仮面ライダーハイセ (黒兎可)
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仮面ライダーハイセ
#001 喜劇


以前pixivに投稿していた「仮面ライダー赫者」のリメイクです。第一話の文章はほぼそのまま、更新頻度は遅め。


 

  

 

 食物連鎖の頂点とされるヒトの天敵がいる。ヒトを食料として狩る存在が居る。

 屍肉を漁るバケモノたちは、それにちなんでこう呼ばれる。

 

 喰種(グール)と。

 

「おっかねーなー。アクアビルディングって結構近いぞ」

 

 ヒデはそう言って肩をすくめる。テレビのニュース映像を見て、喰種が出たといわれているそれを見て。

 

「カネキなんかあっという間に喰われるだろーな。もやしだし、よくわからん本ばっか読んでるし」

「よくわからんとは何だ……。ヒデはもっと字を読むべきだ」

「五秒ももたねー」

 

 思わず反論する僕に、ヒデは脱力するようにテーブルに上半身を乗せた。

 

「……本当にいるのかな、喰種って」

 

 テレビで事件を色々と批評する小説家をみながら、僕は珈琲を飲む。「いるだろ普通に。CCGとか対策組織あるし」と言うヒデは、やっぱりどこか脱力したものだった。生憎と僕は見たことがないからイマイチ信じられないけど、こういった話には詳しいヒデだ。店内を見回して、僕も多少、夜道とかに気を付けようと思った。

 

「つーかカネキ、それはおいといて。例の可愛い子ってどれ? あ、もしかしてあのバイトの子?」

「いや、そうじゃなくて。僕が言ってるのはお店にくる人だから」

 

 確かにバイトの子は可愛い。片目を隠すような感じのショートカット。なんとなく高校生くらいに見える。

 ヒデが大声で彼女を呼び、珈琲の追加を頼む。それに合わせて名前を聞いて、両手をつかみ「恋人はいるんですか!」とか言っていたので、思わず引っ張った。

 

「ヒデェ、止めろよお前! すみません、こいつ」

「い、い、いえ……。あの、霧嶋トーカです」

 

 それだけ言うと、彼女は走り去ってしまった。少し赤くなったりしていたけど、でもアレはたぶん引いていたろう。

 よく利用する喫茶店なんだから、あんまりナンパすんなよーと一応言っておく。

 

 そうこうしてるうちに、いつの間にか夕方。今日は彼女、来ないらしい。肩を落していると、一緒に帰路についていたヒデが「ドンマイ!」とすごく良い笑顔を向けた。ちょっと殴りたかった。

 

 ヒデとわかれた後。なんとなく図書館の周りを歩いていると、驚いた。メガネをかけた彼女が居た。

 両手に本をかかえて歩いていた。よろよろとしていて、ちょっと足取りが心配だ。

 

「きゃっ!」

「うわっ」

 

 案の定、転びかけて手に持っていた本が飛ぶ。こちらの方にも飛んできたので、僕も拾うのを手伝う。

 

「あ、高槻泉の本……」

 

 僕が彼女に惹かれた理由に、これがある。容姿もすごく可愛いんだけど、僕が敬愛してやまない。中でも僕が拾ったこれは、偶然にも現在僕が読みすすめている「黒山羊の卵」! 殺人鬼の母親を嫌悪しながらも次第に自分もその衝動が芽生えて行く事に気付いていく、残酷表現と心理描写が絡み合う作品だ。

 

「すみません…… 拾ってもらっちゃって」

「あ、いえ……。あ、あの」

「はい?」

 

 せっかくだ。僕は勇気を出して、言葉を続けた。

 

「高槻泉、好きなんですか?」

 

 彼女はにこりと笑った。「ええ。特にミステリーが好きで」

「ぼ、僕もです!」

 

 この後、気が付いたらファーストフード店でなんだかんだ話しこんで、結局夜になってしまった。

 

「読書の趣向も似てますし、年齢も同じだし……、なんだか共通点が多いですね。使ってる喫茶店も同じだし」

 

 天使みたいに微笑む彼女、神代リゼさんはすごく綺麗だった。話せば話すほど、どんどん僕は彼女に惹かれて行くのを感じた。

 後日いっしょに遊びに行く約束をして、僕はら別れた。すごくいいことがあった。感動した。思わずヒデに連絡をとったら「本屋デートのどこら辺が楽しいかわかんねーけど、ま楽しんでこいよな!」と太鼓判を押された

 

 

 その日の深夜。なんとなく空腹感を覚えてコンビに行く。

 肉まんを買っていると、背後から声をかけられた。

 

「あれ、霧嶋さん?」

「こんばんわ。奇遇ですね?」

 

 喫茶店「あんていく」のバイトの子だ。思った通り高校生だったようで、制服姿だった。

 店を出た後、思わず注意をした。

 

「駄目だよ? 高校生がこんな時間に外にいちゃ」

「へ? あ、ごめんなさい……。ちょっと友達と話しこんじゃって……」

 

 彼女、霧嶋さんは言う。どうやら仲の良い友人の家で勉強をしていたら、気が付くとこの時間帯だったようだ。

 

「危ないな……。補導されちゃうよ? 泊まったりはできかった?」

「あんまり迷惑かけたくなかったですし……」

「ご両親は?」

「……まあ、一人で頑張ってます」

 

 なんとなく、しっかりしてる子だなぁと思った。と唐突にヒデとの喰種の話を思い出して、僕は言う。

 

「んー、もし気にならなければだけど、途中まで送ろうか?」

「へ?」

「あー……! あ、いや、でも何かされそうとか、そう言う風に思うなら別にいいんだ。ちょっと、最近何かと物騒だし、ほら、”喰種”とか」

 

 思いもよらなかった、みたいな顔をされて少し傷つく。まあ彼女のその感情は正しいから、単なるおせっかいで言ってるだけなんだけど、それで送り狼を疑われたら本末転倒だ。彼女からしたら見知らぬ男なわけだし、この反応も当たり前といえば当たり前か。

 しばらく悩むと、霧嶋さんはにっこり笑って言った。

 

「……そうですね。カネキさん、でしたよね?」

「へ?」

「あれだけ大声で話してたら、嫌でも聞こえますって。バイトとしちゃ色々駄目なんでしょうけど、でも、カネキさん真面目そーだし。じゃあお願いします」

 

 にこりと笑う彼女は、リゼさんに負けないくらいそれはそれは可愛かった。

 なんとなく気恥ずかしくなったけど、彼女は気にせず僕のとなりにならんだ。

 

 その後、特に会話もなく歩く。どうせなので肉まんを二つにして「食べる?」と言うと「ダイエット中なので」と遠慮された。見た目かなり痩せてるようにみえるのに、女の子は色々と複雑なんだろう。

 

「あ、ここまででいいです」 

「そう? なら気を付けてね」

「はい。送ってくれてありがとうございました。今度珈琲サービスしときますね!」

 

 とあるマンションの近くで、僕は彼女と別れた。てっきりここの近くなのかな、と思ってたらまっすぐマンションに走って行ってた。ちょっと無用心すぎないだろうか、これは。

 

 そう思いながら手を振る霧嶋さんに返していると、背後からまたもや声をかけられた。

 

「見ましたよ~カネキさん!」

「り、リゼさん!?」

 

 突如背後から僕を抱きしめてきたのは、神代リゼさんだった。案外着やせするのか、背中が色々と幸せな事になっていたけど、それはともかく。

 

「コンビニ出たあたりで女子高生と一緒にいたので何かなーって思ってたんですけど……、なんだか本当にいい人ですよね、カネキさんは」

 

 頭の中が色々とショートするのを感じる。高槻作品を読んで恍惚としている時以上の嬉しさとか、気恥ずかしさとかがこみ上げてきて、顔が暑い。

 そんな僕を見ながら、リゼさんは「ふふっ」と微笑んだ。

 

「で、一つ頼みがあるんですけど……」

「はい?」

「私も送ってもらえませんか? カネキさんの後をつけてたら、時間がその……」

「あー! はい、もちろんですとも! あ、いやすみません」

 

 思わずテンションが上がって彼女の手をとってしまったけど、リゼさんは気にすることなくふふっと微笑んだ。

 なんとなく気恥ずかしくなった僕は、手元のビニール袋に目を向けた。

 

「……あ、そういえばリゼさん、肉まん食べます?」

「ダイエット中なので、遠慮します」

 

 やっぱり女の子はよくわからない。

 

 

 

 

 

 

     ※

 

 

 

 

 

 

「あ、店長? 私です。……はい、もう家ですけど。あの、さっき見かけたので。……はい、一般人が一緒でした。もしかすると……、はい、わかりました。お願いします」

 

 

 

 

 

     ※

 

 

 

 

 

 

 リゼさんは、どうやら喰種の事件が起こったあたりに住んでたらしい。そのことでなおのこと、一人で帰るのが怖いといっていた。

 僕はといえばそんな彼女の気を紛らわせるために、色々とヒデとか僕とかの話をしていた。昔の話だったり、雑談だったり。あとは高槻泉の話とか。

 

「でも不思議ですね。高槻さんの本がきっかけで、こうしてカネキさんと一緒にいるって……」

「へ? ……! あ、あの、リゼさん!?」

 

 唐突に僕にだきついてくるリゼさん。人生経験の浅い身としては、どうしていいかわからない。

 いや、でも、何か色々と唐突というか急展開すぎませんか!? これはアレ? 霧嶋さんを送ったから神様とかが与えてくれたラッキー?

 

 混乱しながらそんなことを考えて居ると、リゼさんが僕の耳下でささやく。

 

「実はですね。気付いてたんですよ? 私、研くん(ヽヽヽ)がずっと私をみていたの」

 

 彼女の言葉が耳をくすぐるたび、心臓の音がどんどん大きくなる。

 

「私も実は――」

 

 その香りと、くすぐる心地よさに身をまかせようとして――。

 

 

 

 

 

 

「あ な た を み て た の よ?」

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、首筋に激痛が走った。ぐちゅり、という音が僕の耳を打つ。

 思わず彼女を突き飛ばすと、リゼさんがものすごく恍惚とした表情で、何か赤いものを咀嚼していた。痛みの正体は、たぶんそれだろう。わけがわからなかった。

 

 リゼさんの目は、黒く、そして赤く光っていた。

 

「嗚呼おいしい……。カネキさん、その表情素敵ですよ? ふふ、ゾクゾクしちゃう。思わなかったでしょ。まさか私が――喰種だなんて」

 

 腰をぬかしかけている僕に、リゼさんは微笑む。背中から触手のようなものを出しながら。そして彼女のこめかみのあたりからは――その触手のようなものに似た、山羊の角のようなものが生えていた。

 

「ゾクゾクさせてぇ?」

 

 思わず叫び、僕は走った。

 何だ、あれ。何あれ、なにあれッ…… 彼女は何ていった?

 

 転ぶ。足をとられた。どうやらリゼさんの背中、腰のあたりから生えた触手につかまれたようだった。

 

また(ヽヽ)優しくしてあげるよ? うふふ……。

 ――今日の収穫は、どっちが美味しいかしらぁ」

 

 僕は馬鹿だった。喰種であるリゼさんに踊らされていたらしい。今日たまたまタイミングが良かったから襲われたものだが、たぶん本当は後日予定してたデートで襲うつもりだったのだろう。

 

 このままじゃ死ぬ。そう思ってむりやり立ち上がって逃げようとすると――鈍痛が腹を焼いた。

 

「ふふ? 私、貴方みたいなヒト大好きですよぉ?」

 

 リゼさんの足音が、死神の足音が僕に近づいてくる。

 そんな時だった。

 

「とうっ!」

 

 救いの主が現れた。

 姿はよくわからない。タキシードみたいな格好をした長身のシルエット。声は壮年のようだ。

 

 リゼさんに飛び蹴りをかまし、僕らの間に立つそのヒト。彼女は彼を見て、舌打ちをした。

 

「ちっ、どうして貴方が――」

「リゼくん。君は少々、やりすぎだ。言わなかったかい? 我々の理念を」

 

 その腰に、リゼさんの背中から生えているような触手で構成されたベルトのようなものが現れる。

 

「――変身」

 

 そう言った瞬間、彼の全身は一変した。全身をズタボロのフードのようなものに覆われ、体格が一回り大きくなり。顔面には、どこかフクロウを思わせるような隻眼の仮面が。

 

「仮面ライダー……」

 

 リゼさんは、心底いやそうな声を出した。

 

 

 リゼさんが舌打ちをし、触手を彼に向けた。しかし、ライダーと呼ばれた彼の両腕には、剣のように変質した触手がからんでおり、一振りでリゼさんのそれらを切り飛ばした。

 

 接近するライダー。肉弾戦に切り替えられると、リゼさんは不利なようだった。それでも地面にヒビを入れるライダーの蹴りを受けて平然としているあたり、やっぱり彼女は喰種なんだろう。

 

『――ライダーパンチ』

 

 触手が五つまとまって拳のようになり、ライダーはそれでリゼさんを殴り飛ばした。吹き飛ぶ彼女のメガネは割れ、角は片方折れていた。

 

『まだ続けるかな? それとも20区を去るか』

「どっちも御免よ? だって、もっと――ゾクゾクしたいじゃないっ。せっかくまた(ヽヽ)――」

 

 そう言った瞬間、彼女はライダーへ向かって走った。単なる突進というわけでもないのだろうけど、でも、ライダーはそれをかわさない。どうやら背後にいる僕をかばってくれていたようだ。

 でも、それが仇になった。彼女はライダーを通過して触手を伸ばし、僕の背後、工事現場の壁につきさした。

 

 次の瞬間、ライダーも反応できない速度で、僕の上にリゼさんが居た。

 

「ひ、ひいッ!」

「さあ、ちょっとだけ、いただきまぁす――」

 

 ところが、だ。リゼさんがそう言った瞬間――上から、鉄骨が降ってきた。

 たぶん事故か何かだろう。あるいは偶然か。

 

「なんでッ……、あなた、がっ……」

 

 そう言いながら、リゼさんはたぶん死んだ。そして彼女の返り血が跳ねると、僕の意識も遠くなっていく――。

 

 最後の瞬間、どこか優しげな仮面ライダーの、フクロウのような仮面が僕を見ていたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 金木研は小説の主人公でも何でもない。どこにでもいそうな、読書好きの大学生だ。

 

――ご家族の方とも連絡がつきません!

――このまま見殺しにはできん、他に方法はない! 私がすべての責任をとる!

 

 だけれど、もし仮に僕を主人公に小説を書くのだとすれば。

 

――彼女の臓器を、彼に!

 

 それは――それはきっと。

 

――脈拍安定……、成功だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただの”道化(ドンキホーテ)”だ。

 

 

 

 

 




※ピエロフラグじゃありません


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#002 変異/災厄

※ライダーとは言っても、恋愛描写がないとは言ってない


 

 

 

 カフカの有名な小説に、青年が大きな毒虫になってしまう話がある。

 僕はそれを小学校五年生の頃に読んだのだけれど……。

 

 当時は、もし自分がそうなってしまったらどうしよう、くらいにしか考えてなかった気がする。

 

 

 

『――少女に臓器提供の意志はあったんですか? 遺族への確認は――』

『――彼女は見殺しですか!? 医者なら全力を――』

 

『――彼女は搬送された時点で死亡が確認されており、即死だったものと思われ――』

 

『――誤診の可能性は――』

『――まだ脳死状態だったかも――』

 

『――何にしても、自分の目の前の命を救うことが重要だったと、私の使命だと考え、今回の決断を――』

 

「……」

 

 テレビで、僕を救ってくれた嘉納教授が、メディアに対して何事か言っていた。

 内容は決まっていた。僕が生き残って、彼女が死んだ。その理由は何かということについて、考えれば自ずと知れた。

 

 トイレの鏡の前で、服の前ボタンを外せば、僕の命を繋いだ傷跡。僕の命を奪い欠けた傷跡。

 肝臓のあたりをぱっくりと切り裂いた、その痕。

 

 ――時間が経てば経つほど、あの日の出来事から現実感が薄れて行く。

 リゼさんが「喰種」だったことも。

 そして――僕の目の前に現れた、「仮面ライダー」。

 

 「喰種」とはまた別な意味で、仮面ライダーも都市伝説だ。怪人を倒す超人。主にバイクに乗っていることが多いため、ついた通称がそれらしい。

 むしろ現実的に何ら話もないので、こっちの方が都市伝説だ。

 

 あのフクロウのような仮面。超人的な戦闘能力。

 

 何より、リゼさんのそれと同系統の力を使っていた部分が、違和感こそあれど、嗚呼、これがライダーなのだという説得力を伴っていた。

 

 

「調子はどうだい? 金木君」

「……まぁ、普通です」

 

 嘘だ。だが、余計なことを言えば危険なことを、僕は本能的に判断していた。

 病人食を残している事に、診察している時の先生は不審がっていた。

 

 しかし――受け付けないのだ。

 

 魚は、嗅覚を劈くように生臭い。

 味噌汁からはタールのような濁った機械油の匂いが漂う。

 豆腐の食感は動物の脂肪を塗り固めたような感覚。

 白米に至っては、口の中で糊でも捏ねてるような――。

 

 総じて、不味い。

 

 無理やり飲み込むことは出来る。たぶん消化とかもされてるんだろう。

 でも、何日も繰り返してたらきっと発狂する。それくらい不味いのだ。

 

 看護師さんも味は普通と言っていた。

 

 つまり、異常なのは僕の味覚だけ。

 

 ――本当に味覚だけなのか?

 

 その可能性に、少なからず襲われる僕。

 大学に復帰してからも、食欲は減る一方。

 

 ヒデが、体調の優れない僕を心配して、女の子が可愛いステーキハウスに誘ったりもした。

 今日、僕はそれに招待される形。

 

 嘉納先生の所から退院しても、治る気配が一向にない。

 

「「「「「いらっしゃいませー!」」」」」

 

 ビッグハンバーグと目玉焼きハンバーグをオーダーしてから、ヒデは僕に苦笑いを浮かべる。

 

「お前んとこの医者、すげー叩かれてるよなぁ」

「未だにワイドショーで出てるからね……。本人または遺族の同意なしに移殖したのが問題視されてる。倫理的にとか、制度的にとか」

「でもその子……、家族誰も居なかったんだろ? しかもほとんど――あ、悪い」

 

 ヒデには真実を伝えていない。彼女に襲われたこと、喰われそうになったことも。

 現実味がなさすぎるし、何より今は忘れていたい。

 

 ひょっとしたら、リゼという名前さえ偽名だったのかもしれない。 

 あの時、確かにリゼさんが好きになりかけていた僕だったけど。その姿が虚構だったろうことが、意外と僕は堪えていなかった。

 

 ウェートレスさんが僕らの前を横切る。配膳するために盆を運んでいた。

 

――そして、そのミニスカートとニーソックスの間。

 柔らかな人肌が露出している箇所を見て、不意に、僕は「ああ、うまそうだ」と思った。

 

「…………ッ!」

 

 口元を拭う。涎が出ている。

 今、何を考えた? 僕は。

 

「……おいカネキ、今俺の面白トークシカトしてたろ」

「あ……、ごめん」

「…………本当大丈夫か? いや、ガッツリ系に連れ出した俺も俺だけどよ」

 

 お待たせ致しました、と目の前に配膳されるハンバーグ。

 これを見ても、僕は、欠片も「美味そうだ」と思わない。……思えない。

 

 水は飲める。それだけが現時点では僥倖と言うべきか。

 

 唾を飲み込むその仕草は、むしろ食欲より忌避感から来るものだ。

 

「うめええええええええええ!」

 

 ヒデは美味しそうに食べる。実際、ハンバーグは美味しいのだろう。

 でも、僕はとてもじゃないが食べれない。

 

 あれほど大好きだったハンバーグが、今じゃ単なる拷問道具だ。

 

 食べてはいる。ヒデを心配させるから。

 でもその味は、食べたこともないけど、豚の生きた消化器官を、外側から舐めているような――。

 

「……ごめん、半分で」

「あー、悪い悪い。……ちょっとずつでも食べろよ、カネキ。体力持たねーからな」

「うん、ありがとうヒデ」

 

 結局、料金までヒデに奢ってもらう始末。立つ瀬がない。情けない。

 

「……何だって言うんだ、僕の体は」

 

 

 本当は、気付いている。

 

 気付いてはいるけど、目を背けたい自分がいる。

 

 

 

 公園のベンチに背を預け、無為に現実から目を背ける。

 

 ボール遊びをしていた小さい子が投げたボールが、それてこちらに当る。

 それを拾って渡してあげた時、その子から漂う汗の香りに、理性が飛びそうになった。

 

 

 

 あふれ出るその感覚は――文字通り、衝動的な食欲。

 

 

 

「……」

 

 家でベッドに横になる。現実逃避する他に道がない。

 

『――高田ビル通りであった、”喰種”の捕食事件――』

『――ここで喰種専門家、小倉先生にお話を――』

 

 画面に映るちょび髭のおじさん。彼が言うには、グールは短期間で大量に食事する必要がないらしい。

 だからこそ、こんな「大食い」は性質が悪い。

 

 そもそも、喰種は人間の食事で満足できない。人間以外から栄養を吸収することが出来ない。全くとは言わないが、相当に効率が悪いためだ。喰種特有のある酵素が原因であるらしい。

 

 舌の作りからして、まず人間のそれとは大きく違う。食べるものが、凄まじく不味く感じるらしい。

 

「……」

 

 一応、説明はつく。

 僕に移殖された臓器は、リゼさんのものだ。だから彼女の臓器から、その酵素が体に回って、食事に対する感覚が変わってしまったのだ、と。

 

 ただ、そうじゃないという気が僕はしていた。

 

 色々なものを食べた。冷蔵庫にしまってあったカレー。りんご。冷凍食品。ファーストフード店で買って来たハンバーガーの残り。

 

 どれを食べても、満足できない。

 

 味が、とても受け付けない。

 

「……ッ」

 

 それでも無理やり飲み込んで、流しこむのは現実を認めたくないからか。

 

 

 ――毒虫となってしまったザムザにとって、新鮮な食べ物は口に合わず、腐り掛けのチーズなどを好むようになったらしい。

 

 だとするならば、僕にとってのチーズは――。

 

 試すまでもない。嗚呼、試すまでもない。

 

 

 今日一日のそれを振り返れば、自ずと答えは見えてくる。

 

「……」

 

 それでもなお、何か合う食べ物はないかと考えて、僕は家を出る。

 コンビニに向かう足取りは重い。つい先日、霧嶋さんを送ったりした道のりの途中。

 

 路地裏ということもあって人通りは少ない。

 そこを歩いていると、女の子が、中年に絡まれていた。

 

「ちょっと……ッ」

「そんな足出しちゃってさぁ……。いいから来いって、遊んでくれよぅ」

「離してって、これから家に帰る途中――あっ」

「……あれ、霧嶋さん?」

 

 酔っ払いに腕を掴まれていたのは、霧嶋トーカさん。喫茶「あんていく」のアルバイトさんだ。

 今日も帰りが遅い……。バイトか、はたまた友達と一緒に居たのか。

 

「助かった! ちょっと、カネキさん聞いて下さいよー」

 

 ほっとした顔をした彼女は、掴まれていた手を払い近寄り、僕の左腕を「抱きしめて」くる。意図的に牽制をかけているのが丸分かりだけど、僕は、それどころじゃない。

 

 可愛い女の子とくっついている、という理由からじゃない。

 

 

 脳裏に涌いたのは――食欲。

 

 

 

 ショートパンツから覗く柔らかそうな脚。手の甲をくすぐる脂肪の感触。

 細い胴体と、その内側に詰まっている肉の臓器。腕に押し付けられる、案外大きな「肉」の感触。

 

 それらが齎したものが異性に対する緊張などではないのが、酷く恐ろしく、「愉」しかった。

 

 

「何人が目をつけた娘と。……何? カレシ? こんな――」

「――ッ!」

 

 そして、僕の視界は、半分が歪んだ。

 

「――な、何だその気持ち悪い目!?」

 

 酔っ払いは、目の前で酷く動揺した。

 

「カネキさん……?」

 

 目を見開く霧嶋さん。

 その目に映った僕は――片方の目が、赤と、黒に染まっていた。

 

「あ……ッ、あ……」

 

 僕の脳裏に、リゼさんが踊る。

 笑い、嗤い、ただただ愉しそうに僕をいたぶり。

 

 愛しそうに「食べよう」としていた彼女の姿が、その顔が、表情が――目が。

 

 霧嶋さんの目に映った僕のそれに投射され、ダブり、思わず僕は彼女を突き飛ばした。

 

 驚く霧嶋さん。そして、彼女の腕を引くおじさん。

 

「このバケモンが、そんな野郎より――ッ」

 

 だが、酔っ払いさんの言葉は、それ以上続かなかった。

 びゅん、という音と共に、彼の首が「握られる」。

 

「……アンタむかつく。何? 目の色が違っただけで『バケモノ』なの?」

「は……はぁ?」

「バケモノってのは、もっと『言葉』が通じない相手でしょ。……アンタみたいな」

 

 ぎり、と彼女は歯軋りをして、掴んだ左手でおじさんを「持ち上げた」。

 

 彼を睨む彼女の目は――黒目が赤くなった、真っ黒な瞳だった。

 

「ひ、ひぃィー―ッ」

 

 どさり、と落とすと、彼の腹を蹴り上げる彼女。

 その一撃の威力は、明らかに見た目通りの女の子のものではない。

 

「感謝しな。私が『違って』たら、アンタ命なかったわよ」

「あ――ああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 霧嶋さんの背中からは、赤と黒で彩られた、羽根が出現していた。

 

 

 

 

 それは凄く綺麗で、彼女の瞳の色に合わせたもので。

 

 制服の首筋のところから、煙のように漏れ出る、蝶のような、鳥のような翼。

 

 

 目の前の光景に見蕩れる僕と、失禁しながら駆け出す酔っ払い。

 

 

 アンモニアになる前の匂いに顔を顰めつつ、彼女は口元を手で覆った。

 

「クソ……。こんなんでも食欲出てくるから、”喰種”って面倒くさっ」

「……き、霧嶋さん」

 

 肩に下げていたバッグから、彼女は何かを取り出す。

 おつまみのジャーキーのようにも見えたそれを、彼女は加えて、噛み千切る。

 

 それと同時に、背中のそれが霧消していった。

 

「……酷い顔してんじゃん。ほら、食べる?」

 

 ほれ、と千切った残りのジャーキーを、僕に向ける彼女。

 食べないの? ほーれほーれ、と目の前でゆらゆら動かす様がちょっとコミカル。

 

 でも、そんなこと関係ない。

 

 嗚呼。そうか。やっぱりか。

 

 認めたくない。でも、認めざるを得ない。

 時間が欲しい。この事実を受け止めるための――。

 

 だけれど、現実っていうのは当たり前のように残酷で。

 

 ただただ、言葉にして確認しなければならない。

 

「……カネキさん、だったっけ。何で食べないの。『禁断症状』出かかってるじゃん」

「……僕、は……、」

 

 確認したくないことであったとしても。

 

「――僕は、”喰種”、なのか?」

「……は?」

 

 その確認が、第三者に理解されないものだとしても。

 

 気が付けば、手を伸ばそうとしている僕。

 でも、それを心のどこかで拒否している僕。

 

 目の前にある物体に対する「食欲」が、どんどん、僕の意識を塗りつぶそうとしている。

 

 

 震える手に、霧嶋さんは不審げな表情を浮かべる。

 

「……あー、もうハッキリしろっての!」

「――ッ!」

 

 口に押し付けられるそれを、僕は、噛み付こうとして。

 でも同時に、僕の中の「境界線」が、それを許そうとしない。

 

 

 

 

 

 

 

 間違いない。今、突きつけられているそれは「人肉」だ。

 

 

 

 

 

 これを食べれば、おそらく今の僕の症状からは開放されるはずだ。

 

 でも、それが出来れば、今僕はこうしていない。

 

 

 リゼさんのトラウマと、人間的な倫理観と。

 カフカのザムザ虫の末路とが脳裏を過ぎって、僕は、その場に倒れ混む。

 

「はぁ!?」という霧嶋さんの声も、うすらいだ意識で聞くばかり。

 

「最悪。……何、赫子(かぐね)まで出して、そんな食べたがってるのに食べないわけ?」

「僕は……、人間、だから」

「あ?」

 

 困惑するように言う彼女だけど、僕は、とてもそれを受け入れられない。

 

 手足がしびれて言うことを効かなくなっても。

 触覚が薄れて、涙が止まらなくても。

 

 

 ぶつぶつと呟きながら、霧嶋さんは何処かへ電話をかける。

 

「いや、でも、ひょっとしてリゼの……? いや、でもそんなのって有り得る? 小説とか映画とかじゃあるまいし。……はい、店長。私です。えっと、この間店長が助けそこなった……、はい。何か、どうも”喰種”みたいな感じになってて……。はい。はい。……はぁ? いや、ちょっと、流石にそれは……。

 ――あああああああああ、わかりましたよ! 全く、給料お願いしますよ!」

 

 しばらく会話すると、彼女は嫌そうな顔をしながら、残りのジャーキーを口に含み、もちゃもちゃと軽く咀嚼して。

 

 

 

「……ぜってー後でぶん殴るから、覚えとけよ」

「―ーッ!」

 

 

 口を開くことを拒否する僕の顎を押さえて、無理やり下ろして、勢い良く唇を重ねた。

 

 覆われた口から、咀嚼されて飲み込み易くなったそれが、僕の口内に落される。

 

 

 何一つ甘いものはない。入れられた瞬間に口を放し、顎を閉じて吐き出すのを阻止された。

 その状態で拒否しようともがく僕の理性と――受け入れようと言う本能。

 

 

 

 

 この味を、何と例えよう。

 

 

 

 この幸福感を、何と例えよう――。

 

 

 

 食欲に理性が、完全に呑まれてしまいそうだ。全身にかけ廻る快楽は、まるで麻薬のようだ。体感したことのないその浮遊感。

 

 確かにこれなら、高田ビルのような「大食い」が出てくることも、頷けるのかもしれない。

 

 でも、これは――これは、あんまりだ。

 

 

 

 こんなのって、あんまりじゃないか。

 

 

 

 

「うぇ……。ほら、飲め」

 

 口を拭ってペットボトルの水を飲んでから、彼女はそれを僕に突き出す。

 特に何も気にする様子がないのは、異性として見られていないのか、元から気にする性格ではないのか、あるいは気にするだけの余裕もないのか。

 

 それでも、僕はそれを受け取り、口にする。

 少しでも快感と、胸の奥に感じる不快感とを拭い去れないかと考えて。

 

 そんなの、結局気休めでしかないのだろうけど。

 

「……来な」

「……来るって?」

「”店長”が呼んでる。……アンタに話があるからって」

 

 それを受けても、僕は動けない。

 どうしたって、今のショックから立ち直る気配がない。

 

 蹲ったままの僕の髪を持ち上げ、彼女は顔を近づけて言う。

 

 その目からは、強い意志が感じ取れた。

 

 

「状況は詳しく知らないし、カネキさ……、アンタのことなんて全然知らない。

 でもアンタ、そのままで良いわけ? 放置しておいたら――理性飛んで、死にたくなるくらい苦しくなって、目先の人間(モノ)、何でもかんでも頭から喰らい付くようになるよ。

 大事な相手だって食い散らかして、散らばった血と臓物の中で後悔するわけ?」

「――ッ!」

 

 

 だがそれでも、霧嶋さんのその一言は、砕けた僕に活を入れるだけの効果はあったらしい。

 

 反射的に立ち上がると、ニヤリと笑ってから「こっち」と言って、僕を先導する霧嶋さん。

 

 

「……」

 

 

 何が起こるか分かりもしないし、彼女が何処へ連れて行こうとしてるのかもわからない。

 でも、今、間違いなく彼女に付いて行かなきゃ後悔する。

 

 それだけを直感的に理解して、僕は、霧嶋さんの数歩後を歩いていった。

 

 

 

 

 




恋愛描写・・・? かどうかはともかく、トーカちゃんは大好きです b
変身はもうちょっと先なんじゃ;


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#003 骨董/珈琲/喰場

サブタイは、モトネタになったタイトルをもじるか、つなげるかしたものになってます。


 

 

 

「――ゆっくりと焦らず。ひらがなの『の』の字を書くようにね」

 

 翌日。僕は喫茶「あんていく」で働くこととなっていた。

 霧嶋さんの紹介で、芳村店長はすぐさま承諾してくれた。

 

 いや、正確には紹介とは言えないのだけれども……。

 

『私達の店に来なさい。君を、歓迎するよ』

 

 驚くまでもなかった。そこに居た喫茶店の壮年の店長は、リゼさんから僕を助けてくれた人の、変身する前の後ろ姿に違いなかった。

 

 僕は聞いた。この身体は何なのかを。

 果てしないこの食欲と、どう向き合うべきなのかも。

 

『詳細を私達は知らない。だが、おそらく君の予想通りのことが起こったのではないかと推察する』

 

 君のその、半分だけ変色する目は、その何よりの証拠だろう。

 霧嶋さんは、隠れた前髪を上げて、僕に見せた。

 

 彼女の両目は、赤と黒に染まっていた。

 

『本来「隻眼」というのは、違った理由から発生するものなのだが……。どちらにせよ、君が我々寄りの存在になってしまったことは、否定のしようもないだろう。

 そして、その力とどう向き合って行くかは君自身で考えなさい』

『力……?』

『喰種は、人間よりずば抜けた身体能力を持つ。加えて”赫子”という、特有の捕食器官を発生させることが出来るようになる』

 

 ぷるぷると震える手。こうして珈琲を入れるだけで体力が持って行かれることを見ると、昨日の店長の話が本当なのか、ちょっと疑わしくも思ってしまう。

 

『それらの代償として、君は喰種のように、ヒトの肉を欲するようになるだろう。それに本能のまま呑まれるか。あるいは我々のように、共存の道を模索するか』

『私達はね。……好きなんだよ、人間が。人間の社会が。そして、同時に我々自身を”ヒト”だと思いたいんだ』

『ヒト……』

 

 その言葉に含まれた意味が、僕にはあまりに多すぎるように感じられた。

 ザムザ虫の話が頭の中を空回る中、店長は僕にふっと笑いかけた。

 

『とりあえず、一杯飲むかい?』

『……飲めるんですか?』

『知っておくと良い。私達は、珈琲も飲む事が出来る』

 

 緊急時、一時的に食欲を紛らわることだって出来ると、店長はにっと、力強く笑った。

 

「……微妙」

 

 人生初の、専門的な道具を使って煎れた珈琲。味は、まあ、察していた通りというべきか。

 

「珈琲は、手間をかけることで味が変化していく。気温だったり、速度だったり、挽き方だったりね。

 人も同じ。焦る事はないさ」

 

 微笑みかける店長に、僕も笑いを浮かべる。上手に笑えているかは、ちょっと微妙だったけど。

 

「……大事な話を一つ」

「?」

「ここ”あんていく”は単なる喫茶ではなく、20区の”喰種”が集う場所でもある。身構える必要はないが、覚えて置いてくれ」

「グール……」

「もちろん、人間のお客さんも来るけれどもね。この間までの君のように。

 その時も変わらず、普段通りを心がけてくれ」

 

 一通り店長が言った事を聞いて、思わず、僕は知りたくなった。

 

「よくメディアで報道されている話だと、喰種は人間社会から身を隠していると聞きます。実際そうしないと、人肉を喰らう存在なんてあっという間に捕捉されてるんじゃないかと思うんですけど……。

 なのに、えっと……」

「喰種、人間、関係なしに店の門を空けていいのか。あるいは、人間の客も入れるお店にしてある理由は、といったところかな?」

「……大体、そんな感じです」

「ふむ。理由はいくつか、あるかな。人の世で偲び生きる以上、彼等の生活を学ぶ必要がある。

 性格、行動、何気ない仕草、その意味、モノの食べ方やこだわりまでね。我々自身は彼等とほとんど同じつもりでも、大小種族の違いというのは、気付かないところで影響するものだ。

 それからもう一つ」

「もう一つ?」

「昨日も言ったけれどね。――我々は、人間が大好きなんだよ」

 

 少なくとも、ここに来る多くのお客さんは。

 優しく微笑む店長の、その言葉がどれほどのものなのか。僕にはよく分からなかったし、ひょっとしたらこの感情も勘違いなのかもしれないけれど。

 

 それでも、僕は信じてみたい。

 

 笑い返すと、店長は僕の背を叩いて促した。

 

「あ、それからもう一つ注意事項だ」

 

 大きな手荷物を持った人間が来たら、こっそりと知らせなさい――。

 

 言わんとしている意味はわからなかったけど、やけに真剣そうな店長の表情から、かなり重大なことなんだろうと思った。

 

 

 

 店長から今日は帰りなさいの一言。店を裏口から上がりつつ、昨日の店長の言葉を反芻する。

 

『”あんていく”の喰種のルールは三つ――』

「一つ、生きた人を殺して食べてはならない。二つ、喰種であることを除いて人間社会の中で生活をする。

 そして三つ目は――」

「カネキさん」

 

 時間としては、お昼頃。

 昨晩からずっと家から出てた事もあって、今日は一日大学休みかなぁという感じだったのだけれど、そんな僕に背後から声がかけられた。

 

 ぎょっとした。

 

 ここ二日間でずっと聞き慣れていた声だけど、この喋り方は二度とされないものだと思っていたこと。

 もう一つは、この猫を被ったような敬語の裏に、あの、ちょっと柄の悪い口調が隠れてるのかということ。

 

 実際振りかえった瞬間、僕の鳩尾にナイスパンチが決まったので、実際笑えない。

 

 制服姿の彼女は、いかにも急いでいる風。

 

「……、えっと、昨日、言ってた通りだね」

「へぇ? 覚えてたんだ。あんな朦朧としてたのに」

 

 そりゃ、ええ、まあ。

 思い返して見れば、大分彼女には悪い事をしてしまったというか、させてしまったというか、されてしまったというか。

 

 ヒデに知られたら、正直怖いような感じだ。

 

 なのでここは、彼女の八つ当たり+僕の謝罪と保身も兼ねて、甘んじて一発受けよう。

 

「人の初めて奪っといて、開き直ったら半殺しにしてやろうかと思ったけど」

 

 どうやら、とんでもないことのレベルが違ったらしい。

 ど、どういう風に言葉を続けるのが正解なんだろう。

 

「ご、ごめん」

「あぁ?」

 

 殴られないけれど、威圧。

 しばらく彼女の半眼にさらされる事となったけど、結局、僕は正直な言葉しか思いつかなかった。

 

「……助けてくれて、ありがとう。何でもするから、情状酌量の余地が欲しいです」

「……チッ、そんなんじゃ当たり所ねーじゃねーか」

 

 舌打ち、ため息と共に、彼女は僕のスネを軽く蹴飛ばした。

 軽くなんだけど、ケンカとか全然しないから痛い痛い。

 

 表情からは多少険が取れたので、たぶんもう殴っては来ないだろう。蒸し返しはあるだろうけど。

 

 と思ったら、首の当りを掴まれる。下から見上げるそれは上目遣いとかじゃなくって、軽くカツアゲみたいだ。

 

「……アンタ、そういえば大学生だっけ。どこ?」

「へ?」

「いいから」

「あ、えっと……、上井大学」

「頭良いの?」

「さ、さぁ……。たまにヒデと教えあったりすることはあるけど」

「そ」

 

 それだけ言って、彼女は僕から手を離す。

 と思ったら胸を軽く叩いて言った。

 

「何でもするって言ったろ。じゃあ……、勉強教えろ」

「……そのくらいなら、喜んで」

 

 どうやら当分、僕は彼女に頭が上がりそうにないらしい。

 

 ただ、これだけは確認。

 

「ところで学校どうしたの?」

「今、昼休み」

 

 どうやら、わざわざ殴りに来るためだけに学校を抜け出して来たらしかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……はぁ」

 

 ため息の理由は一つ。

 店を出る時、店長から手渡された「肉パック」だ。

 

 見れば見るほど、この誘惑は喉から手が出るほど欲しいものだ。だけど、倫理観的にそれをすることに、忌避感があるのも事実。

 

 昨晩珈琲を飲みながら、店長は僕に色々と教えてくれた。

 

『珈琲を飲みながらなら、普通の食事をとることも出来る。もっとも栄養素は全くと言って良いほど吸収はされないがね』

『珈琲で誤魔化しながら、食事を出来るって事ですか?』

『そうでもない。味覚はそう簡単に誤魔化せない。強いて言えば、舌の上に残った不快感などを、珈琲で洗い流すことが出来ると説明した方が適確かな』

 

 もっとも、君の場合は我々より吸収効率は悪くないのかも知れないが、と店長。

 

『退院してから今日まで一週間か。そこまで一応、人間の食事で食いつないでこれたのなら、やはり多少は人間に近い消化器官なのかもしれない。実際、君からは喰種らしい臭いが、ほとんどしないからね』

『匂い……』

『それもまた、次期に覚えよう。食事の練習もだ。さあ、今日は寝なさい――』

 

 そしてお店で一晩休ませてもらって、翌朝から午前中だけお店で研修。

 霧嶋さんや古間さんというらしい人達から色々教わりながら、体験実習。

 

「……贅沢っぽいよなぁ」

 

 僕がこれを拒否する理由は三つ。一つは倫理観的な忌避感。理性が飛ぶほどの麻薬のような陶酔感。

 そして最後の一つは、これが贅沢のように感じてしまうからだ。

 

 喰種の場合は、人肉を食べないと殆ど生存することが出来ないらしい。

 

 逆に僕の場合、普通に大食いすれば、味はともかく生活できてしまうかも知れないのだ。

 

 僕のアイデンティティとして、やはり僕は人間なのだ。そう簡単に、喰種のものに馴染む事は出来ない。

 そもそも喰種は、人間の天敵だ。論調の強い新聞とかじゃないけど、ついこの間までは、駆除されてしかるべきという意識が、どこかにあったかもしれない。

 

 だから、試しにナイフを自分の手首に当てて見た。

 結果は知れてる。ナイフが「折れた」。

 

 その事実が、ますます僕が人間ではないと明言しているようで、気分が悪い。首筋も熱いし、ひょっとしたら体調不良とかもあるかもしれない。

 

「……とりあえず、ポカリと珈琲買いに行こう」

 

 今後、絶対大量に必要になってくる。

 いつも利用する例のコンビニに行って、予算的に買えるだけ買いに行った。

 

 なんとなく、家に置いておくのも怖かったので、肉パックをかばんに入れながら。

 

 途中、メガネのお兄さんが色々レクチャーしてくれたりもして、せっかくだからそれに合わせてみたりもした。

 

 そんな帰り道だった。

 

「……何だ、この香りは」

 

 ――食欲が、猛烈にそそられる。

 

 例えばそれは、記憶の古い古い先。初めて嗅ぐのにどこか懐かしいような。

 母の手料理のような、その匂い。

 

 気が付けば、珈琲片手に僕は探し出していた。

 

 この臭いはどこから来るのか。

 

 ――今の僕でも、食べられる何かがある。

 

 その確信こそが、僕の足を進ませる。

 

 

 でも、結局あったものは、絶望ただ一つ。

 

 

「ああ……、嗚呼……」

「……ん、どうしたんだ君?」

 

 

 路地の奥を潜って、前より更に一目に付かないその場所。

 そこに居たのは、喰種。

 

 倒れた人の肉を貪る、喰種。

 

「う……そ、だ」

 

 認めたくない。

 そんな、だって――死体の臭いに釣られてしまったなんて。

 

 僕の記憶にあるハンバーグの香りと、死体の臭いとを完全に混同してしまっただなんて。

 

 あんまりだ。あまりにも、あんまりだ。

 膝を付いて倒れる僕に、喰種のおじさんは心配そうな顔を向けた。

 

「大丈夫か? 腹、減ってんのか?

 俺、カズオって言うんだ。俺も久しぶりてあんまりやれねえけど――」

 

 口振りからして、彼は”あんていく”所属の喰種ではないんだろう。

 でも、こちらを気遣うその仕草は、完全に人間のそれと遜色ない。

 

 ふと、僕はバッグから店長から貰った肉を取り出した。

 

「あの、これ……、どうぞ」

「あ、ありがとう! いや、正直この人は好きじゃなかったんだけど、殺すほど嫌いじゃなかったからさ。切羽つまってたのは俺が悪いんだけど、いや、ありがとう――」

 

 これで無闇に、人を殺さないで済む!

 

 彼の一言を聞いて、僕は、完全に思考が真っ白になった。

 

 

 ――次の瞬間にその喰種、カズオさんの首から上が消失していたのだから。

 

「はいドーン。ったく、人の喰場で食事してんじゃねぇっての。いくら白鳩(ハト)が最近うようよしてるからって、見境なくなってんじゃねーのか?」

 

 さーて、後の邪魔者は。

 

「……なんだ、さっきのコンビニの。何だグールかよ。だから買い溜めてたのか。

 優しくして損したなぁ」

「あ、あ……あじは?」何を口走ってるんだ僕は。

「あ? ああ、ブロンディが美味いのは事実っしょ。ホットミルク流し込んで、甘めにするとまた格別」

 

 よくは分からないけれど、どうやらカフェラテは珈琲が混じってるからかイけるらしい。

 

「って、そんな話じゃねーよなぁ。……ここは俺の餌場なんだよ。入ってくんじゃねぇ」

「がッ!」

 

 霧嶋さんのそれと違い、可愛げが全くない持ち上げをして、僕を壁に叩き付ける彼。

 

「20区の喰種なら、そんくらい判ってんよなぁ?」

「な、何、を――」

「想像してみろ」

 

 僕が渡した肉パックをとり、齧り付きながら彼は言う。

 

「自分の恋人が滅茶苦茶にされて倒れてる。そこに知らない男が被いかぶさっていて、そいつは下半身丸出しで言うわけだ。『俺は何もしていない、偶然ここにいた』。

 ――俺じゃなくても、普通、殺すだろ?」

 

 口調の端々から、苛立っているのがわかる。

 

 そして、彼は拳を振り上げ――。

 

「――ここはリゼの喰場だったろ、クソニシキ」

「あん?」「!?」

 

 僕等の頭上から、聞き覚えのある声がした。

 そちらを向くと、霧嶋さんが居た。制服姿だ。バッグが手元にあるあたり、ちゃんと学校に戻って、その帰り道だったのか。

 

 飛び跳ね、スカートを押さえながら回転して着地する彼女。

 こうして見ると、確かに身体能力は人間のそれより上なんだろう。

 

「知ってんだよ。あの”大食い”女、死んだんだろ?」

「だったら管理が”あんていく(20区)”の管轄に移るってのも、アンタ知ってんだろ。下手に動いて捜査官に尻尾掴まれたら、元も子もないって――」

「ハァ~~?」

 

 メガネの彼は、酷く不快そうだ。

 

「日和った管理者連中共に、ゴチャゴチャ言われる筋合いねぇんだよ。

 元々ここは、俺の喰場だったんだよ。アイツが死んだら俺のもんだろ」

「リゼが奪った場所は、今まで食い散らかされた分、力の弱い奴に渡す。アンタもそれなりに食うし、目立つだろクソニシキ。あんた一人で決める事じゃない!

 第一、そもそもリゼにここ奪われたのだってリゼよりアンタが弱かったからだろ。

 恨むなら自分の非力さを恨めよ、バ~~カ!!」

「……クソ生意気なガキにコケにされるのって、俺、超ムカつくんだよなぁ? あぁ!」

 

 もはやメガネの彼は、僕からは興味を失ったらしい。

 僕を落して、霧嶋さんの方に近寄る。

 

 彼女はそんな彼を見つつ、ちらっと僕に目を合わせて、ぐいぐと顎をしゃくった。

 

 逃げろ。

 言外にそう言われいるのが分かってしまう。でも、同時に僕は首を左右に振る。さっきから、足腰に力が入らない。精神的に揺さぶられているのに加えて、きっと、本来動けるくらいの栄養が足りてないんだろう。

 

 舌打ちをすると、彼女は悪態を続ける。たぶん、彼の意識を僕からそらそうとしているんだろう。

 

 状況は血なまぐさく張り詰めてるのに、僕は、嗚呼、この子優しいんだなぁと、的外れなことを考えていた。

 

「……あっそ。私もさ。年上ってだけで偉そうにしてる馬鹿見ると、すっげぇムカつくわ――」

「――ほざけ!!!!」

 

 瞬間的に、彼の腰の辺りから「何か」が噴出したのを僕は見た。

 それが彼女の体を抉るように動いたことも。

 

 ただ、それ以上の速度で彼女は、彼と僕との間に割り込むような位置に移動していた。

 

「遅い」

 

 ぷしゃ、とメガネの彼の肩に今出来た、切り傷から血が迸る。

 それを余裕そうに鼻で笑う彼だったけど、

 

「……ッ、浅いんだよこんな――!」

 

 力んだ次の瞬間、体の要所要所、無数に抉られたように傷が出来ていた。たぶん、速度が速くて傷がくっついたままだったのだろう。

 

 まるで古い映画の日本刀の達人のようなそれに、僕は言葉が出ない。

 

「じゃ、次はもっと強めでいい?」

 

 見れば彼女の首筋から、わずかに黒い、例の羽根のようなものが出て居るような、出て居ないような。

 それが、彼女の両手の手刀に絡み付き、切断力を高めていることは明白だった。

 

「~~~~チッ、このクソ女!」

 

 一気に形成が逆転したように、一瞬蹲ってから彼は逃走した。

 

「……カズオさんの殺した分はともかく、二つも死体出しやがって。ヨモさんに処理頼むしかないか」

 

 とりあえず片付けるから死体持てるかモヤシ、と、機嫌が悪いのか僕を罵倒する霧嶋さん。

 僕は、まだ足腰に力が入らない。

 

「……何なんだよ、喰種って」

「?」

「ヒトは殺すし、仲間だって殺すし。……道徳や秩序は、どうなってんだよ」

「……少なくとも、店長はどうにかしたいって思ってる。だから”あんていく”がある」

 

 力なく呟く僕に、霧嶋さんは終始、冷淡な声で言う。

 

「その様子だと、アンタまだ肉、食えてないだろ」

「……踏ん切りが付かなくて。あと、困ってそうだからカズオさんにあげた」

「あん? ……チッ、ニシキのヤロー、そのまま持って帰ってんじゃねぇぞ」

 

 おやつ代わりって量じゃないのに、と彼女はため息一つ。

 

「じゃ食べな。持たないよ。昨日も言ったけど――店長から言われた事を、判断する力もなくなるから、アンタこのままだと」

「……」

「それでも踏ん切りが付かないって? なら――また、私が手伝ってやろっか」

 

 その言葉の意味が判らなくて、僕は顔を上げる。

 

 途端、半開きだった口に肉を押し込まれた。

 

 瞬間的に、再び駆け巡る感覚。

 吐きそうになる僕を、ヘッドロックの要領で顎ごと押さえる彼女。

 

 どうしても、嗚呼、どうしても喰わなければならないのか、僕は。

 

 嗚呼、僕は、どうしても、喰わなければならないというのかこれを。

 

 憔悴しながらも飲み込んだ僕に、彼女は腕を離して言う。

 

「どうしたの。食えよ」

「……」

「喰えって言ってるんだよ、もやし野郎!」

 

 ドン、と僕の顔面の横を通して、背後の壁を蹴る彼女。

 睨む視線は、やっぱり、どこか強い。

 

「自覚してるんだろ。喰種の飢えは地獄だから。……そんなに人間気取りたいなら、一回、限界まで飢えればいい」

 

 ただ、それでも。

 どうしても、僕は彼女の言葉が、痛かった。

 

 痛々しかった。

 

 殴られた痛さとかじゃなくて、ただただ、何と言ったら良いのか。

 

「……霧嶋さん、優しいよね」

「…………ッ、は、はぁ?」

 

 一瞬、戸惑ったような間のあった霧嶋さん。

 自覚はないのかもしれないけれど、でも、普通ここまではしない。

 

 昨日のアレだって、考えて見れば見ず知らずの相手に、ああいうことをするのだ。ある意味、人工呼吸にも通じる精神が必要になってくるはずだ。

 

 だったらば。

 

「僕は、たぶん、簡単にはこの調子は変えられないと思う。いつか慣れなきゃいけないんだとしても」

「じゃ死ねば?」

「そうじゃなくってさ。……だからさ。”あんていく”の喰種たちのルール。三つあったよね。

 人を殺して食べない。人間社会で生きて行く。そして――喰種同士、助け合う」

「……」

「こうも言ってたよね。”あんていく”の喰種は、人間が大好きなんだって」

 

 だったら、きっと。

 

 

 

「それなら……、霧嶋さんたちも、たぶん、僕みたいなことを感じたりする時が、あるんじゃないのかな、と思って。人を食べることが、どうしようもなく辛いというか、感情がうねる時が、あるのかなぁって」

 

 

 

 その僕の一言に、彼女は言葉を返さなかった。

 彼女は、脚を離して、数歩下がるばかり。

 

 僕が顔を上げると――彼女は、どうしてか目元が震えていた。

 

「……死ねッ」

 

 僕に背を向けて、目元を腕で拭う霧嶋さん。

 

「あ、あれ、大丈夫?」

「死ねって言ってんだろ!」

 

 取り付く島もない。

 ただ、振りかえって睨むその涙目は、拭ったせいか赤くて、同時に何かを堪えるようにも見えて。

 

 やっぱりそうなのかなと思って、僕は、ふっと全身から力が抜けた。

 

「……はぁ? ちょ、ちょっと待てよアンタ――何、熱!? 意味わかんない、ああもうッ

 ヨモさん来るまで深夜までかかるし――」

 

 霧嶋さんが何かを繰り返して言っていたのが聞こえたけど、段々とそれも薄れて、僕の意識は、熱に浮かされた。

 

 

 




※トーカちゃんが泣いた理由は、金木の思ったのとは多少違う理由です


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#004 帰巣/欺瞞/赫子/羽化

本作のカネキは一生トーカに頭が上がらないと思う


 

 

 

 深い記憶の底。料理を作る母さんの後ろ姿が見える。

 かちゃかちゃとキッチンで何かを作っているような、そんな食器のこすれる音。

 

「……?」

 

 そんな音に揺られて、僕は目を覚ました。額には、熱冷ましのシート。

 

 剥がして起き上がり、周囲を見回す。

 ここは何処だろう。ちょっとファンシーな色合い。ウサギの縫いぐるみに……、仮面?

 

――パチリ、と電気がつけられる。

 

「起きた、か……」

「霧嶋さん?」

「熱下がった?」

「あ、それは、たぶん大丈夫」

 

 制服姿の上からエプロンを着て、半眼の霧嶋さん。ちなみに結構似合ってる。

 扉向こうから漂う臭いは食欲をそそり、同時にある疑問が浮かんだ。

 

「……ここって?」

「……私の家。団地」

 

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 でも時間が経過して、段々と頭が追いついて行く。顔が熱い。昨日とは別な意味で熱い。

 霧嶋さんの見て来る目も、この間の以上に迫力があった。

 

「ベッドの臭いとか嗅いだり、変なことしたら殺すから」

「えっと、どうして僕は、霧嶋さんの家に? お店とかじゃなくて」

「時間的に閉まってたのと、何度も迷惑かけらんないだろ。常識的に考えて。

 本当はヨモさん来てからする予定だったけど、あのままアンタ放置しておけないじゃん」

「…………ありがと」

 

 素直にお礼を言うと、鼻で笑って僕を引き起こした。

 リビングには、ハンバーグのようなものと、丼一つ。

 

「たぶん喰えるだろ。……言っとくけど味は保障しないから」

「あ、あはは……。ごめん」

「とっとと食え。人様に作らせたもん、残すんじゃねぇ」

「……じゃあ、お言葉に甘えまして」

 

 僕の方は真っ赤に染まった御粥、というのが適切な表現か。浮かぶものは米粒みたいだから、ひょっとしたら「両方の」食材を使ってくれたのかもしれない。

 

 味は正直、よく分かんない。

 大体、喰種の食事は味覚より恍惚感に支配されているところが大きいので、お米の粒の駄目になってる香りとかも全然感じないくらいだった。

 

「霧嶋さん、これから学校?」

「当たり前。アンタは?」

「僕は……、うーん、どうしよう」

「アンタこそ大学行けッ。私に勉強教えるどころじゃなくなるだろ」

「う、うん……」

「あと、寝てる間スマホが五月蝿かったから」

 

 それだけ言って、彼女はお皿を洗いに行く。「食べ終わったら持って来い」とだけ言われ、僕もテレビを付けて、ニュースを見ながら食べた。

 

 朝の天気予報。簡単なニュース。特集企画など色々あったけど、昨日のことは報道されていないらしい。

 

 丼を下げて、彼女の背中をなんとなく観察する。

 

「……やり辛いから、見んな」

 

 凄い顔で睨まれた。

 と、そんな時に入り口のベルが鳴る。「あぁ!?」と驚いた声を上げて、彼女はインターホンに出る。

 

「依子、ちょっと待ってて」

 

 ぱたぱたと扉の向こうに行く霧嶋さん。入り口の方から「昨日全然連絡しても出てくれなかったじゃん!」とか、色々親しげな会話が聞こえる。

 

「……? ってことは、ひょっとして僕、看病されてた?」

 

「あれ、トーカちゃんこの靴……? アヤト君の?」

「いや、そうじゃなくって……」

 

 丁度そのタイミングで、霧嶋さんの部屋でスマホが鳴り響く。

 

「って、あれ、僕の――あっ」

 

 一歩踏み出して、しまったと思う。霧嶋さんが、ものすんごい顔でこっちを見ていたのと、彼女の友達っぽい、ふわふわした感じの子が僕を見て、赤くなりながらびっくりしていた。

 

「え、え、え? トーカちゃん?

 あれうそうそ、邪魔しちゃった!? 私、あ、え、えっと、初めまして!」

「違うから! ちょっと、依子!?」

「あ、うん大丈夫! 秘密にするから、じゃあ、その、えっと、遅刻しない程度にごゆっくいり~~!」

 

 きゃーと叫びながら疾走する女の子。

 何を勘違いしてるのかと思ったけど、第三者なら確かに言い逃れ出来ないかとも思った。

 

「……どーすんだよ、これ」

 

 胡乱に睨んでくる彼女が怖い。

 

 結局こと事は、彼女が何か思い付いた時に清算することとなった。

 

「大事にしなよ、友達は」

「……アンタに言われるまでもないから」

 

 そう言う彼女はやっぱり不機嫌そうだったけど、でも、こころなしかほころんでいるようにも思った。

 

 

 霧嶋さんの家を彼女から少し時間が経ってから離れ(一緒に出ていくと目撃者が増えるとのことで)、僕はスマホを確認した。

 

「……ヒデか」

 

 何件かメールが来てる。代返は頼んでないけど、ノートはきちんと取ってくれているらしい。

 「写さんの?」という疑問文に返信して、待ち合わせ場所のメールを向こうに送った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「カネキ――――! てめぇどんだけサボってんだこのヤロ、俺の東洋史での孤軍奮闘っぷり聞くかオラ、あ? ウサギは孤独で死ぬんだぞ、あと何だその眼帯、おしゃれさんか!」

「……ちょっとね。熱っぽいし。あと、ウサギのそれは迷信」

 

 いつもの調子のヒデに、どこか僕は一時現実を忘れる事が出来る。

 物理的なものじゃないんだけど、こういうのも家に帰って来たって表現するんだろうか。

 

 学園祭の実行委員に話しかけられたり(ヒデはこういうのが好きだ)した時も、僕の微妙な反応を見てペラを回して回避してくれたり。後で「西尾」というらしい先輩から去年のDVDを貰っておけと言われて、僕等はそちらへ向かう。

 

 道中、食事中のカップルが見える。ランチじゃなくておやつの時間帯だからか、軽めのアイスなどを食べていた。

 

「お前さ。ちゃんとメシ食べてるか? 顔色ヤバいぜ?」

「……今朝は、一応」

 

 ヒデは昔から勘が鋭くて、一歩先で僕を気遣ってくれる。

 

 ただ、もしも。

 いつか僕が本当に喰種になったことを知られてしまったら――こんな風に一緒に歩くことも、もうなくなってしまうんだろうか。

 

「……ヒデ、缶コーヒーで美味しいのって何かあったっけ?」

「お? 珍しいなぁ。お前午○ティー派じゃなかったか?」

「最近ちょっとね」

 

 それとなく事実から意識を逸らしながら、僕は現実逃避しつつ歩いた。

 

 着いた先はサークル棟の1F。

 

「あー、ここだな。ちょっと待ってろ」

 

 ノックもなしに扉を開けるヒデ。と、半裸の女の先輩が、絶叫しながら飛び出してきた。

 僕もヒデも目が点というか、言葉が出ない。

 

「……永近。俺、自分のテリトリー荒らされるの何より大嫌いなんだけど、ノックくらいできねーのか? 先輩に対する礼儀とか以前に、マナー違反だろ。就活で死ぬぞ」

「す、すみません返す言葉もないっす」

「返事だけいい奴居るんだよなぁ。お前、声量と滑舌の良さでどうにかできるって思ってないか?」

 

 僕としても返す言葉もない。

 と思っていたら、部屋全体から珈琲の香り。気のせいじゃなければ、カフェラテか。

 

 そして、西尾というらしい先輩と目が合って、気付いた。

 

「「――っ」」

 

 お互いに。

 

 彼は、言った。「人間だったら喰った」と。「テリトリーに入ってくるな」と。そして、「俺じゃなくても殺してる」と。

 メガネを掛けた男性は、間違いなく僕を嬲った彼に違いない。

 

「そっちの、お前のツレ?」

「あ、はい! カネキって言います。ガキの頃からダチで――」

「……そっか、カネキか」

 

 いっそ獰猛なくらい牙を見せて、彼は僕に笑いかけた。

 

「西尾 錦。よろしくな、カネキクン」

 

 僕は、固まったまま反応を返せなかった。

 彼は獰猛な表情をしまいこみ、気の良い先輩を装うような表情に切り替える。

 

「あー、ディスク家だな。そうだ、面倒だから――『今から取りに来いよ』」

「近いんすか? 先輩ん家」

「遠くもねーってくらいだな。ああ」

 

 ちらりと僕を一瞬見て、にやりと笑う西尾先輩。

 わかる。彼が何を言わんとしてるのか。これは表面的な演技で、同時にこうして「餌」を誘い出しているわけだ。

 

 僕は、彼の残虐性を知っている。

 ヒデを一人で行かせるわけにはいかない。

 

「……僕も行って良いですか? その、リハビリがてらに」

「あん? 君、入院とかしてたわけ」

「この間まで、ちょっと」

「ふぅん……」

「いやカネキ、お前病み上がりなんだからよ。それにほら、お前エロトークとか出来んのか? ただでさえ初対面の相手には――」

「別にいいぞ? 家に上げるわけでもないし」

 

 表面上は軽く快諾する西尾先輩。

 裏では何を考えているか、わかったもんじゃない。

 

 霧嶋さん……、何だかあの子が「トーカちゃん」って呼んでたのがしっくりくるから、僕もそう呼ぼうか。ともかく、トーカちゃんと戦っていた時のアレを見ている以上、手放しに良かったとは思えない自分がいる。

 

 しかし、どうしてこう僕等の周りには……。いや、逆か。気付いていなかっただけ。

 

 むしろ、喰種の世界に迷い込んだのは、僕の方なんだろう。

 

 

 

   ※

  

 

 

 道中、特に何もなくて拍子抜けしそうになる。ただ、それとは別に驚かされたところもある。

 西尾先輩の提案で鯛焼きを買ったりした時などは、それこそびっくりした。

 

 僕は口の中に、店長から貰った角砂糖状の「何か」を入れた上で食べて、ぎりぎり何とかなったけど、西尾先輩は特に気にするでもなく、楽々飲み込んでいた。

 

 これは、演技か何かなのだろうか。

 

 少なくとも、僕のようなケースでない限り、喰種は人間以外は受け付けないはずだ。

 

「先輩。委員会とか好きなんスか?」

「別に? ただなぁ永近。こういうのやってりゃ人脈って広がるだろ?

 少なくとも俺等の大学くらいだったら、横の繋がり増やしてけば卒業後便利に決まってるだろ常識的に考えて」

「け、計算高いっすね」

 

 この人は人間社会に溶け込んでいる。まるで本当に、普通の大学生みたいに。

 ヒデも、大学の誰も彼が喰種とは気付かないと思う。僕だってこの間、コンビニでやりとりした時点では気付けなかったくらいだ。

 

「自分の人生くらい計算できない奴が、ロクな人生送れもしないだろ」

 

 ただ、ここまで完璧に人間を演じきる彼を、純粋に凄いと思った。

 僕が喰種だったら、ここまで完璧にこなせるだろうか。

 

 ガーゼで覆われた、トーカちゃんにやられた傷跡をさすりながら(治りが遅いのかな?)、僕等を誘導する先輩。

 

「そこの付き当たり行ったとこだから」

「了解っす。……って、あれ?」

 

 

 着いた先は――行き止まり。

 

 

 そして、先輩蹴りがヒデを壁際までぶっ飛ばした。

 

「ヒデッ!」

「はっ」

 

 鼻で僕を笑いながら持ち上げ、西尾先輩は獰猛に笑う。予想していた展開と言えば予想していた展開ではあったけど、さて、どうしたものか。

 締め上げられる首の感覚で意識を朦朧とさせながら、それでも僕は思考する。

 

「まさか同じキャンパスに居るとはなぁ。……しかも何だ、てめぇ。女の喰種みたいなニオイさせやがって」

 

 きっとそれは、リゼさんの臓器だ。

 

「ていうか、こんなに近かったのに何でお前のこと気付かなかったんだろうな。

 ……あ? 永近のこと心配か? わかるぜ。お前の『餌』だもんな」

「――ッ!」

 

 その言葉は、僕にとって許容外のものだった。

 

「わかるぜ? 自分を信じきった奴を裏切った時のあの顔。浮かび上がる苦悶の表情。

 ……間抜けな奴の絶望的な表情が、一番そそるもんなぁ」

 

 お前もそうなんだろ――。

 

 続く彼の言葉に、僕は、歯軋りをして彼を睨む。

 

「僕は――喰種じゃない」

「じゃ何だよ、お前」

 

 彼の蹴りが、僕の鳩尾を抉る。

 

「トーカにも言ったけどよぉ。年下のクソガキに舐めた口効かれるのが一番ムカツクんだよ。

 てか、お前の体脆すぎ。豆腐みてーだ。ちゃんと喰ってるのか?」

 

 言いながら、先輩は喉に手を突っ込み、吐き出す。

 何をと言えば、決まってる。さっき食べたタイヤキだろう。

 

「人間てのはよく、こんな馬のクソみてーなの喰えるよなぁ」

 

 その感想は如何なものだろう。食べた事あるのかな、馬のクソ。

 ただ、本人曰くのそれをヒデに吹きかけるのだけは止めろ。

 

「悪いなぁカネキ、お前の喰いモン汚しちまったわ」

「……ヒデは、友達だ」

「友達”ごっこ”だろ? 俺等にとっちゃ、人間は家畜と一緒だ」

「ごっこじゃない」

「だとしても、コイツは止めとけ。カンが鋭いぜ? 色々とやり難いぞ」

 

 確かにヒデは鋭いけれど。それは長い付き合いの僕だから感じると思っていたのだけれど、まさか他人もそう思ってるとは。密かな衝撃を受けている僕の眼帯を外して、また持ち上げる。

 

「そんな眼帯なんかで隠して、眼のコントロールできねぇのか? んなんじゃすぐバレるだろ。

 おら立て。それともあっちから殺るか?」

「――ッ」

「上等。でも、お前なんかじゃ無理か」

 

 殴りかかる僕に、いやらしい笑みを浮かべ、眼を変質させて西尾先輩は嗤った。

 ヒデと反対方向に飛ばされる僕。あまりに軽々と。片手間に。

 

 こんなの、勝てるわけないじゃないか。

 トーカちゃんは、こんなの相手に出来るくらい――。

 

 

 ――嗚呼、空腹だ。お腹空いたな。

 

「ちょっと遊びすぎて赫子出ちまったじゃねぇか。……あん? 何だ永近。タヌキ寝入りか無意識か」

 

 倒れている僕の位置から、微妙に確認できたのは。ヒデの投げ出されていた足が、わずかに動いて先輩にぶつかったことだけ。

 

「まどっちでも良いか。お前は後で味わうことにするよ――」

 

 

 西尾先輩のその言葉に、僕の中の時間が止まる。

 脳裏を駆け巡る思い出。記憶。母親を亡くした後、ずっと一人だった僕に手を差し伸べてくれたヒデ。

 クラスに馴染めてない僕を気遣い、小学校も、中学校も、高校も大学も、ずっと、ずっと一緒に友達で居てくれたヒデ。

 

 無意識なのかどうかなんて、関係ない。ヒデはまた、僕を助けようとしてくれた。

 

 ヒデが。

 

 ころされるのは――。

 

 

 

 

 ――そんなのゆるせない。

 

 

 

 不意に、僕は立ち上がっていた。

 背中から「何かが」這い出る感覚がある。

 

 それを、あらん限りの力で西尾先輩の方に飛ばす。

 

「ッ! 何だそりゃ――」

 

 知らない。知りたくもない。

 

 ただそうであっても、今この時、僕の中から出てきたものは間違いなく僕の味方だった。

 

 全身の筋肉が、普段の自分のそれと大きく外れる。何かのリミッターが壊れるような感覚と共に、僕の体は弾丸のように先輩に接近。

 

 そして、衝動に任せるまま「三本の爪」のようなそれを、先輩の腹部にぶつけ――貫通した。

 

「ぎゃ……あ! 止めろ止めろ馬鹿!

 死ぬ死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

 

 僕とて満身創痍だ。与えられた攻撃はその一撃だけ。

 ぐらりとふらつき、引き抜く。先輩は悪態を付いて意識を失った。

 

「ヒデ――ッ!」

 

 

 倒れたヒデの方に足を進めようとして、僕の全身は、焼かれる様な衝動に襲われた。

 何だこれ。

 

 

『どう? 食欲をそそるこの芳ばしい香り――』

――止めろ。

 

『ほら、彼をよく見て?』

――止めろ。

 

『ほら……、ほらほら、見て嗅いで、見て視て観て!』

――止めてくれ。

 

『あら、せっかくのチャンスなのに。勿体ない』

――だってほら、こんなに。

 

 

 

 

 

――『美味しそうな肉じゃないか(ステキなごちそうじゃない)』。

 

 

 

 

 頭痛が僕を支配する。

 もう、自分が何を言ってるかもよくわからない。

 

 これが、トーカちゃんが言ってたことか。たぶん先輩にやられた分のダメージで、ちゃんと食べていたのが全部消費されて、エネルギーが足りてないせいだろう。

 

 

 そんな僕の目の前に、女の子が降って来た。

 

 

「『……あら、退きなさいよ。お腹空いてるの』」

「……リゼ? いや、んなわけないか。

 らしくなってんじゃん、カネキ」

 

 激痛と空腹で理性が飛んで、死にたいくらい苦しくて。

 

「そこから解放されるためには、何だってしようとして。……友達だって食べて、その後に後悔して」

 

 ヒトに友達大事にしろとか言っておいて、自分がそれじゃ世話ないわね。

 彼女が何を言ってるか、僕にはわからない。聞こえていても、頭が処理できていない。

 

「……ホントうんざりする。今回ばかりはアンタ悪くなかったし、同情したげるけど」

 

 言いながら、彼女は背中から「翼」のような何かを出現させ。

 

 

 

――次の瞬間、僕の腹に「何か」を装着した。

 

 

 

「あ――ッ」

 

 そして、僕にとっての拷問が始まる。

 激痛だ。激痛だ。全身の血管に針金を通されるような。毛穴と言う毛穴にえんぴつをぶち込まれるような。

 

 背中から出ていたものが、腰のそれに集中し、その痛みを加速させる。

 

 

ドライバー(そのバックル)は、付けた喰種のRC細胞の活動を、強く封じる効果がある。強大な喰種を封じる為に作られた装置……、まあそれでも、やろうと思えば逆らうことは出来るんだけど」

 

 今みたいに理性飛んでたら、通常の倍は痛いんじゃないの。

 

 わずかに彼女の言ってる事が分かるくらい、頭がまた回ってきた。

 

「まるで拷問だろ。でも、耐えろ。

 その先に、自分が戻ってくるなら――」

 

 震える手は、彼女を押しのけようとする。

 トーカちゃんをぶっ飛ばして、ヒデ(ごちそう)目掛けて一歩踏み出そうと。

 

 ただ、そんな僕の両肩を掴んで、彼女は叫ぶ。

 

「――カネキ!」

「――うぇッ」

 

 口から血を吐き出し、今度こそ僕は立って居られなかった。

 食欲も、痛みも、どんどん引いて来る。それと同時に五感が遠退いていき、ああ、僕はこのまま死ぬんだろうと、直感的に理解した。

 

「やりゃ出来んじゃん」

 

 ただそれでも、トーカちゃんはにっと僕を見下ろして笑った。

 どこか温かみがあるものに見えたのは、たぶん、錯覚だ。

 

「……たく。その調子じゃまた喰えないだろ。今回はツケないでいたげるから、感謝しな」

 

 トーカちゃんは何かを口に含み、咀嚼して。

 僕の体を抱き起こし、彼女の顔が近づき――。

 

 

 

   ※

  

 

 

 気が付くと、天井を見ていた。

 整頓された部屋。ソファに寝かされている僕。

 

 起き上がって布団が捲れると、僕の腰には、店長(仮面ライダー)が巻いていたものと同じ系統のものが装着されていた。中央に黒い目玉のようなものがある。僕視点で右手の側にレバーのようなものがついている。

 

「――目が覚めたかい?」

「店長」

 

 ふと、芳村さんが、僕に優しげに笑いかける。

 

「ここは”あんていく”の2Fだよ。トーカちゃん達が運んでくれたんだ」

「……? あー …… ――ッ! ひ、ヒデは!? あの、僕の友達がいませんでしたか?」

 

 付いて来なさい、と彼は僕を導く。

 別な部屋で寝かされているヒデ。僕よりも包帯とかが多く巻かれているのは、きっと、僕よりも重症だったからで。

 

 そこで、僕はある事実に気付いた。

 

「……店長。この口についてる血って」

「”飢え”を癒す術は一つ。回復するための術もね。わかっているだろう」

 

 店長は、何一つオブラートに包む事はなかった。

 

「自分が何者であるか。一度、考えてみなさい」

「……僕は、友達を傷つけたくないです」

 

 でも、今回のことではっきりした。あんな状況になったとはいえ、一瞬でも友達を食糧だと捉えてしまった。

 本当に、本当に大切な友人である彼を。

 

「僕はもう、人間の世界に戻っちゃいけない。でも、きっと喰種の世界にだって生きられない」

「だが――」

 

 店長は、僕が言おうとした言葉に重ねて、続けた。

 

「――同時に君は、両方の世界に同時に立てる、只一人なんだよ」

 

 その言葉は、気休めのようなものではあったけど。

 でも同時に、どこか僕の頭をクリアにしてくれた。

 

「シフトは、後で古間君に聞きなさい。君にこれから、”私達”の生き方を教えよう。

 人間の世界でまた生きる為に、きっと必要になる」

「……店長」

「それから……、ほんの少しでも良い。君に、私達のことも知って欲しい。我々が只の、飢えに狂う獣なのか。それとも話し合える知性を持った何かなのかを」

 

 優しく微笑む店長は、堕ちて行く僕の思考に、僕だけでは考えられない活路を見出してくれた。

 

 でもだから、僕は衝動的に聞いた。

 

「――僕は、孤独(ひとり)じゃないんでしょうか」

 

 目元から、熱いものが零れる。

 居場所なんてない。そう思っていた僕に、示された世界。

 

「それを決めるのは、君だよ。

 さあ、珈琲を入れる練習をもっとしようか。この間はまだ中途半端だったしね」

 

 優しげに言ってくる彼の言葉に、僕は、もう、どうしようもなくなって。

 それでも、何か、悲劇ではない何かに縋りたくて仕方がなくって。

 

 だから――僕は、一歩踏み出した。

 

 

 




ドライブのサプライズフューチャー、帰りに見て来て面白かったぜー、ひゃっはー!
そんなテンションでこんな鬱屈した話を書くと言うね。何でしょうかねこの日常

ようやく出てきた変身ベルト。デザインイメージは、バースドライバー+縦回転メテオドライバーみたいなもんです。


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#005 懐古/仮面

ノーモア、大仏マスク


 

 

 

 

「さ、サンドウィッチ……?」

「喰種としてのレッスンだ。やって見せよう」

 

 お店で正式にシフトに入る前。

 店長は僕の目の前で、それを実践してくれた。

 

 レタスチーズサンドを手に取り、かじりつく。

 

 数度咀嚼しながら頷きつつ、飲み込む。

 

「……すごく美味しそうに見えます」

「じゃあ、やってみたまえ」

 

 ちなみに僕が食べた際のリアクションは、ちょっと省く。……トーカちゃんが大爆笑していたというだけで、自ずと結果は知れるだろう。

 

「普通にマズいじゃ駄目なのかよ……ッ、しかもそれでも飲み込んでるし……、くくっ」

「ふふ。なかなか表現に富んでるね。

 ……コツとしては、食べる、のではなく飲み込むこと」

 

 口内全体に不味さが広がるより先に飲み込む。咀嚼はふりで10回前後。

 あとは演技を表情付けをするらしい。

 

 それが一番難しそうだと、直感的に僕は思った。

 

「練習すれば、いずれ友人と食事もまた出来るようになるだろう。味は、保障しないがね」

「……頑張ります」

 

 でも、その一言だけで力が入るあたり、我ながら結構現金だった。

 

「私、先に行ってます」

「じゃあ、しばらく練習しようか。本当なら吐き出した方が我々は健康的なんだけれど、君はおそらく大丈夫だからね」

「お、お願いします……」

 

 もっとも、その練習も十分前後くらいしか持たなかったのだけれど。

 でも店長は「初めてにしては進歩したね」と笑ってくれた。

 

 下の階に下りる前、僕はあることを聞いて見た。

 

「……ところで店長。このバックルって、一体何なんですか?」

「クインケドライバー。……ある種類の"喰種"の能力を押さえ込む為に開発された、CCGの道具だ。

 もっとも採用はされなかったようだけどね」

「へ?」

「君も見たろう? 私の変身した姿を」

 

 脳裏に蘇る、リゼさんと仮面ライダーとの戦い。

 

「装着するだけで、我々は赫子の元となるRC細胞の活動を、著しく押さえられてしまう。

 だが代わりに、その状況を精神力で克服すれば、普通の喰種ではありえない力を身に付けることが出来るようになる。まあ、普通はやりたがらないけれどね」

 

 当面、食欲が押さえ込めないような時はそれを装着なさい。

 そのアドバイスは、ある意味僕にとって救いのようでもあった。

 

「ただし――同時に、角砂糖状のものか、必ず肉を食する事。押さえているだけであって、なくなったわけではない。肉体が渇望している以上は先延ばしにしかならないことを、忘れてはいけないよ」

「……はい」

 

 同時に釘を刺され、僕は少し肩を落した。

 

 

 下の階に下りると、トーカちゃんが僕を面倒そうな顔して手招き。

 

「お、おう! カネキィ! 暇だから遊びに来てやったぜ!」

「ヒデ! 東洋史のレポートどうしたんだよ」

「終わってないぜ☆ ってか、ずっと休んでたお前が終わってるって方がおかしいんだっての!」

 

 ツッコミを入れるヒデに、僕は少し胸が軽くなったような錯覚をした。

 ああ、これが日常だ。僕とヒデがいる、平和な日常。

 

 ただトーカちゃんが「頭良いのか?」みたいな目を向けて来るけど、それには肩を竦めておく。

 実際問題、精神的に鬱屈していたから、現実逃避がてらノートの写しを見て、ずっとレポートしていただけだ。

 

 カプチーノをトーカちゃんに頼んで、ヒデはそれとなく僕に話しかける。

 

「さっき霧嶋さんにお礼言っておいたけど、お前も言っておけよ」

「?」

「アレだよ、アレ。『車の事故』に巻き困れて、俺等大変だったって話しじゃん。西尾先輩まだ入院中らしいけど、俺達は霧嶋さんが看病してくれたって話しだしさ」

「あ、うん。……わかってるよ」

 

 カバーの情報を信じ込んでるように、ヒデは僕にそう言う。

 事故のことは覚えてないと言う彼の言葉を、どこまで信じていいものか――いや、駄目だ。だって、ヒデは友達なんだから。

 

 友達の言ってることを信じられないようじゃ、僕の人生はたぶん真っ暗だ。

 

 出来上がったらしいので取りに行くと、変な顔したウサギだか猫だかわからない絵をクリームに描きながら、トーカちゃんは続けた。

 

「バレないようにしろよ、あのツンツン頭。店長が何考えてるかわかんないけど、本当はあんなの、あり得ないから」

 

 人間を看病することは、イコールで喰種(ぼくら)にとって大きなリスクでもある。

 

 それを示しながら、彼女は僕の目を見る。

 

「もしアイツ気付いたら――その時は殺すから」

「……あの、依子ちゃんみたいに?」

 

 一瞬、その手が僕の首に伸びかけて、しかし場所を思い出したのか彼女は躊躇した。

 

「妥協してくれてるっていうのは、わかるよ。ただ……、ね」

「……アンタに致命傷を負わされたニシキが、アンタらを襲わない保障なんてないのに」

「その時は、僕が命に変えてもヒデを守るよ。

 まあ、ちょっとまだ弱いけどさ。……それくらい責任が、持てるようにはならないと」

「……チッ」

 

 舌打ちをして、トーカちゃんは僕から顔を背ける。

 

「…………なんで、こーゆーとこばっか似てるのか」

「?」

「なんでもない。ほら、持ってって」

 

 突き出された珈琲カップを、僕は慣れない手つきで運んだ。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 人生初のアルバイト生活だったけど、やっぱりというべきか、慣れない。

 もちろん労働が初めてっていうこともあるけど、それ以上にこれが文字通り、僕の生活に直結しているのだ。人間として生きるため、喰種として隠れるため双方に。

 

 だからこそ、働いてる緊張感はそこそこ出てしまうわけで。

 ……逆に大学の講義が、想像の倍以上はかどるのは想定外だった。

 

 霧嶋さんの勉強を見はじめると、普通に彼女も勉強はできると思った。ただ公式を覚えたりするのが苦手な気がする。

 読解力は、たぶん人並み以上。

 僕の高校時代の成績より良いかもしれない。

 

「はい、いらっしゃいませ!」

「あら、新人さん?」

 

 そんなことを考えながら食器を洗ってると、親子が来店してきた。

 綺麗なお母さんと、可愛い女の子。十二、三歳くらいだろうか。

 

「笛口です。ほら、雛実(ヒナミ)も挨拶なさい?」

「あっ! ……、こんにちわ」

「こんにちわ、ヒナミちゃん」

「……ッ」

 

 顔を赤くして、お母さんの背中に隠れる女の子。

 人見知りがちょっと激しいかな。

 

「――あ、リョーコさんにヒナミ! いらっしゃい。店長二階で待ってます」

「あらトーカちゃん。じゃあ、行くわね」

 

 あんていくの奥へ進む二人。それを見れば、嫌でもその素姓に想像が付く。

 

「……店内で話したりしないの? お客さんなのに」

「……へぇ、勘は悪くないじゃん。でも、”荷物”受け取りに来ただけだし」

「荷物? って、えっと、たぶんだけど……」

「……そ。アンタや、アタシらと一緒。狩れないから、自分で」

 

 トーカちゃんの場合は、あんていくに所属してるからという意味で。

 僕の場合は、倫理的にもそれが許さないし、そもそも出来っこないしやる気もないから。

 

 なのに、それはどういうことだろう。

 

「何か決まりとかあるのかな。他にも。女性限定で駄目だとか、色々」

「ぴょんぴょんうっさいんだよッ、知りたきゃ直接聞け!」

 

 その表現は如何なものだろう。

 

「そーゆー喰種もいるって、そんだけ。メンドクセーなッ」

 

 それだけ言うと、トーカちゃんは足早に進んで行く。

 

「……ヒトを”狩れない”喰種?」

 

 その言葉は、どうしてか僕の頭にこびりつくように残った。

 

 

 

   ※

 

  

 

「えっと、マスクですか?」

「そう。仮面だね。君もそろそろ一つ持って居た方が良いだろう」

「それって……」

 

 なんとなくだけど、脳裏に過ぎる「仮面ライダー」の文字。

 あの夜、姿を変えた店長の顔には、フクロウのような、あるいは哲学者のような仮面が装着されていた。

 

「トーカちゃん。次の休みに、カネキ君のマスク作りに付きあってあげてくれないかな」

「は、はぁ!? なんで私が休日に、こんな奴と!」

 

 照れ隠しとかじゃない。凄い嫌がりようだ。好かれる様なことをした覚えも無いし、印象が最悪である自覚もあるけどさ。

 

 ところが店長は「その休日に勉強を見てもらったりしていないかい?」と切り替えして、ぐぬぬぬ、と彼女の口を封じたりしている。

 

「カネキ君一人じゃ迷子になるかもしれないし、ウタ君と二人きりじゃ、慣れてないと怖がっちゃうでしょ」

「……た、確かに私も最初はヨモさんと一緒でしたけど。でもまだマスクなんて必要は――」

「四方君からの情報だ。捜査官が二人、20区(ウチ)で目撃されたらしい」

「「――ッ」」

 

 僕とトーカちゃんは、息を呑んだ。

 喰種捜査官。小説やテレビでも取り上げられたりする、喰種専門の対処を担当する捜査官だ。無論それには、喰種殲滅という任務も含まれているはず。

 

「万が一を考えれば、すぐにでもあった方が良いしね。頼むよ」

「……おい、クソ野郎」

 

 僕の方をじろりと睨んで、というか、ホラー映画じみた笑顔を浮かべて言う。

 

「土曜午後4時半に、新宿東口。

 遅刻したらぶっ殺すから」

 

 とてもじゃないが、まともな反応が返せなかった。

 

 

 

 

 そんなことがあって、今日こそがその土曜日。

 時間は既に、一時間くらい遅れてる。

 

「……何かあったかな?」

 

 純粋に心配になる。店長があんなことを言った以上、警戒してしかるべきだろう。まあ警戒した所で、僕が役立つかはまた別な話なんだけど。

 

 と思ったら、ごん、と尻を蹴られる。

 

 倒れるくらい強くやられたので、普通に倒れる。生憎と普通、文系の学生は貧弱なのだ。

 

「「……」」

 

 軽く睨み付けられる。そして僕も言葉が出ない。

 

「……の、飲む?」「……お、おう」

 

 ミネラルウォーターを手渡したら、不承不承という感じでもらってくれた。

 ともかく、無事で何より。

 

 歩き飲みしながら、道中の彼女はひたすら無言だった。僕の方も気の利いた会話をできるだけのコミュ力もないのだけれど。

 

 しかし……、こうして見ると、私服が新鮮だ。

 ヒデじゃないけど、元々彼女は可愛いのだ。ちょっと年下ではあるけど、多少はドギマギしそうになる。

 そして、こうして見てると、とてもじゃないが喰種だとは思えない。

 

 普通の、可愛い女の子って感じだ。

 

「……何?」

「へ? あ、えっと……、今日どうしたのかなって」

「アンタに関係あんの、それ」

 

 凄まれても困る。

 

「一応、店長も言ってたしさ。物騒じゃん、だから何かあったのかなーと、心配してたんだけど……」

 

 一応本当のことを言うと、彼女は顔を背けながらも口にはしてくれた。

 

「……友達と、遊んでた」

「友達ね」たぶんあの子だろう。

「カラオケボックスに、あれほど水が頼めることを感謝したこともなかった」

「あはは……。ちょっと、延長したのかな、じゃあ」

「ねだられた。……悪かったよ、連絡できなくて。

 っていうか、そもそもアンタのアドレスなんて持ってないし」

「あー、そうだね……。じゃあ、後で交換する?」

「……あ?」

 

 再度の恫喝。流石にそれ以上、僕も何かを言う事はできなかった。

 いや、それでも連絡先の交換くらいは悪く無いと思うのだけど。実際、「こっち」関係の連絡先は店長のアドレスだけだし。古間さんとかは、仕事が忙しくてシフト代わるタイミングで聞きそびれてたし。

 

 トーカちゃんの案内する道は、どんどん複雑になっていく。

 複雑というより、あまり一般的なヒトを寄せ付けないというか。

 

 階段を下りて行くと、ショットバーのような、独特な店構えの場所に。

 

「ここ」

「……見るからに、えっと……」

「気持ちは分かる」

 

 少しだけ意地悪そうに笑うトーカちゃん。

 

 扉のリングを持って、二度叩いてノック。

 室内は、外同様にちょっと趣味が……。ゴス系? 僕としては、あんまり受け付けない類のものだった。

 

「ウタさーん、いますかー?」

 

 反応はない。

 壁にかけられた、ピエロのようなマスクを見る。こういうのが、店長の言ってた――。

 

「う、うわああああああああああああああああああッ!」

 

 そして、そのマスクの下にあった、布がかけてあった人形? が立ち上がり、僕は腰を抜かした。

 倒れる僕の顔を覗きこむ張本人。心臓に悪すぎる。

 

「だいじょうぶ?」

「……ウタさん、何やってんですか」

「サプライズ。びっくりさせようと思って」

 

 この店の店主と言われて納得が出来る、独特な服装の店主。

 体には所々タトゥーが入れてあって、瞳は、完全に僕等の赫眼のそれだった。

 

 そのまま何をすることもなく、ウタさんというらしい彼は店の奥へ。

 

 倒れたまま動けない僕に、ため息一つついてからトーカちゃんは肩を貸してくれた。

 

 

 

「――ウタさん。私達のマスクを作ってくれるヒト」

「ウタです……」

 

 なんだか、調子が読め無いヒトだと思う。

 しっかしピアスにタトゥーに、眼が常時っていうのも怖い……。一応名乗りはしたけど、我ながら震え声だった。

 

 彼は僕の顔を下から覗き込み、一言。

 

「変わった臭いがするね」

 

 反射的に西尾先輩のことを思い出す僕。

 

「……ウタさん、そいつ怖がってる」

「あ、ゴメンゴメン。君のマスクが要るんだよね」

「あ、はい。お願いします」

「ふぅん……。芳村さんとか蓮示から聞いたけど、ハトがうろついてるんだってね。

 20区(そっち)は大人しいから、あんまり本腰入れられなかったと思ったけど」

「!」

 

 そして、その一言が聞き捨てならない。

 あれで、大人しい……? いや確かに僕等は喰種のことを意識しないで生活できていたわけだし、リゼさんというイレギュラーがなければ一生気付かないでいたかもしれないのだけど。

 それでも、西尾先輩みたいなヒトがいるあの場所が大人しいのか?

 

 僕の反応を見て、ウタさんは言う。

 

「そっちは平和だよ。”あんていく”が管理してるっていうのが大きいんだろうね。1区から4区なんて人が住むところじゃないし、13区は血の気も多いし。

 あー後、共食いとか、見ていく? 結構ウチでは見モノだけど」

 

 それは、流石に遠慮します。

 座ってと言われて、僕は彼の手前の椅子に腰を下ろした。

 

 サイズを計りながら、ウタさんは丁寧に下絵のようなものを複数描きつつ、僕の顔の、というより骨の輪郭を確認していた。

 

「質問いい? ゴムとか金属とかのアレルギーは」

「と、特には。あー、でも全体を被うタイプはちょっと」

「うん、うん。それじゃ大仏は無しだね」

 

 大丈夫なのか、このヒトに任せて。

 

「……眼帯かわいいね。好きなの?」

「いえ、えっと……、こっちの眼が全然制御できないので。空腹が強くて」

「お腹一杯にしないの? 食べる?」手元で目玉をゴロゴロしないで下さい。

「え、遠慮します」

「んん、じゃあ何聞こうっかな。……彼女とか居る?」

「え!? い、居た事もないですッ」

「んー。……カネキ君は、アレだよね。お姉さんタイプ? 甘えたいっていうか、可愛がられそう」

「ど、どうなんですかねぇ……」

 

 言われて気付いたけど、本性を現す前のリゼさんとかも、確かにそういう傾向はあったかもしれない。

 あくまで、傾向があるってだけだけど。

 

「カネキ君としては、年下より年上?」

「いや、同年代であれば、そこまでは……。結構ぐいぐい来ますね」

「そっちの方が、モチベが上がって良いのが出来るからさ。

 そういう意味じゃ、トーカさんとかどうなの? 可愛いし、格好良いし」

「へ? あー、いや……」

 

 確かに怖いけど、優しい部分もある。

 でも、僕個人は嫌われてばっかだと思うし、そこのところどうなんだろう。

 

「……いえ、彼女は、きっと強いから」

「ん?」

「よくわかんないです」

「強い、ね……。ぼくは努力家だと思うけどな」

「努力家?」

 

 ウタさんは、トーカちゃんの方を見ながら小さな声で僕に言う。

 

「”あんていく”皆がそうだと思うけど、終わりの無い綱渡りなんだよね。僕等が人間社会に、隠れて共存するっていうのは。一瞬で全てがゼロになるのに、人間と関われば関わるほど、横の風も綱の震えも大きくなる。

 そういう意味じゃ、トーカさんはずっと、すっごく細い綱の上を歩いてる。

 仕事も、友達も、学校生活もね」

「……ですね」

 

 そうだ。考えてもみなかった。僕なんかよりずっと喰種なのだ、彼女は。その上で普通に学校生活を送ってるなら、そこにかける緊張感とかは並じゃ利かない。

 

「……自分たちの身を危険にさらしてまで、誰かと関わるって、どうしてなんでしょうね」

 

 店長に聞きそびれた事を、僕はこの場で口にした。

 ウタさんは少し考えてから答えてくれた。

 

「何だろう、確かに人里離れた方が安全なんだけどさ。……でも、ね。

 たまーに人間のお客さんとかも来て、常連さんも居るんだけどさ。

 うまく言えないんだけど……、ドキドキして、楽しいんだよね」

 

 

 

 そうして際寸が終わり、僕らは夜道を歩く。

 

「……アンタさぁ、ウタさんに完全にビビってたでしょ」

「さ、最初はね。……でも、良い人だよね」

 

 でも、そんなあの人でも人を殺して食べているんだと言うことが、どうしてか受け入れるのが難しい。

 

 ふん、と鼻で笑うトーカちゃん。気のせいじゃなければ、ちょっとだけ僕に歩調を合わせてくれたようだ。

 

「……あ、そういえば今日行ったマスクって、どういう目的で使うの?」

「は、はぁ? アンタ知らないで来たの!?」

 

 そんなに、今日一番の声を上げて驚かれても困るんだけど……。

 

 何で肝心なこと教えないかな店長、と愚痴りながら、彼女は続ける。

 

「……あんていくに居る以上、捜査官と闘り合う回数は少なくもないし。そこで闘っても、戦闘不能にしたりしても殺したりしないのよ、ウチは」

「はぁ……」

「で、その時素顔がバレたら、面倒なことになるでしょ」

「面倒?」

「馬ァ鹿」

 

 こっちを振り向きながら、彼女は怖い笑顔を浮かべて言った。

 

 

「――顔と正体が一致してたら、どう考えてもヤバいでしょ」

 

 

 トーカちゃんは、怖そうに凄んで言った。

 言ったんだけど……、どうしてか僕は、口元が緩んだ。

 

「何だよ」

「いや、ごめん。えっと……」

「何か変な事あったか。あぁ?」

 

 近場で凄まれても、僕としてはちょっと困る。

 いやだってさぁ――。

 

「ちょっとお茶目(チャーミング)だったかなって思って」

「!」

 

 トーカちゃんは、目を見開いて硬直した。

 あー、うん、数秒もしないで怒鳴られる未来しか見えない。

 

 なので、その先が来る前に僕は話題転換。

 

「そ、そうだ! どこか寄りたいところとか、ある? 一応未成年じゃないし、少しくらいなら夜、駅付近ならうろついても大丈夫だと思うけど……」

 

 どうやら作戦は成功したらしく、トーカちゃんは怒鳴る事はなかった。ただ、なかったけれど、腕を組んで、半眼で黙り込む。

 

 あれ、これはこれで何か失敗したかな?

 

 周囲を散々見回した後、トーカちゃんは僕に言う。

 

「アンタ、それどう見えるか分かってて言ってるわけ?」

「へ?」

「……まあ良いか」

 

 そして背を向けて、一言。

 

「アンタ、キャリーバッグね」

 

 そんなこんなで、僕がその日地元の駅で解放されたのは、夜の十時を回った時間帯。

 トーカちゃんを家の近くまで送り届けた後だった。

 

 

 




ライダー化するに当って、原作とはちょっとだけアレに対する結論が違うので、割とお兄さんぶるカネキ。
そして外堀を(本人に自覚なく)徐々に埋められそうで、ちょっとだけ警戒気味のトーカ。ただし花より団子ゆえ、名より実をとる;


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#006 仕事/白鳩

さらっとトーカの家に上がるカネキ


 

 

 

 ヒデと一緒の食事。段々と慣れてきてはいるけど、まだまだ完璧とは言いがたい。

 それでも多少は食べられるようになってきたから、演技でも箸がすすむ、すすむ。

 

「カネキお前さ、顔色良くなってきたんじゃねーか? 前ゾンビみたいだったし」

「そ、そうかな……。ゾンビねぇ」

 

 顔色は角砂糖の方で改善されてるんだろう。肉パックまでは未だ手が回らない。

 

 そんなことを考えながら昼食をとっていると、西尾先輩とこの間一緒に居た、女の先輩が来た。慌てた様子で僕等を伺う彼女。

 

「で、バイト先でトーカちゃん、俺の事噂したりとかは――」

「ないよ」

「ちぇ、……あ、あれ? 西尾さんの彼女さん……」

「あの、永近君、だよね? ……これニシキ君から」

 

 手渡されたディスクは、この間ヒデが言ってた、学園祭のそれ。

 

 それだけ手渡すと、彼女は逃げるように僕等の前から姿を消そうとした。

 

「あ、西尾さんってどこに入院してるんすか? 俺達も見舞いに行きたいんですけど――」

 

 その質問に答えず、彼女は立ち去る。

 何か気に障るようなこと言ったかなぁと頭を傾げるヒデ。でも僕は知ってる。西尾先輩が、おそらく入院はしていないことを。

 

 それを知って彼を庇っている以上、彼女もまた喰種か――あるいは、知ってて協力している人間か。

 

「カネキ、なんつー顔してんだよ」

「へ? ああ、ごめんごめん」

 

 とりあえず、このことは後回しだ。今は精一杯、日常を取り繕うことに神経を集中させよう。

 

 結局僕がこの真実を知るのは、もっと後になってからだった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 あんていくで働くのも、多少慣れてきた。そうすると、お客さんの会話が嫌でも耳に入ってくる。

 この世界、情報は何より大事だ。特に喰種は、人間以上に集めないとそれが致死に繋がる可能性が高い。

 

 そして最近の話題は、喰種捜査官の関係で持ち切りだった。

 

「カネキ君。お疲れ様」

「あ、はい」

「ウタ君、仮面順調らしいよ。降りて来たと言ってた。格好良いの仕上がるといいねぇ」

「あ、あはは……」

 

 思わず表情が引きつったのは仕方ない。

 

「トーカちゃんも今日はお休みだし、先に上がっていいよ。勉強見てあげるんだろう?」

「あー、はい。……今頃『クソが』とか言われてそうで怖いです」

 

 いつも沢山手伝ってもらってるから、看板娘にも休みはあっていい、みたいなことを言う店長。実際バイト上がりにトーカちゃんの勉強見てあげることにはなっているのだけれど、自室で悪態をついてる彼女のイメージが脳裏を過ぎった。

 

「そうだ。なら夜は空いてるかな?」

「? まあ一応」

「ならウチのスタッフと一緒に、食糧調達に向かってもらいたい。いつもはトーカちゃんに頼んでいたけど、今日は流石に偲び無いからねぇ」

「しょ、食糧……ッ、って、あの」

「ああ。人は殺さないさ。行けるかい?

 じゃあ、四方君にそう伝えておくよ」

 

 そう言って、店長は店の奥に行った。

 

 

 

 ちなみにこの話を勉強中、トーカちゃんにしたら、いじめっこみたいな笑顔で笑われた。包丁片手ににやりとこっちを見る仕草が、茶目っ気と恐ろしさが同居していて反応に困った。

 

「じゃ行ってらっしゃい。……って、アンタ、四方さんと会うの初めてだっけ」

「名前はちょくちょく聞くけどね。どんな人?」

「ウタさんとは別な意味で、初見だととっつき辛いかな」

 

 何とも微妙な情報を聞かされた。

 

 トーカちゃんに入り口まで見送られて、彼女の家を出る。

 そこから歩いて数十分。駅前にて待機してるとブルーっぽい車が来た。

 

 運転席の口が開き、背の高い男の人が出てくる。

 

「……えっと、四方さんですよね」

「……カネキか。店長から聞いてる。乗れ」

 

 口数が少ない人だな、というのが第一印象。

 でも乗り込んだ後、シートベルトしっかり閉めろと言ったり、通行中に猫が飛び出しそうになった時きちんと応対したり、なんだかんだで物腰は柔らかい人でもあった。

 

「この車って四方さんの?」

「違う」

「じゃあ……」

「……」

 

 ただ、会話してください! 表情が固まってるので、正直居心地は良くなかった。

 

 着いた先は、山の上。

 斜面にかかる道路。ガードレールが心もとない急カーブ。

 

 そこから四方さんは、谷の方を見下ろしていた。

 

「……何があるんですか?」

「……あ、そこ老朽化して――」

 

 へ? と僕が声を上げる前に、前かがみの姿勢のまま僕はバランスを崩した。

 絶叫。こんなに叫んだの、リゼさんに襲われた時以来か。

 崖の斜面を指で掴もうともがくけど、何だかんだで落ちる一方の僕。それでも多少は速度が落ちたのか、大怪我までは負わなかった。

 

「痛てて……」

 

 これでも、ほぼ無傷だというから恐ろしい。つくづくグールの身体構造は、人間のそれを上回ってる。

 そして立ち上がり、周囲を見回して――僕は固まった。

 

「……ッ」

「大丈夫か」

 

 背後からヨモさんの声。ずざざざーっと、彼も崖を滑ってきたらしい。

 

 立ち尽くす僕に、彼は言う。

 

「死体を見るのは初めてか」

「……いえ。でも、その」

 

 僕の目の前には、ついさっきまで生きていたと思われる死体が転がっていた。

 男性だ。四十代くらいだろうか。痛みと、何か別な感情で表情が歪んでいる。

 

「……上にもう一台、車が止めてあるだろう。おそらくこの人間が乗っていたものだ。

 ここは良く人が死ぬ。……自分の意志で」

「……自殺の名所として知られてないのは、喰種、というよりあんていくで処理してるから、ですね」

 

 確かにこれなら、あんていくのルールにも抵触はしないだろう。というより、きっとあの肉パックは、彼等を元に作られたものなんだろう。

 

「人を殺して喰う時だってある。トーカも俺達も。あんていくのルールは、あくまで目安だ」

 

 わざわざ選んでるわけではない、と四方さんは強調して言う。

 店長に頼まれたから来ているだけだ、と。

 

「……そうじゃなければ、慣れて無い奴をわざわざ連れてくることもない。

 詰められるか?」

「……」

 

 首を左右に振ると、彼はため息一つ。

 

 そして両手を合わせて、死体に対して黙祷した。

 

「……」

 

 しばらくそうしてから、彼は死体をバッグに詰める。

 

 車の中に入ってからも、会話はない。

 

「……どういう……、いえ、何でもないです」

「……」

 

 相変わらず反応はない。でも、思わず聞いてみたくなったのだ。僕は、彼がどう考えているのかということを。

 

 さっきのあれは、きっと、僕等が死者に対して想うそれと、そこまで違いがあるものではない気がした。

 頂きますとか、そういう感情じゃなくって。だったら、それはどういうものなのだろうかと。

 

 と、途中で車が止まり、四方さんは誰かを呼び止める。

 

 喰種の誰かかなと思っていたら、その女性は見覚えのある人だった。

 

「あら……、カネキ君?」

「……えっと、笛口さん?」

「こんばんは。後ろ、お邪魔するわね」

 

 この間店に来た母子(おやこ)の、母親だった。

 

 丁寧に頭を下げると、彼女は車に乗り込んだ。

 

「今日は珍しいわね。いっつもトーカちゃんと一緒だったから」

「トーカは休みです。えっと……」

「明日テストだから、夜遅いのもってことだと思います」

「そう……。カネキ君、ありがとうね」

 

 彼女の言葉に、僕はすんなり頷けない。結局四方さんのやっていたことを、間近で見ていただけだから。

 一方の四方さんも、真面目な顔のままで「全体の為だから感謝の必要はない」と言う。

 

「……怒ってますよね。私が夫の墓に通うから」

「一人で行動しないでくれ、というだけです。白鳩が狙っているのはリゼではなく、貴女なのだから」

 

 今日はお墓にマスクを埋めてきたの、と彼女。

 

「いつまでもあの人に縋ってちゃ、いけないってわかってるんだけどね。

 私が甘えてちゃ……、ヒナも甘えられないもの」

 

 そう言う彼女の横顔は、どこか僕の記憶の底にある母親の顔とだぶって見えて。

 

 どうしてか、母は強いと言うその在り方であっても、僕は違和感が拭えなかった。

 

 

 

   ※

 

  

 

「お待たせ致しました。この地区の情報を……っと、どうされましたか? これ」

「おお亜門君。いや、ちょっと馬鹿な喰種に襲われてねぇ。よっぽど腹が減ってたらしい」

 

 俺の目の前で、敬愛すべき先輩戦士が、喰種の首を転がしていた。

 CCG。喰種対策局の捜査官たる我々を相手に、よく挑む喰種が居たものだと俺は笑い飛ばしそうになり、思い留まる。

 

「ついこの間、大喰いの情報がありましたね、真戸さん」

「つまりそういうことだよ、亜門君。色々と考えられるが――大食いが居た地域にしては、20区は少々、落ち着きすぎているとも言える」

 

 片方の目を大きく開き、彼は俺に言い聞かせる。

 

「ひょっとすると『アオギリの樹』のような組織があるのかもしれない。慎重に動いても悪くはないかもしれないねぇ」

 

 ともかく支部に戻ろう、と彼の言葉に従い、俺は後を続く。

 

 会議はそれほど時間を置かず始まった。

 会議室に、通信機越しでの遠方との会議。

 

『これが11区の現状だ。連中は明らかに組織的な動きを見せ始めている。戦争なんのも時間の問題かもしれねーなぁ。俺からは以上だ。他に報告がある奴はいるか?』

 

 さっと手を挙げると、丸手さんが指し示す。

 

「亜門一等捜査官です。まずこちらを――」

 

 こちらの資料を反映した映像が、前方の大型スクリーンに流れる。

 

「13区においてジェイソンが、大喰いと接触していたことはご存知だと思います。

 ですが、こちらをご覧下さい。……おそらく喰種用の医療器具だと思われます。クインケ鋼でできている事が判明しました。

 ジェイソンの目的は判明しませんが、大喰いが現状活動がみられないことは、注視すべき点でないかと報告させてもらいます」

『20区もキナ臭ぇって訳だ。で、その医療器具から当って、医者やってた喰種を挙げたのもお前だろ?

 さっすがアカデミーの首席ってとこか。真戸ぉ! 良かったなぁ。相棒が優秀だと「おもちゃ」で遊べる時間も増えるだろう』

「お陰様でねぇ。この会議も早く切り上げていただけると、早く清算的に駆逐していけるんだが」

『相変わらず口が減らねぇなぁ、お前はよぉ』

 

 半笑いで真戸さんを揶揄する丸手さんだが、両者の間に強力な信頼関係があることを、俺は知っている。

 

『よし、お前等はその線も含め、引き続き20区だ。わかったか』

「あぁ」「はい!」

『これまで大人しかった周囲の喰種の活動も活発化してきてるのは、俺には何かの前兆に思えて仕方ねぇ。

 だが俺達CCGの目的は! ここ東京喰種を含んだ全ての奴等を駆逐すること! たったそれだけの簡単なお仕事だ! 気を引き締めてかかってくれ』

「「「「「はっ!」」」」」

 

 通信がそれで途切れる。

 俺達は、すぐさま事前準備してあった情報整理にとりかかった。

 

「――720番、722番に動きなし」

「721番はドーナッツマイスターに入店しました。

 注文はプレーンパウンド、ハニークリスピーに、ふんわり卵のクリーミーチョコナッツ、ほっぺが落ちちゃう天使の生ドーナッツ。……それから、とろけ~るブリュ――」

「商品数点、でまとめるのはどうかい?」

「あっ……、ハイ!」

「真面目なのは良いが、それは単に天然だねぇ。

 ふむ……。表情変化なし、化粧室の利用なし。注文の珈琲が気になるところだな。引き続き調査を」

「723番は――」

 

 情報は多い。我々が集めた情報、警察から回される情報、民間からの情報。様々な情報をピックアップして、その中から真実を引き出す。

 引き出した相手を、殺す。

 ただそれだけが、我々の任務だ。

 

「石碑のようなものの前……? 車のナンバーは?」

 

 その中で一つ、気になる情報を聞いた。

 女の容疑者。石碑のようなものの下に何かを埋めた、という情報。

 

 それと彼女との間に因果関係を見出せれば、723番は黒と確定できる。

 

「なのに、何故それをやらなかったんだ」

「……わ、私達に墓を掘れと!? 冗談じゃないッ倫理に反しますよ」

「本局に居たあなた方と、やり方が違うんですから!」

 

 甘ったれた事を言う彼等に、俺は目を見据えて言う。

 

「――倫理で、悪は潰せない。俺達は正義だ。時に正義は、倫理を超越する。

 つまり、我々こそがこの場合、倫理だ!」

 

 その言葉に一歩引く彼等。結局、それ以上は何も言わない。

 

 外に出る途中、思わず真戸さんに悪態をついてしまうほどだ。

 

「……全く、20区の捜査官の怠慢ぶりには呆れました。

 使命感に欠いているッ。ツメが甘い」

「まあ、そう青筋を立てるな亜門くん。その上で”一桁”に比べてマシだということはだ。組織的に動いていない限りは、案外駆逐するのが早く終わるかもしれないということでもある。無論、楽観視は出来んがねぇ」

 

 重要なのはだ、と彼は続ける。

 

「君の心に溢れる義憤の炎。それを絶やさず我々が持ち続けられれば、いずれ正しい世界を求める人々にとって、必ず導きの火として広がっていくことだろう。

 そして要は、その火を灯せる松明を胸の内に持ってることが、重要なのだろうよ。私も、君には良い影響を受けているよ」

 

 ではまた明日、と彼は立ち去る。

 俺は知っている。睡眠時間も休息の時間も削って、真戸さんが喰種を倒す為に時間を当てている事を。

 

 道を行けば、喰種の被害にあった親子の子供。震える少年は、とてもじゃないが見て居られない。

 

 

 だからこそ、俺は走り出す。

 休む暇などない。

 

 

 こんな世界は間違ってる。

 

 ならば――それを変えなきゃならないのは、俺達だ。

 

 

 

 

 

 そして、俺は決定的な証拠を手にした。

 

 

 

 

「仮面……? は、ははッ」

 

 石碑の元からは、喰種696番の仮面。

 つまり、被疑者723番は――喰種!

 

 

 

「これで、また、一人殺せる……!」

 

 いずれ来る「正された」世界を想い、俺は思わず歓喜に震えた。

 

 

 

 




捜査官パートは、戦闘時まではダイジェスト形式が続きます


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#007 驟雨/母娘

 

 

 

 

 

「カネキ君、2Fから珈琲ラベルもらってきていい? 赤いやつ」

 

 古間さんに頼まれて、僕は上の階に上がる。彼の言ってる場所もあらかた把握できるくらい、段々とお店に慣れている自分に驚いている。

 レジ打ちとかはまだ怖い部分もあったり、ていうかトーカちゃんに監督してもらったりしてるけど、それでも以前よりはこなせるようになってきてるのだから、マシと言えばマシなんだろう。

 

 そんな風に、気を抜いていたのが原因かもしれない。

 

 かちゃかちゃと食器の音が聞こえた。扉が開いてたので、誰かその部屋に居るのかなと思って覗いてみたら。

 

「……」

「……ッ」

 

 腰が抜けそうになったけど、なんとか堪えた。ここは意地だ。意地でも動転しちゃいけないと、何度も自分に言い聞かせる。

 

 部屋の中ではヒナミちゃんが食事をしていた。……何を食べていたかは、想像して余りある。

 眼を完全に赤く光らせながら、彼女は喰種らしい料理を、年相応に丁寧に食べていた。

 

「ヒナミちゃん、居たんだね。えっと……、ごゆっくり」

「あっ……」

 

 笑顔を浮かべて部屋を出る僕。どう反応を返すのが正しいのか、正直微妙なところだ。

 

 下に降りてラベルを手渡した後、古間さんと相談すると、デリカシーがないとからかわれた。

 

「女の子は特に食事風景を見られたくないからねぇ」

「……後で珈琲お願いできます? 謝罪代わりに」

「お? うんうん、フォローちゃんとするのか。

 ……カネキ君結構モテる?」

 

 苦笑いをして、肩を竦めた。

 いくつかのオーダーをこなした後、古間さんは丁寧に一杯いれてくれた……、僕の給料から差し引いて。

 

 どちらかと言えばタイプは年上なんだけど、小さい子からは割と好かれたりしたっけ。以前、幼稚園の手伝いとかした時の事を思い出しながら、僕は上の階にまた向かった。

 

 ヒナミちゃんは、本を手に取りながら微妙な表情で僕の顔を見返した。

 

「さっきはごめんね。えっと、お詫びって訳じゃないけど」

「……あの、」

 

 何かな? 振り返ると、ヒナミちゃんは聞き辛そうに僕に言った。

 

 

「お兄さんって……、”どっち”なんですか?」

 

 

 その質問は、実のところ僕の方が逆に聞きたいところだ。

 でも、この子に言ったところで、それは意味が無い。

 

「……ニオイとか、結構違う?」

「あ、その……、はい……」

「そっか。

 ……元は人間というか、今でもベースは人間みたいなんだけどね。でも、喰種の体と混ざっちゃって、半分くらいはそっちみたいなんだ」

 

 僕の言葉に、ヒナミちゃんは大きく眼を見開いた。どんぐりみたいでちょっと可愛い。

 

「戻れるものなら戻りたいんだけど、そうも言えないみたいだしね。……それに、君達の世界も知っちゃったから、以前のようにはもう暮らせないし」

「……ごめんなさい、変な事聞いて」

「あー、いや、気にしないで? っていうか、僕も変なこと話しちゃったね」

 

 珈琲を勧めると、ヒナミちゃんは軽く口に含む。まだ熱いのか、ふーふー何度も息を吹き掛けた。

 そして、そんな彼女を見ていて気付いた。

 

「……あれ? 虹のモノクロ? ヒナミちゃん高槻作品読むんだ」

 

 ちょっと意外だった。全体的に暗めというか、僕としては自分のことと重ねる部分が多くて共感できてしまうのだけど、ヒナミちゃんみたな子でもこういう難しいものを読むのかと、ちょっとびっくり。

 

「でも、モノクロは読み易い方かな? 短編だし、珍しくコメディみたいなお話もあるし。

 ヒナミちゃんはどのお話が好き?」

「え? えっと……、お、お兄さんは?」

「んー、僕としては『なつにっき』とか、あとは『ルサンチメンズ』あたりがオススメかな? 後者はコントっぽいし」

「わ、わたしは……、こ、こよ……、ときあめ?」

 

 一瞬分からなかったけど、思い至ったのでページを捲り、確認した。

 

「『小夜時雨(さよしぐれ)』か。結構怖いと思うんだけど、平気なんだねー」

「ぶ、文章が、少し変わってて……」

「視点も固定だし、段々と歪んでくところが芸術的って言えば芸術的? テーマも含めて、そこのところは『黒山羊の卵』のプロトタイプって言えるかな」

「ぷ、ぷろ……、」

 

 何かに四苦八苦してるらしいヒナミちゃん。

 意を決したように、彼女はメモを取り出して、ページをめくった。

 

「あの、これは何て読むんですか?」

紫陽花(あじさい)だね」

「こっちのは、あんたのし?」

「あ、安楽死(あんらくし)だね……。えっと、助からなさそうな患者さんが、本人の意志で死にたいって思った時に、苦痛がないように死なせてあげること」

 

 ヒナミちゃんは、ぐいぐいと僕の言った言葉をメモにとっていく。

 聞いてみれば、どうやら学校には通っていないらしい。

 

「は、はく……」

「はくひょう、薄氷って書いてそう読むんだけど、もう一つ、うすらいって読みがあるんだ。

 そっちの方が綺麗じゃない?」

「……うんっ」

 

 ぱぁっと表情を明るくさせる彼女に、思わず手が伸び頭をなでた。

 くすぐったそうに笑うヒナミちゃん。そのまままだまだ単語を聞いてくるあたり、知識には飢えているんだろう。

 

 でも、これは難しいところだ。

 

 この子の好奇心を満たそうとすれば、学校に向かわざるをえないはずだ。

 でもそれは、トーカちゃんたちが渡っている、綱渡りをこの子にもさせなきゃいけないということで――。

 

 無邪気に笑うヒナミちゃんを前に、僕の表情は少し硬くなった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「それじゃあ、お疲れ様でした店長」

「お疲れ様、カネキ君。明日からトーカちゃんが戻ってくるから、多少楽になるとは思うよ」

「同時に怒鳴られる日々の再開なんですけどね……」

 

 僕の苦笑いに否定する事もなく、店長は爽やかに微笑んだ。

 

 外は雨。それとなく準備して来た傘を展開。

 

 店を出て歩く途中。テストどうだったかなーなんてことを考えながら、僕も僕でヒデと予想した出題範囲の内容を読んでいたりする。

 そんな道中で、僕の耳に入ってきた話題。

 

 ――や、俺”喰種”って初めてみたわ。

 ――本当、人間と全然かわらないのなー。

 

「……見た?」

 

 その言葉に違和感を覚える。そして足元に、一冊のノートが落ちていた。

 

「……ヒナミちゃん?」

 

 書かれていた名前は、僕にある事実を想起させて止まないものだった。

 

 

 

 

 

「雨というのは、ジメジメとしていて実に不愉快なものだねぇ亜門君。視界は鈍るし仕事は捗らない」

「……しかし、利点もあるのではなかと」

「例えばどんなものだね?」

「雨は色々と洗い流しますし、音もかき消します」

「くくっ、なるほど。だが同時に別な音の発生源にもなることを忘れたらいかんよ。

 まあそれでも、私も概ね同意だがねぇ。

 泥。汚れ。醜い叫び声さえかき消す雨は、確かにもう一つのアドバンテージだ。

 さて――」

 

 お時間頂けますかね? 笛口リョーコさん。

 

 真戸さんがそう言うと、眼前の親子、特に母親は娘を庇うよう動いた。

 娘の方は、明らかに怯えた顔をしている。

 

「これについて聞きたいのですが、宜しいでしょうか?」

 

 真戸さんは、俺が引き当てた証拠を取り出して見せつける。その仮面、オペラ座のそれを思い起させるものを見て、母親は下を俯いた。

 

 集ってくる野次馬に、俺は大声で警戒を促す。

 

 母親は娘を一度抱きしめると、背中から――蝶の羽根のような赫子を展開した。

 

「行こうか、亜門君」

 

 真戸さんは仮面を投げつける。自分にぶつかるコースでないそれを、彼女は無視する。

 娘に「行きなさいッ!!」と叫ぶ。娘は投げつけた仮面を拾うと、怯えながらも走り出した。

 

 赫子を放射状に展開し、彼女は俺達の動きを押さえる。

 

「足止めのつもりのようだねぇ。準備したまえ」

「……はい」

 

 他の捜査員たちを切りつける要領で、喰種は俺の顔も霞める。

 

 動きが鈍い。わずかに掠りはしたが、この程度どうということはない。

 

「行かせない……ッ」

「調子に乗るな、クズめ」

 

 更に展開された赫子が六本。足のように構え、羽根と異なる体勢を取る。

 

 

 

 

 

 

 

「……駄目だ、出ない」

 

 店長の番号に通じない。ヒナミちゃん達の確認が出来ない。

 でも、もし僕の想像通りだとしたら状況は最悪と言っていい。

 

「……傷を受け止めるだけじゃ、駄目なんだ」

 

 脳裏に思い描くのは、ヒナミちゃんやリョーコさんたちの顔。

 

 そして、僕に心配無いと笑いかける母。

 

 彼女の口が動く。

 

「……僕は、母さんとは違うんだ」

 

 もう例え、力不足でも、それを理由に何もせずに居るなんて出来ない――!

 

「カネキさん!」

「! ヒナミちゃん」

 

 走ってきた彼女は、僕に泣きながら抱きつく。

 

「お母さんが、一人で……、う、う……」

「……行こう」

 

 彼女の持っていた仮面を手に取り、僕はヒナミちゃんの手を引く。

 

 

 

 

 

 

「なるほど、足止めになるくらいには強かったか」

 

 くくく、と肩を振るわせる真戸さん。心底喰種との高いが楽しかったのか、それとも今現在、その敵の自由を奪いきれたことが嬉しいのか。

 だが、その根底に強い絶望と怒りがあることを、俺は知っている。

 経験に裏打ちされた腕を支えるのは、いっそ狂気的なほどに喰種へ向ける怒りだ。

 

「これほど強いのに戦い慣れしていない……、いや、鈍っているのか?

 どちらにせよ、親が子のために命を賭けるか。

 感動的じゃないか。……くくく、虫唾が走るよ。

 亜門君、ここからは私がやろう」

 

 俺の前に立つ真戸さん。否定する必要もないので、俺は彼に前を譲る。

 

 赫子は、六本足はほぼ折れた。

 その代わり、羽根だけは維持している。

 

 膝を付き動きを封じられて直、こちらから視線を外さないその姿勢は、どこか野生動物のそれさえ想起させる。

 

 だが、そんな彼女も真戸さんの取り出した「それ」を見て、表情を振るわせた。

 

「あ……、あ……あなた、何を……!

 嫌! そんなの……」

 

「くくく……、良いぞ、最高だ。

 悲嘆! 絶望! 憎悪!

 それこそ私が向けるに相応しい感情だ。もっとだ、もっと見せろ!」

 

 

 

「……見つけた。ヒナミちゃんは、少しここで隠れてて」

「う、うん……」

 

 足をやられたのか、立ち上がれないでいるリョーコさん。

 それを見つけて、僕は、咄嗟に眼帯を反対側に付けなおし――ヒナミちゃんが持ってきた仮面を付けた。

 

「全く愚かだねぇ。大人しく付いてくれば、道の真ん中などで死なずと済んだものを。

 せめてもの情けだ。辞世の句でも――ッ!」

 

 まだ使いこなせはしない。

 それでも、店長から貰っていた「角砂糖」を噛み、僕は赫子を展開して、彼女を引き寄せた。

 

「あなた……?」

 

 何かを口走るリョーコさんを庇うようにして、僕は目の前の捜査官たちを見る。

 

 身長の高い捜査官の一人が僕を見て言った。

 

「……眼帯?」

「おぉやおや、飛んで火に入る夏の虫だねぇ亜門君」

 

 白い、リーダー格の捜査官は、僕にアタッシュケース状の何かを向ける。

 

「縁者というわけでもなさそうだが、さて、どうするかねぇ」

 

 僕の選択肢は一つ。

 

 そのまま僕は、脱兎の如く足を走らせた。

 

「逃がすか!」

 

 背後の声が聞こえるけど、ヒナミちゃんもさらっと抱え込んで、一緒に持ち運ぶ。

 荷物運搬の要領で走る分、乗り心地とかは保障しないけど。

 

 ヒナミちゃんがそれなりに悲鳴を上げているけど、これは仕方ない。

 

「はっはっは! そう来なくては『狩り』甲斐がない。はッ!」

 

 背後から何かが伸びて来るのを、感覚的に感じ取る。

 振り向かず、背中の赫子だけ動かして僕はそれを受ける。

 

 弾き飛ばされて足がもつれるけど、そこは気合と意地でカバー。

 

 進路をいくつか回り、軽い路地裏へ。

 

「ヒナミちゃん、リョーコさん、もう少し頑張って――ッ」

 

 でも逃走していた途中、リョーコさんは僕の肩を殴り、付き飛ばした。

 

「な、何で――」

「……逃げてください。どの道、追いつかれちゃいます」

 

 言わんとしてる事はわかる。でも――。

 

「……ヒナミ?」

「お母さん……」

 

 涙を堪えるヒナミちゃんに、リョーコさんは頭を撫でながら、諭すように言った。

 

「いっぱい学んで、元気に育って、幸せになりなさい? 私が、貴女のお父さんと出会えたように」

「……っ」

「カネキさん。……トーカさんも、あんていくの皆さんも、ありがとうございました。

 後、ヒナミのことお願いしますね?」

「何を言ってるんですか、リョーコさん……」

 

 路地裏に回ていたこともあってか、リョーコさんは容赦なく、赫子で僕等を付き飛ばし。

 そしてそのまま通りに戻り、走って行った。

 

 

「――駄目だ!」

 

 

 僕の脳裏に、僕の母さんの、死ぬ前の笑顔が重なる。

 

 手を伸ばそうとし、そして――。

 

 

 結局僕に出来たのは、ヒナミちゃんに「その」光景を、見せないようにすることくらいだった。

 

  

 

 

 




そして次第に、彼は決意する。


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#008 幽囚/兎顔/未開

そろそろ変身に対するフラグを建てはじめ


 

 

 

「んん……ヤマ外したけど、悪くはなかった」

 

 古文ヤバイけどギリかな、なんて呟きながら、私はあんていくに向けて足を進めていた。

 と同時に、頭の裏にはアイツのにへらっとした顔が過ぎって、ちょっとイラっとくる。

 

 ……まあ、これで少しは借りを返してもらったってことで、いいか。

 

 それでも、状況的に色々アレだったとは言え、私がアイツに貸した分は大きいから、今後もちょいちょい勉強は見てもらおう。それで、私が依子に教えたりとかできればなお良し。

 

 最終的に、それで何をするかとかは全然考えてないんだけど。

 

「……?」

 

 あんていくの手前。扉の前は、珍しくクローズの立て札。

 今日休みだったっけ、と思いはしたけど、まあいっかと扉を開けた。

 

「おはよーございまー……」

「ああ、トーカちゃん」

 

 店長が出迎えてくれた。とすると、アレは立て掛け間違えたか。そんな話とテストの話を愚痴ると、店長は目を閉じて、私を上の階に行くよう言った。

 

 どうしたんだろうと思いつつも、私はそれに従う。

 

 二階には、一通りメンバーが集合していた。

 

 古間さん、入見さん、四方さん。

 それから――。

 

「……なんで?」

 

 腰にクインケドライバー(バックル)を装着して、金木がソファに寝かされていた。

 

 表情は、苦悶に歪んでいる。流石に何かおかしい。

 

「……何があったんですか?」

「……」

 

 しばらくの沈黙の後、店長は口を開いた。

 

「……笛口さんが、ヒナミちゃんのことを庇って捜査官に殺された。

 カネキ君は直前で連れ戻そうとしたらしいが、暴走しかかっていたから一度、ドライバーで封印している」

「――」

 

 気が付けば、私は左手を握り、壁に叩き付けていた。

 

 

 リョーコさん……。

 ヒナミと一緒に来てから、年単位の付き合いという訳でもなかったけど。それでもああいう風に、穏健派の喰種は珍しくて、付き合いやすくて。

 

 旦那さんのことを今でも愛していて、娘さんのことを大事にしている母親で。

 

「……ヒナミは?」

「……奥の部屋で寝かせた」

 

 四方さんが私の質問に答える。

 顔は、残念ながら対処しきれなかったらしい。金木がそのことを教えてくれたというのに、私は少しだけ、変な気分になった。

 

「……何それ、最悪じゃないですか」

 

 完全にしてやられてる。捜査官有利に事態は推移している。

 

「……しばらく、ヒナミちゃんはここで預かろうと思う。

 時期が来れば、いずれは24区に移して――」

「――冗談でしょ店長!

 あんな、クソ溜めみたいなところに、ヒナミ一人で生きてける訳ないじゃんッ」

 

 状況が状況ならそうなるしかないのかもしれない。

 でも、私にとってそれは許せることじゃない。

 

 ただ、だからと言って「白鳩(捜査官)」を殺せば良いという問題でもない。

 

 ”あんていく”に入った時、まだまだ荒れていた私と()に、店長はよく言い聞かせていた。

 奴等が20区(ここ)で命を落とせば、好戦的な喰種が居ると目をつけられる。そうすれば連中はもっと多くの白鳩を送り込んでくる。

 

 頭では分かってる。

 でも――。

 

「……みんなの安全の為には、耐えることが最善だ」

 

 店長も、基本的に戦いはしない。

 

 ルールを乱す喰種が居た時。あるいは一般の喰種で対応できない相手が出た時だけ、店長は「変身」して戦う。

 

「仲間が殺されて、黙って指咥えて見てんのが……、店長の最善なんですか?」

 

 それでも悪態が口を付いて出てくるのは、やっぱり、私にとってこれは駄目なことだからだろう。

 

「ヒナミは、お父さんもリョーコさんも殺された。……仇、討てなきゃ、誰も報われないじゃないですか。

 可哀そうじゃないですか」

「……復讐や報復に対する考え方は、権利ではなく義務だ。

 だからこそ、報われると言うことは未来永劫ない。行為に対する価値観が変わらない限りは」

 

 店長は、私に言い聞かせるように言う。

 

「本当に可哀そうなことは……、復讐に囚われて、自分自身を見失い続けることだ」

「――私に……、私に言ってるんですか、それを」

「……」

 

 言葉も続けられず。

 

 私の頭の中で、弟と、父親の笑顔が過ぎり。

 どうしてか、そのうちの一つが、今眼を閉じて動いていない金木(コイツ)の顔とダブる。

 

 思わず私は背を向け、その場から立ち去る。

 

「……絶対、仇とってやるから」

 

 ヒナミの部屋の方を一度振り返ってから、私は家に引き返した。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 意識は途中で戻っていた。

 でも、目を開けるに開けられなかった。

 

「――私に……、私に言ってるんですか、それを」

 

 人でも殺せそうな、そんな剣幕が僕の脳裏に投影される。

 

 彼女が部屋を出たタイミングで、ようやく緊張が抜けて、ふっと息を付けた。

 

「あれ、カネキ君起きてた?」

「えっと……、なかなか言い出せなくて」

「あら、悪い子ね」

 

 からかうような二人だったけど、その声音は明らかに気落ちしていた。

 四方さんは僕の方を見た後、店長と少し話て部屋を出た。

 

「あの、トーカちゃん……」

「……彼女にも、色々あるのだよ。時期が来たら聞いて見ると良い。

 古間くんと入見さんは、四方くんから画像を貰って確認を」

「「はい」」

「何度も重ねて言うが、彼等に手は出さないこと。それが下手に刺激をして、ここの警戒度を引き上げる結果に繋がり兼ねない。

 お客さんにも、充分警戒を促してくれ」

「……」

 

 バックルを見ながら、僕は、言葉が出ない。

 

 解散の声をかけたわけでもないけど、皆部屋から出て行く。

 僕もそれに習い、多少気だるげな体を慣らしてから外に出た。

 

「……変身、か」

 

 もし、僕があの時、店長みたいに戦えていれば。

 

「――誰が悪いという訳ではない」

「……店長」

 

 僕の呟きを聞いていたのか、すぐ横で店長が僕に、疲れたように微笑んだ。

 

「"我々"ですら、捜査官を相手には躊躇してしまう。彼女の望みの通り、ヒナミちゃんだけでも助けられたのは何より救いだよ」

「……でも、」

「君だってそうだ。たまたま付ける仮面があったから良かったものを。

 私があの時、電話に出れていれば、だ。たらればの話になるが……済まなかった」

「……もしも」

 

 ドライバーの左側を握り締めながら、僕の口は言葉を紡ぐ。

 

「あの場に居たのが僕じゃなくて、トーカちゃんだったら……。

 あの子だったら、もしかしたら」

「……自分を責めてはいけないよ」

「……何も」

 

 店長は、僕の言葉に何も言わない。

 ただただ、その佇まいに促され、僕の口は動いた。

 

「――僕は何も出来なかった」

 

 頬から流れる冷たいそれは、きっと、まやかしか何かだ。

 

 捜査官たちの言い分は、人間視点で見れば間違ってはいない。

 有史以前から、生物として自身の脅威になる相手と戦い、勝利してきたのが今の人類なんだ。

 彼等は人類の平和のため、喰種を駆除する。世間的にも排斥されるべきはこちら側だ。

 

 悪いのは、ヒトに害を成す喰種の側。

 それも分かるから、結局僕はあの時、逃げることを選択した。勝てるはずもなかったけど、それでもきっと、僕は戦えなかった。

 

 それでも、逃げられるだけの力だってなかったのに。

 

「……いずれ、その調子だと使ってしまうだろうから、先に教えておこう。

 金木くん。ドライバーの右側にある、円形のレバーを落してごらん」

 

 店長は、震える僕に優しく言う。

 ある程度落ち着いてから、彼に言われた通り、ドライバーの右側のレバーを動かした。

 見た目に反して妙に重いそれが、がきん、と金属音を鳴らして――。

 

 

 

 次の瞬間、僕は膝をついていた。

 

 

 

「な――、何、だ、これ――」

 

 意識が遠退く。

 ドライバーを初めて付けた時の激痛とは、また別なタイプの痛み。

 震える指先を見れば――そこから、まるで何か寄生生物でも体の中から這い出すように、赤黒いものが指先から出かかって、いるような、いないような。

 

「クインケドライバーは、元々我々を拘束するためのものだ。そして同時に、赫子の動きを封じるものでもある。

 それをより、積極的に使うとそうなるわけだ」

 

 血中のRC細胞を、無理やり体表面に露出させる。

 

「その感覚に慣れるか、受け入れるか。あるいはそもそもRC値が多ければまた話は違うのだが、今の時点で君が戦おうとすれば、そうなる」

 

 だから、考えなさい。

 

「どうやって今の世界と向き合うか。どう折り合いを付け、どう衝突していくか」

 

 倒れる僕のドライバーのレバーを戻し、店長は手を貸した。

 それに縋りながら、僕は、結局何も言えなかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「723番の娘。745番の目撃情報はなし、と」

 

 今日も今日とて、目的情報やら何やらの処理に追われる俺達、喰種捜査官。

 他の対象も追いつつ745番を追うべきだ、という俺の言葉に、真戸さんは楽しそうに頷いた。

 

「そうだねぇ。亜門君の方針で行こう。所詮は羽虫。遠くへは行けんさ。

 しかし、こんなに早く駆逐できるとは、我々も驚きですよー? ご協力、感謝いたします」

 

 賞与について話した後、しばらく勝利の余韻に浸ろうと真戸さんは立ち上がった。

 

「あー、そうだ亜門君。今度、ウチの娘を紹介しよう。同業種だ、いずれ顔を合わせることもあるだろう」

「む、娘さんですか?」

「嫁に似てなかなか美人でね……と言うと親贔屓か。まあ、ともかくお疲れ様だ」

 

 そう言って立ち去る彼は、おそらくまたパトロールを繰り返すか、クインケ(武器)の手入れに戻るのだろう。

 

 俺も気を引き締めねば。とりあえず、どこかで食事を取って、早く戻ろう。

 

「……あれ? 亜門さん今からメシですか?」

「あ、……草葉さん、中島さん」

「ここ美味しいんですよ。良かったら、ご一緒しませんか?」

 

 アカデミーでも勉強一筋。交流関係は必要以上に作って来なかった俺だ。

 多少は苦手であるが、それでも無下にすることでもないだろう。

 

「かき揚げ丼、大盛り」

 

 やむなしだ。俺も店内に入り、席に着いた。

 

 石碑を掘り起こした事を草葉さんが褒めるように言うが、そのことに関しては一つしか考えて無い。

 手段を選んでいては、目的を達成できない。そのことを、俺は何度も経験してきた。

 

「アカデミーでは、どんなことを?」

「はい? ……ああ、えっと、喰種に関する法や知識など。後は体を作ってました。

 詳しくは話せませんが」

「女性とかも居たんですよね? どういう人とか――」「おい、学生かってお前」

 

 思わず、ふっと俺も微笑んだ。かまいませんと一言入れた後、同期の二人の事を話した。

 

「へえ。……今でも、時々会ったりされたり?」

「いえ。二人とも殉職しました」

「……」

 

 こういう部分が、真戸さんに堅物だと言われる所以だろうか。思わず黙ってしまった彼等に、俺は適確な言葉を思いつかない。

 ただ、それでも言うべき事を言う。

 

 ひたむきな者ほど命を落す。

 そうであっても、俺は、俺達はそれを止める事が出来ない。

 

「失礼しました。……お二人とも、帰りはお気を付けを。特に任務終了後は」

 

 座席を後にし、俺はお金を置いて行く。

 しばらくまたパトロールに出るべきだが、しかし俺はわずかに自己嫌悪。

 

「……またやってしまった」

 

 昔から、こうして場を和やかに取り繕うのは苦手だ。

 どうしても、自分が、自分が、という部分が強く出てしまう。

 

 しばらく反省会をしてから、俺は見周りを始めようとして――声を聞いた。

 

「う、腕が――ッ!」

「チッ、鈍ってる」

 

 草葉さんが、自分の右腕を押さえて叫び声を上げていた。

 千切られた腕と出血によるショック。顔面にわずかに切り傷があるところから、そこを狙おうとして何かを失敗したような、そんな印象を受けた。

 

 それを引き起こした相手、フードにウサギの面を被った相手は、そのまま体を捻り、二人もろとも蹴り飛ばそうと――。

 

 咄嗟に走り、俺は彼等を突き飛ばす。

 

「中島さん、下がって。応急処置か、救急車を」

「あ、はいッ!」

「なんで、腕が――」

 

 混乱している草葉さんの肩を担ぎ、その場を離れて行く中島さん。

 

 目の前のウサギ面が、攻撃を繰り出す。

 一撃一撃は重い。

 身のこなしの素早さ。なによりあの威力。

 

 間違いなく、これは喰種だろう。

 

 アタッシュケースを探して、失念。今日は資料整理が主だったから、自宅にあるのだった。

 

 敵は背中から、羽根のような赫子を放出。

 羽赫の喰種は瞬発型だ。

 

 しくじった。……次の一撃を喰らえば、おそらく必死ッ! 生身で防ぎきれるものではないのだ。

 

 だが、俺の背後から「数珠繋ぎ」のようなそれが出現し、目の前の喰種を吹き飛ばした。

 

「――亜~門く~~ん~~~~……」

「真戸さん!」

 

 現れたのは、武器を片手に持った上等。

 

「駄目じゃないか、仕事道具を忘れちゃああぁあ。

 ふふ、全く男前が台無しじゃないか。クズごときに後れをとって。

 熱意は買うが、冷静さと綿密さを欠いてはいかんよ亜門くん」

 

 手本だ、と言いながら真戸さんは武器を、ウサギの仮面に投げつける。

 連結されたそれが蠢き、一撃を決めた。

 

 だが、相手の動きもなかなか悪くは無かった。

 

「これを躱すとは見事見事。

 そういえば……、この間殺したメスの番は、なかなか手強くて苦労したよ。

 メスの方も最初はなかなかだったが、これを出したらなにも出来ず死んでいったなぁ。あれは笑えた」

 

 そう言いながら、笑うポーズをとる真戸さん。

 その観察眼が、1ミリも油断せず目の前の相手の感情の動きをとらえているのを、俺は見逃せない。

 

 飛びあがり、攻撃してくるそれを、彼は難なく躱す。

 

「てめぇ……ッ」

「羽赫は持久力不足。短気決戦や奇襲を逃せば、戦力はぐんと落ちる。

 おまけに、何だいさっきの。……クク、一撃であの捜査官の顔面を切り落とすつもりだったろうに、どうしてか力の加減が狂ったか!」

 

 赫子(おもちゃ)はどうした?

 さっきのでオシマイか?

 

「ウゼェッ」

「ふん、馬鹿が」

 

 激昂して向かってくる相手に対し、常に冷静に、着実に真戸さんは対処していく。

 相手の腕を切り裂き、明確に攻撃力を落した。

 

「私がどれだけ喰種を処分してきたと思ってる。

 貴様も所詮その一匹だ」

 

 真戸さんの最後の一撃。

 

 しかしウサギは赫子を展開し、飛び去った。

 流石に俺達も、その瞬発力を追うことは難しい。

 

「ふん。多少は冷静だったか。

 しかし、ラビットといったところか――あれは、数人CCGを殺してるな」

 

 亜門くん、手配の準備を。

 

 真戸さんの一言に、俺は身を引き締めて声を出した。

 

 

 

   ※

 

 

 

 店長から「トーカちゃん用の肉パック」を手渡された辺り、あれでも気を遣っているのか。……僕が気を遣ったところであまり意味はないと思うんだけど、入見さんにそのことを話したら、何故か味のある笑顔で何度も頷かれた。何を思ってるんだろう。

 

 ともかく、そのまま放置しておく訳にもいかず、夜に僕は彼女の家に向かった。

 

「……あれ?」

 

 インターホンを押すも、反応がない。

 もう一度押しても静かというか。

 

 一瞬脳裏に最悪の光景が浮かび、思わずノブを引く。

 

 ドアの鍵は、かけられていなかった。いや、かけ忘れて居たのだろうか。

 

 何度か声をかけて「お邪魔します」と室内に入る僕。

 

 ――もし仮に。トーカちゃんがあの後CCGに襲撃をかけて。

 そして追跡されるなりして、ここの場所が割り出されてしまっていたら。

 

 そういうことを警戒していたのだけど、どうやら杞憂に終わったらしい。 

 

「にゅー ……ん、んー …… ――はッ!」

「……」

 

 トーカちゃんは、洗面所の鏡の前で、変なポーズをとっていた。

 かなりラフな服装で、普段右目にかかってる髪を、頭の上から回した左手で引っ張って、両目を露出させて、ちょっと楽しそうに笑っていた。

 

 なんとなく、人目がないからこそのオフショットな感じだった。

 

 鏡越しだったけど、後ろ側に居た僕に気付いたのか、飛び跳ねるように後ろを振り向いた。

 しばらく口をわなわな動かして、顔を真っ赤にする。

 

「み、みんじゃねー! ってか何でてめぇここに居んだ!」

「い、いや、心配だったのと、はいこれ」

 

 僕の差し出した肉を引ったくり、彼女は胸に抱えて警戒するポーズ。

 まーた好感度が落ちた気がするけど、ともあれ無事でよかった。

 

 いや、無事じゃない。

 

「……右腕、どうしたの?」

「…………ほっとけ」

 

 トーカちゃんの右腕、上腕部には包帯が巻かれてて。

 

 そこからは、滲むように血が出ていた。

 

 彼女はそのことに何も触れさせず、今すぐ帰れと言わんばかり。

 僕は、少し迷った後、話題を変えた。

 

「……テスト、どうだった?」

「……あ?」

「少しはマシになってたら嬉しかったんだけど」

「何で、今そんな……」

 

 言いながらも、トーカちゃんの反応は悪くない。

 

 だから、僕はあえて堂々と、おどけるように言った。

 

「じゃあ、トーカちゃんは僕の言う事を一つ聞く事」

「は、はぁッ!?

 むしろアンタの方の貸し借りが終わってねーだろ!」

 

 意味わかんない、とばかりに飛び跳ねるトーカちゃん。気分を切り替えは多少できたかもしれな。

 彼女のその言葉をあえて無視して、僕は手を差し伸べる。

 

「包帯、巻き直すからリビング行こう」

 

 虚を突かれたように、トーカちゃんは一瞬、呆けた。

 

「一人じゃ手当ても大変だろうし」

「……カンケーないでしょ、アンタに」

「これでも半分は、君と同じみたいなんだけどねぇ」

 

 苦笑いを浮かべる僕から視線をそらして、トーカちゃんは言う。

 

「アンタ、私の代わりにあの白鳩共殺せるのかよ」

「……」

「無理だろ? 小心者(ヘタレ)だし。度胸も覚悟もなし。元人間だし、それに――」

 

 トーカちゃんは、自嘲するように笑う。

 

「アンタとか私とか、あんていくの喰種だけでCCG勝てるって思ってねーだろ?」

 

 実際、それは店長から言われたことだ。

 ドライバーを起動させて苦しんで、手を差し伸べてもらった時に。

 

 彼女が自分で決断した以上、生き死にに関わるのはすべて彼女の責任。

 

 だから、何かあっても彼女を手助けはしていけないと。

 

「……私みたいな人殺しは、別に死んだっていいんだよ。鈍ってて、実際殺されかけたし。

 でも、リョーコさんたちみたいな人達が、一方的に殺されるのは我慢できない」

 

 トーカちゃんは理解してる。自分が間違った側だってことを。店長の言ってることも理解してる。あんていくの喰種らしく、人間の理屈も。

 

 でも、だから僕は、店長に言ったのだ。

 そして、今ここに居る。

 

 無理やりトーカちゃんの手をとって、リビングに足早に向かう。

 

 驚いた声を上げたけど、彼女は拒否はしなかった。

 

「……僕、両親居ないんだよね」

「あん?」

「父親が小さい頃に亡くなってから、母さん一人で育てられて。

 でも色々あって――母さんも、十歳の頃に死んだ」

「……」

「過労だったんだ。叔母さんの家に仕送りしててさ。その負担が、僕の分と雪ダルマ式に積み上げられて。

 でも、たぶん僕なら止められたんだ。

 休んでるところを全然見なかった。少しおかしいのには気付いていたから。きっと、僕が何か一声かけるだけで、もっと違った結果になったんだと、今は思う」

 

 だからって訳じゃないけどさ。

 

「目の前で、人間だろうが喰種だろうが――僕の知ってる人だったら、耐えられないよ」

「……」

「リョーコさんが目の前で死んだ時、強く思ったよ。

 きっと僕は、人間は殺せない。喰種だって殺せないかもしれない。

 理屈としては捜査官の言ってる事の方が正しいって思うし、君が正しいとも思わない。だけど――」

 

 手を離し、振り返りながら。

 

 僕は、彼女の目を見据えて言う。

 

「――もしトーカちゃんが死んじゃったら、きっと、悲しいよ」

「――ッ、あ、……」

 

 目を見開いて、トーカちゃんは一瞬固まる。

 しばらくして背中を向けて、「あっ……そ」と時間をかけて言った。

 

「……で、結局何が言いたい訳?」

「僕に戦い方を教えて」

「!」

 

 僕は店長に言った。色々なことを知って、色々な事を見て、きっと多くの理由があった上で決断をしてるんだろう彼に。

 捜査官に手を出すことの覚悟も、この世界で何をどうするのが良いのか、全然知らないしわからないけど。

 

 それでも、ちゃんと自分の目で見て、どうするか決めたい。

 だから――。

 

「何も出来ないのは、もう嫌なんだ」

「……フン」

 

 振り返り、トーカちゃんは楽しそうな笑顔をにやりと浮かべ。

 

「アンタにしちゃやる気じゃん、クソ『カネキ』」

 

 どこか僕をからかうようにそう言った。

 

 

 

 

 




カ「一周回してから一度ずらしてから、最初の頭のところをおって下敷きにすると外れにくいよ?」
ト「……(何で詳しいんだコイツ)」

トーカちゃんの謎ポーズ→2巻183pのラフ


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#009 地下/叩門/見舞

書きあがらなかったので、内容を分割・・・


「……遅い」

 

 トーカちゃんに待たされること数十分。今日はもう閉店した「あんていく」の入り口で、僕はしゃがみこんで彼女を待っていた。

 ヒデと大学で昼食をとりながら勉強していた時、連絡が入って放課後にここに来た訳だけど(今日のシフトには入っていない)、それにしたって案の定と言うべきか。

 

 いや、前向きに考えよう。あのトーカちゃんが、普通にメアド教えてくれただけでも驚愕なのだ。

 

「おい」

「あ……」

 

 堂々とした遅刻っぷりのトーカちゃん。服装は私服で、手にはビニール袋。

 中からペットボトルを取り出し、僕に投げて渡した。

 

「付いてきて」

「……」

 

 この後水が必要になるのか、いつか待たせた時のお返しなのかはわからなかったけど、とりあえず追従。階段を下りて、地下の階へ。

 

 閉店後の店舗は、それでも珈琲の香りがしてどこか落ち着く。二階の電気が付けっぱなしだったけど、トーカちゃん曰くヒナミちゃんのためだそうだ。

 

「……怖がるから、真っ暗だと」

「僕も、覚えがあるからそれはわかる」

「あっそ。……母親が死んだ時?」

「うん。まー ……、伯母さんの家とも、あんまり仲が良いわけじゃなかったから」

「ふぅん」

 

 こっちだ、と指差しながら、トーカちゃんは床の蓋を外し、更に地下へと僕を手招きした。

 

「……私も、そーゆー風な頃があった」

 

 鉄梯子を下りながら、トーカちゃんはふと話し始めた。

 

「お父さんと、弟と、三人で暮らして……、でも人間の知人だった人に裏切られて、お父さんが殺されて。

 でも二人で、店長に拾われてなんとか過ごしてて」

 

 トーカちゃんに弟さんが居た事がまず初耳だったけど。

 でも、その話の言わんとしてる所はわからないでもない。

 

「一時期すごく荒れてて、店長の言ってる事も全然聞かなくて。

 でも色々あって、私が学校に行く事になってさ。その時――アイツと別れた」

 

 自嘲気味に笑うトーカちゃん。

 きっと弟君は、人間に対する不審感を強く植えつけられてしまったんだろう。

 

「そっから馬鹿みたいだけど、しばらくずっと泣いたりしてさ」

 

 その話を聞いていて、どこか、ウサギが寂しがりやだっていう話を思い出した。

 トーカちゃんの部屋には、色々なウサギのグッズが置いてあった記憶がある。

 

 下りて、地下水道のようなそこを歩きながら、トーカちゃんに聞く。

 

「ここって……?」

「見た通り、地下道。昔の東京喰種(トーキョーグ-ル)が作った道。人間から隠れるための場所で、今じゃ臨時の避難所。

 あんまり奥行くと、帰ってくれなくなるから注意な」

「……ここで何を?」

「訓練」

 

 ある程度開けた場所で、トーカちゃんは上着を脱ぐ。

 

「……口で説明したって分かるもんじゃないし、私が教わったのと同じやり方するから。

 アンタが勉強教える時みたいに、丁寧に出来ないし」

「……あ、ありがとう?」

 

 手腕を褒められたことに感謝してみると、彼女は軽く鼻で笑って。

 

「下手すりゃ死ぬから覚悟して」

「……へ?」

 

 次の瞬間、トーカちゃんは僕の懐に潜り込み、腹を打ち抜いた。内蔵が悲鳴を上げて、色々と込み上げてくるのを、僕は無理やり飲み込む。

 そのまま回し蹴りをして、僕を手すりの方に投げ飛ばすトーカちゃん。

 

 背筋に走る痛みに声を上げると、眼帯を乱暴に剥がした。

 

「……」

「トー、か、ちゃん?」

 

 無言のまま彼女は、倒れる僕の手の指を一つ、靴の裏で持ち上げて――落す。

 

「アアアああああああああァあアアアアああッ!」

「伸ばせば明日にはくっ付いてるから。

 状況、わかってる? カネキ」

 

 背中から片方だけの羽根のような赫子を出し、トーカちゃんは言う。

 

「危機感持ちなさいよ。次のは、スグには治らないから。肉食ってないなら、そのまま死ぬかもね」

「……ッ」

 

 何をやりたいのかが分かってしまう。危機感を持てと言われた意味もわかる。要するに、実際に殺しかけようと思ってるんだろう。

 ごめん、お陰で危機感がそこまで湧いて来ない。

 

 僕にとって赫子は、感情が高ぶった時に出てくるか、食欲関係の衝動が渦巻いてる時しか出せないもの。

 だからこその緊急措置なんだろうけど、正直アレだ。

 でも痛みが頭をかき回して、どうにかなりそうなのは事実。

 

 逆に冷静になった僕は、この状態からどうやって赫子を出すかに思考をシフトする。

 

 ……考えて、割と最悪な方法を思い付いた。

 

 濁流のように襲い掛かってくるトーカちゃんの赫子。

 僕はそれを見ながら、自分の左袖をめくりながらかわす。

 

「逃げられると思ってんの?」

 

 思って無い。というか、即死しないことが目的ではあっても、逃げることが目的じゃない。

 

 僕はトーカちゃんの攻撃を、ぎりぎりで左腕に「かすらせた」。

 血が噴き出す。肉の破片が空中に舞う。

 

 それを思いっきり右手でつかみ、僕は、舐めた。

 

「――――――――――――ッ!」

 

 まずい。何がまずいかっていうと、凄まじく不味いのだ。

 人間の食事の比じゃない。人肉に近いカテゴライズだから多少大丈夫なのだろうけど、それにしたってこれはない。自分の肉だってことも加味されて、相乗効果だ。

 

 ただ、それが僕の「食欲」に火を付けた。

 

 肉をかじる余裕がないなら、目の前で作ってしまえという作戦。

 ある意味予定通り、衝動的に僕の背中から赫子が迸る。

 

 彼女の攻撃に合わせて、僕はそれで自分の体を庇うように回す。

 

「……ッ」

「……はぁ?」

 

 赫子を仕舞いながら、トーカちゃんは僕のそれを見て呆気に取られたような顔をして。

 

 そして、腹を抱えて笑った。

 

「や、やりゃ出来んじゃ……、くくっ」

 

 微妙に様子が可笑しい彼女に理由を尋ねてみれば、まあ、納得の答えが返ってきた。

 

「クソニシキの時の方が強力だったとは思ったけど、何? 自分で自分喰って赫子出すとか……っ」

「……そんなにツボだった?」

「実戦じゃ使えねーだろ的な意味で。

 まーでも、いざとなりゃ出せるってのは分かったケド……くくっ」

 

 満面の笑顔で笑う彼女は結構可愛かったけど、笑われてる側の立場からするとどーしようもない。

 

 上に戻るよ、と言って歩くトーカちゃん。

 そんな彼女に、僕はふと一言。

 

「トーカちゃん、一つ相談なんだけど」

「ん?」

「……ドライバー、今日、忘れて来たらしくて」

 

 うねうねと動く赫子。何かを求めて外に出て、未だに引っ込む気配なし。

 僕の方を一度見て、彼女は。

 

「……はぁ、どーすんのよそれ」

 

 こっちがどうにかして欲しい。

 

  

 結局、トーカちゃんにドライバーを家から取ってきてもらって(後日(たか)られるのが確定)、あんていくの一階に僕は戻った。

 

「形は少し違うけど、アンタのそれはリゼと同じタイプの赫子。

 鱗赫の赫子は治癒力が高いし、頑丈さとかは他の奴より優れてる」

 

 僕の手をとって、トーカちゃんは包帯を巻きながら教えてくれる。

 この間教えた巻き方できちんと巻いているあたり、これくらい出来んだぞ、という意思表示的な何かなのかもしれない。

 

「怪力に訓練を加えれば、後は受けでも攻めでもどっちでもイケるでしょ。

 まず、ああいう方法じゃなくてキチンと引っ張り出せるように考えないと……。そういえば、ドライバー使った?」

「店長から、一応教わったけど……」

「実戦じゃ、よっぽどじゃない限り使わない方がいいから。わかったと思うけど。

 後は、どうしても出せない時のための実戦もやっといた方が良いか……。とりあえず筋トレ、各種100回」

「え゛?」

「腹筋、背筋、腕立て、バービー、スクワット、踵上げ、空気椅子に――」

 

 じゃんじゃんトレーニングの内容を口走るトーカちゃんは、何とも言えない怖さを放っていて、リアクションに困る。

 と、話しながら接近してきて僕の服を捲り上げて笑った。

 

「割れてはないけど出てねーのか。……まあ最低ラインだな。

 でももっと肉付けろって」

「あうう、や、やりますよぅ」

「わかりゃいい。……あ、どした?」

 

 いや、だってさ。半眼でそんな睨まれても、人前で服まくられるってどういう状況かな。

 いくら何でも、照れる。すごく恥ずかしい。

 

 うりうりと、僕の腹筋をつつかないで。楽しそうに笑うその仕草に、対象から外れるとはいえ多少ドギマギしてしまう僕だった。

 

「角砂糖だけじゃなくて、肉喰えよ」

「……うん」

「とりあえず、訓練は仕事終わりにやるから。

 ……後、そうだ。アンタ、明日ちょっと付きあってよ」

「へ?」

 

 トーカちゃんの意外なその一言に、普通に僕は驚いた。

 まさかデートの誘いとかじゃあるまいし……。平日だからその可能性は極端に低いけど。

 

 案の定、その僕の予想は当っていたりするから、世の中は結構悪く出来ている。

 

 

 

   ※

 

 

 

 翌日。

 例によって遅れてきたトーカちゃんだけど、今日は息を切らしていた。しかも、いつもよりは早い。

 

「トーカちゃん?」

「はぁ、はぁ……、捲けたか? ったく、依子のヤツ……」

 

 周囲をきょろきょろ見回してから、彼女は半眼を僕に向けた。

 僕はといえば、思わず視線をそらす。

 

 そして、制服姿の彼女の両手には、紙袋が一つずつ。

 

「借り物だから壊すなよ。

 今から着替えて」

 

 また無茶を言う。

 渡された手元のそれを確認して、女ものと男ものを間違えていたという珍事もあったりしたけど、再度交換してトイレの個室へ。

 

「ブレザーに、ネクタイ……。これじゃコスプレだよ」

 

 僕が着用しているのは、どこかの高校の制服。

 知り合いに見られたら、恥ずかしいとかいうレベルじゃない。

 

「サイズ合ってんじゃん。……ってか童顔だし、違和感なさすぎて絶句」

「……トーカちゃん?」

 

 対するトーカちゃんも、僕のそれと同じところの制服を着用していた。

 でも、どうしてか髪型が三つ編みで、それでも頑なに前髪は垂らしたまま。メガネをかけていても、あんまり意味ないんじゃ……。

 

「もーちょっとイメージ変えたいから……。ドライバー持って来てる?

 なら腰につけておいて眼帯外して……。髪ももっとゴワゴワさせて」

「わ、ちょッ!」

 

 唐突にワックスを取り出して、僕の頭をがしゃがしゃにするトーカちゃん。完成した無造作っぽい髪型を見て、後ろを向いてお腹を抱えられるのがちょっと玉に瑕だ。

 

 そのまま僕は、彼女の行くままに任せて足を進める。

 しばらく無言が続くのもちょっとアレなので、適当に雑談を振ってみた。

 

「依子ちゃん、だったっけ。どう?」

「どうって何よ」

「上手くやれてるかとか、まあ、色々」

「……別に、フツーだし。

 ってか、アンタこそアイツに、正体バレたりしてないの?」

「バレてたら流石に今ここに居ないよ……」

 

 ヒデは鋭いし、行動するとなると徹底する事は間違いない。もし僕が喰種だとバレたなら、きっとその時点で僕は一環の終わりだろう。

 今もまだ、微妙に取り繕いきれて居ないのだけど、それでもまだバレてないのはたぶん今までの蓄積があるからだ。人間として暮らしてきた過去が、僕と喰種を結びつける事を難しくしてる。

 

 いや、そもそも人間が喰種になるということ事態想定外なのかもしれない。

 

「近いヤツほど怖いから、精々注意することね」

「うん。あ、話題変わるけどさ。前髪は横に流さないんだね」

「あぁ?」

 

 凄まないでってば。

 

「結構その髪型って印象強いから、こんな変装じみたことしててもそれだとアレかなーと思って」

「……なんか、バランスがとれない」

「?」

「上手く言えないんだけど、なんか、こう……。あと、垂らすの止めるとスースーする。顔が」

 

 それは、その髪型に慣れ切ってるからでは?

 

「視力も落ちるから、僕はオススメしないけどね……」

「そー言うアンタはどうなのよ、本の虫が」

「完全に近視かな。……喰種になってからそこのところ、微妙にそうでもなくなってるけど」

 

 リゼさんがまだ生きてた頃のことも含めてか、僕がよく本を読んでるのをなんとなく覚えられていたらしかった。

 そんなこんな話しながら、僕等は足を進める。

 

「……トーカちゃん、そろそろ説明してくれる? 色々ツッコミは入れないで来たけど、服とか髪型とか」

「ん」

 

 ぐい、とトーカちゃんは指を指す。

 その建物は、周囲の建物に比べて色々と異質というか、ちょっと変わった大学のキャンパスのパーツが一部だけ抉られたような、そんな感じの立方体ベースの建物だった。

 

「ここは……CCG!?」

 

 建物の入り口の近く、門の手前にその看板があった。

 

「そ。対策局の20区の支部」

「……いきなり敵陣に乗り込むって感じじゃなさそうだけど、目的は?」

 

 にやり、と一瞬笑ってから、彼女は僕を引き連れて手前の掲示板前に。

 

「コレ」

「……手配書?」

「そ。月山とかリゼとか。あと、店長とか」

 

 掲示板の中に「喰種と戦う喰種」という項目があって、間違いなく店長だろうなとは僕も思った。

 そして、視線を動かして行くと端に目がつく。

 

「これ、ヒナミちゃんのか……」

 

 あの日の服装、背丈、年齢などが記された手配書を前に、僕は拳を握る。

 

「一般人からのタレ込みとか、投書とかも聞いてくれんのよ。

 で、今日の私らは”集優高校の生徒”よ」

「トーカちゃん、それでっち上げなかった?」

「うっさい。ま、私がしゃべるから、アンタ適当に相槌を……? 何?」

 

 その場で腕を組んで、考え込む僕を前に、トーカちゃんは訝しげな目を向ける。

 僕はと言えば、色々と考えてから彼女の手を引く。

 

「ちょっと出直そうか、トーカちゃん」

「は?」

「もし仮に、捜査官と遭遇したらどうするの?」

「そんなの――」

「ヒデから聞いたんだけどさ。向こうには喰種かどうかを判断する、金属探知機のゲートみたいなのがあるんじゃなかったっけ」

「……そーだけど」

 

 もし何かの拍子で、それを潜らされてしまったら、一発終了なんじゃないかと思う。

 対策も何も考えないで、無作為に向かうのは得策じゃない。

 

「ただタレコミを入れるだけなら良いかもしれないけど……、足つかない? 場合によっちゃ」

「……じゃあ、どーすんのよ」

「ネカフェか何処かでファイル作って、印刷して投書の所に入れるくらいで良いんじゃないかな……。

 もちろん読まれないかもしれないけど、全く情報として上がらないって訳でもないと思うし」

「いたずらって思われない?」

「背に腹は変えられないかなと思う。リスクを避けるべき、というよりは、白いヒトって言ったらわかる?」

「ひょろいのなら」

 

 頷くトーカちゃん。きっと彼女も、あの捜査官は見たんだろう。

 

「なんとなくだけど、ああいうヒトは容赦しないというか、こっちの都合は関係なくやる相手だと思うんだ。

 だから、もっと自分の身を守った方が良いと思う」

「……でも、そんなんじゃいつまで経っても」

「……だからと言って、トーカちゃんまでそのために死んじゃったら、駄目だよ」

 

 と、そんな話をしていたのがよくなかったのかもしれない。

 よく言うアレだ。噂をすれば影が来る。

 

 当の本人たる、白い髪の、やせこけた捜査官がアタッシュケース片手にやって来ていた。

 

「ん? やあ。どうしたのかね?」

 

 普通に話しかけてくるこの人。僕らは一種身体が硬直する。

 さ、とトーカちゃんが僕の後ろに隠れたので、どうにかしろってことか。

 

「あ……、あ、えっと……」

「ふむ。情報提供なら窓口に行ってくれ。内容によっては奥の部屋にもだねぇ。

 ところで、どうしたのかね?」

 

 咄嗟に出てきた言葉は、大変に失礼千万なものだった。

 

「……あの、お顔が、すごく、威圧感といいますか、えっと……」

「ん? はっはっは、済まないねぇ。若い頃からこの調子だ。

 言いたい事はわかるし、よく言われるよ。

 娘の授業参観に行けば周囲から怖がられたり、娘の描いた私の顔をデスクに貼り付けておいたら、同僚から魔よけか何かかと問われたりねぇ」

「娘さん……?」

「妻に似て美人でねぇ。はっはっは」

 

 ぴしゃり、と頭を叩きながら彼は笑う。目が笑ってないので、怖い事怖い事。

 

「後ろの彼女も、怖がらせて悪かった。うん……?

 ふふ。そうだね、では君達も情報があれば、宜しく頼むよ。私はそこの端にある、母娘の案件を担当している『真戸』と言う。縁があれば、また会うこともあるさ」

 

 そう言いながら、彼は対策局を出て行く。

 その後に続いて、長身の捜査官のヒトが走り、僕等の横を通り過ぎていった。

 

「……行ったよ、トーカちゃん」

「……アンタ、アドリブ効くのね」

「いや、全然駄目だったと思うけど……」

 

 どちらかと言えば、あの捜査官が思ったより親しみやすい風な物腰だったことが理由だろう。

 喰種として対峙した時、あれほどの暴力性を向けてきた人ではあるけど、別な面では案外まともそうに見えてしまう。……いや、そこに境界はないのかもしれない。

 

 トーカちゃんは、腕の包帯の当りを押さえながら、僕を見上げて来た。

 

「……癪だけど、アンタの案使うから」

「うん」

 

 不承不承、という感じに、トーカちゃんは足を進めた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「真戸さん。草場さんの見舞ですが……」

「あー、これでメロンでも買って行きたまえ。私は仕事に当ろう。

 今行ったら、死神でも来たかと思われかねない。さっきも高校生くらいの子から、なかなか怖がられてしまったしねぇ」

「……心中、お察しします」

「いやいや。喰種専門の死神というなら、いくらでもなってやりたいとろこさ。

 有馬君のごとくねぇ」

 

 くつくつと笑いながら、真戸さんは俺にいくらか札を渡して背を向け、夕暮れの町に出る。

 俺はその背を見送りながら、後を追うべきか迷い、見舞に行く事を優先した。

 

 本当ならば、俺も彼のごとく仕事に専念したいところだ。

 だがもし意識が戻っているのなら、聞ける情報もいくらかあるかもしれない。

 

 だが、病院に着いた時点で俺の予想は外れていた。

 

「亜門さん」

「……中島さん」

 

 草場さんの病室。そこでは、ぐっすり目を閉じている草場さんが居た。

 血色は悪く無い。自発呼吸もしているから、状態は安定してると見て良いだろう。

 

 だが、状況はそれでは済まないらしい。

 

 腕と足を縛られて、彼は眠っていた。 

 

 中島さんは、簡単に彼の状態を説明してくれた。

 

「……パニック障害?」

「PTSDと幻肢痛と、何より殺されかかっていたというのが大きいらしいです」

 

 釣られた右腕は、肘より少し下から全てが欠損している。

 巻かれた包帯にわずかに血の痕が滲んでいたのは、暴れたからだろうか。

 

「明るいうちは良いんですけど、夕方から夜にかけて……。

 あの精神状態で、捜査官を続けることは難しいだろうと。復帰するのには長く時間もかかるだろうとのことです」

「そうですか……」

 

 ベッド横の冷蔵庫を開けて、俺の買ってきたメロンをしまう中島さん。

 

「……メシ、一緒にどうですか?」

「……」

 

 頷き、俺たちは前に行った蕎麦屋へ向かった。

 あげ物の香りとアルコール臭が鼻腔をくすぐる。

 

「……こう言っちゃ何ですけど、複雑ですね」

「……中島さん?」

 

 自嘲するように、彼は口を開いた。

 

「いっそ死んでしまった方が楽な状態なのかもしれないと思うんですが、でも、やっぱり生きていて良かったんですよ。喰種が『なまったか』みたいな事を言っていたんですが、たぶんそのせいで」

「……」

「あれじゃ嫁さん貰うのも大変だろうし、居たとしても、色々……。

 アイツ、貴方のこと尊敬してたみたいですよ」

 

 とりとめもなく続く中島さんの言葉。

 店主が注文を持って来て、草場さんが居ないことを不思議がる。俺達は、言葉が続かない。

 

「……俺、ここでいつもこのセットなんですよね。草場の野郎は『まーたそれですか』って言いやがって。

 そのくせ俺に奢らせやがって……。早く、帰って来いってんだ」

 

 仕事どうすんだよ、おい。中島さんは、涙声にそう続ける。

 俺は――勢い良く目の前の丼を平らげ、言う。

 

「……草場さんが、誰かがこんな風になる世界など間違ってる。

 俺達が正すべきなんだ」

「……」

「今度、俺にも何か奢ってください。きっと草場さんより食べますが」

 

 そして。

 

「いつかまた、三人で食べに来ましょう」

 

 その時は、少しでも笑い合えるように。

 俺は、決意を新に拳を握る。

 

 中島さんは一瞬呆気にとられて、そして苦笑いを浮かべた。

 

「……二人分は流石にキツいな」

 

 困ったように言いながらも、それでも、彼の目は先ほどよりは真っ直ぐ前を向いたように思えた。

 

 

 




今回まとめ:

真戸さん人間には優しい
草場さん生存

カネキ、原作よりヒデと喰種についていっぱいしゃべってる

※12/21誤字修正


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#010 周知/失踪/隠刃/開眼

 

 

 

 

  

 

 

「ほいしょっと。うーん、ここなら面白い”画”、とれるかなー?

 捜査官も多いし、ちょっと張ってよ」

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ――捜査官、一名重傷。

 ――犯人の喰種はウサギ好き?

 

「……アンタ、仕事中だっつの」

 

 お店にあった新聞紙。ちょっと気になった部分があったので、読んで見ればこの調子だ。

 いやそうな顔をしながら、僕からそれを取り上げるトーカちゃん。

 

重傷(ヽヽ)、か」

「……単に、失敗しただけだっつーの」

 

 腕を押さえながら、トーカちゃんは僕から視線をそらす。

 

「……投書した時に対応してくれたお姉さんとか、少し話したの覚えてる?

 ヒナミちゃんの情報も、トーカちゃんの情報も、まだ全然集まってなかったみたいだったの」

「……」

「今なら、ストップ出来るんじゃない?」

 

 そう言ったら、復讐だけじゃねえんだよ、と首元を掴まれて引っ張られた。視点の関係でカツアゲとかされてる気分だった。

 

「……私は昔から、所詮人殺しよ。全員殺すまで止めるつもりはない。

 そうしなきゃ、ヒナミも元気になんないし……」

 

 頑なにその姿勢を崩そうとしないトーカちゃんに、上手くかける言葉が思い付かない。喰種として生まれた彼女は、きっと現代人のそれと多少命の意味合いが違うのかもしれない。きっとその重さも。

 

 ただそれでも、殺し損ねたというその事実が、彼女が芳村店長(仮面ライダー)の作った”あんていく”(決まりごと)から、どうしても抜け出せなかったということじゃないかと、僕は思えてならなかった。

 

「復讐で救われるのは……」

「あ?」

 

 だからだろうか。

 僕の口は、自然と開いていた。

 

「……復讐『しようと』した人だけなんじゃないかな」

「……何言ってるの?」

「……いや、ごめん。何でもないよ」

 

 思わず口をついて出てきた言葉は、トーカちゃんに理解されたかどうか怪しかったけど。

 でも、言わないと駄目な気がした。他ならぬ僕自身、現在向きあっている問題でもあるのだから。

 

「ヒナミに珈琲淹れて来る」

「うん。……ヒナミちゃん、寝れてるかな。食事もあれ以来、まともに食べてないし」

「夜寝れないのはアンタのせいだろ。あの長ったらしいタイトルの本とか置いて行くから。

 ……メシは、あー、角砂糖入れるけど」

 

 言いながら、トーカちゃんは僕に背を向ける。

 

 

「大体、食事のこと言ったらアンタの方だってどーなのよ」

 

 

 地味に痛い所をつかれた。

 未だに肉を食べるのに抵抗があるので、トーカちゃんからもらったアレは冷蔵庫の肥やし状態だ。西尾先輩に持ち逃げされて、仕方なしとばかりに譲られたアレ。ちなみに店長が印字したのか、消費期限までご丁寧に書かれて居たりする。

 

「今日も終わったら訓練だからね」

「…… 一週間連続で休みなし、ね」

「文句ある?」

「ないから睨まないで」

 

 最近は慣れ初めて来たトーカちゃんの視線だけど、やっぱりそこのところ難しいなと僕は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視線をそらしながら笑うカネキを鼻で笑って、私は階段を上る。

 扉をノックすると、うーんと眠そうな声が聞こえた。

 

「ヒナ。ごめん寝てた?」

「お姉ちゃん……」

 

 珈琲を置きながら、私は軽く注意。店長からも言われたことだけど、やっぱり成長期は食事をとらないと体が維持できない。だからしっかり食べろと。

 

 ヒナミは、目の下にくまを作りながら、何とも言えない表情をして頷いた。

 

「髪、とかすから。後ろ向きな?」

「うん」

 

 新聞をテーブルに載せて、私はヒナミの横に座った。

 リョーコさんが置いてった櫛を手に取り、背中を向けさせる。

 

「ごめんな。しばらくは出られないから。……でも、私たちが上手い事やってやるから」

「うん」

 

 毛先のゴムを解いて、丁寧に入れる。

 

 さらさらとした髪質は、どこか弟の頭を思い出す。

 

「……字、いっぱい」

 

 ヒナミが、ぼそりとテーブルの上のそれを見て呟いた。

 

「新聞っていうヤツ。新しい情報とか、色々書かれてるやつね」

「ほぉぉぉ」

 

 変な声を上げたヒナミ。

 思わず笑って、私は「やるよ」と言った。

 

「勉強してんでしょ。色々人間のこととか知れるし、面白いよ」

「ありがとう、トーカお姉ちゃん。

 わかんない言葉あったら、お兄ちゃんに聞くね!」

「……私には聞かないのかいそーかい」

「たんぽぽ、お姉ちゃん読めなかったし」

「普通その字、その読みで使わないから。

 ……はい! これで良しと」

 

 手鏡を見せると、ありがとうとヒナミはまた言う。

 元気になったように見えるけど、半分くらい空元気なのが私はなんとなくわかる。

 

 部屋を出て後ろ手で扉をしめて、私は拳を握った。

 

 不意に店長の言葉が脳裏を過ぎる。復讐は、権利ではなく義務。

 カネキの言葉もなんとなく同時に。復讐して救われるのは、復讐しようとしたヤツだけ。

 

「……んなの、カンケーないだろ」

 

 舌打ちをしながら、階段を下りる。

 

「ヒナミ、このままじゃ表だって歩けないんだぞ」 

 

 捜査官を殺して、ヒナミの顔を知ってる奴を減らさないと、いつまで経っても安全に過ごせない。

 言われなくったって分かってる。復讐したってリョーコさんは帰って来ない。綺麗事のように「復讐する理由」を並べ立てて実行しても、こちらのリスクを増やすだけ。

 

 でも、だったら黙ってられるのか?

 私は、そんなこともう出来ない。

 

 この間確認したら、私たちの投書した情報に捜査官たちも踊らされていた。カネキの案だっただけにちょっとムカツクけど、この調子であとは、あの「真戸」とかいう捜査官さえ押さえられれば――。

 

 キッチンに下りると古間さんから「すごい顔」と言われたりして、鏡の前で少し悪戦苦闘。カネキがその様を見てたりして殴ったり色々あったけど、仕事はいつも通りこなせたと思う。

 

 そして裏口を閉めて、訓練の準備を始めたタイミングで、扉がノックされた。

 

「あれ、ウタさん?」

 

 現れたのは、帽子にグラサン。でも首元の刺青には見覚えがあった。

 

「……ごめん、トーカさん」

「や……はい?」

 

 そういえば、今店の一階に居るのって私とカネキだけで……。

 

「いや、違いますって、そんなんじゃ……」

「ていうか、どうしてお店に?」

 

 仲良いね君達、と言いながらウタさんは手持ちのバッグの中から、黒い箱をテーブルに置いた。

 

「せっかくだから、付けてるところ見て見たいな」

「これ……、マスクですか?」

 

 どうやら出来上がったので、届けに来てくれたらしい。

 付け方も教わりながら、カネキはマスクを手にとり――。

 

 ぴたり、と目を開いて動きを止めた。

 

「……上の部屋、静かすぎない? トーカちゃん」

「……寝てんじゃないの、ヒナミ」

「昼過ぎに行った時も反応なかったし、寝すぎじゃない?」

「……二人とも、見に行ったら」

 

 ウタさんのそれに従って、私とカネキは上の階に上る。

 

 わずかに嫌な予感が胸を過ぎる。そして、図らずもそういうのは当ってしまう。

 

 ノックしても返事はない。

 扉をあければ、本と新聞が中途半端に読み途中のまま。

 

 シャッターの下りた窓は、開け放たれていて――。

 

「嘘、でしょ……?」

「……僕、奥の部屋も見てくる」

「お、お願い」

 

 でも、それだって結果は変わらない。地下に行った形跡はないし、となるとやっぱり窓から下りたと考えるのが妥当だ。

 

 迂闊だった。

 

 自分に腹が立つ。

 

「蓮示君にも連絡しておく。店長はもう帰っちゃったみだいし」

「ウタさん、お願いします」

「カネキ君、今度付けてるの見せに来て?」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 カネキと一緒に店を出て、走る。

 頭に血が上って、色々と判断力が鈍る。

 

 私は「喰種としての」全力で跳び上がり、カネキを置き去りにしてマンションの壁を蹴って上って行く。

 

「……っ、もしもし店長!? ――」

 

 カネキが電話を誰かにしてるのを視界に一瞬入れて、私は走る。

 

「……ヒナミ、ごめんッ」

 

 テーブルの上に置いてあったあの新聞。開いてあったページを思い出して、私はどうしたら良いかわかんなくなる。カネキが見て聞いていた時点で、想像してなきゃ駄目だったんだ。あの記事は、きっとヒナミにも辛いことなんじゃないかって。

 

 嗚呼、どうして私はいつも――。

 

 ――慣れ合いとかうぜぇんだよ。やりたきゃ一人でやってな、クソ姉貴。

 

「――アヤト……」

 

 そして唐突に、移動中異臭を感じた。

 この臭いは、どこかで――。

 

「――ぁぁぁぁああああああああああああッ」

 

 ヒナミの悲鳴が聞こえた。

 私は民家を飛び降りて、歩く。

 

 場所は、重原小の近く。 

 

 私達がCCGに投書した情報の場所。

 

 その河原の下で、ヒナミは体育座りのように蹲っていた。

 

「……ヒナミ、帰ろ?」

「お姉ちゃん」

 

 ヒナミは、言葉だけを続ける。

 

「新聞記事のあれ、お姉ちゃんがしたんだよね。ウサギ大好きだし」

「……」

「でも、きっと私が関わってるって思われる。お母さんを殺した人達だって追ってくるし、だったら――私は、逃げなきゃ」

 

 虚ろに続けるヒナミ。その手の隙間から、私はあるものを見つけて、口が震えた。

 

「あ、アンタ……、何持ってんの……ッ」

 

 それは、手。

 左手。薬指には見覚えのある指輪。

 

「お母さん、の……」

「……ッ」

 

 私は、私の作戦が甘かったことを認識させられた。

 あの白い捜査官もこの場には来ていた。その時に何かやってるなとは思った。でもまさか、まさかこんなことしてるなんて思いもしなかった。

 

「どうして、なんだろ。

 私達、生きてちゃ駄目なのかな……っ」

 

 涙ぐむヒナミ。

 私は――ヒナミを抱きしめる。

 

「……私達、この間CCGに行って来た。

 で、二人して色々聞いたりしたんだけどさ。窓口の人間がおしゃべりで。聞いた限りじゃ、それでもあんまり情報が集ってなかった。似顔絵とかさえ見せられなかったし。

 アンタの顔知ってるのは、あの夜に居た四人だけだと思う」

 

 だから――。

 

「私が傍に居る。アンタを殺させはしない。

 絶対守る……、約束する」

「……」

「私達が生きてて良いのかは全然わかんない。

 でも、何か意味はあるんじゃないかって私は信じたい。カネキみたいに、全然わかんないのも居るしね」

「……うん」

  

 

 

 

   ※

 

 

 

『カネキ? ヒナミ見つかったよ!』

「本当!? よかったぁ……。それで、今どこに?」

『投書したところ覚えてる? あそこの近くの――ッ』

 

 話していた途中、いきなり通話が切れる。

 

「……電池切れ? いや……」

 

 嫌な予感がする。脳裏に、母さんが倒れた時の映像がフラッシュバック。

 店長に、見つかったけど何か不自然だとメールを送る。

 

「やっぱりさっき、電話して正解だったかな……」

 

 トーカちゃんが先行した時点で、僕は店長に電話を入れた。話を続けると、ヒナミちゃんの保護の分には力を貸してくれるとのこと。

 

「……見つかったことには一安心だけど、僕も行こうかな」

 

 入れ違いになったらそれで良いかもしれない。

 もし入れ違いにならないで、何らかのトラブルに巻き困れていたらと、それが心配で仕方ない。

 

 そう思って居ると。

 

「――この下流の、重原の方ですね! 了解、こちらもすぐ向かいます」

「……ッ」

 

 明らかに捜査官と思われる、見覚えのある長身の男性が電話をしていた。

 片目にガーゼを付けてるのが見える。彼は川の堤防沿いを、走りだした。

 

「……ッ、ウタさん、使います」

 

 慌てて服の裏ポケットに入れて持ってきた、マスクを取り出して装着。

 

 人間らしくない、どちらかと言えば昆虫寄りの牙をむき出しにした眼帯のマスク。

 普段付けてる側とは、反対側が露出した顔。「隠してるほうの眼が見たかったから」とはウタさんの弁。

 

 普段と印象が大きく変わる。と同時に、脳裏に仮面ライダーの映像がフラッシュして。

 

「……僕はもう」

 

 あの時みたいに、同じような思いはしたくない。

 

 手すりをつかみ、僕はそのまま下に飛び降り、捜査官の前に立った。

 

 

 

 

 

 

 

「……何だ、貴様は」

 

 真戸さんからの連絡を受けて、俺はそちらへ向かおうと足を進めていた。

 そんな時、眼帯の喰種が降りて来た。

 

 その姿は、見覚えがあった。

 

 真戸さんが言った「眼帯はその場にたまたま居た喰種」という説を思い出し、頭を左右に振る。

 

「お前は、あの時の喰種だな。悪趣味なマスクだ――眼帯」

「行かせません」

「邪魔だ、消えろ」

 

 そういった瞬間、この喰種は走り出してきた。

 型は滅茶苦茶。殴り慣れて居ない緩慢な動作。

 

 赫子を出して居ないこともあってか、そのパワーは弱い。

 

 軽く胴体で受け、流し、俺はそいつを地面に叩き付ける。

 

 そのまま締め落そうとして、蹴りの反撃を食らう。

 

「赫眼か。……らしくなって来たな」

 

 俺はすぐさま、手元のアタッシュケースの制御装置を起動させる。赫眼が掌大の装置の中で開き、装着されているケースの形状が一瞬ドロドロと溶け、やがて棍棒状にまとまった。

 

『――ドウジマ・1/2(ハーフ)!』

 

 独特な機械音が鳴り、形状が完成する。

 

 クインケを見るのは初めてなのか、目の前の喰種は動きが一瞬鈍った。

 

「死ね!」

 

 一撃が、ヤツの胴体にヒットし――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話を切った私の前に、白い捜査官は猫背の姿勢で現れた。

 

「やあ、数日ぶりだねぇ。あっちの彼も元気かい?

 お嬢さん。いや――ラビット」

「ッ」

 

 ケータイのストラップを見たのか、その視線は私の手元に集っていた。

 くつくつと笑いながら、彼は足を進める。

 

「……あの時の彼が喰種かどうかは知らないが、私に隠れて腕を庇っていたことを見てどうにも気になってねぇ。あくまで直感だったが、色々作戦は展開したよ。

 しかし、これでようやく理解した。流言で捜査を掻き乱したのは、笛口の娘のためか」

 

 どうしてあれだけの情報から、私の動きを感知できたのだろうか。

 

「我々が明確な情報を得て居ない時点で、捜査員を分断させ襲いやすい状況を作る。

 その上でなおかつ、直接娘の顔を見た我々を殺そうと。そうすれば、少なくとも以前の生活に戻れる確率は上がるだろうなぁ。だが――」

 

 何ということはない。言ってる事が正しけりゃ、経験則か、あるいは狂気じみた執念だ。

 

 

 

 

「片腹痛いわ。反吐が出る。

 バケモノの分際で、平穏な生活だとぉ?

 なら、貴様等が私と娘から奪った、平穏な家庭は何なんだというのだ――!」

 

 

 

「ッ」

 

 放たれた言葉に、私は動きが止まる。

 他ならぬ、それは私が敵に対して持っている感情のそれに近いもので――。

 

「……そうそう、贈り物は喜んでくれたかな? 母親が恋しいだろうと思ってねぇ。

 まんまと期待通り掛ってくれたが――ハハハハハハハッ!」

「……ッ」

「てめェッ!」

 

 でも、その言葉に私はキレた。躊躇などかなぐり捨て、襲いかかる。

 

 そのタイミングで、ヤツはアタッシュケースを起動した。

 

 

『――フエグチ・(ファースト)!』

「ッ!」

 

 

 電子音で呼ばれた名前を聞き、私はやはり足が固まる。

 そのタイミングを逃さず、ヤツは私の体にクインケをぶつけようとする。

 

 ぎりぎりで我に帰り、私は踏み込んで飛び上がった。

 

「ほう、あの体勢からか。見事! やはりそこらの雑魚とは違うなぁ。

 今日死ぬ運命でなければ、過日20区の”梟”のようにさぞかし厄介なものになっていたろう!」

 

 しゃべりながらも攻撃は止まない。

 そして、私の意図した通りにヤツの武器は、柱に刺さり、一瞬動きが止まった。

 

 この狭い空間では、コイツは武器を振り回し難い。

 

 大して私の赫子は近接が主体。間合いに潜り込めれば――。

 

 そしてそのタイミングで、ヤツは武器から手をはなし、もう一つアタッシュケースを取り出していた。

 

 

『――フエグチ・(セカンド)!』

「は?」

 

 

 展開した四枚の、花弁のようなそれに私の拳は防がれる。

 弾き飛ばされ、私は足を止められた。

 

「……嫌ッ」

「――ッ、ヒナ!」

 

 そして気付いた。この状況は、まずい。

 

「お前達も知ってるだろう? クインケを。その材料を――クク」

 

 堪えるように笑う敵は、私達の目を見て、心底蔑むように声を上げた。

 

 

 

 

 

「――娘よどうだ両親(ヽヽ)だぞ! お前の大好きななぁ」

「いやだぁぁあぁあぁぁあぁあぁぁぁああぁああぁあぁあ――!」

 

 

 

 

 

「……こ、んのッ、ゲス野郎ォがッ!」

 

 飛びかかる私を、絡めとるようにリョーコさんの赫子(クインケ)がうねる。

 足をとられ、上を押さえられ、柱に叩き付けられ。

 

「力はともかく、学習しないなぁ。これなら眼帯の方がまだ冷静だったぞ。

 直情的で感情に囚われ、それゆえ周囲の警戒がおろそかに成る」

 

 だがしかし。

 

「そうであっても、力は上々だ。お前は良い材料(ヽヽ)になりそうだ」

 

 左脇腹を抉られるように一撃が入る。

 臓器なども回復はするけど、今の状況とこの威力じゃそれどころじゃない。

 

「しかし夫婦そろって素晴らしい使い心地だな。

 せめてもの情けだ。娘もそろえたら三人仲良く『混ぜて』やろうか」

 

 くつくつと笑いながら、奴は私の体を更に抉る。

 悲鳴を上げる私に、心底楽しそうに叫ぶ。もっと悲鳴を上げろと。もっと懺悔しろと。

 

「……クク。旦那は長かった。妻は一瞬だった。

 お前は、どっちが良い? ラビット」

 

 両手の武器を見せ、奴は趣味の悪いことをヒナミに言う。

 

「ころ、すぞクソ野郎……ッ」

「ふん、死体にたかるゴミが。さぞかしその眼も、クインケ起動時に映えることだろうが……、一体、何が貴様等を生きながらえらせようとする?

 キジマという知り合いによれば、貴様等の多くのメンタルは我々に近しいと聞く。

 なのに何故、呪われた生を生きようとするのか?」

 

 目の前の敵のその問いかけに、私は――私の中の感情は、決壊した。

 

「……生きたいって、思って、何が悪いんだよ。こんなんでもな、祝福されて、せっかく、生んでくれたんだ。

 ヒトしか喰えないなら、そうするしかねーだろ……、じゃなきゃ、どうやって生きていけば良いんだよ!」

 

 何でもかんでも、お前たちは私たちに上から目線でものを言う。自分達が覇者であるように。自分達以外の誰も認めないように。

 自分が喰種だったらどうかとか、そんなこと全く考えないで、ただ、死ねと、材料に成れと言う。

 

「……私達だって……」

 

 脳裏には、依子の顔。

 一緒に昼をとってるときの、あの気の抜けた笑顔。

 

「――アンタらみたいに、生きたいんだよ……ッ」

「……聞くに耐えん、が、一考はしよう」

 

 逝け、と目の前の敵は私目掛けて赫子を振り回し――。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

「……仮面を付けた悪鬼」

 

 何度か殴り、往なし、ダメージを蓄積させて、俺はヤツを追い詰める。

 こちらを赤と黒の眼で睨むこいつに、俺は聞いた。

 

「罪の無い人々を平然とあやめ、己の欲望のままに喰らう。貴様等の手で大切な相手を失った人間は、大勢居る。

 残されたものの気持ちを……、怒りや、悲しみを、空虚を、想像した事があるか?」

 

 見下ろしながら言う俺に、目の前のヤツは反撃せずに、ただ、無言で聞いている。

 

「……貴様の知り合いかもしれんが、ラビットという喰種が居る。

 ヤツに仲間が再起不能にさせられた。……ほんの、数日前」

 

 後日また面会に行き、あの惨状を知り、俺は、更に怒りが胸に灯る。悔恨が胸に残る。

 

「……彼が何をしたという? 捜査官だったからか?

 ふざけるな。何故俺の同僚たちが、皆傷を受け、殺されなければならない――」

 

 この世界は歪んでいる。

 

「――歪めているのは、喰種(きさまら)だ」

「……」

 

 涙が流れる。だが、この敵は一切こちらに攻撃を加える動きが無い。

 ソデで拭い、俺は睨む。

 

「……確かに、多くの喰種は道を誤ってる。

 ラビットもまた、きっとそんな喰種の一人なんだと思います」

 

 立ち上がりながら、奴は、言葉を続ける。

 

「僕は……色々あって、貴方の言う事の方がよく分かる。

 だけど、それはきっと――片方だけの歪みじゃないのだと、思います」

「……何だと?」

 

「何も知らないで、憎しみあって、殺しあって――そんな環の中に永遠に居るのは、きっと、間違ってる」

 

 意味のわからないことを続ける、少年の喰種。

 俺が理解を拒否したのを見て、彼は言う。

 

 

 

「……だったら、分からせます。

 ”人間”として――”喰種”としてッ!」

 

 

 

 

 その視線に乗った感情を、俺は、正しく理解できなかった。

 

 

 

 

 




武器が自分で名乗るのは、やってみて改めてシュールだと思いました;

武器イメージとしては、鎧武の無双セイバーのロックシード装着状態みたいなイメージです。起動するとロックシード(赫眼を組み込まれた装置)が発光して名前を名乗り、変形するみたいな。必殺技もたぶんあります。
そして制御装置だから取り外せますが、外すと変形が出来なくなります。


そして、いよいよ変身。


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#011 変身

対者/三人/円環


 

 

  

 

 

 

 

『私らが本気で殴れば、大体の人間はぶっ飛ぶ。そうじゃなきゃ腕振り回してりゃ勝てるでしょ』

 

 体格差があっても、トーカちゃんの言う理屈が覆る事は、普通はないだろうと僕も思う。

 でも実際、それを逆転させたのはもっと物理的な理由だった。

 

 長身の捜査官を殴った時、僕の手が感じたのは重量と硬さだった。若干の柔らかさを伴うそれは、鋼ではなく、鋼のように鍛え上げられた筋肉。

 

 下手をしなくても僕等に匹敵するほどの、そういった物理的破壊力を秘めている体。

 

 トーカちゃんのそれを思わせられる、物理的な組み伏せこそが、そのパワーを象徴しているようだった。

 

 ぎりぎりで蹴りを入れて距離を取る。

 認識が甘かった。全ての捜査官がそうとは言わないだろう。でもトーカちゃんが苦戦するくらいの相手なのだから、きっとそれは別格だ。

 

「気を確かに……ッ」

 

 全力で向かうんだ。包丁も通さないこの体で。

 

「……赫子か。らしくなって来たな」

 

 視界が一瞬ゆがみ、変化した僕の左目。

 目の前の捜査官は、自分のアタッシュケースに掌サイズの装置を取り付けて、ボタンを押した。

 

 

 

『――ドウジマ・1/2(ハーフ)!』

 

 

 

 その音と共に、アタッシュケースに分割線が走る。ケース状の見た目が分解され、中から芯のようなものが展開。液状だった一部のパーツが先端に結集し、ぎゃりぎゃりと音を立てながら回転して、棍棒のような形状に変化した。

 

 見たことの無い武器。これが、捜査官のそれか。

 仮面ライダーのドライバーじみたそれを見て、思わず僕は一瞬怯む。

 

 その隙を見て、捜査官のヒトは棍棒を振り下ろしてきた。

 

「死ね! クインケの錆となれッ」

 

 何より驚かされたのは、かすった箇所が「傷」になっていたことだ。

 そして彼の言った言葉で、脳裏に店長の言葉が思い出される。

 

 あのバックルの名前は、クインケドライバー。本来の用途は、喰種拘束。

 

 とすれば、このクインケというらしい武器は、僕等と戦う為に作られたものだということだろう。

 

 映画とかじゃないけど、くそ、格好良いじゃないか。まるでこちら側が悪役のようで――いや、実際人間側から見れば、ぼく等の方が悪なのはまぎれもない事実なんだろう。

 

 戦況は危うく、僕は彼に追い詰められる。

 そして、彼は決定的なことを言った。

 

「この世界は間違っている。

 歪めているのは――貴様等だ!」

 

 ――仲間が再起不能になったり、死んだりして。それを怒るのは当たり前の感情だ。

 

 トーカちゃんが襲った捜査官も、他の喰種が殺した人達も。

 あんていくのようなことをして、全てを賄えるはずは無い。リゼさんのように多くの喰種が、数え切れない悲しみを生み出してきたのだと思う。

 

 僕だって思う所は、多い。

 彼が言うことが、間違いじゃないと人間(ぼく)は思う。

 

 でも――じゃあ、ヒナミちゃんは?

 リョーコさんは? あの生き方が、間違っていたと言うのか?

 

 ――喰種だって、大事な誰かを失えば悲しいし、怒りも、虚脱感も覚えるんだ。

 

 そこに眼さえ向けられれば、全員じゃなくてもいい。そうすれば、少しでも――。

 

 

 

 

――君は、両方の世界に同時に立てる、只一人なんだよ。

 

 

 

 

 嗚呼、そうか。店長の言葉を思い出し、理解する。

 

 僕だけなんだ。人間(ぼく)だけが、喰種(ぼく)だけがそれに気付ける。伝えることが出来る。

 お互いのデフレスパイラルの中にあってなお、僕だけがその狭間に取り残されているのだから。

 

 ならば僕は、それをしなきゃならない。

 

 

 

「……だったら、分からせます。

 ”人間”として――”喰種”としてッ!」

 

  

 

 例えどれほど滑稽で、例えどれほど嘲笑の対象であったとしても。

 例えどれほど後ろ指をさされて、例えどれほど裏切られたとしても。

 

 傷を受けて、傷を返して。それじゃいつまで経っても、誰も、何も報われない。救われない。

 

 僕は――母さんの死に顔を見て、思ったんじゃないか。

 

 

 

 誰かを助けたいと。誰かに手を差し伸べたいと。

 

 

「……ふん。何をわからせると?

 所詮は喰種(クズ)。戯言に耳を傾ける必要もなかったか!!!」

 

 彼の言葉は、もう耳に入らない。

 落ち着け、思い出せ。

 

 振り切る速度は、トーカちゃんの足よりは遅いじゃないか。

 

「動きは良くなったか。だがこの程度、取るに足らんッ!」

 

 腹を抉るような一撃。

 でも思い出せ。西尾先輩の一撃ほど重くはない。 

 

 距離をとり、僕は軽く挑発。

 明らかに、彼の動きが直線的になる。

 

 ……言葉から感じてはいたけど、やっぱり真っ直ぐというか、真面目というか、直情型。そういうところ、トーカちゃんを思い出す。

 

 問題は、やっぱりあの棍棒だ。

 生身で一撃喰らったら、きっと動くことも出来ない。

 

 でも逆に言えば、それさえ押さえられれば後はどうにかできる――。

 

 

『何をためらってるの? カネキ君?』

 

 

 頭の中で、彼女の声が聞こえる。

 

『私の赫子(ちから)が欲しいんでしょ? なら――』

 

 怖い。怖いんだ。

 あの時僕は、ヒデを食糧としか見ることができなくなっていた。

 

 だからこそ、必要以上に目の前の彼を傷つけてしまうのではと、心の底から安心できなくて。

 

 だけど、今戦ってるこの瞬間は――。

 

 

『慎重ね。でも――』

 

 

 ――貴女(リゼさん)の力を、受け入れます。

 

 再度の接近で、口元のチャックを外し、(クラッシャー)を展開。

 そのまま、僕は彼の肩に齧りついた。

 

 

 顎が、今まで感じた事のないほどの力を発揮する。

 

 

 いただきます、という感想が、一瞬で塗りつぶされる。

 以前トーカちゃんに放り込まれた時や、口移しされた時のそれとも違う。

 

 自分の手で、口で、欲してもぎ取ったそれは、文字通り危険なものだった。

 

 

 捜査官から飛び去る。

 痛みにうめく彼を見ながら、僕は、全身の衝動を抑える事に精一杯。

 

 快楽。

 恍惚。

 

 生きた肉を剥ぎ取ったこの体感は、文字通り頭がとろけてしまいそうな威力を持っていた。

 

 これが、喰種が当たり前の人間から失ったものの代わりに、手に入れた快楽。

 

 服を口から吐き出して、意識を研ぎ澄ます。

 

 

 何をやっても食欲が、もっと、もっとと僕の体を支配しようと蠢く。

 

 

 でも、喰種(ぼく)人間(ぼく)を見失わない。見失ってはいけない。

 

「はぁ……、はぁ……」

「――ッ!」

 

 

 咄嗟に僕はドライバーを左手に握り、取り出す。

 それを腰に装着すると、背中から出ていた赫子が集り、両端からベルトのように固定。

 

 確信があった。今ならいけると。

 

 全身に走る痛みに、食欲が勝りかけている今だからこそ。

 

「貴様が――」

 

 そのまま、驚愕した表情を浮かべる彼に、飛びかかり。

 

「変……」

 

 バックルから左手を持ち上げ、僕は言う。

 

「――身ッ!」

 

 そして、僕はレバーを落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼帯の喰種は、バックルのようなものを取り出し、自らの腰に当てた。それがベルトのように構成された時、俺は、えもいわれぬ衝撃を味わった。

 

「何故……、貴様が――」

 

 飛びかかりながら、奴の口が動く。

 それは、俺にとって許容できるものではなかった。

 

 

 

 

「変……、身!」

「貴様等が仮面ライダーなわけがない――ッ!」

 

 

 

 

 目の前で、彼の姿が大きく変わって行く。

 

 やぼったい服装は、体に張り付くような黒いものに。

 所々にある白いパーツと、赫子を出すためにあるような穴。

 

 そして鳴り響く、電子音。

 

 

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 

 それが示すように、この喰種の赫子は鱗赫だった。

 俺はドウジマを振りかぶり、飛びかかってくる喰種に叩き付ける。

 

 だが結局数秒後、悲鳴と血を上げたのは俺の右肩だった。

 

 喰われた分のダメージと、ドウジマを振りまわした分のダメージ。

 

 何よりその「飛び蹴り」が、ドウジマを真っ二つに砕いていた。

 

 

「相手を……、見誤ったか。

 すまん張間、お前の――」

 

「――逃げてください」

 

 そして、目の前の喰種は、おかしなことを言い出した。

 

「……今、変身して抑えていますけど、無理です。早く行って下さい」

「な、何を――ッ」

「このままドライバーを外したら、きっと僕は貴方を殺します。でも、もう――付けてられないッ」

 

 震えながら、目の前の喰種は自分の右手を押さえ、ドライバーのスイッチを押させまいとしているようで。

 

「どうせその状態じゃ戦えないんだ。だから早く――」

「ふ、ふざけるな! 貴様等を前に背を向けるなど――」

 

「早く!」

 

 彼は、震える声で。

 涙を流しながら、言った。

 

「頼むから――僕を、人間のままで居させてください……」

「……ッ」

「限界だから……っ、もう、このままだと、只の喰種になるから……。みんなみたいに、いられないから……ッ

 早く……、行って……ッ」

 

 その立姿に、俺は言葉を失った。

 

 

 

 

   ※ 

 

 

  

 

 私は一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 自分の命が助かったのと同時に、目の前の男の手から、クインケが飛んで。

 

 いや――そうじゃない。

 

「消されたのは右手か」

 

 そう言いながら、目の前の捜査官はヒナミの方を見る。私もつられて視線が動き――。

 

 背中から出る、姿形が違う二つが混じったそれを見て、言葉を失った。

 

「もう……、お姉ちゃんを傷つけないで……。

 お父さんを、お母さんを――」

 

 ヒナミは叫びながら、背中の赫子を、あらん限りに乱した。

 

「――私に返してよぉ!!」

 

 お母さん同様に、展開されたそれは四つ。

 ただより、蝶の羽根を連想させる形。下二つは父親のそれに近い形状をしていて、それを捜査官目掛けて放つ。

 

 ヤツは笑いながらそれを交わしてヒナミに攻撃するけど、それさえ母親の形をした上二つでガード。

 

 

「地行君がびっくりしそうだな。

 素晴らしい……、両親の特性を見事に引き継いでいる! こうして赫子は進化するか! はははッ!」

 

 

 欲しいぞと言いながら、ヤツは武器を父親に切り替えて、しかける。

 

 それさえ巻き取り、持ち上げ、本能的なものなのか反射的なものなのか、勢いに任せて奴の左足を根元から切断した。

 

 

「……っ」

 

 

 この勢いは、ニシキとやりあった時のカネキみたいな感じがする。

 感情が暴走して、赫子を制御しきれていないような――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルトを装着していた激痛から解放されても、今度は食欲が全く収まらない。

 全身の服装が元に戻った瞬間、赫子が解体され僕の背中に戻り、いつもより更に肥大化していた。

 

 食欲を晴らす方法は何だ?

 

『簡単じゃない?』

「そうだ! 一旦ヒトを殺して肉を――違うッ!」

 

 自分が口走りかけた事実に、思わずもう一度ドライバーを装着し、倒れる。

 

「誰か……、助けテ……」

『良いじゃない。そのままやりたいようにすれば』

「このままじゃ――」

『素直になるのが一番簡単よ。だって、(あたし)だって本当は――』

 

 

 ざ、という足音が僕の耳に届く。

 顔を上げれば、烏のような仮面をしたフード姿の男性。

 

「――見ていたんだ。お前を」

「『……あら、随分懐かしい声ね? でも今は、誰でも良いの。

 だって――』」

 

 ――『(あたし)、すごくお腹が空いてるんだもの』

 

 手に残る、鈍い感触。

 流れる血の熱さ。

 

「……芳村さんが目をかける理由が、分かった気がする」

 

 段々と、外れた仮面の下の唇から流れる血を見て、僕は、僕は――。

 

「俺も知りたくなった。お前の、これから先を。

 だから――戻って来い、(けん)

 

 その一言で、僕は、完全に正気を取り戻した。

 

「よ……四方、さん? なんで、あっ、れ? 僕、僕は。

 何てこと、ああ、ああ――」

「……心配するな。とりあえず、食べろ」

 

 肉のパックを差し出して、四方さんは言う。

 

「あっちには店長が向かった。今は――落ち着け」

 

 僕の頭をぽんぽん叩いて、四方さんは自動販売機の前へ誘導してくれた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 暴走してるように見えたヒナミの攻撃。

 でも、それが最後の最後で止んだ。

 

「ヒナミ……ッ」

 

 とどめを、と言おうとすると、ヒナミは首を左右に振った。

 

「わたし……、思った。このヒトに仕返ししたら、このモヤモヤ消えてくれるかなって。

 でも、『私たちみたいな』このヒトを見てて、戦って、わかった」

 

 赫子を萎ませながら、彼女は両手で目元を被う。

 

「――復讐なんてどうでもいいんだよ。わたし、かなしいだけだから。

 おとうさんと、おかあさんに、あいたくて……。

 かなしいだけだったから……」

 

 三人でまた暮らしたかっただけなんだと。

 一人は寂しいと、ヒナミは声を上げて泣く。

 

 両親を呼びながら、ヒナミは泣くばかり。

 

 その身体が、不意にアヤトとだぶる。

 

 

「……ふん、反吐が出る」

 

 

 捜査官の男は、さっとクインケに手を伸ばそうとして――。

 

 

 

『――そこまでだ』

 

 

 

 

 

 バイクのエンジン音と共に、ああ、店長が、仮面ライダーがこの場に下り立った。

 

 

 

 

   ※

 

 

「うわお! 変なのキター!

 でも月山君、興味ないだろうけど」

 

 

 

   ※

 

 

 

 ぼろぼろの外套のようになったそれに、機械的にも思える赫子の集合体。

 それを身に纏い、顔面は片方だけ開いたようないびつな、フクロウを辛うじて意識させるような仮面。

 

 腰には羽赫を示す模様のクインケドライバー。

 

 

 私も、捜査官も目を見開いて、その場で硬直した。

 赫子で武装されたバイクから降りて、店長は捜査官を見る。

 

 

「隻眼……? 梟? 貴様か!? 貴様かあああああああああああ――ッ!」

 

 

 捜査官は突然、狂ったように笑い出した。

 そしてそのまま、赫子を振るう。

 

 店長は、その一撃を肩に受けながら、微動だにせず。

 

 ただ、刃のような右手を構えて。

 

 

『――ライダー、スラッシュ』

 

 

 びゅんと振られた一撃は、刀身が伸び、捜査官の左の胴体と左肩を切り。

 しかし切断しない程度に調整されたそれは、相手の動きを封じるのに充分で。

 

「ククク……、この状況になって冷静になれずしくじるとは、私も亜門君のことを言えないなぁ……」

『……』

 

 仮面ライダーは、捜査官を見たまま動かない。

 

「生きる価値だと? 生きたかっただと?

 死ね。私から、アキラから彼女を奪った貴様等を、貴様を、私は報復せねば――」

『――そのやり方では、私に届く前に終わる事だろう』

 

 店長の言葉に、捜査官は目を開いた。

 

『命を奪う行為に貴賎はない。復讐は義務であり、それ以上の理由がなければそこで終わりだ。

 そして、理由がない以上は連鎖的に同様の暴力を生む。今回のように』

「その程度で私は、折れる、わけには――」

『嗚呼、折れないだろうとも。君の目からは、私と同じ色を感じる。

 だがだからこそ――考えろ捜査官。君が何を、一番に考えなければならないか。その戦えない体で、何を守らなければいけないか。

 私がかつてそうだったように、それを手放してはならない』

 

 くつくつと笑う捜査官。

 

「――わかったぞ? お前は、違う(ヽヽ)な?」

『……』

 

 その前に行き、店長は顎を蹴り飛ばす。

 

 その一撃で、相手の意識は刈り取られた。

 

「……店長」

 

 ベルトのレバーを上げ、変身を解除する店長。

 

 巻き戻りのように全身の赫子がばらばらとなり、いつもの柔和な笑顔が浮かぶ。これには泣いていたヒナミもびっくりした顔をしていた。

 

 黒いコートに黒帽子。目立たない服装。

 

「カネキ君から頼まれてね。ヒナミちゃんを保護してくれと」

「店長、あの……」

 

 大丈夫、と彼は微笑む。

 

「間もなく四方君が来るだろう。後は彼に任せなさい。私は……先に帰ろう」

「どうして……」

「いくら赫子を分離して武装させたとは言え、長時間水につけたらエンジンがやられるからね。

 手入れも必要だし」

「……そ、そんな理由?」

 

 困惑する私やヒナミに、店長はふっと笑った。

 

「カネキ君の方も色々大変だったらしい。私が連れ帰るより、再会してから帰りなさい」

『――()(カク)ッ! 赫者(オーバー)!』

 

 そう言って店長は、また変身してバイクに乗り、そのまま壁面を走行して上っていった。

 少しだけ茫然としていた私だけど、ヒナミはそうでもなかったらしい。

 

 さっきまで殺されかけていた捜査官を、ヒナミは岸の方へ運び、頭だけを水から出していた。

 

「……なんで、そんな」

「……なんでかな」

 

 ヒナミもわからない、という顔をしている。

 破れた捜査官の左手袋。その下には結婚指輪と、傷だらけの素手があって。

 

 私は――たまらず、ヒナミの背中を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼帯の喰種が言っていた言葉は、大きく理解できない。

 だが、目の前にある光景だけは理解できる。

 

 俺は、倒れた真戸さんを抱き起こし、生気のないその顔を見て――絶叫した。

 

 何故、こうならなければならないだ。あの時、足止めさえなければ。

 

 腕をもがれ、足をもがれ、それでもなお戦ったこの気高きヒトが。

 

 

 

 この日ほど、自分の力不足を嘆いた日もない。

 

 そしてこの日ほど、自分の今までを呪った日も。

 

 

 

 

   ※

 

 

  

「おい、大丈夫か?」

 

 四方さんが声をかけた方向には、ヒナミちゃんやトーカちゃんが居た。

 表情は優れない。でも、生きてた。生きていてくれた。

 

「二人とも……。私は大丈夫です、でも――」

「ヒトが来るようだ。早く行こう」

「……やっぱり、殺さないんですね」

 

 僕の言葉に、「決まりだからな」と四方さん。

 

「この傷なら、復帰するのも難しいだろうし、復帰するにしても長い時間が必要になるはずだ」

 

 その一言だけで、ヒナミちゃんを背負って先を行く。

 

 トーカちゃんは、捜査官の方を見て、しばらく足を止めていた。

 

「……どうしたの、トーカちゃん」

「……今度、話す」

 

 ばっと振り返り、トーカちゃんは僕の横を通り過ぎる。

 僕は、その背中に言葉が出てこなかった。

 

「生きてていいのかな、私」

 

 道中、ヒナミちゃんが呟いた一言。

 思い付く言葉は少ないけど、それでも僕は言う。

 

「……リョーコさんは、ヒナミちゃんに生きていて欲しいと思うよ。あの時言った言葉って、そういうことだと思うから」

「お兄ちゃん……」

「僕も、トーカちゃんも、店長も、四方さんも、みんなみんな、そう思ってる。

 ヒナミちゃんが生きてて、嬉しいって」

「……うん」

 

 目を閉じて、四方さんの肩に顔を埋めるヒナミちゃん。

 疲れたのか、こちらにも寝息が聞こえて来る。

 

「……これから、どうなんだろう」

 

 20区の捜査官は、もっと増えるんだろうか。

 トーカちゃんやヒナミちゃんや、そして僕を狙って。

 

 腹部に再装着したドライバーをいじり、レバーに指がかかりそうになって、思わず手を引いた。

 

 視線を上げると、トーカちゃんが腕と腰を庇いながら歩いていて。

 

「……トーカちゃん、肩かすよ」

「あ? いらないっつの」

「まあまあ」

「いや、だからいらないって」

「まあまあまあ」

「その『まあ』ごり押しすれば大体通るみたいなの止めろよっ。

 い、いらないって言ってんでしょーがッ!」

 

 それでも結局押し切られて、トーカちゃんは「意味わかんない」と顔を背けていた。

 なんだかんだ言って、この子も無理をするタイプの子だと思う。だったらこっちが察するか、窺うかして動かないと駄目なんだろう。

 

 空を見上げて月を見て、僕の脳裏にはあの捜査官の言葉がループしていた。

 

 この世界は間違っている。

 ただ、そうであっても――それはきっと、誰かが一方的に傷ついて良い理由にはならない。

 

 母さんのハンバーグの味をなんとなく思い出しつつ、僕は口の中に残る血の味を、なめとった。

 

 

 

 




真「……勝手に殺さないでくれ、亜門君」
亜「ファ!?」

カネキの変身後は、白い方になった後のスーツだと思っていただければ幸いです。きっと今のままだと似合ってません;


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#012 真戸/真戸

我ながら何なんだろうこのサブタイトル。間違ってはいないんだけど・・・


 

 

 

 

 

 1区:CCG管理下の病院にて――

 

 

「――しかし、あの真戸さんがあそこまでやられるとは……」

「まァー、あれで本人が元気そうだから始末に終えねぇ」

 

 病院の廊下を、スーツ姿の男達が歩く。

 多くは厳つく、肉体スペックがある程度極まっていることが理解できる。

 

 その中のうち、二人が会話をしていた。

 

 うち一人は、俺達に指示を出していた丸出さんだろう。

 

「捜査官の資質はクインケ(おもちゃ)じゃない。

 常に前線に居ても、収集癖ばっか執着するからあんなんに――」

「ご家族の前でそんなこと言うから追い出されるんですよ」

 

 会話しているメンバーは、おそらく特等捜査官の面々。

 

 それを聞きつつあの時の報告書をまとめながら、俺はそれを病院のロビーで聞いていた。

 

「……やあ」

「……有馬、特等!?」

 

 不意に声をかけられ、俺は思わず身体が硬直する。

 

 メガネ姿の青年は、CCGが誇る「死神」。

 久しぶり、と言いながら、彼は立ち上がる俺を制した。

 

「一課に配属させた時以来かな」

「そう、ですね。お久しぶりです。有馬さんは……」

「お見舞。無駄足になったけど」

 

 彼の手には、文庫サイズの「効率的なリハビリ」「リハビリに必要な十三か条」という本が握られていた。

 

「いらないって言われた。篠原さんも苦笑いしてた」

「それは……」

「気にはしてない。どうせ自分でも読むからね」

 

 ところでこれが報告書か、と特等は俺の手元を覗きこむ。

 

「……眼帯、か」

「はい」

「うん。…………、これ、まだ下書き?」

「は、はい、そのつもりですが」

 

 ふうん、と言いながら、彼は「眼帯の喰種」についてのページを置く。

 

「……クインケドライバーか」

「……特等?」

 

 一言だけ言い残して、彼は俺に背を向け手を軽く振る。

 

 それを見送りながら、ふと、その背中が真戸さんの歩きとだぶった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 俺がアカデミーを卒業し、CCGに配属された時。

 二等捜査官としてスタートした俺が一番最初に組まされた相手こそ、真戸さんだった。

 

 周囲からの評判は、大変に宜しく無い。

 通称は、クインケマニア。

 

 倒した喰種をクインケにし、収集することに執念を燃やしている。時に常軌を逸しているとさえ言われるその有様。丸出さんが上に居たこともあってか、二人は戦闘に対する主義の違いから反目しあっていたこともあったのだろう。

 

 配属先の一課の先輩方は、振り回されないようにと俺に言った。

 

「真戸呉緒だ。よろしく」

 

 やせこけた頬。色の抜けた髪。ぎょろりと見開かれた目に浮かぶ微笑はどこか挑戦的。

 死者を連想し、同時にある種の不吉さを覚らせられた。

 

 新人捜査官は、ベテランの捜査官と組むか教導されることが多い。無論、捜査の実践を学ぶためだ。所謂OJT。そして、そうであっても命をかけることでより俺達はベテランに近づく。

 

「――私の現在の担当は17区でねぇ。名を『アップルヘッド』と言う」

「アップルヘッド?」

「知っているかい? まあマスク装着時のそれから、我々側で呼んでいる名前なのだがね。時折、アオギリに居る喰種のように自ら名を名乗るものもいるが、大体はこれだ。

 この喰種は、マスク装着時が赤いリンゴのようであったらしい。これが似顔絵だ」

 

 提示されたモンタージュは、文字通りジグソーパズルのように、顔面の皮を切り張りしたようなもの。

 

「こいつは、一年足らずで五十件以上捕食している、狂暴な喰種だ。一体での捕食数にしては大食いすぎるがね。

 おまけになかなか足取りも掴めないときている。それで三週間前に、本部側に討伐以来がきたと言うわけだ」

「一年で五十、ですか……?」

「赫子の分泌液と、付着していたRc細胞の型から調べたから、まず間違いはないだろう」

 

 モンタージュは色が白黒だが、きっとそれは真っ赤に血塗られているのだろう。

 怒りに思考が一瞬沸騰したが、あくまで俺は冷静に努めた。

 

「被疑者の目星はどうなんでしょう」

「…… 一応、私は付けている」

 

 写真こそなかったが、真戸さんは捜査資料を俺に見せてきた。

 

――村松キエ、68歳。

 事件当日に現場をうろついていて、CCGに事情聴取と血液検査を受ける。

 

「老人の喰種が居るのがおかしいかね?」

「あ、い、いえ……」

「くはは、君はなかなか顔に出ると言われたことはないかね。まあ構わないさ。

 しかし、食欲旺盛な老婆の喰種だ。

 長く生きていると言う事は、それだけ賢しく隠れてきたか、あるいはそれだけの強さを持っているかだ。

 良いクインケになりそうだ。……おそらく、ヤツで間違い無いだろう」

「それは何故……? 何か根拠があるのでしょうか」

 

 俺の言葉に、真戸さんはにやりと笑う。

 

「――勘だよ」

「……か、かん?」

 

 私のそれは馬鹿に出来ないからね、と足を進める彼に、俺は何か言葉が浮かんでこなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……真戸さん」

「やあやあ亜門君。ご無沙汰だね。調子はどうだい?」

 

 顔には書類作業のためかメガネが掛けられており、普段より受ける印象は多少温和だ。

 しかし表情こそ変わらず、真戸さんは右手をひらひらと振る。

 

 ただし、その先にはあるべき手が存在しない。

 

 左足も膝下は同様に欠損しており、ベッドの横には車椅子が備え付けてあった。

 

 

 そして、彼の横に見慣れない女性が一人。

 俺より年下か。なんとなく、アカデミーで講義をしたことのある滝沢あたりを思い出す。

 

 彼女は一瞬俺を半眼で見た後、ふん、と息をついた。

 

「……」

「えっと……」

「無愛想で悪いね。紹介しよう。愛娘の(アキラ)だ」

「ッ!? む、娘さんですか!」

 

 思わず跳び上がり、頭を下げる。そうだ、見舞に来ていて何ら不思議はない。

 容姿としては女性らしく丸みをもっている。が髪の具合や視線の鋭さ、何より周囲を威圧する雰囲気などはそっくりだった。

 

「……アカデミーの真戸アキラだ。

 亜門 鋼太朗――ひとまず、礼を言っておく」

 

 彼女は俺のように慌てる事もなく、淡々と頭を下げた。

 

「結果から言えば、お前が駆けつけなければ失血多量で父は死んでいた。そのことに関してだけ(ヽヽ)は感謝する」

 

 では失礼、と彼女は俺を振り返らず出て行った。

 真戸さんは、呆気に取られる俺を見て笑った。

 

「すまないねぇ。あの子もなかなか難しいところだ。私から言い聞かせても、本人が納得できなければ難しい。

 私譲りで勘も鋭く、なかなか聡いこともあって、手を焼いたものだよ」

 

 この状況であっても、真戸さんは普段の調子を崩していなかった。

 

「それにしても全く、聞いてくれたまえ。この間カレーのような何かが出たのだが、全然味が足りなくてねぇ。

 言いつけたのだが全く聞き入れてくれやしないのだ。アキラに持って来てもらったレトルトも先ほど取り上げられるし、どうしたものか」

「……真戸さん」

 

 俺は、思わず頭を下げる。

 

「俺の、力不足のせいで――」

「そうは言ってくれるな。私もまた未熟だったということだ。

 さっき丸出から散々いびられたものだ。同時に憤慨もしていたが」

 

 あれで「能力」の計算は出来る男だからねぇ、と真戸さんは続ける。

 

「まあ、私なりに健闘はしたのだ。その結果、手足をもがれて戦っても、この現状というのは、全く度し難いほど屈辱的だねぇ」

「……何故、敵は生かしたのでしょうか」

「それは、もちろん計算に入れてのことだろう」

 

 真戸さんの言わんとしているところが、俺には理解できない。

 

「我々現場はともかく、上層部は区の危険度を『捜査官の死亡人数』で計算している節がある。

 丸出がああして軽く扱っているあたりで、おおよそ想像はつくからねぇ。まだアレ(ヽヽ)の報告も時期尚早だ」

「あれ……?」

「少しずつ話そうか。まず、私がこの20区について考えた範囲だが……」

 

 続く真戸さんの言葉に、俺は目を見開いた。

 

 

 

 

 

「――SレートかSSレートか、それに類する喰種がこの区を仕切っていると見て良い」

「……ッ!」

 

 

 

 それは、簡単に聞き流せるような言葉ではなかった。

 齎された破壊力があまりにも大きかった。

 

 かつての20区の話だが、と彼は前置きする。

 

「隻眼の喰種……、梟と呼ばれる喰種がここに居た」

「……存じ上げております」

「その討伐戦で大きな被害を負い、我々もまた大打撃を喰らった。

 また、今あるアオギリという組織もまた、隻眼の喰種に統率されていると聞く」

 

 その上で、真戸さんは言う。

 

「私がラビットと戦っていた時、乱入して来た喰種だが――その姿が多少違ったが、その梟に酷似していたと言えばどうだね?」

「……老いた、ということでしょうか」

 

 時間の経過をふまえて考えた俺の一言を、彼は笑いながら違うと言う。

 

「あれは、違う。

 相対した感触が違う。何より、もっと大きな部分で、我々に対して向ける感情が違うと言えば良いか……。どこか、”骸拾い”も連想させられた。

 ともかく、かつての梟に匹敵するかもしれない喰種がここに居るという前提で話を聞いてくれたまえ」

「……はい」

「その喰種によって、他の喰種が人間を襲う数も制限されている。

 また我々捜査官に対する攻撃方法なども制限されている、と考えれば、現状のこれがよく分かるのではないかね?」

 

 魔猿やブラックドーベルなども、粛清されたか取り込まれたか。

 

「いずれにせよ、危険分子が多く潜んでおり、そのうちのいくらかが開花しないでバランスを保っていると考えれば、確かにある種の安全さはそこにあるかもねぇ」

「安全、ですか」

「ここの様な本部直轄を除いた一桁など、あるだろう? あるいは24区か。

 その酷さから考えてみれば、人間にとっても喰種にとってもある意味安全だ。」

「……安全ですか?」

 

 真戸さんらしくもないようなことを言っているが、同時に彼の表情は普段通り獰猛な笑みだ。

 

「度し難いことだが、クズなりに考えて生存を計った結果だろう。捜査官も少なく、ある程度安全さを確保して人間を喰らえる。また人間側からしても、おもちゃのように嬲られること事態少ないだろう。

 良くも悪くも、バランスがとれてしまっている。

 よって、ラビットをこれ以上追うのは無駄だろう。手がかりが現状それだけでも」

「……ッ」

 

 だがだからこそ。

 

「我々は、潜む危険から目を逸らしてはならない。今レポートを書いているが、完成するのはおそらく半年以上先の話だろうがね。いずれは会議で私の話を目にすることもあるだろう」

「……半年?」

 

 真戸さんは、残った左手を俺に差し出す。握手しろと言われ、その手をとり、気付いた。

 握り返す握力が、ほとんどなかったことに。

 

「……真戸さん」

「これもまた度し難いが、どうも相対した時にやられた左腕で、神経がいかれたらしくてね。黒磐ほど腕力があればまた別だが、私はどうにも向かんね、こうなってしまうと。

 この調子だと、クインケどころかペンすら握れないらしい。これではクインケの義足や義手を付けても、戦うまでに復帰するのに時間がかかるところだ」

 

 いや残念だ。

 軽いように言うが、その声音には憤怒が宿る。

 

「私にとって何が一番大事だと? 決まっている――人間だ、人間の生活だ!

 家族の平穏だ! それを失わせるのなら、私は何度だって立ち向かってやろう。何度だってくびり殺し、武器として集め、そしていつか、アイツの仇を――ッ」

 

 ぐぅ、と真戸さんは右腕を押さえ、暴れた。

 俺は彼の背に手をやり、ベッドのへりに頭をぶつけ掛けたのを止める。

 

「……済まんね、亜門君。

 リハビリは続けるが、ひょっとしたらもう前線には戻れないかもしれない」

「真戸さん……」

「しばらくは後進の教鞭でもとろうかね? それと同時に、より20区に関するレポートを強くするために裏づけをとろう。なーに、この程度大した話じゃない。

 それから、私のクインケ(オモチャ)で、前に言ったのがあったろう。それを君に譲ろう。

 大事に使いたまえ。君なら使いこなせる」

 

 微笑む真戸さんを見て、血の色が普段よりも失せている彼を見て、俺は言葉がでない。

 誰よりも、誰よりも喰種を憎んでいるこの人が、前線に復帰できないという状態まで追いやられてしまった。

 

 音を立てて罅の入ったガラスのように、今のこの人のバランスはぎりぎりだ。

 

 そのことが分かるからこそ、俺は、息を呑み、拳を強く握った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 アップルヘッドの容疑者の下へ行った時、正直に言えばこの人で大丈夫なのかと俺は心配になっていた。

 事情聴取の際にとったRc値検査では基準値を超えて居ないと出ていた。

 

 それをしてなお彼女を喰種と断定し、警戒する真戸さんに俺は怒りをぶつけたくらいだ。

 

 ふざけて居るようにしか見えなかったのもある。本局の人間がアレで大丈夫なのかと心配したのもある。

 

 だが、その評価は後に大きく覆った。

 

「有馬特等のように、心から尊敬できる方と仕事をしたいものだ……?」

 

 独り言を呟きながら歩いていると、目の前には村松さん。真戸さんが喰種だと断定した老婆。

 横断歩道付近で荷物を運ぶのに四苦八苦しているらしく、視界にはいったこともあって俺は手伝うと言った。

 

「本当? 助かるわぁ。

 あたしの孫も、貴方みたいだったら良かった」

「……」

 

 こんな人が疑うなんて、どうかしている。

 平和に笑う老婆に、俺は全く疑念を持って居なかった。

 

 だが、荷物を見下ろした瞬間。トンネルにさしかかった時点でそれは揺らいだ。

 

 世間話として荷物の重さについてふれた瞬間。バッグから染み出た血を、俺は見逃さなかった。

 

 そして咄嗟に振り返ると、既に遅い。

 頭をかするギリギリで避けはしたが、相手は完全に戦闘体勢に入っていた。

 

「上手い事引っかかったな小僧……、にしてもババァ扱いしてんじゃねーぞ!

 こちとらまだピッチピチじゃあッ!」

「ッ」

 

 攻撃を受けた瞬間、アタッシュケースで受けて俺はスイッチを押した。

 

『――ツナギ・(ランス)!』

 

 制御装置の赫眼が光り、ケースが槍状に変形。

 それを向けた瞬間、老婆は一気に腰を抜かした。

 

「か、勘弁しとくれ、殺すのだけは……」

「な……ッ」

 

 一瞬判断が遅れた。だが、その隙を目の前の敵は見逃しはしなかった。

 

 すぐさま攻撃に転じられ、俺は反撃する暇もなく――。

 

 そんな時、真戸さんは来たのだ。

 

 

『――じゃばら・1/3(ア・サード)!』

 

 

 クインケを起動させ、彼はアップルヘッドの首を躊躇なく刎ねた。

 

「駄目だねぇ亜門くん。クズを前に躊躇すれば、自分が肉片になるぞォ?」

「真戸、さん……」

 

 俺は、言葉がなかった。結局彼の勘が当り、俺の常識的な考え方が破れた。

 その結果命を救われ、それ以前に自分の身を危険に晒していたのだ。

 

 マヌケさや、自分の居たらなさに不甲斐なくなってくる。

 

 だが、彼は笑うばかり。

 

「構わない。君のその未熟さや、直情的なところも含めての作戦だ。

 あー、そうそう。ちなみにあの村松の診断書だがね。偽装なのだよ。盗んだ物を利用していた」

 

 何故それをわかっていて野放しにしたのか。

 俺の言葉に、彼は楽しそうにアップルヘッドの胴体を転がして言った。

 

赫子(しっぽ)は出さないと、武器にできないからね」

 

 具合を確かめてから近隣の捜査局に通報し、アップルヘッドの頭を手に取る。

 ぽろり、とそれから零れた頭は、シルエットの全く違う女性の顔。

 

「おお、こっちの方が仮面だったか。通りでなかなか見つからない訳だ」

 

 職人の喰種も侮れないと言いながら、真戸さんは、俺に指を立てる。

 

「君のその真っ直ぐな性格と熱意、私は高く買おう。だが一つだけ、覚えておきたまえ。

 捜査官によっては違うことを言われるかもしれないが、少なくとも私はコンビを組んだ相手にはこう教えている――」

 

――手足を捥がれても戦え。

 

「それがプロというものだ、亜門くん」

 

 

 

   ※

 

 

 

「……まーた変なタイミングで来ちゃったみたいだな。

 おう! 泣き虫亜門」

「ッ!? し、篠原さん!」

 

 背後から声をかけられ、俺は飛び上がり後ろを振り向いた。

 そこには、髪を刈り上げた俺よりも大きな体格。

 

 篠原特等。真戸さんの初代パートナーでもあり、アカデミー時代の恩師の一人でもある。

 

「さっきは丸出が悪かったなぁ。ほれ、差し入れのリンゴだ」

「それはこの間の、何と言ったかな。ラビットに襲撃された彼にでも渡したまえ。私は今、カレーの気分だ」

「カレーにだってリンゴは入ってると思うんだけどなぁ……」

 

 笑いながら横の椅子に座る篠原さん。

 真戸さんも痛みが落ち着いたのか、起き上がって笑う。

 

「さっき、アッキーラがすんごい顔して通り過ぎて行ったけど、そうか……、だよなぁ……」

「あ、あっき……?」

「あーいや、こっちの話だ。

 ちなみに言っておくと彼女、首席なんだぞ? 名実共に出来の良いお前の後輩だ。まあ、そのうち仕事一緒にこなす時もあるだろうが、仲良くしてやれよ」

 

 ははは、と笑いながら俺の肩を叩く篠原さん。真戸さんもニヤニヤと笑みを浮かべていて、俺は恐縮しっぱなしである。

 

 と、そんなタイミングで部屋の扉がノックされる。

 

「誰かね。構わんよ?」

「あ、失礼します。……あー、篠原さん、ジューゾーなんですけど……」

 

 入ってきた捜査官の言葉を聞いて、篠原さんは「あ゛、また何かやったの!?」と変な声を出した。

 

「……現場に戻られたんですか?」

「少し前から超~色々ある子と組んでいてネ。もー大変さぁ真戸」

「何故私を見て言うのかね」

「他意はないよ」

「含みしかないだろうに」

 

 くつくつと肩を揺らす真戸さんに、「まあ、苦労はお互い様だよ」と言って篠原さんは立ち上がった。

 

「じゃあ、亜門またな」

「はい」

 

 立ち去るその背中を、俺と真戸さんは見送り。

 真戸さんは、唐突にベッドの脇の棚の引き出しを開けた。

 

「あー、そうだ。亜門くんにこれを渡そうと思っていたのだ」

「? それは……」

 

 取り出されたものは、手袋。

 

「私が使っていた手袋だ。摩擦力が強い。重量系の場合は破損も多いかもしれないが、まあ、使い慣れないタイプを手にしたらオススメしておこう。

 『捜査官としての私』からの、ある種の餞別だと思ってくれ」

「真戸さん……」

 

 亜門くん――。

 

「私は何度か、色々な捜査官と共に戦ってきた。篠原を始め何度も繰り返して、うち殉職者も一定数居るが――その中で、君ほど真っ直ぐな捜査官は居なかったと思う」

「……」

「君のような人間が、いずれ我々の上に立つ者になってくれることを願うよ。

 君を、私は誇りに思うよ」

 

 その言葉を聞いて、俺は、一瞬思考が真っ白になり。

 

 でも、涙ぐみながら、言葉を返した。

 

「……俺も、真戸さんは、俺の誇りです」

 

 妙に照れるねぇと言って、真戸さんは俺の言葉に笑った。

 

 

 



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#013 苦味/友達/MM

タイトルから存在を主張していくスタイル


 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、特に問題はないみたいだね。いつもの薬を出しておくから」

 

 嘉納教授は、そう言いながら僕に微笑みかける。

 僕も胡乱に頷きはするが、正直に言えばその言葉を真正面から受け止める気にはならない。

 

 移殖手術の後の定期検査。教授の総合病院にて僕は診察を受けていた。

 

 だが、どうしてもその結果を信じられない。

 

 喰種「リゼ」さんの内臓を移殖され。

 食性が喰種に大幅に近づき。

 あまつさえ特有の器官である赫子まで出る。

 

 喰種拘束用装置「クインケドライバー」にでさえ、おそらくはそう認識されているのだ。

 

 一般人がここまで変貌しているのに対して、他の箇所が一般的だということは絶対あり得ない。

 

 前にトーカちゃんが言ってた話に寄れば、喰種の体内にはRC細胞というものが多いらしい。それが人間の十倍以上の濃度で検出されるらしいのだけど、そこのところを計らないというのも、またおかしな話だ。

 

 おまけに、リゼさん。

 喰種として僕より万全で、おそらく強大だったろうリゼさんが、再生する暇もなく手術を受けたという事実が、どうにも引っかかりを覚える。

 

「ひと月後に、また来なさい」

「先生は――」

 

 僕は、試す。

 カマをかける、というのが正解かもしれない。

 

「――僕()に何をしたんですか?」

 

 僕だけでない、リゼさんも含めての言葉。

 それに一瞬目を見開いて、嘉納教授は目を閉じ、窓の向こうを見た。

 

 

「……鳥が羽ばたくためには、何が必要か知っているかい?」

「……?」

「翼があれば良い、という訳でもないのだよ。重要なのは慣れだ。それが己に出来るのならば、それが出来るということを知り、体得し、経験を積まなければ」

 

 教授は僕の方を見て、にっこりと笑う。

 

「何か違和感があっても、君と彼女の臓器は適合している。今のところ拒絶反応も出ていないしね。

 それに慣れるのは、時間がかかるということだ」

「……教授、あの――」

「赤子が歩きだすのもまた同じさ。誰だって最初は不慣れなもの。

 我々医者は、その背中をそっと押すことが仕事さ」

 

 それ以上、教授は僕の言葉に対する答えのようなものは言わなかった。

 はぐらかされたのだろうか、今のは。

 

「あの、そういえば神代さんのご家族とかは、あの後……?」

「親戚の方が引き取りに来たよ。私は口も利いてもらえはしなかったが」

 

 ただ、最後に聞いたこの情報だけは、多少なりともとっかかりになりそうなものだった。

 

 

 

   ※

 

 

 あのリゼさんにも親戚……、家族か仲間かは別だけど、それに類するものがいたということか。

 少なくともそれが「あんていく」でないことはわかる。あの夜、店長はリゼさんと僕を守る為に戦っていたのだから。

 

 でも、だとするなら。遠因とはいえ彼女の死因に繋がった僕に恨みを抱いているんじゃ――。

 

「恨んでたんだろうなー」

「……ヒデ?」

 

 ちょっとびっくりした。背中から嫌な汗が垂れた。

 

 授業中だというのに、ヒデはそれなりに高いテンションで僕に話かける。まあ授業中に考え事して上の空だった僕も僕だけど……。

 

 声大きいと言うと、悪い悪いと言いながら彼は持っていた新聞を広げる。

 指差す先は、捜査官二名重態の記事。

 

「ここに載ってるだろ? 小さいけど。捜査官殺されでもしたら大々的にやったんだろうけど、CCGとしても痛し痒しなんじゃねーか、これ。結局未だ二十区、全然捜査官死んで無いし。小倉ちゃんそれでも特番出ずっぱりだけど」

「さり気なく今夜十時からのテレビ欄も勧めるなよって。……で、恨みって?」

 

 続けられたヒデの言葉に、僕は言葉を失った。

 

「俺なりに犯人像を想像してみたんだけど、まあ、復讐かなって」

「……復讐?」

「ああ。これ、手配書な」

「何時の間に……」

 

 いつか見たヒナミちゃんの手配書のそれを見せられ、思わず冷や汗。

 

「まあこれは一旦置いておくけどよ。まず重態の捜査官は二人に対して、一人は襲われて、一人は戦ってってことらしいじゃなんか。とすると、まず前者がおかしいと思わないか?

