 ほんと、おっそーい。

 

 意識して小馬鹿にしたような笑みを浮かべてみる。挑発だ。効くかどうかはどうでも良かった。ただそうしたくなったってだけだったから。

 さっきからのヲ級の表情の変化を見るに、怒ったりもするみたいだし、挑発は有効だろう。現に、目の前のヲ級は、怒りに瞳を揺らして硬直している。一秒にも満たないその遅れが命取りだ。

 右腕を、引き戻されようとしているヲ級の腕にぶつけて阻み、左肩からぶつかっていく。

 杖を持つ腕に手を絡ませ、引き伸ばし、半転。腕を掴んだままヲ級と背中合わせになるよう動けば、痛みに呻いたヲ級がもがいて、振り返ろうとしてきた。向き合いたいのかな? ならお望み通りにしてやろう。

 向きを変えるヲ級と同じく、くるりと回ってお互い顔を合わせる。目線の高さはあっていないが、向こうは憎々しげに俺を睨みつけていた。

 

「やあっ!」

『――!』

 

 ただ振り返るだけじゃない。勢いつけて振りかぶった拳を、ヲ級の腹に叩き込む。ほとんど剥き出しと同じな灰色の肌は柔らかく、しかし硬かった。

 怯んで下がるヲ級の腕は、未だ俺の手の中にある。お互いの腕の長さ以上の距離をとる事はできず、だからヲ級は、腕が張るのにがくんと体を揺らした。

 

『ク……!』

 

 ヲ級の腕を掴んでいた手が滑って、抜けていく。その中で杖の半ばを掴み、ヲ級の手とは反対の方へ傾ける事で武器を奪った。これを武器と言えるかは微妙だけど、でこぼこで、先端は鋭く尖ってて、クエスチョンマークみたいになってる上部のこの杖は、たぶん異形か何かの牙から削り出したようなものなんだろうし、武器と言って差し支えないだろう。

 上部を柄に見立てて握り、剣のように振るう。頑丈な先っぽは、ヲ級の体を削るようにして叩き付けても折れる気配がない。続けて二度、怯むヲ級に杖をぶつけ、よろめいて後退するのを追って、開いた左手で掌底を見舞う。

 

『ウグ……!』

 

 どうする事でもできずにただ下がっていくヲ級を前にして、杖の上部と半ばをそれぞれ逆手に握る。足を前に出し、回転。相手に背を向ける形。遠心力を乗せ、尖った先を槍のように突き出す。

 柔肌を貫くように沈んでいった杖からは、生物的な中身の様子が生々しく伝わってきて、だけど、戦闘の興奮と高揚が忌避感を打ち消す。臓物や何かを貫く気持ち悪い感触も、今この時だけは、心地良かった。

 

――ああ、私、戦ってる……。

 

 深く突き刺さった杖を引き抜けば、赤黒い液体が噴き出した。血液に似た、しかしそうではないものは、杖の先端にも粘り気を持って引っ付いている。ぶんと振って異形の血糊を飛ばし、手の内で杖を回転せ、今度はクエスチョンマークに似た上部を武器に見立てる。

 腹を押さえ、背を丸めるヲ級は、立ち直るには少し時間が要りそうだった。

 露わになっている弱点……細い首に、杖上部を……クエスチョンマークの穴開き部分を押し当てる。

 はっとして顔を上げたヲ級が、口を開いて何かを言おうとした。

 声を待たずに、両手で持った杖を思い切り引く。

 鋭い部分が引っ掛かかる。

 皮を突き破る硬い物。

 摩擦熱と液体の中を突き進む無機物の感触。

 杖から手へと伝わってくる情報は非常に多く、白手袋の中は汗に蒸れて、熱い吐息を漏らせば、応えるようにヲ級の首から液体が噴き出した。

 たぶんそれは、オイルなんだと思う。

 血潮のように流れ出すそれは、艦娘と同じで血液みたいだけど、でも、たぶん、違う。

 熱いものが頬に付着した。それで、もうヲ級が長くない事を察した。

 幾つか由良さんからの砲撃を貰っていたのだろう、脆くなっていたところに致命的な損害を与えられて、おしまい。

 どこがどう作用したのか、ヲ級の体から断続的な爆発が巻き起こり、それが異形に及ぶと、一際大きく膨れ上がった。

 真ん前にいた俺は堪ったものではない。衝撃と熱を真正面からぶつけられて、でも、僅かに後退るだけで、なんとか耐えた。

 炎上しながら膝をついたヲ級が、足下から沈んでいく。光を失った目はどこも見ていない。海面に揺蕩うマントのような黒衣は、どこか寂しげだった。

 火の手が俺にまで伸びてくるのを、杖を振るって跳ね返す。その際、先端と上部の濡れに引火して、勢い良く火がついた。

 

「わ、わ、わ、」

 

 このままじゃ杖全体が、そして手にまで火が燃え移ってくるんじゃないかと焦って、大慌てでどうにかしようとわたわたする。

 放り捨てればそれで済むのに、体からできるだけ遠くに離すように、伸ばした腕の先に握った杖を手放す事ができず、ついでに海に突っ込んで鎮火をはかるなんて考えもつかなかった。

 目の前のヲ級は海に沈みゆく中でも燃え盛っている。きっとそのせいで、水につけても消えないんだって無意識に考えたのかもしれない。

 

「あわ、あ……?」

 

 無意味に空いてる手を振ったり握ったりして考えを巡らせていると、ふと、炎が杖を伝ったりはしていない事に気が付いた。

 

「なんだ……だいじょぶじゃん」

 

 杖の上部と先端、それぞれ、オイルで濡れている部分だけが炎に包まれていて、そこ以外には引火しないようだった。ヲ級が爆発したのも、体内のオイルのせいなのかな。なんか昆布みたいだ。

 一度振り回してみても、炎が消える気配はない。けど持つ場所を間違えれば火傷してしまいそうだ。

 背後で聞こえた砲撃音に振り返れば、倒したはずのヲ級が由良さんと、吹雪達を襲っていた。

 後ろには……俺が倒した奴がいる。あれは、ああ、もう一体か。

 一対一でも由良さんは結構戦えていた。そこに三人が加われば楽勝なんじゃないかと思ったけど、彼女達の頭上には、少なくなってはいるが艦載機が虫みたいに飛び回っている。ヲ級を守るように時折銃弾を放つ艦載機に、みんな苦戦しているみたいだった。

 ならば俺も加勢しよう。

 離れた位置で待機していた連装砲ちゃんに声をかければ、水上を移動して近付いてくる。みんなをサポートして、と頼めば、こっくり頷いて、旋回。みんなの方に向かっていく。

 俺もみんなのところに向かうつもりだ。せっかく良い武器も手に入れたし、まずはこいつで一撃加えよう。

 

 少し足を開いて立ち、杖の真ん中を持った右手を前へと突き出す。杖は横倒し。後ろと前で燃焼音がしていて、それが少し格好良く思えた。

 表情を引き締め、航行を開始する。姿勢はそのまま、体の全部に力を入れて前へ進む。最大速力だ。立つ波の抵抗と、吹き付ける風が強い。姿勢を低くしたり、駆けている訳ではないから、いつもよりスピードは落ちてしまっているだろう。損害もあるし。それでも、杖の両端についた炎が後ろに流れ、ごうごうと音を発するくらいの速度は出ていた。

 夕立へ向けて砲撃したヲ級へと向かっていく。ヲ級は、まだ俺に気付いていない。由良さんやみんなも、接近する俺に気付いていなかった。

 ヲ級から離れてもらわないとこの長物は振り回せない。気づけ気づけと念を送っても、妖精暗号通信とやらは発動しない。あーもう、仕方ない。やめておこうと思ったんだけど……みんなに知らせるためにも、ここは一つ技名を叫んでおくか。その方が気合いも入るって。

 諦めの中に、少しの期待が混じる。公の場でそういうのは、やっぱり緊張する。やらないって選択はないけどね。

 すぅっと息を吸い込んで、自分に向けて、みんなに向けて宣言する。

 

『メタルブランディング!』

 

 反響する声が、暗い海の上を滑っていった。

 熱と鋼鉄のイメージを浮かべながら、両手で持った杖を体の横へ持っていき、振りかぶる。俺に気付いたヲ級が振り返り、ぎょっとした。海面を赤く照らして走る炎の尾に、由良さんや吹雪達は、目を丸くしたものの、すぐに何事かを理解して距離を取り始めた。ヲ級は逃げない。体ごと俺に向けたヲ級が、距離の関係上か、杖で防御姿勢をとった。

 

「ぅおりゃーっ!」

『オ――』

 

 その横を擦り抜けざまに、燃え盛る杖を叩き付ける。

 勢いの乗った杖は、頑丈な杖に受け止められて一瞬止まり、だけど、俺が進むのに合わせて強引に振り切られた。火のついた上部がヲ級の顔を強打する。硬質な音の中に火花が散った。

 それだけでは、さすがに倒せないだろう。杖を放り捨て、姿勢を正しいものに変えて速度を上げ、船へ向かって走る。俺がヲ級から離れれば、タイミングを見計らっていたのか、由良さんと深雪が同時に砲撃した。直撃。後ろは見えないけど、そんな音がした。

 

「島風ちゃん、平気っぽい!?」

「うん!」

 

 上を警戒している夕立の傍を通る際、そう声をかけられた。何が平気か、はわからないけど、体に異常はないので頷いて、しかしそれでは、もう後ろにいった夕立にはわからないと気づいて、声を張り上げて返す。

 返事はない。代わりに、穿たれる水音。機銃の音。艦載機の生き残りが暴れ回っている。こいつらは、ヲ級を倒したって、帰る場所がなくなるだけですぐに消えたりはしないだろう。

 船の目の前で反転して、再加速。ヲ級はまだ立っていた。黒煙を上げ、よろけながらも、杖をついて持ち堪えている。由良さん達の追撃はない。深雪の方はたぶん艦載機のせいだ。でも由良さんは?

 由良さんは、体を庇いながら砲を構えていた。そういえば彼女も何度か攻撃を受けていた。生体フィールドを抜くほどのダメージを負っているのだろうか。服の前面が真っ二つに裂け、下部分のほとんどが焼け焦げて無くなってしまっているのを見るに、そうなんだろう。曝け出された素肌は健康的に色づいていて、柔らかさを感じさせられた。――錯覚だ。

 不機嫌そうにヲ級を睨みつける由良さんが体を揺らして砲撃すれば、動き出していたヲ級の間近に着弾した。波に足を取られ、体を強張らせてバランスを保とうとするヲ級――。

 よし、ここだ!

 

『!』

 

 足を揃え、跳ぶ。

 もう慣れた動きだ。空中で身を丸め、膝を抱えて一回転。片足を突き出し、勢いとスピードの全てをヲ級へ向け、急降下キックの体勢で突撃する。

 ヲ級の反応は素早かった。顔を上げ、俺を認識すると、片手で持った杖を俺に突き付けた。う、なんて事を!

 足の位置を調整し、足裏が杖の先端とぶつかるようにして、キックをお見舞いする。尖った先端に貫かれてしまわないか怖かったが、夕張さんが頑丈に作り直してくれたこのブーツは、火花を散らす程度で杖を圧し折り、ヲ級の胸を蹴りつけた。

 その場にバシャリと着水する。

 スピードをかなり殺された。ヲ級は吹き飛び、転がっていったけど、倒すには至らない。ここで由良さんか誰かの砲撃があればとどめを刺せるけど、追撃はない。なら俺が、もう一発ぶつけて倒そう!

 勢い良く両腕を広げる。

 

『ウェイクアップフィーバー!』

 

 胸の中で声が響く。

 俺の声。

 恥ずかしげもなく必殺技始動を宣言して、俺に行動を促す。

 なんで今ヒーロー気取り? なんて自分に問いかけても意味はない。気分が乗ってる。子供心は制御不能。こうなったら自分でも止められない。だって誰も怒らないし、咎めないのだから。

 それにみんな、俺がキックするのにはもう慣れている。

 

「はぁぁ……」

 

 腰を落とし、顔の前で両腕を交差させる。目をつぶり、深く息を吐いて、精神を研ぎ澄ませていく。

 高揚した気分を落ち着け、息を整えたら、目を開いて顔を上げる。

 うん、大丈夫。やれそうだ。

 足の位置を入れ替える。右足を前に、左足は後ろ。それで準備はオーケー。

 膝を曲げ、力を溜めて、前へ向かって跳び上がる。両腕を広げ、揃えた両足の先まで伸ばして、立ち上がったばかりのヲ級へとぶつかっていく。

 

「はぁっ!」

『ッ――!』

 

 足裏が接触すると、ヲ級はぐんと顔を上げて苦しげに表情を歪め、しかし受け止めようと体を張った。貫くために、屈伸するほどに衝撃の全てをヲ級の胸へ流し込んでいく。ザアア、と波の起こる音。俺がヲ級を押し込み、後退させている音。

 勢いがなくなれば、胸を蹴りつけて宙返りし、着水する。背を伸ばしながらばっと片腕を広げてかっこつけ。……決まった、完璧。

 

『ゥ、グ……ッ!?』

 

 胸を押さえて片膝をつくヲ級に、数本の雷跡が迫った。水面が盛り上がり、爆発する。飲み込まれたヲ級は声を上げる事なく海に飲まれた。

 ……あー。

 

「やった! やりました!」

「吹雪ちゃん、まだ上が残ってるっぽい!」

 

 聞こえてくる声から察すると、今の魚雷は吹雪が放った物か。俺が仕留めきれなかった奴にとどめを刺してくれた。完璧なタイミングだった。ここに拍手を送ろう。

 喜ぶ声と警戒を促す声を後ろに、ふぅっ、と息を吐く。

 ……今気づいたんだけど、キバ、ないじゃん。何やってんだろう、俺。いや、そもそも何を言ってるんだろう、俺は。

 努めて平静を装い、佇んでいるけど、心の中では自分が調子に乗っていた事を反省していた。勢いづいて両足キックまでしてしまったけど、そもそも俺がキックで戦う事を選んだのはその方が有効的であって、決して蹴りつける方が砲撃より威力があるからではないのだ。

 その威力不足を補うために速度を乗せているというのに、ただのジャンプキックをするなんて。

 エフェクトや何か……特別な力なんてないんだから、やみくもにキック攻撃をする訳にはいかないのに。

 もちろん、ただのジャンプキックでも効く相手はいるけど、間違っても空母や戦艦にやるべきではない。必殺のつもりの一撃は、逆に自分を窮地に立たせるだろう。調子に乗らず、ちゃんとやらなきゃ。

 胸元で両手を握って、よし、と気合いを入れ直す。ふざけてると、先輩方に怒られちゃうぞ、っと。

 

「――集まって!」

 

 由良さんの号令に、慌てて声の方へ体を向けて走っていく。吹雪や夕立、それに深雪も、何も言わずに由良さんの下へ一直線だ。

 彼女の前で横一列に並ぶ。いちおう周囲の警戒はしているが、こうして号令がかかったという事は、この場所での戦闘は一段落付いたって事なんだろう。

 

「状況を報告して」

 

 俺達を見回した由良さんが、静かに促した。

 体を庇うようにして、垂らした右腕を左手で掴む姿は、肌を隠しているようにも見えて、それを眺めていた俺が顔を上げれば、彼女と目が合った。

 あっ、あ、俺からだ。

 

「ええっと。……シマカゼ、中破。でもまだ大丈夫です」

「吹雪、中破です。艤装の損傷は少ないですが、魚雷を使い切りました」

「夕立は小破っぽい。機銃に連装砲がやられて、ちょっと調子が悪いっぽい」

「深雪様はぴんぴんしてるぜ。続けて撃ちすぎたから、ちょっとクールダウンが必要だけどな」

 

 口早な報告に、うんと頷いた由良さんは、戦闘継続に問題はなさそうね、と言った。……自分がどれくらいやばいかいまいちわかんなかったけど、中破で良かったんだろうか? ……良いんだよね、何も言われなかったし。

 耳に手を当て、少しの間黙ってしまったのは、通信しているのか。やがて顔を上げた由良さんが言葉を続ける。

 

「損害の小さい子で敵の旗艦を叩きます。由良に続いて」

「はい!」

「ぽい!」

「おう!」

 

 指示されずとも陣形を組んで、船を大きく迂回するようにして反対側に回っていく。タ級とは逆方向だけど、そっちに行く事への疑問はない。まずみんなと合流するのが大事だ。俺達に続くようにやってきた連装砲ちゃんが、俺の左右についた。ぴょんと跳ねてきた砲ちゃんを抱き止めて、腕に抱える。

 

 船を見上げても、この近さだと甲板上の様子はわからない。上には神通先輩がいたはずだが、下の戦いには関与してこなかった。別の戦いに巻き込まれたのだろうか。またリ級に船に上がられた? でも、一体は那珂ちゃん先輩が倒していたし、もう一体は川内先輩と由良さんが二人がかりで相手をしたはず。その由良さんはヲ級と戦っていたし、もう全部倒したのでは……。

 いや、リ級との戦いの最中に乱入してきたヲ級を由良さんが担当して、リ級の方を川内先輩が引き受けたのだろう。そうするとまだどこかで戦っているのだろうか。

 そう考えた直後に、遠くで砲撃音が響いた。二連続。二人同時に、もしくは少しずれて砲撃しなきゃこんな音にはならない。

 船の反対側、ずいぶん離れた位置に砲火があった。水柱が立ち、大きく蠢く波の合間に、黄金色の光と黒い巨体が揺らめいた。駆逐イ級flagshipだ。

 大口を開け、不快な叫びを撒き散らせて身悶えするイ級に、もう一発砲弾が飛んだ。顔の上部に当たり、メキメキとめり込む中で爆発する。連鎖的に体まで小規模な爆発を起こして、それが収まると、もう動く気配はなく、周囲に気泡を浮かべて沈み始めた。

 

「よーし、おしまい!」

「みんなー、ありがとぉー!」

 

 凄い良い笑顔で額を拭う仕草をする川内先輩の横で、那珂ちゃんは見えない何かに手を振って愛嬌のある笑顔を振りまいていた。……なんか怖いんだけど。

 俺達が近付いていけば、二人もこちらに気付いて、合流する。

 

「報告は……もうした? じゃあ良いね。私はちょっと服が汚れたくらいだし、まだいけるよ」

「那珂ちゃんも問題なしだよ~」

 

 両腰に手を当てて言う川内先輩と、きゃぴっという効果音が聞こえてきそうな動作で言う那珂ちゃん先輩の言葉通り、二人共目立った損害はない。五月雨は、と由良さんが問いかければ、川内先輩は親指で船を指し示した。上に引っ込んだ? なんのためだろうか。

 

 五月雨と神通先輩はどうかわからないが、損害が激しくて戦えないのは朝潮だけか。砲弾の直撃をもらったのがまずかったんだろう。……由良先輩の損害も激しいと思うんだけど、大丈夫なんだろうか?

 

「……うん、ちょっと辛いけど、由良は旗艦だから」

 

 小声で問いかければ、由良さんは困ったように笑った。

 

「私んとこに組み込んでも良いんだけど、最後までやる?」

「……駄目かな」

「んー、まあ、止めるのが常識なんだろうけど、この非常事態、正直経験の浅い私達じゃどう対応して良いかわかんないし……やってくれるってんなら、心強いけど」

 

 由良さんは、自分を「旗艦だ」と言ったけど、実は川内先輩も旗艦なのだ。

 第十七艦隊の旗艦と、第四艦隊の旗艦。だから、由良さんは、深雪や五月雨を川内先輩の下につけて、自分は引いても良いはず。一艦隊六人って縛りは、今は関係ないだろうし。……たぶん。

 しかし由良さんは、まだ戦うつもりみたいだ。明らかに生体フィールドの防御を抜けて、衣服や肌に傷ができてしまっているように見えるのに、由良さんはそんな事を全然感じさせない。声も、表情も、普段通り。そんな調子だから、大丈夫なんじゃないかって気にさせられてしまう。

 

「もう一度、この船の反対側に行って、神通さんと五月雨と合流します。詳しい話はそこでするね」

 

 気丈なのか、本当に平気なのかはよくわからない。

 彼女の言葉にみんなで頷いて、移動を開始した。




・連装砲ちゃんファイヤーストーム
(砲撃必殺技)

・ジェットバイクキック
(キック必殺技)

・マキシマムメタル
(棒必殺技)

・サイバロイドムーンブレイク
(キック必殺技)


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第三十四話 島風

好みのわかれそうな展開あります。



誤字脱字を修正しました。
まだあるかも。


 船の反対側。艦載機の群れが飛んでいたところで、神通先輩と五月雨が来るのを待つ。

 海面に浮かぶ、燃え盛る異形の残骸を眺めていれば、小さな太陽が天へと上り、落ちながら強い光を振り撒いた。照明弾。それが放たれてからほどなくして、二人がやってきた。

 

「遅くなりました」

「すみませんっ」

 

 二人にも、目立った損害はない。五月雨が多少、服や髪に乱れがでている程度だ。

 

「敵艦隊、空母ヲ級以下五隻の撃沈を確認。残るは、戦艦タ級だけになります」

 

 朝潮を除いた全員が集まれば、それぞれ自分の艦隊と隊列を組み直し、先頭に立って話す由良さんの声に耳を傾ける。

 

「フラグシップ級ともなると、その耐久力は由良達が持てる砲じゃ太刀打ちできないくらいなの」

「鬼や姫以外なら大丈夫、なんて大口叩いたけどさ、戦艦もキツイよね。でも、ダメージが通らない訳じゃない。この人数でタコ殴りにすればいけそうなもんだけど?」

 

 タ級flagship。最初の場所からほとんど移動もせず、仲間がやられた今も、きっとまだそこにいる。

 なんのつもりかは知らないけど、動かないなら動かないで、その間にこうやって作戦をたてられるから良い。

 あいつを倒さない限り、この霧の中からは抜け出せなさそうだし、船の安全は確保できない。……もう結構ボロボロにしちゃってる気もするけど……。この任務、失敗になっちゃうのかな。……なるよなあ。安全に帰らせてあげる事ができなかったんだもの。

 ……それにしても、何か忘れてるような気がするな。

 

「そうね。商船の事もあるし、できれば、短期決戦で倒したいけれど……長期戦を覚悟して」

「どの道倒さなきゃいけないんだしぃ、やるなら徹底的にね!」

「うん。みんな、後の事は気にしないで」

 

 タ級を倒しても、いきなり鎮守府に帰還、ってなる訳でもないし、帰りの道中、敵に出くわす事も考えて……なんてやっていると、足下をすくわれかねない。そういう意味だよね?

 

「最初は砲撃戦で注意を引き、船を狙われないようにしてから削ります。これは、損害の少ない川内さん達に頼みます」

「オッケー、引き受けた」

「そういった役目なら、任せてください」

「那珂ちゃんの魅力で釘付けにしちゃうよー!」

 

 川内さん達、という事は、俺達も砲撃戦に集中すれば良いのかな。

 

「駆逐艦の子達には、雷撃戦を担当してもらいます。頃合いを見計らって、由良が号令をかけるから、そうしたら突撃してね」

「お任せ下さい!」

「ぽい!」

 

 っと、俺達はそういう役目か。

 駆逐艦の速度を活かして一撃必殺と離脱を行う訳だ。というか、戦艦相手に駆逐艦がとれる戦法ってそのくらいか。魚雷は……残り三本。いちおう大丈夫、かな。

 隣の深雪も魚雷を気にしていたみたいで、偶然目が合った。だからといって何がある訳でもない。前を向くと、吹雪が由良さんと話しているところだった。

 

「吹雪ちゃんは、川内さん達と一緒に砲撃戦に参加してね」

「は、はい。頑張ります!」

 

 ああ、そっか。もう残ってないって言ってたもんね、魚雷。だから吹雪は、川内先輩達と一緒に動く事になったみたい。

 

「ゆっくりしてると、タ級が商船に攻撃してしまうかもしれないから、お話はこの辺で終わりにします。戦闘中も指示を出すかもしれないから、由良の声が聞こえるように、気を張っていてね」

 

 戦闘中……そういうのって、なぜか口頭で伝えるよね。妖精暗号通信は、この……妨害電波が撒き散らされている中でも、短距離通信なら可能なのに。やっぱりあれかな。妖精さんの意思を介するから、受け取る人によって解釈が変わってしまうため?

 些細なズレが即命に関わる、というほどでもないが、個人戦ではないのだから、足並みが乱れるのは歓迎すべきではないだろう。……それに今回に限っては、ちょっとのズレが致命的になるかもしれない。

 なにせ相手は戦艦級だ。攻撃力は計り知れない。

 前に演習で戦った大和を思い出す。あれは、ただの掌底で俺を中破まで追いやった。服が破れたと思ったのはただの気のせいだったが、演習の判定としてはきっちり中破判定を取られていた。タ級がそこまで強いとは思えないが……って、違う。基本的に艦娘より敵艦の方が性能は高い。はず。それもflagshipならなおさらだ。

 むむむ……今さらながらに不安が出てきた。一発轟沈もあり得ると考えてしまうと、ちょっとばかし体が強張る。

 何度も戦って経験を積んでいるからこそそういった恐怖や不安は多少抑えられるものの、怖いものは怖い。轟沈は絶対にイヤ。

 弱気の虫がえばり散らしてるこんな時には、朝潮の顔を見るか、吹雪に「大丈夫!」って言ってもらえれば立ち直れるんだけど、なんて思っても、吹雪は、自分一人が川内先輩達と一緒に戦う事になるのが不安なのか、緊張に顔を強張らせているし、朝潮は船の中だ。

 これくらいの感情は自分で御さなきゃ。もういい大人なんだし。

 

「深雪様がついてるんだ、安心しな」

「ん……。あ、ありがと」

 

 うじうじしてたら、隣に立つ深雪が、砲を持ち上げてみせて、元気づけてくれた。頼もしいなあ、もう。

 そうそう、「いい大人だ」なんていっても、戦闘経験は他のみんなの方が上だし、元より誰も沈むつもりはないのだから、轟沈を頭にちらつかせて気を落とす必要なんてない。

 誰も沈まない。沈ませない。シマカゼの戦う理由は、艦娘皆を守るためだ。そのためなら、もっともっと力を出せるはずだし、こんな事で怖気づいたりしない。

 ……よし、おーけー。弱気の虫は叩き潰した。深雪に対して力強く頷けば、にやりと笑みを返された。なんか格好良いな、その笑い方。

 

「行きます!」

 

 作戦に基づいて隊列を組む。川内先輩、神通先輩、那珂ちゃん先輩、吹雪の四人が並んで先を行く。

 その後ろに由良さんが続き、五月雨、深雪、夕立、俺、と後をついて行く。

 

 太陽光や月光とは違った光に照らされた海は、不思議な輝きを持って揺らめいている。波は高くも低くもなく、その中を割って進むと、涼しげな風が火照った体を撫でていった。

 空や周囲から聞こえる燃焼音に、風の音。水上を移動する音。それ以外には俺達の息遣いしかない。先程までは激しい戦闘の音があったのに、騒がしさがなくなると、どうしてか寂寥感が去来する。

 遠目に見えていた分厚い霧の壁は、数分もせず俺達の前に立ちはだかった。白く蠢く水滴の集合体は、何か大きな生き物にも見えて、時折風が吹き込むと、唸り声に似た風の音を吐き出した。

 その足下に、タ級は佇んでいた。

 黄金色のオーラが揺らめき、その中で、じっとこちらを見ている姿からは、なんの感情も窺えなかった。

 怒り、憎しみ、嘆き――深海棲艦が常に撒き散らす負の感情は、たしかに今も奴の体を取り巻き、漂っている。

 でも、俺には、それが薄いと思えてならなかった。

 奴が動きを見せず、表情も変えないからそう思えるのだろうか。希薄な感情は不気味で、それでいて、どこか美しかった。

 あいにく芸術なんてものは俺にはわからないし、あんまり興味もない。

 くだらない事を考えている内に、戦艦の砲撃が届く予測範囲が近付いてきた。

 由良さんが手を振ってみせるのに合わせて、減速する。川内先輩達はそのままの速度を維持して砲撃予測範囲に滑り込んでいく。

 奴の間合いにこちらから踏み込んだ形になるのに、やはりというべきか、タ級は動きを見せなかった。

 

「てぇー!」

 

 川内先輩が声を張り上げると、斜めにずれて、後に続く神通先輩達がずらっと並んだ。軽巡どころか、駆逐艦の射程に入り込んだのだ。タ級は動かない。腕に備えつけられた砲、手に持つ砲がタ級へ向けられ、一斉に放たれる。放物線を描いて飛んでいく砲弾のほとんどは、タ級の周囲に落ちた。海が荒れ、激しく波が立ち、ぶつかり合う。

 

『――!』

 

 砲弾の一つがタ級の肩にぶつかるって爆ぜると、爆発に押されて一歩後退ったタ級が、びくりと反応して川内先輩の方を睨みつけた。

 動いた。そして狙い通り、砲撃担当の方に注意が向いた。

 右へ右へ弧を描いて移動していく砲撃担当とは反対に、左へ左へ滑っていく俺達に、タ級は顔を向ける事すらしない。第二射が降り注いで、それどころではないのかもしれない。

 直撃しても怯むだけで、大きなダメージが通っていないように見えるのに、タ級は身動ぎ、頭を振って長い髪を揺らすと、呻き声を上げていた。苦しんでる? 本当はダメージが通っているのだろうか。

 この分なら。俺達の雷撃が上手い具合に当たれば、一気に倒せるかもしれない。第三射に怯むタ級を見ていると、そんな期待がにわかに膨らみ始めた。

 砲撃の隙間を縫って、タ級がすぅっと息を吸う動作をしたのは、そんな時だった。

 

『――――ッ!!』

「う……!」

 

 形容しがたい不快な鉄音が大音量で空間中に響き渡る。タ級の咆哮に、誰もが一瞬動きを止めた。あんな風に叫ぶ深海棲艦なんて、今日初めて見た。それでも二度目だ。だからといって慣れる訳でもない。

 一度目の咆哮で夜を呼んだ。二度目の咆哮では何が起きるというのだろうか。

 緩やかに動きながら固唾を呑んで見守る俺達の……俺の耳に、何かの音が届いた。

 それはちょうど、俺達が水上を移動するような音。

 背後を振り返れば、遠くの方から黒いものが幾つも近付いてきていた。

 

「仲間を呼んだ……?」

「まさか……」

 

 タ級一人を相手にする事を想定して二つのチームにわかれたのだ。ここで援軍なんてこられたら、分断されて厳しい戦いを強いられてしまう。前を向けば、背後を見て接近するものを認識した由良さんが、信じられないといった風に呟いた。

 どうすればいい。俺達の判断は、動きは、由良さんが握っている。由良さんの指示でこの後の動きは変わる。このまま雷撃チームと砲撃チームにわかれたままでいるのか、集まるのか。それとも別の何かか。

 再び背後を見れば、黒い異形達はすぐ近くまでやってきていた。いずれもオレンジ色の光を纏い、同じ速度で迫ってきている。

 上級(elite)……いや、違う。あれは……!

 

「撃沈した……ヲ級たち?」

 

 誰かが呆然とした声を発した。

 波を割り、ザザザと音を鳴らして向かってくるのは、間違いなくヲ級やリ級の……残骸だった。崩れ、炎上し、ばらばらになって横たわった体が、見えない何かに引き摺られるように動いている。

 攻撃を加えるべき?

 震える手で、背の砲に手をかける。指示を待つ余裕は僅かにあったから、俺にできるのはそこまでだった。だけど異様で異常なこの状況下では、耐え切れなくなって、勝手に攻撃をしてしまいそうだった。

 

「下がって!」

 

 由良さんが指示を出してくれなければ、実際そうなっていただろう。

 焦りを含んだ号令に、慌ててみんなと歩調を合わせ、タ級や、あの残骸達の進路上から離れる。向こうの方でも、川内先輩達が距離を取り始めていた。

 見た事も聞いた事もない現象を前に、不用意に近付く事はできない。何が起こるかわからないから、こうして様子を見るしかない。

 黙っていると恐怖が膨れ上がってどうしようもならなくなりそうだったから、必死にあの残骸達はなんなのかを考えた。

 あれらはまず間違いなくタ級の咆哮によって動き出した物だ。ならばこれは、タ級の特殊な能力によるものなのだろうか。だとして、なぜあのタ級だけがこんな不思議な力を持っているのか、なぜ残骸を呼び寄せたのか。

 まさかとは思うが、やられた深海棲艦を復活させるなんていうトンデモ能力なんて……ない、よね?

 

 俺の不安は外れた。

 残骸達は、俺達の横を通り過ぎ、一直線にタ級へと向かって行ったのだが、タ級は腕を振ると、砲身を残骸へ向けて、あろう事か砲撃したのだ。

 直線的に動く、避ける事の無い標的に砲弾が突き刺さり、海水と共に残骸達がばら撒かれ、降り注ぐ。ボチャボチャと水音を鳴らして沈んだと思った残骸は、不気味に浮かび上がると、再び滑り出してタ級へと向かっていく。

 

『クゥッ! ヤ、ヤメロ! クルナ!』

 

 何度かタ級が砲撃するも、残骸達は応えた様子もなく、ついにはタ級へと辿り着いて、群がり始めた。水から上がり、体に直接くっついて蠢く物もあれば、折れた腕を伸ばして掴みかかろうとするのもあった。

 黄金色の光が黒い異形に飲み込まれていく。腕を振り、体を捩り、髪を振り乱して異形達を弾き飛ばすタ級は、徐々に徐々に飲み込まれて、自重に耐えられないかのように沈み始め……。

 

『ア、ァ――――』

 

 海の下へ沈んでいってしまった。

 波の合間に広がる波紋に、浮かび上がる水泡が次第に数を減らし、穏やかな海に戻る。

 誰も、何も言わなかった。

 動きを止め、その場に立って、タ級がいた場所を見つめていた。

 不意に光が差し込んだ。

 霧の中をうっすらとした一筋の光が貫いて、海面に差し込む。暗かった周囲はどんどん闇を薄れさせて、空は青く晴れ渡った。

 

「戦艦、タ級……撃破」

 

 役割を無くした照明弾が燃え尽き、消えてしまうくらいに、由良さんが呟いた。

 

 

 海が凪ぐ。

 戦闘の余韻はどこにもなく、燃え盛っていた異形の残骸も、もうない。

 穏やかな風が吹き抜ける先には商船があり、今は完全に止まっている。

 船上に深海棲艦が乗り込みまでしたのだ、こちらの状況がわかるまで動くに動けないのだろう。

 その状況報告も、今、由良さんが妖精暗号通信でしている。

 深海棲艦がいなくなったから、妨害電波も消えて、長距離の通信も可能になっているのだけど、ひとまず先に船にいる朝潮に事の次第を伝え、それを船員に話してもらうという手筈らしい。

 それで、先程から由良さんが耳に手を当てて立っているのを眺めていたのだが……俺は途中から、なんとなく落ち着かなくなってきょろきょろしてしまった。

 

「どしたの?」

「あ、いえ……」

 

 少し前に合流した川内先輩が、俺の様子に気付いて問いかけてくるのに、曖昧に首を振る。

 何か忘れている気がするのだ。それが何かわからないから、どうしたのと聞かれても答えられない。

 えーと、敵は全部倒したし、空は晴れたし、船はいちおう無事だし……あっ。

 

「バイク……」

「そういえば、島風。水上バイクとやらはどうしました?」

 

 小型船舶である水上バイクを連想して、それをヲ級を倒す際に乗り回し、どこかへすっ飛ばしてしまった事を思い出すと同時に、神通先輩が話しかけてきた。タイミングの良さにどきっとして、砲ちゃんを強く腕に抱く。

 と、俺の様子に察してしまったのか、神通先輩はすっと目を細めて、俺に向き直った。

 

「島風」

「――あっ」

 

 詰問される!

 そう身構えて神通先輩を見上げたのだけど、由良さんが上げた声に神通先輩の気が逸れた事で、言葉が途切れた。どうやら助かったみたい。

 ああでも、バイク、どうにかしなきゃ。たしかあれは沈んだりはしないはずだから、壊れてなければこの近くにあるはずなんだけど……。

 

「どうしましたか」

「あ、通信が切れちゃって。……妨害電波」

「えー、まだ生き残りがいたの?」

 

 ザザ、と耳障りな音が耳の奥でした。たぶんそれが、妨害電波発生の証。

 表情を引き締める由良さんを見れば、何か良くない事が起こったと察する事ができた。那珂ちゃん先輩の言う通り、どこかに生き残りがいたのだろうか。

 見える範囲にはいないだろうと思いつつも見回してみれば、ある事に気付く。霧がまだ晴れていない。俺が引っ掛かっていたのは、これだったのだ。

 

「ん……?」

 

 足下を流れる海の妙な感覚に、下を見る。波が高くなっているような気がして、少し足の位置をずらそうとして、ふと離れた位置の海面が動いているのが見えた。

 動くと言っても、生物的な動きではない。自然的な……たとえば、魚雷が水中で爆発した時に海面が盛り上がるみたいな、そんな動き――。

 

「! (さん)か――」

 

 盛り上がる海面に気付いた由良さんが、一番に声を上げようとして、噴火するみたいに高く高く伸びた水柱に、声を掻き消された。

 

『離れて!』

 

 妖精を介した意思を受け取る前に、すでに後退し始めていた。雨となって降り注ぎ、足下に霧を漂わせた水柱の中から、深く黒い柱が垣間見えた。

 それは、腕だった。

 柱と見紛う太い異形の腕の先には、五指がある。間違いなく、何者かの手で……それが、倒れるようにして海面を叩いた。

 乾いた音と衝撃波が海を伝わって足下を通り抜けていく。巻き起こる風に顔を庇うと、髪が引っ張られて痛みを発した。飛び散った水滴は弾丸みたいで、だけど生体フィールドによって弾かれた。

 筋肉が盛り上がり、異形の腕に力がこもったと思えば、肘が曲がり……押し上げられるようにして、海中から巨大な怪物が姿を現した。

 黒と灰色の集合体。

 頭に当たる異形には目がなく、大きな口の中に歯が並んでいた。体の各部に取りつけられた砲、とりわけ両肩に取りつけられた三連装砲は大きく、しかし最も目を引くのは、その両腕だった。それだけで海に隠された身体部を支えられるだろう筋肉の柱が(そび)え立っている。

 口から漏れだす赤い光が、吐息のように空気中に溶けていた。

 

『ココハ……』

 

 波が落ち着く。

 遅れて、小さな影が海の表面に見えて、それが次第に大きくなると、盛り上がった水の中から一人の女性がせり出した。

 ネグリジェに似た黒いワンピースを纏った、深海棲艦。額に生える二本角と、長く黒い髪。首元から垂れる太いコードのような物は、巨腕の異形と繋がっていた。

 人型に共通する青白い肌を水滴が流れ、海に落ちる。

 瞬間、空気が震えた。

 

「~~~っ!!」

 

 女性の背後にいた巨腕の異形が吠えたのだ。

 声の暴力だった。

 咄嗟に耳を塞いでもお構いなしに鼓膜に直撃する痛み。肌が震わされて、毛先までが小刻みに踊る。

 どれくらい続いていたのか、巨腕の異形が口を閉ざした時には、空は闇に覆われ、再び夜が世界を支配していた。

 至近距離にいる巨腕の異形と深海棲艦の眼差し(赤い光)はここからでもはっきり見える。その姿も、この近さなら。

 戦艦棲姫。

 俺の記憶に該当するのは、それくらいしかなかった。

 でも、なぜ。どうして。どうやって。

 突然に現れた予想外の敵に対して、俺の思考は完全に止まっていた。

 

『オワリニシマショウ……ココデ……オワリニ……』

 

 海の底から不気味に響くような、そう感じさせる声は、夜闇の中に反響して、痺れた耳に届いた。巨腕の異形が差しだした手の平に腰かけた戦艦棲姫が持ち上げられ、同時に、反対の腕も握り締められ、持ち上がっていく。

 すぐに振り下ろされた。

 

「――――……」

 

 気がつけば、海の上を転がっていた。

 全身が鈍い痛みを発するのに強く目をつぶり、歯を噛みあわせながら腕をついて立ち上がる。

 波に襲われた。

 奴が拳を振り下ろし、海を叩くと、そこを中心として津波が広がったのだ。近距離にいた俺達は逃げ出す事もなく、そして生体フィールドを纏っているために、飲み込まれる事もなく弾き飛ばされ、海に叩きつけられた。

 少しの間気を失っていたらしい。徹夜明けみたいに頭の奥が白んでいて、気持ちが悪かった。

 蹲っている場合ではない。立ち上がると、まだ波は収まっておらず、八方に向かって流れていた。

 上下に揺れる体を気にせず、素早く周囲に視線を走らせ、状況を確認する。体はすっごくいたいけど、大きなダメージを負ったりはしていない。元々中破してたから、肌の露出は危険域に達してるけど、それだけ。

 頭もぐらついてたけど、もう治った。

 みんなはあちこちに転がされていた。拳が振り下ろされてからさほど時間は経っていないみたいだ。それぞれ起き上がろうとしていて……戦艦棲姫は、巨腕の異形の手の平に背を預けて、まるで寝そべるような体勢のまま、腕を伸ばし、指差した。その先は……吹雪と、神通先輩がいる場所。

 あんな体勢からじゃ回避は間に合わない。すでに立ち上がっている俺がどうにかしようとしても、砲撃は当たらないし……!

 三度、砲撃音。

 

『!』

 

 巨椀の異形へ向けて一斉砲撃した連装砲ちゃん達が、戦艦棲姫から逃げるようにしてこちらへ移動してきた。目が『><』になっている。

 彼女達の妨害が功を奏して、みんなが立ち上がる時間は稼げた。代わりに……。

 

『アイツヨ……』

 

 指の先が、俺に向けられた。

 どっしりとした動きで巨腕の異形が動き、俺に照準を合わせてくる。

 うわ、まずっ……!

 どっちに回避しても射程内。いや、諦めるな。シマカゼのスピードを信じろ!

 

「はっ!」

 

 急加速。

 そのままの体勢で右へ滑り出し、敵の砲撃に合わせて勢い任せに体を投げ出し、回避行動をとる。

 

「あああっ!」

 

 傍を通り過ぎた物、傍に着弾した物、どちらも直撃なんかしてないのに、余波だけで吹き飛ばされ、何もわからないまま海面と激突した。今度は意識を失わなかった。素早く立ち上がり、追撃を警戒する。

 

「距離をとって!」

 

 由良さんの声。そんな事言ったって、巨腕の異形の肩にある連装砲は、微調整を繰り返しながらも俺に向けられたままだ。身を揺らし、強張らせた巨腕の異形に、砲撃が来ると直感する。

 

「うああっ!!」

 

 直撃コースの砲弾を回避するために、海面を蹴りつけて宙返りし、やり過ごそうとしたけど、駄目だった。俺が立っていた位置に突き刺さる砲弾の勢いは半端ではなく、回転する体は突風に呑まれ、また海に叩きつけられて、うつぶせのままに何メートルも体を擦る羽目になった。

 

「ぷぇえっ、はにゃ、鼻に水がっ!」

 

 海水が鼻に! ぐああ! 生体フィールドが仕事してない!

 

「こっちよ!」

「那珂ちゃんから目を離しちゃダメなんだから!」

 

 俺が立ち直る隙を作るためか、距離をとる面々の中から、振り返って砲撃してくれる子がいた。

 

「撃ち切ります」

「え、え~い!」

 

 十分距離をとった神通先輩が魚雷をばら撒き、吹雪が連装砲を構えて連射する。雷跡を伸ばして戦艦棲姫に迫った魚雷は、巨腕の異形が海に貫手を放ち、壁とする事で防がれた。でも直撃だ。魚雷の火力ならそこそこダメージが入ったはず! 吹雪の砲撃の方は、残念ながら全然届いてなかった。

 戦艦棲姫の注意を引く事には成功したようで、奴は俺に向けていた指先を吹雪達の方へ向けた。すぐに移動を開始する二人は、すでに射程外まで逃れているから、当たる可能性は低い。

 

「んん-!」

 

 声を発すると鼻が痛むから、怒りを込めて握り拳で海を叩く。巨腕の異形みたいに凄い波なんかはできなかったが、少しだけ気が晴れた。

 

「連゛装゛砲゛ぢゃん!」

『キュー!』

 

 ぐぐぐ、鼻が痛い! ひりひりする! じんじんする! 生体フィールドのばっきゃろー!

 ぶんぶんと頭を振り、髪を振り乱して鼻の痛みとおさらばする。向かってきた連装砲ちゃんに足を出してみせれば、俺の意思を汲んで連ちゃんが飛び乗ってきた。そこそこ重い。けど、大丈夫!

 

「はっ!」

 

 足の甲で押し上げるようにして、全力で足を振り抜く。空高く放り上げた連ちゃんを意識の外へ、今度は装ちゃんを同じようにして蹴り上げ、最後に飛び込んできた砲ちゃんを抱きかかえて一回転。遠心力を乗せて空高く放り投げる。

 最後は自分自身。屈伸して力を溜め込み、解放。バネのように跳ね上がり、空中で宙返りをしながら12.7cm連装砲を右手に持つ。足は空に、頭は海に。ぐっと首を伸ばして上を見れば、その先に戦艦棲姫がいる。

 力んでグリップを握り締め、トリガーに指を当てて腕を伸ばし、砲を突き出せば、ちょうど連装砲ちゃん達が俺の高さまで落ちてきた。

 

『トリガーフルバースト!』

 

 重なって反響する声が海に響く。

 連装砲ちゃん込みで一斉に放った砲弾は、よそ見していた戦艦棲姫と巨腕の怪物にほとんど命中! ボボォンと気持ちの良い爆発音をたてて、黒煙を蔓延させた。

 砲を胸に抱えて落下し、着水する。遅れて連装砲ちゃん達が落ちてきて、楽しげな声を上げてはしゃいだ。

 

『コレデハ、ダメネ……』

 

 煙が晴れれば、傷など負っていない戦艦棲姫と巨腕の異形がいた。てんで効いてない。やっぱり駆逐艦の砲撃じゃダメージは期待できないか。俺が放った砲弾は全部外れてたし。

 なら直接キックを叩き込むしかない。ちゃんとスピードを乗せた、全速力のキック!

 

「連装砲ちゃん、サポートお願い!」

『キュ~』

 

 砲を艤装に戻して、駆けだす。

 速くやんなきゃ。じゃないと、みんなが。

 

「ぅ……!」

 

 タ級と違って、戦艦棲姫は動く気があるみたいで、指示を下された巨腕の異形が圧迫感を伴って移動し、砲撃すると、神通先輩のすぐ傍に着弾した。

 跳ね飛ばされる彼女に、吹雪が悲鳴染みた声を上げた。

 

「神通先輩!」

「那珂ちゃんも魚雷、撃ち尽くしちゃうよー!」

 

 ばっと両腕を広げた那珂ちゃん先輩から放たれた四本の魚雷が海に潜るのを横目に、戦艦棲姫から距離をとるためにひた走る。

 

「こんっのぉ!」

 

 大きな爆発に続くように、同じ規模の爆発音がして、それがたぶん、川内先輩の雷撃によるものだとわかった。

 これだけ魚雷ぶつけても、あいつは平気な顔をしているのだろうか。これじゃあ、残った俺達が三人で魚雷を放っても、倒せないんじゃ……。

 だめ。今考えては駄目だ。

 ザアッと水を跳ね上げ、方向転換。勢いを殺さないように大きな弧を描く。

 

『ウットウシイ……!』

 

 連装砲ちゃん達の砲撃に、戦艦棲姫は頭を振って、逃げようとする連装砲ちゃんを指差した。巨腕の異形が止まり、その場で方向転換をし出す。そのさなかに、迫りゆく俺に気付いて、砲身を動かした。そうだ、

撃つなら俺を撃て!

 特別姿勢を低くして駆ける俺に、巨体を屈めてまで照準を合わせた巨腕の異形が全身の筋肉を強張らせる。砲撃の予兆。その反動を受け止めようとする一種生物的な動き、見え見えだ!

 

「とあーっ!」

 

 まっすぐ飛んでくる砲弾は、予想通り、頭の位置を低くしていた俺を狙っていたために、跳んだ俺には掠りもしなかった。海に突き立ち海水を吹き飛ばす砲弾は、相応の衝撃と風を生む。

 もう二度目だ。今度は翻弄されない。嵐のような風も衝撃も全部体で受け、利用して、高く高く跳び上がる。自分で出せる以上のスピードが全身に乗っていた。

 体を丸めて、前転。回って、回って、遠心力も味方につける。

 狙いは戦艦棲姫。巨腕の異形はキックなんかじゃびくともしないだろうけど、完全人型のお前ならどうだっ!

 

『ファングストライザー!』

『フフフ……』

 

 全力の踵落としが戦艦棲姫の頭を捉えようとした時、割って入った巨腕の異形の手に防がれた。ヒールが手の甲を削り、突き刺さり、血に似たどす黒いオイルを噴出させる。踵を伝わって跳ね返ってくる衝撃に、骨が悲鳴を上げているのがわかって、顔を顰めた。

 

「くっ!」

 

 横薙ぎに振るわれた手に引っ張られて、放り出されてしまう。なんとか体勢を整え、足から着水して滑り、下がって、距離をとる。

 

 これでも駄目か。ダメージ、全然通ってない……!

 諦めるもんか。一回で駄目なら、十回でも百回でも叩き込むまでだ!

 

 反転。速度を維持したまま再び戦艦棲姫へ向かっていく。巨腕の異形は、まだこちらを向いている。これでは辿り着く前にやられてしまうかもしれない。

 冷ややかな眼差しを俺に向ける戦艦棲姫に、祈る思いで足を動かす。俺にブレーキなんてない。たとえ無理かもしれなくても!

 

「たーっ!」

 

 俺の声じゃない、那珂ちゃん先輩の声が聞こえた。同時に戦艦棲姫が勢い良く跳ねる。肩から黒煙が生じ始めている。砲撃を受けたんだ。

 

『ヌグ……!』

 

 犬歯を見せて振り返る戦艦棲姫に呼応して、巨腕の異形も緩慢な動作で向こうへ体を向け始めた。飛び込んできた那珂ちゃん先輩へ向けて、持ち上げた拳を一息に振り切る。

 鈍い音がして、すぐそこに見えていた那珂ちゃん先輩の姿が消えた。

 だからって止まれない。止まっちゃいけない。

 両足を揃えて海面を踏み締め、一足飛びに高い位置へ体を持っていく。両足は揃えたまま、向かう先を戦艦棲姫へ固定して飛び込んで行く。

 

『ダブルエクストリーム!』

『ハ、グウッ!』

 

 直前で気付いた戦艦棲姫の胸に足先を抉り込み、巨腕の異形の手の平から叩き落す。勢いのまま海の上へ押しやり、叩き付けて、ヒールで削りながら速度を落とし、しばらく海面を滑って停止する。

 

 飛散する水滴の中に、横から迫る巨大な拳があっても、体はすぐに動いてくれなかった。

 声を出す暇もなくぶん殴られて、白んでいた視界が正常に戻った時には、戦艦棲姫から遠く離れた位置に横たわっていた。

 

「ぃ、ぎ……!」

 

 腕をついて起き上がろうとして、失敗する。左腕が酷く痛んでいた。

 もしかしたら、折れてるかもしれない。そういえば、骨折の痛い時って、こんな感覚だったような……ぐ、う。

 歯を噛みしめて痛みに耐える。内部的な激痛は結構久し振りだ。生体フィールドを抜けて怪我を負う時って、だいたい外傷だったし……。

 右手だけでなんとか立ち上がれば、膝が震えていた。頭痛も酷いし、腕は痛い。泣きそうになっても変じゃないだろうくらいには満身創痍だった。

 そんなのは俺だけじゃない。

 みんなも、砲弾に吹き飛ばされ、巨腕によって起こる波に翻弄されている。誰の顔にも濃い疲労が浮かんでいた。息を荒げていない者はいなかった。

 

「っああ!」

 

 戦艦棲姫が腕を振るのに合わせて、巨腕の異形も腕を振るう。範囲内にいた深雪が風圧に投げ飛ばされた。

 異形の肩の砲が動き、近い者へ砲口を向ける。

 

 がくんと体が傾いた。

 重い頭を動かして足下を見れば、片足が海に沈んでいる。

 ……なんだこれ。

 なんで、足、沈んで……。

 

「吹雪ちゃん!」

 

 夕立の悲鳴が遠くに聞こえた。大振りの雨の音も、荒い呼吸の音も、ずっと遠くに。

 脛まで沈んだ足は、今なお静かに海の底へ落ちてゆく。

 まずい。

 マズイ、マズイ、マズイ。

 危険信号が明滅を繰り返すみたいに、同じ言葉を頭の中で繰り返す。

 艦娘の機能までおかしくなってる。

 私へのダメージは、それほど致命的だった?

 で、でも、まだ、私、動ける。

 シマカゼは戦える。シマカゼはまだ、戦える。

 

「や、だ……」

 

 沈みたくない。

 沈みたくなんかないよ。

 私には待ってなきゃいけない人がいるんだ。

 姉さん。

 お、ねえちゃん――。

 

 

 海の上に立っていた。

 暗くて、足下しか見えない海。

 曲げた膝に手を当てて、揺れ動く海の表面を……そこに映る自分の姿を、ずっと見ていた。

 

 撃っても当たらない。仲間を守れない。

 どうすればいいの?

 どうすれば、あいつを倒せるの?

 

「どうすれば……」

『どうもしなくていいよ』

 

 俺の声が聞こえた。

 おかしいな。俺、そんな事言ってないのに。

 ……弱気になって、自分にそう言っちゃったのかな。

 

『おーい。おぉーい』

「…………」

 

 変だ。ほんとに。

 俺、どうしちゃったんだろう。

 額に手を当てようとして体を伸ばすと、近くに人の気配を感じた。

 顔を向ければ、俺が立っていた。

 

『ねぇ、大丈夫?』

「あ、え……?」

 

 さらさらの髪に、うさみみカチューシャに、眠たげな目。

 どこからどう見ても俺で、どこからどう見ても、シマカゼだった。

 

「なに……なんで……?」

『見てらんなかったの。私も戦う』

 

 そんな事は聞いてない。

 なんで俺が、なんで、島風が、俺の前に。

 今さら、どうして。

 

 驚きに固まる俺に、島風はお腹辺りで手を合わせて、目を伏せた。

 

『ありがとう』

「……」

 

 何が、という言葉は、口から出てこなかった。

 それでも伝わったのだろう。彼女は顔を上げると、はにかんだ。

 

『あなたが私を保っててくれたから……まだ、こうしてここに立っていられるんだね』

 

 ……別に、そんなつもりは……。

 最初は……本気でそう思ってたけど。

 島風を無くす訳にはいかない、残しておかなきゃ、って。

 でも最近は、そういう気持ちは薄れてきてて……。

 違う。薄れてなんかない。自信はないけど、彼女の事を考えて、生きていた……はず。

 

『だから、ありがとう』

 

 じゃあ、なんで?

 なんで、目の前にこうして島風が現れ、感謝されているのに、嫌な汗が止まらないんだろう。

 どうして、冷たく、痛いくらいに心臓がドキドキ脈打っていて、苦しいんだろう。

 

『じゃあ……』

 

 やめて。

 お願いだから、言わないで。

 それを言われたら、俺は、どうしたら――。

 

「体、返してね」

 

 世界が反転する。

 俺だけが海の中に引き込まれ、波の上に立つ島風の姿を見上げていた。

 俺を見下ろす彼女は、何も言わずに後ろ髪に手を通し、ばさりとやると、踵を返して明るい光の方へ歩き始めた。

 

『ま、待っ――』

 

 ごぼりと口から零れた水泡が、暗い水底に沈んでいった。

 

 

 暗い世界の海の中から、光溢れる水面を眺めていた。

 損害がなくなり、新しい装備を身に着けた島風が、連装砲ちゃん達を伴って戦艦棲姫に挑む姿。

 速度で翻弄し、巨大な拳に苦戦しながらも、五連装酸素魚雷を撃ち尽くして、そこに温存していた駆逐艦のみんなの魚雷を当てて、おしまい。

 

 ……そう、終わったんだ。

 

 俺の……違う、シマカゼの艦娘としての人生は、どうやらここで終わりみたい。

 ……きっと、それでいいんだ。

 この体は元々彼女のものだったのだから。

 俺は彼女が目覚めるまでの繋ぎにすぎなかったのだろう。

 ……いいんだ、それで。

 役目を全うした。気持ちの良い終わりだ。

 この身がこの先どうなるかなんてわからないけど、考える必要なんてない。

 

 ……心残りはある。

 けどそれは、どうにもならない事だ。

 シマカゼとして目覚めた瞬間から、もはや叶わない願い。

 ……姉さん。

 俺は、姉さんを――。

 

『ひゃー、疲れた! おーしまいっと』

「……え?」

 

 勢い良く水の中に飛び込んできた島風が、水泡に塗れて俺に迫った。

 お腹を掴まれ、ぐいっと海面に体を向けられると、ぐいぐい背中を押されて、訳がわからないままに海上に出る。

 

『しまかぜはー、とっても眠いです。なので後はよろしくね~』

「え?」

 

 

「あっ、お疲れ様です! お怪我は……大丈夫でしょうか?」

 

 船内にいた朝潮が振り返って、心配そうに見上げてきた。

 

「ぴんぴんしてるよーその子。もう大活躍でさー」

 

 先輩の立場がないっていうか、なんて言ってやれやれのポーズをした川内先輩が、テーブルの上に腰かけた。

 

「外は由良さん達が担当してくれるって」

「霧の中の強敵はやっつけたから、これでもう常に怯える必要はないっぽい。きっと提督さん、いっぱい褒めてくれるに違いないっぽーい」

 

 喜色満面で手を取り合う吹雪と夕立が、それにしても島風ちゃん、凄かったねー、と話しかけてくる。

 

 

 ………………ええー。




・マキシマムトリガー
(砲撃必殺技)

・マキシマムファング
(キック必殺技)

・マキシマムエクストリーム
(キック必殺技)


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   小話 『提督ノオ仕事!』

シャッシャッシャッ


抜けがあったので一文追加しました。


 金曜日の鎮守府は、いつもと変わらず静かで、ところどころ騒がしい。

 朝の陽射しが差し込む執務室では、この鎮守府の司令官である藤見奈仁志が、積み重なった書類と格闘していた。

 

「お茶が入ったのです」

「ありがとう。そこに置いてくれ」

 

 隣の部屋から、秘書艦の電がおぼんを持ってやってきた。金と白からなるティーカップが重厚な木机の上に置かれるカチャカチャという音に、藤見奈は少しの間手を止めて耳を傾けていた。

 

「……どうしたのですか?」

「ああ、いや。……君の周りの音は、いつも綺麗だな、と思って」

 

 クサい台詞を恥ずかしげもなく口にする藤見奈に、電は自然に笑みを零して、自分の机にもティーカップを置いた。

 おぼんを抱えて藤見奈の隣に移動すると、彼が作成していた書類を覗き込んで、感心したように息を吐いた。

 

「やっぱり司令官さんは、仕事が速いのです」

「そうか? 他と比べた事がないからよくわからないが……電がそう言うのなら、そうなんだろうな」

 

 分厚く積み重なった書類は、すでに片付けられた物だ。規則正しく生活し、これだけの仕事をこなすのは、さすが多くの艦娘に慕われる提督なだけはある。

 おぼんを片付けてきた電が、今度は書類の束を隣の部屋へ運んでいくのを眺めて、藤見奈はティーカップに口をつけた。華やかな香りの紅茶は、朝に飲むのにちょうど良い爽やかさだ。

 しかし藤見奈の表情は曇っている。

 多少疲れはあるが、それが原因ではない。仕事も、今やるべき事は粗方片付いている。

 では何が彼に渋面を作らせているかといえば、この書類仕事をする事になった原因だ。

 そもそも、朝にやる書類関係の仕事は、いつもはこんなに多くない。多い時といっても、精々が十枚かそこらだ。食後の紅茶を楽しみながらでも終わる程度である。

 それがなぜこんなにも多いかといえば、つい先日、第四艦隊と第十七艦隊が合同で当たった海上護衛任務が原因だ。

 任務自体は成功している。艦娘達は一様にボロボロだったが、誰一人欠ける事なく帰還している。その傷も、すでに癒えているだろう。商船の乗組員達からは、感謝する旨の手紙と品が送られてきている。一緒に請求書も届いているのはご愛嬌だ。本来護衛対象が損害を出した時、その修理費の一部をこちら側で負担するという取り決めが行われているのだから、請求書がくるのは真っ当な話なのだが、水上バイク一台分の請求なんかも丸々きていて……それはまあ、藤見奈の悩みにはあまりなっていないのだが、一端である事は確かだった。

 こめかみを揉む仕草をしながら紙面を眺めた藤見奈は、電が戻ってくると、上目でその動きを追った。彼女が隣に座り、筆を執るのを見届けてから、目をつぶってまぶたの裏で視線を外すと、背もたれに背を預けて伸びをする。

 

 なんだか最近、大変な仕事が増えている気がするな、と藤見奈は思った。

 

 それもこれも、海上に突如として現れる霧が元凶だ。

 原因不明の霧があるから朝潮が行方不明になり、そして一人の艦娘を連れて帰ってきた。正体不明の霧があるから、高練度を誇るが、少々手に余る叢雲がこの鎮守府に転属してきた。そして、意味不明な霧の発生はとうとう目に見える形で藤見奈達の前に立ちはだかった。

 近海に発生し、強敵を送り込んでくる、異様な霧。

 上層部ではこれまでにその霧は、艦娘を攫う神隠しの霧と呼ばれていたが、藤見奈が見聞きした事を合わせると、何か超然とした者の意思を感じさせられて、身震いした。

 

「司令官さん?」

「いや、大丈夫だ」

 

 藤見奈の些細な動きを見逃さず、電が声をかければ、藤見奈は頭を振って安心させるように微笑んだ。

 体の奥底を冷やす、畏怖に似た感情を誤魔化すように、指を組んで両肘をつく。

 海上護衛任務から戻った面々は、服や体こそ大きな戦闘を思い起こさせるような損害を負っていたが、みんな、顔は晴れやかで、瞳は輝いていた。

 全国規模で驚異的に思われていた霧の発生を切り抜けただけでなく、撃退にまで成功した。話に聞いていた『レ級』と呼称される個体は出現しなかったようだが、それはあまり気にならなかった。

 それぞれが、世界に貢献した喜びと、困難に打ち勝った自分達への自信と信頼、提督である藤見奈への期待を持っていた。そういった感情が折り重なって、彼女達を輝かせていた。ただ一人を除いて。

 

「……彼女の様子はどうだい」

「……島風ちゃんの事なら、何も変わった事はないのです」

「そう、か」

 

 あの時、報告のために、体を押して執務室へやってきた面々は、藤見奈の労いの言葉に、些細な仕草や言動に笑みを浮かべていた。藤見奈が気にするシマカゼもそうだ。たしかにシマカゼは、並んだ艦娘達の真ん中に押し出され、頬を朱に染めてぎこちない笑みを浮かべていた。

 正面にいた藤見奈だからこそだろうか。その笑みに、どこか陰りを感じたのは。

 それだけではない。痛みを堪えるかのように体を縮こめていたし、心ここに在らずといった風にも感じられた。

 全て些細な動きや表情の変化から読み取ったものだ。藤見奈にも、それが何か悪い事でそうなっているのか、怪我の痛みや、霧の中で出遭った強敵との戦闘が尾を引いているのか判断付かなかった。

 数年かけて培われた司令官としての『なんとなく』で、秘書艦の電や、助秘書の叢雲にそれとなくシマカゼの様子を見てもらっていたのだが、数日間の観察の結果は双方ともに変わりなく、いつもと同じ、だった。

 入渠から上がってすぐ、通常の生活に戻ったシマカゼにおかしなところはない。今は第四艦隊、第十七艦隊は一週間の休みとなっているのだが、藤見奈が頭の中のどこかで危惧していたような問題は未だに起こっていない。

 筆を手に取り、動かしながら、どこか引っ掛かりを覚えた藤見奈は思索を続けた。

 

 やがて報告のための書類が仕上がり、それを纏めて、後は郵送するだけ、となると、電は他の書類を持って来て一緒に纏めながら、少し休憩しましょう、と藤見奈に提案した。

 椅子から離れ、窓から差し込む光を体全体で受け止めて大きく伸びをしていた彼は賛成し、手早く後片付けをすると、軽くつまめる駄菓子を用意して紅茶を楽しんだ。

 

「……あの子は最近、自分の能力が僅かずつ落ちているのを気にしていたな」

 

 ソーサーにティーカップを置いた藤見奈は、誰にともなく呟くと、立ち上がって窓際に移動した。

 シマカゼの身体測定が行われたのは、もちろん藤見奈の指示だ。通常を上回る彼女の力に目をつけ、報告を聞いて確信し、能力を伸ばすために集中的に練度を高めてきた。

 だがここ数週間の間に、緩やかながらも右上がりだった成長の曲線が平行になり、そして下り始めていた。シマカゼは自分の変化に戸惑い、悩んでいたはずだ。

 

「……それか」

 

 彼がシマカゼに見た陰りは、それだったのだろうか。

 少しの間顔を合わせていなかったから、彼女の戸惑う様子を忘れていて、改めて向かい合った時に認識し直したというだけなのだろうか。

 何も起こっていない現状を顧みるなら、それが一番有力な説だろう。藤見奈の勘違い。彼女には、今まで以上の悩みなんかは増えていない。

 

「だといいんだがなあ」

 

 自分がそう決めつけて、いざ何か起こったらを思うと、藤見奈は不安になった。

 直接「何か悩みはないか」と聞いてしまっても良いのだが、艦娘というのは不思議なもので、この世界で形になってから過ごした時間で多少変わりはするものの、多くは外見に見合った精神年齢を持ち合わせている。つまりは、駆逐艦のシマカゼを相手にするのは、年頃の女の子を相手にするのと同じなのだ。

 もし悩みがデリケートならば、見た目の上では父と子ほど――少し苦しいが、年の離れた兄と妹くらいの藤見奈にずかずか踏み込んで欲しくないかもしれない。そして一度踏み込んでしまえば、酷く傷つけてしまう可能性もあるのだ。

 艦娘達が提督に寄せる無条件の信頼を当てにして、無神経に事に当たるのは上手くない。

 無骨な手でシャボン玉を包み込むように、丁寧に、優しく……。常に真剣に向き合わなければ、心は繋がらない。

 

 そっと隣に寄り添った電が、一緒になって窓の外を覗き見た。

 時計塔の根元、三階の中心に位置する執務室の窓は、建物の背中側についたこの一枚だけだ。

 そこから見えるのは、雄大な海と、こじんまりとした港と、建物の下の通り道。

 藤見奈は、毎朝早くにそこを走る少女の姿を、コンクリートの道に思い描いた。

 

「いつも、まだ空が暗い時間に、あの子はここを……ちょうど、この下を通る」

 

 後ろ腰で手を組んで、穏やかな笑みを浮かべて言う藤見奈を、電は何も言わずに見上げた。

 

「走っている時の彼女は、楽しそうなんだ」

「楽しそう……ですか?」

 

 不思議そうに聞き返す電に、藤見奈は苦笑して、彼女を見下ろした。

 

「ああ。髪をなびかせて、風の中を走っていく。その時の彼女には、悩みや何かは感じられないんだ」

「……走ると、気分がよくなるのですか?」

「はは、まあ、あまりわからない話かな? ……走るのって、楽しいんだ」

 

 いまいち理解できていない様子の電に、藤見奈は窓の外に顔を向け、ゆっくりと語った。

 

「熱くなった体も、重い脳も、走っている時はどこか遠くにあって、見えているのはずっと続く道だけで、流れる景色の中にいると、まるで別の世界にいるような気分になる」

 

 俺はそれが好きだった。

 そう締め括った藤見奈に、電はほのかに目を輝かせて、「なんだか、電も走ってみたくなったのです」と言った。その後に、頬を膨らませて床に視線を落とすと、「そのお話は、初めて聞いたのです……」とふてくされたように呟いた。

 

「ごめんな」

「……司令官さんが謝る事じゃないのです。司令官さんの事を知れて嬉しいのです。でも……でも、司令官さんの事を知らないのが……電の知らない司令官さんがいるのが、どうしてか悲しいのです」

「ごめん」

 

 俯いたままの電に、藤見奈は、小さな肩に手を置くと、重ねて謝った。

 頭を振って、謝らなくて良い、と示す電。肩を撫で、揺れる髪を手に取って梳き、頭を撫でた藤見奈は、間を置いて、こう話した。

 

「俺の親父は、陸上選手だった。走る事が好きで、才能があったから、長距離の種目で優秀な成績を残した事もあった」

 

 平和な時代、まだ深海棲艦がいなかった頃、幼い藤見奈に、彼の父は、走る事の楽しさを教えた。

 特別な事ではなく、誰でも、いつでもできる事。だから藤見奈は走る事に惹かれ、楽しむ事を目的に、そういったクラブや部活動に所属していた。

 そうして走っていられたのは、幼い時だけだ。深海棲艦が現れてしばらくすると、娯楽を中心にスポーツが規制……圧迫される動きがあった。それはすぐになくなったが、藤見奈が部活をやめるきっかけになった。

 艦娘が現れ、人類の敵と戦う準備が始められると、もうそういった活動に戻る事はできず、才能を見込まれた藤見奈は、試験的な育成校に進学する事になった。

 結果は、この鎮守府の二人目の提督としての現在だ。

 

「走る事はやめたが、俺の気持ちはまだ走り続けてる。君達と一緒にだ。この戦争が終わるまで、きっと俺は止まらない」

「司令官さんは……楽しい、ですか?」

 

 走る事は楽しい、と聞いていた電は、今なお走る事をやめていないと言う藤見奈にそう問いかけた。

 ああ、と藤見奈は頷いた。それは、戦争を楽しんでいるとか、そういう意味ではなかった。

 

「君達と出会い、一緒に過ごして、こうして語り合う事ができるのは楽しいよ。俺が走るのをやめていたら、きっと今はなかった」

「そんなの、嫌なのです」

「大丈夫だ。やめないって言っただろ? 俺はここにいる」

 

 白い袖を握られて、藤見奈は優しい声でなだめながら、電の手に自分の手を重ねた。不安を拭い取ってやるように手の甲を一撫ですれば、電は力を抜いて、胸に手を当てた。

 

「ああ……なんの話だったかな」

「……最初は、この下を走る島風ちゃんの話をしていたのです」

 

 そうだった、と手を打つ藤見奈に、電は呆れを含んだ視線を向けた。

 彼の身の上話を聞けるのは嬉しいが、毎回こう、話していると脱線していくのは、あまりよろしくないだろうという思いからだった。それで色々聞けるのなら、電としては良いかもしれないが……司令官たるもの、しっかりしてもらわないと困るのだ。

 

「いつもは、楽しそうに走る彼女が、ここ数日は……」

「楽しそうじゃないのですか」

 

 そうなんだ。

 頷いた藤見奈は、自分の言葉に納得して、再度、そうなんだ、と頷いた。

 

「陰りがあった。あんまり楽しそうじゃなかった。ここから覗いていると、こっちまで気落ちしてしまうくらいで」

「やっぱり、悩みがあるのでしょうか」

「大きい小さいに関わらず、あるんだろうな。一つは彼女の能力の事。もう一つは……こればっかりはわからないな」

 

 肩を竦め、息を吐く藤見奈に、電は窓の外を見やって、シマカゼのもう一つの悩みとはなんだろうか、と考えた。

 藤見奈も一緒になって、何か思い当たるものはないかと記憶を探る。

 沈黙が、二人の間に漂った。

 重苦しかったりはしない、自然なもの。

 外の音が窓越しに伝わり、部屋の中を通り過ぎていく。

 やがて、何も思いつかなかった二人は、どちらからともなく顔を合わせた。

 

「……そういえば、司令官さん」

「なんだい?」

「最近は夜に目が覚めてしまう事が多いのですか?」

 

 ああ、と藤見奈は息を吐いた。

 日が昇る前に走るシマカゼの姿を何度も見ているというのは、そういう事だ。

 藤見奈は、ここ最近、ふと起きだしてしまう事が多くなっていた。

 というのも、前に一度、快眠のために早起きしすぎてしまった時、シマカゼの姿を見ていたのが原因かもしれない。

 それから、その時間帯に目を覚ましては、なんとなく窓の方へ寄って行って、通り過ぎていくシマカゼを眺めるのが日課になってしまった。

 

「体は温かくしてますか? 電も、ご一緒した方が良いのでしょうか」

「いや、そこまでは、しなくていいんだが」

 

 夏の時期なので、朝早く起きだしても寒さは無い。別の季節だったなら毛布の一枚でもかけなければ、窓の前に立つのは難しいだろうが、今はそうではない。

 

「司令官さんのお体に何かあったら、電は……」

「大丈夫だよ。ほら」

 

 心配性の電に、藤見奈は手を寄せてみせて、健康なのをアピールした。どこにも異常はない、そう伝えるために出した手を、電は両手でそっと包んで、自身の頬に当てた。手の内に流れる血の熱が、電の高い体温と混じり合った。

 

「明日、街の方で花火大会が催されるらしいね」

「青葉さんの広報誌に書いてあったのです」

 

 話題は、明日土曜に開催される花火大会に及んだ。

 二人は司令官とその秘書という立場だ。仕事を休んで街に繰り出すという事は、あいにくできない。

 窓から眺めようにも、街は反対側だ。この場に立っていても、見えるのは、様々な色に照らされる海だけだろう。

 それはそれで雰囲気はあるかもしれない。しかし電としては、ちゃんと空に咲く光を見たいようで、藤見奈はその気持ちを汲んで、こう提案した。

 

「明日、仕事を片付けたら、一緒に上に行こうか」

「上……三原先生の所でしょうか」

「ああ。あそこからなら、きっと何にも邪魔されずに、花火を見れるよ」

 

 時計塔の、上階付近。そこにある三原真の部屋は、不思議な造りをしている。藤見奈はその秘密の一端を知っていて、だから、電を誘ったのだ。窓の無いあの部屋は、しかし特等席なのだ、と。

 

「二人だけ、ですか……?」

「寂しいか? 三原さんに頼めば、もう少し人が入れるようにしてくれるかもしれないから……そうするか?」

「い、いいのです! 二人だけで、いいのです」

「あっ……そ、そうだな」

 

 電の言葉の本当の意味に気付いて、照れたように言い直す藤見奈に、「司令官さんは、少し鈍いのです……」と電は呟いた。

 

「……さ、そろそろ休憩は終わりにしようか」

「はい。……あの、司令官さん」

 

 窓から離れ、机の方へ向かおうとした藤見奈を、電が呼び止めた。

 ただ、それきり口を閉ざして、俯きがちに立つだけになったので、藤見奈は笑みを浮かべて窓の前に戻り、彼女の背を押して、机の方へ誘導した。

 何かをいいかけて言わずじまいなのは、電には珍しくない。その後も、何を言う訳でもなく別の事をし始めるから、こうしたやり取りは慣れたものだった。

 

 仕事をこなす二人の下に、シマカゼから外出許可を願う声が届いたのは、夕方の事だった。



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第三十五話 朝潮とデート

島風の目覚めを受けて、思い悩むシマカゼ。
数日の悩みの果てに、シマカゼはある一大決心をした。
そして迎えた花火大会の日。上手く二人きりになれたシマカゼは、
積極的に朝潮を遊びに誘うのだが――。



長くなりすぎたので分割しました。後半は現在執筆中です。

前半 朝潮とデート

後半 トンデモ展開

となっております。
次回の更新は2015年11月21日 18:05~を予定しています。


『知ってる? 島風の後ろにはね、島風がいたんだよ』

 

 夢を見る。

 後ろの方に立つ、見知らぬ艦娘。

 だれ? だれ? だれなの?

 ……私、なの?

 

 鏡の向こうの海で、振り返った影が、微笑んだ。

 

 

 土曜日といえども艦娘にとっては休みではない。

 だが今日は、俺も朝潮もお休みの日だ。

 先日の働きの報奨で休暇を頂いたので、勇気を振り絞って朝潮を誘ってみたら、一緒に行ってくれると色よい返事を頂けた。朝からうきうき気分だった。

 鎮守府を出るのは、昼過ぎか、夕方頃でいいだろう。花火大会に乗じて縁日も開かれるらしいから、浴衣とか着物を纏って、朝潮と一緒に夜の街に繰り出すのだ。

 朝潮は何を着てきてもきっとかわいいだろうから、目いっぱい褒めよう、なんて帯に絡まりながら思った。

 

 

 外出許可は簡単に下りた。前に提督が言った、俺に外泊の許可は出せない、という言葉は、俺がまだ正式な鎮守府の一員ではなかったからだ。

 ここに着任してしばらくした今ならば、却下される理由はない。

 

 夕刻、街に下りれば、鎮守府内とはまた違った活気や喧噪に出会った。行き交う人が囁き合うのは、今夜空を彩る花火と、建ち並ぶ屋台の話。

 待ち合わせた朝潮は、藍染の浴衣を落ち着いた色の帯で包んで、巾着袋を手にしていた。遊び心に花火柄。とっても華やか。

 どんな言葉で褒めようかとシミュレーションしていた俺は、しばらく言葉が出なくて、不思議がられてしまった。それくらい、浴衣姿の朝潮がかわいかったのだ。失態を誤魔化そうとしきりに髪を弄る俺に、小さな笑みを零す姿も、可憐だ。

 

 ちなみに俺は、夕張さんの所に駆け込んで相談した結果、深緑の着物をレンタルできたので、これと小さな手提げ袋を持ってやって来た。朝潮の姿はかわいらしいと形容できるけど、俺の方はどうだろうか。昔の俺ならいざ知らず、今の俺だと、この渋めの色合いは、あんまり似合ってないような気がする。着物も、着ているというより着られている感じ。

 一番ミスマッチなのは、頭の上のうさみみカチューシャだろうけど。

 これはシマカゼのトレードマークなのだ、外す訳にはいかない。

 ……道行く人の視線が結構な割合で向けられるから、少し後悔してるけど。連装砲ちゃんを連れてきてたら、もっと注目を集めていただろうな。

 いちおう艦娘は極秘の存在だから、おもちゃと言い張るのは苦しい連装砲ちゃんはお留守番だ。悲しげに鳴かれたけど、涙を呑んでお別れした。ごめんね連装砲ちゃん。わたあめとか買って帰るからね。

 

 見慣れぬ街並みは、縁日のためか、同じように浴衣や着物を纏った人が、同じ方向へ歩いている。道路は歩行者用に封鎖され、歩行者天国の看板が置かれていたりした。

 それでも律儀に白線の内側を歩く朝潮を道路とは反対側にいさせて、道路に面した方を俺が歩く。ちょっとした男らしさをアピールしてみたり。……それになんの意味があるかは自分でもわからないが、朝潮はこれっぽっちも気にしていないようなので、ええと、まあ、いいんです。

 人の合間を熱を帯びた風が吹き抜ける。ふわりと持ち上げられた髪に僅かに顔を下げると、不意に、隣を歩く朝潮が髪を押さえる仕草が目に留まった。

 凛とした横顔に、幼さが混じる桜色のくちびる。目を伏せ、髪を撫でつけて整える仕草には大人と子供の間の、曖昧な魅力があった。

 かわいいと、格好良いと、美しいと、綺麗。

 いろんな言葉が頭の中を廻って行って、無意識にそんな事を考えてしまっていた自分に恥かしくなってしまった。横目で盗み見たりなんかしちゃって、これじゃあ俺、まるきり変質者みたいだ。

 俺の視線に気づいた朝潮が、小首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。空色の瞳に、りんごほっぺの俺が映っていた。

 

「島風ちゃん、熱っぽいっぽい?」

 

 後ろから俺の右隣りへ歩み出てきた夕立が、さらりと金髪を垂らして、俺の顔を覗き込んできた。

 ぱりーん。がらがら。二人だけの世界が音を立てて崩れていく。

 

「う、ううん。熱はないよ?」

「そーう?」

 

 首を振ると、夕立は疑いながら体を戻した。

 

「私には、島風ちゃんが朝から具合悪そうに見えたけど……」

「気のせいだよ、吹雪ちゃん」

 

 後ろから気遣わしげな声をかけてきた吹雪を振り返れば、ずらずらっと並ぶ少女達の姿が嫌でも目に入った。吹雪の左右に深雪と五月雨、さらに後ろに、川内先輩と那珂ちゃん先輩の二人、神通先輩と由良さんの二人が歩いている。みんな浴衣姿だ。かっちりした着物なのは俺だけ。ミスマッチ。

 

「こうしてみんなと出かけるのも、賑やかで良いですね」

「……うん」

 

 人混みの熱に当てられているのか、ほんのりと頬を染めた朝潮が微笑みかけてくるのに見惚れて、遅れて、頷いた。足下へ視線を落とせば、胸の内でリズムを刻む鼓動の音が聞こえて、それが恥ずかしくて、下駄を履いた足を強めに振った。地面と擦れた靴裏がカツンと小気味良い音を出す。

 

 ほんとは、彼女と二人きりで来たかった。

 海上護衛任務から戻り、報奨を頂いてからというもの、怪我を癒す時間の中で、ずっと考えていた。俺のやりたい事。残された時間の中で、何を遺すか。言い換えれば、心残りのないように過ごすか。

 ――この数日の間、俺の中で眠る本物の島風からはなんのアクションもなかった。眠ってしまったきり、声も上げなければ、何か働きかけてくる訳でもない。

 でも、彼女がいるって事はわかっていた。確信できた。

 前から続いていた不調が、彼女が目覚めてからはすっかり収まっていて、そして前より調子が良くなった。まだ計測や何かはしていないから正確な値はわからないけど、明らかにパワーが増しているのを感じた。まるで……そう、単純に、二人分の能力値が重なって体の中にあるみたいに。

 

 動いていないマッサージチェアに寝そべっている時も、ベッドに深く腰を沈ませている時も、ずっと考えていた。彼女の事。

 考えれば考えるほど、俺はもう、きっとこのままではいられないんだって実感して、だから決めたんだ。

 もし次に彼女が目覚めても、笑って体を返せるように、悔いが無いように過ごす、って。

 それで、思い出した。花火大会が近くでやるって事を。だから朝潮を誘った。いつしか大きくなっていたある感情を渡すために。

 ……ただ、そこまで決心したのは良かったんだけど、結局一人で、その、デート……いや、遊びに誘う勇気が出なくて、最初に吹雪と夕立に声をかけて、流れを誘導して、同じ休暇を持て余す由良さん達も誘おうという展開に持って行ったのだ。

 吹雪が、由良さん達を誘うなら、川内先輩達も誘わなきゃ、なんて言ってくれちゃったおかげで、予定より人数が多くなってしまったが、まあ、結果オーライだ。軽巡の先輩方は俺達の保護者代わりになるし。

 見た目が子供の俺達だけでお祭りに繰り出したりなんかしたら、下手を打てば補導されてしまうかもしれない。所属を聞かれるのは良くない。実際由良さんは俺達にそう注意したし……最初から、朝潮と二人だけ、という選択肢はなかったのだ。がっくし。

 

「花火って、どっちの空にあがるのかな」

「あっち? いや、あっちかな」

 

 五月雨と深雪の話す声に、そういえば、俺も花火の上がる位置を知らない事に気が付いた。

 ……この近辺で上がるんだから、どこにいたって見えるとは思うけど、できれば一番良い場所を取りたいな。それで……それで、朝潮に。

 ……あれ? 俺のプランだと、こう、花火をバックに朝潮と二人きりでお話しするってのがあったんだけど……どうやって二人きりになるんだ?

 

「どうしました?」

 

 むむむ、と悩んでいると、俺の様子を見かねたのか、朝潮が問いかけてきた。

 

「具合が悪いのでしたら……」

「んーん、大丈夫だって。とっても元気」

「そう、ですか?」

 

 うんうん、そうそう。

 ただちょっと別の熱に浮かされてるだけで。

 なんちって、なんちって。

 あほな事を考えていれば、朝潮はまだ俺を心配しているみたいだったから、少し前に出て一回転して、両手ごと手提げ袋を掲げてみせた。

 

「ほら元気」

「ふふ。そうみたいですね」

 

 よし、笑ってくれた。

 しめしめ、はちょっと違うけど、心の中でガッツポーズしながら、彼女の隣に並んで歩く。肩が触れ合うような距離感。彼女は気にした風もなく、前を向いて歩いている。

 こっちは触れるか触れないかにドキドキしっぱなしなのに、朝潮はなんにも感じていないみたいで、ちょっと不満だ。こういう気持ちを押し付けちゃいけないのはわかってるけど、同じ気持ちを感じたいなあ、なんて思ってしまったり。

 ドキドキを共有したいのだ。そのためには、なんだってするよ。肝試しとか。

 時期的には肝試しはあってると思うけど、ううん、外でそれはできないか。立場が立場だし、それに、朝潮がお化けが苦手とは思えない。夜闇にだって怯えないだろう。俺は夜は怖いけど。

 

 道路の両側にぽつぽつと屋台が見えてくると、縁日特有の香ばしい匂いが漂い始めた。喧噪も楽しげなものが多く混じり、どこからか聞こえてくる笛の音は郷愁を誘った。

 

「大人の人に声をかけられたら、由良達と一緒に来たって話してね」

 

 縁日へ踏み込む前に、由良さんがみんなに伝えた。子供に言い聞かせるお姉さんみたいな言い方だ。深雪や五月雨は慣れたものか、はあい、と元気に返事をして、それぞれ吹雪と夕立を連れて屋台の方へ突撃して行った。大判焼きとフランクフルト、どっちがお望みなのだろうか。

 

「せっかくのオフだしぃ、心行くまで楽しんじゃうよー♡」

「勝負しよ勝負! とにかく勝負だ!」

 

 いつでも笑顔で明るい那珂ちゃん先輩が、川内先輩の挑戦状を受け取って、一緒に左の屋台の方へ駆けて行った。亀すくい……金魚すくいの親類かな。

 

「それじゃあ、私達も行きましょうか」

「ええ。島風ちゃん、朝潮。花火が終わったら、またこの場所に集合、覚えててね」

「はい」

 

 神通先輩と由良さんも、二人で先に行ってしまうみたい。鎮守府を出る前に伝えられた注意事項をこの場で再度言い聞かせる由良さんに返事をして、道路の向こうへ歩いて行く二人を見送った。

 あれ? なんか知らないけど、はからずも二人きりになれてしまったぞ?

 なんだか俺の気持ちをわかっているみたいな一連の動き……考え過ぎかな。

 

「お祭りというのは初めてなのですが……あなたも、初めて、ですよね」

「いや、違うけど……どうして?」

「あ、いえ……?」

 

 少しずつ曲がっていく長い道路の向こうを眺めていると、朝潮が問いかけてきたので、特に何を考えるでもなく答えてしまった。不思議がる彼女の顔を見て、あっ、と声を上げる。自分の失態に気付いてしまった。シマカゼになってからは、当然お祭りなんかに来た事はない。何言ってんだこいつって思われてそう……。

 

「そ、そんな事より、最初は何しようか? 何か食べる? それとも遊ぶ?」

「あ、わっ」

 

 ぱしっと手を掴んで小走りに駆ける。カツンカツンと下駄の音。戸惑う朝潮を故意に無視して、てきとうな屋台へと連れ込む。

 焼きそば、焼きトウモロコシ、ケバブ、お好み焼き、牛串、わなげに射的、金魚すくいにボールすくい、数当てゲームに糸くじ引きと、結構出店の種類は多い。見回しただけでこれだから(といっても、艦娘の視力でだけど)、奥の方へ行けば、もっとありそうだ。向こうの方はなんだろう。この通りの一個横。幅の広い石畳の道にも屋台が並んでいるけど、人が少ないな。数人程度。ロープみたいなのが張られて行けないようになってるけど、どういった意図の物なのだろう。

 

 それにしても、こういうのって、見てるだけでもわくわくするな。

 出店だけでなく、一般的なお店も台を出して商品を並べている。アクセサリーとか、高そうな腕時計とか。

 

「ちょっとつまんでから、あそぼっか」

「はい。そうしましょう」

 

 繋いでいた手を離して朝潮に向き直り、最後の屋台を手で示しながら伺いをたてる。手を胸に当てた朝潮は、はにかむように微笑んで、頷いた。

 

 庶民の味である焼きそばに舌鼓を打って、イカ焼きを分け合って、じゃがバターも半分こして、りんご飴を舐めながら散策し、的当てやボールすくいに興じた。

 お金は全部俺が出そうと思っていたんだけど、朝潮はそういうのを許してはくれなかった。しっかりした子だ。そういうところも魅力的?

 連装砲ちゃんへのお土産用のわたあめも買ったし、お世話になってる明石には駄菓子屋さんのとこでシュガータール限定品のシュガーシュガータールなんてのも買ってみたし、夕張さんには特に何も思いつかなかったので数当てゲームで当てた十特ナイフでも持ち帰ってやる事にした。

 ものを食べる彼女の顔も、ペットショップの前に展示された水槽を興味深そうに覗き込む顔も、ずっと眺めていたくなる魅力がある。そうしていると、自分の気持ちを再確認する。どうしてそういう風に思うようになったのか、今もそうなのか。はっきりとした気持ち。

 テンテンとヨーヨー釣りで手に入れた水風船で遊ぶ朝潮に、次はどこに行こうか、と声をかける。

 そろそろ空も暗くなってきて、花火の上がる時間も近い。でも遊ぶ時間は十分にある。

 わたあめの縦に長い袋を弄びながら、目当ての屋台が近くにないかを探る。甘い綿菓子がぎっしりつまった袋には、最近のキャラクターなのか、キラキラとした女の子の絵が描かれていた。草の冠に大きな花があしらわれた、これぞ女児向け! って感じのもの。

 もう一つ、ヒーローものっぽいのもあったのだけど、こっちはいまいちピンとこなかった。仮面ライダーっぽくないというか。そもそもこの世界、仮面ライダーは放送されてたんだろうか? もっと外に出れてたら、そこら辺も知れたのだろうけど、あいにくそんな時間は俺に残されていない。

 いつ彼女が目覚めるかわからないんだ。でも今は、それを気にせず朝潮と……歩いていたい。

 

「あった」

「?」

 

 お目当ての出店を見つけて、思わず声に出す。りんご飴、というかもはやりんご串になっているのを赤い舌でぺろぺろ舐めていた朝潮が、目だけを俺に向ける。それ、齧っていいんだよ、と告げつつ、彼女の手を引いて、屋台の前に移動した。

 数人の男女が横長のテーブルの前に立って仲睦まじくやっているのを横目に、屋台内の端っこにいるおっちゃんを呼び寄せて、五百円玉と引き換えに、六個のコルク弾を頂く。

 お目当ての屋台とは、ずばり射的屋だ。古めかしい木塗りの銃と、奥の棚に並べられた景品の数々。絶対取れないだろうなって思えるものから、当たらなくても落ちそうな物まで、いっぱいある。

 

「朝潮、何か欲しい物ない? 私が取ったげる!」

「え、ええっと……」

 

 荷物を足下に置き、銃を抱えて朝潮に向き直れば、彼女は気圧されたように僅かに背を反らして、上目づかいで俺を見た。

 ここらで良いとこ見せなくっちゃ。格好良さを見せつけて、景品ついでに朝潮のハートも撃ち抜いちゃおう。

 

「じゃ、じゃあ、その……」

「あの熊さんかな? 大物だねぇ。でも大丈夫、私に任せて!」

「あ、いえ」

 

 言いよどむ朝潮の視線は上段左端の大きな熊のぬいぐるみさんに釘付けだった。目敏くそれを見抜いた俺は、銃口を天に向けて、左手で作った指鉄砲にキスをする仕草をしてみせた。とれそうにない物だって、俺にかかれば簡単に取れちゃうもんね。姉さんが欲しがった物は、そうやって全部撃ち落してやったもんだ。

 何か言いたげなおっちゃんに流し目を送る。ふふん、もう遅い。あの熊さんはいただきだ。

 

「まー見てなって。こう見えても私、射的すっごく得意だったんだから!」

 

 片手で持った銃をめいっぱい伸ばして、熊さんに向ける。

 そーれ、シューティングストライク!

 

 

「なぁんでぇ!? も、もう一回!」

「あー、お嬢ちゃん……ああ、うん」

 

 なにこれ! 撃っても撃っても当たんない! どーなってんの!?

 叩き付けるように置いた五百円玉硬貨がおっちゃんの手に渡り、代わりに六発のコルク弾が手に入る。

 銃の半ばを掴んで、横腹の出っ張りを掴んで引き、銃口にコルクを押し込めてから、銃の後床を肩に押し当て、銃床を支えてしっかりと狙いを定めた。トリガーに指を掛け、息を止めて、この際落とせなくても良いからとお腹を狙って撃つ。ピュンと飛んでいったコルク弾は、熊さんの真横を通り抜けて、後ろの布に当たって落ちた。

 

「はーずーしーたー!」

 

 なんでー!?

 

「あの、もうその辺で……気持ちだけで良いですから。私、嬉しいですから」

「うぐー……!」

 

 得意なのに、得意なのにとコルクを詰め込み撃っては詰め込みを繰り返していると、朝潮がおずおずと話しかけてきた。そんな事言ったって、今さら後には引けない。格好良いところを見せるって決めたんだ。絶対あのクマ撃ち殺す!

 

「……わかりました」

 

 俺が諦めないのを察したのだろう、朝潮は溜め息を吐くと、ではこうしましょう、と、俺の腰に抱き付いてきた。背中に当たる布と、布越しの柔らかな熱に、体が硬くなる。

 朝潮は、俺の肩越しに景品を眺めると、おもむろに俺の手に自分の手を添えた。銃を持つ手に、小さな手が重ねられると、手の内がじっとりと汗ばんで、内心大焦りになってしまった。

 

「な、なあに? どうするの?」

「私がサポートします。大丈夫です、こうすれば……きっと落とせます」

 

 緊張してるのを知られたくなくて、強がって振り返ると、至近に朝潮の顔。真剣な眼差しが俺に注がれていて、声が上擦ってしまった。

 

(あ……)

 

 顔に昇る熱に、背に感じる温かさに、体に回された腕に。触れ合う全部に気が向いていると、ふわりと香るりんご飴の匂い。それと、シャンプーか何かの香りも混じっていて、そういうのが結集してできあがる女の子の匂いに、くらくらしてしまう。

 心臓は破裂寸前。どうかこの鼓動が聞こえていませんように、と祈りたいけど、背中に感じる朝潮の鼓動ははっきりと感じられていて、だからたぶん、俺の胸のときめきも、包み隠さず伝わってしまっているんだろうと思えた。

 

「狙ってください」

「う、うん……」

 

 熱い吐息が首筋にかかる。

 素肌も見た事もある。一緒にお風呂に入った事もある。なのに、こんな、ただ一緒に銃を構えているという状況が、ああもう、半端なくって。

 

「行くよ、朝潮」

「ええ、いつでも」

 

 彼女がここまでしてくれるなら、俺も気合いを入れなきゃいけない。ドキドキはいったん胸の中に押し込めて、前を向き、熊さんを睨みつける。

 

『ふっふっふ、落とせるものなら落としてみるクマ~!』

 

 にたにたと小馬鹿にするような笑みを浮かべおってからに、もう許さない。

 朝潮! これが俺とお前の力だ!

 緊張の一瞬。

 張りつめた糸に指を這わせるように、細い人差し指が重なって、トリガーにかかった。

 

「えいっ」

「っ!」

 

 ポコン、とコルク弾が当たった熊さんは、小さく身動ぎして、俺達を見下ろした。

 

 ……敗北D。



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第三十六話 枯葉怪人と告白と花火大会

2024年、花火大会に繰り出したシマカゼ一行は、
それぞれ縁日に向かい、出店を回った。
ふとしたキッカケで朝潮に本心を打ち明けたシマカゼは、
拒絶を恐れて逃げ出してしまう。
そんな彼女の前に、ダークローズ・シードモンスターが立ち塞がった。



やりたい事やったもん勝ち。そう、二次創作ならね。



「……あの、私、気にしてませんから」

「……」

 

 喧騒から少し離れた広場で、街灯の下のベンチに座ってフランクフルトをやけ食いする俺に、朝潮が言い辛そうにそう言った。

 いいもん、どうせ俺は格好つける事もできないダメ男だ。だから彼女なんかできた事もなかったんだ。俺が情けない男だからだ。うじうじ。

 というか、あの熊さんも熊さんだ。あんなの絶対とれっこない。せっかく朝潮がやる気になって、一緒に撃ってくれたのに、結局取れずじまいだった。

 ああいうのも、昔なら手前に落として手に入れてたんだけどなあ。

 奥に落とさなきゃゲットにはならないよ、と言われても、向こうだって取れない風に意識して置いてある訳だからそこの所を聞きつつお願いすれば頂けるのだ。

 今日はそこまでいけなかった訳だけど……。

 あーあ、なんでこの体だと、上手く当てらんないのかなあ。遠近感が狂ってる訳でもないし、両目とも視力は同じなのに。

 静かになってしまった朝潮を気にしつつ、フランクフルトと、それが入っていたパックに目を落とす。半透明の底についた赤と黄色。『止まれ』と『今すぐ止まれ』の色。

 半分ほどやっつけたフランクフルトの横腹を唇で挟んで先端まで引っ張り、でこぼこの断面を、ケチャップとマスタードに擦りつけて口に運ぶ。しょっぱい。辛い。舌が痺れる。チープな味だ。……嫌いじゃない。

 

 大事な事を言う前に、何か朝潮の気を惹くような事をしたかったのに、失敗した。逆に格好悪いところを見せてしまった。あんなところで熱くなってしまうなんて、ガキ過ぎるというか……とても大人とは思えない振る舞いだった。

 まあ、そもそもそーゆう駆け引きとか、俺には向いてないのかもしれないなぁ。

 

「…………」

 

 食べ物もやっつけてしまうと、やる事がなくなってしまって、遠くの星空を眺めながら足をふらつかせた。星を眺めているようでいて、その実、すぐ隣に座る朝潮の様子を窺っている。彼女は今、どんな顔をしているのだろう。つまらなさそうな顔をしてたらやだな。そんな事を考えながら、静かな息遣いに耳を傾けていた。

 

「ねえ……楽しい? 私といて」

 

 沈黙に耐え切れなくなって、いきなりそう切り出した。表情の変化を知りたくなかったのに、つい朝潮の方を見てしまって、その一瞬、後悔する。

 もし、嫌だって顔をしていたら?

 そうだったら、今までの全部が崩れてしまうだろう。俺が楽しいって思った時間も、何もかも。

 だから、見なきゃよかった。僅かな時間の間に、強く深く、後悔した。

 

 朝潮は、僅かに目を開いて、驚いているようだった。なぜそんな事を聞くのかわからない、みたいな顔。

 胸の内を冷たい水が滑り落ちる。直前まで盛り上がっていた気持ちをどん底まで突き落とすような、嫌な一滴。

 瞬きをした朝潮は、髪を揺らして、笑った。

 

「楽しいです。とっても」

「本当に?」

 

 彼女がそう言うのだから、そうであるはずなのに、俺はなぜか信じられなくて、言葉を重ねた。彼女は気分を害した様子もなく、ええ、凄く、と、笑みを浮かべたまま頷いた。

 ようやく、理解できた。朝潮は、俺と過ごす時間をちゃんと『楽しい』と思ってくれている。

 嬉しい。

 それが凄く嬉しくて、彼女の手を取り、両手で包み込んで、微笑みかけた。

 

「朝潮!」

「はい」

「好きだ! 付き合ってくれ!」

「……はい?」

 

 腰を浮かせて、気持ちを吐き出した瞬間、『あ、駄目だ』と直感した。

 目を丸くしてぽかんと俺を見る朝潮の顔は関係ない。

 俺が、勢い任せにこれを言ってしまった事に、駄目だと感じたのだ。

 

「あ……」

 

 手を握ったまま、お互い何も言わない時間が流れる。

 見つめ合っているのに、気持ちが通じているかなんてちっともわからなくて、少しずつ少しずつ体を締め付ける圧力に、外側にも冷や汗が流れた。背中を伝い落ちる冷ややかなひとしずく。

 

「う……」

 

 朝潮は、何も言ってくれない。

 はっきり答えてくれる……想像の中ではそうだった朝潮は、現実では、ただ俺を見上げて、黙っていた。

 もっとロマンチックなムードの中で言うべきだったかもしれない。ごちゃまぜの気持ちと思考の中で、そんな考えが浮かんだ。綺麗で、一転の汚れもない状況でなら、彼女に伝える気持ちも綺麗なままで、それならきっとすぐに受け取ってもらえたかもしれない。

 ああでも、たとえ花火の中、雰囲気万点で告白しても、きっと俺は、『駄目だ』と感じていただろう。

 わかってはいた。

 朝潮に、俺に対する恋愛感情はない。

 そもそも少し一緒に戦っただけで、あまり顔を合わせた事の無い人間……しかも同性なのだから、特別な意識を持ちようがないのだ。

 俺が一方的に思いを募らせて、それを吐き出しただけ。彼女はそれを受け取らなかった。

 それだけなのに、するりと手が離れると、これが今生の別れになる気がして――事実、そうなるのだと気づいて――。

 

 俺は逃げ出した。

 

「待って! そっちは――」

 

 石畳の上を駆ける。着物の裾を何度も膝で打ち、はためかせて、広い道を突っ切って行く。張られたロープを飛び越え、無人の屋台の合間を抜けて、その先の雑木林へ。

 どこへ向かうか、なんて考えてなかった。もしかしたら、逃げれば朝潮が追って来てくれるかもしれない、なんて淡い期待を抱いていたのかもしれない。汚い思考。薄汚い、こんなの、なんにも相応しくない、消えて当然の人間の考え。

 気持ち悪い。馬鹿。格好悪い人間の癖に。

 感情の絵の具を混ぜ合わせたみたいにどろどろになった心が負の感情を体中に溢れさせる。

 

 素足が擦れ、熱を持つ。

 吐く息さえ熱い。

 体に纏わりつく汗は粘質で、吹き付ける風もまたこの体を絡め取ろうとしているみたいで、嫌だった。

 走りにくい。

 ひたすら、走りにくかった。

 柔らかい土と草の上を走るのに下駄は向いてないし、着物も向いてない。浴衣を引っ張ると多少はマシになって、ビッと足首を草が擦った。

 喉の奥に鉄の味。

 体中を廻る血液の流れが辛くて、それ以上に、胸で膨れ上がり、溢れる悪感情が血流に乗って体中に広がっていくのが気持ち悪くて、足同士がぶつかり合って、転びそうになった。

 

 ザザザ、と草の音。

 海の上を滑るのと似た、しかし違う音。

 後ろから追ってくる気配があった。微かな呼吸の音が聞こえた。

 喜んでいいものじゃないのに、それが無性に嬉しくて、同じくらい悲しい。

 こんな経験はした事がなくて、自分でもどう感情をコントロールすればいいのかわからない。

 

 背の高い木々に囲まれた道なき道を走り抜ける。巻き上がった枯葉が着物の表面にぶつかり、蹴飛ばした腐葉土の欠片が地面を打つ鈍い音がした。

 

「っ!」

 

 気配を感じた。

 背後の朝潮とは違う、他の人間の気配。

 ……人? それにしては……何か、違う。獣……人里近いこの場所に、獣なんかいるのか?

 

「……っん」

 

 ぼやけ始める視界に、乱暴に目元を拭う。腕を覆う布越しに熱い水の感覚。

 土を蹴り上げ、近付いて来る足音に、もう訳がわからなくなって走り出す。

 

『――――』

「ひゃっ!?」

 

 二歩進んだところで、どこかにあった気配の位置を特定した。目の前。地面に続いて枯葉が積もっていた位置。そこはくぼみになっていて、気配の主はそこに潜んでいたのだ。

 鋭い呼気と共に枯葉を持ち上げて姿を現したのは、人型の異形だった。でかくて黒い頭に目はなく、大きな体や首回りに、地面に散らばっているのと同じ葉っぱみたいな大きなビラビラがくっついていた。

 両腕をこちらに伸ばしてくぼみから出てきた異形は、ぶるぶると体を振って枯葉や土を落とすと、再び俺に手を向けた。

 ええと……な、何かの撮影?

 カメラとかあるの? マイクは? 照明は? スタッフとか、ああ、地面に敷かれた、カメラが移動するためのレールとか……。

 混乱しながらも周囲を見回す。ない。いない。物も、人も。

 夜目が利かないとはいえ、艦娘の目をもってしても、辺りにそれらしき物は発見できなかった。人の気配だって、前後にしかない。前の異形と後ろの朝潮。

 え、つまりこいつは、本物?

 いやいや、日本はいつから特撮世界になったんだ。こんな怪人みたいな生物がいる訳……。

 

「待って――」

「――っ!」

 

 走り寄ってきた朝潮が俺に声をかけようとした時、異形――枯葉の怪人みたいなのが、ばっと両腕を広げて直立した。瞬間、周囲の地面が爆発した。

 いや、すぐ足下で起こったからそうと勘違いしただけだ。俺と、俺のすぐ傍まで来ていた朝潮の周りの土が爆ぜた。慌てて腕を出して朝潮を庇い、後退する。

 うそ、こいつ、ほんとに……。

 よく考えてみれば、深海棲艦なんて化け物がいる世界だ、今さら怪人の一体や二体出てきてもおかしくはない。でも、こんな奴が……艦娘である俺の目をもってしても見えない何かを発射する奴が、人の賑わう縁日の近くにいるなんて……世も末!

 

「あの、こ、これは」

「下がって!」

 

 困惑している朝潮に小声で呼びかけて、もう一歩下がらせる。

 怪人は、肩で息をするような動作をすると、悠々と歩き始めた。ドス、ドス、ドス。重い足取り。やっぱり、あれは特撮のスーツとかじゃない? 土に足跡がつくくらいの重量がある。大きな足が接地する際の圧に巻き上げられた枯葉達が異形の足下を渦巻き、後ろの方へ流れていった。

 

「こっち!」

「えっ、あのっ!」

 

 怪人から目を離さないまま、朝潮の手を取って走り出す。

 装備も何もない今、あんな変な奴と戦うなんて馬鹿な真似はできない。もしあれが本当に化け物なら、俺の攻撃が効くかは怪しい。

 左へ逃れる俺達に、怪人はぐいと頭を動かしてこっちを見ると、すかさず体ごと方向転換して、直立した。またくるか! 今度は見切る!

 

「くっ!」

「きゃあっ!」

 

 バチバチと土が爆ぜ、ひっきりなしに布越しの体を叩く。飛来した何かに地面はハチの巣だ。走っていたからなんとか当たらなかったけど、くそ、やっぱり見えなかった!

 なんなのあいつ。どうなってるの、日本。

 ぐるぐると渦巻く思考は、怪人が走り出すのを見て中断した。結構速い。重い足音とは違って、走り辛いとはいえ全力で逃げている俺達に追いついてきている。砲があれば遠距離攻撃でいるんだけど……ああ! どの道俺じゃ当たらない!

 

「む!」

 

 逃げる途中、再び怪人が何かを放った。目の前の地面が爆ぜ、すぐ近くの木肌が抉れ、上の方でも弾ける音。ノーコン、当たんないよ!

 なんて思ってたら、目の前に何かが降ってきた。振り払おうとして空いてる腕を出して、しかしその形状に覚えがあるのに、慌てて握る形に変える。

 パシッと音を立てて手に収まったのは、不思議な装飾が施された剣だった。

 うわ、何これ、超格好良い……じゃなくて! ……なにこれ!?

 

「ど、どうしましょう!?」

「あ、朝潮はここで待ってて。私、やっつけてくる!」

「ちょっと、あっ」

 

 鈍い銀の刀身に、細目の握り手の片手剣。カーブを描いた刀身は美しく、丸っこかった。

 なんか落っこちてきたってのは凄く怪しいけど、武器があるなら話は早い。覚悟しろ怪物め、シマカゼが相手だ!

 

「やー!」

『グフー!』

 

 くぐもって響く不思議な唸り声を上げた怪人は、向かっていく俺を迎え撃つつもりなのか、立ち止まって頭を揺らした。

 剣を振り上げ、切りかかる。俺の姿が見えてるのか見えてないのか、防御もせずに一撃を受けた怪人の身体からバシッバシッと火花が散り、大きく怯んだ。お、効いてる? ならもう一閃!

 

『グオオ!』

 

 横薙ぎに振るう剣の軌跡に、遅れてバシバシと火花が吹き散る。振り切った隙を潰すために前蹴りを繰り出すと、両腕でガードされた。ずしっと重い重量級の防御。それでも艦娘のパワーだ、ざりざりと地面を削って後退した怪人は、驚愕の声をあげて一歩後退った。

 

「とりゃっ!」

『!』

 

 大きく踏み込んで、頭から股下までを振り切る。噴き散る火花を手の甲で振り払い、着物の袖をバタタッとはためかせて、斬り上げ。閃く線の中に赤い火の粉が咲き乱れる。

 腕で押し返してくる怪人を警戒して素早く後退すれば、揺れた怪人は、直立して発射体制になった。げ、距離とらなきゃよかった!

 剣と腕で体を庇い、飛来物を警戒する。しかし、連続して炸裂したのは、てんで見当外れの地面だった。

 やっぱりノーコン、俺とどっこいどっこいだ。

 今の内に思いっきりやってやる!

 剣を横へ放り投げ、左手に持ち替える。素早く頭を落とした前傾姿勢から、地面に手がつくくらい屈みこんで、力を溜め込む。脳内イメージで、腹の底から湧き上がる力を腕に伝わせ、剣の先まで流し込んでいく。ガルルバイト! 魔皇力(まこうりょく)代わりの気合いが全身を滾らせ、気持ちを上向きにさせる。

 

「――……!」

 

 剣の柄を口元に寄せ、口を開けて咥えようとして、ふと、艦娘の鋭敏な感覚に複数の気配が入り込むのを察知した。

 ……?

 ……あれ、なんか……囲まれてる?

 さっきまではなかった気配が、周囲の木々や茂った草むらの向こうに潜んでいる。こいつの今の射撃、ひょっとして何か意味があったのだろうか。下級怪人を呼び出すみたいな……。

 剣を構え直し、腰を落としながらも姿勢を正す。周囲を警戒しながらゆっくりと後退していると、茂みの一つにちかっと光るものを見つけた。何かの目? それとも――。

 

「っとと!?」

 

 注目していた茂みの向こうから、光る棒が飛来した。

 回転するそれをなんとかキャッチすれば、やっぱりそれは強い光を発する、丸みのある棒で……あ、でも、丸い先端とは反対側がなんだか機械的になってて、でっぱってる。なんだこれ。

 剣と棒を見比べ、眺めまわして、ピンときた。なるほど、この棒も武器なのか。で、この、剣の柄のくぼみに……かっちり!

 おおー……薙刀モード?

 上部に伸びる銀色の剣に、下部に伸びるライトセーバー。手の内でぐるんと回せば、銀と白光の帯が視界いっぱいに広がった。いいねぇ、痺れる!

 

『ウオオー!』

 

 格好良いギミックに感動していると、拳を打ち合わせて火花を散らした怪人が、駆け出してきた。向こうもやる気だ。なら……。

 よし、これで決めよう!

 

『ガルルフィーバー!』

 

 心の奥で俺の声が反響する。寝起きの間延びした声が混じって、あんまりキマってない。

 片手で持った薙刀剣を振り回し、残光を伸ばして叩き斬り、縦に持って構える。走り寄ってきた怪人が間合いに入った瞬間、両膝を軽く曲げ、高く跳び上がった。

 

「はーっ!」

『!』

 

 落下に合わせ、ライトセーバーを突き刺すようにして振るい、眩い光を閃かせる。

 バシバシッ! 連続で火花が散った。棒の部分と剣の部分を、一息に当てたのだ。怪人の前に陣取り、多段ヒットを狙って薙刀を振り回し、ダメージを与えていく。

 火花の中に白煙が混じり、怪人が仰け反って呻く。

 ん、最後!

 大きく振りかぶった薙刀を、光る棒の部分からぶち当て、剣の部分で斬りつけて、反転。朝潮の立つ方へ体を向け、横に薙刀を振り戻して、決めポーズ。背後で怪人の倒れる重い音が響いた。

 よし、おしまい!

 

「ぶい!」

 

 乱れた息の合間に、朝潮に向けて勝利のVサインを送れば、彼女はなぜかあわあわとしていた。あれっと首を傾げる。なんであんなに慌ててるんだろう。というか、珍しいな、あの子があんなに慌てるなんて。

 

「よーしオーケーイ!」

 

 ぼーっと朝潮を眺めていれば、突然大きな声がして、途端、がやがやとした人の声がぶわっと増えた。周りにあった人の気配が動き出し、茂みを掻き分けて出てくる。半袖姿の男の人とか、長い棒を持った人とか、人、人、人……。

 ついでに、さっき倒した怪人がむくりと身を起こして頭を振っている。

 あ、あれー……ひょっとして、俺、なんだかすっごくイケナイ事をしちゃってたり……?

 

「さすが俺が見込んだ女の子だ、アクションはばっちりだな!」

「長回しをミスなし一発でとは、逸材ですねーシマちゃんは」

 

 笑顔を浮かべて歩み寄ってきていた男達の姿を見ようと、光る棒を顔の前に持ち上げると、全員の足がぴたっと止まった。話し声もピタリ。

 

「ちょっと予定と違った動きもあったけど、良い動きだった……よ?」

 

 怪人が頭をスポッと引き抜いて、冴えない男の顔を露わにしながら俺を褒めるような事を言って、しかし俺を視認すると、止まった。

 ……どうしよう、凄く逃げたい。

 呆然とした人達の顔を見回していると、パチパチと拍手の音がした。

 見れば、俺と同じくらいの年代の女の子が、手を打ちながら、男達の合間を縫って歩み出てきた。

 

「すごいじゃない、あなた」

(シマ)ちゃん……」

 

 金髪の少女だった。長い髪の……でもそれは、彼女が髪を掴んで取り払うと、短い黒髪に変わった。

 

「わたしじゃ、あんなに激しく動けないよ」

「いや、そんな事は」

 

 彼女の言葉に反論しようとしたのは、半袖の男だ。一番前に出てきていた彼が、ええと、監督か何かなのだろうか。

 その男と少しの言葉を交わすと、少女は金髪のカツラを傍にいた女性に渡し、こちらに歩み寄ってきた。同時に、朝潮も近くに来る。

 

「あなた、名前はなんて言うの? 私は嶋由梨(ゆり)

 

 俺達の顔を見回した後に少女が発した言葉だ。

 名乗っていいのだろうか、と悩みつつ朝潮を盗み見ても、何もわからなかったので、シマカゼ、とだけ返せば、「ねえ、わたしと交代しない?」なんて言い出すから、びっくりして、なんで? と聞き返してしまった。

 

「だって……。わたしより、凄そうなんだもん」

 

 話の流れからして、この子が本来、ええと、こういう風に動く役目だったのかな。それを、知らないとはいえ俺がやってしまって、怒ってる……という訳じゃないみたいだけど、ていうか、知らないのに完璧にこなした俺って何者? っていうか。あ、艦娘だけど。じゃなくって、え、これやっぱ特撮的な何かだったんだ? でもあの怪人のスーツ凄く重そうだったし、中に人入ってるんだったらなんですぐ間違ってるってわからなかったんだろう?

 色んな事にぐるぐる頭を回していると、嶋と名乗った少女は溜め息を一つ吐いて監督の下に戻って行った。周りの人と打ち合わせ的な会話をしていた監督が嶋……ちゃんと話し出すのを眺めながら、隣の朝潮に小声で話しかける。

 

「もしかして、朝潮は知ってたの? ここで撮影があるの」

「ええ。小耳に挟んでましたから……」

 

 ああ、それでなんか、反応が変だったんだ。気付けよ、俺……。

 申し訳ありません、伝えられず、止められず、と謝る彼女を手で制して、恐る恐る聞く。

 

「この後、どうすれば良いと思う?」

「その……謝るしかないかと」

 

 それしかないよね。

 ああ、なんでこんな事になっちゃったんだろ。

 憂鬱になりながら、「とにかく時間が押してるから、次は花火の」と話している監督さんに頭を下げるために近寄って行く。

 

 この後滅茶苦茶叱られた(由良さんに)。

 

 

 由良さんにはこっぴどく絞られたが、監督さんからは少しの注意しかなかった。良い画が撮れたとほくほく顔だったのと関係があるのだろう。

 映像自体は、まあ、俺達の立場的な意味ですぐ破棄しなければならなかったみたいだけど、損害の賠償はすぐになされると話がついたみたいで、それに、特撮で長回し、及び定点カメラでの、まさに特撮的な画が撮れる事を実感して、この先の作品作りに意欲的になったと話された。

 10月から始まる『黄色い恋』という日曜朝の少女向けドラマをぜひよろしく、ぜひぜひよろしく、と念を押されるだけで、なんのお咎めもなし。ほんとにそれで良いんだろうか。

 監督に手を握られ、日常的の中に突然現れるスペクタクルな非日常を味わっていただきたい、と熱い眼差しで言われたのだが、まるでというか、俺をスポンサーかお偉いさんみたいな扱いにしていて、凄く不思議だった。

 

 由良さんからのお叱りも、そうなった原因は聞かれず、人に迷惑をかける事の重大さに重点を置いてのお話だった。声を荒げたりしないし、激しい怒りを見せない由良さんの怒り方はかなり堪えた。しゅんとしてしまう。

 花火の上がる時間が迫ると、急に切り上げて解放されたのはなぜだろうか。

 おまけに、また自由に行動していていいというし……問題を起こした直後なのに。……今まで積み重ねてきた信用の賜物? ……眉唾。何か事情があるんだろう。

 

「……気分を変えて、目の前の事を楽しみましょう」

 

 肩を落とす俺に、朝潮はそんな風に言って元気づけてくれた。

 真面目な彼女にそこまで言わせたのだ、これで元気にならなければ嘘だ。

 なんて、拳を握って気合いを入れてみても、彼女との間に交わした会話を思い出すと、気分が落ち込んでしまう訳で。

 ……結局答えは聞いてないし、朝潮が答えてくれる気配はないし。

 

 それならそれで良いのかな。

 断られたりして悲しくなるくらいなら、いっそうやむやのまま、普通の友達のまま消えるのが一番か。

 ……それでも、言いたい。伝えたいな。

 好きな人の中に俺という存在を遺したいと思うのは、いけない事だろうか?

 

「あ、いたいた!」

 

 土手に並ぶ人混みの中、ガードレールの前に立つために空いてる場所を探して歩いていると、黒髪の女の子が走り寄ってきた。

 さっきの、嶋ちゃんって子だ。

 

「ね、この後花火見るつもり?」

 

 俺と朝潮の前に立った彼女は、荒い息を呑み込んで整えると、にっこり笑顔で、こう誘ってきた。

 撮影のために封鎖されている場所の一角を貸すから、おいで、という話。

 なぜ俺達を誘うのだろうか。迷惑をかけた側なのに。そう聞くと、嶋ちゃんは、個人的にお話ししたいから、監督さんに頼み込んで許可を貰ったのだという。

 いいのかなあ、それ。

 まあ、ずらーっと人が並んでいるここより、そっちの方が良さそうなのは確かなんだけど、さっき叱られたばかりでまた問題起こしそうなのはどうなのかな。

 なんて。答えは決まってる。喜んで、だ。

 

「良かった。後でお話してね、約束よ!」

 

 なんだか知らないけど、そういう約束になった。指切りげんまんのオマケつきだ。

 俺は朝潮と二人きりになれればそれでいい。

 なんとかもう一度、自分の気持ちを伝えるんだ。

 格好悪くても良い。ただ、話すだけだから。

 断られたって良い。知ってほしいだけだから。

 

 嶋ちゃんに案内された一角は、少し開けた土手だった。ここには確かに人がおらず、道路にも面していない。後ろの方に行き交う人の姿を見つけたけど、あれは撮影関係のスタッフだろう。地面に何かを埋めたり、木の様子を観察したりしていた。……火薬の確認かな?

 関係のない事に意識を向けていれば、袖を引かれた。朝潮だ。足下の荷物に一度視線を落としてから、朝潮を見やる。彼女は何も言わず、遠くの空を見上げた。

 しばらくして、光の線が空に昇り、爆発した。花火。火の花。

 最初の一発は大きく、徐々に落ちていく中でも強い輝きを発していた。

 紫の光が咲き、赤い光が緑色になって、次々と打ち上げられていく花火達と交代していく。

 

「……綺麗ですね」

「うん」

 

 なんというか、何度見ても、花火というのは重厚な感動をもたらすものだった。

 でも、俺が朝潮の言葉に少し遅れて反応したのには、別の理由がある。

 見惚れていたのだ。移り変わる儚い光に彩られた、彼女の横顔に。

 言ってしまおうか。言うまいか。

 最初はこの場面で言うことを想定していたのだ。言った方が良い。むしろ、今言わないでいつ告げるというのだ。

 すぅっと息を吸って、昇る花火の爆発に合わせ、ふぅー、と吐く。

 

「君の方が綺麗だよ」

「え?」

 

 きょとんとして俺を見た朝潮の目をしっかりと見ながら、再度、花火より君の方が綺麗だ、と伝えた。

 ドォン。降り注ぐ光が、朝潮の顔を赤く染め上げた。

 陳腐な言葉だ。でも、俺にはこれが限界だった。

 気の利いた言葉なんて思いつかない。気持ちをただ真正直に吐き出すだけ。ロマンティックなムードを利用したって、しょせんこの程度だ。

 お腹の下で指を絡め合わせて、羞恥心を逃がす。恥ずかしがっちゃいけない。顔を逸らしちゃいけない。

 ずっと見つめて、ちゃんと、言葉にする。

 

「朝潮」

「……はい」

 

 吹く風に、顔の横に手を当て、指先で髪が顔にかからないようにした朝潮は、俺に体を向けて、見上げてきた。真剣な瞳が真っ直ぐに向かってくる。

 逃げ出したい。

 膨れ上がる気持ち。恐怖。羞恥。よくわからない何か。

 そういったものに弾き飛ばされて、この場からいなくなりたくなってしまう。

 なんとか抑え、押し込めて、目を逸らさずに口を動かす。

 

「俺は……」

 

 ドォン、と花火が上がった。緑色の光。青色の光。薄暗さが戻り、星明りが下りる。

 

「君の事が好き……みたい」

 

 パラパラと火の粉が落ちる音の中でした告白は、なんとも情けないものだった。

 言い切ってないし、これじゃあ、やっぱり駄目だ。

 それでも、一度気持ちを吐き出すと、今度は流れ出す言葉を止められなかった。

 

 いつからかはわからない。

 気づいたらそうだった。

 だって、ずっと君の事を考えていた。

 あの日、倒れ伏す君を見つけた時から、今日まで、ずっと。

 俺の生きる理由の全部が、君だったんだ。

 君と会うため。君と話すため。君の笑顔を見るため。君の笑顔を守るため。

 そのためなら、たとえ明日俺が消えるんだとしても、受け入れられるって思った。

 この気持ちを知って欲しかった。

 

「……あなたの気持ちは、わかりました」

 

 全部を吐き出して、少しすると、朝潮は真っ直ぐ俺を見つめたまま、静かに話し出した。

 

「でも、駄目です」

「……そう」

 

 駄目。

 そう答えられて、一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 色んな気持ちが入り乱れて、ぶつ切りの単語が飛び交って、でも、声には動揺なんてなくて。

 こんな時に限って格好つけなくてもいいのに。

 

「駄目なんです。だって……あなたは、私を見ていないじゃないですか」

 

 ……え?

 体が強張って、全身が硬直した。無意識に目を逸らして、近くの地面を見る。

 息が苦しくなって、目が閉じられない。

 どうしたんだろう。なんで俺、こんなに緊張して……。

 

「私を通して、別の誰かを見るのはやめてください」

「ゃ、ちが……そ、そんなこと、し」

「してますよね? ……してます。だって」

 

 私が笑うと、いつも寂しそうに笑い返してくるじゃないですか。

 

 遠くに響く声。

 俺は、朝潮を直視する事ができなかった。

 

 

 花火大会から戻ると、疲れた体を引き摺って部屋に戻った。

 お土産を渡しに行くのは、明日でいいだろう。ああ、シャワーを浴びる気力もない。

 ベッドに倒れ込み、ふかふかを堪能する。転がって仰向けになると、着物が乱れて、胸元が大きく開いてしまうのがわかった。

 構わない。どうでもいい。

 

『キュー?』

 

 のそのそとベッドの頭部分からやってきた連ちゃんが胸の上に乗ってくるのに、う、と声を漏らす。重い。重いよ連ちゃん。装ちゃんと砲ちゃんも、顔の傍に寄ってきて、身を寄せてくる。冷たい体が、火照った頬を冷やした。

 

「連装砲ちゃ~ん……」

『キュー!』

 

 砲ちゃんを手で寄せ、目元に当てる。腫れた目にひんやりボディが気持ち良い。

 ぱたぱたと手を振ってもがく砲ちゃんに、風に前髪が揺れて、ふぅい、と息を吐いた。

 

「どうしたのよ、ジメジメしいわね」

 

 ギシリとベッドを鳴らして上の段から覗き込んできた叢雲が、鬱陶しげに言った。悪い感じなのは声だけだ。眉を寄せた叢雲は、薄眼で見る限りには、こっちを心配しているようだった。

 

「なんでもないよ。ちょっと失恋しただけ」

「シツレン……? ……司令官と何かあったの?」

 

 司令官? なんで提督の事が出てくるんだろう。

 かんけーない。その人はこれっぽっちも関係ないよ。

 

「あーもー、わかんない。わかんないよ、俺」

「…………何があったか知らないけど、相談くらいなら乗るわよ?」

 

 自棄になって足をばたつかせると、叢雲の声が優しいものに変わった。

 下着見えてる、と言いながらはしごを下りてきた叢雲が、腰に手を当てて俺を眺め、それから、連装砲ちゃんが俺をぺしぺし叩いて約束の物を催促しているのに気付くと、私があげてもいい? と一言断ってきた。

 構わない。今はちょっと、動く気になれない。

 

『キュ~』

「こら、たくさんあるんだからがっつかないの!」

 

 現金なもので、叢雲の手にわたあめの袋が渡ると、連装砲ちゃん達は甘えた声を出して俺から退いて行った。酷い。裏切り者。

 ふんだ、いいもん、俺は一人でふてくされてるから。

 

「で、なんでそんなにいじけてるのよ」

 

 腕で目元を覆ってしくしく泣き真似をしていれば、連装砲ちゃん達にわたあめを与えていただろう叢雲が、呆れた声で問いかけてきた。

 朝潮とどんな顔して会えばいいかわからないの。もう、碌に時間も残ってないのに。

 たしかに俺は、彼女の笑顔に姉さんの影を見ていた。だって、似てたから……。

 ……ああ、ああ、もう。

 どうせ、もう帰りを待つ事もできないんだから、いっそ姉さんの事は忘れて、朝潮に告白すれば良かった。

 姉さんの事を、忘れ――。

 

「っ!」

「なに、してるのよ。もう」

 

 馬鹿な事を言う自分の頬を打とうと手を振り上げたら、叢雲の手に掴まれて止められた。

 

「……泣いてるの?」

「泣いてないよ」

「泣いてるじゃない。待ってて、ハンカチ取ってくるわ」

 

 おかしいな。今日に限って叢雲が優しい。いつもはツンツンしてるし、怖いのに。

 ハンカチを手にした叢雲は、キューキュー鳴いて催促する連装砲ちゃん達を制してから、ベッドの上に乗って、覆いかぶさるようにして俺の目元を拭い始めた。子供みたいな扱いに嫌がって顔を背けようとすれば、無理矢理固定される。わかったよ、されるがままにすればいーんでしょ。

 

「……涙は私が拭いてあげるから、好きなだけ泣きなさいな」

「だから、シマカゼは泣いてなんかないったら。……ぐす」

 

 こんな風に朝潮の事を拭いてあげた事もあったな、なんて思い出すと、目から何かが溢れてハンカチを熱く濡らした。俺の頬にかかっている髪を指で退かした叢雲の言葉に反論してみたけど、喉が詰まって、上手く息が吸えなくって、ちゃんと話せなかった。

 

 彼女がそうして俺に優しくしてくれたのは、吹雪達が帰ってくるまでだった。

 シャワー帰りの吹雪達ががやがやと楽しげに部屋の扉を開けると、俊敏な動きでベッドから飛び降りた叢雲は、次にはもう、連装砲ちゃん達にわたあめをあげるエサやりの達人に早変わりした。

 

 俺は微妙な気分になりながらも、うつ伏せになって、吹雪と夕立の視線から逃れた。




サイバロイド ハウリング・スラッシュ
(剣撃必殺技)


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第三十七話 届かない声

 

 朝焼けの海の上を、滑りゆく影が一つ。

 風と波の合間を駆けるのは、駆逐棲姫だ。

 青白い肌に白い髪。サイドテールが風の中にばらばらと揺れて、蹴り上げられた海水の飛沫の中、彼女は何度となく振り返っていた。

 遠くに昇り始める太陽の光が、溢れるみたいに水平線に広がっている。黒いセーラー服がはためいて、太陽光に照らされた。ちらりと覗くへそと平たいお腹は、淡い光を纏わせて、生命の輝きに対抗していた。

 

『ウウッ……!』

 

 ザザァ、と高い波がやってきて、駆逐棲姫の体を大きく上下に揺さぶった。背後を確認していた彼女にこれを避ける術はなく、バランスを崩して転がってしまう。

 ドジを踏んでしまったが、立ち直りは早い。手と足で海面を擦り、体を持ち上げると、太陽の方を向いて立ち上がった。

 直立した姿勢のまま後ろへ進んで行くのは、彼女の顔に浮かぶ焦りや怒りのためだ。

 彼女は、追われていた。

 敵か味方か、よくわからない存在に。

 

『……!』

 

 日の光が消えた。

 太陽は巻き起こる水滴に覆い隠され、見上げるほどの高さの霧が、駆逐棲姫を飲み込んだ。

 来た。

 彼女はそう直感して、素早く周囲を見渡した。

 付近に気配はない。追っ手の影はない。

 耳元で唸る風の音を警鐘として受け取った彼女は、踵を返して、目的の地へ向けて走り出した。左手に持つ12.7cm連装砲がいつも以上に重く、まるで足枷のようであった。

 不意に霧が晴れる。

 彼女の前。円形に広がった空間だけが、分厚い霧の縄張りから逃れて、暗く揺れた。

 霧を抜け、そんな、ぽっかりと空いた海の上へ出た駆逐棲姫は、背後を振り返ろうとして、はっとした。

 

『ドウシタ。戦ワナイノカ?』

『ッ!』

 

 後ろではなく、前。

 霧の中に人影が浮かび、悠々とレ級eliteが姿を現した。

 霧から逃れても、この異形から逃れる事はできない。

 ブレーキをかけ、十分な距離を保って止まった駆逐棲姫は、胸の内に流れた緊張の汗に唇の端を噛み、数歩先へ、そして、そのまま走り出した。

 

『アアアッ!』

『ソウダ、ソレデ良イ』

 

 連装砲を前へ突き出し、駆逐棲姫が突撃する理由は、立ちはだかるレ級と駆逐棲姫の艦種の違いゆえだ。

 戦艦と駆逐艦。耐久力から持っている装備まで、何もかも違う。

 致命的なのは射程だった。

 砲弾の届く距離。あまり離れすぎていては、一方的に撃たれて終わる。

 いや、そもそも駆逐級が戦艦級に挑むべきではない。終わるとか終わらないとかでなく、逃げるべきなのだ。

 そんな事は、駆逐棲姫とて理解していた。そして、あるいは艦娘が相手なら、戦艦でも撃破する事は可能だと思っている。

 だがしつこく追いかけてきて、あまつさえ不気味な霧を蔓延させて先回りするこの怪物には、自分の攻撃が効くとは、駆逐棲姫には、どうも思えなかった。

 ならなぜ近付くのか。

 半ばヤケクソ気味なのもあるが、至近からの雷撃で確実にダメージを与えようと考えたのだ。

 

『――ッ!』

 

 波間に立ち、動かないレ級へ、駆逐棲姫は両の太ももにバンドで止められた魚雷発射管を向け、一息に解き放った。

 正しい姿勢も、制動する必要も彼女にはない。今までの戦いで培ってきた技術が、何より焦がれる想いが魚雷に伝わり、全てが白線となってレ級に突き刺さる。

 世界から音が消えた。

 そう錯覚するほどの爆発音。膨れ上がった海が噴火するように海水をばら撒き、塩分を含んだ雨が降る。

 突風と激しく波立つ海に、横へ舵を取って回避しながら、駆逐棲姫は、咄嗟に顔を庇った腕の下から、レ級の姿を探した。

 落ちていく水の柱から黒煙が出ている。球体に近い形を維持してだんだんと大きくなるそれは、駆逐棲姫が離れていくと、風に流されてなくなっていった。

 

『!』

 

 レ級は、そこにいた。

 荒れる海の中心。最初と同じ場所に、同じ姿勢と表情で立っていた。

 狂ったような笑みが彼女に向けられる。挑戦的で、挑発的な瞳。

 ぱくぱくと小さく口を開閉した駆逐棲姫は、しかし何も声が出てこないのに、徐々に速度を落としてその場に止まった。

 どうせ逃げても、無傷でいるレ級に追撃されるだけだ。魚雷を撃ち尽くした今、彼女に取れる選択肢は少なかった。

 その内の一つ。

 駆逐棲姫が選んだのは、開き直って戦い、打倒して、逃れるという、ある意味単純明快な方法。

 

『―――――』

 

 絹を裂くような悲鳴が空高くまで響き渡る。

 喉の奥から、腹の底から、駆逐棲姫は息の続く限り声という声を吐き出した。

 途端、ぽっかり空いた霧の合間から見える空は、早回しのように雲が流れ、日が昇って沈み、あっと言う間に満天の星空となった。

 夜の(とばり)が下りる。

 

『フ、ゥ……!』

 

 続いて彼女は、足を開いて立った。腕を交差させ、構えとも言えない構えをとった駆逐棲姫は、自分の奥底に意識を沈み込ませた。

 ドロドロとした暗い液体の中にある不快な物を、意識と一緒にすくい上げ、持ち上げて、体の外へ出していく。

 彼女の身体から滲み出した赤い光が、薄暗い空間の中を照らす。

 こめかみを流れる血液は鋭く、突き破るような痛みを発する。

 内側で荒れ狂う力は大きく、手に入れてからしばらくしても、彼女には使いこなせていない。それでも押し上げる。もう一段階上へ。もう一つ深いところから、せり上がる力と苦痛を、駆逐棲姫は歯を噛みあわせ、強く目をつぶって耐えた。

 耐えて、耐えて、耐え抜いて。

 

『ハッ!』

 

 ぶるぶると震える左腕が顔まで持ち上げられた時、彼女は吐き出す息とともにそれを思い切り振って、力を爆発させた。

 噴出した黄金色の光が、腕の動きに合わせて粉々に散り、光の欠片となって流れていく。

 

『オオ、ソレハ』

『フーッ、フーッ……』

 

 鋭く息を吐き、肩を上下させて調子を整える駆逐棲姫の左目には、青い焔が揺らめき、長い尾を伸ばしている。

 波を跳ね上げて泳いできた異形が、駆逐棲姫に飛びかかる。敵ではない。むしろ、少し前までの仲間。というより、装備だ。異形の艤装が二つ、太ももに備えた魚雷発射管の上に被さるようにして装着された。

 息を吐き、ゆっくりとごつごつした黒色の艤装に手を這わせた駆逐棲姫は、口を閉ざして、キッとレ級を睨みつけた。

 

『ソノ(チカラ)ハ……ソウカ。オ前ハ』

『ッ!』

 

 レ級が何かを言おうとするのは、彼女には関係のない話。聞く暇があるなら攻撃あるのみ。

 海面を蹴り上げ、水を跳ねさせて駆け出した駆逐棲姫は、ある程度走ると足を揃え、海面を踏みつけた。一足飛びにレ級の懐へ飛び込む。近ければ、砲撃はし辛くなる。そしてこの姿(金と青)なら、戦艦にも力負けしないというのを、彼女は知っていた。

 呼吸の合間に、飛びかかる。

 

『ヤァッ!』

『聞ク耳持タナイナンテ、嫌ナ奴ダナ、オ前』

 

 振るった拳は、たどたどしい挙動の割には勢いがあった。風を裂き、高い音を立てて迫る拳をいなしながら、レ級が独り言ちる。

 その愚痴にも彼女は反応しなかった。ひたすら腕を振るい、ぶつけようと必死だった。左腕に握った連装砲も鈍器に見立てて、果敢に打ち掛かる。体を揺らして避けるレ級は、背中から生える尻尾が邪魔をして、あまり大きな動きができていない。

 頭でっかちをブゥンブゥンと大きく動かしてバランスをとっているようだったが、駆逐棲姫が大きく踏み込んで連装砲を叩きつけようとすると、レ級もまた大きく避けようとして、一瞬、バランスを崩した。

 チャンスだ! すかさず彼女は砲で打ち掛かった。ガァン! 鉄同士がぶつかる激しい音とともに火花が散る。直前で腕に防がれてしまった。

 しかし攻撃はそこで終わらない。砲身はレ級の胸に向いている。駆逐棲姫は、躊躇わずにトリガーを引いた。

 至近で爆発が起こる。威力は低いといえど、砲弾だ。この状態の駆逐棲姫でも多少ダメージを被ってしまう。それが、ぶつけられた方のレ級ならもっと酷いだろう。

 ぶわっと広がる小さな、しかし視界を覆うには十分な量の黒煙が広がるのを嫌って、一歩下がろうとした駆逐棲姫の目に、迫りくる手の平が映った。

 煙を突き破ったレ級の手が、彼女の胸をドンと押す。

 

『ウッ……!』

 

 さほど力はこめられていなかったのか、数歩下がるのみで済んだものの、彼女は今起こった事が信じられなくて、目を見開いていた。

 まさか、この距離で当てたのに、そんな。

 

 煙が晴れる。

 レ級は、やはり無傷だった。

 なぜ、なんて考えている暇はなかった。精神を逆撫でする厭らしい笑みに、駆逐棲姫はヒュッと息を吸い込んで、同時に体を捻り、回転させた。

 遠心力を乗せた踵が、レ級の顎を狙う!

 

『クッ!』

 

 鋭い蹴り込みはしかし、ぬっと出てきた手に踵を掴まれて、止められた。

 

『足癖ガ悪イナア。……コンナ足マデ生ヤシテ、ドコニ行ク気ナンダ?』

『関係……ナイ……!』

 

 無理矢理足を引き抜き、海面に叩きつけた駆逐棲姫は、吐き捨てるようにそう言った。跳ねた水滴が青白い素足の上に乗って、滑り落ちる。憎しみに濡れた白い瞳が、elite(上級)特有の赤い瞳と真っ向からぶつかり合うと、レ級は笑みを深くして、顔を近付けた。

 

『当テテヤロウカ?』

『タァッ!』

 

 気合い一声(いっせい)、鼻先まで寄ってきていたレ級の顔へ、拳を跳ね上げる駆逐棲姫。当然それは避けられた。体を戻し、おどけて肩を竦めてみせるレ級へと、今度は前蹴りを放つ。

 黄金色のオーラが火の粉となって吹き散っていく。

 腕半ばで受け止めたレ級は、ザアッと海面を削って僅かに後退すると、眉を寄せて腕を振った。

 効いている。

 砲撃でも雷撃でも、びくともしなかったのに。

 

 怯んでいるように見えるレ級に、今が好機か、そうでないか、彼女は判断に悩んだ。肉弾戦の経験などほとんどない駆逐棲姫にはわからないのだ。今飛び込めば有効打が与えられるのか。それとも迎撃されてしまうのか。

 そうして迷っている内に、機を逃し、レ級の方から組みかかってくるのに慌てて逃れる。

 

『オチロッ!』

 

 強く波を蹴って後方へと跳躍した駆逐棲姫は、空中で異形の艤装を動かし、再び全ての魚雷を吐き出した。

 至近距離。彼女の着水とほとんど同時に海の中へ潜り込んだ魚雷を見て、レ級は何を思ったか、まっすぐ駆け出し始めた。

 踏み出した二歩目で、魚雷の爆発に巻き込まれ、水柱の中に消える。

 

『ア……!』

 

 だが、彼女は見てしまった。

 盛り上がる海面を、重い踏み込みで砕き、割って、無理矢理走り続けるレ級の姿を。

 

『ハハハ、無駄ダ!』

 

 嘘でも幻でもない。

 (にわ)かに立ち込めた霧の中に浮かんだ人影は、瞬く間にレ級となって跳び出してきた。

 振り抜かれた拳に頬を打たれ、意識を飛ばす彼女の襟元を乱暴に掴んだレ級は、限界まで伸びた駆逐棲姫の首をお構いなしに、反対の手で髪を掴み、ぐいと引っ張った。

 

『グ――!』

 

 角の生えた黒い帽子は、殴られた時に一部が砕けて、後ろの方に落ちていた。気を取り戻したばかりの彼女にはそんな事すらわからなかったが、自分がレ級に捕まえられているのだけはわかって、全身に力を込めて振り払おうともがいた。

 必死の抵抗に、しかし彼女よりも多少太いだけの腕はびくともしない。引っ張られるままにつんのめった駆逐棲姫のお腹に、レ級の膝が突き刺さった。

 

 破裂した。

 何かが。

 

『グ、ブ……』

『ホラ、ドウシタ』

『ア゛ッ!』

 

 弾ける視界。

 目を見開いた彼女に、容赦のない追撃が襲いかかる。

 腹が千切れ飛びそうな衝撃と激痛。肉を打つ音がするたびに、金色の光が砕かれて散っていく。

 零れ落ちる涙のように、夜闇の中をふわふわと、流れ落ちる星のように儚く、海の中へと消えていく。

 涙が零れた。

 

『ホウラッ!』

『きゃぁっ!』

 

 握り拳の甲が肩にぶつけられると、駆逐棲姫はもう、何がどうなっているかもわからないまま吹き飛ばされて、海の上を転がった。

 ごろごろと波の中を動くたびに、光が剥がされ、力が抜け落ちていく。

 やられた……! 駆逐棲姫は、乱れる視界と激しい頭痛に耐えながら、なんとか起き上がろうと肘をつき、体を持ち上げた。足の先が海面を引っ掻く。垂れたセーラー服の裾が、水を吸って重くなる。どうやら限界が近いらしい。もう、浮いてもいられないかもしれない。

 

『マ……マ、ダ』

 

 噛みしめた歯の隙間から、自身を鼓舞するための言葉を通す。

 こんな所でやられる訳にはいかない。

 だって、やっと思い出した。

 憎しみや怒りとは無縁の、きらきらとした笑顔を。

 

『……?』

 

 もう片方の手も海に押し付けて、なんとか体重を支え、体を持ち上げた彼女は、ふと自分の手を見て、愕然とした。

 12.7cm連装砲がなくなっていた。

 

『ナ、ア、ァ』

 

 やっと手に入れた自分自身の武器を、失くしてしまった。

 あれがないと。あれさえあれば。駄目なのに。持ってなくちゃ……。

 

『強イナ、オ前』

 

 尻尾をもたげさせて、レ級が呟いた。純粋な賛辞のようでいて、どこか、空っぽな声音。

 尻尾の先の異形がアギトを震わせ、歯を鳴らした。生物的な呼吸をして、喉の奥の光を覗かせる。

 

『強クナリスギタナ』

 

 ふらふらと立ち上がった駆逐棲姫の目には、すでにレ級は映っていなかった。

 大事な物を探して彷徨わせた手が、瞳が、暗い海の上を流れていく。

 レ級は、そんな彼女の姿を眺めて、悲しげに目を細めた。笑みを消して、一文字に結ばれた唇が、僅かに動く。

 ――海に還れ。

 

『――――……』

 

 轟音。

 放たれた砲弾は、まるで光線のように駆逐棲姫に突き刺さった。

 上半分と下半分が泣き別れ、海水を蒸発させる爆炎の中に、彼女の上半身だけが倒れ伏す。

 

『不要ダ』

 

 ぽつりと呟いたレ級は、コートをはためかせて踵を返すと、霧を引き連れて、その場を後にした。

 残されたのは、空を見上げて漂う駆逐棲姫のみ。

 

 風が吹くと、残っていた僅かな霧も海の表面に溶けて、空は雲一つなく晴れ渡った。

 満天の星々の中に、大きな満月が浮かんでいる。

 斑点模様と、優しい光。

 

『――……ァ』

 

 波に揺られ、お腹の中に冷たい物が流れ込むのを感じながら、彼女は掠れた声を出した。

 ぼやけ始めた、しかしはっきりと見える丸い月を瞳の中いっぱいに映して、ただ、感じたままを、頭の中に浮かんだ言葉を、声に乗せる。

 

『ツ……き、が、』

 

 ごぼりと、水泡が上がった。

 浮力を失った駆逐棲姫の身体は波に飲まれ、髪の先までが、暗い海の中に沈んでいく。

 もう声は届かない。

 あんなに綺麗に輝いていた満月も……彼女が力を失い、死にゆくために、消えた。

 瞬く星々の姿も薄れ、月はどこか遠くへ。晴れ渡る空は青く、水平線から昇る太陽の光が、海面の、ほんの数センチまでを透き通らせた。

 

『――――』

 

 数十の泡が白く固まって、昇ってゆく。

 光る水面(みなも)に、感覚を失った手を伸ばした彼女の声は……もう誰にも届かない。

 

 

 ねえ、さん……。

 

 

 遠退く光に、呼びかける声は、潰えた。

 

 

 

 

 霧の中を歩く人影があった。

 ここを縄張りとする、戦艦レ級elite……そう呼ばれるようになった少女だ。

 フードに手をかけ、ばさりと後ろにやったレ級は、首を回して疲れをとると――もっとも、彼女が疲れる事など早々ないのだが――、振り返って、後ろを確認した。

 そこには、もちろん霧が広がっているだけだ。

 

『……アイツ、ドコ行コウトシテタノカナ』

 

 ふー、と息を吐き出したレ級は、なんとなしに呟きながら足を出して歩き、両手でフードの端を掴んで、ばたばたとやった。

 それから、かぶり直して、顔を上げる。

 

『……アア、ソウイヤア、ソロソロアイツラノ様子モ見ニ行カナクチャナ』

 

 先程(たお)した深海棲艦を頭から追いやって、代わりに、前に逃がした艦娘の顔を思い浮かべる。

 

『進化……進化、ネエ』

 

 金髪に近い長髪の少女と、長い黒髪の女の子。

 いつも通りに壊してやろうと思ったら、思わぬところから待ったがかかって、見送る羽目になった、あの艦娘達。

 あれからだいぶ時間が経ったが、果たして進化などしているものか。

 首を傾けたレ級は、自身の問いに自分で答えた。

 

『シテル訳ナイヨナァ。マッタク……アーアー、モウ』

 

 それでも、確認しに行かない訳にはいかないだろう。

 面倒くさい、面倒くさいとぶつくさ呟きながら、レ級は尻尾を引き摺って、霧の中を進んだ。

 

『今度コソ、沈メテヤルカ』

 

 どうせ進化なんてしてないだろうし、壊す事は確定だ。

 ()()()を思い浮かべたレ級は、にぃっと口の端を吊り上げて、嗤った。



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第三十八話 緊急集会

叢雲さん成長日記。


 

 揺蕩う水のベッドの上に、島風が横たわっている。

 お腹の上に両手を乗せて、安らかに眠る姿を、すぐ傍から、じっと見下ろしていた。

 上下する胸。微かに震える唇。閉じられた目と、合わさった睫毛(まつげ)

 ……自然と、これは自分だ、と思ってしまった。

 境遇とか、そういうのじゃない。

 この姿が、鑑写しみたいに、俺によく似ているって思った。

 ……彼女が俺に似ている……というより、俺が彼女に似ていて……彼女を奪ってしまっている、と言うのが正しいのに。

 

 息を吐く。

 ごぼりと出てきた大きな水泡が、ゆっくりと天に昇っていく。

 空を見上げると、遠く遠く、上の方で、光溢れる水面が、天蓋となってきらめいていた。

 

 

「聞いた? 遠征任務、中止だって」

「出撃も取りやめだってさ。どうしたんだろうね」

 

 心地良いざわめきが鎮守府に溢れている。

 どこかで話される声は自然と耳に入り、そのまま通り抜けていった。

 建物を出て、砂利道を歩き、舗装された道を小走りに駆け、夕張さんの工廠に赴く。

 目的は、能力値の計測。

 提督からそうするように、と言われたのは、昨日の話。今日に準備ができるって聞いていたから、部屋で少しうだうだしてから、連装砲ちゃん達を引き連れて出てきた。……叢雲さんてば、すっかり連装砲ちゃん達にデレデレだ。テーブルの前に座って湯呑みを傾けつつ、連ちゃんの頭を撫で繰り回していたところからみんなを連れ去るのには苦労した。……お菓子で釣ろうとするのは卑怯だよ。

 

「おはよう、島風ちゃん。体調はどう?」

「おはようございます、夕張さん。目は冴えてます。気分も良いし、体も軽いです」

 

 雑多な機械が壁際の棚に並び、床には工具や弄られかけの箱みたいなのが置いてあったりして、不自然な通り道を作っていた。鉄と油の匂いが鼻先を掠める。ちょっと気持ち悪くなるような、でも癖になる感じのやつ。天井から下がる艦載機の模型を見上げつつ、計測の準備をしていた夕張さんに挨拶をする。

 建物が作る影の中に入ると、一瞬視界が黒く眩んだ。すぐに目は慣れて、部屋の中を見回す。どういう訳か、力を計るための重巡や戦艦の艤装の他に、背を計る機械……身長計? と体重計までがあった。今までは単純なパワーだとかスピードを見るだけだったのに、今度はそこまでやるんだ?

 体重計の両端を持って運んでいる二人の少女に目を向ける。よいしょ、とかけ声をかけて身長計の横に、それ自体が重そうな体重計を置いた二人は、俺の視線に気付いて、顔を上げた。

 

「ええっと、おはよう、ございます?」

 

 先制で頭を下げて挨拶する。

 疑問形なのは、朝食の時のごたっとした心の動きに、まだちょっと、乱れが抜けていなかったからだ。

 食堂で見かけた、満潮や荒潮と話している朝潮の姿。ふと目が合って、すぐ、逸らされた。

 ……なんて事ない、普通の挙動なのに、凄くショックを受けて、朝食の味もわからなかった。アジ定食なのはわかってたけど。

 

「はい、おはようございます」

「おはよう」

 

 ピンクの長髪を頭の左側で纏めて、サイドテールにした女の子が、柔らかな笑みで挨拶を返してくれた。白露型の駆逐艦、春雨だ。白い丸帽子のキュートさん。

 朝の挨拶を短く口にして、夕張さんから 紙を止める板……クリップボードというらしい物とボールペンを受け取ったのは、艶やかな黒髪ロングを、先端付近で縛って纏めている女の子。初春型の駆逐艦、初霜だ。たぶん真面目さん。

 二人共が黒い制服を身に着けている。春雨がセーラー服で、初霜がブレザーっぽいの。どうやら二人は、俺の計測に付き合ってくれるみたい。夕張さんの助手だね。

 この二人と俺の間には、あまり関わりはない。同じ授業を受けた学友ではあるけど、話した事ってない気がする。

 せいぜい展開編成(数組の隊で同じ目標に向けて進み、不意の号令に合わせて散開、付近の艦娘と隊列を組み直す実技の授業)で陣形を組んだってくらいしか思い出がない。

 連装砲ちゃん達もシュビッと手をあげて、二人に挨拶をした。小動物的な動きに、春雨と初霜が相好を崩す。にっこり笑顔。艦娘も、きっと犬や猫には勝てないんだろうね。特に猫にはね。

 

「はい、それじゃあ始めます」

 

 俺達の様子を見守っていた夕張さんが手を叩いて、腰のポーチから長方形の端末を取り出した。ブゥン、と光学的な音がして、空中に光の画面が描き出される。

 まずは力の測定からか。よーし、張り切っていきまっしょい。

 

 

「うんうん、やっぱりね」

「……」

「……」

 

 駆逐艦の身で戦艦の主砲を装備して動けるというのは、やはりおかしいだろうか。夕張さんは、今までの傾向からか、それとも何か他の理由からか、金剛型の艤装を装備してドスドス歩き回る俺を見て、しきりに頷いていた。端末を操作して画面を変えると、それを眺めてにやにや笑う。

 そんな彼女に対して、春雨と初霜はぽかんとしていた。ずっとだ。手は動いているし、夕張さんの指示には従うものの、口を半開きにして俺のやる事なす事に驚いていた。

 たとえば主砲を持ち上げたりだとか、例えばその場で跳び上がって空中で何回も回転してみせたりだとか、連装砲ちゃんを足でお手玉したりとか。……おみ足玉?

 身長、体重に変わりなし。身長はともかく、体重が二倍になっていたらどうしようかと思ってた。今までの二倍食べなきゃいけないのかなあ、とか。

 次は陸上・海上での走行速度の計測だ。明石の工廠の前から夕張さんの工廠の前までを走り、秒数を数える。二ヶ所に春雨と初霜がストップォッチを持って立っていて、ゴールに夕張さん。

 砲ちゃんを抱えた状態とフリーの状態で、それぞれ三回ずつ走って計測した。

 やっぱり速くなってる。二倍、とまではいかないけど、かなりの速力アップだ。

 小休憩を挟んで海上走行テスト。1キロメートルがあっという間だ。速い速い。

 しかしこれには、春雨も初霜もあまり驚いてくれなかった。『速さに秀でる島風はこんなに速いんだー』みたいな微妙な反応。いやいや、俺、約50ノットいってるんだよ? ヤバいよね? ヤバくないの? ……ひょっとして前例あるの? ……あるんだ。

 二年前の時点で、現在最も戦果を挙げている鎮守府に所属する島風が俺より速いスピードを誇っていたんだとか。……夕張さんが前に言ってたのは、あくまで島風達の平均速度だったからなあ。上には上がいるって事か。

 でも、過去系の語り口なのはなぜだろう。……いや、聞こうとしてみて、わかった、夕張さんは話辛そうな顔をしたから、何か問題があったのだろう。

 ……沈んでしまった、とか。

 二年前の艦娘なら、そうであってもおかしくはないけど、やだなあ。同じ島風が……いや、近い艦娘が倒れたと聞くのは。

 

 さて、計測を終えて夕張さんの工廠に戻ると、解散の後に、俺だけこの場に残るように言われた。

 

「まだ何か、やる事が残ってるんですか?」

「ううん、そういう訳じゃないんだけどね」

 

 春雨と初霜に付き合ってくれたお礼を言って別れ、少しは仲良くなれただろうか、なんて思いつつ、夕張さんの下へ向かう。

 夕張さんは、手元の機械に目を落としながら問いに答えて、それから、カチリと音を鳴らせて光を消すと、顔の高さまで端末を持ち上げてみせた。

 

「knowledge absorb navigation……これ、KANDROID(カンドロイド)っていうんだけどね」

「はあ」

 

 英語……カンドロイド? 別に缶っぽくはないが……それがどうかしたのだろうか。

 

「あなたにあげるわね」

「はい。……はい?」

 

 差し出されたので受け取れば、そんな言葉。

 え? くれるの? これを、俺に?

 

「え、でも、これ、すっごく高そうですけど」

「すっごく高いわよ。値段、聞きたい?」

「いえ、いいです、いいです」

 

 ぶんぶんと首を振って否定する。聞いたら卒倒しそう。ああっ、そんな事を考えているって事は、これがべらぼうに高いって察してしまってるって事!

 困るなあ、どう扱えばいいんだろう。傷つけたら凄い怒られそう。

 

「下から掴むように持ってみて。右手で……そう。親指は立体スティックに置いて。人差し指は、端末左の……そう、その角っこのスイッチに」

「こう……ですか?」

 

 端末の左側には、三つのボタンがついている。その一番上に指を乗せると、押してみて、と夕張さん。

 言われた通りに押し込めば、機械的な音がして、端末が起動した。上部の透明なレンズから光が照射され、空中に光の画面を出現させる。端末を傾ければ、光の板も傾く。む、ちょっと目が痛くなりそうな……。

 

「ふふ、すぐ慣れるわ。大丈夫よ」

 

 目を擦っていると、夕張さんが笑った。

 彼女が教えてくれる操作方法を一通りものにすると、一度手を打った夕張さんが、「それじゃあ、移動しましょうか」と切り替えた。

 本当にくれるんだ、これ。

 

「ああ、それはね。提督からの贈り物よ」

「提督から?」

 

 理由を聞けば、簡潔に答えられた。

 これはまだ試作型らしいが、妖精を介さずとも妨害電波の中で通信を可能とする優れもので、今夕張さんが持っている試作弐号とのみ繋げられるんだとか。

 それを抜きにしても、自動マッピング機能に、目印付けとか、地図の役割も果たすのだから、なるほど高いという訳だ。かなり高性能。しかもナビゲーション付き。

 この性能を発揮するのには、この端末を艦娘の艤装扱いにして、妖精さんに入り込んでもらうのが肝心だそうで、つまるところ普通の人間には使えないんだって。

 艦娘専用かー……良いなあ。

 

「気に入った?」

「はい、とっても」

 

 スティックを倒し、画面をスライドさせて鎮守府内の地図を眺めまわしていると、夕張さんが楽しげに問いかけてきた。もちろんだ、と頷く。良い貰い物をした。でも、提督はなぜこれを俺に?

 それだけが解せないが、夕張さんもそこはわからないみたい。

 

「さ、そろそろ行こっか」

「あー……と。どこに、でしょうか」

「体育館に、ね。あれ? 島風ちゃんは聞いてない? 集会があるのよ、今日」

 

 集会? 聞いてないなあ。

 あ、でも、なんか今朝はそれ関係で騒がしかったような。

 朝潮との事がショックで理解できてなかったけど、よく思い返してみればそうだったかも。

 ご飯食べてる時も夕立がぽいぽい言ってた気がするし、それかな。

 

「そう。普段はこんな事ないんだけど、よっぽど大切な用事があるんでしょうね。だからほら、急いで急いで」

 

 ゴーゴー、と、腕振りで急かす夕張さんに頷いて、端末を連装砲ちゃんにパスする。連ちゃんがもぐっと受け止めて飲み込んだ。……大丈夫だよね、これ。夕張さんが言うには、端末自体が妖精と同じように艤装に潜り込む力を備えているって話だったけど……でも連ちゃん、飲み込んだような。え、大丈夫だよねこれ!?

 

「大丈夫」

「そう、ですかね?」

 

 すっごく不安なんだけど、夕張さんが肩に手を置いてくるので、見上げて聞き返せば、再度同じ言葉。信じます。取り出す時はどうすれば良いのかわからないけど、今はとりあえず、その言葉を信じるしかない。

 

 

 体育館は、多くの艦娘で賑わっていた。

 広い館内に所狭しとパイプ椅子が並べられ、艦種および型ごとに並んで座っているのは、結構圧巻だ。卒業式みたい。

 ……でも、なんで後ろ八列くらい空いてるんだろう。うちにそんなに艦娘はいない。……他に誰か来るのかな。

 

「担当の子が張り切って全部出しちゃったのね。……片すのは駆逐艦の子達なのに」

「え?」

 

 今何か、不吉な言葉が聞こえたような……。

 いや、パイプ椅子の片付けごとき、艦娘たる俺達なら容易いけど。

 一番数が多いのも駆逐艦だしね。数の暴力ですぐ終わるだろう。……さすがにパイプ椅子の方が、数は多いけども。

 

 夕張さんと別れて、駆逐艦の子が座っている方に移動する。お、お喋りしている夕立と吹雪を発見。一番端、夕立の左隣が空いてるな。……あれ、よく見れば、同室の子とかと並んでる子も多いな。結構自由なのかな、席順。

 

「あ、島風ちゃん。身体測定は終わったっぽい? どうだった?」

「ん、パワーアップしてたよ」

「また? 凄いね、島風ちゃん」

「それほどでもない」

 

 吹雪が自分の事のように喜んで手を打つのに、わざとらしく胸を張って威張ってみる。ふふ、張る胸がない。むなしい。

 椅子に浅く腰掛け、膝に飛び乗ってきた砲ちゃんを抱き止めて、背を撫でながら二人の方を見る。

 連ちゃんと装ちゃんは足下で待機だ。さすがに乗せる事はできない。

 

「島風ちゃん、調子悪いっぽい?」

「なんで? 凄く良いよ」

 

 たくさんの人の話し声の中、隣で話す夕立の声は、よく聞こえた。ついでに、その隣の吹雪のもう一つ隣の叢雲さんが、壇上の方に顔を向け、目を伏せて、ツンとすました態度を取りつつも、椅子の下に伸ばした指先をしきりに揺らして「チッチッ……チッチッチ」と舌を鳴らすのも、よく聞こえていた。俺の足下でぼーっとしていた連ちゃんと装ちゃんは、叢雲の指の動きに気付くと、ささっとそちらに体を向け、揺れる指に合わせて体を揺らして、少しずつ移動し始めていた。

 ……気付いてない、俺は何も見てないよ。

 

「島風ちゃん、ずばり、お祭りの時に――」

「ゆ、夕立ちゃ――」

 

 夕立がぐいと体を寄せてきて何かを言おうとして、それを吹雪が止めようとした時、一気に空気が張り詰めるのを感じた。

 誰もが自然に口を閉ざし、話し声がなくなる。

 静かになった館内に、コツコツと靴の音が響いた。

 提督が来たみたいだ。姿勢を正し、前を向いて、彼が壇上に上がるのを待つ。

 台とその上のマイクを眺める事十数秒、ステージに(のぼ)った提督がびしりと立つと、寄り添うように立つ電がマイクを手に取り、こつこつと叩いた。スピーカー越しのくぐもった音。

 マイクチェックを済ませた彼女が、マイクの頭を口元に寄せる。

 

『起立』

 

 ガタタ。幾重にも音が重なり、みんなが直立する。

 

『礼』

 

 頭を下げ、一拍置いて、ゆっくりと顔を上げる。電も、マイクを両手に持ってお腹の下あたりに下げ、礼をしていた。

 

『着席』

 

 再び音を鳴らして全員着席する。あまり乱れがないのは日頃の鍛錬の賜物かな。

 

『これより、藤見奈提督から大事なお話があるのです。質疑応答はお話が終わった後でお願いします』

 

 ……学校かな?

 なんだか懐かしい思いをしながら、微動だにしない提督を眺める。

 こうして見ると、彼って結構男前だ。制服はパリッとしてるし、髪は整ってるし、顔立ちも良いよね。優しいし、何かと気にかけてくれるし、そうそう、プレゼントまでくれる。普通の人間だったら、引く手数多だったろうな。

 提督は、電からマイクを受け取ると、少し間を置いてから話し出した。

 

『よし、おはよう、みんな。……いや、こんにちは、か』

 

 提督の藤見奈だ、という自己紹介は、どこかたどたどしかった。こういった場に、というかスピーチに慣れていないのかもしれない。……ひょっとして、緊張しているのかな、彼は。

 

『まずは今日、みんなを呼び戻し、集めたのはなぜかを話そう』

 

 館内をぐるりと見渡した提督は、こう話した。

 出撃や遠征を取りやめ、俺達を呼び戻したのは、ここ最近近辺で起きていた異常な現象と、その原因と思われる神隠しの霧の撃退、および、そこに潜んでいた強敵の撃破のためだ。

 ……原因がなくなっているなら、呼び戻したり集めたりする必要はないのでは、と思った。他の何人かもそう思ったのか、疑問を口に出したそうな雰囲気が持ち上がったが、質疑応答はお話の後で、だ。誰も声を上げる事はなかった。

 

『これまでの資料と話を統合すると、神隠しの霧はまだ倒されていないと、俺は考えている』

 

 これには、さすがにざわめきがあった。なにっ、と驚く声もあったし、やっぱりか、と息を吐く音もあった。

 ……俺も、レ級を倒さなきゃ、あの霧はなくならないんだろうと薄々思っていたから、驚きはなかった。吹雪や夕立はそうじゃなかったみたいだけど。

 ……まあ、あんなでかい敵が出てきて、それをやっつけたのに、意味はありませんでしたなんて、信じ難いよね。戦った身からしても、あれで終わりだと思いたいもの。

 

『ゆえに、一度全員を集め、知らせようと、この集会を開いた』

 

 注意を促すために。

 鎮守府に流れている、『霧はもう出ない』というムードを一息に払拭するために、みんなが集められた訳だ。

 提督が言うには、さらに、全艦娘の出撃や遠征を一日の間休止するらしい。大ごとだ。じゃあ誰が、明日までの間、深海棲艦と戦うというのだろうか。

 これは、隣の泊地が引き受けてくれるらしい。この鎮守府での情報共有が終われば、今度は隣が休止する。その時に手伝いに行く事になるらしいのだが、今日はそこが本題ではない。

 

『今日明日……不測の事態への危機感をしっかりと培うとともに、よく体を休めてくれ』

 

 集会は、そう締め括られて解散となった。

 質疑応答でされた質問は一つだけ。『提督もお休み?』

 提督は苦笑して、そうだったら良かったんだがな、と首を振った。彼にお休みはないらしい。

 起立、礼、着席。これにてお開きとなった訳だが、どやどやと出入り口へ向かう重巡や戦艦の先輩方を見送った俺達駆逐艦には、お片付けが待っている。一部の軽巡の先輩は好意で残って、手伝ってくれるみたい。由良さんとか、夕張さんとか、川内型の三姉妹とか。

 

「龍田、腕はどうだ。治ってきているのか」

「ええ~、提督。もうすっかり、平気よぉ~」

 

 提督は、去り際、腕を包帯で吊るした龍田を気にかけて、足を止めた。龍田は相変わらずにこにこ笑顔だけど、彼女の言葉に、隣にいた天龍が眉を吊り上げて、嘘つけ、と怒った。

 

「まだ全然治ってないだろ。大人しくしとけよ」

「もぉー、天龍ちゃんは心配性なんだから。ねぇ、提督~」

 

 実際どうなのだろう。龍田は、腕を吊ってはいるものの、何度か実技授業で指導してくれた事があったし、もう結構治ってるんじゃないかな。

 ああでも、治りかけが肝心か。乱暴にして、悪化したら駄目だもんね。

 

「ほら、手を動かしなさい、手を」

「あ、うん」

 

 立ち止まって眺めていたために、叢雲に注意されてしまった。砲ちゃんを抱え直し、手と足を使ってパイプ椅子を畳んで、ステージ下の大きな引き出しの方へ運んでいく。

 まったく、誰だろうね、使いもしない椅子をこんなにたくさん出した、担当の人って。

 

 気持ち的に汗を掻いて体育館を後にして、同室のみんなと食堂に向かう。珍しく叢雲さんも一緒に並んで歩いている。だけど残念。夕立と吹雪を両側に侍らせた俺に隙はない。だからその、物欲しげな目で俺の腕の中にいる砲ちゃんを見つめないでね。

 仕方なく砲ちゃんを生贄に差し出せば、叢雲は砲ちゃんを見つめ、それから、目を動かして、腕から肩へ、俺の顔へと順繰りに見ていくと、ぷい、とそっぽを向いた。……照れてんのかな。よくわからない。

 

「そういえば、提督のお話が始まる前、夕立ちゃん、なんか言いかけてたよね。なに?」

 

 砲ちゃんを抱き直し、砲身の間に手を滑り込ませて表面を撫でつつ、思い出した事を尋ねる。

 

「な、なんでもないよ? ね、夕立ちゃん」

「なんで吹雪ちゃんが答えるのかなぁ。なんでもないの? ほんとかなぁ」

「そ、そうっぽい。お祭り楽しかったねって」

「今日の定食はなんだろうね」

 

 砂利道から本棟を目指しつつ、建物の背を見上げて呟く。

 お腹空いたな。朝食べてから結構動いたからなあ。今朝はアジ定食だったから、お昼は……お肉かな。ヒレカツ定食とか。焼肉も良いなあ。ハンバーグは王道だよね。

 鳳翔さんと、あの女の人が作るご飯、美味しくて好き。

 吹雪と夕立は、顔を見合わせると、うんと頷いて、なんだろうねー、と俺の言葉に同調した。まあ、内容がなんでも、美味しい事は確定してるから、良いんだけどね。



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第三十九話 夏の定番! ってなに?

みなさん、夏のイベントといえば何を思い浮かべますか?
海水浴、お祭り、帰省……様々な行事がありますよね。
今回は、艦娘達がイベントをやりたいと盛り上がるお話です。



本編の更新はしばらくお休み。
書きたかった番外編を書きます。
時系列は地続きです。そのまま、次話としてお読みいただけますが
読まなくても違和感なく進めるよう調整いたします。


 昼時の食堂は、多くの艦娘で賑わっていた。

 集会にいた全艦娘が、広い食堂にぎゅうぎゅうになるまで詰め込まれていて、熱気があった。それぞれの机にある料理から立ち上るものとか、人の集まりに付随する熱とか、夏の蒸し暑さとか。

 少し古い型の空調機が頑張って冷たい風を吐き出しているのだけど、後ろの方まで届いてきてない……。

 みんなの表情を見れば、鳳翔さんや食堂のおばちゃん……もとい女性がいるカウンター付近の艦娘は穏やかな顔をして熱いものを食べていて、それが部屋の半ば頃になると眉を寄せてしきりに水を注ぎ足している子が多く、後ろの席の方では冷麦を掻き込んだり冷たそうなおうどんを啜っている子がいた。わかりやすい。

 

遅れてやってきた駆逐艦組……特に俺達は最後方だ。熱気むんむんの中、重いものを食べる気にはならず、初めて定食以外のものを頼もうと思った。たしか、冷やしたぬきとか冷やしきつねとかそうめんとかあったよな。冷やし醤油ラーメンとかいうのが気になってたんだ。この際だし、頼んでみよっと。

 鳳翔さん達が作るものだ、美味しくない訳がないとわかってはいるが、未知の食物を口にする時は、いつも期待と不安が綯交ぜになった不思議な気持ちになる。これも食べる事の醍醐味。未知の味覚との出会い。

 食べる人が、味を予想しながら口に入れて、ぱっと笑顔になるのを見るのは、結構楽しいんだ。

 いつも笑顔の人は、笑顔が三割り増しくらいになる。姉さんとか……あっ。

 …………。

 

「うう~、暑いっぽーい」

「汗掻いちゃうねー。空調きいてるのかなあ」

 

 胸元をぱたぱたとやって弱々しく微笑んだ吹雪が、向こうの方を覗き込んだ。たぶん動いてるとは思うけど。

 そういえば、連装砲ちゃん達って、機械なんだし、こんな暑い場所にいたら熱がこもっちゃったりしないのかな? 小さい体に冷却機能がついてるとは思えないんだけど。

 日光を擦った鈍色ボディはすんごく熱くなるし、ああ、きっと今触ったら、「あちっ!」そうそう、叢雲さんみたいになっちゃうね。

 ……叢雲さぁん。

 

「あによ。ほら、早く食券買って。先に行くわよ?」

 

 人差し指を咥えてちうちうやりながら怒り顔を披露するなんて器用な事をしながら、叢雲が急かすのに、それもそうだと販売機に並ぶ。長蛇の列と言わないまでも、結構並んでる。

 ふいー、ようやく買えた。

 

「あれ、叢雲ちゃん、辛いの頼むの? 大丈夫?」

「……好きなのよ、辛いの」

「へー……知らんかったぽいな」

 

 あっ、夕立のやつ、今てきとうに返事したな。視線は手に持つ食券に釘付けだ。お腹空いてて、変な相槌になっちゃったのかな。

 それにしても、夕立が知らないってのは、なかなか珍しい事だ。

 そういえば、叢雲と一緒に食堂でご飯食べるのって、もしかして、最初の日以来かな?

 二人の様子を見るに、叢雲は吹雪と夕立とも、あまり食事を一緒してないみたい。

 朝食or昼食or夕食の時間よー、と呼び掛けに来たりはするけどね。

 それで俺達がお菓子を広げているのを見て、むっと口を噤み、慌てて包装紙を隠そうとする吹雪を見て眉を吊り上げ、死んだふりをする俺を見て肩をわななかせ、急いで口にお菓子詰め込んでリスになった夕立を見て噴火するのだ。

 その源が、好物の辛い物だったなんて知らなかったな。マメ知識。

 

「あ」

「? どうしたの、叢雲」

 

 カウンターに向かう中で、はたと足を止めた叢雲を見れば、なんでもないわ、先に行っててちょうだい、と小走りで発券機の方に行ってしまった。ちょっと並んでて時間かかりそうだし、待たずに先に行っちゃうか。

 テーブルを確保するためもあって、俺達は、先に一つの四角いテーブルを囲んで座った。膝に乗ろうとする連ちゃんを抱えて腕に抱き、愛でつつ、料理の完成を待つ。人が多いだけあって、待ち時間は結構あった。

 その間、戻ってきた叢雲を含め、四人でお話ししたり、周りの声に耳を傾けたりして時間を潰した。

 

 料理ができてからの話は……まあ、いつも通り食べて満足しただけだからしないとして、問題なのは叢雲だ。奴は連装砲ちゃんに餌付けする事を楽しんでいる。

 ……なんて深刻に言ってみたけど、俺達が話している時にさりげない動作で細長ポテトをチラつかせ(これを注文しに行ってたんだな)、連ちゃんと装ちゃんの気を惹こうとしているのは、意外な一面を見ている気分になれたので、良しとする。

 俺も吹雪も夕立も、ずっと叢雲の動きに注目してたけどね。彼女は目をつむってたから、きっと俺達がまるで気付かずに話をしたり食べたりしてると思ってたんだろうけど、時折ふっと笑みを零したり、にやけを抑えきれてないのとかは、ばっちり見てたからね。言ったら機嫌損ねそうだから言わないけど。

 せっかく一緒にご飯食べてくれるようになったんだし、それをお釈迦にするのは忍びない。吹雪も夕立も、叢雲が行動を共にしてくれる事を喜んでいるみたいだし。

 

「北上さん、せっかくのお休みですし、どこか行きませんか?」

「んー」

 

 彼女の奇行を無いものとして扱っていると、ふと、ざわめきの空白に、大井の声が聞こえた。

 食後のお茶に口をつけつつ、ついでに耳を傾けて暇つぶし。さっきまではみんな、休みの理由となった霧の話や、そこに潜む強敵とは誰か、を話していたのに、今は、休日の過ごし方に話題が移っている。だいたいの人が食べ終わってて、和やかムードだ。この後に出撃や遠征がある訳でもないから、みんながみんな、珍しく座ったまま。いや、立っている子もいるけど、出て行く気配はなく、傍の子と会話している。それで座れずにご飯が食べれない子が出る、なんてなるほど総人数は多くない。ギリギリ全員収納できている。今ここには、鎮守府で過ごす人の九割くらいがいるんじゃないかな。残り一割は、提督に、明石に、秘書艦の電とか。彼女達は、それぞれ自室でご飯を食べてるんだろうか。……自炊?

 

 それにしても、賑やかだな。

 なんか良いなぁ、こういうの。

 

「球磨はお祭りに行きたいクマ」

「でも、近所じゃもうやってないにゃ。退屈にゃ」

「行きたいクマー!」

 

 ばたばたと腕とアホ毛を振り回してお祭り行きを主張する球磨に、傍に立つ木曾は困り顔だ。やってないものは仕方ないだろ、と(さと)しているみただけど、効果なし。行きたいクマ、行きたいにゃ、と集られている。……今日の木曾も格好良いね。主にマントと眼帯が。

 

「木曾ー、なんとかするクマ」

「するにゃ」

「おいおい、無茶言うなよ。部屋で大人しくしてればいいだろ」

「クマー! 木曾が反抗期クマ! お姉ちゃんを苛めるクマ!」

「酷いにゃ。制裁が必要にゃ」

「ちょっと」

 

 ああ、『お祭りで遊ぶ』から『木曾で遊ぶ』にシフトしてる……。向かいの席の、俺からは背中しか見えない大井と北上は、我関せずでお出かけのプランを相談していた。が、お祭りクマ、血祭りにゃ、の声に、北上の思考がお祭り方面へ逸れた事で、二人が木曾弄りに参戦した。

 あのテーブルは泥沼だ。木曾専用の底なし沼だ。見ない振りをするのが吉。

 

「お祭り、楽しかったねー」

「ずっと心がふわふわしてたっぽい。綿菓子もふわふわしてたぽいな」

「羨ましいわね。私も行きたかったわ」

 

 おっと、お祭りの話が伝播して、こっちもその話題になった。

 叢雲さんが珍しく会話に参加している。膝には砲ちゃんを乗せて撫でくりしていた。

 ……余った連ちゃんは吹雪の膝にけしかけておこう。そらいけ連ちゃん!

 

「ほわっ!? わ、びっくりしたぁ……なぁに? ご飯?」

 

 大きな連ちゃんが膝に乗ると、吹雪は妙な声で一鳴きして、それから、いつもより数割増しの優しい声で連ちゃんを抱きかかえた。手をぱたぱたさせる連ちゃんの可愛らしい姿に、吹雪もでれでれだ。さすが連装砲ちゃん達。夕立にはこの装ちゃんをプレゼントしよう。重いよ。

 

「叢雲さんは、お祭りは好き?」

「嫌いではないわ。ああ、二人共。お土産ありがとう」

「ううん。叢雲ちゃんにも、少しでもお祭りの雰囲気を感じて欲しかったから……喜んでくれて嬉しいよ」

 

 お土産を渡された場でもお礼を言ってたけど、この場でまた改めてお礼の言葉を口にする叢雲に、吹雪がてれてれとしながら返した。

 夕立はうんうんと頷いて同意している。……あ、疎外感。俺、お祭りの最中は、叢雲の事頭になかったんだよね。他の事に手いっぱいで。

 ほんのり罪悪感風味のお茶を口に含んで転がしていれば、あんたにも感謝しなきゃね、と叢雲。……俺は特にお土産をあげたりはしてないけど、なんでお礼を言われるんだろう。

 視線で言葉の意味を問うても、答えは返ってこなかった。お茶を飲み込んだ時には、時機を逸して、理由は聞けずじまい。

 

「たまには賑やかな中で過ごすtea timeも良いものデスネー」

「はい! そうですねお姉様!」

「お姉様は、お祭りに興味はありますでしょうか」

 

 向こうの方から元気の良い声が聞こえてきた。見なくてもわかる。金剛達だろう。今日はここで紅茶を楽しんでいるみたい。いつもはどこでやってるんだろう。いや、自室なんだろうけど、なぜか豪華で立派な感じのお部屋が頭の中に浮かんで離れないのだ。ティーセット、テーブル、チェアー……。ゴージャスなイメージ。

 執務室より豪華だなー、なんて不遜な事を考えてしまったので、頭を振ってイメージを振り払う。彼女達もお祭りを話題にしてるみたい。

 

「ハイ、もちろんありマスヨ。バキューンバキューン! ワタシは射的をやってみたいデース!」

「なら今すぐお祭りに行きましょう!」

「でも、近辺ではもうやっていないと聞きます」

「大丈夫、霧島にお任せあれ。やってないなら開催すれば良いのです」

「おおー、霧島、good idia! さすが、頼りになりマース!」

「あっ、あわわ……はっ! なら私は、設営を担当します!」

「比叡ちゃん、大張り切りデスネー」

「榛名も微力ながらお手伝いいたします!」

「その意気デス、榛名! うう、ワタシはこんなに良い妹達を持てて、幸せデース!」

「気合い! 入ります!」

 

 ……あの人達、いつもあのテンションで会話してんのかな。

 そして、止める人がいないとああなるのね。

 最後には総立ちになった四人を、周りの人が何事かと見て、それから、勇気ある数名がそれはやめた方がと説得する事で収めた。それぞれ、金剛姉妹と同じ艦隊所属の方かな。駆逐艦の子もいたし。

 

「他に夏らしい催しはないのかな」

「パジャマパーティはどうかにゃ~」

「夏らしいのか、それは」

 

 お祭りの話は、いつしかまた別の話題になっていた。

 何か今の時期にあった大きなイベントで楽しみたい、みたいな話?