 普通、危険を冒してまで襲いはしねーだろ。食糧目的って訳でもないだろうし。

 で、二人目が出たわけだけど、そこからめっきり被害報告出てないし。そう考えるとこのラビットって喰種は、こっちの方が目的だったんじゃないかと」

「ふぅん……」

「返事適当だなカネキ」

「一応、両方聞いてるからね」授業の方のことだ。

「器用なマネすんなー。……で、まあコレよ。そこで考えられるのが、この手配書から見えてくるわけよ」

 

 ヒナミちゃんの年齢や体格を指差して、ヒデは考察を続ける。

 

「チラシの情報で似顔絵がないってことは、まずその場から娘がすぐ逃げ去ったってことだろ。加えて親子だって断定されてるってことは、その場に単に居合わせたって訳でもないだろうし。とすると、親が子供を庇ったっていうのが、一番あり得そうじゃん?」

「……」

「で、仮に娘をラビットだとしても、辻妻は合わない。もし後々になってこんなことを出来るなら、俺なら迷わず飛びかかってるし、そもそも『母親が庇う』てシチュエーションが発生しない。庇われるまでもないってことだからな」

 

 そう考えると、とヒデは結論づける。

 

「ラビットは娘本人じゃない。でも、娘の関係者ではある。また同時に復讐の代行を買って出ている事から、お金とかじゃなくてもっと個人的な繋がりが強い。

 こう考えると色々辻妻は合うと思うんだけど……、まあ、これもこれで胸糞悪ぃなー」

 

 肩をすくめて笑うヒデが、僕は正直、怖くて仕方なかった。

 西尾先輩の言葉が思い出される。ヒデは危険だと。

 

 ヒデの前で僕はボロを出すことが出来ない。きっと、そうすれば答えまでトントン拍子で気付かれてしまう。

 

 そうなったら、きっと――。

 

「……で、今度は何にはまったんだ?」

「あ、バレたか」

 

 少し照れながら、ヒデはバックから一冊の、コンビニ単行本を取り出した。喰種解体信書、と題されたそれは、専門家小倉久志の著書らしい。

 江戸時代から喰種は居た? とか、本部と警察の関係とか、3区ピエロマスクとか、色々な見出しがちらほら見える。

 

「心理学、生物学、色んな角度から分析した謎本だぜ! こーゆーのなら俺でも読める! 例えばこの和歌山の――」

 

 昔からヒデは、ちょっとミーハーというか、何にでもすぐ影響を受けるところがあった。

 それに対して真面目に取り組み、結構良い線まで行くのがいつものヒデ。

 

 だから、直後に謝礼目的にヒナミちゃんを探そうかと言い出しのは焦った。

 

「遊びじゃないんだから、そういうのは止めろって。命がいくつあっても足りないから」

「お、おう……。事故ったカネキ言うと説得力あんなー」

 

 軽く流すように言うヒデだったけど、それでも僕は、後でヒナミちゃんに注意喚起した方が良いと思った。

 

 一般人のヒデでさえ気付くのだから、CCGはもっと細かく筋を見極めているはずなのだから。

 

 そんな風に自分の思考に気を取られてたからか、ヒデが一瞬僕を寂しそうな目で見ていたことに、この時は気付いていなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 カネキじゃないけど、気分があんま良く無い時は、勉強が捗るらしい。

 授業中。別に進学校ってわけでもないから、教室の身の入り方は軽い。周りが世界史のことより、ワイドショーとか音楽について話してるのを聞き流しながら、私はノートをとる。

 

 ……以前よりなんだか理解が早くなってる気がするけど、断じてカネキのお陰だとは思いたくない。いや、確かに点数ちょっと上がってて、担任から褒められたけど。ピンポイントで苦手克服してたけどさ。

 

――死ね。私から、アキラから彼女を奪った貴様等を、貴様を、私は報復せねば――!

 

 ぼうっとしていると、嫌でもあの捜査官の顔が思い出される。

 それに気をとられていたからか、先生が私を呼んでいたのに一瞬反応が遅れ、依子に言われるまで気付かなかった。

 

 

「どーしたの? トーカちゃん。ぼーっとしちゃって。お熱?」

「そんなんじゃないから」

「別にって、変だよ? この間から元気ないし、遠い目してるし」

 

 内心で舌打ちしながら、生理を言い訳に使おうとしたけど。どうしてか脳裏で「駄目だよトーカちゃん、女の子なんだからそういうのはもっと――」とか、躾けでも言うようなアイツの顔が浮かんできて、言葉に詰まった。

 そんな内心は知りもしないだろうに、依子は何かを察したように、はっはーんと嫌な感じに笑う。

 

 耳を寄せてきて、一言。

 

「ひょっとしてぇー ……、あのカレシさん関係?」

「ッ! い、言っただろ前に、アイツそんなんじゃ――」

「ええーまったまたぁ。トーカちゃん可愛い!」

 

 否定しても本人的にはそのつもりになってしまってるので、こうなったら何をやっても焼け石に水。

 気疲れを覚えながら菓子パンを開けた。

 

「仲良くした方がいいよー? 私、応援するから! でトーカちゃんまたジャムぱんだけ?」

「これ一番食べやすいし……」

 

 まずいのに代わりはないけど、粉系の食事は唾液でほぐれて流しこみやすいのは事実なので、よくカモフラージュに食べていた。で、そんな食生活の偏りを見て、放置しておく依子じゃない訳で。

 さっと取り出された唐揚げに対して、私は全身全霊で表情を取り繕っていた。

 

「どう、かな……?」

 

 そわそわした顔がなんとなくカネキを思い出させて、私は思わずデコピンした。

 

「美味いから」

「あー、なんかテキトーだなー」

 

 無邪気な依子の笑顔に、私も元気を少し貰う。そうだ、私だって奪われた側なんだ。だからといって奪って良いことにはならないけど、でも、それでも立ち向かうことくらいは、駄目じゃないはずだ。

 

 猛烈に覚える吐き気を押さえながら、私は依子に笑いかけた。

 後で隠れて水と一緒に、無理やり流し込むのは確定してるのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、おかえりなさい!」

「あ、お帰りトーカちゃん」

 

 私はズッこけた。

 自宅の扉を開けたら、奥のリビングにカネキが居た。ヒナミに向かって文字でも教えていたのか、そういうのがこちらから見える。

 駆け寄ってくるヒナミが変な声を上げたけど、それこそギャグ漫画みたいに私の身体はバランスを失った。

 

 いや、失うだろこんなの。

 

「トーカお姉ちゃん、どうしたの?」

「いや、まぁ……」

 

 起き上がると、変な笑いのカネキが見える。思わず睨むと、言い訳を始めた。

 

「いや、午前中終わりでシフトも上がってさ。少し用事があったから来たんだけど……。

 居なかったらス○バとかで時間潰そうと思ってたんだけどさ、その……」

「嗚呼、わかった」

 

 ヒナミか。そうかそうか。そりゃ一人寂しくいる時にカネキ来たら中に入れるか、そうかそうか……。カーテンは干してある下着見えるから閉めたみたいだけど、そうかそうか。

 後でどうしてくれようかと思いながら、私は立ち上がった。

 

 あの事件の後、ヒナミは本人の希望で私の家に居る。私は久しい一人じゃない生活に、アヤトの懐かしさを覚えながら色々手を焼いていた。

 

「で、アンタは何で来たわけ?」

「あーいや。ヒナミちゃんの部屋作りとか大変そうかなーって。店長から聞いたから。

 後はまあ、ね」

「……はぁ」

 

 苦笑いというか、微妙な笑みでこっちを見るカネキ。なんとなく考えてることがわかって、少しイラっときた。どーせヒナミが心配だったとか、そういうところなんだろうけど。ストレートに言わないのは、気を使わせたり空元気させないためか。

 

「……じゃあ、あっちの家具出しといて。結構重いから」

「あ、うん。……トーカちゃんも、傷、大丈夫?」

 

 一瞬、体が固まった。

 

「……べ、別にそんな」

「大丈夫ならいいけどね」

 

 さり気なくこちらの動きを気にしてたのか、いちいちその視線の先が、適確に私の傷跡(左腰)を正確に見ていて、反応に困る。スカートじゃなきゃ蹴り上げてるところだけど……。

 

「あ、お姉ちゃん。ベランダに鳥さん」

「……ッ!?」

 

 そして、ヒナミのその一言に私の脳味噌は真っ白にされた。

 

「迷子かな、怪我してるみたい」

「うーん、ちょっと待っててね?」

「いや、ちょ――」

 

 私の静止を無視して、カネキたちはベランダを開けて、そのオウムだかインコだかを保護。

 部屋の中に入れ、じっと傷の様子を見る。

 

「うーん、落ち着いてはいるみたいだし、元々飼われてたのかな……。トーカちゃん、救急箱とかってある?」

「……」

「……トーカちゃん?」

 

 不思議そうにこっちを見るカネキ。

 ヒナミは手元のそいつを持ちながら立ち上がり、接近してくる。

 

 たまらず私は早足で、丁度位置的にカネキを使ってヒナミと対角線上に入った。

 

 追いかけるヒナミと逃げる私。

 

「なーんーでーにーげーるーのー?」

「鳥、が、怖いッ!」

 

 特にからかってるわけでもなさそうなその言葉に、反射的に正直に私は言った。

 

 困ったように笑うカネキ。アンタはわかってない、と私は内心毒づく。

 鳥は結構簡単に私等を裏切るんだって……。「あの日」以来、どうしても好きになれない。

 

 結局カネキが止めて、応急処置をするまでいった。

 

「素人判断だから、病院はもう遅いし明日あたり行けばいいかな。僕午前中休みだし、連れて行こうか。

 あとトーカちゃんがそれだと、ここでは保護できないよね……。だからと言ってここから放すのも難しいかな、この感じだと」

「知らねぇよ」

「あ、はは……」

「名前とかつけた方がいいかな?」

「そのうち飼い主現れるでしょ」

「でも……」

「……じゃあ、『カラアゲ』」

「お姉ちゃん……」「トーカちゃん……」

 

 二人揃って残念なものを見る目でこっちを見てきた。

 

「とりあえずトーカちゃん、その子どっか置いとける場所あるかな?」

「……昔、金魚飼ってたケースあるから、それ」

「じゃあ、しばらくその中で寝てもらうか……。何か敷き詰めるもの、も、なさそうだし……。

 鳥かごはやっぱり――」

 

 ぶつぶつ何か検討するように言い募るカネキ。

 胡乱な目で視線を振ると、期待するようなヒナミの目線。

 

「……わかったから。買ってくれば良いんだろ。

 カネキ、あんたキャリーバッグ」

「へ? あ、はい」

 

 ノータイム即答のカネキ。違和感ないのかと思わなくもないけど、浮かべてる表情的に「仕方ないなぁ」くらいに思われてそうだ。なんかイラッと来る。

 

 

 

 ホームセンターで、鳥用の餌やら道具やら色々買いながら、カネキは私に色々と言ってきた。ヒナミは少し気を付けた方が良いとか、何とか。

 

「……まぁ、アンタの友達のはともかく、そうかもね。って言い出したら私もなんだろうけど」

「今日、帰りにCCGに寄って手配書とか見てきたけど、今の所はなさそうだったよ。トーカちゃんのは。

 どうしてなんだろ」

 

 言われれば確かにそうなんだけど。私の脳裏に、あの顔がまた思い出される。

 私達との戦いの後、重態だけど一命は取りとめたはず。だったらなんで……いや、ひょっとしたら泳がされている? 何故って、店長を呼び寄せるために。

 いや、考えてもわかんない。少なくとも一週間近く経って、手配されていない以上は今の私達で理由を推察するには、情報が足りなすぎるか。

 

 でも、まあ、アレだ。イメチェンとかは考えようかな。……前髪はアレだから、伸ばすとか、ウェーブかけるとか。

 

「あ、それから後、個人的に思ったことなんだけどさ」

「あ?」

「目撃されたりしてないよね。トーカちゃん」

「何で……」

 

 カネキの話は、ちょっとしたからかえる要素と共に少し嫌な考えを頭に過ぎらせてきた。

 

 あの日、捜査官と戦ったカネキだが、実は周囲に「あんていく」通いの喰種の目撃者が居たらしい。散々褒められたり、古間さんの自慢話とかも始まり掛けたらしいけど、そこからこの結論に話をもって行くのがコイツらしいのか、何なのか。

 

「今更わかんないにはわかんないけど……」

「うん。でも、注意はした方がいいかもね。仮面持ち歩くとかさ」

「……マスク?」

「うん」

 

 さ、とバッグのポケットからウタさんの作った、黒いマスクを取り出すカネキ。

 

「普段から仕込んでた方が、何かの拍子に出てきた方が危ないだろ」

「難しいところかな、そこ。どっちもどっちって気がするし。

 そういえば、全然話変わるけど、ヒナミちゃんの髪はトーカちゃんが切ったの? 随分ハイセンスだったけど」

「そ……、そーでしょ」

 

 視線を逸らしながら、私は答えた。変な笑いが込み上げてくるのは、あの時のヒナミの反応とか、色々思い出してのことだ。失敗しただけなんだけど、こう返されると今更言い出し辛い……。

 

 話題をそらすためじゃないけど、私の側からカネキに聞いた。

 

「……ってか、アンタこそ店長と、どーだったのよ」

「?」

「私に味方する時、色々言われたんじゃないの?」

 

 苦笑いを返すカネキに、自分の予想が当っていた事を私は直感した。店長曰く、あんていくのルールの助け合いと、みんなを犠牲に晒し兼ねない行為の自己責任とは二律背反。後者に従った私に手を貸したのなら、カネキだって何らかの話はされているはずだ。

 実際店に復帰してから、店長は普通にしてくれるけどもうしばらくは顔を合わせ辛い。

 

 でも、それに対してカネキの顔は、そこから自然な笑顔に変わった。

 

「……ドライバー使ったことは怒られたけどね」

「……は? ちょっと正気、アンタ」

 

 開いた口が塞がらない感じに、マヌケな表情になってたかもしれない。カネキはそんな私に困ったように頬を搔きながら、「四方さんのお陰で何とか」と言った。

 

 ってことは、コイツも変身できたって事か、そうか……。

 

「でも、感謝されたかな。曰く『人間だった僕が』『喰種を守る為に戦った』ってことに」

「……あっそ」

 

 その言葉を聞いて、私は反応に困る。

 

 感謝、感謝か……。確かに店長なら、そう言いそう。私としても、初めてコイツに、私が死ぬのは寂しいって言われた時――。

 って、止め止め。これは、なんか考えたら駄目な気がする。

 

 会計を終えて店を出る私達。外はもう夕方で、空も段々と暗くなりつつある。

 

 そんなタイミングで、家のマンションの前で、鍋を持つ依子と遭遇した。

 確かに家はそこまで離れてなかったけれど、お隣さんに差し入れする感覚でよく持ってきたというか……。いや、そうじゃない。現実逃避してる場合じゃない。

 

「わ、わ、わ、トーカちゃん!」

「へ? あ、いや、コイツ関係ないから。カネキちょっと待ってて」

 

 相手の反応は無視して、私は依子の方に走って建物の方へ。

 

「うー、どしたの?」

「あー、ご、ごめんね? お邪魔だったら。急に来ちゃって」

 

 だから違うっての。

 

「あのね、学校でいつもより元気がなさそうだったから、大丈夫かなーって」

「へ? いや、別にそんなことないし。アンタ心配しすぎ……」

 

 笑って返すも、依子は首を左右に振る。

 

「お父さんが海外に赴任した時とか、アヤト君が家出しちゃった時みたいに、寂しそうな顔してたし」

「……」

 

 そう言われると、私は何も返せない。確かにそうだ。あの捜査官を見た時、全然違うし、敵の側だったというのに、頭の中では「家族」のことがぐるぐると回転しっぱなしで。

 

 それが顔にも出てたってことなんだろう。こうして友達に心配かけるくらいに。

 

「でも、心配なかったかな? 彼氏さんもフォローしてたのかなー」

「だから、違うって言ってるでしょーが! もうッ」

「あはは。でも良い人そうだし、そのうち紹介してね?

 あー、それでなんだけど、せっかくだからこれ、二人で食べちゃって!」

 

 さっと鍋を私に手渡し、依子は笑顔でサムズアップ。

 ぐ、じゃねぇよ……。

 

 立ち去った依子に、私は茫然と動くことは出来なかった。

 

「……肉じゃがかな? この臭い」

 

 微妙な顔をしながら、その去った方向から現れるカネキ。空気を読んでたのか知らないけど、どうしたら誤解が解けるのか……。っていうか、何であんな頑ななのか――。

 あ、そうか。そもそも朝のあの時間帯にカネキが家に居たことが悪いのか。それで勘違いが強くなってんのか。

 だったらあの日、私の目の前で倒れたコイツが悪い。悪いのはカネキだし、説明責任もコイツだ、うん。

 

 謎の納得を自分に言い聞かせていると「良い子だね」とカネキ。

 

「何か心配ごととかあったなら、僕で良ければ、話くらいは聞くよ?」

「……別にそんなんじゃ、ないから」

「なら良いけどさ。話すだけでも軽くなるものだし。

 ところで、一人で大丈夫? その量」

「……うっさい」

 

 罵倒して、私は足早に自分の部屋に向かって足を進める。背後からわたわたとカネキが付いてくるのを尻目に、最終的には依子の言ってた通りになりそうだなと思いつつ、少し天を仰いだ。

 

 

 

 

 

   ※ 

  

 

 

 

 

 

 

「何よ、アンタどこから入ってきて――っ、警察呼ぶわよ!?」

「土足で失礼。落ち着いてください、軽部さん」

 

 マンションの四階。普通に考えたら入ってこれないだろうこの場所に、彼は平然と微笑みながら、窓から侵入して来た。

 

 モデルのように長い足。整った顔。綺麗な声は、こんな状況じゃなかったら見惚れてしまいそうなそれだ。

 いや、実際この状況でも多少ぽっとしてしまった。

 

「な、何で、私の名前――」

「僕もあまり、荒立てたくはない。警察程度じゃ勝ち目なし(デッドプール)ですよ?

 ねえ、駅前のカッフェで働いている、軽部美園さん」

「あ、貴方、イカれてるの……」

 

 混乱すると人間、笑いがこぼれるって話を聞いた事はある。私のそれも、また同様。

 それに対して、目の前の彼は「ファンタスティック!」とか身をうねりながら叫び声を上げた。

 

「気分が高揚していないと言えば、嘘になる。一目、一目見た時から見惚れていたのだから――」

 

 わけもわからず赤くなる私を置き去りにして、彼は、さっと指を付き付けて、言った。

 

「――貴女のその、実際奥ゆかしいセピア色に」

 

 次の瞬間、私の目の前は真っ黒に染まった。 

 

 

 




「・・・ってか、アンタ食べられんのね」
「まあ、感想言ったら怒られそうだけどね。トーカちゃんこそ大丈夫?」
「・・・」
「?」
「あ、なんかゴメン」


月山スピンオフ「美食家と写真家」はじめました。よかったらそちらもどうぞ


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#014 聖書/聖者

要所要所違和感のある方は、小説版「日々」を使って補完してください。


 

 

 

 

 

 ビッグガールはまさにオアシス!

 店の採用基準に容姿が盛り込まれてるんじゃないかってくらい可愛い女の子のウェイトレスたちと、それすら吹き飛ばすほどボリューミーで肉汁したたるハンバーグステーキの旨味が売りだ。

 

 その感想について、表現方法を探って色々口走っていると、目の前の親友、カネキが苦笑いしながら確認してきた。

 

「『クナン』の方はカナンかな。『通せんぼ』の方は、桃源郷。

 ……前者はともかく、後の方は覚えているべきだよヒデ」

 

 高校の頃、教科書でやったろと言うコイツに、覚えてらんねーよと俺は笑い返した。

 

「でもカナンに、桃源郷だな! 覚えた覚えた」

「またどうせすぐ忘れるだろうに……。

 カナンはアブラハムが子孫繁栄を約束された土地。桃源郷は仙人の住まう楽園だよ。方向性がちょっと違う気もしないではない」

「眠くなっちまうから、解説はいいぜ別に!」

「自身満々に言うなよ……」

 

 ため息を付きながら、カネキはコーヒーを飲んだ。

 小学校時代からの付き合いだ、お互い性格の良し悪しは分かりきってるだろう。

 

「いつか彼女出来たら、ここ来たいんだよなぁ……。こう、思いいれのある場所で一緒にメシ食うとか贅沢じゃん?」

「だったら他の女の子見て、鼻の下伸ばすの止めないと」

「いや、まだ居ないし。居たら流石に控えるぜ」

「出来るかなぁヒデ、なんだかんだでその場のノリで色々しそうだし」

 

 言いながらも、カネキはメニュー表のページをめくる。

 

「だったら、スパゲッティとか頼んでも良いかもね。口についたソース拭ったり。後は、あーんしたりする時にこぼれ辛いだろうから」

「お、流石読書マン。妄想捗ってんなー。

 まあアレだ。でもソースこぼれる方もそれはそれで良くね? こう、口の端に付いたやつとかを―ー」

 

 男二人で訳もなく、ぐだぐだとしゃべる。ハンバーグ持ってきた子が、微笑ましい感じと苦笑いの中間くらいの笑顔を向けてきたりしたけど、俺は気にしない。カネキはちょっと困ったように笑う。

 

 そんな風に話をしてると、この間の新聞の話題が店内でもちあがった。捜査官二名、重態。話してる方を見ると、俺等と同年代くらいの野郎数人で、ステーキがっつきながら話していた。

 

「喰種か……。

 もし可愛い子の喰種だったら、俺、きっと付きあえる」

 

 カネキ、コーヒーを吹く。

 

「どんだけ切羽詰ってるんだよ、まだ焦るような年でもないし」

「でもいつまでもこんなのってのもアレだよなー。やっぱ欲しいもんは欲しいし!

 そこのところどうなんですかねぇ、高校時代彼女の居たカネキさんよー」

「半年で振られてるから世話ないかな……」

 

 そんなこんは話し合いをしながら、俺達は笑いあった。

 こうして見ると、ちょっと前に事故にあったというのを、カネキは思い起させない。

 

 丁度その日は、カネキが喫茶「あんていく」で出会った女の子とのデートの日で。その事故に巻き込まれて、相手が死んでカネキも重症を負って。

 即死だったこともあって臓器移植をされて、今こうして一緒にいるということを。

 

 その日から、いくつか変わったことがある。

 

 その一つがこれ。今こうして食べているハンバーグ。あれほど愛してやまなかったそれを、カネキは「美味い」とも何とも言わず、少し眉間に皺を寄せるばかりだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「不審者? そりゃまた変な話だなぁ」

「うん。だから常連さんにも、少し来るのは控えた方が良いって言ってるらしくて。ヒデもなんだかんだでよく来るし、注意した方がいいと思ってさ。じゃ、また東洋史で」

「おう!」

 

 昼休みの終わりに、いつもの様にカネキと食堂から出る際、カネキはそんなことを言ってきた。

 喫茶「あんていく」。カネキと例のデートの相手だったリゼさんとの出会った場所。現在のカネキのバイト先でもあって、なんだかんだで俺もよく遊びに行く。

 

 臓器移植を受けた後、ゾンビみたいな顔をしていたカネキはそこでいくらか平静を取り戻したのか。リハビリでも必要だったのかは知らないけど、俺個人としては少し安心したりもした。

 まあ、そう言う俺も西尾先輩と一緒に、居眠り運転の事故の際に介抱してもらったのは感謝している。特にバイトのトーカちゃん。可愛し。

 

 ま、ともかく。その喫茶店で不審者が目撃されてるというのだ。授業を受けながら、俺は少し考える。喫茶店に不審者? というのも謎だけど、可能性があるとしたら喰種捜査官とかか?

 最近、ニュースを見れば喰種、喰種とよく見かける。二十区は比較的平和ではあるらしいんだけど、その分小さなレベルでも結構大きく報道されたりしているらしい。

 

 CCG(対策局)としても、少しでも多く挙げたいのかもしれないな、となると。不審者と間違われるってことは、覆面捜査か変装か――。

 

「……永近君、授業終わったわよ」

「……ふぁ!? へ、マジで? うわ、全然ノートとってねーや!

 マジかよ誰かに借りないと……って、アンタら誰?」

 

 俺に話かけてきたのは、二人。メガネに長身痩躯の、打たれ弱そうな男子と、ちょっと暗そうなイメージの女子。

 よくぞ聞いてくれた! と男の方が変なポーズを決める。

 

「僕等はオカ研のメンバーだ!」

「オカ研……って、ああ、オカルト研究会ですか」

「そう! 非科学の解明にアクティブに動く、活動派サークルだ! 僕は部長の木山、こちらは新人にして助手の三晃君!」

「助手じゃないけど三晃よ。ヨロシク。ちなみに私達、この授業とってないからノートは期待しないでね」

 

 反射的に頭を下げると同時に、マジかーと俺は肩を落した。

 

「で、何の用ッスか? 学園祭関係の話だったら西尾先輩……はちょっとダメか。だったらえっと――」

「いえ、そうじゃなくて。はい」

 

 言いながら、三晃というらしい彼女はメモ帳を俺に見せ付けた。ずらっと名前が並べられていて、各部分に斜線が入れられている。

 何だコレと聞こうとして、その中に金木研の名前を見かけ。

 

 部長の方が、得意げにこう言う。

 

「単刀直入に言おう。僕等は、金木君が喰種でないかと疑っているのだよ」

 

 その言葉に、俺の身体は一瞬固まった。

 

 

 

 

 オカ研と言っても、元々は大学発のサークルではなくインターネットのSNSかららしい。そこのメンバーをしてた先輩が大学でも発足させ、今では数箇所の学校で同様のサークルがあるんだとか何だとか。

 

「そして今度の集りの際、発表する議題が喰種なのだよ!」

「だからって、何でカネキ……? 俺、アイツとは小さい頃からの付き合いなんスけど」

「まあまあ、聞きたまえ。永近君は知ってるかな? 喰種は人間の食がほとんど取れないと。そこから逆算して、我々は学内で食事をとってる姿を見たことない生徒を、こうしてピックアップしていったのだよ」

「ちなみに即席だから一月分のデータ」

「ご苦労様です、三晃さん」

「本当、苦労してるわよ」

 

 部長のテンションにため息をついてる彼女に、反射的に俺は一言。新人と言っていたし、活動内容として無理やり連れまわされているのだろうか。

 

「まあ『ほとんど』だから全くとれないわけでもないだろうとしてね。そこで我々は、学内で食事をとっている光景が出席日数に対して一桁以下の生徒を中心に、情報を集めているのだ。無論それで全部確定は出来ないが、容疑者を絞り込むのには充分だろうさ!」

「また警察というか、CCGみたいなことを……。

 で、何でカネキですか? この間もビッグガール一緒に行ってハンバーグ食べましたし、さっきもコーヒー飲んでましたし」

「珈琲……」

 

 三晃さんが、何故かコーヒーのところだけ呟く。

 

「でも、大学での食事はあまり見かけない。見たとしても少量であるとか。違うかい?」

 

 その部長の確認に、俺は言葉が一瞬詰まった。さっきだって、おにぎり一つにコーヒーだけだった。以前ならサンドウィッチ二つにおにぎり一つくらいの量は食べていたと思ったのに。

 

「まあともかく、僕等はこのまま調査を続けようと思うのだけれどもね。そこで三晃君が言うのだよ『友達が疑われてるのは普通良い気分しないでしょう』とねぇ」

「木山君、当たり前。だから簡単に言えば、一緒に調査しないかってこと。今ピックアップされてる人数で言えば、友達居るのカネキ君だけだったし」

「切ねぇ……」

 

 何が切ないかと言えば、ここで友達俺くらいしか居ないだろうカネキだけが、今喰種として疑われてるメンバーの中で唯一友達居るっていうのが、何とも……。

 

「で、どうするの?」

「……まあ、じゃあ手伝わせてもらうぜ」

 

 ただ、その提案に対する、俺の回答は決まっていた。

 色々な意味で。

 

 

  

 

 

   ※

 

  

 

 

 オフ会と言っても、研究内容を発表してその後に会食しながら話し合うというものだ。どちらかといえば後者がメインな気もする。流石にネットがスタートということもあってか、年齢はばらばらで社会人までいた。

 結局、俺達の分の発表は確定的な情報には迫れなかったけど、というレベルではあったが、結構好評だったらしい。実地調査の多さがそれなりに認められたというところか。

 

 ただこの段階に至っても、カネキの名前は消えて無い。

 そのことに少し嫌な思いをしていると、彼が、話しかけてきた。

 

「ドーモ。君達の発表面白かったね。切り口がなかなか鋭いと思うよ。

 ……ああ、僕はネット上ではカインを名乗ってる。よろしく」

 

 その言葉に、部長の木山がたっと立ち上がる。

 

「あなたが、あの……? 戦時中の防空壕の声! 樹海のリアルさまよいレポート! 大量の患者が消えた事件の犯人の喰種の特定! それから、それから――」

「そんな大したものじゃないよ。俺なんか。今日の主役は君達だ」

「あ――ありがとうございますッ! 僕等のレポートも、貴方の『喰種の食事への考察』を元に考えましたッ!」

 

 ガンガンにテンションが上がった部長が頭を下げまくる。何でも三晃さん曰く、サークル内ではちょっとした有名人らしい。

 そんな彼が、こんなことを口走った。

 

「俺はアレだね。ここ数ヶ月、学内で食べる気配をあまり見せなくなったっていう彼の方が気になるかな。食事の時、ちょっと嫌そうな顔したりしてたんだっけ?」

「いや、フツーの奴ですよ。読書好きなもやしっ子ですよ」

「ん、君は知り合いなのかい?」

「証言者ですよ。彼がその友人の」

「ふぅん……。ちなみに、彼の名前は?」

「カネキ君です。カネキ、ケン」

「普通っぽいね、何か……」

 

 割と当たり前なことを言って、カインというらしい彼は思案する顔をした。

 

「じゃあ、そうだね。後天性の”喰種”とかは、考えられないかい?」

「こ、後天性ぃ!?」

「ロマンを求めてる訳じゃないけど、人間と喰種の違い自体、然程ないらしいじゃないか。小倉さんの本によれば。とすると、人間が喰種になっても、別におかしくはないだろう?

 まあ友達がそう扱われてるのは面白くないだろうけど……。そうだな」

 

 オカ研ならば、と前置きしてから、彼は三晃さんにウィンクして言う。

 

「徹底調査してみるのも手なんじゃないかな。それなら、疑惑も晴れるしな。

 勿論、俺も参加させてくれ。無理な日もあるけどさ」

 

 

 

 

 後日。カネキの徹底調査が始まった。

 カインさん曰く、謎を積み上げて行くそれがパズルを解くみたいで楽しいとのことだ。趣味を語る人間特有の、謎の満足感が透けて見えて、なんとなく俺はカネキの高槻泉作品のそれをダブらせた。

 

 まあそんなカインさん主導で調査を始めたのだ、内容は徹底してる。休日はもちろん、講義中とかも含めて。

 何食わぬ顔でキャンパスに入ってくるカインさんだったが、全然気付かれて無いのがちょっと薄ら寒い。

 

 そして高い確率で三晃さんがカインさんに絡まれて、俺を盾にすることが増えて来た。

 

 そんな中でわかったこと。

 

「……カネキ、トーカちゃんと一緒に居すぎだろ」

 

 この事実に、少なからず俺はショックを受けていた。夜遅くなって、トーカちゃんを送るとかならまだわかるかも知れない。最近夜道物騒だし。

 でも、まさか休日まで普通に家に遊びに行ったり(プライバシーもあるので、トーカちゃんの家の方は途中で尾行切り上げ)、一緒にバイト行ったり、たまーに買物行ったりと。これ完全にアレだよな、と傍目から見てて思ってしまう。

 時には妹さんらしき子と三人で本屋行ったり……。

 

 いや、表情とかからしてそういう感じではないんだけど、ならなんでわざわざ二人してという部分が気になったりもする訳で。

 本人が語らないので、ここのところはちょっと念頭に入れておくべきだろうか……。ちなみに三人は、もはやこの疑惑については「確定」済みで話を進めていた。

 

「ホントにあんまり食べてないね。というか、大学でもニ、三度くらい?

 これひょっとしてビンゴだったりするかもよ?」

「カノジョさんの家で食べてるんじゃないですか?」

 

 そして三晃さんは、俺の背中に隠れて会話しないでくれって。カインさんが近くてちょっと面倒だった。

 

「まあ、そうだね。僕等とて調査は二十四時間張りこめるレベルではないからね。

 今度のシフトは周期から言えば遅いし、僕も仕事を早く切り上げて、長く調査してみよう」

 

 もしかしたら、決定的瞬間が見られるかもしれない――。

 

 そんな彼の言葉に、両手を上げる木山部長と、面倒そうにため息をつく三晃さん。

 俺も、その状況なら断るのは難しい。仕方なしとばかりの内心を隠し、ハイテンションにそれに応じた。

 

「……どうしたのかしら、永近君」

「あの、いい加減後ろから出てもらえないですかねぇ」

「そうじゃなくって。さっきから、脈拍が早くなってるけど。別に私に緊張してる訳でも無いだろうし」

「……俺、割と勘は良いみたいなんですよ」

 

 頭を傾げる彼女に、俺はため息混じりに答えた。

 

「こーゆー『嫌な予感』に関しては、特に的中率が高いってことで」

「……」

 

 三晃さんは、軽く額を押さえた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……はぁ」

 

 深夜尾行、決行日。

 講義が終わって家に帰って、何とするでもなく俺は外に出た。夕方で、西の方にまだ橙が残ってる。

 

 こんな時に限って、俺の脳みそは色々思い出させてくれる。

 

 学芸会の時も。ロケット花火飛ばして近所のオバサンに怒られた時も。大学入学祝いで一緒に食べたビッグガールのハンバーグも。そして、西尾先輩の事故の時も――。

 

 必ずと言って良いほど、カネキの姿がある。カネキにとっても、たぶん似たようなものだろう。

 だとしたら、俺はどうするべきなのか。吹く風が体を震わせ、丁度目に入った自動販売機で俺は缶コーヒーを買った。

 

 丁度、そんな時だ。歌だ。歌が耳に入ってきた。ざらついた感触の声。ギター片手に歌は上手い。インディースなのかは知らないけど決行趣味だ。年は、俺等より年上か。

 

 しゃがんで聞いて見る。周囲に客は居ないせいか、俺を見て彼はちょっと張り切って声を上げた。

 

「……神様、か」

 

 神様はそこに居るよ 見失わないで――

 

 歌のフレーズが、どうしてか俺の胸に響く。

 と、その呟きにミュージシャンがこちらに聞き返した。慌てて拍手したりもしたけど、取り繕っても仕方ないからか、自然と俺の口から言葉は紡がれた。

 

「……ダチの力になりたいんです。でもなんつーか、上手くいかないんスよねーこう。

 それこそ、神様でも居るなら助けて! てな感じで」

「そっか。でも、うーん……。いいんじゃね? あんまり大きい事しようとしなくても」

「へ?」

 

 思わず聞き返す俺に、彼は照れたように続けた。

 

「助け合えるならそれが一番なんだろうけどさ。友達と一緒にいるのって、もっとシンプルなもんじゃない?

 楽しいから、安心出来るから。こーゆーのに勝るのって、ないんじゃないかと思うな」

 

 その言葉に、俺は正直、少しびっくりした。そうだ、簡単なことなんだ。彼等と一緒にいるから、少し気負ってしまったのかもしれない。

 いつだって、俺は俺に出来る範囲で遊んできたし、いつだって俺に出来る範囲で凝ってきた。

 

 だったら、今回もそうすれば良いんだ。

 

 感謝の言葉とお金を渡そうとしたら、大丈夫だと断られた。それじゃアレだと、ぬるくなった缶コーヒーを手渡したら、ものすごく感謝された。それこそ、神様だってくらいに。

 

「あら、早いわね。永近君も時間つぶし?」

「まそんなとこ。三晃さん」

 

 近場のコンビニに向かうと、三晃さんが雑誌エリアで立ち読みしていた。女性誌で、普通におしゃれさんのためのメイク講座とかあるヤツだ。

 見た目からしてあんまり気を使って無いのかと思ったけど、よく見れば逆に滅茶苦茶気を使っていることがわかる。むしろ、意図的に地味に見せている印象すら抱かせた。

 

「……夕食まだなの?」

「いえ。でもまあ、張り込みって言ったらメシでしょ。夜食です」

 

 ふぅん、と言いながら、彼女はレジに並ぶ俺を見ていた。

 

 

 

 待ち合わせ時刻に「あんていく」前に行くと、残りのメンバーと合流した。カインさんは目を細めて、しぃぃっと俺たちに言う。

 

「カネキ君の仕事、まだ終わってないらしいよ。とりあえず近辺を探索しておこうか。土地勘がないと見失うかもしれないし」

 

 理に適っているので、誰も反論はしない。ただここの周辺は人影が少ない箇所がいくらかあって、夜は多少不気味だ。木山部長も三晃さんも視線がせわしない。

 俺はまあ、おにぎりを一つ開封。

 

「肝が据わってるねヒデ君は」

「腹が減っては何とやらって言いますしね。それより、あんま奥行かない方が良いんじゃないですか? 俺でも迷子になりそうですし、喰種のマジモンとか出るんじゃ……」

「ははは、永近君も怖がってるのか! 意外だなぁ」

「木山君、強がる余地さえないですからね」

 

 三晃の言葉に、木山がちょっと項垂れた。

 ただ、そうこう廻ってるうちに迷子、迷子。

 

 戻れなくないが(方向はわかってる)、ちょっと大変な感じ。周囲に人気はなく、それこそお化けの一つでも出てきそうな――。

 

「な、何か本当に出てきそうな空気だね」

 

 部長のその言葉と同時に、俺は、悪寒を感じる。反射的に体を動かすと、それが正解だったと思い知った。

 

「――そうさ、ここが絶好の狩場だ!」

「ッ!」

「木山君!?」

 

 弾き飛ばされた木山部長。三晃さんがたまらず駆け寄り、揺さぶる。

 俺はといえば、彼の、カインのその一撃を躱したため、じっと相手を観察する余裕があった。

 

 背中から出る、職種のようなそれ。

 恍惚の笑みを浮かべる、赤い両目。

 

 紛れもない、それは喰種のそれと一致していた。

 

「小さな積み重ねが、パズルをより完成度の高いものにする……、そう! 今、俺の食事(パズル)が完成したッ!」

「なんか違うッス。……てか、食事は積み上げるもんじゃないんじゃ……」

「何だと!?」

 

 なにやら得意げに叫ぼうとしていたのを、思わず俺は遮ってしまった。

 

「おいおい。おかしいだろヒデ君。君が浮かべるべき表情は混乱か恐怖か、はたまた絶望のはずだ……。

 どうして――、何故逃げる! 君はこの場で彼等を見捨てられないはずだッ!」

 

 見捨ててはいない。ある意味作戦通り。

 咄嗟に思い付いたにしては良く出来ている。日ごろの行いが良いのか、それとも小倉ちゃんの本のお陰か。カネキもたまには良いことを言う。

 

 でも、口から出る言葉はやっべぇ一択。

 

「――逃げ切れると思ってるのか永近ァ!」

 

 むしろ思って無いから、彼女たちと距離を稼いだわけで。

 その上で、もう一つ別な作戦もあったりなかったり。

 

 ただそれでも、胴体がバットで殴られたみたいに弾き飛ばされて。痛みでくらくらして顔を上げると、自分の真上にカインさんが立っていた。

 

「……いつ気付いていた」

「……つい、さっき」

「いや違う。お前の反応は予想していたヤツのそれだ。どうしてだ?」

 

 ……思い当る節は色々あったけど、一々説明する気にはならない。小さな違和感の蓄積が、警戒するに値するというところだったか。

 

「買い被りすぎッスよ。ビビッて逃げただけです」

「全く、予定を大きく崩してくれたな……。木山君は持って帰るとして、君はここで食べさせてもらうよ」

「後遺症が残らない程度に、さくっとやっちゃて下さい。お手柔らかに」

「……ハッ、何だよそれ。面白いけど、じゃあな――!」

 

 そして、大口を開けた彼に、俺はバッグからおにぎりを取り出し、包みから剥がしもせずつめし込んだ。

 絶叫。吐き出すそれに合わせて、コンビニで一緒に買ったロケット花火に点火!

 

 こうしてバチバチとしてるのを見ると、昔を思い出す。あの頃のカネキ、まだ自由に笑ってたっけなー ……。

 

 おっと見蕩れてる場合じゃない。コンビニで買った最後の一つを取り出し、開封して、俺は彼の口に「流しこんだ」。

 

「な、なんじゃごりゃ!!? 喉にへばりついて、吐き出せない――ッ」

「旨いんだけどなぁ、ミートソース……」

 

 トマトにひき肉、玉葱やらスパイスやらエトセトラ、エトセトラ。流動形なこともあって、簡単に吐き出すことは出来ない。

 

「てめぇ、殺す……ッ、殺してや――!」

 

「――何の騒ぎだ!」

 

 唐突に響いた声に、カインさんは目を見開いた。

 

「言ってなかったですけど、ここ、捜査官の巡回ルートですよ。小倉ちゃんの本に書いてありましたよね」

「な……ッ!」

 

 現れた捜査官は、アタッシュケースを小さな二つのナイフみたいなのに変形させて、カインさんに向かう。

 

「か、赫眼……! う、うおおおおおおおおおお!」

 

 震えながら突貫をかけるそれは、なんだか妙に慣れて無いというか、何というか。

 そのへっぴり腰は、弾き飛ばされて壁の方へ。

 

「……弱! 捜査官弱ぇ!?」

「はは、驚かせやがって……。じゃあ、今度こそだ。ついでにあの捜査官も――」

 

 

 

 

 

『――どうすると言うのかね、カイン君』

 

 

 

 

 

 

 その低い、温かみを含んだ声に、俺達はそろって震えた。

 うなるエンジン音。サイレンサーが動いていないようなけたたましい音を鳴らしながら、「彼」は空から降って来た。

 

 ボロボロのマントのような、マフラーのような。顔は片方だけ目元が露出していて、考え込んだヒトみたいな口をしている。

 そして、肩の辺りから出ている有機的な、無機物的な、独特な刃のような翼のような。

 

「か、めん、ライダー……?」

「!?」

 

 その言葉に、俺はばっと目の前の彼を見る。

 長身の、上半身が武装のようなもので膨れたシルエット。跨っているバイクは二股の槍を彷彿とさせるような、そんなイメージをしていた。

 

『外での捕食は、まあ一部は目を瞑ろうと思ってはいたけれどね。捜査官に感付かれた時点で、我々の利用者は逃げるべきなのだよ。引き続きそれが他の事件を引き起こし兼ねない』

「で、でも――」

『それに、捜査官を殺してはいけない。「彼等」が頑張って最悪にしなかった現状を、覆すようならば私も多少、容赦はしない』

 

 べきべきと、肩のそれが変形して腕に絡み付く。

 カインさんは、叫びながら彼に突進をかけて――。

 

『――ライダーチョップ』

 

 その一撃で、今度は彼が面白いように吹き飛ばされた。

 無論、さっき俺達が誘い込まれた方とは別方角に。

 

 チャンスとばかりに立ち上がり、俺は逃走。

 

 仮面ライダーはこちらを振り返りはしたけど、追っては来ないようだった。

 

「我々の、利用者……、か」

 

 俺は、前に「聞いた」ことが確信に繋がるのを感じた。

 カネキの入院。退院後の不調。回復。そしてアルバイト。

 一連の出来事に、うっすらとした輪郭が見えたような、そんな気がする。確度の低い状態ゆえ、言葉にできるほど明確なものではないけれど。

 

 でも、だったら俺は――。

 

「……誤魔化さなくて大丈夫ですよ、三晃さん(ヽヽヽヽ)

 

 俺の言葉に、背後から俺に近寄って来ていた誰かは足を止めた。

 振り返れば、自分の予想が間違ってなかったことを確信させられる。

 

「聡い子は嫌いよ、永近君」

「そんなんじゃないッスよ。ぶっちゃけ、さっきのカインさんの言葉が引っかかってただけなんで」

 

 カインさんは木山部長と俺をどうするかについてコメントはしていた。ただ三晃さんについては、一言も言わなかった。

 とするならば、考えられるのは二つ。彼女が協力者か、もしくは「食べられない」相手かだ。

 

 目の前で木山部長を肩に担ぐ彼女。その両目は、赤く染まっていた。

 舌打ちをして、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「あれは本当、救いようがないわね。周りに勝手に私のことを彼女だとか言いふらすし、無関係なのに……」

「あー、なんかご愁傷様です。それで俺に隠れてたんですか」

 

 そりゃ接触も嫌だろう、と俺は思った。

 

「で? 私が喰種だと知って、貴方はどうするのかしら」

「どうもしないッス。俺等を『生贄代わり』に差し出したのも、嫌々っぽそうでしたし。何かあったんでしょ?

 でも、一つだけ聞かせてください」

 

 俺の言葉に、彼女は「何?」と無表情に聞く。

 

「――俺は、友達と一緒に居られるんですかね」

「…… 一人、知り合いにそういうのが居たわね」

 

 変人なんだけど、アレはかなり特殊なことだし、と三晃さん。

 

「ただその知り合いを見て思ったことが一つ。

 聡い人間は、私達に近づかない方がいい。素直な喰種は、人間に近づかない方が良い」

 

 じゃないと、不幸が拡散するわ。連鎖的に。

 

 彼女の言葉を聞いて、俺は、少し胸の奥がちくりとした。我ながら子供みたいな表現だが、そうとしか形容が出来なかった。

 

 そんな話をしていると遠くで爆発音みたいなものと、カインさんの悲鳴。

 それを聞いて、三晃さんは小さくガッツポーズ。

 

「これで少しは大人しくなるかしら、アレも。そのまま死んでくれても良いのに、全く」

「そんなに嫌いなんですか? カインさん」

「覚えておくと良いけど、20区が平和だからと言って、喰種の大半が命を軽く扱うことに違いはないわ」

 

 気に入らなければ、この場で貴方を殺しても良いと、彼女は俺に近寄る。

 

「殺さないのは、まあ、多少親切心よ。色々助かってたし。

 ただ一つだけ、協力してもらえるかしら」

 

 疑問符を浮かべる俺に、彼女は言う。

 

「木山君をどう誤魔化すか、一緒に考えてくれない?」

 

 どうやら、しんみりした感じで家に帰れるという訳ではないらしかった。

 

 

 



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#015 弁当/夜歌

 

 

 

 

 

「不審者? って、あの、店長?」

「誰とははっきりと言えないが、妙な視線を最近感じることが多くてね。ひとまず頭に入れておいてくれ」

 

「うーん……、だったらヒデにはしばらく来ないよう言わないとアレかな? いやでも、詳しく話すと逆に興味もって張りこみとかし始めたら、それも危ないだろうし――」

 

 ヒナミちゃんのことがあった後、しばらく。シフト入りの僕に、店長がそんな警告をした。相手の実態を掴めて入るのかいないのかは定かじゃないけど、他ならぬ仮面ライダーの言葉なのだ。外れる事はないだろう。

 

 そして、僕の独り言にトーカちゃんが「知るか」と突っ込みを入れた。

 

「一応独り言だったんだけど」

「あ? だったら少し声小さくしろっての」

 

 更衣室から出てきたトーカちゃんの顔を見て、僕は一瞬固まった。

 数秒、両者沈黙。しばらくして顔を少し赤くしたトーカちゃんが、髪留めを外していつもの様に前髪を垂らした。

 

「……何だよ」

「あ、えっと……。何でも」

「どうせ似合わないとか思ったんだろ」

「か、可愛かったよ? 結構」

「あぁ?」

 

 蹴りを飛ばそうとして、服装を確認してから舌打ちするトーカちゃん。ウサギの髪留めを胸のポケットにしまい、僕の肩を軽く小突いた。

 

「……しばらく遠ざけとけば?」

「へ?」

「アンタの、友達」

 

 トーカちゃんは半眼で続ける。

 

「時々あんのよ。こーゆーの。不穏な空気というか、そーゆーの店長が感じて、注意してくること。大体そういう時って面倒だし、店長とか四方さんとかが何とかしてること多いんだけど」

「……うん、ありがとう。考えてみるよ」

 

 鼻で笑って、トーカちゃんはカウンターへ向かう。

 僕は僕で、眼帯の位置を調整して、その後ろに続いた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 最近、トーカちゃんの様子がいつもと少し違うような気がする。

 例えば今、注文を受けて準備しているのだけれど。

 

「トーカちゃん、零れてる零れてる」

「……」

「トーカちゃん?」

「きゃッ! な、何、カネ――って、うわ、早く言えよ!」

「理不尽!?」

 

 僕に言われるまで、真剣な顔をしたまま珈琲をカップから零し続けたトーカちゃん。びくりと飛び跳ねるように動いて、トーカちゃんは僕に「アンタが入れなおせ!」と言って台拭きを揉み出す。

 

 前にも素で零していたことはあったけど、あれとは違ってこっちはどこか上の空というか、そんな感じがした。

 悩みだろうか、考え事だろうか。

 どちらにしても、トーカちゃんって割とスパスパ決断したりするイメージがあるから、こういうのは珍しいような気がした。

 

 とは言っても、僕はそこまでトーカちゃんのことを知ってる訳じゃないんだけど。

 

 ともあれ、多少上手に淹れられるようになった珈琲を持って、客席へ向かう。

 社会人だろうか、少しおかっぱっぽい髪型をした男性が微笑んで珈琲を飲んだ。

 

「君、初めてみるな。新人君かい?」

「あ、はい。金木と言います」

「カネキ君、ねぇ。……名前普通なイメージだけど、君、少し独特な臭いがするよ。なんにしてもヨロシク」

 

 彼の反応を見て、おおよそ見当がついた。彼もまた喰種だ。

 カウンターでせかせか台を拭いているトーカちゃんに、それとなく確認してみるとため息をついた。

 

「ん。……20区じゃないけど、弱すぎて自分のところじゃ喰場もてなくて、たまにこっちに来るの」

「へぇ」

「詮索好きだから、あんましゃべんない方がいい」

「……色んな喰種がいるんだね」

「当たり前。……ってか、詮索好きで言ったらアンタの、友達どうしたの?」

「あ、うん。一応、アドバイス? 通りにしばらく来ない方が良いみたいに言っといた。後はまぁ、本人次第ってところかなぁ」

「アドバイスなんてしたっけ、私」

 

 胡乱な目線を向けてくるけど、本気で忘れてるのか誤魔化してるのか判断が難しい感じだった。

 

「ま、別にいっか。……どーせなら、一生来ない方が良いと思うけど」

「へ?」

「例えば、さっきのアイツみたいなの。ここって情報集種目的で集ってくる喰種居るけど、それと同じくらい吟味(ヽヽ)にココ使う奴もいるから。リゼみたいに」

 

 その言葉に、僕は固まる。

 

「みんなが皆じゃないけど、そーゆーのも居るって話。アイツなんかは最近、ネットを中心に探してるみたいだけど、友達が大事ならこっちから遠ざけておくのは当たり前。それくらい考えとけ」

「……難しいところだよね」

「あ?」

 

 胡乱な声をあげるトーカちゃんだったけど、でもその表情はどこか優れない。

 僕自身、今の話を受けて何を考えたかと言えば、もしヒデと関わりのなかった僕の人生だ。きっと思い出も何もかも叔母さんに捨てられて、既にどこにも居なかったんじゃないかって思う。曲がりなりにも今、僕がこの場で断ってられるのは、ヒデが居てくれたからだ。

 

 ――自分たちの世界を守るためには、我慢することも大事さ。

 ――でも、守るために努力はしないといけないんだろうなぁ。

 

 そして、お母さんが死んだ後に逃げるように駆け回って、迷子になって、助けてくれたどこかのお父さん。小さなきょうだいを連れてたことと、疲れたような、優しいような目をしていたのを覚えている。

 

 あの人の言葉があったから、そしてヒデがずっと一緒に居てくれたから、僕は今日まで生きてきている。

 あの言葉を根底に、僕は立ち上がってられる。

 

 でも、きっとそれでもヒデが居なかったら、そんなこと忘れて崩れ去っていただろう。

 

 今だって、バランスとしてはギリギリなんじゃないか。自分のことは自分が一番わかっていないと言うから、そこのところはあくまで予想なんだけど。

 

 そして、トーカちゃんの様子の妙な感じ。

 不意に浮かんでいた僕の思考と重なって、少しだけ、ある予想が閃いた。

 

「依子ちゃんと、何かあった? トーカちゃん」

「……別に」

 

 視線をそらした彼女に、僕は予想が当っていた事を確信した。

 

「ケンカでもした?」

「うっさい。さっさと仕事戻れ」

 

 台拭きをもう一度揉み出して、再度拭きなおすトーカちゃん。僕から視線をそらして拭い続けるけど、僕はこの場を離れるつもりはない。最低限、言わないと。

 やがて根負けしたのか、彼女はため息と一緒に僕を見た。

 

「……何?」

「早めに仲直りした方がいいよ。時間がたつと、誤解で拗れるし。放置しておいて良い事はないから」

「……ケンカとかじゃないし」

「そうなの?」

「誰もケンカとか言ってないし。……もう、止めろクソカネキッ」

 

 唇を僅かに尖らせて、トーカちゃんは僕に台拭きを投げつける。

 それを、最近鍛えてるからかきちんとキャッチした上で、僕は言った。

 

 

「何か力になれること、あるなら手を貸すよ。あんまり、バイオレンスなのは苦手だけど」

「……ん」

 

 

 大きくリアクションはしなかったけど、それだけ言ってトーカちゃんは会計カウンターに走った。

 

 

 

   ※

  

 

 

「あ、トーカちゃんお疲れさ――、何かあった?」

「……うるせー」

 

 数日後の夕方シフトで、トーカちゃんに声をかける。と、彼女の雰囲気がいつにも増して剣呑で、思わず聞いてしまった。反応からして、まず間違いないだろう。

 

「依子ちゃんのこと、だよね」

「……だったら、何だってんだよ!」

 

 叫ぶトーカちゃんに、店内が静まり返る。店長がやって来て、彼女に「どうしたんだい?」と微笑みながら聞いた。

 

「あ……、すみません……」

「んん」

 

 店の奥をちらりと見た後、僕の顔を見て一同頷く店長。

 アイコンタクトが完全にとれてるとは言いがたかったけど、なんとなく察することは出来た。

 

 有無を言わせずトーカちゃんを二階の休憩室へ向かわせて、店長は僕の肩を叩く。

 

「カネキ君も、少し休憩していいよ。それから、出来れば頼もう」

「わかりました。あー、でもその前に、良いですか?」

「ん? ああ、構わないよ。入見さん、注文の方を頼むよ」

「わかりました」

 

 それだけ言って、店長は手慣れた手つきで珈琲を入れ始める。僕みたいなたどたどしさもなく、当たり前だけどてきぱきと手早く。でも同時に、流れるようなそれは落ち着いていて無駄がなかった。

 

 受け取って上に向かう。いつかヒナミちゃんが食事をとっていたあそこで、トーカちゃんは少し蹲っていた。

 こちらに気付いて顔を上げて「仕事戻れって」と言う。

 

「店長から、ちょっと休憩しといでって。一人で大丈夫そう?」

「……」

 

 店長の珈琲を置いて、僕も彼女と対面に座る。

 少しだけ頭を整理してから、僕は言葉にした。

 

「リゼさんの臓器を移殖されて、喰種の世界に迷い込んでさ。こっちでは勿論ものすごく君にも、君達にも世話になってるんだけどさ。正直言うと、少し嬉しかったんだよね」

「……ファーストキス」

「い、いや、そういう話じゃなくって。

 えっと、だって、僕って前にも言ったけど、ヒデを除いてほとんど一人なんだよね。家族らしい家族でもないし、元彼女とかの繋がりも完全になくなってるし。というか蒸発したんじゃないかってくらい連絡もないし。

 だから、こう、一人じゃないって思った時、言い方は悪いけど救われたところもあるんだよ」

 

 だからさ、と僕は続ける。

 

「こっちの方では僕が後輩で、教わることも守られることも多いんだけどさ。でも、人間の世界に関しては、僕の方が先輩なんじゃないかなって。

 そりゃ、トーカちゃん達ほど頼りになるわけじゃないけどさ。でも、少しくらい力になれたらなって」

 

 しばらく黙ると、トーカちゃんはため息一つ。

 

「……まず、アンタに前、彼女が居たって方が初耳」

「……あ、あれ?」

 

 率直に話した結果、どうやら要らない情報までぽろっと口走ってたらしい。

 

「アンタが頼りになる訳ない、って言ったら引っ込む?」

「……どうかな。でも、話すだけでも楽になるんじゃないかなーって」

「結局引く気ないじゃん。はぁ……。

 ……笑ったら殺すからな」

 

 そして、トーカちゃんは、ちょっと言い辛そうに事の顛末を話し始めた。

 

「ああ、それは難しい問題だね」

 

 切っ掛けは、やっぱり人間関係。根底には感情があるから、本質は根が深い。

 相手が悪意を持っている場合の対処は、直接対決して決着を着けるか、相手が飽きるまでボーダーを維持しつつ、一人で受け流すかだ。学校でならその両方が可能だけど、どうやらトーカちゃんは前者を選んだらしい。

 そういうところが、やっぱり強いな、この子は。

 

「依子と、人気のある男子のグループと話してたのがたぶん原因。で、そいつらにわーきゃー騒いでる奴等が絡んできて。で、追っ払ったんだけど今日、色々吹き込まれたらしい」

「吹きこむ?」

「……私に絡むのが、迷惑だって」

 

 一緒に行こうと約束していた動物園も、なんだかんだで流れかけているらしい。

 

 絡まれた依子ちゃんを守る為に頑張っても、内側から崩されたら難しい。

 特に第三者相手なら、いや、だからこそ。

 

 トーカちゃんはトーカちゃんなりの葛藤があって、それは人間と喰種との狭間だからこそのそれで。

 それを知らずとも、依子ちゃんも依子ちゃんなりの葛藤がある。

 

 僕の反応に、トーカちゃんは睨む。

 

「ホントにそう思ってるのかよ」

「うん。……依子ちゃんも依子ちゃんで、言われた事からすごく不安に思ってるんじゃないかな。気持ちがすれ違うと、ネガティブなことしか思い浮かばなくなるし」

 

 でも、トーカちゃん達は恵まれてる方だと思う。一人相撲にならないで、お互いがお互いを思ってるからこそなのだから。

 

 だったら、僕がやることは気持ちの整理だ。

 

「トーカちゃんは、どうなの?」

「何が?」

「お弁当分けてもらってることとか、動物園のこととか」

「……わかんないよ」

 

 考えこんで、考え込んで、それでもどういったら良いかわからないって感じの濁し方。

 僕の感じたことだから見当違いかもしれないけど、と前置きして僕は言う。

 

「トーカちゃんは、いつも即断即決で行動できるよね。それが、これだけ迷って悩むんだから、きっとそれだけ、トーカちゃんにとって依子ちゃんの存在が大きいってことなんじゃないかって思う」

「……そう、なのかな」

 

 遠い目をして、僕の目を見るトーカちゃん。いつもと違う雰囲気に一瞬ドキっとしかけたのを押さえて、僕は続けた。

 

「うん。だから、やっぱり仲直りした方がいいと思う。動物園だってさ。じゃないと、後悔したままになるから」

「……アンタの母親みたいに?」

 

 ちょっと痛い所を突かれた。

 

「わ、悪い」

「あー、うん。えっとだから……。

 そういうトーカちゃんの気持ちが、何かしら伝わるようなことを出来れば良いんだと思う」

「私の気持ち……。

 具体的に何すればいいんだよ」

「それは、トーカちゃんが一番わかるんじゃないかな」

「逃げた」

 

 まあ、手紙とか言ってもナンセンスって返されそうなイメージがあったしね。

 

 少し笑ったトーカちゃんにそう続けようとして、丁度そのタイミングで、外で唐突に花火が上がった。

 ロケット花火の音に、僕もトーカちゃんもばっと振り向く。顔を見合わせ、僕等は急いで外に出た。

 

「何の騒ぎ――ッ」

「大丈夫ですか!?」

 

 店の入り口で、OLさんが手を差し伸べていた、壊れたギターを背負った青年。

 彼の目が赤く、黒く染まり、彼女の手を拒否しているように身体は震えていた。

 

 僕は咄嗟に彼の目を覆って、背負って店の中にかつぎ込んだ。

 

 背後では、トーカちゃんがOLさんに言い訳しているような話が聞こえた。

 

 

 

 

「あの自殺の場所で、ですか。四方さん」

「そうだ。……お前と話が合うと思った」

 

 そんな話を四方さんから聞きながら、僕は珈琲を持ってまた二階に。「アンタ出るより私出た方が回転率良いから」とトーカちゃんに言われて、その後は僕が眠る彼の介抱をしていた。店長はどうしてか少し前から姿を見かけないので、僕はもうしばらく残ることになった。

 

 夜遅くのシフトなので、僕も定期的に復帰して、古間さんと入れ替わり立ち代わり。

 

 そんなこんなしていると、彼が目を覚ました。

 

「あ、気が付きましたか?」

「あれ、俺……」

 

 自分の口元を撫ぜて、そこについた血を見て少し心配そうな顔をする彼。不思議に思いながらも、僕は珈琲を置いて話かけた。

 

「まだ寝てた方が良いと思いますよ。

 えっと、ここは喫茶『あんていく』です。僕は金木研」

「”ケン”……?」

「身体の方はどうですか?」

 

 しばらく自分の手を見て、ぐーぱーを繰り返して、独り言のように彼は呟いた。

 

「……喰種の飢えが、あんなに強いなんて思わんかった」

「……食べられてなかったんですね」

 

 その言い回しに引っかかりを覚えながらも、僕は話しかけた。喰種との関わりを極力避けて、人間社会で生きたいと言う彼のことを。

 

 桃地育馬、イクマさんは「大した話でもないし、かまへん」と笑った。

 

「俺、オカンが人間なんだ」

「へ? それって僕みたいに、元々人間とか……」

「ちゃうちゃう、育ててくれた人が、人間だったんや」

 

 訛りのある口調で、彼は話し続ける。

 

 生まれたばかりの子供を亡くした人間の母親が、死にかけていた喰種の母親から子供を託された。

 母は子のため身を呈して囮とし、その子供、イクマさんを逃がした。

 幸か不幸か、母親が医師だったこともあり、上手く手を回して彼は食事だけをフォローしてもらい。感情の抑制が効くようになってきた小学校のあたりからは、もう僕等と差はない生活をしていたらしい。

 

「オカン、自分の親に赤ん坊だった俺のこと話したら、仰天されたらしくて。でも、それでも育てる言うて、反論させんかったみたいや」

「食事とかは、その……」

「学校の方は、アレルギーや言うて弁当持たせてくれたんや。中学あたりで食べる訓練して、高校ではもう自由だったさかい」

 

 自嘲するように笑ってるイクマさん。その話を聞いていて、僕は不思議な感覚に包まれた。

 

「オカンは医者になって欲しかったらしいけど、オツムの作り、そんな良くなかったからなー。それに、俺も夢あってん。

 歌、国境超えるゆうやろ? だから喰種とか、人間とかも関係なく届く思うねん。聞いてくれる人みんなに、そう届くもの作れたらええかなって、思ってるんや。慣れない標準語、それで頑張って覚えたりしてさ。

 田舎もんが馬鹿みたいに夢語ってって思うかもしれへんけど――」

「そんなこと、ないですよ!」

 

 思わず大きな声をあげてしまうくらい、僕は嬉しかった。

 喰種でも、人間として育てられたって素地はあるのかもしれない。でもそうであっても、喰種として生きることだって出来たはずなのだ。

 

 それでも喰種としての生き方をほとんど捨てられていたのは、きっと、彼だって僕等のことが好きだったからだろう。

 

「喰種の貴方が、人間に寄りそってくれるのが、僕は嬉しいです」

「……なんだか、人間の代表みたいなこと言うね」

「いえいえ。でも、僕は応援します」

 

 頑張ってくださいと言うと、彼は照れたように笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 そして翌日。

 

「おい!」

「わ!」

 

 僕の腕を強く引き、バイト終わったら付き合えと彼女は叫ぶ。

 店長には反対に丁寧に早上がりの許可を貰ったトーカちゃん。この扱いの差は仕方ないとしても、僕のバイト上がりの時間に合わせたってことか……。

 

 いつもより倍も早い時間で上がらせてもらった後、トーカちゃんは僕を連れてスーパーへ。

 手首を掴んでカツカツ歩く彼女に歩調を合わせながら、若干筋肉痛の腹を撫ぜつつ僕は彼女に聞いた。

 

「黙って付いてくれば良いって言っても、そろそろ教えて欲しいんだけど……」

「……何買えば良いの」

「買うって?」

 

 トーカちゃんは、睨みを聞かせながら僕に言った。

 ただ、どうしても声が震えてるのは仕方ないことか。

 

「――弁当に入れる具材だよ!」

 

 一瞬きょとん、としてしまったけど、その目が若干涙目で、羞恥に震えているがわかって、不覚にも笑ってしまった。やっぱり、トーカちゃんもトーカちゃんなりに結論を導き出したということなんだろう。

 

「笑ってるんじゃない!」

「ごめん、うん。わかったわかった。

 トーカちゃんが食べやすくて、豪勢っぽいのが良いよね。書籍の棚にお弁当の雑誌乗ってることが多いから、行って見ようか」

 

 少し顔を赤くしながらも、トーカちゃんは僕の言った通りに足をまず進めた。

 

 なんとなく、母さんが生きてた頃のことを思い出す。運動会だったかな、これは。ハンバーグの小さいのを作ってってせがんで、冷凍じゃないやつを作ってもらったりして。

 

 トーカちゃんの家に帰ると、ヒナミちゃんがぱぁっと顔を明るくして走ってきた。 

 

「お姉ちゃんお帰り――お兄ちゃん! わぁ、どうしたのそれ?」

 

 胸にこの間三人で買いに行った絵本を抱えつつ、目を丸くするヒナミちゃん。僕等の両手にあるスーパーの袋が物珍しいんだろう(喰種は珈琲とかくらいしか利用しないだろうから)。

 

「トーカちゃんが明日出かけるから、お弁当作るんだよ」

「お弁当?」

「うん、すごいやつ!

 えっと、じゃあ今のうちに作れそうなのは作っておいた方が良いね。時間かかりそうなのからやろうか」

「え? あ、うん……」

「お姉ちゃん、私もお手伝いする!」

 

 どうしてか借りてきた猫みたいに大人しくなってるトーカちゃんと、腕まくりして息巻くヒナミちゃん。

 とりあえず手を表せた後、ヒナミちゃんには野菜を洗ってくれるように言った。

 

「味見が出来ないから、計り計り……」

「ちゃんと計んの?」

「うん。これ結構重要だからね。僕は、少しだけ砂糖大目に作るけど……。トーカちゃん、片栗粉大匙で書いてある分量、とって入れておいて」

「か、カタクリコ……?」

「えっと、右の袋に入ってると思うから。……そうそれ、それ上だけ開けて、平皿に入れておいて」

 

 恐々とした手つきと、これで良いのかよく分かってない感じの仕草がどこか懐かしく、僕はふと顔がほころぶ。昔の自分のそれを見てるみたいで、なんか懐かしい。 

 

 受け取ったそれで、簡単に作ったタレに漬け込んだ鶏肉をまぶす。

 

 次は、えっとサンドウィッチだから、ベーコンを――。

 

「~♪」

 

 なんか懐かしい。感じる臭いは全然なんだけど、きっと良い感じの臭いが漂ってるに違いない。

 トーカちゃんやヒナミちゃんが、そろって不思議なものを見るような目で僕の手先を見ているのが、何となく微笑ましかった。

 

 フライパンで揚げたカラアゲを一つ手に取って、一口。

 

「おい!」「お兄ちゃん!?」

「……、うん、多分大丈夫」

 

 無理やり飲み込んだのは、一応予想していたからか。

 依子ちゃんの料理でわかったことだけど、ちょっと手のかかった料理は僕等喰種の味覚で、並大抵じゃないマズさになるようで。

 結果として今すさまじくマズければ、逆説的に出来は悪くないはずだ。

 

 いや、しかしこの鶏肉……。描写は控えよう。

 

「……アンタも無茶してんじゃねーよ」

「いや、なんか懐かしくてさ」

「……フン。で、次はどうしたらいいの」

「うーん、あらかた終わったし、どうしようかな」

 

 次は朝にやるべきなんだけど……、って、これってひょっとして僕、また早朝とかに来ないといけない感じ?

 

「……泊まってけ」

「へ?」

「ソファ寝てたら大丈夫でしょ」

 

 どういう反応をしたら良いのか、果てしなく困る。

 と、そんな僕等にヒナミちゃんが顔を少し赤くしながら聞いた。

 

「お姉ちゃん」

「なに、ヒナ」

「……お風呂、入るんだよねお姉ちゃん」

 

「「「……」」」

 

「覗くんじゃねーぞ」

「む、無論」

 

 そんな訳で、僕はトーカちゃんの家に二度泊まることとなった。

 ヒナミちゃんに料理の本で質問責めされてたトーカちゃんの目が「アンタのせいだぞ何とかしろ」って怖かったことが印象的だった。

 

 

 

  

   ※

 

 

 

 数日後。

 東洋史の授業が終わり、生徒たちが立ち上がる中。ぼうっとしたヒデが突然「生きてれば色々、あるもんだなー」と妙なことを口走った。

 

「どうしたの、ヒデ」

「何でもねーよ。……えっと、アレだ。ビッグガールビッグガール。今日もうカネキも上がりだろ?」

「まあ、そうだけど」

「アレアレ、か、か……」

 

 前に教えたカナンかな、と思って言おうとすると、ヒデが口にした言葉はまた別なものだった。

 

「……カイン」

「聖書でも読んだの?」

「は、何で?」

 

 知らないのだろうか、てっきりカナンとの派生で言ったなら、知ってそうだと思ったけど。

 

 僕はヒデに説明する。カナンなら約束の地だけど、カインは聖書に出てくる登場人物だと。

 漫画か何かのキャラクターだと思ってたらしいヒデに訂正。

 

「アダムとイブの息子、カイン。皆に愛されていた弟アベルに嫉妬して殺した。二人をまとめて、人類最初の加害者と被害者って表現もあるかな」

「へぇ」

「……昔はさ」

 

 唐突に、脳裏を過ぎったトーカちゃんと依子ちゃんの顔。

 

「昔は、カインを悪だと捉えてたんだけど、それは今でも変わらないけどさ。でも何か、カインからすればそうすることでしか生きることができなかったのかなぁって、最近思うんだ」

「カネキ?」

「でも、そんなことも神様の前じゃ無意味というか、大した話じゃないんだよね」

 

 あの後、トーカちゃんは仲直り出来たらしい。僕の変なアドバイス? は鼻で笑ってたけど。

 面倒面倒言いながら準備をした彼女は、

 

『……でも依子、こんな面倒なことを毎日やってくれんだよね。私のために』

 

 と、少し複雑そうな声をしていた。

 ハリネズミのジレンマじゃないけど、なんとなくその立場が、今の僕にもダブる感覚があった。

 

 ヒデは少し難しそうな顔をしていたけど、頭を左右に振って笑った。

 

「なんだよ、暗くなってるのもアレだな! よっし、俺の菓子を分けてやろう」

「へ? 今からビッグガール行くんじゃ……」

「まあまあ、良いから良いから。カバン入れとけって! 好きな時食べれば」

「いやいやいやいや、いくら何でも入れすぎだから! 僕、これノートとかさえ入らないから!」

 

 それでも無理やり詰め仕込んで、ヒデが僕の背中を押す。

 と、入り口のあたりで扉の取っ手に引っかかり、転んで中身をぶちまけた。チャックが閉まりきってなかったのが原因だし……。

 

「あーもう、だから言わんこっちゃない……」

「いや、悪ぃ悪ぃ……。(三晃さん、この時間に回ってるって言ってたよな確か)」

「? どうしたんだいヒデ」

「いや、何でも。ほら、手伝うから早く行こうぜ!」

 

 そう言いながら適当に放り込んで行くヒデ。僕は僕でどうテトリスして詰め鋳込むか考えていたからか、ヒデが誰かに向かってサムズアップをしていたのに、気づくことはなかった。

 

 片付け終わった後、ビッグガールに向かう途中。なんとなくこのまま遊ぼうみたいなノリになりそうな感じがしたので、僕は「あんていく」に電話を入れた。

 

『はい……、って、カネキ?』

「トーカちゃん? あれ、今日って学校は?」

『振り替え休日。で、何?』

 

 店長は現在取り込み中らしく、伝言なら受けるとの事。

 僕は、今日のシフトをずらせるかどうか店長に確認してもらえないかと伝えてくれと言った。

 

『……友達と遊ぶの?』

「あー、いや、その……」

『……わかった。アンタのシフト夕方からだっけ。私、代わるから』

「へ?」

 

 僕の反応に、トーカちゃんは少し時間を置いてから言った。

 

『……感謝、してるから。だから代わるって言ってるの。

 今日は遊んでくれば?』

 

 それを聞いて、僕は思わず頬が緩んだ。なんとなく、この間僕が言ったのを実践してくれたらしい。

 

『わ、笑うなッ』

「いや、ごめん。ありがとう。行って来るよ。あ、でも無理そうだったらまた電話入れてね」

『当たり前。……たぶん大丈夫だと思うケド』

 

 きっと向こうのトーカちゃんは、少し唇を尖らせてたに違いない。

 

 そうしてこうして、久々というほどではないけど僕とヒデは遊んだ。昼食をとった後、本屋に行ったりゲーセンに行ったり、カラオケに行ったり。

 

 腹から声出せよとヒデに言われつつ、僕は歌を終えて席に座ると。

 

「あー、そういえばカネキ」

「何だい?」

「お前、ひょっとしてトーカちゃんと付きあってる?」

 

 珈琲吹いた。

 

「きったね!? いや俺悪いんだけど、でもきったね!」

「自覚あんなら止めろって! 心臓に悪い」

「でも、その割にはお前、結構一緒に帰ったりしてる感じがしたんだけど」

「何故そんなの見てる……」

「学祭の実行委員帰りに『あんていく』寄ろうとダッシュして、間に合わなかったりした時とかよ」

 

 そんなことしてたのか、ヒデよ。

 結局これには、夜遅いと危ないから一応送ったり、たまに勉強見たりしてると半分本当のことを言った(流石に訓練とかまではフォローしきれないので)。それにはヒデも納得したのか、追究はあんまりなかった。

 

「てっきり勉強会? に参加させてくれくらい言うかと思ったけど……」

「いやー、カネキほど教えるの上手くないからなぁ」

「そんなに僕、教えるの上手?」

「結構上手いと思うぜ。教師とか向いてるんじゃね?」

「教師、かぁ……」

 

 そんな会話をしつつ帰り道。そろそろ暗くなってくる街並で、ヒデが「あ!」と何かを思い出したように僕の手を引いた。

 

「ストリートでやってる結構良いアーティスト居たから、今度聞きに行くって言ったんだ。近いし行こうぜ!」

「へ? あ、うん、別に良いけど……」

 

 そして連れられた先。公園で缶珈琲を飲んでいる彼と僕は、目を合わせてちょっと驚いた。

 

「覚えてますか! この間、歌聞いた永近英良って言います。ヒデって呼ばれてます!」

「あ、うん。ヒデか、もち覚えてる。今度からはそう呼ぶよ。珈琲ありがとね、この間は。

 で……」

 

 固まる僕と、彼、イクマさん。そういえば、あの時も壊れたギター片手にしていたっけ。

 いつの間にか直っていたギターは、使い古されたところと修復されたところの境目がわからなかった。

 

「……俺は、桃池育馬って言うんだ。君は?」

「……金木です、金木研」

 

 僕等はそうして、初対面のような言葉を交わす。

 彼の目には僕の事情みたいなものを、薄々察したような色が宿っていた。

 

「じゃあ、せっかく来たんだし、一曲聞いてってよ! 実は新曲できたんだ」

「マジですか! ぜひぜひ」

「ヒデ、張り切りすぎだろ……」

 

 僕等のやりとりに笑いながら、ギターをかき鳴らし彼は歌う。

 

 思ったよりも恐ろしかった東京と、想像以上に優しかった街と。

 ここで今生きる自分という、どうしても生きたいというそんな歌を。

  

 

 

 




(菓子を拾うカネキたちを見て)

「なんだカネキ君、食事の代わりに間食をしていたのか……。
 まあ、はじめから僕はこの学校に喰種なんて居ないと思っていたがね! 三晃君、チェックだ!」
「はぁ」

 ため息を付きながら金木研の名前に斜線を引く彼女。
 オカ研部長の木山が背を向けて立ち去るのを見つつ、こちらをチラ見したヒデに向かって、彼女はぐっとサムズアップ。

「(とりあえず誤魔化せたわよ)」
「(あざーッス!)」

 お互いサムズアップを交わして、彼等はすぐさま視線を外した。
 
 
 


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#016 時折/美食

 

 

  

 

 

 

 

「梯子下りるの早くなってきたじゃん。鍛えてんの、体」

 

 二日かに一回くらいのペースで、僕とトーカちゃんとは地下で訓練をしている。

 僕がドライバーを使って変身した、という話を聞いてから「いつまた使うかわかんないし、やるよ」と数日に一回から回数を増やしたトーカちゃん。ドライバーを使うな、と言わなくなったのはどうしてだろうか。

 

 正直言うと彼女の勉強時間が遅くなる、というか僕の帰りが遅くなるところなんだけど、そこは「あ?」と睨まれてしまうので諦めていた。

 大学の勉強は、まあ、休日に家で何とかするしかないか。

 そういえば、お陰でヒデともあんまり遊んでないな、最近。学校では一緒だけど。

 

 ともあれ、トーカちゃんに頷いて僕は話す。

 

「最近、夜走ってるんだ。あんまり動いてなかったせいもあるんだろうけど、体動かすのが結構気持ち良くなってきたかな」

「ふ~ん……、ていッ」

「あ――うちッ!?」

 

 そう言いながら腕を振り回し、僕の鳩尾に一撃。

 変な声が漏れた僕に吹きだして、トーカちゃんは腹を抱えた。……腹を抱えたいのはこっちなんだけど。ていうか抱えてるけど。

 

「普通に痛いとかじゃないのかよ……、くくっ、キザヤローじゃねーんだしっ」

 

 気のせいじゃなければだけど、前に比べてトーカちゃんは、よく笑ってくれるようになった気がする。あくまで気がするってだけだけど。

 ……同じ回数くらい睨まれたりもしてるので、ひょっとしたら一緒に居る時間が伸びたせいというだけかもしれない。

 

「人間相手ならともかく、ちゃんと筋肉つけろよ? 弱っちいとそこからやられるし。

 ”白鳩”の方だってやられっぱなしじゃなく対策練ってくるだろうし、これからもっとヤバい奴だって来るかもしれないし」

「……そう、だね」

 

 あれから、未だトーカちゃんの指名手配はされていない。そのことに一抹の気持ち悪さを覚えはしたけど、少なくとも二名重傷を負ったのだから、何も対策されないとは思えない。

 そういう意味では、もっと強くならないといけないということなんだろう。

 

「私も、もっと強くなんないと……。

 アンタはいいよね、リゼの赫子あるし、ドライバーも使えるから」

「? トーカちゃんは使えないの?」

「出来なくはないけど、私の場合、あんま意味がないっていうか……」

 

 なお質問すると、嫌そうな顔をしてこう答えた。

 

「……黒い、ワンピースみたいな感じになんの。

 赫子使うのに邪魔にならないみたいに、背中開いたやつ」

「……?」

「手先とか足先とか、攻撃力上げたいところに全然赫子が集まんないってこと。変身してもしなくてもあんま変わんないから、やんない」

「へぇ」

 

 話を総合するに、僕と店長との変身後が違うように、トーカちゃんのそれも違うのか。やっぱり変身者によって、そこは違いが出るんだろうか。

 

「んん、でもちょっとね」

「何?」

「……今の所、変身前後の力って完全に制御できてる訳じゃないからさ。

 今の時点で、僕は安易に変身には頼りたくないかな。もちろん赫子にってことでもあるんだけど」

 

 自分の手を見ながら、僕は言う。

 あの捜査官と戦った時、僕ははっきり自覚した。喰種が混じった今、この力をどう使いたいのかということを。

 

 誰かを助ける為に差し伸べる手。

 

 だとするならば、その力で誰かを傷つけたり、壊したりした後じゃ遅いんだ。

 

「どっちにしても毎回、誰かに助けられっぱなしになっちゃうから、難しいとこなんだけどね」

「……んじゃ何? 次からは素手でって訳?」

「いやー、そこまで過信してはいないんだけど……。

 ただこう、トーカちゃんみたいな戦い方が良いかなって。ほら、西尾先輩にやったみたいに、しゅばばって感じで。必要以上には傷つけない感じの」

 

 僕のジェスチャーを冷めた目で見て、彼女はため息をついた。

 

「……ゼータクな悩み。

 ま、別にいいけどさ。でも私みたいなのやるんなら、最低でもバク転くらいできないと厳しいから」

「へ?」

 

 言うが早く、トーカちゃんは僕の背後に回り込み、背中を合わせて両手を掴んできた。

 身長の高さも何のその、そのまま前かがみになり僕の体を背中に乗せる。

 

「あ、あの、手離さないでよ――うあああああああああ!?」

「うっさいから」

 

 ぐらぐらとバランスがとれない僕に、普通にトーカちゃんは受け答え。

 

「……ん? あ、四方さん。」

「へ? あ、こんばんは」

 

 そんなこんなしてると、トンネルの向こう側から四方さんが歩いて来た。被っていたフードを下ろして、僕等を無表情に見る。

 

「……何遊んでんだ、お前達」

「バク転ですよ、バク転。動けるようになりたいっていうから、特訓中です」

「あ、あのわかったからトーカちゃん、落ちそうなんだけど――にぎゃッ」

 

 話していたら、そのままバランスを崩してごてん、と倒れ込んだ。背中の痛みに悶絶……。

 

 こんなんじゃまだまだ先だなーと半笑いしながら、トーカちゃんは僕を起した。

 

「研。お前は避けるのはマシみたいだが、他は全然駄目だった。赫子の出力頼りだったな」

「へ? あ、はい」

「少し打ち込んでみろ」

 

 上着を脱ぎ捨て、四方さんは棒立ちのまま。

 立ち上がった僕に無言で頷く。

 

 打ち込めって、どこをどういう……。

 

 遠慮しても失礼だろうしということで、僕はまず顔面に。

 手でそらされたのを見て、ひっくり返して肘を打ち込む。

 

「そうだ。外したら次。後、下も狙え」

「はいっ」

 

 でも足を加えて動いても、流されるままに転がされて。

 

「腰を入れろ。一撃が軽い。

 トーカ、お前も来い」

 

 あぐらをかいて僕をじっと見てたトーカちゃんは、その一言で体を伸ばして立ち上がった。

 体を伸ばしながら、彼女は呟く。

 

「懐かしいですよね、四方さん稽古してくれんの。アヤト居た頃だったっけ……。

 二人同時でいいんですか?」

「……」

「わかりました。

 カネキ、一発くらい入れるよ」

 

 僕にはさっぱり分からなかったんだけど、四方さんの顔をみてトーカちゃんは大体把握したらしい。

 

 走るトーカちゃんに、追う僕。途中から両サイドに分かれて、トーカちゃんは体を回転させる。

 僕はフェイントをかけながら、ちょっと様子を見る。

 

「あっ」

 

 四方さんがトーカちゃんの足を掴む。そのタイミングを見計らって、僕はスネを腹に向け――。

 

「狙いどころは悪くないが、店長くらいパワーがないと押し負けるぞ」

「ぎゃっ」

「うわ!?」

 

 投げ飛ばされたトーカちゃんを抱きしめる形で、ぶっ飛ばされた。

 痛みに体を擦る僕等を、見下ろすように拳を向ける四方さん。

 

「トーカ。稽古を付けるなら基礎鍛錬から叩き込め。研がバク転に憧れるのは分かるが、まずそこからだ」

 

 わかるんだ四方さん。

 

「あとお前は、いい加減まともに食べろ。只でさえ鈍ってるんだ、もっと食わないと持たないぞ」

「……わかってますよ」

 

 顔を背けたトーカちゃん。どこかばつが悪そうにしているのは、たぶん依子ちゃんのためだからか。

 しかし全く歯が立たない。そして四方さんの言い回しからして、やっぱり店長の方が強いんだろう。喧嘩大好きとかじゃないんだけど、やっぱり差は大きくて素直にすごいと思う。

 

 差は大きい……、もっと頑張らないと。

 

「……腰、いつまで触ってんの」

「……あ、ご、ごめんッ」

 

 体を抱きしめながら飛び退くトーカちゃんに謝りつつ、僕は四方さんがやって来たトンネルの向こうを見る。

 

 奥は闇が見えるだけで、結局その先に何があるのか、僕は知る由もなかった。

 

 

 

   

  

 

 

「それにしても、結局不審者って誰だったんだろう」

「フツーに捜査官だろ」

 

 トーカちゃんの答えに、僕は少し違和感があった。けど何が違和感なのか特定できるわけもない。バイト帰り、トーカちゃんを送りながらの僕等の会話だった。

 

「まあ、でも少しは落ち着いていたいけどね」

喰種(こっち)で落ち着ける場合なんてほとんどないでしょ」

「でもずっと気張ってたら、傷とか治すどころじゃないからね」

「……それはそうと、カネキ、責任とれよ」

 

 へ? と首を傾げる僕に、トーカちゃんは鬱陶しそうな顔をしてスマホの画面を見せた。

 

「……あー、」

「ヒナミ、アンタに本屋連れていってもらってから、前より知識欲が強くなってるっていうか」

 

 画面の中のヒナミちゃんは、画用紙に文字を書き連ねてご満悦そうな顔をしていた。たまに疲れると言う彼女に、ちょっとかける言葉が思い浮かばなかった。

 

「アンタが前に言い出したことだろ。一人で家に居ると、塞ぎこんで色々考え出すって。私も似たようなものだったから、仕方なしに連れて行ったけど」

「細心の注意を払うって言うしかないんだけどね……。んー、あんまりやると予算が続かないし、じゃあ図書館にでも行く?」

「……」

「?」

 

 突然、意味もなく周囲をきょろきょろと見回すトーカちゃん。しばらくしてから、カレンダー機能を操作して一言。

 

「……日曜、昼ごろこっちに来いよ。寝坊したらぶっ飛ばす」

 

 いつも遅れないのにぶっ飛ばされてるんじゃ、と反射的に言いそうになって、彼女の胡乱な目を見て思い留まった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「うあああああ! いっぱい! これ全部見てもいいの?」

「あはは、うん。貸し出しカードは僕が持つから、気に入った本を持って来てね」

 

 図書館で目を輝かすヒナミちゃんに僕は笑いながら言う。いつもよりテンションが上がっているけど、静かにねと言うとちゃんと口を押さえるあたり、やっぱり実年齢より子供っぽい。他の子供たちと話す機会が少ないからかな、と思いはするけど、解消する方法は難しいこともわかっているから、僕はやっぱり反応が難しかった。

 

「……何だよ」

「いや、別に」

 

 ちらりと視線を向けると、トーカちゃんは鬱陶しそうに僕に文句を言う。今日は珍しく時間より早く来ていたトーカちゃん。大方、ヒナミちゃんが元気すぎて遅れる余裕がなかったんだろう。

 

「すごい、字、いっぱい……」

「高槻さんのも良いけど、こっちの方は?」

 

 児童文学を薦めると、ヒナミちゃんは中を見て目を丸くした。

 

「よみかたかいてある……、かっきてき」

 

 言葉は知ってるけど、語彙は不足していそうだった。

 漫画本とか、他にも興味を引くものは多いらしく、僕等の見える範囲から外に行かないよう言って僕等は椅子に座った。テーブルで、隣にトーカちゃんが居る配置。

 

「でもちょっと意外だったかな」

「あん?」

「いや、てっきり図書館は反対されると思ったけど」

 

 トーカちゃんの方はともかく、ヒナミちゃんの情報は一度は出回った情報だ。ほとぼりが冷めるまでということを考えても、少々心許ない気がする。それでも本屋だったら短時間で済ませられたけど、図書館となるとやっぱり時間がかかる。

 そんなことを耳打ちすると、トーカちゃんはため息一つ。

 

「最終的に『行きたい』って言われたら、行くしかないでしょ。まぁ……、一応保護者代わりだし」

「……そう」

「……何だよ、その目。って、いうかアンタもアンタで色々気は回してるじゃん。図書カードはアンタ持ちだったり」

「まぁ、名前から足が付くかもしれないからね。それに僕の住所だったら、身元引き受けとか含めて一応、ちゃんと『こっち側』で処理できるし」

 

 僕の言い回しを聞いて、トーカちゃんが少し目を伏せた。

 

「どうしたの?」

「……別に。でも、どーしてアンタもヒナミも本とか好きか。私、あんま読もうと思わないし」

「教科書よりは読みやすいんじゃない?」

「そりゃ、まぁ」

「んー、ちょっと気持ち悪かったらゴメンね。本ってさ、一瞬でも読者を主人公にして現実から引き離してくれたり、自分の知らない世界を体感させてくれるんだよ。それこそ映像がない分、文字から想像する世界だけどね。時に文章は人物の感情をなぞって、読者の人生にさえ触れる」

 

 僕の言う言葉を、トーカちゃんは遮らずに無表情に聞いていた。

 

「見たくもないものを突きつけられることだってあるし、それも含めて色々なことを本を読んで知ることができる。だから読み終わると、言葉にならなかった感情とかそういうのが、本を読んで感じた感情と一緒に流れ出る、こともあるんだ。それですっきりできたり、少しでも心が軽くなったり」

「……慰められるってこと?」

「まあ、そんな感じ」

「やっぱり、よくわかんない」

 

 近くにあった新聞を手に取り開いて、トーカちゃんは僕の話に肩を竦めた。

 開いた記事を、横からチラ見する。少し前の新聞で、こちらでも喰種関連の事件が報道されていた。

 

「……やっぱり喰種関係の事件だよね」

「だろ」

 

 20区、つまりここ。抱いた区病院勤務の女性看護婦、結婚式を挙げた直後にズタズタにされて発見されたらしい。皮膚の裂傷が特に激しかったという記述から、やはりその部位を重点的に食べていたのではないかと分析がされていた。

 

「どーせまたアイツだろ、変な食い方……」

「知り合い?」

「知りたくなかった」

 

 その返答は如何なものかと。

 と、トーカちゃんは突然僕の腕を掴んだ。

 

「どうしたの?」

「黙って」

 

 僕の後ろから、黒髪の女性がやって来た。年は僕と同じくらいだろうか。

 

「……あなたも図書館に来たりするのね。意外だわ」

 

 地味目な印象の女の人だったけど、トーカちゃんは警戒を解かない。

 

「えっと……」

「……この間、店長にぶっ飛ばされてたヤツの彼女」

「へ?」

「あら心外ね。彼が勝手にそう言いふらしていただけよ。いい迷惑よ、お陰で別な授業に潜入しなきゃならなくなったし、いくつかの単位がちょっと危なくなるし、レポート課題も増えるし。

 バラされたくなきゃ餌集め協力しろとか言うし。顔、わたあめみたいにボッコボコにされて良い気味だわ」

 

 ……あ、あれ?

 妙に生活感のある言葉の羅列に、僕もトーカちゃんも反応に困った。

 

 でも警戒は解いたのか、僕等の前の席に座った後はトーカちゃんは手を離した。

 

「キザヤロー、随分暴れてるじゃん」

「き、きざ……?」

「今日のニュース見た? なら後で確認すると良いわよ。もっと暴れてるから。まあ、彼とは中高で一緒ってだけだったんだけど。今じゃホリチ……、友人経由でしか親交もないし。

 それより貴方カネキ君よね。色々聞いてるわ、話すのは初めてだけど」

「あ、どうも……」

 

 大方、捜査官と戦った噂を聞いたのだろうと思って頭を下げると。

 

「――永近君、聡い子ね」

「……ッ!?」

 

 何で、ヒデの名前を知ってるんだ。

 今度は僕に緊張が走った。

 

「警戒しなくても良いわよ。少し仲良くなっただけだから」

「仲良く……?」

「諸事情あって、一緒によく行動してたの」

「こ、行動? って、どういう――」

「あー、あまり詮索しなくても良いわ。たいしたことじゃないし、お互いに(ヽヽヽヽ)まだ知らない方が良いだろうし。でも、そういう話をしたかったんじゃない」

 

 トーカちゃんと僕を見比べた後、彼女はヒナミちゃんの方をちらりと見た。

 

「霧嶋さんが図書館だなんて似合わない、デートかしらと思ったらあの子のために来てたのね」

「そーいうんじゃねーし」

「最近よく一緒に居るって聞くわよ? 知らぬは本人ばかりなり、かしら。ねぇカネキ君」

「は、はぁッ!?」

 

 小声で怒鳴ると言う器用なことをしながら、トーカちゃんはちょっと動揺して目の前の彼女を睨んだ。心なし頬が赤くなってるのは、きっと血が上ってるんだろう。

 

「でも、この方法はダメだと思うわ。経験則だけど、聡い人間は喰種に近寄らない。嘘の付けない喰種は人間に近づかない。じゃないと、凄い勢いで不幸が拡散するわ」

「あ……?」

「それは、一体、」

「カネキ君、貴方もよ。比較対象は少ないのかもしれないけど、貴方と永近君のことをもっと俯瞰して、第三者的に、客観的に考えなさい。彼の感受性は、それこそ見えないところまで嗅ぎ付ける類のものよ」

「……何で、アンタがそんなこと口出してくるワケ、三晃」

 

 首をかしげて、彼女、三晃さんは言う。

 

「親切心よ。永近君には多少、世話になったし、持ちつ持たれつ行けそうだから。まあ、最初は同い年だと勘違いしてたみたいだけど、たぶん変わることもないだろうし、そういう意味では新鮮かしら。

 ともかく、彼には感謝してるのよ。だから別な形で恩返しってところかしら」

 

 じゃあね、と手を振りながら、彼女は入り口へと向かって行った。

 

「……どういうこと、なのかな」

「さあ。三晃は好戦的な相手じゃないし、ああ見えて人間の中じゃ猫被って小さくなってるようなヤツだし。

 でも……」

 

 こちらに向かって走ってくるヒナミちゃんを見て、僕とトーカちゃんは顔を見合わせて、何とも言えなかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 ヒナミちゃんを家に送って、僕とトーカちゃんは夕方のシフトへ。

 と、あんていくに備え付けてあるテレビで、三晃さんが言っていたろうニュースが流れていた。

  

『――被害者の目は神経の奥から刳り貫かれており、わざわざそれを狙った犯人像から、美食家喰種の仕業とCCGでは考えて――』

「アイツ、本当リゼが死んでから元気ですね」

「彼ねぇ。本当自重しないわよね、色々」

 

 彼? と首を傾げてる僕に、入見さんが説明しようとして。

 丁度そのタイミングで、扉が開く。からんからんというベルの音に、僕等は「いらっしゃいませ」と返すが。

 

 

 

 

「――ん~~、良い香りだ。

 やはりここは落ち着くね……」

 

 

 

 

 そこには、モデルのような長身の青年が居た。ぱっと思い付いたのはやっぱりそういう形容詞で、端的に言うと普通に格好良い。立ち姿もオシャレさんな着こなしで、こう、何というか僕とかとは空気が違った。

 

「久しぶりだね、霧嶋さん、Ms入見」

「……何の用?」

 

 ただ、トーカちゃんの顔がすんごく怖いことになっていた。心底面倒そうというか、ゴミでも見るような視線を向けていた。

 対する彼は機嫌を損ねた風でもない。微笑みながら続ける。

 

「何、顔を見せに来ただけさ。相変わらず君はクールだねぇ。まあ、そこもまた魅力ではあるんだけどね」

「……気持ちワリィんだよキザヤロー」

 

 視線を逸らして対応に困っているように見える。かなり珍しい表情だ。

 と、話していた彼の視線が僕の方を向いた。

 

 大層面白そうな表情になって、彼は僕に微笑み掛けた。

 

「やぁ! 君かい? 捜査官を撃退したっていうタフボーィは」

「タフボーイ……? あ、カネキです。金木研」

「カネキくんね。ふぅん――」

 

 言いながら彼は僕の回りをうろうろして、色々な角度から僕を観察していた。「華奢なんだね思ったより」とか「指についたインクからして読書家かな?」とか、なんか知らないけど色々分析されていた。

 

「んん……」

「ひぃッ!?」

「あ、テメェ」

 

 そして、首元でクン、と匂いを嗅がれる。

 思わず変な声を上げると、どうしてかトーカちゃんが走ってカウンターの出口に向かった。

 

「……不思議な香りがするね。まるで記憶の底、語らいに出てきた蠱惑的な」

「あ、あの……」

 

 じゅるり、と何故か舌なめずりをする彼に、僕は反応が出来ない。

 と、そんなタイミングでトーカちゃんが僕らの間に割って入った。

 

「テメェ気持ちワリィし仕事の邪魔だからとっとと帰れ!」

「んん、全く君は無粋だね。じゃあ今度はきちんと芳村氏がいる時に、客として来よう。

 じゃあカネキ君も。Salut(またね)

 

 そう言って彼は爽やかな笑みを浮かべ、店を後にした。

 トーカちゃんは、首を撫で続ける僕を見て「大丈夫?」と聞いてきた。

 

「いや、何というか一瞬ぞわっとね。鳥肌が……」

「……ま、アイツ別にそういうんじゃないから」

 

 どういうののことを言ったのかは、ちょっと怖すぎて聞けなかった。まぁ分かったんだけど。

 

「あの人って一体……」

「リゼまでは行かないけど、ここの厄介者。目ぇ付けられんなよ? 面倒だから絶対」

 

 そう言われても、目を付けるのは向こう側じゃないかなと思わなくもない。

 とりあえず、あんまり関わるなという意味で受け取る事にした。

 

 そして何故か、入見さんが僕等をずっとにこにこ温かい目で見守っていたのが、どうしてか不思議だった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「興味深い匂いだったよ、マイリトルフレンド」

『ふぅん。って月山君、かちゃかちゃ少しだけ聞こえるけどひょっとして食事中?』

「イッグ ザクトルィイイイイイイイイッ! ハンドレスで通話中さ」

『行儀悪くない?』

「VIPルームだから周りは気にしなくても良いが、確かにね。だが、今この好奇心を僕は君に伝えたかったのさ」

『聞き様によっては大分ホモホモしいよね、それ』

「ノンノン。僕の呼び名を忘れはしていないかリトルマウス」

 

 ぷしゅ、と音を立てる肉。セピア色の眼球をスライスして作った料理を口に運びつつ、月山習はスマホに笑い掛けた。

 

「僕は美食家。あくなき探求者さ」

 

 浮かぶ微笑は、店内がやや薄暗い事もあって一層不気味に見えた。

 

 

 

 

 




「日々」と比較してイベントが大きく変わってますが、大体真戸さんが生存したのが原因です。


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#017 甘言/滑台/孤戦

やっぱり四方さんは萌えると思うんだ、うん


 

 

 

 

 昼休みのキャンパスは、当たり前だけどヒトが多い。教室内の生徒は減るけど、その代わりというところだろうか。食堂も当たり前のように込むので、僕としては少し困り物だった。

 幸いにも表の椅子とテーブルはヒトがいなかったので、そこを今は利用していた。

 

「……」

 

 珈琲に角砂糖(ヽヽヽ)を落して、かき混ぜて一口。多少は人肉もとるよう矯正されつつあるけど、未だ慣れはしない。角砂糖が多少マシという程度でしかないのだ。

 古武術の雑誌を読みながら、僕はヒデからもらった菓子を一口。圧倒的安価のうみゃいスティックは、泥か砂利を砕いて溶かしてるような、嫌な質感が舌と口内に残る。それを無理やり、珈琲で流した。

 

 しかし、これは予想外の弊害だ。売店の珈琲が美味しく感じないのだ。

 

 あんていくの珈琲は、淹れる人によって差はあれど芳村店長のブレンドが元になっている。であるならば、それは当然「喰種」に合わせたブレンドとも言い替えられるのかも知れない。あとは純粋に、淹れたて、というものの美味しさを、嫌でも実感し続ける毎日だったことか。あんていくでのアルバイトが、そのまま通常の珈琲の味に繋がるのが何とも皮肉なところだった。

 

 こうして考えると、古間さんや入見さんみたいに働きっぱなしだと兎も角、トーカちゃんも似たような感じになってるんじゃないだろうか。

 

 依子ちゃんの関係があって、ひょっとしたら僕以上に大変なのだろう。

 

「Hi、カネキくん」

「……あ? え、ええと、どうも?」

 

 見覚えのある人だった。出会った初日でちょっと苦手意識を覚えて、トーカちゃんから「面倒になる」と言われた彼の名前は、

 

「月山 習。覚えてるかい。

 せっかくだ、席良いかな?」

 

 僕が勧めるよりも先に、目の前に座る月山さん。

 二十区の問題児、その2とのこと。何で僕に近づいてきたのだろうか。というかそれ以前に。

 

「あの、大学とか違いますよね? どうしてこちらに」

「君に会いに来た、と言ったらどうだい?」

「怖いです」

 

 ちょっと、お尻がきゅっとするような……。出会い頭がいけなかったんだけど。

 少し縮こまった僕の言葉に、彼は「ユニーク」と言いながら笑った。

 

「ノープロブレム! 怖がらなくても良い。食事が趣味で生きがいだが、その手の趣味はないつもりさ」

「は、はぁ……」

「ふぅん。それ、格闘技の本かい?」

 

 僕の手元のそれに、月山さんは興味を示した。てっきり文学を嗜むかと思ってた、と言われて僕も笑い返した。

 

「基本はそうですけど、何でもありですかね最近。ライトノベルとかノベルスとかミステリとかサスペンスとかドラマ脚本とかハウツーとか。格闘技もその一つです」

「本当に雑多だね」

「まあ、最近物騒ですから」

「成る程、護身用という訳か……。でも、それだと退屈にならないかい?」

「……失礼ですけど、まぁ、正直に言えば。でも他の知識があるってことは、作中で描写されている立ち回りなんか、そういうものだってより具体的にイメージが出来るようになるんですよね。昔は楽しめなかったところが楽しめるのは、それはそれでお得かなとも」

empathique(わかるよ)。こちら側の予備知識が増える事で、より作品に対する理解が深まる。映画や舞台、音楽なんかにも共通するところだね。時にはそれを逆手にとり、受け手側が自分で調べるようにする作品もあるが」

 

 失礼なことを思ったけど、この人が意外と怖く感じなくなってることが意外だった。話していてどこか共感することが出来る。

 

「思うにね、作品などの対象が一つあるとする。それに対してより深く味わうためには、こちらの意識をより作者の意識に近づける事が必要になるんじゃないだろうか」

「……月山さんも、その、本は好きなんですか?」

「分野は問わないが、本も好きというのが正しいかな。きっと君には負けるさ」

「いやぁ……」

「なかなかシャイボーイだね。フフ。

 ただそうだね、辛く苦しい時でも、僕を支えてくれたのは沢山のフィクションと友だった」

「……」

 

 不覚にも、その言葉に僕は果てしない共感を覚えた。ヒデの顔と、沢山の高槻作品が思い浮かぶ。

 

 その後に、色々と彼と話した。高槻作品のハナシだったり、おすすめの喫茶店の話だったり。

 ただ、どこか違和感は感じる。何となく彼の目が、僕を引き取ると言った時の叔母さんの目を彷彿とさせるような―

―。

 

「霧嶋さんから何か言われたかい?」

 

 隠していたつもりはなかったけど、警戒してることを察知されたようだ。

 

 昔から誤解されやすくてねぇ、と彼は悲しそうに頭を振った。

 

「周りからはお高くまとまってると敬遠され、区の会合でもズレちゃって、色々疎まれて。

 神代さんとも会えなくなって、話相手が少なくてね」

「!」

 

 そしてその言葉に、僕は震えた。まさかリゼさんのことを、この場で耳にすることになろうとは。

 でも確かに、区のトラブルメーカー扱いされていた二人だ。一緒に話して居ても不思議では、ないのだろうか。失礼ながらきっと並べば画になるし。

 彼は、残念そうに言った。

 

「ただ僕は、静かな場所で自分の好きなものについて語り合える友人が欲しいだけなのだけどね……。

 あ、邪魔したかな? それじゃまたそのうち」

「あ、あの、月山さん」

「ん?」

 

 くるりと振り返った彼に、僕は言う。

 

「本の話くらいでしたら、僕で良ければ」

「――ありがとうカネキくん! それじゃあ、さっき言った喫茶店に今度行こうか!」

「え、ええ!?」

 

 いきなりハイテンションに僕の手を取る彼に、やっぱり僕は苦手だと思った。

 

 

 

  

 ちなみに今日、向かった先のあんていくはお休みだった。

 

「ボーっとしてた……」

「……何やってんの」

「あ、トーカちゃん?」

 

 振り返ると、トーカちゃんが半笑いで立っていた。制服姿なあたり、学校帰りだろうか。

 

「定休日だってのを忘れてて。トーカちゃんは?」

「……」

「あっ」

 

 なんとなく察して、僕はにこやかな顔を向けた。たぶんトーカちゃんも僕と同じなんだろう。その直後、少し顔を赤くしたトーカちゃんから、スネを蹴られた。痛い。ちょっと蹲る。

 

「違うからな。別に……、って、カネキ、月山と会った?」

「へ、分かるの?」

「臭い」

 

 そういえば店長も、僕の臭いは少し違うと言っていたか。だとすると、僕以外の臭いがついていると分かるものなんだろうか。

 簡単に事情を説明する。大学キャンパスに月山さんが来た事、少し話したこと、週末に彼のオススメの喫茶店に遊びに行く事など。

 

 話し終えると、トーカちゃんは渋い顔をした。

 

「気を付けろよ、色々……」

「話した感じだと、そこまで酷い人じゃなさそうだったけど……」

「物腰が比較的、丸いのは認める。変わってるけど。でも、そうじゃなくて……」

「?」

 

 トーカちゃんは突然、少し目を細めた。気のせいじゃなければ、むくれてるような、むくれてないような。

 

 と、突然トーカちゃんは僕の左側の耳たぶを引っ張った。

 

「な、な、何? トーカちゃ――痛ッ」

 

 そして、突然前歯でがぶり。噛み千切られたりはしなかったけど、爪を立ててつねられるくらいの痛みはあった。

 耳を押さえて茫然としてると、トーカちゃんはそのままスタスタ立ち去って行った。

 

「……何やってるんだ」

「……四方さん? 珍しいですね」

 

 トーカちゃんの姿が見えなくなった後に来たので、事情はわからないらしい。とりあえず日にちを間違えて来たと言って、せっかくだから練習した蹴りとか見てくださいと言った。

 

「悪い、用事があるから今度な」

「あ……、すみません」

「……研も来るか?」

「へ?」

 

 まさかまた山じゃ……いや、あそこはイクマ君に譲ったんだっけ。

 

「人と会う。昔なじみなんだが、やたらお前に会わせろと一人五月蝿くてな」

「えっと、どういう人なんですか?」

「どういう……」

 

 僕は、四方さんの言葉を待つ。

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………」

「……」

「………………………………………………………………………………………………………………………………」

「……」

「……………………どういう…………」

 

 この人、ちょっと口下手すぎじゃないだろうか。

 

「あの、せっかくですし会ってみます」

「……そうか」

 

 何と言うこともないように返答した四方さんだったけど、僕の言葉に、ちょっと助かったみたいな顔をしたのは見逃せなかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「うひゃひゃひゃ、さっきはゴメンゴメンねー。

 まぁ私の店だ、くつろぎたまえカネキチくんよー!」

 

 そして、ちょっとだけ後悔したのは内緒だった。

 場所は十四区の、小さいビルにあるバー。レトロながら漂う空気は大人らしくて、ちょっと僕には気が早い。ちなみに店名はHelter Skelter(混乱)。まさに今の僕の心境だ。

 

 店に向かって入り口を開けた瞬間、突如妙な被りものが脅かしにかかってきたのだから、そりゃ腰も抜ける。店の中からはウタさんも出てきて、それにやっぱりかと思いはしたけど。

 店に入ってから、喰種しか居ないので眼帯を僕は外していた。

 

「へぇ、君がカネキ君かぁ」

 

 マスクを外した彼女は、店のオーナーらしい。酷く美人だったけど、押しが強くて少し苦手だった。

 

「でもあたしゃ、君に会えてうれしいよぉ。蓮ちゃんもウーさんも君のこと話してたし、二人だけズルいって感じでねー」

「マスク作った時のこととかね」

「そーそー。

 にしても蓮ちゃん、もっと身奇麗にしなよ。モテないよー? お髭も整えてさー」

「……ほっとけ」

 

 気のせいか、視線を逸らす四方さんは少し嫌そうな顔をしていたような。

 

「カネキ君も大変でしょー、こういう面倒な男が居てさー」

「い、いえ全然」

 

 彼女、イトリさんの言葉に僕は首を左右に振った。

 

「僕なんかまだまだ、皆さんに助けてもらってばっかで。

 力不足で、いつも申し訳ないくらいです」

「――え、ええこや! めっちゃ純!」

「へぁ!?」

 

 と、何故か感極まったような声を上げたイトリさんが、僕を脇に閉める形で抱きしめてきた。スタイルが良いこともあって、気恥ずかしいとかいうレベルじゃないくらいくっついている。

 

「天然ものやね、アタシらが失ったピュアな心を持ってる!」

「僕も蓮示くんもピュアだよ」

「……」

 

 四方さん、照れたのだろうか。

 そして僕は、どうしても気になったことを口にした。

 

「あの、三人はどういう……」

「あー、ゴメンゴメン。昔からの知り合いなのよ。4区に居た時からの腐れ縁」

「4……ッ!?」

 

 かつてウタさんが言ってた、一桁台は住めたものではないと。それは風の噂じゃなく、経験談だったのだろうか。

 イトリさんは笑いながら話し続ける。

 

「思い出すなー。昔はウタと蓮、すーごい仲が悪かったんだよ? ドンパチ所かまわずケンカしたり騒いだりするから、今より滅茶苦茶で。こっちの方が迷惑だったくらい」

「10代ってそんなものさ。今じゃ僕等、仲良しだよね」

「……他の奴のことは知らん」

「でも、なんか昔の蓮示くんってトーカさんみたいだった気がする」

「あ、そーそーそれそれ! 一人で暴走しちゃうところとか、基本無愛想なところとか。接客できるだけトーカちゃんの方がまだマシだけど!」

「……そのくらいにしろ馬鹿二人」

 

 ちょっと怖い雰囲気を漂わせた四方さんに、怒った怒ったと二人は顔を見合わせた。

 

「コイツに会いたい理由があったんじゃないのか、イトリ」

「んー、そうそうそう。カネキくん、これ呑んでー」

 

 そう言って僕に向けられたそれは、赤いワインのようで、しかし赤黒く、独特な臭いを漂わせていた。

 

「……血、ですか? これ」

「私等は『血酒』って呼んでる。まあ喰種用のお酒だねっと。蓮示が呑むと面白いんだけど、まあそれはそれとして、ほれほれ」

「むぐッ」

 

 そしてワイングラスで、無理やり呑ませるイトリさん。思わず吹き出しそうになったのを堪えて、しかし咽てげほげほ下を向いた。

 

「イッキは訴訟ものだよ」

「いいじゃんウータウータ。それより、やっぱりかー隻眼!」

 

 どうやら今僕の目は赫眼が出ているらしい。左側を隠す僕に「お客入って来ないから大丈夫だってー」とイトリさんは笑った。

 そして、彼女はふっと少しだけ含みを滲ませて言葉を続ける。

 

「カネくんさぁ? ――人間と喰種が交わったら、どうなると思う?」

「へ?」

 

 質問の意図を計りかねて、一瞬言葉につまる。イトリさんは軽い調子で「当っても間違っても大したことないからー」と笑った。

 

「ま例えば私とカネくんとが? ぱぱっと脱いでぎぎんと盛ってぎゅぎゅっとヤってばばっと出したりした場合とかのことね」

「わわわわッ!?」

「あひゃひゃ! やっぱ純だね、可愛いわー。

 あ、それとも私よりトーカちゃんの方がよかった? ねぇねぇ」

「止めておけ」

 

 救いの主、四方さんのお陰でシモネタ系の弄りは解消された。

 困惑していた僕に彼女は答える。

 

「――普通は死んじゃうのよ」

 

 びっくりした? という彼女に、僕は頷く。質問してくるくらいだから、てっきり普通に生まれるものだと思ったから。

 

「一応は『出来る』っちゃ出来るみたいなんだけど、なかなか難しいらしわよ?

 母体が人間だと、喰種としての栄養がとれないで流れる。逆に喰種だと、栄養と勘違いしてRC細胞が回って吸収しちゃうんだって」

「……」

「だ・け・どぉ。それでも極まれに、ハーフとして生まれてくる奴もいるらしいんだって。時にカネくん、雑種強勢って知ってるかね」

「近似種同士で子孫を残した場合、成功すれば双方の優れた形質を持つ次世代が生まれる、でしたっけ」

「おおー、さっすが大学生! まーそんな感じで、生まれたハーフも普通の喰種とは違ってるらしい。

 そして――」

 

――生まれてくる子供は、片方だけが赫眼になって生まれてくるんだって。

 

 片目を閉じて、もう片方を赫眼にして開きながら、イトリさんは笑う。

 

「ま、ちょっと眉唾なんだけどねー。ただ、カネくん以外にも居るって噂はあるのよ。おじちゃんだとか、若い女の子だとか」

「ぼくは小さい子供だって聞いたよ。チームの子が言ってた」

「でも、西尾先輩は知らなかったみたいですけど……」

「西尾って、西尾錦の方よね? そりゃ知らないでしょ、話題になったのだいぶ昔だし。私等ティーンだもん当時」

「そうですか」

 

 僕以外の、隻眼。

 その話題は、軽くしか触れはしなかったけどどうしてか記憶に残った。

 

「で、まあそういう眉唾な話だけじゃなくて、色々なものが集ってくるのよ、ここは。”あんていく”みたいな相互扶助じゃなくて、もっとシビアにハナシだけを扱ってる、情報屋みたいなもんかな?」

「情報屋ですか」

「そうそう。だから、君が興味を惹かれそうな話しとかもあるよん? 例えば仮面ライダーが実は一人じゃない、とか――」

 

 

――神代リゼは本当に事故死なのだろうか、とかね。

 

  

 彼女の言葉に、僕は目を見開いて、どういうことか尋ねた。

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 僕がリゼさんに襲われたあの日。店長が僕を助けてくれただろうあの日。

 最後の最後でリゼさんが僕に接近するのを店長が許してしまい、あわやというところで僕は死ぬところだった。

 

 工事現場の鉄骨が落ちてこなければ。

 

 だが、もしその鉄骨が誰かによって意図的に落とされたものだとしたら、どうだろうか。

 僕自身、記憶は曖昧で思い出せないけど、でもあの時上を見て、リゼさんが「誰か」に対して困惑した表情を浮かべていたような、そんな記憶はあった。

 

 四方さんによれば、そのことは店長が、僕を混乱させないために言ったらしい。

 

 そうすると、少し謎が出てくる。果たして僕がリゼさんから狙われたのが、彼女自身の意図した通りなのだろうか、とか。ひょっとしたら僕が、リゼさんをおびき寄せるためのエサだったのでは、とか。

 

『復讐するって訳でもないだろうけど、そりゃ知りたいわよねぇ自分のことだもの。

 でも、だったら交換条件。ウチの情報料は高いから、カネくんが別な情報を集めてきんしゃい』

『きんしゃ……?』

 

 困惑する僕に、彼女は耳打ちした。

 

――美食家、月山習が通う喰種レストランについて、情報を探ってきて。

 

 曰く、会員制であるため中で何が行われてるか部外者は立ち入りしずらいとか、そもそもガードが固いとか。

 

『最近付きまとわれてるみたいだし、タイミングは丁度じゃない?』

 

 かくして僕は、その情報に探りを入れる事になった。なったんだけど……。

 

「……ここどこだろう」

 

 色々考えこんで歩いていたら、現在位置が完全にわからなくなった。

 いや、そもそも十四区自体全然来ないし、これなら四方さんにガイド頼むんだったな。……まあ「今度来たら、また可愛がってあげるよー♪」と笑いながら手を振るイトリさんは、やっぱり得意になれそうになかった。

 

 そう思っていた矢先、路地裏でケンカしているような音が聞こえた。

 

「……? あれは」

 

 やりすぎというレベルで複数人に殴られているのは、見覚えのある顔。そしてこんな場所で倒れてるイメージのない顔。

 

 西尾錦。

 僕とヒデとを襲ったあの人だった。

 

 どういう状況なのだろうか。でも僕は、深く考えることもせず一歩足を踏み出した。

 

「あの、すみません。少しやりすぎじゃないですかね?」

「ぁ? テメェ、糞ニシキの仲間か、あ?」

 

 見ず知らずではあるけど、トーカちゃん以外にもそんな呼ばれ方をされてる西尾先輩に、ちょっとだけ合掌。

 

「つかテメェ、どこの喰種だよ。何区だ、あ?」

「いや、あはは……。ちょっと道に迷いまして。一応、二十区です」

 

 僕の言葉を聞いた瞬間、彼等は顔を見合わせて笑った。

 

「そーかそーか、じゃあ坊ちゃんに良いこと教えてやるよ。

 今、俺等の間での流行りもの(トレンド)――」

 

 笑いながら、西尾先輩を嬲っていた彼が近づいてきて、腕を振るった。

 

「――同種喰らいだッ!」

 

 後ろのシャッターがべきべきと折れる音が聞こえる。

 

「今夜は誰で遊ぼうか相談してたら、フラフラにニシキくん見つけてねー。なんか弱ってるみたいだし、いつも一匹狼気取ってるのがアレだったし、征服感っつーの? 味は悪いんだけど。

 おー、意外と動けるか?」

 

 赫眼をむき出しにしながら、彼は僕を遊ぶように攻撃する。

 ただ生憎、速度で言えばトーカちゃん程じゃない(四方さん曰くの、弱ってるトーカちゃん程じゃない)ので、僕には当らない。

 

「ちょこまかウザ。避けてばっかじゃね」「早くやっちまえよ、ヒヒッ」

 

 ただ、どうしてか少し彼等の態度にむかっ腹が立った。

 

「どうしてそう、喰種は血の気が多いのか……」

 

 西尾先輩が嫌われるのは自業自得もあるかもしれないけど、やりすぎだろ。

 出来れば赫子を出さないで目の前の相手を無力化したいと思いながら、チャンスをうかがう。と、そんな時丁度トーカちゃんの半眼が浮かんできて、方法を思い付いた。

 

 暴走した僕に、トーカちゃんがやったようなことだ。

 

 クインケドライバーを取り出し、僕は相手が大きく振りかぶった瞬間、腹部に装着。

 レバーを落す。

 

「――は、はあああああああああ!?」

 

 きっと彼の体内では、得体の知れない痛みが這い回っていることだろう。バックルの両サイドに赫子がくっつき、ベルトのようになっている状態。そこから痛みが走り、身体がわずかに痙攣しているところに、僕は拳を顔面に叩きこんだ。

 

 効いた。

 仰向けにドサリと倒れる彼に近づき、ドライバーを解除して外す。今の一撃で、どうやら伸びてしまったらしい。

 

 顔を上げると、彼の仲間たちは不思議と青い顔をしていた。……あれ? 

 

「お、おい、あっ……」「そういや、20区の眼帯って本部の捜査官殺した野郎じゃなかったか?」「んなの聞いてねぇぞ!? おい、面かるぞ!」「あいつは――」「おいとけ!」

 

「……喰種関係なしに、単にチンピラだったってだけか」

 

 いや、今時チンピラとか死語だろうか。

 そんなことを考えながら、僕は西尾先輩の肩を担いだ。

 

「……ァ………ネキ?」

「カネキですよ、西尾先輩」

「……ッ、殺す、ぜってーてめぇ……」

 

 息も絶え絶えなのに、西尾先輩は西尾先輩のままだった。

 一瞬投げ出してしまえと僕の心が囁くが、でもこの状態の彼を見捨てる事は、どうにも僕には出来ないらしい。

 

「善人ぶってんじゃ、ねぇぞ……、クソが、何で俺が……」

「はいはい。でもその体じゃ無理でしょ、馬糞先輩」

「あァ!?」

「だって、前、馬糞みたいな味するって言ったじゃないですか」

「言葉の綾だ、真に受けてるんじゃねぇ……ッ」

 

 よっぽど腹に据えかねたのか、僕の軽い言葉に結構本気で否定してかかっていた。別にこれはからかう為に言ったわけじゃなく、ちょっとした確認だ。

 つまり、どれくらい体力があるのかという。

 

 先輩の鍵を使って中に入り、彼を横にする。僕と戦った後からそのままなのか、散らかった珈琲の缶の中には包帯やテープが落ちていた。

 

「何にしてもその体じゃ無理でしょ。芳村店長頼ればいいのに。断りはしないだろうし」

「だれがあんなタヌキジジィ……」

「警戒心が高いのか、プライドが高いのか……。どちらにしろ寝覚めは悪いんで、これだけ舐めてください」

 

 ポケットから取り出した角砂糖を、無理やり彼の口に入れる。

 ちょっと不服そうだったけど、西尾先輩は文句を言わずに角砂糖のようなそれを転がした。

 

「……何でテメェが助けてんだ」

「……まあ、性分ですかね。そう決めてるんで」

 

 お母さんの顔がフラッシュバックしかかって、僕はそれを誤魔化すように笑って、家を出ようと扉を開けた。

 

 途端、叫び声と共に、放電音がばちばちと僕の鼻先をかすめた。

 

「え、ええええええ!?」

「――あ、あなた、ナルシー男じゃ、ない……?」

 

 ぎりぎりでかわして腰を抜かす僕に、彼女は驚いた表情で指を指した。

 見覚えのある顔だ。この人は、どこかで――。

 

「貴未……、やめろ、ソイツじゃねぇ」

「ニシキ君!? 大丈夫、ボロボロじゃんどこ行ってたの怪我してるのに……。

 またお腹の傷、開くよ……」

 

 倒れていた西尾先輩の下に、彼女は駆け出した。と同時に思い出す。彼女は、西尾先輩の彼女さんだ。

 お腹の傷、ということは僕がやったアレか。でも、未だに再生していないとはどういうことなのだろうか。

 

「腹へって、おかしく、なりそう、ぁんだよ……。メシ探しにいかなきゃなんねーだろ」

「それでも、少し安定するまでここにいよ? なんだか怖いよ……」

 

 そして一つの事実として、僕は驚いていた。この人は、西尾先輩の彼女のこの人は。西尾先輩が喰種であることも知っていて、全てを受け入れているのだ。

 

「昨日一昨日、大学であの、ナルシーって呼んでた人見かけたの。ニシキ君探してるんじゃないかって思って、だから――」

「アイツに目ぇ付けられたらシマイだぞ、今だと、俺も守ってやれねぇ……」

 

 リゼが死んでから、全部おかしくなってると、西尾先輩がうわ言のように言う。

 

 続く呟きも聞きながら、でも、僕はふとドライバーを握りながら、思考する。

 リゼさんの死と、彼女と知り合いだったらしい月山さん。そして喰種レストラン。

 

「……カネキ君、ちょっといい?」

「……? あ、はい」

 

 西尾先輩を布団に寝かせてから、貴未さんは僕を外に連れ出した。

 ぱしゃり、とどこかで音が聞こえた気がしたけど、ゴミが風に吹かれる音だ。

 

「あの、カネキ君。君、喰種だよね。ニシキ君から聞いてる」

「へ? あ、あの――」

「――お願い! 全部黙ってて! 私も君のことは言わないから」

 

 頭を下げて僕の手を握る彼女に、言葉が続かない。

 

「……今追ってが来ても、ニシキ君一人でも逃げられないと思う。それに――」

 

 貴未さんが言わんとしていることは、僕も知っている。ヒデから教わった。喰種を隠蔽した人間には、それなりに重い罰則が付くことも。

 

 言いませんよ、と僕は断りを入れてから、聞いてみた。

 

「……貴未さん、でしたっけ。あなたは人間、で、いいですよね」

「うん」

「怖く、ないんですか? 西尾先輩が、僕らが――”喰種”が」

 

 西尾先輩の傍にいるというだけで、この人に対しての信頼はそれなりにあっても良いかもしれないと思う。ただそうであっても、それだけで信じていいかということに、疑問を抱くくらいには僕は臆病だった。

 

 彼女は少し顔を下に向け、何かを考えてから言葉を紡いだ。

 

「……ニシキ君しか、もう、私にはないから」

「?」

「最初はびっくりしたけど、でも、一緒に居たいって思う。

 ……きっと私は、私と親しかった人が過去に殺されでもしていない限り、見て見ぬフリをし続けるんじゃないかと思う。ニシキ君には、食事が必要だし。

 もし本当にダメで何も手に入らないなら、私がニシキ君の――」

 

 自分の肩を押さえながら、貴未さんは続ける。

 

「……もし私が、貴方達の側だったら、きっと躊躇なくヒトを殺してるんじゃないかって思う」

 

――人間に生まれたから、人間の世界で私は綺麗に生きることが出来るってだけだから。

 

 彼女のその言葉に、僕は胸が打ち抜かれたような衝撃を受けた。

 西尾先輩の家を出てから、僕は考える。

 

 ちょっと盲目的にも思うけど、それでもある意味、共存の一つの形ではあるんだろう。僕だってあんていくと出会えなければ、飢え死にこそしなくても暴走して、近くの人間を食い荒らしていた可能性だってある。

 

 ああいう風に全部知った上で、それでも生きていていいって受け入れてくれる人がいれば。

 例え枷を嵌めて生きなきゃいけない喰種であったとしても、どれだけ救われるだろうか。

 

「……ちょっと、羨ましいかな」

 

 そう呟くと、なんとなく脳裏でトーカちゃんが、あっかんべーしてる映像が浮かんだ。

 

 

 

 

 




次回か次々回、カネキ君、初ライダーキック(ベルトギミックの必殺技)予定


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#018 下拵/晩餐/解体/強蹴

タイトルからしてもうライダーキックですね、ハイ


 

 

「いやはや珍しいね。同胞の中でも、運動力が低いというのは」

「運動はちょっと苦手で……。それにしても月山さん、上手ですよね」

「オフコース! と言っても、以前友人を誘って一緒にやった時、見事にボロ負けして、その後リベンジに燃えて特訓したんだがね」

「友人?」

「ああ。人間のね。僕はペットのように可愛がっていると思うのだが、いまいちつれないのだよ。

 機会があれば今度会わせようか」

 

 ふふ、と微笑む月山さん。彼のおすすめの喫茶店で、僕らは今珈琲を飲んで談笑していた。

 待ち合わせ場所に行くと「一緒に遊ぼうじゃないか!」と楽しげに誘われ、付いて行った先が室内競技場。スカッシュなんて初体験だったけど、根本的に文学人な僕だ。やっぱり慣れないことはするものじゃない。

 

 それにしても、人間の友人か……。

 

「適度な運動は筋肉もほぐれて、良いエクササイズになる。何事も楽しんではどうだい?」

「あ、はい……。良いお店ですね」

 

 珈琲豆と、本と、並ぶそれらと調和した綺麗なお店。カジュアルさとレトロさ、ハイカラさが入り交じったそれはつまるところ「おしゃれ」だ。

 良い店ですねと言えば、彼は得意げになって鼻を鳴らした。

 

「しかし悪かったね。今日は高槻氏はお見えになっていないようだ」

「あー、大丈夫です。確かに、ちょっと残念ですけど」

「ふぅん。しかしカネキ君? 君が高槻氏に会うつもりだというのなら、もっと上等な服装を選ぶべきだったのでは?」

「へ? あ、服のバリエーションがなくって……。ダメでしたかね」

 

 僕の言葉に「時には必要にもなるさ」と月山さん。

 

「僕はコーディネートが好きでね。君は小柄だから、視線を上に集めるスタイルが似合うんじゃないかな」

「はぁ」

「僕の、というより家の人生哲学だけどね。喰種(ぼくら)は選ばれた存在なのだ。だからこそ一流を身に付けていかなければならない。そうすれば堂々としていられるし、周りからも一目置かれ信用してもらえる」

「……確かに、大学に入ってきた時とか、全然畏縮とかしてませんでしたね、月山さん」

grand apparat(威風堂々)さ。ま、これもまたリトルフレンドによれば、同胞に敬遠される所以らしいが」

 

 話しながら、月山さんは本を取り出す。書かれたタイトルはフランス語のそれだったけど、日本語で著者が書かれていてすぐ分かった。

 

「ブリア・サヴァランの美味礼賛ですか?」

「おや、既に読了していたかい?」

「てっきり興味がない類のものかと思ってました」

「それは、味わいが感じられないからかな? とんでもない! 僕等だからこそ、こういうものは深く読み込むべきだと思うのだよ」

 

 楽しそうに身振り手振りを交えながら、彼は話し続ける。

 

「僕は美食家(グルメ)だからね。だからこそ食通にとって、こうした著書は非常に興味深い。感じられないからこそ、全てが新鮮で想像し得ない。『チーズのない食事は片目のない美女である』とあるが、これもまたそうだ。

 僕等にとって酒はあるが、ではチーズは何に該当するのか。味わいか、香りか、それとも食感か。

 どれをとっても興味が尽きない。食欲を一層盛り立てるエッセンスは?

 色々と試してはみているが、果たしてどれが一番なのか……。美食の道とは奥深いものだよ」

 

 本当にこの人は、この本が好きなんだろうと思う。語られる言葉や感想は、酷く熱の篭ったもので、聞いているだけでこちらも楽しくなってくるようなものだった。

 ただ「試してはみているが」というフレーズが、怖いところではある。忘れてはいけない。(ぼく)人間(ぼく)だ。喰種であっても、それを忘れてはいけない。

 

「僕なんかは、ほんと食事は苦手で……。少量でも充分なくらいです」

「ふぅん、変わってるね君は。

 ……? ということは、君は『角砂糖』派か」

 

 月山さんは少し顔を背けて、何か呟いたけど、僕には聞き取れなかった。

 本の感想を聞かれて、僕も僕で意見を述べる。時代背景や食への行き過ぎた探究心。また彼の食事に対する欲求が、本当は別なところにあるんじゃないか、という話もした。

 

「ふぅん、面白いね。ちなみに僕はここの一節が好きでね。ちょっと貸して――あ、すまない!」

 

 月山さんの指がかすめて、僕の指先がわずかに切れた。大丈夫だと言う僕に、慌てたように月山さんはハンカチを押し当てた。血が止まるまでそうしていて良いと言う彼に従い、僕はそのまま。

 

 そういえば、どうやってレストランについて探りを入れようか……。

 

 話題の転換で、試しにリゼさんについて聞いて見た。

 

「……神代さんね。彼女も読書家だったから、もちろん本の話もしたし、二十区以前の話や、食事の話も――」

 

 ぴしり。

 突如、月山さんの持っていたコップにヒビが入った。

 

「あ、あの、月山さん?」

「……済まない。少々、音楽性の違いのようなものを思い出してしまってね。食性の違いのようなものだが、仲違いとまでは言わないがそのね」

「あ、はぁ……」

 

 そういえば、リゼさんは「大喰い」で、この人は「美食家」だったか。そりゃ嗜好は合わないだろう。

 僕の手からハンカチを取り、彼は洗ってくると言って席を離れた。

 

「……んー、どうしたものか」

 

 リゼさんの話を聞こうにも、あれじゃ続きは無理だろう。だとすればレストランか。

 そういえば時間は……。そろそろ夕方か。そこまで難しくはないだろうか。

 

 何故か妙にツヤツヤした月山さんが帰ってきて、僕等は店を出た。さっとカップの弁償をする月山さんは、どこか手馴れた感じがあって、少し不思議な気がした。

 

「ありがとう。今日は楽しかったよ。

 しかし充実した一日を過ごすとお腹が空くねカネキくん」

「え? あ、そうですね」

「せっかくだし、僕の行きつけのお店に行かないかい? 会員制の秘密の場所。僕の紹介があれば入れる……。食事嫌いという君にも、ぜひ一度味わってもらいたい、一流の味さ」

 

 直感的にこれだ! と思いはしたけど、しかし同時に何か嫌な予感もする。

 

「せっかくだから、君の為に食事が苦手でも食べられるものを作ってもらおう」

 

 楽しげに言う彼に、僕は頷く。嫌な予感がしても、結局は虎穴に入らずば虎子を得ずだ。

 頷いた僕に、彼は一瞬だけどこか獰猛な笑みを浮かべた、ような気がした。

 

 

 

   ※

  

 

 

 お店自体は大きな屋敷と言ったところか。隠れた名店と紹介されただけあって、看板も何もない。

 スーツのような格好をした月山さんは、三日月を模した仮面を被る。格式高い店ということなのかは知らないが、どうやらあれから電話をして僕の分の服も用意してくれたらしい。入り口で分かれた月山さんは「シェフと相談さ♪」と言って僕に中に入るよう言ってくれた。

 

 店に入る前に、シャワーを浴びてくれと言われた。身奇麗にしてくれというのに、どこか宮沢賢治的な薄ら寒さを覚えはしたけど、あくまで僕は今、喰種としてここに来ているはずだ。だったら大丈夫だと思いたい。スーツは大小様々なサイズが取り揃えられていて、僕ぴったりのものもあった。

 

 喰種のレストラン。紹介が必要で、ドレスコードあり。

 これくらいなら、まだ普通のレストランのそれと同じくらいだろうか。

 

「あー、どうも」

「……フン」

 

 入ってきた僕を見て、壮年にさしかかるかかからないかという男性が、にこやかに笑った。反対に、若いけどちょっと恰幅が良いと言うか、そういう女性の人は視線を振った。

 

「えっと、どうも」

「いやー、長らく二人で待たされてしまってねー。心細くて。

 僕は翔瑛社の「Tokyo-GourmetS」の編集をやってます、小鉢です。君は……、高校生?」

「よく間違えられますが、一つ上です」

「大学かぁ。学生なのにすごいところ知ってるねー。あちらの方も若いのに」

「知り合いの紹介で」

「ほうほう。僕なんかも知り合いの情報通の紹介で連れてきてもらって、初めて知ったんだよ」

 

 彼の言いぶりに、少し違和感を覚えて、僕は聞いた。

 

「あの、連れてきてもらった方って……?」

「ああ、御手洗さんって言うんだけどね? 入り口でスーツが居るから、別室で準備してくれって言われてね。それにしても、食事所でシャワーというのもまた乙なものだね。初めてだったよ」

 

 ははは、と笑うその仕草に、僕は違和感を確信に変える。十中八九、連れてきてもらった相手は喰種だろう。

 そしてこの人は、どこからどう見ても、どう聞いても普通の人間だ。

 

 それの指し示す意味を考察していると、珈琲とクッキーが運ばれてきた。小鉢さんの食べるのに合わせて、僕と女性も食べる。食感はもそもそしていて、不思議と僕でも食べられた。

 そして珈琲だけど――逆に何か違和感を感じ、僕はそっちは食べなかった。

 

「皆様、準備が出来ました。こちらへ――」

 

 ヴィクトリアンメイド、だったっけ。そういう格好をした、仮面を付けた女性に連れられて、行った先は酷く質素な部屋。壁等周囲に調度品もなく、簡素なコンクリートの部屋というべきか。上部には証明が複数。

 部屋の中央には椅子三つにテーブル一つ。そして巨大な鉄板。

 

「ほぉ、いいねいいね。さっきまでと違って、一気に質素だけど、これもこれで趣がある」

 

 メモ帳に記入しながら、彼は周囲を観察して椅子に座った。

 

「他にお客さんって居ないんですかね、えっと……」

「いい加減腹減ったなぁ。いや、空腹は最高のスパイスか。それにしても鉄板か、ステーキか海鮮か……、くぅー、楽しみだ!」

 

 この人、話聞いちゃいない。

 でもそうやって楽しげにしてるところは、どうしてか僕はヒデを幻視する。きっとアイツが大人になったら、こういう感じの人間になるんだろうな、と。

 

 と、がちゃがちゃ背後で聞こえたので、僕は振り返る。

 

「……どうしました?」

「……鍵、閉まってるのよ。これじゃ出られないじゃない」

「鍵ですか?」

 

 そういえば。道中の一本道には窓はなかった。更に言えば入り口の施錠。

 この密室において、上を見上げれば――中央に切れ込みの入ったような天井。

 

 そして、この瞬間に僕は一つの可能性を思い付いた。

 

 丁度その時、天井が開き、アナウンスが流れた。

 

『御待たせ致しました、今晩のディナーの準備が整いました』

「お、キタキタ!」

 

 そして、その上の証明の向こう。上から見下ろすドレスコードの人々は、一様に仮面を付けていて。

 

『――本日のディナーは、三人です!』

 

 奇しくもそれは、僕の予想を裏付けるものだった。

 ここは――”注文の多い料理店”だ。

 

 

 

   ※

 

 

 

 

『左の男性はグルメ編集者! 忙しい合間にもジム通いを欠かさず、健康的に引き締まった肉体は噛み応えがありそうです。よもや自らが晩餐品目に並ぶとは思わなかったことでしょう。

 仲介はTR様です! 皆様、拍手を』

 

 ぱちぱちと聞こえるそれに、席を立ち、仮面を付けた壮年の男性が頭を下げていた。

 

『向かいまして右側は、先ほどと対象的にたっぷりと肥えたメス肉です。シャワーを拒否したため表面に余計な油が付着しておりますが、こちらは後ほど丸洗いさせていただこうかと思います。

 仲介はPG様』

「うっすうっす」

「ちょ、どういうことよ宗太!」

 

 彼女の言葉に、上に居たピエロ面の男性が頭を下げる。まるで道化師じみた仕草で、彼女に言う。

 

「えー、この日の為にバンバン太らせておきました。元々は体育会系だったこともあり、油の乗りと見た目以上の赤身が味わえることでしょう。皆さん是非、ご賞味あれ――」

「あなた、ずっと騙してたのね! 結婚の約束は――」

「あー、初めて会った時のこと覚えてない? 俺、ブスとヒトの話聞かないヤツは恋愛対象見れないわ」

 

 彼の言葉に、叫びながらも彼女は膝から崩れる。

 イカれてる。これじゃ本当に道化だ。そしてこの状況を見ながら「喰種として食べる側に回ったら、確かにこういうこともするか」と思考出来てしまう自分が、段々とこちらに馴染み始めているようで嫌になった。

 

『そして、本日のメインはこれまた珍品! なんと”喰種”です! 仲介者はMM様。ではお一言どうぞ!』

 

 ざわめく会場に、MM氏――月山さんがマイクを手に取り、高らかに言う。

 

『紳士淑女の皆々様。戸惑われるのも無理はない。我等が肉は塵芥、粗雑がゆえに、喰うに能わず。

 舌肥えた、皆々様はご承知と、既に了知と存じ上げます』

 

 僕の回りに居た二人の視線が、僕を見る視線が変わる。わずかに怯えと困惑とを滲ませた表情。

 それを無視して、僕は考える。この状況から逃げる為に必要なもの。単なる赫子の馬力だけで、どうにかできるような空間じゃない。とすれば、必然、ドライバーを使った「変身」が必要になってくる。

 

 だが、変身する為には、激痛に耐えるだけの何か別な衝動が必要になってくるはずだ。

 食欲に頼れば、変身後は暴走。ただ、それ以外で出来た試しがないのも事実――。

 

『だがしかし、我が着目はそこにない。鼻腔をくすぐる香しさゆえ』

 

 月山さんは、僕の血を止めたハンカチをかざして、周囲に示す。ざわざわとざわめく喰種たちの反応が、徐々に驚愕を帯び始めていた。

 

『そうつまり! 彼の身体は喰種だが、漂うそれは正に人間!

 我等の五感に新たな刺激を! それゆえに、下拵えも万全に!』

 

 いざゆかん、究極絶世の美食の奥へ――!

 

 彼の演説じみたそれを聞き終わり、周囲はあらん限りに拍手を送った。

 僕は念のため、左手の指の先端を前歯に引っ掻ける。未だに自力で赫子が出せないので、こうして無理やり引っ張り出すためだ。

 

 やがて奥の扉が開かれ、彼が――解体屋(スクラッパー)がやって来る。

 巨体。筋肉が膨張した、アンバランスな巨人。頭部はフードを被せられて、そして何より――。

 

「クインケドライバー ……?」

 

 いや、違う。レバーや中央のレンズが簡略化されている。というかレバーに至ってはない。

 まるで量産型というか、そういうものにしか見えない。

 

 それを装着された彼は、ゆらゆら揺れながら鋸片手に、僕等に近づいてきた。

 

「よよしくおねがいします。

 せいいっぱいややせていたらきます」

 

 呂律が回ってない。声は低いのに、これじゃまるで小さい子供だ。

 

 小鉢さんが震えながら、何かを口走ろうとするのを、僕は押さえて後ろに追いやった。

 

「な、君は――」

「動かないで下さい。というか、場合によっては逃げてください」

 

 指の先を噛みちぎり、血をすする。

 それだけで凄まじく不味いというのに、嗚呼、やっぱり体の中で蠢く何かは、正直に外に出る。

 

 悲鳴が上がるのを無視して、僕はスクラッパーに向かって特攻をかけた。

 

「めいん? は、さいご――」

「はああッ!」

 

 赫子を使って顔面に一撃。抉るつもりで入れたはずだけど、しかし相手の腕によって防がれる。

 そこで気付いた。強度が違う。人間レベルのそれとは言わないけど、どこかその鈍い感触は、僕が自分の腕を切ろうと包丁で実践した時のそれと同じものだった。

 

 そのまま彼は僕の腹を薙ぎ、ぶっ飛ばす。

 

「な、なんだ、これは――」

「――早く、逃げて!」

 

 僕の叫びを聞き、ようやく状況を正しく理解したのか。小鉢さんは慌てて走り出そうとして、そして、転んだ。

 いや、正確には転ばさせられた。

 

「あ、貴女――」

「アンタ、囮になってよ」

 

 薄ら笑いを浮かべて走る彼女。そして、目の前に倒れた小鉢さんに、スクラッパーは――。

 

「ぎこぎこぎこぎこ~、おいしくきれれ~~」

「う、うあああああああ――――――――――――ッ」

 

 腕を捥がれ、絶叫。下手をしないでも、ショックで気絶。いや、ひょっとしたらそれだけで死んでしまったかもしれない。

 そしてどうしてか、その姿を見た瞬間、脳裏でヒデが同じような状況になった映像を幻視した。

 

「止めろ……」

 

 痛む足を押さえて立ち上がる僕。

 だが距離的には、もう、気絶しながらも絶叫する彼を助けることは、出来ない。

 

 振り下ろされた鋸と、素手とで、彼の身体はスクラッパーの名前の通り――。

 

「――止めろおおおおおおおおおッ!」

 

 バラバラになった彼を放置して、スクラッパーは次の獲物へ。

 ふっくらした彼女同様、スクラッパーもまた、見た目以上には俊敏な足で走り出す。

 

「はやい~」

「タロちゃん、ほら走って走って~」

『マダムAからスクラッパーにエールが送られています。』

 

 小鉢さん「だった」ものが転がっている箇所に檻が下りてきて、僕はそちらに近づけない。

 

『只今解体終わりましたそれは、回収スタッフが戻り次第、オードブルを取り分け致しま――』

 

 言葉は聞こえない。ただ、それでも僕はスクラッパーへと向かう。

 だが、それも遅い。

 

『どうやら毒が効いてきたようですね。胃の方は後ほど洗浄いたしますので、ご安心を――』

「まるまる、やっきー」

「――んんああああああああああああッ」

 

 焼け焦げる人肉の臭い。それを嗅ぎ、僕は間に合わなかったことを理解した。

 そして同時に、それでもなお「食欲が搔き立てられる」自分に、嫌悪感を抱く。

 

 上の方では色々と、スクラッパーの動きに不評のようだが、そんなもの関係ない。

 

 ここまで来れば、僕一人。例え僕一人でスクラッパーを倒したところで、残りが全員襲って来たら――。

 

 不意に、トーカちゃんが齧った耳が痛む。

 

 何にしても、まずはスクラッパーをどうにかしないと。

 赫子に力を入れると、今度はさっきよりはっきりと、僕の意志通りに動いた。

 

「タロちゃんファイトよ~~~! お家に帰ったらご褒美たくさんだから!

 はい、あんよがじょうず、あんよがじょうず!」

 

 打撃はダメだ。根本的に肉が分厚すぎて、ダメージが通らない。だとすれば、赫子を確実に貫通させるしか――。

 

「ま、ま、……ま――ッ!」

「ッ」

 

 不意にスクラッパーが飛び付いてきて、僕を抱きしめるように拘束した。

 そのまま彼は、僕の胴体にノコギリの刃を這わせる。

 

 しかし、「その程度」で死なないことは既に実証済みだ。

 

 僕はそのまま赫子を振り回し、彼の首のあたりに一撃。

 

「あで、きれない?」

「――ッ、ここもダメか」

 

 そこもまた肉で覆われてると見るべきか。そうするなら、後は関節くらいしか――。

 

 と、僕が距離を取った瞬間、地面から檻がせり上がって僕等の間に立ちはだかる。

 そしてその向こうで、執事服の仮面の男性がスクラッパーにアタッシュケースを手渡し、何かを手ほどき。

 

「……果てしなく嫌な予感がする」

 

 というか、いつか見た覚えがあるそれは。

 

『――ヤジロ・1/2(ハーフ)!』

 

 巨大な糸ノコのようなものに変形したそれは、間違いなく「クインケ」だ。大方、喰種らしい身体を持つ僕を切る為に必要だと判断したんだろう。上をチラ見すれば、月山がにっと笑うのが見える。

 

 シャッターが下りて、再びこの場は戦場へ。

 でも武器が大振りに変わったからこそ、より明確に僕は理解した。

 

「ほー、やるー」

「腕力だけ――」

 

 質実剛健、と形容できた、あの捜査官ほどの腕前はない。対応力で見れば四方さんに劣り、速度はトーカちゃんに遥かに劣る。総合力で言えば、店長など欠片も及ばないだろう。

 

「殺せ! 腹へって仕方ないんだよ!」「ノロマ!」

 

 しかし、有効打は関節攻撃だけか……。

 

 慣れないことはするものじゃないけど、僕は本の知識を動員する。

 スクラッパーの一撃を「内側に」避けて、入り込み、僕は腕を取る。掌をひっくり返して、腕を上に捻りつつ、肘関節へ、垂直に――。

 

「ごめんっ」

 

「う? う――あぐうううう!? いたあああああああぃ」

「タロちゃああああああん!!」

 

 スクラッパーの左肘目掛けて、僕は足を下から叩き込む。付け焼刃でやったにしては上手く行ったけど、これでもまだまだ余裕はない。

 やっぱり力が要る。でも、ドライバーなしでどこまで行けるか――。

 

「――あれ?」

 

 そう思っていた矢先、足に力が入らなくなった。スクラッパーの攻撃が、僕の脇腹をかする。かするだけでも、その威力はクインケなので大きい。

 

『――今回は万全を期するべきとのMM様からのご指示で、特別措置も講じさせていただきました。

 効果こそ遅れますが、珈琲を飲まない者達用のガスも用いました。次第に無駄な抵抗もできなくなることでしょう。さあ、ショーのフィナーレをご覧ください』

 

「通路が密閉されていたのは、そういうことか――がああああッ!」

 

 スクラッパーの攻撃が、僕の足を切る。切断されるほどではないけど、血が迸り、僕ではどうしようもなくなる。

 

 周囲の視線が、段々と僕を「食材」でも見るように変わって行くのが、体感でわかる。

 

 

 

 そしてこの状況で――僕は、思わず我を忘れかかった。

 

 ――ガスごときで「私」を止められると思ってるのかしら? ねぇ、カネキ君。

「ぅぅ――ッ、フゥァ、はぁ――ッ!」

 

 視界の片方が赤黒く染まり、僕はあらん限りの腕力でスクラッパーをぶっ飛ばした。

 

 その時点で、痛みのせいか我を取り戻す。立てない。足の自由が効かない。

 でも、今だからこそできる事もある。衝動的なそれが、きっと全身の激痛に耐え得るだろう。

 

 クインケドライバーを腰に当てると、横たわっていた赫子が両サイドに接続され、ベルトのようになる。

 そのまま左手を持ち上げ顔の右側に。右手は左肘にそっと当てるように構えて。

 

 眼前を睨みながら、僕はベルトのレバーを落し、回転させた。

 

「変、身――」

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 想像通りと言うべきか、以前同様、変身直後は痛みを忘れることが出来た。ここまで追い詰められないと使えないという時点で切り札でも何でもないが、でも、確かにこの状況では、この力に頼るしかない。

 

 全身が黒いスーツに覆われ、所々に肋骨のようなパーツが見える。

 ぼとりと落ちた眼帯のマスクを拾い、僕は顔面に取り付けた。

 

「……立てる?」

 

 足に痛みはある。切られたせいで、筋肉が上手く動かない箇所もある。でも変身した影響か、それとも体表面を被うコレが実際はスーツじゃなく赫子であるせいか。痛みに断続的に襲われながらも、僕は立ち上がることが出来た。

 

 ふらふらになりながらも立ち上がり、ノコギリ状のクインケを振り被ろうとするスクラッパー。

 僕は半ば本能的に、ドライバーのレバーを一度戻し、二度落す動作を繰り返した。

 

『――鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

「いたああああああッ!」

 

 スクラッパーのそれが振り下ろされるよりも早く、背中から脈動する光が、僕の右足に集中する。

 そのまま僕は跳び上がり、その場で空中回し蹴りをして、クインケの側面に一撃。

 

 赤く発光する右足は、まるで形が崩れるように靡き、クインケの刃を「えぐる」ように、叩き折った。

 

「こわれたああ!」

 

 だが、僕はそこが限界だった。地面に倒れ、すぐさまドライバーのレバーを戻す。

 今の一撃で、どうやら完全に足をやったらしい。食欲と激痛とが全身を廻り、既に変身状態を維持できなかった。

 

「た、タロ行け!」「早くやらないと――」

「バラバラにしてやるのよタロちゃあああん! ママを興奮させて!」

 

 上から叫びかけられる声を聞いても、身体が動かない。

 折れたとは言っても、相手の武器はまだ二割くらいは刃が残っている状態だ。

 

 その箇所を使って、スクラッパーは僕目掛けて刃を――。

 

 

 

 

 

「皆々様、大変お騒がせ申し上げました」

「あぅ?」

 

 

 

 でも、その一撃が僕に落されることはなかった。

 月山さんが、左手をスクラッパーの体にぶつけて、いや、貫通させていたからだ。

 

「まさかとは思いはすれど、凶星と世に言うそれが、彼だったとは。

 しかしです、このまま終わるも花がない。晩餐はより、華やかなものだ」

 

 だからこそ、と彼はスクラッパーから手を引き抜き、両手を上げて、笑った。

 

「今夜はこの――マダムAの飼い人、歴戦のスクラッパーを味わうのは如何でしょうか?」

 

 彼の言葉に、会場は湧いた。「確かに興味はあるな」「流石MM氏!」などと叫ばれる。

 何より可哀そうだったのは、マダムAに対して月山が別な飼い人を用意すると言って、彼の出した条件に、

 

「なら良いけどッ! タロちゃんを食べちゃうのも乙なものよね♪」

「ま、ま……、ま……」

 

 涙を流すスクラッパー。言動はともかく、その内面が酷く幼子のようだったこともあり、僕は、不思議と同情があった。

 

 力が抜けながらも起き上がる僕に、月山は笑いながら近づいて来た。

 

「カネキくん、ひとまず今日は退散だ。

 ちょっとした、刺激的なジョークのつもりだったんだ。……少しハードだったかもしれないが、忘れてくれ」

 

 申し訳なさそうな声音で言う彼。

 その目は仮面に隠れて、見えなかった。

 

 

 

 

 




という訳で、二度目の変身となりました。カネキ君のキックは、ゴースト1話+ガタックのキックを合わせた感じです。ギアスで言うとスザクキックですね。

クインケドライバーは、変身用レバーを二度連続で操作することで、必殺技モードになります。通常のクインケで言う崩壊モードのような状態にして、赫子とRC細胞の活動率を一時的に上昇させる効果があるので、今回のように折ったりすることが出来ます。


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#019 招待/月光

 

  

 

 

 

――喰わせろ、もっと!

 

「うぅ……ッ」

 

――なんで助けてくれなかった!

――熱い、痛い!

 

――もっと、もっと血を――ッ!

 

『滑稽よねカネキくん。(わたし)なんかと比べようもないくらい』

 

 脳裏で響くリゼさんの声と、まとわりつく死者や喰種たちのイメージ。振り払おうとしても動けず、僕は唸るしかない。

 

『馬鹿ね。結局、何だかんだ言いながら、お母さんの二の舞じゃない?』

 

 そんなことはわかってるんだ。結局助けられなかった以上、僕は――。

 

 ぎゅ、という感触が、左手にある。

 握られるようなそれは、さっきまでの喰種のイメージと違って、どこか柔らかくて。

 

 そしてそれを意識した瞬間、僕の体感は現実のものに戻った。

 

『まあ、せいぜい頑張りなさい。私は、貴方の横で楽しませてもらうだけだから――』

「……あれ? あ、そうか店か」

 

 目を開けて天井を見れば、なんとなく見覚えのある場所。自宅ではないここは、あんていくの二階だ。状態としては、ソファに横になっている感じ。

 僕は起き上がり、周囲を見回す。

 

 と、右手の方でトーカちゃんが寝ていた。

 

「……なんで?」

 

 どうしてか、ソファに突っ伏す形で。足を床に付けながら、トーカちゃんは寝息を立てていた。

 

 そして、僕の手を握っていた。

 何なんだこの状況。

 

「とりあえず起そうか……。トーカちゃん? トーカちゃん?」

「……とぉ、さん?」

 

 寝ぼけ眼なトーカちゃんというのもかなり珍しいけど、僕を見つめる事数秒。飛び跳ねるように僕から退いて、彼女はわたわたと手を上下に振った。

 

「だ、大丈夫?」

「あ、いや、うん。最近寝れてなかったからか……。

 ……み、見てんじゃねぇ!」

「やっぱり理不尽!」

 

 視線を僕から外して、ふんと鼻を鳴らすトーカちゃん。それを見てて、なんとなく僕はさっきの夢を忘れられた。

 

「えっと、どうしてトーカちゃんが、ここに?」

「時間考えろ。一応シフト入ってるし。まあそれが理由じゃな――きゃッ! 来たッ」

 

 と、トーカちゃんは叫んで飛び退いた。入り口の方の隙間から、いつかベランダで拾った鳥が飛んできたのだ。

 

「ヘッヘッヘッヘ」

 

 慌てたトーカちゃんは、そのまま僕の腕にしがみつき、警戒するような目をインコに向けていた。……色々と僕としては、心臓に悪い体勢なんだけど、そこのところどう考えてるんだろう。

 

「ヘ~~~~タレッ!」

「って、僕のこと?」

 

 そんな風に言いながら僕の頭を突いてくる鳥。更に飛び跳ねて、ソファの裏側に回って様子を伺うトーカちゃん。

 

「わ、私、下行くから」

「あ、うん。行ってらっしゃい」

 

 僕をつついているのを尻目に、トーカちゃんはそそくさと部屋を後にする。

 丁度そんなタイミングでヒナミちゃんがひょこりと顔を出した。

 

「あー、ヘーちゃんダメだよ、飛んじゃ」

「……ひ、ヒナミちゃんだよね」

「ヒナミだよ!

 お姉ちゃんに借りたの色々」

「そうなんだ……」

 

 マスクにカツラにサングラスに麦藁帽子に……、ごてごてしすぎて逆に怪しい格好になっていたヒナミちゃん。てくてくと歩いてきて、持っていた鳥かごにオウムを入れた。

 

「そういえば、結局この子どうすることにしたの?」

「あ、それはね――」

「飼い主が現れるまで、ウチで預かる事にしたんだ」

「店長、四方さん!」

 

 扉の向こうから、ぱりっとした服装の店長といつも通りな四方さんが歩いて来た。店長は微笑みながら、ヒナミちゃんの視線に合わせて「みんなで交代で世話しよう」と言った。

 

「他の言葉もしゃべるかなぁ」

「教えれば覚えるかもな」

「名前どうしよう。”ヘタレ”?」

 

 これはまた、仕方ないのかすごいのか……、いやヒナミちゃん、きっと意味わかってない。

 流石に四方さんも助け船を出した。

 

「……もっと考えてやった方がいいんじゃないか」

「でも、どうしよう。ヒナミ名前とかつけたことないから……。 

 羽根に星っぽい模様があるから、うーんと……」

 

「シューティングスターウィングはどうだ?」

 

 がば、と僕とヒナミちゃんが四方さんの顔を見た。

 シューティングスターウィング? シューティングスターウィング!?

 

「……カネキくん、昨晩は店に泊まったのかい?」

「あ……、すみません。許可もとらず。

 ここ数日、家じゃちょっと、寝付けそうになかったんで……」

 

 四方さんの方をさらりと流した店長はともかく。

 

 月山さんのイメージと、囁き声とがフラッシュバックする。

 四方さんは「大変だったな」と、少し目を細めて言った。

 

「行かなくても良いとは言ったろ」

「えっと……」覚えていないとは言い辛い。

「イトリが言うことを、正面から受けるな。俺も昔……」

 

 表情の優れない四方さん。何があったのか果てしなく気になる。

 

「……何にしても俺が止めるべきだった。

 にしても、よく一人で帰って来た。大丈夫だったか?」

「……」

 

 僕は、言葉を選びながら言った。

 

「沢山の喰種が――笑ってました」

「……」「……そうか」

「僕や、普通の人が傷ついたり、バラバラにされるのをまるで、ショーか何かのように」

 

 実際のところ、彼等に取ってのそれはショーなのだ。マグロの解体だったりとかと、さして違いはないのだろう。

 店長は笑みこそ浮かべなかったけど、それでも、落ち着いて諭すような口調で言った。

 

「全体的に見れば、どうしても我々は命の価値について軽薄になりがちだ。

 加工された食物を見て、君は可哀そうだと思えるかい?」

「……難しいです」

「そう。生きているのを目で見なければ、その重さをわからず、罪悪感も抱き難い。

 だが我々の場合は、その多くが自らの手で、人間を殺して食べなければならない。生きていけないからだ。

 そして喰種もまた、血の海の上を歩くことを、正面から受け止めることは難しい」

 

 結果として、目を逸らしてその感情を殺す。

 

「それを繰り返すことで、命の重さを忘れる」

「……でも、トーカちゃんや……、あんていくの皆は、違うと思います」

 

 僕の言葉に、店長は少し驚いたような表情になった。目を開けたりはしなかったけど、それでも雰囲気で伝わる。

 僕は、少しだけ空元気で笑って、言葉を続けた。

 

「例えそうであったとしても、全ての人達がそうじゃないと、僕は知ってます。そう、思いたいです」

「……ありがとう」

 

 眉間のあたりを押さえて笑う店長に、僕は少しだけ頭を下げた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 用事があると去った店長や四方さんを見送ると、入れ違いというか、入り口でトーカちゃんが立っていた。

 

「あれ、トーカちゃん?」

「ッ」

 

 僕の顔を見ると、何故か顔を赤くして、睨んだりしてきた。どうしたんだろう。

 しばらくワタワタして胸に手をやり、深呼吸すると部屋の中をチラリと見た。

 

「……アンタ、盾やって?」

「あー ……、やっぱ嫌い?」

「別に、ニガテじゃないケド……」

 

 この間、盛大にゲロっていたことは目を瞑る事にした。

 ヒナミちゃんも、そんなトーカちゃんの様子に困ったような表情。

 

「逆にあんまり刺激して、緊張させない方がいいかもね」

「そ、そうか……。ワリィな鳥、ヒナも」

「大丈夫だよ、お姉ちゃんも無理しないでね」

 

 胸を張ってお姉さんぶるヒナミちゃんに、トーカちゃんも「お、おう」と、いつになく弱気な反応を返した。

 と、ここでトーカちゃんから一言。

 

「そういやアンタに客来てるよ、カネキ」

「へ? えっと……、誰?」

 

 まさか月山じゃないか、と警戒をしながら聞くと、半眼になって「知らん」とトーカちゃんは言った。

 

「人間の女。幸薄そうな感じの」

「さ、幸……?」

「ワリと地味? あんまり印象にとっつかない感じ」

 

 容姿について色々言われましても。というか、気のせいじゃなければ形容に棘があるような。

 

「何でそんな不機嫌なの?」

「……別に」

 

 ぷいっと視線を逸らすトーカちゃん。とりあえず用心に越した事はないか。

 念のためマスクやらドライバーやら何やら色々入ってるジャケットを上に羽織り、僕は下に下りた。 

 

 相手は、ちょっと想定外の人物だった。

 

「――貴未さん!?」

「……!」

 

 驚いたようにこちらを見る彼女。気のせいじゃなければ、目の下に隈ができてる。いくらか、やつれた印象を受けた。

 

 店内に人はいない。

 彼女は震えながら、僕に近づいてくる。

 

「カネキくん……、ニシキくんが――」

「へ? え、えっと――」

 

 店に降りて来たトーカちゃん。この場で話を続けるのが正解か否か。

 

 正直に言えば、トーカちゃんも巻きこんだ方が色々話は早いかもしれない。でも、逆にそれはトーカちゃんが喰種だと明かすようなことで。

 僕自身、この人のことを完全に信用しきってるわけでもない。情報は最小限にとどめておいた方が良いか。

 

 場所を変えさせてくださいと言って、僕は彼女を連れてあんていくの裏手に。建物と建物の隙間は人通りが少なく、ちょっと不安だ。でも、ここなら秘密の話をするには持ってこいだろう。

 

 震えながら、彼女は貴未さんは一つずつ言う。

 

「お腹の傷も全然治らないし、珈琲じゃもう全然無理だって……。

 どうしたら良いか全然わかんないし、もう、頼れる相手が君しか……」

 

 彼女の言葉からは、西尾先輩の力になれない自分に対する苦悩が、ありありとにじみ出ていた。

 

「本当に、人間以外食べられないの? だったら、私を――」

「……それは、嫌なんじゃないですか? だから、今、貴未さんは僕の元に居るんだと思います」

 

 自分の腕を押さえて言う彼女に、僕は頭を搔きながら答えた。混乱していて、前後が見えなくなっているのかもしれない。少し慎重になりながら、僕は彼女に言う。

 

「食べられなくはないそうですが、栄養にはならないそうです。だから、やっぱり肉が必要なんだと思います」

「それじゃ、どうしたら……」

 

 僕の分の肉を分ける事は難しいことじゃない。でも、それだけで解決できるようなことじゃないだろう。

 今、西尾先輩に必要なのは、回復できるくらいには食べることだ。

 

 でも、それでも――。

 

 気休め程度にしかならないだろうに、僕はジャケットから肉のパックを取り出し、彼女に手渡した。

 

「これ……?」

「防臭用に色々やって分かり難いかもしれませんけど、それなら、きっと食べられます」

「……」

「でも、たぶんそれだけじゃ回復はしません。だから、少し知り合いに当ってみます」

 

 見捨ててしまうのは簡単だ。

 だけれど、僕は見て見たい。大事な相手が喰種だと知っても、なお傍に寄りそいたいという、このヒトの言葉が、気持ちが、本物なのかを。

 

 冷蔵庫の鍵は店長持ちで、僕がヒトを狩れる道理はない。

 相談するとしたら店長か。

 でも……あ、トーカちゃんに知られたらそもそも肉パック手渡したことで、また色々言われそうだ。

 

 ただ、そうであっても。

 

「……ありがとう、カネキくん……。

 ありがとう……」 

 

 口を押さえて、涙ながらに頭を下げる彼女のそれだけは、きっと心からの言葉で。

 僕にとっては、それだけの価値があるものなんだろうと思った。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 誰に相談すべきか。考えて悶々としている夕方。日が落ちてきた頃に、窓に「コン!」と何かがぶつけられた音がした。

 あんていくの2階だ。窓を開けて下の路地を見れば、人影はない。

 

 だからこそ、おかしい。数秒と待たずに窓に手をかけたのだから、せめて足音くらい聞こえてもおかしくはないはずだ。

 

 下に落ちているものを見て、嫌な予感が僕の胸中を過ぎる。

 

 そしてそれを、バラが挟まれたカードを開いた時点で、予感は確信に変わった。

 

「月山習……ッ」

 

『Dear 金木 研

 呼ぶは今宵の22時、下記の場所にて晩餐を。

 ささやかながら僕なりの 特別な日を約束しよう 

 

 呼ばれるゲストは只一人、君がきょう日話していたか。

 

 PS.あんていくの裏で君が話していた女性も招待した。危害は加えていないが、もし来るのを拒めばどうなるかは断言しかねる。 

 

  月山 習』

 

 貴未さんがあの後に攫われたのだとすると、やはり月山習は僕の周りを探っていたということになる。だとすれば、彼女が掴まったのは僕の責任ということか――。

 

 丁度そのタイミングで、ガンガンと店の入り口が叩かれる。

 わざわざ開いている扉を叩く相手は誰かと見れば、よろよろとしていた西尾先輩だった。息絶え絶え、歩くのもままならないといったくらいなのに、彼は僕の顔を睨んできた。

 

「貴未は……、来た、のか……?」

「……これ」

 

 手紙を手渡せば、読んだ後数秒固まり、地面を強烈に殴りつけた。

 

「――クソがッ!

 ……最悪だ、何でこうなる……、何で……」

 

 顔を下げたままの西尾先輩に、僕は言う。

 

「…… 一緒に行きましょう」

「……あ?」

「本当は、そんな体で行かせたくはありませんけど――でも、それじゃダメだと思う」

 

 僕の脳裏に過ぎる、母親の死に顔。

 今でも顔から血の気が引く思いだけど、だからこそ僕は、もう二度とあんな思いはしたくない。

 

 それはきっと、誰だってそうなのだ。

 

 出来たはずのことが出来なくて、失敗して、後悔するっていうのは。

 

 だったら、たとえどれほど道化的であっても。実際に何もできなかったとしても。

 後悔する選択肢だけを、僕は、決して選ばせることが出来ない。

 

「月山さんの狙いは僕です。本来無関係の貴未さんが巻き込まれたなら、行かなきゃならない。

 僕が囮になります。だからその間に――」

「誰が、俺の腹に、風穴開けたんだよッ」

 

 西尾先輩は、拳を握り、しゃがんだ僕を殴る。いつかのそれが嘘みたいに、弱弱しい一撃だった。

 

「今更信用、できっかッ」

「……それを言えば、ヒデや僕を襲ったのも、食べようとしたのも貴方だ。僕だって、貴方のことを信用はできない」

「なら――」

「でもッ!」

 

 僕は西尾先輩の肩をつかみ。目を覗きこむ。

 

「貴未さんは、泣いてたんですよ。貴方のために、貴方のことを想って。

 貴方以外、もう何もないって言いながら」

「……」

「もう一度言います。僕だって、西尾さん(ヽヽ)は信用できてません。でも、貴未さんの、貴方に対する想いは信じたい……、信用したいんです。

 だから――西尾先輩の彼女への言葉を、信じます」

 

 一瞬驚いたように固まった西尾先輩。僕はいつもの角砂糖を取り出して、彼の方に差し出す。

 

「どうするか、今、決めて下さい」

「……チッ、何なんだよお前は」

 

 角砂糖を手に取り、西尾先輩は口に放り込んで。 

 

「……行くぞ、カネキ」

 

 ものすごく嫌そうに、でも、それでも僕の言葉に肯定を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 古い教会の入り口で、僕と西尾先輩は足を止めていた。

 手紙に指定された住所はここなんだけど、どういうことだろう、内部から妙に軽快な「猫踏んじゃった」が聞こえてきてた。覇気のない先輩でさえ、思わず僕と一緒に顔を見合わせたくらいだ。

 

 なんで猫踏んじゃった?

 

『フフフンフッフー♪ フフフンフッフー♪』

 

 しかも月山さんの鼻歌まで聞こえてくる始末。

 

「い、行きましょうか」

「……おお」

 

 西尾先輩もテンションがおかしくなってる。

 いや、これも含めて月山の作戦だとすれば、天晴れと言うところか。でも彼の性格的に、素でやってる可能性もなくはない。

 

 扉を開けた先では、上機嫌にピアノを弾いている月山習が居た。

 

 その後ろ、台の上で貴未さんが縛られ、目隠しや猿轡をされて動けなくなっている。

 

「フッ、しばらくぶりだねカネキくん。あの日以来、色々考えたり準備したり忙しくてね。だが、最高のロケーションが提供できたのではと思ってる。喜んでく――」

 

「――月山ァァッ!!」

 

 僕が何かいう前に、西尾先輩が絶叫した。月山さんは「ん?」と首を傾げると、心底不思議そうに聞いた。

 

「おやおや西尾錦君じゃないか。どうしたのだい? 呼んでなかったと思ったが」

「貴未に手、出して、ねーだろぉな……ッ」

「随分げっそりしてるじゃないか。どうしたんだい? ちゃんと食べないと身体が持たないよ君」

「そいつ、返せキモキザ野郎ッ」

 

 彼の言葉を聞いて、月山さんは「Ah!」と言わんばかりにポンと手を叩いた。

 

「そうか、君の食材だったか……。これは済まない、僕としたことが競合してしまったようだ。

 が、しかし! 今日の僕は崇高な目的の元にここに居る、彼女のことは諦めてくれたまえ。せっかくの、最高の食材を調理するための調味料(スパイス)なのだからッ!」

「ああッ!?」

 

 無駄にテンションを上げながら月山さんは僕のことを指さして「インニヴィターブル!」と叫ぶ。

 

「そう必然、僕が欲するものさ。

 なにせカネキくんは喰種でありながら、ヒトを食べない。しかし僕等喰種が最も活性化するのは、ヒトを食べている時だ。なら何が必要か、何をしなければならないかを考えに考えた三日三晩!

 そして思い付いたのさ。カネキくんを最高の鮮度で味わうための方法を。

 それは、第三者の介入。すなわち――」

 

 上を向きながら、恍惚とした表情で彼は拳を握り占めた。

 

「――カネキくん()食べている時に、カネキくん()食べる!

 シンプルかつ、まさに最高の贅沢だと思わないかい?」

 

「へ、変態だ……!!!!」

 

 僕は、正直、本気で引いた。男色の気があるんじゃないかと思った時以上に、引いた。きっと鳥肌が立ったはずだ。

 

 月山さんは微笑みながら「心外だな」と言う。

 

「僕は僕さ。美食家、食の求道者さ。だからこそ、その姿勢は時に他者からは理解されないが――」

 

 そして、グン、と彼の距離が僕と詰まる。

 

「仮

 にそ

  う

  感じ

   た

   の

   なら」

 

 飛び跳ねながら、彼は僕に接近してきた。高度によって声の音が上下し、謎の迫力と共に彼は、僕に飛びかかった。

 

「そうさせているのは君なのだから、責任をとってくれたまえ」

 

 君は、自分が美味しそうだという自覚を持つべきだ。

 

 そう笑いながら、彼は軽々と西尾先輩をぶっ飛ばした。これじゃ囮だとか、それ以前の問題だ。

 

 準備を誤った。来るんなら、せめて二人じゃなくて、もっとまともに戦えるもう一人連れて来るべきだった。誰かなんてことはともかくとして。

 

 僕は咄嗟に、彼の腹に拳を二回。上体を半回転させる要領で、体重を少し込めた一撃を二回。

 思いの他喰らったのか、彼は一歩後退。その瞬間を狙って、上段回し蹴りを叩きこんだ。

 

 でも、それをを月山さんは軽く受け止めた。

 

「んん、なかなかなかなか。雛鳥が巣立とうともがいているようだね。

 実に愛らしい」

「――ッ」

 

 まずい、これは誘われたか。

 

「だからこそ、今一度味合わせてあげよう。

 これが――本物の拳」

 

 ぐっと握った月山さんは、右手を軽く振り被り、そのまま僕を殴る。モーションが大きくないためそこまで吹き飛ばなかったが、逆にそれだけの動きで僕は地面に転がされた。

 立ち上がるのは下策と考えて、腹に向かって突進をかけようとすれば。

 

「本物の蹴り」

「っはが――」

 

 腹から血が込み上げ、口から炸裂する。今度こそ吹っ飛ばされて、壁に背を預けた。

 

「さあ、て。肉はよく解しておかないとね。

 次はどんな攻撃が受けたいかい? そうだね――僕のオススメは、これさ!」

 

 痛みにうめく僕に向けて、三日月の面を取り出して彼は投げてきた。

 

 コン、と頭に当ると、それは見事な軌跡を描いて彼の手元に戻って行く。

 

「本物の、ブーメランッ!!」

 

 このヒト、素面なんだろうか。

 変態認定した僕が言うのもアレだけど、色々と怖い。 

 

 ゆらりと立つように見える彼の足取りは軽快で、それこそ鼻歌させ歌っている。

 

 

 ――パンッ

 

 

 そんな彼が、ぐらりと、目を押さえて揺れた。

 

「じゃあ、こんなんどう?」

 

 僕の目の前に、彼女は、手を軽く振りながら立った。いつかのように、そしていつものように。

 

「――本物の、不意打ちかぁ霧嶋、さんッ!」

「トーカちゃん!!」

 

 僕と月山さんの反応に、トーカちゃんは「フン」と鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 




トーカちゃんにもブーメランやらせようか一瞬本気で迷いました


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#020 掻毟/残痕/受肉/黒羽/灯台

※今回のあとがきにおまけがあるよ!


 

 

 

 

 トーカちゃんの一撃に、月山さんは目を拭う。切り傷の入った顔面だったけど、そこは流石に喰種というべきか、かなりの高速で再生した。

 

 効いてない、という事実に、僕は驚かされる。

「全く次から次へと邪魔が入るねぇ。霧嶋さん、君もカネキくんを食べに?」

「アンタと一緒にすんな変態グルメ」

 

 トーカちゃん、結構最初の方から話を聞いていたのだろうか。

 

「ま、運動には丁度良いかな? 空腹は最高のスパイスッ!」

「あ? その舌が回らないようにバッキバキにしてやんよ。月山ァ」

「される覚えはないのだけどねぇ霧嶋さん」

 

 準備運動のように腕を伸ばすトーカちゃんに、月山さんは珍しく微苦笑。

 

「クソニシキのことは知ったこっちゃないけど、スタッフ一人減ったら、仕事増えんのよ。面倒」

 

 そう言いながら、トーカちゃんは睨む。

 

「変な写真が送りつけられてきたから、それを元に来たらこの様だし?

 まぁともかく――アンタ、カネキの周りコソコソすんのウザいから、ぶっ飛ばす」

「ふぅん、君にしては随分優しいというか……。らしくないというか、ねぇ?」

 

 研磨されて丸くなったかな? と言いつつ、彼は自分のジャケットに手をかける。

 トーカちゃんはちらりとこちらを少しだけ振り向いて、顎をしゃくる。先輩の方角ということは、つまりそちらに行ってろってことだろう。

 

「以前の君は『二人そろって』鋭利なナイフのごとく、研ぎ澄まされていた。あの時の実力からすれば、さっきの攻撃さえ僕も癒えるのにもう数秒掛ったはずだよ」

「挨拶がわりよ」

「やれやれ。口は達者に育ったものだ。でも――」

 

 そして脱ぎ捨てたジャケットを投げつけながら、カカと落し。避けるトーカちゃんと、彼女が足をかけていたため粉々にされた椅子。

 

「――そこがキュートなところでもある!

 相変わらず反応良し!」

 

 トーカちゃんは、月山さんの攻撃をかわしつつ、自分も一撃。 

 赫子を出してないのは、相手が出してないからか、それとも――。

 

 ともかく、僕は這うように西尾先輩の方へ。砕かれた椅子の破片から引っ張り、壁に背を預けさせる。

 

「西尾さん」

「……ぃ、み……」

 

 意識が朦朧としているのか。でも、言葉は間違いなく彼女を呼んでいる。

 

 仮に先輩が万全であったなら、貴未さんを担いで逃げることも可能だったろう。でも二人もそろってるとなると、事はそう簡単じゃない。おまけに現状、月山さんからも逃げなければならないとなると――。

 

 クインケドライバーを取り出し、僕は考える。変身はきっと無理だ。喰種だけが居る状況ならまだしも、貴未さん、人間が居る場所で迂闊に変身なんて出来ない。赫子でさえ制御が困難なのだ、そう簡単な話じゃない。

 ならばどうするか――。

 

 トーカちゃんを見て、僕は加勢に走った。

 

「nm……、あの時、君は14歳(フォーティーンイヤーズオールド)。僕は18(エイティーン)……、水晶の破片、一片のように突き刺さる、冷たいあの目を僕は今でも、思い返――せぼ」

「気持ち悪ィんだよ、キザクソ」

 

 軽く言いながらトーカちゃんは月山さんの顎を蹴り上げ、吹っ飛ばした。今度は彼が椅子にぶつけられる番だ。

 

「気を悪くしないでくれ。あの時は、それだけ君達に夢中だったというだけさ」

「アヤトまでそんな目で見てたのかテメェ」

「Non,あくまで純粋な思索ゆえに――ッ!」

 

 僕はそこで、空中回し蹴りを決める。流石にこれは予想してなかったのか、更に叩き付けられて少しうめき声を上げた。

 

「はは、今のは悪くない蹴りだった……。あの時の蹴りのベースだね、これは――」

 

 僕は腕を振り被り、トーカちゃんは飛び跳ねる。

 そのまま上体をよじり、足で一撃入れようとする。

 

「――が、まだまだ甘い(オプティミスティック)!」

 

 が、月山習はまるでビデオでも逆再生するかのよう立ち上がり、僕らの攻撃をとらえた。トーカちゃんのそれは腕を盾に、僕の拳は無理やり指に絡めてとり。

 

「仲良いね、君達。息ぴったり、だッ!!」

「――ッ」

 

 トーカちゃんの腹部に一撃入れると同時に、彼は僕の腕を捻り。

 

「確か、こうだったかい?」

 

 そのまま、僕がスクラッパーに対してやったように、軽々と腕の関節をへし折った。

 

「カ……、カネキ!」

「!――あぁぁあぁぐ」

 

 トーカちゃんの叫びを聞き、遅れて、痛みがやってくる。

 腕を押さえて転がる僕に、月山さんは手のひら、指をくねくねさせてそろえて。

 

「いざゆかん、至高への試食!」

 

 ――僕の腹を、えぐるように一撃。

 

 うめき、血を吐いて、意識が薄れる。緊急時だというのに赫子はまるで出る気配がない。

 

「トレ!!!」

 

 ただ、それでも――。

 

「――ビアアァァアアンッ!!?

 何だこの味わい……、体験した事のない味わいは! 喰種の肉の不味さが、逆に肉の芳醇さ(メロウ)をかき立てる……、そう、まさにこれは、コクだ! 苦味がコクに繋がるとはこういうことかッ!

 しかしそれでいて、肉そのものは飽きがこないッ! 程よく引き締まった繊維質に、血と汗のエッセンシャル……! 舌の上で深く絡み『会う』、まさにハァアアモニィッ!」

 

 これぞまさに新たなる「星」の発見に等しい! いやそれ以上だ!

 

 僕の肉を喰らいながら、彼は酷く喜ばしいと言わんばかりに叫ぶ。

 

「が、しかぁし! だからこそ更なる高みがあることを、僕は知っていルッ!

 この至高を、カネキケンをこのまま終わらせるなど、あまりに美食への冒涜ッ!

 さあ今こそ、君に振舞おうじゃないか――ん?」

 

 僕の投げたクインケドライバー。腰に付いた瞬間、やはり赫子が這い出てベルトのような構成に。

 

 しかしそれを受けても、月山は不思議そうな表情を浮かべるばかり。

 後ろを振り向いて、彼は貴未さんへと一歩、また一歩と足を進める。

 

「月や――!!」

「ん~、霧嶋さん。甘い。甘いというより、熱がありすぎるよ」

 

 月山は、背後からのトーカちゃんの奇襲さえ軽く受け止める。

 

「あの時の君の冷たさは素晴らしかった。……何者をおいても、誰も信じられず、自分たちだけで寄りそうそれは、狼のごとき気高さだった。

 だが今はダメだ。

 何が、君の瞳に熱を灯してしまったのか――残念だ」

 

 振り向き様に腹部を蹴り、ドライバーのレバーを落すトーカちゃん。

 でもそれより素早く、月山習は自分の背中から、赫子を出現させて、トーカちゃんに突き刺した。

 

「なんで、ドライバーは働いてるのに――ッ」

「何にせよ、今はディナーの邪魔だ」

 

 腕を振り払って、月山さんは、ドリル状に絡み付いた、槍のような赫子をトーカちゃんから引き抜く。膝から崩れ落ちる彼女に背を向け、もう興味はないとばかり。

 

 僕もトーカちゃんも、目の前の相手の挙動が信じられなかった。

 

 大抵の喰種なら押さえ込めるはずのドライバーが、まるで役に立ってない。

 それどころか――彼の全身から、紫色の光のようなものがちらちらと。

 

『――(コウ)(カァク)!』

「んん、無粋だねぇ。僕の赫子は僕だけのものだ。断じてこんな、ちょこざいな機械の所有物ではない」

 

 でも彼は面白くなさそうに、自らの身体が変身するより先にベルトのレバーを上げ、解除し軽く投げた。椅子の向こうに転がったそれは、僕等の距離からはそう簡単に手にとれない。

 

「いよいよ官能の時(カーニバル)だ」

 

「トォ……、カ、ちゃん」

「無茶してんじゃ、ねぇ、カネキも」

 

 倒れかけるのを胴体で無理やり抱き止めると、舌打ちしそうな表情で見上げてくる。でもやはり力はなく、消耗していることが伺えた。

 

 思わず、僕は叫ぶ。

 

「僕を食うつもりなら、なんで他の相手を巻きこむんだ! どうしてそんな簡単に、人の命を奪えるんだ……、人間の友達だって、いるんだろ!」

「んん、それは大きくはないが、小さくもない誤謬だねカネキくん」

 

 月山さんは、笑いながら、赫眼のまま僕らを見下ろす。

 

「命に貴賎はないのさ。例え僕は、僕の友人であっても必要があれば『喰う』さ。もっとも食指が欠片も湧かない珍しい相手ではあるがね。だがそれを奪うことそのものに、値段を付けるのは傲慢だとは思わないかい?

 誰しもが、平らに生きる糞袋。弱きは負われ強きは喰らう」

 

『――頼ればいいじゃない。ねえカネキくん』

 

 ドライバーは向こう。今の状態で僕が戦えるとしたら、間違いなく赫子を使わなければならない。

 

『楽よ、そうすればきっと、しがらみとかが何もかも、綺麗さっぱり消えうせるわ』

 

 頭に響くリゼさんの声は、幻聴なのか何なのか。

 ただそれでも、これは警鐘だ。間違いなくこの直線距離。月山に一撃を与えられても、そのまま僕は彼女を食べてしまうにちがいない。今回は止められる相手はいない。

 

 だったらどうするべきなのか――。

 

「生物全体で見れば、むしろ人間の方が歪なほどに多くの命を摘み取っている。彼等と違い、普通に生きる程度なら一度の食で事足りる僕等のほうが、いくらかエコだと思うよ。

 ……ん、何だこの傷痕」

 

 月山が貴未さんを仰向けにしようとした時、彼女の左肩がずれて――よく押さえていた左肩の部分の服がずれて、下が露出した。

 

 そこには、傷があった。

 

 まるで歯を立てられたかのような。表面の肉をわずかに抉られたかのような。

 

 

「!!――ッアア、っがァァ」

 

 そして西尾先輩が、月山へと飛びかかる。

 若干鬱陶しそうな表情になりながら、彼はその襲撃を往なし、地面に倒れさせる。

 

「何なんだい全く……。

 僕もね、カネキくん「で」存分に味わうため断食してきてたんだッ! いい加減に空腹なのさ」

 

 見た目通りドリルのように赫子を回転させながら、西尾先輩の腹に風穴を開ける。

 

 高笑いを続けて、月山は言う。

 

「フッ……、赫子も出さずに勝てるわけないだろう?

 僕等の強さは赫子の強さッ!

 Rc細胞は捕喰細胞! 生存にかける本能に刻まれたその一念が! 筋力! 回復力! 機動力! 何もかもに影響を与えるゥ!

 そして何よりこのエンジンを動かすには、人肉(ガソリン)が必要になるッ!

 僕のように良質な食事と手入れを欠かさないと、あっという間に錆付く芸術品さ」

 

 僕等三人に向けて、彼は説く。食事が相応なら力も相応が限界だと。

 

 トーカちゃんは、悔しそうに引きつった笑いを浮かべる。

 

「……依子の料理が、こんなところで効いてくるとはね。

 元々鈍ってんのに加えて、世話ないわ」

「トーカちゃん……」

「せめて……、あの女でも、喰えれば」

「だ、駄目だよ、だって……」

 

 僕の否定の言葉に、トーカちゃんは身を起こしながら半眼で言う。

 

「じゃあ、アンタ大人しく月山に喰われんの?」

「それは……」

「せっかく、助け……、に、来たのに」

 

 腹を押さえながら、トーカちゃんは僕に背を向ける。

 

「面倒だって言ったでしょ、死なれると。

 ヒナミだって泣くし、それに私だって――少しは、寂しいのよ。馬鹿」

「……」

 

「さて、と。講義はこれくらいで良いだろう。ふむ、()でも居れば写真の一枚でも撮ってもらうくらい決まっていたと思うが……」

 

 歩きだした月山に、西尾さんが飛びかかる。ボロボロになって、内出血だらけになっても、それでも食いつくのは、果たしてどうしてか。

 

「ええい、全くしつこいね鬱陶しい!」

 

 にやりと笑いながら、月山さんは何度も何度も、西尾先輩を刺す。動かなくなったのを見計らって足を踏み出すも、それさえ、ズタボロの先輩は足を捕まえて。

 

「……俺だって、もう、何も――」

 

 奇しくも彼の言った言葉は、彼女の言葉に応じたものだった。

 

「――残ってね、ぇ。

 貴未以外、もう……」

 

 手を出したら死んでも殺すと言いながら、這いながら、西尾さんは月山を喰らい付くように睨む。

 

「……愚直なまでの執着、哀れには思うまい。僕とて譲れぬもののためには、己として全力を出して臨む。

 だが、今の君の様子でそれが、出来るというのかィッ!?」

 

 再び西尾さんを甚振りはじめる。それでも彼の意志は、きっと折れてない。

 

「らしくねぇ」

 

 トーカちゃんの言葉そのままに、僕の感想でもある。

 知りたい。何が、あの時のあの先輩にここまでさせるのか。

 

 ドライバーが手元にない以上、僕は赫子を出せない。でも赫子なしに立ち合えるほど、月山は弱いわけじゃない。

 とすれば――。

 

 ここで、月山習の言葉を思い返して、僕はトーカちゃんに聞いた。

 

「トーカちゃん。全力の君と月山、どっちが強い?」

「は? ……わかんない。アヤト、弟込みでは勝ててたから単体だと互角ぐらいだったと思う」

 

 僕は、そっと彼女に耳打ち。思い付いた策は簡単なものだけど、でも、同時に相手に聞かれるのはまずい。

 

 トーカちゃんはひん剥いて、僕をじっと見た。

 

「……と、トーカちゃん?」

「……くちび……、肩――いや、今更だけど、でも、」

 

 あ、あれ?

 どうしたことだろう、トーカちゃんが何を言ってるか全然わかんない。

 

 しばらく何やら自問自答した後で、トーカちゃんは僕の背後に回った。どうやら作戦を受け入れてくれたらしい。

 

「――月山!」

「ん?」

 

 西尾さんから赫子を引き抜いて、彼は訝しげにこちらを見た。

 

「見たら殺すからな」

「……う、うん」

 

 そう言いながら、トーカちゃんは僕の右肩の服をずらして、肌を露出させ――。

 

「ッ……く」

 

 ゆっくりとしているためか、歯が肌を貫通する感覚や、肉を噛み千切る感触がより生々しく伝わり、僕は顔を顰める。痛みと共に血が流れ、僕の肩から肉を引きちぎった。

 

「……」

「ぼ……」

 

 もちゃもちゃと小さく音を立てながら、口の中で咀嚼するトーカちゃん。

 

「……確かに、ちょっとうまっ」

 

 

「僕のだぞッッ ッ!」

 

 

 なんかボソっと、聞き捨てならない台詞がトーカちゃんから聞こえた気がしたけど、それをかき消す勢いで月山は叫んだ。

 

 叫びながら、赫子を練り一撃。

 でも、それに対してトーカちゃんは一歩も動くことはなかった。

 

「……阿呆が」

 

 腕を覆うように絡まった、赤黒いそれは液体のような、生き物のような。

 鈍く赤く光るそれは、いつか見たトーカちゃんの背にあった、翼のようなものだ。

 

 左目の周りには、隈取のように三方向に伸びた痣。

 

「テメェのもんなんか、ここには一つもねぇんだよ」

 

 腕を振り下ろすと同時に、トーカちゃんの赫子は展開し、完全に片翼のようになった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 距離をとる月山と睨むトーカちゃん。

 一秒もかからず、僕は彼女の姿を視界から見失う。

 

 ただ、ガンガンと椅子が砕け、破片や爆発音と共に彼女の動きがわかるくらいか。

 

 やがて降下して来た彼女の足を、月山が赫子で受け止める

 

「カルマート……」

 

 そして同時に、背後で翼がバキバキと無数の鱗で覆われたように姿を変え。

 

「カル……、何? わかるようしゃべれ」

 

 斜め上に伸ばしていた左手を相手に向けると、まるで弾丸か何かのように背中のそれが射出される。

 

 流石にこれには一溜りもないのか、彼は自分の全身を赫子で被った。

 

 それでもなお押し勝つのだから、トーカちゃんの出力のすごさが窺い知れる。

 

「クククク……ファハハハハハハハ――ッ!

 嬉しいよ霧嶋さァん!! 相性の良い羽赫相手にここまでダメージを負わせられるのは、やはり君達くらいだ」

「あっそ」

「カネキくんを横取りしようとしたのは許せないが、大目に見てあげよう。ふふふ――」

 

 ドリル状だった赫子が、変形し、まるで何かを吐き出すようなうごめき方をして、先端が剣のように変形した。

 

「――まるであの時の食欲(パッション)が蘇るようだッ!」

 

 体勢を変える月山に、トーカちゃんはちらりと、クインケドライバーの方向を確認。位置としては、月山の背後の方。

 

「思わぬオードブルに、感謝……。サイコロカットした後、仲良く盛りつけてあ――」

「遅い」

 

 トーカちゃんが月山の話しているのを無視して特攻。ひらりと交わして逆にトーカちゃんを切ろうと動くけど、それさえ上空に回って避ける。

 

 この場、障害物があるのが不利と思ったのか、月山は上の足場にジャンプ。

 

 それをちらりと視界に入れながら、トーカちゃんはドライバーを拾い、自分の腰に当てた。

 

「……変身」

『――()(カク)ッ!』

 

 初めて見るトーカちゃんの、ドライバーを使った姿。

 僕の場合が、赫子と混じって服装が変質するとすれば、彼女の場合は衣服が溶けるようなイメージだ。

 

 変化したそれは、かつて彼女が言っていた通りに黒いドレス。ワンピースのようなそれに、少し高めのヒールのような、そんな格好だ。左手だけの黒い長手袋がアシンメトリーで、彼女の背中のそれに対応している。

 靴の足先は、赫子らしく赤い。

 

 羽根は先ほどよりいくらか小さくなり、月山はそんな彼女に不審げな表情を浮かべた。

 

「やられた分は、穴だらけにしてやるから」

 

 言いながら、トーカちゃんはまた左手を上に掲げる。と今度は、トーカちゃんの背中の羽根がより大きく、まるで孔雀か何かのように扇形に展開し――。

 

「これは流石に遊んでられない、かな――ッ!」

 

 彼女の左手の動きに合わせて、一斉に正射!

 元々土石流のようでもあったそれが、雨あられのごとく、同時に散弾銃のような正確さを伴って打ち出される。これが何を意味するかと言えば、月山が移動する先がことごとく粉々にされていくということで。

 

 そしてその中に、トーカちゃん本人も紛れ込んで飛び蹴りを入れた。

 

 打ち出された赫子の刺さった箇所を中心に蹴りを入れ、更に背中の攻撃に使ってた分を今度は推進力に変えて――。

 

 蹴り上げるようにトーカちゃんは、月山を砕けかけた椅子の山に蹴り飛ばした。

 

 煙が上がるのを見つつ、肩で息をするトーカちゃん。見れば赫子の大きさが、さっきより小さくなっている。

 

「消耗が激しいのか?」

 

 そうだとすれば、あの威力でも変身したりしない理由がわかる。僕の場合は身体能力強化が中心のようで、それゆえに赫子の総量は変わらないということか。

 

「やるねぇ。

 んー、流石に僕も分が悪いか。全く持って僕の主義に反するが……、背に腹はかえられないッ!」

 

「は? へ、いや――」

 

 突如立ち上がった月山習は、ハンカチを取り出して手を拭きつつ。

 レッドカーペットの上に立ち、疾走。

 

「いざ行かん、戦略的に、そう咀嚼――ッ!」

 

 言いながら走っていた月山は、しかしその足元から伸びた手にネクタイを掴まれた。

 

「ニ、シキくん……、君はブードゥーに伝わるという”蘇りし者(ザ・ゾンビ)”か何かかいッッ!?!?

 この、放したま――」

 

 トーカちゃんの抉るような一撃で、文字通り月山の、右半身が抉れた。落下に合わせて赫子で切り刻むようなそれにより、月山は流石に今度こそ重症を負って倒れる。

 

「ハハ……、いけない、これは、時間が、足り、な……」

 

 ゆらりと揺れながら立ち上がり、彼は、僕に迫る。ズタズタになった右の顔を押さえることもせず、気の合う友人に頼むように言った。

 

「後生だカネキくん。せめて、せめてあと一口だけでも――」

「やるかテメぇなんかに」

 

 そして背後から、トーカちゃんの一撃。

 

 今度こそ半身を庇いながら、彼は地面に転がった。

 

「――テメェの肉でも食ってろ、食道楽気取り(クソグルメ)

「……」

 

 ようやく、終わったのか?

 半分微笑んだまま動かなくなった月山習。

 

 西尾先輩は、這いながら台の上の貴未さんの方へ。

 

「待ってろ、今、外してやるから――ッ」

「ん、んん――ぷはっ。ニシキくん? 大丈夫なの?」

「お前、自分の方心配しろって――」

 

 そして、僕と西尾先輩は、凍りついた。

 

 未だ変身したままのトーカちゃんが、西尾先輩の背後に立ったからだ。

 

「トーカ、ちゃん?」

 

「どきなニシキ。その様子じゃ、どの道正体バレてんでしょ」

「……」

「危険は排除しなきゃならない。生きていくためには。

 アンタだって、そうでしょ」

 

 トーカちゃんの問いかけに、西尾先輩は言葉を放たない。

 その代わり、じっと、トーカちゃんの目を見据える。

 

 メガネの外れたその表情は、前にヒデや僕を襲った時のものとは違う。そんな気が、僕はした。

 

「ニシキくん、私――」

「……」

 

 僕は腕を引きずりながら、トーカちゃんの後ろに、立つ。

 

「……何だよ」

「……そのヒトはきっと、依子ちゃんだ。君にとっての依子ちゃんで、僕にとってのヒデなんだと思う」

「……」

 

 震える肩は、僕の言葉を聞いているからか。それでも彼女は動かない。

 僕は、言葉を重ねた。

 

「トーカちゃんの昔のことは、少ししか聞いてないけど。でも、リスクを減らしたいからって言っても――依子ちゃんに知られたら、トーカちゃんは、殺せるの?」

「――なんで、わかんねぇんだよ、どいつもこいつも!」

 

 叫びながら、トーカちゃんは赫子を乱す。もう量が足りないのか、さっきみたいに扇状に展開することもない。

 

「そうなんないために、消さなきゃなんねぇんだろーがッ!

 簡単に出来たら、苦労なんてしてねーんだよッ!」

「ッ、トーカちゃんッ」 

 

 放射する赫子から、貴未さんを庇う西尾先輩。

 僕は僕で、トーカちゃんを背後から捕まえて押さえ込もうとする。その際、頬や肩を赫子が必要以上に掠り、痛みが走り続ける。お陰で強くは拘束できなかった。

 

 でも、貴未さんの目隠しが外れて、トーカちゃんを見た彼女の言葉が、状況を変えた。

 

 

 

「綺麗……」

 

「―― …………」

 

 

 倒れ込む西尾先輩。そのせいで、彼女は真正面からトーカちゃんを見る事になって。

 後ろにいるから僕は、今どんな表情を彼女がしてるのかわからない。でも、トーカちゃんは固まって、攻撃を止めた。

 

「……なん、だよ、そりゃ……」

 

 

 震えながら、トーカちゃんはそのまま飛ぶ。

 後ろから押さえつけていたせいで、僕も巻き困れる形で彼女に引っ張られ。

 

 数秒と立たず、僕等は屋根の上に来ていた。

 

「ズルいんだよ、どいつも、こいつも……」

 

 言いながら、トーカちゃんはぺたんと座る。

 そしてちらりとこちらを見て、いつもの様に見んじゃねぇ、と言った。

 

「トーカちゃん」

「……なもんか」

 

 気のせいでなければ、彼女の目の光は揺れていて。

 まるで涙を溜めてるような、うるんだ瞳で。

 

「殺さなきゃ、いけないのに。みんな危ないのに」

「……」

 

 膝を抱えて、トーカちゃんは肩を震わす。

 

「……綺麗な、もんか……」

 

 僕は言葉が見つからず、ただただ、その場でトーカちゃんが落ち着くまで、何もできなかった。

 

 

 

 

 




トーカちゃんの変身姿→コミックス5巻のアレ。
技はタジャドルリスペクトと言ってお分かり頂けると説明が楽ですw
 

 
  
 
 
――――――――――――――――


【美食家と写真家】しゅっちょうばん
 
 
 
「死ねない……、まだ死ねない! カネキくんを頂くまで、美食の深淵を超えるまで、僕はッ!」
 
 朝日がさし始めた教会。ボロボロの内装。レッドカーペットも例外ではないが、その上で転がる半死半生の青年が一人。美食家喰種、月山習である。

 人影の消えたその場で転がりながら、彼は自分の右腕を見て、何かをひらめいたように「Ah!」と声を上げた。

「自分を食べろ、イートユアセルフ……。面白い意見だ。この場合背に腹は変えられない。試してみようッ」

 繋がっている左腕で右腕を肩に持っていき、少しくっ付ける。じわじわと分裂していた身体が、Rc細胞の働きで接続されるところが、未だに接着されない。
 止むを得ずと言いながら、彼は腕の、上腕二等筋をがぶりと一口。

 もしゃもしゃ咀嚼。

「ん? ……喰種にしては臭みや苦味がないな。カネキくんのような美食ではないが、非常食としてこれはこれでアりか」

 どうやら意外と美味しかったらしい。
 と、そんな彼がどこからかフラッシュを浴びる。

 ぱしゃり、という音は聞き覚えがあるもので、月山はその音の方角を、入り口を見た。

「おお、なにこの珍景」
「掘! よりによって何でこんな写真をッ!?」

 ちんまい、と表現できる体躯。小学生と言って通るような背丈に切りそろえられた髪、幼い顔。黒いコートに赤いハイネック。季節感を圧倒的に無視した上半身に対して下はホットパンツにしましまのニーソックスと、色々と我が道を行く格好である。
 腰に巻いているポーチのお陰で、くびれがわかりようやく成人だというのに説得力が出るくらいだ。

 そんな彼女は、掘ちえ。金木研に語ったところの、月山習の「人間の」友人だ。

「今回は何があって僕の邪魔をしたんだい? 掘」
「まあ、いつも通りかな? 被写体の子、月山君が連れ去っちゃったからね」

 そう言いながら、写真を何枚か取り出すホリチエ。教会の名前が見える写真、カネキと貴未が話している写真、そしてボロボロの西尾錦とそれによりそう彼女の写真。

 それは、あんていくの店内に放置されていた写真であり、トーカが確認したそれに他ならない。

「全く、君のお転婆具合には毎度驚かされるねぇ。で、撮れたのかい?」
「むしろこれからって感じかな? うん、でも良いの出来そうだよ月山君が邪魔しなければ」
「僕は僕の道を行っているだけなんだがね」
「私は私の撮りたいものを撮ってるだけなんだけどね」

 両者の意見は平行線だが、敵対する感情は見えない。
 むしろ「はい」と言いながら缶詰を取り出したホリチエが、ぱき、と開けて爪楊枝をさすくらいだ。

「……掘、これは我が家にある保存食用の肉ではないかい?」
「そだけど」
「これをどこで?」
「月山君のとこの持ってる家の一つで」
「少しは遠慮してくれても良いのだよリトルマウス」
「まぁ今日みたいなこともあるんだから、いいんじゃない? ほら、あーん」

 苦笑いを浮かべる月山に、爪楊枝で刺した肉を向けるホリチエ。
 罪滅ぼしのつもりか、という訳でもなく、これでイーブンということなのだろう。ホリチエがこの後復活し、激昂した月山に襲われる可能性もなくはないが、その場合はその場合で何かしらの対策も用意しているはずだ。

「では、ありがたく……」
「月山君、どさくさに紛れて指なめないで」

 楊枝なのがいけないのだよ、と彼は彼女の言葉に少し抗議した。
  
 
 
 


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#021 偽名/信託

月山編エピローグとアオギリ編プロローグ?



 

 

 

 

 

「――なるほど。で、命からがらレストランから逃げ延びて来たと。で、結局入館条件手に入んなかったんかいッ! 新しい情報なんもないじゃンン!!」

 

 どわっと怒鳴るイトリさんに、僕は思わず身を引いた。場所は彼女のバー。例のごとく血酒(要するに腐った血)を飲みながら、彼女は僕をどつく。

 でも数秒すると、ため息をついて一言。

 

「……まあ生きてて良かったんじゃないの? ヘッポコなりに頑張ったみたいだし。

 蓮ちゃんにも久々に色々小言いわれちゃったしねー。研はお前のオモチャじゃないんだーとか、大体お前は昔からいつもいつもヒトに無理難題をーとか、平和に過ごしたい奴相手に人生を引っ掻き回すようなことをするのは良くないーとか」

「……なんか、意外です」

「そでもないよ? 蓮示って結構、酔うとしゃべるし」

 

 あと小さい動物とかすっごい好きだしね、とイトリさん。

 

 ちょっと意外な話ではあったけど、確かにこの間ヒナミちゃんと一緒に、ヘタレ(四方さん曰くシューティングスターウィング)に「おはよう」を覚えさせようと何度も何度もチャレンジしていたのを目撃したりもしたので、信憑性はそこそこか。

 

「ま、青二才にしちゃ頑張ったし? ご褒美は少しはないとアレよね。

 じゃあ、おねーさまがヒトハダ脱ぐのと、情報へのヒントと、どっちがいい?」

「へ……、は、はい!?」

 

 突然、胸元の開いたドレスのそれを軽く引いて、ちらりと中側を見せて笑うイトリさん。悪戯っぽいそれは明らかにからかわれているのが分かるけど、それでも一瞬体や視線が硬直してしまうのは、仕方がないと思いたい。

 

 そんな僕のリアクションを見て「やっぱ純だねぇ」と彼女は笑った。

 

「そんな本気にしなさんなって。蓮ちゃんどころかウーさんにも逆にいじられるわ、私そうしたら。……って、本当に脱いだ方が良かった?」

「いや、そういう訳では……」

「ジョークジョーク、グールジョーク♪」

 

 本当、何というかしてやられているというか。

 やっぱりこのヒトは、ちょっと苦手だった。

 

「転落事故についてはスキップして、リゼについて少しだけ。

 イッツベリィベリィビッグヒント」

 

 ものすごく大きなヒントと言いながら、イトリさんは少し怪しげに笑う。

 

 

 

「神代利世なんて喰種は――存在しない」

 

 

 

 彼女の言葉が、一瞬僕には理解できなかった。

 

「戸籍のない喰種も多いし、苗字はそれにならってコロコロ変える喰種も多いけど、親から受けた名前は簡単に変える喰種はいないものよ。分かり辛いしね。

 でも、リゼは違う。

 ある時期にぱっと現れて、その後にポイっと元々の名前を捨ててリゼとなった」

「名前を捨てて……」

 

 神代、リゼ。利世。世を利する。

 

 彼女の元の名前も気になるけど、だとすれば直の事、彼女の名前が気になった。本を読むのは、喰種だろうと何だろうと関係なかったんじゃないかと、今振り返って僕は思ってる。とするならば、名づけたそれに含まれた意図や、意味は――。

 

 彼女の生き方そのもの、と言えなくもない。

 でも、どこかに違和感があると、僕は引っかかりを覚えた。

 

『――でも結局、どんなに想っても(わたし)は救えないのにね』

 

 脳裏で時折響くリゼさんの言葉が、今も聞こえたそれが、やはりどこか歪だ。

 

 まるで、何か重要なファクターを見落としているような――。

 

「ま、とりあえず20区に来る前のことについて探ってみればいいんじゃない? というアドバイスな感じだけど、これでどぅ?」

「……」

「聞いてる? カネキチ。うりゃ」

「……? わ、わわっ!?」

 

 考えごとをしていると、イトリさんがしな垂れ掛るように抱き付いてきた。感触やら何やら色々言いたい事はあったけど、それよりも何よりもまず酒くさい。喰種的にやっぱり、あの血酒はアルコールのそれと同様に感じ取れるらしかった。

 

「ねえ、カネキチ?」

 

 イトリさんは、僕の耳元で囁くように言う。

 

「――隠されてるような真実ってのは、どんな時でも残酷だったことの方が多いわよ?

 それを忘れないよーに」

「……肝に銘じます」

「ん、素直でよろしい!」

「いや、あの、ちょ――ッ!」

 

 その後、しばらくイトリさんに弄られたりして、感謝の言葉を言ったりもしたけど。

 店を出た後、僕の脳裏では思考がぐるぐると回っていた。

 

 嘉納教授曰くの、リゼさんの家族。

 神代リゼという喰種の非実在性。

 そして――リゼさんの死自体が、仕組まれていたのではないかということ。

 

「店長たちは、何か知ってるんだろうか」

 

 少なくとも、トーカちゃんとかは知らないと思う。あれで結構顔に出るので、知ってたらちらっと察することができるし。

 

 そんな事を考えながら歩いていると、白い髪の少年とぶつかった。

 

「あ、すみません」

「あああ、こっちこそごめんです。おかしのこと考えてて、しばし我を忘れてました」

 

 なお、彼の手には30円で買えるキャンディがえっと……、一、二、三本握られていた。全部開封されていて、同時に舐めていた。味違うのに不味くないんだろうか……。

 

「それじゃさよなら、そそくさ、あたりが出たらもういっぽん~」

 

 それはアイスじゃないかな、と思いはしたけど、ツッコミを入れる余裕はなかった。

 

 立ち去り際、漂う彼の臭いがどうしてか、うっすらとハンバーグじみた臭いに感じられて――早い所隠れて、ドライバーを装着しなきゃならなかったからだ。もっともドライバー自体は、トーカちゃんが持って帰っていたので、この時は角砂糖に頼ることになったのだけれど。

 

 

 そして、駅で改札を通ろうとしたタイミングで、財布を盗られていたことに気付いた。

 

 

 

 

 

     ※

 

 

 

「スリぃ? 顔とか覚えてねーのかよ」

「顔伏せてたし、よく見えなかった……」

「あら、物騒」

 

 数日後のあんていく。僕の煎れた一杯をテキトーに飲みながら、ヒデは僕の話にツッコミを入れていた。

 「何で駅前まで気付かなかったんだよ」というツッコミにはちょっと困った。いくら何でも、食欲が湧いて危険だったからとは言えない。

 

 そして、そういうこととは別にして、僕はちょっと対応に困っていた。

 

 トーカちゃんも少しやり辛そうに、助け船を出す。

 

「何それ……。被害届けとか出したの?」

「いや、いいよ、そこまで入ってない方のだったし。カツアゲ対策に財布、普段から三つくらいは持ってるから。

 あと、その財布もなんか翌日、お金だけ盗られてたけど返ってきたし。39円と一緒に」

「カツアゲ対策って……」

「39円、お礼かしらそれ」

「いやいやトーカちゃんの言う通りだぜ! 再犯防止の意味合いもあるしな。

 ねぇ――三晃さん」

 

 ヒデの言葉に、彼女は、図書館で一度だけ話した事のある「喰種」の彼女は、「さぁ」と肩をすくめた。

 

 そう、これが僕やトーカちゃんが、ちょっとやり辛くなってる理由。

 事と次第は簡単で、肉のパックを彼女が取りに来たタイミングで、運悪くヒデと遭遇したという話だ。シンプルだけど、それゆえに回避が難しい問題だ。

 

 以前彼女が「ヒデと一緒に行動したことがあった」と言っていたけど、どうやらそれはサークル関係の手伝いらしかった。

 

 相変わらず手が広いヒデに、聡い相手に関わらないと言っていた彼女が引っかかってしまったということか。その割に、表面上のそれを彼女は完璧にこなしていた。

 ヒデの側も普通に同じ学校の生徒同士という感じで、いつもの様に軽くナンパをかけたりするテンションではなかったんだけど。

 

「ったく、お前がマヌケ面さらしてっからだろ? カネキィ」

「あ、西尾先輩」

 

 そして地味に、西尾先輩が救世主だった。

 

 あんていくのウェイター姿を着た西尾さんは、やっぱり僕なんかよりスラっとしていた。立ち姿はいつもの様に軽いノリだったけど、様になるのはうらやましい。

 全体的に体調も回復していて、その動きには淀みがない。

 

「もっとシャキっとして、ギギっと睨んでりゃ、チンケな野郎にゃ狙われねーんだよ。

 まず腹筋割れ腹筋」

「け、結構無茶言いますよね、西尾さん」

「癪だけど、確かに腹はバッキバキの方がいいよ」

「トーカちゃんまで!?」

「動けた方が便利じゃないかしら」

 

 どうやら喰種基準で言うと、この場に僕の味方は居ないらしい。

 

「本読みながら上裸で腹筋してるカネキとか、それはそれでシュールだけどなー」

 

 ヒデ(ブルータス)、お前もか。

 でも僕の様子を見てか、彼は笑いながら話を変えてくれた。

 

「いやでも西尾さん、あんていくのイメージ的にちょっとナンパすぎじゃないっスか?」

「ん? 永近追い出すよ?」

「それはちょっち勘弁を……。って、そういえば何で先輩ここでバイト?

 って、あー! まさかトーカちゃん狙いじゃ……」

「誰が欲しがるんだ、んな単細胞女」

「あ゛?」

「トーカちゃん、どうどう」

 

 声が普段出していいような声音じゃない。

 後ろから押さえる仕草をして、トーカちゃんを宥める。と、何を思ったのか数秒こちらを見て、トーカちゃんは軽くため息をついた。何? と聞けば、何でもないと返答される。

 

「……こっちもこっちで、中々面白い感じね」

 

 スマホを確認しながら、三晃さんはそう言って席を立った。

 一緒にレジの側に向かうと、彼女は小声で僕に話しかけてきた。

 

「今日はもう出なおすわ。永近君、タイミングが悪いわね」

「あはは……。意外と仲が良さそうで、びっくりしました」

「距離をとるにも情報は必要だから、必要があれば多少は仲良くなるわよ。お互いに(ヽヽヽヽ)

「……?」

 

 何だろう、今の言い回しにどこか違和感を覚えたのだけれど。

 会計を済ませてる途中、三晃さんは二本指を立てて言った。

 

「話しておくことが二つ」

「はい? えっと――」

「私の彼氏を名乗ってた、詮索好きの喰種。11区で餌探してる最中、殺されたから」

「!」

 

 脳裏には、数週間前まで店に来ていた人物の肖像が浮かぶ。確か店長にボコボコにされてた、という話をトーカちゃんから聞いたのだけど……。

 

「何か、変な動きがあるって、メールが来てたから。永近君には少し世話になってるし、忠告」

「あ、ありがとうございます……」

「それからもう一つ」

 

 お釣りを受け取り、彼女はあんていくの扉を開ける。 

 

 ベルの音と共に、その向こう側で、小さな人影が見えた。小学生くらいと言って通りそうな、ショートカットの女の子。首からはカメラをぶら下げていて、服装は何故かジャージ姿。

 

 彼女はこちらを見ると、すぐさまカメラを弄り始めた。

 

「えっと……」

「前に言ってた、例外。といっても、本題はそっちじゃないんだけどね」

「それは一体――ッ!」

 

 そして、僕は硬直した。

 

 カメラを弄っている彼女を覗き込む、長身の青年。雑誌の表紙でも飾りそうな、腕をギプスで固定した、臙脂色のスーツ姿の彼は――。

 

 ぱしゃり、と僕と三晃さんがカメラに収められる。

 

「びっくりしたかしら」

「……トーカちゃんが、倒したはずじゃ」

「完全回復はしていないみたいだから、しばらくちょっかいかけては来ないと思うわ。腕もまだ完全にくっついていないみたいだし。

 あと、しばらくは掘さんと遊んでると思うから、少し警戒しておくくらいでいいんじゃないかしら、という話」

「……堀さん?」

「カメラの彼女。私達、高校時代同じ学年だったのよ」

 

 その話に、僕は思わず度肝抜かれた。

 ファインダーをいじっている彼女から視線を外し、向こうの青年、月山習は僕にウィンク。鳥肌が立ってしまうのは、もはや仕方ないと思っていただきたい。

 

「じゃあ、また今度。何かあれば追って知らせてあげるわ」

「あ、はい――」

 

 唖然とする僕に少しだけ、悪戯を成功させた子供のように微笑んで、彼女は店を後にした。

 

 

 

   ※

 

 

 

「あー全く、かったりぃかったりぃ! 美味いのは認めっけど、入れるの面倒だなぁ珈琲」

「インスタントじゃないですからね」

「何より、トーカに教わんなきゃなんねーのが面倒。なんでカネキ、覚えてないんだよ」

「えぇ……。僕、この間研修とれたばっかですよ。全部は流石に……」

『ヘタレクション!』

「……何だよそのインコ? てか何だよヘタレクションって」

 

 四方さんが仕込んだのか、ヒナミちゃんが教えたのか。

 どちらにせよ、意味がわからないヘタレの鳴き声だった。

 

 あんていくの二階にて、僕と西尾さんは休憩中。ぐだっとダレている彼と話しながら、僕はヘタレにエサをやっていた。

 

「まあ、でも助かったには助かったんだけどよぉ、何だかなぁ」

 

 うーんと唸る西尾先輩に苦笑いしながら、僕は先日のことを思い出す。

 

 月山さんと戦った後。つまりはほぼ翌日。

 僕、西尾先輩、店長の三人で、店のバックヤードで話したのだ。その結果、彼は「あんていく」に入店した。

 

 大事な相手(ヒト)がいるのなら、積極的に誰か(ヒト)の命を奪ってはいけない。その相手を失って哀しむヒトが出てくるのだから。

 

 先輩に肉を提供できないかと話してみれば、店長、実は西尾先輩の受け入れ準備はちゃっかり出来ていたという。元々彼の状態を把握していたのか、それとも別な理由があるのかは定かではないけど。

 

『ここでなら、比較的罪を犯さず生きることもできるだろう。

 ただし対価は貰おう。君のためにも、誰の為にもならないからね』

 

「で労働力ってことでバイトになった訳だけど……、ありゃ絶対、貴未のことも全部把握してんだろうなぁ。みんな自分の手元に置こうとしてやがんだ」

「そう……、なんですかね?」

 

 情報の把握については、可能性は高いと僕も思う。あの言い回しは、そう考える事もできる類のものだったから。

 

「管理が趣味なんじゃねぇのか? あのジジィ」

 

 でも、西尾先輩の見解は、全体的にその……。

 

「俺は、芳村のじぃさん信用した訳じゃねーしな。裏じゃ何やってるか全然わかんねぇ。

 ああいうのが一番、裏切ったりする時は怖いからな」

「裏切る、ですか」

「昔、姉ちゃんが死んだ時がそんなもんだった」

 

 ま、だからって訳じゃないけどと、先輩は明るく言う。

 

「それでも20区ではここが一番安全ってのは間違いないだろうし? しばらくはせいぜい、利用させてもらうぜ」

「(素直じゃないなぁ)」

「あ゛、何か言ったか?」

「い、いえ別に……」

 

 凄まれても困る。いや、だって先輩、声音が明らかに明るくなっているというか。

 とても言葉通りに、疑心暗鬼に陥っているような声音じゃなかったというか。

 

「しっかし、お前もよくわかんねぇヤツだよな。貴未助けようとしたり俺店に入れるし。

 お前ら殺しかけたのも俺だけどよ」

「……まあ、逆に殺しかけたっていうのもありますけど、やっぱり、なんか収まりが悪いと言いますか、何と言いましょうか」

「何言ってるかわかんねぇって」

 

 軽く笑いながら、西尾先輩は僕を指差す。

 

「お前ってさ。喰種とか人間とかって、どう思ってる?」

「……大層なものじゃないんですけどね」

 

 苦笑いしながら、僕は彼の質問の答えを考える。

 一つ一つ、考えを声に出す。

 

 人間として、色々な喰種を見てきた。

 喰種として、色々な人間を見てきた。

 

「今のままじゃ、いけないんだとは思います」

 

 全体で言えば、やっぱり喰種にとって人間は餌としか扱われていない。捕食対象としか扱われない以上、どう足掻いたって話し合いにならない。月山さんや、以前の西尾先輩なんかを見ていると、それは強く感じられた。

 

 そして逆説的に、人間からすれば喰種はバケモノのようにしか思われないことが多い。自分達の天敵である以上、それは必然であって、同時に少しだけ違う。捜査官たちの言葉の全てが間違っていることはないけど、でも、だからといって「あんていく」のような立場を、存在しないものとして扱うことは出来ない。

 

「きっと、それは正しくない。

 だから――僕等に必要なのは、たぶん、距離なんだと思います」

「距離?」

「丁度良い距離とか、あるいは干渉できて干渉できない距離というか。

 お互い蹂躙し合う関係のまま行くんじゃなくて、もっと尊重しあっていけば、きっと、共存していけるんじゃないかなと」

 

 お互いに庇い合う西尾先輩たち。

 人間を尊重してバランスを維持しようとする「あんていく」と仮面ライダー。

 

 自分の生命さえすり減らすように、友達との日常を守りたいトーカちゃん。

 

 きっと、そういうのが糸口であって。

 

「――お互いに、手を差し伸べられれば、簡単だと思うんですけどねぇ」

「……何つーか、本当クソみてぇにお人よしだな、お前」

 

 その表現は如何なものだろうか。

 

 西尾先輩は、しかしらしくもない感じに視線を逸らして、半笑いとも呆れともつかない顔になった。何だその顔。

 

「ま、悪くないんじゃねぇの?

 甘いとは思うけど、お前のそーゆーとこに救われる奴も、居るっちゃあ居るだろうしな」

 

 そして何というか西尾先輩は今日、ものすごく変だった。

 貴未からありがとうって言っておいてくれと言われたと言って、白紙のルーズリーフとかくれたり。あと、トーカちゃん用と思われる髪留めとかも貰ったり。

 

 下の階に下りると、トーカちゃんが視線でヘルプを寄越していた。ヒデに掴まっているらしい。

 

「20区ってそんな物騒なんかねぇ。実感ねぇけど」

「あ、えーと……」

「どうしたんだい? ヒデ」

「お、カネキ。アレだ、今ニュースでやってたんだけどよ。11区で何かあって、捜査官の人数増えるんだってよ。20区も」

「増える?」

「本部から派遣されるらしい」

 

 その言葉に、トーカちゃんが僕の隣で少し表情を曇らせた。

 

 裏側の在庫整理ちょっと手伝ってと言って、店番を西尾さんに変わってもらう。

 

「動き出したってことかな? 前の時の――」

「いや、たぶん別な方だと思うけど……。でも、警戒はした方がいいな。あんまり外に出してやれなくなるけど」

 

 ヒナミちゃんについてどうするかの話し合いをしてると、不意にトーカちゃんが「忘れてた」と言って、クインケドライバーを取り出した。

 

「悪かった。持っていっちゃって」

「いや、別にいいよ? ずっとないと大変だけど、一日とかくらいなら」

「……アンタ、ヒトに無茶すんなとか言っておいて、自分は無茶してるよね」

 

 そうなのかな、と頭を傾げると、ため息をつきながら彼女は僕にドライバーを手渡した。

 

「とりあえず、渡すから」

「あ、うん。ありがとう」

「大事に使ってよ」

「……へ?」

 

 それだけ言って、トーカちゃんは仕事に戻るため、バックヤードから出て行く。

 その言い回しに何か引っかかりを覚えながら、僕はドライバーを見返して。

 

 その裏側に、文字が掘りこんであるのを見つけた。

 

 

「……()RA()TA()?」

 

 

 子供が搔いたような乱雑な字で、適当に彫られたようなそれは、確かにローマ字読みでそういう風に読めた。

  

  

  

 




ホリチエたちとの集りは、そんな大した集まりじゃないです。


次回、ようやく2号ライダー装備おひろめ?


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#022 折骨/鉛鎧

 

 

 

 

 

『――ともあれ、こちらは中々面白い子も多いよ。中々に事情を抱えている子も多いがね。

 ただ米村という子が、少々いただけない。能力は伸びしろがあると思うのだが、意志が戦闘に向いていなくてね』

「お疲れ様です、真戸さん」

『いやいや。そのうちそっちに足を運ぶから、その時はまたよろしく頼むよ、亜門君』

 

 真戸さんの電話が切れ、俺は思わずため息。資料室にて、俺は再度自分に渇を入れた。

 

「あんまり無理しない方が良いですよ、亜門さん」

「中島さん」

 

 扉が開くと、ここ最近よく仕事をして居る彼が、疲れた笑みを浮かべた。缶コーヒーを持ってきた彼に例を言って、受け取り開封。かれこれ前日は夜遅くまでここでラビットについて調査資料を漁っていたので、カフェインは正直に言えば助かる。

 

「しかし何というか20区も物騒になってきたもんですよねぇ。大食いに美食家に、ラビットと」

「……表面化しているのと、潜在的なものでの比較は難しいですが。でも、それでも周囲に比べて大人しいというのが、俺は不可思議にも思えます」

 

 俺の言葉に、中島さんは首を傾げた。

 

「真戸さんの勘は、外れたことがないんですよ」

 

 そう前置きをしてから、俺は少しだけ説明。何某かのグループによって、区の中の喰種たちによる捕食が一定レベルで押さえ込まれているだろうこと。数が低いため発覚は少なく、また大々的に動く喰種も一部を覗いて見当たらないのは、やはりどこか歪であると。

 

「実際、喰種関係の事件の、20区での発生件数をグラフにまとめてみたんですが、やはり偏りがありました。周囲の区と比べて、断トツに。

 CCG本部やそれに類するものがないにも関わらずと考えれば、やはりその背景には組織的なものが見えるのではないかと思ってます」

「組織的ですか……。とすると、目だってるのは組織の方針から外れたものと?」

「そうかもしれませんね」

 

 

――僕を、人間のままでいさせてくれ。

 

 

 あの時、眼帯の喰種の言葉が脳裏を過ぎる。一度は死を覚悟し、また敬愛する上官の死も覚悟した。運よくどちらも死にはしなかったが、真戸さんは捜査官としては事実上、再起不能となった。そういう意味で相手の目的は達成されているのかもしれない。

 

 俺はあの眼帯を、20区にある喰種組織の一人なのではなかと疑っている。

 

 こう言えば酷く滑稽な話ではあるが、だが、ヤツは言った。人間として、喰種としてと――。

 

 思考にとらわれていると、資料室の扉がノックされる。向こうには女性調査員の……、何と言ったか名前までは覚えて居ないが、彼女が俺の名前を呼んだ。

 

「本局の方がお見えになられました。第二会議室の方でお待ちになられてます」

「資料は俺がバッチリまとめておきますんで、行っちゃってください」

 

 二人に礼を言ってから、俺は部屋を後にする。

 エレベータに乗り、俺は外を眺める。

 

 統計的に見て、喰種関係の事件が本部直下地域と並んで少ないこの区。その深奥に、真戸さんは強大な闇を見た。

 

 ならば、その後を調査する(おう)のは俺の役目だ。

 そして、そのためには力が足りない。 

 

 一度強く拳を握ってから、俺は少し深呼吸。確かに中島さんの言う通り、ここのところ根を詰めすぎていたかもしれない。真戸さんも、いついかなる時でも戦闘に移れるコンディションこそが大事であると言っていたか。

 

「そういえば、20区も本部からの捜査官が派遣される場所か」

 

 つい先日、11区における大抗争と言っても差支えがない事件があったため、自動的に周辺の区の警戒度が引き上がることになっていた。

 これは慣例という訳でもないが、特定の箇所で大規模戦闘が行われた場合、その周囲に難民のように散ることがあるのだ。取り越し苦労と言われる事もあるが、この準備は決して無駄になることはない。

 

 少なからず、俺はこれを甘く見ることは決して出来なかった。

 

「しかし、一体誰が配置されるのだろうか……。そう言えば、俺のパートナーもか」

 

 真戸さんが捜査官としては、事実上引退に追い込まれたこともあり、間違いなく後任の問題が出てくる。俺より上官になるか、下になるかは分からないが、出来る限り仲良くやりたいものだ。

 

 ベテラン勢は空きがなかったはずだが、さて……。扉をノックすると、向こうから聞き覚えのある声が返って来た。

 

「おお? しょげた顔だなぁ。またベソかいてんのか、んっ?」

「し……、篠原さん!?」

 

 刈り上げたような頭に、人の良さそうな表情。体格は俺以上で、立ち姿だけで力強い。

 アカデミーの元教官、俺の恩師にして「特等捜査官」、篠原幸紀(ゆきのり)がそこに居た。

 

「あんまり俺、ここ良い思い出ないんだけどねぇ。ハハハ。

 で、こっちが法寺。面識はあったろ?」

「亜門君、お久しぶりです。班を組むのは初めてですね」

「ご無沙汰しております。こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 やや硬い笑みを浮かべながら、法寺項介准特等捜査官は俺に手を差し伸べた。握り返すと、やはり顔の雰囲気とは違う、現場の人間の手をしていた。

 

 二人は共に、かつての真戸さんの相棒。

 共に多くの結果を出し、叩き上げ実力派の初代パートナー。

 クインケの使い方を徹底的に叩き込まれた、俺の兄弟子と形容しても良い二代目パートナー。

 

 どちらも優秀で、真戸さんとも縁深い。

 これほど手厚い編成に恵まれると言うのは、俺としてはかなり驚きだった。

 

 そしてもう一人、これまた懐かしい顔を見た。

 

「ほ、本局対策I課の滝澤政道二等です!」

「滝澤か。久々だな」

「お……! 覚えていていただけましたか!」

 

 照れながらもガッツポーズを決め、震える彼。アカデミーの講習で呼ばれた際の生徒の一人に彼が居た。

 

 しかし、それにしては反応がどこか……。

 と、法寺さんが俺に耳打ち。

 

「彼、有馬さんと君のファンなんですよ。どうやら授業で感化されたらしく、スクラップブックも作る勢いです」

「それは……、何か照れますね」

 

 真戸さんと共に過ごしたここ数年のことをまとめている、というのがどうにも気恥ずかしいが。でもそれでも、以前真戸さんの言っていた「心の火」が、こうしてまた広がりを見せていたことに俺はわずかに震えるものがあった。

 

「昨年度のアカデミー、次席卒業でしたがまだまだ新米。君からも色々お願いします」

「言わずもがなですよ。

 まだまだ慣れないことも多いだろうが、よろしく頼む、政道(せいどう)

「は――ハイ! 亜門さン!」

 

 語尾が少し裏返っていたのに、俺は少しだけ苦笑いが浮かんだ。

 と、ここで俺は疑問に思う。

 

「……? この編成だと、ひょっとして俺は篠原さんと組むことになるんですか?」

「あー、いやいや。真戸の見舞の時に言ったろ? ちょっと手のかかる奴が居てさ。俺はそっちに手が回ってる感じだ。

 制度的なこともあって中々組ませられる奴がいなくて、向こうでも今てんやわんやだ。まあ、しばらくは俺の方と一緒になるけど、しばらく待っててちょ」

 

 少し手を合わせて頭を下げる篠原さんに、はい、と俺は応じた。

 応じはしたが、本心では少しばかり残念だった。

 

「さて、これから忙しくなるぞー? 全体会議で情報は聞いていると思うが、11区だ」

「派遣されていた本部捜査官が『全滅』したと聞いています」

「そうそう。混乱を押さえる為に情報は押さえてるけど、事実上11区で闘えるのはほとんど残ってない。追加で派遣して区民を守っているが、切迫している。

 そして――11区を中心に9、10、12区でも『捜査官殺し』が行われてる」

「……しかし、何故20区が?」

「捜査官殺しに準じることがあった、というのもあるけど、一番は個体レベルでのレート判定だろうさ。まあそれでも、他に比べれば派遣者は少ないには少ないんだよ」

 

 ここはとにかく、単独で危ないのが多い、と篠原さん。

 

「さかのぼれば梟、黒犬に魔猿。最近じゃ美食家やSSレートの大喰いに、ラビット。それに実は、ジェイソンの目撃情報もあったくらいだ」

「ジェイソンの……!」

 

 人間に対して拷問を楽しんでいる喰種である、ジェイソン。丸出さん曰くとびきりのクズ野郎とのことだが、それもまさかここの区で?

 

「下三つが今のところ危ないから、ここ上じゃん? で、上下から挟み込まれると危険度がドっと上がるから、保険ってのもかねて一応ね。情報だけで牽制になる場合も多い、というのも、少しはあるかもしれないけど」

「そうですか」

「うん。で、滝澤、亜門。ここまでの話で、何か気付いたことはあるか?」

 

 彼の言葉に、不意に真戸さんとの話し合いが過ぎる。その話と今回のこれとではベクトルが異なるものの、俺は二つに共通したある部分を理解していた。

 

 いまいち何かを察しきれて居ない政道に代わり、俺が口を開いた。

 

「――組織化された喰種集団が、CCGを潰そうとしている?」

「あ……!」

 

「ま、そういうことだろうね。……奴等は俺達が壊滅した後、東京をどうしたいんだろうねぇ」

 

 遠い目をしながら言う篠原さんに、俺はあえて断言する。

 

「……決してさせません。

 ここは、我々人間の場所です」

「だな」

 

 俺達のそのやりとりに、政道は「自分、なんか燃えてきました!」と目を輝かせていた。法寺さんも篠原さんも、俺もこれには少し眩しい思いをする。

 

「とりあえず今後の方針としては、私らの方は美食家、大喰いの捜査を中心に行う。

 亜門は引き続き支部全体と協力して、ラビットを探せ」

「真戸さんの、ある意味弔い合戦です。気を引き締めて行きましょう」

「まあ、こんなこと言ったら『勝手に殺さないでくれるか』と言われそうだけどね」

 

 ははは、と笑いながらも、二人の目には熱が灯っていた。

 

「じゃあ早速、明日から捜査班の編成について……、おっと失礼」

 

 篠原さんが突然電話を手にとり、話をはじめる。しきりに恐縮する様は、どこかアカデミーで教鞭をとっていた時の彼を思わせた。

 

「あれは一体……?」

「あー、まーたジューゾーか」

「じゅ……?」

「問題児ですよ亜門さん。簡単に言うと」

 

 その言葉で、おそらく政道の言ったそのジューゾーが、今の篠原さんのパートナーなんだろうと理解した。

 

 

 

   ※

 

 

 

「だから僕ずっと言ってるんですからね。絶対間違ってないんですからね」

「はいはいわかったわかった。本当か嘘かはすぐわかる事だから」

「たくぅ。手帳なくしただけで掴まるのはやっぱり獲物が小さすぎるからなんですよ。確かに使いやすいですけど、これじゃ本末転倒ですよぅ」

「あー、もうわかったって五月蝿いな君……」

「僕もそうですけど、あなたもイライラしてますねー。疲労回復にはチョコがいいそうですよ、食べます? じゃなきゃ、このカルシウム入りビスケットとか。ちゃんと個別包装なんで安心してくださいよー」

「あ? あー ……、受け取れないんだよそういうのは」

「難儀なお仕事ですねー」

「大きなお世話だッ」

 

「あの~ ……、先ほどの篠原です。ウチのがお世話になってると」

 

 篠原さんがCCGの手帳を見せながら、交番に入って行く。

 それを見て、中年の巡査は驚いた顔をした。

 

「あ、ら、本当に」

「だから言ってるでしょ。ほらほら、食べましょうよー」

「どっちにしても規定違反になるからなぁ」

「じゃあ冷蔵庫入れておきますです」

 

 そう言いながら、巡査の椅子に座らせられていた、白い少年は……、少年? は、巡査が止める間もなく靴を脱いで奥の生活スペースに上がりこんでいった。

 

「すみません、まさか本当にCCGの方だったとは……」

「いえいえ、そっちの判断は間違ってないと思いますよ。あれじゃ只の不審者ですからね」

「いや、容姿もそうなんですけど、血だらけのナイフ持ってて、おまけに『僕は喰種捜査官だー』なんて言うから……」

「僕より若い捜査官だって居たと思いますよ、昔は確か」

 

 そう言いながら、顔色の悪い白い少年(こうして見ると少女のようにも見える)はよたよたと歩いて来た。俺の感想はと言えば、こいつが捜査官? というものだ。

 

 篠原さんが軽くアイアンクローをしながら、どこで何をやっていたのかを聞いていた。

 

お犬(ヽヽ)の散歩してたら落しもの拾って、ぶらぶらしてたら襲わたんですよ。

 だからやっぱり、変形しないクインケだと説得力が低いんですってばー。僕専用のが欲しいんですってー」

「まーた持ち出したのか、全く……。我がまま言うんじゃないっ」

 

 ぽかっと軽く殴られて、うう、と頭を押さえる。見た目や挙動は完全に少年のものだ。

 

 やれやれと頭を振る巡査に、少年は笑顔で近づいた。

 

「だから言ったじゃないですかー。謝ってくださいよぅ一応」

「いや、こっちも悪かったけどね? でも紛らわしいでしょう。国の人間なら相応に、信用される振る舞いをした方が――ッ」

 

 だが、それ以上彼の言葉が続くことはなかった。

 

 彼の口に、棒キャンディーがラベルを向かれて突っ込まれたからだ。突然の事態に口を塞ぎ、身動きがとれない彼と、俺達。

 

 それを行った彼の眼は、挙動に反して妙に真っ黒な目で。

 得物がキャンディでなくナイフだったなら、それこそ一撃で彼は殺されていたことだろう。

 

「お耳が遠いですか? 僕は気にしない大人ですけど、相手は見て言った方がいいですよー。喰種なら反証する暇もなく死ぬでしょうし」

「う、う……っ」

「あ、チョコレートはいくつか入れてあるんで、暇な時に食べてくださぁーい」

 

 ではお仕事お疲れさまでーす、と両手を上げて、彼は巡査から離れる。

 机の上にあった、複数のナイフ型クインケの装填されたポーチを腰に巻き、足元にあったアタッシュケース――「真っ黒な」クインケを起動させる。

 

 しかし、クインケはどうしてか姿を変化させなかった。

 

「優しくならないと、お犬(ヽヽ)が懐いてくれないですけど、嫌われちゃいましたかー?」

「さあてね。はぁ……」

 

 巡査に謝り倒す篠原さんに背を向け、彼は俺の方を見た。

 

「ありゃ、ひょっとして亜門さんですかぁ?

 篠原さんの下っ端の、鈴屋什造でーす。三等でーす、よろしくお願いしますです」

 

 いや大きいですねーと笑いながら、彼は俺の周りを回る。

 何度思っても、この状況は何なんだという思考がぐるぐると俺の頭の中を回るが。まるで正気を取り戻すように、俺は思わず言った。

  

「……挨拶するのは良いが、何だそのだらしない格好は」

「ええ!? ショックです、僕変でしょうか亜門イットー」

「変じゃないところの方が少ないだろ! スーツ! ボタンは第一まで止めて、ネクタイ! ズボンは足首まで隠れるものを履け、あと職務中の相手に食べ物を強要してやるな!」

「さ、差し入れのつもりでしたですのにぃ」

 

 言葉がおかしなことになっているが、勢いがついたためか俺は止まらない。

 

「大体、何だその縫合跡。怪我してる訳でもないんだろう?」

「あー、ボディステッチですよ。おまじなです」

「ぼ、ボディ……?」

 

 困惑する俺を前に、彼は得意げに糸と針を取り出した。

 

「糸ピアスですねー。お友達に教わったんです。ほらほらこうやって」

「!」

 

 鈴屋は何一つ躊躇いなく、針を自分の皮膚に刺して貫通させ、糸を通す。

 そのまま慣れた手つきでくいくいと、糸を体に通して行く。

 

「針は殺菌してあるんで、病気は心配しないんです」

「いや、止め……ッ」

「色の付いたやつだと結構キレーなんですが、針と糸だけでお手軽にできるんですよ。ほら、キンモクセー!」

 

 ぱっと、自分の左手に出来た花を俺に見せびらかす彼。そして楽しそうに、糸切り鋏で切断。

 

「簡単にやり直しもできるんで、重宝してますよー」

「……」

 

 俺ははっきりと認識した。

 こいつは、まともじゃない。

 

 

 

 

 




什造が勝手に持って行った起動しなかったクインケは篠原さんのです、と言うとなんとなく正体がわかるかもしれません。正式登場はもうちょっと先なんです;


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#023 飼人/異種/孤読

本作オリジナル部分を除いた二人の過去がどうだったのか、詳細が知りたい方はノベライズ「昔日」で補完ください;


  

 

 

 

 

 数日後、会議室にて。

 

「……ボタンは第一まで締めろと言った。ネクタイをつけろと言った。ズボンは足首が隠れるくらいとも言った。

 だが、貴様というヤツは!!」

「あ、おはざいまーす」

 

 会議室の上座の方で、鈴屋は菓子を広げていた。

 ものすごい、ダボダボのスーツを着て。

 

 だるんと垂れた手先足先を見て、俺は思わず怒鳴った。

 

 鈴屋は何がおかしいのかまるで分かってないように頭を傾げた。重症だ、重症すぎる。だが篠原さんから下手に事情を聞いてしまったこともあり、俺も反応に困っていた。

 

「篠原さん、まだですかねー」

 

 小さい菓子袋を開封して、彼は咀嚼しながら入り口を見る。普通に振舞っているようだが、内心はどうなのかは俺には判別ができない。

 

 

 鈴屋は、SSレート”ビッグマダム”の飼い人だったらしい。飼い人とは、喰種が人間をペットのように扱って飼うこと。おおむね、まともな扱いを受ける事はない。

 そこで彼は、地獄のような毎日を送って居たらしい。ビッグマダム討伐の際に運よく救出され、その能力の高さから有馬さんのような活躍を期待されていると。

 

 だが育った環境の違いが響き、その矯正もあってアカデミーに入学。

 当たり前のように浮き、そこで篠原さんと出会ったそうだ。

 

 その後に対策局総議長の肝入りで入局。篠原さんが面倒を見ると言う事で、共にコンビを組むに至ったとのことだ。

 

「どうしました~、亜門さん」

 

 くてんと頭をかしげてこちらを見上げてくる彼に、俺は、ため息をついてから言った。

 

「会議が始まる前に着替えて来い。前の服の方がまだマシだった」

「ええ、そりゃないですよ!?」

 

 少なくとも、俺はコイツに妥協はしない。捜査官である以上は、捜査官として振舞うことを求めよう。

 それでも対応に困るところだが、そこは仕方ないと割切るべきか。

 

 と、そんなタイミングで政道が入室してきた。

 

「おはようございます! って、ジューゾーお前何だその格好。

 あと、お菓子は片付けとけよ仕事なんだし」

「政道も食べますです?」

「お? じゃそうだな、このうみゃいスティックをもらうぜ……」

「食べたから共犯です、ゴミ入れるんで捨ててきてください~」

「しまったハメられた!? お前年下だろーがおまっ」

 

 反射的なのか顔面を殴る鈴屋と、それをモロに喰らった政道。両者の力関係が一発でわかる光景だった。

 俺が手渡したティッシュを鼻に摘め、彼はとぼとぼと哀愁を背負いながらゴミを捨てに行った。

 

 少し遅れた篠原さん達が不思議そうに政道を見ていたが、ともかく。

 

「大喰いだが、この二ヶ月足取りは掴めていない。

 お引越しの可能性も考えて資料を探してもらってるところだけど、引き続き私を什造ペアで調査にあたるんでよろしく」

「ですー」

 

 篠原さんの言葉に、鈴屋は楽しそうに手を挙げた。

 法寺さんは顎をなでながら、不可思議そうに言う。

 

「美食家もここ最近活発だったのですが、ぱたりと音沙汰がありませんね。

 半月ほど休み、三日前に検査待ち捕食が一件」

「検査待ちってなんですか? まさみちー」

政道(せいどう)だっ。って、えっと……、お前知らないのか?」

「あーははは、什造はちょっと特別だからね。説明頼めるかい?」

「わかりました。

 要するに犯人かどうかの検査中ってことだ。現場に残された体液、足跡や服の繊維、赫子の分泌液とか、そーゆーのを使ってプロファイル中のものってことだな」

「ですかー。物知りですねまさみちー」

「だから、あー、それくらい知っとけっての!」

 

 鼻を押さえているため声がくぐもっている政道。篠原さんは何とも言えない表情をしていた。

 と、途端に鈴屋が首をぐりんとする。

 

「ていうか捜査もですけど篠原さんー、早く僕にもちゃんとしたクインケくださいよー、『お犬』とかでもいいですよー」

「『お犬』は許可なくやれないんだよな……。まあ、そのうちな」

「大喰いやったらくださいですよー、やくそくしましたよー!」

 

 そんな調子でミーティングが終わると、鈴屋はいの一番に駆け足で部屋を出た。政道は鼻を押さえながら法寺さんから気遣われている。

 

「いや、悪い悪い亜門。手間のかかるヤツで」

「いえ。あの、先ほど二人が話していた『お犬』とは?」

「俺のクインケだ。自走式装着型クインケ『アラタ2号』。

 遠隔操作モードの時に犬っぽくなるからって、アイツがそう呼び始めたんだ」

「アラタ……」

「そのうち目にするだろう。んー、一応3号の装着者候補に、お前も選ばれてんだぜ?」

「へ?」

 

 困惑する俺を笑いながら、篠原さんはふと中空を見上げて一言。

 

「……直感、なんだがな。真戸が言ってたか、何件も何件も見ていると、いつの間にかなんとなく来る時があるらしい」

「篠原さん……?」

「大喰いねぇ、ひょっとしたらもう死んでるんじゃないかな」

 

 彼のその一言は、なんとなくの予想であるのかもしれなかったが。

 しかし同時に、妙な説得力を持って俺の耳に届いた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 あんていく。

 今日のシフトは、僕、古間さん、西尾さんにトーカちゃん。

 

 西尾先輩はトーカちゃんから教わらなくて良いということで少しご機嫌だったりしたけど(お互い睨み合って教えるのにも時間かかったりしていた)、そんなことあんまり関係ないのが今日の状況だった。

 

「……何か、お店にくるお客少ないですね最近」

「ハト警戒してんだろ、大体喰種だしよ」

 

 椅子に座って、ちょっと上がっていたテンションを落す先輩。覚えた腕を振るう相手が居ないのは仕方ないと言うべきか。古間さんは慣れた手つきで掃除したり、椅子とかテーブルとかの配置を調整したりしていた。

 

「巣、本局の奴等は支部のとは出来が違うからなぁ。駆逐に関しちゃスペシャリストだからな」

「僕は20区より11区の動きが気になるね」

 

 古間さんがふと、真面目な顔をして僕等を見る。

 

「四方くんの話じゃ、喰種が組織的に捜査官を狩りまわってるらしいって。あっちはメインとして11区に集中させてるんじゃないかな。状況も結構物騒で、一般人もヤバいってことに気付き始めてるレベルらしい」

「それは……」

 

 今ではともかく、正直言って「喰種の世界を知らなかったら」とイフを仮定することが、僕は何度もあった。リゼさんに襲われなければというそれは、やっぱり今の状況に対するショックが大きかったからだ。自分の体の変化であって、見知った事のない物騒な世界であって、自分たちの世界がいかに脆弱だったか思い知らされるものであり。

 

 今は少し違ってきているけど、でも、やっぱり一般人が巻き込まれるのは、少し嫌に思った。

 

「芳村さんも出張続きだし、こりゃ大変な騒ぎになるかもね」

「騒ぎ?」

 

「――戦争、とか」

 

 薄く笑う古間さんの目は、全然笑っていなかった。

 

「こりゃまた僕が魔猿って呼ばれる日も近いかな?」

 

 それは、古間円児(こ”まえん”じ)だからかな?

 西尾先輩も西尾先輩で「確かに猿顔かも」みたいな表情をしている。

 

「腕が鳴るねぇ、アイツらどうしてるかな……。っと、ヘタレの餌って今日は誰だっけ」

「トーカでしょ?」

「2階行ったっきり戻ってこないね、どうしたんだろう」

「さぁ」

 

 トーカちゃん、ヘタレというか鳥と二人(?)きりで大丈夫だろうか……。

 そんなことが頭を過ぎり、幸いヒトも少なかったので僕は様子を見に行った。

 

 扉を開けると、トーカちゃんがソファに座っていた。目はどこか虚ろというか、やや半眼で下を向いている。

 ヘタレの方を見てるようでいて、視線はどこも見てはいなかった。

 

「……」

 

 この表情を、僕は知っている。

 ヒナミちゃんを守る為に戦った時。貴未さんを殺せなかった時。

 いずれも、トーカちゃんが何か葛藤しているような時の表情で。

 

 それを見ていて、たまらず僕は声をかけた。

 

「ヘタレ、食べた?」

「……んぁ? ああ、ぅん」

 

 上の空という感じのトーカちゃん。教会での一件以来、どこかトーカちゃんは上の空だ。

 

 籠の中のヘタレに視線を移して、トーカちゃんは呟く。

 

「コイツも可哀そうよね」

「?」

「籠の中で自由に飛ぶこともできないってさ。それって、不幸でしょ」

「……籠の中も窮屈なんだろうけど、外の世界もきっと大変だよ。怪我だってするし、籠の中より危険が多いかもしれない」

「なんで否定するかな」

「えぇ……?」

 

 いまいちトーカちゃんが何を求めてるかが、ぼくには判別できなかった。

 でもため息とかはつかず、彼女は地面を見て言った。

 

「――あの女、殺せなかった」

 

「……」

「鈍ってたって言い訳できないくらいに、アンタの肉でブーストかけてたのに。あまつさえ、変身までしていたのに。

 私は……」

『バカスバカスw』

「あ? んだとテメェ、油でカラっと揚げんぞオイ!」

 

 ヘタレの鳴き声を聞いて、トーカちゃんは苛立ち籠に向けて叫ぶ。というか、どうしてこうヘタレの鳴き声は……。

 

「口汚すぎんだろ、飼い主出たらぜってー殴ってやる」

 

 苛立ちながらも、トーカちゃんはやはりどこか、元気がない。

 

 少し理由を考えて、なんとなく僕はその答えに思い至った。僕だって、そう思ったのだから、きっとトーカちゃんだって思ったことだろう。

 

 

 可能性は――ありえるかもしれない、ありえたかもしれないというのは、時にものすごく残酷なことだ。

 

 

 トーカちゃんは、依子ちゃんとのつながりを脅かすものを摘んできたんだろう。その方が確かに安全で、リスクも少ない。

 失うくらいなら今までのままであって欲しいというのは、僕にだって共通する思いだ。

 

 でも、あの日、僕等は見てしまった。

 

 可能性を見てしまったんだ。人間(貴未さん)と、喰種(西尾さん)と。

 僕でさえ期待を浮かべたんだ。トーカちゃんが思わないはずなんてない。

 

 

 あんな風に、自分も受け入れてもらえたら、と。

 

 

「人間関係は化学反応、はユングだっけ」

「……あ?」

 

 半眼を返すところを、トーカちゃんは声だけで反応する。

 

 受け入れてもらいたい。でも、もし拒絶されたら。誰より手をとって欲しい相手を、自分の手で失ってしまうかもしれない。

 なんとなく高校時代の苦い思い出が浮かんできたけど、僕はそれを振り払う。

 

 一度作用しあえば、もう戻れないのが人間関係だ。

 

 気が付くと、ごくごく自然な動作でトーカちゃんの横に座り、頭を撫でていた。

 髪さらっさらだなぁ……。あと、見た感じよりふわふわしてる。

 

「……へ? あ、あ――は、はぁ!? ちょ、カネキ何やってんの!」

「……あれ? あ、ごめん」

 

 突然のことにか、トーカちゃんは顔を見たこともないくらい真っ赤にして、飛び上がる。可愛いと思ったけど、数秒後には反撃が来るだろうことは予想できたので、僕も同じように飛び退いた。

 でも、トーカちゃんは許してくれなかった。

 

 頭から離れる右手を掴み、そしてそのまま――。

 

「って、トーカちゃん?」

「……いいから、もっと」

 

 何をもっとなんでしょうか、と言うまでもなく、そのまま掴んだ手をまた自分の頭に持って行く。

 

 何だ、この状況。

 

 困惑しながらも、僕は彼女の頭をさっきより怯えながら撫でる。

 トーカちゃんは目を閉じて「ん」とか言うんだけど、いや、でも何だこの状況。何度でも繰り返し言うけれど。

 

「……なんかこう、懐かしい感じがする」

「懐かしい?」

「うん。……変なこと言うけど、お父さんみたいな」

「……」

 

 CCGに殺されたというトーカちゃんの父親。攻撃とかをせず、僕の暴挙(?)に怒らなかったのは、ひょっとしたら彼女が今求めているのが、ただ縋りたい何かだったからかもしれない。

 今までの自分を揺らされて、どうしたら良いかわからなくなっているところで。

 

 しばらくそうしてから手を話すと、トーカちゃんは立ち上がって伸びる。

 

「んん……、じゃ、私も下、戻るから」

「あ、うん。……あんまりお客来てないけどね」

「安全的にゃそーだろーケド。

 ……あ、えっと、カネキ?」

「何?」

 

 軽い感じで、トーカちゃんはさらりと言った。

 

 

「今日バイト終わったら、その、えっと……、ちょっと、付きあって」

 

 

 いつもとどこか様子の違う誘い方に、僕はらしくもなく、少しドギマギした。

 

 

 

   ※

 

 

 

 トーカちゃんの様子は、やっぱりおかしかった。

 店を出たはいいけど、どこに行くかとか全然考えてなかったらしい。だからと言って家で勉強をという感じでもなく(ヒナミちゃんに「遅れる」と連絡を入れたくらいだ)、着いた先は駅前のカラオケボックス。

 

 トーカちゃんはそのまま店内に入ろうとしていたけど、思わず僕は彼女の腕を引いた。

  

「何?」

「えっと、入るの?」

「何か文句あんの?」

「いや、えっと……、いいの?」

 

 僕が言わんとしていることを察しているのかいないのか。トーカちゃんは上の空気味に「別に」と言って、会員カードを取り出した。

 

 部屋は受付から差ほどはなれてない、扉の窓が大きめの部屋。部屋自体は小さく、荷物を置いたら結構カツカツといったところだった。

 そしてどうしてか、トーカちゃんが対面とかじゃなくて隣に座ってきた。

 

「……」

「……マイクと、機械とって」

「う、うん」

 

 何だ、この状況。

 

 僕のことなど気にせず、トーカちゃんは曲を入れる。ピアノのイントロが特徴的な、かなり耳に嫌なメロディラインの曲だ。実際歌詞も結構病んでるようで、インパクトだけは強烈だ。

 

 歌い終るとアイスコーヒーを一口。

 点数は入れてないのか、すぐ次になった。

 

「何で入れないの」

「へ? あ、うん、じゃあ……」

 

 歌はいつも通りというか、ヒデはともかくトーカちゃんにさえ「腹から声出せ」といわれる始末。そんなにかすれてないと思うんだけど、なんだろう……。

 

 その後何曲か歌ってちょっと休憩となって、ようやく僕は聞くことが出来た。

 

「で、えっと……、何でカラオケなの? 何か用事があったと思ったんだけど」

「ここでなら、声もあんま外に漏れないから、聞かれないし」

「?」

「……変なこと言うけど、笑うなよ」

 

 そう前置きすると、トーカちゃんは制服の裾をぎゅっと握った。

 

「なんかもっと、話、したかった」

「話?」

「……前にアンタ言ったじゃん。話すと気持ちが楽になるかもしれないって」

「あー、言ったね。……って、やっぱり悩みとかかな?」

「悩みって感じじゃないんだけど……。

 んー、整理が付かないから、気晴らし?」

 

 どうやらトーカちゃんも、いまいち自分が何をやりたいのか自分で判別できていないらしい。

 

 それでも、トーカちゃんは、必死に胸の奥にある何かをひねり出そうとしていた。

 

「……あの白い捜査官、覚えてる? ヒナの時の」

「真戸さんだったっけ、確か」

「名前なんて覚えてないけど。でも……、最終的に店長が助けてくれたって話、聞いてた?」

「一応は」

 

 それを聞いてから、トーカちゃんは俯く。

 どうしたの? と聞けば、ものすごく言い辛そうに言った。

 

「……正直言えば、店長が出てこなくても対処できた」

 

 満身創痍に近くはあったけど、それでもギリギリで遅れをとるほどじゃなかった、とトーカちゃん。

 

 真実なのか強がりなのかは別にして、トーカちゃんははっきり言った。

 

「あそこで捜査官を店長は殺さなかったけど――あの時点で殺しても、私はたぶん、そのことには後悔とかはなかったと思う。実際そっちの方がリスクが低いんじゃないかって、今でも思ってる。

 だけど……」

 

 逡巡。僕は何も言わず、トーカちゃんが言葉を続けるのを待った。

 

「……アイツ、家族がいた。奥さんと娘と。で、奥さんを私等に殺されてた」

「……」

 

 妙に執着というか、執念というか。一度対面していた時に感じた威圧感は、そこに端を発したものだったか。

 

「ヒナミは優しいから、あのクソヤローが自分みたいだって言って、結局殺さなくて。でも一歩間違えれば、アイツがヒナを殺してた。だから私がアイツを殺すことに躊躇はなかったんだけど……。

 なんか、自覚はしてたんだけど改めて、思っちゃった」

 

 力の抜けた笑みは、きっと、自虐が多く含まれていた。

 

「――結局、私たちは同じ穴の狢なんだなって」

 

 復讐を理由に相手を殺し、新しい復讐の連鎖を生む。そのことに自覚的であったかもしれないけど、改めて見せ付けられて自覚させられるというのは、果たしてどんな心境だったのだろう。

 

「だから、クソニシキの、あの女のこと殺せなかったのがさ、そう思うと笑えてくる」

「笑えて?」

「今更すぎるじゃん、私も、ニシキも。沢山人間も、喰種も殺してきてさ。

 でも――なんかさ、羨ましいって訳じゃないけど、抜けてんのよ、ここの辺りが」

 

 自分の胸元を握るトーカちゃんの表情は、見たこともない程に幼く、震えているようだった。

 そして、こう言うとものすごく語弊があるのかもしれないけど。僕はその表情を、知っている気がした。

 

 ひとえにそれは、寂しい、だ。

 

「……アヤトくんだっけ、弟さん」

「……うん」

「どうしてるのかとか、知らないの?」

「知らないけど……、ロクなことはやってないと思う。

 アヤトは、お父さん死でから私より荒れてたし……、人間のことなんて、全然考えてないから」

 

 続ける言葉がないトーカちゃん。僕は、あえてそのことをより聞いて見た。

 

「アヤトくんって、どんな子?」

「……? ま、まぁ、別に話すのはいいけど」

 

 いい奴だと思う、とトーカちゃんは少し笑った。

 

「でも、なんかガサツなところもあるし、全然素直じゃねーし、口より先に手足が出るし」

「……」

「あ゛? どうしたカネキ」

「イエナンデモアリマセン」

 

 じっとトーカちゃんを見たら半眼で睨まれたけど、気を取り直して。

 

「仲違いって訳じゃないけど、人間に対する考え方に違いがあんのよ。私等。元々三人でマンション住んでたんだけど、捜査官来て隣の部屋の住人が怖がって、私達を通報したりして。

 私よりも、アヤトはもっと怒りとか、そういうのを感じたんだと思う」

 

 まあお父さん生きてたら、二人揃って笑われそうだけど、とトーカちゃん。

 家族のことだからか、いっそ彼女の口は饒舌になる。

 

「周りに散々当り散らしてたのよ、昔。お父さん死んでから、二人で生きてかなきゃならなかったって話したよね」

「うん」

「だからそれこそ、二人でずっとずっと、殺して殺して、むしゃくしゃしたら殺して。後で店長が匿ってくれたり、部屋提供してくれたりしなきゃ、かなり大変だったと思う」

 

 今思えば、という口ぶりのトーカちゃん。僕は、聞きに徹する。

 

「で、ある時さ。子供とお父さんの二人の家族を、ちょっと巻き込みかけて。その子、母親も亡くしてたらしいんだけど、父親まで死にかけて。

 色々あって助かったんだけど、でも、巻き込まれた父親とか私たちのこと、CCGに一言も言わなかったのよ」

 

 だから、知りたいと思った。

 

「クソ山とかともそん時に殺りあった後なんだけど、店長から学校行かないかって勧められてさ。で、生きる上で経験にもなるし、何より興味もあったから行くようにしたの。結果は、ある意味散々だったけどね」

「散々って……」

「アヤトは人間から距離置きたがってたってのもあるけど、私はこう……。やっぱり、もう、離れられないのよ。今の生活から」

「……」

「だからやっぱり怖いのかな、私」

 

 ストローに口を付け、トーカちゃんは力なくため息をついた。

 

「……まあ、アヤトと一緒にあのマンションから逃げる時、拾って看病してた鳥、右目突いてきたっけ」

「……あれ、ひょっとしてその髪型ってそのせいなのかな」

 

 もしかしないでも、嫌な記憶と絡み合ってトラウマみたいになっているのかもしれない。

 トーカちゃんは、んー、と伸びをして僕の顔を見た。

 

「で、私なんでこんな話してんだっけ。

 っていうか、私ばっか話させて、なんかアレ」

「アレ?」

「アンタも話せ」

 

 少しだけ調子を取り戻しながら、トーカちゃんは悪戯っぽく僕に笑いかける。

 

「話せと言われても、何話したら……」

「んじゃあ、彼女居たって話」

「へ? あー、うん。そんなに大した話じゃないんだけど……」

 

 これは本当に、全然大した話じゃない。ヒデとか高校に入った面子で合コンもどきみたいなことをして、そこでたまたま知り合った女の子と、半年くらい付き合ったみたいな感じになったってだけだ。

 ちなみに最後の最後で振られている。

 

「振られたって言っても、何かないわけ?」

「んー、その子……、死んじゃったからね」

「え……」

「連絡来たのは結構後だったんだけど、丁度別れた後くらいに。元々病弱だったし、ひょっとしたら死期でも悟ってたんじゃ、と思ったりもするんだけどね。……本当に、川上さん」

 

 僕と一緒で本が好きで、タイプで言うと変貌? する前のリゼさんをもっと気弱にした感じと言うべきか。

 結構馬が合っていたことは、記憶に残っている。

 

 何かしてあげられなかった、ということも同時に、強く記憶に残っている。

 

 そして、ふと思い出したことがあった。

 

「丁度振られた前後かな。高校二年生くらいの時なんだけど。

 父さんの形見の本とか、僕の持ってたもの全部伯母さんに捨てられかけた時があってさ」

「……は?」

「結構本気で。言ってなかったっけ。僕、父さんが元々読書好きだったみたいでさ。物心ついたころは本に囲まれてて、気が付けば本が好きって感じだったからさ。

 だから、まあ、伯母さんが母さんへのあてつけみたいに僕に当るのはいつものことだったんだけど、そのことだけは、すごくショックが大きくてさ」

「だ、大丈夫だったの? それ、アンタ」

 

 トーカちゃんがすごく心配した表情になり、僕に上目遣いをする。

 大丈夫と僕は笑い返した。

 

「ヒデが機転を利かせたりして、色々手をつくしてなんとか、かな。

 今は一人暮らし中なんだけど、六割くらい厳選してこっちの家に持って来てる感じなんだよね」

「それ、また捨てられるんじゃ……」

「五、六年くらいはストックできるように、ヒデが色々やったんだよね。

 まあ、実際それくらい出来るかは怪しいと思うけど」

「……その頃、社会人ってことか」

「うん」

 

 そうすればもう、実家に縛られることもなくなるだろう。あの一件以来、ますます浅岡家の人は僕に関わってこなくなった。必要な書類とか、学費は親の資産から出してくれているだけ、まだ温情があると言うべきなのかもしれない。

 

 でも、少なからずヒデはいつまでもヒデらしくて。

 やっぱり、ああいう時は本当に友達ってすごいと思った。

 

 トーカちゃんはじっと僕の目を見て、はぁとため息。

 

「……何かな?」

「いや、何ていうか……。アンタのそれ、ちょっと、自信とかなさすぎじゃない? 自分に」

「自信?」

 

 うんうん、と頷くトーカちゃん。

 

「オドオドしてると思ったら、そうでもなかったし。優柔不断かと思ったら、思いきるところは思い切りが良いし。何なんだろとちょっと考えたけど、やっぱりそうじゃないの?」

「何が……?」

「アンタ、自分を軽く見すぎ」

 

 トーカちゃんは、僕の額に人差し指を付きつける。指先がちょっとひんやりしていた。

 

「アンタが居て、少しは気持ちが救われた奴だって、結構いるのよ。

 ヒナミとか、店長とか、あと……、私とか」

「……」

 

 西尾先輩にも、そんなこと言われたっけ。

 でも、僕は別に自信がないとか、そういう訳じゃ――。

 

 結局この後、貴未さんから貰ったトーカちゃんへのプレゼントの髪留めを手渡したりもしたけど。

 

 トーカちゃんが元気になる以上に、僕は何か、自分が避けているようなことを突きつけられたような気がした。

 

 

 

 

 



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#024 距離/万丈

 

 

 

 

 

「……また死体だ」

 

 20区の外の様子は、特にこの11区は思っていたよりも更に酷いものだった。

 人間も、喰種も、殺し殺され。絶対数的には喰種が優勢のように見えるが、リゼくんが引っ越してからさほど過激でなかった11区だ。捜査官たちの傾向を見ても、それが窺い知れた。

 

 もし本局が本気で潰しにかかれば、きっとかなりの数が潰し合うことになるだろう。

 

 今更胸を痛めても遅いが、やはり、私の脳裏には嫌な情景が思い浮かぶ。

 

「中東の戦場を思い出すな……。

 四方くん、彼等の情報は集ったかい?」

「はい。一人捕らえて吐かせました。

 奴等はやはり”アオギリの樹”です」

「構成員は?」

「不明ですが、以前よりも爆発的に拡大しているところだと。

 それから――率いるは”隻眼の王”だと」

「……そうか」

 

 今は亡き笑顔と後悔。胸を焼くこの炎は、どうしても私を只の喰種として居させてはくれないらしい。

 腰に装着しているドライバーを撫でながら、私は気を引き閉めた。

 

「……どこまで言うことかはわかりませんが、アイツは――」

「――”王”というからには、違うのだろう。あの子は……、いや、それは構わない。

 急いで戻ろう、あんていくへ」

 

 今まで集めた情報と、浮かぶ予測が正しければ。

 

「カネキくんが危ないかもしれない。……まったく、リゼくんも大きな土産を残してくれたものだ」

『――()(カク)ッ! 赫者(オーバー)!』

 

 全身に管のようなものが張り巡らされる感覚も、一体どれほどの回数を重ねたことか。既に痛みという概念を通過して、日常の一部となっている。

 

 そこから私は意図的に、より強く念じて全身を被う赫子を、鳥の形のようにして分け。

 愛車のV-MAXにそれを纏わせることで、四方くん曰くの「マシン・バトルオウル」が出来上がる。

 

「乗りなさい、四方くん」

「失礼します」

 

 私の後ろに腰を下ろし、赫子を用いて固定。

 手を回さず、四方くんはバトルオウルの後ろにあるグリップを握った。

 

「飛ばすから、しっかり掴まってなさい」

 

 そしてバトルオウルをウィリーさせ、背部のショートウィングを展開。

 前輪が落ちる勢いに任せて、急加速を付けて夕暮れを疾走した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 トーカちゃんと二人きりだ。

 ……今日のシフトは、トーカちゃんと二人きりだ。何度でも言う、トーカちゃんと二人きりだ。

 

 別にそのことは問題じゃない。些細な話だ。今まで何度かないわけじゃなかったし、あんていくでも付き合いが一番長いのはトーカちゃんな訳で、むしろ睨まれるのにも慣れ親しんだ感じさえする。

 

 なのに、いや、だからこそ。

 

 僕経由であげた貴未さんからのプレゼントの髪留めを付けて、ちらちらと僕の方を見られても困る。

 

「……、な、何?」

「……別にッ」

 

 今にも舌打ちしそうな、でもそれでいて何かそわそわするような、そんな顔は止めて欲しい。ちょっと、対応に困るというか。西尾先輩経由のせいか、兎をデフォルメしたような髪留めは、トーカちゃん的にストライクなものだったのかもしれないけど。

 でも、そわそわしてるのって、ちょっと……。

 

 まさかとは思うけど、僕にに感想を求めてるのだろうか。

 

「何か一言くらいあっても良いだろ……」

 

 ぼそっと耳に入った一言で、ますます僕は困惑した。いやさ、だって、えっと……。言ったら言ったでまた睨まれそうな予感もするし、仮にここで逆に顔を真っ赤にされたりしたら、もっと困る。

 

 いや、えっと、もう正直に認めようか。

 ストライクゾーンからちょっと外れてるし、年齢的に引いてる部分もあるけど、ヒデが言うようにトーカちゃんは普通に可愛いのだ。

 

 そんな彼女が、そんな素直になれない小さな女の子みたいな、情緒溢れるリアクションをされでもしたら、はっきり言って照れる。尋常じゃないくらい照れるし、慌てる。

 

 まぁでも、ここ最近揺れてたのと比べたら、今みたいな感じの方がまだ健全なのかもしれないけど……。

 さて、どうしたものか。

 

 そんなことを考えてると、不意にトーカちゃんの口元が。

 

「……トーカちゃん、涎出てる」

「……ふぇ? あ? え――ッ! わ、わわわッ!」

「あ、慌てると危ないって」

 

 僕の一言に、慌てて口を拭おうとしたトーカちゃん。カップを洗っていたこともあって、手元からぽろりと零れそうになる。

 

 慌てて僕も彼女の手をとり、とりあえず落ち着けた。

 ティッシュを胸ポケットから取り出して、羞恥に震える彼女の口元を拭う。

 

「どうしたの? なんかぼーっとしてたみたいだけど」

「えっと……」

 

 非常に言い辛そうなトーカちゃんだったけど、観念したみたいに彼女は言った。

 

「……あ、あのさ」

「ん?」

「出来たらでいいんだけど、舐めさせて」

「……………………………………………………………………へ?」

 

 数秒、彼女の言っている言葉の意味が僕は理解できなかった。

 トーカちゃんはカップを戻し、手を洗いながら言った。

 

「変なことじゃないから。だから、その……指とか、舐めてもいい?」

「いや、あの、ごめん言ってることがよく分からないんですが……」

 

 彼女は照れたように少し俯いた。

 

「……なんか不意に、アンタの味を思い出したら、その……」

「……そんな、月山さんみたいなこと言われましても」

 

 思わず敬語になる僕。味って、アレだよね。月山さんと戦ってた時に、エネルギーを供給する為に僕の肉を一部食べたアレだよね。

 冗談抜きで、今でも少し歯型が肩に残ってるのだよね。

 

「ウマかった」

「……あの、トーカちゃん?」

「死なないんだったら、それこそ骨までしゃぶりつくすくらいウマかった」

「そんなカミングアウトされましても!?」

「す、好きでこんなこと言ってるんじゃねーよ、バーカ!」

 

 うがー、と歯をむき出して叫ぶトーカちゃん。店内に人がいなくてこれほど良かったと思う日も珍しい。

 

 食べなくてもいいから、とトーカちゃんは言う。

 

「だからその、味? 少しだけでいいから、その……。なんか気になって、仕事になんないのよ」

「えっと、それ傍から見ると大分はしたない行為に見えない?」

 

「「……」」

 

 しばらく押し黙る僕等。バイト中というか仕事中というか、なのに何をやってるんだろうと思わないでもない。

 

 なんだ、この状況。

 

 最近トーカちゃんはおかしいけど、直のこと今日とか、この間とかはおかしかった。突如カラオケに連れ込まれて悩み相談みたいなことをしたり、ぶらっと一緒に本屋に行くぞと命令されたり。

 

 と、トーカちゃんは逡巡した後、上目遣いに言う。

 

「だ、駄目?」

「……」

 

 えっと……。何だろう、この、僕が悪いみたいな感じ。無下に断り辛い。

 

「……指だけだよね」

「……ん」

 

 とりあえず首肯したので、かなりの葛藤の末、僕は躊躇いがちに右手を差し出した。

 

「最初からこうしてりゃいいんだよ、バカネキ」

 

 なんかいつもと違う罵倒のされ方だ。でも、声に威圧感が全然ない。

 半眼のまま、トーカちゃんは僕の手をとって、人差し指を軽く握る。

 

 そしてそのまま目を閉じて、自分の口元へ。

 

「……」

 

 何なんだこの状況。っていうか、何? 大丈夫か僕!?

 いやいや、これってかなり危ない光景なんじゃないかと今更ながらに気付いた。人のこと言ってられない、どうしたんだ僕はッ。

 嗚呼そしてトーカちゃんの唇が、このまま行けば僕の爪と指を上下から挟むというか、口内の舌が恐る恐る前に出てくるような――。

 

 そんなタイミングで、丁度あんていくの扉が開かれた。

 

「うあああああああああああッ!」

「い、いらっしゃいませええッ!」

 

「あ、あ?」

 

 来店した男性は、トーカちゃんの叫びと慌てた僕の応対とが入り交じった声を聞き、困惑した表情を浮かべた。

 

 大きな身長、渦を巻くような特徴的なヒゲ。見た目は柄の悪そうなイメージこそあるけど、体格はそこまでケンカ慣れしてるというか、顔のイメージよりは細かった。

 トーカちゃんは深呼吸を繰り返す。

 僕は一足先に立ち直ったので、改めて「いらっしゃいませ」と言い直した。

 

「……店長はいるか?」

 

 ずい、と彼は一歩踏み出し、僕等を見下ろす。

 と、見れば彼の後ろに数人、フードとガスマスクめいた仮面を被った人達が――。

 

 不審に思いながらも、一応僕は応対した。

  

「店長は、今は留守ですが――」

「何だと? じゃあ話が聞け……!? ア!!?」

 

 彼はトーカちゃんを見て、驚いたような声を上げた。

 

「あの、用事があんなら珈琲一杯くらい出しますよ、お客さん」

「……い、いや女か……。アイツな訳ねーよな」

「?」

 

 声を聞いて、しかし彼は何か落ち着いたように深呼吸。

 用事があるなら店長に伝えましょうか、と聞くと、彼は「いや、いい」と断った。

 

「……聞きたい事があるんだ、アンタらにも」

 

 そして、彼の言葉にぼくは目を見開いた。

 

「お前たち――神代リゼって喰種を知ってるか?」

「!」

 

 この人、一体……。まさかこのタイミングでリゼさんの名前を聞くことになるとは。

 ちらりとトーカちゃんを見ると、彼女は自分の目元に指をやる。

 

 ということは、目を確認するというジェスチャーをするということは――。

 

「……奥で話聞くわ。ついてきて」

 

 そう言って彼女は、外の扉を「close」にした。

 

 

 

「とりあえず”眼”を見せて」

 

 2階にて、トーカちゃんの確認に彼は両目を瞑り、深呼吸。

 開いた双眸は間違いなく赫眼の色をしていた。

 

「俺はバンジョーだ。リゼさんとは11区で一緒だった」

「11区――」

 

 ニュースで取り上げられていたところだ。

 リゼさんはそこに居たのか――。

 

「んで、何でリゼ探してんの?」

「! 知ってんのかリゼさん! そうか……」

 

 拳を握りながら、バンジョーさんはほっと一安心といった表情を浮かべる。

 この人、ひょっとしてリゼさんの知り合いなのだろうか。でも、それにしては情報が遅いというか……、いや、区を跨ぐとまた事情が違うのだろうか。

 

 歓喜を浮かべる彼は、リゼさんがもう居ないとまるで知らないようで。

 

「で、リゼさんは今どこに……?」

 

 そして、その視線が僕にロックオンされた。

 はい?

 

「あのー ……」

 

 顔を近づけて来て、バンジョーさんは切羽詰った表情で僕の臭いを嗅ぐ。 

 月山さんといい、どうして喰種は僕の臭いを嗅ぐのか……。

 

 だけど、そう軽く考えていたのが、ちょっと警戒不足だった。

 

 彼はギロリと僕を睨むと、襟首を掴んで持ち上げた。

 

「何でテメェから、リゼさんの臭いがすんだ……?」

「へ!?」

 

 リゼさんの臭い? いや、そういえば確かに僕の臭いは喰種のものではなかったか。

 いや、しかしそれにしても……、明確にリゼさんの臓器(もの)と断定され、僕はどうしてか慌てた。

 

「ちょっと、店で暴れんな!」「バンジョーさん、落ち着いて落ち着いて!」

 

 トーカちゃんと、彼の仲間の一人が叫ぶ。

 それを背に受けながら、どうしてだろう、バンジョーさんはぷるぷると震えた。

 

「……なのか?」

「は、はい……?」

 

 そして、僕の顔に向けて、思いっきり全力で彼は叫んだ。

 

 

「リゼさんの男なのかッ!!」

 

 

「へ……?」

「……」「「「……」」」

 

 僕以下、全員の時間が止まった。

 えっと、どうしよう。片思いとはいえ恋慕していた僕だ、なんかわかんないけど後ろめたい気持ちが湧きあがる。

 

「いや、あの、僕、彼女とは全然そんなんじゃ――」

「か、”カノジョ”ォォォォォォォォォォォォォォォォ――ッ!?!?」

 

 バンジョーさん魂の叫び。

 違いますと連呼しても、錯乱して拳を振り上げた彼の耳には届いていない。

 

「あ゛? んな訳ねーだろ」

 

 そこで何でトーカちゃんが忌々しそうに言うのか。

 

 反射的に僕は彼の腕を受けて、回転し、受け流すようにしながらエルボーを首の裏側に一撃。

 ぐぇ、みたいな声を上げて倒れる彼に、僕は慌てた。ついトーカちゃんとか、四方さんとかの訓練の感覚が出てきてしまったけど――。

 

「あ、あの、すみません、大丈夫です……、か?」

 

 そして、床に倒れたバンジョーさん。

 

 微動だにせず、真顔のまま倒れていた。伸びてる……。

 

『やっぱりかー』『ホント弱いのに……』『すみません、ウチのリーダーが』

「よわ。……いつもこんなん?」

『まあ、大体』

 

 仲間の人達の声も、どこか慣れたような口ぶりだった。

 

 

 




今回打ってて思った。こいつらもう付き合ってるんじゃないかな;




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#025 講義/勅令/強奪

 

 

 

 

 

「さっき発見された遺体、喰種だった訳だけど全部で200以上のパーツにブロック解体されてたけど。

 お前だろ? 什造」

「……わかるです?」

「有馬と一緒のモグラ叩きの時、嫌と言うほど君のやり方は見てんのよ。

 『喰種対策法』13条2項!」

「えっと、『目が赤くなったら喰種』であります!」

「違う、0点! それ12条! 13条は我々の心構えの話だ。

 一つ、住人の安全を捜査官は最優先に任にあたるべし。

 そして二項は、”喰種に対して必要以上の痛みを与える事は禁ずる”」

「なんでですかー? 篠原さん」

「相手が何であれ、それを破るのは人間としてどうよって話だ。まぁ、現場じゃ一番軽視されてるのも事実なんだけどね。

 でも、バラバラにしてたらお前のクインケ、いつまで経っても作れないぞ?」

「ええ!? どげんかせんと!!?」

「何言ってるかわかんないが……。クインケの材料は覚えてるか?」

「喰種の赫子ですー」

「そう。だから、コイツが出せない状況まで追い込んじゃダメ」

「んー、でもアレってどっこから出てくるかさっぱりですよねー」

「普通にアカデミー出てれば常識なんだけど……、まぁ、仕方ないか。先生が特別講義してあげよう」

「寝そう」

「起きれ。

 で、そも赫子ってのは何なのか。こいつの正体は、喰種の血液と混じった"Rc細胞"。液状の、滅茶苦茶硬度が強い筋肉みたいなもんだ。繊維全部が鋼鉄のワイヤーで編んだようなもんだ」

「硬そうですー」

「通常、喰種は人間を食べる事で、人体にあるRc細胞を補給する。人体そのものをバラバラにして自分の体も作るけど、一番重要なのはこれだ。

 で蓄えたこれは、赫胞って臓器(ヽヽ)に蓄積される。

 それを意識的にか、もしくは本能的にか外部に放出することで、赫子にする。

 後はわかるな」

「硬くなったり、うにょうにょしながらですねー。じゃあ、お目目も?」

「ん、まぁRc細胞が左様する訳だな。

 で、クインケはこの赫胞を加工して電気信号で操る装置な訳だから、赫胞を壊されればアウト。

 浸透している血液を認証させないと動かないから、赫眼も必要になってくるって訳だ」

「なんでおめめ?」

「目も神経だし、脳の一部って言えなくもないからかな? 詳しくは専門的すぎてわからん。まともかく、これの種類が分かれば赫胞がどこにあるのかもわかるぞ?」

「ふぇ?」

「肩から出て、主に”ハネ”のように拡散するのが『羽赫』。

 肩甲骨の下あたりから出て、金属みたいに硬いのが『甲赫』。

 腰らへんから出て、ウロコをまとった触手みたいなのが『鱗赫』。

 尾骶骨あたりから出て、主に”シッポ”みたいに突き出してるのが『尾赫』だ。

 強弱は相性。上から下に行って、一番下からまた上に行く感じだね」

「じゃ、僕のこれサソリもおしりあたりから出てたんですね」

「そう。もっと細かい話もしたいが……覚えてられるか?」

「上から下に行って、ループするの以外は忘れました」

「……ま、実戦重ねてけば嫌でも覚えるよ。ちなみに、それぞれ相性が良い相手に対しては、Rc細胞から分泌されるそれは特別、強い毒性を持つらしい」

「んー ……、なんで、喰種同士で優劣なんてあるんですかねぇ? ヘンじゃないですかー」

「そりゃ、結構簡単。

 喰種ってのは、お互いに争うためにそれを使っているからだね」

「へぇ~」

「……アイツらは、いわばお互いでさえ殺し合うように出来てんのさ。

 流石にそれは、ちょっと可哀そうに思う」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「あらヤクモ、美味しいわねここのコーヒー」

「だな。……って、そっちで呼ぶな」

 

 やって来た客に珈琲をそれぞれ置いて、私は上の方を気にする。

 カネキに一撃でノされて、ソファで寝ながらあの大男、リゼがどうのとうわ言のように魘されていた。

 

『それほど会いたいんですねぇ……』

『そうッスね。でも、どうして会いたいかは私らも教えられちゃいないッス。

 でもリーダー、それは別にリゼさんに惚れてたッスから』

『ああ……』

 

 なんとなく、それを「でしょうね」みたいな顔で苦笑いを浮かべるカネキに、意味もなくイラっと来たけど、それは流石に押さえた。

 

『イケイケで押したらボコボコにされてましたし、全然相手されてなかったッスけど』

『あ、あはは……』『……』

 

 何、そういう趣味?

 それはともかく仲間の彼女によれば、11区でもリゼはルールなど何処吹く風に喰い荒らしていたらしい。それを粛清に来た11区リーダーとか全部殺しまくったりして、滅茶苦茶やってたのもらしいと言えばらしい。

 

 で、そんなリゼを見てこのバンジョーとか言うのは、生きる自信を貰ったとかで憧れていたとか何とか。

 

 リゼが11区を去る時に、テキトーな感じで鼓舞したらしいんだけど、それを真に受けて「俺が任されたんだ!」と元気に仕切ってた。

 

 それが、ここのところの11区の事件じゃないけど、余所から来た奴等に乗っ取られて、そいつらに従ってるらしい。

 

『リゼさん連れてくるってのも、そいつらからの命令なんですよねー。

 ただバンジョーさん、それ以外にも何か目的があるような、ないような』

『……カネキ、どうするかアンタ決めな?』

 

 私は別にリゼと因縁がある訳でもない。でも、カネキは違う。間違いなくカネキをこっちに引きこんだのはリゼで、あの日、もし私が店長に連絡するだけじゃなく、後を付けていったりしたら、もっと別な展開になったかもしれなくて――。

 

 そんなこと、口が裂けても私は言わない。いや、もう言えない。

 なんだかんだで、カネキも居る今が、そこまで嫌いになれない私だった。

 

 だから、私はカネキに聞いた。

 

 カネキは一度頷き。

 

『僕は……、この人と話してみたい』

 

 そう言って、看病を始めた。

 

 

 

 

 

 

『ヘタレ! ヘタリスト! ヘタレクション!』

「……ぅあ?」

 

 ぱちりと目を開けたバンジョーさんは、突然のヘタレの鳴き声に困惑しながら身を起こした。

 角砂糖を溶かした水を持って、僕は彼の方に。

 

「これどうぞ。

 えっと、大丈夫ですか? 別な部屋で寝てもらいたかったんですけど、ベッド小さすぎて……。身体、大きいですね」

「……あー?」

 

 まだ寝ぼけているのか、バンジョーさんは少し混乱しているみたいだ。

 さっきはすみませんでしたと、僕は頭を下げた。

 

「ちょっと、最近色々立て込んでたものだから、つい反射的にやっちゃって……」

「……アンタ、名前なんて言うんだ?」

「へ? えっと、カネキです。金木、研」

「カネキは強ぇな、見た目と違って……。あの人が選んだのも、そーゆーところかもな」

「えっと……」

 

 どうやら彼の中では、あの会話の直後そのままで今起きたところのようだ。状況判断した結果、盛大に誤解されているらしい。

 

「確か言ってたな。好みのタイプで、なよっとしてて、本とか似合いそうで、でも決して弱いだけじゃないって」

「……」

 

 その好みのタイプって、一体どういう意味での好みだったのだろう。最後のはともかくとして、途中までな結構僕に当てはまってる気がするのは気のせいじゃないと思う。

 違いますと先に言ってから、僕は否定に入った。

 

「リゼさんとは別に、そういう仲じゃ……。本の話したりするくらいで、全然」

「……そう、なのか?

 いや、だったら、すまねぇ!!」

「ええ!?」

 

 がば、とソファの上で土下座するバンジョーさん。

 

「悪かった! 俺も気がてんどうしてた!」

「いや、あの、それ動転ですから!」

「どうてんしてた! こっちも頭に血が上って……、よく考えてみれば、リゼさんともちょっと違うみたいだ。

 悪かった、この通りだ!」

「あの、頭を上げてくださいって」

「いーや! こーしねーと俺の気が済まねぇ!」

 

 とてもじゃないけど、僕だって目の前で土下座された相手に対して、どうしたらいいかなんて分からない。でも、咄嗟にこうして頭を下げて謝るこの人に、僕は悪感情を抱けそうにない。

 月山さんの時みたいな一例もあるから、安易に警戒は解けないけど、それでもやっぱり、話してみたいという思いに変わりはなかった。

 

「で、リゼさんは何処に……?」

「……もう、ここには居ないです」

 

 決して嘘という訳じゃないけど、でも、そうとしか言い様がない。

 顎を撫でながら、僕はバンジョーさんにそう言う。

 

 バンジョーさんは少し気落ちしたような声を出したけど、でも、気を取り直して僕の方を見た。

 

「そうか、あの人も気まぐれだしな……。

 じゃあ、頼むカネキ。どっかでリゼさんに会ったら、伝えといてくれ」

「伝える?」

 

 そして、バンジョーさんは言った。

 

「――『遠くに逃げてくれ』って」

「……に、げる?」

 

 ああ、とバンジョーさんは俯きながら言った。

 

「11区は前まで俺が仕切ってたんだ。でも、今は違う。

 アオギリとかいう組織が乗り込んで来たんだ。一度は立ち向かったんだが、成す術もなく屈服させられた。

 奴等はその後、ハトどもを狩り始めた。最初は無茶だと思ったんだが、どんどん数を減らしていって……、このまま北上して、いずれは東京中の奴等を潰していくらしい」

「……!」

「リーダーらしいのが、血も涙もない奴らしい。そいつがリゼさんを探してるって言うんだ、酷い目に合わせられるかもしれねぇ。

 いずれこっちにも来るかもしれな――」

 

 話してる途中のバンジョーさんだったけど、僕は、どうしてか彼の腕を引き、窓の側に立ち。

 

「――お?」

「――ッ」

 

 窓を割って乱入して来た「少年」の足蹴りを、腕で庇った。

 

 みしみしという音と痛みが走る。ヒビくらいは入ったかもしれない。

 でも庇うのは後だ。彼を押すようにしながら、僕は背後に距離をとった。

 

「……おしゃべりバンジョーイタぶってやろうと思ったけど、へぇ、てめぇ悪くねぇじゃん」

「……君は、」

 

 黒服にそこそこ長い髪。嗜虐的なそれが見え隠れする微笑は、視線で明らかにこちらを見下すようなもの。

 その口ぶりには覚えがあり、立ち姿の堂々とした所作に覚えがあり。

 

 なにより、僕は彼の顔立ちに見覚えがあった。

 

「アヤト……ッ」

「! じゃ、じゃあ君、トーカちゃんの」

「あ゛?」

 

 ぎろりと僕を睨む彼、アヤトくん。

 名前、仕草、何から何までトーカちゃんとだぶるそれは、間違いなくトーカちゃんの言ってた、今どこで何してるかわからない弟君なんだろう。

 

「あ、アヤトさん何で――」

「スマホ出ねぇからだろ、バカか。

 だからわざわざ俺様が出張ってやったんだろ? わーったかバカ三人」

 

 隣から駆けつけた仲間三人を罵るアヤトくん。なんと罵倒の方向性までそっくりだった。

 

 ヒビの入った腕を押さえながら、僕はアヤトくんを見る。

 

「で、リゼは居たのか……? あ? 何だ?」

「……」

 

 ものすごい表情で睨んでくるアヤトくん。僕は、どうしてか身が震える。

 見知った顔に近いものが、ほとんど見ないような表情を向けているのが、どうしてか必要以上に怖い。

 

 ただ、それでも僕は彼から目を離せない。どこかその雰囲気が、貴未さんに庇われている前の西尾先輩を想起させたからだ。

 

 何をされるか、わからないという感覚。

 

「……クソ、何だ」

 

 頭をガリガリ搔きながら、アヤトくんは僕から一瞬目を逸らした。

 

 丁度そのタイミングで。

 

「ちょっと、何騒いで――ッ!!」

 

 トーカちゃんが、この場に現れた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「アヤト……」

「久々じゃねーか、バカ姉貴」

 

 アヤトは私に、嘲るような笑みを向けた。

 

 カネキと変な男で何かあったのかと駆けつけて見れば、割れた窓ガラスに腕を押さえたカネキと、アヤト。

 

「……どこをほっつき歩いてたんだ、クソ」

「社会勉強だよ、”喰種”らしくな。バカ」

 

 ガキが偉そうに何言ってんだ、という私に、現実見てないガキはテメェだろと言うアヤト。

 そして、私の背後から二人分の声が聞こえた。

 

「あら~ンン? お姉様が居るって聞いてたけど、店員の子だったとはネ。

 二人揃って美形だなんて、ちょとジェラちゃう♪」

「押さえろニコ、締まらない。

 やあアヤくん、待ってたよ」

 

 下に居た客だ。驚いて後ろをちらりと見る私。大柄な体躯の白いスーツの男と、長身だけどひょろくて、顎の割れてるオッサン。口調からしてオネェか。

 

「チッ、先に来てたのかよヤモリ」

「ニコの鼻が効くからね。頼んだんだよ」

「そうよ~、私、尽くす女なの。だから一回くらい抱いて――」

「その趣味はない」

 

 どす、と軽くオッサンにチョップを入れる大男。

 バンジョーとか言った奴は、困惑しながら言う。

 

「なんで二人まで……ッ、リゼさんは居ねぇし、あんたら来ても意味なんて――」

「ニコは、リゼの臭いを辿ってきたんだ。この意味わかるかい?」

「そうよーヒゲマッチョボーィ」

 

 ヤモリとか言われた大男は、軽く笑った。

 

「――対象はリゼ本人か、『リゼの臭いがするヤツ』だ」

「「!!」」

 

 私は咄嗟にカネキを見た。

 カネキは、驚きながらもいつかの様に、何か怯えたような雰囲気で――。

 

 咄嗟に私はカネキの後ろに回り、少しだけ背をくっつけた。

 

「あら、仲良しさんね♡」

「連れ帰る? 何勝手なこと言って――ッ!?」

「トーカちゃん!」

 

 私の言葉を待たず、大男は私の肩を殴り飛ばした。思っていた以上の威力で、骨とかは折れなかったけどぶっ飛ばされる。

 

 倒れた先で見えなかったけど、続いて聞こえたのはカネキのうめき声だ。

 

Power is Law(力は法なり)

 勝手に振舞えるのは、強者の特権だよ?」

「――ッ」

「ん、悪くない。さて――」

 

 上体を起した私の視界に入って来たのは、壁にヒビが入るくらい強く叩きつけられたカネキだった。

 

「――カネキ!」

 

「大人しくしてれば、あんまり危害は加えないよ。俺は優しい上司で通ってるんだ――ぉ、彼の言う通りだ」

「!!」

「隻眼ッ?」

 

 カネキが片方だけ赫眼を開き、ヤモリに殴りかかる。

 ひらりと交わしたヤモリに、カネキはそのままソファーの方へ追突。

 

 背後から敵の赫子が、カネキの背中を貫いた。

 

「この――ッ」

 

 飛びかかる私の前に、アヤトが現れる。

 どけ、と叫びながら赫子を開き、殴ろうとした。

 

「弱ぇ。バカ親父とダブる」

 

 言いながら、アヤトも背中の両方から赫子を開く。

 その言葉に、言わんとしているニュアンスに気付かない私じゃなかった。

 

「父さんは、私らのために戦ってたんだ……、なんでわかんないんだ――!」

 

 私の一撃を流して、アヤトは私の身体を切り裂く。

 

「親父もお袋も死んだ。

 ”弱い”からだ。弱かったら何が守れる。誰が守れる」

 

 アヤトは私に指を突きつけて。

 

「――お前の"羽根"じゃ、何処へも飛べない。

 俺は違う。ゴミ共に、俺達が上だってわからせてやる」

 

 地べたに這いつくばってろ、とだけ言って、私の腹を一度蹴った。

 

「アヤト……、カネキ……ッ」

 

 蹲りながらも、私は、二人の方に手を伸ばす。

 アヤトはそんな私を見て、なんだろう、さっきまでと何か違う表情を浮かべた。

 

 そのまま私と、ぐらぐらしてるカネキの顔を見て。

 

「……やり辛ぇ」

 

 それだけ聞いて、私の意識は遠退いた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 次に気を取り戻した時は、すっかり外は真っ暗になっていた。

 ヘタレの鳴き声が聞こえる。まるで私を、なさけないと罵っているように。

 

 身を起こしながら、でも、立ち上がれない。

 

 そんなタイミングで、階段から音が聞こえる。ゆったりとした足音には、聞き覚えがあった。

 

「……てん、ちょう」

 

 四方さんと店長が、二階に上がってきた。

 

「……カネキくんは、連れて行かれたんだね」

「……」

 

 頷くしか出来ない自分が、情けなくて。

 どうしてか、胸のあたりに感じる飢餓感みたいなものが、より一層強くなった気がした。

 

 四方さんと店長が少し話をして、私を抱き起こす。

 

「……しばらく、『あんていく』は休業だね」

 

 それだけを、芳村さんは苦い顔をして言った。

 

 

 

 

 



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#026 青桐/愚策

 

 

 

『――11区の捜査範囲は拡大し、喰種の組織の特定に急いでおります。

 実際に死傷者が多数出ておりますので、立ち入り禁止区画は決して、興味本位に立ち入らないようお願いします。えっと、先ほど入りましたニュースによりますと――』

 

「……」

 

 連日報道されているワイドショー。俺はそれを見つつ、PCの画面を見る。

 以前使った発信機からのデータを編集し、検証。地図情報を兼ねて確認する。

 

「……あぁ」

 

 スマホの画面を見ても、やはり何も変わらない。

 

「こーゆー時、俺の勘よく当るんだよなぁ。

 ……メールくらい返せよな、カネキ」

 

 数日間、学校で姿を見ない友人のことを思いながら、俺はある相手に連絡をとった。

 

「……すみません、えっと、三晃さん?」

『あら、永近君。こんばんわ』

 

 相手は気軽に出てきた。と、声がどこか反射してるというか、篭っているというか。

 

『何か用かしら?』

「あの、今忙しかったり?」

『まあ、確かに今お風呂だけど』

「……」

『永近君、不思議なことに私、今あなたにすごく会いたいわ』

「逢引の誘いなら良かったですけど、合挽きされそうなんでご勘弁」

『上手い事言って誤魔化すのは止めなさい』

 

 スミマセンと謝り倒すと、彼女はくすりと笑った。

 

『で、用事は何かしら?』

「少し相談っていうか、情報が欲しいというか」

『なら、永近君も何某か対価を考えなさい』

 

 彼女から何を要求されるかということは別にして、俺は今、自分がしていたことをまず手始めに話し始めた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……つか、まえた」

「ん? ――ッ!」

 

 腹部の激痛を押さえながら、僕は背後にドライバーを投げ装着させる。

 そのままレバーを落とすと、ヤモリは叫びながら僕から離れた。

 

「な、な、な――ッ! ああああああああああッ!」

「何やってんのよ、ヤモリ」

 

 痛みで意識が朦朧として、既に立ち上がる気力さえ湧かない。でも、少なくともすぐさま攻撃されはしないだろう。

 隣に居た男性がドライバーを解除して、そのまま倒れたヤモリに手渡した。

 

「全く仕様がないわねぇ。貴方、トラウマだもんコレ」

「うぅ……ッ」

 

「トーカ、ちゃ……っ」

 

 そして丁度、アヤトくんがトーカちゃんを切り刻む瞬間を目にする。

 倒れるトーカちゃん。手を伸ばしながら、僕やアヤト君を見る。

 

 僕も彼女に手を伸ばそうとするけど、力が思うように入らない。

 

「……やり辛ぇ」

「あんらアヤトちゃん、カックいいニヒルに決めちゃってぇ。ナ・マ・イ・キ♡」

「気安く呼ぶなクソカマ」

 

 心底嫌そうな声を出して、アヤト君は手を払いのける。ヤモリもそれを見て、なんとも言えない表情になっていた。

 

「で、お姉様どうすんの?」

「置いとけ。足手まとい。ソイツはせいぜ、人間と仲良しごっこしてりゃいいんだよ。

 バンジョー、そこのモヤシ詰めろ」

「!」

 

 バンジョーさんの方を向いて、それだけ言うとアヤトくんは、僕の顎に一撃入れ。

 

 そして、意識が刈り取られた。

 

 

 

 次に意識を取り戻した時、眼前にはトーカちゃん――いや、アヤトくんの顔があった。

 

「起きろ」

「……んん、」

「遅い」

 

 がん、と蹴り飛ばされ転がる僕。

 周囲を見回して、状況把握につとめる。

 

「この状況で寝ぼけてるとか、大した大物……。

 来い。上の脱いどけよ、喫茶店じゃねぇんだ」

「……ここは?」

 

 僕の言葉に答えず、アヤトくんは前進。

 

 場所は、どこからどう見ても廃墟。しかもかなりボロボロ。

 だというのに、この部屋自体外部の光が入ってきていない。アヤトくんの後に続くと、道中薄ら明かりがどこからか入ってくるのみ。ということは、この建物事態の大きさを証明していることに他ならない。

 

 どこか、と言うことについて思考をめぐらす。バンジョーさんの言ってた事、アヤトくん達の慣れた動きなどから、おそらくここはアオギリというらしい組織のアジトか。

 

「えっと、アヤトくん?」

「あ゛?」

 

 こちらに軽く振り返る彼に、僕は聞く。

 

「トーカちゃんは、一応、無事、なのかな?」

「にゃーにゃー馴れ馴れしいんだよ、バカが」

 

 言いながら僕の腹を蹴り飛ばす。

 ヤモリに貫かれた分もあってか、身体の反応が追いついてない。

 

 倒れて見上げる僕に、彼は言う。

 

「誰が喋って良いって言った。

 てめぇの立場、わかってねぇのか? だったら教えてやる」

「……?」

「お前に権利はない」

 

 僕を見下ろしながら、アヤトくんは言う。

 

「口を利くな。動き回るな。命令されたら黙って実行。死ネって言われたら大人しく首掻っ切れ。

 あとは息だけして、置物みてぇにじっとしてろ。そうすりゃ生きてていい。

 わかったか? ……わかったら『はい』って言え」

「……」

 

 僕は、アヤトくんをじっと見つめる。

 アヤトくんは、僕の頬を爪先で一撃。

 

「言え」

「……」

「言え」

 

 再び蹴りが炸裂。

 それでも、僕は見上げるだけ。

 

 訝しげな顔をするアヤトくん。少し視線を上に泳がせて、そして何か合点がいったように言う。

 

「……死んじゃいねぇよ、クソトーカ」

「……そう」

 

 立ち上がって、僕は少しだけ微笑んだ。

 意識を失った以上、あの後何があったかわかったものじゃなかったのだ。これが第三者から言われたことなら別にして、少なくとも肉親の、アヤトくんの言葉なら少しは信じてもいいかもしれない。

 

「想像もつかないような悪い状況、みたいだねここ」

「だからしゃべんなって――」

「はいはい」

 

 アヤトくんの言葉を遮って頷いた僕。反射的に拳が飛んでくるあたり、トーカちゃんが言ってた通り口より手が先に出ていた。トーカちゃんもそういう所が少しあるけど、あれはあれで「あんていく」で少し丸くなった結果なんだろうか。

 

 いや、最初はこんな感じだったか。

 

「お前、トロそうだから忠告しといてやるけど。

 上のヤツらは俺みてぇに甘くねぇからな。わかったか?」

「……」

「――」

「――うっ」

 

 思考に埋没していたら、アヤトくんが蹴りを入れる。どうやら「わかった」と言えというサインらしい。

 前言撤回、もうちょっとトーカちゃんの方が容赦があったような気がする。

 

 そして向かった先。集会所のような場所で、僕は多くの人を見た。

 ヤモリと呼ばれた白いスーツの男。彼と一緒に居た、ニコというらしい彼女(?)。バンジョーさん達に、独特の仮面を付けた二人、そのほか大勢のフードを被った喰種。

 

 その奥、吸血鬼伯爵みたいなマントをまとった、包帯の小柄な誰かが手を振る。

 

 この場の中心には、口元にマスクを付けた、冷たい目の喰種が居た。

 

「これ、全員――ッ」

「タタラさん、連れてきました」

 

「ああ、来て」

 

 アヤトくんに背を押され、僕は一歩、一歩前進。

 さっき確認したところ、マスクもドライバーも手元にない。

 

 決して無警戒なまま近寄れはしない。僕は、充分に意識して、感覚を研ぎ澄ませていた。

 

 向こう側には、マスクの男性の他にもう一人。長身、口元しかないようなマスクを付けた、形容するのが難しい喰種。佇むだけで威圧感を放っていて、やはり気は抜けない。

 

 そして、タタラという指導者らしき彼に視線を向けた瞬間。

 彼は僕の腹目掛けて、手刀を叩きこもうとした。

 

「ッ!」

「ん、悪くはないか」

 

 押さえつけると同時に、左目の視界が赤く変化する。

 

「にしても左、か。やっぱりコイツもか。

 ってことは、本格的にリゼは消されたってことか?」

 

 手刀を引いて、彼は僕の腹を殴りつける。

 勢いに負けて飛ばされて、僕は転がった。

 

「アヤト」

「……何だ?」

「コイツ、教育しろ」

 

「へ?」

 

 流石にもう一撃を警戒していたところで、こんな事を言われて僕は目を見開く。

 

「”眼”は駄目で、これじゃ戦力に出来ないが、何かの足しになるくらいではあった。

 俺は要らないが、少しはここに慣れさせておけ」

「……わかりました」

 

 一瞬表情が、すごく面倒くさいみたいな感じに引き攣ったのを僕は見逃さなかった。

 タタラはそのまましゃがみこみ、僕の目を見て言う。

 

「逃げた医者の方も結局当らなきゃならないし、むしろそっちを先にした方が楽だったかな」

「医者……ッ」

 

 リゼさんの臓器からの流れからして、それは嘉納教授に他なるまい。

 そして、逃げた? ということは元々、彼等と教授とは何らかの関係があったということか――。

 

「頭は悪くないみたいだけど、情報不足は自分で集めなきゃ。

 ……君のことだよ?」

 

 君、本当に移殖されたのが「腎臓」だと思ってる?

 

「……ッ!」

「赫子出すには、それ用の臓器が居るんだよ。

 医者がそれを間違えるか? フツー」

 

 言われるまでもなく、もし赫子に関することが彼の言っている通りだとするなら、文字通りそれは否定のしようのないことで。

 おまけに、あの教授がとんだ食わせ物だったということでもある。

 

 だけど、続いた彼の言葉が僕には衝撃的だった。

 

「その様子だと、芳村から何も聞いてないな。知らないはずはないんだが」

「!」

 

 店、長……?

 

「お前は、いわば盆栽だ。枝があらぬ方向に伸びれば、寸断される。だからヌルい目してられんだ。まあ、ずっと温室育ちできるなら、ある意味幸せかもな。

 でも素質はあるよ、お前」

 

 彼は立ち上がり、マント包帯姿の喰種に声をかけた。

 

「あっちの方も待たせてる。後はノロに任せる。

 行くぞ、エト」

『うん。んー、じゃ、あでぃおす~』

 

 僕にひらひら手をふる、エトと呼ばれた喰種。

 この場にはノロと呼ばれた、名状しがたい存在だけが残り。

 

 アヤトくんが、僕の首根っこを掴んで引っ張り上げた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 僕の部屋だと戻された、寂れた場所。

 壁に背を預けながら、僕は思考をめぐらせる。

 

「嘉納教授……、リゼさん……」

 

 教授は何をどこまで知っていたのか。それについて一つの回答が得られた。あの人は間違いなく、僕とリゼさんとの臓器については意図的にやったんだろう。

 とすると、一体何を目的としていたのか。

 

 そして、また店長。隠し事は多い人だけど、あのタタラの口ぶりからすれば、僕に何がしか、店長の意図したレールを歩ませようとしているとか、そういう風に解釈できる。

 

 実際、店長は僕を救ってくれた。食糧を提供し、居場所を示し、言葉で導いてくれた。

 だからこそ、ヌルい目……、甘い考え方が出来ると言われたなら、それはむしろ感謝することなのかもしれない。少なくとも喰種の力を得てから、僕はその毎日で救われているのだから。

 

 ただ、それと裏に何があるのかというのはまた別な問題で。

 

「……『悪い虫』でも、暴れてるのかな」

 

 ぼそりと呟く言葉に、どこからか「あ゛?」という反応が聞こえてくるような気がした。幻聴、なのだろうけど、でも少しだけ肩の力が抜ける。

 

「……カネキ、起きてるか?」

「……バンジョーさん?」

 

 し、と周囲に気を配りながら、彼は僕に近づいてくる。

 一緒に来ないかと言われ、僕は反射的に聞き返して。

 

 

「反、アオギリの決起集会だ。来ないか?」

「え? ――」

「お前は、ここに居るべきじゃねぇ。俺達と逃げないか?」

「逃げるって、そんな……」

 

 外は見張りも多く、アヤトくん曰くのあれが優しい処置だとするのなら。もし仮にそんなことをして、失敗した時に何がおこるか分かったものじゃない。

 それに、今は思考が回っていて、冷静な判断を下せる気がしなかった。

 

 バンジョーさんも、色々迷っているようだ。何度も言い直して、口調も弱い。

 

「いきなり言われても、意味わかんねぇよな……。でも、信じてくれ。

 正直俺はこれ以上、無関係な奴等が巻き込まれんのがガマンできねぇんだ」

 

 話を聞けばマジだって、わかるかもしれないとバンジョーさん。

 それを聞くだけでもいいからと言われ、僕は彼に続いた。

 

 音を立てないよう、ゆっくり足を進めて行く。アヤトくん曰く「自由時間まで強制はしねぇよ。静かにしとけば」とのことなので、バンジョーさんもわざわざ藪を突きにはいかない。

 

「……なぁカネキ。一つだけ聞いていいか?」

「?」

 

「リゼさんが殺されたってのは、本当なのか?」

 

 僕は、それに答えることは難しかった。

 

「……殺されたかはわかりませんが、死んでる可能性は高い、と思います」

 

 仮に生きていたとしても、一体どんな状態だというのだろう。赫子を生成する臓器を取り除かれた喰種なんて、そんなの人間から消化器官を全摘するようなものじゃないか。

 

「黙っていて、すみません……」

「……アンタ、やっぱいい奴だな」

 

 バンジョーさんは僕に顔を見せず、言う。

 

「店で話した時は、俺に気を遣ってくれたんだな。悪い」

「……バンジョーさんの方こそ、優しいですよ、僕なんかより」

 

 それは、確信を持って断言できる。僕は、僕が嘘をつくことに対してあまり自分を信頼していない。今までの経験、積み重ねこそがそれを物語っていると思う。

 だからこそ、本当はもっと問いただしたいだろうそれを押さえて、僕を案内してくれている彼の方が、何倍も、何倍も――。

 

 

 ここだ、と通された場所では、十人前後の人達が集っていた。床は木が張ってあって、窓際から光が入ってきていた。建物の構成としては、隅の隅の方。

 

「みんな、金木研だ」

「ど、どうも……」

 

 僕の声に、数人が手を挙げた。

 

「あ、お店ではドーモ。トーカさんの珈琲美味しかったです」

「いやー、掴まっちゃいましたねぇ」

「あ、あの時の――」

「ジロって言います、よろしくー」

「スミマセン、あの時は逆らえなくて……」

 

 各々が各々に、いくらかフレンドリーに僕に話かけて来る。それがどうしてか空元気のように見えてしまうのは、決して錯覚じゃないだろう。

 中には親子が居たりもして、僕は今の状況がやはり、無理やり拡張した結果なのだろうと思った。

 

「ここに居るのは、大体11区の時からのメンバーだ。安心してくれ」

「はい……」

 

「……しかし、本当に隻眼なんて居たんだな。初めて見た」

「私も。アオギリの総統もそうらしいけど」

「? えっと、それはどういう」

「ん? ああ、そうだよ。見たことはないんだけど、タタラさんがそういう風に言ったんだ」

 

 話を聞けば、このアオギリ……、正式には「アオギリの樹」。その総統者は隻眼と呼ばれているらしい。付いた呼び名が「隻眼の王」。

 

「アオギリの大部分は、タタラってのが仕切ってる。喰種としては勿論、頭もキレる。

 11区の臨時的仕切りはノロってのがやってんだが……、こっちは正直よくわかんねぇ。ただメシだけは滅茶苦茶食ってるな。

 他の幹部はノロ以外に、ヤモリ、瓶兄弟、あとアヤト」

「……」

 

 幹部、幹部か……。

 

「ヤモリは13区出身で、随一の残虐性を持つヤツだ。殺すだけじゃなく、白鳩相手にかなり無茶してるらしい。

 瓶兄弟の出身は不明だが、大人数のグループを二人でまとめていたことがある。今じゃ他の11区だった奴等も大半はあいつ等の手下だ。

 で、アヤト。各区をぶらぶらしてたころ、タタラがその暴れっぷりに目をつけたらしい。「人間も喰種も力で支配する」って思想にどっぷりで、一応俺達もアイツの部下ってことになってる」

 

 聞けば聞くほど、僕は、アヤトくんが何を考えて居るのかが気になる。トーカちゃんをより尖らせたって印象ではあったけど、確かにトーカちゃんの弟らしい印象もある。

 実際タタラは僕の”眼”を見る為に、腹を貫通させようとしたのだ。それに対し彼は、あくまで殴る蹴るからは逸脱させなかった。

 

「後エトっていう、医者みたいなことやってる喰種が居るな。変なマント付けてるちっこい奴。あの格好のまま正体明かさないから、性別もよくわかんねぇ」

「なんか、手を振ってましたね」

 

 一通り説明が終わると、バンジョーさんはカレンダーみたいなものを取り出した。

 

「幹部達全員居る時は、とてもじゃないが脱出できねぇ。でも、これを見てくれ。幹部たちは決まった周期で必ずここを出てる時があんだ」

「周期?」

「ノロとアヤトは月曜基準で五日おきに会合。ヤモリはわかんねぇけど三日置きで丸一日は居ない。瓶兄弟は絶対出ないが……」

「あ、そうか12日周期で、アジトに幹部二人だけになる」

 

 幹部二人さえ出し抜けるか、という話は一旦議論から外し、僕は今日の日付を聞く。

 前回の不在被りから、7日目に突入したため、あと五日。

 

「出来ればカネキにも力を貸してほしいんだ。成功率を上げるために少しでも人が欲しい」

「……あの、えっと、大丈夫なんですか? わかりましたけど、こんな――」

 

 僕は、反射的に言った。

 

「――初めて会ったぽっと出の相手なんて。密告されるリスクだってあると思うし……いや、そういうことはしませんし、する気もありませんけど、その……」

 

 僕の猜疑心と警戒心から出た言葉に、その場の面々は顔を見合わせて笑った。

 

「何言ってんの?」「そうそう、気にしすぎよ。子供らしくなさい?」「バンジョーさんが連れてきた相手なんですから」「バカだけどリーダーっすし」「問題ないです」

 

「……」

「おい、お前等バカは余計だろ……!!」

「すみません」「条件反射でつい」

「つい、じゃねぇついじゃ!」

 

 ここを逃げた後にどうするか、という話になったタイミングで、僕は一つ提案をした。

 

「……20区なら、芳村さんなら受け入れてもらえるかもしれません。

 必要があるなら、僕、話してみます。力になれるかはわかりませんけど――」

「確かにあそこなら」「うんうん」

 

「そうだな、身を寄せるには最適かもしんねーな。

 俺としちゃリゼさんの死に関わってる、嘉納とか言う医者のことも知りたいし……。腰落ち着けなきゃ、調べる所じゃないしな」

「はい」

「よし! じゃ、アジト抜けた後は20区目指そう!」

 

 おー! というカチドキが全員から上がる。バンジョーさんに対する彼等の視線は、疑いのない信頼だった。

 

「……」

 

 みんなから信頼されているバンジョーさん。それはきっと、こうして裏表のない人の良さがわかるからだろう。みんなから信頼されてる彼なら、僕も、迷わず信じられるんじゃないか。

 

 今は、色々と置いて置こう。店長のことも、リゼさんのことも。

 今は迷わず、ここから脱出すること。

 

「……帰れるといいな」

 

 僕は窓から夜の空を見上げて、ふと呟き、思う。

 

 トーカちゃんも、大丈夫だろうか。

 

 

 

  

 




エト「しにがみはかせだよー♪」
タタラ「どうした?」


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#027 仮宿/洞察/無光

無印のネタバレ注意


 

 

 

 

 

 アオギリにおいて、バンジョーさんをはじめとした面々の仕事は雑務が主になっていた。朝起きてから夕方六時過ぎくらいまで、ある程度の時間は拘束される。

 それでも昼食の時間は一時間とられていたり、トイレ休憩とかはちゃんとしていたり、意外とそこのところはちゃんとしていたのがビックリだった。

 

「能率を上げる為に士気を上げるのが一番だが、それが出来ないならまず環境だけでも整備した方がいいってのがタタラの意見だ。で、エトが面白がってタイムテーブル制とか言って組んだんだ」

「へぇ……っ」

 

 アヤトくんに踏まれた腕を押さえながら、起き上がる僕。彼は彼でトーカちゃんみたいにストレッチングをしながら、僕を半眼で見ていた。

 タタラが教育をしろ、と言ってから、僕からの質問には嫌々ながらも答えてくれるアヤトくん。意外と律儀というか、そういう時の仕草がトーカちゃんを思い起させて不思議な感じだった。

 

 現在僕らは、訓練中。午前中はバンジョーさん達と一緒に工場のごとく人肉を缶に詰める仕事をしているのだけれど、午後は内部の案内をしたり、こうして戦う訓練をしたりということをしていた。

 

 そしてもう一つ意外だったのは、タタラというらしい彼が、数冊本を僕に手渡したことだった。

 本は格闘技、戦略や自己啓発など。

 

 渡した理由を僕が聞こうとするより先に「お前トロそうだから、身体だけじゃなくて目でも見て覚えろ」と言われた。

 

 まずは赫子を遣わない打ち込み。速度は遅れてるけど段々反応できるようになってきている僕だけど、やはり初速で絶対に適わない以上、アヤトくんの先攻を許すことが続いている。

 

 トーカちゃんが主に胴体を中心に狙ってくるのに対して、アヤトくんは足とか顔面とかを狙ってくるので、モロに喰らうと危ないこと危ないこと。それでも本を読んで、三日くらい後には対応できるようになってきてる自分にびっくりだった。

 

「一日開いたのに、意外と動けんじゃん」

「……復習はしたからね」

「あっそ」

 

 そう言いつつ鼻っ柱に膝を叩き込んでくるアヤトくん。行動の傾向は似ていても、一撃一撃に躊躇が欠片もなかった。

 

 折れた鼻を押さえていると、彼は軽く指で捻って骨の位置を調整する。痛い痛いと叫ぶのに、心底面倒そうなため息をついた。

 

「お前、最前線でそんな声上げてたら死ぬぞ。ってか、今死ぬか?」

「いや、け、結構です……」

「何で俺がこんなもやしの面倒……」

 

 肩をぐりぐり回すアヤトくん。そのまま彼は僕の襟を掴んで持ち上げた。

 

「今日はエトん所行くぞ」

「エト、さん?」

「……何でテメェ、エトはさん付けで俺はくんなんだよ」

 

 突如そんなことを言われて、僕は一瞬焦った。

 

「へ? あ、いや……。ごめん、トーカちゃんとダブるというか、話聞かされてたから、なんか他人みたいに思えなくって……」

「あのバカ姉……」

 

 色ボケでも起したか? という彼に、僕は首を傾げた。

 

「やり辛ぇ……。おら来いハンパ」

 

 僕自身にはそれ以上何も言わず、トーカちゃんがどうのとブツブツつぶやきながら、彼は僕の先を歩いた。道中は多くの喰種たちが、アヤトくんに道を譲りながらも僕に不思議そうな目を向けて来ていた。何がそうさせるのか、ということについて情報が足りない。

 

 タタラは言った。情報が足りないなら集めれば良いと。

 

 ならば、僕はアヤトくんにまず聞いてみよう。

 

「……周りの視線が変なんだけど、心当たりない?」

「大方、タタラのせいだろ」

「?」

「”隻眼”なんて面倒、普通は捨てるだろうからな。

 アイツが探してたのはリゼで、戦力だ。それが、蓋を開けて見れば真逆みたいな感じだったからだろ」

「……」

「な、何だよ」

「いや、何でも」

 

 アヤトくん、意外と律儀に答えてくれた。

 不意に、トーカちゃんが「良い奴」だと言っていたのを思い出す。同時に不器用だと言っていたのも。

 

 とすると、ますますアヤトくんの行動がよく分からない。肉親のトーカちゃんに手を上げるような立場になってまで、一体、何をしたいのか――。

 

 いや、逆か?

 

 逆なのか? だとすれば、ひょっとしてアヤトくんは――。

 

「ほら着いた。行け」

「……アヤトくんは?」

「俺は別な用事、だッ」

「痛ッ!」

 

 とある一室の前で、アヤトくんは僕を部屋の中に向けて、背中を蹴飛ばした。

 転がって倒れた僕を、包帯とフードの誰かが楽しそうに笑ってた。

 

『Hi~、ようこそ。

 死神ドクター、エトの臨床ラボへ!』

 

 その死神とかいうフレーズは、身にまとってる赤い裏地の黒マントから着想したのだろうか。

 

 部屋は何というか、凄まじかった。

 いたるところに人形や縫いぐるみが転がっていて、そのほとんどがバラバラで。

 

 顔面の口や目を糸で縫い合わせるような風にしてあって、見ているだけで寒気を覚える。

 

 そしてエトと言うらしい彼女は、病院とかにあるバックライトのある机に座っていた。

 パソコンをカタカタ叩きながら、エトは僕を見下ろす。

 

『何何、ほぅら立とうか。君、名前は?』

「……えっと、カネキです。金木研」

『カネキ……、へぇ、うん、よろしくね~』

 

 ひらひらと手を振り、彼(彼女?)は僕を手前の椅子に座らせる。

 

『じゃあ、自己紹介。

 エトだよ、主に弱い喰種を強く「改造」したりしてるよ~』

「改造……?」

『あとはお医者さんみたいなことしたりしてるかな~。ま付け焼刃なんだけど、やらないよりマシでしょくらいの感覚で。

 まあ何にしてもヨロシク~』

 

 他は皆自己紹介とかしないだろうけどね~、というその言葉は、皮肉か何かなんだろうか。

 

『じゃ、とりあえず診察しよっか。腕出して――』

 

 エトは包帯をぐいっと上げて、自分の片目だけを露出させた。何故そっちだけ赫眼を露出させるのかと聞けば、片方瞑ってた方が集中できるからということらしい。

 

 僕の片方の腕を手に取り、指を立てて握ったり、骨を叩いたり。強く握って脈を計ったりする仕草は割と適当に見えたけれど、ブラインドタッチで何かしらのデータを打ち込む様は、どこか慣れたものだった。

 

『はい吸ってー? はいそのままー……、おっけぃ、吐いてー。

 じゃ喉は……、大丈夫そうだね』

 

 そして腕と足と腹筋背筋を見た後は、なんだか普通に風邪の検診みたいなことをしていた。

 

 聴診器を外して、彼女はうんうんと頷いた。

 

『すんごい人間っぽいね』

「……人間っぽい?」

『うん。なんかすごく、柔? い? 

 半喰種なんてみんなそんなものなのかなー。それとも、人肉以外も食べられる弊害?』

 

 興味津々という具合に、相手は楽しそうに僕に話を聞いてくる。

 

「食べられるって言っても、全然美味しくないっていうか……」

『Rc細胞の左様かな、勿体ないねー出来るのに制限されてるって。

 じゃ、ここからはメンタルチェックから。何でも「お姉さん」に話してごらん? あるいは質問とかでも聞いてあげるけど』

「……お、おね?」

『あれ、気付いてなかった?』

 

 私女だよ、と言うエトに、僕は少し困惑した。

 けたけた笑いながら、彼女は後ろにあった冷蔵庫から瓶を二つ。

 

『あはは、まあ初見で気付いたら逆にスケベぇすぎるから、別にいいけどね。身体ばっかり注視してない方が変に意識しないで済むしぃ。

 はい、トマトジュース』

「と、とま……って、これ」

『うん、ブラッドだよー。大丈夫大丈夫、腐ってないから酔わない酔わない。

 単なるジュースだと思って思って。あ、タタラとかアヤトくんには内緒ねー』

 

 そう言いながら口元の包帯も少し緩め、一口。わずかに覗いたほっそりとした、それでいて丸みを帯びた顎元は確かに女性のものだった。

 

 僕も一口飲んでみると、不思議な感覚だ。水じゃないけど、でもジュースのようでもなくて。甘いという感想が強いて言えば強いだろうか。

 

「じゃ、そうだねぇ……。趣味の話とか?」

「趣味ですか……。本はよく読みますね」

「ほうほうほう。じゃあ流行り所は押さえてる感じぃ?」

「多少は……。あ、でも高槻泉の作品はよく読みます」

「ほほぅ、(それがし)気が合うねぇ。ちなみにどんなところが好き?」

 

 意外にも饒舌に話しに乗る彼女に、僕も少しだけ口が回った。

 

「高槻さんの作品って、やっぱりこう、悲劇的というか。でもそれでいて、主人公とかの心に何がしか、悲劇的だからこその救いみたいなのが、あると思うんです。

 大事な人か、主人公自身か。長編になればなるほど、どちらかが失われる傾向が強くなると思うんですけど、洗練された文体や巧みな表現でそれを意識させない」

 

 僕の話を、エトさんは無言で聞く。

 

「でも、根幹に共通する哀しみとか、怒りとか、空虚さとか……。そういう膨大な穴というか、不条理に対する感情というか。説明が上手くできないんですけど、そんな暗い感情がこちら側を覗いていると、読んでて思うんです。だから、高槻作品を読んでて面白いには面白いんですけど、同時に少し、怖い」

『怖い?』

「僕、あんまりまともな家庭で育ってないんですよね。だからそういう、何かこの世界全てに絶望しているような、だからこそ自棄になってなんでもかんでも壊してしまいたいっていうような衝動とか……。それが、すごく『わかる』んです。

 きっと、すごく自分の生まれを呪っていて。

 でも同時に、何かそこに価値が欲しいって渇望していて――」

 

 僕の感想に、エトさんは微動だにせず数秒固まった。

 

「……あの、エトさん?」

「……あ、あ、あ、うん、ありがと」

「はい?」

「いやいや、いやさ、こっちの話……(やばいなんかくっそ照れる)」

 

 なにやらブツブツと呟く彼女に、僕は疑問符を浮かべた。

 

 それからいくらか話をする。珈琲のメーカーだったり、美味しい肉の調理法だったり(これは実践しようとは思わなかったけど)、おすすめのカフェだったり(以前月山さんから勧められた場所の名前が挙がってびっくりした)。

 

 そしてその話の流れで、彼女は言った。

 

「20区だったら、仮面ライダーって知ってるよねぇ。狂気の喰種」

「狂気?」

「うん。だって、自分で「拷問器具」付けた状態で死地に赴くなんて、正気の沙汰じゃないでしょ」

「……」

「知ってる反応とみたね、君。

 そうだねぇ、じゃあ、クインケドライバーっていう道具は知ってるかな? 喰種を拘束するため、Rc細胞を赫胞、赫子が入ってる臓器から血中に流して、毛細血管を伝い体表面に放出させるものなんだけど。赫子を出している状態だと、身動きが完全にとれなくなるって奴ね。

 あれって実は、最初はRc細胞の活動抑制だけしか機能がなかったんだよねー」

「抑制だけ?」

「そそ。で、何で後付けされたのかと言えば――ある実験に使われてたからなんだ」

「実験……」

 

 彼女はそう言って、目を細めて嗤った。

 

「――Rc細胞をどれだけ絞れば、喰種は『死ぬのか』」

「……それは、」

 

 残酷だ、と言おうとして、でも僕の言葉は続かなかった。

 

「そういった実験の結果、現在のクインケにある『リンクアップシステム』とかが出来上がったらしいからねー。あーヤダヤダ、おめめ刳り貫かれちゃう」

 

 楽しそうにケタケタ笑いながら、エトさんは言う。

 

「だから、もしそんな経緯のあるものを好き好んで付けているヤツがいたら、そいつはきっとどこか壊れてる。私なんかよりずっと、ずーっと壊れてて、それでいて本人がそのことに気付いてない。

 とんだ茶番だねー。あるいは道化か」

「……」

「まあ、だからこそ……。いや、別に言わなくてもいいか」

 

 そしてエトさんは、突然僕の頭に手をおいて、ぽんぽんと叩いた。

 

「君は、本当の意味で継げそう(ヽヽヽヽ)だよね」

「……はい?」

 

 困惑する僕を、彼女はさっきまでとはどこか違った、少し寂しそうな目で見て笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

 ここ数日の集りに出席すると、皆が夕食をとっていた。

 夕食と言っても肉ではない。骨だ。それも小さな欠片。

 

「俺らは犬ッコロかよ……。只でさえ食べ辛いのに」

「……」

 

 彼の気持ちもよく分かる。死体詰めの作業は、はっきり言って良い気分じゃない。僕が特に人間が混じっているせいもあるんだろうけど、吐き気がして頭がぐるぐる回って、何かを言い聞かせでもしない限り作業に集中できなかった。

 

 アオギリで殺した人間たちは、狩猟班含む五班に分かれた喰種たちで加工していく。僕等やバンジョーさんたちを含む面々は、食材を食べやすくして詰める係。

 

 そしてその中でも、殺した相手によって全く遺体が違うのも特徴だった。

 

 アヤトくんは綺麗にカットされていて、エトさんが持って来るのは傷一つない(どうやって殺してるのかさえわからない)。それらと対極的に、ヤモリのそれはとても見て居られないくらいズタズタだった。

 

「バンジョーの兄貴、ごめんなさい今日は、僕のせいで……」

 

 子供の喰種がバンジョーさんにそう言う。何だろうと思ってると、鼻先を撫でながら彼は笑った。

 

「ガキが身体大きくすんのは当たり前だ。でも、少しでも目をつけられっと計画が失敗するかもしんねぇ。母ちゃん守るんだろ? だったら今は絶対ガマンだ。わかるか?」

「……うん」

 

 作業中に何かトラブルがあって、バンジョーさんが庇ったのだろうか。

 頷いた男の子の頭を撫でて、バンジョーさんは自分の骨を渡す。

 

「え、これ――」

「俺はもうこれ以上デカくなりようがないからな! 痩せないとリゼさんにもモテなさそうだし――」

 

 ぐう、という腹の虫。

 

「……」

 

 固まるバンジョーさんに、みんなで顔を見合わせて、骨を少し割って手渡す。

 

「わりぃ」

 

 やっぱりここの人達は、この人あってのものなんだろう。僕も、この真っ直ぐさに幾分救われている。

 この場の彼等と一日ずっと一緒に居るって訳ではないのだけれど、それでも重いのだ。種族が違うと言ったって、それは生半可な感覚ではないだろう。

 

 

 

  

 

 夕食後、たそがれているとバンジョーさんが隣にやって来た。

 

「何やってたんだ?」

「……友達と、みんなのこと考えてました。

 後、トーカちゃん」

「トーカって、アレだろ? アヤトの姉の……」

「いい子ですよ。根っこが優しくて、強くて」

 

 それはきっと、アヤトくんと毎日のように拳を重ねているからだろう。

 少し、確信めいた考えが頭を過ぎっている。トーカちゃんの話と、アヤトくんの挙動や口ぶりと。根っこはやっぱり、トーカちゃんとそんなに違いがないだろうことを思えば、たぶん僕の予想も、大きくは外れていないのだろうけど――。

 

 だとすれば、僕はアヤトくんを止めることが難しい。

 状況が状況なら、きっと僕だって何かしら行動してしまうだろうから。

 

 僕は、僕の中の善性を信じてはいない。

 

「……みんな、どうしてるかな」

 

 あんていくのみんなもそうだけど、ヒデ。僕が居ない間に、また変な趣味でも目覚めたりしてないだろうか。

 是非とも11区には近寄らないでもらいたいけど、本気で彼が動いたら僕なんて、とてもじゃないがヒデのバイタリティを止める手立てはない。

 

 それが頼もしいのと同時に、僕は心配で、怖かった。

 

「……俺達、たぶんもうあんまり時間がない」

「?」

「リゼさんを見つけられなかった時点で、アオギリにとって俺の価値なんてほとんどないだろうさ」

 

 バンジョーさんは自嘲しながら、僕と一緒に空を見上げる。

 

「今でも思うんだ。

 リゼさんみたいな強い喰種がリーダーだったら、11区は制圧されずに楽に生きられたんじゃないかって」

「……」

「だから俺が殺されても、皆は逃してやらなきゃいけない。俺、リーダーだし」

 

 僕は、その横顔に母さんのそれをだぶらせて。

 

「……自分を、諦めないで下さい」

 

 その言葉に、彼は驚いたように僕を見た。

 

「僕は、たぶん皆も、バンジョーさんがリーダーで良かったって思ってますよ。バンジョーさんだから、ここまでやって来れたんだと思います」

「カネキ……」

「だから、生きようと思ってください。それがないと、きっと、ヒトって簡単に自棄になっちゃいますから」

「……ありがとう、カネキ」

 

 少しだけ嬉しそうに笑って、バンジョーさんは鼻の下を拭った。

 僕もつられて笑い、空を見上げる。

 

 そうだ、僕は生きて欲しいんだ。死んでまで何かをなさなきゃいけないなんて――。

 

 

 

 

 そんな風に考えるのは、僕だけで充分だ。

 

 

 

 

 




エト「オモチャにするのが何か勿体なく感じてきたなー、あんなに読み込んでくれる読者とかもはや愛じゃね? って思うんだけど、そこのところどー思う? タタラ」
タタラ「……お前、変なものでも食べたか?」


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#028 烏合/起礎/逃走/約束

 

 

 

 

 

「亜門さん亜門さん、ドマスの新作ドーナッツ買ってきたです、一緒どうですかー?」

「お前、またその格好……、その件はまた別に追求するからな!」

 

 会議室に遅れてやって来た鈴屋は、手元にドーナッツマイスターの小袋を抱えていた。服装はどことなくハロウィンをイメージさせるようなもので、とてもじゃないがスーツとは呼べない。

 そんな服装の鈴屋を叱りながら、俺はドーナッツを頬張っていた。

 

「おいしーですねぇ」

「同意するが、そのネクタイは何だネクタイは!」

「ストールですよネクタイじゃなくてー」

「首に巻いてれば何でもかんでも良いということではないッ!」

 

 俺の叫びを受け流しつつ、鈴屋は指に張り付いたシナモンをなめとり、ふきんで拭いた。

 

 そして遅れてやって来た政道が、とうがらしせんべいを持ってきた。……何だ、みんなひょっとして疲れているのか? 確かにここのところ仕事が続いているから、気が張り詰めているというのはあるかもしれないが。

 

「亜門さん、どうぞ!」

「いや、済まない。俺は辛いの苦手なんだ」

「んな!?」

 

 顔が絶望に染まる政道に手を合わせる。落ち込んでいる彼に「食べますかー?」とポップリングドーナッツ(小さな球体が集って出来たようなドーナッツ)を差し出す鈴屋と、悔しそうにそれに齧りつく政道。

 案外、前線で組ませたら良いコンビになるかもしれないと思いつつ、それを見ていた。

 

「篠原さんたち遅いですねー」

「確かにそうだな。報告でしたよね?」

「ああ。一週間分のまとめの報告だが……?」

 

 そう思っていると、俺のガラケーに着信が入った。

 中身を確認すると、篠原さんからの連絡だった。

 

 他三人にも同じメールが回ったようで、鈴屋はそそくさと上着を脱ぎ捨てていた。

 

「……鈴屋、行くぞ。政道は後を頼む」

「ああ、わかりました」

「まさみちー、片付けお願いです」

「いや、これくらい道中のダストボックスに捨てて置けッ!」

「えー……」

「鈴屋」

「わかりましたよイットー、ケチだなまさみちもー」

「だから政道(せいどう)だッ!」

 

 叫ぶ彼に渋々といった風に、ゴミをまとめて袋に入れる鈴屋(一通り全員で中身は空にしていた)。エレベータの手前のダストシューターに放り込んで、ぱんぱんと適当に手をはたく。

 

 二階で下りると、エレベータ入り口で篠原さんが待ってた。

 

「おっし、じゃ行こうか」

 

 廊下を歩き、向かう先は小会議室。

 

「……しかし篠原さん、急に本局から客人とは……。相手はどなたです?」

「11区特別対策班の指揮官さまだ」

「しきかんー?」

「エライんだぞー? だからワンコみたいに噛み付いちゃいかんぞ」

「『お犬』じゃないんだから噛まないですよー」

「『お犬』はむしろ命令しなきゃ噛まないからな。あと、上げ足とって他の事なら良いとも考えちゃ駄目」

 

 えー、と言う鈴屋に、篠原さんはやはり手を焼いているようだ。

 

 しかし、やはり現状は11区に戦力を集めようと考えて居るのか……。20区はそこまで重要視されてはいないのか。

 

 そして開いた扉の先。

 

「よぅ、待ってたぜ篠原ァ」

 

 へっへと笑うのは、丸出さんに他ならない。

 特等、丸出斎。以前”大喰い”の調査の際に、後方で指揮をとっていた方だ。

 

 篠原さんは頭を搔きながら、少し苦笑いを浮かべていた。

 

「丸ちゃんうれしそーね……」

「現場指揮なんて何年振りだ、大抜擢だぜひゃっほい! うまく事が運べば給料も上がる。

 これが喜ばずに居られるかってんだぃ」

 

 正直に言えば、俺はこの人が少し苦手だ。真戸さんとある意味、対極的な思考の下で生きている。

 

 懐かしむように俺の名前を呼び、肩をばしばし叩く丸出さん。

 

「久しぶりじゃねぇか。真戸の件は残念だったが、まぁ生きてりゃ何かいいこともあんだろ」

「は、はぁ……」

「今回の件で上手くいったら、例のスーパークインケの3号試着者、俺から推薦しといてやんぜぇ?

 っと、でこっちのちっこいのが、例の?」

「そそ、例の、鈴屋」

 

 篠原さんの耳打ちを聞き、上機嫌そうだった丸出さんは少しだけ得意げになった。

 

「始めまして、俺は丸出だ」

「鈴屋でぇす」

「有馬以来の和修直々の推薦ってことだが、まーあっちとはタイプが真逆っつーか……。戦えるか?」

「30秒でバラバラできます」

「頼もしいじゃねぇか。ちなみに、有馬は『一回殺せば死にます』だったか?

 しっかし線細ぇな、タマついてんのか?」

「!?」「げっ」

 

 俺と篠原さんが強張る。ギリギリのラインではあったが、この鈴屋はかなり暴力的な性質を持っている。 

 

「丸ちゃんあんまり絡んでやるなよ、なぁ」

 

 篠原さんが丸出さんを押さえつつ、鈴屋の方を見るが。

 

 鈴屋は鈴屋で、きゅっと、股間を押さえていた。

 

「(とりあえず大丈夫だったか……)。

 で、えっと、結局用事は何なん?」

「あ? わかってて言ってんだろ?」

 

 丸出さんは俺達三人を見て、にやりと笑った。

 

「拒否権ないから先に言っとくぞ。

 11区『アオギリの樹』掃討作戦に手ェ貸せ」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『やはり中々強引のようだねぇ丸出は。あれで猪突猛進だから、足元を掬われなければ良いが……。うかれっぷりから、私にさえメールを寄越すくらいだ。

 ――ほら、もっと素早く振り切れ不知(しらず)! 実践で頭が三つ落ちてるぞ!

 ……では、頑張りたまえ亜門くん。影ながら応援しよう』

「はい!」

 

 真戸さんからの電話を終えて、俺は資料室へ入った。

 

「お、お疲れ。真戸は何が言ってた?」

「影ながら応援すると。……それから、授業の最中のようでした」

「そうか……。何というか、あれで結構面倒見は良いからねぇ」

 

 捜査官の名簿を並べながら、篠原さんは唸る。

 

「本局の捜査員入れすぎじゃないか? どれだけマルがこの作戦に気合入れてるかわかるけど、23区手薄になんだろ……」

「これで潰せるなら、問題はないということでしょうか……、いや、それほどアオギリを警戒しているということか」

「11区の状況が状況だからね。喰種研究者だったっけ? 下手にテレビに出られなくなるくらいだから、掃討切羽詰ってるんだよね」

 

 名簿に俺も目を通す。特等以下、名の知れた捜査官が並ぶ中、流石に三等は鈴屋だけだった。

 

「マルは使えるのは何でも使うからね。有馬だって昔はそんなもんだったし。

 しっかし敵さんも厄介だなぁ……」

 

 ほれ、と手渡してきた資料。ジェイソンと呼称に書かれたその喰種の被害状況の酷さに、俺も思わず顔を顰めた。

 

「13区のジェイソン。ホッケーマスクと13区出身者であること、そして残虐性をまとめてそう呼ばれている」

「食べるっていうより、身体で『遊ぶ』タイプの喰種だ。その中でも飛びきりのサド野郎……。俺も何度かその痕見てるけど、まぁ直にやり合いたくはないね」

「組織の全体像も見えませんし、苦戦は必須でしょう」

「まったくマルのヤツ……。ハゲちゃえばいいんだ」

 

 そう言って、篠原さんが俺の顔を見て、何かを思い出したように手を打った。

 

「そういえば亜門、お前の、というか張間のクインケ壊れてたよな?」

「え? あ、はぃ……」

 

 ――教官! この間のお礼です!

 

 脳裏を過ぎる彼女の顔に、俺は、どこか忘れていた胸の虚を思い出させられた。

 

「……湿っぽくなるから先は言わないけど、とりあえず今度の作戦用に、真戸が用意してくれてるらしい」

「!」

「影ながら応援って、結構モロにやるよね真戸も。

 ま、次は壊すなよ」

 

 以前から真戸さんが言っていた、あのクインケのことだろう。

 俺は気を引き締め、背筋を伸ばした。

 

 

 

 丁度そんなタイミングで、資料室の扉が叩かれ。

 

「亜門さん、1区のラボラトリーからお客様がお見えになってます」

「はい……?」

 

 言われた事は、予想もしていなかった方面からの、テレビ通信だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁどうも、真戸上等から話は度々。

 地行甲乙(こういつ)です。ヨロシク」

「あ、はい……」

 

 小会議室に置かれたPC。その手前で話す男性は、長い髪で目元が見えない研究員だ。名前は俺も聞いている。真戸さんのクインケを始め、多くのものを手がけている研究者だ。

 

 そんな彼が何故俺に、という疑問は、彼の方から言ってくれた。

 

「篠原特等から聞いてなかった? 亜門一等。

 君は、自律自走型クインケ”アラタ3号(仮)”の使用者候補なんだよ」

「……話くらいは。でも、失礼ながら自走型というのがよく……」

「ああ、そうだね。じゃあ説明するから、画面を見ていて」

 

 彼がそう言うと、PCの画面には複数の設計図のようなものが映し出された。

 一目でそれが、他のクインケと異なることが分かる。

 

「このクインケは、大本になった喰種の方が特殊で、その性質を「リンクアップシステム」を最大限利用して運用しようと作ってるところなんだ」

「リンクアップシステム、ですか」

「そうそう。赫子に対して「親」たる制御装置と、「子」たる本体。これを電気信号だけでやり取りして、必要に応じて「使用者の意志」だけで変化させたりするって使い方。

 今の所これを除けば、IXAとかユキムラくらいしか使ってないんだけどね。

 で、話を戻すけど。このクインケの使用者は、必ずあるビデオを見てもらうことになってるんだ」

「ビデオですか?」

「うん。それによって、ちょっとリンクアップシステムとのシンクロに影響が出るらしくてね。ま、要するに相性だよ」

 

 相性? と俺は首を傾げる。

 真戸さんに言わせればクインケとの相性は武器との相性と同じ意味だ。だからこそ、俺が候補に選ばれているという時点で改めて相性と言う事の意味が理解できない。

 

 地行博士はあらかじめ分かっている、と言わんばかりに頷く。

 

「このタイプのクインケは、使用者の脳波と同調するんだよ。だから、その方向性で軽く相性が出るって訳だね。戦闘中に突如動かなくなったりしたら、不良品どころの騒ぎじゃないでしょ」

「な、なるほど」

「と言うわけで、これ付けてください」

 

 ケーブルがいくつも伸びたヘルメットのようなそれを頭に装着させられ、俺はパイプ椅子に座らせられた。PCの横にあるジャックにヘルメットのイヤホンを刺し、彼はPCを操作。

 

 すぐさま彼は別な端末を横に設置し、準備を整えた。

 

「大丈夫だと思ったら、パソコンのエンターキーを押してください。そこから始まりますので、自分のタイミングで良いので、ちゃんとこちらに言ってから始めましょう」

「わかりました」

 

 と言われても、ここまで仰々しい装置は俺も初めてだ。多少緊張に身体が強張る。

 

「リラックスしてください。映像は襲いかかってきませんから」

「……」

 

 再度、深呼吸。冷静に、となると俺はなかなか難しいかもしれない。

 張間のこと、彼女のドウジマのこと。そして――それを蹴り砕いた「眼帯」のことが脳裏を過ぎった。

 

 あの一件以来、ちらちらと俺の頭の隅に引っかかる影。あの喰種の言葉、表情。

 

 そのいずれもが、俺の記憶の底を呼び覚ます。

 

――鋼太朗、だれが入って良いと?

――お前は私の、大事な息子だ。

 

「……お願いします」

 

 冷静になれたかは別にして、気分は落ち込んだ。多少なりともこれで、冷静な判断が出来れば良いだろう。

 

 そう思っていたからこそ、写された映像に俺は言葉が出なかった。

 

 場所は真っ白に隔離された部屋。全体が白い照明で反射しており、いっそ病的でさえあるかもしれない。

 

 その中央にカメラが寄って行く。

 白いテーブルと椅子の前に、病人服を身に付けた男が一人。年齢は微妙に判別が難しいが、少なくとも少年とは形容しがたい。

 

 疲れたような、やせこけた頬。

 浮かぶ曖昧な笑みに、白い肌。

 

 髪は所々血なのか、赤黒く染まっていた。

 

『――ん、えっと、これって僕の人生最後の映像になったりするのかな? え? お前次第? んん、難しいところだね』

 

 男は両腕を拘束されており、手足を椅子に縛り付けられていた。

 

『やあ、どうも。貴方が誰かは知らないけど、まあ僕に対して、見た目通りの感情を抱いてはくれないでしょう』

 

 その喰種は、どこか記憶にある、眼帯のそれと似たような目をしていた。

 

 笑っているはずなのに、目はいまにも泣きだしそうだった。

 

『ただ、一つだけ言っておくことがあります』

 

 

 ――その男は、酷く悲しそうに笑った。

 

 

『もし僕を、僕等や家族を掃討するために使うというのであれば――僕は皆さんを死んでも恨みます』

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 作戦は、驚くほど順調に行っていた。

 予定通り瓶兄弟二人のみ。片方が休憩に入るのをみて、僕らは隠れて走り出した。

 

 逃げ始めてから既に数分。建物はまだ背後に見えて森も抜けてないけど、それでも少しずつ、少しずつ僕らは逃げることが出来ていた。

 

「暢気なもんだぜ瓶兄弟! ビビってる意味なかったかもなぁ」

「……カネキさん、俺、あんた来たときにピンと来るものがあったんだ」

 

 メンバーの一人、二十代後半くらいの人が僕を見て、微笑む。どこかに言いようのない確信のようなものを抱えてるような表情で。

 

「隻眼の喰種ってのは、俺達と違って特別な力があるって聞いたことがあんだ。

 だから、そんなアンタが俺達の味方になってくれるなんて、まさに追い風だ!」

「バンジョーさんも一撃でノしたって言ってるし」

「いや、あれは偶然――」

「いくら赫子が出せないって言っても、強くなんないとなーバンジョーさん」

「おい、どーゆー意味だこら!」

「そのまんまとしか……」

「鍛えた身体と喧嘩殺法で、大体はなんとか出来るんだ!」

「出来ないから今こんなんなんじゃ……」

 

 周囲からの言葉に噛み付くバンジョーさんだけど、僕は聞き逃してない。

 赫子が出せない? それは、喰種としてはかなり致命的なものなんじゃ……。

 

 道中、新しい名前をどうしようかとか、静かにくらしたいとか、色々な話が聞こえる。

 

「お母さんは僕が守るよ!」

「おう、頼りにしてんぜチビ介!」

 

 自由への期待や脱走の緊張が、不思議とみんなを高揚させていた。それは、解放から一歩手前だというものもあったのかもしれない。

 

 だからこそ、油断があった。

 

 

 

「――やぁ、君達」

 

 

 

 

 走っていた僕等の前方に、ヤモリと、ニコが居た。

 瞬間、全員の血の気が引いた。

 

 なにせその両手には、人間の生首がぶら下がっていたからだ。

 

 何故いるのか、と誰かが言うより先に手で制して、ヤモリは言う。

 

「瓶の二人から、なんか変な動きしてるって聞いたんだよね。で、ちょっと張ってたって訳」

「アタシのお鼻、甘くみないで頂戴♪ あと、耳もネ」

 

 得意げに笑うニコと、くつくつ肩を振るわせるヤモリ。

 

「聞いたよ? ニコから。バンジョーくんと愉快な仲間たちってところかなぁ。

 反アオギリ? あっはは、僕らをナメない方が良い」

 

 パンパンと手を叩き、生首を放り出すと。

 彼は背中から赫子を出し――僕等に突貫してきた。

 

「ッ!」「おッ!」

 

 反射的に腕を構える僕と、その隣で一緒に応じるバンジョーさん。でも、ヤモリの一撃は無論「赫子」だ。

 僕等の腕が、削れる。

 

「――ッ」

 

 クインケドライバーがないのが、こんなにもどかしいと思ったこともない。あれがあれば変身できずともこの相手を封じることが出来るかもしれないのに。

 

 弾き飛ばされる僕。ヤモリはバンジョーさんの首を持ち、持ち上げ、こちらに投げた。

 

「反応は悪くないけど、ちょっと今は邪魔かなぁ?」

 

 そう言って、彼は赫子を振るい、僕に話かけてきた人達の顔面を「落した」。

 

「あ――」

「どうs――」

 

「弱いからだよ。この世の不利益は、当人の力不足」

 

 まるで散歩でもするような気軽さで、彼はその場の喰種を一人、また一人と――。

 

「おおおおおおッ!」

「っ、バンジョーさん!」

 

 僕から立ち上がると、バンジョーさんはヤモリに再度特攻をかける。けど、ヤモリはあえて赫子を振るわず、軽く彼を往なした。足を引っ掻け転ばして、背中からストンピング。血を吐くバンジョーさんを軽く笑い転がして、顎を蹴り飛ばす。

 

「『穴が開かなかった』頑丈さは認めるよ。

 でも弱いね。あとヌルい」

 

 そうこうしている間に、瓶兄弟が僕等の後ろから駆けつける。

 形勢は、完全に逆転していた。

 

「んん、組織の規範にそって言うと、裏切り者は――?」

「審判の後」「処刑!」

 

 即答する仮面の二人に、ヤモリは「ああ面倒」と頭を左右に振る。

 

「時は金なり、すぐ殺しちゃえばいいのに」

「タタラさんのご指示だ」

「やっぱり何だかんだ言って、身内には甘いねぇ。裏切ったら別だけど……。

 さて、じゃあ、こんなのはどうだい?」

 

 ヤモリは僕を指差して、言う。

 

 

「――”リゼの赫胞持ち”のカネキくん。

 君、僕と手合わせしよう」

 

 

 何を言ってるんだ、この人は……?

 

「君が勝ったら、みんな自由。

 逆に負けたら、基本通り」

「何を、言ってる――」

「嗚呼、心配しなくてもつまんない嘘は付かないからねぇ。僕、これでも良い上司で通ってるから」

 

 肩を震わせて、ヤモリは笑う。

 

「僕にドライバーを装着させた時の思い切りの良さ。タタラと手を合わせていた時の反応、何よりこの状況でも、僕が何を考えてるか思考をめぐらす強かさ。部下として申し分ないよ。

 ……アヤトもタタラも、君の真価には気付いていない。だから、僕は君が欲しいんだ」

 

 にっこり笑いながら僕に手を差し伸べるヤモリ。

 

 そんな彼に、瓶兄弟は叫んだ。

 

「ヤモリ、黙って聞いていれば貴様!」「何勝手なことぬかしてるんだ。我等の世界を変えるための革命、蜂起――」「王への忠誠がないのか貴様!」

 

「んー、僕って君等みたいに『自分から』志願したわけじゃないからね。それにほら、最終的にはプラスになるよ?」

 

 優秀なヤツが居た方が楽しいからねぇ、とヤモリは笑う。

 

「どっちにしても、僕が負けると思ってるのお前ら。何、先死んどく?」

「言わせておけば――」

「あぁん。もう、止め止めっ。

 アヤトくんの部下なんだし、本当ならあっちが帰って来てからでしょ? だったらどっちにしても彼の部下を外れるんだし、引き抜き一人くらいだったら別に良いんじゃなくって?」

 

 ニコの仲裁で、瓶兄弟は一旦引き下がる。「今回だけだぞ」と言って立ち去る彼等。

 

 僕を立ち上がらせた痕、二コに耳打ちしてヤモリは「さあ、やろっか」と笑った。

 

 

「勝負は三本。先に相手に攻撃を三回当てた方が勝ち、だね。わかった?」

「……はい」

 

「か、カネキ! 駄目だ、そんなヤツの言う事――」

「バンジョーさん」

 

 僕は、出来る限り笑いながら彼に向かって言った。

 

「現状、他に手はないみたいです」

「――ッ」

 

 仲間の亡骸を抱えながら、バンジョーさんは拳を地面に叩きつける。

 力不足を嘆いているのが、痛いほど伝わってきた。

 

 ヤモリと相対する。彼は手の指を軽く鳴らして、微笑んで佇む。

 

 僕は指先を噛み千切り、血を啜って意識を研ぎ澄ます。

 

 

『――あら、何だか久々に見る顔ね』

 

 

 脳裏で、リゼさんの囁き声が聞こえた。

 久々に見る?

 

『わからない? なら別にいいけど。

 でも安受け合いしちゃって、勝てるの?』

「……」

 

 それは分からない。でも、やらなきゃならない。

 

 リゼさんの赫子を使わないといけない。でも、ドライバーのない今、積極的に頼ることは出来ない。

 

 ただ、そうであっても――。

  

 

「じゃあ、よーい……はじめ!」

 

 ニコの叫びを聞き、僕はヤモリに接近して突貫。

 拳が避けられるのは既に一度見ている。また肉体の強度はスクラッパーほどでなくとも物理攻撃が通らない可能性が高い。

 ならどうするか。

 

 第一的に思い付いたのは、まず関節技だ。

 

 それを、巨体に反してかなり俊敏な相手にどう使うか。

 

「――タタラが向いてるって言うだけある!」

 

 足への蹴り胴体への拳。そして顔面へ赫子と三方向の同時攻撃。

 それを笑いながら、ヤモリは交わす。だが残りの赫子二本の内、一本を背面から彼の後頭部に一撃。

 

 打撃のそれだったけど、ニコは「カネキくん、一本!」と声を上げた。

 

 ヤモリは楽しそうに笑いながら、僕から距離をとる。

 

「頭使う相手は好きだよ、あははは――ッ!」

 

 そして、初撃を受けたヤモリが攻めに転じた。

 弾丸のごとく迫ってくる相手。赫子を一本地面に叩き付け、その勢いで更に速度を上げたようだ。

 

 これには流石に反応できず、流石に僕も腕でガードする。

 

 ただガードだけじゃなく、保険も少し張っておいた。

 

 

 そして激突!

 

「ヤモリ一本、カネキくんは二本ね」

「二本? ……おお、こりゃすごい」

 

 跳ね飛ばされつつも、僕は腕に赫子を絡め、飛ばされる反動で彼の即頭部に一撃を入れた。

 

 威力が弱かったから気付いていなかったようだけど、ヤモリはかすって血を流すこめかみを見て、舌なめずり。

 

「ルールがあってなお対応しようっていうのは、嫌いじゃない」

 

『カネキくん、私に代わる気はない?』

 

 リゼさんの声が聞こえる。これは、以前ヒデの時にも聞こえたそれで。必然それは、食欲による暴走ということだろう。

 ドライバーがなくても緊急事態すぎるからか、僕の意識は案外冷静を保っていた。

 

 だからこそ、僕は心の内で首を左右に振る。

 

 リゼさんは、それに少し残念そうな言葉を返した。

 

『そう。でもカネキくん、それだと貴方――』

 

 

 

 

『きっと、勝てないわよ?』 

 

 そして、僕の腹部に大穴が開いた。

 

 

 

 

「へ?」

 

 痛みが振り切れすぎているためか、緊張のためか。痛覚が麻痺して、僕はその異常に一瞬気付くことが出来ず。

 

「流石に動いたから時間かかったね。君に足りないのは想像力だよ」

 

 笑いながら、彼は僕の腹を「背中から」貫通した赫子を動かす。

 血を吐きながら、僕はそれがどこから伸びているのかを見た。

 

「地、面――」

 

 ヤモリと戦っている間、確かに彼の赫子は一本しか見てなかった。でも最初に見た時、確かに彼のそれは二本が中心になって、その周囲に棘のように分散していたことを覚えている。

 

 とすると、この一本はついさっきまで、地面を掘り進めていたということか?

 

「うん、合格。いいよ君、勝負は引き分けでも――」

 

 赫子を引き抜きつつ、ヤモリは僕の身体を支えて。

 スーツのポケットから、肉を取り出して手渡した。

 

「食べな。カネキくん、君、鱗赫だろ。僕もだからわかるよ。

 僕等は再生力が他より高いんだ。さあ食べな、勝負はお預けだ」

「お預け……?」

 

 

「勝負は引き分けでいい。だから、お互いの主張を半分ずつモノにする」

 

 

 俺は君を手に入れて、君は彼等を逃がせる。

 双方にとって、win-winじゃないかい?

 

 楽しそうに言うヤモリに、僕は反応を返せない。

 

 僕を抱き上げながら、上機嫌そうにヤモリはバンジョーさんたちから遠ざかる。

 ヤモリの肩越し、こちらを見て叫ぶ彼等に――僕は、言葉も何も返せるだけの余裕がなかった。

 

『ねぇ、カネキくん――』

 

 リゼさんの声が、朦朧とする意識に響く。

 

 

 

『――弱いって、残酷よねぇ』

 

 

 

 どこか自嘲が含んでいるようなその幻聴に、僕は、どうしてか胸の奥を締め付けられたような気がした。

 

 

 

 

 




 
 
 
「――はい、そこです。嘘かどうかは信じなくてもいいので、上の方にそういう情報もあったって言うだけで結構です。はい……、はい、わかりました」

 俺は受話器を置いて、公衆電話を出る。
 三晃さんからの情報と、俺の調べた分を総合して、きっとこれだけあれば充分、向こうも信用に足る分だと思うだろう。

「……無事でいてくれよな。さて、と」

 そのままさてどう家まで帰ろうかと思案していると、ものすごくシックなデザインの、お金持ちとかが乗ってそうな車がやってくる。

 その運転席の窓が開いて、中から見知った相手がこちらを見た。

「……あれ、もしかして後つけられてました?」
「違うわ。ディナー帰りよ」

 三晃さんはそう言って、俺に「乗って行く?」と聞いた。

「報酬の話もしたいし。どうかしら?」
「……えっと、良いんですか?」
「むしろ貴方が食べられることを警戒する側だと思うけれど」
「無意味に食べると足がつきますし、やりませんよね、三晃さん」
「……まあ、永近君のことだから自分に何かあった時の対策もあるでしょうし、ね。
 ま、いいわ」

 助手席に乗り込み、発進。
 しかし……、こうして横から見て見ると、学校にいる時とメイクの種類が違って、結構綺麗なことに驚かされた。不躾に、気取られない程度に見つつ、俺は彼女に道中聞いた。
 
「で、報酬は?」
「今度、スカッシュの練習に付きあって」

 スカッシュ? と頭を傾げると、彼女はわずかに口を尖らし。

「……負けたままというのも、少し癪よね。
 でも掘さん、あんな特技があったとは」

 なにやら言い知れぬ感情が、見え隠れしていた。
 
 
 


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#029 休業/明滅/日入

トーカちゃんおっとこまえ

※今回演出上? ちょっと改行多めです


 

 

 

 

 

 落ち着かない。

 

 何だかよく分からないけど落ち着かない、というのが私の今、思ってること。カネキがアヤトたちに連れ去られて、数日。初日は学校を休んで、依子から心配の連絡を貰ったりしたっけ。

 

「……はぁ」

 

 そして私は、私たちは今、あんていくの2階に居る。

 私にニシキ、ヒナミにカヤさんや古間さん。死体集めで夜に動いている四方さんを除けば、現状のフルメンバーとも言えた。

 

 今日、11区で起きている一連の事件に関して……、アヤトも関わっているだろうそれに対して、店長から「あんていく」の方針を伝えるということだ。

 

 それを聞き、私は居ても立ってもいられない。

 

 髪留めを握り、私は深呼吸。

 

「……アヤト、カネキ――」

 

 私の伸ばした「手」は、二人に届かなかった。

 アヤトは心が届かず、カネキは事象として届かず。

 

 手の隙間、すり抜けて行く二人に、どうしてかお父さんの背中がダブる。

 

 ……本当は、何で落ち着かないのか分かってるんだ。ただ、それを認めるのが怖い。

 それはたぶん、カネキに「お父さんの」ドライバーを手渡したというのも少なからず影響していて―ー。

 

 久々に見たアヤトの荒れ様と、意識が朦朧としていただろうカネキのあの顔。

 

 テレビのニュースでは、11区の避難区画の状況が更に大々的に告知されている。日に日に酷くなる状況を想い、私は両手を合わせて、口元を押さえた。

 

 弱音は吐けない。

 でも、それでもどうしても。

 

 どうしても、ただ座っているだけで震えが止まらなくなりそうで。

 

 ぽっかりと胸に開いた穴が、もっと寒くなるような気がしていた。

 

 そんな私の手に、ヒナミが自分の手を重ねた。

 

「……ヒナ?」

「……お姉ちゃん」

 

 不安そうに、でも、それでも笑おうとしているヒナミ。

 それに少しだけ元気を貰って、私はちょっと笑った。

 

「落ち着け、酷い顔してんぞ」

 

 私に缶コーヒーを投げてくるニシキ。思わず反対側の手で掴むと、アイツは少しだけ笑った。

 

「見た目ほどヤワじゃねぇだろ、アイツ」

「……ん」

 

 コーヒーを両手に持ち替えて、視線を落す。

 

 古間さんとカヤさんがなにやら話し合っているけど、ちらちらと私を見ているから励まそうとしているのかもしれない。……まあカヤさんに脳天チョップ喰らったりしてたけど。

 

 ただ、少しほっとしても。

 長続きするようなものじゃないってことを、私は知っている。

 

 それが何だか薄情みたいで、私はたまらなく嫌だった。

 

 そして、扉が開かれて、店長が入ってくる。外行きの服装だった。

 そして帽子を投げて、慣れた様に帽子かけにひっかけた。

 

「とりあえず揃っているみたいだね。後から数人来るが、早めに始めよう。

 11区で起きている一連の大事件について、我々のとるべき対応だが……、まず、連れ去られたカネキくんについて一つ、言うべき事がある」

「……」

 

 店長は私達の顔を見回して、淡々と口を開いた。

 

 

 

「――もう、カネキくんとは会えない覚悟をした方がよい」

 

 

 

 それを聞いた私は、さっきまで無理やり押さえていた震えを、押さえることが出来なくなっていた。

 

「もう、会えないって……、どういうことですか」

 

 それでも私は、怖がりながらも店長に聞いた。

 

「……今回、動いている相手。組織の名は『アオギリの樹』。Domination through power(力による支配)を主義として謳っている者達の集りだ。周辺の喰種たちを、強きも弱きも無視して取り込み、文字通り弱肉強食を強いている。

 囚われた彼の生死に関して、断定は難しい。最悪のケースもありうる、とだけ言っておこう」

 

 最悪のケース――。

 

 私がそれを連想するより先に、ヒナミが涙ぐみながら言う。

 

「……やだ、私。

 お兄ちゃんと会えないなんて、そんなのいやだよ――」

「おぃコラジジィ! 適当言ってるんじゃねぇ……」

「西尾くん……」

 

 カヤさんがの言葉も振り切って、ニシキは叫ぶ。

 

 私は、思わず「止めて」と言った。

 

「……チッ。

 でも、可能性はあんだろ、その口ぶりなら。

 じゃあ、行くんだろ? 助けに! なぁ?」

「……現状、アオギリには特に戦闘に特化した喰種が多い。その根城に潜り込み助け出すのは容易ではない。

 加えて現在、CCGでもアオギリ掃討のために動きがあると聞く。そうなればもう手も足も出せまい」

 

 助けるには危険すぎる、と店長は言う。

 

 私は――それを聞いて、ふとリョーコさんの時のことを思い出した。

 店長に止められ、捜査官を襲って。鈍っていて一人も仕留めきれなくて、命からがら逃げ出して。

 

 傷の調子とか見たり、今後どうしたらいいか考えていた時、アイツはズケズケと私の家に上がりこんで来たんだ。

 

 ――僕は、トーカちゃんが死んだら、悲しいよ。

 

 アイツの身の上を少し聞いて、そして目の前でリョーコさんが死んだと言って。

 それでなお、人も喰種も殺せないと言った上で、アイツはそう言ったんだ。

 

 何もできないのは、もう嫌なんだと。

 

 そう言われた時、私はちょっとだけ嬉しかった。どうしてだか、全然違うと思うのに、カネキにどこか自分を重ねていたからか。

 

 だから――私だって、アンタが死んだら、悲しいのよ。

 少なくとも、それを言ってやるまでは、アイツに死ならたら嫌だ。

 

 お父さんのドライバーについてだって、まだ、何にも話してもいないのに――。

 

「私達が全滅する可能性が高い以上、勧める事はできない」

「……おい、じゃあ何だよ。見捨てるのか、アイツを――!」

 

「――私は行く」

 

 その言葉は、不思議なくらいすんなり出てきた。

 

「例え誰が行かなくても、私は行きます」

 

 沢山、迷惑もかけられて。

 沢山、借りもアイツに作った。

 

 そんな毎日が思いのほか嫌いじゃなくって――だから、そのためになら。

 

「例え、一人でも」

 

 私だって、何も出来ないのは嫌なんだから。

 

 私の言葉に、ニシキが続く。

 

「俺も行く」

「? アンタ」

「でかい借りがあんだよ。それ返す前に死なれちゃ、胸クソ悪ィ」

 

 メガネを一度直して、ニシキも店長を見る。

 

「……ッ、ヒナミも、手伝いたい!」

 

 更にヒナミまで声を上げて、立ち上がった。

 

 店長は、そんな私達を少しだけ眩しそうに見て、目元を覆って。

 

「……覚悟があるなら、受け取った。

 誤解のないよう、先に言うべきだったね」

 

 そう言って、いつもの微笑を浮かべた。

 

 

「私は、元より『一人で』カネキくんを助けにいくつもりだった」

 

 

 その言葉に、私達は息を飲んだ。

 

「……だが、皆の気持ちはよく分かった。

 命の保障は確約できないが――それでも、私達に命を預けてくれるなら、我々は全力で君達を守ろう。喰種同士、助けるのが『あんていく』の方針だからね。

 それともう一つ」

 

 入ってきなさい、という言葉に、扉が「オゥ!」と独特のイントネーションとともに開かれ――。

 

 

 

「アモーレ!」

 

 

「な!」「テメェ、何で――」

 

 

 

 現れたのは、濃い紫のスーツに身を包み、オーバーな仕草で悲しみを表現する月山だった。

 ハートブレイク、とか言いながら月山は嘆かわしいと言わんばかりに首を左右に振る。

 

「無二の友人であるカネキくんが、訳の分からない組織に連れ去られ危険な状態とは――許すまじ(ノン・ギディング)

 

 お前が何を言ってるんだ、みたいな感想はきっとニシキと共有してる。

 

「知ってるだろう。美食家、月山くんだ。

 彼が居れば、よりカネキくんを助けられる可能性は上がる。協力を打診したところ、快諾してもらえたから――」

「私は反対です! コイツ、カネキを喰うことしか頭にないっ。

 大体、テメェ何で生きて――」

「イートユアセルフ、君のアドヴァイスに従ったまでさ♪

 お陰で本調子とはいかないが腕もくっついてこの通り……。そして意外な発見」

 

 一度顔をかくして、ヤツはばぁ、と開いて舌なめずり。

 

「――僕は意外と美味しかった。

 普段から良いもの食べてるからかねぇ。なかなか新しい発見だったよ」

 

 そう言って、月山は私たちの前に一歩。

 

「そういう訳だから、参加させてもらうよ。僕の(ヽヽ)カネキくんを取り戻すためにも、ね」

「アンタのじゃねぇだろ」

「僕の親友(ヽヽ)さ。それとも、何だい霧嶋さん――」

「アンタにやるくらいなら、私が貰うわ! このキザクソッ」

 

 思わず反射的に叫んだから、自分が何を言ったのか失念していた。というか何を自分が口走ったのか気付いてなかった。周りがどんな顔をしてるか、この時は頭が回っていてない私。

 そして月山が、初めて見るくらいきょとんとした表情を浮かべていた。 

 

「……心配するなトーカ」

 

 そして、開きっぱなしの扉の向こうから、四方さんが顔を出す。

 その後ろに「や」「おっす、情熱の赤いバラ」とウタさんとイトリさんが顔を出していた。

 

「下手なことを仕出かさないよう、俺が見張る」

「四方さん、それになんでイトリさん達まで――」

「店長から頼まれごと。はいはい、これ資料と」

「作ってきました」

 

「うん、ありがとう二人とも」

 

 店長はイトリさんから資料を、ウタさんから紙袋を受け取り、中を確認する。

 

「……四方くん、CCGの動きは」

「住民の避難が終わり次第、ということだそうです。時間としては、今晩中にも」

「うん。わかった。

 我々は、CCGの”アオギリの樹”総攻撃に紛れてカネキくんを助けに入る。各自、準備をしておきなさい」

 

 店長はそう言うと、「私はバイクの準備をしてくる」と言って、外に出て行った。

 

「俺もバトルオウル見てくる。じゃあ……」

 

「蓮ちゃん、ネーミング相変わらず可愛いよねぇ」

「やっぱりピュアだよね。で、どうする?」

「私は、パスかなー? 基本的に情報屋だし、準備もないし」

「ぼく行こうかな。体ナマっちゃうし」

「っ! ウタさんも!?」

 

 私の驚きに、ウタさんは「うん」と軽く笑い、別な紙袋からあるマスクを取り出した。

 

「ヒナミちゃん被る? ヘタレマスク」

「うわ! そっくり!」

『ヘタレコンギスタ!』

「なかなか面白いわよね、この鳥ー」

 

 ウタさん達がヒナミに構ってる。なんだかこれはこれで、ちょっと面白い光景だった。

 

 そして、ちらっと聞こえる古間さんとカヤさんの会話。

 

「俺様もたまには暴れたいんだけどねぇ」

「あなたは留守がいいわ。それに殴る蹴るより、主目的が違うじゃない」

「それもそうか、なんだかなー」

「ま、せいぜい私を退屈させない程度には鍛えてればいいんじゃない?」

「お? そのケンカ腰も久々だなぁ」

 

 笑顔に青筋を若干浮かべながら会話する二人。

 なんとなく冷や汗をかいて、私は視線を逸らすと。

 

「月山。貴未のこと忘れたとは言わせねぇからな」

「ふぅン? 正直言えば、僕も興味はないんだけどね」

「何だとテメェ!」

「ま、止したまえレットビーフランク! 今はカネキくんを助けるための仲間じゃないか。

 もし気が治まらないというのなら、これを使いたまえ」

「あん? これって――」

 

 突然ニシキに何かのチケットを手渡す月山。「僕は今、機嫌が良いからね♪」と鼻を鳴らすのを見てると、どうしてか余計に腹が立った。

 

 私は私で、着替えのため一度部屋を出ようとして――。

 

 

 

『芳村さん、これで良いんですね。彼等とは。……娘さんは――』

『……私は、仮面ライダーだからね。この呼び名を「彼」から引き受けた時、そう誓った』

 

「……ッ!」

 

 扉の向こうで会話する二人の声が、わずかに耳に届き、足が止まった。

 その話は、きっと私達に聞かせることなど考えていないからこそのものであって。

 

『私も、天秤にかけるくらいにはカネキくんを助けたい。

 例え――』

 

 ――彼がどんな状態になってしまっていても。

 

 店長の言葉に滲んだニュアンスに、私は、また手が震えた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

――二週間は前だろうか。

 

 

 

 

 

「あの、ヤモリ……、さん。僕は何をすれば――」

「ん? ああ、そうだね。少し特訓を受けてくれればいいんだ」

「特訓?」

「僕の部下はこれを受けて『合格できたヤツ』って決めてるんだ。じゃ、行こうか」

 

 バンジョーさん達の下を離れた僕。彼等が無事に解放されたことを祈りつつ、今はヤモリの誘導の方へと、流されるまま行っていた。

 

 ヤモリに案内された先。本来はダンスホールか何かなのか、広々としたその場所。白黒チェックが張り巡らされた地面に、所々あったのは「赤黒い」斑点。

 

 この時点で薄ら寒さを覚えても良かったかもしれない。

 

 この場所には、椅子が一つ。

 空のバケツも一つ。

 

 ただ、妙に血なまぐさい臭いがどちらからも漂っていた。

 

「僕の部下は、ヘマしたら色々やるんだけど……。まあ、それでも(ヽヽ)使うかな、これは」

 

 指差す中央の椅子。それに、僕は思わず後ずさり。

 笑いながら、ヤモリは僕に何か説明を始めた。

 

「カネキくん、クインケドライバーを持っていたよね。あれの用途は知ってるかい?」

「喰種の能力を押さえる、でしたっけ」

「うん。でも、それじゃ半分不正解」

 

 これなーんだ、と言って彼は、注射器を取り出した。中には、緑色の液体。

 

「えっと……?」

「普通わかんないかな。俺もコクリア送りされなきゃ知るはずもなかったし。これは”喰種”の解体や手術に使う、Rc細胞抑制液。ある生き物の血を元に作る、CCGの医療機関特注品さ。手に入れるのはちょっと大変だけどね」

「抑制剤……?」

「これを喰種の体内に打ち込むことで、喰種の能力を大きく押さえることが出来る。クインケドライバーに似てると思わないかい?」

 

 確かに、似ている。ただその方向性が違うような、と思って居るとそれにはヤモリから回答がされた。

 

「実はね。これを運用する際、両方をセットで使うことが前提になってるんだ」

「両方を――?」

「ドライバーは、Rc値を一定に保つ効果がある。で抑制剤と併用することで、本来の倍以上に抑制液の効果を引き伸ばすことが出来るんだ」

 

 で、この液体だけど。

 

「普通、喰種の身体は刃物を通さない。多少頑丈になったところで、Rc抑制液の効果があってもかなり頑丈な道具じゃないと傷一つ付かない。

 じゃあ、どうすれば効果があると思う?」

「効果……。ひょっとして、身体の内側とかですか?」

 

「――正解」

 

 

 ヤモリがそう言った瞬間、僕の左の視界は、緑色の液体の反射する光に包まれ――僕は、激痛に絶叫した。

 

 

「さあ、洗礼だカネキくん――」

 

 君は最悪を乗り越えて、僕の「友達」になれるかな?

 そう言いながら、彼はニタリとイビツナな笑みをうカベテ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――声がする。

――声が聞こえる。

『フエグチって医者が使っていたものなんだけどね、このペンチとか。

 僕等に合わせて作られているものだから、なかなか頑丈でね――』

――声が聞こえる。

『ドライバーもちゃんと動いてるね。うん。

 1000から7ずつ、数を引いて言うんだ。わからなくなったら、ヒントもあげるよ。

 指だ。さあ、想像してごらん?』

――声が聞こえる。

『よしその調子だ。さぁお食べ、体力が足りないだろう。持たないよそのままじゃ――。

 早い所「生やして」続きをやろうか』

――声が聞こえる。

「エトちゃんが探してたんだけど、カネキくん……。全く相変わらず趣味悪いねぇ」

『いぃんだ。一目見た時から、ピンと来てたんだ。俺と彼は――一緒だ』

――声が聞こえる。

『僕はね。他人を痛めつけるのは結構好きなんだ。でもどうしてそれに目覚めたかというのは、また別さ。僕は洗礼を受けたんだ』

――声が聞こえる。

『母さんが殺されてから一人で生きてきた。一体どれくらいの喰種が、この世界で失って生きてるんだろうって。そう思ったのは、ネジのイカれた捜査官のお陰だ』

――声が聞こえる。

『"ピエロマスク"達の情報を持ってなくて殺処分って時に、そいつが俺を痛め付けた。その時思ったよ、この世の全ての不利益は「当人の力不足」で説明がつくって』

――声が聞こえる。

『痛みの中で、僕は覚った。俺は相手と一緒だと。痛めつけられる側だから怖いんだ。痛めつける側と一緒になれば、怖くないって。そして、俺は俺の中身を作り変えた』

――声が聞こえる。

『一瞬のスキを突いて、立場が逆転したんだ。あの時の悦びと、今までの自分と違って冴え渡ったあの感覚!

 これが忘れられなくて、僕はこうやってるんだ。君も、いずれ「立ち上がる」時が来るかもしれない』

――声が聞こえる。

『君のその再生能力は、リゼの力だ。俺よりもすごい喰種なんだよ、君は。

 そして君にとっては嬉しい事だろうね――先日、嘉納が逃げたことで確定した。奴は、君の「きょうだい」を作ってるんだ。

 嗚呼素晴らしい――君は一人じゃないんだ』

――声が、聞こえる。

『トビムカデって知ってるかい? 日本じゃ最大クラス。大きいのは20センチくらい。

 後でとってあげるから――ね?』

――とおくで誰かの笑い声が、聞こえた。

――僕だった。

「あ゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ぼは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛はばは゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛ばは゛ばは゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛ばばは゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛ぼは゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛は゛ばは゛は゛は゛――」

――適度に回復させられる肉体に引っ張られ、僕は正気だ。

「ころしてください」

 このまま狂ってしまえれば、どれだけ楽だろう。

 

 

 ヤモリがいなければ、この場所は僕以外、誰も居ない。

 あれほど戦う為に使っていたクインケドライバーが、今、僕に死線を彷徨わさせている、一つの鎖となっていた。

「……ひとりは、さみしいな」

 

 瞼の裏に、みんなの顔が浮かぶ。バンジョーさんたち、店長やヒナミちゃんや先輩、あんていくのみんな。

 

 トーカちゃんは、無事だろうか。責任、感じてないといいな。

 出来れば寂しそうな表情じゃなく、楽しそうに笑っていて欲しい。そうじゃないと、何か嫌だな。

 

 ヒデ、最近会ってないな。……無事かな。何か、変なことに巻き込まれたりしてないかな。

 

 

 

 

『――傷つけるより、傷つけられる人間に、だったかしら?

 滑稽じゃなぁい。ね――研くん』

 

 

 

 

「り……、ゼ、さん?」

 

 

 

 

 混乱する意識のなかで。

 覆われてほとんど見る事ができないはずの視界の中に。

 

 いっそ優しげに、愛しげでさえあるように、リゼさんが僕の頬を撫ぜて笑った。

 

 

 

 

 




「……何で、下の名前なんですか?」
『あら、やっぱり「覚えて」ないのね。……ちょっとメランコリ』
「?」


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#030 先行/追落/排都

 

 

 

 

 作戦が開始されてから、既に三時間近く。

 

「……何でCCGが撃ち負けてるんだ、あぁ?」

「敵は11区の支部から奪った『盾』と『弾丸』があるからッスよ。パネェ……」

「そうじゃねぇんだよ! 何で撃ち負けてるか聞いてるんだッ!」

「そ、そりゃ、敵側にゃ元傭兵の『スコープ』も取り込まれてますから! 射撃の腕もかなり立つんでしょう!?」

「確かに戦場じゃ死体(メシ)にゃ困らないだろうがなぁ……。

 たく、他のヤローに技術仕込んだのはそいつだなオィ」

 

 ベース車からそんな会話をしながら、丸出さん達が出てくる。

 

 俺達は後方で、攻めあぐねている膠着状態が動くことを待っていた。

 

「なーんで動かないんですかぁ? こんな暇ならまさみちと一緒に遊んでた方が気が楽でした~」

「……本人の前で言うなよ。

 現状は、攻められないから、だ」

 

 俺は退屈そうにする鈴屋に説明する。クインケの要領で作られた盾と、コーティングされた「Qバレット」という弾丸。こちらの狙撃が通らず、また向こうの狙撃がある程度通っている現状では、何か大きな動きでもないと攻めきることが出来ない。

 

「だったら後ろから回ればいいじゃないとですか~」

「伏兵が潜んでるリスクもあり、おまけに海だ。迂回しようにも手前がこの森の有様だし、そう簡単に事は運ばない」

「加えてクインケとQバレットじゃ、威力でも持続性でも断然前者の方が良いってこと。

 有馬でも居れば状況は劇的に変わるんだけどなぁ、全く……」

 

 篠原さんは愚痴を言いながらも、足元で「鈍い色をした犬」のような何かの顎を撫ぜていた。なるほど、確かに犬だ。顔面にあたる箇所には目がなく、マスクのような装甲のようなもので構成されている。手足もよく見れば筋繊維のようなものがむき出しで集っており、なるほど確かに元は赫子なのだろう。

 

 それが行儀良く「おすわり」をし、篠原さんの指示を待っているというのが不思議な光景だった。

 

 ……そして何故か起動時、本物の犬のように俺にまとわりついて来たことが果てしなく謎だった。

 

「なんかおもちゃとかないですかねー、退屈にならないやつ~」

「あまり遠くに行くなよ、突入の際に遅れる」

「わっかりましたです~」

 

 鈴屋はそう言いながら、周辺の部隊の様子を歩いて確認。

 丁度そんなタイミングで、篠原さんに話しかける人が一人。

 

「篠原」

「いわっちょ。前の方どうなってる?」

「見た通り膠着状態だ。丸出も青筋立て始めてる。

 別ルートの突入も検討はしているが、やはり焦れているな。指揮官殿は戦車まで出せと言っておる」

「喰種が人間の武器使うっていうのに対する皮肉かな、それ」

 

 篠原さんより背は低いが、体格はより強固。目はぱっちりとしていて、見つめられるだけで妙に気圧される。

 彼は黒磐(くろいわ) (いわお)。本作戦の副指揮官を努める特等だった。

 

「で、我等が指揮官殿は前に出ていって何をするんかねぇ……」

「ありゃまたハゲるぞ。すんごい顔をしておった」

 

 と、そうこうしている間に丸出さんが狙撃班の一人から銃を手に取り、乱暴に発砲!

 

 すぐさまそれが、何らラグも乱れもなく狙撃している喰種数体の眉間に、易々とヒットした。前線から引いてしばらく経っているが、やはり腕は確かということだろう。

 

「おいテメーら! 祭りの的屋じゃねンだぞ!

 さっさとあの陰険な狙撃部隊ぶっ殺せ!」

 

 篠原さんと黒磐特等は、ともに「荒れてるな」「うむ」と頷きあった。

 

「流石ですね、丸出さん」

「あれでも真戸と一緒に作戦したこともあんだぞ。相性は悪かったが連携は充分出来てたしな」

「主張の違いくらい能力でカバーできるのは稀有か」

 

 俺達が狙撃班の動きを観察しながらそんなことを話していると。不意に、丸出さんが笑顔のまま、ある方向を見て固まった。

 

 その先には、鈴屋が居た。

 ヤツはバイクのアクセルを鳴らしていた。

 

「いわっちょ、あれ丸出のだよね」

「だな」

「……後で差し入れ何かやろう」

 

「どいてくださーい」

 

 アクセルのエンジン音が、ガンガンに鳴り響く。

 この時点で、俺と篠原さんとの顔色は悪くなった。

 

「――おいおい! おいおいおいおいぃぃッ!!?

 待てちょっと、おいゴラァァァ!」

 

 そう叫びながら丸出さんがバイクの背もたれを掴み走った。

 

「ちょ、おいマル! 手ぇ離せ、ケガすんぞ馬鹿!」

「バカはコイツだ、何俺の愛車を――おおおおおおぉぉ!!? !? !?」

 

 そしてヤツは、丸出さんの静止を振り切って。

 

 勢いを付けて前輪を振り上げ、フェンスをよじ登り上空へ。

 

 

 

「リアルでっていう~!」

「おまあああああああああああああああああああ――ッ」

 

 

 

 叫ぶ丸出さんの声に、涙が滲む。

 

 そのまま鈴屋はバイクの座席を空中で蹴飛ばし、二段ジャンプをして狙撃者たちの居る場所へ。

 銃撃を繰り出しつつ、数秒も掛らず奴は、前線を動かした。

 

 

「入ってどぞです~♪」

 

「~~~~~~ッ、とつげェェェェェェェェェッき!!!!!」

 

 

 篠原さん達が「魂の叫びだな」「うむ」と言いつつ、準備を始めた。

 

 なんてやつだ。余りに滅茶苦茶すぎて、俺でさえ思わず笑いが零れる。

 有馬さんが二等だった時代も、こんな風だったのだろうか。

 

「鈴屋テメェ、何がなんでもホシ上げろよゴラアアアアアアアアアアア!

 狙撃班はクインケもちから離れるなよ、スマートに片付けるんだ、いいなァ!」

 

 おんおん泣きながら指示を出す丸出さんに同情の視線が集るが、それでも誰一人として状況を甘くは見て居ない。

 俺は真戸さんから送られたクインケを背負い、全体に続いて走った。

 

 

 内部は連戦だ。連戦、連戦、また連戦。

 共通の仮面を付けた喰種たち。一部は狙撃が面を割りダメージを入れるが、フードやマントは対策がしてあるのかダメージが通り難い。

 

 気を抜けばそれだけで首が落ち、胴体に風穴が開く。

 

 そんな中を、俺達はひたすらに走りぬける。

 

 

「手数は引き受ける。はぁああああ――ッ!」

『――リコンストラクション!

 エメリオ! フル・シューティング!』

 

 独特な形状をした銃型のクインケが、発光しながら電子音を鳴らす。

 形状が膨れ上がったようになり、ガトリングのように銃口が変化。そのまま雨あられのごとく弾丸を射出し、周辺一帯を薙ぎ払う。

 

 短い髪に、いっそ雄雄しいほど決意に満ちた目。

 彼女は五里二等だったか。武装は羽赫ベースだろう。

 

 俺もクインケの制御装置を取りつけ、起動させる。

 

『――クラ・スマッシャー!』

 

「へ 、このタイミングで準備とは余裕が――」

「……」

 

 俺の準備に合わせて襲ってきた喰種を、背後から軽々切り裂くは平子上等。汗一つかかず表情一つ変えない動きは、まさに有馬さん仕込と言えるかもしれない。

 

 他の捜査官たちがクインケで前線を切り開く中、俺はそこから少し外れ、注意のそれている喰種たちの頭部を、根こそぎ「薙ぎ払った」。

 

 細いバットのような形を持つこのクラ。

 

 ごろごろと転がる頭部を見て、周囲の喰種たちは警戒して距離をとる。

 

「篠原さん、次の棟に向かいましょう! ……鈴屋は?」

「連絡とれないね、これ……」

 

 相変わらず予想がつかない。とんでもないやつだと思いながらも、しかし下手に連携がとれないと、ヤツの場合はもっと危険な可能性もあるかと思い直した。

 

 そんなタイミングで通信が入る。

 

「ん、どうしたそっちは――」

『――だ、誰か来てくれ!? う、兎の黒いマスクの――うあああああああああああ!』

「おい! しっかりしろ、聞いてるかオイ!?」

 

 俺にも聞こえたその通信は、少なからずこちらの心情を揺さぶる情報だった。

 

 兎、ラビットか? ヤツがここに? 

 

「亜門、悪いが――」

「……わかっています。眼前に出てくればその限りではありませんが」

 

 態度はどうであれ、思考は冷静に敵を廃除すべく考えるべし。

 真戸さんの言葉を思い出しつつ、俺は深呼吸。思考を整え、次の戦闘に備える。

 

 

 

   ※

 

 

 

『どうしたの? そんな顔して。

 クスクス、可愛い♪』

 

 リゼさんは僕の頬を撫ぜて、楽しそうに引っ張ったりする。

 

『あなた、髪綺麗ね。伸びたし、白いし。イメチェンにしては悲壮すぎるけど』

「リゼ、さん――何でッ」

『何でも何も、私はずっと貴方といるじゃない』

 

 そう言いながら、彼女は僕の腹の当りに軽く手を当てた。

 その時点で、僕は彼女が何なのかに気付いた。

 

「……幻覚?」

『あるいは悪夢かしら。まあ、全部が全部夢って訳でもないんだけど』

「どういう意味ですか?」

『自覚ないみたいだから言うけど、貴方、私の記憶も少し「混じってる」みたいよ?』

 

 リゼさんはそう言って、くすくすと笑う。

 不意に思い出すのは、テレビのドキュメンタリーで臓器移植を受けた相手が、元の臓器の持ち主の知識や記憶を発現させたりする話を。

 

『優しくされたかった? ん~、してあげても良いけど、それが欲しいなら私なんて呼ばないわよね』

 

 ちょっと失礼して、と言いながら彼女は僕の背後に回り、首に手をかけて軽く抱きしめた。

 不思議と、漂う臭いは母さんを連想した。

 

『何、話くらいは聞いてあげるわよ? 「弱くて」「可愛い」研くん?』

「……僕は」

『「傷つけるより傷つけられる人になりなさい」だったかしら。その生き方の結果お母さんが死んで、それが嫌で、だから手を差し伸べたいって思って。

 傷つけられるだけじゃ駄目だから、なお誰かを助けたいだなんてそんなの――滑稽ね』

 

 リゼさんの言葉に、僕は苦笑いが浮かんだ。

 

「……自覚はありますよ。道化だって、茶番だって。でも、それが性分ですから――」

『――本当の貴方はもっと暴力的で、苛烈で、口汚くて素敵なはずよ?』

「そんなはず、ないじゃないですか」

『そうよね。だって――そっちの方が、都合が良いから』

 

 楽しそうに、あるいは嫌らしく僕を笑う彼女に、反応が上手く返せなかった。

 

『ねえ、お母さんってどんな人だったの?』

 

 幻覚のせいなのか、僕の両腕は自由に解けていて。

 でも、さっと手を重ねてくるリゼさんのそれを、解くことが出来なかった。

 

 少しだけ顎を撫でつつ、僕は言った。

 

「……優しい人だったよ。お仕事の間に、一つ一つ僕の分からない字を教えてくれたり。いっつも僕らのために、頑張って、頑張って」

『でも、寂しかった?』

「……よく、父さんの部屋で本を読んでたかな。書斎があってさ。どんな人かもわからなくても、でも、その周りの本があるだけで、少しはお父さんがわかったように、思ってた」

 

 本当に立派な人だった。お父さんが死んでても、仕事もして、家事もこなして。嫌な顔一つせず。

 

「……って、聞いてます?」

『研くんこそ、ちゃんと(ヽヽヽヽ)話してる?』

 

 毛先をいじりながら意地悪に微笑む彼女が、何を言おうとしているのかを、僕は「否定していた」。

 

「本当、僕の自慢の、大好きなお母さんだった」

 

 ――損をしたっていい。優しい人は、それだけで幸せなんだから。

 

 母さんのその言葉に、それだけで救われる気がした。母さんの作ったハンバーグが、とても安心できた。

 

『どうしてそんな「言葉」に、救われなきゃならなかったのかしらねぇ』

「……?」

『ふぅん。じゃあ――どうして、死んじゃったの?』

「……過労、だった。働きすぎだった」

『どうして?』

「それは……」

 

 リゼさんは僕の頭を抱きしめ、ゆっくりと、囁くように言った。

 

怒らないから(ヽヽヽヽヽヽ)、ちゃんと話して?』

「……母さんの、お姉さんの」

『うん』

「伯母さんが、よく家に来てた」

 

 今、戸籍上は僕の保護者となっている伯母さん。

 

 当時、伯母さんは母さんへお金の無心に来ていた。子供の学費に始まり、冷蔵庫とか、もっと身近なものまで。段々段々、頼むことに関するハードルは下がっていって、でも、お母さんは放って置けなかったんだろう。

 伯母さんの旦那さんが仕事を失って借金を作っても。

 

 母さんの負担は、日に日に大きく増えていった。

 母さんが休む時間を、僕は一度も目にしなかった。

 

『丁度その頃みたいね』

「その頃?」

『お母さんが休む時間なんてなかったんでしょう? それってつまり――』

 

 リゼさんの言葉を、僕は「拒否する」。

 

『ねぇ? 可愛い可愛い、研くん?

 お母さんが死んでから――どうだったの?』

「……」

 

 僕を引き取ると言ったのは伯母だった。せめてもの罪滅ぼしと言って引き取られた先。

 嬉しかったから、だから僕は、彼等の家族になりたいと、一生懸命がんばった。褒められれば嬉しかった。だから沢山頑張った。

 

 でも――僕に、居場所なんて初めからなかった。

 

「伯母さんは、結局、自分の妹と比べてたんだ。だから、僕と優一くんを比べてたんだ。

 そんなことしなくても――ただ無条件に愛されるだけで、子供は幸せなのに」

『誰も、研くんを見なかったのねぇ』

 

 僕の家族は、何があっても、どうであっても、亡くなった父さんと母さんだけだった。

 

『だから、永近君が心の支えだった』

「……友達が多く作れなかったから、下らない話をするでも、何をするんでも、ヒデが居たから」

 

 ただただ一緒に居て、バカやって、ずっとずっと一緒に成長してきて。

 その距離感が、どれだけ大事だったことだろう。その時間が、どれだけ僕を救ったことだろう。

 

「彼女とも、長続き全然できなかったし」

『……そう言われると、妬けるわねぇ』

「……え?」

『思えば、生まれが悪かったのよねぇ、(わたし)

 

 意味の分からないことを言ってから、彼女は僕から離れる。

 

『ねぇ、研くん? でも貴方、今のままじゃ――きっと皆、なくすわよ?

 自分の力不足のせいで』

「……」

 

 じゃ、また後でねと言って、彼女は姿を消す。

 

 気が付けば視界も身体の感覚も戻っていて、僕はそのまま。

 

 

 

 そして目隠しのように巻かれた押さえをとられて――目の前の光景に僕は、激情のまま叫んだ。

 

 

 

 

 



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#031 潜入/指導/本音/呼声

ようやくここまで来れました・・・、長かったような、短かったような


 

  

 

 

『「ハコ有り」が大勢居るぞ!』

『一旦上で様子を伺うか……』『いや、もっと奥の方行くぞ、そこに予備の武器が――』

『スコープやられたのか、こりゃ!?』

『駄目だ、音が混じって聞こえねぇ――』

 

 数人の喰種たち。アオギリの仮面を付けた全員が、足早に進む。

 屋上に行く最中、右横のヤツが言った。

 

『ヤモリのヤツ、こんな時に見えないって?』

『きっと『お楽しみ中』だろ? 趣味を』

『趣味?』

『第五棟の裏にあるホール。「ミソギの教会」なんて呼んでんな。最近あの『隻眼』を連れて行って、入り浸りだって聞くぜ?

 ここまで長いのは久々だし、きっとアイツは、珍しく成功するかもしれねぇ。即戦力だろ』

『……「隻眼」。

 なるほど、確かにそっちは行ってなかったわね』

『……だな』

 

 ()たちの言葉に、隣に居た喰種は足を止め、訝しげな声を出す。

 こんな状況――銃撃音と爆発音みたいなのが連続で建物の中に響き渡る現状においてだ。

 

『……お前等、そういえばどこの班――!?』

 

 私は赫子を展開してそいつの足を切る。切断まではいかなくても、しばらく再生はできないくらいに。

 

「決まってるじゃない――」 

 

 

「”あんていく”、よ」

 

 

 私の言葉に、周辺の喰種たちが襲いかかる。少なくとも「アオギリ」でないと判断した上でなんだろう。

 それに対して、私達も多くが自分の仮面を取り出して装着。

 

 私は……、色々あってこのままだけど。

 

「粗食! 粗食! 粗食! 粗食! 粗食! 粗食! 粗食!

 ――粗食ゥ! いくら咀嚼しても粗食は粗食なのさ、はぁッ!」

「クソ山うるさい」

「黙ってやれよテメェは」

 

 私とニシキの言葉に「ダルセーニョ!」とか叫んだ。訳わかんない。

 敵も流石にこの目立ち方から「美食家!?」と声を荒げていた。

 

『……みんなマスクとっちゃった。せっかく作ったのに』

『俺のマスクもお前が作ったのだろ』

『そうだけどさ』

 

 前方でワタリガラスな四方さんと、アオギリマスクなウタさんがそんな会話を交わしている。

 店長が依頼して、あらかじめ作っておいた「アオギリの樹」用のマスクらしい。元々、デザインはウタさんが作ったものだったらしく、再現は容易だった。

 

 そして、敵も調べている間に入り込んで来て……。

 

『あ、そうだニシキくん。これ』

『はい……?』

『カネキくんに会ったら渡しておいて。リニューアル版』

『あ、はい』

 

『……五棟の離れまで、外は目立つ。中をそのまま突っ切るぞ。

 芳村さん達が言ってたのが正しければ、一、ニ棟は既に制圧されていて、五棟で現在戦闘中。どちらも敵だ、やりあう準備はしておけ』

 

 四方さんの指示を聞きながら、私は拳を握る。

 

『……無事ですよね、カネキ』

『……』

 

 みんな、私の言葉に反応を返さない。

 それでも、私は足を止めない。ここに来る前に、決めたんだ。例えどうなっていたとしても、カネキを助けたいって。

 

 だったら――鈍ってなんていられない。

 

『はあああああああああっ!』

 

  

 赫子を開きながら、前方をスピードだけで蹂躙する。

 このまま、一気に、一気に――。

 

   ※

 

 

 

 

 

「だから、あれは絶対お前の絵について文句言いたかったんだって」

「あんら、かっこいいじゃないタタラ」

「瓶も苦笑いしてたろ」

「その代わり、貴方の絵は乙女チックだったけど♡」

「カネキくん、どう思う?」

「ぶ――ッ!」

「ほら、こんな状態でも笑ってるんだから」

「この調子じゃエトちゃんにも笑われそうね……、なんか自信なくすわ」

 

 唐突にヤモリが、あごの割れた人物と「たたらっち♡」と描かれた紙を見せてきて、状況が状況であるにも関わらず僕は噴出した。

 

 ヤモリは「ニコの感性がズレてるんだよ」と言い、ニコは「そんなことないわん?」としなを作る。

 

 そしてその足元に――母親と子供が居た。

 

 その二人は、見覚えがあった。見覚えしかなかった。僕を見て怯える親子は――間違いなく

 

「なん、で――」

「君は結構強情みたいだからね。なかなか踏ん切りが付かないみたいだ。

 だから、試金石として持ってきたんだ♪ どうだい、気に入って――」

 

 

「――なんで逃がしてないんだッッ!!!」

 

 

 僕の絶叫に、ヤモリは首を左右に振って笑った。

 

「早とちりはいけないよ。つまらない嘘は付かないって言ったろ?

 僕は『解放する』とは言ったが、すぐに解放とは言ってない」

「――」

「君の洗礼が終わった後、君の『部下』にしてあげようと思ってたんだ。だからストックしてあったわけだね。

 そしたら煮るなり焼くなり解放するなる、好きにしてくれて構わない。

 だから――」

 

 選べ、と。

 ヤモリは僕に囁く。

 

「生きられるのは、片方。

 子か親か、選べ」

「……恋人同士を持ってこなかったのは、そういうことね」

「お前、そういうの五月蝿いからなぁ」

 

 ニコという喰種に笑うヤモリは、別に獰猛な表情も、嘲笑も、何一つなく。

 ただただ、善意で誰かに手を差し伸べるような、そんな表情をしていた。

 

「え……選べる訳ないじゃないか……」

 

 僕は、震えながら口から言葉が零れた。

 

「でも、選ばなきゃ両方殺すよ? さ、どうする?

 時間はたぁっぷりあるけど、言い方を変えよう」

 

――どっちを救いたい?

 

『ねぇ研くん? あっちの子、何か言ってるわよ?』

「……」

 

 男の子、コウトくんと言ったか。彼の口が、音もなく動く。

 ぼ、く、を、こ、ろ、し、て――。

 

 こんなの、どうして僕に選ばせるんだよ。

 無理だよ。何で、どうして。

 

 誰か助けに来てくれよ、ねぇ――。

 

『だって選んだら――「貴方が」殺したようなものだもんねぇ。

 で、どうするの――』

 

 

 

 

「……僕を」

 

 ん? とヤモリが首を傾げる。

 

「僕を、殺してください」

「……」

 

 ヤモリは無言で僕から離れて、言う。

 

「ルールは守らなきゃいけない。

 破ったら、量刑は『ルールを作った』側が決める」

「へ……?」

「俺が決めるよ、カネキくん――」

 

 そう言って、彼は母親の方に足を進めて行く。

 ニコが、そんなヤモリの肩を叩いた。

 

「趣味悪すぎよ、貴方。何も子供の目の前で殺さなくたって良いじゃない」

「ん?」

「あんまりよ、それじゃ。貴方最低でクールだけど、たまーにクールでもなく最低な殺し方するじゃない。

 そうするにしたってやり方が――」

「つまり、『綺麗に』死ねばいいんだな」

 

 そう言うと、ヤモリは僕に注射を刺した上で、ドライバーを外した。

 

 痛みで目を押さえられず、血と涙で歪む思考の中。

 彼が何をしようとしているのかを、僕は薄々察した。

 

「こ、コウト――!」

「お母さん――!」

 

 ヤモリは、母親の腰にドライバーを装着させ。

 レバーを落して、赫子を体外に排出させた。

 

 

 僕以上の絶叫が、ホールに響き渡る。

 

 

 そして、倒れる彼女の背中から、まるで赫子が標本にでもされたみたいに、痙攣しながらも地面に伸びていた。

 

 僕や店長や、トーカちゃんのように、身体に巻きつくことはなかった。

 

「じゃ、いただきます。貴女の命、無駄にはしません」

 

 ヤモリは両手を合わせて、言う。

 そして背中から自分の赫子を出し――枝か根のように伸びたそれに、刺した。

 

 何を、してるんだ?

 

 理解を拒む僕に、リゼさんが囁いた。

 

 

『――美味しくはないんだけど、あれは、共食いよ』

 

 

 切り、千切り、口に持って行く。

 その一瞬一瞬で、叫び声と、苦悶に目を見開く表情が、震える。

 

 コウトくんはニコが後ろから抱きしめて、動けないように、あるいは庇うようにしていた。そして、彼は母親のそれが喰われて行く光景を、目の前で見ていた。

 

 次第に白目を向いて、泡を吹いて、動けなくなって行く彼女を――。

 

 

「う、うああああああああああああああ――っ!」

「あ、ちょっと!」

 

 そして走り出すコウトくん。首筋のあたりから赫子を放出し、今にもヤモリに飛びかからんとする。

 

 

 ――その腹が、一瞬のうちに貫かれた。

 

 

 

「……あ?」

 

 ヤモリは、目を見開いて動かなくなったコウトくんを見て。

 

「――ああああああああああああああああああああ! 

 何で近寄るんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 そんな風に絶叫しながら、引き抜き、両手で持って震えた。

 

 

 涙さえ流しながら、ヤモリは嘆く。近寄れば反射的に攻撃しちまう、なのにどうしてと。

 

「母親が死んだなら、お前は強く生きなきゃならないのにぃぃぃいいいいいいいいいいいいッ!」

 

 言ってる事も、やってることも、滅茶苦茶だった。

 時に理性的でさえあるように見えるそれは、完全に狂人のそれだった。

 

 そして咽び泣きながらも、背後で母親の赫子を解体する作業は続けていて。

 

 子供を下ろして、赫子を食べて。

 顔が白くなり、背中から血を吹いた母親と、息子を並べて。

 

「……ニコ、綺麗にしておいてやれ」

「あら、どこ行くの?」

「墓、掘ってくる。

 ……せめて、一緒に居られるような」

 

 ドライバーを僕に再度装着して、部屋を出て行く。

 そして最後に、涙を流しながら笑って。

 

 

 

「――君のせいだからな、カネキくん」

 

 

 そう言って、扉を閉めた。

 

「……せめて、綺麗に眠りなさい?

 助けはしなかったけど、静かに眠って」

 

 ニコがそう言いながら、口を拭ったり目を閉じたり。最低限の死化粧とばかりに整え、二人を抱き合わせて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……僕の、せい、だ――」

『「偽善者」、「母親殺し」、どれが良い?』

 

 リゼさんが、やはり楽しそうに笑いながら僕に言う。

 

『「女殺し」も良いかしら。(わたし)含めて、案外モテモテみたいだし――』

「何で僕ばっかり……」

 

 イメージの僕は、蹲って動けない。

 リゼさんは、そんな僕のとなりに座ってにっこりと。

 

「助けてよ、誰か、リゼさん――」

『今のままじゃ無理よ? 私も、研くんのイメージも、みんな自分で作ったものじゃない。「虚構」が助けてくれるのは心だけって、いっつもいっつも知ってるでしょ?

 私だって、現実がそうだったから、本が好きだったし』

「僕は――」

 

 

 

『よ わ む し』

 

 

 

 いっそ愛しげでさえあるように、リゼさんは僕の耳元で囁く。

 

『不運よねぇ。でも、その不運は本当に運なの?』

 

 僕の頭を掴んで、両方の頬を両手で包んで、顔を持ち上げ。

 

『「運」なんて存在しないんじゃないかしら。単なる状況と、状況のめぐり合わせ。

 その弱い方が傾くってだけ』

 

 顔を近づけて、目を近づけて。

 

『――その弱い方は、誰かしら? ねぇ、ねぇ――ね?』

 

 

 

 僕の思考は、不思議と、驚くほどクリアになっていく。

 

『「この世のすべての不利益は当人の能力不足」。悲しいけど、事実じゃなぁい?』

「……」

『そもそもの始まりも、研くんがもっと賢しかったら、別な未来もありえたかもしれないんじゃない?

 利世(あたし)に騙されなかったか、(わたし)と楽しく暮らしたか――』

 

 僕の鼻先を舐めて、彼女は笑う。

 

『医者に身体を弄られたのも、怪人(バケモノ)にされたのも。

 きっと自分のせいよ』

「……」

『「傷つけるより傷つけられる人間に」。嫌よね、それって単なるサンドバッグじゃない。研くんそんなのだから、みんな寄ってたかって傷つけるのよ。

 傷つけても、文句を言わないから――』

 

 少しだけ不満そうに、唇を尖らせる彼女。

 

『そうじゃなかったら、(わたし)も救われたかもしれないのにね』

 

 それだけ言って、すぐにまた微笑む。

 

『あなたが「大守八雲」を、ヤモリを殺せていたら、あの親子だって死なないで済んだんじゃない?

 霧嶋さんから手渡されたドライバーを、大事にしていたドライバーを、あんな事に使われなかったんじゃない?』

「――」

『お母さんだって、きっとそう。

 迷惑な姉を無視して、貴方だけを大事にしてれば、過労で死ぬことも、傷つける(ヽヽヽヽ)こともなかったかも』

「――やめて」

 

 

『両方選んでるようで、両方とも零れ堕ちてるんじゃ――それは、両方見捨ててるのと一緒よ』

 

 

 突きつける言葉さえも、僕は、もう、拒絶できない。

 

『お母さんが研くんを愛してるなら、馬鹿なお姉さんのことなんて見捨てれば良かった。

 そうすれば、自分が傷つくこともなかったんじゃない――?』

「ぼく、は――」

『良いわよ? 言っても。沢山辛かったわねぇ。いっぱいいっぱい殴られて(ヽヽヽヽ)

 私が、抱きしめてあげる』

 

 言葉の通りに、リゼさんが僕を背後から抱きしめる。

 

「おかあさん――」

 

 その抱擁に「母さん」のそれをダブらせて、僕は――あらん限り叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「――なんで、僕を見てくれなかったんだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、そうだ。

 母さんが守ってたのは、僕じゃない。伯母さんでもない。

 

 ――お母さんの目には、最初から自分のことしかなかった。

 

 

 僕の言葉に頷きながら、リゼさんが僕の頭を撫ぜる。 

 

 

「僕が気付けるくらいなんだ。気付かされただけだけど、でも気づけたんだ。

 どうしてそれがわからないんだよ――」

『うん、うん』

「一人は嫌なんだよ……。寂しいんだよ……。凍えても、震えても、泣いても、何しても、誰も、誰も、誰も見向いてくれない――」

『うん、うん』

「見てくれなくても、それでも、僕の方を少しだけ向いてくれるだけでも良かったんだよ。それくらい出来たじゃないか。なのに、なんで――なんで自分の『愛されたい』だけを優先したの? 良い子にするから、少しだけ僕を見てくれれば、そしたら、僕、しつけ(ヽヽヽ)られなくても良い子でいられたのに」

『うん、うん』

 

 リゼさんの調子は、何一つ変わらない。

 宥められているようでいて、それは実際、何一つ宥めることには繋がっていなかった。

  

 

 

「なんで――僕のために生きてくれなかったんだよ!」

 

 

 

『伯母さんのことを、見殺しにしても?』

「どうにかできたろ!」

 

 

 

 

『……嫌いじゃないわ?』

 

 僕の抱擁を解いて、自分の方に身体ごと向かせ。

 リゼさんは僕を見つめて、嗤った。

 

利世(あたし)がそうだったように、(わたし)を捨てたように。

 世の中には片方を捨ててでも、何かを守らなくちゃいけない時がある』

 

 僕の涙を指先で拭うリゼさん。

 

『研くんのお母さんは、それが出来なかった……、するつもりもなかった。

 だから自分の命を失った』

 

 それは優しさじゃないわ。ただ弱いだけ。

 弱くて、自分のことしか愛せなかったってだけ。

 

『自分の都合で、自分が守らなきゃいけないものまで振り回して。

 もっと別な道を、決断する覚悟が足りなかった。人生なんて、そんな決断ばかりだって言うのに』

「ぼく、は、」

『研くんは、どうしたいの? あんなヤモリみたいなこと、許せるの?』

「――ゆるしたくない」

 

 僕は思い出す。

 口では綺麗なことを言っていたヤモリだが。時折、そして泣いている時。どうしようもないくらいに「愉しそう」な表情が浮かんでいた事を。

 

「あんなふうに、自分勝手にいのちを扱うヤモリも。そんなことをする、こんなところも――」

『このまま「アオギリ」が勢力を拡大すれば、いずれ20区にも被害が出るかもね。

 あんていくの皆も、永近君も、霧嶋さんも、みんなみんな――』

 

 

 

「――させないよ、そんなこと」

 

 

 

 気が付けば。

 僕は立ち上がり、リゼさんを見下ろしていた。

 

 リゼさんも立ち上がり、僕に笑いかける。

 

『じゃあ、どうするの?』

「……僕が、」

何が欲しい(ヽヽヽヽヽ)の?』

 

 僕は、そのまま。

 本能的なものなのか、彼女の肩をつかみ。

 

 首筋を見て、そのまま――。

 

 

 

 

 

『――それで、ホントにいいの?』

 

 

 

 

 

 丁度そんなタイミングで、僕の後ろから声が聞こえた。

 

 

 

   ※

 僕の身体は、その声を聞いてはたと止まった。

 聞き覚えのある声だった。ヒデじゃない。でも、最近よく耳にするような――でも、それにしては舌足らずな。

 

 振り返ると、僕の足元に、女の子が居た。

 

 大体額のあたりで髪のわかれた、うさぎの髪留めを両方の前髪にしてる。

 

『あら可愛い。誰かしら』

 

 リゼさんの言葉なんて聞こえてないように、女の子は僕を見上げて。

 何故だかとても、悲しそうな目をして。

 

『カネキは、それでいいの?』

「……? 君は――」

 

 

  

『――おーいトーカ(ヽヽヽ)、どうしたんだ?』

 

 

 

 その男性の声が耳に入った瞬間、見える世界が一変した。

 

 夜の公園。砂場で男の子が遊んでる。

 女の子は「アヤト、おしろおしろ!」と言いながら、僕の腕を引きながら、そっちの方に連れて行く。

 

 僕は――気が付けば、十歳くらいの体躯。

 

 ワイシャツに黒い短パンに、ちょっと靴擦れして、擦り切れて、汚くなった革靴。

 

 

 

 思い出すまでもない。ここは――葬式があった日の夜。

 

 僕と、あの人――あの親子が出会った場所だ。

 

 

 そうだ、確か女の子に連れられて、お父さんの居る公園に引っ張られて。

 そして、ベンチでそのお父さんが。今、ぼくの目の前に居るこの人は、ちょっと困ったように笑いながら言ったんだ。

 

 

『僕はアラタ(ヽヽヽ)って言うんだけどね。まあ、呼ぶならそう呼んでくれ』

 

 

 僕の服装と、酷い状態と、この時間まで歩いているところとか、色々な面で何かを察したのかもしれない。子供たちを見ながら、そのお父さんは僕を自分の隣に座らせた。

 

 

『お母さんが死んじゃった、かぁ。それは、悲しいね』

 

 

 初めて会ったヒトだったけど、でも、不思議と僕は色々と話していた。混乱して憔悴していたせいかもしれないし、単純に人の良さそうな彼の、疲れたような笑みに安心できたからかもしれない。

 

 僕は、ありったけの思いを、当時の自分の貧弱な口から話したような気がする。

 

『自分たちの世界を守るためには、我慢することも大事さ。そりゃ、泣き喚いて、おかしくなってしまえば、周りは心配するかもしれない。手を差し伸べられて、迷惑をかけてしまうかもしれない。不幸にするかもしれない。そうしないためには、やっぱり受け止めきるしかない』

 

 そのお父さんは、僕の目を優しく見つめて言った。

 

『でも、守るために努力はしなきゃいけないんだろうなぁ』

 

 首を傾げる僕に、彼はやはり、優しく微笑む。

 

『無理をすれば良いってことじゃないんだ。我慢はいつか、限界が来るからね。

 だから、例えどんなに怖くても――自分に出来る精一杯で、みんなを助けてあげるんだ』

 

 助ける?

 

『自分に辛く当られたら、人一倍周りには優しくするんだ。勿論、それは「分かりやすい」優しさじゃ駄目だ。相手のことを本当に思えば、何が相手のためになるのかは自ずと見えてくる。手の届く範囲でも、それは大きなことなんだ。

 尊厳とか人生の話になるんだけど、わかるかな……?』

 

 お腹が空いて倒れている人に、魚を釣ってあげるか、魚の釣り方を教えるかという例えを持ち出すそのお父さん。

 

『誰かに縋られるのは気持ちが良いし、頼られるのは悪くないけど、それじゃ未来がない。発展していかない。完全に、世界が閉じてしまう。

 相手の手を両手で掴むようなものだ。片手を掴んでいれば、もう片方の手で、もっと別な誰かだって掴めるかもしれないのに』

 

 ここで、僕は母さんが、僕のことも伯母さんのことも見てなかったんだと思ったんだ。自分の手を自分で握って居るように。頼られているようで、実際は何も見ていなかったことに。

 

 だけど、それは嫌だったから僕はそれを否定して――。

 

『優しいだけじゃ駄目、か。なら、強くなれば良い』

 

 そして、まるで自分の子供たちにするように、僕の頭を撫ぜた。

 

『いつかその優しさで、強さで、誰かを助けてあげられるような――』

 

 

「僕は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

『――本当に、それで良いのかよ』

 

 

 気が付けば、地面は湖のように反射していて。空は青く、雲があって。

 近くリゼさん。振り向いた先には――今にも泣きそうな、トーカちゃん。

 

「……」

 

 僕は、言葉が出なかった。不自然に、色々繋がった。

 きっとトーカちゃんでさえ覚えてない。僕も、今混乱している最中で記憶が捏造されている可能性だってある。

 

 でも――確かに。

 

 僕の脳裏には、確かに「アラタ」という、あのお父さんの名前が、過去に刻まれていた。

 

『これじゃ、まるでアリスじゃない。

 さしずめ彼女は、白兎かしら』

「……」

 

 あの後、アラタさんが警察に連絡をして、僕は伯母さんに引き取られて、それきりになって。

 

 でも、警察が来るまでの間、トーカちゃんとアヤトくんだと思える子たちと一緒に遊んで。笑って、あと何か懐かれて。

 

 嗚呼、トーカちゃんの言ってた「懐かしい感じ」って、そういうことか。

 僕を通して、お父さんを思い出すだけの理由があった訳だ。

 

 

 トーカちゃんの左目から、涙が一筋こぼれて――。

 

  

「……リゼさん」

 

 僕は、リゼさんの方を向きなおして――抱きしめた。

 さっきまでの暴れそうだった感情は、もう、なかった。

 

『あら?』

「……僕は、力が欲しいです」

『どんな力?』

「選べる力です。……どっちか片方なんかじゃない、両方、選んで、それを『通すことが出来る』力が」

『無茶苦茶ね』

 

 そっけない口調のリゼさん。

 でも、その声は不思議と笑っていた。

 

 その声は――リゼさんのものじゃなくて、お母さんのものだった。

 

「だから、貴女は、僕なんです」

『?』

「リゼさんの赫子も、お母さんの辛い記憶も。

 みんなみんな、僕なんです」

 

 リゼさんの力を受け入れる? 違う、そうじゃない。

 僕は――どう足掻いても、もう、喰種なんだ。

 

 でも、それでも、「人間であって悪い理由」にはならない。

 

 

 こんな僕でも、何か出来ることがあるんだ。

 

 

 それを縛る名前が、人間だとか喰種だとか言うものが邪魔なら――そんなもの、僕は要らない。

 只の名無しの、金木研で良い。

  

 

『――ハイセ』

 

 

 リゼさんは、そう口ずさむ。

 

『名前がない、名前を指し示す、という意味よ。なら、それをあげるわ』

 

 僕を少し見上げて、頬をなぞって。

 

『生きるっていうのは、他者を喰らうことよ。それが、(わたし)の結論。

 それでも、研くんは力が欲しいの?』

「……制御、できれば」

『そんなところで他力本願ねぇ』

 

 でも、良いわよと、リゼさんは笑った。

 

 

 

『その続きは――「生きた私」を、見つけだせたら聞かせて?』

 

 

 

 不思議とその微笑みは、高校生の頃に僕に向けられていた、病弱だった川上雫(ヽヽヽ)のものと重なった。

 

 

 

 

 




ラストの三人は、アニメ1期OPのあの感じです


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#032 遭遇/赫者/覚者

 

 

 

 

 

「鈴屋と言ったか。あの若者、ジェイソンと会わなければ良いが……」

「黒磐特等……。特等は、13区担当でしたね」

 

 俺は走りながら、特等の言葉を耳にし確認をとる。

 うむ、と頷いて、彼は言った。

 

「”喰種”が増えれば、その地区では”喰種”同士での共食いが増える。どういう訳かそうなっちょる」

「共食い……」

「13区とて例外ではない。

 共食い嗜好の喰種は稀だが、通常の赫子に加え新たな赫胞が『体内で形成』され、混じり、『身に纏うような鎧』のような赫子を扱う者が出てくる……。

 便宜上、我々は『覚者』とかけ、『赫者』と呼んでいる。

 通常の喰種とは別次元の強さを持ち、とてもじゃないが手に追えない……」

 

 黒磐特等は、少しだけ上向きに声を上げた。

 

「しかし、名は体を現すか」

「喰種、だもんね。お互いさえ捕食の対象ってのは、ちょっと哀れだわなー」

 

 篠原さんが同意し、頷いた。

 俺は、ふと思い出しながら確認した。

 

「篠原さんは、以前に戦ったことが?」

「よく覚えてるな。アカデミーん時にちょっと話したか。

 ……十年くらい前のことだ。今でもよく覚えてる」

 

 当時の部隊は、真戸さんと篠原さんのコンビに上司の伊庭さん。

 加えて丸出特等のチームに、二等だった頃の有馬さん。

 

「今でも有馬の武勇伝として語り尽くされてるけど……。対フクロウ戦がそれだ」

「梟……ッ」

「SSS級とかいう頭のおかしなレベルの危険度。ヤツは赫者だった。みんなかなりヤられてね……。三度目か、その時はいわっちょも大変だったよ」

「うむ。まあ、有馬のお陰でどうにかなったが」

 

 聞けばなんと、有馬さんはクインケを使い捨てのごとく戦い、敵に致命傷を与える事に成功したと言う。

 

「いくら什造が強くても、いきなりそこまでのと戦うのはちょっと危ないというかなぁ」

「有馬も、実践でいくらか経験を積んだ上でだったからな。今ならIXAを使って変身(ヽヽ)すれば事情も違うが」

 

 

 

 そうこうして強行しているうちに、丸出特等からの連絡が入る。

 

「1~2棟は概ね制圧、この3棟も間もなくといったところか。

 ……ここ終わったら、他のところに部隊回した方が良いんじゃないか?」

「Bレート前後しか遭遇しちょらんからの」

「ジェイソンはそうすると向こうかもなぁ……。シッポブラザーズも見かけないし」

「美郷! 『エメリオ』をリコンストラクション(クインケの必殺技モード)しておったが、まだ持つか?」

「予備弾装は充分に」

 

 俺は、五里二等のクインケを見る。射撃の特性からして「羽赫」のクインケか。集団戦だと中、長距離の援護は必須か。燃料切れが早いのが球に瑕だが。

 

 とそんなことを考えて居ると、彼女がぎりっとこちらを睨む。

 

「何を見ている、亜門鋼太朗! ジロジロ見るな!」

 

 それだけ言って、さっと顔を逸らす彼女に、思わず「悪い」と謝りながら、クラの調子を見る。

 

 流石に真戸さんがチューニングに口を出したと言うだけあって(地行博士がそう言っていた)、使い勝手は申し分なしというところか。

 

「ここを抜ければ次で最後だ。行くぞ――ぬぅ?

 止まれい!!」

 

 と、黒磐特等が足を止める。

 それに続き、俺達も彼の視線の先を見た。

 

 

 

 広い部屋。周辺に比べればくらか頑丈か。 

 その出入り口の場所で、フードを被った男が一人。

 

 

 

 男、いや喰種の顔は見えない。顔の上半を被う、何かの鳥を連想させる仮面を付けている。

 

「な~んでこんな所で出ちゃうかなぁ」

「篠原さん?」

 

 俺の言葉に、篠原さんは頭を左右に振り。

 

 

「ヤツだ――」

 

 

 ほぼそれを言った瞬間、フードの喰種は左手を突き出し、軽く握り。

 

 

「ライダー、変身――」

『――()(カク)ッ! 赫者(オーバー)!』

 

 

 左手を腰のあたりで叩き落し、奴は、「変身」した。

 

 

 

 

「――”隻眼の梟”、だ」

 

 

 

 

 その宣言と、目の前に現れた仮面の喰種と――その喰種が腰に付けてた「もの」に、身体が固まった。

 

 梟? あれが、真戸さんの言っていた?

 いや、それ以上にあのベルトは――。

 

 俺の脳裏に、眼帯の喰種と、幼少期のかすかな記憶の「仮面ライダー」が重なる。

 

 

 

 

『久しぶり、と言うべきかな。アリマくんは居ないのかね? シノハラ特等。

 悪いがこちらも時間を押しているのでね。先に行かせる訳にはいかない』

 

 低い声で、こちらを見定めるように話かける梟。その声は、酷く冷静なものだった。

 

『――ライダースパーク』

 

 それと同時に赫子が光り、梟の周囲に弾丸のごとく赫子の結晶が出現。

 それらが回転し、部屋中、俺達だろうが床だろうが壁だろうが関係なく射出された。

 

「散開! 後方に寄れ!」

 

 黒磐特等の声に複数の捜査官が応じる。五里二等は射撃で応じようとするが、一発の弾の大きさの桁が違う。

 

 それでもぎりぎりで交わせるのは、しかしどういったことだろう。

 

『寄らば、斬る。離れれば撃つ。逃げるのならば追いはしない』

「ほざけ! 俺の懐の足しにしてくれる!」『――ロク・1/3(ア・サード)!』

 

 田井中上等の二股の槍が向かう。が、梟はそれを赫子の下の片手で受け止める。

 

『ライダーパンチ』

 

 そして、その手に赫子を数本纏わせ、一撃。

 壁にヒビが入るほどの威力でたたき付けられ、動かなくなった。息はしているようだが、とてもこれ以上戦える状態ではない。

 

「……マル、まずいよ。梟だ」

『――梟だ? ……間違いないんだな』

 

 丸出さんは通信機越しにしばらく押し黙る。

 そうしてる間にも梟は捜査官に向かって攻撃を仕掛けていた。

 

『――篠原ァ! 「死んでも良い優秀なヤツ」以外は別に向かわせろ。

 お前等「アラタ組」で勝てないなら誰も敵いはしねぇ。最小限の被害で挑め』

「……りょーかい。チノムツ! みんな連れて7に行ってくれ。

 あとヒラといわっちょ、頼む」

「うむ! 13区担当の上等以上は残れ!「「「「「はい!」」」」」」

 

 黒磐特等の言葉に、五里二等が私もと言うが、他の部隊に回される。この場において梟のそれに威力で対抗できない以上、他の場所で活躍させた方が適確ということか。

 

 そして、篠原さんが言う。

 

「亜門、お前もだ」

「――! 何故ですか、俺も――」

「上官命令だぜぃ?」

 

 少しだけ笑いながら言う篠原さんに、俺は、真戸さんの震える手を思い出し――。

 

「――俺はもう、真戸さんのような、あんな人を生み出したくない!

 俺も戦わせてください!」

 

 篠原さんは顎を引っ掻き、困ったように笑った。

 

「アカデミーん頃の、イガグリ坊主の頃から何も変わってねぇな……。

 おい、ちょっとこっち来い!」

「は――」

 

 そして、一撃頬を殴られる。

 

「――喰種捜査官の仕事を思い出せ。あと、俺らナメんな。

 お前は、簡単に死なれちゃ困る優秀なヤツだ。真戸が手放しに賞賛するくらいのな」

「…………ッ」

 

 

 

『おしゃべりは終わったかね?』

 

 

 

 梟がこちらに声をかける。篠原さん達が話している間、距離が開いたからか梟はこちらに手を出してはこなかった。

 

「や、待たせたね。でも以外と律儀だよね、君」

『今、必要でないというだけだ』

「あー、そう? じゃ、俺らも準備しますか――」

「うむ」

 

 そう言いながら、篠原さんと黒磐特等は、腰に装着された――独特な形状の、黒いバックルのハンドルを、両サイドに開き。

 

 

「変――身ッ!」「――変身ッ!」

『――ッ』

 

 

 クインケの制御装置、赫眼が埋め込まれたそれを右手に構え。

 黒磐特等は自分の顔の左側に一瞬構え。篠原さんは自分の体の右横に腕を伸ばし――両者ともその腕を胴体の前で一回転させ、ベルトに装填。

 

 そして、それぞれ左手と右手で、ハンドルを閉じた。

 

 

『――アラタ・1号(イチゴウ)! リンクアップ!』

『――アラタ・2号(ニゴウ)! リンクアップ!』

 

 

 電子音と共に、この場に現れる両者のクインケ。

 篠原さんのそれは、ここまで連れて着ていた犬型のもの。黒磐特等のものは、大型の猛禽類のようなそれ。

 

 両者がそれぞれバラバラに展開し、二人の身体を包みこむ。

 

 

『……そうか。”レッドエッジドライバー”か』

 

 

 

 クインケの鎧を装備した二人は、単体で見ても異形の甲冑に身を包んでいると言うべきか。

 

 

 

「――散れ!」

 

 

 

 篠原さんのその掛け声を聞き、各々が動き出す。

 去り際、ちらりと視界の端に入った梟は。自分のベルトを撫でていた。

 

 その姿が、どこか悲しげに見えたのは、おそらく俺の錯覚だろう。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『――聞こえるかい? カネキくん』

 

 

 

 ヤモリが僕に話しかける。 

 声がくぐもっているから、きっとまたホッケーマスクを被っているのだろう。

 

 彼のいう様に、色々なところで音が響いている。悲鳴だったり爆発音だったりというのが、本棟から離れているここにさえ響いているのだ。ということは、敵は自ずとしれる。ここまで大規模に対抗するのは――。

 

『ここに今、白鳩がガンガン攻めて来てるんだ。

 ”この場”で俺達がヤツらを引き付けるのが、俺たちのお仕事だ』

「……」

『……迷信や噂を君は信じるかい?』

 

 どこかやさしげな声で、僕に近づきながらヤモリは言う。

 

『こんな話を、拷問されてる時に聞いたんだ。「共食い」すれば”喰種”の血が強まるって。

 当時は本当、生きる事に苦労していたからねぇ。せっかく「覚り」を開いたっていうのに、仕方なかったんだけどね。で、その話を思い出して試してみたんだ。そしたら――』

 

 ぱきり、と指を鳴らすいつもの音が聞こえた。

 

『――赫子が研ぎ澄まされるんだよ。そのお陰か、今じゃ13区でも敵なしになった。

 だから、俺はこの酷い迷信は真実だと思ってる』

 

 

 きっと、俺達は奪い合うように作られてるんだよ。

 

 

『本当、こう思った時に喰種は救いがないなって思った。他人から奪って、奪われてってのを繰り返してな。

 ……初めて君を見た時から、俺は思ってたんだ。君は俺と一緒だ。昔の俺と。どんなに楽しくっても、内側が空っぽなんだ。どんなに愛しく思っても、所詮は自分以外見えていないんだ。どんなに勇気を振り絞っても、結局只の臆病風でしかないんだって。

 だから、君にも身に付けて欲しかった。

 決断する強さを。理不尽を前に立ち向かう怒り(パワー)を』

 

 マスクを外して、彼はすごく悲しそうな声になった。

 

「でも、どうやら駄目だ。君は俺にはなれない。

 だからせめて――俺の中で生きてくれ」

 

 いただきます、と手を合わせるヤモリ。

 

「――すみません」

 

 

 

 僕は――。ヤモリの頬にかじりつき、抉った。

 

 

 

「……な?」

 

 

 最初、ヤモリは意味がわからないというような声をだした。

 僕は、口の中に入れた肉を咀嚼。味は、僕の肉と大差ない。不味い。とても食べられたものじゃない。

 

 でも、こうでもしないと今の、ドライバーと薬で弱められている僕は、力が足りない。

 

 手錠をされて後ろ手に縛られた腕に力を入れつつ、かがむ。そして椅子の足の部分に手錠の鎖を引っ掻けたまま壊し、僕は立ち上がり――。

 

 

 見上げたヤモリの顔は、どうしてか愉しそうに笑っていた。

 

 

 

「――遂にやりやがったね君いいいいいいぃぃぃぃッッ!」

 

 

 

 嬉しくて嬉しくて仕方ないというような声を出すヤモリ。

 

 僕は跳び上がり、ヤモリの首を鎖で締めた。

 そんな状況でも愉しそうに笑うこの男が、どうしてか僕には理解できない。

 

 

「あ、はは、でも、流石にここで、死ぬのは、まずい、なぁ――ッ!」

 

 

 そして自分の首を締めるそれを、鎖を断ち切り僕を投げ飛ばす。

 

 僕は、投げ出された先、転がったバケツの中から――僕から切り離されたそれらを、軽く幾つか摘み、頬張った。

 

 

「酷いなぁ、カネキくぅん。ニコに笑われちゃうじゃないかぁ」

「僕を食べようとしたんだから、逆に喰われたって、文句、ないよね?」

 

 まあ、答えは聞いてないですけど。

 

 指差す僕に、ヤモリは本当に、本当に愉しそうに爆笑した。

 

 

「それだよ、それだよカネキくぅぅぅん!

 その目だ! 何者にも侵されない、自分の領域を守る為に何でもかんでも一切合切排除するっていうその目――! ナキは性格的にそれは出来ないからやらなかったが、君なら! 君なら出来ると信じてい――」

「ごちゃごちゃ五月蝿いです」

 

 僕は走り、ヤモリの胴体に蹴りを入れようとする。

 でもそれを回避し、ヤモリは僕の首を掴んできた。

 

「あはは、負けん気が強いのも気に入った! でもいきなり先輩に手を挙げるのはいけないなぁ。

 ちょっと、新人教育だ――」

「いらないです」

 

 そう言って僕は、ヤモリの腕を足で絡め取る。以前やった動きに反応して、ヤモリは僕の足を掴んで笑った。

 

「どうするカネキくん! 折れるぞ、さぁ――」

 

 

「今更こんなので痛がりませんよ」

『――崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 

 変身していない状態だからか、体内のRc値が下げられている状態だからか。ベルトレバーの操作で僕は変身できずに拘束されていた。

 その状態で、あの時のようにレバーを二階落とすと、単にそれだけが電子音で叫ばれ。

 

 僕の掴まれてない右の足から、爆発するみたいに、血なのか赫子なのかわからないものが噴出した。

 

 

 回転しながら、そのままヤモリの即頭部をそれで抉る。

 

 愉しそうな顔をしながらも、しかし流石に痛いのか、表情を歪めて彼はぶっ飛ばされた。

 

 

 

 

『――アッハッハッハ! 研くんすごいじゃない、変身してないにしては!

 あの「おままごと坊や」もひっどい顔! あははははははははッ』

 

 僕の頭の中で、リゼさん大爆笑。

 今更ながらだけど、ひょっとして知り合いだったのかな?

 

『研くん襲う前に、私を捕まえるとか言って来てたかしら。

 ペンチ奪ってやったけどね、アハハハハハハ』

 

 なんだか、あんまり知りたくないような情報だった気がする。

 

 ヤモリが僕に執着していたのは、リゼさんの赫子と僕の気質だと言っていたけど、ひょっとしたらリゼさんそのものに対する意趣返しとかも、無意識にあったのかもしれない。

 

『で、どうするの?』

 

 僕はドライバーを解除して、外す。少なくともしばらく経たないと、赫子も本調子にはならない。抑制剤に加えて値を一定に保つという処置をされていたのだから、こちらだけでも外さないといけない。

 

 そういうロジックが一つ。

 そして、それとばまた別な感情論が一つ。

 

 

 折れた足をぐるりと、元の角度に調整。直るのにはもうしばらく時間がかかるかもしれないが、筋肉も喰種であるせいか、添え木なしでとりあえずは立てそうだ。

 

 

「――泣けるなぁ。痛いよカネキくん」

 

 叩きつけられた壁の向こう。立ち上がるヤモリに向かって、僕は笑う。

 その姿が、赫子に覆われて変貌していても。より異形に近い姿になって、どれほど恐ろしいものであったとしても。

 

 そして、僕とヤモリは右手の人差し指を同時に押さえ。

 

 

 

 

「――これは、なかなか大変な新人教育になりそうだッ!」

「――辞表って何処に出したら良いですかねぇ」

 

 

 

 

 同時に、指を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 意外と冷静というか、軽口が出てくる自分に驚いた。

 でも、頭の中は淡々と現状を分析している。

 

 敵は一人、僕よりは強大。僕自身は抑制剤の効果で赫子が上手く出せない。

 

 これだけでも、既にドライバーを使って戦うのが得策ではないということがわかる。

 

 加えて、何だあの姿は――。

 

『共食いの結果よ、研くん。まあ、あれは出来そこないだけど』

 

 出来そこない?

 

本物(ヽヽ)が言うんだから間違いないわよ。見て? あの喋り方――』

 

 

「うばう、うばう、うばううばう――おかあさあああああああああああああああああああああああん!」

 

 

 叫びながら、ヤモリは顔面と、右腕にまとった赫子をめきめきと膨張させる。

 

 

『全然制御できてないじゃない。あれじゃ駄目駄目ね。赫子の何たるかも全然わかってない。

 赫子は、想像力よ。イメージ勝負』

「?」

『出せるようになったら、「半分だけ」私に使わせて? そしたら、わかりやすく教えてあげるから。

 手とり足とり、ね♡』

 

 

 

「――ルールは大事だあああああああああああああッ!」

 

 

 叫びながら突進してくるヤモリ。

 僕はドライバーをバケツの中に一旦放り捨てて、跳ぶ。

 

 腕のそれが分岐して、ムチのように上空の僕に向かい。

 

 出来そこないのバク転でそれを交わしながら、どんどん後方へ。

 

 動きに合わせて、段々と身体の中の「何か」が循環していく感覚が蘇る。ここのところ座りっぱなしで、床ずれみたいなのも起こっていたけど、それさえもう足には見当たらない。

 

「――ちゃんと守らないとおおおおおおおおおおッ!」

 

 遅い掛ってくるヤモリの右腕。内側、懐に入り込んで、僕はヤモリの「腕を折る」。

 

 だがそれさえ、赫子に覆われている訳でもあるまいに、一秒と掛らず再生した。

 

「――悪ぃ子は潰れるぅぅぅぅ!」

 

 そして僕の方に赫子を回してくるタイミングで、さらに身体を捻り、ヤモリ自身の胴体へ導く。

 一撃、自分で自分の腹を貫通。

 

 だが、これも浅い。傷は深いにもかかわらず、ものともせず彼は僕の胴体を蹴り飛ばした。

 

 跳ね飛ばされた先は、ヤモリの方とは別の壁。ヒビが入り、背中が折れるような痛みに襲われる。

 

 

 

「……痛いなぁ。じゃあ、次は――」

 

 

 僕は、立ち上がり――背中の割れたような痛みと共に、外に「出てきた」それを、ちょっとだけ放棄する。

 すると不思議なことに、四本――かつては三本だったはずのそれらの先端は、まるで女性の細い手のように色も、形も変化し――。

 

 

「――「私たちの番よ(僕らの番)」」

 

 

 左のこめかみの辺りから、かつてリゼさんに見た、角のようなものが生えた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「二人で一人の共同作業とか、激しくダサいけど、ま、仕方ないわねぇ……。(わたし)だったら小躍りしてそうだけど」

 

 相変わらず意味のわからないことを言うリゼさん。

 

 僕は再度、自分の赫子を見つめる。四本それぞれはクモのように関節が設けられていて、先端の手はまさにリゼさんのそれ。

 頭の角も鬱陶しいかと思いきや、案外その重さに違和感はなかった。

 

「使い方がいまいちわからないでしょうから、分かりやすくしてみたわ?」

「手足が、四本増えたって感覚も訳わからないですけどね」

「イメージは多少しやすいんじゃないかしら」

 

 僕の意志を受けるとうねうね動き出し、セルフじゃんけんぽんをはじめる四本。

 

 そして驚いたことに、リゼさんの声は「実体を伴って」現実世界の僕の耳に響いていた。

 

 

 彼女の声は、こめかみの角から発声されていた。

 

 

「だぁれの、だぁれ、だあ……?」

 

 ヤモリがリゼさんの声に反応してうめき声をあげる。

 リゼさんは、くつくつと嗤った。

 

「くす、でどうするの? 研くん」

「一撃が重い。近距離の殴り合いではたぶん勝てない。基本的なRc値が違いすぎる」

「うんうん」

「だから、最終的には『剥がし』ます」

 

 その前に、まず押さえつけないといけないけど。

 

 ぐーぱーを繰り返した上で、僕は走る。

 走る意志に合わせて、”手”が地面を押して、僕の胴体を浮かせた。

 

 勢い良く蹴りつける。案外俊敏に反応して、それを腕で押さえつけるヤモリ

 

 でも遅い。”手”は更に地面を押し、そのまま勢い良く僕らを壁に叩き付けた。

 

 そのままヤモリが再生して、体勢を立て直す前に手数で押し切る。トーカちゃんが月山さん相手にしたように、連続で。

 

 ”手”を三本”拳”にして、殴る。殴る。腕力の一撃じゃない。その一撃で表面が平らに潰れるのだから、それはもはや万力とかプレス機とかのそれだ。

 それを、再生できない速度で抜き差し。

 

「ぐ、ぅ、ああああああああああああああッ!」

 

 振り払うように叫ぶヤモリ。腕のしなる動きに合わせて、実際僕も引き。

 

 ”手”の一つにドライバーを握らせ、投げ、僕は勢い良くハンドスプリング。

 

 

 

 腕と”手”を使って、そのまま胴体に一撃。

 

 

 ヤモリの口から血が迸る。

 

「て、めぇ――」

 

 僕()は気にせず、そのままヤモリを投げ捨てる。

 そして飛びあがり、うつ伏せにした状態で彼の四肢に、手刀にした”手”を突き刺し。

 

 

「確か、こうでしたっけ」

 

 

 落ちて来たドライバーを彼の背の上に乗せ、起動させた。

 

 

 

「――ぃああああああああああああああああああああッ!」

「情けないわねぇ。研くんでさえ耐えられたというのに、赫者なりかけの貴方がそれって……。

 トラウマとか言ってたかしら。案外、コクリアでもこれ使って拷問されてたのかしらねぇ」

 

 

 アラタさんのクインケドライバーにより、ヤモリの赫子は体から剥がれ、抜け落ちる。

 

 びらびらに開いたそれは、どこか植物の茎や枝を思わせた。

 

 

 痛みに震えながら、涙を流しながら、でもヤモリは僕の方を振り向いて、笑った。

 

 

「か、んぱい、だよ――、君は、強者だ」

「なりたくてなるものじゃないですよ。きっと、そういうのって」

 

 がたがた震える彼に軽く答えつつ、僕はリゼさんと会話。

 

「わかった? 研くん。使い方」

「……本当に結構、自由なんですね」

「そうよ」

「じゃあ――こんなのも出来ましたか」

 

 彼女の微笑む声を聞きながら、不意に僕は、ある想像をしてみた。

 

 

 結果は、すぐに現れた。

 

 

 

 僕の背中から、べきべきと音を立て。でっぷりと長く、太く新しい赫子が出現する。

 それは段々と姿形を変え、べきべきと音を立てながら、やがて成人女性のような姿へと変貌していき――。

 

 

 

 

「り、ぜ?」

「お久しぶりねぇ、つまんない坊や♪」

 

 

 

 

 

 僕のこめかみから角が消滅し、彼女――僕の「背中から生えた」リゼさんの、左こめかみから生え直した。

 右の角は、折れたまま。

 

 

 半裸とも、赫子ともつかない状態のリゼさんは、お腹を押さえてけたけた笑う。

 

 

「なん、で、お前が――」

「想像力が足りないんじゃなぁい? 研くんに言ったこと、そのまま自分に帰って来てるじゃない。

 ドライバーを使って拘束されたのも、近づいて喰われたのも親子の分。

 言ったでしょ? 今度は――貴方が蹂躙される番みたいよ?」

 

 

 見下ろす僕を、ヤモリは震えながら見る。

 

 今、僕がどんな表情をしているかは、定かじゃない。

 

 

「一つだけ言っておきますけど、さっきのあれは単純に迷信でも何でもないと思います。

 喰種は、人間を食べてRc細胞を貯める、でしたっけ」

 

 エトさんとの雑談で聞いた話を思い出しつつ、僕はヤモリに笑う。

 

「だったら――もっとRc細胞を貯めてる喰種から食べたら、効率的じゃありませんか?」

 

「や、やめてくれ――」

「あはははははははははっははははは――ッ!」

 

 震えるヤモリに、リゼさんは嗤う。

 僕は、表情を変えない。

 

「勘違いしないで下さい。僕は、貴方への恨み『だけ』を持ってるわけじゃない。

 このまま貴方が貴方のままだったら、きっとまた、みんな危険になる」

「や、止めてくれ――」

 

 

「だから――覚り直しましょう?」

「洗礼、だったかしら? まあ、久々の食事がコレってのは不服だけど……」

 

「君はいいんだ、でも、お前にだけは――リゼ(ヽヽ)にだけは、喰われるのは、奪われるのは――」

 

 

 舌なめずりをするリゼさんに、怯えた声を上げるヤモリ。

 彼女は少しだけくすりと笑って。

 

 

「――さぁて、1000引く、7は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あなたを狂わせたのが人間だというのなら、貴方もきっと被害者なんだと思います」

「お……、か……、」

「でも、だからこそ、僕は絶対貴方みたいにはならない。自分の快楽や、娯楽のためだけに命を奪うようなものには」

「……さ、……」

 

 達磨(ヽヽ)で震えるヤモリを残し、ドライバーを外し。

 僕はそれを手に持って、歩きだす。

 

 リゼさんの姿はもうない。「仕事」が終わると、不服そうな声を出しながら「僕の中」に戻って行った。

  

 一度だけ振り返り、僕は言う。

 

 

「赫胞、『尾赫』と『甲赫』は奪いましたけど、まだ『鱗赫』は残ってますよね」

「……ッ!」

 

 

 これに反応するということは、まだ理性が残っているということか。

 

 でも、僕はそれはもう無視する。

 

 

「体内のRc値が減っている状態で、何が最善なのか。

 …… 一回だけ、チャンスをあげます」

 

 

 甘い、とかじゃない。

 この後、赫子が残ってるなら以前ほどではないが回復するだろう。血中のRc値が下がっている以上、それこそ以前の僕よりも、弱く、弱く。

 

 その上で、その後に、彼がどう行動するか。

 

「CCGと戦うも、逃げ出すも貴方の自由です。

 でも――次また同じことをしていたら、その時は、欠片も残しません」

 

 装着していないドライバーのレバーを落す。ぱちん、という音に、びくりとヤモリが震える。

 

 

 

 

「……正直に言って、貴方のことなんてもうどうでも良い。

 勝手に生きるか、死ぬかしてください。どちらにしても――()が殺し直しに行かない程度にしてください」

 

 

 

 貴方の命の責任なんて、とりたくないですから。

 

「ひ――」

 

 

 扉を閉めながら、暗くなる部屋から目を離しつつ。僕は歩く。

 

 

「――ひとりにしないで」

 

 

 そんなヤモリの声は、硬く閉まる金属の音に、かき消された。

 

 

 

 

 




特等二人の変身ポーズは、1号2号リスペクトな感じです。ベルトはディケイドライバー+ゲネシスドライバー的なものですね。

今回のカネキくんは、555で言うウルフオルフェノクとかOOOの恐竜グリードみたいな感じの認識で;


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#033 呵責/去行/姉弟

 

 

 

「さぁて、と……、どこだと思います? リゼさん」

 

 問いかけても返事はない。

 そのことに不思議と残念さを覚えながら、僕は階段を下る。

 

 ホールから出て扉を閉めて、下に降りている最中の僕。とにかく今は、バンジョーさん達を探さないといけない。ヤモリの口ぶりからして、ある程度健康なままどこか一箇所にまとめて監禁されているだろう。

 

「ここの構造ってどうなってたかな、と」

 

 建物は凹の字型。へこんでいる箇所が海になっていて、僕は今左側のでっぱり、5棟の向こうの別棟。

 

 そう考えると、ヤモリがホールを自由に出来ていた以上、ここの建物自体が彼の所有物と考えるのが妥当だろうか?

 

 あるいは、周辺の建物も含めるか。

 

 と、ホールから出た直後、背の低い、半分地下に突っ込んでいるような建物を見つける。そこから聞き覚えのある男性の声が聞こえて、少し僕は笑顔になった。

 

「確か、赫子は想像力だったっけ」

 

 中に入って檻を確認していくのが面倒なので、コンクリートの壁に「赫子を突き刺し」て、音を確認。イメージするのは、コウモリやイルカのソナーだ。

 

 

『――チクショウチクショウチクショウチクショウ、チクショウーッ!!!

 何で俺はこんな弱いんだ……!! リーダなのに……、何で、こんな――』

 

 

「……やっぱり、優しい人なんだよね」

 

 バンジョーさんの苦悩の声は、痛いほど僕の胸に響いてくる。リゼさんのことだから、きっとテキトーな感じに言っただけなんだろうけど、それでもバンジョーさんは頑張っていたはずだ。戦闘力が追いつかなくても、あの仲間たちのまとまり方を見ていれば、不思議と頷ける。

 

 でも、お陰で位置が分かった。

 

 何歩か歩きながら、僕自身の耳をすませる。

 喰種特有の感覚なのか、段々と、赫子をソナー変わりにしないでもわかる位置まで来た。

 

 目の前の壁を壊せば、きっと彼等の所だろう。

 

「そのまま開けたら危ないよなぁ……。よし」

 

 とりあえず再び赫子を、今度は月山さんがやってたような、ドリル状にイメージ。

 伸ばして伸ばして、天井に近いあたりで変形させて、刺す。

 

 後は回転、回転、ひたすら回転――、よし、届いた。

 

 開いた穴から赫子を抜き、大きな声で聞く。

 

「バンジョーさん? 居ますか?」

「……その声、カネキか!? カネキなのか!!?」

 

 よし、とりあえず話くらいは出来そうだ。

 今から壁を壊すから離れて下さいと言って、数秒待ってから、右の拳を構える。

 

 イメージするのは――店長が、リゼさんに見舞った一撃。赫子を拳に結集させて、殴る。シンプルだけど、その分威力も保障されている。

 

 

「――ライダー、パンチ」

 

 

 果たして殴りつけた一撃は、想像以上にコンクリートを軽く粉々にした。

 

 やりすぎたか、と思いながらちょっと慌てて室内に入り、確認。

 

「えっと、みんな大丈夫ですか? 今のでケガとかありません?」

「あ、ああ。大丈夫だ……。無事だったんだな、カネ――」

 

 砂煙なのかコンクリートの粉塵なのかはともかく、それらが視界から消えた時。バンジョーさんは僕を見て、言葉を失った。

 

「良かった、みんな無事で」

「お、お前……、その手、足、髪――」

「あー、ちょっと色々ありまして……。でも、心配しないで下さい」

 

 出来る限り笑ったつもりだけど、上手く笑えてる自信はない。

 間違いなく今の僕は、普段の僕と、暴力衝動との中間くらいに居るはずだから。

 

 こんな調子でトーカちゃんに会ったら、きっとどつかれる……。

 

「だ、大丈夫ってお前、ヤモリは――」

「倒しました。とりあえず戦闘不能に。

 回復するにしても、しばらく戦えるような状態じゃないと思いますよ」

 

 僕の言葉に、バンジョーさんが何度も確認する。ジロさんやイチミさんたちが顔を合わせる中、僕は、頭を下げた。

 

 

「――ごめんなさい」

「どうした?」

「コウトくん達を、助けられませんでした――」

 

 ケイさんとコウトくんを、とイチミさんが繰り返すのに、僕は頷く。

 

 バンジョーさんは、また酷い顔で自分を罵倒した。

 

「またッ、俺は――やっぱり何も出来ない。

 俺はどうして、こんなに、能なしなんだ――」

 

 でも、僕はそれを遮る。

 

「……バンジョーさん一人で、これ以上背負わなくても良いです」

「……!」

「自分の能力で果たせないことを、嘆くのは悪くないと思います。でも、その罪悪感で押しつぶされたら、元も子もありません。

 僕が仮にリーダーになると言ったとしても、きっと皆を守りきるなんて、不可能だと思います」

 

 それくらいは分かってる。僕は「あの」母さんの子供なのだ。どれくらい自覚したとしても、きっと根っこは同じで、僕は僕のことしか頭にないんだと思う。

 

 だから、僕が言える精一杯は。

 

「―ーだから、皆で強くなりましょう。

 強くなって、皆で力を合わせれば、きっと、誰も殺されない」

「……」

 

 どれほど大きくなったとしても、一人に出来る事は所詮、一人にできる事でしかない。

 

 でも、だったら多くの人数で協力すれば、もっともっと大きなことが出来るはずだ。それこそ、一人では決して選ぶ事の出来ない選択肢が見えてくるかもしれない。

 

 多くの選択肢を掴むため――やっぱり、僕等はもっと強くならなくちゃいけない。

 同時に決して、ヤモリのように歪んで強くなってはいけない。

 

「……CCGの部隊が攻め込んできてる、らしいです。

 このまま居残るとまずいですから、早い所逃げちゃいましょう」

「お、おぉ……」

 

 僕の言葉に連なって、バンジョーさん達は後に続いた。

 

 移動中、少なからず何人かCCGの捜査官と遭遇したけれど。

 リゼさんがやったように四本の赫子の”手”を出して、それとなく掴み投げ飛ばし続けた。

 

 少なくとも意識を飛ばし、武器をバラバラにして、通信機を壊せば気付かれず移動することくらい難しくはない。

  

「――ここまで来れば"白鳩”の連中もいないみてェだな!」

「そうですね。とりあえず、お疲れ様でした」

 

 クインケ装備の捜査官と出くわさなかったのが幸を奏し、数分とかからず僕らはアジトを抜け出た。

 

 空に向かって、とりあえず息を吐く。

 

「いやー、やっとこのアジトからもおさらばだ……!!」

「長かったですねぇ、バンジョーさん!」

「シュウ、疲れたよー」

「落ち着けハル、まだ気を抜くな」

 

 全員、明らかにテンションが上がる。

 中にニコが言ってたろう恋人同士の二人を見て、僕は少しだけ苦い思いをした。

 

 

『――カネキくん、耳をすましてごらんなさい?』

 

 

 そして、そんなタイミングでリゼさんの声。

 言われて、目を閉じて僕はアジトの建物の方に集中し――。

 

 

『――ライダースラッシュ』

『――目ェ覚ませ馬鹿アヤトぉ!』

 

 

 店長とトーカちゃんの声を聞き、足を止めた。

 

「……どうして?」

 

 いや、まさかとは思うけど僕を助けに? 可能性が高いのはそれか。

 いや、トーカちゃん達だけしか来ていないというのは、普通に考えて違うだろう。あんていくのメンバー、数人がここに来てると見るべきか。

 

「……すみませんバンジョーさん。森方向、1キロ先までくらいならアオギリもCCGも居ないみたいです。

 だから、先に行っててください」

「……カネキ?」

 

 僕は背後を振り返り、みんなに笑いかけて。

 

「少し、やり残したことがあるみたいなんで」

 

 

 それだけ言って、再び建物の方に走り出した。

 

  

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 6棟って、どこだっけ。

 移動してる途中で自分でもわからなくなりそうになるけど、カネキが居るだろう場所はこの先、五棟を抜けたホールだったと思う。

 

 少しだけ呼吸を整えて、私は四方さんの後に続いた。

 

「……5棟はアオギリと白鳩が交戦中らしい。厄介になるぞ?」

「やっと人間にPut there(ありつける)! 粗食ばかりで飽き飽きしていたところです」

 

 また馬鹿なこと言ってるクソ山に、四方さんが律儀に注意するのを聞きながら、私は思い出す。

 

 あれは、カネキがまだ店に入った直後くらいだったっけ。店長からの指示でお湯の注ぎ方を教えて、見事に失敗。それでも強がって良いんだよって言って、カネキが店長の前で同じ失敗をして。

 

 告げ口でもされるかと思ったら、あいつ、笑いながら自分が覚えられてないとか言って、私を庇って。

 

 嗚呼、思えばきっとあの時からだ。

 

 最初、私に肉を食わせられて拒否して拒否して熱まで出してたくせに。私達が人間を食べる時も、自分みたいに苦しい時があるんじゃなかなんて言って。

 なんだかその顔が誰かと被ると思ったのが、切っ掛けで。

 

 その時に、私のために嘘ついたのが、その瞬間、人間に合わせて無茶をするお父さんにダブったんだ。

 

 それからなんか、気が付くとアイツの方を気にしている自分が居て――。

 

 

「おいクソトーカ!」

「……ッ!」

 

 はっと顔を上げれば、目の前には二人くらい捜査官。

 射撃に対しては体を捻ってギリギリ反応したけど、追撃までは間に合わない――。

 

 

「はいっと」

 

 

 そんな私を、ウタさんが手前でサポートしてくれた。

 軽々と首を折る様を見て、月山が「ドルチェ!」とか変なこと言った。

 

「集中しろ、死にたいのか……!」

「ご、ごめんなさい……」

「カメラにタトゥー映っちゃったかなぁ」

「らしくないねぇ霧嶋さん!」

「何やってんだよお前」

 

 周りから一斉に言われて、私は声が小さくなる。

 確かにらしくない。何をやってるんだって言われても仕方がない。

 

 こんな調子じゃ、カネキ助けに行く前に自分がやられちゃいそうで――。

 

「……”白鳩”の部隊だ。

 最短ルートは簡単に通れそうにない」

 

 四方さんが足を止め、角の先を伺う。

 私達もちらりと見れば、言葉の通り十数人ほどの捜査官たちが武装を準備していた。クインケじゃなくて猟銃みたいなヤツは、どこかで見覚えがあるような、ないような。

 

「俺たちは強行する。

 トーカと西尾は別ルートだ」

「んん、四方氏、なら僕も霧嶋さん達の方に――」

「そしたら殺す。お前は駄目だ」

「イッツジョーク。おぅ怖い」

「蓮示くん、冗談通じないよ普段は」

 

「行くぞトーカ」

 

 ニシキが私に先行して階段を上る。

 後でなと声をかける四方さんに頭を下げて、私はニシキに続いた。

 

「おい、単細胞」

 

 階段を上りながら、ニシキが言う。

 

「……今、やんなきゃなんねーことだけ考えてろ、マヌケ!」

「……」

 

 一瞬、確かに正論だと納得してから、私は思わずいつものように。

 

「うっさい、色ボケメガネ」

「ああ!? 誰が色ボケだこんちくしょー、てめぇが言うなッ!」

「あ゛?」

「自覚なしかよ、ったく……。

 毒づく体力あんじゃねぇかよ、クソトーカ」

 

 ふん、と鼻で笑い返す私。

 

 建物内部のルートが使えない以上、もう行ける先は屋上からしかない訳で。

 そのまま扉を開けた私たちは、走る。

 

 不気味なほど静かな屋上までのルート。この時点で、警戒が少なからず堕ちていたのかもしれない。

 

 あるいは、私自身の鈍りか。

 

 

「――ッ、チッ、油断してんじゃねぇ!」

「ッ!?」

 

 

 突如、雨あられのごとく赫子の弾丸が降り注ぐ。避けられない、と私が判断するより先にニシキが庇った。

 

 くそが、と口だけ動かして、そのまま倒れる。

 

 そのまま抱き起こそうと手を貸そうとした瞬間、上空から声が聞こえた。

 

 

 

「――よォ、馬鹿姉貴。

 何しに来たんだァ?」

「アヤト……!」

 

 

 給水塔の上。黒い、兎のような仮面を首から下げて。

 嫌そうな表情をしながら、アヤトが私を見下ろしていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「トーカ、ひょっとしてあの眼帯野郎を助けに来たのか?

 ありえねぇ、どこまで腑抜けちまったんだァ? それとも色ボケたか……」

「……コイツもだけど、何だよ色ボケって」

「何、家族のこと無関係の半端ヤローにまで話してるんだってんだ、あ゛!?

 他に理由でもあんのかゴラ! 命令しても殴ってもずっと弟か、親戚の子供か何か見るような目で見てくんだぞ、やり辛ぇにも程あんだろうがッ!」

 

 頭をガリガリ搔きながら、そう吼えてアヤトは下りてくる。

 

 カネキ、そんな態度でアヤトに接してたとか、ちょっと想像でき……、そうで出来ない。ここまで荒れてるアヤト相手に、そんな目で第三者が見れる?

 

 っていうか、私はちょっと、アヤトの言葉が何を指し示してるのか理解が追いつかなかった。

 

 でも、数秒で会話の素材をそろえて、ある一つの結論に達した。

 

「……へ? 私が、カネキに?」

「違ぇのかよ」

「へ? いやいや」

 

 軽く否定してはみるけど、あれ、なんだろう、顔熱い。

 

 いや、別にそんなんじゃないと思うんだけど……。確かにお父さんに雰囲気とか言動とか似てるし、なんだかんだで何も言わなくても、私のこと色々察したりしてくれるけど、別にそんなんじゃない――はず。

 

 いや、でも、ちょっと待って。

 

 いやいや、別に、あり得ないから――いや、でも。

 

 

「……ひょっとしてガチのヤツか?」

「……や、や! 違うから、この!」

 

 

 慌てて否定する私を見て、やっぱり面倒そうに頭をガリガリ引っ掻くアヤト。

 

「やり辛ぇ……。でも、ま、無駄足だぜ?」

 

 そう言って、アヤトは嗤う。私が急いでいるというのを見越してか、アヤトはいっそ大笑いというレベルで声を張り上げた。

 

「教えといてやる。あいつは今、ヤモリって喰種と一緒だ。

 ヤモリは簡単に言えば、拷問マニアの変態ヤローだ」

 

 両手を広げ、私に向けて馬鹿にするように、アヤトは嗤った。

 

「――アイツ、たぶんもう死んでるぜ?

 一歩遅かったなぁ、マヌケ」

 

 

 それを聞いた瞬間、大体「遅かった」の「か」のあたりで、私は走り出して。

 

 アヤトに向けて羽赫を射出するも、向こうは自分の体に赫子を巻き付けて、コートかマントのように装備。

 その状態で、こちらの弾丸を軽く往なして、防御。

 

「この――」

「バン」

 

 顔面に向けて蹴り上げれば、それは素手で止められ流され、マントから射出。

 

 腕で胴体を庇っても、私の身体はアヤトの一撃で簡単に転がされた。

 

 

「――ったく、弱っちぃクセにちょこまかウゼェんだよテメぇよ」

「アヤト……」

「テメェも親父ん所まで、送ってやろうか、あァ?」

「――アヤト!」

 

 私は、瞬間的に頭に血が上って、あらん限り叫びながら蹴る。

 

「目ェ覚ませ馬鹿アヤトぉ!」

 

 回し蹴りは、回避。

 赫子の一撃も、飛び跳ねて避けられて。

 

「こんな訳わっかんない組織で……、何やりたいのよアンタ! どうしちゃったんだよ!」

「うっせ、姉貴にはカンケーねぇ!

 それに、どうかしてんのはテメぇだろ!? あんなに簡単に、人間に裏切られたのに、親父の真似事してままごとして――!」

 

 逆に赫子を掴まれて、フェンスに叩き付けられて。

 

 そのまま引き寄せ、背後に回って。

 

 

「――俺はお前らとは違う。テメェだって容赦しねぇ。

 半端な羽根なら――要らねぇだろ」

 

 

 

 

 そして、私の背中に激痛が走った。

 

 

 

 

 叫ぶ私。

 アヤトは、私の背中の赫子を素手で掴み、引きちぎるようにしながら自分の口で噛み千切る。

 

 なんだか熱い。きっと赫子と一緒に、血がどばどば背中から出てるんじゃないだろうか。

 

 必死にもがいて、蹴り上げても、しかしさっき程の力が入らない。

 

 

「――力はルール。世界はルール。なら、世界は力だ」

 

 

 私を蹴り飛ばして、アヤトは口を「不味い」と拭う。

 

「物事の優劣、全部力で決まる。いい加減わかれよ、じゃねぇと親父みたいに負けるだろうが」

「……ッ」

 

 立ち上がれない私の脳裏にフラッシュバックするようにお父さんの映像が蘇る。

 

 一番古いところには、お父さんもお母さんも居て。

 三人だけになってからの方が少し多いのが、ちょっと寂しくて。

 

 住んでたマンションの隣接、佐藤のおばちゃんの作った肉じゃがを不味い不味い言いながら食べる光景。

 私やアヤトに、喰種としての世界を守る為に人間の世界で生きることを説く光景。

 ごんぎつね、だったか昔話を読み聞かせる光景。

 拾った小鳥の世話のための本を読んで、色々私達に教えたり、試行錯誤していた光景。

 レシピを読みながら、人間に合わせた料理を作っておすそ分けしようとする光景。

 

 夜、公園で遊んでいた時、迷子になった年上の男の子の悩みを聞いてあげていた光景――あのお兄ちゃんは、少し振り回したような記憶があるような、ないような。

 その彼を見送って、親が両方居なくて私達より辛い状況かもしれないって話もされたりして――。

 

 でもある日、捕まったのか殺されたのか、お父さんは帰ってこなくなって。

 

 私もアヤトも、佐藤のおばちゃんに通報されて殺されかけて。

 

 だから、私はお父さんの分も、お母さんの分も、三人分アヤトの傍にいてあげないとって思って。アヤトのこと、守らなきゃって思って――。

 

 

「……チッ、こんな時まで親父の話かよ」

 

 

 うわ言で何か呟いている私に、アヤトは赫子を出現させる。

 

「んなもん、もう居ねぇんだよクソトーカ」

 

 ――トーカちゃん、学校に通ってみる気はないかい?