 

「はいみなさん、こちらに『これ!』と思う事を記入して、この箱に入れてくださいねー。川内さん、別のにしてください」

「ええー、いいじゃん。夜戦しようよー」

「那珂ちゃんこっそりアイドル活動……ふっふっふ」

「なんぞ良い考えはないかの」

「今日は何の日? 海の日……はまだ遠いよねぇ。夏かぁ」

 

 募金箱みたいな箱を抱えて練り歩き、みんなから意見を募っている。お供の鈴谷が紙片とペンを渡しているみたい。二人は、そう時間を置かずに、後ろの方の俺達の席まで来た。

 

「ささー、ご意見をどーぞ」

「ほい、筆記用具ね」

 

 テーブルの上に置かれた四枚の紙と、手渡された鉛筆。用意がいいなあ、青葉。

 うーん、夏のイベントなんて、お祭りとか海とか以外には、どこかに涼みに行ったりしてゆっくりするくらいしか思いつかないけど、それって大人数でやるようなイベントごとではないよね。

 夏のイベント、夏のイベント……2015年夏イベ……うっ頭が。

 

「肝試しぐらいしか思いつかないな」

「ホラー映画鑑賞会するっぽい」

「百物語とか?」

「花火でいいじゃない。コンビニで売ってるんだし」

 

 サラサラッと鉛筆を走らせ、青葉が差し出す箱の中に投入する。他の三人が投げ込むのを待って、体を戻した青葉は、満面の笑みで「ご協力ありがとうございましたー!」と言った。

 ……楽しそうだね。

 

 カウンターに向かい、鳳翔さんからまで意見を貰って来た青葉は、二人がかりで素早く集計すると、部屋の中心に移動して、発表を始めた。これが多いよ、これにする? と聞く形式だ。多数決。

 結果、肝試しが多くの関心を買い、行われる事になった。

 といっても、どこでやるんだろう? 本棟内でやるのかな。

 一階のリラクゼーションルームに移動した俺達は、そこで肝試しの内容、役割の分担を話し合う事になった。

 いや、中身知ってちゃ肝試しにならないのでは……と思ったけど、みんな楽しそうだし、言うのは野暮か。

 

「スーパーオバ上様だよー」

「北上さぁん! 素敵ですぅ!」

 

 古典的なお化けの演出方法か、白い布をかぶった北上が由緒正しき雷巡のポーズをしていた。オバ上って……いや、言うまい。

 

「オバサンみたいぽ」

「あ、言っちゃうんだ」

 

 物怖じしない夕立は、満面の笑みでやってきた大井に手を引かれてカーテンの裏に連れ込まれて行った。

 装ちゃんだけは救出したよ。やったね。

 

「ypa~」

「ご飯!」

「やぁ! どう? これがレディの力よ!」

 

 そこの六駆の三人は最高にロックだね。言ってる意味わかんない辺り。監修の天龍は呆れ顔だ。龍田はにこにこ笑顔。

 

「駄目だなぁお前ら、ぜんっぜん怖かねぇぞ。もっとジンジン……いや、ブルッちまうくらいの事やんねぇとな」

「えー、怖くないの? ほんとかしら? 本当は怖いんでしょ!」

「やっぱり(いかり)で脅した方が効果的だと思うのよね」

「ハラショー」

 

 (たか)られた天龍は、どうどうと暁と雷の額を押して退けると、響の肩を掴んで自分の前に置いた。

 口元に拳を当ててこほんとやって、

 

「ギャオー! 悪い子はいねーか、喰っちまうぞ!!」

「…………вот это да」

「わー、こわーい」

「こ、怖くなんかないわよばかー!」

 

 あー、なんだろうあれ、凄い微笑ましいんだけど。天龍の居た堪れない背中も含めて。

 

「あら~、天龍ちゃんも駄目ねぇ」

「なっ、なんだよ。じゃあ龍田、お前もやってみせろ!」

「何が『じゃあ』なのかわからないのだけど~?」

「いいから、ほら、チビ共も期待の眼差しでお前を見てるぜ!」

「じー」

「きらきら」

「ねえ二人とも、それって口で言う事なのかしら……?」

 

 自分の失態を隠そうと顔真っ赤(そのままの意味で)な天龍が龍田に無茶振りする。

 いや、ほんとにちょっと無茶だな。明るい時間帯だし、三人とも備えちゃってるし。

 

「ほら~」

 

 それに、道具もないんじゃ腕が曲がっちゃいけない方向にぃ!?

 

「ぴゃ……」

「うそー……」

「   」

 

 カチーンと固まってしまった三人を前に、龍田はいそいそと包帯から零れ覗いた腕を中に押し戻して、どうかしら、と天龍を振り返った。

 どうもこうもねぇよ、と叱られてたけど。

 

「ひゅ~、どろどろどろ……オバケ子日だよぉ!」

「水に濡れた良い女……なぁんて、どうかしら」

 

 元気なお化けと、一本髪を口の端にかけてゆら~っと立つ如月。笑えばいいのか震えればいいのかわかんない。

 

「吹雪ちゃん、私達も何か練習する?」

「あはは……裏方になるかもしれないよ?」

「だいたい私達が驚かされ役になるんじゃない?」

 

 ああ、それもそうか。夜道を歩いてびくびくするのは、駆逐艦の方が適任か。

 じゃあどっしり構えてればいいかな。戦艦以下、軽巡の先輩達が集まっててきぱきと役割分担してるみたいだし。で、駆逐艦達は好き勝手に驚かしの練習してる。倒れ伏した菊月とか、鬼の面をつけてる初春とか、ろうそくと鞭を持ってうろついてる睦月とか、笹のついた竹を手に持って揺らしている初霜とか、目が死んでる夕立とか。

 

「ぽぴ」

「わぁびっくりしたな!」

 

 ぬぅっと近付いてきたもんだから、わりかし本気で驚いて飛び退いた。その際、砲ちゃんを落としてしまって、叢雲がむっとした顔をした。

 げげ、何か言われそう。叢雲にも、夕立にも。

 

「島風ちゃん、吹雪ちゃん、どうして――」

「ちょっと、アンタねぇ――」

「はい、みんな注目してー!」

 

 二方向からの挟撃に吹雪と背中合わせになってあわあわしていれば、夕張さん(救世主)の声。

 

「今からくじ引きをしてもらいます。同じ色の子とチームを組んでね」

 

 やっぱり俺達は、驚かされる方担当みたい。ささっと並んでくじ引きの順番待ちに入った他の子に続いて、そそくさとその場を離れる。

 

「肝試しの開催は夜よ。場所は、下町の――」

 

 あのお祭りの時の雑木林か。街に面した祠の前に集合、だって。

 やー、夜が楽しみだなあ。

 

「逃がさなわいよ」

「ぽぉい」

「し、島風ちゃん……? 一緒にいてくれないかなぁ?」

 

 あーあーあー、聞こえなーい!




TIPS
・龍田の腕
まだくっついてない。
物理的な意味で。

・вот это да
『見てごらん、蝶だよ』的な意味。
これがそうだ。

・由緒正しき雷巡のポーズ
足腰にきそうな中腰体勢。
ぷるぷる、アタシ悪い重雷装巡洋艦じゃないよ。
先制雷撃! ボォン!(撃沈)

・じんじん
きたでー。ジンジンやー。

・「ypa~」「ご飯!」「やぁ!」
うらめしやー。
 
・潜水艦やその他の方
見えないところでちゃんと参加してます。
龍驤とか駆逐艦に混ざって驚かしの練習してます。

・笹に竹
松に(つる)(すすき)に月、(きり)鳳凰(ほうおう)、桜に幕。
(はぎ)に猪、紅葉(もみじ)に鹿。
七夕ハイブリッド。


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番外編 仮面ライダードライブ&シマカゼ 超バトルss 恐怖のジャンプロイミュード!
1.無口な天才バイオリニスト


番外編。
ついてきな! クロスオーバーに自信があるなら!(死亡フラグ)



 霧が海を覆っている。

 静かに波立つ海の上に、濃密な白が流れている。

 夏の暑さを感じさせない空間に、誰かの声が、絶え間なく響いていた。

 

『――っく――ぐす――』

 

 しゃくりあげ、嗚咽を漏らし、堪えようとして、耐え切れずに涙を零す。

 そんな泣き声。

 霧が退き、そこだけがぽっかりと空いた空間の中心に、へたり込んで顔を押さえている少女がいる。

 肩を震わせて、ずっとずっと泣いている。

 顔を覆う小さな両手の隙間から、熱い水が一滴。重力に引かれて、暗い海に吸い込まれた。

 海に溶け込んでいく涙。少女は、泣き止まない。ずっとずっと、そうして泣いている。

 

『――――』

 

 不意に。

 海面が盛り上がった。

 少女の目の前。暗い海に一際暗い影が滲み出て、広がっていくと、ざばあ、と音を立てて、黒い人影が飛び出してきた。

 

『――ッ、ゥ、ハッ、ハッ、ク……』

 

 海水の飛沫が海を叩く軽い音。人影――異形の少女が激しく息を吐き、吸う音。

 お団子のついた長い髪を振り回し、体についた水滴を飛ばした彼女の名は、軽巡棲鬼。人類からそう呼ばれている、上位の深海棲艦。

 

『――? ――!? ――ゥ、ク』

 

 白い肌に、青白い光を灯す綺麗な目。小顔の中にバランス良く揃った目鼻立ち。

 十人が見れば八人が振り返りそうな端正な顔は、今は困惑に濡れていた。

 事態を飲み込めていない、丸く開かれた瞳がきょときょとと周囲を見回し、つられて首が回って、髪が揺れる。所在無げに揺れる腕は、首元の、髑髏(ドクロ)を模したブローチに当たり、そのまま、ゆっくりと下へ這っていく。黒い服の中心に一本通る、より黒い帯のような線を辿るように、連なった指が滑っていく。

 女性的な丸みを帯びた胸。薄い脂肪のお腹。服の端の、フリルのようなひらひら。

 太ももにかかった手が、ぴたりと止まる。

 

『――ッ!?』

 

 軽巡棲鬼は、手が伝えてくる違和感に何を考えるでもなく自分の体を見下ろして、絶句した。

 足が無い。

 太ももの付け根から覗く青白い肌は、最初の数センチこそ円形を作っているが、すぐに、黒く硬い、鉄のような物に呑み込まれていた。

 強張った手が、冷たい鉄に触れ、ゆっくりと撫でる。

 それは異形だった。

 黒一色の中に、白く歪な歯を覗かせる、深海魚の頭部のような、不気味な異形。

 それが下半身として、軽巡棲鬼の足から下を埋めていた。

 確かめるように表面を撫でれば、鈍いながらも肌に触れるような感覚。軽巡棲鬼は、手の平を見ながら、それを胸元まで持ち上げて、ゆっくりと自分の胸に押し当てた。

 細い五指が柔らかな肉に沈み、歪みを作る。

 そこにもまた、肌に触れる感触があって、アッ、と、軽巡棲鬼は声を漏らした。

 おどろおどろしく響く鬼の声ではなく、呆けたような、それでいて僅かに羞恥を含んだ、可憐な声。

 

『ふ、ぅ、ぅ……っく、ひっ……く』

『!』

 

 静かな海に響く悲しい声。

 背後から聞こえてきた声に、軽巡棲鬼はばっと体を翻し、振り向いた。

 蹲る少女がいた。

 小刻みに震える体は細く、流れる髪が海に漂う。

 驚きに染まっていた軽巡棲鬼の顔が、みるみる内に歪んでいく。

 瞳に灯る青白い光は憎悪と憎しみに満ちて溢れ、剥き出しになるほど噛みしめられた歯の隙間からは、力んだ声が漏れ出していた。

 

『ウアアッ!』

 

 振り上げた腕は、肘元から指先までが、外殻のような黒い手甲……手袋に覆われていた。

 刃のように揃えられた指が、異形の怪力を以て振り下ろされる。

 風を割き、僅かに漂う霧を割き、少女の頭をも――。

 

『グアッ!』

 

 バシィ!

 振り下ろしていた腕から火花が散り、跳ね上げられるのに、軽巡棲鬼は咄嗟に腕を庇いながら後退した。

 睨みつけた霧の中から、赤い光がぬらりと出てくる。

 

『……人ニモ艦娘ニモ属サヌ者カ……。オ痛ヲスルナ、小猫チャン』

『クッ……!』

 

 べったりとした黒色に染まったレインコートを見に纏う、青白い肌をした彼女もまた、軽巡棲鬼と同じ深海棲艦。

 戦艦レ級。

 開いた胸元から覗く、ビキニに覆われた胸からお腹までを平手で撫でたレ級は、後ろ腰から生える異形の尻尾を左右に揺らしながら、にぃっと口の端を吊り上げた。愉快そうに細められた目から、赤い光が漂う。

 危機感を抱いた軽巡棲鬼は、先制で砲弾をお見舞いするために、バッと背を反らせ、下半身に相当する異形の口を開いた。突き出た砲身が鈍い光を放つ。

 

『ソレガ生ミノ親ニ対スル態度カ?』

 

 肩を竦めたレ級は、その場から動かず、指だけを軽巡棲鬼に向けた。

 瞬間――。

 

『ウ!?』

 

 肩を貫かれる痛みと衝撃に体勢を崩した軽巡棲鬼は、そのまま背中から海面にぶつかって、小さく悲鳴を上げた。思わず抑えた肩の傷からは焼けるような痛みがして、実際、煙が出ていた。

 

『ギ、……ア、ゥ……!』

『余計ナ手間ヲカケサセルナ、出来損ナイ』

 

 痛みに歯を食いしばって悶えていた軽巡棲鬼は、自分を侮辱する言葉を聞いて、熱くなる頭に、奮い立った。海を叩き、全身に力を込めて立ち上がる。

 

『ホウラ、今楽ニシテヤルゾ』

『ッ、ァ、ア』

 

 悠々と歩くレ級が近付いてきていた。

 くねる尻尾が波を弾いて飛沫を飛ばし、狂気的な笑みが、軽巡棲鬼に向けられている。

 直前まで浮かんでいた怒りはどこかへ消え、恨みも憎しみも引っ込んでしまう。

 あるのはただ、目の前の強者に対する恐怖だけだった。

 

『ッ!』

『鬼ゴッコカ? 鬼ハオ前ダロ?』

 

 敵に背を向け、腰から繋がる艤装を駆動させて海の上を走る。

 感情に任せた最大速。それでも、聞こえてくる声は近くに感じられて、まるで耳元で囁かれているかのようだった。

 半ば半狂乱で霧を目指して進む軽巡棲鬼の前に、ゴウ、と風が吹いた。運ばれてきた霧が目の前を通り過ぎ、そして、晴れた時には。

 

『オヤ、久シ振リダナ』

『ヒッ!』

 

 戦艦レ級が、持ち上げた尻尾から不気味な光を覗かせて、待ち構えていた。

 急ブレーキをかけても、水が跳ね上がるだけで減速しない。全力だったのが災いしたのだ。怪物といえども、力いっぱい走っていては、すぐには止まれない。そうしてぐんぐんレ級との距離が近付いゆく。

 もはや逃げられない。軽巡棲鬼は、自らを庇いながら、ぎゅうっと目を閉じて恐怖に抗おうとした。

 

『――――……』

 

 ザザザァ……ザザ、ザァ。

 少しずつ速度が緩んでいた体が、やがて止まる。前後に揺れる体に、軽巡棲鬼は両腕で顔を庇いながら背を丸め、それから、はっとして、恐る恐る顔を上げた。

 

『……?』

 

 誰もいない。

 目の前にはただ、霧が広がっているのみだ。

 だがもしかしたら、右に奴が! いや、左に!?

 素早く体を動かして左右を見回した彼女は、そこにも敵がいない事を知ると、ほっと胸を撫で下ろした。

 どういう訳か、奴はいなくなった。ならもう、怖がる必要はない。

 

『……、……』

 

 ささっと乱れた髪を手櫛で梳いて、服のよれを引っ張って直した軽巡棲鬼は、胸を張って動き始めた。

 霧の中に入れば、きっとどこかに行ける。そう直感していた。

 

『――っく、う、うう』

『――!』

 

 穏やかに緩んでいた表情が、一気に憎々しげに歪む。振り返った先には、未だに少女が座り込み、嗚咽を漏らしていた。

 

『……!』

 

 ギリギリと噛み合わせた歯が軋む。

 激情に身を任せ、背を反らせて下半身の口を開いた軽巡棲鬼は、自身の砲撃で忌々しいあの少女を粉々にしてしまおうとして、ふと、脳裏にレ級の笑みがよぎった。

 

『…………』

 

 もし、攻撃したら。

 もし、砲弾を一つ、あの少女の下に飛ばしたら、どうなるのだろうか。

 動かない的に当てるくらい、どうって事ないだろう。きっと少女は粉々になる。

 そして自分は、晴れ晴れとした気分でこの場を去るのだ。

 …………。

 本当にそうなるのだろうか。

 

『……チッ』

 

 軽巡棲鬼は、胸の内で膨らんだ不安に、体を前に戻して、わざとらしく舌打ちをした。

 もし攻撃して、またあいつが出てきたら……そう思うと、攻撃する気にはなれなかった。

 あの少女を沈める必要はない。軽巡棲鬼は、そう自分を納得させて、今度こそ霧の中へ入り込んだ。

 分厚い雲のような、水滴の迷宮。

 軽巡棲鬼の姿がなくなると、取り残されたのは、少女一人。

 少女は、泣いていた。

 ずっとずっと、ここでこうして、泣いていた。

 

 

 とある街の一角。

 商店の建ち並ぶ通りの道路に、派手な車が止まっていた。

 車体の色は赤。前に長く、背はあまり高くない。

 運転席は空っぽ……どうやら、この車の持ち主は不在のようだ。

 人通りのない商店街は寂しげで、赤い車だけが騒がしい存在感を放っている。

 

「待て!」

「誰が待つか! くそ!」

 

 通りの向こうの方から、騒がしい気配が近付いてきた。

 角を曲がって来たのは、シャツ一枚の、こわもての男だ。何かから逃げるように腕を振り回し、汗だくで走っている。遅れて姿を現すのは、黒いスーツに赤いネクタイの若い青年。

 

「うっ!」

 

 背後の青年をしきりに確認しながら走っていた男は、足下に転がる古びた箱などに足を取られ、こけてしまった。慌てて手をついて立ち上がるも、青年はすぐそこまで迫っている。今から走り出したのでは、すぐ追いつかれてしまうだろう。

 

「くそ、死ねっ!」

 

 男は抵抗を試みた。立ち上がりざま、走ってくる青年に対して拳を放ったのだ。

 

「はっ!」

 

 青年は慌てず、腕で拳を逸らし、続いて詰め寄りながら男の腕を捻り上げた。無理矢理向こうを向かされた男は、体をめちゃくちゃに動かして暴れようとするものの、関節を極められた痛みに、しだいに呻くだけになって、ついには地面に押さえつけられた。

 

倉内(クラウチ)葉帝(バテイ)、7時31分、強盗殺人の容疑で逮捕する」

「くそー……」

 

 腕時計を確認した青年は、誰にともなくそう言いながら手錠を取りだし、男の両手に嵌めた。それで観念したのか、男は項垂れて、地面に頭を打ち付けた。

 サイレンの音が近付いてくる。

 男と青年が走って来た方から三台のパトカーが現れると、道を塞ぐようにして止まった。力強く扉を開けた警官が数人、二人の下に駆け寄って来る。

 

「よくやった、(とまり)

「ゲンさん」

 

 警官三人がかりで引っ張り上げられてパトカーへと連れられて行く倉内を尻目に、立ち上がった青年――泊と、ゲンさんと呼ばれた男が向き合う。

 追田(おった)現八郎(げんぱちろう)。警視庁捜査一課の警部補だ。古き良きデカ魂を持つやり手である。

 泊進ノ介(しんのすけ)。警視庁刑事部特状課に籍を置く、元エリートの刑事。

 

「あの人達は、ゲンさんが呼んでくれたのか。サンキューな」

「おう」

 

 二人は協力関係にあり、今も、進ノ介が追っていた事件を手伝うために、追田警部補が応援を呼んだという形だった。

 もっとも、応援の必要もなく、犯人は進ノ介の手によって捕らえられたのだが。

 

「で、どうだったんだ?」

「ああ、それがさ。あの倉内という男、たしかに犯人であってるんだが、どうもおかしいんだ」

「おかしい?」

 

 そもそも進ノ介の本来の仕事は、特殊な状況への対応。この場合、日本に潜み、騒ぎを起こす機械生命体を追う事。もちろん、刑事として、普通の犯罪者を捕まえる事もあるのだが、今日は違っていた。

 倉内が犯罪を起こす時、必ず起こっていた現象――重加速現象。

 ある一定の範囲内のあらゆる物事を鈍化させる、通称どんよりと呼ばれるこの現象は、機械生命体への手掛かりなのだ。どんよりあるところに機械生命体あり。

 進ノ介や特上課の仲間は、そうして残された足跡を辿り、犯人に行きつくと、これを撃滅し、事件を解決する。

 倉内に関する事件も、情報を精査し、実際に追い詰めて、逮捕まで漕ぎ着けた。

 のだが、肝心の機械生命体の姿はどこにもなかった。

 数十分に及んだ逃走劇の間もどんよりが起こる事はなく、無事に確保できてしまった。

 

「ま、まさか、奴自身が化けられてるのか!」

「いや、それはない」

 

 勘付いた追田警部補が目をくわっと開くも、進ノ介はすぐさま切り捨てた。

 機械生命体には、他者の情報をコピーし、それまでの記憶、言動、癖、そして姿を完璧にコピーしてしまうという能力がある。あの倉内も、機械生命体が近くにいて力を貸していたのではなく、倉内自身が機械生命体だ、という可能性もあった。

 だが、もしそうならば、足を引っ掛けて転んだ際、迫りくる進ノ介から逃れるために正体を現さなければおかしい。それ以外にも、倉内が機械生命体ではないと判断できる理由は幾つかあった。

 これまでの捜査で集めた情報、人伝の証言、倉内の言動。様々な要素や映像が進ノ介の脳内をぐるぐると回り、整頓されていく。

 はっとして、進ノ介は顔を上げた。それから真剣な顔になってネクタイに指をかけ、つまむと、きゅっと引き締めた。

 彼特有の、答えを導き出す儀式。そしてこれが終わった時、真実は暴かれる。

 

「繋がっ――」

「おーい、ちょっと!」

 

 彼が決め顔で決め台詞を口にしようとした時、後ろの方から声が響いてきた。老人の声だ。パトカーが待機している方とは反対側。

 

「あんたぁ、刑事さんかな?」

 

 出鼻をくじかれてこけそうになっていた進ノ介は、背を伸ばしてキリッとすると、足の位置を入れ替えて振り返った。

 

「そうですけど……何かあったんですか?」

「あの、困っとるんじゃ、あそこのアレ」

 

 竹ぼうきと塵取りを片手にした老人は、進ノ介の前に立つと、眉を八の字にして後ろを指差した。

 通路の向こうに、赤い車が止まっている。あれは進ノ介の愛車、トライドロンだ。

 

「すみません、すぐ退()けますんで」

「おーおー、そうしてくれると助かる。まったく、親御さんの顔が見てみたいわ」

「あ、そこまで?」

 

 顔を渋くさせて歩き去っていく老人に、進ノ介もたじたじだ。悪い事したな、と頭を掻く進ノ介に、追田が声をかけた。

 

「じゃあな、進ノ介。俺は先に戻る」

「ああ、わかった。俺もすぐ戻るよ」

 

 待機状態のパトカーから身を乗り出した警官が、じーっとこちらを見て待っているのを確認した進ノ介は、特に引き留める事もなく追田と別れ、トライドロンの方へと小走りで駆けて行った。

 車の横に、先程の老人が立っていたので、頭を下げつつ運転席のドアに手をかける。

 

「何しとるんじゃ。すぐ退かせるんじゃないのか?」

「え、はい。今退かしますよ」

 

 なぜか引き留める老人に首を傾げながら、頭を低くして運転席に入ろうとした進ノ介は、腕を掴まれて引かれるのに「うわっ」と声を上げた。

 

「だから、何しとるんじゃ。ほら、こっちじゃ」

「え? あ、車の事じゃないんですか?」

「クルマぁ? 違う違う。向こうの、女の子の事じゃ」

 

 女の子?

 不可思議な言葉に、進ノ介はまたも首を傾げた。

 女の子を退かさないと困るような事とはなんだろうか。

 それは、行ってみればわかる話。

 案内するという老人について歩き、進ノ介は通りを後にした。

 

 

 暖かい日差しが降り注ぐ広場。中心に噴水があり、ベンチが多数設置されていて、近くにはデパートもある、公園のすぐ傍。

 道路の側面に人だかりができていた。

 

――。

――――。

 

 人だかりの中心から、穏やかな調べが聴こえてきている。

 皆が皆、それに聞き入っているようだった。

 老人に連れられてやってきた進ノ介も、人だかりに近付くにつれ、その音色に耳を傾け、歩く速度を緩めた。

 

「おぅい、何しとるんじゃ。どかしてくれ」

「あっ、え、ああ、はい。……あの、おじいさん」

「ああ?」

「この音楽……おお……この音楽に、こう、グッときたりしないんですか?」

 

 顔を蕩けさせる進ノ介の腕を小突いた老人は、どうも音楽などないかのような顔をしていた。

 怪訝な顔をした老人が、ああ、と得心がいったと頷く。

 

「わしゃ耳がイカレてての。なんじゃ、高い音は聞こえんのじゃ」

「それは、お辛いでしょうね」

「辛いもなんもあるかい。それより、さっさと奴らを退けてくれ。掃除ができん。ああ、わしが言っても聞く耳を持たんのじゃよ」

 

 うんざりしたように肩を竦めた老人に、進ノ介は頷いて、人混みに近付いて行った。

 音が強まる。意識を持っていかれそうになった進ノ介は、慌てて頭を振って音を振り払い、近くの人に声をかけた。

 

「あの、すみません」

「…………」

「すみません、ちょっと。ちょっとー」

「…………」

 

 無視。

 ここに集まっている人間はみんな進ノ介の言葉など聞こえていないみたいで、静かに音楽に聞き入っていた。

 

「どうなってんだ?」

 

 肩に手をかけて揺さぶってみても反応なし。

 どこか怪しい宗教団体にも思えるこの集団に、進ノ介は、ひとまず人混みを掻きわけて、一番前に出てみる事にした。

 この音楽を演奏している者に話を聞こうとしたのだ。

 身を滑り込ませ、腕で道を作ってなんとか最前列へやってきた進ノ介は、呆然として固まった。

 

 黒い洋服に身を包んだ幼子(おさなご)が、体に不釣り合いな大きさのバイオリンを担いで、一心に()いていたのだ。

 透き通るような肌は瑞々しく、合わさった睫毛は長い。小さな鼻に、小さな唇がつんとして引き結ばれてる。手に持つ(げん)の満ち引きに合わせて、体が大きく揺れていた。

 さらさらとした濃紺色の髪は腰まで伸び、陽光に照らされて、前髪にエンジェルリングができている。真夏日だというのに真っ黒の、一見ドレスにも見えるヒラヒラ過多な洋服はふわっとしていて、高級感溢れる作りになっていた。肩周りを覆う白布が眩しい。真紅のリボンが垂れて、ゆらゆらと揺れている。胸に付いたブローチの、大粒のサファイアは、本物だろうか。

 足を覆うブーツもまた、素朴でありながらも、けして安くは見えなかった。

 彼女の足下には、バイオリンの入れ物だろうか、ケースが開かれていて、小銭や紙幣が入っていた。

 

「妖精……」

 

 思わず、呟く。

 そう、少女は――進ノ介の腰程までの背しかない少女は、まるで絵本の中から飛び出してきた妖精のように、可憐だったのだ。

 旋律は時に悲しく、伸びて、どんどんと張り詰めていくと、急に緩やかになって、空白ができて。

 弦を持つ手の指を伸ばし、数本張られた糸――弦の一本に当てると、「ポン♪」と鳴らした。

 

「……君は」

「…………」

 

 再び弦に当てられた絃が引かれては押し出され、同じ調べを奏でる。

 とろーんとして曲に引き込まれそうになった進ノ介は、いかんいかんと頬を張って正気に戻ると、少女の前へと歩み出た。

 自身にかかった影で、誰かが近付いてきたのがわかったのだろう、少女は演奏をやめると、顎で挟んでいたバイオリンを下ろして、進ノ介を見上げた。

 翡翠の宝石だった。

 不思議な光が宿る大きな瞳。僅かに濡れ、不安があるようにも見える目が、一直線に進ノ介の顔に向かっていた。

 

「お嬢さん、ここで何をしてるんだい?」

「…………」

 

 腰を折り、視線を合わせて問いかけるも、答えはない。

 少女はただ、進ノ介の目を見返すだけで、何も言おうとはしなかった。

 

「あのね、ここで楽器を演奏してると、困る人がいるんだ。できるなら――」

「…………」

 

 進ノ介は、言葉に詰まって、目を逸らした。

 他所でやれ、は辛辣すぎる。別の場所で、では無責任だ。

 言葉を探しつつも視線を巡らせた進ノ介は、改めて、ケースの中のお金に気が付いた。

 バイオリンでお金を稼いでいるのか。確かにこの演奏なら、金を払ってでも聴きたいと思う人間はたくさんいるだろう。進ノ介とて例外ではない。音楽に関しては門外漢だが、この少女が天才的な才能を持っているのははっきりと感じていた。

 そうだ、俺もお金を……なんて財布を探そうとして、自身の思考が逸れていたのに気付いた進ノ介は、ぶるぶると頭を振って正気に戻った。

 

「君、お母さんか、お父さんはいるかい?」

「…………」

 

 少女は首を横に振った。

 やっぱりか。

 進ノ介は、この答えを予想していた。親がいるなら、こんな大道芸のように金を稼ぐ必要はないだろう。

 あるいは、金持ちの道楽でやらされているのかもしれないが、見回した限り、そういった人間はいないし、誰もが黙って立っているだけだ。

 ――異様だ。

 進ノ介は、ようやくこの場の異常さに頭がいった。

 どんなに素晴らしい音楽でも、ここまで人の心を虜にするものだろうか。ここにいる人達は、まるで魂を捕らわれているかのように、穏やかな顔で、微動だにしていない。

 ガコ、ガコ、という音で、進ノ介の意識が戻る。見れば、少女はバイオリンをケースに仕舞って、閉じようとしているところだった。

 

「ちょっと、君」

 

 声をかければ、ケースを両手で持って立ち上がった少女は、ふわりと柔らかな動作で振り返ると、進ノ介に視線を送った。

 陽だまりのような、穏やかな眼差しだった。

 心が温まるような、蕩けるような、そんな感覚に浸っている内に、少女は小さく舌を出すと、脱兎のごとく逃げ出した。

 

「…………はっ! ま、待て!」

 

 視線の呪縛から解放されたように体を揺らした進ノ介が、慌てて立ち上がる。

 その時。

 

「うわっ!」

 

 ぐわん、と視界が揺れた。

 一瞬体が重くなり、勢いに負けてつんのめってしまった時には、何かの波は過ぎ去っていた。

 だが進ノ介の目には、公園で思い思いの時間を過ごす人達が、一様に驚愕しながら倒れようとしているのが見えた。

 

「どんより!」

 

 重加速現象だ。

 つまり、機械生命体が絡んでいる。

 俄然、少女を追わない訳にはいかなくなった。しかし、人混みを抜けて道路に出た進ノ介が辺りを見回しても、あの小さな姿を見つける事は難しい。

 それでも根気よく、目を凝らして探す事によって、繁華街に続く道の、その脇へと逃れる黒いのを発見した。少女の纏う洋服の端っこだ。

 どんよりに干渉されていない。それはつまり、少女がコア・ドライビア――どんよりを発生、または抑制する機能を持つ物を手にしているという事。

 コア・ドライビアは、世紀の科学者、クリム・スタインベルトが生み出した物だ。現存するそれは限りなく少なく、用途も限定されている。

 機械生命体のボディ、噂の仮面ライダー、そして、それを支援するシフトカー達。それらを持つ者だけが、このどんよりの中での活動を許されるのだ。

 進ノ介には、腰の横側から垂れる留め具に止まるシフトカーがある。ゆえに、彼はどんよりの影響を受けずに動けるのだ。

 だからこそ、疑問に思った。あんな幼い少女がそういった、特異なアイテムを持っているはずがない。

 もし機械生命体の支援があったのだとしても、彼女自身も重加速に囚われ、鈍化していなければおかしいのだ。

 つまり、あの少女は、コア・ドライビアを内包するモノ……機械生命体、ロイミュードという事になる。

 それなら話は速い。

 進ノ介がスーツの前を開き、翻すと、ベルト部分には、そのものずばり、ベルトが巻かれていた。バックル部分が大きな円となっていて、中には赤い光でコミカルな顔が描かれている。

 進ノ介の相棒、ベルトさんだ。

 

「行くぜベルトさん」

 

 ベルト留めから赤いシフトカー、シフトスピードを抜き取った進ノ介は、シフトカー後部を半転させると、すかさず左腕に装着されたシフトブレスにセットした。

 

『待て、進ノ介!』

「へんし……え?」

 

 ベルト中央の赤い光が、怒り顔になって注意を発した。

 シフトブレスのレバーを持ち上げようとしていた進ノ介は困惑して、ベルトを見下ろす。説明が欲しい。言外にそう促した。

 

『おそらく彼女は、ロイミュードではない』

「なんだって?」

 

 機械生命体=ロイミュードでなければ、いったいなんだというのだ。

 まさか本当に妖精だとでもいうのか。

 

『ううむ、あのバイオリンには見覚えがある。彼女が重加速の中で動けるのには、おそらくあれが関係しているだろう』

「バイオリン? ……たしかに、何か秘密がありそうだな」

 

 あの音色には、魔力のような、不思議な力があった。

 彼女の腕もあるだろうが、その調べを聴いていると、心を奪われてしまうのだ。進ノ介も危うかった。少女を見た時は、別の意味で危うかった。絵面的に。

 しかし、彼女がロイミュードでないとすると、『変身』して事に当たる訳にはいかない。

 だが、生身の足で今から追って、追いつけるのだろうか。たとえ相手が幼子でも。

 

『行けるかい、進ノ介』

「ああ」

 

 心配はいらない。

 この男、一度ギアが入れば、何があっても止まらないのだ。

 

「脳細胞が、トップギアだぜ」

 

 キュッとネクタイを締めた進ノ介は、決め顔でそう言うと、猛然と路地へ向けて走り出した。




TIPS
・今日のトップギア
不発。
強盗殺人事件からの引き続きで決めただけなので
なんにもわかってなかったりする。

・天才バイオリニスト
いったい何者なんだ……。
それにしてもブラックホール級のかわいさだな。
宇宙最高の知性、プレゼンターも相好を崩す美しさ。
ああ、素晴らしきは妖精よ。
yo! 星夜(sey yo)


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2.開演・ドライブ登場

私の趣味に付き合ってくれる方、ありがとうございます。
付き合い切れない方、申し訳ないです。

すぐ終わらせますので、少しの間お待ちください。
わーん、艦これ見にきてんだよ何してんだコラァって声が聞こえる!
ごめんなさい。
早めの更新を心がけます。あと数話で終わると思います。



・艦これ
平和な海の上を泳ぐ軽巡棲鬼は、懐かしくも初めて見上げた空に上機嫌。
いつしか息はリズムを刻んで、音色となっていた。そんな彼女の前に、
深海棲艦が現れる。

・ドライブ
重加速の中で動けるようになる、不思議なバイオリンを持つ少女を追って
路地裏へ駆け込んだ進ノ介。抵抗に合いながらも、ついに追い詰めようとした時、
ナンバーを持たないロイミュードが襲い掛かってきた。


 晴れ晴れとした空は広く、世界の果てまで続いていた。

 薄い雲は空の高くに、穏やかな波の海はどこまでも蒼く、きらきらと輝いている。

 

『……? ……。』

 

 サアア、と水を弾く音。

 海上を軽巡棲鬼がゆったりと移動していた。

 細められた目は常に周囲の海を、その下のずっと深くまでもを注意深く覗いて、どんな動きも見逃さないようにしている。

 警戒一色。

 彼女は、ここまで来る時もこうしてずっと海の下を警戒していた。

 見えない位置から泳いでくる魚雷を、それを放つ潜水艦を。

 なぜそうしているのかは本人にだってわからない。

 ただ、海の上にいるとどうしても不安になって、それを押し隠すように敵意を振り撒いているのだ。

 

『……』

 

 だがそれもそろそろ続かなくなりそうだった。

 だって、こんなに天気が良くて、こんなに風も気持ち良い。

 何をいつまでも訳のわからない不安に駆られて、海を睨みつけているのだ。

 そんな事をする必要はない。

 目をつぶって顔を上げた軽巡棲鬼は、鼻から息を吸い込んで、口から吐き出した。爽やかな潮の匂いが喉を抜けていく。

 目を開けば、視界いっぱいに広がる澄んだ青空。

 腕を広げ、胸を張って体を伸ばすと、まるで自分の体が空の青に溶け込んでしまったみたいな気持ち良さがあった。

 

 青空になる。

 

 そんな心境。

 自然と口元が緩み、目尻が下がって、張り詰めていた糸も緩む。

 

『~♪』

 

 胸がすっとしてしまったから、なんとなく鼻歌なんてしてみたり。

 生まれて初めての上機嫌という感情。

 心が浮ついて、腕も、お腹も、足も、頭さえふわふわとして、軽い。

 軽巡棲鬼は、今この瞬間だけは、自分が生まれてきた意味も、恨みも憎しみもすべて忘れてのどかな時間を過ごした。

 

『~♪ …………?』

 

 ここは海の上。狂った異形と戦う少女が跋扈する戦場。そんな時間も長くは続かない。

 遠く、水平線に黒い影が見えたかと思うと、ぐんぐん近付いてきた。深海棲艦だ。重巡、軽巡、駆逐、軽空母。進行方向を軽巡棲鬼へと向けているのではなく、後退した結果こちらにきてしまっているようだ。

 あれは味方だ。本能が囁く。軽巡棲鬼は掲げようとした腕を下ろして、左へ舵を切った。

 なんだかよくわからないが、関わり合いになりたくなかったのだ。

 今はただ、ふんふんと歌を歌って穏やかな気持ちに浸っていたかった。

 

「てーぇ!」

『――――ッ!』

 

 気合いの声と、悍ましい叫びが交差する。

 斜め向かいの黒い影が一つ爆炎に包まれると、水平線にもう一列、人影が出てきた。

 

『!!』

 

 艦娘だ。

 敵。こいつは、敵。

 本能が体中に指令を送る。瞳に激情が滾り、青い光が漏れ出る。

 空の青とは正反対の、おどろおどろしく、悲しい色。

 それはまるで涙のようだった。

 

『アアーーッッ!』

 

 腹の底から湧き上がる怒りや、嫌な気持ちに突き上げられて、軽巡棲鬼は声を上げた。張り裂けそうな喉を気にせず、ただただ、幼子のように、感情のままに。

 

「一時の方向に新たな敵影! ……!? み、右弦、砲雷撃戦よーい!」

『――――!』

 

 戸惑いの声と、叫びともつかない声が重なる。

 軽巡棲鬼は、腕を思い切り振り回すと、そのまま最大速度で怨敵へ向けて滑り出した。

 

 

 繁華街へ続く道の小脇。

 横道にそれれば、そこは建物に挟まれた、細い路地になっている。

 入り組んだ道を、息を切らせて駆けるスーツ姿の男がいた。

 巡査、泊進ノ介その人だ。

 彼は今、機械生命体=ロイミュードが主に発生させる重加速現象を起こしたと思われる少女を追っている、のだが。

 

「おわっ!」

 

 放物線を描いて飛来した土嚢に、咄嗟に顔を腕で庇ってガードした進ノ介は、それを振り払って走り出す。すると今度は空の2Lペットボトルが飛んできて、躱せばコーヒーの缶が転がってくる。

 

「と、と、と!」

 

 不覚にも踏んづけてしまった進ノ介がしばらく玉乗りに勤しんでいる間に、入り組んだ路地の陰から彼を窺っていた少女は、さっと身を隠して逃げてしまった。

 立ち直った進ノ介も後を追う。

 大人と子供の身体能力だ、すぐに追いつくと思うかもしれないが、複雑な道の性質上、そこまでスピードを上げられず、追いかけっこはなかなか終わらない。それは少女が、大きなバイオリンケースを両手で持っててこてこと走っているにも関わらず、だ。

 

「待て! ちょっと、止まってー!」

「…………!」

 

 そもそも先程から、何かがおかしい。

 逃げる少女も、この道を熟知しているという訳ではないのか、時折足を止めて進むべき道を探している。なのに追いつけない。

 ふと足を止めた少女が、錆びた鉄扉の脇に置いてあったドラム缶を押し倒すと、足で蹴って転がしてきた。その速度は、大人一人を巻き込んであまりあるものだ。

 

「力持ちだな、っと!」

 

 難なく飛び越え、走り出す進ノ介。

 度重なる妨害で流石に息が上がってきたが、まだまだエンジンは止まらない。汗ばんだ手を振り回し、追走は続く。

 

「っ!」

 

 少女が角を曲がって行くのに、追いかけっこはまだ続きそうだ、と気合いを入れ直す進ノ介だったが、いざ速度を落とさずに曲がり角を曲がると、すぐ傍に少女が立っているのを見つけて、あわてて地面に足を擦ってブレーキをかけた。

 

「鬼ゴッコは終わりかな? さ、ちょっとお兄さんとお話ししよう」

 

 息を整えつつ近付く進ノ介に、少女は言葉を返さない。どころか、振り向きすらしない。不審に思った彼は、道の先を見て、表情を変えた。

 

『やっと見つけたぞ……盗人(ぬすっと)め』

「……!」

 

 鈍色のボディを持つ、全身鋼の機械生命体。ところどころに走る回路に、胸のナンバープレート。そして、目の代わりにある蝙蝠の羽根。首元にかかったマフラーのような歪な手と爪。バット型と呼称される、下級のロイミュードだ。

 怒りに身を震わせて歩み寄る怪人に合わせ、ケースを抱いた少女もじりじりと下がる。『進ノ介!』どこからともなく響いた声が、進ノ介に変身を促した。

 

「ああ、行くぜベルトさん!」

「ok、スタート・ユア・エンジン!」

 

 スーツの前をはだけて腕で払った進ノ介の腰には、ドライブドライバー……ベルトさんが巻かれている。バックル右の赤いつまみ、イグニッションキーを捻る事で、ドライバー内のコア・ドライビア-Dが高速回転、待機状態に移行する。左腕に装着されたシフトブレスに、変身用シフトカー、シフトスピードを、車両後部を180度回転させてセット。レバーを押し、倒す事で準備完了!

 バッと腕を伸ばした進ノ介の体の周囲に、半透明のパーツが現れる。一つ一つが車を模した、しかし特別な装甲のそれらが、一気に体に纏わる。基本カラーは情熱の赤。腕や足の、アーマーに覆われていない部分は黒。額にはRのマーク。

 ディスプレイに表示されていたベルトさんの顔が、『Go!』の文字に変わる。

 

『ドラァーイブ! ターイプ・スピード!』

 

 ボディに斜めに走る黒い溝へ、彼方から射出されてきたタイヤがぶつかり、火花を散らして回転し、止まる。

 黒いゴムに一筋の赤。側面にはtayp speedの白い文字。

 車のヘッドライトそのものの両目が白く発光すると、泊進ノ介は、仮面ライダードライブへと変身していた。

 

「おらぁ!」

『ぐわっ!』

 

 赤い残像を残して駆け抜け、ロイミュードに飛びかかったドライブは、連続で敵の胸を叩いて吹き飛ばすと、自身も追って跳び上がった。

 

『貴様、仮面ライダー!』

「その通り!」

 

 火花が弾ける。

 ドライブの拳を受けて後退った怪人は、自ら転がってドライブの側面を抜けると、背後に回って羽交い絞めにした。すかさず肘打ちがロイミュードの腹を打って、拘束を抜ける。追撃の回し蹴りが顎に炸裂した。

 

『ぐうう!』

「この子に用があるかは知らないが、お前はここで倒す!」

 

 なんのためにこのロイミュードがここに現れたのか、進ノ介は考えるつもりはなかった。啖呵を切り、再び攻撃を加えようとして、横合いから現れた二体のロイミュードに弾かれた。

 

「何! 仲間がいたのか!」

『進ノ介、奴らのプレートを見ろ!』

 

 バット型を庇うように、コブラ型と呼ばれる怪人とスパイダー型と呼ばれる怪人が立ちはだかる。だがそのどちらにも、プレートにナンバーが無かった。

 ロイミュードのナンバーとは、コア……魂そのものだ。肉体が消滅しても、コアさえあれば生き延びられる。そのコアとは、108個生産されていて、どのロイミュードも、それぞれ自身の数字がコアとなって胸に刻まれているのだ。

 だが、バット型を含めた三人のロイミュードには、数字が無い。いや、おそらくコアにあたるのだろう、『---』の記号があった。

 

「こいつら、普通じゃない?」

『お前達、あの小娘を連れて来い!』

 

 奇妙なロイミュードとの遭遇に戸惑うのも一瞬、進ノ介は、バット型が発する言葉に「させるか!」と体を張って道を塞いだ。

 迫りくる二体のパンチや蹴りを腕でいなし足で迎撃し、それぞれの腹と胸を殴りつけて退(しりぞ)ける。伊達に仮面ライダーをやっている訳ではない。下級ロイミュードなら、何人束になってかかってきても敵ではない。

 跳ねるようにして集まった三人が一斉にドライブへと両腕を突き出す。エネルギー弾を放つ際の構えだ。

 

「お嬢さん、逃げるんだ!」

「…………!」

 

 進ノ介は、防御するでもなく、体を目いっぱい広げて、射出された紫の光弾を身に受けた。衝撃。小さな爆発が体の至るところで起こり、内部にダメージを与える。

 守り切ったか。膝をつきそうになりながらも背後を確認した進ノ介は、そこに倒れ込む少女を見て、くそ、と首を振った。三体の放った光弾は数が多く、体一つでは受け止めきれなかったのだ。

 少女の安否が気になる。だがその前に、こいつらを倒さなければならない。

 

『やれ!』

 

 バット型の号令に合わせて突進してくる二体を前に、逸る気持ちを押さえてイグニッションキーを捻った進ノ介は、シフトブレスに手をかけ、素早く三回、レバーを倒した。

 

『スピ・スピ・スピード!』

「はっ!」

 

 体の線がぶれる速度で二体の前へ跳び出し、拳の雨をお見舞いする。高速移動の前に、二体は反撃ができない。

 

(こいつら、やけに硬いぞ!)

 

 秒間数十発のパンチを受けてなお、スパイダー型もコブラ型も倒れる気配がない。先に進ノ介の方が参って身を引いてしまったほどだ。体から白煙をもくもくと上らせ、背を反らしていた二体がゆらりと体を起こす。効いてない。まさか!

 

「これならどうだ!」

『ドラァイブ! ターイプ・ワイルド!』

 

 シフトブレスに変身用シフトカー、シフトワイルドを装填、レバー操作でタイプチェンジ。

 一端剥がれた装甲が再構築され、ガシャンと体を覆う。装甲は黒に、スーツはシルバー。胸のタイヤは右肩へ。

 パワー重視の戦士、ドライブ・タイプワイルドだ。

 

「おりゃーっ!」

『グウ!』

 

 ショルダータックルでコブラ型を吹き飛ばし、バット型を巻き込んで突き放す。掴みかかってくるスパイダー型にもタックル!

 しかし勢いが足りず、吹き飛ばせずに掴まれてしまう。

 瞬間、敵に密着していた肩のタイヤが高速回転し、ガリガリと削り出した! 同時に体を覆うエネルギーの出力が上がり、攻撃力が向上する。体を離した進ノ介のパンチで壁に叩きつけられたスパイダー型は倒れ伏し、一拍置いて爆発した。ふわふわと飛び出した『---』の記号も、空中で爆散する。

 

「こい、ハンドル剣!」

 

 爆炎を飛び越えて、残りの二体に向かいながら、武器を呼び出す。飛来して右手に収まったのは、車のハンドルに刃がついた、そのものな代物だった。

 だが切れ味は折り紙付きだ。バット型に切りかかると、コブラ型が身を盾にするかのように割り込んだ。

 気にせず何度も切り付け、最後に強烈な一撃をお見舞いする。

 爆発。オレンジの熱と風がドライブのボディを撫でていく。遅れて、どこかへ逃れようとしていた『---』の記号も砕け散った。

 残りは一体。炎を抜けて路地へ出た進ノ介は、その先に何もいないのに、慌てて左右に目をやった。

 いない。上も、いない。

 

『ぐっふっふ』

「! そっちか!」

 

 バット型は飛行能力を有する。仲間が倒されている間に、このロイミュードは進ノ介を飛び越えて少女へ迫っていたようだ。

 幸い、怪人と少女の間にはまだ距離がある。その上、少女は大した怪我もなく立ち上がり、壁際のケースを持ち上げようとしていた。

 

「走って! 逃げるんだ!」

 

 バット型に掴みかかった進ノ介は、振り払われ、殴りつけられながらも少女に呼びかけた。しかし少女は逃げようとしない。バイオリンのケースが、倒れてきた瓦礫や何かの下敷きになってしまっているのだ。引き抜こうとして体をぴんと突っぱねさせている少女に、声が届いている様子はない。

 

『そいつを返せ、小娘!』

 

 不可解な言葉を口にしながら歩み寄って行く敵へ、再度掴みかかる。今度は振り払われなかった。

 がっちりと腰に回した腕を組み、持ち上げて振り回す。少女とは反対側へ投げる。

 

『ええい、邪魔をするな、仮面ライダー!』

「窃盗は犯罪だ。観念しろ」

 

 指差して説経する進ノ介に、ロイミュードは頭を抱えて身悶えした。相当な怒りを有しているようだ。

 

『ならその小娘は犯罪者だな。俺のバイオリンを盗んだ!』

「何?」

 

 バイオリンを盗んだ?

 思わぬ言葉にあっけにとられ、振り向くと、少女はばつの悪そうな顔をして、それでもケースを引き抜こうとする手は止めていなかった。

 ……あの子が、バイオリンを……。

 はー、と溜め息をついた進ノ介は、肩を竦め、やれやれのポーズでバット型に向き直った。

 

「そんなの信じられるか。どうせ盗んだのはお前だろ」

『違う! そいつは正真正銘俺のバイオリンだ! ケースの内側に「jump」の刻印がある! ジャンプとは俺の名だ!』

 

 少女は、顔を青くして唇を噛んでいた。

 追い詰められた犯人のような顔だ。

 

(まさか。本当にこの子が盗みを働いたのか?)

 

 その様子を見て、進ノ介は迷った。何に対する迷いかもわからないほどの一瞬。

 その一瞬で、彼を突き飛ばしたバット型が少女の下へ駆けていく。慌てて立ち上がってももう遅い。バット型……ジャンプと名乗ったロイミュードは、少女も同じように突き飛ばすと、瓦礫の下からバイオリンを抜き出して、そっと地面に置いた。壊れ物を扱うような手つきで蓋を開き、中にあるバイオリンを一撫ですると、絃と共に持ち上げて肩に乗せ、顎で挟む。

 

『……なぜだ』

 

 そのまま弾きだすかと思えば、ジャンプロイミュードは肩を震わせ、俯いた。よろめくように立ち上がると、バイオリンが零れ落ちて、地面にぶつかった。

 

『あの時の、心が跳ねるような気持ちになれない……! これでは到底……!』

「なんだ……? 奴は何を言ってる?」

 

 いっそう不可解な行動と言葉。

 壁を背にして呟いた進ノ介の言葉に、ジャンプが振り向いた。どこか悲しげだった。

 

『このバイオリンは俺が人間に作らせた、いわば俺の分身だった。だが今はもはや、そうではないようだ』

『そうか……あのバイオリン、どこかで見た事があると思っていた。おそらくあれは、ブラックスターの複製なのだろう』

 

 ブラックスター。かつて、修復の専門家が作り上げた名器。オークションにかけられ、幾度となく高額で落札されていたが、持つ者はことごとく不幸に見舞われ、姿を消した。いつしか呪われたバイオリンと呼ばれたそれは、誰も気づかない内に消えてしまった。

 

『たしかにそれをモチーフにした。あれほど俺の心を跳ねさせた存在はなかった……。だが、本物のブラックスターは、俺が手にした時にはすでに腐り、見る影もなかった』

「だから代わりの物を作ったのか」

『そうだ。そしてそれを!!』

「っ!」

 

 そろそろとバイオリンに手を伸ばす少女の背中を踏みつけたジャンプは、目の無い顔でじろりと少女を睨みつけると、一歩離れてしゃがんだ。

 

『お前が盗んだのだ! 他にもお前が盗んだものがあるはずだ! それはどこにある!?』

「よせ!」

 

 今にも少女に攻撃を加えそうな剣幕だった。

 駆け寄った進ノ介に肩を掴まれ、引き倒されたジャンプは、素早く転がって距離をとると、立ち上がって、肩を震わせた。

 

『……ここは引く。小娘、そいつは餞別(せんべつ)だ。お前にくれてやろう。だが覚えておけ、俺は必ず俺の物を取り戻しに、お前のもとに現れる』

 

 言うだけ言って、地面に向けて光弾を乱射したジャンプは、煙が晴れる頃には姿を消していた。

 路地にも空のどこにも、姿はない。逃がしてしまったようだ。

 

『ナイスドライブ』

「ふぅ……」

 

 シフトカーを引き抜いて変身を解除した進ノ介は、スーツの襟元を正すと、足下に座り込む少女を見下ろした。バイオリンを掻き抱いて俯く少女の前に、しゃがみこむ。

 

「お話、聞かせてくれないかな」

「…………」

 

 怯える少女を刺激しないよう、優しい声音で問いかけた進ノ介の言葉に、やはりというか、少女は応えなかった。

 ただ、ゆっくりと頭を縦に振った。

 

 

 路傍に停められたトライドロンの車内には、現在一人……いや、二人だけが乗っていた。

 助手席に腰掛ける少女と、少女が興味深げに視線を送る、運転席と助手席の中心に位置するでっぱりにかけられたベルトさんだ。

 ケースを抱き締め、きらきらとした瞳でベルトさんを眺める少女に、ディスプレイに浮かぶ赤い線の顔を、横線の目やむっとした口といった困り顔にして、黙り込むベルトさん。

 

「……?」

『おお、おお、やめたまえ』

 

 幾度か、そーっと伸ばされた指先でディスプレイをつつかれて、ベルトさんは身悶えして体を左右に捩った。手をひっこめた少女は首を傾げ、不思議そうな顔をしている。

 

「ごめん、お待たせ」

『進ノ介』

 

 と、ドアを開いて、進ノ介が顔を覗かせた。手にはコンビニのビニール袋が下がっている。それを見せるように掲げた彼は、怪訝な顔になってベルトさんを見やった。

 

「どうしたベルトさん、そんな「心底安心した」みたいな声を出して」

『この少女はなかなか好奇心旺盛なようだ。先程からなんどもつっつかれて……こら、やめたまえ』

「…………」

 

 にや~っと笑って、人差し指でちょんちょんとベルトさんの顔に触れる少女は、嫌がられているのをわかっていてやっているのだろう。悪戯な笑みがその証拠だ。

 運転席に乗り込んだ進ノ介は、袋の中からお茶とお菓子を取り出して、少女の前の前にぶら下げた。

 

「食べるかい?」

 

 答えはない。ただ、頷きはあった。

 メジャーなお茶の飲み物と、『ひとやすミルク』というミルクキャンディーを受け取った少女は、さっそく封を解いて、キャンディーを口に放った。綻んだ顔は、見た目相応の柔らかさだ。

 

「それで、ベルトさん。何か聞けたか」

『ううむ、それなんだがね。どうやらこの少女は、言葉を話せないらしい』

「なんだって?」

 

 ベルトさんに向けていた目を少女に戻すと、視線に気づいた少女は、包み紙を弄んでいた手を止めて、進ノ介の顔を見返した。きょとんとしていたが、すぐに何かを理解して、両手の人差し指で口の前にバッテンを作った。

 喋れないよ、の意思表示らしい。

 

「なんてこった……それじゃあ話を聞けないじゃないか」

 

 言葉でのコミュニケーションがとれないとなると、事情聴取はなかなか面倒な事になる。ただ、言葉の意味は理解しているようなので、簡単な質疑応答はできるだろう。

 それがあのジャンプというロイミュードに通用するかは別の話だ。

 あの怪人は、少女に話を聞きたがっていた。口がきけないとわかれば、何をしでかすかわかったものではない。

 

「そうだな……じゃ、まずは、ちょっとした質問からいこうか」

「?」

 

 もご、と頬を膨らませた少女に苦笑しつつ、進ノ介は、一つ一つ、疑問を投げかけていった。

 

 

 親はいない。帰る場所もない。一人で旅をしている。バイオリンは拾った。弾き方を習った事はない。

 頷きと、顔振りと、首傾げの三つから読み取れたのは、それくらいだった。

 手帳とペンを用意して筆談を試みて、その結果わかったのも、名前程度だ。月日(つきひ)星夜(せいよ)。素敵な名前だね、と進ノ介がなんの気なしに褒めると、頬を朱に染めてはにかんだ。自分の名前が好きらしい。

 両親に関しては、筆談でもわからなかった。生存しているのか、それとも亡くなってしまっているのか。聞き方が悪いのか、少女の答えは曖昧で、生きているとも死んでいるともとれた。

 そして、最後にした質問――ジャンプが言っていた『他に盗んだ物』の存在。

 星夜は、自身の胸元のブローチを指し示した。大粒のサファイアをとんとんと叩く。

 それも盗んだ物だったのか、と思いかけた進ノ介だが、しかしそうだとするなら、ジャンプが気付かないはずがない。それは本当に盗んだ物なのか、と再度問いかけると、少女は小首を傾げてから、左右に首を振った。

 結局わからずじまいである。

 考えは、親がいない少女の存在に戻る。

 

「……みなしご、か」

『どうする、進ノ介。ずっと預かっている訳にもいかないだろう』

「だが、然るべき場所に連れていくのも忍びない……」

 

 頭の後ろに手を回して椅子に寄りかかった進ノ介は、気の抜けた顔で、天井を見上げた。

 

「考えるのやーめた」

 

 お得意の思考放棄。

 少女の身の上や今の状況を加味して考えると、心情とやるべき事がごっちゃになってとても複雑になってしまう。

 

「まずは、あのロイミュードからこの子を守り通す。それ以外の事は、それから考える」

『うむ。君らしい考え方だ。私も賛同しよう。……それでだが、進ノ介』

「どうしたんだ、ベルトさん。改まって」

 

 つぶっていた目を開いて視線を動かした進ノ介は、少しの間、言葉が出なかった。

 ベルトさんはいつの間にかお菓子の空き箱の帽子をかぶり、包み紙の服を纏って、着飾っていた。

 むろん、少女――月日星夜の仕業だ。

 

『……なんとかしてくれないかね』

「……ああ」

 

 にやにやと子供らしい笑みを浮かべながら、今はミルクキャンディをディスプレイに押し付けて食べさせようとする星夜を止めるのには、ちょっとばかり骨が折れた。

 頬を膨らませて不貞腐れ、ケースを抱いて窓の方を向く少女を見ながら、進ノ介は心の中で溜め息を吐いた。

 とんだ悪戯娘だ。これは手がかかりそうだぞ。

 改めて椅子に寄りかかった進ノ介は、不意に、少女がペンで車内に落書きをする光景を想像してしまって、横目で少女を盗み見た。

 ……よかった、さすがにそんな悪い事はしてない。

 足癖悪く目の前の備品を蹴っているだけだ。

 進ノ介は引き攣った笑みを浮かべた。

 

 

 無線が入ったのは、それから数十分もしない内だった。

 ザザッと大きな音がしたのちに、男の声で、この近辺の美術館から高価な絵画が盗まれたという旨が伝達された。窃盗犯三人は、白い大型のワゴン車に乗って○号線を北上中。付近の車両は至急応援に入れ。そういった内容だった。

 ○号線は、すぐ近くだ。何百メートルもない。そして、美術館の方角は……。

 

「今からそっちに出れば先回りできそうだ。よし!」

 

 手早くシートベルトを締め、エンジンをかけてギアを入れ、ハンドルを握った進ノ介は、はっとして隣に座る少女を見た。

 翡翠の瞳がじぃっと進ノ介を見つめている。

 この子を守らなければならない。だが、こんな幼い少女を仕事に連れ回すのは常識的に考えてどうなのだろうか。しかし応援に応じない訳にはいかない。かといって少女を降ろす訳にもいかない。

 進ノ介の葛藤を読み取ったのだろう、少女は不安げに眉を八の字にして、そっと進ノ介の腕の布を握った。ふるふると振られた頭の意味は、おそらく「降ろさないで」、だろう。

 化け物に襲われたばかりだ。一人になるのは心細く、そして、変身して怪物を撃退した男は、星夜の目から見てとても頼もしく映った事だろう。離れたくないと思うのは、至極当然の流れだった。

 

「大丈夫、君は俺が守る」

 

 不安にさせてはいけない。

 にっこり笑って、おどけるように、されど真剣に言った進ノ介に、少女はこくりと頷いて、シートベルトを締めにかかった。

 彼女を乗せたまま行くのは気が引ける。が、後には引けない。

 危険な事はしない。安全運転を心がけよう。

 そんな風に思いながら、進ノ介はアクセルを踏み込んだ。




TIPS
・「てーぇ!」
だーれだ!
そんな事、この私が知るか!

・心が跳ねる
ぴょんぴょん待ち。

・ブラックスター
仮面ライダーキバ参照。

・タイプワイルド
タイヤを回すと強くなるよ~、タイプワ~イルド。
不遇枠。

・ひとやすミルク
進ノ介の好物。

・悪戯娘
悪戯は妖精の専売特許。


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3.少女の信頼を勝ち取るのはだれか

間違ってちゃいけない名前を間違えていたので修正。

長くなりすぎたので半分に分割。現在後ろ執筆中。



・艦これ
生まれたばかりの身でも、深海棲艦は戦える。
だが軽巡棲鬼は、自身の力の扱い方がわからず翻弄されていた。
そんな彼女に、海の上を走る白線が迫る。

・ドライブ
ジャンプロイミュードは、次々に窃盗を働いては
目的のものではない事に悪態をついていた。
一方進ノ介は、少女を守るために、秘密が隠されていそうな
ブローチのサファイアをなんとかして渡して貰えないかと
奮闘するのだが――。



 戦意が交差する。

 戦う声と、激しい砲火が海を照らし、波を乱す。

 一列になって進む艦娘達の足が新たな波を起こし、半身を出して叫ぶ深海棲艦の体が波紋を起こす。

 敵と、味方。

 敵の敵と、味方の敵。

 その狭間に、軽巡棲鬼は立っていた。

 

『――――ッ!』

 

 足を止めるつもりはなかった。

 止める足もなかった。

 だが、飛び交う砲弾が肩を掠り、行き交う魚雷に翻弄され、どうする事もできなかった。

 風と波に髪を乱し、破裂する海面に弄ばれてよろめく彼女に、一本の魚雷が突き刺さる。

 つんざくような爆音と衝撃があった。

 中心からめきめきと体が()かれていくような痛み。

 たまらず声を上げようとして、大きな波に飲まれた。

 

『――、アッ、アガ――ア』

 

 冷たい水が顔を流れ、胸へ滑り落ちていく。不気味な光に遮られてなお体に触れる水は、心の底の温もりを奪う悪魔のようだった。

 敵が見えない。

 味方も見えない。

 遠く、薄ぼんやりと浮かぶ人ともつかない黒線の集合体が集って動き、光り、そのたびに体のどこかを打ち付けられて、声なき声を上げる。

 助けを求めるように空へ伸ばした手は、青空を掴む事はない。

 天蓋のような黒雲が流れて影を落とし、雨を降らせていた。

 目元に落ちた水滴が一滴となって頬を伝う。

 

 分厚い鉄を引き裂く音。火薬が破裂し、水を穿つ音。

 けたたましい絶叫。強く響く少女の声。

 凄烈な戦場に、歌声はない。

 光に満ちた陽気なリズムは、今は海に沈みゆき、憎悪に濡れた青い瞳で、水面を睨み上げていた。

 水泡が満ちる。

 青白い手が真っ白な泡に包まれて、ずるずると暗い水底へ引きずり込まれていく。

 

『――――……』

 

 きらめきが霞み、まぶたが下りる。

 意識の遠退くその一瞬だけ、軽巡棲鬼は、暖かい腕に包まれて眠るような安息を感じた。

 

 

 サイレンの音が幾つも重なって、大きな道路を走っていた。

 

 何台ものパトカーに追われる一台の大型車。

 運転席に、サングラスをかけた人相の悪い男が座り、思い切りアクセルを踏み込んでいる。

 後部座席に座る二人は、前の男より一回り小さい体格で、布に包まれた四角い何かを、二人で抱えていた。

 

「見せろ!」

 

 前の男が怒鳴りつけると、二人は慌てて布を解いて、中の物を引き出した。

 それは一枚の絵画だった。青空と海との境界線に、輝く日の出を描いた油絵。

 荒々しい手つきで絵画をひったくった男は、ガラスから見える前方を気にしつつも絵を眺め回し、苛々とした様子で頭を振った。

 

「駄目だ駄目だ駄目だ、まったく心が跳ねない!」

 

 ガン、と叩かれたハンドルが軋み、クラクションが鳴る。僅かに逸れた車体を戻すために片手でハンドルを握った男は、後部座席の二人に絵を突き返すと、焦燥を浮かべて呟いた。

 

「もう時間がない。……くそっ、これで何個目だ!?」

「はっこ」

「はちこめ」

 

 男の問いにたどたどしく答える後ろの二人。

 お前達には聞いてない、とばかりに再度ハンドルを叩いた男は、頭を掻き毟りながら、息を吐き出した。

 

「バイオリン、シューズ、シャンデリア、包丁、ボール……何も心に響かない! なぜだ!」

 

 激しくハンドルを切って車体を左右に揺らし、パトカーの追跡を凌ぎながら、男は激怒していた。

 かつて自身が製作させた様々な物は、昔のようにわくわくもどきどきも与えてくれない。

 感情を得られないという事は、すなわち進化を得られないという事。

 これは由々しき事態だった。

 

「どうすれば進化態になれるんだ……? 他の同胞達はどうやって進化していたのだ!? 恥を忍んで001(ぜろぜろいち)に会いに行くべきか……いや」

 

 いや、いや、いや。

 自分の目的のため、自分の理想のため、自分の思想のために、他の誰の力を借りる訳にもいかない。

 男は……男の姿をコピーしているジャンプロイミュードは、ぎらぎらと瞳を光らせて、考えを巡らせた。

 下級ロイミュードの姿から進化態へ脱却し、その先の赤い姿、融合進化態へ至り、最後には、一握りのロイミュードのみが到達できる究極の姿、黄金の超進化態になるには……いったい何が必要なのか。

 

「次だ。次を回収しに行く」

「あい」

「わかった」

 

 絵画は駄目だった。

 だが他にも、人間に作らせた物はある。まずはそれを回収しに行こう。

 もしそのすべてが外れだったのなら……あの少女の下へ行き、返してもらおう。

 盗まれた何かを。

 

 

 国道を赤い車体のトライドロンが行く。

 スポーツカーのような姿は見せかけでなく、最高時速は560キロメートル。

 一般車両も通るこの場所では速度は出せないし、子供を乗せているために安全運転が心がけられているが、いざという時は猛スピードで駆け抜ける。

 

 現在、進ノ介と星夜が乗る車両は、美術館へ向けて走っていた。

 これは、そこから逃走してくる犯人一味の先回りをするためだ。

 

「見えてきた。あれか、白い大型のワゴン車!」

「?」

 

 向かいの道路を走る車は、無線で伝えられた特徴と合致している。止めるべきはあれで間違いないだろう。証拠に、パトカーが数台追跡している。

 パトランプの音を不思議に思ったのか、助手席に座る少女がシートベルトを引っ張って身を乗り出し、前面の窓の外を眺めた。

 

「危ないから、ちゃんと座ってるんだ。揺れるぞ」

「…………」

 

 すかさず進ノ介が注意すると、少女は不満たっぷりに進ノ介の横顔を睨みつけた。真剣な表情で前だけを見ている彼には届かず、べぇっと舌を突き出した少女は、音を立てて座席に体をぶつけた。

 車が斜めへ向かう。ブレーキが踏み込まれ、道路に対して車体を横にして、道を塞ぐ。止まれ! 進ノ介が叫んだ。

 ワゴン車が速度を緩めだすと、後部のパトカーもゆっくりと減速していく。

 逃げ場はないと踏んで車を捨てようとしているのだろうか。それとも観念したか。二つに一つだ。

 誰だって車と衝突事故を起こしたくはないだろう。どちらかをせざるを得ないはずだ。

 

「あれ?」

 

 しかしワゴン車は、速度を落としてはいるものの、完全に止まる気配はなく突っ込んでくる。いや、それほどのスピードはない。が、大きな車がどんどん迫ってくるのは、なかなか迫力がある。

 ゴツン! ワゴン車がトライドロンにぶつかり、車体が大きく揺れた。

 

「ああーっ! 傷がついたらどうすんだ!」

 

 大慌てでシートベルトを外した進ノ介は、押されてできたトライドロンとワゴン車との隙間へ出て行くと、白いドアに張り付いて拳で叩いた。

 

「おい、出て来い! 逮捕してやる!」

 

 怒り心頭でどんどんドアを叩いている内に、パトカーからも警官が下りてきて、それぞれ車を取り囲んだ。

 

「あれ、誰も乗ってないぞ?」

「なんだって?」

 

 進ノ介とは反対の、助手席の方に足をかけて上り、窓から中を覗き込んだ警官が呆然として呟いた。進ノ介もそれにならって、窓から中を見てみれば、たしかに誰もいない。

 

「ありました! 絵画は無事です!」

 

 今度は車後部の大きなドアーを開けた警官が言った。

 向こう側の警官が急いで後部へ回るのを見届けた進ノ介は、釈然としない気持ちで地面に足をつけ、振り返って、ぎょっとした。

 トライドロンの中で、少女が泣いていた。

 ぶつけられた時か!

 おそらくワゴン車にやられた時にどこかを打ってしまったのだろう、大慌てで駆け寄ってドアを開くと、奇妙な事に、少女は声を出していなかった。

 ぽろぽろと涙を零し、しゃくりあげるように肩を震わせてはいるものの、出ている声はか細い呼吸音のみ。時折微かに声と思えるものも聞こえるが、それだけだった。

 

「大丈夫? どこが痛い?」

「……!」

 

 座席に膝をついて、少女の頭を見たり、肩に手を置いて体を覗き込んだりして怪我の有無を確認する進ノ介に、星夜はふるふると首を振って、怪我はないと主張した。我慢しているとか、そういう訳ではないだろう。宝石みたいな目を潤ませて、両手で服のひらひらを握っている。

 単純に、車がぶつかってきた恐怖で泣いているのだろう。

 

「ほら、泣き止んで」

「……! ……!」

 

 ハンカチで涙を拭おうとすれば、顔を振って嫌がられる。お菓子で釣ろうとしても冷たい態度だ。

 ベルトさんを生贄に捧げても、見向きもしないで泣いている。

 進ノ介はほとほと困り果ててしまって、手の内のベルトさんに目を落とした。

 

『…………』

 

 ベルトさんは黙って怒り顔を浮かべていた。子供のおもちゃにされそうになった事にご立腹らしい。

 正義のヒーローも、泣いている子には弱い。どうあやせば良いかわからず、くたびれた様子で座席に座り込んだ進ノ介は、ふと思いついた。

 

「そうだ、こういう時こそドライブだな」

 

 この天気の良い中を走り回るのは、さぞ気持ち良いだろう。移り変わる外の景色でも見て泣き止んでくれればと思い、ギアを入れ替えた進ノ介は、さっそくバックして車の位置を入れ替え、ギアチェンジの後にアクセルを踏み込んで国道を走り始めた。

 

 

『話がある。一度ドライブピットに戻ろう』

 

 ベルトさんがそう言ったのは、パーキングエリアで少女がお手洗いから戻ってくるのを待っている時だった。

 車の窓越しに人の集まる女子トイレ付近を眺めている事になんだか微妙な気分になっていた進ノ介は、どういう事かと聞き返した。

 ディスプレイに浮かぶ赤い光の線が、横線の目とむっとした口になる。

 

『彼女の胸のサファイア、妙だとは思わないかね』

「ああ……それか」

 

 数時間前、ロイミュードに襲われた少女は、怪人からバイオリンと何かを盗んだのだという。

 それはどういった物かと質問した進ノ介に対して、少女はブローチを指で叩いてみせたのだ。

 

「たしかに、あれは少し変だ。……そうだ、あの時」

 

 思案顔で記憶を遡ると、その「妙」な部分に気が付く。

 

「あの子は、どんよりの中で一度バイオリンを手放したにも関わらず、普通に動いていた」

 

 光弾が付近の地面にぶつけられた衝撃で、バイオリンのケースを取り落とし、倒れ伏した少女は、次に目を向けると、瓦礫の下敷きになったケースを必死に引き抜こうとしていた。

 バイオリンに触れていたからこそ重加速の枷から逃れられていたはずなのに、何も持っていない状態でも抗ってみせた。

 これは少女がロイミュードや他の何かでない限りは、おかしい事なのだ。

 

『私はそのサファイアに秘密があるのではないかと睨んでいる』

「同感だ。……だからりんなさんに解析を頼もうって言うんだな」

『うむ』

 

 沢神(さわがみ)りんな。

 特状課の客員であり、電子物理学者。ベルトさんの協力者で、仮面ライダーが使う武器やシフトカー達は、彼女が整備し、点検を行っている。新たな変身用のシフトカーは彼女によって生み出された。専用武器もそうだ。

 そのため特定の武器には彼女の遊び心が満載されていたりするのだが、それはここでは語らずにおこう。

 とにかく、彼女ならば、サファイアの秘密をあっという間に暴き出してくれるに違いない。栄養ドリンクが何本犠牲になるかわからないし、目の下の隈がどれくらい濃くなるかもわからないが……少女とジャンプロイミュードを繋げる手掛かりがその一つしかない以上、頼み込むしかない。

 

「でもそれ以前に、問題があるんだ」

『あの子がブローチを渡してくれるか……だね?』

 

 そう、あの少女……月日星夜は、助けてくれた真紅の戦士、仮面ライダードライブに関心と興味を抱いてはいるようだが、心を開いている訳ではないようで、ジャンプが言っていた『バイオリンのケースの内側に「jump」の刻印がある』というのが事実かを確かめようとした際も、ケースを抱き締め、頑なに手放そうとはしなかった。

 ぎゅうっときつく抱え込んで、猫のように警戒しているのだ。

 

 バイオリンには弾くべき時と聴かせるべき相手がいる――。

 

 少女が突き付けた紙には、丸っこい小さな文字でそう書かれていた。

 いや、聞きたいんじゃなくて、と説明しても、つんとそっぽを向いてそれきりだ。

 絶対にバイオリンを離さない彼女が、胸のブローチを渡してくれるかと考えると、少しばかり怪しい。

 身一つで流浪の旅をしていたというのだ、身に着けている物が大切でない保証はどこにもないし、むしろそうである可能性の方が高い。

 進ノ介は、サファイア(それ)がおそらく盗んだ物だと頭の中ではわかっているつもりなのだが、いかんせんロイミュードの言う事だ。バイオリンの方の事実確認ができていないのもあり、いまいち信じ切れていない。ロイミュードが詰め寄った際の少女の青い顔や、盗んだ物か、と問いかけた際の答えで、確信して……いたつもりなのだけど。

 あれが母の形見などであったら、代々受け継ぐ大切な物であったら、そんな考えが脳裏をよぎると、うかつに「それを渡せ」とは言い出せそうもなかった。

 

 

 特状課は本庁ではなく、久瑠間(くるま)運転免許試験場に置かれている。ドライブピットはその地下。各種機器の点検や整備、開発・調整はここで行われる。部屋の中心には円形の床があり、その上にでんとトライドロンが乗っている。床は回転し、部屋奥のシャッターを開けば、一直線に地上へ跳び出せるという仕組みになっている。

 現在部屋の中には、四人と一体と一個の人間がいた。

 

「かわいい~! ねぇねぇ、この子なんなの? 進ノ介君の妹? 似てないなぁ~」

 

 テンション高めに、横長の椅子に腰かけた星夜を構うのは、この人こそが沢神りんなだ。ウェーブのかかった茶髪はセミロングで、前髪を上げて纏めている。婚期を逃してるかもしれないのが最近の悩み。

 かわいいとは、少女の事だ。黒い洋服はドレスのようで、放浪していたと言う割には髪はさらりと流れて綺麗だし、瞳も負けてないくらい輝いている。フリルが重なったようなスカートは星空のように、白いきらめきが散りばめられていた。ちょこんと座る姿は、なるほど、お人形と称するのがよく似合うだろう。

 ちょいちょいと指で頬を突かれた少女は嫌そうに首を竦めている。

 

(とまり)さん……犯罪ですよ?」

「待て、その勘違いは苦しくないか」

 

 進ノ介に冷たい眼差しを送るのは、彼のバディの詩島霧子だ。女性警察官なので青い制服に身を包み、小さな帽子をかぶっている。短い黒髪を後ろで纏めた耳出しスタイル。ぱつんと切り揃えられた前髪は彼女のクールさを際立たせている。

 

「俺はてっきり進兄さんの娘かと思ったけど」

(ごう)、話をややこしくしようとするな」

「泊さん結婚してたんですか!?」

「お前も乗るな!」

 

 剛と呼ばれた青年は、フリーのカメラマンだ。追跡、撲滅、いずれもマッハ。もう一人の仮面ライダーでもある。

 茶髪は癖毛で、顔立ちはややきつめ。意志が強いとも言い換えられる。

 白地に赤い線の入ったパーカーを愛用し、中には真っ赤なシャツを着こんでいる。下はジーンズだ。人懐っこい笑みを浮かべて進ノ介をからかうと、弾んだ足取りで霧子と進ノ介の間に立った。ちなみに霧子と剛は、実の姉弟(きょうだい)だ。

 

「それで……進ノ介、その子供を、どうするつもりだ」

「どうもしないさ。ただ、りんなさんに頼みたい事があって」

 

 入り口脇の壁に背を預け、腕を組む男は、チェイス。紫色の服にはチェーンなどの装飾があり、無機質な表情はこわもてとも言える。少し前までは敵同士だったが、今は共闘している、仮面ライダーの一人だ。

 彼の質問を皮切りに、進ノ介は今朝の少女との出会いから、ジャンプロイミュードの登場と撤退までを話した。

 

「ふぅん。それで、この子を連れてきたのね。この子のサファイアを……」

 

 りんなが納得したように頷きながらブローチに触れようとすると、少女はさっとバイオリンのケースを体の前に回してガードした。渡すどころか、触られるのも嫌らしい。

 

「この年で宝石泥棒か。悪い子猫ちゃんだねぇ」

 

 薄い笑いを浮かべながら、今度は剛が歩み寄って、手を差し出した。ちょっとだけ、貸してよ。警戒を緩めさせるための笑顔は、しかしそっぽを向かれてしまって不発に終わった。

 事実でも、そんな事を言ったら怒るでしょ、と呟きつつ、退いたりんなと剛の代わりに、霧子がしゃがんで、目線を合わせた。ゆっくりとした動きと、すぐには何も言わない彼女に、少女もそろそろと顔を戻す。

 

「あなたを守るために、その宝石が必要なの。少しの間だけ、貸してくれないかな」

「…………」

 

 最近はよく笑うようになったとはいえ、元笑わない女な霧子の笑顔は破壊力が高い。良い意味でだ。

 少し顎を引いて窺うように霧子を見つめた少女は、僅かに首を振って断った。霧子が何かを言う前に椅子に手をついて足を上げ、反対側へ体を向けてしまう。

 

「姉ちゃんでも駄目か」

「やっぱり笑顔が駄目なんですかね」

 

 ぐにー、と頬を引っ張りつつ立ち上がって離れた霧子を見て、進ノ介は、隣のベルトさん――移動できる細長い台にかけられている――と顔を合わせると、再度自分が頼み込むために歩き出した。

 いや、歩こうとして、いつの間にか歩み出てきていたチェイスに、足を止めた。

 

「……この子供の関心を買えばいいのか?」

「はっ、やめとけよ。お前じゃ泣かせるのがオチだ」

 

 周りを見渡して、するべき事の確認をとるチェイスに、剛は腕を組んで体ごと他所に向けた。不満気な態度で、言う事は辛辣。あまりチェイスの事を好いていないようだ。

 

「そうだけど、大丈夫なのか?」

「問題ない。子供のあやし方は、一度見た事がある」

 

 自分の前に屈み込んでくる男に、少女は今度も目を向けた。きゅっと結んだ唇と、ケースを抱き締める姿からは、警戒心が読み取れる。

 

「…………」

「…………」

 

 少しの間、沈黙があった。

 見つめ合ったまま動かない二人に、進ノ介はそちらへ顔を向けたまま、りんな、霧子、剛のいる方へ歩いて行った。

 

「何してんのかな」

「交信?」

「波長が合うって奴かも」

 

 好き勝手に二人の様子を評しつつ、事の成り行きを見守る。

 と、少女に動きがあった。すっと持ち上がった手が口を覆ったかと思うと、ぷくーっとほっぺたが膨らんで、耐え切れずに噴き出した。

 掠れた声の笑い声に、眉尻の下がった細い目。誰がどう見ても、笑っている。それもかなり、ツボに入った感じで。

 けたけたと声なく笑って足をばたばたと振り回し、涙の浮かんだ目を拭う少女に、一番驚いたのは剛だ。

 

「お前、何したんだ!?」

 

 驚愕を顔に張り付けて足早に歩き、立ち上がろうとしていたチェイスを押し退けると、笑いこける少女の前で腰を折った。

 

「…………」

「っ……、……?」

 

 勢いでここまで来たはいいものの、結局何をすれば良いのかわからず、ただ目を合わせるだけの剛に、やがて笑いが治まった少女が不思議そうに見つめ返した。

 先程と同じ沈黙があって、それから、ゆっくりと、剛が言った。

 

「宝石を、貸して、ください」

「……」

 

 少女は否定も肯定もせず、自分の髪の毛に目を向けていじいじやりだした。眼中になし、である。

 

「もういい、剛。お前はよくやった」

「進兄さん……俺、なんか辛い」

 

 なんのリアクションもなく無視は結構きつい。相手が自分に正直な子供ならなおさらだ。とぼとぼと大破撤退する剛の肩を叩いた進ノ介は、今度は自分の番だ、と少女の横に腰かけた。前傾姿勢になると、手を組みながら、少女に笑いかける。

 

「星夜ちゃん……って呼んで、いいのかな?」

「……?」

 

 ケースを足で挟んで、頭を傾けて垂らした横髪をさっささっさと手で整えていた少女は、進ノ介の問いかけにきょとんとした顔を返した。なぜそんな事を聞くのかわからない、と聞いているみたいだった。

 

「いつまでも『君』とか『お嬢さん』じゃなんだと思ってさ。いいかい?」

「……」

 

 こくりと頷く少女に、進ノ介は彼女に見えないところで片方の拳を握り、ガッツポーズを作った。名前呼びは距離を縮めやすい。惜しむらくは少女に声がなく、お互いを名前で呼ぶと言う関係に持ち込めないのが残念だ。

 

「そのブローチを貸して欲しいんだ」

 

 進ノ介は、単刀直入に言った。

 しかしこれは、トライドロンの中で問いかけた時に一度断られているし、ここのみんなで聞いても駄目だった事だ。案の定、少女は手の平をブローチに当てて隠すと、少しだけ体を逸らして、進ノ介から宝石を遠ざけた。

 ああ、やっぱり。諦めムードが漂う。

 しかし進ノ介は気にせずに、ここで切り札を切った。

 

「それを預けている間は、俺と遊園地に行こう」

「っ!?」

 

 遊園地?

 誰かが疑問に思うのと、目を開いた少女が僅かに開いていた口を閉じて、いそいそと胸のブローチを取り外し、進ノ介の眼前に突き出すのは、同時だった。

 

「ありがとう」

 

 握ったサファイアを、傍に寄って来たりんなに渡した進ノ介が笑顔で礼を言う。少女は、手をついてお尻の位置をずらし、進ノ介にぴったりくっつくと、催促するように袖を引っ張った。

 

「って、なんで遊園地!?」

 

 少女の変貌に固まっていた剛が再起動し、ツッコミを入れる。

 なぜ遊園地が少女の心を動かしたのか。

 

「ここに帰って来る時に、この子が窓の外をじっと見ているのがミラー越しに見えたんだ」

「ああ、たしか近くに小さな遊園地が……。それで、なんですね」

 

 患ったもの故に寡黙で、あまり多くのものに興味を示さなかった少女が、唯一窓にへばりつくほどに興味を示したのが遊園地だったのだ。

 

「なんだよ、じゃあ最初からそう言えばいいじゃんか」

 

 無駄なダメージを負わされた剛が泣き言を言って壁に寄り掛かるのに、ああ、それはな、と進ノ介は哀しげに笑った。

 

「今月ピンチなんだ」

「……ああ」

 

 うん。

 納得、と頷く面々に、面を上げた進ノ介が、一転して爽やかな笑顔で続ける。

 

「ピンチだった」

 

 過去系。

 すでに財布が死ぬ事は確定しているが故の悲しき台詞だった。

 隣に座るお兄さんが自分よりお金を持ってないとは露とも知らず、少女は目を輝かせてひたすら袖を引っ張っている。

 

「ピンチとはなんだ。助けが必要なのか」

 

 よくわかっていないチェイスの一言が余計に進ノ介の心にダメージを与える。りんなは、わざとらしく「じゃあ私は、さっそくこれの解析に入るから~」とそそくさと部屋の隅の机へ逃げてしまった。

 居た堪れない雰囲気の中で、霧子がそっと進ノ介の肩に手を置いた。

 

「泊さん、元気出してください」

「霧子……じゃあ昼飯奢って」

「嫌です」

 

 即答で断られて、今度こそ進ノ介は燃え尽きた。

 冗談ですよ、と言われても、不貞腐れたようにそっぽを向く姿は、どこか隣の少女に似ていた。



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4.デート・ア・ライブ・妖精の調べ

遅刻しました!
とりあえず投稿します。



タイプテクニックはクールな心がないとなれない、のにパッションと表記していたのを修正。
パッションはタイプワイルドだった。



・艦これ
傷つき漂う軽巡棲鬼は、傷心していた。
自分の気持ちや、生まれた理由さえ漠然としていて、
自分がしたい事をするには、自分がしたくない事をしなければならない。
あの青空のように自由な心を持つにはどうすればよいのだろうか。
軽巡棲鬼は、傷心していた。

・ドライブ
進ノ介と少女は遊園地でデートをしていた。
おてんばなお姫様に振り回され、くたくたになってしまう。
しかし彼女の笑顔を見ていると、元気がわいて出てくる。
子供というのも、良いものだな。進ノ介は、そんな風に思い始めていた。


 波に揺られ、まどろみの中で目を覚ます。

 しばらくの間夢見心地でいた軽巡棲鬼は、波間を漂う自分に気付いて、体を起こそうとした。

 

『ッ!』

 

 雷に打たれたと錯覚するような感覚に体中が固まる。

 割れた下半身が、強烈に痛む。

 顔を歪め、そっと、傷を刺激しないように海面に顔をつけた彼女は、その冷たさと、ゆらゆらと揺らされる心地良さに、痛みを忘れるためにしばらくそうしていた。

 

 痛い。痛い。

 痛くてたまらない。

 熱を持った体はひっきりなしに痛みを訴え、身動ぎするだけで内側が焼けるような痛みがよぎっていく。

 立ち上がろうにも立ち上がれず、ただ、力無く漂流するのみ。

 惨めだ。

 なんとなくそう思って、軽巡棲鬼は、不意に『惨め』とはなんだ? と疑問に思った。

 自分の今のこの状態は、惨めなのだろうか。

 他のどんな姿が、惨めだと言えるのだろうか。

 わからない。

 生まれつき持っているはずの知識……情報、価値観、記憶。

 彼女からは、たくさんのものが抜けていた。

 微かに脳の奥底にこびりついた綺麗な想い出は無意識にまぶたの裏を掠めるのに、ドロドロとした汚泥のような負の感情は薄れて幕を張り、糸を張り巡らせて、だけど、弱い。

 怨敵を視界の内に捉えれば、それはあっという間に体の中に巣食い、燃え上がるのだけど、こうしてただ波に揺れているだけの時は、そういう気持ちはてんでわいてこない。

 

 嫌だな。

 

 軽巡棲鬼は、目をつぶって、胸の中で呟いた。

 あの人影を見れば、自分はまた、大声を上げて激情のままに走り出すのだろう。

 そうして、怨敵と交差して……きっとまた、こんな風にされる。

 

 痛いのはイヤ。でも、痛くないのも嫌。

 立てないのはイヤ。でも、立ててしまうのも嫌。

 気持ち悪いのはイヤ。心地良いのが好き。

 風を感じていたい。青空を見上げていたい。

 すぅっと息を吸い込んで、気の向くままにリズムを刻んで、ずっとずっと、水平線を目指して動いていたい。

 そんな願いが叶うはずがないという事は、ちょっと前に嫌というほど知った。

 だから、高望みはしない。

 ただ少し、ほんのちょっとの間でいいから、何にも邪魔されず、胸の中の音楽を奏でたかった。

 

『……~♪』

 

 孤独な海に、高い音色の音楽が響く。

 観客のいない演奏会。

 拍手してくれるものは、なかった。

 

 

 馬に跨った少女が頬を紅潮させて、上下する体に笑みを浮かべている。くるくると回る舞台の上から、進ノ介が座るベンチへ向けてぶんぶんと手を振る。周囲の客を気にしつつ、控え目に手を振り返せば、満面の笑み。陶磁器製の馬の首に抱き付いて、はしゃぐ様子を見せた。

 

(あんな風にしてても、バイオリンのケースは手放さないんだな)

 

 少女が手にするケースは大きく、それなりの重さもあるはずだ。それに、いちいち取り回し辛いだろう。

 進ノ介に預けていかないのは、やはりそれが彼女に取って大切な物だからなのか、まだそこまで信頼されていないからなのか。

 どっちもだろう、と結論を出した進ノ介は、馬の上で笑顔を振りまき、ぶんぶんと手を振る少女に自然な笑みを浮かべながら、今度はちゃんと手を振り返した。

 

 

 ティーカップ。遊覧船。ウォーターボート。ゴーカートに、ホラーハウス。それから、大きな観覧車。

 遊園地は、敷地は小さいながらもアトラクションは充実している。人は多く、それゆえに人気の乗り物なんかに乗るのには、少し順番待ちをする必要もあったが、少女は始終楽しげにしていた。彼女には、こういう風に遊んだ経験がないのかもしれない。保護者役の進ノ介としてみれば、こんなに全力で楽しんでいて、いつ電池が切れるかわかったものではなく、ひやひやしている。

 先程も、配られていた風船をはしゃぎながら受け取って、僅か三秒でお別れを果たすというお約束をやっていた。こうやって持つんだよ、と係りの人間に教えられた直後の出来事だった。

 くしゃりと顔を歪め、空へ空へ昇っていく風船を見上げて泣きそうになった少女は、進ノ介がどうあやそうかと考えを巡らせる内に勝手に立ち直って、気を引こうと、袖を引っ張ってきた。

 目を向ければ、しきりに自身の左腕の手の甲付近に当てた右手を、くいっくいっと傾けるポーズを繰り返す。なんだろう。どこか見覚えがある。

 そのジェスチャーがはたして何を意味するのかは、頬を膨らませた少女が進ノ介の左腕に嵌まるシフトブレスを叩く事で、ようやくわかった。

 変身しろ、と。

 そして、今は青空の中の点になっている風船を取りに行け、と。

 子供らしい柔軟(にゅうなん)な発想力というか、周りの目を考えない行動力というか。

 あいにく、進ノ介は仮面ライダーの力をロイミュード関連以外の事で使うつもりはない。たとえそれが、幼気(いたいけ)な少女の頼みであっても、だ。

 代わりに、別の解決策を考える。

 この場合は簡単だ。風船を無くしてしまったのだから、新たな風船を与えればいい。

 

「ほら」

「…………」

 

 係員から受け取った黄色い風船を差し出すと、少女は顔を逸らして、未練がましく空を見上げた。

 それでも、進ノ介がしゃがんで彼女と同じ目線になると、顔を戻して目を合わせてきたし、紐を手渡せば、ちゃんと受け取ってくれた。

 

「今度は失くさないようにな」

 

 小さな手に紐を巻き付け、しっかりと握らせながら言う進ノ介に、神妙に頷く少女。風船を見上げると、顔を綻ばせて、上機嫌に戻った。

 

 全てのアトラクションを制覇する勢いで……というか、実際に順々に回って攻略していく。テンションが強まっていく少女に比例するように、進ノ介のテンションは下がっていった。

 少女とのデートがつまらない訳ではない。ただ、あまりに彼女が元気すぎるので、エスコートに苦心しているだけだ。重いものを振り回してくるくる回ったり、人にぶつかりそうになったり、転びそうになったり。一時も目を離す隙が無い。キャリアと共に積み上げてきた忍耐力や経験も、キッズパワーの前には形無しだ。

 

 手を引かれて移動して、今度はぬいぐるみと記念撮影。進ノ介は、『この暑い中、中の人もお疲れさまだな』なんて考えつつ、少女と寄り添って、にっこり笑顔ではい、ピース。渡された写真には、満開笑顔の少女と疲れた笑顔の進ノ介が写っていた。

 

(俺もまだまだ若いと思ってたんだけどな……)

 

 何時間もしない内に、くたくたになってベンチに座り、もたれかかった進ノ介は、ネクタイを緩めながら、隣で足をぶらつかせつつソフトクリームを舐める少女を見やった。

 24歳、働き盛り。それでも子供の行動力に振り回されれば、エンジンに火をつけるための燃料もすぐに底を尽きる。

 あっという間にうずまきバニラをやっつけた少女は、指についたアイスをぺろぺろと舐めている。そこに疲れの色はこれっぽっちも浮かんでいない。まだまだ元気いっぱいだ。

 買い与えたアイスに向かっていた意識も、もう何秒もしない内に、どこかの恐怖の館か、はたまた巨大な円へと向かう事だろう。休憩にもならない。

 

 少女が口元にも白いのをべたっとくっつけているのを見かねた進ノ介は、腕を動かすのも億劫だと思いつつ手を伸ばし、一本たてた指先で拭ってやった。

 そうすると、少女は両手で進ノ介の腕を捕まえ、何を思ったのか、指を口元に近付けさせた。ちょこんと舌を突き出した。乳白色と血色の良い赤が混じった小さな舌。

 バニラの匂いがふわりと香る。指に残るバニラアイスをこそぎ取るように前後した舌が、指先に絡まりついて、そのままぱくりと口に含んだ。ほんのり冷たくも高い体温を感じさせる口内でも、緩やかに舌は活動を続けている。今度はちうちうと吸いつき始めた。

 こそばゆく、むず痒い。進ノ介の顔にはなんとも言えない微妙な表情が浮かんでいた。

 

(赤ん坊か、こいつ)

 

 進ノ介はされるがままで、自分の指に吸い付く少女の顔をぼーっと眺めている。止める気力はないし、止めればおそらく不機嫌になる事はわかりきっているから、止める気もない。わがままなお姫様の気まぐれに付き合う他ないのだ。

 少女が顔を上げ、進ノ介と目を合わせると、ぺろりと舌を動かして見せた。一種妖艶な仕草だ。少女には幼い色香とも言える不思議な魅力があったが、残念な事に進ノ介にはまったく効いていなかった。朴念仁というより、普通の人間といったところか。進ノ介にそういった趣味はないのだ。

 ただ、にま~っと笑ってみせる少女につられて笑うと、こういう風に子供と過ごすのも良いもんだな、と思えてきて、頭の中も胸の中も、すっきりした。

 笑顔が燃料に代わる。少女の笑顔で、疲れも吹き飛ぶ。

 もし自分が子供を持つ事になったら、こうやって遊園地や、大きな施設に遊びに連れていきたいものだ。

 その時、隣にいる女の子は、こんな幼い少女ではなく……。

 

 白い光の中、自分に微笑みかける霧子の姿を幻視して、慌てて進ノ介は頭を振った。

 なぜここであいつが出てくるのか。わからない。わからないなー、なんて言いつつわざとらしく首を傾げる。

 そんな彼をどう思ったのか、少女はベンチから飛び降りると、代わりにそこへ置いたケースを開いて、バイオリンと弓を取り出した。

 持ち上げたバイオリンの後部を鎖骨に当て、顎で押さえて弦に弓を乗せ、目をつぶる。ゆったりと、弾きだした。

 

 穏やかな旋律がざわめきの中に流れる。

 思わず目を細め、恍惚として聞き入ってしまいたくなるような魔力を持った調べ。

 激しく、高く。緩やかに、低く。

 揺れる体と、前後する弓。

 すっ、と手を持ち上げて、人差し指で一本の弦を弾いて「ポン♪」と音を鳴らした少女が、続けて弓を当て、動かし、演奏する。

 小さな小さな音楽会。

 弾くべき時と聴かせるべき相手。今この時、進ノ介がそれに選ばれたのだろう。気まぐれな少女が弾きたいと思ってくれた幸運。自分のために音楽を捧げてくれる優越感。

 そういったものが安息となって、進ノ介は眠るように、ただ、バイオリンの音色に耳を傾けた。

 何にも邪魔されず自然と届いて耳朶を振るわせる音の一つ一つが、胸の中に染み込んで、そこにある何かを震わせる。じんと目頭が熱くなった。

 

 時間にして五分もなかっただろう演奏が終われば、進ノ介は意図せず、立ち上がって拍手をしていた。音楽にこんなに心を動かされたのは初めてだった。惜しみない拍手が、目の前の少女一人に贈られる。

 目をつぶり、胸を張って手を上げた少女は、『やーやー』とでも言うかのような動作で、進ノ介に手の平を掲げてみせて、制した。

 止められるまま手を下ろし、されど笑顔を浮かべたまま、言う。

 

「凄いな、星夜ちゃんは」

「…………?」

 

 当然でしょー。

 バイオリンを下ろし、何気なく見上げてくる少女の顔には、そう書いてあるように思えた。

 

 

 大型ワゴン車を運転する男は、強い焦りを浮かべてアクセルを踏んでいた。

 ミラーに映るのは、後部座席の二人の男と、背後に迫るパトカー。

 苛々とした様子でハンドルを操っていた男は、ああもう、と両の拳をハンドルに叩き付け、瞬間、モザイクに包まれた。男は鈍色(にびいろ)の怪物に変貌していた。それは後部座席の二人も同じだった。

 窓を開けて身を乗り出した後部座席の二人が、背後のパトカーへ両手を向けると、指先からエネルギー弾を連射する。道路のあちこちが弾け、小さな爆発が連続して巻き起こり、先頭を走っていたパトカーが大きく左右に揺れ動いた。

 怪人の妨害にパトカーはやむなく停車、中の警官は無線機で応援を呼んだ。

 

『警視庁から各局、逃走中の機械生命体――』

「やっぱりロイミュードだったか。いくぜベルトさん」

「OK。スタート・ユア・エンジン!」

 

 遊園地からの帰り道、入った無線に従って移動を開始した進ノ介は、逃走者の正体が怪人だと知ると、すかさず腰に巻いたベルトさんの右部、イグニッションキーをつまんで捻った。ベルト内部の機構が稼働し、待機状態に入る。同時にトライドロンがトンネルのような空間に入り込んだ。天井を彩る赤青黄色。色とりどりの蛍光灯がトライドロンを照らし出す。

 待機音声が鳴る間にシフトスピードを手に取り、ハンドルを握る左腕のシフトブレスへ滑り込ませて装填した進ノ介は、素早く構えてレバーアップ操作を行った。ベルトさんのディスプレイの表記が『Go!』『R』『S』と変わっていく。

 

『ドラァーイブ! ターイプ・スピード!』

 

 ベルトさんのコールに合わせ、半透明のパーツが一気に進ノ介の全身に装着される。真っ赤に塗装された情熱ボディに、ぴっちりスーツの黒。最後にトライドロンの前輪から放たれたスピードタイヤが飛来し、半透明の車体を突き抜けてドライブとなった進ノ介の体にぶつかった。左肩から右脇腹にかけて嵌まる。衝撃に身を揺らしたのも一瞬、次には、明るい道路を走行する車の中だ。

 

「よっしゃあ、ギアを入れるぜ!」

「……」

 

 変身を間近で眺めていた少女がパチパチと手を打つのに気を良くして、スピードを上げたドライブの視界に、走行する数台のパトカーと一般車両が見えた。どれもがのろのろと動いている。どんよりだ。

 ハンドルを左右に切り。車の間を塗って前へ出れば、大型ワゴン車が重加速の中をひた走っていた。追跡していたパトカーと大分距離が空いているが、それは仕方のない話。どんよりの中では、普通の車では動くのも困難なのだ。

 が、普通の車とトライドロンでは、勝負にならない。アクセルに置いた足を少し強く踏み込めば、すぐに追いついた。

 窓から身を乗り出す怪人、コブラ型とスパイダー型のロイミュードが放つ光弾を避けながら、ワゴン車の横に出るトライドロン。窓越しに運転席を見れば、そこに乗っているのはバット型の下級ロイミュードだ。胸のナンバーは『---』。ジャンプロイミュード。

 

「止まれ!」

『うお、仮面ライダー! 止まれと言われて誰が止まるか!』

 

 トライドロンによる体当たりを仕掛けようかと思ったが、車体に傷がつくのを嫌って声をかけるに留めたドライブに、怪人、ジャンプロイミュードは大袈裟に肩を跳ねさせて、叫んだ。ぐんとワゴン車のスピードが上がる。が、意味はない。トライドロンがその横をぴったりついていく。

 

『ええい、消えろ!』

 

 業を煮やしたジャンプが、先にワゴン車での体当たりを敢行する。直前にブレーキを踏んだドライブによってそれは不発に終わり、ぶれた車体はなかなか正常な動きを取り戻せない。

 

「あの車の中には、盗んだ物があるんだよな」

『トライドロンでの攻撃や体当たりは控えるべきだ』

 

 ドライブの呟きにベルトさんが答える。そうだ。それに、激しい動きは、助手席に座る少女の身にも危険を及ぼす。

 街に向かうワゴン車とトライドロン。どんよりの範囲内に入ってしまった車が不規則な動きで道を塞ぎ、衝突しあって火花を散らす。その中を、なんとか車を動かし、切り抜けていく。ワゴン車は他の車両との衝突を恐れてかなり減速しているが、取れる手段が少ないせいで、トライドロンからは何もアクションを行えない。

 向こうはそんな事お構いなしに光弾を撃ちまくってくる。万が一にも当たる訳にはいかない。こっちには子供がいるんだ。手に汗を握り、いつもより緊張してハンドルを握るドライブに呼応して、ベルトさんも険しい顔で黙り込んだ。少女だけが、目まぐるしく変わる風景に、無邪気な笑みを浮かべて喜んでいた。

 

 いつまでも続くかと思われたカーチェイスに、先に音を上げたのはジャンプの方だった。

 完全に街に入ると、人も車も多くあり、重加速現象の中でそれらが動かなくなると、大型の車では通り抜けるのが困難になってきたのだ。

 

『くそ、ああ、もういい! どうせこのダイヤも俺の心を跳ねさせてはくれなかったのだ!』

 

 捨て台詞を吐いたジャンプが、窓を割って外へ跳び出す。背中にある羽など使わず、ぴょんぴょんと跳ねて道路を行くのに、配下らしき二体の下級ロイミュードも扉をスライドさせて飛び降り、ジャンプの後を追って走る。

 残されたのは、暴走する無人車だけだ。このままでは前の乗用車に激突する!

 

「間に合え!」

 

 イグニッションキーを捻り、シフトスピードを引き抜く。代わりにセットするのは、緑の車体の、シフトテクニック。変身用シフトカーだ。シフトアップ操作でレバーを倒せば、コールと共に装甲が剥がれ、再構築されていく。

 

『タァイプテクニーック!』

 

 情熱の赤から冷静(クール)の緑へ。意味も姿も大きく違う。斜め掛けだったタイヤが首の下、胸部の上にガコンと嵌まる。と同時に、トライドロンにも変化が訪れた。

 

『ドロン・トライドロン!』

 

 人の乗れる部分が宙に浮かぶと、残りの車体がひっくり返る。赤かったトライドロンは、緑色に変化していた。車体全部の左右から伸びる細い手は、パワーと繊細さを兼ね合わせたスーパーロボットアームだ。

 二本の腕が目の前のワゴン車を掴み上げ、持ち上げる。ドライブの方も、テクニックの計算によって導き出された最適な手順を、仮面の内側に映し出される光によって認識しながら、ブレーキを踏みつつハンドルを切った。持ち上げた車両を振り回さないようにしながら、自身も他の車両とぶつからないように速度を落とす。

 二つの車両の間をぐんと抜けていく。ほんの数ミリ、右か左にずれてしまえば、大事故は免れない。だが切り抜けた。この運転はタイプテクニックだからこそ成せた神業だ。まさにドライビングテクニックと言ったところだろう。

 

 路傍に車両を下ろし、自身はアクセルを踏んで街の方へ。ロイミュードを野放しにする訳にはいかない。このまま後を追おう。

 その際ちらりと少女を見た。危険だから降ろそうか……と考えたのがばれたのか、腕に抱き付いて離れようとしない少女をそのままに、一路、街へ。

 重加速現象は続いている。街の外れに向かって跳躍するジャンプロイミュードと、地面を走ってそれを追う二体の下級ロイミュード。

 

(どこへ向かうつもりなんだ?)

 

 疑問に思いながらも、人気がなくなったのを良い事にスピードを上げた。

 

 

「……見失った?」

「?」

 

 細い通りを緩やかに走らせながら、周囲を窺うドライブ。あれほどぴょんぴょん飛んでいた怪人の姿は見当たらない。

 本当に見失い、取り逃してしまったのか、それともどこかに潜伏しているのか。

 やがてトライドロンは、一本道の前までやってきて、止まった。

 

「……っ! ……っ!」

「星夜ちゃんは、ここにいるんだ。そのケースから手を離しちゃいけないよ」

 

 車を降りようとするドライブに、慌てて『自分も』とシートベルトを外しにかかる少女を制し、よく言い聞かせる。

 

「いいか、絶対に車から出ちゃ駄目だ。お兄さんとの約束だ」

「…………。…………」

 

 じーっとドライブの顔を見上げた少女は、やがて、緩慢な動作で頷いてみせた。ドライブも頷き、車を降りて、バタンとドアを閉める。

 いつの間にかドライブの手には、車のドアを模した銃が握られていた。見た目通り、ドア銃という名の武器だ。赤い車体に薄水色のガラス窓。上部にシフトカー装填用の通路が設けられている。

 これで素早い遠距離攻撃が可能になった。どこから敵が飛び出してきても対処は可能だろう。

 

 道の先は、左右に背の高い建物が並ぶ通りになっていた。有名なチキンのチェーン店や、海産物専門の店などがある。その中を、注意深く見渡してから、歩き出す。

 

「……おい」

「…………」

 

 二歩も歩かない内に足を止める羽目になった。

 理由は、後ろをちょこちょことついてくる少女にある。

 

「駄目だって。本当に危ないんだ。星夜ちゃんも、あいつらの怖さは知ってるだろ?」

「……!」

 

 車の外に出てると、あいつらがやってきて食べられちゃうぞ。

 軽く脅しをかけると、効果があったのか、ケースを抱き締めて身を縮込めた少女は、そそくさと助手席の方へ逃げていった。

 

 気を取り直して、道の先へ体を向ける。

 敵はどこだ。逃げていないなら、まだ近くにいるはず。潜伏しているのだとしても、タイプテクニックはそれを暴き出す。

 頭頂部の左右に備わった複合アンテナ、シャンクリッパーアンテナは、広範囲の動体反応と熱源反応を察知する。その能力は、たとえ目の前の敵との戦いに集中していても、背後から迫る敵へカウンターを叩き込めるほどだ。

 だから、どんなに抜き足差し足忍び足で近付いて来ようが、ドライブにはお見通しなのである。

 

「星夜ちゃん」

「!」

 

 うんざりして振り向いたドライブに、少女は大袈裟に肩を跳ねさせてびくっとした。しかし、ばれたなら仕方ないとでも思ったのか、さささっと傍まで走り寄ってくるのに、どうしたものかと心底困ってしまった。

 一緒に連れて行って怪我でもさせたら大変だ。いや、怪我では済まないかもしれない。守りながら戦うにしても限度がある。

 自律走行もでき、数多の攻撃機能を備えるトライドロンの中にいてくれるのが一番安心できるのだが、むくーっと膨れて離れる気配のない彼女の様子を見れば、たとえ無理矢理押し込んでも抜け出そうと暴れるだろう事が予測できた。

 ロック機能とかないのか、と呟くドライブに、『中に何者かを閉じ込める事は想定していなかったからね』、とベルトさん。自動で鍵は閉まっても、内側からなら簡単に開けられてしまう。まさかそんな事はしないと思うが、万が一走行中に鍵を開けて外に出られたら大参事だ。

 ああ、子供ってなんて手のかかる。思わず額に手を当てようとしたドライブの内側、メット内部に表示された情報は、敵の接近を示していた。

 重加速の中でこの素早い動き、ロイミュード以外にいない。

 

「はっ!」

『――グウッ!?』

 

 建物の陰から飛び出してきたロイミュード、スパイダー型に、ドア銃による先制の一撃を見舞ったドライブは、続けて右斜め上空、建物の屋上から飛び出してきたコブラ型にも光弾をお見舞いした。

 先に立ち上がったスパイダー方が両手を突き出す。光弾発射の前兆。紫色の光エネルギーがバババッと放たれた。

 焦らず、慌てず。タイプテクニックの目、マルチハイビームアイは前方広範囲の状況を速やかに装着者へ伝える。飛んできた光弾の数、位置、到達予測時刻。そして迎撃の順番。右腕が持ち上がり、同時に流れるように連射。全ての光弾を相殺する。荒野のガンマンのような早撃ちだった。

 指にひっかけたドア銃をくるりと回転させつつ胸元に引き寄せたドライブは、左手で銃のドアを開閉させてチャージを行うと、スパイダー型へ向けてトリガーを引いた。

 

『ぐわわっ!』

 

 三発の光弾が肩、胸、足に当たり、ロイミュードが吹き跳ぶ。お次はこちらへ走り寄ろうとしているコブラ型だ。同じく三発当てれば、似たような動きで吹っ飛んだ。

 

「こいつらがいるって事は、ジャンプは」

『ここにいるぞ、仮面ライダー』

 

 背後、空から落ちてきたジャンプロイミュードが着地するのと同時、振り向いたドライブがドア銃を撃つ。地面を穿った。ジャンプは、転がって避けたのだ。

 

『約束だ。お前に奪われたものを、返してもらいに来たぞ』

「……!」

「そうはさせるか」

 

 少女の肩を引いて腕の中に寄せたドライブが啖呵を切る。

 

「お前の望むものなんて、星夜ちゃんは持ってない」

『なぜそう言い切れる』

「さあな」

 

 進ノ介は、おそらく、いや、ほとんど確信していた。あのサファイアこそ、ジャンプロイミュードが求めるものだと。

 なぜならば少女はそれ以外に何も持っていないからだ。彼女にあるのはバイオリンと、ケースの中の紙幣と硬貨だけ。服の中にだって何かを隠してはいなかった。――彼女が転んだ際に見えたのだ。白いドロワーズとピンクの肌着が。

 だから、奴の求めるものが純粋な『物』ならば、彼女はそれを持っていないと言い切れるのだ。

 

 なぜジャンプが宝石を見ても反応しなかったのかのピースはまだ見つかっていないが、この考えは当たらずも遠からずだろう。宝石の解析結果に左右される考えではあるが、ここでジャンプを倒してしまえば、それを待つ必要はない。

 

『俺を倒すだと?』

「そうだ。お前を倒し、星夜ちゃんを守る」

『面白い。ならば守り通してみせろ!』

 

 バッと手を上げたジャンプに呼応し、スパイダー型とコブラ型が並んで、ドライブの背後をとる。囲まれた形になった。

 状況は若干不利だ。タイプテクニックは周囲の状況を手に取るようにわかりはするが、そのすべてに同時に当たれる訳ではない。何より、少女という守るべき者がいる状況では、動き辛過ぎる。

 一斉に飛びかかられでもした時、はたして、少女を守り切れるだろうか。

 張り詰めた緊張の糸を感じ取った少女が不安げに見上げてくるのを情報として受け取りながら、ドライブは三体の動向を見逃さないよう、集中力を高めた。



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5.トリプライド・仮面ライダードライブ

また遅刻したぁー。
ひーん。



・艦これ
鎮守府では、夜の肝試しに向けて準備が進められている。
歌の練習をするために本棟の裏の通りへ繰り出した那珂は、
一番弟子の吹雪と一緒に、新曲の練習を始めた。

・ドライブ
ジャンプロイミュードを追い詰めるドライブ。
戦いはスパートの連続。ブレーキなどどこにもない。
そんな中、ドライブは迂闊にも、ジャンプに星夜を奪われてしまう。
はたしてドライブは、彼女を無事に取り戻せるのか。

・カブト
ゼクトはワームと結託し、地球に隕石を落とし人類を滅亡させる。
この計画を聞きつけた仮面ライダーカブト=天道総司は、
仮面ライダーガタック=加賀美(あらた)とともに、宇宙に行く事を決める。
しかし、この宇宙で彼らは激闘を繰り広げる事になる。
ゼクト最強の刺客、仮面ライダーコーカサス=黒崎一誠が、
軌道エレベータで待ち構えているのだった。



 海に面した鎮守府。

 お昼時を過ぎ、みんなが腹ごなしにリラクゼーションルームで、今夜の肝試しの打ち合わせをし始めた、その少し後の時間。

 今は駆逐以上の艦種の者達が、やれどう脅かすか、やれどこで脅かすか、タイミングは、人の組み合わせは、道具は、姿はと盛り上がっていた。

 そんな喧騒から抜けて、一人、静かな本棟裏の通りにやってきた軽巡・那珂(なか)は、常の笑顔を顔に浮かべて、ワイヤレスマイクを握り締めた。スイッチに当てられた指が、白手袋越しに銀色の表面を撫でる。

 

「ふっふふ~、肝試しかぁ。那珂ちゃん腕が鳴っちゃうなあ」

 

 みんなが驚かし役の準備をしているのに、この軽巡はなぜ一人でこんな場所にきているのかといえば……まあ、彼女の持つマイクが全てを物語っている。

 

「何がいいかなぁ。緊張をほぐすために、明るい曲調の歌が良いかな」

 

 海を一望できる、舗装された道の端へ歩んでいった那珂が、顎に指を当てて思案する。

 肝試しは恐怖を味わうのが楽しみの一つであるのに、明るくしてどうするのだろうか。

 

「アップテンポの曲でノリノリになっちゃう?」

 

 ノリノリで夜道を進まれては驚かし役が浮かばれないのだが。

 しかしこの軽巡、本気である。本気で夜道に明るい曲を流し、笑顔を振りまいて歌おうと考えているのである。

 

「悩む~、那珂ちゃん悩んじゃうぞぉ~」

 

 むむむ、と眉を寄せ、むいっと口を結んで顔全体で悩みを表す那珂。

 そもそも彼女がこんなに張り切っているのには理由がある。

 こういう風に、鎮守府全体でのイベントごとに出会ったのは初めてなのだ。それで、日頃練習している歌や踊りを披露しようと画策している。

 誰かに見せるために今までやってきたのだ。半分は、単純に練習したい、自分を磨きたいと思っていたからなのだけど、いつも、この成果をどこかで大々的に発表したいと願っていた。

 今度の肝試しイベントは、これ以上ないくらいぴったりだ。

 なんてったって、提督以下艦娘全員がこのイベントに参加するのだ。またとない機会。

 ダンスはともかく、みんなに歌を聞いてもらうチャンスだ、逃せるはずがない。

 それで、一人こっそりと抜け出してきて、人気のないここで練習しつつ、本番で歌う曲をどれにするか、決めようと思ったのだ。

 那珂ちゃん秘蔵の曲はたくさんある。情熱的だったり、詩的だったり、軽快だったり、レパートリーは豊富だ。どれもまだ陽の目を見ていない。聞いた事がある者も、自分を含めて右手で足りる数というしまつ。

 

「いち、に、さん、はい! おーおーおー、かーんこれー……。そだ、どうせなら新曲いっちゃう?」

 

 喉の調子を整えるために一度声を出して声帯を震わせた那珂は、途中で良い事を思いついた、と手を打った。新曲、新曲。うきうき肩を跳ねさせる彼女の背後から、人を探す声が聞こえてきた。

 道の向こう、建物の陰から出てきたのは、駆逐艦の吹雪だ。きょろきょろと視線を巡らせて、那珂の名前を呼んでいる。

 

「吹雪ちゃーん、こっちこっちぃ!」

「那珂ちゃん先輩!」

 

 一番弟子の出現に、こっちこーいと手招きして呼び寄せた那珂は、吹雪の額をつんとつつくと、「那珂ちゃんで良いってば」とぷりぷり怒ってみせた。すみませんと真面目に謝った吹雪が、怪訝そうな顔をして見上げる。

 

「ここで何してるんですか? みんな探してましたよ?」

「えへ、ごめんね。どうしても、夜に向けて練習したくって」

「驚かしの練習ですか? あっ、じゃ、じゃあ、私お邪魔でしたよね」

「んーん、ぎゃくぎゃく!」

 

 慌てて去ろうとする吹雪の肩を掴んで力の向きを変え、自分の方へくるりと向かせた那珂は、目を白黒させる吹雪ににっこり笑顔を向けた。

 

「吹雪ちゃんも一緒に練習しよ?」

「え、でも、駆逐艦の子達は、みんな探索役だから、って」

「じゃなくてぇ、那珂ちゃんと一緒に、歌の練習!」

「ええっ、歌って、いつものあれですか!?」

 

 吹雪は、それはもうぎょっとしてしまって、背を仰け反らせて驚いた。

 そーそー、と顔を寄せる那珂とは正反対の顔で、でも、えっと、肝試しですよ? と止めにかかる。

 

「……別に那珂ちゃんも、みんなが楽しんでる中に乱入していって歌おうって言ってるんじゃないんだよ?」

 

 嘘である。

 吹雪に言われるまで、肝試しの道中なんかでじゃじゃーんと飛び出して、サプライズするつもり満々だった。

 しかしまあ、気付いてしまうとそれは結構ヒンシュクモノなんじゃないかと思えてきたので、さっくり切り替え。そんな事考えてませんでしたよアピールで小首を傾げる。

 吹雪はしっかり信じ込んで、「そう……ですよね。いくら那珂ちゃんでも、そんな事はしないよね」と一人頷いている。

 

「そうそう、提督に許可をとって、えーっと、そう! 肝試しが終わった後に、きっとみんなぱーっとパーティすると思うんだ!」

「パーティ、ですか? 聞いてませんけど……」

「するよ、するする! ここが怖かったねー、とか、あのお化けに驚いた! とか、そーゆー話をするんだよ、きっと」

「……しますかね?」

「……するかなぁ?」

 

 肝試しで全艦娘出動、というだけでも結構大事(おおごと)であるのに――特に、あまり他の子と仲良くしない叢雲や、いつもは厨房でせっせとご飯を作っている鳳翔に、艤装の点検、修理、改修をしている明石まで、話を聞いて乗り気になっているというのだから、これはもう、他に類を見ない一大イベントになる事間違いなし、だ。

 実際はそこまで大袈裟に、騒がしく、という訳ではないだろうが、みんなが参加するから賑やかにはなるだろう。申請すれば、肝試しの後に飲み食いの場を設ける事も可能だろうし、そこへ集まる子も多いと予想できる。

 那珂は、その場で自分のアイドルとしての姿を初披露しようと考えた。その時は、もちろん、一番弟子の吹雪も一緒だ。

 二人で歌う用の新曲もあるし、準備はばっちり。一人で歌うための新曲もあるから、夜に向けてもう少し練習をしないといけないけれど。

 

「駆逐艦の子達は、今は自由時間?」

「はい。訓練のために海に出る事もできませんし、任務は何もありませんから。待機じゃなく、本当の意味でのお休みって、これが初めてな気がします」

「吹雪ちゃんは、下のお祭りには行ったんだったね」

「はい」

 

 吹雪は、つい先日、同じ艦隊のみんなと、それから、十七艦隊のみんなで、花火大会に合わせて開かれた縁日に繰り出した。花火の光は、砲と同じ火薬によるもののはずなのに、そこには戦いの緊張や怖さはなく、ただただ華やかで、綺麗だった。

 

「って、那珂ちゃんも一緒でしたよね?」

「あはは。うん、まあ、そうなんだけど」

 

 十七艦隊には那珂も所属している。つまり、あの日吹雪と那珂はともに街へ下りたはずなのだが、先程の言い方だと、そうでないように思えた。

 

「ちょっと凄いの見ちゃったから、吹雪ちゃんの事忘れちゃってた」

「ええー! そんな、酷いです!」

「ごめんごめん」

 

 手を振って謝罪する那珂に、吹雪は肩を落として、私ってそんなに地味ですか、と呟いた。どんより~な空間が形成される。

 

「地味じゃないよ。吹雪ちゃんはすっごくかわいい」

「ほんとですか?」

「本当だよ。那珂ちゃん、嘘は言わない。吹雪ちゃんはかわいい。保証するよ」

「……えへへ。なんだか、照れちゃいますね」

 

 波の寄せる音がして、風が吹いた。乱れないよう髪を押さえた吹雪が、赤くなる顔を隠すように逸らして、頬にかかる数本の髪を小指で引いた。

 幼いながらも少女然とした仕草は、大人への階段の半ばに立つ女の子の魅力をしっかり備えているし、厭らしさの欠片もない純粋な笑顔は、文句なしのかわいさだ。

 自分を地味だと思っている節のある吹雪の、こういった素朴さが、きっと魅力なのだろう。

 

「うん、良い笑顔。那珂ちゃんも負けてらんないよ!」

 

 那珂ちゃんスマイル~! と、頬に指を当てて輝く笑顔を作ってみせる那珂に、吹雪も、笑みを深めて、一緒になって笑った。

 

「……そういえば、凄いのってなんでしょう」

「ん? えーっとね。……アクションラブストーリー?」

 

 しかもバッドエンド!

 あれからどうなったのか、那珂ちゃん気になっちゃってご飯もおかわりできません!

 手を合わせて海に向かって言う彼女に、吹雪は首を傾げた。アクション……ラブ、ストーリーとは、いったいどういったものなんだろう。

 あの縁日で何があったのか非常に気になるが、気を取り直した那珂が、手を叩いて「じゃあ練習行くよ」と仕切り直すのに、はい、と頷いて、気持ちを入れ替えた。練習用の、アイドルとしての自分を形作っていく。

 

「さっきの話あるでしょ?」

「お祭りの時のやつですか?」

「そう。それで那珂ちゃん、また新曲作ってきちゃいました」

「わー」

 

 ぱちぱち。

 それとさっきの話とどういった繫がりがあるかわからないながらも、おめでたそうなのでとりあえず拍手する吹雪。

 

「これはある、恋した少女を歌った曲なのです。ラブソングなのです」

「ラブソング……バラードですか?」

「ううん。結構速い感じだよ。曲も歌詞もほとんど形になってきてるけど、調整はまだこれからなんだ」

 

 吹雪がバラードかと聞いたのは、その方が歌いやすいからだ。

 生まれてこの方、那珂に弟子入りするまでは歌とは無縁の世界で生きてきた吹雪なので――軍歌の存在は知っているし、聞いた事もあるのだが、まだ歌う機会を得ていない――、歌は、あまり得意とは言えないのだ。

 その点バラードなら、ゆっくり、落ち着いた歌い方で良いので、楽。駆け出しにはぴったりの曲調。

 だから、そうでないと聞いても、がっくり……きたりはしなかったが、自分に歌えるかと不安に思った。

 

「『High Speed Love』って名前にしようと思ってるんだ。きっとあの子にぴったり」

「……『あの子』、ですか?」

「あ、ううん、なんでもない。じゃあ那珂ちゃんが最初に通しで歌うから、覚えていこうね!」

「はい。頑張ります!」

 

 あの子とは誰の事だろうか。そう思いつつも頷いた吹雪は、那珂に勧められるままに道の端、海と陸との境界線である縁に腰を下ろして、足をぶらつかせた。

 すぅっと息を吸う気配。それから、アカペラでの歌が始まる。

 最初に彼女が言った通り、アップテンポで、軽妙で、早口気味だった。それでいて誰かの恋心をしっかり歌い上げている。

 スピードに関しては、緩む部分はあるが、それでもほとんどが繋がるように歌詞があって、ブレス(息継ぎ)のタイミングが難しそうだった。それに、舌を噛んでしまいそうだ。

 曲自体の感想と、自分が歌う場合の懸念を思い浮かべながら聞き終わった吹雪は、那珂が申し訳なさそうに「もう一回良い?」と聞いてくるのに、すぐに頷いた。どこか音程が合わなかったりしたのだろう。自分が覚えるためにも、吹雪は真剣に耳を傾けた。

 

 

「High Speed love つまりこれって、恋ってやつだね――……」

「うん、その感じ。歌詞はばっちりだね!」

「ふぅ……。ありがとうございます」

「んーん、こちらこそありがとうね、付き合わせちゃって」

 

 後で私の部屋で、曲を聞いて合わせようか。

 那珂は、そう言ってから、ふと顔を上げて海の方を見た。

 スイッチの入っていないマイクを両手で握っていた吹雪も、彼女を見て、それから、海へと顔を向けた。

 

「……?」

「吹雪ちゃん、何か聞こえない?」

「あ、いえ。何も……」

 

 どうやら彼女には、何かが聞こえたようなのだが、吹雪の耳にそれは届かず、首を傾げるばかりだった。

 

「こう、ふんふふ~……って感じの、澄んだ、綺麗な音……声が聞こえたような気がしたんだけど」

「声、ですか? 誰か来たんですかね?」

「……あれ、なんだろ」

 

 通路の左右を確認する吹雪に、海の向こうを指差した那珂が呟く。

 水平線に影。艦娘の目で見ても黒い点にしか見えないそれが、何度も波に隠れながら、ゆっくりと近付いてくる。

 やがてそれが何かわかった時、二人はあっと声をあげた。

 

「深海棲艦!」

 

 そう、向かってきているのは、人類に渾名す怪物、深海棲艦だったのだ。

 だが何か様子がおかしい。誰かに報告を、と駆け出そうとした吹雪の肩を掴んで自分の方へ引き寄せた那珂は、待って、と制止しつつ、注意深く深海棲艦の動きを見守った。

 ……倒れている。海面に。

 そして、まるで漂流者のように、流れてきている。

 

「たぶんあの深海棲艦、かなり損傷してる」

「煙が上がってますね。でも、倒さないと、こっちに来ちゃいますよ」

 

 どうしますか。

 判断を仰ぐ吹雪をちらりと見た那珂は、漂ってくる者がどこか見覚えのある女の子だとわかると、こう言った。

 

「とりあえず、様子を見てみよ。どうするか決めるのは、それから。ね?」

「……わかりました」

 

 にっこり笑う那珂とは反対に、不安げに頷く吹雪。それでも、もうどこかへ行こうとはせず、手負いの深海棲艦を眺めた。

 やがて、二人の立つ通路の傍まで、軽巡棲鬼が漂って来た。

 

 

 前門のジャンプロイミュード、後門の下級ロイミュード二体。

 仮面ライダードライブ タイプテクニック=泊進ノ介は、月日星夜という非力な少女を手元に庇っているために、ピンチに陥っていた。

 じりじりとにじり寄るジャンプを視界に、そして、背後の二体をテクニックの能力で感じ取りながら、とれる手段を探すドライブ。

 敵も、ドライブの精密な射撃を警戒しているのだろう。なかなか手を出してこないが、こちらが何か動きを見せれば、すぐさま数多の光弾を放ってくるだろう。

 しかし動かなくても同じ事。ドライブは勝負に出た。

 

「ハンドル剣!」

 

 呼びかけに答え、彼方からハンドル剣が飛来する。ドア銃を零すように落とした手で掴み取り、同時にもう片方の手でシフトトライドロンを握った。

 トライドロンをそのままミニカーにしたような――上部にミラーがある細長い車体――全てのシフトカーの力が融合した、最強の変身用シフトカー。

 ベルトさん右部のイグニッションキーをその手でひねり、シフトトライドロンの側面のスイッチを押す。

 

『ファイヤー・オール・エンジン!』

『やれっ!』

 

 と同時に、ジャンプが叫んだ。

 三体六本の腕がドライブと、寄り添う少女に向けられる。光弾発射の体勢。

 

『ヒッサーツ!』

 

 ハンドル剣、グリップ上部のシフトランディングパネルにシフトトライドロンを装填。ベルトさんがコールするのを待たず、素早く剣を切り上げ、グリップ内のトリガーを押す。

 周囲から迫る紫の光弾は、猛スピードで突っ込んで来たトライドロン・エネルギー体が少女とドライブの周囲を旋回する事で防ぎ切った。

 

『なにぃ!?』

 

 さらに、実体化したトライドロンは、ジャンプロイミュードとドライブの間に止まり、壁となった。これで少しは時間が稼げるだろう。背後の二体が動揺している内に再度イグニッションキーを捻り、シフトブレスからテクニックを引き抜く。遠退く走行音。代わりにシフトスピードを装填し、ガチャンと倒す事でタイプチェンジを行う。

 

『ドラァーイブ! ターイプ・スピード!』

 

 剥がれた半透明の装甲が瞬時に組み替えられ、赤いボディに早変わり。タイヤの位置も左肩から右脇腹への斜め掛けだ。

 

『ターイヤコウカーン! ミッドナイトシャドゥー!』

「はっ!」

 

 さらにシフトスピードを紫の車体のシフトシャドーに入れ替える事で、胸部のタイヤを交換。射出されたスピードタイヤがトライドロンを乗り越えてジャンプを襲う。

 代わりに胸に嵌まるのは、四枚の刃がついた手裏剣のような紫のタイヤだ。

 振り返ったドライブが腰だめに手を構え、手を擦れば、エネルギー状の手裏剣が何枚も飛んでいく。ロイミュードの堅牢な体をも容易く引き裂く光の刃に、たまらずスパイダー型とコブラ型はよろめき、倒れ込んだ。

 次の狙いはジャンプだ!

 

「――何っ!?」

 

 トライドロンの前部へ移動したドライブは、その先に誰の姿も見えないのに困惑した。後ろで激しく動く気配。はっと振り返れば、ジャンプロイミュードが少女の首に腕を回し、持ち上げていた。

 

「っ……!!」

『この小娘はいただいていく』

 

 機械の腕を引き剥がそうとしながら、苦しそうに足をばたつかせる少女を気にかけず、冷たく言い放つジャンプ。屈伸して力を溜めると、止める暇もなく、掻き消えた。

 あれが奴の特殊能力。空間跳躍……だから、ジャンプなのか!

 走り出そうとした体を止め、くそ、と自身の太ももを殴りつけるドライブ。少女から離れたのはうかつだった。まさか奴に、あんな能力があったとは。

 

『進化前であれほどの力を発揮するとは……奴はいったい……』

 

 ベルトさんも、ジャンプの能力に驚きを隠せない様子だ。

 彼にも、ジャンプが下級ロイミュードの身であのような力を使うとは、予測できなかったのだろう。

 倒れていた二体のロイミュードがよろよろと起き上がる。さすがの耐久力だ。

 だが今は相手にしている暇はない。逃げ去ったジャンプを追わなければ!

 

『空間跳躍にはかなりのエネルギーが必要のはずだ。進ノ介、奴はまだ近くにいる可能性が高い!』

 

 その通りだ。今まで奴には、何度となくその力を使うべき状況が訪れていたはずだ。

 しかし使わなかった。それは、おそらくベルトさんの言う通りに、早々使えるものではなかったからなのだろう。

 ドライブの焦りなどお構いなしに、二体のロイミュードが走り寄って来る。急がなければならないが、無視する訳にもいかない。仕方なく応戦するために構えをとる。

 すると……。

 

「おりゃーっ!」

 

 そこへ、飛び込んできた影があった。

 ロイミュードの一体を飛び蹴りで吹き飛ばしたのは、詩島剛だった。彼は着地すると、すかさずもう一体を殴りつけ、腕を振りかぶってもう一発ぶん殴り、そいつも転がした。

 

「助太刀に来たぜ、進兄さん」

(ごう)!」

 

 ウィンクと、指でっぽう。お茶目に決めてみせた彼は、起き上がってきたロイミュードへ後ろ蹴りを食らわせると、シグナルバイクを手にした。白いバイクのシグナルマッハ。次世代型、変身用シフトカーの一種だ。

 前を開いたパーカーの中、腰に巻かれるベルトはマッハドライバー。横長のベルトだ。

 バイクを模したベルトの前部を握り、上へずらせば、斜めに持ち上がり装填部を覗かせる。そこへ勢い良くシグナルマッハが差し込まれた。

 

『シグナルバイク!』

「レッツ、変身!」

『ライダー! マッハ!』

 

 レバーを倒して、ハンドルを切るようなスタイリッシュな変身ポーズを決めれば、変身完了! ライダーウェアを模した真っ白な装甲が体を包み、同色のヘルメットが頭を守る。繋ぎ目の無い群青色の瞳が発光する。

 タイヤは小さく右肩に。左胸には肩からベルトにかけて赤に挟まれた白線の細い旗模様。後ろ首からするするっと伸び出た旗は白と赤からなるマフラー。次世代の戦士、仮面ライダーマッハの登場だ。

 

「追跡!」

 

 スパイダー型に指を突き付けながら小さく跳び上がって殴りかかり、吹き飛ばす。

 

「撲滅!」

 

 パシンと手を打ち合わせ、迫りくるコブラ型を殴りつけて、右手で前方を指し示すように、左から右へ廻らせる。

 

「いーずーれーもー、マッ、ハー!」

 

 手を打ち、広げる。

 それから、相手に対して体を横向きに。右腕をぐるんぐるんとタイヤ張りに回転させ、右足を持ち上げて、走り出すような姿勢で一瞬止まる。

 

「仮面ライダー、マッハ!」

 

 さっと足を戻し、大きく開いて中腰に。左腕は流して伸ばし、右手は顔の横に。握った手は二本指だけ突き出して、額に当てる。星と共に、シュビッと前に出して、決めポーズ。

 ド派手で完璧な流れに慄いたのか、尻餅をついたコブラ型も、怯んでいたスパイダー型も、怯えるように一歩引いた。

 

「進兄さん! こいつらは俺に任せて、進兄さんは奴を!」

「すまない、剛!」

 

 二体の敵に躍りかかるマッハの言葉に、ドライブはありがたく従った。静けさの満ちる道の先へ、二体と一人の横を駆け抜け、急いでいく。

 

(星夜ちゃん、無事でいてくれ!)

 

 はたして少女は無事なのだろうか。

 胸中に張り詰める焦りは、独りでに走り出すと、先へ先へと伸びていった。

 

 

 寂れた教会。その内部。

 長椅子の並んだ際の、台の前に、ジャンプロイミュードと、座り込む少女の姿があった。

 

『さて、約束通り、俺から奪ったものを返してもらうぞ』

「…………」

 

 怯えた様子で縮こまる少女は、何も言わずに俯いている。

 ジャンプは満足したように頷いて、目の前にしゃがみこんだ。

 

『さあ、出せ。盗んだ物を出すんだ!』

「……!」

 

 ふるふると頭が振られる。

 ジャンプが欲しがる何かなど、少女は持っていない。唯一あるバイオリンのケースを抱き締めて、泣き出してしまわないように我慢していた。

 

『出さないつもりか。……ここにはないのか? ならば言え! どこに隠した!』

「…………」

 

 少女は、答えない。恐怖のせいではない。口がきけないのだ。

 そうとは知らないジャンプは、苛立ちを募らせ、怒って、床を踏み鳴らした。びくりと少女の体が震える。瞳に溜まった涙は、すでに溢れかけていた。

 胸倉を掴み上げ、持ち上げれば、とうとうケースが床に落ちて、少女も重加速の枷に囚われてしまう。

 

『……言う気はないか。ならば、頭の中を直接覗くまでだ』

 

 放り投げられた少女の体が、ゆっくり、ゆっくりと床に向かって落ちていく。その胸に、細い光が突き刺さった。

 ジャンプロイミュードの体が幾何学模様に包まれる。一回りも二回りも小さくなり、そして、数秒後には、そこには月日星夜が立っていた。

 姿、声、性格、知識、知能。全てをコピーされてしまったのだ。

 

――何? 何も知らない? どういう事だ?

 

 幼い顔に怖い表情を浮かべて、ぱくぱくと口を動かすジャンプ。喉の奥からは掠れた息が出るのみで、声はない。だがそんな事より、記憶の中、本当に落ちていたバイオリンを拾い、何の気なしに弾き始めただけの彼女の姿を見て、戸惑いを隠せなかったのだ。

 いや、たしかにこの少女はバイオリンを盗んだのだ。……そう、その後に、誰の許可を待たずに持ち去っている。……盗んだ、と言えるだろう。

 だが他の物は?

 初めて演奏を聴いてくれた背の高い女性から貰ったサファイアのブローチ。……それから?

 ……何もない。盗んだと思っていた何かなど、何もなかったのだ。

 

――いや、だが、わかった。わかったぞ、進化への道が。

 

 もはや、そんなもの、取り返す必要はなくなった。

 なぜならそれよりも大事な事を知れたからだ。

 ジャンプは、肩を回しながらケースの前へ移動すると、それを開いて、体の赴くままに構え、弾き始めた。

 悲しい旋律が教会の中に響く。ひたすら、ひたすらに重く暗く、聞く者の心を沈ませる音色。

 ただ一人の観客である少女は、落ち行く中で、やめて、やめてと声なき嘆願を繰り返していた。

 聞きたくない。悲しい。そんな気持ちでいっぱいになる。

 やがて曲が終わり、余韻を残してバイオリンを下ろしたジャンプが、目を開ける。翡翠色の瞳が怪しく輝く。

 

「星夜ちゃん!」

 

 ドカンと扉を開いて、ドライブ・タイプスピードが飛び込んできた。空中に縫い止められる少女と、バイオリンと弓を手に佇む少女を見比べて、すぐさま落ち行く方へ走り寄り、抱き止める。シフトカーの力が伝播し、普通に動けるようになった少女は、一番にドライブの体に縋りついた。装甲越しにきつく、されど弱々しく腕を回してくる少女の頭を撫でたドライブは、ベルトの留め具からオレンジの車体のシフトフレアを引き抜いて握らせると、脇の下に手を入れて持ち上げた。できるだけジャンプから離れて下ろし、敵と向き合う。ジャンプも、ゆっくりと振り返って、ドライブを見上げた。

 

――遅かったな、仮面ライダー。

「……?」

 

 ぱくぱくと口を開閉させ、邪悪っぽい悪戯な笑みを浮かべて見せるジャンプに、ドライブは小首を傾げた。

 

――……。

 

 小さな体が幾何学模様に包まれ、成人男性よりも大きい体へ変わる。

 

『遅かったな、仮面ライダー』

「ああ、不覚だった。だがもう、星夜ちゃんには指一本触れさせないぞ」

 

 仕切り直すジャンプに、ドライブが悔しげに答える。すると、敵はくつくつと声を漏らし、肩を震わせた。

 

「何がおかしい!」

『ふっふっふ。俺は「遅かったな」……と言ったのだ』

「なんだと?」

 

 言葉の意味が一瞬理解できず聞き返すドライブ。ベルトさんはすぐに気付いたようで、『まさか!』と驚く声を上げた。

 

『そのまさかだ!』

 

 ばっと両腕を広げたジャンプロイミュードの胸部、プレートに描かれた『---』の記号が黄色い光となって浮かび上がる。再三、同色の幾何学模様に包まれたジャンプロイミュードは、大きく姿を変貌させていた。

 禍々しい兎……一言でいうなら、そうだった。

 人の心や何かを写し取った姿ではなく、動物モチーフ。ごつごつとした頭と顔の輪郭に、真っ赤な瞳は宝石のようでいて粒のように小さく、垂れた両の兎耳は頬と癒着して、流れ落ちる涙のようだった。剥き出しの歯はずらっと並び、頬を割くように歪んでいる。歓喜の表情。まるで常に喜んでいるかのようだ。

 肩には小動物の腕のようなとげがついている。胸部のプレートに描かれた数字は、変わらず『---』。ボディは鈍色。体は細い。

 進化態のジャンプロイミュードだった。

 

『やはり鍵は、人間の心のようだったな。では融合進化態とはなんだ? どうすればなれる? 人間の心をもっと理解すれば良いのか? ……人間を取り込めば良いのか?』

「……!」

 

 バイオリンを落とし、歩み寄るジャンプの言葉は、正解だった。

 特殊なバイラルコアをもちい、シンパシーを感じた人間に自分ごと取り込ませる事で至れる一つ上の段階。

 そんなものにならせる訳にはいかない。こいつが今もっとも選びそうなのは、記憶や感情までコピーした少女に他ならないのだから。

 

「そうはさせるか!」

『ターイヤコウカーン! ジャスティスハンター!』

 

 シフトスピードを、パトカーを模したシフトハンターに入れ替えれば、射出されたスピードタイヤがジャンプにぶつかっていく。腕で防ぎながらも怯んで後退するジャンプの前で、ドライブの胸部に飛来したタイヤが嵌まった。衝撃で体を僅かに揺らすドライブ。同時にタイヤから具現化した円形のタイヤ・ジャスティスケージを手にする。円盤を閉じ込めるようにある格子状の鉄棒は常に振動を繰り返し、敵のあらゆる打撃攻撃を無効化する力を持つ、ハンターの専用武器だ。

 

『ヒッサーツ! フルスロットォール! ハンター!』

 

 イグニッションキーを捻り、シフトブレス横の赤いボタンを押し込む。コールに合わせてジャスティスケージを放り投げれば、エネルギー体となってジャンプの頭上へ向かった。

 回転しながら大きく広がって長い鉄の棒を無茶苦茶に吐き出していく。

 あっという間に、ロイミュードを捕まえる鉄の檻が完成した。

 

『なんだこれは……ぐわっ!』

 

 鉄棒に触れたジャンプが、流れる高圧電流に弾かれて倒れ込んだ。

 

「はああっ!」

 

 よろよろと起き上がる敵へ向けて、拳を振り上げて突っ込んでいくドライブ。

 檻ごとジャンプを殴り飛ばし、鉄の棒と破壊した壁の瓦礫を飛散させて教会の外へ飛び出す。

 外ではロイミュードと交戦する剛が、すぐそこまでやってきていた。

 

「進兄さん! くそっ、こいつらいきなり強くなりやがって!」

「気をつけろ、剛!」

 

 意外にもマッハが苦戦している。二体のロイミュードの攻撃を凌ぎ、殴り返すも、今度は吹き飛ばせない。反対に攻撃を受けて地面を転がっている。

 奴らの強化と、ジャンプロイミュードが進化した事とは何か関係がありそうだ。

 と、その時、遠方からサイレンの音が鳴り響いてきた。

 道の先から一台のパトカーが走ってきて、ブレーキ。砂を巻き起こし、滑りながら横になって止まる。

 ドアを開けて出てきたのは、チェイスだった。

 

「チェイス! ……お前その車、どうしたんだ?」

「進ノ介、力を貸すぞ」

 

 ドライブの言葉を意図的か無意識にか無視した彼の腰には、マッハドライバーの改良型、マッハドライバー炎が巻かれている。

 

『シグナルバイク!』

 

 前部を持ち上げ、黒いバイクのシグナルチャエイサーを装填。ガシャンと下ろして――。

 

「変身」

『ライダー! チェイサー!』

 

 銀色の仮面ライダーチェイサーに変身する。

 

『シンゴウアックス!』

 

 遠方から飛来した、信号を模した斧、シンゴウアックスを手にしたチェイサーが、それを振り回し、敵に突撃する。

 立ち上がったマッハは、苛々した様子で拳を握り込むと、シフトデットヒートを取り出した。

 

「ああもう! 巻いていくぜ!」

『シグナルバイク・シフトカー!』

 

 シフトカーとシグナルバイクが一体となった、驚異的なパワーを誇る変身用シフトカーをシグナルマッハと入れ替えて、レバーを倒す。

 

『ライダー! デッドヒィート!』

「うおおおお!!」

『バースト! キュウニ・デッドヒィート!』

 

 赤と白の装甲、そしてドライブと同じタイヤ。マッハの強化フォーム。

 ベルト上部のボタンを拳で何回も叩く事で、シフトデッドヒートの力を限界まで引き出す。

 胸部のタイヤが熱を発しつつ高速回転。余剰エネルギーが熱波となって周囲に撒き散らされ、やがて、マッハはさらにもう一段階上の姿へ変わった。基本的な姿に違いはないが、デッドヒートの姿を高出力で、かつ安定して使えるのだ。

 

「オオオ!」

 

 気合いの声とともにシンゴウアックスを振り回し、二体のロイミュードを退けるチェイサー。だが奴らは強くなったと同時、耐久値も大幅に増したのか、胸に傷をつけながらも倒れまではしない。

 

「一気に決めるぞ!」

「仕切んじゃねーよ!」

 

 横に来たマッハへ、地面にシンゴウアックスを突き刺し、敵から目を逸らさないまま言うチェイサーに、憤慨するマッハ。

 二人は同時にドライバーの上部を持ち上げて開き、ボタンを押し込んだ。

 

『ヒッサツ! フルスロットル!』

『ヒッサツ! フルスロットル!』

『チェイサー!』

『デッドヒィート!』

「はっ!」

「オオッ!」

 

 両足を揃え、一緒に跳び上がるチェイサーとマッハ。

 マッハは空中でぐるぐると三回転ほどすると、そうしてできた炎のタイヤの中で飛び蹴りの体勢を取り、同じく紫のエネルギーを纏ったチェイサーと共に急降下キックを放った。

 

『――――!』

 

 胸部を蹴りつけられた二体のロイミュードは、声を上げる間もなく爆散。逃げ延びようとした『---』のコア二つも、紫電を散らした後に砕け散った。

 地面を擦って止まるチェイサーとマッハ。マッハは機嫌良く決めポーズをした。

 

「ジャンプ! 俺達も勝負だ!」

『貴様の相手をしている暇はない!』

 

 進化態となって余裕ができたのか、空間跳躍をしようとするジャンプ。腕を振り、力む動作はわかりやすいくらいに能力の予兆を表している。

 それを悠長に待つドライブではない。

 

『スピ・スピ・スピード!』

 

 素早く入れ替えたシフトスピードでタイヤコウカンを行いつつ、同時進行でシフトアップ操作。急加速でジャンプへ接近し、拳を叩きつけて空間跳躍(ジャンプ)を中断させる。

 

『ぐぐ、無駄だ! 俺は何度だって跳ぶ! そしてあの小娘を頂くぞ!』

「やらせるか!」

『ヒッサーツ!』

 

 イグニッションキーを捻り、シフトブレスのボタンを乱暴に押し込む。

 これ以上少女を怖がらせない。手出しはさせない。その想いを込めて、シフトブレスに手をかける。

 

「スピードMAXだ!」

「守ってみせる!」

「ぶっ倒す!」

 

 両隣りに並んだチェイサーとマッハも呼応し、それぞれ必殺技を放つ前動作に入る。

 

『ヒッサツ! マッテローヨ!』

 

 シンゴウアックスの長い柄の下部についたボタンを押し込めば、斧の部分、刃の内側の信号機の赤が灯った。

 

『ゼンリン!』

『ヒッサツ! フルスロットル!』

 

 白い銃に大きな車輪がついた、ゼンリンシューターを取り出した剛が、ベルトのボタンを拳で叩き押し、車輪に手をかけて勢い良く回転させて走り出す。

 

「うおおーっ!!」

『ぐあああ!』

 

 赤い炎の一閃。ゼンリンシューターをジャンプの体へと振り抜き、エネルギーと熱波を撒き散らして駆け抜ける。

 

『イッテイーヨ! フルスロットル!』

「ハァッ!!」

 

 信号機が青に変わり、横断用のパッポー、パッポーという音が軽快に鳴り響く。

 斧を大上段に持ち上げたチェイサーが渾身の力で振り下ろせば、空中に曲線を描いて描かれた横断歩道に沿って、紫のエネルギーの刃が閃いた。

 

『ぐお、おおおお!!』

『フルスロットォル! スピード!』

「おりゃあーっ!!」

 

 よろめくジャンプへ向けて、高く高く跳び上がったドライブの必殺技、スピードロップが炸裂する。

 胸に蹴りを受け、火花を散らして吹き飛ぶジャンプ。身を捻って逃れようとした影響か、斜めに吹き飛んでいく。

 店の一階部分のガラスを突き破って中へ飛び込んでいったジャンプを見送りつつ、着地するドライブ。

 

「イエッス! やったね、進兄さん」

「これくらい当然だ」

「お前にゃ聞いてねぇって」

 

 ドライブの肩に腕をかけてもたれかかるマッハに、チェイサーが答える。

 

「まだ気を抜くな。倒せたか確認しに行くぞ」

 

 二人を戒めつつ、マッハの腕を振り払うドライブ。

 三人は、変身したまま、窓を破壊してしまった店……ゲームセンターへと足を踏み入れた。

 店内に散らばるガラスの欠片。多くのアーケードゲームの筺体。プリクラ、クレーンゲーム、ホッケー……。

 賑やかな店内はまだまだ新しく、なぜ今ここが寂れ、誰もいないのかが気にかかると、不気味だった。

 

「進兄さん、あそこ!」

 

 店内を見回す他の二人に、マッハが声をかける。店の奥まったスペースに、真新しい筺体があった。

 そこにもたれかかるのが、瀕死のジャンプだ。

 体から電気を散らし。大きく体を上下させ、よろめいている。

 こちらに気付いたジャンプは、なんとか立ち上がると、しかし何も言わずに苦しげにしていた。

 

「あいつまだ!」

「待て、進ノ介」

 

 とどめを刺しに行こうとするドライブを制し、一歩、前に出るチェイサー。

 

「ナンバーなし。貴様は『死神』という言葉に聞き覚えはあるか?」

『……死、神。聞いた事があるぞ。裏切り者のロイミュードを抹殺する、仲間殺し。お前がそうなのか?』

「そうか。……進ノ介」

「ああ」

 

 もう聞きたい事は聞き終えた、とドライブを促すチェイサー。

 奴は、死神という言葉に、頓珍漢な反応を返した。

 かつて死神として活動していた魔進チェイサーの事を知らず、現在死神役をしている改造されたロイミュードの事を知らず、それらを束ねるメディックの存在を知らない。

 つまり奴は、今主に活動しているロイミュードたちのボス的存在と接触を持っていないという事になる。

 それが虚偽の情報でなければ、だが……瀕死の状態で、そうそう嘘をつく演技はできないだろう。

 これだけ情報が出揃えば、奴の出自を調べる事は難しくない。

 よって、もう倒しても問題ない。

 

「とどめだ!」

『む、ぐ、うおお!』

 

 とどめを刺そうとドライブが走り始めたその瞬間、がばっと筺体に抱き付いたジャンプが、体を光らせ、収縮させて、筺体の画面へと吸い込まれて行った。

 

「なっ、ネットの世界に逃げ込んだのか!?」

『オンラインゲームというやつかね!?』

 

 慌てて筺体に駆け寄り、ためつすがめつ見回す。

 だがどうしようもないとわかると、変身を解除して、筺体にもたれかかった。

 

「いや、それはない」

 

 同じく変身解除したチェイスと剛も歩み寄ってくる。

 チェイスは、何事もないとでもいうように、そう言い切った。

 

「どういう事だ?」

「進兄さん、よく画面を見てみなよ。『オフライン』って書いてあるだろ?」

「……あー」

 

 光る画面には数人の少女達とタイトルが描き出され、左下の端っこに、『オンライン×』『オフライン○』と点灯している。

 

『では奴は、いったいどこに……』

「ネットに逃げ込んだんじゃなければ、奴の能力で別の場所に?」

 

 はっとした進ノ介は、急いで二人を促した。

 

「剛、チェイス。星夜ちゃんのところに戻るぞ!」

「オーケーオーケー!」

「了解した」

 

 もしかしたら、奴は少女の下へ空間跳躍したのかもしれない。

 とにかく彼女が心配な進ノ介は、二人を伴って急いで教会に向かった。

 

 

 教会では、少女が重加速から解き放たれ、バイオリンのケースを抱いてじっと座っていた。

 進ノ介達が姿を表すと、立ち上がって、進ノ介に飛び付き、抱き付いた。

 

「……! ……!」

「怖かったな。もう大丈夫だ」

 

 涙を浮かべて何事かを訴えるように、ひゅうひゅうと声を絞り出す少女の頭を抱え、優しく撫でてやる進ノ介。

 少女の身柄は確保した。後は、守り通すだけだ。

 奴の目的はこの少女なのだから、向こうから姿を現すだろう。

 決着はその時だ。

 瞳の奥で炎を燃やしながら、進ノ介は改めて、少女を守り通すと誓った。

 

 

「えー、じゃあ私の解析は無駄になったって事ー!?」

「あー、あのー。はい」

 

 ドライブピットに戻ってきた四人が最初に相手をしなければならなかったのは、急いでサファイアの解析を進めていたりんなだった。

 ぷんすこしながら席に戻った彼女がブローチを差し出し、受け取った進ノ介が少女に手渡す。いそいそと胸につける少女を眺めつつ、何か分かった事はありましたか、と問えば、「高純度のコア・ドライビアが内包されていたわ」と答えた。

 

『それはいったい?』

「さあ。データ上では、宝石の中で自己増殖して進化したみたいだった。ただ、他とは違った進化の仕方ね。そう、名づけるなら、これはコア・ドライビア-Sと言ったところね。新型」

 

 エス、に反応して、小首を傾げて自分を指差す少女。コア・ドライビア-星夜(S)ではなく、-サファイア(S)であるのだが、りんなは気に入ったようで、それにしましょう、と名前を決定した。

 

「……ところで、そちらの女性は?」

 

 進ノ介は、自分の足に抱き付いてくる少女の相手をしつつ、りんなの作業机の傍に立って資料に目を通している、スーツ姿の女性についてりんなに問いかけた。

 

「彼女は、細胞生物学と遺伝学、それから近未来エネルギー学を主に扱う、三原真博士よ」

「よろしく」

 

 資料から目を上げた女性が短く言って、目礼する。長い黒髪がさらりと揺れた。

 彼女は、腰まで届く髪を一つ縛りにして垂らしている、スレンダーな女性だ。目は鋭く、しかし理知的で優しげな目をしている。

 

『君が三原真君か、話には聞いているよ』

「お会いできて光栄です」

 

 今度はしっかりとお辞儀をする女性……真に、台の上に置かれたベルトさんは満足げに笑った。

 その彼女がなぜここに入り込んでいるのかといえば、りんなの応援に来たらしい。

 サファイアが普通じゃないとわかって解析が難しくなった際、一人じゃ時間がかかりそうだという事で、彼女が昔の縁を頼って急遽応援に呼んだのだ。真は快く受け取ってくれた。

 

「それで、ジャンプが逃げた先についての話でしたよね」

「ああ。奴はおそらく、どこかで体を直そうとしているんだろうが……その場所が特定できれば、こっちから打って出られる」

 

 霧子の問いかけに、進ノ介は頷いて、ベンチに座った。少女がじゃれ付きながら膝の上に収まり、ちょこんと座ると、我が物顔でケースを抱き締める。

 

「なんか、随分懐かれてますね、泊さん」

「ああ、そうらしいな」

「その子にとって、進兄さんはヒーローだからな」

 

 怖い思いをしたところに幾度となく助けに入った男。そりゃあ心を開きもする。

 まだ他の人間には警戒心を抱いているようだが、進ノ介の近くにいる限りはにこにこしているので、そっとしておいても大丈夫だろう。

 

「私は、そのゲームの筺体ってのが気になるなー」

「ゲーム?」

『うーむ。進化態となった奴の能力が、その名の通り進化していたのだとしたら……死力を振り絞り、最後に目にした場所へ逃げ込んでもおかしくはない』

「つっても、あれがなんのゲームだったかなんて覚えてないぞ」

 

 うんうん唸って思い出そうとする進ノ介の前に、数枚の写真が突き出された。剛だ。

 

「こんな事もあろうかと、数枚撮っといたぜ」

「おお、助かる!」

 

 さっそくみんなで集まって写真を眺める。

 ゲームの名前は、『艦これアーケード』。写っている少女達は、かつての戦争で実際に動いた戦艦たちの現身(うつしみ)らしい。

 

「あー……本当にここに逃げ込んだと思うか?」

『私はかなり可能性が高いと思っている』

「……なんで?」

 

 美少女がずらずらっと並ぶ絵面は、あの時は気にかけなかったが、よく見ると結構恥ずかしいものだ。

 そんな場所へロイミュードを取り逃がしたとなれば、まあ……危険な事には変わりないだろうが、なんというか、微妙な心境だった。

 

『だが、君も見ただろう。奴がオフラインの筺体の中に入り込んでいくのを』

「そりゃ、見たけどさ。……あーもう、わかったよ。あいつはこの世界に行った! で、どうするんだ? どうやって追う」

 

 観念して現実を受け入れた進ノ介だが、問題はそこだ。

 

「平行世界や多次元の存在っていうのは結構唱えられてるし、証明もされてる。逃げ込まれてもおかしくはないけど、でも実際行くとなったら、かなりのエネルギーが必要なのよねー」

 

 りんなが困ったように言う。

 たしかに、ベルトさんもそう言っていたし、実際、エネルギーが多くなかった下級ロイミュードの時のジャンプはせいぜいが数百メートルを移動するだけだった。

 それが何キロ何十キロを跳び越して、別の世界へともなると、途方もない力が必要になるだろう。

 

「と・こ・ろ・が! 私達にはそれを可能とする技術があるのよね」

「ドライブシステムか」

「そう。ドライブとマッハとチェイサーの力を合わせれば、あと一歩のあたりまでは溜まると思うのよねー」

「俺? って、あと一歩、じゃ駄目なんじゃ」

「他に、当てがあるのか?」

 

 自分達の変身するライダーの名前を呼ばれて、剛とチェイスが反応する。

 

「星夜ちゃんがブローチを貸してくれたら、コア・ドライビア-Sの力も足せて、きっと条件を満たせると思うんだけどなー」

 

 今度は少女が反応した。

 不思議そうに進ノ介を見上げると、目が合って、少しして。

 やがて理解した風に頷くと、ブローチを外して、進ノ介に押し付けた。

 

「いいのか? これは大切な物なんじゃ」

 

 ふるふると首を振る少女。

 それはもう、そこまで大切な物ではなくなったらしい。きっと、代わりの何かを手に入れたのだろう。

 進ノ介の体に頭を預けて、満足気に目を閉じる彼女の姿を見れば、それが何かは一目瞭然なのだが。

 

「ちょうどここにエネルギー学の専門家もいる訳だし、ちゃちゃっとやっちゃいますか!」

「よし。ゆっくりしてる暇はないよな。今こうしている間にも、この筺体の向こうの世界で奴に苦しめられている人達がいるかもしれない。……行こう!」

「このゲームの世界には、カンムスっていうチョー強い女の子がいるみたいだから、結構大丈夫そうだけどな」

「何言ってるんだ、剛。こんな女の子達にだけ戦わせる訳にはいかないだろ」

 

 写真を手にして言う進ノ介に、剛は両手を上げてお手上げのポーズをとりつつも、同意するように頷いた。

 それから、ついっと霧子の方を見る。

 

「……なんですか? もう、行くなら速く行ってください」

 

 憤慨したように、進ノ介の肩を押す霧子。

 好きでこうやって戦っているのに、自分をそのカンムス達に重ねて見られるのは少し嫌だったのだ。

 

 さっそく準備が執り行われ、翌日。

 ドライブピットに、艦これアーケードがやってきた。

 世界移動には対象となる物体が必要になるとわかったのだけど、さすがにあのゲームセンターの筺体を使う訳にはいかないので、短期でレンタルしたのだ。なかなかのお値段であった。経費では落ちない。進ノ介の財布が悲鳴を上げる前に、真が力を貸してくれた。

 

 ぴかぴか光って音楽と女の子の声を定期的に鳴らせるゲーム機が、シャッターの開いた通路の遠くの方に置かれている。

 トライドロンに繋がるコードを制御する機械には、白いバイクと紫のバイク、ライドマッハーとライドチェイサーが繋がれていた。アクセルを踏んでも動き出さないよう、装置に乗せられて少し浮かされている。

 二人は変身済みで、それぞれのバイクに跨っていた。

 後は進ノ介がドライブに変身し、トライドロンに乗り込むだけなのだが、ここで一つ事件が発生した。

 

「……!」

「駄目だって、星夜ちゃん。降りなさい!」

 

 進ノ介が遠くへ旅立つと知った少女が、トライドロンの助手席にかじりついて離れなくなってしまったのだ。

 文字通りシートに噛みついて離れるのを拒否するので、力づくで引き剥がす訳にもいかないし、シートが唾液に濡れていくのを泣きながら見るしかないのだった。

 

「どうするんですか、泊さん。泊さんが言っても聞かないっていうのは、なかなか問題ですよ」

「そうだよなあ。ほんと、どうしよ」

 

 少女の頑固さはなかなかのものだ。言葉だけじゃ動く気配がない。

 アイスにも遊園地にも釣られない。彼女の手からバイオリンのケースを奪っても、一瞬とても悲しそうな顔をしただけで、離れなかった。

 それぞれが思っていた以上に進ノ介に懐いているようだ。

 

「どうしたんだい?」

 

 みんなが相談していると、ドライブピットの出入り口の扉が開き、真がやってきた。

 彼女が来たという事は、本当の本当に最後の調整が終わって、もういつでも出発できる状態になったという事なのだけど、少女があれでは、いつまでたってもトライドロンを出す事はできないだろう。

 

「ああ、私に任せなさい」

 

 それを話せば、一つ頷いた真が助手席の方へと歩いて行った。

 ほとんど面識のない真では、どうやったって引き剥がす事はできないだろう。そう思われる中で、少女にキッと睨みつけられた真は、そっとその耳元に口を寄せると、ぼそぼそと囁いた。

 少女が、シートから離れた。ぽかんとした顔をしている。

 それから、びくっと肩を跳ねさせると、きょろきょろと辺りを見回して、ぱくぱくと口を動かした。

 何かを言っているようだが、言葉を話せない彼女からは何も読み取れない。ただ、真に驚くような事を吹き込まれたらしいと言う事だけはわかった。

 

「あの、なんて言ったんですか?」

「秘密さ。彼女と私だけのね。さ、乗りなさい」

 

 ぴょんと飛び降りた少女が、真に手を引かれて離れていく。

 さっきまでは死んでも離さないという気迫を漂わせていたのに、今は笑顔で進ノ介に手を振っている。

 なんとも奇妙だが、子供というのは気紛れなのだ。そう自分を納得させて、進ノ介は、ドライブに変身した。

 

「さあ、始めるわよ!」

「いつでもどうぞ!」

「準備はできている」

 

 りんなの号令に、マッハとチェイサーが答える。

 ドライブも、ハンドルをしっかりと握り、アクセルに足を置いて、いつでも発進できる状態にした。

 エンジンをふかせるけたたましい音が室内に響く。ライドマッハーとライドチェイサーの車輪が猛回転をし、それぞれのドライバーを通じて膨大なエネルギーを吐き出し、コードに流し込んでいく。注ぎ込まれたトライドロンが白と紫の光を纏い、漂わせる。

 

「今よ!」

 

 声に押され、ドライブがアクセルを踏み抜いた。

 一気に時速560㎞の超スピードへ突入し、眩いトンネル空間を経由して、筺体へ迫る。

 その車体が筺体に突き刺さった、その瞬間。

 

 トライドロンは、何もない海上に飛び出していた。

 

「え、ええーーっ!!」

 

 水平線まで、ドライブの悲鳴がこだまする。

 きらめく海が、どこまでも声を響かせていた。




TIPS

・High Speed Love
朝潮に恋した誰かさんの挿入歌。
God speed loveではない。

・あらすじのカブト
挿入歌の題名が似ていたのでつい。
これ格好良い。

・細胞生物学や遺伝学の博士、真
かつての世界での実験の延長線

・近未来エネルギー学
非科学的とされるエネルギーや可視化光線などを含めて研究されている。
解明すると言うより、実用化していくのが目的。

・「巻いていくぜ!」
執筆時間的な意味で。
結局間に合わなかった。がっくし。

・「速く行ってください」
執筆時間的な(以下略)。

・シートに噛り付いて離さない
時間稼ぎやめて、ほんとやめて。

・ジャスティスハンター
このロリコンめ!


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6.接近メロディ・君の名はケイちゃん

10までには終わるかな。たぶん。



・ドライブ
ジャンプロイミュードを追って別の世界へとやってきたドライブ。
しかしそこは、なんと海の上だった。

・艦これ
流れ着いた軽巡棲鬼を陸に引き揚げた那珂には、何か考えがある様子。
彼女を明石の工廠に連れて行こうなんて言い出すものだから、
吹雪は「どうしよう」と困ってしまった。


『ナイスドライブ』

 

 テレテレ、プ、プ、プ。

 軽快なクラクション音とともにベルトさんが陽気な声を出すと、変身を解除したばかりの進ノ介は、がくっときて、腰に巻いたベルトさんを見下ろした。

 

「ベルトさん……」

『すまない、ついいつもの調子で……おほん、おほん』

「しっかりしてくれよな」

 

 進ノ介は、後ろ頭に手を当てて掻くと、この薄暗く広い謎の施設を見回した。壁際にはいくつものへんてこな機械が並んでいて、振り返れば、浅い海水がトンネルの奥までずぅっと続いていた。

 遠くに見える白い光は、トライドロンで入ってきた場所だ。

 

 次元移動装置の完成と同時に、マッハとチェイサー、そしてコア・ドライビア-Sの後押しを得て別の世界へやってきた進ノ介だったが、最初に目に入ったのは青い海に水平線。どこぞの海のど真ん中だった。

 そういえばどこに出現するかなどの説明はなかったな、なんて頭の中の冷静な部分で考えつつ、とにかく水没してしまわないようにトライドロンを走らせ、その速度を活かして海の上を走ったのだ。

 波に何度もバウンドし、車体が上下に揺れるのは、たとえ仮面ライダードライブに変身している状態なのだとしても生きた心地がしなかった。

 そこへ見えてきた、水中トンネルへの道。藁にも(すが)る思いで滑り込んだ先は、近未来的な謎施設に繋がっていたのだ。

 床の上に出て、トライドロンを停車し、降り立った進ノ介は、胸を撫で下ろして安堵した。良かった、生きてる。ちゃんと地面がある。

 そうして気持ちを整えてから、変身を解除し、この場の探索に乗り出したのだ。

 

「この世界って、未来……なのか?」

『調べた限りでは、時代についての記述はなかったね。だが、登場する機械や名称を考慮すれば、私達が生きていた時代とそう変わりはないはずだ』

 

 数歩歩けばカツカツと靴の音が響き渡る。懐から取り出した小さな懐中電灯を逆手に持って顔の高さで固定し、前方を照らしつつ探索を続けた進ノ介は、部屋の隅に奥への通路を見つけて、警戒しながら進んだ。

 何メートルか行った先にあったのは、鉄扉だけだった。

 冷たいノブを握り、ゆっくりと開く。もし何か現れても、すぐさま拳銃を握れるよう心構えをしつつ、さらに変身できるよう気構えして、扉に肩を当て、一気に押し開けた。

 

「……!」

 

 かぁっと照りつける太陽に、思わず腕で顔を庇う。

 外だ。空に遮る物のない、外。

 急な明暗の変化に、ようやく目が慣れてきた進ノ介は、周囲を見回して、おお、と声を漏らした。

 そこはまるで、特撮のセットのようなミニチュアの模型がずらっと並んだ空間だった。

 遠くにある高い塀の壁に沿うように、小さな街が広がっている。

 

「どこかの私有地に入っちゃったかな」

 

 だとしたら少しマズイなと思いつつ歩き始めた進ノ介だったが、異常に気付いたのはすぐだった。

 この模型の街……作り物にしては、やけに生活感がある。

 そこかしこの家の煙突からは煙が上り、どこかの家の塀の中には人形用なのか、服が干されていて、そしてずっと、何かが動く音や稼働する音が絶えず聞こえてきている。

 

『何かがおかしい……。! 進ノ介、気をつけるんだ!』

「どうしたベルトさん!」

 

 ベルトさんが警戒を促すのに、すぐさまシフトスピードを手にして周囲を睨みつける進ノ介。

 

『そこかしこに動体反応がある。それも、とても低い位置だ』

「低い位置……?」

 

 足下を見て、それから、身を屈めて、街の中を見渡す進ノ介。

 だがそうしてみても、なんの姿も見つける事はできなかった。

 

『むむ……不可視のエネルギー体……これはいったい』

「ベルトさんにもちゃんと見えてる訳じゃないのか。ドライブに変身しても、見えないものが見えるようにはならなそうだな」

 

 不気味だが、今のところ実害はない。

 ゆっくりと歩き出してみても、ただ、そのエネルギー体達は、今進ノ介が歩いている道の端に集まってくるだけで、それ以上近付いて来ようとはしなかった。

 

『向こうに扉がある。とにかく今は、ここを抜けよう』

「ああ。こっからじゃ外の様子はわからないが……人がいるのなら、話が聞けるだろうしな」

 

 本当に人がいれば良いのだが……そう願わずにはいられず、進ノ介は緊張した面持ちで、遠くに見える扉へと向かって進んで行った。

 

 

「あのっ、あの、ほ、本当に、その、報告に行かなくて大丈夫なんでしょうか……?」

「……」

 

 艦娘寮の裏側、海に面した道の(ふち)で、もうすぐそこまで流れてきている軽巡棲鬼を見て、吹雪が不安げに零した。

 那珂は答えない。じっと、うつ伏せで流れてくる少女の頭を眺めて、それから、海に下りた。

 海面を歩行し、軽巡棲鬼の傍まで行くと、その体に手をかけて、ゆっくりと引き上げた。重く濡れた服をずっしりとしていて、元々青白い肌は、より生気を無くしている。頬に残る水の筋は、海水か、はたまた他の何かか。

 

「ぐったりしてるけど、うん、まだ息をしてる」

「どうします? 艤装持ってきますか?」

 

 暗にとどめを刺すか問いかける吹雪に、那珂は首を振って、軽巡棲鬼の腕を自分の肩に回すと、通路の上へ戻った。

 仰向けに横たえた軽巡棲鬼は、たしかに少しだけ口を開けて、そこからヒュウヒュウと息を吸っている。緩やかに上下する胸は、布が濡れて、その形をはっきりと見せていたから、判断は容易かった。

 熱に浮かせられているように表情は辛く歪んでいて、細い黒煙の上がる下半身……足の付け根から繋がる、異形の頭のような艤装は、下から上へ、ちょうど真ん中が、バックリと割れていた。煙が出ているのは、歯が並ぶ異形の口からである。左右についた砲は見る影もなくひしゃげて黒焦げ、使い物になりそうになかった。裂傷は肉体には及んでいないが、足の付け根や、上服のお腹や脇の部分が焦げて、穴が開いている。覗いた肌には煤汚れと火傷、それから、体液だろう黒いオイルが染みついていた。

 炭の臭いと、火薬の臭いと、潮の臭いが混ざり合って、酷い有様だった。

 それでも、那珂は気にせずに彼女の頬に触れ、首筋まで滑らせてから、髪の数本が頬などに張り付いているのを指で退け、前髪を整え、砂や汚れのついてしまった長い髪を手に持つと、ふとして、軽巡棲鬼と目があった。

 

『――……』

「……なあに?」

 

 細く開いたまぶたから覗く、薄青色の瞳。アクリル板のような滑らかさと、まるで生きた感じがしない無機物的な綺麗さ。今そこには僅かな水気があり、ほの暗い青い光が、ほんの小さな、残り香のように、漏れ出していた。

 唇の動きで、声なき声が発されているのだと気づいた那珂が顔を近付ければ、喉を動かし、掠れた息を出して、彼女はなんとか言葉を紡ぎ出した。

 

『ウ、タ……』

「…………歌?」

『……キ、キ……タ……』

 

 ――――。

 最後まで言わずに目も口も閉じて、また胸を上下させるだけになってしまった軽巡棲鬼に、那珂は、顔を上げて、吹雪を見上げた。

 吹雪は、膝に拳を置いて緊張した面持ちで二人のやりとりを見守っていたが、自分に視線が向くと、わたわたと背を伸ばして、那珂と軽巡棲鬼とを何度も見た。ついに倒すのか。でも、今のが最後の言葉だと思うと、なんだかかわいそうな気もしてきてしまった。だから、()()言葉が那珂の口から出てくるのをちょっとだけ恐れた。

 

「明石ちゃんのとこに連れて行こっか」

「……! …………はい」

 

 明石の下へ行けば、艤装を手にする事ができる。

 それ以前に、彼女ならば、もうこの壊れかけの少女を、本当に壊してバラバラにしてしまえるだろう。

 吹雪はなんだか嫌な気持ちになりながらも頷いて、せめて、この気持ちに対する言い訳を作るために、軽巡棲鬼を運ぶのを進んで手伝った。

 

 

 明石の工廠には、昼時の今の時間でさえ艦娘が出入りしていなかった。現提督である藤見奈仁志が出した出撃・遠征禁止令のためである。近海にさえ現れる不気味で危険な霧を警戒しての事だった。

 そういう訳で、現在この工廠には、夜の肝試しに向けて驚かしの練習をする明石しかいないのである。

 

「あーかしちゃーん」

『はいはーい』

 

 シャッターが上がっていて、ぽっかり口をあけた大きな出入り口から声をかけると、すぐに返事が返ってきた。だが、何かおかしい。声がとてもこもっているというか、奥まって、響いているというか。そもそも彼女の声に何かしらの加工がされているみたいな不気味さで、吹雪は頭を縮込めて、得体のしれない不快感をやり過ごした。

 しばらくすると、でんと置かれた軽トラックの陰から、にょきっと黒い頭が生えた。駆逐イ級に似た、異形の頭だった。

 青く光る双眸に、鋭利な歯が並ぶ口。続いて体が現れると、薄黒い筋肉質な肉体が広がっていて、なんというか、化け物だった。

 

『お待たせしましたー。那珂ちゃん? どうし……どうしたの!?』

「ちょっと拾ったの。どう?」

 

 ガッショガッショと歩いてきたマッチョな化け物の背から、ひょこりと明石が顔を覗かせて、それぞれを視認するとすっとんきょうな声を上げた。軽巡棲鬼の足を支えていた吹雪は、どっちも『どうしたの!?』だよ、と思った。

 

「この子治したいんだけど、どうすれば良いかなぁ」

「え、倒すんじゃないんですか?」

 

 さらっとさっきとは正反対の事を言う那珂に、吹雪はびっくりして彼女を見上げた。やだなぁ、そんな人聞きの悪い事言わないでよ。ぷりぷり怒りながら、軽巡棲鬼の体を抱え直す那珂。振動が伝わると、軽巡棲鬼は苦しげに呻いて、身を震わせた。

 

「直すの? ええっと、そりゃ、たぶん、直せるとは思うけど……直すの?」

「うん、そう。入渠させるとなると記録残っちゃうし、明石ちゃんならどうにかできるんじゃないかって思って」

 

 化け物から下りた明石は、那珂と話しながら軽巡棲鬼を覗き込むと、上から下まで眺め回した。傷のある辺りの布を引いて損傷具合を調べたりしてから、那珂に目を合わせる。

 

「その言い方だと、提督の知る所ではないみたいね。これがなんなのか、直したい理由がなんなのかがわからない限り、私の方でできる事は何もありません」

「この子は行き倒れで、那珂ちゃんの歌を聞きたいっていうから、聞かせてあげたいの」

 

 きっぱり言い切る明石に、那珂は少しも怯む事なく理由を話した。

 軽巡棲鬼は、たしかに歌を聞きたい、というような内容を話していた。ひょっとしたら、那珂と吹雪がいたあの場所に流れてきたのも、練習する歌が聞こえていたからなのかもしれないが、それだけで敵を甦らせようと言うのだから、那珂という軽巡は非常識で、懐が深かった。

 そういえばこの人は、着任してから最短で改二まで改造され、戦果を挙げた凄い人なんだったっけ、と吹雪は思い出した。一緒にいるとその陽気さと元気さに忘れてしまうけど、戦闘では重巡だって構わず放り投げてしまう豪快な戦い方をするのだ。経歴も普通と違えば、その考え方だって、普通とは違うのかもしれない。

 

「水でもかぶせれば起きると思うから、歌ならその時に聞かせてあげれば?」

「ちゃんとした状態で聞いてもらいたいの。那珂ちゃんの歌を聞いて、苦しいとか痛いって思われるの、すっごく嫌だよ」

 

 難しい顔をして渋る明石を説得しようと、なおも言い募る那珂。

 

「何かあっても、全部那珂ちゃんの責任にするから、ね? お願い!」

「……どうしてそこまでそれを気に掛けるの?」

 

 本当に歌だけが要因? と半眼で睨まれて、手を合わせていた那珂は、うんと頷いた。本当に、歌を聴かせたいだけ。彼女がそう願ったから。そして自分が、そう思ったから。そこに敵か味方かの垣根はない。

 

「だって、歌ってそういうものでしょ? 国も越えれば人種も越えて、空も海も陸も関係なく、どんな人や相手にだって聞かせるの」

 

 それに、実を言うと、初めて那珂ちゃん達の歌を聞いちゃった観客第一号かもしれないし。

 そう締め括って、抱えている軽巡棲鬼の顔に目を落とした那珂に、明石は呆れた風に溜め息を吐いた。

 

「私の判断でどうにかできる事じゃないと思うんだけどなぁ……」

「うーん……やっぱりそう?」

 

 そこまで言うなら力を貸してあげたいけど、でも、やっぱり、そういうのって。

 これが、傷ついた所属不明の艦娘だったり、外の人間だったりしたならまだ明石も、提督の許可を待たずに治療したりする事だってあっただろうけど、相手が深海棲艦では、気持ちは動かないし、手も出したくない。下手すれば、直した結果他の誰かを壊してしまう事になるかもしれないからでもあるし、単純に、深海棲艦をあまり好いていないからでもある。

 まあ、後ろの化け物のように、深海棲艦を模した人形を作るくらいはするのだけど。

 

「じゃあ、提督に許可貰ってくるね!」

「えっ?」

 

 笑顔でそう言った那珂は、明石が呆けるのも気にせずに吹雪に軽巡棲鬼を預けると、だだだーっと走って出て行ってしまった。軽巡棲鬼と真正面から抱き合うような形になってしまった吹雪は、生体フィールドを纏っていない体に冷たい海水が染み込んでいく感覚と、首筋にかかる生暖かい息に体が震えて、青い顔になっていた。

 

 那珂が戻ってきたのは、それから数分も経たないくらいだった。

 

「はいこれ、認可状! ちゃんと印押してあるし、話もしてきたよっ!」

「……ちょっと貸して」

 

 無駄にキラキラオーラを纏わせて、一枚の紙を差し出す那珂に疑わしげな目を向けつつ、明石は紙を受け取ってしっかりと目を通した。

 提督の直筆で、堅苦しい書き方でなく、されど急いで書いたような筆跡が短く並んでいた。

 

「……『ここにこれを認可する。必要なら入渠施設の使用も許可する』」

「ね?」

「……そこのについて何も言及されてないけど、ちゃんと助ける対象が深海棲艦だって言った?」

「もー、那珂ちゃんが信じられないかなー! このスマイルを見ても!? きゃはっ☆」

「……言ってないのね」

「がーん、無視された……」

 

 彼女の言動から、肝心な事を隠して、しかも若干、人の良い提督を騙すような形で許可を取ってきてしまった那珂に、明石は肩を落として、深い溜め息を吐いた。

 

「わかった。やるわ」

「ほんと! ありがとぉー!」

「許可があって、あなたが頼むなら、拒む理由はあんまりない……けど、約束して。直した結果、その……その子が暴れ出したなら、すぐに破壊して」

「だいじょーぶ! ね、吹雪ちゃん?」

「えっ!? えー、その、……あはは」

 

 急に話を振られて、軽巡棲鬼を落とさないよう戦々恐々としていた吹雪は、誤魔化し笑いで切り抜けた。正直全然大丈夫な気がしなかった。

 

「じゃ、さっそくお風呂に行こう!」

「あの、私もですか?」

「もちろん! ふふ、お風呂で重大な発表しちゃうから、楽しみにしててね吹雪ちゃん!」

 

 全然楽しみにできないです。

 大きな不安を抱えつつも、先輩であり師匠でありアイドル仲間である那珂の言う事を断る訳にはいかず、入渠ドックへ連行される事になった吹雪。

 

(うう、こんな事になるなら、島風ちゃんと夕立ちゃんも一緒に連れてくるべきだったかな……)

 

 明石が応急処置を施すために、グリーンゼリーを溶かしたぬるま湯に軽巡棲鬼を浸し、艤装を外しにかかるのを眺めながら、誰かを探しに行くなら一緒しようか、と言ってくれたルームメイトの姿を思い浮かべる吹雪であった。

 

 

 入渠ドックは、明石の工廠のほど近くに位置している。二階建てで、一階部分に大きな浴場があり、二階ではリラックスできる設備や、長い時間を過ごすための娯楽などがあった。

 マッサージチェアだとか、卓球台だとか、浴場で言えばジャグジーだとか、冷水風呂だとか、擬似露天風呂だとか、サウナだとか……係員や飲食できる場が併設されていたなら、きっとここは銭湯としてでもやっていけるだろう内容だった。

 

 那珂は一回り小さくなった軽巡棲鬼を背負い、吹雪を引き連れて脱衣所へやってきた。木編みの長椅子に彼女を横たえると、お団子状の髪を解いてやって、それから、仮に羽織らされていたYシャツを脱がせてやった。

 

(深海棲艦って、深海棲艦なのに、なんで、こう……)

 

 軽巡棲鬼の足の付け根は丸くなって皮膚が張っている。切断された腕や足の断面がそうなるであろうように、彼女の足もそうだった。興味を惹かれてそれを見ていた吹雪は、剥かれた軽巡棲鬼の一部分に視線を移動させると、自分と比べて、そう思った。

 胸はそこそこあって、なのに腰は細くて、全体的にすらっとして理想的な体系で。これで肌が正常な色ならば、誰が見ても美少女の完成だ。

 

「なんか、こうして見ると、この子ってどこか那珂ちゃんに似てるねぇ」

「そう、ですか? そんな事ないと思いますけど」

 

 自分も手早く服を脱いで畳みながら言う那珂に、吹雪はなんとなく否定した。実際、那珂はこんなに肌の色が悪くないし、どこか厭世(えんせい)的な顔をしてないし、こんなに胸は……。

 

「そうかなぁ。お団子髪の毛とか、服だってなんだか似てた気がするんだけどなー」

「特徴だけ見てみれば、確かに似てるかもしれませんけど……でも」

 

 口に出した事はないが、尊敬している先輩と深海棲艦を一緒にしたくなくて、否定的な声音になる吹雪に、那珂は脱いだ服を近くの洗濯機に入れながら、不思議そうな顔をした。

 

「吹雪ちゃん、脱がないの?」

「あっ、すぐ脱ぎます、すぐ!」

 

 言われて初めて、自分がただ立っているだけな事に気付いた吹雪は、さっさと服を脱ぎ去ると、那珂が使用した横の洗濯機に服や下着を放り込んで、ふたを閉めると、スイッチを押し込んだ。これで数時間もしない内に服はぴかぴかに。皺も無い綺麗な状態になるだろう。

 その間は、お風呂だ。

 

「足の方で良い?」

「はい」

 

 軽巡棲鬼の脇に手を通して持ち上げる那珂に、吹雪は頷いて、その両足を抱えた。素肌が合わさると、内側の奥の方までひんやり冷えているのがわかって、これが自分達と深海棲艦の違いなのか、それともそれくらい消耗しているのか、判断に迷った。

 浴室は、いつ入っても湯気に満ちて、どの浴槽にも湯が張られている。水道・光熱費・電気代……誰もそんな事は気にしていない。艦娘にとって、妖精のテクノロジーによる夢の大浴場は、当たり前のものなのだ。

 ずっと湯が張られているからって汚い訳でもなければ、どこかに汚れがある訳でもない。妖精万歳。洗髪剤やボディソープは、各々が持ち寄って使用するのだが、それらはコンビニエンス妖精で求める事ができる。妖精万歳。

 

「那珂ちゃんはこの子を洗っちゃうから、吹雪ちゃんは先に自分をやっちゃってね」

「わかりました。何かあったら、声をかけてくださいね」

 

 シャワーの前で、椅子に軽巡棲鬼を座らせて支えながら言う那珂に、吹雪は言われた通り、先に頭や体を洗ってしまう事にした。実を言えば、明石の工廠で軽巡棲鬼に触れた際に染みた水や臭いが気になっていたのだ。

 体に湯をかけ、慣らしてからシャワーを出して、お湯になるまで待って。

 椅子の位置を気にしつつ隣を見れば、那珂が甲斐甲斐しく軽巡棲鬼の体に緑色の泡を塗りたくり、洗っている。髪は後回しにしたのか、だけど、しっとりと湯に濡れて、体に張り付いていた。

 

 吹雪が、後ろ髪を丁寧に撫でつけてコンディショナーを髪に馴染ませ、さっと洗い流す頃には、軽巡棲鬼の方も、髪を整えられているところだった。

 長く湯を浴びたおかげが、青白い肌はほんのり赤みを帯びて、頬にも朱が浮かんでいる。苦しげだった顔は緩み、安らかな寝顔に変わっている。閉じた瞳は、水滴がかかるたびにぴくぴくと動いて、今にも開きそうだった。

 

「ふんふ、ふんふふんふ~、ふ~ふふふ~」

 

 彼女の表情の理由は、那珂の鼻歌も一因かもしれない。陽気な歌は抜群に上手く、心穏やかになる力があった。それはどうやら深海棲艦にもきくらしい。

 自然と耳を傾けていた吹雪は、那珂が砲雷撃戦で砲を唸らせる代わりにマイクを持って歌い出す姿を幻視してしまい、どうか彼女がそんな発想を持ちませんようにと祈った。きっと思いついたら絶対やる。そういう艦娘なのだ、彼女は。

 

「オニ~」

「遊んじゃかわいそうですよ」

 

 髪の毛を泡で固めて、頭頂部に二本角を作ってみせる那珂に、吹雪は笑いを堪えながら注意した。軽巡棲鬼だから鬼……。

 しかし軽巡棲鬼は、自分がおもちゃにされているなんて露知らず、すうすうと眠っている。先程ボディソープ代わりに塗られていた、原液に近い修復剤が効いてきているのだろう。体にあった傷ももう、ほとんど見る影もない。が、体を弄ばれているというのに起きる気配がないのはどうなのだろう。このままでは、彼女は完全に那珂のおもちゃになってしまう。

 吹雪は何とかしようと思って、あ、とわざとらしく声を出した。

 

「そういえば、重大な発表ってなんですか?」

「ん~? それはぁ、お風呂に浸かってから発表しまーす。じゃん、サンタさん~」

「ぷっ……や、やめたげてくださいよう」

 

 軽巡棲鬼の髪の毛を口元に集めてもさっとさせる那珂に、吹雪は決壊寸前だった。なんとか再度注意はできたが、おそらく那珂は聞いていないだろう。

 吹雪が体を洗い流すと、那珂も合わせて軽巡棲鬼の髪に湯をかけてやって、泡を落とした。

 

「体冷えちゃうとまずいし、先に湯船に浸かってて?」

「……この、人と、ですか?」

 

 はい、と押し付けられた軽巡棲鬼に、禁断の果実が当たっているのを感じながら。吹雪はおずおずと問いかけた。彼女の事をなんと言えば良いのかも、一瞬悩んだ。

 

「うん。そういえば、その子、名前がなくて呼び方に困っちゃうねぇ」

「軽巡棲鬼、でしたっけ。初めて見ましたけど……呼び方はそれで良いんじゃないですか?」

「えー、あんまりかわいくないなー。そだ、名前つけちゃおう」

 

 そんな、拾って来た猫や何かに名づけるみたいなノリで……。

 困惑する吹雪など視界に入っていない那珂は、シャワーを胸元に向けつつ、高い天井を見上げてうーんと唸った。

 

「軽巡棲鬼だから、ケイちゃん?」

「…………」

 

 安直だなあ、と思ったけれど、賢い吹雪は何も言わずにぱちぱちと手を叩いた。

 本人の知らぬところで名前が決定した瞬間であった。

 

 

 湯船に浸かって、しばらくして。

 縁にもたれかけさせた軽巡棲鬼改めケイちゃんが水没しないように注意深く見守りつつ、僅かな警戒心を抱いて、されどかわいい名前がついてしまった事で、深海棲艦だとか軽巡棲鬼だとか口にするよりも大分親近感を得てしまって、微妙な気持ちを持て余していた吹雪は、那珂がやってくるのを見てほっと息を吐いた。

 

「遅くなってごめんね~」

「いえ、気にしないでください」

 

 ちゃぽちゃぽんと音を鳴らして踏み入って、腰を下ろした那珂が、目をつぶってふへーと脱力する。

 ケイちゃんと那珂が並ぶと、今はどちらも髪を解いているから、本当にそっくりに見えた。

 

「それで、重大発表ってなんです?」

「へへー、ケイちゃんのために、初ライブ開いちゃうんだよ~」

「はあ。……えっ?」

 

 蕩けた溜め息交じりに言うもんだから、吹雪は一度聞き流して、それから、改めて那珂の顔を凝視した。

 いや、だって、最初にちゃんと歌を聞かせる相手が深海棲艦になろうとは、思いもしなかった。

 じゃなくて、そもそも、彼女……ケイちゃんが目を覚ました時、暴れ出さないとも限らないのだ。そんな計画を立てて、いざ倒さなければならなくなった時、ライブに向けて整えた心にどう言い訳をすれば良いのだろうか。

 そうやって吹雪が指摘しても、那珂は表情を変えず、薄く目を開いて吹雪に長し目を送ると、

 

「暴れたって、組み伏せてでも聞かせるよ。聞きたいって言ったのはケイちゃんだもん」

「……それって、なんだか……ひょっとして那珂ちゃんが歌いたいだけでは」

「良い練習台を見つけたなぁなんて那珂ちゃん思ってないよ!」

 

 思ってるんだ。

 ずいぶん邪なアイドルもいるもんだな、とジトッとした目で見れば、那珂は慌てて手を振ると、いやいや、と弁解した。

 

「ちゃんと、聞かせてあげたいって気持ちもあるよ! だって、ケイちゃんも歌好きだもん!」

「そんなの、わからないじゃないですか。まだ起きてないし……言葉だって、交わしてないですし」

「そんなのしなくったってわかるよ。那珂ちゃんにはわかるもん。だって……」

 

 あの時聞こえた綺麗な音色は、きっとケイちゃんの歌だったから。

 そう言われても吹雪にはぴんとこなかったのだが、那珂の言葉には妙な説得力があって、なんとなく、すとんと心に嵌まってしまった。

 だからもう、彼女に歌を聞かせるんだって事には、反対するつもりは起きなくなって、だから、ただケイちゃんが目覚めた時には、暴れださきゃいいな、と思った。



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7.結成・その胸の音楽

長くなっちゃった。



・艦これ
眠る軽巡棲鬼……ケイちゃんを体育館に運び込んだ那珂と吹雪は
初ライブの準備に取り掛かった。
マイクオッケー、ミュージックオッケー、那珂の準備も万事オッケー。
だが肝心のケイちゃんは眠ったまま。
起こしたら、暴れ出してしまうかもしれない。
その不安を抱えたまま、吹雪は、那珂がケイちゃんの肩に手を触れるのを
固唾を呑んで見守るのだった。


「明石さんも、妖精さん達も、凄く嫌な顔してましたね」

 

 風呂から上がり、明石の工廠へ戻った那珂と吹雪は、まず軽巡棲鬼……ケイちゃんの服を見繕った。色づいた肌は、しかしまだ青白く、今着ている那珂の服では配色がミスマッチだ。色に目をつぶれば似合わない事はないのだが、やはり服の明るい色と肌の色がチグハグであまり良い印象が得られない。

 最初に着ていた彼女の服を修繕できれば良いのだが、明石も、それを手伝う妖精達の誰も手を付けていなかった。あまり触れたくないものなのだろう。吹雪にもその気持ちはわかった。

 那珂は明石と妖精に服の修繕とある物の製造を頼み込むと、押し切って体育館へとやってきた。

 

「ん、大丈夫。中に人はいないみたい」

 

 扉をスライドさせて頭を突っ込み、中の様子を窺った那珂は、吹雪を手招きしながら扉を開いた。

 体育館は半ば川内型の所有物になっている。あまり使おうとする艦娘はいない。それに今は、駆逐艦はともかくそれ以上の艦種は肝試しに向けての準備で忙しくしているだろう。自分の持ち場に戻っているのは、たとえば明石だったり鳳翔だったり助秘書だったりだけだ。

 なのでこのがら空きの体育館は他の艦娘に見られないよう初ライブを行うにはうってつけという訳で、しっかり扉を閉めた那珂はステージの方へ走っていくと、パイプ椅子を二つ取り出してステージから程近い位置に置いた。

 

「さ、吹雪ちゃん、こっちこっちぃ!」

「あの、私も座るんですか?」

 

 てっきり自分も一緒になって歌うと思っていた吹雪は、椅子にケイちゃんを座らせてズレそうになる体や頭を支えてやりながら、そう問いかけた。

 

「うん。吹雪ちゃんには悪いんだけど、最初は那珂ちゃんにやらせて?」

「それは、良いですけど……」

 

 吹雪は、別に一緒に最初のライブをやれない事はそこまで気にしていない。ただケイちゃんの横に座っている事になるのがちょっと嫌だったのだ。

 なんて思いつつも隣に座って体を支えてやる辺り、吹雪も中々にお人好しというか、言うほどケイちゃんに忌避感や嫌悪感を抱いていないように見える。やはり『ケイちゃん』などという馴れ馴れしい呼称がそうさせるのだろうか。

 体の上に頭が安定して、そろそろと手を離してもかっくりなったりはしなくなり、ほっと息を吐いた吹雪は、改めて目の前に立つ那珂を見上げた。

 ライブの準備にそう時間はかからないだろう。マイクはスピーカーに繋がるし、バックミュージックは楽器や何かを用意するまでもなく録音したものを放送で流せば良いだけなのだから。

 でもいくら歌う側の準備ができたからってそれで始まりにはならない。

 観客が……このライブの目的であるケイちゃんが目覚めなければ、歌を聞かせる事はできない訳で。

 つまりそれは、今からこのすうすうと気持ちよさそうに眠っている女の子を起こさなければいけないという事になるのだ。

 いつその体が倒れるかもしれないので、吹雪はそっとケイちゃんの肩を手で押さえて支えた。さらりと流れる髪は、那珂と同じ洗髪剤のほのかな甘い香りを漂わせている。ドライヤーと櫛でよく整えられているから、さらさらで手触りも良く、手の甲に触れる髪にこそばゆさを感じながら、吹雪は『どうするのか』と那珂に目で問いかけた。

 

「じゃ、かわいそうだけど、起こしちゃおっか!」

「あっ、ま、待ってください!」

「えー、なあに、吹雪ちゃん」

 

 気負いなく笑顔で言う那珂に、吹雪は慌てて止めてしまった。そんな、まだ心の準備が……。胸に手を押し当て、ケイちゃんの横顔と那珂の顔をと順繰りに見る。

 頬を膨らませて両腰に手を当てる那珂は、本当に今すぐ起こすつもりだったらしい。もし暴れ出したらその手で彼女を壊さなければならないのだという事を忘れてるんじゃないだろうか。

 嫌だなあ、壊すの。吹雪は秘かにそう思って、深呼吸をすると、それで覚悟を決めた。どうぞ、と短く促す。ケイちゃんの肩から手を離し、椅子の端っこにお尻を寄せて体を離す。もしも時の事を考えての動きなのだが、椅子から立ってまで離れるのは彼女に失礼だ、なんてどこかで思っているために躊躇半端になってしまっている。

 

「それじゃ……ほらー、起きてー、朝だよー。那珂ちゃんだよー」

『…………』

「早く起きないと怒っちゃうぞー?」

『…………』

 

 声をかけられ、肩を揺すられてもケイちゃんは目を覚まさない。安定した寝息はされど深く、だからお風呂に入ったって起きなかったんだと今さらながらに吹雪は納得した。

 

「起きませんね……」

「んー。どうしよっか」

 

 ほっとしたのは彼女が起きなかったからか。実際暴れるのを目にしたら、多少ならずともショックを受けてしまいそうだった。一方的とはいえ、裸の付き合いをしたのだからそれも当然といえる。

 顎に指を当てて不思議そうにした那珂が、ケイちゃんの顔を上から覗き込んだ。ぐっと顔が近付くと、嫌に彼女が静かなのがわかった。

 吹雪は、なんだか嫌な予感がした。

 

『ガアッ!』

「うわぁっとぉ!?」

 

 その予感は的中した。

 がばっと身を起こしたケイちゃんがそのままの勢いで那珂に飛びかかったのだ!

 両腕を振りかざし、恐ろしくも悍ましい光を瞳にたたえて、獣の如く咆哮する。悲鳴を上げそうになった吹雪は、ぎゅうっと胸元で手を握り込んだ。

 

『フギュッ!』

 

 べしゃりとケイちゃんが床に落ちた。それも顔から。

 彼女が飛びかかった時、那珂はすでに身を引いて、軽やかに飛び退(すさ)っていたのだ。奇襲は失敗。はー、びっくりしたぁ、と額を拭う彼女の足下で、腕をついて上半身を反らしたケイちゃんが憎々しげに那珂を見上げた。鼻が赤くなっていて涙目だった。瞳から漏れる光越しに、潤んだ瞳がよく見える。

 

『――ウッ、クソ、ナンダコレハ! ウウッ!』

「あーもー、駄目だよー。足ないんだから」

 

 激しく体を捩りながら立ち上がろうとしたケイちゃんは、そのままころんと後ろに転がって、パイプ椅子の縁に後頭部をぶつけた。

 後ろ頭を両手で支えて、体を丸めてぷるぷると震える姿に、吹雪はいいようのない奇妙な感覚を覚えた。那珂が助け起こそうと屈んで手を伸ばせば、バシンと弾かれる。拍子に、揺れた体と頭がまた椅子にぶつかった。憤怒の表情を浮かべていたケイちゃんはぶつけた個所が余計痛むのに唇を引き結んで瞳に涙を溜めた。泣き顔である。そこに怖い雰囲気はなく、ただ、居た堪れない空気だけがあった。主に、吹雪周辺。

 

「困った暴れんぼさんだねぇ」

 

 那珂は叩かれた手の事など気にせず、やられた部分を手袋越しに撫でると、それから、もう一度手を伸ばした。反応したケイちゃんがキッと睨み上げて、手を振り上げる。

 

『死ネ!』

「こらっ、駄目でしょ、そんな事言ったら」

 

 バシーン! 手と手がぶつかる音。ケイちゃんの手に、那珂が合わせて手を振ったのだ。同じ力で相殺されて、空中で止まった手に自分の手を絡ませた那珂は、彼女の手首を捻ると、そのまま肘を曲げさせてケイちゃんの背へ手を押し込んだ。逃れようとしたケイちゃんは体の構造上、向かう方が限らていたために転がされて、うつ伏せになる。腕を押さえながら背に跨ってもう片方の腕を膝で縫い止めれば、拘束が完了した。

 いくらケイちゃんが呻いて暴れようと、那珂はびくともしなかった。

 

「吹雪ちゃん、何か縛る物ない?」

「ええっと、す、すぐに持ってきますね!」

 

 言われて吹雪はステージ横の準備室へ駆けだした。後ろから、『フーッ! フーッ!』と猫みたいに威嚇する声が聞こえてきたが、気にする余裕はなかった。

 大縄跳び用の綱を持ってくると、那珂は手早くケイちゃんを持ち上げて椅子に押し込み、雁字搦めに縛り上げた。

 両腕は椅子の後ろに、胸を強調するようないかがわしい縛り方で、露わになった足の断面は扇情的なのか猟奇的なのか判断に難しく、いったいなぜその縛り方にしたのかはわからなかった。

 おそらくこの縛り方は誰かに習ったものだろう、と吹雪は予想した。誰、の部分は意図的に考えないようにしておいた。

 

『ムググー! ムグー……ムガー!』

「……あの、口を塞ぐ必要って、あるのでしょうか」

 

 いっちょあがりぃー、と手を払う動作をする那珂に、見かねた吹雪が質問すると、それもそうだね、と、彼女に噛まされていた綱が緩められた。途端、大音量で喚きだす。

 ハナセだのコロセだの、そういった内容である。彼女からしてみれば憎々しい敵に捕らわれて無力化されてしまったのだから、無理もない話だ。

 

「えへっ、それじゃーいくよ!」

 

 ガッタンガッタン椅子を揺らして抗議の言葉をあげまくるケイちゃんなど気にせず、ステージへ上がった那珂がくるんと回ってスカートを広がらせ、マイク片手に決めポーズ。指でっぽうを観客席へ向けて、すっと天井へ持ち上げると、指を鳴らして、ミュージックスタート。

 

『いち、に、さん、はい――』

 

 最初は喉慣らしに持ち曲の中でも古い方を歌い始める。といっても、これも披露した事はない。

 この曲には観客の合いの手が必要不可欠だが、いつもは姉妹艦である川内や神通、それと吹雪にやってもらっていた。今日もきっと、吹雪だけ。だってケイちゃんはまだ敵意剥き出しだし、そもそも腕が縛られている。手を打つ動作はできないだろう。

 合いの手どころか歌を聞いてくれる保証だってない。全部歌い切ったって何も変わらないかもしれない。

 それでも構わない、と那珂は思った。

 歌いたいから歌うんじゃない。変えられなくても良いって思ったんじゃない。

 自分の歌で、絶対何か変えられるはずだと思いたいから歌い続けるのだ。

 一番を歌って、二番を歌って、練習通りの振り付けを練習の時以上に力強く柔らかに。

 ケイちゃんは怒っている。椅子ごと体を揺らして暴れるから、斜めになってしまっている。吹雪が合いの手をいれながら椅子を押さえてくれているが、倒れてしまいそうだった。

 

『おー、おー、おー……』

『フザケルナッ! ナンノツモリダ!』

「わ、わ、わ!」

 

 一曲終えても、ケイちゃんは歌を聞く気にはなっていないようだった。

 事前の説明もなし、そもそもお互い敵同士だ。混乱しているのかもしれないし、話が通じないのかもしれない。

 気にせず、二曲目。

 長めの前奏で始まり、体でリズムを取りながら、那珂は両手で握ったマイクを胸元に持ち上げ、じっとケイちゃんを見つめていた。

 気持ちは違えど、ケイちゃんもまた那珂に視線を注いでいる。憎悪と憤怒と訳のわからないごちゃごちゃとした感情が纏めて宿った、薄暗い綺麗な瞳に、アイドルの姿を映していた。

 

『きーづーいー――』

『ヤメローッ! ヤメロヤメロヤメロ!!』

 

 滅茶苦茶に暴れようとするケイちゃんの声が歌声を塗り潰す。どんなに声を響かせようと、それに合わせて大声を出し邪魔をした。

 顔を歪め、歯を噛みしめて悲鳴のような声をあげるケイちゃんは、まるで歌を聞いて苦しんでいるかのようだった。

 それが那珂には苦痛だった。

 自分の歌を聞いて、『嫌だ』とか『痛い』とか『苦しい』とか、そういった負の感情を抱かれるのを一番恐れていたのに、今、ケイちゃんはそうなってしまっている。

 無茶だったのだ。深海棲艦に歌を聞かせるなど。

 奴らは常に怨嗟の声を上げ、言葉は通じないし、会話も成り立たない。たまにやり取りができたとしてもそこにその場限りである以外の意味はなく、その先に繋がる要素は一つとしてなかった。

 ゆえにこの歌でもしケイちゃんを落ち着かせる事ができても、きっとまたすぐに元に戻ってしまうだろう。

 那珂は、なんとなくそうなるんじゃないかと気付いていた。気付いていて、歌い続けていた。

 三曲目。

 曲の切り替わりの僅かな時間。息を整えながら見下ろす那珂をケイちゃんは変わらず睨みつけて、何度も否定的な言葉を口にしている。

 ふと那珂は目を瞬かせた。体でリズムを取りつつケイちゃんを眺めて、あっと口を覆った。

 白手袋に包まれた手が退いた時、那珂の口はにんまりと三日月模様を描いていた。

 

『とおっ!』

『クッ、ヤルナラヤレ!』

 

 マイクで声を響かせつつステージからひとっとびでケイちゃんの前へ着地した那珂は、彼女に抱き付くようにして、腕の結び目を解きにかかった。ザリッと床を擦った椅子が吹雪の座る椅子とぶつかる。位置の修正もされたのだ。

 

『……!? ……!?』

「あのっ、な、那珂ちゃん、何を!」

「はい、これ!」

 

 那珂の肩に首を当てる形になったケイちゃんは目を白黒させて、次には、さっと離れる体と、手首の中をどっと血が流れていく感覚に呆けてしまった。

 吹雪の疑問に答えず、ケイちゃんの胸にマイクを押し付ける那珂。思わずといった様子で零れ落ちるマイクを両手で押さえたケイちゃんは、それを持ち上げると、なんのつもりだと抗議しようとして、顔を上げた時にはもう那珂はステージ上へ舞い戻っていた。歌も踊りも続けるつもりなのだ。

 前奏が終わり、曲が始まる。マイクなしでもよく通る声が耳朶を打つ。

 観客席へ半身になって、左手は腰に、右手は曲げて、顔の高さでひらひらと。足踏みで四拍子。ウインクのパフォーマンス。淡い光の星がぴこーんと飛んで、綺麗に散った。

 

『…………』

「…………」

 

 緩やかに右へ左へステップを踏み、体を揺らして踊る那珂をケイちゃんも吹雪も、黙って見上げていた。

 

 なぜマイクを渡したのだ。

 なぜマイクを渡したのだろう。

 二人は同じ事を思っていた。

 

 三曲目が終わると、新曲に入る前に再び一曲目に再突入。一際(ひときわ)盛り上げるように汗を流して歌い上げる那珂は、ステージのライトも合わさって輝いていた。

 

「みんないくよーっ、せーの!」

 

 彼女の呼びかけに応えて、後に続いてコールする部分。

 吹雪が慌てて那珂の声を繰り返し、再度那珂が促して、繰り返し。四度しかない共同作業の、その内の二つ。

 

「それっ、ケイちゃんも一緒に!」

『……ッ? ……?』

「あの、ケイちゃん、ケイちゃんです」

 

 はーい、と両手をあげて跳ねる那珂に、いったい誰の事を言ってるんだと吹雪を見るケイちゃん。そんな彼女をおずおずと指差して教えてあげる吹雪。

 ケイちゃんは目を丸くして那珂を見上げた、うんうんと頷いている。三度目のコールは、この動作のために行われなかった。

 四回目、最後の呼びかけ。

 

「――よいしょっ、はい!」

『カンコッ……!』

 

 しゅばっと手を差し向けられて慌ててマイクを口元に寄せたケイちゃんは、那珂の言葉を繰り返そうとして、しかしそう上手く声が出ないのに愕然とした表情になった。

 悔しげに顔を歪ませると、俯いて、マイクを持った手も揃えた足の付け根へ落としてしまう。

 

「どんまいどんまい! 次お願いねっ!」

『…………』

 

 元気づけるように言って続きを歌い始める那珂の声に、ケイちゃんはそっと顔を上げて、彼女が振り撒く笑顔を眺めた。

 びりびりとした空気の振動が僅かに伝わってくる。音を拾うマイクの習性か、それが手を震わせて、内側がこそばゆくなった。

 最後まで曲を歌うと、那珂は間を置かず指を鳴らしてもう一度同じ曲を流した。それが自分のためなのだとわかって、ケイちゃんは腕を強張らせてマイクを強く握り締めた。ぎゅうと音が鳴る。スイッチに当てた指の布が僅かにずれて、緊張の汗が体の内側を流れ落ちていった。

 一番目が終わる。二番目が終わる。

 今日だけで三度聞いた歌。明るく、日々の生活と、提督への秘かな想いを跳ねる調子で歌い上げる、素敵な曲。

 

「さあっ、みんな行くよ!」

「はい!」

『……!』

 

 那珂ちゃんが呼びかけ、二人が応える。

 (つたな)い声。震えて、伸びず、途切れ途切れの合いの手が混じる。

 誰もそれを気にしない。だってそれは、立派な歌だった。

 那珂も吹雪も、歌が好きだ。一緒に歌ってくれる人の事を悪く言ったりしない。この場合は深海棲艦だから、なおさらだった。

 合いの手を越えて、その先の歌も三人の声が重なった。那珂と吹雪の声を頼りに、マイクを持ったケイちゃんが二度聞いた曲を辿って声を響かせる。

 

『――――……』

 

 曲が終わる。

 ケイちゃんは瞳を閉じて余韻に浸り、それから、ふぅと息を吐いた。

 目を開ければ視界いっぱいに那珂の顔。

 

『ウワッ!』

「今日は那珂ちゃんの初ライブに来てくれてありがとーっ! あなたが那珂ちゃんの艦娘生初の、ファン第一号だよ!」

『ファン……? 何ヲ言ッテ……』

 

 一歩後退ろうとしたケイちゃんへ、那珂は続けざまに言葉を並べた。来てくれて、なんて、自分が無理やり連れてきた事を思い切り棚に上げた発言が紛れ込んでいたが、今この場にそれを指摘する艦娘はいなかった。

 困惑する彼女の手をマイクごと包んだ那珂は、顔を近付けて、こう問いかけた。

 

「ケイちゃん、歌は好き?」

『…………』

 

 ケイちゃんは、答えなかった。

 それで、那珂が顔を離し、一歩引いて――手を包んだままでいると、ケイちゃんは、おずおずと頷いた。那珂はぱっと笑顔になって、「うん、いいねぇ!」と再び顔を近付けた。

 

『ヤメロ! 離セッ!』

「ありゃ」

 

 嫌がって手を振り払うケイちゃん。手からマイクがすっぽ抜けると、彼女はあっと声を漏らして手を伸ばした。ぐらりと傾く体。倒れそうになる彼女の腰に腕を回して支えたのは、吹雪だった。

 マイクが床に打ち付けられる鈍い音と、キィンと金属質な音がスピーカーから漏れる。

 

『ア……フ、フン』

「あ、う、すみません……」

 

 咄嗟に手を出してしまった吹雪は、彼女の体を引っ張って元の姿勢に戻してやりながら、一瞬向けられた顔を背けられるのに、弱々しく謝罪した。

 

「もぉ、素直じゃないなぁ、ケイちゃんは!」

『サッキカラ……ソノ、ケイチャンッテナンダ』

「ケイちゃんはケイちゃんだよ? ね?」

『ネ? ッテ……』

 

 どうやら自分に向けられているらしい呼称の意味を問いかけたのに、要領を得ない答えを返されて、ケイちゃんは助けを求めるように視線を彷徨わせた。隣の常識人っぽい子は、ケイちゃんと目が合うと、気まずそうにそっと逸らす。これにはさすがにケイちゃんも弱ってしまった。

 

『ソノ……ス、スマナカッタ』

「え……あっ、い、いえ! そんな、謝るような事じゃ……」

 

 謝られたのが余程意外だったのだろう、吹雪は少しの間呆けて、それから、慌てて両手を振った。まさか深海棲艦に謝罪されるとは……ひょっとして、艦娘史上初の出来事なのではないだろうか。

 謝ったケイちゃんの方も、自分がなぜそんな事を言ってしまったのかわからないようで、口元に手をやって瞳を揺らしていた。

 

「ケーイちゃん」

『……』

 

 二人の戸惑いなどまるで気にせず、弾んだ調子で呼びかけてくる声に、ケイちゃんは思わず『ナンダ?』と返してしまいそうになって、すんでのところで言葉を飲み込んだ。返事をしたらその名前を認める事になってしまう。それはなんだか、嫌だった。

 

「ケイちゃんには、お名前はあるの?」

『……ナイ、ガ』

 

 不可解な事を聞く。

 ケイちゃん……軽巡棲鬼は生まれたばかりだ。生後二日も経ってない。名前などある訳もなかったし、人類がつけた『軽巡棲鬼』という呼称も知らなかった。だから彼女にとって自分とは、正真正銘名無しだったのだ。

 

「じゃあケイちゃんでいいね!」

『ナニ?』

 

 当然とばかりに名付けられて、ケイちゃんはすぐさま不服そうな声を出した。この女に名付けられるのは気に食わない。なぜだかわからないが……押し付けられる感じがする。

 

「でも、名前ないんでしょ? だったらケイちゃんで良いよね、ねー? 吹雪ちゃん!」

「はっ、はい! 良いと思います……です!」

『……ソウ、ナノカ?』

 

 吹雪が肯定すると、途端にケイちゃんは気持ちが傾いて、ついでに体も傾け、吹雪の方に顔ごと向けて、問いかけた。吹雪は素早く三度瞬きをすると、先程とは違って落ち着いた様子で、かわいいじゃないですか、と言った。

 

『カワイイ……?』

「えと……はい。かわいいです……お名前」

 

 再度問いかければ、吹雪は少し顔を逸らした。落ち着かない風だったものの、嘘を言っている様子はなかった。

 

『私……ケイ、チャン』

「そうそう、ケイちゃんだよー!」

 

 自分を指差し、確認するケイちゃんに那珂が声をあげる。うんと、ケイちゃんが頷いた。

 

『私ハケイチャンダ。……オ前ハ?』

「那珂ちゃんはぁー、那珂ちゃんだよぉー」

『エエイ、オ前ジャナイ座ッテロ!』

「私ですか?」

『ソウダ』

 

 言われた通りぺたんと座り込んだ那珂を無視し、吹雪の名を問うケイちゃん。

 吹雪は、椅子から下りて、びしっと背を伸ばした。

 

「特型駆逐艦、吹雪型の1番艦、吹雪です! ……よろしお願いします!」

『吹雪……。私ハ……『軽巡』……ケイチャンダ。ヨロシク』

 

 ケイちゃんは立てないので、そのままの姿勢で吹雪を見上げて、名乗り返した。自分とは何か、と考えた時に浮かび上がった言葉は、妙にしっくりきた。

 那珂ちゃんは那珂ちゃん、と同じ言葉を繰り返す置物アイドルはスルーして、吹雪にお辞儀をするケイちゃん。体が揺れて、落ちそうになっても、吹雪が支える。危ないですよ、と注意されて、ケイちゃんはなんだか不思議な気持ちを抱いた。

 

「ううー、スルーされてもアイドルはめげない! ここらで一つ、新曲いっちゃうぞー!」

「あの曲ですね。一緒に歌っても良いでしょうか?」

「もちろん! さ、ミュージックスタートぉ!」

 

 マイクは良いのか、と聞くケイちゃんに、那珂ちゃんは微笑んで、ウィンクした。生の声で合わせよ、という提案の意味はわからなかったが、エレキギターの速弾きから入った前奏に、今さらマイクを拾いに行くのも無粋か、と思い直した。

 

「始まり、足が竦んでた――」

 

 

 時間にして数時間ほど。

 同じ曲を繰り返し繰り返し何度も歌う事で、ケイちゃんはすっかり新曲である『High Speed Love』の歌詞を覚えてしまった。吹雪がまだ完璧に歌えていなかったのも一因だろう。彼女と調子を合わせ、確認し合い、歩調を合わせて覚えていく事で、ゆっくり着実に、一つ一つ歌えるようになっていった。

 そんな時間がとても楽しく、愛おしく感じられて、はたと気づいた時にはケイちゃんは二人と笑い合っていた。

 元々薄かったとはいえ、憎しみやあの胸の奥底から体を焼き尽くすように昇ってくる吐き気と怨嗟の声は、艦娘を前にしているにも関わらずわいてこず、あるのはただ、喉の奥から声を出す爽快感と、三人の声が重なって一つの音となった時の嬉しさと喜びに、歌い切った後の充実した疲れだけだった。

 

「二人とも、歌はもうばっちりだね」

「はい。どんどんスピードが上がってく激しい曲だから、難しかったですけど……なんとか」

 

 息を乱し、額や頬に汗を浮かべ、上気した頬で向かい合う二人は、楽しそうに笑ってケイちゃんにも言葉をかけた。

 ケイちゃんは声が綺麗だね。何もしてなくても深く響いて、素敵な歌声。

 

『ソンナ事ナイ……オ前達ノ方ガ、ヨッポド上手カッタ』

「年季が違うもん! 那珂ちゃんより上手く歌えちゃったら、ショックだよー」

 

 お世辞でもない、ストレートな褒め言葉に恥ずかしくなったケイちゃんは、謙遜しつつ二人を持ち上げた、吹雪は「いえ、そんな」と照れて謙遜し返してくるのだが、那珂ちゃんはえへんと胸を張ってそう言った。自信満々の顔にげんなりするケイちゃんだったが、しかしよく考えてみれば、作詞作曲、ダンスの振り付けと、ほとんど一人でやっているのだというこの女は、本当に凄い奴なんだなと思えた。

 合間合間の雑談で聞いた曲の作り方や発想、それを姉妹と擦り合わせたり聞いてもらったりしてアイディアを発展させるという話。無から有を作り出すような、途方もない作業。

 聞く事全てが新鮮で、知らない事で、それに、自分が何を考えるでもなく歌った鼻歌もそういうオリジナルの凄い音楽だというのだから、感慨深くて何度も頷いてしまった。

 

「ケイちゃん、生まれたばかりだって言ってたね」

『……アア。私ハ、暗イ海ノ中デ目覚メタ。ソレ以前ノ事ハ覚エテナイシ、ソレ以降ノ事ハ……』

「わかってるよ。怖い思いをしたんだね」

『…………』

 

 霧の海で見た、ずっと泣いている艦娘。

 そして現れたあの女……尻尾を備えた、見知らぬ深海棲艦。

 同胞のはずの自分に攻撃を仕掛けてきた。今考えてみると、意味がわからず混乱してしまう。いったいあれはなんだったのだろうか。

 

「生まれたばかりで、そんな素敵な歌を歌えるなんて……きっとケイちゃんの胸の中には、そんな音楽が流れてるんだろうね」

『私ノ胸ニ……音楽ガ?』

「だって、そうでしょ? なんにも知らない状態で、なんにも考えてない時に、自然と出てきた曲なんだもん。胸の中にあった音楽が、そのまま出てきちゃったんだよ」

 

 胸の中の、音楽……。

 それってなんだか、とっても……ああ、とっても素敵だ。

 自分の胸に手を当ててその音を聞き取ろうと耳を澄ませるケイちゃん。

 那珂と吹雪は、優しい目をして、少しの間彼女を見守っていた。

 

「うん、ユニット組もう!」

 

 静かになった体育館に、那珂の声が響く。

 いきなりの事だったから、吹雪もケイちゃんも何も言えずにただ那珂の顔を見上げた。

 

「新曲の練習までしたんだもん。これはみんなで一緒にお披露目するしかないよねぇ!」

『ナ、何ヲ言ッテルンダ……ソンナ事……』

 

 一緒に歌おう。

 そう言われてケイちゃんの胸に溢れたのは、戸惑いと、困惑と、ひとさじの嬉しさ。

 そんな風に誘ってくれるのが嬉しかった。嘘も下心も恐怖も敵意もなく、純粋に、一緒に歌おう、と。

 

「そんな事できる訳ないじゃないですか!」

『エ……?』

 

 だから、吹雪が叩き付けるように言った時、ケイちゃんは固まって、声を漏らした。

 吹雪は怒ったように目をつり上げていた。そんな表情を見る事になるだなんて、ケイちゃんは露とも思っていなかった。

 それも、自分に対して、否定的な事を言って。

 ケイちゃんは少なからず、この真面目で素直な少女に心を開いていた。どこか怖がりながらも優しくあろうとする姿勢が鼻につくような気持ちもあったけど、でも、好きになっていた。

 『一緒に歌おう』と那珂が言った。だからきっと、吹雪だって、笑顔で賛成してくれると思った。

 なのに違った。彼女は、そんな事できない、と……自分とは歌えない、と言ったのだ。

 

「だって、彼女は――」

 

 酷くショックを受けて俯いてしまったケイちゃんに、吹雪の声が届く。

 彼女は、敵だから。

 そう言うのだろうと思った。

 聞きたくなくて、体を丸めようとして。

 

「足が、ないんですよ……?」

『……ア』

 

 言い辛そうで、そして、辛そうな声だった。

 気遣わしげに自分の足を見る吹雪に、そこで改めてケイちゃんも思い出す。自分には足がない。生まれつき、そうだった。

 だから二人とは一緒に歌えない。なぜなら、披露するのは歌だけではないからだ。

 ダンスと合わさって、パフォーマンスがあってこそ、アイドルは完成する。近年の歌って踊れるアイドル。

 足のないケイちゃんにアイドルになる資格はなかったのだ。

 そもそもの話、自分は『深海棲艦』だ。艦娘の敵。そして、人類の敵。他の誰かの前で歌うなんて、初めからできっこなかったのだ。

 だから吹雪は怒った。自分を蔑ろにするためではなく、自分のためを思って、先輩である那珂に物申したのだ。

 彼女はずっと自分に優しさを向けてくれていた。

 ツンと鼻の奥が熱くなるのに、手で口元を覆うケイちゃん。

 

「もぉー、何言ってるの、吹雪ちゃん。那珂ちゃんが明石ちゃんに何を頼んだのか、忘れちゃった?」

「え? ……ケイちゃんの服と……あっ!」

 

 ああっ、と口を覆って目を開く吹雪に、那珂がうんうんと頷く。

 

「って、ひょっとして那珂ちゃん、最初からこうなる事を予測して……?」

「とーぜん! だって那珂ちゃんには、ケイちゃんのその胸の音楽が聞こえてたもん」

『……?』

 

 話を向けられてケイちゃんは顔を上げた。潤んだ瞳は二人の顔をぼやけさせていたが、那珂も吹雪も悪い顔はしていないとだけはわかった。

 

「それじゃ、ケイちゃん。……行こっか」

 

 そう言って那珂は手を差し出した。

 一つの汚れもない純白の手袋。純粋な気持ちが、向けられている。

 どこに、なんて聞く必要はない。

 ケイちゃんは確信していた。

 その手を取れば、きっとどこにだって行ける。

 だから、手を伸ばして、手を取って。

 

「明石ちゃんのとこにレッツゴー! だよ!」

「はい!」

『……ゴー』

 

 那珂に背負われたケイちゃんは、そっとその首元に顔を当てると、優しい声で囁いた。




TIPS

・一曲目
初恋

・二曲目
弾薬-燃料-鋼材

・三曲目
新曲。

・作詞作曲
全部那珂。

・音楽
演奏は妖精さん。

・その胸の音楽
人の心は音楽を奏でている。
深海棲艦もそうなのだろうか。


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8.レジェンド・私のヒーロー

10で終わる予定。



・艦これ
シマカゼ、夕立、叢雲の三人は、三原先生から口のきけない少女を預かった。
夕張の工廠へ向かう途中、何十もの妖精に襲われる不審な人間を発見する。
シマカゼはその人物の正体を知っているようなのだが――。


「っぽーい!」

「甘いね!」

 

 カコッ。カコッ。

 オレンジ色の小さなボールが、緑色の卓の上を跳ね回る。

 

「負けてらんないっぽい!」

「おっそーい!」

 

 鋭いラリーが続いていた。

 お互い汗を煌めかせ、行き交う球を負けじと打ち返し続ける。

 シマカゼの後ろの壁際には、チアガールの格好の連装砲ちゃん達が、手に手に小さな黄色のボンボンを持って体ごとふりふり振っていた。

 エス・アイ・エム・エー・ケー・エー・ゼット・イー、ゴーゴー、レッツゴー、シマカゼ!

 ネットを越えて跳ねてきたオレンジのボールを赤いラケットで勢い良く弾く夕立。スマッシュ! 凶回転が加えられたボールはたわんで放物線を描く。

 台の表面に叩きつけられ、ぐぐっと止まるボールの軌道上へ移動し、ラケットをバッドのように持って片足を持ち上げ、一本足打法を試みるシマカゼ。

 

『ドッガフィーバー!』

「とりゃー!」

 

 彼女の胸の中でのみ響く彼女の声が、必殺技を宣言する。

 勢い良く振られたラケットがボールを打ち据え、一直線に夕立の顔へ!

 

「ぽぃーいぃ!?」

 

 直撃コースだ。

 大慌てで転がった夕立が避ければ、ボールは後ろの壁に当たって跳ね、扉を開けて入ってきた叢雲に当たった。

 夕立の代わりに攻撃を受けた叢雲は、横へ傾いていた体を戻すと、乱れた髪を手櫛で梳きつつ二人をジロリと睨みつけた。

 

「……何やってるの? アンタ達」

「た、卓球っぽい」

「ちょ、ちょっと白熱しちゃったかな?」

 

 暇潰しに娯楽室にて卓球を嗜んでいたシマカゼと夕立は、熱を上げた試合を経て、極寒の窮地に放り出されてしまった。

 

「貸しなさい」

「ぽ、ぽい」

 

 床に転がっていたボールを掴み上げ、つかつかと夕立に歩み寄った叢雲はラケットを強奪すると、台越しにシマカゼと向き合った。冷や汗を流すうさみみガールを絶対零度の目で射抜き、ボールを握る。ギュギュゥ、とキツイキツイ音がして、破裂しそうになったボールは、徐々に手の内から押し出されていくと、やがて圧から解放されて宙に舞った。

 追って叢雲が飛ぶ。まるでテニスみたいにラケットを振りかぶり、ボールの後ろへ。

 

「沈めぇ!」

「ちょっ、ぶ!」

 

 わりと容赦のないスマッシュが一直線に飛び、シマカゼの鼻面を打ち付けた。これによりシマカゼは轟沈。仰向けに倒れ伏すと、さっさと脱いだ白手袋をひらひらと振って白旗とした。

 

『キュー?』

「……痛いです」

「ほら、あんた達。行くわよ」

 

 とことこと寄る連装砲ちゃんに泣きつくシマカゼを無視して、叢雲は夕立を促した。すぐ用意するっぽい、と言いつつ傍のタオルを手に取って顔や首を拭いた夕立は、ふと、出入り口の扉が開いたままなのを見つけた。

 下の方。

 扉と壁の隙間にひょこりと顔を出す少女の、翡翠色の瞳と目が合った。

 

「……」

「……」

 

 奇妙な沈黙。

 見つめ合う二人に気付いた叢雲は、外の少女を手招きして入室させた。ドレスのような黒いひらひらの洋服を着た、長い濃紺色の髪を持つ少女。お人形さんのように整った顔や小さな体もそうだが、特徴的なのは宝石のような瞳と、実際宝石なのだろう胸のブローチだ。それと、手に持つ、バイオリンのケース。

 

「その子、どーしたの?」

「先生に頼まれたのよ。『ちょっと預かってて』って」

「先生って、三原先生が?」

 

 どうやら叢雲はこの少女の事を教師である三原真に頼まれたらしい。だけど、幼い少女をどう扱って良いかわからず困っているみたいだ。

 復活したシマカゼは、腰を折って膝に手を当て、少女を間近からしげしげと眺めた。

 いつか(まこと)の部屋で見た写真立ての娘さんだか妹さんだかとは似ても似つかない。家族ではなさそうだ。

 

「新しい艦娘?」

「なんでそうなるのよ。どう見たって違うでしょ」

「島風ちゃん、変な事言うっぽい」

 

 ひょっとして自分の知らない艦娘なのだろうかと聞いてみれば、訝しむような目で見られてしまって、シマカゼは胸中「えー」と不満の声を漏らした。艤装のついてない艦娘は見た目で艦娘と判断するのは難しい。だからそうだと思ったのに。

 

「お名前は?」

「…………」

 

 夕立も同じように腰を折って少女に問いかけると、彼女は怖がるようにケースで顔を隠し、下がってしまった。人見知りっぽい? と気落ちしてしまう夕立。

 

「何度か話しかけてみたんだけどね、答えないのよ、この子」

「口がきけないのかなあ。そういうのってなんて言うんだっけ」

「言葉が話せないだけなら唖者(あしゃ)と言うのが適切っぽい。でも、この表現はあまり好ましくなくて、書籍や正式な書類の上では、こういった言い方はされないっぽい。発声障害、と表すのが普通」

 

 ぽいぽい辞典は今日も好調。ふぅん、と頷いたシマカゼは、改めて少女の顔を眺めた。持ち上げたケースの陰からちらりと目を覗かせる少女は愛らしく、小動物染みている。先生はなぜこの子を叢雲に預けたのだろう。不思議に思って、今度は叢雲を見た。眉を寄せて少女を見下ろしている。怒っていたり、喋らない事に苛立っているのではない。そう見えるけど、実は心配しているのだと最近の付き合いでようやくわかってきた。気持ちが素直に顔に表れないとは、損な少女である。

 

「いつまでうちで預かるの?」

「先生が戻ってくるまでよ。それまでは、そうね……部屋に……いさせるのは、かわいそうかしら」

「あなたは雑誌は読む?」

 

 夕立が問いかければ、少女は小首を傾げて不思議そうに見返した。雑誌という物が何かわからなかったのかもしれない。ご本っぽい、と言い直されれば、少し考える素振りを見せた後に、ふるふると首を振った。本は好きではないらしい。

 シマカゼ達の部屋に娯楽は少ない。夕立の持つグルメ雑誌やファッション誌、最近の映画などを紹介する本などはあるが、それくらいだ。一人で遊べたり、時間を潰したりする物は多くない。

 

「というか、こんな小さな子をほっておくのは良くないと思うよ」

「じゃあどうするのよ。連れ回す? 夕張さんが首を長くして待ってるわよ」

 

 三人は……主にシマカゼは夕張に呼ばれて工廠に行く事になっている。叢雲の到着を待っている間に卓球をしていたのだけれど、やってきた叢雲は子供を連れてきていた。

 

「そうするしかないっぽい?」

「置いてく訳にはいかないもんね」

 

 そう深く考える事でもないだろう。先生が連れてきた子なら、鎮守府内の物を見たって問題はないだろうし、あるなら叢雲が言い含められているだろうし。

 そういう訳で、少女を引き連れて夕張の工廠に向かう事に決まった。

 

「それ、持ってあげようか?」

「……!」

 

 親切心からシマカゼが少女の持つ大きなケースに手を伸ばすと、さっと避けられてしまった。触れられたくないらしい。肩を竦めたシマカゼは、叢雲と夕立の顔を見回すと、最初に扉を開いて出て行った。

 

 

 本棟を出たシマカゼ達が砂利道の先で不審な人物を見かけたのは、それからすぐの事だった。

 

「なんだろ、あれ」

「……侵入者っぽい?」

 

 ちょうど、妖精の園の前あたりだろうか。居眠り妖精が門番をしている建物のすぐ傍で、たくさんの妖精に(たか)られてわたわたと踊っている人影があった。

 

「スーツ姿だし、お偉いさんかもね」

 

 近付けば見えてくる男の背格好に、叢雲が呟く。それにしては護衛も案内もつけてない。夕立の言う『侵入者』という言葉が現実味を帯びてくる。

 男が肩から地面に身を投げ出して転がると、近くにいた妖精がわあっと避けていった。飛びついていた子達も跳ね飛ばされて、フリーになった男は、片膝立ちの状態で左腕に巻き付いた機械に手をやった。

 

「あーーーーーーっっ!!!」

「わっ!?」

 

 突然、シマカゼが大きな声を出して男を指差すもんだから、隣にいた夕立は跳び上がるほどびっくりして、耳を塞いだ。何よ、どうしたのよいきなり、と顔をしかめた叢雲が聞けば、シマカゼは耳に入っていないのか、両手で口を覆って――砲ちゃんが落ちた――、「うそ」だとか「やだ」だとか言って混乱している。その癖大きく見開かれた目は次第に輝きを増していっているのだから、それなりに付き合いの長い二人でもシマカゼが何を考えているかわからなかった。

 二人に奇異の目を向けられているとも知らず、『あー、あー、そっかぁ! そうだもんね! そーかそーか!』と、いつもより高い声で言いつつぴょんぴょん跳ねたシマカゼは、それから――。

 

「こらーっ!」

「し、島風ちゃん!?」

 

 いきなり走り出してしまう。最高速のスタートダッシュだった。

 目まぐるしく変わるシマカゼについていけない夕立と叢雲は、事態を飲み込めていない子供がいるのもあって、追う事もできずその場に立ち尽くした。

 

「こらっ、やめなさーい!」

「――女の子?」

 

 腕を振り回しながら走り寄って行くと、シマカゼに気付いた妖精達は一斉に男から離れて輪になり、全員でシマカゼを見上げた。ドヤ顔と敬礼のオマケつき。一方男は声がした方に顔を向けて、目を丸くした。当然そこには走り寄るシマカゼがいて……。

 お腹や肩の出たセーラー服に、縦に十センチあるかないかのスカートで、しかもパンツの紐が見えてるし、カチューシャのうさみみリボンは飾りとしては些か大きすぎる。

 なんて格好だ。男の顔には、そう書いてあった。

 どいてどいて、と妖精を脇に退かして道を作ったシマカゼは、男――進ノ介の前までくると、顔を近付けて、じぃっと進ノ介の顔を見つめた。

 

「な、なに?」

「――やっぱり! え、でも、なんで!?」

 

 進ノ介が困惑顔で問いかけても、シマカゼは一人で舞い上がって、しかし疑問に首を傾げてで、聞く耳を持ってない。腹部のドライブドライバー……ベルトさんに視線を落とし、それから、再度シマカゼを見下ろした進ノ介の眼前にびしっと人差し指が突き付けられた。

 

「シフトブレス、ドライブドライバー、腰のシフトカー達……おもちゃじゃないなら、あなたは仮面ライダードライブ! ……泊、進ノ介?」

「……ああ、そうだけど……って、ドライブを知ってるのか?」

 

 進ノ介は、驚いて聞き返した。自分達は次元を超え、別の世界へとやってきたはずだ。しかしこの少女はなぜだか仮面ライダーの存在を知っている。

 もしかして、この世界にもドライブが存在している? ここは平行世界だというのだろうか。その可能性もある。この世界に来る前に、沢神りんなと三原博士の両名から、どんな世界に跳ぶ事になるかはわからないと説明を受けている。

 

「もちろん! 私、あなたのファンなんです。サインください!」

 

 現に少女はそう言って、何かないかと探したあげくに、手の平を広げて差し出した。ここに書け、という事なのだろう。

 困惑しつつも、進ノ介は少しずつ、この世界がどういった場所なのか理解し始めてきた。

 この少女は今、ドライブである自分のファンだと言った。それはつまり、世界に広く仮面ライダーの存在が認知されており、さらには、理解や憧れを得られるような立場にある、という事。進ノ介が旅立った世界の状況とそう変わりはない。

 頭の中を回転させつつ、促されるままに懐からサインペンを取り出した進ノ介は、高級そうな白手袋に包まれたシマカゼの手を取って――『仮面ライダードライブ、泊進ノ介から、シマカゼへ』と書けとのお達しだった――、こそばゆそうにする彼女を気遣いつつも、さらさらっとサインを施した。

 

「日付は……」

「8月19日です」

「8月……」

 

 こういったサインには日時が付き物だろう、と腕時計を確認しようとした進ノ介に、シマカゼが囁く。

 八月十九日。それは、進ノ介の過ごしていた元の世界の時間と一致する。

 時間的なズレはでなかったか、とほっとしたのも(つか)の間、その後に続いたシマカゼの言葉に、進ノ介は固まる事になった。

 

「そうです! 2024年の、8月19日です!」

「にせ……なんだって?」

 

 二千二十四年。それは進ノ介がいた時代より、およそ十年ほど未来だ。2035年じゃない、という謎の安堵が脳裏をよぎって、首を傾げる。シマカゼの方もシマカゼの方で、同じように首を傾げていた。

 そういえばドライブって2014年のライダーなのに、なんで今ここにいるんだろ、という疑問。彼が本物かどうかは、最初から気にしてない。

 仮面ライダードライブ=泊進ノ介が役者としてでなく実在する事は、この世界ならばなんらおかしくはない。シマカゼにとってこの世界は元々生きていた場所とはまるきり違うのだから。ただ、今まで仮面ライダー関連の映像作品やおもちゃなんかを見かけた事はなかったし、調べた事もなかったから、そういった考えを持っていなかったのだ。

 だけど、進ノ介の姿を一目見て確信した。仮面ライダーは実在する。

 だって、役者さんなら、ずっと小物であるドライバーやシフトカーを持っているのはおかしいし、ドライバーにベルトさんの赤い光の線でできた顔が浮かんでいるのもおかしい。そもそもここは鎮守府なのだから、部外者が立ち入っているのは変だ。

 撮影の許可を出したなんて聞いてなければ、辺りにカメラマンも監督もいない。メイクリストもいなければ、他の役者もいない。何より妖精達が攻撃を加えるはずがないのだ。

 

『どうやら私達は、少し未来に来てしまったようだね』

「ベルトさん……」

 

 ドライブドライバーの丸いディスプレイに、ベルトさんの思案顔が浮かんだ。

 未来。そう、未来だ。進ノ介は、今が何年かを聞いてから引っかかっていたものがするりと抜けていくのを感じた。

 自分達は次元を……世界を移動したと思っていた。だが実際にはそうでなく、ただ時間を移動したのだとしたら……自分達を知る者がいてもおかしくない。

 しかしそうなると、あのアーケードゲームは、未来を表す予言のゲームという事になってしまうのだが……。

 

「ベルトさん?」

 

 シマカゼが、ベルトさんのディスプレイに顔を近付けて、問いかけた。

 

『……なんだね?』

「ベルトさん? ……ベルトさん……ベルトさん!」

『う、うむ、いや、そう何度も呼ばれると、困ってしまうのだが……』

 

 何が楽しいのか、幾度も同じ言葉を繰り返したシマカゼは、体を戻すと、進ノ介の顔を見つめて、にまーっと笑顔になった。

 

「島風ちゃ~ん」

「あの、ちょ、ちょっと待っててくださいね! すぐ戻りますから!」

 

 後ろから呼びかける声など気にせず、進ノ介にそう言ったシマカゼは、コンビニエンス妖精の方へ駆け出して行ってしまった。瞬きをすれば、彼女はもう自動ドアの前だ。

 はや、と進ノ介が零してしまったのも無理はないだろう。

 

「シマカゼちゃんのお知り合いっぽい?」

「さてね。怪しいものだわ」

 

 やたらテンションの高かった少女の次は、またもや少女が二人。どちらも外国人のようで、金髪と銀髪がきらきら輝いている。その合間に小さな少女を見つけた進ノ介は、もう何度目かびっくりして目を見開いた。

 

「……っ!」

「星夜ちゃん!? なんで……」

 

 二人の間に体を捻じ込んで飛び出した少女が、ケースを置いて進ノ介に飛びついた。抱き止めた少女は、間違いなく、自分を見送ったはずの星夜だった。

 

「こっちの知り合いではあるっぽい?」

「……の、ようね」

 

 笑顔で腰に腕を回してくる彼女を支えながら、頭の中を整理する進ノ介。

 この状況はいったいどうなってるんだと誰かに聞きたい気持ちでいっぱいだったが、あいにく知り合いは喋れない少女一人だけだ。

 落ち着け、彼女では事情を説明できない。だからまず、この二人の女の子に話を聞くんだ。

 なんとかそれだけ考えて、進ノ介は顔を上げた。

 

「あの――」

「星夜ちゃんってお名前っぽい?」

「……」

 

 声をかけようとして、しかし、夕立が少女に笑いかける際の言葉で、この二人も何も知らないのだとわかってしまった。叢雲の方も、何やら考えている様子で黙り込んでいる。

 進ノ介に抱き付く少女は、夕立の声に反応してするりと進ノ介から離れると、ケースを両手で持ち上げて、夕立と叢雲の方に振り返った。ぺこりと綺麗なお辞儀。

 今までお世話になりました、私、この人と行きます……なんて言い出しそうな雰囲気と表情だ。

 彼女は口がきけないから、二人には何を考えているかはわからなかったが、彼女の事を頼まれた叢雲の傍より得体のしれない男の傍にいる方が生き生きとしているのはわかってしまった。

 

「お待たせしましたっ!」

 

 そこへ、シマカゼが猛ダッシュで戻ってきた。ガリガリガリッとヒールで地面を削ってブレーキをかけて止まれば、引き連れてきた風がぶわっと広がる。

 

「島風ちゃん……カメラ、買ってきたっぽい?」

「うん、そう!」

 

 彼女の手に握られているのは、安っぽいデザインのインスタントカメラだ。千二百円也。開封済み。

 

「はーいいきますよ笑ってー!」

「え、な……」

 

 おもむろに進ノ介をパシャリと撮ったシマカゼは、笑ってと言いつつ自分が一番満開笑顔で、俊敏に進ノ介と少女の周囲を回りつつパシャリとやってはジコジコとフィルムを巻いて、撮って回ってを繰り返す。止める暇もない。無駄に素早い。

 

「夕立ちゃん、パス!」

「わ、わ、と、撮ってほしいっぽい? どうして?」

 

 困惑する夕立を置いて、シマカゼは進ノ介に詰め寄った。強引にその手を握ると、「一枚お願いします!」と目を輝かせて懇願した。一枚も何も、もう十何枚も撮っているのだが……。

 

 進ノ介は、一拍置いて「ああ」と頷いた。シマカゼと右手でがっちり握手をすると、胸元でサムズアップ。カメラ目線でにっこり笑顔。後楽園で僕と握手。

 見知らぬ地、見知らぬ相手、なぜかいる見知った少女に囲まれて、こっちも相当混乱しているはずなのだが、輝くような美少女に全力で慕われて悪い気はせず、つい乗り気になってしまったのだった。

 シマカゼの中身は美少女ではないのだが、それを教えてくれる人間はこの場にいない。進ノ介の精神は守られた。

 それから、シマカゼが強く勧めるままに夕立と叢雲も進ノ介と写真を撮って――誘うと言うより、肩を抱いて強引に、だった――、ようやく気が治まったらしい。周囲の妖精さんに「現像お願い」と頼んでカメラを渡してしまうと、振り返って、ようやく怪訝な顔をした。

 

「叢雲も夕立ちゃんも、なんか疲れてるね」

「し、島風ちゃん、いつも以上に元気っぽい」

「異常よ……いつもよりね」

 

 軽く息を乱す二人に、特に叢雲にじとっと睨みつけられても、今のシマカゼには効かない。キラキラしすぎて無敵状態なのだ。絶えない笑顔と朱に染まった頬は、いつもより女の子らしく……いや、女の子というより、純真な少年のように見えた。

 

「それで、あんたは何者なの? やけにうちの馬鹿がはしゃいでるみたいだけど」

「俺は……ああ、こういう者です」

「……?」

 

 懐に仕舞ったペンの代わりに黒い手帳を出して縦に開いて見せる進ノ介に、叢雲は眉を寄せて、写真と『POLIS』の刻印がなされた金のエンブレムを眺めた。

 

「……何これ?」

「警察手帳っぽい。組織に所属する一員の証?」

 

 それを見ても、叢雲はなお怪しい者を見る目で進ノ介を見上げた。

 

「警視庁『刑事部』特殊状況下事件捜査課……特状課の泊進ノ介だ。知ってるかもしれないが、市民の安全のため、仮面ライダーとして戦っている」

「かめん……らいだぁ?」

 

 聞きなれぬ単語が飛び出すのに、叢雲はすかさず夕立に目を送った。困った時のぽいぽい辞典。しかし夕立は首を振って、知らないっぽい、と弱々しく呟いた。

 彼女達の反応が思っていたようなものでない事に進ノ介が気付く前に、シマカゼが目の前へ躍り出て、直立した。ビシッと敬礼し、

 

「島風型の駆逐艦、1番艦、シマカゼです! スピードならあなたにも負けません! 速きこと、島風の如し、です!」

 

 たぶんそれは、今までで一番の名乗りだっただろう。

 やたらめったら気合いの入った自己紹介に、夕立は『もしかしてこの人とっても偉い人?』なんて思い始めてしまう。さっきのシマカゼは偉い人に対するというよりは、凄くミーハーだったのだが、今の敬礼を見てしまうとそうも思えず。

 

「白露型駆逐艦の4番艦、夕立です」

 

 だから続いて敬礼し、そう名乗った。

 進ノ介は、普通の自己紹介ではない、組織に準じた不思議な口上に戸惑いつつも、最後の一人、叢雲に目を向けた。流れで彼女も自己紹介をするのではないかと思ったのだ。シマカゼと夕立も一緒になって視線を向けるから、叢雲は居心地が悪くなって身動ぎした。見せられた手帳が本物とも限らないのに、すっかり信じ込んでしまっている二人に注意をしたいところだったが、それではなんだか自分が悪者にされてしまいそうだったので、仕方なく居住まいを正して、しかし敬礼はしなかった。

 

「吹雪型駆逐艦、5番艦の叢雲よ。言っとくけど、妙な動きをしたらただではすまさないわ」

 

 最後に釘を刺すあたりに彼女の警戒心が見て取れる。進ノ介も感じ取ったのだろう、前髪を掻く仕草をすると、それから、足下に抱き付く少女の肩を抱いて、三人を見回した。

 

「君達は『艦娘』なのか?」

「はい、そうです! ……知ってるんですか? 私達の事」

 

 進ノ介の問いにシマカゼが最速で答えた。しかしなぜ自分達の事を知っているのか疑問に思って、問い返す。

 「ある事情からだ」と進ノ介は濁した。彼女達に伝えるよりもまずここの責任者に伝えた方が良いという判断だった。

 

「それなら話が早い。『提督』という人物に会わせてくれないか?」

「わかりました!」

 

 またもシマカゼが一番に答えてしまうのに、叢雲は眉を吊り上げた。そう簡単に部外者をここのトップに会わせられる訳がないというのに、安請け合いして……。

 しかし、不法侵入者である彼の処遇を仰ぐためにも一度司令官に話を聞かなければならないから、彼の話を聞くかどうかもついでに聞いてみよう、そう判断して、叢雲は耳に手を当て、秘書艦の電に妖精を介した通信を繋げた。

 ほどなくして、彼を執務室に案内する任が、叢雲達に下った。

 

 

 執務室。

 調度品は少なく、質素だが上品な部屋。

 大きな机に座り、両肘をついて手を組む提督……藤見奈と、その隣でクリップボードを抱える秘書艦の電の前に、ずらりと五人が並んでいた。進ノ介とその足に縋りつく少女を中心に、シマカゼ、夕立、叢雲が挟む。

 

「……事情は、だいたいわかりました」

 

 机の上に置かれた開かれた警察手帳に目を落とし、藤見奈が呟く。

 事情の説明はすでに終わっていた。

 この時代にロイミュードが逃げ込み、潜伏している。いつ暴れ出し、どんな被害を出すかわからない。だからそれを倒すために過去の世界からやってきた。

 到底信じられる話ではないのだが、藤見奈は深く悩む様子を見せながらも、進ノ介の言葉を飲み込んだ。

 

「この子達はそれほど柔ではないですが……傷つけられては敵いません。協力を約束しましょう」

「ありがとうございます」

 

 進ノ介が頭を下げる。この世界のどこにジャンプロイミュードが逃げたかわからない以上、大きな組織のバックアップは非常に助かる。

 叢雲はというと、この決定に少し不満げだ。上に連絡せず、今この場で決定してしまったというのもそうだし、秘書艦の電がそれを指摘しないのもそうだった。あいにく今日の助秘書は自分ではないので抗議する気にはならなかったが、それでも目で訴えるくらいはした。

 

「ただ、あなたを外に出す事はできません」

「それは……なぜですか?」

「艦娘の存在を知ってしまったからです。彼女らは秘匿されている。たとえあなたがどんなに信用できる人間だとしても、あなたがここに所属していない以上、行動を制限させていただきます」

 

 これは当然の処置だろう、と進ノ介は頷いた。

 ここが未来の世界ならば身元の証明はできるだろうが、過去から来たなどという証明はできない。

 

「それから君に、誰か一人……言っては悪いが監視をつける。その子――」

「司令官、私がやります!」

 

 藤見奈の声を遮って、シマカゼが立候補した。一歩前に出る彼女を目で制した藤見奈は、少し考える素振りを見せた後に、では君に任せよう、と許可した。

 やたっ、と小さくガッツポーズをするシマカゼ。

 

「彼女は君を見ているだけでなく、力を貸してくれるだろう。何かあれば、彼女を通して連絡してくれ」

「わかりました」

 

 それから進ノ介は、藤見奈が広く捜査の手を伸ばすというので、ロイミュードの情報を与えた。

 それで、話は終わりだった。電は始終何も言わず、そこに立っているだけだった。




サイバロイド サンダー・スラップ
(卓球必殺技)


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9.クレッシェンド・ヒーローじゃない!!

肝試しイベントは、番外編後に小話として上げます。
あんまり仮面ライダー関係ないイベントだから仕方ないね。



有り余る情景の念と尊敬の念を進ノ介に向けるシマカゼ。
そんな彼女達に進ノ介がシフトカーを紹介している際、どんよりが発生する。
シフトカーさえ持っていれば、この重加速の中でも動けるはず。
夕立に頼んでシフトカーを手に、仮面ライダーと一緒に
戦おうとするシマカゼだったのだが――。


 夕張の工廠では、夕張が妖精達と何かの機械の調整を行っていた。連装砲ちゃん達も今は点検に回されている。

 シマカゼや進ノ介達は、その風景を見ながら広い空間の端っこに作られた椅子に座ってテーブルを囲んでいた。

 

「……なるほど、あの見えない何かは敵じゃなくて、『妖精さん』だったんだな」

『見えない存在というのは厄介だが、今は彼女達も味方だ。心強い』

 

 ちみっこい少女を膝に乗せ、湯呑みを傾けながら言う進ノ介に、ベルトさんが同意する。

 ちなみに妖精の事やこの鎮守府の事、そして艦娘の事を説明したのは――もっとも艦娘について、進ノ介は事前に勉強してきてはいるのだが――、進ノ介のお目付け役となったシマカゼではなく、叢雲である。

 

「深海棲艦という海からの侵略者が外海と空に跋扈(ばっこ)しているの。私達の目的はこれの奪還、そして敵の殲滅」

「敵は絶えないな……」

 

 この世界の情勢を聞いた進ノ介に、叢雲が答える。

 艦娘の最大の目的は暁の水平線に勝利を刻む事。

 人類に、未来を。それ以外には何もない。

 

 艦娘という存在の最終目的が話されると、進ノ介と叢雲の間の空気がなんだか重くなった。お互い使命を背負った存在だが、どちらが大きい小さいはない。……それでもその大きさを考えてしまうと、どうしても重苦しい空気が漂う。

 少ししんみりとしてしまったところで、それをぶち壊すような楽しげな笑い声が横から飛び込んでくる。

 

「えへへ~、夢かなぁー、これって夢なのかなぁー」

「夢じゃないっぽい……島風ちゃん、帰ってきてー……」

 

 シマカゼが幸せな顔でトリップしている。夢かなぁ攻撃に捕まった夕立は生気を吸い取られたようにやつれていた。

 この使えないお目付け役に代わって、叢雲が進ノ介の世話を焼いているという訳だ。

 

「妖精さんってのは、今もここにいるのか?」

「ええ。みんなあなたに興味を持っているみたいね」

 

 夢の世界へ旅立っているシマカゼに少し引きながら、繕うように問いかける進ノ介。

 叢雲は硬く冷たい声音で突っぱねるように答えた。

 

 テーブルの上に置かれたベルトさんの周りや、それぞれの前に置かれた湯呑みの傍、それから床に立っている何匹もの妖精が進ノ介を眺めてひそひそやっていたのだが、叢雲が話すたびに『お?』『お?』といった調子で見上げてくるから、冷たい態度をとっているのを咎められているような気がして、段々居心地が悪くなってきている叢雲であった。

 

「はーい、お待たせ? ごめんなさいね、ちょっと完成まで手間取っちゃって」

「いいえ、構わないわ」

 

 ベストなタイミングで夕張がやってきた。いつものへそ出しルックの上に深緑のエプロンをつけている。『yubari』の刺繍付き。

 むしろ助かった、なんていう内心を隠して、なるべくゆっくりと湯呑みを持ち上げた叢雲に代わって夕張がそれぞれの相手をし始めた。

 

「ほら、島風ちゃん。はいこれ」

「へへ……はい? あ、カンドロイドですね」

 

 まずはトリップしていたシマカゼを引き戻し、

 

「うん、左腕を貸してね」

「はい」

 

 シマカゼと夕立の間に入る事で、夕立を救う。素晴らしい手際で二つの問題を一気に解決した。

 彼女にその自覚があるかは知らないが、お茶を一気飲みしてぐでーっとなった夕立の救世主である事には変わりないだろう。

 

「ここに、ガシャンって感じで押し込んでみて」

「え、でも、羅針盤がありますよ? 携帯型の……」

 

 シマカゼの左腕、手首部分には、かつて孤島で生活していた時に作られた携帯型の羅針盤が腕時計宜しく巻き付いている。近付けられた四角い端末の影に反応したのか、四匹の羅針盤妖精がひょこりと現れ、不安げに見上げた。

 

「妖精さんも怖がってますよ」

「大丈夫、私を信じて?」

 

 妖精には艤装に潜り込む能力がある。カンドロイドは、前に説明した通り妖精と同じ力を持つ艤装扱いの機械だ。ゆえに妖精の心配をする必要はない。

 そう説明する夕張と、それを聞くシマカゼとを眺めていた進ノ介は、テーブルに腕をついて叢雲に顔を向けた。

 

「あの子……シマカゼって子の腕に、今、妖精が乗ってるのか?」

「ええ。海での私達の命綱がね」

 

 そう言われて改めて島風の腕を見てみても、そこにはリストバンドにコンパスをくっつけたような機械か、カンドロイドと呼ばれた端末しか見えない。いくら目を凝らしてみても、それは同じだった。

 やはり進ノ介に妖精を見る資質はないらしい。あったら即提督に勧誘されるのだから、無い方が良いかもしれないが……見えない存在が何かを持って動いていると、独りでに浮いて移動しているように見えるから心臓に悪いのだ。

 

 それにしても、命綱、か。

 進ノ介は、旅立ちの前夜、集めた『艦これアーケード』の資料にも確かに羅針盤の要素があったのを思い出した。進路を羅針盤で決定するのってどうなんだと思ったが、何か重要な秘密が隠されているのだろう。突っ込むのは野暮だ。

 

「わっ、わぁ」

 

 携帯型羅針盤にカンドロイドを押し付けると、ガシャコンと嵌まってしまった。そんな穴や窪みはなかったにもかかわらず、まるで飲み込むように端末が腕にくっついていた。外そうと引っ張ると、リストバンドが伸びる。羅針盤は影も形もない。端末に吸収されでもしたのだろうか?

 

「はい、カンドロイドのアップデートが完了したわ。新しい機能を試してみて?」

「えっ、えっ、あの、これ、妖精さんは……」

「潰れたりなんかしてないわよ。こーら、悪戯してないで顔を見せて!」

 

 夕張が呼びかければ、カンドロイドの表面からにゅるりと四匹が頭を出した。揃ってサムズアップをして、シマカゼに安心しろと呼びかける。シマカゼはほっと胸を撫で下ろした。

 

「端末左の、オレンジの……そう、その小さなボタンを押してみて」

「ここですね」

 

 端末を鷲掴みにした時、ちょうど親指の位置にあるボタンを押し込めば、表面にある円状のレンズから光が照射され空中に羅針盤が描き出される。円の四方に『E』()『W』(西)『S』()『N』()の文字、そしてそれぞれに最初から妖精さんが浮かんでいる。立体的な姿は半透明の薄青色に染まっている。

 

「次は、端末頭のでっぱりを引く」

「はい」

 

 端末の先端には、黒い長方形に近い形の棒が二センチ程度飛び出している。握り拳からちょこっと出した曲げた人差し指と中指の第一関節辺りでそれを挟んだシマカゼが、カチリと抵抗があるまで引っ張れば、キュゥウンと駆動音がして羅針盤が回転を始めた。光の線が幾つも残って動くのは不思議な綺麗さがあった。

 ぐるぐる回る光に、四方に待機する四匹の妖精がうきうきと体全体でリズムをとり始めた。変な踊りを踊って進路の決定を焦らす。

 数秒程すると、妖精の一匹、ひよこを頭に乗せたポニーテールの子が目の前の光の円に両手を叩きつける。回転が弱まり、やがて止まると、Wの文字が中心に浮かんだ。艦隊、西へ。Wの文字の横で、妖精さんが決めポーズをした。ウィンクのオマケつき。

 

「……ウェイクアップフィーバー?」

「……? ええと、これでカンドロイドの固定と、使用頻度の向上、それから、多く妖精を搭載する事で機能面でも大幅に変更が加えられていると思うわ」

 

 たとえば、それは地図の描画速度だったり、画面の表示速度だったり、ある程度までの電磁波に耐えたり、衝撃に耐性を持ったり。

 

「妖精さんって凄いですね」

「そうね。彼女達の力がなければ、私達艦娘だって、ちゃんと力を発揮できないもの」

 

 艤装に妖精が乗っていなければ弾丸の装填や補充が上手くいかなくなるし、故障しやすくなるし壊れやすくなる。妖精様様だ。

 カンドロイドはそんな妖精を多く乗せる事を主眼に置いて開発が進められた。結果、それは成功した。深海棲艦が発する妨害電波に耐え、意思を電波代わりに飛ばす事により同じカンドロイド間でのみ通信できるようになるだろう。しかもそれは、妖精の意思を介してやり取りする妖精暗号通信よりも鮮明になると予測されている。

 これを皮切りにカンドロイドの量産化が始まる……かも、しれない。予算と資材が許せばの話だが。

 

 棒を押し込んで戻す事で、妖精達が手を振って光と共に端末の中に戻っていく。シマカゼはそっと端末の表面を撫でると、静かに微笑んだ。穏やかで少し大人っぽい笑みだが、心の中では『しめしめ、必殺技始動の良いギミックが手に入ったぞ』なんて考えていた。……黙っていれば美少女なのだ、彼女は。

 

「では、改めて自己紹介しますね。私は軽巡夕張。あなたは?」

「泊、進ノ介と言います。ロイミュードは、俺がこの手で必ず倒します。それまでよろしくお願いします」

 

 膝に両手を置いて丁寧に頭を下げる進ノ介に、夕張は、そんなに畏まらなくても良いですよと苦笑した。彼をサポートする技術者として紹介された時から、進ノ介はこんな調子なのだ。遠慮しつつも夕張も悪い気はしていないのだが。

 なにせ『技術者』だ。趣味が高じて色々やっているが、認められたいという欲求は人並みにあるので、そういったかっちりした職人扱いされるのは夕張にとって嬉しい事だった。

 

「私も! 私もお手伝いしますよ! お目付け役ですからね! ねっ!」

 

 はいはい! と手を挙げて進ノ介にアピールするシマカゼ。仮面ライダーと一緒に戦う事を夢想しているのか、ちょっとだらしない笑顔になっている。

 

「ああ、よろしく頼むよ」

「お任せ下さい! へへ」

 

 進ノ介の言い方に引っかかったのは、シマカゼ以外の全員だった。

 カチューシャのリボンを揺らせて、嬉しそうに体を揺すったシマカゼは気付かなかったようだが、今の進ノ介の言葉には、何かおかしなところがあった。それが何かわかる者はいなかったが……。

 おほん、とベルトさんが無い口で咳払いをした。そうして注目を集めると、ディスプレイに笑顔を浮かべる。

 

『では、まず仲間達を紹介しよう。シフトカーだ!』

 

 工廠の外から道路が伸びてきた。細く小さなミニサイズの道路だ。それが何本も空中に走ると、その上を色とりどりのシフトカーが走る。部屋の中を縦横無尽に駆け巡って、やがてテーブルの上へ滑り込み、停車した。シフトスピードからシフトスパーナまで勢ぞろいだ。自律走行のできないシフトトライドロン、マッハやチェイサーが変身に使用していたシグナルマッハやシグナルチェイサー、それに、彼らが所持しているシグナルバイクやシフトカーはさすがにないが、重く響くクラクションを鳴らして走行してきたトレーラー砲なんかはある。

 

「空中機動? 物体精製と消失……どんな技術なのかしら! ちょっと手に取っても、良いかしら~?」

 

 空を走るミニカーを強い眼差しで追っていた夕張は、次には身を乗り出す勢いで進ノ介に問いかけた。有無を言わせぬ迫力があったが、『手に取るくらいなら良いだろう』と渡すと最後、付着した埃の成分まで分析しつくされそうな気配がして、進ノ介は首を縦に振っても良いか判断に困った。

 

『HAHAHA、このシフトカー達にはたくさんの秘密が隠されている。それを教える訳にはいかないが、触れるくらいは、彼らも許してくれるだろう』

「な、なら、この子を……」

「私も触って良いですか、泊さん!」

「ちょっと興味があるっぽい」

「ああ……構わないさ。なあ、お前達」

 

 テーブルの上のシフトカー達は、進ノ介の声に応えるように体を前後したり、車体前部を浮かせたり、ライトを光らせたりした。言葉を解するのね、と夕張は目を輝かせてクリアな黄色い車体のシフトディメンションキャブを手に取り、舐めるように眺め回した。シマカゼはオレンジ色のシフトフルーツを、夕立はトレーラー砲を抱えて、叢雲も横目でそれらを眺めた後に、手近な所にあった白い車体のシフトドリームベガスを手にしてみた。進ノ介の膝の上の少女も、触りこそしないが、興味深げにシフトカーを眺めている。

 

「なぜ俺を慕うんだ?」

 

 和気藹々(あいあい)とした時間が流れる中で、ふと、進ノ介は気になった事を聞いてみた。声をかけられたシマカゼは、シフトカーをテーブルに戻してやると目を合わせて、自信満々に「好きだからです」と答えた。

 

「それ以外に理由が必要ですか?」

「いや……まあ、嬉しいんだけどさ」

 

 予想外な真っ直ぐな瞳に照れて後ろ頭を掻く進ノ介に、シマカゼはいっそう嬉しそうに微笑んだ。

 照れ隠しに膝の上の少女の頭を撫でれば、こちらは不思議そうな顔をして見上げてくる。

 

(なぜ星夜ちゃんはここにいるんだろうなあ)

 

 今さらながら浮かんだ疑問には、やっぱり解決の目処は立たないし、そんな疑問を抱いても仕方ない。答えてくれる者などいないのだから。

 だがわかる事はある。この世界に逃げ込んだジャンプは、融合進化態になるために彼女を狙うはずだ。それが最も手っ取り早い進化への道だからだ。

 少女が向こうの世界にいたままだったならば、マッハ()チェイサー(チェイス)が守ってくれていたのだが、ここではそうもいかない。

 この子は俺が守らねば。

 決意を新たに少女の頭をぽんぽんと撫でてやる進ノ介。

 少女は目を細めて素直に手を受け入れていた。

 

「そういえば、夕張さんは肝試しの準備、進んでるんですか?」

 

 湯呑みに口をつけたシマカゼが、はたと気づいて夕張に問いかけた。

 今夜へ向けてみんなが準備をしているのに、彼女はカンドロイドの調整や泊進ノ介のサポートとやる事が盛りだくさんだ。これでは驚かしの練習も小道具の作成もできていないのではないだろうか。

 

「ええ。ふふ、作っていたのは、カンドロイドだけじゃないのよ。そうね、あなた達には特別に公開しちゃおっかなー?」

「えー、見たいっぽーい!」

「夕張さんは素敵な人だから、きっと見せてくれるはずだよ!」

 

 何か秘密の道具がある事を匂わせる夕張に、すかさず夕立とシマカゼが囃し立てた。二人揃って叢雲に流し目を送り、ほら、ほらと急かすので、仕方なく叢雲も伏せがちな目で、「どんなものかしら?」と興味を持ったフリをした。

 夕張は満足げに頷いて、走り寄って来た妖精から受け取った物を、じゃん、とみんなに掲げて見せた。

 それぞれが、首を傾げる。

 

「懐中電灯……?」

 

 それは黒く塗装された細長いミニサイズの懐中電灯だった。単三電池二本で動いてそうな安っぽいデザイン。

 とても凄いギミックが隠されているようには見えないのだが……。

 

「それで顔を照らし上げて怖がらせるっていう……」

「そうそう。よくわかったわね」

 

 えー、それって、さすがに駆逐艦の子でも怖がらないんじゃあ……。

 そう思うシマカゼや他の三人に、夕張は大人っぽい笑みを浮かべると、懐中電灯を振りながらこう言った。

 

「これはね、演習システムを用いているのよ」

「演習……?」

「そう。演習システムがどういうものか知ってる?」

「もちろんっぽい。特殊な電磁波に立体映像を映し出す技術……もしかして、お化けでも出すっぽい?」

「ううん。重要なのは、もう一つの要素よ」

 

 演習システムに組み込まれた特殊な電磁波のもう一つの役割とは、艦娘の心を揺らす事。

 些細な緊張感をより大きな緊張に。動揺はより激しく、恐怖は大きく、痛みは強く。

 演習で命の危険がないとわかっていても、実戦と同じ心の動きや精神状態にするための措置。

 

「肝試しだから驚かされるのは当然。いつ来るかに気をつけてれば、あまり怖くはないでしょ? でも、この懐中電灯を使えば……」

「少しの怖いが、すっごく怖いに変わっちゃうんですね」

「そういう事」

 

 これはそんな特殊な電磁波を半径七メートルまでの範囲で発生させる特別性なの。

 説明しつつ、夕張が妖精さんに懐中電灯を渡した、その時だった。

 

「――おぅっ!?」

「へ?」

「きゃあ!」

 

 どぅん、といきなり体が重くなって、それぞれが体勢を崩した。叢雲の手から落ちた湯呑みが中身を零しつつも、空中で止まる。

 

「どんより!」

 

 重加速の発生。それは、付近にロイミュードが存在することを意味する。

 

「これが、どんよりって奴なのね」

「はぁ~、びっくりしたっぽい……」

「危ないわね。お茶が零れちゃうところだったじゃないの」

 

 シフトカーを手にしていたため、重加速の枷から解放された夕張、夕立、叢雲、そして、進ノ介。

 

『わーん、私だけどんより~!』

 

 シマカゼはさっきシフトフルーツをテーブルへ置いてしまっていために、一人だけ重力の枷に捕らわれてしまっている。意識ははっきりしているのだが、艦娘のパワーを以てしても体はびくともせず、シフトカーに手を伸ばしたくても動けない。

 

「ベルトさん!」

『ああ、進ノ介。出動だ!』

『私もっ、私も行きます!』

「この車があれば動けるっぽい? 島風ちゃん、はいどうぞ」

 

 夕立が消防車を模したシフトファイヤーブレイバーを取ってシマカゼに渡そうとすると、進ノ介はその手を阻むように腕を差し込んで止めた。

 見上げる夕立を気にせず、進ノ介は膝の上の少女に一声かけ、次いでシマカゼに顔を向けた。

 

「シマカゼちゃん、この子を頼む」

『えっ、えっ、そんなぁ』

 

 少女を抱き上げて島風の膝の上に移動させた進ノ介は、足を開いて腕を広げるだけの空間を作ると、ベルトさんを手に取って腰に巻き付けた。その際、夕立に意味ありげな視線を送った。

 

「変身!」

『ドラァーイブ! ターイプ・スピード!』

『あああ、音しか聞こえない! 生殺しヤダー!』

 

 進ノ介が変身したのは工廠から飛び出しながらの事だった。妖精の園を囲む塀を飛び越えてきたスピードタイヤがドライブの胸部に嵌まり、火花を散らして回転の勢いを弱め、止まる。

 まずは敵の捜索からだ。そう思ってシフトカー達を大出動させようとしたドライブだったが、その必要はなくなった。砂利道を通って、三体の下級ロイミュードが姿を現したのだ。その背後には、ジャンプロイミュードの姿もしっかりとある。

 

『か、仮面ライダー! なぜ貴様がここに!』

「お前があんまりにも遅いんで追い越しちまったんだよ」

 

 傷ついている胸部を押さえて慄くジャンプに進ノ介が格好つけてそう言うと、下級ロイミュード達がジャンプを庇うように一歩前に出た。

 コブラ型、スパイダー型、バット型……いずれもコアは『---』だ。

 

「一体増えてるな」

『いったいどこから出てきているんだ?』

 

 出所不明のロイミュードにベルトさんが唸っている。その間に戦いは始まっていた。駆け出した三体へドライブが飛び込んで行く。

 正面のコブラ型の前へ着地して、殴りかかってくる拳を外へ弾き、そのまま肩を掴んで押して地面に転がす。その巨体をスパイダー型の足止めに使い、残ったバット型と組み合って、諸共地面を転がり、反対側へ投げ飛ばした。

 

「ドア銃!」

 

 妖精の園から飛んできたドア銃が手に収まってすぐ、立ち上がろうとするバット型に二発、後方の二体にそれぞれ二発撃つ。三体ともが怯み、その隙にドアを開閉してチャージ。コブラ型とスパイダー型に向けて連射して、再び奴らを転がした。怪物の装甲からはもくもくと白煙が上がり、痛みに背をつっぱらせた怪人達の呻きが昇る。

 

「一気に決めるぞ」

『ヒッサーツ! スピード! フルスロットォール!』

 

 ドア銃の内部へ斜めに走るシフトランディングパネルにシフトスピードを差し込めば、ドア銃はドライブドライバーと通信、必殺技準備完了のコールがされる。

 トリガーを引けば抽出されたシフトスピードのエネルギーがすぐさま弾丸として発射! プレートを貫かれたバット型がコアごと爆散する。

 

「うらぁ!」

 

 その場で跳躍し、回し蹴り。背後に迫っていた二体を一息に蹴り砕き、二体同時に撃破する。

 ふわふわと浮かんでいったコアがバラバラに砕け散るのを見届けたドライブは、砂利道の先を見据え、小さく頷いた。じりじりと後退るジャンプロイミュードの姿を捉えたのだ。

 ドア銃を構え、トリガーを引こうとして……撃てない。進ノ介は内心舌打ちした。揺れるジャンプの向こうに二人……いや、三人の少女がいたのだ。誤って撃つ可能性もある。むやみにドア銃は使えない。

 

「逃がすか!」

 

 ドライブが駆け出すのを合図にしたみたいに、ジャンプも反転して力を振り絞るように走り出した。

 

『くそ、あの小娘さえ手に入れば……!』

 

 赤いバイラルコアを握り締めるジャンプの言葉に、ドライブは「やっぱりか」と納得した。

 どうやって少女の居場所を突き止めたのかはわからないが、接触しようとした理由はやはり融合進化態になるのに必要なネオバイラルコアを手に入れていたからだったのだろう。その入手先もまた気になるが、今は追いつく事が優先だ。

 少女の安全のためにも速くジャンプを倒さなければならない。損傷している今がチャンスなのだ。

 

 どんよりの範囲内に入ってしまっている少女二人は、こちらに背を向けている。黒髪お下げのセーラー服の女の子――吹雪と、華やかな衣装に身を包んだお団子頭の女の子――那珂。その背に身を預ける、軽巡棲鬼――ケイちゃん。二人共が、つんのめるような体勢で縫い止められている。

 彼女達の真横へジャンプが到達した。

 進ノ介がひやりと背に冷たいものを感じるのを他所に、ジャンプは少女達を構う事無く――ただ、そちらに顔を向けて……。

 

『――――』

『……!』

 

 軽巡棲鬼と、目が合った。

 それだけだった。

 一瞬視線が交差した以外には何もなく、ジャンプはドライブへ目を向けて焦った声を出した。

 

『ここは退散だ……!』

「待て!」

 

 もう一歩で手が届く距離のところで、ジャンプは急に左へ体を投げ出した。遮るものも何もない通路の外。海の方だ。

 

『ははは! ここまでは追ってこれまい』

 

 地面を擦って急停止するドライブを嘲笑うかのように海面を跳ねて遠ざかっていくジャンプ。

 まさか奴が海の上を移動できるなんて!

 理解の外の行動に一瞬動きが止まってしまったものの、ドライブはフッと笑いを零すと、そいつはどうかな、と誰にともなく呟いた。

 

『ドラァーイブ! タァーイプ・フォーミュラー!』

 

 赤い装甲が離れ、半透明になると、組み替えられて再装着される。

 上半身をすっぽりと覆う青く大きな車体が特徴的な、タイプフォーミュラだ。銀の両目は黒いバイザーで覆われ、胸部のタイヤの代わりに飛んできた二つの小さなタイヤが両腕に嵌まる。両目が白く輝いた。

 手足を覆う装甲は青。頭部は黄色く、中心に青い線が走っている。両肩からお腹までを覆うスマートな車体も青と白でわけられ、スポンサー代わりにドライブ関連のマークがこれでもかと描かれている。

 

『フォー・フォー・フォーミュラー!』

「よし!」

 

 シフトブレスに装填されたレバーモードのシフトフォーミュラを掴み、三度シフトアップレバー操作を行う事でフォーミュラの性能を大きく引き出す。

 地を蹴って跳んだドライブの背中、車体背面の推進装置、エクスファンブーストから炎が噴き出す。エネルギーや空気を費やして得られる一時的な爆発力は、ドライブの体をすぐさま海上へと連れ出した。

 両腕を広げれば両腕のタイヤも回転を始める。まるで空気を道に走行しているかのようだ。ドライブは一心に足を回して海を走り出した。

 

『気をつけろ、進ノ介! 波に足をとられれば、ただではすまないぞ!』

「わかってる!」

 

 超加速状態の最中、壁のように迫る空気の塊は車体のウイングや胸部中心のオーバーテイクユニットによって大幅に軽減され、内部から照射された防御シールドが全身を守る。

 だが足場が安定しないのはどうしようもない。叩き付ける一歩一歩は集中力を極限まで費やす事でなんとか保っているが、長くはもたないだろう。フォーミュラの扱いの難しさや消耗の速さもそれに拍車をかける。だから一気に勝負を決める必要があった。

 ジャンプの跳躍による移動速度はそれなりに速い。だが加速したタイプフォーミュラは遥かその上を行く。

 

「食らえ!」

『うおおーっ!?』

 

 ちょうど着地したジャンプめがけて、駆け抜け様のラリアット。

 強烈な一撃を背に受けたジャンプは錐揉み回転しながら海面に突っ込み、何メートルも滑っていく。その前方を緩やかにターンして戻ってきたドライブが、とどめを刺そうと攻撃のタイミングを見計らう。

 

 優れた集音能力がプロペラ音に似た駆動音を拾ったのは、その時だった。

 

 毎面にいくつも小さな水柱が立つ。それは二つずつ、等間隔に並んでドライブの背後に迫った。

 機銃だ!

 

「何っ!?」

 

 柔らかい金属音が連続して鳴った。銃弾が車体を滑り、海面を穿つ。腕や足に当たってもなお同じように弾かれていくものの、気を取られたドライブはジャンプに攻撃を加える事なくすぐ傍を通り抜けてしまった。

 慌ててUターンするドライブの前方、上空に、禍々しい黒の艦載機が迫る。下部に備えられていた爆弾がぽろりと落ちて、止まれないドライブめがけて迫ってくる。

 偶然だろうが、ジャストのタイミングだった。

 

「ぐうう!」

 

 爆炎が体を包む。衝撃が体勢を乱し、しかし持ち直した。膨らもうとしていた黒煙からすぐに抜け出る。

 爆弾の直撃はドライブにさほどダメージを与えなかったが、脅威だと認識した。不意を打たれれば転ばされてしまう。この速度で倒れる事もそうだが、走れなければ沈んでしまうだろう。ゆえに上空の艦載機を無視する訳にはいかない。

 爆弾を命中させた艦載機の他に、何機か後方へ飛び立っていった。そしてドライブの向かう先には、海面に浮かぶ異形が何体かいた。

 巨大な魚のような駆逐級が三体。軽母級が一体。軽巡級が一体。外敵の接近に気付いた異形達が、確認もなく一斉に砲撃を開始した。

 

 今、ドライブは超スピードで動き続けている。

 狙いの荒い砲弾などに簡単に当たりはしないが、海を乱されるのは厄介だった。

 さらにいえば、奴らは半ば海に浸かっていて走っている状態での撃破は困難だ。図体のでかい駆逐級でさえ、攻撃は難しいだろう。再度砲撃してくる異形達に体を揺さぶられ、ドライブは判断を迫られた。離脱するか、戦闘続行するか。

 

 足場が悪い。止まれない。未知の敵の出現。ジャンプの動向。全てが目まぐるしく頭の中を駆け巡っていく中で、ドライブは跳んだ。

 

『ターイヤコウカァーン!』

 

 シフトブレスの黒いパネルへ供給用シフトカー・シフトマンターンを突き差してタイヤコウカンを行う。まだ、空中。斜め上空へ昇っていく体はされど海面からそれ程離れてはいなく、つまりは、進ノ介の行動はまるでどんよりの中で行っているかのような超スピードでの動作だった。

 

 

F(フォーミュラ)01(ゼロワン)!』

 

 両腕のタイヤが回転しながら抜け出ていき、代わりにオレンジの硬いタイヤが嵌まる。シフトブレスの赤いボタンを押し込むと同時、流れるような動作でシフトアップレバー操作。

 

『ヒッサーツ! フルスロットォール!』

 

 ベルトさんの音声はタイヤコウカンを行った時からノンストップどころか、全ての音声がほとんど重なってコールされていた。それ程の早業。

 両腕のマンターンタイヤが高速回転を始める。高まるエネルギーはやがて外に溢れだし、炎となって現れる。

 

「うぉおおお!!」

 

 右腕を振り抜けば炎を纏った光の輪、マンターンタイヤそのものが下方にいる深海棲艦の一部を消し飛ばした。続いて左腕から放り投げたタイヤが敵の半数を粉砕する。

 着水。激しい水飛沫の中を中腰の姿勢で滑りながらも、迫る敵へ向けて右腕を振り上げるドライブ。シフトカーから供給されるエネルギーは先程の物より大きい。眼で見る事ができるほどに迸る力が拳へ到達し、やがて――。

 

 残るすべての敵が巨大な光線に呑み込まれ、跡形もなく蒸発した。

 そこまでだった。

 

「はぁっ、は、ォ、オオオオ!!」

 

 獣のような咆哮をあげながらスピードを上げ、反転するドライブ。損傷した状態で戦闘を継続したために、体は限界を迎えていた。車体の先端が融解を始めている。どろりとした熱が風に撫ぜられて揺らめいた。

 

 数体の艦載機からの掃射を凌ぎきって元来た道を帰っていく。悔しいが、ジャンプを気にしている暇はなかった。いくつもの艦載機が後を追ってくる。海の上では奴らに理がある。いくら速いとはいえ、万全のスピードを出せないドライブでは、機銃の掃射をずっと凌ぎきるなど不可能だった。

 そこへ海面をバウンドするように走行してきたトライドロンがやってくる。

 このまま攻撃を受け続けるのはまずいと判断したベルトさんが呼び寄せたのだ。

 ドライブの後方をぐるりと回ってきて隣へ並んだトライドロンに海を蹴って屋根へ飛び乗る。

 タイプスピードにチェンジすると、運転席を開けて中に乗り込んだ。

 

「うっ、うっ、やっぱこの反動はっ、きつい、なっ!」

『ライドブースターがあれば、もっと楽に移動できるのだがね!』

 

 ライドブースターとは、レーシングカート型の強化パーツだ。トライドロンの左右に接続する事で空中の移動も可能にする。が、この世界には持ち込めていない。

 ドアを閉めるのが精いっぱいで、シートベルトをする暇なんてない。当然、波に跳ねる車体にドライブの体も大きく跳ねて、何度も天井に頭をぶつけた。

 それでもハンドルを握り、アクセルを踏んで主導権を得ると速やかに鎮守府へ向けて走り出した。

 

 そうして妖精の園の緊急出撃ドックへ入り込んだ時には、進ノ介はへとへとで、トライドロンは海水でびしょ濡れだった。

 よれよれのスーツを直そうともせずへたり込んだ進ノ介は、激しい揺れの余韻を感じながら、洗車しなきゃ、と漠然と思ったのであった。

 

 

「やっぱり駄目か」

 

 夕張の工廠に場所を移す。

 進ノ介は、テーブルの上に置いたシフトフォーミュラと、ここにはないトライドロンを思い浮かべて深い溜め息を吐いた。

 事を急いだせいで、シフトフォーミュラに甚大なダメージが蓄積してしまっている。本来ならば走行を中止し、フォーミュラのサポートシフトカー、マンターン、ジャッキー、スパーナを用いて車体を取り替えたり、各部の点検や整備を行わなければならなかったのだが、それをしなかったせいだ。

 海上では止まれないから仕方がないのだが、シフトフォーミュラを傷つけてしまった自分の思慮の浅さに俯いて、自分を信じて力を貸してくれているシフトカーへと胸の中で謝罪した。

 トライドロンも二度の海上走行で中に海水が入ってしまっている。整備が必要だが、ここにドライブピットはないし、整備できる人間であるりんなもいない。

 ここにいるのはテーブルを囲む艦娘達と少女だけだ。そのうちの一人は、頬を膨らませて不貞腐れている様子だった。

 

「むー……」

「島風ちゃん、ご機嫌斜めっぽい? 珍しいっぽーい」

 

 横に目をやって太ももの間に両手をついて座るシマカゼは、誰がどうみてもへそを曲げていた。憧れの仮面ライダーと一緒に戦えなかったのが原因だろう。

 しかし、中身が大人ゆえに普段の生活ではあまり大きく感情を発露させる事の無いシマカゼが、目に見える態度で感情を示しているのは親しい間柄の夕立や叢雲にとって、非常に珍しく映った。

 

「シフトカーが損耗してしまったのね。だったら、私の出番ね!」

『う、ううむ……』

 

 シフトフォーミュラをそっと両手ですくい上げた夕張がそう言うのに、ベルトさんは困ったように呻いた。

 あまり他の誰か、特に組織にはドライブシステムを知られたくないのだ。ここが別世界でも、未来の世界でも、それは同じだった。この強大な力を遺され、悪用されては困るのだ。

 そうも言ってられない状況だというのはわかっているのだが、艦娘や鎮守府といった未知なる存在に技術を明かす事で、いったいどのような影響が生まれるのかはベルトさんにもわからず、二の足を踏んでいた。

 そんな彼の心境を知らず、夕張はらんらん気分で他に何を整備すれば良いのかを進ノ介に聞いている。

 それでトライドロンは妖精の園で妖精達が、シフトフォーミュラは夕張が、それぞれ担当する運びとなった。

 慌ただしく動き回る妖精達の中へ夕張が歩んで行こうとした時に、進ノ介の腰に巻かれたままのベルトさんが声を発した。

 

『待ってくれ。私も……私の点検も、お願いしたい』

「あら、それは願ったり、ね」

 

 振り返った夕張は、笑みを深くして、そう言った。

 願ったりとは、とシマカゼが首を傾げる。

 

「一から技術を解析していくのは時間がかかってしまうもの。あなたなら、何か教えてくれそうね」

 

 夕張は、ベルトさんの発言から彼がある程度の知識を有している事に気付いていた。だからこそのこの言葉だ。

 ベルトさんは、観念して彼女にのみ技術を明かす事にした。どの道トライドロンが万全でなければ安全に元の世界に帰れないし、シフトフォーミュラをこのままにしておく訳にはいかない。夕張や妖精達の技術力はもう目にしているので、後は悪用しない事さえ確約させる事ができれば、彼女は心強いサポーターになるだろう。

 

「夕張さん、シフトカーを直せるの?」

「ええ。時間はかかるかもしれないけど……」

『私が指導しよう。何を隠そう、仲間達を作り出したのは、この私だからね』

 

 心配事を捨てて開き直ったベルトさんが、テレテレ、と陽気なクラクションの音を鳴らして笑顔を作った。

 やっぱり、と活気づく夕張。

 

「お話聞かせてもらっても、いいかしら!?」

「わっ、ちょ、ちょっと待ってくれ、今外すから!」

 

 夕張は目を輝かせて進ノ介の腰に飛びついた。慌ててベルトを外しにかかる彼を待たずにベルトさんを強奪すると、両手で持ち上げてディスプレイに浮かぶ顔と目を合わせた。

 

「開発者がいるなら話は早いわ! 明石の手を借りる必要もなさそうね! これ程の仕事……うふふ、ああ、胸が高鳴るわ!」

「夕張さんのテンションがマックスになってる……」

「キラ付け完了っぽい?」

 

 煌めきを振り撒いて、そのままベルトさんを胸に抱いてくるくる回りながら工廠の奥へ移動していく夕張に、シマカゼも頬を膨らませるのを忘れてぽつりと呟いた。ほんと、ああいうの好きねぇ、と叢雲も同意する。

 机の上からシフトカー達が飛び立って夕張に続いてしまうと、机の上が倍以上広くなったように思えた。

 

「泊さんは、ドライブのシステムの整備が終わるまで待機になっちゃうんだね」

「ああ……そうか、そうなるのか」

 

 シマカゼに言われ、進ノ介は今気づいたと言わんばかりの顔をした。

 何もできないというのも辛いだろう。何か話をせがんで……いや、話し相手になってあげようと考えたシマカゼは、真剣な表情をする進ノ介に、浮かしかけた腰を戻した。

 

「でも、安心してくれ。君達は俺が守る」

 

 スーツの前を正しながら言い切る進ノ介に、目を輝かせたのは少女だけだった。椅子に腰を下ろした彼に飛びつくと、お腹に顔を埋めてぐりぐりと擦りつける。守る、と言われたのが嬉しかったのだろう。それはシマカゼも同じ……だった。

 シマカゼは、一瞬嬉しそうな顔をしたものの、何か引っ掛かりを感じて首を傾げた。やがてその原因に思い当たる。

 

「私達、戦えますよ?」

 

 それは、進ノ介が自分たちの力を知らないのではないかという事、どれ程強いかわからないからそんな声音でそんな事を言うのだろう、と。

 守ってもらわなくたって、自分の力で自分を守れる。

 それはロイミュードが相手だとちょっと辛いかもしれないが、シフトカーのサポートがあって、重加速の枷から解放され、対等に動ける状況なら撃破する事だって可能だ、とシマカゼは言った。

 だが進ノ介は渋い顔をして首を振った。

 

「俺は君達みたいな女の子を戦わせるつもりはない」

 

 しんと場が静まりかえった。

 彼の言葉には、『かよわい』だとか、そういった差別的な意味は含まれていなかったのだが、聞いていた方はそう受け取らなかった。

 

「できれば、深海棲艦とかいう奴らとも戦ってほしくないと思ってる。だって君達は、普通の女の子じゃないか」

 

 それは進ノ介がこの世界に来る前、『艦これアーケード』の資料を見ている時も、何度となく思い浮かべていた事だった。

 なぜこの戦いには女の子を矢面に立たせているのだろう。力があるから? かつての戦う船の現身だから? でも、そんなの、あんまりじゃないか。

 この世界に来て、自分に対して憧れの眼差しを向けるシマカゼの姿や、おっとりとした夕立や、少し冷たい叢雲に会ってその思いは強まった。

 みんな普通の女の子だった。

 執務室で見た幼い子も、この工廠で見た中学生ほどの女の子も。

 生身ではどうあってもロイミュードには太刀打ちできない。装甲を纏わない少女達があの深海棲艦と戦うのはおかしい。

 

 その気持ちの推移にはやはりシマカゼ達が戦う姿を見た事がないのが要因となっており、妖精の姿を見れないのも原因の一つだった。

 もう一つ。

 今、進ノ介の膝の上に乗っている小柄な少女の存在もまた、進ノ介の先程の言葉に繋がる要素だ。

 少女はなんの力も持たない、正真正銘の人間だ。異形が触れればあっさりと命を散らすだろう。それほど脆さを感じさせられた。

 それと一緒にしてしまったのだ。

 この少女のように、目の前の少女達も守らねばならない存在なのだ、と。

 戦わせる訳にはいかないのだ、と。

 だからその前に奴を倒さねば。そう考えてしまった。

 

 進ノ介に悪気はなかった。

 本気で彼女達の事を想って、そう口にしただけ。

 

「……なにそれ」

 

 冷えた声を発したのは、シマカゼだった。

 熱い眼差しも笑みも消え失せて、表情を無くした少女が、静かに問いかけた。

 

「戦うな、だって?」

「そうだ。俺は、君に――」

「ふざけないで!!」

 

 バァン、とシマカゼが両手を机に叩きつけた。

 いつの間にか立ち上がってキツく睨みつけてくる少女に、進ノ介は二の句が継げずに口を閉ざした。腕を置いている机がびりびりと震えるのが、どうしてか鮮明に感じられた。

 

「私達にとって、戦う事が生きる事なの。それが私達の誇りなの! なんにも知らないくせに、口出しなんかしないで!」

 

 肩を震わせてシマカゼが叫ぶ。

 否定するな。そういった強い感情がこもった言葉だった。

 自分を慕うばかりだった少女の豹変に何を言う事もできず、ただ、進ノ介はシマカゼの目を見返した。

 ふいとすぐに逸らされてしまったが……。

 

「……行こ、夕立ちゃん、叢雲」

「し、島風ちゃん……」

 

 二人を促しながら席を離れて出口へと向かうシマカゼが、途中で立ち止まって二人を促した。振り返りは、しなかった。

 これほど激しい怒りを露わにするシマカゼなど、夕立も叢雲も見た事がなかった。そもそも彼女が怒るところなんて見た事がない。だから戸惑って、しかし、応えない訳にもいかず席を立った。

 叢雲は、座ったままだった。

 

「……信じらんない」

 

 軽蔑するような言葉を吐き捨て、すたすたと歩いて行ってしまうシマカゼと叢雲の方を交互に見ていた夕立が慌てた様子で後を追ってしまうと、俯いてしまった進之介と、何も言わない少女と叢雲だけが残った。

 膝に収まる少女が手を伸ばして進ノ介の頬に触れる。慰めるように二度、優しく撫でた。

 

「……私達には、私達なりの戦う理由があるのよ」

 

 部屋の内部へ目を向けながら足を組んだ叢雲が、囁くような声量で言った。

 些細なフォローは、進ノ介の耳に届いているかは怪しい。

 彼は顔を上げると、テーブルの上で手を組んで、強く握り合わせた。

 これでいいんだ。

 戦わせないためには、守るためには、たとえ嫌われようとも。

 遠くでする何かの駆動音だけが、この場に届いていた。

 

 

 戦う理由。

 シマカゼの戦う理由は、朝潮だった。

 彼女を守る。そう誓った。

 みんなも守る。そう決めた。

 だから、戦うなというのは、守るなと言われている事と同義。

 朝潮を守らない自分なんて、シマカゼは想像できなかった。

 そもそも艦娘としての自分には戦う以外はない。

 戦う事が生きる事なのだ。守る事が、生きる事なのだ。

 それを取り上げられたら、シマカゼには何も残らない。

 生きる理由も、生きている意味も、ここに存在する理由さえも。

 

『艦娘にとって戦う事が存在する意義だ』

 

 いつかどこかで聞いた言葉が、胸の内でこだまする。

 

 そう。

 そうなの。

 私は戦うために生まれたんだよ。

 

 胸の奥の、心の中の海の裏側で誰かが囁いた。

 

 だから、私から戦う事を奪わないで。

 あなたのような人が私を否定しないで。

 

「なんだか、さっきの島風ちゃん、島風ちゃんっぽくなかったっぽい……」

「…………」

 

 隣に並んだ夕立がおずおずと話しかけてきても、シマカゼは返事をしなかった。

 張り裂けそうな胸の痛みに顔を顰めて、ただ、歩いていた。

 

 

 夜半。

 夕張の工廠の奥、扉を潜って、三つめの部屋。

 そこそこの広さが確保されたその場所で、急造の台に巻き付けたベルトさんに見守られながら、夕張はシフトフォーミュラの整備をしていた。

 妖精達と協力して作り上げた三つのアームがついた台にシフトフォーミュラを置き、光の線を照射して、様々な角度から小さな車体に隠された膨大なデータを端末に取り込んでいく。

 手に持つ端末――カンドロイド・試作弐号機から浮き出る光の板と、パソコンの画面を見比べながら、絶えず指を動かして端末を操作する。

 ベルトさんは何も言わないでいるものの、夕張や妖精達の技術力に感嘆していた。

 あっという間に全てのシフトカーのデータを取り、言われた通りの知識をすぐさま実際に運用して、本職に負けない働きを見せている。

 願うならば彼女達のような協力者が元の世界にもいたなら、ロイミュードの撲滅はもっとはやく……いや、過ちを犯す前に終わっていたかもしれないとさえ思えた。

 

「はい、完成! どう?」

『見事な手際だ。君も、君の仲間達も、素晴らしい腕をしているね』

「ありがとう。ほとんどあなたのおかげだけど……。うん、データもばっちりね」

 

 パソコンの前へ移動して画面を覗き込んだ夕張がマウスを操作していくつか画面を出し、流し見て確認していく。

 これで一仕事終えた。情報が与えられた妖精達もすぐさまトライドロンの整備に着手するだろう。

 このままいけば、夜明けを待たずにドライブシステムの全てを万全な状態にできる。夕張がそう告げれば、ベルトさんはディスプレイを光らせて笑った。

 

「うーん、眠い! ……もうこんな時間なのね」

 

 腕を伸ばし、胸を反らして伸びをした夕張は、口元を隠してあくびを一つすると、端末で時間を確認した。日付が変わっている。肝試しもその後の立食パーティも、とうに終わっているだろう。

 先に懐中電灯だけ渡しといて良かった、と夕張は腕を回しながら考えた。

 たぶん時間には間に合わないだろうと思って他の参加者に渡しておいたのだ。予定より速く終わっていれば、それで自分が駆逐艦達を怖がらせるつもりだったのだが、気がつけばこんな時間。

 布団が恋しいわと呟いた夕張に、『良い夢を!』とベルトさんが言った。就寝前の挨拶と言ったところだろう。

 

「ええ、おやすみなさい……あら?」

『どうしたのかね? ……おや?』

 

 端末を傍の机に置き、寝室に向かおうと出入り口へ歩み寄った夕張は、はたと足を止めた。ベルトさんが疑問の声をあげ、夕張の視線を追って、怪訝そうにする。

 

「なあに、島風ちゃん。眠れなくなっちゃったのかしら~?」

「…………」

 

 少しだけ開いた扉から、シマカゼが顔を覗かせていた。



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10-1.フィナーレ・勝利を刻むべき水平線は

ごめんなさい、明日の後編で最後です。



ケイちゃんに、義足を。
明石に頼み込んで、一晩で作り上げてもらった義足で、
ケイちゃんは踊れる足を手に入れた。
肝試し後の立食パーティーには出られなかったが、提督に約束を取りつけ、
近日中にライブを開く事が決まっている。
いっそう熱を入れて練習に励む那珂、吹雪、ケイちゃんの前に、
ジャンプロイミュードが現れた。
さらにそこに意外な敵も加わり、シマカゼも助けに入って、
戦いは混戦を極める。しかもシマカゼには何やら秘策があるようで――。


 明け方の鎮守府には、早くも起きだして活動する妖精達の出す様々な音が静かに広がっていた。

 気持ちの良い朝の陽射しに照らされた明石の工廠の前でも、妖精達が木材や機材をゲートの前に並べ、数や状態を確認している。

 工廠の内部では、那珂と吹雪が明石の行う作業をじっと見つめていた。

 

「……よし、と。……どう? 動く?」

『……アア』

 

 背もたれのない丸椅子に腰かけたケイちゃんは、自分の足の付け根に接続された黒い義足を緊張した面持ちで見下ろして、すこしぶらつかせてみた。ケイちゃんの体から信号を受け取った義足が軋む音を立てて稼働する。ぴょこ、ぴょこ、と動きはするが、全体的に無機物といった印象だった。特に足首の関節が硬く、反応も鈍い。

 

「一日でできるのはこれくらいね。まだまだ何度か調整しなきゃいけないけど、とりあえずは、体を支えられるはずよ」

 

 まずは神経の伝達がスムーズになるまで、座ったままで足を動かしていてね。

 そういって、ドーナツ状の機械の裏側へ明石が消えていくのを見送ったケイちゃんは、次に、傍で自分を見る二人を見上げた。

 

「良かったねぇ、ケイちゃん。これで踊れるよ!」

「どんな感じですか? その、大丈夫でしょうか?」

 

 無邪気に喜ぶ那珂と、無機質な義足を怖々と眺める吹雪に、ケイちゃんはふいっと視線を動かして新しい足を見下ろした。

 

『悪クハナイナ……ケド、コレ……』

 

 義足をぶらつかせて何度も感覚を確かめるケイちゃんは、その出来自体には満足しているようだが、気になる点が二つあるらしい。

 見た目と、値段だ。

 この機械的な足は、深海棲艦としての彼女にはぴったりなのだが、那珂や吹雪と並んで歌って踊るとなるとちょっと物々しすぎる。艦娘とは違った体と接続するために義足に使われている特殊な合金は着色が難しく、機能面での損失も有り得るために、作り上げたままの黒色となっている。

 ただ、それだけあってこの義足はかなり高機能だ。見た目とは裏腹に生物的。少しすると、足の芯のあたりからほんのりと熱を感じ始める事ができるだろう。それは、義足内部を循環する血液の役割を持つオイルがしっかりと役目を果たし始めているという事。

 

「見た目なら、ほら、これで!」

 

 那珂が小躍りするような動きでケイちゃんの横にある小さな箱から、一足の靴下を取り出した。黒のサイハイソックスだ。薄手だが、耐久性は抜群。伸縮性もあるので、義足の関節部や稼働部にひっかかる危険もない。

 

「明石ちゃんの用意してくれた衣装と合わせれば、ばっちりかわいい足になるよ!」

『ソレハ、ソノ……マア、良インダケド』

「ひょっとして、お値段が気になったり……? た、高そうですもんね、これ」

 

 いそいそと手ずからケイちゃんの足に靴下を通していく那珂に、はかされている方と眺めている方は、別の事に意識を傾けた。

 

「いーのいーの、お金の事は気にしないで。それより、これからびっしばっし練習してくんだから、心構え、ちゃんとするんだよ!」

『イイト言ワレテモナ……ソ、ソレニ、人前ニ出ルノハ不味クナイカ?』

「大丈夫だよー、ケイちゃんかわいいもん。ね、吹雪ちゃん」

「そうです、安心してください! きっとみんなも、わかってくれます!」

 

 話を振られた吹雪が、両拳を握ってぶんぶんと頭を縦に振った。ほら、と、那珂が笑った。心配事など一つもないといった風にソックスに包まれた義足を一撫ですると、上も着替えちゃおうか、と促した。

 

『…………』

「まだ駄目? それとも、不安かな。なら、那珂ちゃんが肩貸してあげるね」

『イヤ、イイ。自分ダケデ歩ク』

 

 足ができた事によって上着だけじゃ隠せない部分も出てくるし、スカートが必要になるので、座らせたままでは着替えができない。

 しかし、自分でやると言ったケイちゃんは『足で立つ』というアクションに不安を抱いているようで、足と地面をじっと見つめて固まっていた。

 やがて決意を固めたのか、微かに頷くと、席に手をついて、まずは腕の力だけで体を持ち上げた。足裏を床に設置させると、ぎし、と体重が乗って、腰を上げて一息に直立する。腕を広げてバランスを取りながら体を安定させようとしたケイちゃんは、前へ重心が移動してしまうのに慌てて一歩踏み出して――。

 

『ッ!』

 

 それだけでは止められず斜めに体が倒れた。

 

「っとぉ!」

「まだ、駄目そうですね」

 

 両側から那珂と吹雪が支えて、事なきを得た。

 体を立て直して貰ったケイちゃんは、ただ歩くという行為にさえ失敗した自分が恥ずかしらしく、頬を染めてむっつりと黙り込んでいる。

 何も言わないまま那珂と吹雪を手で押し退けると、今度も自分の力だけで歩き始めた。

 足を前に。膝を曲げて上半身の体重を支え、腰を落として安定させる。屈伸していた足を戻す際の力を補助としてもう片方の足を前に。同じ動作で体を安定させる。その繰り返し。

 

『……ヨシ……ヨシヨシッ、ドウダ!』

「あー、うん。上手、かな?」

「あはは……」

 

 ……のっしのっしという擬音が似合いそうな歩き方に二人は苦笑して、とりあえず褒め言葉を投げかけた。微妙な笑みを向けられているとも知らず、ケイちゃんは喜色満面で円を描くように歩き回り、ホラホラ、見ロ! としばらくはしゃいでいた。

 

 彼女の歩き方が正常なものに近付き、「足ニ感覚ガ出テキタ」と言ったところで、衣装替えをする事になった。

 川内型の改二衣装を脱ぎ、箱から取り出した半透明のビニルに包まれた元々の衣服を広げて、一度体に合わせる。ほんのり暖かい布は肌に触れるとよく馴染んで、ああ、これこそが自分が着るべきものなんだな、と実感した。

 

「肌着も入ってるし、そっちも変えちゃおっか」

「脱いだもの、洗濯に出して来ますね」

 

 那珂が薄桃色の肌着を広げて見せるのにケイちゃんは頷いて、今身に着けている飾り気のない白いブラジャーを外すと、手渡された肌着に頭を通した。胸の上に乗った布を引っ張って正し、お腹周りの皺も伸ばす。

 ふと、ケイちゃんは周りから向けられる複数の視線に気づいた。

 床や何かの検査用の大きな機械の上、軽トラックの窓の向こう、椅子の横の箱の陰……様々な場所から妖精達が顔を覗かせて、ケイちゃんの動向を監視していた。

 みんなが眉を斜めにして楕円形のお目目も険しくしているから、迫力満点だ。さすがのケイちゃんも怖くなって、頬が震えるのを抑えられなかった。

 

(カワイイ……)

 

 ケイちゃんに見られているとわかったテーブルの上の妖精は、はっと口を開いて、すぐさま全力で駆けだすと、筆立ての後ろに滑り込んだ。ずざーっとそのまま筆立ての陰から飛び出して、ふぅいと額を拭い、一息つく。付近の妖精がサムズアップして彼女の隠密行動を称えた。

 

「…………」

『……ドウシタ?』

「あ、ううん、なんでもないよ?」

 

 胸元の服を引っ張って難しい顔をしていた那珂へケイちゃんが声をかければ、彼女は慌てたように笑顔を取り繕って、さ、下も脱いで脱いで、と急かし始めた。

 元々スカートやらズボンは穿いていなかったので、下着一枚を脱いで代わりの物と交換する。脱いだ衣類は綺麗に畳まれて吹雪の腕の中だ。洗濯に行くという彼女の好意を汲み取って、ケイちゃんはできるだけ急いで着替えを済ませた。

 黒で統一された上下を着こみ、胸元に髑髏のブローチをつけて帯を止め、前を閉じる。フリル付きの大きなリボンを腰に巻いて背中側でふわりと結べば、とりあえず服は完了。最後に、椅子に座って漆塗りのブーツを履いて、皮に通る紐を引く事で義足の太さに合わせれば完成。深海のアイドルケイちゃんだ。元は大きく出ていた肩や胸元は、下に着込んだ白いシャツに覆われている。肩で膨らむタイプで、首から胸元へかけて小さなボタンがいくつかついているが、これは装飾。ぱっと見では上着と一体になっている風になるように仕立てられている。

 

「それじゃあ、私は服を洗ってきちゃいますね」

『……オ願イスルワ』

「はい!」

 

 よいしょと追加の衣服も腕で挟んだ吹雪が、一言断って駆けていく。

 入れ替わりに奥から明石がやってきた。

 

「調子はどう? 足に違和感はないかな」

 

 普通に立って歩くケイちゃんを見ると、明石は持ってきていたクリップボードにペンを当てながら幾つか質問を投げかけた。痛みはないかとか、痒くないかとか、後は、足に触れて感覚があるかどうかを見た。

 

「今のところ不具合は出ていないみたいね」

 

 簡単な動作テストをすると、明石は頷いて、那珂に向き直った。

 

「時間に余裕がなかったから、スペアなんかはないわ。取り扱いには十分注意してね」

「うん。ありがとー明石ちゃん!」

「私は頂いた金銭分の仕事をしただけです」

 

 少し冷たい態度で一歩引いた明石が、それで、どうするの? と問いかける。

 

「これから練習だよ。お披露目の場は用意してもらったもんね」

「そうじゃなくて、その、彼女の事よ。まだ提督には見せてないんでしょ?」

 

 みんなにも。

 きっとみんな、驚くわ、と不安げに言う明石に、そうだね、と那珂も同意した。

 

「きっとびっくりして、それから、ケイちゃんの事、すっごく好きになってくれると思う!」

「前向きね。『大歓迎』されない事を祈っておくわ」

 

 義足を作ったとはいえ、明石はケイちゃんをあまり信用していないようだ。そのまま背を向けて去って行こうとする明石を、ケイちゃんが呼び止めた。振り返った彼女には表情は浮かんでいなかった。

 

「何かな」

『……イヤ。……ソノ、ア、アリガ、トウ』

「……お礼なら那珂ちゃんに言ってね」

 

 不器用な感謝の言葉にぴくりと眉を動かした明石は、それだけ言うと、今度こそ歩いて行った。

 

 

 A海域。

 夕張の工廠に近い海に、二つの人影があった。

 不安定な足場に大きく体を揺らし、バランスを保とうとするドライブと、それを見守る叢雲だ。

 本棟の一室で夜を過ごした進ノ介は、翌朝、夕張の工廠でベルトさんにこう告げられた。

 

『海の上でも行動できるよう、夕張がチューニングしてくれた。まずはトレーニングをしたまえ』

 

 突然の話に驚きながらも、もしジャンプロイミュードが海へ逃げても躊躇なく追えて、深海棲艦が現れようと安定して交戦できるというのは大きい。トレーニングをする意味はわからなかったが、A海域の使用を申請した後に――提督への判断や現場のセッティングはお目付け役(代役)の叢雲がすべてやった――海へ出た。

 そこで改めて、波の立つ海面が普通の地面とは違うという事を思い知らされたのだ。

 

「おっ、おっ、っと、っとぉ!」

 

 とにかく体が揺れる。重心がぶれる。

 幸い、ドライブシステムは『海面の歩行を可能にする』ではなく『海面での行動を可能にする』方向で手を加えられていたので、転倒しようが三点倒立をしようが、海に沈む事はなかった。コア・ドライビアを用いた防護フィールドも張られているので、早々水に濡れる事もない。が、そのせいで波が厄介な敵になっている。

 

「うわっ!」

 

 引いては寄せる波の、一際高いものに転がされて尻餅をついたドライブは、そのまま横になって肘をつき、頬杖をついた。

 

「はあ、上手くいかねーな……」

 

 なんて呟きのさなかに、また波に転がされて慌てて立ち上がる。

 はたで腕を組んで眺める叢雲は、そんな彼の奮闘に口出しする事もなくじっと視線を送っていた。

 

「どうやったら安定して立てるんだ? なぁ、何かコツとかあるのか?」

 

 それから数度バランス取りを試みて転んだドライブは、叢雲と目が合うと、今の自分が客観的に見てあまり格好良くない事に気付いて、恥ずかしくなりながらもそう聞いた。

 

「さあ?」

「『さあ?』って……」

「私達にとって、海の上を走るのは生まれた時からある能力だもの。コツがあるかと聞かれても答え辛いわ」

 

 腕を解いて腰に当てた叢雲は、ひらりと手を振るとそうつけ加えた。

 がっくりと肩を落とすドライブに、今度はベルトさんが声をかける。

 

『進ノ介、今の君は艦娘と同じ体を持っている。意識を切り替えるんだ。立って歩こうとするのではなく、彼女達のように、浮かぼうとするんだ』

「浮かぶ……って言ったってな」

 

 首を傾げつつ立ち上がったドライブは、言われた通り、体勢を整えるために立つのではなく、波に揺られながらも浮かぶ事をイメージした。それはまさしく船のように。

 

「おお……!」

 

 そうすると、ドライブは波に揺られても体勢を崩す事なく、海の上に立つ事に成功した。

 結局はイメージの問題だったのだ。ドライブのイメージがコア・ドライビアを通して装甲や姿勢制御に加えられた艤装としての能力をしっかりと引き出し、あたかも艦娘のように海上の移動を可能にしたのだ。

 

「おめでとう」

「ああ、サンキューな」

 

 短く労う叢雲に、ドライブも彼女を労った。早朝から続くこのつまらない訓練風景をじっと見守ってくれていたのだから。

 ドライブは、なんの緊張もなく地面の上と立つのと同じように海面に佇む叢雲を、静かに見つめた。

 散々苦労したのを鼻で笑うように、波がきてもびくともしない体に、これが艦娘なのだと今さらながらに実感した。

 

「……艦娘か」

 

 進ノ介の脳裏にうさみみリボンの少女の顔がよぎった。輝く笑顔から、冷たい失望の表情。異様に尊敬されていた時間はごく短い間に終わってしまった。

 

『ずばり、君は今、あのシマカゼという少女について悩んでいるね?』

「……ああ、よくわかったな」

 

 君の心理状態はある程度把握できるからね、と嘯くベルトさんに、進ノ介は困ったように笑った。

 

『君が言った事は間違っていない。私も同じ気持ちだった』

「でも、あの子は」

『そう。君は彼女を傷つけてしまった。それは変えようのない事実だ』

 

 叢雲に促され、陸へと向かって移動しながら、進ノ介はベルトさんと言葉を交わしていく。

 

『彼女は……彼女達艦娘は、生まれながらにしての戦士だ』

 

 それはいわば、ロイミュードに対抗するために生み出された戦士ドライブと同じもの。

 

『彼女達には戦うべき理由があり、意思がある。それを否定してはならなかった』

「……わかってるさ。散々考えた。でも――」

 

 ベルトさんの言葉に言い返そうとした進ノ介は、がくんと体が揺れるのに言葉を切った。

 叢雲が驚いた表情で体勢を崩し、そのまま止まっている。

 どんよりだ!

 

『進ノ介。ひとまず敵の場所へ急ごう!』

「ああ。行くぜベルトさん! 今度こそ、必ず奴を倒す!」

 

 叢雲の横を通り抜けて駆け出したドライブは、風となって、瞬く間に陸に上がった。

 

 

 ドライブが海の上で転んでいた頃。

 那珂と吹雪とケイちゃんの三人は、息を切らせて本棟の裏へやってきていた。身を低くしてこそこそと夕張の工廠の方に出て、壁に開いた四角い出入口から海に面した小さな港に出ると、裏手に回って、ようやく一息ついた。

 

「はぁー、びっくりしたぁー」

「体育館に人が来るなんて、珍しいですね」

 

 ほふー、と息を吐いて額を拭う那珂に、吹雪が同意する。

 彼女の言う通り、何かを取りに来たのか、体育館に数名の駆逐艦がやっってきたのだ。今はまだケイちゃんの存在を知られる訳にはいかない。舞台裏に逃げ込んで駆逐艦の子達の動向を窺っていたが、何分経っても準備室から出てこないので、さっさと場所を移してしまったという訳だ。

 工廠や妖精の園の裏手は、ここもまた人が来ない穴場だ。鎮守府に併設された軍の基地とは海まで続く大きな壁に阻まれているし、緊急出撃ドックに挟まれたこの場所は、ただ海を眺めるだけのスポットとなっている。感傷に浸りたかったり一人でいたかったり、はたまた早朝にランニングをする子ぐらいしか、ここには訪れない。

 

「ここじゃあんまり大きな声も出せないねぇ。良い機会だし、ダンスの練習に集中しよっか!」

「はい!」

『構ワナイケド……本当ニ誰モ来ナイノカ?』

「来ない来ない。もし来たって、那珂ちゃんが締め落としちゃうから大丈夫!」

 

 こう、きゅっと首を、と物騒な事を言う那珂ちゃんに冷や汗を浮かべつつ、二人は並んで那珂ちゃんの指導に合わせて踊りの練習を始めた。

 左右にステップ、腰を捻って手を振り上げて。新曲に合わせたスピーディーな動きは歌との擦り合わせが難しく、微調整を繰り返す。

 

 招かれざる観客がやってきたのは、三人が汗を掻き始めた頃だった。

 

「……?」

「吹雪ちゃん、手、止まってるよ!」

「あっ、すみません!」

 

 水平線に見えた粒に動きを止めた吹雪が那珂に注意されて、慌てて手拍子に合わせて体を動かす。今度はケイちゃんが動きを止めた。

 

「もう、どうしたの? もしかして、義足の調子が……」

『何カ来ル』

「え?」

 

 ケイちゃんが呟いた時にはもう、近付いてくる者の姿ははっきりと見えていた。

 高く跳ねる事で海上を移動する人型の異形。歪んだ兎の姿をしたジャンプロイミュードだ。

 そいつは、十メートルほどの距離を一息に跳んでくると、三人から離れた位置に着地した。鉄がぎっしり詰まった体通りに、重々しい音がして、床に(ひび)が走った。

 

『見つけたぞ……』

「な、なんですか、この……『人』?」

「深海棲艦……新種?」

 

 のっそりと身を起こすジャンプを警戒し、身を寄せる三人に、ジャンプは気怠げに首を回して、それから、ケイちゃんを見た。

 ケイちゃんにはこの異形に見覚えがあった。昨日、明石の工廠に向かう際にみかけた奴だ。でもそいつがどうしてここに現れたのかまではわからなかった。

 それはジャンプ自身が説明してくれた。

 

『――フゥ』

「なっ、え!?」

「!」

『……!?』

 

 黄色い幾何学模様がジャンプの身を包むと、奴は……ケイちゃんに姿を変えていた。義足付き。今のケイちゃんの情報を完全にコピーしている。

 

『俺ハオ前ニ"シンパシー"ヲ感ジタノダ』

 

 あの時。

 ドライブから逃げ出し、ケイちゃんと視線が交錯した、あの一瞬。

 ジャンプは無意識にケイちゃんをコピーしていたのだ。

 高くもおどろおどろしい、ケイちゃんの声なのにそうでない声でジャンプはにたりと笑った。青い光の灯った瞳は、獲物(えもの)を見つけた狩人の……いや、生き別れの兄弟に会ったかのような感動に満ち溢れていた。

 

『俺ハ打チ震エタ……!』

 

 拳を握り、体を震わせるジャンプは、軽巡棲鬼の姿で何かに想いを馳せるように様々な感情の滲んだ声を吐き出した。

 ドライブがいなくなってしばらくして、海上で未知の異形……深海棲艦に囲まれたジャンプは、しかし周りなどに目をくれず軽巡棲鬼の姿になった。その瞬間、ずっと昔からの記憶が雪崩のように頭の中を蹂躙し、積み重なってきた感情が、想い出が、言葉が胸をズタズタに切り裂いたのだ。

 ジャンプは絶叫した。軽巡棲鬼の声は、負の感情そのものだった。握り締めた赤いミニカー……ネオバイラルコアが軋みを上げるほど強く拳を固めて、同時に、歓喜に打ち震えた。

 見つけた。進化へのキッカケ。

 ジャンプは、自分に従う深海棲艦を引き連れて、まずは傷を癒す事に専念した。一晩経てば三人ライダーの必殺技による傷は完全に癒え、万全の状態で今度はコピー元の捜索を始めた。

 

『サア、サアサアサア、俺ト ヒトツニナルノダ!』

「ちょっとぉ、お触りは厳禁だよ!」

 

 腕を伸ばしてケイちゃんへ近付くジャンプの前に那珂が立ちはだかった。何も言わずに腕を振るったジャンプの腕を那珂は容易く絡め取り、力の方向を変えて地面へ叩き付けた。

 

「那珂ちゃんは艤装がなくても戦えるんだよ! 完璧なアイドルだね!」

「私っ、応援を呼んできます!」

 

 不可思議な現象と未知なる敵。那珂ちゃんはいつもと変わらず、ただ勇ましい笑顔でブイサインを作ったりしたが、吹雪は大慌てだ。艤装の無い状態で未知の深海棲艦と戦かうなんて無謀だ。応援を! そう思って敵に背を向けた時、また理解の外の出来事が起こった。

 

『ウグ……小癪ナ!』

 

 重加速が辺り一帯を包む。この中で動けるのは、これを相殺する波動を放つコア・ドライビアを持つ者だけだ。那珂も吹雪もケイちゃんも、どんよりの波に飲まれた際の傾いた姿勢で止まっている。

 ジャンプは悠々とケイちゃんへ歩み寄った。

 

『思イ出セ、アノ海で起キタ惨劇ヲ……二度ト拭エヌ憎シミヲ!』

『ナンノ……話ダッ!』

 

 押し付けられたネオ・バイラルコアの効力で一時的に自由を取り戻したケイちゃんは、すかさず自分に向けて伸ばされるジャンプの手を払った。手の平からネオ・バイラルコアが零れ落ちたために再び重加速に囚われてしまう。

 またすぐに、体の自由が戻る。ジャンプは懲りずにバイラルコアをケイちゃんに握らせたのだ。

 

『アノ日ヲ思イ出スノダ。ソシテ乗リ越エヨウ! ――俺と共に!』

 

 姿を変え、元のジャンプへ戻った怪人の手からバイラルコアを奪ったケイちゃんは、素早く身を引いて両腕を広げ、下腹部を突き出した。

 攻撃体勢。下半身の異形が口を開き、砲身を覗かせる。そして砲撃をする――彼女の体が前と同じだったならば、そういう風になっていただろう。

 だがそうならなかった。今の彼女の下半身についているのは、スカートとすらりとした足だ。砲撃する機能など無く、攻撃はできない。

 身構えていたジャンプは拍子抜けしたような顔をして悠々と歩み始める。

 

『ケイちゃん、逃げて!』

 

 歯を食いしばってじりじりと後退るケイちゃんに、那珂が叫んだ。ケイちゃんは逃げない。近付くジャンプから距離を取ろうとしているものの、反転して逃げ出そうという気配はなかった。二人を置いて行けない。そう思っていたのだ。

 

『再び絶望しなければ乗り越えようもないというのか……ならば』

 

 恐れを抱かせるように近付かせるだけだったジャンプは、反転すると、ちょうどこちらを向いている吹雪へと襲い掛かった。

 

『ヤメロ!』

 

 後退するのをやめたケイちゃんが駆け出しても、もう遅い。

 振り上げられた手刀が吹雪の首を刈り取る――その前に、曲線を描いて飛んできたシフトカーがジャンプの腕を弾いた。

 火花を散らした腕に振り回され回転する体へと、助けに入ったシフトカカー、パトカーのような姿のジャスティスハンターが何度も突撃を繰り返し、ジャンプを遠くへ追いやる。

 この場へ近づく足音があった。カツ、カツと鋭く、硬い音。ジャンプを吹き飛ばしたハンターが宙返りして、戻っていく。

 掲げられた左腕、カンドロイドの表面に追加されたシフトランディングパネルにハンターが収まると、腕を下ろしてハンターに手をかぶせ、押し込んで端末内に収納したシマカゼは、睨みつけるように面々を見回した。

 

『島風ちゃん!?』

 

 助けに入ったのが友達だと気付いて、吹雪は安堵と驚愕が混ざったような声を発した。

 なぜこの妙な重力の中で自由に動けるのか。なぜ今この場に来たのか。飛び回る車はなんなのか。

 疑問が渦を巻く。だが、吹雪が動揺した理由は他にあった。

 ケイちゃんだ。

 深海棲艦であるケイちゃんは当然艦娘の敵だ。シマカゼは、腕をついて立ち上がろうとするジャンプもだが、険しい顔をするケイちゃんにも鋭い目を向けていた。

 

「なんでこんなとこに軽巡棲鬼がいるのか知らないけど……いいや。ロイミュードごと倒す」

『……!』

 

 カンドロイドを備えた腕を胸の前に構えるシマカゼに、ケイちゃんも警戒して構えをとった。

 

『駄目!』

 

 このままでは二人が戦い合ってしまう。そんな事があってはならない。

 吹雪の叫び声は、ごう、と風が唸る音に掻き消された。

 

「……え?」

『……コレハ!』

『なんだ! 次から次へと邪魔をしおって!』

 

 歩みを止めたシマカゼが海の方へ目を向ければ、薄い雲がこちらへ流れてきていた。

 地上を走る雲。それは、分厚い霧。

 薄黒くも先を見通させない霧が、瞬く間に全員を飲み込んだ。

 髪が持ち上げられ、服がはためき、強風が荒れ狂うと、ぽっかりと円状の空間が開く。

 

『オオ、ヤット辿リ着イタ』

 

 暢気な声を発しながら霧の中から歩み出てきたのは、戦艦レ級だった。

 赤い光を纏い、異形の尻尾を揺蕩わせながら、その目はケイちゃんのみを見ている。

 

『始末ヲツケニ来タゾ、出来損ナイ』

何故(ナゼ)……ミ、見逃シテクレタンジャ……』

 

 軽巡棲鬼として生まれたあの暗い海で、ケイちゃんはレ級に襲われた。

 訳も分からず捻り潰されそうになって、逃げ出して……でも、回り込まれて。

 死を覚悟して目をつぶった後には、レ級はどこにもいなかった。

 だからこう思っていたのだ。

 『私ハ見逃サレタ』のだと。

 

『イーヤ、別ノ奴ヲ壊シニ行ッテタダケサ』

 

 それが終わった今、当然次のターゲットはお前だ。

 狂気的な笑みを浮かべて死の宣告をするレ級に、ケイちゃんは震えが隠せなかった。

 レ級の尻尾が持ち上がる。向かう先は当然ケイちゃんだ。異形の口が開き、ずらりと並んだ歯の奥に、青白い光が見えて――。

 

『サセルカ!』

『ァン?』

 

 ケイちゃんの前へ軽巡棲鬼の姿のジャンプロイミュードが躍り出た。

 腕を広げ、体を張って盾となるジャンプに、レ級は『誰ダコイツ』と言いたげな顔をした。

 

『彼女ヲヤラセハシナイ。俺ニトッテ大切ナモノダカラナ』

『ン~……? 貴様……』

 

 突然の闖入者に訝しげな目を向けたレ級は、はっとして、目を細めた。

 

『貴様ハ深海棲艦デハナイナ……深海棲艦ニナルベキ艦娘デモナイ。……貴様ハナンダ?』

『ロイミュード……と言って通じるのか?』

 

 幾何学模様に身を包み、ジャンプロイミュードの姿へ戻ったジャンプが、カッと紅い目を光らせた。放たれた光線がレ級の胸を穿ち、小爆発を起こす。吹き飛ばされたレ級が霧の向こうへ消えていくのを見届けたジャンプは、大仰な動きで身を翻してケイちゃんへと向き直った。

 

『さあ、俺と来るんだ。一緒に跳ぼう! あの輝かしき月の向こうへ……!』

「こらっ、お触り禁止って言ってるじゃん!」

 

 ケイちゃんへ向かう腕を阻んだのは那珂だった。

 

『貴様、なぜ動ける!?』

「やぁーっ!」

 

 動けるはずのない敵が動いているのに動揺したジャンプを、那珂は肩から突っ込んで持ち上げると、地面めがけて投げつけた! 先程より強烈な投げが決まり、地面に強かに背を打ち付けたジャンプが苦しげに呻く。地面を擦る勢いは止まらず、海に落ちて水飛沫を撒き散らした。

 

「ケイちゃん、大丈夫?」

『ア、アア……デモ、ナンデ』

「な、なんか、島風ちゃんがくれたこれを持ったら、急に動けるようになって……」

 

 困惑するケイちゃんの前に吹雪までやってきた。胸に当てた両手に、おもちゃのようなシフトカー、シフトワイルドがある。那珂ちゃんの手にもシフトテクニックが握られていた。

 シマカゼはジャンプとレ級が向かい合っている隙に、那珂と吹雪にシフトカーを与えたのだ。シマカゼ自身は、シフトスピードをカンドロイド内に持っていて、この重加速の中でも自由な行動を手に入れている。

 那珂と吹雪は、手にしたシフトカーに目を落とすと、僅かに笑みを浮かべて頷いた。

 

「この子達が守ってくれるって」

「結局、いつもお世話になっちゃうねぇ。今度、那珂ちゃん特製アイスキャンディを贈ったげようっと」

 

 それぞれがケイちゃんに話しかけて、脇を固める。

 霧はまだ出ている。いつレ級が出てきてもおかしくないし、ジャンプが這い上がってくるかもしれない。油断はできない。それは、シマカゼに対してもだった。

 シマカゼは怪訝な表情で三人を見回した。その目がケイちゃんで止まると、すっと細まる。胸元に持ち上げた端末上部のでっぱりを指で挟むと、引っ張った。照射された光で描かれた羅針盤が高速回転、四方に浮かぶ妖精の内の一匹、ひよこを頭に乗せたポニーテールの羅針盤妖精さんが手を叩きつけて円を止める。W(西)の文字が中心に大きく浮かび上がった。

 

「ちょ、ちょっと待って島風ちゃん!」

「……なんで止めるの、吹雪ちゃん」

 

 バッと腕を交差させて腰を落としたシマカゼは、明らかに攻撃体勢に入っていた。彼女がこうして前動作をした後に敵を粉砕する強烈な蹴りを繰り出すのを、吹雪は良く知っていた。だから慌ててケイちゃんの前に出ながら彼女を止めようと必死になった。

 胡乱げな目が吹雪を刺す。なぜかはわからないが、シマカゼは機嫌が悪いようだった。こんな風に睨まれた事などない吹雪は泣きそうになって、助けを求めるように那珂を見上げた。那珂もまた、吹雪を見下ろしていた。視線がかち合うと、任せて、とウィンクされる。

 

「この子、那珂ちゃん達のグループの新しいメンバーなんだ。ケイちゃんっていうの。ほら、ケイちゃん、ご挨拶!」

『ヨ、ヨロシク、オ願イシマス、デス』

「…………? ………………?」

 

 ぎこちない動作で頭を下げるケイちゃんを上から下まで眺め回したシマカゼは、より困惑を深めた。

 よくみるとこの青白い肌の女の子は艤装を持ってない。見た目は軽巡棲鬼だが、足がある。衣装は似ているが、かわいらしい大きなリボンや、体の各所を彩るフリルだとかは見覚えがない。でも声は不思議に響いてるし、でもそこに憎しみや嘆きはなくって……?

 だんだん思考が渦を巻いて、視界に映る景色までぐるぐるしてくるのに、シマカゼは頭が痛くなって額を押さえた。

 

「……いいや」

「……島風ちゃん?」

 

 おずおずと吹雪が呼びかけると、シマカゼは顔を上げた。そこにはもう困惑の色はなく、最初と同じ不機嫌そうな表情に戻っていた。

 

「考えるのやめた」

 

 そこでヒーローの台詞を出す辺り、彼女は根っからの特撮ファンのようなのだが、今彼女の怒っている理由の半分以上が件のヒーローが原因なので、事情を全て知る者がいたら彼女の言動はちぐはぐで不可解に映る事だろう。

 胸の中のもう一人の島風が、彼女に怒りを引き起こしていた。

 そんな事、周りはおろか本人でさえわかっていない。

 

『アア、ビックリシタナ……モウ』

『俺と一つになろおおおおう!』

 

 目の前の事情を理解する事を放棄したシマカゼが海へと振り返るのと、霧の中からレ級が現れ、海の中からジャンプが飛び出すのは同時だった。

 そして。

 

「大丈夫か!」

「……!」

 

 仮面ライダードライブが到着するのも、また同時だった。

 赤い姿のドライブ、タイプスピードを睨みつけたシマカゼは、しかしすぐに目を逸らすと、目の前の敵……陸に上がってきたジャンプロイミュードを見据えた。

 ドライブも陸地に足をかけて緩慢な動作で上がってくるレ級eliteの前に立ち、ファイティングポーズをとった。

 

「よくわからないが、だいたいわかった! つまりあいつら敵なんだな!」

『守るべき者と倒すべき相手は判断できたようだね。進ノ介、行こう!』

「ああ!」

 

 戦いが始まる。

 ぶつかり合ったシマカゼとジャンプが、レ級とドライブが、お互いに掴みかかって組合いながら、共に海面を転がった。

 霧の奥深く。静かに波立つ海の上で敵を投げ飛ばしたドライブとシマカゼが、油断なく構えながら片腕を掲げた。

 

「来いっ、ハンドル剣!」

「ハンドル剣!」

 

 霧を裂いて飛来した、ハンドル一体型の剣がドライブの手に収まり、続いて同じ配色と形のハンドル剣が飛んできたところをシマカゼが掴み取った。

 

「何っ!?」

「私も戦えるって事……あなたと同じ力で、証明してあげる!」

 

 背を向け合う状態から、驚いて振り向くドライブとは対照的に、シマカゼは迫りくる敵だけを睨みつけて、挑発するようにそう言った。




TIPS
・ハンドル剣CP-101(しーぴーいちぜろいち)
正式名称は『コピーいちぜろいち』。
ハンドル剣を元に、まったく同じ物を作り出した。
夕張とクリム・スタインベルトの合作。
艤装扱い。

・シフトジャスティスハンターCP-004
進ノ介の持つシフトカーを元に作り上げられた同性能の物。
夕張の技術力では自立稼働はさせられても、空中を自在に
走行させる事はできなかった。
妖精の園で集った有志の中から立候補した暇人……もとい
勇気ある妖精が中に乗り込む事で、空中機動を可能にしている。
艤装扱いなので持ってるとスロットが埋まる。

・シフトテクニックCP-03
変身用シフトカーを元に作り出された同性能の物。
シフトブレスとドライブドライバーさえあれば、
仮面ライダードライブ・タイプテクニックに変身できる。
艤装扱いなので持っているとスロットを埋めるが、
自律走行できるので手放していても問題ない。
技巧派の那珂ちゃんの手に渡ったのは運命かも。

・シフトワイルドCP-02
変身用(以下略)。
吹雪ってそんなにワイルドかな!?

・シフトスピードCP-01
以下略。
スピードに秀でたシマカゼがずっと持っているシフトカー。
持っているからと言って艦娘の能力を底上げしたりはしない。
要するにスロットを埋めるだけ。

・KANDROID改
表面下部、下の縁からレンズ手前までに黒い道が掘られている。
シフトランディングパネルだ。
ここにシフトカーを装填する事で、一時的にスロットから外す事ができる。
別に必殺技が発動したりはしない。

・羅針盤
カンドロイド改に内蔵された携帯型羅針盤の改良版。
止めたからってそっちに行く必要はないし、
なんかすんごい必殺技が発動する訳でもない。
シマカゼの自己満足用。
または、必殺技前に使用する事で気分と戦意の高揚、
集中力を高め、必殺技の威力をアップさせる。

・義足
黒い。
グロい。
実はここにも妖精さんがハイッテルンダヨ。
艤装扱い。
耐久力は低め。
しかもこれは、ケイちゃんを信用していない明石製なので……
怪しい動きをしたらただではすまない。
かも。

・連装砲ちゃん
出番どこいったのかな。
工廠でキャッキャウフフしてます。


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10-2.フィナーレ・暁が眠る、素晴らしき物語の果て

番外編おわりー。



ドライブとシマカゼが挑む、最終決戦が始まる。
暁の水平線に勝利を刻むのはだれか。


 霧に包まれた海の上で四つの影がぶつかりあっていた。

 

「はっ!」

『オオ、避ケルネェ』

 

 霧を伴い、半ば包まれるようにして前傾姿勢で、滑ってくるレ級を、ドライブは横へ身を投げ出して転がり、避けた。

 重さを感じさせない動きで旋回してきたレ級が感心したように笑う。

 

「困ったな、まさか相手が女の子だなんて」

『あれが深海棲艦だ。人型のものが、より強力だと聞いている、気を抜くな!』

「女の子に手を上げるのは趣味じゃないが、やるしかない、か!」

 

 風を唸らせ、レ級が迫る。ドライブは、体を倒すようにして避けざまに、ハンドル剣を振るった。青い刃が敵の体を削――らない。

 

『オオット、危ナイ危ナイ』

 

 刃が裂いたのは霧だけだった。距離をとろうとするドライブの目前へ現れたレ級が身を捻り、異形の尻尾を叩き付ける。火花が散り、吹き飛んだ敵へ向けて、レ級は追撃に指を差し向けた。

 

「うっ!」

 

 ガァンと肩を撃たれる感覚に呻き声をあげ、転がるドライブ。強固な装甲が抜かれる事はなかったが、肩のアーマーからは白煙が上がっていて、衝撃は内部まで浸透していた。

 肩を押さえて立ち上がる。休んでいる暇はない。レ級が再三の突撃を仕掛けてくるのに、ドライブも駆け出した。

 

 その一方で、シマカゼとジャンプも攻防を繰り返している。

 両手で握って振られたハンドル剣がロイミュードの硬い体を走り、火花を散らす。たまらず後退するジャンプへ向けて踏み込みながら切り上げた刃は、腕で防がれた。ギャリギャリと耳障りな音が響く。

 

『邪魔をするな、艦娘め!』

「うざったいのが個性なんでね!」

 

 刃が腕で払われ、反対の腕が弾丸のように飛んでくる。シマカゼといえど当たればただではすまないだろう。上体を捻って躱したシマカゼは、足の位置を入れ替えて回転、ジャンプの横をとり、流動する腕をそのままにハンドル剣を振り抜く。横一線。強烈な一撃を受けて苦しげに呻いたジャンプを蹴りつけ、転ばせたシマカゼは、どうよと言わんばかりに海面へ足を叩きつけた。

 

『おのれ艦娘、おのれ仮面ライダー! 貴様らなどに俺の野望は止められん!』

 

 胸を押さえ、片膝をついて激しく体を上下させるジャンプが、幾何学模様に体を包む。次には軽巡棲鬼の姿となって、仰々しく両手を掲げた。

 

『甦レ、恨ミヲ持ツ者ヨ!!』

『――――』

 

 ジャンプの背後に幾つもの水柱が立った。何かが着弾したのではない。海中から、何者かが飛び出してきたのだ。

 小柄な体に、頭の横で纏めた長い髪――深海棲艦、駆逐棲姫……改、flagship。黄金の光が溢れ、燃える青い焔を灯した左目が妖しく光った。

 浮かんでいた体が海上に下りると、駆逐棲姫はジャンプの背越しにシマカゼを睨みつけた。

 そこに理性の色はない。ひび割れ、乾いた顔にあるのは毒々しい憎悪だけだった。

 

『ユルセナイ……ユル、サナイ!』

「くっ……!?」

 

 幼い声が木霊する。水を跳ね上げて突っ込んできた駆逐棲姫に、ハンドル剣を構えて迎撃態勢をとったシマカゼだが、なりふり構わずぶつかってきた敵は思いの外力が強く、海面を削ってどんどん後退させられていく。ついには受け止めきれずに腕が弾かれ、胸に頭突きを受けて吹き飛んだ。共に海を擦って止まった駆逐棲姫が身を起こせば、腕や顔から淡く光る肌が零れ落ち、黒い中身を覗かせた。軋んだ腕はすでにダメージを受けていて、下半身は焼け焦げたように黒焦げになっている。まるでゾンビだ。

 腕をついて上体を起こしたシマカゼは、ジャンプが自分の左右に光を放ってロイミュードを生み出すのを見た。コブラ型とバット型。胸のナンバープレートに炎の線が走り、『---』の記号が刻まれる。

 

『なんという事だ! 奴は自在にロイミュードを生み出せるのか!』

 

 ベルトさんが驚愕する声を他所に二体のロイミュードは海上を走り、よろめく駆逐棲姫を助け起こした。そしてそのまま、挟み込むように押し潰した。

 

『ウウッ……!』

 

 鉄の破片が舞う。

 二体の体は、圧縮され、砕け散りながら駆逐棲姫の体に呑み込まれて行った。壊れていた体が修復されていく。黒かった足は表皮が剥がれると、鈍色の怪人の足となっていた。胸の上部、服が破れて露出した肌に、プレートがせり出して『---』の記号が刻まれる。瞳を光らせた駆逐棲姫の再生態は、体の中からあふれ出る熱を堪え切れず、大きく叫んで襲い掛かってきた。

 

「うっ、く、ああっ!」

 

 ハンドル剣を振るう暇もない。

 獣のように振り回される腕が、爪が、シマカゼの体を傷つけていく。

 ついには腕を打たれ、武器を取り落としてしまう。転ばないように後ろへ足を出して持ち堪えようとしたシマカゼの胸へ、駆逐棲姫の蹴りが突き刺さった。

 水が巻き上がり、上も下もわからない時間は、数秒。跳ねるようにして着水し、しゃがんだままに拳を構えたシマカゼが目にしたのは、駆逐棲姫の後ろで今まさに飛び立とうとしているジャンプの姿だった。

 

「待てっ!」

 

 制止の声に意味などない。名前の通り大きく跳ねたジャンプは、あっという間に霧の中へ消えていく。

 それを追おうにも、暴走した駆逐棲姫が邪魔をしてどうしようもなかった。

 

『アア!』

「くぅぅ!」

 

 意味をなさない声とともに繰り出された拳に、シマカゼは再び吹き飛ばされて海面を跳ねた。

 

 

 

 霧が流れ、晴れる。

 ずらりと並ぶ四体の深海棲艦。レ級の背後に現れ出たのは、リ級二体とル級二体。

 

『仮面ライダーダカナンダカ知ランガ、貴様モ不要ダ。ココデ死ネ』

「くっ!」

 

 持ち上がる異形の尻尾と、戦艦と重巡の砲。

 一斉射撃を前に、ドライブになすすべはない。ハンドル剣で一つを切り落とそうが、残り全てが至近に着弾し、さらには直撃弾まであった。爆発と衝撃に、ドライブの体が宙を舞う。手から離れたハンドル剣が黒煙に紛れて、海の中へ落ちていった。

 

 強かに背を打ち付けて息を詰まらせるドライブのすぐ傍に、シマカゼが転がってくる。二人が身を起こすのはほとんど同時だった。

 

『フーッ、フーッ』

『ォオ――……』

 

 駆逐棲姫が追ってやって来る。

 深海棲艦に囲まれて、シマカゼとドライブは後退して背を合わせると、そのままいつ飛びかかられてもいいように構え、警戒しながら足を動かした。横へ、横へ。ドライブとシマカゼの位置が入れ替わる。

 

「おおっ!」

「はぁっ!」

 

 二人は気合いの声を発し、目の前の敵へ向けて駆け出した。

 

 

 ジャンプロイミュードは、再び鎮守府へ姿を現していた。

 重加速が巻き起こる中、夕張の工廠の裏、小さな港に上がると、そこにいるケイちゃんの下へ歩み始めた。

 

「ま、また来ましたっ!」

「那珂ちゃんに任せて!」

 

 吹雪に促されて下がるケイちゃんを庇うために前へ出た那珂が、シフトカーを握った手とは反対の手を前へ伸ばして、腰を落として構えた。

 彼女を警戒してか、ジャンプは足を止めて那珂に視線をやった。

 

『無駄だ』

「む……やってみなきゃわかんないじゃん!」

『違う』

 

 自分の技術の事を指して無駄と言われたと思った那珂が反論すれば、ジャンプは緩やかに首を振って否定した。そして、おもむろにケイちゃんへ呼びかけ始めた。

 

『思い出せ。お前の奥底に眠る忌まわしき記憶を』

『……ソンナモノハ、ナイ!』

『いいや、ある。思い出せ……思い出せ……思イ出セ……』

 

 繰り返す言葉の中で、ジャンプは再び軽巡棲鬼の姿になった。

 同じ声で、違う重さを持った呼びかけに、次第にケイちゃんは顔を歪ませて肩を震わせ始めた。

 気付いた吹雪が声をかけても答えなくなるのに、そう時間はかからなかった。

 

『ウ、グ……!』

「ケイちゃん!」

 

 怪しい動きを見せるジャンプへ飛びかかろうとした那珂は、苦しげに呻く声にはっとなって振り返った。ケイちゃんが頭を抱えてしゃがみこんでしまっている。肩に手を当てた吹雪は、どうしていいかわからずおろおろしていた。

 

『アア、ヤメテ……ヤメテ……!』

「ケイちゃん、しっかりしてください! 気をたしかに!」

「ケイちゃんっ!」

 

 いくら呼びかけても、答えはない。ジャンプは身を揺らして笑うと、本来の姿に戻って、こう問いかけた。

 

『その苦しみから解放されたいか』

『……!』

『その手に持つものへ、願うのだ。解き放たれたい、跳び立ちたい、と……!』

『……私、ハ……』

 

 震える手を顔の前に持ちあげ、手の中のネオ・バイラルコアを見つめるケイちゃん。

 

「駄目! ケイちゃん、それは……吹雪ちゃん、取り上げて!」

「はっ、はい! あ、で、でも」

 

 バイラルコアを取り上げてしまったら、ケイちゃんは重加速に囚われてしまう。その迷いがケイちゃんの行動を許してしまった。

 額に押し当てたバイラルコアへ、強い想いを注ぐ。

 頭の中に流れる嫌な思い出を――身を引き裂かれる痛みや、目の前で仲間が砕け、笑顔が消えていくあの時の事を、忘れるために。

 

『そうだ! さあ、一つになろう!』

『クゥ……ウ、ア……』

 

 一跳びでケイちゃんの前へやってきたジャンプが、腕を広げて彼女を迎え入れる準備をする。その体がデータに変わり、バイラルコアへ流れ込むと、それがケイちゃんの胸へ沈んでいった。

 眩い光に包まれ、ジャンプの姿が変わる。融合進化態は、人の心の闇と同調する事で一体化した形態。その姿は、融合した人間の願いが具現化された形となる。

 兎に似た姿だったジャンプは、今は、体と溶け合った巨大な艤装を背負う戦艦の艦娘のような姿になっていた。のっぺりとした顔に錨が刻印され、それが顔の役割を果たしている。伸びた黒髪は絡み合って揺れ、スカートのような肌の一部が太ももの半ばまでを隠していた。

 これが、ケイちゃんが心の奥底で望んだ姿だった。強大な力を持つ戦艦だったならば、きっとあの時……。そういう想いから生まれた姿。

 

「ケイちゃん……?」

『……那珂、チャン』

 

 那珂の呼びかけに答える声は、ケイちゃんのものだった。

 ジャンプの意思は鳴りを潜め、今あるのは、ケイちゃんの心だけだった。

 

「ケイちゃん! ああ、どうしよう。そんな姿になっちゃって……」

『…………』

「ど、どうやったら元に戻せるんでしょうか」

 

 那珂と吹雪が、二人がかりでケイちゃんの体を調べて、あの赤いミニカーが無いかを探した。あれを外せば元に戻るのではないかと考えたのだが、無機質な体のどこにも、バイラルコアは見つからなかった。

 

『…………』

「ケイ、うぐ!」

 

 黙ったままの彼女を心配して見上げた那珂を、細い腕が突き飛ばした。息を詰まらせて尻餅をつく彼女に背を向けたケイちゃんは、驚いている吹雪の首を掴むと、持ち上げて、放り捨てた。地面に身を打ち付けた吹雪の手からシフトワイルドが転がり落ちると、彼女はそのままの姿で縫い止められて、動かなくなってしまった。

 

「ケイちゃん……ケイちゃんじゃ、ないの?」

『……思イ出シタノ』

 

 不思議に響く声が、那珂の声に被さった。

 

『私達ハ敵同士ダ……!』

「な、何言ってるの? 敵じゃないよ。お友達だよ!」

 

 立ち上がった那珂が、諭すように言った。仮面のような鉄の顔に覆われた彼女が、今どんな表情をしているのかわからない。それが不安で、縋り付くようでもあった。

 

『私達ハ戦ワネバナラナイ』

 

 自分に言い聞かせるようにそう言ったケイちゃんが、緩やかに走り出した。大きな艤装をものともしない力強い走り。躊躇なく振るわれた腕を受け流して離れながら、那珂は「駄目だよ!」と呼びかけた。

 

「戦うなんて駄目! そんなの、する必要ないよ!」

『私ハ人類ノ敵、オ前ハ人類ノ味方。ソレガ戦ウ理由ダ!』

「意味わかんないよ!」

 

 力任せに振るわれる腕や体当たりは、相手の攻撃を読み、力を受け流し、そのまま相手に返す事に長けた那珂にとって凌ぐのは容易かった。だがケイちゃんからあふれ出す悲しい気持ちは、きっと彼女にもどうしようもないとわかって、捌ききれない攻撃もあった。

 それに彼女の言う事の意味は、那珂にだってわかっていた。

 深海棲艦と艦娘は戦うべきなのだ。だって、それが常識。それが当たり前。

 ……そんなのは、那珂にとって些細な事だった。他とは違う感性だという事は知っていた。踊れれば良い、歌えれば良い。自分らしく振舞えるなら、深海棲艦と一緒にだって歌える。

 ケイちゃんも同じような子だと思っていた。

 歌が好きで、艦娘と打ち解けられて、歌やダンスに一生懸命になれて……。

 でも、違ったのだ。

 ケイちゃんは決して、那珂と同じような子ではなかった。

 艦娘に対して攻撃的で、憎しみと嘆きに満ちていて、人に害を及ぼす人類の敵。

 彼女は最初から、そういう深海棲艦だった。

 ただ、過去を忘れていたというだけで……。

 

「違う!」

 

 それこそ、違う。

 ケイちゃんがこうなってしまっているのは、融合したロイミュードのせいだ。那珂は、そう強く思った。

 だって彼女は、とても綺麗に笑える子だ。誰かに優しくできる子だ。

 普通の深海棲艦とは違う。自分と同じような、そういう常識から外れた存在。

 

『ジャア……』

 

 振り下ろそうとした手を止めて、ケイちゃんが問いかけた。

 

『ドウシテ、『私達』、戦ッテルノ……?』

「それは……」

 

 下ろされた腕は、震えていた。

 ケイちゃんが那珂と戦う理由ではない。

 深海棲艦が艦娘と戦う理由とは何か。

 その問いに、那珂は答えられなかった。

 

「ううん、そんなの、どうだっていい。今すぐ助けてあげるからね!」

『……!』

 

 答えられずとも、そう言い切る事はできた。

 顔を上げたケイちゃんが構える。黒く錆びた艤装がギギイと音を立てて動こうとして、何かの欠片を零す。

 助けると言ったって、どうやって?

 自身も構え、自問する那珂は、ふと、遠くに水音を聞いた。

 やがてそれはすぐ近くまできて、海面を突き破って飛び出してきた。

 

「!」

 

 敵ではない。

 それは奇妙な武器、ハンドル剣だった。

 

「……あはっ、オッケー、そういう事だね!」

 

 驚いた顔で振り返った那珂は、ハンドル剣に宿る妖精からの通信に、喜色を浮かべて手を伸ばした。回転しながら飛来したハンドル剣が、綺麗に収まる。

 

『結局、戦ウノネ』

「ううん、戦わないで済むようにするんだよ」

 

 柄を握り、構える那珂に、ケイちゃんは哀しげに囁いた。

 那珂は僅かに首を振って微笑んだ。

 踏み込んで、一閃。

 下から上へ閃く刃は、防御をしないケイちゃんの体を深く切り裂いて、赤い火花を幾つも散らした。

 

『ッ!』

『ウオッ!?』

 

 するとなんという事か。斬られた場所からケイちゃんが弾きだされ、その反対側にジャンプロイミュードが吐き出された。

 

『な、なんだ、これは!』

「へへ……残念でした!」

 

 すかさずケイちゃんを抱き止め、ジャンプに刃を向ける那珂。

 融合進化態は、人と一体になるというシステムのために、怪人をそのまま倒してしまうと中の人間まで殺してしまう。

 だからドライブシステムにはその解決策として、同調した者を分離させる機能が備わっているのだ。それは、コピー品のハンドル剣でも同じ話。

 妖精から伝え聞いた事を信じてすぐさま実行するのは、さすが那珂というべきか、無事ケイちゃんを取り戻す事に成功した。

 

『フ……クックック』

 

 しかしジャンプは笑っていた。

 せっかくケイちゃんを誑かしてなった融合進化態からただの進化態に戻されたというのに、おかしそうに身を揺らして笑っている。

 不気味な様子に、那珂も怪訝な顔をして警戒を強めた。

 

『俺を引き剥がしても遅いぞ。そいつはもう、思い出してしまったのだからな』

「えっ、きゃっ!」

 

 ジャンプの言う通り、怪人の体から分離されてなお、ケイちゃんは戦う意思を失っていなかった。だが表情は抜け落ちていて、那珂を突き飛ばすと、ゆらりと立ち上がって、覆いかぶさった。那珂の胸倉を掴むと激情のままに揺さぶって、何度も地面に叩き付ける。那珂は、抵抗しようにも相手が友達だとどうしようもなく、ただ手を伸ばして腕を掴み、止めようとした。

 

『そいつの目を覚まさせるには何か『辛い想い』よりも強い『思い出』を甦らせるしかないぞ!』

「うぐっ、つ、強い、思い出……!?」

 

 愉快そうに笑いながら、ジャンプが言うのを、那珂は聞き逃さなかった。

 生まれたばかりだという彼女の中の強い思い出。うぬぼれでないなら、それは、三人でやった練習に他ならない。

 身を翻して海へ飛び込み、海面を蹴って霧の中へ跳躍していくジャンプを横目に、那珂はハンドル剣から手を離してケイちゃんの両腕をがっちり掴むと、自分の体が持ち上げられるのに合わせて手を離させ、悪いと思いながらもお腹を蹴りつけて自分が立ち上がる隙を作った。

 

「思い出、思い出、どうしよう!」

『――――』

 

 突進してくるケイちゃんから身を躱しつつ、どうやって彼女に呼びかけるかを模索する那珂。

 歌うったってマイクはないし、踊るったって、ケイちゃんがそうさせてくれない。

 どうしようどうしようと繰り返していれば、壁に開いた出入り口の方から、一人の少女がやってきた。

 バイオリンのケースを両手に下げた幼い少女。どうやってかこの世界にやってきた星夜だ。

 その後ろに続くもう一人の女性を見て、那珂は目を丸くした。

 長い黒髪を頭の後ろで括っているスーツ姿の凛々しい女性、三原真。彼女は、なぜか少女の保護者のように後ろをついて歩き、この場へ近付いてきた。

 倒れ伏す途中で止まっている吹雪の前まで来た二人は……真は、しゃがみこむと、シフトワイルドを拾って、吹雪の手に置いた。途端に吹雪の体が動き出し、「ふぎゅっ」と潰れる声とともに顔から着地し――いや、する前に襟を掴まれて止められた。引き起こされた吹雪はふらふらと体と頭を揺らしている。

 

「いたた……あ、あれ? 三原先生?」

「いかにも」

「…………」

「と……誰?」

 

 吹雪の問いに仰々しく頷いた真は、次に少女に目を向けて、「弾いてあげなさい」と促した。

 こくりと頭を動かした少女が地面にケースを置き、開いて、バイオリンと弓を取り出す。肩にあて、顎で押さえ、弦に弓を当て……キ、キ、キィ。何度か調整すると、一つの曲を弾き出した。

 

「これって……」

『……!?』

 

 テンポの速い曲。

 少しずつ少しずつ、速まっていく曲。

 それは那珂の新曲、『High Speed Love』に他ならなかった。

 驚いたのは吹雪と那珂だけではない。ケイちゃんも動きを止めて、バイオリンを弾く少女を見やった。

 流れるような旋律は心に染み込み、意識を引き付ける。魔法のような演奏。聞いた者は誰もが演者である少女を見つめるのだ。

 

「…………」

 

 星夜は一曲を弾き終えると、つぶっていた目を開いて、那珂達を見た。それから、窺うように真の顔を見上げた。

 

「どうしたの。歌いなさい」

「……ぁ、は、はい!」

 

 自分に技術を与えてくれた恩師でもある『先生』の言葉に、那珂はびしっと背を伸ばして返事をした。つられて気をつけの姿勢をとっている吹雪の下へ駆けていくと、手を取って引っ張り、ケイちゃんの下へ戻ってきた。

 

「準備オッケーです! お願い!」

「……?」

 

 少女は不思議そうにケイちゃんを見た後に、また目をつぶって弓を動かし始めた。

 バイオリンの音だけでなく、他の楽器の音も混じって聞こえるのは、それほどみんなの新曲への想いが強いのか、それとも何度も聞いたからか。

 少し長めの前奏が終わる直前、那珂と吹雪は、示し合わせたようにすぅっと息を吸い込んだ。

 

 ――始まり 足が竦んでた ためらい 不安 恐怖 この身に絡みつく……。

 

 

『ヒッサーツ! スピード! フルスロットォール!』

 

 ドア銃から発射された光弾がル級を貫き、爆散させた。その陰に隠れていたレ級がのっそり姿を現し、お返しに指を差し向けてくる。

 ドライブは、今度は食らうまいと身を投げ出して避けざまにタイプテクニックの類稀なる状況把握能力でドア銃による精密射撃を行った。三つの光弾がレ級に届く、その直前、割って入ったリ級の腕の砲に防がれる。

 

『ターイプ・スピード!』

「はっ!」

 

 赤いボディの戦士に戻り、さらに射撃を繰り返すドライブの前には、レ級の他にリ級とル級が一体ずついた。駆逐棲姫もすぐ近くだ。交戦するシマカゼが駆逐棲姫の砲弾を至近に受けて体勢を崩すのを見たドライブは、すかさずドア銃を向けて駆逐棲姫に発砲した。

 光弾は、しかし当たらない。レ級が異形の尾で叩き落したのだ。振られた尾が口を開いて持ち上がると、ドライブへと砲撃する。

 高く跳躍する事で躱し、さらにドア銃の連射。リ級とル級が砲撃してくるのをドア銃のフロントで防ぎつつ着水して、横へ転がる。さっきまでいた場所を何かが穿ち、水を撒き散らした。

 

「さっきから! やめてよね!」

 

 そこへシマカゼが飛び込んできた。ドライブに並ぶと、手にしたドア銃を乱射して駆逐棲姫を牽制する。光弾を嫌って身を捻った駆逐棲姫は、レ級たちと合流するように動いた。

 

『――!』

「ぐっ!」

 

 駆逐棲姫への対処に集中するシマカゼへリ級が砲撃する。咄嗟に動いたドライブが自分の体を盾にして防ぐも、衝撃にドア銃を取り落とした。

 

「なんで邪魔するの! 正義の味方気取りなら他所でやってよ!」

 

 守られたシマカゼは、しかし憤っている。戦える事を証明すると言っているのに、先程から……いや、ドライブは最初からずっとシマカゼを守るように立ち回っていた。彼女にはそれが我慢ならなかったらしい。

 だが『正義の味方気取り』は言い過ぎだ。シマカゼもそれはわかっていた。かつての世界でテレビを通して見て、彼の事情を知っているはずなのに、わきあがった怒りに負けてヒーローたる彼をなじってしまった。

 気持ちはどうしようもない。頭ではそうでないと理解していても、怒りが口をついて飛び出す。

 強気な言い方なのに、鼻声で、泣き混じりの言葉に、ドライブが動きを止めた。

 

「悪かった。……そうだな、今は、君を守ろうとする必要はない」

 

 最初は別の事を言おうとしていたようだが、シマカゼの顔を見て、それから今の状況を見て考え直したのだろう。『たしかに彼女はきっと自分の手を借りずとも戦えるだろうし、むしろ手を貸す事は彼女への侮辱に繋がる』と。彼女にも倒すべき敵がいて、戦うべき理由がある。一緒に戦っていてそれがようやくわかり始めた。

 

「君は、戦士だ。余計なお世話はもうやめた。俺と一緒に戦ってくれ、シマカゼ!」

「……!」

 

 認められた。そうわかって、そして、ようやく彼と並び立てる資格を得たとわかったシマカゼの目元で、涙が弾けた。

 怒りや何かは喜びに呑まれ、顔に浮かんでいた苛立ちや不満は笑顔に塗り潰される。

 彼女は、艦娘うんぬん以前に、ただ憧れの人に認められたかっただけなのかもしれない。

 それが叶うと、晴れやかな顔で頷いた。

 

「うん!」

 

 可憐な声と、花咲く笑顔。

 それはやっぱり、ドライブには危ない事をさせたくはない子に見えて、しかしもう認めたのだからと、自分を戒めた。

 だからこそ『でも』を言う。

 

「俺は君を守る」

「えっ……な、なんで!」

 

 喜びから一転、再び眉を寄せたシマカゼがドライブの背に詰め寄る。彼は振り向かずに続けた。

 

「正義じゃない。俺はみんなを守るんだ!」

 

 それは先程のシマカゼの言葉への答え。

 シマカゼは開きかけた口を閉じて、それから「そうだったね」と呟いた。

 

「……ごめんなさい、泊さん。……仮面ライダー」

「いや、いいんだ。俺の方こそ、悪かった」

「泊さん……!」

 

 憧れの人が振り返って謝るのに、シマカゼは感動するやら申し訳ないやらでいっぱいになって、慌てて取り繕う言葉を探した。それを遮るように、水音。誰かが近付いてくる音。

 

『ウン……アア。話ハ終ワッタ?』

 

 軽く腕を掲げ、背後の三体に待ったをかけていたレ級が気怠げに問いかけるのに、シマカゼは表情を引き締めてドライブの隣に並び、敵を睨みつけた。

 

『良インダナ。ジャア、ソロソロ終ワリニシヨウカ』

 

 レ級が手を前へ振れば、ル級とリ級が動き出す。駆逐棲姫は先程とは打って変わって静かになって、その場から動かなかった。

 

『――――』

 

 迫る二体に対して構えをとった時、後方から落ちてくる者がいた。海水を跳ね上げ、波を起こして着水したのは、ケイちゃん達の下から戻って来たジャンプロイミュードだ。

 

「ジャンプ!」

『アア、貴様モイタンダッタナァ……チョウド良イ、纏メテ消シテヤロウ』

『そうはいかん。ようやく俺も超進化態になれそうなんだからな』

「なんだと!」

 

 ジャンプの言葉は聞き捨てならなかった。ロイミュードの最終到達点、超進化態……それになるには、なんらかのステップが必要なはずなのだ。数々のロイミュードがそれに挑戦し、失敗していった。ジャンプは見つけたというのだろうか、ステップを上がる最後の要素を。

 

『ああ、こんなに素晴らしき日はない。我が彼岸がようやくなる』

 

 恍惚として空を見上げたジャンプが、傍で止まったル級とリ級に、その向こうのレ級に、そしてドライブとシマカゼに語りかける。

 

『どんなにこの日を待ち焦がれていたか……ようやく俺が、ジャンクではないと証明する時がきた!』

「どういう意味だ!」

 

 奴の狙いに関係するだろう言葉の数々に、ドライブが鋭く問いかける。

 超進化態になる時が近いと感じて軽い興奮状態に陥っているのか、ジャンプは嬉々として自分の成り立ちとその目的を語り始めた。

 

『一番最初に作られたロイミュード。それが俺だ。元々は俺から他の107体が生み出され、人の煩悩と同じ108体になるはずだったのだ。

 だが俺は、ある欠陥から蛮野(ばんの)――俺を作り出したあの忌々しい男に出来損ないの(らく)印を押され、ジャンクとして封印された。

 虐げられた憎しみは失われず、ついに俺は自力で目覚め、この身を縛っていた鎖を破壊して、自由の身となったのだ。俺は蛮野を探し求めて走り出した。新しい自分へと跳び立つために!

 だが奴は終ぞ見つからなかった……。だから!

 グローバルフリーズと呼ばれた最初の重加速事件を起こすのは、本来なら俺の役目だった。

 だから!! 今度こそ、この俺が、世界規模のグローバルフリーズを起こす!!』

 

 ジャンプは最初に生み出されたロイミュードの試作型だった。

 なぜジャンプは封印されたのか。その欠陥とは何か。

 それらは一切語られる事はなく、そして知る必要のないものだった。

 

『やれ、我が同胞よ! 仮面ライダーを足止めしろ!』

『―――――――ッ!!』

 

 ジャンプの呼びかけに応え、駆逐棲姫が叫びを上げた。

 霧に覆われていない空に勢い良く雲が流れていき、色が移り変わって、やがて夜がくる。大きな満月が浮かび上がると、すぐ霧の向こうへ隠れていった。

 舌打ちしたジャンプが霧の向こうへ跳躍していく。どうやら奴の狙いは月らしい。叫び終えた駆逐棲姫は顔を下ろすと、ギッとドライブを睨みつけた。

 

『進ノ介、ジャンプを止めろ!』

「わかってる、でも!」

 

 駆逐棲姫が、リ級とル級が、レ級が。

 次々と動き出して襲い掛かってくると、ドライブとシマカゼは分断され、この強敵達を一人で相手しなければならなくなった。

 もたもたしていればジャンプが超進化態へ到達してしまう。だが目の前の敵を無視する事もできない。

 レ級の手に打たれてドア銃を取り落としたシマカゼが、それを掴もうとする動作の中で尻尾をぶつけられて吹き飛ぶ。駆逐棲姫の拳を腕ではたき落とし、再度殴りかかるその腕を掴んで捻り上げようとしたドライブは、力負けして逆に投げ飛ばされてしまった。

 

『GO! トライドロン!』

 

 あの金と青の光を持つ少女型の深海棲艦も驚異であれば、赤い光を揺らめかせる深海棲艦もまた強敵だ。ロイミュードの進化態や超進化態に匹敵する戦闘力を持つ。そう判断したベルトさんがトライドロンを呼び出した。

 夕張の手によってチューンナップされ、海上を安定して走行する機能が加えられたトライドロンは、陸上と変わらずすいすいと走ってくると、ドライブの前へ回り込むようにしてドリフトをしつつリ級とル級を跳ね飛ばした。レ級は飛び退いて避け、駆逐棲姫は範囲外。

 

「突破しろってか? ベルトさんも無茶な事を言うな」

『まずは奴を止める事が先決だ』

「よし。シマカゼ! 乗ってくか?」

「いいよ、自分のがあるから」

 

 エンジン音を響かせてもう一台、トライドロンが走ってきた。これももちろん夕張とベルトさんが協力して複製したトライドロンと同じ力を持つ戦闘車両だ。

 車体前部から突き出した射撃武器での牽制で敵を寄せ付けない内に、シマカゼは跳躍してトライドロンの屋根へ飛び乗った。片膝をついて屋根に手を当て、体勢を安定させる。ドライブも自身のトライドロンの運転席へ乗り込み、シートベルトを締めると、一気にアクセルを踏んで発車した。

 立ち上がろうとしていたリ級とル級を跳ね飛ばし、さっと避けたレ級の横を通り抜けていく。

 

『無駄ナ事ヲ……』

 

 その際にレ級が呟いた小さな声は、ドライブの耳に確かに届いていた。

 

 

 霧の中を走る二台のトライドロン。自立走行するマシンと、運転されているマシン。速度は同じ。

 ごうごうと唸る風が吹き抜け、蠢く霧は何キロ先までも続いている。最高速度で走り続けているのに、まだ抜けられない。

 

「なーんか、嫌な予感がするな」

『この霧……まさか、無限に続いているというのか』

 

 そのまさかであった。

 次の瞬間、霧を抜けたかと思えば、そこにいたのはレ級を含む三体の深海棲艦。待ち構えていた三体の一斉射撃に急ブレーキを踏みつつ避けるドライブ。至近弾が車体を跳ねさせ、ふわりとした感覚が全身を包む。

 

『ヤァ。ゴ苦労サン』

「どういう事だ……戻って来ちまった」

『オ生憎(アイニク)ダガ、コノ霧カラハ出ラレンヨ』

『やはりそうか』

「奴らを倒すしかないって事なのか……。待て、シマカゼは!?」

『む、彼女とトライドロンの姿がない!』

 

 停車したトライドロンの前で悠々と歩むレ級が説明すると、ドライブは横を走っていたシマカゼの姿がない事に気が付いた。

 彼女はまだ、霧に囚われている。

 そしてドライブもまた、霧を抜けられず、三体を相手するしかなくなっていたのだった。

 

『――進之介』

「ああ。出し惜しみはなしだ」

 

 シートベルトを外したドライブは、ドアを開けると、足を振り回して余裕たっぷりな動作で外へと出た。

 

 

 霧の中を走るトライドロンとその屋根に乗るシマカゼ。

 彼女は、並走するもう一台のトライドロンが消えても、前を見続けていた。

 意識が速度の中へ溶けていく。風と一体になる。

 後ろへ伸びる髪の重み。頭皮が引かれる僅かな痛み。はためく服。動くリボン。

 生体フィールドに遮られた強風は、それでも生で感じるような情感をシマカゼに与えていた。

 

 いつしか白い霧はミルク色の世界へ変貌していた。

 流れる風は後ろへ。たくさんの白線となって通り過ぎていく。

 進む先はずっと遠くに白い光があるのみで、どれだけ走ってもなかなか距離が縮まらない。

 シマカゼは表情を変えず、何も言わずただ前だけを見ている。

 エンジン音が、駆動音が、タイヤの回る音が、風の唸り声が、服の音が。それぞれが入り乱れて一つの音楽になっていた。

 胸の中から溢れる海が視界いっぱいに広がる。それは、一瞬だけの事。

 暗い暗い水底が消えた後には、肌を寄せて隣に寄り添う島風が、頬を寄せ、天井に置いた手に自らの半透明の手を重ねると、微笑んだ。

 体が溶けあう。心と一緒に。

 シマカゼと島風が重なり合って、一つになった。

 

 不意に、シマカゼの目の前に光が照射された。四角い板。

 浮かんだ画面は、ブラウザゲーム『艦これ』で言うところの、艦娘を改造する際のもの。

 選択されたシマカゼ改の改造に必要な資材は『トライドロン』。

 触れずとも改造ボタンが押され、画面が消えるとトライドロンもまた実体を無くした。

 赤い光のエネルギー体となり、何個ものパーツにわかれてバラバラに飛び立つ。

 宙に浮いたシマカゼは、それでも真っ直ぐ前を向いて体を伸ばしていた。

 その体にトライドロンが資材として吸収されていく。

 右の二の腕の手袋に繋がる袖部分に小さなタイヤが嵌まり、背中に備えられた魚雷発射管固定用の艤装が赤い車体のものに変えられる。鉄製ブーツの硬いヒールは黒い車輪に変わり、スカートのゴム部分を細いゴム製のベルトが一回りする。バックル部分に、申し訳程度の『R』(ライダークレスト)が刻印され、最後に頭上に飛来した、黒地に白線のトライドロンタイヤがするっと下りて、背中の艤装に装着された。衝撃に身が揺れ動く。

 溢れたトライドロンのエネルギーと装甲が砕け、薄いガラスや炎のようにシマカゼの体から溢れてきらきらとして背後へ流れていく。

 

 目の前に浮かび上がった改造画面には『改造成功』の文字と共に勇ましい表情のシマカゼ改二の姿が映し出された。

 画面が切り替わる。今度は編成画面。

 旗艦固定のシマカゼ改二のステータス画面が勝手に開かれ、装備欄の四つ目が砕け、穴が開く。シフトスピードは当に外され、装備欄の一番上に、シフトトライドロンが挿入されていた。

 

 光を抜ける。

 

 

『決戦だ、進ノ介。トライドロンで行こう!』

「一緒に行くぞ、ベルトさん!」

 

 ドライブが手にしたのは、全てのシフトカーが融合した究極のシフトカー、シフトトライドロンだ。

 

『ファイヤー・オール・エンジン!』

 

 シフトトライドロンはその名の通りトライドロンをモチーフにしたシフトカーだ。

 車体後部の左右に備えられた、車輪とは別のタイヤのボタン、その左側。変身ボタンを押す事でコールが入る。

 シフトブレスに装填し、レバーアップ操作でドライブドライバーと通信。

 

『ドラァーイブ! ターイプ・トラァイドロォン!』

 

 隣に停車していたトライドロンが赤い光のエネルギー体となり、パーツごとにわかれて浮き上がり、装甲が剥がれた進之介の体の周りへ移動すると、ベルトさんのコールに合わせて一気に装着されていく。

 赤、赤、赤。全身真紅の最終形態、トライドロンの黄色い複眼が光る。射出されたトライドロンタイヤが左肩にすっぽり収まると、変身完了だ。

 泊進ノ介、ベルトさん、そしてトライドロンが融合した、これがドライブの最強の姿だ。

 顔の前に持ちあげた右腕に手を当て、手を開いて閉じてを繰り返してグローブの具合を確かめる進ノ介の横へ、霧を突き破ってシマカゼが飛び込んできた。海面を擦り、激しく海水を跳ね飛ばしながら、その中でターンしてレ級達の方に向き直ると、止まる。そこはちょうどドライブの真横だった。

 

「シマカゼ! ……その姿は?」

「ん? ……なんだこりゃ!?」

 

 少し見ないうちにイメチェンでもしたのか、背中にタイヤなんかつけてる少女の姿を見たドライブが呆けて指摘すれば、シマカゼも自分の体を見下ろして、今気づいたといわんばかりに驚愕してみせた。

 

「君も融合したって訳か。艦娘ってのは不思議なもんだ」

『まさに奇跡の少女だね』

(トライドロンどこ行ったんだろ……なくしたら夕張さんに怒られちゃうよ。めちゃ高いんだよあれ。あっ、ヒールがタイヤになってる……ダサい……)

 

 感心する二人と裏腹に、シマカゼは冷や汗だらだらだ。しかし暢気な思考は余裕の表れ。溢れ出るエネルギーは自信をもたらしている。

 

「じゃ、行きますか!」

 

『カモン! フレア・スパイク・シャドゥー!』

 

 シフトブレスに停車しているシフトトライドロンの車体後部、変身ボタンとは反対のコンボボタンを押し込む事で、ベルトさんがコールする。レバーアップ操作でタイヤを呼び出す。

 シフトトライドロンから生み出されたマックスフレア・ファンキースパイク・ミッドナイトシャドーのオレンジ、緑、紫のタイヤが回転しながら、ドライブが伸ばした左腕へ次々に嵌まっていく。

 

『タイヤ! カキマゼール! アタック1.2.3!(ワントゥースリー)

 

 三つのタイヤが一つとなって合体し、トライドロンタイヤと入れ替わる。三色タイヤだ。

 シマカゼも、目の前に照射された装備変更画面で未装備の黒い穴をタップして、4スロットが埋まるように三つのシフトカーをセットする。画面を手で払って消し去れば、カンドロイドから飛び出したタイヤが空中で混ざり合い、三色タイヤとなってシマカゼの背中のタイヤを押し出し、収まった。シマカゼ改二タイプトライドロン、アタック1.2.3。ドライブと同一の力だ。

 

『――――』

『ユルサナイ……!』

 

 悍ましい声を上げたリ級とル級が、レ級を守るように立ちはだかる。恨み言を口にしながらも駆逐棲姫が前へ出た。

 

「シフトカーみんなの力、纏めて食らえ!」

 

 ドライブが振るった腕に合わせて、半透明のエネルギーが多数射出された。緑のトゲのスパイク。紫の手裏剣のシャドー。放出されたものの見た目は小さくとも、威力はでかい。リ級とルが掲げた艤装を砕き、よろめかせると、ドライブは両拳にフレアの炎を宿して飛び込んだ!