 

 荒れてた当時、芳村さんが私にそう言ってくれて。色々あって、私も人間について知りたいって思って。

 丁度その頃からか、アヤトが反抗的になったのは。

 

 親父のことで学習しなかったのか、とはよく言われたっけ。

 

 平和ボケしてると罵って、そのまま家を出て行って。気が付けばイトリさんからの情報で、14区で暴れてるって話が回ってきて。

 

 

「『赫胞』にダメージ与えりゃ、時間かけて回復するまで『赫子』も出せなくなる。……姉貴、あばよ――」

 

 

 一人でクッションとか、ぬいぐるみを抱えてよく寝てたっけ。

 

 寂しさで枕を濡らして、悲しみで一人打ち震えて。

 

 

 私が守りたかったアヤトまで私から離れて、そして一人ぼっちになったとき。胸の真ん中あたりに、よくわからない穴みたいなのが開いてるような気がした。

 

 抜け落ちたものは、もう、取り戻せそうもないや。

 だから――だから、誰か。

 

 

 

「――一人に、しないでよ……」

 

 

 

 私の呟きと同時に、アヤトの背中から赫子が射出され。

 嗚呼、最後の最後まで一人だったんだって、少しだけ悲しくなって目を閉じて。

 

 

 

「しないよ」

「……へ?」

 

 

 

 身体を包む浮遊感。背中と足に感じる、細くても妙な力強さを感じる感触。

 目を開けて、その正体を探せば――。

 

「――あ……、ん、た。カネキなの……?」

「ギリギリセーフ、だと良かったんだけど。大丈夫?」

 

 

 髪を真っ白にして、手も足も指先の色がぐずぐずになっていて。

 見るからに傷だらけで、顔だってどこかやつれてるのに。

 

 それでも、カネキはいつもみたいに、少し微笑んで私を見ていた。

 

 

 

 

 




※カネキの駆けつける速度がおかしいですが、アクセルフォームorクロックアップはしてません;


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#034 名無/火花/鉄拳/本心

今回のとあるやりとり、本作始めてからずっとやりたかったシーンの一つです


 

 

 

 

 

「ギリギリセーフ、だと良かったんだけど。大丈夫?」

 

 私に話しかける、カネキ。お姫様だっこをしながら、いつもみたいに笑っていて。

 でも表情を見ても、どこを見ても、明らかに普通じゃない――普段通りじゃない。何をされたのか、傷痕や、白くなった髪や、少し痩せたように思う頬を見ても一目瞭然で。

 

 それでも、カネキはいつも通りに振舞う。

 

「トーカちゃん、僕を助けに来てくれたの?」

「……あ、…………んた……」

「ボロボロだ」

 

 悲しそうな表情になって、目を閉じるカネキ。「ごめん、僕のせいだ」と謝るコイツに、どうしてかやっぱり、いや、いつも以上に父さんがダブって――。

 

「なんでそうなんのよ、バカ」

「それから――」

 

 でも、続く一言で。

 

 

 

「――ありがとう。助けに来てくれて」

「――ッ!」

 

 

 

 どうしようもなく、全身が熱くなる。

 意識が朦朧としていた今の一瞬から、一気に目が覚めるような。まるで回ってなかった酸素が全身に一気に駆け巡るような、よくわからない感覚というか、興奮というかが迸る。

 

 思わず両手で顔を被う。なんかわかんないけど、カネキの顔を見てられない。

 

  

 

 そして、そんなカネキの背後から赫子が出てきて、アヤトの弾丸を防いだ。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 赫子を伸ばして、壁を物理的に這いあがって屋上まで登った僕が最初に見たのは、倒れた西尾先輩、仰向けで呼吸の乱れたトーカちゃん、彼女を寝かせてから離れるアヤトくんの三人。

 

 間違いアヤトくんによってやられたろう二人だ。その間に僕が割って入るだけで良かったのかもしれないけど、アヤトくんは背後から赫子を出し、トーカちゃんの方を睨んでいた。

 

 

 

「――ひとりに、しないでよ」 

 

 

 

 瞬間的に、僕は走って彼女を持ち上げた。

 

 そのまま跳んで攻撃を回避して、西尾先輩の方まで下がる。

 

「カネ……キ? お、お前、それちょ、ヤバくね?」

 

 意識を取り戻していたのか、混乱する西尾先輩。そんな彼に少しだけ微笑んで、トーカちゃんに話し掛けた。

 案の定と言うべきか、僕の状態を見てトーカちゃんも声が震えていた。

 

 確かに色々と、以前とは違うかもしれない。物理的にも性質的にも、より攻撃的な面が外に出ている自覚はあった。だからこそ、逆に僕はいつもの様に振舞うことに決めた。

 

 トーカちゃんの様子を見て、謝って、そしてありがとう。

 顔を赤くして両手で被う彼女は、いつにも増して照れていたように思った。

 

 ……えっと、そこまで照れる要素があったのかは自分に置き換えるといまいち心当たりが見つからなかったけど。っていうか、こっちの方がなんか照れる。

 

『お楽しみの最中悪いけど、出るわよ?』

 

 リゼさんの声と同時に、アヤトくんの赫子がこちらに数発撃たれる。

 これに対しては、特に意識してなくても背後から赫子の”手”が出てきて、全部を掴み取って、地面に落した。

 

 目を見開いて驚くアヤトくん。

 

「だ、大丈夫かカネキ……?」

 

 西尾先輩の声に大丈夫と答えてから、僕はトーカちゃんを下ろそうと……。

 

「何やってんですか?」

 

 唐突に、四本のうち上二つの左右が、僕の首に絡み付いてきて(まるで抱きしめているようだ)。そして左側の下一本が、トーカちゃんの肩を叩いてほっぺたに指を当てた。

 

「この手、リゼ……?

 ってか、な、何やってんのよカネキ!」

「いや、えっと……、ごめん」

 

 謝りつつ、何やってんですかリゼさんと心の内で聞く。

 

『んー、なんか役得みたいだし、ちょっとだけね?』

 

 やっぱりリゼさんもリゼさんで、意味がわからない。

 ともかく、僕はトーカちゃんを、ぎりぎり立ち上がった西尾先輩に手渡す。口元で何か咀嚼しているから、回復用に肉でも持って来ていたのだろうか。

 

 それを見て、ちょっとだけ閃いた。

 正確には、先輩のそれと、血まみれのトーカちゃんの肩のあたりと。

 

「先輩、トーカちゃんを……っと、その前に。

 先謝っとく。ごめん」

「は? 何――ひ、ひゃうううううッ!?」

 

 僕はトーカちゃんの肩、赫子が出ていたあたりの血やら何やらを少しだけ舐めて、すすった。

 味はともかく、少しでも馬力が欲しいところなので背に腹は変えられない。

 

 身体を震わせたトーカちゃんを預けると、西尾先輩は何とも言えない表情を浮かべた。背後ではアヤトくんの射撃を赫子(リゼさん)が叩き落しているタイミング。だというのに、その表情は呆れというか、どこか日常的なそれというか。

 

「なんつーかお前等……。別に付き合ってる訳でもねーだろ?

 って、気絶してんじゃねーかトーカ……」

 

 先輩の抱える腕の中で、トーカちゃんは白目向いて、なんか口を変な風に笑ってるみたいにして、気を失っていた。ぐへへ、とかいううめき声が聞こえたのは、きっと気のせいだ。

 

「何こんなタイミングでいちゃついてんだよ、オイ」

「いや、単純にRc細胞値を上げたかっただけなんですけど……」

「……まあ、本人幸せそうだから良いか。

 あ、それからカネキ、これ」

「?」

「ウタさんから。新しいバージョンだってよ。あった方が気合入んだろ」

「……ありがとうございます」

 

 西尾先輩たちを扉の向こうに見送ってから、僕はさっきから赫子を連射するアヤトくんの方を振り返る。

 

 

「――やぁ、アヤトくん。何日ぶりかな?」

「……元気そーじゃねぇか、眼帯ヤロー。

 俺はてっきり――もう殺されたと思ってたぜ!!!!」

 

 

 地面も巻きこんで射撃してくるアヤトくん。

 

 

「まぁこれから死ぬけどなァ!?」

「嫌だよ」

 

 

 流石に”手”数だけで捌ききれる量じゃないので、バックステップを踏みながら回避。

 できそこないのバク転から、バク宙もどきに以降しつつ、僕はアヤトくんの連射を避ける。

 

 手渡されたマスクを付ける余裕すらくれず、アヤトくんは射撃を続けていた。

 

「おらおらどうした眼帯!? 反撃しろよ!

 喰種らしく殺しに来やがれ――」

「だから嫌だよ」

 

 と、この言葉にアヤトくんは攻撃を一瞬止める。

 

「何でトーカちゃんの弟の、トーカちゃんのことが大好き(ヽヽヽ)な君と殺し合いなんてしなくちゃいけないんだ」

「あ゛!?」

「万が一があればトーカちゃん悲しむだろうし――何より、『アラタさん』に合わせる顔がない」

 

 反抗的に叫ぼうとしていたのを、一瞬止めるアヤトくん。

 

「……何でテメェ、親父の名前知ってんだ?」

 

 ……嗚呼、語るに落ちたわけではないけど、どうやら記憶の捏造ではなかったらしい。嬉しいような、複雑なような。

 

「覚えてないなら思い出さなくても良いよ。やり辛いだろうしね」

「だったらその、生暖かい目ぇ止めろやゴラ!」

 

 ことさら、何故かここだけは一番吼えるアヤトくん。はて、そんな目なんて僕してたっけ……? あ、アレか。なんか身内みたいな意識がちょっとある、みたいな話をしたことがあったっけ。その時、ものすごく面倒そうというか、嫌そうな表情をしていたのを思い出した。

 

「このハンパ野郎が……! 見た目多少それっぽくなったかもしんねぇけど、中身は全然だな!」

「人間、本質はそう簡単に変わるものじゃないよ」

「テメェもバケモンだろうが! 何人間気取ってんだバァカ。

 殺すのが嫌だァ? 相変わらず甘ちゃんだな。そんなんだから――ッ!」

 

 

 話を続けるアヤトくんの方に、ヤモリがやったように「地面に穴を掘って」「背後から」一撃を僕は加えた。コンクリートだけど、流石にこれだけ足止めを続ければ嫌でも貫通するくらいの時間は稼げる。

 腹に穴が開き、混乱した表情のアヤトくん。

 

 

「だから、二つだけ訂正」

 

 

 微笑みながら、僕は指をまず一本立てる。

 

「これからやるのは『殺し合い』じゃない。ケンカだ。

 それからもう一つ」

 

 二本目を立てた後、アヤトくんを蹴り飛ばす。

 転がっている彼を見ながら、僕は開いている左手でドライバーを手に取り。

 

「ハンパのつもりはないよ。僕は、両方(ヽヽ)だ」

「は?」

「人間で、喰種で――」

 

 顔の横に、左手のドライバーを構えて。

 少しだけ自分なりに覚悟するように、言った。

 

 

 

「――仮面ライダー(ヽヽヽヽヽヽ)だ」

 

 

 

 呆気にとられたように固まるアヤトくん。

 ドライバーを腰に構えると、下の二つの”手”がベルト状になり装着される。

 

 そのまま僕はマスクを放り投げて。

 

「変、身ッ!」

 

 右手でレバーを落し、身体の前でスラッシュを描くように右腕と左腕を重ねた。

 

 

『――(リン)(カク)ゥ!』

  

 

 ベルトの電子音と共に両腕を軽く開く。

 と、背後の”手”が二つ、投げたマスクの方に伸びる。

 

 周囲に、どこかリゼさんのくすくすとしたような笑い声が響く。

 

 ドライバーから放たれた光がリング状に展開され、僕の身体に集ってくる。それと同時に全身から赫子が吹き出し、服と混ざり融合していき――。

 

 いつものように変身が終わる。ただ、いつもと少しだけ違う。

 

 伸びた”手”が僕の顔面に戻ってきて、案外丁寧に顔面にマスクを装着した。

 

 以前は単なる黒いアイパッチだった右目が、レンズのような複眼のような、そんな素材に変化していて、前にくらべて視界が開けていた。

 

 

 赫子が背中全体を覆って真っ赤にし、変身が完了した後。アヤトくんは叫ぶ。

 

「……仮面ライダーだァ? 何、生っちょろいこと言ってんだよ、あ゛!?」

 

 腹を押さえて立ち上がりながらも、その反発はさっきの比じゃない。

 

「それを使って……、それを名乗って良いのは――」

 

 そして全力なのか、こちらの反応が遅れるくらい急接近してくるアヤトくん。

 彼の拳を受け止めながら、僕はアヤトくんの絶叫を聞いていた。

 

「――名乗って良いのは、『親父だけ』だああああああああああッ!」

 

 その言葉に、頭の中のどこかで嗚呼、そうなのかという納得があった。

 店長のことはともかく、アラタさんもこのドライバーを使っていたということだろうか。

 それにしてもこの執着は――、とにかく今は、考えを切り替えよう。

 

 アヤトくんを投げ飛ばし、僕は僕で彼に向かって駆けだす。

 着地した彼に正拳突きの要領で一撃。これを躱した彼だが、フェイントだとは気付いてなかったのか、腹に一発貰っていた。

 

「て、てめ……ッ」

「羽赫は射撃に寄るから、アヤトくん近接戦は苦手なんじゃないかな?」

 

 僕だって得意という訳ではないけど、今は違う。慣れた痛みのせいか、今まで以上にドライバーによる変身を扱えている今だからこそわかる。

 

 赫子は想像力というリゼさんの言葉通り、全身から赫子を噴出し纏える現状は、まさに自分の体を自分の完全に思う通りに動かすことが出来る、ということだ。

 店長が言ってた、ドライバーの「人間側からした欠陥」とはきっとこれのことだろう。肉体のパフォーマンスが、本来の僕の倍とかで利かない。

 

 おまけに、その気になればこの状態からでも赫子を出すことができそうだ。

 

 結果として、アヤトくんに距離をとらせず、超近接戦を維持することが出来ていた。

 

「トーカちゃんとは姉弟なんだからさ。もっと仲良くしなよ。

 暴力も程ほどに、素直になってさぁ」

「~~~~、説得力ねぇんだよ、クソが――」

 

 赫子を噴射するアヤトくん。距離が狭いからこそその射撃を避ける術はない。

 それでも出来る限り身体を捻って交わして、なんとか四発くらいに留めることが出来た。

 

 アヤトくんはその隙に飛び跳ねて、赫子の展開の仕方を少し変えた。

 

 

「近接が苦手だァ? 最初(ハナ)から対策済みだっての!

 むしろ俺は接近戦の方が得意なんだよ!!」

 

 

 展開されたそれは、トーカちゃんのやっていたような大きな羽根のようでなく、マントのように全身にまとわせたものだ。

 弾丸の大きさは変わらない。それでも今までは大きく広げた先端部分から射出していたものが、羽根全体が弾丸になって、見える方向全体に放射されるのだ。

 

 攻撃にも防御にも転用できる状態、か。

 

 嗚呼、たしかにやり辛いかもしれない。

 仕方ないとばかりに距離をとって、僕はアヤトくんの方を見る。

 

 さっきの一撃が大きかったのか、未だお腹を押さえているアヤトくん。

 

「……大丈夫? 回復できそう?」

「知るか、タコ!」

「まだ髪の毛寂しいことになってないんだけどなぁ……」

 

 マリーアントワネット症候群の状態――ショックで髪が白く変化する、から更にストレスを受けると、髪の毛が抜け落ちる。毛髪に出ているうちはまだ安全だけど、抜けるものさえなくなったらそのまま脳みそがダメージを受けて死んでしまう、だったか。

 

 流石に喰種でも、粘膜が弱かったことから考えて内臓器の疾患とかも普通にあるだろうし、そういう意味じゃ割とギリギリだったのかな、僕。

 

「んな話じゃねェ!」

 

 まぁ、おどけるのはこれくらいにして。

 あんまりやると、アヤトくんがストレスで大変そうだ。物理的にも胃に穴が開いているだろうし。

 

『こんまま戦うと、ちょっと分が悪いわよ? 研くん』

 

 あ、リゼさん。

 

『貴方は殴って文句言うくらいしか頭にないみたいだけど、相手は普通に殺しにかかってきてるんだし。真面目にやりなさい?』

 

 そう言われても、実際僕はスタンスを変える気はない。アヤトくん相手に「言わなきゃならないことを言って聞かせる」のが主目的である以上、あんまりやりすぎると危険というか。

 

 今の僕の状態で、本気で殺しにかかったらきっと歯止めが効かないというか。

 

『まあ、確かに私もその調子だったらストッパーなんてならないけれど』

 

 ですよね、やっぱり。

 

 でも現状、確かにこのまま戦うのは得策でもない。 僕の方も、アヤトくんの方も。短期決戦型の羽赫に加えて損傷も大きく(穴開けたの僕だけど)、あんまり長時間続けていると危ないことに違いはないだろう。実際、こうしてリゼさんと会話している余裕があるのだ。自分の腹を押さえ、距離を計り一歩も動かないでいる。

 

 加えて性格もきっと、根っこのところでトーカちゃんと同じということは。自分の限界まで無茶してでも戦うに決まってる。

 

 だったら、とにかく現状を打破するためには――。

 

『だったら、これを使いなさい?』

 

 背後から”手”が伸びてきて、僕のドライバーのレバーを上げる。

 それと同時に、いつもなら変身解除かキック待機に入るところが、バックルの中央部の色が何か違った光を放っているような、いないような。

 

『そのままレバーを落してごらんなさい?』

 

 言われるままに、僕はレバーを落した。

 

 

『――(コウ)(カァク)!』

「な――ッ!」

 

 

 嗚呼、これはひょっとしてヤモリの赫胞を奪ったせいなのかな?

 僕の「殴ろう」という意志が伝わったのか、肩甲骨の下あたりから這い出た赫子が、僕の両方の腕に絡みつき、巨大な手甲のようになり腕を覆った。

 

 ロケットパンチみたいに飛ばせそうだな、と思ったのはちょっとナイショ。

 

「いい加減死ね――!」

 

 アヤトくんの射撃を、両手を合わせて防ぐ。走りながらというのもあるけど、正直に正面に射撃するアヤトくんだったため、見事に両腕のそれに弾かれる。

 

 そしてそれを彼の眼前で解き、胴体ごと殴った。

 

「!――ッはが」

 

 赫子のマントみたいになっている以上、普通の鎧とかと違って触れるだけでダメージが入るところだろう。それは、近接攻撃しかない相手にとってはまさに天敵のような状態だ。

 でも、残念ながら今の僕は「甲赫」だ。

 そして、拳は強大で。

 

 この一撃に多少、口からぶちまけながら、アヤトくんはゴロゴロと弾かれて転がった。ダメージが大きかったのか、赫子がもう展開できないらしい。

 

 

 ベルトのレバーを上げ、スイッチを押して解除。

 

 周囲を確認しながら近寄る僕を、アヤトくんは鬱陶しそうな目で見ていた。

 

 

「……殺せよ」

「だから、嫌だって」

 

 

 しゃがみこんで、僕は彼の目を見つめる。

 色々と何かを諦めたようなその目に、僕は、ついさっき確信を持ったことを言った。

 

 

「アヤトくん。君はアオギリで何をしたいのかな?」

「――ぁあ?」

「アオギリは世界を変えるって言ってた。人間が跋扈する世界から、喰種が支配する世界に。

 でもそれってさ――言い方を変えれば、喰種が人間の手で、殺されない世界だとも言えるよね」

 

 

 僕の言葉に、アヤトくんは目を見開いた。生気を失っていたそれが嘘のように、驚愕が表情に浮かんでいた。

 

「だから強くなりたいんだよね。弱かったら奪われるから。

 トーカちゃんを――たった一人しか残ってない家族を守れるように」

「何、訳、わかんねぇことを……ッ」

「切っ掛けは沢山あったよ。”あんていく”に襲撃した時、トーカちゃんがヤモリに飛びかかろうとするのを防いだこと。あのまま戦っても、興味を持たれてもロクなことにならないって、わかってたから出しゃばったんだよね」

「違う……っ」

「そのまま拾わず、結局あんていくに見捨てて行った。おまけにあの時の口ぶり、完全に素直になれない時のトーカちゃんのそれだよ。やっぱ姉弟だよね」

「違……っ」

「こっちに来てトーカちゃんの話をした時、少しだけ顔を逸らして、いっつも頭ガガリガリしてたの。調子が狂うのも、やり辛いのも、トーカちゃんが関わってたからで――」

「違うって、言ってるだろうが――!」

 

 拳を僕の顔面に叩きつけようとしても、その速度は軽く受け止められるものだ。

 そして、僕は決定的なことを言う。

 

「いつでも殺せる状況で殺さなかったり、お父さんに何だかんだで愛着があったり――結局、歪んじゃったけど、君は変わってないんだと思う。

 トーカちゃんを守る為に、そのために何でもするって思ってるだけだ」

 

 それでも無理やりトーカちゃんに、自分と一緒の生き方をしろと矯正できないのは、きっと彼自身が、見てしまったからだ。依子ちゃんと話したり、学校に通うトーカちゃんのことを。もう、彼女の生き方から、人間の社会が切っても切り離せなくなってしまったことを。

 

 だからこそ、危ない道にだって一人だけで行くんだろう。

 彼等のお父さんが、きっとそうだったように。

 

「――頭、イカれてんじゃねぇのかよ、クソがッ」

 

 アヤトくんは、左手で目元を被って、歯を食いしばって。

 声は震え、頬には涙が伝った。

 

 

「……最初から、気に入らなかった。

 胸糞悪ぃんだよテメェ、目つきも、態度も、喋り方も……! クソ親父思い出して、ちくしょう――」

 

 力なく泣き続けるアヤトくん。

 僕は――そんな彼にドライバーを付け、レバーを落した。

 

「てめ、何を――ッ!」

「痛いかもしれないけど、ちょっと我慢、ね」

 

 そして背中から出た赫子の根元を少し齧る。

 味は……、うん、まぁ、トーカちゃんから考えて押して知るべし。

 

「下手に反抗されてもちょっと大変だから、我慢ね」

「……ッ」

 

 赫胞に少しダメージを与えて、僕はレバーだけ戻して、彼を持ち上げる。

 トーカちゃんにやったのとは、反対方向のお姫様だっこだ。

 

 全身に突き刺すような痛みがあるだろうに、アヤトくんは震えながら、それでも僕を睨んだ。

 

「何がしてェんだ、テメェ」

 

 僕は、気軽ににっこりと笑って――ある意味、死刑宣告をした。

 

 

 

「――とりあえず”あんていく”に連れて帰るから、手当て受けて、トーカちゃんと話しな?」

 

 

 

 僕の言葉を受けて、今度こそアヤトくんは、口をあんぐりして戦意を喪失した。

  

  

 

 

 




▼ あやと は めのまえがまっくらになった! 


変身シーンのマスク装着は、√AOPのアレイメージです。
そしてフォームチェンジ(赫子チェンジ)後の鉄拳はゴリラメダル的鉄拳みたいな感じでw


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#035 狼煙/挨拶/日出

「……」

「……」

 

 ケンカ(ヽヽヽ)が終わった後、僕はアヤトくんを抱えながら階段を下りていた。

 戦意喪失した後、アヤトくんはひたすらに黙っている。

 

 流石にこの状況で口を開けるほど、僕もアヤトくんも心臓に剛毛は生えてなかった。

 

 微動だにしないアヤトくん。消耗しているのも事実で、その上ドライバーで抑制されているのもあるだろう。そして実際、現状で僕に勝てないと思ったのだろうか、本当無抵抗のままここまで運んで来れたことに驚いてる。

 

 そんな風にして歩いていると、不意に耳に聞き覚えのある、妙にテンションの高い声。

 

 

『――Shape me shape me……, So GooD!

 食後の運動には丁度良い!』

「……クソグルメ? 何でここに」

 

 階段の先から聞こえてくるそれは、間違いなく月山習のものだった。

 

 流石にアヤトくんも困惑して、声が出た。

 僕はこれに思わず苦笑い。

 

「たぶん、僕を助けに来たのかな?」

「助けに?」

「無論、建前だろうけど。月山さん、僕を『食べる』ことしか今眼中になさそうだし」

「……食べるって、物理的にか」

「うん」

「意味わかんねぇ」

 

 頭を左右に振るアヤトくんだけど、この間トーカちゃんが美味かったとか、指舐めさせろ、味見させろとか僕に言ってきたことを話したらどんなリアクションをするか、という思考が脳裏を過ぎる。

 過ぎりはしたけど、そういう風な趣味はないので僕は苦笑いでお茶を濁した。

 

「dolche!

 ――おっと! 僕は食べる側だよチャーミングマウス!」

 

 そんな月山さんの声の後に、血と肉が裂けるような音。

 

「うーん、手ごたえないなぁ」

「ウタ、そのまま押さえてろ――セイヤッ!」

 

 ウタさんと、四方さんの声か?

 

 何かが切断されて、斬り飛ばされるような響きが耳に入る。

 でも、それも数秒後に別な、何かと何かが引っ付くような音がして――。

 

「……胴体ふっとばしても治っちゃうなんて、僕等の治癒力とかいうレベル超えてるよ。赫子のバケモノか何かなんじゃない?」

「Unbelievableな生命力……、一体どんな味がするのか」じゅるり。

「……」

 

「……ノロ、回収に来たのか」

「回収?」

「話す義理あんのか、あ゛?」

「言い回しからして、戦闘不能者で生き残ってるメンバーの回収みたいな感じに聞こえたけど」

「……」

 

 アヤトくん、図星突かれたときのリアクションがトーカちゃんと寸分違わず一緒だった。顔逸らして微妙な笑みを浮かべて、ちょっとばつが悪そうな。

 やっぱり二人、姉弟だよな……。

 

「だからその顔、止めろっての」

 

 そっぽを向きながらも、アヤトくんはもはや抵抗する気力もないのか、身体から力を抜いていた。赫子のダメージも少なくなかったせいか、噛み付いてくる体力がないのか。

 

 様子が様子なのでドライバーを外してはみたけど、それでも態度が変わらないのが少しばかり不思議だった。

 

 

 そんなことを思っていると、階段の足場の下の方がズタズタにぶっ壊れた。

 

「わ、わわわ――っ」

 

 四方さん達の戦闘のせいだろうか。壁を蹴りながら、下の踊り場に着地する僕。

 

 

 階段に投げ飛ばされたのは、四方さんだった。

 これには、結構衝撃を受けた。

 

 

「だ、大丈夫ですか!? 四方さん」

「……研? お前――」

 

 と、そんなタイミングで四方さんが飛んできた方、室内の方から「ぴぴぴ」と軽い電子音。ベルみたいに一定の周期で鳴るそれは、目覚まし時計のような――。

 

 振り返った先には、相変わらず名状しがたい口だけ開いたような仮面をつけたノロと、こちらを見て口笛を吹いた月山さん、サムズアップしてくるウタさん。

 

 ノロは服の内側から目覚ましを取り出すと(本当に目覚まし時計だった)、上のスイッチを押してベルを止める。

 そして気のせいじゃなければ、僕とアヤトくんの方をじっと見た。

 

「……」

 

 無言で見つめ続けられても、どう反応を返したら良いのだろうか。

 

 そう思ってると、アヤトくんが口を開いた。

 

 

「……少し回復したら、帰るって伝えておけ。タタラなら、芳村のじぃさんの甘ちゃん具合がわかんだろ」

「……」

 

 特に何かリアクションをするでもなく、そのまま背を向けて立ち去るノロ。

 

「……帰っちゃった」

「門限でも?」

 

「……相手をする必要はない」

 

 四方さんが、足場が砕けたガレキから身を起こす。ダメージは全然入っておらず、立ち姿はいつも通り異様に安定していた。

 四方さんは僕の様子に言葉を失い、手元のアヤトくんに目をひん剥いた。アヤトくんはアヤトくんで、やっぱり罰が悪そうに顔をそらして頭を引っ掻く。

 

「……研、肩貸すぞ?」

「それは大丈夫なんで、アヤトくんお願いします」

「わかった。

 ……頃合だ、俺達も帰ろう」

 

 生きてて良かったと、四方さんがそう言って、僕からアヤトくんを手渡される。やっぱりと言うべきか、基礎的な体力は四方さんの方が圧倒的にあるらしく、ものすごく軽そうだった。

 

 いや、これは逆にアヤトくんが見た目以上にがっしりしてると言うべきなのか。

 ……僕も、もっと身体鍛えよう。

 そういえば、前にトーカちゃんが僕の腹筋をつついてきたりしてたけど、割った状態で見せたりしたらどんなリアクションを見せるだろうか。将来的に試して見るのも……。

 

 少しだけそんな不埒なことを考えていると――。

 

「……みんな、先に行っててください」

「……? どうした、研」

 

 不審な目を向ける四方さんに、僕は少しだけ笑って言った。

 

 

「後ろの方、沢山『つかえてる』みたいなんで。

 少しだけ、リハビリを兼ねてやろうかなぁと」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 7棟の制圧にさしかかった時点で、喰種たちの数も決定的に減ってきた。

 ドクロを模した仮面が、俺達の部隊の狙撃に押し返される。

 

 それでもなお接近する相手は、俺や、千之准特等などの手によって切られ潰され、押し返されていた。

 そしてその奥に、異なる仮面を持つ喰種が二人。それぞれ対になるような配置で、白と赤の仮面を装着していた。

 

「幹部でしょうか……。ふ、手強そうですね」

「……今俺を笑ったか?」

「俺達を笑ったか?」

 

 唐突に声に、ローテンションな苛立ちを滲ませながら、彼等はこちらに指を向ける。その指示に従い、再び敵の動きが変化する。

 

「皆さん、気を引きしめますよ!」

「「「「「はい!」」」」」

 

 直線的な猛攻から、弾幕をかわすためか隊が分裂。バレット自体もそれにより、射撃数が多くなり弾切れが早い。

 俺達に到達する喰種の種類も少なくなく、さっきよりは苦戦を強いられる。

 

「こおおぉぉぉ……ッ!」

「お前等は良いよなぁ、仕事に華があって――」

 

 そして、クラでカバリングできていない箇所に、リーダー二人の尾赫による追撃が入りそうに――。

 後方で俺の名前が叫ばれる。だが、この程度は真戸さんのしごきで何度か経験済みだ。

 

 眼帯のように、クインケごと叩き壊す一撃でなければ、身体に当らなければどうということはない。

 

 この程度、交わすことが出来なくて何が一等捜査官か――ッ!

 

 

「……チ、スレスレで交わすなんて起用なマネするじゃねぇか」

「兄貴、”三番合わせ”で肉が抉れたぐらいじゃ……」

「焦るな。最初から予想してたろ。あのハコ持ちはやるってな。

 いいよなぁ、ああいう光の下で生きられるヤツは……。だからこそ、俺達は理念に殉じて世界を変える――!」

「兄貴……!」

 

 何やらお互いに話し合って鼓舞しているらしい二人。会話からして兄弟か。

 とすると、あれが篠原さん曰くの「しっぽブラザーズ」だろう。

 

 単体でのレートは確か――。

 

「――得物がデカいだけだ、5カウントで終わらせるぞ!

 ”一番合わせ”――!」

 

 

 

――亜門くん、我々非力な人間が、いかにして喰種どもとの戦いに勝利を収めるか。わかるかね?

 

 

 フラッシュバックするように、そんな言葉が俺の脳裏を過ぎる。

 真戸さんは言った。Rc細胞の桁が違う時点で、人間と喰種とには、天と地ほどの開きが生物としてあると。

 

 ならば、いかにして勝利を収めるか――。

 

 

『――リ・ビルド!

 クラ・ツインバスター!』

「「な――ッ!!」」

 

 

 俺はクラの制御装置を押し、二つに「分割させた」。

 予想していなかったのか、両者は声を荒げる。

 

 

 ――答えは一つ。狡猾になることだ。

 正義のためなら、それが世界のためなら、例え卑怯だろうと許される。俺達が勝たなければ、人類に明日はないのだから。

 

 

「おおおおおおおおおおおお――!」

『――リコンストラクション!

 クラ! フル・チョップ!』

 

 

 そしてそのままモードを切り替える。

 クラ全体が赤く発光し、形状がより鋭角に、刃が研ぎ澄まされ――。

 

 

 俺の一撃は、両者の胴体と顔面とを「薙ぎ払った」。

 

 

 クラは、形状変形を組み込んだ試作型クインケだ。

 真戸さんが提案し、地行博士が製作した一品。

 

 真戸さんが扱うには不得手ではあったが――俺ならば、完璧に扱える。

 

 

 本来は真戸さんが形見代わりに、と遺書に書いていたそうだが、結果として現在は俺の手元にある。引退という形にはなったが、俺がこれを使うと連絡を入れたら、大層喜んでくれた。

 

 せめて、世界のための足しにしてくれと。

 

 

 俺は、それを成すことが出来るだろうか。

 

 

 

「あ、兄貴……、俺達、光を――」

 

 

 それだけ言って、弟の喰種は兄の喰種の胴体側へと這い、力尽きて動かなくなった。

 

 周囲の喰種は、指令頭たる二人の状況に振るえ、逃げ腰に。

 俺は息を吐き、後方に下がった。

 

「残りは雑魚だ、蹴散らせ!」

 

 鼓舞を受けて一斉に射撃に転ずるチーム。

 

 五里二等などにとみに労われ、俺は額をなぜる。

 

 

「……早く、篠原さん達のところに行かないと――」

 

 こちらはもう間もなく片付く。

 できる事なら、今すぐにでも援護に行きたいが――。

 

 

 そう思って居ると、丁度五棟の方からの通信が入った。

 

 

「……? どうしました、一体――」

『た、頼む、助けてくれ――ああああああああああああああッ!』

 

 そんな叫び声が通信機越しに響く。

 俺は目を見開き、注視するように声の続きを聞いた。

 

『――こ、こちら五棟! 只今、一人の喰種と交戦中――え、A級ないしS級相当のものと思われま――ああああああああああああああッ!』『危ないですよ、今電子機器は――』

 

 

 通信記越しに聞こえた声に、俺は震える。今の声は、おそらく戦っている喰種のものだろう。

 それが通信に割り込んでくるということは、その距離は必然、間近ということで――。

 

「……亜門くん、悪いけれど行ってもらえるか?」

「……千之准特等」

 

 俺は頭を下げ、彼の指示通り五棟へ向かう。五里二等が「後方は任せろ!」と後に続いてきた。彼女の他にも数名が続き、更に小さな部隊として移動。

 道中、「不自然なほどに」喰種も捜査官も見かけなかったことが気がかりだが、俺は足を止める事はない。

 

 やがて七棟の方から制圧完了という指示を受けた時点で、俺達はおそらくその戦いがあった場所にたどり着いた。

 

 

「な、んだ、これは――」

 

 五里二等の感想は、至極もっともなものだ。

 なにせ俺達の目の前には、「銃をバラバラに分解され」「腕や足の関節を外された捜査官」たちが転がっていたからだ。戦闘中に負傷したと思われる。

 

 うめき声を上げるものに、気絶したもの。俺達のことを見て、安堵の表情と涙を浮かべるもの。

 

 

 そして、その中心に「奴」はいた。

 

 

 真っ白な髪。黒いスーツには骨を意識したような装甲。

 背中からは、まるで人間の手を思わせるおぞましい赫子が四つ。

 

 そして――その喰らう種類は、見間違えようのないマスクをしていた。右のアイパッチ部分がスコープなのがモノクルのようなサングラスなのかは知らないが、赤く半透明の素材に変化していたこと以外、顎の部分も、片方だけ露出している目も、寸分違わず。

 

 

 奴は、俺を見て安堵したように言った。

 

 

「――よかった、これでようやく帰れます」

 

 

 俺は、周囲の状況を見て、そして「眼帯」をもう一度見て、理解が出来なかった。

 

「……お前は、何をやった、答えろアオギリの喰種!」

「何、と言われても……。無力化しただけなんですけど。

 後、アオギリなんかじゃありません」

 

 五里二等の叫びに、眼帯は困ったように頭をかいた。

 それに合わせて、奴の背後の赫子がうねうねと動く。何かの感情表現をしているようでもあり、何も考えず動かしているようにも見えた。

 

「ようやく『守ってくれるヒト』がちゃんと来ましたし、ここら辺でお暇させてもらいます。

 それじゃあ――」

 

 そう言って、奴は俺に頭を下げた。会釈程度だったが、その気軽すぎる動作に、俺は面を食らった。

 俺以外の捜査官たちは、しかし確実に動く。

 

「逃がすか!」

『――エメリオ!』

 

 五里二等が構えるクインケに、しかし奴はドライバーのレバーを上げて、落すばかり。

 

 

『――(コウ)(カァク)!』

 

 そして、その叫びと同時に奴の両腕に、背中から出てきた赫子が巻き突き、銀色の、巨大な手甲のように変化。

 奴はそれを振り被り、一撃地面を「殴った」。

 その衝撃で、奴とこちらとの間に裂け目ができ、同時に巻きあがった粉塵とガレキが盾となる。ちぃ、と唸って五里二等はクインケを引いた。このままでは、味方も巻きこむかもしれないからだ。

 

「お前は―― 一体、何なんだ」

 

 立ち去り際、思わず呟いた俺の一言に、奴は少しだけ首を傾げて。

 

「――ハイセ、と呼んでください」

 

 そう言って、今度こそこの場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日判明することだが、この先にあるフロアの部屋は、捜査官の死体が大量に転がっていた。一体の喰種の死体からは赫子痕が、部屋中からは複数の喰種の赫子痕が検出された。

 

 それを見て下された判断は――眼帯の喰種は、他の仲間の喰種の戦いを邪魔されたくなかったのではないかと。

 

 

 だが、俺はその見解に疑問を持つ。

 

 他の誰が持たなくとも、俺だけは――あの時、直接相対して、戦ったことのある俺だからこそ。

 奴が相手しただろう複数の捜査官たちの「誰一人として」殺されていなかった状況を、偶然の一致というだけで片付けることは出来なかった。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 アヤトくんを四方さんに預けた後、僕の耳には十数人の捜査官の足音が聞こえていた。

 部屋を見回せば、五、六人の捜査官がバラバラにされたような死体。おそらくさっきの戦闘に巻き込まれたか、ノロに喰われたかしたものだろう。月山さんなら味わってるし、四方さんもウタさんもこの状況で食べてる余裕はなさそうだ。

 

 とすると、十数人は残りの人数か。

 そう判断した僕は、ごくごく自然な足取りで彼等のもとに向かった。

 

 道中で変身して、向こうでやったことと言えば戦力の「無力化」だけだ。

 

 タタラが居ない、エトさんが居ない。また以前アヤトくんも言ってた、より戦力の強い1班など上位の班が見当たらない時点で、僕はある可能性を察している。

 

 だとしたら、これ以上この場で戦い続けるのは無意味なのだ。

 

 

 僕が救出された時点で「あんていく」のメンバーは程なく引くだろうし、さっきまで聞こえていた爆撃やら銃撃やらの音が小さくなりつつあるということは、鎮圧はもう佳境ということだろう。

 

 この段階で、わざわざ「あんていく」側と戦闘させる必要性もない。

 そして、僕なら、”手”(リゼさん)なら、一般捜査官の無力化はそこまで難しいとは思えなかった。

 

 

 結果は、まあ、ちょっと、思っていたよりは大変だった。というか甘く見すぎていたんだけど。

 

「いてて……ッ。

 結構深く抉ってるなぁ……。でも再生は遅くない、と」

 

 弱点の赫子によるダメージがなかっただけでも幸運と言うべきなのだろう。これなら、二日三日もあれば目立たなくなるだろう(拷問痕はともかく)。

 肩から弾丸を抜きながら、僕は「音」を頼りに森を抜ける。

 

「……リゼさん?」

 

 声をかけても、彼女からの返事はない。

 ということは、やっぱり普段は彼女の声が必要ないということなのか。

 

 ますます彼女が、僕の精神によって作り出されたろう存在だという核心が持ててしまって、少し寂しいような、そうでないような。彼女の臓器が移殖された、と言われたあたりを擦りながら、僕は少し考える。

 

 これから、どうするべきか。

 これから、何をしたいか――。

 

 ヤモリが言っていた、教授関係の話と。幻影のリゼさんの綺麗な笑顔と。

 アラタさんの言葉と、小さなトーカちゃんとアヤトくんの顔と。僕と一緒に笑い会うヒデの笑顔が重なって、なんだか色々ごちゃごちゃとしてきた。

 

「――カネキ……!」

「バンジョーさん」

 

 僕に声をかけたのは、仲間を背負うバンジョーさん。

 少し心配そうにしながら、僕に聞いてきた。

 

「用事ってのは……、済んだのか?」

「ええ」

 

 そう言って、僕はトーカちゃんの方をちらりと見る。

 気絶から回復したらしいトーカちゃんは、僕と目が合うとどうしてか視線をそらした。……そして、逸らした先でアヤトくんの半眼を受けて、どうしたら良いかわからないような顔をしながらまた僕の方を見る。

 

 とりあえず笑顔を返しておいて、僕は後ろを振り返った。

 

 山の上から見るアオギリの拠点。これだけの襲撃を受けて、ある程度の戦力として残っていたのはヤモリにアヤトくんに、あと数人といったくらいか。もし喰種優勢だったなら、僕が最後に相手した捜査官たちも絶対出てこなかったことだろう。それ以前に殺されていたかもしれない。

 

「……とりあえず、終わったようだな」

「……四方さん、店長は?」

「”バトルオウル”を呼んでしまったから、それに乗って帰るらしい。ヒナミたちもあっちと一緒だろう」

「……バトルオウル?」

 

 首を傾げる僕に、「バイクだよ」とウタさん。それを聞いて、ヘタレをシューティングスターウィングと呼び続ける四方さんのセンスを思い出して、僕は「そうですか」とだけ返した。

 

 感傷に浸るわけじゃないけど、あの場所、特にヤモリのホールのことは、やっぱり忘れ去ることは出来ないと思う。ある意味、あの痛みと環境とが、僕にある種の決断をさせるに至って、結果として今ここで生きている訳なのだから。

 それが、以前の僕と100%同じかどうかと言われれば、少し違う。違うと思いたい。

 

 前よりも、少しでも前を向いて生きようと思えていると、僕は思いたかった。

 

 

「いや、でもこんだけ死にそうな思いして、しばらくすりゃまーた大学通いとか信じらんねぇわ……。貴未にまた何か言われそう……。「あんて」の仕事もあるし、ダリィなぁ」

「日常の大切さが身に染みるねぇ。それだけに、こういったエキサイティングな体験も捨てがたいが」

「いや、テメェの意見は聞いてねぇクソ山」

「僕も楽しい事は好きだけど、もっと長い時間かける趣味とかの方が好きかなぁ」

「それはそうと、ミスター。先ほどの戦闘ですが――」

 

 

 みんなの会話が遠い。ぼうっとしているわけじゃないけど、それでもやっぱり、僕はなんとなく口を開くことはしなかった。

 頭の中で、ぐるぐる回る思考。

 

 そんなサイクルを破ったのは――、トーカちゃんだった。

 

「……いつまで変身してんのよ」

 

 少し力のない足取りで、僕の方に来てベルトを解除するトーカちゃん。

  

 それに驚いてると、彼女は僕の頭に手をやり、毛を軽く引っ張った。

 

「……ア……、ンタさ。

 戻ったら、髪の毛どーにかしなよ? そんなんじゃ目立ちすぎだし」

「……」

 

 そんな、何気ない言葉で、僕は不思議と笑顔になった。

 ただ、普通の笑顔というよりは苦笑いの類だけど。

 

「……僕、頭結構弱いから、染料に負けちゃうんだよねぇ」

「…………は、ハァ?」

「だから、生え変わるまではカツラかな……。幾らくらいするんだろ」

 

 えっと、と少し考える僕に、トーカちゃんは予想外というか、呆れたような表情。

 でも、アヤトくんにやられてた時の表情なんかより、ずっとずっとそれはマシな表情で――。

 

「トーカちゃん」

 

 マスクを外して、僕は彼女の頭を撫でた。

 

「……な、何よ」

 

 困惑する彼女は、顔をわずかに赤くしながら視線を少しそらして。

 そんな彼女に記憶の底の、小さかった頃のトーカちゃんを重ねて、僕は正直な気持ちを口にした。

 

 

「――ありがとう、色々」

 

 

 彼女があの十歳前後の夜、見つけて公園に引っ張ってこなかったら。きっと僕は今よりずっと、ずっと底の見えない環境の中に居たんじゃないかと思う。

 だから、例えその影響が少しでも、彼女のお父さんと話せた事は、僕にとって大きなプラスだ。

 

 その切っ掛けとか、今日までのこととか。きっと、何かと気にかけてくれたからこそ、あのタイミングでトーカちゃんのイメージが脳裏を過ぎったんだろう。

 そういった一通りのことが――喰種(ぼく)を、まだ人間(ぼく)で居させてくれる。

 

 そのことに、僕は素直に感謝の気持ちが湧いた。

 

「~~~~~~ッ、は、はァ? 意味わかんないし――」

 

 悪態を付くように言いながらも、トーカちゃんは僕の手から逃げようとはしなかった。

 少しの間そうしてから、僕は手を離して、皆にも頭を下げた後で。

 

  

「とりあえず、帰ろうか」

 

 

 きっと古間さんか誰かが待ち続けている「あんていく」に。

 アヤトくんの手当てとかもしなきゃならないし、やらなきゃいけないことも多い。

 

 

 

 ただ何はともあれ――流石にこれ以上は、僕も体力が持たなかった。

 

 

 

 力が抜けてトーカちゃんにもたれ掛かる。何か耳元で大声で言ってたようなのが聞こえたけど、その意味を理解する前に僕の意識は、一旦途切れた。

 

 

 

 

 




カネキ( ˘ω˘)スヤァ
トーカ「ちょ、何いきなりやって――! って、カネキ何、寝てんの……? って、いやいや、なら何で抱き付いてきたし、ちょ――」



アヤト「……トーカ、いつもあんなんなのか?(冷汗)」
ヨモさん「……(さっと視線を逸らす)」


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#036 陽動/不屈/新洸/只今

アオギリ編のエピローグ


 

 

 

 

 

「これまた手ひどくやられたな、篠原」

「いや、半分自滅みたいなもんだし笑ってくれていいよ。……いわっちょは、なんかもうリハビリ始めてるけど」

「笑わんさ、そういうのは丸出の仕事だ」

 

 病室は個室ではないのだが、気を使って篠原さんと黒磐特等専用の部屋となっていた。もっとも、黒磐特等の姿は今ここにない。

 

 「アオギリの樹」への大規模進行から、おおよそ一週間ほど。

 俺は、真戸さんと共に篠原さんの見舞に来ていた。

 

 病室の入り口で激辛スナックをナースに取り上げられ、一瞬表情を歪めた真戸さんだったが、しかしその調子は以前より大分良くなったと思った。

 

 今は、俺が車椅子を押して動いている。

 普段は義足か松葉杖らしかったが、休日くらい車椅子を使えと言う娘からの言葉に従ったそうだ。

 

 お疲れ様ですと言い、俺はリンゴの皮を向いて椅子に座った。

 

「おう、助かるぜ亜門~。

 さて、こっちは分かるんだけど真戸は何で来たんだ?」

「何でとは失敬だ。流石にこの身体だ、気楽に動くことはままならないが、それでもアカデミー近くの病院への入院というのなら、見舞の一つでもしようものだ」

「そういうもんかねぇ。だって今日、授業あったろ? それを放り出してわざわざ来るというのも……」

「だから、まあ土産話の一つでも聞ければと思ってな。

 ――梟と交戦したのだろう? 篠原」

 

 真戸さんの指摘に、篠原さんは頬を引き攣らせる。

 

「隠すまでもない、か」

「当たり前だ、どれくらいお前と組んでいたと思ってる。それに、例の”赫者”のクインケを使ってその状態だ。わざわざ制御をゆるめる必要もなかったろう。

 とするとやはりそれだけの相手と戦ったということなのだろうが……。現状、周辺の区の情報から見て、他に心当たりはなかったのでな」

「……やっぱり、今でも諦めきれないか」

「諦める、という選択肢がない」

 

 軽く笑う真戸さんだが、目は開いたまま。心なし表情の作り方は以前より柔らかになった気がするが、それでも根幹の部分は何一つ揺らいではいない。

 

「瓜江……、受け持ちの生徒の一人だが、妙に話を聞いてくるものでな。情報は常に新しいものを集めたい。

 無論、私自身の目的としても」

「そうは言ってもなぁ……」

「まあ、おおよそ規制のかけられている情報はそのうち勝手に伝達されるか閲覧できるようになるだろう。

 とすると、私が知りたいのはそこではない」

 

 これくらいは許可されたのでな、と真戸さんはボイスレコーダを取り出した。

 

「あの日、何があったのか。お前の私見も含めた話が知りたい」

 

 真戸さんの視線を受けて、篠原さんは一度俺を見る。

 俺も、俺の中にある靄の掛ったような考えを晴らすため、この場から動く事はない。

 

「……やっぱり、強かったよ」

 

 そして、篠原さんは俺達に話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アラタ」を装備した二人は、同時に己のクインケ「オニヤマダ」と「クロイワ・スーパー1」を起動し、梟に襲いかかったそうだ。

 

 だがやはり背後から放たれる赫子の弾丸はいかんともしがたい。放射状のそれによる牽制は、アラタによる防御で事なきを得られはした。だが、物理的な打撃としての威力も決して低くはなく。

 

 両者ともに、決して余裕のある戦いとはならなかったらしい。

 

『十年前の装備だったら何回死んでる?』

『さてな。しかし――』

 

 赫者とは、複数の赫子を併せ持ち、かつ「融合」して使えるもの。身体に纏うのはより扱いやすくするためか。

 遠距離攻撃は射撃で対応。近接戦闘は両肩に装備された剣。近距離から中距離は斬撃を飛ばしたり、脚部に絡み付いた筋肉のような赫子で、運動能力をそこ上げすることで対応。打たれ強く、更に何より回復力まで高いと来ている。

 

 まさに、まさに理想的な赫子の運用方法と言えた。

 

『敵ながら天晴れだ。弱点らしい弱点が見つけられない。そのくせ決定打に欠けるということもないしね』

『一撃一撃が致命になりかねない。

 むぅ……』

 

 そして、そこで平子上等が介入しても、結果は大きく動かない。

 一撃を受け、わずかに生まれた隙に篠原さんたちは顔面と胴体に一撃ずつ叩きこんだらしい。だが、斬られた箇所は難なく再生。

 

『火力不足……、しょっぱいなぁ、俺達の武器もS級なんだけど――』

『防御力、身体機能向上があれど、こちらに決定打がない、か――ッ!』

 

 二人同時に相手にしていた梟が、攻撃対象を切り替える。

 黒磐特等と二人を分断し、そちらのみに攻撃を絞る。武器を落した状態で、反撃のタイミングをうかがわせない狙撃。

 

 そのまま梟が近づく前に篠原さんが割って入るも、奇襲さえものともしない立ち回りには余裕さえあったそうだ。部隊の狙撃さえ一瞥で一蹴。

 

 この状況に二人は動いた。

 

 ベルトの両サイドを展開し、再度閉じる。

 

 

『――オーバードライブ! アラタ1号/2号!!』

 

 

 使用者自身の肉体を少し「喰らわせる」ことで、アラタシリーズは通常の倍以上の性能を引きだせるらしい。リコンストラクションと異なり、これは使用者の身体が持つまで、文字通りオーバードライブのような能力だそうだ。

 

 丸出さんが、特にアラタを嫌うという理由が理解できる。

 それは、あまりにおぞましい。

 

 そこまでして、人間の運動能力を超えてようやくといったところで、しかしクインケが二人の身体に対してセーフティーを無視して喰らい始めたらしい。

 

 

 それに対して、梟は。

 

『――ライダーシューティング』

 

 変形した肩の赫子で、二人のベルトの解除スイッチを叩いた。

 威力は文字通りで、レッドエッジドライバー自体は破損することもなく無傷のまま。ただ、変身者たる両者は、アラタに食われていた分もあって既に立ち上がる事は出来ない。

 

 篠原さん達を見下ろし、梟は言ったそうだ。

 

 

『世界は、悲劇を生み出し続けている。奪い、殺し合い。それを成すお互いがお互いを正当化して、環の中から抜けることが出来ない。

 君達のその武器は、その一つの象徴だ……』

『何を……っ』

 

 

『――命を奪う行為は平等に悪だ。だからこそ、誰かを殺して良い理由は存在し得ない。

 ……魂というものが確かにあるのなら、「アラタ」君は君達に力を貸すつもりも、継がせるつもりもないようだ』

 

 それだけ言い残し、梟は去って行ったという。

 逃げた、というのが公式の見解だが篠原さんは真逆だ。

 

 

 

「要するに、逃がしてもらったってことなんだろうよ。あの時の口ぶり、まるで足止め目的だったみたいな感じだったから。

 おまけにこっちが陽動で、本体がコクリア――喰種収容所の方の脱獄に回ったって言うんだから笑えないぜ」

 

 篠原さんの言葉に、真戸さんは唸る。

 

「……確か今回()、死傷者はゼロだったかね?」

「ああそうだ。いわっちょが不参加だったあの時みたいに」

 

 それに、と篠原さんは続ける。

 

「いわっちょ曰く、もう一回りかつて見た梟の体格は大きかった、とか何とか」

「……やはり、真戸さんの言っていた通り別人、ということでしょうか」

「断定できはしないが、少なからず同程度の能力を持つ赫者が二人いるかもしれないって事実が、もううんざりなんだよなぁ……」

 

 ギプスと包帯の巻かれた身体で笑いながら、痛みを堪えるように篠原さんは胸を軽く叩いた。

 

「……梟の目撃情報は20区、だったっけ。今後、そっちの調査もした方がいいのかな? あるいは、梟そのものについて」

「いずれにせよ、『アオギリの樹』に梟が何がしか関係していることだけは確かだろう。その点は、もっと調査を深めてみても良いかもしれないな」

 

 

 

 篠原さんの奥さんが見舞に来たので、仕事の話は置いて置こうと真戸さんと俺は病室を引き上げた。

 手押しする俺に「済まんね」と言う彼に、俺はいいえと首を左右に振った。

 

「例の鈴屋だったか。一度顔を合わせて見たかったものだが、今日はタイミングが悪かったのか……?」

「元々、什造はあまり見舞はしないですからね。初日にお菓子を大量に持ってきたくらいです。今頃、自分のしとめた得物について何かやってるんじゃないですかね」

「なかなか篠原も手を焼いているようだなぁ」

 

 くつくつ、と笑う真戸さん。仕草は相変わらずだが、しかし表情は何処かやはり角が取れていた。

 その心当たりは――やはり一つ。

 

「……アカデミーの方は、どうですか? 真戸さん」

「順風満帆とは行かんが、なかなか楽しめては居るさ。熱意があるもの、野心があるもの、知のないもの、逃げ出したいもの。どいつもこいつもしごき甲斐があるよ。まあ、まだ座学中心なんだがね」

 

 せめて握力くらいは回復せねばと、左手を何度か握り閉める真戸さん。やはりその手は、力が中途半端に入らないよう震えていた。

 

「いずれ君たちの背を任せられるような者達に、育ってもらいたいものだが……。

 ところで亜門くん。君、何か迷ってはいないか?」

 

 彼の指摘に、俺は思わず身体が震えた。

 

「……アオギリ侵攻の際、以前報告書に書いた、眼帯の喰種が居ました」

「ふむ」

「”ハイセ”を名乗ったアイツは、捜査官たちと戦っていたようです。でも――誰一人、殺してはいなかった。腕や足の関節を外し、戦闘不能にはしていたようですが」

「これもまた時間稼ぎのようだねぇ。……何やら、梟を思わせる――」

「それです」

 

 俺は、真戸さんの言葉に重ねた。

 

「あの場には、ラビットが来ていた可能性も高い。とすると……、梟の挙動と、真戸さんと戦ったという前提を踏まえると」

 

 そうすると、ある一つの可能性が、俺には見えていた。

 

「――アオギリと眼帯、ひいては梟とは、本来は敵対しているのではないか」

 

 そう考えれば、多少辻褄が合うように思えなくもない。行動原理が似ている、と思えなくもない喰種が、同じ場所で揃って似たような行動をとっているというのも、偶然で片付けるには妙な話だ。

 

「……人間みたいに生きたかった、か」

 

 俺の考えに、真戸さんはそんなことを呟く。

 

「以前、ラビットと戦っていた時に奴が言っていた台詞だ。

 奴自身を手配しても、強大な背後に控える梟を捕らえる事は難しい。ならば仮初とはいえその平和の中で放流しておくのも、巨悪を滅するためなら必要だと判断したが、君は存外直情的だったか」

「……はい?」

「何、その分は『アキラに』叩いてもらうとしよう。根底は変わらずとも、君は正義に殉じていることに変わりはないのだから」

 

 くつくつ笑いながら、真戸さんは俺の胸を軽く小突く。

 

「クラ、早速役立ててくれたようで感謝しておこう。

 コクリアから脱走した喰種も増え、戦いは激化するだろうが……今後も精進し、一人でも多くの喰種を殺しなさい」

「――は、はい!」

 

 反射的に手を離し頭を下げる俺に、真戸さんはやはり目を見開いたまま、いつものように笑った。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……んん? ここ、あんていくか」

 

 アオギリから逃げて最初に目を覚ました朝。

 なんだか夢を見てるような感覚に襲われつつ、僕は大きく伸びをした。

 

 場所は2階。テーブルの上には僕の私服とか、スマホとか一通りあの攫われた日の準備が置いてあって。

 そして不思議なことに、まるで備え付けてあったように黒い眼帯と、真っ黒な髪のカツラが置いてあった。裏面に描かれたロゴからして、ウタさんだろうか。

 ……そして隣に置いてあるキスマークの入ったポストカードは、間違いなくイトリさんのやつだ。

 

 ちなみに今の僕の服は、あんていくのウェイターの服装になっていた。

 

 壁掛け時計によれば、九時の後半。

 

「四方さんが着せてくれたのかな……?」

『――ヘタレ! ヘタレ!』

「ヘタレも久しぶり」

 

 鳥かごの中に手を入れてちょいちょいとしてやると、やっぱりヘタレは僕の指先を少し噛んできた。……甘噛みとかじゃ絶対ないと思うんだけど、まあ、いつも通りと言えばいつも通りか。

 

 そしてがちゃり、という扉の音と共に、ヒナミちゃんがおっかなびっくり部屋に入ってきた。

 

「お――お兄ちゃん!? 大丈夫なの!!?」

「うん。おはよ――」

 

 言い終わる前に、タックルでもかますように全力疾走でぶつかってくるヒナミちゃん。そのままソファに倒れ込む僕に「ごめんなさい」と言いながらも、ヒナミちゃんはとにかく泣いた。

 

 それこそお母さんが、リョーコさんが死んだ時みたいに。

 

「……ごめんね、沢山心配かけて」

「うん、でも……、生きてたから、お兄ちゃん。

 トーカお姉ちゃん、すごかったんだよ? お兄ちゃんが攫われてから。調子すごく変で、おかしくって」

 

 そのトーカちゃんはどうしてるのかと聞くと、「アヤトくんのところ」とのこと。

 

「アヤトくん、久々にお姉ちゃんの家で寝ろって四方さんが。

 私、アヤトくんが何かお姉ちゃんにしないように、守ったんだ!」

 

 えへん、と胸を張るヒナミちゃんの頭を撫でると、くすぐったそうに笑った。

 きっと杞憂とかじゃなく、アヤトくんの毒気を抜く作戦だったんだろう。

 

 実際、ヒナミちゃんのこの様子からしてそれは成功していそうだった。

 

「でも、優しかったんじゃない? アヤトくん」

「うん! あのね、なんかトランプ持って来てね、みんなでババ抜きやったんだよ!?」

 

 妙にハイテンションなヒナミちゃん。

 なんとなくだけど、ベッドで横になりながら嫌そうな顔をしつつ、トランプを手に構えるアヤトくんのイメージが脳裏を過ぎる。

 

 あと、何かニヤニヤしてそんな様子を見ているトーカちゃんの顔。

 

 スマホを手に取りながらそんなことを考えつつ、日付と時刻を確認。

 

「……丸三日か。ヒデに連絡入れないとな」

 

 きちんと休んだ分についても、多少何か正当な理由を引き出せないといけないし……。どうしようか。

 と思った時点で、脳裏には嘉納教授の病院のことが過ぎる。もう僕の中であの人については真っ黒なんだけど、でもそれでも、今回は普通に利用できないものか検討してみるのも悪くはないかもしれない。

 

 逃げた、とタタラは言ってたけど、きっとまだどこかで繋がりが残っているはずだ。

 もしそうならば、何某か事情を察して、協力してくれるかもしれない。

 

『……随分、グレーなこと考えるようになったわね。それにしては他力本願だけど』

 

 流石にヒデ置いてダブるのは勘弁ですよ、リゼさん。

 

「みんな疲れてるから、あんていくは明後日からだって芳村さん言ってたよ?」

「来週から、か……。店長にも聞きたい事、色々あるんだけどな」

「えっとねぇ……」

 

 そして、ヒナミちゃんの口から店長も決して軽傷ではないダメージを負った事を聞かされた。数日は回復に時間をかけた方が良さそうだと僕も判断し、このことは一旦保留することにした。

 

「じゃ、ちょっと歩こうかな?」

 

 立ち上がる僕に「大丈夫?」とヒナミちゃん。とりあえずトーカちゃんの家に向かう。

 ウタさん製と思われるアイパッチとカツラをセット。

 

「……なんか、ビミョー」

「似合ってるよ? お兄ちゃん。お父さんみたい!」

 

 ヒナミちゃんが元気に僕の手をとるのが慰めなのか何なのか。

 

 下に降りると古間さんが掃除をしていた。「おう!」と軽く挨拶をされ、行ってらっしゃいとだけ声をかけられる。きっと何かしらの意図があっての軽い対応なんだろうけど、正直に言うとそっちの方が僕も気が楽だった。

 

 着替えて出た外は、少し肌寒い。息が白くなるにはまだ時間が掛かるけど、それでも充分なくらいだ。

 道順は、いつも通りと言えばいつも通りなんだけど、でもなんだか妙に懐かしいような気がしてくる。まだ数日くらいしか経ってないのに、やっぱりあそこの経験は妙に色濃く残っているのか。

 

 そして建物の一階に着いた段階で、依子ちゃんの姿を発見した。

 

「あっ!」

 

 向こうも僕に気付いたのか、若干顔を赤くしてお辞儀を返してきた。

 服は私服。って、そういえば今日は土曜日か……。

 

 そして、僕はある種のアイデアを思い付く。

 

「こ、こんにち……あ、おはようございますっ。

 そちらの子って、妹さんですか……?」

「お兄ちゃん、この人って……?」

「トーカちゃんの親戚の子かな。えっと、こっちはトーカちゃんの学校の友達。

 えっと、依子ちゃん、トーカちゃんに会いに来たんだよね。

 きっと今行ったら、面白いものが見られるよ?」

「?」

 

 頭を傾げる依子ちゃんだったけど、サムズアップを返す僕を見て何かを納得して、一緒に付いてきた。

 

「トーカちゃん、大丈夫ですか? ここのところずっと来てませんでしたし、学校……」

 

 アヤトくん達の襲撃に遭って、という話をするのはちょっと言えないで、そこはトーカちゃん本人から出任せを述べてもらおうか。

 

「依子ちゃんは、トーカちゃんのこと好き?」

「はい! もう、料理のことから『あっち』のことまで、何でも応援しちゃいますって感じですよ~」

 

 僕を見て、何故かニヤニヤしてくる彼女に、上手い返しが思いつかないのが僕がヘタレなところか。一応そういうんじゃないとは言っても、まったまたぁと返されるだけなので何とも言えない。

 そしてヒナミちゃんは、借りてきた猫のように僕の背後で人見知りしていた。

 

 そして、到着。ごくりと息を飲んで、依子ちゃんはベルを押した。

 

『――はい、こちら霧嶋……、って、依子に、――ッ!』

 

 ぶ、と何かを噴き出す声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。気のせいということにしておこう。

 がたがたがたと部屋の中でものすごい音が鳴ったと思ったら、慌てた様子でトーカちゃんが出てきた。

 

「な、なんで二人して? ヒナは――」

「――あ、あ゛!?」

 

 そして、部屋の奥で上半身裸のまま、包帯を巻かれ途中だと思わしきアヤトくんが、依子ちゃんの方を見てものすんごい形相になっていた。

 

「あ、あ――! アヤトくん帰ってきてる!? 背すごく大きくなってる!」

「な、何で来て――」

「あ、こら動くなアヤト、まだ巻き終わってねぇんだから」

「アヤトくん、お腹すごーい!」

 

 皆、それぞれ好きなように話し初めて混沌極まりない。

 でも、一番最初に正気を取り戻したのは依子ちゃんだった。

 

「せっかく姉弟水入らずみたいだし、私、今日は出なおすね」

「あ、いや……」「……」

「でも、学校はちゃんと来ようね? 話はその時にでも聞かせて?

 じゃあまたね。あ、ありがとうございました」

 

 僕に照れながら頭を下げ、彼女は皆に手を振ってその場を去った。

 

 はぁー、とトーカちゃん達二人のため息が重なる。

 

「……何やってくれてんのよ、カネキ」

「ま、色々とね。僕も包帯巻くの手伝うよ」

「わたしも手伝う!」

「や、止めろやゴラ!」

 

 嫌がるアヤトくんだけど、殴る蹴るといった手段で抵抗できないのはヒナミちゃんのせいだろうか。やっぱり彼女の顔を見るだけで、どうにも気力が萎えて行くのが目に見えてわかった。

 基本的にツンツン度合いが振りきれてはいるけど、やっぱり二人は家族なんだと思える。

 

 そして、流石にこれだけ巻いたら包帯がなくなってしまった。

 買って来るよと言ったら、トーカちゃんも付いてくると言う。

 

「アンタ病み上がりなんだし、一応付いてくから。

 ヒナミ、アヤト逃げないよう見張っといて」

「まかせて!」「……」

 

 そして、もはやここまで来るとある種の天敵みたいな気配さえ帯びて来ていた。

 

 

 連れだって薬局に向かう僕等。こうして二人きりというのも、あの日以来でやっぱり何だかんだで懐かしく感じていた。

 と、そんな僕の服のそでを、トーカちゃんはちょいっと引っ張った。

 

「何かな?」

「……あの、さ。さっき言いそびれたけど。

 大丈夫なの? カネキ」

「三日くらい寝込んでたみたいだから、ちょっとガタガタ言ってるくらかな」

「いや、そーゆーんじゃなくて」

 

 僕の頬に自然と手をやって、彼女はカツラの隙間から、ちょっとだけ零れかけている白い髪を見て、悲しそうな目になる。

 

「……大丈夫だったの?」

 

 ようやく、トーカちゃんが何を指し示してそれを言ってるのかに僕は気付いた。

 苦笑いを浮かべながら、僕は正直に答える。

 

「普通に大丈夫じゃないかな。まあ、生活する分にはそこまでダメージはないけど」

「……」

「でもお陰でやりたい事ができた。やらなきゃならない事も見えてきた」

 

 頭を傾げるトーカちゃん。今日はまだ、この話をするタイミングではないかもしれない。

 

「バンジョーさん達って、そういえばどこに居るのかな?」

「地下の方じゃない? アンタが一番大変だったって言って、場所譲って寝てたわよ」

「悪い事しちゃったかなぁ……。後で謝りに行かないと」

 

 しかしまぁ、何というかやることが一杯だ。

 でも、それでもどれか一つだけをとるという選択を僕はしない。

 

 きっと、それは両方必要なものだから。

 

 金木研(ぼく)が、人間と喰種と、両方を持って生きてくためには。

 

 

 

「カネキ」

 

 そんな風に考えてると、ふとトーカちゃんが僕の手をとり、指を絡ませて。

 

 驚いて彼女を見ると――トーカちゃんは、なんだか見たこともないくらい、とびきりの笑顔を浮かべて。

 

 

「――とりあえず、お帰り」

「……うん、ただ今」

 

 

 そんな彼女に不思議と見蕩れながらも、僕は微笑んでそう返した。

 

 何故かは分からないけど、不思議と僕は、それがしっくり来た。

 

 

 

 

 




とりあえず、無印前半戦最終回でした。

後半戦に行く前に、時系列的に半年の空白でいくつかやるネタがあるんで、それ消化してから後半戦に移りたいと思います。それでは、また見てインサイト!


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  おまビアン 設定資料集

本作独自設定も色々ありますが、せっかくなので一部まとめて平成ライダーのホムペ的に。
クインケだけちょっと手抜きなのはご容赦を;


・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

1.クインケドライバー

 

 血中のRc細胞値を一定に押さえる触媒と、Rc細胞全体に働きかけ体外に排出させる統制機構を併せ持つバックル型装置。装着した喰種は本能的にバックルの両端に赫子を接続して効果を発揮する。また赫子を経由し血液から全身の細胞に影響を受ける(ただし首から上は髄液の関係で効果は薄い)ため、常に激痛に晒される。

 元々は拘束具のみとしての開発だったが、Rc細胞の実験およびクインケを効率的に作るためにレバー操作による排出機構が付いた。またレバーを二度落とすことで、Rc値が低い喰種なら内側から破裂させて即死させる「ブレイクバースト」が発動。

 十数年前までは量産されており、主にコクリアを中心に使われていたが、Rc細胞値が2870以上の喰種に使った際、意図せず赫者化に近い現象を引き起こしたため、製造が中止される(CCG側は認知していないが、実は1500以上で痛みに耐えられるなら既に”変身”できる)。残存していたドライバーは多くが破棄、コクリアにも50台ほど残っていたが、アオギリの侵攻により半数以上が破壊もしくは行方不明に。

 なお発動時に赫子の名前をドライバー側から呼称されるのは、捜査官が扱いやすいようにするため。また、キャパシティを超えるとオーバーという電子音が鳴る。

 

 

1-1.セントラルインジケータ

 

 ドライバーの中心部分にあるレンズ。レバー操作時、内部にそれぞれの赫子に対応した文様を浮かび上がらせる。

 

1-2.アップライドレバー

 

 ドライバー正面の左側にとりつけられたレバー。抑制モード、排出モード、爆破モードの切り替えを行う。

 

1-3.クロッシングネスト

 

 Rc抑制触媒「グリーンクラウン」を格納するドライバーの基部。全体の統制も果たす。開発当時は機能拡張も視野に入れられていたため、カバーで隠されているが正面右側には拡張データチップの装填口が設けられている。

 

1-4.Rcバンド/Rcシェル

 

 赫子が変化したベルトの帯部分と、ベルトとの接続を仲介する接続用コネクタ。腹部に装着した瞬間、装着者の喰種の赫子の制御を強引に乗っ取り、Rcバンドに変化させる(当時はたまたま発見して実装した機能だが、後にリンクアップシステム(後述)に昇華される)。

 

 

以下、廃棄時に報告されたバグの数々

 

・Rc細胞値2870以上の喰種に用いた場合、赫者化するように赫子が全身を覆った(以下”変身”)。

・変身した喰種は、外部からのレバー操作を完全に受け付けなくなる。

・変身時のブレイクバーストは、喰種の意図に合わせた箇所のみに爆破待機状態となる。

・特定の喰種のみにおいて、全く意図された拘束効果を発揮しなかった。

・赫者がこれを用いた場合、身体と分離した赫子の遠隔操作が可能(梟戦にて有馬貴将が報告)

・クロッシングネストが破損した状態で使い続けると、喰種の赫子とドライバーとが融解し接合しあう現象が確認された。 etc・・・

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

2.クインケ(レッドエッジ、アップグレードクインケだが現在主流なため単にクインケ)

 

 基本設定は原作に準じるが、使用者の認証機能が付くものはAランク以上。

 旧クインケの技術にクインケドライバーからのフィードバックを得た、いわば改良版。リンクアップシステムを用いた効率的な運用(修復や改良等)が可能に。

 

2-1.アイズコア

 

 クインケに対応した喰種の赫眼を元に作られる、クインケ自体の制御装置。作成に赫眼が必要にはなるが、一度作れば複製は可能(内部に入っているものは赫眼そのものでないため)。

 リンクアップシステムによりクインケ内の赫胞とシンクロし、簡易操作での変形、リビルド、リライズなどの追加機能が可能に。特にリコンストラクション(再建)によるフルアタック(十秒弱の時間の完全攻撃モード)などは、これなくして成立しえない。

 なお制御装置としか通常は呼称されないが、曰く「戦闘中に要らん横文字なんか邪魔だ」とのこと(上級捜査官M手I氏談)

 

2-2.レッドチェンバ

 

 主に射撃タイプのクインケに取り付けられたもの。残弾数の表示、補給口などが合わさった機構。

 

2-3.パワードハンドル

 

 クインケの持ち手。Aランク以上は毎日のバイタルデータを反映した使用者ロック機構を持つ。

 非起動モード時はアタッシュケースなどのの持ち手となる。

 

2-4.アイズコアネスト

 

 アイズコアの装着部分。基本的に半格納方式であり、変形すれば基本的にとれない。

 

2-5.Rcタンク

 

 クインケの肝とも言える、赫胞をクインケ鋼でコーティングした装置。

 

2-6.Rcストリング

 

 クインケの芯となる部品。ここを中心にRc細胞を展開している。アタッシュケース時は展開して外装となる。

 

2-7.CCGエンブレム

 

 CCGのエンブレム。正義の証(捜査官A門K太朗氏談)。

 

 

リンクアップシステム

 

 クインケドライバーの使用により発覚した、赫子と脳波とのシンクロ関係を逆手にとった技術。簡単に言えば、脳波によって赫子が変化するという技術をマシン的に再現したもの。これによりクインケの「型」が出来ていれば、他の喰種の赫子であっても統制し、修復に使うことが出来るようになる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

3.レッドエッジドライバー

 

 リンクアップシステムを拡大して作られた、ベルト型クインケの多重運用装置。製造自体はアップグレードクインケ以前だが、使いこなせるのが一部上等捜査官のみに限られたため、1区CCG本部の保管庫に大量にある。

 変形後クインケのアイズコアをマウントすることで、遠隔操作や攻撃した喰種の回復遅延などの効果が期待されていたが、有馬貴将はSランク「IXA」をその身に纏わせるという大胆な使い方を考案。以降、赫者アラタのクインケ化に際して同様の使い方を想定し、再度導入された。

 

 

3-1.アイドネストギア

 

 アイズコアの装着部分。クインケとの信号のやりとりもここで行う。

 元々はクインケドライバーの機能拡張のための試作だったため、コネクタ操作により取り外しが可能。裏面のデータチップは、そのままクインケドライバーに装着できた(本部にあるドライバーのそれは、端子が折られているため不可)。

 

3-2.サイドハンドル/デミレッドアイズ

 

 アイドネストにアイズコアを装填する際に固定、および接続と非接続を識別させるためのスイッチの役割を果たす。またハンドルにそれぞれ二つずつあるレンズにより、クインケの暴走を防止する。

 閉じると良い音がする(上級捜査官A馬K将氏談)。

 

3-3.ケーニヒテンタングル

 

 アイドネストギアを最大効率で運用するためのドライバー基部。裏面中央にブラッドセンサーが取り付けられており、Rc細胞値1000以上の相手にはベルトを出現させないセーフティが設けられている。

 

3-4.ホールディングプログレッサ

 

 ケーニヒテンタングル内に収められてるベルト部分。装着者の全身に渡る電気信号をキャッチし、ベルトを中継してクインケの操作時に反映させる。

 

 

 

 なおデチューンし扱いやすくした後継機が現在並行で開発中であり、2、3年以内には実装予定。

 

 

 



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番外編 微熱/団欒

タグの「カネトー多め」を「カネトー過多」に修正しようか悩む;

最近本作のトーカちゃんが割と何言ってるかわかんない時がりますw
見てくれよ、こいつら別に付き合ってないだぜ・・・?


【番外編 微熱】

 

 

 

 

 

 最近、私はどうかしてると思う。

 

「カネキ、どうしたんだよ連絡なんてなくて――うお、おおおおお!? ど、どしたそれ」

「まあ、色々あって……」

 

 例えば今日、こうしてカネキの後を付けてるあたり、明らかにどうかしてる。

 

 切っ掛けなんてささいなもので、久々に「あんて」のシフトがなかったので、依子と遊んでいたら、道を横切るカネキの姿。

 と同時に、依子が私の背中を押して「ぐ」と意味深な笑顔。

 

「行ってきていいよ。せっかく出会ったんだし、やっぱり話さないと!」

「依子?」

「彼氏さんも一人みたいだし、ファイト!」

「ちょ、だから違――」

 

 そう言われて背中を押されて、カネキの後を付かず離れず付いて行く。

 何を話しかけようか、と思えば思うほどドツボに嵌って何も言えない。

 

 頭の中で、何かわかんない興奮というか、何か説明できない感じなのがぐるぐる回って、思考がまとまらないというか。今話しかけたら、変なこと口走っちゃいそうな、そんな予感があった。

 

 ――アオギリからカネキを奪還して一週間ちょっとくらいか。

 

 こっちに帰って来てからも、カネキは相変わらず大学には行っていた。って行っても一週間のうちの途中からだったらしく、友達の永近……、ヒデ何だか何ヒデさんだか忘れたけど、そいつとはあんまり話してなかったらしい。

 

 ……んで、今日久々にちゃんと話したってところなんだと思う。ウタさんのカツラを外して苦笑いを浮かべるカネキに、永近さんはものすごく動揺していた。

 

 ただ、決定的に私と違うところが一つ。

 

「おしゃれさんか何かか? 眼帯もアレだし」

「まあ、色々あって……。あんまり詳しく話せないんだけど、相手も『掴まったし』。守秘義務だったかな?」

「……何かに巻き込まれたのか? 大丈夫なのか?」

 

 顎をさすりながら、カネキは苦笑い。

 永近さんの視線が、カネキの指先に集中する。

 

「とりあえずは大丈夫かな。病院の診断書もあるから休んだ分も何とかなるだろうし」

「いや、そうじゃねぇだろ!」

 

 当たり前のツッコミ。

 

「いや、そういう問題だよ。生活する上でもうそこまでダメージはないし、なら後はどうやってリハビリするかってことだけで」

「リハビリ必要なんじゃねーかッ!」

「いや『塩とアヘン』に出てくる刑事がいるんだけどね、彼がボロボロと泣きながら歩くシーンから、捜査に戻るまでの――」

「高槻泉ホント好きだなッ!」

「あ、覚えててくれたんだ!」

「あんだけ薦められりゃなッ!」

 

 ぜーはー肩で息をする永近さん。なんか、テレビのコントみたいなノリで会話する二人。それは、明らかに私のそれとは別にものすごく楽しそうで。

 それでも一度深呼吸して。

 

「……ホントに大丈夫なのか? カネキ。何かあれば力なるぞ」

 

 この言葉に、カネキは顎の手を下ろした。

 

「この手の類のことでは、たぶん大丈夫だよ。ただ、実生活へのリハビリはもうちょっと必要かな……?」

「……ああ、社会復帰の方のリハビリか」

「そうそう。だから、頼る時はものすごく頼ると思うから。

 その時はヨロシク」

 

 カネキのそんな言葉に、永近さんは目を丸くした。

 

「どした? ヒデ」

「……いや、何というかー ……。お前、ちょっと変わった?」

「……どうなんだろうね。

 ちょっと走馬灯というか、人生見つめなおしたりはしたかな」

「ホントに大丈夫だったのか? それ」

 

 真剣な口調はここまでで、彼はまた頬を楽しそうに吊り上げた。

 

「じゃ、今日は遊び行こうぜ! って言っても予算そんなねーんだけど!」

「正直だなぁ……。お昼は済ませてるし、じゃあ本屋でも――」

「却下」

「何でさ!」

「いっつも言ってるじゃねえかッ! 何悲しくて野郎二人で本屋何店も散策しなきゃなんねーんだよッ!」

「酷い偏見を見た!?」

 

 軽いノリで話し合う二人は、カネキは、私と話してる時とは全然違って。

 ものすごく楽しそうにしていて――そして、涙を流した。

 

 うお、とちょっと引く永近さん。でも、カネキのそれを止めることはない。

 

 肩に手を置いて、大変だったなぁって続けるだけで。それだけで充分慰められる二人の関係が、少し私は羨ましかった。

 

「とりあえずヅラ被ろうぜ? ほいっと……」

「……カツラって言って、くれないかな? なんか、ハゲみたいな、気がする」

「しゃくりながらツッコミ入れられてもギャグにしかなんねーぜ?

 っと、どうしたもんか――」

 

 

 あ、と、私と永近さんの目が交差した。

 

 カネキが泣き出したあたりから、どうやら身を大きく乗り出してしまっていたらしく(今気付いた)、向こうにも確実にこちらが確認できるようになっていた。

 

 私の名前を呼んで、手を振る永近さん。

 ちょっと泣きはらしながら顔を上げると、カネキは少し気まずそうな表情になった。

 

 流石にこのままは不自然なので、手招きされるまま二人の方へ。

 

「トーカちゃんじゃん! どしたの、こんな所で」

「えっと……、二人を見かけて、なんとなく……」

「あれ、トーカちゃんってコイツの状態知ってるん? あー、バイトなら一応店長さんとかに話しするか……」

 

 諸事情について全然考えてなかった私だけど、下手なアドリブをするまでもなく永近さんは勝手に納得した。

 

「っていうか、たまにカネキに勉強見てもらってたんだっけ? そりゃ心配もするわなー」

「……ええ、まあ、ハイ」

 

 何でコイツが知ってんのよ、と視線を向けると、何とも言えない笑いで視線を明後日の方角に逸らすカネキ。

 

「いやー、いじ()しいね! 俺もトーカちゃんに心配されたい! あ、でも痛いのは勘弁だからどうしたもんか……」

「目の前でそういうのを真剣に検討するなよ、ヒデ。

 あと、いじ()しい」

「そうそれ。

 っと……、あー、とりあえず何か飲み物買って来るけど、何が良い?」

 

 カネキは缶コーヒーをリクエスト。永近さんは私が言う前に「ちょっと来て」と言って私の肩に手を回し、少しカネキから離れたところに。

 

 何をするのかと思えば、カネキと話してた時に見せてた真剣な表情で、私に聞いてきた。

 

「トーカちゃん、アイツが本当に何に巻き込まれてたとか、知らない?」

「……知り、ません」

 

 その言葉を捻出するのに、私は思った以上に労力を割いた。

 

 問いかける彼の目が、あまりにも鋭利な視線だったからだ。まるでこちらの一挙手一頭足全部を観察するような。言葉尻一つからでも嘘を見抜くと言わんばかりの、そんな視線。

 

 私も、嘘は言ってない。というより全部が全部、嘘ってわけでもない。

 

 攫われた時まで、カネキはいつも通り――容姿の面でもいつも通りだったけど。それでも今のアイツの姿になるまで、一体何があったのか。一昨日まで残っていた、皮膚の色の違うところとかから、予測できなくもないけど、予測したくもない私が居て。

 そんな状態でも笑うカネキが、少し痛ましかった。

 

 永近さんはしばらく私を見つめていたけど、やがて肩をすくめて笑った。

 

「……そう、悪かった変なこと聞いちゃって。

 なんかスゲー無理してるみたいだったから、気になった」

「……無理、してる?」

「情緒不安定すぎるし、何より嘘ついてるからなぁ」

 

 嘘? と頭を傾げる私に、永近さんは自分の手を顎に近づけて、撫ぜる。

 

「トーカちゃん知ってるかな? カネキって、何か隠してる時はこう、アゴさわんのよ」

「……」

 

 言われて、思い当る節が何個も出てくる。

 

「だからまぁ、何か助けてやれると良いんだけど――あ、そうだ!

 トーカちゃん、何か話してやってよ」

「へ?」

「俺相手だと話せないようなことでも、第三者だとちゃんと言えたりするからさ。話すだけでも慰められたりすんじゃん?

 だから、頼む!」

 

 両手を合わせて頭を下げる彼に、私の答えは断る訳もない。

 感謝の言葉を述べながら、彼は公園に向かって走った。

 

 カネキの前に戻ると、アイツはどこか遠い目をして空を見上げていた。

 

「……」

「……」

「……ッ!? ほあッ!!?」

 

 なんとなくその目が気に入らなくて、私はカネキの耳に息を吹き掛けた。

 

 耳を押さえて振り返るカネキ。びっくりした表情のカネキに、私は持ってたハンカチを使って、目元の涙跡を拭ってやった。

 

「え、えっと……」

「……何?」

「いや、何でも」

 

 しばらくされるがままのカネキ。ハンカチをしまい終わると、私は何を話したものかと、逡巡して。

 

「……心配してたよ、アイツ」

「……何というか、ごめん」

「そういうのは、アンタの友達に、直接、言ってやれ」

 

 私の言葉に「うん」とカネキは笑った。自嘲してるような微笑だった。

 

 話してくれって言われたけど、正直私も何を言ったら良いか、全然わかんない。ニシキとかならまた気の利いたことでも思い付くのかもしれないけど(癪なことに)、生憎私も、ここまで相手の力になりたいとか思って、口を開くこと自体滅多にない。

 

 ないので、言葉が思い付かなかった私は、周囲を見回して人が居ないことを確認して、とりあえず前髪を横に流して――。

 

「……動かないで」

「へ? あ、ちょ――」

 

 カネキの頭を押さえて、自分の方に引き寄せて、おでことおでこをくっ付けて、そのまま目を閉じて、ぐりぐりした。

 

 つめたい。

 

「…………えっと、あの、トーカちゃんさん? 一体何でせうか? これ」

 

 口調が頭おかしいことになってるカネキ。

 

「……昔、お父さんにたまーにやってもらった」

「……ひょっとして、慰めてくれてたりする?」

 

 頷きはしなかったけど、ぐりぐり続ける私にカネキは「そう」と、少し納得したように言った。

 

 お父さんも、たまーにおでこをこうしてくっつけた。

 そして、私とアヤトをぎゅっと抱きしめてくれてた。だから本当はこれで半分なのだ。

 

 だけど……、ハグなんてしたら、それだけでもう今日一日全部ダメになってしまいそうな予感があった。なんとなくぽわぽわした、全身に熱が回るような感覚が暴走するような。

 というか心臓ヤバい。

 

 もう大丈夫と言うカネキのそれに従って、私も手を離す。

 

 ……流石にカネキも照れていた。そして、そんな顔を見て私も、今更ながら自分が何やってるのかと自省。

 

「えっと、ありがとう? で良いのかな」

「……しゃべんな」

「ア、ハイ」

 

 その後、永近さんが来るまでの間、私たちは何とも言えない空気のままで居た。

 

 

 翌日、なんか額を触ったら微熱があった。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

  

 

【番外編 団欒】

 

 

 

 

 

 包帯まみれの背中は、見ていると不思議とお父さんを思い出す――。

 

 

 ヒナミの「おはよう」に起された私は、リビングに向かう。遅めの朝ご飯兼お昼を食べて、時間は既に午後二時を回っていた。

 そこではアヤトが、私のワンセグを動かしてニュースを聞いていた。カネキから借りたシャツが意外と大きくて、ちょっとタンクトップみたいなことになってるのは言わないでおく。

 

『――喰種によるCCGの護送車襲撃事件が――』

「……エトか?」

 

 カメラの映像に一瞬映った、巨大なシルエットを見てアヤトはそんなことを呟く。

 えと? と頭を傾げるヒナミに、一瞬頬を引き攣らせて表情を逸らした。

 

「何やってんのよ、アヤト」

「トーカ……」

「とりあえずケータイ返して」

「お、おぅ……」

 

 私に対してもそんな表情を浮かべるアヤト。まあ、居座り辛いだろとは思う。思うけど私は遠慮せず、入れた珈琲のカップを四人分置いた。

 

 訝しげな視線を向けるアヤト。何で四人分なのかと言わんばかりの表情だけど――。

 入り口のベルが鳴り、さっきまでとはまた違った面倒そうな表情になった。

 

 ぴくり、とヒナミの耳が動く。

 

 そして案の定、家の扉が開いたらアヤトは嫌そうな声を上げた。

 

「おじゃましまーす……」

「眼帯……ッ」「お兄ちゃん!」

「カツラ帽子かけに引っかけとくから、ほら」

「あ、ありがとう。

 ……アヤトくん、順調そう?」

「テメェが言うんじゃね……ッ」

 

 ヒナミが横に居るせいか、怒鳴るに怒鳴れないといった風なアヤト。

 そんなアヤトに、カネキは少し手を合わせて頭を下げた。

 

「って、言うか、何で眼帯来てんだよ」

「何でって……、あれアヤト、言ってなかったっけ。勉強」

「はぁ?」

「お姉ちゃん、お兄ちゃんにお勉強見てもらってるんだよ?」

「なんか、色々あってそんな感じで……。

 ともかく、よろしくね」

「……」

 

 はぁ、とため息をつくアヤトに、カネキは軽く笑った。

 

「あ、そうそうお土産……って訳じゃないけど、はい」

「うああああ! ありがとうお兄ちゃん!」

 

 本を抱きしめ、ヒナミはとてとてとリビングへ戻る。

 もう一冊取り出したカネキは、リビングから動かないアヤトに手渡した。

 

「字は流石に読めるよね」

「舐めんな、って、何だこれ……? ”はじめての数学”?」

「タタラさんがこの間、帳簿付けられる人探してたから、覚えるときっと役立つよ。まあ前段階のなんだけど」

「あ、あ……?」

 

 訝しげな目を向けるアヤトのそれを流して、カネキはテーブルの珈琲を持った。

 

「じゃあ、ヒナミちゃんアヤトくん見ておいてね」

「うん!」

「……? ちょっと待て、勉強すんだろ?」

 

 首を傾げるアヤトに、私とカネキの方が逆に首を傾げた。

 

「なら、どこ行くんだよ」

「どこって……」「私の部屋だけど」

「は、はァ゛!?」

 

 と、何故かガタッとアヤトが立ち上がった。

 

「トーカお前……、あ、ああ? 俺の方が変なのか?」

「えっと……、あー、なるほど」

 

 カネキは何かを察したように困ったような笑みを浮かべて、私に耳打ち。

 内容的に、それはヒナミを気にしてのものだろう。

 

 

「(……確かに部屋の中で、二人きりってのはアレかなと)」

「(いや、でもこっちだと荷物多いし、気が散るし掃除面倒だし)」

「(僕もあんまり言わなかったけど、ほら……、一応ね。

  弟としては色々警戒するんでしょう)」

 

 

 数秒の時間を置いて、私はカネキが何を察したかと、アヤトが何を危惧してるのかに気付いた。

 どわっと、顔に血が上るのを感じる。

 

「この、んなワケねーし! てかスケベアヤト!」

「何で俺なんだよッッ!?」

「?」

「ヒナミちゃんは耳閉じてようか」

 

 さっとヒナの耳に手を置いて音を少しシャットアウトするカネキ。

 私は羞恥も相まって、アヤトにガミガミ言う。

 

「大体、そういう心配すんなら何で家出て行ってるんだよ! 私が誰連れ込んだって良いだろ!?」

「あ、あ゛!?」

「トーカちゃん落ち着いて、それかなりヤバめな台詞だから」 

「ん、んなのトーカ関係ねーだろ! っていうか、もし相手が捜査官だったらどうすんだよ!」

「アヤトくんも何か方向がおかしくなってる」

「カネキだから別に良いだろカネキだから!」

「眼帯だから何が良いのか説明しろやゴラ!」

「ちょっとくらい何かあるかもって期待しても接触すらしないから大丈夫だって言ってんだ、あ゛!!? 何で距離詰めて吐息かかる近さなのに手も触れねーんだよバーカ!!!」

「と、トーカちゃん!?」

「普通それが当たり前だッ、って言うかホントに何考えてんだバカ姉!」

「大体アンタは――」

「テメェも――」

 

 私とアヤトの罵倒合戦を、カネキが目を白黒させて見ている。

 ヒナミはヒナミできょとんと、鳩が豆鉄砲くらったみたいな茫然とした感じ、というよりどういうリアクションをとったら良いか全然わかんない、みたいな。

 

 実際問題、私自身何を口走ったか全然わかんない。アヤトもアヤトで何言ったか全然わかんないみたいな顔してる。かっとなって全力で文句を言い合って、ぜいぜいと肩で息をして。

 カネキに差し出されたカップを、二人揃って手にとって飲んだ。

 

「落ち着いた?」

「「……」」

「とりあえず妥協案として、こっちで勉強するってことでどうかな」

 

 当たり前のようにそれで決着して、私とカネキは部屋に学校のバッグを取りに行く。

 教科書とかを詰めていると、カネキは何とも言えない微妙な表情を浮かべて。

 

「トーカちゃん、さっき何叫んでたか色々覚えてる?」

「……?」

 

 言われて思い返して――。

 

「……きかなかったことにしてちょうだい」

「うん」

 

 カネキが意味もなく頭を撫でてきたあたり、相当だったんだろう。

 気恥ずかしいよりも、不甲斐ないというか、何というか、とにかくヤバかった。

 

 深呼吸してからリビングに戻る。

 

「で、何やんだ?」

 

 何でアヤトがカネキにそれを聞いてんだ。

 

「色々溜まってるけど、僕のリハビリもかねて今日は英語かなーと」

「英語?」

「ヒナミちゃんは、もうちょっと漢字とか覚えてからやろうか」

「うん、ヒナミがんばる!」

 

 ぐっと拳を握ると、早速カネキの買ってきた本を開いて、メモを片手に装備。

 辞書の引き方を教えてあるので、多少は自分で読めるようになってきてるけど、それでもわからないところは私たちに聞くという状態で、勉強中は対応してた。

 

 教科書開くのも、隣にカネキが居るのもなんか久々。それだけでちょっとやる気が出る自分が、現金というか何というか……。

 

「前にも言ったけど、文法とかは一旦おいて置いて、まず感覚的なところから始めようか。

 I wish」

「アイ、ウィッシュ」

「I remember」

「アイ、リメンバー」

「意味は?」

「えっと……、願う、と覚えてる?」

「大体そんな感じかな。単体でI wishだけだと『~なら良いな』、みたいなニュアンスらしかったっけ」

 

 英文を作る練習をしているのを、アヤトが半眼で見つめる。

 数分かけてある程度作ってから、前に使っていた文章を軽く見直して、そのまま教科書とノートを開いた。復習。学校で一度習った範囲のところ。

 

「じゃあ、訳し辛かったところってどこかあった?」

「ここ」

「長文だね……。ちなみにどこが?」

「どっから手をつけて良いかわかんない」

「あはは……。一応、区切りというか目安みたいなものがあるんだけどね。

 じゃあ、英和辞典開いてみようか――」

 

 

 

 

 

 

 アヤトが自分から口を開いたのは、カネキが帰ってメシを食べて、ヒナミを寝かせた後だった。

 

「……トーカは、俺がまた出て行くって言ったら止めるか?」

「は?」

 

 聞き返すと、アヤトは頭をガリガリしながら視線を逸らす。……そんなに頭痒いなら風呂入ればいいのに、っていうか入った後か。

 でも、これに対する答えは実は決めていた。

 

「止めないよ。もうアンタも、自分で判断できるだろうし」

「……」

「っていうか、私ぼっこぼこにしといてその言い回しはケンカ売ってんの?」

「あ゛?」

 

 半眼で見ると、そっくりそのまま半眼でアヤトは睨み返して来た。

 止められないことが当たり前、みたいなニュアンスを感じて、私もちょっとイラっと来ていた。

 

 少し溜息をついてから、私は思い出す。

 

「お父さんの言ってた事、覚えてる?」

「……ああ」

 

 私には、お姉ちゃんだからアヤトに色々教えてやれって言って。

 アヤトには、お姉ちゃんが困ってる時は力になれって言って。

 

「……その感じだと、眼帯からアオギリ行った話とかもう色々言われてんのか、面倒くせぇ」

「……カネキ、何か知ってるわけ?」 

 

 私の一言に一瞬呆けて、しまった、みたいな顔をするアヤト。

 

「な、何でもない」

「何か知られたらマズいことでもあるわけ?」

 

 ちょっとニヤニヤしながら見たら、知るかって叫んでアヤトはそっぽ向く。

 

 私は後ろから頭をぽんぽんしながら言った。

 

「だからさ、教えてあげる。

 無茶してんなら、無茶しなくたって良いよ。見てる方も辛いし。

 でも、やるって決めたことがあんなら、ちゃんとしてるなら、私は待ってるから。出来る限り全うにして、後は生きててさえくれれば、それで良いから」

「……」

 

 カネキが生きて帰ってきて、その時ふと思ったことがあった。

 もしあの時、お父さんが生きて帰ってこれたならって。そしたら、私たちもカネキみたいに、例え喰種であってものほほんとして生きることが出来たのかなって。

 

 でも、そんな仮定なんてしなくったって良いんだって、カネキの白い頭を見て思うようになった。

 

 生きてればいいんだから。死んじゃったら、もう、どうしようもないんだから。

 会おうと思っていつでも会えるのが一番良い。会えなくなるのは、とても寂しいけど。ひょっとしたらその先で死んじゃうかもしれないけど。

 

 でも、生きているのなら、また会えるかもしれない。大事な相手が、生きていてくれたなら――。

 

 アヤトはそのことに何も言わず、少し眉間を押さえた。

 

 しばらくしてから、口を開いた。

 

「……色ボケ姉貴」

「誰が色ボケだ」

「姉貴、眼帯のこと好きなのか?」

「…………」

 

 今度はこっちが黙らされた。

 そういえば、アオギリに行った時もそんなこと言われたっけ、コイツから。

 

「俺は、アイツ苦手(ヽヽ)。親父思い出させやがるし、なんか色々妙に察してきやがるし」

「……それは、少しわかる」

 

 あんまり何も言ってなくても、どうしてか依子とケンカした時とか、無茶してる時とかそれとなく気付いたりして、色々言ってくる。前からそれがちょっと苦手で、でも私だけで対応できないところでは、助かっている部分もあって。

 

「でもトーカが惚れるとしたら、それくらいしか心当たりがないっていうか」

「ストレートに惚れるとか言うなって」顔が熱い。

「そーゆー所が色ボケだってんだよ」

「ボケてないから。ま理由は色々……なん、じゃない? そーゆーのは別にして、嫌いじゃないって意味だと。

 美味かったし」

「うまかった……?」

 

 お前は何を言ってるんだ? と首を傾げるアヤト。

 はぁとため息を付いてから、アヤトはやっぱり頭をかく。

 

「トーカ不器用だしな」

「アヤトも不器用だろ」

 

 条件反射で言ったら「あ゛?」と睨まれた。

 そして、意外な一言がアヤトの口から零れる。

 

「そーゆー話じゃねぇっての。……まあ、強いて言えば髪、伸ばせばいいんじゃね?」

「……髪?」

 

 首を傾げる私に、アヤトはカネキがヒナミに買って来た本を手にとる。

 

「高槻泉って居るだろ」

「カネキのお気に入り作家だけど」

「結構美人だから」

「あ゛?」

「っていうか、アオギリの中でやけにそういう話好きな奴が居て、でそいつ曰くの話だから。

 調べればネットにも乗ってるんじゃね? そーゆーの」

「……で、何で長髪?」

「そいつが長髪なんだと」

 

 意味が分からない、と続けようとしてふと、私は思い出した。

 そういえば、リゼも髪長かったっけ……。

 

 カネキからちらっと前に聞いた話を総合すると、どーもアイツ、リゼ(の表面上取り繕ってた性格)に惚れてたっぽいし……。あーいうのがタイプ?

 

 知的(に見えなくもない)、本色々読んでる、髪長い、メガネ?

 スタイルなら、まあ、負けてない……? 全体的にあっちより細いけど、胸とか、最近前よりも少しは――。

 

 

 って、何で私がそんなの考えてるんだって話だッ!!!

 

 

 割と真剣に、カネキの好みに合わせたいとかそういう考えが湧いていたことに気付いて、思わずアヤトから視線を逸らした。

 

 

「……どした?」

「……なんでもない」

 

 

 っていうか、自分のスタイルとかまで考え出してる時点で、自分でも自覚するくらい相当重症だった。

 

 これじゃアヤトとかニシキに色ボケ呼ばわりされても反論できない……。

 いや、別にカネキはそーいうんじゃないと、思うんだけど。普通に「あんていく」の仲間だし、新入りだし、なんだか見てて危なっかしくって。

 

 あ、でも頭撫でられるのは不思議と嫌な感じがしないって言うか――落ち着け、何考えてるんだ私は。

 

 そのまま小一時間思考がループし続けて、結果的に口に出した一言は。

 

 

「……ま、検討くらいはする」

 

 

 アヤトの何とも言えない「あっそ」が、妙に胸に刺さった。

 

 

 

 

 

 

 




ヒナミ(お姉ちゃん、まだ私寝てるってことにした方が良いのかな……?)モゾモゾ


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番外編 喰者/利世/再会

砂糖吐きたい場合は前話を、血へド吐きたい場合は今話をおすすめします;

※リゼについては本作独自設定面が色々強いので、苦手な方はご注意ください。


   

 

 

 

 

 よく誤解されるけど、(アタシ)は人間が大好き。

 その事実は、今も「昔」も変わらない。

 

「や、やめろ――話せばわかる! リゼちゃん!?」

「んふふ、大島さんのその顔、とっても素敵♪」

 

 自分達が世界中で一番偉いって勘違いしてるところも、自分だけは絶対に幸せになれるんだって思い違いをしているところも。

 

「今日の収穫は貴方で二人目。

 ふふ、でも結構嫌いじゃないし……。研くん(ヽヽヽ)くらい我慢強かったら、助けてあげても良いわよ?」

「け、ケン……ッ?」

「うふふ? 何本いけるか楽しみねぇ。じゃ、声を出しちゃだめよ」

 

 ちょっと「つつけば」すぐに折れちゃう脆さも、みんなひっくるめて、だぁい好き。

 

「じゃ、ひっとさっしゆっびから一本目――♪」

「ちょ、待って、あー―」

 

 

 勿論、味も。

 

  

 昔はなくて、今はあるそのファクターが、この「私」を定義する。

 

 「私」は、「神代利世(リゼ)」。

 己のために、世界を手玉にとることが運命付けられた存在。

 

 「嘘つき」なお父様の()を出て、面倒な義父様から家出して。お腹が空くまま気の向くまま、私は私で食べ散らかしている。

 

 よくある陳腐な言い回しを使えば、私達は捕食者で、天敵。

 食物連鎖の頂点に、たまたま君臨している人間。それを唯一の食糧として喰らうバケモノ。

 

 ――喰種(グール)

 

 喰種「神代リゼ」は、すごく退屈してる。食べることは大好き。本を読むのも大好き。おしゃべりするのも大好きだし、買物するのも大好きだけど。

 いまいち、興が乗らない日々の中にいる。

 

 やっぱり、これといって面白味がないのは、きっと私の「欠けた」部分に起因してるんだとは思う。

 

 でも、そんなのは考えたりはしない。

 

 

「んふふ、やっぱり直搾りが一番甘ぁい♡」

 

 

 私は、今日も食べる。

 神代リゼは、そういう生き物なのだから。

 

 

 

   ※

 

 

『――5日夜、11区の本翼田3丁目で、人間の足首のようなものが――』

『――現場には大量の血痕が残されており、喰種の体液と思われるものも――』

 

『――11区の事件発生には、恐ろしいものも感じますね、小倉さん―ー』

 

「あ、オグっちゃん」

 

『ー―本来慎重なはずの彼等が、この短期間に4件も事件を引き起こしている。先日の深夜の――』

『――わざわざ証拠を残しているのは、何らかのメッセージと受け取っても良いのかもしれませんね――』

 

「このちょっとズレた推理が良いのよねぇ、オグっちゃんは。

 ま、アカデミー(ヽヽヽヽヽ)でしてちゃ落第しちゃうんでしょうけど。だって――」

 

 全部、私の単独犯なのだから。

 

 ミンチ状になった食事(ヽヽ)を千切って一つまみ。喰種としての私はかなり代謝が良いので、沢山食べても太らないのが良いところ。

 お陰でこんなに楽しいことを、沢山続けられる。

 自宅でくつろいで、美味しい美味しいお食事一つ。

 

 ま、足拾うの忘れたのはちょっとアレだったけど……。だって、びちゃびちゃもがいて汚なかったし。

 

 骨までしゃぶって時計を見て、その隣のカレンダーが視界に入った。

 

 あら面倒。すっかり忘れてた。今日って11区のミーティングじゃない。高槻泉の本の続き、読みたかったのに……。

 

 流石に女子として色々防御力の低い格好のまま、明るい表をうろつくほど痴女でもないので、少し厚着に着替える。

 髪を整えて、アイメイクをぱっちりして……って、あら切れてる。買わなきゃ。

 

 まったくツイてないツイてない……。

 

 表に出ると、大家のおば様が私に声をかけた。

 (アタシ)は――(わたし)は、大家さんに笑顔を向けた。

 

「あら、こんばんわ。どうしました大家さん」

「どぅも。相変わらず美人さんねっ。で、ちょっとね? 隣の林さんから苦情が入っちゃって……。女の子にこういうのも変なんだけど、お部屋が臭ってるんですって? 心当たりとかない?」

「あ――、ごめんなさい、ちょっとゴミ溜まっちゃって……。ここのところ忙しくって、まだ捨ててなくって。ごめんなさいホント」

「あらー、そうだったの。一人暮らしだし、大変だものねぇ」

「肥料に出来たりするのってありましたよね、生ゴミ。あれでも買えば少しはマシなのかもしれないですけど……、でも、早いうちに処分はします。お騒がせしてごめんなさい。

 林さんにも後で謝りに行きます」

「そう、それが良いわね♪

 こんな美人で気が利くんだから、彼の一人でも居るんじゃなぁい?」

「あはは、いえいえそんな……、『高校時代きり』ですよ」

「あら、そうなの?」

「私が病気で、別れちゃってそれっきり会えなくって……。なかなか彼以上の相手も見つからなくって」

「あら~。うふふ、じゃ、おばさんリゼちゃんが良い相手と出会えるように祈ってあげる♪」

「いえいえ、ありがとうございます~」

 

 大家さんが買物に出かけた後、(わたし)は――(アタシ)は、ため息をついた。

 

「……なかなか難しいわね、『昔みたい』には行かなくて」

 

 

 

   ※

 

 

 

 一つ、他者の喰場を荒らすべからず。

 二つ、月終わりに「在区費(組織運営費)」を払うべし。

 三つ、一月に食事は一人につき「一人」まで。

 四つ、食事や戦いの痕跡は残すべからず――。

 

 いくらか11区にもルールというものがあるんだけど、ここまで厳格にやってる区って義父様のところくらいじゃないかしら。まあ、義父様のそれはもっと観念的で、漢字とか唸り声ばっかで意味わからなかったけど。

 

 ま、そんなことはおいて置いて。ルールを制定したハギ率いる11区の管理組織(って言っても数人しか居ないんだけど)の多くが、私をじろっと見つめていた。

 

 いえ、見つめるって言うより睨む、の方が正解かもしれないけど。

 色々な話の途中で、全員の視線が私に集中した。

 

「――お前だろ、リゼ」

「あら、何のことかしら」話聞いてなかったから素の質問。

「とぼけるなッ、5日前の事件のことだ! 警察でもニュースにされてるぞ」

 

 大した話じゃないじゃない、と私は持ってきた「虹のモノクロ」の(ページ)を開いた。

 ま、火に油を注いでる自覚はあるし、怒鳴られても余裕を持って流すだけだし。

 

「お前、この一月で何人食べたッ」

「片手の本数は超えてないわよ?」

「表に発見しただけでも、もう四人だ! 他の連中が気付いて処分したのが11人、明らかに食べすぎだ!」

「あら、お片付けありがとうございます」

「何感情も篭ってない台詞言ってやがる! 俺がほとんど片付けたんだぞ!」

「そんな貴方に、ひとさすおつまみ一つ」

「お前のせいでこちらまで動きにくくなるッ!」

 

 言いながらも、こっちに指さしてガミガミ言っていた相手は、私の差し出したスティック(ヽヽヽヽヽ)を乱暴に受け取っていた。やっぱり食べるんじゃない。

 軽く微笑む私に、ハギは静かに、苛立ちながら言ってきた。

 

「……神代。新参者とは言え、ここの掟を忘れるな。

 ひとまず、調査はする。それから――いつまでも大目に見てると思うなよ」

 

 ルールが守れなければ、どうするって言うのかしら。あら怖い。

 適当に謝ると、バンジ……? バンジャ……? あ、バンジョーだった。万丈くん。万丈くんが私を庇う。甘やかすなと言われてたけれど、別にカンケーないのにね。

 とりあえず会合が終わった後、二人に適当にお礼を言って、私はまた本を手に取る。

 

 帰り道。夕方、世界が「美味しそうな」色に染まってるのが、私はちょっとだけ好きだった。青空と夕空は、確か光の波長の振幅と、届く距離とに関係してたような、いなかったような。

 やっぱり「彼」は物知りだったなぁと思う。今頃はどこかで、大学生でもやってるのかしら。

 

「――リゼさんっ」

「……? あら万丈くん」

 

 お疲れッスと声をかけてくるムサいのは、さっき私を庇った万丈くん。本名はいまいち覚えてないけど、よく話かけてくるから呼び名くらいは覚えた。

 

 今日のことを思い返しても、まあ、別にいつも通りと言えばいつも通り。退屈なオハナシに代わりはない。まだしも義父様のところで「渇ッ!」とか言われてた方が面白味があったかしら。

 至った結論は真逆だったけど。

 

「ああ、でも今日のお話、ちらっと上がった『人間好きな喰種が喫茶店をやってる』ってのは、ちょっと面白そうだったけど」

「……20区のアレですか?」

「リーダーは甘ちゃんだなんて言ってるけど、『仮面ライダー』なんて噂もあるじゃない? こっちなんかより、きっとよっぽど『分かりやすい』世界で生きてるわよ、あそこの住人。

 私達も珈琲片手に楽しくおしゃべりしたり出来たら、面白いと思わない?」

「……リゼさんの面白いッスけど、ハギさんが仕切ってる間は――」

「それ、やめてくれる?」

 

 私は、万丈くんに指差した。

 さん付けも敬語も、なんかムズ痒い。大体彼の方が先輩で、年上だし、なんとなくしっくり来ないのだ。

 

 なのに、万丈くんは言う。

 

「いや、俺……、俺は、リゼさんのこと尊敬してるんスよ! 若いのにめっちゃ強し、頭も良いし、その……(綺麗だし)」

「ん?」

「それに俺、11区のリーダーはリゼさんみたいな喰種がやるべきだと思うんスよ! そっちの方がきっと、みんな解放的に――」

 

 うざい。

 嫌よ面倒くさいと言って、私は舌打ちを堪えた。うっかりそんなことしたら、()っちゃそうで。流石に協力的な相手をぶっ殺すのは、面倒そうだから放置しないと。

 ただ、それでも関わるなと釘を刺す。

 

 おやすみ、と言って彼の元から立ち去る。

 

 海浜公園沿いの道は、海原が綺麗に見える。それが太陽の光を鏡映しにしてるのが、胴体だけの身体みたいでちょっと滑稽だ。

 手も足も出ない、とはこういう図だろう。

 

 ――海が近いからこの街を選んでみたけど、実際住んでみると私の敏感な鼻は、ここの潮風と相性が悪かった。

 

 喰種たちが身を守る為には、ルールを定めて遵守するべし。……進んで自ら、虚勢されて檻の中で蹲るなんて、ホント滑稽。せっかく、本当の頂点として君臨できる存在だと言うのに。

 人間も喰種も、考える事は大してかわんない。 

 

「って、あらいけない。制御効かないなんて、久々ね」

 

 左右の赫眼のバランスがとれないなんて、それこそどれくらいぶりかしら。右目に眼帯をつけながら、私は思う。

 

 退屈な街。

 退屈な同胞(なかま)

 ――嗚呼、欠伸が出ちゃうくらいに、退屈(つまんない)

 

 そんなことを考えてると、綺麗な女の子が公園のベンチでメールを打っていた。

 

 その楽しそうな横顔が、どうしてか(わたし)を思い出させて――。

 

 

 

   ※

 

 

 

「リゼさん! 偶然ッスね、こんな所で!」

「そうね」

「読書の相棒にコーヒーなんてどうッスか? リゼさん好きでしょ?」

「嫌いじゃないけど……」

「あ、何の本読んでるんスか? 俺にも読ませてくださいよ!

 まあ俺、字全然読めないんスけど!」

 

 どうしてこうなった。

 いえ、まあ、そんな風に我ながらツッコミを入れたくなるくらいの、万丈くんのがっつきっぷり。そういえば前に、お友達の一人に私が送られて嬉しいプレゼントとか聞かれたかしら。

 

 新しいミーティングからまた数日。

 

 わざわざ11区外れの公園で読書してる最中までやってくるのだから、なかなかに気合が入った追っかけっぷりかしら。

 いえ、それとも――、まあ、好みじゃないんだけど。

 私の好みのタイプって、「人間」に限られるし。美味しそうで、そこそこ見てくれの悪くない。

 

 とりあえず適当にあしらって(殴って)追い返して、私はぶらぶら駅前をうろついた。

 

「あは♪ ここ懐かしいわね」

 

 そして、とあるアクセサリーショップが目にとまった。昔、たまに遊びに来たっけ。みんな(ヽヽヽ)と一緒に。ふと目に止まったヘンテコなメガネが結構シュール。

 つまんで見てみると、作りはテキトーだけど、ベースにある最低限のフレームのデザインは割と好みだった。って言っても、(わたし)じゃなくて「彼」の――。

 

 気が付くと、メガネショップで伊達メガネを一つ作っていた私。

 それをケースに仕舞って、ぶらぶらぶらぶら。

 

「我ながら、何というか未練がましいわね」

 

 もう、(アタシ)は以前の(わたし)じゃないというのに――。

 

 ふと気が付くと、その昔の幻影を探している時があるのは、食物連鎖の王者失格じゃないかしら。 

 そんなことを考えながら家路に着いていると、背後から声がした。高架橋に登ろうかというところだったので、ちょっと振り返るのが面倒だったけど。

 

「リゼさんッ!」

「あら、万丈くん? こんにちは」

 

 よく鬱陶しくまとわりついて来て、ぶん殴られてまた会いに来れたわね、って皮肉を乗せて言ったのだけれど、彼はぜいぜいと息を切らしていた。

 

「あの、リゼさん、ユウリ会わなかったッスか!?」

 

 ユウリ、というのは11区の他の仲間の一人。女性で、雑誌の表紙に載ったこともある子。

 海浜公園に出た目立つ死体について、私のせいだと全員が疑わなかった際、何だか万丈くんと一緒に庇ってくれた喰種。

 

 正直に会ってないと答えると、丁度万丈くんの背後から、鱗赫が襲いかかる。

 ユウリさんじゃない。どうしたの?

 

「リゼさん、この前の海浜公園の件、リゼさんに罪を着せようとしてたのはソイツです!」

「海浜公園?」

 

 ……ああ、そんなこともあったわね。

 万丈くんが、彼女を何か糾弾するようなことを言うけどそれは間違い。勘違いしたら失礼よ?

 

 だって――食べたのは、私なんだから。

 

「潮の臭いが邪魔で、錆たみたいにクソ不味かったけど」

「リ――ゼェェェェェッッッッ――!!!!」

 

 だって、お友達とあんなに楽しそうにメールなんてしちゃって。夢だった専属モデルからの芸能界入りが夢じゃなくなったかもしれないなんて、ものすごく楽しそうに呟いて。

 もう、(わたし)なんかどれだけ望んだって、そういう「普通の」夢は叶えられないんだもの。思わず嫉妬しちゃって、「さくっと」やっちゃっても、おかしくないわよね?

 

 でも、さっき叫んだ内容からして、ユウリさんと友人だったのよね。ってことは、人間のお友達の敵討ちってこと? 

 もしそーゆーのだったら――滑稽だけど、嫌いじゃないわよ?

 

「信頼させきったところで、綺麗に皮剥いで肉削いで骨丸めてお砂糖みたいに綺麗に砕いて、混ぜて丸めて喰べてあげようと思ってたのにいいいいいいいいいいい――ッ!」

 

 前言撤回。この子も所詮「喰種」だわ。

 っていうか、妙に手が込んでるわね……。そうすると美味しいのかしら。

 

「代わりにアンタを食べてやるわああああああ――ッ!」

「なかなか素敵なプランだったみたいね。じゃあ――私が、お詫びに貴女をそうしてあげる」

 

 もし嫌いじゃなかったらちょっと手心加えたかもしれないけど、うん、この子ならもう別に構わないわよね。

 

 嗚呼、楽しい。

 感情が高ぶると、どうしてかこめかみのあたりに角みたいなのが形成される。一瞬それに怯んでも、突進してくるあたり想像力が足りないんじゃない?

 

「赫子は想像力よ? さあ――鞠球みたいに可愛くしてあげるわ♪」

「な――っ」

 

 人目がないって言っても、長時間は流石にまずいわよね。手早く済ませましょう。

 って言っても、やることは一つなんだけど……。

 

 赫子のイメージは、大きなプレス機械。

 板の面で構成された二つに、そぎ落とすための刃二つ。

 

 これらを相手の攻撃に合わせて、盾と剣みたいに最初は使って。そして、怯んだ隙に両サイドから叩き潰すように振るう。

 この作業を繰り返すだけで、あら不思議♪ 三分も経たずにでっきあがり。

 

 切り取った赫子だけ少し噛み千切って、私は後始末を万丈くんたちに押し付ける。

 

 

「――嗚呼、退屈」

 

 

 結局、今日もテンションは上がらない。

 

 

 

   ※

 

 

  

『――11区の区長、栗田氏がCCGへ喰種捜査官の派遣を要請したと発表があり――』

「……あら、面倒そうね」

 

 お風呂場を「汚した」後、そのままお片付けと「夕食」をしようとしていたら、それどころじゃなさそう。早い所逃げないと、また食べる量を考えないといけなくなる。

 

 和修……、散々昔覚えた顔が脳裏を過ぎるけど、それはともかく。

 

 シャワーを浴びていると、入り口のベルが鳴る。

 (わたし)は急いでバスタオルを巻いて、入り口に向かった。

 

 扉の向こうには、ちょび髭のお兄さんの林さんが居た。ちょっと出っ歯で、ネズミみたい。

 

「おいアンタ……ッ」

「ごめんなさい、林さんっ……。

 臭いですよね? すみません、明日の回収日には出しますので、あの……?」

「……」

 

 (わたし)は内心でため息、(アタシ)は内心で舌なめずり。

 視線の先を辿れば、嗚呼、まあ、丁度お風呂場に転がってた「お肉」も、そういう目的で近寄って来たわよねぇ……。

 

「……あの、お詫びに伺おうと思って用意していたお菓子があるんですけど。

 もし良かったら一緒にどうですか? ――中で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大家さんに頭を下げて、(わたし)は大荷物を引きずる。

 キャリーバッグなんて用意してはあったけど、まさか「ご飯」用に使うことになるとは思ってもなかった。

 

 せっかくお世話になったんだし、迷惑を出来る限り掛けずに去ろうとするくらいは、私も常識が残っていた。

 

 ……そして、この時間帯に高架下、線路の下を歩いている時の治安の悪さも案の定かしら。

 明らかに「そういう」目的で近づいてくるムサい男の子たちをカットして、(アタシ)は赫子で拾い上げる。

 

「ちょうど小腹が空いてたのよね。お夕飯食べるタイミングもなかったし――」

「神代」

 

 あら? 背後から声をかけてくるのは……。

 ハギをはじめとした、11区管理者三名様ご一行。

 

「ずいぶんな支度じゃないか、どこへ行く?」

「……あらリーダー、こんばんわ。今日会合の日だったかしら?」

「ふざけるな」

「考えてみれば、私に月一人なんて我慢、出来るわけなかったのよねー。ほら、やっぱり食事は『朝昼晩三食』食べるものじゃない?

 っという訳で、大変お世話になりま――」

「公式の発表以前に捜査官は既に潜り込んでいる。

 ドグは……、貴様のせいでなァ!」

 

 あら、あらあらあら。

 何々、敵討ちってことかしら? 嫌いじゃないわよ? きっと、おっしゃる通りだろうし。

 

「……俺達が築いた平和を台無しにしやがって――」

「償え――ッ」

 

 ま、別に殺されてあげないけど。

 

 三方向から襲いかかって来る赫子。こういう速度は、何度見ても――。

 

「喰い過ぎたな、神代ォォ!

 死ね――ッ!」

「くすくす」

 

 ――遅い。

 篠原(ヽヽ)先生(ヽヽ)が片手で振るうクインケの方が、明らかに早いじゃない。

 

 彼等の攻撃を赫子で「同時に」受け止めながら、私は。

 

「面白いこと言うわねぇ―ー」

 

 流石に管理してるくらいだから、三人とも少しは「楽しませてくれるかしら」。

 私は、思いっきり自制せずに赫子をイメージする。

 

 背中から膨れ上がった赫子は、私の下半身を被う。まるでヒトの手で出来たみたいな足を持つ、蜘蛛のような姿に。

 コンクリートの地面を這うその八本足を見て、三人とも明らかに及び腰になった。流石に自分達の図体より大きくなれば、そんなものよね。

 

 両腕で身体を押さえながら、私は笑う。嗤う。哂う――。

 

 

「――こっちは全然喰い足りねぇってんだよ、()()

  

  

 結局、こっちも数分と持たなかった。

 嗚呼まったく、「お父様」はどうしてこんなに滅茶苦茶にしてくれたのかしら……。流石につまらなすぎるわよ。

 赫子を仕舞いこんで、破れたブラウスを隠すようにコートを羽織る。

 

「リゼさん、助けに来たぜ――ウオオアアアアアッ!?」

「あら、誰を助けに?」

 

 そして、一通り片付いたところで、万丈くんが慌ててやって来て……、こういう所、ちょっと犬っぽくて可愛いかもしれないわね。別に好みじゃないけど。

 っていうか、もし私と一緒に居たいなら、それこそこういう光景くらい余裕で慣れないと。

 

 そんな万丈くんに、正直に色々なことを言う。

 

「私、11区出るわ」

「えっ……」

「もうここは飽きたし、あなたも退屈だった……」

 

 嗚呼、でも。

 

「そんなに嫌いじゃなかったわよ?」

 

 決まり事作って、なんだか部活動みたいな感じもしてたし、11区の管理とか。そういうのを第三者的に眺めながら、からかいながら、のらりくらり生活するのも、決して嫌いじゃなかったのは、事実。

 

 でも――きっと、それだけじゃ駄目。

 

「……万丈くん、(あたし)、楽しく生きたいの。(わたし)の分まで。

 他人の命んて、いくら踏みにじろうと構わない……」

 

 そうよ、だって――最初から、私はそういう風に「作られた」んだもの。

 

 真っ暗で、痛い思いして、やっと勝ち取った先に――沢山の飢餓感と、倫理の崩壊で壊れた(わたし)を立て直して、這い上がって――。

 

「……次は例の喫茶店にでも行って見ようかしら。ま、気が向いたら遊びにくるわ? 思い出も色々あるし。

 それじゃ―ーお元気でね、リーダーさん」

 

 いつもの様に後始末を押し付けて、私は夜の闇の中を進んだ。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 あんていく、の珈琲は美味しい。

 なんだか懐かしく、温かなものを思い出す。

 

 まるで昔の私のまま、のほほんと生活しているような錯覚を一瞬覚えるくらいには、お店の空気もなかなかにお気に入りだった。

 

 そして、そんなところに店長の「芳村さん」がやってくる。

 

「――リゼちゃん、昨日も(ヽヽヽ)言ったけど、人の喰場は奪わない決まりだから」

「……あら、ごめんなさい。”前の区”と少し違うんで、戸惑ってました。以後気をつけますから、多目に見てください。

 とった場所は他の誰かに譲っちゃって良いです」

 

 お会計を済まして、私はお店を出る。霧嶋さんがどこか訝しげな目を向けていたけど、まあ、大喰い(リゼ)が来たなら当然の反応かしら。

 

 まあ、それは別に良い。

 個人的にここは、なかなか楽しめそうだ。

 

 負けん気が強いメガネくんとか「俺の蹴りは四方よりも――」とか言ってたから、試してあげたらあっさり終わっちゃって、それはそれでコントみたいで楽しかったし。途中で店長さんが助けに入ったけど。

 っていうか、義父様的に考えれば、彼の蹴りに勝ってるとは思えないんだけど。

 「未熟ッ!」とか言って、コンクリートに犬神家式逆立ちでもさせられるんじゃないかしら――。

 

 まあ、そういう最初のエピソードはおいて置いて。

 他の区と比較しても、20区は人間も喰種も全体的に温厚だし、マスターの珈琲も私好みだし、カズオさんだったかしら、フィットネスクラブとかもあるみたいだし、今度遊びに行って見ようかしら。

 

 そして何より、他に比べて温室だからか、人の味もどこか――。

 

 そして、そんなことを考えながら歩いていて、私は、出会ってしまった。

 

 

 

 廻りあってしまった――「彼」に。

 

 

 

 こちらを見て、ぽっと頬を染める彼。

 漂う臭いは、「昔は」全然感じられなかったくらいに「美味しそう」なそれ。

 

 私は、顔が不自然ににやけるのを押さえながら、軽く微笑んで会釈して彼の横を過ぎ去った。

 

 

 

 

 ――研くん。だよね? 間違いなく、金木研。

 

 瞬間、脳裏で(あたし)(わたし)は狂喜乱舞した。

 

 

 

 

 研くん(ヽヽヽ)

 研くん! 研くん! 研くん! 研くん! 研くん! 研くん! 研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くん研くぅぅうううんわぁああああああああああああああああああああああッ――!!

 

 

 

 

 

 脳内に走馬灯のように廻る(わたし)の記憶と、そそる香りと迸る利世(あたし)の食欲。

 

 ――うふふ、あらあらあら。

 

 なんだかとっても、楽しくなりそうな予感――。

 

 

 

 ついついにやける表情を隠す意味もこめて、研くんが好みそうなデザインの伊達メガネのつるを、ぐいっと人差し指で持ち上げた。

 

 

 

 

 




※独自色のないリゼが知りたいお方は、YJC5巻とノベライズ「昔日」で補完ください;


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番外編 G3/初心

珍しく2、3話完結系。


 

 

 

 

 

『――先日は父が無理を言った。感謝する、亜門一等。私もラボに足を運んでなければ、付いていったが……』

 

 真戸さんの娘さん、アキラと言ったか。篠原さんの見舞を終えた翌日、真戸さんの番号から連絡が入った。どうもまた車椅子を「まだるっこい」と言って松葉杖と義足で抜け出しているらしく、声には多少の疲れが見え隠れした。

 俺はと言えば、それには普通に頷き返す程度だ。……普通に。多少しどろもどろというか、真戸さんの血筋なのか独特のやり辛さのようなものも感じはするが(例えばミートソースだと言って出されたスパゲッティにタバスコが大量に振りかけられているかのような)、それでも恩師の娘さんである彼女に、出来る限り丁寧な対応を心がける。

 

 彼女は、自嘲げに言った。

 

『ああ言えば迷惑をかけないため諦めると思ったが、そうでもなかったらしい。……存外、貴方は信頼されているらしい』

 

 少し羨ましいと言ってから、彼女は電話を切った。

 ああ言った、というのは車椅子を使っていけということだろう。

 真戸さんの言なら彼女もまもなく捜査官だ。そのうち顔を合わせることもあるだろう。その時に精々、幻滅されないように、俺は俺の信念を貫こう。

 

 だが……、わずかに、俺はその信念に、綻びのようなものを感じていた。

 

 まるで作り上げた壁の向こうから、別な世界が見え隠れしているような――。

 

 脳裏を過ぎる人物は二人。()と、真戸さんの下へ急行する俺を妨害した眼帯。

 この揺らぎが何処から来るのかと考えれば、間違いなくこの二人。あるいは、確信的に揺らがせたのは眼帯だと言うべきか。

 

 眼帯の喰種――ハイセ。

 奴が言った言葉と、今にも泣きだしそうな目――。

 

 どこかそれは、俺の記憶の底にある”奴”の顔と、重なるものだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 後日病院で、篠原さんから受けた依頼。そのため、俺は8区に居た。

 喰種集団”アオギリの樹”により、23区の捜査官たちは軒並み大打撃を受けていた。20区のような場所はまた別であるが、喰種収容所”コクリア”に攻め入られたのが大きい。

 

 監獄長の御坂さんも長時間粘ったが、結局は足止め程度にしかならなかったというのが恐ろしい。

 

 結果的に現在、その穴を埋めるため精鋭たちが23区に投入されている。そのせいで周辺が手薄になっているため、余裕のある区から周辺に加勢に回ってくれ、というのが依頼だった。

 

『ですが、パートナーなしの俺が向かって大丈夫なんでしょうか』

『なーに、この間の11区侵攻の時に、亜門の実力は知れ渡ったろう? いわっちょのところの、五里ちゃんだったっけ? だいぶ絶賛してたらしいぜ?

 ま、それはともかく。形式に拘ってられるほど何処も余裕ないんだろうさ。8区の後任が決まるまでの残手処置だから、一ヶ月あるかないかさ。

 お前行ったら、色々感謝されると思うぜ? クレームがすごいらしくてさ……。あ、そうそう。”アラタ”についてだけど、近日中に――』

 

 そういう運びで着いた8区だが……。いかんせん、道がわからないでいた。

 区役所を目印に運行表を確認はしたのだが、どうも20区の感覚に慣れすぎていたのか、方向感覚がてんで分からない。通勤通学の人だかりの中でいつまでも駅内部に居るのは邪魔だと判断して、急いで出てきたのがまた致命的だった。

 そうこうして地図の前で唸っていると、背後から声を掛けられた。

 

「あの、どこかお探しですか?」

 

 品の良い女性だった。同年代くらいだろうか。傍には母親だろうか、年配の女性もいる。

 CCGの支部だと言えば、微笑みながらざっくりとだが、わかりやすく道筋を教えてもらえた。その通りに進んで特に迷うこともなかったのが、酷く感慨深い。

 ……こうした小さな民間人との触れあいでも、何か来るものがあるのは普段から人と話さなすぎということだろうか。真戸さんのからかうような笑みが脳裏に浮かび、俺は頭を左右に振った。

 

 ネクタイを締めなおして自動ドアを潜ると、会議室に通され二人の男性捜査官が歓迎してくれた。何度か顔を合わせた事のある柳上等、それから東條さん。どちらも過去に面識のある二人だ。

 

「亜門一等! アオギリ戦でのご活躍、お聞きしていますよ! アカデミー首席はやっぱ違いますねぇ」

「いえ、上位捜査官たちや周りの捜査官たちの戦いっぷり、意識を見れば俺などまだまだ……。

 毎度言ってますが東條さん、俺より年上なんですから普通に話してもらえれば――」

「いえいえ、敬語の方がなんか話しやすいというのもあるんで。

 それに、参戦できただけ凄いと思いますけどネ。俺なんてほら、腕細いから特殊なタイプのクインケも触れないって柳さんが。変なクセつくしって。あ、それから三等で唯一参加したっていう鈴屋捜査官とか、どうで――」

「そのくらいにしておけ。さて、もう俺達が君の応対までしてる時点でお察しだが、現在ここでまともに活動できる捜査官は俺達だけだ」

 

 篠原さんからも聞き及んでいたが、どうやら状況はより酷いものらしい。

 

「23区のコクリアから出た輩が一人、こっちに逃れてきてな。だいぶ人をやられた」

「……その喰種は?」

「俺達で押さえて再送還だ。まあ、前前からこっちでも活動してたことがあったから、23区からの逃走ルートにこっちがあるんじゃないかと予想して、少し張ったんだ」

「上からは23区行けって言われてたんですけどね」

「俺達より強い連中はそっちに行くだろうから、一人二人くらいじゃ何ともないだろうとね。で、こっちに来たら知り合いの奴から案の定連絡が入って。……駆けつけた時点で、もう腕しか残ってなかったんだが」

 

 唇をかみ締める柳さんからは、そこはかとない慙愧の念が見えた。

 その流れで8区の担当になったと東條さんが続けた。22区、7区、8区の三つが23区の隣接区であり、それぞれに捜査官は割かれる。が、通常ルートとしての22区、喰種レストランの調査が続けられている7区はともかく、8区は脱走者関連の事件がないからと放置されているらしい。

 

「上位捜査官派遣するって言ったのに、お陰で隣接区だってのに大して強くもない俺等みたいな――あいたっ」

「話を戻すが、まあ今回は事が事だ。レートSクラスがガンガンに出てる状況で、あまり割けないのも分かるといえば分かる。

 で、まあ今日だが一緒に区を見て回ろう。捜査自体は後回しになってはしまうが、コクリアの修繕もまだできてない以上、パトロールも無駄じゃないだろう」

「わかりました。よろしくお願いします」 

 

 会議室を出た後、俺は篠原さんから聞いていた「苦情」について確認をとった。

 

「ああー、多分今日も来てるだろうから、すぐ分かる。ほら――」

 

「だから! 何度も言ってるじゃねーの! 何で俺らがそっちの都合だけに付き合わなきゃなんねーんだって! 責任者と話し合いさせてくれって! アポ? そもそもアポ自体取り次いでくれてねーじゃん! この間よ!

 そっちが捜査結果出さないから、こっちの調査も全然進まないんだって! 協力してくれるっつー話も全然――」

 

 ロビーに響き渡る男の声。柳さん達は時間が止まったようにピタリと動きを止めた。

 ちらりと覗けば、くたびれたスーツを羽織る30代の男。明らかに態度が悪く、受付を困らせてはいるが……。

 彼の言った、こっちの調査というフレーズが気になり、柳さんに確認をとった。

 

「彼は一体?」

「あー、亜門君は今日来たばかりだからなぁ……。一応、刑事さんだ」

「刑事?」

 

 何故刑事がCCGの方に来て、調査について話をしているのだろうか。

 疑問を抱くよりも先に、俺は彼の方に足を踏み出していた。背後で二人が「しまった」みたいなうめき声を出していたが、気にも留めない。

 

「あン? なんだぁ?」

 

 受付嬢と彼との間に割り込み、俺は言った。

 

「話なら、こちらで伺わせて下さい。俺は、一等捜査官です」

 

 それと同時に、目の前の彼は「へぇ」と言って、先ほどまでとは違うように視線を鋭くし、俺の全身を観察した。

 

 

 

   ※

  

 

 

「守峰恭平警部補です。よろしくお願いします」

 

 先ほどまでの態度とは大きく変じ、彼は慣れたようにキビキビと敬礼をした。CCG式のものと異なる普通の敬礼だが、明らかにその動きは年月を感じさせる所作だった。

 

「で、亜門一等だっけ? 何、東條より若いの? なのに一等? そっち二等だったよな。

 ああ、そりゃ……」

「ちょ、やめてください! 結構デリケートな問題なんですからァ!?」

「……亜門鋼太朗です。それで、協力と言うのは?」

 

 柳さんから、急遽応援に呼ばれたと言う説明をされ、守峰刑事は「ざっくり省略するぜ」と言った。

 

「三ヶ月前に起きた『女子高校生行方不明事件』の件で来てんのよ」

「……喰種の仕業ということですか?」

「馬鹿言っちゃいけねぇ! こいつぁ人間の仕業だッ!

 ……簡単に言うと、事件の被害者の髪留めが見つかって、そこから喰種らしき体液が出たって話だ。そのまま警察はこっちに応援要請したんだが、返答は『担当捜査官が軒並み戦闘不能状態ゆえ、捜査協力の目処立てられず』!」

 

 言われて理解した。これはアオギリ戦後の人員不足が招いた結果だろう。

 

「柳さん、相手の特定は?」

「過去のプロファイルには居なかった。”初めまして”の相手だな。で、まぁ……それの捜査中に例のアレが来て、軒並み病院送りか死亡だ」

「それで手付かずですか。確かに情報共有は無理ですし……」

 

 守峰刑事は、気が立っている。先ほど受付でも見せていた苛立ちだが、しかし根底にはやりきれない感情が渦巻いているのだろう。

 

「犯人が喰種だって可能性が出てきちまった以上、上はこっちにまともに動かせちゃくれねぇ! なのに捜査手付かずじゃ、被害者がもし生きてても本当に死んじまうかもしれねぇだろ! 早い所、結論づけるなり何なりして権限戻してくれや!」

「そ、そうは言われても。……俺だって妻子持ちだ。被害者の気持ちも、捜査側の気持ちも痛いほどわかる。でも俺達二人が動くわけにもいかないし、亜門君も、今日来たばかりだから――」

 

「わかりました」

 

 俺の言葉に、柳さんと守峰刑事は顔を揃ってこちらに向けた。

 

「柳上等。この件、俺が調査して宜しいでしょうか?」

「あ、亜門君!?」「っひゃー! 男に二言はねぇよなアモンサン!!?」

 

 困惑する柳さんと東條さんに、俺は自分の考えを言う。不慣れな自分よりも二人の方が、より広い視点で警戒することができるだろうこと。そして何より、みすみすこんな状況を放置しておけないこと。

 

「……守峰君、捜査資料の共有や引継ぎする時間くらいは大丈夫か?」

「ばっちオッケーよ! じゃ、頼むぜ亜門一等」

 

 差し出された手を、俺は握り返す。

 守峰刑事の手先は細かったが、しかし同時に強い握力と、意志とを感じた。

 

 

 

 

 

 『女子高校生行方不明事件』。経緯をまとめれば次のようになる。

 今から三ヶ月前、帰宅途中だった平野舞が忽然と失踪した。聞き込み、目撃情報など周辺情報から不審な点がみられず、ようやく見つかった手がかりが彼女のしていた髪留め。

 

「捜査の決定打になるようなモンが見当らなかったんだよ。で、そいつが落ちていたのが――」

「……8区の警察署前?」

 

 資料を読みながら歩く俺に、守峰刑事は「そうだ」と返す。捜査資料なら後日警察に返却すると言ったが、不慣れだろうから案内くらいはすると笑って返された。

 

「かなり目立つところに置いてあったからな。直接渡しに来ない時点で、十中八九関係者とか、後ろ暗いところのある奴なんだろうな」

「喰種が届けた? いや、人間が届けたにしても……」

「……」

 

 結局この日の調査、といっても警察の捜査の足取りを追う程度だったが、大きな成果は得られなかった。

 日が段々伸びてきているが、まだまだ夕暮れに入る時間は早い。今日の分を切り上げると言うと、敬礼をした後「明日も行きますから」と守峰刑事は言った。

 

 人物としてまだそこまで信用できるか、いまいち読めないところはあるが。しかし捜査する分に関しての情熱や、責任感は十二分だろう。

 

 

 支部に戻れば東條さんから飲みに誘われる。情報共有以上に歓迎会的な色も強いのだろう。

 以前なら断っては居たが、不意に中島さんや草場さん、篠原さんの顔が脳裏を過ぎり、俺は頷いた。

 

 連れられた先は小さい料理店。家族や仕事、武器について話しながら食事をとっていると、意外なつながりを俺は知った。

 

「クラ? って、ああ真戸上等のね」

「……柳さんは、真戸さんと交流が?」

「大したもんはないよ。でもまあ、俺も東條に言えるほど扱いが上手いわけじゃないから、盗めるもんは盗んじまえと軽く話したことがあったんだよ。その時に聞いたな」

 

 柳さんと東條さんは、その結果として尾赫と羽赫のチームとなったらしい。

 

「でも真戸上等が引退したって聞いた時は、そりゃもうびっくりしたなぁ。ご息女もCCG入りが確定してるらしいし、親子そろってってなるかって思ってたけど」

「いやいやでも、命あっての物だねでしょ柳さぁん。助かったってだけでかなり幸運だったんじゃないですかね」

「……」

 

 助かった、というフレーズに、俺は妙なひっかかりを覚えた。

 眼帯の喰種は言った。自分を「人間のまま居させてくれ」と。殺したくないと、その全身で物語っていた。

 そして、この間のアオギリ侵攻の際――眼帯と、梟との戦死者は共にゼロ。眼帯はゼロの可能性が高い、程度だが、しかし――。

 

「しっかしまー、喰種が捕まえたんなら捕食されてるんじゃないですか? だったら遺体が出てきても良いと思うんですけど……。髪留め関係なく、実は家でだったなんてオチじゃ……」

「それ守峰君に言ったら頭スマッシュされるぞ」

「怖ッ!? 亜門さんはどうですか?」

 

 俺は、いつもの様に断言した。

 

「確定的なことは現時点で言えませんが――喰種なら、駆除するまでです」

 

 

 

 二件目に行く前に柳さんが止めて解散となった後、俺は考察を続けながら駅に向かう。「クラ」のアタッシュケースを弄りつつ、俺は呟く。

 

「目撃証言もなし。遺体が見つからないとなると……、俊敏さから考えて羽赫だろうか。その場で殺してない、という可能性を含めても、移動に時間はかかるから――。

 ……?」

 

 守峰刑事に教えられた路地裏の近道を辿っていると、どこかから怒鳴り声が。耳を澄ましてその先を辿ると、若い男女が言い争いをしていた。

 

「何言ってるんだ、後ちょっとで全部――」

「ごめん、兄さん。これでもう最後にしたいの……」

「……ったく、コイツは」

 

 彼女がバッグから札束を取り出したのを見て、俺は走る。恐喝であったにしろなかったにしろ、見捨てて行けるような状況でもなかった。

 

「――おい何をしてる!」

 

 取り押さようとするが、女性の方が「違うんです!」と男の方を庇った。そのまま舌打ちと共に走る相手を追いかけようとしても、彼女が腕にすがり付いて違うと続けるばかり。

 

「何が違うというんだ、君は」

「あの人、兄さんなんです! だから――」

「兄妹だろうが何だろうが、ゆすられていたんじゃないのか? ……ん?」

「……あっ」

 

 そして顔を合わせれば、お互いに驚いた声を上げる。駅前で道筋を教えてくれた、上品な女性こそ彼女だ。

 一体どんな事情があって、あんな兄が? と疑問にかられるも、俺は言葉が続かない。

 

「お恥ずかしいところをお見せしましたね。本当に、すみませ……っ」

 

 立ち去ろうと歩きだす彼女の足取りがゆれ、倒れ掛るのを俺は抱き止めた。見れば顔色が一層悪い。元々病弱なのだろうか、なんとなくアカデミーで教鞭をとった時の生徒のことを思い出す。

 

「駅まで歩けば、家のものが迎えに来るので、大丈夫です、あの……」

「……一緒に行きましょう。俺も駅に向かう途中ですから」

 

 でも、と首を振ろうとする彼女に、今朝道を教わったからと、出来る限り微笑んで言った。

 彼女はそれを受けて、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑み返した。

 

「では、お願いします」

 

 結論から言えば、やはり着いて行って正解だった。本来なら三、四分ほどで付けそうな距離だったが、ゆらゆら揺れながら彼女は十分ほどかけて歩いた。

 ようやく到着した駅前にて、年配の女性が駆けて来る。今朝方見た彼女は、小春お嬢様と叫んでこちらに来た。

 

「オトカゼさん、待たせてごめんなさい……」

「いえ、構いません。それよりこちらの方は……?」

 

 道中よろめいたところを助けてもらって、こちらまで付き添ってくれたと説明。それでも彼女の、俺に対する探るような目は外れない。

 小春と言うらしい彼女。何某か事情があるのだろうが、注意も込めて俺は言った。

 

「事件性のあることなら警察に連絡した方が良いですよ。周囲にまで被害が及ぶこともあります」

「他の人に……、ああ、そうですよね、本当……。

 お優しいんですね?」

「そういう訳ではありません」

 

 ごくごく全うな社会人としての意見だと思ったが、しかし彼女は頬に赤みをさして微笑んだ。それほど無関係の人間に心配されたことがないのだろうか。

 

「あの、宜しければお名前、伺っても?」

「亜門です。亜門鋼太朗。……何かあれば、あちらに連絡を」

 

 喰種関係のことなら俺の手でまかなえるだろうし、警察関係でも守峰刑事経由で何らかの手助けは出来るだろう。そう考えての言葉に、彼女は「ありがとうございました」と深々頭を下げた。

 

 

 

 




・・・ラボラトリ・・・

地行「ふむふむ、で、ここのデザインを――」
アキラ「いや、もっとここをグレートな感じに――」
地行「ェェエキサイティィィンッ! 流石のセンスだねぇ、このデザイン――」


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番外編 G3/迷心

こちら中篇となりますので、今回の番外編初見の方は一つ前からご覧になると宜しいと思います


 

 

 

 黒磐特等が既に退院したと篠原さんから苦笑いの連絡があった今日は、8区に来てから一週間ほど。

 俺は継続して、女子高生行方不明事件の捜査を続けていた。守峰刑事はほぼ毎日、俺の調査に着いて回っていた。

 

 ただし、向こうも向こうで熱意があるせいか、思ったほどソリは合わないようだ。

 

「女の子が消えた日、アリバイがないのは二人か。聞き込みを行う必要は――」

「いや、シロだと思うぜ? 少なくとも”喰種”被疑者の中に、今回の犯人は居ないはずだ」

「……いちいち捜査意見を叩き潰すのを止めてください。あとそれから、何故断言できるんです? 髪留めには――」

「喰種の体液が付着していようが、だからこそおかしいだろ。少なくとも警察署前に置かれていたって時点でコイツは『喰種として活動している』相手のものじゃないってことだ。

 さっさとこっちに主導権を戻してくれねーかねー。そうすりゃ協力形式だろうが何だろうが、ぱぱっと仕事終わりそうなもんなんだが――」

「自分の中ではっきり答えが出るまでは、お渡しする事は出来ません!」

「青いねぇ、あと固い……」

「馬鹿にするんですか」

「いや、褒めてるよ。少しは上にも見習ってもらいてーもんだってくらいには……。

 だけど、そこまで猪突猛進だと周りが見えないんじゃねーのか? と老婆心ながらな」

 

 堅物、と軽く言う彼のそれを無視して、俺は足を進める。人に堅物と言うが、守峰刑事も充分堅物だ。彼も彼でおそらく、何某か事件に対する意見は持っているのだろうが、そうならそうときちんと話してもらいたい。

 それができないなら、お互い別々に行動する方がよっぽど効率的だ。俺の精神衛生上、乱されては捜査に支障も出る。

 

 頭の中で優先順位を入れ替えた上で、俺は足を進める。

 と、そんなタイミングで視界に見覚えのある女性の姿が過ぎった。

 

「……ん?」

「何だ、知り合いか?」

「ああ、いえ……」

 

 車道を挟んだ反対側。ちらちら周囲を見回し歩く彼女は小春と言ったか。今日も使用人の老婆を連れていた。

 

「お? ……俺も、見覚えあるぞあのねーちゃん」

「知り合いですか?」

「いんや。聞き込み。世間は狭いって訳じゃないけど、ま同じ区だしな。

 美人だし使用人連れてるしで、あと手帳見せたら妙に驚かれたっけ」

「……失礼ですが」

「おう、特に何もねーぞ」

 

 確かに守峰さんの警察手帳は、何ら変哲もないものだった。

 

「なんか幸薄そーだな、あのねーちゃん」

「……守峰さん、一週間のうちに8区に恐喝等の被害届けなど来てませんか?」

「何、恐喝されてるのあのねーちゃん? 全部把握はしてねーけど、聞いてはいないな」

 

 初日にあった出来事を話すと、彼は「ふぅん」と目を細めて、彼女の足取りをじっと見つめていた。

 

 

 

 結局、今日もまた進展のないまま終了。柳さんは7区の方と情報交換のために出ている。

 報告書を簡単に仕上げてから、俺は局を出て駅前に向かった。

 

「そういえば、地行博士から連絡がないな……」

 

 篠原さん曰く、自律走行型クインケ「アラタ3号(仮)」のテスト版がまもなくロールアウトとのことだ。どうも俺は、資格者の最終選考まで残っているらしく、近々テスト装着の機会があるとのことだ。

 ラボラトリ主任の地行博士がメインで製作をされているらしいそれ。篠原さんの犬のようなそれと、黒磐特等の鷲のようなそれを思い出し、そしてため息を吐いた。

 

 

 ――もし僕を、僕等や家族を掃討するために使うというのであれば、僕は皆さんを死んでも恨みます。

 

 

 彼に見せられたそれは、決して気分が良い映像ではなかった。だが見ておく必要がある映像でもあると思った。

 クインケの元になる人物。コクリア最下層で拘束されているらしい彼は、いまもって生きていると地行博士は言った。そして赫胞が再生するからこそ、アラタは量産でき、グレードアップできるとも。

 

 どうなっているのか、ということについてまで詳しく聞くことが、俺には出来なかった。

 

 喰種を憎み、奴等の居ない世界の実現を理想としていても、どうしてか――。

 

「きゃっ」

「! すまない、大丈夫か……」

 

 考え事をしながら歩いていたせいか、周囲の注意がおろそかになっていた。転ぶ女性に手を差し伸べる。

 そして、ぶつかった相手は彼女だった。お付の老婆は見当らない。

 

「こ、こんばんは、亜門さん……。すみません、声をかけるタイミングが、その」

「あ、いえいえ。……どうされました?」

「いえ、大した話じゃないんですけど……。この間のお礼を言いたくて。ここなら会えるかしら、と。

 でも、流石にこれじゃ……」

 

 転がっている彼女の荷物の中には、カップケーキのようなものがあった。が、箱が横転した結果そのまま地面に転がってしまっていた。

 職務中ならいざしらず、今はオフ。おまけに他人の感謝の意を、無下にすることも出来ないが……。

 

 ぶつかったのは自分のせいということで、俺はケーキを拾って食べた。

 

「だ、大丈夫なんですか?」

「……美味いです。もっと甘くても大丈夫ですが」

「……結構、野生的なんですね。

 あ、じゃあ今度(ヽヽ)は甘くしておきますね」

 

 頭を下げる彼女に、口の中の砂利をいくつか取りながら俺は聞いた。被害届けが出て居ない事実について、一体どうしてなのかと。

 

「……まだ迷ってるんです。色々決心がまだ付かなくて」

「……選択肢の中にあるなら、それで良いと思います。ただ、抱えていることがあるなら誰かに打ち明けた方が、楽になれると思いますよ」

 

 そう言ってその場を立ち去る俺を、彼女はじっと見つめたままだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 多少、進展があったと言えばあった。

 いや正確には、より事件について謎が深まったと言うべきか。

 

「亜門君、ここのところ泊まり込み続けてるけど、大じょ――何だいこれは」

 

 缶コーヒーを飲んで気合を入れなおしていると、柳さんが様子を見に来た。ここのところ手がかりを何がなんでもと探しているうち、連続三日は泊まり込みで調査を続けていた。

 柳さんはデスクに乗っていた、赤茶けたビラを手に取った。

 

「『この子見かけたら連絡をください 瀬田はるか』……。十八年前?」

 

 ビラに書かれた日付から逆算して言った彼に、俺は首肯した。

 

「それも今回のような失踪事件ですが……、十五年ほど前にも、同様の事件が一つ報告されています。新聞に情報が載ってました」

「切り抜きじゃねえか、これ……。

 仮に喰種の仕業だったとすると、このニ件だけとは考え辛いな。いや、目立っただけで2件だけとするなら、んん? これって結構根が深いんじゃないのか? ――」

 

 不意に、守峰刑事の鋭い視線が思い起こされた。事件の調査中、何故髪留めが置かれたのかと考える俺に対して向けた、あの視線。

 そして、資料整理の最中発見したこのスクラップブックの「製作者」は――。

 

 

 

「なんだ、今日は早めだな」

 

 CCGの8区支部入り口で、煙草を吸っていた守峰刑事。携帯灰皿にそれを仕舞った彼に、俺は十八年前のビラを見せた。

 ビラを掴むと、彼は一瞬悲しそうな目をした。

 

「……随分、懐かしいモン持ってきたな」

「……これが、貴方が掴んでいた事実ですか?」

 

 俺の言葉に、その指し示す意図に気付いているのか、彼はにやりと笑って、こう続けた。

 

「十八年前に失踪した『瀬田はるか』。丁度その日に花火大会があって、その際に行方不明になっている。

 十五年前の女子高生も、その様子じゃ調べてるな。ちなみに俺が掴んでるのは、あと五件(ヽヽ)。隣の7区で十三年前にと、九年前に23区。七年前は――」

 

 すらすらと、何一つ詰まる事もなく。

 一体どれほど、そのことについて調べて、頭に、身体にたたきこんで来たのか――。

 

「何で、それだけのことを知っていて黙っていたんだッ」

「こりゃ、俺『が』調べたことだ。ずーっと、それこそずっとな。

 だが警察としちゃ、そういうのは『把握してない』し、『把握するつもりもない』だろうな」

 

 一瞬、彼の言葉の意味が理解できなかった。

 

「わかるか? 亜門サン。この事件の、おそらく最初の事件だと俺も睨んじゃいるが。

 瀬田はるか失踪時、警察はロクに調べもしないで家出で片付けた」

 

 他の区の事件も喰種の可能性含めて調べてはいたが、大きな成果もなく捜査が打ち切られた。

 

「そうした放置状態だが……。間違いなくポイントは『ここ』だ。ここ8区なんだよ。一連の事件が連続的なものであると考えりゃ、周辺に分布している事件のそれを考えれば、自ずと中心が8区だってたどり着く。

 俺以外にも、違和感を覚えてる奴は少なからず居るさ。スクラップブックを作ったのは、俺とソイツらだ。

 でこのタイミングで例の髪留めが見つかった訳だ。焦るのは十八年前、最初の事件の担当者だ。

 で、そいつが今俺等の上にのさばってる」

「まさか――」

 

 自嘲するように、彼は笑った。

 

「体裁守るために、過去の事件と今回の事件を切り離したものとして解決したいんだろうよ、大方。知ってるか? こっちは上が捜査方針を決めたら、それに外れる調査は職務違反になる」

 

 外堀から固めるんだから、外堀で囲いきれてなかったら解決しねーだろ、と守峰刑事は拳を握った。

 

「……瀬田はるかの母親は、警察から家庭に問題がなかったかって延々非難されて、自殺しちまったからな。そりゃ明るみになれば世間体は悪いわな」

「――っ」

「仮に喰種が犯人だとしたら、駆除されれば全部うやむやで解消できるだろ? そうすりゃほら、昔のことは遡及できないし『本当の犯人じゃなかったとしても』、それで事件は終わりって片付けられる。

 ま、そういう上の思惑も? どこかのやたら熱心な捜査官が地道に調べていったお陰で、足跡を見つけ出してくれたみたいだが」

 

 全く懐かしいぜオイと、彼は俺の手渡したビラを見て言った。

 

「……守峰さん、あなたは何度も、これは人間の仕業だと言った。それにも理由があるのか?」

「人間だ、とは言ったが実際のところは分かんねぇよ。

 ただ『人間社会』を基盤に生きているヤツなことには違いねぇ。もう一度言うぞ。『警察署の前に髪留めが落ちていた』というのが決定打だ。

 十八年前を起点として考えて、ここまで証拠が挙がらないというのは絶対に何か裏がある。相当用意周到か、あるいは誰かしらが背後についているか。

 だってのにこんな、わかりやすい形で証拠になりうるものが、まるで何かのサインみたいに置かれてたんだ。……受け取れるだろ、誰かこれを使って、捕まえてくれっていうSOSが」

 

 痛いほど、彼の悔恨の念が伝わってきた。痛いほど、彼の怒りが伝わってきた。

 だが同時に、俺も俺で譲れない領分がある。しかし――果たしてそれらは、対立するものだろうか?

 

 俺は拳を握り、彼に向ける。

 

「……俺は、それでもこの事件は、やはり喰種が何らかの形で関わってると思う。だから、警察に事件を返すことはできない」

 

 言葉の意味を咀嚼した上で、彼は俺の拳の意味を理解したのか、ふっと笑いながら同じく向けて。

 

「ホント固ぇな。なら……、せいぜい俺もとことん付き合わせてもらうぜ」

 

 拳をぶつけ合い、俺達は事件解決を誓った。

 

 

 

   ※

  

 

 

 守峰さん(ヽヽ)の情報提供に加え、事件の年表整理や地図整理など。捜査に勢いは出てきたが、しかし結果は芳しくない。

 例えば他の支部の情報を回してもらおうにも、俺が現在応援に来ているのは8区だ。だからこそ持ち場を離れての行動は難しく、かといって彼以外の相手と情報共有などすんなり行くわけでもない。守秘義務などもあり、俺達の前に立ちはだかる壁は存外大きかった。

 

「ウダウダ言い合ってても埒が明かない」

「……とりあえず、CCGの会議室を借りましょう」

「助かるぜ。っと――お?」

 

 大分歩き慣れた道を進んでいると、小春さんが進路の先に居た。向こうはこちらに気付くと、俺と守峰さん両方に頭を下げた。

 「俺、お邪魔かなぁ?」とニヤニヤ笑いながら彼は一歩引く。

 

 俺は俺で、何故またこうして来ているのかということに違和感を覚えた。

 

「何の用でしょうか」

「えっと、あの……、これ」

 

 出された紙袋の中には、甘い香りのカップケーキ。以前のものより大分甘い臭いがしており、確かに俺好みそうではあるが……。

 

「何度も言いましたが、大したことはしていません。それに何度もこういったことがあると、立場上少し困ります」

「あ、そうですよね、すみません……。でも、やっぱりあの状態でじゃ申し訳なくって……」

 

 顔を赤らめて俯く彼女。守峰さんがちゃちゃを入れるが、職務中に私的なことで話かけられるのも色々困りものではあった。

 ホント堅物だなと言う彼の言葉に、俺は閉口した。

 

「ま、いいや。それにしてもお姉さん、肌白いよね。病気かい?」

「いえ、養父が倒れて入院してるもので……。看病疲れが出てるかもしれません」

「養子、ね。前ちょっと聞いたっけか――」

 

 そうこう話していると、柳さんたちが帰ってきていたらしい。そして驚いたことに。

 

「富良上等!? どうしてこちらに」

 

 鋭い目にオールバックの髪型は、以前有馬さんに「同級生」と紹介された富良上等だった。

 彼はこちらを見て、表情はともかくおう、と軽く応じた。

 

「ひっさしぶり。レストランの方はともかく、こっちも一応見回り。そっちは……」

「ああ、えっと、捜査協力して頂いてる守峰警部補と……、民間人の方です」

「了解。じゃ、また後でな。会議室居るから」

 

「……鋼太朗さんは、本当にCCGで働いてるんですね」

 

 彼等の背中が見えなくなってから、小春さんはそんなことを言った。

 恐ろしくはないのですか? と。身の危険について問われ、俺は普段通りに答えた。

 

「確かに仲間を……、多くの仲間を失い、奴等の恐ろしさは身をもって味わって居ます。

 しかし、それでもこれは誰かがやらなくてはならないことです」

「……」

「何の罪もない人々が、喰種に襲われ死んで行くのを黙って見ている事等、俺にはできない。

 もうこれ以上、大事な人間を失って嘆き哀しむのは沢山だ。だから――そのためにも、俺は奴等の居ない”正しい世界”を目指します」

「いつか……、」

 

 頭を左右に振り、彼女は言った。

 

「親を亡くして拾ってくれた人が、今の養父です。その父も、余命は長くない。だから、そういう気持ちは痛いくらい……、痛いくらいよくわかります。

 だから、いつか――いつか、貴方の目指す未来が、来ると良いですね」

 

 引きとめてしまい、申し訳有りませんと彼女は頭を下げてその場を後にした。

 

「亜門サンも罪な男だねェ」

「?」

「そんなんだと、いつか女で痛い目見るぞ? じゃ、また後でな」

「へ? あ、ちょっと――」

 

 守峰さんは、そう言ってCCGに戻るのを止めて、どこかへと走って行った。

 何なんだ一体、これからの行動計画を立てるんじゃなかったのか……?

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 会議終了後、富良上等や柳さん達を見送り、俺は残業を続けていた。

 

 ミーティング中、彼女の差し入れてくれたカップケーキを食べた。味は以前より甘みがあって俺好みになっていたが、だがどこか彼女の言動が、あの去り際の笑顔が気になる。いや、引っ掛かりを覚えると言った方が正解か。

 

 東條さんが「初対面なのにあんなうるんだ目で見られてドキドキした」と言ったのに対して、富良上等が「ああいう手合いは別な一面持っていたりするからわからんぞ?」と言ったのが、たまたまであるがより引っ掛かりを覚えさせた。

 

 喰種だって、人前では良い顔もする。だが、同時にいくらそうであっても平気で人を食い荒らすのだから――。

 

 そう思って居ると、電話が鳴った。守峰さんからだ。

 こんな時間帯にかけてくること自体今までになく、それだけに、会議に参加するでもなく足早に立ち去った彼が、何かを掴んだのではという思いが涌いて来た。

 

 図らずも、それが正解だったと知らされる。

 

『亜門サン、まだCCGか?』

「ええ、残ってますが……」

『今、入り口の裏手のところに居るんだ。車ン中だが、出来れば急いで来ちゃくれねーか!』

 

 

 

 




アキラ「父から貰った番号からして、GPS追跡はと……」


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番外編 G3/決心

今回は後編となっておりますので、前編、中篇合わせて読む事をおすすめします




 

 

 

 車に乗り込むと、守峰さんはすぐにアクセルを踏んだ。

 移動中じゃないと話せない内容なのかと思って居ると「善は急げだ」と彼はこちらに視線を寄越した。

 

「何があったんですか?」

「簡単に言えば、あの幸薄そうなねーちゃん、内海小春について調べた。流石に半日足らずは手間だったが、まあバッグ乗ってるだろ? それ開けて見てくれ」

 

 クラを置く関係で後ろの座席に座った俺は、助手席にあるバッグを開けて中からファイルを取り出した。

 

「なんでこんなことを……」

「勘だ、って言うとどいつもコイツも評判悪いから、言うなれば経験則だ。覚えがあるだろ? そっちも」

 

 コピーされたプロフィールの紙は、要点部分だけ赤いボールペンで線が引かれている。

 

「内海勇次郎。貿易会社社長――」

「この辺じゃ名前の通った所だ。で、娘28歳。拾われたのは―ー十八年前」

 

 十八年。その言葉に、俺も流石に何かを感じた。

 だが、いやそれは……。

 

「前に聞きこみした時は軽く流してたけど、どうもその時に親が『殺された』らしいんだ。その後に拾われたんだと。で今回、その情報を調べたんだが――なかったんだよ」

「……はい?」

 

 そんな事件の記録などない、と彼は言う。

 

「俺としては、それが決定的だ。あのねーちゃんは、嘘は付いてない」

「だったら何故―ー」

「なあ、亜門サン」

 

 彼はこちらをちらりと振り返り、皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「警察のデータベースで管理されない『死体』って――警察に保護されない『被害者』なんて、もうこの世界じゃ一つしかねーだろ」

 

 俺は、その言葉に足場が崩れ去るような錯覚を覚えた。

 何かを続けようと口を開いた瞬間、携帯が鳴る。柳さんだ。ハンズフリーにして守峰さんにも聞こえるようにする。

 

『亜門君、遅くに悪いけどちょっと確認したいことが――』

「柳さん、あの……、いえ、先にお願いします」

『そうかい? じゃあ言うけど。あの後東條と飲みに向かったら、前に君と一緒にいた彼女が居てね。で東條が調子にのって彼女と番号交換して――』

 

 小春さんだ。いや、だとすれば何故――。

 

『でその後、二人で飲んでたら途中で東條の奴に「食事行きませんか」ってメールが入ってな。出会ってすぐそういうことするヤツは信用ならんと教えたんだが、飲み終わったら二件目行くこともなく――』

「もしかして、連絡も?」

『メールも電話もダメだ』

 

 顔を見合わせる、俺と守峰さん。俺が何か言う前に「今向かってる最中だ」と言った。

 

「柳さん、東條さんが危ないかもしれません!」

『な、何!?』

 

 窓を開けてパトランプを車に装着すると、守峰さんはアクセルを更に強く踏む。

 勢い良く揺られながら、俺は柳さんに事情を説明した。

 

 

 

   ※

   

 

 

 内海の家は、河川敷に程近い。加えて離れのようなものまで備えた豪邸だった。

 車を降りると潮風が香る。鼻の奥に一瞬痛みを覚えた俺は、押さえてからクラを取り出した。

 

 事は、急を要するかもしれない。万が一何かなくても、俺が処罰を受ければ良い――。

 

 俺に聞いてくる守峰さんを退かせ、クラの起動装置を動かした。

 

『――クラ・スマッシゃー!』

「うお! すげ……」

 

 クラをそのまま一歩引き、鐘に丸太をぶつけるように、叩く。

 一撃で門が大きくひしゃげたのを見て、俺は守峰さんに叫んだ。

 

「守峰さん、いざとなったら退散してくれ! 人間相手だと危険だ、カバリングできないかもしれない!」

「アンタは人間じゃねーの!?」

「喰種捜査官だ!」

「バケモノってルビふられてねーか、それ!!」

 

 からかうように言っているのは、気が動転してるのか彼なりのエールなのか。

 

 周囲を確認すると、離れの方だけ電気が付いている。ここから走ると、壁がいくつか並んでいて邪魔だ。即決で俺は、制御装置を再度操作し、バットを降るように構えた。

 

『――リコンストラクション!

 クラ・フルスマッシュ!』

「おおおおおおおおおおおおお――ッ!」

 

「うわぁ……」

 

 一直線ルートを作った俺を、明らかに引いた目で見てくる守峰さん。先ほどまでとは違い、今度は割と本気のようだった。

 それを無視して走り、数分で離れの方へ。

 

 そして、彼女は居た。

 小春さんの手には、クインケのアタッシュケースが握られていた。制御装置は外されており、見た目は妙な形状の固定具が付いたアタッシュケースそのもの。

 

「ようこそ。思ったより早かったです」

「……東條さんはどうした」

 

 俺は――今にも泣き出しそうな目をしながら、こちらを伺う彼女に、叫ぶことが出来なかった。

 彼女はさっと視線を動かす。大きなテーブルの上には刺繍が被せられており、彼女はそれをさっと開いた。東條さんは、猿轡をされ拘束されて、叫び声を上げていた。

 

「やっと決心が付いたんです」

 

 彼女は東條さんをこちらに投げる。守峰さんがそれを掴み、彼の拘束を外していった。

 

「いつか決めなくちゃって思ってた。……どうしても、どうしてもそれでも、やっぱり生きたいって。

 でも、生きるためならもっと綺麗な方法だってあった。……綺麗なんかじゃ全然ないけど、でも、それでも『あんなこと』しなくて済んだのに――」

「一体何がしたいんだ、貴女は――ッ」

 

 彼女は目を閉じて、開く。そしてその色は、赤く、黒く染まっていた。

 喰種の象徴の一つー―赫眼。

 

 そして背中から、靄のような霧のようなものが噴き出し――まるで、蜻蛉のような羽根を作り出した。

 

「――だから、もう良いんです」

 

 寂しげに微笑みながら、彼女はこちらに突貫してきた。

 俺は、すかさずクラを振る。相性ではこちらの方が優位に立てるはずだ。だが――。彼女は東條さんのクインケを盾に、こちらの直撃を交わし、衝撃を緩める。

 

 だが、それだけだった。彼女は終止、攻撃してくることはない。

 最初の特攻、というよりも距離を詰めるそれか。その初動以降、一切攻める姿勢が見受けられない。

 

 羽赫は防御に回られると確かに対応が面倒だが、しかしそれ以上に腑に落ちない。何故スタミナ切れが弱点の羽赫であるにもかかわらず、こんな、こんな回りくどいことをするのか――。

 

『――リ・ビルド!

 クラ・ツインバスター!』

「――ッ!」

 

 クラを分割し、驚く彼女に投げつける。アタッシュケースで守ろうとも、総重量の半分を乗せたこの一撃は、かなり重いはずだ。

 そしてアタッシュケースがはじけ飛んだ瞬間、俺は彼女の方へ向かう。

 

 

 その瞬間――何故か、彼女は立ち上がり、両腕を広げ――。

 

 

 俺のクラの一撃が、彼女の胴体を薙ぐ。

 それを受けながらも、小春さんは、俺を突き飛ばした。

 

 

 ――瞬間、その場に雨のように「赫子」の弾丸が降り注いだ。

 

 

「な――」

「あーあ、しくじった」

 

 その声の方角を見れば、刺繍の施されたマスクを付けた喰種ー―。

 

「足が付く前に殺したかったけど、あーあ面倒。

 っていうかそこの馬鹿、俺もハメようとしやがったな?」

 

 羽虫のような赫子を背中から生やしたその男は、降りて肩をすくめる。

 その場で倒れ伏した彼女を一瞥して、俺は睨む。

 

「お前は、何だ――」

「どうせもう金ヅルとして使えねぇし、とっとと諦めるしかねーなこりゃ。

 ま、でもムシャクシャすんのは事実だし、お前等――死んどく?」

『――ノヤマ!』

 

 背後で「あ、俺のクインケ!」と叫ぶ東條さんの声が聞こえたが、急いでおれは彼等の前に出て、半分のクラを盾のように構えた。

 

 金ヅル、という言葉からしてコイツは、あの時の兄の方か。

 だとすると、嵌めるとはどういうことだ?

 

 ノヤマの狙撃を止め、喰種はそのままこの場を退散しようと踏み出す。

 俺はクラを投げ、ヤツにぶつけようと――。

 

「馬鹿かッ!」

「――っ」

 

 そして、ヤツはそれをひらりと交わし、再び赫子の射撃をした。

 逃げる動作ははじめから囮だったか。いや、しかし――。

 

 真戸さんの言葉が不意に脳裏を過ぎる。焦る状況において俺はどうしても、直線的な攻撃しか出来なくなると。守峰さんの言葉が思い起される。猪突猛進で周囲が見えないのではないかと。

 

 だが、俺はこの場で引ける場所もない。引く気もない。

 張間――。俺は両腕を交差させ、守峰さんと東條さんの前に立ち―ー。

 

 

「――こ、たろ、う、さんッ!!!」

 

 

 俺の前に、既にボロボロになっていた喰種が――小春さんが、庇うように立ちはだかった。

 

 俺は、訳が分からなかった。

 頭が真っ白になると同時に、反射的にこちらに倒れ込んだ彼女を抱き止めた。

 

「な、にが――」

「よか、た……っ」

 

 わずかに微笑む彼女の考えが、俺にはさっぱり理解できない。

 ノヤマのガス欠か、狙撃が止み、ヤツはクインケを放り投げる。「まだ弾は残ってる」と言いながら、背中の赫子を展開しはじめ。

 

「亜門サン―ーっ!」

 

 しかし、俺は頭が真っ白になったように、どうしてが次の行動が出来なかった。

 相手は喰種だというのに。憎むべき怨敵であるはずなのに。どうしてか今この瞬間、彼女に張間の姿がダブった。

 

 

 

 ――そんなタイミングで、猛烈なエンジン音が鳴り響いた。

 

 

 

「あ゛? これは――」

 

 男が音の正体を探すよう頭を振ると、天井近くのステンドグラスが猛烈な勢いで破壊され。シャンデリアもなんのその、威風堂々無視するように、背後に爆炎を上げてスポーツバイクがこの場に乱入した。

 

 バイクを回転させながら、そのヘルメットにライダースーツの運転手は、空中でバイクを回転させながら狙撃。シャンデリアを落し、喰種の真上に落下させた

 これにはたまらず身を捻り、後方に飛ぶ男。だがその瞬間、バイクの上から運転手は再度狙撃。片足を居抜いた弾丸。喰種は叫び、足を押さえた。

 

「Qバレットはあまり好きじゃないんだが、たまには役立つものだな」

「お、お前は―ーっ!」

 

 運転手は、俺の真横にバイクを止めると、そのままヘルメットを脱ぎ去った。

 特徴的な白い髪に、美しい容姿。何より敬愛する師を思わせる目の鋭さは、間違いようもない。

 

「誰だ乱入者――?」

「――勝利の女神だ」

 

 腰に拳銃を引っさげたライダースーツの彼女は、真戸アキラに違いなかった。

 

「あ、アキラさ――」

「アキラで構わん。何をしてる、亜門一等? その女性は――」

「……庇われた」

 

 俺の言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。小春さんの背中からは明らかに赫子とわかるそれが出ている。

 しかしアキラさん――アキラは「変わり者もいるな」とだけ言って、軽く流した。

 

「ラボから来てみれば仮宿には居ないわ、CCGにも居ないわ、お陰でGPS追跡なんて面倒も行ったが……。まさにナイスタイミングのようだな。

 真戸ジャンプを使って乱入した甲斐があったようだ」

 

 ふふっと微笑みつつ訳のわからない単語も呟く彼女は、後ろに固定されていたアタッシュケースを展開し、中から見覚えのあるものを投げて寄越した。

 

「これは……?」

「レッドエッジドライバーと、”アラタG3(ジースリー)”の制御コアだ」

 

 篠原さん達がアオギリ侵攻の際に付けていたそれと、普通の制御装置よりもやや横に長いそれだった。

 

「博士から100エキサイティンッ! を貰った力作だ。せっかくの機会だ、使って試せ」

 

 口ぶりからして、彼女も製作に関わっていたのだろうか? いやしかし――。

 混乱の極地で機能停止していた頭が、段々とまた回転を始める。

 

 俺を庇った彼女のことは、一旦置いておく。それを考えるのは後でもできる。まずは目の前の敵を、倒す、これが第一に必要だ――。

 

 小春さんを壁にかけさせ、俺はドライバーを手に取り、腰に当てた。左側から銀色の帯が射出され、腰を一周してバックルの右側に接続。

 

 喰種はよほど痛いのか、足から弾丸を抜くことに忙しいようだ。

 

「クインケ自体は既に起動してある。後は、お前が変身するだけで良い。

 ――制御装置のスイッチを押してから、ドライバーに装填しろ」

 

 ドライバーのハンドルの左側に指をかけた状態で、俺は右手で握った制御装置を構える。

 

『――グロテスク・・・

  ――グロリアス・・・

   ――グレア・・・』

 

 不意に思い出す、幼少期の記憶。顔も覚えて居ない誰かが、ベルトを装着して叫んだあの言葉。眼帯と、梟が共に特殊なバックルを装着した上で叫んだ、あの言葉――。

 叫びながら、俺はアキラの指示の通りに、ドライバーに装着し、両手でハンドルを閉じた。

 

 

「――変、身!」

『――アラタ・G3(ジースリー)! リンクアップ!』

 

 

 瞬間、アキラの開けた風穴から、赤い飛翔体が舞い下りる。その形は暗がりでハッキリはしなかったが、どこか甲虫的なシルエットを持っていた。

 

 それがバラバラになると、俺の全身に甲冑のように装着され――最後に、顔面が鋭角的に覆われた。

 

「中々カッコ良いじゃないか、亜門一等」

 

 隣でアキラがふふっと得意げに笑う。背後で二名があんぐりするような声が聞こえた。

 

 これが、”アラタ”?

 

 身体に感じる重さと負担を押して、俺は拳を握る。

 クラを取りに行く時間はない。ただ、とにもかくにもまず――。

 

『――おおおおおおおおおおおッ!』

「――な!? いや、待て、まだ弾丸がッ」

 

 拳を握り、俺は走る。 

 とにかく、眼前の相手を倒す。その一心で振り被った拳で――殴る。

 

 殴った一撃は、俺の想像をはるかに超えていた。そのまま眼前の喰種の胴体ごと壁をブチ抜き、外まで排出してしまうほど。

 あまりの威力に手を握りなおす。このまま追撃せねばと足を踏み出した。

 

 その瞬間、アキラが背後から俺の首筋のあたりを叩いた。

 

「やれやれ、赫眼二つでも制御できないか。……地行博士も悲鳴を上げそうだ」

 

 瞬間、俺の変身は解除され、同時に猛烈な立ちくらみを覚えた。

 何が起こったと自分の腕を見れば、要所要所亀裂のようなものが入り、血を吹きだしていた。

 

 朦朧とする足取り。普段以上に力を発揮したということなのか、身体が最低限しか言うことを聞かなかった。

 

「亜門一等、柳上等らが来ている。追撃は彼等に任せよう」

「だ、が――」

「……安直に使わせて済まない。だが、とりあえず話してやったらどうだ?」

 

 本来聞く耳など持たんが、因縁もありそうだからな。

 そうアキラの言葉を受けて、俺はゆれる足取りのまま小春さんの方へ。

 

 彼女は呼吸が荒れながらも、まだ息をしていた。

 

 俺は、

 

「貴女は、何がしたかったんだ」

「ごめ、なさい、こ、たろ……、さ……」

 

 そして、彼女は視線だけを守峰さんに向け。

 

「きょ、へい、お兄さ、も」

「……は? なんで、俺の名前を――」

 

 もはや息が続かないのか、彼女は指だけを指し示す。大広間の奥の扉を示しながら、彼女はゴフと血を噴いた。

 赫子が溶け、そこにはもう、ヒトと変わらぬ亡骸ばかり。

 

 そのまま動かなくなった彼女。俺たちは立ち上がり、ゆっくりと扉を開けて――。

 その向こうは物置のような部屋になっていた。壁際に二段重ねの棚があり、六十センチ四方の綺麗な箱が重ねられている。

 

「何だよ、これ――これ、これ! 平野舞!? 髪留めの……。

 じゃあ、ひょっとして――」

 

 置かれていた箱を次々開けて行く守峰さん。ぐらつく俺にアキラが肩を貸したまま、歩く。

 開かれた箱の中には、丁寧に洗われたのか汚れのない骨と、髪。遺留品と思われるものがいくつか。

 

 そして、守峰さんはある箱の前で域を飲んだ。

 

「はるか――ッ」

 

 中を除きこみ、遺骨と、生徒手帳のようなそれを確認して、彼は箱を再度閉じ、抱きしめた。

 震えながら泣く彼は、どうしてか、痛いほどに涙が止まらず――同時に、笑っていた。

 

「――やっと、見つけてやれた……っ!

 もう、離さないからな? なあ? 嗚呼――――」

 

「事情は知らんが、なるほどな」

 

 アキラが手帳を拾い上げ、開くと写真が一枚。浴衣姿の少女と、照れたようにそっぽを向く少年の姿。

 年月は経っているが、間違いないだろう。今までの、彼のこの事件への執着が次々繋がって行く――。

 

 過去、切り取られた時間の中で。瀬田はるかと守峰恭平は、仲良くそろって写し出されていた。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 アラタG3(名称はまだ仮決定らしいが)のデチューンが決定したと地行博士から直々に連絡を受けたその日、俺は8区のショッピングモールを目指していた。

 

 守峰さんが待ち合わせに指定した場所がここだった訳だが、彼はこちらに気付くと「おーい」と手を振った。

 

「そっちは回復、順調そうか? って、まだ身体の方の包帯とれなさそうだけど」

「このくらいは一月もかからずです。それで……」 

 

 表の喫茶チェーンでコーヒーを飲む彼の隣には、もう一つカップと、それから、位牌が一つ。

 そちらに頭を下げてから、俺は彼の向かいに座り、注文。

 

 お互いに無言の時間が続くが、俺が自分の分の一杯を砂糖まみれにして一口含んでから、彼は肩を竦めた。

 

「ようやく見つけてられたからな。ま、これから心おきなく持って来れるってもんだ」

「それは、やっぱり……」

「ああ。はるかのだ」

 

 付き合ってたんだよ、と守峰さんは懐かしむように笑った。

 

「花火大会でさ、あの日は。二人で見て、帰りが遅くなって。

 送るって言ったんだけど大丈夫だって笑って、それで……、それっきりだ」

「……」

「お母さんの方も、俺がどうにかする前に首吊っちまってな。だってのに詫びることもなく、開き直った当時の警察に腹が立ったんだ。で、まあ俺も目指したってところだ。

 俺もそっち側になれば、今度こそちゃんと調べられるってな。乳臭ぇガキみたいなこと言うが、そんでもって、犯人ぶっ殺してやろうと、燃えてた」

 

 でもよー、と彼の表情は晴れない。

 

「こっち来て色々なヤツ見てるうちに、ちょっと怖くなったんだ。何かしら犯罪起す奴ってのは、怒りがあんだよ、根底に。本人もわかってないような、そんなパワーが。人間相手だったり物相手だったり、集団相手だったり社会相手だったり、色々だ。

 そーゆーもん見てるうちに、ふと思うんだよ。俺のこの憎しみも、いつか無関係な誰か相手に爆発しちまって、また新しい俺みたいなのを量産すんじゃねーかってよ。……そう思ったら、なんか、もうなぁ……」

 

 憎むどころか、むしろ不憫にすら思えてしまうと。

 しばらく黙り込んでから、彼は重い口を開いてそう言った。

 

「捜査官に言うようなことじゃねーかもしれないけど、俺も喰種に生まれてきたら、どうしてたかって思ったりも最近してな」

「……」

「悪い悪い。っと、じゃあコレ、電話で連絡いれてた奴」

 

 そう言って、彼は一枚のA4のコピーを一枚取り出した。

 印刷されているのは彼女の、小春さんの「遺書」だ。遺書というよりは、手紙という趣だったと彼は言う。

 

「ぶっちゃけ検証終わった後に出てきたから、大本はそっちに渡してあんだが、もうこっちから引き上げ中だろ? 手続き面倒だろうし、許可とって先にやってきた。

 きっと、アンタ宛だぜ?」

 

 手渡されたそこに綴られた文章は、そこまで長いものではなかった。

 

 

――みんな、私が浚いました。私と兄とで、バラバラにしました。

――許されることじゃないと、わかってはいました。でも、私は死ぬ覚悟なんて出来なくって。

 

――でも、貴方を見ていたら勇気が湧きました。

 

――貴方みたいな人にだったら、きっと××××××××

 

――きっと、貴方の夢が叶いますように。もう、悲劇が産み落とされない世界を。

 

 

 一部、ペンで斜線を引かれ消されている部分はあったが、脳裏で彼女の控え目な声が再生されるようだった。

 

「ま出歯亀で悪いけど、ちらっと読ませてもらったぜ。で、どうにも『引っ掛かりを覚える』んだ。

 あのねーちゃんの、兄ちゃんは悪いっぽいのは確実だけど、あのねーちゃんだけが悪いって気がしねぇ。きっと何か、まだ裏がある」

「……経験則ですか?」

「勘でも良いぜ」

 

 へへっと笑い、彼は名刺を取り出し、番号とアドレスを書き記してこちらに手渡した。

 

「そっちの番号も聞いて良いか? 何か進展あったら、連絡入れようと思う」

「……ありがとうございます」

「それから、何かあったら力になんぜ? ま、所詮は公僕だから高が知れてるが、話くらいなら聞いてやれるかもしれねぇ」

 

 ぐっと拳を握る彼に、俺も微笑んで拳を合わせた。

 それから、簡単な配属先について、仕事や雑談などを多少してから、俺は料金を置いて席を立った。

 

 息を吸い直し、一歩一歩踏み出す。

 

 

 喰種らしからぬ、喰種が居る。この事実は、少なからず俺の信念に混乱を齎すものである。

 

 そしてまた、俺は彼のように、大事な相手を奪った存在に情をかけることが、どうしても理解できない。ただ、それが決定的に間違っているかと言えば、そうでもない。

 

 正義と悪は、誰が決めるか。

 ただ少なくとも――。

 

「トーカちゃん、あんまり先に行くと迷子になるから――」

「手、繋げば良いでしょ。とりあえず東急」

 

 ちらりと周囲を見回せば、休日だからか多くの人だかり。家族連れも居れば、カップルも多い。

 例えば今俺の横を通っていた、高校生くらいの二人。貰いものでもしてるのか、白い眼帯を目に付けた少年と、片目を隠した少女。

 

 お互いどこか照れながらも、楽しげに人だかりの中に消えて行く。

 

 ああいった笑顔を守る為に、俺は戦い続ける。何としても失わせない。それ故に、立ち止まっている暇はない。

 その先でいつか、眼帯から話を聞いて――この胸の内に残るわだかまりを、解消できれば。何か今までと違うものが見えてくるかもしれない。

 

 両頬を軽く叩き、俺は足早に進む。

 

 風は冬だというのにわずかに温かみを帯びはじめ、もうすぐ季節が変わると、早すぎる春を小さく知らせていた。

  

  

  

  

  




事件の背景、ホリチエちゃん、hysy弟子など興味のあるお方は、ノベライズ「空白」で補完ください;

12/13 一部、独自設定資料集を何話か前に追加しました


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番外編 似色/後押

そろそろ次編に移りますが、あと1、2回は番外編続きです・・・ライダーとは一体、うごごご;

一人相撲回


 

 

 

 

 

 アオギリから帰ってきて、カネキが変わったことがある。

 確かに見た目も、それから物腰も以前とはどこか違うことに違いはないんだけど、それより大きな問題。

 

 ――あんていくで接客をする時、頻繁に自分の顎を触るようになった。

 

 それの何が問題なのか。以前の私は知らなかったことだけど、でも永近さん、カネキの親友が言うには、ああしてるときは何か誤魔化している時、みたいな感じのことを言われた。

 確かに私を庇う時も、お母さんの話を濁す時も、しょっちゅう顎を触っていたように思う。

 

 今もほら、人間のお客さんから世間話ふられて、会話してる時も……って、話かけてるの、女子大生くらい? って何であんな目きらっきらさせてカネキに話しかけてるんだ、あ゛? 何、私の知らないところでモテてたりする訳?

 客だから凄みはしないけど、いや、そもそも凄む理由もないんだけど。でも私の頭の中はそんな感じのに染まったり染まらなかったり。

 

 こっちに帰ってくるカネキのほっぺを抓ったりすると、普通に「どうしたの?」みたいな目で見てくる。

 何でもないと答えるしかないので、私はそう口にした。

 

「そう。でも、何かあるならちゃんと話してね。慣れてるけど、お客さんの前だし」

「……」

 

 ……何だろ。いつものカネキと言えばいつものカネキなんだけど、ちょっと直視できない。

 っていうか、言われたことに不思議な恥ずかしさが込み上げてくる。あと一緒に、それはこっちの台詞だって言葉も飲み込まないといけない。

 

 微笑むカネキから視線を逸らして、私は裏側から珈琲豆を取りに行く。ニシキが「程々にしてやれよ」とか少しニヤリとしてくるのがどうしてかイラっと来たけど、お店の中なので出来る限り押さえてバックヤードに向かった。

 

 店長はまだ回復していないけど、お店をやってる時間は裏側で豆を挽いたりくらいはしている。だから今も、椅子に座ってこっちを見るその目は、いつものように 穏やかな感じだった。

 

「はい、追加分だ。

 ……ところで、どうかしたかな?」

「はい?」

「何か悩んでるように見えた」

 

 悩んでる? という訳じゃないんだけど……。私的にはカネキも帰ってきて、家にアヤトが(嫌々そうだけど)居る訳だし、これで不満なんてある訳ない。というか、これ以上望むのはどうなんだろう。ヒナミの腹に顔のらくがきして、珍しく怒られるくらいには平和な感じだし。

 とすると、要するにその悩みってのは私自身じゃなくて、私が誰かに対してというものなんだろうけど。

 

 ……色々考えを並べてはみたけど、要はカネキだ。

 

 芳村さんなら何か良い意見でもあるかって思って、私は話した。

 

「カネキ、最近無理してるみたいで。なんか見てられないって言うか」

「ふむ。例えば?」

「上手く言えないんですけど……、接客してる時に、なんか、前よりもっと誤魔化してるって言うか」

「……そういうのは、カネキくんがトーカちゃんに指摘してる側だと思っていたけど、うん。結構」

「結構?」

「いや、何でもないかな。

 さて……、トーカちゃんはそうした場合、カネキくんからどうしてもらっていたかな」

「ど、どうしてって……?」

 

 店長は何を知ってるんだろうと一瞬思ったけど、それは置いといて。

 当たり前みたいに、カネキは話を聞いてくれた。と言うか、私に話せってよく言ってきてた。実際、話をして多少軽くなったり、抱えていたものを共有したせいなのか、なんとなく気恥ずかしかったりもするけど――。

 

「話、聞いてもらってたんですけど、でも……」

「でも?」

 

 ――よくよく考えたら、アイツから話はされたことがなかった。

 

「……ヒトに話させる割に、アイツ自分から話したりしないんですよね。話せば軽くなるなんて言いながら、結局。私から聞けば、少しは話すんですけど」

 

 あの曖昧な顔がそういう表情だってわかったせいか、なんだか見るだけで妙に胸の奥がざわつくって言うか。

 短気な性分なせいか、ぶん殴りたくなる時もあったりする。どうせそれでも誤魔化されるだけだと思うから、やらないけど。

 

「……少しだけ、昔話をしようか」

 

 時間はとらせないと言う店長に、私は首を傾げた。

 

「――ある所に、一人の男が居た。彼は、あまり幸福な生まれではなかった。

 生きる為に多くを蹂躙し、自らを呪っていた」

「……よ、芳村さん?」

「そんな彼がある日――救われた」

 

 切っ掛けは些細なものだったけれど、と店長は微笑む。

 

「自分の周囲は全てが敵で、心の拠り所など何処にもなく。

 しかしそんな彼は、ただその相手と話した。そして、救われた。不思議な――嫌、ともかくだ。

 彼女(ヽヽ)は言った――」

 

 ――貴方が貴方らしく居るだけで、きっと救われる人もいるはずなんです。

 

 話が指し示す事柄と、その対象が誰なのかということを、なんとなく察する。と一緒に、私は話の続きに耳を傾けた。

 

「まあ、そこまで難しいことではない。決して簡単とは言わないがね。

 カネキくんは、カネキくんなりの方法をとるんだ。でも必ずしも、トーカちゃんがそれに合わせる必要はない。方法は無数に存在している」

「……」

「相手の心にしっかりと、耳を傾けてあげることだ。そこまで行けるのに時間はかかるかもしれないが……。

 方法が思い付かないというのなら、皆に聞いて見ると良い。きっと力になってくれる」

「……ありがとう、ございます」

 

 きっと話してくれたことは、店長にとっても大きなことなんだと思う。どこかその目が、遠い場所を見つめているように見えたから。

 私は店長に頭を下げてから、店内に戻った。

 

 

 

 

 で、色々聞いてみた。人によっては多少濁したけど、元気付けてやりたいみたいな感じで。

 

 ケース1。 

「お兄ちゃんも本好きだから、お姉ちゃんの好きな本とか送ったら、喜ぶんじゃないかな。買いに行くなら、私も選んで一緒に買いたい! ――うん、明日行こ!」

 

 ケース2。

「何で俺があんなヤツの……(これ何年かしたら同棲とかし出すんじゃ)、いや、何でもない。

 知らねーけど、姉貴がやるなら大体受け入れるんじゃねーの? 何、それじゃ意味ないって? んなの俺カンケーあるか! そもそも聞いてんじゃねぇ!!」

 

 ケース3。

「ええ~!? と、とかちゃん、それって……(にやり)。うんうん大丈夫大丈夫、バックアップなら任せて!

 じゃあまず、あの彼氏さんの好きそうなものとか……、本、買ってあるの? うんうん、じゃあ、次にシチュエーションだよね。だったら――へ? デートの話でしょ? 違うって、またまたトーカちゃん、顔赤くしちゃって……、あ! ちょっとカラアゲとらないでよ~」

 

 ケース4。

「ふふふ、遂にトーカちゃんも、この魔猿を頼る時が「ごめんなさいね。私もそこまで詳しい訳でも、得意という訳でもなくって……、そもそも年頃の時、一番近くに居たのコレだし。ただ強いて言えば「僕直々の「気持ちが伝われば良いと思うわよ。元気がない理由を聞きたいなら、安心して話してもらえるように。自分が相手にとって安心できる相手になれるのが、一番早いんだけれどね「は、はは、二人とも、少しはこ「なんだかんだでカネキくん、もやしっ子で文学青年だって部分は変わらないと思うから」

 

 ケース5。

「カネキくんもトーカさんも、根はピュアだと思うから、ストレートに言えば良いんじゃないかな。カネキくんでも、心配させるとなればきちんと言うんじゃないかな。

 それでもだったら、気分転換出来ることを何か考えてみたら? 僕なんかだと、みんなで集ってレストラン行ったりして、わいわい騒いだり。あ、そうだ、この間急に帰ってきた『ロマ』って友達が居るんだけど――」

 

 ケース6。

「研が、か。……………………………………………………………………………………、……「蓮ちゃん任せてたら、日が暮れちゃうわよトーカちゃん。どーんとお姉さんにまっかせなさい♪

 で、何々カネキチ? はっはーん……(察し)。じゃ、一つ一つ手ほどきしてあげましょう。まず、肩とか足とか出てる服を着て、呼びます。手招きします。寄り添います。距離を詰めます。しな垂れかかります。後はそのままベッドに力づくで倒して、スケスケ見せてがーっとやってわーっと……へ、何そういう話じゃない? でも男ならそれが一番盛り上がるで――「止めろイトリ。困ってる」……じゃ仕方ないわね。

 んー、真面目に答えると、特にないんじゃないかしら? そーゆーのって。自分で開き直るなり、笑い話に出来るようになるなりするまで待たないとさ。だから、それまで隣で一緒に居てあげるのが、良いオンナってもんさ! 環境第一! で隙を見てごにょごにょ……、きゃー! カネキチもこういう方面苦手そうだったけど、トーカちゃんもそうよねー」

 

 ケース7。

「カネキ、確かに元気ないよなぁ、アヤトの姉ちゃん……。無理してるんなら、俺も力になりてぇ」「バンジョーさん、相談されてるんですよ?」「い、いや俺はだなぁ……。でも、確かにわかんねぇ。すまねぇ」「ダメダメじゃないですかー」「ま、バンジョーさんにその手の話題は、ねぇ」「ど、どういう意味だお前等!」

 

 ケース8。

「……私なんかに頼ってる時点で相当アレなのね、霧嶋さん。なんだか同情できるわね。

 確かに大学が同じと言えば同じだし、永近くんといるのを見かけることも少なくけれど……。表面上は完全に取り繕っているみたいだから、察せないわね。力になれなくてごめんなさい」

 

 ケース……9。

「まさか霧嶋さんから頼られることになるとはねぇ……、インタレスティング! 実に興味深いッ。どれ、僕もマイフェイバリットフレンドの二人目たる彼のため、尽力しようじゃないか。

 だがしかし、カネキ君に元気がないだと……? 何たる悲運! 感情は肉の味を落――ごるぱっ」

 

 

 

 月山の顔面を蹴っ飛ばしてその場から退散した私は、脱力しながらぶらぶらと足を進めていた。

 放課後、なしの礫であんていくに来てた三晃に聞いて、その流れで月山が来た。嫌々ながらも一応聞いて、結果的にこんな感じだった。

 

 三日間で色々聞いて、ヒナミと一緒に本買いに行ったりもしたけど(ちなみに、ヒナミの選んだのは確かにカネキすきそうなヤツだった)。確実っぽい結論は、私的には得られなかった。

 ……まあ、色々参考には出来そうだけど。カヤさんのとか、真面目なイトリさんのとか(そっちけいの話題は勘弁。すごく恥ずかしかったり変な笑い出て来る)。

 

 バイトも終わって、カネキも居ない(今日はシフトじゃない)。訓練はお互いリハビリかねて休んでるところなので、私 はそのまま帰ろうとして――。

 ふと、出入り口のところに残ってたカネキの使い捨て眼帯が沢山入ったのを手に取った。

 

「……」

 

 白い眼帯は前のカネキの象徴みたいなものだけど、っていうか、何でこれこんなとこあんの? 何、忘れて行ったの? ウタさんの作った眼帯(マスクじゃない)付けてること多いから忘れたのか。

 

「……おうちにもってこう」

 

 うん、だって落し物だし。悪いよね、放置しておくのは。そうそう、だから家にも行っても別に悪くは――。

 途端、頭の中でイトリさんの猥談が羽根を生やしてひゃっほうして(意味不明)、私は表で悶絶した。

 

「……何やってんだ? トーカ」

 

 ……そして、それを思いっきり人に見られた。

 あんな話聞かせられたせいだ、と責任転嫁しようとすると、何故かアヤトの半眼が瞼の裏に浮かぶ。

 

 うっせと言いながら顔を上げる。

 

 あ、という風に、ニシキ隣にいた女のヒトが私に頭を下げてきた。見覚えがある。……って、見覚えしかない。名前覚えてないけど、ニシキの彼女。

 私が、一度殺しかけた……、なんとなく、居辛い。

 

 何でもないと言ってその場を去ろうとする私に、でもその女は私の手を掴んだ。

 

「おい貴未――」

「……あ゛?」

「あ、えっと……、何か悩んでるんでしたら、力になりますよ?」

 

 こんな感じで、運命のケース10。

 

 

 

   ※

 

 

 

 カネキ自身は、何があったかなんて私達に話さない。だからみんな、出来る限り前みたいにカネキと話したりしてる。たまにカップを持つ手が震えたり、変なところに力が入るのか壁とかにぶつかったリしてるけど、それはまだ許容範囲だと思う。

 

 でも、髪は真っ白のまま。肌は段々治ってきたけど、爪も真っ黒。

 そうなった理由のせいかは知らないけど、やっぱりカネキは元気がない。何かを隠すようにごまかしたりしてる。

 

 なんて言ったら良いのかわかんないけど、アイツのそういう顔見てるのは、なんか嫌だった。なんでもかんでも一人で背負いこんでるのを見ると、殴りたくなる。

 ただそれと同時になんか恥ずかしくなってくる自分が、それはそれでもやもやするんだけど。

 

 ニシキの彼女にも、詳しくは話せない。ただちょっとしたことに巻き込まれて、それから元気ないって言う、単にそれだけなんだけど。

 

「霧嶋ちゃんは、どうしたいのかな?」

 

 少し怯えながら(当たり前だけど)だけど、それでも砕けた口調で聞いてきた。

 なんだかカネキみたいなこと言われている気がするけど、私は言葉に詰まった。

 

 ニシキが黙ったまま私達の間で視線を往復させる。

 

「……贅沢、なんだけど、」

 

 搾り出すように、私は口を開く。

 

「出来れば……、無理して欲しくない。『今まで通りの毎日』が一番良いけど、なんか、自分を大事にして欲しい」

「うん。……そういうのって、言ってもなかなかわからないものだよね」

 

 訳知り顔で頷くそいつは、ニシキの方を一瞥してから、私に笑いかけた。

 

「私はどっちかって言うと、その、カネキくんみたいな側だったかな。たぶんなんだけど、一杯一杯なんだと思うよ。ショックが大きくて。でも毎日やらないといけないっていうか。でも私よりは立ち直れてる感じ、なのかな?」

「まあ、昔のお前程じゃねーわな」

「うん。だったら――引っ張ってあげれば良いんじゃないかな」

 

 引っ張る? と首を傾げる私に、ニシキの彼女は頷いた。

 

「一緒に居て、気にかけて、遊んだりしてくれるだけでも、すごく楽になると思う。ニシキくんの話とかもまとめると、たぶん大丈夫だと思う。

 だから、カネキくんがそういう風になれるように、少し背伸びしたら良いんじゃないかな」

「背伸びって……」

「だって、霧嶋ちゃんってニシキくんとタイプ違うみたいだし」

 

 余計なお世話だ、と言うニシキに、彼女は少し苦笑い。

 

「ニシキくん結構遊んでたみたいだし……」「オイ」「ま、それはおいて置いて。

 だから何か、やっぱり気分転換させてあげられれば良いんじゃないかな」

 

 あんまり力になれなかったらごめんね、と言って、笑う彼女に、私は一応頭を下げた。

 

 

 

 最後の、ニシキの彼女の話を踏まえると。……やっぱり私が何か頑張るしかないんじゃんか。

 いや、当たり前なんだけど、でも普段の私に出来る頑張りじゃないってことだよな、それって……。背伸びした眼張りって、何よ。

 

 依子の顔が頭を過ぎって、その口が「デート♪」と動くのを幻視して、私は自室で机に突っ伏した。

 

「……あつい」

 

 シャツのボタンを二つまで開けて、ニシキから「要るか?」と、なんか気を使われて手渡されたパンフレットというか、地図というかを開いて見た。地図は8区にある大型ショッピングモールで、かなり有名なところ。どうも二人はそれ帰りだったみたいで、ニシキが紙袋いくつか持ってた。

 

 映画館もあって、本屋も大きくて。……特にそこまで行きたいって訳じゃないけど、ケータイで画像を調べて、なんとなくカネキと一緒に居る映像を思い浮かべる。

 

 うん、悪くないかも。

 

 少なくとも、単にいつも通り振舞ってるよりは強気になって、色々言える、ような気がする。

 カネキも初めて行く所だと困惑してるだろうし、うっかりガード固めてるところから、ぽろっと聞きだせる、かもんない。

 

 

 そしたら、絶対話させてやる。

 私だって話聞いてもらったりしたんだから、アンタだってそうしたって良いんだって、言ってやるんだから。

 

 

 そんな小さな目標を胸にしまいこんでいると、ヒナミから「お姉ちゃんどうしたの、変な笑い声してたよ」とツッコミを入れられてなんか知らないけどすごく焦った。

 

 

 

 

 




トーカ「ぐへへへへ・・・」←ら○ぽーとのパンフレットを読みながら

ヒナミ「(アヤトくん、お姉ちゃんが怖いよぉ)」ちょっと涙目
アヤト「・・・(何想像してやがんだ、あの色ボケトーカ)」汗を垂らしつつ


次回は久々にカネキ視点?


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番外編 足踏/一杯

冬でもあの服売ってるお店って、暖かいところ以外どれくらいあるもんなんでしょうかねぇ・・・。


 

 

 

「服買いに行きたい。アンタ選んで」

 

 某ファーストフード店にて、勉強に手を付ける前、唐突にトーカちゃんがそんなことを僕に言って、パンフレットを見せてきた。8区にある大型商業施設。モール系の、複数店舗が入り込んだ場所。

 

 時期的に節分関係でイベントがあるような、ないようなという具合か。それを見せられて、僕はちょっと困惑した。

 

 週末に行こうか、みたいな話だったけど、ミステリー小説的に言えば伏線も何もなくいきなり提示されたからだ。困惑する。

 まあ別に予定はなかったんだけど、やっぱりちょっと驚かされたというか。

 

「なんか最近色々あったし、気分転換。だからちょっと……、んん、付き合って」

「良いよ。

 ……どうかした? トーカちゃん」

「――――っ、な、なんでもない」

 

 突如慌てて「さ、ベンキョベンキョ」と下を向いて問題に取り掛かかりはじめた。

 

 まあ、その挙動不審っぽいのはともかくとして。

 

「お、御待たせ……」

 

 待ち合わせ時間にきっちり五分遅れてきたトーカちゃんは、何と言うか……、おしゃれさんだった。普段なら動きやすさ優先といった感じのショートパンツ姿が多く、冬場もコートを着ていてもそのベースラインを崩すことはなかったんだけど。どうしてか今日は赤紫色の縁取り帽子に、白いもこもこの付いた浅葱色のボアコートに黄色いリボン。そして、コートの隙間から見え隠れする、何故か白いミニスカート。ソックスは帽子よりダークな色合いで、ふとももの中間くらいまであった。

 

 瞬間、僕は呆気にとられた。見蕩れたとはちょっと違う。

 

「……な、何よ」

「いや、何か……、失礼かもしれないけど、イメージと違うかなって」

「私がこーゆー服持ってたら悪いわけ?」

「文句とかじゃなくって、何かこう……、うん、似合ってるよ」

 

 帽子を脱いで胸元に抱えて、うーと軽く唸るトーカちゃん。鼻先あたりまで帽子の縁で隠れてて、なんだかこう、普段よりも仕草が幼く見えた。

 というか、よく見るときちんと手袋を装着していた。

 

 こう言うとアレだけど、服装から攻撃性が抜けていて普通に可愛い感じだった。

 

「………………………………………………………………そう」

 

 何故か妙に長い間、僕の方を見てからトーカちゃんは視線を逸らした。

 

 ちなみに電車に乗ってゆられている間、どこを見て回るのか聞いたら、とりあえず服は最低条件とだけ言われた。……後のことは何も考えていないらしい。まあ気分転換なんだし、そういうのも有りかなーと思った。

 

「トーカちゃん、あんまり先に行くと迷子になるから――」

「手、繋げば良いでしょ。とりあえず、服」 

 

 そしてまあ、予想通り向こうではヒトがごった返していた。ふらふら歩いてモールに入れば、既に人だかりが形成されている。入り口に入って困惑している僕の手を、トーカちゃんがぐっと引っつかんで思いっきり引っ張った。

 ……最近結構、トーカちゃんがこうして自分から手を握ってくることが多くなった気がするけど、それだけ僕も信頼されてきてるってことなのだろうか。こうしてると、ヒナミちゃん程じゃないけど妹が出来たようにも感じる。

 

 喰種になってからのことやそれ以前、アラタさんの件も含めて、僕は彼女にかなり大きな恩があるし、こうして少しでも頼りにされるなら、お返しになるのならそれはそれで嬉しいことだった。

 

 しかし……、どうしたことだろうか。ハンズを軽く見て回った後に、トーカちゃんが手を引いた先のショップは、あちらより客層が限定されているのか、ファミリーよりカップルっぽい感じのヒトが多い。

 正直、ムズ痒い。何か得体のしれない居心地の悪さみたいなものを感じる。

 

「あー、トーカちゃん、」「着替えるから覗かないでよ」

 

 少し外出たい、みたいなことを言う前に早々にトーカちゃんは着替えを持って、目の前の更衣室? へ。カーテンを閉めた向こうで、衣擦れの音が聞こえるのが、どうしてか心臓に悪い。視線を逸らして周囲を見れば、女子高生くらいの女の子たちのグループがこちらを見てからくすくす笑いあったり、同じく別な更衣室の手前で男性一人、意味深に頷いていたりするのがますます心臓に悪かった。

 

「お待たせ。……、ど、どう?」

 

 十字模様が二つあしらわれた、ワンピースみたいなブラウスだ。首にチョーカーみたいなのを巻いてあって、髪留めがウサギじゃなくて猫なのはどうしてだろうか。

 僕の視線を見て何を思ったのか、そのままトーカちゃんは左手を軽く握り、こちらを見て。

 

「に、にゃんっ」

「……」

 

 照れながらそんなこと言われましても、というか、アレです。どうしたんですかトーカちゃん。何か悩みでもあるんだろうか。心配になってくる。

 ただ「何か言えよ」と文句を言ってすぐさまカーテンを閉めるあたり、調子はいつも通りということか。ってことは、猫の髪留めがワンポイントで、それを強調したかったとか……? いや、それでも反応には困るんだけど。変に照れてるのが可愛い分、突然のギャップに。

 

 とりあえず持ってて、と言われてハンガーに指をかける僕。こういうのはウタさんの所にマスクを作りに行った時以来だから、ちょっと懐かしい気もする。

 そして、離脱するタイミングを完全に見失った……。

 

 次に向かった先は革物……? こちらにはメンズも揃っていた。

 

「アンタも着る?」

「うーん、荷物持ち的にそれはどうなんだろ」

「あっそ。じゃあ、どっちが良い?」

 

 そう言って提示されたファッションは、どっちもパンクな感じ。片方は足の方の丈が短くて、もう片方は上の方の……、って、そろえてる服のバリエーション幅広いな、ここ。

 でも、あえて僕はそのうちの、サスペンダー突きホットパンツみたいな方を選んだ。

 

 トーカちゃんは、何故か訝しげな目でこっちを見てくる。

 

「ど、どうしたの?」

「いや、逆になんでこっち?」

「? いや、トーカちゃん結構こういうタイプの服多いような気がしたから、取り回し良いかなって」

 

 まあ後の方の服だと、結構上の切れ込みが大きかったというのも理由だったりするけど……、流石にそんな服を目の前で着られて、感想を言える位耐性はありません(リゼさんにもそこを突かれたし)。

 

 そんな感じでまたニ、三着服を選んでいて――そして、最後の一つを見た瞬間、僕は思わず吹き出した。

 

「と、トーカちゃん今! 二月! 何さその水着!? なんで売ってるの!!?」

「さ、さあ……」

 

 僕にツッコミを入れられても反応が曖昧なあたり、トーカちゃんもそう思ってるんだろうけどさ。いやさ、それ寒くない? というのが個人的な感想だった。

 トーカちゃんは、そう、何故か水着を着ていた。……ワンピースタイプとかパレオ巻いてあるとかそんなこともなく、ビキニタイプだ。縞模様の入った、紐止めの。非常に防御力が薄そう。

 

 流石にトーカちゃん本人も、これは照れていた。って、なら何故試着した。

 

「へ、変なところない?」

「そういうのは大丈夫だと思うけど、えっと……」

「……何か言ってよ」

「十中八九、何言ってもセクハラになっちゃいそうな気がするんだけど……」

「あ゛?」

「い、いや、えっと……」

 

 ここまで付き添い泣かせなことを言ってくるとは、流石に想像していなかった。

 

 正直、本当に困る……。強いて言えば「眩しい」かな。肌色が。元々トーカちゃん自身、結構色白だったと思うけど、服の下に隠れてる分もあらかた表に出てる現在、すらりとしたスタイル含めて色々と直視できない。 

 水着自体の感想を言わなきゃならないといわれても、その……。

 どことは言わないけど、案外大きいとか口走れば、ほぼ確実に顎に一発貰うことになりそう。

 

 ……仕方ないので、いつものようにしようか。

 相手自身の意見をまず聞いてみよう。

 

「トーカちゃんは、どう思う? それ」

「私? は……、ちょっと、気になる」

 

 お腹のあたりを軽く摘むトーカちゃん。正直言うと鍛えているということもあってか、ほとんどつまめてないのだけど、本人は気になるのだろうか。

 

「あと、紐は冒険してみたつもりなんだけど」

「冒険?」

「うん。だってこっちの方が――、な、なんでもない」

 

 くるりと振り返り、カーテンを閉めるトーカちゃん。数分かけて出てきた後、僕には渡さずそのままレジに持って行った。

 買うんだ、とちょっと意外に思ったけど、依子ちゃんと遊びに行く時とか使うのかな?

 

 結局お買い上げは三着前後。その後、有名喫茶チェーンの店舗で珈琲を買って、僕らは一度外に出た。

 

 モールの入り口あたり、丁度海が眺められる位置にトーカちゃんと僕はベンチに座る。

 と、トーカちゃんは僕から袋を取り上げて。

 

「へ? え、えっと」

「あんまり汚したくないから」

 

 荷物を自分の右側において、左側、僕の方に詰めてきた。僕も僕であまり動けないので、必然トーカちゃんと肩が密着する。

 

 何だこの状況。

 

 何があってこうなったのか、膨大なトラフィックが脳内で駆け巡る。

 そんな僕におかまいなく、トーカちゃんは口を開いた。

 

 

 

「……アンタさ。最近、隠し事とかしてない?」

 

 

 

 ぴくり、と自分の左頬が動く。

 

 横目で、真剣な眼差しの彼女に、色々と慌てていた思考が、すっと落ち着くのを感じた。

 

「……隠し事、って具体的には?」

「知る訳ないし。ただ……、わかるわよ。何だかんだで、あんていくじゃ一番付き合い長いし」

 

 珈琲を一口含んでから、トーカちゃんは右手で僕の右手を上から被う。身体をちょっと反転させてるせいで、荷物袋がちょっと不安定だった。

 ぎゅっとにぎられる温もりを感じながら、僕は、ちょっと答えに窮した。

 

「……まあ、色々あると言えばあるかな。それは」

「話したりしないの?」

「話す?」

「……前にアンタ言ったじゃん。私の事情とか聞いたりする時に。

 だってのに、何でアンタは自分のそういうの話したりしようとしないのよ」

「……」

 

 言われてみれば、という訳ではないけど。僕にとってそれはヒトに話すような内容という訳でもなかったというのが正直なところだ。

 でも、トーカちゃんは反応のない僕を見て、淡々とぎゅっと右腕を抱きしめた。

 

「……あ、あの、トーカちゃん?」

 

 色々とやわらかかったりするので、反応に困る僕。というか右手が、ふともも思いっきり触ったりしていたりするんだけど(抱きしめるような形なので挟み込まれるような配置)、何がしたいのだろうか。手先に伝わる柔らかさと、上腕に感じる挟み込まれる感触にどぎまぎしてると、トーカちゃんは淡々と続けた。

 

「……言わなきゃ、折る」

「理不尽!」

 

 目が据わっていたので、割と本気かもしれない。しかも珈琲持ちながらだから、下手に動くと零れて熱いことに……。

 流石にそれは困るので、ちょっと待ってと言って少し頭の中を整理した。

 

「……あの、全部じゃなくて良い? さすがにいきなりはハードルが……」

「……ちっ、仕方ねーな。じゃあ、妥協してあげる」

 

 腕は命拾いしたけど、腕のホールドは未だ解いてくれない。人質代わりか何かなのだろうか。

 ちょっとまだ怯えながらだけど、僕は苦笑いを浮かべて思い出す。

 

「……僕、アオギリから帰ってきてさ。すぐ大学に復帰できてるけど、おかしいとは思わない?」

「何が? って、まあ休んでた分、病院で診察したとか――」

「あー、そこじゃなくって。普通さ、もっと手続きとか掛ると思わない? だって実際問題――かれこれ一、二ヶ月近く、失踪していたのに」

 

 そのまま年も跨いじゃったしと言うと、トーカちゃんは首を傾げる。

 

「……言われてみると。ケーサツとかも行ってないよな、カネキ。何で?」

 

 まあ答えは酷く単純なもので、僕はじらさず答えた。

 

「失踪の、捜索願いとか出されてなかったんだよ」

「……ッ、それって――」

「ヒデに聞いたら、あと何週間か遅れたら俺が出してたって。まあ……そういうこと」

 

 伯母さんと折り合いが非常に悪い、というのを臭わせる話をトーカちゃんにしたことはあったけど、今じゃ存在無視レベルまで来ているという話まではしたことがなかったっけ。

 主にヒデが、僕の本を救ってくれた時の影響が大きく出ていて。優一君が――従姉弟の彼が、逆に世間話程度ならしてくれるようになったくらいだった。

 

「この間、久々に帰ってみたらまあ案の定というか。連れ去られたこと自体知らなかったみたいだったしね」

「……」

「別に、そこまで傷ついてるって話じゃないよ。ただ……、どう言ったら良いかな。なんだかね。小学校の先生とかから、たまーに休日のイベント手伝ってくれないかって連絡とか来たりするんだけど、それ以上にアレだからさ。こう……」

「……それ、普通に寂しんじゃない?」

 

 へ? と聞き返す僕の腕を離して、トーカちゃんは残りの分を飲む。空になったコップを足元に置き、唐突に、唐突に僕の頭を撫でてきた。

 

 ……何だこの状況。ものすごく恥ずかしい。

 いや、この間のおでこグリグリに比べれば何倍もマシだけど、それにしたって、こう。

 

「あ、あの、トーカちゃん?」

「何だかんだ言って、カネキは頑張ってると思う。”こっち側”を知ってからも、知る前も。

 だから、まあ……、もっと頼れ。何かあったら」

 

 そして、撫でていた手を離して、指を立てて僕の頬をツンツン突いてくる。半眼でふっと微笑む彼女を見て、どうしてか僕は、胸のあたりに熱いものを感じて――。

 気が付くと、変なことを口走っていた。

 

「――トーカちゃん」

「ん?」

「ハグ、してもいい?」

「……へ゛?」

「……、あ、いや、その、変な意味じゃなくってさ。うーん……、こう、ありがとう的な」

「意味わかんねー」

 

 顔を逸らして、アヤトくんみたいな何とも言えない表情を浮かべるトーカちゃん。何か攻撃が飛んでくるかと思ったら、少し逡巡してから彼女は。

 

 

「……ちょっとだ、け、なら」

 

 

 目を閉じておずおずと、小さく両腕を開いた。

 

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 春休みに入った直後ということもあって、あんていくのシフトも夜中まで入れられるように。

 今までもなくはなかったけど、流石に店を閉める時間まで働くというのはなかった(トーカちゃんと訓練で遅くまで残っていることはあったけど)。

 

 だからこそ、入見さんが店を出たタイミングで、四方さんが帰ってきたのになんか驚いた(古間さんはちなみに休憩中)。

 考えてみれば当たり前と言えなくもないんだけど、四方さんは大きな荷物を右肩と左腕に担いでいた。食糧調達か何かだと思う。

 

「お疲れ様です」

「……研もな」

 

 と、僕の方を数秒見た後、ぼそりと一言。「時間開いてるか?」

 

「へ? 大丈夫ですけど」

「久々に稽古をつけてやろうか。たぶん鈍ってるだろ」

「でしたら是非。……あー、でもリハビリも兼ねてるから――」

「大丈夫だ」

 

 それだけ言って、四方さんは一度バックヤードに回ってから、僕を誘導する。

 地下はやっぱり何度来ても広大だ。どの方向を見ても、どこに繋がっているか分からないという時点で既におかしい。一度入り込んだら出られなくなる、と言ったのはトーカちゃんだったか、四方さんだったか。

 

 ジャケットを脱ぐと、四方さんは少し腰を低く構える。

 

 僕は……、正直、イメージがつかない。赫子を使わないでとなると、やっぱり四方さんに一日以上の長がある。

 本の知識がまだまだ付け焼刃な自覚があるので、僕は一度深呼吸して――指の関節を鳴らした。

 

 勢い良く飛びかかる僕に、四方さんは受け流すよう腕を構える。

 その状態で、振り被った腕と反対方向の足を使って蹴りを入れる。が、これも読まれていて掴まれる。そのまま一回転して、四方さんは僕を投げ飛ばした。

 

 対する僕は、バク転でその勢いを殺して体勢を立て直す。

 

「……」

 

 無言でサムズアップしてくれるのは、うん、きっとバク転できるようになったのか的な意志表示だろうか。

 しかし、改めて接近してみると隙がない。カウンターというのを差し引いても、何か別なアクションであの安定を乱さないと、活路は見えないか……。

 

 赫子を使っているなら、その程度は容易なんだけど、生憎とこれは肉弾戦。

 

 一番大きな問題は、こちらの攻撃に対して向こうは一歩も動かずに対処できるということか……、いや、違う。威力が根本的に違うということもあるけど、それ以上に動かすための攻撃をしかけていないというのが大きいか。

 そうすれば後ろは壁なのだから――あ、これは使えるかもしれない。

 

 再び四方さん目掛けて走り出す僕だけど、今度は飛びかからない。四方さんはそれに対して、構えを少し変えて受け流す方向を変える。

 ただ、その瞬間に僕は上体を低くし、腰にタックルをかけようとした。

 

「――、まだ甘い」

 

 腕の構えを解くより移動する方が早かったためか、四方さんはそこから、僕から見て左側に数歩ずれる。だけど、それは狙い通り。

 

 僕はそのまま、当初の予定通り壁の目の前で体勢を戻し、走った勢いと起き上がった反動とで壁を一蹴り。

 

 そしてそのまま、三角とびの要領で四方さんの顔面に、蹴りを入れた――ッ。

 

「……狙いは悪くない。が、練度不足だ」

 

 四方さんは、しかしそれもぎりぎりで腕を上げて対応したようだった。

 僕はバランスを崩し、その場で腰を下ろす。

 

「やっぱり、まだまだ敵いませんね」

「……だが、成長してるな」

「バク転ですか?」

「そっちじゃなくて、ほら」

 

 と、四方さんは左頬を指差す。そこは、少しだけスリ傷のようなものがあって。

 

「お前の、靴の先だ」

「……あ、届いてたってことですか」

 

 腕の防御は間に合ったけど、勢い余ってちょっとだけ押されて、ぶつかったと言うことだろうか。四方さんは僕の方を見て、手を差し伸べた。

 

「……一応、一発入れられたな」

「へ?」

 

 手をとりながらそんなことを言われて、僕は思い出した。トーカちゃんとバク転の練習中に、やってきた四方さんが言った一言。一発入れてみろに、数ヶ月かけてようやく成功したということか。

 付いて来いと言われて、僕はカウンター席に座る。

 道中、2階の電気が切れていて、またカウンターがきちんと片付いてるのを確認して、古間さんが一通りやって帰ったようだ。

 

「疲れたろ。ちょっと待ってろ」

「一体何を……?」

 

 疑問符を浮かべる僕をよそに、四方さんはてきぱきと、慣れた手つきで道具を使う。豆を砕き、湯を注ぎ、持ち上げ、僕の前に置かれた一杯。

 

「……」

「……」

「……飲め」「……い、頂きます」

 

 あんていくで表の仕事をしていない四方さん。だからこそ、すんなりと慣れたその手つきで入れられた一杯に、僕は驚いた。

 それは、店長の一杯と同じ味がしたからだ。「あんていく」なりの入れ方のルールとかみたいなものは一応あるのだけれど、それでも少し個人差が出る。でも四方さんのそれは、限りなく低い。

 

 自分の分の一杯に口を付けて、四方さんは微笑んだ。

 

「すごく美味しいです。でも……、一体どうして?」

「……昔、店に立ってたからな。すぐ降りたが」

「へ?」

「……接客が出来なかった」

 

 嗚呼そうだ、と四方さんは思い出したように言う。

 

「トーカが心配してたぞ。お前の様子が変だって」

「変?」

「この間、イトリの店に来て、何か聞いていた」

 

 何かって何なんでしょうか、というのはちょっと怖くて聞けないけど。でも……、そうか。この間遊びに行った時のアレは、そういうことだったのかと納得があった。気を遣わせちゃったな……。思えばあの後、ヒナミちゃんからだって言って高槻泉の最新作を手渡された時点で、気付くべきだったかもしれない。

 

 結局、全部は話せなかった……、話せる勇気がなかった。

 まだ、自分の中でくすぶっている部分があったからだ。きっとそれは――僕自身、どこか怖い事実があるからで。でも、だからこそそれを口にすることが、今はまだ出来そうになかった。

 

 代わりに、僕は自嘲する。

 

「なんか、助けられてばっかりですね。僕」

「?」

「トーカちゃんとかだけじゃなくって。例えば前も、四方さんに赫子を刺しちゃしたし……、改めて、あの時はごめんなさい。あと、ありがとうございました」

「……礼なら芳村さんに言え。仲間同士助け合う。それを俺に教えてくれたのはあのヒトだ」

「……」

「……ただ、助けられてばっかりは、違うと思うがな」

 

 会話していて気付かなかったけど、今日の四方さんはいつもよりも沢山しゃべってくれてる気がする。

 

「もしそう思うなら、今度はお前が誰かを助けてやれ。

 そうすれば、きっと繋がって行く想いもある」

「……はい」

 

 ある意味で言うなら、芳村さんのああした想いが四方さんやトーカちゃん達に回ってきて、そして今度は僕に来たのだろう。そして、たぶん西尾先輩にも。

 すごく、本当はすごく簡単なことなんだと僕は思う。そんな想いが受け継がれていって、もっと広がっていけば。それこそ、もっと世界は優しいものに――。

 

 僕も四方さんもそれきり、最後の一杯まで飲み終えるまで会話を交わさなかった。

 

 

 

 

 




モブ男性(旧多)「(がんばれ青少年)」


トーカの勝負服? は√Aでヒナミちゃんが着ていたアレです。
カネキがヘタレずトーカがぎゅーってされたかどうかは、次回をお待ち下さい?