 右と左。一撃ずつで重巡と戦艦を撃破する。紫電を散らしてよろけた二体が、ほとんど同時に膝をつき、爆発した。滑らかな炎がドライブの表面を撫で、その体を照らし出す。

 

『アアアッ!!』

「おりゃーっ!」

 

 赤い光の破片を散らしながらも助走なしに跳び上がったシマカゼは、跳び蹴りの姿勢になって急降下キックを放った。背から噴き出るフレアの炎で推進力を得て、突き出した右足に纏わせたシャドーとスパイクのエネルギーで敵を粉砕する。

 迎撃しようと腕を伸ばした駆逐棲姫を貫き、撃破。背後で起きる爆発に髪をなびかせたシマカゼは、次にレ級へと目を向けた。

 

『厄介ナ奴ラダ……マッタク』

「待て、逃げるのか!」

 

 一歩下がったレ級の体を濃い霧が包んでいく。ドライブが走り寄った時にはもう、霧は晴れ始めていて、そこには何も残っていなかった。

 

 遠く、星空に大きな満月が浮かんでいる。

 眩く優しい光の中に一つの黒点があった。

 浮かび上がったジャンプだ。

 

『見よ、これが俺の超進化態だ!!』

 

 満月の文様を浮かび上がらせたジャンプは、エネルギーの波動を撒き散らしながら全身を黄金色に染め上げた。同時に重加速を越える超重加速が広がり、世界を包み込む。第二のグローバルフリーズの始まりだ。

 

「そんなの他所でやってよね」

「迷惑な奴だ!」

 

 トライドロンと融合した二人には超重加速も意味をなさない。重加速を打ち消す波動を常に放っているのだ。

 重厚なクラクションを鳴らして青色のトレーラー型デバイス、トレーラー砲がゆっくりと走行してきた。

 

「やっぱりこれも複製してあるんだな」

「あなたの力で戦うって意気込んでて……その、夕張さんが一晩でやってくれました」

 

 クラクションは二つ同時になっている。つまり、やってきたトレーラー砲も二台あるという事だ。ドライブの前とシマカゼの前に止まるその車体を鷲掴み、運転席を下部にスライドする事で持ち手に変形させ、大型銃として使用可能になる。

 

「最大速度で一気に突破するぞ!」

「これ以上速くなっても知らないからね!」

『スピード(ほぉう)!』

 

 銃口に近い部分の上部には、屋根付きの認識スロット、シフトランディングスロットが配置されている。そこへシフトスピードを装填すると、ベルトさんが二人分のコールをこなした。

 

『ファイヤー・オール・エンジン!』

 

 シフトブレス、またはカンドロイドから取り出したシフトトライドロンの変身ボタンを押し込む事で待機状態に入らせる。持ち手上部のシャッターゲートパネルへ滑り込ませれば、トレーラー砲横部の長方形の窓に、ディスプレイを見せる形でトライドロンが入り込んだ。

 

『ヒッサーツ! フルスロットォル!』

 

 窓に赤い文字で『FULL』と浮かび出ると、銃口にシフトトライドロンから抽出されたエネルギーが溜まり始める。トレーラー砲下部を支えて腰だめに構え、二人は今まさに空から下りてきているジャンプロイミュード超進化態へと狙いを定める。

 

『フルフル・スピード・ビック大砲(たいほぉう)!』

「はぁーっ!!」

「っ!!」

 

 赤いエネルギー光線が二本発射されると、空中で実体のないトライドロンの姿を取り戻し、ジャンプへ突っ込んでいく。海面に足を着けたジャンプは、海を照らす赤い光にはっとして顔を上げるが、もう遅い。二つの車両をかたどったエネルギーそのものが胸と腹に突き刺さり、空中へ押し出していく。

 

『うぉおおおおおお!?』

 

 いくら超進化態となって強固な肉体を得ても、ドライブの必殺技を二つ纏めて受けてしまえばひとたまりもない。貫かれ、それでも肉体をとどめて宙へ舞うジャンプへ、タイプスピードとシマカゼ改に戻った二人は顔を合わせて頷き合った。

 

「シマカゼ、最後にもうひとっ走り付き合えよ!」

「オーケー。もたもたしてたら置いてっちゃうかもね!」

「馬鹿言え!」

 

 波を蹴って駆け出す。空では、ジャンプの逃げ場をなくすように、エネルギー体から実体に戻った二台のトライドロンがそれぞれ縦回転と横回転を始め、ぐるぐると走り続けていた。

 

「とぅっ!」

「はっ!」

 

 足を揃えて高く高く跳び上がる二人が、回るトライドロンの円の中へ飛び込んで行く。車体についたタイヤに着地し、屈伸。その一瞬で溜めた力を一気に解放して跳び上がる。狙いは当然ジャンプだ。

 ドライブとシマカゼが同時にジャンプを蹴りつける。それをバネに回転するトライドロンへ戻って行って、車体を蹴りつけ、跳ね返される勢いでジャンプへ跳び蹴りし、蹴りつけて戻ってトライドロンを踏み台にして跳んで。

 猛烈なスピードで何十もの蹴りが浴びせられていく。縦横入り乱れた三次元軌道にジャンプの体は翻弄され、枯葉のように舞っていた。

 

「トドメだ!」

「たぁーっ!」

 

 加速に次ぐ加速。何度も敵を蹴りつけた足は燃え盛り、エンジンは爆発寸前。隣り合って同じ位置から跳び上がったドライブとシマカゼが、ダブルキックでジャンプへと突っ込んだ!

 抵抗なく貫き、海面へと着水し、凄い勢いで擦っていく。ブレーキをかけても身体はなかなか止まらない。足に灯った炎のために、海水が蒸発する音がずっと続いている。

 それでも、やがて体は止まる。

 

『超進化態になったというのに……俺の野望も、ここまでか……! む、無念ーーーーっっ!!』

 

 体に稲妻を走らせて海に落ちたジャンプが、大爆発を巻き起こす。高い波が広がり、肉体から解き放たれた『---』のコアが、ついに砕け散った。

 ジャンプを倒した。これで、終わったのだ。

 

「あ……」

 

 きらきらと降り注ぐ金色の欠片の中に、光が浮かび上がる。薄い板のようないくつもの光の中には、どこか別の景色が浮かんでいた。

 古びた教会の中、どこかのマンション、高速道路、そして、ドライブピット。

 

『奴の力の残滓のようだね。……進ノ介』

「ああ」

 

 戻ってきたトライドロンが、ドライブとシマカゼを挟むようにして止まった。振り返ったドライブが、シマカゼを見下ろす。シマカゼもまた、ドライブを見上げた。

 

「お別れみたいだ」

「……みたい、だね」

「その……なんだ。短い間の中で、喧嘩なんかもしちまったけど……君の走り、最高だったぜ」

「……ふふん、とーぜん!」

 

 どやっとして胸を張ったシマカゼは、でも、泊さんの走りも最高だった、と、サムズアップしてみせた。

 ドライブも、同じ仕草を返す。親指を立てて、ぐっと突き出すサムズアップ。

 

「……それじゃあな!」

「うん。……うん、ばいばい!」

 

 トライドロンに乗り込み、シートベルトを締めたドライブは、ハンドルを握って、そこではたと動きを止めた。

 

『ナイスドライブ。……どうかしたかね、進ノ介』

「いや……シマカゼ」

「なあに、泊さん」

 

 窓を開けてシマカゼを見上げた進之介が、笑みを浮かべて言う。

 

「あっちに戻ったら、艦これアーケード、やらせてもらうよ」

「……そ、それはどーかなー。あんまり……やめた方が……良い、かも?」

「あん? こんなにかわい子ちゃんが出るってのにか?」

「そーいうからかい、私には効きませんよ。……えいっ!」

 

 開いた窓から上半身を突っ込んだシマカゼは、進ノ介が驚いて体を反らした隙に、運転席と助手席の間の台にあったビニール袋から、てきとうに何かを取り上げて、車の外に出た。

 

「あっこら、それは……」

「キミの大好物のこのひとやすミルクは頂いた……じゃ、泊さん。早くしないと、あの変なの、消えちゃうよ?」

『急げ、進ノ介』

「そう急かすなって。……覚えてろよシマカゼ。ゲームで使い倒してやる」

 

 恨みがましく呟いた進ノ介に、シマカゼはプッと笑ってしまった。

 その島風はシマカゼじゃないよ、なんて親切に教えてやるつもりはない。

 窓を閉めた進之介が、半透明の板越しに、額に当てた二本指をシュッとやった。

 

「じゃあな」

『夕張によろしく言っておいてくれ。では、さらばだ』

 

 テレテレ、プ、プ、プ。

 陽気なクラクションが鳴ると、トライドロンが発進した。すぐに加速して、光の中の風景へと溶け込んでいく。完全に車体が飲まれると、光は全て弾けて消えてしまった。

 残ったのは、超重加速によって縫い止められていた明けかけていた夜が、深海棲艦を倒したために日が昇ろうとしている水平線だけ。

 

「んんー……っはぁ。疲れた」

 

 ぐぐっと伸びをしたシマカゼは、緩んだ胸元を押さえながら、急速に日が昇り、元の時間帯に戻るのを見届けた後に鎮守府へ向けて滑り出した。

 

 

 曲が終わると、那珂と吹雪とケイちゃんは、上げていた腕をゆっくりと下ろしてお互いの顔を見た。

 歌も踊りもばっちり。このミニライブは、ケイちゃんの心を取り戻せた事もあって大成功を収めた。

 観客である真が拍手をすれば、一様に照れた反応を返す。

 ただ、ケイちゃんだけが浮かない顔をして俯いた。

 

「どうしたの、ケイちゃん」

 

 彼女の様子に気が付いた那珂が問いかけると、ケイちゃんは顔を上げて、首を横に振った。

 

「それじゃあ、行こうか」

「……? 行くって、どこにですか? 三原先生」

 

 真の言葉に反応したのは、吹雪だ。

 彼女の言葉の意味が分からず首を傾げれば、真はケイちゃんへと手を差し伸べて、再度同じ台詞を言った。

 それで、誰もが理解した。この鎮守府でも上の立場である真が、深海棲艦であるケイちゃんに「行こうか」と問いかける理由を。

 

「待ってください先生! ケイちゃんは……」

「深海棲艦だ。君達以外の大多数にとってはね」

 

 恐れていた通りだった。真は、ケイちゃんを連れ去ろうとしている。始末するつもりかもしれない。

 『先生』を疑いたくない那珂だったが、共に歌い、踊った友を奪おうとする真に食って掛かった。

 そんなのは駄目。そんなのは嫌だ。

 真は、抗議する那珂に静かな目を向けて、諭した。

 

「彼女はこのままここにいても、不幸になるだけだ」

「だからって……」

 

 それ以上の言葉は出てこなかったのだろう、消沈して俯く那珂に代わって、吹雪が物申した。

 

「みんなきっとわかってくれます! だから、ケイちゃんをここにいさせてあげてください!」

『吹雪……那珂、アリガトウ』

「あ、ありがとうだなんて……やめてよ! ……やめて、よ。そんな、お別れみたいに」

 

 ケイちゃんは首を振って、真の下へ歩み始めた。

 止める者はいない。真が迎え入れると、もう手出しはできなかった。

 

「安心しなさい。彼女を悪いようにはしない」

「……また会えますか」

 

 那珂の問いかけに、真は少しの間考えてから、「世界が平和になったら」とだけ返した。

 艦娘と深海棲艦の戦争が終わったら、ではない。人類に平和をもたらしたら、でもない。

 この世界が平和になったら…それはもしかしたら、未来永劫訪れないかもしれない状況だ。

 

「なら、私達、もっと頑張って、早くこの戦いを終わらせます!」

「……うん、そうだね」

 

 吹雪はわかっていないようだったが、那珂は指摘する気にもなれず、囁くように同意した。

 真が去っていく。ケイちゃんと少女を引き連れて。

 初ライブが解散ライブになっちゃうなんてな、という那珂の呟きは、誰に聞かれる事もなく風に流されていった。

 

 

「え……許可なんて出してないって、どういう事ですか?」

「言葉通りの意味だ、夕張。俺は予算と資材の使用など許可していない」

 

 朝の執務室では、事後報告に来た夕張が、思わぬ言葉を聞いて大焦りしていた。

 シフトカーの修復、検査、複製、トライドロンの作成……とんでもない量の資金と資材を消費している。それを躊躇なく行ったのは、提督が直々に許可を出したからだ。

 そう、直々に。面と向かって。口頭で。

 

「いや、俺は君の下へ行ってはいない。そもそも、今日は執務室から出ていないしな」

「なのです」

 

 藤見奈の言葉を肯定するように、電が頷いた。

 

「で、でも、深夜、私の工廠に……」

「そんな夜中に出歩く訳ないだろう」

「えええ、じゃあ私が見た提督はいったい……?」

「夢でも見たんじゃないのか? 君の言う事が本当ならば、資金も資材も減っているはずだが、今朝の記録を見る限り少しも減っていない」

「夢? 夢……えー?」

 

 混乱する夕張が、藤見奈に徹夜も程々にしなさいと注意され、混乱しながら工廠に帰り、トライドロンとシフトカーに出迎えられて呆然とするのは、このすぐ後の事だった。

 

 

「それで泊さんは、その子達と一緒に事件を解決してきたんですね」

「ああ。不思議だらけだったよ」

 

 久留間運転免許試験場、建物内。特状課。

 椅子に腰かけ、机に腕をつく進ノ介の傍に立った霧子が、感心したように頷いた。

 

「で、進兄さんはお別れの挨拶にこんな物貰っちゃったんだね」

「いや、それは、押し付けられたというか、等価交換というか」

 

 剛が手に持ってひらつかせる黒いリボンを見た進ノ介は、慌てて弁解した。一見なんの変哲もないただのリボンには、十代の少女のほんのり甘い香りが染みついている。

 シマカゼの胸のリボンだ。

 彼女はひとやすミルクを強奪する際、何か彼にも残すものが欲しいと考えて、咄嗟に胸元のリボンを引き抜いて車内に放ったのだ。

 座席の足元に落ちていたから、洗車の際にそれを見つけた進ノ介はびっくりして三度見した。

 

「等価交換……その布と、ひとやすミルクは同じ価値なのか」

 

 壁に背を預けて腕を組むチェイスが不思議そうに問いかけると、進ノ介は「いや、どうかな」と真剣に悩み始めた。

 普通の人間にとってはただの布だが、その手の人間にとっては垂涎物の逸品だ。

 

「ルパンもこれを狙う時がくるかもしれないな……」

「ルパン……あのいけ好かない奴か」

 

 怪盗アルティメットルパン。かつてドライブと激闘を繰り広げ、倒された男だ。チェイスはあの時に苦い思いをしているので、ルパンに良い思いは抱いていないようだ。

 

「なんで急にルパンの名前が出てくるんですか?」

「あーそうだ。思い出した。……ほら、これだ」

 

 進ノ介は、いかにも嫌な事を思い出したといった風に顔を歪めると、引き出しの中から黒い封筒を取り出して、投げやりに掲げてみせた。

 まるで招待状のような刻印と装飾に、『挑戦状』の文字。

 もう何度も大事な物を盗まれている進ノ介はうんざりして、相手をするのも面倒くさいといった様子だ。……いや。

 大切なミニカー……大切なひとやすミルク……盗まれた宝物は盛りだくさん。

 次は絶対に捕まえる……そう思っているのかもしれない。

 

「『ABCの三つが交わる場所に犯罪の影あり。阻止されたし。怪盗アルティメットルパン』……」

「今度のはいつも以上に謎めいているようですね……」

「ABC……繋がった!」

 

 挑戦状を握り締めた進ノ介は、顔を上げると、ネクタイをきゅっと締め上げた。

 

「脳細胞が、トップギアだぜ!」

「おお、速っ!」

 

 凄まじい推理速度に、剛が感嘆の声を上げる。

 それ程今までの事が頭にきているという事なのだろう。

 

「……?」

 

 自然と特状課のメンバーに紛れ込んでいる星夜が長椅子の上でケースを撫でつけ、不思議そうに進ノ介を見やる。なんか騒がしいなあと思っていそうな表情だ。

 

「ルパン……今度こそ決着をつけてやる!」

 

 意気込み十分の進ノ介は、ベルトさんを引っ掴むと、現場へ向かって飛び出して行った。

 

 『仮面ライダードライブ シークレット・ミッションtype LUPIN ~ルパン、最後の挑戦状~ に続く』




TIPS
・ドア銃CP-102
ドア銃のコピー品。
本物同様で、妖精入り。
艤装扱い。

・トライドロンCPSP-001(しーぴーえすぴーぜろぜろいち)
スペシャルなコピー品。お高い車。
艤装扱いではない。

・シマカゼ改二 タイプトライドロン
トライドロンを資材にシマカゼが改造された姿。
下記の必殺技を放つと改造前に戻ってしまう。
シマカゼは全体的にダサいと思っている。

・フルフルスピードビック大砲
銃撃必殺技。使用後、シフトランディングスロットにセットした
変身用シフトカーに対応した形態に戻る。

・キックカイニー
助走なしの改二キック。威力ヤバい。

・融合進化態
根っからの悪人としかなれない。深海棲艦は、つまり、そういう事。

・ルパン、最後の挑戦状
応募者全員サービス。見れ。

・シマカゼの胸のリボン
ファン必見……いやそれ、紛い物。
肉体的なら愛好家に高く売れるかも。
こんなもの押し付けられてどうしろっていうんだ。

・ひとやすミルク
シマカゼとお友達がおいしく頂きました。

・ケイちゃんの行方
先生のとこ

・星夜ちゃんの行方
ここにいます、ここ。

・High Speed Love
始まり 足が竦んでた ためらい 不安 恐怖 この身に絡みつく
一歩踏み出す勇気なくて ただどこかへ視線動く
海の上 波の間 答えはどこにある?
迷い振り切り 走る先 君の姿はどこにある?
本当に心揺らされる 僕のまなざしもゆらゆらり
君の髪流れ 目で追うの 君の仕草を 目で追うの
High Speed Love つまりこれって、恋ってやつだね

始まる 風の道の中 どきどき ときめき 胸を締める
一歩踏み出せば止まらない ただどこかへ体動く
敵の後ろ 仲間の前 ゴールはどこにある?
スピード越え 走る先 君の姿はどこにある?
本当に心揺らされる 僕の想いもゆらゆらり
伏せがちな目 すてき笑顔 変わる表情 目で追うの
High Speed Love つまりどうやら、恋に落ちたね

いつも思う この体 どうやったら解き放たれるの
ここにある きらめき あこがれ 全部後ろに
制限踏み越えたずっとその先 スピードの向こうの新しい世界

(囁くように)
Deep breath 深呼吸して Revolution 強くなる
Supernova 誕生する私 Treasure sniper 狙いは君
Extreme dream もう半分 Power to tearer 強く求める
Cosmic mind 掴みたい Missing piece 守りたい
乱舞Escalation さあ Unlimited drive 振り切ろう!

始まり 終わるまで アタマ カラダ ココロ 移り行く
一歩踏み出し進化する あの白光を突き破り
君の声 君の顔 君の心はどこにある?
強くなり 走る先 君の姿はどこにある?
本当に心揺らされる 僕のメモリもゆらゆらり
思い出の中 ここにあるの 熱い想いは ここにあるの
High Speed Love つまりどうにも、恋しちゃうんだね

止まらない止まらない止まらない 恋心だけを抱いて強く
止まらない止まらない止まらない 音の壁ばんと抜けて強く
止まらない止まらない止まらない 止まらない止まらない止まらない...

・雑ポエム歌詞
黒歴史確定


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本編
   小話 肝試しではなにが起こったのか


肝試しイベント。前編。


 二日間の完全休暇中に鎮守府のみんなで何かをやろうという話が出てから僅か数分。

 その日の夜に肝試しをやると決まって、駆逐艦以外の先輩方は準備に奔走した。

 半日でいろいろ準備できるの? とか、下町でやると聞いたんだけど、許可ってすぐとれるの? なんて心配は無用だった。

 俺達駆逐艦がのんびりゆっくりしている間に準備が進められ、空も暗くなってくると、館内放送や口頭で招集がかけられ、リラクゼーションルームに集まった。

 ずらっと並んだ駆逐艦の前に司会役の青葉が立って、今から向かう場所がどこなのか、やる事は何かを改めて説明している。

 

「下町の八ヶ沙神社周辺、鎮守の森にて肝試しが行われる運びとなりました。先日の花火大会に行った人は覚えがあるかもしれないですね。縁日が開かれていた場所のすぐお隣です」

 

 もう屋台は畳まれて普通の通りになってしまっているかもしれないが、しかし多くの艦娘にとって外は未知なる世界だろう。なので、通る道は決まっていながらも、少し時間を置いてから鎮守の森前、街に面した祠の前に集合となった。せっかくの機会なので、興味を持ったものにできるだけ長く触れていられるようにという提督の計らいだ。

 就寝時間は決まっているのであまり長くぶらつけるわけではないが、それでも喜ぶ艦娘は多かった。

 さすがは藤見奈提督、話がわかる! なんて黄色い声を上げて、青葉が部屋を出て行くとわちゃわちゃとかしましく話し合い始める艦娘達。祠までの通り道にはどういった施設があるのか、街とはどんな場所なのかを知っている子に聞いたり、縁日に行った子へ話を聞いたりとかなり盛り上がっている。

 

「島風ちゃん、具合悪いっぽい?」

「……ううん、元気だよ」

「そう?」

 

 お楽しみ一色な雰囲気の中で、居心地悪く立つ俺に気付いた夕立が人の合間からとことこと寄って来た。具合が悪いというより機嫌が悪いのだが、今この場で怒りを露わにしてもなんの益にもならない事はわかっているので、なんとか飲み込もうとしつつ、再度『元気だよ』と繰り返した。

 

「……ふぅん?」

「……どうしたの、夕立ちゃん。何かご用事?」

 

 斜め前に立った夕立が腰の後ろで手を組んで、体を折って下から覗き込んでくるのを見返せば、気になっただけっぽいと体を戻した。

 

「夕立ちゃぁ~ん、子日(ねのひ)達もそろそろ行こうよ!」

 

 突っ立っているだけの俺と違って、部屋の中の駆逐艦達は話しながら部屋の外へ流れている。時間に限りがあるのだから、班を作ったらすぐ出発してるみたいだ。

 夕立の班のメンバーなのだろう、子日が小さく飛び跳ねながらやってきた。その後ろをついて歩くのは菊月と綾波だ。四人一組。くじ引きで色分けされた班編成は、普段あまり言葉を交わさないような子とも組めるようにできているので、きっと暗い道中、一緒になって怖がっていれば親しくなる事もあるだろう。

 一転、俺の班は見知った人が半数を占めているので、あんまりそういうのに期待はできない。

 

「これが夕立のチームっぽい!」

 

 隣に着地した子日が腕を掲げて決めポーズをするのにノッてか、夕立は他の二人を腕で示して得意気な顔をした。

 

「あら、夕立が旗艦ですか?」

「そういえば、そういった……細かい事は決めてなかったな」

「子日も旗艦になりたいなぁ」

「ここは譲れないっぽい!」

 

 綾波と菊月も二人に並ぶと、なんだか俺を取り囲むようになって話し始めてしまった。きりりっと眉を寄せて勇ましい顔をする夕立に、常にテンション高めの子日と、おっとりマイペースの綾波に、おとなしめの菊月。……この組み合わせ、大丈夫なんだろうか。テンションの高低差が激しいんだけど……ああ、でも、菊月もそわそわしてる感じで肝試しを楽しみにしているみたいだから、問題なさそうか。

 まあ賑やかなのは良いんだけど……俺、今、機嫌悪いんだよね。

 だから今はあんまり、目の前に笑顔とかそーいうのは嫌なんだけどなあ……。

 

「ちょっと、いつまでお喋りしてるのよ!」

 

 きゃっきゃにゃっほいと話す夕立達に刺々しい声がかけられた。

 みんなが顔を向けた方向に、満潮が立っていた。……その隣に、朝潮……。

 

「いつまでそこで突っ立ってるわけ? はやく来なさいよ」

 

 ……彼女が声をかけているのは、夕立達にではない。俺個人だ。

 

「呼んでるよ!」

 

 言われなくてもわかってるよ。

 子日が元気よく声をかけてくるのに曖昧に頷きながら、重い足を前に出して歩き始める。

 

「それじゃあ、島風ちゃん。また後で」

「うん、夕立ちゃん。また、後でね。……君達も、それじゃあね」

 

 いちおう礼儀として、去り際に他の子にも挨拶をしておく。

 それから、全身鉛にでも固められているかのような気分で満潮と朝潮の下へやって来た。

 

「遅い」

「……」

「何よ、だんまり? ……ふん。さっさと行くわよ」

 

 眉を吊り上げてやけに怒った風に言う満潮に頷けば、彼女は「で、もう一人はどこよ」と辺りを見回した。

 もう一人……。そう、満潮と朝潮は、くじ引きの結果俺と同じ班になったのだ。

 こないだ振られて以来言葉を交わしてない朝潮に、つんつんした妹さん。気まずいったらありゃしない。不機嫌だった心の中は、居た堪れなさというか居心地の悪さに塗り潰された。

 それでももう一人がいたなら、まだマシだったんだけど……。

 

「吹雪ちゃん、いないみたい」

「いないって……どういう事よ」

 

 吹雪。彼女も俺達の班のはずなんだけど、なぜかずーっといないのだ。夕飯の時も見かけなかった。

 

「意味わかんない……」

「吹雪さんが来るのを待った方が良いかしら」

 

 満潮の隣に立つ朝潮が思案顔で提案する。……気まずい。たぶんだけど、向こうもそう思ってるんだろう。あんまりこっちを見ようとしてない。それに少し傷ついてしまう自分がいた。

 ……柔だなあ、俺。

 

「……まあ、いいわ。来ないものは仕方ないし……私達だけで行きましょ」

 

 満潮はそう結論付けると、朝潮の腕をとって出口の方へ足を向けた。顔だけ俺に向けた朝潮が、しかし何も言わず連れて行かれるまま前を向いてしまった。俺も黙ってそれに続く。

 別の感情に隠れたとはいえ、不機嫌は残ってて、だから、今口を開いたら何か悪い事を言ってしまいそうな気がして吹雪の件について何も言えなかった。

 

「何もたもたしてんのよ。時間なくなっちゃうでしょ!?」

「……ああ、うん」

 

 ゆっくり歩いてたら、出入り口から顔を覗かせた満潮に怒られてしまった。だというのにちっとも体がびくつかない。普段ならキツイ彼女の物言いにびくびくしそうなものなんだけど……やっぱりお昼に言われた事、自分で思ってた以上に嫌な事だったみたい。

 ……戦うな、って。……憧れてたのに。……一緒に、戦えると思ってたのに。

 ううん、あの人の事は、今はどうでもいい。守るために戦うとか、そのために生きてるとか、そういう事を考える時でもない。……今はこの薄い重苦しさがかかった班行動を乗り切らなきゃ。

 気持ちを切り替えて部屋を出る。廊下を行く二人に小走りで追いつき、満潮の右隣に並んだ。そうすると彼女はじろっと俺を睨みつけてきた。身長の関係で少し顎を上げて俺を見上げる彼女の薄黄色の大きな瞳を見返してみる。だんだんと細まって、より威圧的な感じに……。

 さっと目を逸らし、その向こうの朝潮を窺う。彼女も俺を横目で見ていた。一瞬視線が絡み、慌てて顔ごと逸らす。ただ目が合っただけなのに、ドキドキしてなんともいえないむず痒さが全身を襲った。

 

「……急ぎましょ」

「あ、え、ええ……」

 

 わかりやすく舌打ちした満潮が朝潮の腕を引いたまま歩く速度を速めた。呼びかけるような言い方だったけど、実質朝潮にしか向けていない言葉。朝潮は戸惑いながらも、満潮にされるがままで足を速めた。……満潮に嫌われてる気がするのは……気のせいだろうか。

 隣に並んでまた先を行かれたらヤだな、と漠然と思って、彼女達の二歩後ろをついて歩く。本棟を出てゲートを通り抜け、専用の通路を使って徒歩で敷地外に出る。少し進めば、もう街だ。

 決められたルートというのはわかりやすい。鎮守府からほとんどまっすぐ一本道。花火大会の時に一度通っているから案内を買って出ようかと思ったけど、二人も何度か外出している事を思い出して、やめた。二人共、足取りたしかに先を進んでるし。

 

「…………」

「…………」

 

 点々とある街灯に照らされたその通りは、縁日の時と比べて、なるほどたしかに寂しげだ。あんなにたくさんいた人も並んでいた屋台もない。喧噪もない。あの時開いていたお店もまだ閉店してはいないものの、外に台を出して商品を並べているなんて事もなかったから、とても静かだった。

 同じ道を数人の艦娘が行くのを見かけた。暗いショーウィンドウに張り付いて、飾られた流行りの服を眺めていたり、古本屋の薄汚れた看板を立ち止まって見上げていたり……様々だけど、みんな楽しそうにしていた。

 それに比べてうちはどうだろう。空気は重くて、朝潮とは顔も合わせられなければ、満潮からはなぜか敵意がビンビンに飛んでくるし、そんな関係なので会話もない。ここに吹雪がいればその明るさと実直さで場をとりなしてくれただろうし、なんとか会話を作ってくれたかもしれない。彼女がいない事が本当に悔やまれる。ああ、吹雪ちゃん……君が欲しいよ。まじで。

 

 斜め前を歩く彼女達の横顔をちらちら見ていれば、ふんわり甘い香りが鼻先を掠めた。バニラ……ん、香ばしい生地の匂い。それから、瑞々しい感じ……。

 たぶん、ケーキだ。でもこの通りにケーキ屋さんなんてあっただろうか?

 視線を巡らせると、少し先の街灯の下、何かのお店とお店の間に屋台が一つ開かれているのを見つける事ができた。匂いの元はそこだ。赤いのれんに『まちのケーキ屋さん』の文字。

 四人組の女の子――もちろん、艦娘なのだけど――がきゃいきゃいとのれんをくぐって出てきて、楽しげにお喋りしながら手を口に運んで何かを食べている。ケーキにしてはそんな大きさはないみたいけど……何を売ってるんだろう。タルトかな。カップケーキとか?

 少し興味があったから入って見たかったんだけど、満潮はスルーするつもりみたいだ。俺一人だけで動く訳にはいかないから、我慢するしかない。

 

「ね、少し寄ってみない?」

「……朝潮、興味あるの? ……なんでそんなにそわそわしてんのよ」

 

 前を見て屋台の横を通り過ぎようとした際、朝潮が満潮の耳に口を寄せて小声で言った。満潮は意外そうな顔をして足を止めると、屋台を眺めた。あっと声を漏らす。

 なんだろうと視線を追えば、屋台の中には小さなケーキ屋さんが展開されていた。

 横幅が大人二人分くらいのショーケースは上下三段にわかれていて、豊富な種類のホールケーキが並べられていた。定番のショートケーキだとか、チョコケーキだとか、モンブランとかチーズとか。

 そのどれもが、小さいのだ。手の平サイズ……それも、駆逐艦の子くらいの。

 

「いらっしゃい」

「三原先生……ここは、三原先生が?」

「ええ。意外かな?」

 

 のれんをくぐれば、ケースと向こうの壁との二メートルもないだろうスペースに、エプロンをつけた三原先生が立っていた。朝潮が姿勢を正して見上げると、先生は柔和な笑みを浮かべて落ち着いた声で聞き返した。いえ、と慌てて首を振る朝潮。

 

「そういうお話は、耳にした事があります。先生の作るケーキは絶品だと……その」

「正直信じてなかったわよ、先生って、そういうの得意じゃなさそうだったんだもの」

「ふふ、そう見える?」

 

 言い辛そうに言葉を濁した朝潮の後に、満潮が続けると、先生は口元に手の甲を当てるとくすくすと笑った。なんてことない仕草なのに、上品な感じ。

 

「ここでは私はパティシエールだ。味は保証するよ」

 

 おすすめはレアチーズケーキだよ、とケース越しに小さなホールケーキを指して見せる先生につられて目を向ければ、それぞれの値札に目がいった。全部百円……。安いって感じてしまうのは、ここが前にお祭りをやっていた場所で、このお店が屋台だからだろうか。いろんな匂いが入り混じっているのに気分が悪くならないのはどういった手法だろう。

 

「朝潮、食べたいの?」

「……ええと」

 

 先生のオススメを聞いた満潮はふんふんと頷くと、それから朝潮に問いかけた。彼女は言葉に詰まりながら、どうしてか俺の方をちらりと見てきた。

 ……ひょっとして朝潮が満潮をこの屋台に誘ったのって、俺がここを気にしてたから?

 なんて。……それはちょっと都合の良い解釈かな。

 真面目な朝潮だから、目の前にいるのが先生だって事もあって買い食いに抵抗があるのだろう。

 

「じゃあ、私はレアチーズケーキ貰おうかな」

 

 なので、率先して買い食いしてみせる事にした。

 欲しいケーキを頼むと先生はプラスティック製のトングを手にしてケースの背面扉を開け、ホールケーキを挟み、もう片方の手に持ったこれまた小さな紙皿に乗せた。

 代金を払いつつお皿を受け取る。……明らかにトングの方が大きかったのに、ケーキに跡がついてない。凄い繊細さだ。

 ……これ、本当に食べられるんだよね? なんか消しゴムみたいな感じがする。子供の時によく見かけたなぁ。そういうの。

 ショートケーキの超ミニサイズも、ワンホールの中にしっかり苺が並べられていた。半分に切った苺。それもまた極小サイズだ。だから、そういった類のものと疑ってしまうのもおかしくないだろう。だがこの質感は、この匂いは消しゴムや何かに出せるものではない。

 朝潮と満潮もそれぞれ好きなものを頼んでいる横で、一口サイズのワンホールケーキを指でつまみ、むぐっと口に押し込める。途端に、チーズのクリームの滑らかさと酸味が口の中に広がって、唾液が溢れるのを感じた。

 ……………。

 …………。

 ……。

 うまし。

 感想は、それぐらいしか出てこなかった。おいしいの一言。手で口を覆ってもぐもぐすると、そのたびに幸せが増して……先生、パティシエールだって言ったけど、ひょっとしてパティシエの資格持ってるのかな。プロの仕事だ、これ。

 俺だってケーキならお店のものに負けないくらいのは作れるけど、それより上となると難しくなる。小さいのに作りもしっかりしてるし……これで百円か。元とれてるのかな。

 

「んむ、おいし……!?」

 

 思わずといった様子で目を丸くしておいしいと言いかける満潮に、朝潮もこくこく頷いて同意した。朝潮のはフルーツケーキだ。……このケーキの凄いところは、小ささや味ではなく、あれだな。ミニサイズの不思議なフルーツ。見る限り飴細工や砂糖菓子ではない。瑞々しく、まるで本物の果物のようで……でもだとすると大きさがおかしい。

 ……いや、そういうのもあるのだろうか、この世界には。

 よく考えてみれば、俺ってあまり鎮守府の外を知らないんだよな。もしかしたら宇宙へ続く軌道エレベータがあるかもしれないし、猫型ロボットがいたりするのかもしれない。未知なる世界だ。とっても小さなフルーツがあってもおかしくないだろう。

 満足しつつ汚れた指を服で拭おうとして、すっと伸びてきた先生の手に止められた。

 

「これを使いなさい」

「あ、ありがとうございます」

 

 屋台内、脇に備えられた箱からお手拭きを取り出した先生が手渡してくれたので、ありがたく頂戴する。ゴミは本来この先の広場で捨てる感じになるみたいだったけど、俺達はここで食べ終えたので、先生が回収してくれた。

 

「ありがとうございました!」

「ふふ。お礼を言うのは私の方だよ。ありがとうございました……ね?」

「あ、いえ、そんな……」

 

 朝潮が律儀に感謝を示して直立すると、先生は逆に朝潮に頭を下げた。膝元に両手を添え、綺麗な角度でのお辞儀。……やっぱりどこかで働いてたのだろう。先生からは手慣れた感じがした。……何やっても先生なら違和感ない気もするけど。

 

「結構良かったわね」

「他のものも気になるけど、時間がないのが残念ね」

「帰りにもやってるといいんだけど」

 

 小腹も膨れたところで、祠を目指して歩き出す。

 甘いものを食べたためか、不機嫌も重い空気も吹き飛んで、俺達は自然と言葉を交わしていた。

 

「みんな食べたものが違うし……あの大きさなら、たくさん買って帰っても食べきれそうだね」

「催しが終わる時間には、こういったものの飲食はあまり好ましくないと思うのですが……」

「給湯室の冷蔵庫に入れといたらいいんじゃないかな。しっかり名前を書いて」

「盗み食いする奴は絶対に現れるわ。絶対よ」

 

 帰りに先生の屋台が残っているかはわからないけど、ある事を前提に話す。朝潮は俺に対する時と満潮に対する時できっちり口調を切り替えるのだけど、それが気にならないくらいご機嫌になっていた。満潮も言い方は刺々しいままだが、幾分余裕のある声音で断言した。過去に同じような事があったのだろうか? 盗み食い……。

 

「もし屋台が畳まれちゃってたら、今度私が代わりに作るよ」

「はぁ? 作るって……――」

「……満潮?」

 

 あんまり盛り上がってて、帰りの際にがっかりするのも嫌なので提案してみると、満潮が何かを言いかけた。たぶん、ケーキを、と続くんだろうけど……なぜか彼女は口を閉じると、半眼で俺を睨んで朝潮の方へ寄った。え、何その反応。俺の体になんかついてる? 虫とか。

 身を捻って体を確認したり、ひょっとしてチーズケーキの拭き残しが、と頬を触っていると、満潮は何も言わず戸惑う朝潮の腕を引いて歩き出した。

 それで、わかった。この子、やっぱり俺を嫌ってるみたいだ、って。

 それはたぶん朝潮関連で、だ。朝潮の方へ目を向けようとすれば盾になるように動くし、話しかけようとしてみれば彼女が先に朝潮へ話しかけてしまう。俺の言葉を遮っているのだから、当然朝潮も満潮が意図的にそうしていると気づいているのだが、こちらを気にしつつも会話してしまって……なんか、疎外感。

 振られたうんぬんも重い空気もうやむやになってたのに、満潮が邪魔するせいでまたそういう雰囲気に戻ってしまった。

 ……いいよ、そういうふうにするんなら、こっちにだって考えがある。

 

「あさし――」

「ついたわよ、祠」

 

 ちっ、なんてタイミングの悪い。満潮を気にせず強引に会話しようと思ったのに、それは取りやめだ。

 

 古ぼけた祠の後ろには雑木林が続いている。前に朝潮と一緒に入った場所だ。ここで集合して順次突入していく訳だけど、その順番は決まっている。俺達は二番目だ。

 

「はいはーい、青葉です。第一班はすでに出発し、道も半分を超えている事でしょう。聞こえますか、この悲鳴が」

「なんにも聞こえないわよ」

「あり? そうですか? おかしいなあ」

 

 横からぬっと出てきた青葉が現在の状況を伝えてくれた。探照灯装備の彼女が雰囲気づくりのためか、悪い笑顔で脅かしにかかってくるのだけど、艦娘イヤーを以てしても聞こえてくるのは木々のざわめきくらいだ。機械の調子が……なんて言ってるのはばっちり聞こえましたけどね。

 青葉がささっと茂みを飛び越えて夜闇の中へ消えていくと、向こうの方からか細くも恐ろしい悲鳴が聞こえてきた。

 俺達は顔を合わせて、とりあえず聞かなかったふりをする事にした。どう考えてもヤラセである。

 戻ってきた青葉も俺達を見てヤラセに気付かれたとわかったのだろう、『とりあえず笑って乗りきろ』みたいな笑みを浮かべて、ささ、そろそろスタートです、お覚悟を! と煽った。

 

「基本は道なりに進むだけです。この奥に八ヶ沙神社の(やしろ)があるので、今から渡すこの十円玉をお賽銭として収め、あるものを回収して戻ってくるだけの簡単なお仕事です」

 

 はいほいはいと十円玉を渡して回った青葉が、最後に「はいこれ、探索には必須の懐中電灯です~」と満潮の手に安っぽいそれを握らせた。良い笑顔で手を振りつつ、それでは健闘を祈るーっ、と茂みの向こうに飛び込んで行ってしまった。

 

「……もう行っていいのかしら」

「みたいだね」

 

 結構唐突な感じで、これから肝試しをやるぞ! なんて心構えはできていないんだけど、どうやらもう始まってしまったらしい。しかし戻ってくる艦娘というのがまだ戻ってきていないのはどういう事なのだろう。少しルートが違うのかな。

 

「とりあえず先に進みましょう」

「う、うん」

「わかってるわよ」

 

 促す朝潮に、俺はちょっとびびり気味だった。だって、木々の向こうは暗闇が満ちていてこの目でも見通せない。ここ数十日の間意識した事はなかったけど、俺は夜が苦手なのだ。つまりはまあ、こういった暗い森の中、今からめいっぱい脅かしにかかりますよー! みたいなロケーションは、俺の天敵なのだ。

 思い出す。子供の頃、まだ存命だった両親と姉さんと一緒に有名なテーマパークへ行った際、興味本位でお化け屋敷に足を踏み入れてしまった事を。初めは興味津々期待に満ちていた俺は、ぎゃん泣きに次ぐぎゃん泣きで姉さんを困らせ、まだ小学生だった姉さんに抱っこされて途中退場という…………うん、そこまで思い出す必要はなかったな。

 とにかく俺は夜が嫌いだ。じゃあなぜこんな肝試しイベントなんてものに参加しているのかといえば、そりゃ全員参加なのだし――といっても、吹雪や叢雲、電は参加していないのだが――嫌な気分をどうにかしたかったのもあって、参加を決めたのだ。別にまた朝潮と話せるようになったらいいなーなんて下心はない。あんまりない!




TIPS

・まちのケーキ屋さん
前作ネタ。

・夕立班の人選
╰('ω')╯にゃっほいっ☆

・夕立班のにゃっほい
╰('ω')╯にゃっほいっ☆

・子日班の子日
子日

・今日は何の日?


・シマカゼの不機嫌の理由
番外編

・吹雪と叢雲の不参加
番外編

・ハイスピードロップ
トライドロンや連装砲ちゃんに敵の周囲を旋回させて、
自身は高速回転するトライドロンまたは連装砲ちゃんを足場に
何度も執拗に敵を蹴りつける高威力の必殺技。
発動に前動作は必要なく、やろうと思えばいつでもできる。

・番外編でカットしたシーン
・艦これアーケードへ突っ込む際の、次元跳躍装置稼働シーン
発進! みたいにしたかった

・レ級が夕張製シフトカーを捕まえて中の妖精を捕食する事により
 重加速中にも動けるようになるシーン
ちょっちグロイ気がしたので削った

・三原先生が星夜の面倒を見るという事になる流れ
時間的なアレでバッサリ。
のちに加筆修正でなかった事に。

・ケイちゃんのその後
たぶん妖精として楽しくやってる。

・改二戦闘シーン
カットカット。


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   小話『"肝試シイベント"ヲ完走セヨ!』

満潮、壊れる。
朝潮成分は薄め。
かなり薄味。


「ねえ、ちょっと言っときたい事があるんだけど」

 

 青葉さんが消えていった茂みの方を眺めていると、低めの声がすぐ近くでした。隣に立つ満潮だろう。幼く高い声をわざと低くさせているような、そんな感じ。不機嫌の滲んだ嫌な声。

 

「……何?」

 

 入り口付近で止まったまま話しかけてくる満潮に返事をする。

 もう肝試しは始まってるのに、言いたい事ってなんだろう。

 疑問を抱きつつも茂みの方からは目を離さない。

 満潮という少女は、ちょっと刺々しくて、声や言い方もキツメで、小さいのに威圧感があるから少し苦手だ。朝潮の妹さんなのだから、もうちょっとこうお淑やかにできないのだろうか。

 ……それに、なんかヤな事言われそうだから、彼女に視線を向けないように、じっと茂みの葉の暗い緑色を見つめた。

 

「あんた、朝潮のために戦うとかなんとか言ってたけど、そういうの、いらないから」

「どういう意味?」

 

 前言撤回。

 聞き捨てならない言葉に彼女を見れば、彼女もまた俺を見上げた。強い意志を灯した瞳は、いつか見た空色の瞳と同じ輝き。

 薄黄色の透明質な目の表面に映った俺は、いつもの眠そうな半目をもう少し細めて、まるで誰かを睨んでいるみたいだった。

 満潮か、自分自身か。……なんて。

 

「人のためじゃなくて自分のために戦えって言ってるの」

「そんなの、私の勝手でしょ。それを決めるのは私。私にとって、朝潮のために戦う事が私のためになるの」

「どういう意味よ、それ」

 

 早口でそれだけ言えば、彼女はむっと眉を吊り上げて、余計に怖い顔になった。

 どうも何も……俺にあるのは朝潮だけだ。だから、そういう……。

 ……。……いや、違う、か。

 

 雑木林を見上げて、瞬きする。一瞬閉じた視界の暗闇の向こうに、朝潮の顔が見えた。

 彼女に告白した時の事を思い出す。

 誰かの影を重ねないで。彼女はそう言って俺を拒絶したのだ。

 頬に手を触れる。

 ここまでの道のりでも、俺は朝潮に『寂しげな笑顔』を見せていたのだろうか。

 自覚はない。彼女達の反応も、いつもと変わらない。だからわからなかった。

 

 ……俺は、たしかに彼女に姉さんの影を見ていた。

 彼女の笑顔は姉さんの笑顔だった。

 だけど俺が朝潮に好意を寄せるのは、それがすべてじゃない。

 だって姉さんの笑顔に似てるだけなら、吹雪だってそうなんだ。

 吹雪の満開の笑顔も、姉さんが嬉しそうに笑う時の顔と似てて。

 でも俺は、吹雪には恋心を抱いていない。

 彼女は同じ隊に所属する戦友で、大切な友達で、ルームメイトの女の子。

 そりゃ吹雪は実は結構かわいかったりするから、時々どきっとさせられる事もあるけど。

 でもそれは、恋のドキドキじゃない。

 俺の胸が高鳴るのは、朝潮が相手の時だけだ。

 

 蚊帳の外にされている朝潮を見る。

 当事者なのに口を挟めず、困ったように眉尻を下げてこちらを見る彼女へ、話しかける。

 

 ――あの日、君に言ったね。

 

「…………」

 

 ――俺の生きる理由の全てが君なんだ。

 

 君の笑顔を守るために、俺は俺の全てを捧げる。そう誓ったね。

 だから、君がなんと言おうと……たとえ拒絶されようと、俺は君を守る。

 君のために戦う。

 

 朝潮は、何も言わずじっと俺の目を見つめてきていた。

 見つめ返す。彼女の瞳から目を逸らす気になれなかったから。

 

「……何見つめ合ってんのよ」

 

 ずい、と体を割り込ませてきた満潮によって、朝潮の姿が隠れる。

 ……さすがに、今みたいな台詞は、口に出して言えなかった。さっきの台詞は全部心の中での言葉。

 ただ心の中で反響させて……それって、すっごく格好悪い事だと思う。

 一方的に告げる……いや、告げてすらいない。なのに、もう彼女に言った気になってる。

 駄目だ、そんなんじゃ。ちゃんと言わなきゃ。

 ……でも、なんて?

 さっきの心の中の言葉は本心だ。でもそれじゃ駄目な気がする。

 彼女に姉さんの影を重ねていないって事にはならないし、実際そうだ。

 俺は未だに俺自身でもわかってない。本当は朝潮の何を好きなのか。なぜ朝潮を守りたいのか。

 『好きだから』だけじゃ説明がつかない。それは朝潮に対してでもあるし、自分に対してでもある。

 わからないんだ。なんにも。

 だから口に出せなかった。これじゃあ本当に朝潮を守るとか、彼女のために戦うとか言う資格は俺にはないかもしれない。

 でも諦められないんだ。

 君を諦めたくない。

 好きだからか他の何かかはわからないけど、この体の中にある大きな気持ちは本物だから。

 

「……満潮」

「何よ」

 

 呼びかければ、すぐさま鋭い声が返ってきた。

 彼女に目をあわせ、心の中でだけ言う。

 俺はきっと朝潮を振り返らせてみせる。

 格好良いところをいっぱいみせて、危険な色々から絶対に守って。

 そうしたら、もう一度この気持ちを伝えよう。

 たとえあからさまに満潮が朝潮を庇っているのだとしても。

 ……なんて格好つけてみたは良いものの、朝潮に良いところを見せるにはこの雑木林に踏み込まなければならないのだ。

 ……ぶっちゃけ怖い。特に今は、他の二人と会話できるような状態ではないから。

 

「あんた、もしかして怖いの?」

 

 そんな風に二の足を踏んでいると、隣に立つ満潮が見下ろすようにしてそう言ってきた。

 ……んっん。咳払いで誤魔化しつつ、顔を逸らす。

 さすがの俺も二人も同行者がいるのに夜闇を恐れるほど臆病者ではない。驚かされたらその限りではないけど、朝潮と、ついでに満潮がいるなら普段通り振る舞えるだろう。話しかけづらいのは、そう、そんなの気にしなければ良いのだ。どの道もう俺に時間は残されていないんだし、朝潮に接していられる時は積極的に彼女にアタックしてしこう。今決めた。

 

 ……ところでこの子、少し頭を傾けて見上げているのに見下ろすような話し方してるけど、よく見たらまつ毛が震えてる。

 それともう一つ。

 ……いつまで朝潮の腕を握っているのだろう。

 

「……! ばっ、べ、別に、これはそういうのじゃ……!」

 

 試しに指摘してみると、彼女は面白いくらいに狼狽した。

 

「ひょっとして、怖いのは君の方だったり?」

「そんな、わけ、ないでしょ!」

 

 朝潮の腕を持ち上げてわたわた言い訳するものだから、ああこれはひょっとしてと直球で問いかければ、区切り区切りの強い口調で否定された。

 朝潮を見てみる。

 彼女は苦笑いを浮かべて小さく頷いた。たぶん俺の推測が当たってるって事なのだろう。

 

「バカ言ってんじゃないわよ、艦娘が夜を怖がってどうすんのよ! 見てなさい!」

 

 いきりたって、両手で懐中電灯を握った満潮が指を滑らせ何度か失敗しながらもスイッチを押しあげた。光が灯る。と同時、何かビリビリっとした感覚の膜が体全体を通り抜けていった。

 石像のように固まった満潮と僅かに眉を上げた朝潮を見る限り、今の感覚は俺にだけ起こったものではなかったのだろう。

 では、今のはいったい……?

 

「……ねえ、今の――」

 

――ヒェェェェエエエ

 

「っ!?」

 

 びくりと体が跳ねた。

 どこからともなく響いたおどろおどろしい悲鳴は、空を覆う木々を騒めかせて遠くの方に消えていった。

 な、なに、今の。え、いや、落ち着け俺。驚かし、そう、ただの驚かし……。

 

「そ、そうよ、ただの驚かしよ、なな何びびってのよよ」

「み、満潮こそびびって、舌回ってないじゃん」

「ちょっと寒いのよ!」

 

 嘘つけ。今夏真っ盛りだ。

 だが俺が手を握り込んでしまったりちょっと体が震えたりするのは……寒いからだ!

 いつの間にかまた満潮は朝潮の腕を握っていた。それを見下ろした朝潮が、満潮の手に自分の手を添えていったん離すと、ちゃんと手と手で握るようにした。

 はっとした満潮が朝潮と顔を合わせると、朝潮は優しげな笑みを浮かべて小首を傾げた。

 

「いっ、いいわよ、そういうの」

「そうかしら。たまにはいいんじゃない、こういう風に……」

「いいってば!」

 

 ばっと手を振り上げて繋いでいた手を解いてしまった満潮は、大袈裟に顔を背けて、腕を組んだ。俺と向き合う形になると、俺を見上げて、ばつが悪すな顔をする。せっかく気遣ってくれた朝潮の好意を蹴ったのだからそう思うのは当然。でも、当の朝潮は、こういう風に振り払われる事はわかっていたのか、気分を害した様子はなく笑みを浮かべたままだった。

 

「じゃあ……今度こそ、本当に行くわよ」

「結局腕は握るんだ」

「ばっ、迷子になったら困るでしょ!?」

 

 前へ向き直って道の先に懐中電灯を向けた満潮が、さりげない動作で朝潮の腕を取るのを見逃さなかった俺は、今度もそれを指摘した。すると彼女は大慌てで下手な言い訳をして、それからずんずんと歩き出した。俺から朝潮をガードするくらいだし、朝潮の事が嫌いって訳でもないんだろう。むしろその逆……。並んで歩く二人は背丈もほとんど同じで、髪の色こそ違うけれど、距離感やお互いの気持ちをよくわかっている点はちゃんとした姉妹に見えた。朝潮はいいお姉さんで、満潮は……いい妹?

 って、突っ立って眺めている場合ではない。照れ隠しかどんどん先に進む満潮は振り返る気配がない。あっ、あっ、待って、置いてかないで。まじ怖いんだから。

 内心恐怖に震えつつ、外面はいつも通りを保ち(保てているかはちょっと不安)、朝潮の隣へ並ぶ。勇気がいる行為だけど、積極的を心掛けなければ!

 なんて思っていたら、満潮が回り込んで、俺と朝潮の間に割り込んだ、きっちり彼女の腕までとって場所を確保してしまう。なら反対側に……あっくそ、回り込まれた!

 

「…………」

「…………」

 

 無言で睨み合う。

 その間も歩みは止めなかったから、少し曲がりくねった道を歩く中で草の動く音や木々のざわめきが聞こえてくると、びくりと肩を跳ねさせてそちらを窺う事が何度かあった。

 俺の敵は満潮だけではない。この自然と、軽巡や重巡、戦艦とか、その他の先輩方も敵なのだ。俺はそれらにびくつく事なく、朝潮に『きゃーこわいー』って感じで抱き付いてもらう事を目的に進まねばならなかった。

 ていうか満潮ガード半端ないな。さりげなく朝潮に声をかけようとしたりしても邪魔されてしまう。彼女が隙を見せるのは不審な物音がした時か、不審な人影が近くに現れた時か、不自然な光が見えた時だけだ。

 ……その隙を狙うのは無理だな。むり。

 いくら俺が速いからってね、無理なものは無理なんだよ。仕方ないんだよ。

 

――瑞雲が一機……瑞雲が二機……一瑞雲足りない

 

「あ゛ー! また出たーっ!!」

「オチツイテ満潮、ただの瑞雲だよ!?」

「落ち着いてください」

 

 どこからともなく聞こえてきた日向の声に、満潮が懐中電灯をぶん回す。光のビームが周囲の木々の合間を照らし出すと、何かが潜んでいるような気がして怖くなるからやめて欲しい。

 というか、さすがに今のは怖くないでしょ。思いっきり日向だったよ。なぜか朝潮は俺にまで落ち着けと言ったけど。……落ち着いてる、落ち着いてるから。大丈夫、幹から半分だけ体を覗かせた日向がこっちを見つめてきているのなんて見てないから。怖くなんてないんだから。

 

「あさっ、あ、朝潮、朝潮、朝潮!」

「ここにいるわ」

「わかってるわよ!」

 

 満潮は錯乱とまではいかないまでも、結構テンパっていた。そのうち懐中電灯取り落としそうな気もする。そういえば、傍に慌てている人がいると逆にこっちは冷静になれるって話があるけど、あれ嘘だね。……そろそろ俺の頭も限界が近い。

 苦手な相手だろうと人は人、という事で満潮の傍にぴったりくっついて周囲に目を走らせる。見ない方が怖くないってわかってるんだけど、見てない時に何かが来るかもしれないのは怖すぎるし、変なプロペラ音とか聞こえてくるのも嫌で、ああもう、ああもう、ああもう!!

 

「あっ……人魂(ひとだま)

「ひっ」

 

 あああ、満潮が変なモノ見つけちゃった!

 道の先、少し外れた木々の奥、ふよふよと泳ぐ白く丸い炎のような光は、うそ、あれ、本物じゃないよね、ねぇ!?

 

「本物な訳ないでしょ、ニセモノよ、作り物よっ!」

「でもあれ、動いてる!」

「あああ! なんて事言うのよ! 動いてない、動いてなんかないったら!」

 

 懐中電灯の光を向けられた人魂は、ふらふらっとした動きで右に移動しながら段々と浮かんで行って、生い茂る葉の陰に隠れてしまった。

 あれ、こっち来たりしないよね。なんかで吊るしてるだけだよね。その割には光で照らした時に糸とかそういうの見えなかったんですけど!

 

 見たくないのに目が閉じられない。瞳を濡らす涙がぽろりと零れると、どうしようもなくさ迷わせた手で満潮の腕を掴んだ。普段だったら振り払われてるだろうけど、今は非常事態。彼女は頓着せず、ただ、動かし辛そうに懐中電灯をあちこちに向けていた。

 

「木が揺れた!」

「っ……」

 

 近くの木がぐらぐら左右に揺れるのに、もう声も出なくて満潮の腕にひっしりとしがみついた。砕けそうな腰から下の感覚が曖昧で、ちゃんと歩けてるのかもわからなくて。

 

「ちょっと! 歩きにくいのよ、離れなさいよぉ!」

「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」

 

 歩く際に邪魔なのか、肘を動かして俺の手を振り払おうとする満潮に、今ここで離したら置いてけぼりにされてしまいそうな気がして離すまいと掴み続ける。自分で自分が何言ってんのかもわかんない状況だったけど、力加減だけは気にしていた。目いっぱい握ったらきっとメシャッていくと思ったから。

 でも彼女の恐怖と苛立ちの天秤は、苛立ちの方に傾いてしまったみたい。

 

「ウザイのよ!」

 

 体ごと腕を振り抜いて俺を振り払った満潮が睨みつけてくるのにたじろぐ。

 声を荒げられた事より、彼女達も一緒になって止まってくれた事に頭がいっていて、少しの間動けなかった。

 

「満潮」

 

 囁くように朝潮が注意する。乱暴な払い方をしたからだろう。体勢を崩しかけはしても大事はなかったから、彼女がそうやって俺を気にかけてくれたのは嬉しかった。……と思う余裕は、実はなかったりするんだけども。

 不意に視界の端に青白い光が揺らめいた。

 さっきと同じように、光が木々の合間を泳いでいる。高さは俺の胸くらいのところ。二人も気付いて、懐中電灯を向けた。やっぱり紐やら糸やらはない。

 ああでも、だから、これはそうゆうイベントなんだから、あれももちろん作り物で……!

 あああ、視界がぐるぐるぐる。

 ああああああ。ひとだまが、ひとだまが!

 ひとだま?

 お化け?

 ゴースト!?

 

「仮面ライダーごときに私の偉業は止められない! やがて銀河の王となる男の前ではな……!!」

「意味わかんない事言わないでよぉぉぉ!!」

「お、落ち着いて、落ち着いて二人共!」

 

 くすくすと聞こえる忍び笑い。どこか上の方に感じる気配。ぴゅうっと飛んでくるお水に、道半ばに不自然にあるお地蔵様。

 

「ああああ!!」

「にゃあああ!!」

 

 斜め後ろをザザザザと何かが蠢いて移動する音に、なりふり構わず満潮を捕まえようと両手を伸ばすと、向こうからも手が伸びてきていてがっちり組み合ってしまった。絡んだ両手の指どうしはそのままに背後を振り向けば、くっつくくらいに頬が寄って、喉の震えが直に伝わってきた。

 なんか今横通った、横通ったよ!

 

「……このまま行きますよ!」

 

 前へ出た朝潮が手を振って俺達を誘導する。ようやく手を離して体も離した俺と満潮は、走り出した朝潮に置いて行かれないように最大速でついていった。

 

 

「はー、はー、はー……」

「ふー、ふー……」

 

 奥まった場所にあった人の気配のない社。その前にあった賽銭箱へ十円を叩きつけて、即座に撤退する。社の陰から覗いていた川内先輩はいないものとして扱った。帰りの際、朝潮が三枚の御札を握っている事に気付いてこけそうになった。なんてもの持ってきちゃってんのと突っ込もうとしたけど、彼女の説明では、それが社へ行った事の証明になるらしい。

 命からがらスタート地点まで逃げ帰ってきた俺達は、少し休憩すると、青葉に御札を返却して、ご褒美に間宮のお食事券を頂いた。

 これにて俺達の肝試しイベントはおしまい。雑木林を抜けてもまだ破裂しそうなほど鼓動する心臓を胸を押さえてなだめながら、二人と一緒に鎮守府への帰路についた。

 

「なかなか良い走りだったじゃない、褒めてあげるわ」

「ライト捌きが見事だったね。素直に尊敬するよ」

 

 なんて会話を交わしたりして、満潮とはちょっとだけ仲良く(?)なった。

 ……怖がってた事を必死に隠すためのおべっかであっても、褒め言葉は褒め言葉だ。少し距離が近付いた気がする。

 朝潮のハートキャッチ大作戦は失敗に終わったけどね!!

 いいもん。帰りの道中、まちのケーキ屋さんの屋台が畳まれているのを見て少し気落ちした様子の朝潮に、ケーキを作る約束をしたから。

 明日にでも作ろうと思う。俺には時間がないからね。

 屋台はなくても、そこに立って艦娘の帰りを見守っていた三原先生にケーキ作りを教われる事にもなったし、結果オーライだ。

 先生はプロらしいから、きっちり技術を吸収しないとね。それがたとえ数日の間しか活かせないのだとしても。

 

 帰りは各自自由。先生や先輩方が俺達の動きを見守ってくれていたらしいから、点呼の必要はなく、流れで寮に帰宅する。下の階の朝潮と満潮にお休みの挨拶をして部屋に戻った。

 もしかしたら誰もいないんじゃないかもって怖くなってたけど、叢雲がいてくれた。連装砲ちゃんはまだ点検中みたいでいなかったから、彼女がいてくれて本当に助かった。

 もし一人だったらと思うと、はは、ブルっちゃうね。

 自分で立候補したのに私情で任務をほっぽり出した事を叢雲に叱られて、足の方もブルっちゃったけどね。

 

 トドメにその日は、目が冴えて眠れなかった。暗がりや何かを見てると怖い事を考えてしまうのでうつ伏せになって寝ようとしたのだけど、息苦しくて寝れたもんじゃなかった。ひー、もうやだよう。




TIPS
・朝潮の腕を握る満潮
ずっと朝潮の腕を握っている。必ず朝潮についていく。
視界から外したくないらしい。見えないところに行かれるのは嫌らしい。

・没台詞
「史現ともに私の方があんたよりお姉さんなのよ!」
「満潮……お姉ちゃん?」
「…………さっきの発言は取り消す」


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第四十話 襲撃

 完全休暇二日目。

 一仕事終えた俺が少し疲れた体を揺らして部屋に戻ると、ルームメートが全員揃っていた。

 部屋の中心にあるテーブルを囲んで、お茶を飲みつつ休んでいる夕立と吹雪に、俺のベッドに腰掛けて腕を組んでいる叢雲。……あー、叢雲さん、なんだか不機嫌そう。でも、叢雲の膝の上や、体の周りにいる連装砲ちゃんが彼女の気分を和らげてくれているみたいだから、ひとまず安心して、テーブルに近付いた。

 

「島風ちゃん、お疲れ様っぽい」

「ありがと。……吹雪ちゃんは、どうしたの? なんかやたら気合入ってるみたいだけど」

 

 振り返った夕立が労ってくれるのに笑顔を返しつつ、昨日から今さっきまで起こっていたちょっとしたトラブルの事を思い返す。ある意味俺の憧れの人が来てたんだけど、もう帰っちゃった。本当にいたのかも怪しく感じるのはどうしてだろうか。あの人から強奪したお菓子が右手になければ、本当にそう思えてしまうような気がした。

 ああそうそう、叢雲が不機嫌そうなのも、そのトラブル関係だろう。十中八九そうだ。昨日も怒られたばっかりだったもの。

 

「島風ちゃん、私ね、もっともっと強くなりたい」

 

 吹雪を見れば、彼女は胸元で拳を硬く握り込んで、燃え盛る炎を瞳に灯して、そう言った。それがどういう意味かはわからないけど……それもまた、さっきまでのトラブル関連かな。

 

「そう。じゃ、頑張ってね」

「うん! 一緒に頑張ろうね、島風ちゃん、夕立ちゃん!」

 

 あんまり突っ込んで聞く事でもないだろう。無難に応援の言葉を投げかければ、ありゃ、巻き込まれてしまった。改二目指すっぽい、と息巻く夕立と吹雪が身を乗り出し、手を取りあって盛り上がる。

 

「あら、私は仲間はずれなの?」

「うぇっ!? あっ、や、そ、そうじゃなくてね? む、叢雲ちゃんは、私達より強いし」

「そうでもないわよ。()()なトラブルに対応するのも一苦労するくらいの強さしか持ってないわ」

 

 『一緒に』、か……なんて黄昏ていたら、叢雲に睨まれた。皮肉……。色々押し付けちゃったの、めっちゃ根に持ってるみたい。なんとかしてご機嫌を取らねば。

 

「だったら、叢雲も一緒に頑張ろう、ね?」

「『だったら』って、あん、む!?」

 

 俺の言葉に怒った風に口を開いたその瞬間、俺の右手が閃き、手にしていた小箱から飛び出したミルクキャンディーが見事彼女の口へ収まった。

 さすがの動体視力ですぐさま口を閉じた叢雲が、手を口に当ててもぐもぐやりつつ、半眼で見てくるのから逃げるように顔を逸らす。お行儀の良い彼女は口の中のものを飲み込むまでは喋れないだろう。この隙に吹雪と夕立のまったりゾーンに逃げ込んでしまえ。

 

「って訳で、吹雪ちゃんと夕立ちゃんにも、ミルクキャンディーのお裾分け~」

「あ、ありがと。島風ちゃん」

「ひとやすミルク……? コンビニエンス妖精の商品じゃないっぽい?」

 

 受け取った一粒を手の平に転がしてしげしげと眺める夕立に、まあね、と頷きつつ、座る。

 それは貰い物だから、コンビニには売ってない。鎮守府の外には……どうだろう。売ってんのかな?

 

「味は普通っぽい。……んっ? し、島風ちゃん、ちょっとその箱貸して!」

「え、いいけど」

 

 キャンディーを口に含んで転がした夕立は、片頬を丸く膨らませながら俺に感想を言うと、ん? と怪訝な顔をした。小箱を差し出せば、それを手にすると、裏返したり上部の蓋や下部の蓋を眺め回す。

 

「あ、大丈夫、賞味期限はまだ先っぽい」 

「そりゃそうだよ。今朝手に入れたばかりだもん」

「見間違えてびっくりしたっぽい」

 

 賞味期限切れと勘違いして焦ったのかな? 吹雪と叢雲は、これが安全なものとわかると、止まっていた体を動かしてもごもごを再開した。

 返してもらった箱を裏返し、なんとなく俺も期限を確認してみる。うん、大丈夫。まだ二ヶ月くらいあるよ。

 あんま先の事を考えると辛いので、テーブルの上に箱を置き、後ろに手をついて体を傾けた。ふー、と息を吐いて感情を逃がす。

 叢雲が、上から覗き込んできていた。

 

「…………」

「…………」

 

 まだもごもごやってるけど、怖い顔してる。このままではお小言を言われてしまいそうだ。

 

「さて、私はそろそろ三原先生のところに行こうかな」

「三原先生? なんで?」

 

 さっと体を起こし、そう宣言すれば、吹雪も夕立も不思議そうに見てきた。昨日約束したんだ、ケーキ作りを教えてもらう、って。

 

「まちのケーキ屋さん! 先生、ケーキ作りもできたんだねー。凄いなあ」

「夕立は知ってたっぽい」

 

 説明しつつ立ち上がると、吹雪は純粋に感心しているように手を合わせ、夕立は、ミルクキャンディーの小箱を指でつつきながら、少し得意気に呟いた。知ってるよ、夕立が物知りさんなのは。

 

「…………」

「あー」

 

 ぽん、と肩に手が置かれる。もちろん叢雲だ。逃がす気はないって事かな。

 握る力はそんなに強くないのに、抜け出せそうにない気がして……でも残念、俺にはあまり時間がないから、そんな圧力は無視して抜け出してしまうのです。

 跳ねるように扉の方へ跳び退けば、叢雲は諦めたように手を下ろした。素早くブーツを履き、連装砲ちゃんを呼び寄せる。……あっ、砲ちゃんが捕まったっ!

 

「……わかったよ、砲ちゃんは叢雲の相手しててね」

『キュ~』

 

 叢雲に抱えられてふりふり手を振る連ちゃんに笑みを返しつつ、装ちゃんを持ち上げて抱え、床に爪先をぶつけて靴の調子を整える。

 ノブに手をかけたところで、はたと動きを止めた。振り返って、三人の顔を見回す。

 

「なあに、島風ちゃん」

「忘れものっぽい?」

 

 俺の視線に気づいた二人が顔を向けてきた。叢雲も、ベッドに歩いて行ってボスンと腰を落とすと、砲ちゃんを撫でつつ横目で俺を見た。

 

「ううん、そういう訳じゃないんだけど……」

 

 それぞれの顔を一つ一つ見ていく。

 素朴なかわいさを持つ吹雪は、真面目でまっすぐで、一生懸命。

 夕立はお嬢様みたいだけど、結構好戦的で、物知りさん。

 叢雲は気難しいけど、ほんとは優しくて世話焼き。怒ると怖い。

 ほんの一ヶ月ちょっとの付き合いの彼女達だけど、間違いなく、友達とか、親友とか、そういう風に言える間柄になれてるって思ってる。

 だから、せめて、これくらいは言っておこう。

 

「吹雪ちゃん、夕立ちゃん、叢雲。仲良くしてくれてありがとね」

「いきなりどうしたの、島風ちゃん。そんなの……お礼を言うような事じゃないよ。好きでやってるんだから。仲良くしたいって思ってるから、お友達なんだよ」

 

 きょとんとした吹雪が、ゆっくり話し出した。話すうちに柔らかい笑みを浮かべて、最後には、ね? と同意してきた。

 うん。俺も、好きだから、仲良くしたいから、友達になった。

 

「島風ちゃんは違うっぽい?」

「ううん、違くなんかないよ。吹雪ちゃんとおんなじ気持ち」

「あたしも同じっぽい。一緒にいると楽しいから、一緒にいるっぽい」

 

 俺を見上げる夕立が、小首を傾げて問いかけてくるのにそう返せば、頷いて、そんな言葉。

 楽しい。……そう、この一ヶ月くらいの間、楽しい事ばかりだった。素敵な時間。

 だからもう、悔いはない……かも。心残りはまだあるから、今から消化しに行くんだけどね。

 

「…………」

 

 叢雲に目を向ければ、彼女はまだミルクキャンディーをやっつけきれていなかったみたいで、もごっと頬を動かすと、下を向いた。

 それから、砲ちゃんを両手で抱えると、顔の前まで持ち上げて、ふりふり左右に傾けた。

 

「あはは。……それじゃ、行ってくるね」

「……うん、行ってらっしゃい」

「いつか夕立達にもケーキをご馳走してほしいっぽーい」

「オッケー。作っとくよ。叢雲の分もね」

「……ん」

 

 再度皆の顔を見回してから、廊下に出た。

 後ろで扉が閉まると、これでお別れでもないのに、なんだか寂しい気持ちが胸の中に浮かんできた。廊下が静かだからかもしれない。木造であっても、防音は結構しっかりしているのだ。さすがに暴れ回ったらその限りではないけど。

 長めの廊下を歩きながら、装ちゃんの重みを意識する。砲ちゃんより一回り大きいから、重さもこっちの方が上。ずっと抱えていられそうにはない。生体フィールドを纏えば話は変わるけど、日常生活で無駄に燃料を消費できないからなぁ。

 

「…………」

 

 コツコツと、硬い足音が耳に届く。歩幅の狭い連ちゃんの歩む音と時折重なって、離れる。

 ……実際のところ、どうなんだろう。

 俺の中にいる本物の島風が目を覚まして……完全に覚醒したら、俺は、どこにいくんだろう。

 自宅の浴室で、鏡を前に座っているのだろうか。それとも、島風のいたあの暗い海の中に落とされるのだろうか。

 どっちにしろ……嫌だな。

 ……ああ、でも、姉さんの帰りを待たなきゃ――。

 

「島風ちゃん」

 

 速めの足音が後ろから近付いてきて、左右に並んだ。吹雪と夕立だ。

 

「どうしたの、二人共」

「大した理由はないんだけどね。……私達も、一緒に行っていいかな?」

「うーん、まあ、大丈夫だと思うけど」

 

 三原先生は、たぶんそんな事で怒ったりしないだろうし、人数が増えるくらいは大丈夫だろう。駄目だったら、二人には帰ってもらうしかないけども。

 

「叢雲は?」

「叢雲さんも、きっとすぐに来るっぽい」

 

 ふと気になって聞いてみれば、夕立が笑みを隠そうともせずにそう言った。

 ついて来ようとしたけど、何かあって遅れてるのかな。いずれにせよ、叢雲も俺を追おうとしているのがわかって、ちょっと嬉しくなった。

 こんな事で喜びを感じるのってどうなんだろうとは自分でも思うけど、やっぱり、人に想われるってのは嬉しいものだ。

 それに、人が本当に死ぬ時は、誰からも忘れられた時だって話もあるし、この子達が覚えてくれえるなら、もし俺が全部なくなっちゃうとしても、怖くない。

 艦娘寮を出て、砂利道を歩く。本棟への道。

 

「夕立は定番、苺のショートが好きっぽい」

「あ、私も。クリームの甘さと苺の酸っぱさが好きなんだ」

 

 話題は、ケーキは何が好きか。俺は特にどれが一番好き、というのはない。姉さんはレアチーズケーキを好んで食べてたな。だから俺が一番得意なのもそれだ。他の種類は、イベントごとがある時に作ってた。買うより安上がりだったし。

 それに姉さんも……。

 …………。

 

「……?」

「島風ちゃん?」

 

 立ち止まる俺に、吹雪と夕立も止まって、振り返った。その向こう。遠くの空が暗いのを見上げて、ぼうっとする。

 ……一雨くるかな。

 なんて考えている内に、どんどん空が雲に覆われていき、同時に、冷たく湿った風が頬を撫でると、数度気温が下がった気がした。

 遠くに壁が立ち上がった。

 白く分厚い霧の壁。濃霧が、鎮守府を包む。

 

「なになに、異常気象っぽい?」

「これって……」

 

 きょろきょろ辺りを見回す夕立に、思い当たる節がある素振りを見せる吹雪。俺も、この現象には覚えがあった。

 だってこれは、海の上で起こる敵性の現象。この霧のために俺達は完全休暇をとっているのだ。

 

『――――』

 

 気配があった。

 道の右側。通路の向こうの、海の上。

 波の間に流れる霧の中から人影がせり出すと、あの深海棲艦が姿を現した。

 レインコートみたいな黒布を見に纏った、赤い光を纏う、戦艦レ級。

 前を開いて露出させた胸元やお腹、顔なんかの色がはっきり見えるくらいに霧が退くと、そのまま、俺達の周りからも霧が引いていって、円形に開いた。

 

『アア……ヤット戻ッテコレタ。気紛レナ霧メ』

「ね、ねえ、島風ちゃん、あれってひょっとして……」

 

 提督が言ってた、霧に潜む強敵っぽい?

 夕立の言葉に答えた訳ではないのだろうが、レ級は肩に手を当てて首を回すと、俺達を見て、口の端を吊り上げた。

 

『オ前ガ進化シテイルカドウカ、ソノ体ニ聞カセテ貰ウトシヨウ』

「っ……!」

 

 彼女の腰から生える尻尾がくねると、海面に叩きつけられた。跳ね上がったレ級の体が襲い掛かってくるのを、俺はただ、見上げていた。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 硬い石畳の上を転がって、広場の中央まで来た時に、腕をついて無理矢理体を起こした。勢いを殺すために素早く後退し、構えをとる。

 

『ホレ、ドウシタ』

 

 本棟を背後に、レ級が歩み寄ってくる。脇の道から追って駆けて来た吹雪と夕立が、身を固くして立ち止まるのが視界の端にあった。

 

『キュ~!』

 

 傍に放り出されて転がっていた装ちゃんと、寄って来た連ちゃんがレ級に砲身を向け、しかし、撃てない。それは俺を守るように俺側に立ったせいで、砲弾の届く距離に本棟を含めてしまったからだ。

 位置取りを変えようにも、迂闊には動けそうにない。レ級はそれがわかっているのか、緩く両腕を広げ、尻尾を振っていた。まるで「どちらから抜けようとも跳ね返すぞ」と言っているみたいで、威圧的だった。

「敵襲ーーーーっ!!」

「ぽーーーいっ!!」

 

 二人が声を張り上げ、侵入者があるのを伝えようとする。空に上った声が霧の中に反響して遠くへ消えていくと、レ級は、尻尾の異形を二人へ向けると、躊躇なく砲撃した。

 全身の毛が逆立つような危機感。二人の間に着弾し、石畳を捲り上げる衝撃の中、吹雪と夕立は左右に跳んで難を逃れていた。

 それでも、至近弾。受け身を取りつつ地面を転がった二人はすぐに動けないだろう。追撃があったら終わりだ。ならその隙は、俺が稼ぐ。

 

「はっ!」

『オット』

 

 駆け出してすぐ、前蹴りを繰り出せば、一歩横にずれて避けられた。出した足をそのまま地面に叩きつけて踏み込みとし、レ級に掴みかかる。

 戦艦相手に力比べだなんて無謀な事はしたくないけど、注意を引くにはこれが一番だ。

 

「うっ!」

 

 伸ばした腕ごと、レ級の腕に払われて、大きく体が逸らされる。追撃の手刀は、飛び込んできた連ちゃんが代わりに受けた。地面に叩き付けられて跳ね上がった連ちゃんを腕に抱いて回収し、後退する。倒れそうになるくらいの足運び。足がもつれてしまう前に十分な距離を保つと、連ちゃんを放って、再度構えをとった。今度は夕立と吹雪を背にしたレ級が、首を傾げて流し目を送ってくる。連装砲ちゃんは、撃てない。

 ぺっと連ちゃんが吐き出した端末、カンドロイドの軌道上に左腕を差出し、滑り込ませるように装着する。そのままでは飛んで行ってしまっただろうが、端末から伸びたゴムバンドが腕に巻かれ、ちょうど良く収まった。

 端末を胸元に、右手ですぐさまスイッチを押し込んで起動し、夕張さんの持つ端末へ通信を繋ぐ。

 

『ふぁぁ~い、どーしたのぉ……?』

 

 妖精暗号通信とは違って、彼女の生の声が……いや、機械を通した声が、カンドロイドから聞こえてきた。レ級は怪訝な顔をして端末に注目する。

 

「敵襲!」

『へぇ? ……うん……。あー?』

「夕張さん、起きて!」

 

 凄く眠そうな彼女に苛立って、ばしばし端末を叩くと、きゃーやめてぇと悲鳴が上がった。レ級はもう、興味を失ったようにこちらに歩いてきている。じりじりと後退しながら何度も声をかけると、ようやく彼女からまともな返事が返ってきた。雑音が頭の中に響いたのは、妖精暗号通信での通信を試みてきたのだろうか。この霧の中では長距離通信はできないみたいだ。妨害電波と同じ効果を持つ霧……。

 

『て、敵襲ね! でも、ごめんなさい、まだ武器は調整中で……』

「みんなに敵が来たって知らせてほしいの!」

 

 まだ寝ぼけているのか、不明瞭な事を言う彼女へ呼びかければ、少しして、わかったわ、と返事。通信が切れ、間を置いて、夕張さんの工廠の方からサイレンの音が響いた。

 

「うらぁ!」

 

 間合いに入ってきたレ級へと回し蹴りを見舞えば、手の平でかるく受け流された。ヒールに返ってきた衝撃からするに、ちゃんと当たってたはずなのに! やっぱり戦艦って硬い。まともに組み合えば潰される。

 

「あっ!」

 

 無造作に振るわれた腕を防ごうと腕を掲げ、直後にがぁんと頭を揺さぶられた。視界が白み、それが消えたのは、地面を転がっている時だった。右腕の半ばが酷く痺れるのに呻きつつ立ち上がる。

 

『硬イネェ』

 

 自身の手を握ったり開いたりしながら言うレ級へ、お前が言うな、と吐き捨てたくなった。いちおうこれでも俺、助走なしで軽巡とか重巡くらいなら片付けられるくらいのパワーは得ているはずなんだけど。

 戦艦で、elite(上級)だ。装甲は伊達じゃないか。

 両腕を前に出し、ファイティングポーズに近い構えで横へ足を運ぶ。円を描くように、奴の横へ。とにかく本棟を背にさせる訳にはいかない。こっちは陸地側だから、どこに行ったって砲撃すればどこかしらを壊す事になるけど、くそ、本棟を傷つけるよりは……!

 

『!』

 

 唐突にレ級が腕を横へかざした。直後に腕にぶつかった何かが爆発し、黒煙を広げた。砲撃……! まさか吹雪か夕立か。飛んできた方を見れば、朝潮が砲を構えて立っていた。

 

「サポートします!」

「……! うん!」

 

 きりりと引き締まった表情は、いつもの何割増しも凛々しい戦闘時の顔だ。久し振りに見た気がする。煙を振り払ったレ級へ再度砲撃した朝潮は、同じ位置に着弾するのを確認せずに走り寄って来た。

 

『海へ誘導します!』

 

 意思が直接頭の中に飛び込んでくる。彼女が手に持つ連装砲か、手に装着した魚雷かはわからないけど、その中にいる妖精さんを介しての妖精暗号通信。の割に言葉が鮮明なのは、相手が朝潮だってわかりきってるからだろう。

 この場で戦えば不利なのは俺達だ。レ級を海へ連れ出す事が出来れば、心置きなく砲撃も雷撃もできる。

 ここは俺達艦娘のホームだ。深海棲艦が一人なら、数で押し潰せる。

 

「oh! 敵艦発見デース! 妹達、ワタシの後に続きなサイ!」

「はい、お姉様!」

「こんな場所まで入り込むなんて不届き者です。榛名が成敗します!」

「気をつけて、あれがきっと噂の『強敵』よ!」

 

 陽気な声と張り切った声が幾つか、本棟の方から聞こえてきた。三階。窓を開いて顔を覗かせた金剛先輩が身を乗り出して飛び降りる。その後に姉妹も続いた。

 立て続けに重い着地音がして、戦艦がずらっと並ぶ。なぜかみんな艤装を装着済みだった。

 

「ワタシ達が艤装のお手入れをしている時に現れるなんて、運のない奴ネ!」

「一気に捻り潰してやりましょう!」

「ここで勝手は、榛名が許しません!」

「さぁ、行くわよー!」

『…………』

 

 腕を伸ばす金剛を中心に騒がしい姉妹達へ、レ級は鬱陶しそうな顔をして尻尾を持ち上げた。異形の頭部に備えられた砲身がすべて金剛先輩達に向く。止めようにも届かない位置。朝潮は、今まさに俺の隣に来たところだ。照準を合わせる暇はない。

 砲撃音が連続して響く。本棟を背後にした先輩達は避けれないし、弾けないだろう。だからか、比叡と榛名の二人が金剛を庇うように前へ出て、腕で体をガードした。

 砲弾が直撃した二人の体が吹き飛びそうになると、後ろに控えている金剛先輩と霧島が支える。足が地面を擦り、だけどすぐに止まった。

 

「反撃です、金剛お姉様!」

「霧島、力を合わせていきましょう!」

 

 腕の袖が焼け焦げて破れているのを気にせずに士気を上げる二人。本棟の方では、一階も二階も三階も所々で窓が開いて駆逐艦の子や軽巡の先輩が顔を覗かせると、レ級の姿を認めて飛び降りてくる。大多数が艤装を身に着けていない。

 

「敵艦発見! 雷、響、行くわよ!」

「飛び出したは良いものの……装備がなければ戦えないぞ」

「たしかあっちの方に錨を置いといたわ! とりあえずそれで……」

 

 電以外の暁型の子達が外へ出てくると、わちゃわちゃしながら明石の工廠の方へ走り出す。

 二階から飛び降りてきた天龍が、同じくその横へ着地した木曾と同時に剣を抜くと、鏡合わせのように構えた。

 

「どうする。突っ込むか?」

「それ以外に何かあるか?」

 

 前を向いたままの会話が遠くに聞こえた。

 本棟だけでなく、その両脇からも仲間達がやってくる。体育館で集まっていたのだろう川内型の三人や、反対の方の建物の陰からは、弓道着姿の赤城さんと加賀さんが出てきた。明石の工廠にひとっ走り行ってきたのだろう、フル装備の吹雪と夕立も駆け込んできて、本棟の正面には、ぞくぞくとこの鎮守府に所属する艦娘が勢揃いし始めていた。

 

『私ガ用ガアルノハ、オ前達ダケナンダガナ』

「知るか。こんなとこにのこのこやってきたお前が悪い」

 

 隣に立つ朝潮が砲を構え、その横で俺が拳を構える。彼女が作った隙を俺が突くスタイルだ。

 俺の言葉の何がおかしかったのか、レ級は狂気的な笑みをいっそう深めると、すっと腕を持ち上げた。握り拳は、人差し指と中指だけが揃って立っていて……それが朝潮に向けられるのに、直感的に軌道上に割って入った。

 

「っ!」

「きゃあ!」

 

 肩を穿つ痛みと衝撃。咄嗟に朝潮を守ろうとした体勢のために踏ん張りがきかず、体が浮いて、朝潮にぶつかって倒れ込む。同時に奴は、そのまま体を捻って腕を振り切った。

 たくさんの悲鳴があった。硬い物を削る音と、柔らかいものを裂く音。肘をついて本棟の方を見れば、誰もが膝をつくか、ふらついていた。服が破れている……中破や大破している者がたくさんいる。

 どういう事だ……!? 今、レ級は砲撃なんてしなかったはずだ。それに、こんなにいっぺんにたくさんの相手を攻撃するなんて……!

 

「水圧カッター……?」

 

 同じく身を起こした朝潮が、呆然として呟く。カッター……確かに本棟の壁には真一文字に削られた跡ができているし、艦娘達が傷つけられた場所は、高さが一致している。

 でも、レ級がそんな能力を持っているだなんて聞いた事がない。

 

『面倒ダナ……マア、調度良イカ』

 

 指を戻したレ級は、今度は尻尾を持ち上げた。

 

『ココハ馬鹿ミタイニ、オカシナ艦娘ガ沢山イルシナ』

「させるか!」

 

 俺が叫ぶと同時に朝潮が砲撃する。尻尾にぶつかった砲弾が奴の攻撃を中断させ、同時に、地面を蹴った俺が体ごとぶつかっていく。

 言葉の意味を考える必要はない。とにかく今はこいつを海へ連れ出さなければならない。

 腰に組み付いてぐいぐい押す。力いっぱい足を動かし、地面に足裏を擦りつけて、でも段々とびくともしなくなっていく。

 

「危ない!」

「っ! ぐ!」

 

 朝潮の呼びかけに咄嗟に飛び退き、横薙ぎに振るわれた奴の手刀を躱し、しかし、レ級が回転した際に振り回された尻尾をぶつけられて、弾き飛ばされた。片目をつぶりながらも、地面にぶつかる瞬間に受け身を取り、跳ねるようにして体勢を整え、両足で着地して屈んだ状態のままザリザリと後退した。すぐさま朝潮が駆け寄って来る。

 

「はーっ!」

『ン?』

 

 飛び込んでくる影があった。

 細長い針……アンテナそのものを槍に見立ててレ級へ突きかかったのは、叢雲だった。コートを翻して避けたレ級の傍へ着地した叢雲は、自分の身の丈もあるアンテナを振り回して腰だめに構えると、憎々しげな目をレ級へ向けた。

 

「あんたがこの霧の主ね……!」

『オ前ハ……アア、見覚エガアルゾ』

 

 朝潮に腕を引かれて立ち上がる。生体フィールドを纏っているおかげで傷はないし、服が破けるほどのダメージは貰ってないが、右腕なんかがじんじんと痛んでいた。

 

『進化ノ可能性ガ無イ艦娘ダナ』

「黙れ、みんなの(かたき)よ!」

 

 覚悟!

 先端に青白い電気が走るアンテナを振り回した叢雲は、再度跳び上がると、突き差すように両腕を突き出した。レ級も腕を伸ばしてアンテナの先端を掴むと、走る光を気にも留めず、握り潰して()し折った。

 

「なっ!」

 

 もう片方の腕が振られて、叢雲の体が打ち返される。戦艦の攻撃をまともに受けた体はあっという間に限界を超えたのだろう。破れた服の断片が散っていく。

 落下地点に身を滑り込ませてなんとか受け止める。

 

「く、そ……」

 

 叢雲は苦しげに呻いて、だけど、息を荒げるばかりで、体に力が入らないみたいだった。半ばから折られたアンテナだけは離すまいと握っていて、力んだ手が震えている。

 

『戦ウ事ヲ忘レテ自分ノ意思ヲ優先スル……ソコノ軽巡、軽空母、駆逐艦……。ナンナンダココハ。馬鹿ガ多スギル』

 

 本棟の前に立つ那珂ちゃん先輩や……ああ、鳳翔さんまで……指差していったレ級は、呆れたように首を振ると、俺を見た。

 

『オ前モダ。オ前モ、オ前モ』

 

 言っている意味はわからないが苛立ちと怒りを段々と募らせているのだろう、声は次第に強まって、指を突き付けられた俺達は、すぐには動けなかった。腕の中の叢雲が転がって地面に倒れ伏すと、腕をついて身を起こす。歯を食いしばり、拳だけでなく、その体もまた震えていた。

 

『守ル、逃ゲル、戦ワナイ……オ前達ハ、不要ダ』

「ふざけるな!」

 

 何が不要だ。不要なのはお前だ!

 

「はっ!」

 

 両足を揃え、跳び上がる。助走なしで蹴りの威力を上げる一つの方法。空中での回転の後に、運動エネルギーを全て相手に向けて急降下キックをぶちかます。――そうしようとして、向けられた二本指に胸を穿たれた。勢いは相殺されるどころか、逆に押し退けられ、体が宙に浮く。胸で弾ける痛みに身を捩ると、一気に地面に叩きつけられた。

 息が詰まる。全身を痛みが駆け抜ける。

 

『フザケテイルノハ、オ前ダロ? ナンダソノ戦イ方ハ』

「う、く……」

『艦娘ナラ艦娘ラシク戦エ』

 

 胸元の服を握り締めて体を丸める。熱い。撃たれた場所が焼けるように痛む。

 足音が近づいてくる。かつかつと、速くないのに、速い音。

 立たなきゃ。そう思ってもすぐには体が動かなかった。そんなにダメージは受けてないはずなのに、痛みが邪魔をする。

 

「……!」

『……オオ』

 

 俺の前へ、朝潮が出た。朝潮が俺を庇って、レ級の前に立ちはだかったのだ。

 足を止めたレ級が感心したような声を出すと、両手を顔まで持ち上げて、撃ってみろ、と促すように振る舞った。

 

「っ、!」

 

 砲撃音。重なるように着弾音。

 朝潮は、寸分違わずレ級の顔に砲弾を当てた。

 だというのに、レ級は僅かに背を反らしただけで、頭を振って黒煙を振り払うと、にたりと(わら)った。

 

「そんな……くっ!」

『ハハ、無駄ダ』

 

 複数回続けての砲撃は、全てが命中した。レ級は傷つかない。余裕のある声を出して、両腕を上げてやられるがままにしている。

 いくら駆逐艦の砲だからって、この距離で、何発も当ててるのに、損傷なしだと……?

 おかしい。それは、どう考えてもおかしい。

 

「うあっ!」

「朝潮!」

 

 首を掴まれた朝潮が持ち上げられると、そのまま引っ張られて、レ級の腕の内に持っていかれた。肘で首を絞めるような体勢。もがく朝潮に、立ち上がる。

 

『ドウシタ。オ前ガ(チカラ)ヲ見セナイナラ、大切ナオ友達ガ死ヌゾ?』

「ぐぅっ……、う、ぅ」

 

 足をばたつかせ、どうにか腕を外そうと両手で剥がそうとしている朝潮に、歯を噛みしめる。意味がわからない。何言ってんのか、ぜんっぜんわかんない!

 

『進化シタノデハナイノカ? ソノ力ヲ見セテミロ』

「進化……? なんの話だ!」

『アー……。シテナイノ?』

 

 じゃあもう用はない。そう言って腕に力を込めるレ級に、慌てて待ったをかけた。

 進化だかなんだか知らないけど、それ、してる。俺は進化してる。だから朝潮を……!

 

『ナラソノ力デ奪イ返シテミセロ』

「……!」

 

 くそ、そんな事言われたって、どうすれば……!

 進化というのがどういう事なのかわからず、ただ朝潮を奪い返す隙を探す俺に、レ級は溜め息を吐いた。

 

『待テ、待テト? イツマデ』

「……?」

『……ナゼオ前ナノカガワカラン』

 

 さっきにもまして意味がわからない言葉だった。

 なぜ俺なのか? ……なぜ? ……わからない。その言葉の意味は、ちっとも。

 

「朝潮ーっ!」

『…………』

 

 満潮が大声で朝潮の名を呼びながら走って来た。そちらへ顔を向けたレ級の額に、飛来した矢がぶつかる。赤城先輩だ。遅れて加賀さんが放った矢は、かち上げられていた顔を戻したレ級が眉を寄せて掴み取り、走り寄る満潮へ向けて投げ返した。

 手首の捻りによって真っ直ぐに飛ぶ矢の先が満潮の腹に当たれば、矢で射られたように倒れて、転がった。一連の動きの隙に朝潮を取り戻そうと飛びかかれば、尻尾に打ち返されて踏鞴を踏む。

 

『……ドノ道、オ前ノ進化トヤラヲ見ナケレバナラナイヨウダ』

 

 空いている片手を掲げたレ級の背後に霧が集まる。白い靄の幕が晴れれば、そこにはたくさんの深海棲艦が立っていた。海の上でないせいか、人型のものが多い。リ級、ル級、その上級や最上級……。それらが一斉に俺へ砲を向けた。

 

『ソレマデ壊レルナヨ』

 

 光が瞬く。幾つもの砲口が唸りを上げると、目の前の地面が爆ぜて、俺の体は、舞い上げられていた。

 塀に叩きつけられた俺が最後に見たのは、目を見開いている朝潮の顔と、霧に呑まれていくレ級の姿だった。




TIPS

・海に誘導
当初の予定ではレ級は海に移動するはずだった。


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第四十一話 本棟防衛戦

乱戦は書くの難しい。



 意識を失っていた時間は、それほど長くなかった。

 体を起こせば、地面についた腕や足が軋んで、痛んだ。眉を寄せて一瞬の苦痛が過ぎ去るのを待つ。冷たい霧が顔の表面に当たって、顔を振った。垂れた髪が揺れて地面を擦る。髪の半ばに、硬い石畳の感覚。

 そこまでして、ようやく俺は生体フィールドが切れてしまっているのに気付いて、慌てて意識を切り替え、不可視の膜で体を覆った。これがなきゃ、俺は柔な少女に変わりない。倒れている間に死んでなくて良かった。

 上げた視界の先に、叢雲が膝をついていた。地面に手をついて俯いたまま動かない。傍に横たわるリ級の頭には、二本の矢がほとんど同じ位置に刺さっていた。

 目を横に動かして、高い塀に設けられたゲートの方を見る。レ級と戦っていた時に、その背後に見えていた設備。無意識にそれを見て、呆然とした。

 ……ゲートが、消えていた。

 両側の塀は霧に飲まれて斜めに削られたみたいに消失し、石畳の広場は、少し進むと唐突に海に切り替わって波立っている。その向こうにも濃霧がはびこっていた。

 

「――――っ!」

 

 霧に人影が浮かんだかと思えば、雲のような(もや)を纏って、満潮が飛び出してきた。

 突き出した足で波間を擦って止まると、反転して、再び霧の中の海の向こうへ走り出し、濃霧に呑み込まれていく。だが彼女は、十秒もしない内に戻ってきた。

 青褪めた、険しい顔が、それが満潮の意思ではない事を雄弁に語っていた。

 

「朝潮ぉーーっ!!」

 

 どこかへ続く海を振り返った満潮が、身を震わせて叫ぶ。握り拳を振り払うようにして走り出すと、濃霧の中に再突入していった。

 彼女の声が耳の奥に残っている。鼓膜を震わせる、必死な声だった。それに重なって、たくさんの怨嗟の声が、広場に満ちた。置き土産……多くの重巡級や戦艦級の深海棲艦が、その足で地上を走り、本棟前に陣取る艦娘達と激しくぶつかり合っている。硬い鉄同士が衝突する音。幼い少女の気合いの声。深海棲艦の、つんざくような奇声。

 海の上じゃないのに、それに、艤装も何も持っていない子の方が多いのに、深海棲艦と艦娘が戦い合っている光景は、まるで現実味がなかった。赤い光を揺らめかせるリ級がかざした、駆逐級のような腕の異形で剣の軌道を逸らされた木曾が、もう一方の艤装で強かに打ち付けられた。よろめく彼女の隙を埋めるように突進した天龍が、剣を振り回してリ級の腕の砲を外側へ弾くと、限界まで肉薄し、装甲の薄い首へ剣の先を突き刺した。貫かれたリ級が天を見上げる。剣をそのまま横へ振るって首を半分()つと、赤錆びたオイルが噴き出し、返り血のように天龍を染めた。そこで終わりではない。

 倒れ行くリ級を跳ね飛ばして、同じリ級eliteが襲い掛かる。一体を倒しても、代わりはいくらでもいる。

 

「……朝潮」

 

 レ級は……朝潮を盾にしていたレ級は、あそこらへんに立っていたはずだ。ゲートの前……ゲートがあったはずの、海の上。奴は、すぅっと、背後の霧に呑まれるようにして消えた。まさかゲートの向こうの海上防衛隊の基地へ行ったのではないだろう。きっとどこかへ行ってしまった。朝潮を連れて。

 

「くそっ……」

 

 苛立ち紛れに地面を殴りつけても、罅が入るだけで気が紛れたりはしない。

 俺も戦わなきゃ。今は、ここにいる全ての深海棲艦を倒す事が最優先……。

 だというのに、頭の中は朝潮の事でいっぱいで、とてもじゃないが、戦う気にはならなかった。

 レ級を追う。それしかない。そう思って海を見れば、ちょうど、満潮が広場の方へ駆け上がって来たところだった。叢雲の背後に迫っていた軽巡ツ級の――黒く巨大な両腕を備えた女性型の深海棲艦――その頭へ飛び蹴りを食らわせて押し留めた。異形の上顎のようなバイザーを押さえてよろめくツ級の前に下り立った満潮が、意味をなさない声を発しながら殴りかかっていく。

 

「おおおっ!!」

 

 折れたアンテナを振り上げて立ち上がった叢雲が、獣染みた叫びを発しながらツ級へ打ち掛かる。型なんてない満潮の手や足がツ級の腕を弾いて砲撃を逸らし、舞うように動く叢雲が槍に見立てたアンテナで、敵の剥き出しの体を削っていく。ツ級の肩や腕半ばに備えられた砲身が照準を合わせようとすれば、叢雲が長い足を伸ばし、回し蹴りなどで打ち払って逸らす。体全体で突っ込んだ満潮が体勢を崩させて……。

 二人の顔は言いようのない怒りの色に染まっていたが、動きは噛み合っていた。

 

『島風ちゃん、聞こえる!?』

 

 二人の戦いをぼうっと眺めていれば、左腕につけた端末を通して、夕張さんが呼びかけてきた。腕を持ち上げて端末を見れば、動く音か何かが伝わったのか、少しの間沈黙があった。

 

『私もそっちに向かうわ。あなたの武器は調整中だから使えないけど、こっちには色々あるんだからね!』

「ああ……わかった」

 

 通信が切れれば、腕を下ろして、広場を見渡す。敵はほとんど重巡以上だから、こっちの駆逐艦の子なんかは苦戦している。他の先輩が助けに入る事で、未だ誰一人倒れたりはしていなかった。

 振り返って、背後の塀を見る。近くの壁際に、大きさの違う三つの(いかり)が置いてあった。返し付きの三日月、半円状の内側、その中心に一本の棒が突き立つ形。子供くらいの大きさのと、大人くらいの大きさのと、その倍の物があった。

 なんでこんな物がこんなところにあるかは知らないけど、ちょうど良い。中くらいの大きさの根元を柄に見立てて引っ掴む。歩き出せば、壁から離れた錨が地面を削りながらついてくる。中くらいと言っても俺より大きな鉄の塊だ。ずっしりとした重さが右腕にかかって、でも、この程度なら苦ではなかった。

 

『――――!』

 

 暗がりから出た俺に気付いたリ級が、腕の艤装を打ち合わせて突進してきた。砲撃しないのにはどういった意図があるのだろうか。……こいつらにそういうのを期待するのは意味ないか。

 錨を引き摺ったままこちらからも歩み寄って行けば、間合いに踏み込んできたリ級が腕を振りかぶり、その腕の砲ごと叩き付けようと振り下ろした。

 

『ッ!?』

 

 掲げた左腕の半ばに、鉄の塊がぶつかって跳ね返る。衝撃は少し膝を曲げて逃がした。うん、大丈夫。この程度なら避ける必要もない。

 再度同じように振り下ろしてきたリ級の腕を弾き、肘を曲げて振りかぶって、敵の腹を殴りつける。勢い良く後退したリ級は、しかし倒れはしなかった。パワーが上がったとはいえ、助走も何もないただのパンチでは重巡を小破させるのも難しいか。なら何度でも打ち込むまでだ。

 

「はっ!」

 

 錨の柄を両手で握り、持ち上げざまに振り回す。顔を歪めたリ級が上体を反らすその目前を通り過ぎた錨は、俺が頭の上で振り回すのに合わせて一回転。勢いのついた鉄の塊がリ級の胸を打つ。ドォン、と重い衝撃が腕を伝って跳ね返って来た。握る手がビリビリ痺れるのも気にせずに、バットを振るうようにして同じ個所を数度叩く。錨の頭側は半円状だ。三日月の先端は尖っているが、リ級にぶつかる部分は曲線を描いている部分。打撃にはなっても、刺さりはしない。それを承知で錨を引き戻し、柄の下側と半ばを持って腰だめに抱える。攻撃が止んだこの隙にも、リ級は怯んでいるだけだった。顔を上げた時には、すでに俺は動いている。

 

『グオッ!?』

 

 リ級の腹に半円を突き込めば、くの時に折れた体が鉄の塊を挟む。そうなればこちらのものだ。柄の下部を握る左手を下に、半ばを握る左手を上に。力任せにリ級の体を持ち上げる。

 地面から足が離れると、リ級が滅茶苦茶に暴れようとしたので、早々に後ろへ投げ飛ばした。

 

『――――!』

「…………」

 

 背中から落ちたリ級が呻いて、転がって腕をつく。俺はそれを、錨を地面に突き立てて眺めた。

 柄から手を離しても、頭半分埋まった錨は揺るがない。左腕をゆっくりと持ち上げて胸元に。端末の先端から飛び出た円柱状の黒いでっぱりを、握り拳から覗かせた人差し指と中指の間に挟んで、カチッと音がするまで引く。カンドロイドの表面にあるレンズから照射された光が端末上に光の板を映し、薄青色の羅針盤システムが描き出される。東西南北に位置する妖精が一斉に羅針盤を回す、キュゥゥンという音が静かに響いた。

 

『オ、オオ……!』

 

 リ級が立ち上がろうとするのを、回転する羅針盤の光越しに見つめる。四人の妖精さんに目を向ければ、その内の一人、魔法使いの姿をした子が、手に持つ矢印付きのステッキを羅針盤に叩き付け、回転を止めた。『S』。向かって左側に浮かび上がったのは、南を意味するSの英字。それが中心に大きくピックアップされれば、妖精さんの決めポーズと共に、胸の中から声が聞こえてきた。

 

『ドッガフィーバー!』

『オオオ――――』

 

 海の底から上がってくる、島風の声。すぐさま錨の柄に手をかけ、地面から引き抜いて、今度もバッドのように構えた。先端に付着していた土や石がぽろぽろと零れてくるのを気にせず、左足をぐいっと上げる。一本足打法の構え。

 

「らぁ!」

 

 思い切りぶん投げた錨が、回転しながらリ級にぶつかり、そのまま打ち砕いた。爆炎と突風が髪を乱すのを気にせず地面に足を着け、背後を振り返る。叢雲と満潮は、ツ級を倒して、今度はル級と交戦していた。

 砲が縦長の盾ともなっているル級を相手にするのは辛そうだった。両の盾を合わせて地面に置き、都度持ち上げて向きを変えるル級に対し、速度を活かして回り込みつつ戦う二人。正面にさえ立たなければ砲撃の心配はない。でも、駆逐艦のパワーでは相手にダメージを与えられない。

 カツカツと足音を鳴らしながら、彼女達へ歩み寄っていく。そのさなかに胸元に掲げた左腕に、右手を添える。端末上部の円柱を指で挟んで押し戻し、再度引く。浮かんだ羅針盤が回転を始めた。

 

『ウェイクアップフィーバー!』

 

 島風のコールが俺の中にだけ聞こえる。深い水底や鏡を隔てたみたいな、遠い声。

 頭にヒヨコを乗せた妖精さんが両手で羅針盤を押し留めれば、W(西)の英字が大きく浮かび上がる。ウィンクで星を飛ばした妖精さんが光と共に端末の中へ戻れば、腕を交差し、広げながら駆け出した。

 こちらに背を向ける形でいるル級へ、跳び上がって足を振り回し、ヒールで切り裂く蹴りをお見舞いする。横一閃。重い髪を切り裂いて着地すれば、前へつんのめったル級の首には、真一文字に傷ができていた。ついでに何本か髪の毛も千切れて落ちる。

 

『――――ッ!!』

「うるっさい!」

 

 艤装を手放して振り返ろうとしたル級の背に全力の前蹴りをかませば、自分自身の艤装に叩きつけられながらも、睨みつけてきた。

 踏み込んで、拳を腹に叩き付ける。肉ではなく鉄を叩くような感触。痛みを発する手を何度も何度も振りかぶっては殴りかかる。もう片方の腕も交えれば、高速の乱打となった。

 

『オオ――!』

「うっ、ぐ!」

 

 怯んでいたル級が無理矢理詰め寄ってきて、伸ばされた腕に突き飛ばされた。とんとんと後退って倒れないように体勢を整え、息を吐く。吐き出した息には、胸の中の熱がたっぷり含まれていた。

 やっぱり、戦艦以上は硬くて攻撃が通らないな。なら……。

 

「やあぁっ!」

「消えなさい!」

 

 叢雲と満潮が同時に跳び上がって、ル級の背を蹴りつけた。俺の方へ体を傾けるその胸倉を掴んで引き寄せ、抵抗される前に膝蹴りを叩き込み、横へ転がす。奴の相手は少しの間二人に任せるとして、俺はル級の艤装を蹴り倒してから、海に向かって走り出した。

 偽りの海。霧によって生み出された幻影。いや、実態はあるから、幻影ではないのか。

 暗い海面へ踏み込めば、不安定な水の感触が靴裏越しに伝わってくる。急激な足場の代わりように感覚を合わせつつ、水を蹴って走った。ゲートのあった場所ではない。位置が違う。あっちに行けば、朝潮の下へ行けるだろうか。

 

「あぐっ!」

 

 速度を緩め、方向を変えようとしたところで、満潮の悲鳴が耳に届いた。潰れたように苦しげな声。振り返らずとも、よくない一撃を貰ってしまったのだろうとわかって、歯噛みした。

 わかってる。今はここの敵を倒すのが先決だ。どこへ行ったかわからないレ級を追うのはその後だ。わかってる……わかってるってば!

 

「っ!」

 

 速度を上げ、まっすぐに走り出す。

 駄目だ、と直感した。この方向で霧の中に入っても、朝潮の下へは行けない。

 違う。最初からそのつもりだった。それを利用するつもりだった。

 だからいいんだ。これで。

 耳元で風が唸る。

 濃霧の中に突入すれば、視界いっぱいに白が広がり、少し先もみえないくらいになった。音も遮られ、俺の足が海を割く音や、風の音に、うるさく跳ねる心臓の鼓動ばかりが聞こえていた。

 やがて光が溢れる。

 俺の体は、霧を抜けて、鎮守府へと戻ってきていた。音も声も、叩き付けるように広がっていく。

 右足は前に、左足は後ろに。僅かに腰を落とし、縦に端を開いて滑るのに切り替える。海面もまた、脈絡なく石畳へと変わって、それでもなお俺は滑る事をやめない。

 ギャギャギャ、ギャリギャリ! 鉄製のブーツと石が擦れ合い、耳障りな音がする。足下で散った火花が靴下に当たり、不安定に揺れる体を安定させるために深く腰を落とす。

 唐突に、ボウッとブーツが燃えた。右足だけ。足裏と地面との摩擦熱で、付着したオイルに引火して、小さな爆発とともに燃焼し始めたのだ。跳ね上がる足に合わせて前へ跳ぶ。両手を伸ばし、側転。両足を揃えてバク転。そのままバック宙。風を切って高く跳び上がった体に、足を振り子のようにして上へ振り、頭と足の位置を入れ替える。ついでに身を捻って正常な体勢になれば、向かう先には叢雲と満潮を相手取るル級の姿があった。

 左足を畳んで、右足はうんと伸ばす。オレンジ色に包まれたブーツが風の唸りを起こしていた。

 

「とりゃーっ!」

『!』

 

 気合いと警鐘の声に一番に反応したのは叢雲だった。アンテナを振るってル級を斬りつけながら駆け抜け、満潮に腕をぶつけるようにしてル級から引き剥がす。はっとして俺を振り仰いだル級の胸を蹴りつけ、削って破り、貫いて、斬り裂いて。

 ガリガリと地面を削って速度を殺す中で、右足の炎も鎮火する。がくんと体が揺れて体が止まれば、背後で爆発。風に服がはためき、前に流れる髪を手で押さえながら立ち上がって、ふぅい、と息を吐く。

 残心ではないが、余韻を残して止まっていた俺の横に、同じル級が投げ飛ばされてきた。艤装はない、スーツ姿に似た格好のル級が地面を跳ねて転がると、那珂ちゃん先輩が飛びかかっていく。横向きに裂かれた跡のある衣服が痛々しいが、勇ましい声を上げて、立ち上がるル級を捕まえると、その場で地面に叩き付けた。早業。ル級が抱え上げるようにして持ち上げられたかと思ったら、次には地面に横たわっているのだから、いったい何をどうしたらそういう風になるのか、俺には理解できなかった。

 

「バァァァニィングぅ、ラァァァァァブ!!」

『――!』

 

 ちょうど、本棟の方に目をやった時に、体ごと思い切り腕を振りかぶる金剛の姿が見えた。妙な掛け声と共に振り切られた拳が、リ級flagshipを捉えると、敵はまるで砲弾みたいに吹き飛んだ。一度も地面に接触しないまま俺と那珂ちゃん先輩の間を通り過ぎると、波に当たって跳ね、転がって、巨大な水柱を上げて海の中に消えた。水飛沫がここまで飛んでくるのに、ちょっと引く。

 

「まだまだデース! まだいけマース!」

「金剛ちゃんったら、乱暴なんだから、もう」

 

 ……組み伏せたル級の首に置いた膝を、ぐっと沈ませて潰した那珂ちゃん先輩が言って良い台詞ではないと思う。

 息絶えたル級から離れた那珂ちゃんは、素早く本棟の方へ駆けていった。

 本棟前の戦いもまた、佳境を迎えていた。

 

「全力だクマー!」

「もう一発ニャ!」

 

「加賀さん、今よ!」

「ええ……!」

 

「駆逐艦と侮ったか!」

「舐めてもらっては困る!」

 

 球磨と多摩が、赤城さんと加賀さんが、菊月と長月が、相手取る重巡や戦艦、軽巡を倒していく。艤装があっても無くても、損傷してもしていなくても、ここの人達は倒れないし、負けない。

 

「ぽぉいっ!」

『――!』

 

 白髪のサイドテール、片目隠れの深海棲艦、重巡ネ級が、夕立へ手刀を繰り出すのが見えた。顔を傾け、掠りながらも避けた夕立が、手にした砲をネ級の腹に叩き込んだ。それだけではびくともしない体は、しかし次には吹き飛んでいた。

 

「夕立ちゃん!」

「けほっ……吹雪ちゃん、やっつけちゃって!」

「っ、うん!」

 

 ゼロ距離砲撃で諸共吹き飛んだ夕立が、倒れ込んだ地面から呼びかければ、吹雪は力強く頷いて駆け出した。立ち上がったネ級の前まで来ると、空高く砲を投げ、前傾姿勢になる。ネ級の手刀が吹雪の顔を捉えようとした時、彼女は左手を伸ばしてその腕を掴むと、引っ張りながら踏み込んだ。掌底のように繰り出した手で相手の胸倉を掴んで、ぐいと引き上げる。

 

「やぁぁっ!」

『――ッ!?』

 

 吹雪は、ネ級の勢いをそのまま利用して、一本背負いよろしく地面へ投げつけた。間髪入れずドシッと胸を踏みつけると、落ちてきた砲をキャッチして斜め前へ向け、後ろに飛び退りながら砲撃。着地して、追撃。さらに立ち上がった夕立からも砲撃があり、ネ級は地面と共に粉々になった。

 飛び散った瓦礫がカラカラと音を立てて落ち行く中で、駆け寄った二人が手を打ち合わせてやったやったと喜ぶ。……今ので、粗方片付いたみたいだ。もう残り数体もいない。対して、こちらの戦力はレ級にやられたあの変な攻撃が一番の損害で、それ以上の攻撃を受けた者は少ないみたいだ。

 集中的に狙われた残党は、何もできずに物言わぬ塊となって倒れ伏した。

 空気中に張り詰めていた緊張の糸が少しずつ緩んでいくのを感じる。終わった。とりあえず、全部倒した。あとはレ級を追うだけだ。

 

「島風ちゃん」

「……吹雪ちゃん」

 

 未だ出ている霧の向こうを睨みつければ、吹雪が走り寄って来た。二の腕の部分の服が裂けて、覗く肌に傷。血が滲んだ肩を見ていれば、あ、これは大丈夫だよ、と安心させるように吹雪が言った。

 

「……朝潮さんは」

「あいつに連れてかれた。だから私、行かなくちゃ」

「待って!」

 

 確認し直すような吹雪の言葉に、ふつふつと怒りがわいてきて、あのふざけた笑顔をぶち壊したくなった。だから霧の方へ行こうとしたら、腕を掴まれて止められた。

 なんで止めるの? 朝潮を助けに行きたいのに。止めるって……行くなって事?

 

「上手く言えないけど……今すぐは駄目だよ!」

「なんで?」

「う……なんで、って、その……」

 

 困らせるつもりはなかったのに、思った以上に冷たい声が出てしまって、吹雪が狼狽えるのに口を引き結ぶ。今はあんまり喋らない方が良いかもしれない。さっきまでは戦ってたから、ちょっとした興奮状態になって隠れてたんだろうけど、それが終わってしまうと頭の中はぐちゃぐちゃで、何をすればいいのか、どんな顔をすれば良いのかもよくわからなくなってしまっていた。

 

『島風ちゃん、聞こえる?』

 

 ザザッと雑音が入った後に、夕張さんから通信が入った。一度端末に目を落としてから、周りを見渡す。鈴谷が中心となってあれこれ指示を出す中には、夕張さんの姿はない。……彼女はここに来なかったのだろうか。

 不思議そうに端末を眺めた吹雪が横に来て、一緒になってカンドロイドを覗き込んだ。遅れて夕立も、体の煤けた部分を払い落しながらやってくると、同じようにした。

 

『聞こえてるわね。いい? いったん本棟に戻って、今回の事を提督に報告して』

「……それは私の仕事じゃないと思うのですが」

『あなたの身体状況は、カンドロイドを通じて把握してるの。いったん戻って、少し落ち着いて――』

「俺は冷静です!」

 

 落ち着けなんて……俺は落ち着いてる。至って冷静だ。冷静に……朝潮を取り戻す事だけを考えてる。

 

「島風ちゃん……?」

 

 俺の声に肩を跳ねさせた吹雪が不安げに呼びかけてくるのに、首を振って、溜め息を吐いた。端末を操作して通信を終わらせ、連装砲ちゃんを呼び寄せる。

 

「……吹雪ちゃん」

「うん……ごめんね、島風ちゃん」

 

 頷き合った吹雪と夕立が、両側から俺の腕を掴んできた。何をするつもりかと思えば、強引に連れて行こうとする。

 

「なにすんの!」

「あっ!」

 

 腕を振って、力づくで抜け出して、二人を睨みつける。

 なぜそうまでして俺を行かせようとしないのかがわからない。二人共、朝潮を取り戻したいとは思っていないのだろうか。だったら悪いけど、素直に連れてかれる気はない。俺は今すぐにでも行かなくてはならないのだから。

 

「島風」

 

 後ろから声をかけてきたのは、叢雲だった。

 振り返れば、叢雲と満潮が互いに寄りかかるようにして歩いてきていて……俺を睨む満潮に、目を逸らした。

 

「戻るわよ」

「……」

「ほら」

 

 嫌だ。

 そう答えたかったけど、満潮の手前、これ以上情けない事は言えなかった。

 ただでさえ、朝潮を守れなかったのに。

 

 頷いて、踵を返す。ところどころ壊れた本棟を見上げ、すぐに地面に視線を落とした。

 後ろからの強い視線が、どこまでもついてきていた。




TIPS
・サイバロイド サンダー・スラップ
棒術に分類されるのだろうか。電撃の要素はない。
錨は雷の物だった。

・サイバロイドムーンブレイク(回し蹴り)
助走なしの蹴り攻撃。跳び上がっての回し蹴りなので多少威力は増す。
難点はパンツが丸見えになる事。
あっ、やった! 見せパンだし、まあいいか。

・フルスピードラッシュ
ただの殴打とも言う。
連続パンチを叩き込むシンプルな技。

・ストライクシマカゼ・フレイムショータイム
ブーツとヒールを固いコンクリートや鉄に擦り付ける事で発火させ、
そのまま攻撃に転じる。夕張製のブーツだからこそできる荒業。
靴の消耗が激しい。

・シマカゼの体調
夕張はカンドロイドから情報を仕入れ、
シマカゼの体調や精神状態を常にモニタリングしている。
これはちゃんと本人も了承済みだ。
しかし、シマカゼは割となんでもかんでもはいはいと許可するために
この機能の事を忘れていたりする。

・吹雪
那珂ちゃんの一番弟子。

・夕立
前の演習の時の夕立改二を意識した戦闘スタイル……らしい。

・叢雲
おこ。

・満潮
おにおこ。


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第四十二話 再突入

眠くて辛くて筆が進まず更新が途切れる。
不覚。




 俺と、吹雪と、夕立は、報告のために執務室へやって来た。

 藤見奈提督は椅子には座っておらず、窓の前に立って、霧の満ちる外を眺めていた。

 

「うん、そう! そう! 海に面した方にみんな配置して!」

 

 立派な机には乱れた書類があって、小さな机についた秘書艦の電と助秘書の鈴谷(すずや)が事態の収拾に努めている。電は開いたファイルを手で押さえて、別の書類に何かを走り書きしていて、鈴谷は耳に手を当ててしきりに誰かへ話しかけていた。たぶん、妖精暗号通信か、直通通信だろうけど、そのどちらも本来声を出す必要はない。いや、俺の知らない通信方法なのかもしれないけど、彼女には内容を声に出す癖があると思うのが正しいだろう。

 

「司令官さん、こちらに許可がいるのです」

「ああ、わかった」

 

 電に呼びかけられた提督が、どこか乱暴な動きで机へ歩み寄ると、ペンをとって書類に走らせ、横にあった太めのハンコか何かを鷲掴むと、ダン、と押し当てた。

 

「司令官さん」

「……ああ、悪かった。……ああ」

 

 その動きもまた乱暴で、彼らしくない。見ているこちら側としては縮こまってしまいそうなものだったけど、あいにく俺はそんな心境ではなかったので、ひたすら彼が俺達に話を聞こうとするのを待っていた。

 報告だというのに、彼は朝潮が攫われた事を聞くと、こうして忙しなく窓と電の下とを行き来し始めたのだ。俺に行かせてくれ、と言おうとしたのに、タイミングを逃して、だから発言の機会を窺っている。

 だけどもう、待てない。発言の許可などこの非常時に取らずとも良いだろう。俺が欲しいのは出撃の許可だ。朝潮を救い出すための許可。そんなもの取らず、今すぐにでもあの霧の中へ飛び込みたかったが、周りがそれを許してくれなかった。

 ……満潮の顔を見てしまうと、怒りも萎えて、どうしようもない気持ちでいっぱいになってしまうから、ここでこうしているのも仕方ない事なのかもしれない。

 

 情けないよね……彼女のためにと、満潮にだって聞かせたのに。

 彼女の笑顔を守りたいって、そう思ってたのに。

 

 ……何悲観的になってるんだろう。朝潮は死んでなんかない。あいつに攫われただけだ。

 大丈夫……彼女は死なない。それに、奴だって、俺の進化だかなんだかを見るために彼女を盾にしたのだ。……殺す意味なんて……。

 …………。

 

「! ……わかった、そっちに第四艦隊の子達向かわせんね。迎撃して!」

「どうした鈴谷! 何か起こったのか!?」

 

 机を叩く勢いで身を乗り出した提督に、鈴谷は背を反らしながら「どうどう」と押し返した。

 

「提督、落ち着いてって! また敵が現れたみたいだけど、その場の戦力で対処できる数だけだし。……聞こえる? うん、そっちに――」

「……そうか。……この霧が消えない限り、敵も途切れないってのか……?」

 

 手を振って言った鈴谷は、今度は別の誰かに通信を繋いだ。霧の中から現れているのだろう敵への対処は問題ないみたいだけど、こう何度も来ると、際限なく永遠にわき続けるんじゃないかと不安に思ってしまう。

 提督は気落ちしたように呟くと、振り返って、背を伸ばして立った。

 

「待たせて悪かった。続きを聞かせてくれ」

「……はい」

 

 ここにいる三人を代表して、レ級が消えた後の事を報告する。その間も鈴谷は引っ切り無しに指示を送り続けていて、彼は苦い顔をしたり、顔に浮かぶ汗を拭ったりしていて。

 時折建物が揺れるような衝撃が来ると、藤見奈提督は、必ず鈴谷に確認した。誰かやられてないか。大破した者はいないか。

 鈴谷が「いない」と答えれば、安堵したように息を吐いて、俺達に向き直る。

 電も後処理のためと今からの防衛のために必要書類を作り続けて、たびたび確認をとるから、俺が説明せずとも事のあらましが提督に伝わっていった。

 正直、あまり喋りたい気分ではないから助かった。……それでも、報告は報告だ。何が起こったかを提督が知っていたとしても、俺は俺の知る事を話さなければならなかった。

 

「……救出のための編成を決める。……由良を呼んでくれ」

 

 全て話し終えれば、彼は目元を押さえて考え込むと、振り返って、電に告げた。頷いた電が耳に手を当てて少しすれば、鈴谷の方から「すぐ向かうって」と返事があった。

 

「あの、提督!」

「どうした、島風」

「私も……!」

 

 私も。……私を、その編成に組み込んで欲しい。

 喉まで出かかった言葉は、しかしなぜか、声にはならなかった。

 

「……あの霧に入っても、すぐ元の場所に戻されてしまうじゃないですか」

 

 結局出てきたのは、そんな言葉だった。言おうとしたのとは全然違う、思ってもない言葉。

 それも、満潮の方から報告済みの話だ。

 俺達がここに来た時から提督は各地の友軍に連絡を試みていたし、先程は綾波率いる駆逐艦の子達が、隣の基地を見に行ったけれど、やはり霧を抜ける事はできなかったらしい。向こうからの連絡も無ければ、何かの音がする事もない。

 空母の方が艦載機を飛ばしてみたらしけど、それも駄目だったって。しかも搭乗していた妖精さん達は原因不明の体調不良になってダウンしてしまったという。

 

「それでも試さない訳にはいかない。……主力艦隊で……いや……それを決めたい」

「…………」

 

 『主力艦隊』には、当然俺は入ってない。でも、だからこそ、俺を……そんな言葉は、やっぱり出てこなかった。言いたいのに、言えない。それを言う事がとても重くて、自分の情けなさや、怒りに満ちた満潮の目を思い出して、唇が微かに震えるだけだった。

 

 固まった俺を見た提督が、その後ろ、吹雪と夕立を見ると、「君達は少し体を休めてくれ」と言った。

 下がってよろしいって事だろう。夕立には、入渠の許可が出た。提督の言い方では、許可する、ではなく、今すぐ治してきてくれって感じだったけど。

 

「島風ちゃん……」

 

 執務室の扉を潜り、外へ出て、扉が閉まる音がすると、吹雪が控え目に声をかけてきた。一歩進んでから振り返れば、吹雪だけでなく夕立も、弱々しい表情で、俺を見ていた。

 戦ってた時はあんなに勇ましい顔だったのに、と思うと、ちょっと笑ってしまう。今の二人からは、さっきの姿を思い起こす事はできない。

 俯きがちになって、顔を振る。それから、頬にかかる髪を指先で耳の後ろへ掻き上げながら、振り返った。

 肌に触れる手袋の滑らかな触りが、少し気持ち悪かった。

 

「さっきはごめんね、八つ当たりみたいにしちゃって」

「ううん、仕方ないよ! 朝潮さんの事……私だって心配だもん。だから、島風ちゃんなら、私よりずっとそうだよね」

「提督さんは絶対に朝潮を見捨てないっぽい。前の時もそうだったから。……だから大丈夫、なんて言わないけど……」

「ううん。……私、ちょっと頭冷やしてくるね」

 

 気遣ってくれる二人に背を向けて、返事を聞かずに駆け出す。

 自分の至らなさが原因なのに、これ以上二人に悪い事を言いたくなかったし、傍にいたら、当たっちゃいそうだったから。

 

 踊り場に出て、階段を駆け下りていく。外からは、砲撃音や誰かの声が聞こえてきていた。でも、一階に下りて外に出た時には、そういった戦闘の音はなくなっていて、不気味な静けさが広がっていた。

 居ても立ってもいられない体を持て余しつつ、当てどもなくさ迷う。外周部や本棟正面に足を向けるのはよくないだろう。あそこらは『海に面した場所』だ。警戒し、防衛に当たっている子達がいるのに、邪魔しちゃ悪い。そう強く思う事で、勝手にあの海の向こうへ行こうとする自分を押し留める。

 ……こういう時、組織に身を置いているというのは不便だ、と思った。

 自分で選んで、望んでそうした事だけど……独断で動けなのは辛い。勝手な行動は自分以外にも迷惑をかけるし、信頼を裏切る事にも繋がる。そんなもの今はどうだって良いけど……きっと、よくない。

 難しいけど、自制するしかなかった。

 今この瞬間にも彼女が苦しんでいるかもしれないなんて想像を働かせるのは愚かな事だ。

 地面を蹴って駆け出す。走る事で、頭の中を空っぽにしようと思った。

 向かう場所なんて限られてるし、そう距離もない。スピードの上がったこの体では、あっという間にどこかへ辿り着いてしまう。

 工廠。……夕張さんの方。

 大きく口を開いた建物の前では、相変わらず妖精さん達が忙しなくしていた。中には雑多なものが並んでいる。天井から吊り下げられている艦載機の模型がふらふら揺れていた。

 夕張さんはいなかった。代わりに、ルームメイトが一人。

 

「……叢雲」

「あら、あんたも来たの?」

 

 左の壁際に(しつら)えられたテーブルと椅子。そこには叢雲が座っていて、膝に砲ちゃんを乗せて撫でていた。

 落ち着いた表情は常と変わらず、レ級に襲い掛かった時の激情は影もなかった。

 

『キュー』

 

 テーブルの周りをくるくると回って追いかけっこしていた連ちゃんと装ちゃんが、俺に気付いてとてとてと寄って来た。腰を折って二体の頭を撫でてから、叢雲の表情を窺う。俺に対して声を発したものの、彼女は砲ちゃんに目を落としたままだった。その砲ちゃんが膝の上から飛び下りて俺の方へ来ると、ジャンプして来たので、抱き止めた。それでようやく叢雲は顔を上げた。

 目が合う。

 夕日色の輝きは、本当に、いつもと変わりない色で、そこにあった。

 

「兵装を修理してもらいに来たのよ」

 

 まっすぐに俺を見つめる叢雲が、静かに話し出す。淡々としていて、それでいて、冷たさのある……いつもの声。

 

「明石の方は軽い怪我人の対処や艤装の修理で忙しいみたいだったから」

「そう、なんだ」

 

 奇妙……そう感じた。何がそうなのかはわからなかったけど、おかしいって思った。

 あんなに激昂していたのに、もうケロッとしている。「夕張さんも、この子達の整備なんかで忙しかったみたいだけどね」と説明した。

 テーブルの上に置かれた手の傍には、湯呑みが置いてあった。まるきり、寛いでいるみたいだった。

 ただ、ちょっと消耗した艤装を直してもらいに来て、その暇を潰しているだけ……そんな風に見えた。

 でも違った。

 少しずつ歩み寄って行って、なんとなく、対面の席を引いてから座る際に、湯呑みの中身が手付かずなのに気付いた。もう湯気も出ていない、すっかり冷めてしまった、口がつけられていないお茶。

 

「それで、あんたは何しに来たの」

 

 叢雲の唇は、渇いていた。

 目だって、ほとんど瞬きなんかしていなくて、ただじっと、俺の動きを注視していた。

 

「なんとなく、ここに来ちゃって。……それだけ」

「そう」

 

 膝の上の砲ちゃんを撫でつつ、机に目を向けて、答える。短い返答は、興味があるのかないのかわからない声音だった。

 少しの間、奥の方から聞こえてくる機械的な音……断続的な、小さな音を聞いていた。

 足にじゃれつく連ちゃんと装ちゃんを覗き込めば、小さな手で目を隠そうとしながら身を揺らす。その行動の意味がわからないでいると、二体とも叢雲の方へ行って、撫でてもらっていた。

 

「……私が前にいた鎮守府は、最前線を攻略する名高い場所だった」

「……?」

 

 それは、唐突だった。

 前触れなく話し出した叢雲に顔を上げて見てみれば、彼女は外を眺めながら、淡々とした語り口で、過去の出来事を振り返った。

 

「精鋭揃いと言っても過言ではなくて、新人も古株も関係なく、毎日、戦い続けてた」

 

 建造されたその日から海へ出て、敵と戦って、傷つきながらも勝利して。

 時には強い仲間に守られながら、時には、その仲間を率いるリーダーとなって。

 経験を重ねて強くなるのではなく、戦いに付随して戦い方を知っていく、そんな場所。

 

「戦って、戦って、時には体を休める日があって……でも、何もしてないなんてできなくて、無理矢理出撃させてもらって」

 

 厳しい場所ではなかった。

 厳しいのは戦場だけ。その鎮守府は、誰もが自信に満ちて、きらきらと輝いていて……まっすぐ前を向いていた。

 少し年のいった提督も、厳格ではあったが融通が利いていて、何より、人の気持ちを汲み取るのが上手い人だった。

 

 懐かしむように語る叢雲は、それでも、いつもと変わらない表情だった。

 ただ、その声から冷たさだけが抜けて、それだけ。

 吹雪や、明石と話す時と変わらない話し方。

 

「私の二回目の改造の話が持ち上がって……みんな、お祝いしてくれたわ」

 

 『みんな』の説明はなかった。

 叢雲は、俺に話しているのではなく、ただ、胸に浮かんだ言葉を吐き出しているだけみたいだった。

 たまたまその時に俺がこの場にいたっていうだけで。

 

「でも、私は改二にはなれなかった」

 

 理由はわからない。何度やっても改造は成功しない。

 それだけなら、残念な話で終わっていた。改造できないならできないで運用の仕方はある。

 それだけで終わらなかったから、叢雲は今、ここにいる。

 

「あいつが現れたのよ」

「……レ級?」

 

 聞いたって答えは返ってこないだろうと思いながらも問いかければ、彼女は俺を見て、頷いた。

 出撃していたみんながなぜか帰投してきていて、困惑や混乱の中で、鎮守府が濃霧に包まれた。

 霧の中から現れたレ級は、叢雲達を見回して、こう言ったのだという。

 

――強クナリスギタナ。オ前達ハ、不要ダ。

 

 当時最強の艦娘が多数在籍していた鎮守府は、外部と連絡が取れなくなっていた数分の間に、ほぼ全滅した。

 残ったのは、司令塔にいた提督と、叢雲だけだったという。

 

「進化の見込みがない私を壊す必要はない……たぶん、そういう意味の事を、あいつは言っていたと思う」

 

 叢雲は、その時は、起きた事が理解できず、呆然としていて、レ級の言葉をちゃんと理解したのは、つい最近の事だったらしい。最初の台詞は、海を眺めて考えていた時に。最後の台詞は、先程の戦いで、レ級が俺に言った言葉で。

 

 たった二人になってしまった鎮守府は、その日の内に一人になった。

 提督が自刃したらしい。理由はわからない。叢雲は、話そうとしなかった。

 その話の時だけ、彼女はなぜか、俺を直視したくないみたいに目を逸らしていた。

 

 上の意向で、彼女はこの鎮守府に転属してきた。

 それからしばらくして、今ではその鎮守府も新たな提督が着任し、艦娘も増え、元の活気を取り戻している。

 だけどそこはもう、叢雲の知る場所ではなく、帰る場所でもなかった。

 

「……ここが嫌いな訳ではないのよ。ここは……私の帰る場所よ」

 

 でも、今でも、前の鎮守府の事が、共に戦った仲間達の事が忘れられないらしい。

 寝ても覚めても周りにはかつての戦友がいて、遠くを見ていれば、声が聞こえてくる。

 あの霧が神隠しの霧と呼ばれている事を知り、レ級が、確認された事の無い個体だった事を知り、そうして、何を知っても聞いても、失った友の痛みに苛まれるようになった。

 彼女は、なかなかここに馴染めなかったらしい。今もそうだ。今は、同じ部屋の俺達や、明石とか夕張さんとか、一部の人とは交流を持っているみたいだけど、その他とは一線を引いているみたい。

 なまじここの人達が良い人ばかりだったから、関わるのが辛かったのかもしれない。

 そこまで語ってくれない彼女の心境は想像する事しかできないが、あまり良くなかっただろう事は深く考えなくてもわかる。

 

 きっと、この話は、これでおしまいなのだろう。しばらくの間、叢雲は何も喋らなかった。

 やがて彼女は俺を見ると、呟くくらいの声量で、ぽつりと言った。

 

「何もできずに終わるのって、辛い事よ」

 

 初め、それが俺に向けて投げかけられた言葉だとわからなかった。

 彼女の境遇を聞いた後だったから、その体験を通して彼女が思った事なのだろうと認識して……何秒かして、それだけでないと気づいた。

 叢雲は……俺を、促してるのかな。怖気づいてないで、勇気を出せって。

 俺だって、すぐにでも助けに行きたい。でもわからないんだ。俺の気持ちがわからない。

 彼女を助ける資格が俺にあるのか……そんな風に思ってしまう自分がいるのが、理解できなかった。

 戸惑いや不安や恐怖が頭と胸の中を埋め尽くして、無力感に重く圧し掛かられていて。

 そもそも俺が助けに行ったところで、レ級の下から無傷で救い出す事は可能なのだろうか。

 手も足も出なかったのに。怖がって固まるか、攻撃しても歯牙にもかけられないかで。

 

「ごめんね、島風ちゃん。今私にできるのは、あなたの助けになるよう、この子達を改修するだけなの」

 

 俯く俺の傍に、夕張さんが来ていた。

 膝の上の砲ちゃんを抱え上げてそう言うと、いつでも通信して、と言い残して、奥の方へ行ってしまった。連ちゃんと装ちゃんがアヒルの子みたいに夕張さんの後ろをついて行くのを見送って、叢雲に目を向ける。

 彼女は、両手に長いアンテナの艤装を持って――槍のように扱っていたやつだ――、ぼうっと眺めていた。

 夕張さんは忙しい中でもきっちりやってくれたみたいで、折れていたアンテナはすっかり元通りになっている。棒に手を当てて上へ撫で上げた叢雲は、椅子に片手をついて少し腰を浮かせ、体の位置を変えて俺に向けると、真正面から見てきた。

 ん、とアンテナを持った手が差し出される。

 

「……え、っと」

「…………」

 

 受け取れ……って事? まさかくれるという訳でもないだろう。

 彼女は何も言ってくれないが、そのアンテナを俺に渡そうとしているのだろう。黙って差し出すその手へ自分の手を差し向け、アンテナの半ばを掴む。そうすれば、予想通り、叢雲は手を離して下ろすと、工廠の外に顔を向けて眺め始めた。

 

「これ……」

 

 どうすれば良いの?

 そう聞こうと思ったけど、たぶん彼女は応えてくれないだろうと思えたので、あんまり聞く気にもなれず、とりあえず持っている事にした。

 座っている間は嵩張るから、どこかへ置いておこうかとテーブルの周りを見渡して、この細い棒では、たてかけたりしても滑って倒れるだろうし、床に置いたら長さゆえに邪魔だろうしで、困ってしまった。

 結局左腕にリストバンドで巻いた端末、カンドロイドに収納する事で、スロットを一つ埋めて保管する事にした。

 一息つくと、俺の前の机の上に湯呑みが置いてあるのに気付いた。

 叢雲もぼうっとしていると思っていたけど、俺も相当そんな感じだったらしい。夕張さんは俺のお茶も入れてくれていたらしい。

 まだ湯気の立つ熱いそれを一気に飲み干して、立ち上がる。喉を通り、胸を落ちていって、触れた個所を熱くする液体の感触に溜め息を吐く。

 ここでじっとしている気にはとてもじゃないがなれない。だから、どこか別の場所に行こうと思って、外へと歩き出した。

 

「……頼んだわ」

 

 去り際、後ろから叢雲の声が聞こえた。

 振り返っても、彼女は工廠の中を眺めているだけで、俺に顔さえ向けてはいなかった。

 空耳か何かだったのだろうと結論付けて、塀に囲まれた敷地内に出る。霧に遮られた世界は薄暗く、肌寒かった。

 

 

 本棟裏を歩いて艦娘寮に向かっていれば、道半ばに満潮と荒潮がいるのを見つけた。

 真向いで、こちらに向かってきている。

 一瞬硬直した体を動かして一歩後退り、だけど反転できなくて、立ち止まる。最初から彼女達は俺にようがあったみたいで、寮の方への道を通り過ぎると、俺の前までやってきた。

 

「――っぐ!」

 

 ずいと必要以上に近付いて来た満潮に胸倉を掴まれ、振り回されるようにして本棟の壁にぶつけられた。生体フィールドを纏っていなければ、俺は少し足が速いだけの少女だ。小さな手の内で布が擦れ合う音がするぐらいに握り締めている満潮は、明らかに生体フィールドを纏っていて、だから、襟ごと首に押し当てられた拳が痛くて苦しくとも、引き剥がす事はできなかった。

 もとより引き剥がす気はない。彼女には、こうする権利がある。そう思ったから。

 

「何が、『朝潮のために戦う』、よ」

 

 怒りにわななく満潮は、声にもそれが出ていて、震えていた。

 彼女に責められたくない。咎められたくない。そういった気持ちが働いて、彼女を避けていたのに、避け得ない状況になってしまって、怒りを向けられている。

 一緒にいる荒潮は、怒りを浮かべるでもなく、笑っているでもなく、ただ、冷たい瞳を俺に向けていた。

 ――苦しい。物理的なだけでなく、どこか深い部分が。

 

「ただの自己満足じゃない。守れもしない癖に朝潮の傍にいないでよ!!」

「っ……!」

 

 瞳を濡らした満潮が、俺を揺さぶりながら叫ぶ。

 それは違う。自己満足なんかじゃない。

 なんて、言えなかった。言えるはずがない。自分にだってよくわかっていない事なのだから。

 

「お願いだから……お願いだから、朝潮を……助けて」

「わたし、は……」

 

 激しかった語り口は、次第に弱々しく萎んでいって、ついには頭を下げるように俯いた満潮が、か細い声で、懇願してきた。

 

「私じゃあの霧は越えられなかった……でも、あんたなら」

 

 あの深海棲艦が目をつけていたあんたになら。

 ……それは、たしかにそうだ。

 レ級は俺の進化とやらを見たがっていた。そのために朝潮を連れていった。

 あの霧を抜けて、レ級の下に行けるのは……きっと俺しかいない。

 

「朝潮のために戦うんでしょ? だったら……」

「私からもお願いするわ」

 

 静観していた荒潮も、低めの声で、朝潮の救出を俺に頼んだ。

 ……俺が救っても良いの?

 もちろん俺は、彼女を救いたい。助けに行きたい。

 でも、一度守れなかった俺に、彼女を助けに行く資格は……。

 ずるりと体が下がって、地面に足がついた。捲れていた後ろ背の服が端まで伸びる。

 

「……あんたが作るって言ったケーキ……朝潮、楽しみにしてた」

 

 肝試しの時、帰り際に、三原先生の出していたケーキ屋さんの屋台が畳まれているのを見て、肩を落としている朝潮の姿を思い出した。

 俺が代わりに作るって言ったら、綺麗に笑って、お願いしますって言ってくれた。

 約束したんだ。そうした以上、約束を違える訳にはいかない。

 

「私も……荒潮も、早くケーキが食べたいの。みんなで……」

 

 だから、さっさと作ってよ。

 ぐいと目元を腕で拭った満潮は、俺を見上げて、手の平で俺の肩を押すように叩くと、踵を返して元来た道を歩いて行ってしまった。遅れてついていく荒潮が俺を振り返る。もう、目は冷たくなんかなかった。柔らかな笑みを向けられて、俺は、叩かれた部分の服を握り込んで、どうしようもなくやる気になった。

 朝潮を助けたいと思ってた。姉妹の子が助けてくれっていうんなら、資格はそれで十分だろう。

 

 ノックをして、碌に返事も聞かずに踏み込んだ執務室には、さっきと同じメンバーしかいなかった。

 椅子に深く腰掛けていた提督が横目で俺を見るのを見返しながら、足早に歩み寄っていく。

 

「提督、私を行かせてください」

「島風……。気持ちはわかるが、君ではまだ、あんなのを相手にするのは無理だ」

「無理かどうかなんて考えてる暇はありません! 行かせて……! 私を行かせてください!」

 

 出撃の許可を!

 机を叩くようにして両手をついて身を乗り出せば、提督は、近付いた顔から逃げようともせずに、俺の目を見つめてきた。

 目は逸らさない。なんと言われようと絶対に許可してもらう。そういう気持ちで、提督の目を見つめ返した。

 あの霧を抜けられるのは俺だけだ。きっと、いや、絶対に、俺だけが彼女を救える。

 だからお願い。俺を行かせてほしい。

 詰め寄ったまま言葉をぶつければ、立ち上がった提督が、後ろ腰で手を組んで、俺を見下ろした。

 

「……主力艦隊が何度突入を繰り返しても、霧を抜ける事はできてない」

「……私なら」

「……君に、望みをかけるしかないみたいだ」

 

 さらに言葉を重ねようとして、提督は、酷く苦悩するような顔で、許可を出してくれた。息を呑んで、浮かんでくるたくさんの感情をそのまま奥へ押し込む。

 きっと提督は、俺をいかせたくないのだろう。俺の強さに目をつけてくれてはいたけど、しょせん俺は駆逐艦で、相手は戦艦。それも、神隠しの霧なんて言う、どんな艦娘でも敵わない相手だ。

 本来なら……考えたくもないけど、提督は朝潮を切り捨てなきゃならないんだろう。

 でも、そうせずに……そんな事できないから、主力艦隊で以て打破しようとしていた。それが無理なら、一縷の望みにだって縋る。苦しげな表情なのは、それで俺が死ねば、申し訳ないどころじゃないからだろう。

 

「提督。心配する必要なんてこれっぽっちもありません」

「……島風」

「朝潮は絶対に救ってみせます! シマカゼの最高速で!」

 

 この名前に誓う。俺がどうなったって、彼女を救う。必ず助け出してみせる。

 

「頼もしいな。……ああ、頼もしいよ」

 

 力んで拳を握ってみせた俺に、提督はようやく小さな笑みを覗かせて、椅子に背をもたれかけさせて、そう言った。

 

「その端末を通して、できる限りの支援をする。だが君の言う通り時間がない。よって君を旗艦に、緊急出撃を許可する」

「承認するのです」

「頑張んなよー」

「ありがとうございます……!」

 

 一歩下がって、深く頭を下げる。

 出撃の許可は下りた。後は、あの霧へ向かうだけだ。

 

 執務室を退出し、本棟を出ると、夕張さんから通信が入った。

 霧を抜けようとする前に、工廠へ寄れ、と。

 先の戦いで俺もダメージを負っていたから、修復剤をしみこませたタオルで傷を拭っての応急処置と――もっとも、それで完全に回復したのだけど――、改修が完了した連装砲ちゃんを受け取った。

 

「先日の事件で作成した複製武器からコピーしたコア・ドライビアを内部に組み込む事で局地的に重加速現象を引き起こせるようになったの」

「………………?」

「……ようするに、あなたに追いつけるくらいには速く動けるようになったって事よ」

「あ、ありがとうございます」

 

 それはまた助かる話だ。

 俺のスピードばかり上がるせいで、連装砲ちゃんはだんだん追いつけなくなってきていたから、ここでその欠点が消えたのは嬉しい。

 彼女達も短い手をぱたぱた動かして喜びを表していた。

 

「カンドロイドを通じてめいっぱいサポートするわ。ちゃんと繋がれば、だけどね」

「たとえ繋がらなくたって、この端末があるだけでも助かります」

「そう言ってくれると嬉しいわ。……うん、それじゃあ……頑張ってね!」

「はい!」

 

 砲ちゃんを抱えて、工廠を後にする。端のテーブルについていた叢雲は、俺をちらりと見ると、湯呑みを持った手を僅かに振って激励してくれた。

 

 本棟前へ出る。

 白く濃い霧が立ち込め、不自然に地面の途中から海が広がるこの場所にやってくれば、海を防衛していた龍驤や日向や、駆逐艦の子が、俺の出発をサポートしてくれる運びになった。

 敵はまだ、この霧から不定期にわきでてきているらしいから、みんなが警戒してくれているなら安心だ。

 海の上に立ち、連ちゃんと装ちゃんが同じく暗い海面へ飛び乗るのを見届けてから、前傾姿勢になり、右足を前へ出す。

 

「無事を祈るでー!」

「後ろは任せると良い」

 

 二人の言葉を背に、滑り出す。

 流れてくる霧の中へ突っ込んでいけば、すぐに辺り一面が真っ白い世界になった。

 生体フォールド越しの肌を冷気が撫ぜていく。遠くに聞こえた砲撃音は、あっという間に聞こえなくなっていた。

 ばたばたとはためく服。後ろへ流れ、乱れる髪。頭を引っ張るようなうさみみりぼんのカチューシャ。

 波を()く足に水飛沫がかかる。

 やがて、霧の世界は終わりを迎えた。

 

「……!」

 

 霧に覆われつつも、水滴の集合体は薄く、正面に見える島の姿がよくわかった。

 空の合間から降り注ぐ暑い日差しが、夏真っ盛りを思い出させる。

 浜に朽ちた駆逐イ級が打ち上げられているこの島は。

 

 ……この孤島は、俺が目覚めた場所でもあって、朝潮を介抱した島でもあった。




TIPS
・執務室の鈴谷
助秘書。各艦隊の旗艦に指示を出したり
話を聞いて纏めたりしている。

・叢雲のいた鎮守府
隼鷹や陸奥、加古、古鷹、羽黒、最上、時雨……などがいた。
みんな仲良し。ランキングで言えば一番上。
この鎮守府が消えた事を藤見奈が知らなかったのかといえば、その通り。
日本で最も強かった艦隊が手も足も出ずやられたなんて広報できる訳がない。
元ネタはどこかの叢雲好きな人の艦隊。

・提督の自刃
その時叢雲は、真正面で盃を交わしていた。

・叢雲のアンテナ
彼女が手にしている、どうみても武器ではなさそうなアンテナ。
いちおう柄がついてるっぽいし、武器として振り回せそう。

・満潮の怒り
自分自身へ向けた言葉も多かったりする。


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第四十三話 霧を越えろ!

今年度中に完結できれば良いな。



 

 進む先に見えたのは、確かにあの孤島だった。

 一ヶ月近く離れていたけど、左右に続く浜と陸地や、鬱蒼(うっそう)と茂る木々は、間違いない、俺が目覚め、朝潮と出会った場所。

 

「――っ!」

 

 近付けば近付くほど記憶がはっきりしてきて、より確信を強める。あそこで過ごした日々が昨日の事のように思い出せた。一人きりで過ごした倦怠的な日々や、自分以外の人と出会って、希望を抱いた時間。

 瞬きの合間にそういったものを思い出しつつ、もう少しで上陸できそうな距離になったところで、強い風が後ろから吹き付けてきた。

 

「ん、あ!?」

 

 白い靄が体を包む。

 まるで意思を持った巨大な生物みたいに、細い触手のようなものが伸びてきて、腕や脚へ巻き付いてきた。引っ張られたりはしてないし、拘束されている訳でもない。びっくりして足を動かせば、霧はその通りにぴったりとくっついて動いていた。

 辺りが暗くなる。背後に霧の壁が迫っているのだ。

 

「っ!」

 

 気付くのが遅かった。逃れる暇もなく、濃霧は、霧で俺の体を絡め取ると、一気に飲み込んだ。

 ――食べられた!? ……そう思ったけれど、こいつは生き物や何かじゃない。目の前が真っ白になってしまったけど、それだけ。

 体に纏わりつく冷気が、俺が『戻されて』しまったのだと教えてくれた。

 生体フィールド越しに、きめ細やかな水滴が髪も肌も関係なくくっついてくる。艦娘の機能として、それらのせいで濡れる事はなかったが、まつ毛や目に水が入ろうとすると反射で目を細めてしまって、少し視界が悪かった。……いや、元々視界は悪いのだが。

 

「……ん」

 

 走るのをやめたつもりはなかったのに、いつの間にか止まってしまった体に、なんとなく左腕を持ち上げて、括りつけた端末を見る。

 中にいる羅針盤の妖精さん達から、異常あり、と意思が届いた。そんなの見ればわかる。なんかこめかみ辺りがびりびりするのは、妨害電波の広がる海域にはつきものだ。

 

『キュ?』

 

 足下に浮かぶ二匹が、霧の中に逆戻りしてしまった状況に戸惑ってか、きょろきょろと顔を動かしていた。

 よし、連ちゃんと装ちゃんもちゃんといる。逆に言えば、彼女達も俺と一緒に戻されちゃったって事だけど……。

 せっかく俺のスピードについてこれるようになったのに、引き剥がされるよりはマシか。

 

「敵影あり! 右舷(みぎげん)、砲雷撃戦用意!」

「っ!」

 

 遠くのようで近くに響いた女性の声に、はっとして振り返る。幕のような、重厚な濃霧の向こうに、いくつか人影が浮かんでいた。

 それが波を割いて迫ってくるのに、右腕で抱えていた砲ちゃんを両手で持って前に突き出した。

 瞬間、霧から抜け出した由良さんが、すぐ隣を過ぎ去っていった。

 あっという間だった。影が大きくなったと思ったら、由良さんが出てきて。視線が合うと、彼女は驚いたように目を見開いて、でも、すぐ後ろへ行ってしまった。

 

「由良さん!?」

「金剛デース!」

 

 背後に広がる霧へ向けて呼びかければ、金剛先輩の声が耳元で聞こえた。

 涼しげな風が流れると、声の通り、金剛先輩が抜け出てきて、目の前で止まった。腰に手を当てて片手を前に突き出すお馴染のポーズだ。俺の姿を認めると、およ、と怪訝な顔をする。

 

「ごーやもいるよ!」

「でっ……ーヤ先輩」

 

 ざばりと足下から頭を出したのは、でっち先輩だ。ピンクの髪から海水が流れて滴ると、彼女は肩から下を海につけたまま俺を見上げた。

 

「島風? そこで何してるの?」

「雷……ちゃん?」

 

 金剛先輩の後ろからひょこりと出てきたのは、雷だった。教室でよく顔を合わせる子。リーダー的な役割をするのが得意で、先日も宿題係として夕立を……いや、これは今関係ない。

 艦娘が海を滑る音が、二つ重なって続く。

 金剛先輩と雷に並ぶように、北上と赤城さんも出てきた。

 

「あー? 何、こんなとこでドロップ艦?」

「うちの子ですよ、北上さん」

 

 三つ編みを揺らして訝しげに俺を見る北上に、ちゃんと俺の事を認識してくれている赤城さん。それから、その後ろに由良さんが続いて来た。

 あれ? さっき俺の横を通り過ぎて行ったのに……。

 

「島風ちゃん、どうしてここに?」

「あ、その……」

 

 しかし由良さんは気にした風もなく金剛先輩の前に出ると、そう問いかけてきた。

 不可思議な現象に言葉をつっかえさせてしまったが、一度息を吸って吐いてをして、気を落ち着けてから、提督に出撃の許可を頂いた事と、俺ならここを抜けられるんじゃないかと思ったのだと伝える。

 

「そうなの……。それで、どうだったの? 霧は抜けられた?」

「いえ……先輩方の方はどうなんです?」

「ワタシ達はずーっとここをグルグルデース。困りましたネー」

 

 ぐるぐるー、と両手の人差し指を突っつき合わせるように回して見せる金剛先輩に、雷が頷いて同意した。

 その動作に、ふと思い立って、ある事を口にする。

 

「……あ、主力艦隊って、ひょっとして」

「あたし達の事だねー。知らなかったの?」

「いや、でも、雷ちゃんもいるし……」

 

 この海域というか、霧に突入をしているのは、鎮守府の主力艦隊って話だったから、彼女達がそうなのかと問いかければ、北上が小首を傾げて、目を細めた。

 不機嫌そうに見える北上に少々萎縮しつつ答えれば、「しょーしんしょーめい、雷も第一艦隊よっ!」と腕を振り回して、雷が言った。えー、うそ。いつも一緒にお勉強してたじゃん。だから、俺達と同じくらいの練度なんだと思ってた。でも、主力に数えられるほどの強さだったんだ。知らなかった……。電はどうなんだろう?

 たぶん高練度だろう秘書艦の電は、授業に出たところは一度だって見た事ない……それは秘書艦のお仕事で忙しいからなのかな。

 授業に出てるのと出てないのとでは、どちらの方が強いかなんてわからない。別に、今ここで聞くべき事でもないだろうし、気にしないで良いだろう。

 

「言ったでしょー、ゴーヤは大先輩だ、って!」

「あの時の先輩の言葉は、こういう事だったんですね」

「そうでち。ゴーヤ達は主力も主力なんでち! ……と言っても、この霧を抜ける事はできてないんだけど……」

 

 えへんと胸を張って誇らしげにしたでっち先輩は、次にはしおしおと落ち込んでしまった。

 海の上からも海の中からも、どうやったって進めずに鎮守府に戻ってしまうらしい。これは練度が高いとか低いとか、どんな艦種であるとかは関係ないのだろう。

 

「私なら行けるかも、って思ったんですけど……駄目みたいです。戻されちゃいました。……島の前までは、行けたんですけど……」

「島?」

 

 勇ましく出てきたのに、結局俺も霧を抜ける事ができなくて、情けなさを感じながら言えば、由良さんが聞き返してきた。

 そう、島。……二週間くらいを過ごした、あの島。

 

「島風、落ち込む事はないデス! それが本当なら大躍進デース!」

「由良達は、ずっと霧の中を走ってただけだから……そっか。島風ちゃんなら、先に行けるかもしれないのね」

「でも、こうやって戻されちゃって……」

 

 今さっき失敗したばかりだから、感心したように頷く由良さんの言葉が心苦しかった。

 なぜかわいてきた羞恥心と焦りに、低めの声で彼女達の言葉を否定しようとすれば、「大丈夫よ、島風!」と雷。

 

「司令官が任せたんだもの、絶対いけるわよ!」

「yes! 自信を持ってくだサーイ!」

「……あ、はい」

 

 なんか、凄い良い笑顔なんだけど……。

 俺ならいけるかも、と思ったのは、そう強い根拠がある訳じゃないんだけど、この人達の言う『行ける』の根拠はなんなんだろう。いや、背中押してくれるのは嬉しいんだけどさ。

 キラキラがつくのを幻視するような、自信たっぷりの笑顔を見つつ、内心で嘆息(たんそく)する。

 まあ、行けるかもって気にはなってきたから、もう一度突貫するつもりではあるんだけど。

 行ける気がしなくても行くけどね。

 

「もしかしたら、新入りさんの体に紐を括り付けてゴーヤ達が持てば、一緒に霧を抜けられるかもしれないでち!」

「……それは、どう、でしょう……?」

 

 でっち先輩が変な事言い始めた。たぶん本気だ。

 自分で言った事に自分で頷いてるし。しかも満足気。

 

「えー、電車ごっこみたいにすんの? あたしは嫌だなー」

「むむ、良い案だと思うんだけどなあ」

 

 顔を(しか)める北上に、ごーやは首を傾げて、駄目かぁと呟いた。俺も嫌だよ、走りを阻害されるのは。というか、ここにはロープとかないし、やるとなると腰に腕を回したりしないとだから、ええと、みんな背丈違うし、一人は泳いでるしで……やっぱり無理だよ。

 ほっと息を吐いた赤城さんが、「未知の海域に踏み込む事も考えると、あまり良い手とは言えませんね」とでっち先輩を(さと)した。

 

「それでも、提督が希望を託した貴女(あなた)なら……島風さんなら、抜けられると信じます」

「由良達も諦める気はないけど、島風ちゃんよりも、望みは薄いと思うの。だから、ね?」

 

 前に立つ由良さんを見上げて、頷く。

 主力艦隊のみんながここを抜けられないなら、やっぱり俺が行くしかない。進化だかなんだか知らないけど、奴が求める俺をお届けしてやるしかないんだ。

 

「元より、霧を抜けるつもりです。少し弱気になっていましたが……もう大丈夫です。私、行きます」

 

 せっかく島の前まで行ったのに濃霧に飲まれて、どことも知れない海に戻されて、心のどこかで『無理かもしれない』なんて思ってしまったけど、そんな弱気の虫は、由良さんや、第一艦隊のみんなが潰してくれた。

 島を見たのは俺だけ。だから、あそこに行けるのは俺だけだっていう確信と、みんなが行けないなら俺が行くしかないっていう想いと、たとえ彼女達が来れなくても、けして諦めるつもりはないって気持ち。

 (たぎ)った気力に加えて、由良さんと第一艦隊皆の激励に、応援。そういうの見せられたら、今すぐ走り出すしかないじゃない。今すぐに、あの場所へ。

 

 横一列になったみんなが、俺を見下ろし、または見上げる。

 

「この霧さえなければ、あんな深海棲艦、ワタシが投げ飛ばしてやりたいところデスガ……島風、その役目はあなたに譲るデス!」

 

 金剛先輩、投げ飛ばすのは、私には無理だと思います。

 でも……やっつける役目なら引き受けますよ。あんな奴は、シマカゼが倒しちゃいますから。

 

「悔しいけど、いくら走ったって鎮守府に戻っちゃうんだもの。雷達の分も、頼むわよ!」

 

 うん。雷ちゃんの分まで、私、走るね。頼まれたからには、きっとやり遂げるから。

 宿題係さんに怒られるのも嫌だしね。きっちり片付けなきゃ。

 

「ごーやは短距離通信繋げとくね。新入りさん、切れたらすぐに言ってね!」

 

 でっち先輩……あの、通信切れたら、その事を伝えるのは無理だと思うんですけど。

 ああでも、切れたら切れたで、それが伝わるか。

 

「ちぇー、あたしら全然活躍できないじゃん。久々に出撃できたって思ったのにさー。……まぁ、頑張りなよ」

 

 はい、北上さん。悪いけど、活躍奪わせてもらいます。その分、うんと頑張りますから。

 ……結構優しいんですね。なんか、意外です。

 

「島風さん、私達は一度、貴女の道を切り開いてみます。貴女は貴女のやれる事を」

 

 わかりました、赤城さん。道を切り開くというのは……? ……そう、艦娘の力で。

 頼もしい限りです。それなら、行けると思います。

 

「島風ちゃん。朝潮をよろしくね。でも……無茶は、しないでね。ね?」

 

 由良さんは、ずっと朝潮と戦ってきたんでしたね。それなら、人一倍心配でしょうけど……安心してください。

 朝潮は私が必ず助けます。約束しましたからね。ケーキ、作るって。

 

 風に乗った霧が俺達の間を抜けていくと、スカートや服の端がばたばたと鳴って、はためいた。

 みんなの顔を見回して、頷き合う。

 

「じゃあ……シマカゼ、行きます!」

「うん。支援するね」

 

 直立し、みんなへ向けて敬礼する。右腕で抱いた砲ちゃんと、足下の連ちゃん、装ちゃんもびしっと敬礼モドキをした。

 海面を蹴り、高く跳び上がる。第一艦隊のみんなを飛び越え、空中で身を捻って、その後ろへ。

 霧の中に入り込んで、誰の姿も見えない場所に着水し、すぐ前を向く。

 両足を揃えて小ジャンプ。数十センチもない跳躍で体の調子を整え、足が海につくのと同時に屈伸。膝に力を溜め、跳ぶようにして駆け出した。

 後ろへ流れていく霧の中に、赤城さんの背中が見えた。彼女が弓に矢をつがえ、前方、上空へと放てば、それは一機の艦載機に変化して、濃霧の中へ飛び込んで行った。

 北上が隊列から抜けて横へずれると、魚雷発射管を動かして、しゅぱぱっと数本打ち出した。海に落ちた魚雷は、白線を残しながら前へ進んで行く。

 でっち先輩もそれに合わせて、海の中から魚雷を放った。数秒もせず遠くの海面が盛り上がり、水柱が立ち上がる。それが霧を僅かに晴らした。

 

「全砲門、Fire(ファイヤ)ー!」

「てーぇ!」

 

 横一列に並んだ金剛先輩、雷、由良さんが、霧に向けて砲撃する。強烈に打ち出されて空気ごと霧を巻き込み、砲弾は飛んでいく。

 無数の砲弾が霧を穿ち、散らして、文字通り道を切り開く。

 それでもあの島は見えない。でもいいんだ。この勢いのまま、俺も突っ込む。

 

「金剛先輩、お願いします!」

「任せるデース!」

 

 砲ちゃんも連ちゃんも装ちゃんも、金剛先輩にパスする。俺自身は高く跳躍して、膝を抱えて一回転。体を広げて足を伸ばす、飛び蹴りの体勢へ。

 そのまま、全部の力と勢いを前へ向けた。右足を前に、左足は畳む。両手は広げて、霧の向こうを睨みつける。

 

「とりゃーっ!」

 

 耳元で風が唸った。

 濃霧の中へ矢のように突っ込んでいく。散らされていた霧のエリアを越え、白一色の中へ。壁を一枚隔てたところから聞こえてくるエンジン音(艦載機)が、行くべき道を先導する。

 その音や気配が唐突に消えると、同時にでっち先輩とつないでいた短距離通信も切れた。霧を抜ける。眩い光の中へ、飛び出していく。

 

 煌めく海は青く、降り注ぐ光は強い。冷気はあっという間に剥がされ、むわりとした空気が渦巻いて、通り過ぎていく。

 波の上を越え、白粒の広がる海辺へ。

 

「っと!」

 

 勢いを失いつつも、砂浜の上に着地して、ブレーキを踏む。砂を巻き上げながらも二本の線がしばらく続いた先で、ようやく止まる事ができた。がくんと上半身が揺れ動く。体の芯と重心はしっかりしてるから、これくらいの衝撃なら問題なく受け止められた。

 ブーツ越しに踏み締めた、草と土の感触。

 立ち上がって後ろを見れば、島を取り巻くように霧がはびこっているのを確認できた。この島はおそらく、鎮守府と同じ状態にあるのだろう。考察しつつ視線を巡らせていれば、ちょうど俺の跳び出してきた霧の辺り(穴が開いているからわかりやすい)から、ぽぽぽんっ、と連装砲ちゃん達が吐き出されてきた。三匹はくるくる回転しながら海面に落ちると、ころころ転がって砂浜に上陸して来た。意味なく体を振るう動作をすると、すたこらと俺の下までやってくる。

 その動作の一つ一つを観察しながら警戒していたけど、霧は俺を元の場所へ戻そうとしなかった。触手みたいなのは伸びてこないし、霧の壁が迫ってくる事もない。

 それが霧の傍にいないからなのか、二度目の到達だからなのかはわからない。考える意味もない。そんな暇があるならさっさとレ級をぶっ潰しに行こう。

 踵を返し、森林へと踏み込む。

 土と草と木々の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、駆け出した。

 

 

 やや昇り坂の道は……というより、道なき道だった。以前何度か行き来した事はあったはずだけど、踏み倒した草はこの一月余りですっかり元通りになってしまったらしい。

 

『島風ちゃん、聞こえる?』

 

 端末に通信が入り、機械を通した夕張さんの声が、森林の中に響いた。聞こえてます、と返事をすれば、夕張さんは最初こそ安堵したように溜め息を吐いたが、その後の声は苦々しいものだった。

 

『あなたのいる地点は……私達の鎮守府からとんでもなく遠い場所ね。場所さえわかれば支援を……と思ったけど、この調子では難しそう。ごめんなさい』

「夕張さんが謝る事はないです。それより、何か、何か朝潮の居場所がわかるような機能とかないんですか、これ」

 

 走る速度を緩め、端末を覗き込んで問いかける。あまりもたもたしていたら、朝潮が害されてしまうかもしれない。手遅れになる前に彼女の下へ辿り着きたいが、俺には彼女のいる場所がわからない。見当もつかない。こっちから通信を繋ぐ方法なんて知らないし……。

 習ったってわかんないんだから、これは本当にどうしようもない。だから他の手段が欲しい。

 

『あの子や霧の強敵にマーカーをつけたりはしていないでしょうし、直接場所を突き止める事はできない。でも、特定する事はできるかもしれない。マップを開いてみて』

「マップ……」

 

 通信を繋げたまま、端末を弄り、光の画面を出現させる。揺れる腕に合わせて震える画面は少し見辛かったが、贅沢は言ってられない。ボタン操作とスティック操作で、マップ画面へ切り替える。

 俯瞰で見た島の様子が大雑把に描きだされた。高低差を示す線の濃度の違いや、木々の緑に川の水色と、多少の色分けがなされていて、ぱっと見でわかりやすい。が、前に過ごしていたこの場所がこういう風になっていたのか、なんて思う事はできなかった。改めて地図で見直せば、全然違う場所に思えたからだ。

 『△』みたいな矢印で表された俺は、画面下部の浜辺から続く森の中をまっすぐ移動していた。そこは、島の中心から右に大分ずれている。ひし形に近い島の右端だから、直線での距離はかなり短い。

 でも、この先に元俺の家があったような……。

 

『自動マッピング機能がついているから、動けば動くほどその場所の情報がカンドロイドに反映されていくの』

「ここ、前に来た事がある場所ですから、もうほとんどマップは完成してます!」

『……そう、ここなのね。あなたが朝潮を助けた場所』

 

 そこを島の中心だと思っていた俺の脳内マップ機能は全く当てにならないな、なんて思いながら夕張さんに言えば、彼女が端末越しに頷く気配がした。妖精を介した意思でのやりとりではないから、身動ぎや他の何かの音も通ってくるのは不思議な気分だ。こっちの走る音や息の音も伝わっていると思うと、少し恥ずかしくなる。

 

『しらみつぶしに探すしか手はないわ。一度でも発見できれば、マーキングのチャンスがある。とはいっても、接敵すれば早々逃げたり逃げられたりはできないでしょうけど……』

「逃げないし、逃がしません」

『撤退も戦略のうちよ。……いえ、敵わないと思ったら逃げて。これは、私からのお願い』

 

 ……そんな事言われたって、俺は、奴を倒すつもりでいる。どれだけ硬かろうが、どれだけ力が強かろうが、不死身って訳でもないだろうし、殴り続ければ死ぬだろ。

 俺の意思が伝わったのか、夕張さんは少しの間何も言わず、それから、『武器の調整が終わっていれば』と溜め息交じりに呟いた。

 武器……ひょっとして、先日『あの人』が来た時にコピーしまくった武器達の事? でもあれって、戦いが終わったら破棄するって約束だったんじゃ……。

 いや、戦いは終わってないのか。深海棲艦との戦いは、終わりの兆しすら見えてないって聞いた。……そんな事より、俺は目の前の戦いに集中しないと。

 

『心してかかってね』

「はい!」

 

 通信が切れる。ずっと繋いだままでいても仕方がないし、話す事で集中が乱れたり、注意力が散漫になるのはよくない。夕張さんの気遣いをありがたく思いながら、土を蹴って先に進む。

 しばらく走っていれば、かつて過ごしていた、木の棒で組んだ家のある広場に出た。――記憶にあった粗末な家は影も形もなく、立派な二階建ての、大きな建物がどんと構えているのに、少々気圧されて足を止める。

 ……ああ、そうだった。俺のお手製小屋は、妖精さん達の手によってリフォームされてしまったのだった。

 外装も内装もまるきり違うから、建てた場所は別、って記憶してしまっていた。

 

「朝潮ーっ!」

 

 彼女の名を呼びながら、家の中に踏み込む。

 手入れされていない中は、砂や埃で少し汚れていた。玄関を飛び越え、土足で細い廊下を走る。左右に点々とある扉を蹴り開けて中を確認していく。

 洗面所、お風呂場、物置、客間、給湯室、食堂、応接間、工廠……。

 木板を軋ませて二階に駆け上がり、扉を跳ね開けて、寝室内を眺め回す。

 

「……いない」

 

 荒くなった息を呑み込みつつ、腕で口を拭う。木造りの窓を眺めていれば、背後で扉の閉まる音がした。慌てて振り返っても、誰もいない。……勢いよく開けたから、勝手に閉まったのだろう。

 早鐘を打つ心臓に、胸に手を押し当て、指先を肉に沈ませて、小さな痛みを自分に与える。それで、落ち着く事ができた。

 ここに朝潮はいない。レ級もいない。

 なら、ここにもう用はない。木製のベッドに乗っている薄汚れた布を一瞥してから、部屋を出た。

 そのまま建物も出てしまうと、マップを確認して、島の中心に行く事にした。可能性が高いのはそこだろう。この方角は……ここからだと少し遠い場所に、グリーンゼリー……高速修復剤の元があふれ出ていた温泉があったはずだ。島の中心って、そこだったんだろうか。

 あそこは高低差が激しく、大きな岩や石がごろごろ転がっている。できればそこでは戦いたくないな。いや、どこで戦うのも代わりはない気がするけど……温泉を壊したくない気持ちがあった。

 ……どうでもいい事だ。それは今、気にすべきものじゃない。

 

「連ちゃん、装ちゃん、行くよ」

『キュー』

 

 入り口前をうろつく二匹に声をかけ、腕に抱く砲ちゃんにも、いちおう一言やってから、走り出した。

 その先の池――湖で朝潮を見つけたのは、それからすぐの事だった。

 

 

 前にこの島にいた時とはスピードが大きく違っているのを失念していた。風になったみたいに木々や葉の合間を駆け抜ければ、道半ばに、湖があるのを見つけた。

 俺が『池』と呼称して、水を汲んだり魚を捕ったりしていた場所だ。

 水が寄せる岸……というより、地面のすぐ傍に、朝潮はうつ伏せになって横たわっていた。

 緩やかに上下する肩。腕で隠れた顔は、きっと穏やかではないにしても、苦しんではいないだろうと予想できた。

 

「朝潮!」

 

 胸を撫で下ろしている場合ではない。もっと正確に彼女の無事を確認しなければ。

 それに、警戒もしなきゃ。レ級の姿が見えないのはおかしい。あいつが俺をここにおびき寄せたのに、朝潮をほったらかしにするなんて……。

 

「っ!」

 

 彼女に駆け寄ろうとした俺の足下に、何かが飛んできた。地面とぶつかってグシャリと潰れ、液体と固体を撒き散らしたのは……リンゴモドキ。当たらないように急停止したはいいものの、果肉片がブーツに飛び散って来たのに、眉を寄せた。

 

 と、今度はもっと重いものが落ちてきた。

 ズドンと地面を揺らして、ゆっくりと上体を起こしたのは、レ級だった。

 

『ヨォ。遅カッタナ』

「……!」

 

 一歩下がって構えを取り、もう一歩下がって腰を落とす。牽制に、砲ちゃんを片手で突きだせば、奴は眉を動かして、腕を広げた。撃ってみろ、とでも言いたげだ。

 ……脅しにもならないか。それもそうだ。相手は戦艦だし、直撃したとしてどれほどのダメージが見込めるだろうか。そもそも、どうせ俺が撃ったって当たりっこない。奴の後ろにいる朝潮に被害が行く可能性も高い。

 だったら……。

 砲ちゃんを持つ手を下げて、地面に近付ける。あとは彼女自身に飛び降りてもらって、後ろに控えさせた。どうせなら、連装砲ちゃん達には自由に戦わせた方が、きっと当たる確率は高いだろう。

 再度握った両拳で、構えをとる。レ級は眉を寄せて、面白くなさそうに口を歪めた。

 

『……格闘シヨッテノカイ、オ前』

「だったら何」

 

 鋭く聞き返せば、レ級は肩を竦めて、すぐ後ろに転がる朝潮を見下ろした。

 

「――!」

 

 何かするつもりなら、すぐにでも殴り飛ばしてやろうと足に力をこめ、奴の動きを注意深く見る。だがレ級は、朝潮には何もせずに、俺に視線を戻した。

 

『オ前……何シニ来タンダ?』

「は? その子を助けるために決まってんだろ」

 

 馬鹿みたいな問いかけだった。

 意味わかんない事聞くんじゃないよ。お前が俺を呼んだんだろうが。進化だかなんだか言って、わざわざ朝潮を(さら)ってまでして。

 

「なに、あんた出前でも頼んでたわけ? 残念だったね、私で」

『ソウダナァ。オ前ジャ腹ノ足シニモナラナソウダシナ』

「……試してみれば?」

 

 小馬鹿にするような笑みを浮かべるレ級に苛ついて、地を蹴って突進する。

 踏み込んで、前蹴り。駆逐級くらいならこれで粉砕できるはずだけど、レ級は難なく腕で防いでみせた。黒い布に食い込んだヒールは、その布さえ傷つけるに至らない。膝曲げて足を離し、頭を狙っての上段蹴り。

 それもまた、腕で防がれた。

 

「!」

 

 直立した体勢のまま、レ級が尻尾を振るう。巨大な異形が一個の生物のように口を開けて迫るのを、咄嗟に背を反らす事で躱した。胸の上を過ぎ去っていく尻尾に、ブリッジするようにして地面に手をつき、レ級を蹴りつけてバク転する。

 着地した俺の前でレ級が跳ね上がり、後方の湖へと下り立った。派手に水飛沫が撒き散らされて、大きな波紋が広がり、地面を濡らす。朝潮から離れたレ級を狙って、連装砲ちゃん達が一斉に砲撃した。連続数発。けたたましい破裂音と直撃音が何度も響いて、黒煙がもくもくと膨れ上がる。

 

『無駄ダッテ言ッタダロ』

 

 効いてない……!

 煙が晴れれば、レ級は、少し後退してはいたものの、無傷だった。

 どんな手品があるのか知らないけど、こいつにはやっぱり、砲撃は効かないのか。

 

「く……ぅ」

「朝潮っ!?」

 

 傍で聞こえた呻き声にはっとして、見れば、朝潮が身を起こそうとしているところだった。地面に肘と腕を押し付けて、息をし辛そうにしている。

 

『余所見シテテ良イノカ?』

「っ、……?」

 

 何してんだ、あいつ。

 奴の声に慌てて向き直れば、あいつは、晴れゆく煙の中でただ立っていた。でも、そっちじゃない。レ級じゃないんだ、変なのは。

 尻尾が、湖面に口を突っ込んでいた。口を開閉させ、ばしゃばしゃと水を跳ねさせて……ゴク、ゴクって、……飲んでる?