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劇場版 アンダーカバー”JAIL”
Uc"J"プロローグ


本来の「東京喰種 JAIL」のシナリオが知りたい方は、シナリオブックorゲームを入手されることをおすすめします;

今回より、時期は「空白」。無印後半まで長引かない予定ですが、どうぞヨロシクです


 

 

 

 

 

「タタラさん。この世界で一番綺麗なものって、何かなぁ」

「何だい、窓から槍に」

 

 夜。円筒状の巨大な建物――23区にある喰種収容施設「コクリア」の上で、二つの影が会話を交わしていた。立つ影と、座る影。

 

 一つは長身の男。全身を被う白い服装に、顔の下半分を被うマスク。顔色は悪く、目は鋭く細められている。

 もう一つは、フードの上から赤と黒のマント姿。体は全身に包帯が巻かれており、声はくぐもっているがやや甲高く、少年のような、少女のような響を持っていた。

 

 長身の言葉に、包帯は肩を震わせる。

 

「いやね。私達、今回の作戦のために色々無茶するじゃん。実質、ここに来てるメンバーだけ残ってればまだしもってところだけどさ。アオギリ、あれで全部って訳でもないし」

「情でも湧いた?」

「そういうんじゃなくって。『目的』のためにはちょっと無茶するけど、単純な疑問さ」

 

 嘘を暴くのが私達の役割だけど、と包帯は立ち上がる。立ち上がっても身長の関係は変わらなかった。

 

「――何かのために他者を斬り捨てるヒトと、誰かの為に自分を切り捨てるヒトとじゃ、どっちの方が生きていて綺麗なのかなって」

「……命に貴賎はない。死ねば、それまでだ」

「おぉうタタラさんリアリストぉ。もっと本読もうぜー? 白秋とか」

「要らん。日本語の本は頭痛くなる」(※中国出身)

「ノロさんもアヤトくんも逃げるし、アオギリ本読めよぉ。全く……」

 

 んんしょ、と立ち上がり、包帯はどこからともなく、ある装置を取り出した。

 

 一言で言えば、バックル。横に長く、中央にレンズのようなものがあり、装着者側からして右側にはレバーのようなものが付いている。

 包帯はそれを自分の腰に当てる。と、マントの下からどこからともなく、赤い帯が出現し、バックルの両サイドに装着された。

 

「そろそろ行こうか。王様(ヽヽ)来ちゃう前に。

 ――いらっしゃい、ドラゴン」

 

 言いながら、彼女はバックルのレバーを落す。

 

 

『――()・『赫者(オーバー)! 赫者(オーバー)! 赫者(オーバー)! 赫者(オーバー)――』

 

 

 何度もオーバーを繰り返すバックル。電子音が響く中、包帯が纏っていたマントが彼女から離れる。

 離れたマントは、空中で突如大きな変化を遂げる。複数の人間がざわざわと喋るような声。

 

 それと同時に、徐々に徐々にその姿が変化していくマント。膨れ上がり、肉の巨大な球体のようになり、それが割けて羽根と足を持つような、頭のないグリフォンのような姿に変化した。

 

「良いの? 使って」

「別に。私が『合体』しなきゃバレないでしょ。それにカメラは壊すし――どうせほとんど殺すでしょ」

「だね。……下の方はこっちでやるから、陽動含めて上ね」

「りょーかーい。あ、でも最初の牢屋の解除くらいは手伝ってねー」

 

 くるりと振り返った二人の背後には、包帯がして居るようなローブ姿が多数。全員が何らかの仮面を付けており、一目で集団が統率された存在だと理解できる。

 

「じゃ、はじめよっか」

 

 包帯が、首のない獣の上に乗る。そのまま、天井を破壊して、ドーナツ状の内部へ。

 他のローブたちは、背中から触手のような、あるいは鉄のような、羽根のような、尻尾のようなものを出現させ、一様に包帯に続いた。

 

「綺麗なもの、ねぇ」

 

 タタラと呼ばれた長身の男は、そんな包帯の背中を遠い目をして見つめ。

 

「――とっくにそんなもの、取り返せないところにあるさ」

 

 それだけ呟き、残った数人を率いて、後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

  

――――『仮面ライダーハイセ  アンダーカバー”JAIL(ジェイル)”』――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒュー、ヒュー……、目が覚めたかい? ”ジェイル”」

 

 嗚呼、まただ。カツン、カツンという足音と一緒に、アイツがやってくる。

 牢屋の入り口で、逆光で姿が見え辛いシルエットの男は、不気味に笑いながら話す。

 

「多数の喰種捜査官が、お前に殺された。喰種も含めてな。

 私もそのせいで……、クク、まあ仕事は多少やりやすくなったがね?」

「私は確信している。君がジェイルだと。だがそれでも違うと言うのなら――君の兄は、ジェイルか?」

 

 ジェイルなんて知らないと言っても、彼は僕の言葉などはじめから聞きいれてはくれない。

 紙袋の中から目の前に兄の「耳」を転がして、彼は笑う。

 

「自分がジェイルだ。弟は関係ないから解放してくれと、わざわざやってきてくれてねぇ」

「さて、君がジェイルなら、正直に言った方が良い。この袋が、君の兄で一杯になるまでに――」

「誤解だって、言ってるだろ――っ」

 

 激昂する僕の感情に、全身が反応しようとして――しかし僕は力を失う。

 

「おぉ怖い怖い。だが無駄だ。ここでは”喰種(グール)”も只の人同然」

「ヒトをはるかにしのぐ身体能力も、捕食するための臓器である赫子(かぐね)も、ここでは出せん。Rc抑制ガスが効いている以上はな。おまけに――ドライバーだ」

 

 指差す彼の先は、僕の腰。レンズと、レバーと、上から見下ろして左側に付いた紫の炎を象ったようなパーツが特徴的な、バックル。帯は赤く、断続的に僕はそこから痛みを与えられているようだった。

 

「赫子を発現させる時、目元に牢屋の鉄格子を思わせる痣が出るから、ジェイル。監獄だ。

 まあ、私としては出してもらった方が判別が付くし、葬れるから一石二鳥なのだがね。そもそも、『私のようなもの』がここに出入りしていること自体おかしいのだから、早い所片付けてしまいたい」

「……」

「だんまりか。まあ良い。また来るよ? ――リオくん」

 

 リオ。それが僕の名前。

 立ち去る彼の足音を聞きながら、僕は、震えるばかり。ベルトは外すことが出来ない。明らかに外すための場所と思われる部分が潰されていて、僕は痛みから逃れる術がない。

 

 僕はその場で蹲った。

 

「兄さん……、兄さん……ッ」

 

 兄のことを思い涙を流し、僕は腕が震える。

 

「僕は、弱い。力づくであの男に勝てるわけもない……、でも、だったら名乗り出られるか? 違うのに、ジェイルだと言って。きっと……、きっと嬲り殺される」

 

 でも、どうしたら助けられるのだろうか。

 力の弱い僕のために、食事を調達してくれていた兄。戦闘経験も少なく、きっとアイツにだって勝てっこない。

 

「せめて、僕も兄さんもジェイルってのじゃないって気付いてもらえれば……」

 

 せめてそうすれば、こんな拷問とは切り離されるんじゃないだろうか。兄さんも、そうすれば――。いやでも、どうやってそんなの証明しろって言うんだ。方法なんてないじゃんか。

 

 どうにかして、ここから逃げなくちゃいけない。

 

 兄さんと、二人揃って――。

 

 

 

 そんなことを考えていると、巨大な爆発音が響く。

 建物全体を震わせるそれに、僕も、他の喰種たちも顔を上げた。

 

「――襲撃だ! 何が!?」

「天井からだと……? 何だあのバケモノは……ッ」

「アオギリだ! ドクロの仮面、間違いない、”アオギリの樹”の喰種たちだ!?」

「総員、配置に――」

 

 扉に張り付いて、外の様子を確認する。

 

 ぐしゃり、という音と共に、僕の視界に血が飛び散る。

 転がる捜査官の腕や、頭の半分に、思わず後ずさった。食べている時は、兄さんが厳選して腕や足など、あまり「死」を意識させない部分を持って来ていたのに対して、目の前のこれはあまりに、あまりにも――。

 

 そして、バキンという音が鳴り響く。

 前に張り付いていたせいか、牢屋の扉がそのまま前方向に倒れた。

 

「……これは」

 

 僕だけじゃない。他の喰種たちが隔離されていた扉も、順次破壊されている。多くの喰種たちが大声で歓声を上げるのを余所に、僕は足早に走る。

 

 道中見かけたフードの集団が、捜査官たちを切って捨ててしているのを見て、驚かされた。難攻不落とあの男が言っていたこのコクリアで、まさか、掴まってる喰種たちを解放しているのだろうか―ー。

 

「兄さん、どこに居るんだ……ッ」

 

 でも、結果は芳しくない。次々逃げ出して行く喰種たちの中に、僕のように誰かを探してるヒトもいない。また、兄さんらしき喰種さえ見つからない。

 時間だけが過ぎて行く。それと同時に、攻撃していた集団が下に向かっていって、徐々に徐々に捜査官の人数が増えて行く。

 

「ここに囚われた僕が……、今、兄さんを助けられるのか? そんな、そんな力は――」

 

 ――リオ、お前は前を向いて生きろ。

 

 兄さんの言葉が頭の裏で響き、僕は、今考えられる一番最低な決断を、下す。

 でも、それでも――きっとそれが、兄さんを助ける可能性に繋がると信じて。

 

「見つけたぞ、逃がすな!」「見つけ次第、駆除しろ! CCGの威信にかけて、何としても逃がすな!」

 

 震える手を押さえながら、僕は走った。走って走って、外への出入り口を探して、転んで――。

 

 

 

 そして、手を差し伸べられた。

 

「おや? 君は……、ふぅん、面白い臭いしてるね」

「……?」

 

 ローブをまとった目の前の喰種は、腰に僕と同じバックルを付けていた。だというのに、その表情には痛みによる憔悴などは微塵も見受けられなくて。

 

「嗚呼なるほど、拡張機能として抑制レベルを指定できる装置が付けられてるのか。面白いねぇ、誰だろこれ作ったヒトは」

「き、みは……ッ」

「でも今のままじゃ、きっと抜け出せないよ。せっかく面白そうなものだし、『死神ドクター』としちゃ、見過ごせないねぇ」

 

 ずぶり、という音と共に、目の前の喰種は自分の体に右手を入れて――ぐちゅりぐちゅりと音を立てて、何かを取り出した。

 赤と、黄色がかった白のコントラストが、酷くグロテスクで、見て居られない。

 

「君は、生きたいの?」

「僕、は――」

 

 震えながらも、立ち上がろうとして、何度も失敗しながら。

 でも、それでも僕は、顔を上げて、目の前の開いてに言う。

 

「――僕は、兄さんを、助けたい」

「んん、そういう欲望があるっていうのは、素直で宜しい。なら――」

 

 僕の頭に手を添えて、目の前の喰種は――。

 

 

 

「――今から君は、私の子供だ」

 

 

 

 振り被った右手を、僕の顔面に叩きこんだ。

 

 

 

 

 




エト「ドラゴライズで”オウル”ドラゴン、みたいな☆」
タタラ「……」


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Uc"J" 01:帰ってきた毎日

何だこのバカップル


 

 

 

 

 

 暗く、そして僕の手元だけに明かりが灯っている。

 

「――ツバメは尋ねました。『誰?』

 『僕は幸せの王子です』

 『なら、なんで泣いているの?』ツバメは問いました。『こっちもう、すっかりぐしょ濡れだよ』

 像は答えます。『僕がまだ生きて、心臓も動いていた頃のことです』『僕は、涙がどんなものか知らなかったのです。サンスーシの宮殿で暮らしていた頃、そこに悲しみはなかったから。昼間は友達と庭園で戯れ、夜は大広間で、一番に踊っていました。庭園にはとても大きな塀が張り巡らされていて、僕はその向こうにあるだろう、美しいものに思いを馳せることもなかったのです――」

 

 物語を読み進める僕に、子供たちは思いの他静かに、聞き入っている。ちらりと壇上から回りを見れば、うつらうつらしてる子は居ても完全に寝ている子が居ないのがちょっと驚きだった。

 その後ろでは、見覚えのある先生たちや、子供たちの保護者数人がこちらを見たり、ビデオをとったりしていた。その中に、ちらりと身長がやや低いトーカちゃんの姿があるのがご愛嬌。慣れないスマホのカメラ撮影に四苦八苦しているようだった。

 

 ……そして手前の小学生たちの方に乗り出してる、僕と同じか少し下くらいの女の子たちが、なんか妙にじっと見つめてきてる気がするけど、たぶん気のせいだ。

 

 読み進めながらも、感じる視線や空気は様々。

 演じる側、お話をする側としても、聞いてくれている分には嬉しかった。

 

「――でも、王子はとても悲しそうにしていて、ツバメは申し訳なくなりました。『この町はすごく寒い、けど、もう一晩ここで休んで、手伝ってあげる』。

 『ありがとう、小さなツバメさん』――」

 

 ――幸せな王子。原題のThe Happy Prrinceは、オスカー・ワイルドが描いた童話の一つだ。

 見るからに美しい装飾の施された銅像の王子の足元で、エジプトへ渡る途中のツバメが一泊することから物語が始まる。

 

 誰かのために自分を配る彼と、そんな彼に胸を打たれたツバメ。やがて力尽きてしまったツバメと、それがショックで心臓が壊れてしまった王子たちを、事情をしらないとは言え町の人々はみすぼらしいと言う。

 けれど、最後には二人とも天使に連れられて、天国で神様に褒められて、幸せに暮らすというようなものだ。

 

 どこかお話の根底に、高槻作品と共通することもあるような気がして、今日はこれを読むことを選んだ。

 大切な自分も、大切な誰かも。自分の思いの為に全部失いながらも、そこにわずかながらも救いが見え隠れする。どこかドライで渇いていて、寂しくて。でも、そこから目をそらすことが出来ない――。

 王子の涙の訳を聞いたのが、ツバメだけだというのもどこか痛みを感じるところだろうか。

 

 まあ、僕が読んでるこれはアレンジされているのか、画で描かれてるツバメが女の子だったりしてるけど。ひょっとしたら翻訳家と、画描きさんとで認識が共通じゃなかったのかもしれない。

 

 一通り読み終えると、明かりが灯って拍手がされる。こうして見ると、視聴覚室は昔思っていたより狭かったんだなと改めて実感した。保護者さん達含めて拍手を送ってくれるのが、ちょっと照れくさい。……ちなみにトーカちゃんは、画面操作に悪戦苦闘して諦めたのか、一旦膝の上において半眼で笑って手を叩いていた。

 ……視線が若干僕からそれてるけど、何か失敗したんだろうか。最終的に見るのはヒナミちゃんだからと張り切ってた分、何か追い詰められてそうだった。

 

 小学校の行事なんて、もう思い出すのもちょっと難しいけれど。でも僕が小さかったころは、こういうタイプのイベントはなかった気がする。大抵が平日に授業中行われるものか、さもなくば一日授業を潰して行われるものだろう。

 そこへ行くと、こうした朗読会みたいなものに、僕が参加してるのがちょっと場違いに思える。まあ朗読会限定じゃなくって、PTAやボーイスカウトとかがメインの行事らしく、ここ以外に体育館では演劇部のブースとか、表の校庭ではサッカーやテニスなどがされている。

 ちなみにお昼は表で炊き出しみたいなこともあるけど、僕は午前中でお仕事終了だった。

 二日連続での読み聞かせは、今日は「星の王子さま」より抜粋と「幸福な王子」を読んでいた。

 

 集っていた子供たちは、十数人くらかな。

 ブースとしては他の所に比べて小さい方なので、これでもむしろ来ている方だろうか。

 

「はい、じゃあ呼んでくれたカネキお兄さんに、ありがとうございましたしましょう。はい?」

「「「「「ありがとうございました!」」」」」

 

 こういう風に一斉に頭を下げてくれるところは、しかし凄く懐かしいと言うか。大学に入ってからはめっきり見かけなくなった動作だ。

 

 その後、簡単なアンケートみたいなものをとって、ブース担当の人達と見送り。男の子がカッコ良いポーズをとるのに合わせて、僕もそれっぽく左手を右肩の方に振り被ったりしてポーズをとったら喜ばれた。

 そんな中で、例の女の子二人……、おそろいの私服を着た双子の子たちが、僕の両手をとって口々に言った。

 

「読むのが凄く上手だった」

「演じ慣れてる感じだった」

「お兄さんは役者志望?」

「お兄さんは俳優志望?」

「い、いや、どっちでもないかなぁ……」

 

 黒と白のコントラストの髪の色に、そっくりな顔が両側からこっちに詰め寄ってくるのは、どうしてか妙に迫力がある。

 思わずたじろいで視線を逸らすと、トーカちゃんのものと思われる舌打ちが耳に入ってきた。

 

「あー、ほら入り口に居ると他のお客さん出れないから、ほら……」

「わかった。ばいばい」

「ばいばい、お兄さん」

 

 手を離して軽く微笑んで手を振る二人に、ちょっと冷や汗を搔きながら僕も手を振る。

 トーカちゃんはまだ悪戦苦闘しているらしく、座ってた席から全然離れられないで居た。

 

 見送りを見計らって、僕はトーカちゃんの方に向かった。

 

「えっと、大丈夫?」

「お、終わらせたんだけど次がよくわかんない」

「保存先を聞いてきてるから、こうして……、はいオッケー」

「わ、悪い。

 じゃ、先出てるから――」

「良いわよ? 少ししかもう拘束しないし」

 

 と、先生が僕とトーカちゃんとに声をかけた。

 ちょっと待ってて、と僕だけを手招きする先生。

 

 一応ボランティアじゃなくて日雇いのアルバイトみたいな扱いになるらしく、二日合わせて僕は一万円貰うことになっている。僕よりも後のOBみたいな女の子が袋を受け取って頭を下げて、僕の前を通り過ぎていった。

 

「はい、ありがとうねカネキくん。久々で悪かったけど」

「いえ、まあ良い経験でしたよ。中学の時以来ですか」

 

 先生は……、ちょっと、ふくよかになった気がした。本人曰く「ダンナのご飯美味しくて幸せなのよ~」と会った途端に肩を叩いてきたりしたけど。

 

「ところで訳文、あれって自前?」

「あ、はい。ダメでしたか?」

「ちょっと口調が荒かったのがギリギリかなー。まあストップかけるほどじゃなかったけど、。

 うん、でも永近君から聞いて、何か大変なことがあったみたいだけど、一応元気みたいで安心したわ……。でも、無理してるなら抱え込んじゃだめよ? ちゃんと話さないと」

「よく言われます」

「あら~」

 

 僕の方を見た後にトーカちゃんを一瞥し、先生はなんだかニコニコと上機嫌そうだった。

 

「じゃあ、はい。昨日と今日と、合わせて。

 一応、中身確認して?」

 

 受け取って感謝の言葉を述べてから、僕は封筒を開ける(口は保護されてなかった)。

 そして、中を見て少し不思議に思った。

 

「……あの、先生これ、漱石が――」

「先生からの、お小遣い♪ あの子に何か、プレゼントしてあげなさい。これアドバイス」

 

 ウィンクされてサムズアップされましても、何を言わんとしているのか。でも、先生はすぐ表情を、どこか寂しげな笑みに変えた。

 

「それに、先生あんまり昔、力になってあげられなかったから。永近君にかなり頼ってたしね、ある意味」

「……」

「ま、だからお祝い? ってことで。幸せは分かち合わなくちゃ。傍に居てくれるヒトと」

「へ? あ、えっと……」

「ほらほら行った行った~。私もこの後の準備あるし」

 

 とんとんと背中を押され、僕はトーカちゃんの方に戻された。

 とりあえず帰ろうという感じで、僕らは校舎を出る。

 

 そして、部屋を出てしばらくしてのトーカちゃんの感想がこちら。

 

「……なんか、思ったより上手かった」

「……みんな言うよね、それ」

「みんな? って……、ああ、さっきの双子? ちっ」

 

 何で舌打ちしたのだろうか。

 

「いや、確かに言われたけどそうじゃなくって……、ヒデとかだよ」

 

 今もあまり話す訳ではないけど、世間体を気にしてた頃の伯母さんが優一君同伴で来た学芸会の時も、後々優一君から似たようなことを言われたことがあった。そんなに上手い、のかなぁ……。トーカちゃんからは「案外アドリブ利く」とかも言われたっけ。

 

「はい、飲み物」

「ありがとう」

 

 片手のバッグからペットボトルを取り出し、トーカちゃんは僕に手渡した。

 珍しくプラスチックが千切れる音もなく、すんなり開けられたのは運が良かったのか。そのまま僕は一口。しばらくしゃべりっぱなしだったこともあって、ちょっと助かった。

 

 トーカちゃんも自分の分のキャップを開ける。

 と、手元の方から「ぎゃり」っという、まるで初めてキャップを開けるような音。

 

「あっ」

「?」

「あ、あ、……いや、何でもないっ」

 

 僕の持ってるペットボトルと、自分の持ってるそれとを見比べてから、トーカちゃんは慌てるようにそう言った。両手でペットボトルを握って、それで口元を被うようにして、目を伏せる。

 どうしたんだろうか。大丈夫か聞けば「なんでもないから」と返されるばかり。

 

「――ッ、げほ、げほっ」

 

 と思っていたら、突然げほげほと咽た。

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

「だ、だ、大丈夫だから……、うん、たぶん」

 

 目を大きく開いて、少し頬を赤らめながら、口は笑いながら両手を振って元気さみたいなのをアピールしてる仕草が、どうにもトーカちゃんらしくなくて疑問が残った。けれど本人がそう言うなら、それ以上は追求しなくても大丈夫かな? 前よりそういう話は、自分から話してくれるようになったし。

 

 まあ、それは一旦おいておいて。

 

「ヒナミちゃん用に、撮影できた?」

「あ、一応……、たぶん。確認する」

 

 そう言ってトーカちゃんはスマホを取り出して……、ってそれ僕のなんだけど考えたら。ものすごく自然に閉まってたけどさ。

 イヤホンを取り出してジャックに刺して、片方をトーカちゃんの耳に、もう片方を自分の耳に。

 

「あはは……、とりあえず大丈夫そうだね」

「……」

 

 トーカちゃんの肩の方から覗き込むと、少し彼女の頬と触れそうになる。

 一瞬触れた彼女の耳たぶが、まだ冬場だというのに不思議と熱かった。

 

 離れてイヤホンとスマホを返してもらって、ありがとうとまず一言。

 

「今日はごめんね、トーカちゃん」

「いや、ヒナミが見たいって言い出したのが切っ掛けだし、別に」

 

 ――昔、担任だった先生から急に誘われて、朗読会をやることになった、という話を勉強中にしたら「ヒナミも見たい!」とテンションを上げたヒナミちゃん。

 僕もトーカちゃんもすぐに止めるとはならなかったけど、でも僕等の顔を見て察したのか、ごめんと言っておずずと手を下げた。

 

「本当は連れて来たかったんだけどねぇ……」

「まだ半年も経ってないし、私はともかくヒナミは危ないからな……」

「で、でもこれで一応見られるし、ね」

「……っていうか、アンタが家で読んでやれば良かったんじゃないの?」

「アヤトくんが凄い顔しそうだけど、良いの?」

「あー……、んん、そうね」

 

 視線を逸らしながら何とも言えない笑みを浮かべるトーカちゃん。誤魔化しきれない時は、大体こんな顔をしているみたいだ(ヒナミちゃんから「お姉ちゃんにお腹に顔描かれた」と拗ねながら言われた時もこんな感じだった)。

 

「っていうか、アンタどうして急に受けたの? 今、だって……」

「いや、まあそろそろ良いかなって。訓練とか再開しても、ある程度はね。

 ただそれは別にして――」

 

 ちょっと照れながらだけど、僕は笑って言った。

 

「――ヒデにも言われたし、先生とか考えてみようかなって」

「先生?」

「うん、先生。上井、そっちの科目も二年生から取れるし。忙しくなるけど」

「ふぅん……、まあ、向いてるんじゃない?」

 

 実際に就くかどうかは別にして、進路の検討の一つとして挙げているレベルなんだけど、でもトーカちゃんはすんなりとそんな風に返した。

 驚いている僕に向かって、半笑いを浮かべるトーカちゃん。

 

「結構勉強教えてもらってるし、悩みとか色々察して聞きだされるし、関係ないって言ってるのにヅカヅカ入りこんで来たのは何処のどいつだっけ?」

「あ、あはは……」

「感謝してはいるけど、最初の方は割とたまったもんじゃなかったから」

 

 鼻で笑うトーカちゃんに、僕はどう返したものか。

 

「……でも、なんかズルい」

「へ?」

「別に」

 

 そう言ってキャップに口を付けて、一口。少し零れた水が顎を伝って喉元、襟を経由してその内側に流れて行くのをなんとなく僕は見ていた。

 

「……何?」

「……あ、いや、何でも。

 そう言えば、トーカちゃんはどうするかとか、あるの? 進路」

「別に。……まだそんな考えてないけどでも、まあ……、お金大丈夫なら、大学、行けたら良いなって」

「へぇ」

「……何、その反応」

「まあ、予想はしてたからね。うん、良いんじゃない?」

 

 僕の言葉に、トーカちゃんは半眼をして、そっぽを向く。

 

「(……絶対ギリギリまで上井だって言ってやんない)」

「トーカちゃん?」

「何でもない。で、どうする訳?」

「あー、お昼はすいとん(ヽヽヽヽ)みたいだし、ブースも一旦お休みになるから……、帰ろうか」

「別に良いけど、良いの?」

「……まあ、元を正せばヒデが来れないから代わりにやらないか、だったしね」

 

 なんとなく思う所はあるけど、それでも僕は今日はもう帰りたかった。

 校門を出てなんとなく一度頭を下げると、何故かトーカちゃんもそれに続く。

 

 さてと、と考えた瞬間にトーカちゃんが突然言った。

 

「じゃあ、本屋とか行く?」

「……へ?」

 

 思わず呆ける僕を見て笑って、トーカちゃんは額にデコピンを入れてきた。

 

「このまま帰るのも何かアレだし、別に行っちゃ悪い決まりがあるわけでもないでしょ」

「あ、そうだけど……」

「それとも、私が行きたいって言っちゃいけない決まりでもある訳?」

「いや、そんなことは――」

「じゃ、ほら。あんまり遅いと電車込むから」

 

 ごくごく自然な動作で、トーカちゃんは僕の手を引き、走る。

 

 なんとなく気恥ずかしさを覚えながらも、僕はそれに引っ張られて、駆けた。

 

 

 




カネキ「?」
トーカ「(か、間接キ……って、私は中学生かッ! いや、でもよく考えたらもっと前にも思いっきり口と口で)―ーッ、げほ、げほっ」


ワイルド オスカー「The Happy Prince」より。翻訳部分は一応自前です。

MOVIE大戦ジェネシス、面白かったけど粗多すぎぃ!(脚本の時期混乱を差分してもびっくり)(まあそれ以上に一番の突っ込み所は最後のアレだと思いますが)。でもテーマとか描きたいものとかはすごく伝わってきたので、これはこれでオススメです



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Uc"J" 02:牢獄の影

 

 

 

 

 

 風切り音が俺の耳を打つ。

 豪、豪と鳴るそれは、俺の両腕から発せられている。プレートを二つに割った、鉈のような大型の武器だ。それらを一通り振り終えて、俺は息をついた。

 

 再度構える。敵のイメージは人間大。

 その背後から、何らかの触手めいた体内器官を排出し、ヒトを喰らう怪物共――。

 

 頭部に当る箇所を、叩き潰す。無論実体を伴わないイメージは、バックステップを踏み俺から距離をとった。すかさず反対の左手の頂点で突く。が、これもひらりと躱すイメージ。相手はこちらと距離をとり、様子を窺っている。

 

 状況からして埒があかない。俺は武器を、「クラ」の分割ライン同士を繋ぎ合わせて、形を更に大型のものに変化させる。

 

『――リ・ビルド! クラ・スマッシャー!』

 

 響く電子音と共に、クラ全体に基盤のような模様が一瞬光り、持ち手同士が接合して自動的に長い柄へと変化した。

 

 それを振り回す俺。縦の動作よりも横の動作が大きくなるが、その分リーチが稼げるようになる。無論、それが隙になるような鈍足は戦闘で使えるはずもない。

 

「貴様等は……、喰種は、この世界で生きるのは間違っている」

 

 イメージの相手も距離が詰められてきたからか、段々と動きが小さくなっていく。

 

「消え去れ! 世界を正すために――」

 

 そしてあるタイミングで、俺はその相手の脳天に向け――。

 

 

――だったら、分からせます。

――人間として、喰種としてッ!

 

「っ」

 

 振り被ったクラは、相手の頭を叩き潰す寸前で止まった。

 ため息を付き、俺は制御装置のボタンを押す。

 

 バシュウ、というような音と主に、クラ全体が赤く光り、掃除機で吸われるように先端に回転しながら戻って行く。同時に内部から芯のように存在したプレートの塊が展開し、数秒とかからず俺の手元にはアタッシュケースが一つになった。

 

「……何故だ」

 

 実戦ではこんなこと、起こりえない。先日も、包帯がとれた直後であっても喰種を数体駆除したというのに。しかしどうしてか、こうして一人で訓練をしていると、脳裏を過ぎるあの顔。

 

 決意に満ちた瞳を持つ、眼帯の喰種。

 腰には――俺の記憶にある「仮面ライダー」がしていたベルト。

 

 わずかに、己の内に生じたこの戸惑いのようなそれを、俺は未だ持て余していた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「よ、お疲れ訓練」

「篠原さん」

 

 CCG(喰種対策局)式の敬礼をする俺に、彼はあはは……と笑みを浮かべた。

 

「こっちに帰って来てから早々まーた倒したって聞いたからなぁ。アッキーラから全身に切り傷みたいなのを負ったって言われてたけど、もう何ともなさそうだな」

「はい。お陰様で」

「俺なんてようやく動けるようになったってのに、気が滅入るぜまったく。はは」

 

 地下の訓練室から登る途中、検査を終えてここ20区の支部に帰ってきた篠原さんとばったりと遭遇した。話しながら、俺達はエレベータに乗る。

 ボタンを押そうとすると「リハビリだから」と篠原さんは手で制して自分でボタンを押した。

 

 向かった先の会議室では、政道が机に向かってぐったりとしていた。法寺さんが涼しい顔をしているが……、何があったというのだろう。

 

「やあ、亜門君。久しぶりという程ではありませんね。8区から帰ってきた直後に一度挨拶しましたから」

「法寺さん。……、政道は一体」

 

 俺の疑問に、篠原さんが答える。

 

「亜門が居ない間にちょいとお仕事が増えちゃったんだよな。で今、什造はそっちをメインに捜査中って訳だ。向こうからかなり腕利きが送られて来てるし、その相手さんに『休んでろ』って言われて、俺もここに居る訳だな。……本当はすげー心配なんだけど」

 

 腰を下ろすと、篠原さんが俺に数枚の資料を手渡してくる。

 それに視線を落しながら、続く説明を聞いた。

 

「先月にあった喰種組織『アオギリの樹』による、23区の収容施設『コクリア』への襲撃。これにより壊滅まではいかないが、かなり痛手を負ったあっちから、脱走して来た喰種たちのリストが上がって来た訳だ」

「これが……」

「放置しておいて良い訳もないし、下手するとアオギリの仲間になっちうかもしれない。しっぽブラザーズやジェイソンの穴を、今埋められるとこっちもダメージが大きいからなぁ。そんな訳で、こっちの20区の方でも捜査に当るって話だ」

「こちらでも目撃証言が?」

「いくつかはな。ピエロマスクの喰種だとか、牢獄模様の喰種だとか」

「牢獄?」

 

 これこれ、と政道の腕の下敷きになっていた一枚を抜き取る篠原さん。「あもんしゃああああん……」と掠れた声で唸る政道に同情しながら、俺は書かれている内容を読んだ。

 

 写真は、少年。明るい色が、下に行くにつれて黒くなるような髪の色。表情はどちらかと言えば温和で、撮影される写真にビクビクしているようにも見える。

 

「新しく本部から来た応援さんが、そいつ『ジェイル』を追っているらしい」

「ジェイル……? あの、失礼ですがその記述は――」

「通し名や分類名にそう書かれてないだろ。ま、実際のところコクリアでもそんな扱いだ。でも彼は、その喰種がジェイルだと言って憚らない。凶悪な喰種だから、何としても見つけ出さないとって言ってさ。

 で、什造にも興味があったから引っ張っていったって訳」

「大丈夫なんでしょうか、その……」

「まあ、大丈夫だろうよ。あの人、人間には優しいからな、真戸みたいに」

 

 何にしても急を要することは違いないだろ、という篠原さん。俺は、その喰種の詳細を確認した。

 

 

 識別名:R-I

 通し名:なし

 身体:163cm/53kg

 性別:男

 Rcタイプ:尾赫

 

 

 

 

 

     ※

 

 

 

 

 

『先生元気だったか? あー、そりゃ良かった。

 で……、え、何? トーカちゃん行ったの!? うわうっそー、知ってたら俺もそっち行ったのにッ』

「いや、同窓会行きなよ、行けるなら。僕なんてそもそも連絡さえなかったんだから」

『あー、悪い……。まあアレだ、俺も必要ないなって思ってお前には教えなかったんだけど』

 

 夜道。トーカちゃんを家に送った後、僕は友人のヒデと電話をしていた。本来なら小学校に手伝いを頼まれていたのはヒデだったのだけど、今日は用事が入って無理だったので僕が向かった。そしてその用事が、高校の同窓会だ。

 生憎、笑ってしまうくらい当たり前のように僕は呼ばれてなかった。

 

 それに対してヒデが知らせもしなかったことは、別にヒデも意地悪をした訳じゃない。

 

『お前が行方不明だったってのも大きいけど、まあ呼ばれてないなら、その程度の付き合いだってことだ。来ても気分悪くなるだろうし、お前が笑われるのもなんか癪だ』

「ありがとう」

 

 昔から、それこそ小学生の頃からの付き合いのヒデだ。色々気を使ってくれているので、僕は大きく助かっている。……僕の側から彼を何か助けてあげられていればと思うけれど、それはどうなんだろう。本人に直接聞くのもどうかという話だろうし。

 その後、ニ、三言交わして電話を切る。今度遊びに行こう、みたいなことも言ったから、近々駅前集合かな、なんてことを考えつつ、僕は足を進める。

 

 トーカちゃんの家は、バイト先の喫茶「あんていく」のすぐ近く。店の入り口を通ると、掃除していた古間さんが「しゅっ」と、指を銃のようにしてくるくる回してきた。僕は軽く笑ってそれに応じる。今日も今日とて丁寧に、古間さんは砂埃や吸殻を掃いていた。

 

「同窓会か……。ヒデくらいしか友達らしい友達が居ないのも問題だったんだろうけど」

 

 高校の時の彼女も死別してしまっているし、そういう意味では新しく友達を作れなかった自分に問題があるということだろう。そう考えると、「あんていく」の皆が居る今は、それなりに寂しくないと言えるのかもしれなかった。

 

「まあ、小さい頃に、トーカちゃんとかアヤトくんと遊んだっぽい記憶が未だに鮮明に思い出せること自体おかしいのかもしれないけど」

 

 ……そういえば、同窓会があったという話をしたらトーカちゃん、無言でずっと手を握ってくれてたけど、あれは慰めてくれていたのだろうか。本屋の中で大層照れくさかったけど、色々な意味でかなり彼女には助けられていたので、なされるがままというのが大きかった。

 

 そんなことを考えながら、夜道を歩く。月山さんから「調べ物」に関する連絡もない。バンジョーさん達も、今日明日は「お休み」だと言ってある。久々に家に帰って、ヒナミちゃんから貰った高槻泉の新作でも読もうか――。

 

 そんな風にしている時、僕の耳に悲鳴が聞こえた。女性の悲鳴だ。女の子のそれではない。

 あんていくからある程度離れているので、そこまで土地勘はないものの、路地裏が少ないので逆にそれが功を奏した。

 

 悲鳴がした方角へ向けて、僕は走る。高架下、ちょっとしたトンネルのようになっているそこの横に広い路地に居た。叫んでいる女性は、喰種だろう。手には人間の思われる手首から下を持っている。齧った後が付いていて、人目で人間じゃないとわかる。おっとりとしたような顔をしていて、しかし身体はしなやかで、鍛えられていた。

 そんな彼女の足を切り裂き、跪かせた喰種はどう形容したら良いか。体格は、全身を追おう赫子のせいで、いまいち判別が付かない。『怪鳥』を思わせる嘴のような、それでいて『悪魔』のような歯が目元を塞ぐ。上部に生えた角はそのまま一周して後ろに達していて、そして頭の後ろは『西洋の兜』を思わせる仮面のようなものに包まれていた。

 

 仮面の喰種は、腕を振り上げて彼女に言う。

 

『――お前が、「ジェイル」か?』

「な、何の話をしてるのかしら……? アタクシ、貴方みたいな方の知り合いはいな――」

 

 ぶん、と背部に出ていた赫子が振られる。裏面に鱗模様が見えるあたり、(リゼさん)と同じ鱗赫ベースだろうか。

 足を押さえて叫ぶ彼女だが、その声など無視して再度、仮面の喰種は聞く。目元にある仮面の口が開き、獰猛な無数の牙と、長い舌が垂れた。

 

『――答えないのなら、喰ラウ』

「じょ、冗談じゃないっ」

 

 慌てて逃げようとする彼女。再生しつつある足の肉を押さえながら走る彼女は、中、高生くらいの若者の集団を押しのけて走った。

 それを、彼女から投げつけられた手を一呑みした仮面の喰種が追い――。

 

「っ、危ない!」

 

 たまらず叫びながら、僕は歩く学生たちに向かって走る。速度は向こうが圧倒的に早く、数人が赫子の被害に遭った。制服姿で腕を押さえる彼等に「救急車を呼んで」とだけ言っておく。CCGも呼びたかったところだけど、生憎あっちは番号が長い。

 

 僕は彼等の視界から外れたのを見計らい、コートからバックル(ヽヽヽヽ)を取り出した。

 横に長い、大きなバックル。中央にはレンズのようなもの、右側にはレバー。左手に持っていたそれを腰に近づけると、背中から痛みと共に、腰に一周赤い帯のように赫子が巻き付いてから、バックルの両端に二つ赫子の先端が刺さる。手を離せば自動的に、巻かれた帯のようなそれの上に乗り、形状がより機械的な、赤いベルトに変化した。

 

 身体に鈍痛が走るが、この程度は「あの二ヶ月弱」に比べればどうということはない。人間以上の「聴覚」を頼りに、僕はさっきの声を探した。

 

 

――何処に行った、ジェイルゥゥゥゥゥッ!

 

 

 音の方角。線路沿いを抜けて閑静な集合住宅を抜けて、その先は倉庫だろうか。入り口が猛烈な腕力によって破壊されてるのを見て、僕は息を呑み、その中に入った。

 途端、あの声が聞こえなくなる。怪物のような仮面の喰種は確かにここを通ったはずだけど……。

 

 周囲を見回しつつ、僕は警戒を続ける。

 

 と、頭上から一撃――初動の際の、箱を蹴り飛ばすような音に反応して、僕は身を躱す。

 地面に突き刺さる、刃のような赫子は……、甲赫? ということは、目の前の喰種もまた、共食いを繰り返しているということか?

 

 刃を構えたまま、その喰種はこちらに襲いかかる。喰種らしくというよりも、それはどこか人間の、時代劇に出てくる武士のような動きだ。赫子を伸ばすこともせず、まるで「使い慣れていない武器を扱う」子供のようでさえある。

 

『ジェイル――ジェイルぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!!』

「――ッ」

 

 叫ぶ喰種の声からは、酷く深い憎しみのようなものが感じられた。そして、交わしていた途中に変則的に入れられた蹴りが、腹にヒットする。

 

 転がる僕に、しかし目の前の相手は追撃を加えない。

 

 僕は――転がり落ちた黒いカツラを拾い、コートの内側にしまい。

 同時に、眼帯のような、片目を被うバイザーのようなものが付けられたマスクを取り出した。

 

 べきべき、と目の前の喰種の赫子の形が変化する。より細く、研ぎ澄まされたようなそれは日本刀を思わせた。

 

 僕はマスクを右手に持ちながら、ドライバーのレバーを落し。同時に追撃にこられても対応できる程度に、左手を胸の前に持って、共に並行になるよう構えた。

 

「――変身!」

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 ドライバーから流れる電子音声。

 僕は腕の構えをとき、右手を軽く胸元の手前に。すると背後から伸びた、女性の手のようなものが付いた触手が――僕の赫子が、それを奪い取る。

 左目の白い眼帯も奪い取り、周囲に赤い光が放たれ、僕の身体に収束する。

 体内から吹き出した赫子と、血液と、服が溶け混じり合い、異なる形に成形していく。黒い服のようであり、全身のラインに沿うように装着されたそれは、所々に骨を思わせる白い模様が入っていて。肩と背中と、喰種の赫子が出る箇所は真っ赤に染まっていた。

 

 響き渡る、クスクスという女性のような声――。

 

 白魚のような赫子の手が二つ、僕の顔にマスクを装着させる。元々は右目を隠し、左目を露出させるマスクだったこれ。口元は黒い布で覆われ、歯茎にあたる部分はジッパーで閉じられた、昆虫の顎を思わせるもの。右目は以前は黒い眼帯だったが、今は赤いバイザーのようなものになっている。

 

 開けた左。視界は――喰種らしく、わずかに赤黒く染まる。

 

 人差し指を親指で押さえ、ぱきりと一度鳴らし。そのまま僕は、目の前の敵に向かって、走り出した。 

 

 

 

 

 




※白カネの変身ポーズは、全体的にオーズリスペクトです


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Uc"J" 03:喰種の喫茶店

※修正忘れてたので結構手が入ります・・・(2015/12/24)


 

 

 

 

 突進をかける僕に対して、目の前の喰種は上部に甲赫を振るった。瞬間的にそれを判断して中腰の姿勢になりながら、タックルをかます僕。しかし、それを受けてもたじろがず、背中を掴まれて投げられた。

 

 縦に積まれた荷物に激突して、バランスを崩す僕。一歩一歩悠然と歩み寄り、立ち上がり掛けた瞬間目掛けて赫子を振り下ろす――。

 たまらず立ち上がる事を放棄して、僕はバク転して後退。

 

『――鱗・赫ゥ!』

 

 途中でベルトのレバーを一度操作し、背後から自分の赫子を新しく出現させる。手の形をしたこれを使い、更に高く、遠くへと僕は自分の体を飛ばした。

 対する仮面の喰種は、赫子の形をまた変化させる。腕に絡み付いてたそれを外して、再び背中から出たのは大掛かりなパイプのような、結晶のような翼。羽赫か、あれは。

 そこから自分の前方に並ぶ荷物やコンテナ目掛けて、連続で射出して蹴散らした。

 

 このままだと明日のここの場所の業務に差し支えそうだ……、何か方法を考えないと。

 羽赫に変化させたまま、喰種はこちらに距離を詰める。一瞬の馬力が上昇しているらしく、受けた僕の両腕にみしみしと痛みが走った。鱗赫による回復速度の上昇でも、一撃が重い以上は耐久にも限度がある。

 

 弾き飛ばされつつ、周囲の荷物に被害を与えないよう赫子を使って交わし続ける僕。

 そんなことおかまいなしの相手に対して、せめて場所を変えようよと言ってやりたかった。……暴走しているようにも見えるので、言っても聞かない可能性は高いのだけれど。

 しかし、タイミングの問題もあるけど形態変化したなら、こちらもそれに応じよう。ベルトのレバーを押し上げて「上部の」ダイヤルを回し、再度落す。

 

『――(コウ)(カァク)!』

 

 ベルトの音声と同時に、僕の両腕に背中から出てきた赫子が巻き付き――。

 

 飛びかかってくる目の前の相手に、銀色の巨大な拳になったそれで、思い切り殴りつけた。

 吹き飛び転がる喰種。仮面の口が開き、垂れる舌と共に血を吐いている。

 

 立ち上がった相手に、再度両腕で交互に殴る。

 

 跳ね飛ばされる相手を追い、荷物を退けながら走る僕。

 しかし、もうそのタイミングでは既に相手は逃走を開始していた。

 

「速度か……」

『――鱗・赫ゥ!』

 

 再び赫子を切り替えて、僕は「手」で壁や天井のパイプなどを経由しながら走る。倉庫を羽赫の圧倒的な爆発力で逃走する相手に、流石にこれでは追い付けなさそうだけど――。

 それでも相手がスタミナ切れになりはじめたために、段々と距離が縮まる。

 

 室内を出ると、やや相手の足取りがふらふらとし始めていた。勝負をかける、とばかりに僕はより強く足を踏み締める。

 

「!――っはが」

 

 しかし、相手もそれで終わりにすつるもりはないらしい。突如出現した、恐竜のような尻尾を振り回して、彼は僕を壁に叩き付けた。

 再生力はともかくとして、しかし一度距離を開けられてから、追いすがるほどに僕の脚力は高くない。乗りものがある訳でもなく、僕はそのまま変身を解除した。

 

『――くすくす、ざまぁないわね研くん』

「……ほっといてくださいよ」

 

 頭の中に響く彼女、リゼさんの声に僕は肩を落した。いつも通りと言うべきか、彼女は酷く楽しそうだ。マスクを外してカツラと眼帯を付ける僕に、彼女は当然という風に言う。

 

『そんなの当たり前じゃない。貴方、結局逃げられたんでしょ? また被害出るわよ、人間か喰種かは知らないけど。貴方が止められなかったせいで』

「……」

『で、どうするのかしら? このまま放って置くわけにもいかないだろうし』

「……とりあえず、現場に戻ってみます。最初に襲われていて、逃げた喰種が食べていた人間がどこかに転がってるかもしれませんし」

 

 そんな風に言いながら、僕はスマホを取り出して位置の検索。

 さっきの高校生? たちが呼んだのか、救急車のサイレン音が耳に聞こえる。

 

 僕はそこから一歩引いた上で、嗅覚を頼りに探す。食欲、そう食欲だ。「喰種」の嗅覚で食欲がそそられる臭いは、生きた人間より死んだ人間のものだ。無論、僕はそれを食べる訳ではないけれど、しかし死体探しという意味では間違いなく手助けになる。

 

 結果、程なくして発見した。……もう何年も人の手が入っていないような、廃墟同然の家屋だ。そこの庭で、何人もの人間が「喰い散らかされていた」。

 人間と喰種との境界に立つ以上、僕はこの光景について、思う所は多い。あの女性の喰種の食べた後の光景がこれであっても、僕は自分でこういった光景を作り出そうとは思えない。それにこうした方法は、いずれ必ず足が付く――。

 

 そう思っていたら、ぴくり、と死体の山の中で、動くシルエットがあった。

 

「今のは……?」

 

 僕はしゃがみ、その相手を確認する。肩まで開かれた上着を着た、しましまズボンの少年。年は僕より下、トーカちゃんと同じくらいか。髪は薄い色で、下の方が黒になっている。

 ただ、僕の嗅覚が訴える。彼は、人間ではないと――。

 

『――意識がなさそうね、その子』

 

 喰種の少年。酷く憔悴していて、顔色が悪い。

 どう対処すべきか考え、僕は一度「あんていく」に連絡をとった。

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ――もう止めてくれ。

 

『あら、本当に良いの? お兄さん、助けられないわよ?』

 

 ――もう、そんなことどうだって良いから。僕を、解放してくれ。

 

『でも自由になったら、助けに行くんでしょ? 無駄だって分かりながら――優先順位を間違えちゃいけないわよ? 貴方。私の愛しい子の一人。貴方だけでは無理だから、私が骨をあげたのだから』

 

 ――だって、こんなことしてたら僕は――。

 

『拒絶しても良いけど、大丈夫。誰も攻めないし――いずれはみんな、行きつく先は永遠しかないから』

 

 

 

 

 視界は、真っ暗。鼻をくすぐる臭いはどこか芳ばしく、懐かしさすらある。

 それに引っ張られるように僕は悪夢から意識を取り戻した。

 

「ここは……?」

「目が覚めた?」

 

 うっすら目を開けると、僕の真上の方に黒髪の青年が居た。年は僕と同じくらいだろうか。温和そうな目をしていて、そして片方は白い眼帯に覆われていた。

 彼は「ちょっと待って」と言って立ち上がり、部屋の入り口の方に向かう。扉を開けて向こうに何言か言うと、こちらに戻ってきて僕に手を差し伸べた。

 

「無理に起き上がる必要はないけど……、大丈夫そうなら、手を掴んで」

 

 それを借りて起き上がる。見れば、僕はパーカーを着せられていた。

 

「大丈夫? 魘されてたみたいだったけど」

 

 うなされていた? いや、確かに魘されていたんだろう。悪夢に。意味のわからない悪夢に。

 夢の内容を思い出そうとすると、しかしどうしてか左目の奥に強い激痛を覚えて、僕は頭を押さえる。

 

「……どうやら意識は回復したようだね、カネキくん」

「店長」

 

 入り口からやってきた男性。カネキと呼ばれた目の前の彼と同じような、ウェイターのような服を着たヒトだ。皺が刻まれた、優しげな表情。その眼窩の奥は、赤く、黒く染まっていた。

 下に戻って大丈夫だと言う言葉に従い、カネキさんというらしい彼は扉を出て行った。

 

「喰種……、あなた達は一体……?」

「まず、珈琲でもどうかな」

「……こー、ひー?」

「豆を挽いて作る飲み物だ。馴染みが薄いかな? 気に入ってくれれば良いが」

 

 ことり、とテーブルの上にカップを置き、彼は僕に薦めて来た。

 

 こんなもの、口にしたこともない、はずだ。それにそもそも、喰種はヒト以外を食べることは――。

 でも、彼は微笑みながら僕の行動を待っているらしい。そのまま出されたものを受け取らないのもどうか、という思考が過ぎって、少し警戒しながらも僕はカップを手にとった。

 

 不思議なことに、鼻の奥に広がる香りは不快感を示すものではない。

 好奇心にかられて、一口。湯気が立っていたため、下品ながらも音を立ててすする。

 

 口の中に広がった味わいは、苦味と、わずかに甘さのようなものが際立つ一杯。肉を食べた時のような多幸感とはまた違う、落ち着いた味わいがそこにあった。

 

「お、いしい」

「ふふ、ありがとう。いくらでもお替りしてくれ」

「あ、あの、ありがとうございます」

「いえいえ。それじゃあ、自己紹介していこうか。

 私は芳村。ここの喫茶店『あんていく』の店長をやっている。下に降りれば店のフロアになっているからね」

 

 喰種が、喫茶店……?

 

「昨晩、君が憔悴し倒れていたところをカネキくんともう一人、店の仲間が運んできたんだ」

 

 さっきの黒髪の彼か。

 

「発見された状況が状況だったから何かあったのだろうとここに連れてきて、介抱した。調子はどうだい?」

「……いえ……」

「なら良かった。じゃあ次は……、君の知りたい事について多少答えていこうか」

 

 僕は、思わず聞いた。喰種が何故喫茶店などしているのかと。

 

「うん。よく聞かれるよ。察するまでもなく、本来我々は人間社会では身を隠して生きるのが賢いのだからね。

 だが……、私はヒトが、ヒトが生きる世界が好きなんだよ」

「ヒトの、世界……」

「ここ『あんていく』は20区の喰種が集う場所でもある。が同時に喫茶店だからね、人間のお客さんも、常連さんまで出来ている」

 

 だから下に降りる時は気をつけてくれ、と芳村さんは笑った。

 

「今度は、こちらから聞いても良いかな。君は、一体どうして倒れていたのか」

「倒れて、いた……」

 

 再び左目の奥に激痛を覚えて、僕は押さえる。

 はじめから、違和感はあった。目が覚めて、カネキさんの手をとって起き上がって。その時点で、違和感はあった。だけどこうして、指摘されて始めてより明確に違和感の正体を突き止めた。

 

「……なんで?」

 

 

 僕は、自分について覚えていることを言う。

 

「名前は、リオ。年は、16? ……」

「……ひょっとして、思い出せないかな?」

 

 芳村さんの言葉に、僕は首を縦に振った。

 会話や動作など、ある程度常識的な部分は覚えているのに、どうしてか自分のことについて何一つ連想が湧かない。考えの向かう先、向かう先でまるで道が途切れているような、違和感だけがそこに残っていた。

 

「……なるほど。何があったのか考えるのは難しいが、どうやら訳有りのようだね。

 リオくん。君はどうしたい」

 

 僕は、僕は――。突如どうしたいか聞かれて、しかし僕は不思議とあまり思考を介さず答えた。

 

「―ー思い出したい、です。何か、思い出さなきゃいけないことがある気がするんです」

「……わかった、協力しよう」

「えっ?」

「これでも、管理者まがいのこともやっているからね『あんていく』は。見ず知らずとは言え、倒れていたところを誰からも助けられなかった喰種というのも、寂しいじゃないか」

 

 無論、出来る範囲だけれどねと続ける芳村さんに、何故か僕は涙が零れた。

 

「じゃあ、その代わりだ。君には『あんていく』を少し手伝ってもらいたい。良いかな?」

「その……、働いたことなんてない、ですけど、僕、なんかでよければ」

「みんな始めはそうさ。でもすぐ上達するさ。さっきのカネキ君もね」

 

 ではよろしく頼むよ、と言う芳村さんに、僕は頭を下げて。

 そして気恥ずかしさからか、思わず言ってしまった。

 

「……珈琲、もう一杯もらえますか?」

「むろん」

 

 

 

  

 




トーカ「また何か面倒ごと背負い込んで……」上目遣い半眼
カネキ「いや、でも結果的には放っとかないで正解だったし」

ニシキ「……(どうでも良いけど、なんか前より顔近くね?)」




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Uc"J" 04:紹介とマスク

 

 

 

 部屋を出てフロアに通されると、そこには数人の従業員たちが居た。男女混合といった感じで、カネキさんを含めて五人。不審がってる、とまではいかないかもしれないけど、その視線の色は多く「こいつ誰だ」という色を含んでいた。

 

「それじゃ、皆に挨拶してくれるかな」

「……あの、リオです。苗字はたぶんないです。……よろしくお願いします」

「……カネキが拾ってきた奴ですよね、また突然」

「まあまあ、芳村さんもそういうところあるから、別におかしくもないんじゃないかな? トーカちゃんだって――」

「その話は止めてください古間さん」

「? それってどういう」

「カネキも食いつかなくて良いから」

 

 がやがやと話始める中、芳村さんが一人一人紹介していく。

 少し吊り上がった目がキツイ印象を受けるけど、整った顔立ちの女の子。カネキさんと言いあってる彼女は、トーカさんと言うらしい。

 

「年も近いだろうから、きっと色々教えてくれるよ」

「よろしくお願いします」

「あ゛? ……ん」

「……」

 

 なんともつれない反応だ。カネキさんがフォローに回るけど、それでもあんまり変わらない。

 続いて、年長の男性から自己紹介に入った。

 

「僕は古間円児って言うんだ。お店のことならお任せあれ。なんでも聞いてくれて良いよ? リオくん」

「彼はここでも一番の古株だ。わからないことがあればなんでも聞くといい」

「手始めに珈琲の淹れ方、掃除のポイント、それに――」

「入見カヤよ、よろしくね」

「オホンッ! 今、僕が話してるんだけど」

「古間くん話長いのよ。ちょっと引いてるじゃないリオくん」

「彼女も経験豊富だから、色々教えてもらってくれ。

 カネキくんは、さっき少し話したね」

「カネキです。金木研。どうぞよろしく、リオくん」

「そして、こちらのメガネの彼はニシキくん。二人とも大学に通っているから、勉強のことなど興味あれば、もしかしたら教えてくれるかもね」

「誰がそんなクソみたいな面倒なこと」

「ほら西尾先輩……。僕は、とりあえず本勧めるけどね」

 

 メガネをかけたすらっとした青年と、さっきの温和そうな眼帯のカネキさん。僕やトーカさんと同じくらいかと思ったら、年上だった……。

 

「っていうか、新人真似するだろクソニシキ。口調はもっと綺麗にしとけ」

「トーカちゃんもねぇ」

 

 古間さんの言葉に、ばつが悪そうにトーカさんは顔をそらした。

 

「それじゃあ、私は少し用事が出来たからね。頼むよ。

 リオくん、店の上の階はある程度自由にして良いからね」

「いきなりコイツ、働かせるんですか?」

「どうやら記憶喪失らしくてね、リオくんは。こうして少しリハビリのように何かすることで、思いだせることもあるかもしれない」

「記憶が……?」

「だから、ゆっくり教えてあげてくれないかな。店に立つのはそれからで構わないよ」

「りょーかい。カネキよりゆっくりすれば良いってことですよね」

「あはは……」

「じゃあ皆、よろしく頼むよ」

 

 芳村さんはそう言って、部屋を出て行った。

 トーカさんは「カネキやる?」と聞いて「僕、まだ半年も立ってないんだけど……、大丈夫?」とカネキさんは返した。ため息をついて、彼女は僕に先導する。

 

「じゃあ、カネキで大丈夫そうなところ以外は大枠私教えるわ。

 まず食器磨きからだから――」

 

 キッチンに入ると、トーカさんは色々なものを取り出した。

 頭をかしげて戸惑っていると、トーカさんは「知らないのか?」と面倒そうに声を上げた。わからなかったのはソーサーだけだったんだけど、口調を荒げながらも一つ一つ、丁寧に説明してくれる。

 

「いいねートーカちゃん。お姉さんみたいだね」

「感慨深いわね」

「アヤトくんが帰ってきてるのも影響が――」

「三人とも黙ってて下さ……、カネキニヤニヤすんな」

「してないって」

「……ったく、一遍に全部覚えられる訳ねーだろ、効率ワリィ教え方だな」

「あ゛? るせぇなクソニシキ、だったらテメェ教えやがれっ!」

「面倒だからパス。せいぜい頑張ってくださいねセ・ン・パ・イ」

「あの頑張って覚えますから喧嘩は――」

「大丈夫だよ、なんだかんだでいつも通りだから」

 

 肩を叩いたカネキさんが悟りを開いたような遠い目だったのが印象的だった。

 どうもこういう雰囲気には慣れない……。ケンカなんてした覚えはまるでないし(たぶん記憶の有無に関わらず)、普通の喰種はこうやってみんなコミュニケーションをとるものなのかな……、いや、カネキさんの表情的にそうでもないのか。

 

 ただ、教えられるままにやってみると、案外僕はすんなりとその動作を覚えられた。ひょっとしたら、どこかで働いた経験か何かあったのかもしれない。

 

「このくらい出来れば問題ないんじゃない?」

「問題は接客かしらね。やったことないとキツいわよ、結構」

「はい……、なんかすこし、怖いです……」

「身を隠しながら生活しているヒトが多いし、リオくんもそうなのかもね」

「カネキは、苦手そうな割に結構早く順応してたけど」

「いや胸を晴れるほど得意って訳じゃ……。西尾さんは流石ですよね」

「まあ、学費とかデート代含めて稼がなきゃ――」「ニシキのことはどーでも良い」「あ゛!!」

「トーカちゃん蒸し返さない、蒸し返さない……。

 どちらにしても、全部最初からってなるのかな」

「すみません……」

「まあまあ、ここはこの『魔猿』にお任せを。仕事に関しても、僕が一人前にしてあげるからね」

「……そう言えばだけど、記憶喪失ってことは荷物もないんじゃない? 生活用品も色々買わないとね」

「買う……、でも、お金が――」

「最初は店長に立て替えてもらえばいいから。仕方ないでしょうし」

「ん? ってことはマスクとかどうしてんだ?」

 

 マスク? と首を傾げる僕。そこではたと気付いた。

 喰種には人間社会に対して、ニ種類の生き方がある。「紛れる」か「避ける」か。攻撃的な方も避けるに該当するんだけど、それは一旦おいて置いて。

 あんていく、で働く喰種たちは、間違いなく紛れるの方だろう。とすると、顔が捜査官に割れるというのは人間社会での生活を一気に瓦解させかねない。だからマスクを付けるのだ。けれど――。

 

 生憎、僕の記憶の中にはさっぱりその存在がなかった。

 

「……顔、バレてる可能性高いんじゃない? カネキが見つけたところ的に」

「ったく、つくづく厄介事が舞いこむよなぁ」

「まあ、君もその厄介事の一つだろうけどね」「あ?」「あんていくは厄介事だらけだ。『俺達含めて』」

「私に視線を振らないで頂戴。否定できないけど。

 ……じゃあ、カネキくんウタさんのお店に案内してあげなさい。明日休みでしょう確か」

「あはは……。わかりました。

 じゃあリオくん、待ち合わせの時間とか――」

 

 ポケットからメモ帳を取り出して、僕とカネキさんとは話した。電車がわからないということで、最終的には朝早くあんていく集合になった。

  

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「こんにちは」

「……ああ、カネキくん。いらっしゃい、似合ってるよ頭」

 

 4区、大都会といった駅前を抜けて、カネキさんはスマホとにらめっこしながら、僕をあるお店まで誘導した。

 「HySy ArtMask Studio」というらしいそこに付くと、「ちょっとびっくりするかも」と微笑みながら扉を開ける。

 

 店の奥に居たのは、腕や首に刺青を刻んだ青年。その両目は常時、ぼくらの特徴として赤く光っていて、静かに佇んでいた。

 攻撃的な印象を受けて一歩引く僕に「大丈夫、良いヒトだよ」とカネキさんは先行する。

 

「こっちがマスク職人のウタさん。

 ウタさん、こっちはリオくんです」

「は、はじめまして……」

「へぇ、新人さん?」

「はい。で、どうも記憶喪失みたいで持ち物が服だけだったっていう……」

「マスクが欲しいってことね。わかった。

 僕はウタ。よろしくね」

 

 そう言って彼は立ち上がり「椅子に座って」と言った。

 少し怯えながら座ると、ウタさんは黒い眼帯のついた、口元、首も含めて被うマスクを取り出して、僕に付けるように言った。

 

「サイズは、カネキくんから計算すると……」

「カネキさんから?」

「それ、カネキくん用のマスクの予備だったやつ。今はデザイン変わったから使わないけど」

「一応、前のも持ってるんだけどね」

 

 笑うカネキさん。少しこちらから距離をとって、彼は周囲のマスクを色々と見ていた。

 ウタさんは、マスクを付けた状態のままの僕にメジャーや定規、メモなどを使いながら色々と話を聞いてきた。

 

「髪の色、良いね。地毛?」

「た、たぶん……」

「昔のこと、覚えてないって言ってたけど。どう? 本とかだと、不安だって聞くけど」

「そ、そこまでは……。でも、何か思い出さないといけないことが、ある気はしてるんです」

「ふぅん。……それが、どんなに辛いようなことでも?」

 

 ウタさんの質問は、僕に関して色々とぐいぐい来るような内容も多かった。

 

「なんとなくだけど、リオくんはお兄さんとかお姉さんとか居たかもね。こう、甘えるラインと甘えないラインが上手く使い分けられてそう」

「えっと……?」

「極端じゃないって、結構凄いことだと思うよ。融通が利くってことだから。トーカさんとか、カネキくんだとそうはいかないし」

「……あの、二人はどういう、」

「リオくんから見て、どうだった?」

「…………カネキさんが、お兄さんみたいな感じでした」

「お兄さんみたい、ね」

 

 カネキさんの方を見ながら、ウタさんは呟いた。

 

「でも、カネキくん一人っ子なんだよね確か。きょうだい居るのはトーカさんの方だけで」

「は、はぁ……。意外です」

「女の子って、成熟するのが早いから、むしろ逆にトーカさんの方がお姉さんな時もあるんじゃないかって、僕は思う」

 

 一通り話し終わると、ウタさんは僕の顔から道具をとって、そしてカネキさんを呼び戻した。

 

「カネキくん、カツラの調子見るから一回外して。予備もあるから今日はそっち付けてね」

「あ、はい。わかりました」

 

 と、そんなことを言いながら、カネキさんは自分の黒髪の根元に手を入れて引っ張り――。

 出て来たのは、真っ白に染まった頭だった。

 

 

 

 

 

 マスクは出来上がり次第後日、ということで、僕は感謝の言葉を述べて店から出た。駅まで先導するカネキさんに、僕は質問する。

 

「カネキさん。あの……、さっきのウタさんの質問とかって、一体」

「あはは……。まあ色々かな。僕も、好みの女の子のタイプとか聞かれたりしたし。甘えたがりだって分析されたような、されなかったような」

「へ?」

 

 きょとんとする僕に、カネキさんは「どうしたの?」と聞いてきた。

 

「トーカさんって、甘えさせてくれるんですか?」

「……? ごめん、言ってることの意味が――」

「カネキさんって、トーカさんと付き合ってないんですか?」

 

 なるほど、とポンと手を打つと、カネキさんは「違うよ」と笑いながら否定した。

 

「最近は仲良くなってるけど、あれは……、何だろうね。僕は何というか、トーカちゃんに返しきれない恩みたいなのがあるから」

「恩?」

「ちょっと最近、色々あってね……。髪も色がそのせいで抜けちゃったりして。でもそんな時、僕がなんとか今の自分を維持で来たのは、間接的にもトーカちゃんのお陰だから。

 それに、あんていくに入ってから色々手を尽くしてくれたこともあるし。だから頼られる分には頼ってもらおうかなー、みたいな」

「頼る、ですか」

「うん。今トーカちゃん、久々に弟さんと一緒に暮らしてるんだけど……、その時にも色々あったから、たぶん人恋しくなってるんだと思う」

「でも、普通はあんな感じにはならないんじゃないですか?」

「あんな感じ?」

「昨日一日見てたら、なんかトーカさん、気が付けばずっとカネキさんの背中見てますし。口を開いても二言三言目にはカネキさんの名前が出てましたし」

「……あ、あれ?」

 

 おかしいなと頭を傾げつつも、カネキさんは僕に笑って提案してきた。

 

「ところでリオくん。このままあんていくまで帰る?」

「? 寄り道ですか」

「まあそうだね……って訳じゃないけど。図書館とか寄らない? ってことで」

「図書館……」

 

 頷きながら、カネキさんは言う。

 

「記憶喪失だって言うけど、僕がリオくんを拾った日のこととか。あるいはもっと別な土地の情報とか。

 調べモノという意味ではインターネットより扱いやすいと思うし、記憶を探すんならとっかかりに良いんじゃないかと思うんだけど、どう?」

「……そう、ですね。で、どうしてそんな楽しそうなんですか?」

「へ? あ、そうかなぁ……。いや、そもそも本が結構好きでさ。それが出ちゃってるかも」

 

 当然協力するけど、それとは別にね。そう言いながら照れるカネキさんに、僕は何とも言えない生暖かい笑みを浮かべた。

 

 

 

 




アヤト「昨日色々準備してたけど、どうして眼帯と一緒に行かなかったんだ?」
トーカ「……寝過ごした」
アヤト「嗚呼、サプライズ参入それじゃ無理だな。待ち合わせ相手が違うなら、待ってくれねーだろうし。インガオホー」


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Uc"J" 05:牢獄探し

なんだかんだで50話まで来ました・・・平成ライダーだと最終回でもおかしくない話数ですが、まだまだ続きますので今後ともよろしく(暗殺教室も再開しないと・・・)


 

 

  

 

 

 リオくんを図書館に連れて来たのは、多少おどけた部分もあるけど、でも彼に言ったことがほとんど事実だった。

 ネットカフェよりは二人で話し合っても違和感がないし、情報捜索や、それ以上にリオくんの知識補強という意味でも効率が良い。僕が時間を潰す場合というのは、ほとんどオマケみたいなものだ。

 だから、僕が彼をリードして探していこうと思っていたのだ。

 

 だからこそ、ここに来た直後のリオくんの行動が、僕は目を見張るほどに予想外だった。

 

「1月の……、これは何日だ? いや、そうじゃないな。見出しは――」

 

 僕の手渡したメモ帳(文具店で買ってきた安めの物)に、猛然とリオくんは、一週間分の新聞の見出しを引っ張ってきて、列挙しだした。隣に居る僕がびっくりするくらいの猛烈な速度と、そして熱気で。記憶を失っていると言ってはいたが、思い出すための行動をここまで熱心にやっているのは、果たして何があるのだろう。

 思い出せない、という不安や焦燥だけではない何かを、僕は感じていた。

 

 椅子に座って動いているリオくんに「しばらくここに居て」と言って、僕は一度席を離れた。

 

「あそこまで……、焦ってる? ようにも見えるな。

 だったら、とりあえず……」

 

 文芸や専門書のコーナーなどから数冊選んで、僕はリオくんの方へ持って行く。大体五分前後くらい時間を空けていたせいか、リオくんはぐだっと椅子に背を預け、震える腕を押さえていた。

 

「大丈夫?」

「か、カネキさん……、腕が」

「僕も受験の時、ちょっとそうなったかな。休憩がてら、何か読む?」

 

 僕が持ってきた、積まれた本の山を見て彼はきょとんと首を傾げた。

 

「上から文芸『黒山羊の卵』、料理本『美味しいサンドウィッチと珈琲』、『植物の基礎』『今からはじめるひらがな入門』に――」

「なんですか、ひらがな入門って」

「あはは……、仲間に文字が読めない人が居て、そのヒト用に使えるかなぁとね」

 

 主にバンジョーさん用にと、参考になるかどうか僕は開いて見た。リオくんは手前にあった「拝啓カフカ」を手に取る。そのまま無言で、目頭を押さえながらリオくんはページを捲った。

 ひらがな入門、と書かれてはいたけど、これってつまり字を綺麗に描くための本だ。やっぱりドリルとかからはじめた方が良いのかな、などと思いつつ、僕も僕で文字のなりたちの項目を読んでいると――。

 

 がたん、とリオくんが突然、左目を押さえてテーブルの上に上半身を倒した。

 

「り、リオくん!? 一体――」

「い、痛い――あっ、ッ、ッ――」

 

 声にならない声を出しながら、汗を垂らすリオくん。僕は彼の目が赫眼に変化するのを見て、思わず彼の手前に立ち周囲の視線から隠した。

 まずい。迂闊だった――この有様を誰かに見られたら、かなり危険だ。これなのか、と以前ヒナミちゃんを図書館に連れていった時の、三晃さんの言葉を思い出した。周囲の視線が集る中、現状連れ出すことも出来ない――。

 

 でも幸運なことにか、リオくんは段々落ち着き、目を閉じて深呼吸。

 

 脂汗は引かないようだが、それでも両目は普段の色を取り戻した。

 

「大丈夫? リオくん」

「……まあ、何とか」

 

 ちらりと、リオくんが開いていたページを確認する。「拝啓カフカ」の、父親が子供と話しているシーンだ。両者ともに口調が荒く、向いている方向がどこかズレているような。そんなやりとりを見て、彼は突然頭を押さえたようだ。

 

「――兄さん」

 

 リオくんは、たどたどしくも言葉を続けた。

 

「兄さんが、居た、んです。たぶん」

「……ひょっとして、少し思い出したの?」

「たぶん」

 

 左目を押さえながら、震えながら、慎重に、どこか怯えるように。自分の脳裏に映るフレーズや単語を、一つ一つ丁寧に口にしていった。

 

「兄さんが、掴まってて……、僕は兄さんと、二人暮らしで、いっつも守ってもらって――ジェイル、ジェイルを捕まえないと、兄さんが殺される。嗚呼、あいつが、あいつが追ってく――ッ」

「リオくん、大丈夫だから」

 

 一度席を立ち、司書さんに「友達が気分悪くなったんで、後でまた入るからお願いします」と本を預け、僕は外に連れ出した。しゃがみこみ憔悴する彼に、缶コーヒーを買って手渡す。

 開け方が分からないらしいリオくんに実演してあげると、指を多少痛めながらも彼はすんなり缶を開けた。

 

 一口。

 

「……なんか、臭いが変?」

「缶の臭いが移ってるんだね。こればっかりは直に淹れないと……。

 でも、ちょっと落ち着いた?」

 

 僕も聞きながら一口。最近多少慣れては来たけど、やっぱりあんていくの珈琲の味は安定して美味しい。この間が珈琲初体験だったろうことを考えれば、ますますその落差の大きさに驚いたことだろう。

 

 無言で缶に口を付けるリオくんに、僕は話し続けた。

 

「記憶っていうのは、まあ人間の話なんだけど、知識と思い出とに分かれるらしいんだよね。

 リオ君が喪失してるのは知識じゃなくて思い出の方、みたいだと思うんだけど……、思い出したのは、やっぱりそっちみたいだね」

「……はい。

 兄さんが、誰かに――バケモノみたいな誰かに捕らえられてるんです。兄さんの記憶なんて全然ないのに、でも大切な相手だっていうような感じがするんです。そして、『ジェイル』って言う喰種を探し出さないといけない。そうしないと――」

 

 俯くリオくんに、僕は思わず頭を撫でる。戸惑う彼に、僕は笑いかけた。

 

「顔上げて。……僕も手伝うよ、リオくん」

 

 へ? と、戸惑うリオくんに僕は笑いかける。

 脳裏では、店長の顔を思い出しながら。かつて孤独に震えた僕に、笑いかけてくれたあの人を。

 

「あんていくはいくつか決まり事、みたいなのもあるんだけど、まあその中に『助け合っていこう』っていうのがあってね。……あ、勘違いして欲しくないんだけどさ。別に決まり事だから手を貸すって訳じゃないんだ。

 単純に、そういうのが好きだから、みんな決まり事を守ってるんだと思う」

「好きだから……?」

「うん。僕だけじゃない。トーカちゃんも、店長も、西尾先輩も古間さんも入見さんも、話せばみんな力になってくれると思うよ。西尾先輩とかトーカちゃんとか、初見だと誤解されやすいけど結構優しいし。

 それに――」

 

 リオくんの言うバケモノみたいな相手というのに、ちょっと僕は心当たりがあった。彼を助けた時に遭遇した、怪物のような仮面を付けた喰種。ジェイル、という喰種を探していたあの喰種が、もしかするとリオくんの記憶にあるそのバケモノと同一の存在なんじゃないだろうか。

 

「―ーみすみす危険な相手を放置しておくのも、問題があるしね。

 とりあえず、こっちの『知り合い』から情報捜索を当ってみるよ」

 

 僕の言葉を聞き、リオくんの両手が震える。鼻先がわずかに赤くなり、目元が潤んできた。

 ごしごしとそれを拭いながら「ありがとうございます」と、涙と共に答えた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「はい、腹から声だせよカネキじゃあるまいし。

 ――いらしゃいませ」

「……い、いらっしゃいませ」

「もっと朗らかに! いらっしゃいませ」

「い、いらさいませ!」

「……噛むな」

 

 口を押さえながら顔を背けるトーカさん。謝る僕に肩を震わせているのは、怒ってるのか笑っているのか。カネキさんなら色々ツッコんで聞いてそうだけど、生憎僕はそこまで命知らずじゃなかった。

 

 あんていくの研修? は続く。今日もトーカさんが僕の指導をしていた。

 ……そしてこの挨拶が、思ったより大変だった。営業スマイルって言うのかな。丁寧口調とか、なんだか色々と慣れない。

 

 そうこうしていると、店の扉が開かれる。現れたのは、ヘッドホンに金髪の青年。人懐っこそうな表情の彼は、喰種か、人間か。……カネキさんがあの臭いで喰種らしいということから、ちょっと判断に自信がなくなっていた僕だった。

 

「ちはーっス! トーカちゃん久しぶり、カネキ元気やってる? って今日は大学の方か……」

「いらっしゃいませ」

「ブレンド一つお願いね。

 およ、こっちは新人くん?」

 

 びくり、と肩が震える。喉が強張って声が出ない。トーカさんの方を見れば、少し肩を竦めながら首を左右に振った。――この人、たぶん人間だ。なおのこと緊張する。

 

 席に案内するトーカさん。彼女の動きを見て学びつつ、僕もそれに続いた。

 

「こんちゃ! 俺、永近ヒデヨシ。ヒデで良いぜ! よく来るし。

 で、お名前は?」

「り、リオです……」

「へぇ。なんつーか……、カネキより大人しい感じッスね。……あー、そんな顔しないでって、ごめんごめん。まあまあ頑張ってくれよ。

 それは別にして、注文よろしくね」

「あ、はい今すぐ――」

 

 永近さんは一杯飲みながら、テーブルの上に新聞のスクラップブックのようなものや、コンビニとかで売ってる感じのカラー刷りの本を開いていた。「喰種組織の総攻撃? CCGの威信は」とか「コクリアの強化体勢」など、色々と危なげな文字が躍る。そして時々、誰か女性に電話をかけていた(受話器の音が少し聞こえていた)。

 

「やっぱ美味しいよなー、これ。トーカちゃんが淹れてるってのもあるだろうけど」

「ふふーん? 永近くん、今日はこの僕のスペシャルだよ」

「げっ、古間さんのか」

「げ、とは何だい。げ、とは。美味しかったんじゃないかい?」

「否定はできないッスけど……」

 

 ごくごく自然に、喰種と人間との会話する空間。トーカさんが何とも言えない笑み(苦笑い?)でその光景を見ている。

 数分後、立ち去る彼に僕とトーカさんは「ありがとうございました」と言った。

 

「……声、小さい」

「……何度もごめんなさい」

「はァ……。記憶ないんなら仕方ないんでしょーけど、もうちょっと気張れ。

 私も頑張ったし」

「トーカさんも?」

「ま、これくらいなら最初から私も出来たけど」

「で、ですよねー……。愛想のない店員と思われてますよね、僕――」

 

 落ち込む僕に、優しげな声がかけられた。芳村店長だ。

 

「最初はみんな、そんなものだよ。トーカちゃんだって、始めの頃はね」

「あ、ちょ……、っ、はい」

 

 話が違う。

 何とも言えない笑みを浮かべながら、彼女は店長と僕から視線を逸らした。

 

「珈琲の方はどうかな」

「えっと……あー、コイツ、前のカネキ以上に不器用ですよ」

「おや……?」

「お湯入れる前から、腕、ぷるぷるしてますもん」

「どうしたら良いのか、その、よくわかんなくて……」

「ふむ、腕はそれなりに太いと思ったが……。まあ何事も経験だね。

 そうだ、ウタくんから連絡が入ったよ。リオくんのマスクが出来たらしい」

「随分早いですね」

「降臨したって言ってたからね。調子が良かったんだろう」

「……あの、まさか」

 

 頬を引き攣らせるトーカさんに、店長は微笑みながら頷いた。

 

「今日はカネキくんも居ないし、付き添い頼めるかな」

「……ってかカネキ、なんで今日休みなんですか?」

「ゼミの先生と、単位の取得方法を変えるから相談だと言っていたかね。少しやりたいことが見つかった、と言っていたから。良い兆候ではあるかな? 何にしても『両方を』選んで歩いてくれているのは、私としても嬉しい」

「……」

 

 トーカさんは両手を合わせて、自分の口と鼻のあたりを被う。気のせいじゃなければ、その頬がちょっと赤くなっているような気がした。

 

「それと、帰りに珈琲豆を買ってきてもらって良いかな? ちょうど切らしてしまっていてね。ついでに街も案内してあげると良い」

「……カネキそういうことしなかったの?」

「えっと、図書館には連れていってもらいました。後、こっちの方の本屋に……」

「ま、案の定よね……(やっぱもっと早く起きれてれば)」

 

 ため息をつきながら、トーカさんは「行くから着替えな」と僕に声をかけた。

  

 

 

 

 

 夕方、電車をホームで待っている間に僕は聞いてみた。

 

「トーカさんって、カネキさんのこと好きなんですか?」

「――ッ!? げほっ、げほっ」

 

 目をかっ! と見開いて、口を説明できないようなすんごい感じに曲げて、直後彼女は咽た。手で口を覆っているトーカさん。

 半眼になりながら、彼女は僕を睨む。

 

「……え、えっと」

「……何? っていうか、何で私がカネキのこと好きって話になってる訳?」

「あれ、違うんですか?」

 

 カネキさんも否定していたけど、トーカさんの方からも会話の上では否定された。僕は、カネキさんに話していたことをある程度はそのまま、カネキさんに話してなかったことも含めて言った。

 

「なんか気が付くと、お店に居たらカネキさんのこと目で追ってますし。口を開けば二言目、三言目にはカネキさんの名前が結構出てきますし、一昨日僕を更衣室に案内した時に、カネキさんのロッカーを見て手をわたわたして何か葛藤してるみたいでしたし、休憩時間で出された一杯を飲んだ後のカネキさんのコップを洗う時になんか躊躇したりしてましたし、それからさっきも僕が――」

「お前、ちょっと、黙れ」

 

 未だ体感したことのないスピードで、トーカさんの右手が僕の頭を勢いよく鷲掴みにした。……アイアンクロー、という知識があるのがなんでか不思議だったけど、そのままぎりぎりとトーカさんは僕の頭を指で締め始めた。

 

 「痛くはない」けど、流石に目立つのは拙いだろう。ギブアップを手でしばらく示すと、トーカさんはようやく手を離してくれた。

 ……そして何か、トーカさんはすんごい顔をしていた。説明する語彙がない。とにかく照れてるのは分かるんだけど、見てるこっちがどうしたら良いのかわからなくなるくらい照れていた。

 

「……何でそんなに知ってるのよ。てか見てんのよ」

「トーカさんだけじゃなくって、みんなの事はよく見てますよ。その……、カネキさんに『日常のささいなことで記憶が戻るかもしれないから』って言われましたし」

「あっそ」

 

 一度ため息を付いて、深呼吸。

 多少落ち着きを取り戻したのか、トーカさんは僕から視線を逸らして言った。

 

「別に。ちょっと、気が付くとアイツのこと考えてるだけだし」

 

 もうそれほとんど好きなんじゃないかな。全くその手の事がわからない僕でもそう思った。

 

 微笑ましいな、なんて思ってしまうけど、直に言ったらまた痛くされそうな予感があった。でも言わなくても伝わったのか、彼女は僕のスネをちょっと蹴飛ばした。さほどダメージはなかったけれど。

 

 

 




カネキ「とりあえず三年生までの目処は立ったし、帰ろうかな……、って、ん? 誰だろうこのメールアドレス。……”ホリチエ”? 何々、月山さんが――」


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Uc"J" 06:違和感のある力

カネキ「で月山さん、チエさんに僕はどうして呼ばれたんですか?」
月山「気にするほどの事ではないさ、我が友。そして、何を調べれば良いんだい?」
カネキ「リゼさんのことは引き続きなんですが、ジェイル、という喰種について――」


 

 

 

 

 

 口元を被う布。模様があしらわれたバンダナ部分。どこかカネキさんのマスクを思わせるものの、しかし目元はあえて隠さないというようなデザインだ。どこか暗殺者めいたそれは、しかしいつでも装着することが出来るようなものだろう。

 

「君は不器用なようでいて、どこかでバランスをとろうとしている部分があると思う。不器用なりにね。

 僕は不器用なヒト、結構好きだよ。だから一番、シンプルなものにした」

 

 闇夜に生きる暗殺者、といったところか。人間社会の影で生きる喰種を、一目で表しているようなデザインのマスクだった。

 気に入ってくれたか、とウタさんに聞かれて、僕は頷く。気に入る、気に入らない以前の問題として、僕にその判断基準は抜け落ちているからだ。作ってもらった以上は肯定するのが妥当だと思う。

 でも、マスクをもし付ける場合があるということは、必然それは――。

 

「マスク付けてくれるのが楽しみだね」

「……」

「争いごとは苦手?」

「はい。でも……そうも言ってられない、みたいなんで。

 ジェイルって喰種を探してるんです」

「ジェイルか。……心当たりはないかな。ごめん。

 でも、そういうのに詳しい相手は知ってるよ」

 

 へ? と驚く僕に、ウタさんはメモを取り出して文字を描いて「カタカナの方が良いかな?」と言って斜線を引いて、描きなおした。

 

「ヘルタースケルターってバー。そこにイトリっていう女のヒトがいると思うから、彼女と話すと良いよ」

「あ、あの……、僕みたいなのがいきなり行っても大丈夫なんですか?」

「さぁ。でも蓮示くんに連れて行ってもらったら、色々違うんじゃない」

「れんじ、さん?」

「四方蓮示。カネキくんか、トーカさんに聞いてみれば良いんじゃないかな。彼女からしたら伯父さんだし」 

 

 その言葉にわずかに驚きを覚えつつも、僕は彼から「カネキくんのカツラ」といって手渡された紙袋を持ち、店を後にした。 

 カネキさんが「僕のお下がりだけど」と言って、図書館に行った翌日にくれたニット帽を頭に被り、僕は街を歩く。

 

「……あれ」

 

 そして、気が付けば目の前には見知らぬ道が広がっていた。

 

『帰りは一人でテキトーに帰って。覚えてられんでしょ。私、珈琲買って買えるから。

 ……何不安そうな顔してんのよ。さっき説明したから大丈夫でしょ』

 

 トーカさんにそう言われて「努力します」と返しはしたけど、今更ながら嗚呼失敗したなと思った。

 おかしい、駅前までの道筋はぎりぎりまで覚えていたのに、20区に入った時点でどうして迷ったのか……。お金だってきちんと使ったと言うのに(切符は先にトーカさんが買ってたけど)。

 

「ヒトに聞くなんて、ちょっと怖くて出来ないし……」

 

 うろうろと、その後しばらく道をぐるぐると回るけど、日が沈んでも僕は目的地までのルートを見つけられず。

 でも、なんか怖いなこう暗くなってくると、路地のあたりとか。そんなに遠くには来てないはずだから、こうしていればいつか駅前まで帰れると思うのだけれども――。

 

「……君、少し良いかな」

「うあああああああああああッ!?」

 

 突然背後から声をかけられ、僕は思わず説教して腰を抜かしてしまった。

 長身の男性、白いコートに身を包んだ彼が、ちょっと茫然としながら僕を見下ろしていた。

 

「だ、大丈夫か? 急に叫んだが」

「あ、あの、ごめんなさい。ちょっと夜道暗くて怖いなって思って。お化けとかでそうだなーって思いながら歩いてたら、だったもので」

「す、すまない。立てるか?」

 

 差し伸べられたがっしりした手を掴み、僕は立ち上がった。その際にちらりと、彼の服の胸元に、白い鳩のバッジが付いていたのが目に入った。

 

「俺は、喰種捜査官なんだが……。ニュースで見て知ってるかもしれないが、つい先日、凶悪な喰種が大量に逃げ出す事件があってね。路地を歩く時は気を付けた方が良い」

 

 喰種捜査官、というフレーズに身体が震えそうになったけど、「不気味なほど」僕は自然な振るまいをしていた。

 

「気を付けます。……お化けどころじゃありませんね、それ」

「だな。……あ、ところで少し良いか。君、学生かな?」

「学校は……ちょっと、事情があって。年は16です」

「嗚呼、そうか……。済まない、立ち入ったことを聞いてしまって」

「あ、いえ」

「それで、これからどこに行くつもりだったのかい?」

「ちょっと駅前まで……行きたかったんですけど、考え事して歩いてたら道に迷っちゃって」

「やはりそうだったか。通りでフラフラしてると思ったよ。駅前は確か――」

 

 その捜査官は、少しどこか遠い目をしながら笑って、僕に駅の方向を教えてくれた。

 お礼を言って立ち去ると、丁度向こうも電話が掛ってきたらしい。「引きとめて悪かった」と「気を付けて帰ってくれ」という言葉を言われた。

 

 どこか、胸の奥に何とも言えないものを感じる。

 あの捜査官のそれはきっと、僕を人間だと思っていたからこその言葉なんだろうけど……。でも、ああして話しかけられても、気を使ってくれるその感情だけは、僕にはすっと受け入れることが出来たわけで。

 上手に説明できないもやもやみたいなものを胸に抱えながら歩いていると、丁度駅前にさしかかる書店の窓から、本を物色しているカネキさんの姿が見えた。

 

 思わず書店の中に入って声をかけると、カネキさんは「やあ」と笑った。

 

「リオくん、どうしてここに?」

「あの、ウタさんのお店で……」

「わかった。えっと、とするとトーカちゃんは……?」

 

 珈琲豆を買いに行ったので分かれた、と言ったら「詰めが甘いなぁトーカちゃん……」と微妙な表情になった。

 

「でも、都庁の方からこっちまで帰ってはこれたんだね。リオくん凄いよ」

「へ? ……あ、あの、なでなくて良いです」

「あ、嫌だった? ごめんごめん」

「あとこれ、ウタさんから」

「あ、ありがとね。さて、じゃあ……、ちょっと待って」

 

 そう言いながら、カネキさんは「教え授ける」というタイトルの本をレジに持って行って会計し、僕の方に歩いて来た。

 帰り道で、僕らは軽く雑談。

 

「カネキさん、どうして駅前に? てっきりそのまま『あんていく』に行ってるかと思ったんですけど」

「別にそこまで毎日行ってるわけじゃないんだけどね。えっと、学校で先生と授業の取り方について相談してた後、知り合い……? 知り合いの変なヒトの、友達って人から助けてくれ、みたいなメールが来てね。知り合いのミュージシャン志望の人とも、なんか久々に会ったし、これはこれで悪くなかったかなぁって」

「は、はぁ……?」

 

 頭を傾げる僕に「ちょっと説明が難しいんだよね」とカネキさん。

 

「月山さんって言うんだけど、一度会ったらたぶん忘れ難いと思うよ。……僕は今、ちょっと頼みごとをしてるところなんだけど」

「頼みごと?」

 

 うん、と言ったっきり、カネキさんはその話は続けなかった。

 

 お店に付くと、店長が出向かえてくれた。

 トーカさんに「遅すぎ。方向音痴?」と言われたのに対して、僕はさっき捜査官に呼びとめられた時のことを話した。

 

「アンタ……、どんだけ貧乏クジ引くのよ」

「じゃないよトーカちゃん。土地勘どころか、リオくん記憶喪失なんだから。ちゃんと注意していてあげないと」

 

 カネキさんが注意していると、店の扉が開かれて向こうからもそれに賛同する声。

 

「研の言う通りだ。ちゃんと見ておいてやれ」

「……?」

 

 長身で厚みのあるシルエットを持つ男の人。どこかぼんやりとした目がこちらを見ている。その視線とか、所々がどこかトーカさんに少しだけ似ていて。

 

「四方さん……」

 

 トーカさんの言葉で、嗚呼そうなのかと僕は納得した。ウタさんの言っていた蓮示くんとは、この人のことか。

 そしてなんとなく、この声にも聞き覚えがあるような、ないような……?

 

「そうだね、始めはしっかり面倒見てあげないといけない。只でさえ社会には不慣れなのだから」

「……すみません」

 

 芳村さんの言葉にバツの悪そうなトーカさん。僕が道を覚え切れてなかったからだと言えば「アンタ謝ったら余計私が悪いみたいじゃん」と返された。ならどう言うのが正解なんだろうか……。

 

「でも店長、リオくん戦闘したことないと思うんですけど、いざって時のためには――」

「そうだね。緊急時の対処も必要だね」

「只でさえヘナチョコだし」

 

 ヘナチョコとはどういう意味なんだろう。単純に記憶の語彙にない。

 そしてそんな会話の流れで、珈琲豆の缶を手に取った古間さんがどこからともなく現れた。

 

「ふふふ。ここで『魔猿』の出番という訳ですね」

「ま、まえん……?」

「不思議そうだねぇリオくん。何を隠そうこの僕こそ、かつてブ――」

「四方くん、頼もう。『魔猿』には、豆のローストを頼もうかな」

「……承知っ!」

 

 まるで出来た従者のように頭を下げる古間さん。

 

 準備が終わったら下に来いという四方さん。そのまま店の奥に向かったため、後には僕とカネキさんと、カネキさんに色々言われて「うへー」っとなってるトーカさんとが残された。

 

 

 

   ※

 

 

 

 少しばつが悪そうなトーカさんに案内された先、店の奥にある床にある蓋が外されていた先。大空洞と表現したらいいのか、ともかく巨大な地下道がそこには存在した。

 周囲をきょろきょろと見回していると、四方さんの声。

 

「ここはその昔、喰種たちが人間から身を隠す為に作った場所だ。慣れてない奴が先に行けば、二度と帰ってこれないぞ」

「……は、はい。気を付けます。

 あの……」

「…………」

「……あ、あの……」

「…………なんだ」

 

 どうしてこんなに間が開くんだろう。

 

「えっと、ウタさんから四方さんのこと、少し聞いて。で、イトリさんって人のお店に、連れて行ってもらいたいんですけど……、できますか? 今日じゃなくて全然構わないので」

「……」

 

 四方さんの反応はない。声は届いているんだろうか、それなりに距離は開いているし。

 

「……なぜだ?」

「へ?」

 

 ただ、返答された質問は酷く大味だった。少し面倒そうに顔を顰めながら、少しずつ四方さんはゆっくり問い質す。

 

「何故、店に行きたがる。イトリの」

「……僕の探している情報が、そこにあるかもしれないからです」

「…………そうか」

「はい」

 

 そう答えると、四方さんは上着を脱ぎ出した。まだ二月に入ってちょっとというくらいなので、寒いにも関わらず。かく言う僕も、今は肩までカットされた上着だけれど。

 一体何が始まるのかと、様子をただ眺めていた僕に四方さんは言った。

 

「一発、入れてみろ」

「……えっ?」

「芳村さんが言っていたろ。いざという時の対処を覚えないといけない。

 それに……、今のままだと、イトリの店のことは教えてやらん」

 

 一発入れる、とは殴ってみろということだろうか。

 ケンカなんてまともにした記憶はないし、その手の技術もまるで知識にない。食糧調達だって、今はあんていくに頼っている分だけだ。

 

「……」

 

 でも、と僕は深呼吸して、考え方を切り替える。これから「兄さん」を助けるためには、きっと必要になるかもしれないことだし――ジェイルどころか、あのバケモノみたいなヤツと戦うためにも、力は必要だ。

 僕は、弱いままではいられない。

 

 お願いしますと頭を下げて、僕は四方さんに走り出した。

 

  

「遅い。――赫子を使っても構わない」

「――ッ!」

 

 そう言う四方さんは、赫子さえ出さず、全く息切れせず僕を往なして、投げる。

 投げ飛ばされた瞬間、彼に言われるまでもなく、記憶にある中では出した事もないはずの赫子が、僕の背中から出る。灰色の尻尾のようなそれは、継ぎ目のような箇所に赤い鱗のようなものが見え隠れしていた。

 

 恐竜の尾のようなそれを使い、僕はバランスをとる。

 

 深呼吸。

 と同時に、僕は不自然な寒さを感じる。後ろを振り返ると、自分の赫子の継ぎ目のような箇所から、冷気が漏れてる。

 

「何だ、これ――ッ」

「余所見をするな」

 

 四方さんの肘打ちが腹に。吐瀉し、僕は中空を舞う。でも今度は尻尾が出ている分か、そのリーチで四方さんに攻撃。これをギリギリで交わした四方さんだったけど、服や足の一部が凍りついた。

 

 距離をとった僕等。そして――唐突に僕は、ある方法を思いつく。

 

「はぁぁぁ……」

 

 相手が飛びかかってこないのを見計らって、僕は背部に意識を集中させる。赫子から冷気が漏れだし、僕の背面を被い尽くす。

 そのまま尻尾のような赫子を表に振り回し、僕は四方さんの方に冷気を射出した。

 

「……なるほど」

 

 四方さんは背中から、小さな翼のような赫子を出現させ、僕の放った冷気に対して「閃光のような」赫子を射出して爆発させた。足止めくらい出来ればと考えはしたけど、しかし一撃のことごとくが雷のようにほとばしる光で撃滅させられる。

 

 それでも負けじと冷気を放ちながら、僕は走り、射程で身体を回転させて赫子で四方さんを殴ろうと――。

 

 

 

 

 

 数分後。僕も肩で息をしている。四方さんは立ったまま、僕は力が抜けて転がった状態で。呼吸一つ乱れていないのが、そのまま僕と彼との実力差を物語っているように思う。

 とてもじゃないが、これじゃ一発入れるなんてとてもとても・

 

「……さっきのは」

 

 と、息が続かない僕に四方さんが声をかけてきた。

 

「記憶にない戦い方、だったのか?」

「さっき、の? ……ああ、はい」

 

 そうか、と言って四方さんは僕の方を一瞥して、背を向けて。「行くぞ」と言った。戸惑う僕の方を振り向き、続ける。

 

「イトリの店だ。行きたいんだったろ」

「あ、あの……良いんですか?」

「…………」

 

 言葉が続かない。

 くだらない質問をするな、ということなんだろうか。表情も怖いので、ひたすらに怯えるばかり……。でも好意的に解釈すれば、さっきのアレは僕にやる気を出させる為に言った言葉なんだろうか。

 

 僕が起き上がるのを最低限待ってから、四方さんはそのままスタスタと慣れた風にトンネルの向こうの暗闇を進んで行く。置いていかれる前に急いで立ち上がり、僕も後を追った。

 入り組んだ迷路のような道筋を、慣れた様に四方さんはすいすいと歩いて進んで行く。僕はとにかく、その後を追いかけるのに必死だった。時折彼の背中を見失って立ち止まると、向こうから「こっちだ」と声がするので、一応気にかけてくれてはいるようだ。

 無口で無愛想だけど、そういうところに彼の優しさを感じる。恩に着せたりしないその真っ直ぐさが、どうしてか胸に込み上げてくるものがある。

 

 そして、僕は思い出した。

 

『――研、そっちを持て。車に入れるぞ』

『――済みません四方さん。わざわざ手伝ってもらって』

 

「あー―っ」

 

 そうだ。記憶自体は曖昧であっても、僕を見つけて運んでくれたヒト。片方はカネキさんだったらしいけど、もう片方は四方さんだったのだ。

 

 お礼を言わなきゃならない。そうは思ったものの、結局この時点では彼を見失わないよう付いて行くので精一杯だった。

 

 

 

 

 

 




カネキ「どう? ウタさんの再調整したカツラ」
トーカ「……前みたいな髪型なんだけど、ちょっともっさりしてたのね、アンタの頭」
カネキ「え……」(汗)

尻尾+冷気


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Uc"J" 07:見えない糸口

 

 

 

 

 

「いらっしゃーい。……って、あれ? 蓮ちゃん」

「イトリ、客だ」

 

 薄明かりの灯る店内。香水のような臭いが鼻につく僕に、店主と思われるドレス姿の女性がけらけらと笑い駆けてきた。……普通に綺麗なヒトだったので、僕はどぎまぎ。

 

「見りゃわかるけど、何、若すぎじゃない? 未成年でしょ」

「あ、はい。……未成年です」

「カワイイ子だねぇ。君、カノジョとか居る?」

「ええ!?」

「イトリよせ」

「んんもう、何よつまんない」

 

 色々と目のやりばに困るというか、半眼で悪戯っぽく笑いながら迫ってくる彼女に、僕は困惑した。顎から鼻を擽って笑い、彼女は持っていたグラスの中身を一気に飲み干す。

 そのまま前かがみになって僕に顔を近づけるイトリさん。何とも言えない独特な、くらっとくるような酔っ払うような臭い。

 

「で、何知りたいわけ? 君。お酒飲みに来たわけじゃないっしょ? まカワイコちゃんとランチキするのも悪くないかもだけど、こ~んな怪しいお姉さんを頼ってくる理由の方が面白そうじゃない」

「……あの、その」

 

 ん? と微笑みながら頭を傾げる彼女に、僕はストレートに聞いた。

 

「ジェイル、という喰種のことを知ってますか?」

「ジェイル。……ジェイルって、あー……、アレね。牢獄模様。

 目元に檻みたいな痣があるヤツよね?」

 

 片目を閉じて赫を見せて、彼女はその目の上下を指で撫ぜた。

 何かご存知なんですか、と聞けば、彼女は僕の顔をみてうーんと唸った。

 

「知っているような、知っていないような……、っていうか、うんうん? 確か前に来てたあの子が――あーはいはい、イトリさんのデータベースには少年の役立ちそうなのありそうよん?」

「本当ですか!?」

「お、おう、結構大胆だねぇ」

 

 衝動的に彼女の肩をつかんで叫ぶ僕に、イトリさんは少し驚いたように言った。

 

「ただねぇ少年。情報っていうんは世の中、凄く高価なものなんだよ。だからそれなりに対価はもらうよ?」

「対価……、ですか」

「そ。例えば――身体で払ってもらう、とかあいたッ!」

 

 四方さんがイトリさんの頭にチョップを入れた。

 

「イトリ、茶化すな」

「茶化してないわよムッツリスケベ。ま要するに、自分の足使って情報わーっと集めてきてってことよ。

 ま、今は必要ないっちゃないんだけどね。捜査官の資料とか欲しいっちゃ欲しいけど、記憶もないカワイコちゃんに押し付けるのも気が引けるし。だから残念。無料であげられる情報もなくはないけど、欲しい?」

「あ、はい!」

「ふふん、それじゃあまずトーカちゃんのスリ――あうちっ!」

「茶化すな」

「んもう、カネキチの方が良か……やめて蓮ちゃん、真面目にやるから拳握らないで」

 

 無言の圧力をかける四方さんに、イトリさんはうろたえた。……っていうか、今なんかものすごい情報を口走ろうとしていなかったか、イトリさん。

 その後、彼女と少し雑談をした(イトリさん曰く「たまーに掘り出し物の情報があるかもしれないから、会話はしても損じゃない」らしい)。何度かからかわれるものの、多少は慣れたのか少し流せるようになってきた頃合で。

 

「記憶喪失かぁ……。じゃあ、クインケドライバーって知ってる?」

 

 そんな風に、突然話を切り出した。

 

「知らない、です……? いや、何か、名前だけは聞いたことのあるような、ないような」

「ふぅん……。元々喰種を拘束する道具として作られたんだけど、ある程度強い食種が付けるとパワーアップしちゃう道具ってな訳よ。で、それが”アオギリの樹”によるコクリア襲撃事件の後、ちょっとこっちにいくらか流出してね。別にアタシは欲しいわけじゃないんだけど、今の会話でちょっとわかったことが一つ」

「?」

「少年。君、今お腹を押さえたね?」

 

 指差すイトリさん。その先は、確かに僕は両手で腹のあたりを庇うような体勢をとっていた。

 

「今話して得た情報から勘案して、君はたぶん、その『アオギリの樹』によるコクリア襲撃に乗じて逃げ出した、喰種の一人だ。向こうでは、たまーに今でも拘束にドライバーが使われてるらしいからね。おまけに身体が条件反射で反応してるところを見るに、常習的に行われていたか」

「……」

「まあそうすると、君がいつ記憶を失ったのかとか、色々考える余地はあるけどね、何せニ、三週間も開きがあるわけだし。その間どこで何をやっていたんだ、とかね」

 

 結局この日は、それ以上の情報は得られなかった。情報と言っても、彼女のそれは推理のようなものであったのだけど、でも、僕は不思議と違和感がなかった。彼女の言ってる言葉は、すんなりと頭に入ってきて――たぶんそれが、正解なんだろうと思った。

 

 

 なにせ僕の腹部には、明らかに何かを巻き続けていたような、擦れた跡がくっきり残っていたのだから。

 

 

 

   ※

 

 

 

 夜道こそ見回りが不可欠だ。喰種による捕食事件の発生件数は、夕暮れ、夜中にかけてが一番多い。人間も喰種も、事を起すなら人目のない時間帯を狙うのは一緒ということだろう。

 真戸さんの居ない今、その仕事は主に俺が引き継いでいる。それでも彼ほど完璧な見回りが出来ているとはとても思えず、そこは日々、直接アドバイスを貰っている次第だ。昨日もニット帽の少年を、先々月にあった事件の現場から遠ざけた。

 

 だが、今日は少々事情が違う。先月中ごろから末にかけて、一緒にとある事件を追った刑事から、その後の進展を話してもらう予定だった。あれからいくらか動きが出たらしく、向こうからの連絡を受けて俺は20区の駅前の居酒屋で飲む予定だった。

 

「あ、おーい亜門さん」

 

 ……そして待ち合わせ先でしばらく待機していると、例の刑事、守峰さんと一緒に見覚えのある捜査官が居た。

 

「ああ、わざわざこちらまで来て頂いて申し訳な……、ん? 13区の五里二等……? なんでここに」

「駅前でちょろっと会ってね」

 

 相変わらず物腰が飄々とした刑事の後ろに居たのは、女性捜査官としては理想的なほどの力強い体格に恵まれた、五里美郷の姿があった。11区の総攻撃の際に顔合わせした程度の間だが、何故ここに……?

 守峰さん曰く、何か渡すものがあると言ったが――。

 

「あ、亜門鋼太朗ォオッ!!」

「お、おお……?」

 

 ラッピングされたドーナッツを掴みながら、ぶつぶつと彼女は小声を繰り返し、絶叫して俺に押し付けた。

 

「――ォ、黒磐特等ォオオッ! 手作りだこのドーナツはッ!」

「と、特等が!? しかし何故……」

 

 俺は特別なのだ、と言う彼女。守峰さんが何か頬を引き釣らせて「食い違ってね?」と言ったが、それはさておき。ラップを開けた先の臭いに、思わず俺はのけぞる。何だこの、名状し難い……、いや、それ以前に刺激臭が、強烈に鼻の奥に――。

 しかし、特等はこれを好んで食べていたという。とするならば、好き嫌いがある自分への指導も兼ねているのかもしれない。

 

 すべて頂こうと手に取り、俺は勢いに任せて一気に食べた――。

 

「ご、ちそうさまでした」

「う、うわぁ……。あ、おい姉ちゃん!?

 行っちまったよ嗚呼……」

 

 走りぬける五里に、守峰さんは「あちゃー」とため息をつく。

 

「もう何日か待てば気付いたかもしれねぇが……、いや無理そうだな」

 

 後日、特等にお礼状を描かねばと俺はメモに記入。そして二人で店に入ろうとしたタイミングで、悲鳴が聞こえた。男、いやまだ青年と呼べるくらいの年齢の悲鳴だ。俺と守峰さんは顔を合わせて、そして走った。

 

「亜門サン!」

『――クラ・スマッシャー!』

 

 隠れてなどいない。表通りも大通り、えぐれた車道の先に、一人の青年と悪魔のような、怪物のような仮面の喰種。青年の帽子はCCGで見た覚えのあるものだ。捜査官補佐候補、といったところだろうか。

 俺は展開したクラを構えて突進。被いかぶさる喰種に背後から一撃――しかし弾かれる。甲赫同士の激突音だが、眼前の喰種は背中からめきめきと、羽赫の弾丸のようなものを展開しはじめている。

 咄嗟におれは、クラの制御装置を操作。

 

『――リコンストラクション!

 クラ・フルスマッシュ!』

『!――っおお』

 

 横薙ぎに振り回したクラのプレート部で、肩から上が切り裂かれ跳ね飛ばされた喰種。

 

「やったか……、は、はァ!?」

 

 だが、この一撃で俺は敵を駆逐できなかった。

 守峰さんが驚きの声を上げる。切り離された切断面、上下両方から赫子のような細い触手が出て、お互いに繋がり、身体に接続し。首をぐるりと回して、その怪物のような喰種はこちらに舌打ちをした。

 

『チッ。だが、目的は達した』

「何?」

 

 俺の言葉に反応せず、喰種は周囲に蒸気を撒き散らした。視界が奪われかけるが、気合を込めて目を閉じ、開き、音の去る上空を見上げる。

 上空には、赫子を羽根のように展開してこの場から立ち去る喰種の姿があった。

 

「……大変なことになったな亜門サン。内海の話してるところじゃないか?」

「……いえ、出来ればこの後お願いします」

「そうかい? まあ俺も明日明後日は休みだから構わないけど……。おう大丈夫か、兄ちゃん」

「い、痛……」

 

 打ち身をしているらしい青年を抱き起こす守峰さん。左胸にCCGのマークと共に、「旧多」という名札がされていた。

 自分の身分を明かすと、彼は狼狽しながら答えた。

 

「あ、あの、局でアルバイトしてて、鈴屋さんとキジマさんから呼ばれて、資料持って行って、あの――」

「ひょっとして、あの喰種に奪われたのか?」

「あ、は、はい……」

 

 話を続ける俺の横で、救急車へ連絡をとる守峰さん。

 俺は喰種が起した被害の跡を確認して――道路の下、破裂しているような水道管が、不自然に凍っているのを見た。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 かつん、かつんと足音が聞こえる――。

 あの音が聞こえると、僕は蹲り身を隠すしかない。わずかに思い出した記憶の底にある僕は、そうして震えることさえ出来ず、傷つけられる一方だった。その相手が、何をどういったのかまでは思い出せないけれど、それでも兄の命がジェイルにかかっているということを言っていたのは理解していた。

 

『ヘタレ! ヘタレ!』

 

 でも、あんていくに引き取られた今でも、あの音が聞こえると僕は――。

 あんていくで飼っている鳥の鳴き声で、僕は目を覚ました。そのまま夜風に当ろうと窓を開けて、あの足音が耳に聞こえた僕は身体を滑らせ、地面に落ちた。コンクリートの地面には赫子のお陰か無傷でいられたけど、流石に身体がちょっとしびれている。

 

 立ち上がり、ふらふらした足取りで「あんていく」に戻ろうと上を見上げて赫子を伸ばすと、背後から「おい」と声をかけられた。振り返ると、特徴的な顎鬚をもった強面の男の人が居た。身長も体格もすごく良い。

 

「お前、何やってるんだ」

「へ……?」

 

 言われて今の自分の状況に気付く。嗚呼、これ完全に泥棒とかの動きだなーと思ったところで、彼は拳を握った。

 

「顔色が変わったな。なんだ? 話せないのか……?

 ――あんていくに何の用だ?」

「え、あ、いや単に戻――」

「怪しい野郎だ、話せないなら力づくでも聞いてやる!」

 

 来る、目の前の男性は、両目を赤と黒に染め上げて殴りかかってきた。赫眼――じゃあこのヒトも喰種?

 怪しまれて当然の行動をとっていたにはとっていたけど、話を聞かず目を血走らせて? 殴りかかってきた。

 

 

 

「(……弱いっ!!? って言うよりバテバテだ)」

 

 そして、赫子をほんの少し振るっただけなのに、目の前の彼はかなり簡単に倒れてしまった。目の前に筋骨隆々の男性が転がるという絵面は、それはそれで色々アレなものがあった。

 

「あ、あの……」

「こ、このヤロ――」

「……何やってんの、アンタら」

 

 ばっと、僕も彼も声がした方を振り返る。ちょっと厚着をしたトーカさんが、ポケットに両手を入れて佇んでいた。

 

「トーカさん?」「アヤトの姉ちゃん?」

 

 そして、その一言でお互い顔を見合わせる。アヤト? という誰かのことはわからないけど、ひょっとして知り合い……? 対する相手も、僕と似たような表情をしていた。

 トーカさんは「ケンカなら余所でやれ、近所迷惑ってか見つかるだろ」と言って踵を返した。

 

「……ひょっとしてだけどお前、あんていくの新人、とかだったりするのか?」

「……は、はい。今は2階に住んでます」

「す、すまねぇ」

 

 ばっと両手をついて、頭地して謝る彼に、僕は大丈夫だと言いながら頭を上げさせるのに四苦八苦した。

 

 

 

   

  

 万丈数壱、というのが彼の名前らしかった。

 翌日カネキさんに聞くと「良いヒトだけど、ちょっと真っ直ぐすぎるヒトかな」と笑いながら教えてくれた。僕のシフトは入ってなかったんだけど、まだお客もあまり居ない時間だったので、少し話させてもらった。

 

「今は四方さんに裏の仕事を教わったり、訓練してもらったりしてるよ」

「裏の仕事?」

「――死体調達よ」

 

 からんからん、と扉が開かれ、向こうから私服のトーカさんが来た。……あれ? と少し頭を傾げる。こころなし昨日来ていた服より、色合いとかデザインとかがオシャレな感じになっているような、居ないような。

 そして彼女の傍には、僕より年下そうな女の子が一緒に来ていた。

 

「お兄ちゃんおはよ!」

「おはよう、ヒナミちゃん」

 

 ぱあ、と表情をほころばせて彼女はカネキさんの両手をとった。

 そして彼女は、僕の方を見て少し不思議そうな顔をする。

 

「ヒナ。そいつはリオ。あんていくの新人」

「あ! はじめまして。笛口雛実です。……あの、よろしくお願いします」

「リオです、よろしく」

 

 苗字が違うということは、知り合いの娘さんとか、なのかな? でもトーカさんが連れて来てるあたり、彼女もまた喰種なんだろう。

 店の奥に彼女を見送った後、トーカさんはカネキさんに昨日の僕のことを聞いているようだ。……そしてバンジョーさんが毒づかれてた。

 

「まあまあ、トーカちゃん。

 あ、そうそう。リオくん少し良いかな」

「え?」

「名前、決めないと」

 

 何の名前の話か聞けば、どうやら僕のことらしい。人間に聞かれてストレートに「リオ」と名乗ると問題があるかもしれないから、そういう場合のための偽名を考えようということだった。

 

「昨日ちょっと考えたんだけど、織部倫太郎とかどうか――」

「却下」

「いきなりだね、トーカちゃん……」

「ダサい」

「ちょっと韻を踏んでるところがあって悪くないと思ったんだけど」

「ダサい」

「あ、あの、僕はそれでも全然――」

 

 しばらくしてヒナミちゃんとトーカさんが店から出ると、カネキさんが表の掃除に向かう。

 僕は、店内で古間さんと二人きりになった。カネキさんからもらった一杯を飲みながら、ちらりと彼の手元を見ると、何だか不思議なことをやっていた。三角形に切りそろえたパンの間に、卵やレタスを詰めてラッピングし、冷蔵庫の中に入れていく。

 

「気になるかい? リオくん」

「あ、はい……」

「これは、サンドウィッチさ。なんでもイギリスの伯爵だかが、トランプしながら片手で手軽に食べられるものをと所望したのが起源だとか言われているね」

「人間のお客さん用ですよね」

「そうそう。うーん……、もし予定がないなら、この後一緒に作らないかい? いずれ一人で出来るようになってもらわないとっていうのもあるからね。この”魔猿スペシャル”を伝授してあげよう」

 

 首肯した後、常連らしい女性の(人間の)お客さんが来るまでの間、僕は古間さんからサンドウィッチの作り方を教わった。驚いたのは、作ったものの一つを飄々と食べて、味の感想を言って調整しはじめたところなどだ。僕が試しにと齧って吐きそうになったのに対して、彼はごく普通に――人間のように振舞う。

 

 お客さんに出すんだから、味見くらい出来ないと。レシピ通りかどうかくらい分からないとね、と言う彼に、僕は言葉が出なかった。何ということもないように振舞っているけど、人間の食べ物をわざわざ味わって食べるのも、相当努力が必要なはずだ。

 喰種も人間も関係ない。このヒトは、本気で喫茶店の仕事と向き合っているんだ。

 

「今日はもう無理みたいだけど、また後で一緒に練習しよう」

 

 得意げに微笑む彼に、僕は頷いて。

 掃除を終えて店内に入ってきたカネキさんが、それを少し眩しそうに見ていた。 

 

 

 

 

 

 




古間「やあ、年内最後に僕の大活躍、見てもらえたかな? 新年早々だった君も年末年始で顔合わせをした君も、おめでとう、良い年末と新年を」



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Uc"J" 08:面影を探して

ホリチエ「義理だよ、月山くん」
月山「はっはっはホリ、友として気持ちは嬉しいのだが、せっかくくれるのならもっと僕が食べられる――Waiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiitッ!!!!?」


 

 

 

 

 

「カネキさんって……、どんな人なんですかね」

「ん、何言ってるんだ?」

 

 僕の呟きに、ニシキさんが訝しげな表情になった。

 あんていくの仕事の傍ら、というよりも掃除の傍ら。ふと頭に過ぎった疑問を僕は口にした。

 

 カネキさん。金木研さん。臭いは人間で、どこか女性の喰種のような臭いもする。無論、当人は男性なんだけど……。年は僕やトーカさんより上、ニシキさんよりは下。眼帯と黒髪のカツラをいつも被っている。頭の毛は白。そして、言うまでもなくお人よしに見える。

 逆に言うと、僕が彼について知ってることはこれくらいだ。

 

 だから、気になる。何故気になるのかというのはよく分からないけれど、なんとなく僕に兄が居たら、きっと彼のような人物だったんじゃないか、と思っているからかもしれない。混線する記憶の奥底、未だ思い出せない領域からわずかに漏れ出た記憶にあった要素。そこに兄があったからこそ、それをもっと手繰り寄せたいのかもしれない。

 

「……記憶、少しだけ思い出して。それで、兄がたぶん居たんです。

 で……、もっと思い出せないかなーと」

「で何でカネキ?」

「なんとなく、お兄さんって感じがするんで」

「はぁん。……あー、でも特に言うほどのこともねーだろ? ちょっとお前に似て、ウジウジヤローで」

「う、うじう……」

「なにヘコんでんだよ。正直に言っただけだぞ?」

 

 悪気がないっていうのも凄い気がする。

 

「強いのか弱いのか、わかんねーヤツだとは思うな。ま最近は強い方で統一されてるみたいだけど。

 前は殺しにかかったら逆襲されて殺されかかったし」

「え? ……、冗談ですよね?」

「いやマジで」

 

 何ということもないように言うニシキさん。それで一緒の店で働いているんだよな、この人……。

 

「ああ。カネキの紹介でな。ここで働いてればメシにも困らないし、小遣い稼ぎくらいにはなっからなー。

 でもまぁ……、トーカが何か無理してるとか心配してたか? ったく。俺も借りがあんのにゃ違いねーけどよ」

 

 口は悪く言うけれど、ニシキさんもまたカネキさんのことを気にかけているように思う。

 店内に入ると、古間さんからバックヤードでサンドウィッチの練習に誘われた。入見さんと入れ替わりで、僕は裏に回る。

 

「すごいですよね、本当……」

「ははは。清掃から珈琲に通常メニューまで、僕の域に達するのは五年くらい頑張らないと」

「五年……。古間さんて、どれくらい働いてるんですか?」

「お店の創業と一緒だから、大体十年くらい前かな。お店のことは全部把握してるつもりだから、困ったらじゃんじゃん頼ってね」

 

 せっかくなので、彼にもカネキさんのことを聞いてみた。

 

「カネキくん、かぁ……。トーカちゃんが心配してたね、そういえば。

 うん、そうだねぇ。カネキくんも、掃除上手な優しい子だよ。リオくんも教わったろ?」

「あ、はい」

「教えるのが上手で、師匠冥利に尽きるよ」

 

 得意げに笑う古間さん。師匠……カネキさん、弟子なのかな?あと、まーたトーカさんの名前が挙がった。セットで考えるべきなんだろうか。やっぱり付き合ってるんじゃないかな。

 下世話な話を考えるまでもなく、つい勘繰ってしまうところだった。

 

 古間さんは「ただね」と前置きして続けた。

 

「最近の彼は、何かやることが出来た男の目だ。だからその先で……、自分自身の優しさに、押しつぶされないことを祈ってるよ」

 

 どこか遠い目をして言うそれは、まるで誰かを懐かしんでいるような、そんな印象も受けた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「お疲れ。何やってんの」

「ありがとう。……あはは、ちょっとね」

 

 それからまた数日後。カネキさんがプリントしてきた写真を見ながら、僕らは僕の記憶について話していた。休憩時間の合間を縫ってのことなのでさほど長くは時間をとれない。というより、カネキさんに関しては今日はシフトがないはずだった。

 カネキさんの持ってきた資料の中で、少なからず、僕が「23区」の写真数枚に見覚えがあったのが、大きな発見だった。

 

「イトリさんに前に言われたんです。僕、ひょっとしたらコクリアに収監されてた喰種かもしれないって。だから、その検証みたいな? 感じです」

「検証って……。ってか、それだとアンタ、完全に顔割れてるじゃない」

「だからウタさんに、リオくんの分のカツラもお願いしようかどうかって話をしてるんだけどね」

 

 肩をすくめながら、カップを二つ置くトーカさん。

 取っ手がこっちに向いてるほうを僕が取ろうとしたら、トーカさんは腕をがしっと掴んだ。……いえ、あの、痛い。さほど痛くは感じないんですけど、でもこれって普通にやばいんじゃ――いやいや、手首真っ赤なってますからトーカさん!?

 

「アンタは、こっち」

 

 無感情にそう言いながら、僕の取ろうとしてなかった方を僕の前に置くトーカさん。カネキさんの方には、取っ手が向いてるほうをすすめた。カネキさんはカネキさんでまた何か考え事をしているせいか、こちらの状態には気付いていないようだった。

 ふとトーカさんに目を向けると、くいっくいっと顎で壁の方を示される。カレンダーの方を見て、僕はなんとなく察した。

 

 近くに置かれたそれを、すっと手に取るカネキさん。一口含んで、飲み込んで、頭を傾げた。

 

「……? なんか少し、いつもの珈琲っぽくない気が――」

「ひ、人が淹れたんだから黙って飲めっ」

「あ、はい」

 

 顔をちょっと赤くして慌てるトーカさん。って、それだとたぶん伝わらないですよ。

 ちょっと心配する僕を余所に、部屋を出て行く途中で小さくガッツポーズをするトーカさん。果たしてあの人は、それで良いのだろうか。

 

 なんとなく、僕は店長から聞いたカネキさんのことを思い出しながら、そんなことを考えた。

 

『――カネキくんは、心優しい青年だ。だが同時に、ある種の引力のようなものを持っている。否応なくその人生において、悲運のようなものを引き寄せる』

 

 古間さんやニシキさんに聞いていたのを聞かれたのか、察し良く芳村さんはあの日、僕に話してくれた。

 

『彼は、元々人間だったんだ。

 とある事情があって喰種の力をその身に受け、望まず半喰種となってしまった。……私も驚かされたよ。でも、彼はその事実を少しずつ受け止めていっている』

『そしておそらく――彼はあと一歩のところで踏みとどまった』

 

 何に踏みとどまったのか。僕の疑問は、さほど時間なく答えが出た。

 

『――強さ、だ。強大な運命に立ち向かうために必要な力。もし少しでも歯車が違えば、彼はきっとそれを追い求めるため、ここを出て行ったかもしれない』

『そう、していないのは?』

『……少しだけ話してくれたかな。曰く「両方を選べるだけの、強さが欲しい」と』

 

 強い者は、孤独だ。周囲に誰かを寄せ付けられないのだから。

 

『いずれそういう力を、君も必要とする時が来るかもしれない。

 ……そうなった時、寄り添ってあげられる誰かが居て欲しいと、私は思う』

 

 最近はあまり心配してないけれどね、と芳村さんは最後だけ冗談めかして笑った。

 

 ……うん、僕もなんとなく、カネキさんのそれについては大丈夫な気がしていた。もはや周知の事実なんだろうと思う。っていうか、新入りの僕でさえ察せるのがもう色々とすごい分かりやすい状況なんだけど、果たしてカネキさん本人は気付いて……いなかったっけ、そういえば。

 

 僕の休憩時間が終わり、僕は休憩室を後にしてお店に出て――。

 

 そこで、出会ってしまった。

 

「あ、いらっしゃい――ませ」

 

 ニシキさんの声の調子がおかしい。お店に来てお手伝いしていたヒナミちゃんも古間さんも入見さんも、みんな視線が集中する。お店のお客さん、おじさんやおばさんたちも、空気が固まる。

 

 現れたのは、白いスーツに青と赤のシャツを着た男の人だった。まだ若い。僕らよりは上だけど、古間さんとかよりは年下に見える。テレビとかに出てきてもおかしくないような凛々しい顔立ちなのだけど、そんな彼が目を閉じ、微笑みながら鼻で息を吸う臭いが聞こえる。

 そのまま両手を持ち上げつつ、唐突に右手を顔の上に軽く添えた。何のポージングなんだろう。

 

「この店内にそこはかとなく漂う最新のカネキくんの臭いに芳醇な珈琲のか・お・り……。

 至高と究極、複雑に美食が入り交じったこれは、そう正に―ー」

 

 

「――エルドラアアアアアアアアアアアアアドッ!!!!」

 

 

「「「「「……」」」」」

 

 誰しもが言葉を失い、お客さんたちは視線を逸らし、ヒナミちゃんでさえぽかんとしている。

 ニシキさんは明らかに嫌そうな顔をして、トーカさんは僕、というよりその向こう側の方のカネキさんを庇うように一歩、こっちに足を踏み出した。

 

By the way(ところで)、カネキくんは居るかい?」

「その流れで出す訳ねーだろ、クソ山」

 

 トーカさんが舌打ちしながら睨み上げる。「ノン!」と軽く言ってから彼は微笑んだ。

 

「今日は僕の私用ではないよ。れっきとしたカネキくんからの依頼さ」

「依頼?」

「ってテメェ何を――」

「――あ、月山さん来てくれましたか」

 

 僕の後ろから、カネキさんがひょっこり顔を出した。苦笑いを浮かべながら「ちょっとゴメン」と言って僕の横を抜けて、トーカさんに並ぶ。

 

「やぁカネキくん! 今日もまた一段と空――」

「じゃあちょっと2階の部屋借ります。リオくんもちょっと来て?」

「へ?」

 

 これからシフトが、と続けようとしたら、ニシキさんが面倒そうにだけど「ああ」と頷いた。

 

「別に構わねぇけど、カネキお前……」

「大丈夫ですよ、西尾さん。トーカちゃんもそんな睨まないで。

 何かあったら――摘む(ヽヽ)からさ」

 

 へ?

 

 カネキさんの微笑みながらの、その、声音がまったく笑ってない最後の一言に、西尾先輩とトーカさんの表情がわずかに引き攣った。

 カネキさんの後に続く僕。道中、後ろから月山さんと言うらしい彼が僕に話しかけてきた。

 

「やあ、君がボーイ・リオだね。初めまして僕は月山習」

 

 ボーイ?

 彼はそのまま僕に近づき、臭いを……、って、ちょっと止めて下さい。

 

「んん、中々ワイルドな臭いだね。喰種にしては――(じゅるり)」

「ひっ」

「―ー月山さん」

 

 指をパキリ、と鳴らしてカネキさんが振り向き笑顔。「ふふ、冗談さ。ユニーク!」と応対する彼に、一瞬だけものすごい鋭い視線を送ってから、彼は階段を上った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「元々、リオくん関係の情報が集ったら、一旦シフトを抜けさせてくれって皆に言ってあったんだ。今のリオくんて、まだ研修中みたいなものだし」

「あ……、ありがとうございます」

『ヘタレクション!』

 

 鳥の鳴き声を聞きながら、僕等は椅子に座る。僕が上座で、カネキさんと月山さんが対面。……なんだかよく分からないけど、申し訳ない気持ちになった。

 

「カネキくんから『神代』に次いで探してくれと、この間言われた喰種だけどね。

 ホリが集めてくれた写真によれば、その名は――ルチ。これさ!」

 

 テーブルに置かれた写真の喰種。左目の方に縦の大きな痣が入っている喰種で、周囲数体の喰種を赫子で蹴散らしているようだった。それよりも、ホリさんって誰だろう。

 

「ジェイル、という言葉の意味は牢獄。つまり名前としてあり得るとするならば、それを連想する痣だと思ってね。このルチのそれは、痣というより刺青なんだが」

「刺青……ですか」

「なんでも彼は、大量に捜査官を殺して回った組織に所属していたらしい。解散したそのチームから数人メンバーを集めて、新しい組織を編成中だとか。

 危険な喰種という条件にも、これで合致してるかい?」

「ありがとうございます。で、場所は……?」

「18区さカネキくん。ただ縄張り意識は強い方だと思うから、行くなら充分注意しないとね、ボーイ・リオ。

 carefully(慎重に)!!」

 

 ハイテンションに身振り手振りを交える彼に、僕はなんだか翻弄されていた。直接話してる訳でもないのに、妙に体力が持って行かれるような……。

 カネキさんも少し疲れたような笑みを浮かべているあたり、似たり寄ったりのことを考えてるのかもしれない。

 

「んん、でカネキくん? ちなみに一体誰と行く予定なんだい? 言ってくれれば僕も日程を――」

「月山さんだとかなり目立つんで、僕と……そうだな、トーカちゃんはたぶん来てくれるだろうし、サポートでバンジョーさん達と、良ければ西尾先輩にも声かけてみようか」

「……」

 

 笑顔のまま氷ついて、銅像のように頭を押さえて考えるようなポーズをとる月山さん。

 

「機会があればまた頼ると思いますんで、済みません。

 あー、でも監視は付けますよ」

「んん、やはりハードモードかあの時以来……」

 

 よく分からないことを言う月山さん。

 階段を下りて見送る途中、そんな彼が鼻の穴を動かして言った。

 

「そう言えばカネキくん、少しいつもの違った臭いがするね」

「臭いですか?」

「うん。懐かし……くもないね。高校時代だけでなく、今日もホリから『義理だよ』と言われて口の中に無理やり押し込められたか……」

 

 食べられないと言ってるのに、まったくお転婆な。

 そう言いながら嘆かわしいと言わんばかりに頭を左右に振りながら、月山さんは「アディオス!」と立ち去った。

 

 カネキさんは少しの間口元に手を当てて。

 

「あー、ひょっとしてさっきのアレかな。何かお返し考えないと……」

 

 どうやら、なんだかんだでトーカさんのカフェモカ(チョコレート)は気づいて貰えたみたいだった。

 

 

 

 

 




ヒナミ「はい、お兄ちゃん! いつもありがとう!」つ 眼帯
カネキ「ありがとう、ヒナミちゃん。トーカちゃんも」
トーカ「……な、何の話?」ソワソワ
 
 


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Uc"J" 09:出来る限りの足掻き

双子姉「お兄さんに感謝を伝えよう」
双子妹「うん、お兄さん居なかったら今の私達もなかったんだし」


 

 

 

 

 ルチの元へは後日として、僕はあんていくを出た。ヒナミちゃんから今日プレゼントされたアイパッチを付けてみる。レザー生地で肌の感触はまあまあだった。

 月山さんにリオくん用に携帯電話を与えられないか話をした結果、一応準備してくれることになった。週末までには届けてくれることを祈ろう。

 しかし、それにしても。

 

「リオくん……。うん、でも――」

 

 23区の写真に見覚えがある、とリオくんが言った事に、僕は何か違和感を覚えている。実際にコクリアに囚われていたのなら、そういうこともあって良いかもしれないけど――、でもだからこそ、違和感が付きまとう。

 決定的なことを言えば普通、服役していた場所の周辺の地域のことなんて、住んでもいなかったら知りようがないだろう。加えて、23区は店長が言うまでもなく、喰種は近づかないだろう。コクリア本体がある以上は、警戒度もかなり高かったはずだ。

 

 とすると、やっぱりコクリアから脱した後のリオくんの記憶ということになるのかもしれないけど――決定的な回答は出ない。アオギリによるコクリア襲撃が、丁度僕がヤモリの拘束から抜け出た日と合致するのだとして、その後、僕と四方さんに運び込まれるまでの、リオくんの足跡がめっきり見えて来ないのだ。

 

 少しの間考えて、頭を左右に振る。考えに行き詰ったし、丁度駅前に着いたってこともある。時刻はちょっと日が傾いたころ。ヒトはそれなりに多い。

 

「……とりあえず本屋にでも行こうかな。リフレッシュリフレッシュ。

 教育関係の本も何かあるかもしれないし――」

「「――お兄さん」」

 

 そう言って足を進めようとしたとき、背後から声をかけられた。

 聞き覚えのない声、だと思う。でも振り返ってみると、その相手たちとは一応面識があった。

 

 黒髪と、白髪。肩くらいまでの長さに切りそろえられた、そっくりな顔を持つ双子。年は高校生くらいだろうか。二人そろってセーラー服を着ているのが印象的だった。……そしてそれぞれが髪色に合わせたのか、黒セーラーに赤スカーフと白セーラーに青スカーフだった。

 この二人は、確か朗読会に来ていた女の子たったな……。

 

 二人は少し足早に来て、僕を上目遣いに見た。

 

「奇遇、すごい奇遇!」

「お兄さんは、遊び?」

 

 そして何故かテンションが高かった。咄嗟にバイト帰り、と半分嘘(?)を混ぜて笑った。

 

「君達は、えっと……」

「私達もお仕事帰り。でもちょっと嬉しいかも」

「へ?」

「お兄さんのこと探してた」

「うん、探してた。勢いで作って、捨てるのもアレだから駅前で会えないか一時間くらい」

「長いね!? いや、っていうか何を」

 

 思わずツッコミを入れると、彼女たちは揃って持っていたバッグからごそごそと、白い紙で個別包装されたリボンがついた箱を取り出して手渡してきた。……広告か何かの裏地だろうか、妙に手作り感満載だった。

 

「「ハッピーバレンタイン」」

「……」

 

 ものっすごく反応に困った。いや、トーカちゃんは不意打ちされたからリアクション云々どころじゃなかったんだけど、ストレートにこういうのを渡されても……。しかも片手の指で数えられるくらいしか会ってないし。いや、待てよ、それなのに作ったって言ってたかこの二人は。何を考えてるんだろう。

 そして、くてんと両者それぞれ反対方向に頭を傾げられて、なおのこと居心地が悪い。

 

「「受け取ってくれないの?」」

「……まあ、うん。ありがとう」

 

 しかし、食べるだけでパワーが下がるといったデメリットも半喰種だからかないので、受け取ってはおこう。無下に断るのも申し訳ない。でも、そういうのは日ごろお世話になってる相手にしなさい、というようなことを一応言っておいた。

 

「ところで、お兄さんは――」

「……そのお兄さんっていうの、止めようか。なんかムズ痒いというか」

「「じゃあ、お兄ちゃん」」

「なんかもっと酷くなってない?」

 

 くすくすとステレオで笑われて、ちょっと僕も反応に困る。

 

「お兄ちゃんは――」あ、それで通すんだ。「私達以外からも何かもらったの?」

「もらったりしたの? 一緒に居たあの可愛い女の子」

「えっと……、まあ一応」

「「付き合ってるの?」」

「違うよ」

「ふぅん」「……」

 

 な、何だろうこの反応は。じっと人の顔を見つめてくる。もっともその後「ばいばい」と手を振って立ち去った二人だった。食べ物を貰ってしまったので、早い所家に帰らないとと思い、僕はそのまま寄り道せず家に帰る。

 そして、包装を解いた時――僕は目を疑った。

 

 包装に使われていた紙は、CCGが作った手配書のようなものだ。以前ヒナミちゃんがされていたようなそれには、ジェイルと書かれている。担当捜査官は――キジマ式。

 そしてそこに書かれていた特徴は、リオくんのものと寸分違わず一緒だった。

 

「なんでこんなものが……」

 

 たまたまなのだろう、とは思う。もう片方の外側のそれは、通信販売の珈琲のチラシみたいなものだったし。でも、果たしてどんな偶然だ。タイミングが、かなり特殊すぎる。何者なのだろう、あの二人は。

 いや、それよりも。

 

「リオくんがジェイル……? いや、それはないだろうし」

 

 もしそうなら、とっくに殺されているはずだ。そう考えると、CCGで把握しているリオくんの処遇は「ジェイルの容疑がかかっている」喰種だった、ということだろうか。いや、でもそうすると、やっぱりリオくんは自分がジェイルじゃないと知っていることになるのか。ジェイルじゃないから、ジェイルを探している相手にジェイルを差し出さないといけな――「ジェイル」がちょっとゲシュタルト崩壊してきた。

 情報が思わぬところで増えた。でも、こっちの話「も」追求しても結論が出なさそうだ。

 

 一旦机の上に紙を置いて、チョコレートの方を確認してみる。

 最初は形状に疑問符がついたけど、両方開封してみて、正体がわかった。……両方合わせると、ハート型になるチョコレートだった。

 

「これひょっとして、本命さんとかから振られたのを処理に困って押し付けられたかな」

 

 再会とかあるんだろうか、お返しとかどうしたものかと、僕は思わず肩をすくめた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 トーカさんに連れられ、僕は18区まで来ていた。中央線から駅名に「西」と付いている方で下りると、20区のあんていくが近くにある駅とはまた違った雰囲気だった。こっちの方が都会的というか、人工物的というか。

 きょろきょろと周囲を見回していると「怪しまれるから」と軽くチョップされる。

 

「そういえば、カネキさんはどちらに?」

「あの図体でっかいのとか、表歩けないから地下とか回ってるんじゃないの? あるいはビルの上とか」

「地下?」

「あんたも行ったでしょ、あそこ。

 ……四方さんから教わってるって言ったし、第一あっちと一緒じゃもっと目立つってことなんでしょ」

「は、はぁ……」

「っていうか、アンタもアンタでその半袖、寒くないの?」

「慣れてるんで……? たぶん」

 

 大通りから路地に入り、わかる? と話をふるトーカさん。なんとなく、と答えると「そう」とだけ言って彼女は僕に先導した。きっと今のは、喰種が立ち寄りそうな場所がわかるか、という感じのことなんだろう。

 知識としては、一応ある。廃屋や、ビルの屋上や。人目にあまり付かない場所というのが大前提。だけど、その知識を保障して支えるだけの感覚が僕からは欠損していた。

 

「ゴミとか、ガラクタとか、色々いじられてるのと。あと――血の臭い」

 

 裏通りを歩いている途中、僕らの鼻が死体の臭いを感じ取った。まだ「濃さ」のようなものを感じるこの臭い。たぶん、保存食にしてからさほど時間が経ってないものだろう。

 

「足音注意しな」

「あ、はい」

「行くよ」

 

 トーカさんに先導されて、僕は彼女の後に続く。途中、携帯端末でカネキさんにメールを送るトーカさん。

 やがてしばらく行くと、複数の喰種がどこかから持ってきたソファに横たわり、昼寝をしていた。

 

「あの中に、ルチが……?」

「そうじゃないの。で、どうすんの? とりあえずカネ――ちょ、アンタ!」

 

 トーカさんの静止を聞かず、僕はもう衝動的に一歩前に出た。物音が立ち、彼等の視界に入る。すると明らかに不機嫌そうに、背後からこちらに声がかけられた。もう一人、後方に居たのか。

 

「てめェら、どこのモンだ? あァ? ここはオレ達の喰い場だ、なんの用――」

「ルチを出せ」

 

 トーカさんの驚いた表情が見える。僕は……、僕は不自然なまでに、まるでそうすることが当たり前のように乱暴に振舞っていた。

 

「ルチを出せって、言ってるんだ――ッ」

 

 左目の奥に激痛を手で押さえながら、振り返りつつ僕は言う。

 言ってから、自分の言葉に納得する。どちらにしろジェイルと戦うことは避けられないのだから、小細工なんてナシだ。正面から行って、勝たないと。

 

「あんた――」

「テメェ、ふざけやがって。ここでぶっ殺して――」

 

 

「――うるせェ!」

 

 

 そして、寝ていた男達の中から一人、立ち上がった。すらっとした大柄、首にはネックレス。色のついた髪を左右に分け、鋭い視線。左目の下には――アザのような刺青。

 コイツだ、コイツがルチだ。

 

 ゆっくり立ち上がった男は、そのまま僕らの方に来る。ニヤニヤと表情は笑ったまま。

 

「ガキの目的が何なのか分からねぇが、人の縄張り入ってきたことは間違いねぇ。

 迷子でしたじゃ済まねぇぞ、クソガキ共」

 

 トーカさんが舌打ちして、僕等に声をかけてきた後ろの男の方を向いた。

 僕は――もう、猛然とルチに突っ込む。現状、何をやっても話を取り合ってはもらえないだろう。なら「戦って勝てば良い」。自然とそう発想した僕は、赫子を背中から出した。

 

 冷気をまとった一撃に対して、ルチは危険と判断したのかまず僕の腹を蹴りつけた。

 

「少しはマシであることを期待すんぜェ? ――おらッ」

 

 背中から液状の羽根――たぶん男の赫子だ。ルチはそれを大きく開いて、僕に突進をかけてくる。たまらず躱そうとすると、ルチ自身はその軌道から逸れない。そして僕と交差する瞬間、羽根が伸びて庇った僕の左腕に傷を与えた。

 

 痛い。痛いけど「そこまで痛くない」。

 まだ「腕も落とされてない」し「赫子を引き千切られた」訳でもない。

 

 赫子を地面に突き刺し、僕はそのまま身を捻って彼の顔面を蹴り飛ばした。にやり、と笑った彼は、背中の赫子を僕の足に絡ませ――。すかさず赫子を僕は彼の足に絡め、冷気で足を凍らせる。我慢比べだ。僕が足の痛みに悲鳴を上げるか、ルチの足が凍って崩れ落ちるのとどっちが先か――。

 

 痛みより機動力を優先したのか、僕が赫子を搦め数秒もかからず、彼は羽根を僕の尻尾に突き刺した。条件反射で緩んだ足を引き抜き、ルチは後退。

 

「……?」

 

 そして突然、地面に両手を突いて、僕を見上げるように睨んだ。

 空気が変わったのが、なんとなく理解できた。

 

「てめぇの力量が思ったよりやるくらいだってのは、よぉぉぉく分かった。眠気覚ましくらいにはなった礼だ。

 ――喰らっておけ」

 

 瞬間。背中から吹き出した赫子がそのまま推進力になり、特攻をかけてくる彼の動きが僕の認識力で追えなくなる。気が付けば鳩尾に一撃喰らい、僕はそのまま壁に叩きつけられた。

 

「アンタ、大丈夫なのそれ――」

 

 トーカさんの目の前で倒れる男は、きっとさっき声をかけてきた奴だ。彼がどれくらいの実力なのかとかは流石にわからないけど、少なくともルチよりは弱いはずだ。

 僕に手を差し出しながら、トーカさんはルチたちの方を睨む。ニヤニヤ笑う彼等は、とても手がとれなさそうな僕を見て愉快そうに見えた。

 

「努力賞くらいはやっても良いぜ? で、次はお嬢ちゃんが相手か?」

「あ゛?」

「……ま、だ」

 

 彼女の手を借りずに立ち上がる僕。

 こんな所で、立ち止まってはいられない。加勢しようとするトーカさんを手で制し、僕はまたルチに走って向かった。

 

「オラ、寝んねしな!」

「ふざけ、る、な――ッ」

 

 弾丸のような攻撃を、僕は赫子の一薙ぎ、冷気で一掃する。凍った弾丸は流石に本来の赫子ほどの強度ではなく、地面に落ちると砕けていった。

 

「おおおおお――」

 

 でも、肉弾戦は向こうの方が上手だ。四方さんがカウンターなら、この相手はボクシングだろうか。両手を構えて間合いを詰めて、腹や顔面に重い一撃が浴びせられる。

 それでもなお立ち上がる僕。トーカさんがこちらに走るのを、赫子を使って止めた。「止めなきゃならない」理由が、たぶんあるからだ。

 

「まだ立てるのか。ちょっとは見所あるじゃねーか。へっ」

 

 足を振り上げたルチに、僕の意識が薄れる。脳裏で、カツーン、カツーンというあの音。

 僕は、兄さんを助けなきゃならない。そのためなら、どんなことでも――。

 

 ――でも、本当はとっくに気付いているんでしょ?

 

 少女のような声が、僕の思考に囁きかける。酷く楽しそうに。酷く皮肉げに。

 

 ――君が出来ることは、決して君の兄が望んだことじゃないってことくらい。

 

 例えそうであっても――僕は。

 

 僕は兄さんと、また会いたい。そのためなら例え自分が「何になっても」良い――。

 

 

 左目の痛みが最高潮に達して、両目に激しい熱を覚えたその瞬間。

 僕の目の前に、カネキさんが現れた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 赤の眼帯みたいなのが付いた黒いマスク。髪はカツラを外したのか白。服装がいつものような私服な分、その差異は妙に違和感を覚えさせられた。

 

 ルチの一撃を手で受け流し、僕を拾い上げてカネキさんはトーカさんの方に走った。

 

「なんだテメェ、どこから――」

「上からだ」

 

 カネキさんは四つ赫子を背中から出す。それぞれの先端が女性の手のようになっていて、飛びかかってくる男の顔面をそのうちの一つが押さえた。そのまま持ち上げて、投げる。

 

「カネキ、遅い」

「ごめんごめん。ちょっと迷子になってた。……で、どうしてこんな状況に?」

 

 とりあえず置いておくけど、と僕を置いて、カネキさんはルチの方を見る。

 トーカさんは僕を起して、状況を窺っていた。

 

 ルチの手下たちは、明らかにカネキさんに一歩引いていた。さっきの所業が、かなり応えているのか――。

 

「うん、みんなでかかってこられると『色々面倒になると思う』ので、それで正解だと思います。

 で、ルチさんでしたよね」

「?」

「捜査官殺し、大量捕食、縄張り争いで結構喰種も、民間人も殺してるっていう」

「……それが何だっつーんだ、あ? この、白髪野郎!」

「好きで白髪な訳じゃないんですけどね」

 

 丁寧に応じながらも、カネキさんは右手の指をおさえて、ぱきりと鳴らす。

 それと同時に、カネキさんのこめかみから、黒い、山羊の角のようなものが生えた。後ろから見て、右側は欠けている。

 

「色々言いたいことはありますが、とりあえず『話を聞いてもらえるように』します」

「ほざけ!」

 

 ルチの攻撃を、しかしカネキさんは余裕を持って躱す。状況にしびれを切らしたのか、距離をとり、ルチは四つん這いになった。

 

「カネキさん! 気を付けて、速度が――」

 

 僕が叫んだ瞬間、カネキさんの肩が切り裂かれる。その後も、ビルとビルの間を蹴っては跳ねて蹴っては跳ねて。ルチの移動速度に、カネキさんは付いていけてない。

 徐々に傷ついて行く状況。でも、カネキさんの立ち姿は乱れない。トーカさんもそのせいか、加勢することはなかった。

 

「……そういえば、この間も速度が原因で取り逃がしたっけ」

「――羽赫でも手に入れない限り、無理じゃないかしら研くん(ヽヽヽ)

 

 聞き覚えのない女性の声に、カネキさんは苦笑いを浮かべる。そして両腕を広げて――まるで突進してくる猛牛でも止めるかのような構えをとって。

 

「――ッ! バカネキ!」

 

 もらった、という叫びと共に、カネキさんの腹部に、ルチの腕が貫通した。

 トーカさんの叫びに、しかしカネキさんは応じない。

 

 そして僕は見た。カネキさんの赫子の手が――クインケドライバーを持っているのを。

 

「捕まえましたよ、ルチさん」

「……ッ! て、てめェわざとだと!?」

 

 ルチの両肩を捕まえながら、カネキさんはそのまま彼の腰にドライバーを装着させる。背中に広がり、推進力として機能していた赫子が、腰のバックルに集まり、赤い帯のように変化して、腰を一周した。

 その場に倒れるルチ。たぶん、身体中の激痛に身動きが取れなくなっているのだろう。

 

 そんなルチを放置しておく彼の仲間たちじゃない。すぐさま腹から腕を抜くカネキさんに向かって、襲いかかろうと走るけど――。

 

「伏せろ」

「うん」

 

 トーカさんの一言に応じて、カネキさんは前かがみになり、背後からの狙撃を交わす。

 瞬間的に撃たれた赫子により、反応できなかったのか仲間の数人は腕や足をやられてその場に転がった。……普段から仲が良い分、完璧にコンビネーションがとれていた。

 

 そして残った一人は――バンジョーさんたちに背後から一撃食らって、昏倒した。

 

「おおおお、やったぞイチミ、ジロ、サンテ! 汚名挽回だぜ!」

「やりましたねバンジョーさん、でも汚名挽回して良いんですか?」「名誉、だよね」「汚名返上に名誉挽回。どっちにしても、来る途中落ちたのは変わりないし」

「う、うっせえなお前等!」

「熟語については帰ってから教えてあげますよ、バンジョーさん。さて――おぐッ」

 

 大丈夫か、とバンジョーさんが僕を立ち上がらせてくれる。

 トーカさんはバッグから取り出した肉を、そのまま走ってカネキさんの口に突っ込んだ。ぐらり、と揺れながらもトーカさんを抱き止めつつ、カネキさんはそれを食べた。

 

「と、トーカちゃん」

「とりあえず喰え。っていうか、服どーすんのよ。変身してりゃ直ったろうけど」

「あー……。うん、まあ、それこそ帰りはビルか地下使って行くよ」

 

 段々空は暗くなり始めている。カネキさんは足早にルチの方へ歩いて、しゃがみこんだ。

 

「て、てめェ……、何が、目的だ?」

 

 その質問に、彼は肩をすくめて答えた。

 

「写真撮らせてくれませんかね」

「……は?」

 

 

 

 

 




カ「大丈夫、ちょっとくすぐったいだけですから」
ル「う、嘘付け、今のオレの状況見て――」
カ「痛みは一瞬です」レバー落とす
ル「アッー!」

リ「(むごい)」


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Uc"J" 10:達成率

 

 

 

 

 

『キジマ様

 

 捜査協力の連絡先が書かれていたので、メールを送らせて頂きます。ジェイルとはこの男でしょうか

 

 from R』

 

 カネキさんがルチの写真をとった後、月山さんに用意して貰ったらしい「痕跡を残さない」携帯端末を使って、僕はメールを送った。キジマ、という相手が誰かは知らないけど、ジェイル捜索の担当者であるのなら、もしかしたら見覚えくらいはあるかもしれない。カネキさんの教えてくれた情報だから、たぶん大丈夫のはずだ。

 

 メールを打つのは初めてだった。思い出ではなく、知識として。

 カネキさんに教わりながら、不慣れながらも打ち込んだ。慣れない操作に20分は経ってしまったかもしれないけれど、これで充分だろう。

 

 カネキさんは、ルチの赫子と顔の痣を写真に収める代わり、彼を解放することにしたらしい。ただ「荒れた事は多少控えないと、次は摘みますよ」と最後に一言あったのが、ぞっとした。

 優しい人なのか、怖いヒトなのかちょっと判別がつかなくなってきた……。いや、たぶん優しい人なんだろうけど、でも何かあったら容赦しないヒトなのかもしれない。トーカさんが少し寂しそうな顔をしていたのが、どうしてか頭に残っていた。

 

 ともかく、出来上がった文面を見直してから送信。

 すぐに返答があるかは分からないけど、まずは一つずつやっていかないと。記憶のことも含めて――。

 

 そんなことを思っていると、五分と経たず返信が返って来た。え、もう? と戸惑いながらも、受信ボックスの中を開く。

 

『R様

 

 情報提供、感謝致します。キジマ式と申します。

 受け取った写真についてですが、残念ながらジェイルだとは言えません。しかし喰種の情報提供であることに変わりはなく、これで人の命がまた一つ、救われるかもしれません。情報提供、ありがとうございました。

 

 ここからは注意となります。撮影された写真自体、かなり接写したものでしたが、お身体は大丈夫でしょうか。襲われて入院ならまだしも、死んでしまっては意味がありません。撮影は可能な範囲で、もっと遠くからのものでも構いません。まずはご自愛なさってください。

 

 繰り返しになりますが、貴方からの情報提供、感謝致します。

 

 from キジマ式』

 

 

「……なんか、ものすごく良いヒトそうだ」

 

 連絡して来た相手がまさか喰種だとは思っていないんだろうけど。それでも文面からは、情報提供者に対する感謝と心配の念が伝わってくる。

 

「ルチが、ジェイルではなかったんだね」

「……無駄足だったってこと?」

「いや、違うってわかった以上は続けて調べられるから。悪くもないと思うよ。一発で当てられなかったのが残念と言えば残念だけど。

 リオくん、今日はどうしようか、これから」

「……イトリさんのお店に、行ってみます」

 

 送るよ、とカネキさんが言ったのを、僕は遠慮して駅前に向かった。

 カネキさんは――あの時、僕からすればかなり余裕を持ってルチを押さえ込んだ。きっとその気になったら、殺すことだって簡単に出来たはずだ。痛み分けに見えたお腹の貫通だって、数分もかからず完全に回復していた。

 なのに、勝手に突っ走って状況を混迷させたのだ、僕は。そのことは、さっきもカネキさんから軽く怒られた。

 

 ただそんなことよりも――ひとえに、カネキさんの強さが、羨ましかった。

 

 それだけの力があったら、僕は記憶も失わず、兄さんをあのバケモノから助けることが出来たかもしれないのに――。

 

 

 

 

 ヘルタースケルターに到着した頃になると、もう普通に夜だった。

 

「あの……、やってますか?」

「やってるわよー、流行ってなくて悪かったわね!」

「い、いや、そんなつもりじゃ……」

「何をーナマイキな、ほれほれ!」

 

 イトリさんに掴まって、軽く首を締められる僕。脇に首を挟まれて引きずられて数秒、無理やり椅子に座らせられた。

 

「あの、イトリさん。僕に出来ることで何か――」

「ああ、それ大丈夫」

「……へ?」

 

 困惑する僕に、彼女は肩を竦める。

 

「情報料、既に先払い済みよ君のやつ」

「え? え?」

「誰が持ってきたかは……、言わない方が良いかな」

 

 悪戯っぽく笑い、彼女は僕の鼻を軽く摘んだ。

 誰だろう、僕に変わって情報料を払った相手なんて……。咄嗟に思い浮かぶのは、カネキさんか、店長か。大穴で言えば月山さんだろうか。カネキさんと店長は共にそういうこをしてくれる可能性が(100%じゃないけど)わずかにあること。月山さんは、僕にこんな凄い携帯端末をくれるくらいの、お金持ちだということから。

 

 イトリさんは「ちょいと聞いた筋の情報なんだけど」と言う。

 

「コクリアからの脱走者の中……、あーもちろん君のことじゃないと思うけど、その中にジェイルが居たって話があってね。でそこで条件に合う喰種が居た訳よ」

「コクリアから……っ」

「灯台下暗しよねー。って、言ってわかんない? か。

 うん、で教えてあげても良いけど――結構危ないよ? リオ坊」

 

 イトリさんは、こめかみを搔きながら説明を続けた。

 

「レートはS。ま要するにとんでもなく強いってことだ。激昂状態で街で暴れて、包囲した相当数のCCGがやられたって話。接し方はくれぐれも間違えないようにねー? こーんなカワイコちゃん殺したってなっちゃ、イトリさん半日くらい落ち込むから」

「半日……」

「まそれは良いとして。

 名前は、キンコ。赫子は『鱗赫』。顔に傷のある大男で、なんでもコミュニケーションがちょっと難しいらしいのよね」

「難しい?」

「そこは、流石に詳しく知ってる喰種が少なかったからねー。まともかく、顔面に傷がある。それが格子模様に見えるらしいんよ。掴まった時期も、たぶん君とそう違いはない」

 

 イトリさんの言い回しに、何か違和感を覚えたけれど、でもこの時の僕は新しく手に入った情報に、少し高揚して、浮かれていた。

 だから、続いてのやり取りにちょっと元気がなくなった。

 

「そいつは、一体どこに?」

「さあ」

「……えっ」

「いやだってさ。絶賛逃亡中の奴だし、知り合いの情報網に引っかからないと流石にね。

 あ、でも大柄だから流石に移動は夜中なんじゃないの?」

「夜中、か……。ありがとうございます、イトリさん」

「いいっていいって。それより、さっさと帰んなさいな。

 早くしないと化粧室から――」

 

 

「アラァ……? 随分可愛らしいお客さんじゃないの、イトリ」

 

 

 あっちゃー、と頭を抱えるイトリさん。店の奥の方から、サングラスを頭の上に乗せた、長身の、おじさ……ん? うん、たぶんおじさんが出てきた。先客だろうか。

 

「はぁ、やっぱ食い付いたか……」

「ちょっと紹介なさいよ、イトリ。常連のニコよ、仲間(ヽヽ)だから心配はしなくて大丈夫よ」

 

 仲間……、つまりこのヒトも喰種ってことか。

 

「イトリからちょっと噂は聞いてるわよ? ふぅん……」

 

 そう言いながら、ニコは僕に擦り寄ってくる。……煌びやかなシャツに、ピタっと腰に張り付いたズボンがスマートな脚のラインを強調している。仕草も口調もしなっとしていて、何だろうこのヒトは、所謂――。

 

「やめんかっ。私でもツッコミ入れるわ。あんまり近づかないの、しっし。

 いたいけな少年にオネェのオーラは刺激が強いっての」

「あ、あの――」

「大人の女のオーラも充分刺激強そうよね」

 

 僕を抱き寄せる形でイトリさんがニコさんから引き離した。ニコさんはそれでも、どうも熱っぽい視線を僕に送ってくる……。

 

「私もこれでも、色々情報通よん? それにもし、イトリの情報代が払えなかったら、私が肩代りしてあげる。

 その代わり――」

「リオ坊、ダッシュ」

「あ! ちょっとイトリ、何逃がして――」

 

 どん、と背中を押され、僕は店の外に駆け出した。決してこの判断が、間違っては居ないと信じたい……。

 でも、もし今回もダメだったら、その時は頼らざるを得ないだろう。……うん、なんとなく感じるお尻の穴が「きゅ」ってなる感覚から、目を逸らさなきゃダメだ。うん。

 

 お店を出ると、もう夜も遅い。……今更ながら、なんで僕はここまで一人で来たんだろうか。流石に道は間違えなさそうだけど、ちょっと物騒だ。

 駅前までの道筋は多少時間がかかるし、えっと……出来る限り大通りを歩く僕。他の喰種と出来る限り遭遇しないようにしたい。

 

 でも、何というか――一人で居ると、なんだか妙に嫌な感じがする。左目の奥に、以前にもまして痛みが走るようになったことも、それに拍車をかける。これは記憶を思い出そうとしている兆候か何かなんだろうか。そして、それに対してこんな想いを抱くってことは、ひょっとしたらその記憶は――。

 

 

 こつん、と、歩いているとつま先が何かにぶつかった。

 

「……?」

「うんにゅぅぅ……」

 

 人間が、倒れていた。女性だ。身長は小柄で、長い髪を適当にまとめている。そして格好は、何故か白衣だった。大丈夫ですか、と思わず起すと、寝ぼけたように半眼のまま、ぼうっとこちらを見上げて来た。

 

 うわ……、普通に美人だ。でも何か、服装から何から何まで妙にちぐはぐな印象がした。

 

「wer du bist?」

「う、う?」

「ah,abweichen……。えっと、ん? 君だぁれ? てか――ああ思い出したわ。いかんなー、寝不足が祟ったかぁ……。締め切り終わってからまだサイクル戻ってないからねー。

 あー君、ありがとう。寝てただけだから大丈夫だよー」

 

 寝てただけって……? いやいや、大丈夫なのかこのヒト。

 よいしょ、と僕の肩を借りて、彼女は立ち上がると四つん這いになり、「メガネメガネ」と何やら探し始めた。

 

「メガネ、探してるんですか?」

「うん。そうそう。丸くて、フクロウとかミミズクとかの目みたいな感じのやつ」

 

 どこかなどこかなー、と彼女はうろうろと探索を続ける。なんとなく、そんな背中を見て僕は「手伝いましょうか?」と言った。

 

「あれ? あー、そう。うん、じゃあお願い。見つけたら缶ジュースくらいはお姉さんが奢ってあげましょう」

 

 メガネの捜索はその後五分くらいで終了。最終的にあった場所は、側溝の蓋と蓋の間の隙間で、そこに挟まってひしゃげていた。

 「お気にだったのに……」と落ち込む彼女。しかし数秒で「ま買い直せば良いか!」と言って元気に笑った。何なんだろう、この切り替えの早さ。ショルダーバッグにしまうと約束通りに奢るよ、とそのまま僕を、近くにあった商店街の入り口、スーパーにあった自販機まで引っ張る。

 

「何にする?」

「ぶ、ブラックで」

「ん? へぇ、気が合うねぇ。私も好きだよ、黒いヤツ。

 特にラスト三十ページの追い込みの時とかはもう欠かせない」

 

 ボタンを押して、地味にちょっと値段が高いものを僕に手渡す正体不明な彼女。

 

「あの、失礼ですけどご職業とかは?」

「ん? どうしたんだい?」

「お話で度々、よくわからないところがあったので」

「あー、ごめんごめん。担当と話してる時のノリだったわ。

 私、これでも作家なんよ。高槻泉」

 

 ちょいちょい売れてるんだよー? と言って彼女は笑う。しばらくそのままにこにこしていたと思ったら、突如真顔になって僕の顔を覗きこんできた。

 そして、彼女はある意味「決定的なこと」を言った。

 

「んん……、あれ? 君、ひょっとして先週くらい、7区で私と会った子だよね! 覚えてる?」

「――っ」

 

 なん、だって?

 突如言われたその一言に、僕はかなり揺さぶられた。初めて会った相手だと思ったら、

 

「あの……? すみません、覚えてないです」

「あらそう? でもありがとね、私ちょっと助かった。

 で、えっとえっと……、あったあった。これ、その時急いでたみたいだったから、落し物」

 

 はい、とショルダーバッグから「見覚えのある何か」を彼女は取り出した。

 瞬間、痛みを左目の奥に覚える僕。少しだけ手で押さえながら、僕は彼女の続いた言葉を聞いた。

 

「まさか再会するとは思えなかったけど、元気そうで良かったねー。あの時は急いでたみたいだったから。

 『今度は』失くさないようにね。なんだか、すごく大事にしてたみたいだし」

「……」

 

 手渡されたそれは――右側にレバーのついた、左側に「赤いパーツ」の付けられた、クインケドライバーそのものだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 翌日、あんていく。僕は昨日のことを、カネキさんに少しぼかして説明をした。

 ぼかした箇所は「僕が会った人物が高槻泉」であるということ。……あまり話したところで意味がなさそうだったのもあるし、言った所でなんとなく、無駄に期待を煽るだけな気がしたから。

 

 なにせ話していた時、カネキさんの手元には、彼女の書いた最新作と思われる一冊が持たれていたからだった。

 

「んー、そのクインケドライバー、リオくんが落とした物だって言ってたんだよね」

「あ、はい。……あんまり詳しく聞けなかったんですけど」

 

 既にカネキさんには、僕の腹部にドライバーを装着していたと思われる痣があることも説明した。カネキさんは不思議と驚くこともなく「やっぱりか」という反応だった。どうやらルチに対して、ドライバーを使った時の反応が薄かったのが理由らしい。

 

「とすると、リオくんはコクリアで、ドライバーを使って拘束されていたと。

 そして脱走した後まで大事に持っていたとするなら――ひょっとしたら変身も出来たのかもね」

「変身……」

「うん。……ひょっとしてだけどさ。リオくんって、実は結構『痛覚に鈍い』んじゃないかな」

「……確かに、そうかもしれないです」

「とすると、コクリアで常習的に使われていて感覚がおかしくなって、後日普通にドライバーを使えるようになったと仮定できる、かな……? うーん、ちょっと無理があるかな。それにしても7区か……」

 

 少し嫌そうな顔をして悩むカネキさん。何か理由があるんだろうか。

 そして……なんとなくだけど、その予想は大きく外れて居ないような、そんな予感が僕はしていた。

 同時に、どこか胸の内にたぎる焦燥感が膨れ上がって行く――。

 

 兄がアイツに囚われてから、果たしてどれくらいの時間が経っているのだろう。

 仮にコクリアに行く前に拘束されていたとしたら、もしかしたら、もう――。

 

 居ても立っても居られない、という焦りが、どうしても、どうしても僕の握りこぶしを震わせる。

 

「……とりあえず珈琲でも淹れて来ようか。僕、そろそろ休憩上がるし。

 リオくんは、もうちょっと休んでて」

「すみません。……あの、ところでこの本って?」

「ああ。お気に入りの作家さんの最新作なんだけど……。

 高槻泉で『詩集/檻の夢』。前半は連載記事の詩とエッセイと、後半が書き下ろしになってるんだ。出たのは一昨日なんだけどね」

 

 読む? と少しテンションが上がったカネキさんに、僕は、はいと頷いた。「挟んである栞は抜かないでね」とだけ言って、彼は部屋を出る。

 

 僕は最初のページを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

――拝啓、うつくしき君へ

 

 

 たりない、たりない

 そのまま進んでは、足りない

 なまけもの、なまけもの

 そのままでは、誰も、何も救えない

 

 何も見えない、もう戻れない

 あと少しだったのに、もう欠けたまま、戻れない

 

 うつくしいものよ――ひとよ

 

 それは誰かのために

 それは君のために、あるいは、それとも××のために

 物語は欲している

 運命の輪は、一人、轢き殺すいけにえを欲してる

 

 なのに、嗚呼、何をやっているんだ

 歯車よ、歯車よ、もう少し、後少し

 君は××のためのいけにえだったのに・・・

 

 行きつく先は、もう戻れない

 今は亡き贅沢な夢、今は無き贅沢な夢

 

 それでも、きっと、何かは残せる・・・うつくしきそれに、慈愛の微笑みを――

 

 

 

 

 

 詩というからには、意味がわからなかった。

 でも――どうしてか読んでいて、猛烈に左目の奥に痛みを覚えて。

 

 自分の中の「何か」が、苛立ちを覚えながらも、涙を流した。 

 

 

 




カネキ「今、リオくん読んでるんだけど、家に帰ってから楽しみにしてるんだ♪」
トーカ「(チッ)・・・アンタ、今日勉強見てくれない?」
カネキ「へ、何で急に?」
トーカ「うっさい。いいからお願い」


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Uc"J" 11:辿る変身

亜門「エンゼルハニーワッフル、そしてトリプルチョコパウンド……。いざ、勝負!」


 

 

 

 

 

 キンコの情報を得るにはどうしたら良いか。焦燥感に身を焼かれているからか、僕はカネキさん達に相談せず、ひたすらに走った。

 何故走っているかと言えば、この間僕に話しかけてきた捜査官の後ろ姿を見かけたからだ。ニット帽を深く被り、僕はその後を付ける。幸い向こうは気づいていないらしく、そのまま彼が、ファンシーなお店の中に入るのを目撃した。

 

 入り口で、メニューを見ながら悩んでいる風を装いながら彼の席をちらりと盗み見る。

 なにやら店内で、ノートを取り出してさらさらと書きながらデザートを食べたりしている……? 好きなんだろうか、ちょっと意外だった。

 

 この時点で僕が思い付いたことはと言えば、捜査官が喰種を探すのを遠くから見ていれば、いつかはキンコに当るだろうということだ。あるいは捜査官側がキンコについてあらかじめ知っていて、その資料を持っているだろうかというくらいか。

 イトリさんは所在不明とは言ったけど、でもあのタイミングで僕に言ってくるのだから、おおよそ20区付近には居るのだろう。

 でも……、果たして僕のような記憶喪失の喰種が、尾行して気付かれずに居られるだろうか。考えながら、僕はしばらく様子を見ることにした。

 

 あの捜査官の人は口一杯にパウンドケーキを頬張っていた。……顔はすごく凛々しいのに、その動作だけは妙に子供のようだった。そうこうして食べていると、短く髪を刈り上げた、ちょっと変わったヘアスタイルの人が現れた。服の隙間から包帯が見え隠れする。体格は男性と同じ喰らいで、年は彼の方が上に見えた。彼も捜査官なんだろうか……?

 

 そんな時、遠くから刃物の音のようなものが聞こえた。路地の裏側、ここからそこまで遠くはないはずだ……、そして聞こえる悲鳴と、うねる筋肉のような音は、たぶん赫子。

 

 思わず反射的に、僕はその場から離れて音の方へと向かった。

 

 

「弱すぎです」

 

 あっという間だった。

 白い髪、中性的な容姿。ほっそりとした首筋には縫い目に、サスペンダーのかかったズボンからはシャツが適当にはみ出していた。

 そんな彼が、目の前にいた喰種をバラバラにするのが、一体どれほど短時間だったろうか。ナイフのようなクインケを持っていたことからして、おそらく彼も捜査官なんだろう。

 

 しばらくじっと見つめた後、少年は「あ、まずいです」と携帯電話を取り出して、どこかに連絡を入れる。

 

「篠原さーん、ちょっとやっちゃいました――」

 

 陽気に笑う彼の身体には、返り血がびっしりと跳ねていて、それが見ているだけで恐ろしく、同時に胸の奥の焦燥を搔き立てた。

 

 もし、仮にこんなのにキンコが見つかってしまった、奴がジェイルかどうかさえ判別する前に――。

 

 音を立てないようにしながら、僕は背を向け急いでその場を後にしようと――。

 

「ばぁ」

「うあああああああああ!?」

 

 思わず倒れる僕に、少年はけらけらと背後で笑っていた。

 

「どうして逃げるんですか? せっかく見たんだし、最後まで見ましょうですよー」

「い、いや、あの――」

「あ! 血がついちゃいましたですねー。いけません、いけません」

 

 どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、僕の肩を叩いたから、そこに血が染みてしまった、と言いたいのだろう彼は。

 でも、正直なことを言えば僕の心臓はあらん限りの警戒信号を発していた。

 

「で、あなたは捜査官ですか?」

 

 ぼうっとしているように見えて、彼の全身からは力は抜けていない。構えも解いていない。

 答え方一つで、僕の首が飛ぶ事は確定していた――。

 

 僕は、ない頭を総動員して、答えた。

 

「……捜査官、に、なりたいが正解です」

「ほぇ、そうですか」

 

 この答えが正解だったのか、彼はクインケを仕舞い、腰のポーチについている目玉のような装置のボタンを押した。光が消えて、電子音が鳴る。電源でも落としたのだろうか。

 

「僕は鈴屋什造です。君は?」

「りー―リンタロウです」

 

 脳裏に、かつてカネキさんがトーカさんに却下されていた呼び名が浮かんだ。

 

「僕、これから行く所があるんで、えーっと……、危ない危ない、大きな喰種を殺しに行くんですよ。傷ある。

 だから、ファンでも連れてはいけないです確か」

「た、確か?」

「はい。キジマさんが言ってましたです。

 なんで、夜道には気を付けて帰ってくださいね」

 

 そう言いながら彼は喰種の死体からもナイフを抜き、腰一帯に巻いたポーチ? のようなそれに収納していった。一通り終わると「じゃ」と笑って走る。

 その背中を、僕は茫然と見送っていた。……いや、それどころじゃない。

 キジマという名前が出たのにも驚かされたけど、それ以上に。

 

 倒れた喰種の、その近くに写真が一枚。たぶん戦闘中に落としたものなんだろうけど、それを拾い、僕は愕然とした。

 

 長い髪に、大柄なことが人目でわかる肩幅。

 表情は憮然としていて――何より、顔には横方向に三つの大きな傷痕。

 

 写真の裏には「KINKO」と走り書きしたように書かれていて、僕はそれが、今日探していた相手だと知った。

 

 そしてその瞬間――僕は背後に、猛烈な威圧感を覚えた。

 

 

 

 なんだ、この気配は――。

 猛烈な威圧感に、咄嗟に僕は振り向く。

 

「……(わっぱ)

 

 路地の向こう、大通りの電柱の上。丁度こちらを見下ろす形で、屈強な男が立っていた。全身をまるで鋼で磨き上げたような、立ち姿は武人と言うべきだろうか。作務衣のような服に、立派なヒゲを携えている。

 

 こちらに向けて飛び降りて、彼は音もなくこちらに近づいてきた。

 

「我が名は――(しゃち)!! 貴様、何者だ」

「え、ええ!?」

 

 そっくりそのままお返しします。

 

「その練武……、内に秘めし、(ちから)……! 只者ではないな……。

 主、儂と勝負せい!!」

「しょ、勝負?! あ、あの――」

「例え化獣(けもの)相手であれど、武人たるもの、言語不要――応じよッッ!!」

 

 低く腕を構えると、彼はそのままこちらに突進をかけてきた。それは僕がやるような突進とは訳が違う。明らかに、特定の思想に基づいた、相手の身体を破壊する理屈が働いたもので――。

 

「……(とう)ッ」

「が――」

 

 肘打ち一発を腕で庇っても、ミシミシという音が、腕の中で響いた。

 そのまま壁に打ち付けられる僕。鯱と名乗った喰種は、こっちの様子を伺いつつ構えを解かない。

 

 そのまま僕は力が抜け、一度その場に倒れる。顔にこびりつく、捜査官の少年に殺された喰種の血。

 

 無理やり立ち上がって特攻をかけても、しかしそれも往なされ、殴られ、弾き飛ばされる。とてもじゃないけど、これは一方的な蹂躙だ。あの少年を追わないといけないというのに、これじゃ――。

 

「超! 未熟!」

 

 足腰に力が入らず、倒れ伏す僕。鯱はそんな僕に、叫ぶ。

 目の前には、たぶん落ちたんだろう、転がる僕のクインケドライバー。

 

 それを見つめていると――ふと脳裏に、何かが過ぎった。

 

――誇って良いんだよ? 君は明らかに、人より多くのものを授かった存在なんだから。

 

 眼窩の奥に響く、聞き覚えのあるような、ないような、そんな女性の声。それを聞いている僕は、四肢の自由が利かなくて――。猛烈な左目の奥の痛みに声を上げる僕。

 

――それでも怖いって言うのなら、私が背中を押してあげる。

 

「あ、ああ……」

 

 恐怖が、込み上げてくる。痛みと、彼女に聞かされた、全てを失うイメージとが。

 軽く微笑む彼女の穏やかさが、それを嘲笑うように僕に与える苦痛の凄まじさと比例して。

 

 力の抜けた僕の左手に、込み上げ、動かし。

 

 

 

 

――何も出来ない(リオ)なんて、死んじゃえ。

 

 

 

 映っては消える記憶の中の僕は、壊れた。 

 

 

  

「あああああああああああああ――ッ!」

 

 ドライバーを手に取り、勢い良く立ち上がった。鯱が「()!」と声を上げ、訝しげにこちらを見たのにも気付かず、そのまま腰に乱暴にぶつけるよう、当てる。すると、腰のあたりから紫色の赫子が現れて、そのままドライバーを挟みこみ、赤い帯へと変化した。

 

 脳裏にフラッシュバックするよう点滅するのは、シルエット。青年のような、少年のような。腰にドライバーを巻いた。そのシルエットは、右手でレバーを押し、左手をその腕に添えるように構えていた。

 僕はその動作に一部習い、右手を左側にもっていって、握り。

 嗚呼、たしかこう言うのだろうか――。

 

「――変身!」

『ー―(リン)(カク)ゥ!』『ゲットスリー!』

 

 レバーを落としたその瞬間、左と右から交互に電子音が鳴り、バックルになる直前の赫子と同じ色の何かが全身から噴き出し、僕の胴体を被う。

 袖の長いロングパーカーのような、紫色のそれを翻し、僕は再びドライバーを操作した。

 

『――()(カ・ク)!』『ゲット(スリー)!』

 

 使い慣れた尾が冷気を放ちながら出現。それを振り回し、僕は鯱の胴体を凪いだ。

 カネキさんが以前言っていた通り、僕はかつてもこうして変身していたのかもしれない。少なくとも今、ドライバーを使った戦い方に何一つ違和感を抱いていないのだから。

 

「小癪……! (てい)ッ!!」

 

 鯱の背中から出た赫子に、反射的に僕はまたドライバーを操作した。

 

『――()(カク)ッ!』『ゲットスリー!』

 

 ドライバーが呼称するそれに果てしない違和感を覚える――そんな赫子を、僕は出せなかったはずだ。でも、頭で考えていることと違い体はまるで『そうするのが当たり前のように』、背部から光沢を持つ、裏側が橙色の赫子を出した。

 そのまま僕は鯱の胴体に数発喰らわせて――ベルトのレバーを、二度落とす。

 

『――ゲット3!『()(カク)ッ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』シンクロライドッ!』

 

 その状態のまま、僕は地面に蹴りを入れる。すると、僕の身体はたちまち重力の枷から解放された。背中を見れば、そこには赫子で出来た大きな翼。

 呆気にとられたような鯱をはるか地上に置いていき、僕は上空で、東京を見下ろす。

 

 光に包まれる街。様々な人や、喰種が一望できる。

 

 耳をすませば、小さな会話も――。

 

『――大きいですねぇ。ママ以外、喰種の中でも始めてみるくらいです』

「!」

 

 わずかに聞き取れた、什造というらしいあの捜査官の声。

 思わず僕はマスクを付け、そちらの方へ向けて羽ばたいた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 巨体のキンコを前に、あの少年捜査官は何一つ動じていなかった。

 いや、むしろナイフ状のクインケだけで、どうしてこれほど闘えるのか。

 

「大きいのまだまだ出来ないですからねー……? おや、一人増えましたか」

 

 倒れて腕を抱えるキンコを見つつ、少年は僕の方を見る。既に帽子はどこかへ飛ばされ、あの時とは印象が違っているはずだ。そのお陰か、どうやら気付かれてはいないようだ。

 

「いたい……、いてぇよおおおおおおッ」

 

 僕は、キンコと少年との間に割って入るように、上空から降り立った。少年の隣には、もう一人、少し前に見た、特徴的なヒゲの男の捜査官。

 痛みに叫び声を上げるキンコ。赫子を出してはいるけど、その片手は既に存在していない。

 

 一歩遅かった。もう少し早く来れれば、もしかしたら逃げることが出来たかもしれないのに――。

 

 キンコを庇うように前に出て、ドライバーのレバーに手をかける僕。と、そんな背後から、絶叫しながらキンコが走り出して、彼等に激突した。

 

「おまえら、花、おで、いじめる――許さ、ないぃぃぃぃッ!!!」

 

「おぉ――」

「什造!」

 

 大きな鉈のようなクインケを使って、大柄な捜査官は什造を庇った。

 みしみし、と音を立てるクインケに、その背後から「まずりましたか、篠原さん」という声が聞こえた。

 

 キンコが腕力任せで弾き飛ばした瞬間、僕はレバーを操作して、背後から尾赫を出す。

 

「はあああああ――」

 

 そのまま冷気をまとった尾を振り回し、少し離れた二人にブチ当てた。

 

 驚きながら吹き飛ばされる男性と、ひょいひょいとそれでも体勢を立て直す少年捜査官。

 

「まったく、分が悪いねぇ。キンコだけならともかく、何だいあの喰種は」

「篠原さん、クインケが――」

『――オニヤマ・・・、オニヤ・・・、オニ、オ――』

「嗚呼ダメだこりゃ、制御系がイカれちまってる。

 一旦引くぞ、什造。どの道、サソリだけじゃあの巨体には押し勝てない」

「……むぅ、はいです」

 

 不服そうにしながらも、二人は急いでこの場から走り去って行った。

 マスクを外して僕は、改めて彼を――キンコを振り返る。

 

 巨体の彼は、失った腕を押さえながらも、でも地面のある場所を庇うようにして泣いていた。

 写真で見るよりもあまりに大きな身体に、思わず畏縮しかかるけど、でも腕を失ったことよりも、何か別なことに哀しんでいる様子が気になった。

 

「えっと……、キンコ、さん?」

「ナ……、ナ……ハナ、誰か折られた」

 

 まるで小さな子供のように、キンコはそれを、とても悲しそうに言う。巨体に反して、どこか優しげでさえある彼……。

 見て居られず僕はそのまましゃがみ込み、カネキさんに前に読ませてもらった本の知識を使った。

 

 簡単に言えば、小枝を使って添え木をしたのだった。

 

「……ナニやってる?」

「こうすると、花も治るんだよ。人間も骨折を、こんな感じで治すらしいんだ」

「ニンゲン……、ほね、オれたらそれやってた?

 ニンゲン、かしこい。花、なおる――オマエ、イイヤツ!」

「わ!」

 

 突如立ち上がると、キンコは僕を抱えて抱き上げた。まるで高い高いされているような感じなのだけど、彼くらいの大きさ(2メートル行ってるんじゃないだろうか)からすれば、もうそれは怖いの領域にいってる。

 

「僕は、リオ」

「リオ? オデ、キンコ」

「うん、知ってる。

 あの、出来ればでいいんだけど、少し頼みを聞いてくれないか」

「? オマエ、ナニスル?」

 

 花を助けたせいか、キンコは僕の話をすんなり聞いてくれた。悪い奴を追ってる、とか、オレ悪いやつじゃない、といったようなことを言いながら、写真をとった。

 

 確かにキンコは強い。見るからにあの少年よりも強そうな捜査官を往なしたことからしても、間違いなく。でも僕の中で、ジェイルのイメージと一致はしない。このキンコは、確かに話すのが少し難しいけれど、でも根は優しい喰種そのものである気がしていた。

 

 しばらく待ってもらうように言ってから、僕はキジマさんにメールを送った。カネキさんが居ないので、文面は作らなかった。

 

 

 やはりこれも、数分とかからず返信が返って来た。

 

『R様

 

 

 度々の情報提供、感謝致します。キジマ式と申します。 

 受け取った写真についてですが、今回も残念ながらジェイルではありませんでした。

 

 くれぐれも、無理はなされませぬよう

 

 

 from キジマ式』

 

 相変わらず、文面は丁寧だ。今回は以前よりも簡素になっているのは、少し距離を置いて撮影させてもらったからだろう。

 帰って良いか、と尋ねるキンコに大丈夫だと言って、僕らは別れた。どうしてか、正直に言えばあの喰種がジェイルじゃなくて、どこかほっとしている自分が居た。

 

 でも、それは必然ジェイルが誰かまたわからなくなったということでしかなくて、きっと兄さんのタイムリミットは、刻一刻と迫っていて――。

 

 

 

 

 

 ニ、三日後、あんていくに置いてあった新聞で、キンコがバラバラ死体になって発見されたという話を見た。

 

 

 

 

 

 

 




リオ「……」
トーカ「ヒナミには見せられねぇな、これ……。って、どうした?」
リオ「……何でもありません」


リオは変身して、ようやくパーカー羽織ってる状態になるイメージです。変身して上着が現れるイメージです


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Uc"J" 12:仮初の居場所

 

 

 

 資料室で脱走した喰種の絞込みのため、整理をしていると、ラボラトリから電話が入った。地行博士か? 受付から呼ばれ、俺は急いで向かう。

 このタイミングでの連絡、どう考えても「アラタG3(仮)」に関することだろう。何か進展でもあったのだろうかと、急ぎ足になるのも無理はない。

 

 だから、電話の相手には正直に言えば面食らった。

 

「はい、こちら亜も――」

『私だ、亜門一等』

 

 聞き覚えのある女性の声だ。どこか高圧的でいて、自信に溢れた響きはどこか俺の元上官を彷彿とさせる。

 俺は、彼の愛娘たる彼女に

 

「……確か、アキラだったか」

『ああ、そうだぞ一等。呼び方含めて覚えていてもらえたか。光栄だ。

 さて、早速で悪いが仕事の――』

「ちょっと待ってくれ」

 

 ん? と電話口の向こうで不思議そうな声を上げた彼女に、俺は前から気になっていた事を聞いた。

 

「君の所属は一体どこなんだ? 前々から気になっていたのだが、その……」

『ああ、当然の疑問だな。だが大した話ではない。アカデミー所属で卒業期、既に扱いは捜査官補佐に近い。一度インターンもしているしな。

 だが問題はそこではないだろうな。端的に言えば……、趣味だ』

「……は?」

『何を隠そう、G3は私の趣味だ』

 

 いいだろう、と突然笑われて、俺は反応に困った。

 

『真面目に答えると、レッドエッジ……、クインケの製作実習の選択授業があってだな、数年前。そこでどうやら才能があったらしく、地行博士が「ェェエキサイティングッ!!!」を連発しまくった結果、非常勤の研究者みたいなこともやることになった』

「……すまない、言っている意味がよくわからない」

『ん? 嗚呼、博士のエキサイティングは、性能の良いクインケの製作に成功すると――』

「そこではない」

『まあそこは、今度会った時にでもしよう、時間の無駄だ。

 さて一等。一応、ある程度目処の立ったデチューン版が完成に近い。近々そちらに持って行くから、場所が分からなくなると困るからモバイル端末を失くすな』

 

 以上だ、と言って乱暴にがちゃりと切られ、俺は再度反応に困った。

 だが、これは大きな収穫であるとも言えた。再び、あの爆発的な力を使うことが出来る――。知らず知らずのうちに、あの日からジャケットの裏側に入れるようにしていた、レッドエッジドライバーを俺は握り締めていた。

  

 

 

   ※

 

 

 

 ”あんていく”でリオくんと三番目くらいに話してるのは、たぶん僕だ。一番は古間さん。入見さんには何故か照れたりしていて、トーカちゃんや西尾先輩が様子を見て声をかけていることから考えても、たぶんそうだ。

 店長があまり店内に居ないということもあり、そしてリオくん自身が積極的に周囲に自分のことを言わない事も手伝って、ここ数日は彼自身が一人で動いている、と思う。

 だからこそ――僕は彼の背中に、お母さんのそれを重ねてしまう。

 

「様子が変?」

「ええ。何か良い案がないかなって」

 

 閉店間際のあんていく。店が閉まるタイミングなら店長が来てるかと思ったのだけれど、どうやら今日は四方さんが鍵を預かってるらしい。

 そんな理由から、僕は現在、バンジョーさんと四方さんに、リオくんのことを相談していた。

 

「……」

 

 四方さんは無言で、僕とバンジョーさんに珈琲を淹れてくれた。

 

「様子が変って、どういうことだ?」

「んん……、なんというか、言葉が届いていない感じ、ですかね」

 

 まず一点。ここ数日、リオくんの笑いがどこか固い気がする。トーカちゃんも言っていたけど、明らかにどこか元気がない。次点で上の空というか、話を聞いていてもどこか、少し虚ろな気がする。

 何に起因することなのか、ということまでは聞いていないけれど、少し心当たりのようなものはあった。

 ただ、それを彼に直接言った所で、きっと無力感を煽るだけにしかならない。

 

 他ならぬ僕自身が、過去にも現在にもそうなのだから。

 

「……俺は、あいつとはそんなに話してないけどよ」

 

 そう前置きしてから、バンジョーさんは言葉を続けた。

 

「でもなんとなく、リオは俺と同じ感じがする」

「同じ感じ?」

「嗚呼。何かを焦ってるんじゃないか? 俺は、早く強くならなきゃいけないと思ってる。

 リオにも今日、ちょっとだけ練習に付き合ってもらったんだけどよ」

 

 焦ってる、か。やっぱりバンジョーさんから見てもそうなのか。

 四方さんの方をちらりと見れば、無言のまま一回頷いた。そのままバンジョーさんに向けて一言。

 

「……焦る必要はない」

 

 それ以上の言葉が続かないのは、もう仕方ないところなんだろう。疑問符を浮かべてるバンジョーさんに、僕は続けた。

 

「前に言いましたよね。みんなで強くなれば良いって。だから……、自分を押しつぶしてまで強くなろうと、するのは何か違うと思うんです」

「……」

「強くなろうとするのが、悪いということじゃないです。ただ、そうですね。そんなに自分を、追い詰めないでください」

「……リオにも言われたな、そんなこと」

 

 へ? と頭を傾げる僕に、バンジョーさんは少し照れたように笑いながら言った。

 

「『強くなくても良いんだ』って言われちまった。……お前と話したり、ついていったり。仲間たちの恩もあるし、何より俺が力になりてぇって思ってるから、だからどうにか強くなりたいって焦ってる。

 でも、俺の良いところを忘れないで欲しいってよ」

「そう、ですか……」

「良いヤツだよな、リオ。記憶がなくったって、誰かの痛みに寄り添おうとすることが出来る」

「はい」

 

 きっとリオくんのそれは、本当に自発的なものなんだろう。自分の記憶とお兄さんのことと、ジェイルのことと。多くの板ばさみの中にあって、自然とそういった言葉が出てくるのは、本心から言えるということなんだと僕は思う。それが、なんだかちょっと羨ましかった。

 だって僕がもし、そう考えるのだとすればきっとそれは―ー。

 

「まあでも、やっぱリオのことは力になれそうにない。悪ぃ」

「それは、こっちの方で考えます」

「――研」

 

 四方さんは、苦笑する僕に向けて、ゆっくりと言った。

 

「お前も、無理はするな」

「……はい」

 

 即答することが出来なかったけど、それでも表面上は、僕は答えることが出来たと思う。なんとなく顎のあたりを軽く引っ掻きながら、僕は店の窓から空を見上げる。

 

 生憎と曇っている夜の空模様が、どうしてか僕には不吉なものに感じられた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……」

 

 先日、ジェイルじゃないかという疑いのあった喰種、キンコがバラバラにされて殺されたらしい。勿論、捜査官によるものだろう。写真こそ報道されてはいなかったけど、イトリさんの情報によればチェーンソーや丸ノコのような、回転刃のようなクインケで殺されたんじゃないかということだ。

 

 僕は、手が震える。

 お店でお客さんに声をかけている時とかにも、頭の片隅にこびり付いて、言いようのない不安感が拭えない。

 

 そんな風に考えながら珈琲を飲んでいると、何か、物が割れるような音が聞こえた。

 

「あー……、すみません……」

 

 どうやらトーカさんが、手を滑らして割ってしまったらしい。床に珈琲が零れている。カウンター前に居た、ちょっとホームレスっぽい感じの喰種が「うへぇ~手、大丈夫?」と笑っていた。

 そしてニシキさんが、半眼になり鼻で笑った。

 

「なーにやってんだよ色ボケトーカ。ハッ、カネキ居ないからって気、抜けてるんじゃねーのか?」

「あ゛?」

「おいシマシマ、丁度良いから片付け頼むぜ。」

「へ!?」

「ちょっとニシキ、勝手なこと言うなよ。今日コイツだって休みだし、接客とか色々見てるんじゃないの? ……っていうか、大体、何アンタが偉そうに命令してるワケ?」

「あぁ? 偉そうも何も、今日ジィさん居ねぇし、古間さん達は今買出し、つまり今、俺がトップだろ!」

 

 どん、と胸を叩くニシキさんに、店内の視線が生暖かいものになった。

 カウンターで踏ん反り返るニシキさんに、トーカさんがカウンターを叩いて食って掛かった。

 

 そして、そんな調子だったから、店内に入ってきたカネキさんには気付いていないみたいだった。

 

「はぁ!? 何言ってるのよ。私がここで働いて何年なると思ってるよ!! あんてじゃ私の方が上でしょーが、クソ新人!」

「知らねー、知らねー。つーか、お前と違って俺もの覚え良いんで、仕事だってセ・ン・パ・イと変わんねーぐらいこなしてるし、年も俺の方が上だしなァ、クソガキ!」

「んだと弱っちぃくせに、もいっぺん切り刻んでやろうかテメェ、あ゛!?」

「はぁ~? なんで暴力のハナシになるんですかね~センパイ!! やっぱ脳みそ足りねぇから腕力選ぶってことッスかね~? つかテメェなんかに負けるかクソ女!」

 

 店内のお客さん、人数多くはなかったけど、少し困惑する人も居たけど、慣れてるのか生暖かい目で見つめる人も多かった。

 そして僕はおろおろする側。

 

「あ、あの掃除なら僕、しますから――」

「ああ!? 何だそりゃ!!」

 

 ええ~……!?

 

「邪魔しないでよ、ちょっと!」

「いや、あのそれでもケンカは止めて二人とも、お客さん見てますよ!」

「見せとけんなモン、面白がって余計客来るだろうが! 多少危なっかしい方が店は儲かるんだよ!!」

「ちょっと、二人ともってどういう意味!? 悪いのはクソニシキだけでしょ!」

 

 ケンカを止めようと前に出たけど、もはや掃除のハナシも眼中になくなってしまっているようだ。ヒートアップしていて、静止が全く耳に入っていない……。

 

「と、とにかくケンカは――ごるぱッ!?」

「っせェ、退ケッ!!」

「テメェ、ニシキ!!」

 

 そしてそれでも仲裁しようとする僕に、取っ組み合いを始めかけた二人のエルボーとかが、僕の顔面にヒット。そのままぐらりと身体が傾く。

 瞬間、視界に入ってきたものは。

 

「……二人とも」

 

 そして途中から見ていたカネキさんは、トーカさんの首根っこを掴んでひょいっと少しだけ引いて、背中を抱き止めた。「ひゃぅ」とか妙に想定外な声がトーカさんから漏れた。反射的なのか、自分の体を抱きしめるトーカさん。

 

 僕の方からは見えなかったけど、その時のカネキさんの顔を見た二人は、ものすごく顔が引き攣って、汗を流していたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、カネキさんが僕の身体をゆすって、声をかけていた。

 

「リオくん? リオくん?」

「ホント大丈夫なの?」

「シマシマ、おい」

 

 カネキさんだけじゃなく、ニシキさんやトーカさんたちが一斉に顔を覗いていて、ちょっとびっくりして飛び起きた。咄嗟にカネキさんが手をかざして、額と額の直撃は避けたのだけれど、それでも猛烈な「寒気」を感じて、僕は背後にずざざっと下がった。

 

 僕の無事(?)を確認すると、周囲の人達が元の席に戻っていった。良かった、とカネキさんが笑う。どうやら気絶したらしい。そして、それほど時間は経っていないと。場所は2階らしい。

 

「大丈夫かよ、シマシマ」

「あ、えっと……、はい」

「アンタが突き飛ばすからでしょ」

「ああ!? 俺だけじゃねーだろ。大体テメェは――」

 

「はいはい二人とも、仲良く」

 

 カネキさんが二人の脳天に一発ずつチョップを入れた。二人とも、流石に負い目があるのか反撃もしなかった。

 

「……リオくんごめんね、なんか、荒っぽい先輩ばっかりで」

「「……」」

 

 ばつが悪そうに頭を押さえて、地面とか天井とかを見つめていた。

 なんとなく、カネキさんの方が先輩っぽく見えてしまったのは仕方ないと思う。

 

「その……、悪かったな、大丈夫か?」

「いや、喰種ですし、たぶん大丈夫だと……」

「二人とも、すごく心配してたからね」

「へ?」「「!!」」

「仲裁してすぐ、わたわたしてたし」

「いや、あ、焦るでしょそりゃ……」

「死んだか思ったし……」

 

 少しだけカネキさんの口調に、容赦がない気がした。

 でも……、そうか、心配してくれたのか。

 

 傷こそないけど、頭の奥がなんか、少しがんがんと響く感じがしないでもない。それが左目の奥の、いつも痛みを覚えるところと共鳴でもしてるのか、断続的に痛みが走っていた。

 そして、ふと気になった。

 

「あの、お店は……」

「一瞬閉めた」

「一時的にね。リオくんを運ばなきゃいけなかったし、古間さん達にもメール送らなきゃいけなかったからね。

 ちなみに、二人とも帰ってきたから下でもうやってるよ。後で顔見せに行こう」

「……あの、迷惑かけちゃって、すみません」

「あ……、いや、まあ、俺らこそ、悪かった」

「……ごめん」

 

 素直に頭を下げた後、照れ隠しなのか「まあ、お前死んだらシフト増えるからな」「そ、そうね、それ困るし」と言っていた。カネキさんがそれを見て、くすくす笑う。

 

「結構、二人とも似たもの同士だよね。なーんか聞き覚えのあるセリフもあったし」

「……」

「聞き覚え?」

 

 そして、カネキさんのその一言にトーカさんが慌てて顔を逸らして、何とも言えない笑顔を浮かべていた。

 

 そんなやりとりを見ていて、僕は、なんだか不思議とほっとした。

 震えていた手も、いつの間にか治まっていた。

 

 まだまだ見習いなんだけど、嗚呼――僕は皆の仲間になれたような気がして、みんなの居場所に居られるような気がして、嬉しくて、安心して。

 じんわりと染みたその感覚に、何か込み上げてくるものがあった。

 

「あの……、ケンカは、しないでくださいね?」

「ん? ……」

「……へいへい、トーカがつっかかって来なけりゃな?」

「あ゛?」

「トーカちゃん、どうどう。……二人とも、いい加減にしないと入見さん呼んでくるよ」

「「すみません……」」

「あはは……」

 

 カヤさん、凄んでもいないのに怒ると結構怖かった。

 

 そういえば、カネキさんはどうしてこっちに来たんだろう。そう思いはしたけど、彼は僕の表情を見て、意味深に頷くだけだった。

 

 

 

 

 




カネキ「・・・二人とも」
トーカ「ひゃぅ・・・(へ? 何この状態、って顔近い! いやでも怒ってる? ちょっと待って待って、なんか混乱してきそ、顔熱い)」
ニシキ「(トーカ、今一瞬色ボケたな)」


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Uc"J" 13:憧憬と欠けたピース

 

 

 

 

 

 何故かはわからないけど、少し解消された不安感に、僕は少し浮き足立っていたのかもしれない。

 だからこそ前向きに、ジェイルを探す為にまたイトリさんのお店まで足を運ぼうという気になったんだと思う。だから、ある程度冷静に対処できた気がした。

 

 具体的に言うと――今、14区の駅前。ヘルタースケルターに向かう途中で、僕は想定外の組み合わせの二人を見た。

 

 一人は、ルチ。以前僕やカネキさんが戦ったジェイルの疑いがあった喰種。

 そしてもう一人は――カヤさんだった。

 

「なんで……、なんでなんスか、姐さん!」

「……もうあの時代は終わったのよ、ルチ」

 

 姐さん、と呼ばれる彼女の目は、どこか遠い所を見つめているようで。彼女に訴えかけるルチが、空回っているのがどうしてか痛々しかった。

 

 少し離れた場所だったので、幸か不幸か気付かれてはいないみたいだ。そのまま隠れて、僕は二人の様子を見ていた。

 

「姐さんが行っちまってから、みんな荒れに荒れたんスよ。どう生きたら良いか、もうわかんなくなって……。コクリアにぶち込まれたヤツも、”猿”の連中みたいに姐さんの言ってた通り大人しくしてる連中もいる。でも、そうじゃない奴等も沢山居るんスよ!

 忘れたんスか!? あの時――姐さんは、最強だった!」

「……そう、かもしれないわね。でもだからこそ、それは罪なのよ」

 

 知らないっていうのは、時にね。そう悲しげに微笑むカヤさん。

 

「あの時代を、否定するんスか? 姐さん……、あなたが――」

「私は……、私だけじゃなわね。……。

 あなたが何を言おうと、戻らないのよ。(いぬ)はもう、解散したの。もう一度だけ言うわ。……あなた達は、あなた達の人生を生きなさい。いつまでも、縛られてちゃダメなのよ」

「……ッ」

 

 舌打ちをしながら走り去っていくルチに、カヤさんはやっぱり、寂しそうに呟く。

 

「ごめんなさい、みんな。でも……もう決めたのよ、とっくの昔に」

 

 関係が、読めない。でも、少なからず二人は過去に面識があったっていうことだろうか。

 知りたい。確かめたい。あの荒くれのような喰種の彼が、カヤさんを慕っているような、その理由を。

 

 思わず一歩踏み出すと、途端に警戒するカヤさん。でも相手が僕とわかり、驚いた表情になった。

 

 

 

 

 

 

「……そう、あなたやカネキくんも、ルチと顔見知りだったのね……。

 驚かせちゃったかしら?」

「い……、いえ。でも、その……」

「女性に過去のことは聞くものじゃないわよ? でも……。

 昔ね、私、ものすごく悪い喰種だったの」

 

 そうして語り始めたカヤさんのそれを、僕は黙って聞いていた。

 

「あるヒトが作った組織を、私が継いで……、たくさんの喰種を率いてた。人間も喰種も、たくさん殺したわ。

 当時、古間くんの所との争いで、20区は荒れに荒れてたわ」

「古間さん?」

「彼、よく”魔猿”なんて自称してるでしょ。アレ、事実なのよ。私もまぁ、それなりにね。

 ……私たちは、そんな通称が通ってしまうくらいには、お互いにお互いが誰かにとっての脅威になっていた」

 

 そうして戦い続けて、沢山のものを失って。

 気が付けば、湧き起こる憎悪をどこに向けたら良いかさえもわからなくなっていた。

 

「私だけじゃなくって、古間くんもなんとなく、ね。お互いがお互いに疲弊してたってことかしら。

 そんな時に、芳村さんに出会ってね。……実は古間くんの方が先だったんだけど、それが切っ掛けで私は生き方を変えたの。で、組織は解散。

 だけど……、そんな流れを認められない子たちもいる彼はその一人よ」

「……」

「引いちゃった?」

「い、いえ。でも……何だろう、二人とも只者じゃないって感じはしてたので、腑に落ちました」

「どういう意味かしら、それ」

 

 笑いながらこちらを見るカヤさんが怖い……。

 でも、確かに腑に落ちた。カネキさんの時折見せる凄みとは違い、二人とも普段は全くそういった素振りを見せていない。でもどこかで、ちょっとした仕草ややりとりで、自分の中で違和感のようなものを感じる時があった。

 

 それが何かと今考えれば、たぶん年季なんだろう。

 過酷な状況の中で、身も心も削りきったような、そんな年月が。

 

 だからこそ、それが古間さんやカヤさんの今を形作っているのだとしても。

 

「僕は、今のカヤさんの方が好きです。例え昔が、どんなに怖くても」

「……ありがとね」

 

 くしゃり、と僕の頭を撫でるカヤさん。その顔は、やっぱりどこか悲しそうなものだった。

 

 ルチ。彼は……、きっと、ずっと前に進めないで居るんだ。カヤさんがあんていくに入った、十年前くらいからずっと。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……閉まってた」

 

 肝心のヘルタースケルターの入り口には「本日貸しきり」という立て札と、ピエロのキャラクターがつけられたマグネットが貼られていた。夕方の時点から準備を始めているのだろうか、だとするとかなり大勢来るんだろうか……?

 流石に忙しそうに中で「うぎゃー!」とか「ソイヤッサ!」とか掛け声を出しているイトリさんに話しかけるのも出来ず、扉を叩かず僕は来た道を引き返していた。

 

「よ!」

 

 そんな時、背後から声をかけられた。人懐っこい感じの笑顔には見覚えがあった。 

 確か、ヒデさんだったか。あんていくに何度か来ている。

 

「やーやー。君、あんていくの新人くんだろ? 合ってるよね……、合ってるよね?」

「あ、合ってますけど」違ったらどうするんだろう。

「君、確かリオくんだったっけ? リオでいい?」

「は、はい」

「んなガチガチにならなくても……。今日はどうしたんだ?」

 

 にへら、という風に笑いかけてくる彼に、僕は正直、反応に困った。

 記憶喪失ということもあって少し人見知り、加えて「人間」相手ということも、それに拍車をかけていた。

 

「え、あ、えっと……、あ、遊び?」

「何で疑問系なん……? まあ良いか。

 バイトは慣れた?」

「そ、そこそこです。まだまだ研修中で……」

「おお、ファイト! にしてもあそこの珈琲、美味いよなー。こう、隠れ家的なお店?

 リオはどうやって、あそこに辿り付いたんだ?」

 

 聞き方に他意はないんだろうけど、思わずドキリとされられる聞き方だった。でも幸いなことに、僕の反応を待つまでもなく彼は話を続けた。

 

「俺はまあ、ダチが女の子目的で連れてきてくれたのが切っ掛けなんだよなー。で、そこでトーカちゃんという美少女に出会う訳だが……。最近だと、どっちが主目的なのかわかんなくなりつつある」

「ひ、ヒデさん顔が真顔です」

「おっと、悪い悪い。そのダチにもビッグガールってハンバーガーショップで散々ツッコミ入れられてるなー。『ヒデ、女の子と肉とどっち目的なんだい』って。

 まあ『両方!』って即答してるけど」

 

 随分と、ヒデさんは楽しそうに話していた。

 

「ここだけの話、リオ的にはトーカちゃん、どうよ。可愛いくない?」

「え、ええ? ……あの、まあ、可愛いと思いますけど……」

「だよなー。……って、渡さねーぞ!?」

「いやいやいや!?」

 

 突然テンションが上がった彼に、僕も釣られて大声を出した。

 いや、確かにトーカさんは可愛いと思うけれど、普段の反応を見てると少しもそういう気は起きないというか……。世話になってる弟分みたいな僕としては、むしろ彼女「の」方を応援してあげたい気もしていた。

 

 会話の途中で、その流れで僕は友達の名前を聞いた。そして驚かされた。

 

「名前? って、ああ。知ってるだろ、カネキ。金木研。昔っからの馴染みなんだよ」

「カネキさん……?」

「何だ、意外?」

「い、いえ……。でも、タイプが違うなって言うか」

「まー、そりゃあるかもな。でも……、うん、アレだな、とりあえず大丈夫そうだな」

 

 突然、ヒデさんが何かうんうんと頷いたのが、僕は意味がわからなかった。

 

「アレだよ。カネキにちょっと相談されてたんだよ。最近リオくんの様子がおかしいというか、元気がないっていうか、まあそんなんだって」

「それは……」

 

 僕に向けて言われたその言葉で、逆に僕の方が気付かされてしまった。

 確かにここのところ、元気はなかったかもしれない。その原因が取り除きようがないのが、どんどんと僕を落ち込ませていっていた。……心配させてしまっただろうか、カネキさん。

 そんな僕に、ヒデさんは一瞬ぽかんとしてから、神妙な顔になって言った。

 

「リオ、お前ちょっとカネキっぽいよな」

「カネキさん?」

「ああ。――自分が無理してるっていうのを、自分に対して嘘ついてる感じのところが特に」

 

 そう……いったつもりは、ないんですが。っていうより、カネキさんがそういうタイプだというのは、不思議と納得できた。

 だから一応、無関係な人間だけど言っておくと前置きしてから、ヒデさんは僕に笑った。

 

「……死ぬような無茶はすんなよ。お前の周り、絶対お前が大変なことになったら、悲しむ奴が居るだろ。そいつらを泣かせちゃ、いけねーよな。いけねーよ」

「……」

 

 その言葉には、僕は何も返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 ヒデさんと別れると、もう既に夕暮れを過ぎて、夜に近い空の明るさだった。

 道順自体は覚えているけど、しかしこうして夜道を歩くのは、とても怖い。捜査官に襲われる、という類のそれじゃない。まるで「遭遇しちゃいけない何か得体の知れないもの」に出くわしてしまいそうな、そういった恐怖感があった。

 

 それこそお化けとか。あるいはもっと――。

 

「うふふ……、うふふふふ! お~っほっほ! 探したわよ?」

「!?」

 

 そして、僕は背後から誰かに抱き付かれた。やわらかい感触と、独特な香り……、人間が付けている香水というやつだろうか。でも、そんな背後の彼女は間違いなく「喰種」だった。

 思わず腕を引き剥がして、突き飛ばす。振り返ると、そこには、装飾具を身に付けた、派手な女性が居た。中華系のドレスに身を包んだスタイルは引き締まっていて、うっすら筋肉質。

 

 左目の下には――痣。

 

「はじめまして。アタクシ、ロウと言うのよ。それにしてもあの『屈辱的な臭い』を辿ってきたら、こんなに可愛い坊やだったなんて……(ぽっ)」

「……お前は、ジェイルか?」

「あら、『前』もそんなこと聞いて来たわね」

「――」

 

 思わず聞いた言葉に対する、彼女の返答に僕は驚かされた。「前」? 前だって?

 

「僕とお前は、以前に会った事があるのか?」

「さあ、どうかしら。それに……、もし私がその、ジェイルだったとしたら、どうするのかしら?」

「……あなたを、攫います」

「あらあら――坊やのくせに、ロマンチックなこと言ってくれるじゃない。

 でも、生憎そんなつもりはなくってよ。もし知りたい事があるなら――(これ)で語りなさい!」

 

 拳で、と手を握り突き出した彼女だったけど、背後には思いっきり赫子が展開していた。まるで剣のようなそれを、文字通り武器のように手に持っている。

 周囲を見回すと、人気自体は少ないけど、全くないわけじゃない。

 

 ロウは、そのまま踏み込んで僕に斬りつけてきた。反応は充分間に合った。でも、いかんせん僕は反撃するという発想にすぐになれなかった。

 だからこそ、戦闘の主導権を彼女に握られてしまった。

 ひたすらに斬りつけてくる彼女のそれをかわしつつ、でも退却する方向は一つしかない。結果として建物に背中をつけることになり、彼女はそんな僕の胴体を薙ぐように振り被る――。

 

 とっさにしゃがんで頭を庇うようにした。すると、彼女の一撃が僕の背後の、ショーウィンドウの窓ガラスを粉々にしてブチ破った。マネキンがはじけ飛ぶ。店内、店外共に悲鳴が上がって、続続とヒトが逃げはじめた。

 

「あらあら、どうしましょうか」

「――」

 

 やばい、このままだと勝てない。

 反射的にそう思った僕は、ドライバーを腰に巻いてレバーを落とした。

 

『――(リン)(カク)ゥ!』『ゲットスリー!』

 

「あらあら……、なかなか上等な道具を使うじゃない――!」

 

 赫子のフード状のそれを纏い、背中から二つの赫子を出現させる僕。彼女の振り下ろしに対してそれを交差させて、一撃を受け止めた。……重い。決して彼女自身の体重がという訳じゃないだろう。見た目でわかるくらいにはほんのり筋肉質なその腕と、上空からの打ち下ろしという二段構えにより、威力が上昇しているんだろう。

 

 思わずぐらりと身体が傾きかける。でも、そのままぎりぎりで弾き返した。

 

「ドライバーが使えるなんて、素晴らしいじゃない……。アタクシ、ムラムラしちゃう。

 こんな若い男の子の”アレ”なんて食べたら、さぞ若返るんじゃないかしら。うふふ……」

 

 なんとなく、彼女のそんな言葉にぞわりと嫌な感じがした。……ただ、すぐに彼女は耳を澄まして、肩を竦める。

 

「あらあら、CCGが近くに来ているみたね。……仕方ない。今日のところは預けるわよ、君」

「預ける……? いや、CCGって」

「これだけ騒いだのだから、仕方ないわね。んー、でも――これくらいはツバつけとかないと」

「へ?」

 

 そう言うと、ロウは僕の身体を引き寄せ、左目の上のあたりの額に、自分の唇を押し付けた。

 呆気にとられる僕にウィンクして「じゃあね」と軽々しく、彼女はビルの壁を登って行った。

 

 数秒は僕もそんな状態だったけど、流石に掴まるわけにはいかない。すぐに足早に、僕はその場から立ち去った。

 気になることが出来た。

 

「ロウ……、一体、彼女は――」

 

 以前の僕のことを、果たして知っているのだろうか。

 その情報が手に入るだけでも、間違いなく僕はまた一つ、記憶を取り戻すことが出来るだろう。

 

 だとすると……あんていくに着いてから、僕は携帯端末を取り出し、カネキさんにメールを送った。

 

 

 




エト「もうそろそろ、”檻”の積み木は崩れるよ。設定した通りなら」
ナキ「あ? アニキのつむじがどうしたって?」
エト「なんでもないよ。・・・っていうか、君本当それしかないね。君にも多少関係ある話だって言うのに」


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Uc"J" 14:優しさと破壊”式”

 

 

 

 

 

『そのロウって、女性の喰種が、以前の君を知ってるかもしれない、ということか』

 

 カネキさんは電話で、一度頷くとしばらく押し黙った。何を考えて居るのだろうと思ったけど、しばらくして開かれた言葉は、僕からすれば意表をついたものだった。

 

『……「はじめまして」と言って、「臭いを辿ってきた」と言ってたんだよね』

「あ、はい……」

『とすると……。リオくんとは、面識がなかったのかもしれない』

「へ?」

『いや、でも……。口調からして……、いや、そうすると前提が違ってくるのか?

 ――! 嗚呼、そんなまさか……』

 

 ぶつぶつと呟くカネキさんの言葉の意味が、僕は理解できない。でも、どうやら僕の言葉から何かを掴んだらしい。

 

『少し、調べることが出来た。えっと……、リオくん、明々後日の午後にあんていくで会えないかな』

「えっと、別に大丈夫ですけど……」

『……じゃあ、一つだけ言わせて。以前、イトリさんが言ってた事なんだけど』

 

 カネキさんは、ゆっくりと、続ける。

 

『――隠されている真実というのは、残酷なことの方が多い、らしい』

「隠されている?」

『この場合、リオくんの記憶が、ってことかな。ひょっとしたらだけど――リオくんは、自分で自分の記憶を封印した、のかもしれない』

「自分で……」

 

 そっと、左目を押さえる僕。記憶の残滓と共に、迸るこの痛み。ひょっとしたらカネキさんの言う通り、思い出したくない記憶を無理にこじ開けようとしているからこその痛みなのかもしれない。

 それだけ失う前の記憶が辛いのかもしれない。でも、だとしても――。

 

「それでも僕は、知らなきゃいけないんです。じゃないと、だって――」

『――お兄さんのタイムリミットが、分からないから?』

 

 カネキさんの言葉に、僕は思考が停止した。

 なんで……、なんで、そんな。

 

『当りだった? えっと、リオくんが最近様子がおかしいと思っていてさ。で、何か焦ってるように思ったんだ。切っ掛けまでは分からなかったけどね。だから、僕なりに考えてみたんだ。君の立場だったら、どう思うかとかさ』

 

 その結果、行きついた先が正解なんだから、やっぱりカネキさんは凄いと思う。

 そう、そうだ。あのバケモノみたいな奴に兄さんが捕まって、既にどれくらい時間が経っているかわからない。相手に連絡をとることも出来なければ、兄さんの安否さえわからない。だというのに、捜査官相手にキンコがバラバラに殺されてしまったのだ。僕が、情報を流したからからだろう――。

 それは、イコールで兄さんの命の保障が、全くなくなってしまったのと一緒だったのだ。

 

 だって、兄さんと僕を捕まえたのは――。

 

 目の奥に走る激痛。それを押さえて、僕はカネキさんに笑った。笑いながら、焦っていた時に思っていたことを言った。カネキさんは、黙ってそれを聞いてくれた。

 

「……でも、なんでしょうかね。この間みんなと一緒に働いていて……、なんとなく、その不安が晴れた気がしたんですよ」

『不安が?』

「みんなと一緒に居るあんていくが……、なんだか、居場所があるみたいな感じがして。その安心感が、兄さんが殺されてしまってるかもしれないって恐怖に打ち勝っちゃったんだと思うんです。……最低ですよね、僕」

 

 自嘲するしかない。たった一人の家族の兄さんを助けなきゃいけないのに、それを差し置いて今の現状に満足してしまっている自分が居るのだ。こんなの、薄情どころじゃない。単なるクズだ。

 

 カネキさんは、それでも、そんな僕の言葉をしっかり聞いてくれていた。

 

『リオくん』

「?」

『僕も……、いや、僕は、そうは思わないよ。だって、君はバンジョーさんの辛い心に寄り添えたじゃないか』

「……」

 

 何度か万丈さんと、彼に頼まれて訓練みたいなことをしたことがある。その時、落ち込む彼に慰めるようなことを言った。それを指しての言葉だと思うけど、でも、それだって――。

 

「あれは……、単に、そう思ったから――」

『それだよ』

 

 カネキさんは、少しだけ照れたように、まぶしいように言った。

 

『僕は、それが心底羨ましい』

「羨ま、しい……」

『僕は、どう足掻いてもそういう感情を、自然と思うことが出来ないから』

 

 僕、あんまり愛されて育ってないんだよ。

 

『友達とか、先生とか、周りの人の助けがあったから辛うじてってくらいなんだけどさ。でも……、一番愛情が欲しかった人から、欲しかったように愛されはしなかった。

 だから、たぶんどこかが可笑しいんだと思う。だって――未だに心のどこかで、破滅願望みたいなものがあるから』

「……」

『だから、そうやって自然に誰かのことを思えるってさ。すごく、素晴らしいことだと思うんだ。

 君が怖いと思ったのは、お兄さんが死んでしまうかもしれないという恐怖からだよね。でも、その焦りが解消されたとしても、リオくんはジェイルを探すことを止めない。違う?』

「それは……、当たり前です」

『うん。だったら、大丈夫だよ。お兄さんを失うのが悲しいっていうのは、お兄さんのことを愛してるから。

 僕のそれとは、たぶん、大きくニュアンスが違うと思う』

 

 言葉が、上手く見つからない。カネキさんの言ってる事は、結構、滅茶苦茶だと思う。でも、その言葉を聞くと、目の奥の痛みがそのまま、外に溢れて、零れてくる。

 

『リオ君は、優しいヒトだよ。最低じゃない』

「……ッ」

 

 ありがとうございます、の一言も言えず。涙をながしながらしゃくりあげる自分が、どうしても、どうしても情けなかった。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 カネキさんと会うまで、まだ時間がある。

 翌日、僕は少し表を出歩いていた。二月も終わり頃、なんだか珍しく温かな感じがしていたので、ニット帽は今日は置いてきた。

 

 繁華街……、場所は全然違うんだけど、ここから路地を抜けると、以前ルチと遭遇した場所に着いてしまいそうな気がする。

 

 そんなことを考えていたからじゃないとは思うけど……、ルチがこちら目掛けて、慌てて走ってくる。

 

「おいガキ、退け!」

「ええっ!?」

「あばよ! テメェの相手はしてらんねぇ!」

 

 慌ててルチは、僕の背後のビルとビルの隙間に入っていく。

 呆気にとられてそれを見送って、視線を戻すともっと驚くべきことがあった。白いコートにあのエンブレムは、CCGか。なんだか普通の捜査官が一人、こちらに走ってきていた。

 

「はぁ……、はぁ……、済まない。君、こっちに男が走ってこなかったか? 長髪で痩せ形の」

「……えっと、そのヒトでしたら、あっちの方に――」

 

 おそらく、目の前のこの捜査官から逃げてきたのだろうと判断し、僕はそれとなく捜査官に嘘の道筋を教えた。……思ったほど捜査官を前に嘘をつくことに抵抗感や緊張感がなくて、自分自身に驚いた。たぶんだけど、什造というあの少年捜査官と相対したことがあるからかもしれない。

 

 捜査官がどこかに行ったのを見送ってから、僕はそのまま立ち去ろうと――。

 

「……オイ」

「?」

 

 ビルの隙間から顔を出したルチは、自分の肩を押さえながら、こちらを睨んでいた。どうやら、あのまま逃げられなくて引き返してきたらしい。

 

「……いや、何でもねぇ。別に助けてもらったなんて、思わねぇからな」

「恩に着せるつもりもないですよ。ただ、何となく嫌だっただけです」

「……そうかよ。じゃあな――」

 

 立ち去ろうとするルチ。その背中を見て、僕の脳裏には先日見た、カヤさんと彼とのやりとりがフラッシュバックし――。気が付けば、僕は彼の手を引いていた。

 

「? なんだ」

「……いつまで、続けるんですか?」

「……んだと?」

「カヤさんは、もうきっと戻りませんよ」

「テメェ……、カヤさんの知り合いなのか?」

 

 僕があんていくで働いていることを話すと、彼は途端に機嫌が悪くなった。あの店のせいで平和ボケしちまった、と不快感を叫ぶ彼に、僕は、なんとなく思ったことを言った。

 

「あのジジィさえ居なければ――」

「……たぶん、違うと思います」

「あ?」

「……今のカヤさんの表情を、見たことがありますか?」

 

 僕の言葉に、ルチは黙った。

 着いてきてください、と、僕はあんていくまで彼を誘導する。

 

 店の入り口から覗く店内。ニシキさんと、トーカさんとに指示を出して笑いながら、所々古間さんと張り合ったりしている。その表情は、僕が言うまでもなく平和な、あたたかなそれだ。

 

「あんな表情で居たら、たぶんきっと、今でもそのグループの頭をしていたんじゃないかと、思うんです」

「……」

「ルチさんは、カヤさんのこと好きだったんですか?」

「……!? あ? テメェいきなり何を――」

「あー、変な意味じゃなくって。こう、ヒトとしてどうか、みたいな感じです。僕は好きですよ、カヤさんのこと」

「……否定する意味もねぇな」

 

 ばつが悪そうに顔を顰めながらも、ルチはカヤさんから視線を外すことが出来ないでいた。

 

「あの人は、言ってました。悩んでたって。湧き起こる憎悪を、どこにぶつけたら良いかさえわからなくなりながら」

「……」

「だからきっと、止めてしまったのだとすれば――彼女も、苦しんでいたんだと思うんです」

 

 ルチは、黙ったまま、じっと彼女の働く姿を見ていた。

 

「僕は、みんなが好きです。店で働いている皆が、第二の家族のようなものだと思ってます。

 だから……、やっぱり悲しんで欲しくはない」

「……オレ達のところに戻ったら、あのヒトは、また悲しむっていうのか」

「……」

「……」

 

 無言のまま、ルチは僕に背を向け、あんていくを離れて行く。その背中がこの間見たそれとは違い、とても小さなものに見えた。

 路地裏に向かう彼。なんとなく、その後ろを歩く。彼のつぶやく独り言は、そのまま僕の耳に入ってきていた。

 

「十年って、早いな」

「ルチさん?」

「あの時代は……、終わってたんだな。ハッ、俺は、俺らは何のために……。あのヒトを悲しませちまうじゃねえか、そんなんじゃ――」

「……でも、それでも、何かは出来るんだと思います」

 

 僕の脳裏に浮かぶのは、姿形さえあやふやになってしまっている兄さんの記憶。

 

「会えない人や、会えなくなってしまった人。それは、どうしたって悔しいですよね。僕も……。

 でも少なくとも、カヤさんは生きてます。少し、日の当るところに歩み寄れば、いつだって会えます。だから……」

「……」

 

 押し黙ったルチは、しばらくしてから大笑いをした。まるで今まで染み付いていた険を、全部弾き飛ばすように、洗い流すように。

 こちらを見たその表情は、どこか晴れやかなものだった。

 

「うめぇんだろうな、あのヒトの珈琲。昔から、器用で、何でも出来たヒトだったから」

「……」

「坊主。……ありがとよ」

 

 お前も頑張れと、何かを察したように彼は僕の頭をぽんと撫でてから、路地裏の道に入っていった。

 

 これから彼がどうなるか、僕にはわからない。でも――その背中は十年の寂しさだけじゃなく、どこか逞しさも感じさせた。

 

 

 そして、ルチが何を察していたのかを直後に僕は知る事になった。

 

 

「お~っほっほっほ! みぃつけた~~~~っ!」

「うあああああああああっ!!!?」

 

 突如、上空からロウが降って来たのだ。背後から大声で叫ばれたものだから、反射的に振り返って、思わず絶叫してしまった。いやだって、いくら赫子を使っているからとはいえ壁に虫か何かのように張り付いている美女なんて、悪夢以外何者でもない。

 きっとこっちを振り返った瞬間、後ろのビルの壁で待機していた彼女を見たせいだろう。そんな理由でエール送られても、ルチさん!?

 

 そして、わずかにかつん、かつんと、どこかで聞き覚えのある音が聞こえる。

 

「よかったわぁ、やっと会えたわ、アタクシのリオ♡」

 

 まるで恋する女の子のように身をくねらせるロウ……って、え!?

 

「なな、何で僕の名前を!?」

「そりゃ好きなヒトの名前くらい、知りたいと思うのは当然ではなくって? あの手この手で調べたわ……。MM氏に支払って」

「え、えむ……? って、好き?」

「当たり前ですこと! 私はリオが好き=食べ物が好き=私はリオが食べたい! 常識ですわよ!」

「いやいや、意味わかんないですって!」

「アタクシのルールブックではそうなってるのよ? ものすごく量を食べる友人も言ってたけど、恋も食欲も全部一緒にしてしまった方がわかりやすいしすっきりしているのですわ!」

 

 無茶苦茶だこのヒト!? 圧倒されすぎていて、ロクに質問もできやしない。

 そして苦手意識が先行しているからか、思わず敬語になってしまった……。この感じ、イトリさんと似たベクトルの苦手さだろうか。

 

「さあ、せっかくだし丁度良い広さの屋上を見つけたのよ。一緒にそこで汗を流して――食べられちゃって!」

「い、嫌ですよ」

「問答無用ですわ!」

 

 飛びかかった彼女は、そのまま僕に抱きついてきて、ホールドした。硬直する僕に「あら可愛い♡」と楽しそうに微笑み、赫子を出して壁に突き刺して。そのまま壁をよじ登ろうと――。

 

 

 

 

「ッフフフ! ……リ オ く ん、見 ィ つ け ェ たァァァァ――!」

 

 

 

 そして、彼女の赫子が、チェーンソーのような音と共にぶった切られた。

 

 

 

 

 




キジマ式、遭遇。

次回からいよいよ佳境です。


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Uc"J" 15:目を背け続けられない

 

 

 

 チェーンソーの音と共に赫子を切られ、ロウは絶叫を上げた。

 抱きかかえていた僕を投げ出してしまうくらいには、その一撃はかなりの痛みを伴っていたのだろう。でも、僕は彼女をむしろ抱きしめた。痛みにうめき、自分の体を震わせる彼女が高所から落下すれば、受身をとれるはずもなかったからだ。

 

 すぐに赫子を出し、地面を弾いて僕らは、距離をとった。

 

「やぁ~、リオくん。久々だねぇ」

 

 その男は、異様な姿をしていた。黒いスーツに帽子。丸い体系、丸い顔。人間らしくないその様はバケモノのようであり、ツギハギのような跡が僕には見えた。

 白い目を向き、耳に届かんとするほど楽しそうに男は笑う。

 手には――黒と赤の、チェーンソーのようなクインケを構えて。

 

「中々、探すのに手間取ったよ。……思えば、もう一月くらい経つのか。君が『コクリア』から脱走したのは。

 アオギリの樹に連れられたかと思って居たが、こっちの方で目撃情報が出たのには心躍ったよ。ククク……」

「アオギリ……? ――ッ」

「そちらの淑女(レディ)は初めまして。私は喰種にも礼儀を通す性質でね。

 ――キジマ式だ。短い間だが、どうぞよろしく」

 

 頭を下げるこの男、キジマ式に対して、僕の頭痛が警告をする。これは、正面から戦ってはいけない――。

 

 それと同時に、僕の中で果てしない違和感がつきまとう。なにせ目の前の男こそが、兄さんを拘束しジェイルを探す動機付けになった相手なのだから。そんな彼が、あのメールの優しそうな感じのヒト?

 僕をジェイルだと誤解し、拷問にかけた相手が? ――あれ、拷問? 記憶に、違和感が出てくる。なんで、そんなことを「僕は知っているのか」?

 

 混乱と共に、左目の奥に激痛が走る。断続的に何かがフラッシュバックするのを押さえながら、僕は抱きかかえていたロウを、自分の後ろに突き飛ばした。

 

「あ、アナタは何を……?」

「逃げて、ください――早く!」

「そんなの、あの捜査官強いんじゃなくって? 坊や一人で勝てるとも思えないし、アタクシの方が坊やより――」

「それでも! 絶対勝てないから早く! ここは僕が、食い止める!」

 

 焦る僕の言葉に戸惑うロウ。それを見て、キジマはくつくつ笑った。

 

「いい台詞だ。感動的だな。

 ――だが無意味だ」 

『――リ・ビルド!

 ロッテンフォロウ・リッパー!』

 

 モーターとチェーンがそれるような音と共に、クインケの形状が丸ノコのように変化。それを僕の方に向け、キジマはクインケのトリガーを押した。

 ノコリギの赤い刃が、射出される――咄嗟に反応できなかったロウ。僕は赫子を使い、それを凍らせて回転を落として地面に叩き付けた。切れ味が鋭いのか、叩き付けた瞬間にいくらか抉れる――。それと同時に、脳裏にうすらぼんやりとしていた兄のイメージが、瞬間、はっきりとした形で思い出せた。

 

 展開に、付いて行けない。キジマとの戦いが、連鎖的に僕の記憶の再生に繋がっている。

 

 刃は中心が光ると、そのままキジマの手元に引き寄せられるよう帰って行く。

 

「ほう、報告書にあった通りだが……、私の記憶とは違うなぁ、『ジェイル』」

「――! 僕は、ジェイルじゃない!」

「君はまだそう言うのか。そろそろ諦めて、認めても良いくらいだろうに」

 

 諦める? 認める? 何をだ――。痛みが走るのと同時に、脳裏には暗がりの中、拘束される自分の姿を幻視する。腰にはクインケドライバーが巻かれ、動けない僕に目の前の、バケモノのようなキジマが、問かけるのだ――。

 

「? ひょっとして君、頭に何かダメージでも負っていて、記憶がおかしくなっているか?」

「――っ、変身!」

 

 痛みを押さえつけながら、僕はドライバーを腰に装着して、変身する。

 

『――()(カ・ク)!』『ゲット3!』

「”変身”か。だが、さして意味はないように思うが、どうするんだい? リオくん」

 

 僕は背後のロウに「身を守って!」と叫び、次の瞬間、赫子で殴り飛ばした。急なことに驚いた顔をするロウだたけど、痛みで呻いていても状況が状況だったからか、小さな盾のように赫子を出して僕のそれから身を守った。

 表の路地に投げ出される彼女をちらりと見てから、僕は目の前のキジマを警戒する。

 

「同族同士、仲が良いようだねぇ。結構、結構。

 さて……、大人しく掴まってくれる、訳でもないようだね」

「……僕は、ジェイルじゃない」

 

 混乱しながらも、湧き起こる記憶の渦に混乱しながらも、僕はキジマと話す。

 

「兄さんを解放してくれ、キジマ式」

「面白いことを言うね。だが、それでは交渉にはならな――」

「その代わり、僕は……、ジェイルの可能性のある喰種を、探し続けてきた」

「……ひょっとして、Rという名でメールを送っていたのは君か?」

 

 嗚呼なんと回りくどい、とキジマはその場で、何故かダンスなのか地団駄なのかよくわからないものをし始めた。

 

「ッヒヒヒヒ。つまり、君は私のジェイル探しに協力をすると? そのためなら同族を売ってでも?」

「……ああ」

「ッフフフフ! これは傑作だ。

 喰種を売る喰種! コクリア行き、未廃棄の中にもそういった者はいるが、まさか外の世界でやろうとは……、実に面白い! 興味深い、気に入ったよ! ヒヒヒヒッ」

 

 地団駄こそ止めたものの、キジマはクインケを持ったままダンスでも踊るようにその場で笑い続けた。

 これは……、思っていたより、反応は良いということか?

 

「それで、答えは――ッ」

 

 だけど、僕が反応を示す前にキジマのクインケが僕の足をかすめた。

 ぎりぎりで、赫子を使ってそれを逸らし事なきを得た。

 

 ――逃げろ、リオ!

 

 脳裏で、どうしてか兄さんの言葉が聞こえる。

 

「……!? 何を――」

「いやはや……。もし仮に、君が『君でなければ』、そういう未来も有り得たかもしれない。篠原捜査官が言ってたが……、確かに君たちは『哀れ』だ。同情さえする。実に残念だよ」

 

 くつくつと笑いながら、キジマは僕を指差して、言った。

 

「聞こうか――このロッテンフォロウの初速は、Bレート程度ではかわすことさえ出来ない」

「……?」

「コクリアに収監された時点の君のレートを考えれば、何故こうも短期間で、Aレートに匹敵する攻撃をしのげるようになっているのかね?」

「それは――」

 

 僕が答える前に、キジマの一撃が僕の太股を切る。

 ドライバーを押さえながら、僕は赫子を構える。でもキジマは、そんな僕にくつくつと笑うのみ。

 

「話し合っても、これ以上の進展はないよ。さあ……、お兄さんも『待っている』」

「――っ」

 

 まずい。現状、赫子を使って逃げようとしても、きっとキジマに追いつれてしまう。それがわかってしまう。彼の足音の、コツン、コツンというそれが、混乱している記憶の奥底、俊敏に飛び回り兄と僕を翻弄していたシルエットに重なるからだ。

 

 手が、震える。正体不明の記憶と、正体不明の恐怖が、僕の身体を包みこむ。

 

『――リ・ビルド!

 ロッテンフォロウ・チェーン!』

 

 そしてキジマがクインケを僕の赫子に向けて構えて――。

 

 

 

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 

 

 振り下ろされたクインケが、誰かに蹴り飛ばされた。

 オフッ、とうめいて距離をとるキジマ。僕と奴との間に割って入って来たのは――カネキさんだった。全身真っ黒な服に身を包んだ、腰にドライバーを付けた。

 

「良い蹴りだねぇ。いやぁ、なかなかどうして」

「……リオくん、逃げられる?」

 

 首を左右に振る僕に、黒と赤の眼帯のような、口元まで被うマスクを付けたカネキさんは、ドライバーを再度操作する。背中から四本、女性の手先のようなものの付いた赫子を出して、そのままキジマに襲いかかった。

 

 キジマ自体を赫子で掴み、投げる。

 

 それだけで距離が引き離される上に、彼の服を掴んでどこかに引きずって行った。

 

 

 

 

「――カネキ、さん」

「大丈夫かしら、リオ? 気が付きました?」

 

 そう言って僕を抱き起こしたのは、ロウだった。

 瞼の上のメイクが溶けたのか、拭き取った跡が見える。

 

 ……状況から見て、少し気絶でもしていたのだろうか、僕は。

 

「なんで……っ」

「あ、あんまりしゃべらない方がよろしくってよ?

 それは、まあ、アタクシ年上ですし? 男の子が意地はって戦うのを、ただ眺めておくというのも後味が悪いですし……、何より、リオを食べるのはアタクシですからね!」

「本心なのか照れ隠しなのかがよく分かんないです……」

「んま! オマセですわ、この子」

 

 反応的には後者だろうか? いや、でも前者も全くの嘘ってわけじゃなさそうだ。

 

 それでも――僕は行かなきゃいけない。ロウの肩に手を置き、僕は無理やり立ち上がろうとする。それでも足から血が流れてバランスを失い、その場で転んだ。

 肩を貸そうとするロウ。でも、僕はそれに頼ることは出来ない。

  

 今、カネキさんが戦っているのは、僕の兄に繋がる情報そのものだ。

 

 カネキさん自体、あのキジマに勝てる保障はない。もし勝ったら殺しはしないだろうけど、逃がしてしまうかもしれない。それはダメだ。

 もう、あまり兄さんにも――「(ボク)にも」時間がない。

 ん? ボクにも?

 

 ――端的に言えば、まあ、爆弾みたいなものだよ。

 

 脳裏で、いつか聞いた少女のような声が繰り返す。

 

 ――その事実を認めてしまえば、君は君という個人を維持できない。だから、代理の人格を生み出す。

 ――ヤモリもその類じゃないかと思っていたけど、彼は素養があったから乖離はしなかったみたいだけどね。

 

 両腕の縛られている記憶。痛みに全身が悲鳴を上げている記憶。その中の僕は、目の前の相手を睨み付けて――。

 

 ――じゃあ、君はどうなのかな?

 

 「えぐられた瞼」を持つ僕の顔の前に、その包帯に巻かれた少女は、鏡を構えて――。

 

 

 

「――ああああああああああああああああッ!」

「!? り、リオ?」

 

 僕は――ボクは、一体、どうしたのだろう。何をしていたのだろう。

 鏡を見せられた瞬間で途切れた記憶。でも、それと同時に僕は、僕はそれ以外の全ての記憶を――。

 

 ドライバーのレバーを操作し、僕は、立ち上がる。左側の、赤い装置のダイヤルを回して――再度、レバーを落とした。

 

『――鱗・赫ゥ!』『ゲット4!』

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 異様な風体の捜査官を掴んだまま、僕は出来る限りリオくんから距離をとった。

 

 ことの経緯としては、僕があんていくに付いた際にリオくんの居場所を聞いたことがスタートだった。お店にはまだ帰って居ないと西尾先輩が言ったのに対して、さっき店の前で見かけたというトーカちゃんの証言。誰かと一緒に居た、ということからそう遠くまでは行ってないだろうと思って、近くに張っていた時。

 リオくんが言っていた、ロウというらしい喰種が助けてくれと言ってきたのだ。

 

「り、リオくんがこのままでは、CCGに駆除されてしまいますの!」

 

 月山さんに調べてもらったロウという喰種は、喰種レストランに出入りしている食種で、強さと若さを求めて人間、喰種問わず多くの相手を喰らっているというものだった。

 そんな相手が、リオくんが殺されてしまうという話をしながら、ものすごく慌てて僕に助けを求めてきたのだ。

 

 道中、最低限確認しなきゃいけないことを聞きながら、僕はドライバーを装着して変身した。

 

『――研くん、重いわ』

「……もうしばらく待ってください、リゼさん」

『最近、扱いが荒くないかしら。これでも元カ――なのに』

「? とりあえず、お願いします」

 

 脳裏で僕に苦情を言う彼女に頼み込んで、僕は場所を探す。出来る限り、周囲に人的被害の起きない場所は――。

 

「なかなか頭を使うね。私と彼を引き離そうというか――」

 

 クインケを使って”手”を切ろうとする捜査官。でも、それに対しては移動に使って居ない”手”を一本使って、なんとかしのいでいるというところだ。

 改めてこう、チェーンソーという物品の恐ろしさを味わっている。……ふれただけで抉れるという特性は、劣化してるとはいえ赫子らしさを付き詰めた形状とも言えるのかもしれない。

 

 そしていい加減限界ということもあり、僕は以前、西尾先輩と初めて遭遇したあの路地裏に彼を叩き付けた。

 

 叩き付けたはずなのに、捜査官はチェーンソーを地面に突き立て、そのまままるで車輪のついた装置でも操るように、華麗に地面に着地した。

 

 強い。直接の戦闘はともかく、明らかに身のこなしがこなれている。

 

 そのまま笑いながら、捜査官は僕に襲いかかる。赫子を使って庇うと、途端に彼はクインケのスイッチを押して、形状を変化させた。

 丸ノコのような刃が、こちらに飛来する。一度弾いたものの、中心部から伸びたワイヤーのようなそれに赫子が絡めとられ、”手”の一本、上半分が綺麗に消えた。

 

 すぐさま距離をとりながらも、僕は分析する。

 鱗赫に対して互角以上? 少なくとも尾赫のクインケではない。とするならば分離、あるいは変形が大きい以上は羽赫か、鱗赫か。

 

 思考をしていると、無事な三本の”手”から、左右それぞれ一本ずつが僕のドライバーを勝手に操作した。

 

『――()(カ・ク)!』

「!?」

 

 リゼさんだろうか、これをやったのは。

 いや、確かにヤモリから奪った赫胞は二つだったので、使用できなくはないのだけれど。それでも僕自身、尻赫は扱い辛いので、あまり使ってはきていない。

 

 だけど、それでもこのタイミングで切り替えるのには何か意味があるんだろう。そう判断して、僕は赫子に意識を集中した。

 

 僕に生えた尾赫は、形状を例えるならクレセント、三日月のようなそれだ。極端に長くはなく、まるで動物の尻尾のように生えているそれは、刃のように研ぎ澄まされている。

 だけど、この赫子の真価はそこにない。

 

「フゥン?」

 

 捜査官は笑いながら、再びクインケを振るう。飛来する丸ノコ。だけど、それに対して僕は積極的に攻める。

 

 僕はそれに対して、ただ赫子を振るうだけだった。

 それだけで、高速で動く赫子のそれに合わせて発生する衝撃波が、まるで刃のようにクインケの刃とぶつかり合う。

 

 驚いた顔をして、捜査官はクインケの刃を引き戻す。

 

 それに合わせて、僕は前かがみになり赫子を地面にぶつけた。

 その衝撃で、僕の身体が無理やり前に押し出される。

 それこそクインケのそれよりも速く、速く――。

 

 そのまま拳を握り、彼の腹部に叩き付けるよう動く。さしもの捜査官も反応できず、彼の身体が空中を舞った。

 

「はぁ……、はぁ……、くそ、こんな場所でジェイルをみすみす逃がすなど――」

「……ジェイル、か」

「ああ、ジェイルだとも『虫みたいな歯茎の喰種』よ」

「……せめて眼帯、にしておいてください」

「お、そうか。失礼失礼」

 

 肩で息をしながらも、人間離れした姿の捜査官は冗談をかます余裕でもあるのだろうか。

 そして、捜査官が再び立ち上がろうとしたその瞬間――。

 

『――喰ラウ』

 

 以前、僕が朗読会の帰り遭遇した、あの時「ロウを襲っていた喰種」が現れた。

 

 

 




ロッテンフォロウ・リッパーはそのままデドスペとかのリッパーみたいなものです。ちょっとヨーヨーみたいになってますが、丸ノコを射出できるという感じです。

カネキの尾赫は、ガオウルフのクレセントブーメランだと思っていただけると有難いです。扱いはソニックブーム発生装置みたいになってますが・・・(お陰で相性もクソもありません)
扱い辛いと言ってますが、感覚的にはWのヒートトリガーみたいな感じの扱い辛さです。ちょっとした攻撃の加減が効かないみたいなイメージで。


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Uc"J" 16:心を決める

 

 

 

『喰ラう――ジェイルを殺すために、全部喰ラウ――!』

 

 悪魔のような、怪物のような――そんな仮面を付けたその喰種の姿は、でもあの時とは少し違っていた。

 なぜならば、その首から下はリオくんのものだったからだ。ドライバーで変身した、紫のロングパーカーのようなそれを装着した姿。

 

 想像していた中で、ある意味最悪の結果が僕の目の前に存在していた。

 

『――研くん、下がるわよ』

『喰種は――喰ラウ』

「ッ!」

 

 叫びながら、僕に襲いかかるリオくん。リゼさんの一言がなければ、そのまま一発喰らっていたところだ。

 

 捜査官は笑いながら、身を引きずりつつ後退。

 そして、同時に何か手榴弾のようなもののピンを抜き、こちらに投げてきた。

 

『――フン』

 

 でも、悪魔のような仮面の……、いや、リオくんは、その手榴弾のようなそれを尻尾の一振りで凍らせた。

 爆発する前のそれが、地面に叩き落とされる。

 

 捜査官は投げた後を確認せず、この場を立ち去ったらしい。

 

「リオくん!」

『喰種ハ、喰ラウ、そして、兄さんヲ――』

 

 仮面のようなそれの口の部分が開き、舌のような長いものが垂れ下がる。何をするつもりかと思えば、そのまま彼は、さっき捜査官に切り飛ばされた”手”の破片を拾い、そのまま口に入れた。

 おぞましい――とは思えない。僕自身、既に「何度か」経験していることなのだから。

 

 つまりリオくんは、血中のRC細胞を増加させることで強くなろうとしているのだろう。

 

 むしろ考えるべきは、何故強くなろうとしているかということか――。

 

「……どちらにせよ、このまま放置するのは拙いか」

 

 赫子を振るい衝撃波を放つものの、しかしそれに対して、尾赫一つで応戦するリオくん。衝撃波の刃が振るわれた赫子の冷気と衝突し、まるで盾のように硬化する様はとても形容し辛い。一体どういう原理が働いているんだと言ってしまいたいくらいだ。

 

 そう思っていたら、リオくんはドライバーを操作した。

 

『――(コウ)(カァク)!』『ゲット4!』

 

 ゲット? 不審に思い彼のドライバーを見れば、レバーと反対のところに赤い小さな装置ようなものが取り付けられている。原因は、それか?