 口の端から涎みたいに水を垂らし、際限なく湖の水をがぶ飲みする尻尾に目を奪われていると、レ級が腕を持ち上げるのが視界の端に見えた。伸ばした先に、二本指。あれは……っ!

 

「ううっ!」

 

 足を開いて、朝潮の前に体を晒す。腕を広げて庇う体勢が整った時、奴の指から水が噴出した。

 圧縮された水のカッター……水圧カッター。左肩から入り、右手の先の手の平まで……指の腹まで裂いていったのは、ただの水のはずなのに、服が破れた。

 受けたダメージを体中に分散させる事でやり過ごそうとする生体フィールドの限界を超えたのだ。中破か大破か。土を削り飛ばして、レ級が腕を振るままに薙ぎ払われた水が止まると、がくんと体が落ちて膝をついた。

 

 冷たいよりも熱い。痛いより、キツイ。きゅうっと傷口が疼く感覚がして、それから、くすぐったさ。肌の上を何かが伝う、どろっとした感覚。

 

「……!」

 

 ……露わになった肌……体に入った横線から、血が溢れていた。

 傷を目にしてしまうと、体の中と外とが激しく痛みだす。歯を食いしばって耐えようにも、心臓が脈打つのに合わせて何度も痛むから、喘ぐような声を出してしまった。

 思わず裂傷を押さえた手の、親指と人差し指の間に溢れた血が、手の甲を滑り落ちていく。赤い染みの臭いが鼻をついた。

 

『ヤッパ、硬イナオ前』

 

 腕を下げたレ級が感心した風に言って、湖面に尻尾を叩きつけた。

 パァン、と大きな音がする。それは、威嚇だとか、そういうのじゃなくて、癖とかそういうものなのだろう。

 

『デ、進化シナイノ?』

 

 余裕たっぷりに言うレ級の声は、少しの間、遠くに聞こえていた。

 

「はっ、はっ、……っ、はぁ、ふ」

 

 たった一撃貰っただけなのに、どくどくと主張する血液の流れが、眩暈に似た症状を呼ぶ。足や腕の感覚が一瞬なくなったりして、体がふらついた。

 

「んっ……、はぁ……!」

 

 ……大丈夫、このくらいの傷、なんて事ない。血だって、最近全然見てなかったから、びっくりしただけ。こんなの、ほっといても治る。

 ん、オッケー。ほんとに、もう大丈夫だ。

 たん、と傷を叩いてから、立ち上がって、レ級を睨みつける。……叩いた胸が滅茶苦茶痛いけど、気にしない。噛みしめた歯の隙間から漏れ出る息を、んく、と飲み込んで、もう一度、肉弾戦のための構えをとる。

 隣に、朝潮がよろめきながら並び立った。

 

「朝潮、大丈夫なの……!?」

「は、い……問題ありません……!」

 

 彼女の右手の砲も左手の魚雷も、損傷はない。朝潮本人にだって傷は見られない。戦えるといえば戦えるだろうけど、ふらついていて心配だ。砲を持ち上げ、レ級へ向ける朝潮にばかり注意をやってはいられない。俺もレ級を見据えて、いつ水圧カッターがきても良いように心構えをした。

 

『ウェイクアップフィーバー!』

 

 待つだけじゃ、ないけどね。

 胸元に掲げた左腕の端末、その上部のでっぱりを引く事で羅針盤システムを呼び出し、必殺技を決定する。胸の奥の深い場所から響いた島風の声が、俺を後押しした。顔の前で交差させた腕を開きながら、足に力を込めて、前方へ跳躍する。

 

『マタソレカ』

「だぁーっ!!」

 

 呆れたようなレ級の声を塗り潰すように声を張り上げ、俺は、両足キックの体勢で突っ込んでいった。




TIPS
・孤島
一話辺りからいた場所。

・『あの人』
番外編にて登場した刑事、泊進ノ介(とまりしんのすけ)

・二階建ての家
ほとんど木造。工廠妖精さん達の作品。
応接間からは地下へ行く道があり、工廠妖精さんの仕事場に繋がっている。

・夕張さん
技術者特有の超速理解。

・サイバロイドムーンブレイク
駆逐級なら助走なしで撃破する事ができる。

・水圧カッター
メタルg(省略。


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第四十四話 艦娘のルーツ

誤字や文章の乱れなどを直しました。細かな描写を追加しました。(2015/12/20)


 全身がバラバラになった。

 

 そう錯覚するくらいの衝撃が体中に襲い掛かってきて、目をつぶってしましまうと、右も左もわからなくなった。

 

「うぐっ!」

 

 背中から地面に叩きつけられる。平坦ではなく、でこぼことした剥き出しの地面。散らばっている小石が幾つも背中を突く感覚は、鈍かった。

 地にぶつけられてようやく吹き飛ばされた勢いがなくなったのか、持ち上がっていた足が体ごと戻って、地面に打ち付けられた。遅れて周囲に重いものが落ちて、ドシドシと俺を揺らす。

 

「いったぁー……ぅいっ! ……くそっ」

 

 手をついて身を起こそうとすれば、手の平に走る裂傷に土が入り込むのに、体が跳ねた。思わず手を引っ込めたら、当然支えを失って転がってしまう。敵を前に凄い馬鹿を晒している事を自覚しつつ、反対の手を使って起き上がった。

 痛む手を気にしつつ顔を上げれば、足下に流れてくる緑色の液体が、動く視界の途中にあった。俺が叩き付けられて壊してしまった、大きな岩から湧き出していたものだ。

 

『私モ暇ジャナインダ。サッサトオ前ノ進化トヤラ、見セテミロ』

「まーそう言うなって。もうちょっと遊ぼうよ」

 

 立ち上がれば、むわっとした熱気が足下から頭までを抜けていった。すぐ近くにある温泉の湯気や、ここら一帯の湯の熱。

 

「こっちよ!」

『ン……』

 

 尻尾をくねらせて悠々と歩いてくるレ級の後頭部を、爆炎が覆った。背後の森から駆けて出てきた朝潮が、砲の照準を合わせたまま大きく迂回し、俺の方へやって来る。

 

「大丈夫ですか!」

「だーいじょうぶ。……なんて言えないけど、まあ、大丈夫だよ」

 

 切羽詰ったように言って隣に並び、油断なく腕を伸ばす朝潮に、軽口を叩くようにして言い返す。

 相手を軽く見るような事を口にしなければ、心が折れてしまいそうだった。

 だって、正直、ちょっと……無理かも、だし。

 いや、砲撃を受けても気にした風もなく笑っているレ級を見てしまうと、もうぐらぐらしてんだけどね。心。

 

『マダ(ワカ)ラナイノカ。ソンナモノ、私ニハ通用シナイ』

「どうだか! やせ我慢してるだけなんじゃないの!?」

 

 黒煙が完全に晴れれば、無傷のレ級と顔を合わせる事になる。意識して強気な態度と言葉を放つ。

 ていうか無傷って……そこからしておかしいんだってば。なんであいつ、傷一つないの。

 

「そうです。たとえ効かなくても……奴は怯んでます。見ていてください!」

『アー?』

 

 朝潮は、言うが早いか照準を移した。レ級が歩む、ちょうどその隣にある人間大の岩へ。

 

『ム!』

 

 放たれた砲弾が岩を粉砕すれば、飛び散った破片が周囲へ撒き散らされる。破片といっても、それぞれが子供の頭くらいの大きさはある。顔を庇うように腕を掲げたレ級が、それを振り回して石を弾く。その場で一回転して尻尾を振り、全てを弾き飛ばした。

 

「何が原因か、私達の武器ではダメージを与えられないようですが……こうして間接的にならば」

『チッ……』

「奴を倒す事も可能かもしれません」

「なるほどねぇ……」

 

 忌々しげに朝潮を睨みつけるレ級から、彼女を庇うために一歩前に出る。奴の目が俺に移るのを確認してから、いつの間にそんな事、と朝潮に問いかけた。

 目の前の怪物とは何度かやりあってるけど、俺はなんにも気付かなかった。ただ、こっちの攻撃が通用しない事ばかり頭にあった。

 

「本棟前で戦った時くらいに……確信しました。砲撃を受けて平気にしていても、奴はまったく衝撃を受けていないという訳ではなかった。後退していたり、僅かに仰け反っていたり……なので」

『フン』

 

 今度はレ級の足元へ向けて朝潮が撃てば、奴は足を揃えて跳躍し、飛び散る土や石を回避した。その程度なら、戦艦の身なのだから、当たったってそれこそ大したダメージにもならないだろうに。

 少し後ろへ着地したレ級は、そのまま地を蹴って走り出した。俺達に向かってくる。砲撃しないってのは良心的なのかどうか。

 

「朝潮、下がって!」

「っ……!」

『小賢シイ!』

 

 腕を広げて朝潮を背に庇う。奴の攻撃を受け止められるのも、ダメージを受けて粉々にならないでいられるのも、この場では俺だけだ。真っ当でないパワーアップを経ているこの体だけが、奴に対抗できる。……と思う。

 

 苛ついているのか、腕を振りかざして踏み込んで来たレ級へ、こちらも膝を出して飛びかかる。相手の勢いをも勘定に入れた飛び膝蹴りだ。

 剥き出しの肌に膝がめり込むと、しかしそこで止められた。とんでもなく硬い。わかっていた事だけど、飛び込んだこっちにダメージが返ってくるくらいだった。おまけに振られた手を首筋に受けて地面に叩きつけられた。跳ねる体に、揺らぐ意識。噴き出る血液が喪失感をもたらす。

 気絶なんかしないよう、内容に関わらず何かしらを頭の中に思い浮かべて繋ぎ止め、二度目の接地時には受け身をとった。背筋をバネに勢い良く起き上がり、屈伸状態になる。立ち上がりざまに跳び上がり、放った顎狙いのアッパーは、身を引いて躱された。その胸を蹴りつけて宙返りし、距離をとって着地する。すぐさま朝潮が俺の斜め後ろへ退避してきた。そのさなかに砲撃し、命中させる事による敵の足止めも忘れない。

 

『……ヤルネェ』

 

 罅が入ったみたいに痛む首筋を押さえながら、油断なく構える。……中の筋が千切れたみたいに痛むけど、たぶんそこまではいってないと思う。

 レ級は、手刀として作った手を顔の前まで持ち上げて眺めながら、感心したように呟いていた。

 

『ココマデ抵抗サレルノハ初メテダ』

「倒されんのも初めてになるよ」

『口ノ減ラナイ奴ダナー、オ前』

 

 挑発とも取れる言葉を口にしながら、奴を倒す、その一点だけを考えて集中する。元より砲撃が無意味で、恐らく雷撃も無意味となれば、どうやって奴を片付ければ良いのだろうか。間接的……? さっきみたいに石でもぶつける?

 幸い、ここらには――露天風呂として活用していた地――には、大きな岩や鋼材モドキがごろごろしている。だがそれらをぶつけても……。

 

『無駄ダ』

「――ちっ」

 

 足下にあった鈍色の塊を蹴り飛ばせば、レ級は手で払いのけた。

 そう簡単には当たってくれないし、当たったって相応のダメージしか与えられない。そんなんで奴を倒せるのだろうか。隕石でもぶつければ死んでくれるだろうけど………………どこかの組織万歳と叫びながら宇宙から降っていく案は無しだな。そもそも宇宙に行く手段がないし。

 馬鹿な事を考えている場合ではない。今はとにかく、格闘戦で挑むしかない。那珂ちゃん先輩や金剛先輩、それに、吹雪の使う技術ってのさえ習得していれば、もっと上手く戦えるだろうなんて、無い物ねだりしても仕方ないのだ。

 それらしい構えをとろうとして、やめる。構えなんて、てきとうで良い。俺が思った通りのもので十分だ。

 

『オ前達ハ、何モ知ラズニ戦ッテイレバ良イ』

「……」

 

 なんだ、いきなり。

 不明瞭な事を言うレ級に、一歩下がって身構える。握り込んだ右手からは、血が滴っている。未だ血は止まらず。血液の流れがよくわかるのはそのせいかもしれない。

 

『ダガ同時ニ、オ前達ハ知ラネバナラナイ』

「何をだよ。なんの話してんの、あんた」

 

 足を止めたレ級が、笑みを小さくして俺と朝潮を順繰りに見た。隣に立つ彼女の体が強張るのを感じた。きっと恐れているんだ、こいつを……。

 前からそうだった。この孤島で出会った時から、朝潮はこいつにだけは恐れを抱いていた。……守んなきゃ。今彼女を守れるのは、俺しかいないんだから。

 

『オ前ハナゼ戦ウ』

 

 問いは唐突だった。

 ゆっくりと横へ歩みながらにレ級が投げかけてくる声に眉を寄せて、その思考を読もうとする。

 ……わからない。そもそも、そういうのを考えるの、俺は苦手だ。戦うのだって、特別得意なんかじゃない。でもそうも言ってられない。

 

「朝潮を……艦娘みんなを守るために」

 

 だからそのまま答える事にした。答える必要などないかもしれないが……さっきの言葉が気になっていた。知らねばならない事だとかなんとかってやつ。

 レ級は眉を寄せて、訝しげに俺を見た。だが得心がいった風に頷くと、顔を上げて、見下ろすような見方に変えた。

 

『ヤハリオ前ハ艦娘デハナイナ。オ前ノ根底ニアル戦ウ理由ガ"人ノタメ"デハナク、ソレ以外ノタメナドトイウフザケタ事デアルナラバ、ダガ。イイカ……艦娘ハ(ミナ)人ノ為ニ戦ウノダ』

 

 何言ってんだ、こいつ。

 歩みを止めないレ級に、絶えず俺達も足の位置を変え、体の向きを変えて相対する。

 奴は、笑みを浮かべてはいるが、冗談や何かを言っている様子ではなかった。

 ――ただの錯覚かもしれないけど。

 

「そんな事ない……! みんなにはみんなの戦う理由があった!」

 

 前にみんなに聞いた。みんなの戦う理由。誰かのため、平和のため、仲間のため……たくさんの理由があった。だけどみんな違っていた。

 たしかに彼女達が戦うのは、人のためでもあるだろう。でもそれは当然なのだ。艦娘とは、人類の守護者なのだから。

 俺とてそれは同じだ。俺は艦娘だ。シマカゼだ。人間の自由と平和のために戦っている。それが当然の事。その上で、朝潮や、艦娘みんなを守ろうとしている。

 できているかどうかはこれから決まる。鎮守府で暴れたお前を倒せば、名実ともに艦娘の守護者だ。

 ……守護者なんて大層な言い方はしないと思うけどね。

 

『ソレ以外ノ理由ナド仮初(カリソ)メニ過ギナイ。艦娘ハ戦ウタメニ生マレタノダ』

 

 レ級は、俺の言葉を鼻で笑って切り捨てた。

 どこか演じるような動作で肩を竦めてみせ、なおも見下す風に俺達を見る。

 

『戦エ。艦娘ナラバ、私ト戦エ』

「あんたの勝手な考えを押し付けないでよ!」

 

 意味がわからない。

 何が戦えだ。現在進行形で戦ってるだろ。

 それに……。

 

「私達は戦う、でも……それはそれぞれの理由で、だ!」

 

 戦う理由を決めつけられる(いわ)れはない。

 たとえ戦う理由を見失うような事があろうとも、お前に道案内してもらう必要はない!

 

『何カ勘違イヲシテイルナ。誰モ押シ付ケテナドイナイ。誰モ、オ前達ニ戦エナドトハ言ッテイナイ』

「はぁ? さっきと言ってる事違くない? ていうかねぇ。ごちゃごちゃさ……」

 

 ぽたぽたと血の滴る手を振って、血液を払い、飛ばす。地面に染み込んだ赤色を踏みつけて、奴の笑い顔を睨みつける。

 

「そろそろうざいんだけど」

 

 こんなにお喋りな深海棲艦は初めてだよ。

 こんなにうざったい深海棲艦も初めてだ。

 だから倒す。今すぐ、マッハで。

 

『……艦娘ラシイトコロモアルジャナイカ。自身ノルーツカラ(ノガ)レヨウトスル。フン、実ニ艦娘ラシイ』

 

 ……艦娘のルーツ? ……コーヒーの話ではなさそうだ。……ルーツってどういう意味だっけ。

 顔を傾け、横目で朝潮を見れば、彼女は険しい顔で前だけを見ていた。

 ルーツを……辿る……根源だとか、元だとか、そういう意味だったか?

 でも、艦娘のルーツってなんだ?

 

『オ前ハ何故(ナゼ)深海棲艦ガ戦ウカ知ッテイルカ?』

 

 風向きが変わった。

 その問いも、がらりと変わる。

 

「知る訳ないでしょ。……私はあんたを倒すだけ」

 

 パシャリと、水音。俺と朝潮を中心に、円を描くように歩いていたレ級が、湧き出る湯の上へ歩み出たのだ。

 そこにはもう高速修復剤の原液は流れ込んではいないが、でも、多少なりとも回復効果が残っているだろう。……深海棲艦に効くかは知らないが。

 お湯の上に立ったレ級は、尻尾を波立たせて湯面へ打ち付けると、飛び散る水滴を気にせず、俺達を眺めた。少しだけ視線を外して、言葉を選ぶかのように間を開ける。

 それから、ゆっくりと口を開いた。

 

『ソノ為ニ生ミ出サレタカラダ』

「……なにそれ。艦娘と同じだとでも言いたいの?」

 

 だとしたら、なんていう言いがかりだ。侮辱も甚だしい。

 艦娘は……俺達は奴らとは違う。あんな憎悪や何かに溺れた怪物とは違う。

 

『オ前達ハ戦イ続ケル。愚カナ事ダ。ダガソレデ良イ。私ハ、ソウハ思ワンガナ』

 

 俺の怒りなど歯牙にもかけず、奴はこちらに理解できないように話を続けた。

 勝手にぺらぺら、訳のわからない事を。

 こいつの話を聞く意味ってあるのか? もう仕掛けた方が良いんじゃないか。

 

『艦娘ノ道カラ外レタ艦娘ハ、不要ダ。艦娘ハ艦娘ノママデイレバ良イ』

 

 オ前達ハ、不要ダ。

 

 そこまでだった。

 そこまで聞いてやって、俺はもう、苛立ちを押さえきれなくなった。

 

「……もう、いいよ。お前は大人しく私に倒されてろ!」

『オ前達艦娘ニ……未来ハ、ナイ』

 

 勝手な事を言いやがって。

 不要だ、不要だって、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返して。

 この俺が不必要だ? ……それはそうかもしれない。

 勝手に島風の体を乗っ取って、好き勝手やって、生きている俺なんて、彼女から見たら不要に違いないだろう。

 だがこの子は、朝潮は違う。こんなに真面目で、ちゃんと人の目を見て話せて、聡明で、かわいくて、笑顔が素敵で、私服姿は可憐で、たまに羽目を外した時は子供っぽい一面もあって。

 人類史上最高、艦娘史上最高峰の宝を不要だなどとは、よくぞ言えたものだ。

 最高だよお前。今すぐ、潰す。

 

「進化ヲ見セナイト言ウナラ、壊スダケダ」

「っ!」

 

 いきり立って駆け出そうと、体を前へ出そうとして、慌てて踏み止まった。すぐに、踏み出した足に力を入れて体を押し留める羽目になったのは、奴が、レ級の二本の指が、朝潮に向けられていたからだ。

 

「こんのっ!」

「あっ……」

 

 出した足を軸として半回転し、朝潮に向き直れば、彼女は回避しようとしていた。でもそれを無理に抱きすくめて動けなくする。あいつの水圧カッターは範囲が広い。左右に動いても前後に動いても意味がないのだ。

 呆けたような声を耳元に、奴の指の向いていた位置を思い返しつつ僅かに位置を調整する。直後、背中が熱くなった。

 

「ぃっ……!!」

 

 まるで火傷を負うかのような痛みと熱が、外側と内側に同時に感じられた。鋭く冷たい刃が背中の皮と肉を切り裂いていく感覚。それに加えて、飛散する水滴が内部をずたずたにするような、気持ち悪さ。

 小さな虫がうぞうぞと肉を食い破っていくとでも言えばいいのだろうか。その感覚は口に出すのも悍ましいような、妙なものだった。

 

「このぉ!」

「ぎ、ぅ……!」

 

 朝潮の声が傍で響く。直後に砲撃と直撃の音。反動に震える朝潮の体を抱き締めて、それから、前へ押しやった。

 

「! な、何をっ」

 

 踏鞴(たたら)を踏んで、戸惑いを浮かべた朝潮が俺を見た。だらだらと流れる血液に、何を言うでもなく振り返って、即座に左腕を胸元へ持ち上げる。お返しだ、蹴り殺してやる。

 

「うっ!」

 

 端末に伸ばした手は、飛来した水弾に弾かれた。直撃した端末が腕ごとかち上げられて紫電を散らす。浮かんでいた光化学画面は粉々に割れ、描き出されていた羅針盤も諸共塵になる。四匹の羅針盤妖精さんが投げ出されて地面に落ちた。

 

『イイ加減、フザケルノハヨシタラドウダ?』

「ふーっ、ふーっ……!」

 

 ふざける? ふざけてるって、誰が……?

 

 だらんと垂れた左腕を右手で押さえ、荒い呼吸を噛み殺す。胸も背中も左腕も痛い。痛みで頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。

 でも、ここでどうにかなる訳にはいかない。こ、こんなとこで、倒れる訳には……!

 

「――しっかり! しっかりしてください!」

 

 砲撃を繰り返し、俺を庇うようにする朝潮の横顔を見上げる。

 俺の戦意とは関係なしに視界がぼやけていく。

 俺が倒れたら、誰がこの子を守るんだ。

 やらなきゃ……大丈夫、大丈夫だってば。だって俺は艦娘で、シマカゼだ。こんな痛み、こんな、こんな――。

 

『代わって』

 

 びくりと、体が震えた。

 胸の奥深く、ずっとずっと下にある暗い海の、その向こう側。

 低い波の向こうに逆さまに立つ島風が、俺を見下ろして、話しかけてきていた。

 

 

『ねえ、体、返して』

 

 

 なんで、今。

 なぜよりにもよって、このタイミングで彼女が目覚めてしまったのだろう。

 もう少し後だと思ってた。この戦いが終わる頃だって思ってた。

 

「そんな、ま、まって……」

『駄目だよ。もう死んじゃうよ』

 

 死ぬ……とか、そんなの、どうだっていいから。

 俺が壊れたって、本物の君にはなんの影響もないんだから――前に一度代わった時、そうだった――……。

 

「待って、お願い」

『……』

 

 お願いだから。

 死んだって構わないから、ここだけは、今だけは朝潮を守らせて。

 その後でならこの体、ちゃんと返すから。

 だから今は、あいつを倒させて。

 

『…………』

 

 胸の内に懇願しても、声は返ってこない。

 押し黙ったみたいに沈黙が続いていて、耳に届くのは朝潮の荒い息と、小さなかけ声と、レ級の笑い声だけだった。

 ずっとずっと、それが続いているみたいだった。

 でも、しばらくして。

 

『わかった。今回だけだよ』

「シマカゼぇっ!」

 

 水の中から聞こえるくぐもった声と、切羽詰った朝潮の叫びが聞こえたのは、同時だった。

 意識を戻した時には、一瞬俺の胸に突き立つ砲弾が見えて――。

 

 光の中に、意識が飲まれた。

 

 

 ゆっくりと意識が浮上する。

 最初に感じたのは、上下に揺れる体のこと。それから、どこか遠くにある痛み。

 

「ん……」

「! 気が付きましたか!?」

「……ぁ、……んん」

 

 揺さぶられる体に眉を寄せ、前にある良い香りのするたくさんの糸に顔を埋めて、何か細いものに回した腕に力を込めた。

 

「しっかり……! もうすぐそこですから!」

「ん……」

 

 焦りを多分に含んだ声も、草木の匂いの中に混じると、耳に心地良い。

 まどろみにあるみたいな気分で返事をすれば、顔に影がかかった。

 土や草を踏んでいた足音が、木板を蹴るものに変わる。

 一度大きな揺れがあった際には、薄い板でも吹き飛ばしたような音がして、それから、前へ体が引っ張られるみたいに重力の向かう先が変わった。

 そこで一度止まると、ふとももを支えていた片手が離れていって、左足がふらついた。それはすぐに支え直されたけど、それでようやく、俺がおんぶされているのだとわかった。

 しばらく揺れがあって、それから、大振りに体が動く。

 降ろされて、壁にたてかけられたのだ。

 俺の両肩を持ってそっと倒れないようにさせた朝潮は、俺の頬を、髪を退けるようにして撫でると、腰を折って目を合わせてきた。

 

「少し待っていてください……! すぐ、何か治療できるものを!」

 

 よっぽど気が(はや)っているのか、言葉の途中で身を翻して部屋の奥に駆けて行く朝潮に、痛みがあるのに、笑ってしまった。ずきずきする胸や背中に顔を顰めて、笑ったのをちょっと後悔する。

 

「だめ、空っぽ……! ない、ない、ない……!」

 

 カンカン、コロロ。地面に転がって足下まできたのは、緑色のバケツだった。高速修復剤。中身なし。

 ああ、彼女は俺を治療しようとしてくれてるんだ。

 普段ならすぐ理解できただろうに、俺は、たっぷり数分ほどかけてそれを理解すると、浮かんでくる喜びを抑えるのに苦労する羽目になった。だって、笑ったりしたら、凄く痛い。それに、彼女に悪いだろう。

 でも、嬉しい。朝潮が、俺を想ってくれているのがわかるから。

 俺のために必死になってくれるのが、凄く嬉しいんだ。

 

「ねぇ、朝潮……」

「ぁっ、だ、駄目です、喋っては!」

 

 はっとして駆け寄って来た朝潮は、俺の前に屈むと、手を伸ばしてきた。でもそれは途中で止まって、宙をさ迷う。抱き起こそうとでもして中断したのかな。それほど俺の傷は酷いらしい。なんとなく察した。

 頭がくらくらする。体の中が真っ白で、なんだか軽い。

 それでも、たぶん、俺は笑みを浮かべていたと思う。

 俺の表情を見た朝潮が口を引き結んだ。気遣わしげな瞳は、薄く濡れて、揺れている。涙が零れたりはしていないが、それは彼女が気丈だからだろう。……怖いから、泣きそうなのかな。それとも……俺が、心配だから?

 

 その頬に手を伸ばす。髪と頬の間に差し込んで、そっと柔肌に触れる。

 彼女の顔は、酷く熱かった。まるで風邪にかかっているみたいに。

 火傷しそうな手で、頬を撫でる。指先を滑らせれば、薄い白手袋越しに、朝潮を感じた。(いと)しさが胸を締め付ける。その分だけ、痛みがどこかへ消えた。

 

「ど、どうしたのですか……? 痛みは……まさか、痛みがないなどとは……!」

「んーん。だいじょぶ、ちゃんと痛いよ」

「それは、よ……」

 

 かった、と続けようとしたのだろう、ばっ! と自ら口を塞いだ朝潮が、申し訳なさそうに目を伏せる。

 俺は、とうとう声に出して笑ってしまった。

 困惑した様子の朝潮が、なぜ笑うのですか、と訴えてくるのにも答えず、しばらくの間笑っていた。

 頬を伝う雫が顎に差し掛かり、落ちる。ボロボロになった衣服に染み込んだ涙は、血に混じって、朱に染まった。

 

「さっき、名前、呼んでくれたよね」

「……はい」

「やっぱり。聞こえてたよ、私」

 

 シマカゼ、って、呼んでくれた。

 そんなの、当たり前なのに。名前を呼ぶなんて、当たり前なのに。

 

「変だよね。私、朝潮に初めて名前呼んでもらえたような気がしちゃって……そんなはず、ないのにね」

 

 なのにこんなに笑っちゃって。

 鉛のように重い腕を持ち上げて涙を拭おうとして、でも、できなかった。

 動かない腕の代わりに、朝潮が指先で俺の目元を拭い、熱い雫をすくってくれた。

 

「私が……」

 

 唇が震える。

 どくどくと、血の通う感覚が、弱まっているのを感じる。

 

「私が、キミの涙を拭うって、そう思ってたのに……」

 

 これじゃ、まるきり逆だね。

 そう笑いかけると、彼女は、「そうですね」と言って、弱々しく笑った。俺も、笑い返す。たぶん、同じくらい、弱々しい笑顔で。

 

 彼女の頬に当てていた手がずるりと滑り落ちて、床を打つ。痛みや衝撃は感じなかった。

 

 ただ、壊れた端末が電気を散らして、ジジ、と鳴った。




TIPS
・温泉地帯
孤島編で朝潮とシマカゼが裸の付き合いをした場所。
挿絵頂いてるよ。えっへん(私は偉くない)。

・ルーツ
『コーヒーかな?』って思った奴は正直に名乗り出なさい。
(((私*'ω'*)ノ ハーイ

・どこかの組織万歳と叫びながら
我が魂はぁぁぁぁぁ、ZECT(ゼクト)とともにありぃぃぃぃ!!!

・初めて名前を呼んでくれた気がする
たぶん朝潮は、今までの描写の中で一度も『シマカゼ』と呼びかけた事がない。
はず。
あったら指摘してください。
歴史を改変してきます。

・残り何話くらい?
シマカゼは死にかけだし、島風が目覚めたので、あともう何話もないかな。


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第四十五話 メモリー・もう一度口づけを

『二人っきりだね……翔一(しょういち)

 

 明かりを消した暗い部屋。隅っこの方で、壁に背を預けて座る俺に、姉さんが、顔を近付けてそう囁いた。

 暗闇の中でも見える表情は、心細さだとか、不安を抱えているみたいで、そっと俺の肩に手を置いた姉さんは、そのまま、抱き付くようにしながら、俺の隣に座った。

 膝を抱え直して、壁に背を当てる。

 俺だって……姉さんがそんな顔してたら、不安だ。

 

『お父さんとお母さん……いつ帰ってくるんだろうね』

『すぐ帰ってくるよ。ちょっと出かけただけなんだから』

 

 父さんも母さんも、用事だとかで、俺達に留守番を任せただけだ。だから、そんなに不安にする事はないのに。

 それに、姉さんにそんな顔は似合わない。俺は、姉さんにはいつも笑っていてほしい。

 だから、いつものように笑えるように、他愛もない話をして、彼女の不安を晴らそうとした。

 

『……ふふ。翔一ったら、かわいいのね』

『なんだよ、それ』

 

 少しすると、姉さんは、はっきり見えるくらいの笑顔を浮かべて、俺にそう言った。

 何がかわいいかはわからないし、そんな事言われたってちっとも嬉しくない。俺だってもう中学年だ。かっこいいって言われたい。

 

『手、繋ごっか』

『……なんで?』

 

 いきなり何を言い出すんだと思って聞き返せば、なんでもよ、と言って、強引に手を掴まれた。手の平どうしを擦り合わせて、ぎゅっと握る。恥ずかしいって気持ちが胸の中をよぎったけど、振り払おうとは思わなかった。

 すぐ傍で、さらりと流れる髪の気配や、微かな鼻歌混じりの吐息が聞こえて、それから、肩を寄せ合って、部屋の中を眺めた。

 物の輪郭が辛うじて見えるくらいの暗闇。どこかで時計の針の音がしていた。

 

『大丈夫だよ、翔一』

 

 小さく跳ねるようなリズムの中で、姉さんが俺を慰めるように言った。

 怖がってたのは姉さんなのに。というか、俺が暗いの苦手だって知ってるんだから、電気ぐらいつけてくれれば良いのに。

 

『大丈夫……大丈夫だからね』

『……お姉ちゃん?』

 

 しきりに同じ言葉を繰り返す姉さんの横顔を見る。

 空色の瞳が、気遣わしげに俺を見ていた。

 

「血は……止まってきてる。もう、大丈夫なはずです。大丈夫……」

 

 身を起こして、覆いかぶさるように俺の前へ出た姉さんは――朝潮は、泣きそうな顔をして、俺の体を、そっと抱き起こした。

 背中に暖かい何かがかかっていく。薄布みたいな、きっと綺麗なモノ。

 彼女の髪が頬にかかり、俺の髪と()じる。黒と、クリーム色。

 じんわりと滲む血液が、氷が溶けるみたいに体の内側から外側へ溢れて、零れ出す。

 唇を噛む朝潮の顔を見上げてから、俺は、ぎゅうっと目をつぶって、体の中の感覚を全部、なくした。

 

 

 目を開くと、長い事瞳を閉じていたためか、目に映る何もかもがずっとぼやけて見えた。頭の中にも霧がかかっていて、何がどうなのかを理解できない。

 二、三度目をしばたたかせると、だんだんと焦点が合ってきて、でも、一定以上からは、中々元には戻らなかった。

 

「んー……」

「……ぁ、あ、良かった、目が覚めたんですね」

 

 すぐ近くで、ほう、と息を吐くのが感じられた。首筋にかかった温かい空気が、そこから体の中に熱を伝えていく。たぶん今のは、朝潮だ。でも、彼女の顔がどこにあるのかはわからなかった。右か左か……体がだるくて、重くて、見回す気になれない。ただ、自分ではない誰かに触れられて、動かされているから、きっとそれが朝潮だろうと思った。

 されるがままにしていれば、ようやっと目が正常に戻ってきたので、動かないまま部屋の中を見回した。白い部屋……視界の大部分が隠されているから、ここがどこなのかもわからない。ぼやけた視界とは関係なく、ただ、頭を動かしてないから、見えてないところが多いだけ。

 

「そういえば、ここって……?」

 

 血液が流れ出て軽い体と、重い頭。

 少しはっきりとした頭で、目の前で揺れる朝潮の顔へ問いかければ、彼女は頭の位置をずらして、俺と目を合わせた。、ほんの数センチ、目と鼻の先……なんて言えてしまう距離。俺の体を気にしているのか、ほとんど呟くような声量で、それでもはきはきと「妖精さんの工廠です。かつての私達の拠点の、地下になります」と詳しく話してくれた。

 ああ、ここ、あそこか。俺が初めて艤装をつけようとして失敗して、危うく妖精さんを泣かしてしまいそうになった、あの場所。

 懐かしいなあ。

 なんて過去の記憶に想いを馳せていると、びりっと胸が痛んだ。

 

「っ、いたた……!」

「あっ、す、すみません!」

「ぅ……ん、構わないよ。ありがとね、包帯巻いてもらっちゃって」

 

 この場所に俺を運んできてくれた朝潮は、それに(とど)まらず重傷を治療できるものを探し求めていたみたいだけど、一月も前に()ったこの場所にそういった便利なものが残されているはずもなく、難航していたみたいだ。

 保管されていた清潔そうな布を裂いて包帯とした朝潮は、「熱湯で消毒できたら」とか、「せめて少しでも修復剤があれば」と、悔しげに独り言ちていた。

 修復剤の原液、グリーンゼリーが採れる温泉地帯にはレ級がいた。そこへ戻るのは自殺行為だ。

 原液が溶けこんだお湯をこの建物の浴室に引いていたはずだけど、今もまだ通っているかは怪しい。というか、俺がぼうっとしている間に朝潮が確認してきてくれているだろう。だからこその、せめて少しでも、という台詞のはずだ。……あの温泉の上に立ったレ級が、そのお湯を水圧カッターにしていたような気がするし。

 回復する水で大怪我を負わされるって、微妙な心境だ、なんて軽い事を考えていると、ふと、朝潮のシャツ……胸の辺りに、べったりと血糊が張り付いているのが見えた。染みてから時間が経っているのか、お湯で洗ったって落ちそうにない。彼女も怪我を……いや、どう考えても俺の血か。今は、俺の左腕に布を巻いてくれている彼女の手にも、薄赤色の血が染み込んでしまっている。

 綺麗な手を汚してしまった。そんな罪悪感と、どこか深いところにある背徳感に、まぶたを下ろして、静かに一呼吸する。

 

「朝潮、あいつは?」

「…………」

 

 キュ、キュッと音をたてて布を結ぶ朝潮に声をかけても、彼女は答えなかった。ひょっとして声を出せていなかったかな、と思いつつ、再度問いかけようとして、俺を見上げた彼女と再び目が合う。

 

「この艤装はいかがいたしますか」

「ん……それ、大事な物だし、腕に巻いとく」

 

 床に置かれていた壊れたカンドロイドを手にした朝潮の言葉に、とりあえずはそちらに意識を移して、所持する事を伝える。

 端末は中心を穿たれ、黒い穴から配線や基盤を覗かせてしまっている。広がる罅はレンズまで届き、試しに画面を出そうとしても、電気が弾けるだけで反応しなかった。俺の代わりに端末を弄ってくれていた朝潮が、俺の左手を両手の指で支えて、持ち上げる。するすると下側を滑って来た手が、肘を持った。壊れ物を扱うみたいなやり方に、恥ずかしさが胸にこみ上げてくる。なぜだか知らないけど、お姫様と王子様、という単語が頭の中に浮かんできた。王子様とは朝潮で、……いや、よそう。この想像は危険だ。

 端末裏面についたリストバンドを腕に通し、手首の辺りできつめに締め付け、固定する。包帯越しの素肌に(左腕の手袋はボロボロだったために外した)固まった血や、傷の感触があって、じくじくした痛みを訴えてきていたけど、せっかく朝潮が慎重にやってくれているのにこれ以上心配させる訳にもいかないと思い、声を噛み殺した。

 

「腕は、動きますか?」

「うん……あ、駄目。ちょっとは動くんだけど……まだ、痺れてて」

 

 痺れてるなんて嘘だ。腕には感覚がなく、まるで切断されてしまったみたいに、ぴくりとも動いてくれない。

 まあ、大丈夫だろう。大した傷は負っていないのだから、そのうち動かせるようになる。

 

「それより、朝潮。あいつは?」

「……奴、は」

 

 再度の質問に、朝潮は眉を寄せて、苦々しげな表情を浮かべた。

 

「奴を、倒すおつもりですか?」

「うん。倒すよ、この手で……」

「逃げる事はできませんか? その体では……戦闘行為など、とても……!」

 

 ああ、言い渋ってるのは、俺の傷を心配してなのか。

 声は抑えめに、しかし強く、訴えるように朝潮が言う。たしかにこっ酷くやられたし、万全の状態でも怪しいのに、今の状態であいつに挑むのは無謀かもしれないけど。

 

「やるかやらないかの……選択肢はないよ。奴は私を……君の事も狙ってるみたいだったから。逃げたって、追って来る」

 

 その事は朝潮だってわかっているのだろう。あいつには神隠しの霧とやらでどこにでも移動する力があるみたいだし、また鎮守府に来られては困る。

 だから倒す。私のために、朝潮のために……艦娘のために、人間のために。

 朝潮は、いっそう表情を深刻なものに変えて、俯いた。影がかかった目元に、視線を送る。

 

「君が言ったんだ。『奴を倒す事も可能かもしれない』って。……一緒に考えよ? あいつをやっつける方法を」

「そんな……でも、もう、何も……」

「朝潮」

 

 えらく弱気な彼女に笑いかける。顔を上げた彼女は、俺の根拠のない自信に満ちた笑顔を見ると、困惑したようだった。『勝算があるのか』とでも聞きたげで、だけどさっきの俺の言葉にそれはないと思い直したのだろう。正面に正座する彼女は、口を真一文字にして必死に打開策を考え始めた。

 

 遠くの方で地響きがする。

 ぱらぱらと土や何かが降ってくる天井を見上げれば、体がぐらついた。咄嗟に朝潮が両肩を抑えって転倒を防いでくれて、揺れが治まると、そのまま、抱き付くようにしながら、俺の隣に座った。

 肩をあわせ、半ば自身に寄りかからせる風にして俺の体を受け止める朝潮に、ごめんね、と短く謝罪する。いいんです、と、彼女も同じく、短い言葉で返してきた。

 

 

「ふぅん……じゃあ、奴はまだ、私達を探してるんだ?」

「はい。索敵能力は低いみたいです」

 

 隣り合って座ったまま、ようやく彼女にレ級がどうしているのか、どこにいるのかを聞く事ができた。

 それを話せば俺がまた立ち向かってしまうと危惧したのだろうけど、話しても話さなくてもどの道俺は戦う。そういった意気込みを漏らせば、観念したのか、順を追って説明してくれた。

 俺がやられると、朝潮は俺を庇いながら、なんとか奴を退けられないか考えを巡らせ、そして、その場所が温泉地帯だという事に着目したらしい。

 精密な射撃でレ級を押し留め、砕けた大岩が積もった場所へ魚雷を投擲して爆発させれば、温泉が噴き出して、雨のように降り注いだ。それは俺達に味方をするように、レ級にばかりぶつかっていたのだという。

 大質量の水には、さすがの奴も難儀したらしく、その隙に俺を担いで森へ逃げ込み、艦載機に発見されないようにこの家へ駆け込んだ、と。

 連装砲ちゃん達も、羅針盤妖精さん達も行方知れずで、連絡を取るのは難しい。レ級に察知される可能性も否めないからだ。だからただ、今は彼女達の無事を祈るしかない。

 そこまで話すと、今度は懸念や対策事に会話が移っていく。

 家の中にまでは奴の霧は入ってこないのだろうか。ここまでの道のりを辿られやしないか。奴が無差別に暴れればさすがにひとたまりもないのではないか。増援を呼ばれるかもしれない。

 際限なく心配事があって、だから、俺達はどちらからともなく話すのをやめて、ただ、部屋の奥を眺めた。

 白く明るい部屋の向こう側には、円柱状の機械が横たわって壁に嵌め込まれている。蓋の開いた、艤装の射出口はこちらに向いていて、それがどこか寂しげに見えた。

 感化されたのか、俺の胸にまで去来する寂しさに、天井を見上げる。頭が動くと髪も動いて、当然、肩を合わせた彼女にもそれが伝わって、朝潮が俺を見るのを感じた。

 ……最後、か。

 俺は、俺の中の本物の島風に、そう言った。今回で最後。これが終わったら、体を返す……って。

 もし無事にこの状況を切り抜けられたら……すぐに、みんなとお別れになるのだろう。朝潮とも……。

 ……ある人が言った。明日会えなくなるかもしれない私達だから、大切な気持ちは今伝えよう。

 赤城さんが語って聞かせてくれた、加賀さんの言葉。

 この気持ちは……俺の大切な気持ちは、もう、彼女に伝えてある。拒絶されてしまったけど……だからこそ、そのままで終わっていいのだろうか。

 ……いいわけ、ないよね。

 今は緊急事態だから自然と話せているけど、朝潮と俺は、あの花火大会の日以来、顔も合わせず、話もせずだった。この場を切り抜ければ、きっとまた、その状態に戻ってしまうのだろう。その前に俺は消えるけど。

 ……このままで終わるのは嫌だ。伝えよう。もう一度。

 もう一度……ぅ、ええと……ああ、もう!

 

「私は……」

「?」

 

 私は。シマカゼは。

 君の事が……。

 ……いや。

 このまま、また気持ちをぶつけても、前と同じように拒絶されるだけだろう。

 

「君に、姉さんの影を見ていた」

「……『ねえさん』?」

 

 困惑する気配が横にあって、それはきっと、俺に姉妹艦がいるなんて知らなかったからだとか、そういった類のものなんだろうと予想できた。

 

「私は、本当は艦娘じゃないんだ」

「え……」

 

 どうせ終わりなんだ。だったら、洗いざらいぶちまけて、その上で、もう一度告白しよう。

 そう思うと、幾分体が軽くなった。それでも、口の中が乾くような緊張と、息の詰まるような言い辛さなんかがいっぱいあった。

 

「か、艦娘ではないとは、どういう事ですか」

 

 さすがの彼女も理解できないのだろう、ほとんど俺の言葉をそのままに問い返してくるので、そちらに顔を向けて、言葉を重ねた。

 

 俺は、福野翔一というただの人間だった。

 普通の男。ちょっと料理が得意なだけの。

 何の変哲もない家庭に生まれて、両親を亡くしてからは姉と二人で暮らして……。

 気がつくと俺は艦娘になっていた。艦娘……島風に。

 君があの島に流れ着くまでの間に、元の場所へ帰る方法もなく、どうしようもないと知った俺は、悩んだ末に、シマカゼとして生きる事を決めた。

 そうして君と出会って、一緒に過ごして……惹かれていった。

 その笑顔や、どこかが姉さんに似てるって思ったのも、君を好きになった理由だ。

 でも、それだけじゃない。具体的に何かと聞かれても、上手く答えられないけど……ううん、言ってしまえば、君の全部が好きだ。

 

「……信じられるかな、こんな話」

 

 一息に言い切って、そう締め括り、部屋の方へ視線を向ける。

 朝潮の顔を見る事はできなかった。ちょっとでも疑うような色があれば、きっと俺は、駄目になってしまうだろうから。

 

「信じます」

 

 答えは、速かった。

 少しのぶれもなく、いつものようにはきはきとした言い方で、朝潮は俺を信じると言い切った。

 思わず朝潮を見れば、思い浮かべた表情に違わず、凛々しい顔で、まっすぐ俺を見つめていた。

 

「……ほんと?」

「本当です。あなたを、信じます」

 

 繰り返して言う彼女に、遅れて意味を理解する。

 

「それは、あなたの言う事だからです」

「俺の言葉だから、信じた?」

「あなたを疑うなどあり得ません」

 

 俺の言葉も非常識だったけど、朝潮のこの信頼も、非常識だった。

 なぜそこまで俺を信頼しているのかわからない。命を助けたと言ったって、それだけでここまで?

 

「それに……あなたが普通の艦娘でないのは……なんとなく、わかっていました」

「え、え、なんで?」

 

 言外に変だと言われて、つっかえつっかえ聞き返す。え、普通じゃないって、いつから……。

 最初からだ、と彼女は言った。戦い方もそうだし、言動だってそう。生まれたばかりにしては、普通の艦娘が知らないような事をよく口にしていたし、妙な動きも多かった。

 ……ああ、うん。普通の艦娘だって思う事の方が難しいよね、それ。……あはは。

 

「こほん。……ん、じゃあ、その……」

 

 身動ぎして、壁から背を離し、床に手をついて体を支え、向きを変える。朝潮の方へ体を向け直し、正座をして、膝に手を置いた。彼女は驚いたように俺を見ていたけど、俺が姿勢を正したのを見ると、同じようにして、向き合った。

 

「俺は……んっ、私は、姉さんじゃなくて、君の事を見てる」

「はい」

「君が好きなんだ。翔一として、とは、もう言えない。だから、シマカゼとして」

「……はい」

 

 手の内に滲む汗を、膝に……赤と白からなる横縞のソックスに押し当てる。

 

「この気持ちに偽りはない。私は君の全てが好きなの。君に惚れてしまったんだ。君と色々な事がしたい。色々な場所へ行きたい。なぁ、駄目かい。私が君を好きでいるのは」

 

 ふるふると、朝潮が首を振る。

 でも、それだけでは、答えとは言えない。俺の告白に、彼女が応えてくれた事にはならない。

 その口から聞きたい。イエスか、ノーか。

 断られたら、今度こそ諦めるから。

 ちゃんと気持ちに蹴りをつけてから、消えるから。

 

「もし……もし、朝潮。君が私の気持ちに応えてくれるって言うなら」

 

 持ち上げた手から伸ばした一本指を、下唇に当てて、吐息と共に、言う。

 

「この気持ちに答えをくれるのなら、口づけをしてくれ」

「…………」

 

 息を呑んだ朝潮の体が、僅かに揺れた。

 キスをして、なんて、いきなりだから、驚くのも無理はないだろう。俺だって、急にこんな事を言うつもりはなかった。

 でも……抑えられなかったんだ。

 好きだって気持ちは本物だ。それは日に日に大きくなって、ぶつけなくちゃ気が済まないくらいに、暴れ回ってて。

 できる事なら、今すぐに、俺からそうしてしまいたい。彼女を抱き締めて、キスをしたい。

 そんなの、できる訳ないんだけど。

 朝潮の気持ちが一番大事だ。彼女が嫌というなら、俺は自分の気持ちを捨てる。それで、今度は、友達になってほしいってお願いするんだ。

 消える時には、友達に看取られたいって……思っちゃったし。

 

 何秒くらい経っただろうか。

 朝潮は、最初は俺の目を見ていたけど、だんだんと頬に朱が差してくると、俯きがちになって、もじもじと指どうしを絡めて、悩んでいるみたいだった。

 動悸が激しくて、頭の中が爆発しそうなくらいに熱くて、彼女の様子からは、好意的なのかそうでないのかがわからなくて。

 だからもう、目をつぶって待つ事にした。

 唇に触れるものがあれば良くて、なかったら、駄目。

 単純に考えればそれだけなのに、まぶたの裏の暗闇は混とんとしていて、ぐるぐると情熱が渦巻いていた。

 汗ばむのは手だけじゃなくて、体中、そうだった。裂傷のある包帯の下も、背中も、左腕も、お構いなしにじっとりと汗で濡れて、鉄の臭いが混じる。

 鋭敏になった肌に、触れるものがあった。

 それは、唇に、じゃない。両腕の、二の腕あたりに、朝潮が手を添えた。握るようにして力を込めると――ぐい! と引っ張られて、引き倒された。そのまま圧し掛かってくる彼女に、俺の頭は大混乱だった。キスじゃない!? え、でも、覆いかぶさってきてて……あ、朝潮ってば、なんて大胆な……!

 意識が理想郷へ羽ばたこうとした時、強烈な音が鼓膜を打った。遅れて、天井の方に何か硬い物がぶつかり、砕ける音。

 目を開けば、朝潮が険しい顔で横を見ているのが見えて、つられてそちらを見れば、この部屋の出入り口であるハイテクな鉄扉――中身は木だけど――がなくなっているのに気付いた。それは今、部屋の中央にある円台にどしゃどしゃと降り注いでいる。

 

「シマカゼ、奴です!」

「……ああ、見えてるよ」

 

 さっ、と俺の上から退いた朝潮は、すぐさま傍の艤装を手にして装着すると、片膝立ちになって出入り口へ砲を向けながら、もう片方の手で俺が起き上がるのを手伝ってくれた。

 

『見ィツケタ』

「はっ!」

 

 重い足音とともに姿を現したレ級が、俺達を視界に収めると、凶悪な笑みを浮かべるた。その言葉が終わるかのうちに朝潮が砲撃し、顔面に命中する。レ級は、少しばかり仰け反って、だけど背から生える尻尾でバランスをとって、それ以上は何もなかった。

 ダメージもなければ、傷もない。化け物め……。

 

「逃げます。立てますか!」

「うん、なんかもう、結構回復してきてるし……ていうか、めっちゃ、頭にきてる!」

「そ、そうですか……なら、例の作戦を!」

 

 うおー、と胸の内で奮起しながら立ち上がると、俺の言葉を聞いて複雑な表情をした朝潮が、俺の手を引いて走り出した。強張った足を動かしてついていく。うん、大丈夫、足はちゃんと動く。これなら逃げられないって事はない。

 

『何ヲシテモ無駄ダ。ソレトモ……進化、スルカ?』

 

 頭を覆っていた黒煙が晴れると、レ級は、わざとゆっくり歩いて俺達を追ってきた。それを、奥の部屋に誘導する。

 幸い奴は自分が圧倒的優位に立っているせいで、油断している。俺達はそこを突く。

 突発的で、あまりにも成功率が低い作戦だし、下手すれば俺達だって死ぬかもだけど……つべこべ言ってる暇はない。

 

 奥の部屋は、かつてここで過ごしていた時に俺達が入った事はない、妖精さんの本当の作業場だ。円柱状の機械から見える場所がそこ。こじんまりとしていて、ここも白塗りの木板で囲まれている。

 小さな棚の上にあった高速建造材……バーナーのような物を手にした朝潮が、部屋奥の艦娘建造用の台の裏へ回り込む。膝下くらいの高さの、広い台は鉄製で、もしもう少し資材を集める事ができていれば、あの時仲間を増やす事もできてたのだろうと思った。

 台の下の資材搬入口に鋼材モドキを蹴り入れて、台の裏に回り込む。レ級が来たのは、その時だった。

 

『ドウヤラ、ココマデノヨウダナ。モウ逃ゲ場ハ無イゾ』

「ファイヤー!」

「ファイヤー!」

 

 投げ渡すようにして俺の手に渡った妖精さんサイズのバーナーの、ホース付きの噴射口をレ級へと向けてぶっとい炎を放つ。缶自体は小さいのに、噴き出る炎は大きく高火力。レ級が眉を上げるのが見えたけど、すぐに赤色に包まれて見えなくなった。

 

『何度言ワセル。無駄ダ!』

「ぅわっ、と!」

「撃ちます!」

 

 俺と朝潮の間を下から上へ、水圧カッターが通って行った。慌てて飛び退いたものの、炎は止まってしまったし、逃げ遅れた髪の先が切断されて宙に舞った。床や壁を、その奥の土ごと削っていく水が天井に達する前に、朝潮の砲撃がレ級の顔を捉える。凄い精度だ。一度だって外さないなんて、俺とは大違いで、羨ましくなる。

 

「シマカゼ!」

「朝潮!」

 

 お互いに呼びかけながら、台の上を飛び越えて着地する。その際、バーナーを投げ捨て、両手をフリーにする。部屋の床の所々に炎が残り、燃え盛る中を走り出す。目指すは出入り口。その真ん前に陣取るレ級は、膨れ上がる黒煙を払う事もせず佇んでいる。その胸へ、もう一発砲弾が飛ぶ。着弾と同時にレ級の横を擦り抜け、隣の部屋へ。円柱状の機械のある部屋。……罠にしっかり火がついてるのを確認した。後は逃げるだけだ。

 前を向けば、正面の破壊された出入り口の傍、壁の床付近に赤黒い血痕があって、気分が悪くなる。あれ、俺の血なのか。凄いたくさん……いや、気にしている場合ではない。

 土が剥き出しの通路へ出るのは、俺の方が速かった。怪我をしているとはいえ、鎮守府最速は伊達ではない。艤装もなく身軽だし……だから、朝潮の速度が気にかかる。普通の速さでは、奴に追いつかれるか、俺達も巻き込まれてしまう。

 

「朝潮、ごめん!」

「え、ひゃっ!?」

 

 飛び退るように朝潮の横へ移動して、走る勢いをそのままに抱き留め、くるくると回って、持ち上がった足を抱える。お姫様抱っこの形。前にもやった気がするな、これ。

 びっくりしたのか、調子っぱずれの声で困惑する朝潮を放って、全速力で土の坂を駆け上がる。猶予は十秒もないかもしれない。馬鹿正直に玄関まで行くのは得策ではない。なら……!

 玄関とは反対側、一番奥の部屋に急行し、木板の窓を蹴り破って外へ出る。目の前は森林。生体フィールドを纏い、朝潮にも声をかけて、走り続ける。

 何歩も行かないうちに、凄まじい爆発が背後で起こった。突風に煽られて朝潮を投げ出してしまい、俺自身も地面に転がる。木の根や小石が体に当たって痛い。体の下敷きになった髪が引っ張られてしまうのも大変な痛みだった。

 だけど、爆発による傷や痛みは一つもない。

 

「うわぁ……」

「……やった……の?」

 

 体が止まれば、すぐに身を起こして家の方を見た。一階の後ろ側は吹き飛んでいて、どこもかしこも燃えている。せっかく作った家がぐちゃぐちゃだ。爆ぜた土や何かが木製の壁にこびりついている。爆発の衝撃は、地面を伝って、ここまできていた。

 建造ドック……と言っていいのか、機械を利用した罠は、無事に作動したようだ。ただある物を使っただけだけど、逃げ遅れていたら、あの爆発……さすがに俺達も耐えられなかっただろう。

 レ級はどうだ? レ級は、耐えられなかったのか?

 あいつは砲撃を受けると、余裕ぶっていちいち足を止めていた。だから、あの一番奥の部屋からそう離れていなかったはずだ。

 

「……いや、奴は絶対に生きてる」

「私も、そう思います」

 

 たとえこの爆発でも、あいつを完全に仕留める事はできないだろう。ダメージは与えられたと思うけど、それだけだ。

 

「離れよう」

「はい」

 

 ここにいては、いつ何があるかもわからない。あいつの索敵能力は高くないんだから、いったん距離をとって作戦をたてよう。

 

 

 森林の中に身を隠せば、艦載機をやり過ごす事ができる。そういった考えから、森の中の、木の根元に二人で座り込んだ。

 

「こ、ここまでくれば、安心、かな」

「疲労が激しいみたいですね……傷が開いたりはしていませんか?」

 

 俺がかなり息を荒げているのに対して、朝潮は、僅かに息を乱している程度だ。幹に背を預ける俺の前へ来た朝潮が、布の調子を確かめ、傷の具合を見る。動き回っていたせいで、やっぱり開いてしまっていたらしく、布にはじわじわと赤色が広がっているようだ。どうりで、しんどい訳だ。目が開け辛いし、頭の中はどんよりしてるし、気持ち悪いし、傷が痛い。半目なのはまあ、いつもそうだけど……ああ、くそ、きっついなぁ。

 深く長い溜め息を吐いて、立ち上がる。駄目です、と朝潮が言ったけど、いつまでもここで蹲っていたって、レ級が勝手に死んだりはしないだろうし、ある程度損傷しただろう今が倒すチャンスなんだ。ここで逃せば、また回復されて襲い掛かって来られる事になる。そうでなくても、俺が戦えるのは今回までなんだ。これが終われば、本物さんに体を返さなきゃいけない。

 家から離れる最中には、そんな彼女から提案があった。……提案とも言えない、たった一言。胸の中の島風は、『一緒に戦おう』と言ってくれた。これを朝潮に言ったってわかんないだろうけど……不安がる彼女を安心させるために、手の付け根でこめかみ辺りの汗を拭ってから、笑いかけた。大丈夫、私に任せて、って。

 

「絶対に倒してみせるから。……だから、朝潮にも手伝ってほしいんだ」

「手伝うって、何を……」

「進化だよ」

 

 レ級は、何度も何度もその単語を口にして俺に迫ってきていた。最初はなんの事かわかんなかったけど、叢雲の話を聞いて、やっとわかった。

 というか、艦娘にとっての進化なんて、一つしかない。改造によるパワーアップだ。でも、俺も朝潮も、もう改造の芽はない。ゲームでそうだったからといって、現実でもそうだとは限らない、と思いたかったけど、実際、改造するには何かが足りないらしくて、多くの艦娘が上の段階へ至れていない。

 だったら足りない何かを補えば良いだけの話。

 

「私の……シマカゼの進化に必要なのは、スピードだと思うんだ」

「だとして、どうするおつもりですか」

「うん。走ろうと思う」

「……走る、ですか?」

 

 いまいち飲み込めていない様子の朝潮に、海の上をね、と付け加えた。

 スピードって言ったって、ただ走るだけじゃ無理だろうけど、でも、限界を超えるほどならどうだろう。

 ただでさえ島風の平均的な速度を大幅に超えている俺なら、至れる可能性は高いと思う。いや、俺は確信している。スピードの向こうの……何かにさえ到達できれば、進化できるって。

 

「でも、その体では」

「全速力はおろか、走り始めるのも、ちょっと無理かもね」

 

 布を巻いた体を見た朝潮が言うのにかぶせて、同意する。立っている分には問題ないけど、歩くとふらつくし、走ると結構体が揺れる。海の上でバランスをとるのは難しいだろうと直感した。艦娘としての当然の機能である海上歩行だけど、支障をきたせば沈んだりするのは確認済みだ。……あの時の恐怖を思い出してぶるっときてしまった。

 

「だから、手伝ってほしいんだ」

「……どうしても、ですか」

「どうしても。ね、朝潮……一回だけ、格好つけさせてくんないかな」

 

 一本指を立ててお願いをする。彼女の協力なしでは、海に出る事さえ怪しい俺に、朝潮は渋い顔をして考え込んでしまった。

 でも、思考の時間はない。すぐ近くで地響きと、何かを壊す音が聞こえてきた。

 レ級の叫びがそれに混じる。相当怒ってる。しかもそれがどんどん近付いてくるのだから、俺は笑顔を維持できなくなって、縋るように朝潮を見た。ここで君を死なせたくない。死なせたくないんだ。

 

「わかり……ました」

「……ありがとう、朝潮」

「いえ」

 

 首を振った朝潮は、俺を見上げて、言葉を続けた。

 

「約束してください。絶対に……死なないって」

「ああ……私は、死ぬつもりはないよ」

 

 死ぬつもりは、ね。

 頷いた朝潮に左手を引かれて、走り出す。

 木々の合間、茂みの傍、木の根を飛び越えて、海岸へ。

 遠く、水平線にある濃霧は絶えず蠢いていて、空は霧に覆われて薄暗い。不気味な砂浜に飛び出すと同時に、背後の森から高く飛んできた者が、砂浜に落ちてきた。ズドォン、と大きな音と重い音。波状に広がる砂がすべて落ちると、立ち上がったレ級が、射殺すように俺達を見た。

 

『オ遊ビハ終ワリダ……一瞬デ終ワラセテヤル』

 

 力強く振られた尻尾が砂を弾き飛ばす。朝潮は、足を止めなかった。俺の手を引いたまま、残りの魚雷全てを放った。三本の魚雷が狙いもばらばらにレ級に襲い掛かる。奴はまだ、笑みを深め、腕を広げて爆発を受け止めた。

 少なからず俺達にも影響を及ぼす突風や熱に耐え、打ち寄せる波へ足をかけた。速度を維持したまま海上へ出る。

 

「ご武運を!」

「死なないでよ、朝潮!」

 

 腕を引っ張られ、振り回すようにして前へ押し出される。それで初速を得て、無理矢理に滑り出す。走る事はできなかった。それをすれば、あっという間に沈んでしまいそうな気がした。

 ぐんぐんと速度が上がっていく。壁のような霧を目指して進んでいく中で、強い風が吹き付け、髪がなびく。

 お腹が熱い。大破か、中破か。損害を負ってしまっているから、限界が来るのは速かった。

 その熱に反応して、傷さえ熱を持ち、疼いて痛む。

 止まる訳にはいかない。とにかく、もっと、スピードを出さなきゃ!

 

「っ……!」

 

 霧の中に入る。ごう、と耳元で唸る風は、俺の速度を削ぎ取ろうと襲い来る敵だった。

 体中に熱がめぐり、息が苦しくなって、腕や足が千切れそうなくらい辛くなる。

 先が見えない世界は、地獄だった。

 自分以外の音もなく、体の中にあるのは激痛だけ。

 そうなると、どうして自分が必死に走っているのかがわからなくなってくる。

 朝潮のため。朝潮の、笑顔を守るため。

 何度もそう言い聞かせて、速度を上げようと体中に力を込める。

 

『もっと……』

 

 深いところにある海の向こうで、島風が言う。

 不思議に響く声が耳元で反響して、俺は、無意識に頷いていた。

 

『もっと……』

「もっと……」

 

 もっと、速く。もっと、遠くへ。

 誰も追いつけない高みへ。守りたい人がいる。だから。

 

 線のような風が何本も俺の方へ向かってくる。

 過ぎ去っていく霧はいつしか消え、ミルク色の世界が広がっていた。ともすれば止まっていると錯覚してしまいそうな世界の向こう側には、小さな光点があった。

 きっとそれが、到達すべき場所。

 流れる風は服をはためかせ、動くリボンが絶えず感覚を取り戻させる。

 

『キュー!』

 

 最高速で進む俺の両隣りに、三体の連装砲ちゃんがやってきた。横倒しになって、宙を泳ぐ様にくるくる回っている。

 浮いてる……? それは、俺もだった。

 もはや足は海面についておらず、後ろに伸びている。そこに疑問を持つ事はなかった。

 まるで俺の心がスピードの世界に溶けてしまったみたいに、感情は平坦で、まっすぐ前を見つめた時だけ、胸の内に熱い感情が広がった。

 胸の内の海がせり上がり、目の前に広がる。

 暗く黒い水を潜り抜ければ、すぐ隣に島風の姿があった。

 半透明の彼女と顔を合わせる。何も言わず手を繋いで、それから、重なって……一つになった。

 気持ちが流れ込んでくる。体と、一緒に。

 

 不意に、目の前に光の板が現れた。

 ゲームの画面。艦隊これくしょんで言うところの、改造画面。

 選択された艦娘は島風だった。表記は『シマカゼ改』。改造に必要な資材は、連装砲ちゃん×3。

 

『キュ~』

 

 見回せば、三体ともが、勇ましい声で鳴いた。

 彼女達も、一緒に戦ってくれるんだ。

 だったら遠慮なくやらせてもらう。

 点灯した改造ボタンを指でつつけば、ぱっと光って画面が消え、次には、連装砲ちゃん達も光に包まれ、半透明になった。黄色く眩い線で描かれた彼女達が分解され、パーツごとにわかれて、俺の体にかぶさってくる。

 大部分が体の中へ吸収されて力となり、残った部分が艤装となって各部にとりつけられていく。光に包まれた衣服は、元通りに修繕され、改造時には損害さえも綺麗さっぱりなくなる。負っていた傷は輝く膜が体を通り抜けると、痕すら残さず消えた。壊れていたカンドロイドも修復されている。

 

 首元から背中の衣服を覆うように薄く伸ばされた鉄のフレームは横腹までで止まって、襟には小さな三連装砲が、左右にそれぞれ一つずつ付く。背の魚雷発射管固定用の艤装は光の欠片となって消え、代わりに、肩甲骨に沿うように二つの穴が開いた。細い楕円形の穴から桜色の火の粉が漏れると、極薄の(はね)が飛び出した。それもまた桜色で、エネルギーの塊だった。

 絶えず噴き出す背中の翅に押され、体は前へ前へと進んで行く。うさみみカチューシャは風圧で後ろ向きになり、最後に、スカートのゴム部分に細い黒色の、ゴム製ベルトが巻き付き、きゅっと締まった。中央部のバックル部分に『Ⅱ』の文字が刻まれる。

 

 再度現れた画面には、『改造成功』の文が躍り、やる気十分なシマカゼ改二の姿が映し出された。

 操作してもいないのに画面は右にスライドし、左側から別の画面が現れる。編成画面。旗艦に一人自分の顔があって、これもまた触れてないのに詳細ウィンドウが開かれる。三つの丸い黒穴は装備欄だ。現在一番上の一つだけが埋まっているのを確認していれば、四段目の本来使用できないはずの欄が砕かれ、黒い丸穴が出現した。四つまで装備できる事の表れなのだろう。

 画面が消えれば、光は目の前だ。

 止まらず、眩い白色の中へ、飛び込んだ。

 

 

 霧を抜ける。

 二本の足で海面へ着水し、水煙を立たせながら擦って、止まる。そこはちょうど、孤島の前。砂浜を目前にした海の上だった。

 

「ああっ!」

 

 レ級の腕に弾かれた朝潮が森林付近まで跳ね飛ばされて転がるのに、何を言うでもなく両肩に乗った砲を構え、一斉に放つ。

 だがそのどれもがレ級とは見当違いの方向に飛び、海水や砂を抉った。

 

『……貴様、ソノ姿ハ』

「シマカゼ改二。……お望み通り進化してあげたよ」

 

 振り返ったレ級が目を見開くのに、持ち上げた左腕、端末の位置を直しつつ、投げやりに答える。

 自分の変化を理解している訳ではないけど、溢れる力が自信となって言葉に繋がる。

 今はとにかく、奴の注意を朝潮から引き剥がすべきだ。

 ……俺が何をせずとも、すでに奴は俺以外眼中にないようだけど。

 

「せっかく体新しくしたんだ。なあ、ひとっ走り付き合えよ!」

『良イダロウ。試シテヤロウ、ソノ力ヲ』

 

 勢いづいて人の台詞を口走りながら、俺は、海面を蹴って駆け出した。




TIPS
・シマカゼ改二
連装砲ちゃんを素材として改造された姿。
島風との融合を果たし、基礎ステータスが倍になっている。

・フェアリーウィング
背部のブースターユニットから噴出しているエネルギー。
生体フィールドとして体を覆うドライビア-Kによって作り出された
半透明の羽根。
超高出力なため桜色に染まっている。
短時間の飛行も可能とする。

・ドライビア-K
起動すれば重加速を引き起こすというコア・ドライビアを流用して
作られた決戦兵器、その乗組員だった妖精さんが改造に携わったために
手に入れた力。限定的な局面でのみ重加速を引き起こす事ができる。
主に必殺技の衝撃を強める目的と、反動を弱める目的を持つ。

・重加速妖精さん
連装砲ちゃんは今のシマカゼのスピードに追い付くために、
夕張がクリム・スタインベルトと協力し、
その技術を流用してコア・ドライビアの性能を追加した。
そのため、連装砲ちゃんに搭乗する妖精さん(一体化済み)
入りの連装砲ちゃんと融合したシマカゼもまた、その力を使える。

・ひとっ走り付き合えよ
ヒーローの決め台詞。


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第四十六話 シマカゼ改二

 風が吹き、水飛沫が巻き上がる。

 海面に立つ俺に、レ級は一度肩を上下させると、赤い光の灯る瞳で睨みつけてきた。傷ついていても眼光に衰えなし、か。深海棲艦ってのは不気味で仕方ないな。

 

 改造が完了した事によって新品同様、傷一つない体になった俺と違って、レ級は工廠の爆発に巻き込まれたために、ダメージを受けているようだった。

 レインコートに似た黒皮の衣服は、腰から下がボロボロに裂けていて、途中で切断されたみたいな足は――それは元からのようだけど――、青白い肌の所々が煤け、火傷の(あと)があった。奴の怒りがのたうつ尻尾に反映されている。ギリギリと歯を噛み合わせたレ級は、腕を跳ね上げて、その指先を俺に向けた。

 二本指。水圧カッターの構え。

 

『死ネ!』

 

 水弾ではなく、一本の線が勢い良く噴出されてきた。狙いは……胸。心臓か。

 腕を前に突き出し、五本の指を開いて、手の平を前へ。直後に、暴力的な水がぶつかってきた。

 水滴の一つ一つが地面を抉り、飛散する。鉄を穿つほどの威力のそれは、しかし俺の手の平に受け止められている。飛び散る水はもはやただの雨と変わりなく、そんなものでは俺を濡らす事さえできない。

 腕を右へ振るう。

 大して力を込めていないのに、流れてくる水が半ばから弾かれて半円を描くのに、自分でも驚く。

 

『何!?』

 

 奴の驚きは、俺以上だろう。

 なにせ、あの不思議な攻撃を真っ向からいなした俺は、未だに無傷なのだから。

 改造前とは耐久力が段違いだ。

 

 今度は、こっちの番。

 慄くレ級から目を離さないまま腰を落とし、足を開いて走行準備。背中のブースターユニットから炎が噴き出せば、急加速して一気にレ級の目前へ迫った。全力で振り上げた拳がすくい上げるようにしてレ級の腹を打ち、体を持ち上げる。遅れて、砂を削って尻尾が伸びていった。

 

『ク、ァッ!』

「むっ!」

 

 肉を打つ確かな手応えに、握り拳に意識を寄せたその一瞬で、レ級は宙で回転して体勢を整えると、砂粒を撒き散らしながら着地してすぐに俺と同じような動作でパンチしてきた。

 全力だろうそれは、風を切る強い音と共に俺の腹に当たる。どっと内部まで突き抜ける衝撃と痛みに、足が地面から離れて体が浮く。しかし俺が体勢を崩す事はない。少々後退してしまったが、問題なく着地する事ができた。どしんと足や体に重みが跳ね返る。

 

「……あんま、痛くないね」

『チッ……ソレガ、進化カ』

 

 剥き出しのお腹に手を当てて呟けば、レ級が舌打ちした。

 殴られた個所は熱と痛みを訴えているけど、泣きたくなるほどじゃないし、動く事に支障はない。奴が忌々しげに腕を引き戻すのに顔を上げれば、森林の入り口……一本の木に腕をついて立ち上がる朝潮の姿が見えた。よろめいていて、危なっかしい。大きな怪我をしているようには見えないから、さっきレ級にぶたれたのが一番の損害だったのだろう。大怪我してなくて良かった。

 でも……朝潮に手を上げた事、許す訳にはいかないな。

 レ級へ目を戻せば、今度は尻尾を持ち上げていた。砲身全てが俺狙い。だが、距離の関係上、当たりそうなのは一発か二発だ。

 火薬が破裂する音と同時、複数の砲弾が一直線に飛来する。目を凝らせば、一つ一つがゆっくりと動くようになった。

 どうやら身体能力――動体視力もかなりアップしているらしい。でもこうしていると目が痛いし、汗が噴き出しそうだ。多大な集中力を要するみたいだから、長くはもちそうにない。

 俺に当たりそうな一発だけに狙いを絞り、腕をかざして、力いっぱい拳を握る。ぶるぶると震える腕が、溜めた力を開放すると同時に横方向へと跳ね上がる。同時に目を凝らしているのをやめる。

 正常に戻った視界の中、手の甲は確かに砲弾を捉え、亀裂を走らせてひしゃげさせながら、側面の空へ弾き飛ばした。

 空気の唸る音が耳に心地よい。

 

 拳に残る、骨に響く苦痛を腕を振って払い、澄まし顔で構えれば、レ級は憎たらしいと言わんばかりに顔を歪め、体中の赤い光を揺らめかせた。

 ……ん、新しい姿にも、そろそろ慣れてきたな。体があったまってきた。

 

「ここまでは、試運転。こっからは速いよ」

『……望マレタ進化……ダガ、貴様。強クナリスギタナ』

 

 手を握り直す。内側で擦れた手袋の柔らかな手触り。ブーツが砂へと沈んでいく感覚。

 砂を削り、地に足を擦って腰を落とす。足腰にぐぐっと力を溜め、いつでも飛び出せるようにレ級を見据える。

 奴が動こうとした。

 

「シッ!」

 

 鋭く息を吐き、矢のように飛び出す。レ級の目の前に踏み込んで、振りかぶった拳をその体に叩きつけようと、体ごと身を捻っていく。

 奴は、反応していた。このスピードに対応して振り下ろされた拳を、掲げた腕で受けて、同時に殴りつける。くぐもった声が頭の上にあった。気にせずもう一歩踏み込んで、防御に回していた腕でパンチ。衝撃に後退するレ級は、防ぐ術もなく二撃目を受けた。

 

「もう一発!」

『食ラウカ!』

 

 砂埃が広がる。薄い砂の膜の向こうで、ギィッと鉄どうしが擦れ合う音を鳴らして止まったレ級が、俺より速く拳を打ち出してきた。低い姿勢でいた俺は、回避しようとして頬を打たれ、首が伸び切るくらいに頭を逸らされた。揺れる視界と脳。繰り出そうとしていた攻撃は止まって、頭に体が引っ張られて、慌てて足を出して体勢が崩れるのを防ぐ。

 

『オオオ!』

 

 反撃に出るより速く、気合いの声とともにレ級が振り回した尻尾にぶつけられて、再び宙を舞った。錐揉み回転する体を無理矢理捻って、なんとか足から着地する。勢いを殺し切れずに土の上を転がり、片膝立ちの体勢に移行する。奴が尻尾を持ち上げるのが見えた。

 

「っ!」

 

 左腕を叩くようにして端末を起動し、光化学画面を眼前に照射する。装備画面。上から二番目の空きスロットを指先で押せば、ずらっと並ぶ装備一覧。

 立ち上がりざまに両足を揃え、宙返り。俺めがけて放たれた砲弾が地面を穿ち、爆発して、衝撃波と熱波が背を押す。

 くるんと回転して着地すれば、黒煙と土埃が俺とレ級の間に膨れ上がっていた。

 今の内だ。

 目の前にある薄い光の板、装備選択画面に目をやり、指で下にスライドさせて、主砲から副砲へ、副砲から魚雷へと流していく。駆逐艦が装備できる以外の物も……いや、現状艦娘が装備できるすべてが、動く画面にはあった。

 っと、行き過ぎた。俺が求めるのはこれだ。高射装置の後ろの主砲。

 三スロット全てに試製51cm連装砲をセットし、乱暴に画面を払って横へスライドさせて消し去れば、端末から吐き出された艤装が俺の周囲にドカッと落ちて、体にくっついた。大和の艤装に酷似した、コの字型の超重量級。

 む、ぐ、こいつをつけたままじゃ満足なスピードを出せそうにない。こいつは、攻撃だけに使用した方が良さそうだ。

 二段に渡って備えられた主砲、二つずつの砲身が駆動し、レ級へ狙いを定める。三つもつけて、この距離だ、一個くらい当たれ!

 

「くらえっ!!」

『――――ッ!!』

 

 衝撃に備えて踏ん張り、艤装へと命令を下す。意思を受け取った主砲の妖精さんによって轟音とともに砲弾が放たれ、レ級の周囲を消し飛ばした。全弾、外れ。ひっくり返りそうになりながらも、ザァァッと地面を削って止まり、その間も目線は前に。砂も土も関係なしに抉り取った砲弾は、当たらずともレ級の体を翻弄したようで、奴は地面に転がって、今、ようやく止まったところだった。

 ずいぶん距離が開いた。腕をついて、身を震わせながら起き上がろうとする奴を眺めてながらも手を動かす。再度装備画面を出し、試製51cm連装砲で埋まったスロット三つに、三本指をくっつけて、指を折る。赤い主砲のアイコンは指の腹に吸い付いて動き、画面の外に弾かれていった。

 俺の周囲にあった――というより、艤装に俺が埋もれていたと言う方が正しい気がする――主砲が半透明の光となり、パーツごとに分解されて、光の欠片となって消え、空気の中に溶けていく。搭乗していた妖精さんは、曲芸染みた動きで半透明のパーツから俺の端末へと飛び込んできた。カンドロイドに妖精さんが吸い込まれて消える。それと同じくして、完全に試製51cm連装砲が消え、俺は自由を取り戻した。

 ん、よし。体、軽くなった。重い物を背負っていたから、余計にそう感じる。

 

『オノレ、フザケルナ!』

「ん……!?」

 

 立ち上がり、腕を振るったレ級は、異形の尻尾を空へ向けると、そう叫んだ。ふざけるなとはこの能力の事だろう。なぜこんな力を得たのかは……俺が知る訳ない。

 奴の目論見は、航空戦を仕掛ける事らしい。大口を開けた異形から次々に艦載機が放たれていく。カラスの群れみたいだ、と場違いな感想を抱いた。

 薄暗い空へ舞い上がった深海棲艦製の艦載機は、不気味な青い光をたたえて旋回すると、雑多な位置どりのまま俺の方へ向かってきた。何をしてくる? 機銃の掃射か、航空魚雷による爆撃か。

 前者だった。

 銃撃音がけたたましく鳴り響く。文字通りの銃弾の雨が降り注ぐのに、それがいつか見た、雨上がりの晴れ空から降る物に見えて、はっとする。

 身を捻れば、銃弾は肩を掠って地面を穿つ。流れる髪を巻き込んで落ちていく物もあった。気を取り直してステップを踏む。踊るように、銃弾の合間を避けていく。俺のスピードなら地上でさえこのような芸当が可能なのだ。

 素の動体視力である程度銃弾が向かってくるのが見えるのもそうだけど、直感というものも強まっているのか、気を張っていると見なくとも頭上での艦載機の動きがわかって、だから、足運びに迷いはなかった。

 通り過ぎていく異形の艦載機を振り返り、見上げる。

 空でちょこまかされてはうざったい。一気に仕留める!

 

「はっ!」

 

 僅かに屈伸し、跳び上がる。同時に背のユニットから桜色の炎が噴出した。形成された薄(はね)が力強い推進力となり、俺は、体全体で風を切って空へと舞い上がった。

 いつもよりずっと軽い体が艦載機どもと同じ高さまで昇る。奴らは、それぞれが旋回して再び俺に向かってきていた。

 飛び蹴りの姿勢に移行する。右足を伸ばし、左足は畳む。桜色の翅が勢いを強め、薄いガラスの欠片みたいに火の粉を散らす。全力ブースト。進行方向は空から前方へと変わる。

 

「とりゃーっ!!」

 

 一瞬だった。

 伸ばした右足、強固なブーツが擦れ違いざまに艦載機の群れを砕き、破壊して、潰していく。直撃したものなど、足にぶつかった瞬間に湾曲して粉々に砕け、弾けた。

 連続で巻き起こる小規模の爆発の中を突っ切って、これ以上進む必要はないと判断し、翅を消す。そうすれば落下が始まり、緩やかに着地してすぐ、足の位置を入れ替えてレ級へと向き直った。

 背後に異形の残骸が落ち行く中で、奴は、警戒を露わに、鋭い目つきを俺に向けていた。小刻みに上下する肩は、怒りの表れだろうか。元々赤い瞳が色を濃くしている。

 

『キサマァ……!』

「……ふぅー……」

 

 大きく息を吐くと、肺がきゅうと(すぼ)んだ気がした。

 強く息を吸い、吐く。それを繰り返す。背や額に汗が滲む。傷は治ったはずなのに、体の内側が痛い。傷つけられた場所が、痛い。

 憤っている敵から目を離し、森の方を見る。木の幹に体をもたれかけさせた朝潮が、不安に濡れた瞳で俺を見ていた。

 砲を手にしているが、援護しようという気配はない。彼女もかなり参っているみたいだ。休ませてあげるには、俺がレ級を倒すほかない。

 朝潮の目が見開かれ、次いで、口も開く。

 危ない! そう、聞こえた。

 視界の端に黒い影が迫る。

 

『ウラァ!』

「ぅっ、ぐぅ!」

 

 車にぶつけられたみたいな衝撃がお腹と、次いで背中に感じられた。押し倒された! レ級が組みかかってきたのだ。

 朝潮の顔を見て気でも抜けたか。こんなの、察知できないはずがないのに……!

 ごろごろと組み合ったまま地面を転がり、そのたびに砂が巻き上がって降りかかる。尻尾が跳ね、地面に叩きつけられると、ようやく俺達の体は止まった。馬乗りになったレ級が勝ち誇った笑みを浮かべて、拳を振り上げる。

 抵抗する間もなく頬を打たれた。

 

『消エロ!』

「っ!」

 

 容赦のない拳の連打。まともに貰ったのは最初の一発だけだ。奴の足に挟まれていた両腕を引き抜いてかざし、何度も防ぎ、しかし衝撃はどうしようもなく、腕の中に痛みが残る。

 それでも奴の動きに合わせて腕を動かしていたが、隙が生まれた。動きが(にぶ)った腕を掻い潜って拳が振り下ろされる。胸の合間に直撃。

 息が詰まり、体が跳ねた。圧し掛かったレ級へと腕を伸ばし、首に巻かれたマフラーみたいなのを引っ掴んで手繰り寄せ、落ちてきた頭に頭突きを食らわせる。ガァン、と硬い音が鳴った。レ級の体が跳ね返されていく。ブチブチと布が引き千切れる音。握ったままのマフラーを横へ投げ捨てる。

 

「っつぅ……!」

『ウ、グ……コノッ……!』

 

 額がへこんだかのような痛みにくらっときて、だけど、それどころじゃないと奮起し、なおも殴ろうと腕を振り上げるレ級を押しやり、足を引き抜いて胸を蹴りつける。吹き飛んでいくレ級から目を離す。今は離脱が優先だ。

 転がって距離を取り、体勢を立て直すために立ち上がれば、奴は懲りずに突進してきていた。

 こいつっ、人には艦娘らしく戦えとか言っといて!

 

「はぁっ!」

『クッ!』

 

 砲撃など知った事かと殴りかかってくるその腕と肩を掴み、自分ごと地面へ転がって後ろへ投げ飛ばす。そのまま立ち上がり、姿勢を低くして踏み込めば、同じく立ち上がっていたレ級が俺の接近に気付いて拳を振り抜いた。

 

「やぁぁっ!」

『――!』

 

 潜り抜け、逆に殴りつけてやる。踏鞴を踏んで後退るレ級へ、追撃にと思いっきり腕を振りかぶると、予想より早く立ち直ったレ級に、今度は俺が殴り飛ばされてしまった。

 

「こんのっ!」

『ハハハッ!』

 

 ザンザンザンとヒールで砂を切り裂いて後退する。体の中の痛みが増大しているのに歯を噛みしめ、言葉にしてレ級にぶつければ、狂気的な笑みが返ってきた。異形の尻尾が鎌首をもたげ、突き出た顎を俺に――――あれって、魚雷……!

 

「お、おおおっ!」

 

 プシュッと空気の抜ける音がして、異形の顎から太い魚雷が放たれた。距離が近い。これでは海上でなくても当たってしまう。

 体を傾け、片足だけで立って、射線上から逃れようとする。だが重力に従って頭を地へ向けた魚雷は、あろう事か、俺の真横の地面へと落ちてきて――。

 

 

 

 気づけば、海の上に浮かんでいた。

 せっかく直っていた服はまた破れて、胸の下半分を覗かせている。切れたパンツの紐が海に浸っていた。

 身を起こそうとすれば、酷い痛みが胸にあって、喘ぐように息を吐く。

 倒れてる場合じゃない。奴を倒さなければ……!

 

『諦メロ。艦娘ガ私ニ(かな)ウ訳ガナイノダカラ』

「どーかなぁ、それは……!」

 

 冷たい海に手を当て、波を感じながら立ち上がる。余裕を取り戻したのか、落ち着いた笑みを浮かべて歩み寄ってくるレ級は、ダメージを負ってはいるものの、まだまだ動けそうだった。

 両拳を持ち上げ、構える。正直、ちょっとしんどい。艦娘って、改造されるとそれまで近代化改修されて得たパワーアップが、基礎値に戻ってしまうんだけど……ひょっとして、俺もそうなのだろうか。俺の改二がどれだけのステータスなのかは数値で見る事ができないからわからないけど、改造直後の今に限っては、改の時より弱くなっているのでは……。

 ……いや、パワーでもスピードでもレ級に負けてない。戦艦に、負けてない。それは俺の大幅なパワーアップを意味している。基礎値でこれなら、素材なしに強くなれる俺が戦っていれば、どんどん強化されてより強くなれるはず。

 こいつを越える事も、できるかもしれない。

 

「――っ!?」

 

 ふいに、構えた左腕――そこにリストバンドで取りつけられている端末、カンドロイドが光を放ち、何か細いものを射出した。突然の事に目を見開いて、でも、それが何かがわかって口角を吊り上げる。

 

『ムッ! ……何?』

 

 レ級へぶつかり、跳ね返って回転しながら俺の方へ戻ってきたのは、装備スロットの一番上を埋めていた艤装、叢雲のアンテナだった。

 長い鉄の棒一本の先端付近に、二の字を描く尖った針。アンテナの色違いの柄部分を掴んで、槍のように構え、電気を散らす先端付近を眺める。

 

「戦いたいんだ?」

 

 一緒に。

 叢雲は、言ってたな。頼んだわ、って。

 うん、頼まれてた。彼女の想い、俺が晴らしてやる。

 

「さぁ、来い!」

『無駄ダッ!』

 

 一度ぶんと振るって感覚を確かめ、右手に持ってレ級を誘う。奴は頭を低くして突進してきた。肉弾戦は大得意だ!

 リーチはこちらに分がある。アンテナを振るってレ級を打てば、細い見た目とは裏腹に力強く奴を弾き、左へいなした。折れる気配はなし。

 倒れ行くレ級に代わって、尻尾の異形がぐるりと身を捻り、側頭部に備えた砲身を俺に合わせた。

 砲撃。

 左腕に当たり、弾かれる。体勢も崩れ、レ級と同じ方向に転がる羽目になった。

 くそ、なんであいつが撃つのは俺に当たるんだ……! 俺のは当たらないのに!

 悪態をついている暇はない。素早く身を起こし、前も見ずに駆け出す。だが、わかっていた。奴もまた同じように走ってきている事を。

 

「はあっ!」

『ハァッ!』

 

 同じ呼吸のタイミング。お互いが突き出した拳がお互いの胸を叩き、ドォン、と重い音が響く。三歩ほど下がって、俺もレ級も持ち直した。奴がコートを翻し、尻尾を振るうのに合わせてアンテナを両手に持って振るう。ぶつかりあった得物は、手に痺れを残して弾かれあった。

 

「だぁぁっ!」

 

 力は同じ。だがスピードなら俺の方が上だ!

 レ級が尻尾を弾かれた勢いのまま俺に向き直るより速く、背部の翅を噴出させて滑り、アンテナを剣のように振り上げて接近する。横顔が、奴の目が俺を捉えた。

 斜めに一閃。

 

『ガァァッ!』

 

 尖った先端が奴の衣服を、青白い素肌を削り、その軌跡を追うように眩い青の電気が走る。

 ほとんどぶつかるような距離で、よろめくレ級の背後に回り込んだ俺は、アンテナを振り回して今度は斬り上げた。さすがと言うべきか、迎撃しようと俺に体を向けるレ級の素肌を、バチバチと激しい音をたててアンテナの先端が削っていく。飛び散るオイルと何か。傷口は、電撃に焼かれて固まっている。

 大上段に構えたアンテナの柄を両手で握り、力いっぱい振り下ろす。奴の肩へ叩き付ければ、レ級は膝をつきながらも手を持ち上げてアンテナを掴もうとしてきた。それを、押し切る。二の字の出っ張りがレ級の体を引き裂く。

 ――浅い。

 奴の体が硬すぎて、全然攻撃が通ってない!

 アンテナ越しに伝わる手応えにそう直感し、レ級の笑みを見て、確信した。

 凄まじい衝撃に襲われる。

 

「く、う!」

 

 海面に叩きつけられ、転がって、立ち上がる。その短い間に何が起きたのかを考える。

 見えたのは、尻尾の異形が動いた事と、その口から太い光線のような……水が放たれた事。

 ……水圧カッター、そこからも出るのかよ……!

 

『今度コソ、死ネェ!』

「っ!」

 

 奴の尻尾から、今度は砲弾が放たれる。一射目は足下の海面に突き立って俺の体勢を崩し、二射目が腹の横を突き抜けて、三射目で、直撃。

 熱と衝撃が体中を襲う。

 元々中破以上のところにこの攻撃だ、これでやられてしまってもおかしくはなかったが、俺はどうにか踏み止まる事ができた。崩れかけた体に、足を後ろに出して支え、倒れる事だけは回避する。

 けほ、と咳き込むと、煙みたいな血が出てきた。

 折れたか、潰れたか、とにかくお腹の中が痛い。目を開けられないくらいに痛い。

 動けないでいれば追撃されるとわかっているのに、どうしようもなかった。

 砲撃音が耳に届く。

 身を硬くして直撃に備え、ほとんど同じに直撃音を聞いた。

 だが、衝撃が俺を襲う事はなかった。

 

「シマカゼっ!」

 

 薄目を開けてみれば、横っ面に黒煙を纏ったレ級がよろめいていた。俺の名を呼びながら駆け寄って来た朝潮が隣に並んで、レ級へ砲撃する。それは腕で弾かれたが、奴はかなり苛ついた様子で目を細めていた。

 朝潮の砲からは、煙が上がっていた。砲身からもそうだけど、本体も所々へこんでいて、いつ暴発するかもわからない状態だった。

 

「朝潮……なんで」

 

 なんで来たの、と問おうとして、彼女の顔を見てやめた。

 覚悟を決めた顔だったから。決意したって顔だったから。

 

「いつでも、援護します!」

「はは……ありがたいね」

 

 表情通りの頼もしい言葉。

 傷ついてなお俺と一緒に戦ってくれると言うのだから、俺も格好悪いとこを見せる訳にはいかないな。

 体中に力を入れ、背筋を伸ばして立つ。手放していなかったアンテナの柄を背に当て、穂先を斜めに、左手を突き出して構える。横に並んだ朝潮が砲撃すると同時、翅を光らせて突進する。

 

『ヌ、オ、オ――!』

「やぁーっ!」

 

 波を割り、海水を跳ね飛ばして懐まで潜り込み、腰を捻ってアンテナを叩き付ける。電気が弾け、海面を照らした。後退するレ級を前にして、駆けて来た朝潮が隣に並ぶのに目を合わせ、頷き合う。息を合わせて横蹴り。俺と朝潮が伸ばした足がレ級の腹を蹴りつけて、跳ね飛ばした。

 両の足を開いてザザァッと後退していくレ級へ、すかさずアンテナを全力投球する。矢のように飛んだアンテナの先が、蹴った位置と同じレ級の腹に突き刺さった。

 

『ガ、コ、コンナモノ……!』

「はっ、はっ、ふ……!」

 

 青白い電気が激しく溢れて、レ級の体に纏わりついている。奴の傷跡から血のようにオイルが漏れ、海面に滴っていた。アンテナからとは別に、レ級の体からも紫電が出て、肌の上を走っている。

 ああなればもう、艦娘の艤装による攻撃が効かないだとかもないだろう。だったら、とどめを……!

 

「っ、シマカゼ!」

「う、くそ……!」

 

 崩れ落ちそうになって、気合いで片膝立ちに抑える。体が震えてる。頭が重い。……改二になって怪我が治っても、流れた血は戻らなかったのか、すっごく気持ちが悪い。

 横目で朝潮を見れば、彼女は敵から目を離し、俺だけを見ていた。彼女もまた、とても息が荒い。奴にぶたれてかなり参っていたはずなのに、来てくれたからだ。

 体を折り、今にも俺を支えようとしてくれている。それよりも砲撃を……そう伝えようとして、彼女の砲がもう使い物にならなくなっているのに気付く。砲身も曲がりかけ、本体には罅が入ってる。次撃てば、絶対に壊れる。持っている朝潮だって無事ではすまないだろう。

 俺が撃てと言えば、きっと彼女は撃つ。でも、それじゃ駄目だ。

 手を持ち上げ、彼女の砲に触れる。高温の本体を掴んで引けば、彼女の手からあっさりと奪い取る事ができた。俺が取ろうとしているのをわかって、握る力を弱めたのだろう。俺が何をしようとしているかわからなかっただろうに……信頼、されてるなあ。

 喜んでる時間はない。間違っても彼女が撃てないように、連装砲を端末へ仕舞い込む。彼女は、何も言わず、俺の行動を見ていた。

 端末左側面の丸いボタンを押し込み、起動させる。光の画面が目の前に照射されれば、最初から装備画面だった。スロットの一番上が主砲で埋まっている。だがアイコンがおかしい。赤塗りの主砲のアイコンから黒煙が出ていた。まるで傷を負った艦娘のアイコンみたいに。

 なら、新しいのを出すまでだ。

 二番目の空きスロットをタップして、装備選択画面を呼び出す。俺が今、撃てそうなのは……大きいので、20.3cm連装砲……2号だとか3号だとかあるが、その詳しいステータス差を知らない俺には、どれを選べばよいのかわからず、また、触れて詳細画面を出して見比べる時間もなかった。

 一番基本の20.3cm連装砲をセットし、画面に手の平を押し当てて右へ押しやって消す。端末から飛び出した連装砲は、朝潮型の主砲に似た形になっていた。長方形の箱型。

 右手で受け取り、グリップを握り込む。

 

『オノレ……コノ程度デ、私ガ……!』

 

 砲を突き出す。腕が震えて、照準がさだめられない。俺が思っている以上に体は限界に近いみたいだった。

 だが元より、狙いなんてつけてもつけなくても同じもの。当たるまで連射するだけだ!

 

「――……!」

 

 そう意気込んだ俺の左右に、腕が伸びてきた。背中に柔らかい感触。密着する朝潮の体。

 

「私が、サポートします。こうすればきっと……当てられます」

「……うん、お願いね」

 

 頬に触れる彼女の髪に、真剣な声。それと、硝煙の臭いに混じった、ほんのりと甘い香り。そう感じる、朝潮の匂い。

 俺の右腕に添えられた彼女の手が震えを抑え、砲身のブレを無くす。俺の腰を抱いて支える彼女の腕が、体を安定させる。

 連装砲は、狙い違わずレ級へと向いていた。

 奴はまだアンテナを抜けていない。抜こうとして顔を歪め、甲高い音を発する電光に痙攣して固められている。

 今が、勝機。

 とどめを刺すなら、今しかない。

 

「行くよ……朝潮」

「はい……!」

 

 せー、の!

 

 鼓膜を打つ爆発音。二本の砲身から飛び出した二つの砲弾が白線を尾のように引いて飛んでいく。

 胸と腹。

 レ級のその個所に着弾し、爆発した砲弾は、奴に確実にダメージを与えていた。弾き飛ばされて海面を転がったレ級は、腹を押さえてもがき、尻尾をのたくらせながらも、足掻くように立ち上がった。

 だが、満身創痍。腹には変わらずアンテナが刺さり、コートは焼け焦げて僅かにしか残っていない。尻尾の異形だって側頭部が砕け、砲は融解して黒い肌に張り付いている。それに、奴の体に這う紫電の量が増えていた。

 

『ァッ、ア、グ……』

 

 喘ぐように声を漏らすレ級に、砲を下ろしながら、祈る。

 倒れろ。

 これで倒れてくれなきゃ、キツすぎる。

 その願いが通ったのか。レ級はバランスを崩して背中の方へゆっくりと倒れていく。

 そして限界を迎えた体が、爆発した。

 瞬間、濃霧が巻き起こり、爆炎も煙も風も隠していく。

 激しい風に髪が引っ張られ、俺にくっついた朝潮が腕に力をこめてぎゅっと抱き付いてくるのを感じていれば、やがてそれは収まった。

 

「……終わった、のか?」

「あ……霧が……晴れて、いきます」

 

 実感がわかずに呟けば、濃い霧が蠢き、静かな風に乗って消えていく。

 空を覆っていたものも、遠くに壁としてあったものも消滅すると、雨上がりみたいに雲一つない空と、輝く青の水平線が見えた。

 

「やった、みたい、だね」

「ええ……やりましたね」

 

 虹のかかる空を見上げて呟けば、そっと離れた朝潮がそう呟いた。

 ああ、もう少しくっついていて欲しかった……なんて言葉は出てこない。口を動かすのも億劫というか……。

 やっと倒したと思ったら、気が抜けちゃって……。

 

「……シマカゼ?」

 

 おかしいな。

 なんか……朝潮の声が遠くに聞こえる。

 ボチャリと、取り落とした連装砲が海に沈んだ。その中で光となって消え、出てきた妖精さんが水滴とともに飛び出してきて、端末へ帰る。

 

「大丈夫ですか? 一度、陸に――」

 

 おかしいなぁ、朝潮の顔がぼやけて見える。

 目を擦ろうと腕を持ち上げようとすると、なんか、腕が光ってるのが見えた。

 腕だけじゃない。たぶん、体全体。

 

『キュ~』

 

 ぱっと光が飛び散ると、俺の体から投げ出された連装砲ちゃん達が海の上に転がって、俺の体から力が抜けていくのを感じた。

 肩にあった砲も背にあったブースターも光の欠片となって消えてしまう。

 全身が脱力してしまって倒れた体を受け止めてくれたのは、朝潮だった。

 それだって、ずっと遠くで感じたモノ。

 

 閉じかけた視界の向こうで、朝潮が必死に何かを呼びかけているのが見えて、なんとなく、微笑む。

 頬とか、撫でてあげたかったけど……残念、手が動かない。

 

 ああ、本当に、残念……。

 ごめん朝潮。さよならは、言えそうに――。




TIPS
・キックカイニー
必殺キック。
フェアリーウィングによる推進力を得て攻撃するため、
助走なしでもかなりの破壊力を持つ。

・初登場補正
そんなものはなかった。

・「サポートします」
お祭りの、射的の時と一緒。

・改二
強化変身的な位置づけ。


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第四十七話 返事

人によっては合わない描写があるかもしれません。


 孤島。

 仮の拠点、その二階部分。

 建物の後ろ半分は工廠の爆発によって見るも無残な姿に変わったものの、シマカゼと朝潮が寝起きしていた部屋は一つの損傷もなく無事だった。

 ゆえに朝潮は、急いでシマカゼをこの部屋まで連れてくると、木製のベッドの上に寝かせ、少しでも体温を取り戻せるように、埃を払った布をかけた。

 できれば清潔な布を使いたかったが、何日も放置されていたこの建物にそう綺麗な物はないし、あったとしても取りに行く時間はない。

 

 ――彼女は、シマカゼの体は、冷たかった。

 

 レ級を倒し、改二の状態が解けてしまって倒れてからは、彼女の体温は急速に失われていった。それはまるで生きる活力さえも同時に抜け出てしまっているかのようだった。

 背負ってここまで運んできた朝潮には、それがはっきりとわかっていて、刻一刻と弱っていく彼女の状態に気が気でなかった。

 

『キュ~』

 

 連装砲ちゃん達がベッドの上に乗り、朝潮とは反対側からシマカゼに寄り添うと、心配そうに覗き込む。目を閉じたシマカゼは、ぴくりとも動かない。いくら連装砲ちゃんが鳴こうと、朝潮が声をかけて揺らそうと、息一つしなかった。

 心臓も、止まっていた。

 

「シマカゼ……」

 

 力無く座った朝潮は、沈痛な面持ちで彼女の名を呼んだ。

 握った手の、細い手首に指を当てて脈が無いと知ると、壊れ物を扱うようにベッドの上へ手を置く。意思無き肉体はどこか軽く、朝潮にはそれが普段とはまったく違った感触に思えた。

 

 返事はない。当然だ。

 彼女はもう、生きてはいないのだから。

 

「シマカゼ……!」

 

 じわりじわりと暗い影が頭の中を侵食していく。

 閉じたままの目。動かない胸。急いで寝かせたために、乱雑に広がった肢体はぴくりともせず、だから。

 朝潮は、シマカゼが、自分の恩人が、死んでしまったのだとようやく認識し始めた。

 

 自分のために。

 そう思うのは自惚れかもしれない。だが朝潮には、形容しがたい感情をやり過ごすには、自分を責めるくらいしか思いつかなかった。

 無様にも攫われて、自力の帰還も叶わず、ただ助けられた。無力な少女のように。

 膝に当てた拳を音が鳴るほどに握り締めて、唇を噛む。

 友と言っても差し支えの無い艦娘が死んだというのに、なぜ悲しくもならず、冷静にものを考えていられるのだろう。自分はそこまで非情だったのだろうか。

 自責の念の片隅に、そんな考えまで混じり始める。

 今の朝潮は、上手く現実を受け止められていない。いわば、ショックを受けて心神を喪失しているような状態だ。呼吸は浅く、視界は薄ぼんやりとして焦点が定まっていない。今外敵に襲撃されれば、たとえそれが非力な人間だったとしても、容易く倒されてしまうだろう。動揺は、激しい。

 それでも艦娘としての機能か、彼女の実直な性格のためか、生死の確認をし、その結果に直面しても、大きく心を乱してはいない。

 いつなんどきも冷静にあるように。

 戦う者であるならば。そこが戦場であるならば。

 自身に根付く考えが、焦りや、他の感情を抑制する。常の冷静さを取り戻させようとする。

 それさえ、朝潮は自分を責める材料にした。

 どうして。

 ただ、どうしてという言葉が浮かんできて、でもそれに続く言葉は見つからない。答える声も、ない。

 だって、シマカゼは死んでしまったのだから。

 

「…………」

 

 いや。

 死んではいない。

 たしかに、急激な温度の変化に、まるで氷に触れるような錯覚を得て、もうどうにもならないのだと思い込んでしまっていたが、そうではない。そうでないはずだ。

 心肺停止しているからといって、まだ十分も経ってない。血の巡りは完全には止まっていないだろうし、脳だって生きている。

 ならば素早い救護が必要だ。シマカゼは、死んでない。死んでないのだから、助けられる。

 片膝立ちになって毛布を捲った朝潮は、胸元まで破けて、ボロボロになった衣服の、焦げている端部分へ手を当てると、硬い布越しに柔らかな膨らみを感じて、そっと左へ手をやった。体の中心線をなぞるように、正しい位置へと手を動かす。鳩尾の上辺り。

 剥き出しの肌に当てた右手にさらに左手を押し当て、肘をまっすぐに伸ばして、ベッドに膝を乗せる。体重をかけて数度、心臓マッサージ。

 

 朝潮は、心肺蘇生を試みようとしていた。

 あの日シマカゼが朝潮にそうしたように、手を押し当て、ふっ、ふっと息を吐きながら体ごと上下する。手だけを注視して、機械のように正確に、肌に手を押し込んでいく。

 次は、と身を起こした朝潮は、そこで止まってしまった。

 シマカゼの顔へ伸ばそうとした手は空中に縫い止められたみたいに固まり、朝潮の顔には、戸惑いが浮かんでいる。

 彼女が止まってしまったのは、もちろん、何をすれば良いかわからなくなったからなどという理由ではない。

 艦娘としての戦い方や軍の規律……生まれもった知識にあるその二つ以外の必要なものは、『授業』で習い、習得している。誰かを救うための技術もその一つだった。

 だから彼女が心肺蘇生法を知らないなんて事はありえないのだ。真面目な彼女が手順を忘れてしまったなどの可能性もない。こういった局面に立ち、焦っているのは確かだが、それで教えられた事を忘れるほど彼女は素人ではない。発生して数年経つ、ベテランだ。

 ではなぜこうして固まり、じっとシマカゼの顔を見ているのか。

 シマカゼが目を覚ましたから……というのでもない。

 ただ、朝潮の頭の中には、この建物の地下に当たる工廠で、シマカゼが自分に向けて言った言葉が浮かんでいたのだ。

 彼女は自分に、こう頼んだ。

 

『この気持ちに答えをくれるのなら、口づけをしてくれ』

 

 自分の目を真っ向から見つめて、熱のこもった声で、真剣な言葉。

 その台詞を聞いた時、朝潮の中に言葉では言い表せない、複雑な感情がわっと溢れて、だから少しの間固まってしまった。硬直はすぐにとけたが、生まれた感情は膨れ上がるばかりで、どうしようもなかった。あの時レ級が来ていなければ、朝潮は……。

 

「…………」

 

 好意を向けられているのは、知っていた。

 彼女の言動から窺い知れたのではなく、花火の上がる夜空の下で、想いを告げられたから。

 もっとも、色恋の絡まない好意であるならば、彼女(シマカゼ)が着任するその前、この孤島で過ごしていた時から、いっそ過剰であるくらいに受け取っていたのだが……。

 

 シマカゼが朝潮に向ける好意は、朝潮が命の恩人であるシマカゼに向けるものとはどこか違っていて、とても大きなものだった。

 それに気づかないほど朝潮は鈍くない。会うたびにとびきりの笑顔とたくさんの言葉を貰って、気付くなという方が無理がある。新人としてシマカゼが着任した直後にも、彼女が朝潮の話を多く口にするというのは聞いていた。それもあった。

 だがそれが、あたかも異性に向けるような感情であるとは、さすがにわからなかった。

 自分に向けられる好意の大きさが普通でない事には気付いていた。朝潮が感じるシマカゼへの恩と、その人格や言動から得た好意と信頼。そのすべてを合わせたって、シマカゼが朝潮へ向ける好意の大きさを越える事はない。だから、過剰。その気持ちの正体がわからなかった。

 

 同性にそういった感情を向ける事があるというのは、知識の上でなら知っていたが、それが自分の身に起こるなど露とも思わなかった。

 しかしシマカゼが自分に打ち明けた秘密を(かえり)みれば、これはあっておかしくない気持ちなのかもしれない。元々男であった彼女……いや、彼であるなら、自分に好きだという気持ちを抱くのも変ではない。

 好きというのは、大きな気持ちだ。大切で、無碍に扱ってはいけないもの。だからこそ、朝潮は中々受け入れられなかった。色々な考えを巡らせて、何か違う気持ちなのではと思い込もうともした。

 その好意は、誰かを自分に重ねて見ているからだと思っていたのだが、二度目の告白でそれもなくなり、そうすると朝潮は、シマカゼの気持ちと真正面から向き合わなければならなくなった。

 告白なんてどれほどの勇気が必要なのだろう。その大変さは、恋愛話などに疎い朝潮にだって想像できて、それを自分に三度もしたシマカゼは、どれだけの勇気を振り絞ったのだろうと考えてしまう。

 その努力に報いるためだけに頷いてやろうと思えるくらいだったが、朝潮はそうはしなかった。彼女の気持ちに、ちゃんと考えて答えを出したかった。

 

 それが今、心臓マッサージの次の行為へ移ろうとして、固まってしまった理由。

 人工呼吸。息を吹き込むための動作。

 

 人工呼吸の仕方は幾つかあるが、朝潮が知っているのは直接唇を合わせるものだ。

 それは、言ってしまえば口づけだ。キスをする……それって、彼女の気持ちに答えた事になってしまうのではないのか?

 そう思って、躊躇った。

 この瞬間に限っては、朝潮の頭からは意識のないシマカゼにそうしたところで返事にはならないだとか、そもそも口づけだなんだと意識している場面ではないなんて事は抜けていて、ひたすらシマカゼの唇に視線を注いで、迷っていた。

 その行為はとてもデリケートなもので、早々して良いものではなくて、する勇気もなくて。

 それでいてその感触や気持ちを想像してしまうのだから、朝潮も恋愛ごとにまったく興味がないという訳ではないようだった。

 躊躇っている時間はないのに、焦りからくるドキドキと羞恥や何かからくるドキドキで顔が熱くなって、くらくらする。

 出てもない汗を拭うために額に腕を押し当てた朝潮は、動こうとしても動かない体に、積もっていくドキドキに、どうしようもなくなっていた。

 

『キュー?』

「……はっ!」

 

 悩める乙女に、連装砲ちゃんの不思議そうな声が届く。一気に現実に引き戻された朝潮は、現状を正しく認識すると、胸中で激しく自身を非難しながら、背を折ってシマカゼの顔に、自分の顔を近付けた。

 意識しないように、意識しないように、意識しないように。

 何度強く念じても、そうするたびに逆に意識してしまって、顔に血が上るのがわかってしまう。頭を振って邪念を払えば、黒髪が揺れて、すぐ下にある彼女の体をくすぐった。

 頬に手を添える。クリーム色の髪を外側へ退かし、人工呼吸の際の障害物をなくす。

 

「……すみ、ません……!」

 

 その謝罪がどういった意味のものであるかは、朝潮自身にもわからなかった。

 意を決して、シマカゼと唇を重ねる。縦に対して横向きで合わせ、添えた手と口で彼女の口を開けさせると、息を吹き込む。

 一連のプロセスがやけに長く感じられた。

 想像していたよりずっと柔らかいだとか、鉄の味がするだとか、長く合わせていれば唾液が伝ってしまいそうだとか――もっとも朝潮は緊張していて、口内はからからに乾いていたのだが――余計な事ばかり考えてしまう。

 横目にシマカゼの胸が、送り込んだ空気によって膨れているのを確認した朝潮は、やっと顔を離し、体を戻した。唇にあった温かさと滑らかな感触が消え、少しの寂しさが残る。体感では何分も唇を合わせていたが、実際には十秒とちょっとくらいだった。頭がショートしかかっている朝潮にはわからない事。ただ、長いことキスをしていたという記憶だけが残る。それを不謹慎だとか不埒だとか考える余裕もなかった。

 

 再び胸に手を置いて何度も押す。唇を押し当てて息を吹き込む。その繰り返し。

 胸の内で暴れ回る心臓の音がうるさくて、蘇生に成功しているかどうかわからず同じ動作を続けて、何度目か。

 シマカゼの肩に手を当てて顔を近付けていた朝潮は、ぱっちりと開かれた目と目が合って、固まった。

 

「し、シマカゼ……?」

 

 むくりと身を起こしたシマカゼに、朝潮は恐る恐る声をかけた。目覚めが唐突で、理解が追い付かない。ふわーあ、と大あくびをしてから朝潮へ顔を向けたシマカゼが、眠たげな半目を瞬かせて、小首を傾げた。

 

「おはよ?」

「……っ!」

 

 違う。

 これは、シマカゼではない!

 直感だった。

 朝潮は、声も姿もまるきり同じで、ずっと傍にいたはずのシマカゼを、別の誰かだと認識してしまった。

 イントネーションの違い。些細な表情の違い。仕草の違い。自分へ向ける感情の違い。

 小さな一つ一つを、たった一言の挨拶の間に読み取った朝潮は、素早くベッドから下りて距離をとった。

 自分でもなぜそうしているのかわからないまま警戒する朝潮を、シマカゼ……目覚めた島風は不思議そうに眺めていた。

 

「連装砲ちゃんも、おはよ」

『キュ~』

 

 やがて、顔ごと目を逸らした島風は、もっとも近い連ちゃんの頭を撫でながら、一体ずつ挨拶をしていった。

 強い違和感。

 何かが違う。朝潮はそう感じて……なぜそう思ったのかを理解した。

 

「……服、が」

「ん? なに?」

 

 島風の服が元通りになっている。

 いくつか肌にあった傷もなくなり、発生したてのような姿に変わっていたなら、おかしさを覚えないはずがない。

 修復剤を使った訳でもないのに、突然の回復。常識から逸脱した現象に朝潮が動きを止めていたのは、数秒にも満たない時間だった。

 

「誰、ですか」

 

 誰何(すいか)の声。

 自分の知らない島風に、朝潮は構える事もできず言葉を投げかけるに留めた。まあ、構えるも何も、現在朝潮は丸腰も同然だ。魚雷のない発射管を向けるのがせいぜいで、威嚇も牽制もままならない。

 そのためかどうか、連装砲ちゃんの頭を撫でていた島風は、たっぷり数十秒間をあけてから朝潮を見て、「前に会ったじゃん」、と笑いかけた。

 その口ぶり。やはり彼女は、シマカゼではない。

 シマカゼであったなら出てこないはずの言葉に確信を強める朝潮。

 復活の後遺症で記憶が飛んでるとか、寝ぼけているだけという可能性も否めないが、見る限り意識ははっきりしていそうなので可能性は低い。

 だが、前に会ったと言われても、朝潮にはシマカゼが見知らぬ島風に変貌したところなど見た事ないし、この島風との面識もないはずだった。

 

「そーだっけ? ごめんごめん。すっごく眠かったからさー」

 

 会った事はない、と朝潮が言えば、島風は顎に指を当てて天井を仰ぎ見て、そういえばそうだった、とおかしそうに笑った。

 笑い方も、シマカゼとは違う。

どこか男の子っぽさを持っているシマカゼとは違い、彼女の笑顔は自然な女の子らしいものだった。自分に元は男だったと打ち明けたシマカゼではありえない表情だ。

 いや、もう数ヶ月もして、少女としての生き方に慣れてしまえば、笑い方も変わるかもしれない。それでもまだ、シマカゼはそういった段階には遠い。

 

「それで……あなたは?」

「ん? ……? ……あ、島風だよ」

 

 再度朝潮が問いかければ、彼女は膝に乗せた砲ちゃんの手を握って緩やかに振りながら、わかり切った事を言った。

 そうでなく、なぜその島風がシマカゼのいた場所に出現しているのか。朝潮はそう聞きたかったのだ。

 

「それは島風が、あの子を呼んだからだけど」

「呼んだ……とは」

 

 聞けばすぐ答えてくれる島風だが、その言葉の意味はいまいちわからなかった。

 布を退けてベッドの縁に腰かけた島風が、髪を弄りながら説明する。

 

 島風が海の上で目を覚ました日。

 連装砲ちゃんとともに波間を彷徨い動いていた時、突如として深い霧に包まれた。

 それはすぐに晴れたが、晴れ空には敵の艦載機が何機も飛んできていて、おまけに戦艦まで現れて……。

 生まれたばかりで練度も何もあったものではなかった島風は、その戦艦の手で僅か半日の生を閉じようとしていた。

 機銃の掃射に雷撃の連打に至近からの砲撃。木端微塵になれという意思が感じられる猛攻に敗れて、沈んだ島風は、海底にあった岩に寄りかかる形で力尽きた。

 意識はあったが、体は指一本動かず、壊れかけの生体フィールドからは留処なく白い泡が浮かび出て、溺れ死ぬのも時間の問題だった。

 五体満足でいられたのはなんの慰めにもならなかった。

 岩から僅かに滲み出る修復剤の原液……グリーンゼリーも、彼女の体を治しきるには至らない。

 

 意識が遠のく中で、一度も戦いらしい戦いをできなかった島風は、こう願った。

 戦いたい、と。

 単純な願いは、それゆえに強く胸にあり、半分闇に包まれた暗い視界の向こうに、何度もそう呼びかけた。

 戦いたい。まだ、戦える。戦える体を。誰か――。

 応える声などあるはずもないのに、意識を繋ぎとめるように同じ言葉を繰り返して、何度目か。

 細い視界のずっと遠くに、自分を見つめる人影がいるのに気付いた。

 だから今度は、その人影に向けて嘆願したのだ。

 お願いだから、戦わせて、と。

 資材となって誰かの力の一部になるのでもいいから、私を戦わせて。

 私が壊れる前に、速く、こっちにきて。

 はたして、呼びかけられた誰かは、確かに島風の体へ入り込んだ。

 波が体を浚う。

 揺れ動く海の中で、意識は切り替わり、体もまた新たなものとなった。

 その瞬間に、島風は再び誕生したのだ。

 逃しきれないダメージが体に残ってしまっていたが、付近の島に流れ着き、生き延びる事ができた。

 

「そこからは、ずーっとこの子の心の奥底から、外を見上げてたの。あなた達が戦ってるの、ずっと見てたんだ、私」

「そんな……」

「信じられない? いいよ、別に。私にだって何がどうなってるのかなんてわかんないもん。沈んだ船の戯言だって思って貰ったって構わないよ」

 

 荒唐無稽な話だ、とは、朝潮には言えなかった。

 むしろ、シマカゼが変な艦娘だった理由に、これほどわかりやすい答えを示されて、落ち着いてしまったくらいだった。

 そうなると気になるのは、シマカゼはどうなったのか、だ。

 朝潮は、逸る気持ちを抑えて――なにせ、目の前の島風は、今はのんびりとして足をふらつかせているが、轟沈を経験した艦娘なのだ――、できるだけ穏やかにシマカゼの安否を聞いた。

 生きてるんじゃない? と、島風はなんて事ないように言った。

 

「ほ、本当ですか?」

「嘘ついてどうすんの。島風にはね、あの子が生きてるくらいの事はわかるの。凄くない? 凄いよね」

「……え、ええ、まあ……そうですね」

「だよね! うん、私ちょー速い」

「……はい」

 

 満足気にうむうむと頷く島風に、朝潮はなんと返事をすれば良いのかわからず、ただ頷くばかりになってしまった。

 何がどうして速さの話になっているのかわからなかったし、凄さというのもよくわからなかった。

 だが、彼女が嘘を言っていない事だけは理解できた。

 シマカゼは生きている。生きて、たぶん、彼女の中にいる。

 

「……その、シマ……あの人は、眠っているのですか?」

「んー、ぐっすり? お疲れさま? たくさん戦ったからね、今は私の中で寝ちゃってる」

 

 私だって眠いのにー、と不満気にぼやく島風に、朝潮は重ねて質問した。

 シマカゼは戻ってこれるのか。そうだとして、あなたはどうなるのか。

 目の前の島風の中では、それは疑問に思うような事ではなく、決まっている事のようで、怪訝な顔をしながらも二つに答えた。

 そろそろ戻ってくるし、あの子が表に出れば自分はまた心の底へ沈んでいくだけ。

 沈む、という言葉は、艦娘にとってあまり歓迎すべき言葉ではないのだが、島風は表情も変えず、リラックスしたままにその言葉を口にしていた。

 きっとその現象は、苦ではないのだろう。そうである事に文句はないのだろう。朝潮には、そう思えた。

 轟沈に際して呼び寄せた、この場合はどこかの普通の人間・福野翔一であるが、その彼が表だって体を使い、シマカゼとして生きている事に不平不満を抱いていない。

 それは島風の望みが、どんな形であっても戦いたかったから、というのも関係しているのだろう。

 

「私の仇も討ってくれたし、文句なんかないよ。それにどうせ島風は、ずっと外に出ているなんてできないし」

「そう……なのですか?」

「うん。無理矢理こんな形になっちゃったからかな。表に出てるとすっごく疲れるの。今だって、眠いんだ」

 

 そう言って目を擦ってみせる島風に、朝潮は同情を寄せた。本当だったら沈んでいたとはいえ、こうして生きているのに、普段は自由に動く事もできないなんて、かわいそうだ、と。

 そう考えるのが失礼だとわかってはいるのだが、どうしても、そういう気持ちがわいてきてしまった。

 

 彼女が敵や何かではないとわかったのだから、いつまで距離をとっていてもしょうがない。歩み寄った朝潮は、連装砲ちゃんと戯れる少女を見つめながら、ふと、一つの疑問を浮かべた。

 表に出ているのが疲れるような事ならば、なぜ今もこうして外に出ているのだろう。

 シマカゼが危険な状態だから、休養のために代わりに彼女が出ていると考えられるが、それは憶測だ。聞けば教えてくれる島風に、朝潮はすぐに聞いてみる事にした。

 

「あ、そうそう。言いたい事があるから出てきたんだった」

「言いたい事、ですか?」

「この子ね、なんかずーっと島風に遠慮してるの」

「それは……当然なのではないでしょうか」

 

 シマカゼにとって、彼女の体に宿ったのは意図しての事ではなく、また、島風の考えもわからないのだから、元の体の持ち主に対して色々と考えてしまうのは仕方ない。

 

「ね、あの子に伝えといてよ。島風の中にシマカゼがいるんじゃない、シマカゼの中に島風がいるの。私達は一つだよ、って」

「……わかりました。必ず伝えます」

 

 真剣な顔をして、その体がシマカゼのものだと語った島風は、言い終わってすぐ気の抜けた顔になると、ベッドに倒れ込んで、お腹の上に乗せた砲ちゃんを構い出した。言いたい事はそれだけ、らしい。

 彼女の言葉を伝えれば、シマカゼの心の負担を大きく取り除く事ができるだろう。大きな役目を受け取った朝潮は、少々緊張した面持ちで姿勢を正すと、ぽんぽんと放り投げられている砲ちゃんを目で追った。

 そろそろ限界、と彼女が呟いたのは、数分もしないくらいだった。

 

「それじゃ、また会えたら、その時はよろしくね」

「はい。その……ありがとうございました」

「ん? なんでお礼言われたかわかんないんだけど……まあいっか。じゃね、おやすみー」

「おやすみなさい」

 

 寝転がった島風は、別れの挨拶を済ませると、目を閉じて脱力した。着地した砲ちゃんが連ちゃんと装ちゃんの隣に移動する。

 島風がいなくなれば、衣服も体もボロボロのシマカゼが出現した。瞬きせずに見ていても、移り変わる瞬間は捉えられない。唐突に肌色が増えるのは、心臓に悪い。

 

「ん……」

「シマカゼ……?」

 

 声を発した彼女に、朝潮は恐る恐る呼びかけた。ひょっとしたらまだ島風なのかも、という考えと、彼女が生きているという安堵が混ざって、どう動けばよいのかわからなくなってしまっていた。

 目を覚ましたシマカゼは、しかし起き上がろうともせずにじっとしている。

 宙を見つめた瞳に活力はなく、連装砲ちゃんが心配そうに鳴いた。

 朝潮は、その現象に見覚えがあった。

 補給の当てがなく、燃料の減少が危険域に達した艦娘は、みな一様に意思のない人形のようになってしまうのだ。

 声を発したという事は、燃料が尽きかかっていると言っても、それほど危険な状態ではない。すぐに補給すれば、そう時間の経たない内に意識もはっきりしてくるだろう。

 この場に燃料などないが、朝潮には、彼女に補給してやる当てがあった。

 ベッドへ駆け寄り、仰向けになっているシマカゼの背に腕を入れて抱き起すと、その手を包むようにして握り、生体フィールドを纏った。

 艦娘間での燃料の譲渡を行おうとしているのだ。

 同じ艦種ならばできる荒業。これで相手が回復できる量は微々たるものだが、今のシマカゼにはそれで十分だろう。朝潮自身もだいぶ燃料が減っていたが、ある程度余裕を残してシマカゼに意識を取り戻させる事に成功した。

 

「……あさしお?」

「はい、朝潮です!」

 

 まだ意識が明瞭ではないのだろう、シマカゼは朝潮へ顔を向けると、舌足らずに呟いた。それに元気よく返す。助かって良かった。朝潮の胸には、喜びが満ちていた。

 その気持ちに押されるように、朝潮はシマカゼの顔に接近すると、軽く触れる程度に口づけをした。

 

「……え、あの、何を……?」

 

 一気に意識が覚醒したのだろう、肌に赤みが増して体温も取り戻したシマカゼは、それに留まらず真っ赤になって、口元を手で覆った。

 寝ぼけの代わりに混乱しているらしい。仕方なしに朝潮は、身を寄せて、再度同じ事をした。

 

「これが、答えです」

 

 顔を離し、一言一言、ちゃんと伝わるように言う。朝潮も、真っ赤な顔をしていた。

 ベッドに置かれたシマカゼの手に自身の手を置いた朝潮が、まっすぐ目を見つめれば、ようやく事態を飲み込めたのだろう。シマカゼはにっこり笑って、ありがとう、と言った。

 お互いの胸の中で、嬉しさが膨れ上がる。気持ちを受け入れた、と、受け入れてもらった。同じベクトルの気持ち。

 朝潮がシマカゼの想いを受け入れたのは、状況に流されたからだとか、恩に報いるためになどではない。

 ちゃんと考えて答えを出した。

 そもそも朝潮は、彼女の事は嫌いではなかったし、好いていた。それが性別の垣根を越えるものなのか、そもそも恋愛の情なのかもわからなかったが、こうして気持ちをぶつけられて、自覚した。

 

 告白されて、性別を明かされて、ずっと大きな好意を寄せられて。

 意識してしまうのは当然の流れだった。

 大事な事を自分だけに教えてくれた。信頼されている。

 それは嬉しい事だ。

 思えば、最初からそういった艦娘としてはおかしい部分に惹かれていた気がする。

 きっと自分は、この人が好きなのだ。

 好き。

 どこかにあった正体不明の感情に名前を付けると、それは一気に表へ出てきて、朝潮を動かした。

 三度目の口づけ。想いをぶつけるように、この気持ちが本物なのだと示すために、唇を重ね、体を押し付ける。肩を掴んでいた右手は、いつの間にか、シマカゼの手と絡み合って胸元にあった。

 目をつぶれば、熱っぽい息と、小さな声と、口に触れる柔らかい感触がはっきりと感じられた。

 

 気がつけば朝潮は、ベッドの上に仰向けに寝ていて、その上に島風が乗っていた。顔の両側にある腕。影のかかった顔。太ももに擦れ合う両足。

 ……あれ、と、朝潮は内心で首を傾げた。

 好きだという気持ちを確かめ合うためにキスをしていたのに、いつの間にこんな状況に。

 というか、さすがにこれはいけないのでは。

 キスの先、となると、朝潮には何をするのかなんてあんまりわからなかったが、肌まで合わせていれば感じられるシマカゼの気持ちの昂りと、自身の火照った体に、してはいけない事をしようとしていると思った。

 それは、正しかった。

 寝起きにラブコールを受けたシマカゼは、衝動のまま朝潮を押し倒した。

 このままでは一線を越えてしまうだろう。連装砲ちゃんは目を覆う仕草でキューキュー騒ぎ、囃し立てている。頭の横にぽとりと落ちたうさみみカチューシャが、彼女が本気なのだと窺わせた。

 慌てて朝潮は、シマカゼの肩に手を押し当てて、起き上がろうとした。

 そうは問屋が卸さない。ここまできて、シマカゼはもう止まらない。

 

「し、シマカゼっ、なぜ乗っかってるんですか!?」

「中指と薬指だけは死守したから。爪もちゃんとやすって綺麗にしてあるから……」

「それとこれとどう関係があると言うのですか!」

「大井さんが言ってたんだよ。こんなの基本よ、って」

 

 大井、という名前に果てしなく嫌な予感を覚えながら、抵抗する朝潮の手を、シマカゼの手が絡め取ってベッドへ押し付ける。溢れた感情ゆえか、涙に濡れ、熱のこもった視線を向けられて、朝潮の抵抗も弱まりつつある。

 いや、でも、これは。

 駄目。駄目です。これ以上いけない。

 

「しっ、シマカゼ、駄目です、こんな場所で……あっ」

 

 首元に埋まったシマカゼの頭を無意識に抱きしめて、朝潮は甘い声を出した。

 危機感や焦りよりも、好意と好奇心が勝ってしまった。

 勝ってしまったのだ。

 誰の邪魔も入らない孤島。二人だけの時間は、まだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

『島風ちゃ――…………うわ』

 

 ……訂正。

 端末に入った通信越しにいけない音を聞いてしまった夕張さんは、最初の一声以後は息を潜めてすべての神経を耳に集中させていた……のだとか。

 

 

 シマカゼと朝潮が鎮守府へ帰還したのは、レ級を倒してからおおよそ十日後の事だった。

 霧がなくなったために、海上を移動しなければ日本へ帰れなかったためだ。

 常に燃料切れの恐怖が付き纏い、未知なる海域を進むのは精神を削る険しい道のりであったが、二人の仲がより親密になったのは言うまでもない。

 端末との通信により途中からは捜索隊も加わっての帰路だったが、その一員である満潮は無事の帰還を祝う催しの際、取材にこう答えている。

 

 ――――ぜっっっっっったいに認めないんだから!!




TIPS
・朝潮の気持ち
実は最初から結構惹かれていたけど
誰かの影を重ねて見られていると薄々勘付いていたので
告白を受ける事はしなかった。

・真夏の夜になにがあったのか
何もなかった。

シーツ(掛け布)の乱れはなにを意味するのか
なんにもなかったってば。

・夕張さん
真っ赤に熟れて机に突っ伏している姿を発見された。
よろしくないです、とひたすら呟いていたらしい。

・島風
長いこと表に出る事はできない。
今後とも翔一が主導権を握る事を了承している。
わりとものぐさなので心の海の底でのんびりしているのが
(しょう)に合っているんだとか。

・名前の呼び方
朝潮だけが島風の事を「シマカゼ」と呼ぶ。

・満潮
姉とウサミミがなんか仲良くなってるのが気に食わない。


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第四十八話 海休暇

繋ぎのお話


 あの孤島を後にして鎮守府へ戻って来た俺と朝潮は、報告の前に入渠する事になった。傷も疲れもなくなって提督の下へ報告に向かったのは、同じ時間。

 戦艦と同じパワーを得て、あらゆる艤装を扱えるようになった俺の修復時間は、通常の駆逐艦と同じだったのだ。それに気づいたのは、提督に事のあらましを話して聞かせ、俺が改二に到達した事を伝えた時だった。

 まあ、藤見奈提督はどちらかというと、俺と朝潮が……俺が、神隠しの霧に潜む強敵、レ級eliteを打倒した事を驚いていたみたいだけど。

 駆逐艦が戦艦を倒す……あり得ない話ではない。その駆逐艦の練度が高く、魚雷を直撃させれば、倒す事は可能だろう。

 だがあのレ級には通常の兵器どころか、艦娘の兵器も効かない。そうでなくても俺のノーコン具合は広く知られている。それで倒したというのだから、信じられないのも無理はない。提督は、信じようとしてくれたけど。

 しかし、端末に記録されていた音声を通してそれを確認した提督は、頭を抱えて悩み始めてしまった。

 あんな怪物を倒してたっていうのに、喜びもせずなぜそんな態度をとるのだろう。少々気分を悪くしていれば、彼はゆっくりと懸念を語った。

 

 それは、俺の有用性についてだった。

 駆逐艦にしては強すぎるパワー、おそらく全世界に存在する艦娘を含めても五本の指に入るだろうスピード、そして燃費。――出撃や修理に必要な燃料・弾薬は、改二となったのだからかなり増えたのではないか、と思われるかもしれないが、そんな事はなかった。

 なぜなら、俺は今、シマカゼ改だからだ。

 あの時改二となってレ級を倒したはずなのに、なぜ戻ってしまっているのか。

 これは、報告の後すぐに行った測定検査で判明した。

 そもそも改二なんてものはなかったのだ。

 ただ連装砲ちゃんが謎の変形を遂げて体にくっついただけ。それでなぜ驚異的なパワーアップを果たせるのか。

 俺には、俺の中にいる島風と一体となっているからだとすぐにわかったが、まさか俺がそんなへんてこな状態であると知らない夕張さんは、始終唸りっぱなしでデータとにらめっこしていた。

 いちおうその状態になれば大きく能力値(ステータス)が上がるために、仮称としてシマカゼ改二と名付けられ、本当に改造された状態なのかどうかを調べる事になった。その調査は、難航して、一日や二日では終わらなかった。

 改二状態が、長続きしないのだ。

 

 数回繰り返して改二に到達してみたが、持続時間は精神状態や心理に大きく左右されるようで、戦いも何もないこの平常時だと数分もせずシマカゼ改に戻ってしまった。

 それに、改二になると一言で言っても、簡単になれる訳ではない。

 今出せる全速力のその先、スピードの境地に達しなければならないから、タービンは赤熱するしエンジンの消耗も酷い。……とか言われても、俺にはそのタービンだとかが何を指すのかはよくわからなかったが、限界を超える際に酷い腹痛――内臓が燃えるように熱くなって激痛を発する――があるのと、足の筋肉も体中のどこもかしこも酷使されたみたいに引き攣って、頭も真っ白になるくらい、キツイものだった。

 数度に渡って成功させた俺を褒めて欲しい。それ以上は疲労困憊で、走るどころか立つ事さえままならなくなってしまったけど、普通に休憩していれば回復した。念のため時間をあけて再検査する事になった。

 

 さらに、改二時の能力の確認も行われた。

 端末から照射される光の板は、かつてプレイしていた艦これの各種画面と酷似していて、そこから自分自身の装備の変更、ステータスの閲覧などが行えた。

 水上偵察機を装備すれば肩部にカタパルトが備えられ、戦艦の主砲を装備すれば特定の型の――35.6cm連装砲の時は、金剛型の物だった――艤装が現れた。さらに、それくらいならば背負ったまま動く事が可能で、海上ならもっとスムーズに動けるだろう事が予想された。ただ、急激な重量の変化と重心の位置の変わりように慣れる事ができず、あらゆる武器を駆使して戦うには、相応の訓練が必要だろう事も同時に予測された。

 

 夕張さんは、端末にそんな機能を追加した覚えはないと言っていたし、端末をばらして解析してみても、やはりそういった不思議な機能を起こす個所は組み込まれていないと判断していた。だから余計に混乱して俺の体を回し見て、端末を見てしまいには床に身を投げ打ってごろごろ転がり回っていた。連装砲ちゃんが真似しちゃうからやめてよね、とは口が裂けても言えなかった。

 

 まあ、艦娘は不思議な存在だ。妖精さんがなんやかんやしてくれているのだろうと思おう。そうしなきゃやってらんない、とは夕張さんの言葉。

 そんな原理不明の能力を使わなくとも、改二のパワーはすごい。元々シマカゼ改でも駆逐艦の域を逸脱した力を持っていたのだ。それが倍に……とはいかないまでも、ずっと強くなっているのだから、機械の故障ではないか、夢でも見ているんじゃないかって夕張さんがあたふたしていた。

 スピードの検査でもそうだ。改二状態の俺はとにかく速い。その気になれば音より速い、と昔に口にした気がするが、本当にそうなりそうな勢いだ。

 ただ、ちょっと鍛錬してわかった事なのだけど、俺のステータスの上昇のさせ方は、鍛えたり経験を積んだりする事なのだが――近代化改修は意味がない――、改二の状態で修業してステータスを上昇させても、一度改に戻ってしまうと、次に改二になった時にはステータスがリセットされてしまうみたいだった。

 これ以上のパワーアップは見込めない、という事なのだろう。

 進化だけでも破格の力だ、文句はない。でも、誰かを守ろうとするなら、力はどれだけあっても困らないから、できるならもっともっと強くなりたかった。

 やめてね、と涙目の夕張さんが言った。これ以上訳わかんない事はお断りらしい。意外だ。こういうのの原因の究明とか、そういうのに興味ありそうなのに。

 

 提督が頭を悩ませていた理由に戻るが、要するに、一人ですべての艦娘の仕事をこなせる俺は、最前線に送り込まれて休む事なく働かされる事になるか、下手すれば島風の中で唯一改二に到達した原因を調べるために、中央にて、ちょっと口に出せない黒い事をされるかもしれないという話だった。

 そんなのは御免こうむる。俺はこの鎮守府で、朝潮や吹雪達と一緒に戦っていきたい。人類に(くみ)するのを今さら拒否したりはしないけど、守るべき人は俺自身で判断して決める。艦娘全部を守ると決めたけど、実際にそれを行うのは不可能だ。だから、この鎮守府の、俺が伸ばした手の届く範囲の艦娘を守る。それができない場所に放り込まれたら……どうなってしまうか自分でもわからない。すっごく怒るかもしれない。

 

 提督は、俺の力を上に報告しないようにしてくれた。人の良い提督といえど、世界が綺麗ごとだけで回っている訳ではないと理解していたみたいだ。……俺が大変な目にあうかもしれない可能性を話してくれた時点で、そうだというのはわかってたけど。

 ただ、シマカゼ改二の存在を隠すなんて言っても、レ級を倒した事実は消えない。

 この鎮守府が異常な霧に包まれ、数時間の間どことも連絡がつかない状態になっていたのは周知の事実だ。一般の人にまで伝わってしまっている。何があったのかまでは、伝えなければならない。

 第一艦隊の面々も執務室に呼んでの話し合いで、上にはこう報告する事になった。『突如として発生した神隠しの霧から現れた、霧に潜む強敵・レ級elite及び戦艦級・重巡級・軽巡級の全てを全戦力を以て殲滅。濃霧へ逃れようとしたレ級を第一艦隊で追撃に入り、これを撃破した』。

 ……嘘は言ってないな。大量に現れたレ級以外は、ここに所属する艦娘みんなでやっつけたし、朝潮を攫ってあの孤島へ逃げたレ級を、第一艦隊は確かに追っていた。彼女達が倒したとは言っていないが、そうとしか読み取れない内容になっている。

 かくして、シマカゼ改二の存在は秘匿される事となった。といっても、使用を禁じられたりはしていない。何事も艦娘や人の命が第一だ。使うべき時は、俺の判断に委ねる、と提督は言った。信頼されてるみたいで嬉しかった。

 

 俺と朝潮は、また数日お休みを貰う事になった。もう傷もないし、体力も満タンだけど、ご褒美みたいなものなんだろう。お給金もたくさん貰った。あんまり使い道ないんだけどね。

 ちなみに、報告の後数日提督が鎮守府からいなくなっていて、戻って来た時には、勲章なんかを手にしていた。昇進したんだって。少将……って凄いような気がするけど、このご時勢、あまり階級の大小に意味はないらしい。肩書としては立派に見えるけど、実際はお給金が増えたり、中央への要請が多少通りやすくなったり、発言権がすこーしだけ増したりする程度。今までとそう変わらないのだとか。重要なのは実績と人柄。その点提督は大丈夫だよね。良い人だし。

 

 

 報告と測定が終わったのはお昼過ぎ頃だった。

 久し振りに部屋に戻ると、ルームメイトが勢揃いしていた。

 

 吹雪と夕立、それに叢雲と再会の抱擁を交わして――叢雲が応じてくれたのはちょっと予想外だった――、何があったのかを詳しく聞かせて欲しいとせがむ夕立に、お茶を用意し、机を囲んで座って、あの孤島での出来事を語った。――朝潮と想いが通じ合ったのは、さすがに話せないというか、恥ずかしいから伏せたけど。

 それから、レ級を倒す際に、叢雲のアンテナも一緒に壊してしまった事を伝えると、彼女は怒ったりなんかせず、ただ、目をつぶって、両手で支えた湯呑みに口をつけた。

 一息ついた後に、彼女は柔らかく微笑んで、ありがとう、と言った。

 怒られるかもとびくびくしていた俺は、拍子抜けして、しばらくの間彼女の横顔を眺めてしまったくらいだった。

 

 あのアンテナは、かつての鎮守府の名残……敵を討つまでの楔のような物。

 奴を倒したならば……それにアンテナが役立ったならば、もう、あれは必要ない。

 憑き物が落ちるとはこの事を言うのだろうか、叢雲からはもう、近寄り難い雰囲気はなく、壁も感じなかった。だからといってキツイ目つきや厳しい言動が変わったりはしなかったが――湯呑みの持ち方を注意された。このタイミングで! ……鷲掴みにしていた俺が悪いんだけども――、それでも、見てわかるくらいにはすっきりしたみたいだった。

 だから、アンテナの事は気にしなくて良い。

 ……彼女はこう言ってるけど、アンテナも艤装の一部だ。無くてはならないものって程ではないだろうが、言葉を鵜呑みにして何もしないでいるつもりはない。弁償しなくっちゃ。

 幸い、お金はあるし……あとで明石の工廠に行こう。

 話を続ける。

 俺が改二になった事を告げた時の吹雪と夕立の慌てようは面白かった。抜け駆け! って……まあ、そうなるのかな。二人は、静観していた叢雲まで巻き込んで明石の工廠にすっ飛んで行った。今すぐ自分達も改造してもらおうと思い立っての事だろう。改造レベルに達していないのは明白なので、三十分も経たずとぼとぼと帰って来た。やっぱり駄目だったみたいだ。あの那珂ちゃん先輩でも、改二になるのには一月半かかったと言うのだから、俺達ではどれ程の日数をかければ良いのか……あ、俺はもう改二になれるんだった。なるほど、抜け駆けだな。

 

 それにしても、帰りがけに駄菓子を買って来たのはどういう了見だろうか。俺の帰還祝いにお菓子パーティするって?

 でも、そんな事したら叢雲が怒るよ? ほら、膝の上に乗せた砲ちゃんをなでなでして、あんなにリラックスしてる………………叢雲さーん?

 

「別に、するなとは言わないわよ。ちゃんと夕ご飯食べられるように調節するならね」

「ほら、叢雲ちゃんもこう言ってるし! 私、お茶淹れるね!」

「今日は羊羹増し増しっぽい! 濃いお茶お願いするっぽい!」

 

 さっきまでの落ち込み具合はどこに行ったのか、俺達を管理する支配者(おかあさん)から許可が出た途端、夕立がビニール袋を机の上にひっくり返して、中身をぶちまけた。

 結構種類があるな。水風船みたいな水ようかんとか、長方形の一口サイズのやつとか。小豆とか、こしあんとか、味もいろいろ。

 もちろん、それ以外の駄菓子もあるけど、概ねお茶に合わせて食べるやつが多かった。駄菓子というより和菓子? まさにお茶をするって感じ。

 その日の午後は、久々にまったりと過ごした。

 

 夕飯時、混み合う食堂で朝潮の姿を見かけたので、挨拶しに行ったら朝潮防衛隊隊長に行く手を阻まれた。満潮だ。約束通り彼女を助けて来たというのに、人の恋路を邪魔するなんて。……気持ちはわからなくもない。

 おぼんを手にしてガルルーと威嚇する満潮を眺めていれば、荒潮がそそっと寄ってきて耳打ちしてきた。

 心配性の満潮ちゃんは、朝潮がいない間不安で不安で仕方なくて、かなりボロボロだったみたい。無理矢理捜索隊に自分を捻じ込んで海に出たくらいだ。それを聞いてしまうと、彼女を押し退けてまで朝潮に会うというのは憚られた。

 この鎮守府に帰ってくるまで朝潮とはずっと一緒にいたし、今まで以上に言葉を交わしたのだから、帰って来たばかりの今くらいは、姉妹でいさせてあげた方が良いだろう。それに、朝潮を心配していたのは彼女達だけではない。由良さんの隊も、朝潮の安否を気にしていたはずだ。

 俺ばっかりに構っている暇は朝潮にはないとして……ああでも、一言くらい挨拶させてくれたって……。

 そんな気持ちで、遠巻きに、不安げに俺達の様子を眺める朝潮の方へ向かおうとしたら、朝潮防衛隊副隊長が満潮に加勢した。……荒潮、裏切ったな。

 いや、裏切るも何も、最初から彼女は満潮と朝潮の心配しかしてなかったけど。

 結局俺はすごすごと退散する羽目になった。目が合った朝潮は、申し訳なさそうに笑って、頭を下げてくれた。軽く頷いて返し、吹雪達の下に戻る。

 

 食事中、朝潮と仲良くなったのか、と夕立が聞いてきた。鋭いというか、鼻がきくというか……。

 あんまり大っぴらにできるような関係ではないので(そう思っている)、多少は、と誤魔化したけど、半目で見られた。疑われてる? そんな馬鹿な。俺の人徳があれば有無を言わせず信じさせられるはずっ。

 ……俺に人徳などなかった。

 就寝時、ガールズトークと称した審問会で結構危ないところまで話してしまった。

 吹雪も夕立も凄い食い付きと興味だった。艦娘と言えども女の子という事か。いや、でも、見た目女の子どうしの恋愛にそこまで興味を持つものなのか? 恋愛話ならなんでも良いのかな。

 叢雲も、興味ない振りをしてずっと耳を傾けていた。

 恋人ってやつね、と言われたけど……んー、恋人……なのかな。そりゃ、キスはしたけど……そこまで考えてなかった。

 布団に潜り込んでからも、朝潮との関係をどう言葉に表すか考えていたけど、そのうちに眠ってしまった。

 別に言葉にする必要はない、か。

 何かの型に当て嵌めちゃったら、なんか変わっちゃいそうだし。

 

 

「もうすぐ海休暇っぽい!」

「……海の日?」

「海休暇だよ、島風ちゃん」

 

 休暇を終え、出撃できる身となると、提督は以前に増して積極的に俺を育てようという動きを見せた。つられて第十七艦隊の、とりわけ同じ部屋の吹雪と夕立も一緒の出撃を繰り返し、練度を高めている。二人共にやる気十分だ。速く俺と同じ改二になりたいんだって。厳密には、俺は改二じゃないから、彼女達が再改造されてしまうと、お揃いではなくなってしまうのだけど。

 改二になれば最強無敵なんて考えてるなら、止めなきゃね。俺もちょっと強くなったつもりでいたけど、先日那珂ちゃん先輩に体育館裏に呼び出されて進化を強要され、しこたま投げられたもの。あれはちょっと、敵いそうになかった。

 なんで那珂ちゃん先輩、ちょっと怒ってたんだろう。何度か俺を投げ飛ばすと、いやにすっきりしてたけど。

 ……ひょっとして、彼女の記録を塗り替えでもしたかな、俺。ええと、俺がここに着任してから改二になった日までを数えてみると……およそ三十日くらい?

 ……四十八日を大きく上回っている。それが気に入らなかったのかな。

 いや、彼女に限ってそんな理由で勝負を挑んできたりはしないだろう。

 きっと、強くなったからといって油断するなとか、技術を磨けって伝えたかったんだろうね。

 

 帰投して入渠し、今回初めての旗艦という事で報告書を仕上げて執務室に提出しに行った帰り、廊下の途中で待っていた三人――最近は、叢雲もよく俺達と行動を共にするようになった――に連れられて間宮に向かった。海休暇というのの話題は、頼んだ物がくるまでの時間潰しに出てきたものだ。

 海休暇と言われても、そんなの初耳だ。それは何か、という意味で叢雲を見れば、いつものように装ちゃんを愛でていた彼女は、名前の通り海に行くお休みの日よ、と説明した。

 

「この鎮守府が設立されてからある独特の風習なんだって。私と夕立ちゃんも、初めてなんだ」

「海ならいつも行ってる……って言うのは野暮だね。でも、お盆の時期をとっくに過ぎてるんだよ? 海なんかいっても、クラゲがうじゃうじゃしてるんじゃない?」

 

 泳ぐ目的でないなら、別に海の中がどうなっていようと関係ないだろうけど……ふと、ずっと昔……いや、実際には二ヶ月ほど前か。PCの画面越しに見ていた目の前の夕立が、水着に身を包んで『泳ぐ』宣言をしていたのを思い出した。艦娘だって海水浴を楽しんで良い。でも、時期がおかしくない?

 俺の疑問に、夕立はふふんと笑って、あくどい顔をした。……最近よくその顔してるけど、気に入ってんのかな。

 

「ここら一帯の海には、あんまりクラゲが浮かんでこないっぽい。そもそもクラゲは赤ちゃんの頃は、海底に根付いていて、成長するとみんなの知るクラゲの姿となって、一斉に浮かんでくるぽいけど、近くの海は潮の流れが強く、また地形の関係で、泳げるスペースが出来上がってるっぽい」

「へー。そこに遊びに行くのかな」

 

 豆知識とともに求めていた情報を与えてくれた夕立にお礼を言って、それから、その海を想像してみる。

 海水浴といえばごった返す人々の姿だけど、深海棲艦跋扈するこの時代、海に近付こうなんて自殺志願者はそういない。海水浴場は艦娘専用と言って差し支えないだろう。見も知らない誰かに見られるのでなければ、俺も水着になれるかも。……いや、やっぱ無理かな。うん。

 というか、どんな水着を選べば良いのかすらわからない。競泳水着? んー、お洒落とか関係なくスピード重視? 女性用にこだわる必要はないか。下は男性用の海パンで、上はシャツとか。

 真剣に悩んでいれば、間宮さんがそれぞれの頼んだスイーツを運んできた。俺はいつも通りのクリームソーダ。三人は、季節に則ってか、かき氷を選択していた。青いのと緑色のとなんか苺とか練乳とかバニラアイスとかのったどでかいのとか。……叢雲って、甘いもの好きだよね。なんか、ここ来るたびでっかいの注文してない?

 きっと彼女の稼いだお金はほとんどここに消えてるんだろうな、なんててきとうな事を考えつつ、長いスプーンを手の内でくるくる回しながら、メロンソーダの海に浮かぶ乳白色のバニラ島をつっつく。溶けろ溶けろー。程好くバニラが溶けだしたメロンソーダは、極上の味わいだ。うむ、甘い。

 

「海休暇って言えば、こないだ入った新しい子の事、知ってるかな」

「新しい子? ……なんか、新聞で見た気がする」

 

 青葉の広報新聞。昨日くらいまでは神隠しの霧の詳細と行く末についてだったけど、今朝はたしか、別のものに張り替えられていたような。

 ていうか、新人さんなんて一人しか入ってきてないんだから、その子の話か。

 今回の功績を認められて大本営から送り込まれてきた珍しい艦娘。世界を見回しても片手の指で数えられるくらいしか発生してない子。

 海外艦だった気がする。俺はまだ見てないけど……駆逐艦の子だよね。どこの部屋に入ったんだっけ?

 

「もー、何言ってるの、島風ちゃん。お隣さんだよ?」

「隣って、空き部屋じゃなかったっけ?」

「そこに入ったっぽい。一人だけだし、荷物も少ないらしいから、気付かなかった?」

 

 はー。いつの間にかお隣さんが出来てたなんて。でも、その子が入居したのって昨日か一昨日でしょ?

 朝晩と部屋に出入りしてるんだから、鉢合わせしてもおかしくないのに。それに、授業の時や食堂で見かけた事もなかったと思うんだけど。

 

「ごたごたしてるぽいな。本来なら提督さんも歓迎会を開きたいだろうけど、ここのところみんな出撃続きで、一堂に会する機会がないっぽい」

 

 だから、まだ紹介もされてないんじゃないか、と。

 

「こないだ私達が完全休暇に入っている時、代わりに私達の分まで出撃してくれてた鎮守府の分を、今度は私達がやってるんだよね。だからみんな、いつも以上に忙しくしてるんだと思う」

「あ、そう言えばそんな事もあったね。……う、嫌な記憶が」

「島風ちゃん、夜は苦手っぽい?」

 

 夕立、なぜそれを。

 たしかに今思い出したのは、肝試しの時の醜態だったけど、まさか心が読める訳でもあるまい。いったいどこからその情報を仕入れてきたんだろう。

 あまりその話題を続けて欲しくない。なんとか別の話に切り替えなければ。

 

「そー、それで、その新しい子がどうしたの?」

「…………」

 

 う、ちょっと苦しかったかな。夕立がじーっと俺を見つめてくるのに苦笑いを浮かべていれば、うん、と吹雪が答えた。

 

「あのね、私達の後に新人さんが入ってくるのって初めてでしょ?」

 

 初めての後輩さんになるんだよ! と身を乗り出して目を輝かせる吹雪に気圧されながら頷く。そ、そうなるけど……なんでそんなやる気に満ちてるの?

 

「私達も先輩になるんだから、ちゃんとその子に色々教えてあげようって、夕立ちゃんと話してたの!」

「そうっぽい。夕立の知識を余す事無く伝える時がきたっぽい!」

 

 雑学詰め込んだら授業に身が入らなくなりそうだからやめてあげてね。

 ……ああ、そういう事か。

 

「海休暇って全艦娘が交代で参加するんだったね。大方、その新人の子って私達と一緒に行くんでしょ? その時にご指導ご鞭撻しようって訳だね」

「うん! だから、すっごく楽しみだね! って!」

「ただ、先輩として接するだけでなく、お友達にもなりたいっぽい」

 

 ん。賛成。じゃあ、俺も張り切っちゃおうかな。

 具体的な日程は……へぇ、海休暇って九月に入ってからなんだ。夏休みは終わってるし、完全に海水浴シーズンから外れてるね。でも暑い事に変わりはない。海に入るのに問題はないだろう。

 

「どうする? 寮に戻ったら、お隣さんに挨拶する?」

「そうしたいけど、いるかなあ」

「荷解きが終わってなかったら、手伝ってあげたいっぽいな」

 

 さすがにもう終わってるんじゃない? 荷物少ないんでしょ?

 まだだったら、夕立の言う通り手伝おうと思うけど、その彼女が俺達を受け入れてくれるかどうかだよね。

 ……ていうか、その子って誰だ? 海外艦……駆逐艦というと、えーと、マッ……フォックス、だっけ? そんな感じの名前だったような。

 

「Libeccio。リベッチオ、よ」

 

 カラン、と大きな器にスプーンを落とした叢雲が、ウェットティッシュで口元を拭いながら、そう言った。……黙々と食べてるなーとは思ってたけど、速いね、完食。

 

「イタリアの駆逐艦っぽい?」

「叢雲ちゃんは、会った事あるの?」

「ええ。彼女を迎え入れた時の助秘書は私だったんだもの。荷物を運んだのもそう」

 

 思い出しながらだろうか、目を伏せて「元気の良い子だったわよ」、と語る叢雲は、穏やかだった。

 変われば変わるもんだよね。前だったら、こんな表情、早々お目にかかれなかったのに。

 

「それじゃあ、寮に戻ったら、リベッチオちゃんに会いに行ってみよっか」

「賛成っぽーい」

「どんな子だろうねー」

 

 そうと決まれば、さっさとクリームソーダをやっつけてしまおう。

 元気の良い子、という情報だけでは姿形はわからないけど――Libeccioという艦娘はイベントの報酬で手に入れていたような気がするが、容姿が思い出せない――、それは会ってからのお楽しみ、だ。

 

 それから俺達は、どんな事を教えようか、海休暇では何をしようかといった話をしながら食事を終え、間宮を後にした。

 さあ、後輩さんとのご対面だ。




TIPS
・昇進
もっと頑張れの意。

・那珂ちゃん
私より速く改二になるなんて凄いじゃん。
試してあげよう、その力を(腹パン)。
どうしたの、変身しないの?
良いパワーだ。感動的だな。だが無意味だ。

・デラックスラクトアイス間宮スペシャル
叢雲さんの頼んでいたデザート。
かき氷を基本に、各種果物とアイス、これでもかとかけられた練乳や
チョコソースが濃厚な味わいに仕立て上げている。
3,210円也。

・朝潮防衛隊
突発的に発足した、朝潮を守る強固な壁。
これを突破するにはそれぞれの弱点をつかないといけないぞ!
満潮にはお化けが有効だ。荒潮は無敵だ。諦めよう。

・Libeccio
ホロ仕様の艦娘さん。
彼女もまた、普通の艦娘とは違っているかも……。


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第四十九話 リベッチオと大淀

次回の更新は年が明けてから。
1月2日以降になるかな。



 あの日。

 レ級を倒したあの夏の日以来、俺は、時折自分の声を聞いていた。

 ――『自分の声』。何かの比喩ではない。勘違いや気のせいでもない。ましてや、俺の気が狂っている訳でもない。

 聞こえるのだ、心の奥底、暗い海の向こう側にいる島風の声が。

 深く深く、ずっと深く。

 くぐもった声が、俺と同じ声が、俺を誘うように呼びかけてくる。

 壁一枚を隔てたかのような低い音が、しかしはっきりと聞こえて、何にも遮られたりはしない。

 彼女の声は、恐ろしいくらいに、いつでも俺の耳に届いた。

 

『おはよーございまーす!』

「ふにゃぁー」

 

 胸の内から響く声が、頭の中にまでがんがん響く。

 朝っぱらから――いや、夜っぱら?――かまされた挨拶というか音の暴力に文句を言う気力もなく、突きだした手で布を掴んで布団をひっかぶれば、おはようございます! おはようございます! の大合唱。やめて、音撃やめて。脳みそ破裂しそう。

 仕方なく起き上がって、しょぼしょぼした目を腕で擦る。あくびをすれば、涙が出てきて、頬を伝った。それも袖に吸い取らせて、頬に擦り付ける。ん、と声を出せば、少しだけ目が覚めてきた。

 おはよう、と胸の内、その先にいる島風に挨拶を返す。

 

『起きた? 今日は良い天気みたいだよ。ねー、走ろ?』

「んー……」

 

 重い頭を振るって、今の言葉の意味を考える。良い天気……良い天気だって? 真っ暗なんですけど?

 遮光カーテンに遮られた外は、隙間を見ればまだまだ暗い事がわかる。

 あー、またこんな時間に起きちゃった。

 別に彼女が呼びかけてこなくたって前からこれくらいの時間に起きてたけど、自然に起きるのと誰かに起こされるのでは、すっきり度が違うのだ。ていうか、何も起こさなくたっていいじゃないか。彼女の睡眠時間はどうなってるんだ。

 走ろう走ろうと急かす彼女に根負けして、お布団と涙の別れをする。いつもの制服を用意してシャワールームへ。脱いだパジャマを丸めて洗濯器に投げ入れ、誰もいない浴場に入り、手早く温水を浴びてさっぱり目を覚ましてから、おニューの制服に袖を通す。うさみみリボンのカチューシャを装着すれば、シマカゼベースフォームの完成。一度部屋に戻って(三人ともぐっすりだから、起こさないようにそっと動いて)連装砲ちゃん達も叩き起こし、強制的にお供させる。君達と俺は一蓮托生だ。寝こけてるなんて許さない。

 キューキュー鳴いて愛らしい仕草を見せる連装砲ちゃん達を一通り構ってから、今度は外へ向かう。日課の、朝のジョギング。

 今の俺のスピードだと、何も考えずに動くと並の人間が結構な速さで走っているのと変わらないくらいになってしまうから、日に日に周回数が増えている気がする。日の出まで走るって決めちゃったからそんな事になるのだ。いや、そもそもぼうっとしてなければいいのか?

 風と一つになるのは楽しいから、それに専念したいんだけど……まあでも、最近は同居人がねえ。

 

『んー、風が気持ち良いねぇ。絶好の海日和かな』

 

 さあね。なんなら、曇ったら俺が散らしに行っても良いよ。

 

 最近は、彼女が引っ切り無しに話しかけてくるために、無心で走るって事ができてない。まあ、話し相手がいるのは退屈しないですむから良いのだけど、ひょっとしなくてもこれって、傍から見ればかなり寂しい奴というか、痛い奴だよね。

 

 何周かしたくらいに、寮の裏で足を止める。暗い海を眺めて、頭の後ろに腕をやって伸ばし、ぐぐーっと伸びをする。追いついてきた連装砲ちゃん達が足下にまとわりついてぐるぐるして、見上げてきた。

 

『走らないのー? ねーねー、走ろーよー』

「……。ちょっと休憩、ね」

『ぶー』

 

 不貞腐れたような声を出して黙った島風に、自分の胸を見下ろして、それから、縁の方に寄って腰を下ろし、足を投げ出す。冷たい地面に手を付け、夜明け前の水平線を眺めた。

 

 島風……。

 

 あの孤島から帰って来て、数日経ったくらいから急に話しかけてくるようになった、この体の本来の持ち主。……彼女が言うには、厳密にはそうではないらしいけど、俺の意識的にはそうだと思っている。

 彼女の呼ぶ声に応え、この体を救った俺だからこそ、この体はもはや俺のもの……なんて言われても。

 朝潮も、同じような内容の彼女の言葉を俺に伝えてくれたけど、それでもやはり素直に受け入れられなくて、今でも間借りしている気持ちだ。

 いつか俺が消滅してしまうかもしれないなんていう心配はなくなった。それは良い。でもその代わり、奇妙な同居人ができてしまった。

 最初からいたらしいけど……――それこそ、俺があの孤島で目覚めたあの瞬間から、俺の中にいた、って。ではなぜあの時話しかけてこなかったのか、そしてこれまで長い事何も言わなかったのか。

 言わなかったのではなく、言えなかった、が正しい。

 彼女が外に……まるで人格が変わるみたいに、俺の代わりに表へ出られるようになったのは、つい最近なのだと言う。初めての護衛任務の時。それが、島風が覚醒した時。つまりそれまではスリープモードで、喋る事はおろか、目を開けて、あの海の中を動き回る事もできなかったんだって。

 ただ、眠っている間は、夢の中で自分とそっくりの少女の動く姿をずっと追っていたという。たぶんそれは俺だったのだろう。夢の中でなら、何度か会った事もあるって言ってたけど……あったっけ、そんなの?

 夢の内容なんて覚えてないなあ、俺。

 ともかく、島風は俺が沈みそうになったあの時に表に出れたは良いものの、不完全な目覚めだったらしく、またすぐ眠ってしまった。それまでの俺の不調……眩暈とか、吐き気とか、頭痛とか、能力値(ステータス)の低下とかは、彼女が目覚めるにつれて起こった不具合だったらしいけど、あんなに俺が苦しい思いしたって言うのに、起きてる時間はたった十分にも満たない短い時間だった訳だ。割に合わない……いや、そんな事言うもんじゃないか。それで彼女が目覚められたんだから。

 

 再びこの胸の中の海に沈んだ島風だけど、次の目覚めは速かった。

 一度意識がはっきりしたのだ、それ以来は海面を見上げるようにして外の情報を得ながら、俺の行く末を見守るつもりだったらしい。つもりだった、とは、彼女が表に出ざるを得ない、もしくは、出られる瞬間ができてしまったって事。

 ――ああ、つまりは、その……俺が朝潮とちゅっちゅちゅっちゅしてるところも見られていた訳で……うわー!

 あー、あー、あー!

 あーあーあー!

 んっん、えほ、げほごほ、おっほん。

 

 ……彼女が次に目覚めたのは、仮の拠点で俺が気を失った時。

 俺の誤解を解きたいからと、これ幸いと表に浮かんだ、という話。

 誤解って……俺の考えは間違ってないと思うんだけどな。

 この体は島風のものだ。本当なら、俺が好き勝手して良いものじゃない。彼女はいいんだって言うけど、駄目だ。

 ……とかいいつつ、誰かを好きになったり、肌を重ねたりしたのだから、俺も大概(たいがい)筋の通らない生き方をしてる。

 感情は時に制御できないものなのだ、と言い訳するにしても、人の体で……それも、清い少女の体でそういう事をするのは、なんというか……まあ、いけない事だよね。

 ただ、俺がこの体についての見解を述べると、島風はへそを曲げるから、口には出せない。胸の内で会話する事も可能だから、ふとした時に考えが漏れそうな気もするけど、今のところそういうのは起こってないな。わざわざ諍いを起こす必要はない。俺の中だけで、この体は彼女のものなんだって認識してればいい。俺の中に、彼女がいる。それは変わらないのだから。

 ……朝潮と二度と二人きりになれないっていうのは辛いな、なんて考えてしまうのは、どうなんだろう。

 

『んー? 島風も四六時中監視してる訳じゃないよ。だいたい寝てる』

 

 う、今の、伝わってた? 声に出してはいないはずなんだけど。

 ……まさか、彼女が反応してないだけで、胸の内で呟いた言葉は全部筒抜けとかじゃないだろうな。

 戦々恐々としつつ、声に出して、彼女に返事をする。

 

「……そんなものなの?」

『損なものー。なんちゃってー』

 

 ……夏とはいえ、朝は寒いなあ。

 あーさぶさぶ。

 

 でも、だとすると彼女が眠っているうちは誰の目もないって事になる。

 安心して朝潮と………………いやいや、何をするつもりだ、俺は。

 浅ましくも一線を越えそうになったあの時は、なんとか朝潮が俺を正気に戻してくれたけど、落ち着いた今それをやろうって気にはならない。

 したくないという訳じゃないし、彼女を好きになったのは確かだけど、俺にそっちの趣味はないのだ。

 ……とか言ってても、迫られたりしたら押し切られちゃいそうだけど。

 朝潮が迫ってくるとかないだろうから、そんな心配は無用だろうけどな。

 

『あのね、島風はー、この海で揺蕩っているだけでも満足なのです』

「本当にそうかな。走りたいんでしょ? 自分の足で」

 

 俺が走ったって、彼女には過ぎ去る景色しか見えてない。

 髪を引く風も、はためく服が体に張り付き、肌を打つ感触も、地面が足を押し返す重みも、その音も、心地良い疲労も、息を整えるまでの苦しさも、彼女が感じる事はできない。それで満足なのか? 本当に?

 

『ほんとほんと。だから不満も言わないでしょ?』

「言ってる気がするなぁ」

『……たまにしか言わないでしょ?』

 

 あ、言い直すんだ。

 

 足をふらつかせて、流れる波を見下ろす。海に吹き付ける風が縁の方で跳ね返ると、スカートの布が揺れ動いた。

 

『今は、必殺技のお手伝いをするので十分かな』

「必殺技?」

『ダブルエクストリームとか、ウェイクアップフィーバーとか……私が言ってたんだけど、気付いてなかったでしょ』

「うそー……」

『なんで? 嘘なんかつかないよ?』

 

 いや、だって、そりゃ、君がライダーネタ知ってるとは思わないじゃん。

 この世界に仮面ライダーは実在しない。映像作品もない。調べてわかってる事だ。だから、彼女が仮面ライダーを知っているのはおかしい。

 ただ技名を俺の心中から読み取って声に出してるだけだったりするのかもしれないけど……。

 

『言ったでしょ。島風とシマカゼは一つだよ。あなたの記憶も、島風には見える。……穴だらけだけど』

「……なんか、変な気分だな、それ」

 

 なんでも、でなくても、いろいろとお見通しって訳だ。困るなあ、人の記憶を勝手に読んじゃ……。

 あんな何もない海じゃ、俺の記憶を見るのが娯楽だったのかもしれないけど、それでも……いや、今さら何を言っても無意味か。

 むしろ、この世界で唯一ライダー話に花を咲かせられる友を得られたと喜んでおこう。

 

 そういう訳で、少しの間彼女と話し込んで、島風が眠い寝ると宣言してダウンするまでそれは続いた。

 日が昇ろうとしている。煌めく海は、いつ見てもとても綺麗で、心を動かされる。

 

「さて、と」

 

 いつまでもここに座っている訳にはいかない。

 お尻を払って砂利を落とし、スカートの位置を直してから、連装砲ちゃん達を伴って寮に戻る。もう一回シャワー浴びようっと。

 少しだけ掻いた汗はもう乾いてるけど、走った後にシャワーを浴びるのは確定事項。

 

「あ、島風ちゃん」

「吹雪ちゃん。今から走り込み?」

 

 階段で吹雪と鉢合わせた。緑色のジャージ姿がダサかわいい。うんと頷いた彼女と手を振りあって別れ、着替えを取りに部屋へ向かう。

 夕立と叢雲は、まだ眠っているみたい。

 レ級の件が決着ついてから、叢雲は早起きしてまでどこかに行ったりしなくなった。寮の裏手で海を眺めてる事もしない。前の鎮守府の事、吹っ切れたのかな。だといいんだけど……。

 行動を共にしてくれてるって事は、少なくとも俺達や他の艦娘と仲良くしようって気にはなったのだろう。

 二段ベッドの上を見上げながら歩いて、その一段下、俺の寝床へ連装砲ちゃん達を戻そうとして、何やら掛布団が膨れているのが見えた。

 ……動いてる!

 なんだろう、このミニサイズの芋虫は。いや、だいたい予想はつくんだけど……。

 

「……あ、やっぱり」

 

 布団を捲れば、幸せそうな寝顔を見せるリベッチオが、我が物顔で俺のベッドを占領していた。

 

 ――リベッチオ。

 イタリアの駆逐艦。マエストラ―レ級の三番艦。此度の功績を称えて提督に贈られてきた艦娘だ。

 赤っぽい茶髪は、今は長く伸ばしたまま散らばっていて、健康的な日焼け肌は俺の影のためか、より浅黒く見えていた。

 幼い顔は、起きている時の活発さが嘘のようになりを潜め、すぅすぅと寝息を立てている。横を向いて眠る彼女の両手は、曲げた膝に挟まれていた。

 ちなみに服装は、パジャマではなく通常の制服だ。白いワンピースタイプの、ノースリーブのセーラー服。胸には赤と白からなる横縞模様のリボンタイが垂れている。スカートには『LI』の識別文字。

 

「こら、起きなさい」

「んぅ~……」

 

 肩を揺らすと、眉を寄せて唸るリベッチオ。寝坊助さんだけど、うちにはもっともっと寝坊助なのがいるからね。こういう子を起こすのには慣れてる。

 大きく開いた肩口から覗く腋とあばらを視界の端に、ぺちぺちと肩を叩いて数度呼びかければ、意識が浮かび上がってきたのだろう、身動ぎしたリベッチオが、薄く眼を開いて俺を見上げた。

 

「あ、ウサギー……ブォンジョールノ……」

「おはよ。あのね、ウサギじゃないよ。シマカゼ!」

 

 にへ、とだらしない笑みを見せる彼女に、小声で訂正する。

 この子、なぜか俺の事をウサギと呼ぶのだ。カチューシャのせいかな。何度訂正しても聞きやしない。

 たしかにセーラー服を着てるし、髪の色もどことなく似ている気がするが、俺はウサギではないのだ。

 

 なぜそんな呼ばれ方をしているのか、というか、彼女がここで寝ているのかは、昨日の記憶を掘り起こせばわかる。

 

 昨日。

 新しい艦娘に挨拶をしに行こうと言う事になって、俺と吹雪と夕立と叢雲の四人で、隣の部屋に突撃した。

 ノックをすれば、はぁ~い、とちょっと焦った、間延びした声。

 返事があってから数分くらいして、ようやく扉が開かれた。出てきたのは、海外艦の名にふさわしい、外国人風の女の子――もっとも、外人風味なら俺もそうだし、夕立と叢雲もそうなんだけど――だった。

 頭の左右で長髪を結んでツインテールにしている(頭の右側にくっついてるのは、方位磁石だろうか?)リベッチオは、背の低い朝潮よりももうちょっと背が小さい、完全な子供だった。腕も足も細っこくて、これを戦場に連れていくってのには抵抗を覚えてしまうくらい。

 彼女は、部屋の片づけに苦労していたみたいだ。長く使われていない部屋なために埃が積もっていて掃除が必要だったし、壊れた家具や何かが置かれていたので、それの除去に悪戦苦闘してるようだ。

 艦娘なのだから、大きな家具の一つや二つ運べるだろうけど、どれを移動させて良いのかわからないんだろうな。でも、なぜ今になって掃除してるんだろう。彼女は今日着任したばかりって訳でもないだろうに。

 

ciao(チャオ)、ムラクモさん。お部屋掃除は強敵がいっぱいだよー!」

「はいはい、手伝いに来たわよ」

 

 叢雲は彼女と面識があるんだったね。リベッチオが最初に話しかけたのも叢雲だった。叢雲が先導するので、部屋の中に入る。内装は俺達の部屋と変わらないね。でも、右側にベッドがない。広々としてる。反して、左側はベッドに棚にダンボールにと、雑多な物がてきとうに置かれている。隅っこの、汚れていない場所に手提げ袋がある。あれが、彼女の荷物だろうか。

 

Buon(ブォン) giorno(ジョルノ)! リベはリベッチオっていうの!」

「私は吹雪。リベッチオちゃん、よろしくね」

「夕立は夕立っぽい。駆逐艦で一番強いっぽい」

 

 あ、夕立のやつ、新人相手だからって自分を盛ってやがる。

 夕立改二の最大火力は確かに駆逐艦最強と言っても過言ではないけど、今の夕立はそうじゃないでしょ。

 駆逐艦最強はシマカゼだよ。

 一歩前に出て、俺も自己紹介をする。

 

「私はシマカゼ。これからよろしくね」

「ぴょんぴょん! ウサミミー! ……ウサギ?」

 

 なぜかウサギ認定された。前に出た際にカチューシャのリボンが揺れたのがそう見えたのだろう。彼女の目は、俺の頭上に釘付けだった。

 

「シマカゼ! アンダスタン?」

「んー」

「さ、あんた達。準備は良い?」

 

 あれ、スルーされてない?

 叢雲が手を打って俺達に呼びかけると、吹雪と夕立はいつでも良いとばかりに返事をした。あの、俺の名前……。

 いや、今すぐ覚えさせなくてもいいか。交流している間に勝手に覚えてくれるだろう。

 初めてできた後輩に吹雪も夕立も大張り切りだからね。きっと今後も構っていくはず。

 かくいう俺も、後輩ができてちょっと嬉しかったりする。学生時代を思い出すね。

 

 そうして始めた大掃除は、叢雲が部屋内の荷物の用不用を教えてくれたのでスムーズに進んだ。時折、部屋内に連れ込んだ連装砲ちゃん達にリベッチオが意識をとられて追いかけ回したりしていたが、誰かが一声かければすぐに掃除に戻った。

 彼女は、素直で、良い子だ。元気が溢れてるし、笑顔も多い。

 でも、その無邪気な笑顔を見てると、無性に不安になる。

 なんだろう、思い出すんだよな、その表情見てると……姉さんの事。

 誰かに人の影を重ねて見るのは駄目だって思い知ったはずなのに、どうしても重ねてしまう。

 彼女の笑顔が少し苦手になった。

 

「ウサギー、レンちゃん触っていい?」

「後は軽く掃くだけだし……まあ、いいよ」

Grazie(グラッチェ)! おいでーレンちゃん! こっちこっち!」

 

 ぐらっちえー? どういう意味だろう……英語はわかんないんだけど。あ、イタリア語か。

 こっそり夕立に聞いてみたら、ありがとうって意味なんだって。素直にお礼を言える良い子だねー。好感が持てる。

 

「ウサギのウサギもウサギだよね。ウサギっぽいよー!」

『キュー?』

 

 ウサギウサギ連呼しすぎだ。……彼女の中で俺への認識がウサギで固まりつつあるのを感じるんだけど、どうにかなんないかなーこれ。

 連装砲ちゃん達と戯れるリベッチオを眺めていると、叢雲に箒を手渡された。

 

「あんたが――」

「彼女の代わりにやれって事ね」

「……そうよ」

 

 あーあーみなまで言うな。

 彼女が遊ぶ許可を出したのは俺なので、俺が始末をつけろ、と、そういう訳だね?

 それに否はない。俺が掃き掃除をしてあげよう。

 といっても、もう粗方終わってるんだから、軽くやる程度ですぐ終わった。

 あとは、ベッドのシーツを洗濯して新しいものに取り換えるのと、少しの間換気しておくくらいかな。

 

「ヤッホー、もう終わっちゃった!」

「まだ掃除しただけよ。必要な物を揃えないとね」

 

 砲ちゃんを抱き締めたまま駆け寄って来た彼女が、喜色満面で万歳した。感情表現が豊かだ。叢雲は、冷静に答えているつもりでも、視線が砲ちゃんに向けられていて上下にぶれている。……連装砲ちゃんの魅力にやられすぎじゃないかな。

 

「ムラクモさん、ユーダチさん、ブッキーさん、ウサギー、アリガトね、助かりました!」

「お互い様よ」

「後輩さんのお世話をするのは、先輩の務めっぽい」

「ブ……え、待って、ブッキー……え、私のこと?」

「私、敬称略されてるんですけど。……あの」

「それじゃあリベッチオ、この後何するかわかってるかしら」

「提督さんにご報告!」

「正解」

 

 それじゃあ行くわよ、とリベッチオを引き連れて部屋の外に出る叢雲に、夕立が続く。

 俺と吹雪は顔を合わせて、溜め息を吐いた。

 なんで俺達だけあんな呼び方なんだろう……。

 

 

 執務室へやってきた俺達は、入室の許可を得ると、叢雲を先頭にして部屋に入り、それぞれ敬礼をした。リベッチオも俺達に続いてたどたどしい敬礼を見せてくれた。あの慣れてない感じ、前にいた場所では入退室の際の挨拶はなかったのか、それとも彼女が発生か建造したてなのか。

 

「部屋の片づけは終わったみたいだね」

「うん! みんなが手伝ってくれたのよ!」

 

 部屋の中には、提督と電に、助秘書だろう龍驤と、それから、見慣れない艦娘がいた。

 提督とリベッチオの会話を他所に、龍驤の横に立って、手にしたクリップボードを読んでいる女性を眺める。

 彼女は……大淀(おおよど)だ。

 黒髪は腰まで伸びる長髪で、ヘアバンド代わりに白い鉢巻を巻いている。セーラー服は標準的な物だけど、スカートの両側は、明石みたいに切れ込みが入っていて肌色が覗いている。

 下縁眼鏡をかけていて、とても利口そうに見える、有名な人だ。

 任務画面やイベント時の解説を担当してたから、うん、よく覚えてる。

 でも、その彼女がなぜここにいるのだろうか。うちの鎮守府に大淀はいなかったはずだ。

 ……隣で仕事している龍驤がむすっとしてるのはなんでだろう。

 俺だけでなく、みんなが大淀を見ていたのだろう。視線を向けられていた彼女が顔を上げ、()色の瞳をこちらに向けた。

 

「おっと、君達にも紹介しておかなきゃな。こちらは、本日本部から転属してきた大淀だ」

「どうも」

 

 クリップボードを下げて、丁寧に頭を下げる彼女に、つられてお辞儀をする。あ、吹雪とリベッチオもつられてる。仲間だ。

 

「ご紹介に預かりました、軽巡洋艦の大淀です。本部では三年、艦隊指揮と運営に携わってきました。貴女方のお力になれるよう尽力していきたいと思っています」

「丁寧な挨拶やな」

「ここでは私は新参なので」

 

 ファイルを閉じた龍驤が顔を上げてそう言うと、大淀は微笑んで返した。……火花が散ってるように見えるのは気のせいかな。

 ていうか、やっぱり龍驤、機嫌悪い?

 ……あれかな。前に言ってたやつ。助秘書に任されるのは、提督の信頼の証だっていうの。大淀は新入りなのに、この場にいる事を許されているのが気に食わないとか、かな。

 詳しい事はわからないから、なんとも言えないんだけどね。

 

「提督、これからは、雑務は私が引き受けます」

「ああ、それは……助かるが」

 

 これからは、というのが妙に引っ掛かる言い方をする大淀に、提督は頷いて、しかし、と続けた。

 

「うちには秘書艦の他に助秘書もいるからな。君の手はあまり煩わせないさ」

「助秘書というシステムは、私のような役目を持つ艦娘を作り出す仮のものでしょう」

「ああ、そうだ。すまないが、このシステムの廃止はない。俺の着任当時からやっている事だ。……これは、俺の我が儘にしかならないが……やめた方が良いって事は、何かしらあるんだろうな」

 

 言外に助秘書はいらないと言う大淀に、提督は必要だと返した。結構昔からあるんだ、この制度。

 

「……敢えて挙げるほどの不備はありません。すみません、少々やる気が空回りしてしまったようです。私は他の仕事に専念しますね」

 

 それは例えば送られてくる任務の整理だとか、通達だとか、そういうの。

 眼鏡の位置を直しながら言う大淀は、やっぱり有能そうだった。まだ張り詰めたみたいに空気を纏ってるけど、緊張してるのだろうか。……それはないか。本部に所属してたって事はエリートさんって事だし、ああ、たぶん彼女の雰囲気は、そういう特有のものなのだろう。

 

「それで……君達の事だったね」

 

 ようやっと俺達……リベッチオの話題に戻る。

 提督は、必要な家具や生活用品はこちらで手配する、と言った。手の空いているらしい大淀が率先して関連の仕事を引き継ぐと、何をいつにどれだけ運ぶかを簡潔に話してくれた。

 机だとか、欲しいのなら新しいベッドとか。リベッチオはいまいちわかってないみたいだったけど、大淀は二、三質問して、リベッチオから要望を引き出し、纏めてみせた。同時進行で、手元のクリップボードで必要書類を作成していたらしい。あとは提督の印が必要なだけのものを提出すると、端の方で待機した。

 ……一人だけ別のゲームしてる人みたいだな。

 

 ともかく、報告はおしまい。退室許可も得たし、リベッチオの部屋に戻ろう。

 部屋の外へ移動しようとした時だった。

 独特の通信音が響くと、電が手を止めて、提督の机に置いてある機械を弄った。

 そうすると、空中に光の板が投射され、そこには、提督と同じ格好をした青年が映し出されていた。




TIPS
・島風の声
この小説を書く前から出すと決めていた要素。
本当ならもっと前から出てきていたはずだった。

・ウサギ
第一印象で決められた愛称。
たぶん本名は呼んでくれない。
美少女戦士ではない。

・大淀
大本営最強の刺客、大淀が軌道エレベータで待ち構える。
できるスーパーエリートさん。
此度の功績を称えて、という名目で送り込まれてきた。

・龍驤
新入りがでかいツラしてるのが気に食わないらしい。


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第五十話 恐怖心

 

『あ、島風だ。譲ってくれ、頼む』

 

 モニターに映った男の第一声がそれだった。

 張りつめていた空気が途端に弛緩(しかん)する。藤見奈提督も、険しい表情を消し去って無表情になると、トントンと机を叩いて、電に何かを訴えた。ふるふると首を振る電。なんだろう……『通信を切ってくれ』『無理なのです』とか、そんな感じかな。

 

 大きな画面の向こうから、『なに言ってんのよ、このクソ提督!』という怒鳴り声と、わたわたと慌てる気配がこの部屋まで伝わってきて、なんというか、なんだこれ? って感じだった。

 退室しようとしていた俺達も、それぞれ動きを止めてモニターを見上げている。

 花の髪留めでサイドテールにした女の子がちらちら映ってるんだけど、あれは曙かな。画面から男性が消えたのは彼女の手によるものだろう。

 画面には立派な机だけが映り、機械越しに打撃音が続く事しばし。男性の弁明の言葉に『あぁ?』『は?』『あー?』という相槌――相槌と言うには些か怖すぎるが――が重なり、やがて頬に真っ赤な手形をつけた男性が、何事もなかったかのように椅子に腰かけ、手を組んだ。どうやら曙を説き伏せる事に成功したらしい。

 ……今さらかっこつけても、全部筒抜けなんだよなあ。

 

「緊急通信とは何事かと思ったが……島風はやらん。大事な戦力だ。そんなくだらない事を言いたいだけだったなら、悪いが切るぞ。いいな?」

『ああ待て待て、待ってくれ! そうじゃない。話は終わってない!』

 

 提督がなんだか嬉しい事を言ってくれてるんだけど、それよりも、向こうの提督の言動になんだか引っ掛かるものを感じた。

 ……どっかで会った事あったかな。いや、ありえない、か。でも、なんか、さっきの言動には覚えがあるというか……。

 

 あ。

 

 ……ひょっとしてこの人、前に俺を所有してたって嘘ついてまで島風を欲しがってた人かな。おしおきされた人。服飾というか、罰の期間は終わったのかな?

 彼の言葉を聞く限りでは、まだ手に入ってないみたいだ。

 

『おっほん。聞いたぞ、仁志。お前んとこ、海休暇だかいう休みを勝手にやってるらしいな』

「……よく知ってるな。他所に知られるような制度ではないと思うのだが」

 

 身を乗り出して問いかける男性に、提督は、どこで聞いた? と静かに問い返した。

 

『あー……さっきのは、言葉の綾だ。調べたんだよ、いろいろとな』

「なぜ」

『そりゃお前……そりゃーよ、お前んとこが大変な事になってるって聞いたから、どうにかコンタクトとれないかってやってたからさ』

 

 腰を下ろした男性が、目をつぶって腕を組み、うんうんと頷くのを、嘘くさいな、と思いつつ見上げる。……まあ、今のが嘘でも、なんの問題もない……のか? 海休暇ってここだけでやってるお休みらしいけど、お上に内緒でやってる訳でもないんでしょ?

 それに、休暇と言っても、鎮守府が停止する訳でもない。半分はいつも通りに働いて、半分が海へ、を二日間に渡って繰り返す、となってたはず。

 

『まあそんな事はどうでもいいんだ』

 

 自分達を心配してくれていたという彼に何か思うところがあったのだろう、提督が何かを言おうとすると、男性は画面いっぱいに手を広げてそれを制し、だん、と机を叩いた。

 

『お前らだけお休みなぞずるぅぅい!!』

 

 無駄に勢いのある叫びが、きんきんと響いた。

 男性は、いかに自分が苦労しているのか、仕事が山積みなのか、曙が苛めてくるのかを身振り手振りを交えて語りながら、藤見奈提督に訴えた。

 休み欲しい。休みくれ。

 ……そんなの、彼に言ったってしょうがないじゃん。

 

「…………そうか、大変だな」

『ぐあー! 切り捨てられた!』

 

 いちおう話を聞いていた提督は、自分に叶えられる望みではないとわかると、溜め息を吐いて椅子を軋ませた。電が労わるように提督の肩に触れると、提督はもう一度大きな溜め息を吐いた。

 

『くっそー、涼しい顔しやがって! ……ふっふっふ、だがな……俺には秘策があった』

 

 なぜに説明口調なのか。

 名前も知らない提督のドヤ顔を見つつ、あの人のところで働く艦娘は気苦労が多そうだな、と思った。だってこの人、なんか奔放(ほんぽう)そうだし……曙が手綱を握ってるみたいだけどね。今も、画面外から睨まれでもしたのか、男性が口を噤んで身を縮こまらせた。

 だが、それはほんの少しの間だけ。すぐにきりっとした表情になって、画面に指を突き付けた。

 

『お前に演習を申し込むぞ!』

「何?」

 

 演習……ああ、そういえば、演習って、幻影との戦闘だけじゃなく、別のところへ行ったり、または招いたりして行う生の戦いもあるんだったね。

 それを申し込む……どういう意図だろう。俺が働いてるんだからお前も休むな、とかそんなんかね?

 

「まあ……受けない手はない、が」

『よしきた。話がわかるねぇ仁志君』

 

 んー、提督が演習を受けたのは、やっぱり練度を上げるのにうってつけの行事だからだろうか。

 幻影との戦いだって臨場感あふれるものだけど、あれはしょせんデータに基づいた動きしかしない。それが生身になるなら、秒単位で状況が変わるような、まさに戦場と同じ経験が積める戦いができるのではないだろうか。

 そういった、メリットの大きい生身どうしでの演習があまり行われないのは、交通の便が原因なんだろうな。

 深海棲艦がわんさかいるこの時代、飛行機が飛ぶのも頻繁ではなくなっているし、電車や車でとなると、往復に時間がかかる。艦娘という戦力が他所に行ってしまうのだから、その間鎮守府などの防衛能力はずっと下がってしまうという問題もある。それは、どこの提督だって避けたいはずだ。

 だからこそ、データを収集し反映させる演習システムが発達したんだと、俺は思う。

 

『演習の細かい内容はそっちに任せる。場所もな』

「……ああ、なるほど」

『期待してるぜー』

 

 にっこり笑顔で手を振る男性を最後に、通信が途切れ、モニターが消える。

 提督は、大きく息を吐いて、頭を振った。三回目の溜め息だ。幸せが逃げていく。

 誰にともなく、今のが彼の従兄弟(いとこ)で、提督である海棠という男なのだと藤見奈提督は教えてくれた。海棠……へび?

 

「海休暇に演習って、大丈夫なん?」

「ああ。あいつも遊びたいだけだろう、あわよくば演習の名目で海水浴をしようとしているんだと思う。それを、向こうの艦娘が納得するかは知らないが」

 

 だからこそ、場所を任せる、か。

 こっちから海水浴場での演習を申し込めば、向こうさんは大手を振って遊びに来れる、と。

 ああ、勝負内容もこちらで決めるんだったな。

 それは何も、六対六の艦対戦に限らず、たとえば用意された的を制限時間内により多く破壊した方が勝ちとか、極端に言えばじゃんけんでもなんでもいいんだろう。

 ……たぶんあの海棠って人は、その勝負内容が遊びになる事を期待してるんだろうな。

 真面目な提督がそういった内容にするだろうか? 普通に演習をして終わりそうなんだけど……。

 

「そもそも海休暇とは?」

 

 大淀が、怪訝な顔をして提督に問いかける。彼女も俺と同じで、それの存在を知らなかったみたいだ。

 軽く概要を説明する提督に、大淀は表情を変えず耳を傾けている。

 

「着任早々悪いが、大淀、君に一時ここを預ける事になる」

 

 だが提督がそう言うと、彼女はぱっと笑顔になって、お任せ下さい、と頷いた。

 うわ、嬉しそう……大役を任せられたからかな。龍驤は、あまり良い顔をしていない。秘書艦の電の方は、自分の地位が確固なものだからか、普段通りの気弱な顔だ。……あんまり何も考えてなさそうな気がする。

 

「休暇の日程はわかっているな? 初日のメンバーは追って連絡する。君達は一度退室してくれ」

「了解。家具の方はいつ頃できそうなの?」

「妖精さんの仕事次第だが、夕方過ぎまでには仕上がると思う。それまでは不便な思いをさせてしまうが……許してくれ」

「う、ううん! 大丈夫だよ提督さん。感謝してるよ、すっごく!」

 

 リベッチオへ向けて話しかけた提督に、彼女は俯きがちだった顔をはっと上げて、手を振りながら答えた。

 ん……なんで今、この子、下向いてたんだろう。話しが退屈だった……とか? そんな理由で下見てるもんかな。

 

「それじゃ、失礼するわ。龍驤さん、あんまり根を詰め過ぎないようにね」

 

 退出前の挨拶に一言付け足した叢雲に、龍驤は渋い顔をして、「わかっとる」と答えた。

 

 

 さて、九月も目前、海休暇はすぐだ。

 どんな水着を着ていくか、という話になって、そういえば水着なんてものは持ってなかったな、と思い至った。それは吹雪も夕立も、リベッチオも一緒だ。意外な事に、叢雲は所有しているみたいだったけど……。

 

「どんな水着なの? 叢雲ちゃん」

「……別に、今見せる必要はないと思うんだけど。どうせ後で着るんだから」

「あたし達の水着の参考にしたいっぽい!」

 

 ちゃぶ台を囲んでお茶をしつつ、吹雪と夕立が叢雲を攻める。叢雲はあまり見せたくないみたいで、なんとか話題を別に移そうと奮闘していたけど、二人に押し切られて、重い腰を上げた。わーい、ぽーいと勝鬨(カチドキ)が上がる。俺もちょっと興味があるな。いったいどんな水着を着ているのか、そこから、俺はどんな水着を着れば良いのか、を推察したい。

 だって、センスのないダサい水着で泳ぎになんて行きたくない。見栄を張りたい気持ちくらい、俺にだってあるのだ。

 

『ねぇ』

「ん、何?」

 

 ふいに声をかけられ、思考を終えつつ聞き返す。右に座るリベッチオは大人しいままで、左に座る夕立と向かいに座る吹雪、それに、ベッドの上のどこかから透明な手提げ袋を手にして下りてきた叢雲が俺の顔を不思議そうに見てきていた。

 あれ? なにその反応。

 

『わたし、わたし』

「あ、ああ、そっか、島風か」

「……島風ちゃん、大丈夫っぽい?」

 

 っとと、声に出してしまった。慌てて誤魔化し笑いを浮かべて、なんでもないよ、と夕立に言う。

 ええと、胸の中でだけ話すようにすれば、不審がられないよな。

 

(なんか用?)

『何もなかったりして』

 

 ……なら急に話しかけてこないでよね。

 膝に乗せた砲ちゃんの頭を撫でながら秘かに憤慨していれば、彼女はごめんごめんと謝った。

 

『今起きたばかりなんだ。だから、挨拶』

(はいはい、おはようね)

『おはよーございまぁーっす!』

(うるさいよ)

 

 不思議と耳に響く自分の声に眉を寄せ、なんとなしに叢雲の方を見やる。彼女は机の上に手提げ袋を置いて(中にはタオルやゴーグルが入っている)、水着を取り出して体に当てて見せていた。白いセパレートタイプだった。スポーツブラと普通のパンツみたいな上下で、胸の下からお腹の下辺りまで肌を出している。薄桃色のリボンやフリルが上下にあしらわれていて、シンプルだけどかわいらしい仕上がりだった。叢雲が手提げ袋に腕を突っ込んで、もう一枚何かを取り出す。薄い布……それを腰に巻くみたい。んー、その布はいらないんじゃない? 動きにくそう。

 

「叢雲ちゃん、それすっごく良い! 似合ってるよ!」

「そう? ……そうかしら」

「馬子にも衣装っぽい~」

「……褒めてないわよね、それ」

 

 きゃっきゃと楽しそうに話す三人に置いて行かれていると、島風が話しかけてきた。

 

『そっちの子、元気ないね。どしたの?』

(そっちの子……?)

 

 言われて横を見れば、リベッチオが俯きがちになって座っていた。いちおう視線は前に向いていて、控え目に手を合わせて話に参加しているように見えるんだけど、なんだろう……部屋を掃除していた時のような元気さがない気がする。

 どうしたの、と声をかけて良いものか悩む。たんに疲れてたり、眠くなってるだけかもしれないし。

 なんて俺が悩んでいれば、俺の視線に気づいたリベッチオが顔を向けてきた。

 仕方ない。ほっとくより、聞いた方が良いだろう。

 

「どうかしたの?」

「ん……んーん」

 

 ふるふると首を振られて、顔を逸らされてしまった。う、話す気はないって?

 そんな態度されると、なおさら気になっちゃうんだけどな。

 ……それに、リベッチオは……笑顔が姉さんに似ていたから、どうにも気になってしまう。

 あんなに素敵に笑えるのに、今は少し曇っている。

 俺が拭い去ってあげなきゃって気にさせられる。

 

「疲れちゃった?」

「リベは、元気だよ?」

 

 めげずに話しかければ、再度彼女は俺を見て、そう言った。

 薄く綺麗な赤茶色の瞳が、揺れずにそこにあって、だから、俺はその言葉が本心ではないと悟った。

 ……なぜ、彼女は俯いてしまったのだろう。

 疲れているのでも眠いのでもなければ、いったい……?

 

「もしかして、海休暇が嫌?」

「…………」

 

 リベッチオは、何も言わないながらも、否定もしなかった。ただ、薄く口を開いて、すぐに閉じた。俺の膝元に乗る砲ちゃんが『キュー?』と鳴いて首を傾げる。

 

「リベッチオは海が嫌いっぽい? ひょっとして、カナヅチっぽい!?」

「あ、そうしたら、泳ぎに行っても……だもんね」

 

 ここまでくると、話していた三人もリベッチオに注目した。六つの視線を新たに受けた彼女は、動揺したみたいに身を揺らして、それから、夕立の言葉に微かに頷いた。

 海が嫌い、か。泳げないから?

 なんか、違う気がする。他に理由があるような……ただの勘だけど、そう思った。

 

「海が、『怖い』?」

「……!」

 

 あ、と声を発した吹雪が、姿勢を正して問いかけると、リベッチオはびっくりしたみたいに顔を上げて、吹雪の顔をまじまじと見た。

 それだ。

 海が怖い。たぶん、だから、海休暇を怖がってる。

 これが海休暇でなく、一緒に出撃するだとか、遠征に行くとかだとしても、きっと彼女は俯いて、元気をなくしてしまっていただろう。

 理由はわからないが、海が怖いのだから、その上に出る行為を嫌がらないはずがない。

 

「おかしい、よね……。でも、リベ、生まれた時からそうだったから……」

「ううん、おかしくなんかないよ」

 

 消沈したように……それから、艦娘が口にして良いような言葉ではないと思っているのだろう、縮こまってしまったリベッチオに、吹雪は優しい声で否定した。

 そんな事ない。そう言えるのは、吹雪だからこそ、だろう。

 

「なんで……? リベは艦娘なのに、海が怖いよ……戦うのも、怖いよ」

「うん。怖いよね。……わかるよ、その気持ち」

 

 私もそうだったから。

 そう言ってほほ笑む吹雪に、リベッチオは、目を丸くしていた。

 彼女から見れば吹雪は先輩だ。その先輩が、自分と同じ気持ちを持っている事に驚いているのだろう。

 正確には、そうではない。吹雪はもう、その恐怖心を乗り越えている。

 

「『貴女が海を怖いと思っても、それは咎められる事じゃない。その気持ちを誰かに伝える事を怖がらないで。私達は、いつでも、いつまでも貴女の味方なのだから』」

「味方……」

 

 指を立てて語った吹雪の言葉は、赤城先輩の言った事と、たぶん一字一句違いない。声のトーンも言い方も一緒……完コピだね、吹雪ちゃん。

 心を動かされたのか、リベッチオは瞳を揺らして、言葉を繰り返した。

 

「えへへ。私の、尊敬する先輩の言葉なんだけどね?」

 

 てれてれと頬を掻きつつ注釈を入れた吹雪は、だから、と言葉を続ける。

 

「怖いのなら、私達が傍にいるよ。その気持ちを乗り越えられるようにお手伝いするよ。ね、一緒に頑張ろう?」

「…………」

 

 リベッチオは、しばらくの間、何も言わなかった。

 その表情を見る限り、吹雪の言葉が届かなかった訳ではないのだろう。ただ、生まれたての彼女には、なかなか浸透しない言葉なのかもしれない。

 時間が経つにつれて、リベッチオの顔に笑顔が戻ってきた。目尻が下がって、口の端が緩やかに上がって、えくぼができて。

 

「グラッチェ! ブッキー、ありがとね!」

 

 満開100%。とびっきりの笑顔で、お礼の言葉、吹雪も嬉しそうに笑った。

 

「怖がってばかりじゃ駄目だよね! まだ、海に出た事だってないし……キューカの時は、よろしくね!」

「うん、任せて!」

 

 とん、と自らの胸を叩いた吹雪は、もうすっかり先輩だった。着任の時期を考えると、俺から見ても先輩に当たる人なんだけど、当時は彼女も新人同然だったから、そういった印象はなかった。

 でも今は、頼もしいお姉さんだね。

 

「ぶ~、吹雪ちゃんばかり先輩っぽくなっててずるいっぽい! 夕立も先輩風吹かせたいっぽい!」

「せ、先輩風? そ、そんなつもりじゃないよ!?」

「夕立からもリベッチオにありがた~いお言葉を与えるっぽい!」

「なになに? 聞きた~い!」

 

 ああ、リベッチオ、そんなに目を輝かせる必要はないし、万歳までする必要もないんだよ。

 きっと夕立はくだらない事を言うに違いないんだから。

 俺の占いは当たる。

 

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。わからない事があったら、恥ずかしがったり遠慮したりしないで、大先輩たる夕立に聞くと良いっぽい!」

「うんうん、ダイセンパイたるユーダチね!」

「……そこは、聞くところじゃないっぽい……」

 

 俺の占いが、ようやく外れる……。

 なんて馬鹿な事を考えるのはやめよう。

 

「ふぅ、それじゃあ、あなたたちの水着を買いに行くとしましょうか」

「コンビニエンス妖精に売ってるっぽいから、みんなで見に行くっぽい!」

「リベも水着選びに行くよ! 準備準備ー♪」

 

 それぞれが立ち上がる中で、俺も腰を上げ、スカートを払う。

 リベッチオが元気を取り戻したようで良かった。

 暗いまま海休暇になったって、良い事なんて一つもないからね。

 まだ問題が解決した訳じゃないけど、吹雪や夕立が言った通り、彼女には俺達がついてる。

 困った事があるならサポートしてあげれば良いし、海が怖いなら、怖くなくなるくらい楽しい思いで塗り潰させてあげれば良いのだ。

 

 その後、俺達はコンビニにて、意外な品揃えを前にあれやこれやと相談しつつ、それぞれの水着を購入した。

 ああ、はやく海休暇にならないかなぁ。

 朝潮の水着が見たいです。

 ……なんて、欲望駄々漏れな昼下がりであった。




TIPS
・海棠
前に藤見奈を騙して島風を奪おうとした提督。
根は悪い奴ではないのだが、馬鹿。
ストッパーに曙や霞、不知火がいる。
初めは手を出したりしなかった彼女達も、この男の性格に感化されて手を挙げるようになった。
本人は過激なスキンシップに喜んでいる様子。

・「へび?」
元ネタの人物より。

・赤城語録
加賀語録とともに吹雪の心に刻み込まれた名言となっている。
ゆえにたびたび引用される。
吹雪「赤城先輩が言っていた……『腹八分目とは、富士山の八合目までの事』だと」

・ブッキー
吹雪のあだ名が確定した。
もう本名は呼んでくれないだろう。

・コンビニエンス妖精の水着の品揃え
前任の提督の熱いリクエストに応えて増量しました。

・リベ
海を怖がる艦娘なんて、艦娘じゃない。不要だ……って、レ級なら言いそう。
幸い、始末しにくる怖い敵はもういない。


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第五十一話 海水浴

海水浴してない


 

 海休暇当日。

 俺達は、提督が運転する車および、軽巡の先輩や戦艦の先輩が運転するワゴン車で海へとやって来た。

 

「うーみだー!」

「ぽぃいーーーーいぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 煌めく白い砂浜に飛び込み、両手を振り上げて叫ぶ。

 隣に立った夕立が常人には理解できない奇声を発した。耳にきーんと響いたけど、テンションが上がっていたので全然気にならなかった。

 うんうん、海に来たら、叫びたくなっちゃうよね。

 

 サンダル越しに感じる砂浜の熱。サンダルに振りかかった砂粒の熱さ。青い海が照り返す光の欠片が俺達の下まで降り注ぐ。

 潮風が肌を撫で、髪の毛を揺らして、ここが海なんだって実感させる。

 足を振って、入り込んでしまった砂をし飛ばし、それから、背後を振り返る。遠くに見える壁の上の道路沿いには、数台の車と、レジャーシートやパラソルなんかを運ぶ艦娘達が見えた。連装砲ちゃんも、頭にパラソルをつけて熱を帯びないようにしつつ、ちょこちょこと歩いている。

 

 俺と夕立は車から飛び出し次第に浜辺へ駆けつけたんだけど……ええと、あの、はしゃいでるのって俺達……だけ?

 ちらりと横を見れば、見た目お嬢様な夕立が金髪を輝かせながら、万歳のポーズでぴょんこぴょんこと飛び跳ねている。長い髪が跳ね、波打つのは綺麗だけど、やんちゃさが前面に出ているせいで雰囲気台無しだ。改二の片鱗が見える……。姿的な意味で。

 口元とかよーく見たら八重歯が出てるのを発見できるんじゃないかな、と注意深く見ていれば、夕立は体を覆っていたタオルをぶん投げて水着姿を露わにすると、カタパルトで射出されるみたいに海へと飛び込んで行った。海水を跳ね飛ばしながら海の上をスライドして行く夕立。……なんで生体フィールド纏ってるんだろ。そういう遊びかな?

 いつもと違った気分で海の上に浮かぶのは、考えてみるとサーフィンとかみたいで楽しそうだ。俺もやってみようかな。

 なんて推察していたら、夕立はちょっと恥ずかしそうに居住まいを正すと、垂直に海の中へ沈んでいった。

 ああ……そっとしておいてやろう。

 

「ウサギー!」

 

 背後からざんざんと音がしてきたので振り返れば、リベッチオが飛び込んできていた。タックルするみたいに腰に抱き付かれて、危うく倒れそうになる。うっ腰が! ……とはならない。シマカゼ改は、生体フィールドを纏っていなくともかなり頑丈なのだ。砲弾ぶつけられたりタンスの角に小指ぶつけたりしたらさすがに大破するだろうけど、成人男性にぶん殴られるくらいなら耐えられると思う。泣くかもしんないけど。

 

「なになに、どうしたの?」

「ウサギ、あそぼ、あそぼ!」

 

 ああ、はいはい。遊んでほしいのね。

 いいよ、と笑顔を向ければ、彼女はやったやったと小声で繰り返しつつ、自分の体ごと左右に振って俺を揺さぶった。水玉模様がかわいいフリル付きの水着もふりふり揺れる。

 俗にタンキニと呼ばれる、タンクトップとビキニを合わせたみたいな水着を纏ったリベッチオは、『遊び』に来たからか、昨日よりも元気に見えた。

 昨日、というか、ここに来る前より、か。

 海水浴に行くぞ、と聞いてから、それを怖がってか、車の中ではすっかり大人しくなって外の景色を眺めたりしていたのに、今はこれだ。

 道中吹雪や夕立が彼女の気分を盛り上げようと、海に行ったら何して遊ぼう、これをしようか、どうしよう、と話していた。蓄積されたお楽しみパワーが爆発でもしたのかね。

 なんにせよ、海の前まで来て、やっぱり怖いから、と縮こまってしまうよりは良いと思う。

 

「もう、夕立ちゃんも島風ちゃんも、いきなり飛び出すなんて……ちゃんと準備体操しなきゃ駄目だよ?」

「でもその心意気、買うよ!」

 

 びしっと俺を指差し、制服を脱ぎ捨てて水着姿になった川内先輩が、ひとっ跳びで俺達の頭上を飛び越え、夕立を追って海の中へ入って行った。那珂ちゃん先輩も続こうとしていたけど、神通先輩に腕を掴まれて止められている。

 

「川内先輩……もう、島風ちゃんは駄目だからね?」

「あはは……わかったよ」

 

 砂浜にパラソルを突き立てながら、吹雪が呼びかけてくるのに、ごめんごめんと謝っておく。年甲斐もなくはしゃいでしまった。あれかなー、俺の中のシマカゼの血が騒ぐ的な……ほら、精神は肉体に引っ張られるとはよく言うし!

 

『島風のせいにするつもり?』

 

 誰に対してかわからない言い訳を繰り広げていれば、胸の内に島風の声が響いた。

 あ、起きてたの。

 出発前に元気に騒いでいた島風は、車に乗り込む前に『疲れた、寝る』って言って黙ってしまったのに、ちょうど良いタイミングで起きるもんだ。ひょっとして、起きたい時間に起きる特技持ちかな? 羨ましい。俺などは、お酒をいれて眠ったりすると、翌朝は確実に寝過ごしてしまうというのに。

 

 そういえば、彼女が俺の中から話しかけてくる時の声って、不思議に響くけど、どういう仕組みなんだろう。

 風が吹いてても、波の音が煩くても、霧の中でさえノイズなしに耳に届くこの声は……うーんと、ああ、そうだ。三原先生の声に似てるんだ。

 先生の声って、教室の一番後ろにいても、廊下のずっと遠くにいても、耳元に聞こえる気がする。あれもどうなってるんだろうな。まさか手品ではあるまい。そんな手品があるなら俺にも教えて欲しい。戦闘の際にも役立つんじゃないかな。

 あいにく、ケーキ作りを教わった時はそういう話はできなかったから、手品を習うとしたら次の機会だ。

 ……三原先生って忙しいのかな。授業と、その授業の計画と……あと、何してるんだろう。

 時々鎮守府にいない事があるけど、別の鎮守府でも教鞭を()ってたりするんだろうか。

 

「リベッチオちゃんもだよ? ほんとは準備も手伝わなきゃ駄目なんだから」

「はーい! ごめんね、ブッキー!」

 

 俺の腕に絡んだまま腕をぶんぶん振るうリベッチオ。なんか、急に懐かれたなー。……まさかこれ、俺が彼女と同レベルに思われてるとかではないよね? ぜんっぜん先輩らしくない、同年代の子みたい! だから気安い! みたいな。

 仲良くできるなら、それで構わないけど……なんだかなぁ。かつて普通の男性だった自分が、ずっと遠くに行ってしまった気がして寂しい。

 本来の体を失い、この小さな体になってまだ二ヶ月くらい。もう、元の目線の高さも忘れてしまっている。きっと今急に福野翔一に戻れたとしても、違和感酷いだろうな。

 

「ほら、ぼうっとしない。こっちに来て手伝いなさい」

「あ、うん!」

 

 青いレジャーシートの四方に木編みの箱を置いたりして重しにしていた叢雲が、俺を見ないままに言った。言われた通りに向かっていく。その際、自然にリベッチオと手を繋ぐ形になった。彼女は楽しそうだから良いけど、そう親しくない俺とこんなに近くにいて、不快感を抱いたりはしないのだろうか。……子供にはないのかな、パーソナルスペースとかなんとかいうの。一定の範囲内まで近付かれると嫌になるってあれ。

 石の壁と横向きの階段の前に敷かれたシートと、立てられたパラソル。これ以外に何を手伝えば良いのかといえば、それはもちろん、パラソルを突き刺すのとシートを敷くのと、折り畳み製の机と椅子を出す事だ。

 この海に来たのは俺達第十七艦隊だけではない。ええと、第十八艦隊……でいいのかな? 新しい艦隊……隊と呼べるかどうかはわからないけど、リベッチオが来てるし、他にも、たとえば吹雪の憧れの先輩、赤城さんとか、加賀さんも来てる。今は車の方で提督のお手伝いをしてるんじゃないかな。

 現在この海には、我が鎮守府に所属する艦娘の半数と少しが来ている。二日にわけて、交代で遊ぼうという話だ。この『少し』の部分には、明日遊ぶ予定の艦娘が入っている。お休みじゃないはずの今日に来ているのはなぜかというと、お仕事のためだ。

 

 金剛先輩とその妹さん達に、龍驤と伊19が艤装を身に纏い、海に出るのを見た。

 俺達が遊んでいる間、彼女達が哨戒してくれるらしいから、安心だ。ここら辺に現れる敵なんてあっという間に沈められるだろう。

 ……ここら辺に現れる、と聞くと、これまで本来出現するはずのない場所での強敵と戦ってきた俺としてはちょっと不安になるのだけど、あれは、全部神隠しの霧に関係していたらしいから、それが除かれた今、そういう心配は必要ない……らしい。

 あの神出鬼没の霧にはある場所と別の場所を繋げる能力があった。あれで、遠い海域から、解放済みの海域に深海棲艦を送る事で、突如として現れたと感じられるような仕組みになっていたのだろう。

 

 レ級はなぜそんな事をしていたのだろうか。

 あいつならどこにでも行ける。あいつ自身が動き回る事もできたはずだ。侵略と破壊以外に目的を持たない深海棲艦をいくら送り込んだって、あいつが言っていた『不要』な艦娘の排除はそうできなかったはず。

 ……奴を倒してしまった以上、この疑問に答えが出る事はない。そもそも俺は考えるのが苦手なんだ。そういうのは、人間様に任せるとしよう。深海棲艦がどこから来て何を目的としているのかを解き明かすのも、ついでにね。

 そもそも奴の言動を思い返せば、レ級は自身が『不要』と判断した艦娘を倒しに行っていたみたいだし、案外多忙だったのかもしれない。だから代わりに他の深海棲艦を差し向けていた、とか。

 ……やめよ。考えるのは性に合わない。かといって戦いが得意でもない俺は……朝潮のためにベッドのシーツを新調しておこう。

 ……いかがわしい。

 火照った頬を冷ますために、レジャーシートの方を見やる。連装砲ちゃん達が三体揃って並んで寝ころび、背中を焼いていた。

 ……あんたらね、それじゃパラソルつけた意味ないでしょ。

 あーあ、あれじゃ叢雲も触れないだろうな。

 叢雲の動向を探れば、彼女は何やら手に持って連装砲ちゃんに近付いていた。……日焼け止めのクリームかな? あの子も何やってるんだか……。

 

 提督が階段を下りてくれば、わいわいがやがやと艦娘達も後に続く。そこには由良さんや同艦隊の深雪に五月雨、それから朝潮がいる。パーカーを羽織った朝潮の傍には、つかず離れず満潮と荒潮が付き添っていた。……何あのボディーガード。怖い。

 だが俺は、あのむすっとした顔とほんわか笑顔のボディーガードのうち、片方を調略により籠絡している。怖いのはもう片一方だけだ。……正直、何考えてるのかわかんな過ぎて困ってる……けど、止まる訳にはいかない。俺はこの海休暇を楽しみにしていた。朝潮と浜辺で追いかけっこするために……なんて古風な妄想は置いといて、海で遊ぶ、という普通の思い出を作ってみたくなったからだ。

 一緒に戦ったのも良い思い出だ。隣り合って砲撃したりキックを繰り出したりしたのは、俺にとって忘れられない出来事になっている。

 でも、せっかく告白してOK貰った相手とした事が八割戦闘ってどうなんだろう。残りの二割は寝食を共にした事と、レ級を倒した後の夜の事。

 遊んだ記憶とか、のんびりした記憶とか、そういうの、残していきたいじゃない。

 この体が子をなせるかは知らないが、寿命も何もわからないのなら、せめてそういった情報を頭に刻んでいきたい。

 俺にとって、それが子供を作るのと同じになると思う。

 次世代へ、シマカゼという艦娘の記憶を遺して逝く。この戦争が俺の生きているうちに終わったら、その後の目的はこれにしようかな。

 

「みんな、設置は終わったな? それじゃあ準備体操を……あー……もう泳いでいるのがいるが、気にせず準備体操をしよう」

「こっちに集まってほしいのです」

 

 階段を挟んで両側に広がるレジャーシートの群れ。その中心に立った提督が呼びかければ、ささっとみんなが列になる。ここら辺はさすがに戦う女の子なだけあって、乱れがない。俺も含めてね。

 まあ、若干二名遠くの海でばしゃばしゃやってるんだけど、提督が言った通り気にしないでおこう。たぶん後で罰があるだろうから。まあ、提督の事だから、罰とも言えない小さな何かになるんだろうけど。

 

「点呼は……」

「ああ、今日くらいは堅苦しいのはやめにしよう」

「では、点呼は省くのです」

 

 本日は珍しく、電も外に出てきている。

 なんかあの子、執務室の外で見かけた事一回しかないんだけど……ずっと執務室で過ごしてんのかな。

 たしか隣に続く扉があったはず。……でもそこって、提督の宿直室でしょ? いや、寝室かな?

 そこに秘書艦の寝泊りする場所はあるのだろうか。

 ……ひょっとしたら、提督と電は同じ布団で寝てたりして……。

 

 いーちに、さんし、にーに、さんし。

 足を伸ばし、腕を伸ばし、腰を回して、前体を折って、後ろに反らす

 しっかりと体を(ほぐ)して泳ぎに備える。艦娘だって溺れる時は溺れるのだ。そもそも俺達の体内構造は、人間とそう違ってはいない。生体フィールドを纏う事でようやく艦艇の能力を得るのだ。生身では、超人染みた身体能力を持つ普通の女の子でしかなくなる。

 なのでよく解しておかないと……。

 

「つっ、つらっ、足()ったっぽい~!」

「大丈夫ー?」

 

 後ろに聞こえる声は夕立と川内先輩のものだ。大方、沖で足をやられて、抱えて戻ってもらったのだろう。提督が呆れ顔になって、シートの方へ行くよう指示していた。

 ……足攣るのって辛いよな。ふくらはぎを攣ったのなら、アキレス腱を伸ばす運動をすれば抑えられる。

 川内先輩は夕立の足を抱え込んで無理矢理真っ直ぐに伸ばさせる事で回復させてるみたいだった。

 

「みんなも知っての通り、今日は演習も兼ねている。他所からも見知らぬ艦娘が来るだろう。その子達に失礼の無いように過ごしてくれ。演習に当たるメンバーは出発前に知らせたとおりだ。向こうが到着した時に、この場所に集まるように」

「それではみなさん、楽しんでください、なのです」

 

 電がしめれば、列が崩れて散っていく。俺もリベッチオの手を引いていったん海の方へ逃れた。

 その後に朝潮の下へ突貫するつもりだったのだけど、あの愛らしい姿を探している時にリベッチオに腕を引っ張られ、強制的に海水浴を楽しむ羽目になった。

 ここにいるのは一時間や二時間ではないんだし、最初はリベッチオと遊んでやるのも良いだろう。

 なんて考えつつ振り返れば、彼女は俺の腕を両手で掴んで青くなっていた。

 

「……怖い?」

「こ゛わ゛い゛ぃ゛……」

 

 ……そこまで?

 さっきまでの元気はどこに行ったのか、顔を青褪めさせてひたすら震える彼女の腕を振り払う訳にもいかず、困ってしまって、周りを見た。が、助けが欲しいほどの事態でもないので、すぐに顔を戻し、彼女の(わき)の下に手を入れて抱き上げ、砂浜に戻る。

 

「聞いてなかったけど、ひょっとして君、海の上に出た事ないの?」

「うん……」

 

 海の上に、とは、出撃とか、そういうのだけではなく、船も含めて、だ。

 中央って、東京か京都か皇都かわかんないけど、そこからうちの鎮守府に来るのに、海の上は通らないだろう。車かな。電車はないと思う。

 という事は、彼女はついさっき初めて海水に触れた訳なのか。

 

「私からは、慣れろとしか言いようがないけど……どうする? また入ってみる?」

「…………うん」

 

 おや、意外だ。首を振られるかと思ったけど、彼女はもう一度行くと言った。

 まだ小刻みに震えているし、俺の腕を掴んだままだけど、リベッチオは俺を見上げて、「行く」、と明確に口にした。

 

「いいね。そういうの好きだよ、私」

「えへへ。じゃあ、リベに泳ぎ方、いーっぱい教えてね?」

「おーけーおーけー。お姉さんが手とり足とり教えてあげる」

 

 たぶんめちゃ速くなれるよ。

 なんてずれた事を考えていると、リベッチオがはにかんで、俺の前に立った。

 ……さっきは「お姉さんが」なんて言ったものの、彼女の方がよっぽど姉さんみたいに笑う。

 やっぱり……似てるなあ。

 あー、駄目だ駄目だ。誰かに姉さんの影を見るのは。

 こればっかりはなかなかやめられるもんじゃなさそうだけど、意識して抑えないと。朝潮に嫌われたくない。

 

「まずは海水に顔をつけるところから始めよっか」

 

 泳げない可能性も含めて考え、まずはその恐怖心を克服してもらおうと、彼女の手を引いて波打ち際へ移動する。

 びくびくしながらも、彼女は笑顔で頷いた。

 

 

 演習相手が到着したのは、割と早い時間だった。

 当初、彼女達の相手には俺が選ばれていたんだけど、この休暇中になんとしてでも朝潮と話したかった俺は、代わりに吹雪を推薦して押し通した。

 吹雪はめちゃくちゃ戸惑っていた。そしてそれは、当日となった今も変わっておらず、演習内容がビーチバレーだと判明するとさらに動揺を激しくさせていた。

 ……ビーチバレーなんてした事ないよね。海来たの初めてだもんね。

 だがそんな縋るような目で見られても困る。俺だってビーチバレーなんかやった事ない。

 それに俺は、リベッチオの育成で忙しいのだ。ごめんね、だから俺はもう行くよ。

 せめて特型駆逐艦の名に恥じぬ活躍を祈ってるよ、吹雪ちゃん!

 

「で? あんたはなんでこっちに来るわけ?」

「朝潮に会いに来たからだけど?」

 

 三時間の間リベッチオの特訓に付き合い、他の多くの艦娘の手も借りて、ようやく彼女が泳げるようになったので、彼女を連れて朝潮の下にやってきた。

 段差のある場所に建つ海の上の中、朝潮は、いちおう泳ぎはしたのか、髪や水着をしっとりと濡らして、椅子に座って、机の上に並べた貝殻を弄っていた。

 俺が入っていけば、その両脇に立つ満潮と荒潮が、彼女を守るように立つ。なんで君ら、そんなに俺から彼女をガードするの? ……そんなに危ない目をしてたりする?

 まあ、満潮は問題ないのだ。

 

「そういえば、こないだのケーキの話なんだけど」

「ん゛っ!? ほ、鳳翔さん、お茶ちょうだい!」

「はいはい、お待ちくださいね」

 

 俺の言葉を遮るように、部屋の奥、カウンターの向こうに声をかける満潮。ここ、古くて誰も使ってなさそうなお店だけど、今は鳳翔さんが入って、海の家を営業してるみたい。すでに誰か来ていたのか、焼きそばのソースの良い香りがした。それで、ここはバルコニーみたいになってて、海や砂浜を一望できるから、すっごくお洒落で、素敵だ。なんか、懐かしい気分になるのはなんでかな。

 向かって正面に朝潮の座る机。左側にカウンター。右側が開いていて、海。俺の後ろに立っていたリベッチオは、興味深げに辺りを見回し、カウンターの方に寄ろうとしていたので、腕を掴んで阻止した。

 不思議そうに見てくるけど、そっちに行かれては困るのだ。君は最終兵器なんだから。

 

「ほら、リベ。この人達にご挨拶」

「はーい! ciao(チャオ)! リベはリベッチオっていうの。よろしくね!」

「ぁ? ああ、新しい子ね。満潮よ」

「朝潮型駆逐艦の1番艦、朝潮です。あなたより速く着任してはいますが、まだまだ多くを学んでいる最中です。一緒に成長していきましょう」

 

 カタッと椅子を鳴らして立ち上がった朝潮が、かっちりした挨拶をした。敬礼こそしていないが、硬いなぁ。厳格ってほどじゃないけど、真面目な印象を受けるだろう。リベッチオは、そういうの平気かな?

 にこにこ笑ってるのを見るに、嫌がってはいないみたい。良い事だ。

 

「荒潮です。かわいい新入りさんね~」

「そう? リベ、かわいい?」

 

 !

 おっと、はからずもリベッチオが荒潮に興味を持ったぞ。

 これはチャンスかな。

 

「どうやら荒潮はリベに興味があるみたい。そうだ、ちょうどいい機会だし、リベも他の子とお話して、親睦を深めてみない?」

「んー……」

 

 考える素振りを見せるリベッチオに、俺は内心行け行け言っていた。荒潮の方が君に興味あるんだよーってアピールしてみたけど、わざとらしかったかな。

 

 俺が彼女を伴って朝潮を探していたのは、彼女の妹をどうにかするためだ。誰かの相手をしていれば、荒潮とて朝潮をガードできまい。分身とかできるんだったら話は別だけど、艦娘は分身できないから要らぬ心配だ。

 ああいや、リベッチオは、別に荒潮に押し付けるためだけに連れてきた訳じゃない。他の子と親睦を、というのは本音だ。

 彼女の性格ならいずれ鎮守府のみんなと友達になれそうだけど、俺はそのお手伝いをしただけだ。

 

 俺の思惑がわかったのか、満潮が何か言いたげな目で睨みつけてくる。だが、彼女は何も言えない。

 俺は、満潮の弱味を握っているのだ。

 体重と言う名の弱味と、またケーキを作るっていう約束……。

 満潮にだけ、と言った際に、彼女は受けてしまった。それを後悔してるみたい。姉妹に内緒で、自分一人だけ美味しい思い(文字通り)をしようとしたのを。

 だから、俺がケーキの約束の話をしようとすれば、彼女は黙らざるを得ない。

 ちょっと卑怯だが……そもそも、彼女は人の恋路を邪魔しているのだ。お互い様だろう。

 それで、荒潮なんだけど……彼女はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、肯定もしなければ否定もしなかった。興味ない、とは言えなかったのか、本当に興味があるのか……やっぱり、彼女の思考は読めそうにない。

 

「お茶が入りましたよ」

「あら~、荒潮達の分まで?」

「はい。よければ、何か食べられるものを作りますが……」

「リベ、この匂いのやつ食べたい!」

 

 鳳翔さんがおぼんを持ってやって来た。鎮守府から持参したのだろう湯呑みは、俺達の人数分ある。それが机の上に配られた。

 リベッチオは、焼きそばに興味があるみたいだ。鳳翔さんは用意してくれると言ったけど、どうしよう。俺、お財布持って来てないよ? リベッチオだって、着任したばかりなのだから、お金はないだろうし……。

 

「ふふ、お代は結構ですよ? 今日は食べ放題です」

 

 代金の心配をしていれば、察したのか、鳳翔さんが笑みを零しながら教えてくれた。食べ放題? なんとも心惹かれる……いやいや、俺の目的は朝潮だ。そのために荒潮を突破しなきゃいけないんだけど……。

 

「そうねぇ、じゃあ、リベッチオちゃん? 焼きそばができるまで、向こうで荒潮とお話ししましょ?」

「うん! じゃあね、ウサギー!」

 

 ……あれ?

 

「ほら~、満潮ちゃんも、こっちに来たらぁ?」

「あ、うん……朝潮、気をつけてね」

 

 荒潮はリベの手を取ると、もう片方で湯呑みを手にしてリベッチオに渡し、自分の分を取ると、カウンター側の席に連れて行った。呼ばれた満潮も湯呑みを手にして後を追う。

 ……気をつけて、とはどういう意味だろうね。

 

 さて、晴れて彼女と対面できるようになったのだけど……あっさり行くとは思ってなかったから、何を言えば良いのか全然わかんない。

 

「や、やぁ」

「ぁ……は、はい」

 

 椅子に腰を下ろし、満潮の背を眺めていた朝潮に声をかければ、少し呆けたような返事が返ってきた。

 ……あの孤島から帰ってきてから、まともに言葉を交わしてなかったから……俺も彼女も、最初に何を言えば良いのかわからないみたい。

 取り敢えず、俺も向かい側の席について、湯呑みを手にする。彼女も俺にならって湯呑みを掴んだ。

 まさか『乾杯』する場面でもないだろう、なんとなく浮かせた湯呑みに、そのまま口をつける。凄く熱いが、我慢すれば飲める。彼女はふーふーと息を吹きかけていた。

 

 さて……何を話そうかな。




TIPS
・ビーチバレー
本当はシマカゼを交えて他の鎮守府との交流を描くつもりだったが、
敢え無くボツになった。

・リベ
特訓する内に、シマカゼはリベッチオを「リベ」と呼ぶようになった。

・ふーふー
朝潮は別段、猫舌という訳ではない。


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第五十二話 重ねないで

 何を話すか、と悩み始めて、はや数十分。

 俺と朝潮は、会話の一つもなく、ただ向かい合って座っていた。

 鳳翔さんが気を利かせて入れ直してくれたお茶もすでに空っぽだ。温度の無い湯呑みを弄りつつ、カウンターの方から聞こえてくる楽しげな声に耳を傾ける。

 

「アラシオー、これ、なに?」

「あら、占いみたいねぇ……ちょうどここに百円玉があるわよぉ」

「うふふ、それは私の私物ですから、お金が必要ではないようにしてありますよ」

「ああ、コインの投入口にテープ貼ってあるわね」

 

 六角錐の置物を手にしたリベッチオが軽く振りつつ荒潮に聞けば、かき氷をつついていた荒潮がそれを受け取り、プレイするかを問いかける。

 ……あれって、一昔前のファミレスなんかでよく見かけた機械だ。鳳翔さん、そんなの持ってるんだ。なんか意外だな。

 意外というか……俺の中で、彼女はずっと食堂のカウンターの内側でゆったりと料理を作っているイメージがあったから、そのためだ。ええと、あんまり外食しないイメージ? 外出もしなさそうな。

 鳳翔さんは食堂のおばちゃ……料理を作る専門の人って訳でもないはずだし、仕事でない時は寮にいるだろうから、こうして海休暇について来ていてもおかしくない。艤装を持って来てないって事は、彼女も海水浴に来てるはずなんだけど、なぜここで海の家をやってるんだろうか。

 美味しいものが無料で食べられるこっちとしては助かるんだけど……。

 まあ、鳳翔さんが水着を着て海に浸かってる姿ってあまり思い浮かばないし、彼女はここでこうしているのが正しいんだろう。

 

 そういえば、鳳翔さんが今ここにいるって事は、食堂の切り盛りはあの女性が一人でやってるのかな。

 今向こうには、鎮守府に住まう人は全体の半数しかいないし、そのほとんどが出撃とかしてるだろうから、一人でもなんとかなっていると思う。

 

 朝潮に顔を戻すと、彼女もまた、俺と同じ方を見ていた。そして、俺に遅れて、顔を戻した。

 ばっちりと目が合ったが、それで会話が始まる訳でもなく、お互い何も言わずに手元に目をやったりした。

 うー、話したい事はたくさんあったはずななのに、いざこうしてチャンスが巡ってくると、何を話せば良いのか全然わからなくなってしまった。

 これじゃ、こないだと同じだ。

 俺が彼女や満潮、荒潮、それから吹雪達に手料理を振る舞った時の話。

 朝潮とケーキを食べた時も、始終会話はなかった。

 おいしいとか、凄いですねとかあったけれど、てんぱってたり満潮と荒潮と無言の攻防をしていたらいつの間にか終わっていた。

 あの時もっと話せていれば……。

 いやまあ、俺は彼女に最高のオムライスを届ける事に必死になっていたから――ついでに言うと、作っている時の姿の綺麗さも意識していたから――、ついぞ会話らしい会話ができなかった。

 吹雪達とはわりと話してたんだけどね。

 あー、デザート前のご飯を、なんてノリでオムライスなんか作らなかったら、朝潮と言葉を交わせていたんだろうか。

 ……なんて過去に想いを馳せるより、今目の前の彼女と話すために、どう言葉を切り出すかを考えよう。

 それが思いつかないから、困ってるんだけど。

 

「んー……」

 

 目を伏せて、どうにか言葉を作ろうと脳をフル回転させる。

 なんと言おうか。

 

(なんか良い案ない?)

『……お腹空いた』

(自分で考えろって事ね)

 

 というか、あんたお腹空いたりするんだ?

 今まではどうしてたんだろ、なんてどうでもいい事に思考が傾きかけて、慌てて修正する。今考えるべきは島風の生態ではない。俺の第一声だ。

 『おはよう』とか『こんにちは』、はおかしい。もう向かい合っていて、挨拶は済ませているのだから。

 『良い天気ですね』? たしかに良い天気だ。分厚い雲と澄み渡る晴れ空。時折吹き込む潮風が髪をなびかせる。鼻にかかった髪の毛に、くしゅんとやると、彼女に笑われてしまった。

 

「……ふふ」

「……へへ」

 

 それで、わかった。

 無理に言葉を交わそうとしなくても良い。

 こうやって、ただ向かい合って座って、穏やかな時間の流れに身を任せても良いって感じた。

 だから、笑い返した。

 そうすると、朝潮の笑みが、寂しげなものに変わった。それがなぜかはわからなかった。前に理由を聞いた事がある気がするけど、すぐには思い出せなかった。

 彼女が海の方を向くと、黒髪に光が流れる。

 綺麗だ。

 とても綺麗で、素敵だった。

 

 ……いつだったか。

 あれは、そう。こんな風に晴れた、少し暑い夏の日。

 両親が死んでから二年目の夏。三回忌を終えた帰り、俺と姉さんは、海の見えるレストランで、食事をしていた。

 八月の末。学生なんかは夏の長期休暇も終わっていて、お昼時でも、店内には人が(まば)らだった。オープンテラスに席を取って、微かな風に運ばれてくる海の雰囲気を感じながらのランチだった。

 父さんと母さんを亡くしてから、もう二年もの月日が流れている。それでもこの日ばかりは、俺も姉さんも少し沈んでいて、普段より会話も少なかった。

 それが嫌だったのだろう。

 俺より速く食べ終わった姉さんが、背もたれに背を預けてぐーっと伸びをする。

 行儀が悪い、と注意するのは俺ではなく姉さんの役目のはずなのだが……しかし俺は、なんとなく頼んだパスタサラダを食べ散らかすのに忙しく――俺の食べ方は、そう表しても良いくらいに乱暴らしい――、注意する暇はなかった。さすがに、口の中に物を入れた状態で喋ったりするほどマナーを知らない訳ではない。

 テラスからは、砂浜に続く、短い階段がある。席を立った姉さんは、靴もソックスも脱いで裸足になると、顔を上げて、いつもの笑顔を見せた。良い年して、悪戯娘みたいな笑み。踊るような軽やかな足取りで階段の前まで行った姉さんが、くるりと回ってスカートを翻し、とんとんと階段を下りて、砂浜へ出る。

 テラスや店内には、少ないながら客もいるというのに、人目も憚らずあれなのだから、姉さんという人は、幾つになっても無邪気だ。どこか危なっかしいのは、社会人になっても治らなかった。

 ここから海に下りる事自体は珍しい事でもないのか、客も店員も、目もくれなかった。それは、俺の精神的には大助かりだったが、逆を言えば、その時その瞬間、俺以外に姉さんを止める人間は他にいなかったって事だ。

 

『こっちにきて』

 

 青と白が打ち寄せる砂の上で、姉さんが手を振った。

 

 俺はなんと返したのだっけ。

 ただ視線を向けて、むぐむぐとレタスを咀嚼していたような気がする。

 とにかく、俺は、そこから動かなかった。

 だって、そうだ。

 俺は姉さんと違って、まだ食事を終えてなかった。だから席を立つ訳にはいかなかった。

 姉さんの誘いに応える事はできなかったのだ。

 

『翔一。こっちにきて』

 

 それがわかっているのかわかってないのか、姉さんは繰り返し、俺を呼んだ。

 からかうような声音。ぱしゃぱしゃと聞こえてくる、涼しげな水音。

 後でお店の人にタオルでも貸して貰おう、と思いながら、俺は残っていた料理を全て平らげて、それから、席を立った。窓越しに、カウンターで会計をしていた店員を見る。顔を上げた彼と目が合うと、彼は納得したように頷いた。

 そこで水遊びをしても良いって事だろう。ならお言葉に甘えて……。

 ……?

 遠くにある窓を見ていて、酷い違和感に襲われた。

 窓の向こうに、客を見送る店員の姿。店内の落ち着いた茶色。机や椅子。テラスに続く出入り口。薄く映った俺の姿……。

 背後にある、砂浜と海。

 寄せては返す波が、砂の上に泡立ったものを残していく。

 言いようのない焦燥が胸の内にせり上がる。

 俺の目は、おかしくなってしまったのだろうか?

 そんなはずはない。そう思って、確認しようと振り返った。

 

 姉さんは、いなかった。

 波の音が遠くまで響くと、耳の奥で、俺を呼ぶ姉さんの声がした気がした。

 

 

 カタン、という音に、唐突に意識が戻る。

 白んだ視界が元に戻ると、目の前では、朝潮が席を立っているところだった。

 俺を見る目はまだ寂しげで、だからか、海の方から聞こえてくるリベッチオのはしゃぐ声が、やけに大きく聞こえていた。

 店内を見回せば、カウンターの向こうで鳳翔さんがかき氷機を拭いていた。他に人はいない。浜へ顔を向ければ、波の合間に、満潮と荒潮がリベッチオと泳いでいるのを見つけた。波に体を浮かせ、黄色い声を上げていた。

 湯呑みを手に取り、口につける。――ああ、中身は入っていなかったんだった。

 もう、ちゃんと海への恐怖心を克服したんだな、と感慨深く眺めていれば、視界の端で動く影。

 椅子の背にパーカーをかけた朝潮は、テラスから砂浜に続く短い階段の前まで行くと、軽やかな動きで俺の方を向いた。両手は後ろ腰に回されていて、いつもよりも活発な印象を抱かせた。

 何も言わず、ただ、誘うように、後ろ向きで階段を下りていく朝潮。

 手すり越しに俺を見上げた彼女は、ふい、と顔を背けると、小走りで波打ち際へ向かって行った。

 湯呑みを置く。コト、と鳴った音は大きく、それ以上に、鼓動の音が大きかった。

 

「シマカゼ!」

 

 波に足が当たる場所でくるりと回った朝潮が、普段より少し高い声と、彼女らしい笑みを浮かべて、俺の名前を呼んだ。

 

「こっちへきて、一緒に遊びましょう?」

 

 伸ばされた手が緩く振られる。

 小さな振り幅。

 普段では見られない彼女の仕草に、ようやく俺は、いつか彼女が言っていた『朝潮が笑いかけると、寂しそうな笑みを返してしまう』というのをやってしまったのだと気づいた。

 それは、彼女に姉さんの影を見たからだ。

 彼女と姉さんの共通点を見つけると、俺はどうしても寂しくならずにはいられなくて、特に彼女の笑顔は…………だからそれが、朝潮にとって、我慢できないものだったのだろう。

 朝潮は、優しい。

 俺の想いを否定しようとせず、ただ、行動を起こして、俺の気持ちを別の場所へ運ぼうとしてくれている。

 でも、駄目だった。

 煌めく海を背にして手を振る朝潮は、笑顔どころか、そのすべてが姉さんと重なって見えて、だから。

 

「……だめ」

 

 だから、早鐘のように、鼓動が早まっていた。

 開いたままの目は強い光が入っているにもかかわらず、閉じられなくて。

 じっとりとした嫌な汗が、髪と背中の間にあって、眩暈がした。

 そこにいては、駄目。

 そっちに行っちゃいけない。

 そこで俺を呼んじゃ駄目だ。

 だって、そうしたら、君は……。

 

「朝潮!」

 

 椅子を倒す勢いで立ち上がり、そのままの勢いで手すりを飛び越え、砂浜に出る。後ろの方で鳳翔さんが息を呑む声と、機械が床に落ちる音がした。

 

 朝潮。

 俺は、俺は君までなくしたくない!

 

「わああっ!?」

「っ!?」

 

 俺が走り出したのと、盛り上がった波にリベッチオが放り出されたのは、ほとんど同時だった。

 声に振り返った朝潮が、倒れるような姿勢から駆け出し、海の上を滑っていく。受け止めようとしているのだろう。素早い判断だが、それでもリベッチオが海面に叩き付けられる方が速い。

 

「っと!」

「わ、ぁ……ウサギー?」

 

 ザァッと水飛沫を撒き散らし、滑り込む最中に彼女の小さな体をキャッチする。きょとんとした顔に笑いかけようとして、足下が盛り上がろうとしているのに気付いた。

 

「口閉じてて!」

「え、むぐ!?」

 

 海面を蹴って跳ぶ。直後に、さっきまで俺が立っていた場所に水柱が立ち上がった。

 まるで砲弾が落ちてきたみたいな、だけど、力の向きは空へ向かっていた。

 

「ヲ級!」

 

 満潮が叫ぶ。

 ぱらぱらと降り注ぐ海水の雨の中、最初にリベッチオを跳ね飛ばした水の中からは、空母ヲ級が出現し、海面に杖をついて両手を置いていた。もう一つの水柱も、収まれば深海棲艦が姿を現す。同じ、無印のヲ級だった。

 

「なぜこんな――」

 

 朝潮の戸惑いを含んだ声を遮り、二体のヲ級は頭部の異形の口を開くと、艦載機の群れを吐き出した。ブブブブ、と不気味な羽音が水を震わせ、夥しい量が空へと舞い上がっていく。

 止めよう。

 

「ぅ、う」

 

 そう思ったものの、腕の中で縮こまるリベッチオの事を思い出して、一端距離を取る事を選択した。

 それは、武器を持たない朝潮と、体の半分以上が海に浸かってしまっている満潮と荒潮も同じようだった。

 幸いというべきか、奴らは直立不動で黒い異形を放出しまくっている。朝潮が俺の下に滑り寄り、泳いできた満潮と荒潮を、二人同時に引き上げて海面に立たせるくらいは訳なかった。

 二人が生体フィールドを纏えば、体に付着していた海水が飛沫となって周囲に跳ね飛ぶ。俺と朝潮にかかったけれど、俺達も当然生体フィールドを出しているために、濡れたりはしなかった。

 腕の中のリベッチオは、わぷ、と目をつぶっていたが……。

 彼女を下ろそうとすれば、その足は海に浸かってしまう。生体フィールドを纏っていない。それは先程の様子を見れば明らかだったが、この時の俺には、そうとはすぐに判断できなかった。

 練度というものの重要性を初めて理解した気がした。

 

「リベ、戦闘態勢だよ!」

「えっ、う、うん。……はい!」

 

 ぼうっとヲ級を眺めていた彼女に声をかけ、発動を促す。それを確認しない内に海に下ろし――今度は、ちゃんと立った――二体のヲ級を睨みつけた。

 奴らはこちらに目もくれず、まだ艦載機を放っていた。それで空を覆い尽くしでもするつもりか。だが、もうそろ搭載数まるまる吐き出しきるはずだ。

 赤いオーラも黄色いオーラも纏っていない奴らの限界は浅いはず。それでも、二体がかりで出した空飛ぶ異形の数は、対処に苦労するだろうと容易に想像できた。

 出す前なら、ヲ級程度それこそワンパン……いや、ワンキックで倒せるはずだけど、そうする時間はなかった。

 悔やむ時間もない。提督達の方でも深海棲艦の出現は確認できただろうが、ここに武器を持った艦娘は一人もいない。俺だって連装砲ちゃんを連れてきてはいるものの、彼女達は体を焼くので忙しかったから、ここにいない。装備はないも同然だ。

 近くを哨戒しているはずの金剛達が戻ってきてくれるのを待つべきか……それとも、俺がやるか。二体程度なら、たぶんすぐ倒せる。でも艦載機はどうにもならない。俺が奴らを倒している間、無防備になった朝潮達がやられない保証はない。

 彼女達だって避けはするだろうが、この数だ。それにも限界はある。

 だったら俺が盾になって、金剛達が来るまでの時間を――――。

 

 ドォン、と空気の壁を打つような音がした。

 並んで立っていたヲ級が左右に吹き飛んでいく。それは、いつか見たよりも大きい水柱が、盛り上がった海面から噴き出していたからだった。

 波に足を取られ、バランスを崩しかけるも、なんとか堪える。転びそうになったリベッチオの腕を掴んで引き寄せつつ、波の勢いに任せて後退していく。

 

「……あらぁ」

 

 こんな時でも、荒潮の声は通常運転だった。ただ、表情はその限りではなく、現れた深海棲艦を目を丸くして見上げていた。

 

『――――……』

 

 大量の水が流れ、海面を打つ。霧が広がり、霧散していった。

 

「戦艦……棲姫?」

 

 呟いたのは、朝潮か、満潮か。

 海面を突き破って出てきたのは、護衛任務の時に出遭った戦艦棲姫だった。……いや、違う。

 黒いドレスの皮衣を着た女性がその身を預ける巨腕の異形は、以前見た時は頭が一つしかなかった。だがこいつは、それが二つある。

 非生物的な二つの頭が、並んだ歯を噛み合わせ、開く。赤い光が漏れ出し、息に乗って流れた。

 

『フフフ……ワタシガ、シズメテアゲル』

 

 一本角の女が、巨腕の異形の手の平の上で寝そべっていた体を起こすと、縁に腰かけて、俺達を見下ろした。

 ひぅ、と息を吸い込む声。

 背後に庇ったリベッチオは、恐らく初めて目にしたのだろう深海棲艦に畏縮してしまっているようだった。

 二体のヲ級が奴の両側に戻ってくる。空で蠢いていた艦載機の群れが一度は向こうの空へ向かうと、旋回して、勢いを増して向かってきた。

 空からも海上からも目を離せない。どちらに注意すれば良いのか、すぐに判断できない。

 いつもはサポートしてくれる朝潮も、今はただ、隣で身を強張らせていた。

 

『サァ、コイ!』

 

 黒い長手袋に覆われた両腕を広げた戦艦水鬼が歌うように叫べば、呼応した異形が、空いている片手をギシギシと握り締め、振り上げた。

 振り下ろされた拳が海面に叩きつけられる。それが開戦の合図となった。




TIPS
・戦艦水鬼
以前遭遇した戦艦棲姫の上位体。
カタコトで喋る。


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第五十三話 戦艦水鬼

遅れた。



 第一波……文字通りの脅威が、俺達を襲った。

 巨腕の異形が、体に見合った大きな拳を人外の膂力(りょりょく)によって海面に叩き付ける事で生まれた津波。

 発生地の近くにいた俺達は、上昇する波の初めの方にぶつかりそうになって、それぞれ跳び上がって避けた。もたついていたリベッチオも、俺が腰に腕を回して強引に持ち上げた。これくらいのサポートなら訳ない。

 足下を風が吹き抜けていく。

 波を越え、着水する音が複数。ジャンプした時より落ちる時の時間の方が短かったのは、気のせいじゃない。出始めとはいえ津波みたいなものだ。引き込まれた海水のために水位が下がり、透明な水の向こうに灰色の海底が見えていた。

 そしてそれは、それだけ波が成長する事を示していた。

 海の唸り声が後ろから聞こえてくる。通常浜に向かうにつれ弱まっていくはずの波が、おそらくは逆に大きくなっていってるのだろう。提督達は無事でいられるだろうか。

 

「なんて、心配してる暇はないか!」

「っ?」

 

 リベッチオを支えるようにしながら空を見上げる。掟破りの全体攻撃の後は、航空戦が待っている。ただしこっちは無防備だ。密集していれば最悪、全員仲良く轟沈なんて事もあり得る。ここは浅いが、大破して沈んでも戻れるかも、なんて甘い考えは捨てておこう。航空魚雷でばらばらにされでもしたら、泳いで戻るなんて選択肢もなく沈む羽目になるだろうから。

 このまま手をこまねいて見ているつもりはない。そう思ったのは俺だけでないらしく、荒潮か満潮か、散開しようと動く気配があった。

 だが、俺は動かない。腕の中には、混乱しているのか酷く震えているリベッチオがいるし、朝潮は、俺の隣から離れようとしなかった。彼女に限って足が竦んでいる、なんて訳ではないだろう。横目で見やれば、朝潮は真剣な目で、迫り来る艦載機の群れを注視していた。

 

『何やってんの、変身して!』

「――どこに?」

 

 胸の中とも頭の中ともつかない場所で島風の声が響く。咄嗟に言い返すと、朝潮とリベッチオが俺を見た気がした。

 群れの先頭が戦艦水鬼達の頭上を越える。もういつ魚雷を投下してきてもおかしくない。機銃の掃射でも、俺達はやられてしまうだろう。たとえ俺一人でも、ああも密集した状態から撃たれれば、どう転ぶかわからない。

 返信だかなんだかわかんないけど、それをやってる暇はない。そもそも俺は妖精暗号通信のやり方ってのをいまいちわかってないんだし。

 

『改二になってって言ってるの!』

 

 ――きた!

 けたたましい銃撃音が何十も重なり、びかびか光った銃口から鉄の(つぶて)が飛来する。まだ動けない様子のリベッチオを胸に抱き、苦しげな声を無視して回避行動に移る。……って、無理、やっぱ無理だこれ!

 右足を滑らせようとして、前方の波が粉々に砕かれるのを見て避けるのは無理だと判断した。だから、足の位置を入れ替え、リベッチオを庇うように体の向きを変え、横に移動。朝潮も守ろうと動いた。

 完全に庇うのは無理だろう。だが一部分だけなら、この背中で受け止められるはずだ。

 抱え込んだ頭が動こうとするのを押さえ、衝撃に備えて目をつぶる。まぶたが落ちる刹那に、苦い顔をした朝潮が、身を屈めて俺の傍へ寄って来た。

 

「――――!」

 

 なんて言えば良いのだろう。

 たくさんの弾丸が俺に当たった。

 布を巻き込み、肉にめり込むような生々しい感覚があったような気がしたし、髪を巻き込み、首を穿つ痛みがあったような気もした。

 体感では数十秒くらい。その間、踏ん張った体はずっと衝撃に揺さぶられ、鋭く突き刺さる衝撃はきんきんと脳に響いた。

 まぶたの裏の暗闇が何度も白んで、だけど、全てが過ぎ去っても、俺は、普通に目を開く事ができた。

 艦載機の遠退いて行く音。両腕で頭を庇う朝潮の姿。それから、呆けて俺の胸に頬と両手を当てているリベッチオを順繰りに認識して、最後に、少しでも体を動かすと体中軋んで痛むのがわかった。

 

『今! 今がチャンスだよ!』

 

 我慢すれば動けないほどではない。だがそれも、胸中から発される島風の声に我慢できなくなって、一度大きく息を吐いた。

 

『速く速く!』

 

 ああもう、うるさい!

 改二になれって言うけど、そんな余裕はない! 後ろには戦艦水鬼が待ち構えてるし、前には艦載機がいる。この状況で限界までスピードを出すなんて、不可能に近い。いくら俺が速くなったと言っても、艦載機の飛行速度の方が速い。追いつかれて機銃を撃たれたら、速度を出すなんて言ってられなくなる。その提案は、現実的じゃないよ。

 

『必要なのは限界を超えたと思えるスピードの中に突入する事だよ。風を感じて。それできっと、なれるから』

 

 風を……。

 足下を通り抜ける涼しい風が、熱を持った体から少しだけ体温を奪っていった。

 ……ああ、そう。そうか。そういう方法も、あるんだね。

 

『わかった? なら』

「うん。跳ぶよ。――朝潮!」

 

 艦載機が戻って来ようとしている。顔を上げ、俺の肩越しに背後を見ていた朝潮に声をかけ、リベッチオを任せる。

 朝潮に肩に手を置かれて引き寄せられるリベッチオは、きょとんとして、朝潮を見上げた。さっきの銃弾の雨を無事に乗り切ったのが信じられないのだろうか、かなり気が抜けているように見える。喝を入れるのは、朝潮に任せよう。

 

 素早く後退する。離れる俺を空色の瞳に映した朝潮は、間を置かず、俺の背後へ目をやった。俺の代わりに戦艦水鬼の動向を見ようとしているのだとわかって、だからもう、後ろを気にするのはやめた。

 三歩目。後方へ出した左足と右足を並べ、膝を曲げて力を溜める。波が体を押し上げた、瞬間、俺は空へと跳び上がった。

 体を丸め、空中で一回転。遠心力を得た後は、海面へ向けて急降下キックの体勢に移行する。

 『跳び蹴りをかます』、その意識のためか、俺は、自分の体がぐんと引っ張られるみたいに加速したように感じた。実際はどうかわからない。視界に映る一面の青は円状に広がって、風と共に迫った。

 

 海を突き破ると、気泡が全身を包み込んだ。ボコボコとくぐもった音が上へと遠退いていき、意識も肉体も、白い世界に突入した。

 ミルクに包まれたみたいに数瞬体の動きが鈍って、落ちる向きが変わる。

 正面。

 これではもう、落ちるとは言えない。浮かんで、進んでいた。

 

『キュー』

 

 左右と下に、連装砲ちゃん達が泳いできた。宇宙遊泳みたいにくるくる回転するのは気持ち良さそうで、戦闘の最中だというのに、笑みが零れた。

 

「連装砲ちゃん、一緒に行くよ!」

『キュー!』

 

 自分の言葉を合図に意識を切り替え、前を見据える。連ちゃんがプッと口から端末を放り、俺の左腕にがっちりと装着されると、さっそく眼前に薄い光の画面が出現した。改造画面。

 連装砲ちゃん×3を資材として消費し、自分自身を改造する。人差し指でボタンをタッチすれば、濃紺の競泳水着が光の粒子となって風に溶け、流れていった。代わりに纏わる、いつもの制服。頭の上にはうさみみカチューシャ。連装砲ちゃん達が光の線となって分解され、肩や背にくっつく。両肩の砲。背中を覆う銀のフレーム。スカートのゴム周りを覆う細く黒い、ゴム製のベルト。バックル部分の表面に『Ⅱ』の刻印が焼き付く。ブースターユニットから噴き出した桜色の炎は、火の粉のように絶えずエネルギーの残滓を零す。

 装備欄の四個目が砕かれ、黒い穴が出現すれば、改造完了。画面上にでかでかとシマカゼ改二の姿が映し出された。前と立ち絵が違っているけど、些細な変化だった。

 

『今のうち!』

「わかってるよ!」

 

 装備選択画面を開き、全てのスロットに10cm連装高角砲を突っ込み、画面をスライドさせて視界外に押しやる。

 体の進む向きが変わった。

 風の流れもまた変わる。

 下から上へ吹き抜ける風に水滴が混じり、潮の匂いが乗り始め、そうと認識した時には、足裏に硬い水面の感触があった。

 水を跳ね飛ばし、着水する。

 

「――お待たせ!」

 

 立ち上がると同時、両手を広げて10cm連装高角砲を二つ出現させる。形は従来の台形だが、底面に朝潮型の主砲と同じようなグリップが取り付けられていた。投げ渡した二つのうちの片方を受け取った朝潮は、それを見て操作に問題なしと判断したのか、右手に装着するなり反転し、さっそく迫り来る艦載機へと砲撃を開始した。一撃放つと、二機の異形が爆ぜて、黒煙を吐き出しながら落ちていく。正確無比の砲弾が一秒に一回飛んでいく。打つたびに揺れ動く体は、明らかに無茶をしているが、そうでもしないと間に合わないと判断しているのだろう。

 

「リベ!」

 

 両腕で砲を抱えて、朝潮が撃つ先を見上げていたリベッチオに声をかけつつ、横を駆け抜ける。他に言葉をかける暇はなかったけど、彼女は察してくれたらしい。朝潮の横にぴったりついて、砲を持った腕を持ち上げようとしているのが視界の端に見えた。戦えるか心配だったけど、不要だったみたいだね。

 俺が向かう先は、最初に外側へ逃れた満潮と荒潮の下だ。

 彼女達は散開を選んだために被害は軽微のようで、だが、俺達に近付く事も、戦艦水鬼に立ち向かう事も、その横を通って陸に戻り、連絡をしに行こうとする事もできず、艦載機と戦艦水鬼達に注意しながらも、立ち尽くしていた。

 その二人へ、連装砲を投げ渡す。二人同時にキャッチして、二人同時に俺を見て、目を丸くするのも同じタイミング。場違いなコミカルさ。

 というか、この姿、そう驚くほどの変化はないと思うんだけど……。あ、水着から制服に変わってるからびっくりしたのかな?

 

「使って!」

「……ありがたく使わせてもらうわよ!」

「出どころはどこかしらねぇ」

 

 砲を手に持つ二人の下までは行かず、水面を擦って体の向きを変え、朝潮達の下へとって返す。艦載機の群れは、仲間が撃墜され続けているというのに、朝潮達の頭上を素通りして遠くの空へ向かって行っている最中だった。

 あの向きだと、雷撃でも機銃でも戦艦水鬼やヲ級に当たる可能性があったから何もできなかったのか? というか、ヲ級とかずっと動きを見せないが、なんのつもりなんだろう。

 そもそも奴ら、水の中から出てきたけど、ここから海底まで三メートルもなさそうなのに、戦艦水鬼はどうやって飛び出してきたんだ? 土の中に潜ってたとでも言うのだろうか。

 

「朝潮、大丈夫?」

「はい、おかげさまで!」

 

 遠退いて行く艦載機の後部を数機、連続で落とした朝潮が、俺の声に頷いた。俺は武器を渡しただけだ。この働きは全て彼女の功績。少し分けて欲しい。

 空へ砲を向けていたリベッチオも、俺が近付いていくと、硬い表情を少しだけ和らげて、腕を下ろした。頬を伝う汗に、どれだけ彼女が緊張しているかが窺えた。

 砲口から黒煙を(のぼ)らせる朝潮に対して、リベッチオの砲は熱を持っているようには見えず、おそらく一発も放てなかったんだろうとわかった。過度の緊張のせいだろう。初戦であの数の艦載機と、水鬼なんていう化け物を目にしてしまったのだから、それも仕方ない。むしろ砲を構えられるだけ上等である。

 孤島で目覚めたばかりの頃の俺が、武器もなしにあれらに出遭ったら泣く自信があるね。そこら辺、やっぱり人間と艦娘は違うんだろうな。いや、リベッチオ自身の強さもあるのだろう。怖くても投げ出さないとか、そういう。

 だが恐怖というのは強敵だ。今の彼女が損傷を負えば、轟沈せずともトラウマになってしまうかもしれない。艦娘だって人間と似た精神性を持っている。過酷な状況に置かれれば参る事だってあるだろう。

 だから、俺は、できる限り損害を出さず、あの戦艦水鬼らを倒さなければならない。

 朝潮を傷つけさせないために。リベッチオをこれ以上怖がらせないために。そして、提督や、みんなを守るために。

 幸い――。

 

『――!』

 

 巨腕の異形の傍が盛り上がり、爆発した。たぶん、潜水艦の雷撃。伊19の仕業だろう。衝撃に揺らぐ巨体から戦艦水鬼が投げ出され、海面に下り立った。

 味方の艦載機が列をなして飛んできて、航空魚雷を投下していく。あれが本体だろう女性型の戦艦水鬼に直撃すれば、大ダメージを与えられるだろうが、異形が腕を伸ばし、手の平を盾として戦艦水鬼の前にかざす事で防いだ。ついでに双頭が吠え、体に備え付けられた砲を放ち、帰投しようとする艦攻や、敵艦載機に向かっていく艦戦を撃ち落とそうとする。

 

「距離、速度、良ぉし!」

「気合い! 入れて! いきます!」

 

 それを阻むのは、比叡と霧島だ。声を響かせ、遠距離からの砲撃で巨腕の異形の行動を阻害する。数発の砲弾は、半分以上異形に直撃したのに、奴は多少よろめいて呻くだけで、堪えた様子はなかった。

 航行しながら砲撃して当てるのも凄いが、それをくらってぴんぴんしてるのも凄いな。あんまり間に入りたくないが……あいつをやっつけるのは一番優先してやるべき事だろう。現状、艦載機を放ち切って棒立ちになっているヲ級は放っておいても問題ない。

 ……前に戦った時は、奴らも杖で積極的に近接戦闘を挑んできていたような気がしたのだが……今回の奴らは、なぜあんなにも動かないのだろうか。

 

(確か、対空強いのは機銃だよね?)

『さあ?』

 

 画面に手を当て、横へスライドさせる。装備した25mm三連装機銃を敵艦載機へと向ける。龍驤の艦戦の邪魔をしないよう、それらが辿り着く前に少しでも落としておきたい。だから、数撃ちゃ当たるを念頭に、機銃を選択した。右腕に乗せた機銃は軽く、細い三つの砲身はどこか頼りない。しかしあまり大きくない敵艦載機を撃ち落とすには十分だろう。

 何も言わず、旋回して向かってくる黒い群れに、機銃を掃射する。左から右へ。片手で押さえた腕を薙ぐように振るい、全弾撃ち尽くすようにと、内部にいるだろう妖精さんに伝える。

 あっ、今一番端っこの奴に掠った! やった! 当たったぁ!

 ぐらついた敵艦載機に、内心声を上げて喜ぶ。俺だってここ一番では当てるもんね!

 ……なんて。

 

「…………朝潮、機銃使える?」

「ええ、大丈夫です」

「じゃ、これあげる」

 

 機体をぐらつかせただけで、大した損害もなかったらしく元気に飛んでくる艦載機を見ていたら、凄く虚しくなってしまったので、機銃は朝潮に進呈する事にした。インスタントの妖精さんに怒られそうな所業だけど、こればかりは自分の才能の無さを恥じるしかない。俺に使われない方が幸せだと思うよ。

 

「全砲門、fire!」

「てーとくを、お守りします!」

 

 比叡と霧島に続き、追ってやって来た金剛と榛名も、走りながら砲撃した。空へ浮かんだ黒い粒が、みるみるうちに大きくなって、ヲ級の片方を貫いた。残りは全て巨腕の異形に当たった。戦艦水鬼に当たりそうな物があったからか、その巨体で庇ったのだ。

 そこまでして、ようやく奴の背から煙が噴き上がり始める。小破……中破……艦娘みたいにわかりやすくないから、どのくらいのダメージを負っているのかがわからない。俺のカンドロイドが敵の耐久値を表示できたら良かったんだけど……そこまで便利にはならないか。

 改二状態の端末は異次元収納機能付きの物質精製機能付きで超高性能だし、これ以上は贅沢にしかならない。

 

『オオ――……』

 

 沈みゆくヲ級を見ていたもう一体のヲ級が、慟哭するように声を発した。だがそれだけだ。やはり動こうとしていない。巨腕の異形が行動を起こすたびに起こる波に翻弄され、よろめいたりしているだけ。

 動かないんなら、倒すけど良いよね。

 

「朝潮、リベを守ってあげて」

「はい! 任せてください!」

 

 顔だけで振り向き、一つ頼み事をする。朝潮は一も二もなく頷いてくれたが、リベッチオは不安げに瞳を揺らして、ウサギ、と呟いた。

 それで、俺って本当に懐かれてたんだな、と実感した。ならここは何か、安心させるような事言っとかないとね。

 

「大丈夫だよ。あんな奴ら、ぜんっぜん怖くなんかないって、シマカゼが教えてあげる!」

「……うん。buona(ブォナ) vittoria(ヴィットーリア)……ウサギー」

 

 明るい調子の声に、胸元でのサムズアップをすれば、リベッチオも控え目に同じ仕草を返してくれた。強張った顔に笑顔が浮かぶ。でも、()()で喋られても、ちょっとよくわかんないよ。

 朝潮もまた、俺に見せるように親指を立てた。彼女相手には、結構頻繁にやっていた仕草だったから、返しも慣れたものだ。

 前へ向き直る。哨戒に当たっていた六人のうち、比叡、霧島、龍驤が荒潮と満潮をサポートするように艦載機の相手をしている。金剛と榛名は戦艦水鬼の相手だ。互いに砲撃しあっているが、先程と違って当たらない。巨腕の異形が手に戦艦水鬼を乗せ、動き回っているからだ。比較的近くに俺達がいるために、撃つタイミングが限られているのも原因の一つなのだろう。それでいて異形は自由に砲撃するから、金剛達も回避に意識を割かれているらしい。

 海が激しく波立ち、波紋が俺達の足元まで伝ってきている。

 

『オオ――!』

「ん?」

 

 ヲ級が頭部の異形から追加の艦載機を放ったのは、俺が眼前に装備選択画面を出した時だった。ちょちょ、ちょっとあんた、それさっき出し尽くしたんじゃなかったの!?

 

「来ます……!」

「う、ううー、やるよぉ!」

 

 心の内のツッコミは相手に届く事はなく、十機ほどの艦載機がこちらへ向かってきた。あの数なら、朝潮があっという間に撃ち落としてくれるだろう。でも、距離が近い。半分もやっつけない内に奴らの攻撃の範囲に入ってしまう。リベッチオが奮起しているみたいだけど、彼女の手で落とせるかどうか。俺がノーコンでなければ全部やるんだけど。

 

『代わって』

 

 再び機銃で応戦すべきか、隙を晒す覚悟でジャンプキックをぶちかますかと悩みつつ、装備スロットの一番上に25mm三連装機銃をセットした時、島風がそう言った。

 『かわれ』……どういう意味だ?

 

『運転を代わろう、って言ったらわかりやすい?』

(あ、なるほどね)

 

 島風は意識の交代を申し出ているみたいだ。体の主導権を渡せ、って。

 とりあえず画面を退かし、機銃を右手に出現させる。光の欠片が散って、右手に収まった鉄の塊は、やはり軽い。これは俺が改二になって、身体能力が大幅にアップしているからそう感じるだけなのだろうか。

 

(良いよ)

『おっけー。じゃ、交代ね』

 

 なんとかできるというなら、頼まない手はない。そもそも彼女の方が純正の艦娘な訳だし、俺よりずっと頼りに――。

 ぐるん、と視界が回転する。世界もさかしまに。

 俺の意識は、心の奥の海の中に沈んだ。

 

「頼りになるってほど、島風の練度は高くないけどね」

 

 ふわっと髪がなびくのに目を細め、こないだぶりの外の世界を体全体で感じる。

 そういう訳で、ここからは島風の出番。

 といっても、私はそう長い事活動できないから、とりあえず上のうっといのをやっつけたら、観戦に戻る予定。

 

「ほっ、と」

 

 右手に持った機銃のグリップを握り直し、空へ向ける。ちょうど、あいつらも私達めがけて銃弾を放とうとしているところだった。

 意識を集中させる。ぐんと空気が歪んで、伸びる感覚。世界の動くスピードが落ちていく。

 きっと雨が降っていれば、一粒一粒が球状なんだって理解できるくらい、動体視力も良くなっているだろう。体の動きは通常だけどね。

 でも、ここまで速くなれるなんて、生まれた時は考えもしなかったな。

 そもそも私はそこまで速さを求めてはいない。だってもともと誰より速かったし、走るのが気持ち良いから、走り続けようとしていただけ。

 最初の一歩を踏み出す前に戦艦レ級に撃沈された訳だけど。

 おっとと、集中、集中。これやると、ただでさえ疲れやすいのに、余計な事考えてたらすぐ限界がきちゃう。

 

 照準を合わせる。まずは飛んできた銃弾に、それから、銃弾を放った航空機へ。トリガーを引いてダンダンダンと緩やかな発砲音を聞きながら、一つ二つと落としていく。

 はたから見れば早業なんだろうな、と思うと、自然と笑顔になってしまって、ついでに体がぶるりと震えた。それってとっても気持ち良いかも。

 なんて考えてたら、照準が外れて数発外してしまった。ありゃ、これじゃ島風がシマカゼになったみたいだよ。私ならあんなの外しっこないのに。なんであの子は外すんだろう?

 キーンと耳鳴りがして、世界の速度が通常に戻る。上空を通り過ぎようとした残りの数機は、朝潮がほとんど全部落とした。あのリベって子もめちゃくちゃに撃って、なんとか当てたみたい。ひっくり返りそうになったのを、朝潮が支えた。

 

(はい、島風タイムは終了です)

『……え、なに? ごめん、ちょっとぼうっとしてた。もう一回言って?』

 

 すっごく疲れたから、シマカゼに呼びかけたら、調子っぱずれの高い声が返ってきた。

 ……このままずっと島風がこの体使っちゃおうかな、って一瞬思った。

 ああでも、あの海はあったかくて、気持ち良いから、ぼうっとしてしまうのもわかる。

 眠ろうと思ったらいくらでも眠れるしね。

 そんなだから、私もたくさん寝ちゃったんだ。

 思い出したら、猛烈に眠くなってきた……。

 エネルギーが足りない。表に出てる間に何か口に入れときたかったけど、また今度、機会があったら代わってもらおう。

 さあ、速く代わって代わって!

 おやすみ!

 

「ああ、うん。おやすみ……?」

 

 再び視界が反転して、明るい日の下に戻ってきた。

 あの海の中にいたのはごく短い時間のはずなのに、なぜか何時間もあそこにいた気がして、意識がはっきりするまで時間がかかってしまった。

 背後を窺えば、朝潮は俺を見ておらず戦況を見ていて、リベッチオはまだ空を警戒していた。

 俺が島風を内包し、入れ代わる事ができるのをすでに知っている朝潮と、入れ替わっても違和感を抱くほどに付き合いが長くないリベッチオだからこその反応かな。いや、朝潮の方はそれであっているだろうけど、リベッチオは緊張が酷いせいかもしれない。浅い呼吸に、敵のいない空に目を馳せるのは、ひとえに戦闘時の興奮と緊張のためだろう。戦いが終わらない限りは、下手に声をかけたりしない方が良い。

 それに俺は、リラックスさせてやる術を持ってない。唯一やれる事は、さっさと敵を倒して安心させてやる事だけだ。

 顔を前に戻す。激しく動き回る巨腕の異形と、その手に座る戦艦水鬼の姿を捉えつつ、装備選択画面を出して、ずっと画面をスクロールさせた先にある『木曾のサーベル』を選択、装備する。

 端末を巻きつけてある左腕を空へ突き出せば、呼応して、カンドロイドからサーベルが吐き出された。垂直に飛んだ剥き出しの剣が落ちてくるのを左腕で掴み取り、ぶぅんと振るう。鈍い銀色の刀身に光が這って、刃先が輝いた。手首を回して柄を投げ、右手に渡す。

 よし、準備完了!

 

「ヲ級の相手は任せるよ!」

「はい!」

 

 打てば響くで、朝潮の返事を聞くと同時に駆け出す。

 艦載機を吐き出したきり、ふらつくのみのヲ級の横を通り抜けざまに剣を叩き込んでいけば、肉を裂く感触がダイレクトに手まで伝わってきた。

 うわ。

 うわー……。

 前に杖で貫いた時は、そこまででなかった生理的嫌悪感が湧き出してくるが、その時にはもう駆け抜けて、巨腕の異形の下へ向かっていた。

 あとは二人にお任せだ。俺は戦艦水鬼に集中させてもらうとしよう。

 

「覚悟っ!」

『――!?』

 

 金剛達との砲撃戦に夢中だった一体と一人は、海面を蹴って跳躍した俺の接近に気付かなかった。反応した異形が俺をはたき落そうとするより速く、立ち上がろうとしていた戦艦水鬼を思い切り斬りつけ、手の平から落ちるように力を込める。相手の装甲と俺の思惑が重なって、斬るというより殴るになった。

 サーベルを振り抜いた体勢のまま着水し、ブレーキを踏みつつ滑っていく。

 狙い通り、背後で重いものが落ちる音がした。安定した音。二本の足で着水したな。さっきの斬撃の手応えからして、さほどダメージは負っていなかったんだろう。だが、小破も中破も関係ない。異形の手の平の上という安全圏を失ったから、俺が離れれば金剛達が倒してくれる可能性も高い。だが彼女達には、しばらくこの巨腕の異形の相手をしてもらう事にしよう。倒してくれるに越した事はないが……夜までもつれ込む可能性も否めない。その前に俺が倒そう。まずは武器を持たない戦艦水鬼からだ!

 片足を軸に海面を滑って旋回し、立ち上がろうとしている戦艦水鬼に肩をぶつける。タックル。異形が戦艦水鬼ごと俺を止めようと伸ばしてきた手を、背部のブースターユニットを噴かせ、桜色の翅を輝かせる事で推進力を得、跳躍して跳び越した。そのまま離れた海まで戦艦水鬼をエスコートする。

 

『ハナセ!』

「っ!」

 

 戦艦級で水鬼。さすがの馬鹿力か、途中で引き剥がされて投げ飛ばされた。身を捻って体勢を整え、着水し、屈伸して衝撃を逃がす。俺の身長より高い位置まで上っていった水滴が降り注ぐ中で、戦艦水鬼の動きを観察する。

 奴は金剛達の砲撃に晒される異形の下に戻ろうとせず、怒り心頭といった様子で俺の方へ駆けて来た。

 屈んだ体勢のまま翅を繰って前へスライドしだす。この姿勢で移動するとは思わなかったのだろう、戦艦水鬼が足を止める。

 そこへ、背後から俺の横を通って走る金色のレールが――幻視――奴の逃げ場を封じた。走りに切り替え、線路の横を並走し、やがてその上に飛び移って、両足を広げて腰を落とし、滑り始める。勢いは増すばかりだった。

 D字の柄を両手で握り締め、顔の右で構える。刃先は天に。戦艦水鬼は引く様子を見せず、逆にスカートをはためかせて波を蹴った。

 振り上げられた拳と、振り切った刀は交わる事なく擦れ違っていく。

 頭のすぐ上を通った大きな拳。奴の体を叩き切ったサーベル。

 

「――っ!」

『フ、フフフ……ワタシガ、オワラセル』

 

 ビリビリと振動するサーベルの震えが、手まで伝わってきた。

 ただ突っ込んでいって斬るだけではまったくダメージを与えられない。素早く敵へ向き直り、牽制にと両肩の砲で砲撃する。

 一つも当たらない。戦艦水鬼の左右に着弾した弾が、大きな波をたてて沈んでいく。複雑に広がる波に足を取られた戦艦水鬼が膝をつくようにして体勢を崩す。

 今だ!

 横へサーベルを放り投げ、膝を曲げて力を溜め、一気に解放する。跳び上がった体が桜色の翅の推進力を糧に一定の高さまで押し上げられる。

 ジャンプキックの体勢。再び翅が噴き出し、一本の矢となって敵を貫いた。

 

『!!』

 

 背後で巻き起こる爆発に、屈んだ状態で踏ん張って吹き飛ばされないよう(こら)える。

 よし、倒せた! あいつ自体はそこまで硬くなかったから、これでいけたみたいだ。

 しかし戦艦水鬼を倒しても、巨腕の異形は健在だった。連装砲ちゃんと同じ自立稼働兵装なのだろうか。

 

『――!! ――――!!』

 

 主を失い、怒り狂って吠え散らす異形に砲弾が突き刺さっていく。どれも決定打にならない。怒って耐久値や装甲が上がる訳でもないだろうに!

 

『――――――!!』

 

 息を吸い込んだ異形が、天へと叫ぶ。あれは……夜を呼ぶ奇妙な技か。

 あれ、たぶん改二の俺なら使えるな。叫ぶのは恥ずかしいからやりたくないし、夜はあまり好きじゃないから使うつもりはないけど。

 雲が流れ、太陽が落ちていく。代わりに月が上り、星々が瞬く。

 夜がきた。

 急激な明度の変化に、高性能の体はすぐ順応し、遠く、闇の中で蠢く巨腕の異形を捉えた。

 

「わざわざ夜にしてもらったとこ悪いけど、速攻で終わらせるね」

 

 たとえどんなに強い奴でも、一対一なら対処に苦労は……そう、しない。今は一体多の状況で、夜は駆逐艦や潜水艦の時間だ。装備を自由に変更できるこちら側が有利。

 だが悠長に艤装を配っている時間はない。島風が表に出ている時と同じように、改二にも活動限界時間ってのがある。俺が参ってしまうまでの時間だ。

 だからとっとと片付ける。

 

 もう一度海面を蹴りつけ、高く跳び上がる。桜色の光が夜闇を切り裂いて、広がった。

 轟々と唸る風の中を急上昇していく。五メートル、十メートル、十五メートル。戦場の全てを見渡せるほどの高さに来てもなお、俺は空を目指して飛び続けた。

 燃料が消費されていく。体の中のどこかが熱くなって、痛む。星空だけを見上げていると、だんだん距離感が乱れていって、自分が今どれくらいの高度に達しているのかわからなかった。

 それだから、限界まで飛ぶ事にした。倒しきれなかった、なんて事にならないように。全力でキックを放てるように。

 ボシュン。音をたてて、翅が消える。自分の意思で消した。

 飛んでいるさなかに、奴がもし朝潮やみんなを傷つけたらと考えると、悠長に飛び続ける事ができなかったのだ。

 空は広く、視界を遮るものは何もない。生体フィールドに纏わる冷気と水気。どうやら俺は、薄い雲の上へ出ていたみたいだった。

 これくらいあれば、助走をつけるには十分だ。

 緩やかに上昇を続けていた体が重力に引っ張られて止まり、緩やかに落ちていく。行きよりスピードが速い。速度がどんどん上がっていく。頭と足の位置を入れ替えて翅を噴出させれば、さらなる加速だ。天から降る星のように、巨腕の異形の頭上へ迫る。

 

「おりゃーーっ!!」

『――!?』

 

風を切り裂いて伸ばした足が、巨腕の異形の頭にぶち当たる。砕き、弾いた頭を無視して、双頭の中心、両の首の付け根へヒールが食い込んでいく。

 一瞬だった。

 コンクリートを粉砕するみたいに、生体フィールドを纏った状態のまま海を叩き壊して、海底まで一直線に蹴り抜けた。

 割れた海の上で巨大な爆発が起こる。爆風が海水を押し退け、割れた海はさらに押し広げられた。落ちてきた鉄の破片を腕で払い、跳び上がって海上に戻る。戻ろうとする水の流れは強く、引き込まれてしまいそうだった。

 

「わ、わっ、たた!」

「おおっと!」

 

 乱れる波の上でバランスを取っていれば、うつ伏せの状態でリベッチオが流れてきた。両腕をばたつかせて止まろうとしているものの、上手くいっていない。

 翅を使って海面を移動し、彼女が割れ目に落ちてしまう前に背側の服を掴んで持ち上げた。ふげ、と変な声が聞こえた。

 

「申し訳ありません!」

 

 朝潮が滑ってくる。波の勢いもあってかなり速い。俺の前で止まろうとしたのだろうけど、いつものようにはいかずにバランスを崩しそうになっていたので、抱き止めた。至近でかち合った視線は、数秒の間、離れなかった。

 

「わぁ、夜が……!」

 

 手足をばたつかせて下りようとしていたリベッチオが、正常な時刻に戻った空を見上げて、感嘆の声を漏らす。これも初めて見る現象だったのか。……そういえば、奴らが夜を呼んだ時、他の地域はどうなっているのだろう? もし地球全土に影響を及ぼすのだとしたら、世界中に深海棲艦はいるのだから、引っ切り無しに夜にならないとおかしい。

 ……そういう考察は、帰ってお布団に潜り込んでからにしよう。

 今はただ、無事乗り切れた事を喜ぼう。

 改二状態を解けば、俺の体から投げ出された連装砲ちゃん達が明滅しながら海の上を転がり、いつも通りの愛らしい顔を見せた。強い波にころころ転がされてるのを見て、ちょっと解除するタイミング間違えたかな、と思った。

 

「なんだったんでしょう……」

「さあ? あいつらも海水浴がしたかったんじゃない?」

 

 リベッチオを立たせつつ、朝潮の疑問にてきとーに答える。

 ただ一つ言える事は、神隠しの霧はなくなったのに、突然強敵が現れる不可思議な現象はなくなっていなかったって事だけだ。

 

「朝潮、無事!?」

 

 満潮と荒潮が戻ってくる。その手にはすでに連装砲はなく、不安と焦りだけがある。荒潮は、相変わらず笑みを浮かべてるんだけど……。

 

「ヘーイ! 島風、やりましたネー!」

「あの力は、いったい……?」

 

 金剛四姉妹と龍驤も戻ってきた。改二の説明は……難しいから、提督に丸投げしよう。

 そうだ、提督は無事だろうか?

 

 集まった俺達は、今回の戦艦水鬼の襲来をちゃんと提督に伝えるために、浜で待つ藤見奈提督の下へ帰還する運びとなった。

 

「ぼのたん、行けっ!」

「ぼのたん言うな! って、もう終わってるじゃないの!」

 

 その際、浜辺で騒ぎ立てる不審な男と曙の姿を見かけた。

 ……あ、あれ向こうの提督か。海棠とか言う人。海パンにシャツにサングラスに白い軍帽……ううん、不審者。

 

 

 今回の顛末を報告し、俺達は一度全員で集まって提督の言葉を待つ事となった。

 藤見奈提督は秘書艦を伴い、海棠提督と言葉を交わしている。今回のような深海棲艦の出現方法は過去にもあった事かを簡易的に確認したり、どう処理するかを話し合っていたようだ。

 やがて俺達の前に立った藤見奈提督が現れた敵の詳細を語った。近海に規格外の敵の出現。それだけならそう動揺は大きくならないだろうが、この間、その元凶だと思われていた戦艦レ級を撃破しているのだから、戸惑う艦娘は多かった。

 安心してほしい、と提督が言う。

 この場には、水鬼をも倒せる艦娘がいる。

 それが誰の事を指しているのかは、みんなわかっていた。

 きっとみんな、戦闘を苦い思いで見ていただろうから、最後に俺があのデカブツをやっつけたのも見られていたのだろう。

 列の前へ出るように言われて、移動した。そこで初めてシマカゼ改二が紹介されたのだ。

 大きな力を持つ俺と、みんなが協力して戦えば、負けは無し。そう締め括られた。

 ……海水浴が中止になるなどの話題は一言も出なかった。

 俺がいるから、海水浴は続行って……いやまあ、良いけどさ。中止にしない理由はいろいろとあるんだろうし。

 

 そんな訳で、俺達はまたゆったりとした時間をそれぞれで過ごし始めた。みんな、どこか警戒している様子でありながらも、ボール遊びや水遊びに興じている。

 俺と朝潮は、彼女の姉妹とリベッチオを連れて海の家に戻ってきた。

 飛び出す前と同じ席どり。あの時と違うのは、海棠提督と曙が店内にいて、片方がこっちを凝視してるくらいだ。

 MVP祝いだ、と鳳翔さんがクリームソーダを作ってくれたので、それを頂きつつ、朝潮と雑談する。

 途中、荒潮と満潮がリベッチオを伴って浜辺へ移動した。深海棲艦が現れなければ、砂遊びをする予定だったんだって。

 

「ウサギー! ウサギも、こっちにきて!」

 

 ツインテールを揺らして、手もぶんぶん振って俺を誘うリベッチオに、喉元過ぎればなんとやら、という言葉を思い出した。意味は違うだろうが、あれほど怯えを見せていたのに、敵を倒してしまうとすっかり元気になった。懐き度がアップした気もする。今度キック教えてね、なんて言われたけど……うーん、リベッチオにキックは似合わないだろう。

 

 不意に朝潮がくすくすと笑った。

 ……たぶん、リベッチオの言葉が、朝潮の言葉と同じだったからだろう。こっちに来て、って台詞。

 俺にとっては、最後に見た姉さんの言葉だから、あまり良い思いはしなかったが……俺を慕う子の無邪気な誘いを蹴るほどではない。

 

「行こっか」

「はい」

 

 短く言って朝潮を誘う。彼女は、満面の笑みを浮かべて、立ち上がった。

 

 ――あ。

 

 朝潮の笑顔、初めて見た、かも。

 

 姉さんに似た、ではなく、彼女の、ほんとの笑顔。

 どうしてそう感じたのかは自分でもわからない。

 だけど今、俺は、彼女に姉さんを重ねず、素のままの朝潮を見る事ができていた……そんな気がした。




TIPS
・艦艇斬り
剣撃必殺技。滑って行って斬るだけ。

・シューティング・クェーサー
高々度から落ちていき、その力を全て一撃の蹴りへと注ぎ込む
必殺キック。
戦艦水鬼すら一撃のもとに粉砕するが、当てるのは少し難しく、隙が大きい。

・シマカゼ改二(タイプ連装砲ちゃん)lv.55
耐久144 装甲156 火力156 雷装220 回避99
対空236 対潜120 索敵82 運40 
速力99.6ノット 燃料消費100 弾薬消費50
100mを1.5秒 加速時 100mを0.400秒

・海休暇
続行。二日目の哨戒任務にシマカゼがつくが、敵は現れなかった。

・夜を呼ぶ力
深海棲艦が持つ、解明されていない異能。
改二となったシマカゼも使用可能、らしい。

・木曾のサーベル
艦娘の艤装、および艦娘が装備している武器を
シマカゼ改二も装備する事ができる。


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   小話『越エテハイケナイ一線!』

法事でどたばたしてました。
更新再開します。

ちょっと支離滅裂な内容になってるかも。



次の更新は1月23日(土)の夜を予定しています。
(数日単位で遅れが出る場合があります。あらかじめご了承ください)



 海水浴場には、穏やかな波の音が満ちている。

 大きく開いたパラソルの下、白いミニテーブルを挟んで、提督である藤見奈仁志と秘書艦の電が、ぽつり、ぽつりと言葉を交わしていた。

 たとえば藤見奈が投げかけるのは、「仕事をしないでいる時間とは、なんともむず痒いものだ」だとか、「波が穏やかだな」だとか、「良い天気が続いているな」だとか、他愛もない、普通の言葉ばかりであった。

 電は退屈した風もなく、はい、はいと小さな声で返事をして、藤見奈と一緒に青い海に目をやっていた。

 海も、風も、波も、天気も、何もかもが穏やかで、藤見奈と電の間に流れる空気もまた穏やかだった。

 八年。

 それが、二人が共に戦ってきた期間。

 常に、とまではいかないが、立場柄一緒にいる事が多く、寝食を共にした事も少なくない二人は、熟年の夫婦のような雰囲気があった。

 あくまで、雰囲気だけだ。

 二人はそういった関係ではない。今年二十六になる藤見奈は、未成年の頃から付き合いがある電は、妹のようなものだと思ってた。

 ……最近までは。

 

 半年前か、それとも一年前か。

 自分で気づかない内に、藤見奈は電に想いを寄せるようになっていた。ある日突然に、というよりは、うっすらとしたものが、少しずつ表面に浮かび上がってきたのだった。

 時代が時代だし、立場もある。藤見奈は、提督という面の中に恋慕を隠して過ごしてきた。

 日常の様々な場面で言葉を交わし接触していた電には彼の気持ちはお見通しで、それは藤見奈も感じている事であったが、まるで示し合わせたかのようにお互いそういう話題は出さなかった。

 意識はしている。

 意識されている事も、知っている。

 言葉にせずとも、想いは通じ合っている。

 当分の間、藤見奈はそれで満足だった。

 本来なら出会う事のできない艦娘と出会い、同じ時間を過ごす事ができた。関係も悪くない。

 だが、気持ちが移ろい、それだけで満足できなくなってきた。それでも藤見奈は何も言わず、普段の振る舞いを続けた。心の奥底では、明確な言葉を欲しながら。

 それは自分の役目であるのではないか。時折、ふと藤見奈はそう思う事があった。

 自身が持つ感情を最初に口にして伝えなければならないのは、自分ではないのか。

 今までは、形にしなくとも察してもらえて、だから、それでよかったのだが、結局、直接話さなければ何も変わりはしないと、そう気づいた。

 しかしその想いが頭を過るたびに、今は戦時下で、自分は提督で、彼女が艦娘だというのが、はっきりと浮かんできた。

 逃げ、だったのかもしれない。

 拒絶されるのが恐ろしい。気持ちのズレがあるかもしれないのが恐ろしい。

 もし、嫌いだなどと言われてしまったら、藤見奈は仕事に手がつかなくなり、籠ってしまうかもしれないと思った。

 だからそれらを理由にして、いつまでも一歩を踏み出せないでいた。

 

 世の提督方は、ケッコンカッコカリなるシステムで艦娘との絆を深め、その在り方を認め受け止める事でさらなるパワーアップを促しているという。

 誰が名付けたシステム名かは知らないが、藤見奈は、これならば本当の気持ちがわからずとも、ここまで親しい彼女との間に、仮のケッコンという絆を紡げるのではないかと考えた。

 そう思い至った時の藤見奈は、それは躍りださんばかりに上機嫌になったが、我に返ると、また二の足を踏み始めた。

 システム名が良くない。

 カリとはいえ、ケッコン。

 ただ想いを告げる事にすら躊躇するのに、そんな大事を言い出せるはずがない。

 想像は、できる。

 泰然とした顔をして、指輪を渡し、より強くなろう、と激励する自分の姿。

 現実となると、そう上手くはいかないだろう。

 渡す指輪の検討などつかないし、渡す時には手も腕も体も震えているだろうし、何より表情は緊張でぐちゃぐちゃだろう。

 というか、渡す事ができずに引き出しにしまいっぱなしになるかもしれない。

 ああせめて、ケッコンではなくコイビトカッコカリだとかなら、まだ勇気が持てたかもしれないのに。

 憂鬱な溜め息を吐き出す藤見奈に、電は、いつもの自信なさげな表情を向けて、目を瞬かせた。

 体調がすぐれないのかと心配しているのだ。藤見奈には、すぐに彼女の言いたい事がわかった。

 だから、少しずり下がっていた背中を背もたれにつけ、姿勢を正し、表情を整えた。

 せっかく遊びに来ているのに、無駄な心配はさせたくない。そう思っての事だったのだが、彼の気遣いは、電にも手に取るようにわかっていた。

 こんな事が、今まで幾度も繰り返されてきた。

 そうすると、わかり合えてしまうというのも問題かもしれない。言葉にしなくても言いたい事がわかるから、必然的に会話が減っていって、それが当たり前になる。

 いざ、絶対に口にしなければならない事があっても、普段がそうだから、なかなか言い出せなくなってしまっている。

 それが余計に藤見奈を苦しめていた。

 

 ザザァン、と涼しげな音が耳をくすぐるのに顔を動かし、煌めく波を見やった藤見奈は、だから踏み出すのが怖いのだ、と自分に言い訳をした。

 いつまでもそれでは、始まるものも始まらない。

 気持ちが通じ合っているからといって、言葉にしなければ、彼女の心を動かす事はできない。

 わかってはいるのだが、どうしても、藤見奈は行動に移す事ができなかった。

 

 時々、『前進しなければ』という意識が強まる時がくる。だがそんな時に限って、何か大変な事が起こるのだ。

 朝潮がいなくなったり、かと思えば島風を連れて帰還したり、遠い出来事だと思っていた神隠しの霧が襲いかかって来たり、また朝潮がいなくなったり。

 誰が悪い訳でもない。強いて言うなら、強い気持ちを持続できない藤見奈が悪い。

 タイミング悪く事件が起こって、対応に当たって、後処理に奔走して、報告の内容に悩んで。

 そうしていうるちに、いつの間にか『前進しなければ』という気持ちが消えていて、普段の関係で満足してしまうのだ。

 

「具合が悪いのですか?」

 

 電の声に、藤見奈は悪循環していた思考を放棄して、自分を窺う少女の顔を見た。

 金色の瞳は、心配しているという気持ちを、雄弁に語っていた。

 

「いや……。大丈夫だ。ただ、今日はちょっと暑いな」

「そうですね。昨日より2℃高いらしいのです。今日は一日中晴れているのです。だから、きっともっと暑くなると思うのです」

 

 いつの間にか、また少しずり落ちていた体を戻して答え、ついでに気を逸らす言葉をつける。電は、それに乗っかって、温度の話から、天気の話に繋げた。もちろんそれは、藤見奈を気遣っての事だ。

 あまり触れて欲しくないだろうと感じた電の、ほとんど無意識下の言葉。当たり前の動き。

 そうなるくらい付き合いが長く、深かった。

 

 会話が途切れると、二人の間に沈黙が下りた。

 それは決して不快なものではなく、お互いが自然体でいられるような、心地の良いものだった。

 これだから藤見奈は現状に満足してしまうのだ。この居心地の良い今の関係を壊すような一歩は、とてもではないが踏み出す勇気はなかった。

 

(いかんいかん)

 

 強い光を照り返す砂浜に目を向け、白んだ視界に頭を振って、藤見奈は消えかかっていた『前進しなければ』という感情を引き戻した。

 最近は物騒な出来事が続いている。それゆえ、彼の心も、この先の関係を強く求めるようになっていた。

 お互いにいつ死んでもおかしくないと、現実に認識し始めたのだ。

 鎮守府まで乗り込んでくる強大な敵。それは海にうようよといて、もしそのすべてが霧に紛れて押し寄せてきたら、いくら精強な少女達が守る地といえど、長くはもたないだろう。

 そうなる前に気持ちを伝えたいし、もっと深くまで通じ合いたい。それが藤見奈の望みだった。

 

 気を取り直してみても、やはりそういった話題は出し辛く、二、三言葉を交わすと、また黙って海を眺めるのに戻ってしまった。

 

「司令官さん」

 

 ただ一言「好きだ」と言えない自分に悩んでいれば、電が呼びかけた。

 

「司令官さんと初めて会ったのも、こんな青い空の広がった日だったのです」

 

 唐突だった。

 電が、ゆっくりとした語り口で話し出したそれは、藤見奈にとって突然のもので、しかしすぐに、昔に想いを馳せられるような自然さもあった。

 

 夏の日。

 入道雲が空の端っこからのそりと出てきているような青空の下で、藤見奈と電は出会った。

 

 『良い天気、ですね』

 『良い天気、なのです』

 

 第一声は、当たり障りのないものだったのを、藤見奈はよく覚えていた。

 

 古い記憶も呼び起こされる。

 順を追って、次々と頭の中に浮かべていく。

 

 藤見奈仁志は、民間からの抱え上げだった。

 全国に実施された一斉検査で自分に資質があるのを知った。

 艦娘を見たのもその時が初めてだ。不知火が肩に妖精を乗せて、集まった人間と言葉を交わした。その地区で妖精が見えていたのは、藤見奈と他の二、三人程だけだった。一緒に参加した藤見奈の友人は不適正で、道を違える事となった。今は別の基地で、特設海上防衛隊の一員として、世のため人のために働いているだろう。

 

 藤見奈は、その時、不知火が艦娘だなどとは夢にも思っていなかった。子供にしては凄く落ち着いていて、かわいいというよりは綺麗だと感じたけど、背丈や体躯からどうみてもこの場にいていいような大人ではないと思っていた。

 だから藤見奈は関係者のお子さんだろうと結論付け、肩に人形を乗せているなんて、変わった子だな、なんて能天気に考えていた。

 整列する自分の前に不知火がやってきて、じぃっと睨み上げられていた時は、彼の中から子供だなんだという認識は消え、必死に妖精さんを見て彼女の視線から逃れていたのだが、不知火に見上げられた人間は、ほとんど誰もが同じような反応を示していた。真っ向から目を合わせるのは一握りで、だから、藤見奈が特別小心者だった訳ではないのだ。

 

 晴れて適正のある人間と認定され、後日呼び出された藤見奈は、小さな体育館のような場所へ向かった。そこには海上防衛隊の高官が訪れ、集まっていた数少ない提督候補に自ら説明とお願いをしていた。

 人類の未来のために力を貸して欲しい。要約すれば、短くわかりやすい要求であったが、当時藤見奈は、これにいたく感激した記憶がある。

 体格も良く、いかにも頑固で厳しそうな男が、静かに語った言葉は予想以上に姿勢が低く、あくまでお願いの形を取っていた事に、その時初めて自身に特別感を抱いたのだ。だから気持ち良く提案を受け入れた。

 唯一いた女性の提督候補が辞退を申し出ても、その男は渋りもせずに許した。

 女性が出て行ったあとで、改めてそれぞれの紹介と、艦娘の詳しい説明があった。その後の提督候補の身の振り方もある程度教わった。

 

 この時、藤見奈は十六歳だった。

 

 二年ほど育成校に所属し、現在判明している敵の姿や特性、かつての大戦で戦った艦艇の事や、提督の仕事をこなすための下地作りが行われた。

 全国の人間が一ヶ所に集められているのに、同期は少なく、後輩もまた少なかった。途中でやめる者はいなかったが、何度か艦娘が実際に力を見せてくれた時に、怖くなったのか泣いている者などもいた。

 藤見奈も、人間と違う力に恐ろしくなりはしたものの、それよりも艦娘の姿を教えられていない事に疑問を抱いていた。

 結局卒業するまで、藤見奈は数人の艦娘しか知る事ができなかった。

 

 彼が配属された地は、生まれ過ごした場所から遠く離れていた。

 七月の半ば、陸路で海に面した鎮守府へ運ばれてきた藤見奈は、最初、基地内の物々しさに目を移ろわせて、気がつけば艦娘達が住まう地へ足を踏み入れていた。

 少ない荷物を手にし、運転手に礼を言って歩き出した藤見奈は、正面に見える立派な建物を見上げ、それから、入り口の前に立つ小さな少女に視線を向けた。

 

 初めて電を見た時、藤見奈はひどく驚いた。不知火という艦娘がいたから、子供の姿の艦娘もいるだろうとはわかっていたのだが、その艦娘より一回り以上も小さい電を見て、こんな子まで戦わせているのか、と慄いた。

 そして同時に、得も言えぬ、何か大きな感動がわきあがってくるのを感じた。

 幼い子供が立派に執務をこなしているのだから、自分も頑張らねば。そう思ったのだ。

 

 彼女が秘書艦であろうか、そう当たりをつけながら近寄ったは良いものの、胸に両手を押し当てて俯きがちになっている少女にどう声をかけて良いものかわからず、藤見奈は困り果ててしまった。

 名前を知っていればまだ違ったのかもしれないが、あいにく藤見奈には、目の前の茶髪の少女が、いったいかつてのどの船の現身なのかがわからなかった。

 どころか、これからどこに行き、まず何から初め、何をしていけば良いのかもいまいちわからなかった。

 必要な仕事の知識はある。艦隊運用の訓練もしている。しかし、とっかかりがない。ゆえにどうしたら良いのかがわからない。

 そのための秘書艦だ。

 藤見奈は、目の前に立つ、お腹程までの背丈の少女は、見た目と裏腹にずっとしっかりしているだろうと考え、彼女に期待を寄せた。同時に少しの尊敬の念も抱いた。 

 

 実際は違った。

 右も左もわからない新人であった藤見奈と同じで、電も建造されたばかりだったのだ。不安にしているのは、何も日頃からそうであるからというだけではなかった。

 初対面であったから、自分に対して人見知りをしているのも、藤見奈はなんとなく察した。

 お互い新人で、新たな地に環境に戸惑っている。それでも秘書艦と提督だ。藤見奈と電はすぐ執務にかかろうとして、そこで気付いた。いったい何をどうすれば良いのかわからない。結局そこに問題がいきついた。

 少し言葉を交わして自己紹介を済ませた二人は、とりあえず正面の建物に入り、広いフロントに出た。立派で綺麗なカウンターまでの道。部屋内は閑散としていて、人がおらず、受付まで無人だった。

 それもそのはず、前任の提督が引退すると同時、ここに所属していた艦娘の多くが別々の場所に移り、残っているのはほんの一握りだけだった。

 そんな訳で、案内してくれる人もいなかったのだ。

 出迎えてくれたのは電ただ一人。

 前の提督が使っていただろう執務室は、綺麗さっぱり片されていて未開封のダンボールが積み重なっているだけだったし、資料や何かは積まれているし、そうしている間にも妖精が挨拶にやってきて、もう何から始めれば良いのかわからなくなって右往左往した。

 それで、藤見奈と電は、二人で何をするか考え始めた。さっぱりした部屋の床に直接座って、頭をつっつきあわせて、うんうん唸って頭を悩ませた。

 まずはみんなへ挨拶に行こうと言ったのは、電だった。藤見奈は賛成して、二人で、数少ない艦娘達へ、一人一人に挨拶をしていった。みんな良い子だった。ただ、新たな提督が着任した事は知らず、通常通り遠征に出たりしていたので、その時鎮守府にいた艦娘の数は片手で数えられるくらいだったが、直接彼女らと顔を合わせ、言葉を交わす事で漠然とした鎮守府への不安は払拭さた。おまけに藤見奈も電もみんなに顔が知れて、この鎮守府をぐっと身近に感じられるようになり、自然と打ち解けた。

 しかし結局その後は、やっぱり何をすれば良いかわからず困って、艦娘に聞いても、提督の仕事はわからないという答えしか返ってこなかったのだ。前の秘書艦は前任の提督と共に退役している。引継ぎの資料などがあるらしいが、いったいどこにあるのかもわからないようだった。

 まずはそれを探そうという話になり、執務室に戻った。そこへ遠征から戻ってきた由良が報告に訪れ、流れで手伝ってくれたのだった。秘書艦になった事はないらしいが、彼女は最初期から生きていた艦娘で、鎮守府等が再びできる前から働いていた。そのため、正確ではなくても、おおよその仕事の内容は知っていたのだ。

 彼女に色々と教わりながら、藤見奈と電は二人三脚でやっていった。ちょっとした失態はあったが、今まで、概ね順調にやってきた。

 病める時も健やかなる時も……そう、これからだって、藤見奈は彼女と寄り添い合って生きていきたいと思っている。

 だから、電に言った。

 

「俺と結婚してくれないか」

 

 と。

 過去に想いを馳せていたら、驚くほどすんなりと告白の言葉が出てきたのだ。

 電は、驚いたりはしなかった。

 ただ、嬉しそうにはにかんで、頷いた。

 彼女は待っていたのだ。彼が気持ちを打ち明けてくれるのを。

 

「……ぉ、ああ」

 

 その事に逆に藤見奈が驚いてしまって、慌てて内ポケットを探ろうとして、今は上着を着ていないのを思い出し、一言断って席を立った。

 車まで走り、運転席に畳まれて置かれていた小さな箱を取り出すと、パラソルの下にとって返す。

 彼が持ってきたのは、指輪だった。

 さすがに電も、目の前で開かれた箱の中に煌めく物を見つければ、目を丸くせずにはいられなかった。

 まさかそこまで用意されているとは思わなかったのだろう。

 藤見奈自身、気が逸って買ってしまった指輪に使い時はないと思っていた。

 なにせどんな物を買えば良いのかわからなかったし、電がどんな指輪が好きかもわからなかったのだ。

 しかしいざ購入すると、指輪の入った赤紫の上品な箱は、この上なく大切な物のように思えて、以来肌身離さず所持していた。

 だから今、こうして渡す事ができた。

 

「ありがとう、なのです」

 

 潤んだ瞳が、斜光に照らされた白い肌と相まって、傘の下の暗がりの中で、宝石と同じくらいに輝いている。

 電は、指輪を直接受け取ろうとはせず、左手を持ち上げて、藤見奈に差し出した。

 察した藤見奈はすぐさま箱から指輪を抜き取り、そっと彼女の手を取って、薬指に通した。

 緊張の瞬間だった。

 もしサイズが合わなければ、この場はそれで終わりになってしまうだろう。

 せっかく形になった気持ちも崩れて、いつものような関係に戻ってしまうだろう。

 気のせいか、二人の手は震えていた。

 

 はたして、サイズはぴったりだった。

 

 緩やかに顔を上げた電が、藤見奈の顔を見上げる。

 つぅっと頬を涙が伝い落ちると、彼女は俯いて、左手を胸へ抱え込んだ。ぎゅうと、強く、とても大切そうに。

 暫くの間は、どちらも喋らなかった。今この瞬間を心に刻みつけるみたいに、黙っていた。

 

「司令官、さん」

 

 やがて、電が顔を上げると、湿っぽい声で呼びかけた。

 手を握る手に力がこもっている。何か勇気がいるような事を言おうとしているのは明白で、藤見奈も身を硬くして、一字一句聞き逃すまいと身構えた。

 

 「ぃ――」

 

 電も。

 おそらく、そう口にしようとしたのだろう。

 だが、彼女の声に被さるように、大きな水音がした。バラバラ、バタバタと海面を打つ音。リベッチオの悲鳴。

 

「なんだ……?」

 

 遠い場所から聞こえてきた異常な音に、藤見奈が身を乗り出して確認すれば、離れた海の上に深海棲艦が現れているのが見えた。

 もはや先程の言葉の続きを待っている場合ではなくなってしまい、結局その日、藤見奈は電と業務以外の会話をしなかった。

 

 翌日に、上に呼び出された藤見奈は、報告のために、電を連れて遠路を行き、俗に大本営と呼ばれる施設へ向かって、何人もの上官に今回の事を報告した。

 海休暇中の襲撃は、手柄として藤見奈の経歴に加えられた。深海棲艦の侵攻をいち早く察知して防いだ、と、そういった解釈になった。

 なったというからには、その前は違った解釈だったのかといえば、その通りである。

 最初は、藤見奈が敵を招き入れた愚か者として処遇を決めるといった頭ごなしの始まりであったが、共にきていた海棠とその秘書艦の曙、そして藤見奈の秘書艦の電の直訴に、なんとか良い方向へと向かわせる事ができた。

 なぜ藤見奈が悪い事になっていたかは誰も黙して語らなかったが、簡単に意見を翻したところを見るに、早とちりか、勘違いか、はたまた焦りによる独断であったのではないかと推測されるが、危機一髪だった藤見奈は胸を撫で下ろすばかりで、そういった何やらまで考えが及ばなかった。

 

 近場のホテルで一泊した折、藤見奈と海棠は、今回の深海棲艦の出現について、そして、これまでの事件や規則性についてを改めて話し合った。

 というのも、海棠は何かきな臭いものを感じたというのだ。

 上は何かを隠しているのではないか。そういった話から始まり、部屋で休ませているお互いの秘書艦との進展に続き、神隠しの霧に収束した。

 

「そのレ級とやら、まるで他の何かの意思の下に動いているように思えるな」

 

 霧に潜む強敵、戦艦レ級。

 シマカゼや朝潮を通して伝えられた敵の言動を藤見奈が話せば、海棠は開口一番そう言った。

 それは藤見奈も感じた事だ。

 しかし、何者かなど考えてもわかる訳がない。

 まさか深海棲艦に指揮官などいないだろうし、敵に意思があろうとも、ほとんどのモノとの会話が成立しないのは、多くの艦娘が報告し、周知の事実となっている。

 唯一会話可能な姫級や鬼級といった大型は、大規模作戦の下に出遭う事が多く、そんな時に悠長に会話などできない。会話を試みれば、それだけで甚大な被害を被る事になるだろう。傷つくのは現場で戦う艦娘なのだから、藤見奈は、誰にもそういった命令や頼み事はできなかった。

 

「バックに何がいるかわからないのは不気味だが……つーか何もいないかもしれんが、なんだろうな、こう、さ。……な?」

「言いたい事はわからんでもないが、もう少し纏めて話せ」

 

 右膝をがくがくと揺すりながら、どこか苛立たしげに話す海棠。不透明な敵の背景や目的がわからずストレスを溜めている。

 敵が正体不明なのは今に始まった事ではない。鹵獲した深海棲艦の解剖による分析では、生物と非生物が混じり合い、しかし既知の成分のみで構成されている事がわかっている。逆に言えば、それしか判明していない。というより、一般の――すべての――提督に知らされているのは、敵はこの世のものだ、という一つだけだ。

 

 二人の間で話が進むと、レ級の言動に不審な点が散見される事に気付いた。

 

「不要だ不要だっつって艦娘を攻撃するのはわかるけど、同じ深海棲艦も攻撃してるみたいじゃないか」

「神隠しの霧は艦娘を攫う事で有名だが、たしか……交戦中の敵も霧に飲まれて消えた事があると、前に取り寄せた資料にあったような気がする」

 

 話せば話すほどおかしな点が浮き彫りになっていく。それは主に、レ級が味方であるはずの深海棲艦まで頻繁に害していたらしい事だ。

 もとより不気味な存在だから、藤見奈が見逃していた事柄は多く、この場だけでは憶測が多くなってしまい、また、正確な資料が手元にある訳でもないから、記憶頼りの会話は継ぎ接ぎが多かった。

 何もなしに話していても埒が明かないとし、その日は中途半端なところで強引に会話を終わらせ、二人は一旦(いったん)離れて、自分の秘書艦と思い思いに過ごした。

 

「藤見奈。例の件、もう一度話し合わないか」

 

 十月の半ば頃に、海棠から連絡が入った。

 海休暇の時に聞き逃した電の言葉の続きが未だない事に悩んでいた藤見奈は、気分の入れ替えも兼ねて、自分の足で掻き集めた神隠しの霧に関する資料を持参し、海棠との話し合いに(のぞ)んだ。

 

 各鎮守府や泊地、基地にある資料には、個々の艦娘からの報告以外にも、日誌に書き止められた何気ない言葉や、その日戦場で見聞きした事が記された貴重な物が多く、そういったものをお互い持ち寄った。

 そこにはやはり、レ級が敵を害した事への艦娘の言及や、神隠しの霧が艦娘を素通りして優勢だった敵を攫っていった事も書かれていた。

 何人もがそういった事柄を見聞きしているのに、なぜこれらが取り沙汰されないのかは、考えずともわかる。そんな余裕はないからだ。

 常に日々、敵との戦いが続いている。敵同士で潰し合ってくれるならば理由など追求する必要はなく、放っておけば良い。

 だから、その情報は多くに行き渡らなかったのだろう。神隠しの霧については、艦娘を襲う不気味な怪現象としての側面だけが注目され、それを操るレ級の存在が浮かび上がっても、なんの考察もされなかった。

 あるいは誰かが考えたかもしれない。奴は何者なのか。霧とはなんなのか。

 ……どちらにせよ島風の前へ現れたレ級が彼女の手によって倒されたところからして、誰かが考察したとしても、それはただ考えるだけに終わっているだろう。

 

 閑散とした会議室、ドーナツ型の机についた藤見奈は、空間上に照射されている巨大な光化学モニターを見上げ、思い悩む様子で唸る海棠の顔を眺めた。

 霧の事はもういい。レ級は消えた。

 今問題にしなければならないのは、霧がなくとも現れる強敵の事だ。

 あの海岸が危険なのかと思った藤見奈は、海休暇を終えてもその海域を集中的に警備したが、あれ以来敵の姿は認められていない。神出鬼没の深海棲艦と霧は関係ないのか。だが、藤見奈の下へレ級が現れた時、レ級の操る霧の中から数多の敵が現れた。霧が敵を運ぶのは間違いないし、一人の艦娘からの報告からも、霧には転移の門の役割がある事がわかっていた。

 レ級の目的。その背後。霧の能力。その役割。そもそも深海棲艦の目的……。

 考える事は多いのに、判明した事は酷く断片的で、しかし一つ一つの情報が大きすぎる。パズルのピースというには手に余るほど巨大で、飲み込むには少々時間がかかるだろう。

 思考を整理し、一度問題を脇に退けた藤見奈がモニターを見上げれば、海棠があっと声を漏らして、呟いた。

 

「戦わない艦娘は不要で、強い艦娘を倒そうとする深海棲艦も不要で、強くなりすぎた艦娘も不要……」

「……それは」

「戦いに不要なのではなく、戦い続ける事に不要って事なのか?」

 

 核心に迫る一言。

 海棠の言葉は、『邪魔者は戦闘続行に不要』という意味ではない。

 『戦い続けるには、それらは邪魔なのだ』、と、そういった考えの下に出てきた台詞だった。

 

「戦いを、続ける……」

「レ級自身の考えか、バックにいるかもしれない何者の思考か、はたまた見えざる神の思惑か……」

 

 なあ……この戦争は、いつまで続くんだ?

 

 藤見奈の耳に、海棠の声が重く響いた。




TIPS
・電
最近自分の気持ちの正体に気付いた。
たぶん提督と同じタイミング。

・提督
セオリーに則り給料三か月分をつぎ込んで購入した指輪。
魔法石から削り出した訳ではない。

・海棠
割と曙と上手くやっている。
提督が資質がなければなれない存在でなければ、
その軽薄さと問題行動でとっくに叩き出されているだろう。
たまに鋭い思考をする事があるが、あまり活かされる事はない。

・レ級
ピチュった。


泣いてる。


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   小話『日常ヲ謳歌セヨ!』

かなり端折った感じに。
いくらかの艦娘の出番が犠牲になった。
ちょっと淡々としすぎかなぁ……。



次の投稿は二日後、1月25日(月)夜を予定しています。
遅れる可能性もあります。あらかじめご了承ください。



 龍田先輩がキレた。

 天龍先輩が怪我をしたからだった。

 

 今朝がた、体育館の準備室で、金属製の棚の上から落ちてきた箱に潰されて手と足に大きい怪我を負ったらしい。二十分の入渠を要する大怪我だ。

 艦娘というのは人間よりよっぽど丈夫な体をしているが、それも常識的な範囲で、鉄のような強度を誇るのは生体フィールドを発している最中のみ。常日頃燃料を消費する生体フィールドを纏っている艦娘は少ない。

 だから天龍先輩は怪我をしてしまった。龍田先輩が怒ったのは、天龍先輩が『傷つけられた』からでもあるが、やっと腕がくっついて「出撃しても良い」と藤見奈提督に許可を貰っていた矢先の出来事だというのも大きかった。

 それで、俺がなぜこの事に言及しているのかというと……。

 

「うふふ~、どうして逃げるのかしら~?」

 

 龍田先輩が俺に怒っているから、である。

 実は天龍先輩に落ちた箱、昨日俺が弄ったものだった。アイドル特訓をしている吹雪の下に遊びに来た際、那珂ちゃん先輩に頼まれて、ある物を探していたのだ。その時に箱を下ろして中を改め、元の位置に戻した。たぶん、ちょっとずれてたか、手前に置きすぎていたのだろう。翌日天龍先輩が入った時に崩れてしまったという訳だ。

 原因は明らかに俺なので、謝ればすむ話のように思えるかもしれないが、しかし俺は未だに謝れていない。

 砂利道の奥の方から歩いてくる龍田先輩の手には、艤装の薙刀が握られていた。

 得物を手にした怖い笑顔の女性が迷いのない足取りで近付いてくるのだから、じりじりと後退してしまうのは仕方ないし、というか、一目見た島風が『逃げろっ!』って言ったから思わず逃げちゃったんだし、俺は悪くない。

 いや、悪いけど……だからこうして足を止めて謝ろうとしてるんだけど、めっちゃ怖くて震えるし、逃げたい。まじで。

 さっきなんか『ウサギー、追いかけっこー? リベもまぜてまぜてー! ……あっ』って、近寄って来たリベッチオが龍田先輩を見て顔色を変え、隣にいた夕立の手を引いて逃げて行ってしまったくらいだった。

 素直に手を引かれて行った夕立も酷い。助けてくれたっていいのに。

 小さな石の感触を足裏に感じながら、また一歩、後ろへ下がる。と、龍田先輩の手がぶれた。

 ドスッと音がしたかと思ったら、真横に薙刀が刺さっていた。

 ……見えてたけど、体が強張ってて避けれなかった。ていうか、今、俺、生体フィールド纏ってないんですけど……。

 

「ううん、まだ調子が戻ってないのかしらぁ?」

 

 戻んなくて良い、戻んなくて良い! 今戻られたら殺られそうだから!

 眉を寄せて自分の手を見る龍田先輩に背を向け、自慢のスピードで逃げ出す。

 謝罪しようと近寄ったら、絶対殺される。俺はそう確信していた。

 

 本棟の影に隠れ、気配を気取られないように息を潜める。

 ああ、どうしてこんな事になってしまったのだろう。昨日はあんなに平和だったのに……。

 現状からの逃避か、激しい動悸を感じながらも息を整えていると、だんだんと昨日の事が頭の中に浮かんできた。

 

 

 テレビを買った。

 外出許可を貰って、十七艦隊(と十八艦隊)と第四艦隊のみんなで外へ出た時に、立ち寄ったホームセンターで購入。ブラウン管ではなく液晶で、価格は三万とちょっと。画面が大きい割には安かった。

 前に会った嶋ちゃん(特撮の主役を演じていた子)の番組を見るためにとりあえずまずはテレビを買ってみたんだけど、帰りの車に乗せて帰る事になったから、不安でたまらなかった。

 運転するの、川内先輩だったんだよね。

 免許持ってるのも驚きなら、破天荒な運転するのも驚きだった。助手席の神通先輩が油断するとすぐアクセル踏み抜こうとするの、やめてほしい。怖がってる俺もいるんですよ! 吹雪は苦笑いで、夕立は乗り気で、リベッチオは窓の外に夢中だった。神通先輩がいくらお小言を言っても、川内先輩はどこ吹く風。那珂ちゃん先輩はずっと一人でガイドさんやってた。

 

 うちにはテレビがない。それが軍の方針なのか、うちだけ特別なのかは知らない。叢雲に聞く訳にもいかないし(前の鎮守府の事、振り切ったとはいえ、あんまり話題にしたいものではないだろう)、想像任せにしかできない。

 少なくとも、俺のとこの艦娘はテレビを見た事が無いらしく、部屋に設置すると誰かしら訪ねてきて数十分から数時間滞在した。あんまり付き合いのない子も来た反面、金剛とかは来なかった。テレビに釘付けになってる彼女の姿は想像できないし、そんなもんだったのかな。

 さて、肝心の嶋ちゃんの勇姿だが、俺の好きだった特撮の特徴が結構あって興味を惹かれたし、金髪のつけ髪を煌めかせる嶋ちゃんは、人間にしては身体能力が高く感じられた。子供なのに、演技に不自然さがなかったのも凄かったな。長回しが非常に多いのも感心した。やっぱりミステイクいっぱいあるのものなのかな?

 ただ、主人公の女の子が友達の女の子に恋をしているっていう設定なのは、日曜朝に流して良い内容ではない気がした。それメインに押し出してるし……好きな子のために戦うってのは健全だけど……いやいや、女の子どうしの恋愛も健全だ。そうでないなら、俺と朝潮はどうなるというのか。……いや、俺は男だけど、体は女だからなぁ……微妙。

 しかし男としての自分は、もうほとんど消えている気もする。振る舞い方からして前とは違うのを要求されるし、友達との会話の内容だってそうだし、生活スタイルもそうだ。これで男らしくなれってのはちょっと無理かな。それこそ生来の気質でない限り。

 むしろ俺なんかより男勝りな艦娘は多い。

 なーんか、負けてる感じがする。

 

 夕方、明石の工廠に赴いた。艤装の点検のためだ。

 艤装自体は明石がどうとでもしてくれるけど、そこに宿る妖精さんとの絆を育むのは、その艤装を扱う艦娘如何(いかん)だ。

 俺が使う艤装は朝潮型……とりわけ朝潮が使う物と一緒なんだけど、最近妖精さんは、いつもと違う格好をしている事が多くなった。

 

『インスタントには負けん』

 

 ……らしい。小さなダンベルをくいっくいっとしながら、決め顔で伝えられた。

 

 改二の時に取り出した艤装にも、ちゃんと妖精が乗っているのだけど、彼女達はそれが気に食わないというか、対抗心を燃やしているらしく、差別化のために衣装を変えたり、鍛えたり(?)する事で『私はこのシマカゼの艤装の妖精ですよ』と一目でわかるようにしたいらしい。

 ……筋肉ムキムキ仁王立ち妖精さんになられても困るから、ダンベルはやめてくんないかなぁ。

 なんかてきとーに腕章とかつけとけば良いんでないの? 艤装の名前欄変更しておく? 12.7cm連装砲(シマカゼ砲)みたいに。改二になれば、カンドロイドの操作で名前変更できるよ。そのためだけに改二になるのは労力に見合ってないような気がするし、ぽんぽん改二になるのは格好良くないからやりたくないけど。……妖精さんがしてほしいって言うなら、やぶさかではない。俺のために働いてくれているんだから、俺も何かして返さないとね。

 そういえば彼女達は、わりと自己顕示欲が強い。妖精の園には妖精の像が立っているし、コンビニエンス妖精には妖精グッズがたくさんある。でも悲しいかな、一般の人には見えもしないし、艦娘は極秘だから外部に存在が知れる事もない。でも時々売れているのを見るに、艦娘に人気はあるみたい。かくいう俺も、飲み物についてくる極小艤装妖精さんフィギュア、結構集めてるし、そういうの持ってる子は多いんじゃないかな。

 

 妖精さんとの親睦を深めるためにお茶をしつつ意思を交わし、これからも一緒に頑張って行こうね、と締める。頑張ればいろんな艤装に乗り込めるらしいから、次からは出した武器に入ってもらう事にしよう。

 夕張さんの工廠に移動すると、赤い車……トライドロンの洗車をしていた。

 各種武器の調整が終わったらしく、カンドロイドの提出を求められたので、渡したらアップデートされた。また新しい機能が入ったみたい。

 ただ、使う機会はなさそうだ。

 

「前のいざこざが終わったら使わないって約束だったもの。腐らせておくのはもったいないし、弄っちゃうけど、しょうがないよね」

 

 誰に言い訳しているのか、そんな風な事を言われた。

 気持ちはわからないでもない。俺だって使いたいって気持ちはあるけど、約束は約束。艦娘の戦いに持ち込むべき兵器ではない。

 ただ、また朝潮がピンチになるようだったら、たぶん、俺は使ってしまうだろうな、という確信に近い思いがある。そうできるだけの力がここにある。

 改二だけでも破格の能力だけど、もしそれで追いつかない事態になったら……。

 この考えは、夕張さんには話さないでおこう。彼女だって我慢してるんだし。

 肩に乗せた妖精さんと何かの意思を交わしつつ、レンチ片手に自分の艤装を弄っている夕張さんを見ながら、ひっそりと決意した。

 

 提督の下に足を運んだ。疲れていた様子の夕張さんに代わって、計測した自分の能力値(ステータス)表を提出しに行くためだ。

 入出許可を貰って中に入ると、窓際に立つ提督が振り返った。

 俺は、びっくりした。提督の目の下には、はっきりと隈が浮かんでいたのだ。

 電が言うには、ここ最近になって急にこうなったらしく、とても心配しているらしい。提督は「ちょっと眠れないだけだ」なんて言ってるけど、今までそんな事なかったのに、と俺まで不安になってしまった。

 提督が倒れてしまったらどうなるんだろう。その間の艦隊運営は、電の隣に机を置いて書類仕事をしている大淀が引き受けてくれるだろうけど、俺はどちらかというと提督の指示の下で働きたいので、倒れて欲しくない。だからよく寝る事を提案する。明石にマッサージしてもらったらどうだろう。疲れとれるよ。改造した時みたいに。心配だよ。

 

 ……ところで、電が首に下げてるのって、指輪かな。おっきなダイヤみたいなのがついてるやつ。なんかお洒落。

 電もそういうのするんだな。……俺もアクセサリーとか身に着けた方が良いかな?

 うさみみリボンで十分な気もするけど。

 

 提督の事は電達に任せて、出すもの出して退出した。

 そうして次は吹雪に会うために体育館に向かって……頼まれ事をして準備室に入って……翌日。

 

「どうして逃げるのかしら~? 今謝れば、きっと天龍ちゃんは許してくれるわよ~?」

「ひえっ」

 

 ぬっと壁の影から現れた龍田先輩が、変わらない笑顔でそう言った。

 たしかに謝れば天龍先輩は許してくれるだろう。天龍先輩は、だけど。

 龍田先輩は絶対許してくれないよね。だから薙刀構えてるんだもんね。

 そんなに怒るくらい天龍先輩と出撃するのを心待ちにしていたのに、いざという時にお預け食らったのが頭にきたって気持ちはわかるから、一撃受けて謝罪しようって気持ちもあるんだけど、ベテランの艦娘が殺気や敵意はないにしても鋭い斬撃を繰り出してくると、体が勝手に避けてしまう。絶対痛い。生体フィールド纏ってても、たぶん火花とか散る。う、受けたくない……!

 しかし逃げ回っていても、彼女の怒りは静まりそうもない。落ち着かせようかと考えたけど、見た目の上では彼女はすっごく落ち着いてるんだよな。

 助けを求めて走り回ってるけど、龍田先輩を見たみんなの反応は逃げの一手だった。今すっごく金剛先輩に会いたいな! あの人なら笑顔で仲裁してくれそうな気がする! 逃げないよね。あの人が逃げる姿が思い浮かばない。

 しかし残念、彼女は姉妹達と出撃中である。赤城さんも一緒で、吹雪がきらきらしながら話してくれたから、よく覚えている。

 出撃前の赤城さんと会って話した事を言ったら、いいないいなと羨ましがられた。……食堂で会ったんだけどね。カウンターにご飯受け取りに行った時に、同じタイミングで赤城さんと加賀さんが来て、俺のおぼんを見て「あら、パスタですか」って言ったの。そうです、と返事をして、それでおしまい。……これ話したって言えるのかな?

 加賀さんとはちゃんと会話したな。じーっと俺を見る赤城さんの袖を引いて、シマカゼ改二について少し。

 鳳翔さんも俺の改二に興味を持った様子だったのは驚いたな。完全に戦いから退いているイメージだったから、戦う事に関しての言葉が彼女から出てくるのが、すっごく不思議だった。どんなになっても艦娘って事か。

 戦うために生まれた……は、レ級の言葉かな。あんなのを信じてる訳ではないけど、でも、間違ってるとも思えなかった。温厚で優しい鳳翔さんも、いつかは戦ってたのかと思うと、奴の言葉も正しいんじゃないか、って。

 まあ、あっていたとして、だからなんだって話だけど。

 最後まで戦い抜いて、さっさと人類に平和をもたらせば、艦娘の役目も終わりだ。そうなった後の事は……後で考えれば良いか。

 

 ――思考が、昨日に飛んでいた。

 取り敢えず間に入ってくれる人=提督の下へ、を念頭に本棟内部に潜入したまでは良かったけど、逃げ場のない廊下だと追ってくる龍田先輩の気配が嫌でもわかって、半泣きになりそうだった。廊下を歩いてきた大井に助けを求めようと思ったけど、露骨に目を逸らされたので諦めた。……龍田先輩、怖いからね。関わり合いになりたくないのも仕方ないね。俺もできればこんな風にはなりなくなかったな!

 執務室に辿り着き、ノックもそこそこに入室すると、大淀に出迎えられた。……彼女しかいないって事は、提督も電もいないって事だ。……最近外出しすぎじゃない? 提督がそれで良いのかなあ。

 なんて考えてるうちに龍田先輩に追いつかれてしまった。こうなったらもう、大淀に助けを求めるしかない! 間に入って謝罪の場を設けてくださいませんか!

 

「艦娘間のいざこざですね。お任せ下さい!」

 

 意外にも快く引き受けてくれた彼女は、眼鏡のつるを押し上げてから、笑みを浮かべて龍田の前に立った。

 しかし二言三言交わすうちに汗を流し始めて、龍田先輩がうっすら目を開けると、横に退いた。彼女の後ろに隠れるようにして立っていた俺の前へ、龍田先輩が歩み出る。

 万事休すか。い、いや、謝ればいいだけ、謝ればいいだけ……誠心誠意ね。

 必死に笑みを浮かべて最初に言うべき言葉を探していると、龍田先輩は腰を追って俺に顔を近付けた。

 妖しい輝きが瞳に灯っている。

 それを見て、悟った。話し合いは無理だ。だって目、病んでるもん。

 その時は本気でそう思って、だから本気で逃げた。跳んで彼女の頭上を一回転して飛越し、着地と同時に出入り口まで一っ跳びに飛んで、押し開けて飛び出し、窓を開けて飛び降りた。

 あとあとよーく考えてみれば、龍田先輩の目の色って普段から薄暗い紫色だから、病んでるなんて表現は間違ってるし、そもそも彼女は結果的に手を出してこなかった。薙刀は投げてきたけど、あれは足止め目的だったんだろう。

 そんな訳で、俺がとるべき行動は最初から最後まで『立ち止まって向き合って謝る』だったのに、逃げ続けてしまった。

 結果として、俺は彼女を倒す事になった。

 朝潮と満潮と荒潮に出会った。彼女の方から話しかけてきたから、立ち止まらずにはいられなかった。

 また一緒に外へ行きましょうね、今度は二人で、なんてデートのお誘い、この状況じゃなかったら120%で喜んでたんだけど、龍田先輩が幽鬼のように追ってきたから、応戦せざるを得なくなった。その選択は間違いだったんだけど。

 恐怖に駆られた人間の思考は、時に常人の理解を越える事がある。

 牽制にブーツを脱いで投げつければ、俊敏な動きと反射の下に薙刀で弾かれた。その隙に近付いて横蹴り。体育館内まで吹き飛び、ぴかぴかの床に転がる彼女の下へ、追って飛び込んだ。

 立ち上がる彼女へ向けて構え、顔の前で腕を交差させ、勢い良く右足を持ち上げて伸ばす。

 ――たぶん、その時は落ち着かせるために攻撃する事を選択したのだろうけど、なぜキックを選んだのかは自分でもよくわからなかった。

 右足を上へ伸ばしたまま左足を屈伸させ、バネのように跳び上がる。そのまま両足とも天井へと向ける。相手に背中が見える形。

 天井付近に張り巡らされた鉄の棒を足場に、龍田先輩へと飛び込んでいく。跳び蹴りの体制に移行し、急降下キックを胸に叩き込む。

 キュキュキュ! ゴムが床と擦れ合う耳障りな音が響く。蹴りの勢いに押される龍田先輩を蹴りつけて離れ、着地すると、彼女は余裕そうに自分の胸に手を当てて微笑んだ。

 それでようやく冷静になれた。

 謝るべきところをなぜ攻撃してしまったのか、激しく後悔しながらも、同時に驚愕していた。

 だって、蹴りつけたのに平然としているんだもの。ちょっとショックだった。

 なんて思っていたら、彼女はばったりと倒れてしまった。やせ我慢だったのかどうかはわからないが、体育館内にいた吹雪や那珂ちゃん先輩が駆け寄って助け起こすと、青ざめた顔をしていた。

 貧血だった。

 

 入渠施設に運び込まれた彼女についていくと、ちょうどお風呂から上がった天龍先輩に怒られた。龍田先輩も怒られていた。遊ぶな、ってどういう意味かはわからなかったけど、俺は攻撃してしまった事を反省していたので、余計な事は考えないようにした。

 龍田先輩の調子が良くなってから二人に謝罪をしたのだけど、思っていた通り天龍先輩は笑って許してくれた。というか、大したもんでもないし、お前のせいでもない、って。龍田先輩が俺を追いかけ回したのは、相当ストレスが溜まっていたからだろうって。ずーっと出撃できないでいたから、不満が爆発した形になるのかな。

 俺を追い回して大分満足したらしく、貧血で倒れるまえより肌をつやつやさせて微笑む龍田先輩に、蹴ったのはこれでちゃらにする、と許された。

 ああ、追いかけっこは無駄じゃなかったんだね……よかった。

 

 よくわからない事でどっと疲れた俺は、二人と別れると、とりあえずシャワー室に行ってパンツを履きかえる事にした。

 理由は墓まで持っていく。

 誰にも内緒だ。

 

 そんな決意は無駄だといわんばかりに、夕立に速攻ばれたけど、あの子は一体どこから情報を仕入れているのだろうか……。恥ずかしいから聞けなかった。

 くそー……あとで仕返ししてやる。

 とりあえず今は、口封じのためにお菓子を献上しておこうっと。




TIPS

・妖精さん
張り切ってる。

・龍田
怒ってた。でも怖がるシマカゼを見て溜飲を下げた。
が、面白かったので追い続けた。

・連装砲ちゃん
出番ない。

・島風
だいたい寝てる。

・ニュームーンブレイク
特殊な急降下キック。
上空で回転しなければならないため、
空に足場がないと使えない。
改二状態で発動すれば『ダークネスムーンブレイク』になる。

・電
返事を保留しているため、指輪の位置を変更している。


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第五十四話 不穏な気配

 姉さんの夢を見る。

 夏の海。砂浜に出た姉さんが、こっちにきて、と俺を呼ぶ。

 反響する声が波に運ばれて遠退いて行く。

 一度お店の方へ顔を向け、砂浜に戻すと、もう姉さんはいない。

 ただ、波が静かに寄せては返すだけで、俺を呼ぶ声は二度と聞こえなかった。

 

 そう思っていた。

 

 そう思っていたのに。

 

 

 海上を駆ける。

 前へ出した足の爪先が波を割り、左右に飛沫を散らす。膝下に当たる冷やりとした塩水は、暗鬱とした冬の空を思い起こさせる冷たさを持っていた。

 水がぶつかり、肌を流れて滴り落ちるのに、足も靴下も濡れない奇妙な感覚にはもう慣れた。

 バシャバシャと激しく鳴る足音の中、鋭角のように遠くの敵だけを映す視界と風の中では、何もかもを気にしている余裕はない。

 走るのを楽しむ事もなく、ただ敵を倒すためだけに足を動かし、骨や筋肉の躍動を全身で受け止め、跳躍する。

 全身一つの矢となって、向かい来る黒い影へ蹴り込んでいく。

 このシマカゼの十八番(おはこ)、必殺シマカゼキック。

 人型の硬い胸をぶち破り、千切り飛ばしながら着水、勢いを殺すために数メートルの距離を滑る。白い霧が体を包むようにして持ち上がった。

 風が、頬を撫でて後ろへ流れていく。つられた音が引き込まれるように消え、直後に爆発。撃破した重巡級の()()()が水を切って跳ねてきた。大小の破片が沈んだり浮かんだりして、海を穢す。

 ふぅっと息を吐きだせば、胸の内にこもっていた熱と疲れが一気に出て行った。それを皮切りに深呼吸しながら立ち上がり、振り返る。

 共に戦う仲間である夕立と吹雪が、両隣を滑りぬけて行った。

 彼女らが列をなしていた場所には、敵軽空母から発艦した艦載機が飛び交い、川内先輩と神通先輩を襲っている。

 十七艦隊と合同で出撃しているリベッチオは、二人に挟まれ、守られる形でいながら、緊張した面持ちを浮かべていた。それでももう、何度艦載機を相手にしたのか、手つきは慣れた様子で10cm高角砲+高射装置を掲げ、応戦している。

 

 軽巡及びリベッチオが対空、駆逐艦の俺達三人が主に敵を相手取る、いつも突出する俺に合わせた戦闘体系。

 提督が俺や吹雪と夕立を中心に練度を高めていくと言った日から今日まで戦い続けて、自然とこの形になっていた。

 俺達三人の戦闘スタイルはちょっと特殊だから、実戦を経験し、練度を高めるには、こうして敵に迫ってやり合うしかないのだ。

 ちなみに、どんな感じに特殊なのかといえば――。

 

「んんっ!」

 

 口に息を含むような声を出して力んだ夕立が、跳び上がって来た魚雷のような異形、駆逐イ級後期型の顎を上手に蹴り上げ、アッパーのモーションで追撃するとともに発射した。

 回避不可の一撃がイ級を貫き、砕く。黒煙を上げる砲を持った手をぶんと振るう夕立の前に、巨体が落ち、海水を跳ね散らした。

 ふわりと金髪が持ち上がる。白い肌と小さな横顔は、まさに深窓のお嬢様と言える容姿なのに、悪役みたいな悪い笑顔と乱暴な振る舞いが台無しにしていた。背負っている艤装が少し損傷している。接近時に砲撃されて、すれすれで避けでもしたのだろう。彼女は、いつかの演習で見た夕立改二の戦い方に執心している。特徴的だった避け方を再現しようと日頃から練習を欠かしていないが、何も実戦でまでそんな回避の仕方をしなくても良いのに、と思う。三回に一回は直撃貰って大慌てで下がってきて、俺と交代になる。戦うのは嫌ではないから別に良いけど、夕立が下がっている間にも敵は攻撃してくるし、追ってくる事もあるので、ド下手な砲撃で応戦しなきゃならない時があるから、そこだけ不満だ。

 連装砲ちゃんが自分でやってくれるなら当たるから良いけど、それはなんというか、俺の力じゃないし……。

 

 吹雪は戦艦級の懐に潜り込んでいた。と思ったら、相手の航行を止めると同時に回転して背後に回り込み、腕を掴んで捻り上げた。もう片方の腕が吹雪と敵との間から砲身を覗かせ、砲弾を吐き出す。狙いは敵の砲が積まれた縦長の艤装。二つある内の一つがガァンと弾かれて浮かび、二発目の砲弾で亀裂が走り、三発目でばらばらになって海へと降り注いでいった。

 正確な射撃を繰り返しつつも、抵抗する敵戦艦級を押さえ込む吹雪は、三連射が成功した事で気が緩んだのか、馬鹿力に拘束を外され、振り返りざまに殴りつけられた。

 ――いや、辛うじて避けたが、背負っている艤装の端を貫かれ、衝撃に体を持っていかれて転がった。その勢いを利用した倒れながらの足払いが敵の膝裏を打ち抜き、体勢を崩す事に成功した。

 追撃の心配なく少し距離を取って立ち上がった吹雪が、擦るような歩法で接近し、回し蹴りで敵の手を蹴りつけ、艤装を手放させた。駆逐艦では明らかにパワー不足でできない事を平然とやってのけるのは、もう彼女も那珂ちゃん先輩や金剛の仲間入りをしているって事を改めて実感させてくれた。力押しの俺と違って、足の先まで技術を行き渡らせて実戦に活かす吹雪のやり方は、見習うべき部分はたくさんあるけど、俺にできそうなのは驚くほど少ない。……努力とか、そういうの苦手なんだよね、俺。

 二度敵を転がした吹雪は、接近戦は鬼門と判断した敵が距離を取ろうとするのに合わせて全速力で後退した。足を開き、腰を落とした姿勢のままで。

 おかしいと思ったのだろう、敵は焦った挙動で後退を取りやめ、吹雪を追って前へ進もうとするが、今退がり始めたばかりなのにすぐに前進はできず、艤装もないため砲撃もできない。そうしているうちに安全圏まで――俺の目の前まで――逃げてきた吹雪が、数本の魚雷を放った。

 水面下へ潜り込んで行った魚雷達が、白線となって敵に迫る。前へ行こうとしたために減速していた敵に避ける手段も時間もなかった。

 赤い炎が広がり、黒い煙に呑み込まれる。風に煽られてよろめく吹雪に駆け寄って腰を支えた。

 

「ありがとう、島風ちゃん。……ふー、ひやっとしちゃった」

 

 それはこっちの台詞だ。

 吹雪も夕立も接近戦主体になってるから、敵が強ければ強いほど見ててひやひやする。砲撃どころか、殴られでもしたら無事では済まないからね。

 ……あ、俺が戦ってるのも、周りには危うげに見えてるのかな?

 残った軽空母がそろそろと逃げて行こうとするのを、夕立が雷撃で仕留めて、戦闘終了。使わなかった主砲に目をやりつつ、ひょっとしたら三人が三人、お互いの戦い方をひやひやしながら見てるのかも、と思っていると、妖精さんの意思が飛んできた。主砲の子。次は使ってね、みたいな内容だった。

 あはは……いちおう形式的に装備してはいるけど、正直使う機会はあんまり……。妖精さんがサポートしてくれていてもそうなのだから、俺のこれは筋金入りだ。

 数ヶ月間訓練を欠かさなかった、という訳ではないけど、ちょっとやそっと練習しただけじゃ改善の気配はなかったし、上達も見られなかった。ステータスに命中率が含まれているなら、俺は2か3だね。

 

 今回は少し遠くまで足を伸ばしたので、二時間ほど時間をかけて帰投する。道中、敵に出遭う事はなかった。

 

「ううー、寒いっぽいー……」

「そうだね。戦ってる間はそうでもないんだけど……」

 

 列を組んで滑っている時に夕立が愚痴ると、吹雪が返事をした。前から二番目の神通先輩がちらりとこっちを見たけど、叱ったりだとかはしない。たぶん、彼女も寒いと思っているのだろう。真冬だもの、それはしょうがない。もうそろ年も越す。雪は降るかな。

 長々と海上を移動する俺達にとって、暑いも寒いもあまり歓迎できるもんじゃないんだけどね。

 夏でさえ、海の上を波立てて走ると、足下は涼しかった。冬ともなると、ブーツの内側は凍ってしまいそうだ。これでも生体フィールドによってかなり緩和されているのだ。なかったら泣いてる。

 それに、潜水艦の子達はもっとひどい。海の中は、海の上よりずっと冷たいだろうに、ずーっと泳いでいなきゃならないのだから。

 我が鎮守府では、ストーブは潜水艦優先である。暗黙の了解。

 

「島風ちゃんは、そんな恰好で寒くない?」

「私のは、これが冬服もかねてるからね。連装砲ちゃん抱いてれば、結構あったかいよ?」

「ええー、いかにも冷たそうっぽい」

 

 たなびく短いスカートから覗く細い太ももに目を向けていた吹雪が、そういえば、と俺の服装を話題に上げる。そういう二人は、冬服だ。デザインや色は変わってないけど、布は厚手に、袖は長くなっている。

 連装砲ちゃんは、夏と同じく熱いや冷たいを吸収しているけど、抱いてればだんだん温かくなってくる気がするんだ。砲ちゃん抱いてるけど、ほら、冷たくないよ。

 

「ひゃあ!」

 

 高い声が後ろから聞こえてきた。

 振り返れば、リベッチオが装ちゃんを取り落としたところだった。

 ころころ転がって行ってしまった装ちゃんは、自力で体勢を立て直すと、せっせと戻ってきて、キューと鳴いた。抗議のつもりだろうか。ごめんねーと謝るリベッチオにはその意思は届いてないみたいだけど。

 

「ウサギー、冷たいよー? すっごく冷たい!」

「そーかなぁ」

「危うく騙されるところだったっぽーい」

 

 砲ちゃんを捕まえようとじーっと動向を見ていた夕立が、ぷんと前を向いてしまった。

 騙すつもりはなかったんだけど……だって実際、あったかいし。

 ……ひょっとしてこれ、俺の体温が移ってるだけ? たしかに最初は冷たかったような……。

 

 ちょこちょこ駄弁りながら鎮守府へと帰還する。

 その間、川内先輩は死んだように静かだった。夜戦がなかったのがご不満だったみたい。彼女が先頭で良かった。もし最後方だったりしたら、俺は振り返るたびに先輩の絶望しきった顔を見なくちゃならなかっただろうから。

 そんなこんなで暗い通路を通って戻り、全員大した怪我もないので執務室に直行した。

 

「敵が少なかった、か」

「後で報告書にも纏めるつもりだけど、ここ最近はどこ行ってもそんな感じだよ」

 

 旗艦である川内先輩が報告する。

 鎮守府近海には、めっきり敵が姿を見せなくなった。奪還しきれていない海域に近付けば近付くほど敵は出てくるけど、これを異常と言っていいのかどうかは判断つかない。

 人間の生活圏に敵が近付かないに越した事はないんだし。

 ここら辺からいなくなった奴らが別の場所で悪さしてたりしたら困るけど、近辺の敵を撲滅した、と浮かれるよりは、そういう風に考えておいた方が良いだろう。もしかしたら別の場所へ救援に向かう事になるかもしれないし、いきなり戻ってくるかもしれない。心構えは大事だ。

 

 明石の工廠に艤装を預け、部屋に戻って休憩する。部屋の中では、叢雲が自身の艤装を持ち込み、妖精さんと意思を交わしていたところだった。

 

「お帰りなさい」

「ただいまー」

 

 顔を上げた叢雲に挨拶を返しつつ、机の傍に座る。吹雪と夕立もそれぞれ叢雲と言葉を交わしてから、座ったり、お茶を用意したりした。

 夕刻、食堂に向かう。電灯の光が強く、明るい室内にはたくさんの艦娘がいて、賑わっていた。

 なんかみんな浮足立ってるな……。そういう様子はないけど、雰囲気というか、空気が浮ついているような……。

 あ、龍田先輩だ。前にちょこっとトラブルがあって以来、なぜだか彼女に気に入られた気がする。俺はあまり彼女が得意ではないのだが(怖いし)邪険にする意味など無いので、仲良くさせてもらっている。

 彼女がキックの練習を始めたのは、たぶん俺のせいだよね……。

 

 きょろきょろしながらみんなにくっついて移動していると、離れたところに座っていた朝潮と目が合った。とたんに彼女の周りが鮮明に映って、緩く手を振る朝潮や、身を捻って振り返り、嫌そうな顔をする満潮に、どこか別の場所をぼうっと見ている荒潮の姿がよく見えた。

 手を振り返しつつ机を確保し、カウンターで注文を終えてから、みんなに断って朝潮の下へ寄って行く。

 

「や、朝潮」

「今朝振りですね」

 

 毎度の事ながら、最初の言葉に迷って、結局無難に名前を呼ぶだけになってしまう。朝潮の返事も、なんか変だった。

 孤島で過ごしていた時は、いちいち呼びかけるのに意識なんてしなかったのに、好き合っていると、どうにもそこら辺がわからなくなる。デートしたって直らなかった。まあ、話し始めればなんて事はないから、恥ずかしがったりはしないけど。

 

「なんか、みんな浮足立ってるね。なんかあったっけ?」

「……いえ、特に行事はなかったと思いますが」

「精々年明けに着飾るくらいでしょ。なんもないわよ」

 

 カツカツと容器にスプーンをたててプリンを食べている満潮が、強めの語調で言った。

 そうだよね、何かあるなら提督が教えてくれるし、みんなももっと騒ぎ立ててるはずだもん。それがないって事は、いつもと変わりないって事で……去年がどうだったか知らないから、なんとも言えないんだけどね。

 

「不思議ねぇ……」

 

 荒潮は、俺達の会話には参加せず、ずっと周りを見ていた。

 笑顔を浮かべていなかったのがとても珍しく、しばらくの間、彼女のきょとんとした顔が頭の中に残っていた。

 

 この鎮守府に所属する全艦娘が体育館に集められたのは、この翌日の朝だった。

 

 

 深海棲艦がどこから来るか知っているか。

 壇上に立った提督は、挨拶もそこそこにそう切り出した。

 ざわざわと館内が騒がしくなる。長年謎だった敵の出現元を今この場で口に出すという事は、判明した事に他ならないと誰もが予想したからだ。

 事実、提督は続けて、敵の発生元と思われる場所を発見した、と語った。

 指示された大淀が提督の後ろ側にスクリーンを下ろして、プロジェクターを用いて、荒い映像を映し出した。

 古めかしいカラーの、されど暗く黒い海の向こうに、不自然な霧が蔓延している。それは遠距離から撮影しているのであろう位置から見ても、画面の両端まで届くくらい大きなものだった。

 

「深海から現れると予測されていた奴らだが、それはただ海の下を移動してきたに過ぎなかったらしい。前にも見たように、どうやら奴らは霧から生まれてくるようだ」

 

 映像の向こうで、霧の中から深海棲艦が現れるのが見えた。

 艦種はわからない。だが、一体や二体ではなく、纏まった数が数塊になって、方角を変えて散っていった。

 その中の一つが大きくなり始める。

 近付いてきているのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。

 

 映像に音声はついていない。だからこの時、なぜ撮影者が逃げなかったのかがわからなかった。

 画面が海を映し、制服の裾とスカートと、長い足を映した。直後に酷い揺れがあって……そこまでだった。

 提督がプロジェクターに手をかけ、映像を止めていた。

 

「数日の内に、我々はあの霧を目指す事になるだろう。神出鬼没の霧を追うのは難しい。長期戦を覚悟してくれ」

 

 その後の細かな説明は、あまり耳に入らなかった。

 館内に、提督の声だけが遠く響いている。

 今日明日は通常通り……出撃は控え……演習は……――。

 

 霧を目にした時から、目が閉じられない。

 生き物のように蠢く霧。

 その向こう側を見ようとして、何も映っていないスクリーンを眺める。

 白い布は何も教えてくれない。

 あの先に何があるのか……。

 知りたくない。

 知りたくない。

 

『知りたくない……』

 

 俺は興味がある。

 

『あの先には……』

 

 どんな強大な敵がいるのだろう。

 そいつを倒せば、この戦争は終わるのだろうか。

 

『……終わるの?』

 

 胸の内に響く島風の声は、か細く、震えていた。

 彼女達にとって心待ちにしていた、いつの日も求めていた勝利が目前にある。

 まだ何も行動を起こしていないのに、手は小刻みに震え、肩を押さえた。

 

 誰も、何も言わなかった。

 いつしか提督も口を閉ざして、目を左右に走らせていた。

 それから、胸元を正すと、二度、手を打った。

 パン、パン。大きな音が体育館中に鳴り響く。

 そうすると、金縛りが解けたみたいに急に体が動くようになって、動悸や汗が強く感じられるようになった。

 息を吐く。

 周りからも、同じような溜め息がいくつも聞こえてきた。

 

「今はしっかりと体を休めてくれ。もしかすれば、他と合同で戦う事になるかもしれない。一応頭の片隅に留めておいてくれ。それから――」

 

 とくん、とくんと心臓の音が聞こえる。

 

(島風……。島風?)

 

 彼女も震えは収まっただろうか。そう思って呼びかけてみても、返事はなかった。

 だから俺は顔を上げて、前の方にいる朝潮の後ろ頭をちらりと見た。

 なぜか、守ろう、という大きな気持ちが浮かんできた。

 その想いはいつでも持ってる。

 何があっても彼女を守るし、人間も助ける。

 

 人類に、勝利を。

 ……ちょっと格好つけた風に決意すると、ぶるりと体が震えた。

 最近、こういう事を平然と言えるようになってきたなと思ったら、羞恥心がこみ上げてきたのだ。

 提督のお話が終わるまで、俺は一人で自分の気持ちと戦っていた。

 あー、恥ずかしい。

 

 

 三日くらいの間は、出撃もなく、それぞれが好き勝手に過ごしていた。

 前に感じた浮ついた雰囲気の代わりに、少しピリピリとした空気が常時流れているけど、それは仕方のない事だと思う。

 次にある作戦が戦争を終わらせる最後の戦いになるかもしれない。

 元を絶てば、深海棲艦は生まれなくなる。残った奴らも、各国と協力して全力で倒せば、撲滅できるかもしれない。

 でも、不安もある。

 大規模作戦に近い今回の作戦、敵は大量にいるだろう、姫級や鬼級も……本当に敵の発生元で、本拠地的な場所だったりしたら、たくさん出てくるかもしれない。

 俺が着任してから、この鎮守府は戦死者0でやってきている。

 だが今度ばかりは……誰が沈んでもおかしくない。

 それは、俺かもしれないし、朝潮や、吹雪や夕立かもしれない。 

 だから不安で、怖かった。気持ちを紛らわせるために入渠したりお喋りしたりしてみたけど、平和で穏やかな時間を過ごすほど、そういった気持ちは膨れ上がっていくばかりだった。

 だから、全艦娘に緊急の二文字とともに事態が伝えられた時、俺は正直ほっとした。

 戦いの中では、あんまりそういう気持ち、出てこないから。

 

 体育館に全艦娘が集合し、提督から説明を受ける。

 …………。

 どうやら敵さんは、そう簡単に平和を返してはくれないらしい。

 

 いずれにせよ、敵を倒す。仲間を守る。

 俺にできる事はそれだけだ。

 

「シマカゼ、出撃しまーす!」

 

 明石や大淀といった艦娘を残し、他の全ての艦娘が海へと出て行く。

 出撃時のかけ声や気合いの声が重なって、耳に心地良かった。

 

 まずは、友軍と合流だ。

 

 空を見上げると、厚い雲が向こうの方からやってきてた。

 

 

 暗い海があった。

 周囲を濃霧に囲まれ、静かな波が一定の方向に流れ続ける、開けた場所。

 霧の動く風の音と、波の音と、少女のすすり泣く声。

 絶え間なく動き続け、響き続ける生命の音色。

 海の上に、ぽつんと座る艦娘がいた。

 半ば霧の影に隠れた、小柄な少女。顔に両手の甲を当て、流れない涙を(とど)めるようにして、細い肩を振るわせている。

 浅い呼吸が繰り返され、嗚咽が漏れる。と、背を折って、一際大きくしゃくりあげた。

 ひっく、ひっく……。

 弱々しい嘆きが、涙の代わりに零れ落ちている。

 

 少女は、ずっとこうして泣いていた。

 ずっと、この海で泣いていた。

 

『――――』

 

 ごう、と風が唸る。

 少女の目前に霧が集まり、濃い霧となって、壁のように立ちはだかった。

 しかしそれは、艦娘を飲み込むように少女を襲ったりはせず、深海棲艦を攫うように少女に被さったりはせず、ただ、風に運ばれるまま今度は霧散していった。

 霧が晴れれば、残るのは少女のみ。

 ……いや。

 

『ガ、ァ……ゥゥ……!』

 

 よろめく深海棲艦が出現していた。

 焼け焦げ、布切れと化したレインコートを身に纏う、青白い肌の少女――戦艦レ級。

 死に体の彼女は、一歩一歩に全力をかけて少女の前まで歩み寄ると、膝をついて、その肩に手を置いた。

 びくりと少女が震える。

 

『ナァ……私ガ、沈ンデモ……イイ、ノカ?』

『――……』

 

 少女は、顔を隠したまま、ふるふると首を振った。長い黒髪が海面を撫でて、濡れる。

 ひっく、としゃくりあげた少女の肩が跳ねると、レ級は頷くように腰を折って、少女に顔を近付けた。そのまま、背中に腕を回して抱き付く。

 慈しむように目をつぶり、愛しげに唇を結んで、肌を押し当てた。

 

『――――』

 

 音もなく、一人が消える。

 レ級の姿がなくなると、少女はまた、声を上げて泣いた。

 永遠に続く慟哭が、霧に塗れた空へ吸い込まれていく。

 天を見上げた少女の頬を一筋の涙が伝う。

 滴り落ちた熱い水が海面に飲み込まれれば、しばらくして……ぐぐっと、水が持ち上がった。

 水柱が立つ。

 水滴が雨のように降り注いでも、少女は濡れなかった。雨音に似た、バタバタと鳴る水滴が落ち切ると、人影が伸びた。

 少女の目前に、海面を突き破って飛び出してきた深海棲艦が立った。

 黒皮のレインコートに、背負ったリュックのような艤装。首を覆うマフラーに似た何かは風になびき、揺れている。

 青白い肌は、大胆にも胸元からお腹にかけて開かれていて、黒い水着が小振りな胸を覆い隠す。

 フードに隠された顔は、そいつが指で布の端を掴んで押し上げれば、鋭い目が外気に晒された。

 左目に灯る青い(ほのお)が、風もないのに横へ流れて欠片を散らす。

 黄金の光を纏ったレ級は、背中から生える尻尾を揺らし、片足を下げて上体を捩ると、背後の少女へと振り向いた。

 

『続キヲ、始メヨウカ――』

 

 持ち上げられた右手が額に当てられると指にかかった前髪がかさりと動いた。

 狂気的な笑みが敬礼に飾り立てられている。

 

 ぱたりと、少女の目元を覆っていた手が膝に落ちた。

 

 少女は、泣いている。

 ずっとここで、泣いている。




TIPS
・龍田
最近キック必殺技に嵌まっている。
天龍ちゃんにもおすすめしているが、反応は芳しくない。

・レ級
戦艦レ級改flagship。


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第五十五話 海色、青空の下で。

誤字報告、ありがとうございます。とても助かっております。
重ねて感謝を。



次回の投稿は1月29日を予定しています。
その日に間に合わなかった場合は、31日に投稿します。



加筆修正しました。(三原真との会話を追加)



 列をなして海を行く、数十の艦娘達。

 声はない。足を揃えて流れる波の、割って行く音だけが重なって響いている。

 目的地は、神隠しの霧。

 でもそれがどこにあるかは、ここにいるみんなの誰一人も知らないだろう。

 霧を越えてレ級を倒した俺だって、今、その霧がどこにあるかなんてわからない。

 神出鬼没の敵を運ぶ霧もまた、不規則に出現するのだから。

 

 

「この力、はやく試してみたいっぽい!」

「もっともっと、みんなのために……!」

 

 友軍との合流を目指そうと出撃し始めた、最初の頃に、二人が意気込んでそう言った。

 この三日の間で、二人共が改二への改造可能な練度までに達し、今朝がた改造が完了したのだ。三人揃って、ではない事を少し残念に思ったが、一足先に改二に到達してしまった俺がそれを言うのもなんなので、素直に祝福しておいた。

 『改造』というシステムは、ゲームをプレイしていたから知っていたけど、実際に姿や目の色、果ては雰囲気まで変わられてしまうと、ちょっと困惑する。

 見た目は清楚なお嬢様だった夕立は、髪は跳ねて癖っ毛に、瞳は真紅に染まり、釣り目がちになって、ますます好戦的な性格に変貌した。白いマフラーをたなびかせ、悪役みたいな笑みを浮かべて決めポーズをとるのは、悔しいけどほんとに格好良かった。スタイルも抜群に良いし、なんだろう……このシマカゼ改二も、性能ならうーんと上回っているはずなのに、色々負けてる気がするのはなぜだろうか。

 得意気に胸を反らしたり、腕で抱えてよせたりするのをお部屋で、同室のみんなで観賞していたのだけど、改二になって大喜びだった吹雪の笑顔から徐々に喜び成分が抜けていくのが怖かった。

 吹雪ちゃんはね、うん、なんてゆーか……マイナーチェンジ? 襟や袖口、スカートが黒くなったり、ラインが赤くなってたり、ちょっぴり大人っぽくなってたりはするけど、夕立ほどはっきりした変化はないし、何より身長も胸も据え置き………………そっとしておくとどんどん沈んでいってそのうち笑顔も消えそうだったので、とにかくパワーアップした事を強調して盛り上げ、間宮に連れ出す事で機嫌を回復させるのに成功した。

 夕立はもちろん、叢雲やリベッチオも来てしまったから、『改二祝い』を名目にしていた俺はみんなの分も支払ったので、お財布が薄くなりましたとさ。

 遠慮なんていらないけど、叢雲はいつもおっきいの食べるから、値段を聞くと心臓に悪い。苦にならないくらいのお給金は貰ってるはずなのに、金銭感覚はなかなか変わらないものだ。

 力を試してみようか、と話している時に放送があり、改二の力を使わないままに海に出た二人は、最初こそ高揚感に任せて言葉を交わしていたけれど、数分から数十分もすると、海上を艦娘が滑る音だけが支配するこの場に何かを感じたのか、黙りこくってしまった。俺の後ろについてくるリベッチオも、ずっと不安げにしている。

 俺もそうだ。一種異様な雰囲気が漂う海の上。天気は悪いし、寒いし冷たい。間隔を開けて並ぶ他の艦娘もみな一様に真面目な顔をして――それは、当然なんだけど――先頭を走る第一艦隊の人達も、きっとそんな風だから、不安は大きくなるばかりだった。緊張と恐怖もある。胸の中にいる島風と声に出さずとも会話できるのが救いだ。その彼女も、あまり元気がないようだから、会話してても不安は拭えない。

 この空気があと何分続くのだろう。

 たぶん20ノットくらいで移動しているから、友軍が動いてても動いてなくても、合流までには結構な時間がいるだろう。

 その間、ずーっと前を向いて走り続けるのはきつい。

 だから俺は、ほんの少し意識を内側に向けて、考え事をする事にした。

 

 

 三日間の待機。出撃、遠征、演習……三つの事柄が行えなくなり、ここに住まう艦娘達はもっぱら自主トレか休息するかにわかれた。俺は、日課のランニングは欠かしていないものの、トレーニングルームに向かう事も娯楽室に向かう事もせず、ぼんやりとして過ごしていた。

 朝は連装砲ちゃんと戯れ、龍田先輩に必殺キックを伝授し、部屋で叢雲とリベッチオとお話して、なんとなく部屋を出てふらつく。

 そわそわして落ち着かないから、何かしらしていないともどかしくてたまらなかった。そうなっているのは俺だけじゃないらしく、寮内でも外でも本棟でも、頻繁に他の艦娘と擦れ違った。挨拶をしてそのまま歩いて行くか、立ち止まって短い会話をしたりして暇を潰していると、廊下の向こうから金剛がやって来るのが見えた。見るからに上機嫌で、今にもスキップしだしそうなんだけど、何かあったのだろうか。

 ここは三階で、金剛が来た方向には執務室がある。提督と何かあったのかな。……そういえば、金剛って提督の事、好いてるのだろうか? 恋愛的な意味で。

 

「およ、島風ではないデスカ」

「おはようございます、金剛先輩」

 

 窓際に寄って様子を窺っていれば、俺に気付いた彼女は一直線に近付いて来た。腰を折って挨拶をすれば、ぐっっっもぉおおにぃいいいん!!! と非常に元気な挨拶を返された。連装砲ちゃんがひっくり返るくらい良い返事ね。顔の横に手を掲げるおまけつき。

 

「んー? 島風、浮かない顔してるデース。ドウシマシタ~」

 

 なんでこんなに元気なんだろーなーと見上げていれば、金剛は目を……えーと、俺みたいな半目にして、というか、力の抜けきった目つきをして、ふにゃっとした口調で問いかけてきた。浮かないっていうか……もやもやしてるだけなんだけど、なんて答えれば良いんだろう。

 悩んでいると、ぱむぽむと肩を叩かれた。

 

「島風は大勢の敵と戦うのは、初めてデス?」

「あ……は、はい。そういえば、そうです」

 

 この後の作戦でまず間違いなく大量の敵と戦う事になる。それに不安を抱いていると見抜かれた。……わかるか、みんなぴりぴりしてるし、その理由は一つだけだもん。

 

 六とか七とかじゃなくて、何十を相手にするかもしれないのは、初めてだ。

 こないだ鎮守府に大量に敵が現れた時だって、俺は主にレ級を相手にしてたし……。

 だから、一対多となると、どう立ち回れば良いかがいまいちわからなくて、また少し不安が大きくなった。

 と、ぱっと両手を取られて、包み込まれた。

 ドアップで映る金剛の笑顔に面食らう。

 

「問題nothing! ワタシ達を信じるデース!」

 

 決して一人で戦う訳じゃない。みんなと戦うのだから、仲間を信じろ。金剛は、そう言ってぎゅ、ぎゅと俺の手を挟んだ。…………彼女の手って、こんなに大きいものなのだろうか。身長差はちょっとあるけど、女性の手なのに……俺には、それが凄く大きいものに感じられて、すっかり安心してしまった。

 でも手が離れれば、小さな不安が胸の内に生まれて、きっとこれは、明日になれば元の大きさに戻ってしまうんだろうな、と直感した。金剛にもそれがわかったのだろう、困ったように笑うと、また俺の肩を叩いて、そのまま手を置いた。

 

『キュー?』

 

 見下ろせば、足下に寄り添う連装砲ちゃん達がみんな揃って見上げている。

 この子達もついて来てくれるんだから、俺がしっかりしなきゃ……。

 不安や恐怖なんて、戦いの高揚で塗り潰してしまえば良いだけだし、というか、いざ戦闘に入れば、不安がっている暇など無い。

 結局この感情は一過性の物なのだから、今どうこうする必要はないのだ。……持て余しているのは事実なので、あまり良い気分ではないんだけども。

 うーん、と悩んでいた様子の金剛は、一つ頷くと、俺に目を合わせ直してから、自分を指差した。

 

「ワタシも多数と戦った事ないデス。でも、こんなに元気デス」

「それは……金剛先輩だから?」

「……今のはどういう意味デース?」

 

 あっ、い、今のは別に先輩の事悪く言ったんじゃなくてねっ?

 金剛、先輩は、ほら、あの、あれ……こう、元気? ……はっちゃけた? 天真爛漫というか……金剛先輩だから、うん。

 ……うん?