 

 右手に紫の、刃のような巨大な爪を装備したリオくん。そのままこちらに、勢いを付けて接近してくる。……ッ、向こうもこちらが羽赫を出せないことを把握済みということか。防戦となる僕に、容赦なく振り下ろされる爪。腕や足に傷を負いながら、僕はぎりぎり距離をとった。

 こうなると、ドライバー自体についている装置を破壊する方が――。

 

『……老婆心だけど、ドライバーは無茶に破壊しない方が無難よ。研くん』

 

 でもリゼさんの言葉で、僕はそれを追及する事を止めた。他に何か使えるものがあるか、と考えると、先ほどリオくんに捜査官が投げつけたグレネードのことが気になった。

 現状、この状態からリオくんに向けて攻撃は難しい。とすれば――僕は、ドライバーを再度操作した。

 

『――鱗・赫ゥ!』『――鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

「ライダー、キック!」

 

 本来、変身中のブレイクバーストの一撃はかなり重い。だけれど現在、リオくんの赫子の種類との僕の赫子の相性を考えると、これなら致命傷にはなり得ないだろうと判断し、僕はレバーを落とした。

 

 背部で現れた四本の赫子が、地面を叩き勢い良く僕の身体を浮かび上がらせる。そして以前、ヤモリと戦った時のように、"手"を彼の四肢に向けて打ち出す――。突然の攻撃パターンに対応できず、リオくんはそれをまともに受けてしまう。

 そのまま勢い良く上空に引き寄せられるリオくん。僕はそれに向けて、爆発寸前のように真っ赤にそまった右足を、彼の赫子で出来た上着の右側に叩きこんだ。

 

『!――ッ』

 

 声にならない悲鳴を上げ、リオくんはそのまま落ちそうになる。”手”でその身体を掴みとり、僕は氷漬けになったグレネードを手に取った。

 

『RGC224g……、抑制剤じゃない、それ』

「……なるほど」

 

 何故さっき捜査官が投げたのか、理由がわかった。だったら、僕がするべきことは一つ。

 氷付けになって動かなくなっていたレバーに力をかけながら、リオくんを下ろす。そして目の前に来た瞬間、僕は”手”も動因して、力の限りバネ部分を破壊した。

 

 爆発。破片がばらばらと僕やリオくんを傷つけると同時に、全身に悪寒が走る。この痛みはどこかで……って、ヤモリに拷問されていた時のやつだ。

 

『ガアアアアアア――ッ!』

 

 急いで僕と、リオくんのドライバーのレバーを落とす。変身が解除されると、リオくんはその場でぴくぴくと痙攣していた。

 

「呼吸は出来てる……か。良かった」

「――カネキくん」

「! 店長」

 

 不意に背後から声をかけられた。振り返れば、店長はいつも通りの柔和な笑顔で僕と、倒れたリオくんとを見ていた。

 そして、店長の腰にも、ドライバーが装着されていた。

 

「何があったか、事情の説明を願えるかね」

「はい。あー、でもその前にリオくんを運びたいんですが……」

「むろん。私が背負っていこう」

 

 店長はリオくんを背負う。と、僕はあることを思い出した。先にあんていくに帰ってもらえるよう頼んでから、確認しに行く。

 

「……」

「ウフフ……やっぱり、強いわァ……♡ たぎっちゃう、嗚呼、食べたい! 大好き!」

 

 最初にリオくんを助けに行った路地裏で、ロウが、血まみれになりながらも頬を赤らめて、寝言を呟いている。

 その背中、開いたドレスから見えた赫子は、まるで無理やり引き千切られたかのように欠損していた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……? あ、僕――」

 

 全身に走る痛みで無理やり意識が呼び戻された。目を開けた先は天井。あんていくに2階だ。左目の奥は、断続的に痛みを訴え続けている。

 ヘタレ、ヘタレと鳥が鳴く。

 

 そして、扉が開かれる。

 

「気が付いたようだね、リオくん。無事で良かった」

「……店長」

「細かい事はカネキくんから聞いた。君自身、覚えて居ない事もあるだろうから、それも含めて話そう。まず――」

 

 僕は、そっと手を挙げて、店長が何かを言うのを制した。

 そして――僕は、今自分に起こっている事を言った。

 

思い出しました(ヽヽヽヽヽヽヽ)

「……思い出した、とは?」

「コクリアに収監される前の事。コクリアに収監されている時のことを」

 

 まるで欠けたパズルのピースが揃うように、今までよくわからず葛藤していたことが、雪崩のように一気に完成し、そして、僕自身の中で荒れ狂っている。ついこの間得た安心感でさえ押さえきれない程に、僕の混乱は頂点に達していた。

 

「そうか。ひとまず、おめでとうと言っておこう。聞こうかい?」

「……店長の方を、先にお願いします」

 

 僕は、震える手を押さえつけて彼の話を促した。

 

 カネキさんから聞いた、というその話は、とてもじゃないが信じたくないようなことだった。ドライバーを付けて、暴走でもしたようにカネキさんに「喰らう」と言いながら襲いかかった僕。その姿は、僕自身がカネキさんに拾われる直前に戦っていた喰種のものだったこと。そして、その時僕はロウを襲っていたことを。

 

「……」

「信じられないかい?」

「……信じます。だって、カネキさんが嘘を付く理由もないですし」

「……珈琲を入れてこよう」

 

 芳村さん、と続けようとしたタイミングで、カネキさんが扉から入ってきた。店長と入れ代わりになるようにして、そして彼は僕を見てほっとしていた。

 僕は、そう、何より先に伝えなければならないことがあった。

 

「リオくん、意識戻ったんだ。良かった」

「……はい。あの、カネキさん――キジマでした」

「?」

「僕と、兄を拉致した喰種は、キジマ式――あの時、戦った捜査官でした」

「……そう、か」

 

 カネキさんは、難しい顔をした。でも、そのまま彼は僕の頭に手を置いた。まるで兄さんにされるように、そのまま撫でられた。

 

「リオくん、大丈夫?」

「……辛い、です」

 

 僕は、思った事をそのまま吐露した。

 

「辛いです。……カネキさん。僕、一体何なんでしょうか。

 僕は、逃げ出したんです。コクリアから……、今の僕には、兄さんを助けることが出来ないって思って。逃げる事で、その後に力を付ければ良いって思って。でも――そこから記憶がないんですよ。

 兄さんは、僕のためにコクリアに捕まったって言うのに……、僕が無実だから、俺がジェイルだから逃がせって、そう言って掴まりに行ったのに」

「リオくん」

「キジマの言葉が正しければ、僕が逃げてからもう一月なんですよ。……あんていくを第二の家族なんて思ってる暇なんて、僕にはなかったはずなんですよ。もっと急いで、ジェイルを探さなきゃいけなかったはずなんですよ。なのに――」

「リオく――」

「あんていくの仕事は、楽しいです。そろそろ研修がとれるかってところですけど、接客にも慣れてきたし、珈琲の淹れ方もだいぶ上達したと思います。でも……、そんなの、兄さん死んでたら、意味ないじゃないか……!」

 

 胸にある、混乱の元はきっと。

 後悔や、無力感や、絶望だ。

 

 あれだけ探したジェイルでさえ見つからず、その上キジマ本人と遭遇してしまったのだから。

 

 あの冷たい、薄暗い牢獄の奥で、兄さんは元気に過ごしているのだろうか――本当に、過ごせているのだろうか。

 

 いくら考えても、答えは出ない。そのことがただひたすらに、怖い。記憶を取り戻したからこそ、より鮮明に。焦燥感の正体を掴んだからこそ、より明確に。

 

 がちゃり、と扉が開いて、店長がやって来た。カップは、二つ。

 

 僕とカネキさんとの前に置いて、店長はすすめた。恐る恐る、まるで最初にここに来た時のように、僕は一口。

 相変わらず、その一杯はとても美味しかった。

 

「……助けてもらってばかりで、すみません」

「いいんだよ。あんていくの方針は、助け合いだからね。

 ただ……理想としては、やはり、君は救われて欲しい」

 

 首を傾げる僕に、芳村さんは微笑んだ。

 

「孤独だけを支えに生きる者は、やがて精神を己に蝕まれて行く。そんな時、手を差し伸べてくれる者が居てくれれば、それだけでも大きな救いになる。……私がかつて、大事なヒトから教わったことだ」

「……」「……」

「その果てがどんな結末であろうとも、共通することだ。……リオくん。君は一人じゃない」

 

 話してごらん、と。店長の言葉は、いつもの様な表情で言う。

 

 頭の裏に、色々な出来事がフラッシュバックする。カネキさんに拾われてから、今日までの日々が。記憶を失っていた(リオ)の、あんていくでという居場所での記憶が――。

 

 そしてその果てには、兄さんが居た。

 

「……僕は、兄さんのために、何もできていない」

 

 その言葉を切っ掛けに、後はもう、すべてが溢れだした。

 頬を伝う涙は、寒ささえ関係なく痛く感じた。

 

「僕には、頼れるヒトが沢山、出来ました。でも――兄さんが頼れる相手は、僕一人だけなのに――こんな……ッ」

 

 でも、きっと兄さんならこう言うんだろう。そんなこと関係なく。

 

 ――俺は大丈夫だ。だから、お前は前を向いて生きろ。

 ――それから、守ってやれなくてゴメンな。

 

「……僕は、お兄さんがどんなヒトかはわからないけど。でも、少しわかる気がする」

 

 カネキさんは、僕にゆっくりと話しかけた。

 

「お兄さんは、きっとリオくんが大事だったんだよ。自分の身に変えても」

「……ッ」

「だから……君が幸せに生きてくれるってことが、たぶん、お兄さんの願いなんじゃないかな」

 

 カネキさんの言葉に、どこかで納得している自分がいる。ちょっと厳しくて、でも優しかった兄さん。

 そんな兄さんだからこそ――どこか兄さんを重ねてしまうカネキさんだからこそ。

 

 このままあんていくで、みんなと一緒に過ごすことが、僕に対する、兄さんの望みなのかもしれない。大勢の、家族のようにさえ思えるヒトたちに囲まれて、思うままに生きることが。

 

 でも――それでも。

 

「……それでも、僕は、兄さんを失うのが怖いです」

「……うん。わかるよ。

 ……わかる」

 

 カネキさんも、店長も、多くは言葉を続けなかった。その浮かべていた表情と、声音が雄弁に物語っている。このヒトたちも、きっと大切な何かを失って、今ここに来ているヒト達なんだろうと。

 

「僕が、僕自身のために生きる。……兄さんの望みが、仮にそうであっても……、僕は、それでも、兄さんに生きていて欲しい」

 

 きっとこんなこと、兄さんに言ったら怒られるんだろうな。だけど、僕はそこから逃げることが出来ない。

 でも、そうであっても――自分を犠牲にしてまで、僕に生きろと言ってくれる兄さんなのだから。僕が犠牲になってでも、兄さんには生きていて欲しいのだから。

 

「芳村さん。カネキさん。僕は……、決着をつけないといけません」

 

 悲しそうな表情をするカネキさんと、目を細めたまま話を聞き続ける芳村さん。

 

「コクリアから抜け出して……、カネキさんに拾われて、身寄りがなかった僕がどれだけ助けられたか。記憶もなく、あてもないこんな『バケモノ』を。

 ……感謝してもしきれません。でも、もう、僕は押さえられない。

 答えを、出さないといけないと思うんです。僕が、どうあるべきか――どう生きるべきなのか」

 

 僕の言葉に、芳村さんは少しだけ、眉を寄せて笑った。

 

「もう、決めたんだね」

「……はい」

「……寂しくなりますね、店長」

「嗚呼」

「……僕もです」

 

 僕等三人の間に、沈黙が漂う。

 それに対して、やがて芳村さんがふっと、微笑んだ。

 

「いつでも、戻っておいで」

 

 芳村さんは、たった一言だけ。たった一言だけそう言って、微笑んだ。

 僕は、涙を拭って立ち上がり、頭を下げた。

 

「……短い間でしたけど、ありがとう、ございまし――ッ。

 突然……、決めて、すみません……ッ、本当、に、沢山、お世話になりました――」

 

 そこからは声にならなかった。ただただ、僕は感情の任せるままに泣いた。

 カネキさんも店長も、何も言わなかった。ただただ、静かに僕の傍に居てくれた。

 

 

 

 




現時点でようやく、リオの記憶が八割くらい戻りました。そして次回、いよいよ――。

カネキのnewライダーキックは、オクトバニッシュ+フーディーニ魂のライダーキックみたいな感じと思ってもらえれば説明が楽です;



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Uc"J" 17:真実への道

※ネタバレ注意


 

 

 

 あんていくに来てから、一月も時間が経っていなかったせいか、持ち運べる荷物は少ない。最低限の着替えと、ケータイと、ドライバーと、カネキさんがくれた本が一冊。

 

 僕は決めたのだ。兄さんを助けると。キジマと――戦うと。

 ジェイルを見つけられなかった以上、もう僕が出来る事はそれしかない。

 こちらから連絡を入れれば、きっと奴は誘いに乗るだろう。でも誘いに乗るだろうが、罠が仕掛けられないとも限らない。狙うなら、奴が一人で捜査をしている時。

 

 でも、どうやって助けたら良いのか。戦って、聞きだすのか? 何を話せばそんなことに応じるのだろうか?

 

 ……考えは尽きない。でも、何らかの形で決着をつける。

 僕の心は、もうそう決まっていた。

 

 でも、それは無論、僕がキジマに殺されるかもしれない、ということでもあって――脳裏を過ぎる、コクリアに居た頃の僕の記憶。切られて、僕の目の前に放り出された袋の中に入れられていた、兄さんの耳。

 どうあってもそうはなりたくない。なりたくないけど……、もしそうなってしまったら、これが最後だ。

 

 あんていくの皆に、挨拶していくべきだろうか……。裏口の前でそう考えていると、ニシキさんが僕の肩を叩いた。振り返れば、トーカさんもそこに居る。

 

「なーにシケたツラしてんだよ、シマシマ」

「……どーしたの、その顔。そんな感じで接客は出来ないでしょ」

「……僕は、……」

「……辞めるの? あんて」

 

 僕が何かを言う前に、トーカさんがそう言った。

 

「昔の弟みたいな顔してるから。アンタ。もっとイライラしてたけど、そんな顔してアイツ、家出て行ったから」

「……」

「最近のカネキも、たまに今のアンタみたいな顔してる」

 

 無理してるような顔だ、と言われて、僕は拳が震える。

 でも、それを押さえて、僕は笑った。

 

「……僕は、あんていくの皆が好きです」

 

 不思議と、言葉は意識しないで溢れてきた。

 

「古間さんも、入見さんも、四方さんもヒナミちゃんも万丈さんも、店長も……。

 ニシキさんや、トーカさんや、カネキさん。

 皆が、行く当ても、自分が何なのかさえ分からなかった僕を受け入れてくれて……、皆と一緒に居られて、僕は本当に幸せでした」

「お前、ひょっとして記憶が……」

「……」

 

 僕の言葉に、二人はそれ以上、何も言わなかった。ただただ、じっと僕のことを見つめていた。

 

 一瞬、キジマのことを言おうかとも思った。でも、そうだ。何も告げない方が良い。いらない心配をかけたくはない。

 

「……また、あんていくに戻って来て良いですか?」

 

 なんとかひねり出したその言葉に、ニシキさんはいっそ、悲痛さを跳ね飛ばすくらいに、楽しそうに笑ってくれた。

 

「……んなもん、お前が決めることだろ? 好きにしろよ。

 ただしな! シフトに穴開けた分はきっちり働いてもらうから、テメェ覚悟しとけよ?」

「それは……、ちょっと怖そうですね」

「何嬉しそうなのよ。はぁ……。

 カネキとか、店長には言ったのよね。もう」

 

 頷く僕に、彼女一度目を閉じてから、言った。

 

「約束して。死なないって」

「……」

「生きてさえいれば、また、会えるかもしれないから」

 

 気付いているんだろうか。僕が、これから危険なことをしようとしているのを――。

 

「答えなくていいよ。守るなら、勝手に守って。

 行きなよ」

「……また」

「おう」「……」

 

 裏口を開けて、二人に一度深く頭を下げて、僕はあんていくを出た。

 

 こみ上げてくる涙を堪えながら、僕は今日までの日々に――居場所(あんていく)に、別れを告げた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 カネキさんには、会えなかったみんなによろしく言っておいて下さいと既に言ってある。

 もう、後戻りする必要はない。

 

 だからこそ、一度情報を整理しよう。

 

 ことの発端は、ジェイルという喰種がキジマの居た部隊と戦ったこと、らしい。仲間を殺され、自分自身でさえあんな酷い姿にされて。それでもなお執念を力に、ジェイルを追いかけている。

 

 僕がコクリアに収監された後、脱走したのはカレンダーからして、おおよそ一月半前後前。アオギリの樹、という組織がコクリア、収容所に襲撃をかけた結果だ。

 僕はその時点で、今も持っているクインケドライバーを腰に巻いていた。

 

 そこからしばらく時間が空き、作家の高槻泉を助けた? らしい。そこでドライバーを落とす。

 

 そして約一月前――数週間前にカネキさんに拾われる。カネキさんの言葉が正しければ、その時の僕は暴走して、ロウを襲っていたらしい。この時点で、僕の記憶は既になかった。

 あんていくで働きながら、失った記憶を探す。途中でキジマと兄さん、ジェイルについてぼんやりと思い出し、ジェイルを探し出して奴に突き出さなければならないと考えた。

 

 そして先日――キジマと遭遇し、コクリア脱走直後~カネキさんに拾われる間までの記憶以外を全部思い出した。

 

 改めて考えると、僕は結構忙しく、色々やっていたみたいだった。

 空白の期間……。推測することしか出来ないけど、状況からすると僕はアオギリに拾われていたのではないだろうか。少なくともコクリアではドライバーの痛みで音を上げていたにもかかわらず、既に変身することさえ出来るようになっている。痛みに鈍くなった、とすればそれは当然、そうなるだけの何かがあったということだろう。

 

 

 

 

『――尾・赫!』『ゲット3!』

 

 一度深呼吸をしてから変身し、僕はマスクを付ける。

 そしてひたすらに耳を研ぎ澄ませ、声を探す――。意識が遠退く。入り交じる雑音でバランスを崩しそうになるけど、でも、それでも集中を途切れさせることはない。

 

 そして――見つけた。

 

 眼前に降り立った僕を見て、キジマは一人、クインケを起動させた。

 

『――ロッテンフォロウ・チェーン!』

「おやおやリオくん。ついに諦めたのかい?」

「……僕は、決着を付けに来たんだ」

 

 決着? とキジマは首をかしげる。

 

「どうしたのかな? 私の結論は既に見えているが、さて」

「……このままジェイルを探し続けても意味がない。だから、僕は……あなたを使って、兄さんを助け出す!」

「私を使って? ヒヒっ、CCGでも脅すつもりか! こんなボロ雑巾にそんな価値があるかは知らんがね――」

 

 クインケを構え、キジマは僕に切りかかってくる。赫子に氷を纏わせて防御した。

 目の前の相手は――それはもう、楽しそうに笑っていた。もう、堪えられない、押さえられないといわんばかりに、その顔は酷く愉しそうだった。

 

「思えば君との付き合いも、そう短くはなかったが――今日でお別れだね!!」

「ッ、来い、キジマ――ッ!」

 

 クインケをぶつけたまま、キジマはスイッチを押して形を変化させた。先端部分が分離して丸ノコのように射出され、向こうが引くだけで赫子の隙間を縫うように、僕の胴体に落ちてくる。それをギリギリで交わすも、靴の先端が切り取られた。

 赫子を叩き付け、その場を離れる。再び向かってくる丸ノコのようなそれを、僕は赫子で打ち返した――。

 

 跳ね返ってきたその先端を、キジマはクインケの残りの刃の部分で更に打ち返す。もはや回転すらしていないそれを、僕は冷気で凍らせた。

 これで攻められる。そう判断して、僕は赫子を振り被りながら襲いかかった。

 だけれども。

 

「残念――!」

『――リ・ビルド!

 ロッテンフォロウ・リッパー!』

「ッ!!」

 

 クインケの欠けた先端部分に、まるで内部に収納されていたように別な円盤が出現し、収まる。一瞬の出来事に、赫子を僕は盾に出来ない。後ろに振り被ったそれを戻すより先に、キジマの攻撃の方が速い――。

 射出された刃の円盤が、僕の右腕に刺さり――切り飛ばした。

 

「――ああああああああああッ!」

 

 どんな威力だ。変身しているんだぞ、僕は。その固さは普通の喰種の何倍も高いはずだ。

 

 噴き出す血。痛みに絶叫し、僕は空中でバランスを崩す。でも頭のどこかは冷静に現状を分析し、赫子でキジマの胴体を薙いだ。赫子が腹に刺さる感触。跳ね飛ばされる彼と、地面に倒れる僕。

 起き上がりながら赫子を使い、出血する右腕の根元を凍らせた。

 

「ヒヒヒ……、君の力を甘く見ていたようだ。だが違う。違う、違う違う――ちがぁぁぁぁうッ!」

 

 赫子が腹をいくらか抉ったはずだけど、同時に冷気で凍らされたらしい。腹を押さえながらも、キジマはその場で立ち上がった。

 僕は、キジマの言ってる意味がわからなかった。

 

「何が……、違うんだ……っ」

「違う。違うともさ。君の力はこんなものでは、ない!

 リオくん――否、ジェイルよ!」

 

 キジマはそう言うと、何かの装置を腰に装着した。クインケドライバーとは違う。そしてそれは、帯のようなものを出して彼の腰を一周し、装着された。

 そのバックル部分のレバーを開き、ロッテンフォロウというらしいクインケの、掌に入るくらいの大きさの装置をとりつけて、閉じた。

 

『―ーロッテンフォロウ! リンクアップ!』

「さあ、簡単に死んでくれるなよ?」

 

 ロッテンフォロウの先端から、再び円盤が射出。それを交わした瞬間、僕は自分の目を疑った。

 

 紐付きのヨーヨーのような動きをずっとしていたその円盤が、明らかに、慣性とか、そういうのに逆らった動きをしていたからだ。

 

 僕の背後に回った瞬間、その先端は突如ジグザグ空中で動きながら、僕の足を狙ってきた。ぎりぎり交わせば本来はそれで終わりのはずだが、そこから更に変則的な動きをして空中の僕目掛けて飛んできた。

 これは一体――いや。明らかに、キジマが腰に巻いたベルトのせいだ。

 

「くそ――」

『――甲・赫!』『ゲット3!』

 

 ドライバーを操作して、僕は欠損した右腕に纏わせるよう赫子を出現させる。手先が刃になったような、そんな腕を使って飛んできたクインケをガード。

 でも、打ち返されることもなくぶつかったまま、その円盤は何度も高速で回転していた。

 

 そしてその中心部――円の中心部にある、目玉のようなそれの色を見て、僕は何かとてつもない違和感を覚えた。

 

 ――そして、僕は背後から来る一撃を避けることが出来なかった。

 

「――へ?」

 

 はじけ飛ぶ、左手。肘から下が、いとも簡単に欠損。

 

 見れば、やってきていたのは円盤。そして、その円盤の中心にも目玉のような何か。

 視界に入ったのは、粉々に砕けた氷の塊。ひょっとして、これはさっき凍らせたものか?

 

「やはり使い慣れないものだねぇ、『遠隔操作モード』というのは」

 

 キジマ。のそんな呟きを聞いたその瞬間――僕の脳裏には、声が聞こえた。

 

『――リオ、腹減ったか?』

『――リオ……、来るな! 逃げるんだ!』

 

 嗚呼その声は――思えば、その可能性を僕は一番に恐怖していたはずだった。

 

『――俺が守るよ。父さんたちの代わりに……』

 

 それが、こんな、こんな……、こんなタイミングで。最悪の形で僕に示される。

 気付いてしまった事実に身動きがとれなくなる僕。キジマはそんな僕の、四肢を切り刻む。すぐさま切断しないのは、彼が甚振るという考えだからか。

 痛みなど、些細な問題でしかない。例え既に手先がなくとも、事はそんな次元の話じゃない。

 

「兄……、さん……?」

 

 呟いた僕に、キジマは手を止め、笑った。

 

「……ほぅ、気が付いたみたいだねェ。

 君が、いけないのだよ。君のせいで――兄は死んだ」

 

 彼は、僕の言葉を肯定した。

 つまり。つまり、つまり、今、僕が戦っているキジマが使っているクインケこそが――。

 

 

 

「――このロッテンフォロウは、君の兄から作られたものだ」

 

 

 

 示された事実に、僕の身体から不自然なまでに力が抜けていった。

 兄さん。僕のたった一人の家族。兄さん。僕を守ってきてくれていた兄さん。兄さん、兄さん、兄さん兄さん――。

 

 嘘だ、と叫ぶ僕に、キジマは酷く人の良さそうな声音で、話した。表情を変えないままに。

 

「彼がジェイルでないことくらい、私ははじめから分かっていた。君を割らせるためには丁度良い餌だったが……。実を言うとだね。君がRという名で連絡を寄越した時点で、お兄さんは既にラボで『目玉を刳り貫かれて居た』んだよ。箱になったのを持って来たのは、つい先日、真戸捜査官の娘だったが」

「あ……、ああ……」

「ずいぶんとあっけなかったものだよ。死に方もまぁ情けない。初志貫徹くらいはして欲しかったなぁ戦う者であった私からすれば。

 最後の最後は命ごいまでして、君のことなんて頭から完全に抜けていた。苦痛に便を堪えることもできず、それはそれは惨めな死に様だった! とても君には見せられない」

「……あ、あっ……」

「さて、どうしたかね? リオくん――」

 

 ざしゅりと、僕の耳を片方、クインケで削ぎ落とすキジマ。

 それと同時にマスクが壊れて――滲んだ血で、クインケが赤く塗られた。

 

「――君がずっと会いたがっていたお兄さんだ。

 喜 ん で く れ?」

 

 僕は、僕は、僕は今まで――記憶を失って、封じて(ヽヽヽ)なんていたから、一番、一番に守りたかったものさえ守れなかった。じゃあ今まで僕がしてきたことは、一体何だったんだ――。

 

 どくん、と心臓の跳ねる音。

 キジマの踏み鳴らす、かつん、かつんという足音が頭の中に響く。

 

「なんのために……、なんで……」

「いい加減、わかれ。

 私が本当にあてずっぽうで君をジェイルだと言ってたと思うかい?

 兄が何故、君を庇ってわざわざジェイルだと名乗り出たかを。

 じゃあ――おやすみ。せめてもの手向けだ」

 

 兄弟仲良く箱にしてあげるよ。そう言って、キジマはクインケ(兄さん)を振り上げる。

 

 兄さん。僕は――僕は。

 今までの過去と、あんていくで過ごした日々が脳裏を過ぎる。そして改めて、カネキさんと兄さんとが、自分の中で被った。

 

 そう思った瞬間。赦さないと。許さないと。恥もへったくれもない思いが、僕の中で荒れ狂った。

 心臓の鼓動の音が、もっと激しく聞こえる。

 

『ー―尾・赫!』『――ゲット3!』

 

 ドライバーのその音と共に、僕は変化した赫子を振り回し、キジマを跳ね飛ばした。突然の反撃に驚いた顔をしながらも、彼はクインケを手放さない。

 既に骨が見えかけている足に無理やり力を入れて、僕は立ち上がる。噴き出す血の痛みも、今や欠片も気にならない。

 

 

 ひとえに僕の心は――ここで刺し違えても、キジマを殺すという意志に支配されていた。

 

 

 放たれた冷気で、地面が凍る。そこには夕焼けを反射して、僕の顔が映りこんでいた。

 それをちらりと一瞥し――僕は顔を上げて、キジマを睨んだ。

 

 

 

 

 

 顔面には、左右それぞれ三本ずつ。まるで檻を連想させるような、規則的な痣が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 




エト「ウェイクアップ、さぁ解き放て! もう何も、君を縛る枷はない」


現在のリオの損壊状況:右腕は肩から、左腕は肘から下がない。両足はズタズタで尻尾を使って無理やりバランスをとっている。
 
キジマさんのレッドエッジドライバー装着は、長さ的に結構ギリギリという設定;
ロッテンフォロウ(リッパー)は遠隔操作することで、完全に使用者の考えた通りに丸ノコが飛行するようになってます。


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Uc"J" 18:願いと涙

 

 

 

 

 

 応援の捜査官、キジマ准特等からの連絡がなかったこを受け、俺と什造とは現場に向かっていた。

 キジマ准特等曰く「一人で居た方がおびき出す餌になるだろう」と自分の腹を叩いて笑っていたのが、俺には笑えなかった。かつての部下達と最後まで戦いきれず、生き恥を晒していると、初対面の時に激情の乗った声で言われたからだ。飄々とした物腰に、現在の姿。その内にいか程の情念を抱えているかは、真戸さんを見るまでもなく明らかだった。

 

 「五分おきにGPSで現在位置のデータを送る。送られなくなったら、その近辺で交戦中だろう」という指示があったため、それに従って俺達はそこに向かっていた。

 

 そして発見した路地裏で、両足の義足が叩き折られ、片腕から血を流している准特等の姿を発見して、俺はクラを手に取った。転がる准特等は、とてもじゃないが既に立てるような状況ではない。

 准特等の前に立つのは、冷気を放つ尾赫を持つ少年のような喰種。喰種も喰種で、まるでトドメでも刺そうとしているような立ち姿だった。

 

『――クラ・スマッシャー!』

「おおおおおお――」

 

 こちらを一瞬振り向く喰種。その顔面には格子を思わせる痣がある。なるほど、コイツがジェイルか……。顔もよく見れば、書類かとこかで覚えがある顔だった。

 喰種はそんな俺の足元に向け、冷気を放つ。尾赫を振ることによって放たれた猛烈なそれは、吹雪のごとく俺の足や胴体、顔を撫ぜる。水蒸気を伴うそれは、たちどころに俺の足を凍らせた。

 

「亜門さん、僕やるですよー」

『――サソリ・レギオン!』

 

 ポーチ状のクインケに取り付けられている制御装置を起動させると、什造の服の下に入れてあった持ち手全てから刃が生える。それを数本手に取り、什造は難なく投げた。

 喰種はそれを叩き落とす。が、什造はそんなこと全く意に介さず、笑いながら走って接近した。

 

 准特等の身体を起しながら、俺は戦況を見守る。

 

「――遊びましょうよリンタロオオオオオッ!」

「――ッ!? 什造くんッ」

 

 ジェイルは什造の介入に動揺する。理由までは分からないが、その隙を見逃す什造ではない。軽くスナップを聞かせて、再びサソリの刃を投げる。

 

「同じ手を――」

 

 だが、ジェイルが赫子で弾こうとしたが今回のそれは少々違った。

 投げられた刃同士が空中でぶつかり、方向が変わる。

 

 ジェイルの尾赫による一閃をさけるサソリのナイフ。冷気をともなう水蒸気のそれさえ計算に入れての投擲なのだから、才能というものをこれでもかと思い知らされる。

 そして什造本人はと言えば、准特等の持っていたクインケの丸ノコ部分を軽く掴み、フリスビーのようにこれもまた投げた。赫子に刺さったのと同時に、その傷口目掛けてサソリの刃をこれでもかと投げ続ける。

 

 痛みがあるのか顔を歪め、ジェイルはその場から一歩後退。既にその腕は片方は失われており、全身が満身創痍といったところだ。

 

「そいさー」

 

 そして、後退したその瞬間に什造はまたサソリを投擲した。驚いたことに、これの速度が一番速かった。おそらく今までのそれは、相手に投擲の速度の最大値を錯覚させるためのものだったのだろう。瞬間的なそれに対応できないジェイル。

 

 そしてそれが――奴の左の眼窩に刺さった。

 

「――ああああああああああ!!!」

 

 絶叫を上げながら、ジェイルはサソリの刃を抜く。息も絶え絶え、目からは血を噴き出しながら、奴は腰に手を――! 何故、奴がドライバーを付けている!?

 

『――羽・赫!』『ゲット3!』

 

 鳴り響く電子音。そのままジェイルは目を押さえ、巨大な赫子を展開してその場を飛び去る。

 什造の投擲も、冷気ではなく強烈な風圧には流石に耐えられず地面に打ち返されていた。

 

「人間だと思ってたです。喰種だったんですねー」

「……知り合いだったのか?」

 

 微笑みながらも無感情にそう言う什造に、俺は思わず確認をとった。もっとも返答は「ちょいの間に会いました」といった要領を得ないものだったが。

 

「……飛んだか。だが、そう遠くへは行かないはずだ……っ」

「准特等、しゃべらないで下さい」

「そうも行かないだろう。ふむ……」

 

 キジマ准特等が、苦しそうにそう言った。俺の制止を無視して、彼は近場に落ちていた彼のクインケを手に取り、俺に手渡した。

 

「このクインケは、奴の兄のものを使って作られたものだ。『四種類全部の赫胞を持つ』奴相手に種別はあまり意味を成さない。ならば必要なものはやり辛さだろう」

「准特等?」

「頼む。ジェイルを討ち取ってくれ。今の私では、とても出来ない」

「ッ! な、何を――」

「頼む、亜門上等。この期を逃せば、次はいつになるか。己の能力不足ゆえの失態だが、このままでは合わせる顔がないのだ。

 什造くんでは、リッパーの扱いが難しいだろう。『レッドエッジドライバー』対応型のクインケだ、真戸の娘さんから聞いた話ならば君が適任だ。頼む――」

「……」

 

 俺は、少しの間だけ彼の顔をじっと見た。大きく変貌し、既に原型を留めないその顔に浮かぶ苦悩。苦悶。怒り。それらを見て取り、すぐさま俺は彼のクインケを握った。

 スイッチ操作で一度クラ共々トランクに戻し。

 

「お借りします」

 

 什造にキジマさんのことを任せた上で、ジェイルの飛び去った方角にまずは走った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「そっか。リオお兄ちゃん、出て行っちゃったんだね」

 

 そう言いながら、ヒナミちゃんは珈琲を一杯飲んでいた。トーカちゃんからリオくんが出て行ったという話を聞きながら、少し寂しそうに見える。家に行けばアヤトくんが構ってあげているみたいだけど、お店にいる時は結構リオくんが遊んであげていたみたいだったから、そう言う意味で寂しいのだろう。

 

 そのうち戻って来るだろ、と西尾先輩が言う。ちなみにトーカちゃんは、話し終わった後に着替えに向かっていた。僕はと言えば丁度表の掃除に出るところ。転がっている缶が目に付いたので、とりあえず手持ちのゴミ袋の中に入れて路地裏に回ると――。

 

 

 

 ふらふらと、リオくんが歩いて来た。

 

 

「……リオ、くん?」

「カネキさん」

 

 今のリオくんを見て、こんな反応を返せる自分が恐ろしい。慣れてしまった、ということなのだろうか。

 リオくんの姿は、それはもう酷いものだった。欠損した腕と、手がなくなった左腕。その左の残ってる肘のあたりで自分の左目を押さえている。たぶんだけど、そこも欠損しているのだろう。

 ふらふらと歩く足は既にズタズタで、箇所によっては骨が露出しかかっている。

 

 変身した結果発生したパーカーも、その下の衣服も、全部が赤黒く染まっていた。

 

「カネキ、さん……、ごめんなさい」

 

 リオくんは泣きながら、その場に崩れ落ちた。慌てて駆け寄る僕に、彼はひたすら謝っていた。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。兄さん、兄さん――ごめんなさい」

「何が――」

「僕のせいで、兄さんが死んだんだ」

 

 震える声で、目を見開きながら。呼吸を大きく乱しながら、リオくんはそれでも懸命に言葉を紡ぐ。

 その結果が、僕も想像していた中で最悪の部類のものであっても。

 

「カネキさん……、ジェイルは、僕だったんです。僕がジェイル、なんです。

 キジマと戦ってた時、僕は……、僕は――」

 

 リオくんの顔面、両目の上下に亀裂のように、格子状のアザが走った。

 

「僕が追ってたのは……、僕自身だったんだ。馬鹿みたいだ、僕はずっと、逃げてただけだったんだ。兄さんを犠牲にして――自分の過去から!」

「……」

「僕は、助けたかった……。兄さんを、兄さんを助けたかった。

 兄さんに、僕が淹れた珈琲を飲んでもらいたかった……、あんていくの皆のことを、話したかった」

「……」

 

 嗚咽を漏らし、血の涙を流すリオくんに、僕は言葉を続けられなかった。

 

 リオくん本人がジェイルである可能性も、僕はわずかに捨て切れなかった。彼が指していたバケモノのような相手というのを、僕がリオくんが暴走した姿だと誤認していたのが理由だ。実際にリオくんが覚えいたその相手がキジマだったと考えれば、そこから数えられる可能性に「リオくんがジェイルである、が誤解ではなかった」という可能性が出てくる。

 だけれど、物証には乏しかった。そしてそれが、最後まで僕が彼にその可能性を伝えることが出来なかった理由の一つだ。

 

 もう一つは――今のリオくんの姿が全てだ。肉体的にボロボロになった、ということではない。

 自分がしてきたことが全部、自分自身の首を締めるような――自分の大切なものを奪うような結果になったという事実。

 

 それが、もし本当だったら、とてもじゃないけれど耐えられない。

 

「……つらかったね」

 

 だってそんなの、あんまりじゃないか。

 記憶を失っていたかもしれない。でもお兄さんを守る為に、彼は一生懸命だった。そのことは間違いない。

 

 こちらを驚いたように見上げるリオくん。気が付けば、僕の目からも涙が零れていた。

 

 リオくんは泣きながら、でも少しだけ笑って。

 

「カネキさん」

「……?」

「僕を――止めてください」

 

 何を、言ってるんだ君は。

 

 

 次の瞬間、彼の失われた左目から出現した「口が複数付いてる」赫子のようなもので、僕の右頬が切られた。

 

 

「――ああああああああああッ」

「! リオくん――」

 

 絶叫しながら僕から離れるリオくん。左目から出たそれは、わしゃわしゃと口を動かし、言葉を紡いだ。

 

『悲しいことも』『苦しいことも』『忘れはしないけど』『お兄さんも』『憎んだ相手も』『全部全部意味はなかった』『だったら壊れれば良い』『みんななくなってしまえば良いー―』

 

 

 

『『『『『寂しくないよ、いずれは箱の中で会えるから』』』』』

 

 

 

「ああああああああああああああああアアアアアア――」

 

 

 

 

 絶叫の途中で、リオくんはドライバーの赤い装置を外して放り投げた。

 

 

 瞬間、起こった変化を何と表現したら良いだろう。

 

 

 例えるなら悪魔のようなそれだ。顔面があの悪魔のような仮面に被い尽くされ、変身していたパーカー状のそれが解除され。

 全身にストライプが入った、鎧のような姿。上下全ての赫子が外に出て、身体を覆って行く――。筋組織に覆われた悪魔という形容が、一番適確かもしれない。

 

 

『なるほど。押さえきれなかったのねぇ、彼の赫子は通常のドライバーじゃ』

「リゼさん?」

『拾っておきなさい、研くん。これから使うことになるだろうから――』

 

 茫然とその変化を見ていた僕を一瞥し、リオくんは――もはやリオくんと形容することも難しいほど変化した彼は、仮面の口を開き、走り出した。

 

 いけない、あの方向はまずい。表通りはまだヒトが結構いる。明らかに理性のなくなっている喰種を放置しておいたら――

 脳裏に聞こえるリゼさんの言葉通り、転がった赤い装置を手に取り、僕は彼の後を追う。

 

 

『――』

 

 

 声にならない叫びを上げ、リオくんは、あんていくが面している通りに出て、赫子を振るった。尻尾のようなそれは普段は冷気を発しているはずだけど、今回は熱気を発していた。

 地面に叩き付けて振り回すだけで、えぐれたコンクリートが弾丸のようにヒトに襲いかかる。

 

「ひ、ひィ!?」

 

「ッ、変身!」

『ー―(リン)(カク)ゥ!』

 

 ドライバーを腰に巻き、そのままレバーを落として僕はその男性の前に飛び出た。赫子が全身に巻き付きながら変身する。カツラを収納し自動的に”手”が仮面を僕に装着させる間、猛烈な痛みを覚えながらも僕は男性を庇うように両手を広げて、リオくんの攻撃から庇った。

 

「あ、貴方は、」

「逃げてください、早く!」

 

 既に逃げてるヒトは多く、悲鳴が聞こえる。

 

 あんていくまでの距離は、まだそれなりに開いている。無差別に攻撃するリオくん。近場のビルの壁面に刃のような爪で一閃し、バランスを崩して粉々に。倒れるビルに対して羽赫を打ち込み、更に粉々にして振り落とす――。落下するビルの中、落ちてくるヒトの「助けてくれ!」という叫びが聞こえ、走り手を伸ばそうとして、しかしそれらが一気にガレキとビルの残骸に押しつぶされた。

 

「リオくん……」

『研くん、どうするの?』

 

 リゼさんの囁きを聞きながら、僕はリオくんの前に立ちはだかる。それさえも叫び声を上げて、尾赫の一閃で弾き飛ばされる。強弱関係の問題だろうか、左肩から脇腹にかけて斜めに傷が出来た。

 そしてそこ目掛けて、彼の羽赫による射撃が襲う――。

 

 刺さった痛みで起き上がるのが一瞬遅れる。そしてそれを見逃さず、リオくんは路上を走る。既にその姿は赫子により膨張し、2メートルはゆうに超えていた。

 

『――彼はもう、死んでるんじゃないかしら。いえ、ああなってしまった以上もう初めから死んでいたようなものじゃない?』

「……僕は、」

『誰も彼もが強い訳じゃない。だからこそ強くあろうとする。勿論、出来る出来ないは別だし、一歩間違えれば誰だって「壊れる」。あの壊れ方には何か「作為」みたいなのがありそうだけど……。

 全部失って、怒りや憎悪が自分に向けば、後はもうね。よく分かるでしょ? 無力感とは長い付き合いだし♪』

「……」

 

 楽しそうに言いながら、彼女は僕に囁く。

 

『――だったら、研くんの手で楽にしてあげれば良いじゃない。奇しくも彼、研くんにお兄さんを重ねていたみたいだし』

「……そういう、問題じゃないですよ」

 

 そうかしら、とだけ言ってリゼさんは黙った。

 

 

 僕は、無理やり足に力を入れて立ち上がり、レバーを操作する。背面から今一度、赫子の"手"を四つ出して、そのまま走り出した。

 

  

 

 

 



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Uc"J" 19:死ニ堪ル

 

 

 

 アタが、あたま、頭がどうにかな、どうにかなってしまいそうだった。

 

『道、開けないとねー』

 

 そんなことを言って、目の前のビルをズタズタにしているのは僕だ。僕の意志じゃない。でも僕の意志じゃないだけで、それをやっているのは紛れもない僕だ。

 ガレキの中で潰れる人達に、カネキさんが手を伸ばす。救えなかったと手を握る姿が、嫌でも僕自身のそれと重なって、胸が痛い。でもそんなことを無視するように、僕の左目の奥から飛び出たこの赫子は、言葉を呟き続ける。

 

『邪魔なんや』

 

 カネキさんを薙ぎ払い追い討ちをかけ、僕はそのまま道路をのっそのっそと走る。道中、巻き困れて転がった死体を拾い、そのまま仮面の中の下――僕の左目から飛び出たベロのようなそれが、がつがつと喰らう。

 気持ち悪い。まるで、何か寄生虫にでも操られているような気分だ。身体の自由が、思うように効かない。

 

 そして僕はたどり着く――あんていくの前に。

 それは――ダメだ。それだけは何があってもダメだ。

 

 自分の体を支配する、自分ではないような衝動がどこに向かおうとしているか。自分の体であるせいか、痛いほど理解できた。

 

 入り口では、トーカさんとヒナミちゃんが丁度出てきたところだったようだ。

 そして僕の変貌したこの姿を見て、酷く驚いた顔をしている。

 

 いや、そもそも僕だって気付いていないかもしれない。トーカさんは目を赤黒く変化させて、ヒナミちゃんを庇うように前に出る。防御よりも攻撃が先に来るあたりが彼女らしいかもしれないけど、それでも僕は、逃げてくれと叫びたかった。

 

 トーカさんが射撃を行うより早く、両腕に変化した爪が彼女の片羽を切り裂いた。「うっ」と身をよじる彼女を無視し、僕の手はヒナミちゃんに振り下ろされようとしている。

 

  ダメだ。嗚呼、やだ、そんなの止めてくれ……、兄さんも居なくなってしまった今、僕の「居場所」さえ奪わないでくれ――!

 

 そんな心を嘲笑うかのように、腕は怯えるヒナミちゃん目掛けて振り下ろされ――。

 

 

 そんな手が、上空から降って来た少年によって蹴り飛ばされた。

 

 

「何やってんだ、トーカ」

「アヤト!」

 

 少年は、トーカさんと似た顔付をしていた。人目で姉弟だと僕には理解できた。

 強弱関係で言えば僕の腕の方が強いはずだけれど、アヤトくんの蹴りは僕の腕を叩き落とした。

 

 彼はこちらをにらみ、背中から赫子を展開しようとする。

 僕の身体は態度さえ全く変えずに、腕を再生する。

 

 にらみ合いが数秒続く。僕も彼も手を出せない状況が続くと、頭部が横から殴られた。

 

「――はッ!」

 

 カネキさんだ。背後から、たぶん赫子を使って僕の仮面の部分をぶっ飛ばしたのだろう。暗がり、口元以外から入らなかった光が、欠けた顔半分から入ってくる。夕暮れの赤さがそろそろ消えるか消えないかというくらい、収める場所を失った赫子の舌が、だらりと僕の左頬に垂れた。

 

「アヤトくん、助かった」

「あ? 別にテメェの為にやった訳じゃねぇし……、何だそりゃ」

 

 その場に居たトーカさんも、何があったのかと出てきたニシキさんも、入見さんも、僕の姿を見て唖然としていた。そりゃそうだ、僕だって言葉を失うだろう。こんな有様じゃ。

 ヒナミちゃんはアヤトくんの影になっているのか、いまいち反応がわからない。

 

 そして衝動的に、僕はその場から逃げた。

 

 衝動的に、僕の全身に恐怖が湧き起こった。こんな姿になり、周囲の人々を殺し、喰らい、彼女たちを襲おうとした僕自身に。奇しくも僕の身体は身体で、別な理由から逃走を選んだのかもしれない。単純に相手の数が増えたせいだろうか。

 でも、それが少しだけ僕の心を安心させた。

 

 

 こんな姿――ずっと見ていて欲しくなんてないよ。

 

 

『なんで?』『リオっちぃ』

 

 仮面が修復されつつあり、視界が段々と暗くなる。そんな途中で左目から垂れた赫子が、僕にそう囁きかける。それと同時に、激痛と共に左目の奥から「記憶が流れてきた」。

 僕は、左目に何かを叩き込まれた。――そしてそれが、この赫子の元になったものなのだろう。少なくとも目が潰れて、その奥までめり込むようなあの感覚を言葉に表すことさえ出来ない。考えたくも、思い出したくもない。

 

 その後、気が付けば時計が沢山ある部屋に居て。そこで死神ドクターを名乗る彼女に、僕は体を弄られた。

 

 気が遠くなるような苦痛と問答の果て。気が付くと、僕はその場におらず街中に抜け出ていた。

 

 断続的に走る左目の奥の痛み。それが最高頂点に達した時、キジマの足音のようなカツーン、カツーンという音が聞こえ、そこから後しばらくの記憶がなくなる。

 何故だ? おかしい。そこで記憶が途切れるのは――。

 

「――そんなん、僕が出てるからに決まってるでしょ」

 

 そして、僕の口はそんなことをしゃべった。

 何だ? 何が起きているんだ? 混乱する僕に、僕の口は「にぃ」っと歪み、笑いかけた。

 

「僕だよ。(リオ)さ」

 

 リオ? いや、意味が全く――。

 

「僕がリオなんだよ。わかんないかなー」

 

 くつくつと笑う僕の口と、混乱し続けている僕。

 

 

  

 

 

 

 

 

 ――気が付くと、僕は全く見覚えのない場所に居た。

 

 肉体は普段通りの僕に戻り。でも腰にはドライバーが装着されている。周囲を見渡すと、山に海の距離が妙に近くて、視界の遠近感が狂う。でも、どこか無人島のように思った。

 

「――初めまして、『ジェイル』」

 

 そして、僕の目の前には――誰かが居た。

 

「君、誰?」

「だから、リオだって」

 

 僕と同じ格好。僕と同じくらいの背丈。筋肉の付き方は相手の方がちょっと多め。

 でも、僕と彼とでは決定的に容姿が違った。まず髪の色。天辺から毛先まで全てが黒い。そして眉がなく、妙に目がぎょろぎょろとしている。

 

 そんな彼は、にぃっと僕に笑った。

 

「いや、君も僕なんだよね。『ジェイル』も僕なんだ。

 でも僕はそれがとても受け入れられなかった。だから――それを知った僕自身を否定した」

「……」

「わからない? だからね。僕なんだよ。

 僕が本来、『一番新しい時系列での』リオなんだよ」

 

 そう言うと、目の前の相手はにしししと笑った。

 目がぎょろぎょろと動く。よく見て見れば、彼に瞼は存在していなかった。通りで目が大きく見えるはずだ。

 

 そんな彼は、目から血の涙を流していた。

 

「兄さんをキジマから助ける為に、強くなりたい。そう願って、エトしゃん(ヽヽヽ)の力を借りていたらさ。ある日、あのヒトから鏡を見せられたんだ。もう、分かるね。何が映ったか」

「……格子の、痣」

「耐えられなかったよ。とてもじゃないけどさ」

 

 あはははは、とそれはそれは楽しそうに笑う目の前の――僕かもしれない何か。

 目から溢れだす血の涙は、見ていてとても他人事じゃないと思い知らされる。

 

「――だから自分を『なかったことにして』一からやり直すことにしたんだけどさ。

 でも、結局助けられなかったんなら、意味なんてないよね」

「……」

「みんな――意味がないなら、壊れちゃえば良い」

 

 にたりと笑うその僕のような何かに、僕は、拳を握って断言した。

 

「……そんなことは、ない」

「?」

「僕にだって、居場所はあったじゃないか」

 

 右も左もわからず、トーカさんに教わった記憶。ニシキさんに遊ばれ半分だけど相談したりした記憶。古間さんにサンドウィッチを教わった記憶。カヤさんに珈琲の味を確かめてもらった記憶――。

 

 店長に、受け入れてもらえた記憶。

 

 ――カネキさんが、僕の真実に涙を流してくれた記憶。

 

 みんなが居るから、居場所なんだ。そしてたぶん、もうそこには、僕も入っている。

 

「やり直したんなら。だったらさぁ……、僕が送ってきた日々も、分かってるだろ!

 あんていくで過ごしてきたこの数週間が。

 そんなんじゃ、まるで無意味だったみたいじゃないか」

「無意味だろう。兄さんを救えなかったんだから」

「確かに、兄さんを救えなかった。辛いし、痛いし、頭がどうにかなってしまいそうだ。でも……それでも、兄さんが僕を庇ったなら。

 僕は、僕らしく生きていきたい。

 だから――君は、僕じゃない」

 

 僕の言葉に、少しだけ悲しそうな表情を浮かべると彼は肩をすくめた。

 

 

 

「なら、どうするんだい?」

「僕は――君を、倒す。そして、僕は僕に戻る!」

 

 中腰に構え、いつでも走れるようにする僕。

 目の前の彼は、そのままの姿勢で。

 

 僕等二人の手が、ベルトの右横のレバーに伸び――。

 

 

 

『――鱗・赫ゥ!』『ゲット3』

『――羽・赫ッ!』『ゲット3』

 

 

 

 僕等は姿を変えながら、拳を構えて走りだした。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 あんていくの前から逃走したリオくんを、僕は追っていた。

 トーカちゃんや西尾先輩から「後で説明しろ」とも言われた。僕自身、未だ整理が付いていない部分が多い。でもだからこそ、僕は今立ち止まるわけにはいかない。

 

 リオくんをー―止めないといけない。

 

 彼自身が、それを望んだのだから。最初から殺そうとは、どうしても僕には思えなかった。最後の最後まで僕は選択肢を捨て去れない。そういう風に、選んで強くなろうとしているから。

 

 だから、僕は願うしかない。もうこれ以上、彼を「殺さないといけない」理由を作らないでくれ、と。

 

 

 

「クロナ――ッ!」

 

 そしてたどり着いた先、嘉納先生の病院の前で、女の子に襲いかかっていた。なんでよりにも依ってここなのか……。しかも黒髪のその姿は、見覚えがある。その彼女に手を向けて叫んでいる白い髪の女の子にも。双子は、朗読会とバレンタインの日に会った二人だ。

 なんでこんな場所に? 疑問を覚えはしたけど、僕は”手”を使ってリオくんの尾赫を引き、その反動で自分をパチンコのように打ち出した。向かう先は、黒髪の子。

 

 リオくんの熱気で目をやられたのか、押さえながらよろめく彼女を抱きかかえ、そのまま”手”でリオくんから距離をとる。一緒に白い方の子も掴み、病院の入り口手前まで引っ張った。

 

「……」

「っ、大丈夫?」

「……う? あ、うん、大丈夫」

 

 僕の腕の中で、黒髪の子の方が少し頬を赤くして、ぼうっとしてるような胡乱な反応を返した。

 

 ”手”を離すと、すぐさま白い方の子が僕らの方に近づいてくる。お姫様抱っこしていた子を下ろして、すぐさま二人に病院で隠れてるように言った。

 

「ありがとう」

「……」

「お姉ちゃん?」

「う? あ、うん。またね――お兄ちゃん」

 

 手を振ってすぐさま走り出す二人。白い方の子が「パパから連絡が――」というような事を言っていたのが少しだけ聞こえる。黒い方の子は、何故か少し名残惜しそうにこちらを見てから、走り出した。

 

 僕は、リオくんの方を振り返る。筋繊維のように身体中を被い尽くした赫子が、めきめきと音を立てて更に膨れ上がろうとしている。

 でも当のリオくんは、頭を抱えて膝をついて、どこか苦しそうだ。

 

 その腹部には、ドライバーが見える。

 

『――簡単に終わらせる方法、教えておくわよ。さっきの赤い装置のダイヤルを5にした状態で彼のドライバーに付けて、ブレイクバーストしなさい。そうすれば爆発四散!』

 

 そんな物騒な選択肢を楽しそうに提案しないで下さい。

 

 少しだけ苛立ちながら意識すると、脳裏でリゼさんの語調が多少は真面目になった。

 

『じゃあ、少しだけヒント。何があるのか知らないけど――どうやら彼、今は尾赫と甲赫しか使えないみたいよ?』

 

 リゼさんの言葉の通り、さっきまで背部全ての箇所から赫子が出ていたのが、今は腕と尻尾だけになっている。身体を膨張させているのに、Rc細胞がとられているのだろうか。

 

 だけれど、そんな状態でもリオくんは甘くない。甲赫の刃のような爪を振り被り、僕を切り裂こうと動く。

 身体に走った傷の痛みに足をとられながらも、僕はそれを回避していく。でも流石に無理が生じた。ドライバー付近の腹を、爪が貫通する――。

 

 血を吐き、転がる僕。

 

 そして見上げた瞬間、僕は見た。大口を開けたリオくんの仮面――その奥にある彼の右目が、泣いていたことを。口が苦悶に歪み、まるで、何かを堪えているかのような。

 

「……止めてくれ、リオくん」

 

 意味はないと分かりながらも、それでも僕の口は動く。

 リオくんは、それを無視して僕に振り被ろうとする。でも、そんな彼は突然自分の頭を押さえて、膝を付いた。

 

 リオくんは――今、戦っているのだろうか。自分本来の意識と、暴虐の限りを尽くす今の姿と。

 

『甘ちゃんな考え方ね。単に、制御できてないだけじゃない』

 

 例えそうであったとしても、僕は、彼の言葉を信じたい。止めてくれと言った、彼の理性を。

 

『いくら叫んでも、もう声は届かないじゃない。

 だってあんなに――辛そうじゃない』

 

 生き地獄という言葉もわるわよ、とリゼさんは言う。

 

 でも、僕は――僕は!

 

 

「おおおおおおおお――ッ!」

『――甲・赫!』

 

 

 ドライバーの状態を変更し、両腕に銀の装甲のような赫子を纏い。

 僕は、突進してくるリオくんの爪をガードして、殴る。

 

 装甲の分だけ強化されているらしい腕力で、彼を弾き飛ばし。

 

 

『――甲・赫! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 

 鳴り響く電子音。少なからず今のリオくんには甲赫の要素がある。なら、この一撃も耐えられるはずだ。

 そう判断して、僕はレバーを二度落とした。

 

 腰の部分から伸びる"手"。そのままリオくんの胴体を掴みとり、勢い良くこちらに引き寄せる。

 

 それに対して意識を集中させ、僕は真っ赤になった両手の装甲を、リオくんにぶつけた――。 

 

 

 

 一撃で、リオくんの身体を覆う赫子の鎧は、その上半身は、弾けた。

 

 瀕死のような姿をしたリオくんが、僕を見て少し微笑み――。

 

 

「ダメじゃないですか」

 

 

 そう、楽しそうに「哂った」。

 

 

 

 

 




白「パパが『お兄ちゃん』の様子を見るって言ってるけど・・・、お姉ちゃん?」
黒「・・・な、なんでもないからね? ちょっとカッコ良かったとか思ってないからね?」
白「・・・お姉ちゃん?」


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Uc"J" 20:自分なりの決着

20~0時くらいにもう1話予定

※思ったより長くならなかったので、そのままつなげました


 

 

 

 

 

「ダメじゃないですか」

 

 リオくんは哂った。でも、その直後には悲しそうに表情を歪めた。その顔は自分の周囲に散らばった赫子に注がれていた。

 そしてそれらが、数秒と経たずリオくんの身体に戻ろうとしている。赫子の繊維一つ一つが黒く伸び、本体たるリオくんの胴体に吸着せんとしている勢いだ。

 

「ダメですよ。カネキさん。これじゃ――僕は止められない」

「リオ、くん?」

 

 リオくんは、左目から出る赫子を弾いて自分の眉間を指差した。

 

「やるのなら、ここにしてください」

「……ッ! そ、そんなのリオくんが――」

「カネキさん。僕は、みんなが好きです。だから――みんなにもう、迷惑はかけたくありません。

 壊したくないんです。みんなが守ってきた、人間と喰種との共存を――」

 

 だから、僕のやりたいように命を使わせてください。

 寂しそうに笑いながら、再びリオくんは赫子に被われてく。僕は、ただただ茫然とそれを見ているしかなかった。

 

「僕を――殺してください」

 

 仮面に被い尽くされてしまう直前の、彼の酷く悲しそうな顔が、僕の胸を焼いた。

 

 なんでそうなってしまうんだ。他に方法はないのか。変質していくリオくんを前に、僕は全く動けず。

 再び変貌したリオくんの拳が、僕に振り下ろされ――。

 

 

『――ロッテンフォロウ・リッパー!』

 

 

 そんな僕の眼前を、丸ノコの刃が飛来する。クインケだ。クインケの丸ノコは、そのままリオくんの腕を弾き、僕の後方に帰って行く。距離をとるリオくん。

 

 背後を振り返れば、そこには――あの捜査官が居た。あの時、橋の下に向かおうとしていた彼。喰種を悪だと断じた彼。11区のアオギリへの大規模強襲時にも居たあの彼が。

 片手にアタッシュケース。射出された丸ノコが帰っていき、先端に装着されて、もう片方のクインケと合体してチェーンソーのようになった。

 

「眼帯」

「……」

「……状況は読めん。が、お前はジェイルを倒そうとしているのか?」

 

 目を開けて驚く僕に、捜査官は僕とリオくんとを見比べてそう聞いてきた。

 

 彼を止めないといけません

 視線を前に戻してそう言う僕に、彼は「そうか」とだけ言って――隣に立った。

 

「呉越同舟、という言葉を知ってるか」

「……一緒に戦うと言うことですか?」

「勘違いはするな。被害状況から見て、ジェイルを先に片付ける必要がある、というだけだ。……お前のレートは未だ判定されていない、ということもあるが」

 

『――ロッテンフォロウ・チェーン!』

『――クラ・スマッシャー!』

 

 プレートのようなバットのような大型のクインケを地面に突き刺し、捜査官はチェーンソーのような方を構える。

 僕は、胸の内で複雑な思いに駆られた。でも……、今は、リオくんを止めないといけない。

 

「行くぞ、眼帯」

「……ハイセですよ」

 

 そんなやり取りを交わしながら、僕等は走る。

 リオくんは一瞬蹲ると、再び、その身体が大きくなる。……さっきバラバラに飛び散った時、何か他のものも吸収したのかもしれない。明らかにその質量は、さっきまでのそれよりもより重くなっていた。

 

 

 振り下ろされる拳を、甲赫を纏った腕で受ける。その背後から捜査官が切りかかった。一見すると強度で打ち負けそうにも見えたけど、チェーンソーはリオくんの腕に亀裂を入れる。

 

『兄……、サン――』

「おおおおお――!」

 

 赫子に刺さって動かなくなったクインケを強引に引き抜き、彼は蹴り飛ばした。それに対して、僕もリオくんから距離をとる。

 捜査官のヒトが一人入ったおかげで、さっきまでより少しは戦いやすくなった。でも、僕も彼も決定力に欠ける。リオくんのベルトに装置を付けて、ブレイクバーストをする気は流石に起きなかった。

 

「クインケを二つ、同時に扱う技量が俺にあれば――ッ!? 何だあれは」

 

 捜査官の言葉に、僕も頭を上げ彼の見ている方角を見る。夜の空、青白い光を伴いながら、黒い、甲虫のような何かがこちら目掛けて飛んできた。

 それは、クワガタのようなシルエットを持っているように思えた。足が四本、後ろがブースターみたいになっているクワガタ。

 

「ッ、リオくん!」

 

 轟音と共に飛来するそれに、リオくんも気付いたのか後ろを振り返ろうとし、胴体をそれの顎に薙ぎ払われた。

 空中に舞う胴体。と、そこから再び赫子が這い出て、立ったまま下半身と落ちた上半身とを再び繋ぎはじめた。

 

『全体の接合強度はそこまで強くないみたいね、研くん。でも回復力は異常と……。赫子のお化けか何かなんじゃないかしら?』

「それよりもあれは――」

 

 飛来した巨大なクワガタのようなそれは、捜査官の手前で止まり、突如変形した。羽根の下側に隠れてた車輪が展開し、彼の前に設置。そのまま胴体の部分からエンジンらしきパーツとかが降りてきて、顎が折りたたまれて、立派なバイクが彼の目の前に出現した。クルーザータイプだったっけ、確か。

 

 そのディスプレイの部分から、何か電子音が聞こえる。

 

『――亜門一等、聞こえるか?』

「……? アキラか? ということは、これは――」

 

 捜査官は立ち上がり、バイクのディスプレイを操作する。すると通信機からの声が、色々と説明を始めた。

 僕は、それを邪魔させないように、リオくんに再び飛びかかる。――現在のリオくんの赫子の装甲は、おおよそ3メートルほど。

 

 

『デチューン版のアラタだ。使い方は前と変わらないが、変形モードにバイク形態が追加された。普段から持ち歩きやすくなったはずだ』

「そうか……」

『それから、地行博士からのアドバイスだ。奴のドライバーの端についているはずの装置があるはずだ。そのダイヤルを5にしてレバーを二度落とせば、なんとかなる、かもしれない』

「ダイヤル? ……、いや、装置事態がないな。そもそも何だ、その装置とは」

『「ヴィクトリー・シンクロユニット」、と言っていたか。クインケドライバーの拘束力を上昇させる装置らしい。欠点は下げすぎると、より拘束力を緩めた状態で使わせられてしまう、ということだが』

 

 ヴィクト……? いや、その装置は今僕が持っている。そして拘束力を上げる装置?

 ということは、仮に今の状態で僕が、ダイヤルを1とかに設定して、再度ドライバーを落とせば――。

 

 弾き飛ばされた僕の横。

 健闘を祈る、という言葉と共に切れた通信。捜査官は、ディスプレイからおもむろに何かの装置を取り外した。掌に収まるようなサイズの装置だ。丸いレンズのようなものが二つ組み込まれたそれを持ちながら、彼は腰にバックルのような装置を当てた。……クインケドライバーとは違う装置だった。

 

 僕は立ち上がりながら、さっき聞こえた声を参考にする。リオくんが自分のドライバーから外したそれを、僕はそれに習ってドライバーの横に取り付け、ダイヤルを回転。1にした状態で立ち上がり、一度レバーを上げ。

 

「「――変身!」」

『――鱗・赫ゥ!』『ゲット1!』

『――アラタG3! リンクアップ!』

 

 タイミングを合わせた訳でもないのに、僕と捜査官との声は重なった。電子音が同時になって、何を言ってるかいまいち聞こえない。

 

 僕の背部の開いた背中。赤く赫子によって染まったそこが、更に布状になって僕の上半身から膝にかけてを被う。紫と赤の重なった色は、嫌でもヤモリを思い出させた。それがリオくんが変身した時に装着されていたパーカーみたいになった。

 

 捜査官の方は、車輪が折りたたまれ空中でバラバラになり、一つ一つ吸着していくように装着される。最終的に顔に向けて、オオカミのようなシルエットで下あご、上あごと装着されて顔面を被う。そして背中に、クワガタの時に顎になっていたパーツが二つ、肩のジョイントに合わさるよう下を向いて装着された。

 

 僕と彼は、お互いにお互いの姿を見た。

 まるで喰種の、僕らのように変化、あるいは装着させた彼に僕は驚かされた。向こうは向こうで、今の僕の姿と、ドライバーの装置に視線が集中している、ように見える。

 

 でも、僕はそれよりも意識をリオくんに集中させる。空中に飛びあがったリオくんは、そのまま両手の拳を重ねて振り下ろす体勢に入った。

 

『アアアア――』

「はぁッ!」

 

 振り下ろされるリオくんのそれに、僕は両手を上に伸ばす。と、袖の部分が伸び、膨張して変化する。この形は見覚えがあった。ヤモリが僕と戦った時に見せた、変身しているような姿のそれだ。

 

 激しく広がったそれでリオくんの拳を鞭のように打ち、ベクトルを変化させる。打ち返した後、袖の部分は最初の形に戻った。

 

『前に比べて、身体が軽い……! これならば――』

 

 捜査官のヒトは、地面に刺さったクインケを引き抜く。両手に武器を構えて、彼は叫び、リオくん目掛けて走り出した。

 僕も少し遅れて、その背後に続く。

 

『『リコンストラクション!』』

『クラ・フルスマッシュ!』『ロッテンフォロウ・デュアルカット!』

 

 チェーンソーを構える捜査官。先端から丸ノコが射出されて、リオくんの顔面目掛けて飛ぶ。

 そうしながら肩に乗せたもう片方の武器も唸りを上げて、ぐん、と振り回される。

 

 リオくんは、最初の攻撃は交わさず胸で受けて、もう片方のそれは自分の右腕で防御した。もっとも、その一撃でリオくんの赫子の腕そのものが消し飛んでしまったのだけれど。

 最初の丸ノコ自体は回転を続けているけど、どうも胸部の赫子を破壊し尽くすには至っていない。

 

『、ケナ――!』

 

 何かを言いながら左腕を振り被るリオくんに対して、捜査官はチェーンソーを構える。予備でもあったのか、先端は通常の丸ノコが入ったチェーンソーの状態のまま。そしてそのまま刃を回転させ、右腕を破壊した反動を生かして回転し、その場にスマッシュした方を叩き付けて、盾代わりのようにした。

 さらに反動を利用して一回転し、チェーンソーでリオくんの足を切りつける。

 

 金属がぶつかるような音と共に、火花と、赫子の液体が血のように飛び散る。回転が続くため一回でその飛沫は止まらない。

 

「おおおおおおお――!」

『ソン、な――アアアア!』

 

 足を止められ、腕をなくし、残すは胴体だけ。

 走りながら、僕の脳裏にリゼさんの声が聞こえる。

 

『――今なら、確実に殺せるんじゃない?』

 

 この状況に至っても、それでも僕の中には迷いがあった。それを分かっているからこそ、頭の中の声は僕の背中を押す。

 でも、どうしても――。彼のあんていくで働いていた時の笑顔を思い出すと、レバーに置いた指が、わずかに躊躇ってしまう。

 

 そんな僕の葛藤を余所に。リオくんは、悪魔のような仮面の口を開けた。舌のような赫子が垂れる。あれはリオくんの左目を突き破って出てきたものだったはずだ。

 

 そしてそれが、捜査官の頭目掛けて勢い良く伸ばそうとしているのを、僕は瞬間的に覚った。

 

 何故ならそこが、捜査官のヒトの装備の中で一番装甲が薄い箇所だから――。

 

 それは――嗚呼、それはダメだ。僕の中の天秤に載せられたものが、入れ替わる。リオくんの命とリオくんの殺してくれという願いとが、リオくんの願いと捜査官の命とに入れ替わる。

 

 目の前の彼を助けたところで、感謝すらされることはないだろう。喰種からすれば、捜査官なんて助けてと嘲笑され恨まれることだろう。

 でも、目の前の情景をそのまま放置するという選択は、僕は出来なかった。

 

「ぅう――、あああああああああああ――!」

『――ゲット1!『鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト!)』シンクロライドッ!』

 

 自分の選んだ選択に、耐えられない感情が目から零れる。右目の視界が涙で歪む。

 全身に纏った赫子の服のようなそれが、光って分解され、何かのエネルギーのように僕の身体の動きを加速させる。そのまま僕は飛びあがり、リオくんのその顔面を回り蹴りで蹴飛ばした。大きく胴体が剃れる。

 

 再度、僕はレバーを二度落とす。

 

 無理やり更に加速して、そのままリオくんの胸部を蹴った。――その結果、胸部に埋まりかけていた、捜査官の武器の丸ノコが、彼に刺さる。

 胸部と、悪魔のような仮面の口から血が迸る。

 

「ぅああああああああああああ――ッ!」

 

 我武者羅だった。自分の行動が何を引き起こすか、理解しているからこそ。そう選択してしまった自分の弱さに、果てしなく目元が痛む。

 それを押さえながら、僕は、リオくんを蹴り続ける。何度も何度も蹴り、その場から引き離そうと――。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

「はぁ……、はぁ……、」

「……はぁ、……はぁ、」

 

 僕は、肩で息をしながら目の前の相手を睨んでいた。

 目の前の相手も――黒い僕もまた、僕を睨んでいた。 

 

 僕は紫色のパーカーのように変化した赫子に、鱗赫。

 相手は同じようなデザインの白黒縞のそれに、羽赫。

 

 正面から殴りあい、打ち、撃ち、切り合い。それでも一向に僕らは決着が付かなかった。

 

「わかったかい? ジェイル。僕は君なんだよ――自分で殴りあって、決着が、付くわけがない」

「……でも、何とかは出来るはず、だ。だって――今まで、僕は君を思い出さなかったのだから」

 

 ようやく、自分に理解が追いつきはじめていた。アオギリで「彼女」に改造されたことを、僕は思い出さなかったのだ。それは当然逃げてきたということだけど――同様に、自分の狂ってしまった部分を何とかして押さえ込んでいた、ということとイコールのはずだ。

 

 少なくとも、あんていくの皆を殺そうとはしたことはなかったのだから。

 だからこそ、目の前の彼を否定する事で、僕は今の僕を保つことができるはずだ。

 

「でも――もう戻れないよ。時間切れだから」

「……へ?」

「『エトさん』が言ってたから。だから、早く諦めた方が楽になれるよ」

 

 不可逆だと言って、黒い僕は悲しそうに笑う。僕は、それに一瞬言葉が続かない。

 

 眼前の視界、周囲の風景に僕の記憶が投射される。あんていくで過ごした毎日が。そしてそれらに、ジェイルの証である牢獄の模様が浮かび、ヒビのように割れて、くすんで行く――。

 

 それでも。そうであって――いや、そうであるなら、なおのことだ。

 

 僕は、もう失いたくない。兄さんを失って――居場所(あんていく)までも、失いたくはない。

 

 

 

 気が付くと、僕の横にはカネキさんの姿があった。たぶん、これも僕の頭の中の幻想なんだろう。変身して、仮面を付けたカネキさん。

 そのカネキさんに向けて、覚悟を決めて僕は言った。

 

 

「僕を――殺してください」

 

 

 一緒に僕を。本来の「僕」だと言う僕自身を。全部壊そうとしている僕自身を、殺すのだと。

 

 瞬間、黒い僕が「正気か!?」という顔をしてこちらを見た。

 カネキさんの幻影は、途方もないくらい悲しそうな顔を浮かべた。でも、すぐに正面に顔を向けたので、表情まではわからない。仮面に隠れて、下の表情はわからない。

 

 駆けだす僕に合わせて、カネキさんが一緒に走る。

 黒い僕が射撃する赫子を、交わし、傷つきながら。

 

「何を言ってるんだ、ジェイル……? 帰るんだろ? 帰りたいんだろ? なら、なんで死ぬんだ、殺してくれなんて言ったんだ!」

「……居場所がなくなったら、帰れないから」

 

 振り被って、僕は僕の顔面に向けて、拳を叩き込む。 

 

「居場所を壊したら、もうそこには居られないから」

 

 そういう意味でなら、本当なら僕は、自分を投げ打ってでも兄さんを助けるべきだったのだ。それさえできなかったのだから、これは、当然の結論だった。

 

 例えそれで、僕が居た場所に穴が開いてしまったとしても――それ自体がなくなってしまうことの方が、僕は死んでも堪えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がん、という蹴り飛ばされたような音。

 

 気が付くと、僕の視界は「本来のもの」に戻っていた。左目から垂れた舌のような赫子。薄暗い視界。

 そして、胸の中央に走る猛烈な痛み――。

 

 

 ――頑張ったな、リオ。

 

 

 兄さんの声が、不意に脳裏で再生される。

 そして、目の前のカネキさんの顔が見えた。仮面に隠されていない左側の目が、赤く腫らして、泣いていた。

 

 嗚呼、そうか。

 

 少しだけ、言わなきゃならないことがあるなぁ。

 

 

 

   ※

 

 

 

 気が付けば、僕はリオくんを見下ろしていた。リオくんの全身からは、赫子が分散していた。

 

 彼の全身は、さっきまでより更に酷い状態になっていた。ただ欠けた体の箇所から、まるでそこを埋めるように赫子のような何かが、うねうねと蠢いて、這い出ていた。

 

 リオくんは、僕の顔を見て――笑った。あんていくに居た時のような、屈託のない、嬉しそうな笑みだった。

 

「ありがとう、ございました。止めてくれて。制御なんて、全然できなくって」

「……リオ、くん」

 

 膝を付き、リオくんを抱き起こす。少し血の気の引いた顔で、リオくんは僕に笑みを向け続ける。

 

「カネキさん、僕、わかりました……」

「……?」

「カネキさんは、やっぱり、兄さんに似てるんだと思います。だから……兄さんのように、ならないで下さい」

 

 何を、言ってるんだ?

 リオくんの言葉に困惑してると、彼は痛みがあるのか、少しだけ表情を顰めて。それでも、笑みを崩さないようにしていた。

 

「僕は、……僕が選んで、こう、なりました。だから、悲しまないでください。そのことには」

「……ッ」

「みんなが――貴方が居てくれたから、僕は、幸せです。幸せでした」

 

 

 そう言って、リオくんは僕を「突き飛ばした」。

 

 驚く僕の視界には、リオくんの背部から出た赫子――たぶん鱗赫だろうものが見えた。そして二つあるその片方の先端には、ドライバーの横に付けたあの赤い装置が――。

 

 待ってくれ。何をしようとしている。

 

 叫ぼうとした瞬間、僕は気付いた。周囲に散らばっていた、赫子の破片が再び蠢きだしていたことに。制御できないと言っていた以上、これに覆われれば、またリオくんは暴走するということか――。

 赫子がリオくんの腰に装置を装着すると、1にされていたダイヤルを回転させる。

 

 そしてその状態で、赫子がドライバーのレバーを――。

 

「リオく――」

 

 手を伸ばす僕に、少しだけ悲しそうな笑顔をしてから。目を閉じて、息を吸って――リオくんは、レバーを二回落とした。

 

 

『――崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 

 その電子音と共に、リオくんの身体が一瞬赤く光り――身体に再びまとわりつきはじめていた赫子もろとも、爆発した。

  

  

 飛び散る破片や液体をいくらか被り、僕は吹き飛ばされる。その途中、地面に武器をつき立てて踏みとどまる捜査官の姿が見えた。

 

 風圧が消え、転がり、僕は立ち上がる。

 震える手を押さえながら、一歩一歩、歩き。

 

 

 さっきまでリオくんが居たところには――赤い帯のついた、ヒビの入ったドライバーだけが残されていた。

 地面に、真っ赤な放射状の痕を残して。

 

 

「……ッ」

 

 僕は、力なく、その場の地面に拳を叩き付けた。半分は喰種であるせいか、変身しているせいか、痛いだけで血が出る事はなかった。

 

「……何がしたかったんだ、お前は」

 

 捜査官が、僕に言葉を投げかける。

 何をしたかったか? 僕は――リオくんを助けたかった。

 

 自らのせいで、兄を救えなかった彼に。もう一度、心の底から笑えるようなってもらいたかった。例えすぐには無理でも。どこかに歪さが残ってしまったとしても。それでも

 

 

 

 生きて、笑っていて欲しいんだと。

 

 

 それだけで、それを残しただけで救われるような、そんな――。

 

 

 

「……彼を、助けたかった」

「……そうか」

 

 捜査官は、変身したままこちらを見る。ただ首元のスイッチを押して、仮面を頭の背部に展開して移動させて、こちらを見ていた。

 僕も立ち上がり、彼の顔を見る。 

 

 お互いに、そのまましばらく沈黙が流れる。

 

 

「……お前は、何なんだ」

 

 

 彼の言葉に、僕は少し躊躇ってから、それでも、答えた。

 

 

「……人間で、喰種で――仮面ライダーです」

 

 

 その返答に、捜査官のヒトは目を見開いて、言葉を失った。

 

 

 サイレンの音が聞こえる。警察か、それとも他のCCGか。……どちらにせよ、あまり長くこの場に留まっていてはいけない。

 散らばってしまったリオくんを回収することさえままならず、病院の前というこの状況から、更に逃げないといけない。どうしようもない後悔が身体を駆け巡る。どうにか出来なかったのか、と。他になにか方法があったのではないか。思考は尽きない。終わりがない。

 

 拳を握る他なく、そしてどうすればこの場から安全に脱出できるか――。

 

 

『――迎えに来た』

 

「「!?」」

 

 

 沈黙していた僕等の間に、唸るエンジン音が聞こえた。そして上空から、赫子を纏った、どこか流線型を思わせるバイクが降り立った。

 搭乗者は――僕が一番最初に出会った「仮面ライダー」。

 

「お前は――、まさか梟ッ」

「て――」

『……詳しい話は帰ってからだ。今は、早くこの場から引き上げよう』

 

 

 そう言うや、すぐさま僕を赫子で掴みとり、バイクの荷台(にはとても見えない程赫子で被われて変質しているけど)に乗せ、アクセルを噴かせる。バイクの背部から蒸気や風を出し、そのまま上空に「飛び立った」。

 まさか? いやいや、これだけ大きなマシンでもそれを無視して空中を飛ぶのか!?

 

 突然のことに混乱をしながらも、僕は嘉納先生の病院の方を見る。リオくんが居た、赤い場所を見た。病院の周りはパトカーと捜査官たちが集っていた。

 

 

 こちらを見上げるのは、変身した捜査官のヒトと、彼に近づいてくる白い髪の……、何か見覚えのあるような少年。

 

 僕は結局、見えなくなるまでそこから視線を動かすことが出来なかった。

 

 

 

 

 



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Uc"J" 21:残せたもの

※前話に追加分があるので、そちらを参照しないと話が繋がらないかもです


 

 

 

 

 

 三月になった。俺は捜査の傍ら、デチューンされたアラタG3の運用試験を繰り返している。

 デチューンされたとはいえ、装備状態における二種類のクインケの同時運用を可能にするアラタのポテンシャルは大いに評価されたらしく、装着型クインケの開発に予算が大きく注がれた、と博士は言っていた。

 

 そして現在、G3(正式名称が「ガーディアン3rd」でG3となった)は現在、20区のガレージ内に設置されている。本来ならそれに乗って現場に急行する、というのが理想らしいが、生憎と今俺は二輪の勉強中だった。

 

「まぁ何にしても、大変だったねぇ亜門くん」

 

 真戸さんはそう言いながら、自分の席にカレー(辛口)を置いた。

 それに続き、俺もカレーうどん(甘口)を隣に置く。

 

 本日は非番ということもあり、俺はアカデミーに来ていた。というのも、真戸さんが希望者に対してクインケ操術の特別講義を行っていたからだ。生徒達と軽く挨拶を交わし、そのままの足で食堂に来ている。

 周囲に生徒達が居ないのは、未だあの場で粘っているからか、くたびれているからか。それでも数人、姿がちらほら見えるので、じきにまた集ってくることだろう。

 

 そして、俺は俺で当初の目的を話す。

 

 

「眼帯の喰種――ハイセと梟には、やはり何らかの繋がりがあるようです」

「……そうか」

 

 

 真戸さんは、俺の言葉に眉間に皺を寄せた。

 

 11区。アオギリ樹への大規模攻撃作戦を経て、俺の中に疑念として浮かび上がった一つの可能性が、形を成して肯定された。ジェイルを倒した後、あの眼帯の喰種を梟が回収しに現れたのだ。……赫子で武装したバイクという、とんでもないものを有して。

 その後、バイクで空中を飛び去った彼等を、特定する事は出来なかった。どうもビルとビルの間を抜け、そのまま一般車両に紛れてしまったらしい。このことからも「赫子で武装していた」という事実が厄介さを物語る。一件して車種さえ特定が出来ないのだ。手配するのも難しいと言える。

 

 少なくともCCGがその後に設置した検問に引っかからなかった以上は、そういうことなのだろう。

 

「俺は……、キジマ准特等の言葉を聞き、ジェイルを追いました。そこで奴と遭遇した。奴は、ジェイルを止めなければならないと言っていました」

「ふむ」

「あの状況において、俺一人でジェイルを倒すことはままならなかった。……」

 

 そしてまた、アイツも一人でジェイルを打倒することは困難だったはずだ。だからこそ持ちかけた呉越同舟。そして……、ヤツはそれを拒まなかった。

 時間にして数分もかからなかったろう。アラタを装備したことも大きいかもしれない。だが、結果としてジェイルを倒すことが出来たのは事実だった。

 

 そして――ジェイルは、自らベルトを操作して、爆発して死んだように見えた。

 

 一体、奴とジェイルとの間でどんな会話が交わされたのだろうか。俺には分からないし、分かるつもりもない。

 だが……どうしても、その後の奴の表情が、俺の脳裏に焼き付いている。

 

 目をわずかに赤く腫らし、それでも前を向いて。

 

 自分を仮面ライダーだと言った、あの顔が。

 

 

「ふむ。……しかし、ジェイルか。確か捜査官のクインケを複数喰らった、という話をキジマから聞いていたが?」

 

 真戸さんの言葉に、俺は頷いた。

 後日、入院しているキジマ准特等の元を訪れた際、本人から直に話してもらった。彼とジェイルとの因縁を。ジェイルにトドメをさしてくれた、その解答として。

 

 赫者でない場合、喰種は三種類以上の赫胞を同時に保有する事は難しいらしい。そもそも赫子に属性、毒性がある以上、反発しあう同士の組み合わせの場合は勝利した方の形質が残るらしい。二種類の赫胞を持っているだけで特殊なのは、そういった理由からだ。

 その上で四つも保有していると言う事は、外部から奪い取ったと考えるのが筋らしい。

 結論から言えば、まさにジェイルのそれは特殊なものだった。

 

 かつての准特等の部下達を殺した際、ジェイルは彼等のクインケを奪い取り、捕食した。死亡している喰種の赫胞を取り込む事は不可能のはずだが、しかしジェイルはそれを可能にしていたらしい。

 当時は現在のクインケに使われている「リンクアップシステム」の解明が出来たばかりのころだった。そして当時の説明によれば、高い純度のRc細胞を赫胞に流し込まれ、そもそも本体の制御を無理やり奪い取られたのではないか、ということだったらしい。

 

 ジェイルに対する私怨同様、そういった事情からも奴を野放しには出来なかったと、彼は語った。

 

 爆散した身体のパーツの中から、実際に赫胞が四つ発見されている。これらは元々一つ刳り貫かれていたジェイルの目を通じて、新しいクインケとして生まれ変わるとのことだ。

 

「本当なら自分の手元に置いておきたいと言っていましたが……。それでも、後進の役に立てたいと」

「なるほど。らしいな……。

 先日、私の元に委ねるという旨の連絡が来たのだが、そういうことか」

 

 スプーンでカレーをすくいながら、真戸さんは遠い目をして言った。

 

 ほう、と息を付き、俺は一度席を立ち、コップに水を入れる。

 入れながら、俺は少しだけ気がかりなことを思い出していた。

 

 爆発したジェイルの身体だが、形が残っているのが身体の60パーセントほど。主に下半身に集中しているらしい。

 

 腰から上、上半部は腕が捥がれていたことや、実際爆発の際の威力がそっちに逃げたこともあり、粉々になって紛れてしまったのだろうと言われている。

 

 だが……、俺の記憶が間違ってなければ。

 

 クラを地面に付き刺し、あの爆発により飛ばされないよう耐えていたからこそ。アラタのバイザー部分から見えた視界。粉々になった際のジェイルの胴体、その首と左肩を含めた胸部は、接合したままどこかへと弾けとんだような、そんな気が――。

 いや、あの場で発見されなかった以上、記憶違いか、さもなくば空中で更にバラバラになったか、ということなのだろう。

 

 座席に戻って真戸さんと俺の前に水を置く。「すまんね」という彼の言葉を聞き、俺は少し笑ってうどんを啜った。

 

 

「――――ッ!!?」

「ああ、すまん。少しこちらのルゥが跳ねたようだ」

 

 大丈夫かね、と笑う真戸さんに、俺は辛さに咽続け、言葉を返せなかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「いらっしゃいま……」

「あっ」

「ゲッ」

「やあ、あんていくの諸君!」

 

 三月にそろそろ入るかってころに、月山が店に来た。カネキはともかく、私もニシキも顔を強張らせる。

 

「月山さん、今日はどうしてあんていくに? もしかして――」

「嗚呼、カネキくん。そちらの件ではないのだがね。……ちょっとしたリトルスィングスさ」

「まだ営業中だから、邪魔だから消えな」

「おやおや……。では、お客らしく振舞おうかな。珈琲を一杯」

 

 注文すると月山は、手持ちのバッグからなんかよくわかんない花を二つ取り出した。カネキにそれを手渡し、何か説明をしていた。

 

「せめて2階にでも飾っておいてくれ。僕と、彼女(ヽヽ)からだ」

「……そうですか」

 

 彼女? というのが誰かは知らないけれど、月山が言わんとしていることを悟り、空気が暗くなる。

 

 記憶が戻り、ある捜査官と戦いにいったリオが暴走した、というのはカネキと店長から聞いた。そしてその後、カネキがどうしたのかも。

 

 リオは……、やっぱり、なんとなく弟分という感じがしていた。カネキやニシキたちの後の後輩って意味でも、年齢的な意味でも。

 あいつが居なくなった事は、悲しいし寂しい。でも、どちらかと言えばそれは私たちより、ヒナやカネキの方が受け止め方は重いのかもしれない。

 

 自分なりに決着をつけに行こうと、前向きにアイツは出て行ったから。生きていてほしいって約束したけど、でもそれは、アイツ自身で納得した行動だったと思う。

 

 言い方は悪いけど、喰種はそういう所を、割り切って生きていかなきゃいけない。悲しむなということではなく、そうじゃないと身が持たないから。だからこそ、堪えて、受け止めていかなきゃならない。私は、それでもそんな自分たちが嫌で、抗いたい。そう思ってヒナの時は色々やったけど……。

 いや、でもたぶん、私はヒナをどうにかしないとってのもあるんだとは思う。近しいヒトが死ぬのは、悲しい。

 

 短い間だったとはいえ、ヒナミはリオと結構遊んだりしていたからか、やっぱり悲しんでいるんだと思う。リョーコさんの時ほどじゃないけど、一人で居る時の表情は暗い。アヤトとかカネキと相談して、どうしたものかと色々考えてる。

 

 まあアヤトは、いつまで居るかわからないって自分で言ってるんだけど……。

 

 2階に上がったカネキは、しばらく帰って来なかった。お客はあんまり居なかったから大丈夫だとは思ったけど、カヤさんに「行ってらっしゃい」と後押しされて、私は階段を上った。

 

 扉を開けると、ヘタレの手前で花瓶に花を入れて、カネキはぼうっと窓を見ていた。

 

 私は……、かける言葉が思い付かなくって。だから、カネキの隣に意図的に、くっ付くように座った。自分の存在をアピールするように。

 

「……」

「……? あ、トーカちゃん」

 

 カネキの反応は、なんか胡乱だった。

 慌てることも、反応に困るような仕草をするでもなく。花瓶の花を見ながら、力なく笑うだけ。

 

「どうしたの? って、あー、ちょっと長く居すぎちゃったかな。二階」

「……」

「?」

「……」

「……何か話そうよ、ちょっと怖いって」

「……話すのは、アンタの方でしょ」

 

 首を傾げるカネキに、私はほっぺを軽く引っ張った。「痛い」というのを無視して、恥ずかしさを押さえて顔を、目を近づける。

 

「本当に何もないの? そんな、なんか上の空って感じの顔して」

「……」

「何て言えば良いかわかんないけど……、あー、もうっ」

 

 ほっぺから手を離して、私は顔を背けて。両手を握って膝の上に置いた。

 カネキはしばらく何も言わなかったけど。

 

「リオくんがさ。……最後、笑ってたんだよね。ここに来れて幸せだったって」

 

 窓の方を見て、私から顔を逸らしてそう言った。

 

「僕をお兄さんと似てるって言いながらさ。だから、兄のようにはならないでくれって。

 その意味が……、少し、含みが多くてさ」

「含み?」

「たぶん、自分を犠牲にするなとか、そういう意味合いだったと思うんだけどさ。でも肝心のリオくんは、そういうようなことをやっちゃったし……。

 それが、なんとなく……、上手く言えないや」

「……アンタさ」

 

 私は、不意に思ったことを聞いた。

 その口ぶりから、ひょっとしてと思ったことを。

 

「ひょっとして、羨ましいとか思ったの?」

「……リオくんは、優しい子だったよね」

 

 カネキは、それ以上は何も言わなかった。

 

 私は、なんだか無性に悲しくなって、腹が立った。

 

「楽しい訳? そんな、悲劇のヒーローみたいな顔して」

「……」

「何がしたいのよ。アンタ」

「……僕は、……失いたくないんだよ」

 

 だからみんなを守りたいと。そのために頑張りたいんだと。

 言いながら、少しだけこっちを向いて、カネキは顎を擦る。

 

 私は、反射的にカネキの頬を殴った。

 

「……、と、トーカちゃん?」

「……だったら、自分を大事にしろよ」

 

 まんまじゃない。リオの言った事。

 

 リオの兄弟のことなんて知らないけど、カネキの言葉からして、リオのために身を呈したんだろ。

 だったらそうなるなってことは、自分をそんな風にするんじゃないってことだろ。

 

 あんていくに来れて幸せだったんなら――あんていくが大事だったんだから、アンタも大事だったから、そうなって欲しくないってことなんじゃないのかよ。

 

 カネキは、目を見開いて驚いたようにしてるだけで。

 

 気が付くと、私の目からは涙が溢れていた。

 

「自分を守れよ。だったらまず、自分を大事にしろよ。そんなこと出来なきゃ、誰も守れる訳ねーだろ」

「いや、僕は――」

「黙れッ」

 

 なんとなく分かった気がする。カネキはお父さんと被るけど、やっぱりお父さんじゃない。根っこの部分が、お父さんみたいな感じじゃないんだ。似てるけど違う。たぶん、もっと一人よがりなんだ。

 だから、こんな簡単なことにも気付けない。

 

 大事にしてくれと気遣われてることに気付かない。

 自分が傷ついてることに、気付こうともしない。気付いてないんじゃなくって、気付くつもりがないんだ。ひょっとしたら、それで満足した気になってるんじゃないか。

 

 なんでコイツ、こんなになっちゃってるんだよ……。なんで、こんな――。

 

 

 何か言い返そうとしているカネキを無視して、いつかのように私はカネキを抱きしめた。

 

 前に一回だけ求められた時は何を言い出してるんだと思って、なんとなく応じたけど。でも今回は、もっともっと、強く、強く。

 

 

「馬鹿みたいじゃん。そんなんじゃ……ただの自己満足だろ」

「……」

「自分を入れろよ。守れよ。……死んだら、悲しいって言ったじゃんか」

 

 

 私が言った言葉も、リオの言葉も届いたかは分からない。

 カネキはただ、私にされるがままになっていて――。

 

 でも、そのまま私を引き離そうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 




本日12:00予定の次回がエピローグとなります


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Uc"J" エピローグ

※2/12の二話目の更新となりますので、そこのところご注意を


 

 

 

 

 廃墟のような光景の中――。

 

 こうして夜に一人で居ると、昔のことを思い出す。……思いだせるようになったんだ。兄さんと二人で、色々な廃墟に移って寝泊りした時のことを。

 夜、寝られない時は色々な話を聞かせてくれたことも。楽しくて、睡魔に飲まれて気が付くと朝になって。そういうのが僕は好きだった。兄さんも兄さんで、どこからそういう話を仕入れてくるのかわからなかったけど、たぶん図書館とかなんだろうと今なら思える。

 

 そういえば、食糧の調達はずっと兄さんに頼りっきりだったっけ。

 今思えば、あの赤々とした光景を生み出さないように、僕が暴走しないように注意をしていたんだろう。それだけ僕が危険ならば、CCGも優先的に駆逐しようとするだろうから。

 

 そういえば、一人で身の回りのことをこなすのも随分慣れたっけ。

 記憶を辿りながら、僕はコーヒー道具を取り出して動かす。

 

 カップを二つ揃えて、それぞれに。

 湯を沸かし、引いていた珈琲豆へ「の」の字に注ぐ。泡が膨らむごとに香る芳ばしいそれは、何度嗅いでも不思議な気分だ。

 

 芳村さんの味には程遠い僕の腕前。

 それでも、あんていくと出会って僕が出来るようになったことだ。

 

 一口飲めば、まだまだな味わいと一緒に思い出す、あんていくの日々。

 

 トーカさんに、ニシキさんに、古間さんにカヤさんに、万丈さんたちやヒナミちゃん。

 四方さんに月山さんに、店長や――カネキさん。

 

 

 ――みんな、どうしているだろう。

 

 

 胸を締め付ける痛みに、僕は大丈夫だと言い聞かせる。

 

 自分の分と、もう一つの手を付けてないカップを手に取り、僕はテーブルに向かって運ぶ。

 

 

「――お待たせ、兄さん」

 

 兄さんは何も言わず、ただ微笑んだ。

 テーブルに並ぶ二つのカップ。僕は自分の分を手に取り、兄さんは目の前のものを取って、一口。

 

 味について聞くと、少し困ったように笑う兄さん。

 

 一口飲んで、僕は口を開いた。話した事が沢山あるんだ。兄さんに。

 

 兄さんが居なくなってからのことを。

 兄さんにかけてきた迷惑や、感謝を。

 

 そして、もっともっと沢山のことを。

 少しだけ兄さんみたい思えたカネキさんのこととか、ニシキさんの惚気とか、初々しいトーカさんのこととか。本当は、ちょっと好きになりかけていたこととか。

 人間の食べ物の味とか、お店で働くこととか、お客さんのこととか。図書館に初めて行って、本をいくつか読んだりしたとか。前に兄さんが話してくれたものが、その中にあったりしたこととか――。

 

 

 

 

 

 

 

 空はどこまでも、深く優しく続いていて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕等は、いつまでも自由だった。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

       <Uc"J" END>




思ったより上手くはいかなかったかな? というのが個人的な感想でした

次回から何話か番外編? をやってから、無印後半戦に移りたいと思います。ただ番外編は今までと結構毛色が違うので、ご注意を;
それでは、また見てインサイト!


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ネット版外編 第1回分配信

今回のお品書

No.5 大レースバトル!in A with A 前半戦
No.4 喰種開業医・笛口アサキ 第3患者、第4患者

※キャラ崩壊注意
※2/17誤字修正


『5.イっせーの! で走る』

 

 

 

<――大レースバトル!in A with A 前半戦――>

 

 

 

「大レースバトル、in アオギリ with あんていく~~~~!」

 

 いえーい、だのひゅーひゅー、だのという声が、2つに分かれたチーム内部から叫ばれる。なおたまーに「何なの?」「知らねぇ」「アニキー!」「ついにこの魔猿がベールを脱ぐ時が」「カネキがんばれよー」だの色々な呟きが漏れ聞こえていた。

 

 そんな中、廃墟に臨時的に設置されたようなステージの端、司会者の女性はマイク片手に頭を下げた。

 

「このコーナーは、東京喰種界の事情通! メタ発言? お前まだここに居ちゃまずいだろ? 細けぇこた良いんだよ! 比類なき女流ミステリー作家、高槻泉が司会を務めさせていただきます!

 ルールとしては超簡単! 提示されたレース競技に『あんていく』『アオギリの樹』からそれぞれ指定数ずつ出場し、1位を決める! 1位以外は、競技にまつわる(人間基準で)美味しい食べ物を頂けちゃう! むしろ頂けって感じです!

 解説は皆選手ご存知このお方! 東京喰種界トップのジェントル、あんていくオーナーの芳村さんです! きゃー、かっこいー! お父さまになってー!」

「解説の芳村です。……? 高槻さんだったかね、どうぞよろしく。

 ところで何故か私は、君の顔立ちに少し妙なデジャブを感じるのだが――」

「さて! 今回の種目はこちら!」

 

 ぱちん、と指を慣らすと廃墟の壁面に文字が映される。

 

 

――借り物競争ー―

 

 

「借り物競争でございます。お題は三つ、それぞれを借りてチェックポイントに行き、認められれば通過! これを三回繰り返して、一番最初にゴールできたヒトの優勝です。

 なお細かいルールですが、お題一つにつき持ってこられたものや相手は、他の選手は使えないことになります。

 ではでは出場者、各陣営から2人ずつの皆様はこちら!」

 

 あんていく側からニシキ、トーカが立ち上がりステージへ。

 アオギリの側からは鯱、ミザが立ち上がりステージへ。

 

 ニシキは隣の巨大な鯱の立ち姿に唖然とし、ミザは酷く不服そうに首を傾げていた。

 

「……なんで私は今ここに居るんだろう。何? :reの時点で併合されているから関係ないだろってこと?」

「よし、勝ったなぁ。悪いがコミュニケーション系の授業じゃ俺、成績トップだぜ」

「小童、驕るべから()ッ!!!」

 

 鯱の妙に気合の入った台詞にびくり、と肩を震わせるニシキ。なおトーカは、何故か体操着(ブルマ姿)にジャージで暗い表情を浮かべていた。隣のニシキが全身ジャージのみの運動着であることを考えても、なかなかに対比としては酷い。

 

「なお実際に学校指定の運動着がある方は、それっぽい格好をしてもらってます」

「私以外該当者居ないじゃねーかッ! てかブルマじゃないっつーの司会者ァ!」魂の叫びである。

「まあまあ。霧嶋選手はどうなの? 自信ある?」

「去年、見てはいたけど面倒そうってくらい……?」

 

 トーカちゃんファイトー! という少女の声に、少しだけ照れてため息をついた。

 

 なおミザはミザで司会者に話題を振られると「走るくらいなら、一応」とだけ。

 

「さ、では皆トラックに付いてー? ちなみに各チェックポイントは、それぞれイトリさん、ウタさん、四方さんに付いてもらって居ます」

「よろぴくー!」「うん」「……」

「はいはい、ではでは並びましたね? では位置について、よーい……、ドン!」

 

 ぱん! という音と共にトラックを走り出す四人。身体能力のみで最も素早い鯱と、ルール上指定がなかったためか赫子を出してそれに迫るトーカ。ニシキの「あ、それ汚ねぇ!」という反応にも、特に気にした様子はなかった。

 

 「わーって借りてらっしゃい!」と言うイトリから受け渡された

 

「さて、第一チェックポイントのお題ですが、芳村さん。状況をどう見ますか?」

「ふむ。詳細についてはチェックポイント突破者が現れないと出ませんが、これは中々トーカちゃんが有利ではないですかね」

「ほうほう? ――おっと、芳村さんの解説通り、今、霧嶋トーカ選手が第一チェックポイントを突破ァ! 鯱選手は逃げ惑うカネキくんを必死の形相で追跡中!」

 

 トーカが突破した時点で、ステージのスクリーンには「お題1:家族」と表示された。

 アヤトが面倒そうにギャラリーに帰って行く中、ミザが「こんなの公式で対応してないでしょーが!」と憤怒の表情である。

 

「さて単独トップに躍り出た霧嶋トーカ選手ですが! お? おっと、西尾ニシキ選手が連れてきたのは? 女性? おっと、イトリ選手からおっけーが出ました! 将来の家族というのもおっけー扱いな模様ですノロケやがって! チョコ食わせられて吐き出しやがれ!」

「高槻さん、落ち着いて……。

 さてしかし、第二関門もまたトーカちゃんは有利かもしれませんねぇ」

 

 月山習を連れて行ったトーカに、ウタが無言でサムズアップ。画面に出力された「お題その2:嫌いな相手」という文字に「Why!?」と何故かショックを受けたらしい月山。

 

「さーてレースもラストスパート? 現在の選手の状況は、ついに鯱選手が第二チェックポイントに突入! ミザ選手は『私、聞いてない!?』と第一から動けず、西尾ニシキ選手と霧嶋トーカ選手の一騎打ちか? あーっと、そして古間円児さんがすごく微妙な顔をして西尾ニシキ選手に連れられてきてるぞ!」

「嫌いと言っても100%の嫌いという訳ではないんでしょうが、これは後で色々響いてきそうですねぇ」

「おっと? しかしなにやら彼独自の理論で納得したようで、訳知り顔で頷いてます。わかってる、わかってるよニシキ君、と口が動いてますね」

「私としては後、バックブリーガーされて連行されたカネキくんの事がひたすらに気になりますが……」

「さて、しかし最終ラウンド。固まって動けなくなってる霧嶋トーカ選手! おっと、西尾ニシキ選手がお題を見て爆笑! 霧嶋トーカ選手の肩をぽんぽんと叩きます! あれは何だ、勝者の余裕か!?」

「下手をするととんでもないカミングアウトになりかねないお題ですからね。いい加減腹をくくるしかないでしょう」

「随分コメントが手厳しいですねぇ……。というより、今回のお題は芳村さん指定でしょう?」

「煮え切らないのは構わないですが、早い所決着を付けないと後悔先に立たないかもしれませんからね。早いうちに、というところでしょうか」

「おっと! そして再び西尾ニシキ選手、自分の彼女選手の手を引いた! ということは今回のお題は? お題は? あーっと、そして霧嶋トーカ選手、意を決したように伸びている金木研選手に走る! 覚悟を決めた乙女の顔だ、が間に合わない、良いのかそれで! 本人気絶してるのが幸か不幸か!?

 あーっと、そしてゴオオオオオオオルッ! 優勝者は、西尾ニシキ選手です!」

 

 会場から上がる拍手。倒れたカネキを抱き起こしはしたものの、意識を取り戻させるかさせまいか迷いに迷っているトーカ。

 スクリーンには「お題その3:好きなヒト」と表示されてたりもするので、察するに余りある。

 

 

 

 

「さて、では罰ゲームのコーナーです」

「罰ゲームって言ったよこの司会者!?」

 

 ミザの言葉を、高槻泉は軽く流した。

 

「本日のご馳走はこちら! 栄養士を目指す花の女子高生、小坂依子作の特性からあげ! カネキメシを踏まえたバージョンアップ使用のそれをとくご賞味あれ!」

 

 トーカは「まあ慣れてるし」と(表面上は)平然と口に運ぶ。

 鯱は「奴ヌッ?」と口の中で咀嚼する。修行か何かの一環とでも思ってるのだろうか。

 

 この二人はまだまともな反応だったが、ミザの反応が圧倒的に悪かった。口に含んだ瞬間、カメラが回っているためか意識して笑顔を作ろうとしていたが、十秒も立たず「アッー!」と叫び失踪。

 

 ナキがなんとなくそれを見て「ざまぁねーな!」みたいな表情をしていた。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

『4.ェトしゃんと盛り上がろう!』

 

 

 

 暗転した場所で、丸椅子の上に座る男性。背中をこちらに向けて、黒い白衣を身にまとっている。髪は長いというより、切るのを面倒がっているのか適当に束ねている。

 そんな彼が、ちらりとこちらに身体を向けた。人の良さそうな顔をしているが、少し疲れている印象である。ひげはうっすらと生えており、メガネに、首には聴診器を巻いていた。

 

「――やぁ。理性と本能の狭間に囚われた皆さん。

 私は笛口アサキ。喰種の赫子に目がないドクターです」

 

 特に妻の赫子の形状の美しさといったら、と何かを語ろうとした瞬間、口から涎が垂れかけ、じゅるりと袖で拭った。

 

 

 

 

 

<――喰種開業医・笛口アサキ 第3患者――>

 

 

 

 

 

 今は使われなくなった、とあるコンテナハウス。空き地の管理も行き届いて折らず、一見して廃墟のそれだ。そんな場所に看板も立てず、ひっそりと経営しているのが笛口アサキの診療所だ。

 喰種の医者として、今日もやってくる患者たちを、食糧と引き買えに診ているのだ。

 

 さて。

 

「次の方どうぞ? ……? 嗚呼、大丈夫です。私は喰種専門のドクター。ヘルスケアからメンタルまで、大概のことは受け持ち、より素晴らしい赫子を……(じゅるり)

 おっと失礼。ともあれ、ご心配なさらず」

 

 アサキの言葉に、扉を開けるか開けないか躊躇していたシルエットは、やがて諦めたように扉を開けた。

 

 現れた男は、顔面に刺青が入っていた。髪は染めて真ん中分け。荒々しく切り傷の入った革のジャケットを着用していた。

 

「せ、先生……、どうもです」

「おお、ルチさんじゃないですか。今日はどうしましたか?」

 

 ばつが悪そうに部屋に入って椅子に座るルチ。アサキは微笑みながらも、内心ではテンションが上がっていた。

 

(ルチ……一応の本名は加賀美竜地。20区にかつて君臨した「(エン)」と双璧を成したグループ「黒狗ブラックドーベル」元幹部。現在組織は解散しましたが、赫子に衰えは一切見られない……!

 戦闘テクニックや赫子の訓練方式はリーダーのそれを参考にしており、クセのない動きや素早さで敵を翻弄するスタイルは、単体でも侮り難くグループでの司令塔的立ち位置に相応しい!)

 

 もっともそんな内心は臆面にも出さず、アサキはルチの相談に乗っていた。

 見た目は乱暴そうに見えるルチだが、世話になっているせいかアサキには愁傷な態度である。

 

「スミマセン。傷がある訳でもないのに、毎度毎度……」

「まあ、力を誇示するためとは言え無茶を続ければそれ相応に代償は出ますからねぇ。人間を食べる、という行為にしても赫胞の限界というのもありますし、血中のRc値が上がりすぎれば精神にも異常を来たすことがありますから、その点にはご注意下さいね。

 それで、本日は?」

「……また、ダメだった」

 

 ルチの打ち開ける悩みは、ひとえにある女性についてのものだ。恋慕ではなく憧憬。彼は、かつて自分が所属したグループのリーダーたる女性について相談していた。

 

「まあこんな商売やって十数年も経つと、色々なヒトを見てくるのでね。そういうのも一つの生き方だとは思いますが、認められないなら何度でも行かないと、ストレスも出てしまうでしょう。どちらの方がということもありますが、今の所は赫子に悪い影響が出て居ないようですし」

「それでも俺は……、俺達は、あの頃のあのヒトに戻ってもらいたいんですよ」

「複雑なところですかねぇ。内心。それはそうと……、ルチさん、ここ数年は貴方の赫子を見てませんから、そろそろ検診をしたいところですねぇ」

 

 うっ、とルチの表情が引き攣った。

 

「おや、どうされました?」

「い、いや、別に構わないんだが、先生さん検診中の顔が――」

「どうかしましたか? いけませんねぇ。あくまでこれは診療ですよ?」

「そ、そうかい……?」

 

 渋々、というように背中の肩甲骨の上から、赫子を展開するルチ。翼のようなそれを見て、アサキの目はちょっとヤバイ感じにいっちゃった。

 両手に赤い手袋を装着して、赫子に直に触れる。

 

「はぁ……、やはり素晴らしいですねぇ。荒々しく磨かれたこのイメージ。クセがついていない、柔軟なように一見すれば見えますが、その実は多くの戦闘パターンが蓄積されたからこその形状。

 許されるなら検体サンプルとして、一つ一つじっくり解析したいッ!」

「だからそれ止めてくれって!」

 

 赫子を仕舞い、ルチはずざざ、と入り口の壁に背中を付けた。明らかに表情が引いている。荒くれ者のような容貌が、それに似合わないくらいに引いていた。

 

 アサキは不思議がって首を傾げる。「あくまで診療ですから」と微笑む彼の目は、どうしてか据わっており、歴戦のルチをしても得体の知れない恐怖が込み上げてくる類のそれである。彼以外の医者が居ないため、暴力的に出られないというのも理由の一端だが、どちらにせよ本質的にはルチは彼の診療を苦手としていた。

 

「大丈夫、痛くしないから、痛くしないから!」

「そ、それ以前の問題だ先生さんッ、チっ!?」

 

 にじり寄ってくるアサキに恐怖を感じ、ルチはたまたま開いていた窓に向かって飛びこみ逃走を計る。がこれには何故かアサキも負けじと白衣を翻し、デスクワークの多そうなそのイメージを根底から覆すような圧倒的運動神経で彼の追跡をはじめた。

 

「痛くない、痛くしないから――!」

 

 まるでゾンビ映画か何かのごとく、色々振りきれたアサキはルチを追いかける。

 逃げるルチのその表情は、CCGの特等捜査官に出くわした程に怯えていた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

<――喰種開業医・笛口アサキ 第4患者――>

 

 

 

 

 

 今は使われなくなった、とあるコンテナハウス。空き地の管理も行き届いて折らず、一見して廃墟のそれだ。そんな場所に看板も立てず、ひっそりと経営しているのが笛口アサキの診療所だ。

 喰種の医者として、今日もやってくる患者たちを、食糧と引き買えに診ているのだ。

 

「次の方、どうぞー」

 

 さて。

 

 

 

「変なのキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!」

「変なのとは……失礼な同業者だよねぇ」

 

 

 

 扉を開けた喰種は、動物の耳のようなものの付いたフードを被った、全身に包帯をまとった相手だった。更にその上から吸血鬼とかが着ていそうな、赤と黒のマントを纏っているので格好に一貫性がない。

  

 妙にテンションの高い声を上げたものの、一応は来客である。患者かどうかは「同業者」という言葉から怪しくはなったが、ともあれ一度謝罪し、席に座るよう促した。

 

「やあどうも。エトだよ。某所で医者まがいのこともやってるよー(まぁ死神ドクターだけど)」

「どうも、笛口アサキです……?(今何か呟きが聞こえたような気が)」

「やーやーどうも。なんだか知り合いの男の子から、赫子に目がない医者が居るって聞いてネ。ちょっと話してみたくなったんだ。

 他のお客さん来たら出るから、それまで話をしようよ」

「男の子……? それはともかく、話とは?」

「どうやったら赫子が強くなるかとか、色々かなー。例えば私のなんだけど」

 

 ぞぞぞ、と纏っていたマントに口が複数出現する。ぎょっとするアサキ。そしてマントは口々に「エトしゃん」だの「びっくり」「サプライズ」だの小声で会話をはじめた。

 

「そうか……、そのマントさては赫子ですね!!」

「そういうこと。ドライバー付けたら分離したし、まあそのままにしておくのもがさばるから薄く伸ばしてみたんだよねー。ほら、こっちの方が(死神博士)らしいじゃん?」

「(何かまた小声が聞こえた気がするけど……)しかし、しゃべる赫子とはまた珍妙な」

「これはこれで、扱う分には普通に使えるから結構便利なんだけどねー。治療中はよく言う事聞いてくれるし」

「ちょっと、触らせてもらっても?」

 

 赤い手袋を装着したアサキに、エトは特に気にせずマントを差し出した。

 アサキはそれを少し手に取り、じっと顔を近づけて分析する。

 

(手触りは普通のマントだがどこか革のような質感がある。そして口が開いた箇所は裏側が膨れて、最低限の声帯のような器官が発生している? わざわざそうなる以上はそうなるだけのイメージが必要なはずだが、聞いている限り口の会話は別個になっている以上、大本にイメージがあるということか。

 しかし何よりそれよりも気になるのは……この包帯の下、一体どんな種類の赫子が詰まっているのか。組織に属してると言った以上、また同業者である以上赫子をそうそう露出させることはないだろうが、しかしどうしても知りたい。彼女の真価を――)

 

 アサキの視線が、マントの下、椅子に座ったためローブから露出した、中途半端に包帯が巻かれた足が露出している。ただしアサキの意識は彼女の身体などにはない。

 マントから手を離すと、さっとローブに手をかけようとするアサキ。それをさっと手で払って、座りながらエトは一歩後退した。

 

「な、何? どうしたの?」

「ガードは固いか……、こうなれば――ッ」

 

 日中、妻帯者とは思えない速度で自分より身長の小さな彼女の服(?)を脱がせようと躍起になる医者の姿がそこにはあった。

 対してエトは、本気で抵抗していた。心なし声が震えてる。平常時の彼女を知っていれば何事かと目を見張る光景であるが、どちらかと言うと彼女の恐怖は当たり前にありえる勘違いから派生してる類のものだ。赫子を出さないあたり既に勘違いの最たるものであるが、もっとも彼女自身、相手を殺そうとしていないだけまだマシな対応と見るべきか、気が動転していると見るべきか。

 

「こ、これはあくまで研究の一環だから……、一環だからちょっと、大人しくして――」

「ちょ、止めて、格好とか痴女い自覚はあるけど他人に剥かれる趣味はないから! 流石に!

 きゃあああああッ!!!!」

 

『――()(カク)ッ! 赫者(オーバー)!』

 

「うをっふ!?」

 

 腰にドライバーを装着し、レバーを落としたエト。診療所の一室が一瞬真っ赤に染まり、というか輝き、数秒後には猛烈な勢いで扉を開けて逃走するエトの姿が。

 

 突然の事態に驚いた妻、笛口リョーコは、急いで室内に駆け込む。

 

 床で大の字に倒れたアサキは、天井を見ながらぼそりと呟いた。

 

「赫者か。……流石にそこまで行かないと無理か。

 あっはははははは――!」

 

 大笑いを上げる旦那の姿を見て、彼女は軽く頭を抱えながらも抱き起こした。

 

 

 




※番号の順番がおかしいのは仕様です

※配信内容を間違えたので修正・・・


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ネット版外編 第2回分配信

今回のお品書

No.8 亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル3、ファイル4
No.1 リゼの部屋 第一回、第二回

※キャラ崩壊注意
※後半台本形式注意


『8.コ処にある迷い』

 

 

 

 

<――亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル3――>

 

 

 

 

 

「義理だ」

「……料理、出来るんだな」

「舐めるな。女子の嗜みだ」

 

 ふふん、とアキラは鼻を鳴らして笑った。

 

 時期は三月の頭。ひなまつりも終わってしばらく過ぎた後。

 真戸さんの娘の真戸アキラに呼び出され、俺は1区のラボラトリに来ていた。

 

 アラタG3はさすがに自立飛行モードにする訳にもいかず、彼女が搭乗して来ていた。何をするかと思えば、要するにメンテナンスだ。

 

「まだまだ実験機としての色が強いからな。今後もバージョンアップは適宜図っていきたい」

 

 そう言いながら、地行博士にバイク状態のそれを手渡し、そしてふと、思い出したようにショルダーバッグの中に手を入れて、小さい包みを取り出した。

 

「……何だ?」

「日ごろ、父が世話になっているのでな。その礼に作ってみた」

 

 中を確認してみると、チョコレートがふんだんに使われたドーナッツだった。……どう見ても手作りだった。

 そこで冒頭の会話になった訳だ。

 

 続けて彼女は「バレンタインでもないから、お返しは期待してない」と言い、そそくさとラボの奥へ移動した。

 

「いや、しかし……」

 

 アカデミーの食堂で真戸さんが意味深な笑みを浮かべていたのは、これのせいだろうか。

 

 そして何故か、ドーナッツ二つのうちの一つに刺さったフォークの上には「当たり外れあり」と書かれた紙が引っ掛けられていた。……当たり外れ?

 

 ロビーで困惑しながらも、俺はそのうちの一つを手に取った。

 

「……」

 

 なるほど、外れかこれは。

 

 端的に言って、俺が最初に手に取ったほうは味がしなかった。……びっくりするほど無味無臭だった。食べられなくはないが、何だろう。砂糖が入ってるにもかかわらず、この、むなしさは何だ? この、甘味に対する冒涜感は何だ?

 自動販売機でミネラルウォーターを買って、口をすすいでからもう一つを手に取る。

 

 だが、こちらの方は仰天させられた。

 

 このふかふかの食感は手作りならでは、油っぽさが少ない独特な味わいだが、しかしこのチョコレートの豪華さは何だ? 砕かれたチップが食感にメリハリを付けているだけではなく、芳醇なミルクとカカオの螺旋が広がる。

 ベースに練りこまれたチョコレート、十中八九市販のそれではあるまい。

 

 さっと、たまたま持ってきていたドーナッツのノートに彼女のその味を記述していく。再現性のないものかもしれないが、しかしこれは美味い。普通に美味かった。

 

「見た目は変わらないが、味が違うか……。

 そうえば、奴は正反対だったな」

 

 ふと、俺の脳裏によぎったのは、とある青年の喰種だった。

 奴は眼帯と、鼻から下を覆うようなマスクを付けている。今までに三度、俺の前に姿を現していた。

 

 一度目は真戸さん、俺の元パートナーの連絡を受け、20区のとある高架下へ向かおうとした時。

 

 もう一度はCCGによる、アオギリの樹への大規模攻撃の際。

 

 どちらにおいても、決して敵対した捜査官を殺すことはなかった。俺の目の前で……、逃げろとさえ言った。

 三度目にいたっては、暴走しているような喰種を相手に呉越同舟のごとく戦ったくらいだ。

 

 眼帯の喰種――。

 

「――ハイセ……、あれは一体何を――」

「ドイツ語の勉強か? 亜門一等」

 

 椅子に座って考えていると、アキラが戻ってきた。身にまとった白衣が、とても着慣れている印象だ。

 

「似合うな」

「そうか。世辞はいらない」

「正直に言っただけだ。それはともかく……、ん? ドイツ語?」

「ハイセはドイツ語だからな。~という名前である、という言葉だ」

 

 なぜそんな意味のわからない言葉を奴は名乗ったのか。

 

「それはともかく、とりあえずは問題なさそうだ。G3は。

 強いて言えば、早いところ免許をとってくれ」

「……善処する」

「頼むぞ。話は変わるが、ドーナッツはどうだった?」

「片方はすさまじく美味だった。俺が食べてきたドーナッツの中でも三本の指には入るんじゃないかというくらい」

「そこまでべた褒めだと逆に怖いものがあるが……、ん?」

 

 と、彼女は俺の隣に置かれた紙袋の、その横に置いてあるメモ書きを手にとり。

 ため息をついてから、軽く頭を下げた。

 

「すまない、亜門鋼太朗。これは同期に手渡す予定だったものだった。もってくるのを間違えた」

「……」

 

 思わず俺は、程ほどにしておいてやれ、と彼女の肩に軽くチョップを入れた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

<――亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル4――>

 

 

 

 

 

「ま、以上が俺の調べた範囲の出来事だ。あんまり当たって欲しくなかった勘なんだがよ」

「そうですか」

 

 守峰さんの言葉に、俺は深く息を吐いた。

 

 三月も中盤。以前一度、二月の中ごろに俺は彼と再会していた。その時に一緒の作戦に出ていた捜査官と遭遇したり、あるいは突然現れた喰種と戦ったこともあり、その後の会食はさすがにお流れとなってしまった。

 

 今日は久々にお互いの都合が付いたため、こうして顔を合わせているところだった。

 

「喰種も怖いが人間も怖い、という感じだと思ったね。俺は。そういう意味じゃ、あのねーちゃんが庇ってた方はそっちさんに任せるにしても、なんだかなぁ……」

「その、オトカゼを名乗っていた彼女は?」

「娘さんが運よく来たタイミングで回復してな。今は入院しちゃいるが……。ちなみにこれ娘サンの写真だ、亜門サン。見るか?」

「いや、それは別に……」

 

 そうかい、と言いながら彼は位牌の前に置いてあったジョッキをあおり、枝豆を一房。指で押して飛び出たそれを、余裕という風に口に入れた。

 

「……守峰さん、仮にも警察官なのだから、こんな時間から飲んでいて大丈夫なんですか?」

「構いやしねぇよ。ま、ちょっと嫌ぁな流れがあったってのもあるが……。そのうちまた、そっちと共闘することになるかもしれねぇ」

「どういうことです?」

 

 こっちは情報規制が敷かれてるから、まだ言えねぇ、と彼は肩をすくめた。

 

「だが、忙しくなりそうなことに違いはねぇ。そっちに回らないうちに終わらせられればめっけもんだよ。

 まぁとりあえず、俺が思うのはだ……。やっぱり一面的な見方だけってのは、どっちにしても歪んじまうんだなぁって感じだな」

 

 今回の裏だって、発見できたのが奇跡的なくらいだし、と彼は笑った。

 

 

 店を後にして、俺は昼下がりの駅前を歩く。

 守峰さんの言葉を反芻し、どうしても、心中で渦巻く得体の知れない気持ち悪さ。体感的なものではなく、これは精神的なものだ。

 

 自分たちのような存在が生まれなければ良いと書いた、小春さん――。

 

 脳裏で眼帯の喰種、ハイセのあの顔にもだぶらせながらも、しかしどうしても、納得が完全には出来ていない。

 

「ラビット……」

 

 かつて共に捜査をしていた、若い補助の草場さん。彼を事実上再起不能に追い込み、真戸さんを捜査官引退にまで追い込んだ切っ掛けとなった喰種。俺と眼帯との遭遇の切っ掛けでもあったか。

 あの喰種の行動にも、何か別な側面があるというのだろうか?

 

 真戸さん曰く「下手にあちらに警戒されると、現状の謎のバランスが崩壊してしまうかもしれない。何にしても市民の安全のため、一時とはいえ耐えねばならないという度し難い状況だよ」とのことで、彼の独断により放置されている。

 

 その口ぶりからして真戸さんは正体や事情についてもおおよそアタリをつけているのではないかと俺は思っているが、しかし彼は頑として語らない。「時期尚早だよ亜門くん」と笑われるだけだった。

 真戸さんも、真戸さんでどこか調子が変わってきているようにも思う。以前ほど張り詰めた空気を纏わせてはいない、というべきだろうか……。あるいは、能力的に折れてしまったせいもあるのか。

 

 やるせなさと湧き上がる怒りに拳を強く握り、俺は再度、奮起しようと顔を上げて頬を叩く。

 

「―ーよし!」

「やぁ」

「!?」

 

 と、そんなことをしていると。

 駅前の本屋から、見覚えのある青年のような方が出ていらっしゃった。……見た目に反して年は上で、俺や、いやCCGにとってもかなり大きな存在。

 

 彼の名は有馬貴将。CCGの生ける伝説。あるいは死神。

 

 ……そんな彼が、頭にニット防を被って、黒いコートを羽織って、片手に紙袋を下げていた。

 

「……と、特等?」

「久しぶり。今日は?」

「ああ、えっと、知り合いと少し。特等は?」

「富良くんの家に呼ばれたから、お土産くらい買って行けって宇井に言われた」

「そ、そうですか……」

 

 完全に私服だったが、どうやら本当にオフのようだった。

 それより、思っていた以上に富良上等とは仲が良いのだろうか……? 以前「同級生」と紹介されはしたが。

 

 その後、少しの間特等と世間話のようなことをした。真戸さんの下で捜査のイロハを学び、真戸さんが一線を引いてからの今日までのことなど。

 

「以前書いてあった眼帯の喰種、確かクインケドライバーをしていたね」

「はい」

「なるほど」

 

 何かを納得したように、有馬特等は無表情に頷いた。

 何を納得したのかを聞こうとして――俺は、思わず目を見開いた。

 

 特等の肩から見えたカップルのような二人。少女の方が少年を無理に引っ張っているようにも見える。そのうちの片方の歩き方に、何か言い知れぬ既視感を覚えた。

 

 思わず走り出し、彼らの肩を叩く。

 

「すまない。少し時間をくれないか? 数分もかからない」

「あ゛? 何言って……ッ!?」

 

 CCGのロゴを確認すると、少女の方はあからさまに嫌そうな反応を示した。一方少年の方は首をかしげている。

 

 そして――少年は、左目に眼帯を付けていた。

 

「左か……、いや、済まない。ヒト違いだった」

「へ? あ……、あははそうですか」

「……ん?」

 

 だが。どうしてか俺は、彼の顔をまじまじと見てしまう。

 何だろう。この微妙な感情の乗った微笑み。そしてどこかで見覚えがあるようなこの髪型というか――。

 

「ちょっと、もう良いんでしょ! カネキ、映画間に合わないから」

「へ? あ、トーカちゃ――」

 

 俺が静止するよりも先に少女の方があわてたように少年の手を引いた。映画……、映画か。

 思わず反射的に「すまない」と声をかけてしまったが、少年は困ったように少しだけ頭を下げた。

 

「どうした?」

「あ、いえ。……どこか見覚えがあるような気がしたもので」

「喰種のか?」

 

 特等の言葉に、俺は首をかしげる。確かに抱いた違和感は、喰種のように思えるが。だがしかし、何か微妙なこの感覚は……?

 

「……なるほど」

 

 思考に埋没する俺の隣。有馬さんは、走り去る少年少女の方を見て、静かにそうつぶやいた。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

 

『1.リ解者が欲しい?』

 

 

 

<――リゼの部屋 第1回――>

 

 

(本棚が沢山並ぶセット。テーブルの上には赤い液体の入ったグラスが二つ。リゼが身体を斜めにして微笑む)

 

リゼ(以下リ)

「こんにちは。食事は質より量、神代リゼです。私が鉄骨に潰されてから色々起こってるみたいだけど・・・、関わったって良いじゃないッ! ゲストを呼んで、色々弄っていきたいと思います。

 第一回目の記念すべきゲストは――喫茶あんていくの看板娘、霧嶋トーカちゃんです」

 

トーカ(以下ト)

「あ゛? 何これ・・・」

 

リ「ほら、スマイルスマイル♪」

 

ト「!? あ、はい、ドーモ・・・」(カメラが回ってることに気付く)

 

リ「いやー霧嶋さん、久々ねぇ。ちょっと髪伸びた? 私が居なくなって寂しくなかった?」(HAHAHA)

 

ト「ん、カンペ? メタ発言オッケーって・・・。嗚呼なら言ってやる、むしろ清々したわ。それを差し引いても忙しくって大変だったけど」

 

リ「そうよねー。いちゃいちゃしたり、いちゃいちゃしたり、いちゃいちゃしたりしてたもんねー」

 

ト「ぶッ!? な、何言ってんだテメェ!? わ、私もカネキも忙しくってそれどころじゃ――」

 

リ「ふぅーん、私、別に誰とは言ってないんだけれどぉ」

 

ト「!?」

 

リ「ふぅん・・・」(品定めするような目でトーカを見る)

 

ト「な、何?」

 

リ「まあそれは置いておいて。そういえば霧嶋さん、ウサギさん好きよねぇ、カチカチとか」(カンペをチラ見)

 

ト「何で知ってる訳? って嗚呼」(カンペをチラ見)

 

リ「アヤトくんだったかしら? 弟さんもウサギ好きっていうのが、何と言うか姉弟よねー。本人は必死に否定するかもしれないけれど」

 

ト「言ってやんな。難しいトシゴロなんだよ」

 

リ「と、言う事で今回は、本編では絶対に拝めないサービスショットにぃ・・・、いっつもーふぃんたーいむ♪」

 

(セットが暗転)

 

ト「は? へ? いや、ちょっとカヤさん? いやいやちょっと――きゃああああッ!?」

 

(照明が回復)

 

リ「あら、似合ってるじゃない」

 

ト「な、なん!? なん!?」(涙声)(赤いバニースーツ強制着用、タイツちょっとずれてる)

 

リ「ほら、某虎ショップの得点でもヒナミちゃん共々トラさんコスしたり、2016年カレンダーでアゲハモドキの格好したり――」

 

ト「てめぇ、原作でヒナミと絡み全くないだろ!?」

 

リ「恥らって胸元とか、足とか隠そうとしてムキになってるのが中々良いんじゃない。SS形式じゃなかったら充分サービスになるわよ。良かったわねー」

 

ト「何が良いんだよ何がッ」

 

リ「さてここで、本日のスペシャルゲスト・・・というよりは、次の収録の関係で来てもらってるお方です。どうぞー」

 

(セットの手前、ゲートが開きせり上がってくる)

 

カネキ(以下:カ)

「へ? あ、えっと……」(トーカの方を見る)

 

(カネキ、視線がトーカの右腕、胸元の谷間に行く)

(カネキ、視線がトーカの足、ずれて腰が露出しているタイツに行く)

 

(カネキ、目を見開いて硬直するトーカと視線が合う。共に硬直)

 

カ&ト「・・・」

 

ト「――きゃあああああああああああッ!!!!?」

カ「ごるぱッ!?」

 

(カネキ、トーカのビンタでぶっ飛ぶ)

 

(トーカ、カネキからジャケットを奪い羽織って画面外に逃走)

 

カ「な、何? 何があったの?」

 

リ「あらあら。まだまだ先は長そうね。

  それでは、また次回~♪」

 

 

(倒れるカネキを口を押さえながら見て、リゼがカメラににっこり微笑み手を振る) 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

<――リゼの部屋 第2回――>

 

 

(本棚が沢山並ぶセット、テーブルの上には赤い液体の入ったグラスが二つ。リゼが身体を斜めにして微笑む)

 

リゼ(以下リ)

「こんにちは。全国の食事に悩む女性の希望、『いっぱい食べる君が好き』を実践してる神代リゼです。私が鉄骨に潰されてから色々起こってるみたいだけど・・・、関わったって良いじゃないッ!」(指パッチン)

 

リ「ゲストを呼んで、色々弄っていきたいと思います。

  第ニ回目のゲストは――なんでかほっぺがちょっと赤い? 悲劇に抗う主人公、金木研くんです。わー」

 

(リゼ、拍手)

(音響、拍手のSE)

 

カネキ(以下カ)

「さっきのビンタを軽く流そうとしてますよね!? これ連続収録ですからね! というか何でトーカちゃんはあんなあられもない格好を……」

 

リ「まあまあ細かい話は置いておいて。眼福だったんじゃない、本心」

 

カ「僕の好みのタイプって、一応リゼさんみたいな感じですからね?」

 

リ「あら? トーカちゃんのスタイルは欲情しないって? それはそれで失礼なんじゃないかしら。軽蔑するわよー」

 

カ「どう考えてもセクハラ発言になりますよね!?」

 

リ「行くも地獄、引く地獄よカネキくん(ヽヽヽヽヽ)

 

カ「・・・? 何か違和感が・・・」

 

リ「それはともかく、今回はよく来てくれたわね。ありがとう。で最近小耳に挟んだんだけど・・・、私の赫子、ちゃんと使うようになったそうじゃない。使い心地とかどう?」

 

カ「どうって・・・。以前に比べれば、快調と言えば快調ですかね。食欲に飲まれるようなこともなくなりましたし。今のところは。そういう意味では、前よりも赫子が僕に協力的になってる、といった感じでしょうか・・・」

 

リ「カネキくん、思い違いはしちゃダメよ。私は私で、貴方は貴方。今まで戦って生き延びて来たのなら、それは私の力じゃなくてカネキくん自身の力よ。幻想や回りの声に惑わされたら、きっとロクなことにならないわ」

 

カ「何でだろう、コミックス三巻分くらい台詞を先取りされたような気が・・・」

 

リ「特に芳村店長なんて気を付けた方が良いわよー? ああいう一見して自分は完全に善人ですよー、みたいな顔してるくせに周りを傷つけないと強くなれないのに強いヒトって、絶対腹にイチモツ抱えてるから。言葉の全てが真実だと思っちゃダメよ?」

 

カ「それ:re踏まえないと意味が繋がらない伏線じゃありませんか!?

  っと、ちょっと忘れてましたけどこれ、お土産です」

 

リ「あら? 高槻泉の新作じゃない! しかも原作にはないヤツ」

 

(リゼ、カネキから「詩集/檻の夢」を受け取る)

 

リ「ここでしか読めないから、三人目の収録の前に読んでおくわねー。ありがとー♡」

 

(リゼ、カネキの手をとってハイテンションに振る)

 

カ「き、気に入ってもらえたなら有難いです////」

 

リ「ホント、ホント。待ち時間とかすーごく暇でねぇ。それに弄っても時間経過に対する感覚がないから、こういう新作とか本編ならあり得ないことやってもらえると嬉しいわよー?」

 

カ「り、リゼさん・・・? ッ!!?」

 

(リゼ、席を立ちカネキの膝の上に正面に座る)

(カネキ、リゼの顔を見上げて直視できず視線を下ろし、胸のアップに顔を横に向けて吹く)

 

リ「あらあら可愛い♡ クスクス」

 

カ「あ、あの、ちょっとこれまずいと思うんですけど――」

 

リ「大丈夫よ、どうせ画は付かないんだし。知ってる? 私が積極的に食べたい相手って、異性として気に入ったヒトなのよ」

 

カ「そ、それって――ッ!!!!!!?」

 

(リゼ、カネキにしな垂れ掛る)

(カネキ、顔を赤くして動けない)

 

カ「い、いや、こういうのまずいと思うんですよ、だから!」

 

リ「あら、誰に対してまずいの? 私? ヒナミちゃん? それとも霧嶋さん?」

 

カ「リゼさんヒナミちゃんと面識ないですよね多分!?」

 

リ「どうせもう半分喰種なんだし、食べても再生するから、ちょっとだけ、ね♡」

 

カ「傾げないでくださいよ、誰かー! 誰かー!」

 

 

(セットのバックを大きなシルエットが突き破る)

 

 

バンジョー(以下バ)

「どうしたカネキ! 大丈夫か? 一体何が・・・」

 

(バンジョー、リゼとカネキが絡んでるのを見る)

(リゼ、「あら」と一瞥してカネキの首に舌を這わせる)

(カネキ、助けてくれと言わんばかりの視線)

 

(バンジョー、壁に背を預けて地面に腰を付ける)

(バンジョー、真っ白に燃え尽きる)

 

カ「ちょ、バンジョーさん!?」

 

リ「いいからいいから、楽しみましょ?」

 

か「何を楽しむって言うんですか、誰かー!!!!!」

 

 

 

 

(※この後スタッフとトーカが、暴走する司会者からゲストを救出しました)

 

 

 

 

 

 




※眼帯の向きが違ったので修正


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ネット版外編 第3回分配信

今回のお品書

No.7 亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル1、ファイル2
No.9 リオwithあんていく ヒナミちゃんと月山さんとバンジョーさん

※キャラ崩壊注意(特におまけ)

※2/27ちょっと追加


『7.シ料に隠れる真実』

 

 

 

<――亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル1――>

 

 

 

「何? 鯱のような男がバーでカクテルを振舞っていた? ……一応監視を続けておけ」

 

 がちゃり、と電話を切り、俺は資料整理に戻る。

 アオギリの樹による進行により、23区のコクリアから大量の喰種が脱走した。ピエロマスクのグループや、元アオギリ所属の喰種など。

 

 20区に帰ってきた俺は、今一度、自分が何と戦うべきなのかを見つめなおすため、資料を再度確認していた。

 

「ここで目撃情報のあった喰種……、しかし何と言うべきか」

 

 俺は近くにあった一つを手に取り、確認した。

 

 片方はビッグイーター。Aレートの、通称「大喰い」と呼ばれる喰種だ。資料によれば外見は女性だが、クモのようなシルエットを捕食時に発現するという情報もある。

 

 記述によれば、どうもこの喰種は各地を多く転々としてきているらしい。赫子の判別により特定できるが、しかしここ数ヶ月は見事に音沙汰がない。

 

 篠原さん……俺の恩師いわく、もう既に死んでいるかもしれない、とのことだ。

 

「確かに動きが見られないのは不気味を通り越している。他の地区での情報も挙がってこない以上は、その可能性もあるのだろうか――」

 

 

 

「ばあぁん! 亜門さぁん!」

 

 

 と、突然資料室の扉を全開にした少年。鈴屋什造だ。

 

「どうした什造。あと、いきなり開けると埃が散るぞ」

「ぺっぺ! 汚いです!

 あ、それはそうとイットー、これからドーナツ食べに行くですが、一緒に行きます?」

「……言っておくが仕事中だぞ」

「でも、僕は食べないとやってけないですー。

 そうです、僕が見て回ってる間、イットーがドーナッツを買ってくださいです」

 

 かなり無茶苦茶なことを言う什造に、俺は軽く頭を抱えながら注意しようとして――。

 

 不意に、奴が持っているチラシが目に入った。

 

 

「……おい、何だそれは」

「何って、アレですよアレアレ。新作のやつですよー。

 ほら、この赤丸してあるやつ、僕のおすすめー」

 

 さっと差し出されたそれを、俺は反射的に受け取り、凝視してしまった。

 

 前々から気にはなっていた、つい先日CMの始まったトリプルチョコパウンド。異色の組み合わせながら映像の演出は美しく、カカオバターの光沢感がどこかエロティズムさえ放っている。だが惜しい、発売日まであと一週間とは。生殺しも良いところだ。

 逆にハニーワッフルは100円セールが始まり、クリーム、チョコと一つずつ購入でポイントが倍か……。

 

 はっ!?

 

「じゃ行くですよー」

 

 俺の興味津々な反応を受けて、什造は楽しそうに笑いながら資料室を出て行った。

 

 確かに俺は甘味には目がない。目がないが、しかしそれを職務中にするかどうかは別だ。休憩時間などならまだしもである。

 

 以前アカデミーで教鞭を一瞬振るった際、担当したクラスの少女から「先生って、結構食べますよね。甘いの。羨ましいです私身体弱いから……」という風に羨望のまなざしを受けたこともあるが、それだって不本意なところだ。

 

「おい待て什造、お前は……。いや、それ以前に走るな、激突するだろう!」

「わー!」「きゃっ!?」

「いわんこっちゃない」

 

 倒れた女性職員を抱き起こし、什造も手を貸して起こす。

 

「店に行くかどうかは別にしても、パトロールは必要だろう。もし買いたいというのなら、休憩時間でな」

「了解ですー」

 

 そんなやり取りを交わしながら、俺たちはエレベータに共に乗り込んだ。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

<――亜門鋼太朗の喰種資料整理 ファイル2――>

  

 

 

 

 

「フロッキー、おいしゅうございましたです」

 

 そんなことを言いながらドーナッツを置き、什造はコーラを音を立てて飲んだ。

 行儀が悪いと言うと、適当に「ごめんなさいです」と流した。まったく……。

 

「でも、なんでイットーはノートつけてるんですか?」

「嗚呼、これはだな。以前アカデミーで少しだけ教えた時に担当したクラスで、身体の弱い女子生徒が居てな。彼女があまり大量に食べられないから、せめて感想だけでもというようなことを言っていたんだ。

 それを受けて以来、どうも他人に自分のオススメを教えようと思うと、細かく考えてしまうようになってな。こうして感想や、その時のことなどをまとめているんだ」

「へぇ……。絵、上手ですねぇ」

「味だけではなく、一目で俺がそのときの食感、質感、風味、口内への甘さの広がり方、すっぱさ、苦さ、調和など様々なバランス」

「イットー、グルメですねぇ」

「単により多くの種類を味わいたいだけだ。店舗ごとにたまに限定メニューがったりもするからなぁ。

 しかし、グルメか……」

 

 ふと思い出した情報は、喰種「美食家」だ。

 

 いわく、様々な食べ方で人間を貪る。被害者は目だけ刳り貫かれたもの、肌を剥がされ殴り殺された者、内臓器が一部だけ抜き取られていた者など多岐にわたる。時にアスリートの心臓がくりぬかれて倒れていたという情報は、社会的にもそれなりに影響があることもあり、多くの捜査官に共有された。

 

 そして何故か目撃情報が極端に少ない。最近で唯一取れたものによれば、容姿の整った男性であるらしい。だが残念ながら、彼女は目を刳り貫かれてしまっているためモンタージュなどの検証が出来なかった。

 

「喰種共に味覚があるかどうかは知らないが、生かされたにせよ殺されたにせよ、悲劇しか生んでいない。この状況は間違いなく悪だ」

「ですかねー? あ、ちなみに味はするみたいですよ」

「……」

 

 喰種に育てられた什造の言葉だけに、その情報にはそれなりに重みがあった。

 せっかくなので、俺は確認することにする。

 

「ちなみにだが、人間の食べものを食べるとどう感じるのか、お前は知っているのか?」

「はえ? 興味あるですか? えーっと、確か吐いてたです。ゲロとかみたいに、酷い味がするんじゃないですか?」

「そうか」

 

 喰種にとって人間の食べ物は不純物であるからして、もしや毒物のごとき味がするのだろうか。

 あの男も、それを抑えながら俺を……、止めておこう。思考を振り払って、俺はドーナッツを齧った。

 

 しかしこのハニーワッフル、美味だ。特にハチミツとの相性が悪くない。ハチミツは後日買ってみるか。

 しかし、このベタベタとしてくるのは少々頂けない。時間経過とともに浸透率が上がっていくせいもあるのだろうが……。

 

 ノートに今日の分の情報を記載していると、什造が再び口を開く。

 

「そういえば、セットとかで頼まないですねイットー」

「ああ」

「なんでです? コーヒーとか飲まないです?」

「基本的に、甘味に合うのは冷水だ。雑味が薄く、口の中を引き締め、砂糖による甘さのキレを良くしてくれる」

「やっぱりグルメですよー」

 

 什造の、何故か引いたような表情に俺は困惑した。

 

「い、いや、何か変なことを言ったか?」

「僕もそこまでじゃないってだけです。

 でもでも、じゃあ亜門さんが喰種になったら大変ですねー」

「……は?」

 

 俺が喰種になる?

 

「例え話です。甘味食べられなくなったら、大変じゃないですか?」

「それは……、いや、捜査官としても無論そうだが、確かにな」

 

 ありえない前提の与太話だが、確かにそうなれば。俺が俺自身のアイデンティティを許すことができないだろうし、そして甘味をエンジョイすることが出来なくなる。それは、何とも酷く悲しい話だった。

 

 そして店を出る際。

 

「セイドーにもお土産買って行くです」

 

 意外と二人は仲が良いのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

『9.ライムライト』

 

 

 

 

 

<――リオwithあんていく――>

 

 

 

 

 

 今日の僕は、あんていくの非番。

 カネキさんの協力の元、いつもなら()を探すところだけれど……?

 

「あ、お兄ちゃん。こんにちは!」

 

 2階で出かける準備をしてたら、不意にヒナミちゃんから声をかけられた。

 元気にしているみたいだ。

 

「今日はどうしたの?」

「えーっとね。アヤトくんが今日は居ないから、お店で留守番しないかって」

「アヤトくん……?」

「うん。お姉ちゃんの弟さん! この間ね、すごろくやったんだけど――」

 

 ヒナミちゃんは楽しそうに僕に話す。ただ、時々寂しそうな表情になる。

 

「ヒナミ、アヤトくんが来るまではずっと一人でお留守番してたの。アヤトくんもいつか出ちゃうって言ってるから……」

「寂しい?」

「うん……。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、遊んでくれるけれど。バンジョーさんも花マンも」

 

 シフトのことだってあるし、カネキさんはカネキさんの用事で出ることも多いだろう。トーカさんだって学校のことがあるし、いつもヒナミちゃんに構ってられる訳じゃない。そのことが分かって外に出ていかないのは、何かヒナミちゃんにも、外に出たらまずい理由があるのかもしれない。

 って、花マン?

 

「月山さん。お花をいつも持って来るから」

 

 な、なるほど。

 

「何か欲しいものでもあるかな? ちょっとだけお金を貰ったから、千円くらいなら何か買ってあげられるけど……」

「そんなの、悪いよ」

 

 言いながらも、ヒナミの視線はちらりとカネキさんの置いて行った本の方に向いた。

 作者は……?

 

「……じゃあ、少し公園とかに行く?」

「公園?」

「うん。あんまり楽しくないかもしれないけど――」

「うん、行ってみたい!」

 

 少しはしゃぐヒナミちゃん。一応トーカさんに確認をとると「一応、店から歩いて十分以内のところな」と釘を刺された。やっぱり何かあるのだろうか。

 店を出て公園に向かう。とりあえず駅前近くの小川を抜けようとしたところで、ヒトに呼び止められた。

 

「もし、そこの少年。少し尋ねたい事があるのだが」

「!」

 

 後ろを振り返ると、女性が立ってた。猫のように鋭い目を持つ女性だ。

 そして、その胸元には白い鳩のバッジ。両手にはアタッシュケースが二つ。

 

 CCG!?

 

 ささ、とヒナミちゃんが僕の背後に隠れた。

 

「む? ……んー、父親ほど目は怖くないと思ったが。まあ良い。

 すまんが道を少し聞きたい。ここの近くに本屋があったと思うのだが」

「本屋? えっと、たぶん――」

 

 僕の簡単な案内を聞いて、彼女は「感謝する」と頭を下げた。

 

「ぶしつけですけど、ちなみに何の本を?」

「料理本だ。父が世話になっている相手が甘味好きらしくてな。ちょっと本格的に奮発しようかと」

 

 がんばってくださいと言って、僕とヒナミちゃんは少し早足にその場を離れた。

 公園につくと、僕もヒナミちゃんも肩で息をしていた。とりあえず落ち着こうと、自動販売機で缶コーヒーを買って、ヒナミちゃんに手渡した。

 

 そしてどこかベンチに座ろうとして――。

 

「……あ、月山さん」

「花マンだ!」

「ん? やぁリオくんに、リトルヒナミ」

「何、されてるんですか?」

「見てわからないかね?」

 

 ベンチに座って両腕を広げながら、彼はふふんと微笑んだ。

 

「……ベンチに座ってます」

「ノン、ノン、ノン。太陽の光を浴び、深い緑の香りに浸り、瞑想していたのさ。

 Nirvana……、まさに思考の極限を凝らしていたのさ!」

「?」

「そ、そうだったんですね……」

 

 僕には格好良いヒトが座っていただけにしか見えない。ヒナミちゃんは、不思議そうに首をかしげた。

 この間、バンジョーさんと特訓していた時にも現れたけど、このヒトはなんだろう、本当よくわからない。

 

「しかし二人とも。奇遇だね。

 思い立ったがハッピー・ディ。近場で良いショップを知ってるんだ。遊びに行かないかい?」

「……」

「リオお兄ちゃん?」

「……へ? あ、えっと」

 

 「思い立ったがハッピーディ」が気になって、その後の言葉があんまり頭に入ってこなかった。

 

「ショップというのは――」

「Cloth shop……、服屋さ。カネキくんに送るスーツが何かないかと考えていたのだが、一緒に選んでくれまいか」

「ヒナミ、行きたい!」

 

 ヒナミちゃんの言葉によって、この後の僕の予定は決まった。

 先に缶コーヒーだけ飲ませてもらう。月山さんは「僕は今、感覚を鋭敏にしているんだ」と微笑んで、そのままベンチで目を瞑ってる。

 

「服をプレゼントって、お兄ちゃんの誕生日……?」

「さ、さぁ。どうだろう」

「カネキくんの誕生日は12月さ。いやしかし、礼服の10着や20着、持っていても損ではないからね」

 

 なんとなくだけど、そのこだわり(?)は普通じゃないような気がした。

 

 月山さんおすすめのお店というのは、駅前にあった。公園からさほど離れた距離になかったのはちょっと驚いたけど、ウィンクしながら「リトルヒナミのことは配慮しないとね」と言っていた。

 お店に入ると、女性客が皆一様に月山さんの方を振り向いた。確かにそういう容姿の優れ方をしていた。

 

「嗚呼、MMさん」

「やぁ! 今日はここでパートタイムジョブかい?

 ふむそうだね……。彼くらいの体格のものはあるまいか」

 

 へ? という僕の方を月山さんは紹介した。ちょっと頼りなさそうな男性定員(アルバイト?)さんは、僕の寸法をたどたどしく測ると、そのまま何着か持ってきた。

 ヒナミちゃんや僕にどれが良いか聞きながら、それらの中から二点くらいに絞っていく。

 

「さて、ボーイリオ」

 

 そして、何故か僕の方にハンガーを突き出してきた。

 ……もしかして着ろと? 僕の疑問符に、月山さんは微笑んでうなずいた。

 

 「君も大変そうだねぇ」と意味深な笑みを(あんまり目が笑ってない感じの)浮かべた店員さんに誘導されて、僕は試着室へ。ニット帽をとり、袖を通す。

 肩がごわごわしていて動きにくい……、普段から肩がぱっくり存在しない服を着ているせいもあるかもしれないけど、戦闘には邪魔になりそうな感じだ。月山さんに感想を言うと「そうか……」とちょっと残念そうだった。

 

「お兄ちゃんかっこいい!」

 

 そしてヒナミちゃんは無条件でほめてくれた。なんか、ちょっと照れる……。

 

「素晴らしいデザインなのだけれどねぇ。質感も良いし……」

「あー、そのせいですよ。アレっすよ。スーツって基本的に、素立ちの見栄え重視で作られてまっすから」

 

 砕けた口調で会話する店員さんと月山さん。ひょっとして知り合いなのだろうか。

 お店を出ると、月山さんは「知り合いの仕立て屋に頼むよ」と言って笑っていた。

 

 そして、あんていくに帰る途中。

 

「あ――」

 

 本屋から出てきた親子を見て、ヒナミちゃんが立ち止まった。

 どうしたの? と聞くとなんでもないとヒナミちゃんは頭を左右に振った。

 

「……本屋、寄ろうか?」

「……ううん、良い」

 

 店に帰る途中、僕はヒナミちゃんと少し話をしてみた。

 

 本屋には、色々楽しい思い出も多いらしい。お母さんに連れてきてもらったときや、カネキさんやトーカさんと一緒に連れてきてもらった時のこととか。

 

「本当は……、行きたいの。でも、ヒナミ、追われてるから」

「……」

「でも、お母さんが殺されて……、一緒に居た時のこと、思い出すと、なんだか嫌になっちゃうの。

 たまにお父さんが楽しそうにしてるとき、両耳と目を覆ったりとか。

 私が選んだ本、読み仮名つけて、わかりやすくしてくれたり。たくさん本読んで、大人になったらしっかり生きられるようにって……」

「……?」

 

 最初のだけよく分からなかったけど、それもまた思い出の一つなんだろう。

 最後の方は、もう声にならないくらいに小さくなってしまっている。

 

 僕より小さなヒナミちゃんだ。きっと、その身に抱える不安は大きいんだろう。兄以外に肉親がいるかどうかさえ分からず、曖昧な記憶の僕にはよくわかる。

 寂しいに決まってるじゃないか。だから、公園に出るってだけでもはしゃいだんだ。誰かと一緒に居られるから。

 

 でも、だからこそ。バンジョーさんと話をしたときのことを思い出しながら、僕は言った。

 

「……つらいのは、仕方ないよ。お母さんのこと、思い出して辛くなるのは。

 でも、思い出さないってことは出来ないんだと思う」

「……」

「でも、いつか。僕もそうだったけどいつかさ。

 たくさんの楽しい事が、ヒナミちゃんに起きると良いと思うってる。楽しかった思い出が辛くなくなるくらいにさ。時間はかかるかもしれないけど」

「……」

「ヒナミちゃんの周りには、みんな居るからさ。僕も」

「……そんな風に、なれるかな」

「んー……、この間、バンジョーさんと一緒に特訓してたときにさ。月山さんが来たんだよね。

 で、なんでか突然乱入してきて、踊りを教えてくれたり。こう手を引いて、二人で踊る感じのやつ」

「ー―くす。前にお店でもそれやってた。バンジョーさん、すごく恥ずかしそうにしてた」

 

 少しだけ微笑み、ヒナミちゃんはそう話してくれた。……そうか、あれは二度目だったんだ。

 通りで月山さん、女性側の動きをやるのに一切躊躇がなかったわけだ。

 

「辛いときはさ。そうやって、楽しいことを色々思い出してみて。それでも駄目だったら、我慢しないで、トーカさんとかみんなの前で、思いっきり泣いて良いんだよ」

「……」

 

 ヒナミちゃんは声もなく頷いて。

 

「ありがとう、リオお兄ちゃん」

 

 そう言って、少しだけまた笑ってくれた。

 今度は本屋に行こうかと話をしながら、彼女の手を引いて歩いていく。

 その後はずっと、大切そうにカネキさんたちとの思い出を話してくれた。

 

 どうか、そんなやさしい日々が続きますように。この子の思い出が、悲しみだけであふれないように――。

 

 

 

 

 

 そしてお店に帰ったら、バンジョーさんが逆立ちしながら腕立て伏せをしようとして、倒れていた。トーカさんにトレーニングのアドバイスをもらったらそうなったらしい。

 

「あ、アヤトの姉ちゃん容赦がねぇ……」

 

 僕とヒナミちゃんは、顔を合わせて笑った。

 

 

  

 




おまけ

ロウ「この赫子の完成度が貴方にわかりまして?」
アサキ「嗚呼、わかるとも! 貴方、さては喰種も喰らってますね? この質実剛健たる安定感の中に潜む、金属らしさと無縁のしなやかさ……、時に艶かしささえ孕むこの微細な光の変調! やはりこれだから開業医は止められない……(じゅるり)。
 さあさあ、とりあえずこの試験用クインケ鋼にそれを――」

ヒナミ「?」
リョーコ「見ちゃいけません。まったくあのヒトったらもう……ッ」


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ネット版外編 第4回分配信

今回のお品書

No.3 喰種開業医・笛口アサキ 第1患者、第2患者
No.2 リゼの部屋 第三回、第四回

※キャラ崩壊注意(特に笛口アサキに対する過剰な風評被害)
※設定違い注意(特にリゼ)
※絶許マン注意


『3.ジっくり視ましょう!』

 

 

 

 暗転した場所で、丸椅子の上に座る男性。背中をこちらに向けて、黒い白衣を身にまとっている。髪は長いというより、切るのを面倒がっているのか適当に束ねている。

 そんな彼が、ちらりとこちらに身体を向けた。人の良さそうな顔をしているが、少し疲れている印象である。ひげはうっすらと生えており、メガネに、首には聴診器を巻いていた。

 

「――やぁ。理性と本能の狭間に囚われた皆さん。

 私は笛口アサキ。喰種の赫子に目がないドクターです」

 

 特に妻の赫子の形状の美しさといったら、と何かを語ろうとした瞬間、口から涎が垂れかけ、じゅるりと袖で拭った。

 

 

 

 

 

<――喰種開業医・笛口アサキ 第1患者――>

 

 

 

 

 

「――次の方、どうぞ」

 

 今は使われなくなった、とあるコンテナハウス。空き地の管理も行き届いて折らず、一見して廃墟のそれだ。そんな場所に看板も立てず、ひっそりと経営しているのが笛口アサキの診療所だ。

 喰種の医者として、今日もやってくる患者たちを、食糧と引き買えに診ているのだ。

 

 さて。アサキの言葉を受けて病室の扉が開く。

 

「おお、アヤトくんですか。まま、ささっと掛けて下さい」

「嗚呼。……痛ッ」

 

 年齢は10代前半ほどの少年が、肩を押さえながら椅子に座った。目つきは酷く悪く、将来が楽しみな整った容姿もいくらか台無しだ。

 そして、アサキはそんな攻撃的な雰囲気のアヤトを、実の子でも見るような温かな目で見ていた。

 

 もっとも、表面上はであるが。

 

「無茶をしてはいけないよ? お姉さんを守るというつもりでも」

「うっせ。オッサン黙っと――ッ!!」

「はいはい、患者は患者らしくしてなさい。そうだね、念のため上着を脱いでくれ。他にも何か問題がないか、確認しよう」

 

 言われるがままに上着を脱ぐアヤト。左肩から腕にかけて走る傷痕に、さっと取り出した消毒液を宛てるアサキ。少し涙ぐみながらも、アヤトは拳を握って力いっぱい堪えた。

 

「今日は誰と戦ったんだい?」

「……なんか、変な言葉しゃべる変態」

「変態?」

「姉ちゃんと俺の臭い嗅いだりしてきやがった。キモかった」

「それはそれは。で、これはお姉さんをかばって出来たものと」

「!?」

「なんで気付いたか、という感じだけど、そこはオジサンも大人だからねぇ。人生経験豊富さ」

 

 驚いた表情のアヤトに微笑みながら、傷口を洗浄するアサキ。だが、その視線はアヤトの、ひとえに左肩に注がれていた。

 

 

(霧嶋アヤトくん。肩の裂傷は「甲赫」による回転攻撃でしょうねぇ。でも腕が千切れてないということは、赫子がそれを防ぎ切ったということでしょう。羽赫は相性的に甲赫とは酷く悪いはずなのに、それが可能ということは、ひょっとすると近親者に甲赫が居るのかもしれませんねぇ。

 そして何より、アヤトくんの赫子は遠近の区分がない! 羽赫はどうしても遠距離が得意という風になってしまうところですが、喧嘩殺法のごとく我武者羅に当って鍛えているだけだって、戦闘パターンを固定しないようにしているのでしょう。加えて一撃の出力の高さから言えば、人間が使うショットガンのごとし。

 ひとえに努力の賜物でしょうか。将来が楽しみな赫子ですが――いささか拍子抜けですねぇ。これなら、家の娘の方が期待値が高いところでしょう。なんてったって、赫胞2種同時保有ですからッ!)

 

 

 内心のそんな謎のたぎりを一切表面に出さず、アサキはアヤトに包帯を巻いた。

 

「それで、大丈夫なのかい? 下手に相手の喰種に執着されても、危険なんじゃないのかい?」

「一応あっちも半殺ししたから大丈夫だろ。あー……、なんか、じーさんが持ってた写真のだけど、見るか?」

 

 そう言ってアヤトが取り出した写真を見て、アサキに電流走る。

 

「――なんという美しさだ……ッ! 洗練されている!」

「……お、オッサン?」

 

 突如訳の分からないことを口走り出したアサキに、アヤトは一歩引く。

 

 アサキは立ち上がり、手にした写真に写る青年――腕にドリル状に巻きつく赫子を構えてポーズを取る喰種の、赫子を、目を食いしばるように見て笑っていた。

 ちょっと目がうっとりしていて、怪しいというか危ない感じである。

 

「並の食事やトレーニングではここまでの色艶は出ない。イメージが赫子の形を作る以上、本人のメンタル的な要素も捨ててはいけないが、画素の荒い写真ごしにさえ分かるこのきらめきッ! 全ての要素が結合した、正にパーフェクトハーモニィッ!

 アヤトくん、一体彼とはどこに行けば会え――るのか、い?」

 

 その場でくるくる回転したりして、テンションの上がりようを表現していたアサキだったが。

 振り返れば、先ほどまでアヤトが居た場所には、肉のパック一つだけが置かれ、扉が開かれていた。

 

 

 診療室に少しだけ冷え込んだ風と、「あなた、また……」という妻の声だけが響いた。

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

<――喰種開業医・笛口アサキ 第2患者――>

 

 

 

 

 

 今は使われなくなった、とあるコンテナハウス。空き地の管理も行き届いて折らず、一見して廃墟のそれだ。そんな場所に看板も立てず、ひっそりと経営しているのが笛口アサキの診療所だ。

 喰種の医者として、今日もやってくる患者たちを、食糧と引き買えに診ているのだ。

 

 さて。目の前の患者に対して、アサキは微笑みながらアドバイス。

 

「カズオさん。貴方の場合生活サイクルも栄養バランスも完璧ですから、そうなるとやはり精神的な所が原因かと。赫子の調子にも影響がありますから、何か発散するところを考えては?」

「やはり、もっと踊るしかないのか俺は……」

 

 赫子を仕舞い、ありがとうございます、と頭を下げて立ち上がった男。髪はちょっとおかっぱっぽい、スマートな男性だ。冴えない容姿と優しげな声が印象的である。扉を開けて外に出ると、アサキの愛娘に優しげな声で手を振るようなやりとりが聞こえてきた。

 

 それにほっこりしながら扉を閉め、アサキは少しだけ暗い表情を浮かべた。

 カルテを付けながら、アサキは少しだけため息。

 

「毎日毎日、平和で結構ですが……。ここの区の感じにも慣れてきて、赫子も見慣れて来てるんですよねぇ。ここらで一発、何か私をときめかせてくれるような赫子は来ないものですかねぇ……。

 次の方、どう――」

 

 ぞ、とアサキが言った瞬間、診察室の扉が勢い良くぶっ飛ばされた。

 

 扉と共に部屋の中にぶっ飛ばされてきたのは、長身の男性である。少々濃い顔つきながら、何故か妙にしなを作っている。診察室の机の上に倒れたと同時に、彼は「あぁん、ヤモリったら大・胆♡」と恍惚な声を上げた。

 

「あ、あな、たは――ヤモリさん?」

「やあ久しぶり。先生?」

 

 ふっと微笑み、倒れこんだ男性を適当に地面に転がして椅子に座ったのは、大柄な白いスーツの男性だ。ネクタイは鱗のような模様が描かれており、顔形は中々にいかつい。

 

 ぱきり、と指を慣らす彼に、アサキは思わず一歩下がった。

 

(13区のジェイソンこと、ヤモリ。共食いを繰り返して既にその身は赫者へと至ろうとしている。

 何よりその特性は共食いというよりも、その趣味趣向であるところの被虐、拷問のごとき行為に裏づけされた残虐性。一度目にした赫子は、何とも荒々しい鱗赫だった……。

 しかし、何も退屈を紛らわしたいと思った矢先に何故彼なんだッ!?)

 

 奥で震えているだろう娘と妻の方に注意を向けながら、アサキはヤモリに聞いた。

 

「よ、用件を伺いましょうか?」

「嗚呼。道具の調子を見て欲しいんだよ。ほら、僕、沢山使ってるから自分だけじゃ手入れが間に合わなくってさ」

 

 そう言いながら取り出したのはペンチだ。だが一見した通りの只のペンチにあらず。押さえつければ喰種の身体さえねじ切る類の道具となっているそれは、元はと言えばアサキの医療器具の技術をベースとしたものだった。

 

 力の強弱関係に開きがある喰種の診療も行うアサキだったが、ヤモリは勝手が完全に違った。彼はそもそも医療を必要としない前提で動いており、一定数の喰種が彼を「先生」と扱うのに対して、ヤモリは彼に支配的な態度をとる。家族を人質に取られているような状況が続いており、アサキは彼の言う事には逆らえなかった。

 

 ヤモリもヤモリで手加減の度合いを弁えているのか、アサキに対して依頼する範囲は、さほど多くはない。娘の誕生日には服を送ってくることもあるくらいだが、もっとも基本的には相手の気分次第というところだった。

 

 一度バラバラに分解して各パーツを磨き、一度彼に手渡す。

 ばきん、ばきんと調子を確認した後、ヤモリは躊躇なく、一緒に連れてきた男の鼻をニッパーで摘み、もいだ。

 

「――ああああん、痛いじゃないのヤモリ!」

「お前を紹介するつもりもなかったのに、付いてきたんだから使用点検くらい付き合えよ」

 

 顔面を押さえながら抗議する男。診療所に血が飛沫する。

 ヤモリは楽しそうに笑い「また来るよ。娘さんも元気でね」とだけ言い残し、二人そろってコンテナハウスを出て行った。

 

 深く、深く息を吐くアサキ。彼等の足音が聞こえなくなってから、すぐさま急ぎ足で扉を開け、ベッドで震えていた妻子に走る。

 

「お父さん――」「あなた……ッ!」

「ヒナミ、リョーコ!」

 

 涙を浮かべながら、ひしと抱きしめ合う。

 

(嗚呼、退屈で結構じゃないか。平和で結構じゃないか。私には家族がいるのです。この平和さえ守る事ができるのでしたら――)

 

「リョーコ、その蝶のような赫子で私を包みこんでくれ! 癒してください!」

「あなた、ヒナミの前でマニアックなプレイを要求するの止めなさい」

 

 首をかしげる娘の前で、抱擁しながらも母親は父親の頭に軽くチョップを入れた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

  

 

 

 

 

『2.オ遊びは程々に?』

 

 

 

<――リゼの部屋 第3回――>

 

 

(本棚が沢山並ぶセット。テーブルの上には赤い液体の入ったグラスが二つ。リゼが身体を斜めにして微笑む。手元には本が一冊)

 

リゼ(以下リ)

「こんにちは。喰種界一の魔性のオンナ。美女が野獣、神代リゼです。

 第3回目のゲストはこちら――あらどうしたの? バンジョーくん。真っ白になっちゃって」

 

(カメラ、左の方に振れる)

(バンジョー、真っ白に燃え尽きてる(目も白目))

 

バンジョー(以下バ)

「・・・バンジョー、カズイチデス」

 

リ「あらあら重症ねぇ。ちょっと遊んでただけじゃない」

 

(外野から野次「カネキ喰おうとしといて遊びじゃねーだろ!」)

 

リ「あら、霧嶋さんだって結構ウマとか言ってたの、カネキくんに聞かれてるわよ? くすくす。まぁそれはおいて置いて。いや毎回思うけど、バンジョーくん地味よねぇ。私にリーダー任されたって張り切っても、ねぇ」

 

バ「ふぐぅ」

 

リ「さて、そんなバンジョーくんだけど最近どうなの? 11区奪われて、アオギリで下っ端とかしてたけれど。自慢の肉体、やっぱり役には立たないっていうか――」

 

月山(以下月)

「バンジョイくん! 落ち込む事はない、君はカネキくんの盾なのだからッ! 攻撃は僕に任せれば良いのさ!」

 

(月山、突如ジョジョ立ちでテーブルの上に現れる)

 

バ「つ、月山!?」

 

リ「あら月山くん、行儀悪いわよ? っていうより貴方4回目のゲストのはずでしょう?」

 

月「そう今来たところさ!

  だが君のバンジョイくんへの煽りを聞いていて、流石に可愛そうになったっ!」

 

リ「あら、でも事実じゃなくって? ねぇバンジョーくん」

 

バ「り、リゼさん、俺は・・・」

 

月「辛いならば僕が代わろうかい? レディにもジェントルにも、友愛を持ち優しげに接するのが僕のスタンスさ」

 

バ「い、いや、別にいい」

 

リ「全然信用されてないじゃない、月山くん」

 

月「ワッツッ!? ん、んん。それはともかく、神代さん――」

 

リ「っていうかいい加減テーブルから下りて。カネキくんからもらった本が汚れるじゃない」

 

(ぴょん! と跳ねてバンジョーの隣に座る月山)

(バンジョー、ソファの端に逃げる)

 

(ぱしゃり、というどこからともないフラッシュに笑顔でポージングを決める月山)

 

月「さって、神代さん。常々僕は聞きたがっていたことがあったのだが」

 

リ「何かしら」

 

月「君は僕に、味に拘るとは人間のようで滑稽だと過去に言ったことがあったね。ハイソぶっていると(コミックス4巻#36参照)」

 

リ「そんなこともあったわねぇ」

 

月「だが君ィ! 君がカネキくんを見かけてから、実際に彼と話をするまでのソーロングタイムは、僕の下ごしらえと何が違うのかな? ん?」

 

リ「あれは・・・、一応、目的あってのことだし」

 

月「目的とは何かね? ん! わざわざメガネまでかけて」

 

リ「変装的な意味合いもあったし、それは・・・って。嗚呼なるほど、結構根に持ってるのね・・・(研くん関係のハナシをしても意味なさそうだし、煙にまこう)」

 

(リゼ、カメラ外のスタッフ? に何か指示を出す)

 

リ「ところで月山くん。貴方、最近カネキくんに協力して色々なんかやってるらしいじゃない」

 

月「そうれが、どうかしたかい?」

 

リ「詳細は後の方になるから省くけど・・・、ちょっと、こちらの映像をどうぞ」

 

(リゼ、リモコンを取り出してボタンを押す)

(月山、バンジョー、そちらを見る)

 

 

(映像:ビルとビルの谷間、バンダナを巻いた青年と整った顔の少女と小さい少女が月山に追い詰められている)

(映像:突如空中から、黒いシルエットが降って来た)

(映像:カネキ、変身状態)

 

月『か、カネキくん!? 何故君が・・・』

 

カネキ(以下カ)

カ『チエさんから以前、コンタクトがありました。正直、別件で動いてたところだったんですけど・・・って、イクマさん?』

 

(イクマ「ひ、久しぶりやな」と驚いた様子で手を挙げる)

 

カ『久しぶりです。で、今回その借りを返してもらいたいということで・・・。なんでも言ってください、出来る範囲のことなら』

 

(ホリチエ、何故か顔面と音声にモザイク)

 

ホリチエ(以下ホ)

『んー、大したことじゃないんだけどさ。今後、私から情報が欲しい時は、月山くんを通して!』

 

カ『月山さんを通じて?』

 

ホ『あ、もちろん私が使えそうだって思ったらで良いんだけど』

 

カ『その言い方だと、人間性とか無視してるみたいで何か嫌ですね・・・。もちろん力を貸してもらえるなら、ありがたいんですけど、何故?』

 

ホ『そっちの方が沢山写真がとれるから』

 

 

(映像切れる)

 

 

リ「良い友達持ったじゃない。(懐柔されてるけど)」

 

月「リトルマウスは、僕とは違う道の求道者さ」

 

(月山、テーブルの上に乗っていた赤い液体を飲む)

 

リ「で、そんな彼女からこんな写真が――」

 

月「Shiiiiiiiiiiiiiiiiiiitッ!!!!!?」

 

(リゼ、月山の変顔の写真をさっと取り出す)

(月山、絶叫して液体を噴き出しながら、リゼから取り上げようとする)

 

バ「つ、月山どうし―ーぶッ!」

 

月「バンジョイくん、押さえたまえ! これは違うんだ!」

 

リ「くすくすくす。事前に貰っておいて正解だったわ。で、この写真を後でカネキくんに送付しようかと思ってるんだけど――」

 

月「神代さん、何が目的だねッ!?」

 

リ「目的なんて大それたものないわよー。ただ単に、仲良くなって欲しいってだけじゃない?」

 

月「違うんだ、僕とカネキくんとはもっとこう・・・、エレガンス! な、こう、洗練された関係でありた――」

 

リ「捕食対象として見てるくせに何言ってるんだか」

 

月「そのことに関しては君に言われたくはないゾッ!」

 

リ「前提が間違ってるもの。私、本性出してからカネキくんの扱いは変わってないし。むしろカネキくんの方が好意的じゃないかしら? うふふ」

 

(リゼ、ドヤ顔)

(月山、ぐぬぬ)

 

リ「貴方もせめて、さっきのイクマ? くんくらい好意的な視線を向けられるようになればだけど・・・、ご愁傷様ね?」

 

月「表に出たまえ! 美食家の本分たる、洗練された力を見せてあげようッ!」

 

リ「あらあら、そんなの戦いにならないと出せないものなの? とんだお笑い種ねぇ」

 

月「な、なんだと!?」

 

バ「お、おい月山、止めておけって――」

 

(リゼ、リモコンを操作)

(映像:リゼ、カネキに齧りつく捕食シーン)

 

 

月「僕のだぞッッ ッ!」

 

リ「バンジョーくん、後お願いね~♪」

 

バ「へ? あ、リゼさん!? ちょっと、ちょっとちょっと――!?」

 

月「今日という今日は雌雄を決しようじゃないか! 質と量の全面対決だ! さあやろうじゃないか! こら、逃げるな! なんか待ちたまえ!――」

 

 

(月山、バンジョーに破壊締めにされながら絶叫。ちょっと顔が赤い)

 

 

(リゼ、その場を離れながら笑う)

 

リ「月山くん、血酒結構弱いのねぇ。くすくす」

 

 

 

バ「ちょっと、誰か助けてくれ! アヤトの姉ちゃん、カネキ呼んできてくれ、いやちょっと、リゼさああああんッ!!?」

 

 

(画面外からぱしゃり、と一枚。月山の変顔が撮れる)

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

<――リゼの部屋 第4回――>

 

 

(本棚が沢山並ぶセット。テーブルの上には赤い液体の入ったグラスが二つ。リゼが身体を斜めにして微笑む。手元には本が一冊)

 

リゼ(以下リ)

「こんにちは。願いは一つ、:reでの大活躍を。最近目処が立ったようで良かった、神代リゼです。私が鉄骨に潰されてから色々起こってるみたいだけど・・・、関わったって良いじゃないッ! ゲストを呼んで、色々弄っていきたいと思います。

 第4回目のゲストは――本当なら美食家、月山習さんだったんだけど、本人が前倒ししてしまった結果ね。こちらのお方です」

 

(カメラの振れた先、額に幽霊のつけてる三角巾を装備したヤモリ)

 

ヤモリ(以下ヤ)

「大守八雲です。初めての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです」

 

(外野から「アニキーッ!」という声が入る)

 

リ「ぶッ」

 

(良い笑顔を浮かべて挨拶するヤモリ。リゼ、何故か爆笑)

 

ヤ「・・・何が可笑しいのか? リゼ」

 

リ「あはっはは、アタシと貴方の接点なって、だって本編前の、高田アクアビルディングくらいしかないじゃない? 貴方が私が食べているところに乱入してぇ、ペンチ取り上げられてぇ。返せ、返せぇ! って。

 しかもそれだって元々、喰種開業医のところから無理やりかっぱらって来たものでしょ? 自分で作りなさいよ、あっはははははははは――!」

 

(ヤモリ、笑顔のまま青筋が立つ)

 

リ「あの時の台詞覚えてる? 指の一本、腕のニ三本、足の五六本ですって。赫者とかの姿とかで相対したらいざしらず、目の前に普通の体で居る相手にそりゃないでしょ、数を数えられないわけぇ? あっはっはっはははは――」

 

ヤ「・・・やれやれ、これだから野蛮人は。レトリックの一つも解さない」

 

リ「少なくとも貴方よりは読書家だと思うわよ? 白秋だって読むしぃ」

 

(リゼ、リモコン操作)

(映像:ヤモリがリゼの耳元で囁く)

 

ヤ『俺に――奪わせろ』

 

 

リ「うwwばwwわwwせwwろww」

 

(ヤモリ、更に青筋が立つ)

 

リ「おままごともここまで行くといっそ清清しいわねぇ。暴虐なんて、恐怖を煽らないから暴虐なのにぃ。弱いものいじめして自分は強いんだーって自己主張して。真理? 単に一人ぼっちの価値観が嫌なだけでしょう。それで他人を自分みたいにして初めて『仲間』ですって? 可愛いわねぇ、ちっぽけで♪」

 

ヤ「リゼエエエエエエエエエエエエエ――ッ!」

 

(ヤモリ、立ち上がり赫子を出す)

(リゼ、爆笑)

 

リ「だーから言ってるじゃない。貴方とは遊ばないって」

 

ヤ「ビッグイーター絶対に許さねぇ!!!」

 

(外野から「アニキ、やっちまえー!」というテンションの高い声)

 

ヤ「有馬コロス有馬コロス有馬――」

 

リ「なんか混じってないかしら? まあ私もなんか、原作の方で彼に目を付けられてしまったみたいなんだけど・・・」

 

ヤ「セイハー!」

 

リ「って、脈絡なく飛び蹴りとか止めなさいよ」

 

(ヤモリ、突然キック。リゼが交わしたのでセット破壊)

 

ヤ「まあ私としても? カネキくんを散々いじめたっぽい貴方に思うところはあるしぃ。なんか彼の中で、ある種父親的な扱いと言えなくもないのかもしれないけどぉ? とすると私、お母さんになっちゃうし、それもそれで嫌なのよね・・・」

 

(リゼ、背部より赫子展開)

 

リ「というわけで、遊びはしないけど――サンドバッグくらいにはなりなさいよね?」

 

ヤ「はああああああああああッ!」

 

(ヤモリ、上半身と腕に赫子を纏いはじめる)

(リゼ、下半身に赫子を纏いはじめる)

 

(リゼ、頭部から角が生えはじめる)

 

 

 

(リゼ、ヤモリ、衝突)

 

 

(衝撃でセットがぶっとぶ)

(飛んできた椅子でカメラにヒビが入る)

 

(ピエロマスクのスタッフ(以下ソ)「誰か! あの二人止めて! 収集付かない!」)

(ピエロマスクのスタッフ(以下ニ)「あんら、無理じゃないの? 美食家ちゃんは?」)

(スタッフ ソ「MMさんさっきお引取り願ったし! というかスタジオ的に・・・ウタさーん! 助けてー!」)

 

 

 

  

 




本日二回目の更新なんで、そこのころご注意

次回配信で一応ネット版外編は終了予定


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ネット版外編 第5回分配信

今回のお品書

No.10 リオwithあんていく ニシキさんとトーカさん
No.6 大レースバトル!in A with A 後半戦

※キャラ崩壊注意
※メタ発言注意


『10.エンタングル』

 

 

<――リオwithあんていく――>

 

 

 

 今日の僕は、あんていくの非番。

 カネキさんの協力の元、いつもなら()を探すところだけれど……?

 

「大丈夫かなぁ、トーカさん」

 

 お店を出る前、休憩室で見たトーカさんは肩で息をしながら、色とりどりの食物が所狭しと入れられた、人間のお弁当を食べていた。

 大丈夫かと聞こうとしても追求は拒否するし、カネキさんなら何か知ってるだろうか……。

 

「待てよッ!! おい貴未!」

 

 そんなことを考えながらの捜索中、というよりもその帰り道。20区へ向かう途中、ある学校? の入り口のあたりで、ニシキさんの姿を確認した。

 彼は女のヒトと一緒に居て、何か口論したらしい。彼の制止を振り切って、彼女はどこかへと行ってしまった。

 

 しばらく彼女の背中を見つめると、とぼとぼとこちらの、出口の方に歩いてくる。

  

「……あ゛?」

「こ、こんにちは」

「何やってんだシマシマ。こんなところで……って、探してんだったな。例の」

「あ、はい……」

「どうしようもなくなったら言えよ? 俺もまぁ、暇だったら少し手伝ってやらねぇこともねぇから」

 

 色々と言い方が遠回り過ぎないだろうか、このヒト。

 

「んだよ。何ニヤついてんだよ」

「あ、いえいえ。……さっきのヒトって、恋人さんですか? ケンカしてたみたいですけど」

「チッ。何見てんだよ……。まーそーゆーことだ。人間だけどよ」

「へぇ……」

 

 意外だ。なんとなくだけど、てっきりそういうのをとっかえひっかえしていたイメージがあった。あるいはみんな一緒に付き合ってるとか。

 でもなんとなく、彼がなんであんていくで働いているのか。その一端を知ったような気がした。

 

「……オイ、何だその間は」

「へ? あ、いやいや、何でも」

「あー。たく……。

 俺のコト良いっていう女居たらしくて、それで妬いてるんだよ。別にんなことどーでも良いってのに。そのうちどっか連れて行かなきゃ駄目だな、ありゃ。 

 レポート終わった後からご機嫌取りだ。ったくメンドクセー」

 

 なんとなく、僕らは歩きながら話を続けていた。

 

「モテるんですね」

「へっ。まぁな。大体表面的なことしか見えてねーよーな連中ばっかだがよ」

「……あのヒトは、特別なんですね」

「ハァ……。

 お前、付き合うなら喰種の女にしておけよ。色々面倒クセーことばっかだから。

 記念日がどーのこーの、デートスポットも調べなきゃなんねぇし。知識ねぇからんなモン言ったって出てこねぇよ」

「トーカさんとか、学校に通ってると思いますけど……」

「ありゃ半分は人間の女みてーなもんだ。メンドクセーから止めとけよ。カネキ見てりゃわかんだろ」

「なんだかんだ言って、ニシキさんって真面目にそういうこと叶えようとしてますよね」

「うっせぇよ。テキトーだっての。ったくメンドクセー」

 

 ニシキさんはそう言いながら、自販機で僕にも缶コーヒーを買ってくれた。

 その時に見た手首のブレスレット。遠目で見た感じ、気のせいじゃなければあの女のヒトの腕にもついていたような気がする。

 

「仲直り、出来ると良いですね」

「シバくぞお前」

「なんで!?」

 

 ニヤニヤ笑いながら軽くアイアンクローをかますニシキさんから、僕は軽く悲鳴を上げながら逃げた。

 

 軽いじゃれあい、という感じではあったけど、戦闘態勢に入ってないと僕はあんまり強くないのだ。こういう恐ろしさには弱かった。 

 

 

 

 走っていると、不意にトーカさんの後姿を見つけた。

 声をかけようかと思ったけど、彼女の隣にヒトが居たのを見て、声をかけるのをためらった。

 

 僕やニシキさんには見せないような。かといってお客さん相手の作り笑いとも違う。そんな自然な笑みを、彼女は隣の少女に向けていた。

 

 彼女たちは、同じ服を着ていた。ということは、つまりそういうことなんだろう。同級生、クラスメイト。

 

 ただ、そういうよりは――普通に友達って言ったほうが、しっくりくる。

 

「でさ、アイツおかしいのよ。絶対何か隠してるって」

「えー、ホントに? ――」

 

 ……楽しそうだな。

 

 学校か。……記憶の有無にかかわらず、そこはたぶん僕にとって未知のエリアだ。同年代の人間がたくさん集まって勉強している場所。まったくもって想像もつかない。

 そんなところで、トーカさんはあの子たちと一緒に居るんだ……。

 

 たくさん、人間のことも勉強したんだろう。じゃないと会話もかみ合わないはずだ。

 

 あんていくでのツンとした一面でも、カネキさんの前で見せる照れ隠しの一面でもない。僕にとって今の彼女は、浮かべている笑顔以上に意外な一面だった。

 毎日積み重ねているだろうその努力。彼女はとても頑張り屋だった。

 

「じゃ、またね。あ、これこれ。深夜に食べたくなったら食べて!」

「補習午後からなのにまた作ってきたのかよ……」

「せっかくだから彼氏さんと一緒に――」

「だー、もう違うっての! じゃ、またね」

 

 

 

「トーカさん」

「!? あ、アンタいつから――」

 

 僕の存在に気づいて、明らかにトーカさんはあわてた。

 

「友達ですよね?」

「……悪い?」

「いえ。なんか、羨ましいなーって。楽しそうで。

 でも、それ……」

 

 彼女の手に握られている包み。たぶん中はお弁当箱が入ってるんだろう。

 トーカさんは、それを隠すようする。

 

「馬鹿みたいって思ってるでしょ」

「いえ、そんなことは――」

 

 そまま走り去る彼女。僕は今朝方、体調が悪そうにしていたトーカさんのことを思い出した。

 

「……友達が自分のために作ったものだから、がんばって食べていた」

 

 それは……、何というか、哀しいなぁ。

 トーカさんの優しさと、それだけで覆いきれない喰種の生き方が。

  

  

  

  

 

 数日後。繁華街で。

 

「……おや? 君は先日の」

「!?」

 

 前にヒナミちゃんと一緒に出歩いた日に、出会った捜査官の女性から声をかけられた。

 

「やはり君か。この間は助かった、礼を言う。父には好評で、後は本人用に作るだけなのだが」

「あ、いえ、どうも……」

「私は真戸アキラと言う。せっかくだ、礼もかねて軽食でも一緒にどうだ?

 幸い時間が空いている」

 

 捜査官の前で食事!? 何だその自殺行為は。

 いや、でも変に抵抗したら危ないか? ヒナミちゃんが今日は居ないって言うのが幸いかもしれない。

 

 レストランなんか行ったらそれこそ追い詰められてしまうので、僕はなんとなく、近くにあった喫茶店に足を運んだ。

 ……? って、あれは高槻泉?

 

「どうした?」

「あ、いえ、何でもないです……」

 

 喫茶店の奥でパソコン? を広げて、彼女はなにやらカチカチとタイピングしていた。もう新作を作っているのだろうか……。

 

 ウェイトレスのヒトに、僕はサンドウィッチを注文した。以前古間に伝授してもらって以来、いまだに時々練習している。味の判定含めて、ある程度はお墨付きだ。いくら捜査官でも、これを見抜くのはかなり難しい……、はず。

 

 僕は珈琲とサンドウィッチ。アキラさんはチョコレートドーナッツとエスプレッソ。

 

「いただきます――」

 

 手を拭き、両手にとって一口。

 それと同時に口の中に広がる、この風味と味の酷さをどう形容したら良いだろう。舌にまとわり付く、この妙に臭みを伴う風味は……、塩だったか。後から来る何ともいえないまだるっこしい味わいは甘み。じゃきじゃきと弾力を伴い口の中にうっすら痛みさえ覚えるこれはレタス。そこからもれる水分が、ただの水とそう変わりないだろうに僕の口の中を不快感で満たす。続けて広がる、この吐瀉物めいた酸味。何だ、この独特なソースは……?

 

「なんだこれはぁ!?」

「!」

「野菜のシャキシャキ感、肉の旨みはもちろんだけど、全体を調和する、ほんのり香る風味……、あんまり体験したことのない味だぞ? ベースはサウザンっぽいけど、それでいてこう動物的な――」

 

 味に付いて色々考えている僕に、アキラと名乗った彼女は意表をつかれたように妙な表情をしていた。

 

「そうだ、ブイヨンだ! 鳥のブイヨンをベースにしているんだ! だからこんなに美味しいんだ!

 上手いことバランスがとれているんだ、よく考えられている!」

 

 そんなことを言っていると、店の奥から店長らしきヒトが出てきて、僕の講評(?)に色々言ってくれたりした。将来は料理人になったらどうか、というようなことさえ言ってくれる。

 しばらく店長と話した後、椅子に座ると彼女は微笑が引きつった。

 

「ずいぶんこだわりがあるんだな、君は……。いきなりしゃべったから、驚いたぞ」

「あ、いえ、すみません。どうにもこれには目がなくって。作るのはあんまり得意じゃないんですけど」

「ふむ。……喜んでくれたなら幸いだ」

 

 その後しばらくして、なんとかやりすごして僕は彼女と別れる事が出来た。

 なんとか乗り切った……。脳裏には魔猿様の得意げな顔が浮かぶ。

 

 

 改めて思うのは、トーカさんはすごい。

 

 僕は自分の身を護るためにこういうことをしたけれど……、彼女は自ら進んで、やっているんだ。友達のために。友達と居るために。

 

 お店につくとすっかり夜で、トーカさんがちょうど出てくるところだった。

 

「あっ」

「……ん」

 

 それだけ言って帰ろうとするトーカさん。僕は、なんとなくそれを呼び止めた。

 

「どした?」

「あの……、少し、一緒に歩きませんか?」

「……いいけど」

 

 

 

「カネキさん、今日は……?」

「なんか月山と一緒に出て行った。後でとっちめてやる」

「あ、あはは……」

「で、アンタは何か成果出たの?」

「んー、今日はいまいち……」

 

 なんで一緒に歩こうと言ったのか。正直、僕にもよく分かってない。

 ただ、なんとなく言わなきゃいけないような。聞かなきゃいけないようなことがある気がしたんだ。

 

 以前に比べて、僕がマシになってきたと言うトーカさん。そろそろ研修もとれるんじゃない? と半笑いする彼女に、僕は聞いた。

 

「……トーカさん。僕は、馬鹿だって思わない」

「……?」

「前に、そんなこと言ってましたよね。人間の食べ物食べて、馬鹿だって思ってるだろって。

 でも……、僕はそう思いません。だって、それだけ友達が大事で、友達の思いを無駄にしたくなって、思ってのことだから」

「……」

「そういうのって、すごく素敵なことだと思います。確かに僕らの身体には良くないのかもしれないけど……」

「……違うの、そうじゃないの」

 

 トーカさんは、肩をすくめて、自嘲するように笑った。

 

「私は……、カネキにも言ってないんだけどさ? 人間みたいになりたかったの」

「……」

「ああいうことしてれば、もしかしたらいつか味覚が変わって、依子たちと本当に楽しむことが出来るんじゃないかって。結局、成果も何もないし。そりゃ、カネキでさえ味覚が変わってから、今まで戻ったって話も聞かないのにね。

 みんなの中にいて、やっぱり思うのよ。私は――コイツらとは違うんだって。バケモノなんだって」

 

 彼女の独白に、僕は言葉を続けられなかった。

 

「楽しかったけどさ。でも寂しかった。

 形だけじゃなくって。私は……、私は、人間みたいになりたい。そしたら、依子たちのことももっと全部わかってやれるのに。本当に、友達になれるのに」

 

 今みたいに、隠し事とかなくてさ、と。段々と、その語調が強くなっていく。

 

「そしたらきっと、もっと何かが見えてくるんだと思う。思いたいのよ」

「……」

「怖いのよ。一人になるのが。

 カネキだって……、一人にしないでって言って。たぶんそれを聞いてくれたから、一緒に居てくれるんだと思ってるけど……。でも、それだっていつかふらっと、居なくなってしまうような気がする」

「……カネキさんのこと、好きなんですか?」

「……わかんない。たぶん、そうなんじゃないかって思う気もするけど。依存してる気もする」

 

 居た堪れない、という顔をして、トーカさんは下を向く。

 

 そして、僕は気づいた。嗚呼これは――嫉妬だ。たぶん嫉妬だ。

 怖いところもあって、弱いところもあって。でも誰より人一倍頑張り屋で。カネキさんや店長に次いで、存在が僕の中で大きいというのもあるかもしれない。でもそんなひたむきな彼女の姿が、僕には眩しい。 

 

 でも、だからこそ僕は――。

 

 

「僕は、トーカさんが好きです」

「……え?」

 

 戸惑うような彼女に、僕は「大丈夫」と続けた。

 

「だから、きっと大丈夫ですよ。カネキさんも、たぶん」

「……」

「トーカさんのそういう、ひたむきなところが僕は好きですよ。

 だから例え全部が全部、純粋な好きとかじゃなかったとしても、努力して、きっとなんとかなります」 

 

 言いながら僕は、意識がはるか遠くに引っ張られるような錯覚を覚えた。

 左目の奥の痛みなんかとは違う。身体が鉛のように重く、言うことを聞かない。腕なんかぶるぶると震えて、声もちょっと変になってきが気がする。

 

 まるで、自分の身体が自分の身体じゃないみたいだ。

 それでも、僕は笑顔を浮かべた。カネキさんがそうしているように。

 

 しばらく押し黙ってから、力が抜けたような笑みを彼女は浮かべた。

 

「……ありがと、リオ」

「……いいえ!」

 

 また明日、あんていくで。そう言って、彼女と僕は別れた。

 

 マンションに向かう彼女を見送りながら、僕は電柱に身を預けた。

 しばらく、ここから動けそうになかった。

 

 

 隠し事をして、それを貫き通すってホント、大変なんだなぁと。僕は改めて、自分の好きになった彼女(トーカ)さんのことを想った。

 ちょっと、涙が零れた。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

『6.ルール無用さ? なんたって・・・』

  

 

 

 

 

 

<――大レースバトル!in A with A 後半戦――>

 

 

  

 

 

「大レースバトル、in アオギリ with あんていく~~~~!」

 

 いえーい、だのひゅーひゅー、だのという声が、2つに分かれたチーム内部から叫ばれる。なおたまーに「まだやるの?」「トーカちゃんまぁまぁ」「茶番」「前回のアレどういうことだよカネキィ!」「トーカちゃんいけいけドンドンよ!」だの色々な呟きが漏れ聞こえていた。

 

 そんな中、廃墟に臨時的に設置されたようなステージの端、司会者の女性はマイク片手に頭を下げた。

 

「このコーナーは私、高槻泉が司会を務めさせていただきます!

 解説は芳村さんです!」

「どうぞよろしく。」

「さて! 今回の種目はこちら!」

 

 ぱちん、と指を慣らすと廃墟の壁面に文字が映される。

 

 

 

――障害物二人三脚ー―

 

 

 

「また変化球で来ましたね」

「並の変化球ではありませんね。ん? ……なるほど。途中で私も抜けますので、その時はお願いします」

「あいさがってん。さて、今回の出場は各チーム三組ずつ! 助っ人は喰種に限り可、ということで、こちらのメンバーです!」

 

 あんていく陣営からは、カネキとトーカ、古間と入見、そしてまさかの西尾と月山。

 アオギリの樹側からは、ノロとタタラ、ナキとアヤト、そしてまさかのガギとグゲ。

 

「おやおや、瓶兄弟とか適任だと思ったんだけど出ないんですかね? 芳村さん」

「一応、本編で死亡扱いになっている人物は出せないシステムなのでしょう」

「なるほどなるほど。しかしそれでもガギとグゲというのは……。:reの時系列から引っ張ってこれなかったんでしょうか?」

「前半戦のミザくんの反応のせいでしょうね、おそらく」

「なるほどなるほお。さて、それでは各選手の意気込みをどうぞ!」

 

「吼え面かかせてやるよ、眼帯ィ」

「アニキィ、見ているかァ!」

「ふはははははは! まさにうってつけさ。掘ィ! 写真を頼むよ!

 さて、足を引っ張らないでくれたまえ西尾くん!」

「あ゛? なんで俺がこんな奴と……。カネキ、行けそうか?」 

「小学校の時、そこまで悪くはなかった、かな? ヒデが二回走ってくれたっけ。

 トーカちゃん巻ける?」

「(カネキと二人三脚!? カネキと二人三脚!! 汗かいてんのに密着ってそれ――)

 ……まぁ、大丈夫なんじゃない?」

「どこで道を間違えたのかしらねぇ、あんなにお花咲かせちゃって」

「まぁまぁ、僕らと違って平和で良いじゃないか」

「ググ」「ガギ」

 

 なお月山の台詞の後、会場から「おっけー任せてー」という気の抜けた声が聞こえるが、撮られる写真が必ずしも月山本人の意図したものである保障はどこにもなかった。

 

 

「さて、では各選手スタート位置に……? おっと!? ここでまさかの乱入者だ! 君達は一体誰だ!」

 

 高槻泉の進行中に、突如ステージに飛びこんできた二人。黒と白のライダースーツに身を包んだ少女たち。髪まで色違いで、顔にはそれぞれ同じような顔をした男の子と女の子の仮面をつけている。

 

 そして両者が、突然謎のポーズを決めた。黒は拳を握って構えて片方を腰に当て、白はそれに背中を合わせて。

 

「初代プ○キュアのごときポーズ、ありがとうございました。それで、お二人は……?

 ふむふむ、なるほど。今回のレースに参加したい、と。それってひょっとして優勝商品目当てかな?」

 

 選手達の中、カネキと肩をくっつけて少し顔を赤くしていたトーカが首を傾げる。

 

「そうそう。あれ、言ってなかったけ? 今回の後半戦、優勝者はなんと、ジェイル後の本編においてちょっと立場が優遇されるっていう――」

 

 高槻の言葉に、カネキを覗いた一同に電流走る。

 特に何か言葉を言ったりする訳ではないが、あきらかに全体の纏う雰囲気が変化した。より、刺々しいものに。

 

 唯一さほど関係ないカネキが冷や汗をかくなか、謎の熱気を伴った一陣が位置につく。

 

「さ、それでは位置について、よぉい――ドン!」

 

 ピストルの光、音と共にフラッグが振られ、選手たち各々が走りはじめる。息ぴったりのガギとグゲ、白と黒の乱入者コンビ。それらに続くのがタタラ、ノロコンビである。

 

 それに遅れるはカネキ、トーカのペア。「大丈夫?」と気遣うカネキにトーカがひたすら無言で顔を逸らしているのが、微笑ましいと言えば微笑ましい。

 

「さてさて、この調子で進むは第一関門、喰種クイズだあああああ!」

「クイズですか?」

「そう! バラエティで同じみ、正解だと思うプレートに突っ込むアレです。正解なら普通に素通り、不正解なら……、フフッ」

 

 高槻泉の含み笑いに、会場のギャラリーが震えた。

 

「問題は三問! 選択肢は三つ!

 それでは行きましょうまず第一問! 原作『東京喰種』において、主人公である金木研は自身の変化をある有名な小説に例えましたが、その例えに使われた小説のタイトルは?

 1.変態。

 2.変身。

 3.変幻。

 正解は一つ! さあどれだ!?」

 

 それぞれの回答が描かれたポップ。まず黒と白の二人は一時的に留まり、考える。

 ガギとグゲはそんなことお構いナシに1に突っ込み、そして落とし穴のようなそれの中に落ちて――。

 

「ちなみに中は、アオギリの死神ドクター特性の赫子蟻地獄になってるから、充分注意してねー」

「「「「「!?」」」」」

 

 蠢く赤黒い何か、口のついたそれの正体が赫子だと分かり、そしてその異様な姿のものにがんじがらめにされ動けなくなっているガギとグゲに、一同騒然。ガギグゲー! というナキの叫びもむなしく、あっという間に二人は底に飲まれていった。

 もっともその二人の失敗を見て、黒と白のライダースーツのコンビは2に激突した。

 

「――飛び入りのお二人、大正解! 正解はフランツ・カフカの『変身』! ベルトも何もなく突然巨大な虫となってしまった青年と家族との軋轢と哀愁が、未だにどこか突き刺さるものがありますね~。個人的に安部公房とかもすきだけど。

 さてでは第二問! 『東京喰種』~『東京喰種:re』までの主要人物の中で、喰種とある意味深い接点を持ちロクな目に遭ってない人物の名前には、ちょっとした共通点があります。それは次のうちどれ!

 1.花。

 2.悪魔。

 3.金属。

 正解は三つに一つ! さあどれだ!?」

 

 再び足を止める黒と白のペア。後から追いついたタタラ、ノロの二人もまた足を止めて観察する。

 

 と、遅れてやって来たカネキとトーカのペア。問題を見てカネキは、一瞬その表情(というか髪型や容姿)を本編未登場の佐々木のそれに変化させ、3番の扉を突き破った。

 

「――カネキくん、大正解! 流石主人公! ちなみにこれは本作作者の見たてた範囲では金木研、亜門鋼太朗、鈴屋什造、瀧澤政道、不知吟士に該当します。それぞれ金、鋼、鈴、青銅、銀にちなんでるって感じかな?」

「カネキくんは金木犀、捜査官の彼は悪魔アモンと全く外れている訳でないところもあるみだね」

「それでは第三問! 霧嶋トーカ選手も赤くなっている場合じゃないよ!」

 

 「あ、赤くなってねーし!」と絶叫に驚いた表情を浮かべるトーカ。バランスを崩してよろけ、カネキの半身に抱き付くようにバランスを取りながら、なおのこと顔は照れる。

 そしてそれを無視して、司会者は問題文を読み上げる。

 

「原作『東京喰種』と本作『仮面ライダーハイセ』において、書いた後に一番作者が後悔した変更点は次のうちどれ!

 1.ヤモリのキャラ付け。

 2.リゼの過去。

 3.Kiss(キッス)♡(誰とは言わない)」

「「「「「わかるかっ!?」」」」」

 

 一斉に突っ込まれようとも、高槻泉は余裕の表情。月山あたりは露骨に「Death Sarase(死にさらせ)!」などと言っているが、件の小説家は反応を楽しむばかり。

 

 そして3番を読み上げた瞬間、トーカがぐらりとその場で倒れかかった。

 

「おやおやどうしたんですかねぇ霧嶋トーカ選手? 選択肢のどこかに反応しちゃいましたかぁ?

 あ、もしかして3番ですか? 3番。だってねぇそりゃ――」

「何言ってるんだ司会者! っていうか、違うし!」

「へ? ああ、つまりキッスは作者的にはおっけーだったと? 自分の恥を忍んでよく言えますねぇ。まぁ確かにここの作者もニマニマ笑ったり悶絶したり時に絶望にゴールしたりしながら書いたりしてるみたいですけどぉ」

「だから違う! い、行けばいいんだろ行けば!」

「と、トーカちゃん!?」

 

 カネキの静止を振り切って、3番に走るトーカ。もっとも走る途中でバランスを崩して倒れ、一緒に壁の向こうにダイブする形になった。

 

 そしてその向こうには――。

 

 

「あ、言い忘れていたけど最後の扉だけ、不正解はトリモチ式だから」

「な!?」

 

 赫子よりははるかにマシではあるが、どちらにせよ動けないカネキたち。特にトーカはカネキにダイブするような体勢で絡まっており、動こうにも動けずもう軽く(色々な意味で)死にそうである。

 対するカネキはといえば、すぐに戻ろうともがいているもののやはり餅に苦戦。赫子を出せば良いだろうが、しかし――。

 

「高槻先生、ひょっとしてこれ抑制剤とか入ってませんか!」

「ビンゴ!」

 

 そんな訳で、自力、腕力により脱出せざるをえない状況だった。

 

 対して飛び入りコンビも躊躇する。無論、Rc抑制剤が混入されているという情報からだ。

 だが、そういう場に躊躇なく突撃する 者が二人。

 

「アニキイイイイイイイイ!」

「ば、バカナキ、ちょっと待て――」

 

 アヤトをやや引きずりながら走るナキ。そのままヤモリと書かれた扉に激突!

 

「ー―正解! ナキ選手お見事!」

 

 しかも、なんとこれが正解であった。

 はっとしたように再び走りはじめる黒白コンビ。タタラとノロは、特にタタラがなんだかもう面倒そうだ。

 

 それから離れた距離で、突如、爆発音が鳴る。

 

「――ああっと! 入見カヤ選手、ついに赫子を使ったぁ! 背中に展開される四つの羽赫! 前傾姿勢で走る姿はまさに死神の狼! すでに愚らんぐらんとなりかけながらも、尾赫できっちり掴まっている古間選手に付き合いの長さを感じます」

「仲の良さ悪さはともかく、息だけは合ってますからね」

「さーさーいよいよラストスパート! 勝利の栄冠を手にするのは、果たして、果たして――!

 あーっと! 今、古間&入見ペアがゴオオオオオオオオオオル! 優勝はまさかの、序盤スローテンポだったこの二人に決定だ!」

 

 一気に追い上げた二人がゴールを飾る。さり気に古間がカメラに向かってウィンクしているのが鬱陶しい。

 続いて黒白のペア。ずっと目立たずいがみ合いながら走っていた西尾&月山ペア。遅れる形でナキ&アヤトペアという順番になった。

  

 

 

  

  

 多少時間が経ち閉会式。

 関係のないメンバーや乱入者二人、タタラなど「アホくさ」と肩をすくめてこの場を去った面々以外が残る。

 

「さーて、今回はちょっと意外な結果になりましたが、解説の芳村さん、どう見ますか?」

「カネキくんを有効活用できなかったのが問題でしょう。この手の企画のクイズ勝負で負けナシだったカネキくんですからね。たぶんトーカちゃんが本調子じゃなかったのも大きいかと。 

 ともあれ二人とも、優勝おめでとう」

 

 芳村の言葉に、古間と入見は軽く手を挙げた。片方は「ふふん、当然さ」と。もう片方は「疲れました」と。

 

 優勝コンビ二人を前に、何故か古間の方を見て舌打ちをする高槻。「何か?」と言われても、すぐさま営業スマイルを浮かべる。

 そして前に出て表彰しようとして――ちらりと二人の足首を見た。

 

「あれ、千切れてますね」

「おや?」「あら?」

「んー、と、ちょっと待ってください。確かルルブが……、あー! えっと、ルール上本競技は『二人三脚』なので、足が四本になった時点で失格、とのことです」

 

 彼女の言葉に対する驚き方の小ささが、年齢を感じさせる。

 

 しかし、これには会場に残ったメンバーがざわざわとした。優勝商品どうなるんだ、とか、じゃあ誰が勝ったことになるんだ、とか。

 

「えー、えー、審議の結果、優勝は第二位ということになるそうです。さて……? あれ、居ませんねぇ」

  

 

 既に立ち去ってしまった二人組の乱入者たちである。「仕方ないので、後日お渡しします」と言って、軽い感じでその場を締めた高槻泉だったが――。

 

 

 

 

 まさかそれが後々、本作本編にまで引っ張るネタだとは、この時は誰も思ってはいなかった。

 

 

 

 

 




黒「へっくしょん」
白「お姉ちゃん風邪? ……へっくしょん」
 
 
締めがそれかよ、という感じですが、ネット版外編は以上となります。正式に各回のナンバリングタイトルを並べると・・・?
後1、2回、何か打ってから無印後半行きます


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Uc"J" ディレクターズカット版エピローグ

本作における当然の帰結
エピローグの余韻を、おそらく完全にぶち壊す可能性が高いので、読む際はそこだけ注意を・・・ 

あ、ネット版外編はナンバリング版も別に作りました;


 

 

 

「――どうだ、エト」

「大丈夫。これだけ残ってれば、また『生まれ変わる』よ。無論、パーツは少し必要になるけど――」

 

 

 

 鈍い視界には、ライトの光。

 見覚えのある少女のような女性が。片方だけ赫眼を光らせて、微笑みながら僕を見ている。誰だっけ、このヒト――。

 

 

 

「”骨”については、もうちょっと実験が必要かな?」

 

 僕の左目の、真っ暗な視界を擦り。胸に刺さった丸ノコのようなそれを軽く摘んで。

 

「もう、君の枷はない。鏡を見て、浮き出た痣を見て、狂ってしまう必要もない。

 だから、もう大丈夫」

 

 

 

 

 ――今は、お眠りなさい。

 

 

 

 その言葉と一緒に、彼女は背中から出した赫子をゆっくりと僕に近づけて――。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟のような光景の中――。

 

 こうして夜に一人で居ると、昔のことを思い出す。……思いだせるようになったんだ。兄さんと二人で、色々な廃墟に移って寝泊りした時のことを。

 夜、寝られない時は色々な話を聞かせてくれたことも。楽しくて、睡魔に飲まれて気が付くと朝になって。そういうのが僕は好きだった。兄さんも兄さんで、どこからそういう話を仕入れてくるのかわからなかったけど、たぶん図書館とかなんだろうと今なら思える。

 

 そういえば、食糧の調達はずっと兄さんに頼りっきりだったっけ。

 今思えば、あの赤々とした光景を生み出さないように、僕が暴走しないように注意をしていたんだろう。それだけ僕が危険ならば、CCGも優先的に駆逐しようとするだろうから。

 

 そういえば、一人で身の回りのことをこなすのも随分慣れたっけ。

 記憶を辿りながら、僕はコーヒー道具を取り出して動かす。

 

 カップを二つ揃えて、それぞれに。

 湯を沸かし、引いていた珈琲豆へ「の」の字に注ぐ。泡が膨らむごとに香る芳ばしいそれは、何度嗅いでも不思議な気分だ。

 

 芳村さんの味には程遠い僕の腕前。

 それでも、あんていくと出会って僕が出来るようになったことだ。

 

 一口飲めば、まだまだな味わいと一緒に思い出す、あんていくの日々。

 

 トーカさんに、ニシキさんに、古間さんにカヤさんに、万丈さんたちやヒナミちゃん。

 四方さんに月山さんに、店長や――カネキさん。

 

 

 ――みんな、どうしているだろう。

 

 

 胸を締め付ける痛みに、僕は大丈夫だと言い聞かせる。

 

 自分の分と、もう一つの手を付けてないカップを手に取り、僕はテーブルに向かって運ぶ。

 

 

「――お待たせ、兄さん」

 

 兄さんは何も言わず、ただ微笑んだ。

 テーブルに並ぶ二つのカップ。僕は自分の分を手に取り、兄さんは目の前のものを取って、一口。

 

 味について聞くと、少し困ったように笑う兄さん。

 

 一口飲んで、僕は口を開いた。話した事が沢山あるんだ。兄さんに。

 

 兄さんが居なくなってからのことを。

 兄さんにかけてきた迷惑や、感謝を。

 

 そして、もっともっと沢山のことを。

 少しだけ兄さんみたい思えたカネキさんのこととか、ニシキさんの惚気とか、初々しいトーカさんのこととか。本当は、ちょっと好きになりかけていたこととか。

 人間の食べ物の味とか、お店で働くこととか、お客さんのこととか。図書館に初めて行って、本をいくつか読んだりしたとか。前に兄さんが話してくれたものが、その中にあったりしたこととか――。

 

 

 

 空はどこまでも、深く優しく続いていて――僕等は、いつまでも自由だった。

 

 僕の話に兄さんは微笑む。僕は、それが嬉しくていくらでも話して。

 

 

 

 どれくらいの時間が経ったのか。空が、光を帯びはじめる。

 

 

 

 兄さんは立ち上がり、僕の後ろから背を押す。戸惑う僕に微笑みながら、兄さんは光の方へ、僕を押し返して――。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ハッピー、バースディ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、生まれた。

 

 

 

 

 




※元ネタがわかったヒト用に注意
別に若本声にはなってないと思います;


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仮面ライダーハイセ √B
#037 前兆/隠密/昇任


新章、というより無印後半突入
ちょこちょこ変更点が増えて行く予定ですが、どうぞヨロシクです・・・


 

 

 

 

 

「はぁ……、はぁ……ッ!?」

「さぁ、食事の時間だよ。二人とも」

 

 ――薄暗い、広大なホールのような場所。

 

 どこか実験室めいたその場所で、白衣の男は言う。

 

 

 おびえるのは、身体が不自然に膨れ上がった男。腹部には、特徴的なベルトのような装置。広がった赤い帯が腰を締めており、そのせいなのか、男は正気をわずかながらでも保てていた。

 

 

 だが、それがここでは災いした。

  

 

「さあ行くよ、シロ」

「うん、行こうクロ」

 

 

 人間らしからぬ名でお互いを呼び合う少女たち。黒と、白の好対照な色合いに、そっくりの顔立ち。 

 だが、色以外にも違う点はあった。

 

 彼女達は――それぞれ、片目が赤く、黒く染まっていた。

 

 一人は右。一人は左。

 その違う輝きがきらめくと同時に、二人の背中から赤い、触手のような何かが出た。筋肉のようでもあり、どこか魚類の鱗も連想させる。

 

 背部から出現したそれもまた、二対。双方ともに左に二本と右に二本。双子であろうことを含めても、どこか作為的でさえあると言えた。

 

 彼女達は、走る。膨れた男目掛けて、その触手のようなモノを振るう。

 

 男は、わずかながらにでも残った意識を振り絞り、立ち上がり、逃げようとした。少しでも気を抜けば、まるで脳みそが溶けだして知能がまるで抜け落ちてしまう、そんな予感を抱きながら。薄れていく視界の中で、身の危険から逃れるために、必死に。

 

 彼女達の触手が振り下ろされる瞬間、背後に飛び退き、走る。瀬を向けながらも、音のみを警戒して。

 

 

 

 だが、そんな抵抗も長くは続かなかった。

 

 

 

「――あああああああああああッ!!!」

 

 

 

 胴体目掛けての攻撃ではなく、足を狙った攻撃。二人がかりでの連携攻撃。片方の攻撃をよけた瞬間、もう片方が待ち構えていた。

 切断された足を、毛まで丁寧に永久脱毛されたそれを持ち上げ、黒髪の少女は口に運ぶ。ぎりり、と引きちぎったそれを、複雑そうな目で見ていた。

 

 倒れた男の腹に、白い少女のモノが突き刺さる。と同時に、男の腹部から、中に入っていたモノが静かに、そして大量に抜き取られるような、えぐられるような。そんな感覚が、痛みが走り、彼は絶叫した。

 

 

 二人の少女は、男の悲鳴を聞いてどこか寂しそうな表情を浮かべ――。

 

 しかし、数秒でそれを無表情に戻した。

 

 

「私達は、喰種なんだから」

「人間なんて、捨てたから」

 

 

 彼女達は、背部のそれで男の解体を続ける。解体と、捕食を続ける。

 

「そうだ。食べなさい。それこそが生きる証――籠を打ち破り、大空へと羽ばたく大いなる翼だ」

 

 それを見下ろし、白衣の男はどこか満足そうに微笑んで――。

 

 

 

「――センセーも酷いことするよなぁ。ま、こっちは別に良いんだけど。

 でも、まあ哀れだねぇ。欲しいモノは絶対に手に入らないんだから」

 

  

 そんな様子を、どこか離れた場所で、ピエロマスクをしたスーツ姿の青年が見ていた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 食物連鎖の頂点とされるヒトを……、”食料”として狩る者達が存在する。

 人間の死肉をあさる化け物として、彼らはこう呼ばれた――。

 

 

 ……喰種(グール)、と。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 インスタントの珈琲を淹れながら、僕は椅子に座る。

 

 薄暗闇、廃墟のような場所。口部分のマスクを外して部屋の中を見渡し、足元を見下ろす。

 こちらを見上げる視線には、怒りと、痛みと、屈辱が浮かんでいた。

 

「お前が……、ッ」

「痛むなら、無理しない方が良いですよ。身体に悪いですし」

 

 にこりと微笑んでも、目の前の相手は敵意を隠さない。僕も決して友好的な立場ではないので、それについては何も言わないことにした。

 

 

 まぁ、どちらにしろ好意的な感情は向けられないだろう。

 

 自分たちを一気呵成にボコボコにして――あまつさえ赫子を齧られるのだから。

 複数、赫胞を持つ相手は容赦なく一つは奪っていた。

 

 目の前の彼も、その一人。

 

 

 周囲には、粉々に砕け散ったマスクの破片。ドクロを連想させるそれは――喰種組織「アオギリの樹」のものだった。

 

 

 部屋に倒れる喰種は、ゆうに二十人を超える。

 僕は、倒れる彼らを一瞥して、足元の彼の前にもカップを置いた。

 

 

「話してくれますよね? ――何故『アオギリの樹』は、彼女(ヽヽ)を探していたのかを」

「し、知らない。それは事実だ……ッ」

 

 この解答は予測済み。でも安心してもらう訳にもいかず、僕は彼の指に手をかけた。何をされるか、さっきまでの僕の暴力を見て連想したのだろう。実際にするしないに関わらず、彼の悲鳴は大きくなった。

 

「――知らないなら、知らないなりに教えてもらいます。

 彼女は、どこから18区に来ましたか?」

「ひ……ッ!? わ、わかった、話す! 話すから! 俺が知ってること全部――」

 

 

 震えながら語る彼の言葉を踏まえて、僕はある程度の目処を付けた。

 激痛で震える彼の腹部から、拘束具たる「クインケドライバー」のレバーを落とし、解除する。

 

 外された彼は、安堵のせいか乾いた笑いをしていた。

 

 

 

「うわ、これ一人でッスかー? 相変わらず半殺しッスねー……」

「……カネキ」

 

 ドライバーを仕舞うと、ちょうど部屋の中にジロさんとバンジョーさんが入ってきた。「骨は折ってないですよ」と彼女に答えてから、僕はバンジョーさんを見上げる。

 マスクを外しながら、彼は僕に苦笑いを浮かべた。

 

「向こうもあらかた済んだみてぇだ」

「ちゃんと殺さないように言いつけ守ってくれてますよね」

「た、たぶんな……」

 

 そうですか、とだけ言ってから、僕は腕の傷の具合を確認した。

 

 ……後で食べるなり手当てするなり何なりしないと、トーカちゃんあたりにバレちゃいそうだ。あのことがあって以降、彼女も彼女で僕の方をよく観ている気がする。

 あくまで、ある程度不殺に拘った戦い方をしている以上、僕自身にもダメージが残るのは仕方のないことだった。

 

「カネキ……、いや、何でもねぇ」

 

 僕の腕を見て何かを言おうとして、でもバンジョーさんはそれを止めた。

 

 今のところ、これにトーカちゃん達を巻き込むつもりはない。 

 個人的な問題の延長でしかないし何より、下手をすれば――。

 

「が……、眼帯の、”赫子食い”――」

「あ、珈琲は飲んで大丈夫ですよ。インスタントの袋、残ってる分は差し上げます」

 

 緊張感をそがれるだろう僕の物言いを前にしても、意識のあった彼はにらむ事を止めなかった。

 

「――ルン♪ カネキくん、どうだったそっちは?」

 

 いつもの様に陽気に現れる彼に「ちゃんと手加減はしましたよね」と確認をとった。

 無論だ、とドイツ語で答える彼に、一度ジト目を向けてから。僕は彼らに、聞き出した情報を言った。 

 

「次の訪問先が決まりました」

 

 口元にマスクを再度装着しながら、僕は部屋を出る。

 

 

「――6区の”神代”です」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 11区を根城としていた”喰種”組織「アオギリの樹」。俺たちCCGと奴らの戦いから、半年が過ぎた。

 

 拠点への大規模攻撃作戦のため編成された特別班。俺もそこに所属し喰種と戦った。アジトに残された喰種の数、実に204体。11区での戦いは、その全てを殺したことによりCCG側の勝利に思われた。

 

 ――だが奴らの狙いは異なった。 陽動作戦だったのだ。

 

 アオギリの樹の真の目的は、23区の「喰種収容所」の襲撃。

 首領、精鋭と思われる一団の襲撃により、攻撃の手はSSレート収容部まで及んだ。

 

 結果として多くの危険な喰種が野に放たれることとなった。奴らはそれ以降、身を潜めてはいるが……戦力増強を図っているのは間違いあるまい。

 

 

 CCGは未だ、緊張感に包まれていた――。

 

 

 

 昇任式が終わった後の会食。相変わらず慣れない場所だが、俺は出来る限り肩の力を抜いていた。

 

 篠原さんが来るまで、俺は鈴屋什造のお守をしている。……二重の意味で。

 

「ビッグイーターの方、進展あったか?」

「しらないです」

「おい……」

「最近は図書館に行ってますですねー。去年の新聞引っ張り出してたです。十月とか。

 ただよく『うるさい』って怒られました」

「……図書館では静かにな」

「リンタローもそうだったですかね」

「……誰だ? それ」

 

 俺の言葉を聞いているのか聞いていないのか、什造は骨付きのフライドチキンに齧りついた。

 

 俺は俺で、一口サイズのショートケーキを頬張る。……クリームが油っぽいな。バイキング形式だから仕方ないのかもしれないが、ここはメーカーによってまちまちだ。

 

「亜門! ジューゾー!」

「噂をすればなんとやら」

「影が来る、だな。篠原さん」

「や」

 

 篠原さんは、俺たちを見て手を軽く振った。顔色はまだ若干良くないが、ギプスの類は先日全て外れたらしい。

 

「いやー、さっきいわっちょと話したんだけどさぁ? 俺は一月くらいトイレも一人じゃこなせなかったっていうのに、2週間で現場戻ったってもう何なんだろうねぇ」

 

 俺の脳裏に、頭に包帯を巻いたまま「うむ」とだけ言う黒磐特等の顔が浮かんだ。

 

「しっかし感慨深いなぁ。教官たちのしごきでベソかいていたあの亜門が、今じゃ上等捜査官だもん」

 

 篠原さんの言葉に、俺は頭を下げた。

 

 アオギリの樹への侵攻の際の功績が認められ、俺は本日付で一等捜査官から上等捜査官になった。

 おそらく彼の口添えもあったことだろう。感謝の言葉を送ると、彼は「いやいや」と肩をすくめた。

 

「イワとチノムツも昇任推薦に協力してたから、後で礼言ってきな。後は――真戸にも」

 

「――その言い回しだと私が死んでいるように聞こえるのだがなぁ、縁起でもない」

 

 からからと音を立て、真戸さんは車椅子を動かして現れた。足と腕とを片方ずつ欠損し、残った左手もわずかにしか握力が残らない身体でありながら、リハビリを続ける真戸さん。今日は電子車椅子だが、これは娘さんからツッコまれたせいだろう。

 

「やぁ、昇進おめでとう。これでバレンタインデーのチョコレートも倍々ゲームだろうねぇ」

「ま、真戸さん……」

 

 頭を下げようとした俺を手で制し、彼はからかうようにそんなことを言った。

 こういった部分は、以前よりもアカデミーで教鞭をとるようになってから見られるようになった一面だ。

 

「後で娘とも話すと良い」

「いらっしゃってるんですか?」

「まぁな。『何かあると面倒だ、父よ』と言って運転してきたのはアイツだ。

 それに……、いや、まぁ良いだろう。これからも先達として、よろしく頼む」

「?」

 

 首を傾げる俺に、真戸さんは頷きながら腕を叩いた。

 

 俺たちの背後で、篠原さんが什造に「クインケ完成したから月曜日取りに行くぞ」と聞いたのに対して大はしゃぎしていた。「遅いですよ!」「ワクワクです!」と、見た目以上に子供らしい反応だった。

 

「じゃ、私たちはもう行くぜ。今日はオフだから亜門も羽根伸ばせよー」

「では、また後日」

 

 真戸さんと篠原さんがその場を去る。向かう先では、丸手特等がアルコールに顔を赤らめていた。……何をやろうというのだろうか、二人とも。

 

「名前どうしよっかなー。カックイイのが良いですよねー」

「……まぁ、呼びやすいのが良いんじゃないか? 

 それはともかく、少し食べすぎじゃないか?」

「だってだって、聞いてくださいよジョウトー! 僕、ここ一週間缶詰生活だったんですよー!」

 

 おそらく図書館にこもりっぱなしだったせいだろうか。

 

 ほどほどにな、と言って、俺はフォンダンショコラのカットケーキを口に入れ、白ぶどうジュースで流した(バイクで来ているのでアルコールは厳禁だった)。

 

 と、そうしていると。

 

 

 

「――亜門、鈴屋。

 しばらくぶり」

「!?」

 

 有馬特等が、平子上等を伴ってやって来た。

 見たこともないほど、爽やかな笑みを浮かべて。

 

 慌てて頭を下げる俺。什造の頭を抑えて、無理に下げさせた。

 

「気を使う必要はないよ。無礼講って言ってたしね。

 亜門は、ずいぶん活躍したみたいだね。タケ」

「はい。彼のお陰で効率は上昇しました」

「タケも”梟”の腕、一つもぎってきたら良かったのに。もぎもぎ」

「……で、すかね」

 

 明らかに、平子上等が冷や汗をかいていた。

 

「(有馬さんって天然です? 虫殺すくらいの感覚じゃないです?)」

 

 そして什造の耳打ちが、ある意味的確にこの場を表していた。

 そして、有馬特等は什造に手を差し伸べた。

 

「鈴屋も噂は聞いてるよ。次は一等だ。頑張って」

「どうもです有馬サン」

 

 じゃあまた、と言いながら、有馬さんたちもこの場を離れる。……最中、突然早足で富良上等に向かって行った。

 

「ひょっとして酔ってるです?」

「……さぁな。というより、あそこまでフランクな有馬さんも初めて見る、気がする。

 それよりも什造、特等と面識があるのか?」

「はいです。篠原さんとモグラ叩きの時に、少し」

「……そうか」

 

 有馬さんの担当の一つは24区――東京の地下にあると言われている、大量の喰種が済んでると言われている場所。かつての東京喰種がこさえた地下の大迷宮の彼方だ。

 一定の深さのルートになると喰種も多く出没するため、あながち眉唾ではないと言われている。

 しかし喰種の総数も、迷宮の構造もあまりに膨大で未だ解明には至らず。ルートを記したマップのみが資料室にたまるのみ。

 

 モグラ叩きとは、その地下拠点を探しながら喰種を駆逐することを言う。強大な喰種も数多く存在し危険が伴う。

 だが同時に、優秀な新人をさらに強化する目的で組み込まれることも少なくない。

 

 什造はそれに生き残ったのだ――張間と違って。 

 

 有馬さんも言っていたが、什造もまた昇任した。篠原さんのお陰か筆記、面接共にパスした。おそらくクインケのために、必死に勉強したのだろう。

 三等捜査官のクインケ持ちには制限が多い。だが捜査官になって以降、その駆逐数、レートは一等捜査官にも迫る勢いだ。

 

 この異例の大出世は、有馬さんを置いて他には居なかった。

 

 それに立ち会った身としては、妙な胸騒ぎを覚える。……有馬さんを見たときの、真戸さんや篠原さんもこういった感覚だったのだろうか。

 

「あ、セイドーです」

 

 俺の後輩で什造からすれば先輩にあたる、滝沢政道。ぐらり、ぐらりと足取りがおかしい。

 いつもなら几帳面な印象を受ける立ち姿が、今日は明らかにくたびれていた。

 

「亜門さぁん、聞いてくださいよおおおおぉぉ……」

「……ッ、お前、大丈夫か? かなり臭うぞ」

 

 俺自身、別に弱いわけではないが、バイクを運転する関係で思わず一歩後退した。

 政道は項垂れながら、俺の什造に愚痴る。

 

「いやですねぇ? さっきそこでぇ、嫌な奴に会ったんですよぉ」

「嫌な奴?」

「それはそうなんですが、法寺さんが――」

「や、止めてくれ絡むな。帰りに運転出来なくなる――」

 

 俺の言葉を受けて、しょげたように肩を落とす政道。その視線が什造へと移った。

 

「什造は良いよなぁ、しがらみ少なくって……」

「別にそうでもないですよー。セイドー、お疲れですかぁ?」

 

 意外すぎたことに、什造が政道を気遣っていた。

 

 少しそとの空気を浴びに、俺はその場を任せて一旦、室外に出た。

 

「やはり得意にはなれないな……」

 

 こういったイベントは、真戸さんの元に配属直前の懇親会が最後だったか。

 草場さん達のこともあり、最近でこそ以前よりコミュニケーションを多くとろうと努力はしているが、内心ではやはり苦手意識があった。

 やはり真戸さんの飄々とした態度は、羨ましくも思う。

 

 会場を出る直前、ちらりと丸手特等と楽しそうに言い合っていたのが印象的だった(もっとも相手は酔った勢いもあって大声で怒鳴っていたが)。

 

 それにしても、だ。

 

「上等捜査官になったが、やることは多いな……。”大食い”は雲隠れ。”美食家”はおそらく生存。

 状況証拠からして、梟と眼帯の……、ハイセ。それにラビットは、関わりがある可能性が高い」

 

 果たして、俺はなれるのだろうか。かつての真戸さんのように。

 

 ふと、脳裏をよぎる育ての親の顔。それに思わず渋面を浮かべる。

 

 

 会場の出入りする人間の中。

 ふと俺は、最近見知った顔を見た。

 

 

「中々貫禄がないぞ、その表情は。亜門上等」

「……今はプライベートではない。一応敬語を使え――アキラ」

 

 真戸アキラ。ここ最近見慣れた白衣を脱ぎ、今日はスーツ姿でこの場に来ていた。

 真戸さんの娘であり、俺からすれば後輩にあたり、現在は……。

 

「一応、二等捜査官だ。まぁアカデミー付きでラボラトリに出向していたがな」

「そうなのか」

「実践からは少々離れていて、なまってしまうところだ。

 まあ正式な辞令が出たから、父ともしばしお別れになるな」

「辞令?」

 

 聞いていないのか? と彼女は不思議そうにした後、得意げに鼻を鳴らして微笑んだ。

 

「来週から君の部下になる。”(アラタ)-G3”のメンテナンスも兼ねてだ。

 よろしく頼む――亜門上等捜査官」

 

 彼女のその言葉に、俺は少なからず衝撃を受けた。

 

 

 

 

 

 




そろそろいちゃいちゃさせたいですが、トーカちゃんはまだ温存;


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#038 隻眼/隻眼/隻眼/婦人

富良さんの本誌での活躍が読みたいですねぇ(白目)


 

 

 

 

 ――7区の喰種レストラン。 

 

 広いホールの中央に、人間が台車に乗せられて運ばれる。趣向を凝らすためか、蓋というか、ケースで隠されていた。

 

「ほぉ、今日はマダムAの晩餐でしたか」

「用意が良い。それにしても……、ここまで美味そうなディナーは、期待できそうだな」

「スクラッパーの用意といい、ますます活躍されておりますな」

 

 おーっほっほ、という声が聞こえる。生憎と、こちら側からは状況を確認することが出来ない。

 

「ウィ? マダム」

「あらムッシュMM。本日のディナー、楽しみにしてらしてねぇ? あたくしとっても自信アリなの。

 普段の貴方以上に注目されてしまって、ごめんあそばせ? おーっほっほっほ」

「それはそれは……」

「MMサン、そろそろ始まりますよ?」

 

 

『――大変、長らくお待たせ致しました。

 本日のディナー紹介を始めたいと思います』

 

 

 ホールに響くアナウンス。場内が静まり、しかし静かに沸く。

 

 

『ご紹介は提供者であります、マダムAよりお願い申し上げます』

『オホン……。今日皆様に味わっていただくのは至上のご馳走! 最高の肉質を保証致しますわ。

 マダムの中のマダム……、キングオブマダムたるかのお方が丹精こめて育んだとされる幻の一品!

 ビッグマダ――』

 

 

「うぃ、蒸し暑いです」

 

 

 

 と、アナウンスの最中、そんな拍子の抜けた声が聞こえた。同時に聞こえる、金属のケースが転がる音。

 「あら睡眠薬は……?」というような台詞が、こちらに聞こえた。

 

「こんばんわぁ。皆さんおそろいで楽しそうですねー」

 

 聞こえる声は少年のような声で。そこには無邪気さと――。

 

 

「なんだか昔みたいですねぇ。ジェイソン最終調整中ですし――。

 余興なんかいかがですかぁ?」

『――サソリ・レギオン!』

 

 

 ――同時にどこか、狂気のようなものが同居していた。

 

 ナイフの飛ぶような音。ざわめく場内。困惑する声の中、聞こえてきたそれは――。

 

「――突撃!」

 

 

 間違いようもなく、CCGによる突入の声だった。

 

 

「富良! 右を頼むぞ!」

「はい! ……応援頼んで正解だったな。

 ついに突き止めたぞ――喰種レストラン!」

 

『――オニヤマダ!』『――ランタン・ウィップ!』

 

 そうこうしている内に、月山さんから通信機越しに「サイン」を僕は受け取る。

 

「……なんだかやろうとしてた事のお株、奪われちゃった感じだな」

 

 そう言ってからバンジョーさん達に待機の指示を出し、僕は走り出した。

 

  

  

   ※

 

 

 喰種レストランに潜り込み、マダムを捕らえる。

 娯楽で人間を飼う喰種が一定数居るらしい、という生々しい話を僕は月山さんから聞かされた。その上で。

 

「マダムの飼いビトは特別で、不自然に身体が肥大化したあの姿は何らかの人体実験の結果ではないかと噂されている。

 君の探している『嘉納』という医師が関わっている可能性は高いんじゃないかな?」

 

 

 人体実験――不意に僕のことが頭をよぎる。そしてヤモリが言っていた言葉が。

 僕は一人じゃないと――僕以外にも、僕のように喰種にされている人間が居るのだと。

 

 そして何よりリゼさんだ。

 

 僕の中にある彼女の記憶――彼女の記憶によって構成されただろう人格に言わせれば。神代リゼはまだ、生きている。

 少なくとも僕に赫胞を移植している間、意識があったのではないだろうか、と。

 

 もしそうなら、彼女を確保しているのは? 管理しているのは誰か――嘉納だ。嘉納先生だ。

 

 アオギリから帰ってきた際、一度顔を合わせて以来。彼は何処かへ姿を消してしまった。

 

 

 二つの方法で、僕はリゼさんの後を追ってる。

 そのうちの一つが、加納先生のことを調べることだ。

 

 

 加納先生の目的は何かわからない。でも、アオギリの樹は彼を取り込もうとしているはずだ。

 

 そのことに頭の片隅で、危険信号みたいなものを僕は感じ取っていた。

 

 

 だからこそ――先生が何をしたいのかを突き止める。

 そして、リゼさんを助け出す。

 

 

 

 

 

 状況は音声のみでも、ある程度は把握できた。

 

『――く~び~く~~ださ~~い!』

『ヒィィィ!!!?』

 

 叫ぶマダムだったけど、通信機に轟音が響く。おそらく月山さんが赫子を出したんだろう。

 

『貸しですよマドモワゼル?

 そしてボーィ? あわよくばその美食――僕に堪能させてくれたまえッ!』

『おお~! ドリルドリルです! ディフェンドとは大違いです! 僕にください!』

『ふ、そう羨ましがられるのも悪い気はしないッ!!』

 

『た、助かりましたわMM!!』

 

 マダムに付けてもらった盗聴器しっかり生きているので、そちらの移動状況もある程度は把握できた。

 護衛? の喰種(少女のような声だ)との会話からして、裏を道なりに抜けようとしているのだろうか。

 

『逃がすか!』『――ランタン・ウィップ!』

 

『おばさん、どんくさすぎる』

『仕方ない、おばさんだもの』

『貴女達、護衛するつもりあるの!?』

 

 護衛が捜査官と戦闘を始めた。現在、マダムは一人。

 

『リトルスウィート……、掘と違い、君はお菓子に丁度よさそうだ。

 だがまだまだメインは張れないッ!』

『んぅぅ、流石ドリルです。硬い――』

 

『什造!』

 

『おお、やっと来たです! シノハラサンせんきゅー!』

『――ジェ・イ・ソ・ン・13!』

 

 月山さんの通信機に、暴力的な音が響く。さっきまでとは、明らかに獲物が……って、ジェイソン?

 ひょっとして、ヤモリ……? もしかしたら、あの後、11区のあの場所で討伐されてしまったのだろうか。

 

 

『ソリッド! なかなか強固だ。見かけによらずやるねぇ』

『早くそのうんこみたいなドリルくださいです』

Shit(うんこだと)!?』

 

 

 口ではしゃべりながらも、月山さんは通信機にトンツーとサインを送る。

 護衛の喰種たちが動き出したそうだ。ということは、早いところ彼女を捕縛しないといけない。

 

 現状、レストランの下から無理やり外に出て、僕はマダムを探していた。

 

 地下の通路からどの方向に移動したか。赫子を研ぎ澄ませ、耳のように意識を深く、深く。一度月山さんの通信を切断し、僕は意識を研ぎ澄ませた。

 

 盗聴器の音と、振動が聞こえる方向を照らし合わせ――。

 

 

  

「―― ……サイコ野郎がっ」

「あ、あなた達!? 護衛なら危険な目に遭う前に――」

 

 

「見つけた」

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 

 クインケドライバーのレバーを落とし、僕は飛び上がる。目指すはレストランから南方、住宅街を抜けたビル。おそらく出口はそこだ。

 

 赫子を使い、ビルの壁を登り。人間時代では考えられなかった身体能力で、屋上と屋上を越える。

 

 やがて見えてきた先。文句を言ったマダムに凄む二人。白と黒のフードに身を包んだ、少女たち……?