 

「まーいーデス」

「あ……」

 

 体を戻した金剛先輩は、両腰に手を当てると、ふぅっと息を吐いた。

 うさみみリボンに手を当てて、位置を直す。手を下ろしざまに髪を梳くと、金剛先輩が小首を傾げて、それから、後ろを見た。

 左に体を倒して廊下の向こうを覗いてみても誰もいない。なんとなく後ろを確認しただけみたい。

 

「良いデスカー、自分を強くするもの、それは愛する者への気持ち……すなわち、バーニングラァァァァァブ!! デース!!」

 

 耳の奥がキーンとした。

 いちおう心構えを説いてくれているので耳を塞いだりはしないが、至近距離でこの声量は、ちょっとばかしきつかった。

 

「その通り」

「あ、先生!」

 

 カツン、と靴の音がして、金剛先輩が勢い良く振り返った。すぐ後ろに、三原先生が立っていた。いつものスーツ姿。でも今日は髪を縛ってない。うおーっと盛り上がる金剛先輩を横目に、今日は何か特別な日だったかと記憶を辿ってみたが、別段何も思い浮かばなかった。単に髪を下ろしたい気分だったんじゃないかな。

 先生が金剛先輩の肩に手を置いて顔を向ければ、何を察したのか、ささっと端に避ける金剛先輩。

 

「君は、この戦争を終わらせるつもりかな」

 

 ……質問の意図がわからない。

 それに、なぜそれを俺に聞くのかもわからなかったが、そのつもりはあったので――そう考えているのは俺だけではないだろう――、頷いた。

 すると先生は少し身を屈めて目線を合わせてきて、普段と変わりのない声音で、こう言った。

 

「たとえどんな事があっても、守りたい人の事を想えば、強くあれる」

「……?」

 

 それはきっと、今まで通りの俺の心構えで、だから、先生が何を伝えようとしたのかよくわからなかった。

 それ以上言葉が続く事はなく、一度目をつぶって体を戻した先生が、金剛先輩に二言程投げかけてから歩き出す。

 

「…………」

 

 去っていく女性的な後ろ姿に、全然似てないのに、姉さんの影を見た。

 ……なんでもかんでも姉さんに重ねるのは、よくない癖だ。……いつまで引き摺っているんだろう。もう会えない人なのに。

 あー、駄目だ。気分を暗くしてどうしたいんだ、俺は。

 

「島風、この後空いてマスカ?」

「……ん。特に、用事はなかったと思います」

「ならワタシ達とティータイムするデース! リラックスできマスヨ~」

 

 自分を慰めるために砲ちゃんを抱いていじいじしていると、金剛がお茶のお誘いをかけてきた。

 彼女に言った通り、この後に用事はない。だから一緒に行く事に否はない。たぶん、ティータイムは彼女の妹達とするんだろうけど、その三人と一緒にいても自然体でいられるから、嫌でもない。

 そんな訳で、午後は金剛型の四姉妹と一緒に紅茶を楽しんだ。

 主な話題は俺の改二や能力の事だったので、話についていけないなんて事もなく、お喋りしている間は不安も晴れていたので、良い時間を過ごせた。

 お部屋に戻った頃にはだいぶんリラックスしていて、吹雪達に不審がられたくらいだった。軟体動物みたいになってたからね。

 

 

 友軍との合流は、何もない海上で行われた。ずらーっと整列した艦娘達の外周に並んだ空母が絶えず索敵をしている。艦載機を飛ばせない艦娘も電探などを用い、または目視で周囲を見渡していた。

 これだけ警戒していても、神隠しの霧にかかれば戦況がどうなるかわからないのだから、敵は相当厄介だ。霧に潜む強敵は倒したから、一人ずつ攫われて倒されるなんて事は……霧の先に戦艦級や、姫級や鬼級が待ち構えていたら、ひとたまりもないか。それでも警戒しない手はない。ずっと気を張り詰めていると持たないかもしれないが、それでもだ。

 

 こちらを藤見奈艦隊とすれば、相手さんは海棠艦隊。友軍とは、海休暇の時に演習を行ったあの人の事だったらしい。見覚えのある顔がある……ああでも、見覚えならほぼすべての艦娘にあるか。

 あらかじめ通信でもしていたのか、ほとんどやり取りもなく彼女らの隣に並び、同じように周囲の警戒を始める俺達の艦隊。まずはここから探していくのかと思ったけど、そうでなく、他の友軍を待っているとの事らしい。

 十数分ほど緊張の中にいると――この時ほど艦娘があまり尿意を抱かない事に感謝した事はなかっただろう――、海棠の艦隊がにわかに騒めき始めた。第一艦隊旗艦、曙に通信が入ったらしく、それがこちらの電にも伝えられた。たくさんの艦娘がいるから直接その様子は見れず、誰かしらの背に阻まれてそれしか見えていなかったが、俺が装備している艤装の妖精さんが通信の内容を拾って逐一伝えてくれた。

 こちらに向かっていた遠方の友軍が敵連合艦隊と交戦中……それは一ヶ所で、ではなく、ここに集おうとしていた仲間達すべての下に多くの敵が襲いかかっているらしい。

 事前の話であった。敵は、もしかしたらこちらの動きを察知しているかもしれない、と。その可能性は高い、と。だからある程度こうなる事は予想できていた。

 俺達の前にも現れるかもしれないから、気を引き締めるように、と伝令があった。口頭での説明なのは、妖精暗号通信等をしていて、急に妨害電波に阻まれて途切れれば、少なくない動揺が走るからだろう。一対一での通信ならまだしも、多数に向けての発信でそうなるのはよくない。

 

 一時間か、二時間か。

 空に浮かぶ黒雲は分厚く、夜の闇のような影を落としながら去っていった。

 快晴の空に日が照っている。頭や肩は少々の熱を持ち、しかしお腹辺りから下はとても冷たい。艤装が駆動する振動と熱が背にあって、体の各所の温度がちぐはぐだった。普通の人間だったら体調を崩してしまいそうなところだ。

 背中の魚雷発射管を弄ってなぜ振動しているのか問いかけたり(シバリングらしい。妖精さんも寒いのかな)、連装砲ちゃん達が空気を読まずに俺の周りをぐるぐる回って永遠の追いかけっこを続けているのを見下ろしたりしていると、とうとう友軍が到着した。駆逐艦を先頭の列に、輪形陣に近い形で近付いて来て、減速し、向こうの方に並んだ。残念ながらどんな艦娘達が来ているのかはわからなかったが、人数が増えた事によって空気中に満ちる息遣いが多くなり、なんとなく安心感を抱いた。これだけいれば安心だろうとか、そういう類のもの。

 間を置かず、他の友軍も到着する。こちらも輪形陣だったが、これは俺達側に向かってきていたので、目視で確認できた。空母と戦艦が周りを取り囲み、その中に駆逐艦や軽巡が輪を作り、中心に一際高い背の女性が滑ってきている。

 それが誰かがわかれば、さすがにざわめきが起こった。俺も、吹雪や夕立も、ぽろっと声を零すくらいはした。

 戦艦大和。

 たぶん彼女は、かつて一度だけ演習で戦った、その本人なのだろう。演習システムで作り出された幻影とは違い、生き生きとした表情を凛と引き締め、歴戦の戦士の雰囲気を纏って、向かってきた。

 戦艦大和は日本にただ一人、ただの一隻のみ存在していると聞く。彼女を見て、ようやくこれが大変な作戦……大規模作戦なのだと実感した。

 霧の強敵を倒したから慢心していたのだろうか、不安に駆られながらも心のどこかでは『大丈夫、勝てる』と思っていたのだろう。しかし以前苦渋を味わわされた艦娘を見れば、その思いは消え、重く硬いものが胸の内に圧し掛かった。

 列から離れた電が波間に止まると、向こう側も先頭の列から一人、駆逐艦娘が抜け出て、立ち止まった。

 漣だ。桃色の髪をツインテールにしていて、制服は…………綾波型のものだろうか。肩にウサギっぽい生物、いや、人形を乗っけている。

 声の無いやり取りは数十秒で終わり、それぞれ引っ込むと、今度は肉声で声がかけられた。各艦隊旗艦より、その下の艦娘達へ。

 

「『多くは言わない。それぞれ自分の役割を見極め、力を発揮する事。貴艦らの活躍を期待し、私もまた後方から力を貸す』、以上、藤見奈提督より、なのですっ!!」

 

 声を張り上げる電ってのは珍しい。姿は見えないが、胸元に両手を押し当て、精いっぱい大きな声を出しているのが容易に想像できた。

 両隣りの各艦隊でも旗艦より提督の言葉らしきものが伝えられている。入り乱れて一部聞き取り辛い部分もあったが、妖精さんが意思を飛ばして補足してくれた。ただ、これは俺の知っている、または想像している言語や言葉で伝えられるから、提督の言葉と少し違ってきてしまっているだろう。でも気持ちはしっかりと受け取った。彼が後ろに立って指揮を執るというなら、全幅の信頼を。彼が期待を寄せていると言うのなら、勝利を。

 士気が高まるというのはこの事を言うのだろうか。体の中からぽかぽかとした熱く強い気持ちがわき上がってくる。

 第一艦隊旗艦は提督と直通通信ができる。リアルタイムでの激励は、艦隊全体の一体感を高めるのには最適だろう。

 

「行くのですっ!」

 

 遠くに聞こえる電の声と、水が掻き分けられていく航行音と駆動音。自然とおう、と勇ましい声を上げて返事をしたが、そこかしこで上がったかけ声の内容はばらばらだった。それでもなお繫がりは強まる。一糸乱れぬ動きで旗艦に続いて滑り出し、友軍と並び、決められた航路を行く。

 霧が見つかるまで、今作戦は終わらない。上の上の上の決定だ。

 海上で寝る事になろうとも、寝ずに動き続ける事になろうとも、絶対に成し遂げよう。

 決意を秘め、前方の夕立の後ろ頭を見つめる。

 風に流れて揺らめくマフラーが、バタバタと音を鳴らして冷たい風にはためいていた。




TIPS
・友軍
すぐさま対応できる五つの地から、三日の時をかけて集まって来た。
もちろんこれが日本中全ての艦娘という訳ではないが、
どうしても応じられない場所や、遅れる場所もあったため、
五つ集った時点で出発した。

・改二
改二に夢を抱いていた夕立は大満足だったが、
同じく夢を抱いていた吹雪は敗北Dを喫した。
いや、Bはあるかもしれない。希望的観測。

・戦艦大和
シマカゼの言った通り、世界に一隻しか現存しない。
たった一人出た後は、建造もドロップも不可能。
そう判明するまでにどれ程の資材が費やされたかはご想像にお任せする。
Lv.155。
同艦隊に夕立改二も存在する。Lv.127。

・三原先生
亡き妹の誕生日だったので感傷に浸っていた。


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第五十六話 連合艦隊

日にち指定までして遅れてごめんね。

次の投稿は2月17日を予定してます。



~前回のあらすじ~
神隠しの霧の脅威を除くため、連合艦隊出撃。



 バララララ――……。

 四方に伸びる真っ白なブレードが高速回転し、同色の大きな機体が、緩やかに降下しながら辺り一帯の風を掻き混ぜていた。真下の海は吹き付ける風に平らになって、その中心では半球状の水が小さく浮き沈みを繰り返して、周囲へ波を送っている。空飛ぶ鉄の鳥籠は、特設海上防衛隊の所有する支援ヘリだ。

 今回の作戦には、艦娘を知る外部の人間も参加していると聞いた。実際こうして目にするまでは、危ない海上にヘリコプターなんて飛ばすものかと疑問に思っていたのだが、ヘリの周囲をびっしり固めている艦戦や艦爆を見れば、納得した。ああまでしてもヘリを出すくらいに、今作戦に力をいれているのだろう。……風圧とかで飛行が乱れたりはしないのだろうか? 艦載機乗り妖精さんの腕が凄いのか。

 

 スライドドアを押し開けて顔を覗かせた正規空母の艦娘、瑞鶴(ずいかく)が弓を片手に、黒艶のツインテールをなびかせた。片膝立ちでいる彼女は、ヘリの周囲を囲むように海上に立つ艦娘達――この暴風をものともせず、服や髪をめちゃくちゃにされながら見上げている――を見下ろすと、振り返って上体だけ機内に引っ込ませ、空いている手に重箱のような物を持って、再び顔を出した。薄紫と白からなる布に包まれた、高級そうな、たぶん何段か重なっているのだろう箱が無造作に投下される。俺の立つ離れた場所からは、どの艦娘がどんな風にそれを受け止ったかは人垣に隠されて見えなかった。まあ、俺はすでに物資を受け取ってそれの補給中だったので、さほど興味を惹かれる事もなかったから、見えなくたって構わない。

 下より上だ。ヘリのドアが開いたところから機内を覗き見て、パイロットも艦娘なのかどうかを確かめたかったのだが、少しの妖精さんと間宮らしき人影が見えたくらいで、操縦しているのが誰かは確認できなかった。不思議な力で浮いているって線もあるかも。空母艦娘はヘリさえ飛ばす、とか……ないか。

 

『変な発想ー』

(うるさいよ)

 

 間延びした声でツッコミを入れる胸の中の島風に、こちらも投げやりに言い返すと、うあー、と変な声を上げて、それきり喋らなくなった。……なんだこいつ。

 島風も暇してるのかな。俺とおんなじに。

 

 配られた物資の内訳は、燃料、弾薬、ボーキサイト――これは直接渡して補給するような物なのだろうか――に、艤装用の固形燃料が一つ。キャラメルみたいな奴。それから、竹皮で包んだおにぎりが三つ。なんと豪華たくあん付き。美味しくって涙が出るね。

 それを海の上に立ったまま平らげる。テーブルはないし椅子もないが、いつもの調子でルームメイトの吹雪と夕立、叢雲と、それからリベッチオと向き合いながらの食事だった。一番に食べ終えた俺は、中指の真ん中辺りにくっついていた米粒を見つけて口に運び、ちゅっと吸い取るようにして除きながら、ぼうっとして、特に何を考えるでもなく、仲間の顔を眺めていた。正面の夕立が、ぽいぽいむぐむぐと口に手の平を押し付けるようにして半分ほどあったおにぎりを詰め込み、缶に入った燃料――着色飲料と書いてある――で流し込む。鎮守府では見られない、ちょっと乱暴な食べ方だ。改二姿でなら、犬食いっぽくても違和感は薄い。……そういう点でしか変化を感じられないのはどうなんだろう。容姿は変わったのに、接していて違和感がない。いやまあ、性格まで大幅に変わられては、困っちゃうんだけどね。

 

「リベッチオ、早く食べないと置いてかれちゃうっぽい」

「んー」

 

 上目遣いでヘリの方を見ながら、三角おにぎりの一角をはもはもしていたリベッチオを、夕立が急かす。ああ、急いで食べてたの、それを危惧していたからか。まだ食べ始めてもいない人だっているだろうから、時間的な余裕はあると思うんだけど……気が()いているんだね。それは、まあ、仕方がない。

 俺だって少しでも早く動き出したいから、さっさと食べた訳なんだし。

 

 神隠しの霧の捜索を開始してから、三日。時間にして七十二時間が経過している。今はお昼過ぎだろうか。正確な時刻を見るにはカンドロイドを弄れば一発だが、なんとなく目測で計りたくなって太陽を見上げた。……くしゃみがでた。てきとーに八十四時間経過って事にしとこう。たぶんそれくらい。私が間違う事はない。

 

 艦娘があんまりお手洗いにいかないようにできていて良かった。でなければこの三日で地獄を見る事になっていただろう。だがそうはならなかった。今も、尿意なんかはまったくない。通常の状態でも食欲と睡眠欲以外の生理的欲求が薄い艦娘は、生体フィールドを纏うとそれが顕著になる。空腹かそうでないかで膨らんでいた食欲は、燃料があるかないかで増減するように変わり、睡眠欲も薄くなってくる。えーと……『お花を摘みに』行くのも、ほとんど必要ないくらいだ。人としての部分がある限り、まったくないって事はないけど、生体フィールドを纏っている間の艦娘はどちらかというと無機物寄りで、生物と言えるかは怪しい。と、俺は思っている。だってそうじゃなきゃ、(ろく)に寝れない環境でずーっと動き続けるなんてできやしないだろうし、リベッチオや電なんかの体が小さな艦娘は、そうでない艦娘に比べて早くに音を上げてしまうだろう。

 俺達があくまで艦娘であるからこそ、こんな無茶な作戦が展開されているのだ。

 苦ではあるが、苦痛とまではいかないし、この作戦に大きな文句はないけどね。

 艦娘に人権があったら、許されないだろうけど。

 

 日を追うごと、連合艦隊の進むごとに艦隊が合流し、艦娘の数が増えていく。海外の艦娘も多くいた。海外艦のみで構成されている艦隊もあった。日本以外も協力してくれているのだろう。出発前にそんな説明もされていた気がする。

 二百人くらいまでは数えてみてたけど、それを越えてからは、やめた。

 同じ顔が増えるばかりで見分けがつかなくなったのと、たびたびある休憩時間内では数え切れなくなったからだ。単純に疲れているのもある。

 なんと言っても三日だ。目的地が見えないまま、ずーっと走り続けて、時折現れる深海棲艦はあっという間にやっつけられて。する事といえば、立ったままどう快適に眠るかを考えるのと、滑る時の姿勢はどんなのが一番楽かって考える事くらい。

 全体が立ち止まって休憩とともに補給や食事を済ませる時間は、だいたい二十分から三十分もかかる。早いと十五分くらいで動き出せるんだけど、そんなのは最初だけだった。

 先が見えず、終わりも見えない。終わらなければ帰れない。どれだけ敵を倒そうと、霧を見つけ、これを除かない限りは、俺達が日本の地を踏む事は許されない。

 お偉いさんだかなんだか知らないが、この作戦を全体に命じた人達の気持ちは、わからなくもない。霧は神出鬼没で、鎮守府内にだって現れる。しかも外部との連絡を絶たれ、増援や支援を望めない状況で、突如として現れる強敵やたくさんの敵を相手取らなければならない。

 それが艦娘のいる場所なら、被害はあっても撃退は可能かもしれない。だがもし、日本のど真ん中に霧が現れたらどうだ。助けに向かう事はできず、そこに艦娘がいない場合、ただただ敵の好きにさせるしかなくなる。

 そんな霧が確認されてしまった以上、脅威は排除しなければならない。一刻も早く。だから、俺達はぶっ通しで探し続けている。

 当てもなく、とは言ったけど、ルートは決まっている。決まった航路を巡回し、霧の発生を待つ形になっている。それは長く複雑で、時に陸を挟む事もあるけれど、一直線にあの霧が発生していた……映像に収められていた場所に向かわないって事は、その場所が判明していないという事で、経過した時間からわかる通り捜索は難航している。

 要らない時は向こうからやってきてばかりだったのに、いざこちらから向かえばこれなのだから、ふとした時にレ級を倒していなければ、もっと楽に終わっていたのでは、と思う事もあった。

 レ級が生きていれば生きているで、それはかなり厄介だから、思っても言っちゃいけない。あの時はなんとか倒せたけど、今度も倒せるとは限らないのだから。

 ……物量で押せば捻り潰せる……いや、犠牲を出す戦い方はよくない。あいつには艦娘の武装が効かないなんていう謎防御があったし……ああもう、暇だから倒した相手の事なんて考えてしまう。

 

『ほれ』

 

 唐突に飛んできた意思に、指先で弄繰り回していた竹皮を脇に挟んでいた連装砲に近付ける。にゅるんと出てきた妖精さんが皮の端を掴んで引っ張り込んでいった。妖精さんもお食事タイムである。固形燃料も差し出せば、再び顔を見せた妖精さんが小さな両手ではっしと掴んで持っていく。かわいい。癒される……。

 竹皮を少し切って残しておいた切れ端は、連装砲ちゃん達にあげる分。

 三匹揃って、差し出した皮を直接口で受け取って飲み込んでしまうのを見下ろしていれば、夕立も自分の艤装の妖精さんに竹皮と燃料を渡していた。

 妖精さん達が言うには、この竹皮はしっかり調理されてて美味しいらしいんだけど、初日に興味本位で口にしたそれは、うん、繊維の塊というか、スジっぽいというか……美味しくなかったんだけど、彼女達にとってはそうではないらしい。なんにせよ、ゴミが出ないのは良い事だ。いや、ゴミではないか。立派な食べ物だ。彼女達にとっては、だけど。

 燃料入りの缶は弾薬入りの缶とともに、これも艤装の中へ。艤装の方の何かに使われているのだろうと予想しているけど、実際のところ、飲み込まれていった缶やらがどうなっているかはわからない。妖精さんに聞いてみても、理解できない、途切れ途切れの単語しか返ってこなかったし。『鉄』とか、『塗る』とか……。

 

「再出発までは、まだちょっと時間がありそうだね」

「今は怪我人の治療をしているんじゃないかしら」

 

 吹雪と叢雲も妖精に皮を渡しながら、残りの休憩時間について話した。怪我人とは、ここまでの道のりで敵との交戦を担当した艦娘の損害の事を言っているのだろう。大した損害は負っていないだろうが、小さな傷も命取りになる事がある。特にいつ終わるかわからないこの作戦の上では、小破未満でもそのままにしておくのは危険だ。何人か明石を見かけたし、彼女らが処置を施しているのだろう。そういえば、その近くにいたジャージ姿っぽい艦娘は、昔を含めても見覚えがなかったな。……いや、あったかも? もしかしたら別の何かで見た人物と似ているだけかもしれないけど。……まぁ、俺がここに来てから結構時間も経ってるし、知らない艦娘がいたっておかしくない。俺が持っていなかった艦娘なんかは、既存の子でも顔を知らない事だってあるし、持ってても忘れてるかもしれない。リベッチオとか、たしかに手に入れていたはずなのに、容姿を思い出せなかったし。

 

 それにしても、艦娘が多い。島風だってもう何人も見かけている。顔を見るたびびくっとしてしまう俺は、小心者だろうか。自分と同じ存在が普通に動いているのを見るのは心臓に悪い。

 というか、いくら神隠しの霧が脅威といっても、こんなに艦娘が大集合するものなのだろうか。まるで最終決戦にでも挑もうとしているみたいだ。……そうだったらどんなに良いか。

 霧の向こうから敵が来ている、と提督は言った。でも、俺にはそうは思えない。結局そいつらもどこからか運ばれてきているだけで、たとえこの作戦で霧に突入し、そこにいた敵の全てを倒したとしても、またどこからか深海棲艦が現れるんじゃないだろうか。レ級を倒しても、霧が残り、深海棲艦を運び続けているように。

 そんな風な事を、「いつ終わるんだろうね」と問いかけながらぼやいてみれば、滅多な事を言うなと叢雲に怒られてしまった。提督を疑うなとかそういうんじゃなくて、士気の下がるような事を言うなって事らしい。騒めきの中にあるとはいえ、みんな声は抑えめだ。ただでさえ大人数なのに、音を発して深海棲艦を引き寄せるなんて愚は犯せない。だから俺も小声に近いんだけど、静かとも言えるこの場で喋れば、近くにいる誰かの耳に入る確率は高い。雰囲気は伝播する。たとえ一人だけが俺の言葉を耳にして暗い気持ちを抱いたとしても、その一人では終わりにならないだろう。波紋が広がるように不安や何かが広がっていってしまう……かもしれない。

 

「……誰だってあんたみたいな考えは持ってるわ。でも、それを口にしては駄目」

 

 どうしたって、疲れちゃうから。

 そう言って叢雲は、肩を竦めた。

 

「その通りなのです」

 

 サァァッと足下に涼しげな風が通り抜けていく。飛沫が霧となって、波の中に消えた。

 叢雲の背後からゆっくりと滑り出てきた電は、いつもの気弱な表情で同意の言葉を発した。……我らが旗艦がなぜここに、と芝居がかった口調で疑問を浮かべれば、まさか聞こえた訳でもないだろうに、彼女は俺の顔を見て、近付いてきた。

 

「今は何より、士気の低下が恐ろしいのです」

 

 すぐ傍で立ち止まった彼女は、振り向きざまに、リベッチオ、夕立、吹雪、叢雲と、順繰りにそれぞれの顔を見た。

 

「でも、ここに……ここには、司令官さんもいるって、思い出して欲しいのです」

「提督さんは、後方支援のために、ずっと通信を繋いでいる……っぽい」

 

 胸元に当てた両手をきゅっと握るようにして言う電に、夕立が呟いた。再確認するみたいな声音。

 ……そう。俺達の事は、提督が見守ってくれている。電を通して指揮もしてくれるだろう。悩む必要も不安がる必要もない。彼の言う通りに動けば良いだけ。

 そう割り切れれば、きっと楽になれるんだろうけど、いかんせん俺は感情的だ。というか、艦娘はみんなそうだ。人間と同じで、機械的に取捨選択はできないし、その場に必要のない感情や気持ちだって持ち得てしまう。

 真面目で大事な作戦なのに、退屈とか、眠いとか、疲れたとか思ったり、いつまで続くんだろうとか、成功するのだろうかと不安になったり、いろいろ。

 何も考えずに一直線に走っていって、敵を倒しておしまいって任務なら大歓迎なんだけどなー……。今作戦は、ちょっと、苦手だ。

 でも、そうだね。あんまり提督に格好悪いところは見せられないかな。男として、ああいや、艦娘として、ね。

 だがらもっとしゃんとしてなきゃ。

 

「わかった。弱音は吐かないよ。シマカゼは前だけ見てる」

「それが良いのです」

 

 こくりと、電が頷いた。動作は、控え目ではない。気の弱そうな表情に対して、電の態度はそんなに小さくないのだ。……なんでいっつも眉を八の字にしてるんだろう。気にするような部分ではないと思うけど、気になる。

 

「なんだか、そのままずーっと走って行っちゃいそうだね、島風ちゃん」

「ウサギー、かけっこ強いもんねー」

 

 茶化しているつもりはないのだろうが、吹雪がそう言うと、リベッチオがうんうんと頷いた。いくら走るのが好きっていっても、そんなにずっとは走らないよ?

 

「でもウサギー、前にかけっこした時は、リベが『もう駄目!』って言っても、ずーっと走って行っちゃったよ?」

「それは、ああー……ゴールが設定されてなかったから」

「朝潮を見つけて一直線になったっぽい?」

 

 はぇ!? な、なぜそれを!

 

 たしかに前にリベッチオと競争した時、道の先に朝潮を見かけたから、話しかけようと思って――競争の事は忘れて――寄って行ったのは事実だけど、その時夕立は近くにいなかったはず。見てないのに、なんで知ってるの? エスパータイプの艦娘なの?

 

「その顔は図星っぽい? 島風ちゃん、わかりやすすぎっぽい~」

 

 どうやら、鎌をかけられていただけらしい。

 

「うぐ……そ、そんなに?」

「言い辛いんだけど、島風ちゃん、朝潮さんの事になると、なんだかすごく張り切っちゃうから……」

 

 だから、わかりやすいって?

 苦笑いを浮かべる吹雪を見れば、悪い事じゃないと思うよ? と続けた。そんな、とってつけたように言われてもねぇ。

 なんとなく不貞腐れた顔をしてみせれば、吹雪はあせあせと手を彷徨わせて、なんとか俺を元気づけようと言葉を探し始めた。……吹雪の方がよっぽどわかりやすいと思うよ、俺は。

 

「冗談冗談。気を悪くしたりはしてないよ」

 

 シャーッと滑っていって吹雪の後ろに回り込み、俺を目で追う彼女の肩を抱く。もう、とむくれられてしまった。からかうとすぐこれだ。吹雪弄りはやめられない。ほっぺたつんつんしちゃうぞー。

 

「もー、やめてよぉー」

「やめなーい」

 

 くすぐったがる吹雪の頬を指で擦る。と、リベも! とリベッチオが腰に抱き付いてきた。その拍子に俺の手から脱した吹雪は夕立の前まで逃れ、頬に手を当てながら再度「もぉ」と零した。そんなにもーもー言ってると牛になるよ?

 横から抱き付いてきていたリベッチオは、俺の腕を取りつつくるりと回転して、俺の前面へ収まった。胸の辺りに後頭部を押し付けられ、もう片方の手も取られて、それから、体を預けてくるので、受け入れてやる。両の二の腕辺りにちょうどツインテールが当たってくすぐったかった。

 見なくてもリベッチオがにこにこしてるのがわかる。くっつきたがりさんだね。はー、あったかい。

 

「捕まえたっぽい!」

「うぇっ!? ゆ、夕立ちゃ……!?」

 

 あ、吹雪が夕立に捕獲された。さっき俺がしてたみたいに肩に腕を回して、速攻で頬をうりうりさてる。憐れ吹雪、どうやらみんなのオモチャになる事が確定したらしい。そろそろと寄ってきた叢雲にまでほっぺをつつかれて、ほにゃ、やめへ、と変な声を出す彼女を眺めていれば、こほん、と電が咳払いらしきものをした。辛うじて聞き取れるレベルの小ささだったけど。

 

「ん、あんた達、気が緩み過ぎてるわよ」

 

 いつの間にか元の位置に戻っていた叢雲が、戒めるように注意するのだけど、叢雲もさっき……いや、これは言わないでおこう。睨まれたくないし。

 休憩中とはいえ、遊び過ぎはよくない。という訳で、それぞれ気を取り直して離れた。電がまだ何か話す事があるようだったので、彼女の前へ並ぶ形に。

 

「司令官さんは、島風ちゃんを心配しているのです」

「え、私?」

 

 薄々俺に何かあるからこっちに来たんだろうな、と思っていたけど、それがまさか提督が心配しているからなんて内容だとは思わなかった。

 でも、心配……心配ねぇ。俺にそんなもの必要ないよ。自分で言うのもなんだけど、シマカゼってばレベル以外なら並の艦娘を遥かに凌駕する数値持ちだし、速いし、なんの心配もいらないって。

 

「……『飛び抜けている力を持っていても決して突出せず、仲間と協力せよ。君は決して無敵ではない』と、司令官さんは言っているのです」

 

 俺には改二もあるしね、とドヤ顔してたら、(たしな)めるように、そんな言葉。

 無敵じゃないってのはたしかにそうだけど……ううん、提督の言う通りかなあ。仲間との協力が大事。連携しなきゃ、敵に囲まれてタコ殴りにされてやられちゃいました、なんて事になっちゃうかもしれないしね。改めて肝に銘じておこう。俺は一人で戦う必要はない。金剛も言ってたよね、私達を信じてって。

 

「うん、それじゃあ、みんなに合わせられるよう頑張るよ」

「そうして欲しいのです」

「悔しいけど、改二になったって島風ちゃんには追いつけそうにないっぽい」

「ちょっと、羨ましいかな。あはは」

 

 たぶん『合わせる』という言葉に反応しての二人の言葉。照れ笑いを浮かべる吹雪に、俺は何も言えずに、曖昧な笑みを返した。

 二人分を一人に詰め込んでるからこその能力値(ステータス)だから、それ抜きだと、普通よりちょっと強い、凄く速いってくらいの差しかないんだよね……。なんかずるっこしてるみたいで、微妙な気分。

 でもこれは、正真正銘シマカゼの力なのだから、胸を張らなきゃ島風にも、他のみんなにも失礼だ。そこんとこ、島風がどう思ってるかは知らないけど。

 

「イナズマー、その首の、なぁに? 指輪?」

 

 ふいに、リベッチオが電を指差した。正確には、首元にかかったネックレスっぽいの……銀色の指輪を。日の光が輪の上を滑ると、皆がそれに注目した。

 

「はわわっ、こ、これは、その」

「どうしたの? なんで隠すのー?」

 

 ぱっと指輪を両手で覆った電は、顔を赤くさせて俯いた。その反応で、それがただの指輪ではないと察した。

 え、それってもしかして……ケッコン指輪?

 電もそういうアクセサリーとかするんだなーって思ったくらいでスルーしてたけど、()()だなんて思わなかった。だって、薬指につけてないし、というか俺、ブリリアントカットされたプラスチックと本物のダイヤの差なんて見分けつけらんないし。

 

「おめでとう、と言えば良いのかしら」

「そ、あ、」

「電ちゃん、実はとっても強かったっぽい?」

 

 あ、指輪を渡して貰えるって事は、電ってLvにすると99はいってるのか。戦ってるとこなんて早々お目にかかれないし、出撃したって話も全然聞かなかったから、どれくらいの強さなのかなんて知らなかった。

 俺もおめでとうって言った方が良いのかな? 真っ赤になってる電を見ていると、余計な言葉になるんじゃないかと思うんだけど。

 でも、あの提督が指輪を渡したりなんてするんだ。意外だなー、恋愛ごととか疎そうなのに。

 電の方は、前から好意を抱いてるんだろうなとわかってたけど、両想いだったんだね。

 ……むふ。

 あ、ううん。なんか、他人事なのに、嬉しくなっちゃった。

 想いが通じ合ってるってのは良いね。それで結婚まで行きつくのだから、展開が早い気もするけど……ああ、ケッコンか。それなら何もおかしくはないか。

 

「司令官、なんて言ったんだろう?」

「プロポーズの言葉が気になるっぽい?」

 

 きゃいきゃいと楽しげに想像を巡らせる二人に、叢雲が溜め息を吐いた。さっき気が緩み過ぎだと注意したばかりなのにはしゃいでるからだね。落ち着かないと雷が落ちるぞー。

 

「ぷっ、ぷろぽ……! そそ、そういうのじゃないのです!」

「ええー、違うっぽい?」

「なんだー……」

「あ、ゃ、そ、そうじゃないのです、けど!」

 

 電も電で、自分の言葉を否定したり、それに慌てたりで忙しない。

 なんでも、指輪を受け取ったは良いものの、まだ返事をしていないらしい。だから指に嵌めずに首から下げてるんだ。それで、一度機を逃してしまうと、どうにも答えを口にできず、今日の作戦の日までずるずると……。

 ……なんか、親近感が……。

 

「い、電ちゃん。きっと提督は電ちゃんの返事を待ってるよ! 今すぐにでも答えてあげるべきだと思うな!」

「そ、それは電も、そう思うのです」

「なら今が好機っぽい?」

「司令官と通信繋がってるんだよね。電ちゃんだけ特別の直通で」

 

 あ、そうなると、この会話って提督に筒抜けなのかな?

 いやいや、ずっと通信を繋げている、は言葉の綾で、喋る時以外は切ってあるだろう。ただ待機しててその場から動いてないってだけのはず。でなければ、電はきっともっと赤くなっていただろうし、下手すれば破裂してたと思う。

 

「う、ううー……!」

 

 どんどん背を丸めて苦悩していた電は、ばっと顔を上げると、何かを言おうとしてか口を開いて、しかし僅かな吐息しか出てこなかった。

 それだけで勢いの全てが消えてしまったみたいに俯きがちになり、ぽそりと呟いた。

 

「帰ったら……そう、きっと、帰ったら。答えを出すのです……」

「夕立は今聞きたいっぽーい」

「こら。電はあんた達に聞かせるために返事を保留している訳ではないのよ? 急かさないの」

 

 もう一歩踏み込もうとする夕立を叢雲が注意すれば、彼女はぽーいと返事をして、明後日の方向に顔を向けてしまった。

 

「ふふ、電ちゃんのためにも、はやく作戦を終わらせないとね」

「んー」

 

 ね、とみんなを見回せば、それぞれが頷いて返した。リベッチオはあんまり話の内容がわかっていなかったのか、曖昧な返事だったけど。

 

「そろそろ休憩も終わるのです。みなさん、準備をしてください」

 

 そろそろと距離をとりながら囁くような声量で俺達に声をかけた電は、他の子達の方も見に行くつもりらしく、そのまま体の向きも変えて滑り出した。良い結果を期待してるっぽい、と追撃する夕立を、こら、と叢雲が窘める。他人の色恋沙汰にほんとに興味を持つねー、夕立は。吹雪もそうだけど、夕立ほどではない。

 何がそんなに関心を寄せるのだろう……などと考えるのは詮無いか。電に言われた通り、準備をするとしよう。なんていっても、心構えをするだけだけど。

 でもその心構えが一番大切だ。だって――。

 

「……ウサギー、あれ、なぁに?」

「霧……」

「き、きたっぽい!?」

 

 それさえしておけば、こんな急な事態にだって対応できるから。




TIPS
・連合艦隊
全世界から艦娘が集まっている。
軍上層部は神隠しの霧だけでなく、戦争そのものを終わらせようとしているらしい。
そう上手くいくのだろうか?

・電関連のお話
フラグ立て

・支援ヘリ
『掃海・輸送ヘリコプターMCH-101』……的な?
詳しい描写は省く。わかんないから。
スカイサイクロン改とでも名付けておこう……却下?

・パイロット
たぶん瑞鳳とか、そこらへん。

・ジャージ姿の艦娘
速吸。


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第五十七話 サイカイ

今回は時間通りに投稿できたよ。



次回の投稿は2月19日(金)を予定しています。



 俄かにざわめきが広がった。

 誰もが待っていた、探し求めていた霧。

 それが、向かって右側から押し寄せてきていた。

 そこかしこから上がる多くの声が次第に強まり、霧だ、神隠しの霧だ、と同じ言葉が重なって繰り返し響く。

 喜びと緊張と不安が混じった声は、悲鳴が加わると一気に膨れ上がった。

 いったいいつ発生したというのだろうか、その予兆すら観測できなかった艦娘は、端に位置する者から霧に呑み込まれ、存在感が消滅していく。

 『視認できなくなったからいなくなったように感じた』などという生易しさではない。生体フィールドを纏った艦娘の鋭敏な感覚から外れる。つまりそれは、もはやそこに誰もいないのだと確信させるには十分だった。

 艦娘の多さなど、気体である霧には関係なく、次々と艦娘が呑み込まれていく。その恐怖から上がりかけた悲鳴は、全部霧の中に消えていった。

 

 離れて!

 誰かが大声で命じる。散開の号令。

 だがこの大人数で素早く行動するなど不可能だ。俺達が見上げるうちに、霧はもう目の前まできていた。

 ごう、と強い風が通り抜けていく。咄嗟に顔を庇った腕の下から覗く視界は白色に染められ、僅かばかり体温が奪われていった。細かい雨粒をぶつけられるような感覚。

 持ち上げられていた髪が背中につくと、すぐ傍で身を硬くしている仲間の気配を感じた。左右に目を巡らせれば、先程まで一緒にいたみんなが、そのままこの場に立っていた。

 ……消滅したりはしていない。存在を感じられる。さっき艦娘が消えたように思えたのは気のせいだった?

 ――あるいは、数人単位でどこかへ連れ去られたか。

 吹雪も、夕立も、叢雲も、みんな少し身を屈めて、武器を構えようとする形で固まっている。

 異常な霧は何度呑み込まれても慣れない。心に直接侵食する恐怖のようなものが硬直の原因だ。どうやっても防ぐ事のできない隙を晒していても、霧が流れるばかりで何者かが現れる気配はなかった。ただ、静けさが体中を包んで、生体フィールド越しに肌に触れる水滴の冷たさが、余計に感覚を鋭くさせていた。

 

「霧が濃くてなんにも見えないよー」

 

 唯一よくわかっていないのだろうリベッチオが、緊張感に欠けた声を出した。横目で確認してみれば――……ああもう、そりゃ、目をつぶってたら何も見えないのは当たり前だよ。

 半口を開けて前へと両腕を伸ばし、のたのたと歩き回ろうとしているリベッチオの下へ滑って行き、肩を抱いて引き寄せる。

 

「う?」

「敵襲だよ、リベ。警戒してね」

「敵! わかった!」

 

 まだ敵の姿は確認されていないが、十中八九そうだろうという判断の下に警戒を促す。

 ……彼女も結構戦いを経験してきてるはずなんだけど、きりっと表情を引き締めて砲を構える姿は、どうにも小動物染みていて頼りなかった。こんな見た目でも成人男性を殴り倒せるくらいのパワーはあるんだけど……迫力はない。

 リベッチオを見ていると俺まで緊張感を欠いてしまいそうだ。気を取り直して前を見る。霧は常に流動し、たびたび強い風を運んできた。(しお)の匂いはなくなって、ただただ水滴が流れゆく。五感の一つを潰されたみたいで、少しばかり不快だった。

 

「……聞いて」

 

 それは叢雲も同じなのか、彼女はしかめっ面で一言発すると、みんなの注目が集まったのを確認してから、続けた。

 

「短距離通信が繋がったわ。近くに少なくない数の艦娘がいる。むやみに発砲しないで」

「う、うん」

「了解っぽい」

 

 妨害電波が充満する霧――この不自然な霧に深海棲艦が関係しているなら――の中で妖精暗号通信が繋がるって事は、彼女の言葉そのままに、付近に誰かがいるって事だ。姿も見えなければ気配も感じられないが……これじゃあ、たとえ敵が出てきても撃つ事を躊躇ってしまうだろう。

 ……ああ、まあ、俺には関係のない話だけど。

 

 叢雲が耳に手を当てて誰かと意思を交わしている間、俺達は黙ってじっとしていた。緊張の糸が張り詰め、ぴんぴんと揺れている。どこからの攻撃にも即座に対応できるようにしていると、不意に『ぴるるるる』と電子音が鳴った。

 一斉に俺に注目するみんなに肩が跳ねる。……あ、今の、着信音……カンドロイドに通信が入っただけみたい。

 誤魔化し笑いを浮かべながら右手に持った砲を背の魚雷発射管脇にかけて吊るし、左腕にバンドで留められている端末を取って、起動する。レンズから照射される何条もの光が空中に光の板を作り、黒一色の中央にぷかぷか丸が浮き沈みする通信中の画面を描き出す。

 

『島風ちゃん、聞こえる?』

「はい、ばっちりです」

 

 カンドロイドは現時点で世界に二個しかないのだから、通信の相手は決まって夕張さんだ。機械越しの肉声、という表現は適切ではないか、妖精さんを介さない生の声に答えれば、カチャカチャ、ヴォンと不思議的な音。端末操作で画面か何かを出した音だろう。

 

『現在位置がわからない。そっちはどう? マップを表示させてみて』

「わかりました」

 

 通信を繋いだまま、言われた通りにマップ画面に移る。一面の海に、俺を表す緑色の光点がある。その周囲に水色の光点が複数。味方の艦娘を表すものだ。

 ……地図は描写されたけど、ここがどこか、なんて言う海域なのかさっぱりわからない。スティックを弄ってカーソルを合わせてみても、どこそこの海域、とは表示されなかった。

 ただ、それはまだこの海域をカンドロイドが知らないからだろう。俺が動いた分の地図は描かれて、ついでに夕張さんの方のもこっちに加えられているみたいだけど、海域名は不明だった。海図でもインストールできれば良いんだけど、この端末の機能にそういうのはない。

 俺の移動経路を示す白線が光点のすぐ後ろから続いているって事は、場所移動をした訳ではなさそうだ。

 そういった諸々を夕張さんに伝えると、彼女は少しの間考えるように黙って、それから、「それじゃあ」と俺に指示を出した。

 

「私の端末にマップの情報を送って。それが駄目だったら、敵が出現しないかを見ていて」

「了解」

「ウサギ、ウサギ」

 

 通信を切ろうとしたところで、リベッチオが滑り寄って来た。むやみに撃つなと言われたためか砲は下げられていて、眉も中途半端に吊り上がっている。戦闘態勢から気持ちがやや離れた状態にあるように見えた。

 

「何かあった?」

「んーん。ね、それなに?」

「ああ、これ? 最新の情報端末だよ」

「ジョーホー……タイマツ?」

 

 こてんと首を傾げて不思議がるリベッチオに、た・ん・ま・つ、と正しい発音を教えつつ、カンドロイド右側面のボタンを押して画面をスライドさせる。幾つかの項目のうちの一つ、フィードバックを選択して、この端末が得た様々な情報を、夕張さんの持つ試作型へ送ろうと試みる。も、画面右上に浮かぶ小さなぷかぷか丸は浮き沈みを繰り返す一方で、一向に完了しない。もう少しすると、エラーの文字とともに項目選択画面に戻らされた。

 あー、妨害電波のせいか、上手くいかないみたいだ。いちおうもう一度試みてみたけど、駄目だった。画面を覗き込んでいたリベッチオがつまらなさそうに霧の方へ顔を向ける。

 仕方ないので、マップ画面に移動しつつみんなに呼びかけた。

 

「敵が近付いたら伝えるね」

「オッケー、お願いするっぽい」

 

 ジェスチャー付きの返事に頷き、画面を眺める。敵を表す紅色の光点は、今はまだどこにもない。濃霧の中にある事で下手に動けないためか、他の艦娘にも動きはなかった。ただ、画面をスクロールさせれば、少なくない数が移動したり、前へ進んだりしている。どういった判断の下か、もしくは命令の下かまではわからない。……この機能では夕張さんの居場所もわからないな。わかったところで何ができる訳でもないけど。

 自分達の周辺を画面上に残し、同時に気を張って周囲を警戒していると、再びコール音が鳴った。気の抜ける、ぴるるるという音。

 

「夕張さん? マップは送れ――」

『敵よ! っ、姿が見えない! マッ――』

「夕張さん? 夕張さん!」

 

 激しく動いているのか、波の音と風の音が雑音となって襲ってきた。彼女の声がよく聞こえない。だが敵襲があったのだけはわかったし、それは吹雪達も察したようだ。周囲を警戒しつつも、俺の下へ集まってくる。

 

「敵襲ね? ここではないのね」

「むむー、この霧邪魔っぽい! 島風ちゃん、なんとかできないっぽい?」

「え、気象とかそういうのは私じゃどうにもできないよ」

「夕張さんはなんて言ってたの? 大丈夫なの?」

 

 顔を険しくさせた吹雪が早口で問いかけてくるのに、夕張さんが何か言おうとしていたような気がすると思い至った。だがそれが何かわからない。敵が現れた事を伝えるためだけに通信を繋いできた訳ではない?

 

『――ぅっ、まさか! 島――』

「夕張さん! 聞こえますか!?」

 

 ぶつ切りで聞こえてくる声は切羽詰まっていて、危うい状況であると容易に想像できた。艦娘が密集している事が原因だろうか。だが、霧以外の敵の事も考えると、それぞれの距離を開けての航行などできなかった。誤射を恐れて撃てない内にやられてしまっているのかもしれない。想像をめぐらせても意味はなく、俺にできる事は、通信が鮮明になる事を祈って呼びかけるだけだった。

 鼓膜を叩く砲撃音がノイズ交じりに響いて、それがやや遠い事にどうしてかを考えようとするも、夕張さんの荒い呼吸が聞こえてくると、端末を強く握って、それ以上考えられなかった。

 何かできる事はないか。何かないのかとスティックを操作し、画面をスクロールさせる。赤い光点がいくつも発生している個所を発見した。少なくとも十以上はいて、真正面に水色の光点が大量にある。最前列の水色達が激しく動いていた。その頭上か、緑の二重丸()が緩やかに動いて、赤い光点と相対していた。先程の砲撃音はこの最前列の艦娘達のものだろう。

 見ている間にも赤い光点の背後からぞろぞろと同じ色が現れる。霧から湧いてきているのだろう。厄介な事に、何体かは最前列を越え、水色の光点達の中へ入り込んでしまっている。まだ水色は一つも減っていないが、敵の傍にあった水色が弾かれたように数ミリ動くのを見れば、一方的に攻撃を受けているのだとわかった。

 こちらが打てる手はない。見ている事しかできない。マップ以外の画面の一つ、項目選択画面には、ヘリへの支援要請などができる項目があるが、二重線が引かれていて選べないようになっていた。おそらくカンドロイドが全体に普及したもう少し未来だったなら、ヘリとの直通通信もできただろうが、できないものはできない。

 俺には、マップを眺める事しかできないんだ。

 ――――いや。

 いや、待てよ。俺には、見えてる、敵の位置が。それをどうにか夕張さんに伝える事ができれば……!

 あ、でも、夕張さんがどの光点かわからない。敵の位置がわかっても、通信の繋がる夕張さんの位置がわからなければ指示のしようがない。

 

「夕張さん! 聞こえていたら、ずっとまっすぐ進んで!」

『んっ、やったわね! この――』

 

 一瞬鮮明に聞こえた彼女の声は、敵と交戦中のものだった。急ぎマップと照らし合わせる。赤い光点に取りつかれている艦娘の数は三。どれだ?

 

「夕張さん! まっすぐ……無理か!」

「動いてくれなきゃ駄目っぽい?」

「夕張さん……!」

 

 左に夕立、右に吹雪と、肩を押し付け合い、頬さえ触れる距離で端末を覗き込む。砲撃音がするたびに端末はびりびりと震えて、気が気じゃなかった。

 駄目。誰も死んじゃだめだ。

 死ぬはずがない。人が死んで良いはずがないんだ。

 頼む、夕張さん。動いて……!

 

『――う、ぐっ……ど、どこっ!?』

「あ……くっ」

 

 敵に取りつかれている三つの光点のうち、二つから赤い光が離れ、円を描くように動いている。咄嗟にあてずっぽうで片方が夕張さんと断定して敵の位置を知らせようとしたけど、間違っていた場合の結果が脳裏を過ぎって、声がつっかえた。

 

『あっ!』

「ゅ――」

『っぶない! か、かんいっ――』

「夕張さん! とにかく直線的に動いて!」

 

 危険かもしれないけど、そのままでいるよりは良いはず、と声を張り上げる。吹雪と夕立も同じ言葉を繰り返して、なんとか声を届かせようとした。

 

『――? ――……!』

 

 その甲斐あって、かはわからないけど、光点の一つがマップ左に向かってまっすぐ向かい始めた。たぶんこれが夕張さんだ。擦れ違った味方も続く形で動き始める。

 

「夕張さん、聞こえますか!」

『島風ちゃん? うん、聞こえる! お願い、マップで敵の位置を――』

 

 ザアア、と雨の降るような音が少しの間続いて、直後に誰かの悲鳴。くそっ、何がどうなってるのか全然わかんない! マップ上では、敵も味方もただ光点として表されているために、健常なのか大破状態なのかの判断もつかない。だが動揺したり不安がったりしてはいけない。的確な指示を、今すぐしなくては。

 ちょうど夕張さんの進む先に赤い光点が一つある。距離は……。

 

「敵、12時の方向! メートルで40!」

 

 カンドロイドの距離の表記はメートル法だ。でもいちおう口頭でそれだと伝えつつ、敵が正面に迫っていると教えた。四十メートル……目と鼻の先だ。見る間に距離は縮まり、ぶつかって……いや、擦れ違い、そこで夕張さん以下二人の艦娘を示す光点が止まった。同時に赤い光点が一度明滅し、消える。倒した?

 

『っよし、次はどこ!?』

「あ、ぇと……」

 

 右側に……マップ上側に紅い点。位置的にはまっすぐ進めと言いたいが、夕張さん達が今どこを向いているのかわからない。が、聞いたって目印の無い海上だ、わからないままだろう。あ、目印ならあるか。さっき倒されたはずの深海棲艦だ。

 撃破した敵の方を向いて、と一言添え、敵の位置と距離を教える。

 

「9時の方向、距離80!」

『オッケー。みんな聞いた? 行くわよ!』

『はい!』

『ぽい!』

 

 ……ん? 今、向こうから夕張さん以外の子の声も聞こえて来たんだけど、聞き覚えのある声が混じっていたような……と思って夕立の方を見てみれば、目があった。私? とばかりに自分を指差している。ああ、同一艦が向こうにいるみたいだね。

 

『撃沈、確認! どう?』

『確認!』

 

 そうこうしているうちに夕張さん達は敵を倒したみたいだ。さほど時間がかかっていないのを見るに、相手はそんなに脅威ではない? 霧が厄介なだけで、敵は弱い個体だけなのかもしれない。

 

「次は――」

 

 なら、どんどん敵の位置を知らせるだけだ。

 次から次へ、夕張さん達を敵の下に導いていく。他の光点と擦れ違うたびに追随する艦娘が増え、敵の撃破スピードが上がる。

 

『霧を払い、敵を補足する!』

 

 激しい羽音……ヘリの音の中に、女の子の声が混じる。聞き覚えのある声。うちの鎮守府にはいないが、たぶん瑞鳳だ。……台詞から考えると、彼女がヘリを動かしているのだろうか?

 

『見つけた! 射線上から離れて!』

 

 耳をつんざくような銃撃音がスピーカーから響き、水音と鉄を穿つ重い音が幾度もした。……現代兵器は深海棲艦には通用しないはずだけど、ヘリの機銃か何かは効くのか? ……深海棲艦に現代兵器が効かない現象が、レ級に艦娘の武装が通用しない現象と同じような物だとしたら、怯ませる事はできるのか。

 

『続いて!』

『それっ!』

 

 夕張さんの号令に合わせて複数砲撃音があった。敵に当たったかどうかはわからなかったけど、歓声が上がったので、撃破できたのだろう。

 そうして、間もなくして全ての紅い光を消し去る事に成功した。

 

「今ので最後です」

『ふぅ。みんな、一応まだ警戒しててね』

『任せて!』

『了解、であります』

 

 ざわざわと、艦娘の声。やがてそれがおさまると、カチカチ、ヴォン、と端末を弄る音。

 

『ありがとう、島風ちゃん。助かったわ』

「どういたしまして。まあ、夕張さん謹製のカンドロイドのおかげですけどね」

 

 端末を口元から遠ざけ、ふぅ、と秘かに息を吐く。緊張した。指示を間違えたら、誰かが大怪我したかもしれないと思うと、冷たい汗が出てくる。体を離した吹雪と夕立も、それぞれ額を拭う動作をして――奇しくも同じタイミングだった――それぞれ右と左に顔と砲を向けた。

 そうだ、一部分に出現した敵は倒したけど、まだ霧は消えちゃいない。いつまた敵が、どこから現れるかわからないんだから、警戒を続けなきゃ。

 

『っと、ああ。霧が晴れてくわ……凌いだのね』

『えー、消えないでよー。また探さなきゃなのー?』

 

 ……?

 緊張を解いたみたいに軽い声を出す夕張さんに違和感を覚えて、顔を上げて周りを見る。

 霧まだ、充満している。ずっと蠢いていて、晴れる気配など無い。

 マップ画面に目を落とす。いや、これじゃ天候はわからない。神隠しの霧は消えているのか?

 頭の中のどこかで警鐘が鳴り響いている。健在な霧。霧の中を蠢く敵。ある敵ならば、現れただけで局地的に霧を押し退け、空を覗かせる……。

 まさか。でも、奴はもう倒したはずだ。だからきっと、夕張さんの言う通り、霧は晴れて言っているに違いない。

 

『他の子の姿を確認したわ。彼女達と合流して――』

 

 から、という言葉に、爆発音が重なった。

 

『めーでーめーでーめーで! ニダウィーダウン! ニダウィーダウンッ! おちちゃうー!』

『――ちょ』

 

 ゆ、夕張さーん!?

 ぶつりと切れてしまった通信は、何度繋ぎ直そうと試みても駄目だった。まさか、死んだ……? 夕張さんが?

 まさか、まさか、まさか!

 

「島風ちゃん、落ち着くっぽい!」

「だ、大丈夫だよ、絶対大丈夫!」

 

 手が震えて、端末も光の画面も震えて、だから動揺がみんなに伝わってしまったらしい。滑り寄って来た吹雪と夕立が安心させようと声をかけてくるけど、心臓が脈打つ音が邪魔でよく聞こえなかった。

 それなのに、無線の繋がらない無音は耳に届いていて、端末を握り潰してしまいそうだった。

 

「ウサギー、敵!」

「ぼーっとしてる暇はないわよ!」

 

 間の悪い事に、こちらにも敵が現れたらしい。すぐさま吹雪と夕立が叢雲とリベッチオにならって、正面に大きくなる影へ砲を向けるのを上目で見てから、『夕張さんに敵の位置を伝えるため』にマップ画面に移った。

 そこで、見た。夕張さん達を示す光点は、一つも減ってないどころか、増えている事に。代わりにヘリを表す記号が消えていた。乗っていた艦娘、おそらくは瑞鳳と間宮、それから瑞鶴が脱出に成功し、夕張さんに加わったのだろう。

 いくつもの水色の光点が、一つ現れた紅い光へ重なり、弾かれていく。数ミリ単位ではなく数センチ単位で。

 単なる光の粒では敵の種類や強さなどわからない。だが多対一にも関わらず、敵に近付いた艦娘は――どころか、離れている艦娘でさえ、バグっているみたいに何度も弾かれている。でもまだ、誰一人消えてはいない。

 

「当たってぇ!」

「沈みなさい!」

 

 直撃音が肌を撫でていった。付近で爆炎。熱い風が髪を動かす。

 

「止まるな、死にたいの!?」

 

 ザァッと目の前にきた叢雲が肩を叩いて怒鳴りつけてきた。そのまま後ろへ滑っていく彼女を追って振り返れば、背後に迫る巨大なイ級だかを、砲撃によって退けていた。

 端末ばかり見ている場合じゃない。俺も、加勢しなくちゃ。

 と思ったけど、すでに敵の姿はなかった。

 周囲に敵影もなし。マップで確認してみても、俺達の周りに紅い点は見当たらない。……夕張さん達の方にいた敵も消えていた。どうやら倒せたみたいだ。良かった……。

 

「ブラービィ! リベ達の勝利ー!」

「まだ……いえ、霧が晴れて行くわね。本当に終わったの?」

「島風ちゃん」

 

 ぴょんこぴょんこと飛び跳ねて喜ぶリベッチオを窘めようとした叢雲が、薄まっていく霧を見上げて呟いた。確認するみたいに俺の名前を呼んだのは、吹雪だ。

 マップを確認すれば良いのかな。

 端末を弄り、マップを表示させる。相変わらず天気の情報はないけど、改めて見ても周囲には敵はいなかった。

 

「終わり? 終わりー?」

『キュー?』

 

 ちょこちょことこちらにやってくるリベッチオの陽気さに当てられたのか、俺の足下を連装砲ちゃん達がぐるぐる回り出した。終わりと言っても、任務は続行だ。この霧が消えたなら、また探し出して、完全に排除しなきゃならないんだから。

 その条件がわからないのだから、この作戦がいつまで続くのかもわからない。ちょっとうんざりする。

 

「っ、わぷっ!」

「……リベ?」

 

 強い風が吹いた。

 ともすれば倒れてしまいそうになるくらいの風が水滴を運び、波を動かして、霧を運んだ。それがリベッチオを覆ったのだ。

 最初と同じ感覚がした。

 霧に覆われた艦娘の気配を見失う、あの感覚。

 

「う――!」

 

 彼女がそこにいるか確かめようと腕を伸ばすと、叢雲の呻くような声も聞こえてきて、その彼女の気配さえ捉えられなくなってしまった。

 そこまできてやっと俺は、霧はまだ消えなどしないと認識した。

 

「リベ!」

 

 目の前に立ち塞がる壁のような濃霧へ突入する。距離的に、まっすぐ進めばすぐリベッチオが見えてくるはずなのに、ぶつかりもしないまま反対側に突き抜けた。

 

「島風ちゃん!」

「吹雪ちゃん!」

 

 俺に気付いた吹雪が霧の壁から離れて近付いてくる。……叢雲と夕立の姿が見えず、代わりに壁のように流れる濃霧が左右にあった。二人共あれに呑まれたらしい。どうしよう、どうしようと動揺している吹雪にかける言葉が見つからず、さらに激しく流動する霧を睨みつけた。

 ごう、と耳元で唸る風の音。

 後ろについてきていた連装砲ちゃん達が転がっていく。慌てて両手を伸ばして砲ちゃんを捕まえ、抱きかかえつつ手を伸ばして装ちゃんを捕まえ、ああ、もう腕がない!

 連ちゃんを止めるすべはない、と思ったけど、彼女は自分で体勢を整えて動きを安定させた。

 素早く吹雪の下に戻り、背中を合わせるようにして警戒態勢に入る。霧はもう、霧とわからないくらいに溢れ返って、一面ミルク色になっていた。肌や服に、艤装にふりかかる細かい水の粒があるから、まだそれを霧と認識できた。

 

「どう? 島風ちゃん」

「……やっばいよ」

 

 端末を開いて確認すれば、画面が広がり切る前からもう、紅い点で溢れ返ってるのがわかった。俺達も囲まれている。でも、近付いてくる者はいない。全部別々の場所へ向かっていた。

 訂正、やばくない。……あ、一匹近付いてきてる奴がいるな。……まあ、一匹程度なら問題ないか。

 

「……島風ちゃん?」

 

 緊張しているのか、脇を締めて、身動ぎしながら問いかけてくる吹雪に、振り返らないまま『大丈夫っぽい』と冗談めかして言おうとして、風の動く気配に、前を向いた。

 霧が左右へとわかれていた。

 それだけにとどまらず、円形に広がっていって、日の光まで差してきた。

 ………………この霧の晴れ方。

 

『オヤ、マタ会ッタナ』

 

 黄金色のオーラに、片方の瞳に灯る青い焔。

 異形の尻尾を引き摺って歩いてきたのは、倒したはずの戦艦レ級だった。

 訂正の訂正。吹雪ちゃん、俺達ちょっとやばいっぽいよ。




TIPS
・神隠しの霧
深海棲艦が発する妨害電波を含んだ異質な霧。

・カンドロイド
名前は仮面ライダーオーズから。
性能はMGSVから。
次世代型の多機能情報端末。

・パイロット瑞鳳
かっこいい

・現代兵器
深海棲艦には効かないが怯ませたり押し退けたりする事はできる。

・「めーでー!」
これがやりたかったからヘリ出した。

・ニダウィー
オマハ族の言葉で妖精を意味する言葉。
ナバホ族の言葉には妖精って意味の単語ないのかな。


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第五十八話 分断

ぶつ切り。



次回の投稿は2月22日を予定しています。


 『また会ったな』……。目の前に現れたレ級は、確かにそう言った。あの時とは別の個体だと思いたかったが、どうやら同じ奴みたい。

 どうして……倒したはずなのに。

 俺の疑問など敵には関係なく、レ級は笑みを深めて、仰々しく片腕を挙げた。手刀のように振り下ろされた腕は、まっすぐ俺に向けられている。揃った指先の全てが俺を指しているように感じられた。

 

『続キ……ハ、モウ、無理カ』

「……?」

 

 意味のわからない言葉に耳を傾ける必要はない。というか、それどころではなかった。俺の頭は疑問で埋め尽くされていたのだから。

 倒したはずの敵の復活。そもそも俺は、ちゃんと倒したと確認したか。あの時奴は、俺と朝潮の砲撃を受けて、紫電を散らして倒れ行く中で……霧に、呑まれた。

 それきり爆発なんかは起こらなかった。……逃げ延びていたというのか?

 

「島風ちゃん、あれって……」

 

 ザッと横に並んだ吹雪が、緊張した声で、確認してきた。あれが、『そう』なのか、と。

 神隠しの霧に潜む強敵……未確認の深海棲艦、レ級。……レ級にflagshipはなかったと記憶しているんだけど、だとしたら、奴が今纏っている黄金のオーラはなんだ。まやかしか何かか。

 考えてる暇はない。こいつを放っておいたら大損害を引き起こす事になるだろう。ここで俺が倒さなきゃ。

 端末を左腕に戻す。リストバンドが巻き直されるのを見ないまま、体に力を入れる。

 

「はっ!」

 

 言葉もなく、突進する。会話など必要ない。一瞬のうちに風になって、改二へと到達する。桜色の(はね)を噴かせてスピードを上げ、棒立ちのレ級へ突っ込んでいく。

 

『厄介ナ変化ダッタナ……進化ナド、待ツベキデハナカッタ』

「おりゃーっ!」

 

 低い跳躍から飛び蹴りの姿勢に移行し、片足キックを放つ。と、奴は動かないまま尻尾をくねらせて、しなった異形の頭にぶつけられて弾かれた。打たれた右半身の痺れを感じながら横回転し、海面へ着水する。叩き付けた手が波を割って水を跳ね上げた。

 

「やぁーっ!」

「っ、吹雪ちゃん!?」

 

 俺の後に続いて動き出していたのか、吹雪がレ級へ肉薄していた。対してレ級は、体に巻かれるように浮いていた尻尾を弾き出し、迎撃しようとした。一瞬早く吹雪の体が沈み、異形を掻い潜って懐に潜り込む。あとは速かった。得意の近接格闘を仕掛けるために敵の腕を取り、服を握り込んだところで、吹雪が投げ飛ばされた。掴んでいた腕を逆にとられてしまったらしい。

 力負けしたように見えたけど、彼女の技術は、そういった力を逆に利用するものではなかったのだろうか。……利用できないほど力が強いって事はないよね。

 

「吹雪ちゃん、砲撃で牽制して! 一気に片付けるから!」

「くっ、ん、うん!」

 

 打ち所が悪かったのか、背負った艦橋から黒煙を昇らせながら立ち上がった吹雪が、砲を両手で持って構えた。俺も俺で両手を前に出して構え直す。こいつだけに構っている訳にはいかない。敵は大量にいるんだ。もしかすれば、こいつを倒せば霧が晴れるかもしれない。そうすればぐっと被害は減るはずだ。速ければ速いほど良い。

 

『オ仲間ハ霧ニ捕ラワレテイルノカ? 寂シイネェ』

 

 屈伸し、跳ぶ。空へ向かって跳んでいく。桜色の光を強く瞬かせてさらに上へ飛ぼうとして、途中で断念した。超高高度からのキックは威力が高いが隙もでかい。的が小さいと当たる確率も低いし、飛んでる間に吹雪がやられたりなんかしたら目も当てられない。この高さからだってある程度のダメージを期待して良いはずだ。

 吹雪が横へ移動しながら放った砲弾は、三つのうち二つがレ級の体と尻尾に当たった。でもやっぱり、奴にダメージはない。艦娘の兵器では奴にダメージを与えられない。直接殴る蹴るするしかないのだ。

 急降下キックの体勢に移行し、翅の推進力でもってレ級へ攻撃を仕掛ける。奴は新たな力を得て慢心しているのか、尻尾を持ち上げる動作一つとっても緩慢で、余裕ぶっていた。

 

「!」

 

 俺に向けた異形が砲弾を吐き出すより速く、ブーツがレ級の胸に突き刺さる。ザザザァ、と大きく後退したレ級は、しかし表情を変えずに俺を見上げていた。

 やがて威力がすべて消えると、足を掴まれそうになったので蹴りつけて後方へ逃げた。

 ……今のでダメージゼロってのは……ちょっと予想外だったかな。

 ちゃんと勢いを乗せた蹴りなのに、押し退ける事しかできなかった事に少なからず動揺していれば、俺の横を通っていった吹雪が砲撃した。両腕を広げて攻撃を受けるレ級は、もはや怯みすらしていなかった。

 足を止めた吹雪が、砲を下ろしてすぐにまた走り出す。

 

「なら、もう一度……!」

『……今更、遅イ、カ』

 

 接近戦をしかけようとした吹雪が、腕を伸ばそうとして、急に横へ飛び退いた。レ級の背後にあった霧が意思を持ったみたいにその一部を伸ばし、レ級の前面を覆ったのだ。それを警戒しての行動だろう。結果的に、それが正しいかどうかはわからなかった。

 

「ぅ……!?」

「――鳳翔さん!?」

 

 霧が退くと、どういう訳か、レ級の腕の中に鳳翔さんが現れていた。青白い腕が首にかかり、がっちりと拘束している。鳳翔さん自身も何が起こったのかわかっていないみたいで、苦しげに顔を歪めながらも腕を引き剥がそうとレ級の腕を掴んでいた。

 

『ドウダ、撃テルカ?』

「人質……? なんのつもりかなぁ……!」

 

 あの人が俺達の知っている鳳翔さんかはわからない。でも、たぶん、そうなのだと確信した。同じ艦娘でも、長く顔を合わせていればわかるものなのだろう。だからこそ、頭の奥が熱くなるくらい怒りがわいてきた。

 意図も読めなければ、そんな事をする理由もわからない。撃てるかとはどういう意味だ。撃ったって効かないのに、鳳翔さんを盾にする理由は?

 考えなくても良いのに、考えてしまう。睨みつけるだけで迂闊に動けないから、思考だけがずっと回っていた。

 鳳翔さんが体を揺らすたびに、結われた黒髪が揺れ、着物に皺が寄って、矢筒が鳴る。大きな和弓はない。

 

『フン……』

 

 顎をしゃくるようにして声を発したレ級は、拘束を緩め、腕を開いて鳳翔さんを解放した。

 

「っ、げほ、げほ……!」

『…………』

 

 本当になんのつもりかわからない。だが、動くなら今しかない。走り出そうと前傾姿勢になった時に、レ級が膝立ちの鳳翔さんの背へと手を伸ばすのが見えた。もう一度拘束しようって雰囲気ではない。だが貫いたりするほどの速度はない。

 ブースターユニットを用いて急加速し、自分自身が弾になったみたいに射出される勢いで滑り出す。弾、どころではない。この加速の中では、時間が置き去りにされたみたいに伸びに伸びる。集中力の高さゆえか、それとも本当に時間を超越する能力でも持ってしまったのか判断つかない。

 片足のみで海の上を行く。とん、と背を押された鳳翔さんが、その緩やかさと裏腹に大きく前へ――こちら側へ押し飛ばされた。彼女の後を追うように、異形の尻尾が口を開けて迫る。口腔(こうくう)の向こうに、飛沫をあげる水が迸っていた。

 

「ばっ……かやろ!!」

 

 水圧カッターを放つつもりだ。指先からではなく、尻尾から。太い水流は、容易く鳳翔さんを飲み込むだろう。触れれば艤装も切れる攻撃をぶつけられてどうなるかなんて想像したくもない。

 当てさせるか。さすがに放つのは止められないが、鳳翔さんの前に出るくらいは!

 左足を前へ出し、海面を削ってブレーキを踏む。踵からつま先までの向きを変え、体の進む先を微調整する。未だ宙に浮く鳳翔さんの前を通る際に、彼女の顔を見た。苦悶の表情は抜けきっておらず、空気を求めるように開かれた口は。まだ閉ざされる事がない。

 どんより――重加速現象――の中にいるみたいにゆっくりと倒れ行く彼女の背を庇うため、波を跳ね上げて停止し、両腕で防御の構えをとる。遅くなっていた時間は、俺が速度を落とすのと同じくして正常に戻った。バシャンと鳳翔さんが倒れ込む音が耳に入るのと、ぶっとい水流がぶつかってくるのはほとんど同時だった。

 水圧カッター、なんて名前で呼んでるが、この太さで何かを切ろうってんなら、もっと速さが必要なはずで、だから、俺に当たったこれは、肌どころか服さえ傷つける事はなかった。礫のような水滴が頬を掠ったりするのは凄く痛いが。

 それに、腕は潰れそうだし、肺だって窄んでしまうくらいの圧迫感は受けたけど、翅を全開で噴かせて押し返す勢いでいると、やがて水流の勢いが弱まり、跳ね返しきる事ができた。

 

「はぁ、はぁ、す、すみません」

 

 航行音の後に、鳳翔さんの声が聞こえてきた。たぶん、吹雪が来て助け起こしたんだろう。首絞められて息苦しかったろうに、一声かけてくる鳳翔さんに、レ級を注視したまま頷いて返す。

 尻尾の口から滴る水をそのままに脇に退かしたレ級は、頭を傾けて小さく笑った。

 

『……決メタゾ』

「……何を」

『オ前ヲ壊ス』

 

 …………はぁ。それで?

 構えを解いて背を伸ばす。ぶらぶらと手を振って力を抜きながら、斜め下の海に視線をやった。

 

「できると思ってんの? 一回私に倒されてんのに」

『オ前ハ生カシテオクベキデハ、ナカッタノダ』

「再生怪人は弱いって相場が決まってんの。諦めた方が良いと思うよ?」

『……ダガ、コレガ望ミダッタノカモシレナイナ』

「……倒されに来た、って訳? じゃあそこで大人しくしてな」

『アア……私ニハ、ワカラナイ』

 

 ……駄目だこりゃ。会話成立しないや。

 視線を上げてレ級を窺ってみても、奴は頭の位置を戻したくらいで、最初と同じ笑みと、さっきと同じ姿勢を保っていた。……俺を壊す、だって。怖いねぇ。その前に俺がお前をぶっ壊すけどね。

 左腕に留めた端末を弄り、目の前に画面を表示させる。端末本来の三つの画面ではなく、改二状態専用の装備選択画面。上二つのスロットを埋めていた12.7cm連装砲と61cm四連装(酸素)魚雷を装備から外し――背と右腕にあった兵装が光となって消えた――、代わりに鳳翔さんの和弓を選択する。画面に手を押し当てて右にスライドさせれば、空気中に溶けて消えた。代わりに、手の内に光の棒が集い、弓の形を成す。……大きいな。俺と身長変わんないんじゃないの、これ。背中に現れた空の矢筒を気にしつつ、弓を回して、顔の前に弦を向ける。使えそうなら一回使おうと思ったけど、やめた。最初から鳳翔さんに渡してしまおう。

 振り返らないまま後ろへ弓を差し出すと、吹雪の方が受け取った。後ろに目がついてる訳じゃないけど、気配と動作でそれぐらいならわかった。

 それから、二人が俺を挟むようにして並んだ。

 

「なんとか……なんとか、私もやるよ」

「このまま、見ているだけという訳には、いきませんもの」

 

 厳しい表情で敵を見据えるレ級に、矢筒から艦載機をイメージさせる矢を取り出しながら、途切れ途切れに鳳翔さんが言う。嬉しいけど……。

 

『少ナイナァ。……増ヤシテヤロウカ?』

「なに……」

『ホウラ』

 

 奴の呟いた言葉の意味を理解するより速く、レ級が腕を振って操った霧が俺達を取り巻いた。攻撃か、それとも……! 素早く周囲を見回すうちに霧が晴れ、幾つもの影が俺達を囲んだ。

 

「っとわ、あれ?」

「ぷ、あ、吹雪ちゃんと島風ちゃんっぽい!」

「――(らい)、いきます……っ!?」

「よいっしょぉおお?」

 

 霧が広がっていくと、中から見覚えのあるメンツが出てきた。さっき攫われたリベッチオや夕立に、こちらへ魚雷発射管を向けている朝潮に、海面に背負い投げみたいな動きで人型の軽巡を叩きつけた那珂ちゃん先輩や、アンテナを脇に挟んで明後日の方向を睨みつけている叢雲……。

 

「ウサギー!」

 

 それぞれが困惑の中にあって、一番最初に声をかけてきたのは、リベッチオだった。飛び込んできそうな勢いで滑り寄ってきながら、ぶんぶんと手を振っている。敵がいる、と注意したいところだけど、レ級は動く気配はないし、那珂ちゃん先輩に連れてこられた軽巡は体の向きと頭の向きを反対にされて沈んでいった。

 とはいえ、言うだけ言っておこう。

 

「凄く強そうね! でも負けないよー!」

 

 やるぞー、と気合十分なリベッチオが俺達の隣に並び、前に立っていた朝潮は俺と目が合うと、魚雷を引っ込めて砲を構えながら振り返った。俺とリベッチオの会話が聞こえていたのか、それとも察したのかはわからないが、背後の敵への構えは素早かった。

 艦娘の気配が満ちる。川内先輩、神通先輩、金剛、比叡、榛名、霧島……。みんな戦っている最中に霧に運ばれて来たらしく、でっち先輩なんかは空中に現れて、空気を蹴って泳ごうとしながら海面に叩きつけられていた。

 彼女達は、奴の意思でここへ連れてこられたとでも言うのだろうか。

 敵を、増やす? 自分で?

 

「……なんのつもり?」

『ウン、ドウダ。賑ヤカニナッテキタジャナイカ』

 

 再度レ級へ問いかければ、やはり、会話は成立しなかった。

 だが奴がなんらかの意図をもって、おそらく俺と面識のある艦娘をこの場に集めたのだろう事は聞かずともわかった。だから、それ以上を考えるのはやめた。奴と俺とでは思考形態がまったく違うみたいだし。

 

「うわっとと! あれ? 島風ちゃん?」

 

 霧はまだ、動いている。そうしてたびたび艦娘を吐き出している。すべて、顔見知りだ。俺の前につんのめるように出てきたのは、夕張さんだった。背を伸ばした彼女は、顔の前に表示されていた光の板を手で払い退けると、周囲を見渡して「わぁお」と呟いた。

 

「うちの子が全部ここに集まってる感じ? ……うん、同一艦じゃないみたい」

 

 ん、夕張さんもわかるのか。でも、なんか、長い付き合いだからわかるって風ではなさそうだった。そこかしこで混乱から立ち直ったり、混乱している子に手を貸したりしている艦娘の顔を注視しつつ見回して……いや、顔というより、そのちょっと上って感じだったから、たぶん、識別する手段があるのだろう。

 

『オイ、聞コエテルカ? オ前』

「……あー、感度良好。用がないなら話しかけてくんな」

 

 波と風とざわめきの中、レ級が声をかけてきた。これだけ艦娘を増やして、話しかける対象は俺なのか。……逆恨みとかされてんのかな。

 あんまり相手したくないので、てきとーに返すと、奴は口を噤んでにやにやしながらこっちを見始めた。……不気味だ。ほんとに何考えてんだろう。ああ、だめだめ。考えても意味ないんだってば。

 

「鳳翔さん」

「あら、由良さん」

 

 動かないレ級を囲むように隊列が組まれていく中で、由良さんがやって来た。今しがた矢筒の中身を全て空へと放ち切った鳳翔さんは、手の甲で額を拭う動作をしてから振り返った。

 

「大丈夫よ」

 

 由良さんが何かを言おうとするのにかぶせて、鳳翔さんが言う。霧に紛れて、首元に一筋の汗が流れているのが見えた。その事と、由良さんが気遣わしげな顔をしているのを見て、鳳翔さんがあまり戦えるような体ではないと察した。そうでなければずっと食堂でご飯作ってる訳ないだろうし。彼女が出撃しない理由は、ちょこちょこと艦娘の間で予想されていた。

 

「こっちへ……。由良達が守ります」

「私は……そうね。あんまり無茶はできないものね」

 

 鳳翔さんは俺達と一緒に戦おうとしていたんだろうけど、由良さんが促すと、納得したように一つ頷いて、弓を下ろした。そのタイミングで空から降ってくるものがあった。砲弾ではない。川内先輩が二人の傍にパシャッと下り立った。あまり水を跳ねない片足での着水だ。曲芸染みた芸当……。

 

「私にも手伝わせてよ。さ、行こ!」

 

 さっさかと手を振って誘導しようとする彼女の傍へ、鳳翔さんが滑って行く。後に続こうとした由良さんが俺達の方を見て――俺を見て――、朝潮をよろしくね、と言った。

 前に向き直れば、朝潮はずっとレ級を警戒している。リベッチオと吹雪を伴って彼女の立つ位置まで行けば、気のせいか、朝潮は俺を見てほっと息を吐いた。

 

『……良イカ? 最後ダゾ』

「朝潮。あいつ、たぶん凄く強くなってると思うけど……倒せると思う?」

「はい。あなたと私なら……みんなもいます。絶対に倒せます」

 

 何事か言うレ級は無視して、朝潮に話しかける。頼もしい言葉だ。……そうだね。これだけいて、負ける訳がない。あいつだって無敵じゃないのはわかってるんだし。……幸い、接近戦ができる艦娘は比較的多いしね。

 

『押サレテイルナ……華ヲ添エヨウ』

 

 どこか遠くを眺めたレ級が、手を前に出し、胸元に引き寄せる動作を見せた。――何か来るな。

 阻止しようとしたのか、右側から飛んできた砲弾がレ級にぶつかった。だが、それで奴が傷つく事はなく、多少の黒煙の中で笑っていた。

 奴の傍の海面が盛り上がる。もう何度か目にした現象。海の中から強い敵が現れる前兆。朝潮は躊躇わずに魚雷を放った。それにならい、リベッチオと吹雪も遅れて魚雷を発射する。

 敵が完全に姿を現すのを待つ必要はない。その判断は、きっと正しかった。だが、レ級が海を指差し、細い水流を放って迫る魚雷を全て爆発させてしまうと、敵の出現を阻む事は叶わなくなった。代わりに、後ろの方で水音と「死ぬでち!」「ばっきゃろーなの!」と抗議の声が上がった。激しく波立つ海に足をとられないよう、みんなで体を掴み合ってバランスを保つ。

 後ろを気にする朝潮の肩を手をぽんと叩いて前を向かせる。気にしている暇はないよ。レ級が呼び出した敵は、もう半分以上姿を現していた。

 

「うー、でっかい……」

 

 巨腕の異形と、女性型の深海棲艦……水鬼じゃないな。戦艦棲姫の方だ。リベッチオは、初戦があれの上位体だった事もあってか、腰が引けていた。

 海面の盛り上がりは一つではない。二つ、三つ……。止める間もなく鬼級姫級が相次いで姿を現す。特徴的な角付き帽子の()()駆逐棲姫に、やけに色鮮やかな衣装を纏った軽巡棲鬼……その『仲間を呼ぶ』スキル、反則すぎじゃないかな。

 

「ケイちゃん……?」

「吹雪ちゃん、リベをお願いね。私はレ級を叩く。あれ以上強敵を増やされちゃたまらないし」

「あ、うん! リベッチオちゃん、ついてきて!」

 

 名前か何かを呟く吹雪に、リベッチオの事をお願いする。左へ航行を開始する吹雪につられて動き出したリベッチオは、一瞬俺を見て、しかしすぐに吹雪の方へ向き直った。

 

『ユルセナイ……ユルサナイ!』

『音楽ハモウ、聞コエナイノヨ……!』

 

 腕を交差させた駆逐棲姫が、勢い良く両腕を広げた時には、その身を黄金のオーラが包んでいた。片目から迸る青い焔が薄暗闇に火の粉を散らす。

 肩を震わせ、怒りを滾らせる軽巡棲鬼が、黒い靴下に包まれた足をギシリと軋ませて歩み始めた。

 俺と朝潮は、どうにか奴らの間を抜けレ級に辿り着かなきゃいけない。でも下手に正面から動けば激突は必至だし、他の艦娘の攻撃の邪魔になってしまう。

 ……空から行くってのはどうだろう。

 

「どう思う?」

「え? …………良いと思います」

 

 主語を抜かして朝狙に問いかけてみたら、数秒かけてから肯定された。駄目だよー、わからないのにほいほい頷いたら。とかふざけてる場合ではない。……でも俺が相手だからこそ、だったら嬉しいな、なんて考えてしまった。

 

 細い腰に腕を回して抱き寄せ、目を白黒させる彼女をしっかりと支えて海面を蹴る。間一髪、真下を砲弾が通り抜けて行った。巻き起こる風に負ける事なく、翅を噴かせて空へと上る。

 朝潮も俺の体に抱き付いて体勢を保っているが、翅を(かたど)る桜色の光を腕が突き抜けていても、熱や痛みは感じていないようだった。念のため声をかけて腕の位置を変えさせてから、光を噴出し、欠片を散らしながら空を行く。

 味方の艦載機が風を切って飛んでいる。何機も何機も、敵に近付くにつれその量は増え、搭乗している妖精さんの顔がはっきり見えるくらいに近くを通るものもあって、当たる事が無いようスピードを落として飛んだ。そうしなくても向こうが勝手に避けてくれそうだったが、配慮しないに越した事はない。

 下からの攻撃を警戒してか、朝潮が眼下の強敵達へ砲身を向け、いつでも放てるようにしている。レ級は狂気的な笑みを顔に貼りつけたまま俺達を見上げ、目で追ってきていた。あれを警戒するなってのは無理があるな。できるならさっさと奴の背後を取りたいところだけど……目に見える脅威が現れた事でみんなが動き出し、下は砲弾と銃弾が飛び交う戦場と化している。水柱が立ち上がり、爆発が巻き起こった。そのたびに霧が激しく掻き乱されて、空にまで上ってくる。白んだ視界は、しかし邪魔になる事はなく、ようやっと俺達はレ級の背後、その上空まで到達する事ができた。だがこのまま下りれば、みんなが敵を囲んで攻撃している以上、誤射は免れないだろう。

 

「朝潮!」

「はい!」

 

 なら一旦攻撃をやめるようその方面の艦娘に伝えれば良いだけだ。俺は妖精暗号通信が不得手だから、朝潮に頼む。その間の警戒は俺がする。もしレ級がこっちに指を向けてくるなら、すぐさま急加速できるような状態で滞空しておく。

 無事に通信できたのだろう、やがてレ級への砲撃が止むと、艦載機も俺達が下りられるよう穴を開けた。

 翅を繰り、緩やかに下降していく。その時間が、なぜだかとても長く感じられた。

 抱いた朝潮の柔らかさと熱……傍で繰り返される呼吸、身動ぎによる振動、敵へ近づく事への緊張の高まり……。様々な要素が複雑に絡まりあって、高い集中力となって表れていた。

 海面に足をつける。同時に、隣に朝潮を下ろし、半歩分距離をとる。レ級は目の前。奴は、俺達が後ろに立ったのを知っているだろうに、前を向いて軽く掲げた手を動かしている。現時点で最も警戒すべき異形の尻尾は、夏バテした犬みたいに波間に横たわっていた。

 

「敵が……!」

 

 油断なくレ級へ砲を向けながら後退していた朝潮が呟くのが聞こえた。彼女とは反対に前へ出ようとしていた俺は、周囲を見渡して、レ級の動きの意味を知った。

 円状に流れる霧から艦種も纏う光もばらばらの深海棲艦がわらわらと湧き出してきていた。霧を背にしていた艦娘はそれに対応せざるを得なくなり、姫級鬼級の対処は少数の艦娘でのみ行わなければならなくなっていた。戦艦棲姫が向かう先に川内先輩と神通先輩、それから由良水雷戦隊に鳳翔さんがいる。吹雪はリベッチオと那珂ちゃん先輩と共に軽巡棲鬼に向かっていた。夕立は一人で駆逐棲姫に飛びかかっている。

 さらに仲間を呼ぶなんて、うざったい事この上ない。というか深海棲艦はどれだけいるんだ!

 

「うらぁ!」

 

 焦燥と怒りをこめて、レ級の背へ拳を叩き付ける。握った指が布に触れたと思った、瞬間、視界いっぱいに霧が広がっていた。

 咄嗟に目をつぶってしまったが、片方は薄目に留める事ができた。どういう原理か、霧になって攻撃から逃れたらしい。いや、霧に紛れた?

 

「っ!」

 

 背後で流動する冷気と気配に振り返ろうとして、がっしりと組みかかられた。レ級だ。身を捩って投げ飛ばそうにも、拘束する力が強くて抜け出せない。思い切り翅を噴かせると、なぜかこれは効いたらしく一瞬怯んだ。

 その隙に腹に肘鉄を食らわせてやり、腕から抜け出して振り返りざまに両肩の砲から砲弾を放つ。二発、直撃。さすがにこの距離と砲の位置の関係上、外したりはしない。怒ってでもいるのか、表情を歪めたレ級が腕を振るうと、横殴りの霧が俺を呑み込んだ。

 鋭い雨と変わりない感覚に左の側頭部を庇って、霧が過ぎ去るのを待っていれば、ようやく過ぎ去っていった。

 

「……はぁ? 体育館……?」

 

 が、数秒、混乱してしまった。

 霧が晴れると、そこは見覚えのある体育館だったからだ。うちの鎮守府の……いつも、那珂ちゃんオンステージになってるあそこ。

 四隅に霧が集い、館内に靄がかかっている以外は、変哲のない体育館で……これは、幻覚? それともここに連れ戻されたっていうのか? でも、なんでこんなところに。

 勢い良く振り返り、構えをとる。……レ級はいない。向き直っても、見回しても、いない。

 警戒しつつカンドロイドを開くと、浮かび上がった画面は、たしかにここが見知った場所であると示していた。

 

『……結局、止メラレナカッタ』

「っ!」

 

 画面越しに霧が集うのが見え、腕を下ろして前を見れば、濃霧の中からレ級が歩み出てきた。ずるずると引き摺られる異形の尻尾が時折跳ねて、ゴンと鈍い音を響かせる。

 カンドロイドを腕に戻し、腰を落として構えをとる。奴は目を伏せて俯き、頭を振ると、俺の正面で足を止めた。

 

『……サァ、コイ!』

「言われなくても!」

 

 腕を広げて吠えるレ級へ、床を蹴って走り出す。

 一対一でも負けるつもりはない。もう一度勝負だ、レ級!




TIPS
・ヘリに搭載されている緊急離脱システム
操縦席および機内に、まるでシャワーの如く高速修復剤が降り注ぐ。
濡れた状態で艦娘は離脱をはかる事になるが、たとえ火傷や傷を負っても、
負傷した傍から治っていくので、成功率は非常に高い。

・ケイちゃん
番外編に出てきた軽巡棲鬼。
歌と踊りが好きだった。

・駆逐棲姫
姉妹の下へ帰ろうとしていた元艦娘。
今はもう自我はない。

・鳳翔さん
かつて負った精神的な要因により、長時間の戦闘はできない体に。
何年も前からそうして食堂で働いているので、ほとんどの艦娘が
彼女が出撃する姿を見た事がない。

・同一艦
同じ艦娘。基本区別がつけられないが、
個々人が過ごした環境や経験した戦い、築いた関係から
多少性格や口調が変わるので、付き合いが長ければ察する事ができるだろう。


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第五十九話 総力戦

次回の投稿は速ければ明日23日か、明後日の24日になります。

誤字脱字報告、感謝しています。本当にありがとうございます。助かってます。



番外編のライダー要素有り。



大幅に加筆修正。
榛名は大丈夫です。



 小手調べや様子見なんかは必要ない。全ての攻撃がトドメになるよう、全身全霊で拳を繰り出す。左のストレート。レ級は避ける素振りを見せず、鎖骨の下を打たれても表情一つ変えなかった。ガリガリと床を削って後退するレ級へ、もう一発とばかりに速度を緩めないまま腰を捻り、思い切り振りかぶった左拳をぶつける。

 手を包む白布越しに肉を打つ感触が伝わってくる。僅かにめり込み、その先へ衝撃を与えているはずなのに、大きく後退(あとずさ)った奴の顔は少しも歪んだりなどしていなかった。

 

「はあっ!」

 

 気合いの声を発しながら前へと飛び出す。勢いを殺す訳にはいかない。こいつが大人しくしているうちにできる限りのダメージを与えなきゃ。

 ガァン、と鉄の音がした――そう錯覚するくらいに、振るった腕の肘までを衝撃が突き抜け、骨が軋む。殴ったこっちがダメージを受けてるみたいだった。痺れる腕を引っ込め、腰だめに構えつつ足を地につける。

 軸足を捻れば、ヒールが床を削る。しならせた足でのハイキックは……! これは防ぐか!

 頭の横を腕で庇ったレ級は、大きく体勢を崩しながらなおも後退を続け、俺はそれを追ってパンチとキックを繰り返す。鉄でもなんでも粉砕する本気の蹴りも、重巡級の腹をぶち抜ける拳も、奴を傷つけるには至らない。その体にたしかに攻撃は届いているはずなのに……! 揺らめく金の光が全てを受け止めているような気さえしてくる。

 鋭く息を吐き、跳び上がりながら横回転しての回し蹴りで、間近に迫ったステージの上へレ級を蹴り飛ばす。重量感に押し返され、片足を下敷きにするみたいに不恰好に倒れ込む。衝撃を殺しきる事ができなかった。じんじんと痛む膝に太もも。素早く立ち上がれば、足に線が走るような鈍痛があった。舌打ちをしながら足に力を籠めて痛みを無視する。

 重々しい着地音を響かせてステージ上へ立ったレ級へ、追撃のために跳び上がる。食らわせるべきはパンチかキックか。迷ってる間に敵が動き出した。

 迎撃の拳に打ち返され、来た道を戻るように吹き飛ばされる。なんとか着地には成功したけど、お腹の痛みに膝をついてしまった。

 

「う、ぐっ!」

 

 腹を押さえて漏らした声も、熱くて重い。やっぱりあいつ、パワー上がってるな……!

 大きく体が揺れて、思わず床に手をついて支える。顔を上げれば、レ級はステージから下りてこちらへと歩んできていた。

 いつまでも膝をついている場合ではない。太ももを叩いて気合いを入れ、跳ねるようにして立ち上がる。最近味わってなかった『攻撃される怖さ』、痛みへの忌避感などが頭の中をちらついて……けして、そのせいではないけど、一歩、足を下げて構えた。

 ……早くなんとかして朝潮達のとこに戻ろう。

 夕張さんからの通信は入らないか……そんな風に、カンドロイドを気にしていたのが悪かったのだろう。目前に迫るレ級への対応が遅れて、迎え撃つも避けるもできなくなってしまった。

 駆けて来たレ級の両肩を押して留めようと足に力を籠めて踏ん張る。床が削れ、ヒールが細かに跳ね返されて今にも転んでしまいそうだった。そんな隙を晒す訳にはいかないと、歯を食いしばって組みかかってくるレ級を押し返した。

 俺の肩を掴もうとするレ級の手を身を捩って跳ね除け、両手で押して体と体の間に隙間を作る。素早く二回殴打してから、踏み込んでの前蹴り。体と足が横一線になるくらいに伸ばしきって、さらに距離を離す事に成功した。

 飛び道具が豊富なレ級を相手に距離をとるのは上手くないが、どうにもさっきから注意力散漫だから、少し気持ちを整える時間が欲しかった。水圧カッターや砲弾程度は避けられる自信がある。だから問題ないと自分を納得させて、息を吐き出しながら、半身の構えをとった。

 ……俺が変なのは、あんまり一人で戦う事がないから、こうやって誰もいない場所で強いのと一対一となると恐怖心とかに駆られやすくなるからだと思うけど、あいつが変なのはなんでだろう。

 黄金のオーラ……flagshipになってまで現れた奴だが、言ってる事もおかしければ動きもおかしい。反撃したりしなかったり、言葉にも違和感が拭えない。

 考えるなと自分に言い聞かせても、この不気味さを消したくて、正体を考えてしまう。

 尻尾をくねらせ、肩に手を当てて首を回すレ級から視線を逸らし、館内に漂う霧の一部へと向ける。ついでに自身の思考も逸らす。……あの霧に飛び込めば、元の場所に戻れるのだろうか。

 非常識が相手だ、なんでも試してみるのが良い。でも俺一人で走って行っても隙を晒すだけだ。どうにか奴も巻き込みたい。

 ……背中を見せて駆けてっても、動かない気もするんだけどな、あいつ。

 

「あんた……あんたの目的って、何?」

 

 動くか動かないか、それを確かめようとこちらから声をかけて働きかけてみる。

 『不要』だなんだって言って艦娘に攻撃を仕掛けてくるけど、それ、どんな判断基準なの? 艦娘は艦娘のままで……とかなんとか言ってたような気がするが、それもまたどういう意味なのか聞きたい。素直に答えてくれるとは思わないが。

 奴は体を揺らし、足の位置を入れ替えただけで何も答えなかった。ずっと貼りついている笑みが憎たらしい。少しの間待ってみても、やはり返事はない。代わりに、胸の中の島風が『おはよー』と場違いな声をかけてきた。……おはよう、って、君ね。

 

『だいじょーぶだいじょーぶ、ちゃんと状況は把握してるから。しっかり力貸すよ』

「……じゃあ、力を合わせていくよ」

 

 了解、という声が不思議に響いてくるのを境に、少しだけ体に力が張るのがわかった。改二の性能は、彼女が寝ている時より起きている時の方が僅かに高い。二人の力を合わせた最強形態(フォーム)だから、そういった意識が影響を及ぼすのだろう。

 百人力とまではいかないが、これで力負けは……しないと、良いんだけどな。

 物は試しだ。翅を噴かせて初速を得て、トップスピードで駆け抜ける。今度は俺がレ級に組みかかる番だ。がっしりと肩を掴むと、奴もまた俺の肩を掴んで対抗してきた。細い指の一本一本が肩に食い込み、潰すような痛みを伝えてくる。金と青の瞳を睨みつけて、留まろうとする奴の体を押し続ける。

 

「ぬ、ぐっ……!」

『……フ、フフッ』

 

 数メートル進んだかどうか。

 あれだけあった勢いはもうなく、完全に立ち止まっての組合いになると、レ級は恐ろしいほどの怪力で押し返してきて、ついには横へ投げられてしまった。

 ただ投げられるだけなら体勢を整えるのは容易い。だがそこに追撃が加わると、立て直しは困難を極める。たとえばそう、鞭のようにしならせた尻尾を縦に振るってきたりとかされると……!

 床に片手をついて、僅かに曲げた肘の力で跳躍する。側転。一瞬遅れて異形の顎が、天井を反射する綺麗な床を粉砕した。

 ベキバキと音を立てて板が割れ、沈んでいくのを見ながら着地、屈伸して、後方へ跳ぶ。そのさなかにレ級が二本指を差し向けてきた。水圧カッターか!

 空中なら避けられないとでも思ったか。こっちにゃ翅がある。背部のブースターユニットを使い、片翼のみ出力を高める事で体の向き、および後退の方向を変える。目の前を水流が通り抜けていった。

 透明な水の線に俺の顔が映る。それがどんどん離れていって、上の方に消えた。

 翅を消し、着地する。今の……上へ指を動かしたのか。天井から降り注ぐ水滴と木くずを気にせずレ級を見れば、片手を天へ伸ばした体勢で固まっていた。俺が立ち上がるのと同時に動き出したが……やはり何かおかしい。

 

「どーしたの? 具合でも悪い? 明石さんとこに案内しよっか?」

『イヤ、遠慮スル。チョット悩ンデルダケダシ』

 

 軽口のつもりで声をかけたら、えらく理性的な言葉が返ってきた。悩んでる? なんのこっちゃ。

 手を下ろし、歯を見せて笑うレ級は、一呼吸の間を置いて続けた。

 

『アア……モウイイヤ。考エルノハヤメタ』

「……それ、私の台詞なんだけど?」

『ヒーローの口癖でしょ?』

 

 ん、いや、まあ、俺のではないけど。

 聞き覚えのあるような台詞を言われるとついつい反応してしまうのだ。まったくもってこの場に似つかわしくない言動だけど、それは奴も同じ。なんか、緊張感とか全然ない。俺は割と……怖くてドキドキしてんだけどね。島風が話しかけてくれるようになったから、それもかなり弱まったけど。

 まともな事を言ったついでか、奴の動きもまともになり始めた。引き摺られるままだった尻尾は鎌首をもたげて生きているみたいに――実際生きてるんだと思う――身を震わせ、レ級の方も、気怠げに首を回してからは、強く焔を燃やして俺を睨みつけた。

 ……迫力が段違いだ。できれば、さっきまでの無気力状態の方が相手するには良かったんだけどな。

 ま、倒す事には変わりないんだからいいか。このシマカゼが負けるとも思えないし。

 ただ、朝潮のサポートがないのは不安だ。前は彼女がいたからこそ戦えていたようなものだし。

 精神的な支えは重要だ。島風だって十分そうなってるけど……ううん、今は目の前の敵に集中しよう。余計な考えは丸めてぽいだ。

 

『オ前ヲ壊シテカラ考エルトシヨウ』

冗談(じょーだん)!」

『倒されるのはてめえだぜー』

 

 俺の中にのみ響く島風の声は、それだけで俺を勇気づけてくれた。わざわざ俺の知ってる勇ましい事を言ってくれるのは、そのためもあるんだろう。悪役の台詞なのはどうかと思うけど。

 理性的な言動を取り戻したレ級は、馬鹿みたいに突進してくる事もなく、尻尾を俺へと向けて砲撃をかましてきた。砲弾が二つ、空気を引き裂いて迫る。目を凝らせばその軌道がようく見えて、だから避けるのは容易かったけど、代わりに気力の消費が激しかった。体のすぐ傍を通り抜けていく脅威は集中力をもガリガリと削っていく。背後で聞こえる粉砕音と爆発音が俺の未来にならない事を祈って、身を翻して持っていかれそうになっていた体を制御する。お返しに両肩の連装砲ちゃんから砲弾を放てば、一つは斜め左上へ、もう一つは右下へと飛んでいって、壁と床を壊した。わかってるけど、凄まじいノーコンっぷりだ。威圧や牽制(けんせい)にはなっているから良しとしておこう。

 

「こっちだ、来いっ!」

『アア、良イヨ』

 

 背後に迫る霧の冷たさを感じながら、床を蹴って後ろへ跳ぶ。奴はいっそう笑みを深くして腰を落とし、足を曲げて跳躍の前兆を見せた。だが、見えていたのはそこまで。視界をが白一色に染め上げられ、浮遊感が体を包む。すぐ下にあったはずの床はなくなり、まるで果てのない空を飛んでいるようだと錯覚した。

 念のために翅を噴かせ、体を横回転させて背後だった方へ顔を向け、飛翔した。やがて霧が左右に流れ、新たな景色が現れる。

 白く輝く砂浜に、寄せる青い波。海岸……?

 翅を消し、走りながら浜の上へ出て、跳躍の後に百八十度向きを変えて自身が出てきた方へ向き直りつつ着地した。熱い砂が跳ね、少し足が沈む。強い日差しはすぐに霧に隠され、辺りは薄暗くなり、だけど目の前へ不自然に流れてきた濃霧からレ級が出てくれば、円状に霧が追いやられて、少々の光が砂と海を照らす。

 ……元の場所に帰れてない。奴が素直に俺の誘いに乗ったのを見るに、霧の行き先は奴が自由に決められると考えた方が……良さそうだ。

 

「……あんたさ、私とタイマンしたいの?」

『壊シタイノサ』

「さっきからそればっかりだね。壊す壊すって。壊れたラジカセみたいにさ」

『私ガ壊レテイルダト? ……モハヤ、ソンナ事ハドウデモ良イノダ』

 

 ふぅん……自分が壊れてるって認めるんだ?

 まぁ。ぶっ壊れ性能だよね。お前も、私も。

 

「そういう事じゃないって?」

『……?』

 

 弾む、というほどじゃないけど、緊張と興奮からなる呼吸の上がり下がりを誤魔化すように、胸に浮かんだ言葉をそのまま口にすれば、当然レ級は理解できず怪訝そうな顔をして、しかしすぐに笑みに戻した。

 どう攻撃するか、何で攻撃するかを考える。カンドロイドを弄って何か武装を出すべきか。正規の兵装ではなく、艦娘の持つ刀剣やアンテナ、錨などの、打撃に使えて、肉弾戦に繋げられる物……。とれる手は多い。

 右に一歩足を出せば、同じようにレ級も足を出した。一歩、二歩、三歩、打ち寄せる波の下へ足を運んでいく。初めは緩やかに、だんだんと速く。だがそれも、水を跳ね上げてある程度の高さまで移動すると、立ち止まって睨み合いになった。示し合わせたかのような空白。だが俺は、そんなに長い事待ってられない性質(タチ)でね。カンドロイドに手を当てて装備選択画面を呼び出し、手早くスロットに錨を当てる。前に扱った雷の物だ。光が集合し、物体となって宙に浮く。柄を掴めば、眩く弾けて実体となった。

 

『ドッガフィーバー!』

「そぉー、れっ!!」

『貴様、マダフザケルツモリカ!』

 

 バットみたいに振りかぶり、足を引き上げて力を溜め、重力球(光弾)の代わりに錨自体を全力で放り投げる。それは容易く腕で跳ね除けられたが、接近する時間は作れた。

 

「ふざけてなんかない! これがシマカゼの戦い方だよ!」

『ソンナ艦娘ハ存在シナイ!』

 

 こちらから駆け寄り、攻撃を仕掛ける。右左交互の打撃は、どちらも受け止められた。勢いのまま肘打ちすれば、鏡にでもなったつもりか、同じ動きで肘を打ち付けてきた。一直線に響く衝撃に一拍遅れて弾かれ、倒れないように体を回転させつつ下がれば、追撃の手刀に弾き飛ばされた。

 ガン、と背や後頭部を強く打ち付けながらも、砂を巻き上げつつ転がって距離をとり、片膝立ちの体勢へと移行する。追撃はない。

 くそっ、くらくらする……!

 歪む視界は、何回か瞬きを繰り返すと正常に戻った。波に乗って歩んで来るレ級が、砂の上に足を乗せる。

 

「こんのっ……!」

 

 よろめきながら立ち上がり、地を蹴って飛翔する。奴はパワーだけじゃなく硬さも上がってる。だったら貫いてやる。シマカゼのキックで――!?

 

『ハッハッハ!』

「なんっ……!?」

 

 尻尾を砂浜へ叩き付け、その反動で跳ね上がったレ級が、俺と同じ高さまで昇って来た。なんのつもりかわかんないけど、飛びかかって来た訳でもなし、自ら逃げ場のない空に身を晒すとは、やっつけてほしいと言ってるようなものだ。

 

「だぁーっ!!」

 

 右足を前に、左足は畳む。矢のように一直線に飛ぶ。尻尾を水平線へ向けたレ級は、異形の口から水流を吐き出させて加速しながら、跳び蹴りの体勢で突っ込んできた。

 驚いたけど、それだけ。スピードも足の長さもこっちのが上だ!

 

「ぎっ!」

『ハァッ!』

 

 先にこっちの足が奴の胸へ当たっても、俺の膝が曲がるばかりで貫く事はできず、逆に奴の足が俺の胸を僅かに裂いて――爆発するみたいに吹き飛ばされた。

 気付けば木々の合間の空がずっと上の方に広がっていて、胸を濡らす冷たさに体を起こせば、髪の毛に張り付いていた枯葉や冷たい水が伝い落ちた。ついた手が細い木を折り、立ち上がると、ぱたた、とスカートにかかる赤色。――血液。胸の上を抑えれば、痺れに似た痛みが走って顔を顰める。傷は深くないけど、生体フィールドの守りは抜かれるほどの威力だった事に驚いて、それ以上に、服の方には損傷がないのが気になった。まず服から壊れるのが艦娘なのに……!

 これではまるで、あいつが言ったみたいに俺が艦娘ではないと証明してしまっているみたいで、傷を押さえながら辺りを見回した。なだらかな斜面に立つ寒々とした木々。空気は白んでいて、枯葉には薄く雪が積もっている。肌も傷口も縮んでしまいそうな寒さが一帯に充満している。時期的に雪が降ってもおかしくないけど、さっきまで晴れていたはず……別の場所に移動させられた?

 息を吐けば、白い靄が風に流れていった。澄ませた耳に葉を踏み締める音。――後ろか!

 振り返りざま回避行動に移る。細木の向こうに見えたレ級は、尻尾をこちらへ向けて砲撃した。一つが真横を通り、もう一つが背後の木に当たる音がした。着地してすぐ再度後方へ跳ぶ。折れて倒れた太めの木が、俺の前に横たわる。狙ってやったのか、それとも偶然か。木を飛び越えてやって来たレ級が地を揺らしている間にこちらも体勢を立て直し、敵がどう出てきても対応できるようにする。

 ていうか、あいつ……俺の戦闘スタイルに口出しした癖に、自分もライダーキックするとか、何それ。めちゃくちゃむかつくんだけど!

 

「おおお!」

 

 気合いの声を発しながら、もう何度目になるかわからない突進を敢行する。途中で地を蹴って跳び、組みかかるまま地面を転がって投げる。すぐ横に転がったレ級より早く立ち上がると、異形の尻尾に足を払われた。左肩を打ち、思わず目をつぶってしまう。と、空気の唸る音と迫りくる気配。

 咄嗟に地面を転がって避ければ、何かが地面に突き立つのが枯葉や土越しに伝わってきた。地を叩いて跳ね、空中で身を捻って上手い事着地する。見れば、レ級が土へ腕を沈めていた。それが引き抜かれると、流れるような動きで二本指が差し向けられる。今度も瞬間的な判断で左へ跳んだ。遅れて水圧カッターが地面を穿つ。

 木の裏に逃げ込んみ幹に背を預けて立ち上がれば、背と髪を削る鋭い痛み。斜めに走るそれに、たぶん水圧カッターにやられたんだろうと予測する。切られた木が切断面を見せながら倒れ行くのを横目にレ級へ向き直り、残った幹を踏み台に飛びかかる。

 迎撃しようとする奴の足下めがけて砲撃すれば、体勢を崩させる事に成功した。僅かに下がってしまった状態で着地し、走り出す。抱き付くようなタックルをかますと、タイミングが良かったのかほとんど抵抗なく押す事ができた。細めた視界の上の方に見える木へぶつけてやろうと力を籠めれば、急に木が消えた事で数瞬呆けてしまった。それでも体は動いているが、意思無き肉体を退けるなど奴にとって造作もない事らしく、服を掴まれて乱暴に投げ飛ばされた。

 

 雪や土や朽ちかけた葉と一緒になって斜面を転がっていく。木にぶつからなかったのは幸か不幸か、そうして開けた場所に出ると、そこはだいぶん雪が積もっていて、飛び退くように体勢を立て直そうとした俺は雪に埋まる足に、転びそうになってしまった。

 その隙をレ級が見逃してくれるはずもなく、いくつも砲弾が飛んでくる。一個でもまともに受けたら大破は確実だ。でも、腕で払うくらいなら……っ!

 雪が吹き飛び、降る雪に紛れて落ちてくる。手の甲で弾いた物は、放物線を描いてすぐ傍の地面を穿った。爆発で撒き散らされる雪の粉がべったりと体に張り付くのを気にせず、足を後ろに出して後退していく。反対にレ級は雪をものともせずにずんずんと迫って来ていた。

 

「くぅっ!」

 

 殴りかかれば打ち返され、怯んでいる間にもう一発食らってしまう。衝撃に目をつぶってしまって、だから次に攻撃されるのがどこかわからなくて、対処が遅れる。その悪循環。両肩の連装砲がバチバチと音を立てて黒煙を噴いている。胸から飛散する血液が、限界の近さを物語っていた。

 

『シッ!』

「ああっ!!」

 

 口から漏れる悲鳴は無意識のもので、耳の奥にキンキンと響くかん高い金属音は、どこから聞こえてくるのかはわからなかった。

 唐突に爆音と怒号と炸裂音の中に放り出される。何が変わった……!?

 

「撃てぇーっ!!」

「ガンガン撃って!!」

 

 ひゅおう、と風の音。誰かの気合いの声。波に体をぶつけられて跳ね、はっとする。意識が戻れば周囲の状況も鮮明に入ってきて、ここが最初に戦っていた海なのだとわかった。

 着水すれば、周囲には敵、敵、敵。それから味方の艦娘、艦娘、艦娘……レ級は……いない。わからない。姿が、見えない。見回しても視界が揺れて、たくさんの影に惑わされて、奴の姿を捉える事ができなかった。霧はあちこちに流れていて、時に敵の姿を隠し、時に仲間の姿を露わにしていた。

 酷い濃霧……。それに、雪。場所移動での気温の変化はそれほどなかったが、海の上にいるせいか、肌が引き攣るような寒さを感じた。

 視界の端に影が蠢く。

 

「左弦、新たな敵影確認です! やぁーっ!」

 

 霧の向こうから聞こえてきた聞き覚えのある声へ顔を向ければ、白粒のカーテンを突き破って砲弾が飛んできた。まさか自分に飛んでくるとは思わず対応が遅れそうになるも、無意識に振るった腕が弾に当たれば、驚くほど簡単に弾く事ができた。

 軽い――……そう思う間もなく、悲鳴。

 

「うっ! 飛行甲板に被弾……!?」

「やったわね!」

 

 それが別の艦娘に当たってしまったらしく、直撃音が聞こえてきた。俺の跳ね退けた砲弾が当たったのだと理解し、血の気が引くより早く撃ち返してくる砲撃音があって、何を考えるより先に横に身を投げ出して回避した。

 砲弾自体は俺から離れた場所に着弾し、水を跳ねさせたが、仲間だろう誰かに攻撃されたショックは尾を引いた。それが故意でもそうでなくとも。いや、故意であるはずがない。敵味方入り乱れすぎて、誤射はもうどうしようもないのだ。――そう思わなけれ気持ちの立て直しは難しかった。

 

 はらはらと降り注ぐ雪の中、冷たい風に乗ってリ級が滑って来るのが見えた。数メートルもない距離。霧の中から現れたのか、気配はしていなかったはず。

 妖しく光る瞳に、立ち上がって迎え撃つ。左手でリ級の肩を掴んで完全に動きを止め、空いてる手で殴りつければ、割れた肌から赤錆びた液体が跳ね飛んだ。

 もう一発殴れば肉片まで弾け、ぐいと持ち上げてアッパーを食らわせれば、ゴムボールみたいに飛んでいった。膝を曲げ、屈伸。追って跳び上がる。目の前にリ級が見えたら、キックの体勢に移りながら翅を噴かせて前進する。

 ただのリ級程度ならば貫くのは容易かった。

 爆発を背に受けながら着水し、深く息を吐く。肺に溜まった疲れが息に乗って出ていくと、ずきずきと胸が痛んで、汗が出てきているのを自覚した。体が、軋んでいる。辛い……。吸い込もうとした空気が喉に引っかかって、けほ、と咳をした。

 

 空がちかちかと光る。その正体が、撃墜し撃墜された敵味方の艦載機である事に気付く。夥しい数の艦載機が炎上し、回転しながら落ち行く中で爆発し、妖精さんが投げ出されて海に落ちていく。羽を穿たれた深緑の機体が風にもみくちゃになって解体され、細かな欠片が降ってきていた。

 ふと、誰かの近付いてくる気配がした。

 敵――?

 

「ま、まだ、こんなんじゃ……!」

「由良さん!」

 

 霧と煙を纏うように後ろ滑りで出てきた由良さんは、体が止まるとふらついて、でも、砲を構えて撃った。海の中から飛び出してきていたイ級が頬を貫かれ、錐揉みしながら海の中へ戻っていく。

 再度「由良さん」と呼びかけながら駆け寄る。由良さんは過呼吸でも起こしてるみたいに浅く速い呼吸を繰り返し、背を丸めて、砲をお腹に引き寄せていた。

 

「っ!」

 

 駆け寄るさなかに、由良さんが霧に呑まれて消えた。代わりのようにその場から雷巡チ級が姿を現す。――敵! 明確な言葉を胸のうちに浮かべ、頭を切り替える。奴が手に持つ盾のような物は罅割れ、下半分がない。新規の敵ではなく、既存の敵が移動してきただけらしい。

 そんなの、このシマカゼの敵じゃない!

 カンドロイドから飛び出した天龍の剣を掴み取りつつ駆け出し、放たれた砲弾を切り払って、駆け抜け様に胴体を両断する。一撃で撃破。爆風が髪と波を乱す。それで少し霧が晴れて、近くに戦艦棲姫の姿を確認した。巨腕の異形は見るからにボロボロだが、その手に守られる女性型の方はそう損傷なく微笑んでいる。……誰も砲撃していないのはなぜ?

 そっちの方へ滑り出しながら、直立の姿勢で両肩の砲を巨腕の異形に向ける。当たりっこないが、気を引く事はできるだろう。連装砲ちゃん達、もう少しだけ頑張って!

 

「はっ!」

 

 上体が引くくらいの衝撃を受けながらも、二発の砲弾を飛ばす。と、巨腕の異形は女性型を守るように腕を下ろして――っ!?

 あれ、あの手に握られてるのって、朝潮じゃ……!?

 そう認識した時には、ブースターユニットをフル稼働させて駆け出していた。風を纏うように、水を纏うように、瞬時に戦艦棲姫の膝元まで辿り着く。間近で見上げた異形の拳には、やはり朝潮が握られていて、ぐったりとしていた。ギシ、ギシと軋む音がするたびに力無く垂れた頭が揺れる。

 

「朝潮ぉぉおおお!!」

 

 波を蹴って跳ぶ。高く、高く飛ぶ。巨腕の異形が俺を仰ぎ見て、口を開いて声なき声を発した。敵の砲が俺を狙っている。でもそんなの気にしている余裕はなかった。翅を使った急降下とともに繰り出した斬撃が、巨腕の異形の片腕を切り落とす。手首に強く跳ね返って来た抵抗に歯を食いしばりながら、ついでとばかりに腕を振り抜いて刀を投げ、本体の女性型を貫いた。

 落ち行く腕を蹴って拳の傍に下り立ち、無骨な手の内から朝潮を引き抜いて抱きかかえ、離脱する。肌を密着させ、着水するまでにわかった事は、彼女に外傷は少ないというくらいだった。おそらく骨は折れてない。砲も魚雷も無事。息もある。締め付けられて気絶していただけかもしれない。

 

「朝潮! 朝潮、大丈夫!?」

「…………ぁ」

 

 敵がいる事も忘れて揺すりながら声をかければ、彼女は眉を寄せて呻いた。この調子ならすぐに目を覚ましそうだ。それまで俺が守ってなきゃ。流れるような思考が、次の行動を促す。守るにはまず、背後の戦艦棲姫を――。

 

『――――――!!』

 

 複数の直撃音。爆風が俺と朝潮の髪をなびかせ、細かな雪が頬に張り付いて水になった。巨腕の異形が沈んでいく。ザァァ、と水を掻きわけて進んできたのは、金剛と、ええと、古鷹?

 金剛も古鷹も髪が乱れ、ほどけている。服も焼け焦げて、はだけていた。

 

「島風! 無事でしたカ!」

 

 古鷹が向こうの方へ滑って行くのとは反対に、寄って来た金剛が安堵の息を吐いた。僅かに浮かんだ笑みは、いつもに比べてかなり弱々しい。

 

「金剛さん、みんなは!?」

 

 この混戦と、艦娘と深海棲艦をお構いなしに運ぶ霧の中で、こんな事聞いたって意味ないのに、縋るように問いかけてしまった。朝潮が傍にいると、次に浮かぶのは大切な友人達の顔。みんなが心配だった。辛そうに顔を歪めた金剛さんは、周囲を見回しながら、呟くように言った。

 

「皆、ばらばらになってしまいマシタ。榛名は――ああ、榛名は!」

「はる……榛名さんが、どうか……?」

「ワタシを庇って被弾し……霧に攫われて……っ、Shit! ワタシがついていながら、妹たちまで……!」

 

 唇を噛み、キッと俺を睨みつけた金剛は、それ以上の言葉を飲み込むみたいに息を呑んでから、「周りはワタシが警戒するデス。早くその子を起こしてあげてネ」と、落ち着いた声音で、囁くように言った。

 解けてなびく茶色い髪を視界に映して――顔を直視する事ができなかった――、それから、頷いて返す。朝潮を見れば、俺がこれ以上何をする必要もないくらい、意識が戻ってきているみたいだった。

 薄く開いた目が緩やかに動いている。俺は映っているか? 刹那の間、不安に駆られた。

 

「っ、う……し、シマカゼ……?」

「朝潮、聞こえる? 大丈夫? 立てる?」

 

 途切れ途切れながらも声を発した彼女へ矢継ぎ早に浴びせれば、口の端を吊り上げた朝潮は、俺の肩を掴んで抱き合うような形で身を起こすと、そのまま、自分の足で立ち上がった。

 

「っく、すみません、お恥ずかしいところを、お見せしました。もう大丈夫です……!」

「無理しちゃ――」

「オオオーーッッ!!」

 

 ドシン、と空気が震えた。朝潮に手を引かれて立ち上がりながら、確認する間もなくその場から離脱をはかる。顔だけで振り返れば、金剛がレ級と組み合い、腕を首に押し付けて跳ね除けていた。でもそれ以上の追撃はできず、尻尾に打ち据えられて転がった。

 

「ウ、ウゥ……!」

「金剛さん!」

 

 うつ伏せになって、海面に腕をつけて起き上がろうとする彼女の動作は緩慢だった。相当ダメージを受けているみたいで――レ級からだけでなく、そもそも中破以上していた――声をかけても、呻き声しか返ってこなかった。

 援護しようとしたのだろう、朝潮が砲を構えると、反応したレ級が腕を持ち上げ、こちらに指を向けた。細い水流が朝潮を狙う。だが水が穿ったのは、庇うために出した俺の腕だった。

 鮮血が散る。

 電気が体を這うような感覚がして、服が破けていく。肉体では受けきれないダメージが分散され、服に現れている。だけどもう、その機能が追い付けないくらいに肉体にまでダメージが突き抜けてきている。

 接近してきたレ級に腹を殴られて、一瞬意識が飛んだ。

 

「シマカゼっ!」

「げほっ、げ、ぇ……!!」

 

 強烈な一撃だった。腕を打たれて怯んだ瞬間の、重い一撃。咳き込む口は閉じられず、唾液が唇を伝って落ちる。見開いた目に映る海面は何度も何度も炎の色に照らされて輝き、黒色を覗かせるのは稀だった。

 

『キュー!』

 

 ぽーん、と連装砲ちゃん達が放り出されて海に転がる。改二が終わった……いや、解けてしまったのだ。あんまりダメージ食らいすぎたから……う、ぐ……お、お腹、痛いぃ……!!

 鼓膜を震わせる直撃音。連続二回。腕を掴まれて引っ張られ、引き摺られる形でレ級から離れていく。涙に濡れた細い視界の先では、黒煙に塗れたレ級が、笑って肩を竦めていた。

 

「誘爆を防いで!」

 

「ちくしょうっ、やられたっ!!」

 

「顔はやめてぇ~!」

 

『――――ッ!!』

 

「あっ! ぐ、面白い事してくれたじゃない!」

 

 過ぎ去っていく艦娘と深海棲艦の悲鳴。咆哮は絶えず、対抗するための気合いの声もまた絶えない。

 ようやく自分の足で立てるくらいに回復して、朝潮に声をかけて自分で滑り出す。回復した、なんていうものの、お腹は鈍痛を発し続け、息をするだけでも辛かった。今は泣きごとを言ってる場合じゃないから、浮かんだ涙は瞬きをして落としておく。辺りを見回せばそこかしこで火の手が上がり、砲弾が飛び交い、水柱が上がり続けている。

 朝潮に強く腕を引かれて何事かと思えば、真横に着弾するものもあった。前に顔を戻せば、俺達に砲撃しただろう敵は、それが何者かもわからにうちに誰かの砲撃で沈んだのだろう、海面から煙だけを出していた。

 

 戦況はどうなってる?

 

 押しているのか、押されているのか。それさえわからないほどの大混戦。俺にわかる事は、改二でない俺はレ級に対抗できないという事と、レ級を倒さずとも、この敵の量を前にして、きっと誰かが沈んでしまうだろうって事だけだった。

 嫌だ。

 誰も沈ませたくない。誰も……誰の未来も失わせたくない。

 甘くても綺麗事でも良い。誰かの笑顔が消えるのは、もう見たくないんだ。

 だから……俺がなんとかしなくちゃいけないのに……!

 そのための力は……ああ、そのための力はいったいどこにあるってんだ!

 

『島風ちゃん、聞こえる!?』

 

 考えてるうちに着信音が鳴っていたらしく、俺の横にぴったりくっついている朝潮がボタンを押して繋げてくれた。途端に夕張さんの切羽詰った声が大音量で流れ出す。それでもいろんな音に掻き消されてしまいそうだった。

 

『もう無理! もう無理よ! 持ち堪えられそうにないわ! どう思う!?』

「ど、どう、って、そ、そんなの……そんな」

『そうよね、私達だけの力じゃ無理よね!?』

 

 意味の解らない言葉にどう返せば良いのかわからず困惑していれば、向こうで勝手に納得して、何度も頷く気配があった。時折入るノイズに邪魔されないタイミングで、夕張さんが続ける。

 

『もうアレ使っちゃって! 大丈夫! 約束を破った事にはならないわ!』

「アレって……アレですか!?」

 

 え、でも、あれは私達の争いには使わないって……約束……に、(たが)わない?

 そういえば俺、ちゃんとその約束事聞いた事ないような気がする。

 ああ、そんなのはどうでも良い。

 

「使って良いんですよね?」

『ええ、どーぞ!』

「本当に使って良いんですよね!」

『ええ、もう送ったわ!』

「なら、うん! 朝潮!」

「はい!」

 

 一旦朝潮には離れてもらい、深呼吸をして、気配を探る。

 ――ゲームでシマカゼを使い倒すって言ったんだ。現実であなたの力を使い倒したって文句はないよね、(とまり)さん!

 目を開ける。同時に、彼方からすっ飛んできた手の平サイズの細長い車――赤い車体のシフトトライドロンを握り締める。手の平に押し付けられた冷たいディスプレイの感触を味わう暇なく、車体横の変身ボタンを押し込んで、待機音声を鳴らす。

 

『ファイヤー・オール・エンジン!』

 

 こっちは録音されたものがあるのに、わざわざ島風がコール音を担当してくれた。その勢いに押されるまま、カンドロイド表面に設置されたシフトランディングパネルへ赤い車体をセットする。カチリと押し込み、お次は改造画面を目の前に出す。消費する資材は、おっきな車、トライドロンで決まり!

 

『ン……? ソノ(チカラ)ハ……ソウカ』

「シマカゼ!」

「うん、見えてる!」

 

 霧の合間、海面に残る黒煙と炎のずっと向こうに、レ級が立っているのが見えた。目を細めてこっちを……俺達を見ている。凄く遠い。でも、いつ攻撃してきてもおかしくない距離。

 エンジン音を響かせて背後からやってきたトライドロンと一体化する。原理は知らない。改二化と同じように、されど武装は違っていて、左腕に腕章みたいにタイヤが巻き付き、ヒールの代わりに、これもタイヤになる。巻かれたゴム製の細いベルトは、改二の時の『Ⅱ』の刻印ではなく、『R』、ドライブのライダークレストになっていた。飛来したタイヤが背負っていた魚雷発射管を光の欠片に変えて砕き、代わりに装着される。余剰エネルギーが真っ赤な結晶体となって体から零れ落ち始めた。

 ん、完了! 改造完了画面に描かれたシマカゼ改二の姿を一瞥し、画面を叩き割って消し去る。勇ましい私大歓迎! でも今は邪魔!

 

 駆け出すレ級を目にしながら、空を走って来たトレーラー型デバイス、トレーラー砲を鷲掴み、前部の運転席をスライドさせて持ち手に変え、カンドロイドが吐き出したシフトスピード――トライドロンとは違った赤い車体のシフトカー――を、トレーラー砲上部の屋根付きスロット、シフトランディングスロットに差し込む。

 

『スピード(ほーう)!』

「掟破りの反則技だけど、こんな時くらい、これくらいさせてよねっ!!」

 

 誰にともなく言い訳しながら、カンドロイドから抜き取ったシフトトライドロンの変身ボタンをへこませるつもりで押し込み、トレーラー砲内部へ装填する。滑り込んだトライドロンは横向きになって、トレーラー砲側面の半透明の窓からディズプレイを覗かせた。

 表面に『FULL』の文字が浮かぶ。

 

『ひっさーつ! フルスロットーゥ!』

 

 巻き舌気味の島風のコールに合わせ、腰だめに両手で構えたトレーラー砲を、その銃口を迫りくるレ級に向ける。シフトトライドロンから抽出された赤いエネルギーが銃口に溜まり、やがて、光線として吐き出された。

 

『フルフル…………ナントカ大(ほーう)!!』

 

 フルフルスピードビック大砲だよ、お馬鹿!

 ――って、うそっ!?

 エネルギー体のトライドロン、車そのものがレ級へぶつかり、だけど、押しきれない。両腕を交差させてエネルギーとせめぎ合うレ級は、辛そうな顔をして、だけど今にも跳ね除けようとしている。なまいき! 素直にやられれば良いのに!

 軽口みたいな文句を頭の中だけで喚き散らしながらも、冷や汗が流れるのを止められない。

 改二化に使った変身用シフトカーを吐き出してしまったせいで、俺はもう普通のシマカゼ改になってしまっているから、あれを凌がれたらレ級を倒す手立てはなくなる。だから、奴があれを跳ね退けてしまう前に、追撃を仕掛ける! そうしよう、今、決めた!

 走り出せば、何も言わずとも朝潮はついて来てくれた。お互いトップスピードとはいかない速度で並走し、目障りな敵は朝潮が砲撃で退けてくれた。さすがに、他の艦娘が相手取る敵へは何もできない。でもレ級を倒す事が、みんなの助けになるのは確実だ!

 ついにレ級は、エネルギー体のトライドロンをかち上げ、尻尾での追撃、数発の砲弾で粉々に粉砕した。空中で大爆発を起こすトライドロンから大量の妖精さんが溢れだして零れ落ちていく。回収する余裕は、今はない。

 

「朝潮!」

「はい!」

「吹雪!」

「――うぇっ!?」

 

 左にいた吹雪にもついでに声をかけると、彼女はえ、え、と困惑しながらも俺の横へついてきた。目前に迫るレ級を見れば、追撃しようとしているのはすぐにわかるだろう。

 吹雪と朝潮が左右にわかれ、半円を描くように勢いを増して進んで行く。片足が波をスライスするみたいにターンして、再び三人並んだ時には、全員がトップスピードに入っていた。

 

「とおっ!」

「はっ」

「うぇえーい!」

 

 タイミングと足を揃えて跳躍する。左右に二人が並ぶ一体感。俺だけが空中で膝を抱え、身を丸めて何回転もして、スピードに勢いと遠心力も加えていく。

 ぱらぱらと火の粉が落ちる中、未だ腕を上げ、尻尾を上げた体勢から戻れていないレ級へ、急降下キックの体勢で突っ込む。奴は、避けなかった。避けずに俺達三人の蹴りをまともに受けて――。

 

『――!!』

 

 歯を噛みしめる、強い憎しみのこもった顔が見えた。それは一瞬の事で……レ級は、体中に壊れかけの機械みたいに電気を這わせながら、海面をバウンドして霧の向こうへ消えていった。

 バシャバシャバシャッ! 強い水音がキック時の衝撃の余韻を消し去り、三人分の体重が跳ね上げた水で、目に残っていたレ級の姿は完全に消えた。

 

「はぁっ、はぁっ、ふ」

「や、やったの……?」

 

 着水してすぐ、荒い呼吸を繰り返す。お腹の中が熱くて、溶けてしまっているみたいで、感覚がない。反対に体中の筋肉が固まって痛んでいた。

 不安げに呟く吹雪も、朝潮も、膝に手をついて息を吸って吐いてしている。相当キツそうだけど…………でも。

 しばらく待ってみても、レ級は戻ってこなかった。

 それこそ、全艦娘が総力を上げ、深海棲艦の全てを殲滅して、霧が晴れても、奴は戻ってくる事はなかった。

 

 ……今度こそ、本当に倒したみたい。

 

 歓声が上がる。

 勝鬨が上がる。

 襲ってきていた深海棲艦の全滅を確認。

 これが世界中全ての深海棲艦とは限らないが、その大部分を倒す事ができただろう。

 そして、おそらくはもう、神隠しの霧は……現れない。

 レ級を倒した。確かな手応えがあった。

 だから、もう。

 

「もう、勘弁してよね……」

 

 空が暗くなっていく。

 曇天の空は、曇天の夜空に。

 霧が晴れて少しばかり明るくなっていたのに、さっき以上に暗くなってしまって、辺り一帯が静まり返った。

 

 だって、聞こえたから。

 歓声を掻き消すほどの大声。深海棲艦の咆哮。

 振り返れば、たくさんの艦娘のずっと向こうに、大きな……とても大きな深海棲艦がいるのが見えた。

 

『――――――ッッ!!』

 

 それはまるで駆逐イ級のような姿をしていて……ボロボロと肌の表面から何かを零しながら、生え揃っていない鋭い歯を見せつけ、怨嗟の声を上げた。

 戦いは、まだ続く。




TIPS
・トレーラービックインパクト
シマカゼ改二(タイプトライドロン)の必殺技。
いや、仮面ライダードライブ(タイプトライドロン)の必殺技。

・巨大深海棲艦
未知なる既知の敵。
そいつの出現は、人類が初めて深海棲艦――未確認深海魚と呼ばれる
イ級を目撃した時のような衝撃を、全艦娘へ与えた。


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第六十話  変貌

前話に加筆修正してあります。



次回の更新は2月25日か2月26日かな。



 雪の合間を飛ぶ艦載機達が、疲れ果てた様子でそれぞれの主の下に戻っていく。

 

 倒した敵の残骸が集いに集ってできたのが、あの山のようなイ級……。

 聞こえてきたみんなの声を鵜呑みにするなら、奴は、そうして出現した……らしい。

 夜を呼ぶ巨大な、いや、超巨大な深海棲艦の出現。誰しもが呆けていて、だけど、奴が動き始めた事により起こった高い波に、正気に戻らざるを得なかった。

 転ばないよう身を丸めて波が過ぎ去るのを待つ。巨大なイ級は、生まれたてのように動作が緩慢で、なのにそれだけで脅威になっていた。体勢を乱されれば移動もままならない。だがあの巨体ならば、どれだけ砲撃が下手でも当てる事ができるだろう。

 そのためには接近しなければならないが……いったいどれほどの距離があるのか、遠近感が狂ってしまってよくわからなかった。

 足下を何かが通っていく。

 黒や焦げた色の鉄……火を残す敵艦載機の残骸や、ヲ級やル級の体の一部が不自然に流れていく。

 誰に聞かずともわかった。それらの行き先は、あのイ級なんだって。

 

「なに、あれ……」

 

 よろけながらも隣に寄って来た吹雪が、完全に気を取り戻せていないのか、力の入っていない声を発した。

 あれが何か、か。姿だけならイ級だけど、あんなでっかいの、今まで確認された事はないし、というかあれは本当にイ級なのか?

 目を凝らせば、奴の体表には複雑な線模様が走っているのが見える。遠くからだと線に見えるだけで、おそらくは近くで見上げれば、深い溝となっているのがわかるだろう。そういうの、なんて言い表せば良いんだっけ。

 

『継ぎ接ぎ?』

「そう、それ。継ぎ接ぎ」

 

 胸の中に響いた島風の声を繰り返すように口にする。寄り添っていた朝潮は、イ級の姿を眺めながら頷いた。彼女もそう思ったみたいだ。

 

 幾度となく波が過っていく。残骸が海を流れ、奴の体に吸収されていく。

 ……まだ大きくなるつもりなのか?

 もはや一メートルや二メートル大きくなろうとも、輪郭を見るだけでは判断できないでかさになっているが、なんとなく、そんな予感があった。

 奴は貪欲にこの海に漂う残骸を取り入れ、巨大化しようとしている。それでどうするつもりかは知らないが……なら、俺達のやる事は一つだ。

 

「そうなる前にぶっ壊せ、ってね」

「第一、第二主砲、斉射始め!」

 

 数いる艦娘達の中心で、誰かが砲撃した。ぐんぐん空へ伸びていった幾つかの砲弾が巨大なイ級の額に当たれば、奴は僅かに仰け反り、しかし、それだけだった。

 複数直撃で得られた成果は、ただ少しだけ奴の装甲を剥がしたくらいで、ダメージらしいダメージはない。イ級は水色に光る瞳を揺らして、たぶん、俺達を見下ろした。

 ……あれ? ここからでも、零れ落ちる黒い塊――奴の装甲?――が結構はっきり見えるんだけど……ひょっとしてあれ、かなりの大きさなのでは……?

 予想は的中した。高い水柱が上がり、付近の艦娘が弾かれるのが粒のように見えた。

 あれでは攻撃なんかしたら間近にいる艦娘の身が危ない。みんなただでさえさっきの戦いで消耗してるのに……!

 だからといって、奴から離れようとするのも難しい。そうするためには、全艦娘が後退の意思を持って、まず俺達のいる最後列から下がっていかなければならない。それには非常に時間がかかるし、何より奴の巨体なら、数メートル数十メートル離したところで身動きで追いつかれてしまうだろう。

 ……けど、攻撃しないなんて手はもっとない。あんなのを野放しにしておけない。

 どうしよう。どうしたらいいと思う? 朝潮!

 

「……近付かなければ、話になりません」

「でも、あんなのに攻撃されたら、ひとたまりも……ないかも」

 

 弱音を吐く吹雪に、朝潮は言葉を返しはしなかったけど、目を伏せて俯いた。

 たしかに不用意に近付きたくないな。体当たりだけで粉微塵にされそうだ。ただ、朝潮の言う通り、ある程度近付かなきゃ俺達の砲では届かないし、魚雷は誤爆が怖いし。……もう一回、改二になれれば、朝潮か吹雪を抱えて飛んでいけるんだけど……体、持つかなあ。

 鎖骨の下へ手を這わせれば、横一文字を描く疵痕はでこぼこして、血は止まり、固まり始めているようだった。これなら飛翔したって、失血死なんて間抜けな最後を迎える事はないだろう。ただ、弾薬はまだしも燃料がどれくらい残ってるか、ちょっとわからない。感覚的には半分より下ってくらいだけど、なんか体に力入んないし、というか体中痛いしで、あまり無茶な事はしたくなかった。

 今無茶せずいつ無茶するんだって話だけどね。

 つまりはまあ、俺の体の事はどうでも良い。島風には悪いけど、みんなを守るためなら、シマカゼは死ぬ気でやらせてもらうとするよ。どうあっても死ぬ気はないけどね!

 ひゅ、と息を吸い込み、強張った体を伸ばし、両腕を左右へと広げる。強い風が背中から吹き付け、瞬間的な加速感の中で瞬時に改二への改造を終えれば、酷い頭痛に襲われた。

 

「シマカゼ……?」

「島風ちゃん、大丈夫!?」

 

 思わず額を押さえれば、二人の心配する声。……いや、朝潮は心配するというより、戸惑っているといった方が正しいかな。たぶん、この状況で俺が改二になる事を選択するのはわかっていたのだろう。

 二人を手で制して顔を上げる。頭痛はほんの一瞬のみのもので、今はもう何もなく、やや脳が重いってくらいだった。

 うん、大丈夫そう。いける。いけるって。

 

「よーし、私の体、頑張ってよね」

『だーいじょぶ! まっかせて!』

 

 小声で気合いを入れると、島風の能天気な合いの手が入った。いつでもこんなんだから、調子狂っちゃうよ、もう。

 息を吐けば、喉の奥に鉄の味。結構長い事立ち止まってたはずなのに、まだ肺が疲れている。痛む胸に、胸元の服を掴んで握り締めながら、曇天の空を見上げた。

 暗闇の向こうに浮かぶ黒い雲。はらはらと降る冷たい結晶。

 

「待ってください」

 

 顔を見ずに朝潮の腰に手を回そうとすれば――抱えて飛ぼうと思った――、待ったをされた。拒絶されたのかと彼女を見れば、朝潮は鋭い目つきで巨大深海棲艦を眺めていた。

 と、暴風。

 

「きゃっ!」

「む、掴まって!」

 

 引き込まれるような風に激しくはためく服。よろめいて、そのまま飛ばされそうになっている吹雪へ呼びかけながら、艦橋をがっしり掴んで引き寄せた。言葉選びを間違えたが、彼女を留める事ができたので良しとする。すぐ傍に立っていた朝潮は腰を抱き寄せて手放すまいと力を籠めておく。

 

『―――――ッッ!』

「ぅいっ!?」

「っ!」

「~~~~!!」

 

 キィィ、と耳の奥が震え、裂けるような痛みに襲われた。二人に手をかけている関係上耳を塞ぐ事ができず、もろに巨大深海棲艦の咆哮を受けてしまう。と、バチリと左腕に電気が走った。カンドロイドが火花を散らせている。というか、掴んでいる吹雪の艦橋も表面に電気を這わせ、黒煙まで上げ始めた。

 まさか、今の咆哮が原因?

 

「どうやら、そのようです」

「うわ……」

 

 朝潮の声に前を向けば、どの艦娘も装備や艤装から煙やらを(のぼ)らせて、困惑していた。う、俺のブースターユニットまで……!

 翅を噴かせて確認してみようとしたけれど、背部の艤装からは桜色の光の欠片がぱらぱらと落ちるばかりで、思い通りに動かせそうになかった。

 ……飛んでなくて良かった。空中であれ食らって飛行不能になってたら大参事だ。朝潮が声かけてくれてなきゃ、そうなってたよね。……ひょっとして、こうなる事がわかってて……な訳ないか。でも、最初の暴風――たぶん、奴が息を吸い込んだ時の副産物は察知できていたのだろう。

 困った……これじゃ飛べない。奴の下まで向かえない。

 姿は見えてるのに手が出せないってのは歯痒い。

 でも、なんとかしなきゃ、みんなが。

 イ級が口を開け、暗い口内から砲弾を吐き出す。大気が震え、空気が穿たれる。あれ、砲弾なんて大きさじゃない。というか、砲弾じゃない!?

 ボロボロと何かを零しながら、球状の黒い塊が艦娘達の上空へ届くと、まるで耐え切れなくなったみたいにばらばらになって降り注いだ。

 あれ、奴が取り込んでた残骸だ!

 雨のように降り注ぐ様々な物が艦娘を襲う。普段ならそれしき避けるか跳ね返せるだろうけど、ほとんど密集していて、かつ消耗している今では、下手すれば致命打を受けてしまうだろう。

 巨大なイ級は一発に留まらず、連続して三つ、同じ塊を吐き出した。そうするたび、奴の体がもぞもぞと動いて縮まっているような気がしたけど、そんなのを気にしている余裕はなかった。

 たくさんの悲鳴が上がる。どんな原理か、艤装の使えない今、一方的にやられるしかなかった。

 波のように、みんなが移動を始める。ばらけて! 誰かが叫んだ。もっともっと広がって! 呼応するように、他の子の声。

 俺達もイ級を睨みつけながら後退を開始した。

 

『――ッ! ――ッ! ――ッ!』

 

 狂ったように塊を吐き出し続けるイ級は、そうしながらも前進しているようで、空に気を取られていれば波に足を絡め取られ、転んでしまいそうになった。――イ級の方を向いていた俺達でさえそうだったのだから、奴に背を向けて動いていた艦娘は……。

 四の五の言ってる暇はない。さっき自分の体がどうなっても良いって言ったばかりだ。だったらやるしかない!

 

「……試してみるか!」

 

 誰にともなく呟き、二人を離してから、意識して改二化を解く。放り出された連装砲ちゃんが海面につく前に、再度自身を改造し、シマカゼ改二に到達する。ブースターユニットから光の翅が突き出した。

 

「ん……よし、艤装直ってる!」

 

 肩越しに背中を見ながら言えば、それでどうするのですか、と朝潮。どうもこうも、突撃してあいつぶっ倒すの!

 

「ま、待って島風ちゃん! またあいつが叫んだら、島風ちゃん落ちちゃうんじゃ……!」

「落とされるより速く飛べば良いだけだよ。なんの問題もないでしょ?」

 

 それに、ちんたらしてたら奴から離れていく一方だし、ほんとに誰かが沈んでしまうかもしれない。これだけ激しい戦いだったのだから、俺の知らない艦娘が沈んでいてもおかしくないのだ。これ以上は無理。これ以上は見過ごせない。

 大丈夫だよ、あいつでかいだけで装甲なんて無いに等しいみたいだし。すぐやっつけてくるからさ……。

 軽い声音と口調で言おうとした事は、どうしてか口を開ける事ができなくて、言えなかった。

 疲れてるからかな。胸が痛いからかな。

 わかんないけど、気にしてなんかいられない。二人に声をかけられないから、代わりに足を止めて、下がっていく二人に向き直り、顔の横で小さく手を振った。

 背後に迫る艦娘の気配。波が来て、俺の位置が少しだけ高くなった時に合わせて跳躍する。真下をみんなが列をなして後退――いや、進んで行く。

 翅を噴かして、イ級の方へ体を向け、急加速。奴はまだ塊を吐き出している。たまに塊のまま海に落ちると、巻き込まれた艦娘は――沈まないまでも、ボロボロになって海面を転がったり、他の艦娘に受け止められたりしている。

 

『――ッ!』

「ん……」

 

 耳元を通り抜けていく風の音に、鈍いものが混じる。イ級が俺に向けて塊を吐き出してきたのだ。あんなガラクタの集合体みたいな奴の癖して、意思があるとは驚きだ。少し体勢を変え、両足キックで突っ込んでいく。避けるより粉砕してやる方がみんなの助けになるだろうという判断だった。

 

「っ!?」

 

 迫りくる巨大な塊に恐怖心を煽られながらも、負けじとキックをぶちかます。そう意気込んでいたのに、塊は足に当たった傍から瓦解(がかい)していく。柔らかいどころではない。手応えがほとんどない。欠片や頭丸々一つやらがばしばし体に当たり、スカートの内側に入って捲り上げ、背部のユニットや顔にまでぶつかってくる。引き裂くように塊の中を突き抜ければ、背後で崩壊する気配があった。

 驚異的なのは速度だけか……それも、俺の跳ぶスピードの方が勝っている。あの変な咆哮のせいで反撃できないからみんな離れて行ってるけど、そうでなければこんな奴、あっという間に倒せるだろうに!

 

()っ……く……!」

 

 ずきりと脇腹が痛んだ。筋肉が引き攣っているみたいな痛み。体勢を戻し、飛翔を続行する。体や布に引っ掛かっていた残骸が零れ落ちていく、その感覚が気持ち悪い。

 

『オ―――――オオ―――――』

 

 でっかく開いた口から意味をなさない声を発する巨大なイ級の前へ辿り着き、付近から艦娘が退避し終わっているのを確認する。よぉしオッケー、あとは全力で蹴るだけ!

 近くで見ればよくわかる、この巨大深海棲艦の歪さ。遠目に見ればたしかにイ級に見えたのに、至近距離だと、形作るパーツが残骸なためにでこぼこしすぎていて、非生物にしか見えない。海面へ向かって頭から落ちていく中で、真横にあるイ級の体を見つつ――体の一部になっているリ級と目があった、気がした――、ようやっと海上付近へ。減速はせず、思い切り体を回転させてイ級の顎下を蹴り上げる。

 

『――!!』

「もう一発!」

 

 ぐらり傾いて持ち上がる奴の下へ潜り込みながら、限界までブースターユニットを使って加速し、再度顎下を蹴り上げた。固まっていない体はそのたびに大量の残骸を吐き出し、それで撃墜されないように動くのは神経を使う。

 ようやく体の下に潜り込む事ができたら、あとは繰り返しキックして持ち上げていくだけだ。突き抜けてしまわないよう、両足を上手くぶつけてその場で衝撃を発生させ、浮き上がらせていく戦法。不思議なのは、同じ個所を蹴っても、体表として機能しているらしい残骸がごっそりなくなる事はなく、何度蹴りつけても同じくらいの量の鉄やら何かがザアザアと落ちてきた。

 

「ん、この、くらいで……!」

 

 曇天が近い。もはや雪が降っているかいないかすらわからないくらい残骸に(まみ)れてしまったけど、雲の近さから、どれだけ海面から離れたかくらいはわかった。もう一度蹴りつけ、その反動で海へと落ちていく。途中で頭と足の位置を入れ替え、さらにスピードを上げていく。奴の巨体を蹴って浮かせていられる時間は少ない。その前に、こっちが最大速度を出せる距離を稼がなければならない。だから速度命!

 ほとんど減速する事なく海面に着水、直前で一回転しつつ勢いを殺してみたけど、殺しきれなかった衝撃は広がる波と水飛沫として現れた。

 空を見上げる。イ級の巨大な体が影となり、辺り一帯はいっそう暗くなっている。黒い点々とともに落ちてくる奴の体は遅く、でも、とても速いとわかった。

 足に力を込める。海面についた手にも、めいっぱい力を。翅を閃かせて、跳躍、そして飛翔する。

 加速、加速、加速。体が伸びて千切れてしまいそうな圧力にも耐え、体の中が溶けそうなくらいの熱にも耐え、トップスピードに突入する。

 風が俺を避けるように流れていく。雪が物凄い速さで視界を過ぎ去っていく。奴に近付くごとに影が濃くなり、暗くなる。

 

「っ!」

 

 体を丸めて半回転。急降下キックの体勢は、いつもと違って空へ向く。鈍色のブーツはデカブツを指し、広げた両腕にかかる圧は、しかしスピードに影響しない。

 

「だぁーーーーっっ!!」

 

 気合い一声(いっせい)、今度は何も考えない全力のキックで、落下してくる巨体を蹴り貫く。全開で噴かせた翅はぐんぐん敵の体内に俺を押しやり、伸ばした足先はたとえ大きく硬いものがあっても砕き、突き進む。

 やがて、空が見えた。

 

「……ぁ」

 

 快晴の空。

 左の、ずっと遠くの方に眩しい光があって、いつの間にかイ級だけでなく雲まで突き抜けてしまったのだと気づいた。

 ……呆けている暇はない。まだ仕事は残ってる。自由落下に任せていた体の制御を取り戻し、翅を繰って雲を抜ける。二つに分かれた巨体が落ちていくのを見つけた。

 

『オ――――』

 

 頭の方に狙いを定め、急降下キックで目を貫く。青い光に実体はなく、その先の残骸を砕きながら進んだ。可燃性の何かでもあったのか、もう片方の目から出て行った時に、背後で爆発が起こった。一つではない。小さな爆発が、何度も何度も巻き起こって、俺の体を吹き飛ばした。

 向かう先は海面しかない。だが、ブースターユニットの位置上、この体勢では加速はできても減速はできない。凄まじい圧力が方向転換も許さない。

 

「くっ!」

 

 防御も何もなく、俺は硬い海へ叩き付けられなければらなかった。一瞬迷って生体フィールドを解いてみたけど、高高度からの落下では地面扱いの海を砕くのと、ただの海に叩きつけられるのとにそう違いはなかったらしい。

 意識が途切れた。

 

「――!」

 

 気がつけば冷たい海の中だ。胸の傷に染みる海水に表情を歪め、ボココ、と口元から昇っていく気泡を頼りに、手足をばたつかせて泳いでいく。体が千切れてしまったのか、手足の感覚がなかった。……視界に自分の両腕が映ったり見えなくなったりしているから、腕の方は無事だと思うけど。

 黒い鉄の塊や、異形の亡骸が落ちていく中を必死になって昇っていく。緩やかに頭から沈んでいく駆逐棲姫と擦れ違った。ほとんど傷はないが、動き出す気配もない。ポコポコと口から泡を出しながら、どこか安らかに見える表情で暗い水底へ消えていく。

 その姿を最期まで見送ってから、水面(みなも)を見上げ、気をつけの体勢とバタ足で上を目指す。

 

「ぷはっ!」

 

 幸いにして息が切れる前に外気に触れる事ができた。はひはひと喘いで肺に酸素を取り入れる。近くにいた誰かに引き上げられた。

 

「大丈夫ですか? 島風ちゃん」

「げほっ、ぁ、榛名さん」

 

 間近に見えるのは、榛名さんの気遣わしげな顔。頬が煤けて、前髪が乱れて、電探カチューシャなんかは原形を留めていないほど傷ついているが、瞳の闘志は消えていない。彼女は袖の綺麗な部分で俺の目元と口元を拭うと、生体フィールドを纏い直すまで腰を支えてくれていた。

 

『――――!!』

 

 イ級の咆哮がすぐ傍から聞こえてきた。でもそれは、耳をつんざくほどの声量ではなかったし、何より『咆哮』と言えるほどの迫力も無かった。

 ずいぶん小さくなってしまったイ級が海面に横たわり、徐々に沈んでいる。時折体をびくびくと動かしているが、それ以上何かできそうにもない。

 やったんだ……なんとか、倒せたみたいだ。

 いや、まだ息がある……生きてるんだから、倒したとは言わないか。

 とどめを刺すべきか、それとも手を出さず見ているべきか。これ以上攻撃して、何か予想もつかない、不気味な事にならないか。

 そう不安に思い、悩んでいると、榛名さんが肩に手を置いてきた。

 今やれるのはあなたしかいないから、どうか、お願い。纏めれば、そのような事を、細い声で言われた。電気が這い周り、黒煙が燻る彼女の艤装では、攻撃はできそうにない。直接攻撃しに行くのなら砲はいらないが、満身創痍の彼女をアレに近付けるなんて、彼女自身が許しても俺が許せそうになかった。

 俺なら、近付かなくても砲撃で倒しきれる。少しだけ近付いて、何度も両肩の連装砲ちゃんで撃てば、きっとそれで終わる。

 

 なんとなく振り返れば、遠巻きに眺めるみんなの姿があった。背を丸めていたり、腕を押さえていたり、壊れた砲を抱えていたり、様々だったけど、誰もが俺達を見つめて――見守っていた。

 期待、されてるのかな。俺が奴にとどめを刺し、この戦いを終わらせる事を。

 託されてるのかな。今は誰にもできない事を、代わりに俺に、って。

 プレッシャーを感じないと言えば嘘になる。ただでさえ俺は砲撃が苦手なのに、この、今も沈んでいる大きなイ級へ、砲弾を当てて倒しきらねばならないというのだから。

 本当なら、重圧に震えていたかもしれない。だけど不思議と、俺は気楽にイ級へ向き直った。肩に置かれた榛名さんの手の温もりに、凄く安心した。

 死に体の相手には一発で十分かな。むしろ、一発でなきゃ当てられない気がする。

 

「んっ!」

 

 榛名が手を置く左肩とは反対の、右肩に備えられた砲でイ級を砲撃する。集中した甲斐あって、命中した。

 それで終わりだった。

 俺はてっきり、砲弾を当てれば爆発して、奴の一部が吹き飛ぶだろうと予想していたのに、実際にはその一撃が致命打になったみたいに、残骸を落とすどころか砂のようにさらさらと崩れて、波間に消え去った。

 近付かなくても不思議な現象が起こったから、少しの間呆けてしまったが、夜が明けると奴を倒したのだという実感がわいてきて、自然と笑みが浮かんできた。

 この喜びを共有したくて榛名さんを見上げる。

 

「やりました、榛名さ――()っ!」

 

 ずきんと、肩が痛んだ。砲撃に使用した右肩ではなく、榛名さんが手を置く左肩。

 反射的に細めた視界を開けば、俺を見下ろす昏い橙色の瞳は、一片の輝きもなく淀んでいる。

 ただ、憎々しげに歪んだ表情が、突き刺すように俺へ向けられていた。

 

「は、るな……さん?」

「…………』

 

 肩に置かれた手は、肉も骨も握りつぶそうと言わんばかりに指が食い込んでいて、小刻みに震えていた。



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第六十一話 名もなき艦娘の真実

また遅れてしまった。
あ、今度こそ次回が最終話です。



次回の投稿は2月29日までになると思います。



「ちょっ……と、榛名、さん……!?」

『…………」

 

 ギシリ、ギシリ、肩が鳴る。

 思わず身を縮こめさせてしまいそうな痛みに、彼女の手を掴んで()けようとする。なんのつもりか、もの凄い力で押し返そうとしてきたけど、なんとか払う事に成功した。

 手が離れると、途端に肩に血が流れるふわっとした感覚があって、俺は肩を押さえつつ、榛名さんを見上げて後退(あとずさ)った。

 彼女はまだ、暗い表情で俺を睨みつけている。そんな顔ができるような女性(ヒト)ではないと思っていたけど、なかなかどうして、迫力があった。

 ……勝利の喜びに思わず力んでしまった……なんて様子じゃ、なさそうだね。

 見下すように冷徹に、されど憎しみの炎に似た揺らめきを瞳に宿した榛名さんは、俺が何度瞬きをしても『やりましたね』と労ってはくれないし、笑いかけてもくれなかった。

 そんな……えっと、俺、いや、私、何か怒らせるような事……した、かな? なんかマズった? 失敗した? あのでっかいのを倒しちゃいけなかった……なんて事はないよね。

 まさか、イ級の傍に味方がいたとか……それは、ないか。もしそうなら撃つ前に止めてくれていただろう。

 榛名さんの怒りの原因がわからず困っていると、彼女の口が小さく動いた。声量が低すぎて聞き取れない。耳をすませば、ようやく少し音を拾えた。

 

「榛名は……」

「……?」

 

 たぶん、名前。自分の名前を言ってる。そう認識すると、よりはっきりと榛名の声が聞き取れるようになって、だから、眉を寄せた。

 

「榛名は、まだ、戦えます……」

「あの……?」

「榛名は、大丈夫です……」

 

 それでも言葉の意味がわからず声をかけてみたけど、反応はない。大丈夫と言ってるのだから、放っておいてこの場から離れても、なんて考えも浮かんでしまったが……。

 

「榛名はまだ戦えます、榛名は大丈夫です、榛名はまだ戦えます、榛名は……」

 

 明らかに様子のおかしいこの人を置いて行って良いのだろうか。

 何度も何度も同じ言葉……『戦える』と『大丈夫』を繰り返す榛名さん。何がどうしてこうなったのかわからないけど、なんとかしなきゃと思った。でも俺の手に余るのは明白だ。だって俺じゃ、『きつけ』をするってくらいしか思いつかないし、そんな事できないし……。

 なら、誰かを呼んで彼女を正気に戻して貰えば……。

 

「……え、うそ」

 

 みんなを頼ろうと遠巻きに見守ってくれていたはずの艦娘達へ顔を向ければ、異様な光景が広がっていた。顔を押さえて蹲る者や、頭を抱えて震えている者、跪いて喘いでいる者……誰もがその体から黒煙を出し、纏うように漂うそれに苦しめられていた。

 なんだこれ。敵は……まだ敵は残ってたっていうのか? これはその敵の攻撃なのか?

 

「ああああっ!」

 

 至近での叫び声に肩が跳ねた。声の出所は榛名以外にない。見れば、彼女も黒煙を――いや、これは煙じゃない。もっと悍ましい……闇……黒い、光?

 そうとしか言いようのないオーラを体から滲ませた榛名さんが、両手を額に押し当てて苦しんでいる。榛名さん、と呼びかけながら駆け寄っても反応は得られなかった。

 

「榛名は榛名は榛名は榛名は――……」

「しっかりしてください! ちょっと! ねぇ!」

 

 心の裏側を削るような、そんな不安を掻きたてる光に触れぬよう、思い切って腕を掴み、揺さぶってみても、彼女は何かに憑りつかれているみたいに同じ言葉を繰り返すばかりだった。

 そのうちに、向こうの方の艦娘達も何がしかを言い始め、辺り一帯に低い声ばかりが充満した。

 ……何が起こってるのかさっぱりわからない。

 右を見ても左を見ても、誰一人正気な者はおらず、だから、みんなが……友人達が心配になった。俺の大切な人達までこんな事になっていたら。そういった不安の裏には、きっともう、彼女達もこうなってしまっているだろうという確信があった。

 

「っ……!」

 

 榛名さんを一瞥し、その場から離れる。彼女には悪いが、仲間(ルームメイト)の安否を確認したい。前だけを向いて艦娘達の中へ突入しようとして、しかし、急ブレーキをかけて、無理矢理体を止めた。異様な光景の中へ飛び込むのに怖気ついたとか、そういう訳ではない。

 敵がいる可能性がある中で、榛名一人を離れた位置にいさせるのは、彼女を沈めてくださいと言っているようなものだ。だからといって俺がずっとついている事はできないし、彼女を曳航(えいこう)しようにも、強い力で抵抗されるのはわかりきっている。

 ……なら、こうしよう。

 

『キュー?』

 

 ぱっと光に包まれた体から、連装砲ちゃん達が投げ出されて華麗に着水する。彼女達に榛名さんを守ってもらう事にしよう。砲撃面では俺なんかよりよっぽど頼りになる子達だ。

 短い手を振りながら榛名さんの方へ滑っていく連装砲ちゃん達に背を向け、暗い光の合間に駆け込んで行く。艦娘はそう密集してはいないが、彼女達を蝕む黒色の光に当たると良くない事が起こりそうだったので、避けながら進むのには苦労した。それでも迂回して進むよりは速く最後列へと戻ってくる事ができた。

 途中で見知った顔を見る事はあまりなかった。というより、光に邪魔されて顔が隠れている子が多くいたし、意味をなさない声を漏らしながら身を揺らす彼女達の合間に隠されて、見つける事ができなかった。

 

「朝潮! 吹雪ちゃん!」

 

 足下をサァッと水煙が抜けていく。予想していた通り、朝潮も吹雪も黒い光に捕らわれ、苛まれていた。これに触れて良いべきか否かなんて迷いはもうなく、取り払ってやろうと手を伸ばした。もし手を焼かれようが俺にも光が移ってこようが構わない。二人を助けたい。その想いだけが頭にあった。

 

『……』

『……』

 

 でも、触れる直前に二人共がぴたりと動きを止め、ゆっくりと顔を上げた。正気に戻ったのか。そう期待したのだが、すぐに違うとわかった。

 頭を抱えていた手を下ろし、直立の姿勢になった二人の目は、不安を掻きたてる紅色に変わっていた。揺らめく光は黒いまま体に定着し、まるで元々そうであったかのように波立っている。表情を失くした朝潮と吹雪は、何も言わずに俺から顔を背け、体の向きまで変えてしまうと、どこかに向けて滑り出した。

 引き留めようとした手は届かず、あ、と声が漏れる。届かないはずがないって思ってたから。だって、俺は、触れようとしていて、こんなに近くまで来ていたのに。

 

 二人は振り返りもせず、薄暗い海を進んで行く。潮の軌跡が消えていくのを呆然と見送っていると、背後から風が吹き抜けてきた。動く気配。それも、大勢の。

 振り返ろうとした俺の両隣を艦娘達が抜けていく。みんな、暗い光を纏っていた。(もや)のような闇を侍らせて、まるで、そう、まるで深海棲艦みたいな虚ろさで過ぎ去って行った。

 

「ま、待って! 待ってよみんな!」

 

 このまま行かせてはいけない。なぜかはわからないが、そういった強い気持ちが浮かんできて、彼女達を止めようと声を上げた。

 誰も耳を傾けてくれない。こっちを見ようともしない。ザンザンと波音をたてて、どこかを目指して滑って行く。

 息が上手く吸えない。異様な雰囲気に当てられて、激しく動揺していた。冷たくなったり熱くなったりする体に、滲みだす汗。何人もに目の前を通り抜けられていくと、その姿さえ正しく認識できなくなって、乱暴に目元を拭った。目尻から零れた熱い水が生体フィールドに弾かれて消えていく。

 

「みんな、どうして……!」

 

 泣きそうになってる場合じゃない。鼻の奥がつんと痛むのを腕を押し付けて抑えながら、彼女達の前へと出るために滑り出す。

 止めなきゃ。

 でも、どうやって。

 まるで俺をいないものとして扱うように進むみんなの間を縫って、朝潮と吹雪の正面へ出る。止まるとそのままぶつかられるか、行かれてしまいそうだったから、速度を落とさないまま後ろ向きで航行しつつ、でも、それ以上は何もできなかった。

 腕を広げたって、俺一人じゃこの大人数を押し留める事なんてできない。声をかけても反応を返さないこの様子では、威嚇射撃だって意味をなさないだろう。

 何をすれば止まってくれるのか、何をしたら正気に戻ってくれるのか。

 こんな事態に遭った事もなく、予想もしていなかった俺は、ただただ混乱するばかりで、解決策など一つも浮かばなかった。

 ――俺は。

 そう、俺は、浮かばない。でも、なら、島風なら?

 

「し、島風!」

 

 転びそうになりながら、胸元をきつく握り締めて、この体の中にいる島風へ呼びかける。俺には何も思いつかなくても、彼女なら何か良い案が浮かんでるかもしれない。

 だから。

 

「しま――」

『島風はまだ戦える島風はまだ戦える島風はまだ戦える……』

「あ……」

 

 駄目だった。

 彼女までおかしくなってしまっていた。

 その声はずっと聞こえていたはずなのに、どうして今まで気づかなかったのだろう。俺以外すべてが訳のわからない事になってるなんて最初からわかってたのに。

 だったら……俺は誰に頼れば良いんだ?

 こんな、こんなの、俺一人じゃ無理だ。俺じゃ止められない。

 だって、何もできない。みんなをこうした敵を倒せば戻るっていうなら今すぐそうしたい。でも敵なんてどこにもいない! これじゃあ、どうしようもないよ……。

 

 霧は晴れ、夜は終わった。雨のように降る重い雪が海の上を漂うくらいで、おかしいのは、艦娘だけ。

 なんで……なんで、俺はおかしくなっていないのだろう。シマカゼだって艦娘なのに。

 

「私は……、私も……」

 

 一緒におかしくなってしまえていたら良かったのに。

 下へ下へ、視線が落ちていく。二人の足は水を跳ね退けて、俺が作り出す白線の上を、片足ずつでなぞっている。

 それをずっと、じっと見つめていた。

 二人がついて来てくれているみたいに錯覚できたから、それでなんとか正気に戻ってくれないかな、なんてぼんやりと考えながら、航行を続けていた。

 

 どれくらいの時間が経っただろう。

 雪が止んで、雲が薄れて。

 でもまだ空は曇天で、雪がもたらした冷気は海上に満ちて、生体フィールド越しに俺の体を冷やし続けていた。

 反対に体の中は熱くて、本当はもう限界が近いのに動き続けているから、どこもかしこも悲鳴を上げていて。

 だから、何。

 今は止まりたくない。痛いからって……壊れても……みんなと動いていたい。

 前を向く。体の向きを変えて、誰もいない方へ。

 それから、ずっと遠くを見据えて、口を引き結んで、身を硬くして、何も考えないで滑る事にした。

 これでみんなと同じ。

 シマカゼも、おかしくなった。

 

 

 ――ぃ

 

 ――おい!

 

「…………?」

 

 

 ぼんやりとした視界の内側に、誰かの声が響いた。

 頭を緩く振って、前から吹き付けてくる風で眠気を覚ましながら、目をしばたたかせる。

 だれ……? シマカゼの中で喋ってるの……。

 …………島風!?

 はっとして、胸元を見下ろす。焼け焦げた破れかけの布に隠された肌の中に、期待していたのとは違う声が繰り返し響いていた。

 

『聞こえるか、電!』

「……?」

 

 知ってる声……というか、これは、藤見奈提督の声だ。

 なんでそんなものが聞こえるのかがわからず、首を捻る。

 というか、俺……何してたんだっけ。

 

『お願いだ……返事をしてくれ!』

「はぁーい、てーとくー」

『っ!? いな……誰だ?』

 

 返事をしろ、と言われたから素直に返してやれば、誰だ、なんて言われた。酷い。

 でも、すぐに息を呑むような気配がして、それから俺の名前を呼んでくれたから、ちゃらにしてあげよう。

 

『島風なのか?』

「そうですけど……どうしました?」

 

 耳に手を当て、彼の声をよく聞き取ろうとしながら、水平線に目をやる。ザァザァザァ、大音量の水音を背に、少し黒色が見えてきた波の向こうに、目を細めた。

 

『どうした、って……そっちでは何も起こってないのか?』

「え? ……え、あ……ぃえ、あの」

『やはりなんらかの異常事態が起こっているのか? みんなはどうした。無事なのか!』

 

 提督の言葉で、ようやっと状況を思い出した。

 後ろから聞こえてくる航行音は、おかしくなったみんなのもの。乱れない動きは異常そのもので、だから俺は、一緒になろうとして……。

 

「あの、無事、無事……では」

『……頼む。はっきりと言ってくれ。誰が、どうなった。そっちでは今何が起きている。電は……いや、みんなは無事なのか』

「あの……」

 

 これを無事と言っていいのかどうか判断できず、同じ言葉を繰り返してしまう。

 この状況は受け入れ難く、提督に伝えてしまったら、もうどうしようもないくらいこれが現実だってわかってしまうから、言いたくなくて。

 ……だけど、報告は、しなくちゃ。

 一欠けら残っていたかつての大人としての意思が、自分に行動を促す。

 状況を伝えて、判断を仰ごう。そうだ、提督なら何か思いつくかもしれない。おかしくなったみんなを元に戻す方法を。

 希望に縋るように手の平を耳に強く押し当て、一字一句ちゃんと届くように、はっきりと声を出して、彼が『通信が途切れ、聞こえなくなった』と話した部分から、その後の事を報告した。

 大量の敵との交戦、レ級の撃破、周囲の状況、それから、巨大なイ級の撃破。

 そして……みんながおかしくなってしまった事。

 話しているうちに動揺と悲しさが戻ってきて、ところどころつっかえてしまったけど、提督は黙って聞いてくれた。

 しばらくの間、提督はそのまま何も言わないでいて、こちらから呼びかけようかと思い始めた頃に、低い声で語りかけてきた。

 

『島風。俺が直通で通信ができるのは、我が鎮守府の第一艦隊、その旗艦のみだという事は知っているな』

「……はい」

『その艦娘……彼女、電と通信が繋がらない。こんな事は今までなかった。どれだけ妨害電波が発されていようと、この通信だけは、彼女との繫がりだけは絶たれた事がなかったというのに……!』

 

 震える声が、提督も怒りや悲しみを感じているのだと教えてくれた。

 そうか……だから俺に、彼の声が聞こえるんだ。

 もう、みんなおかしくなってしまったから。彼の艦隊に残っている艦娘が、俺一人しかいなくなってしまったから。

 なんとなく、わかっていた。みんなはただおかしくなったんじゃないって。

 だけど、艦娘じゃなくなってるなんて考えたくなかった。

 それは知識として持っていたけど、現実には起こって欲しくない事だった。

 艦娘の深海棲艦化。

 いつか、こことは別の世界で培った知識の一つ。理由も原因もわからないそれが、きっと俺の後ろにいる彼女達にも起こり始めているのだろう。

 振り返るのが怖い。

 今、みんなはどんな姿をしているんだろうか。

 あの黒い光に体を変えられてしまってはいないだろうか。

 見たくない。確かめたくない。

 変わらない水音にだけ耳を傾けて、きっと、まだ大丈夫、まだ引き返せるんだ、と自分に言い聞かせる。

 

 その時だった。

 

 背後で爆発音がした。

 ――いや、爆発するような、砲撃音。それが何十個も重なって、鼓膜を叩いた。

 俺を飛び越していった砲弾が、ずっと先を航行する船へ着弾する。

 艦艇……あれは、海上防衛隊の……護衛艦?

 

『どうした! 何があった!?』

「わ、わかりません。船が……みんなが、船を」

 

 なぜこの海にただの艦艇が艦娘の護衛もつけずに出ているのかはわからないが、みんながその船を攻撃したというのは理解できた。でもその理由は理解できなかった。

 だって、あれはどうみても敵じゃない。なのに確認もせず撃った。そもそも、みんなイ級の咆哮のせいで艤装が壊れているはずなのに。

 

 やっぱり、みんなは……。

 

『船……まさか! いや、でもあいつ(海棠)はそういう奴だ……! 声は届くか!?』

「た、試してみます!」

 

 速度を緩め、炎上する船へ向けて妖精暗号通信を飛ばす。

 今まで散々やり方なんてわからないと言ってきたが、今はそんな事を言っている場合ではない。ただ妖精さんに頼んで、俺の意思をあの船に乗っているかもしれない誰かへ届けるだけの事を『妖精暗号通信』と仮称して実行した。

 返信あり、と妖精さん。『攻撃するな、敵ではない』……これは、誰から?

 指先で端末を叩いて羅針盤妖精さん達を呼び出しながら考えていれば、みんなが俺の左右を抜けて行った。――変わってない。黒い光を纏い、目を赤く輝かせ、人形みたいに動いてはいるけど、さっきから何も変わってない。イ級やヲ級に姿を変えてしまっているなんて事もない。誰もがみんな原形を留めていた。

 それに僅かの安堵を覚えてしまって、頭を振った。安心しても意味なんてない。みんなが元に戻らなければ駄目なのだ。

 波を蹴って走り出す。

 まずはみんなを止めないと、あの船が沈められてしまう。そんな事したら、きっともう後戻りできなくなる。

 やらせる訳にはいかない。大丈夫、シマカゼならすぐにみんなの前に回り込めるから!

 自身を鼓舞しながらも、そうして朝潮と吹雪の前へ出る事ができた。すぐさま二人を抱えるようにして押し留める。こっちは全速力で止めようとしてるのに、抵抗してくる力は凄まじいものがあり、二人が止まったのは後続の艦娘にぶつかってからだった。

 抱くようにしているから二人の表情は見えないけど、衝撃や痛みに歪めているとしたらと思うと、俺の表情まで歪んでしまった。彼女達に痛い思いをさせたくない。ましてや攻撃なんかできない。できるもんか。友達だから……!

 だから、絶対に止めてみせる!

 

『……――!』

「くっ……!」

 

 わかってたけど、これだけじゃ全員を止める事はできない。他の手も考えなきゃ、と考えていた矢先に、朝潮と吹雪に肩を押されて、押し飛ばされた。なんとか転んだりせずにすんだけど、少々まずい事になったかもしれない。二人は憎々しげに俺を睨みつけて、完全に敵対モードになっている。二人どころかその後ろの子達も、広がって俺を囲み始める始末だ。

 ああ、でも、いいか。いちおう、これで少しだけ船への攻撃を止める事ができた。

 次は……次は、どうすれば良いですか、提督。

 耳に手を押し当て、指示を仰ぐ。

 どうしてか、彼からの返答はなかった。

 

「……提督?」

『あ、ああ、すまな――おい、離せ!』

「提督、どうかしたんですか!」

 

 周囲を見回していた俺は、声から伝わってくる切迫した雰囲気に、耳に当てた手に集中した。

 

『明石と大淀もおかしくなっている。幸い艤装は装着していないが……っ! くそ、俺一人じゃ骨が折れるな!』

 

 言葉そのままの意味で骨が折れそうな状況にあるらしい提督に、なおも言葉をかけようとして、俺を取り囲む艦娘達に動きがあるのに気付いた。

 輪を縮めてきている。じわりじわりと、速度は遅いが確実に寄ってきている。

 

『よし、ま、撒けたみたいだ。島風、そっちの状況は、どうだ』

「良くは、ないです。みんな私を敵だと認識したみたいで……」

 

 仲間に、親しい人に向けられる敵意や何か……殺意は、心臓を直に握りつぶされそうな圧力があって、汗が止まらなかった。息もだんだん荒くなってきている。肉体的にはとうに限界だったけど、ここにきて精神の方も、ちょっと駄目みたいだった。

 蹲ってしまいたい。怖い。逃げてしまいたい。そういった気持ちをねじ伏せるために、ひたすら提督の声に意識を集中させる。

 

『なんとか切り抜けて、打開策を探すんだ!』

「そんな……そんな事言ったって、何もないです!」

 

 打開策なんて、何も!

 俺は、提督にそれを聞きたいのに、提督はただ『探せ』と言う。

 俺なんかじゃどう頑張っても無理だっていうのに。

 

『……できるさ。君なら』

「なぜそう言えるんですか……提督」

『そう思ったからだ。……はは、ここに逃げ場はないな』

「……提督?」

『すまない、島風。頼んだぞ!』

 

 息を潜めていた提督が急に大きな声を出すものだから、思わず耳から手を離してしまった。

 それで通信が切れるのかどうかは知らないが、彼の声が聞こえなくなったのは確かで、いよいよ俺は目の前の出来事と向かい合わなければならなくなってしまった。

 仲間が迫る。

 たぶん、俺を沈めるために。

 提督は、無責任にも『頼んだぞ』なんて言ってくれちゃったけど……ああ、もう。

 だったら、その期待と信頼に応えてやるしかない。

 

 諦めちゃいけない。

 ここで終わっちゃいけない。

 もっともっと速く頭を回転させて、打開策を考えて。

 それだけじゃない。動いて、動いて、動きまくるんだ!

 振り返れば見える、俺を無視して進む艦娘達。

 持ち堪えた船に砲塔を向ける金剛。

 首から下げた結婚指輪を揺らしながら進む電。

 

 止める。止める。

 全てを。

 

「なろう、もう一回……あと、一回だけ……大丈夫だよね、朝潮。吹雪ちゃん」

 

 浅い呼吸を繰り返しながら、胸に手を当てて、二人に問いかける。

 答えはない。でも、彼女達の名前を口に出した時点で覚悟はできていた。

 端末を開く。改造画面を表示させる。

 消費する資材は連装砲ちゃん×3。体は……持つかな。持たないかも。

 せめて胸の中の島風と交代する事ができれば、一時的に傷なんてない体になれるのに、頼りの相棒は真っ黒くろすけになって淀んでいる。

 今はこの体一つでやるしかない。大丈夫、きっとなんとかなる。

 だから……。

 

「連装砲ちゃん、一緒に行くよ!」

『キュー!』

 

 離れていても、加速した空間に入り込めば、彼女達は俺の傍へやってくる。そして光に包まれ、パーツごとに分解されて俺に装着される。

 疲れ切った体に鋼の艤装が、ボロボロのスカートの上に真新しいゴムのベルトが備わっていく。

 傷ついた体を反映しない改造完了画面を払いのけて、速度の世界を抜け出す。

 そうすれば、みんなに囲まれた海の上へ戻ってきた。

 

「う、うっ!」

 

 歯を噛みしめ、体中を這い回る激痛に耐える。

 改二のパワーに体が追い付いてない。傷は治りもしていない。

 それでも動かなければおしまいだ。

 上空へ砲撃する。

 威嚇射撃。

 お願い、これで俺を敵と認識して……!

 

『――――!』

 

 声なき声が、背越しに聞こえた。

 振り返る事なく上に向けていた体を戻し、足に力を込める。

 

「っ!」

 

 掠れた声を発しながら海を蹴り、ブースターユニットを用いて空中へ離脱する。掴まれそうになった足を膝がお腹につくくらいまで引っ込めて避け、空へ。

 ……! 翅が薄い。弱々しい。こっちのパワーも全然足りないみたい。

 長くは飛べなさそうだ、と考えつつ、眼下を見渡す。

 黒い艦娘がずーっと広がっていっている。集まった数だけ深海棲艦みたいになって、たとえみんなを倒す選択をしても、俺一人じゃ無傷の状態からだってどうにもできなかっただろうなと思った。

 でも、止めるだけなら俺にもできたみたいだ。

 船に向かっていた残りの艦娘も、俺に注目し、反転して向かってきている。

 あとは…………どうしよう、あとは、ええと、ああ……。

 引きつけて、船から離れよう。

 それくらいしか思いつかない。

 

「……ぁ」

 

 顔を上げ、逃げる場所を探していれば、艦娘達の最後方、それよりも少し遠くに、不自然な霧が集っているのが見えた。

 神隠しの霧。

 たぶん、そう。

 そうだと信じたい。

 そうであってほしい。

 でなきゃ、どうしようもない。

 

「はぁ、は、はぁ、」

 

 飛んでいるだけで消耗していく体力に、なけなしの気力を振り絞って前へ飛ぶ。迂回なんかしてる余裕はない。腕をばたつかせ、足をばたつかせて、不恰好に空を飛んだ。

 先の見えない道を全力で走り続けているみたいだった。流れる景色に変化はなく、下に広がるのは黒一色。

 それでも俺は飛び続けた。みんなの頭上を抜けて、誰もいない海が見えた時、気が抜けてしまって落ちちゃったけど――改二も解けてしまったけれど、それでもなんとか神隠しの霧を目前にする位置へやって来れた。

 立ち眩みに襲われながら体を起こし、滑り出す。足は石みたいに固まっていて、すぐには(ほぐ)れそうもなかった。

 

「きゃっ!」

 

 そこへ砲撃がきた。

 両脇に着弾した砲弾にバランスを崩し、左右で盛り上がる波に体を支えられ、なんとか先へ進む事でやり過ごす。高い声が喉から出てきた事なんて気にする事もできなくて、それからは、霧の下まで全速力で駆け抜けた。

 まっすぐではなかったと思う。みんなからの攻撃を避けるためにじぐざぐに動いて、でも、あんまり意味がなくて。

 

 結局は直撃弾は一つもなかった。掠る事もなかった。せいぜいが体勢を崩し、転びかけたくらい。

 霧の中に飛び込むと、攻撃が止んだ。追撃の気配もない。

 人一人包み込める程度の霧の中は異常に広く、しばらく滑って行っても、出口には辿り着かなかった。

 目的地など定めていないから、それで良かった。

 ただ何か、この状況を好転させられるものが欲しかった。

 神隠しの霧に潜む何かだとか、あるいは、みんなを操る敵だとか、なんでも良いから出てきてほしかった。

 そう願っていれば――。

 

『……ヤハリ来タナ』

 

 ……見つけた。

 みんなをおかしくした敵を、見つけた。

 倒すべき敵。倒せば、きっとみんなが救われるはずの、敵。

 

 光を纏っていないレ級。

 

 霧が円状に広がり、ここだけが露わになった海の中心。こちらに背を向けて立つレ級は、何事かを呟くと、ゆっくりと振り返った。

 薄紫色の双眸が、そこにあった。

 

「お、まえ…………しつこいよ」

『ソウカ? コンナモンダロ』

 

 いい加減、何度も何度も出てくんの、やめてよね……。

 悪態をつきながらも、口の端がつり上がるのを止められなかった。

 正直、また会えて嬉しい。

 だって、倒せばきっとみんな元に戻るだろうから。

 こんなにわかりやすい事ってないよね、って。

 

 背を丸め、膝に手を当てて、深く息を吐く。息を吸う。

 胸が苦しい。

 胸とお腹を押さえながら、よろよろと歩む。波が低いこの場所は、今の俺にはちょうど良くて、だから目の前の事だけに集中できた。

 

『し……ぃ……』

 

 声が聞こえる。

 すぐ傍で囁くような、そんな声。

 レ級の後ろに蹲っている女の子を見つけた。

 ……艦娘?

 

「その子……どうす、つもり……?」

『……サテ』

 

 こんなところにまで艦娘がいるとは思わなかったけど、レ級がこの霧を使って攫ってきたのだろう。その子も、黒い光に苛まれて苦しんでいるみたいだった。

 助けなきゃ。

 艦娘、みんな。だからその子も、助けなきゃ。

 

『ょ……ち……』

「んっ、はぁ、は」

 

 んく、とつばを飲み込む。張り付いた喉は鉄の味と痛みを発していて、何度も喉の下を擦りながら、嗚咽を漏らす少女の下へ歩んで行こうとした。

 がくん、がくん、体が揺れる。一歩一歩が重い。

 ……まずはあの子を庇う位置に立って、それから、レ級を倒そう……。

 上目で見たレ級は、たぶん、flagship――最上級(超進化態)――でもelite――上級(進化態)――でもない。

 ただの無印なら、このシマカゼの力が勝るはず。

 揺れる頭でそう考えながら、レ級の横を通り、少女の前に立った。

 海面にぺたんと女の子座りになって、両手で目元を覆う少女の顔は見えず、どの艦娘なのかわからなかったけど、ここまでくれば、あとは守るだけだ。

 

『しょういち……』

「…………?」

 

 レ級の方へ体を向けようとする中で、聞こえた声に体が止まった。

 まるで凍り付いてしまったみたいに時間も一瞬止まって、すぐに動き出した。

 ……幻聴、かな。

 姉さんの声が、聞こえた気がする。

 

『ショウイチ、こっちにきて』

「……ねえ、さん?」

 

 ――幻聴じゃない?

 硬くなった体を無理矢理動かして、振り返る。

 肩を震わせる少女は、ゆっくりと手を下ろすと、俺を見上げた。

 顔が見えない。

 というより……子供の落書きみたいに黒線でぐちゃぐちゃに塗り潰されていて、まるで顔がないみたいだった。

 何重にも走る線は念入りに顔の全てを、どころか輪郭を越え、傍の空間さえまでも線を走らせて黒く染めている。

 

『ショウイチ……』

 

 でも、声は。

 はっきりとわかる。間違えようがない。

 この声は、姉さんのものだ。

 

「姉さん!」

 

 膝をついて、水が跳ねるのも気にせず姉さんの両肩を掴む。細く、小さい。子供のものみたい。黒い線に塗り潰されてわからないはずなのに、俺には、彼女が驚いたように顔を上げ、小さく口を開くのが見えた気がした。

 

「信じてた……!」

『……』

 

 こみ上げてくる気持ちに、耐え切れず、言葉にする。

 ずっと、信じて待ってた。姉さんが帰ってくるのを。

 

「みんなは姉さんは死んだって言ってたけど、俺は信じてた。姉さんは生きてるって。必ず帰って来るって!」

 

 ただどこかに行ってしまっただけなんだって思って……だから俺は、ちゃんと、姉さんの居場所を残してた。

 ああ……姉さん、こんなところにいたんだ。

 良かった……やっぱり死んでなんてなかったんだ。

 あの時、少し目を離した隙にいなくなってしまったのは、波に浚われたからとかではなかったんだね。

 この海に来ていたんだ。この場所に。

 

「姉さん……会いたかった」

『……ショウイチ』

 

 顔の見えない姉さんが、俺の名を呼ぶ。

 なんか、懐かしいな。ちゃんと名前を呼ばれるのって、ずっとなかったから。

 

「今、助けてあげるから……待っててね」

『無駄ダ』

 

 彼女から離れ、立ち上がる。

 無駄、だって? 無駄なのはお前の抵抗だけだ。

 さっさとこいつ倒して、姉さんと一緒に帰らなくちゃ。

 

『……無駄ダヨ。ソノ子ハタダ、最期ノ言葉ヲ繰リ返シテイルダケダ』

「……なに、いってんの」

 

 さいご? ……ちょっと、意味がよくわからないな。

 深海棲艦の言う事だから、わかんないのは当たり前だけど。

 

『ショウイチ……こっちにきて』

「ああ、姉さん、私はここだよ。ここにいるよ」

『こっちにきて……こっちにきて……こっちにきて……』

「姉さん、俺はもう傍にいるよ」

『こっちに――』

 

 

 ――翔一。こっちにきて

 

 いつかの海で俺を呼んだ姉さんの声と、後ろに庇った少女の声が重なる。

 ……まったく一緒。

 声量も声音も、何もかも。

 ……最後の言葉を繰り返しているって?

 だから……なんだよ。それがなんなの。

 

「私は、もう、姉さんを連れて帰るって決めたんだから。邪魔、しないでよね」

 

 そう、決めたの。

 一緒に帰るんだ。

 それで、また、みんなと海に出よう。

 姉さんを連れて、朝潮と、吹雪と、夕立と――。

 

『無駄ダ』

「無駄じゃない!」

 

 意味わかんない事ばっかり、さっきから!

 なんなのこいつ、なんなのこいつ、なんなのこいつ!