 おや、その組み合わせにはどこか見覚えがあるような、ないような。

 

 

「どちらにせよ、だね」

『――()(カ・ク)!』

 

 空中に飛び上がり、ビルの屋上を見下ろす形で。

 

 どこかに連絡をとろうとしていた少女と、マダムとの間に、僕は赫子で作り出したソニックブームを叩きこんだ。 

 

「!?」

「ひ、ひィ!?」 

 

 反射的に避けた黒い少女。

 白い少女はそれに続いて、反対にマダムを庇うように動いた。

 マダムは疲労のせいか、腰を抜かしたまま動きを止めている。

 

 僕はくしくも、黒と白の二人にはさまれるように、その中心に立った。

 

 二人の少女は、仮面を付けなおす。暗がり、フードの下の顔は見えなかった。

 

「パパが言うとおり」「やっぱり現れた」

「「――眼帯の喰種」」

 

「……どいて、くれるかな? 少し聞きたいことがあるんだ。そこの女性に」

「おばさんて言っていいよ」「どーせおばさんだし」「私生活ズボラだし」「マダム感全然ないし」

「あ、貴女たち護衛する気あるのホント!?」

 

 マダムAは、随分な言われ様だった。もっとも、だからと言って何かあるわけでもないようだ。

 

「でも」「駄目」

 

 言いながら、彼女たちは赫子を広げる。

 僕もドライバーを再操作して、背部から赫子を出した。

 

 四つの鱗赫の”手”に対して、二つずつの鱗赫。 

 色もハイライトが逆転していて、対照的なものだった。

 

 赫子同士をぶつける。

 何度かぶつけ続けて理解した――この赫子、僕のものと、リゼさんのものと同じ? 脳裏でその疑問に、リゼさんの声は答えない。

 

 折を見て、黒い少女の方に襲い掛かる僕。背部からは当然、白い少女の方が飛び掛ってくる。

 

『研くん、私に後ろ処理しろって言うことよね』

 

 いや、反応するのそこですか。もっと前の方に何か言ってくださいよ。

 脳裏のリゼさんの声に愚痴りながら首肯し、僕は黒い少女の赫子に”手”を二つ差し向けた。すかさず絡めとる少女。そして背後でも、ほぼ同様のことが起こっている。

 

 ただ、彼女たちは理解していない。

 

 赫子は、想像力らしい。

 ならば、僕の”手”は明らかに彼女たちに対して有利だ。”手”なのだから、より細かい動作に向いているのだから。

 

「ッ!?」

 

 地面に降りた瞬間、背後の少女を赫子ごと”手”で掴み、僕は勢いを付けて投げる。

 それに慌てて黒い少女が受け止めようとするが、そちらも”手”で掴まれているため動くことが出来ない。

 

 マダムの横に投げ出される白い少女。

 

「あ、貴女たち大丈夫なの……?」

「……おばさん、先に逃げて」

「おばッ」

 

 言われなくとも、と言う風に、マダムはスカートを掴み走り出す。

 それに、白い少女の方から緩んだ"手"を外して、彼女の方に差し向けようと――。

 

「させないッ」

「ッ!?」

 

 と、僕の胴体目掛けて、黒い少女自身がタックルを仕掛けた。

 

 もみくちゃになって倒れる僕と少女。赫子が絡まっているせいもあって、そのまま抱き止める形でごろごろとその場を回転した。

 

 回転して、回転が止まって。

 そして、僕はひたすらに困惑した。

 

 

「痛……、ッ!? !!!?」

「――ッ!」

 

 

 折り重なるように、一緒に転がった僕と少女。

 状況が悪かったこともあるんだろうけど、先ほどまでの緊張とは別の緊張が僕に走る。

 

 具体的に言うと……、少女の胸に、頭を埋めるような状態で転がっていたのだ。いや、腹に追突してきただろうに、どうしてこうなった。マスク越しに顔面に感じる感触と、仮面が外れたらしい少女の、真っ赤な形相。

 

 

 反射的に僕を突き飛ばした後、彼女は絶叫して、赫子で僕の頬をぶん殴った。

 

 

 嗚呼、身体が面白いように飛ぶ……、というか、余裕あるなあの子。

 

 戦闘中だ。僕自身、決して邪まな気持ちがある訳ではないのだけれど。なんでか脳裏で、トーカちゃんが笑顔で羽赫を展開しているイメージが浮かんだ。殴らないでお願い!

 

『……ホント、モテモテよねぇ』

 

 どさくさにまぎれてリゼさんも何をささやいてるんですかッ!?

 

 ギリギリで戦闘中の緊張感を保ち、僕は赫子を突き刺して屋上から落ちるのを防いだ。 

 口元を撫ぜる。……嗚呼、マスクの止め具が壊れてる。口部分のそれが、左頬から右側に裂けて、(クラッシャー)の部分がぷらぷらと垂れていた。 

 

 対する少女は、胸元を押さえてこちらを睨んでいた。

 

「……ごめん、なさい?」

「……ゆるさない。責任とれる甲斐性とかないくせに――」

「クロ。TPO、TPO。おばさん逃げたから、そろそろ大丈夫」

 

 背後から白い少女が手を貸して、彼女を立ち上がらせる。

 

 一度深呼吸をして落ち着いたのか、彼女はフードを上げ――。

 白い少女も、同様にマスクも外し――。

 

 その顔に、僕は少なからず驚かされた。

 

 

「――二月ぶり?」

 

 

 首を傾げる少女たちは、二月頃に出会った双子だった。

 白と黒。あまりに作為的な色合いだったが、まさか本人たちそのものだったとは……。

 

 そして何より――彼女達の目は、各々、右と左が「赫眼」だった。

 

 隻眼でリゼさんの赫子。つまり――僕と同じ。

 

 

 決まりだ。タタラやヤモリが言ってたように、確かに加納先生は実験を続けている。

 

 

「バイバイ、お兄ちゃん」「……」「クロ?」「……ま、またね」

 

 そんなことを言って、二人はビルの屋上から身を投げる。壁に赫子を突き刺すなり何なり、対処法はあるのだろう。どちらにせよ、その程度では死なないだろう。

 

 移動中に気づかれたのか、マダムの盗聴器も何も集音していない。

 

 

 通信機の電源を入れながら、僕は思わず嘆息した。

 

 

 

 

 

 




リゼ『ああいうのは、トーカちゃんにやってあげれば良いのに。きっと面白い反応するわよ?』
カネキ「わ、ワッツ?」


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#039 部下/研修

アキラ「よし、とりあえず言い訳も準備完了だ」


 

 

 

 

 

 未だ気を抜くと、つい「一等捜査官」を名乗ってしまいそうになる。

 だが先日より「上等捜査官」だ。丸手さんにも言われたし、気を引き締めねば。

 

「亜門さん……、昇進おめでとうございます! 改めて!

「嗚呼、ありがとう」

「什造もまぁ、がんばったな」

「僕、二等ですよー。先日も7区にお呼ばれしてお仕事でしたよー」

「階級、オレと同じか……、ハァ」

 

 ため息をつきながらも、政道は什造に棒キャンディを手渡した。

 

 会議室には法寺さんが書類に目を通していた。俺達の姿を見ると、微笑みながら挨拶。

 

「おはようございます。あの、篠原さんは……?」

「来客対応ですね。今日の話に関係があるので、少し待っていましょう」

 

 椅子に座ると、什造が上座の座席を占領してお菓子を……。オレと政道による、もう何度目かになる注意を受けて、テーブルの三分の一程度に規模を縮小した。

 そして、そうこうしている内に篠原さんが到着。その背後には、つい先日に見た顔が居た。

 

「みんな、朝早くお疲れ。

 現状報告の前に、今日は一人紹介だ。ウチら20区捜査班、期待の新メンバー! 入りな~」

 

 そこに居たのは――白衣を脱ぎ捨てた真戸アキラ。別にライダースーツでもなく、黒いタイトスカート姿なのはそれが彼女の正装ということだろう。

 

「本日付で20区配属となりました、真戸 (アキラ)二等捜査官です。

 亜門上等のバックアップを勤めますので、よろしくお願いします」

 

「ア゛ッッ!!?」

 

 と、政道が意表をつかれたと言わんばかりの声を上げる。什造はマイペースにキャンディを舐めながら首を傾げた。

 法寺さんと軽く握手を交わすアキラ。お互い面識があるということだろうか。

 

 そして、政道がなぜか妙にやりにくそうな苦笑いを浮かべていた。

 

「どうした?」

「あー ……、”同期”ッス」

「(滝沢も成績は良かったんだが、主席はアッキーラだったんだ)」

 

 あんまり触れてやるな、と篠原さんが小声で言った。

 

「什造ですー、よろしくですチャン・真戸」

「中国人みたいな呼び方だな。ん……? 嗚呼、菓子か。受け取ろう。

 ステキなバッテンだな」

 

 とりあえず、什造相手にあの対応は流石真戸さんの娘さんと言ったところか。先日のパーティでも「ガイコツです!」と後に言われたを軽々と笑い飛ばされていた……。流石の胆力だった。

 

「アッキーラは1区の有馬チームだったんだが、ラボラトリからの要請もあり一年間はそっちに出向してた。ブランクこそあるが実力もクインケ関係もある程度はお墨付きだ。

 お互い協力して捜査に望もう」

「よろしく頼みます」

 

 ……それにしても、有馬さんのチームか。

 

「じゃ、一つ一つ報告行こうかねぇ。

 ”大食い”関係はまだ真新しい情報と結びつくものがないので、去年の新聞を9月から11月にかけて調べまわってる。関わりありそうな事件をピックアップして、虱潰しに探してるって感じだ。中島ちゃん達支部局員にも手を回してもらって、やっと3割ってところか。

 こっちはもうしばらくすれば結論が出そうなんだけど、時間の問題だねぇ……。タッキー、そっちお願い」

「あ、はい。

 私達の担当である”美食家”ですが、最近は20区以外での活動が確認されております。

 今は"美食家"が出現したとされる7~9区、18区にて、各局員らの手も借り情報収集しています。

 また7区には調査が進められていた”喰種レストラン”もありました。先日の強行によりある程度壊滅しましたが……、什造が、そこで美食家と交戦したと報告がありました」

「うんこですー」

「う……? 嗚呼、トグロってことな。

 しかし、美食家はなんでまたそれらの区に……? 20区に対象が居なくなったか?」

 

「――いえ、おそらく逆でしょう」

 

 アキラの言葉に、政道と篠原さんが口を閉じる。

 篠原さんの首肯で、彼女は話を続けた。

 

「この資料によれば、去年の11月のあたりから一時、激減している時期があります。単純に我々が感知できない方法で食べていたか、何にせよ奴に隠れる必要があったと過程して問題ないかと思います。たとえば深手を負ったか、事故に遭ったか。

 しかしその後、今度は以前よりも件数が急上昇。しかし一月前期を境に再度減少している。

 奴が捕食を控え出したのは、ちょうど18区で初めて捕食が確認された時期と一致している」

「……お得意の直感捜査か? 真戸二等」

「検証ですよ。聞いて頂きたい、滝沢二等。

 ともあれグラフとマップとを照らし合わせると、今までの奴の行動パターンとはいくらかズレが生じている。端的に言えば”らしくない”。

 基本的に、先ほどあげられた4区を、時期のみで見れば段々と下方向に向けてサイクルし、その外部での食事は行われて居ない。また赫子痕から美食家と特定は出来ても、奴らしい特殊な食べ方も、この中では一割前後。

 もともと、美食家のテリトリーはここ20区であると推測されていましたが、本来はそれを中心に各地を転々と回り、獲物を定めてじっくり狙うタイプだ。

 だが……、データを見る限り、以前に比べ極端に行動範囲を狭めて、食事も荒い。この事項は、関連付けて考えるのが適切でしょう。

 つまるところ、何か『目的』を定めた。それ以外に対する執着が薄くなった。そして……、その相手から警戒されないように振舞っている。

 長期戦になっているという意味で考えれば――20区と、ここ、6区だ」

 

 アキラは地図を指差す。政道が目を見開き、冷や汗を垂らした。

 

「おそらく、目的としている相手は微々、移動しているのだろう。狩場に選んだ4区も、対象が移動すれば変化するかもしれない。

 22区、23区はアオギリ襲撃以来特別警戒態勢であるならば、奴の現在の主な活動領域は20と6区。拠点が20区にあるなら、6区の可能性がむしろ高いかもしれない」

「なるほど……。6区も調査対象として考えましょうか」

「ほ、法寺さん!?」

 

 政道がぎょっとしながらも、しかし資料にメモを入れていく。

 

「……だーから嫌なんだよなぁ、アカデミーの頃からずっとこうだぁ」

「君が成長していない証拠だな。なにせ、捜査官としてはしばらくブランクがある身だ」

「な、何をぅ!?」

 

「しっかし、美食家の新しい目標ねぇ……。食えずにいるのか、食うわけにはいかないのか。

 どっちにしても面白いかもね」

 

 手帳を取り出して、なにやらメモを記入するアキラ。

 表情の作り方は異なるが、直感的に状況を俯瞰する所はまさに真戸さん譲りだ。

 

 ……先日も「よろしく頼む」と言われたばかりだ。先輩として、私情は挟まず接しよう。

 

 

 

 報告が終わった後、俺達は各々に分かれて調査に戻る。

 俺は一度、外に出ようとしたのだが、アキラに引っ張られた。

 

「ラビットにも関係あることだが……、亜門上等が遭遇したという”眼帯の喰種”の情報を見たい。案内してくれ」

 

 そういった申し出から、俺達は今一度資料室へ。

 

 デスクの上で、アキラがまず最初にしたことは、ドウジマ――俺のかつて持っていたクインケのデータを引っ張ることだった。

 

「赫子痕を調べているのか?」

「ああ。そしてここには、11区におけるアオギリ進攻の際の『眼帯』のデータだ。……外部のPC、LANにつなげるのは問題があるな……」

 

 電源だけもらうぞ、とアキラはコンセントの蛸足を一つ外した。デスクの上の小さい照明が消える。

 

「他の情報も持ってくるか?」

「嗚呼、頼む」

 

 俺の言葉に首肯しながらも、すぐさまパソコンを起動し、先ほどとったドウジマのデータをエクセル上に叩き込み始めた。 

 

「詳細なデータは後で地行博士に送るにしても、簡易的に計算は出来るからな。誤差は10%以内を許容と考えて……、グラフ、グラフ、で比較……」

 

 伊達にラボラトリで働いていた訳でもないのだろう、圧倒的な速度でアキラは解析を進めていた。だが、それが何を意味するかまでは俺には理解出来なかった。

 

「……周期は一致してるようだが、だが、波長にズレがあるな」

「……ズレ?」

「嗚呼。見てくれ」

 

 厳密な解析ではないが、という前置きのもとに、俺はアキラが作ったグラフに目を通した。

 

 音波の波形のように、波が上下に言ったり来たりしている。だが、出来上がったグラフ、アルファとベータと付けられたそれらには、いくらか位相にズレがあった。

 

「おそらく、細かい解析をしても極端なズレはないだろう」

「……変化している、のか?」

「だろうな。おそらく赫胞が増えてるのだろう。私はあまり見たことのないケースだが……、”共食い”の傾向があると見れるかもしれない」

「!」

 

 アキラの言葉と同時に、俺の脳裏に眼帯の喰種(ハイセ)の姿が浮かんだ。

 あの、泣き顔が。

 

「何故、これを?」

「父が現在、教鞭の傍ら執筆中のレポートを少し拝見してな。……もし仮に梟と戦闘になった際、どれだけ危険な喰種が居るのかの検証にも必要だろう。

 アオギリ次第ではサブとなるだろうが、相手を知らなくては後手に回る可能性もある」

 

 厳密な結果は後日だがな、と彼女は自分のPCを閉じた。

 

 私情を挟みたくはないが……、やはり真戸さんを想起させる。発想や着眼点。それに加え、真戸さんの持って居なかった分析の面でも大きく進展が見込めるかもしれない。

 

 だが、この際だ。一応言っておこう。

 

 

「……前々から思っていたのだが」

「何だ?」

「現状、俺はお前の上司だ。プライベートならともかく、出来れば敬語を使ってくれないか?」

「――私は極力、無駄は省く人間だ」

「……は?」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして、アキラは資料を手に取り目を通す。

 

「コンビはしゃべる時間も多くなる。とすれば敬語により、一回の発言において時間と体力の浪費は避けられない。たとえば私の会話スピードなら『お願いします』と『たのむ』では0.6秒程の差が出る。

 一日十回で年間2000秒ほどの時間の労力が短縮できる訳だ。拙速を要する捜査官においては、中々重要なことだと思うのだがな。特にコンビ間では」

「……34分か」

「なんだ、思ったより計算が早いじゃないか。まぁ必要ない場合か、相手にそれをしてでも特別の敬意でもあれば別だが……っと、亜門上等。42秒のロスだ」

 

 ……なんとなく、彼女と一緒にやっていくのが心配になりつつある俺だった。

 

 だが意外なことに。

 

「そういえば昼も近いか……? 父用にいつもの感覚で昼食を作ったのだが、住居が離れてることを忘れていてな。習慣は怖い。

 余りものは勿体無いお化けが出る。お握りだが、食べるか」

「……具材が辛くないのならば、有難く」

 

 少し消沈していた俺に、彼女はやはり得意げに鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「いらっしゃいま、すぇい――アッー! すみませんッ!!」

 

 がしゃん、というなんだか聞き覚えのあるような、カップが割れる音。リオの時も聞いたっけ……って、そうじゃなくて。

 あれから伸ばして、束ねた髪を撫ぜながら、私はため息をついた。

 

帆糸(ほいと)ォー!」

「ひぃ~~~ッ!」

 

 ニシキの叫びに小さくなるのは、あんていくの新人、帆糸ロマ。大人なんだろうけど、挙措とかは全然子供みたいな女で、感じとしては、あの、デカブツに近い(あっちより頭良さそうだけど)。

 

「ロマ、あんた何個カップ割れば気が済むのよ」

「トーカさぁん、ごめんなさぁい……」

「あと盾にすんの止めなって」

 

 お客さんからの視線は生暖かい。新人が入るために一種の通貨儀礼みたいになりつつある、訳じゃないと思いたい。もしそうだったら、たぶん最初は私だから。

 クソニシキは全然割らないけど。

 無駄に器用。

 

「店長、カヤさん。居るなら手伝ってくださいよ」

「今日は私オフよ。……あら、店長、待ったは――」

「ナシだね」

 

 店長と入見さんは、なんか将棋やってるし。王手?

 囲碁だったら前にカネキに教わったけど(イライラして両目に石ぶつけたっけ)、そっちはさっぱりだった。

 

 店内に居られると、気になるんですけど……。

 

「私が居るうちに、ちゃんとマシになっておけよ? そこのクソニシキ、私より優しくねーから」

「単細胞女が何言ってんだ、あ゛?」

「あ゛?」

「はいはいケンカ中止ね。……非番なのにお仕事させないで」

 

 カヤさんに軽く謝って、私はロマに向き直った。……膝付いて私に縋りつくような姿勢だったのが、もうケロっと立ち上がっていた。何よ、この切り替えの早さ。

 

「試験前になったらシフト来なくなるから、まあ、がんばんな」

「おいッス! あ、私もそろそろ試験が……。

 西尾センパ~イ、お勉強教え――」

「却 下 だ」

「……(彼女さんとは遊んでるクセに)」

「っせーな、何で知ってんだよ」

「あ、だったらカネキ()に教えてもらおっかなー♪ まだ数回しか会った事ないんだけど」

 

 両手を合わせて「ルンルン♪」と楽しそうにロマがしてる理由がわかんない。いや、別に狙ってる(ヽヽヽヽ)訳じゃないんだろうけど。だから警戒とかはないんだけど、なんか、こう……。

 私だけじゃなくて、カヤさんもニシキも微妙にそのクネクネって感じの動きには引いていた。

 

「ここのお店を知り合いに紹介された時にぃ、色々噂を聞いたんですよ! CCGの捜査官を撃退! あの美食家と引き分け、アオギリにとらわれるも脱出! 暗い話題続く中、珍しく『楽しげ』な話題の中心人物じゃないですかッ!

 彼に会うために19区から引っ越して来たって言っても過言じゃないですよー?」

「知らねーよ」

 

 私も大体同感。

 

「で、肝心のカネキさんは今日は何処に?」

 

 頭を傾げるロマに、私は天井を見つめながら答えた。

 

 

 

「カネキなら今……、小学校?」

「……はい?」

 

 

 

 

 




ロマ「そういえば、バッグのキーホルダーって何なんですか?」
トーカ「お守り」


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#040 酒場/不偽

今回の冒頭部のやり取りが少しわからない場合は、Uc"J"01をご参照ください

※すさまじくヤバイ誤字訂正


 

 

 

 

 

 母校の小学校。冬休みぶりに会う先生は、真剣な顔をして僕に話しかけていた。

 

「結構辛いわよ? 教育実習って。履修は来年か再来年になると思うけれど、大変なら高校とかに変えたほうが良いかもよ? あっちは確か今だと介護が免除されてたような、されてなかったような……」

「もう少し時間があるんで、そこは検討してみます」

「いやでも、カネキくんが先生を目指すか……。永近くんとか、あの子とかに進められたの?」

「あの子?」

「あの、前髪の長い可愛い子」

 

 そういう訳ではないけど、教えるのには向いてると言われた旨を話した。先生はどこか、感慨深そうに笑った。

 

 その後少し話してから、僕らは教室を出た。夕暮れ、クラブ活動帰りの子供達が荷物を運ぶ。

 その中に、一度やった朗読会に来てくれた子たちを見かけ、僕は手を振った。向こうも覚えていたのか、それとも先生とセットだったからか、手を振り替えしてくれた。

 

 学校を出た帰り道、ヒデからメールが来ていたので、電話を返した。

 

『おー、カネキどうだった?』

「中々難しそうってのは分かったかな? 流石に見学とかはしなかったけど、参考にはなったよ」

 

 今日は午前の授業だけを受け、午後は一度帰ってからまた出た。事前に昔の担任だった先生とアポイントをとっておいて、進路や教育実習に関して相談をした。

 先生は迷惑がることもなく相談を受けてくれたけど、新しいクラスが始まってからそう時間も経って居ないだろうし、忙しそうだった。そんな中で僕と面会なんてしてもらえたのは、ちょっと申し訳ない。

 

 でも結果的に一時間ちょっとの会話だったけど、事前にいくつかまとめておいて正解だった。

 

 それから、ヒデが僕のフォローをしていたのを見て、クラス換えの時にも気を遣ってもらっていたことも知ったり。クラス換えにも神経を遣うことや、俯瞰した時点でどれくらい子供たちのやり取りを見なければいけないのかなど、広がった世界は未知の領域だった。

 

「耐震の問題なのか、ちょっと補強してあったりね」

『あー、あったなぁそんな話……。っと、ちょっと待ってくれ。バイト先から連絡だわ』

「バイト? 何かやってたっけ」

『最近ちょっとなー』

「あんまり危ない事はするなよ」

『へーきへーきだっての』

 

 電話を切ると、僕は嘆息する。ああいってる以上は信じるしかないけれど、ヒデはヒデで好奇心でどこまでも足を踏み入れていくところがある。喰種に関してもそうだ。なので、もしその関係だったらこれ以上は踏み込んで欲しくないのが本心だった。

 

 ヒデに今、僕がやってることを知られれば、そっくりそのまま返されるのかもしれないけれど。

 

 電車に揺られていると、トーカちゃんからメールが届いた。

 「今日どうだった?」というのと「勉強、いつ見てくれんの?」という内容に、僕は少しだけ苦笑い。

 

「もうちょっと待って欲しいけど、トーカちゃんも期末までそう時間もないか……」

 

 カレンダーを確認しながら返信する。……考えたら去年の十月から勉強を見ているし、八ヶ月近くは一緒に勉強してることになるのか(僕が捕まった一ヶ月は除いて)。そう思うと、確かに感慨深いかもしれない。

 

 今日はきっと、ヒナミちゃんはお店の二階だろうし。とりあえずお土産に本か何か買っておこうかな……? たぶんイチミさん達が相手してるんだろうけど。

 

 そういえば。「6区」と言えば、以前トーカちゃんと依子ちゃんが一緒に動物園に行ったのもここだったっけ。駅を降りながら、そんなことを僕は考えていた。

 

 駅前のショッピングセンターのビル近く。少し待っていると、待ち合わせをしていた人物が現れた――。

 

「やあ、カネキくん」

「月山さんー―」

 

 挨拶もそこそこに、僕は待ち合わせの時間を聞いた。

 

「向かう先はバーだから、それなりに遅い時間帯さ。そうだね……、夜は僕の家の車で送らせよう」

「助かります」

「ノン! 気にせずとも。僕らは無二の親友なのだから」

 

 そう言う彼の目がギラギラと輝いているのを、僕は見逃さない。ある程度は信用を置いてはいるけど、このヒトは基本的に僕を「食べる」ことしか頭にないのだ。警戒はしておいて損はない。

 これだってある程度信用を勝ち取ろうという発想のものだろう。それに対する僕の対応は、ある程度厳しいものにしていた。

 

「駅前までで構いません。それ以上は駄目です。もちろん、使用人の松前さんを尾行に付けるのもナシでお願いします」

「……もちろんさ!」

 

 今あった間は聞かないことにした。

 以前、一回やられかけたのを覚えている。あの時は月山さんに連絡を入れないとテコでも動いてくれず、かなり大変だった(最終的にはチエさんの協力を得てことなきを得た)。

 

 それよりも注視すべき点は。

 

「……バー?」

「嗚呼。聞いてなかったかい? かの六区のミスター・オルカは、その名の通りのバーを営んでいたそうだ。

 そんな訳で、今日は色々と準備をしていた。来てくれたまえ」

 

 ここら辺は学校の関係上、時折交渉を月山さんに任せているせいでもあったか。バンジョーさんに警戒を頼んでいることもあって、ある程度は自由に行動させきれていないことにも成功はしていた。

 

「いえ、あの来たまえってー―って、松前さん?」

「ご無沙汰しております、カネキ様」

 

 月山さんに誘導された先の駐車場に、黒いワンボックスカー。運転席には彼の使用人である松前さんの姿があった。メイド服ではなく、今日は普通にスーツ姿。ただサングラスを頭にかけている様はどこかSPっぽくも見える。

 

「以前話していた拠点を作ったのでね。せっかくだから色々と衣装の準備をしたのさ!

 向こうではムッシュ・バンジョイも仕付けを行っている。さあ、カネキくんも早く! タイム・イズ・マネーさ!」

「時間そこまでないと思うんですけど、一体――」

「嗚呼、君の服は以前、ボーイ・リオと出かけた際に作ってあるのさ! 気にしないでくれ。

 今回は松前に任せよう」

 

 いや、なんでリオくんと一緒に出かけてるんですか、月山さん。

 しかし、思えば彼と僕も体格は似通っていたか……。

 

 いや、というより、まさか衣装合わせで先方を待たせると言ってるのか、月山さんは?

 

 社内で困惑しつつ、僕は運転席に話題を振った。

 

「あの松前さん。待ち合わせの時間を指定して、間に合わないって社会人としてどうなんでしょうかね?」

「一般的なそれはともかく、習様が必要と判断した以上、それは必要な時間です」

 

 微笑みながらそんなことを言う彼女に、僕はもうお手上げだった。 

 

 衣装合わせを任せると言われていた彼女に対して、どうでも良いというのも断り辛い……。

 

 月山さんが拠点と言っていたのは、以前は何かの店だった場所のようだ。ガラス張りの一階が少し目立つ。

 二階に上がると、バンジョーさんが頭を抱えてソファに倒れていた。……何があったんだろう。後で確認をとろう。

 

「か、カネキ、よぉ……」

「こ、今晩は。どうしましたか?」

「あー、月山が……、いや、後で話すわ」

「さあ、バンジョイくん! 立ちたまえ!」

「カネキ様も、お召し物を――」

「へ? あ、ワイシャツから替えるんですか?」

 

 結局は「巻きでお願いします」と頼んだ上で、高速で支度をしてもらった。

 眼帯は以前、ウタさんから貰ったもの。ちょっと海賊っぽいイメージがあるデザインだ。そしてカツラは、逆変装という意味合いもこめて、あえて外してコーディネートしてもらった。

 

「ムッシュ、もう少し肩を――」

「だ、だから俺は良いって言ってんだよ――」

 

 そしてバンジョーさんが、ひたすらに困惑してた。月山さんがジャケットを選んでいる間、ひたすらにバンジョーさんは固まっている。

 

 結局、店のある裏通り近くまで松前さんに送ってもらうことになった……。頭が上がらない。でも月山さんの指示次第では、断固として対決しないといけないのが悲しいところだった。

 さて、それはともかく。

 

 車を降りる際、何処から持ってきたのか珈琲の箱詰めを松前さんに手渡されながら、急ぎ足で向かう僕達。

 

 空は既に暗い。流石にトーカちゃん達も家に帰ってる頃合か。

 

「時間大丈夫かな……」

「ちょっとヤバいかもな」

「ノープロブレムさ。紳士は焦らないものだよ、二人とも」

「テメェは少し焦れよ! 大体テメェが色々やらせっから遅れたんだろッ。

 てか俺はムッシュでもバンジョイでも――うをッ」

「バンジョーさん、足元気を付けてください。

 やれやれ、今日が初対面だし怒られないと良いな……」

 

 ノン! と月山さんは手で指をはじく。

 

「あくまでも真摯に対応するのが、今回の君のスタンスだろう?

 向こうもう決して邪険に出来ない内容であるならば、後は相性というものさ――カネキくん?」

 

 やがて行きついた先。bar"ORCA"と書かれた扉には「本日貸し切り」のプレートが。

 

 何度かノックをすると、舌打ちと共に「どうぞ」と声をかけられた。

 

 

「お、お待たせして済みません……」

「ケッ。……てめぇが親玉か」

 

 

 サングラスをかけた女性が、腕時計をちらりと確認して「ホントギリギリよ」と苦笑いを浮かべた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 室内に居た人間は、三人。

 カウンターの奥に立ってるバーテン風のヒトと、サングラスの女性。そしてこちらと対面するように、ソファに座った男性。明らかにいらだっているのは彼だった。

 

「あ、これ粗品ですが良かったら」

 

 誰が受け取るか、という男性。女性が一応「これはご丁寧に」と言って受け取った。

 

 手前のソファに腰掛けようとすると、月山さんが「こっちさ」と言って、僕を一人用のソファに座らせた。背後に二人が並び立つ。

 

「……ちょっとこれ、エスメラルダじゃない! なんでこんな高いの――」

 

 へ? と思わず僕は月山さんの方を確認した。

 紳士のたしなみさ、と彼はウィンクして口元に人差し指を当てる。

 

「えっと、別に他意はないそうです」

「……じゃあ、とっととはじめろ。何で俺達に連絡を入れて来たのか」

「たぶん、こちらの月山さんが話したように、しばらく拠点を構える事になるかもしれないので、その挨拶というのが一つ。

 もう一つは――」

 

 これです、と言って僕は彼らに、あるリストを提示した。

 

「……なんだこりゃ」

「コクリアから脱走した喰種について、写し書き……、全部ではないんですが、ある程度です」

 

 ちょっとした対価です、と僕は彼らに笑った。

 

 食い入るように資料をなめるように見る彼ら三人。それだけで、どれほど彼らがその情報を真剣に受け止めているかが分かる。

 それと同時に、僕は確信する――おそらく、予想は大きく外れてないだろうと。

 

「……喰種収容所(コクリア)を脱走した喰種のうち、B層1人、A層37人、S層5人、SS層3人。まとめると、こうだな。で、それがどうした?」

「その反応を見て、ある程度は確信できましたよ。

 ……素性は明かせないんですが、知り合いの情報屋からの提供によると、その脱走した喰種のうち一人は、”鯱”と呼ばれる喰種である可能性が高いそうです」

「「「!」」」

 

 明らかに三人とも、こちらの話を聞く空気が変わった。

 

「僕は今、鯱さんに会いたい。だからここまで来ました。

 コクリアに捕らえられているという情報を聞いたのは後になってからだったんですが……、現状調べた範囲では、こんなところです」

「……情報の信憑性は?」

「月山さん」

「うん」

 

 月山さんは、胸ポケットから写真を一枚。そこには、巨大な胴体を持つ頭のない獣のような「赫子」と、それと戦う一人の男性の姿があった。身の丈は大柄、全身は鋼のごとく鍛えられていて、走る姿だけでも重量感が伝わってくる。長い黒髪が特徴的なそれを、ひったくるように手に取り男性は見つめていた。

 

「……完全には信用できねぇが、少なくとも鯱さんがコクリア襲撃の時に、一旦は自由になったってのは理解した。

 なら何で鯱さんは俺たちの所に帰って来ないんだ?」

「そこまでは流石に……。ただ聞いた話では、コクリアを抜け出した喰種の多くは、アオギリの樹に引き入れられ――」

 

 言葉を続けようとして、男性は僕の襟首を勢いよく引き寄せた。

 

 眼前に、睨む彼の目がある。

 僕は、出来る限り真剣に見つめ返す。

 

 痛いのには慣れたけど、敵意を向けられることにはそこまで慣れたくない。だからこそ、今こちらの話していることは真実なのだと、分かってもらわないといけない。

 

 彼の腕を掴もうと慌てたバンジョーさんを制して、僕は彼をじっと見つめた。

 

「……テメェは、鯱さんがそんな連中の仲間になった、と?」

「……僕は、鯱さんのことについて名前、以外知りません」

 

 再びの沈黙。

 

 サングラスをかけた女性が「いい加減止めなさいよ」と僕らを引き剥がした。

 

「アンタも大人げないわよ。気持ちは分かるけど」

「……鯱さんは、芯の通った喰種だ。無駄な殺しも暴れまわることもしねぇ」

 

「そうなのかも、しれませんね」

 

 あっけなくそう返した僕が以外だったのか、男性は不可思議そうに表情を歪めた。

 僕は一度深呼吸してから、店内を見回して言った。

 

「良いお店だと思います」

「あん?」

「かかってる音楽も、店内の明るさとかも。初めて入ったヒトでも、メニューもわかりやすく出来てます。

 そして何より、僕の知るお店と少し似た感じがします。

 ……慕われてるんですね、鯱さんは」

 

 バーテンをしていた男性が、その言葉に意外なものを見るような目でこちらを見た。

 

 どことなくだけど、僕はここから「あんていく」に近いニュアンスを感じていた。喰種や人間の交流の場、とまではいかないけれど、やってくるヒトに対して受け入れてくれるような、そういった懐の深さのようなものを感じていたのだった。

 

 そして――。明らかに店員たちは、鯱を慕っていた。その彼らがそう言うのだ。決してその印象は、大きく外れる事もないだろう。

 

 仮定ですが、と僕は一度、前置きした。

 

「鯱さん、強かったんですよね。SSランクなくらいですから」

「……仮にも俺達のボスだ」

「なら、そう簡単に殺されている、という可能性は低いでしょう。逃げている可能性もある。

 とするならば……、仮にアオギリに所属するようなことになってるとしたら、そうしないといけない『何か』があるのかもしれませんね。心当たり、ありませんか?」

 

 僕の言葉に、三人とも顔を見合わせた。

 僕と主に話していた彼が、舌打ちと共に「あの小娘……」とつぶやくのが、わずかに聞こえた。

 

 

 畳み掛けるなら、今だろうか――。

 

 

「――神代リゼ。ご存知でしょうか」

 

 ぴくり、と男性の眉が動いた。

 

 

 

 6区のリーダー。コクリアに収容されていた「(しゃち)」。その正式な名は「神代 又栄(またさか)」。

 神代――すなわちリゼさんと同じ苗字。

 

 イトリさんはかつて言った。「神代 利世」という喰種は存在しないと。だが、神代を名乗る喰種は確かに存在している。

 仮にどちらかが偽名だとしても、関係性を疑うことは出来る――。

 

 少なくとも「懐の深さ」が似ているあんていくで、一時でもリゼさんを受け入れていたのなら。この場所にかつて、彼女が居た可能性も決して少なくはないだろう。

 リゼさんの足跡をたどり、11区、17区、18区と場所を転々としてきた僕らだったけど、ここに来てかなり大きな情報を得たのだ。

 

 数年間囚われていた鯱が、アオギリの襲撃により抜け出した可能性も実際高い。

 彼ともし話すことが出来れば、リゼさんについて何か分かるかもしれない――。

 

 

 脳裏にちらつく、黒と白の双子。

 

 

 ひょっとすれば、嘉納先生の目的も何か、透けて見えるはず。

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

 バーテンから差し出されたカップを、サングラスの女性が僕らの手前に置いた。

 

「アイ・オープナーです」

「頂きます」

 

 目の前の男性は、驚いた顔で僕を見る。僕は気にせず、それを口に含んだ。

 

 ――頭を殴られるような痛みと、消化物を口一杯に含んだような滑りと濃さが、思考を一瞬シェイクする。

 どこかに苦味、柑橘系のそれを強めたような後味を感じたことから、たぶんオレンジが入っているんじゃないだろうか。

 

 軽く頭を押さえながら背もたれに身体を預けると、三人とも唖然としたようにこちらを見ていた。

 

「どうしました?」

「……いやぁ、ねぇ?」

「……マジで飲む奴が居るか。気分だろこういうのは。

 大丈夫かお前」

 

 むしろ、剣呑だった男性にさえ心配されてしまうくらい、現在の僕は酷いらしい。

 決してボケで飲んだのではなく、気分として口に含んだのがちょっと堪えたか……。相手の好意だと思って飲んだのだけど、あくまで喰種的には「見るだけで楽しむ」という扱いだったらしい。

 

 思わず口元に手を当てて、僕は愛想笑いを浮かべた。

 

「あー、でも法的にはアウトですかね……? 大丈夫なんでしょうか? あれ、喰種だと人間の法律は……?」

「カネキ、何言ってんだ?」

「真面目に検討する場所ではないかと」

 

 バーテンの男性が、ヒゲをさすりながら苦笑いを浮かべた。

 

「……テメェ、あの小娘とどういう関係だ?」

 

 調子を崩された、と言わんばかりの表情を浮かべ、目の前の男性は頭をガリガリ引っかいた。

 誤魔化しはしません、と僕は前置きする。

 

「説明は省きますが色々と……、浅からぬ縁があります。こっちの彼は、かつて一緒の区でした」

「……苦労したんだな」

 

 なんでか、こちらに向けられる視線に同情の色が宿った気がした。

 リゼさん、ここでも滅茶苦茶やってたのだろうか……。

 

「鯱さんと会いたいってのも、あの”馬鹿ガキ”に関係してるのか」

「はい」

「なんで、会いたがる」

「会って、話をしたいんです」

「何を聞きたい」

「リゼさんについて。後は……、ここのお店について?」

「……」

「一応、最後のは冗談じゃないです」

 

 確かにお店を見て鯱本人に興味が出たのも事実だけど。決してお世辞とかで言ってることでもないと言わないと、なんとなく剣呑な彼には伝わってるか怪しい気がした。

 

「……悪いが、話せることはない。最近、只でさえ物騒だ。

 CCGが7区にある嗜虐集団の喰種御用達レストランを潰したって話もある。おいそれと信用するつもりもねぇ」

 

 しばらく沈黙した後、彼は僕らに出て行けと言った。

 後ろの二人に声をかけ、僕らは店を出る。

 

 去り際、カップを手に取りバーカウンターに返すと、バーテンの男性が少しだけにこりとした。

 

 

 

   ※

 

 

 

「良いのか、ト……、トーカサンに言わなくて」

「……今言ったら、絶対試験に差し障りますから」

 

 ある種現実的な僕の回答に、バンジョーさんは「何か違ぇだろ」と言った。

 バンジョーさん、たまーにトーカちゃんにしごかれているせいか、それともアヤトくんを思い出させるせいか、いまいち反応がちょっとビクビクしていた……。あれで二人とも、根は結構良い子たちなんだけど、そこは難しいところか。

 

「でも、リゼさんが強かったのは、ひょっとしたら鯱ってヤローのせいなのか?」

「さあねバンジョイくん。しかし教育が行き届いているのだろう、個々の能力も中々高い」

「結構、武闘派なんですかね。お店の感じからすると、全然イメージ出てこないですけど」

 

 少しだけふらつく僕を支えながら、バンジョーさんは「そうか?」と疑問符を浮かべた。

 

「店の連中、身体運びが少し変だったぞ。絶対、普通じゃねぇ」

「成長してるようだねぇ、バンジョイくん」

「だからバンジョイじゃねぇっての、イはどっから出たイは。

 しかし……、レストランか。カネキが話してた、双子の喰種だったか? それって何なんだろうな」

 

 

 

 その言葉と同時に、不意に僕の脳裏に浮かんだのは――。

 

 

 

「……どうしたカネキ、左頬押さえて」

「……いや、胸だけじゃなく足もちょっと撫でる形になってたかなぁと」

「?」

 

 首を傾げるバンジョーさんに、僕は苦笑いを浮かべる他なかった。

 

 

 

 

 




電波受信:in ???
クロ「・・・////」
シロ「どうしたの?お姉ちゃん」
クロ「いや、なんかわからないけど、急に思い出したというか・・・」

電波受信:in 霧嶋家(マンション)
トーカ「・・・なんか、帰ってきたらカネキぶん殴んないといけない気がする」
ヒナミ「・・・!?」(うつらうつらしながら)



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#041 体言/無視

猫を被っていない分、カネキに対する印象はいくらか緩和してる感じです



  

 

 

 

 

「――マダムと嘉納がつながってるとして、次はどうするんだ?」

「そこまで大きくは考えてないんですが、一度病院の方に行ってみようかなと。何か痕跡が残ってるかもしれませんし……」

「しれないし?」

「……いえ、何でもありません」

 

 ひょっとすると、何かの拍子であの双子に遭遇するかもしれない。

 以前あの二人と会ったのが「探り」を入れられたと仮定するのなら、嘉納本人がいないまでも、あの双子くらいは遭遇する可能性もあるのではないか。

 それが良い事かどうかはともかく、僕は思考を続ける。

 

「それと……、最終的にはイトリさんのお店で、何か嘉納本人について探れる情報がないかも見ないといけないですし」

「そうか」

「んん、それじゃあこちらの方でも、引き続き『アレ』を探しておくよ」

「助かります。チエさんにもよろしく言っておいてください」

 

 そんな会話を交わしながら歩いていると。

 高架下の商店街、シャッターが閉まっている途中で、見覚えのある男性が仁王立ちしていた。

 

 さっきまでバーで会話をした、剣呑な表情の男性だった。

 

「……えっと、あれ?」

「……ギルだ。名乗ってなかったな」

 

 カネキです、と名乗り返すと「さっき聞いた」と彼は肩をすくめた。

 

「どうしましたか? 特に忘れ物とかはなかったと思うんですが――」

「拳、合わせろ」

 

 そう言うや否や、彼は腰を低く落として手を握り、踏み込んで僕に襲い掛かって来た。

 突然のことに一瞬反応が遅れるものの、それでも対応できるようになったのはいくらか鍛え上げられた結果だろうか。

 

「いや、ちょっといきなりで意味わからないんですけど……!」

 

 真顔で襲い掛かってくる相手の、怖いの何の。ジャケットを脱ぎながら、僕は彼の動きに対応する。

 

「まったく、優雅さに欠けるね」

「カネキ!」

「大丈夫です。これお願いします」

 

 投げたジャケットを掴むバンジョーさんを一瞥しながら、僕は相手の腹に蹴りを入れる。その動きを読んでいたのか、大きく後退して彼は再度構えた。

 

 僕とギルさんとの、動きが止まる。

 

「……どうしても、やらないといけませんか?」

「……俺達から情報を聞きたいのなら、絶対だ」

 

 どういう話の流れでそうなったのかは皆目検討も付かないけど。それでも、全く無意味にやろうとしている訳でもあるまい。

 一度深く息を吸ってから、僕は相手の目を見た。腕の構えを見た。足の運びを見た。重心の位置を見た。わずかににじり動く足先を見た。少しだけ動いた眉を見た。

 拳の握り方がわずかに変わったのを見て――僕はそれに合わせて、身をひねる。

 

「おらッ!」

 

 右手の一撃を交わすと、それを読んでいたように後続に構えていた左手が腹部に入る。右ひじで受け止めはしたけど、たまらず僕は変な声を上げそうになった。

 その状態のまま、腕力のままに左手を力任せに伸ばし、僕を跳ね飛ばすギルさん。バク転するように両手を地面につき、僕は体勢を立て直す。

 立て直そうとした瞬間を狙って、ギルさんが走り、タックルをかけてきた。

 

 明らかに動きに無駄がない。実践で磨かれた流れ以上に、そこには何か根幹的な部分に思想を感じる――。

 

 動きも部分部分、何らかの武術めいたものが見え隠れしていた。

 とするならば、最終的にはそれを読み込まないといけないだろうけど。

 

 今、突貫的に対応するためには、目的を定めよう。

 

「おらッ」

 

 まず――地面を中心に動くのも、空中を舞うのも下策だ。バランスを崩すのを前提に動いているし、一度でも空中に身を置くと言うのは、攻めている時でもない限りはただの的だ。

 だが逆に言えば、攻めている場合に限り空中で動くのは使えるかもしれない。

 

 相手が腕を突き出した瞬間、あえて僕は地面を大きく蹴って、天井、橋の鉄骨に両足をつけた。そのまま重力で落ちる前に蹴り、回転蹴り――。急な攻撃を予測していなかったのか、しかし彼は左腕を構えて、受け流すようにした。

 僕の右足をひじにぶつけ、蹴りの威力の最終到達点をずらす。

 すかさず胴体に右手が振りかぶられるけど、それは一応予想済みだ。僕も彼がやったように、左手で拳をはじいて、殴打の威力の到達点をずらす。

 

 そのまま回転し、僕は右の裏拳を相手の頬に叩きこむ。

 

「――しゃらくせぇ!」

 

 なんと、その一撃に彼は耐えた。そのまま僕の左足を払い、バランスを崩させる。

 地面に倒れかけた僕の顔に、彼のつま先が――。

 

 流石に顔に一発もらったら、ヒデやトーカちゃんにもバレてしまう。それは避けないと。

 

 とっさに両手で彼のつま先を防いだ。でもその瞬間、彼の靴に引っかかってた泥が、僕の顔面にかかる。

 

「嗚呼、もう」

「汚ねぇぞ!」

「うっせ!」

 

 かすむ視界。ひたすらかわすしかない状況。眼帯を外す余裕はないけど、それが出来ないと視界の確保は難しいか。

  殴るのは……、あんまりやりたくない。出来るなら投げて、取り押さえたい。

 

 とすれば、さてどう動くか――。

 

 そうこうしているうちに足をとられ、僕は顎をアッパーカットされた。

 だけど、それは同時にチャンスだ。相手との距離が詰まっているからこその足を絡めとるという動作と、そこから派生するアッパーカット。

 

 だからこそ、顎に痛みを感じた瞬間、僕はあえて意図的に高く飛び上がり――彼の手を掴んだ。

 

「あ?」

 

 本来ならそのまま、背後に投げ飛ばされるところを、そのままの状態から身をひねって、「喰種らしい」腕力を持って彼を投げ飛ばす。勢いのあまった無茶苦茶なそれは、まるでハンマーか何かを振り回すがごとくだろう。

 だけど想定外すぎた動きのせいか、ギルさんはそれに合わせることが出来なかった。

 

 投げながら左手で眼帯を外し、距離を見極めて相手の腕を引く。

 背中からコンクリートに叩き付けられない程度に調整した上で、僕か彼の胸に右足を乗せ、胴体を押さえる。

 

 左目は力を入れたためか、赫眼になっていた。

 

「……止めませんか?」

「…………ああ」

 

 僕の確認に、案外とすぐ応じてくれたギルさん。そのまま外して手を貸すと、彼はため息をついてそれをとった。

 

「猫かぶりかと思ったが、嘘はないみてぇだな」

「?」

「……テメェからは、あの馬鹿ガキと同じような匂いがしたからな」

 

 それは、立ち位置というか雰囲気というか……。それとももっと物理的な話なんでしょうか?

 ギルさんは自分の拳を見つめてから言った。

 

「鯱さんの時もそうだ。拳を合わせれば、相手がどんな奴かなんとなく分かる」

「なんか、本当に武闘派みたいですね」

「本当に何も知らねぇんだな。会って驚くなよ?

 ……全部は、話せない。詳しくは鯱さんから聞け」

 

 せせら笑うように言ってから、彼は表情を引き締めた。

 

「ただし――これだけは言っておく。鯱さんは、あのガキのせいでCCGに捕まることになった」

「リゼさんのせいで……?」

「五年前だ。全部そっからだ」

 

 腕を押さえながら、ギルさんはふらふらとした足取りでこの場を立ち去る。

 「ありがとうございます」と頭を下げた僕に、彼は鼻で笑った。

 

「……血酒くらいは出してやるよ。今度……、二十歳越えてたらな」

「……お、お願いします」

 

 そして、流石にそこにはそう答える他なかった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 一度拠点に寄って着替えた後、月山さんや松前さんの申し出を断って、電車を利用して自宅まで帰った。

 時間はぎりぎり十二時を回らないくらいか。バンジョーさんは拠点で休むと言っていた。

 

「痛……っ」

 

 シャワーを浴びながら、右肘など要所要所を確認する。打撲にはなってないものの、軽く青短みたいになっている。内出血自体は一日もかからず引くだろうし、そこは気にしないでも良いかもしれない。

 

 気にしないのは良いんだけど、でも痛いものは痛い。

 

 人間同士相手ならともかく、喰種の打撃だ。

 しかしそれでも、まともに直撃を食らうのは久々な気がする。四方さんとある程度打ち合えるくらいになってからは、そういった経験をした覚えがなかった。

 これは成長と言って良いだろうか。

 

 しかし、それ以上に今日のギルさんは強かったというべきだろうか。

 

 武術か……。軽く読んだだけじゃ、やっぱり今後対応が難しくなるかもしれない。今日はあくまで打ち合いだったけど、赫子を併用されたらさてどうなるか。何か対策を考えないといけないだろう……。

 

「……でも、匂いまで人間離れしてはいないっていうのは、ちょっと助かるかな」

 

 頭を洗い流しながら、ふとそんなことを思った。喰種に近づいていくらか嗅覚が優れたため、シャンプーなどの道具は匂いが薄めのものにするようにしてるけど、それにしたって極端に食べ物に近い匂いでなければ、ある程度は緩和されている。

 月山さんが花をよく持ってくるのは、このあたりに起因するのだろうか。

 

 ……って、それを言い出すとタバコについても全然感じが変わらないから、ひょっとしたら吸えるのかもしれない。喰種だろうが。

 

 現実逃避をするかのごとく、そんなことを考えながら体を拭いていると。不意にチャイムが鳴った。

 

「誰だろう、こんな遅く……にッ!?」

 

 短パンのジャージを穿いてタオルを首から下げ、インターフォンで相手を確認。その画面に映った相手に、僕は驚き、思わずそのまま入り口へ走った。

 

 扉をわずかに開け、相手を確認する。

 

 

「と、トーカちゃ――いや、ちょ、無理やり!?」

 

 

 入り口に居たのは、トーカちゃんだった。学校の制服姿に、手にはバッグ。髪は適当に束ねていて、半眼。

 無言で扉を無理やり開けると、トーカちゃんは部屋の中に無理やり入って行った。

 

「おじゃまします」

「じゃないよ、何やってんのさ」

「何って――って、あれ?」

 

 僕の言葉に振り返りながら、トーカちゃんの視線は僕の身体……というより、腹部に集中していた。何だろう。首を傾げると、トーカちゃんは突然こちらに早足で向かってきた。反射的に後退するものの、壁に追い詰められる。

 そしてそのまま、トーカちゃんは何故かハイテンションに僕の腹を触った。

 

「あれ!? カネキ、腹筋割れてる! てか筋肉ちゃんと付いてる! いつの間に、えー知らない!」

「あ、あのー……」

 

 僕の言葉も無視して、なぜか目をキラキラさせながら、トーカちゃんは僕の腹部だけでなく、腕とかも触り始めた。お風呂上り直後なことが災いしてか、現在半裸も良いところ。特に意識せずに部屋に入ってきたトーカちゃんだったけど、腹筋に始まりそのまま僕の全身を触りそうな勢いだった。

 

 とりあえずお尻に行きそうになったのを、両手を掴んで止める。

 

「えっと、何でトーカちゃん、僕の部屋に来てるの? 夜だし危ないし、夜道歩いてたら――」

「補導されるから屋根飛んできた」

「さらっと言わないで欲しいかな……。

 えっと、だから何で?」

「……メールの返信なかったから、心配したんじゃん」

 

 あれ? と僕は疑問符を浮かべた。おかしいな、トーカちゃんから来たメールはちゃんと返信したと思ったんだけど……。断りを入れてから机の上に置いてあるスマホを取り、画面を見た。

 

「……ごめん、なんか送信失敗してたみたい」

「……あっそ」

 

 はぁ、と嘆息するトーカちゃん。心配して損した、みたいなニュアンスがにじみ出ている。

 

「いや、たまにはあることだしさ。そんなわざわざ飛んで来て確認する程の話じゃ――」

「そーゆーの、アンタ信用ないから」

「えぇ……」

 

 思わず口元に手を当てながら「大丈夫だよ」と言う僕に、トーカちゃんは「誤魔化させないから」と半眼で、上目遣いに僕を睨んだ。

 下から覗きこまれて困惑する。なんか、ちょっとカツアゲにあってる気分だった。

 

「リオの時だって、結局勝手に突っ走ったじゃん。信用されたかったら、信用されるように行動しろっての」

「あ、はい……」

「念のため、ヒナミ四方さんに預かってもらって店で寝泊りしてもらった意味ないじゃん、そんなんだと……。

 アヤト居ないと、こういう時不便……。やっぱ本多っ」

 

 はぁ、とため息をつきながら、トーカちゃんはそのままバッグを床に置き、僕のベッドの上に――。

 

「って、本当に何やってんのトーカちゃん!?」

 

 わが道を行くと言わんばかりに、トーカちゃんは僕の反応を無視してベッドの上に寝転んで、肘をついてこちらを見た。

 

「何って……。他、寝るとこあんの?」

 

 まず何故ここで寝る前提で話しているのか。 

 

「まさかとは思うけど、補導される時間帯に一人で帰れとか言わないでしょ。正直、もう眠いし屋根飛ぶのも失敗しそうだし」

「いや、あの……、まぁ僕がソファに寝れば良いか」

「腕、痛めてるみたいだけど、ちゃんと寝ないと駄目でしょ」

 

 そんなことをさらっと言うトーカちゃん。目ざとい。というより、いつかのやり返しだと言わんばかりにいたずらっぽく笑われて、ちょっと対応に困った。

 何だこの状況。

 

「いや、だったらその……」

「別にカネキ、そういうこと(ヽヽヽヽヽヽ)しないでしょ? 襲ったりとか。別に返り討ちするけど」

「いや、その……」

「半分だけ使わせてくれると助かる。っていうか、むしろもう半分アンタ使え。

 じゃないなら私がソファで寝るけど?」

「……」

 

 腕を痛めてることに対して、何一つ追求して来ないトーカちゃんが地味に怖い。

 

 そして何故だろう、どう言えば僕がどう反応するか、まるであらかじめ予想していたかのような言葉の対応力だ。っていうか、それって、あの……。

 

「……いや、色々拙いと思うんだけど、さぁ。トーカちゃん、年頃の女の子なんだし」

「信頼してるから」

「……」

 

 いくら信頼してるって言ったって、限度があるだろ。警戒心が低くなりすぎてやしないか!? 

 

 繰り返す。何だこの状況。

 ベッドに置いてあった着替えを「ほら」と投げてよこすトーカちゃん。 

 

 呆然としてる僕をよそに、彼女はいそいそと薄手のタオルケットを羽織って、目を閉じた。完全に寝る体勢に入ってる。

 それに背を向けようとすると「あ゛?」といつものごとく威圧された。

 

 ……どうしたら良いんだろう。上着を着ながら考える。いっそのこと、諦めて寝てしまえば良いのだろうか。いや、むしろそれがもう解決策なのかもしれない。

 そもそも彼女に背を向けてしまえば良い話だし、僕自身「そういうつもり」は当たり前だけど欠片もない。

 

 なので、仕方なしに僕もベッドに乗り、トーカちゃんにかかってるタオルケットを、半分だけかける。

 部屋の電気を切って、僕は目を閉じた。

 

 

  

 ……しばらく経っても、全然寝れない。

 

 いや、当たり前と言えば当たり前なんだけど。寝返りを打とうとすると、必然トーカちゃんと対面する形になる訳で。いくらそういうつもりがないからと言えど、そこまで僕は自分自身を信用はしていない。

 ただおまけに、この状況自体も慣れない。夜はここしばらく戦い詰めだったこともあってか、背後に誰かが居るという状況に対して、身体が緊張してしまう。

 

 決して、女の子が後ろに居るという状況に関してではない。

 

 ……いや、改めて思うけど、何なんだろうこの状況は。ベッドの上でトーカちゃんが寝ていて、それに背を向ける形で僕が寝ている。彼女がわずかに動くたびにずれるタオルケットと、時折背中に当たる腕。耳元に聞こえる一定した息遣いに、不思議とこちらの精神がかき乱されていくような――。

 

 いけないと思い、僕は立ち上がろうとする。やっぱりこの状況は拙いだろう。

 トーカちゃんも何を考えてるんだ。信頼してるって言ったって、限度ってものが――。

 

「――お父さん」

 

 ふと、トーカちゃんの口から漏れたその言葉。

 立ち上がりかけた瞬間、彼女の手が僕の左手に伸びて、軽く握るように掴んでいた。

 

 悪いと思いつつ振り替えると、トーカちゃんは少しだけ、嬉しそうに頬が緩んでいた。

 

「……ここ何ヶ月か、あんまり話せてはいなかったかな」

 

 構ってあげられなかった、なんて自意識過剰なことを言うつもりはないけれど。

 彼女が僕に、彼女の父親を投影していることは、なんとなく僕も理解している。

 

 そうであるなら、やっぱりどこか寂しかった、ということなのだろうか。こうして無理やり、一緒に居られる時間を持とうとするくらいには――。

 

 そんなことを思いながら、僕は現状から脱出するに、脱出することが出来なくなってしまっていた。

 気が付けば、そのまま寝落ちてしまっていた。

 

 

 

 




翌朝:
 カネキ「ZZz・・・」
 トーカ「・・・やっぱり、何もされなかったか」

そろそろカネキの、自分自身に対する言い訳が苦しくなってきた昨今;


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#042 猛攻/軽快

割と冷静に動いるように見えますが、トーカちゃんもきっとテンパりまくりなことでしょうw


  

 

 

 

 気が付けば、距離にして拳一つ分。

 その先にあるトーカちゃんの顔。両目が開かれ、目と目が合った。

 

 

「……おはよ?」

「うああああああああ――ッ!」

 

 

 思わず叫びながら転がる。ベッドから落ちると、トーカちゃんが僕に馬乗りになるような体勢をとっていたのがわかった。

 何だこの状況。朝日が差し込む窓に照らされる、制服姿のトーカちゃん。胸のリボンは二つ外されていて、ちょっと際どい。」

 

「んなに驚かなくても……。別に、取って食いやしないから」

 

 視線を逸らしながら、少し暑いのか夏服の胸元をいじる。いやいや、取って食いやとかそういう問題では……、いや、問題はあるか(以前「味見させて」とお願いされた件もある)。

 少し警戒しながら後退すると、トーカちゃんは「いや、襲わないから」と小動物でもなだめるような仕草をした。困ったような笑顔は、半年前より更に柔らかくなってる気がする。

 

「ちょっと出来心で『どんな寝顔してんのかな?』と思って、いざ見ようとしたらなかなかこっち向かないし。上向いたのを狙って乗ったんだけど――」

「し、心臓に悪いよ」

「ごめん。……大丈夫?」

 

 こちらを覗き込むトーカちゃん。意図的なのか、だから胸元が際どいんだって。

 一瞬そちらを見て、反射的に視線を上げればトーカちゃんの「きょとん」とした顔がある。この無防備さは信頼してくれているからなのだろうか。しかし、危ういというか危ないというか……。出会ったころのツンツンさも時折見えるのが、むしろ安心できるくらいだった。

 

 ……だからとりあえず立ち上がり、僕は部屋の扉を開けた。無問題に背後を向ける口実だ。

 

「着替えるから出てくれると助かるかな」

「ん、分かった。私も顔洗ってくる」

「あ、ちょっと待って。タオルはい――」

 

 とりあえずワイシャツとズボンを適当にあつらえた。

 スマホを確認して連絡がないのを見た上で、僕はリビングに向かった。

 

 壁の時計、時刻は七時半。

 

 ……リビングでは、トーカちゃんがエプロンを付けて珈琲を淹れていた。無論インスタントだ。伸ばした髪を後ろで束ねて、以前もらった髪留めで前髪をまとめて両目で見えるようにして。

 そしてお湯を入れながら「よっし」と小さくガッツポーズ。

 

 ふと、その姿に幼少期の記憶がフラッシュバックして――。

 

「ん、どした?」

「……いや、何か様になってるなぁ、と」

「意味わかんない」

「ごもっとも。……僕も何言ってるんだろう。

 顔、洗ってくるよ――」

「はい、タオル」

「ありがと」

 

 ごくごく自然な流れでタオルを受け取って、ごくごく自然な流れで顔を洗って、ごくごく自然な流れでタオルを手に取って顔を拭いて――。

 

 って、これトーカちゃん使ったやつじゃん!?

 匂いで感じ取るまで、全く自覚しなかったことにちょっとびっくりした。 

 いくら寝ぼけてると言えど、これは酷い。我ながら不注意すぎだ。

 

 少し自己嫌悪してから籠の中に入れて、ぶら下がってるタオルを手にとって頭から拭いた。少し強めにしてやれば、多少目も覚めるだろう。

 リビングに戻ると、トーカちゃんが机に置かれていた本を手に取ったりしながら、珈琲を飲んでいた。ちなみにエプロンはちゃんと戻してあった。

 

 椅子に座って、頂きます、と僕も一口。

 多少、これで頭が冴えて欲しいところだった。

 

 幸運にも、一応は活動を始めてくれたみたいだった。

 

「ってトーカちゃん、ウチから学校までって時間大丈夫?」

「一応計算済み。着替えとかもナシで来てるし」

「……というより、トーカちゃん昨日の時点で荷物ごと持ってきていたのは、ひょっとして泊り込みする前提だったりした?」

「……いや、別に」

 

 何とも言えない表情になりながら、僕から顔をそらすトーカちゃん。

 

「泊まるのはまぁ……、僕だからまだしも、一緒のベッドで寝るのは流石に拙いからね? 何度も言っておくけど。変なヒトに引っかかったりしないようにね」

「そういうのはぶっ飛ばすし、別に、(カネキ)居るから別に」

「ん、僕が何?」

「な、何でもない」

 

 なんでちゃんと聞いてんのよ、とつぶやくトーカちゃんに、僕は首を傾げた。

 前後の文章が滅茶苦茶で、意味するところはわからない。

 

 少ししてから、トーカちゃんは突然言った。

 

「手」

「……?」

「いいから、手」

 

 手を出せ、と要求する彼女に、疑問符を浮かべながらも僕は右手を差し出して――。

 

「って、ええ――ッ!?」

 

 その人差し指を、彼女は普通に咥えた。 

 

 目を閉じて、軽く下で指先を愛撫しながら。湿った唇が指の周りを囲う。むず痒いというかくすぐったいというか。あと前歯が軽く指先を噛んで、そのまま「ちゅう」となぜか吸われた。

 そして指の面を下の面が――。

 

「って、いやいやいや」

 

 すぐ引き抜くと、爪でべろを傷つけてしまいそうなので、僕も安直に動けない。

 

 時間にして十秒もかかってないだろうけど、トーカちゃんは僕の指先をいじって、そして唇を離し――って、最後に少し物欲しそうな感じで、フレンチキスするみたいな音を立てないでもらいたい。

 

 思わず手を引っ込め、彼女の挙動についていぶかしげな視線を向けた。

 

「……ん、やっぱ美味い」

「……トーカちゃん。念のため聞いておくけど昨日、寝てる間今みたいなのに類することしてないよね」

「し、してないしてない。月山じゃねーし……。

 ち、ちょっと出来心」

 

 出来心でこんなことされても、非常に困る。

 何を思っての行動なのだろうか……、以前結局舐め損ねたせいだろうか。

 

 するとトーカちゃんは、何を思ったのか自分の手もこちらに差し出して来て――。

 

 

「じゃあ、私のも舐めたら公平じゃない?」

 

 

 最近とみに思う。トーカちゃんとの接し方がわからない。

 

 

 

   ※

 

 

 

「じゃあ、シフト夕方からだから。……ちゃんと来いよ?」

「う、うん、サボらないから手、離そうか。僕、このままだと学校まで行っちゃうことになりそうだけど」

「ん、ならよし」

 

 途中までトーカちゃんを送った後、僕は再び6区に来ていた。

 今日は珍しく授業が休校になってしまったので、しばらく時間的に余裕があった。

 

 一度バンジョーさんと合流しようとそちらに向かったのだけど……?

 

「あれ、四方さん?」

「…………」

 

 拠点の中では、一歩も動けないという風になってるバンジョーさんと、その横で目を閉じていた四方さんが居た。確かトーカちゃんの言が正しければ、今朝まで「あんていく」でヒナミちゃんと一緒にいるはずじゃ……?

 そう思っていると、奥の部屋から「お兄ちゃん!」とヒナミちゃんが走ってきた。

 

 ……?

 

「あれ、ヒナミちゃんも何でここに?」

「えっとね、花マンが――」なお花マンとは月山さんのことだ。「遊びに来ないかって、昨日言ってたの。四方さんに言って、ヒナ、ちょっと無理してもらっちゃった」

「……着いたのはさっきだ」

 

 嗚呼、なるほど。つまり日が昇ってから遊びに来たということか。

 

 伸びてるバンジョーさんを、マスクを外したイチミさん達が介抱? していた。……介抱だ、たぶん。一応傷になりそうなところは、包帯を巻いたりしている。端々に聞こえるいつものいじりには、苦笑いを浮かべておいた。

 とりあえず、みんなにも挨拶。

 

 そして四方さんの方をちらりと見て、思わず口元を触った。

 

「まぁ、隠してる訳じゃないんですけど……、月山さんにも言っておかないとなぁ」

「ヒナ、お兄ちゃんがなにしてるかわかんないけど、手伝えることがあったらゆってね?」

「……ありがとう。でも、笑顔でいてくれるだけで結構助かってるんだよ」

「ほんと? エヘヘ――」

 

 ヒナミちゃんの頭をなんとなく撫でる。

 

「お、おう、カネキおはよう」

「あ、バンジョーさん。おはようございます」

「バンジョーさん、おはよっ」

「……あれ、何でヒナミちゃん居るん――よ、四方さん!?」

 

 四方さんの方を見て、途端居住まいを正すバンジョーさん。首を傾げるヒナミちゃんに、僕は少しだけ説明した。

 

「四方さんに、戦い方とか手ほどきしてもらってるんだ」

「へぇ……、じゃあ、四方さん先生なんだね!」

「…………ょせ」

 

 きらきらとした感じの笑顔のヒナミちゃんに、なんとなく居心地の悪そうな四方さんだった。

 なお、以前バンジョーさんが「師匠!」と呼んだ時も、今と似たようなリアクションをとっていた。

 

「あ、そうだ。ヒナミちゃんにはこれ……」

「わぁ、本! ありがと、お兄ちゃん」

「で、バンジョーさんはどうしてそんな状態に……?」

「昨日、月山と少しやり合ってよ……って、いや、たいした話じゃねぇからな。少し訓練しただけだ」

 

 僕が右手の指を鳴らす動作をした瞬間、慌ててバンジョーさんは月山さんを庇うように言った。……別に脅しに使っている訳でもないのだけど、どうしてかこの動作は、周囲から倦厭される。

 でもバンジョーさんと月山さん、仲が良い訳でもないので、庇うと言うことはたぶん大丈夫なんだろう。

 

 ヒナミちゃんはソファに座り、本を開いた。

 四方さんに一度断りを入れてから場所を移ってもらい、僕はバンジョーさんと対面する形で椅子について、持ってきた簡単なドリルを取り出した。 

 

「はい、バンジョーさん。これは?」

「……”さ”?」

「さ行、言ってみよう」

「さ、し、す、せ、そ」

「じゃあ鉛筆を持って――」

 

 即席の読み書き講座だった。年は僕より上のバンジョーさんだけど、勉強する機会が全くと言って良いほどなかったらしく、話し合いをまとめた書類を起こしたりしても読めないという事態が発生した。本人の希望もあって、僕は最低限、ひらがなだけでもと教えていた。

 

 しばらくは、そうして過ごす。途中でイチミさん達がテレビを付け始め、意外なことに四方さんが有名女性司会者がゲストを招いてトークする部屋な番組とかを見たりもしていた。

 

 こうしてると何というか、平和だという感じがしてくる。”あんていく”で感じるそれと同じようなものだ。

 ただ、ここの拠点を構えてもらった目的からして、本来はまやかしでしかないのだけれども。

 

「お兄ちゃん、読み終わっちゃった……」

「あー、そうか。じゃあ……、ヒナミちゃんもやる? バンジョーさんに、ひらがな教えるの」

「うん!」

「お、おお!? ……すまねぇ」

 

 一瞬バンジョーさんがぎょっとしたけれど、両手をぐーぱーさせながらやる気に満ち溢れてるヒナミちゃんに、思わず頭を下げた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 夕暮れ時。あんていくのシフトを上がった後、一度帰ってから再び家を出る。

 僕はまた電車に乗った。向かう先は14区――ヘルタースケルター。

 

 つまりはイトリさんのお店だ。

 

 扉を開けると、いつものように彼女がケラケラ笑いながら「いらっしゃい、カネキチ~」と手を振った。

 

「何なに? カネキチ、ついに成人でもした?」

「数え年だとそうですが、まだまだ……。いえ、あの、お酒の話じゃなくて」

「わかっとるわい、わかっとるわい。商談なら受け持つよん?」

 

 店の扉を「close」にしてから、再度イトリさんは店の中に入ってくる。

 

「ひっさしぶりひっさしぶり。で、今日は何が聞きたいワケ? トーカちゃんのスリーサイズとか?」

「…………」

「止めて、蓮ちゃんみたいな顔しないでって。悪かったから。

 んー、で真面目な話をすると、何よ?」

 

 欲しいものから先に言うなら、と僕は先に確認をとった。

 多少、カマをかけるように。

 

「マダムA、知ってます?」

「あん? あの変な飼いビト多いマダムでしょ。一応わねー。

 ……あ、マダムAについて『知ってる』とは言ったけど、それだけよ? 個別に情報が入ってくる程大物じゃないし」

「飼いビトについては?」

「んー、スクラッパーでも特に変な体系のが多いってくらい?」

「それを提供している相手は?」

「……カネキチ、嘉納のこと言ってるのよね。ていうか知ってるでしょ」

「まぁ、そこまでは。でも名前が出てきたので、とりあえず大丈夫そうですね。リゼさんの事故について何か知っている、というのなら当然として……」

 

 知りたいのは、嘉納教授について――。

 

 多くはなくても構わないのでと断りを入れて、僕はイトリさんに「ある物」を手渡した。

 

「あん? これって……、コクリアの脱走者リスト?

 こんなものCCGでもクラッキングしないと手に入らんゾ……。どうやって入手したワケ?」

「秘密、ということで」

「まぁ情報の入手経路なんて、明かさないほうが力あるからねぇ。いや~嬉しいよお姉さんは、情報の価値を理解してもらえたようで。

 『レストランで何かやろうとしていたけど』失敗しちゃったみたいだけど、ドンマイ!」

「……そちらこそ、早いですね」

「そりゃ、この道長いからねぇ。カネキチ程度に遅れをとるようなイトリ姐さんじゃないさー」

 

 うりうり、と頭を掴んでぐらんぐらんするのを止めてください。頭事態は動かないけど、カツラがぐらぐらして面倒ですから……。

 しばらくカツラをいじって遊んだ後、イトリさんは一度表情を真面目な風に戻した。

 

 

「嘉納の前職は――CCGの解剖医よ」

 

 

 意外なその情報に、僕は少なからず驚かされた。

 

「何かの研究とかもしてたみたいだけど、配属されてたのはそこね。退職した後は、父親の病院を継いだみたいだけど」

「……喰種相手にメスを振るっていたか」

「かね?」

 

 嘉納先生が、CCG所属だった?

 解剖医ということは、クインケというらしい、赫子から作られるあの武器を作るのにも携わっていたか? 思えば以前、僕が戦った巨体のスクラッパー。あの腰には、クインケドライバーを簡略化したような装置が取り付けられていた。ある意味で、それも彼の前職に関係している部分だったのかもしれないが――。

 

 いや、その後に普通の医者をしていたことからすると、喰種被害者の解剖が主だったのかもしれない。

 しかし、どちらか片方だけに居たと言うことはないだろう。少なからず僕や、あの双子――クロとシロと言ったか。彼女たちのような存在を生み出すには、両方にある程度精通していなければならない。

 

 でも、何故だ?

 そんなことをして何の意味があるのか。単なる実験目的というのなら、その後に僕を退院させているのが腑に落ちない。

 

 

 ――鳥が羽ばたくためには、何が必要か知っているかい?

 

 

 以前、先生本人から言われた言葉が脳裏をよぎる。

 

 アオギリから身を隠しつつ、CCGからも無論縁を切ってるだろう。

 その上で喰種を生み出すのは何故だ? ――少なくとも、何かしらの目的はあるはずなのだ。

 

 

 思考に埋没する僕の横で、イトリさんが僕の手渡した資料をニヤニヤと見ていた。

 

「はっはっはー。SS級3人も逃がしちゃ白鳩もオシマイでしょ。

 しっかしキンコとか、懐かしいわねぇ。もう死んでるしね。……っと、リオ坊か……。うーん、色々惜しかったなぁ、ヤツも。

 それに6区の鯱に、ピエロ……、うわぁ、コイツ出てきたのか趣味悪い」

 

 ピエロ?

 ふと、頭の奥で何かが記憶の引き出しを掠めようとしているような、いないような。そんな感覚を覚えながら、ふとイトリさんの方を見た。

 

 彼女は、思い出したように真剣な顔をして言った。

 

「結構、情報量あるしついでだ。おせっかいながらもう一つ。

 ――最近、黒いウサギのマスクをした喰種が”白鳩殺し”やってるって話があるのよ」

「……」

「『今の』カネキチが遭遇したら、たぶん戦闘になんでしょ? 頭の片隅くらいには入れておきなさい」

 

 

 

 彼女に礼を言って、僕は店を出た。

 去り際「ホントに飲まんの? 結構良いやつ入ってるんだけどなー、なー?」と飲んでもいないのに絡み酒のようなノリになっていたのに少し遠慮して。

 

「……アヤトくんだろうな、やっぱり」

 

 今のトーカちゃんが、わざわざ捜査官殺しをする必要はない。というか、そういう暇もないだろう。

 となれば、逆説的にそういった理由がある人物が誰かを考えれば、おのずと答えは見えてくる。

 

 駄目押しに、アオギリでもアヤトくんは黒いウサギみたいな仮面を持っていたのだから、断定しても良いレベルだろう。

 

 僕自身、その行動に思うところは多い。トーカちゃんが後悔したことを、アヤトくんが引き受けようとしているのだから。あの時は殺しきれていなかったとしても、自分のせいでアヤトくんがそんなことをしてると知ったら、トーカちゃんは何を思うだろう――。

 

「……せめて、間が悪い形で知られることがないと良いけど」

 

 いくら僕でも、目の前に居ない相手を守れるとまでは言い切れない。

 イトリさんが「何処の区で目撃されたか」という情報を渡さなかったのも、あえてだろう。それを特定できてしまえば、僕は、それに向かわざるを得ないから。

 

 何にしても、どうにか上手い形に収まらないものだろうか。

 

 ずっと感じてる今ある状況の「歪さ」に、ふと僕は右手の人差し指を軽く噛んだ。

 

 

 

 

 




朝、カネキが起きるまで

カネキ「ZZz・・・」
トーカ「・・・(これ、ちょっとくらいギュッてしてもバレないよな)////」いそいそ


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#043 姦計/祈願

四月初頭・・・

依子「トーカちゃん、その合格祈願のキーホルダーは?」
トーカ「お返しにもらった」
依子「お返し・・・? 今四月だけど、三月・・・、あっ(察し)」


 

 

 

 

 

 トーカちゃんが先日持ってきたヘアカタログを参考に、僕はヒナミちゃんの髪を整えていた。

 大雑把な部分は本で学びはしたけど、実戦経験などほぼなし。上手くいくかどうかそれなりに不安は伴ったけれど、どうやら成功したようだった。

 

 店長から許可を貰って、二階に新聞紙を引いて簡単に床屋の真似事を僕はしていた。

 

「はい、完成」

「すっごーい! 本のまんま」

 

 鏡を見て目をまん丸にするヒナミちゃん。「じゃあ、お手伝い行ってくる!」とうきうきした様子で、二階から走って降りて行った。おそらく、入見さんや古間さんたちに見せに行くのだろう。

 

「さて、僕もどうしようかな……。

 とりあえず月山さんに連絡を――」

「おー、カネキ何やってんだ?」

「西尾先輩?」

 

 裏口から出ると、何の因果か西尾先輩が居た。

 

「掃除、サボってちゃ駄目ですよ」

「うっせ。別にサボりじゃねぇっての。アレだよ、アレ。エーキヲヤシナッテルンダヨ」

「思いっきり棒読みなんですが……」

「っていうか、今日のシフトがおかしいんだよ。午前だけだし」

「? あれ、午後は貴未さんとデートとかじゃ――」

「ふれんな」

 

 あ、なるほどケンカ中か。何があったんだろう。

 苦笑いを浮かべる僕に、西尾先輩は半眼を向けた。

 

「つーか、カネキ。てめぇトーカ連れて行けよ?」

「?」

「アイツ、大学は上井にするか悩んでるみてーだから」

「……へぇ」

「……何だその反応」

「いえ、全然知らなかったので」

 

 何で知らねぇんだよ、という西尾先輩に、僕は反応に困った。

 

「いや、何というか……。問題集にさえその存在を匂わせてなかったんで。あー、でも確かにトーカちゃんの偏差値から逆算すると、今の勉強具合は確かにそうかもですね」

「いやいや、何で他人事なんだよ。絶対お前が居るからだろ」

「? えっと、西尾先輩も居ますけ――」

「そうじゃねぇって。かー、鈍感なんだかわざとトボけてんだか……」

 

 首を傾げながら、思わず僕は口元に手を当てる。

 

「……とりあえず、ヒデは喜ぶのかな?」

「永近か。つっても最近、あいつもあんまり来ないよな」

「新しいバイトを始めたとか言ってました」

「バイトねぇ」

 

 そうこう話していると、見せの表から古間さんが来て「君たち、ちゃんとお仕事はしようかー」と得意げに微笑んだ。

 面倒くさそうにため息を付く西尾先輩。

 

「……なぁカネキ、近所に新しいショッピングモール出来たんだが――」

「今のところ利用する予定はないですね。というより、そこまでして休みたいですか?」

「別にそういう訳じゃねーけど、何だかなぁ。

 ……あんまりテキトーにやってっと、ヘタレに頭襲われるってのもあっけど」

 

 それはまた、何というか……。

 

「カネキ、お前何か用事とかあんの?」

「とりあえず、今日は午後に休みをとってあります」

「休み? 何かあんのか?」

 

 言うべきか、言わないべきか迷いながら。でも、僕はここは正直に答えた。

 

 

「――病院に行こうかなと。嘉納総合病院」

「……なんで?」

 

 

 ぽかんとした表情の西尾先輩なんてものを、僕は初めて見た。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「――すみません。お腹が、痛いのですが」

 

 病院の受付の女性に、月山さんはいつもの調子で話しかけた。

 一目で思わず「どこら辺にお腹が痛い様子があるのか」と言わんばかりの態度だったけど、そのことについては、月山さんに任せた時点で逃れられないところか。

 いや、あれはあれで良いところもあるのだ。

 

「……何でクソ山、いつものノリで腹痛とか言ってるんだ?」

「ある意味、平常心じゃないかなぁ、と。……下手に疑われもしないですし、たぶん」

 

 結局あの後「特にやることもねーし、午後だったら付き添ってやるよ」と何故か西尾先輩が申し出た。

 本当はバンジョーさんと来る予定だったのだけど、申し出られてしまうと断る理由が出せない。とりあえず三人で行動するという方針だったこともあって、今回はバンジョーさんは店の地下に居てもらうことになった。

 

 その関係もあって、西尾先輩に嘉納教授について少し話す必要が出てきたことは、ちょっと想定外だった。

 

「……で、肝心のその医者は居ねぇと」

「手がかりも、ぱっと見て発見できないですし――」

「いや、そうでもねーだろ」

 

 疑問符を浮かべる僕に、先輩は「まぁ見てな」とせせら笑って、一度僕の元を離れた。どこに向かうのかと思えば、一人で来ていた老婆。少し足元が心もとない彼女を、好青年といった笑顔で手助けしていた。

 その後、彼女を椅子に座らせて数分会話。彼女を笑顔で見送った後、先輩は再びこっちに戻ってきた。 

 

「えっと、昔から通いつめてるヒトですか?」

「いや、気づかなかったか? ――ありゃ、喰種だ」

「ッ!」

 

 ま色々と小声で話しはしたけどな、と西尾先輩は何でもないように笑った。

 

「前、20区にあった診療医がいつの間にか殺されちまったらしくってな。家族も散り散りでどうなってるかは知らねぇらしい。

 で、そんな時に探した病院が、ここみてぇだ、てなことだそうだ」

「……すごい、ですね」

「当たり前だっつーの。喰種歴1年にも満たないお前と一緒にするのが間違ってるだろ」

「歴て」

 

 思わず苦笑いする僕に、西尾先輩は肩をすくめた。

 

 でも、これで一つはっきりしたことがある。嘉納先生本人が居る居ないに関わらず、ここは間違いなく「喰種」に関係しているのだと。

 思えばイトリさんから聞いたプロフィールからしても、喰種の医者のようなことだって、十分に出来るのかもしれない。

 

 そんなことを考えているタイミングで、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「あら、カネキさん!

 久しぶりですね」

「あ……えっと、田口さん?」

 

 話しかけてきた看護師の女性。短めの髪を後ろにまとめた彼女は、僕がここに入院していた時に世話をしてくれていたヒトだった。

 アオギリから逃げてきた後、一度だけ嘉納先生と会った時にも一緒に居たっけ。

 

「(知り合いか?)」 

「(入院していた時の看護師さんです)。

 えっと、半年くらい経ちましたか?」

「そうねぇ。あれから検査とか全然来ないけど、大丈夫?

 そっちは……、格好良いお友達ねぇ」

「先輩です、学校の」

 

 うっす、と頭を下げる西尾先輩は、完全に外用の顔を作っていた。 

 

「お魚、食べられるようになりましたか?」

「あー、ははは……。まぁ、色々(ヽヽ)食べてます」

「顔見てれば、大丈夫そうってのはわかるわよ。それから……、なんか逞しくなった? 細マッチョって感じ?」「カネキ、色々『しごかれて』ますから。女子に」

「あらー、いけない子ねぇ」

 

 西尾先輩の謎の一言に、田口さんは口元を押さえてくすくすと笑った。

 疑問符を浮かべる僕を見て、視線が一瞬空中を泳ぐ彼女。

 

「身体、大丈夫?」

「はい、お陰様で」

「嘉納先生かしら? ごめんなさいね、今、出張で病院開けてるの。他の先生になら――」

「あー、いえいえ。ちょっと今日は付き添いで。会えれば会いたかったですけど。

 お忙しいんですかね?」

「んー、ドイツだったかしら? 国外の研究会に招かれちゃったらしくて……」

「そうですか……」

 

 しばらく会話をかわした後、月山さんに先立ち僕と西尾先輩は病院を出た。月山さんはもうしばらく情報収集をしてくれるので、後でそちらの方も聞かなければ。

 病院の塀に沿って歩きながら、先輩はスマホを確認しながら口を開いた。

 

「なんつーか、アレだな。慣れてるなお前」

「嘘を付かなければ良いだけなので、……多少隠し事はしてますが」

「それ、結構性質悪くねーか……?

 しっかし国外ねぇ。どーすんだ、カネキ」

「……僕個人としては、あのヒトは決して真実を言ってるわけじゃないと思います」

「あん?」

「アオギリから救出されて逃げた後、嘉納先生の所に怪我の診断書をとりに行ったんで。その時、嘉納先生と一緒に居ました」

「つまり?」

「少なからず、彼女は先生側に近い人物であるはずです。……、とりあえず次は、渡航記録でも調べますかね」

 

 肩をすくめて笑いながら、ちらりと僕は病院の方を振り返り――。

 

「――!」 

 

 その屋上に、見覚えのある黒い少女の姿を見た気がした。

 一瞬、そこに居た彼女と目が合ったような、合わなかったような。

 

 一秒も経たず、彼女は姿を消した。

 

「どうした、カネキ」

「……いえ」

 

 ここから先は先輩には言わないけど、たぶん嘉納はまだ日本に居るはずだ。

 彼女たちが移植されてどれくらい時間が経っているのかわからないけど、少なくともそう何人も成功しているはずはないだろう。とすれば、今居る「リゼ」さんから作られた半喰種は、僕含めて三人。

 

 そのうちの二人は、マダムAの護衛にかつて台頭していた。

 だけれど逆に言えば、それは貸し与えていると言い換えることが出来る。

 

 アオギリから逃げるとき、大々的な方法をとっていないことから、嘉納のバックはあまり大きくないだろうと予想を付けることも出来るし、とするなら自分の護衛もかねているだろう彼女達から、本人がそう遠くに離れるとは考えづらい。

 

 だとするなら――。

 

「……どうでも良いけどカネキ、お前、結構重要? なの忘れてないか?」

「……重要?」

 

 西尾先輩はカレンダーを見せてきながら、そう言った。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ……欝だ。

 

「あー、涼しい」

「いや勉強しろよ」

 

 思わず目の前の男子に乱暴にツッコミを入れてしまうくらいに、ちょっと気分は滅入ってる。

 現代文……、現代文が問題なんだ。去年までだったらたぶんDだったけど、今年に入ってCにはなったんだから、もうちょっと頑張ればいけるんだ、うん。

 自分自身にそう言い聞かせながら、私は模試の判定を再度見て、問題集を開いていた。

 

 場所は、区民図書館。前にヒナミもつれてきたところ。

 ここでとりあえず、私と同級生何人かは勉強をしていた。

 

 もっとも、あんまり身が入ってないのも居るみたいだけど。

 

「あと半年もすりゃ受験だもんなー。ヤベェよヤベェよ……」

 

 二人居る男子のもう片方が、めがねをくいっと上げて不気味な感じに笑った。

 

「その半年を後悔しないようにね、フフ」

「田畑、不吉なこと言うんじゃない。アレだ、明日から本気出す」

「日暮里が本気出したところ見た事ないけどね、フフ」

「やーめろやめろ運気が下がる。

 あ、そういや霧嶋はどこ受けんの?」

 

 聞かれて一瞬躊躇してから、それでも一応答えた。

 

「かっ、上井……」

「随分頭良いとこ狙うんだなぁ。何部?」

「理学部か、経営学部」

「飛んでるな、幅」

「落ちるよ……、霧嶋さん……」

「うっさい」

 

 とりあえずマークシート形式でいけるんだから、なんとかはなる……、はず。頑張れば。頑張れば。

 

「トーカちゃん理系は田畑君と同じくらいとれるから。文型が焼け野原だけど……」

「依子、一言多い。

 まあ知り合いが居ない訳でもないし――」勉強見てもらってるし。「最悪、問題流してもらう」

「最悪すぎんだろ」

 

 いや、本気でするつもりは……、一応、ないけど。 

 そうやって入学したら、カネキに微妙な顔されるだろうし。っていうか、カネキがもっと勉強見てくれれば判定もBくらいにはなりそうな気がする。

 

 

 

 そんな感じでしばらく話したり勉強したりして、時刻は夕方。

 駅前で、帰りにどっか寄って時間潰してから帰るか、みたいな会話をしている途中。

 

「あれ、トーカちゃん?」

 

 突然にカネキと遭遇して私は軽く素ッ転んだ。

 背後で依子が「あ!」とちょっと楽しそうにしたのに、なんとなく嫌な予感を覚える。体勢を整えると、いい笑顔で「ぐっ」と親指を立ててきた。何を察したのよ、アンタ。

 

「誰さん? 同い年くらいみたいだけど」

「……バイト先のヒト。一応、後輩?」

「……トーカちゃん、だと?」

「そこは流しとけ田畑ァ」

 

 思わず半眼になった私。田畑は、日暮里の背後に隠れる。

 そしてカネキは、大して気にせず話しかけてきた。

 

「えっと、初めまして。バイト先のヒトです、一応大学生です」

 

 もうこの時点で、私の中の羞恥心のメーターが変調をきたし始めている。そして依子は雷に打たれたかのような顔になって、やっぱり何かを察した。

 

「時期的にはテスト勉強、かな? 順調?」

「痛いトコ突くなよ……」

「あんまり遅くならないようにね」

「わかってるっての。っていうか、そのことに関しては最近のアンタにはどうこう言われたくない」

「えぇ……?」

「大体――」

 

「(おやおや、霧嶋さんなにやらかーなーり親しげなご様子)」

「(ほうほう、田畑君もわかりますかぁ)」

「(日暮里は気づいてないご様子。どれ、ここは我らで一肌脱ぎますか)。

 ところで日暮里、この間の賭けはまだ有効ですかな?」

「あ、か、賭け?」

「ほらほら、補習耐久チキンレースで負けた方が焼肉をおごるという――」

「いや、俺予算が――」

「夏休みに入ったらそれ口実に逃げるだろうし、自分調べではバイトの給料日は昨日のはず」

「何故知ってる」

「あーあー、いけませんなぁ日暮里くん、約束は守ってあげないと――」

「いや、小阪、何キャラなんだよそれ」

「まぁ私は行きませんですが」

「それでは行ってきますですが」

「は、はぁ?」

 

 

 なんだか気が付くと、男子二人は何処かへと足を向けてこの場から移動していた。

 依子が「じゃ、頑張って!」と親指を再度立て、ぱたぱたと走り去るのがちょっと露骨。

 

「あー、なんかごめんね? 邪魔しちゃったみたいで」

「……別にいいけど、なんか癪」

 

 むしろ学校に言ってから「トーカちゃん呼び」でいじられないことを祈る。

 とりあえず荷物をカネキに預けると、カネキは「あ、ちょっと待って」と言って、ショルダーバッグから何か取り出した。デパートとかでやってくれそうな、簡単にラッピングされた紙袋だった。

 

「……何これ?」

「いや、誕生日プレゼント」

「……あ」

 

 そうか、そういえば今日、七月一日か……。自分の誕生日を忘却していて、ちょっと気が滅入った。

 

「あー ……、アリガト。家帰ってから開ける」

「どういたしまして。

 じゃあまた――」

「ちょ っ と 待 て」

 

 ぐ、とカネキの手を握ると、驚いた顔をする。今更手くらいで何を、というのが私的な感想なんだけど……。いや、距離どんだけ詰めても自覚されてないなら話にはならないか。

 

「えっと、な、何?」

「いや、なんか癪だから、このまま帰るのも……」

「……? どっか寄って行く?」

「いや、そういう気分でもないけど……」

 

 上手く言語化できないでいる私。肝心なときに言葉が出てこないのは、アヤトが出て行った時もそうだったっけ。見送った時は少しマシだったとはいえ、結局似たような感じになっちゃったし。ヒナミがあんまり寂しがってないように見えるのが、ちょっと助かるところだけど。

 

 と、そこで唐突にひらめいた。

 

「……ウチ、来い」

「……へ?」

「だから、私ん家」

「え゛?」

「あ゛?」

 

 文句あんの、というように下からちょっと睨むと、何をしたいんでしょうか、みたいな目でこっちを見てくるカネキ。

 

「えっと、一応家に帰ってやることがあるんだけど……、一応すぐやろうかなって思ってたんだけど」

 

 顎触ってる。ダウト。

 

「……駄目?」

 

 少しだけ素直に聞いてみると、カネキは結構わかりやすく葛藤してるみたいだった。……出会った頃は凄めば大体怖がってたけど、怖がらなくなってからはむしろ凄まない方が色々頼みを聞いてくれるようになった。まぁ素直に聞いてるから、こっちも本当に駄目なら駄目って言ってくれるだろうし。

 

 数秒そのまま停止して。

 

「……うん、あんまり遅くならないなら――」

「ヒナミも喜ぶと思う。あー、あと遅くなりそうになったら泊まってもいいから」

「いや、流石にそれは――」

「一応、布団買ったし。来客用に」

「……」

 

 反論を色々考えてるだろうカネキの手に指を絡ませながら、ちょっとだけ私は上機嫌に家路に着いた。

 

 

 

 

 

 




トーカ「そういえば前、あんてのバックヤードにあったんだけど、何これ?」DVD:人食いババァ
カネキ「この間、ヒナミちゃんとかバンジョーさんとか皆で見てたっけ・・・」
トーカ「怖いの?」
カネキ「そこまで。ちょっと古いし」
トーカ「ふぅん。・・・見る?」
カネキ「・・・見たいの?」
トーカ「まぁ、話しのタネに。一人で見ても、まぁ・・・」
カネキ「そうだね・・・」


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#044 養親/浮上

一月後期:

ヒデ「・・・」 白髪になって、会話しながら顎を触るカネキを、少し目を細めて見ている。


 

 

 

 

 

「――んー、ま分かりやすいっちゃ分かりやすい子なんだけどね、アキラも。

 難しいけどな。タイムロスのジョークだって、ふざけたこと論理的に抜かす親父そっくりだし。

 マッドジョークの類だろ」

「ま、マッド……?」

「そそ、真っ戸(マッド)ジョーク。飲みに誘われたの断ったのもそうじゃないかね?」

 

 中島さんと今でも行く定食屋で、俺は篠原さんに相談をしていた。

 内容は、アキラについて。……丁度昼食の時間帯。アキラは「今日はナンが半額なのだ」と言って何処かへ足を伸ばしていた。

 

「部下としてあっちゃいかんが、たぶん試してる部分もあるんだろうよ。

 真戸と一緒だそこのところ。自分の直感に従って、お前を認められるか試してるんじゃないか?」

 

 その言葉には、なんとなく心当たりはある。実際に彼女は優秀であり、そして同時に真戸さんのようなセンスも併せ持つ。視点一つとっても、一辺倒な俺に対して彼女はフレキシブルに分析をこなしているのだ。

 

「てもまぁ、とっつきは悪くないんじゃないの? 父親のこともあるし。

 嫌われちゃいないだろうさ。ナメられてるかもしれないけど」

「……俺は、真戸さんがしてくれたように、アイツにも色々なものを与えたいです」

「何事もま、経験だわな。真戸だってあれで何人か見てるし。

 上下関係、年齢で抑え付けるんじゃなく、相手が敬語を使いたくなるようになれば良い、てな感じかね?」

 

 ジューゾーはお馬鹿敬語だけど、と冗談めかして笑う。

 

「こうやってメシ一緒に食べたり、呑んだりさ。死線を潜って行けば絆も出来てくる。お前と真戸もそうだったろ?」

「……」

「ま、さっきも言ったが経験だ、若人よ。それにアキラだって現場経験は浅い。

 お互い、補い合ってやってけ?」

 

 肩に置かれた彼の手が、酷く頼もしく、同時に自分のそれと比べてしまった。

 俺は……、まだ頼りないということか。

 

 あんかけを平らげながら、篠原さんは「じゃ、早い所ジューゾー迎えに行かないとな」と肩をすくめた。

 財布から札を一枚テーブルに置き、彼は席を立つ。

 

「亜門は、午後からマルの言ってたのに行くんだろ?」

「あ、はい」

「……くれぐれも、慎重にな?」

「……はい」

 

 篠原さんの心遣いに、俺は頭を深く下げた。

 

 

 

 会計を終え、俺は表に出る。

 先々月にとった免許により、俺はようやくこのバイク――アラタG3を運転できるようになっていた。赤と黒、淵に金が見える意匠はかなり堂々としており、バイクらしからぬ高級感さえある。

 鍵のかわりに腰に「レッドエッジドライバー」を巻き、中央のスロットに制御装置を取り付け、ハンドルを閉じる。

 

『――アラタG3! リンクアップ!

 ライドモード!』

 

 途端、エンジンがかかりライトが一瞬点灯。ヘルメットをつけてからまたがり、俺は、ハンドルを回す。

 エンジンが噴くがガソリンで動いている訳でないのか、マフラーから煙が立つことはなかった。

 そのまま足を閉じ、ギアを合わせ走り出す。

 

 法廷速度を厳守しながら、俺は運転に意識を集中した。

 

 

『――亜門、お前は”神父”から話を聞け。聞くべき内容はこっちで書いといてやる』

 

 先日、丸手さんから来た指令。23区の「コクリア」で、とある喰種から情報を聞き出すこと。

 俺が直々に指名されたのは、理由がある。出来ることなら、捨て去ってしまいたい理由が。

 

 道中、アラタのエンジン上部にとりつけられたタッチパネル式モニターに、通信が入った。赤信号で停車中、軽く操作をして相手を確認した。

 

「……アキラか?」

『嗚呼、そうだ。これから首都高だが、上等はどれくらいでだ?』

「数分とかからず、だ」

『……どうした? 何か不機嫌そうだが』

「……いや、何でもない」

「そうか」

 

 特に意識をした訳ではないが、声音や表情に出てしまっていたのだろうか。

 

 今、俺の中にくすぶっている違和感。苛立ち。それらは間違いなくあの男(ヽヽヽ)に端を発しているのだから。

 

 

 

   ※

 

 

 

 高速を利用すれば、当たり前だがさほど時間はかからない。

 23区も思えば久しぶりか……。いや、感傷に浸っている場合ではない。

 

 ETCで料金所を通過すると(驚いた事にカード装てん口が付けられていた)、降りてすぐの近場のコンビニに……、あれは何だ、スポーツカーか? 白と黒の、車内が狭そうな車の運転席で、紙パックの牛乳を飲んでいた。こちらの姿を確認すると「こっちだ」と軽く手を振っていた。

 

「乗れ。私が運転しよう」

「いや、運転しよう? そうするとアラタは――」

「まぁ見ていろ」

 

 運転席から出てくると、俺の反応も無視して彼女はドライバーを操作した。レバーを引き、ボタンを二つ押して再度閉じる。

 

『――ガジェットモード!』

「……? これは――は、はぁ!?」

 

 思わずうなる俺に、彼女は得意げに鼻を鳴らした。

 アラタのマフラー下にある二本の顎が前方に展開され、中央から二つに割れてハンドルが収納される。飛行する姿はクワガタのようだが、その状態から更に変形し、荷台の上に収まる程度の大きさの、謎の装置に変形した。途端、マフラーの部分や要所要所の穴から赫子が噴出し、ワイヤーのように固定された。

 

「元々はトランクにする予定だったのだが、いかんせん大きさ的に不可能でな。結果的にこういう運搬方法もある。見た目ほど重量もないしな。さ、乗ってくれ」

「わ、わかった……」

 

 車内は想像以上に狭かった。

 それなりに椅子を後ろに送って、ようやく頭がすれすれという具合だ。明らかに俺くらいの上背が乗ることを想定していない。

 

「ふふ。……失礼。肘が当たらないようにしてもらえると助かる」

「あ、ああ……。何とかならないのか、これは」

「諦めてくれ。私の趣味だ」

 

 いい車なのは認めるが、時と状況と場合を考えてもらいたかった。

 

 発進する車内。揺られながら、アキラは平然と話し始めた。

 

「そういえばだが、報告書は何故ダメ出しされたのだ? 必要最低限の情報は記載したと思ったが」

「……踏み込んだ情報や考察があるならば、列挙すべきだ。あらゆる可能性を考えることが、真相への手がかりになる。お前のやり方は確かに多角的な視点で見ているが、結論を決めたらそれに一直線だ。アテが外れたらどうする?」

「無駄だと省くべきではない、と?」

「車内のスペースのようにだ」

「……根に持たないでくれ。今度買い換える時は、他の人間のことも考える。

 だが上等。私は思うのだが、速度が足りないとは思わないか?」

「法廷速度は守れ」

「いや、こっちではない。捜査についてだ。何も勘を万能だと断言まではしないが、可能性を虱潰しに検証し続け、結論が出た頃に大惨事、はまずいだろう。それは間抜けのすることだ」

「長年続く捜査方針だ。アカデミーでもそう教わって……、いや、そうか。政道の反応からして、当時からか」

「嗚呼。無駄ならば省くべきだ。上等の報告書も読ませてはもらったが、要点をまとめれば可能性は二、三くらいに絞れるだろう。可能性の羅列は、時に結果への到達を困難にする」

「……なら、具体的にはどうなんだ?」

「そうだな。例えば――と、到着したようだ。これはまた後でだ」

 

 円筒状の建物の手前で停車。高く聳え立つ建築物には、わずかながらに未だ足場が残っている。内部はともかく、外部の壁の修復作業は半年経った今でも終わりきってはいなかった。これでもある程度の強度はあるが、まだまだ万全とは言いがたい。

 それが、現状の喰種収容施設「コクリア」だった。

 

「そのままドライバーを外してくれて構わない。解除時は普段どおり起動させれば良い」

「わかった」

 

 車内を出て、俺達は入り口へ向かう。局員の一人に手帳とバッジを見せ名前を確認。丸手さんから事前に話しが通っていたお陰で、そのまますんなりと内部へ入れた。

 いつ来ても、ここは酷く歪に感じる。光を反射する薄緑の壁は、しかし時折赤い色が見えるような、見えないような。

 

「まだ修繕途中ですが、最低限の機能は復活しております。

 ……、さて、こちらとなります。くれぐれもお気をつけて――」

 

 戸を開け、頭を下げる局員に礼を言ってから、俺とアキラは部屋に入る。室内は暗闇であり、こちら側に照明のスイッチがある。

 それを点灯させると、マジックミラーを通常のガラスのように変化した。

 

 

「おぉ、誰かと思えば。久しぶりじゃないか――いとしき我が息子」

 

 

 部屋の奥からこちらに歩いて来る老人に、俺は一瞬激しい憤りを覚える。が、アキラの手前だ。無理やり抑え付けて、奴と対面する位置まで歩いた。白髪に、少しやつれた顔つき。一見すればヒトがよさそうに見えるが、それが真実でない事を俺は、俺だけはよく知っている。

 

「(大丈夫か?)」

 

 今度こそ表情には出て居ないだろうが、アキラは何かを察しているのか、それとも事前に調べたのか。「心配されるほどではない」と断りを入れ、俺は奴の顔を見た。

 

 

 ドナート・ポルポラ。

 SSレートの喰種を。

 

 

 

   ※

 

 

 

「久しぶりだな鋼太朗。親なのだ、たまには顔を見せに来てくれても構わな――」

「黙れ。

 ……貴様を父親だと思った事はない。あの日から」

「…………ふぅ、恩知らずめ。

 ん? ふふ、おめでとう」

 

 唐突に、奴は微笑んで俺にそう言った。まるで子供がテストで良い点をとった時のようだ。虚を突かれた俺に、奴は続ける。

 

「パートナーが変わっている。お前より経験豊富そうには見えないから、おおかた昇進したのだろう。

 以前の、死神のような男はどうした」

「……休職中だ」

「そうか、手ひどくやられたのか」

「……ッ!」

「フハハハハハッ!

 相変わらず分かりやすい子だ。昔、みんなの分のドーナッツを一人だけで食べてしまった時のように」

「止めろ」

 

 隣でアキラが「ほぅ」とわずかにニヤリと笑ったのを俺は見逃せなかった。後でまた何やらつつかれそうだ……。

 

「それで、今日は何の用事だ?」

「……いくつか質問がある。貴様はそれに答えれば良い」

「そうか。だが鋼太朗――対話とは二人でするものだ」

 

 押し黙る俺に、アキラが「外すか?」と確認をとってきた。

 無論、お互いに既知の事である。喰種に対する取調べは二人以上で行うこと。時に喰種に対して激昂する捜査官や、洗脳される捜査官が居たと聞く。

 それを分かった上でこう確認をとってくるということは……、やはり何か、調べたのか?

 

 すまん、と言って俺は彼女に外してもらった。

 

「……賢い子のようだ。故に大変そうであるが。お前は何だかんだ言って真っ直ぐすぎる」

「……」

「初めての部下、といったところか。しかしお前も27か……。

 慕われているじゃないか」

「何?」

「会話の途中、ずっとお前の様子を気に掛けていたぞ。それに、目にどこかあの男のような鋭さも感じる。

 また妙な縁のようだなぁ、お前も。そうだな、味見はし――」

「……ふざけるな」

 

 これは冗談だ、と微笑み、奴はアクリル板の向こう側の椅子に座った。

 

「俺は、決して許しはしない。

 大量の捜査官と、引き取ったみんなを残虐になぶって喰らった貴様を――ッ」

「まぁ、落ち着け。せっかく外してくれた好意を無駄にすることもあるまい」

「……」

 

 俺も不承不承、奴に対面する形に座った。

 

 すん、と奴の鼻が動く。

 

「臭うな」

「……?」

「”王”の匂いだ。とすると……、鋼太朗、お前ひょっとして『レッドエッジドライバー』を持っているか?」

「――、何故貴様がそれを知っている」

 

 くつくつと笑い、奴は俺を見る。どこか哀れんでいるようにさえ見えるのが、酷く嫌な感覚を俺に味合わせた。

 

「そうかそうか、だがしかしそれ(ヽヽ)はまた運がないな。お前は『知らない』ようだ。

 それに一体何の意味があるのかを。そして――また皮肉な状況のようだなぁ」

 

 ――お前の記憶の奥底にあるものを、お前自身が滅多刺しにしているということに。

 

 奴の言葉を無視して、俺は手帳を開く。丸手さんから送られてきた質問事項だ。

 聞く内容は「アオギリの樹」について。看守と交戦した際にどんな赫子を使ったか。どうやって奴らは気づかれずここまで潜入したのか。あるいは、どうやってロックを解除したか。

 

 だが、奴はいずれも「知らない」としか答えない。

 

「少しは……、真面目に答えろ!」

「ならば、お前も真面目に考えろ。私がそんな、『誰かから言い渡された』言葉に答える気があると思うか?

 どうせ、どこかの陰険な特等捜査官に言われたのだろう。違うか?」

「……」

「嘘がつけんな、ハハハハッ!

 実際問題、私はそのアオギリ某という連中については、知らん。ここから外の様子を知ることも出来んからな。わかりやすい牢獄でないからなぁ、ここの層は」

「……音は? 何か聞こえなかったか」

「聞こえたが――聞きたいか? 久々に滾ったくらいだ。

 願わくばあの狂宴に加わりたかった……、ある意味で地獄だったよ」

 

 くつくつと笑いながら顔に両手を当てる。得られる成果はなかった。沸騰する怒りを無理やり押さえながら、俺は椅子を立った。 

 

 ちゃらり、と首から下げていた十字架が揺れる――。

 

 

「鋼太朗」

「……」

「追うべきは白ウサギだ。だが、真に探すべきはアリスだ。

 そうすれば、いずれ行き着く――」

 

 

 最後に投げかけられた言葉の意味を、俺が理解するまでには後しばらくの時間が必要だった。

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 帰りの車内、奴から聞いた言葉をちらりと漏らすと、アキラは何か意味深な反応を返した。

 

「白ウサギにアリス……? ”白”?」

「どうかしたか? アキラ」

「……いや、何でもない。

 それはともかく、アリスか。ルイス・キャロル、単なる戯言と片付けて良いものだろうか」

「知らん。どうせ、いつものデタラメだ」

「……私が言う義理はないが、冷静に判断しても良いと思うぞ」

「何をだ――ッ」

「そういう所がだ。多少察するが、傍から見ていてヒヤヒヤする」

「……善処しよう」

「そうしてもらえると助かる」

 

 そう言いながらも、アキラの様子は普段と変わりない。冷静に運転をしているように見える。

 低い車体のせいかい、しかしこの車の加速度は高い……。身体が軽く振り回されているような錯覚を覚える。

 

 俺が奴と面会している間、アキラはアキラでクインケの材料を選別していたようだ。地行博士の元にデータが送られるらしい。「所持許可が欲しいな」とは本人の弁だった。

 

「……、ハイセと言ったか。最初に目撃したのは上等だったな」

「? 嗚呼。性格には真戸さんも居た。フエグチを庇うように現れた。

 どうかしたか?」

「そうか。いや、情報は改めて洗わねばと思ってな」

「……奴については、おそらく俺が最も遭遇経験が多い」

「どんな奴だ?」

「…………言葉にするのが難しい」

 

 初めての遭遇は、フエグチを庇い。二度目の遭遇はラビットの元へ向かう俺の前に立ちはだかり。

 三度目はアオギリの樹強襲の際、多くの捜査官を無力化し――。

 そして四度目。三月の、あの事件。

 それ以降の目撃件数は、まちまちだ。だがいずれの場合も死者はほとんど居ない。捜査官、喰種双方において。目撃件数と被害件数が何ともいえないため、現在のレートはB~Aのあたりで決めかねているらしいと聞く。

 

 ――何も知らないで、憎しみあって、殺しあって……、そんな環の中に永遠に居るのは、きっと、間違ってる。

 

 そして、奴は言ったのだ。

 

 人間で、喰種で――仮面ライダーだと。

 

「変な喰種も居るものだな」

 

 アキラの感想は、酷く単純なものだった。だが、その視線は更に細められた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 事故で渋滞が起きた。本来、そう何時間も移動にはかからないはずだったが、しかし……。

 パーキングで一旦休憩を入れた際、電話がかかって来た。

 

『――おお亜門か。真戸もそこに居るか?』

「丸手さん? あ、はい。あの、情報は――」

『それは別に今はいい。後で連絡しろや。

 とりあえず、1区来い。少し会わせたい奴が居る。六時までに来れるか?』

「会わせたい……? はい、わかりました。今首都高ですが、追って連絡を――」

 

 帰ってきたアキラにもそう告げると「まぁ、後何時間車上の人間か見ものだな」とよく分からない皮肉を言った。

 

 結局、着いた頃には五時半ギリギリといったところだった。

 小会議室で待っている俺達。紙の資料を取り出して、途端にスケッチを始めるアキラ。

 

「……」

「……クインケか?」

「嗚呼。思いついたからには、早いうちにな」

「そうか」

「嗚呼」

「……」

「……」

 

 会話が続かない。

 本来、そこまで沈黙が苦になる人間ではないのだが、どうしてかこう、妙な緊張感を抱く。真戸さんの娘さんだということもあるだろうが、ひょっとすると俺は、新人教育という慣れない立場で肩に力が入っているのだろうか。

 

 いかん、これではやはり試されている側だ。何をしているべきか……。

 タイミングが良いのか悪いのか。空が暗くなってくる頃合に、ちょうどお呼びがかかった。

 

 二人揃って部屋を出て、丸手さんの部屋に入る。

 

「失礼します」

 

「おお、来たか亜門。真戸。

 しっかし……、お前ら、なかなか笑える感じじゃねぇかそのデコボコ具合。クカカ」

「特等の中古二輪もなかなか傑作ですよ。以前のハーレーはどうされましたか?」

「おい、止めろアキラっ」

「あっ……、黙れッ!」

 

 かっと血が上ったその表情。その二輪がどんな運命を辿ったか、近くで目にした俺は心の内で合唱した。

 そして、丸手さんの机の手前に立つ青年。CCGのアルバイトの服を着用する彼は、見覚えのある顔だった。

 

「局員補佐の永近……?」

「何故ここに」

「いやー、どもッス」

 

 困惑したように笑う彼。20区で大学の講義がないタイミングで働いている、彼が何故ここに……?

 俺達の疑問に、丸手さんは鼻を鳴らして答えた。

 

「亜門、真戸。

 コイツは今日から『局員補佐』じゃなく『捜査官補佐』だ。使え」

「――は?」

 

 当の本人が疑問符を浮かべる。

 無論、俺達とて困惑は大きかった。

 

 意味がよくわからない、と続けようとすると「さっさと連れて行け!」と追い出される。アキラに促され、俺達はその場から外した。

 

 

 エレベータの中で、簡単に事情を確認する俺達。ともあれ、何らかの功績を上げたと言うことか。

 

「なんか俺もよくわかんないッスけど、よろしくお願いします」

「特等はああ見えて頭がキレる時もある。なにかお考えがあるのだろう」

「言い分酷いッスね」

「フィーリングだ。流せ。

 時に永近、腹は空いてないか?」

「あ、ちょーど良い具合に」

「ならば夕食はどうだ? 三人で」

「!」

 

 アキラのその言い様に、俺は思わず目を見張った。もっとも、

 

「亜門上等殿が奢ってくれるはずだ」

「!?」

「あ、いいんスか? でも20区じゃないと詳しくはないッスけど――」

「車で来たからな、送ってやる。上等はG3を頼む」

「……あ、嗚呼。わかった」

 

 困惑しながらも、俺は再度レッドエッジドライバーを腰に装着しつつ、1区の支部を出た。

 

 

 

 

 




亜門「一人千円までだぞ」
アキラ「ケチだな」
亜門「!?」
ヒデ「あ、なら中華屋なんスけど、リーズナブルなのありますよ?」


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#045 追駆/噂話

カネキが残留した結果、すんげぇヤベぇです


 

 

 

 

「”黒”ラビット、か……」

 

 アキラから手渡された資料。加えて先ほど、七区の富良さんから回された情報を見て、俺は頭を抱えた。

 最近、各所で捜査官を狙い撃ちにしている喰種。有根准特等ら数名が既に被害にあっており、いずれも死亡。クンケを作動させる隙すら与えずに、圧倒的な速度と威力でしとめられていた。

 

 防犯カメラの映像からすると、黒いウサギの仮面を被っている。

 

「アキラ、お前はどう思う?」

「……想像以上に手ごわい相手と言わざるを得ないな。有根准特等は「ピエロマスク掃討」において、法寺さんと並ぶ成績を収めたお方だ。

 もし奴がラビットと一緒であるなら、想像以上に手ごわいだろう。が……」

「が?」

「……探すべきは”白”ウサギ、か」

「……何故、ここであの言葉を繰り返す?」

 

 俺の言葉に、アキラは「意味がある気がするからな」と言った。

 

「君は戯言だと言ったが、私は何故か引っかかりを覚えるのでな。自分の中の何かが囁くのだ」

「……大体、俺は奴にラビットの話さえしていないのだぞ」

「だが、父がもしかしたら過去の面会で漏らした可能性もある。実際、父が重症を負う前後に一度コクリアへ訪問した記録が残っていた。道中のおしゃべりで、話が漏れ聞こえた可能性もなくはないだろう」

「だが――」

「何を感情的になっている? 亜門上等捜査官」

 

 思わず俺は立ち上がり、アキラを壁に突き飛ばした。驚いた顔をする彼女に、壁に手を付け、睨むように顔を近づける。

 俺の様子に、しかしアキラは少し楽しそうに笑った。

 

「何だ。新手の壁ドンか?」

「……感情的にはなっていない」

「随分と余裕がなさそうだが?」

「…………いや、済まない」

 

 彼女から離れ、俺は一度伸びをした。ここのところ、混乱するようなことが多かったこともあってか、ストレスが溜まっているのかもしれない。

 

「7区のレストラン襲撃の際の話を、覚えているか? 篠原特等のしていた『黒と白の喰種』」

「無論だ」

「妙に動きが洗練されている、と言っていたか。加えてマダムと言っていた喰種の飼いビト。スクラッパーとか呼ばれているそれは、体内のRc値が人間基準でありえないレベルのものだったと聞く」

「……何が言いたい?」

「あの場では言わなかったが、私はこの二つにも何か作為的なものを感じる。完全に別個であるならまだしも、肝心のマダムの護衛にこの二人が回っていた、という点が何かな」

 

 彼女独自の嗅覚は、やはりどこか真戸さんを思わせるものがある。什造とは別な意味で、彼女のその様に俺は複雑な心境だった。

 ちょうどそんなタイミングで、永近が帰ってくる。

 

「あ、弁当買ってきました!

 亜門さんがデラックス弁当で、こっちの生ハムサラダパスタがアキラさんのッスよね!

 亜門さんのは大盛りにしてもらいましたよ?」

「悪いな、永近。使い走りのようなマネをさせて……」

「いえいえ、俺サポーターッスから。

 ……あ、これラビットですか?」

 

 弁当を置きながら、永近は俺の手元にある資料を覗きこんだ。

 

「んん、でも何だろう、資料と印象が……?」

「お前はどう思う、永近」

「どう思うって、このラビットと以前のラビットが一緒かってことですか? 嫌だなぁ、赫子の痕とれば判断つくんでしょ?」

「……よく読んでるな」

「ええ。

 でも、俺は違うと思いますよ」

 

 その言葉に、俺もアキラも目を開く。

 

「違う喰種の犯行だと?」

「ラビットって、去年の捜査官殺し以降、ナリ潜めてたじゃないですか?

 で、俺としてはその時の殺しと、今回の殺しとに関連性を見出せないっていうか……」

「関連性、とは」

「当時、ダチに予想だって話したことなんですけど。ラビットは、復讐代行だったんじゃないかってのですね。同時期に母親を殺された喰種が居たと思うんスけど、ラビットはたぶん、その娘か親子そのものと関わりのある喰種で。力がない娘のためにそれを代行したんじゃないかと」

「……」

「だから無差別に襲ってる今回のこれって、むしろ違和感だらけっていうか。

 いや、むしろ逆に『ラビット』であることに意味があるのか……?」

 

「――永近、ずいぶん以前から興味があったのだな」

 

 アキラは何かを感じたのか、酷い形相で永近を見る。

 永近はそれに動じず「いや、連日ニュース出てましたし嫌でもですって」と笑った。

 

「……そうか」

「あ、ちょっと広報の方でも仕事呼ばれてるんで。ほいじゃまた後で――」

 

 それだけ言って、彼は部屋を後にした。

 

「永近ヒデヨシ……、上井大学二年だったか。よく働く」

「……勘なのだが、永近は嘘こそついてないが、何か隠し事をしているような気がする」

 

 隠し事? と彼女に聞き返そうとした瞬間、扉が再度開かれた。篠原さんと什造だ。

 

「おう、オツカーレ! 二人だけか。政道は?」

「法寺さんと、今日は七区です」

「あっちもあっちで大変だなぁ……。っと。

 二人にとりあえず話しておこう。――大食いについて、糸口を掴んだかもしれない」

「――! 本当ですか?」

 

 俺の確認に、篠原さんは「嗚呼」と首肯した。

 

「結構カン、鈍ってなくって良かったわ。

 ”大食い”が動きを止めたのは去年の十月後期。でその辺りに起きた事故や事件を色々調べていたら、一つ気になるものにぶち当たった。

 10月の、鉄骨落下の事件だ」

「……確か、重症を負った青年に死亡した少女の臓器を、遺族に無断移植したことで、バッシングがありましたね。真戸さんとテレビで見ました」

「そう。で、面白いのはここからだ。

 ――嘉納明博。この時の執刀医なんだが、コイツは元CCGの解剖医だ」

 

 その言葉の指すところを、俺やアキラは理解できなかった。什造に至っては、話を最初から理解さえしていないのか、漫画なら煙が上がっていそうだ。

 

「事件について聞きに行ったら、この医者なんと行方をくらましている。これで妙だと思って調べてみたら、割とトンでもないものを引き当てた」

「とんでもないもの?」

「CCGにあった、嘉納の経歴だ。

 帝凰大の医学部主席卒業。ドイツのGFG(※世界最高方の喰種研究機関)で三年間下積みを経験してる。おおよそ十年くらい前にこっちに来ていたらしいが、ソイツは『喰種』の身体能力を人間に組み込めないかという研究をしていた」

「喰種の……?」

「倫理的な問題から批判が相次いで研究は頓挫、逃げるように本人も退職したんだが……、問題はその方法だ」

 

 篠原さんは一度区切ってから、息を深く吸ってから言った。

 

 

 

「――喰種の臓器を、人間に移植することだ」

 

 

 

「――それは、」

「さらに言うと、その時に死んだ少女も身元不明だ。

 俺は、この子が『大食い』なんじゃないかと睨んでる」

「……その青年については?」

「普通に大学に通ってるらしい。成績も結構良いみたいでな。

 近々、本人と接触を持てないか準備中だ」

「準備中……」

「特等、その青年は?」

 

 アキラの言葉に、篠原さんは手帳を開いた。

 

「……上井大学に通う、金木 研(カネキ ケン)

 

 上井?

 ふと俺は、永近の去った方角を見た。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「いらっしゃい、カネキくん――」

「あら、お久しぶり~。

 相変わらずキュート!」

 

 以前、あの双子の片方に壊されたマスクの修復を、僕はウタさんに頼んでいた。二日もあれば改良も出来ると言われたので、今日がその受取日。「hysyアトーマスクスタジオ」に、いつかのように僕は足を運んだ。

 

 その場に居たのは――ニコ。アオギリの樹において、ヤモリと一緒に居た男だ。

 

 とっさにドライバーを装着し、変身の構えをとる僕。彼は、その場に置いてあった「ピエロのような」マスクを手に取り、ニヤニヤと微笑んでいた。

 

 警戒する僕。ウタさんは、そんな状況でも黙々と仕事を続ける。

 

「随分活躍してるみたいじゃなぁい? もう、怖いわねぇ。

 ゾクゾクしちゃう――ヤモリみたいで」

「暴れるなら外でね。マスク、壊れちゃう」

 

 ウタさんは平然と流しながら、ちくちくと僕の依頼した、新しいマスクを作っていた。

 ニコは「でも残念」と肩をすくめた。

 

「そう怖がらなくても良いわよ? アタシ、アオギリのメンバーじゃないから」

「! ……、なら、何故あの場に?」

 

 僕の言葉に、ニコは少し哀愁を帯びた表情で言った。

 

「決まってるわよ。ヤモリのた・め♡

 私達はあるクラブで意気投合して、一緒に行動するようになったの。この時点で、彼は既に『アオギリ』の一員だった。それからタタラっちと簡単に顔合わせしてアジトへ出入りできるようになったの。

 協力者みたいな立ち位置ね。別に反抗した訳でもなかったし」

「……ヤモリのため?」

「そう。色々手伝いもしたけど、アタシはヤモリのことしか目になかったわ。アタシが見たいのは――常に美しいもの。剥き出しの脊椎をなめあげられるような。身震いさえ覚える、そんなものよ。

 ヤモリはそれを見せてくれた。立ち上がる意思の気高さや美しさを。……でも死んだ。

 最期の瞬間、誰の名前を読んでいたかが、知りたかったわね」

「……」

 

 警戒は解かない。でも、僕はドライバーのレバーから指を外した。

 

「11区のアジトが潰されてからは、ヤモリも居ないしもう行ってないわよ?

 だからお暇だったし、マスクの新調でもしようと思っただ・け♪」

「暑いよ。夏場だよ」

 

 絡み着くニコにも、ウタさんは無頓着に言葉だけを言いながら、マスクの眼帯部分を仕上げてもらっている。

 

 ……少なからず、ウタさんが仕事を続けていられるということは、この場において横暴な相手という訳でもないのだろう。言葉の信憑性については定かではないけど、今すぐこの場で戦う必要は、あまり考えないで良いだろう。

 

 ドライバーを解除すると、ニコは「あら、ありがと」とウィンクをしてきた。

 

「じゃあ、とりあえずでも信用してくれたお礼に。アオギリについて私が知ってる事、いくつか教えてあげようかしら」

「! ……お願いします」

「ウフ。

 『アオギリの樹』は、”隻眼の王”と呼ばれる存在に率いられる喰種集団。組織の規模を拡大するために好戦的な喰種も多いけど、ある程度組織だって動けるように非戦闘員も一定数居る。ここの辺り、包帯ちゃんいわく『24区』を参考にしてるらしわ」

「24区?」

「知らない? まぁ、お姐さん優しいから教えてあげちゃう。東京の地下に広がる大空洞。その奥の奥に存在する、喰種のコミュニティ。それが24区よ。

 メンバーはそこからも何人か来てるらしいし……、ひょっとしたら『王様』も、そこ出身かもね」

「……アオギリが、リゼさんや嘉納先生を追っている理由は?」

「どちらかだけでも、大願への大きな鍵になる、て言ってたわね」

「鍵……。その、大願とは?」

 

 大願。つまりはアオギリの目的ということか。自然と、視線が鋭くなる。

 僕のそれを受けても、ニコは調子を崩さずに言った。

 

「タタラっちの弁を借りるなら――”嘘つきをあぶり出し、天秤を平らに戻す”」

「……?」

 

 明らかに何かを揶揄した言葉だ。それは。

 何を指し示しているのだろう。嘘つき? そして天秤?

 

「タタラっちも中々、真意がわかんないのよねー。……あら? まだ信じられない?

 ならとっておき。耳を貸して? ――」

 

 言われたとおりに近くに寄る。無駄に香水の匂いが鼻に付くのを我慢しながら、僕は彼の言葉を聞いた。

 

「現在、アオギリを率いてると目される”隻眼の梟”とCCGに呼ばれる喰種なんだけど――」

 

 続いた言葉に、僕は言葉を失った。

 

 

「――小さな包帯の、あの子カモよ?」

 

 

 それだけを言うと「じゃ、アタシは用事終わってるから。まったねーん♪」と楽しげに店を後にする。

 包帯の、小さな。つまりその相手は――。いや、喰種ならば、というより赫子がある以上は何でもありなのか?

 

 少なくとも僕なんかが、ドライバーを使って変身を――リオくんの時の、あの赤い装置を使って更に装備を拡張したりも出来るのだから。

 

 そしてなによりあの包帯に巻かれた姿のせいで、僕は彼女の両目を確認したことはなかった。

 

「出来たよ、カネキくん」

「……あ、ありがとうございます」

 

 後ろを振り返り、僕はマスクの調子を確認した。

 口元は大きく変わらない。今回変更してもらったのは、眼帯部分のレンズ。赤いレンズなのは変更なしだけど、今回は以前よりも小さく、顔にフィットするようにしてもらった。外見上は以前のタレ目と比べて、今回はツリ目に見えるかもしれない。

 

 とりつけ、以前破損した頬の部分の伸びも確認して、僕はウタさんに再度お礼を言った。

 

「うん。カネキくん、ちゃんと支払ってくれるからいいよね。友達で一人、全然テキトーな扱いのが居るからちょっと大変なんだ」

「……大変な友達ですね」

「うん、そうそう。言っても言ってもツケといてくださいねーって感じに流される」

「あ、それじゃあまた。お願いします」

 

 お金を支払い終えて、僕は店を出る。

 入り口の戸を開きかけたとき、ウタさんから声をかけられた。

 

「カネキくん――君は、君が思ってるほど何でもできる訳じゃない」

「……?」

「抱えきれず、押しつぶされるくらいなら。誰かに話してしまうことも必要だよ」

「……はい」

 

 それだけ言って、僕は外に出た。

 それだけしか、返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 




カネキがアオギリで拷問されていた某日:
 
タタラ「この絵を描いたのはお前かッ! 殴杀!」アゴの割れてる自分の似顔絵を握りながら赫子を展開する
ニコ「ちょ、可愛いじゃない! 何が問題なのよー!」ヤモリがいないので、一人でギリギリ攻撃をかわす


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#046 遁走/転婆

 

 

 

 

 

「――そろそろ、看護師の田口さんが通るはずです」

「カネキくん、いくら情報収集のメインを僕が張るとは言っても、何故全く待つそぶりがなかったんだい? Please tell me,nh?」

 

 月山さんの言葉を聞き流しながら、僕は病院の裏口を見下ろす。日は落ち、ビルの明かりがわずかに視界を照らしていた。

 指を鳴らし、月山さん、バンジョーさん達五人に指示を出した。 

 

「計画通り、彼女を尋問します。……手荒な真似はしない程度に。何も知らないようなら、ある程度安全を保障してから開放します。

 そして、場合によっては――できる限り、保護します」

「保護?」

「アオギリの樹がマダム側を捕捉できていない場合、あちらからも彼女に接触する可能性が高い。どう考えても、僕らより手荒になります。おそらく情報が聞きだされれば、そのまま殺されることでしょう。

 それは――避けたい。

 ただ、状況によっては事前に言っておいたように、逃走もお願いします」

 

 決して誰しもの命を救いたいとは言わない。それでも、みすみす放置していたら奪われてしまう命があるのなら。それを放置しておくことも、僕には出来そうになかった。

 

「……来た。行きます」

 

 先に全員に配置の指示を出し、僕と月山さんはビルを降りる。

 

 カツラが落ちないように頭を押さえながら、赫子の”手”で衝撃を和らげつつ地面に降り立つ。

 月山さんは思いっきり赫子を壁に突き立てていたけど……、いや、距離がある程度あるし、大丈夫か。

 

 田口さんは、咳をしながら歩いていた。

 

「ゲホッ……。

 先生が、研究は再生医療の最先端だって言うから……。でも、こんな危ない目に巻き込まれるんじゃ――」

「田口さん、大丈夫ですか?」

 

 突如、背後からかけられた声に、彼女はびくりとなった。

 僕の方を振り向いた表情は、いくらか怯えているようだった。……特に殺気のようなものを出している訳でもないので、変なタイミングで登場されたことに対する驚きがあったのかもしれない。

 

「か、カネキく――」

 

 そして、その瞬間だった―ー。周囲から、三人の白いスーツの男が現れたのは。

 巨体の二人と、痩身の一人。こちらに背を向ける形で、彼は田口さんに笑いかけた。

 

「どーもォ、ナースちゃん」

「ぐ――喰種!?」

「ッ!」

 

 とっさに、僕はドライバーを装着しつつ、彼に対してとび蹴りを加えた。

 

 変な声を上げて倒れる痩身の男。巨漢二人が動揺した隙に、僕は田口さんの手を引いて、背後に庇った。

 

「痛ッ……、なにお前? これから情報を聞かなきゃならねぇんだけド……」

 

 赫子を出した彼に対し、僕はドライバーのレバーを落とし、マスクを片手に握った。

 

 

「変身――!」

『――(リン)(カク)ゥ!』

 

 

 変貌した僕の姿に、息を呑む田口さん。

 大して、目の前の喰種は一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして。

 

「そのマスク……、白髪……ッ。そうか、テメェがタタラの言ってた……」

「……アオギリか」

「違ェ! 力、貸してるだけだッ! アニキイイイイイイイィッ!」

 

 絶叫しながら、その喰種は地面にうずくまり、殴り始めた。心なしか、涙がこぼれている。

 突然の挙動に唖然とする僕と、なだめようと動く二人の巨漢。

 

「神アニキィ……、駄目だ、思い出いっぱいで泣けて来て戦えねェ……ッ。

 ヤモリさァん……!! 何で俺を置いて逝っちまったんだよォ……!! コクリア出たら拷問してくれる約束だったろォ……?」

 

 泣き喚く目の前の喰種。困惑しながらも、僕は思考をまわす。ヤモリ? ヤモリと言ったか? とすると……、確立は低いが、この喰種が「ナキ」? 拷問の最後、ヤモリが言っていた喰種だろうか?

 確かに、僕とは別な振り切れ方をしている。こちらはむしろ、拷問を受け入れる側になってしまったのだろうか。

 

「アニキ殺した……、テメェを、殺す……ッ」

「……ちょっと待って、僕、ヤモリは殺してないですよ?」

 

 ふぇ? とナキは涙を流しながら、僕の顔をきょとんと見上げた。

 

 嘘は付いてない。確かに瀕死に追い込みはしたが、あの後しばらくすれば逃げるくらいに回復は出来たはずだ。赫胞が残っているのだから、空腹を堪えてでも。

 

「確かに戦いましたし、お互い追い込まれましたけど。命までは取ってません(取りたくもなかったですし)」

「じゃ、じゃあ何でアニキは死んだんだ?」

「……たぶん、あの場で残っていたCCGの誰かです。

 クインケに『ジェイソン』と名の付くものを持っていた捜査官が、最近居ました」

 

 僕の言葉に、再び「アニキィィ!」と絶叫するナキ。……あれ、ひょっとして彼は体よく使われてるだけなのか?

 

 どうしたものかと考えながらも、でも僕は不意に、頭上から何か威圧感のようなものを感じ、背後を庇うように飛んだ。田口さんを突き飛ばす形になってしまったが、そちらは月山さんが受け止めてくれた。

 

 

「――(かい)ッ!」

 

 

 頭上から降ってきたのは、大男だった。長い髪に、たらした髭。どちらも黒く、生命感にあふれる視線。身体は筋肉の鎧に覆われており、人間基準で見れば明らかに勝てる気配がしない。

 そんな男に、ナキは言った。

 

「シャチィ……、俺は、どうしたら良いんだ……ッ」

「しゃきっとせいナキぃ……!」

 

 !? シャチ、鯱と言ったか?

 

 喰種収容所に囚われていた6区のリーダー。監視カメラのぼやけた映像でしか見て居なかったけど、なるほど、これは確かに武闘派だ。

 ……なんでターザンみたいな格好してるのかは分からないけど。

 

 しかし、アオギリに何故協力しているんだ――?

 

 

 僕が疑問に考察する暇を与えず、鯱は一瞬で距離を詰めた。

 速い……ッ!

 

(シッ)ッ!」

「ッ」

 

 ドライバーの操作が、とてもじゃないけど間に合わない――。

 とっさに庇った両腕が、いとも簡単に折れて骨が露出した。

 

 洗練された動きと、一撃一撃の尋常ならざる破壊力。……なるほど、確かに6区のリーダーだ。

 

「ぬぅぅぅぅぅ、()ン!!」

 

「カネキくんッ!!」

 

 こちらに救援に向かおうとする月山さん。でも、その前にナキが立ち妨害する。

 バンジョーさん達は、残りの巨漢二人を相手取っている。

 

 鯱は鯱で、僕の相手に集中していた。

 

 殴り飛ばされ、一瞬意識が飛びかける。それを無理やり呼び起こし、僕は踏ん張った。

 

 背後で腰を抜かしたらしい田口さんの、咳の音が聞こえる。

 

「……大丈夫、ですか?」

「ゲホ、ゲホッ……。カネキくん、貴方こそ――!」

 

 僕の腕の様子に目を向いた彼女に「大丈夫です」と立ち上がり、僕は意識を集中した。

 

 

『――鱗赫は再生力が強いけど、剥がれ易いのが難点だって教わったわね、そういえば。

 にしても、お義父様じゃない? ひっさしぶりよねー。相変わらず煩そう』

 

 おとうさま? やっぱり知り合い……、いや、ひょっとしたら保護されていたんですか? 脳裏で響くリゼさんの幻聴に、思わず心の内で聞き返す。

 でも、それに対して彼女は具体的には答えはしなかった。

 

『その話は、”私”は多くできないわよ? でも、そんなこと置いておかないといけないんじゃないのかしら。

 今、研くんがやろうとしていることは何?』

「……、田口さんを、渡すわけにはいかない……ッ」

『大丈夫、私がついてるわ――』

 

 田口さんが息を呑む声が聞こえる。深く息を吸って、目を見開く。両腕は既に再生が終わっていた。

 今度こそ、僕はドライバーを再度操作する。

 

『――鱗・赫ゥ!』

 

 再度のドライバーからの音声と共に、背中から赫子の”手”が四つ噴出した。

 

『……あれ、ひょっとしてこれ、意図せず紹介しちゃうことになるのかしら?』

 

 何を言ってるかわからないリゼさんのそれを流して、僕は驚いた様子の鯱に特攻した。

 手を二つ、爪のように意識して振りかぶり凪ぐ。それに対して飛び上がった鯱に、残りの二本をそれぞれ「刺す」「掴む」と二種類の方法で捕まえる。

 

「――猪口才(ちょこざい)ッ!」

 

 でも、それさえ鯱はものともしない。

 噴出した赫子は、尾赫。呼び名の通り、鯱を尻尾を連想するのそれを使い、捕らえていた”手”二つをなぎ払い、切断した。

 

「回ッ!」

「くっ……」

 

 これが、鯱?

 これが……!! 想像以上だ。当然だけど人間の動きじゃない。赫子を用いた武術と言うべき動きで、彼は僕を追い詰める。

 

 このままやっても、ジリ賓だ――。

 

 とっさにドライバーのレバーを操作したのが、間に合ったのが奇跡的だった。

 

 

「ー―遅いぞ、カネキケンッ!」

『――(コウ)(カァク)!』

()!?」

 

 鯱の拳が僕の腹をえぐるように殴る直前、ぎりぎりで赫子の形成が間に合った。だが、間に合ったこととダメージが通らないこととはイコールではない。口から血があふれる。

 そのまま反転しつつ、田口さんを抱きかかえるように僕は走る。

 

「月山さん、バンジョーさん――」

「T'en fais pas!(問題ないさ)」

 

 弾き飛ばされた勢いで加速し、そのまま逃走を図る。他のメンバーにも意図が伝わったのか、一斉に逃げの体勢をとった。

 

「……愚嬢めが、らしくない」

 

 そんな鯱の言葉を耳に聞きつつ、僕は走る。

 ……? 鯱は何故、僕の名前を知っているのだろう。アオギリで聞いたのだろうか?

 

 ビルの壁を登り、屋上を経由し。

 

 月山さん達を待ちながら、僕は一度彼女を下ろした。

 壁に背を預けながら、田口さんは呼吸が大きく乱れていた。

 

「なん……、なんで、助けてくれたの……? 私は……ッ」

「……優しくして、もらいましたから。

 例えグルであったとしても、そこに違いはありません」

「……」

 

 彼女は、酷く悲しそうな目をした。

 かすれた声で、彼女は何かを言おうとして――。

 

  

可惜(残念)

 

 

 鉄パイプが、彼女の胸に刺さった。

 驚いた目をして固まる彼女。僕も衝撃を受け、しかし思考ではそのパイプの飛んできた方角を探っていた。

 

『――()(カ・ク)!』

「……フン」

 

 僕の放ったソニックブームを、攻撃をしてきた相手は……、タタラは、何でもないことのようにひらりと交し、距離を詰めて僕の腹を蹴り飛ばした。

 空中を舞い、地面に背中から叩きつけられる。痛みは大した事ではない。断続的なドライバーの痛みで、多少は麻痺している。だけど、鯱の一撃が残っていたせいか僕は置きあがれなかった。

 

 田口さんの口元に鼻を寄せ、タタラは匂いを嗅いだ。

 

「肺を患っているか。……それで唆されたんだな、と」

「……殺す必要は、あったんですか」

「なんだそれ。元々、用があるのはこっちだ」

 

 彼はそう言いながら、彼女の服から携帯端末を抜き取っり、持っていた荷物を奪った。……嗚呼、おそらく彼女は情報を知らされてないと予想されていたのだろう。でも持ち物から嘉納や、マダムへの連絡先も割り出せるかもしれないと踏んでいるのかしれない。

 

「死には意味も理由もない。相変わらずだな。多少マシになったみたいだけど。

 ……大願があるなら、甘さを捨てろ。刃と同じだ。熱いうちは、なんにも斬れない」

 

 鋭く、冷たく、研ぎ澄まさねば――。

 

 それだけ言って、タタラは僕の前から姿を消した。

 

 

 起き上がりながら、僕は拳を地面に叩きつけた。

 何を、何をやっているんだ僕は……っ。結局、助ける事さえ出来なかったじゃないか。

 

「……カ、ネ……、キ……く……ッ」

「……!」

 

 だからこそ、田口さんのかすれた声が聞こえた瞬間、僕は目を見開いて立ち上がった。

 彼女は、まだ生きていた。肺に刺さったパイプから、空気が逃げながらも。それ以上しゃべれば、苦痛のうちに死ぬ事になるだろうにも。

 

 彼女は寂しそうに笑いながら、何かを言おうとしていた。

 僕は近づき、耳を寄せた。

 

 

「や……、す、…………ひ、さて――」

 

 

 それを最後に、パイプから漏れていた音が途絶えた。

 

「……やすひさて……、”やすひさ”邸?」

 

 何を彼女が思って、そのことを教えてくれたのか。僕には分からない。罪悪感があったのかもしれないし、殺したタタラに一矢報いたかったのかもしれない。

 だけど……、少なくとも僕は、その情報に頼らせてもらいます。

 

 寂しげな表情のまま固まった彼女の目を閉じ、胸のパイプを壁から引き抜き。

 

 地面に寝かせながら、僕はしばらく動くことが出来なかった。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

「鯱、さんが……?」

「……すみません。理由までは分からないんですけど」

 

 六区のギルさん達に、先日遭遇した鯱の情報を教えた。三人とも、酷く困惑しているようだった。

 

「確かに、無駄に暴れまわってるような印象はありませんでした」

「つっても、カネキには襲い掛かったけどよ」

 

 目的が競合した以上、それもまた仕方はないのだろうけど。振るう拳には、当然のように容赦や迷いはないように感じた。

 

「なんで六区に戻ってこねぇんだよ、鯱さん……」

 

 やはり何か理由があるのだろうと、ギルさんたちも察しているのかもしれない。だけど、言葉がいらだつのは仕方がないのだろう。

 

 

 バーを後にして、月山さんにバンジョーさんを送ってもらうよう頼んだ後、僕は古本屋に向かう。

 目的は一つ。――鯱さんを、より深く理解するため。

 

 あの攻撃は、受けきることなど僕には出来ない。である以上は、全てかわすぐらいじゃないと身が持たない。

 

 それに、この程度で立ち止まっているようじゃ、今後さらに強くなるだろうアオギリにも対抗することは出来ない。

 そのためには、相手の思考を理解し、それにあわせて動けるようにならなきゃいけないだろう。

 

 

 ……時間的には大学の勉強がカツカツになっているけど、まぁまだ大丈夫。トーカちゃんに勉強教えられそうにないと言ったら無言で腹パンされたけど、こればっかりは仕方ない。諦めて、甘んじて受けた。

 予算的には図書館が本当は良いのだけど、一度に保有できる量が限られるという理由からすれば、やっぱり古本を買うのが一番良いだろう。

 

 最悪、汚れてしまっても返す必要がない。

 

 そういった事情で、田口さんの最後にくれた情報を調べてもらっている間。僕は僕で色々と準備をする必要があった。

 

 そんな最中――。

 古本屋で結構な量を手に取り、お店のヒトに驚かれながらも会計を済ませ。

 

 自動ドアを開いて出た時、僕は彼女に気づいた。

 

「――!」

 

 足が眩しい。ホットパンツと、それが隠れそうなくらい長い黒いフード系の服。チャックは胸の下あたりで止めていて、白いシャツが見える。

 表情は冷静そうで――そして僕同様、片目に眼帯をしていた。

 

 その黒髪の少女は、確かクロと名乗っていたか。

 

 まさかこんなタイミングで遭遇するとは、いや、病院も20区である以上は全く遭遇しないということはないのだろう。

 向こうもこちらの存在を認めると。

 

「……!」

 

 何故か目を一瞬大きく開き、自分の身体を抱きしめるように庇った。

 いやいやいや。待って、そのリアクションはおかしい。

 

 一触即発になるかと思いきや、別な意味で僕らは動きを止めてしまった。

 

 お互いに流れる、この気まずさは何だ。

 

「……久しぶり、お兄ちゃん」

 

 どうやらさっきの反射行動は、なかったことにしたらしい。身を解いて、こちらの方に彼女は歩いてきた。

 僕も、なんだか戦うような気分ではなく、「うん」とだけ返した。

 

「えっと……、何してるの?」

「気分転換。シロと交代で見張りしてる」

「マダムA?」

「おばさんA」

「……何だろう、その妙に”その辺のヒト”感あふれる呼び方」

「本人の希望」

 

 これ、たぶん双子にマダムがいいように言いくるめられてるだけじゃないのかな。

 

 なんとなく、意味もなく僕は心の内で合掌した。

 

「お兄ちゃんは?」

「あーうん、ちょっとお勉強……」

「先生の?」

「……あれ、僕、君たちにその話はしなかったよね」

「二月の時、それっぽい本を持ってた……? 気がする」

 

 あれ、そうだったっけ。記憶が曖昧なので、彼女の言葉が本当かどうかは定かではない。

 店の入り口にいつまでも立っているのも邪魔かと思い、僕は「とりあえず歩こう」と言った。

 

 戦うこともなく、僕は黒い彼女と一緒に歩く。……何なんだろうこの状況は。お互い敵同士と言えるはずなのに、とてもじゃないけど戦う空気ではなかった。

 

 いや、それ以前に――僕が情報を持っている、というのが大きいのかもしれない。

 

 マダムAを追うことに、さほど切羽詰っていないのだ。

 

「あーん」

「?」

 

 と、そんなことを考えていると。唐突に彼女が、手持ちのバッグからビニール入りの、フルーツのようなものを取り出した。そしてそれをこちらに向け、そんなことを言った。

 ……何だろう、この距離感の滅茶苦茶さは。

 

 受け取ろうと手を出すと、何故か拒否される。

 

「……あーん」

「いや、そもそもそれは何?」

「コーヒー」

「……コーヒー? って、もしかして果実?」

「そうそう。食べられるよ、これ」

「へぇ……、むぐ」

 

 それは初耳だった、と関心した瞬間に彼女は無理やり僕の口に、それを押し込んだ。人差し指が、口内を一瞬さまよう。抜き出した際、唾液が付いたろうに彼女は特に気にしてはいないようだ。

 無表情のままだけど、何故かご満悦そうにガッツポーズ。何がしたいんだろう、この子は。

 

 でも驚いたことに口の中で転がし砕いたそれは、長らく体験していなかった「甘い」という味わいを、明確に僕に思い出させてくれた。

 

「……」

 

 彼女は、敵だ。嘉納についている以上、その事実は変わらない。

 でもどこかでこう明確に敵対できないのは、ひょっとしたらひょっとすればだけれども。僕と彼女たちの中にある、リゼさんの赫胞のせいかもしれない。

 

 いくら変質してるとはいえ、僕のそれは彼女達のそれと元は一緒のはずだ。

 

 だからだろうか――。

 

「……たぶん、アオギリの樹もマダムの方を追ってる」

「……!」

 

 僕からそんなことを言われると思ってなかったのかもしれない。彼女は、今度は一瞬とは言わずかなり驚いた表情をした。

 

「病院の田口さんが襲撃された。……たぶん知ってるとは思うけど」

「……お兄ちゃん、ひょっとして何か知った?」

「……」

 

 答えない僕の反応を見て、彼女は一歩、こちらから引き。

 

 

 

「――安久(やすひさ) 黒奈(くろな)

 

 

「……!」 

 

 名乗られた名前に、僕は驚く他なかった。

 くるりと背を向けて、言葉を続ける。

 

「シロは、奈白(なしろ)

「……」

「いいよ、いつ来ても。――待ってるから、お兄ちゃん」

 

 右肩から振り返り、ぺろりと右手の指を舐めて。

 

 そのまま彼女は、人ごみの中に姿を消した。

 

 

 

 

 




ヒデ「・・・カネキ、さっきのあの娘誰だ?」
カネキ「うああああああああああ!? ヒデ、なんで!? っていうより何見てたんだ!!?」


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#047 胸中/肉薄/観察

※原作よりカネキの行動が甘いので、情報が結構残ってしまってます


 

 

 

 

 

 ――嘉納が所持する不動産。

 既に俺やアキラたちでいくつか当たっていたが、その中で見覚えのある名義のものを俺は手に取った。

 

 この名前は……、政道やアキラよりも後輩にあたるものだな。

 

 だが、記憶に残っている彼女たちは、やはり優秀なものだったように思う。

 

 感傷を振り払い、俺は資料室を出て会議室へ向かった。

 

 

 先日、篠原さんの言った「大食い」に関する進展。

 

 ラビットの捜査と平行して、俺たちはそちらにも協力をしていた。

 しかし、嘉納という男は調べれば調べるほど、不可解な点が多い。実質的な勤続年数はおおよそ四年。だが退職理由は特に無記入。父親の病院を継いでから、患者からの評判も厚いが……。

 だが、そもそも嘉納が退職する言われも少ない。

 資料が正しければ、例の「喰種の臓器を人間に移植する」研究が中断されてからも、数年間はそれまで通りだったようだ。それ以降、新しい研究課題を見つけたと証言もとれている。

 

 それが、何故突然離れたのか。

 ……派閥争いの類ではないだろう、おそらくは。

 

 だが、優秀な研究者の情熱が殺がれるだけの何かが、CCGに居た時に起こったことは間違いないだろう。

 

 そう考えながら扉を開けると、アキラと永近が会話をしていた。どうやら、俺と似たようなことを考えていたらしい。

 

「……なにか、『見たくない』ものでも見たんじゃないのか?」

「才能あふれる研究員の情熱を殺すようなものって、一体なんなんですかね?」

「何だろうな、イメージもつかん。

 ……なにせ彼が退局した頃、私は花の女子高生だ」

「アキラさん、なんか制服ビシっとしてそうですよね」

「馬鹿言え、私ほど愛らしくアレを着こなしていた女子高生もいなかったぞ」

 

 ……何を無駄話をしているんだ。

 

 思わずツッコミを入れると、アキラが屁理屈で釈明しようとする。流石にもうなれてきた、それを流して俺は発見した不動産の資料を置いた。

 

「チェックした分が全てじゃなかったのか?」

「他人の名義で購入していたようだ」

「どこにそんな資金……って、医者ッスか」

「しかし何だこの構造……? 地下室まであるぞ」

「ただの別荘じゃないッスね」

 

 永近が言うとおり、この物件は明らかに他のものとは違っていた。一人で住むには広大で、避暑地として用いるだけの土地でもない。

 言うなれば、隠れられる場所がいくらだって存在してるといえる。

 

「これで出なかったら無駄足になっちゃいそうッスけどね」

「無駄ではない。可能性をつぶしていくことに意味があるんだ」

「例の”カネキ ケン”しかり、だな」

「……」

 

 アキラの言葉に、永近は驚いたように黙った。 

 

「あの……、何でカネキの名前が出て来たんですか?」

「?」

「……カネキは、俺の親友です」

 

 その言葉に、さしものアキラも言葉が続かなかった。

 俺も、驚いた。何だこの、作為のあるような配置は。

 

「……済まない。その話は後にしよう」

「……ありがとうございます」

 

 俺の一言に、永近はしかしきちんと切り替えた。 

 この背景にも、何かまだありそうだ。だが、その正体にまで俺は気づくことは出来なかった。

 

 ”ラビット”と”大食い”に関して、どちらも現在は活動が見られない喰種となっている。ラビットはあの”黒”ラビット次第で変わるかもしれないが、それでも20区において大食いに対して裂かれている人数は多い。

 すなわち大食いに関して解決できれば、20区において大きな進展となる。

 

 ――もし篠原さんの読みが当たっていれば、鉄骨事故で圧死した少女が「大食い」。

 その臓器移植を受けたのが”金木 研”。

 

 執刀を行ったのが嘉納だとして……、やはりそれは実験か?

 

 人間に、喰種の力を組み込めないかという。

 

 ということは――果たして、移植を受けた人間は一体”どう”なるのだ。

 

 馬鹿みたいな話だ。だが、むしろ逆に「何もない」と断定することが、俺には出来ない。出来るだけの情報も何もない。可能性だけが、そこに存在し続ける。

 

 ……しかし仮にそうであったとすれば。

 我々はどう扱えば良い。金木研という名の、悲劇の少年を――。

 

 

 ――人間で、喰種で……、仮面ライダーです。

 

 

 不意に、脳裏をよぎる眼帯(ハイセ)の言葉。

 まさか。だが、その可能性だけは存在し続ける。

 

 身体的特徴、この身長と、なにより黒髪のこの顔がどこか、最初期に会った眼帯を想起させてしまうことも――。

 

 

 ――追うべきは白ウサギだ。だが、真に探すべきはアリスだ。

  

 

 仮にウサギがラビットだとすれば、アリスは嘉納か、あるいはハイセ?

 

 

 ……いかん、先入観に囚われすぎているのかもしれない。今は、目の前の資料に集中しろ。頭を振り、俺は手元の物件の資料に目を落とす。

 

 例え相手が何であろうと、悪鬼の芽ならば摘むだけだ。

 

 

 だが……、どうしても思ってしまう。

 

 仮にそうであった場合、永近。お前は一体どうするつもりなんだ――?

 

 

 

 

 

   ※ 

 

 

 

 

 

 がしゃん、と聞きなれた音。皿が割れる音は……、ロマだった。

 

「ロマ、アンタこれ何枚目よ……。

 高い皿だってあんのよ? 一枚千円だったら、一万円は店長に返さないと」

「ごめんなさいぃぃぃい~」

「ふむ、”一枚千円”か……」

 

 と、店長が私とロマとの話しに乱入してきた。

 何かを考えるような仕草だけど、私は知ってる。あれは、大体ジョーク飛ばしたり変なことを言うときのそれだ。

 

 そして案の定。

 

「もしそうなら、トーカちゃんはこれまでの合計、六万四千円返してね」

「……!!!」

「……(あー)」

 

 ロマに顔を向けられなかった。

 

「……あ、テーブルの片付け行って来ます」

「うん。行ってらっしゃ――」

 

 そして、お客さんが帰った後のテーブルの上を一つ片付けようとしたタイミングで。

 

 からからと扉が開き――アタッシュケースを持った、二人の男が現れた。

 一人は長身で、変なヒゲと髪形。

 もう一人は白髪で、私と同じくらいか少し下っぽい。

 

「いやぁ、シックでステキじゃないか”あんていく”」

「イイ匂いです~」

「ここだね、金木研くんが働いてるお店」

 

 その放たれた言葉に、私は思わず「ぎょ」っとした顔をしたロマの口をふさいだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

『――昨年、大量の捕食被害を出したとされる”喰種”。

 20区に住まう最大の怪異、消えた”ビッグイーター”の謎。

 彼らは見た目こそヒトと同じ。しかしその食性は人間の死肉。捕食量も個体差があると言われてますが……、ビッグイーターに関しては判明しているだけで、月に二人以上が殺されていました。

 解説の小倉さん、どうぞ』

『――このビッグイーター。あ、これ私がそう呼んでるんだけどね。CCGの方でも採用してくれたらしくて、ちょっと嬉しかったかな。

 ともあれ、彼らは多くが慎重だし、月に死体はそう多く必要ないはずなんだよ。

 だから逆に考えて、太っちょか成長期の喰種というのが妥当なんじゃないかと、私は思う――』

 

 

「これ、大食いのことですよね?」

「まね。こっちでもたまーに使うよねぇビッグイーター。

 ……”大食い”は食欲の強さから、十代後半から二十代前半の喰種だとこっちは断定している。

 んでもって、『女子』」

「……? なんで女の子です?」

「被害者のほとんどが、線の細いイケメンくんばっかなんだよ。

 要するに、面食いなんだろうねぇ」

「オカマさんかもしれないですよ」

「おっと、そいつは一本とられたな。

 でもこの職20年になるけど、今のところオカマさんのとは遭遇したことないんだよなぁ。中には居るかもしれないけど」

 

 怯えるロマを上がらせて、私はメインで接客を張っていた。今日は古間さんもカヤさんも珍しく居ない。

 店長の「悪いね」に、私は首を振った。

 

「あ、すみません。アイス珈琲お代わり」

「ココアくださいです~」

「あと、このミックスサンドを……」

「あ、はーい」

 

 呼ばれたのでそちらに行き、注文表に商品名を記入。繰り返して確認してから、店長の方にオーダーを言った。

 そしてカウンター側に戻ろうとしたとき、案の定呼び止められる。

 

「店員さん、ちょっと聞きたいんだけど……」

「……何でしょうか?」

「いやぁね、ここで男の子バイトしてない? 金木くんっていう、大学生の」

 

 ちらりと店長の方を見る。店長は、わずかに頷いた。

 

「……はい、働いてます」

「そう、その彼のことなんだけど……、連絡つかない?」

「付くかどうかって……」

「あー、めんごめんご。ちょっと調べモノでね」

 

 取り出された喰種捜査官の手帳に、とりあえず驚いておく。

 

「どうも固定電話がないみたいで、大学の方から実家に連絡してもらっても反応ないし。何とかアポイントとれれば良いって感じなんだけどなぁ」

「嗚呼、実家……」

「何か知ってるのかい?」

「あ、いえいえ……」

「金木くんはいつからここでバイトを?」

「去年の十月……? くらいからだと思います」

「何か変わった様子は?」

「特には……? 元々、ちょっとした常連だったんですけど、それ以前のことはあんまり」

「なるほどね……。ん?」

 

 と、捜査官は私を何故か観察するように見る。

 そして向かいの小さいのが、私に言った。

 

「体調悪いですか?」

「へ?」

「何か、吐いた匂いするです」

 

 ……!

 

 光の灯ってない目がこちらを見てくる。

 私は、一瞬動けなくなる。

 

 それに追い討ちをかけるように、捜査官が口を開いた。

 

「……君さ、どこかで会った事ないか?」

「……わかりません」

 

 二人分の視線にさらされ、私は動けず。それでも、内心を隠しながら、出来る限りじっと相手を見つめ返し――。

 

 

 カラン、と店の扉が開かれた。

 

 

「お疲れ様です……?」

「!?」

 

 カネキだ。いつもみたいにカツラをつけて、眼帯も装備してる。

 

 捜査官が「あ、彼か」と言ったのに、私は妙な焦燥を感じた。一瞬、その時のカネキの顔に、お父さんの顔がダブって――。

 

 

「へ? あ、トーカちゃん!?」

「――ッ」

 

 

 なんとなくカネキを庇うように、猛然と走って抱きついた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 お店に入ったら、トーカちゃんが走って抱き付いてきた。

 何なんだ、この状況……。カツラは落ちないくらいの勢いだったけど、ちょっと足元がおぼつかない。

 

 そしてお店のお客さんの視線が痛い。

 

「と、トーカちゃん……」

「……! あ、ご、ごめん」

 

 何故かトーカちゃん本人も、よく分からないって反応をしていた。

 

 とりあえず引き離すと、店の奥に居た、ちょっと変わった髪形をしたヒトが、唖然としたようにこちらを見ていた。

 

「……あれ? あはは。まあ良いや。

 什造、しばらく店で待ってろよ」

「あ、はいです」

「……?」

 

 あれ、更にその奥の男の子は、なんかどっかで見覚えがあるような、ないような……?

 

 と、トーカちゃんが耳に口を近づける。

 

「(捜査官。なんか、アンタに用があるって言ってる)」

「(! うん、わかった)」

 

 言われてみると、確かに彼らは捜査官のようだ。少年の方はわからないけど、男性はバッジも付けている。

 トーカちゃんと一緒に店内に入ると、大男の方が立って、こっちに歩いてきた。

 

 CCGの手帳を見せながら、彼は微笑む。

 

「金木、研くんだよね。少し時間、貰えるかな」

「……えっと、荷物置いたり、店長に確認するくらいさせてください」

 

 一応シフトなので、と言うと、それくらいならと応じてくれた。

 

 男性は先に店の外に出る。

 

「あの、芳村さん――」

「カネキくん。制服に着替えて出なさい」

「? わかりました」

 

 言われたとおりに「あんていく」の制服を着用。

 外に出る途中、さっき男性と一緒に座っていた少年が「どもです」と挨拶して頭を下げてきた。

 

 ……やっぱり見覚えがあるけど、はて、どこでだったっけ。

 

「お待たせしました」

「うん。じゃあまず自己紹介。

 俺は篠原幸紀。CCGの上等捜査官だ」

「僕は……、言わないでも大丈夫ですかね?」

「ま、多少は調べてきたからね。金木研。上井大学二年生。成績は比較的良好と」

「あ、あはは……」

「眼帯、なんで付けてるの?」

「去年、ちょっとものもらいしちゃって。そこから落ち着かなくて、なんとなく……。必要があれば外しますけど」

「あ、いや別に良いよ」

 

 どれくらい何を調べられているのか、ちょっと心配だ。割と最近、いやここ半年は色々と動きがあるので、尾行とかされてないよな……? 一応されてても気づく事はできるから、たぶん大丈夫だろうけど。

 

「んー、にしても彼女居るってのは初耳だったかな?」

「彼女?」

「さっきの子。ほら、いきなり熱烈に抱き付いてたし――」

「いえ、あの一応違うんですが……」

「え、違うの? 彼女でもない女の子に抱きつかれてたの?」

「いや、僕の方がちょっと困惑してるというか……。友達とか、アルバイト仲間とかならわかるんですけど、そういうつもりではないですし」

「色男だねぇ。結構、女の子泣かせてるんじゃない?」

 

 ……流石にないだろう、それは。

 

 少なくとも、僕の好みのタイプはリゼさんみたいな感じなので、トーカちゃんは色々な意味で外れてる。

 もし仮に、トーカちゃんの方が……、いや、自意識過剰だろうか。自分でも悩むところだ。リオくんからも明らかに距離感が近いとは言われたけど、それが好意に端を発したものなのか、依存心から端を発したものなのかまではわからない。

 

 それに、もし本当だったとしても――。

 

「職業柄、喫茶店に寄ることも多いんだ。後で君の淹れたのも飲んでみたいね」

「あ、ありがとうございます」

「そう。……あ、これ什造、さっき一緒に居た奴のなんだけど、一つ食べるかい?」

 

 そう言って彼が取り出したのは、袋に入ったマシュマロだった。

 

「あー、えっと……、一応、お昼後なんで」

「いやいや、せっかくだから一つ」

「……頂きます」

 

 しかし何というか、もう大分「こっち」には慣れたけれど。どんなに不味くとも、人間の食事をこの「混じった」身体は吸収できるらしい。味覚上の問題はともかくだ。

 そう考えると、マシュマロは……、味のないガムみたいな、この何とも言えない感じ。パッサパッサに感じるそれは、舌の水分をとっていくような感じがする。そして広がるこの不快感だ。

 本来ならそれこそ、最近感じた「甘さ」を感じてしかるべきなんだろうけど……。

 

 普通に食べている僕を、篠原というらしい捜査官は意外そうな目で見ていた。

 

「すみません、もらっちゃって」

「……? いやいや、後で怒られるの俺だし。『僕のお菓子何あげちゃってるですかー!』って」

「なんだか、子供みたいですね……」

「まぁね。俺としちゃ、救われてるところもあんだけど……」

 

 少し遠い目をして、彼は言った。

 

「――娘が、食い殺されたんだ。昔」

 

 僕は、言葉が続けられなかった。

 

「まだまだ小さい頃でね。当時警察官だったんだけど……、もうそれから、一気に転職を決意したね。

 気が付けば現在の地位だ。がむしゃらに粘るくらいしか取り得はないんだけどな」

 

 だから、ああいう子供を見てると、なんでか助けてやりたくなんのよ。

 笑ってその話をする彼は、酷く痛ましいものに見えた。

 

 強いんですね、と返すと、強がってるだけさ、と彼は肩をすくめた。

 

「いやぁ、湿っぽい話をしちゃったね。じゃあ、確認の続きだけど……。

 去年の十月、鉄骨落下の事故に巻き込まれ、ニュースになった臓器移植者は君だね?」

 

 ……彼に対してどれくらい情報を隠すべきか、僕はまだ判断できていない。ただ、まるで自分の肌に刃が肉薄するような、そんな危機感を感じてはいた。

 それを表面上に出すことはできないものの。

 

 首肯すると、彼は質問を続けた。

 

「その臓器移植の後だけどさ――何か、変わったことはない? 例えば『食べ物を受け付けなくなった』とかさ」

「――っ」

 

 だが、流石にそれには思わず反応をしてしまった。

 このヒトは、何を探ろうとしているのだ。

 

 事故の起こった時のことを聞こうとしている訳ではないだろう。ならばリゼさん? いや、だったら僕個人について、こんなピンポイントで質問してくることは――。

 

『――研くん。気を付けなさい。このヒト(先生)は、かなり鋭いから』

 

 どちらにしても反応してしまった以上、そのまま無反応で誤魔化すことは出来ないだろう。この場合、僕が「喰種」と混じってしまったと断定されない程度に、情報を押さえられれば良い。

 最悪の場合、僕があんていくから離れれば良いだけの話だ。

 

「……一応は、食べられます」

「一応?」

「……味覚も、嗅覚も、なんか前に比べて鋭くなったと言いますか……。以前は感じなかったようなものまで感じてしまって、味が変な風になってると言いますか」

「例えばどんなのだい?」

「牛乳なら、こう、膜? 脂肪? とかの部分が強烈に感じちゃって、一瞬うぇっとなると言いますか」

「ふむ……。ちなみにさっきのマシュマロなんかは?」

「まぁ、似たような感じです。

 ……あの、ナイショにしておいてくださいね? 出来れば。皆に心配かけるといけないんで。これでも結構、頑張って気づかれないようしてるんで」

「…………なるほど。ふむ。

 病院からの薬はどうしてるんだい?」

「ちゃんと飲んでます」

 

 その後、多少雑談をして、「呼び出して悪かったね」と彼は笑った。

 でも最後に。

 

「その時の先生って、今連絡とれる?」

「病院に行けば薬はもらえるんですけど、最近先生はめっきりで……」

 

 その確認をとられたことが、酷く引っかかりを覚えた。

 

 

 店内に戻れば、少年の方が捜査官が頼んだらしいサンドウィッチを食べていて、軽く怒られていた。そのやりとりが酷く親子じみていて、見ていてなんとなく胸を締め付けられる。

 その後宣言どおり、僕の淹れた一杯を捜査官は飲んだ。

 

「ん、美味しい」

「……店長の腕が良いんですよ」

 

 去り際、店長に「また来ます」と言っていたのにも、何か引っかかりを覚える。

 

 店を後にした二人の背中を見つつ――僕は、何か「先を越される」ような焦燥感に駆られ。

 

「……?」

 

 不意に何故か、トーカちゃんが僕の頬を片方引っ張った。

 

 

 

 

 

 



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#048 寓居/潜行

ある意味激突回


 

 

 

 

 

 目を閉じれば思い返せる、昔の記憶。

 暖かな家族が居たと言う記憶。妹も私も、一緒に笑って居られた記憶。

 

 パパとママと、どっちが先につくか駆けっこして。

 

『二人は大きくなったら何になりたい?』

 

 自分のお店でお持て成ししたいと、コックさんになりたいと言うと、妹は「じゃあお客さん」と言って。なんとなくずるいと言うと、パパは楽しそうに笑って。

 

『ハハ、いいじゃないか二人仲良しで』

 

 そしてそんな言葉に、私達は決まって答えるのだ。

 

『一緒に生まれてきたから、大人になってもずっと一緒』

 

 パパとママもそうだよね、と聞くと、二人は顔を見合わせて笑うのだ。ずっとずっと、そばに居てくれると――。

 

 

「――シロ、クロ」

 

 パパ(ヽヽ)の言葉に、私の意識はこちらに呼び戻される。現在の、大人になった私の世界に。

 パパはこちらを向いて、ふっと微笑んだ。

 

「お客さんが沢山だ――おもてなしを。お上品にね?」

 

「「わかった、パパ」」

 

 二人で一緒にそう答える。答えながら、フードを被る。

 

 パパさえ居れば、大丈夫。心は安定して、揺れる事はない。もう何日も何日も繰り返した動作に、私達の心は磨耗し、慣れていた。

 だけど――。ふと、スクリーンに映る映像の一つ。

 

「……」

 

 カネキケン(お兄ちゃん)を見ると、不思議と、磨耗しているはずの心がささくれ立つ。苛立ちのような、そうでないような。この感覚は何なのか。

 

 その答えを「どうでも良い」と切り捨て、私たちは走った。

 

 

 

 

   ※

  

 

 

「……ここが例の物件か。

 なにがあるか分からんから、一応備えておけ」

 

 篠原さんの言葉に、俺達は各々、クインケの制御装置を手に取った。もっとも俺の場合はレッドエッジドライバーも装着し、いつでも起動できるように。

 足元、俺の背後を付いてくる「ガジェットモード」のアラタG3.車など固定するものがない場合は、大型の旅行カバンめいた形状になっおり、下のローラーで移動するようだった。

 

 物件に立てかけてあった名札は――「安久」。

 嫌でも、俺が過去に見た生徒のことを思い出してしまう。

 

 先行する篠原さんが、扉を引いて驚いた顔をした。

 

「……開いてる? いや開けられてるか、無用心って訳でもないだろうに、どうしたものかね?」

「暗いですー」

「確か手前の奥に地下室への入り口が……、なさそうだな。

 分かれて探そう。亜門、アキラは――」

 

 この場に来ているメンバーは総数十六人。それぞれ二人チームに分かれて、手分けして物件の調査に当たった。

 

 俺とアキラは二階。

 地図とにらめっこしている俺の横を、アキラはまるで「暗記程度はしている」と言わんばかりに、カツカツと足早に歩いた。

 

「ここは、客間だな。生活感がない」

「……いや、そうでもなさそうだ。見ろ」

「?」

 

 アキラが首を傾げるが、俺はあるものを発見した。本棚の隣にある窓、そのサッシの一部だけ、何故か埃がついていなかった。まるで誰かが指でなぞり、何かを確認した跡のようだ。

 そして、本棚にも似たような埃の跡が――。いや、それは明らかに、立てかけてあった写真を一度手に取り、また戻したといった風であった。

 

「元の持ち主のものか。……? どうした、亜門上等」

「……安久だ」

「?」

「そこに映ってる少女達だ」

「知り合い……、というには何か、懐かしんでるようだが」

「嗚呼、それは――」

 

「ジョウトー! アキラちゃーん! 地下室あったですよー!」

 

 什造の声に応じ、俺とアキラは階段を下りる。

 どうやら多少改築がされていたらしく、ワインセラーのような地下室への入り口は、少々入り組んだ入り方になっていた。

 

「広いですね~」

「だね。嘉納自身、ここはどうやって譲ってもらったものか……」

「……特等、それに亜門上等も。二人ともここの元々の持ち主のことを知っているのか?」

「……断片的に、だがな」

 

 俺と篠原さんは、口々に説明をした。

 

 元々は「スフィンクス」という貿易商の社長だった男と、その家族の家だ。彼には美しい妻と、娘二人に恵まれた。誰が見ても幸せな家族だったことだろう。

 だが事件が起きた。

 家族の幸せは、まず妻の内側を引き剥がし啜ったらしい。父親もなけなしに立ち向かうが、合えなく死んだ。……哀れなのは、その惨劇を目の前で見せ続けられた二人の娘だ。元々その喰種は、捜査官たちがマークしていたのだが、一瞬のスキに姿を消してしまい、結果悲劇は起こった。

 

「……半分も、残って居なかったらしい。二人とも」

「……酷い話だ」

「で、その後にCCGの方で引き取ったってことよ」

「復讐の螺旋、だな」

「正義の連鎖、だ」

 

 喰種被害者の子供たちは、多くがCCGに引き取られ、アカデミーに入る前から特別な訓練を受ける。そして己の境遇をかてに、何倍も何倍も深く力を付け、優秀な捜査官となる。

 そしてその研がれた爪は、必ず次に襲われるはずの誰かを救う。

 

 だからこそ、俺達はその在り方を胸を張って肯定しなければならない。そうでもしなければ……、子供たちは報われることはないのだから。

 

「安久の二人は、ちょうど亜門が担当してたんよね。何年か前に死んじゃったけど」

「死?」

「詳しくは俺にも。……生きていれば、ちょうど什造と同い年くらいか」

「はいですよ――?」

 

 と、ぐるぐると地下を回っている途中で、什造が足を止めた。

 

「どうしたん? 什造」

「ここ、何かヘンです――」

 

『――ジェ・イ・ソ・ン・13!』

 

「ちょ!?」

 

 突如クインケを起動した什造。篠原さんが止める間もなく、什造は突如壁を破壊した。

 だが、その場の全員がそれ以上言葉を続ける前に、目の前の光景に目を疑った。

 

 破壊された壁の奥の「肉の壁」――その蠢く姿に、什造は「なつかしーですね」と笑った。

 

「……24区の構造に似てるね。まさかRc細胞壁とは」

「なんです?」

「ジュウゾーくん? お前仮にも”モグラ叩き”やってたんだから……。まぁ今更か。

 簡単に言えば、赫子を使った壁だ。イメージはクインケに近いが、こっちは24区の喰種の技術。赫子に反応して自己再生、安定化してしまう。色塗っちゃえばぱっと見で判断なんかつかない上に、強度はコンクリート以上ときたもんだ。こいつのせいで24区捜索は困難なんだけど……」

「……例の『嘉納』の仕業だとすると、一体どれほどの技術を持っている?」

「……何にしても先を急ごう。篠原さん」

「わかってるよ亜門。

 さっきから俺も、どうにも嫌な感じがしてんのよねぇ」

 

 内部の通路は、ますます24区めいている。円筒状の通路が複数の分岐を持つ構造は、明らかに迷路のようであった。そして壁一つとっても、年季が違う。……ここは、つい最近できたような場所ではあるまい。

 

「なんか、お化けでも出てきどうですよね」

「おいおい、喰種追いかけにきといてそれは……」

 

 後方の捜査官たちの雑談の通り、この何ともいえない薄暗さはそういったものを想起させる。

 

 そんな時、背後から悲鳴が上がった。

 

「――はぷっ、も、も、も」

「う、うああああああああ!?」

「車谷!?」

 

 とっさに背後を振り返れば、捜査官の一人に、巨漢……? 酷く形容が難しい。不自然に全身が膨れ上がった人間と言えばいいか。そんな存在が、彼を喰らおうと動いていた。

 側溝のような水たまりの中から現れたそれに、対応できなかったのだろう。

 

「私がやろう。後ろに反ってくれ――」

『――アマツ!』

 

 とっさにアキラがクインケを起動し、その巨体の胸を腕を切断した。

 命からがらにその場から逃れる車谷さん。だが、その腕の切断面から、赫子としか言いようのないものが噴出し、巨体自身を喰らい始めた。

 

「……見ろ」

「!?」

 

 そして視界の先、無数の似たような何かが、ズタズタにされて殺されていた。

 

「……ひょっとして、これが実験の成果?」

「失敗作じゃないかな。流石にこれじゃ」

「スモウレスラーです」

「こら、国技に失礼!」

 

 什造をたしなめる篠原さん。俺の中に、ちらちらとうつろう嫌な予感が加速していた。

 

 ――篠原さん曰く、金木 研への移植はおそらく「成功」している。しかし喰種にはなり得てはいない可能性が高いだろう。

 後日Rcゲートを何とかして潜らせるつもりらしいが、十中八九問題はないだろうと予想していた。だからこそむしろ、その金木研を放置している嘉納が気になると言っていた。

 

 

 そしてたどり着いた広間のような場所で、俺達は目を見張った。

 

 

「アオギリか? 何故ここに――?」

 

 状況が読めなかった。なぜならば、アオギリの喰種と”美食家”が戦っていたからだ。

 美食家と戦っているのは、Sレート「ナキ」に――”黒”ラビット? ラビットはアオギリの喰種なのか? 

 

 何故それと美食家が戦っているのか。一見して状況は読めず、俺は混乱した。

 

 だが、篠原さんはこういう場でも安定している。

 

「――総員、クインケ展開!」

 

 複数のクインケ起動音に合わせ、俺もクラとアラタG3を起動させた。展開するクラと、飛来してアーマーのように変形するアラタ。

 

『……チッ、おいキザヤロー、力貸せ!』

「共闘戦線かい?」

『呉越ドウシューだ、ろ! ナキ、捜査官からやるぞ――!』

「あ、アメリカやらねーのか!?」

「アメリカは止めたまえ、僕は美食家だ!」

 

 黒ラビットの射撃に、俺が一歩前線に出る。篠原さんの使っている「アラタ2号」に比べ、こちらの方が消耗が少ないというのも理由の一つだ。

 全身とクラでそれを受けていると、背後から什造が軽業師のごとく飛ぶ。

 

『――ジェ・イ・ソ・ン・13!』

「あ、アニキ!?」

 

 怒りもあるだろうに、アキラは状況を見て冷静に動いていた。

 俺は什造と連携して、黒ラビットを追い詰める。俺の左側の薙ぎを右側に避けた瞬間、什造が追撃。しかし赫子をマントのように身にまとい、奴はその攻撃を防いだ。

 

 そこに割り込む美食家。

 

「ふぅん、また会ったねボーイ・ガトー!」

「あ、うんこです」

「うんこは止したまえッ!!!」

 

 喰種ながら、ふと相手に同情心が沸いた。美食家とナキが什造に当たる。

 

 俺は奥の扉を見て、わずかに歯がゆさを覚えた。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 安久邸。郊外に位置するその広い建物を、嘉納は安価で入手したらしい。

 安久クロナを名乗った彼女は、僕を「待っている」と言った。その時点で裏づけもなく、十中八九この場所に居るのだろうと僕は判断していた。

 

 月山さんがチエさんに頼んでとってもらった裏づけからして、間違えなくここは彼女たちがかつて住んでいた場所なのだろう。客間にあった写真に映る、幸せそうに笑う二人の少女に、どうしてか僕は胸が痛んだ。

 この感情豊かな表情が、ああも無感情になるには、一体何があったのだろうかと――。

 

 地下室を通過し、僕のような実験体たちと戦い。……もはや人間としての意識さえ保てて居ない、スクラッパーにさえなれなかったろう彼らを、僕は「殺した」。

 もうそうするしか、他になかった。まるで「お前もこうなっていたかもしれない」と見せ付けられているような、そんな暗い感情もあったかもしれない。でも、それ以上に彼らが回復することはできないことも、なんとなく僕には理解できていた。

 そんなもの、出来るなら僕だって人間に戻っているはずなのだから。

 

 クインケドライバーの量産型のようなものを、彼らは付けている事もなかった。彼らとスクラッパーとの大きな違い、赫子を出すか出さないかという点から見ても、これは大きな違いかもしれない。

 

「……嘉納のヤロー、一体何をやってやがんだ? 気味の悪い壁に、レストランで邪魔してきた――」

「ムッシュ、何やら先客のようだ」

 

 そして、広間のような場所に移った瞬間、その場には複数、アオギリの喰種が居た。

 

「あ、眼帯!

 マッドサイエンストは俺らがいただくぜ」

「グゲ」「ガギ」

「マッドサイエンティスト、ね」

 

「――! エト、さん」

 

 その場には、エトまで居た。ニコは言っていた。隻眼の王は彼女かもしれない、と――。

 

「眼帯野ヤロオオオオオオオオ――!」

「ッ、変身!」『――鱗・赫ゥ!』

 

 変身しながら、マスクを持った”手”でナキの蹴りをいなしつつ、僕は姿を変える。 

 

 そうしている最中、エトが向こうの扉まで一人、走っていくのが見えた。

 

「っ、月山さん、バンジョーさん――」

Yes,my lord(おまかせあれ)

「あ、ガギ、グゲ!」

「行かせるかよ!」

 

 後方を任せつつ、僕はエトを追って走り出し――。

 

 そんな僕の目の前に、黒いウサギのマスクを付けた喰種が降り立った。

 赫子をマントのように翻したその姿。見間違えようもない。

 

「アヤトくん」

「……ケッ」

 

 今年の三月のある日。いつの間にかトーカちゃんの家から居なくなっていたアヤトくん。その後、彼女を庇うように捜査官殺しを続けているところから見るに、やっぱりそのやり方は不器用極まりない。

 彼は毒づきながらも、顔を背けて、そのまま動くことはなかった。

 

 行っても良い、ということだろうか。

 

「……言いたい事も、言わなきゃいけないことも、場合によっては戦わなきゃならない理由もあるけど、これだけは先に言っておく」

「……」

「死なないでね」

「……アホトーカみたいなこと言いやがって」

 

 毒づくアヤトくんの横を、僕は走り抜けた。

 

 道はさっきまでは複雑そのものだった。でも、今僕が走っている場所は一本道だ。ついに目的地まで場所が絞られたと見るべきだろうか。あるいは、そう錯覚させられているということだろうか。

 とにかく、嘉納を探し出さなければ。

 アオギリが嘉納を狙ってる理由……、リゼさんを追いまわしている理由。奴らが欲しがっているのは、技術か?

 

 人間を喰種に変える。そんなもの、使って平穏な方法があるとは到底思えない。だとすればリゼさんは何故だ?

 

 どちらにしても、彼も彼女も渡すわけにはいかない。

 

 

 通路を抜けて、暗い場所に出た。ほのかに灯る明かりの先、下から照らされた円筒が見える。

 

 それを遠めに見た時――。僕は、呆然とするしかなかった。

 

 

「リゼ……、さん?」

 

 

 円筒状のそれに、両腕両足を拘束された女性。僕と同年代くらいに見える、髪の毛の長い彼女。眼鏡も何もないけど、はっきりわかる。

 見上げた顔は、焦点が定まって居ないが間違えない。

 

 本当に、生きてたのか――。

 

 

 一歩、二歩とゆらゆらと歩きながら、彼女の方へ向かう僕。

 その両手が、突然両側から「絡め取られた」。

 

 指と指の間に指をからませ、握るそれはたまーにトーカちゃんがしてくるそれと同じで。

 

 冷たいその感触に、動揺しながら両側を見た。

 

 

「来てくれた――」

「待ってたよ――」

 

「「お兄ちゃん」」

 

 

「……クロナちゃんに、ナシロちゃん?」

 

 

 

 僕に呼ばれて、クロを名乗っていた彼女は特に何も反応せず。

 シロを名乗っていた彼女は、何故それを知ってるのかというように目を見開いた。

 

 

 

 

 




シロ「・・・」(お姉ちゃん、ひょっとして教えたの? という視線)
クロ「・・・」(目を合わせない)
カネキ「・・・」(双方の顔を見比べて、リアクションに困っている)


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#049 上弦/混成/先達

トーカちゃん激おこ確定回(匂いで分かる的な意味で)


 

 

 

 

「…………でも触ったらだめ」

 

 リゼさんの方へ歩き出そうとする僕の両側に腕をからめ、進むのを妨害しながら彼女たちは言う。

 

「――私達のママなんだから」 

 

 それが血縁上の話をしていないのは、言わずとも明らかだ。リゼさんの赫子を元に作られただろうという推測は、おおむね間違ってはいなかった。それどころか真実だったのだ。

 そして、おそらく道中で戦った実験体たちも――。

 

 腕を振ると、二人は同時に前方に飛び上がり、リゼさんを庇うように立つ。

 お互いに、対になるような赫眼がこちらを見る。

 

 僕は一度、ドライバーを落として赫子を背中から出現させ、彼女たちの目を見た。

 

 どうしてか、そこまで敵対心を抱けなかった理由が、うっすらと、なんとなくわかったような気がした。

 

「……君達がどんな不幸を味わって、今そこに居るのかはわからない。

 外部の人間が何をどう知っていたところで、それが本人たちの心の中で、どう受け止められるかが分からないのだから」

「……?」「何?」

「でも、だから言うよ――リゼさんは『ママじゃない』」

 

 元は人間だったはずの彼女達の目に、僕が感じたものは。

 只ひたすらに、家族に対する飢えだった。

 

「嘉納先生は『パパじゃない』」

 

 重ねる僕の言葉に、二人の表情が固まる。

 

 それでも、僕は続けなければならない。彼女たちに言い聞かせるように。自分に言い聞かせるように。

 

「……置き換えるなんて、誰にも、自分自身にさえ出来ないんだ。失われてしまったのなら、残ってしまった傷痕があるなら――誰かに縋ってるだけじゃ駄目なんだ」

 

 例えばそれは、リゼさんのように。自分の中にある母親を、彼女に押し付け続けるのは駄目なのだと理解しているから。だからこそ、僕は今の僕のようになってしまったのだから。

 あるいはそれは、トーカちゃんのように。父親の影を僕に見続けてしまうだけなのなら、いつかはそれを断ち切らせなければならないと。あの日、アラタさんから言われた言葉が、僕には大きく圧し掛かっているのだから。

 

 受け入れ続けるだけが、受け入れてもらい続けるだけが、優しさではないのだから。

 

 だから、僕は彼女を助けないといけない。少なくとも、その命で悲劇が増えるのならば。どうやって彼女と人間との距離をとるべきかは、きちんと考えないといけないけれど。

 

「……うるさい」

 

 二人は顔を下に向け、拳を振るわせる。

 クロナちゃんの苛立った言葉を受けても、僕は話すのを止めない。無感情な彼女の言葉に、わずかに熱が宿っていることに、僕は気づいていなかった。

 

 誰かに縋っているだけじゃ、縋られているだけでは駄目なんだ。

 だから、僕は誰かに返そう。世界が閉じないように――誰かに手を伸ばそう。

 

 例えそれが、拳を向けあう相手であったとしてもだ。

 

 

「君たちは――本当にそれで良いの?」

 

 

「――じゃなかったら」「何だって言うのよ――!」

 

 

 二人が、僕の言葉に赫子を出した。ここまで落ち着いていた二人の感情が一気に爆発した。

 さっきまでの冷静な視線が、まるで人間でも殺せそうなくらいに強い睨みに変わっていた。

 

 こちらに近寄る二人からは、怒気が起こっている。

 

 

「私達は――」「私達しか残ってないんだ――」「シロが居る――」「クロが居る――」

「「パパがみんな愛してくれる! 復讐する相手も教えてくれる!」」

 

「……」

 

 

 リゼさんの声さえ、もう聞こえない。ひょっとしたら「リゼさん本人」を見てしまった以上、もう僕の中には居なくなってしまったのかもしれない。

 だけれど、なんとなく彼女の声があったら、滑稽だと笑われていたことだろう。

 ただ、それで揺らぐわけにはいかない。

 

 僕の言葉が届いたか届いていないか。どちらにせよ――この場でリゼさんを助けないと言う選択は、僕には出来ないのだから。

 

「いくよ――ッ」

「!」「!」

 

 僕から先制されるとは思ってもみなかったのだろう。二人はそろって、防戦に回る。赫子の”手”が彼女たちに向かうのを、自身の赫子で防御する二人。それに対して、僕は瞬間的にドライバーのダイヤルを回した。

 

『――尾・赫!』

 

 ”手”を形成していた赫子が分解される前に、形成途中の尾赫を振るう。長さが本来なら足りないけど、この距離ならばそんなもの関係ない。わずかにヤモリの赫子のような色を帯びた尾赫で、彼女たちの鱗赫を引っかいた。

 

 タタラは言った。冷たく、鋭くなくてはいけないと。確かにそれも一理ある。だがこの場合、僕の目的は確実に違った。無力化できるならそれに越した事はないのだ。

 舌打ちでもしそうな二人がこちらに遅い来る前に、僕は赫子で地面をはじく。ソニックブームには流石に二人も後退。

 

 状況を見ながら、僕はドライバーに指を引っ掛ける。

 

 

「厄介……」

 

 

 冷静さをかなぐり捨てた二人は、今にも叫びそうな表情のままこちらに飛び掛り――。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ひゃっはぁ!」

『くっ』

 

 両手持ちのクラをまとめて蹴り飛ばし、赫子でさらに遠くに弾く眼前の喰種。Sレートのナキ……、13区ジェイソンに次ぐだけはあるのか――。

 

「ママにお電話かァ? ノッポ野郎がァ!

 スキャリ!」

 

 そう言うと、ナキはアラタの間接部、右肩を狙ってきた。交しきれず、俺はそこに赫子を一撃喰らう。と同時に右手に持っていたクラが一瞬ゆるみ、そこをナキが蹴り飛ばした。 

 

「『くいんけ』持ってても腕二本だからな! 赫子の方が優秀ー!」

 

『――リコンストラクション!

 アマツ・フルツイスター!」

 

 

 振り下ろされた赫子を、アキラのアマツが弾く。弾くだけではない。アキラは体操選手のごとく、その場で回転しながら何度もアマツを振るう。

 ナキを弾いた直後も、何度も何度もムチのように振るい、そしてナキ自身を巻き付けた。

 

「ぶっとべ」

「んあ――!?」

 

 そして引き上げ、空中に投げる。 

 

「Sレートの『ナキ』。貴様確か甲赫だったな。

 生憎持ち合わせは尾赫と甲赫しかないが――十分だろう」

『――リコンストラクション!

 アマツ・フルスティング!』

 

 そして空中のナキに、持ち手を逆に構えたクインケから、槍のごとく射出される赫子。

 

 そのまま勢い良く延長し、ナキの胸部を貫いた。

 

「おむね痛ェ!」

「全く世話のやけるムッシュだね――!」

 

「!」

 

 だがアキラが引き抜くより早く、その延長したクインケの刃を、美食家が切断した。Rc細胞の量の問題か、リコンストラクション直後の強度的な問題か。アマツの甲赫側は、いとも簡単に折られてしまった。

 

「ほぅ、クインケを破壊するか……。む? いかんな。制御装置がイカれてしまったか」

『アマツ! アマt、アマt、ア――』

「見事な赫子だ。是非とも欲しかったが仕方あるまい」

 

「あんがと、お前、いいやつだな!

 んのアマ――」

「ムッシュ!」

「うぉあ!?」

 

 什造が美食家とナキに一撃。が、これはかなり綺麗に赫子で受け流されてしまった。相性が良いはずの甲赫相手だが、伊達に法寺さんや富良さんが追いかけ続けている訳ではないということか。

 

「だいじょうぶですマドちゃん?」

「アニキ、なんで俺を殺そうとするんだ……?」

「落ち着きたまえムッシュ? クインケに魂は宿らないさ――」

「あ゛に゛き゛――――ッ!」

「やれやれ、ピュアだねぇ君は」

 

『済まんアキラ、この借りは返す!』

「次回の休み、私の日程に合わせろ。それでチャラだ」

『?』

「……冗談だ。是非ともこの場で返してくれ」

『応――!』

 

 苦笑いしながら、アキラはQバレットのショットガンに持ち替える。

 美食家に一歩踏み込み、俺はクラを一度合体させた。両手持ちでなくとも、今のアラタ装備状態ならば片手で充分だ。

 

 篠原さんはラビットの相手に苦戦している。この場で最も最適な方法は――。

 

「什造! お前だけでも先行できるか?」

「テキトーに中入っていいならいくらでもですー」

「コイツらが足止めの可能性も高い。とするなら、目的は――」

「喰種殺して良いならいくですよー!」

「……あ、おいコラ!」

 

 中途半端の指示のまま、什造は勝手に走り、奥の扉目掛けて行った。

 

 思わず頭を抱えたくなるが、こちらもそういった余裕はない。

 

『くたばれオッサン!』

「アオギリの幹部か……。若いがそれに見合うだけの実力もある」

 

 篠原さんは、黒ラビットの動きをオニヤマダで牽制し続けている。だがそれも、押され方が激しくなりつつあった。射撃される赫子に防戦一方という篠原さん。

 だがそれを一度交し、オニヤマダを地面に突き刺した。

 

「やるね君。こりゃこっちも、出し惜しみするのは無理そうだ……」

 

 レッドエッジドライバーを腰に巻くと、篠原さんは制御装置のスイッチを入れる――。

 

 入り口のあたりに放置されていたクインケのアタッシュが展開し、狼のような、犬のような姿に変形し、突撃。ラビットの赫子のマントに齧りつく。

 

『……!? 何だコイツ、妙にやり難いような――』

「そりゃ、甲赫だからね。

 ――篠原、変身!」

 

『――アラタ2号(ニゴウ)! リンクアップ!』

 

 レッドエッジドライバーのハンドルを閉じると、変形していたクインケが解け、篠原さんの全身を覆う。主に上半身に集中しているのは、アラタ1号、2号の特徴だった。

 

 ラビットが息を呑む音が聞こえる。と同時に、赫子が再び射出された。

 

 オニヤマダとアラタで受ける篠原さん。先ほどにくらべ、一歩、一歩と前進することが出来ている。

 

「鬼神のごとしだね。だが、大人を舐めるんじゃないよ――!」

『――アラタ2号! ライドパワー・チャージ』

 

 制御装置が光を放ち、同時にアラタの首元、手先のアーマーが赤く輝く。次の瞬間、ラビットの射撃を篠原さんが押し切った。

 俺のG3にも劣化バージョンが搭載されている、ライドチャージ機能だ。それぞれ1号が「ライドスキル」、2号が「ライドパワー」となっており、オーバードライブさせずとも一時的に能力を底上げする機構だ。

 どうやら2号の場合は、文字通りパワーが強化されるらしい。

 

 

「ナキに美食家……。全く、一体何なんだコイツらは――」

「どうなっているんだ、この状況」

 

 アキラの愚痴に賛同しつつ、俺はクラを振るい――。

 

 

 

   ※

  

 

 

『――尾・赫! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

「ふん――ッ!」

 

 飛び上がり、膨張した尾赫を高く上げた右足の踵に沿わせ、刃のように。

 

 そのまま叫びながら、僕は二人めがけて足を振り下ろす――。鉞か鎌のように拡大したその一撃を、二人はそろって赫子を構えて防御した。

 でも、相性の問題もあってか間に合いはしない。

 

 鱗赫が中ほどで切断され、ナシロちゃんもクロナちゃんも後退。それでもリゼさんの元まで行かないのは、もはや意地か。

 お互いに支えあいながら、僕を見つつ二人は言葉を交した。

  

「……クロ、試すしかない」

「……シロ、仕方ないけど」

 

「?」

 

 疑問に思う僕を前に、二人は何かを取り出した。 

 

 それは以前、タロちゃんと呼ばれていたスクラッパーが付けていたようなものであり、僕のドライバーとはいくらかデザインが省略されたものであり――同時に、本来レバーがあるべきところが、ダイヤルのようになっていたクインケドライバーだった。

 

 驚いている僕を前に、二人はそれを腰に装着し。

 

 

「変――」「――身」

『――ブレイドモード』

 

 

 そんな音声と共に、二人の全身が変化する。まるで剣道着のような姿だ。もっとも二人とも、色合いや露出している片手までは変化していない。

 あれは、量産型のドライバーか? いや、違う。レバーそのものの機構があちらにはなかったはずだ。とすれば嘉納が作ったというのか?

 

 変化は続く。彼女たちの背中から出たリゼさんの赫子が、まるで竹刀のように姿を変化させる。 

 

 それを二人は、そろって文字通り剣道のように構えた。 

 

「――ッ」

「!」

 

 先行したのはクロナちゃんだった。

 

 まるで「そうする事の方が慣れているかのように」、彼女は僕の胴を凪ぐ。剣道か、いやもっと実戦慣れしているようにさえ感じるのは何故だ?

 そして追撃してくるナシロちゃん。この連携も、双子だとかそういう次元ではなく、気味が悪いくらいにそろった動作で、何かを思い出す。 

 

 そう、まるでこれは捜査官がクインケを使っている時のような――。

 

「いや、そうか」

 

 武器にしてしまえば、そこに動作上の差異はないのだ。言うなれば彼女たちは、変身している状態でクインケを振るっているようなものなのだ。赫子による追撃こそ来ないけど、しかし赫子を扱う以上に武器として使うそれは、彼女たちにとっては馴染み深いものなのだろう。動きにさっきまでの、感情的な乱れがない。

 

 分が悪い――。武術も何も、僕は基本的に本で読んで実験しているにすぎない。月山さんがトレーニングに付き合ってくれても、お互いそれは喰種として、という前提からは逃れられない。このように「純粋な武術」として振るわれると、慣れた技術として振るわれると、どうしても行動の予測にラグが生じる。

 

「お兄ちゃん――」

 

 そして、変身により能力がいくらか底上げされた二人は、そのスキを見逃してくれるような相手ではない。

 

「「――ほっぺにキスしてあげるから、動かないで!」」

「!」

『―ー鱗・赫ゥ!』

 

 突発的に変なことを言ってくるのも、こっちの動揺を誘うためか。

 その言葉に同様したというよりは、場違いな台詞に思考が一瞬詰まったというのが正解だろう。二人そろってこちらの胸の中央目掛けて振るわれる赫子に、僕はとっさに”手”を出して応戦した。

 

 でも、身を守るのが精一杯というところか。

 

 弾き飛ばされ、そしてその途中、クロナちゃんがベルトのレバーを「無理やり」蹴り上げた。本来ならその程度で戻らないのだけれど、受けたダメージの大きさのせいだろうか。

 いとも簡単にレバーは上がり、変身解除させられながら僕はその場に転がった。

 

 壁に背を預けながら、見下ろす二人を僕は見上げる。マスクはご丁寧に赫子が外しているあたり、まだ僕の中のリゼさんは完全に消えてはいないということだろうか――?

 

「……ッ、そういえば、CCGに引き取られてたんだっけ。ならその動きも納得、だね」

「……お兄ちゃんのえっち」

「な、何で?」

「女の子の過去を無遠慮に探るものじゃない」「じゃない」

 

 言いながらも、本当に二人は僕の両側に座り……。いやいや、本当に、両頬にキスしてくるのはどういう心境だというのだろうか。

 ナシロちゃんは本当に軽く。

 クロナちゃんは……あれ、なんか吸われてる?

 

「まさか本当にするとは」

「……一応、約束?」「約束は守る。……(言いだしっぺお姉ちゃんだけど)」

 

 何か小声でつぶやいたような気がしたけど、細かくは耳に入ってこなかったので、ここは流した方が良いだろうか。……いや、二人そろって照れるならやらなくて良いだろうに。本当、余裕あるな。緊張感がそがれる。それも含めて相手の作戦だとしたら、完全に恐れ入った。

 

 そして、そんなタイミングだった――。

 

 

 

「――()ッ!」

 

 

 

 

 この場所の天井が、そんな叫びと共に破壊されたのは。

  

 

 

  

  




カネキの尾赫必殺は、ギルスあたりを想像してもらえると分かりやすいです。
 
 
・量産型ドライバー+(プラス):本来のクインケドライバーとは違い、純粋に変身者の能力を底上げするために嘉納が量産型ドライバーを改造したもの。装着時の痛みはない。「ブレイドモード」「ブラスターモード」「ライドモード」「バーストモード(必殺技)」の四種類にモードが分類、固定されている。
 二桁作ったのに使えるのがクロシロしかいなくて、ちょっと寂しい。
 
・ライドチャージ:アラタシリーズに搭載された「リビルド」機能の拡張バージョン。2号はライドパワーでパワー増強、1号はライドスキルでスピード増強。そしてG3は・・・?
 

 


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#050 下弦/深層/未知

今回のトーカちゃん台詞に心当たりがないお方は、Uc"J"を後ろから見ていくと早いかと思います


 

 

 

 

 

 霧散した煙と共に現れたのは、見覚えのある長髪、ヒゲ、筋肉の鎧を持つ巨体。今回は和服を纏い、僕と、クロナちゃん達の方を一瞥した。

 

(ふん)。また会ったな――金木 研!!」

「鯱、さん――」

 

 アオギリの樹が来ていた時点で、彼の存在が気にならなかった訳ではなかった。けれど、ひょっとしたら僕らとは別な道筋を辿ってここまで来たのかもしれない。

 そして僕の両側の二人は立ち上がり、鯱さんに赫子の竹刀を向けた。

 

ヒト混ざり(ヽヽヽヽヽ)が……、どれも愚娘の匂いをさせおって。

 ――蛇意ッ!」

「「!?」」

 

 深く踏み込んだ鯱。そのなぎ払うような赫子を、竹刀のようなそれで受けた二人。でもあまりの威力に、二人そろって弾き飛ばされた。 

 鯱さんは僕を見下ろす。

 

「お前は――の娘が持って来いと言っておったな。カネキ ケン」

「……どうして、僕の名前を――」

「リゼが話していた」

 

 その言葉に、僕の脳裏で果てしない違和感が付きまとう。何故リゼさんが話していた、と? 彼女が僕と出会ったのは、明らかに鯱さんがつかまってからだ。だとすれば、僕らにはそれ以前に面識があったということだろうか……?

 いや、それはないはずだけれども、でも――。

 

 ――研くん?

 

 僕の中に聞こえた彼女の声は、常に僕をその呼び名で呼んでいたリゼさん。

 どうしてか、その声がわずかに記憶の底に引っかかる。まるで高校時代に、ほんの少しだけ交友のあった彼女のように――。いや、川上さんは死んだんだ。それに彼女は人間だったはずだ。重なる方がおかしい。

 

 でも、だとすれば一体……?

 

 混乱する僕を一瞥し、鯱さんは前方、捕らえられたリゼさんの方に向き直る。

 そしてそこには、再び武器を構えた二人の姿。

 

(しッ)――」

 

 拘束されたリゼさんに向かう鯱。対するクロナちゃんとシロナちゃんは、一列になり役割を分けたようだ。前方のクロナちゃんが受け、弾き飛ばされ。それを踏み台に斬りかかるシロナちゃん。

 

猪口才(ちょこざい)! ――(かい)ッ!」

「はあああ――!」

 

 斬りかかる彼女のそれを、赫子の刃を「肉体で」直接受け、流し、蹴りを彼女の腹に見舞う。ドライバーが破損したのか、ナシロちゃんはその場で変身が解け、転がった。鯱さんの足元にはじけ飛ぶドライバー。

 クロナちゃんが驚き、彼女の方へ駆ける。鯱さんは距離をとり、それには手を出さなかった。 

 

 

 今、ようやくわかった。鯱さんの目的はリゼさんだ。彼女さえ救出できればという発想で、おそらく動いているのだろう。

 詳しいことは知らない。でも、あの口ぶりからして……ひょっとしたら鯱さんは、リゼさんの引き取り手か何かだったのかもしれない。

 

 

「ヒト混じりの双子よ。その程度で『アオギリ』から逃れようなど、超 笑止!!

 その仮初の”資格”、砕いてくれる」

 

 足元のナシロちゃんのドライバーを踏み砕き、鯱さんは一歩一歩、クロナちゃんの方に足を進める。

 ナシロちゃんを庇いながら、クロナちゃんはなおもドライバーのレバーを動かした。

 

 

『――バーストモード』

「はあああああ――!」

 

 解けた赫子が右足に集中し、彼女はそれを持って飛び上がり、回し蹴り。

 しかし鯱さんは、それもはやり「素手で」受け流し、彼女の腹部目掛けて腕を構える。その一撃は、おそらく決まれば彼女の腹部ごとベルトを粉砕するものだろう。喰種の再生力を考えれば、その程度どうということはないかもしれない。ないかもしれないけれども――。

 

『――鱗・赫ゥ!』

「!」 

 

 僕は咄嗟に変身しながら、鯱さんに赫子を向けた。一瞬のことに反応が遅れ、しかしそれでもなお対応した鯱さん。無理やり腕の軌道をそらした上で、クロナちゃんをこちらに投げてきた。

 彼女を僕は”手”で受けながら、残りの”手”も使いナシロちゃんも回収して、鯱さんから距離をとる。

 

 お互い、にらみ合う僕ら。

 

「おにい、ちゃん?」

「……何故邪魔をした」

「……何度も、ドライバーを使ってる僕だからわかります。ドライバーを使い終えた後の喰種は、かなり消耗する。それこそ、何も食べないと再生が追いつかないくらいに」

 

 無理やり身体の外に赫子を放出し、あまつさえ機械制御的に身体に纏わせ、能力の底上げを行うのだ。この行動事態「外科的に」赫子が多くでもない限りは、オーバーワークなことの変わりないだろう。

 

「あの調子で戦っていたら、この子は死んでいました」

「無力!」

 

 鯱さんは、こちらを見据えて言った。

 

「されど、助ける理由はないはずだ。貴様はリゼを探しにここまで来たはず。

 敵である相手に情けをかける理由があるのか?」

「……見捨てることだけは、できないから」

 

 鯱さんの言葉に、僕は明確な回答を持っては答えられなかった。ただ、決めていることがあるだけで、それ以上のものはないのだから。

 

 フン、と鼻を鳴らし、鯱さんは「構えた」。

 

「少し拳を合わせろ、(わっぱ)。――時間がまだ(ヽヽ)ある」

「……」

 

 ドライバーに指をかけて、僕は思い起こす。

 

 鯱さんの尾赫に対抗する術を、僕は多く持たない。赫子以上に優れた身体能力と鍛え抜かれた武術がモノをいう以上、こちらの手は彼に届くことはないだろう。

 その差を埋めるために、僕は彼の戦い方を理解しようとした。

 そして、埋めなければならないものがもう一つ――。

 

 リゼさんの赫子は、鯱さんの赫子と相性が悪い。

 であるならば、当然戦うなら、その差を埋めるには――ドライバーを羽赫に切り替えなければならない。

 

 でも、果たしてそれが出来るのだろうか。以前一度だけ、練習で出現させたことがあった。あの時はあまりに小さく、同時に長時間の維持を出来なかった。アオギリの喰種の赫胞をいくつか奪いはしたけど、それさえ甲赫や鱗赫より総数は圧倒的に少ないのだ。

 

 でも、やるしかない――。

 

 意を決してダイヤルを回し、僕はドライバーのレバーを落とした。

 

 

『――()(カク)ッ!』

 

 

 背部から出現したそれは、トーカちゃんの赫子を細く、短くしたようなそれだ。とてもじゃないが射撃をするには適して居ない。一緒に感じる、この、身体の内部に「何か」が流れ込むような感覚。

 そして、維持するのが難しいせいか地面に向けて垂れる。まるでマフラーか何かのようになっているそれを見て、僕は肩をすくめた。

 

 

「……少しの間なら、ですかね」

「憤ッ!」

 

 

 踏み込む鯱さんに対し、僕は「軽く」飛び上がったつもりだった。

 でも――発揮された結果は、僕としては予想通りにしても、相手からすればのものだったはずだ。明らかに鯱さんの動きよりも素早く僕は飛び上がり、彼の背後に降り立った。

 

()?」

「――ッ!」

 

 赫子の維持が難しい代わりに、羽赫状態の僕は身体の動きが、反応が通常時とは比較にならないほど速くなっている。言うなれば「身体の中で」赫子が蠢いてるような、そんな感覚さえあるくらいだ。

 結果、何が起こるのかといえば――こと赫子の相性と、反応速度の一点だけ彼を上回ることが出来ていた。

 その代わり、この状態の消耗は酷く激しい。ひょっとしなくてもトーカちゃん以上に。

 

 そして反応速度に認識が追いつかず、頭の中がシェイクされるような痛みも感じていた。 

 

「はあああああッ!」

 

 それでも僕は、鯱さんの腹に一撃、蹴りを入れる。部屋の端から反対の端まで、かなりの速度で駆けた一撃だ。赫子を伴ったそれでなくとも、決して軽いはずはない。

 そしてこの動きは、あの時、僕をぶっ飛ばした鯱さんのそれだった。

 

「小癪――!」

 

 だけど、明らかに鯱さんは手を抜いている。僕の攻撃に攻める動きを見せず、ひたすらに受けているだけだ。

 だというのに、何だこれは、どんなデタラメな身体をしているんだ――その身体は全く傷つく素振りさえ見せない。時折かする赫子の箇所だけには切り傷が入るけど、打撃程度では全く応えた様子がなかった。

 

 そして、鯱の拳が僕の腹をえぐるように殴り――。

 

 

「「ッ!」」

 

 

 弾き飛ばされた先で、どうしてかクロナちゃん達二人が赫子で僕を捕まえ、壁に叩きつけられる前に引いた。

 

「……ッ」

 

 腹部に痛みが走る。見れば、ドライバーの表面、バックルの中心にかけてヒビが入っていた。背部は既に元通りになっている。

 アラタさんのドライバー ――トーカちゃんから「大事に使って」と言われて、渡されたドライバーだ。なのに、傷を付けてしまった。

 その箇所を押さえながら、僕は鯱さんを見る。

 鯱さんは、僕を見ていなかった。リゼさんの方より上、その視線の先に、つられて僕も目が行く――。

 

 

「――できればゆっくり話したいものだ。珈琲でも飲みながらね?

 クロやシロと仲良くしてもらっているね? カネキくん」

 

 その場に歩いてきたのは――白衣を纏った初老の男性は。

 

「「パパ?」」

 

 下からの光に照らされたその顔は、間違いなく嘉納先生だった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ここまで来たということは、今更色々言う必要もないだろうね。半年前には既に察していた様だが……。

 嗚呼、安心しなさい。実際問題、君と『リゼちゃん』との相性は無問題のようだ。クロやシロのように拒絶反応(リジェクション)が起こる気配が全くない。ドライバーを手渡さなかったのはそれが理由だ」

 

 沢山作ってもらったのに、勿体無い。嘉納先生はそんなことをつぶやきながら、クロナちゃん達を一瞥し、微笑んだ。

 

「ヒトの身からよくぞそこまでたどり着いた――赫者に至るには、まだ足りないものも多そうだがね」

「ッ」

「何故知っているのか、と言えば君の診断の際、血液を微量にとってるからだよ。血中のRc細胞値で、多少は分かる。これでも元『あちら側』所属だからね」

 

 嘉納先生は、楽しそうに、酷く楽しそうに僕に話して聞かせる。鯱さんは何も言わず、腕を組んでいる。

 

「よくぞそこまで、己が足で道を歩いてきた。

 ……クロやシロのように、感情を殺すことで力を制御しようと試みたのは、ある意味では失敗だったようだね。さっきの戦いを見ていれば、よく分かる」

「「へ?」」

「人間としての食性をある程度保ちながら、リジェクションを起こさずクインケドライバーをも使いこなす。そして何より――『赫子に飲まれていない』。

 君こそまさに、私の研究の集大成だ。カネキくん」

 

 嘉納先生の研究のことなど、僕は知らない。

 

 だがだからこそ、僕は聞かなければいけない。

 

「一体何のために……、何のために、僕のような存在を?」

「……前に聞いた言葉を、覚えてくれているかな?」

 

 ――鳥が羽ばたくためには、何が必要か知っているかい?

 

「私の答えを言おう。それは翼ではない。無論、翼がなくては飛べないが、そうじゃない。

 ――あるべきは『籠のない空』だ。

 一時国から離れていたこともあって、私は冷静に分析できてしまった。……気づいてしまったのだよ。今の世界のあり方の歪さを。この世界を囲っている『歪んだ鳥籠』を」

「……鳥籠」

「誰かが壊さなければならない。籠の中でのた打ち回るくらいなら、誰かが。……そのための力を、方法を探した。そのために最も協力な力が必要だった。『籠を作った者達』と等しく戦える力が」

 

 それが喰種だったと言うのか? 嘉納先生の話は、比喩が多く具体的に何かを言う事をためらっているようにさえ感じる。

 

「そのために多くのモノを犠牲にした。……しかし実験の成功率は一向に上がらなかった。『レッドクラウン』さえ見つかれば、早急に手は打てたのだが、海外の喰種たちも狙うあれは、未だその足がかりさえ見つからない」

「レッドクラウン……?」

「君の持つドライバーの内に収められたもの、その『逆』の性質のものだ。

 ともあれ結果、生まれたまがい物も多く……、そして至った。この曇天を貫く一筋の光明を。

 隻眼の喰種という存在を。

 雑種強勢により、”法の王”さえ脅かす可能性を秘めたその存在を――!」

 

 嘉納先生は、リゼさんを一度見下ろしてから、僕らの方を見てそう言った。

 気のせいでなければ、その声にはどこか高揚さえ感じる。

 

「事情は……、詳しくわかりません。でも、そのために先生は何人を犠牲にした?」

「だがその結果、君は助かったのだよ。私は医者だ」

 

 僕は……、拳を握って、後ろの二人を見た。

 クロナちゃんとナシロちゃんは、驚いた表情で先生を見ていた。何があってそう思っているのかは定かじゃない。でも――。

 

「……僕は、ハンバーグが好きでした」

「ん?」

「お母さんが作ってくれたそれを思い出させてくれて……、友達と一緒に食べに行くのが、すごく楽しくて。

 でもこの身体になって、そういった『人間らしいこと』全てが、まかり通らなくなりました」

 

 楽しい事もあった。悲しい事もあった。

 色々なことがあったけど――だけど、この「喰種」の混じった身体になったことを、彼が思って居るだろうように、喜んでは感じる事は出来なかった。

 

 何より――。

 

「――そんな苦痛を味わう存在を、まだ増やすんですか、貴方は!

 クロナちゃんとナシロちゃん(この二人)にだって、そういった葛藤がなかったなんて、僕は思わない」

 

 ふと、背後で二人が息を飲む音が聞こえる。

 僕は、先生を睨み続ける。

 

 嘉納先生は、少しだけそれを受けて、そして僕から視線を逸らした。

 

「……私のしていることは、世間的には”悪”なのだろう。怒りをもつそれは、『人間として』正しい感情だろう。

 だがどちらにいせよ、私の逃げ回る生活もお仕舞だ」

「?」

 

 

「カネキくん――私達と、アオギリに来るつもりはないかい?」

 

 

「!?」

「パパ!?」

 

 突然の言葉に、僕も二人も困惑する。特にナシロちゃんは、その動揺の仕方がより一層酷かった。

 何を言っているんだと聞けば、彼は微笑んで言った。

 

「君は疑問に思わないのかい? 何故、アオギリが力ある喰種を集めているのかを。何故、それこそ1区など要所要所を組織的に攻撃して回らないかを。どれほど優れている捜査官といえど、何故一対複数で襲い掛かろうとしないのかを」

「……?」

「私はこう推測する――アオギリの根底にある思想もまた、私の目的からは大きく外れていないのではないかと」

 

 私が技術を。彼らが動力を――。

 

「おそらく、お互いにある程度のメリットが見込めるはずだ。……その段階までこちらも『進んだ』」

「……あり、えないです」

「なら、言い方を変えよう。――私と共に来なさい。そうすれば嫌でも、『本当の世界』が見えてくるはずだ」

 

 本当の世界? いぶかしがる僕に、しかし先生はいっそ研究者が自分の学説を語るかのごとく、楽しげに、そして冷静に言葉を紡いだ。

 

「そうだ。ある意味では『籠の裏側』だ。それを直に見ることが出来るだろう。

 知ることにより、世界の在り方は一変するだろう。例えば――」

 

 

 ――「アオギリの樹」が生まれる原因になったのは、君のよく知る「芳村」という喰種だということとか、ね。

 

 

 嘉納先生の言葉に、僕は一瞬思考が止まった。

 

 ぐらりと傾いた僕の背中。クロナちゃんが、右側からそれを支える。軽く抱擁するようなそれで、かろうじて僕は倒れずに済んだ。

 何で、店長の名前がここで出てくる? いやそれ以前に「知っている」? 彼が喰種だということを含めて? ハッタリだ。でも何故店長のことそのものを知っているのかー―?

 

「誰かの手のひらの上で踊っている。踊っているからこそ助けられなかったものも多くある。……よく、分かるよ。否が応でも、そうせざるを得なかったことが。

 だが、ならば私が教えてあげよう。誰よりも直接的に――世界のあるがままの姿を」

 

 思考が、思考が回らない。

 

 彼の言葉に、心のどこかで惹かれている僕が居る。望んでなった身体でなくとも「両方の選択肢をとる」ことを己に課した結果が、今の僕だ。そして、それが誰かの手の上で踊らされている? 救えなかった命が多くある? 何故それがわかると先生は言うのだ? 彼は、何を求めて「今のようになったのだろう」――。

 

「僕は……」

 

 何かを言おうとして続けて――。

 

 

 

 ――自分を入れろよ。守れよ。

 ――死んだら、悲しいって言ったじゃんかッ。

 

 

 

 不意に、どこかでトーカちゃんが言ったあの言葉が聞こえた気がした。

 

「……僕は――」

 

 そして言葉を続けようとした瞬間、リゼさんの入っていたケースが爆発するように破裂した。

 この場の全員が、言葉を失った。飛び散る液体と、わずかに見え隠れする「荒々しい」赫子。

 

「四方さん!?」

 

 そして煙の中に降り立った影は――マスクを付けてはいたけど、間違いようもなく四方さんだった。

 

『……リゼは引き受ける』

 

 その言葉は誰に言ったものか。渡すな、と叫ぶ嘉納先生。僕の後ろに居た二人が、四方さん目掛けて飛び掛る。

 それを四方さんは、どこかで見たような動きで、赫子を使わず生身の身体だけで「受け流して」、こちらの方向に投げてきた。

 

 転がる二人を左右に、四方さんはこちらを一瞥して背を向ける。

 

「四方さん――」

『…………研、お前は信じた道を行け』

 

 何を信じるのか、と。

 四方さんのその言葉に、僕は動けなくなった。

 

 

 

 

 




カネキの羽赫は「外」に出ないで「内」で動くタイプです。変身時の能力底上げを更にやってるような感じですね。見た目はマフラー、能力的には天鎖斬月的な感じです(見た目的には赫子色したWのウィンディスタビライザですが);
クインケドライバーについては設定資料集あたりをご参照くださいw

あ、あとリジェクションについては近いうち描写が入ります。


いろんな鯱さん
・懐中時計をぶら下げ、何かの時間を待っている鯱さん「(おう)ッ」
・娘の元カレ相手に、拳で語り合う鯱さん「(せい)ッ!」
・台詞をはさむ余地がないので、黙って時間を待つ鯱さん「……」
・旧知の相手の使者(マスク装備)にアイコンタクトで応える鯱さん「――()ッ」


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#051 痕足/鳥足/百足

 

 

 

 

 

『気を付けろ。白鳩が来ている――』

 

 それだけ言ってから立ち去った四方さんを一瞥し、嘉納先生はこちらを見た。

 その視線はクロナちゃん達に向けられていて――どこかそこには、失望のような色が見えた気がした。

 

 僕は僕で、完全に思考が混乱していた。どこからどこまで店長が関わっているのか。そして何故今、ここで四方さんが現れたのか。

 お前の信じた道を行け、か……。

 いや、何にしても戻らないといけない。店長のことは後回しだ。少なくとも僕を助けた仮面ライダーが、あのヒトであることに代わりはない。例え何か裏があったとしても、その事実に変わりはないのだ。

 

 でも、だからこそ嘉納先生の確保という目的事態にブレはない――!

 

 痛みで身体を震わせてるクロナちゃん達を一瞬見た上で、僕は嘉納先生に向かって飛び掛った。

 

「――回!」

「ッ!」

 

 赫子の”手”を振りかぶっていた僕に、鯱さんの赫子が腹部に極まる。打撃としてのその一撃は、やはり手を抜かれていることに代わりはなかった。

 

 血を吐き、這い蹲る僕。

 わずかに意識が朦朧とする中、彼の言葉が僕の耳に届く。

 

 

()の貴様では儂には勝てん。

 人の世で錬を重ね、喰種の肉体でその業を昇華させた……。

 貴様とは蓄が違うのだ!」

「……ッ」

「――カネキケン。それでもなおそれを上回るつもりならば、まず自ら弱さを知れ!

 己が心に向き合う他に、道はなしッ!!」

 

 そう叫びながら、鯱さんは加納先生を抱えて飛び上がった。僕はそれに手を伸ばし、何かを言った。でもその音は、周囲のケースから現れた実験体たちに――僕らの「なりそこない」のヒト達のうめき声に覆いつくされた。思考が退行しているのは、赫子で脳が蹂躙されるからだろうか。何にしてもママ、ママと蠢く彼らを、僕はとても直視出来なかった。 

 

「嘉納先生……ッ」

「不完全だが、君たちの兄弟だ。仲良くしてやってくれ。

 シロ、クロ。ちゃんと『逃げて』きなさい」

「パパ――」

「それからカネキくん……、田口くんをありがとう。また会おう」

「――ッ」

 

 なんで今更そんなことを言うんだと。彼女の病状を知り、そそのかしたのは貴方じゃないかと。もしかしらた彼の中に、ほんの少しでも田口さんを救ってやろうという心があったのかもしれないとさえ思えてしまうように、このタイミングでの言葉は酷かった。

 

 立ち上がろうとするクロナちゃん、ナシロちゃんに向かう実験体のヒトたちを、僕は”手”で薙ぎ払う。

 驚く二人に視線を向けることも出来ず、僕は自分に襲い掛かってくる実験体たちと戦う。身体から中途半端に赫子を垂らす、全裸の人間たち。どれも身体が肥大化していたり、あるいは思考が薄い顔をしている。

 

「――」

 

 クロナちゃんが頭を下げて、僕の後ろの方に走る。

 僕は周囲をうかがいながら、赫子を「尾赫」に切り替えようとドライバーのダイヤルに指をかけ――。

 

 ぎゃり、と音が鳴り、ダイヤルが回転しない。

 

「……!? まさか、さっきの鯱さんのでまたヒビが――」

 

 実験体たちに噛み付かれた腕を振り払い、相手の赫子をむしろ齧る。状況は決して不利ではない。不利ではないけれど、でも決して攻勢という訳でもない。

 

 鯱さんは言った。自らの弱さを知れと。己の心と向き合えと。

 

 向き合えって、何だ? この、大したものも詰まっていない、ただどうあるべきだけを定義してその場その場で対応できるだけの、そういった人格を「作った」僕が?

 弱いことなんて最初から知ってるんですよ。だからそれを誤魔化して、無理に誤魔化して今まで来たんじゃないですか――そうしないと、とても一人では立っていられないじゃないか――ッ!

  

 赫子を使いながらも状況のせいか防戦一方の僕。突進を受け止める力も、普段より大きく低下している。

 

 いつもなら聞こえて来るだろうリゼさんの声も、もう聞こえない。

  

 

 ここで死ぬつもりはないけれど、消耗は免れないだろう。

 後ろの皆が気になる。CCGが来てるというのなら、速く、早く助けにいかないと――。

 

 どくん、とドライバーの奥がが脈打つ。

 

『――この世界は弱肉強食。強者が喰らうのが世の常だ』

「……?」

『だけど、強者とは何だ? ――這い上がった者だ。カネキくん。それは――』

 

 

 (オレ)だ、と。

 聞こえた声はヤモリの声で――。

 

 

 

『――鱗・赫ゥ! 赫者(オーバー)!』

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……ッ」

 

 撃っても撃っても、キリがねぇ――。

 

 そもそもの能力も高いんだろうが、目の前の捜査官(オッサン)は「変身」してから、オレの赫子相手に一歩も引いてない。あのオニヤマダとかいうクインケを振り回し、弾いて流して、オレ目掛けて振り下ろしてきやがる。

 下だけつけてるならまだしも、顔全体を覆う地下帝国のウサギ(アビスラビット)のマスクのせいで視界が限定されてる状態だと、流石にまずい。

 

 だが、今外す訳にはいかない――。

 一瞬気を抜いた瞬間、相手の一撃がオレの腹を薙ぐ。

 

 とっさに赫子をマントみたいにして纏って直撃は防いだがぶっ飛ばされて壁を貫通した。どんな腕力だ……ッ。

 

 他の連中が来ないあたり、ナキのヤローと変態が何とかしてんのかもしれない。オレは照明が薄暗いのに乗じて、捜査官に奇襲をかける。

 が、しかし硬い。オニヤマダってのを除いても、胴体に関したら完全に俺の強度を上回っていやがる。

 

『くっそ……ッ!』

 

 何度飛び掛っても。何度飛び掛っても。

 何度やっても、何度やっても俺の攻撃は奴に届かない。

 

 何で、何で。何で何で何で何で――。

 

 何で勝てないんだよ、馬鹿親父……ッ!

 

「……動きが鈍いな、アラタ。何故だ?」

 

 ――おやすみ、トーカ。アヤト。

 

 記憶にある最後に親父を見た光景が。パパと寝ぼけながら頭を傾げた俺に背を向け部屋を出て行った親父の姿が、被る。

 後日、芳村のジジィとオッサンから手渡された、俺が名前を彫ったドライバーが。

 

 気が付いたら、眼帯ヤローが付けていたあのドライバーが――ッ!

 

 

『――おおおおおおおおおァッ!』

「――ふんッ!」

 

 振りかぶったクインケが、俺に叩き落とされる。

 

 左背部の赫子がバラバラに弾け、勢い余って俺はその場で倒れた。

 それでも無理やり立ち上がろうとして、拳を握り殴る。

 

 ……あー、駄目だ。殴りにもなんねぇ。

 

 こんなんじゃ、包丁の時のにゃんこぱんちだ。

 

 クインケ振りかぶった捜査官が、俺の方を見て変な顔してやがる。何だその顔、驚いてんのか? 何に驚いてるんだってんだよ、ッタク……。

 急に瞼が重くなって、俺はその場で身体を起こしてられなくなって――。

 

 

 

   ※ 

 

 

 

『くす、くすくす』

 

 奈白(シロ)の手を引きながら走る私達の背後から、声が聞こえた。 

 二人で振り返ると、そこには変な小さいのが居た。包帯巻いて、フード被って、更にその上から吸血鬼とか着ていそうなマントを羽織っていた。

 

 そいつは、私達をタンクの上から見下ろして、笑う。……嗤う。

 

『あんよが上手、あんよが上手、て感じかな? 中々滑稽だけれど良いのかい? 

 お兄ちゃんを置いて行っちゃって』

「……?」

『やまない吐き気と引き換えに手に入れた日々は、心地よかったかな?

 ……いや、それはないよね。穴の開いた空洞は、代用品じゃ埋まらないもの――』

 

 私とシロは飛び上がり、その小さいのに攻撃をしかけようとして――。

 

 でも気が付くと、その小さいのは天井に「立っていた」。それこそまるで吸血鬼か何かみたいに。重力に逆らって、衣服は全て天井に向けて下りていた。

 

『おめでとう。√Bでは君たちが大出世だ。って、嗚呼こっちじゃこういうの駄目だったっけ。

 うん、でも気づいてはいるんだよねー。殴りかかって来たって事はさ。誰の目を誤魔化せても、お医者さんの目は誤魔化せないぞー? 何せ私は「死神ドクター」だしねー。

 ――嘉納は君達を、決して子供のように愛してるわけではないってことくらい』

 

 

 ……何を、言う。

 パパはパパだ。私とシロは、お互いにそれを言葉で肯定し合う。

 

 それを、目の前で上下さかさまの小さいのは、くつくつと嗤った。

 

『両親を失って悲しんで、家を買い戻してもらって、愛してくれる親の代替品があればそれで十分?

 違うよねぇ、違うでしょ。代替品は所詮代替品でしかないからね。

 じゃあ――そこから目を背けてるのは? 虚飾の世界の方が――』

 

「うる――」「――さいっ!」

 

 赫子を差し向ける私達に、でも小さいのは全く動かない。いや、むしろちょっと身を翻しただけで、私達の赫子がマントに「はじかれた」。

 

『んー、やっぱイマジネエェイションンッ! が足りてないかなぁ。

 下手に冷静すぎるのも問題なんだよね、赫子は「心」に食い込んでるから』

「何を言って――」

 

『――相手から愛される最も簡単で効果的な方法は、そのヒトの傷を見抜いて、えぐりながら寄り添うことだよ』

 

 それを言った小さいのの声は、全く笑ってなかった。

 

『離れられなくもなるよねぇ。もう失いたくないんだから。そういう意味じゃ「お兄ちゃん」とやらが、君達を逃がしたのも頷けるかな。一緒なんだろうねぇ。

 でも違うところも多い。私はお兄ちゃんに言ってあげられるよ? 誰かが君を愛してると。

 ――でも、君達はどうだい?』

「……ッ」

『あなた達を愛して『くれた』ヒトたちは、人間の世の中に居た。人間のパッパとマンマに、人間の友達とかかなー? でも、もう愛されないよね。そんな身体になっちゃって。

 ねぇ? ――ナシロちゃんにクロナちゃん』

「「!?」」

 

 な、んで、名前――。

 お兄ちゃんみたいに教えた訳じゃない。お兄ちゃんが言うことも絶対ない。言う言われはない。なら、なんで――。

 

 

 包帯の小さいのは、本当に悪魔みたいにささやき続ける。

  

 

 ――「誰なら本当に愛してくれるのか」なんて、考えもしなかったのに従って。

 ――そんな身体になっちゃって、今どんな気持ち? ねぇどんな気持ち?

 

 どこからか取り出したカルテみたいなのを手に持ちながら、相手はきっとニヤニヤしてる。

 

 ――ねぇ、人間を辞めた感想は? 何人殺してきたの?

 ――人間を食べた感想は? 味は? お腹が満たされたの?

 

 ――結局、心は満たされたの?

 

 

「うるさい……」「うるさい、うるさい……ッ!」

 

『――defekt(不良品)

 

 相手が何を言ったかなんて、全然わかんなかったけど。

 私はシロの手を引き、急いでその場から離れた。

 

 

『あらあら、不安定すぎるじゃないかねぇ。これじゃ精神安定化って難しいよねぇ中々……?

 お、これは何か珍しい赫子の匂いがすっぞ? あたしゃわくわくしてきた――!』

 

 わけのわからない言葉が、段々と遠ざかっていく。

 そのことに安堵を覚えながらも、私はどこかで「嫌な予感」がまだ消えてない。

 

 そしてそれは案の定――。

 

 

「――あれれ? クロナとナシロです?」

 

 逃げる途中、目の前に居たのは鈴屋、玲。

 思わず名前を呼ぶと、奴はちょっと嫌そうな顔をして言った。

 

「今はジューゾーなんですよぅ。ニトーですよニトー。セイドーちゃんと強ければもっと仕事あるですのに――」

 

 玲の名乗ったその言葉に、私とシロは、一緒に嫌な感情を浮かべた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「篠原さん――」

「おお、亜門か。今、ちょっと終わったところだ」

 

 アラタを装着したまま、篠原さんがこちらに疲れたように笑い、手を振った。マスクオフしているお陰で視界は多少広がっているが、それでも薄暗いことに代わりはない。

 

 そんな中でも、篠原さんは確実に戦い、勝った。足元には……、黒いラビットが倒れていた。

 アキラがバレットを構えながら、確認をとる。

 

「トドメは?」

「いや、まだだ。なんか満身創痍って感じだな。

 ……アキラ、どうするんだ?」

「クインケにします」

「だろうなとは思ってたよ。

 ……そっちはどうした?」

「途中、両者共に逃げられました」

「んー、まぁ成果で見れば微妙か。でもラビットを捕獲できたっていうのは、結構大きいな」

 

 アキラがしゃがみ、ラビットのマスクを見る。目のゴーグル部分から見える、閉じられた目を見た上で、彼女はそこに指をかけ、マスクを外そうと――。

 

 

「――!? アキラ、離れろ」

「ッ!?」

 

 

 突然の篠原さんの叫びと共に、アキラが俺の方に投げられる。胴体に彼女を受け、俺はそのままバランスを崩して後方に飛ばされた。

 

 突如として、敵は天井から「降って来た」。

 

 おんおんとのどを獣のように鳴らしながら。巨大な赫子が一つと、四つのような赫子。

 落下直後にその喰種は、ラビットを抱えて逃走。煙が舞う視界の中、篠原さんは我先にと後を追う。

 

 俺は受け止めたアキラを無理やり引き起こし、そのまま走った。

 

 

 先ほどの場所とは違うホールのような場所。無数に転がる、不気味なヒトガタの山。

 

 そしてその向こうに、先ほどの奴は――いや、()はいた。

 

 

「……ムカデみたいだ」

 

 

 篠原さんの言葉の通りだ。ラビットをその場に置いて、こちらを振り返る眼帯(ハイセ)。その背中からは、合計で五つの赫子が生えていた。

 うち四つはクモの足のような、それでいて鱗赫らしい特性を残した赫子。

 そして最後の一つは、篠原さんが言ったように真っ黒で巨大な、ムカデのような赫子。

 

 顔面は、何か今まで見た事のない仮面のようなもので覆われていて――。

 

 

『――こないで』

 

 

 ひびわれたような声は、何故か泣いているように聞こえた。

 

 

 

  

 

 




誰が愛してくれてるんでしょうかねぇ・・・


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#052 白黒/天秤/撲私

 

  

  

  

 

 記憶を辿るとほんの数年前のことだけれど、なんだか酷く懐かしい感じがする。

 当時、私達はまだCCGの学校で、喰種捜査官を目指していた。

 

 喰種の被害に遭った子供は多くがCCGに拾われ、そこで育てられる。子供たちの多くが喰種に憎しみを抱いていて、そのまま成長すれば「CCGアカデミー」に進学する子供が多数だ。

 私達もそんな風に、そろってCCGの施設で将来を思い描いていた。

 

 自慢じゃないけど二人そろって成績はいっとう良くて。

 

 そして放課後、帰り道でよく(れい)を見かけてた

 

「ナシロ~、クロナ~。何してたよ?」

「課外活動の帰り」「玲もたまには顔出しなよ」

「嫌よ~?」

「むしろ何してんの?」

「アリつぶしてるよ」

「やめなよ」

 

 玲は変な奴だった。授業にも全然出ないで、四六時中ぼーっとしていて。男なのか女なのかさえよくわからなくて、色々事情を抱える私達の中でもひときわ目立っていて。

 でも、笑顔だけは屈託ない奴だった。

 

 

 

『――喰種が多くのヒトの命を奪い、そして私や君達の運命を狂わせた。これからも我々から多くのものを奪い続けることだろう。それを心に刻み、日々の訓練に邁進して欲しい。以上で講義を終了する』

 

 教室がわーっと、拍手を亜門一等に送る。

 誰しもが彼の言葉を聞いて、そこに自分を重ねてるからだと思う。ただ玲だけはいつもみたいに、何も興味を示して居ない感じだった。

 私達の隣でそわそわしてる、川上雫。身体は弱いけど、そのぶん人一倍みんなにニコニコと接している感じの彼女。私とナシロは顔を合わせて、一緒に彼女の背中を押した。

 

「亜門一等! おはなしありがとうございました」

「『レッドジャム』捕獲の話、とても参考になりました」

「嗚呼、ありがとう。君達は……、安久だったか。噂は聞いている、非常に優秀だと。

 川上は、座学の成績は高いと聞く。無理をしない範囲で頑張れ」

「あ、あの……」

 

 言いよどむ雫に、私達は背中を押す。

 でも、口をついて出てきた言葉はちょっと予想外のものだった。

 

「じょ、女性でも立派な捜査官になれますか……? 一等のような……」

「嗚呼。不可能ではないだろう。例えば優秀な女性捜査官は数多く居る。1区の安浦女史や私のパートナーであらせられる真戸上等のご婦人は、28で准特等になり教官職までつとめていた方だったそうだ」

「すごい……」

「女性で特等って……」

 

 私達もそれには驚かされて、でも中でもやっぱり雫は顔つきが違った。

 

「そのヒトって、今は……」

「非常に優秀な方だったが、既に殉職されている」

「へ?」「それって……」

「相手は隻眼の喰種だったそうだ。……真戸さんの最終目標も、その隻眼だ。いつか必ず、俺達の手で倒す。もう悲劇が生み出されないように……。

 おっと、すまなかった。だがいつか、一緒に仕事を出来る日が来る事を楽しみにしているよ」

 

 包み隠さない物言いの亜門一等。でもその姿勢が、何より真摯に私達の言葉に答えてくれているような気がした。

 

 気を引き締める雫に、私はからかうように「てっきり告白でもするのかと思った」と言ったら。

 

「しないってそんなの……。今年入ってから、彼氏も出来たし」

「「!?」」

 

 これにはナシロと一緒に、顔を合わせて驚いた。ちょっとどういうことなのか、詳しく問い詰めてオハナシしようとしたけど、ひらりと交される。なんだか本が好きらしいってことだけは教えられたけど、それ以外情報が来ないだけ雫も本気だったみたいだ。

 

「そのうち紹介」「そうそう」

「いや、まー、ね? うん。――くんも、まだデートとかもそんなに行ってないから、もうちょっと、ね?」

 

 雫が当時、すごく幸せそうに笑っていたのをよく覚えてる。

  

 

 でもそこからしばらく経たず、入院してあっという間に雫は亡くなった。

 みんなと一緒に動く捜査官になれなくても、それをサポートできるようになりたいって張り切っていたのが、今でもよく覚えてる。

 

 一度だけ、雫の彼氏だったっぽいヒトと、墓の前ですれ違ったことがあったけど、その顔もよくは覚えて居ない。ただ、酷く悲しそうな目をしていたのは、どうしてか頭の片隅に焼きついていた。

 

「……人間て、簡単に死ぬんだね」「うん……」

 

 ちょっと歩こうかと。彼女の墓石に頭を下げて、私達はゆらりゆらりと墓所を後にする。

 パパやママに会えたかなと、お互いに話しながら――。

 

 そんな途中、森の中で玲が居た。ぼうっと立っているようにも見えた。

 

「……玲」「なにしてるの?」

 

 その表情は不思議と呆然としてるようにも見えたけど、玲はすぐに笑った。 

 

「……こんばんわ。

 二人はお墓まいりよ?」

「うん」

「……玲は、悲しくないの? 雫が、仲間が――」

「あー、死んだ?」

 

 これだ。

 玲は、死ぬってことに対してすごくドライだった。……ドライ過ぎるほどに。

 

 幼いときに喰種に攫われて育てられた、という話は教官の一人からぽろっとこぼされたことはあった。でも、そんなに悪い奴じゃないっていうのが私達の結論だった。

 

 だから、その言葉に私達は言った。

 

「……その言い方止めなよ。感じ悪いよ?」

「なんで? ただ死んだだけでしよ?」

「……?」

「ごはん食べるのも、遊ぶのも、みんな一緒よー」

「玲、冗談なら笑えないから……」

 

「冗 談?」

 

 ふと、その言葉にだけ玲は途端に反応した。

 笑っていた表情が、急に暗澹とした。

 

「……なんかうるさいよ。冗談?? 冗談ってなんだよ??! ヒトも喰種も、どいつもこいつもどっかで沢山死んでるんだよ……ッ、そのうちの一人になったってだけだろうよ」

 

「何で……ッ、みんな友達じゃん、仲間じゃ――ッ」

 

 そして、私達の言葉は止まった。

 玲の目の前には、野良猫の死体みたいなのが転がっていた。……玲の顔には、その猫の血みたいなのがついていた。

 

「アンタ、それ……」

「埋めるよ。これから」

 

 それが何か? と。玲は頭を傾げて私達を見た。

 

 ……教官から聞いていた。施設内の誰かが、動物を殺してるらしいと。合計すれば犬十匹猫四十匹。小さいのも合わせれば、たぶんもっと膨大な――。

 

「眠れ~よ♪ 眠れ~よ♪ ――」

 

 歌いながら土に、バラバラになった猫を入れていく玲。

 

 その空っぽな姿が、どうしても私達には理解できなかった。

 それはきっと、今でも――。

 

 

 

   ※

 

 

 

「同窓会って感じですかァ? アッハハハ、何ですその赤い目。もしかして人間辞めたですか? なんで人間辞めちゃったですか?」

「黙れ」「……お前にだって、いつか分かる」

 

 さっとドライバーを構えて、でも私は腰に付けない。シロの分はあの大きいのに壊されてないから、後でシロにも付けさせないといけない。万一この場で壊されると、リジェクションで大変なことになる可能性もある。

 玲は「わかんないこと言わないでくださいです」と言った。

 

「ジュギョー出てないから頭悪いんですよー、知ってるです?