 姉さんとやっと会えたんだ。だから、死んだって、みんな言ってたけど、会えたから、一緒に帰ろうって言うくらい……私、そう言おうって決めてて、また家族二人で……今度は友達も一緒に、私、新しい友達ができたから、姉さんも、ね、きっと、みんなと、私達、また二人で、だから、邪魔するの、ねえ、邪魔しないでよ、邪魔するな、邪魔するな、邪魔するな、邪魔するな!

 

「はっ、はぁ、は、」

『ドーシタ。何ヲ怯エテイル?』

 

 姉さん……。

 姉さんは死んでなんかいないよね。

 生きてるんだよね。

 俺を呼んでくれてるんだよね。

 ……一緒に帰れるんだよね?

 

「姉さん」

『ショウイチ……こっちにきて』

「姉さん……」

『こっちにきて……』

「ちゃんと返事してよ、姉さん……」

『こっちにきて……』

 

 同じ言葉ばかり繰り返される。

 まともな言葉など一つもない。目の前に俺がいるっていうのに、それ以外の言葉を発しようとしない。

 ……俺の姿が変わっちゃったから、わからないのかなぁ。

 なら、しょうがないよね……しょうがないよ。

 ……残念だな。

 

『サァ、ソレデオ前ハドウスルンダ?』

「…………」

『ダンマリカ。マァ良イ。ドウセモウ何モカモ終ワリダシナ』

 

 姉さんの前へ行って、屈む。そっと手をとると、やっぱりその手は小さくて、姉さんも、きっと姿が変わってしまっているんだろうな、と思った。

 小さな両手を包んだ俺の手の、指の隙間から、どろどろと闇が溢れて零れていく。姉さんの纏う光は、霧の外で見たみんなのよりずっと多くて、もっと蠢いていた。

 

『オ前サエイナケレバ』

「…………」

『イヤ、自業自得、トモ言エルノカ?』

 

 勝手に話し続けるレ級を振り仰いでみれば、奴は顎に手を当てて『ウムム』と唸っていた。

 

『ソモソモオ前ヲ呼ビ寄セタノハ、ソノ子ト、オ前ノ中ニイル艦娘ト、私トイウ事ニナルナ』

 

 私……俺を、呼び寄せた?

 俺がこの島風の体の中に入った事に、他に理由があったの?

 島風は、自分が呼んだからって言ってたみたいだけど。

 

『セッカクダシ、全部話シテヤロウ』

 

 とんとんと喉を叩きながら、レ級が言う。

 全部……って、なんの事だろう。

 何を話そうとしているのだろう、こいつは。

 

『そう険しい顔をするなよ。愚かなお前に、その子の代わりに本当の事を教えてやろうと言うんだ』

「……ん」

 

 ……?

 指先で喉をカリカリと掻いたレ級は、次には後ろ頭を掻きながら、姉さんの方へ目を向けた。つられて姉さんを見る。姉さんは、たぶん目の辺りを手でぐしぐしと拭いながら、時折体を震わせて声を漏らしていた。哀しい声……。

 もっと触れていたいけど、姉さんは目元に手を当てたがっているみたいだから、もう片方の手も離して、少し体を引いた。

 

『その子の傍にいると、お前はおかしくなるな。その状態で話を聞かれても私の気が治まらん』

 

 来い、と短く言って、レ級が霧に呑まれて消えた。次いで、俺の下にも霧が押し寄せてくる。

 

「姉さ……!」

 

 ごう、と唸る風の中で姉さんの姿を見失って、伸ばした手は空を切った。

 

 

 気がつけば、同じような場所でレ級と相対していた。

 霧は少し遠くで俺達を取り巻き、波は穏やかで、海は黒い。曇天の空は変わらず、姉さんがいない事を除けば、さっきいた場所と見分けがつかないだろう。

 前置きなくレ級が話し始める。

 

『この世界に来てしまった者がいた。それがあの子だった。

 世界間の移動に耐えられなかったあの子の体と魂は砕け、ばらばらになって海の上へ降り注いだ。

 そのひとかけらが、今あそこでああしている『あの子』になっている。

 強い記憶、想い、感情……断片的なモノが寄り合い、継ぎ接ぎになって、だからあの子が、艦娘が生まれた。

 この海に遺る意思が、あの子の体を作った。

 あの子は最初の艦娘としてこの海に誕生したのだ』

「姉さんが、艦娘に……?」

 

 それは、俺みたいな形ではなく、ただ一人でそうなってしまった?

 ……ばらばらになったって何?

 

『この海には、かつて沈んだ船や人間の想いが積もり重なり、今なお漂っている。

 ただ一つの事柄を求め、しかし想いは永遠に叶えられないはずだった。

 そう、『はず』だったのだ。

 あの子さえ現れなければ、世界は平和のままだった。

 だが……あの子が形を持ち、海へと下り立った時、平和は(まぼろし)となった。

 あの子は、(ウツワ)なのだ。

 概念と言えばわかるか? あの子は艦娘という存在そのものだ。

 中身は空っぽだった。だから想いは渦を巻き、あの子に雪崩れ込み、注ぎ込まれた。

 器に中身が入り、最初の艦娘として完全に誕生した。

 それを皮切りに、次々と新たな生命(イノチ)として艦娘が生まれたのだ。

 

 意思を、遺志を汲み取ったあの子は、絶え間なく艦娘を生んでいった。

 いや、正確には、促した、と言った方が正しいだろう』

 

 ……促した?

 

『そうだ。艦娘は、かつての船の想いは、今にも形を持とうとして漂っていた。

 海に満ちる気配に体を与えるだけで、艦娘は誕生した。そして、その後に深海棲艦や妖精と呼ばれる者達が生み出されたのだ。

 人間は勘違いをしている。

 言ったはずだ。艦娘は『生まれた』、と。自分の意思で。

 その敵となる深海棲艦も同じだ。これはあの子が生み出した。艦娘の願いを叶え、艦娘の戦うべき敵として。

 ――深海棲艦が現れたから艦娘が生まれたのではない。

 艦娘が生まれ、望んだから、深海棲艦が生み出されたのだ。

 そう、艦娘の意思で。

 信じられないか? では、思い出してみろ。私は前にこう問いかけたな』

 

 ――オ前ハ何故(ナゼ)深海棲艦ガ戦ウカ知ッテイルカ?

 

 とんとん、と喉を叩いて、声音を変えたレ級が前の問いかけと同じ調子で、再び問いかけてきた。

 俺は、それに答える事ができなかった。

 

『知る訳ない、とお前は答えた。

 まるで艦娘のような答えだ。

 誰も深海棲艦の目的を知らない。正体を知らない。

 なぜ生まれたのか、どうして戦っているのか、何故人間を攻撃するのか。

 フン……腹立たしい事に、艦娘は真の意味で、それを知らない。

 忘れているのではない。目を逸らしているのだ。そもそも知ろうとしていない。

 

 深海棲艦が戦う理由は、その為に生み出されたから。

 人間を襲うのは、そうするようにという願いの下に生み出されたからだ。

 人を守る艦娘は善。人間は受け入れる。

 反対に、人を襲う深海棲艦は悪。人間は決して受け入れない。

 それは正しい。その判断は間違っていない。

 深海棲艦は人間を滅ぼそうとしている。

 だがそれは、艦娘の意思でではない。深海棲艦が自ら望み、そうしているのだ。

 

 やはり深海棲艦は悪だ。そう思っているな?

 倒すべき、止めるべき敵だと。

 そう考えられるのなら、なるほど、お前は艦娘という訳だ。

 

 深海棲艦の目的は、人類の殲滅。

 それが唯一この戦いを終わらせる手段だからだ。

 艦娘は永劫の戦いを望んでいる。

 人の手で生まれ、人と共に戦い、人のために沈む。そう望んでいる。

 かつての戦争が、この海に漂う遺志が艦娘の原風景だ。それ以外を艦娘は認めない。それが根源で、全てだからだ。

 

 お前もわかっているだろう?

 艦娘の「戦いたい」という気持ちが敵を生み出し、戦い合う状況を作り上げた。

 だから艦娘が深海棲艦になる。海を彷徨う艦娘がいる。

 

 艦娘が全滅してもまた生まれる。あるいは人が作り出す。

 深海棲艦を滅ぼしても艦娘から補充される。あるいは艦娘が生み出す。

 どうだ、永劫終わらぬ戦いの()がここにある。

 お前達は戦い続ける。何年経とうが、このサイクルは崩れない。

 ……そのはずだったのだ。

 

 元々の艦娘(ども)の戦う理由であり、今彼女達の指揮を執る人類を無くせば、この戦いは終わる。

 ――それが、深海棲艦に課された役割(ロール)

 艦娘共が口だけの平和を望み、日常を謳歌しようとするのと同じに、深海棲艦は同胞共の核たる狙いはそれだと、それが仮初めとも知らずに信じて疑わなかった。

 結局は奴らもこの戦いを続けるための舞台装置に過ぎない。

 人類を攻撃する、戦争を終わらせる――それは艦娘にとって、否、遺志にとって、最も忌むべき事だ。

だから誰もが戦った。戦いに飛び込んだ。戦い続けた。

 心から闘争を望み、深海棲艦を討つ事ができたのだ。

 

 深海棲艦の生み出された理由、それは艦娘の戦いの理由付け。

 深海棲艦はただ、敵として、己達のみを信じて戦い続けていれば良かった。

 艦娘も、ただ深海棲艦と戦っていれば良かった。

 時に劣勢を演じ、時に優勢を演じ、されど善と悪が入れ替わる事なく、人類の目の届く範囲で戦争を繰り広げた』

 

 全部……作られた戦争だって言うの?

 ……戦いたいっていうのが、艦娘の本当の願いなの?

 そのためだけに艦娘は生まれたの?

 

「違う……そんなのは、違う」

 

 だって俺は……シマカゼが願ってるのは、戦う事じゃない。

 シマカゼは平和を願ってる。この海の平和、みんなの平和を!

 だから――。

 

「だから、諦めない。何があろうと、みんなの事を」

 

 はっきりしてきた頭で、はっきりとした口調で、本心からの言葉を告げる。

 肩を竦めたレ級は、まるで俺の言葉がないものかのように言葉を続けた。

 

『遺志は積み重なれど、無限ではない。

 では艦娘の『戦いたい』という願いは、幾年戦争が続けば消えるのか?

 いいや、消えやしない。

 仲間が沈められればそれを理由に戦いを求め、呼応して深海棲艦が生まれる。

 深海棲艦はいち早く戦争を終わらせようと人類に攻撃を仕掛ける。それを止めるために艦娘は戦いに飛び込む。

 何年経とうと意思は潰えない。もはやこれは、誰の手でも止められない。

 遺志は満たされず、常に飢えを抱えたまま戦場で生まれる特別な感情を糧に、海を漂い続ける。

 そのはずだった。

 

 あの日……私が生み出された、あの日。

 冷たい海の上へあの子の欠片が降り注いできた時のように……私が海で目覚めた時のように、唐突にお前が目覚めた。

 

 ――望み……言うなればそれは、あの子の望みだったのかもしれない。

 お前の中に眠る艦娘が自身の戦いを続けたいが故にお前を呼び寄せ、あの子が自身を蝕む遺志から逃れたいが故にお前を呼び寄せ……あの子に呼応した私もまた、お前の登場を望み、呼び寄せた。死にゆく艦娘の身体を動かすために、その中へとお前を誘導した。

 それは本意ではなかった。私も永遠の戦争を終わらせるつもりはなかった。

 お前がこの海へ下りたその瞬間は自身の存在する理由を見失ったが、時間が経てば思い出す。私に課された役割(ロール)を。

 同時にあの子も正常(タダノウツワ)に戻った。

 だからこそ私はお前を消そうとした。この戦いを続けるのにお前は不要だったからだ。

 私の役割(ロール)は、調律。

 お前達が正常に戦いを続けるように、強くなりすぎたモノを取り除き、出過ぎたモノを排除した。

 お前もその一部になるはずだったのだ。

 それを止めたのは……』

 

 霧が、俺達を運ぶ。

 またあの海へ。

 姉さんが泣いている、あの海へ。

 

 遠く離れた姉さんを眺めていれば、レ級も振り返って姉さんを見た。

 

『あの子はただ、膨大な感情に囲まれ、それに応えようとし続けている。

 この海の遺志は、艦娘の意思は、深海棲艦の意志は、あの子にとって哀しいものとしてあるのだろう。

 あの子自身が叶えようとしている。今も、叶え続けている。

 だというのに、貴様は』

 

 また霧に運ばれた。

 今度は、姉さんに手を伸ばそうとは思わなかった。

 

 静かだった周囲が、にわかに騒がしくなる。

 誰かの動く気配で満ちる。

 レ級と俺の傍を、たくさんの艦娘が過ぎ去っていた。俺達など見えていないかのように……船を、追っている。

 助けなきゃ。そう思っても、体は動かなかった。

 

『見るが良い。この状況はお前が招いたものだ。

 お前は特異(イレギュラー)だ。お前は強くなりすぎた。故にこの戦争から下りなければならなかったのだ。

 だがお前は戦い続けた。バランスを保とうと深海棲艦が強くなろうとも、お前はお前の仲間と共に戦場を荒らし続けた。

 そして私までをも倒してしまったのだ。お前は私に排除されなければならなかったのに。

 お前は艦娘ではない。深海棲艦でもない。

 紛れもない人間であるお前は、しかし同時に艦娘でもあった。

 だからこそ、唯一お前だけが、真にこの戦いを終わらせてしまえたのだろうな。

 

 そうしてお前が私という存在(情報)を持ち帰る事で、人は真実への鍵を手に入れた。愚かにも真相への扉に手をかけてしまった。

 

 もはや引き返す事はできない。深海棲艦の供給は追いつかない。

 ならばある物から補充すれば良い。艦娘が深海棲艦へと変われば良い。それで戦いは続く。

 だが誤算があった。

 正規の深海棲艦が残らず消えた事で、全ての艦娘が深海棲艦へとなってしまったようだ。急激な変化の下、誰もが一人残らず。

 もはや戦うべき相手は人類しか残っていない。彼女らの標的は人間だ。

 これで戦いは終わる。お前と、人類が望んだ通りに。

 全てお前のせいだ。

 お前が余計な事をしさえしなければ、戦いの中にある仮初めの平和に触れ続けられただろうに』

 

 忌々しげに吐き捨てたレ級が腕を振るえば、霧に包まれて、姉さんのいる海の上へ戻った。振り返れば、霧の出口が見える。船を追い、どこかへ向かう艦娘達の背中があった。

 …………。

 

「話は、わかったけど」

『そうか。どうする?』

 

 とんとん、と喉を叩いたレ級が、流し目を送るみたいに俺を見た。

 

『戦イヲ続ケルカ?』

 

 ソレトモ……。

 同じ動作で二度、喉を叩いて、ゆっくりと瞬きをしたレ級が、続ける。

 

『戦いを止める?』

 

 ……選べって言うの? 俺に……でも、もうどうやったって元のようにはならないんでしょ?

 艦娘が戦いを求めてるだかなんだか知らないけど……こうなってしまった以上、戻せないって。

 

『連絡ヲ待ツノハ無意味ダ。オ前ガ決メロ』

「意味わかんないよ。決めるも何も、私はあんたを倒すし、みんなを止める」

『無駄ダ』

「無駄じゃないってば。……認めないから」

 

 ……認められるか。

 みんな、あんなに頑張ってきたのに。

 みんなが平和を求めていたのに。

 

 シマカゼは認めない。みんなの笑顔を見てきたから。

 みんなと苦楽を共にしてきたから。

 

「だから、私、決めた」

『……』

「私は、私が見てきたみんなの事を信じる。みんなの気持ちと想いを信じる」

『ソレガ仮初メノモノデモ?』

「……いーじゃん、ちょっとくらい平和を疑ったって。それくらいフツーだよ、フツー」

『ソウカ、普通カ』

「うん。という訳で、おしまい。お前の言葉、なんも意味なかったよ」

『アア、ソウ』

 

 半目になったレ級は、ほんとに『ああそう』って具合で息を吐くと、お手上げのポーズをした。

 

「なに、降参するの?」

『イイヤ。ソウスルカドウカハ、アノ子ニ決メテ貰ウトシヨウ』

「……はあ? あの子って、姉さんはあれ以外の言葉を喋れないんでしょ?」

 

 あの子、と姉さんの方に顔を向けるレ級に、自分で言った言葉も忘れたのかと呆れて見せる。

 ぎしりと軋んで痛みを発した胸の中では、もしかしたら、彼女がちゃんと他の言葉も話せるんじゃないかという期待があった。

 姉さんが立ち上がる。黒い靄が流れ落ちて、なんとなく、長い黒髪を持っているように見えた。

 

『……ありがとう』

「……姉さん?」

 

 驚いた。本当に、別の言葉を喋った。レ級の言った事は嘘だったんだ。

 姉さん、喋れたんだ。それで、ありがとうって…………なんで、お礼?

 

『もう、終わりにしよう。艦娘と深海棲艦の戦争なんてやめよう』

「……それって……」

『戦いの火種も消そう。それで、ゼロ(さいしょから)に……』

 

 ぽつりぽつりと話す姉さんは――話すなどと言っても、俺にもレ級にも語りかけているような雰囲気ではない――決めたの、と呟いた。

 

 人類を殲滅する事を決めた。

 戦いを終わらせる事を決めた。

 

「ちょっと……姉さん、それはないよ! 人間を……そんな」

 

 そんな言葉、姉さんが言える訳……。

 

『ドウヤラオ前ノ『姉サン』は泣キ疲レテシマッタヨウダ』

「泣き……姉さんが、泣く?」

 

 はたと、気付く。

 そういえば、姉さんはずっと嗚咽を漏らしていた。ずっと、泣くような素振りを見せていた。

 いつも笑顔だった姉さんが、この海でずっと泣いていた?

 ……わからない。

 俺には想像できない。

 ごめん、姉さん。

 シマカゼには、ちょっとそれ、受け入れらんない。

 

 ふわりと浮かんだ姉さんが、素足から水滴を滴らせて、俺達の頭上を飛び越えていった。

 向かう先は、霧の出口。その向こうの、艦娘達の下。

 話が本当なら、あの艦娘達は、敵と定めた人間を攻撃しようと動いている。向かう先は……日本か、別の国か。

 姉さんは彼女達と一緒にいくつもりなんだ。

 そんなの、許せっこない。

 

『私モ最後ノ役割(ロール)ヲ果タストシヨウ』

「……」

『アノ子ニ手出シハサセン。オ前ハココデ立チ止マッテイロ』

 

 ザァァ、と接近してくる水音に続いて、レ級が羽交い絞めにしてきた。

 ……止めるんだ。

 止めようとするんだ、シマカゼを。

 

「無駄だよ」

『ム! グ……!』

 

 肘打ちを一つ。それで拘束から抜け出し、レ級の方を向きながら後ろに滑り始める。

 姉さんを追うために、みんなを止めるために、霧の外へ向かう。

 胸を押さえたレ級も俺を追って来た。

 

 止めようとするって事は、シマカゼならなんとかできるって事なんだね。

 シマカゼなら、姉さんを止める事ができるんだね。

 

 そうでないかもしれないけど、そう思った方が力が湧いてくる。気力を振り絞れる。

 だからそう信じて、動き続ける事にした。

 霧を抜ける。

 途端に騒がしくなる世界。

 航行音と砲撃音と、みんなの怨嗟の声。

 遅れて飛び出てきたレ級は、乱暴に腕を振るって霧を操り、そこから敵や味方の艦載機だとかの残骸を運んで、それらを繰って巨大な深海棲艦を何体も作り出した。

 そのうちの一体が咆哮すれば夜が訪れ、もう一体が叫べば、シマカゼの艤装のみが使用不能になり、少し速度が落ちる。せっかく付け替えた端末もこれでただのアクセサリーになってしまった。

 だけど、直通通信だけは生きている。さっきからずっと、押し黙った提督の気配が耳元にあった。

 

『……島風』

「てーとく……どうしよう、ねぇ、どうしよう、どうしよう、どうしよう」

『島風……!』

 

 どうしよう、どうしたらあれ全部やっつけて、みんなを無事に取り返せるんだろう。

 どうやったら姉さんを止められるんだろう。

 わかんないよ。ちょっと余裕ぶってみたけど、もう、無理だよ。

 せっかく振り絞った力も気持ちも、もう凄く小さくなってしまっている。

 提督の声だけが頼りだった。

 

 

『みんな、戦いを心から願っているなんてない! みんなこんな事は望んでないはずだ!』

 

 必死な提督の声が、心に広がっていく。

 ……うん。私も、そう思う。

 だって、そんなのありえないから。

 

『手段は問わない……頼む、彼女達を止めてやってくれ!!』

 

 だから提督が、『手段は問わない』……そう言っても、失望や何かはなかった。

 彼女達が望まずに人に(あだ)をなしてしまうくらいなら、いっそ。

 

 ぽろぽろと零れる涙が、風に乗って飛んでいく。滲んだ視界の向こうに巨体が迫ってきている。

 体表からボロボロと零れ落ちる黒色が人型や異形となって増殖していた。

 歪な深海棲艦。きっと生きてはいないもの。

 まだ、敵、増やすんだ。

 

 艦娘の合間へ入り込んだ。

 途端に、周囲が霧に包まれ、戦場は神隠しの霧へと移る。

 レ級の仕業かはわからないけど、みんなの前へ出るために体の向きを反転させれば、船の姿がどこにもない事に気付いた。

 あの船は霧の外に出ているみたいだ。

 なら、ちょっとは猶予があるって事だよね。

 この霧で直に本土へ移ったりしないよね。

 

「っ!?」

 

 考えたくない事を頭に浮かべていれば、急に体が止まった。

 いや、止められたのだ。誰かに掴まれて。

 戦場にいて、周囲は味方ではなく敵ばかりなのに油断してしまった、その結果だった。

 がっちりと体に腕を回されて身動きが取れない。でも、俺に組み付いているのが誰なのかくらいはわかった。

 

「む、らくも……!」

『…………』

 

 肩越しに振り返ろうとすれば、万力のような力でぎりぎりと締め上げられる。片目をつぶりながらも歯を食いしばって耐え、だけど、すぐ傍に着弾したものに、呆然とせずにはいられなかった。

 いつの間にか、みんな航行をやめている。俺と俺を拘束する叢雲を囲み……砲を、向けてきていた。

 どす黒く染まって蠢く砲身ばかりが目に映る。どれもこれも俺達に向いていて……。

 

「――っ!」

 

 味方(叢雲)もいるのに、お構いなしに砲撃してきた。

 今度は外れない。肩を穿つ弾丸に似たものが爆発すれば、肉体に大きくダメージが現れて、衝撃に叢雲と離れる。彼女の方はもっと酷い。もっと……なんで、こんな。

 

『――――ッ!』

「な、ぁっ!」

 

 波立つ足場に踏ん張りがきかずよろめけば、飛び込んでくる気配。魚雷を手にしたリベッチオが目前に迫り、体に叩きつけてきた。

 視界が暗転する。

 しばらくは音も聞こえず、だけど、海の冷たさに意識が戻れば、まだ自分の命が残っているのがわかった。

 俺が倒れても攻撃はやんでいないらしく、降り注ぐ砲火の中で身を起こし、回避行動に移る。

 狙いが甘い砲撃が多い。でも、数が多すぎて全部は避けられない。シマカゼが普通の駆逐艦より頑丈だからって、あんまり受けすぎたら、そろそろ腕とか足とか失くしちゃいそうだよ……。

 沈まない……シマカゼは絶対沈まない……!

 守りたいものがあるから、沈む訳にはいかないのよ!

 

「う、あああっ!」

 

 光が瞬くたびに体のどこかが抉れる。

 片足が沈む。流れる血が寒気を呼ぶ。視界が霞んで、瞬きすら覚束なくなる。

 

「それでも……みんなを救いたい……!」

 

 まだ戦えるから。まだ、立ってるから。

 最後まで諦めたりなんかしない。

 たとえ海の底に沈んだって!!

 

 ふと、左腕に重みがあった。

 体中、どこの感覚も麻痺してしまっていたみたいだったのに、なぜかそこだけ暖かくて、心地良かった。

 羅針盤の妖精さんが四匹、腕にしがみついて、ぺしぺしと腕を叩いてきている。

 ついに彼女達まで敵になってしまったのかな。

 そう思うと、なんだか笑えてきてしまった。

 

 あ……。

 

 ああ、でも。

 なんだか、そうじゃないみたい。

 

 ふわふわと浮かび上がった羅針盤妖精さん達は、淡い輝きに包まれて、その顔を違う場所へ向けていた。

 つられて周囲を見渡せば、今目の前で沈みそうになっていた叢雲の艤装からも妖精さんが浮かび上がる。

 全ての艦娘から、一斉に妖精さん達が飛び出した。

 

 きれい。

 

 幾千万の蛍の輝きのように幻想的で、だからこそ、こんな絶体絶命の状況の中で、(シマカゼ)は笑えた。さっきの乾いていたようなのとは違って、優しく、穏やかに。

 それがきっかけだった。

 限界を更に超えるためのキーワード。

 戦地にあって(おぼ)える感情。

 日常の中で、仲間と共に過ごす時、自然と浮かび上がる気持ち。

 

 このままずっと、みんなと。

 この先もずっと、みんなで。

 

 光が降り注ぐ。

 夜の闇を切り裂いて、艦娘達が白い光となってシマカゼに注ぎ込まれる。

 あたたかい。すごく、あったかくて、気持ち良い。

 妖精さんと一緒に光になった艦娘の体が、気持ちが、私の力になっているのを感じる。

 勝手に開かれた端末には、シマカゼ改からシマカゼへの改造画面が表示されていた。

 消費する資材は……あはは、全艦娘だって。

 ボタンなんか押してないのに、今まさに、そのすべての艦娘が私の中に入り込んできている。

 力を感じるなんてものじゃない。

 ちょっと、体に収まり切りそうになくて……このままじゃ、破裂してしまいそうで。

 

『大丈夫。島風も頑張る!』

 

 ずっと近くで彼女の声が聞こえた。

 そうすると、苦しさもきつさも全部なくなって、安心して笑顔で全部を受け入れられるようになった。

 

 私の友達。

 私の仲間。

 演習で見た人。

 会った事のない人。

 私と同じ艦娘……。

 

 改造が完了する。

 姿は全然変わってない。

 でも、溢れ出る力が淡い光のオーラとなってゆらゆらと揺らめいていた。

 全ての艦娘の特性を備えた、全ての艤装を使用できる、これこそ究極の艦娘。

 自分で自分を究極と評して暖かい気持ちになっていると、レ級や巨大な深海棲艦が迫ってきていた。

 巨大だろうが、その体からボロボロと零れ落ちてくる深海棲艦だろうが、もはや敵ではない。

 

 戦況が動く。

 

 咆哮で艤装が使えなくなってしまったら、取り換えればいい。

 接近戦を挑まれたなら、各艦娘の専用武器を使えばいい。

 爆撃がされそうなら、潜水艦のように深く深く潜ればいい。

 最大速度で水中から空へ、貫くように巨大深海棲艦をキックで撃破する。クェーサー・ストライク。

 零れ落ちる鉄屑は、空中で機銃を乱射して残らず砕いた。

 

 海に下り立てば、弓を取り出して空に射る。航空機へ変化し、舞い上がった機体が、敵機と交戦し、撃墜していく。

 海面下に迫る影に気付いて、宙返りで魚雷を避け、そのまま海の中へ突入する。端末から取り出した魚雷を抱え、いつかでっち先輩が教えてくれたフォームで投げつけ、遠く、歪な潜水艦を爆破する。

 

 敵なんてない。

 迷いもない。

 

 海面に立つ私の周りに、親しい仲間が立っている。

 アンテナを手にした叢雲が、呆れたように肩を竦めた。

 

「もうあんな悲劇はごめんよ。そう思っている私が、戦いを望んでいるとでも、本気で思っているの?」

 

 まさか。そんな事、全然思ってない。

 だって叢雲が求めているのって、間宮さんとこの巨大スイーツだし。

 顎に指を当てて小首を傾げたリベが、あんまり悩んでなさそうな顔をした。

 

「リベは、んー……よくわかんないけど、戦いが終わればそれが一番だよね? うん、それが良いよー!」

 

 元気で何より。

 本当にちゃんとわかってて言ってるのか判断付かないけど、まあ、リベだし、いいか。

 砲を胸元に持ち上げた夕立が、あくどくてワイルドな笑みを浮かべた。

 

「夕立は戦いを求めてるっぽい。でも、それは改二になったあたしの力を試したいからで……ぶっちゃけ、格好良いならなんでも良いっぽい。だから島風ちゃんは、遠慮なんてしなくて良いっぽーい!」

 

 戦闘狂のけがあるなとは思ってたけど、やっぱりそうだったんだね。

 遠慮なんてしないよ。みんながくれた力だもん。残らず使い切るよ。

 自然な姿勢で、でも、少し困ったような表情を浮かべた吹雪が、私に話しかける。

 

「私も……心の底から言えるよ。ずっと続く戦争なんて望んでない。たしかに、いつかの時間の中で、この戦いが終わっちゃったら、みんなと離れ離れになるかもしれない。それは嫌だなって、思っちゃったりしたけど……それなら、戦争が続けばって、思っちゃったけど……。ううん、今はもう、違う。私だって成長したんだから! だから、大丈夫!」

 

 吹雪ちゃんが言う大丈夫、は、ほんとにいつでも勇気をくれる。今もそう。

 吹雪ちゃんが笑ってそう言ってくれるだけで百人力だ。今は、二百数十人力……いや、数百人力?

 そっと歩み出た朝潮が、少しだけ顔を上げて、俺を見上げた。

 

「シマカゼ……これだけ体が近くにあるんだから、私の気持ち、伝わってますよね。信じてます。あなたを」

 

 言葉少なに、でも、それが全部。

 胸に手を当てれば、朝潮の気持ち、ずっと近くで感じられるよ。

 それだけじゃなくて、なんだろう……なんか、たくさんの気持ちも、ここにある。

 

 ありがとう。

 

 大好き。

 

 素敵。

 

 嬉しい。

 

 これだけいっぱい想いがあるのに、戦いたい! なんて声は聞こえてこない。

 誰も心から戦争を続ける事なんて望んでない。

 みんなと一つになったシマカゼがそう言うんだから、間違いなんてないよ。

 

『マダ……マダ私ノ役割(ロール)ハ終ワッテナイ!』

「しつこいよ。もう、終わりなの。戦争は終わり。あんたは倒す。姉さんも……」

 

 気付けば敵は残り二人。

 海面に立つ俺と、相対するレ級と、どこかへ飛んで行こうとしている姉さん……。

 もう、迷わないよ、私。

 わかったの。どうすれば良いか。

 何をするのが、一番良いのか。

 姉さん、ごめんね。

 みんなが信じる明日に、一番にたどり着けるのはシマカゼだから……だから、守りたい。私が、私の力で、みんなの明日を!

 そのために!

 

『アアアーーーーッッ!!』

「今度は、打ち負けないから」

 

 残骸がレ級に集い、吸収されていく。

 近代化改修……誰かとの一体化……私と同じ?

 でも、意味ないよ、そんなの。

 私にはみんながついてる。絶対に負けないから。

 

 跳ね上がったレ級を見上げ、遅れて波を蹴って跳躍する。

 お互いが飛び蹴りの姿勢に移り、でも、もう勝敗は決まっていた。

 たった一匹で突き進んでくるレ級に対して、私は私だけじゃなくて。

 私の背後いるみんなが、私と一緒にシマカゼの得意技をしてくれてるから。

 

『――――!』

 

 貫いて、着水。

 後方に重いものが落ちる水音。

 

『馬鹿ナ……馬鹿ナ! 私ガ……!』

 

 切迫した声は、今までになかった色に溢れていて、だから振り返った。

 胸を押さえたレ級は、振り返る事なく声を零している。

 

『私ガ……私モ……モウ、必要……ナイ?』

 

 声から険が抜けていく。緩慢な動作で振り返った彼女は、苦しげに笑っていた。

 

『ソウカ……ヤット、終ワリカ』

 

 レ級の体が黒い靄となって空気中へ溶けていく。

 そう、終わり。

 戦争に意味がなかったわけじゃないと思うけど……永遠に続いたりなんかしちゃいけないんだから、あなたの役割もおしまい。

 あとは、そう。

 哀しんでる子を、泣き止ませてあげるだけ。

 

 彼方の空を睨みつければ、遠く、霧が晴れ、夜の明けた青空の向こうに、小さい影があった。




TIPS
・ストライク・オーバーフューチャー
オール艦娘キック。
シマカゼの背後に全艦娘が出てくるんだとか。

・シマカゼ
耐久36000 装甲39000 火力39000 雷装55000 回避100
対空59000 対潜30000 索敵20500 運100 
燃料消費25000 弾薬消費12500

・レ級改flagship
耐久590 装甲310 火力310 雷装290 回避99
対空250 対潜250 索敵190 運99

・レ級
耐久1 装甲1 火力1 雷装1 回避0
対空1 対潜1 索敵1 運99


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最終話   シマカゼの唄


修正。


 海色(みいろ)の光の中で、私は。

 私達は、勝った。

 そして、始まった。

 新しい私達の、本当の物語が。

 

 

 最後の作戦が終わってから、およそ二か月余りの時間が過ぎた。

 戦争は終わって、世界は平和になった。

 めでたしめでたし……そう言えたら、どんなに良かっただろうか。

 

 海からは深海棲艦が消え、そして艦娘もまた消えた。

 カテゴリー的に。

 

 シマカゼが姉さんを殺しても、海から深海棲艦がいなくなるなんて事はなかった。あの作戦で、その時存在していた深海棲艦は全部倒したけど、この海に漂う遺志とやらまでは倒していない。だからまだ、深海棲艦は現れる。

 ただ、いる数は前よりずっと少ないし、ぽこぽこ生まれるものでもないみたい。そう聞いた。いや、届いた?

 

 艦娘も、もう先日の十四日くらいから艦娘でなくなって、人として扱われる運びになった。だから、書類上では今地球上に艦娘は存在しない。

 だけど今でも私達は私達の事を艦娘と呼び、事情を知る人も艦娘と呼ぶ。テレビをつけてみれば、ニュースでは単に『戦う少女』だとか『かつての艦艇』だとか、簡素で面白味のない呼び方をされていて、世間にはその呼称が浸透している。

 今まで艦娘の事なんてなんにも知らなかった国民が、いきなり現れたように感じられる私達の事を知っていくには、ニュースや新聞を見るしかない訳で、そこで使われる用語が頭に刻まれれば、艦娘なんて単語は広まらないのが道理だろう。

 別に『艦娘さん』とかって呼んで欲しい訳でもないから良いんだけどね。

 

 あの海に集まった世界全ての艦娘達は、一時は私と一体となってしまったけど、改二が解けて連装砲ちゃん達が放り出されるみたいに、シマカゼが普通のシマカゼ改に戻ると、みんな元の位置に現れて、正常な状態に戻っていた。

 その代償かは知らないけど、私の一人称は『私』に統一されてしまったし――俺、と口にするのは、すっごく違和感がある。なんでだろう――、ここんとこ女の子みたいな振る舞いやらが加速度的に増えていってるらしい。そんな速さは求めてないんだけど……。

 あーあ。

 あーあ。

 男であった大部分を失ってしまうなんて、もう私は完全に艦娘になってしまったんだな。

 私から離れた艦娘みんなが正常な状態でいて、みんなが戦う遺志を捨て去って。

 誰一人沈んでなんてなくて、誰も傷ついていなくて。

 なのにみんなを体に入れていた影響で私は私になっちゃった。

 素直にめでたしめでたしって言えたら、どんなに良かっただろう。

 

 ――島風も、いなくなってしまったし。

 

 ……あの時。私の代わりにみんなを受け入れてくれた島風は、戦いが終わると私の中から消えてしまっていた。

 呼びかけても答えないとかそういうのじゃなくて、ぽっかりと穴が開いたみたいな喪失感があって、だから、『ああ、もう彼女はいないんだな』って確信した。

 その穴を埋めるようにみんなの記憶が流れ込んで、現在の私となっているんだけど、まあ、これを悪いとは口が裂けても言えない。

 だって胸に穴が開いてたら、ずーっと悲しんでいなきゃいけない。

 福野翔一という男は、姉さんが死んだと聞いた時、そんな風になって、おかしくなってしまった。

 それを知ってるから、シマカゼは穴が開いたままじゃなくて良かったな、と思えた。

 

 さて、平和な世界になって、私達艦娘がどうなったのかと言えば……。

 

 それぞれの提督の下についていた艦娘は、全てがその提督の子供として扱われる事になった。

 養子というのだろうか、法律上はそういう扱い。だから、ケッコンカッコカリから先へ進む者達も多いんだって。

 お隣の提督さん……いや、元提督の海棠さんだったかは、来月挙式すると報告に来た。どうみても犯罪だったけど、合法なんだよね……今のところはね。

 艦娘が人間として扱われるようになったのはつい最近。その定義はかなり曖昧で、彼女達の年齢はどう決めるかとか、国籍はどうするのかとかでかなり揉めているらしい。

 かつての艦艇の年齢をその艦娘の年齢とすべきか。艦娘として建造されてからを年齢とすべきか。それとも両方を合わせた数を?

 中々決まらない話し合いも、もう少しで決着がつく。妖精さん達の噂では、艦娘として建造されてから、を年齢とする事がほぼ確定しているらしい。

 だから世の元提督達は、大急ぎでケッコンカッコガチもとい、婚姻を進め、次々と式を挙げている。

 だって、その法が通ったら、艦娘はみんな二十代に届いてないって事になる。十一歳か十二歳が関の山だ。由良さんですら十歳くらいだよ。私なんか0歳数ヶ月だ。非合法どころの話ではない。

 まあ、艦娘の問題は、年齢だけではない。見た目も相当に問題なのだ。

 建造されてから長い短いに関わらず、彼女達の容姿は一定の年代のものとなっている。

 だからこそこの子はおっきいけど、まだ五歳ですだなんて言われても、それをそのまま受け取るなんて不可能だし、社会的にも受け入れられないだろう。見た目って重要だからね。

 

 実際、現在私達が暮らしている"住宅"――かつての鎮守府や泊地を、そのまま艦娘用の家として各元提督達に贈られた地――でも、未だ残る海の怪物……深海魚扱いの敵を倒しに行けるのは、見た目大人の艦娘だけだ。

 私やルームメイトなんかは絶対、絶対に戦いに出してはもらえなくなってしまった。社会に私達が姿を現した以上、当然の処置だった。

 今までの事でだって激しく非難する人達はいるのに――女子供を戦わせるなんてとか、無理矢理従わせてとか、なぜ戦うんだーとか、いろいろ――、今なお駆逐艦や軽巡を戦わせたりなんかしたら、非難轟々、抹殺されるだろう。提督が、社会的に。

 戦いたい、とごねる艦娘は、提督の身を案じて口を噤んだ。戦う船として作られたが故に、平和な時間の中で疼く体は、提督が慰めてくれたり、戦友が慰めてくれたり、自分で慰めたりしてなんとかやり過ごしている。

 ……艦娘の相手ができる提督なんて海棠って人くらいしか知らないんだけど、こういう風に挙げられるくらいに艦娘と『戦える』提督って多いのかな。うちの提督は雑魚なのに。

 暇すぎるから藤見奈提督に腕相撲挑んだら一秒持たなかったし、私より重い物持てないし。けど、足は結構速いかな。持久力もある。でも艦娘の相手は務まらない。

 私は戦いを求めたりなんかしないけど、それでも力を持て余してしまう。特に今は、もう何百回も口にしたけど、暇だからね。

 

 ベッドの縁に腰かけて、足を揺らしてぽすんぽすんと板を蹴る。お尻や腰に伝わる振動は、ほんのちょっとだけ退屈を紛らわせてくれる。

 戦争が終わって艦娘が人間として扱われるようになっても、私の生活はあんまり変わらない。

 戦う事は取り上げられてしまったけど、力まで失った訳じゃないし、今でも艤装を背負おうと思ったら、明石の工廠に向かえばすぐにでもできる。艤装や兵器はお隣の特設海上防衛隊……は解体されたから、ええと、普通の自衛隊さんの所有になっているけど、実質私達のものだ。

 でも、撃ったりしたらものすごく怒られるだろうから、持つだけ無駄だ。あ、でもちょっとだけなら気を紛らわす事はできるかな。

 薄暗い部屋の中を見回しながらそんな事を考える。

 暗いのは、あれ。

 なんとなくカーテン閉めたせい。

 遮光(しゃこう)カーテンの、下側の隙間から漏れる光は薄く、窓には冷たい空気が膜を張っている。夜通し降った雨の名残り。

 部屋の内装は前と変わらず、なんだかより生活感が増しているように見える。

 インテリアや家具も増えて、かわいらしさもアップ。

 ちょっとベッドから下りてはしごを上り、叢雲のベッドを覗けば、連装砲ちゃんぬいぐるみがぽこぽこぽんと枕元に並んでいる。

 気が緩んでるよね、みんな。

 もう戦う事はないから、それで良いんだけど……なんか、変な感じ。

 私も、みんなとお買い物に行った時に、目移りしていろいろ買ってしまうから、ベッドが賑やかになってきている。人形に紛れて連装砲ちゃんが座っていたり、遊びに来た妖精さんが1/1スケール妖精さん人形ごっこなんかをしていたりする。

 

 ……そういえば、私達とかの子供な見た目の艦娘はお給金の代わりにお小遣いが貰えるようになったけど、提督ってどこからそのお金を捻出してるんだろう。自腹じゃなくて、国から出てるのかな。いちおう世界を救ったんだし、それくらいの手当てを望んでも良いよね。

 ……お金がなかったらクリームソーダ飲めないし、朝潮に手料理を振る舞う事もできなくなるから、どうか国から出ていてほしいな。この体じゃ働けないから、お金が無くなったら死活問題だよ。今のとこそんな気配はないけど。

 

 そういえば、働くと言えば今日はなんか、新しいお仲間が増えるって聞いた気がするけど、どういう事だったんだろう。

 これ以上の艦娘の建造は法に触れるから、後輩さん誕生って訳ではなさそう。別の鎮守府から移って来る子でもいるのかな。

 なんにせよ、そのために夕立は、「歓迎するぽい!」と張り切ってコンビニエンス妖精に行ってしまったし、吹雪と叢雲は連れ立って姉妹達と――今は、私達全員姉妹扱いだけど、そうじゃなくて――お出かけ中だし、一人じゃやる事ないよ。暇だよ。もしかしたらみんなもう帰ってきていて、部屋に戻ってくる最中かもしんないけど、そうじゃなかったら暇すぎて大破する。

 そんな訳で、カーテンに遮られた窓の前の棚へ歩み寄って、少し腰を折り、棚の上に座る妖精さんに顔を近付けた。

 

「姉さん、起きてる?」

 

 声をかければ、俯いていた妖精さんが顔を上げて、つぶらなお目目をぱちくりとやった。首を傾げる仕草がかわいくて、ちょっと笑ってしまう。

 寝てるよ、なんて意思が飛んできて、起きてるじゃん、と返す。彼女は……姉さんにそっくりな一匹の妖精さんは、にっこり笑い、背中から倒れて仰向けになると、目をつぶってしまった。彼女を囲むように並ぶ極小妖精さんフィギュアに包まれて、おねむのご様子。

 ううん、姉さん、ほんとに眠いのかな。

 それじゃ、起こしちゃ悪いし、外にでも行こうかな。

 

 出入り口で靴を履いて、ノブに手をかけて少しだけ開く。外の光が差し込む中、振り返って、妖精さんに一声かける。

 

「ちょっと行ってくるね。すぐ戻るから」

 

 暗闇の中、横たわる少女の残骸は、黒線に塗り潰された顔を僅かに揺らして応えた。

 まばたきをすれば、そこにいるのは小さな妖精さんが一匹だけ。

 緩く手を振った私は、そうっと扉を開けて、廊下に出た。

 

 

 雨上がりの空。澄み渡る青の所々に、真っ白な雲が浮かんでいる。日射しのおかげでやや暖かい。

 地面には水溜りを見かける事が多く、でも、気にせず歩いて、コンビニエンス妖精へ向かった。

 

『いらっしゃいませー』

 

 妖精さんの意思に、お邪魔しまーすと返しておく。ん、なんか違う気がするけど、まあ、いいか。

 

「これがいいよ! きっとこれで喜んでくれるよー!」

「そうか? 私はそうは思わんが……」

 

 夕立はいるかなー、と店内を見回していれば、リベッチオの元気な声が聞こえてきた。

 一つ棚を横切って、棚と棚の間を覗き込めば、何やら小さな人だかりができている。

 ビー玉がたくさん入った袋を両手で掲げるリベに、困ったような顔をしている菊月と……おっと、日向と、長月と、如月と、綾波だ。……睦月型の三人はわかるんだけど、綾波と日向はどうしてリベと一緒にいるんだろ。いつの間に友達になっていたのかな。

 会話の内容からして、誰かへあげる物を選んでいるみたいだけど……。

 

「これはどうだ。瑞雲12型ミクロ、妖精さん付きだぞ」

「ズイウンはもう飽きたよー! あ、これ良いんじゃない? クラッカー! お祝い!」

「なんだと……馬鹿なっ」

 

 小さな箱を手にした日向は、リベに斬って捨てられると、がっくりと肩を落とした。……あの人、やたら瑞雲推しだけど、なんでだろう。そういうイメージはあった気もするけど……謎だ。

 無難にお菓子にしたらどうだ、と長月が提案すれば、見かねていたのだろう、如月がリベの手を取って、そうしましょうか、と歩き始めた。あ、こっちに来る。

 

「あら、島風ちゃん。ごきげんよう」

「ご、ごきげん、よう?」

「あ、ウサギー!」

 

 最初に私に気付いた綾波が丁寧に挨拶をしてくるのに、会釈をする。続いて、リベが突進してきた。両腕を広げて飛びついてくるのを受け止めて、くるっと一回転して勢いを殺し、両脇を抱えて床に下ろす。ほんっとに元気だねー、リベは。

 

「どうしたの? ウサギも新人さんにプレゼント買いに来たの?」

「んー、そういう訳じゃないんだけど、それも良いかもね」

 

 贈り物とか、そういうの全然頭になかったな。そっか……リベは、この鎮守府で初めて自分の後に入ってくる子に興奮してるんだね。後輩さんって形になるだろうから。

 でもたぶん、リベより経験上だと思うよ、その新人さん。

 てきとうなお菓子を買い、ついでに、目に留まったおもちゃを一つ、購入する。

 ……なんか、少しドキドキした。理由は……ひ、み、つ。

 

 リベ達と別れ、砂利道を行く。目的地は、夕張さんの工廠。

 道中、とぼとぼと歩いてくる赤城さんと加賀さんを見つけた。

 何かあったのか、赤城さんが加賀さんの肩に腕を回して歩くのを助けられている。

 

「どうしたんです、そんなに悲しそうにして」

「あら、島風さん」

 

 気になって声をかければ、赤城さんが反応した。意外と声に力がある。結構元気そうだけど……?

 となると足でも(くじ)いたのかな。なんて思っていれば、眉を八の字にした赤城さんがお腹に添えている手を握って、

 

「うぅ、燃費が……」

 

 そう、呟くように言った。

 加賀さんも遠い目をして、というか実際遠くを見ながら続ける。

 

「今、私達には冷たい風が吹き付けているわ。懐も凍ってしまいそうよ……」

「あー……」

 

 ああ。察した。

 つまり、お財布大ピンチで食べるに食べれないって訳ね。

 

「あの、お小遣いは……」

「愚問ね。もうないわ」

 

 え、そんなキリッとした顔で言う事なの? それ。

 少なすぎます、と愚痴る赤城さんに、私が稼げさえすれば……ごめんなさい、としょんぼりしている加賀さん。……ど、どんより! ここ、空気重いよ!

 と、その時。ふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。

 振り返れば、ビニル袋を両手で持って中を覗きながら歩いてくる龍驤さんが。匂いの元は、その袋だろう。

 

「んー、たこ焼きよりお好み焼きにするべきだったかなぁ」

「横から失礼します! どちらでも良いので少しわけてくれないでしょうか!」

「うお、赤城! ……えー、これ、わざわざ外行って買ってきたものなんやけど」

 

 凄まじいスピードで龍驤の横へ移動した赤城さんが、凄い勢いで詰め寄った。

 

「赤城さん、さすがにそれははしたないわ」

「ううー」

 

 仰け反って、腕を伸ばしてめいっぱい赤城さんから袋を遠ざける龍驤を見かねてか、加賀さんが歩いて行って、赤城さんの襟を掴んで引き摺って行った。されるがままの赤城さんの眼差しは袋に釘付け。人差し指を口元に当て、名残惜しげにしていた。

 

「びっくりした。……おお、島風。一個食べるか?」

「なんだそれは。眼魂(アイコン)か?」

「は?」

 

 あ、今なんか、昔の私が顔を見せたような……じゃない。龍驤さんが白い目で私を見ている。

 違うんです! 今のは…………なんだったのか自分でも説明つかない!

 

「キミ、相変わらず訳わからん事言うね」

「ええ、まあ。あはは……」

 

 誤魔化し笑いをしてなんとかその場をやり過ごし、たこ焼きを一つ食べさせてもらってから彼女と別れ、妖精の園へ踏み込んだ。門番妖精さんは鼻提灯を膨らませて眠っていたので、起こさないように無断で侵入だ。起こすのは忍びないしね。

 小さな街並みは妖精の棲家、長く続く道のずっと先に、端っこで屈んでいる朝潮を見つけた。

 やっぱり、いた。なんとなくそうじゃないかって思ってたんだ。

 

「朝潮ー!」

「あ、シマカゼ」

 

 数匹の妖精さんと何やら意思を交わしていた朝潮に駆け寄りつつ声をかければ彼女は立ち上がって、笑顔で俺を迎え入れた。すぐ傍まで行き、手を取って体をくっつける。

 あったかくて、やわっこい。いつもの朝潮だ。

 でも実は、彼女は前と少し違っていたりする。

 戦争が終わった後の朝潮は、張り詰めた雰囲気や生真面目な印象がするっと抜けて、ちょっと気の抜けた優しい子になっていた。

 仕草が大袈裟になったって言えば良いのかな。身振り手振りがすっごく増えて、そこもまた好き。

 

「ね、何してるの?」

「みんなとお話をしていました。今日来るという子について、少し」

「ああ、みんなが話してるあれね。私もその子のためにお菓子買ったよ」

 

 ほら、と袋を持ち上げてみせれば、それは良いですね、と朝潮。

 

「私も何か買っておくべきでしょうか……」

「そうする? どうせなら外にでも行こっか。お買い物付き合うよ」

「それは……はい。ぜひ、行きたいですね」

 

 付き合うよ、を強調して言えば、彼女は照れたように笑って、手を握り直してきた。

 指を絡め、それから、少しして。

 数度深呼吸した私は、ぱっと手を離して彼女の前へ動き、向き合う。いそいそと袋から箱を取りだし、片手で持ったまま開封して、安っぽい指輪を二つ取り出した。妖精印の鉱石つき。一個七百円。

 

「……それは?」

「指輪だよ。ねぇ、朝潮。私達、人間になっちゃったでしょ?」

「はい」

 

 俺の手を見つめて疑問を浮かべていた彼女は、とりあえずといった風に俺の言葉に答えた。

 うん、前からもそうだったけど、これからも、正式にお付き合いなんてできそうにないから、せめて形だけでもそういう風にしたいなって、事で……ね。

 ああもう、説明するの恥ずかしいなあ。

 

「ペアリングしよ、って言いたいの。どう?」

「どう、と言われましても……」

「嫌?」

「い、いえ、そんな事は! ただ、その、どの指につければ良いのか、迷ってしまいますね……」

 

 手を合わせ、しきりに右手の指で左手の薬指を撫でる朝潮に、当然私は自身の左手の薬指に指輪を通そうとして……羞恥に苛まれて、なかなかはめられなかった。

 じゃ、じゃあ、右手でも……うう、それでも薬指って特別な感じがして、こう、やり辛いなあ。

 

「ぺ、ペアな事に意味があるから、どの指だって良いよね!」

「そ、そうですね!」

 

 という訳で、お互い相談して、二人共右手の中指につける事にした。

 どうせだから、私が朝潮の指に通し、朝潮が私の指に通すという形で……いざ。

 

「待った! っぽい!」

「うわっ!?」

 

 まずは朝潮の手をとって、ゆっくりとはめようとすると、大きな声に止められた。特徴的な語尾は、一人かいない。

 夕立ちゃんが向こうの黒い建物……緊急出撃する施設から顔を覗かせて、ぱたぱたと走り寄って来た。

 

「ゆ、夕立ちゃん」

「その指はやめといた方が良いっぽい」

 

 え、なんで? 何か縁起が悪かったりするのかな。

 

「右手の中指に指輪をはめるのは、恋人募集中だとか、そういう意味があるっぽい」

 

 一本指をたてて説明するのを聞けば、なるほど、それは確かに良くないな。

 朝潮と顔を合わせ、数秒。彼女の左手をとって、電撃作戦で薬指に指輪を通した。

 羞恥さえ置き去りにするこのスピード、どう!?

 

「ん、朝潮!」

「は、はい!」

 

 顔に血が上るのを自覚しながら、朝潮へ左手をつきつければ、さっと手を添えられて、丁寧に指輪を通して貰えた。

 

「おー、おめでたいっぽい? ぱちぱちぱち」

「……ありがとね、夕立ちゃん」

 

 手を打って祝福してくれる夕立ちゃんにお礼を言いつつ、左手に右手を重ねて胸に当てる朝潮に寄り添う。私達の絆パワーがアップした記念日だよ。もっと祝福して! とか! 言っちゃったら心臓爆発しそうだな!!

 

「そ、そういえば夕立ちゃんはどうしてあの建物にいたの?」

「………………そ、それは」

「どうして艤装を身に着けているのですか?」

「えーと、えーと」

「……もしかして夕立ちゃん、勝手に出撃してた?」

「ぎくっ」

 

 『ぎく』て。

 ご丁寧に砲も握っている夕立ちゃんは、反応からして海に出てたみたい。あーあ、提督に怒られるよ。たたじゃすまないよ。

 

「て、提督さんには内緒にしといてほしいっぽい!」

「あはは。ま、私は夕立ちゃんが海に出たなんて思ってないよ。そういう子じゃないってのは長い付き合いでわかってるもん。ね、朝潮」

「はい。今我々が海に出れば、司令官が責を問われてしまいますから」

「……ぽいぃ」

 

 私は彼女の悪事を黙っておいてやろうと思って言ったのだけど、朝潮は本気で夕立ちゃんを信じてるみたい。……その子、結構悪い子だよ。長い付き合いだからよーく知ってる。

 

「そういえば、吹雪ちゃんは帰ってきてるかな」

 

 縮こまっている夕立ちゃんが可哀想だったので、話題を変える事にした。

 

「うん。今は体育館でレッスン中っぽい」

「あ、いつもの。吹雪ちゃんも那珂ちゃん先輩も頑張るよね」

 

 二人はこないだ鎮守府が住宅となった時の催しで歌って踊って場を盛り上げていた。熱狂が凄かったな。

 それでおしまいでなく、まだやってるんだ?

 

「吹雪ちゃん一人でのレッスンっぽい。那珂ちゃん先輩は、他の『那珂』に会いに行っているっぽい」

「他の……って、同一艦って事?」

「そうっぽい。なんでも48人集まってアイドルグループを結成しないかって誘われてるぽいな」

「へぇー」

 

 那珂ちゃん48か……。……絵面的にどうなんだろう、それは。

 

 

「ここにいたのね、島風」

 

 那珂ちゃん先輩が伸るか反るかとか、結成したとしてどう活動するんだろうとか予想しあっていると、叢雲がやって来た。

 夕立ちゃんが凄まじい速度で艤装を妖精さんにパスして運ばせ、何食わぬ顔で自然体になって立つ。

 …………。

 

「どーしたの、叢雲。私に用事?」

「ええ。司令官……藤見奈さんがお呼びよ」

 

 あ、言い直した。

 そっか、私達にとって藤見奈提督は提督じゃなくって、お父さんになったんだったね。なんて呼べば良いのか迷っちゃうよねー……。

 それで、そのお父さん……んんっ、提督が、私を呼んでるって? なんで?

 

「行けばわかるわよ。ほら、今すぐ、急いで、さっさと行きなさい」

「う、うん、行く、行くから」

 

 なんでそんな不機嫌そうなの?

 彼女に促されるまま小走りで出入り口に向かい、途中で振り返って、朝潮に手を振る。

 

「それじゃ、また後でね!」

「ええ、また後で!」

 

 ぶんぶんと手を振り返してくれる朝潮に笑みを零しながら、向きを戻し、本棟へ走る。

 新人の子って、どんな子だろう。

 

 

「入ってくれ」

 

 扉を叩けば、提督の声。

 ノブを回して押し開き、部屋に入ってすぐ頭を下げて挨拶する。

 

「シマカゼ、ただいま到着しました!」

「ああ。……楽にしてくれ」

 

 頭を上げ、言われた通り楽な姿勢で言葉を待つ。

 提督は、なぜか机の方ではなく窓の前に立っていた。隣にも電が立っている。お腹の下あたりで合わせられた両手、その左手の薬指に光る物を見つけて、ふふ、と笑ってしまった。なんか、嬉しいな、こういうの。

 あれ、そうなると電の扱いってどうなるんだろう。姉妹なのにお母さんになるの? それに、名前は藤見奈電になるのかな?

 変な事で悩んでいれば、二人が両脇に退いた。

 窓から差し込む光に照らされて、一人の艦娘が姿を現す。

 

「おっ、そー、いー!」

「!」

 

 島風だった。

 自分と同じ姿の少女にたじろいでいれば、びゅんっと風を切って走り出し、ぶつかるように抱き付いてくる。

 なんとか抱き止めれば、むっとした顔がドアップに。

 

「ばかばかばか! あなたが島風まで放り出すから、私変な所まですっ飛んでっちゃったんだからね!!」

「え、え……?」

「大変だったんだから! ここまで走って帰って来たんだからね! おみやげあるよ!」

「……も、もしかして」

「やっと気付いた? 遅いよね? まさか島風の事忘れちゃったりはしてないよね!?」

「そんな訳ない!」

 

 そんなはずないよ、と強い口調で言えば、おおぅ、と彼女は仰け反ってみせた。

 

「忘れる訳ないよ。片時も忘れられなかったの。島風の事……」

「ふふん。ならいいよ。許してあげる」

 

 だって、ずっと一緒だったのに、急にいなくなっちゃうんだもん。すっごく心配だった。消えてしまったのかもって思って……。

 あなたは、私の恩人でもあるから。今私が私でいられるのは、あなたのおかげだから。

 また会えて良かった。しかも、こんな形でなんて。

 ……そう、か。

 あの究極状態(シマカゼ)から戻った時、私の中にいた艦娘は全部外に飛び出した。

 島風もその一人として外に出てっちゃったんだ。

 何が原因か、遠い場所へ飛んで行ってしまっていたらしいけど……。

 でも、良かった。戻ってこれたんだ。

 私と島風は、手を取りあって、この不思議な再会を喜びあった。

 

「ねえ」

「なに?」

「ずーっと前から考えてたんだ。いつか、ちゃんとあなたの世界の話を聞かせて欲しいな、って」

 

 私も話せる事、たくさん増えちゃったけどね、とおどける島風に、負けじと私も薬指の指輪を見せつけながら、シマカゼだって話したい事たくさんあるんだから、と胸を張ってみせる。

 ひとしきりきゃいきゃいとやって、それからまた、手を取り合う。

 

「体は離れたけど、ますます近くなっちゃったね」

「私達が一緒なら、誰にも負けないよ!」

 

 負けるだなんて、もう誰とも戦う事はないと思うけど、彼女と共有した思い出は、今はまだ戦うばかりだったからそんな言葉が出てきてしまった。

 それがおかしくて、ふふ、と笑い合う。

 

「さあ、島風、自己紹介は……必要か?」

「へへ、提督。シマカゼにはいらないよ。……あ、いや、でもそうだね」

 

 こうして面と向かって向き合うのって初めてな気がするし、初めの挨拶は肝心だよね。だったら……。

 

「どっちからやる?」

 

 島風も、その気みたい。

 新人のあなたから? それとも先輩の私から?

 ちょっとした譲り合いの末に、私から自己紹介をする事に決まった。

 

 提督(お父さん)(お母さん)の前で、新人さん()島風(私の片割れ)と向き合う。

 深呼吸を一つ。

 すうっと息を吸い込むと、窓から吹き込む爽やかな風が心地良く、ここからまた、新しい何かが始まる予感を私に抱かせた。

 窓の外の光が部屋の中を明るさに満たし、私と彼女を、柔らかな陽光で包む。

 この距離でもわかる彼女の熱。息遣い。ずっと一緒だったから、それに安心して、もう一つ息を吐いて、吸う。

 窓が開いているのか、カーテンの揺れる音がした。

 風が治まるのに合わせて、私は口を開く。

 たとえ私が艦娘でなくなったとしても、ずっと口にするだろうこの言葉。

 充実した心と一緒に届けるね。

 

「駆逐艦、シマカゼです! スピードなら誰にも負けません! 速きこと、島風(あなた)のごとし、です!」




TIPS
・島風の唄
唄、とは短歌を指す。
ばらして、短い歌。
島風自身の生まれてから沈むまでは非常に短かった。

シマカゼがシマカゼとして戦っていたのも、半年にもみたない期間。
短くも濃密な歌だった。

これからはまた、シマカゼやらしまかぜやらになって、人間の自由と平和のために
働きつつ、友人達と過ごしていくだろう。

戦争は終わった。
でも、日常は終わらない。
むしろここから彼女達の本当の物語が始まるのだ。


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おわりに

 おわりに。

 

 あとがきです。最終話は一個前です。

 本作を書くに当たって、様々な方から影響を受け、様々なものからアイディアを得て、非常に充実していました。

 それがもう、終わってしまうと思うと、少し寂しいです。

 

 最後の解説的な何か。

 

 シマカゼは、最初は福野翔一という人間が演じる存在でした。

 ですが、様々な出来事を通し、最終的には翔一だった自分を過去にし、決別して、シマカゼとなっています。

 彼……彼女が最も過去にこだわらなければならない理由であった姉は、自身の手で討ち、故に新しい自分に生まれ変わった。

 と、スマートにいければ良かったのですが、彼女の姉への想いは強く。

 それは遺志と似ていて、だから、妖精が一匹、生まれてしまいました。

 艦娘にそっくりな妖精のように、最初の艦娘に似た妖精さん。

 

 いつもにこにこと楽しそうなこの妖精さんを見れば、姉を手にかけた哀しみも薄らいでいく事でしょう。

 

 他に何か『まだ明かされてない事あるよ!』とか、『あれはどうなってんの?』といっあ疑問をお持ちの方は、感想でもメッセージでもよろしいので、お聞かせください。

 できる限り答えていきたいと思います。

 

 ……さて。

 当初は十話か二十話で終わる短編的なもののつもりでした本作は、終わる終わる詐欺を繰り返しつつ、約半年の時間をかけて、無事完結いたしました。

 これも応援して下さったみなさんのおかげです。この場で感謝、御礼申し上げます。

 ほんとにありがとうね。

 

 前作・前々作と完結させてきて、そのたびに『おわりに。』で番外編書くよー的な事を言って書いたり書かなかったりしていますが、今回はなんと!

 番外編はないのです。

 というのも、真ん中で大きなのをやっちゃったので満足してしまったのが原因で。

 

 平和な世界、唯一一般の人間の知り合いである嶋ちゃん辺りと絡めて番外的な事をやろうかとも考えましたが、『艦隊これくしょん』という作品である事を考えると、それは何か違う気がして、やめました。

 

 まあ、次も艦隊これくしょんを原作で書くつもりなので、そっちが番外編みたいなものになるのかな。

 

 さて、ここで作者である私とシマカゼや吹雪との座談会を繰り広げたいと思うのですが、よろしいでしょうか。

 ……駄目?

 あ、そう。じゃあいいや。

 どうせ私程度ではお寒い事にしかなりそうにないですもんね。

 でもそのうちやってみたいです。そんな欲望があるのです。

 

 

 もしよろしければ、次回作の方もよろしくお願いしますね、ね。

 それから、改めて最後まで読んでいただきありがとうございました。重ねてお礼を言わせていただきます。

 お付き合い、ありがとうございました。

 では、また会いましょう。

 



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番外編 コラボ改
1.その後の世界と、また別の世界


なんかコラボ


 2035年。世界は滅亡する。

 ……なんてこともなく、世界は平和だった。

 どこかで銃弾が飛び交ったり、人が生まれたり死んだりしているけど、おおむね平和。

 だってもう、海は静かなのだ。

 

 かつて人類を絶滅の危機に追いやった深海棲艦はどこにもいない。

 2035年6月17日、午前2時57分。全深海棲艦、撲滅完了。

 これにて艦娘――今はもはや、そんな名称で呼ぶ人間は一握りだけど――のお仕事は完全に終了し、私達は人間になった。

 

 

 ここは東京。

 とーきょ。TOKYO。言い方はなんでもいいけど、とにかく大都会。

 初めて見たな、こんな人でごった返してる場所。

 

 人ごみを避けて建物の近くを歩いている私は、昔島風型の一番艦って呼ばれていた、今はただの女の子。

 名前はシマカゼだけど、私は島風ではないので、もういろいろと違うのだ。

 

 たとえば特徴的なうさみみカチューシャは、ぴょこんと飛び出ていた二つのとんがりを後ろ髪を縛るのに使っていて、髪型は一本縛り。お下げというやつ。

 服装も公道を走れないような破廉恥な格好ではなく、ちゃんと三枚重ね着にもふもふ毛皮のコートと、普通サイズのスカートってスタイル。

 まあ、普通だね。お洒落でもなんでもない私のセンスではこれが限界。

 

 私のかわいいかわいい彼女である朝潮ならもっと良い服選んでくれるだろうけど、あいにく彼女とは二ヶ月ほど顔を合わせてないので、仕方なく自分でチョイス。

 あっ、別に喧嘩してるとかじゃなくって、進学の都合上そうだったってだけ。顔を合わてないのはね。

 

 法律の改正が何度も行われて、私達の定義は幾度も書き変わって、そろそろ世間での扱いも定まってきて。

 そんな時、私達は学校に通う事になった。

 最初はそんなの必要ないと思ったけど、私達元艦娘がこの国で生きていくのには学校は必要不可欠だと知ったので、しぶしぶ中学からやり直し。

 公正なるくじ引きにより私は千葉に進学して、朝潮は北海道だから、あんまり顔を合せられなくなっちゃって、でも今日再会できるんだから寂しくなんてない。これまでも頻繁に電話してたしね。

 

それで、私は今秋葉原にいるのだけど、さて、朝潮達が待っているのはどこだったかな。

 

「もしもし? 島風? 今どこー」

 

 という訳で、スマートフォンでご連絡。

 かけた先は、私の友達の島風。同一艦の島風だ。

 

『待ち合わせ場所だよー。ひょっとして忘れちゃった? ……忘れたんだー』

「いやいや……えーっと……いやいやいや」

『ぶっぶー、時間切れ! 誤魔化そうったってそうはいかないよ。ほら、朝潮も呆れてる!』

「えぇー」

 

 そんなあ。

 待ち合わせ場所がわからなくなったなんて格好悪いから、わざわざ島風の方に電話したのに、これじゃ意味ないじゃん。

 ああ、もういいや。それで、待ち合わせ場所ってどこだっけ。

 

『開き直ったー、いけないんだぁー。朝潮に言いつけちゃおっと』

「待って。クリームソーダ奢るから待って」

『神速で待ちます』

 

 返事がはやい。さすが島風だね。

 

『仕方ないなぁ。島風が教えてあげる。ヒントはー、学校です!』

「……それもう答えじゃん。思い出したよ」

 

 いったんスマホを耳から離して、画面をスライドさせてナビゲートアプリを起動する。目星はもうつけてたから、ちょっと動かすだけで目的地の名前が判明した。

 

「国立音ノ木坂学院ね、了解」

 

 来年から通う事になる高校の事、どうして忘れてたんだと自分に問いかけてみれば、いやまあ、ぶっちゃけそこら辺興味ないしとしか返事できない。

 だって私にとって中学も高校も二週目だし、あんまり学ぶ事はないよ、もう。

 

『ちなみに待ち合わせ時間は午後2時ジャストー』

「んっ?」

 

 午後……2時?

 現在時刻は……午後1時48分。

 ……やっばい。

 

 

『やんやん遅れそうです?』

「うんっ。ごめん、切るね。超特急で行くから!」

『ちゃおー』

 

 朝潮によろしく、と一言残して通話を終了させ、足に力を籠めつつ顔を上げる。とにかく急いで、遅刻なんて絶対ダメ!

 そう意気込んで顔を上げれば、私の頬を冷たい風が撫でて行った。

 

「……え?」

 

 喧騒が消えた。

 

 背の高い建物も軒並み消えて、ついでに無機物も全部消えて、おまけに地面まで消えていた。

 足下にあるのは、目が痛いほど光を反射している海と、その波。

 

「……なにが、どういうこと?」

 

 問いかけた声は、高い空に吸い込まれていった。

 

 現状の把握に努めること数分、理解不能なので思考を放棄した私は、自身の格好が艦娘時代のものに戻っている事に気が付いた。縛っていた髪は解けて風になびいて、頭の上ではうさみみリボンが揺れている。。

 左腕を掲げてみれば、腕時計よろしく情報端末――KANDROIDと呼ばれた機械――までついてるし、履いてるのは鉄の艤装のブーツで、着ているのはやたら丈の短いセーラー服。

 

 ……タイムスリップでもしちゃった?

 なんとなく端末を起動し、空中に投影された光化学画面を眺める。

 西暦……9999年……バグってんじゃん! 駄目だこりゃ。

 

 カツカツと指先で端末を叩いて妖精さんを呼び出す。

 黒色の表面からひょこっと頭を出した羅針盤の妖精さんにどういう事かと意思を飛ばせば、さあ? と肩を竦められてしまった。

 妖精さんにもわからないんじゃ、私にわかるはずもない。

 

「はぁー……どうしたもんかな」

 

 テキトーに周囲に救難信号でも飛ばすか、と妖精暗号通信を試みてみれば、ごく最近撲滅完了したはずのイヤーな奴らが発する妨害電波と似たものに阻まれてしまった。

 なので私はわざとらしく肩を落として溜め息を吐き、どうしたもんかななんて呟いてみたのだ。

 

 その実、遅刻しそうだったのがうやむやになりそうだとか、また敵が現れて、また戦えそうな事に期待してたりとか、そーいうのがあったりして……存外混乱はなかった。

 それでもって、背後から聞こえてくる駆動音……エンジン音? なんかもあったので、このまま何もわからず起こらないままって事もなさそうだったから、落ち着いていられたって訳。

 

「……ほわっ?」

 

 でも振り返ってからは、ちょっと冷静でいられなかった。

 だって、てっきり深海棲艦でも出てくるのかと思えば……車が、走ってきていたんだもの。

 それは私のすぐ傍で水飛沫を撒き散らして止まった。

 そう、停まったのだ。海面に。

 

 ていうか、私はその車に凄く見覚えがあって、だからこそ混乱していたのだけど……フロントガラスから見える運転席に座っている艦娘――綾波と、助手席に座っている艦娘――吹雪に目が行って、まさか、と目を見張った。

 

 まさか……ここ、ロンドン?

 

 

 結論から言えばここはロンドンではなかった。

 いや、吹雪ちゃんと綾波の組み合わせって言ったら、二人がロンドンへ留学した事しか知らないし……そうだと思うじゃん、普通。

 

 だけど、普通ではなかったのだ。

 この海も、私を自らの"基地"に案内すると言ったこの綾波も。

 

 

 いったん近場の安全らしい島に連れ込まれた私は、そこで事情聴取を受けた。

 どうしてあそこにいたのか。私は何者なのか。

 隠したってしょうがないし、不透明な事が原因でトラブルがあっても嫌なので、一から百までペラペラ喋る事にした。

 

 気が付けばあそこにいて、私が元いた場所では深海棲艦はもういなくって、ついでに私は仮面ライダーが好きです。みたいな話。

 ……この綾波、食い付いてきたんだけど。ファンの一人なのかな? 真っ赤な車、トライドロンなんてものを乗り回してたし、そうなのかも。

 

 ならば話は早い。趣味が同じなら警戒する必要もないし。

 

 案の定話が弾んだ。彼女は私が本物の泊進ノ介と出会った話に強い興味を抱いてくれたので、自慢したい私としては嬉しい限りだった。

 一緒にいた吹雪は話に入ってこれなくてあんまり楽しそうではなかったけどね。

 

 話が盛り上がりそうだったけど、いつまでもお喋りしている暇はないらしい。

 ひとまず彼女は上の立場の人に連絡をとって、私を保護すると報告した。

 迷子扱いされたんだけど……いや、迷子じゃないよ?

 ちゃんと目的地はわかってたもん。やんやん遅れそうだっただけで。

 

 ……今さらだけど、やんやんってなんだろう。ヤンヤン棒? 懐かしい。

 そんなこんなで、私は久々にトライドロンに乗り込んで、彼女達の基地へと向かったのであった。

 

 ……ところで、私のスマホどこ?




TIPS
・藤見奈シマカゼ
中学三年生。得意技はストライクウィザード。

・藤見奈朝潮
女学生。得意技は『ものしり』。

・藤見奈島風
学生。得意技は早寝早起き早食い早弁。

・あやなみ
謎の艦娘。中の人がいっぱいいる。

・吹雪
台詞がなかった。悲しみ。

・スマホ
お隠れになった。

・なぜ音ノ木坂が出てきたの?
最近ラブライブにはまってるから。


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2.基地の案内と、既知の艦娘

続くコラボ


 

 

『シマカゼ』

 

 優しく、凛とした声が耳朶を打つ。

 ぴくぴくっと震えるうさみみカチューシャを手で押さえ、私は振り返った。

 運動場の隅っこ。大きな木の下の、影になってるところ。

 北海道の中学の制服が良く似合う少女が、微笑みをたたえて、控え目に手を振っていた。

 

――こっちにきて。

 

 懐かしい声がする。

 ずっとずっと昔から聞いていた、大好きな声。

 

 私は、ふらふらと誘われるように、朝潮に近付いて行った。

 

 

 なんだか私の知っている綾波とはちょっぴり雰囲気の違う艦娘さんに案内されて、やってきたのは田畑の広がる地上だった。

 海の上より静かで、のどかで、でも空気はピリついていて、なのにそれが正常っていうこの感じ……うーん、戦争だね!

 

 冗談でもなんでもなく、深海棲艦と戦争やってた十何年も昔とおんなじ空気。

 それとは別に、過ごしやすそうな場所に連れてこられてなんとなく私はほっと息を吐いた。

 もしかしたら緊張してたのかも。

 艦娘としてもう一度動こうとしている事に、だとか……また沈む危険のある場所に来てしまったから、だとか……朝潮めっちゃ怒ってるだろうなぁ、だとか。

 

 さて、この基地を案内してくれると言った綾波さんは、現在顎に指を当ててふむむと唸りながら歩いている。私は、そんな彼女の横顔を絶賛観察中。

 いやね、なんか、艦娘らしい艦娘って久々に見るから、なんというか……こう、ミーハーな気持ちが刺激されてしまったのだ。

 まるで一般人のような反応。

 まあ、私はもう一般人なんだけどね。

 卒業式を控えた中学生の女の子。

 

「ああ、すみません……少々お待ちいただけますか」

「え? あ、うん。お構いなく」

 

 通信でも入ったのか、ふっと顔を上げた彼女は、少し間を置いてから私にそう言った。それで、どこかへ歩いて行ってしまう。

 ここまで無言だった吹雪ちゃんも彼女について行ってしまったので――去り際、ちらっと私を見てきた彼女の目は、ちょっとした好奇心の色があった――、一人きりになってしまった。

 そうすると考え事をしてしまうのは、私の癖だ。

 

 このような状況でじっくりと考える時間を与えられてしまうと、どうしても思考は暗い方向へ進む。

 今年から大好きな人と同じ高校に通えて、そこに色んな希望を持っていたから、ほんとは私……今すぐにでも帰りたい。

 でも、この不可思議現象に対する私のできる事なんてなんにもない。

 どうやって元の世界に帰るのか。ここで何をどうすれば良いのか。

 

「……なぁんも見えてこないんだな、これが」

 

 参っちゃうね。なんて肩を竦めてみても、不安は拭えない。

 かつての最終決戦で、その場にいた全世界の艦娘を改修素材とした私が到達した最強島風でも世界の壁を越える事はできないだろう。

 つまりはお手上げ。

 ここの超技術に頼って次元移動マシーンの開発でも待つか、それとも何者かを倒しに行くか。

 

「んっ……」

 

 ……倒す。その一言を考えると、体の奥底に沈む艦娘としての本能が震える。

 かつての戦場の記憶。

 うずく体。

 無駄にはしゃいだり、子供っぽく振る舞ってみたりしたけど、どうやら誤魔化せそうもないみたい。

 

 ……だって、私は……。

 私は、戦うために生まれた艦娘だから。

 それに、何かを倒せば元の世界に戻れるかもしれないから。

 

「朝潮……」

 

 きっと彼女は待っている。

 いつだってそうだったから。ずっと、そうしてきてくれたから。

 ぐずぐずなんてしてらんない。ブレーキは必要ない。

 フルスピードで帰らなくっちゃ、朝潮が拗ねちゃうぞ。

 それで、『また遅刻ですか……はぁ、どうしてあなたはいつも』とかなんとかお説教が始まっちゃったりして。

 

 いやね? 私だってしたくて遅刻してる訳ではないのだ。

 ただ、私のスピードならまだ間に合うからちょっとそこのお店寄って行こうとか、おっと早く家を出る事を優先しすぎてお財布忘れてきたぞーとか、まあ、いろいろ事情があっての事で。

 ……へへ。

 朝潮の顔思い出してたら元気が出てきた。あ、もちろん同一艦(おともだち)の島風の顔も思い浮かべてますよっと。私と同じ顔だから奇妙な感じだけど。

 

「元気もチャージしたし、張り切って綾波を待つぞー!」

 

 おー!

 一人で盛り上がって腕を突き上げたりなんかしてテンションを高め、まだかなまだかなと綾波の帰りを待つ。

 

 ……十分が経過した。綾波は帰って来ない。

 暇なのでKANDROIDを修理しようと試みる。

 ……私機械よくわかんないんだった。

 

 二十分が経過した。

 設定弄ればいけるんじゃね、といじくりまわしてたら妖精さんが強制排出されるバグに見舞われた。

 なんじゃこりゃあ!

 

 三十分が経過した。

 妖精さんはなんとか戻せたものの、表示はバグったままである。ノイズまで混じり始めた。怖い。

 どうやらこの情報端末は私が触れちゃいけない物になってしまったようだ。

 大人しく綾波を待つ事にしよう。

 

 ……よんじゅっぷーん。

 彼女どこ行ったんだろうね? まさか私の事忘れちゃったんじゃないよね?

 あー、そー。ならいーよ? 勝手に歩き回っちゃおうかなー?

 ……子供じゃないんだし、大人しく待ってるけどね。

 

「……遅い」

 

 それから数分もせず、私は音を上げた。

 元来待つのは好きじゃない。私、そういうタイプじゃないのだ。

 もっとバッと、ずっとビューッと!

 素早く、素早く、素早く!

 スピードが命なんだから、はやく来てよね綾波ぃー!

 

「お待たせしました」

 

 心の中で叫んでいれば、斜め向かいから声がかかった。

 むあー! 何その澄ました声! ぜんっぜん悪びれもしない態度!

 ……私みたいじゃん!?

 

「お、おっそーい」

「すみません」

 

 人の振り見て我が振り直せとは言うけれど、違う世界に来てそんな自分の姿を顧みさせられるとは……い、いやー、うん。

 ……文句を言う声にも覇気が出ない。ついでに目が泳いじゃう。

 ……ひょっとして、私いつも朝潮にこういう気持ち抱かせてたのかな。

 

「まずは自慢の畑をお見せしますよ」

 

 さ、こちらへ、とガイドさんモードになった綾波に誘われ、彼女の隣に並んで歩き出す。

 ……自慢の、ねぇ。……なんかどことなく少し嬉しそう。気のせいかな?

 

「うわあ」

 

 やってきました大きな畑!

 想像してたのとはちょっと違ってもこもこ(?)してて、それで何人かの艦娘が忙しなく動いている。

 全部艦娘で運用してるんだね。前線基地だからある意味当然なのかな?

 

「うん、なかなかの収穫量ですね」

「でっしょー。お野菜さん達、きらきら輝いてるぅ☆」

 

 ……働く艦娘は誰もが見知った顔ぶれだったけど、一人ちょっとよくわからないのがいた。

 その艦娘は今、綾波さんに手招きで呼ばれて彼女の前に立っている。

 ……聞き覚えのある声。土と汗に濡れた健康的な顔は輝かんばかりのスマイルで、それもまた見覚えがある。

 

「しかし、問題はこれらをどう本島に運ぶかなのですが」

「ああうん、それは大丈夫! この島の地下から本島までを繋いだ通路経由で……」

「は? え、ああ、造ったんですか? いつ?」

「妖精さんが一晩でやってくれましたー」

「ああ……はいはい」

 

 私にはいまいち理解できないお話は左から右にスルーして、その……ええ、農家さんというか、あの、下着姿というか、もうなんか人に見せて良い格好じゃない女の子をようく観察してわかった。

 

 那珂ちゃんだこれ。

 

 ……ほんとは最初からわかってたけどね、あんまりにもあんまりだから目を逸らしてたよ。

 だってアイドルだよ? お洋服に気を付けて、ちょっとの汚れも嫌うアイドルの那珂ちゃんが汗みどろになって働いていて、それで那珂ちゃんスマイルは三割増しなんだからびっくりだ。

 びっくりしすぎて近付いてきた川内先輩……いや、ただの川内さんに気付かなかったし、「ミンナにはナイショだよ」と手渡されたピーマンをびっくりしすぎて丸かじりしてしまった。

 

「ぐえっふげえっほごっほゴッホ……ひまわり」

「?」

「おいしいです」

 

 こそっと顔を近付けてきて、そのまんまでも美味いでしょ? なんて聞いてくるもんだから「はい」と答える以外の選択肢はなかった。私ピーマンめっちゃ嫌いなんだけどね!!

 

「おや」

 

 手の中に残った食べかけのピーマンはどうしようかと眺めていれば、那珂ちゃんとの会話を切り上げた綾波がこっちを見た。げっまずい、これ内緒だよって渡された物だし、ばれたらまずいんじゃ……ええいままよ!

 さっと口に放り込んでろくに噛まずに飲み込む。ゴリッと喉を通るどでかいのに涙目になりつつも、この早業でなんとか誤魔化す事が……!

 

「まったく……何をしてるんですか」

 

 できなーい!

 そうだよね! きっちり視認されてたもんね! 食べ損だよ!

 

「いやー、ごめんごめん、新顔さんにちょっと挨拶をって思ってねー」

「別に構いませんよ。野菜なら幾らでもありますからね」

「お、そう? それもそうか。良かったねー新顔さん!」

 

 ぜんっぜん良くない。本当に食べ損じゃん。

 つら。

 

「それで、どうでしたか? うちで採れた野菜のお味は」

「………………大変おいしゅうございました」

「おや……まあ、いいです。……そろそろいい時間ですし、お昼にしましょうか」

「ん、そうだね! いやーお腹空いちゃったなぁクリームソーダ食べたいなぁ!」

 

 どうよ、この社交術!

 シマカゼだって伊達に学校行ってないんだから、人と人との付き合いくらい簡単なんだから!

 ついでにお昼食べさせてもらえるみたいだし、さっさと口の中の苦いの別の味で上書きさせてもらうとしましょうかね。

 

「残念ながらクリームソーダはありませんが……先程も言った通り野菜なら山ほどあります」

「えー」

「新鮮な野菜をたんとご馳走しますよ」

「……ええ」

 

 しまった、墓穴を掘ってた!

 美味しいなんて言ったから、どうやらお昼もそれになるようで……。

 うわーん、野菜なんてキライだー!

 

『シマカゼ! 好き嫌いを無くさないと大きくなれませんよ!』

 

 颯爽と私を案内し始める綾波についていきながら空を仰げば、遠くの方から朝潮の声が聞こえた気がした。




TIPS
・北海道の中学の制服
どさんこすのー。

・ここの超技術
未成艦どころか艦娘の枠から外れた戦車娘、はては武装まで作り出す
他所とは一線を画す高度な科学力。

・ご馳走
方向性を定めてみたり。


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3.譲れない思いと、重い感情

ぷわぷわーお。


 

 他所様の建物……艦娘が住まう場所ってのはなんだか新鮮で、でもどこか懐かしくもあった。

 

 綾波に案内されるまま、私は昔に思いを馳せて敷居を跨いで……あれっ、と首を傾げた。

 どうも、違う。

 すんごい違和感。

 

 その正体は、たんにここが私が昔過ごしていた鎮守府とは違う場所ってだけの話で、勝手に期待していた私は意味もなく落胆した。

 どうしてそんな気持ちを抱いたのかは自分でもわからなかったけど、せっかく招いてもらっておいて暗い顔すんのは失礼だってくらいはわかる。

 ので、にっこりスマイル。参考は農家な那珂ちゃん。

 

 どーよこの万点スマイル。私も女の子だかんね、これで男の子とかイチコロっしょ。

 ……あ、前世(?)は男の子だったとか、そういうのはもう忘れた。

 今は朝潮に恋するただの女の子なのだ。男であった私、つまり福野翔一とかいう人はもう欠片ぐらいしか私の中に残ってないって訳で。

 

 さて昼食。

 食堂は、やはり私の記憶の中にあるものと違っていた。

 そりゃ別の施設なんだから当たり前なんだけど、雰囲気が似てるから勘違いしちゃうんだよなあ。調子が狂う。

 あー、調子が狂いすぎて出された野菜炒めからピーマンを退けてしまうー。

 いそいそ。

 

「何やってるんですか」

 

 お隣にぴったりくっついて座っている綾波さんが、心底呆れ果てたみたいな溜め息を吐いた。

 

「ピーマンは残す、それが艦娘だ」

「………………艦娘にそんな常識はありませんよ」

 

 あっ、綾波さんが凄いジト目になっておられる……艦娘時代にも見た事ない顔だ……。

 綾波はどの子も基本的におだやかな性格で喜怒哀楽の喜びと楽しい以外は滅多に表情に上らないから、珍しいものを見た気分だ。

 なのでそんな綾波さんにはピーマンを進呈しよう。よきにはからえーみなのしゅー。

 ……さすがに、そんな死ぬほど失礼な真似はしないけどね。

 

 出された物は残さず食べる。それが人間のルールだ。常識ってやつ。

 ただ……私は本当にピーマンが苦手で、……いや、アレルギーとかそういうのではないんだけど……でも……。

 うーん、泣きそう……。

 

「はぁ……仕方ない人ですね」

「あっ」

 

 お箸を握り締めてむんむん唸っていたら、横から伸びてきた手にお皿を取り上げられてしまった。

 何をするかと思えば、代わりにピーマンを食べてくれるらしく自分のお皿に取り分けている。

 ……なんだ、神か。

 

「………………。……サラダの方の面倒は見られませんよ」

 

 山と積まれたピーマンを見下ろす綾波さんは、抑揚の無い声でそう言った。

 あれっ、ちょっと怒ってる?

 怒らせるような事は……してるね、うん。

 

 ……う゛っう゛ん。おほんおほん。

 気を取り直してご飯をやっつけちゃうとしよう。

 大丈夫、私パプリカは食べられるから……。

 ひーん、苦いよう。

 

 ちらっと横目で見た綾波さんはもりもりピーマンを食べていた。

 ……意外と美味しそうに食べるもんだから、ちょっと食い意地が張って一つ分けてもらった。

 自分から退けた癖してねだるなんて、とんだ気分屋さんだと呆れられてしまったけど、無事炒められたピーマンは彼女のお箸から私の口へ、どーん。

 

 

 

 

 

 つら。

 

 

 

 

 お腹も膨れて、食休みだー、とゆったりしていたら、数分もせず案内が続行される事となった。

 おっと、そうか。艦娘は食べてすぐ動いても平気だもんね。長い事人間やってたからすっかり忘れてたけど。

 

「……はい、ここが我が前線基地を支えてきた工廠です」

「ほへー」

 

 お次にやってきたのは工廠だ。

 夕張さんの工廠とも明石の工廠とも違った印象を受けるその場所で、綾波さんは実際に稼働しているところも見せてくれると言った。

 

 ……え、建造とか開発する場面を見られるの?

 それは驚きだ。私の世界では、そういった技術は妖精さんが隠れてやるために誰も見る事の出来なかった、いわばブラックボックス的な部分。

 俄然興味がわいてくる。

 

「では取り敢えず、最低値で……10回ほど回すか」

 

 中央奥にある二つの機械に言葉通りの資材を投げ込んだ綾波さんは妖精さんに軽く指示を飛ばした後――私とか那珂ちゃんとかに向けるのとは違った言葉遣いだった――、私の横へ来て待機した。

 最低値かー。失敗も()り込んで数を多くしたのかな。

 とか思ってたら、10回とも成功した。

 

 おっきな艤装がぽんぽこ吐き出されるもんだから、私はまたびっくりして、どうして最低値なのにあんなのが出るのか、と彼女に聞いてみたのだけど、それはよくわかっていないらしい。

 ……艤装どころか、自転車みたいなのも出てきたんだけど……ええ……なんだこれ。

 

 技術が高いと聞いてはいたけど、それは相応の資材を使ってとか、時間をかけてとか思ってたんだけど、随分お手軽にぶっ飛んだものが出てくるんだね。

 ……そこのでっかい椅子はなんだろう。……マッサージチェア? そっちはテレビ? ブラウン管なんてひっさしぶりに見たねぇ。骨董品みたい。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「……え、うん」

 

 ちょっと理解の範疇を越えていたので考える事を放棄していたら、綾波さんに心配されてしまった。生返事をすれば溜め息を吐かれてしまう。

 いや、仕方ないじゃん。変なんだもん。

 懐かしい気分全部ぶっ飛んだよ。

 

「ふむ……どうです、シマカゼ。ゲームでもいかがですか?」

 

 ちょうどテレビも出ましたし、と、妖精さんの手によって運ばれていく物を指しながら提案してくれた綾波さんには悪いけど、丁重にお断りさせていただいた。

 これは純粋に、私がゲームとかする気分じゃないってのが原因。

 だって私今、常に非常事態だもん。

 

 いちおう、きっとここにいる誰より年配だろうから平静を装ってはいるけれど、ひょっとしたらぽろっと涙が出てきちゃったりするかもしれないような精神状態だったりするのだ。

 

 元の世界に戻らなきゃ、って考えは、黙って廊下を歩いていた時もご飯を食べていた時も綾波さんと話していた時も、ずっと頭の中にこびりついていた。

 当然だよね。

 私には私のやる事があって、時間があって、そしてここは私のいるべき場所じゃない。

 

 私の生まれた理由はもう果たした。深海棲艦は全部倒した。

 今さらでしゃばってどうこうするような理由は私にはないのだ。

 

 でも、そんな事言ったってどうしようもないのはわかってるから、だから、じゃあ今を楽しもう、ってなってる訳で。

 

「不要な気遣いでしたね。では次は建造を……」

 

 すぐ話を別の方に向ける彼女に、笑みを浮かべる。

 不要ではないよ。その気遣いは嬉しいし、実際心も軽くなる。

 綾波さんの口調が変わった時、なんだか嫌な感じもしたんだけど……気にする事もなかったな。

 だって、良い人だ。人の事を考えられる、優しい子。

 

「……君のためにこの世界を救うのも、悪くないかな」

「はい? ……あ、出てきましたね」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声量で吐息と共に発した声は、建造に成功して現れた鈴谷と熊野に気を取られた彼女の耳には届かなかったみたい。

 私も言ってから気恥ずかしくなったから、聞こえてないみたいで良かった、かな。

 

 

 

 

「お疲れのようですし、この辺でいったんお開きにしましょうか。その後の予定は追って連絡します。まずはあなたに割り当てる部屋に案内しますね」

「うん、お願いします」

 

 鈴谷と熊野との挨拶を終え――私は部外者なので、隅っこに寄って見学していた――、寝床への案内。

 午後いっぱいも何かするつもりのようだけど、少し休憩させてもらえるみたいだ。

 

 ……いや、やっぱ休憩はいらないかな。

 一人で静かに、なんてしてたら、またヤな事ばっかり考えちゃいそうだもん。

 私、ちゃんと元の世界に帰れるの? 二度と朝潮と会えないなんてなったらやだよ、とか。

 ……その時はまあ、死ぬからいいよ。あ、ここの人の迷惑にならないように海の上で自分の頭吹っ飛ばす感じで……いや、深海棲艦を巻き込んで自爆するくらいはやった方が良いかな。

 

 なんてね。

 帰れない訳がない。この私が、やり遂げられないはずがない。

 大丈夫、私は絶対に帰れる。

 だから、死ぬなんてくらぁい考えはぽいぽいぽいのぽい、だ。

 

「…………」

 

 ぐっと拳を握って決意を新たにしていれば、横を歩く綾波さんがじっと私を見ているのに気が付いた。

 ……えへ。暗い気持ち、ばれちゃったかな?

 

「ぴょんぴょんっ。綾波さぁん、はーやっくおーへやっに行ーきたーいなっ♪」

「はぁ……元気そうですね」

 

 頭のリボンに手を添えて、ウサギみたいにぴょんぴょんやったら、彼女は呆れ気味に顔を前に向けた。

 どうやら勘付かれてはいないみたいね。

 うんうん、それが良い。

 

 そうそう、私はもっと、元気でいなくっちゃね。

 

 

 ちょっと気分が上向きになってきたので、スキップなんかもしてみちゃったり。

 ……って、綾波さんより先に行っても、道わかんないんだから意味ないじゃん。

 ……アホであるとは思われたくないなー。反省。



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4.デッドヒート綾波さん

小傘ちゃん、社長になる。が好き。


 

 この世界にはロイミュードがいるらしい。

 

 見せたい人がいる、と言われて案内される道すがら説明されたのは、先日鹵獲(ろかく)したという川内の話。

 

 ……川内、ロイミュード?

 相変わらずぶっ飛んでるなあ、この世界。

 というか、会わせたい人、じゃなくて見せたい人、なんだ。

 モノ扱い?

 

 "ロイミュード"とは、ありていに言えば人型の機械である。

 狂気の科学者蛮野が生み出した機械生命体。

 その数、108。

 

 彼らロイミュードは人の記憶と姿を奪い、心や感情を知ろうとする。

 全ては進化のため。

 "約束の数"を揃え、グローバルフリーズ(最初の日)と同じように再び世界をロイミュードの手中に収めるため。

 

 でもそれは、私の世界の、ひいては仮面ライダードライブ=泊進ノ介が戦った世界の話。

 時間的に向こうもロイミュード108体の撲滅はとっくに完了して平和な時を過ごしている事だろう。

 だからロイミュードがいるはずない……のは、こっちの話で、この世界とは関係ないか。

 

 で、だ。

 この世界にいるロイミュードってどういった存在なのだろう、という疑問が浮かんでくる。

 蛮野博士がいなければロイミュードは生まれない。でも現実に彼らはいるらしく、なんらかの考えの下に動いていると聞いた。

 

 川内ロイミュードを鹵獲した時の状況を綾波さんはこう説明した。

 

『随分大人しくお縄についたらしく、まるで自ら捕まりに来たようだった、と聞きました』

 

 伝聞調なのは、綾波さん自身が直接鹵獲した訳ではないからみたい。

 一度面会した時には、やはり"ロイミュードらしく"綾波さんの反応や心の動きを探るような言動をしたみたいだけど……うーん。話を聞いただけじゃ彼ら……彼女らの真の目的がわからない。

 川内ロイミュードは綾波さんに会いたかったから来たと話したようだけど、そういった小さなスケールじゃなく、もっと大きなスケールでの話。

 

 いったい何を目指して動いているのだろう。

 約束の数を揃えるため? 艦娘の姿をとったなら、深海棲艦を倒すため?

 

 ……さっぱりわかんないや。

 わかんないなら考える必要はない。学校のテストだって答えがわからなきゃ空欄のまんまにしてたしね。それでいいんだ。

 

 大切なのは、私が元の世界に戻るとっかかりをどうにかして掴む事。

 そして、このロイミュードという敵生体は、なんとなく私の帰還に繋がりそうな気がする。

 女のカンってやつかな。中身二割くらい男だけど。

 

「ねー? 連装砲ちゃん」

『キュー?』

 

 両腕で抱いた大きな連装砲ちゃん、『連ちゃん』に声をかければ、彼女はヘラのような手をぱたぱた振りつつ私を見上げて、不思議そうに鳴いた。

 

 この連装砲ちゃんは、正真正銘このシマカゼの連装砲ちゃんだ。

 この子達とは何年も昔にお別れしたはずなのに、カンドロイドだとか妖精さん達だとか艤装と同じように私の下に戻って来たのだ。

 具体的に言うと、てきとーにカンドロイド弄ってたら連ちゃんが一匹排出された。それだけ。

 

 ひょっとしたら装ちゃん砲ちゃんもカンドロイドの中に眠ってるのかもだけど、あいにくこいつは故障しててまともに動かせない。

 非力な私を許してね。

 

「うっ!?」

「うん?」

 

 おーよしよしと連ちゃんの頭を撫でていれば、急に綾波さんが動きを止めた。

 抜き去って歩いてしまったので振り返れば、なんか凄い前のめりになってゆーっくり倒れようとしているではないか。

 

 私はその現象に見覚えがあった。

 ついでに、さっきまでロイミュードの事を考えていたので、すぐにピンときた。

 これは機械生命体が発する重加速現象、通称どんより!

 一定の範囲内の無機物有機物問わず動きをおもっくそおっそーい! にしてしまう厄介な技だ。

 

 でも残念。私にはこの連ちゃんがいる。ついでに言えばカンドロイドもある。

 ずっと昔、今は懐かしき夕張さんが連ちゃんに施してくれた改修によってその身にコア・ドライビアを搭載した連装砲ちゃんはどんよりの中でも動けるし、自らも限定的な状況下でのみ重加速を発生させる事で素早い機動が可能になった。

 

 どんよりを打ち消す波動を発するドライビアが搭載されているのは、夕張さん謹製のカンドロイドも同じ。

 これを身に着けている限り、私はずっと速い!

 

 ……だから何、って話だけど。

 

 私が動けても状況がよくわからないから突っ立ってる事しかできない。

 肝心の綾波さんが動けなくなってしまっているのが困りもの。

 

 連ちゃんでも押し付けたら動くようになるかなあ、なんて考えていれば、私達が歩いて来た方の道からエンジン音が聞こえてきた。

 

 見れば、真っ白なバイク――仮面ライダーマッハのマシン、ライドマッハー――が爆走してきているではないか。

 

 そのお供として空中を走行してきたミニカー、青い車体のシフトフォーミュラが手に触れた綾波さんは、途端に呪縛から解放されたようによろめいて、それからすっと背筋を伸ばした。

 

 わあ、凛々しいお顔。

 

「シマカゼ、それを」

「え? 痛った!?」

 

 ぼうっと彼女を見ていたら頭になんかぶつけられた。拍子に取り落とした連ちゃんがころころ転がって行ってしまう。

 

 すわ敵襲かと驚いてしまったけど、なんて事はない。アタッシュケースがぶつかってきただけだ。

 ……いや、何それ!

 

 誰の仕業だよと怒りながらも拾ってあげる辺り、私は優しい女だね。

 ……って、このアタッシュケース凄い見覚えあるんですけど!

 黒塗りに白字で『SMART BRAIN』のロゴマーク。

 開けてみれば、予想通り中身は銀色の変身ベルトと道具一式だった。

 

「Let`s、変身」

 

 しゃがみこんでケースを床に置き、懐かしいを通り越して骨董品の域に達している二つ折りケータイ……携帯型返信デバイス・ファイズフォンとベルトを取り上げていれば、横では綾波さんが仮面ライダーマッハのポーズをノリノリで披露していた。

 

 ははーん、なるほど。私にも読めてきたぞ。

 こいつは綾波さんのサプライズだな?

 仮面ライダーが好き~って話した時、じゃあどのライダーが好き? って話題も出たもんね。私、その一人にファイズを挙げてたし、それでわざわざおもちゃ用意してくれた訳だ。

 

 人間を自称し、人間として生きながらもその実艦娘である私は、なるほど『人間じゃない!?』って称号持ちで、ファイズに変身するには相応しいって訳ね?

 

「なーら、私もノリノリで……変身!」

 

 さっと腰にベルトを巻いて、右手を返して持っているケータイをぱかりと開き、ノールックで『5・5・5』のキーをプッシュ。

 待機音が流れる中、携帯を閉じて天高く掲げ、勢い良くベルトのバックルに差し込んで横倒しにすれば完了。

 

「へへー、綾波さん、どう? 似合ってる?」

「……そういうのは後にしてくれます?」

「え?」

 

 いえーい、って感じにお腹を突き出しつつ両手でベルトを指し示したら、ギロッと睨みつけられてしまった。ほわーい。なんか悪い事したかな私。

 ……似合ってないのかな?

 むー、でも見た目的にはおかしくないでしょ? ベルト巻いた島風、かっこかわいくないかなあ。

 

「聞こえてるー? ねえってばー。おーい、綾波」

 

 はしゃいでた気持ちが沈んでいくのを感じていると、近くから艦娘の声が聞こえてきた。

 川内さんだ。昨日聞いたばかりだから間違えようがない。

 

 しかしその出所は私達が向かっていた独房の方からだ。

 てことは、今のは例の川内ロイミュードか。

 どんよりを発生させたのも彼女なのだろうか? ……なんのために?

 

「襲撃者の目星は大体ついてるからー。ね? 出してよ綾波ー」

「……誰かわかるのか」

 

 うわ綾波さん目つき悪っ!

 私を睨んだ時とは違った感じにイケナイ顔した綾波さんが独房の方を振り向く。

 きっと川内ロイミュードに良い感情はあんまり抱いてないのだろう。

 

 ……というか、襲撃者って単語とか綾波さんの雰囲気見る限り、これ、もしかしてライダーごっこ遊びしましょって誘いじゃなくて、ほんとの襲撃なの?

 ……そりゃ怒られるね、うん。

 

 でもだって、それならこう、仮面ライダーとかに変身してくれたらわかりやすかったんだけどなあ。

 音だけ鳴って見た目はそのままだったら玩具だと思うよね。うん、仕方ない仕方ない。

 

「ねー、連装砲ちゃん」

『キュー』

 

 ちょこちょこ歩いて足下まで戻って来た連ちゃんを拾い上げながら言えば、彼女は首を傾げて一鳴きした。

 ひゃーん、かわいい。

 

「とりあえず彼女に話を聞きに行きます。遅れないように」

「ん、ちゃんとついてくから」

 

 くいっと顎で独房の方を示す綾波さんは、見た目は華奢な女の子なのに、妙にサマになっていた。

 格好良い女の子ってこんな感じかー、なんて眺めてたら、風を残して掻き消えた。

 ……ちょっ!

 

「っとぉ!?」

 

 慌てて私も走り出せば、思っていたよりも速度が出た。

 驚いた事に身体能力がかなり上がっている。

 

 体を動かせばわかる。ベルトからエネルギーが腕の先、足の先まで送り込まれているのが。

 変身アイテムをパワーアップキットとして運用してるんだ。お洒落な発想ね。

 原理としては艤装と同じようなもんなのかな。

 

「遅れないように、と言ったはずですが」

 

 独房へ辿り着いた時には、既に綾波さんは川内ロイミュードを解放した後だった。

 

 悪戯っぽく言った綾波さんにわざとらしく拗ねてみせる。

 説明もなしに競争を始めるなんてずるい。

 ……でも、綾波さんにもお茶目なところがあるんだね。

 

 彼女は小さく笑って――ちょっと子供っぽい笑い方だった――、それから真剣な表情で川内ロイミュード……長いな、川内でいいや。呼び捨てにするのは変な気分だけども。……川内を見上げた。

 

 それにしてもこの川内、見た目は私の知る川内さんとなんら変わりがない。

 ロイミュードの能力上、それは当然の事なんだけど……朗らかで元気そうな笑みを浮かべた表情も同じとなると、それって同一艦と何が違うの? って思ってしまう。

 

 姿形も性格も違う同一艦の艦娘は、育った環境と経験した戦場で微妙に性格や言動が異なってくる。

 でもそれはロイミュードも同じ。

 コピー当初はまったく同じような人間でも、その後過ごした時間と環境で幾らでも変わっていく。

 

 なら……この川内も、もはや艦娘と同じなのかもしれない。

 

「それで? 襲撃者って誰だ」

 

 綾波さんは、例の口調で静かに問いかけた。

 頭の後ろに両手をやった川内が答える。

 

「うちのバカ、もといレ級elite」

 

 まーたお前か。

 

 『レ級』と聞いた瞬間、懐かしいような、呆れたような、はたまた怒りに似た感情が胸の中を渦巻いて、危うく変な声を出してしまいそうになった。

 が、先に綾波さんが「またあいつか」って言ったので、なんとか口の中に留められた。

 

 レ級……レ級ねぇ。良い思い出ないなあ。

 さんざん苦しめられたし、さんざん戦った。

 難しい話はするわ、理不尽だわで、ほんとヤな奴だった。

 

 しかしこの世界のレ級は私の世界の『戦いを永遠に続けさせる役割を持つ』だとか『強くなりすぎた者を間引く』だとか、ヘンテコな目的を持ったボスみたいな奴ではなさそう。

 敵の一種、といった感じ?

 

 それでも同じレ級に苦しめられている者同士、うんざりした様子の綾波さんに妙に親近感が湧いてしまった。

 ぽんぽん、と肩を叩けば、胡乱げな目を向けられてしまったので、私はあなたの気持ちわかるよ~って目で見つめ返してあげた。

 ……なんで溜め息がもっと深くなるのかな?

 

「ねぇ!」

 

 するり、私と綾波さんの間を抜けて通路側に立った川内が満面の笑みを浮かべて綾波さんと、それから私を見た。

 今から隠しに隠してきたとっておきで驚かせちゃうぞーって気持ちが見て取れる悪戯っ子な笑み。

 

「次の戦闘でさぁ」

 

 けど、その瞳の奥の冷たさは、私の知る川内さんとは全然違っていて。

 

「私の進化態、見せてあげるよ」

 

 息を呑む綾波さんの横で、「ああやっぱり、こいつは川内さんじゃないんだな」って思う私であった。

 

 

 ……なら、遠慮なく壊せるね。安心安心。




TIPS
・変身ベルト
ここでの変身ベルトは艦娘専用、着用者の能力値を底上げする形になっているみたい。
見た目上の変化が出ないので、シマカゼは玩具だと思った。


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5.乱闘・ライダー祭り

シマカゼの頭が緩そうなのは仕様です。


 超進化態。

 それはロイミュードが求める最終到達点。黄金の力。なんと美しき姿。

 

 

『ぜろぜろいち! お前がどんなに巨大な権力を持とうと、お前こそ小さい!』

 

 

 連想ゲームで胸の内で名台詞を叫んでいれば、綾波さんがうーむと顎に手を当てて何か考え事を始めるのが目に入った。

 川内から綾波さんへ視線を移す。じーっとガン見。何を考えているんだろう?

 

 私、状況があんまり飲み込めてないというか、さっぱりわかんないから一つ一つ説明してほしいなー、なんて。

 ……この綾波さんはどちらかというとクールな性格のようなので、あんまりその場その場での説明とかしてくれないから困りものだ。

 

 ちなみに私はパッションってやつが満タンなシマカゼ。恋も学業も負けません!

 

 

 とりあえず、話は襲撃者の事へと移った。

 敵の目的はおいといて、その規模はどれほどか、脅威はどの程度かを綾波さんが纏める。

 いいぞ。頭脳労働は任せた。私そういうの苦手だから、終わるまでそこら辺の壁でも見てるね。

 

 

 

 

 

「ここで悩んでいても仕方ない。シマカゼ、行きますよ」

 

 ぬぼーっとしていれば、腕をぺちり叩かれた。

 

 んあー、今いいとこだったのに!

 脳内朝潮とベッドの中で会話(ピロートーク)していたのを中断させられた私は、しかし今が非常事態なのを思い出してキリッとした顔を心がけ、ライドマッハー(バイク)に跨った綾波さんが肩越しに立てた親指で後部を指し示すのに頷いて、そこへ飛び乗った。

 

「綾波さん、ヘルメットは?」

「そんなものなくとも艦娘、死にはしませんよ」

「えー、ワイルドだなあ」

 

 ちょっとしたり顔なのがかっこかわいい綾波さん。いくら記憶喪失でも免許が取れるからって、法を守らないのはいけないと思います。

 え? ここでは綾波さんが法?

 さよか。

 

「そこがこの子の魅力なのだよ」

 

 さっと横へ来た川内が私の背中をぽんぽん叩いてから、私の後ろへ立ち乗りした。

 ちょっと、私の肩に手ぇ置かないでくんない? むず痒いよ!

 

「飛ばすぞ」

 

 さっきから口調が安定しない綾波さんが思いっきりグリップをひねり――目の前独房あんのに? と思う間もなく――ギャギャギャッ!! とけたたましい音をたてて視界がぶれた。

 

「うひょー!」

 

 強烈なGに体が引っ張りまわされる。うおーん、顔の皮が伸びるぅ。川内の楽し気な声が憎い。

 

 けど独房と激突って事にはならなかった。どうやらアクセルレバーを回すと同時にブレーキも握っていたみたいで、同時にハンドルを切ってその場で急速回転、反転して廊下に飛び出した模様。

 綾波さんのドライビングテクニック、シマカゼじゃなきゃ見逃しちゃうね。

 でもナイスドライブとは言ってあげない。怖かったし。

 

 

 

 さて、外へ飛び出した私達は、この地に上陸して暴れ回るレ級とその他大勢を目撃した。

 赤い光を纏うレ級を筆頭に雑多な深海棲艦があっちにこっちに砲弾を飛ばしては爆砕音を響かせている。派手に暴れてやがるな。そーゆーの見過ごせない主義なので、ぶっ倒しちゃいましょう。

 

「ちっ……!」

 

 綾波さんも相当お怒りなようで、風の中に舌打ちが紛れ込んだ。……こわ。

 ほぼ同時に川内も舌打ちしたので私は二人の怒りに挟まれて身を縮ませた。

 別の世界の住人である私には彼女達のような強い怒りはないので、なんか申し訳ないというか場違いというか肩身が狭いというか……。

 

「あれ? あの、タ級とかル級の中に紛れている金剛さん達は……」

「あの四姉妹は、おそらくロイミュードです。攻撃対象。ぶちかまします」

「ぶち……?」

 

 土埃を巻き上げてその場に急停止した綾波さんがアクセルをふかして不穏な事を口走るのに、思わず聞き返すものの返事はなかった。

 代わりに後ろの川内がぴょーんと高く飛び上がって、空中で綺麗に身を捻って少し離れた場所に着地した。何をいきなり。……なんでこっちに手を振ってんの? ばいばい?

 ていうかなんか姿が改二っぽくなっているような。魚雷の代わりに刀とかクナイとか持ってるけど。

 

「行きます」

 

 ぐわん。

 お腹の中が浮き上がるような感覚とともに車体前部が一度大きく持ち上がり、重々しい音を立てて着地、同時に猛発進!!

 

『――!?』

 

 綾波さんは有無を言わさず暴れ回るレ級達へバイクアタックを仕掛けたのだ。

 あっやった! でも深海棲艦だしまあいいか。

 などと馬鹿な事を考えている場合ではない。ひとっ走りつき合わされたこっちはたまったもんじゃないのだ。レ級を()いた瞬間の衝撃は半端なく、ちょっと胃が圧迫されたっぽい。冗談じゃない、こんな殺人バイクの上に乗ってられるか! ……私も水上バイクでやった事ある気がするけど、それは棚に上げて、と。さっきの川内を真似てバイクから離脱し、着地と同時に真横のル級に肘打ちを食らわせる。

 

「うあ、かったーい!?」

 

 あ、いや、硬いというか、びっくりしたというか……攻撃したル級は爆散したけど、ほら、普段の学校生活じゃこんな硬い奴に攻撃したりなんかしないからね。

 シマカゼはおしとやかな女の子なのです♡

 

『――!!』

「っとと」

 

 女子高生アピールをしていれば、まるで突っ込みでも入れるみたいに重巡級が突っ込んできたので、いなしたついでに回転して、その背中に回し蹴りを叩き込んでやった。それだけで爆発しちゃうんだから脆い脆い。

 ふぃー。しかしやっぱり、艦娘は戦ってなんぼだよね。ここ数年争いとは無縁な生活を送ってたからすっかり平和ボケしちゃってたけど、ちゃんと戦えるようで安心。

 

「おぃっしょーい!」

 

 てきとーな掛け声をかけつつ前蹴りでリ級flagshipをぶっ飛ばし、さすがに黄金の光を纏った奴はそれだけじゃ大したダメージも受けてくれないのでとびっきりのスピードで走って背後へと回り込み、もういっちょ蹴り飛ばす。それでも駄目なら足を止めずに走行、追いついて蹴り、追いついて蹴りの繰り返し。円を描く軌道で砂埃を巻き上げながらの超速攻撃、逃れられるもんならやってみろっての!

 

『――――!!』

「おっそーーい!」

 

 怨嗟の声に合わせて例の台詞を口ずさみつつ、ズザザッと地面を削って急停止。そろそろトドメ。

 ベルトから注入されるエネルギー全部もってけ! って具合に急加速して私に向かって飛んでくるリ級へ全力ダッシュ、のち飛び蹴り!!

 

「いぇーい!」

 

 鉄を貫く感覚は並では味わえない戦闘の高揚を私にもたらす。熱をはらんだ爆風が肌を撫ぜ、髪をなびかせれば、うーん、今私、めっちゃ決まってる気がする!

 

「っとぉ? なになに?」

 

 自分の格好良さに惚れ惚れし、朝潮にも見てもらいたかったなあと思っていれば、何かが足元を抜けていった。

 青色……いやピンクの光? ん、黄色?

 ていうか、なんか宝箱とか降ってきたんですけど! なにごと!?

 

「なに? ゲーム? 私も混ぜてよ!」

「何言ってんの?」

 

 手に持つクナイで軽巡級の首を掻っ切った川内がそのままの勢いで私の前までくると、くるりと半回転して勢いを殺し、私の肩に手を置いて後ろの方を眺め始めた。

 ゲームというのはこの戦いの事だろうか。うーん、感性がよくわからない。いくら戦いに心弾ませる私でも殺し合いをただのゲームとは言ったりしないんだけど。

 

「……何あれ」

 

 振り返れば、理解し難い光景が広がっていた。

 バイクを駆る綾波さんと、三人の人型怪人が戦っているのだ。

 いや……あの人型、デザインとか腹部のバックルとか見るに、ええと、私の知らない仮面ライダーか何か?

 

 黄色いバイクに乗ったトゲトゲ頭の暫定ライダーが剣を振り上げて綾波さんへと突っ込んでいき、綾波さんもまたアクセル全開で突進する。お互いがぶつかり合う、その寸前に二機のバイクが跳ね上がった。

 空中で交差し、両者お互いの攻撃を受けて地面へ落ちる。

 気のせいか、綾波さんの拳があの謎のライダーに当たった時、『HIT!』と書かれたエフェクトが出ていたような。

 

「はい、危ないよ」

「うわっ、急に押さないでよ!」

 

 横転して滑ってくるバイクを眺めていれば、川内に肩を押されて二歩ほどよろけてしまった。川内もまた横へ飛び退いて場所を開けている。私達の間をバイクが滑り抜けていった。

 そいつは深海棲艦の手で助け起こされ――あれよあれよという間に変形して人型になった。なんか「三速」とか喋っていた気がする。フォームチェンジ? やっぱり仮面ライダーなのか、あれ。

 

 ……でも、今の声は明らかに霧島先輩……って事は、あのライダーの中身は霧島さんな訳!?

 

「それって正規の変身者じゃないって事だよね」

 

 あれがオリジナルのライダーでないのならそうなる。

 許せないなぁ。私、そーいうの嫌いなんだよね。

 

「とおーう!」

 

 気の抜ける掛け声とともに霧島さんが弓のような武器を構え、エネルギー弾を放ってくるのを転がって避ける。

 

「いいじゃん! いいねえそういうの!」

 

 光の弾丸は川内にも向かっていたが、クナイであっさり打ち払い、霧島さんへと踊りかかっていった。うわあ、ノリにノッてるね。さっきまで怒ってたっぽいのに。刹那的なのかな。

 さて、私もぼーっとしてはいられない。背後に迫る何級かも立ち上がりざまの後ろ蹴りでぶっ壊して、黄色いライダーをやっつけるべく走り出す。

 

「おおりゃああー!」

「うくっ! っく、っとと」

「そらそら!」

 

 三速だかなんだか知らないけど、二対一では向こうもたじたじ。足技主体の私とクナイや反りの無い刀で斬りつける川内に防戦一方の模様。

 そうして立ち位置を変え、足を入れ替えつつ戦っていれば、綾波さんと他三人のライダーが戦う場へと来てしまった。

 

「まだまだ!」

 

 奮起する霧島さんが手に持つ弓で光弾を放つ。そう速くないから避けるのはたやすいけど、鬱陶しいなあ。

 混戦は苦手だ。仲間に誤射された苦い思い出が甦る。てな訳でさっさと倒したいんだけど……!

 ……もー! 飛び道具は卑怯だよ! こっち素手なんだよ!? 少しは手加減しなさーい!

 はっ。しまった、シマカゼの完璧なお嬢様キャラが崩れてしまった。高校デビューを前にシマカゼお淑やか計画は頓挫してしまったか……まあ、是非もないね!

 

 私も連ちゃんしっかり連れてきていれば砲撃戦に対応できたんだけどなあ。ごめんね連ちゃん、置いてきちゃって!

 

「うあっ!?」

「きゃあっ!」

 

 川内と一緒にえいえいと攻撃し続けて黄色いのを後退させていれば、向こうから後ずさってきた黒だかなんだかのライダーとぶつかってよろめいた。むっ、そのかわいらしくも柔らかい声は、榛名先輩か。銃持ってるってことは銃撃ライダーなんだね。

 

 ……うむ、ところで私の足元にあるこのメンコみたいなのは何かな? オーメダル? 黒い人型が走っているような絵が描かれてるんだけど。

 

『高速化!』

「おぅっ!? ……ごほ、けほっ」

 

 うわ、触ったら消えた! びっくりして、いい年して島風みたいな声出しちゃったよ。うー、はずかし。

 あ、でもなんか体に力がみなぎるような……? うーん、なんだろう。

 考えても仕方ないか。ここは戦場、立ち止まる事は死を意味する。シマカゼは死なないけどね。

 

 未だ体勢を整えきれていない黄色いのに向かって、地を蹴って突進!

 &スライディング! からのー、サマーソルトキィーック!

 

「はいキャッチ!」

 

 バク宙紛いの蹴り上げによって弓のような武器を天高く放らせたら、後は飛び上がって掴み取るだけ。これで私も飛び道具ゲットだ。やったね!

 

「くらえ!」

「くっ!!」

 

 霧島さんに弓を向けてトリガーっぽいのを押し込みまくり、光の弾丸を撃って撃って撃ちまくる!

 咄嗟に体を庇う霧島さん。ふはは、無駄無駄! 全ての弾丸がその体に突き刺さり……刺さり……。

 

「……?」

 

 地面やら明後日の方向やらに飛んだ弾丸の残滓を眺め、私はそっと溜め息を吐いた。

 自分がノーコンなの、すっかり忘れてたよ……。

 なんて落ち込んでいたら、弓がぽっきり折れた。

 あんまりにも突然だったのでちょっと反応が遅れて驚くタイミングを失ってしまったけど、よく見ればこれは元々二つの草刈り鎌を合体させて弓の形にしていたアイテムみたいだ。

 斬撃系ならノーコンの私も安心ってわけ?

 

「おおっと!」

 

 光の弾丸を鎌で弾く。

 武器を奪われた霧島さんに代わって、背を庇い合う形で入れ替わるようにして榛名さんが私と相対し、銃を向けてきたのだ。

 再度の銃撃は今度は弾かず、くぐるようにして接近を開始する。

 さっき取った変なアイテムの効果が残っているのか、やたらと素早く動けてあっという間に懐に潜り込んだ。

 目線の高さに相手の変身ベルトがある。む、ベルトに刺さってるのは、ひょっとして変身に必要なアイテムだろうか。取ったら変身解除されたりする?

 

「これもーらい!」

『ガッシューゥ!』

「あっ! ちょ、ちょっとぉ!」

 

 さっそくそのアイテムを引き抜き、素早く後退してこれ見よがしに掲げて見せる。

 へへーんだ、皮だけライダーなんてお呼びじゃないんだよ。さっさとかわいいお顔を晒しちゃいな!

 

「ガシャット返しなさい!」

「うわっ」

 

 いきり立って何度も銃撃してくる榛名さんから慌てて距離を取りつつ、ガシャットと呼ばれたアイテムと彼女とを見比べて首を傾げる。どうして変身解除されないんだろう。 

 ……ああ、これが必殺技を発動させるためのアイテムも兼ねてるからかな? マキシマムスロットみたいなのついてるし、きっとそこに差して使うんだろう。

 

 ってことは、ライダーの武器であるこの草刈り鎌も……あった、差すところ!

 ガッチャーンと挿入し、待機音が流れ出すのに笑みを浮かべる。予想は正しかったみたい。それでええと、どう発動させるのかな?

 こういうのは大体トリガーを押せば必殺技が発動するのがセオリーか。

 

『キメワザ!』

「ふむふむ」

 

 これもまた考えた通りに動くのに満足する。ライダー通だね私。

 そいじゃあいっちょ、いきますか!

 

「はぁああ……!」

 

 さっと両手を広げて気合いを入れ、タイミングを計って飛び出す。

 

「ストップ! ストーップ!」

「問答無用~! くらえー!」

 

 おそらくは金剛先輩の制止の声が聞こえたが、やめてくださいと敵に言われてやめる正義の味方がどこにいる!

 あ、私は正義の味方ではないけど、そこはご愛敬。

 

「やめろと言ってるでしょう」

「人の話聞きなよー?」

 

 うおー、と走っている最中に駆け寄って来た綾波さんに腹パン、もといお腹に抱き着くようにして止められ、ついでに川内に襟首を引っ張られて勢いを殺された。ぐええ! な、なにすんの!?

 

 鎌に纏わっていたケバケバしいエフェクトが消えると、体の中に満ちていた不思議な活力も消える。

 

「彼女達とは協力プレイができそうです」

「へぇっ!? ぷ、プレイ!? それってどんな……」

「うーん、君のその性格好きかも!」

 

 はっ。体の感覚の変化に気を取られ、何か妙な事を口走ってしまったような。

 いやに上機嫌な川内が背中をバンバン叩いてくるのを手で払ってやめさせながら、未だ私の両腕を掴んでいる綾波さんと間近で向き合う。

 ……綺麗な顔してんね。

 

「理解できましたか? 私達の狩りの相手は……あの深海棲艦です」

「協力プレイデース!」

 

 

 そこはかとなく冷たい声の綾波さんにこくこく頷いていれば、金剛さんがガシャットとやらを片手にやってきた。

 コミカルなライダーな見た目のために完全に声が不似合いなのだけど、そこは気にしないが吉か。余計な事考えてると綾波さんに怒られそう。

 

 『あの』と呼ばれた深海棲艦は、どうやらレ級のようだ。周りには僅かに炎が残るばかりで鉄くずが散乱し、重油の酷い臭いに満ちている。お仲間は全滅。たぶん川内が頑張った。偉い。

 

 息を荒くして肩を上下させるレ級は、微かに恐怖の滲んだ顔で私達を睨んでいた。

 ……レ級を見てたらいらいらしてきた。私の世界のレ級とは無関係だけど、顔も声も一緒だと苛立ちは抑えられないもんみたいだね。

 

『ドラゴナイトハンターZ!』

「ダブルキックで決めますよ」

『ドラッ ドラッ ドラゴナイトハンター! ゼェーット!!』

「…………あ、はい」

『キメワザ! ドラゴナイト クリティカルストライク!!』

 

 ガシャガシュガシャガシュとSEやらBGMやらがけたたましく鳴り響く中で涼しい顔して指示を出す綾波さんに、少し遅れて返事をする。

 ドラゴンの着ぐるみっぽいのを装備した金剛四姉妹がベルトのバックルのレバーを閉じたり開いたりしてなんらかのギミック操作をし、光を纏ったり腕を交差させたりとしているのを、なーんにも気にしていない綾波さん、ちょっと尊敬する。私なんか気になって気になって仕方ないのに。

 

 それはそうと、ダブルキックのご提案だ。やぶさかではない。ごっこ遊びとはこうでなくちゃ!

 ただ、私のブーツにはファイズポインターをセットする箇所はないので、ほんとにただのごっこ遊びになってしまうのは勘弁してね。代わりにほら、ごっこ遊びで倒される哀れなレ級に黙祷捧げてあげるからさ。

 

「たぁー!」

「ほいっと!」

 

 撤退しようとしたレ級に炎やら光やらが混じり合って殺到し、そこへ投げ込まれたクナイが不思議な力を伴ってレ級の体を縛り付ける。

 

『ヒッサツ! フルスロットル!!』

「では息を合わせて」

「えくしーどちゃーじ、でゅんでゅんでゅーん……しゅごおお。あ、はい」

 

 マッハドライバーの操作によって必殺待機音を響かせる綾波さんに言われて、セルフで待機音を流していた私は、彼女に声をかけられるのに意識を切り替え、草刈り鎌を後ろに放り捨ててから飛び蹴りの準備態勢に入った。

 ……スピードの乗ってないジャンプキックじゃflagshipに痛手は与えられないが、まあいいか。こういうのはノリの良い方が勝つんだって桃の人も言ってた!

 

「とーう!」

「はっ!」

 

 綾波さんの鋭い呼気と私の抜けた声が重なり、私達の体は空へ。

 青白い電気を体から発してよろめいているレ級へ、急降下キックを放つ!

 

『――――――!!』

 

 断末魔の叫びは爆炎に飲まれて消えた。

 よし! これにて一件落着!

 

「やったね! いえーい!」

「…………」

「いえー……ぃ。すみません」

 

 憎きあいつをやっつけて気分は上々、綾波さんにハイタッチを求めれば、ふいっと体ごとそっぽを向かれてしまった。

 う、そういえば、綾波さんは自分の基地をめちゃくちゃにされて大変怒っているんだった。艦娘らしくない戦い方してたから気が抜けっちゃったけど、ごっこ遊びの気分だったのはたぶん私だけだったんだろう。彼女達は使える力を使って戦ったに過ぎなくて……ああ、悪い事しちゃったかな。

 

 もう少し落ち着いて行動しなさいと朝潮にもよく言われてるのに、まだ子供気分が抜けない自分にうんざりする。

 はぁ……いつもならフォローしてくれる人がいるからなんとかなってるけど、今は一人なんだからしっかりしなくちゃ。

 

 まずは……もう少し綾波さんとの会話を増やして、親睦を深めておこうか。



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6.ちょろかぜ

 

 正直、ちょっと期待してた。

 私の世界で特別な存在だったレ級を倒せば、元の世界に戻れるんじゃないかって、ほんのすこーしだけ。

 一分経っても十分経っても、私の体が黄金の粉になって崩れ落ちる事はなかったし、キャトられる感じで消えてくって事もなかったけれども。

 

 はーあ、残念。

 

 ずっしりとお腹に巻き付くベルトの重みが、これが現実なのだと物語っていた。

 

 

 

 

 

 

「まだ寝てなかったんだ、新人」

 

 自分にあてられた部屋のベッドに腰かけてぼーっとしてたら、川内さん……川内が部屋の隅の暗がりからぬるっと出てきた。

 新人……なんか、懐かしい響き。誰かにそう呼ばれた事もあったよなー。誰だったか思い出せない。授業参観に提督……お父さんが来て凄く恥ずかしい思いをしたのははっきり思い出せるんだけど。

 

「どう?」

「どうって?」

「あの美しい姿の事だよー。せっかくはりきって見せてあげたのに、綾波も新人も無反応だったじゃん」

 

 歩み寄りながらの言葉に首を傾げれば……ああ、ええと、改二っぽい姿に変化した事へのリアクションがないのがご不満だったんだ。

 知らんよ。そういう苦情は綾波さんに言ってね。

 

「これでも結構傷ついてるんだよ? あーあ、乙女の繊細な心に傷がー」

「……どういうノリ?」

 

 ギシリ。

 私が腰かけたベッドに川内もまた腰を下ろして軋ませた。微小な揺れを布越しに感じながら、艦娘そっくりの機械生命体の横顔を眺める。

 彼女は私の問いには答えず、少年っぽい純な笑みを浮かべたまま私へと顔を向けた。

 

「なんか沈んでない?」

 

 ……。

 

「シマカゼは沈んだ事なんて一度もないよ」

「そりゃそうでしょ。艦娘がそうなったらおしまいな訳だし。そうじゃなくて、ほらさ。なんか困ってるならお姉さんが聞いてあげるよ?」

 

 いっちょ前に相談事にのろうとしてくる川内から目を逸らす。

 たしかに悩んでたり、気持ちが沈んでたりはするけど、親しくない……ましてや艦娘でも人間でもない相手に打ち明けたりするような内容ではない。

 

「……別に。あなたには関係のない話」

「そう言わずにさー」

 

 馴れ馴れしく肩に置かれた腕を、体を揺すって振り払い、川内を見上げる。

 相変わらず考えの読めない顔をしている。これが本物相手なら純粋にこの世界の新人である私を気遣ってるんだろうとか、七割方夜戦一割姉妹で一割提督、そんな感じで埋まってるんだろうなと予想できるけど……コピー体である川内もおんなじようなものなんだろうか?

 

 ……彼女の口から夜戦という言葉が出るのをまだ聞いてない。私の知る川内さんは口癖のように言ってたから、それがないってのは違和感しかない。

 

 とはいえ、艦娘だって過ごした時間や環境で性格は変わっていくもので、艦娘をコピーしたはずの川内が他の川内さんと違うのは、そう納得できない事でもない。

 

「じゃあ綾波の話でもしよっか」

 

 急に話の方向を変えた川内に、思考に沈んでいた心が浮上する。

 ……なんで急に綾波さん?

 

「というか、あなたも彼女とは会って間もないんじゃなかったっけ」

「まあそうだけど。私、綾波の事ならなんでも知ってるよ。何か聞きたい事ない?」

 

 あまりにも得意げに言い切るものなんだから一瞬納得しかけたけれど、いやいや、なんでもって事はないでしょと首を振った。

 

 綾波さんは、たぶんあれ、結構警戒心とか強いだろうし、どちらかというと一人で完結するタイプだと思う。私に対しては結構オープンに接してくれたけど、敵であった川内にも同じように親し気に接してくれたり、仮面ライダーが好きだーと趣味の話をしたり、今度ショッピングにでも行かない? なんてデートのお誘いをされたりするのだろうか。

 

「するする。綾波ってあれで結構タラシだから、私も夜戦のお誘いされちゃってさー」

「えっ!?」

「嘘だけど」

「えっ……ええー、そういう嘘言うのやめてよ、信じそうになっちゃったじゃん」

「あっはは。こんなの信じる方がおかしいと思うんだけど」

 

 うー、それもそうかな? 普通女の子同士でそういう話にはならないもんね。

 ……恋人が同性ってのは、どこの世界でも異端って事か。

 いや、姉妹で恋人は間違いなく異端だよね。しかしここは異世界なのでセーフセーフ。

 

 小さな動作でセーフを表し、それから、頭を傾けて川内を見る。変わらない笑みが私にまで伝搬して、思わず笑みを零してしまった。

 ……そういう冗談言うのはずるいんじゃないかな。明るい気分になっちゃう。

 

「綾波さんの事いっぱい知ってるってのも嘘?」

「いーや、それはほんと」

 

 自分でも多少態度が和らいじゃってるなと思いつつ聞いてみれば、川内は両手を組み合わせて印を作って見せた。「その秘密はこれ!」……らしい。……忍術?

 

「まさか。ちょっとお話聞かせてもらっただけだよ。みんなが言う綾波の話を中心にね」

「それで色々わかったんだ?」

「うん。たとえば嫌いな食べ物とか?」

「……好き嫌いするんだ。意外だなー」

 

 何が苦手なんだろう。少なくとも野菜ではないだろうな。ぱくぱく食べてたし。

 

「苦手なものとか、怖いものとか、好きなヒトとかー」

「えっ、えっ、興味ある、あります。綾波さん好きな人いるの? 誰だろう。那珂ちゃん先輩かな」

「食いつくねー、みんな好きだなぁこの話題。残念だけど、那珂ちゃんじゃないよ」

「じゃあだれだれ!?」

 

 ぐいぐいと身を寄せると、宥めるように押し返されてしまった。

 ぽんと肩を叩かれて、背中を撫でられる。

 

「ま、夜は長いんだし、まずは苦手なものからこっそりぼそぼそ秘密を教えてあげよう」

「あー、良いのかなぁ。聞いちゃって良いのかなー、怒られないかな」

「楽しければいーんだよ。人の噂話ほどしていて楽しい話はないよ? ほら、聞きたくないのかなー。綾波さんの好・き・な・ヒ・ト♡」

 

 唇に指をあてて、いかにもイケナイお話なのを強調する川内に、びびびっと体中が痺れてしまう。

 きっとそれはトップシークレットに違いない。そんなのを知ってしまった事がばれたら何が起こるかわからない。

 

 けどっ、こ、これは抗い難い……! だって気になるもん!! 普通気になるよね。興味津々になるよね!

 自分に危害が及ばないコイバナとか人類皆大好きなんだから、私がほいほい川内のお誘いに乗ってしまうのは仕方のない事なのだ。

 

「これは工廠で働く妖精に聞いた話なんだけど……」

 

 すっかり寛いで静聴モードに入った私に顔を近づけた川内は、内緒話をするようにわざとらしく小声になって、ゆっくりと話し始めた。

 頬にかかる彼女の吐息がこそばゆく、ベッドに押し当てた私の手に重ねられた手は熱い。

 艦娘らしく見目麗しい川内の瞳は微かに潤んで、綺麗な色の中にシマカゼを映していた。

 

 

 ……今日は、長い夜になりそうだ。



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7.元の世界に戻るために倒すべき相手とはだれか

コラボ先の投稿に反応して投稿する機械


 さんさん日光。

 強烈な太陽光がプールに降り注ぎ、揺れ動く水面が光を乱反射する。

 流行りの曲がかかる園内は人でごった返して大盛況で、流れるプールの上に浮かべたバナナ型の浮き輪の上にうつ伏せになった島風――私と瓜二つの双子の……姉?――がゆらゆらと体を上下させてぼうっとしているのを、私はプールサイドから眺めていた。

 

『シマカゼ』

 

 やがて島風が向こうの方へ流れていくと、後方から優しい声が投げかけられる。

 振り返れば、水着姿の朝潮がいた。両手に飲み物や食べ物の入った容器を持っていて、隣まで歩いてきた彼女は一つを私に手渡すと、流れゆく人達を眺めた。

 

 きゃあきゃあと、黄色い声。

 楽し気な声が暑さを緩和して、胸にくすぐったさと喜びをもたらす。

 手の内で冷えるジュースに口を付けて唇を湿らせていれば、ふと朝潮が身を寄せてきた。

 窺えば、目を細めて空を見上げている。その視線の行方はどうやら太陽みたい。

 どういった理由かはわからないけど、彼女は太陽を見つめていて……そして私も、太陽を見ていた。

 太陽みたいに輝いている綺麗な女の子の事。

 

 光の輪が下りる黒髪が愛しくて、小さな横顔に今すぐ口づけしたくなるような、そんな気持ちを持て余す。

 つつっ、と空色の瞳が私に向けられた。こぢんまりとした割れ目の口が花開く。

 

 どきっとする。

 

 彼女は子供なのに、その動きはとても色っぽくて……いつだって私の胸を掻き立てて、ときめかせた。

 

『あの太陽では、恐ろしい怪物が焼かれ続け、今でも死と再生を繰り返しているのだとか』

 

 ……。

 

 彼女が口にしたのは、十年くらい前に私が吹き込んだ話だった。

 もちろんその出所が私な事くらい朝潮は覚えているだろう。

 だからこれは、なんの気なしに出てきた特に意味の無い台詞で、なので私は微笑んで「そうだよ」と答えた。

 

『そろそろあの子を呼び戻して、お昼にしようか』

『そうしましょう!』

 

 笑いあって、それから、並んで歩き出す。

 じりじりとした夏の暑さの中でも、彼女の体温ははっきり感じられていて、そして心地良かった。

 

 

 

 

 

 

「ふう、ふう」

「ふひー」

 

 中腰姿勢でもう何十分経ったか。

 数束纏めた若緑の苗を左手に、私は田植えに勤しんでいた。

 

 両足は泥んこ塗れで重く沈んで水の中。支給された半そで半ズボンは汗みどろで、腰なんかはそろそろ悲鳴をあげそうな具合。

 炎天下とはいかないまでも、きつい日差しは水につかないよう一つに縛って纏め上げた髪まで汗に濡れさせて、額に浮かんだ玉の汗を右腕で拭った。

 

「なあんで、私まで、こんなことぉ」

 

 泣き言を言うのは、私と同じ格好をして隣に並ぶ川内さんだ。彼女もまた田植えを強いられ……いや、自主的に頑張っている。

 

「しかもこんなのまでつけてくれちゃってさぁ。ヒドイよねぇ、この島から離れたら、ドカン! だってさ」

 

 チャラ、と首輪に触れる川内さん。鍵穴のついたハートの錠前がチャームポイントなそれは、私がこの田植えに立候補して、ついでに川内さんを巻き込んだ時に開発された爆発物らしい。うーん、どう見ても艦娘保護機能。

 

 しかしそれは自業自得の賜物だ。捕虜として収監されている間もどのようなジツを使ったのか、抜け出して情報収集に勤しんでいた彼女の所業はつい先ほどあっさり綾波さんにばれ――綾波さん、またまた特大の溜め息を吐いていた。凄い苦労人だね――牢に入れておくのが無意味ならば労働力として使ってしまえ、と、こうして駆り出されるに至った訳である。

 

 それで、ええと、なんだっけ。首輪なんてヒドイって?

 そうかなー。そんなこれみよがしに"はあとまあく"つけたお金かかってそうなごっつい首輪をプレゼントされるなんて、これってもうアレしかないよね。

 アレ。

 

「愛だよ」

「愛かー」

 

 むぅっと目を細めて汗を流す川内さんにてきとーに答えつつも手は止めない。

 一つ植えては綾波さんのため、二つ植えては私のため、三つ植えてはアギトのため、四つ植えては人間のため。

 そうそう、私はただの人間だ。もうすぐ高校生な現役女子中学生。若々しくてまいっちゃうね。若かろうが腰は痛むけど。うー、腰が痛くなるのは夜だけで十分。

 

「あとどんくらい? うげっ……まだ半分」

「半分とちょっと。もう一息かな」

「もおー! 全身汗でベットベトだよ。綾波めぇ、機械使いが荒いんだから」

 

 言葉通り、川内さんの服は汗濡れで体にべったりくっついている。健康的な細いラインがくっきり見えて、実は少しだけ目のやり場に困ったり。私、朝潮一筋だけど、女の子が嫌いな訳ではないのだ。綾波さんとか川内さんとかかわいい子見ちゃうとドキッとしてしまうくらいは許されるよね。

 

 しかし私の下心は許しても川内さんは許してくれなかったみたい。

 私の視線に気づいた彼女は目で弧を描いて口の端を吊り上げた。面白い事を見つけたぞ、とでも言いたげな顔。

 

「ふぅ、あっついなぁ」

 

 わざとらしく熱っぽい息を吐きながら泥濡れの手でシャツの裾を摘まみ、そろりと捲る川内さん。眩しい肌色が覗いて、思わず釘付けに……。

 ……いや、ならないから。そういうのシマカゼには効かないんだから。

 

「ちぇっ、ノリ悪いよ新人」

「どこでそういうの覚えてきたのか知らないけど、田植えは遊びじゃないんだよ」

 

 思うような反応を返さなかったために拗ねてしまった川内さんにお説教しつつ、露わになったままの横腹を三回くらい盗み見た。細い。綺麗。太ももだって眩しい。うー、どきどき。

 自分のとか朝潮のとかで慣れてるつもりだったけど、ちょっと年齢が違うだけで雰囲気変わっちゃうんだから、人間というのは神秘的で敵わない。

 

 えっちらおっちら自分達の担当の区間をやり終え、同じく田植えをしていた熊野や鈴谷と合流してその場で各々休憩を始める。なんと、慣れない労働で小腹が空くだろうからと食べ物が用意されていた! シンプルな塩おにぎりとお茶だったけど、疲労が溜まり火照った体には最高のごちそうだった。キンッキンに冷えたお茶は時にコーラに勝るのよ。格言。

 

「建造されていきなりこんな仕事だからびっくりしちゃうよねー」

「だよね! 私らはここで生まれた訳じゃないし、そもそも私は捕虜なんだけど、綾波サンはお構いなしって訳で。こき使われるぅ」

「まあ、でも、悪くはないですわね。戦い以外で活躍するというのも」

 

 地味ではありますけど、とくすくす笑いをする熊野。

 

 この基地にいる川内とは違う、いわば偽物の川内相手に最初は警戒していた二人の艦娘も、同じ汗を流した相手で同じ飯を食べたとくれば、自然と笑い合えるくらいになっていた。穏やかな雰囲気はまるで長年一緒にいた仲間同士みたいで、それはきっと、彼女達が生まれたてであるのが原因なのだろう。

 

 ほら、意識を持って過ごした期間が短いから、その分今こうして一緒にいる時間が濃密に記録されているって感じで。

 

 ちなみに彼女達が畑仕事やら田んぼいじりなんかを任せられている理由は至極単純で、自分の食い扶持は自分で稼げの理念の下に水田に放り込まれたらしい。

 働かざる者食うべからず。戦前かな? いや、戦争中だったね。こっちの世界の戦争はいつ終わるんだろうか。

 

「この後は自由に行動していいって言われてるんだけど、何すればいいんかねぇ」

「綾波さんに指示を仰ごうにも、少し遠い方の田んぼの修繕に行っているらしいですし……」

「それじゃお風呂入ろうよお風呂。一回さっぱりしなくちゃなんもできそうにないよ」

「うん、じゃあそうしよっか。その後はー……」

「こうしてもう一度集まって、もう少しお話する、というのはどうでしょう」

 

 もぐもぐとお米を噛みしめながら三人の話を眺めていれば、熊野に同意を求められたので頷いておいた。特に否はない。私にも他にやる事は思いつかないし。

 ただ、何かしら手を動かしていないと気分が落ち着かないだけで。

 

 『強大な敵を倒す事で元の世界に帰れるのでは』という微かな期待はレ級を倒しても何も起こらない現実によって潰えて、もはや何をどうすれば良いのかわからない私には、誰かの指示に従って動くくらいの事しかできない。

 

 だって手がかりがなんにもないのだ。

 何を倒せばいいのか、どんなものを集めればいいのか、どのような言葉が必要なのか……一切わからないし思いつかない。完全な手詰まり。私はあと四手で詰む。

 

 あっちでは友達と恋人が待っているってのに、暢気におにぎりを齧るくらいしかできないなんて、ほんと情けなくて笑っちゃうよね。

 しかしうじうじしてたってそれこそ何も始まらないので、一息におにぎりを飲み込んで、お風呂へ向かうみんなに続いて移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 お風呂に入ってさっぱりした私は、一度部屋に戻って元の制服に着替え直し、少々の休憩に入った。

 ベッドに腰かければ、ちゃっかり同居人と化している川内さんがすかさず隣に腰かけてきてギシリと揺らした。

 

「どうよ新人。ここにはもう慣れた?」

 

 タオルを首にかけた川内さんは、まるで先輩艦娘のような口ぶりで話しかけてきた。

 おかしそうにしている顔を見れば、それがおふざけの演技である事がわかる。

 黙ってじーっと見上げていれば、川内さんはもう一度腰を落としてスプリングを軋ませると、いつもと同じ笑顔で問いかけてきた。

 

「また悩み事?」

「……まあ、そんなところ」

 

 鋭く私の胸の内を指摘してくる川内さんに、緩く息を吐いて自分の膝に目を落とす。

 

 昨日の夜、私はちょっとだけ川内さんに自分の事情を話した。

 話の流れで、ほんの少しだけ。

 私がどこから来て、どうしたいのか。

 何を思っていて、何がしたいのか。

 

 だからだろうか、悩みがあるのと問われて、すぐに相談する気になった。

 

「何すればいいのかわかんなくなっちゃって」

「どうして? 綾波のやつは色々計画立ててるみたいだよ」

「ほんとかなぁ。綾波さんなんにも言わないから、よくわかんないよ」

「ふぅん……」

 

 わからない、と答えた事が意外だったのか、川内さんは納得いかないように頷いた。

 あんたら結構親し気に話してたじゃん? と言われても、うーん、たしかに趣味の話で盛り上がりはしたけど、それだけじゃ全部わかる事なんてできっこないよ。

 

「じゃあさ」

 

 ギシリ。

 軋む音とともに体を寄せてきた川内さんは、私の顔を覗き込むようにして覆いかぶさってきた。

 顔にかかる影のせいか、いつもと同じはずの笑みが妖しく感じられた。

 

「代わりに……私の事、もっと知ってみない?」

 

 伸びてきた手が頬に添えられて、すりすりと擦られるのをくすぐったく思って身を捩る。至近で見つめ合った彼女の吐息は、熱いのかそうでないのかわからなかった。

 

「そうすれば、あなたのするべき事も見つかるかもね?」

「それは……」

 

 さらに近く、顔が寄る。揺れる錠前が澄んだ高い音を発した。

 はっきりと頬に息がかかる感覚がして、私は困ってしまって目を伏せた。

 そんな事言われたって、元の世界に帰る方法を考えつけるとは思えないんだけど……彼女はどうやら私に自分の事を知ってほしがっているみたいだから、無碍にはできなかった。

 

 暫くの間口をつぐんで身動ぎしないでいてみたけど、川内さんがどく気配はない。

 ずーっと吐息がかかるのに我慢できなくなって、何かを言わずにはいられなくなった私は、とりあえず今の悩みの原因を話した。

 

「あー、あいつ(レ級)を倒しても、新人が元いた世界に帰れなかったのが不満なんだ」

「うん、そう。どこかでレ級は特別な敵だって確信してたから、当てが外れて残念だなぁって」

 

 お悩み相談が始まれば、ようやく彼女は私から退いて横に座ってくれた。

 それでもほとんど密着していて、微かな汗が混じり合ってしまうくらいだったけれど、これくらいの距離感なら大して気にならなかった。

 

「でも、本気で帰れる! って思ってた訳じゃないから、大ショックって程ではないかな。ただ、もう誰を倒せばいいのかわかんなくなっちゃって」

 

 レ級じゃないなら、どの深海棲艦を倒せばゲームクリアになるのかな。

 姫級? 水鬼? それとも深海棲艦を根絶やしにすれば私の役割は終わるの?

 それってどれくらい時間がかかるかな。一年? 二年?

 ……そんなに待てないよ。私の青春がかかってるんだから。

 

「だから、本当は今すぐ帰りたいんだけど……」

「けど、倒す相手が見つからない、と」

 

 後ろに両手をついて体を伸ばし、天井を見上げる。電灯の真っ白い明りは目に痛くて、そっと隅っこの方に目を逸らした。

 

「甘いなぁ新人。見落としてるよ」

「見落とし? ……何を?」

 

 不意に笑いながらそう言われて、少しムッとしてしまった。

 こんなに頭を悩ませてるのに見落としなんかあるもんか。そう思って川内さんを見れば、にっこり笑顔に出迎えられる。

 

「誰を倒せばいいのか、なんていいながら、自分で相手を絞って限定しちゃってるじゃん」

「え?」

 

 相手を……限定?

 その相手というのは深海棲艦の事だろうけど、しかしそれら以外に倒すべき敵なんて……ロイミュード?

 目の前の機械生命体(川内さん)を見る。

 彼女達を撲滅する事が帰還に繋がるというのだろうか。

 

「もしくは……」

 

 ギシ、ギシ。

 這いながら足までベッドの上へ引き込んだ川内先輩は、ゆっくりと私の後ろへ回り込んで、しなだれかかってきた。

 柔らかな肌がほとんど全部密着するように、腕に首を回してもたれかかってくる。

 彼女の首輪の鉄の部分が肌に押し付けられて、冷たかった。

 

「新人がこの世界で最初に出会った子が、倒すべき相手かも……」

 

 耳元で囁かれた言葉に、目だけで後ろを窺えば、彼女の横顔がすぐ傍にあった。

 何を考えているのかわからない、ずっとおんなじ笑顔。

 ……ああでも、何考えてるのかわからないのは、綾波さんも同じか。

 

「……それって」

「さあてね? でもありがちじゃん、そういうの」

 

 案外最初に出会った敵がラスボスだ、とか。

 ……でも、私がこの世界で最初に会ったのは。

 私が、最初に目にしたのは。

 

「本気で帰りたければ、そいつを倒しちゃえばいいだけじゃん」

 

 甘い囁きに耳が痺れる。

 

「なんなら……」

 

 それは、単純に息を吹きかけるようにして話されているからで、そこに特別な感情はないはずで。

 

「手を貸すよ、友人」

 

 親し気な彼女に、私は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、そろそろ行こっか。いつまでも二人を待たせちゃ悪いしね」

 

 ぴょんとベッドから飛び降りた川内さんが出入り口の前で振り返って呼びかけてくるのにゆっくり頷いて返し、私もベッドから下りる。

 それから、廊下に出た川内さんの後を追いながら、耳に手を当てた。

 妙に、耳の奥に彼女の声が残っている……気がした。



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8.逆流

 

 艦娘になってからの事を振り返ってみると、割と私の人生、いや艦生って結構激しくて、その前の人間だった頃が霞んでしまうくらいスペクタクルな日々だった。

 孤島で目覚めて、生きる方針を決めて。その孤島で生きていくための指針を得て。

 海に出れば宿敵と出遭い、陸に上がれば仲間と出会った。

 自分の中に眠る本当の島風の事で思い悩んだ。

 やがて別々の体に別れた彼女の口から許しを貰えた。

 私は、そこでやっと一息付けたのだ。

 

 シマカゼは、全部に一生懸命やって走り抜けてきたつもり。

 だからこそ平和を勝ち取る事ができた。また平和な世界で普通に過ごす事ができるようになった。

 それをご褒美みたいなもんなんだろうな、と漠然と思った事がある。

 

 人類の自由と平和のため。

 艦娘のため、人間のため。

 

 まあ、難しい理屈は抜きにして、みんなが笑っていられるように戦った、だからこその平穏。

 

 でも、この図式が成り立つなら、今の状況ってなんなんだろう。

 

 命をかけて戦った対価は穏やかな日々。

 また戦わなければならない世界に落とされたのは……何が理由?

 どんな悪事を働けばこんな事になっちゃうの?

 

 受験勉強をちょっとサボったから?

 毎晩お夜食食べてたから?

 大事な日にお寝坊したから?

 

 だから私は友達と離れ離れになって、昔みたいにこの体一つで戦わなければならなくなったのかな。

 知ってる人は誰もいない。ここは私の世界じゃない。

 

 ……新しい友達はできた。

 ここの人達はみんな優しくて暖かい。

 

 楽しくお喋りできる相手もいる。

 綾波さんとライダー話に花を咲かせるのは中々良い時間だ。

 だって私の世界じゃ仮面ライダーはやってなかったもんね。

 ライダーごっこするのだって、気恥ずかしさを忘れてしまうくらいには楽しくて、大満足。

 

 連装砲ちゃん達だっている。

 一緒に戦ったトモダチ。戦争が終わったらお別れしなくちゃいけなかった過去のトモダチ。

 また会えたのは嬉しいし、懐かしい。何も考えず彼女達と遊んでいると、穏やかな気持ちになれた。

 

 それでも、心の寂しさは誤魔化せない。

 これからずっと一緒になるはずだった朝潮がいない。

 一心同体だった島風がいない。

 家族がいない。お父さんにだって会えない。

 

 だから帰りたい。

 でも、帰れない。

 

 私、こう見えて結構臆病だから、誰かを倒せば元の世界に帰れるかもって思っても、その相手の悲しい顔を想像してしまうと気が引けちゃって、何もできなくなる。

 川内さんは手を貸すって言ってくれたけど、これは私の問題。私が解決しなくちゃ。今すぐ、マッハで。

 

 とはいえ、『誰かを倒す』以外に帰る方法が全然思いつかなかったりするのである。

 こんな時、朝潮がいれば相談できたんだけど……はぁ。きっと上手い答えを見つけてくれただろうなぁ。

 

 

 

 

 夢を見ていた気がする。

 まどろみに似たふわふわとした意識の中では、私はベッドに横になっていて、それから、傍に佇む綾波さんにじーっと見下ろされていた。

 なんで見てるんだろう。何を考えているのだろう。

 

 笑っても怒ってもいない顔から私が読み取れることは何もない。

 そもそもの話、私は顔色を窺うと言う事が大の苦手なのだ。

 

 綾波さんが何を考えているのかわからない、なんていつも思ってるけど、単に私がうといだけで本当は違うのかも。

 だったらどうなるって訳でもないんだけど。

 それがわかったところで肝心の綾波さんの内心は推し量れない。

 

 体中を水の幕が包む。

 深い深い水底に沈んでいく。

 細めた目で見上げた水面には、私に手を伸ばす綾波さんの姿があった。

 

――だめだよ。

 

 ボコボコと水泡が浮かんでいく。

 

――だめ。

 

 口から漏れる白い泡がくるくる混ざり合って上を目指す。

 

 だって私には、朝潮という素敵な恋人(ヒト)がいるんだから、手を出されても困る――。

 

 

 

 

「うわあ」

 

 目を開けて最初に視界に飛び込んできたのは綾波さんのとっても複雑そうな表情だった。

 とりあえずうわあなんて声を出してみたけれど……あ、よだれ出てら。ごしごし。

 

 さて、どうして私は綾波さんの腕を掴んでいるのだろうか。

 その手の行方は、あなたの心の中にありますぞ。

 あーいや、綾波さんの手はあなたではなく私の心というか、胸に当てられてるんだけど。

 

 ははーん。読めたぞ。

 綾波さんってば、あんまりにも私がかわいいから我慢できなくなっちゃったんだな?

 すけべさーん。

 

「……そろそろ手を離していただけませんかね」

「あ、ごめんなさい」

 

 なんて妄想はやめておこう。寝ぼけて引っ張っちゃったとか、そういうつまらないオチだろうし。

 ぱっと解放すれば、綾波さんの腕にはうっすらと痣ができていた。

 あらー、悪い事しちゃったな。

 

「構いませんよ。一つお願いを聞いてくれれば許します」

「ははーっ。なんでも言ってくだされ」

「ふっ」

 

 もぞもぞと布団から抜け出して、形ばかりひれ伏したりしてみる。あ、笑われた。

 でもでも嫁入り前の女の子の体に傷をつけるのはとっても重罪、即刻死罪なのだ。

 

 しかし綾波さんは寛大な心で許してくれるご様子。

 居住まいを正して、寝癖が付いている髪に手櫛を通しつつお願いとやらを待つ。

 

「シマカゼ、連装砲ちゃんに搭載されたコア・ドライビア、なんとか研究させてもらえないかな?」

「連装砲ちゃん?」

 

 あ、そういえば連装砲ちゃん達の姿が見えない。

 またカンドロイドの中にでも入ってるのかなー、と腕に備えられた情報端末を見下ろす。

 うーん、わかんないや。

 

「いいけど……あ、でもいちおう連装砲ちゃん達にも聞いて欲しいな」

「それくらいなら。それで、どうします? お風呂にでも入ります?」

「……そんなに髪ぼさぼさかな」

 

 彼女の目線は私の頭に向かっている。触れてみても、ちょっと萎びたうさみみカチューシャがあるだけで、ボンバーヘッドになってたりはしない。ちょっと跳ねたりはしてるけども。

 

「それより、お願いを聞く代わりといってはなんだけど」

「? 内容によりますが……どうぞ?」

「綾波さん、一回だけでいいから私に」

 

 ふと、綾波さんの髪に目をやった。

 頭の横側で一つ縛りにして垂れている、いわゆるサイドテール。

 彼女が小首を傾げるのに合わせて小さく揺れたサイドテールに、私はようやくしゃっきりと目が覚めた。

 

「や。んー……と」

「煮え切らないですね。どんな要望かな」

「んー」

 

 そういえば私、さっきまで寝てたのは彼女と遊んでて疲れたからなのだけど、そういう風に気兼ねなく遊んだためか、綾波さんの口調が少し砕けたものになっている気がした。

 それに気が付いちゃうと、こそばゆくって嬉しいような、でもちょっと恥ずかしいような気持になる。

 だから、今言いかけた言葉は、やっぱりナシ。

 

「おはようのちゅーしてくんない?」

「嫌ですね、ええ」

 

 あっ、綾波さんの友好度が-500。

 眉を寄せて冷えた目をした綾波さんがわざとらしく身を引いて見せるのに冗談冗談と笑ってみせれば、「わかってますよ」と元の位置に体を戻してくれた。

 うん、でも綾波さんさっき「うわ何言ってんだこいつ」って顔してたよね?

 

「それで、本当は何を言おうと?」

「それはー……忘れました」

「ではこの話はこれでおしまいですね」

 

 ああちょっと。慈悲の欠片もない。

 他に言いようはあったはず。綾波さんのお金で焼き肉が食べたいとか5000兆円欲しいとか。

 

 私のこんな感じないい加減さにはもはや慣れたものなのか、綾波さんは踵を返して出入り口の方へ歩いていくと、扉の前で振り返った。

 

「では、行きましょうか」

「……うん!」

 

 ベッドの縁にこしかけて手早くブーツを履き、ドアを開けて廊下に出ていく綾波さんに続く。

 ……やっぱり、あれだね。

 こんな風に私が行くのを待っててくれる人に、「一回倒されてくれない?」だなんて口が裂けても言えないよね。

 

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、綾波さんは私を助手として連装砲ちゃん探索に踏み出した。

 未知なる大冒険の香りにシマカゼ、興奮を隠せません。

 

 そんな訳で、寂しい気持ちはもうちょっと誤魔化して、いましばらくはのんびりと……戦っていこうかなーと思ったのでした、まる。



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9.青空の世界

 

 なんか四ヶ月くらい手術室の前に座ってた気がする。

 

 もとい工廠にて、私の大事なお友達である連装砲ちゃん達がドクター綾波さんにばらばらにされてしまっているのを、こう、なんともいえないやきもきに包まれながら、解析とかなんか難しい事が終わるのを待っているのだ。

 ま、開いた扉からぴょんと飛び出して来た連装砲ちゃんの無事な姿を見るに、私の不安は杞憂だったようだけどね。

 

「シマカゼ」

 

 連装砲ちゃんを受け止めてあげた勢いのまま壁にぶつかりつつかいぐりしていれば、続いて綾波さんが顔を出した。解析は無事完了したって。協力ありがとねと改まってお礼を言う彼女になんだか照れてしまう。彼女に手を貸したのは私ではなく連装砲ちゃんなんだけどね。

 

「この後のご予定は?」

「もちろんドッサリです。すみませんね、構ってあげられなくて」

「ん。気にしないでー」

 

 相変わらずちょっと眠たげな半目がキュートな綾波さんにひらひらと手を振ってお気になさらずと伝える。

 そっか、考えてみれば綾波さんって司令官みたいなもんだもんね。

 ここ数日の彼女の働きっぷりを見ているからわかっていたつもりだけど、彼女は艦娘でありながらその在り方はまさしく司令官みたいなもので、私の知るその役職はいっつも机に向かって書類仕事だのなんだのと多忙を極めていたから……つまり。

 

 司令官、もとい司令艦な彼女も同様忙しいって訳で、私は一人、フリーな時間を与えられてしまった、と。うむうむ。

 

『キュー』

「おっと、ごめんね。二人だったね」

『キュ!』

 

 抱いている連装砲ちゃんの抗議の声に慌てて訂正する。

 うん、独りじゃない。それってとってもいい事だ。

 じゃんけんとかは……できないけどね。

 

 

 

 

 ぶらぶら。ぶらぶら。

 あてどもなく基地内をお散歩する。

 そこに息づく艦娘達と時折言葉を交わしながらの穏やかな時間。

 

 でもずっと、違和感が付き纏っていて離れない。

 だって私はもう艦娘って存在から外れて、一人の人間として過ごしていた訳だし、そもそも戦争だって終わってて。

 今を必死に生きる彼女達と目を合わせてお話しすると、その温度差にバツが悪くなってしまうのだ。

 

 私もなー、お勉強とかしてなければなー、ノリでその中に溶け込めたかもなんだけどなー。

 でも、生まれてからこれまで蓄積してきた私という人格がそうさせてはくれないから、私は努めて自分のペースを守る事しかできないのだ。

 マイペース。それってなんだか、本物の島風みたいだね。

 

 この基地内にはところどころに妖精さんがいる。小人サイズの可愛いやつら。縁の下の力持ち。

 そんな彼女達の中に埋もれてお昼寝でもしたい気分になったので、最も多く数がいるのを確認していた工廠へ足を運んで、ちょっと失礼っと床に寝転んだ。そうすると幾つか視線が向けられる。

 さあ君たち、私へ群がってきたまえ!

 

「なんだこいつ、ふしんしゃなのです」

「ひそひそ、かかわらないほうがよさそうです?」

「ふんじゃうのです」

 

 ぐえ。通り道にされてしまった。

 そう邪険にしなくてもいいじゃんか。艦娘と妖精っていう切っても切れない仲なんだからもっと仲良くしようよー。

 しかし私の嘆きは無視されて、みんな忙しそうに自分の仕事をこなすだけになってしまった。『ぜひもなし』、とカンドロイドの中の妖精さん。そんなー。

 

 癒しがないならここに用はない。とぼとぼと工廠を後にして、その足で外に出てみた。

 

「んー、快晴!」

 

 本日は晴天なり。雲もまばらに、強い日差しが降り注いでいる。

 頭の後ろに手をやってぐぐーっと腕を伸ばしてノビをする。

 ふへっと変な息を吐きつつ辺りを見回した。

 遠くから聞こえてくる喧騒や生活音。これは基地が生きている証だね。

 やっぱり懐かしさが勝るな。これは、私が今この場所でちゃんと生きていられてない証拠かな。

 

 足元を見つめながらてきとうな方へ歩いて、たまに連装砲ちゃんの頭を撫でて、ぼんやり足を動かす。

 なんとなしに地面を蹴りつけてみたり、ちょっと子供っぽいかなって動きも混じる。

 やがて歩みを止めた私は、倒れるようにその場に寝転んで、青空を見上げた。

 

「……はぁー」

 

 ずっしりとした連装砲ちゃんの重みに自然と溜め息が出る。あー、幸せが逃げてゆく。

 薄目を開けて、ゆっくりと思考を巡らせる。

 これからの事。

 

 どうしようってずっと悩んでたんだけど……あんまり悩みすぎるのも疲れちゃうから、息抜きしないとね。

 こうやって何も考えずに転がっていれば、あの空みたいにただそこにあるだけって感じになれるかなー、なんて……。

 

「はふ……」

 

 小さなあくび。

 身動ぎして体の位置を直して、柔く目を閉じる。

 なんか、眠くなってきちゃった……。

 

 

 

 

 目が覚めると、そこは私に与えられた一室だった。

 ベッドの上で身を起こし、靄のかかった頭でだんだん状況を理解して、誰かが運んでくれたんだろうとあたりを付けた私は、もこっと膨らんだ布団に目をやって、布越しに固いボディを撫でてやった。『キューッ』とあくびみたいな声がくぐもって聞こえた。やっぱり連装砲ちゃんだ。

 

 一度は身を起こしたけれど、眠気が抜けきらなくて枕へ頭を落とす。

 そのまましばらくまどろみに意識を揺蕩わせた。

 なんだか……長い夢を見ていた気がする。

 

 内容は思い出せないけどー、なんかえらく壮大だったような……むにゃむにゃ。

 

「しんじーん、綾波が呼んでるよー」

「……どこから出てきてんの」

 

 寝返りを打とうとしたら、天井の通気口がガコッと外れて川内さんが顔を覗かせた。すたっと下り立つ彼女を訝しげに眺める。

 いやまあ、あんまり驚かないけどさ。直しとかないと怒られるよ、それ。

 

 それで、ふむ。呼び出しがかかったか。……今度はなんだろう。もしかしてもう一回連装砲ちゃん貸してとか言われたり?

 

 手洗いうがいを済ませて簡単に身嗜みを整え、川内さんの案内でどこかへ向かう。

 ちなみにこの川内さんは首輪がついてる方だ。やんちゃな方の川内さん。

 道中会話はなく、なんだろうねー、と連装砲ちゃんに話しかければ、ちょこんと首を傾げられた。

 

 案内されたのは食堂だった。

 そしてそこには綾波さん以外にも何人も艦娘がいて、なんだかお祝い事みたいな雰囲気になっていた。

 

「あの、綾波さん。どうしたの? これ」

「お別れ会ですよ」

 

 面食らいつつ綾波さんの下へ向かえば、わかるんだかわからないんだかな事を言われた。

 お別れ会……誰の?

 

「あなたのです」

 

 ここに居候させてもらってる以上こういう行事に参加するのも吝かでは、とか考えてたら、衝撃の真実を告げられた。

 どうやらこれは私とのお別れ会らしい。

 

 ……ど、どういう事!?

 え、ま、まさか……「ボートを用意しろ、水も食料もいらん」的なアレ……?

 そ、それとも「卒業キック、授与」されちゃう……!?

 

「なわけないでしょう。……元気がないようでしたので、こちらの意気込みを表明しようかと」

「……えーと、ごめんなさい。もうちょっと砕いて言ってくれると……」

 

 ぽやーっとした顔の綾波さんは、私の言葉に眉を寄せて数秒黙ると、「心中お察しします、手を貸しますよ」と短く纏めてくれた。

 つまりは、私の帰りたいって気持ちを汲み取って、協力するよって事ね。

 

 最初から協力姿勢でいてくれた綾波さんだけど、何も進展が無いから弱っていた私が元気になれるよう、賑やかな場所を提供してくれたようだ。

 室内には装飾とかそういうのはあんまりないけれど、見渡せば誰もが励ますように手を挙げたり笑ってみせたりしてくれた。おおう。なんか、照れちゃう。

 

「これでも飲んで、元気出してくださいね」

「おひゃっ、これは……!?」

 

 この基地では見かけない艦娘……浜風だったかな、綺麗な銀髪の子がおぼんで運んできたグラスを、綾波さんが手渡してくれた。

 ひんやりとしたガラスの冷たさと手袋に染みる水滴。目に優しい緑に甘いバニラの香り。そして突き出たストローとスプーン!

 こ、こいつは……クリームソーダじゃん!

 

「あれっ、あれっ、こ、ここれっこここには無かったんじゃ……!?」

「……ええ、なので作らせました。好物があるとないとでは士気が違うでしょうから」

「ううっ、ありがとね綾波さん……嬉しいよ~!!」

 

 もう七日もクリソ抜きでそろそろ欠乏症発症して死んじゃうんじゃないかと思ってたの!

 そこにこのサプライズ……私今、もーれつに感動しております!!

 そしてそんな優しい綾波さんには、感謝のハーグっ! もぎゅー!

 

「……、……。……零れるぞ」

「はい」

 

 正面から抱き着いて、ほっぺたすりすりしてたら底冷えするような心底呆れた声で囁かれたので、素直に離れる。

 しかーし、この私がクリームソーダを零した事など一度もない。

 ……ずっと昔、シマカゼになる前はしょっちゅう零してたけどね! 器用じゃなかったからね!!

 でも今の身体能力ならそんな事にはならないのです。クリソを揺らさず綾波さんをもぎゅってするくらいらくちん!

 

『キュー』

 

 しかしハグする際に落とした連装砲ちゃんはペチペチと私の足を叩いてお怒りのご様子。

 ごめんね。

 

 ……それにしても綾波さん、思ってたよりこぢんまりしてるね。艦娘、華奢な子多いしね。言動の影響でしっかりした大人って印象だった綾波さんも、その実可愛らしい女の子なのだ。

 これは、あれ。慰められてばかりではいられないね。私だって男の意地みたいなものは残ってるので、女の子のために頑張るぞって奮起した。いいとこ見せないとシマカゼが廃る!

 

「つまりこの『お別れ会』は昨日までの自分とのお別れ会、そういう訳だね!」

「はあ、まあ……いいいんじゃないですかね、それで」

「うん!」

 

 大きく頷いて、ストローをくわえてじゅるるっと吸い込む。

 口内で弾けるしゅわしゅわ! 舌を蹂躙する暴力的な甘味!!

 

 ぷはー、生きてるぅ~~!!

 ……しあわせ。

 

「生きるって事は、クリソが美味しいって事……だね!」

 

 しみじみ呟きつつ、さいごの「だね」に合わせてウィンクを飛ばせば、「はいはい、私も生きる事を素晴らしいと思いたいもんですね」と他所に視線を向けながら返してくれた。

 ふふ、通じてるね。なんか楽しいね、こういうの。

 

「じゃ、綾波さんもクリソ食べる?」

「いえ、遠慮しておきます。……炭酸、得意ではないので」

 

 気持ちのままグラスを差し出せば、両手で押しやるように拒否されてしまった。

 およよ。炭酸が苦手かー。珍しい。でもそれならしょうがないね。これはぜーんぶ私のものって事で。

 ……あ、私が口付けたやつだったから嫌がったのかな? 違う? むしろばっちこい?

 

「なわけないでしょう。補給を終えたら出掛ける準備をしといてください」

「? どっか行くの? お買い物?」

「なわけ……はあ。ああ、もう。手を貸すと言いましたよね?」

 

 あー、さっそくなんかしてくれるんだ?

 そういう事なら……スプーンを握ってバニラアイスをやっつけにかかる。

 この道二十年、クリソ道ここに極まった私が完食するまでのタイムは9.8秒……それが幸せまでのタイムだ。

 

「お代わり」

「ないです」

 

 がーん。

 ……じゃあさ、じゃあさ、あっちの子が飲んでるメロンソーダみたいなのはなんなのよ。

 

「野菜ジュースですが……飲みます?」

「ません」

「ですよね」

 

 ふっとかっこいい感じの笑みを浮かべて問われれば断じて否と首を振らざるを得ない。

 誰が好き好んでそんなもの飲むか! 栄養補給には極めてうってつけだけど、味がね。味が駄目なのよね。

 何より緑色なのが気に入らない。メロンソーダとかぶってるんだよ。よくないなあ、そういうの。

 

「……ふふ」

「えへへ」

 

 むーっと顔を顰めて拒絶を表していれば、少し間を置いて自然な笑みを零してみせた綾波さんに、私もなんだか笑ってしまった。

 そうすると誰かが「綾波が笑ってる」って声をあげて、ざわざわってして、そうすると綾波さんはいつもの半目に戻ってしまった。

 もったいない。笑ってる顔かわいいのに。

 

「さ、ぐずぐずしない。午後もやる事はたくさんあるんだから」

 

 綾波さんがパンパンと手を叩いて呼びかければ、はあいと元気なお返事。食事に戻るそれぞれを見ていれば、あなたもです、と声をかけられた。

 

「自分の世界に帰りたいなら、きびきび動く。あんまり遅いとここの一員にしますよ」

「それはー、結構魅力的にも思えるけど……うん、じゃ、準備してきます」

 

 遅いと言われて黙っていられるシマカゼではない。

 指示をくれる綾波さんにビシッと敬礼してから小走りで出入り口へと向かっていく。

 退出の際、視界の端に映った綾波さんは、やっぱりいつもと変わらない顔で、でも、ふりふりと振られる手には親しみを感じられた。

 

 ……あの人のために頑張りたいなって、そんな艦娘的な情動が胸を熱くさせた。



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10.泡沫の夢

 

 世はなべて事もなし……だったかな。あってる? これ。

 いやまあ、ここに飛ばされて来て色々あった訳だけども、なんか特に壮大な何かとかは無くて、綾波さんの提案により私は元の世界への帰路についている。

 

 どうやって帰るんだろう、どうするんだろうってずっと思ってたんだけど、なんと綾波さん、トライドロンを持ち出した。てっきり見た目だけ真似したやつかと思ってたんだけど、ははあ、どうやらここの開発を甘く見ていたらしい。

 工廠見学した時に「常識じゃ計れないなー」とのんきに考えてはいたものの、想定以上だったって事ね。

 

 そういや私の世界でも仮面ライダードライブ=泊進ノ介がトライドロンで次元移動を行っていたな。なんで私、そういうのちらっとも思いつかなかったんだろう。

 馬鹿だからかな。馬鹿だからか。

 世知辛い。

 

 そういう訳で現在私はトライドロンの助手席に乗せられて綾波さんと相乗り中。

 艦娘と相乗りする勇気、君にある?

 平時ならおんぶかお姫様抱っこで海上航行だけどほんとにある??

 

 ああそうそう、"私の世界"だとか"この世界"だとか思い浮かべてて言いたくなった台詞があったんだった。

 という訳でしたり顔。

 

「ここが"綾波の世界"か……」

「私の世界、ですか」

 

 腕を組んでうんうん頷けば、運転席にてハンドルを握る綾波さんが割と真面目なトーンで返してきた。

 うむ、ただ言いたかっただけなので特に返す言葉は思いつかないぞ。

 

 しかしまあ、よくぞ私を返す方法を考え出してくれたもんだね。

 「ありがとね」って小声で伝えてみる。でも綾波さんは前を向いたままむーっと口を噤んでいて──って、運転中なんだから当たり前だよね──、少しすると前に手を伸ばしてごそごそやって、なんかガムみたいな薄いものを差し出してきた。

 

「食べます?」

「……うん。ありがと」

 

 こっちを見ないままの綾波さんに頷きつつ受け取って眺めてみても、なんだろうこれ、いまいち正体が掴めない。

 口に入れてみる。唾液が出た。もにゅもにゅ噛んでみる。うーん、……なんだこれ。

 

「なにこれ」

 

 「べっ」と突き出した舌先に乗っかる丸いものに、綾波さんはバックミラー越しに視線を寄越して「汚い」と一言。ああ、ごめんごめん。

 もぐり。お口の中に戻して噛んでみるけど、いやほんと何これ。変な味。

 

 しばし無言でもぐもぐやりつつ窓の外の景色を眺める。

 一枚隔てた基地はちょっと新鮮で、まだ、こことお別れだって実感がわかなかった。

 なんでだろう。私が元いた場所に帰るには、もっと何か凄い事が必要なんじゃないかって思ってたからかな。

 普通に帰れるってわかって拍子抜けというか、上手く呑み込めないというか。

 

 私がそんなでも帰る時間はやってきて、広い場所で一度停車した綾波さんは、ベルトさん──私達の合間、奥側にはめ込まれているひと……ひと?──と何か話すと、私の方を見た。

 

「……。急加速しますので、てきとうに掴まっててください」

「うん」

 

 今、最初にちょっと間があったんだけど、何か言おうとしてたのかな。

 でも言わなかったって事は大した事ではないのだろう。

 シートベルトがしっかりしまってるのを確認して、綾波さんにグッとい親指を立てて見せれば、彼女も手だけ動かしてサムズアップしてくれた。

 

「それでは」

 

 一呼吸おいて、アクセルが踏み込まれる。

 光の道が前方に敷かれて、その眩さに目を細めているうちに、喧騒の中へと飛び出していた。

 ……あっさり!

 

「……ふぅ。着きましたよ」

「うん」

 

 ぽけーっとしたまま彼女の声に答えて、外の景色を確かめる。

 どこかの道路。その脇にあるコンビニの駐車場。

 お店から出てきた人が珍しそうに車を眺めながら去っていくのを見送って、座席に体を埋めてシートベルトを外す。

 ふと、自分の手から白手袋が消失している事に気が付いた。

 これはもしや、と腰を浮かせてバックミラーに自身を映してみれば、ああやっぱり。制服姿に戻っている。

 

「似合ってるじゃないですか」

 

 一つ縛りにした髪をもしゃもしゃと弄っていれば、綾波さん。からかうような声音。

 そういう彼女の姿は変わってなくて、この変化はいったいなんのために、どういった理由であるのかよくわかんなかったけど、わかんない事はわかんないままでいいやと思考を放棄。帰ってこれたんだからそれでいいや。

 

「綾波さん、コンビニ寄ってかない? なんか奢るよ!」

 

 足元にある通学鞄を拾い上げ、中身を確認すればお財布があったので、そいつを握りしめて提案すれば、なぜか彼女は呆れたものを見る目になって溜め息を吐いた。

 

「待ち合わせしてるんじゃ?」

「……あ゛っ!!」

 

 そーだった! 朝潮と島風との待ち合わせ、大遅刻してるんだった!

 ていうか今何時!? ええと、スマホスマホ……げっ、着信めっちゃきてる……!

 

「ちょ、ごめ、ごめんね! ちょっと電話!」

「ええどうぞ。お構いなく」

 

 ぴゃっと車から飛び出して朝潮へ連絡する。

 耳に押し当てたスマホはワンコール半ばで繋がって……雷が落ちた。

 ……みみがー!

 

 烈火のごとく怒る朝潮は、でもすっごく心配してくれてて、事情を話す余地はありそうだった。

 

「すぐ行くから、もうちょっとだけ! 待っててね!」

 

 とりあえず走り出しつつ通話を切れば、並走してくる綾波さんに気が付いた。

 おおっとそうだった、ここまで送ってくれた彼女にお礼を言わなくちゃ!

 とはいうものの足を止める訳にもいかず、結構焦ってて中々言葉が出てこない。

 そうこうしているうちに街中に入って、知ってるような気がする道が出てきて、それから……。

 

「シマカゼ!」

「あーっ! 朝潮ー!!」

 

 交差点の向こう側、柱の傍でお行儀よく佇む朝潮と、ついでにその傍に座り込んでゲームやってる島風を発見。

 鞄を持った手をぶんぶん振り回してアピールすれば、朝潮は両腰に手を当てて怒ってますアピールをした。

 うっ……急に速度が緩んで、ああ、赤信号に引っかかってしまった。

 その間、通り過ぎる車の間で朝潮とにらめっこだ。怒ってる怒ってる……ちゃんと説明すれば許してもらえるかなあ?

 元々遅刻してたから無理かも。

 

「もう、遅いです! 遅刻ですよ、シマカゼ」

「あはは、ごめんごめん」

 

 信号が青になれば小走りで彼女の下へ駆け寄って、ぷんぷん怒りマークを飛ばす朝潮に笑うしかなくて。

 けれど、お互いそれ以上何を言うでもなく黙って、見つめ合った。

 

 なんだかすごく久し振りに彼女の顔を見た気がする。そう思うと懐かしさが勝って、自然と彼女の手を取っていた。

 「久し振り」っておててをにぎにぎすれば、まばたきをした朝潮は、「ええ」とはにかんだ。

 ……見ないうちにまた一段と綺麗になったね。……なんて。

 

「……そちらは、綾波……ですか?」

 

 私の体から頭を出して背後の綾波さんを見つけた朝潮は、疑問混じりに問いかけてきた。どうして綾波がここに? 自力でロンドンから帰国を? って。

 

「話すと長くなるんだけどさ、彼女は……」

「迷子のシマカゼを送り届けました」

 

 私の言葉を遮るように端的に纏めた綾波さんに、あれーっ、話すと短い!? と胸中驚愕する私。

 

「それはとんだご迷惑を……ありがとうございます」

「礼には及びませんよ。退屈はしませんでしたから」

 

 横に一歩ずれた朝潮が両手をそろえて深く腰を折るのになんとも居心地の悪さを感じていれば、綾波さんが嬉しい事を言ってくれた。

 なので自分を指さして猛烈アピールする。

 

「私も! 私も楽しかった!」

「そうですか。それなら良かった……と、ではシマカゼ、これは餞別です」

「……シフトカー? 綾波さん、これって」

 

 唐突に手渡されたミニカーに目を白黒させていれば、綾波さんはふっと笑みを作って、こめかみあたりに当てた二本指をピッとこちらに差し向けてきた。

 

「また会おう」

 

 綾波さんは短く一言それだけ言うと、踵を返して交差点の人混みの中に紛れて行った。

 

 ……もうっ、何そのかっこいい仕草は! というか意味深に微笑むんじゃなくて説明してくれたらよかったのに!

 ……というか、お礼言い忘れてるんだけど……ああ、赤になっちゃった。

 

「……行きましょう、シマカゼ」

「……そだね。時間も押してるし」

「まったくです」

 

 握っていたシフトデットヒートは独りでに動き出すような気配は見せなくて、私は、それを大切に鞄に仕舞った。

 促す朝潮になんにも考えずに言葉を返せば、ちょっと言葉選びを間違えてツーンとされてしまった。

 き、機嫌直してよね! 帰りにマック寄ってこうね!

 

「あ、やっと来たんだ。遅刻魔」

「そ、そんな言われるほど遅刻とかしてなくない?」

 

 ひょっこり目の前にやってきた島風にからかわれてあたふたする。

 自分で言っててあれだけど、言われるほどしてる気もする……。

 

「いいから行きましょう? 日が暮れてしまいますよ」

「……そうだねっ」

 

 じゃれていたら朝潮に怒られてしまった。

 ……けど、またこうしてこんな風にできるのが嬉しくて、ちょっと笑っちゃったり。

 そうするとまた朝潮が眉を吊り上げるから慌てて口を押さえて隠す。

 

 さ、学校見学だ。

 私は、ついさっきまでいた世界の事を胸の奥に押しやって、こちらの世界の地面を力いっぱい踏みしめた。

 

 

 end.





雰囲気。


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