 でもぉ、ボクは鈴屋什造捜査官です~」

 

 そう言いながら、手に持っていたクインケ……、玲らしい毒々しい形状のそれを構えて、けたけたと笑う。

 

「――殺さなきゃいけないじゃないですかァ、ねぇ?」

 

 それを合図に、私達は玲に飛び掛った。

 

 そう何度もみた覚えのない、玲の動き。こっちの動きをあざ笑うように、くるくる回りながらするそれはなんだか曲芸師みたいだった。ガラスケースを蹴って、飛んで、クインケを上の手すりに引っ掛けてブランコみたいに回って。遊んでるようにさえ感じる。いや――、遊んでるんだろう。玲は。

 何故ならずっと、玲からは笑いがこぼれっぱなしだったからだ。

 

「前から思ってたですよー。腹を割って話すって、無理じゃないですか~? 人間だけだと。

 ボクはちょっと『ゆるい』ですけど、普通の人間相手だと簡単に割れないじゃないですかァ」

「何が」「言いたいッ」

「今の二人とだったら――綺麗に腹を割って話せる気がするですよ――!」

 

 ……サイコ野郎がッ!

 

「名前変えてまでアンタ使うなんて、やっぱりCCG、イカれてるよ――ッ」

「腹なら自分のだけ裂いてろ――ッ」

 

 手に持っていたクインケをはじき、赫子で玲の身体を攻撃しようとした瞬間。

 

 まるで袋でも割れるように、玲の腹から血が噴出した。

 

 

「あっちゃ、応急手当じゃ無理でした。あっははは、こぼれちゃうです、あはは――」

 

 

「……アンタには『正義の味方』もどきも相応しくない」

 

 悪く思うなと、私たちは玲目掛けて走り出して――。

 

 

「――いえいえお互い様です~」

『――サソリ・レギオン!』

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 眼前の眼帯の喰種(ハイセ)は、正気を失っているようだった。

 中央に赫眼のあるような仮面を付けたハイセは、びくびくと動きながら、俺達の視界から消え――。

 

『――ガァッ!』

 

 動きはまるで獣だ。

 

 ムカデの足のような赫子が地面を蹴り、四つの昆虫の足を思わせる赫子が篠原さんの首に迫る。オニヤマダで受けはするが、その横からかなり正確に喉を狙っている。アラタを装着していなければ、どうなっていたか。

 

「篠原さん――ッ、これはジェイルの!?」

 

 走り出そうとすれば、足元は赫子から放たれた冷気で凍らされる。アラタで無理やり歩き出すことは出来るが、今の瞬間でそれは間に合わない。ムカデのような赫子から、毒々しいまでに冷気が放たれていた。

 結果的に篠原さんも、ギリギリといった表情でムカデの攻撃を裁いていた。

 

「……およそ五十パーセントってところか。赫者化しつつあるね、君っ」

『――リコンストラクション!

 オニヤマダ・フルチョップ!』

 

 オニヤマダの一撃を受け、ハイセも流石に後退させられた。篠原さんもアラタで無理やり凍った足を動かし、状況を見る。

 俺達と距離をとると、ハイセはこちらの様子を伺っているように、背後のラビットを庇いながら一歩も動かない。

 

 俺の背後で、車谷さん達がどよめく声が聞こえる。アキラが「あれか、君の言っていたのは」と顎をしゃくる。頷きながら、俺はハイセの様子に疑問を抱いていた。

 そしてふと見れば――ドライバーが欠けているようにも見える。

 

「嘉納……、一体この施設で何を?」

「……目的は違ったけど、危険な喰種を残しておく訳にもいかないね。

 亜門、いけるか?」

「――はいっ」

 

 クラを分割して構える俺。篠原さんはオニヤマダを肩に担いでいる。

 

 S級配置を叫ぶ篠原さんに合わせ、周囲が動く。多くが後方に回り、取り囲むように、敵が逃げられないよう配置し、バレットを構えた。

 

「……本当ならオーバードライブしたいところだけど、無茶はできん。ライドチャージも後一回くらいが限界だろう」

「篠原さん、俺が行きます――」

「頼めるか? ……いや、頼む」

 

 ドライバーを一度展開し、ボタンを操作して再度閉じる。

 

『――アラタG3! ライドダブル・チャージ』

 

 スピードと、パワー。

 

 制御装置から響く電子音と同時に、俺の体感が加速する――。視界の上には時間表示で30秒のカウントダウン。

 その時刻が1秒を刻む前に、俺は駆け出した。

 

 ハイセの目の前にたどり着くのに、目測8秒、実質2秒。

 

 振り下ろすクラは一秒足らず、ハイセが認識して対応するよりも早く。

 それでもなお赫子が既に動いているのは、もはや条件反射の領域だろう。クラ両端を赫子で押さえ、中央のムカデのような赫子が動く。

 

 冷気が届く前にクラを振り払い、今度は俺が奴の一撃を受ける番だ。鈍重そうに見える赫子はしかして俊敏に動き、めきめきと"足"に当たる部分が動く。

 強化された時間隔と腕力のお陰か、それを受けても後退はすることはない。ないが……。しかし何故だろう。その攻撃には、不自然な「やり辛さ」を感じ――。

 

「ッ、亜門上等! 引け、相性が悪い!」

 

 アキラの叫びが届き、ようやく俺は気づいた。このアラタシリーズは甲赫。対してハイセは鱗赫。クラを含めても、ある意味一番相性が悪い。

 

 めきめきと動いた赫子が二つ、俺の両肩目掛けて伸びる。驚いたことに、それは俺の身体を含めて「貫通した」。

 

 アラタのライドチャージの時間が、十秒を切った――。

 

「――おおおおおおおおおお!」

 

 組み合っている最中、篠原さんがハイセにオニヤマダを振り下ろす。獣のように一体に対して攻撃が集中してるなら、奇襲は有効だ。

 だが獣のようでありながら、ハイせはどこかで冷静だったのだろうか。

 いや、クインケドライバーを使っているせいか。

 

 篠原さんの胴体に、突如「ムカデのような」赫子がぶつかる。

 

 何だと? おかしい。何故なら今ハイセのそれは、俺がクラで受け止めて――。いや、そうじゃない。篠原さんに襲い掛かったムカデのそれは、ハイセの身体から伸びていない。「分離している」。

 

 

『――この世の全ての不利益は当人の能力不足』

 

 

 うめくように続くハイセの声は、やはりどこか泣いているように思える。俺の胴体を弾き、ハイセは篠原さんの元に向かう。

 

 更に分離したムカデが俺にまとわりつく。 

 腕を締め付け足をからめとり倒されては、流石にこれを振りほどくのに五秒では無理があった。

 

 バレットを構えながらアキラが徐々にこちらに近づいてくるが、やはりその視線も篠原さんの方を向いていた。

 

『だから皆死んだのも、殺さなきゃいけなかったのも、僕のせい』

「……」

『弱いとみんな殺されちゃう。……守る事もできない。居場所も、ヒトも、手段も――!

 だから強くなきゃいけないんだ。強く。そのために名前が邪魔なら、そんなものは要らない』

 

 ただの名無し(ハイセ)でいい、と。そう言いながら、眼帯は篠原さんに赫子を伸ばし――。

 

「君は……、哀れだ」

 

 何かを悟ったように、篠原さんは眼帯を見て、オニヤマダを構えた。

 

「カミさんやチビらに、まだまだ家族サービスしなきゃならんのでね。……、人間のしぶとさ、ナメちゃいかんよ――!」

 

 

『――僕は人間だあああああああああッ!』

 

 

 支離滅裂な叫びを上げながら、ハイセは篠原さんに襲い掛かる。

 冷気に対して無理やり戦い続ける篠原さんだが、体力的な限界も近い。

 

 ハイセは言う。来ないでくれと。

 

 俺は、その姿に幻視する。俺の――「父親」を。

 

 

 ――誰が入って良いと言った?

 

 カズキも、ユウスケも、アキエも。

 施設を出たと言われていた子供達全てが、あの男に喰らわれていた。

 

 家族だった。決して幸せな生まれではなかったかもしれないが、家族だった。

 

 それが結局、只の家族ごっこだったという事実は、当時の俺を打ちのめした。

 

 ”仮面ライダー”に救われCCGを志すようになる前。まだこの世界の歪みに怒りを抱けなかった、あの頃のような――。

 

 なら、何故あの時、俺を奴は殺さなかったのか? ……俺だけを。

 

 

 あのハイセなら、何か分かるのではないか。俺の中に、ほんの少しだけ引っかかりを覚えるこの記憶に、何らかの結論を付けられるのではないか――。

 

 

 ムカデの赫子を引き剥がし、投げ、俺は身体を起こし直す。

 起こしながら、ハイセの荒れ狂う様を見る。

 

「――上等、秘密兵器だ」

 

 俺に向けて、アキラが手渡したそれは。半年ほど前に一度だけ見た、赤い、ダイヤルの付いた装置だ。

 ダイヤルは5に設定されている。

 

「『ヴィクトリー・シンクロユニット』。クインケドライバーの拘束力を上げ、赫者にさえ対応させる装置だ」

「……何故こんなものを?」

「さぁて、な。それより使い方だが――」

「以前聞いたな。確か」

「なら、大丈夫か」

 

 手渡されたそれを一瞥して、俺は視線を前に向ける。

 俺からはがれたムカデは、黒ラビットを守るかのように、その場にとどまり続ける。

 

 この時点で、俺はラビットとハイセのつながりをかなり強く確信していた。……同時に、黒ラビットがラビットと同一であるだろうことも。

 

 クラを杖代わりに立ち上がり、俺は走りだす。

 

 篠原さんの身体の側面をハイセの赫子が貫く。バランスを崩し、後退しながら倒れる篠原さん。それ入れ替わるように、俺は前に出て。

 

「おおおッ!」

『――』

 

 ハイセの赫子を受けながらも、奴のドライバーの端にユニットを装着した。

 

 

『――ああああああああああああああああああッ!!!!!?』

 

 

 腹部を押さえ、絶叫し転がるハイセ。だがその手がユニットを外すことは出来ない。

 

 分離していたムカデの赫子がその場で朽ち果て始めてる。まるでクインケ起動を逆回しに見て居るように、煙を上げながらそれは液体のように溶ける。

 

 のた打ち回りながらも、ハイセは「変身」した状態を解こうとは決してしなかった。……まるで無理やり、今の状態を維持しようともがいているようにさえ見えた。

 

『行かないで……、――さん、僕は、僕は――』

 

 俺も篠原さんも動けず、アキラたち後方もバレットを構えたまま。

 下手に近寄る事さえできない、その状況において。

 

 

 

『――羽・赫ッ! 赫者(オーバー)!』 

 

 

 

 その音声と共に、その場が白い霧のようなものに包まれた。

 

 

 

 

 

 



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#053 特点/刺削/境目

変身中に攻撃を仕掛けるのは、タイヘンシツレイ!


 

 

 

 霧に包まれた視界の中、何処かから現れた喰種。

 身の丈は大きく、見覚えのあるような赤い、剣のような赫子。しかしどこか、俺の記憶にあるそれよりも、形が歪んでいるように見えた。

 

 例えるなら、スクリューのような。ねじれた刃とでも言うべきそれは、洗練されてない荒々しさを感じさせる。

 

 全身にはローブ。前傾姿勢で降り立ったその顔面には――隻眼の、白い面のようなもの

 

 

「隻眼の……ッ」

 

 

 現れた喰種は、まごうことなく隻眼の梟だった。

 

 アキラの歯軋りの音が聞こえる。バレットを構えているが、篠原さんの指示は入らない。

 腕の力だけで動いて彼の方を見ると、気絶しているようだった。……あの最後のハイセの一撃が、致命傷に入ったのか? すぐにでも確認しなければならない。が、しかしこの状況ではそれも難しい。

 

 磯山上等たちも、隻眼の梟の出現に思考が停止しているのか。

 梟は自分の足元のハイセと、奥のラビットを一瞥する。

 

 ……まさか、逃げるのか?

 

 いや、そうではない。梟はハイセを持ち上げると、そのまま自分の口に近づけ――。

 

「く……、おおおおおおおおおおッ!」

 

 叫びながら、俺は立ち上がる。

 クラを握り、そして突貫。かなり無茶が続いているが、それでもアラタは俺に応え続けている。 

 

 両手のクラを受け止める梟。恐ろしいことに、アラタの腕力を持ってしても微動だにしない。

 

 だが片手で受け止めるには相手も無理があるのか、状態は拮抗していた。

 

「……眼帯を、連れて行かれる訳にはいかない。そいつは『コクリア送り』だ」

『……?』

「俺を、あの場で見逃したこいつには、聞きたい事が沢山ある――はぁッ!」

 

 力任せに振り下ろすと、梟の手からハイセが落ちる。

 止むを得ない、とばかりに俺はハイセの胴体をクラの側面で「打った」。

 

 ごろごろと何処かへ飛ぶハイセ。

 

「おおおお――ッ!」

『――リコンストラクション!

 クラ・デュアルチョップ!』

 

 制御装置を操作して、俺は梟に斬りかかる。

 だがそれに対して、右の振り下ろしを軽く受け流し、梟は、内側から伸びた「包帯の巻かれた手」で俺の顔面を掴んだ。

 

 

『――逃がしちゃうんだ。へぇ。

 亜門鋼太朗だっけ? 良い目してるねぇ』

 

 

「――ッ?」

 

 梟が、しゃべった?

 いや、何故俺の名前を?

 

 その声や言葉に、俺は違和感を感じた。だがそれが何なのか判断するより先に、梟の膝蹴りが俺を弾き飛ばす。背後でアキラの叫びが聞こえる。

 

 そのまま梟はラビットを掴み、天井近く目掛けて飛び上がる。そこにはパイプのように分岐した道筋があり、梟はその中を通っていった。そのパイプのような部分に入る際、一瞬体格が小さくなったように見えたのは、おそらく錯覚じゃないだろう。

 

 梟を前に怒りをあらわにしただろう、振るえた手で俺を抱き起こすアキラ。 

 

「……亜門、上等――」

「アキラ、篠原さんの方に行くぞ。

 誰か、医療班を――!」

 

 梟が消えた事で、全体が正気を取り戻す。

 

 アキラに肩を借りながら、俺は篠原さんの方へ向かう。俺が何かする前に、アキラがさっとマスクオフのスイッチを押した。

 

「……済まない、冷静じゃなかった」

「あの場で狙撃しなかっただけ、大したものだ。敵の行動を前線に集中させるのが、下級捜査官と上級捜査官が居る場合の――」

「違う、そうじゃない。……とにかく済まない」

 

 謝りながら、アキラは俺と何故か顔を合わせようとしなかった。

 

 

 篠原さんは、声をかけてしばらくで意識を取り戻した。

 

「肉はいくらかやられたけど、主にこりゃアラタを齧られた、って感じだな」

「アラタを? ……」

 

 あの暴走とでも呼べるような状態において、しかしやはり奴は奴だったということか?

 周囲を確認すれば、眼帯はもうこの場には居なかった。梟が消えたのと同時に視界が回復したため、全体がよく見渡せる。

 

 そして、篠原さんは思い出した。

 

 

「……そういえば、什造は?」

「……? そういえば、先行したままでした」

「向かってくれるか? こっちに帰って来ないって事は、ひょっとすると苦戦してるのかもしれない」

「わかりました。俺が――」

「私も行きます」

 

 きっと声を張って、アキラが俺の肩を叩いた。篠原さんは苦笑し「頼むぜアッキーラ」と笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

『――サソリ・レギオン!』

 

 そんなクインケの起動音と一緒に、私の左の視界は消えた。

 遅れて走る痛みに、私は玲の武器がこちらの目を潰しただろうことを察知した。

 

「クロナッ!?」

「大丈夫、再生する――」

 

 すぐに引き抜いて、玲を睨む。刃を足元に転がして玲を見れば、まるでジャグリングでもするみたいにナイフ状のクインケを大量に取り出して、遊んでいた。

 

「間に合いますか? ――えいっ」

「――ッ」

 

 投げられたクインケを赫子で防御するけど、なんだか妙に反応が鈍い。ひょっとしたら相性の悪い赫子がベースになってるのかもしれない。

 でも、現状だと明らかに玲の攻撃に間に合わない。

 玲の投げが停止した瞬間を見計らって、とっさにドライバーを腰に装着し――。

 

「――出る出る出るですよ~♪」

 

 シャツを開いたその下には、大量の、さっきのナイフ状のクインケが――。左腰にホルスターみたいなのが付いてて、そこに制御装置が取り付けられていた。

 

『――リコンストラクション!

 サソリ・フルエンド!』

「ッ」

 

 レバーを回すのが、間に合わな――。

 

 

 走ってきた玲の投げたクインケが腕に刺さる。刺さった内側で、まるで爆発でもしてるんじゃないかって風に傷が爆裂する。

 ぎりぎりでレバーを回せたけど、赫子が身体を覆う前でも玲はお構いナシに、ナイフを、ナイフを――ッ!

 

爆発(バースト)! 急にぃ!? 荒ぶ~る!!!」

 

 投げて、切り裂いて。服みたいになりつつあった赫子の裏側に潜り込んだクインケが爆裂して、

 対応しきれなくても、形成された竹刀みたいな赫子を、玲の腹目掛けて伸ばして――。でもそれさえものともせず、玲は煙の上がるクインケを突き刺した。

 

 シロの攻撃も、まるでそよ風でも受けるみたいに流して。

 

 赫子を通して感じる痛みは、人間の頃では決して感じなかった、体内の血管が沸騰するような痛みだ。

 膝も、腹も、胸も、正面から目に付くところは滅多刺しにして、でも玲は余裕そうだった。

 

「喰種相手(ヽヽ)も慣れたですから、大体どこ壊せばイケるかわかるですよ。

 死んじゃったらお墓くらい作るですよ~」

 

 口調は軽い。容赦とか、そんなものも欠片もない。ただただ玲はあの日のように、いつものように振舞ってるだけって感じで。

 きっとお前にとって、あの時殺していた生き物とか虫とか、その程度なんだろうと思えて――。 

 

「――玲ッッ!!」

 

 ナシロが飛びかかるのを見て、玲は楽しそうにあの鎌みたいなクインケを手に取って。 

 

「待ってるですよ~」

 

 手元にあった制御装置を操作して――。

 

「シロ、駄目――ッ!」

『――リビルド!

 ジェ・イ・ソ・ン・13! ハンガード!』

 

 鎌の刃から伸びた、ウロコ模様の赫子が。カネキケン(お兄ちゃん)の赫子に一瞬見えたあの色を帯びたそれが伸びて、シロの胴体に突き刺さり。

 

「――逝ってイいですよ~」

『――リコンストラクション!

 ジェ・イ・ソ・ン・13! フルスクラップ!』

 

 そのままクインケを振り下ろす玲。

 ナシロの胴体が、胸から腹が、縦に、縦に――。

 

 真っ二つにこそならなかったものの、かなり大きく、ざっくり切られたナシロ。

 その顔と足と、露出していた腕に、赤い脈みたいなものが走る。

 

「結構長めですね。

 ……? どうしたです、病気です?」

「あ……っ、ああ……ッ」

 

 呼吸さえままならないシロ。なんで、なんでこんなタイミングで赫子との拒絶反応(リジェクション)が――。

 

「ナシロッッ!!!!!!」

 

 再生させなきゃいけないのに、どうして今、それを止めなきゃいけないんだッ!

 

 放置しておけば、血中のRc細胞値が上昇して、赫胞から漏れだした赫子が「内臓を内側から」食い尽くしていく、そういう凄惨な状況になりかねない。

 でも赫子に頼らないと間違いなくあの傷じゃ――。

 

 ナシロの口が動く。お姉ちゃんと。クロナお姉ちゃんと。私を呼ぶ。

 

 私は走る。いつかのように。腰のドライバーを外し、ナシロの手をとろうと――。

 

 

 でも、手と手が重なった瞬間、それもすっぱりと切り落とされる。

 どさりと、ナシロが私に倒れ掛かる。ドライバーを持っていた左手側だったこともあって、それだけでシロの体内から、勢い良く赫子が巻き付いて。

 

「病院行くですか~? って、喰種のお医者さんなんて知らないですけど」

 

 終わったら殺すですが、と。

 飄々としている玲は、何一つ態度が変わらない。

 

 立ち向かう? 勝てるの? ――勝ったってどうなるっ。

 

 このままじゃナシロが死んじゃう。ずっと、ずっと一緒って約束したのに――。

 

「クロナ……、置いて逃げて……っ」 

「……ッ」

 

 そんなの、そんなの出来っこない――ッ、シロを、ナシロを、たった一人の(半身)を置いて、この場から逃げられる訳なんてない!

 

 早く逃げないと。ここにはパパだって居る。

 パパならきっと何とかしてくれる。なんとか、きっと――。

 

 

 ――代替品は所詮代替品でしかないからね。 

 

 

 不意に、あの小さいのの言葉が頭の中でフラッシュバックする。

 それでも、関係ない。私たちにはもう、パパしかいないんだから――。

 

 振り下ろされる玲の一撃を交して、私達は扉の奥へ走る。

 

「大丈夫だから、ナシロ……、私が助けてあげるから、ね?

 ちゃんとしっかりして……ッ! ずっと、ずっと一緒だから……」

「お姉、ちゃん……」

 

 

 走る、走る。記憶にある中で、最短ルートを。パイプみたいな道の入り口に入れれば、後は一本道に行ける。

 行けるっていうのに、足腰に力が入らない。立ち上がれない。

 

 シロを抱きしめながら、私は深呼吸する。

 

 もう少し、もう少し――。

 

 

 そんな時、私達を見つめる二人が居た。

 きっと捜査官だと、私は思わず睨み――。そして、「再会していしまった」。

 

 男女の捜査官、一人ずつ。そのうちの男の方、鎧みたいなのを着込んだ方に、私は、私とナシロは見覚えがあった。髪は伸びて、なんか前よりイケメンになってたけど、間違いない。向こうも私たちを見て、目を見開いていた。

 

「安、久……?」

「……ッ」

 

 ――ねぇ、人間を辞めた感想は? 何人殺してきたの?

 

 小さいの言葉が、また。

 フードを被り、私は無理やり走り出す。転びそうになりながらも、無理やり、無理やり。

 

 追い討ちをかけるかのように、女の捜査官の「……喰種」という言葉が耳を打つ。

  

『……本当は義理ないんだけど、昔のよしみだしね』

 

 どこかから聞こえたそんな声に耳を傾ける事さえできず、ただただがむしゃらに、私はパパの元を目指す。ナシロのため――私のため。

 

 幸いなことに、移動中に私にリジェクションは来なかった。

 

 ――パパの前には、あの小さいのが居た。

 

 足元には、ウサギみたいな黒い仮面を付けたのが転がっていた。

 

『ようこそ、アオギリの樹へ。歓迎するね。リゼちゃんは惜しいけど、王様もきっと喜んでくれるよ』

「そう言って貰えると、私も心強いね。

 ……私はヒトの身だが、目的は君達とそう違いはないと思っている。お互い有効活用していこう」

『うんうん。CCG入ってくるから、今までの分の録画はバックあるし破棄しといてねー』

「嗚呼、無論だ。

 ――クロ!」

 

 パパは私達を見て、まず私を見て驚いたように言った。

 すぐに食事をとって、活性剤を注入しようと――。

 

「パパ、私はいいから、シロを!」

「……、うん」

 

 シロの腹部をめくって、直接内臓の状態を見て。

 パパは、私達に言った。

 

 にっこりと。

 

「――手遅れだ。置いていきなさい」

 

 ……へ?

 

 続く説明が、頭に入ってこない。赫胞の損壊が、7割を超えている。純正の喰種ならば赫胞も再生するが、私達ではもうどうすることも出来ない、と。

 

 それは、まだ分かる。だけれど――。

 

「大丈夫、すぐに友達が沢山できる。

 数年以内には、もっと家族も多くなるはずだ――百人単位でね」

 

 そんなことを笑いながら言って、部屋を出て行くパパたち。ぎらり、とあの大きい、ヒゲの喰種が、こちらを見て。

 

 ――うん、でも気づいてはいるんだよねー。殴りかかって来たって事はさ。

 

 そんな、そんなことは。

 

 ――嘉納は君達を、決して子供のように愛してるわけではないってことくらい。

 

 そんなこと、そんなこと――。

 

「ほら、早く行こう。クロ」

 

 パパの言葉に、私は膝を付く。小さいのが「お別れくらいさせてあげなよ」と言う。そのまま立ち去るパパたち。

 私は、考えがまとまらない。ただただ左の目からは、涙の代わりとばかりに血が流れる。

 ナシロの呼吸が、段々と弱くなっていく――鼓動が弱くなっていく。

 

 呆然としてる中、モニターの一つに映し出される映像。

 

 変身も維持できなくなってる金木研(お兄ちゃん)が、壁に背を預けていて。

 

 

 そして、私は続く映像で思い知ることになった。――「誰なら本当に愛してくれるのか」なんて、考えもしなかったことについて。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 リゼさんは四方さんが連れて逃げて行った。

 少なくともリゼさんは無事だ。……でも嘉納は、きっとアオギリの手に渡った。

 

 僕は、ドライバーを見る。既に身体に巻き付いた赫子は、分解されかかっている。所々から服の繊維とのほつれが起きて、かなり無残な状態になっていた。

 それでもカツラは背中のあたりにでもあるのか、落ちたりはしていないらしい。

 

 ……ヤモリの声が聞こえた。

 

 壊れかけたドライバーの奥から。リゼさんの声の代わりとばかりに、ヤモリの声が聞こえた。

 

 力を求めろと。自分の求める先を邪魔する全てを摘み取れと。

 それでもきっと、結局そうならなかったのは、どこかでそれに意味がないからと思っていたからかもしれない。

 

 トーカちゃんは言った。ただの自己満足だろうと。一人だけで頑張ったところで、それに意味はないのだと。

 

 それでも――一番率先して変わらなきゃならないのは、強くならなきゃいけないのは、きっと自分なんだろうという認識が僕の中にはある。

 

 だって……、そうじゃなかったら僕に、僕事態に意味なんて――。

 

 

「カネキ……!」

「……バン、ジョーさん?」

 

 腹を押さえながら、近寄ってくるバンジョーさん。彼に僕は、来るなと手を出して制した。

 

「駄目です……今は、ドライバーが――」

 

 赤いこのユニット。リオくんのドライバーに付いていたものと同じそれのお陰で、なんとか自分を取り戻せはしてるけど。少しでも気を抜いたら、また混乱しかねない。……あのヤモリの声に、僕の中のあの声に耳を傾けてしまうかもしれない。

 

 少なくとも僕は、仲間を、守りたいヒト達を傷つけたくないのだ。

 

 実際に僕が、それをどう口に出したかまではわからない。

 

 

 足を止めるイチミさん達。月山さんが咳払いしてこちらに一歩踏み出そうとする中――それでも、バンジョーさんは走って来た。

 

 瞬間、気が付けば背中から出た赫子が一つ、彼の腹を貫いて――。

 

 

「ぬ、抜いて下さいイチミさん、ジロさ――!」

「万丈さん!?」

 

 背中から反射的に出る赫子が、彼ら彼女らを弾く。月山さんはそれでも地の強度で相性さえ無視して、バンジョーさんの腹に刺さった僕の赫子を「無理やり」引き抜いた。

 

 ドライバーを押さえる僕と。

 貫通した腹を押さえるバンジョーさん。

 

「痛っ……、悪い、まだそっちに行けそうにねぇな、カネキ」

「バンジョイくん……?」

 

 バンジョーさんは、そんな状態でも僕に笑いかける。

 

「何て顔してんだよカネキ」

「バンジョー、さん、僕……」

 

「一緒に強くなろうって、言ったのはお前じゃないか」

 

 どぷりと音が鳴り、バンジョーさんの背中から、肩のあたりから赫子が漏れる。

 初めて見るバンジョーさんのそれは、赫子の中でも小さい方で。

 

 でも、それが出た瞬間、バンジョーさんの腹部の傷が、消えた。

 

「え? バンジョーさんの赫子?」「マジで?」「めっちゃ傷治ったッスね」

「即効性の治癒のようだね。……肉体の状態に応じて赫胞が反応したか」

 

 月山さんの肩を借りながら、バンジョーさんは一歩、一歩こちらに歩み寄ってくる。

 

「だから、そう一人で突っ張るな。俺は、大丈夫だから」

「……」

「そういうの、辛ェだろ? だから――一人だけで、辛いところに行こうとしなくて良いんだ」

 

 僕の顔から、赫子で形成された仮面が落ちる。

 もう、変身を維持することさえ出来ない。

 

 それでも緊張が途切れる瞬間――僕は、なんだか久々に、肩の力が抜けた気がした。

 

 

 

 

 

 




クロナ「……」 モニターで映像を見ている
 
 
サソリの必殺技は本作中のクインケでも最大火力の一つですが、その代わりナイフ一本ずつ必ず使い捨てとなります。
なおコメントされてませんが、きっちりバンジョーさんのお腹はエトしゃんによってオペ( )されております。


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#054 代償/再遭/路戒

 

 

 

 

 

「リゼ? ――あいつ、生きてたの!?」

 

 店長のその言葉に、私は耳を疑った。

 神代リゼ。20区の厄介者の一人。通称「大食い」で、その呼び名に外れない大人数を捕食していた喰種。でも、それだって去年の10月からめっきりその姿は見かけなくなって。

 

 代わりに”喰種”となって、こっちに来たのがカネキで。

 カネキは――リゼの臓器を移植されて、喰種になったと言っていた。

 

 テレビの報道が正しければ、リゼは死んで、カネキも死にかけてて。そんな状況だったからこそ臓器移植って話も出たんだろうと思っていたのだけれど。

 

 休日、開店前のあんていく。テーブルを拭いてる私にそんなことを言った芳村さんは、近くにあったグラスを手に取りながら言った。

 

「……カネキくん達が、動いていたようだ。四方くんからそう聞いている」

「……カネキが?」

「リゼくんの臓器を移植されたのは彼だ。思うところもあったのかもしれないし、何か気づいていたこともあったのかもしれない」

 

 じゃあ、ここのところ急がしそうにしてたのって、それ?

 

「彼女は各方面から、その身を狙われている。アオギリのように、彼女の強大な赫子を悪用しようとする連中も少なくない。

 元は二十区の仲間だ。いくらかの期間、彼女をここの地下で預かろうかと思う」

「それは……。はい。

 カネキは、知ってるんですか?」

「一応、次に来た時に話そうと連絡はしてあるんだけれどね。朝来てくれても構わないと言ってはあるよ」

 

 丁度、テストも終わって夏休みに入ろうってタイミング。カネキだって普通にそういうのは終わらせたんだろうけど、今月分のシフトにその名前は極端に少ない。前に比べてみても、時間も含めて減っていた。

 

 なんとなくモヤモヤする胸の内。

 

 何にモヤモヤするのかは、いまいちわかんない。カネキがリゼのために色々やっていたことに思うところがあるのか、そーゆーのを全然私たちに話してくれなかったことにひっかかりがあるのか。店長や四方さんが、それ以上に何故カネキの言ってなかったことを知りうる状態にあるのかとか。

 

 でも、そんなこと関係ない。

 

 ……助けようとしていたはずの、カネキが全然来ないって方が気がかり。

 

 普段ヘタレてる分、一度その気になるとカネキはかなりぐいぐい行く。ヒナミの時もそうだったし、クソニシキの時だって。リオの時だって。

 そしてたぶん、今の私に対しても――。

 

 そんなカネキが、わざわざ「朝から大丈夫だ」と言われてるにも関わらず、何にもアクションを起こしてないっていうのが、なんだか私はモヤモヤしていた。

 

 流石に私も朝からっていうのは久々だけど、一応午前終わりだから後で行こうかな……。

 お店が開店して、いつまでも上の空で居るわけにもいかない。出来る限りいつもの様に応対するのを心がけながら、私は注文をとったりする。

 

 ただ、お昼前後にシフトに入ったクソニシキが、変な顔していた。

 

 カヤさん達と入れ替わりで休憩に入った時、引きつった表情のまま聞かれた。

 

「……なんだ、テスト酷かったか?」

「……は?」

「ものすんげぇ、気が気じゃねぇって顔してんぞ。大丈夫か?」

 

 ……ニシキに心配されるようじゃ、流石に私もヤキが回ってる。

 っていうより、あれ? 私ってそんなに表情に出てたっけ。

 

「カネキのこと」

「お? あー、アレな。リゼのことな」

「……知ってたの?」

「まぁな。お前には話すなって言われたけど」

「何で」

「そんな話知ったら、お前テストどころじゃなくなるだろって。ほら、アレだろ? 上井目指してんのは知らなかったみてぇだけど、結構大学受験は頑張ってるって知ってんだろ? アイツも。だったら下手なことして不合格とか、させたくねぇだろ」

「そりゃ……。そうだけど、そうじゃなくって……ッ」

「ま、どっちの言い分も分かるけどよ。そーゆーのは他の奴に、馬のクソかからないようにやれ」

 

 で何があったんだ? と聞いてくるニシキに、私は店長から聞いた話をした。

 

「あー、なるほどなぁ」

「……なんか、あんての地下にリゼが居るっていうのが、変な感じって言うか」

「気持ち悪い、て言っちまえよストレートに。でも、なんか哀れだよなぁ……。あんだけ自由にやってたリゼが、今じゃ囚われの身でどこにも行けないって。

 因果応報っつーけど、なんか同情しちまうな」

「……」

 

 なんとなくその後、シフト上がりに店の地下に回って。リゼの現状を見て、私は言葉を失った。

 失ったというよりも、そのあまりの荒れように、一歩、一歩後退した。

  

「……極度の飢餓状態だ」

「……四方さん?」

 

 不意に、背後から四方さんの声。

 

「リゼは”特別”だ。……強力だからこそ、自我を保てる程度に食事の量も調整しなければならない。下手に暴走すれば、何が起こるか」

「……どうしたらコイツ、ラクになれんの?」

「大きな力を背負うには、それだけ代償が必要になる。……本人が望むのと望まないのとに関わらず。

 食事の量を徐々に緩めて、許容範囲を広げていく。バランスを探していくことになるだろう」

 

 目の前の酷い有様のリゼの姿に――漂う匂いに、不意に私はカネキのことを思った。

 

 いつも、考えないようにしていたことがある。……ここ半年の間で、徐々に、段々と、カネキの匂いのことを。根っこはリゼで、人間の匂いもあるにはあるんだけど。

 ただそれ以上に――時々、隠しようもないような、そんな匂いが漂っていた。

 あれは、血と、喰種の匂いだ。

 

「カネキ……、何やってたんですか? ずっと」

「……それは、本人から聞くべきだろう」

 

 四方さんは多くを語らず、この場を去って。

 

 私は――私は、私は。

 悪態を少し付いて、すぐに走り出した。

 

 思ったらもう、なんだか居ても立ってもいられなかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 喰種になった当初のことを、僕はぼんやりと思い出していた。

 

 リゼさんの赫子は当時の僕には酷く恐ろしいものに感じられた。……力そのものは確かに恐ろしい。でも今は、以前ほど怖がってはいなくなっていたように思う。自転車をこぐように、あるいは車でも運転するように。嘉納先生の言葉を借りれば、鳥が空を己の翼で飛ぶように。

 

 きっと、慣れていたのだろう。

 だからこそ、心のどこかに認識の甘さがあった。

 

 ……「自分に制御できない力」を、使ってはいけないんだ。

 

 あの時、間違いなく僕はヒデを食べようとしていた。トーカちゃんが手を貸してくれなければ、もう確実に。

 そしてこの間だって、バンジョーさんの赫子が出てなければ、きっとあの場で僕は彼を殺してしまっていた。

 

 反芻すれば反芻するほど、気が滅入ってくる。

 

 バンジョーさんは言っていた。あの場所で戦っていた喰種たちを追っている間、突如エトが現れたと。そこでかなり重症を負ったはずだが、そのタイミングで赫子が初めて出たんだろうと言っていた。

 

 皆で拠点に帰った際、月山さんは言っていた。

 僕には力があるのだと。強さとは、価値なのだと。時に他人を蹂躙することに、躊躇いを覚える必要はないのだと。有象無象の尊厳を踏みにじっても、有り余る価値があるのだと。

 

 ……たぶん慰めようとしてくれていたのだろうけれど、残念ながらその価値観は僕とはズレている。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 

 言うなれば僕は、その有象無象の中にあって価値がなければ意味がないと考えているのだから。

 皆が居なければ、そこに意味などないのだから。

 

 ……でも、それだって僕は怖い。その中に居て、僕はきっと「誰からも求められない」。そんなこと関係ないと頭で分かったつもりでいても、結局心のどこかで、その事実を否定している。

 お母さんの、あの後姿が断続的に脳裏を過ぎる――。

 

 時刻は昼過ぎ。

 そんなことを考えながら階段を上り自分の部屋へ向かっていると、トーカちゃんが入り口で立っていた。

 

「……あれ、おはよう」

「……ん」

 

 トーカちゃんは僕に答えず、顔を覗きこむよう、下から見上げてきた。

 半眼で見つめられて、ちょっと僕は後退。

 もっとも、それを無視する勢いでトーカちゃんが距離を詰めてくる。

 

「え、えっと、どうしたの?」

「……私は、テスト終わった」

「あ、うん」

「悪くなかったとは思うから、気にはしないでいい」

「あ、そうなんだ。良かったね」

「だから――話せ」

「いたッ」

 

 ぐいっと、トーカちゃんは僕の両方の耳たぶを引っ張って、半眼でそう言った。

 

 話せ、とは具体的に何を? そういう聞き返しが、なんだか出来るような感じじゃなかった。加えて言うと、僕もかなり心当たりはあるので、下手な誤魔化しを出来ないという事情もあった。

 

「……無茶、してないよね」

 

 なんとなく、顎をさすりながら僕は笑った。

 

「ある程度は、かな。流石に万全とは言えないけど」

「……店長、リゼを店でかくまうって言ってた」

「……うん」

「行く?」

 

 トーカちゃんの言葉に、僕は一瞬言葉に詰まる。

 でも、少し呼吸を整えて、僕は首肯した。

 

「……準備できたら言って」

 

 そのまま連れて行かれる、ということはなかったけど、トーカちゃんは入り口に立ったまま、僕を待つようだ。これは……、わざわざ家の中に入らないのは、プレッシャーをかけるためなんだろうか。

 一度カツラを外して、眼帯を外して、バッグに仕舞う。……どうしても、亀裂の入ったドライバーが目に付いてしまう。これも後でトーカちゃんに話さないといけないだろう。

 気が重い。二重の意味で。

 

 それでも、何もしないという選択肢は流石に僕にはない。大学もそろそろ試験だし、勉強だってしなくちゃいけないのだ。

 

 人間と、喰種と。両方の選択肢を持って生きると決めたのだから、僕はそれなりにハードワークだ。

 誰しもハードワークと言えばハードワークなんだろうけど、肉体的なことより精神的な切り替えが、思ったより引きずりそうだった。

 

 軽く着替えてカツラを再装着して、表に出だ。

 

「えっと、インスタントしかないけど飲む?」

「後ででいい」

 

 並びながら歩く僕ら。トーカちゃんは横を向いていて、なんとなくいつかの、初めてウタさんのお店にマスクを作りに行った時のことを思い出す。最近にしては珍しくトーカちゃんはこちらを気にせずに足を進めてるようだった。

 

 と、不意に彼女の視線がこちらを向く。

 

「……な、何? じろじろ」

 

 どうやらぼうっとしていた分、トーカちゃんをじっと見つめてしまっていたらしい。

 ごめんごめんと言いながら、なんだか懐かしいって話をした。

 

「去年の秋頃だから、思ったより時間は経ってるのかな……?」

「ま、私も髪伸びたし」

「うん。似合ってると思うよ」

「……」

「どうしたの?」

「……いや、私ってここまで単純だったかなぁと」

 

 何とも言えない表情で、トーカちゃんは僕から顔を逸らした。

 

 不思議と、そこから会話は続かなかった。僕もトーカちゃんも無言のまま。ただ時々、ぼうっとしてる僕の腕を引いたりして、なんとなく僕はひっぱられて。

 会話はなかったのだけれど、なんでかあまり、僕はそれに居心地の悪さみたいなものは感じなかった。

 

 店の裏側に着いて、地下室への扉を開けて。

 

 バンジョーさんが四方さんと特訓するのに最近はよく使われている地下は、相変わらず広い。

 と、全体を見渡していると、不意にトーカちゃんが僕の手を握った。

 

「……トーカちゃん?」

「……今さらだけどさ。ホントに、会いたいの? リゼに」

「……うん」

「どうして?」

 

 ……どうして、か。

 

 色々、理由はある。僕がこちらの世界に、足を踏み入れる原因だったことも。彼女の赫子のお陰で、何度も命を救われていることも。頭の中に生まれた彼女の言葉が、ヤモリに殺されそうになった時も、その後も、何度も何度も僕を助けてくれたことも。

 

「……僕は、”人間”で”喰種”だから」

「……」

「今僕があるのは、間違いなくリゼさんが居たからだから。リゼさんを利用されるのが、良い事にならないっていうのもあったけど……、でも、やっぱり会いたい。

もう一度、会って話がしたい。

 だから、色々やってたっていうのも、大きいと思う」

「……私は、あんまり今行かせたいとは思わない」

 

 僕の正面に回って、もう片方の手をとるトーカちゃん。

 こちらを見る目は……、どうしてか涙ぐんでるようにも思う。

 

「……」

「……」

「……トーカちゃん」

 

「――ばか」

 

 うつむいて、トーカちゃんは小さく言って、手を離した。

 なんとなくその頭に手を伸ばして、でも、どうしてか触る事を僕は躊躇った。

 

 

 ――そして、僕は耳にした。悲鳴を。叫びを。 

 

 音の方に走る、声の聞こえる部屋の前まで。

 がんがんと打ち付けるような音を聞き、僕は勢い良く扉を開けた。

 

 

 そこには、確かにリゼさんは居た。……確かに、居たには居た。

 

 

「リゼ、さ――」

 

 

 

「――ア、あげ、が」

 

 

 

 左右で「色合いの違う赫眼」を向きだしながら。リゼさんは涎を垂らしながら、その場で転がり、叫んでいた。

 身体は拘束服のようなもので動きを封じられている。……その状態が解けないのは、食事の量を調整されているからか。

 

 僕の呼びかけも、彼女は聞こえてなさそうだった。

 

「あっっ、あああああ、はぁ、に、く、ニク、肉ッ!!!!

 食べないと、食べないと――食べたくないよぉおおおお! 違うの、違うのぉおおおおおおッ!

 お腹すいたよぉおおおお! 食べたいよぉ! ”お団子”でも”オムライス”でも一緒に食べたいよおおお!

 なんで(わたし)、肉しかあああああああああああああ――!」

 

「リ―― ……さ……、ん?」

 

「も、もも、、、、、

 もぅ嫌よぉ、こんな、こんな暗いところもう嫌ああああああ!

 耐えられないの、、、、もう無理よ、だってリゼじゃない(ヽヽヽヽヽヽ)んだからああ!

 出して、助けて、誰か出して出して出して――だれか居ないの、誰か、お父様ァ!!! ――”研くん”!!!!」

 

 やはりと言うべきか。彼女は僕の名前を何故か知っているらしい。

 でも、その言葉はただ僕を混乱させるばかりで。

 

 トーカちゃんが隣から入ってきて、肉のパックを開けて、リゼさんの前に置いた。

 

 リゼさんは泣きながら、それに齧りついていた。

 

 

「……詳しくは知らないけど、前みたいに好き勝手に食べられてた訳じゃないんでしょ? リゼ。

 だから、今調整中らしい」

 

 立ち上がったトーカちゃんの横で、僕は膝を付いて。

 

 たとえこんな状態でも、僕は、話すしかなかった。いつか頭の奥で、彼女の幻影が言ってくれたように。

 

「リゼさん……、久しぶり、ですね」

「んむ……、ぶ、ふ゛ふ゛、」

「あれから、色々ありました。楽しかったこともあったし、辛かったこともあったし。

 ……『あんていく』で働くことになって、トーカちゃん達と出会って。友達、食べようとしたり、知り合いのお母さんが目の前で殺されたり。僕らの命を狙う捜査官と戦ったり――拷問されたり」

 

 とてつもなく凶暴な力を持っていても、それでも誰かのために命をかけられる、やさしい子と出会ったり。

 力を付けるために、多くの喰種と戦って、赫子を齧っていったり。

 

 僕みたいな、リゼさんに端を発する半喰種の子たちと会ったり。

 

「そして、また、会えました」

  

 本当に、本当に辛い事が多かった。楽しい事もあったけど、それ以上に辛い事が多かった。

 

「それでも僕は……、なんだろう、”君を憎めない”んですよね。

 これって変なのかな……。でも、君と話がしたいんだ。何か、何か『重大な何か』を見落としてるような気がして」

 

 何故リゼさんが、僕のことを「研くん」と呼ぶのか。その呼び方をしていたのは、記憶の中ではもう既にこの世に居ないはずの、あの彼女くらいだというのに。

 

 腹部を、彼女の赫胞が収まっているだろう腹を押さえながら、僕は彼女に、話しかけ続ける。

 

 徒労だろうが何だろうが、例え――それで目がにじんだとしても。

 

「――へぁ、えふ……、ぶ゛、」

「ねぇ、リゼさん。僕を、見てよ――」

 

 トーカちゃんが、僕の名前を呼ぶ。でも、それさえ僕は応じる事は出来なかった。

 自分の中のバランスが、崩れ始めていた。

 

「僕は、今の僕は、人間の僕と喰種の貴女で出来てる」

 

 僕の知った彼女は自由で、余裕があって、奔放で、凶悪で好き勝手やってて――。

 でも僕が見ていた彼女は、偽りだったかもしれないけれど、やっぱりどこか記憶の底を掠める何かがあって――。

 

 そんな貴女だからこそ、僕は。

 

「――それでもどこかで、あなたが『好きだった』から、だから僕は一緒の道を探そうって」

 

 拷問の果てで、意識が変わりそうだったあの時にトーカちゃんが僕を呼びとめた時。

 僕は結局、リゼさんと一緒に居ることに決めた。……今だからわかる。だからあれから、ずっと彼女の声は僕にささやき続けたんだ。両方の選択肢を手に取って歩く象徴として、自分の中の喰種の象徴として――。

 

 でもだからこそ、今のリゼさんを見て僕の中のそれが崩れた。

 

 自分の中にあった強い痛みの記憶が、ヤモリのような形をとったのだろう。……失いたくないという、その衝動が、失わないためなら何をしても良いという形になったんだろう。

 

 

 でも、だから。

 

 だから、だからもう一度リゼさんと話したかった。和解なんて出来なくても、自分の中で何かしら、答えが出せればって思って。

 

 でも――リゼさんは僕の隣に「居ない」。喰種の象徴としての彼女が「居ない」。

 

 

「貴女が居ないと、僕は、僕だけなんですよ……、人間の僕しか、残ってないんですよ……。

 ただの、子供の、金木研しか――」

 

 からっぽの僕しか、残ってないじゃないか。ただの愛されたがりの、自分しか――。

 

 項垂れる僕と、涙を流して食べ続けるリゼさん。

 

 

 そんな僕の肩に、トーカちゃんは手を置いた。

 

 

「……違うでしょ、カネキ。それだけじゃないでしょ」

「……」

「全部見て知ってるわけじゃないけど、私が見て知ってることだって、いっぱい、いっぱいあるから。

 少なくともアンタは、依子のことで困ってる私に手を貸してくれた。リョーコさんのことで戦ってる私に、死んで欲しくないって、何かしたいって」

「……」

「”白鳩”と戦ったときだって、色々やってたみたいじゃん。月山の時なんか、自分の肉食えって言ってさ。

 アオギリでもかなり酷い目に遭ったみたいだけど――全部、戦ったのは、誰?」

「……それは」

 

「アンタでしょ。アンタ以外居ないでしょ」

 

 顔を上げて、トーカちゃんの方を見る。

 

 トーカちゃんは……、なんだか、慰めるようにふっと力を抜いて笑っていた。

 

「力は、切っ掛けはリゼだったかもしれないけど。

 戦ったのは全部アンタの力じゃん。……立ち上がったのも、立ち向かったのも」

「……僕の?」

 

「何があったかとかさ。全然分かんないけどそれだけは言えるから。誰がなんて言っても、カネキは自分で選んで来たんでしょ? なら、カネキならそれは出来る。

 でも、だから、話して。

 突っ張らないでいいからさ」

 

 殴んのはその後にしてあげる、と。トーカちゃんは僕にそう言って。

 

 

「……結局、殴るのは確定なんだね」

「当たり前」

 

 ふふん、と少しだけ得意げに、トーカちゃんは鼻を鳴らした。

 

 

「自分で自分がワケわかんなくなってるときに、はたいてやれる奴が居ないのも寂しいじゃない」

 

 

 その微笑に、どうしてか僕は胸に痛みを覚えて――ものすごく、眩しく感じた。

 

 

 

 

 

 




四方「……」 扉付近で出るタイミングを逸して、微妙な顔で二人のやりとりを聞いている

※本作のリゼは、設定面でたぶん原作と結構食い違ってます


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#055 美笑/漂流

 

  

 

 

 

 何から何を話すべきか。僕自身よくは分からなかった。

 だからこそなのか、トーカちゃんは最初から色々話せと言った。……本当に最初から、それこそリゼさんと初めて会った時から。

 

「(っていうか、やっぱり知的っぽいのが好みかコイツ)」

「?」

 

 あんていくの二階を間借りして、僕とトーカちゃんは話し込んだ。

 

「……そ、その、やっぱ食われんのは嫌なの?」

「そりゃ、まぁ……」

「……」

 

 ……色々と根掘り葉掘り聞かれた。僕自身、気恥ずかしいことも多かった。時に二人そろって頭を抱えたり、時にほっぺたを引っ張られたりと色々な反応があった。

 

「……っていうか、何ほっぺにキスとか、意味わかんない……(私だって全然そーゆーのないのに)」

「と、トーカちゃん?」

「うっさいッ!」

 

 叫んで。引っ叩かれて。

 訳もわからず弁明する僕に、不機嫌になるトーカちゃん。

 

 流石に、話してない部分もある。小さい頃にアラタさんと出会ったこととか、幼い頃のトーカちゃんと遊んだこととか。

 でも、これだけは言った。――拷問された果て、リゼさんを「作った」僕に対して、待ったをかけたのがトーカちゃんだったということは。

 

「……じゃあ、アンタは結局私のそれがなかったら、あんていくには残らなかったの?」

「……たぶんね。みんな守るためには、力が必要だったから」

「だから、それは――」

「うん。もう分かってる。……もう言われてる」

 

 自分ひとり守れないで、周りを守ることなんて出来ないとか。やろうとしてることは結局ただの自己満足だとか。リオくんの最期の笑顔が頭に焼き付いて離れなかったあの時、トーカちゃんが僕に付きつけたことだ。

 

「あんまり感性的な悩みはしたくないんだけどさ。でも……、それでも思う時はあるよ」

 

 そして、僕はアラタさんのドライバーをトーカちゃんに見せた。

 目の前に置かれた、自分が託したドライバーに、裏面も含めてヒビが入ってるのを見て。流石にトーカちゃんも、これには言葉を失った。

 

「――もっとやりようはあったんじゃないか、とか。もっと力があれば、とか」

「……カネキ」

 

 トーカちゃんは、隣の僕の手を取った。

 

 三人がけのソファーだったので、お互いある程度スペースを開けて座っていたのだけれど。手をとって、握った瞬間にトーカちゃんはこっち側に距離を詰めた来た。

 トーカちゃんの身体が、僕と接触する。同じくらいの位置にある彼女の顔が、近いー―。

 

「……大事に使ってって言ったけどさ。でも、それでもアンタが生きてることの方が、私は嬉しい」

「……いや、でもこれって、たぶんトーカちゃんのお父さんの――」

「うん。そうだけどさ。でも……、私は、アンタならちゃんと使えるって思って、『アンタのために』これを手渡したの」

 

 間近で見るトーカちゃんのその表情は。やっぱり全てが言葉の通りという訳ではなかった。いくらか悲しそうな、寂しそうな色も含んだ表情だった。

 

 でも、それでもトーカちゃんは微笑んだ。

 

「――カネキが、カネキだったから手渡したの。これを」

「……含意が多すぎるよ、それは」

 

 がんい? と頭を傾げる彼女に、含みってことだよと僕は教えた。

 トーカちゃんは、首を左右に振る。

 

「含んでなんかないから。アンタが、アンタみたいじゃなかったら、たぶん月山の後にまた手渡してない」

「……?」

「――カネキは、お父さんに似てるから」

 

 トーカちゃんは、ゆっくりと、言い聞かせるように続ける。

 

「でも、それでもお父さんとはやっぱり違うから。一人でほっとくと、どこまでも危なっかしくって。無茶なんてガンガンにして、いつかパンクすんじゃないかって、最近は思う」

「……パンクね」

 

 だから、とトーカちゃんは僕の手を解き。

 ぎゅっと、突然抱きしめた。

 

 動揺しすぎて言葉も出なくなった僕に、彼女は続けた。

 

「……普通にしてたら話せないって言うならさ。少しくらいは、私に甘えてもいいから」

 

 ……いや、甘えてって。

 

「変な言い方だった。えっと、その、他の奴にあんまりワガママ言えないなら、私にはそれを言ってもいいから。

 私は、両方のアンタをちゃんと知ってるつもりだから。『人間』のアンタも、『喰種』のアンタも。だから、少しくらい気を遣わなくてもいいから」

「トーカちゃん……」

「……変な事言うから、一度しか言わないから。前に一回ハグしてくれって言った時、一応何秒かしたけどさ」

「数秒で押し返されたね」

「流石にちょっと恥ずかしかったけど……、でも、あれはあれでちょっと、嬉しかったってこともあったの。アンタが、珍しく変なワガママ言ったってことだから。頼ってくれたってことだから」

「……」

「”一人にしないで”って言ったけどさ」

 

 ハグを解いて、トーカちゃんは僕の顔を見据えて。

 

「一緒にいてくれるなら、私が一人じゃないなら――アンタだって一人じゃないんだから。いい加減分かれ」

「……」

「カネキに居て欲しって言ってんの。他の誰でもなくって――」

 

 ……不覚にも。その時のトーカちゃんの微笑みに、僕はドキリとさせられた。

 

 少しずつ核心に迫るような。

 揺らいでいる僕。ぶら下がっている谷底のようなそこに、彼女はさっと手を差し伸べた。

 

 母さんじゃない。リゼさんでもない。それらと重ならないのに――それでも、その時のトーカちゃんは綺麗だった。

 こんなに綺麗なヒトが居るんだって、そう思ってしまうと、何故か不思議と鼓動が早くなってきて。

 

 動揺しながらも誤魔化す手段を持たない僕は――ただただ反射的に、トーカちゃんをハグしていた。

 

 腕の中で、トーカちゃんは一瞬呻いたけど、不思議と抵抗はしなかった。

 

 

 だからこそ、僕は思った。

 例え滑稽だと笑われても、誰かに手を差し伸べる――揺らいでいた僕の始点を、彼女は思い出させてくれたように思う。

 

 だからこそ、僕は――。

 

 

 

 僕は、トーカちゃんを好きに(ヽヽヽ)なっちゃ(ヽヽヽヽ)いけない(ヽヽヽヽ)

 

 

 

 「愛されなかった」僕と、求めた愛を得られず育った僕と一緒に居たら。

 きっと心から「愛されていた」彼女は、不幸になってしまうから。

 それは、一度壊れたものがもう戻らないことと同じくらい、明白なことだから――。

 

 そう思った時、この場にトーカちゃんが居るにも関わらず、僕はものすごい孤独感を覚えた。

 

 不思議と泣きそうになったのを堪えながら、でも、どうしても僕はしばらくの間、トーカちゃんから手を離すことが出来なかった。

 

 

 ……どうしても、出来なかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「トーカちゃんは、大学卒業したら何したいの?」

 

 高校の帰り道、ふと依子が私にそんなことを聞いてきた。

 テストの返却があって、その時は正直に言うと面倒くさいって思いながら登校してた。点数は思ったより良かったけど、これでたぶん、ようやくB判定に届くか届かないかってところだから、気を抜けない。

 

 そんな私の様子を見てたからか、依子は興味津々って感じだった。

 

「まだ受かってもいないのに、鬼笑うんじゃない? それ」

「んー、じゃあこういう聞き方の方が良い?

 トーカちゃんの将来の夢は?」

「将来の夢、か」

 

 ぼんやりと、漠然としていて。それ以上に今を生きることで手一杯って感じで。ついぞそういう話は、考えてみればあんまり思い描いてはいなかった。

 だって、何かあれば私は、一つの所に留まっていられる存在じゃないから。

 

「……ちゃんと考えたことはなかったかな。

 依子は?」

「調理師さん!」

 

 いつかにも聞いた覚えが、あるようなないような。

 なんとなく笑顔で毎日料理をやってる依子のイメージが想像できて、ふっと私は笑った。

 

「いいね。繁盛しそー」

「にへへ、ありがと。じゃあ、トーカちゃんは?」

「夢か……」

「うん! あ、お嫁さんとかそういうのはナシでね」

「別に言わないから、そういうの」

 

 えぇ~? と何か言いたそうな、微妙なニヤニヤ具合にむしろ私の方が何か言ってやりたくもなたったけど、真面目に考えてるのが伝わったのか向こうもあんまりそのノリは引っ張らなかった。

 

 夢、やりたいことか……。

 

「……やってみたいことなら、いくつか」

「へぇ!? どんなこと?」

「先生とか、あとは……、喫茶店とか?」

「アルバイト先みたいな?

 へぇ~、喫茶店かぁ……」

 

 なんとなく、ぼんやりと目に浮かぶあんていくの店の感じ。

 そこにある、というだけで色々なヒトが集まってくる、そんなイメージがあって。

 

 ……そういう場所でなら、きっとアイツだって自分から、居場所を見つけられるんじゃないかって思って。もちろん、あんてでだってアイツの居場所はあるんだけど、もっと大きく、アイツ自身が身を委ねられるような。もちろんアイツだけじゃないけど、少しでも気を抜けるような。

 

 そんな安心できる場所みたいなんが、なんか、好きかなって私は思う。

 

「私もトーカちゃんのお店で働きたいな~、楽しそう」

「……ん、そーかな?」

「そーだよ! トーカちゃんの淹れたコーヒーとか飲んでみたい!」

「じゃあ、そのうちバイト先来れば?」

「なんて名前だっけ」

「『あんていく』」

「安定区?」

「ひらがな」

「へぇ……。なんか、アンティークっぽい感じだね。何て由来?」

 

 それは、前にカヤさんに私もなんとなく聞いたことのある話だった。

 結構簡単な意味合いだって言ってたけど、私はそれが何なのかいまいちわかんなかったっけ。

 

 立体交差を渡った先で依子と別れて、私は一度家に向かう。

 

 見直しとかは後に回して、何はともあれ「あんていく」。今日は久々に、カネキが店に出ている。たぶんロマあたりに押されて色々大変になるだろうから、私がしっかりしてやんないと。

 ちらりと見て見れば、テーブルでヒナミが上半身を突っ伏して寝ていた。……身体痛めるって。とりあえずソファに寝かせて、付けっぱなしだったテレビを切った。

 

 テレビではワイドショーが流れてて、そこでは”アオギリの樹”によりCCGの局が一つ襲撃されたと出ていた。なんだか、久々に大きく動いたように思った。

 

 近隣住民のインタビューで、なんかやぼったい、その辺のオバサンAって感じのヒトが「本当に物騒」だの「急に出てきたでしょう?」とか色々言ってた。

 ……なんだかワイドショー的には、アオギリだろうが何だろうが「喰種」は悪いと決定付けるような、そんな放送の仕方だった。なんとなく頭を左右に振り、画面を消す。

 

「考えたら、カネキだって最初は拒否してたっけ。……『喰種』を」

 

 なんだかホントにもう、かなり昔のことのように思えてくるくらいだったけど。でもそれでも自分は人間だと言い張り、かたくなに肉を食べようとしなかったのに違いはない。

 

 ……今更ながら。本当に今更ながらなんだけど。

 ついちょっと前まで単なる人間だったアイツが、人間の肉を食べて。それは、どんな気持ちだったんだろう。たぶん私らが感じられないような、そんな類の痛みを伴っていたんじゃないだろうか。

 

「……いや、アレはノーカンだし、ノーカン」

 

 そして、アイツに肉を食べさせるために自分が何をしたかということをふっと思い出して、思わず私は自分に言い聞かせた。お互いそういう頃でもなかったし、別に好きでも何でもなかった頃のだし。

 

 どっちかって言うと人命救助とか、そーゆーのだから、ノーカン。積極的にしたことなんてないから。

 

 ……ん、だからアイツのほっぺに積極的にした(ヽヽ)って言う奴らが、なんか恨めしいような。

 

 張り合うような所でもない気はする。どっちかって言えば、アイツが甘えられるような、そんな相手に私がなれれば良いというところまでは来てるような、そうじゃないような気がしてるから。

 でも、やっぱり何か出遅れてる感はそこはかとなくあった。

 カネキ引っぱたいても、いまいち解決しない事柄だから、どうしたもんかしら。いや私の今の状態で、そういう攻め方してもたぶん引かれるのがオチじゃないかとも思ってるし、難しい問題だ。

 

 でも、そんな私個人の問題もあるけど、思いのほかカネキのそれは根が深かった感じがした。

 

 何と言うか、あんまり言葉が伝わってなかったというか……。よっぽどストレートに言わないと、すぐに本心を引っ込めるというか、そういう感じがした。

 

 言えば良いのに、どうして言わないで引っ込めるのか。

 

 遠慮しなくて良い、と言ってるんだから、遠慮せず言えば良いのにきっと、まだ「何か隠してる」。無理に聞きだそうとすると、もっと引っ込むんじゃないかって思ってあんまり追求は出来なかったけど……。何なんだろう。

 

 どうしたら、もっとアイツに頼ってもらえるんだろう。

 

 ……ひょっとしたら、リオの時のせいか? 思えばあの後、確かにめっきり力関係で頼られることはなかったように思う。

 あの時言ったことも多少は通じたんだとは思うけど、ひょっとしたらそれ以上に、アイツも怖がったのかもしれない。

 

 

 カネキはきっと、自分が嫌いか、自信が持てないでいるんじゃないかって、そう思う。

 

 

 例えば今、私が「そんなんでもアンタが好きだ」と言った所で、きっとその言葉は正しく通じないような、そんな気がしていた。

 

 空は夕暮れ。ため息をつきながら、家を出て「あんていく」に向かい歩いていると。

 不意に、私は「変な匂い」を感じ取った。何が変なのかと言えば、匂いのその構成だ。

 

「……リゼ?」

 

 匂いは、女の喰種のそれ。その匂いを私が判別できる理由は明白で、しょっちゅう嗅いでるからに他ならない。リゼの匂いをしょっちゅう、という意味じゃない。

 ……リゼの匂いと一緒に漂うその匂いは、「人間の匂い」だった。

 

 この構成は覚えがある。覚えしかない。

 

 匂いの種類は結構違ったけど、間違いなくそれは「カネキ」のそれと同じような感じだった。

 

 違和感を覚えて、私は匂いを辿る。路地裏に足を進めると、段々とその匂いに血が混じったような、そんな匂いになっていって。

 

 

 そして――私は見つけた。

  

 前髪の半分が「真っ白」になった、黒髪の女。

 そいつは、腰には変なクインケドライバーを巻いていた。服は一部ズタズタだけど、基本的にはカジュアルな、そんな感じ。血にまみれていて、本人の血か他人の血か判別が付かない。顎と首が赤黒く染まっているのが、何故か痛々しいように見える。

 

 そして何より――。

 

「何、こいつ――!」

 

 動揺する私に、うっすらと目を開けたそいつは。

 その目は、まるでカネキみたいに――左側だけが赫眼で。

 

「――」

 

 何か口が言おうと動いて、でも何か意味のある言葉を言わずに、そのままそいつは目を閉じて、倒れた。

 

「……とりあえず、あんていく連れて行くか」

 

 周囲にヒトが居ないことを確認した上で、私はそいつの口元をガーゼで覆って、あんていくに向かった。

 

 

 

 

 




今回のまとめ・・・
・カネキ:ついにトーカを意識しはじめる
・トーカ:なんだかんだで後一押しで何とかなりそうなところまで来る

・クロナ:トーカに拾われる


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#056 迷想/観息

  

 

 

 

 

 多少なりとも、決心が付いた。

 だからこそ僕は、それを確かめに今一度「あんていく」に向かった。時間がある程度経過して、自分の中で情報が整理されたこともあってか、僕はその可能性に辿りついた。

 いや、たどり着いたというよりも、疑惑が沸いたというべきか。

 

 僕は――彼を、芳村店長を信頼している。……信頼していたい。

 

 だからこそ、聞かなければならない。僕がこれからどうあるべきなのか、真剣に、考えるために。

 

 時期がテストにそろそろ被りそうなタイミングになってきたけど、そこのところは無視するしかない。というより、こっちもやってないとちょっと、精神的に勉強してられなかった。

 ちょっと言い訳がましい部分もあったけれど……なんとなく、トーカちゃんの顔も見たかった。

 

 そして朝一で服を着替えてカウンターの準備をしていると。

 

「か、か、かかか、か――」

 

 入って来たのは、あんていくの新人の……、ロマさんだっけ。

 子供っぽい感じのヒトだけど、でもそれは挙動に限定されている。容姿的にはじっとしてれば大人っぽいというか、いくらか成人らしさを感じさせる印象だった。

 もっともこういう変な動きも多いので、そういうことを意識することは少ない。

 

「おはようございます。えっと……?」

「ひゃ、ひゃい! あ、おはようです! ではロマは掃除行ってきま~~~す!!!!!」

 

 それだけ言うと、彼女は全力疾走といった風にあんていくの外に回った。

 何か声をかけるまえに走り出す彼女は……、何なんだろう、人見知りなんだろうか。実際に彼女と顔を合わせたのは数回くらいだけど、その時も大体こんな感じだったような。

 トーカちゃんからは「皿割りまくり」と言われているので、そういう怖さもちょっとあった。まぁ言ってたトーカちゃん本人が、話途中で皿を割ってたりもしたけど……。

 

「……おはよう、カネキくん」

「……芳村さん」

 

 そして、店の奥から店長がやってくる。おそらく地下でリゼさんに食事を与えた帰り、といったところなのだろう。ほんのり漂う匂いからそう判断して、僕は店長に向き直った。

 店長は、僕の目を見て、何も言わず。ただただこちらが何かを言うのを待っているようだった。

 

「……後でお時間、頂けますか? 上がった後で」

「……構わないよ。聞きたい事も、言いたい事も、色々とあるだろうしね」

 

 店長は、僕を見て何かを察しているようだった。何を察してるのかまでは分からないけれど……。少なくとも「リゼさん」のことについては、確実に聞かれるくらいの判断なのかもしれない。

 

 店長は僕の隣に並び、グラスを磨き始める。

 僕もその隣で、カップを磨く。

 

 しばらく無言が続く。でも、なんだろう。不思議とそこまで気まずく思わないのは、店長の人柄のせいなんだろうか。

 

「――鯱とは、顔を合わせたのかい?」

 

 ただ、その言葉には、僕は一瞬固まった。

 

「……知り合いなんですか?」

「古い友だ。……実を言うと、店の経営について少し教わったりもした」

「バー、やってますものね」

「如才ないからね。武術家ゆえに隙がない、とも言えるかもしれないが」

 

 これは、ヒントを与えてくれているということだろうか。店長に何をどう聞けば良いのか、ということについて。でもまさか、鯱さんと知り合いだったというのには驚いた……。なんとなく脳裏で、あの作務衣みたいな格好の鯱さんが、スマホ片手に「()()しッ!」と出ているのを幻視する。

 

「私は、なんだかんだ言ってゴロ付きのそれが根幹にあるからね。ケンカ殺法と言えば、少し格好良いかな?」

「そうなんですか? 僕の見た限りだと、そうとは思いませんでしたけど……」

「何分、時間だけはあったからね。彼に言わせれば、私は赫子の力に頼りすぎなのだと言う」

 

 確かに、そういうことを言いそうなイメージはあった。

 

「彼から、何か言われたかい?」

「……自分の弱さを知れ、と言われました。自分の心に向き合う以外、道はないと」

「心に向き合う、か――」

「難しいですね、心って」

 

 自分が何を求めているのかなんて、あの時にわかったと思っていた。それでもなお何をしたいのかという意味で、何を求めたいのかという意味で、僕は僕を新しく定義付けた。

 でもだからこそ、誰かから愛されたいと言う衝動があったからこそ――トーカちゃんに対して、僕は。

 

「心か。……カネキくん、先に一つだけ注意しておこう」

「はい?」

 

「――もしドライバーが欠損したら、あまり多用しない方が良い。何が起こるかわからないからね。いくらそれが、トーカちゃんのお父さんのドライバーであっても」

 

 店長は、何をどこまで把握しているのか。

 それとも、何か経験があるのだろうか。

 

 でもやはりというべきか。口ぶりからして、店長はアラタさんのことを知っているようだ。

 

「……アラタさんは、一体、何が――」

 

 ただ続きを聞こうとした瞬間、あんていくの裏口側からトーカちゃんの叫び声が聞こえた。店長と顔を見合わせて、僕は裏口側に回り――。

 そして、完全に予想外の組み合わせに遭遇した。

 

 

「トーカちゃんに……、クロナちゃん!?」

 

 

 トーカちゃんが担いで持ってきたのは、安久黒奈。

 嘉納先生によって作られた”半喰種”の一人で、僕より後の成功例の一人。

 

 ただその前髪の一部は、妹のもののように白く染まっていて。全身は傷だらけで、血だらけだった。

  

「……ん、まいいか。カネキ、コイツ前話してた奴?」

「う、うん。だけど……何で一人なんだろう」

「私が知るか。でもそのまま放っておくとまずい感じがしたから、拾ってきた。

 近くには一応、他にはいなかった」

「拾って……、なんだか懐かしいね」

「あ゛?」

「い、いや、何でもない。とりあえず店長を――」

「その必要はないよ、二人とも」

 

 芳村店長が、僕の後ろから少しだけ顔を覗かせた。顎に手を当てて思案し、「とりあえず、バックヤードで手当てを頼むよ」とトーカちゃんに言った。

 

「半喰種……、それに隻眼か。果たしてこれは狙っているんだろうか……」

「店長?」

「いや、何でもない。

 トーカちゃんとカネキくんで、交代で看病しよう。おそらく半日もかからず目を覚ますだろう」

 

 表に戻っていく店長を見つつ、僕はトーカちゃんに運搬を変わると提案した。もっとも、それはなんだかすんごい顔で断られた。っていうか、何だろうその顔。変質者でも見るような目は。

 

「ど、どうしたの?」

「いや、またセクハラしねーとも限らないし」

「……いや、わざとじゃないって」

「それに、わざわざ役得やる必要もないから」

「役得?」

「そ。じゃ、とりあえず扉押さえておいて」

 

 言われるままに、僕はトーカちゃんを先に店に入れて――。

 

「――シロ」

 

 おそらく寝ぼけた声なんだろうけど。どこか涙ぐんでいるような、そんな響きを持つクロナちゃんの声が聞こえた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 カネキが居ようと居まいと、ロマはとにかく皿を割りまくっていた。不器用すぎんだろ、それ。

 本人に文句を言えば「手のひらの中に入るサイズだったら絶対落とさないんですけどねぇ。これでもジャグリング得意なんですよ、見ます?」とか言ってグラス三つを手に取ったのを、私とカネキで全力で押さえた。

 

 とりあえず、店が開いてからは店長が珈琲を淹れていた。私とカネキが一緒に居ればどっちかが、ということになったんだろうけど、流石にロマとか、あのクロナっていうのとかとの対応に追われてるのを見かねたんだろう。

 

 クロナ……、いや、まぁ、知らないけど。消毒して薬塗って、服を軽く着替えさせて。二階に運んだ後、寝ぼけながらでも食事をさせた。朦朧としながらも肉にはちゃんと反応しているあたり、やっぱりカネキもコイツも喰種だった。

 カネキは「なんだか懐かしい」と言ったけど、なんとなく私もそれは思った。カネキにドライバーを付けて、落として、店に運んできて。こっちの手当てもそこそこに、店長と交代でカネキと、あの永近さんってのの看病をして。肉に対する反応が、その時のカネキとまるで同じだった。

 あの後、カネキは泣いたらしい。よっぽど肉を食うのが嫌だったのかは知らないけど。

 でも、きっとこの女は泣かないんだろう。なんとなく、そんな気がしていた。

 

『へ、へ、ヘタレー!』

「……いや、黙れっての。いい加減マジで油ん中突っ込むぞ」

『ヘタ!?』

 

 私の本気度合いを察したのか、ヘタレが黙った。いつもそうしてりゃ良いのよ、ホント。

 クロナってのを見ながら、私は向かいのソファに背を預けて、膝に肘をつく。顎をついて、ぼうっと考える。

 

 ――コイツ、何で人間辞めたんだろ。

 

 私なんて、なりたくったって人間になんてなれないのに。

 人間だったら出来る事なんて、沢山、沢山あんじゃん。依子の手料理だって食べられるし、びくびくと正体隠すことだってないし。たまにふわっと嗅いだ血の匂いで涎とか心配することもないし。

 

 それに――好きな人間(ヤツ)がいるんなら、そいつの子供とかだって何にも気にせず、産めるのに。

 

「……って、私が考えたって意味ないか」

 

 ないものねだりなのか、隣の芝が青く見えてるだけなのか。さっぱりそんなことわかんないけど、でもやっぱ勿体ないって、私は思う。でもコイツはそう思わなかったんだろう。何でなんだろうか、とか私が気にする必要のないことが、頭の中を過ぎる。

 

 ……やっぱりそれだけ疑問があるんだろうか。それとも憤りがあるんだろうか。

 

 なりたくったって、なれないから。人間なんて。

 

「むしろ、なろうと思って喰種になれる方がおかしいのよね」

 

 そんな益体もない話はとりあえず置いておいて。

 そーゆーのは大学入ってから考えれば良いとして。

 

 目下、カネキが居ない場所でコイツについて私が考えるべきは「……何、コイツ、カネキのこと好きなの?」という、只一点のことだった。

 

 コイツと私の攻め回数(?)からすると、私の方が、堅実にやってるつもりは、ある、けど。

 でもコイツの攻め方って、意味わかんないくらい段階すっ飛ばして来てる。初手セクハラ? に、以降ほっぺにキスとか腕絡めたりとか、あーんしたりとか……。止めよう、ムカムカしてくんのと同時に、自分のアイデア不足が悲しくなってくる。

 

 いや、どっちかって言うとカネキの中における私とコイツのポジションの問題な気もしないではないけど。

 

 私なんかは「仲間」なのか「妹」扱いなのか、最近よくわかんなくなってきてる。ヒナミとまとめて、みたいに扱いじゃない感じはしてるけど、ちょっとくらい進展してはいると思いたいけど、それだってどこまでカネキの中に届いているかはわかんないし。

 ……むしろ1月とかあたりから、アオギリから助け出した直後あたりの方が、私もテンションおかしかったせいか攻めに攻めまくってたような。むしろちょっと引かれたから、無闇に接近すんの止めたんだっけ。

 そしてリオのことが来て、少しカネキに対する私のスタンスが変わったって言うか。望む望まないどうこうより、どうなって欲しくないかを考えるようになったって言うか。

 

 その点、コイツは何なんだろう。カネキとの接点なんかは、絶対私の方が多いし。だけど……、カネキの後の、という意味で妹を自称してるから、訳わかんない行動は甘えてるってことになんの? いや知んないけど。

 

「……うー、あーッ」 

 

 そしてここまで考えたあたりで、私は頭を抱える。我ながら何考えてるんだろうと、意味わかんないと。

  

 そして、その声のせいじゃないと思うけど、目の前で寝ていた奴の目が、うっすら開いた。

 天井を見て、変なポーズで固まる私を見て、そして自分の身体を見て。

 

「……シロ」

「は?」

「シロ、どこ――ッ」

 

 そして、そいつはいきなり泣き出した。

 シロっていうのは、たぶん妹の方のことなんだろうけど……。一体何があったのか。とりあえずただただ泣かせとく訳にもいかなかったから、棚の上にあるティッシュをとって、テーブルの上に置いた。 

 

「うぅ……、うぅ……」

 

 ……テーブルの方なんて見向きもしねぇ。

 

 どうしたら良いのよ、これ。泣いてる理由もわかんないから、下手に慰めるわけにも、事情を聞くこともできないし。というか私とコイツ、絶対面識なんてないと思うし……? あれ? 見覚え自体はそういえばうっすらあるような、ないような。どこでだっけ。

 

「……とりあえずソファ突っ伏さないで、ティッシュで拭け」

「……ん、うん」

 

 一応言葉が通じるくらいには意識がはっきりしてんのか。そいつは身体を起こして、顔を拭いた。目が赤い。赫眼って意味じゃなくて、泣きはらしてる。

 少し泣いて冷静になったのか、そいつはまた周囲を見回して、私に向かって聞いた。

 

「ここはどこ?」

「喫茶店。あんていく、て言ってわかる?」

「アンティーク?」

「あ、ん、て、い、く。

 ……カネキの働いてる店」

「お兄ちゃんの……?」

 

 一瞬、目の中に光が戻ったように見えたけど、すぐにまたぼうっとして暗くなった。

 

「……」

「……ん、何分かしたら来るから、とりあえず待ってれば?」

「……! ……」

「いや、すぐ暗くなんなし」

 

 ホント何があったんだよ、と聞きたくなる感じ。カネキから聞いていたのとは、いくらかイメージが違っていた。ありていに言うと、暗い。というか、全然会話しようともしないし。

 性格が変わるようなことは早々ないと思うけど、だったらこうなるだけの理由があるってことなんだろう。カネキが少し変わったみたいに、何かが。

 

 しばらくためらいがちに私を見て、そして目の前の相手は口を開いた。

 

「……えっと」

「あ゛?」

「……あなたは、誰?」

 

 ……あれ、ひょっとしてずっと話が続かなかったのって、それ理由?

 

 なんとなく気まずくなって、私は一瞬視線を逸らした。

 

「あー ……、トーカ。霧嶋董香。店的にはカネキの先輩」

「ここのヒト……」

「そーゆーアンタこそ、誰なの? カネキから少し聞いてるけど」

「……クロナ。安久黒奈」

 

 言いながら、そいつは手を重ねて、俯いて言った。

 

「――お兄ちゃんは?」

「違うだろ」

「?」

「カネキは、アンタのお兄ちゃんじゃねーだろ」

 

 ふっと重い付いたことを言うと、クロナは目を見開いて、なんだか泣きそうな顔になった。何なんだよ、一体……。情緒不安定すぎんでしょ。

 

 そんなことを考えていると、扉が開いて、カネキが入ってきた。手には珈琲が二つ。

 

「トーカちゃん、クロナちゃん起き――」

「――ッ」

 

 そして、突然クロナはカネキに抱きついた。一瞬バランスを崩しかけたカネキだったけど、なんだか妙に慣れたようにバランスをとって、カップが落下するのを防いだ。

 思わず立ち上がり、私はクロナを引き剥がそうとする。でもクロナは泣きながら、頑として放れようとしない。何なんだよ、一体……。

 

「トーカちゃん、これどうしたの……?」

 

 カネキもカネキで困惑してる。とりあえず危ないから、カネキからお盆を受け取ってテーブルの上に置いた。

 下の方に声が響くとうるさいから、カネキは後ろ手に扉を閉める。

 

「うぅ……、うぅ……、」

「とりあえず、一回離れてくれないかな。座らせてくれるとありがたいんだけど……」

「……、」

 

 泣きながら、目をこすりながら、クロナはカネキから離れた。

 ソファに座ったカネキに、でもクロナはすぐにしがみついて泣いた。

 

「「……」」

 

 私とカネキの意見は、たぶん一致していた。

 

 クロナっていうのの挙動が、完全に幼児退行していた。

 

 

 

 

 




クロナはとても修羅場れる精神状態じゃなかった・・・


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#057 振子/道擦

圧倒的ヒロイン力の開き


 

 

  

 

 

 僕の腕の中で、クロナちゃんは泣き続けた。

 しばらくの間そのまま、僕もトーカちゃんも動くことが出来なかった。ただ顔を見合わせて思ったのは、彼女の行動が、幼児のようになってる気がするということか。

 

「もしかして、最初からこうだった?」

「目ぇ覚ましてから、ずっとこんなん」

 

 何があったのか、理由を問いただそうにもこの状態だともはやそれどころじゃない。

 

 そういえば、ナシロちゃんはどこに行ったのだろう……。マダムAの警護は交代で番をしていたみたいだけど、今はそういった様子もない。特殊な事情でもない限り、彼女たち二人は常にそろって行動していたように思う。

 

 コンコン、と扉がノックされる。

 

 トーカちゃんが開けると、漂うのは珈琲の匂い。

 

「店長」

「やぁ、目を覚ましたかな。……どれ、お飲みなさい。そして深呼吸をするんだ」

 

 僕から離れようとしなかったクロナちゃんをあやす様にして、店長は軽く引き離し、珈琲をすすめた。……なんだか、酷く慣れた動きだった。

 クロナちゃんはしゃくり上げながらも深呼吸をし、言われた通りに口を付ける。

 

「落ち着いたかな?」

「……美味し、い?」

「苦いのは嫌いかな」

「甘いの」

「うん。そうか」

 

 僕がよく世話になった、あの角砂糖を解かして彼女はもう一口。しゃくりあげ続けながらも、でも段々とクロナちゃんは落ち着いて行った。

 

 そして一杯飲みほすと、彼女はじっと僕を見上げた。

 見上げたと言っても、そこまで身長差もないのだけれど。

 

「お兄ちゃん?」

「……んー、えっと」

「だから、違ぇだろ。カネキはお前のお兄ちゃんじゃない」

 

 トーカちゃんがそう言いながら、クロナちゃんの隣に座った。僕とトーカちゃんとで、彼女を挟む形になった。

 

 店長が扉を閉め、こちらと対面するように座った。

 

「……カネキくん、紹介を。察しのついている部分もあるが、知らないこともある」

「あ、はい。……安久黒奈ちゃんです。

 家は元々資産家で、でも幼少期、喰種に両親を殺され、妹さんと一緒にCCGに引き取られ……、たんだよね」

 

 僕の言葉にびくりとしながらも、彼女はおずおずと首肯した。

 

「その後のことは、あんまり。ただ何かがあって――僕と同じく、リゼさんの赫胞を移植されました」

「そうか。……ふむ。

 君は自らの意思で、望んで『喰種』になったのかい?」

「……私は、……」

 

 クロナちゃんは、言葉が続かない。

 ただ、じっと僕の手を握る。

 

「……私、席外す?」

 

 すく、と立ち上がるトーカちゃんに、でも僕は「待って」と言った。

 

「出来れば、居てくれると」

「……なんで? そいつ、ちゃんと話すの? 私居て」

「いや、でも……。駄目かな?」

「……私は、いいけど」

 

 言いながら、トーカちゃんは少しだけ視線を逸らしてから、再び腰を下ろした。

 店長が、何故かその様を微笑ましそうに見ていた。

 

「詳しい事情が知りたいところだが、辛いのなら追々、話なさい。カネキくんにでも構わないからね」

「……あの、店長」

「ん?」

 

「――クロナちゃんを、あんていくで働かせることは出来ませんか?」

 

 その言葉に、「んん?」店長は驚いたように声を上げた。

 

「カネキ、何考えてるの?」 

「……辛いときってさ、何もしないでいると、そのまま自分が自分でなくなっちゃいそうになるからさ。だから、何かしないとバランスがとれないと思うんです。それに彼女の食事も、どうにかして調達しないといけない。でも、なんでしょう。今の彼女がそういうことを出来ると思えないし、少しだけ似た境遇だからかもしれないですけど、して欲しいとも思わない」

「……」

「単に僕のワガママもあります。でも……」

 

 クロナちゃんを見れば、今にも泣き出しそうなのを堪えながら、こちらの手を握ったまま。僕らの話が届いているかどうかさえ怪しい。

 

「……やっぱり、性分です。放って置けない」

「……」

 

 トーカちゃんがため息をついて、「コイツはどうなの?」と聞いた。彼女自身の意思はどうなのか、ということだろう。

 

「クロナちゃん、話、聞いてた?」

「……働くの、ここで?」

 

 どうやら、一応は聞いていたらしい。

 僕の言葉にクロナちゃんは頭を傾げながら聞き返した。

 

「クロナちゃんが良ければ、だけれどね」

「そしたら……、――」

「?」

 

 クロナちゃんが何かを呟いたけど、僕には生憎聞き取れなかった。トーカちゃんは聞き取れたのか「あ゛?」と何故か威圧して、怯えたようにクロナちゃんが僕の腕にしがみついた。

 

「…………や、り、やります。お願いします」

「……わかった。カネキくん、彼女の面倒を見なさい。トーカちゃんに教わったように、教えてあげるんだ」

「はい」

 

 店長は一度クロナちゃんを見て首肯すると、立ち上がり下の階に戻って行った。

 

「……教えるって言ってたけど、アンタ今日、シフト終わりじゃん」

「あ、それもそうだね。店長に話とか聞きたかったんだけど……」

 

 とてもじゃないが、そういう状況ではなくなってしまった。最悪、そこの辺りは後日に調整してもらおう。

 

 僕の腕に引っ付いていたクロナちゃんを引き剥がして、トーカちゃんが頭を傾げた。

 

「っていうか、コイツ、どこ住むの? あんていくで大丈夫? アンタ」

「……」

「えっと、ここの部屋で寝泊りするのは大丈夫?」

「……う、う?」

 

 「なんで私の時は反応しないのよ」と愚痴りながら、トーカちゃんは顔をしかめる。それに「ひっ」と悲鳴を上げながらも、身動きがとれないクロナちゃん。挙動だけ見てると、本当に幼児退行してるように見えた。

 

「ここに住むってなると、えっと……」

「……リオが持っていかなかったの、残ってるでしょ。タオルケットとか。消耗品じゃなきゃ、洗えば使っても大丈夫じゃないの?」

 

 一瞬、どうしても口にするのをためらってしまったのを、トーカちゃんが拾ってくれた。なんだか申し訳ない。そんな感情が顔に出たのか「別に気にしないでいい」と、彼女は鼻を鳴らした。

 

 リオくん……、未だに彼が寝ていた奥のソファーの窓際には、花瓶が置かれている。月山さんが持ってくる花を生けたり、たまに気が付いてヒナミちゃんとかが取り替えたり、みんなで選んだりと。今でもなんとなく、彼はあんていくの一員のままだった。

 店長が持ってきた珈琲も、丁度四つだった。店長本人は飲まずに降りて行ったので、つまりそういうことだろう。

 

 カップを窓際の花瓶の手前に置いてから、僕はトーカちゃんに聞いた。

 

「えっと、四方さんとかが見回りにくる時間とかは――」

「一応、でっかいのも含めて二、三時じゃない? 基本一人で寝――」

「!? ひ、一人は嫌ッ!」

 

 びくり、としながらもトーカちゃんの言葉に拒否を示したクロナちゃん。

 子供かよ、という言葉が聞こえてきそうな、そんな表情で肩をすくめるトーカちゃん。

 

「なら……仕方ないけど、ウチで預かる。後でヒナにも連絡しないと」

「お、お兄ちゃんの家に――」

「却下」

「えっ」

「あ゛?」

「ひっ!?」

「トーカちゃん、落ち着いて……。あー、でもごめん。流石に僕の家は……」

 

 消去法で言うとトーカちゃんの家になってしまって、また迷惑がかかる形になってるけど、そのことについてはトーカちゃんは気にしてないようだ。むしろ僕の家にクロナちゃんが泊まる、というのを何がなんでも阻止しようとしてるような、そんな感じが……。いや、当たり前と言えば当たり前なんだけど、言葉が威圧に変わる速度が、妙に早いような。

 

 そしてクロナちゃんは、僕がトーカちゃんの威圧を止めた瞬間にぱぁっと顔をほころばせ、続いての拒否に打ちのめされたような表情になった。

 

 流石に「そういうこと」が起こるとは思わないけど、念には念を入れてだ。

 ……あれ、そういえばこの間、トーカちゃん留めた時に――。

 

「じゃあ制服の予備で、着れるのないか見てくるから。カネキ、ちょっと待ってて」

 

 しれっと言いながら、トーカちゃんはクロナちゃんを立たせて急ぎ足で部屋を出た。

 何というか、慣れてるような感じが……。もしかしたらヒナミちゃんに対して、のそれを荒っぽくした感じなのかもしれない。

 

 いや、でもそれだと僕的には果てしなく違和感があるというか……。だってクロナちゃんって確か覚え違いじゃなければ――。

 

 そんなことを考えていると、不意にスマホが振動する。着信を確認してみれば、ヒデの名前が表示されていた。

 

「もしもし、ヒデ?」

『おうカネキ。今、家か?』

「あんていくだけど」

『あー、今日朝からだったりしたか? 悪い』

「いや、もう上がりだからいいんだけど、どうしたの?」

 

『――カネキ、ニュース見たか? さっきのやつ』

 

 ヒデのその言葉に、どうしてか僕は不安を覚えた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「とりあえず軽くサイズ合わせて見るから、下着になって」

「……」

「……あのさ、別にとって食いやしないから、いい加減ちゃんと話せっての」

 

 自分のこらえ性のなさを自覚しながらも、私は目の前の、クロナにそう言った。

 クロナはやっぱりなんだか怯えてそうだったけど、女子更衣室で何を今更って感じだ。

 

 無理やり脱がしてやろうとすると、流石にそれは嫌だったのか、しぶしぶといった風にして脱ぎ始めた。

 

「……」

 

 ……意外と着やせしてるっていうか、私より胸あんのに、何でそんな幼児みたいにちんたらしてんのよ。

 脱ぎ終わった服をロッカーにしまって、予備のシャツをいくつか手にとり、クロナの肩に合わせる。とりあえず私のとロマのを手渡して、一回着せてみた。

 

「……ちっ」

「!?」

 

 肩幅は大体私と同じくらいだった。でも服はロマのサイズの方が合ってそうだった。……主に胸のサイズ的な意味で。別にあっちが大きいということじゃなく、ロマの方が背丈が大きいから、シャツも少しゆったりしてて、お陰で丁度という感じだった。 

 スカートは私のを合わせて、細部を調製していく。

 

「……って、なんで右のそでだけまくるの?」

「き、気分っ」

 

 肘くらいまでまくるのに何か意味があんのか知らないけど、まぁ私も右の前髪はなんとなく伸ばしてる感じだし、あんまヒトの事言えないか。

 一通り着せてみると、意外というか、案外しっくり来ていた。ちょっとだけ「あんて」入りたてのころのカネキを思い出す。眼帯のせいか黒髪のせいか……? いや、黒髪って言っても、前髪一部白くなってるけど。

 

「なんで白くなってんの、髪」

「しらない。……うらやましい?」

「何?」

「胸」

「……」

「ふっ」

「あ゛?」

「ひぃ!?」

「っていうかアンタ、そーゆーのやるなら威圧されたくらいで怖がんなよ。大体、いくつよアンタ」

「は、二十歳? 十九?」

「ぶっ」

 

 思わず吹いた。カネキと同い年か、一つ下……? っていうか、年上だったのか。別に口調、改めるつもりねーけど。

 っていうかもしかして、さっき去り際、カネキが微妙な顔してたのってそれ理由?

 

「……あー、ん、二十歳か、そっか」

「?」

 

 まぁ知的な感じでもないし、たぶん大丈夫か。リゼみたいなタイプじゃないし。うん。

 私の内心の警戒はともかく、改めて私はクロナを見た。

 

「……ルピナス」

「ん?」

「窓際の花」

「あー、カネキが置いてったやつね」

 

 今窓際においてあんのは私が変えたヤツだけど、カネキが前に入れてた花は、もう少し生きそうだったので私が女子更衣室に持ってきていた。

 クロナはそれを見て、頭を傾げた。

 

「『一人じゃない』」

「?」

「……誰か、死んだの?」

「……半年近く前にね」

 

 それを聞いて、クロナは目を閉じて、ぐっと頷いた。

 そして、なんでか私の方を見た。

 

「…………」

「……な、何?」

「……これから、よろしく」

 

 そう言って頭を下げるクロナ。

 私は、なんか困惑した。

 

「色々、教えてください」

「……まぁ、カネキだけじゃ頼りないか」

「お兄ちゃんのことも」

「あ゛?」

「そ、それ、怖い」

 

 少し落ち着いてきたのか、いきなり怯えることはなかった。なかったけど、まぁ、ビクビクしてんのに代わりない。こういうのは、やっぱり前のカネキを思い出す。

 考えると、リオは割と平然としてたっけ……? 何だろう、元人間の共通点?

 

「ま、負けないから」

 

 しゅっしゅ、とシャドーボクシングみたいな動きをするクロナに、私はなんだか毒気を抜かれた。

 たぶんカネキのこと言ってるんだろうけど……。なんだろう、行動とかに嫉妬めいたものはあったけど、勝ち負け、っていうのとは何か違うような、そんな感じが今はしてる。

 

 わざわざ言うほどのことでもないけど。

 

 ……後日こいつから、カネキのどこが良かったのか聞いてみるか?

 

「とりあえず、カネキに見せに行く?」

「うん」

「……あと、店に立つなら丁寧語くらい使えよ」

「う……、はい」

 

 頷いて、クロナは私の後に続く。

 更衣室の戸を開けてバックヤードを抜け、階段の隣を歩く私達。と、丁度上からカネキが降りてきていた。

 

「あ、カネ――」

 

 私が声をかけるよりも早く、カネキはスマホ片手に急ぎ足で店のホールに向かった。

 クロナと顔を見合わせて、私たちも後を追う。

 

 あんていく店内。そこそこヒトが居る中で、客層の半数以上は人間って感じで。 

 

 そんな中、店に設置されていたテレビ画面に映されていたものは――。

 

 

 

――CCG本部、喰種組織により襲撃――

 

 

 

 

 




次回より数話、喰種本編にはない感じのオリエピ入ります(元ネタありますが)


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#058 作笑/派遣/微壁

オリエピは予定では、今回から4話あるかないかくらいです。


 

 

 

 

 

 喫茶店「あんていく」の、窓際に設置された小型テレビ。映るニュースは、1区にあるCCG本部を指し示している。

 CCG本部の入り口は厳戒態勢が敷かれていて、マスコミがたむろしながら取材している様子が映っていた。

 

『――えー、ただいま入りました情報によりますと、CCGの周辺で、事件直前に外国人グループが多数確認されたとの――』

 

 ニュースは続く。海外の喰種勢力が、CCGに特攻を仕掛けたのだと。

 小倉とかいう変なオッサンが「まるで暴力団抗争だね」と状況を例える。なんとなく、微妙に外れてる気がした。

 

 お兄ちゃん(カネキケン)は、そのニュースを見ている。じっと、真剣な顔で。

 

「海外の組織……? いや、東京に限ったって話ではないのか」

 

 でも一体何が目的で、と。思案しながら、お兄ちゃんは

 そんなお兄ちゃんの呟きは周囲には聞こえる大きさじゃない。そして、人間の客達が口々に話し出す。最近物騒になったとか。

 ……なんで喰種なんてバケモノが、生きてるんだとか。

 

 その言葉を聞いて、不意に私の脳裏に過ぎったのは。いつだったろうか。父がバラバラに引き裂かれる幼い日の記憶で。その光景に、私もシロもそろってしばらく言葉を失い、心をさ迷わせた。

 そして不意に、玲の顔が――。

 

『喰種になったら、殺さなきゃいけないじゃないですか――!』

 

 身体がぶった切られたナシロ。リジェクションを起こした彼女。

 

 引きずりながら、亜門捜査官と再会して――名前を呼ばれ。私の、私達の、喰種としての姿を見られ――。

 

 

 ぐらり、と傾いた私を、後ろの女の子が支えた。

 

「な、何、大丈夫?」

「……」

 

 正直に言って微妙。微妙だった。良いとは決して言えない。悪いと言う感じでもない。体調が崩れているということでもなく。きっとぐらぐらしてるのは、心の方なんだろうけど。

 

 シロナは昔、言っていた。笑顔を絶やしちゃ駄目だと。キープスマイリングだと。

 姉である私より先に自分を取り戻して、そう私に言い聞かせて、私を引き戻したシロ。「うぇひ」とか「えひ」とか、そんな変な笑いでも一緒に笑って、そして泣いたシロ。

 

 でも、そのシロはもう――。

 

『お姉ちゃん。私を――』

 

「……とりあえず、二階戻る?」

 

 私が一方的に宣戦布告したっていうのに、女の子は……トーカちゃんだっけ? 彼女はむしろ、こちらの身を案じるようにそう言う。大丈夫だと言いたかったけど、でも、私はそういう返すことも、とてもじゃないけど適わなくて。

 彼女の肩を借りて上の階に上がる途中、少しだけお兄ちゃんの横顔が見えた。

 

「……」

 

 お兄ちゃんは、笑っていた。……ただただ、笑っていた。

 

 まるで「感情もなく笑っている」かのように、その笑顔は無防備で、でもだからこそ純粋なものだと私は思った。

 

 

 

 

  

   ※

 

 

 

 

 

『あー、亜門サン。なんだかマジで警察と捜査官とで協力って話になっちまったな』

「守峰さん」

 

 携帯電話越し肩をすくめる守峰さん。俺は、以前彼から聞いていた話を思い出しつつ、先を促した。

 

『元々臨海沿いで妙な動きがあるって話はあったんだよ。てっきり暴力団関係かと思って俺らの出番がないかと思ったら、周辺の喰種関係の事件の発生率が上がってるって情報が回ってきたンだ。流石に無関係じゃないだろってことで少し探りを入れたら、案の定って感じだ。

 CCGの襲撃、どうなったんだ?』

「特等捜査官たちの手で、鎮圧はされました」

『なら良かった。けど、現状が一筋縄じゃいかないっていうのは間違いねぇな』

 

 喰種組織「アオギリの樹」の対応だけでも、CCGはかなりの人数を割いている。そこに加え海外の喰種組織など、タイミングが悪い。

 連携でもされたら、明らかにこちらの方が後手に回ってしまうかもしれない。

 

 先日の事件、1区にあるCCGの本局が、海外の喰種組織に襲撃されるという事態により、CCGの対応は大きく後手に回っていた。それでもその場に居た過半数は特等捜査官たちが倒したと伝え聞く(やはりというべきか、撃破数は有馬さんが群を抜いているらしい)。

 

 ともかく既にこの関係で、追加の捜査官が各地区に一人派遣されることが確定している。20区にも今日から一人来る予定だ。

 

『本来なら警察と強力って話でもないみたいだが、生憎と進入経路に近いってことで、協力要請来ててよ。何か、大坪って言う秘書っぽいっていうか、眼鏡かけてる捜査官っぽくねーのが来てるな。ちゃんとアタッシュ持ってるけど……』

「大坪……。以前、女性誌で取り上げられたことのある捜査官が居ると、アキラが言っていたか。確かそんな名前だったと思います」

『アキラって誰だ?』

「今の、自分のパートナーです」

『ほぉん。女か?」

「女性です」

『なるほどね。

 亜門サンのことだから、あんまり上手くやれてねーんじゃねーのか?』

「……な、何故?」

 

 だろうな、と言わんばかりの守峰さんのため息に、俺は反応に困った。

 

『おせっかいかもしれねーけど、たまにゃ肩の力を抜いても良いんじゃねぇかな?』

「肩の力?」

『余裕を持って一歩下がってみれば、また違ったモンも見えてくるんじゃねぇかと。まそんな話だ』

 

 守峰さんとの通話を終え、俺は一度深呼吸をした。彼はかつて俺が8区の応援に行った時に知り合った刑事だ。斜に構えているようで、根に熱いものを持っている。それ事件以来縁あって、連絡を取り合ったり、時たま飲みに行く関係となっていた。

 ただ、ここ数ヶ月はお互い忙しく、顔を合わせる事もなかった。

 

 ……俺達も俺達で忙しかったが、相手も相手で中々大変なようだ。

 

 それだけ、今回の事件の与えた衝撃が大きいとも言える。

 例えばアオギリによるコクリア襲撃。あれも確かに大問題と言えば大問題だが、あちらは戦力の陽動あってこそだ。だが今回は違う。ある程度戦力が万全の状態で、それでも鎮圧に時間がかかり、一定数の死傷者が出たと言う事実だ。

 

 什造が「東京の喰種と協力して戦った方が早いんじゃないですかねー」と目をキラキラさせて言っていたのを、篠原さんが「無理だろ」と押さえていたのが記憶に新しい。

 

 喰種と共闘、か……。

 

「どうした? 亜門上等」

「……なんでもない」

 

 室内に入った俺に、怪訝な表情を向けるアキラ。彼女の言葉に答えてから、俺は「遅れました」と頭を下げた。

 部屋には、もう本日から配属される「彼女」が来ていた。

 

「いや、まぁいつもじゃないから少しくらいなら大丈夫だ。

 じゃ、自己紹介どうぞ」

「本日付で20区配属となりました、雨止夕(あまや ゆう)です。

 海外の喰種組織、本部での戦闘の際に目撃された喰種がこちらでも発見されたとの情報が入ったため、その調査を中心に当たります」

 

 淡々としたその様子は、言葉少なに周囲を威圧しているようにも感じられる。

 自己紹介を終えた彼女は、アキラの隣、俺と反対側に座った。「よろしくです、ゆうゆう」という什造の言葉に、目礼のみを返す彼女。やはり口数は少ない。

 

「さて、皆も知っての通りだが、先日1区が襲撃された事件を受けて、各支部の捜査官増員の案が承諾された。また加えて、アオギリの樹の捜索と共に海外の喰種”時の尾(クロノテイル)”の確保も仕事に加わった」

「では、ここからは私が引き継いで」

 

 政道の隣で立ち上がる法寺さん。政道がやや不機嫌そうに見えるのは、気のせいだろうか。

 

「以前、篠原特等たちが安久邸を調査した際に目撃された美食家ですが、アキラさんの言った通りその後、複数個所で目撃情報がありました。おそらく、読みはそう大きく外れて居ないでしょう」

「只でさえアオギリっていう目の上のたんこぶがある状態だ。これから更に激化しかねない。皆、気を引き締めていこう」

 

 その後に各チーム、今後の捜査方針について話し合う。

 俺達のチームは、ラビットとハイセについて。……黒ラビットとラビットが同一の存在か、ということはさておき、アオギリに居た黒ラビットとハイセに何らかの関わりがあることも事実。その調査もかね、今一度アオギリの情報を一度整理しようと考えていたが。

 

「上等、こちらの資料を」

 

 雨止が提示したそれは、アオギリの構成員と思われる仮面を付けた喰種たちと、複数のスーツ姿の喰種たちとが話し合っているような写真だった。

 

「8区の監視カメラに映された映像です」

「アオギリと、クロノテイルに何らかの関わりがあると?」

「上等、飛躍しすぎだ。……名がある喰種同士が相対している訳ではない。おそらく、接触を計っている途中といったところだろう」

 

 アキラの推測に、「おそらくその通りです」と雨止。

 

「以前から奴らの状況の捜査に当たっていた仲間が、この間の戦いで何人も逝きました。何人かは、この顔に見覚えもあります。……せめて、足がかりだけでも掴まなければ、顔向けできません」

 

 20区に彼女が希望したのは、以前戦った喰種がこちらで目撃されたという情報が入ったからだそうだ。

 ぴりぴりと気が立っているその様子に、俺はどこか懐かしいものを覚える。そう、どう言えば良いか。なんとなく以前の自分自身を見ているような、そういう感覚があった。

 

 だが、アキラはそんな俺とはまた別な感想を持ったようだ。

 

「……たまには休んだらどうだ? 気が立ってるのは、決して憤りだけのせいではないと思う」

「……ッ、一考します」

 

 アキラの指摘に、彼女は一瞬肩を振るわせ、拳を握った。

 振るえる拳には、表面上の冷静さに隠れた怒りが見える。

 

 草場さん……。喰種によって運命をゆがめられた人間は、決して少なくない。俺達捜査官自身、過去に歪められ、退治する事で現在、未来と歪み続けているのだ。いつどこで、誰が命を落とすとも知れない。

 そういった悲劇の連鎖を断ち切るために、俺達捜査官が居るのだ。

 

「必ず、見つけよう」

「そうだな」

「……感謝します」

 

 頭を下げる彼女に、俺とアキラは頷き合った。今この時ばかりは眼帯のことも忘れ、俺は彼女に力を貸そうと、心から思った。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

「何やってるの? お兄ちゃん」

「あー、うん。店長のバイクの手入れ。ほらここ、シルエットで書かれてるフクロウのペイントが消えちゃってるから、その補修をと」

 

 つい先日、店長がバイクの手入れをしているのをちらりと見かけて、何か手伝える事はないかと聞いた。すると店長は少しだけ困ったように笑った。

 

『四方くんが以前、作ってくれたシルエットのペイントなのだがね……。赫子と合体を繰り返していたせいか、剥げてしまったらしい。出来るならば、補修を頼めないかな?』

 

「それで、本を片手に?」

「うん、そう。生憎まだ覚えてないからね」

「覚えられるの? そういうの」

「教育基本法を暗記で覚えるよりは楽だよ」

「きょ、きょうい……?」

 

 さ、と首を傾げながら自分の身体を抱くクロナちゃん。何だろう、その仕草は。

 

「で、クロナちゃんは?」

「あ、うん。表の箒が終わったのと、はい」

 

 そう言って差し出したそれは、珈琲の果実がいくつか。以前、無理やりあーんされた記憶がある。

 それを一つ手に取って口の中に入れる。……相変わらず甘い。ただ香りがあるかというとそうでもなく、砂糖とかを放り込んだような感じがする。

 

「うん、甘い甘い。

 クロナちゃん、これ誰から教わったの? そういえば」

「シロが色々試して、それで……」

「なるほどねぇ。あ、トーカちゃんとかにも、あげて良いかな」

 

 トーカ、という呼び名を聞いた瞬間、表情が固まるクロナちゃん。どうしたんだろうか。……って、嗚呼そういえば。

 

「こっちのペイントが終わったら入るから、先に行っててくれる?」

「うっ」

 

 僕の言葉に、クロナちゃんは微妙な声を上げた。

 なお、彼女の服装は既に「あんていく」の制服姿だ。

 

 表の掃除を終えたと言ってる彼女は、しかしどうしてか店内に入るのを躊躇している。概ね予想は出来たけど、もう一度整理しよう。

 

「どうしたの?」

「そ、の……、トーカちゃんしか、居ない」

「だね」

「怖い」

「いやいや、そこまでかな?」

 

 慣れないとトーカちゃんの態度は怖いものがあるかもしれない、とは僕も思うけど、流石にそこまで怯えるほどではないように思うのだけれど……。リオくんは怖がってなかったっけ、そういえば。

 でもよくよく考えると僕の場合、あんていくで働いてる時は基本的に店長がバックに居たようなものだ。店長の指示で、という前提で動いていたから、トーカちゃんのちょっと剣呑だった視線を受けても、自分なりに自己防衛のいい訳が成り立った。対してクロナちゃんは、そういう壁はあんまりない。僕本人はあんまり発言力もないし、強いて言えば盾代わりくらいだろうか。

 

 そんなことを考えていると、ひょこり、と視界の端に女の子の姿が映った。……黒いカツラにサングラスをかけた女の子が。

 

「……えっと、ヒナミちゃん?」

「あ! お兄ちゃん教えちゃ駄目だよ!」

「!?」

 

 びっくりしたように背後を振り返るクロナちゃん。ヒナミちゃんはカツラを外して、サングラスの位置を頭のてっぺんにずらした。

 そしてクロナちゃんに向かって、満面の笑みを浮かべた。

 

「おはよ、クロナ『お姉ちゃん』」

「う、お、はよ、ヒナミちゃん」

 

 詳しくは聞いてなかったけど、どうやら彼女たちの仲はさほど悪くはないらしい。

 

 少なくともやりとりの上で、クロナちゃんはヒナミちゃんには普通に接してるように見えた。

 

「クロナお姉ちゃん、どうしたの?」

「お、お店の中入るの怖いから」

「怖い? お化けでも出るの?」

「そうじゃなくって……」

「じゃあ、ヒナミが一緒に行ってあげる!」

 

 ええ!? という反応をする彼女の手を引いて、ヒナミちゃんが店内に入っていく。去り際、こちらの方を見て残念そうにため息をついていたけど……。まぁ、個人的には慣れて欲しいところだった。

 まだたまーにわからないところもあるし、僕ももう一週間前後でテスト期間に入るので、接触回数は必然的に増えるのだ。だったらまず、話を聞けるようになってもらうしかない。

 

 しかし、こうして一人で作業してると、なんとなく身体が二つ欲しくなってくる。

 

 「あんていく」で働きながら学校にも通って、夜は見回りもかねて歩きながら更に教育実習へ向けて色々準備と……。これに加えて読書とか、トーカちゃんの勉強見たりとかあるので、我ながら、そろそろ倒れそうだった。

 

「まぁ、お陰でトーカちゃんの勉強会が減ってるってのもあるんだけどねぇ……」

「釣った魚に餌を挙げないのは、結構酷いわよ」

「わっ!?」

 

 唐突に声をかけられ、僕は飛び退いた。

 その場に居た彼女は、髪が長く暗い印象をしている。メイクも地味に統一されている感じが作為的と言えば作為的だ。確か名前は……。

 

「三晃さん?」

「はい、どうも。芳村店長は居る?」

「たぶん地下だと思うので、待つことになりますけど」

「じゃ、待たせてもらおうかしら。そろそろ開店よね」

 

 腕時計を見ながら、彼女は鼻を鳴らす。

 気のせいか、ちょっと不機嫌そうだった。

 

「えっと……、何かありましたか?」

「……ちょっと。この間の1区の事件のせいで、実家の商売にダメージが入って。

 報復というか腹いせというか、ともかく『仮面ライダー』に情報提供しに来たの」

 

 情報提供か……。

 

「僕も、一緒に聞く事はできますか?」

「芳村店長次第じゃないかしら。まぁ大した情報という訳でもないから、聞くだけ無意味かもよ?」

「それでも、参考までに」

「……あ、駄洒落じゃないのね」

「……へ?」

「いえ、永近君ならそれにかけてきそうだなって思って。先月、一緒にお昼食べた時そんな感じだったから」

 

 参考と、三晃か。

 何やってるんだ、ヒデよ。

 

 少し気が抜けた僕に、彼女は肩をすくめて笑った。

 

「相変わらずと言えば相変わらずなのかしら。たまに掘さんから聞いてるけど」

「……なんでチエさん?」

「だって、別に私月山君の友達という訳でもないし。それに聞いてても、バイアスがかかるからうんざりするわよ。主に表現に」

「……何してんの?」

 

 そう言ってる間に、トーカちゃんが表に出てきた。ふと時間を見れば、もう開店時間か。

 

 「お邪魔するわね」と言って表の扉に向かう三晃さん。僕は一旦、店長のバイクにシートをかけた。

 

 

 

 

 




※carnavalのシナリオには行きません


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#059 怖怖/残像/霍乱

カネキ、いい加減気づく


 

 

 

 

 

 お兄ちゃん(カネキケン)が上の階に上がっていくのと同時に、トーカちゃんも上の階に上がって行った。

 私は、ついさっき来たベテランの……、入見さんと一緒に店に立っていた。ヒナミちゃんはお手伝いという風に、お店の内装をいじったりしている。

 

「ご、ご注文は……、サンドウィッチセットに、日替わりセット二つ、アイス珈琲一つでよろしいでしょうか?」

 

 な、なんとか噛まずに言えた。

 接客業なんて全然経験がないから、慣れないこと慣れないこと。

 お兄ちゃんも得意そうな感じでもないのに、なんだかんだこなしているのだからすごいと思う。

 

「はい、そんな感じ。珈琲は淹れ方、カネキくんに教えてもらった?」

「ぶ、ブラックだけなら……」

「じゃあ、やってもらおうかしら。隣で見ててあげるから、クロナちゃん」

 

 淹れ方だけなら、一応はじめてこの服に着替えたあの日、お兄ちゃんにしっかり教わっていた。隙を見て腕に絡まったり、距離を詰めるために色々やったりしたけれど、でもお兄ちゃんは不思議と、面倒そうな表情になっていた。……あれ? アプローチの仕方は間違いじゃなかったと思ったんだけど。

 

 でも、いざ隣で話しなれてない相手にじろじろ見られて準備するっていうのは、なんだかキンチョーする。

 お湯の温度に、蒸らしに……んん、駄目。逆に気が散る。余計上手くいかない感じがする。

 開いている器具を使って、教わった手順を思い返す。その日その日の空気とかで色々味わいが違うらいけど、生憎とそこまで私はわかんない。

 

 ただそれでも、合格点ということなのか。入見さんは私から視線を外して、テキパキと料理をそつなくこなしていった。

 喰種が人間の料理をする、というのは最初、お兄ちゃんに聞いた時我が耳を疑った。元人間の私達でさえ料理なんてロクに味わえもしないのに、喰種が料理とは、一体……。でもそう思ってはいたのだけど、人間のお客さんたちにサンドウィッチとかは好評らしい(あの猿みたいなヒトのとか)。レシピ通りに作れれば、ということもあるかもしれないけど、まずいのはまずいなりに「人間基準での」味の違いくらいは把握できると聞いて、かなり驚いた。

 

 ……なんでそういうことをしようとするのか、ということは、どうしても理解できなかったけど。

 

 人間を超えた存在になる。そうすることで――復讐することが出来る。

 私たちはパパからそう言われて、だからこそ私達は人間であることを捨てた。

 

 彼らに立ち向かうため、彼らの力を得る――。だからこそ、そんな彼ら喰種が、なんで人間なんかに足並みを合わせなければいけないのか。

 

 なんで、こんな――。

 

「お待たせ致しました」

「あら、ありがとうね」

 

 ……なんで、こんな。お客さんから感謝の言葉なんてもらわなきゃいけないんだ。

 

 一瞬顔がこわばったけど、なんとか笑顔で乗り切って私はカウンターに戻って、息を吐いた。

 こういうことをしてると、まるで自分が自分でなくなってしまったような錯覚を覚える。まるで、自分が単なる人間であるかのような、そんな錯覚を。

 

 妹一人守る事が出来なかった、出来そこないのお姉ちゃんなんかじゃなくって。

 ごくごく当たり前に働いて、当たり前に失敗して、当たり前に感謝されて。ちょっと恋とかしたりするような、そんな感じに。

 

「クロナちゃんは物覚えが良いわね。ロマちゃんは、一つの仕事だけやらせるとすーごく優秀なんだけど、いくつか同時に作業できないっていうのが難点かしら」

「……?」

 

 ふと、入見さんが私の方に声をかけた。首を傾げる。何を言ってるのだろう、という私の仕草に、彼女はくすくす笑って言った。

 

「私、耳と鼻には自信があるのよ。お湯を注ぐタイミングとか聞いただけでも、十分に感じられたわ。

 クロナちゃんの覚えが良いのか、それとも教えたヒトの腕が良いのか」

 

 ……たぶん、後の方のだ。あとお兄ちゃんに教わった、という一点だけで、不思議と覚えて居られる。

 って、それにしたってこのヒト……。喰種は戦闘能力とかだけじゃなく、感覚的な部分でも人間を凌駕している。たぶん、このヒトは感覚に優れてるんだろう。

 でも、それだって差分なんてほとんどないだろうに。

 

「……もしかして、入見さんって凄いヒト?」

「さぁ、どうかしらね」

 

 ふふ、と微笑んでいる彼女は、そう思って見ればなんだか不思議とオーラみたいなものを放っていて。

 

 あの猿みたいな感じのヒトはともかく、怒らせちゃいけない感じのヒトかもしれない。

  

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 店内に入ると、トーカちゃんから「店長、二階に行ったから」と言われた。

 三晃さんは待つと言ったので、とりあえず店長に確認しに僕は上の階に上がった。トーカちゃんも、どうしてかその後に続く。

 

 ノックして扉を開くと、部屋の奥で店長が、コートと帽子を手に取っていた。

 夏場だというのに何故コートを、という疑問はあったものの、コートの背中には「V」と赤くマークが印字されていて、不思議と威圧感のようなものを覚えた。

 

 僕らの姿を見とめると、店長はコートを畳んだ。

 

「やぁ。どうしたかな?」

「あ、えっと……、店長、お客様です」

「客か。誰かな?」

「三晃さんと言って、えっと……」

「彼女か。大丈夫、誰かは分かるよ。それで?」

 

 海外の喰種勢力の情報に付いて持ってきた、という話を聞いて、店長は顎に手を当てた。

 

「そうか。……1区のあの事件だね」

「たぶんそうかと思います」

「私を頼ってきた、ということは一度降りて聞くべきか」

「あの、僕も同伴させてもら――」

「カネキくん」

 

 店長は、さっとドライバーをこちらに手渡した。

 よく見れば、店長のドライバーは縁取りの色が銀ではなく金色で、多少デザインが異なっているらしい。

 

「アラタくんのドライバー、こちらで出来る限り修理しよう。それまで私のドライバーを貸そう」

「……可能なんですか?」

「ヒビを埋める程度ならばね。トーカちゃんもそれで構わないかな」

「……まあ、一応は」

 

 トーカちゃんの言葉に頷いて、店長は僕の肩に手を置いた。

 

「私は、少し出かける用事がある。出来ることなら、カネキくんが話を聞いておいてはもらえないだろうか」

「僕が?」

「地下に居る四方くんに伝えてくれれば構わない。それでは……、失礼するよ」

 

 僕からアラタさんのドライバーを受け取り、店長は階段を下りて行った。

 

 僕はどうしてか、店長に手を置かれた肩を、一度なでた。

 

「……どうしたの?」

「……なんだろう、重みが」

「何?」

「いや、上手くは言えないんだけど……」

 

 ためしに、という訳じゃないけれど。僕は店長のドライバーを、腰に当てて――。

 

 

 ――××さん、難しい漢字とか苦手なんですか? 知的な顔つきだと思うんですけど。

 ――ずっと一人で、辛かったでしょう。

 

 ――ごめんね、また一人にしちゃって。

 

 

「――ッ」

「カネキ!?」

 

 ぐらり、と身体が傾いた僕の背後に回るトーカちゃん。

 

 自分の腰を見れば、ドライバーに赫子はきちんと接続され、ベルトの帯状になっている。今のフラッシュバックは、一体……。ひょっとしたら、店長の記憶?

 ドライバーに付着していた店長の赫子とかが、僕の赫子とくっついて、とかそういうことか?

 

「……リゼさんの時とは訳が違うだろうに、全く」

「カネキ? どうした、大丈夫?」

「う、うん、大丈夫」

 

 耳元にかかるトーカちゃんの息に、無意味に緊張して早口になる僕。幸い彼女は特に気にしていないようだった。

 たださすがに異変の原因は、トーカちゃんもわかっているようで。

 

「店長のドライバー、合わなかったとか?」 

「いや、クインケドライバーって合う合わないあるのかな……?」

 

 どちらかと言えば、今のは少し違う気がする。装着したドライバーから流れ込んできたのは、暖かい記憶と、寒い、雪の中に沈められたような記憶。一瞬のフラッシュバックでも、そう理解させられるだけの力が、そこにはあった。

 

「どうしよう、店長は外に行っちゃったし――」

 

 と、そう考えていると扉がノックされる。開けると、三晃さんがあくびをかみ殺しながら立っていた。

 

「さっき芳村さんから聞いたわ。とりあえずカネキくんに話をしておけって」

「あ、はい」

「じゃあ簡単に説明するけど……、とりあえず椅子、座らせてもらって良いかしら」

 

 少し待ってあげるから、と言って三晃さんは扉を閉めた。

 そして、僕とトーカちゃんは顔を見合わせて、飛び退いた。考えてみたら倒れかけてから、ずっとトーカちゃんが抱き留めてるような状態だったのだ。

 

 慌てて僕らは離れて、三十センチくらいの距離からお互い様子を見ている。

 

 ……そして、さすがに僕もおかしいことに気づいた。僕が照れたり、恥ずかしがったりするくらいならまだわかる。でもトーカちゃんは、以前なら身体を抱えてじろりと睨んでくる程度だったろうそれが、明らかにうろたえて、わたわたして、顔を赤くして、それでいてちらりちらりとこちらの顔を伺っては、視線をそらすを繰り返している。

 わざとらしいと勘ぐってしまうレベルのその反応は、トーカちゃんが「不慣れ」なことを考えれば一応、無理やりでもつじつまを合わせることが出来る。

 

 出来るけど、それはつまり――。

 

「あの、ト――」

「こ、珈琲! いれてくる、三人分」

「あ、うん」

 

 僕の言葉を慌ててさえぎり、彼女はその焦った様子のまま全力疾走で扉を開けて、階段を下りて行った。

 走り去ったトーカちゃんの後を三晃さんが興味深そうに見て、こちらに笑いかけた。

 

「随分、面白いことになってるみたいね」

「……」

「それになんだか、貴方、ようやく気づいたって感じかしら」

「気づいた? ……あー、えっと」

「ま、本人同士の話だと思うから、私はとやかくは言わないわ。馬に糞蹴られて死にたくないし」

 

 なんで馬糞なんだろうか。普通に馬に蹴られてでだろうと、思わず突っ込みを入れた。

 扉を閉めて椅子に座り、彼女は肩をすくめながら切り出した。

 

「そちら側では、1区の事件についてどれくらい把握してるかしら?」

「……一応、四方さんと店長とから全体会議で、触り程度は」

 

 僕ら側の知りえる情報は、喰種側である程度集めた情報だ。

 それによれば何でも今月の中ごろ深夜。1区のCCGの入り口がロケットランチャーで破壊されたらしい。あそこには喰種に反応して射撃を行うタレットのようなものもあったらしいけど、それに対する対策だろうと言っていた。

 その後、倉庫や資料室、地下などを虱潰しに探していたらしいけど、そこで当時そこに居た特等捜査官が、応戦したらしい。

 

 

『蒸着』

『――IXA! リンクアップ!』

 

 

 詳細は知らないものの、CCG側でクインケを纏う装備というものがあるらしく、運用されたのはきっとそれだろうとのことだ。たった一人の捜査官の手によって、襲撃に赴いた喰種たちは、その大部分が殺された。

 

 それでもいくらか紛失したものがあるらしい、という程度が僕の認識だった。

 

 三晃さんは「おおむねそんな感じね」と肩をすくめた。

 

「なら、補足としてCCG側の情報と、こっちの掴んだやつで十分ね」

「CCG?」

「私の知り合い(ヽヽヽヽ)に居るのよ。そういうのに強い相手が。

 ……襲撃に現れた喰種は海外の喰種組織だけではなく、中には東京の喰種たちもいくらか混じっていたらしいわ。まぁ単独で突破は難しいといったところかしら」

「東京の……」

「入港してる段階で協力者が居るってことくらいはおおむね把握も出来たんじゃないかしら。

 まずそれが一点。でもう一つのほうの情報は――」

 

 彼女の口から飛び出した情報に、僕は目を大きく見開いた。

 

 

「彼らがCCGに侵入したのは、あるものを捜し求めていたかららしいわ。

 そしてそれは――レッドクラウンと呼ばれるものだそうよ」

 

 その言葉はに、僕は不意に嘉納先生の言葉を思いだした。

 人間を喰種に変えるために、そのレッドクラウンというものがあれば早急に手を打てたと。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『――リコンストラクション! クラ・フルスマッシュ!』

「おおおおおおッ!」

 

 眼前の喰種に対して、俺はクラを振り下ろす。この相手にはアラタを用いるまでもない。

 胴体を叩き負った後、俺は雨止の方へ向かう。

 

 場所は14区の一角、20区からさほど離れてはいない位置。

 

 昼間だが喰種の通報が入り、近隣をパトロールしていた俺達はそれに対応していた。

 

「ふ――ッ」

『肉! 肉! 肉!』

 

 キバをむいた獣の仮面を付けた、大柄で筋肉質な喰種だ。それを相手にしながら、雨止は剣のようなクインケを逆手に持ち、振り下ろされる腕を器用にいなしていた。

 

 いや、むしろ適度に相手の腕を傷つけており、彼女の方が何枚か上手か――。

 

『――肉! 兄貴!』

『『おう!』』

 

「!?」

 

 突如、上空から二人、喰種が振ってくる。両者ともに大柄な男動揺の仮面を付けており、獲物を取り囲むその様はハイエナめいていた。

 

 俺はクラを二分割し、雨止に向かった二人に対して背後から振り下ろした。たまらずそれを避け、難なく俺は彼女のすぐ近くに回れた。

 

「ここは私が――」

『――リコンストラクション! シライ・1/4(ア・フォース)・フルスラッシュ」

 

 ばちばちと音を立て、クインケの形状が変わっていく。彼女はそれを見ながら逆手持ちを通常の持ち方に変え、目の前の喰種の腕を断ち切った。

 

『ニ――!』

『弟!? 兄――』

『逃げるぞ』

 

「逃がすかッ!」

 

 俺の振り下ろしに、しかし兄と呼ばれていた喰種は、雨止が切断した腕をこちらに投げた。避ける避けないの反応以前にクラにぶつかったため、そのまま叩き切り、勢いが殺される。

 その隙を見て逃げる三者は、やはりどこかハイエナめいた動きだった。

 

 眼前で喰種を逃がしたという事実に歯噛みする俺。救急車の手配や16区の局に通報していたアキラが帰って来て、肩をすくめた。

 

「肩肘を張りすぎだ上等、昼間から」

「だが――」

「急いでは事を仕損じる場合もある。後はここの局に任せよう」

 

 甘味でも食べに行くか? とアキラは俺と、雨止に確認をとった。

 

 雨止はクインケを解除し、そして拳を地面に叩き付けていた。何度も、何度も。握った右の拳から、血が飛ぶ。

 慌てて止めに入る俺と、余裕があるようにハンカチを取り出して手当てをするアキラ。

 

「どうした、雨止――」

「……申し訳ありません。気が、立っているだけです」

 

 それも無理からぬ話かと、俺とアキラは顔を見合わせた。

 

 彼女が捜査に加わって、実に一週間。そしてここに来て、俺達はある違和感に気づいていた。

 喰種の目撃証言に、不自然な偏りがあったのだ。

 

「お前が追っている喰種は――」

「……さっきの通報にもありました。ギターの弦を仮面に付けた喰種です」

 

 そう。俺達がここに来たのは、雨止が追っているその喰種がここの近くで目撃された、という情報が昨日、ネットの投稿であったからだ。だからこそ付近を捜索していたが、実際に出てきたのがあの三匹だ。状況次第ではおそらく数分とかからづ片付けられた喰種だった。

 

 そんな状況が一日数回、ここ一週間続けて行われているのだ。

 まるで弄ばれているかのような状況に、寡黙で冷静な彼女も怒りを隠せないということだろう。

 

 そう考えていると、俺のケータイが振るえる。アキラに彼女をわたして、俺はメールを確認した。

 

「……中島さんから連絡だ。

 雨止が見たと言う喰種が、20区の外れで目的されたそうだ。画像も付いている」

 

 出現時刻は、おおむね通報のあった時間と被っている。

 ほぼ正反対のマップを指し示すそれと、付属された写真とに雨止は項垂れるばかり。

 

 近くにあったドーナッツ屋に「好きだろう、上等?」と確認をとられた上で入られ、俺達はコーヒーを飲みながら話し合いを続けた。

 

「……情報を霍乱している誰かが居る、と考えるのが自然か。それも、ある程度情報に精通した相手だ」

「情報技術に精通した喰種……?」

「ともあれ、私はそっちの線から調べてみることにしよう。上等たちは引き続き頼めるか?」

「……一応、俺の方が上官なのだが」

「ならば、そういう風に指示を頼むぞ」

「おいッ」

 

 俺達のやりとりを見ていて、雨止がくすくすと笑った。疲れきったような表情に、わずかに生気が浮かぶ。

 

「お二人は、仲がその、よろしいんですね」

「パートナーだからな。冗談くらいは言い合う」「……お前の冗談はよくわからん」

「いえいえ。羨ましい限りです。背中を預けられる相手がいるというのは。

 ……私の以前のパートナーは、黒いスーツを着た、サングラスをかけた喰種に殺されました。その時、ヤツと共に戦っていたのが弦の仮面の喰種です」

 

 おもむろにそう語りながら、磯部ドーナッツを一口かじる雨止。

 

「相手の組織単位で見れば、同僚も、アルバイトで私を慕ってくれていた子も、皆殺されました。どうしてか私だけ生き残り続けて、気が付いたら二等に上がっていました。クインケは、そのパートナーの形見なんです」

「……そうか」

「だから何としても、奴らの糸口を掴まなければならないんです。少しでも被害が減れば……、敵の糸口でも掴めれば」

 

 前にも思ったが、何というか、彼女のそのあり方は自分を見ているような気分になってくる。

 その心には余裕がない。俺は今は……、どうなんだろう。

 

 余裕とは違うのかもしれない。だが、やはりどこかに引っかかりを覚えている自分が居る。今まで通りの考え方で居ることに対して。何故、あの男は……、神父は俺を生かしていたのか。

 

 喰種の戯言に付き合うつもりはない。だが……。やはりハイセなら――。

 

 結局俺は、その思考から抜け出せずにもやもやとし続け。

 

 

 この迷いが解消されるのは、俺自身が後悔しても遅い状態になってからだった。

 

 

  

 

 




アキラ「20区と周辺区の甘味所はある程度チェックしておかねばな。……いつ一緒に出かけるかわからないし」ソワソワ



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#060 自棄/後悔

※キャラ崩壊注意(一応理由はありますが)


 

 

 

 

 

 雨止が20区に来てから、早二週間。学生たちも大部分が夏休みになりつつある。必然、俺達の警戒も上がる。喰種による被害者の人数も、相対的に増えるからだ。……特に夏場は、夜に出歩く青少年が多いこともあって。

 

 日中、アラタG3を駆りながら俺は20区内を走行する。通報があればすぐその場所まで移動するため、見回りは局を中心としたエリアに限られていたが、しかしだからこそ俺は気を抜けない。雨止のひたむきな姿を見て、自分の在り方を今一度見直して。改めて、悲劇を生み出さないためにも戦い続けると、再認識したからだ。

 

 だからこそ、アキラから入ったその連絡が俺には理解できなかった。

 

「情報を霍乱させていた犯人が、見つかった――?」

『ああ。現在警視庁で、雨止が事情聴取に向かっているのだが……』

 

 渋るように言うアキラに、俺はアラタをコンビにに止めて、通信を続ける。

 

「状況を教えてくれ、アキラ」

『私も永近からの伝聞だから、確約は出来ないのだがな。いささか信じがたい話だが……』

 

 ため息をつきながら、アキラは話した。

 

 ことの始まりは昨日深夜に遡る。

 以前通報のあった16区寄りの一角で、それは起こった。

 

 弦の仮面を付けた、女子高生のような格好をした喰種が、情報収集をしていた局員補佐たちを襲っていたらしい。喰種は「何か」の情報を探していたらしいが、そのタイミングで、ヤツが現れたらしい。

 

『――鱗・赫ゥ!』

 

 白い髪、眼帯を付けた黒い服装の喰種。まず間違いなくハイセだ。

 ハイセは現れたと同時にその喰種を局員たちから引き離し、逃げるように促したらしい。

 

「まぁアンタでも良いや。あのヒトが欲しい情報を得られないみたいだし――体の軋む音を聞かせて♪」

「!? ッ――な、」

 

 相手は甲赫だったそうだが、ビルと電柱とに赫子を絡ませ、縦横無尽に飛び撥ねヤツに襲い掛かったそうだ。

 それでも応戦していたハイセだ。当たり前だが相性的にはヤツの方が有利だったはずだ。だがだからこそだろうか。

 

『――甲・赫!』

「はァ!?」

 

 両腕に赫子を巻きつけた甲赫に変化し、彼女を殴り飛ばしたそうだ。その後、更に赫子を変形させ、爪のようなものを二本出現させ、首元に当て。情報を聞きだそうとしていたらしい。

 

 

 ここまでは、実は主題ではない。

 

 

 問題なのは、それを目的していた第三者――局員達でもない第三者だった。

 

 その第三者はドローンを使い、その光景を撮影していたらしい。

 そして撮影された情報を元に、その相手はCCG側に「意図的に」誤った情報を複数流し、捜査状況を混乱させた。

 

「……それが分かっているということは」

『嗚呼。戦闘中の余波でドローンが破壊され、カメラと通信機が回収された』

 

 それにより、犯人の特定に至ったらしい。至ったらしいが、アキラはものすごく回答を渋っていた。

 

「……一体何が問題だったんだ?」

『……結論までの道筋が単刀直入なのが真戸家の美徳だと思っているからこそ、渋っている。勿体付けることが出来ないからな』

「何だ?」

『確かに問題だ。その犯人が、CCG関係者だったのだから』

「!?」

 

 だからこそ、その言葉がにわかに俺には理解できなかった。皆一様に、心は一つとは言うまい。だがえてして喰種共に対する憤り、怒り、正義感などを持ち合わせ、奴らを殲滅することに命をかけているのだ。

 ならば何ゆえ、その俺達の中から、そんな裏切りが出てくる――。

 

『勘違いはしないでくれ。CCG関係者といっても、CCG関係者の「血縁者」であるということだ』

「……アカデミーか?」

高校(アカデミージュニア)の方だがな』

「高校生……」

 

 一瞬、この間の安久姉妹のことが脳裏を過ぎり、しかし俺は頭を左右に振って気を取り直す。続けてくれ、という俺に、アキラは「気がすすまないがな」とやはり渋っていた。

 

『間違いなくマスメディアに取り上げられれば、一発アウトの内容だ。そのことを念頭に置いた上で頼むぞ』

「一体、誰なんだその犯人は」

 

 

『――安浦晋三平。私の母の同期の、安浦清子特等の甥に当たる』

 

 

 

   ※

 

 

 

 取調室には、俺と、雨止と、刑事が一人ずつ。

 刑事は以前、俺と真戸さんとで喰種に襲われていたところを救った事がある相手だった。未だに片腕に障害が残っているが、それでも俺に頭を下げてくれた。……自分たちの不甲斐なさを思い出しつつ、しかし俺は本題を忘れるわけにはいかなかった。

 

 雨止が、犯人と対面している。

 

 相手は、身長180センチはあるだろうか。16才という年齢にしては、平均身長よりも大きいだろう。目元は長い黒髪で覆われており、そこから除く薄い目が、睨んでいるようにも見えた。

 安浦晋三平。アカデミージュニアの成績は良好で、中でも技術系の分野に関心が強いと成績書には書かれていた。安浦特等の縁者ということもあり、期待も大きかったことだろう。そんな彼が、何故この場に居るのか。

 

「……人騒がせな子供だ。君は」

 

 雨止は苛立ちを押さえながら、それだけを無理やり言葉にして言ったようだった。震える拳には、怒りが満ちている。それだけ無駄足を踏まされたことに思うところはあるのだろうが、それでも事情を聞こうというあたり、彼女は優秀だった。

 

 対する安浦は、にへ、と無意味に笑った。

 

「何か、いけないんですか?」

「何?」

「むしろ問題なのは、この程度で問題をあらわにするCCGの方でしょ? なのに、どうして僕だけが攻められなきゃいけないんですかね――」

 

 がん、と拳が机の上に振り下ろされる。

 

「――ふざけてるのか」

 

 震える声は、もはや怒りを隠すに隠しきれていない。

 

 だが、安浦の態度は変わらない。

 

「それに、喰種もそう悪くはないんじゃないですか?」

「……君それを言うのか?」

「僕だから言うんですよ。僕だから……、だって、何が変なんですか? 彼らは生きるために殺してるだけなんですよ? 僕らの食生活と違いは、何かあるんですか? まさかいちいち自分が食べる肉を、その肉の元になった生物と家族とを指して、考えて食べたりするんで――」

 

 雨止は堪え切れなくなったのか立ち上がり、奴の胸倉を掴んだ。刑事が彼女を引き離そうとしていたが、しかし状況は変わらない。

 持ち上げられ、咳き込みながらも、しかし安浦は笑う。

 

「僕、何かおかしなこと言いましたか?」

「……安浦特等が聞いたら、悲しむでしょうね。もう一度聞く。何でこんなことをした?」

「……僕は――」

 

 次の瞬間、安浦は血を吐き、雨止にそれをかけた。虚をつかれ、思わず手を離した雨止。

 地面に落ち、咳き込みながら、血を吐きながら、しかし安浦は笑ったままだ。まるで子供のように、いたずらが成功した子供のように。

 

 刑事が救急車を部下に頼んでいる中、俺は、確認のために聞いた。

 

「何故、20区だったんだ?」

 

 俺の言葉に、安浦は血をぬぐいながら答えた。

 

「――仮面ライダーが居るって聞いたから。会えば、何かわかるかと思ったから」

 

 

 

   ※

 

 

 

 いよいよテストが来週にと迫った中、クロナちゃんが突然、倒れた。

 あんていくでのアルバイト中。僕はお客として珈琲を頼んでいて、そのまま勉強をしていたのだけれど。本当ならヒデと一緒にあんていくで勉強、という流れだったのだけれど、どうもアルバイトが急に忙しくなったらしく、今日は僕一人でという形になっていた。

 

 そして、そのまま社会心理学のレポートに取り掛かっていた時だ。

 

 がちゃん、というコップが割れる音と共に、クロナちゃんがバランスを崩して倒れた。

 

「お、おいカネキ二号? どうした?」

「ニシキくん、女の子にそういう呼び方は駄目でしょうと何度言えば」

 

 お店には、西尾先輩と古間さんが立っている。倒れたクロナちゃんに駆けつけるニシキ先輩と僕。

 そして、彼女の横顔を見て、僕は寒気を覚えた。

 

 言うなればそれは、黒い脈だ。しかし躍動するその妙な鼓動を、僕は、僕らは知っている。赫子のそれと全く同じそれが、クロナちゃんの脈の中を暴れまわっていた。

 

「ど、どらい、ばー……、更衣室に、」

「……ッ、えっと、誰か女性スタッフ、」

「居ないね、残念ながら」

 

 古間さんの言葉を受けて、クロナちゃんをバックヤードに頼み、僕は女子更衣室に向かった。

 

 彼女に何が起こったのか、正確なところを僕は理解できていない。だけれど、あの様子は明らかに普通じゃない。普通の、喰種のそれではない。

 とするなら、おそらくは半喰種たるそれに端を発したものだ。

 その上で、僕には一度も起こった事のないそれに、自然と僕は恐れを覚えた。

 

「クロナちゃんのドライバーと言うと……、前に戦ったときの……、……」

 

 緊急事態だということで、問題が起きないよう祈りながら僕は扉をノックしてから開ける。無論、そこには誰も居ない。もっともだからといってほっとは出来ない。早い所彼女のドライバーを持って行かないと。

 「安久」と書かれたロッカーの前に行くと、ダイヤル錠がかかっていなかった。無用心な……。でも今のタイミングでは助かった。いや、微妙に助かっていないのだけれど。扉を開けると、クロナちゃんの着替えが案外乱雑に脱ぎ捨てられていた。……脳内でトーカちゃんがじろっとこちらを見つめている気がする。それに頭を下げながら、目を閉じつつ、邪念をはらいながら目的のものを探す。

 

 大体一分弱で見つけた。ダイヤルが付いた、形状の違うドライバー。ふと手に持って見ると、僕らのクインケドライバーよりも一回りくらい大きさが小さかった。

 ともかくそれを持って、バックヤードに戻る。

 

「おう、カネキ……、何だこりゃ」

「……僕も、詳しくは」

「ともかく後頼むな」

 

 西尾先輩と交代で室内に入り、彼女の腰にドライバーを当てる。

 

 リゼさんの赫子が噴出し、ドライバーのバックルを両端から挟んだ。……初めてまじまじと、装着する場面をこうして見たのだけれど、しかしすごく不思議な光景だった。特に出そうと言う意識を持たずに無理やり出された赫子が両側に接続されると、数秒でばちばち音を立てて圧縮され、ベルトの帯状になるのだから。

 

 そんなことを考えていると、クロナちゃんが「……えっち」と言った。

 どうやら、まじまじ見すぎてしまったらしい。

 

「えっと、そういう意図じゃなくって……」

「……別にいい。お兄ちゃんなら」

「……そのお兄ちゃんっていうの、止めない?」

「……いまさら、カネキさんって言うのって、はずい」

 

 そっか、はずいか……。僕的には良い年して年代の変わらない男性を「お兄ちゃん」って呼ぶ方が恥ずかしい気もするけど、彼女なりに何かこだわりがあるのだろうか。なんだか詳しく聞くと薮蛇になりそうなので、僕はこれを流した。

 

「ごめん。変なときにリジェクション起こった」

「リジェクション?」

「拒絶反応。……、赫子と、人体との」

 

 言われて、なんとなく納得した。赫子は元々、喰種のものなのだ。それが食料である人間の身体の中に納まっているという状態事態、不自然と言えば不自然なのだ。普通の臓器移植でさえ拒絶反応があるのだから、僕らのような場合はなおそうだろう。

 

「でも、僕はないような……?」

「パパが……、嘉納が言ってた。お兄ちゃんは、唯一の完全成功例だって。私達は仕様こそお兄ちゃんを大きく上回っていたけど、そこだけは失敗だったって」

「失敗か……」

「……うん、失敗だった」

 

 クロナちゃんは、そう言うなりうつむいてしまった。

 

「……どうしたの?」

 

 僕の言葉と同時に、膝の上に乗せていた彼女の手の甲に、雫が落ちた。

 ぽたり、ぽたりと。眼帯をしていないほうの目から。そして見上げれば、眼帯の方も湿っている。

 

 クロナちゃんは、泣いていた。

 

「私……、失敗した」

「……失敗?」

「喰種なんて、なるんじゃなかった。こんな、こんな――」

 

 がたがたと震えるクロナちゃん。その手を、握りながら、僕は深呼吸するように言う。おそらくしびれて、振るえが止まらないだろう彼女に、落ち着いてくれと。

 

「……話してみて。それで、少し落ち着くかもしれないから」

「……私は、シロを、シロナを助けられなかった」

 

 クロナちゃんは、ごめんと。ごめんねと。駄目な姉でごめんねと、謝り続ける。

 

「私がもっと、しっかりしてたら、シロをあんな目に遭わせないで済んだのに……、シロに、あんなこと言わせないで済んだのに……ッ」

 

 細かい事を、クロナちゃんは語らない。語らないまでも、それでも、彼女は自分の身体を残りの手で抱きしめながら、涙を流して言葉を続けた。

 

「誰も助けないで、自分達だけのためにこんな身体になって……、()のことだって、そのままで……、誰もその意思なんてつげなくて……、亜門さん……」

「……雫? 川上雫?」

 

 僕の言葉に、クロナちゃんの目がぱちりと開いた。

 

「知ってるの? お兄ちゃん」

「……えっと、元、彼女。高校時代の」

 

 それと同時に、クロナちゃんの目がさらに大きく開いた。驚愕と言わんばかりに。眼帯を外し、こちらに顔を近づけて、まじまじと見た。

 

「……居た。確かに、お兄ちゃんだった」

「?」

「雫の墓の前に居たの、墓に手を合わせてたの。前に、ちらっと遭遇してたの」

「……友達だったの?」

 

 こくり、と頷いて、そして、クロナちゃんはまた泣き出す。

 

「……お兄ちゃん」

「……何?」

「……ここで働いて、みて、さ。まだ二週、間、なんだけど、さ。でも私、わかん、なくなっちゃった」

 

 クロナちゃんは、とても辛そうに言葉を続ける。

 

「お仕事、教わってさ。お兄ちゃんから、教わったり、トーカちゃん、から、文句言われたり、西尾、さんに馬鹿にされ、たり、猿みたいな、ヒトに、訳知り顔で、頷かれたり、入見さんか、ら、褒められたり、ロマと一緒にお皿割ったり、さ。

 あと、お店で注文取ったり、商品出したり、珈琲淹れたりしてさ。お客さんから、ありがとうって言われたりさ。大丈夫? って気を遣われたりさ」

「……」

「そういうの、なんだか、思ってたよりすごく、楽しくって、さ。嬉しくって、さ。

 私が――私たちが、人間だった自分達を捨ててまで、復讐しようとしていたものって何なのかなって」

 

 声を振るわせながら、それでも必死に言葉にしようとして。そしてその言葉に追い詰められて、彼女は涙を流していた。

 

 僕は、言葉を続ける事は出来なかった。彼女が、川上さんの友達だったという事実に驚きはした。でもそれ以上に、今彼女が言った言葉に、僕は何も言うことが出来なかった。

 

「人間と、喰種と、一緒に居てさ――どっちも変わんないなって思っちゃって、さ。

 だったら、なんで人間辞めたんだろうって。辞めなきゃ――シロともずっと、一緒だったのに」

 

 呼吸は乱れたまま。それでも手の振えは収まってきたクロナちゃん。

 

 僕は立ち上がり、彼女の頭をなんとなく撫でた。以前トーカちゃんにやった時には、驚かれたりせがまれたりしたけど、クロナちゃんは無言でそれを受け続けていた。

 

「……クロナちゃんは、ナシロちゃんは、自分たちで望んでその身体になったんだよね」

「……うん」

「でも、嘉納先生の所を離れて。ナシロちゃんと何かあって離れ離れになって。

 そうなったことを後悔してる」

「……う、ん」

「……だったら、クロナちゃんはどうしたいのかな」

「……私?」

 

 うん、と僕は彼女に頷いた。

 

「僕は、昔僕を助けてくれたヒトみたいになりたくって。そのヒトの娘さんも、助けてあげたくって。そうなれるように、今、頑張ってるつもり」

「……娘?」

「うん。あー、これ、ナイショなんだけどトーカちゃんね」

 

 クロナちゃんは、一瞬びくりと肩を震わせた。

 

「そのヒトが昔、言ってくれたんだ。守るために努力はしなきゃいけない。自分に出来る精一杯で、みんなを助けてあげるんだって」

「みんなを、助ける」

 

 そう、と。それだけ言って照れくさくなって、僕は立ち上がった。

 

「もしアレだったら、この後、病院に行こうか?」

「……病院? でも、私達――」

「前に田口さんから、教わった場所があるんだ。今思えば、きっとあれは『喰種でも観てくれる場所』だったって意味だと思う」

 

 僕の言葉に、少なからずクロナちゃんは驚いた様子だった。

 

「赫子の活動を押さえる薬とか、もしかしたら何かあるかもしれないし。

 ……できるだけ人間として生きたいっていうんだったら、きっと、ここはクロナちゃんを拒みはしないよ。僕も、店長も、皆も」

 

「……わ、私、は――」

 

 クロナちゃんは、また泣きだしてしまった。でも、その泣き方は、さっきまでとは少し、違ったように僕は思った。

 

 

 

 

 




今回のまとめ

安浦少年:病院搬送
クロナ:シフト後に病院


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#061 袖掠/生望

※本作でどうして赫包が赫胞になっていたか的な理由です。一部原作設定ブレイク注意


 

 

 

 

 

「Rc細胞過剰分泌症?」

「そ、急性のね」

 

 CCG関係ではないが、業務協力をしている総合病院に安浦は運ばれた。20区の外に出てしばらく時間が経ち、既に夕方だ。

 医師の芝さんが、俺や雨止に状態を話す。安浦特等に連絡は回ったが、彼女は彼女で1区の案件を中心に、今しばらく来る事が出来ず、俺達が代理の保護者という扱いになった。

 だからこそ、教えられたその情報に困惑した。

 

「さっき調べてもらって、かかりつけの病院でもそれっぽいのがあったからね。さっきCTとってみて、はっきりしたよ」

 

 白い鼻の下のひげを撫でながら、彼は興味深そうに、呼吸器を付けた安浦を見る。

 

「先天性でもない限り、極端なことがなければ回復するだろう病気だけれど、侵攻度合いによっちゃやばいよ、これ。特に彼、喉の奥から出てたみたいだし」

「声が小さかったのや、血を吐いたのはそれが理由か」

「悪いんですか?」

「結構ね。生えてきた異物で喉が傷ついて、そこからまた異物ができるって言う酷いサイクルだよ。今さっき抑制剤を打って、吸引機で少し吸いだしたけどね。ああいう感じになっちゃうと、入院と手術が必要だよ。前の症状よりだいぶ悪化してるみたいだしね。

 回復力もRc値がちょっと上がるせいか高くなって、喉の傷は短時間で治っちゃうんだけど、それでも流石に呼吸器はまずいって。

 まぁもっとも、手術しても再発しないとは限らないのが世知辛いところだけどね」

 

 とりあえず麻酔が切れる前に再検査して、病院送りだねと。彼はそう言って、内線の電話に出た。

 

「……雨止、Rc細胞過剰分泌症とは何か、知ってるか?」

「……私も生憎、詳しくは――」

 

「――簡単に言えば、人体から赫子のようなものが生える病気だ」

 

 アキラが、診療室の戸を開けてこちらにやって来た。手には複数の資料ファイルが握られている。

 そこから何枚か紙をピックアップし、俺達に見せた。

 

「おおむねだが、あんなことを言い出した理由に検討が付いたぞ」

「早いな。もう集めてきたか」

「こればかりは、父に感謝だな。あまり感謝する類の話ではないが……。

 安浦は、まず先々月からRc細胞過剰分泌症の兆候が出始めた。この病気は、体内のRc値が異常に上昇し、身体の一部からまるで赫子のごとく、Rc細胞の瘤が形成され排出される病気だ。

 そしてこの発症と同時に、不登校が何度か報告されていた」

「不登校……」

「元々は、肩のあたりから出ていたらしい。だが治療中の状況といえど、通っているのはCCGだ」

「……居心地は悪いか。いや、ひょっとしたらそれ以上の」

 

 俺達の推測に、雨止が悲痛そうな表情を浮かべる。

 そう、アカデミーのジュニアといえど、一応は学校である。そんな症状が出てしまえば、おそらくクラス内での扱われ方も酷いものになったことだろう。真戸さん程過激でなかったとしても、急激にヒトから避けられたはずだ。

 それこそ、喰種の側に同情をする程には、そう思うだけの何かがあったかもしれない。

 

「まぁ、結局詳しいところは本人に事情聴取を取る必要がある訳だがな。

 ちなみに丸手特等が、現在もみ消しに回っているそうだ」

「頭が下がるな」

「普段からあれくらい無口になっていれば、煩くないものを」

 

 アキラの感想はともかく、問題は俺達の間で、安浦の処置をどういう風にするべきか、ということか。

 

「……申し訳ありませんが、私は、捜査に戻りたいと思います。一刻も早く、クロノテイルの足跡を掴みたい」

「「……」」

 

 俺とアキラは雨止を見てから、顔を見合わせた。現状、彼女を一人切りにするのはまずい。精神的な苛立ちだけではなく、おそらく体力的な面でも。意見の一致を見たところで、しかしてどう動くべきか。俺が考えるよりも先に、アキラが提案した。

 

「……私が残ろう。現状、アマツの修復も終わっていない」

「……済まない、頼む。

 雨止、行くなら俺が同伴だ。それで構わないな」

「了解しました」

 

「あー、お取り込み中のところ悪いんだけど、僕、行って良いかな? 患者が新しく来てるって話だから」

 

 芝先生に頭を下げ、俺達は診療室を出た。

 去り際、俺はガラス越しに安浦の寝顔を見た。……声をあげこそしないが、酷い夢にうなされているような、そんな顔を。

 

 そして病院を出た時点で、丁度連絡が入った。

 

「はい、亜門です」

『亜門さん、お久しぶりです』

「……中島さん? お久しぶりです」

『最近、ちょっと忙しくなりましたからね。……世間話はともかく、例の喰種に襲われている捜査関係者、共通点らしきものが見つかりましたよ』

「共通点?」

 

『襲われた人間は、皆、一週間以内に一度「1区」に立ち入りしているんです』

 

 その情報は、少なからず俺たちにとって、次の事件の糸口につながっていった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「保険証はなしと。金木(ヽヽ)クロナと、付き添いの金木研さんね」

「あ、これ嘉納先生の紹介状です」

 

 僕の渡した紹介状を見て、それを開いて彼は僕とクロナちゃんを見比べた。背後の看護師さんをを下がらせて、ヒゲを撫でる。

 

「ふむ……、なるほど。君が金木研クン、か」

 

 その反応に、僕は事前の予想がある程度外れてなかったろう事を理解した。

 

「お金は嘉納クンの紹介だし、安くしておくけれど。さて、で今日は?」

「えっと……、リジェクションだっけ? クロナちゃん」

「う、ん」

「それが仕事中に起きちゃうのは、流石にまずいかな、というか」

「仕事?」

「給仕のアルバイトです」

「確かにまずいだろうね。うん、じゃあちょっと、二人とも血液採取させてもらって良いかな?」

 

 クロナちゃんは分かるけれども、僕もですか? と確認をとると、芝先生は「基準値がわからないからね」と言った。

 

「生憎、話しか聞いていないものだから詳細は知らないんだよ。『君達みたいな』ののカルテなんて、一枚もないしね」

「……嘉納と、知り合いなの?」

「そりゃ、CCGで嘉納君に解剖技術を教えたの、僕だからね」

「!?」

「まぁ、CCGで接点があったのは調べてありました」

「!!?」

「研究のアプローチについてアドバイスしたのも、ちなみに僕」

 

 戸惑うクロナちゃん。首が僕と芝先生との間を行ったり来たりしている。

 確かに思ったより深い関係だった、というのは衝撃だったけれど、そもそも嘉納先生が紹介するという以上は、両者に面識があるものだろうと、考えてしかるべきだ。そこのところ、クロナちゃんもまだ本調子じゃないということだろうか。

 

「僕としては、採血で判断できるというのが不思議なところなんですけどね」

「ん? 嗚呼、普通は知りえないか、そこのところは。

 君達は、赫子とはそもそも何なのか知っているかね?」

 

 僕とクロナちゃんは顔を見合わせ、首を左右に振った。

 

「学名的に略称はRcc-F。Red Child Cell―Fang。Rc細胞の牙、という意味だね。

 Rc細胞そのものは血中に含まれる、体内を循環している『丸まった胎児のような』細胞群だ。喰種は人肉の他に、これを吸収しているのさ。

 このRc細胞そのものはまだよく分かってないところも多いんだけど、喰種には、体内の一部に生成したRc細胞を貯蓄しておく臓器があるんだよ。ないと喰種にとっちゃビタミン不足も良いところだからね。貯蓄しておくって考え方は脂肪みたいだけど。

 ともかくその臓器が、赫胞」

「かくほう……」

「この赫胞に特定のホルモンと電気信号を送る事で、内部のRc細胞そのものを脳波で操ることができるようになる、というのが今の公式見解。その操られたRc細胞は、流動的で、しかし持ち主の意思や個性に合わせ、時に金属のように硬くなり、時に筋肉のように活動する。

 一定の形を常に持って居ないというのは、それが原因だね。

 昔、コクリアで使ってたドライバーって道具があるんだけど、それはこの脳波を強制的にジャックして、身体の外に無理やりRc細胞を排出させるってものさ」

 

 看護師を呼ばず、一人で注射器の準備をしている芝先生。僕もクロナちゃんも、おそらく初めて聞く話に黙っていた。

 

「人間でもたまーに、この赫胞なしにRc細胞が瘤みたいになるっていうのがあるんだけど、あれは可愛そうだね。本来なら身体の免疫機能とかの助けになるそれが、物理的に宿主を傷つけるわけだからさ。

 ……じゃ、注射しようか」

 

 ほれ、と手を差し伸べる芝先生に、クロナちゃんは身体を庇った。

 

「……いや、あんのね。腕出してくれないと、血、とれないんだけど」

「……ちゅうしゃ、きらい」

 

 いやいや。そんな小さい子供みたいな……。

 嫌がるクロナちゃんをなんとか宥めて血をとって、僕も注射をしてもらった。

 

「……あれ、そういえば注射器の色、違いますね」

「そりゃ喰種用のだもの。道具からして違うでしょ」

 

 言われてみれば、確かにそうだった。

 

 むしろ嘉納先生のところは、一般人向けも含めて偽造していたということか。

 

「僕からも聞きたいんだけど、良い?」

「何でしょうか」

「君達、入り口ちゃんと通って入ってきたよね? だったら、ちゃんと『白いアーチ』みたいなのを通過してきたんだよね」

「? はい、そうですけど」

「あれおっかしぃな。……あれ、Rcゲートって言って、人間と喰種を識別するものなんだよね」

「「!」」

「本来なら通った時点でこっちに連絡入るはずなんだけど、機械の調子が悪いのかな……?」

 

 僕とクロナちゃんの声が詰まる。

 

 情報不足だったのは否めない。どうやら想像以上に、危ない橋を渡っていたらしい。 

 

 そのまま検査結果が出るまで待ってくれと言う話になり、僕らは待ちあいスペースまで戻って行った。

 椅子に座ると、憔悴した様子のクロナちゃんが僕に寄りかかってくる。……なんとなく、心の中で「あ゛?」と言ってくるトーカちゃんに頭を下げた。

 

「……」

「……だ、大丈夫?」

「……注射嫌い」

「まだそれ引きずるのか……」

「シロと一緒だったら、そんなの、全然怖くなかったけど。でも、一人だとすごく、怖い」

 

 前にもそういえば、クロナちゃんは「一人は嫌」だと叫んでいたような記憶がある。

 それは言うなれば、失ってしまった己の半身が恋しいということの裏返しなのかもしれない。

 

 しかし、いつまでもくっついている訳にはいかない。物理的に暑いし、精神的にもちょっと、何というか。どうしたものか考えていると、僕の耳がこんな言葉を拾った。 

 

 

 ――なんで俺は、喰種じゃないんだ。

 ――どいつもこいつも、死ねば良いんだ。

 

 

 僕だけではなく、クロナちゃんも聞いたらしい。

 そろって顔を声のした方に向けると、ふらふらとした足取りの少年? と、スーツ姿の女性がこちらに来た。

 

「手続きが終わるまで十分もかからん。しばらくここで待っていろ。……逃げようとは考えるなよ」

 

 彼女はそれだけ言って、彼を僕らの隣に座らせる。ヒト一人分、僕らと彼との間には隙間が出来た。もっとも一つの長いすに座っていて、他の椅子の込み具合からするとこの間に誰も座らないだろう。

 

「……えっと、こんにちは」

「?」

 

 恐る恐るだけれども、それでも僕は彼に話しかけた。

 

「一つ、聞いて良いですか?」

「……」

「何で、あんなことを言ったんですか?」

 

 僕は、ああは思いたくないですけれどと、彼に少しだけ笑いかけた。

 お前に分かるかよ、と彼は低い声で返した。

 

「お前だけじゃない。俺の気持ちが分かる人間なんて、誰も居ないんだ」

「そりゃ……、誰も、事情は知りませんからね」

「知ってたらわかるのか?」

「想像するくらいなら。それが出来るから、人間は会話が出来るんじゃないですかね」

 

 僕の言葉に、彼は一瞬だけこちらを睨み。でもため息をついて、話し始めた。

 少しトーカちゃんのそれに似てるような気がした。それはひょっとすると、誰かに話を聞いてもらいたかったと言うサインだったかもしれない。

 

 

 

   ※

 

 

 

 突然お兄ちゃんは、変な事を呟いた男に話しかけた。

 さっき、捜査官の女に連れられていた男だった。お兄ちゃんは気づいてないみたいだけど、きっとCCGの関係者だ。

 

 そんな男に話しかけるお兄ちゃん。止めるべきか、と思ったけれど、そんなこと関係なしに男は話し始めた。

 

「高校で……」

 

 ……男というか、男の子だった。

 というより、ひょっとして私の後輩にあたったりする? もしかして。

 

「高校で?」

「……病気になって、それで、皆、俺のこと喰種だって言って」

「ひょっとして、それで?」

「……それもあるけど、それだけじゃない。

 元々、クラスの連中なんか、全然好きじゃなかった。ネットとかで、電子工作とかやってる掲示板とか、そっちの方が心許せてたくらいだし。

 でも……、そうじゃないんだ」

 

 言葉がぐだぐだしていて、考えがまとまっていないみたい。

 お兄ちゃんは、何もいわずじっと、相手の顔を見ていた。

 

「……みんな、信じられなくなった」

 

 ようやく搾り出した声に、お兄ちゃんは悲しそうな顔になった。

 

「嫌だって言っても、自分達の尺度だけで楽しんだりしてる連中が。

 そんな奴らがヒト助けのために生きたいって言って。先生がそれを褒めて、みんなで賞賛して、拍手して。

そういう一連のが、全部、全部寒い茶番にしか見えなくなった」

「……思考の回転が速いみたいだね。君は。

 そんな少ないことだけでも、ある意味、そういう考えにたどり着くんだから」

 

 お兄ちゃんは、そう言って自分の手元を見つめた。

 

「確かにそうなんだよね。……自分がどれだけ辛くたって、周りにはそんなこと、わかりっこない。わかってくれと言ったって、分かる気もない。だから、そんな人間が自分と同じ尺度で生きてるって言い張るのが、すごく信じられなくて。だから、そんな中で友達が出来たりすると、その相手だけが信じられるって風になって。だから、相手のために生きたいって、そう思って」

「友達なんて居ない」

「それでも。それでも、生きるための論理は必要なんだよ。少なくとも僕はそう思う。それが思えないと、死んじゃうしかないから。愛するヒトが死んでいなくても」

 

 何の話だ? と言う男の子に、中原中也知らない? と聞いた。

 

「まぁそれは大した話じゃないからいいけど。

 ……古い哲学者が言うにはさ。人間が絶望するっていうのは、絶望的な状況に居る自分に絶望している、というのがあるらしい」

「絶望的な状況……」

「だから僕は、こう考える。自分にとって絶望的な状況って、一体何なんだろうなって。

 僕は――誰からも愛されないことかな」

 

 お兄ちゃんは十分、愛されてると思う。

 私が思うのに対して、「愛されてても分からないと思うけれどね」とお兄ちゃんは苦笑いをした。

 

「結局、僕って結構自分勝手だからさ。

 でも、誰にも愛されないのが嫌なら、誰かから愛されるように生きないと。

 そう思って、僕は頑張ってるつもり」

「……そんなものに、意味はない」

「でも、やってる間は自分のことだって、忘れられるから。自分の周りのことも忘れて、一瞬でも忘れて、一心不乱になれるから。

 そうすればいつか、意味のないそれに意味がつくかもしれないから――」

 

 相手を思いやれば、例え最初はそれが嘘であったとしても、いつか、いつか本当になるかもしれないから。

 

「そうやって愛されてさ。みんなから愛されて、そして何か大きなことしてさ。

 ……かっこよく死にたいよねぇ、やっぱり」

「……」

 

「でも、最近ちょっと変わってきてるかな。……守りたい場所があったり、一緒に居たい人達が居たり。

 そういうのが出てきて、やっぱり、僕も変わってきてるんだと思う」

 

 良いのか悪いのかは知らないけれど、と、お兄ちゃんは続ける。

 

「君は、どうかな?」

「……俺は……」

「生きてるんならさ。どうせ意味がないんだからさ。

 だったら……、自分で胸を張れる、そういう意味を見つけた方が、楽しいと思うけれどな」

 

 私は……、私はどうなんだろう。

 お兄ちゃんの言葉は、そのまま私にもやってくる。自分で胸を張れる意味を見つけた方が、楽しいというそれが。

 

 楽しいなんて……、でも、お兄ちゃんだって楽しんで生きているの?

 

 その疑問を、私は口に出せず。

 

 男の子も押し黙ったまま、それっきり一言も言葉を発さなかった。

 

 

 

 

 

 




カネキさん、誰と一緒に居たいというんでしょうかねぇ(すっとぼけ)


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#062 臨死/性分

今回かなり露骨だったので、オリエピの元ネタになった話が何なのかわかる方もいらっしゃるかと思います


 

 

 

 

 

 自分で胸を張れる生き方?

 他人のアンタに、何がわかるんだよ。

 

 僕に話しかけた奴と、彼女なのか妹なのかよくわからない奴は、名前を呼ばれたらしく椅子を立った。

 

 僕は周囲を確認して、そのまま病院を後にしようとして――。

 

「待て」

 

 女の捜査官に、首を掴まれた。

 僕より低い位置から手を伸ばされたというのに、腕力はあるのか普通に掴んできた。

 

 バランスを崩しかけた僕を更に押して、転ばないようにするあたり余裕があった。

 

「何ですか」

「お前、何勝手に逃げようとしてる。自分の病状をわかっているのか? ――死ぬぞ、お前」

「……」

「今日は抑制剤を投与したから大丈夫だろうが、早い所入院しろ」

「死ぬのは、怖い訳じゃない]

 

 何? と言う捜査官に、僕は拳を握る。

 誰も、誰からも必要となんてされてないんだ。僕は。本当の意味では。

 誰かから必要とされているから、あんな、綺麗ごとみたいなことを言えるんだ。

 

 だったら、僕は、友達だと思っていた奴らがいうように、喰種になればいい。

 

「だから、殺してくださいよ」

「……意味がわからない」

「喰種だって生きてるんだ。僕は……、喰種だそうなんです。そうみんな言うんです。だったら、殺してくださいよ。そうでもないと――僕は、一体何なんですか」

 

 みんなの仲間だと思っていたら、結局仲間じゃないんだと。バケモノでも見るような目で見られて、さわられて、上げ足をとられて、槍玉に挙げられて、馬鹿にされて、そして最後は誰も居なくなって。

 病気になったこと以外、何かおかしなことをしたのか、自分は――。何も、何もしてないはずなのに。

 

 僕の首から手を離して、捜査官は背中を軽く叩いた。

 

「ちょっとこっちに来い」

 

 言われるままに着いていく。

 

 行った先は、面会謝絶の病室。ガラス越しに、呼吸器を付けた人間が見える。手術のせいか頭はガーゼが被されていて、髪の毛もない。少しふくよかに見える。

 

「見覚えがあるか? 米林才子。お前の先輩に当たる」

「……」

「お前が情報を混乱させた結果、喰種に襲われて、今意識不明の重態だ」

「!?」

 

 驚いた僕に、捜査官は更に追い討ちをかける。

 

「私の父の、真戸呉夫からの情報提供でここに入院してると知った」

 

 真戸……、そういえば、そんな教官が今年になってから入っていたか。ボロボロで、歩くのもままならないというのに松葉杖で教卓に行き、震える手でチョークを手に取って、教科書は暗記しているような、そんな教官が。

 

「人間はいつか死ぬさ。私も、亜門上等だって死ぬ。

 お前もいつか死ぬさ、無論。だが――何もこんな、悲劇的なことにならずとも良いだろうに」

 

 声は冷静なまま、しかし捜査官は、僕には知りえない何かに怒りを燃やしてるようだった。

 

「お前の言う通り、喰種は悪くないのかもしれない。だが私は、こうした悲劇を生み出し続ける奴らを決して許すことは出来ない。

 母を殺し、父をあんな姿にした奴らを」

 

 父親だけじゃなく、母親も……。

 

「もう一度考えろ。お前は何をしたいのか。するべきなのか。

 特等は――お前を心配しているようだったぞ」

 

 取り上げられていた学生証を手渡され、僕は、病院から帰された。

 電話で、叔母さんから連絡があった。迎えに行くから、駅前付近で待っていてくれと。

 

 道を歩きながら――僕は、なんだかやっぱり、自分がよく分からなくなっていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 Rc抑制剤をもらった後、クロナちゃんは「一人で帰れるから」と言った。

 クロナちゃんと自分の分の缶コーヒーを買った直後だっただけに、ちょっと驚かされた。ただ、道順は覚えているからと言うクロナちゃんは、何か考え込んでいる様子だった。

 

 とりあえず交通費だけ僕の方から出して、そのまま僕もまた、帰ろうとして――、そして、ある匂いに気づいた。

 

 覚えのある匂いは、つい最近戦った相手の匂いだ。それを辿ると、近隣の公立高校の前にたどり着いた。制服はあるようだけど、服装の指定の緩さは私立とかとはやっぱり違う。ちょっと懐かしい。

 そんな中で、耳にイヤホンをつけて音楽を聞いている、髪の短い女の子が歩いてきた。

 

 彼女だ。――どうしようもなく、喰種になら嗅ぎ分けられるだろう同属の匂いと、人間の血の匂い。

 

 周囲にヒトがいる中で声をかけるのには問題があるだろう。一目につかない程度に、僕は彼女の後を着けて行った。

 どうやら、ライブハウスにでも向かうらしい。学校の近所にライブハウスがあるというのに驚いたけど、その入り口のポスターを見て、彼女はがっかりしたようだった。

 

「川さん今日居ないのか……。がっかり。

 で、私に一体何の用なワケ?」

 

 ぐるり、と彼女の視線がこちらの方に向いた。

 僕はといえば、裏側に立って隠れていたのだけれど、流石に人気が減ってるせいもあって目だってしまったらしい。向こうは自分の背中を軽くさすり、半眼で睨んできていた、どうやらこちらの匂いから、正体を正確に察知されているらしい。

 

 以前戦い、自分の赫子を齧った相手だと。

 

 あえてお互い名乗らず、名前も聞かずに話し始めた。そうした方が、彼女としてもありがたいだろうと判断して。

 

「あの時は、戦って逃げられちゃったからね。ちらっと姿を見たから、少し確認しようと」

「確認?」

「どうして、捜査官を襲っていたのか、とか」

「……言わないと、また赫子引きちぎるって?」

「流石にそうはしたくはないけれど……」

「選択肢ないじゃん」

 

 いや、流石にそういう手段に打っては出ないからと。何度かそう説明しても、彼女は頑としてこちらの言葉を信用しなかった。

 

「あんな酷いコトされたの、ハジメテだったし……」

「誤解を招きそうな発言は止めようか」

 

 なんとなくトーカちゃんが怖い。

 

 ともあれ、全ての情報を話すわけにもいかないので、僕は所々ぼかしながら彼女に確認をとった。

 

「海外の喰種勢力が、何かを探していて捜査官と戦っている、という話ならこっちで聞いたことがあるんだけど、君はその関係者だったというか、そういう感じかな?」

「は?」

「違うの?」

「私はただ、川さんのライブチケットもらえるからって聞いて……。探してたのはマジだけど、何? 海外?」

 

 川さんというのが誰なのかというところをまず聞くと、彼女は妙にテンションを上げながら、学校のバッグからポスターを引き出した。ポスターには「川村猛」という、ミュージシャンのライブ公演の告知だった。赤い髪にギターを弾くその姿は、以前彼女が付けていた弦のついた仮面を思わせる。

 

「ひょっとして、このヒトって」

「当たり前。喰種。最近人気出てきて、インディーズからメジャーになるんじゃないかってファンの間じゃ話題なんだから! 俺の音楽で、傷ついた喰種のハートを癒してやるんだって!」

 

 ある意味、イクマさんが目指しているものに近いのかもしれない。

 

「で、そのチケットっていうのは――」

「プレミアムチケット。このヒトのバンドの。えーっと、資料? 1区の保管庫の資料を引き当てて、それを持って行けば川さんのライブに無料招待だって、そういう話を前に聞いて」

 

 なるほど。とすると、その川村という喰種が海外の組織に関係しているのかもしれない。

 見た目は完全に日本人のようだけれど、どういった繋がりがあるのか……。

 

「もしそういうのに関係してるんだとしたら……、川さん、脅されてるのかも。音楽やってるの、喰種だってバラされるとか言われて。

 お願い、だったら助けて!」

「……確約は難しいかな。無関係だとか、脅されてるとか断定できるだけの証拠もないし。

 でも、もしそうなら必ず助けるよ」

 

 我ながら安請け合いだけれど、それでも引くことは難しい。性分だし、もしその川村という喰種がイクマさんみたいに夢を持って今の場所に立っているのだとすれば、それがこんな形で終わってしまうのは忍びない。場合によってはCCGと戦うことにもつながるだろう。現在まで目立たずミュージシャンがやれているということは、つまり目だって居ないということなのだから。調べられれば、一気に足が付いてしまう。

 そしてそれは、もちろん彼女も。

 

 出来る限り人間を殺さないこと。喰種としてあまり目立たないこと。それが出来るなら協力すると言えば、そんなの当たり前だと彼女は返した。

 

「そんなの、音楽が分かるやつかもしれないじゃん。川さんの音楽だって、エンパス(共感)できるかもしれないじゃん。

 私、そんな相手までケンカふっかけたりとかしねぇっての」

 

 どうやら彼女の中では「喰う」ことよりも「聴く」ことの優先順位の方が勝っているらしい。

 なんとなくそれがおかしくって、僕は缶コーヒーを彼女に手渡した。

 

「……あ、あんがと」

 

 戸惑った様子の彼女と別れて、僕は空を見上げた、既に時刻は夕暮れを過ぎて暗くなり始めている。

 

 そして――僕は、悲鳴を耳にした。

 

 

 

   ※

  

 

 

「安浦特等が?」

『ええ。先ほど甥っ子さんを迎えに行くついでだと言って。もし何かあっても対処できると』

「……念のため、応援に向かった方が良いか」

 

 雨止を支部周辺に向かわせ、俺はアラタG3で走る。

 

 今回の案件に関わっているのは、丸手さんだけに限らず安浦特等も含まれる。そして1区で指揮に当たっているのが彼女だと聞いた。とするならば、かなり高い確率で、奴らの標的足りうるはずだ。

 

 有馬特等ならいざ知らず、流石に一人で対処に当たるのは分が悪いだろう。特に奇襲される場合では。

 対策班の側から確認をとってもらい、現在電車でこちらに向かっていることまでは把握した。ルートとしては20区を経由する形になるようだった。

 

 そしてアラタで走行中、真戸さんと因縁のあるあの橋の上で見つけた。

 どういう訳か特等はクインケを携帯しておらず、バレットのみで喰種とやりあっていた。

 

 喰種は四体。以前見たハイエナのような仮面を付けた喰種達と――、あの、弦の張った仮面を付けた喰種だ。

 

「ふッ」

 

 両手に拳銃を構え、バレットを放つ特等。

 周辺の三体に対して、あの状況でよく立ちまわれている。赫子ではなく身体の、間接部分を狙ってるようだ。

 

 意外なことに、その戦い方は案外有効であるらしい。

 

『ニグ――――!』

「喰種といえど、人体構造までは変わらないから……ッ」

 

 だがあくまで防戦といったようだ。致命打にはなり得ておらず、逃げるタイミングをうかがっているらしい。

 

 そしてその最後のタイミングを、三人から離れた弦の喰種が狙い、隙を封じていた。

 

 レッドエッジドライバーのスイッチを操作し、俺は再度レバーを開いて閉じなおす。

 

 

「変身――ッ!」

『――アラタG3! リンクアップ!』

 

 

 バイクの座席に足を乗せて飛び上がる。瞬間的にアラタがバラバラに分解し、俺の身体に集まり合体。もはや慣れ始めてきたこの窮屈さ。握る拳の痛みと共に、俺は彼女の前に立った。

 クラを起動し構える俺に、特等は驚いた様子だった。

 

『無事ですか? 特等――』

「か、仮面ライダー ……?」

『ッ!?』

 

 俺が、仮面ライダー?

 いや違う。何故特等がその呼び名を知っているのか――、いや、追求している場合ではない。亜門上等捜査官だと名乗り、俺は彼女に逃げるよう言った。

 

『はぁ――ッ!』

『――リコンストラクション!

 クラ・フルスマッシュ!』

『ヒィ!?』

 

 以前腕を断ち切った巨体が、俺のその一撃を前に逃走を計る。残りの二体も驚いたようにその後を追った。

 本来なら後追いをしたいところだが、今は特等を逃がすまでの足止めが優先だ。

 

 俺の前に立った弦の喰種が、肩をすくめた。

 

『聞いてねぇぞ、アンタみたいなのが来るなんて……。何だよそりゃ、喰種か?』

『俺は、喰種捜査官だ。そしてこれは――お前達のような”悪”を駆逐するための、正義の力だ!』

『正義ねぇ。――おらッ!』

 

 やれやれと首を振り、奴は俺に向かってきた。

 どうやら赫子を出しはしないらしい。しかしクラの動きに対して、案外とよく動いている。動体視力が、それこそ並の喰種よりもはるかに高いのかもしれない。

 

『獲物が大きいと、胴体がガラ開きだぜ――!』

『――リビルド! クラ・ツインバスター!』

『なッ!?』

 

 だが、空中で二分割されたクラのプレートは予想外だったらしい。

 突如軌道を変えたクラが、ヤツの両肩をえぐる。ダメージの大きさに、奴は橋の下に落下する。倒れながらこちらを見上げるヤツを見て、俺はドライバーを操作した。

 

 

『――リコンストラクション!

 アラタG3・フルビート!』

 

 

 記憶の底でうっすら見えた、仮面ライダーの飛び蹴り。あの男の元に引きとられた後に見た、あの蹴りのように。俺は空中に飛び上がり、一回転し、そして右足を構えて――!

 

『はああああああッ!』

 

 俺の飛び蹴りを受け、喰種は自分の腕を庇った。だがアラタの威力はその程度で防ぎきれるものではない。赤い焼印のようなものが相手の腕に残ると、そこを起点にヤツの腕全体に行き渡り、そして破裂するように飛び散った。

 絶叫が上がる。弾き飛ばされたヤツは、そのまま川に落ちた。すぐさま追撃のためにクラを構えようとしたが、とび蹴りの際に上に置いてきたか……。アラタの重量では、水中の活動は向かない。それ以前に赫子がある喰種相手に、水中戦はかなり悪手だ。

 

 そう思っていると、水面がわずかに動いた場所に、狙撃が入った。上を見上げれば安浦特等が拳銃のバレットを構えて射撃していた。

 数発の射撃に、しかし相手は水生生物のごとき勢いで逃げる。

 

「流石に水辺は苦手ね……」

 

 申し訳ありません、と頭を下げると、彼女は「構いません、構いません」とうっすら笑った。

 

「構わないけど、彼らの捜索は行わないといけないか。……三ちゃん迎えに来て、まさか本当に襲われるとは思ってなかったけれど」

 

 三ちゃん……? 安浦晋三平のことか。

 いや、そんなことより。

 

「私のかつてのパートナーがおっしゃていました。常に戦場であると心がけよ、と」

「ここのところ事務が多かったから、カンが鈍ってるかしら。

 それにしても、その姿かたち……。『アラタ』って言ったかしら、音からして」

『ええ。アラタG3です』

「そう……。なんだか、仮面ライダーみたい」

「……特等は、仮面ライダーをご存知なので?」

 

 俺の言葉に「もちろん」と言い、そして彼女は、俺にとって決して聞き捨てならない一言を言った。

 

 

「だって、仮面ライダーって”彼”に名づけたのは、私なのだから」

「――ッ!?」

 

 

 

   ※

 

 

 

 わけもなく、自分は久々に、釣具屋に来ていた。

 いまどき携帯端末で検索をかければ、場所くらいは一発で見つかる。そんなことで、僕は釣竿と、固定具と、針だけを買って、なんとなくたたずんでいた。

 

 釣り道具なんて、どれくらいぶりに買ったっけ……。アカデミーに入って、親が大変なことになって、叔母さん達みんなに迷惑をかけないようにって、僕はそれまで好きだったものを封印した、ような記憶がある。成績が良ければお金もかからないからと、そう考えて。

 

 やることが勉強以外なくなって、最初は慣れるのに時間はかかったけど、それでもなんだかんだで今の成績になって。

 

 だから本当に、釣り竿を手に取るのは久々で。

 

 こうしてエサも付けないで、ただ垂らしてるだけの「つりごっこ」と言うべき遊びが、酷く懐かしくて。

 もう周囲も暗くなり始めているっていうのに、僕はなんだか、いつまでもそうしていられそうだった。

 

 何にも考えず、ただ竿と水面のあたりを眺めているのが。なんだかものすごく落ち着いてくる。

 

「僕は何をしたいのか、か……」

 

 強いて言えば、誰にも迷惑をかけずに、いなくなってしまいたい。叔母さんにも、どこかで僕のことを見てくれているかもしれない両親にも、誰にも迷惑がかからなければ、きっと簡単に消えてしまえる。

 目の前で、ああしてずっと眠って居るような先輩を見せられた後だと。確かにああなるまでの過程は怖いけれど、でもそれで誰も悲しまないのなら。誰にも迷惑をかけなで済むのなら。

 

 いつだって、喜んで消えてしまいたい。そっちの方が、きっと安心できるから――。

 

 

 そんなことを考えてると、釣り糸がぐいぐいと引かれる。長靴でも引っかかったかなと思っていたら、それはどうやら違った。

 

 

『うぅぅ……、』

 

 川からは、ものすごい格好をした相手が上がってきた。ずぶぬれになっているけど、皮の服にはチェーンが付いていて、ロックミュージシャンぽさをごてごてに盛ったようなわざとらしさがある。髪は逆立った赤で、そして両目が赤く、赤く――。

 

「あ、あ、……ッ」

 

 いざ目の前に喰種が現れて、僕は声が出なかった。

 相手はこちらをうっとうしそうに見ると、自分の顔を撫ぜる。「マスクどっかに落ちたか」と嫌そうな声を上げて、僕を見て。

 

「――まぁお前で良いや。丁度補給したかったところだし」

「へ?」

 

 間の抜けた声を上げた僕のことなど無視して、相手は手刀を僕の首に振り下ろした。間一髪で避けたけど、髪の毛が片方いくらか持っていかれて、左の頬が切れた。右の肩も軽くえぐり、痛みが走る。

 悲鳴を上げながら後ずさりする僕のことなど無視して、目の前の喰種は、僕のえぐった部分を口に含んで、飲んで。

 

「足りないな……」

 

 そんなことを言って、僕の方に歩み寄ってきて――。

 

 瞬間、僕は立ち上がり逃げ出した。

 消えてしまいたいとは思った。だけど、それはこうやって殺されたいってことじゃない。

 

 誰にも迷惑がかからないように消えられるのなら、それに越したことはないけど。少なくとも僕がこうして死ねば、叔母さんは悲しむと思う。

 

 それに、もし死んだ後に魂とか、そういうものがないのだとしたら。「苦しい記憶のまま」死ねば、それがずっと続くということになるのかもしれない。それは、どっちも嫌だ。

 

 死にたくない――消えてしまいたいけど、死にたくない。

 

 そんな思いのまま走って、でも喰種が僕の足を蹴り砕いて。

 

「悪い。リスナーに手は出したくないけど、背に腹は変えられないから」

 

 喰種もかなり切羽詰ってるのか、声に余裕がない。

 でも、僕は死にたくない。死にたくない――。思っても何か出来るわけはない。情けない悲鳴を上げるだけしか出来ない。

 

 そして喰種の手が振り上げられた時点で――。

 

 

 

「――変身!」

『――鱗・赫ゥ!』

 

 

 そんな音と共に、喰種の顔面は蹴り飛ばされた。

 

 

 

 

 

 




サイコ「(サイコは合法的に眠りについたのだった・・・ガクッ)」
???『Re編でちゃんとお仕事あるからね』
サイコ「(!?)」


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#063 持越/事実/展望

一応、オリエピ終了? です。
100回目なのに全然そんな感じがしないのは、きっと劇場版のせいでしょう。

※23日少し修正


 

 

 

 

 

 日も落ちかけた時間帯。目の前で青年を襲う喰種。

 彼の悲鳴を聞いて、思わず反射的に僕は変身して、相手を蹴り飛ばした。

 

 重原河川の下流、相対する僕と喰種。

 

 背後で足を抱えた青年は、丁度、今日見た事のあった顔だった。

 

「だ、誰?」

 

 背後の言葉に答えず、僕は正面に向き直る。

 目の前の喰種は、身体に大きな切り傷が二つ。首からはギターとかの弦みたいなものが垂れている。目は赫眼が開きっぱなしになっていて、明らかに憔悴していた。

 まるで、何かから逃げようとしているかのように。

 

「俺は……、やらなきゃいけないんだ……、死ぬわけにはいかないんだ……ッ」

「……ひょっとして川村さん?」

「!? 何で、テメェ――」

 

 当たりか。そして明らかに、その態度がより慌てたものになった。

 現状、落ち着いて話が出来る状態じゃない。周囲を見計らって、僕は「あんていく」からの「肉」を取り出し、千切って彼の方に差し出した。

 

「毒とかは入ってないですから」

「……あ、あ?」

「とりあえず、話しましょう。今の状態だと、それどころじゃなさそうだし」

 

 しばらく警戒しているようだったので、千切った肉の一部を更に千切り、僕は一口。

 それを見て多少安心したのか、彼はしぶしぶといった風に、肉を受け取った。

 

 川村さんが食べている間に、背後の彼に向き直り、手を差し伸べた。

 

「か……、仮面ライダー?」

「……まぁ、一応はそのつもりだけど」

「つもり?」

「うん。初代とか、そういう訳でもないし」

 

 僕の手を取りながら、今日病院で会った髪で目元まで隠れた彼は、困惑した様子だった。

 

「どうしたの?」

「……ぼ、僕、聞きたい事があって――」

 

 

 そして話そうとしている最中、背後で巨大な振動音が響く。

 

 振り返れば川村さんの腕が、宙を舞った。

 ひぃ、という青年の声が聞こえる。僕はその腕を捕まえ、川村さんに一撃与えた相手に向けて、走った。

 

『――甲・赫!』

「フン」

 

 川村さんの腕を切断した相手もまた喰種だった。スーツにサングラス。赤いワイシャツに眉間に寄った皺が攻撃的な印象を与える。

 

 腕に纏った赫子の手甲を、その喰種は案外、易々と受けた。

 

「……ッ」

「ほぅ? クインケドライバーか。……ということは、グリーンクラウンには慣れてるのか」

 

 そんなことを言いながら、彼は赫子を僕に向ける。両手をあわせて盾のようにし、その攻撃を防いだ。赫子の連続攻撃が止んだ瞬間、ドライバーを操作して鱗赫に合わせ、”手”で一撃。

 それを、驚いたことに「踏みつけて」交し、相手は距離を取った。

 

「くそ……ッ」

 

 腕を押さえる彼に、切り飛ばされた腕を投げて、僕は眼前を睨む。

 

「……貴方は?」

「覚える必要はない。

 その様子なら……、成果は期待できないようだな、川村」

「キュウ、さん……」

「まぁ良い。はじめから期待はしていなかった。使えないなら殺してやるつもりだったが……」

 

 サングラスを少しずらして、目の前の喰種はこちらを嗤った。

 

「 ……なんだ。お前は、アラタ(ヽヽヽ)の後釜か?」

「! な、なんでその名前を――」

 

 驚かされる僕に、しかし「まぁ良い」と相手は肩をすくめた。

 

「アオギリもロクに使えんと判った。我らの目的は、どうやらまだ達成に時間がかかるようだ。

 気分は最悪だったが……、面白いものと出会えた。川村、お前は見逃してやろう。

 覚えておけ、アラタの後釜。我ら”時の尾(クロノテイル)”は、いずれ世界を我らが楽園に変えると」

「楽園?」

 

「――我々の手で、人類を支配するとうところか」

 

 にやりと笑い、サングラスの喰種は両手を広げた。

 

「もう誰も、人間達の手で傷つけられることもない。

 もう誰も、人間達に隠れてこそこそ暮らす必要もない。

 これからは――俺達の手で、人間たちを飼いならす。『番人』など目もくれず」

「……貴方の言ってる事は、よくわかりません。でも」

 

 くつくつと嗤う彼を、僕は、目一杯睨み付ける。

 

「その楽園は、人間の居場所がないんでしょう」

「だったら?」

「それは……、悲劇だ。歪んだままだ。

 僕は――」

 

 一歩足を引き、手を構えて、そして改めて宣言する。

 

 

「――人間と喰種の、自由と共存のために戦っています。……そのために戦いたいと、思っています」

 

 あんていくを。トーカちゃんを。ヒデを。そして僕自身を。

 今ある全てを守りたいから、だから僕はベルトを手に取って、変身している。

 

 今思えば、アオギリと戦ったのも。あの時、暴走したリオくんと戦ったのも。それらをまとめれば、そこに集約されるだろう。

 

「だから、貴方の言ってることを認めるわけにはいかない」 

「……言うだけなら、誰だって出来るが?」

 

 言いながら、キュウと呼ばれた喰種は赫子を集め始めた。一見して鱗赫のようだったけど、あれは、羽赫……? ひょっとしたら、複合なのかもしれない。

 あの赤い装置のことが脳裏を過ぎったものの、あれは今、あんていくの中にある。……前にリオくんが使っていた、あの場所に置いてある。今この状況では使えない。

 

 止む無く、ドライバーのレバーを二度操作した。

 

『――鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 爆発寸前の状態を維持しながら、相手の動きを伺う。

 サングラスを外して、目の前の喰種は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「――FIRE」

「ッ、はああああッ!」

 

 

 放たれた球状の赫子を、空中で回し蹴りをするように僕は蹴り飛ばした。

 右足のブレイクバーストの慣れた痛み以上に、がりがりと、骨まで削られるような、そんな感覚が走る。

 

 それをしてなお、無理やり僕は、相手の方に蹴り飛ばした。

 

 キュウは、自分の別な赫子を使ってそれを受け止める。……受け止めると同時に、赫子もまた抉り取られ、爆発した。まるでブレイクバーストのそれと、同じ様なものに見えた。

 

「……なるほど。お前、名前は?」

「……ハイセ」

「ハイセか。覚えておこう」

 

 それだけ言うと、キュウはサングラスを掛け直し、こちらに背を向けて去って行った。

 追おうと足を動かせば、右足のバランスがとれずにその場で崩れる。見れば本当に、骨が露出する程に表面の赫子と肉とが抉り取られていた。

 

 痛みは我慢できない程じゃない。

 でも、相手を追いかけてなお戦えるという状態でもない。

 

 潜在的な敵を残したままの状態を良しとするか否とするか。むしろ問題は、そういうところに決着する。

 

「……痛し痒しだな」

「……あ、あの、大丈夫、ですか……?」

 

 足を抱える僕に、病院で見た少年が、心配そうに声をかけてきた。

 一応は、と答えながら周囲を見れば、川村さんの姿は既にない。キュウに見逃してやる、と言われた時点で、ひょっとしたら逃げてしまったのかもしれない。

 

 再度ベルトのレバーを落とし、表面上だけでも右足を修復して、僕は立ち上がった。

 

 最近物騒だから気を付けて、と言って立ち去ろうとすると、何故か呼び止められた。

 

「? どうしたの?」

「……僕は、貴方に聞きたい事があったんです。

 でも、それはもういい。一つだけ聞かせてください」

 

 ――人間と喰種の、自由と共存のために戦うと言った。

 ――それが本気なら、貴方は、一体何なんですか?

 

 その言葉に、僕は少しだけ笑いながら答えた。

 

「人間で、喰種で、仮面ライダーだよ」

「……はい?」

「うん。分からないとは思う。それで正解だよ。

 だけど、言葉は本気だから。僕は、人間と、喰種の間に居るから」

「……人間も、喰種も?」

 

 うん、と頷きながら、僕の脳裏にはトーカちゃんのふてくされたような表情と、胸を張って笑うヒデの顔が浮かんだ。

 

 

「どっちも好きだから。どっちも捨て去りたくはないから、かな?」

「……好き、だから?」

「うん」

 

 

 僕の言葉に、彼は、何か意外なものを見たような目をした。

 

「僕は……」

「……何か悩みがあるのかもしれないけれど。だったらせめて、自分に後腐れがないような方が良いんじゃないかな」

 

「……ありがとうございました」

 

 礼を言った彼の表情は、決して晴れ晴れとしたものではなかったけれど。

 でも、それでも何かを掴んだような、そんな顔だった。 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 本来ならば資料整理と報告書をまとめなければならないのだが、今日はようやくアポイントメントをとることに成功した。アキラと雨止に後を任せて、俺は今、1区に居た。

 表向きの理由は、先日、海外勢力の一派と思われる喰種に襲われたことについて、何か心当たりがないかという確認だ。無論1区の方でもとっているだろうが、こちら側で目撃情報があった以上、別途に調査をしても構わないと篠原さんから許可は頂いた。

 

 本部の1階、俺の姿を見とめると、安浦特等は丁寧に頭を下げた。

 

「待っていました、亜門上等。立ち話も難ですし……、あ、でも会議室はとってないし――」

 

 意外なことに、特等は案外行き当たりばったりなことを言い出した。結局、近場の喫茶店に入る事になった。

 

「では、改めて。亜門鋼太朗、上等捜査官です。これからいくつか確認を――」

「あ、その前に。先日は三ちゃんがどうも、お世話になりました」

「……あ、はい」

 

 特等は、突如マイペースに話題を切り変えた。少しご機嫌そうに、彼女はくすくす笑う。

 

「なんだかこの間帰ってきてから、ちゃんと病院に入院するって言ってね? 『しっかりやりたい事を見据えたい』って、なんだか張り切った感じになっちゃって。

 後、なんだか釣りの本を買い始めて」

「釣りですか?」

「ええ。小学校以来かしら、あの子がそういうのに興味持つの。

 思えば三ちゃんが勉強できるようになったのって、釣りを止めてからだったし……、って、あら? ひょっとして三ちゃんの成績がピンチ?」

 

 あらいやだどうしよう、と頭を軽く押さえる彼女に、むしろこっちの方が頭を押さえた。

 

「……ま、まぁそれはともかく、確認作業に戻させて頂けると――」

「別に構わないけど、亜門上等。貴方が聞きたいのは、そこではないでしょう?」

「……」

 

 見透かされていると言うべきか。押し黙った俺に、彼女はくすくすと笑った。

 

「貴方が”彼”とどんな因縁があるのか、私は知らないけれど。でもまぁ、不思議なものよねぇ」

「……では、手短に。調書は調書で後でとりますが、その前に確認だけ。

 特等は、仮面ライダーとどういった関係で?」

 

 安浦特等は、どこか遠い目をして話し始めた。

 

「二十年くらい前だったかしら……? 私もまだアラサーで、びっちゃ……、真戸ちゃんと競ってたりした頃だから。

 あの頃に、ものすごく強くて、ものすごくビリビリしてる感じの喰種の子が居てね。その子をコクリアに送る途中で、彼は来たの」

「……?」

 

「彼は――仮面ライダーは、喰種よ」

 

 ――また皮肉な状況のようだなぁ。

 ――お前の記憶の奥底にあるものを、お前自身が滅多刺しにしているということに。

 

 不意に、俺の脳裏であの男の言葉が再生された。

 

「バイクに乗って、首にマフラーを巻いて、ライダースーツを来て。言動はちょっとなよっとしてたけど、でもがーっと襲い掛かって、その子だけ奪い取って、そのままどっかに行っちゃったわ?」

「……それが、仮面ライダー?」

「それ以前から、たまに噂にはあったのよ。そんな格好をしたのが喰種と戦ってるーとか。捜査官との戦闘の報告もあったけど、それまで赫子らしい赫子を出してなかったから、本当に喰種だったのか怪しかったんだけど。

 もっとも、上に申告しても眉唾扱いされたんだけど」

 

 特等の言葉の一つ一つが、俺の中で組み合わさっていく。

 それと同時に今まで俺の見知ったことが――納得できなかったことが、否応にでも納得させられた。

 

「言ってたのよ。変なコトを。

 ――『人間と喰種の、自由と共存をさせるために戦う』とか」

 

 嗚呼そうか。喰種が付けていたドライバー。梟やハイセが付けていたあのベルトが、喰種を拘束するための道具であって、喰種しか付けることが出来ないものであったこと。記憶の中の仮面ライダーが、そのベルトを付けていたこと。

 無関係だろうに、ハイセが何故「仮面ライダー」を名乗っていた理由も、おぼろげながら察しがついた。

 

 だとすれば。

 だとするのなら、俺は――。

 

 聴取が終わり、1区から帰還する最中。

 レッドエッジドライバーとアラタG3をちらりと見て。それでも、結局このもやもやは晴れなかった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「あ、あはは……、ごめんトーカちゃん」

「気にすんなって。というより早くちゃんと食えって。テストあんのに学校行けないんじゃ、話なんねーだろ」

 

 あんていくの休憩室で、お兄ちゃん(カネキケン)とトーカちゃんがいちゃついてる。

 いや、いちゃついてる訳じゃない。この間病院から私が帰ってきた後、お兄ちゃんが右足に傷を負った時。私がなにかするよりも早くトーカちゃんが動いて、お兄ちゃんの頭にチョップを入れたのはびっくりしたけど。すぐさま手当てを始めたのを見て、少し愕然とした。

 

 また変な無茶をしたお兄ちゃんを怒りながら、それでもきちんと手当てをしてるトーカちゃんが、なんだかまるで自分とは別な生き物を見ているような、そんな感覚に陥った。

 注文を取りながらも、お兄ちゃんがぐらりと来たタイミングで、ここぞというところでトーカちゃんがサポートに回っているのが、なんだかものすごいものを見ているような気分になった。

 

 お兄ちゃんは、前に言った。自分で胸を張れる、そういう生き方を見つけた方が楽しいと。

 

 トーカちゃんは、きっとそれがお兄ちゃんなんだろう。いやお兄ちゃんだけじゃないかもしれない。ヒナミちゃんから前に聞いた、アヤトくんとか。

 つまりトーカちゃんにとっては、家族とか仲間とか、そういう相手を大事にしたいと。そうすることに胸を張っているんだろう。

 

 お兄ちゃんも、きっとそこから大きくはずれていないと思う。誰かに愛されたいと言ってはいたけど、でも愛されるために、最終的に行きつく先は、愛してくれる人達を守るというところだろうから。

 

 私は……だったら、私はどうなんだろう。

 

 ナシロは言った。もう再生できないからと。死ぬのなら、せめて私と一緒に連れて行ってくれと。――私の「一部にしてくれ」と。

 そんな言葉、お姉ちゃんは言わせたくなかった。言って欲しくなかった。でも、それでも私を一人にしたくないと。

 

『クロナ――キープスマイリン、グ……』

 

 今際の言葉がそれで良かったのかと思わないでもないけれど、それでもナシロは、最後には笑ってた。

 それは、きっと私達が望んだ生き方で。そしてナシロが居なくなってしまって、私はどうしたら良いか、わからなくなってしまって。

 

 「ナシロと一緒に居る」今だって、もう、自分がわからなくって。

 

 だからお兄ちゃんに頼った。……誰からも愛されているようなお兄ちゃんなら、そばに行けば何かわかる気がして。

 

 そして思い知った。自分たちが捨てたものの大きさを。パパに、嘉納に、例え仮初でも家族の愛を求めた結果、失ったものの大きさを。人間として生きる、当たり前のような生き方というものを。

 

 だから、それを思い知ったからなお、お兄ちゃんには感謝と、ちょっとの恨みがある。自覚したくなかったことを自覚させられた恨みと、それでも自覚したそれが、思ったよりも楽しかったということと。

 

 でもそれだって、結局私が勝手にお兄ちゃんを頼ったから得たものであって……。

 

 ……でも、それでも。

 からかうように思ってたことだったけど。でも、もうそういう感じじゃなくなってきていた。

 

 最初にお兄ちゃんに助けられて、それでちょっとだけいいかなーって思って。嘉納から彼の身の上を聞いて、なんとなく共感できるところがあって。

 セクハラっぽいことされたのにはびっくりしたけど、でも不思議と嫌悪感はなくって。だから逆にシロと一緒にセクハラ返したりもしたけれど。

 

 でも、そういうことじゃないんだ。

 

 嗚呼、なんだろう―ー――。

 

 

 私は、姉として、ナシロを救えなかった私は。

 

 せめて、妹として、カネキさんを助けたい。

 

 

 お兄ちゃんのために、命を燃やしたい。

 

 

 

 

 

 

 




エト『さーって、準備準備・・・』


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#064 吊人

今回はずっとクロナのターン!(視点的な意味合いで)
そして知らぬは仏なトーカちゃん


 

 

 

 

 

「終わ、った」

 

 お兄ちゃん(カネキケン)が、そんなことを言いながら机に突っ伏していた。ものすごく疲れたような声に聞こえたのは、たぶん気のせいじゃないと思う。

 病院の帰り、何かの事件っぽいのに巻き込まれた後、二日くらい足の回復に時間をかけて、間を置かずテスト。それまでも何か忙しかったみたいで、その疲れが抜けないまま(勉強も中途半端のまま)テストを受けていたみたいで、「珍しく一夜漬けとかやったよ……」と赫眼でもないのに目を赤くしていた。

 

 そして今日は、間を置かずに「あんていく」で私の指導をしていて……。端的に言って疲れていそうだった。

 一応、午前で私達そろって上がりなんだけど、休憩室で着替える余裕もなさそうだった。頭のカツラもずれているのを直す余力さえ残ってなさそう。なんとなく、そんなお兄ちゃんの頭のカツラを引っ張って、机の上に置いた。

 

 そして、机の上には本が一冊。

 

「……あれ? これって――」

「……? 嗚呼、本だよね。『吊るしビトのマクガフィン』。高槻泉の新作」

 

 試験始まっちゃったからやっと読めたよ、とお兄ちゃんは力なく笑った。

 高槻泉か……。小説家だっていうのは知ってるけど、そんなに詳しくない。

 

「どんな話なの?」

「オムニバス形式のホラー作品だよ。サスペンス色が強いけど、怖がらせることが目的みたいだから」

 

 お……、オムニ?

 

「えっとね、単体で短編として成り立っている作品を、いくつかまとめて一つの作品とするっていうものだよ。例えばこの作品だと、死刑囚が収監されている『監獄マンション』を舞台に、人物たちそれぞれの独白が混じってるっていうような」

「へぇ……?」

「読んでみる? わかると思うけど」

「え、遠慮しておく」

 

 シロと一緒だった頃ならともかく、今は一人じゃ夜トイレに行けなくなるのは恥ずかしい。っていうより、あんなチェーンソー振り回すようなのを見てキープスマイリングできたシロがおかしいんだ。うん。

 

「一応これで9作目なんだけどね、高槻先生。……でも、そっか、高月先生か」

 

 思えば「黒山羊の卵」が切っ掛けだったっけ、と。私にはよくわからないようなことを、遠い目をして呟いた。どこか懐かしんでいるというような感じじゃなく、むしろ嘆いているように見えたのは気のせいじゃないと思う。

 

 そんなお兄ちゃんが見て居られなくて、私はつい、こんなことを言った。

 

「……デートでもする?」

「何で急に!?」

 

 がばっと起き上がり、お兄ちゃんは珍獣でも見るような目でこっちを見た。何だろうその視線は、失敬な。

 

「気分転換でも何でも、出かければ良いと思う」

「気分転換ねぇ」

「じゃあ、わ、私の水着とか選んで?」

「直球だなぁ……」

 

 というかクロナちゃんとの距離感がわからないよ、と、お兄ちゃんは困惑してるようだった。さっきの表情よりは明るくなっているから、私的にはちょっと成功だった。

 でも。

 

「水着は……、トーカちゃんと一緒に買いに行ったっけ、そういえば」

「……」

 

 ガンガン攻めてるじゃん、トーカちゃん。

 やっぱり一年近くのアドバンテージはそう簡単に覆せないか。

 

 ならばと思い次の案を出そうとしたタイミングで、休憩室の扉がノックされた。恐る恐るといった様子で開けた相手は、ヒナミちゃんだった。チェックのワンピースが可愛い。

 

「お兄ちゃん、クロナお姉ちゃん?」

「あ、ヒナミちゃ――」

 

 お兄ちゃんが続ける前に、ヒナミちゃんが「あっ!」と言って本を指差した。

 

「お兄ちゃんも読んだの? つるしビトの……?」

「マクガフィンね。ってことはヒナミちゃんも?」

「うん。なんか、ポストに入ってたって。お姉ちゃん、たぶんアヤトくんだろうって」

「それはまた……。いい加減、完全に帰るっていうのも難しいのかな?」

 

 アヤトくんについて私は全く知らないので、コメントが出来ない。

 

「マクガフィンってなんだろ?」

「お話の動機付けになる小道具のことだよ。えっと……、大泥棒が盗むお宝だったり、スパイが狙う秘密情報とか。この本だと、一番最初の部屋のヒトのやつって言うと分かりやすいかな?」

「へぇ~」

 

 ヒナミちゃん、楽しそうだな。

 

「で、お兄ちゃん。これ」

 

 そしてヒナミちゃんが取り出したチラシを見て、私とお兄ちゃんは顔を合わせた。

 20区のビルの一角で、サイン会があるというお知らせだった。……高槻泉の。どこかの書店の中のチラシといった感じのものだった。

 

「お兄ちゃん、なんかここのところ気が晴れてなさそうだし、一緒に行ってこいってお姉ちゃんが」

 

 そしてお兄ちゃんの状況をこれでもかと把握しているあたり、やっぱりトーカちゃんとのアドバンテージの開きが大きい。実際にお兄ちゃんが、私とのデートはそうでもなさそうなのに、こっちには目を少しだけ輝かせていた。

 

「トーカちゃんは?」

「調べてたから行きたかったんだと思うけど、かきこうしゅう? とか、もし? やるって」

「嗚呼、それは仕方ないな。

 うーん、そっか……。じゃあ、行こうかな」

 

 トーカちゃん、きっとものすごい顔をしての苦渋の決断だったろう。

 

 こう考えると、私はお兄ちゃんについて何も知らないと言って良いのかもしれない。

 おおまかなプロフィールとか簡単な人物像とかは、看護師の田口さんが書いた報告書とか、嘉納から見せられたお兄ちゃんの経歴とかでわかってはいたつもりだったけど。

 

「……私も、着いて行っていい?」

 

 断られるかもしれないと思いながらも、ついそんなことを確認して。

 ヒナミちゃんはそれに「いいよ!」と笑顔で答えた。

 

 こうして出かけるのも、なんだか久しぶりな気がする。人ごみは苦手じゃないけど、そこまで得意という訳じゃない。心細いのは、やっぱり仕方ないけれど……。自分の「眼帯をしていない方の目を」気にしながら、私はお兄ちゃんの後に続く。

 お兄ちゃんの手を「はぐれそうだから」と握るヒナミちゃんがちょっと役得っぽい。

 

「……? ど、どうしたの?」

「……なんとなく」

 

 だから私も、なんとなくヒナミちゃんとは反対側の腕に手を絡めた。

 ヒナミちゃんが少しきょとんとしているけれど、だったら手を繋いだのは無意識にということなんだろうか。いやいや、幼そうに見えてヒナミちゃんも14歳だし、これくらいなら普通かな。

 私的には、なんとなく育ちが育ちなら、魔性の女とかになってたんじゃないかと思う、この子は……。

 

 20区の駅前のビルは、全体的にそれほど高くはない。南口の方に回って百貨店の上の方に上ると、改装中の本屋の隣にあるスペースでサイン会の準備が出来ていた。長蛇の行列だ。ヒナミちゃんが「ほわぁ」みたいな声を上げていた。

 

「みんな同じ本持ってる。ふしぎ……」

「サイン会だからね」

「?」

「本にサインしてもらうの」

 

 私が例の、マクガフィン? の本を開いて、白地のところを指差すと「へぇ~」としきりに何度も頷くヒナミちゃん。

 でも、行列に並んでも中々前に進まない。肝心の高槻泉が来ていないようだ。

 

「遅れてるみたいだね」

「高槻さんってどんなヒト?」

「ん~ ……、インタビュー記事があったけど、綺麗なヒトだよ。作品ファンというより、本人のファンってヒトもいるくらいだから」

「へぇ~」

 

 そしてそうこう話していると、私達の隣を、髪の長い女性が走って行った。ぜいぜい言いながら、髪も全然セットできていないというか。明らかに急いでいるそれは、遅刻ギリギリの校門に走って入るそれに近い。

 そして奥の椅子に座りながら、彼女は手を合わせた。

 

 書店のヒトっぽいスーツ姿の男性たちに謝りながら、彼女は頭を下げた。 

 

 簡単なインタビューみたいなものが終わってから、サイン会が始まった。行列に並んだヒトは、四列でおおよそ四十人くらい。一人ひとりを処理しながらで、私達は後の方なのでまだまだ先だった。

 そして、言動がなんだか珍妙だった

 

「高槻先生の書かれる文章は詩的で、本当繊細で……。なのに読んでて重厚っていうか、とにかく大好きです!」

「いえいえいえ、全然ですがな。冗長なだけだって昔っから担当に言われてますがな~。突然ポエティックになるとか。

 松山さんへ、と……。ほな、まいど~、」

 

「『黒山羊の卵』が特に好きで、何度も何度もそれはもう穴が開くように」

「穴開けちゃだめだよ~、売れなくなっちゃうからねぇ。としても君、今日講義あったんだって? 大学は出といた方が良いぞ、ちゃんと~。私みたいに変な苦労背負い込む必要もないしのぉ」

 

「デビュー作からのファンです! 『拝啓カフカ』からずっとです!」

「あれちょっと実験作というかね~。どうやったら視点誘導が出来るか、みたいな挑戦もあったから、そこら辺を気に入ってくれてるってヒトも多いんよね~」

 

「『詩集/檻の夢』は少し毛色が違ったように思うのですが、あれは一体……?」

「嗚呼、いっそ開き直ってポエム集出そうかって塩……、担当に提案したんだけど、まさかそれが新聞連載で通っちゃってねー。私本来の作風出すと、とてもじゃないけどヤバいじゃん? だから『必要なメッセージ』だけまとめて見ると分かるように調整したのさぁ」

 

「わたくし看守長のオオタのあの残虐性が大好物でしてですね、ハイ。今回もまた一段とトンだヒトが出てきたなぁと、ハイ」

「あーウンウンあいつはヒドイ奴だぁ。若干深夜のテンション入ってからなおのことだったかな? 私もまだまだ書き方にムラあるかんらねぇ~。ちなみに――」

「先生、お時間が――」

「オオタと言うと――」

「せんせぇー? ちょっと、怒られるのボクなんですから……」

 

 それでも時間が押してる中、出来る限りファンにコメントを残しているのはヒトが良いのかプロらしいというべきなのか。写真駄目って言われてるのを無視して、さらっと携帯端末を手に取って写真とってあげたり、ファンサービスもそこそこみたい。

 聞こえてる声だけでも、テキトーにだけどある程度ファンたちに応えていた。

 

 そして、私達が呼ばれる。

  

「お?

 ほほぅ? こりゃまた可愛らしいハーレムですな。軽く犯罪臭がしますぞ?」

「い、いえ、別にそういう訳では……」

「はーれむ?」

「ヒナミちゃんは知らなくて良いよ?」

「あと何人か居る」

「クロナちゃん!?」

「はっはっは、私もあやかりたいものですなぁ」

 

 はははと笑いながら、彼女はペンを手に取った。

 

「お名前、何て入れましょうか?」

「ふぇ? ひ、ヒナミ」

Feghii(フェヒ)、ヒナミ?」

「ひ、ヒナミ! ……です」

「はっはっは、ジョーダンだよん。ヒナミちゃん、と。……おいくつ?」

「じゅ、14です」

「あんらまぁ、こんなに若い読者さん居てお姉さんびっくりだわねぇ。髪飾りめんこいし。

 割とエグいところ多いと思うんだけど、ダイジョブ?」

「だ、だいじょうぶです。お、お母さんが読んでたので……」

「ほぅほぅほぅ、中々どうしてな趣味してまんがなー」

 

 ……口調が滅茶苦茶だった。

 なんだろう、なんとなくだけど何かこう、既視感みたいなものがある。

 

「で、そっちの眼帯兄妹(ブラザーズ)わん?」

「わたし、つきそいだから別に……」

「はっはっは、シャイガールなようですな」

「あー、えっと、一応二人分。カネキケンと、カネキクロナで。字は――」

 

 お兄ちゃんの説明を聞いて、高槻さんはお兄ちゃんの顔をじっと見た。

 

「名前に一貫性がないというのが珍しいような、そうでもないような。

 それにしてもカネキって言うと……、太宰治の出身のと同じ字?」

「あ、はい! そういえばそうですね」

「いいですねぇ! 文章と縁があって。ひょっとして、お兄さん白秋とか読む?」

「あ、はい! 『老いしアイヌの歌』とか好きです」

「いいねぇいいねぇ文学青年よぉ。私お友達とかみぃんな読まなくて嘆いていてさぁ! ねぇ!

 ちなみに今日遅れたの、ちょっと白秋の文庫本に寄稿する解説の締め切りが迫っててねぇ……。寝坊」

「お、お疲れ様です」

 

 ……?

 なんだろう、お兄ちゃんと話している高槻さんの声、トーンが少し高いような、そうでもないような。

 

「いつから読んでくださってますか?」

「あ、はい。『拝啓カフカ』から。『檻の夢』も、掲載時から追ってました。ちなみにですけど、『詩集』の中から『檻の夢』をタイトルにピックアップした理由は?」

「あー、あれは実体験がちょっとあってねぇ。少しプライベートなメッセージなんよぉ」

 

 ……気のせいじゃない、さっきまでと明らかに声の高さが違う。

 そして、明らかにさっきまでより時間を押してる気がする。

 

 話してる途中で、お兄ちゃんは「あ、そういえば」と何かを思いだしたように言った。

 

「そういえばですけど、『吊るしビトのマクガフィン』に出てくるオオタ看守長、『塩とアヘン』に出てくるタニザキ捜査官の叔父ですよね?」

「お? ほぅほぅ、そこに気づくとは、やりますなぁ」

「あれって思って、時系列と家族構成を見直してみたら一致していたので。とすると、オオタ看守長のあれって……」

「そうそう、逆転現象なんですよねぇ」

 

 ヒナミちゃんと私は、そろって楽しそうに会話するお兄ちゃんたちに「?」を浮かべていた。

 

 そして、そろそろ時間も押してると言われて、私達の番も切り上げに入った。

 

「じゃあねん、ヒナミちゃん?」

「にゅっ」

 

 ほっぺをつつかれたりして、ちょっと困惑してるヒナミちゃん。

 ありがとうございました、というお兄ちゃんに「またキテネ!」と楽しそうに高槻さんは手を振った。

 

 ……さり気にサイン本一冊サービスしてもらった形になり、私たちは一人それぞれ一冊ずつ持っているようになった。

 

「なんだか、明るいお姉さんだったね」

「だね」

「……お兄ちゃん、高槻さんのこと、好き?」

「なにその質問……」

 

 困惑したようなお兄ちゃんだったけど、ヒナミちゃんのその質問は、割と本気だったように思う。

 それくらい、話している間の二人は中むつまじいというか、すごく楽しそうと言うか……。一歩間違えると、いちゃいちゃしてる感じに見えなくもない。

 ちなみに後で知る事になるんだけど、お兄ちゃんの好みのタイプは、知的なお姉さん系だったらしい。……なんという。

 まぁこの時は知らなかったから、私の感想はこんな感じだった。

 

「でも、良いヒトそうだった」

「うん。イメージとちょっと違ったけど」

 

 確かに風変わりと言えば風変わりな相手だったように思う。それに、たぶん偶然だと思うけれど……。

 ちらりと自分のサインされた本を開いて見ると。

 

 

 ――サインと一緒に私のデフォルメっぽいキャラクターの絵が描かれていて。その隣に髪の色を反転させた、まるでナシロのようなキャラクターの絵も描かれていた。

 

 

 

 

 




高「お名前は?」
ヒデ「あー、ダチのプレゼント用なんでそっちの名前で。カネキケンです」
高「およ、さっき来てたよ?」
ヒデ「ファ!?」


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#065 布石/剥隠/到達

次回ではありませんが、ある意味ちょっとピンチです


 

 

 

 

 

「そ、そうですか。カネキ来てたのか……」

 

 無駄じゃねぇけど無駄になっちまったか、と。軽くため息を付く青年。ワイシャツにチノパン姿だが、どこか作業着のような印象を与えるのは、くたびれた着こなしのせいか。金髪は根元が黒くなりはじめており、染めている暇がないのが伺える。

 

 そんな青年に、小説家、高槻泉は笑った。

 

「ま、お友達のことはともかくとして。タイプ違うっぽいよねぇ、君。

 彼、ど真ん中文学少年って感じだったけど」

「やっぱそっスかね? まぁ俺も興味持ったのは最近なんスけど」

「ほむほむ」

「この本もまぁ、アイツの趣味に合わせてって感じなんスよね。この”吊るしビトのマフィン(ヽヽヽヽ)”も」

「何とも美味しそうだねぇオイ」

 

 二文字足りないと半眼で笑う高槻に、しかし彼は、永近英良は特に気にせず話を続けた。

 

「最近あんまり会ってなかったから、共通の話題も作っておこっかなぁというのもあったっス」

「ふぅん。……ま、いいけどね。私は気にしないから。

 ちなみになんで彼と会えないのん?」

「『敵を知り己を知れば』、なんとやら、みたいなモンです」

「ほむん、調査中って感じかな?」

「そうッス」

「君、テキトーに受け答えしてるでしょ」

「あー、えっと……」

 

 あっはっは、と笑いながら、彼は本を再び手に取った。

 

「俺、この囚人182番の話が好きッスね。人間がお菓子に見えるってやつ」

「ユニタくんね。うん、私もこれは気に入ってるのだ。

 次回作か次になるかわかんないけど、今プロット温めてるところ」

「人喰いの殺人犯ッスか?」

「そそ。けっこー内面も別にしようと思ってるけど――最近ちょっと、突破口が見え始めてる気がしてんだよね~」

 

 出来るといいッスね、と永近が笑う。

 それに笑い返しながら、彼女は、意識的にか無意識的にか己の左目の辺りを指でなぞった。

 

 

 

「テーマの予定は――『創世』かな?」

 

 

 ただ、その言葉を聞いて、永近の眉間にわずかに皺が寄った。

  

  

  

  

  

   ※

 

 

 

 

 

「……海外勢力の足止めも掴めず、嘉納は雲隠れッスか」

 

 政道の落胆したような声に、俺もわずかに同調していた。

 20区のCCGにおいて、俺は再び資料の整理を行っていた。安久邸は現在、地元の局員たちが調査に乗り出している。近々資料も上がってくるだろう。

 

 海外勢力の”時の尾”についても同様にか。20区での目撃情報もぱったりと消えた。もっともだからといって警戒態勢がすぐに解除される訳もなく、雨止もまたしばらくは20区に残る事になるだろう。

 

 だが資料を整理しながらも、俺の頭の中ではとある言葉が焼き付いて離れないで居た。

 

 

――仮面ライダーは、喰種よ

 

 

 かつて俺を救ったあの彼が。喰種に襲われていた無力な俺を助けた彼が。あの男、神父に怒りを燃やしている日々を送っていた俺の命を助けた彼が喰種だったという事実が、にわかには信じられず。しかし、所々符号するところもあったにはあったのだ。

 俺が最終的にアカデミーで、局員と捜査官で迷っていた俺を決定させた、あの出来事を嫌でも思い出す――。

 

 安浦特等は言った。仮面ライダーは、人間と喰種の自由と共存のために戦うと。

 ハイセは言った。歪みは片方だけではない。それを、人間として、喰種として分からせると。

 

 思考を整理して、少しだけおれは、何かが腑に落ちた。

 

「……だから、奴は仮面ライダーを名乗るのか」

「亜門さん?」

「いや、何でもない。そういえば永近はどうした?」

「あー、何だったっけな? 雨止になんか、クインケ操術を見せてもらってるみたいです」

「操術を?」

「いつ何があるかわかんないから、参考までにって」

「そうか……」

 

 確かに、言われて見ればそれもそうだった。雨止は今日は非番だが、よく永近も申し出に付き合ってる。

 何が起こるかわからないか。……そうだ、本当に何があるかわからない。

 

 あの日、嘉納の後を負って安久邸に向かった際。ハイセだけではなく、俺は彼女たち、安久姉妹にも遭遇している。――目を片方だけ赫眼にさせた彼女たちに。 

 将来が嘱望された彼女達。行方が掴めず、死んだと言うような話も聞かされていたが。

 だが、考えれば考えるほど、俺の中にくすぶるこの感覚は、何だ?

 

 片方のみの赫眼……。

 Rc細胞壁……。

 嘉納の研究……。

 眼帯……。

 そして、仮面ライダー。

  

 ―ー人間で、喰種で、仮面ライダーです。

 

 ジェイルを倒した際に奴が俺に言った言葉が。荒唐無稽な仮説のもとに、違った意味に聞こえてくる。

 

 人間を喰種に近づけるような研究を行っていた嘉納の。あの場所で遭遇した安久クロナのことを考えればだ。 

 俺は、一人知っている。

 嘉納の手により手術を受け、眼帯で隠せばわからなくなるだろう「片方だけ赫眼」になる可能性があり、かつ人間と喰種の共存を唱えうる可能性のある人物を。それらの条件に当てはまる、青年を。 

 すなわち、――。

 

「でも、美食家が居たんなら俺らも付いていけば良かったですよ。俺と法寺さんの捜査対象ですからね~」

 

 政道の言葉が、俺の思考を現在に引き戻す。「そうだな」と言いながら、俺は少しだけ取り繕った。

 

「脱獄したナキが居たってことは、美食家と関係あるってことですかね?」

「さぁな。だら黒ラビットや梟が居たことを踏まえれば……、一連の事件に、アオギリが裏側で関わっている可能性は高い。ナキは”13区のジェイソン”の片腕だ。そのままアオギリに行ったとしてもおかしくはない」

「確かにそうかもですね」

 

「上等。捜査の件だが……」

 

 ふと、室内にアキラが入ってきた。振り返ると、政道が少し嫌味のある笑みを浮かべていた。

 

「真戸ぉ、まだクインケ直らないんだって?」

「生憎とだな。今、新作の設計書をあちらに発注した分もある。

 それに運が良ければ、まもなくレッドエッジドライバーの量産型が来るかもしれないから、文句も言えん」

「そりゃ残念だな。でもまー、有馬特等班のエリート様でも、そんなポカやらかすもんなんスかねぇ?」

「特等が以前、割り箸で喰種を殺したという噂が班で持ち切りだったがことがあったが、まぁそんなものだ」 

  

 割り箸で喰種を……? どこまで話が盛られているのかわらからないが、しかし下手をするとそれくらいやってのけてしまいかねないと思わせるものが、有馬特等にはあった。

 そしてそれよりも何よりも。

 

「武器はそこまで選ばんさ。それに椅子に座り詰めでなくて良かったと思うよ。喰種共と相対さなければ、こうはならんからな」

「……ッ、何だと! 亜門上等足引っ張ってるくせに!」

「心配の前にわが身を振り返り、准特等の助けになるがいいだろうに」

「……二人とも、その辺にしておけ。顔を合わせるたびに言い争うな!」

 

 この二人の相性の悪さは、一体何なのか。

 全く、こういったことで頭を悩ませるのはもっと後になってからだと考えていたのだが……。

 

 ともあれ俺達は、現在の情報を整理する。

 

 篠原さん、什造は「大喰い(ビッグイーター)」。

 法寺さんと政道は「美食家(グルメ)」。

 そして俺達二人は「(ラビット)」。

 それに加え、雨止がそれぞれのサポートに入りながら海外勢力の跡を追う。

 

 篠原さんが「正式に」復帰するまで、俺達で全体の捜査を進めることになる。什造は単体では「動かすな」と篠原さんから直々に言われていることもあり、少し手が回っていない状態だった。

 

「上等、その捜査の件だが――」

 

 アキラが少しだけ残念そうに話す。鑑識の結果、黒ラビットの赫子跡が、ラビットのものと一致するか否かについてだ。損壊が激しくまた崩壊速度の問題もあり、特定の喰種を割り出すところまでは行っていないらしい。羽赫は痕跡が残りにくいこともあり、安久邸での痕跡と、現在照合中とのことだった。

 再び地道に捜査を続けるしかない……か。

 わずかに諦めが混じりながらも、俺達は一旦報告書をまとめる。時間帯は既に八時を回っていた。

 

「あ、亜門さん。いい時間ですけど、夕食どうです?」

「そう、だな。何か食べに行くか。腹が減ってはだな……」

 

「――私も同行するが、構わないか?」

 

 ぬ、と俺と政道の間に割って現れたアキラに、俺達は驚かされた。政道の「げっ」という言葉がその予想外さを現している。

 どういう風の吹き回しだろうか。だが。

 

「近隣の店舗ならば、だが」

「……支度をしろ」

 

 少しは打ち解けてくれたものかと、わずかに俺も頬が緩んだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ちょぉっと、聞いてるんですか亜門さァん……?」

「お? おお、スマン」

 

 そして店に行くと、政道の酔いの回りが速かった。近隣の串カツが美味い店に政道のリクエストで向かったのだが、疲れているのかカツを頬張る回数よりグラスを傾ける回数の方が多かった政道。

 

「什造も、全く、ヒック! ……篠原さん見舞い行けってんだよゥ、ヒック!」

「……」

 

 安久邸で篠原さんが重態になった後。搬送中に「捜査官は二人で動け」と言った際、奴は笑顔で答えた。「ボクはそんなもの、別になにも思わないですよ」と。冗談ではなく本気だとのたまったヤツを引き、必ず後悔するとだけ言い残したが。什造は什造で、中々難しいところがある。

 まだまだ自分の手に負えないのが、歯がゆい。

 

「はぁ……、俺も早く法寺さんみたいに、バッサバッサ切りこんで、ひゃあく(はやく)昇進した――」

「昇進が我々の本分では()い」

 

 ……らい?

  

「言われ()くったって、ああ(わか)ってんだよ、そ(んな)ことはぁ! んでも! 昇進した方が凶悪な喰種相手にだって仕事で()る! それの()にが悪いんだよぉ!」

「昇進すれば責任も増えるさ。やりたくないこともやるだろうし、それにそれらは結果だ。まず()い一に、意思と目標だ。役職(タイトル)は後から付いてくるものだ」

「メシくらい落ち着いて食え、お前達。

 一回落ち着け。串カツが美味いぞ、ほら」

「むぐ……、ヒック! らいらい(だいたい)、何で主席と次席が一緒に配属なんすカぁ!

 学生時からやることなすこと全部否定しておってからに! 実技試験の時だって――」

「間違ったコトは言った覚えはないぞ。何が悪い」

「ハイキター。いっつもこうなんですよ亜門さぁん――」

 

 ……これは、どう対応するのが正解なのか。

 更に宵が回ったのか、段々政道の言葉が聞き取れなくなっていく。

 

「ホれだって、まどみたいに実戦にたちゃ、ちから発揮でけですよぉそえなのに……、まいにちまいにちつくえつくえつくえつくえ――」

「たきじゃわ。私もいわせてもりゃうがにゃ」

 

 ため息を付きながら、アキラは両手の指を立てて、政道の方に向けた。

 

「きしゃまは私を目の敵にしちぇいるようじゃが……、わらしにとって、そんにゃものはめじゃわりでしかないのら」

「あにぃ~~~~! 俺は、俺は……ッ」

 

 立ち上がり震える政道。この辺りで収めようと俺が動くとほぼ同時に、政道の携帯端末が鳴った。

 

「もっしもし、誰だこにゃろ! 今おれぁ因縁の戦いの――」

『――もしもし滝沢くん。「この野郎」ですが』

 

 ひぃいい、という声と共に政道の顔が青くなった。……電話の相手が一発で分かる反応だった。

 

『フフフ……。もう我慢でけん! と以前の私なら怒鳴り飛ばしていたところですが、時間帯も時間帯です。大目に見ましょう。

 レポートの提出漏れがあったので、今すぐ支部に戻って取り掛かってください。それから酔いは十分覚ましてから来るように。着信相手を確認してから電話に出れないほど注意力が低下していては、何度手間かになりますからね。それでは』

 

「お先に失礼します」 

 

 政道が「引き摺り下ろして細切れにされる……」というような呟きをしながら、階段を上っていく様に俺は書ける言葉がなかった。料金は五千円を置いて行った政道だが、しかし……。俺がもっとしっかり管理して居れば。串カツを頬張っている場合ではなかったか。

 

 いやそれより……。アキラは両手を合わせて、額に乗せている。うんうんうなっている様は、明らかにアルコールが回っていた。

 

「なんだその目は」

「こっちの台詞だ。据わってるぞ」

「たわけ目が座るものか目のどこに足がある、ゴーゴリじゃあるまいし」

 

 ごーご……? ともかく明らかに酔っていた。

 

「お前……、アルコール弱かったのか?」

「わらしは酔ってなどいないっ!」

「そう言いながら篠原さんは20人背負い投げ記録を打ちたてている。酔っ払いは信用せん」

「――何を」

 

 アキラは言葉を区切りながら、しっかりと俺に向けて言った。

 

「何を迷っている、亜門鋼太朗」

「……?」

「気づかぬとでも思っちぇいるのか? 嘉納の研究所襲撃の後、明らかに心がここににゃいではにゃいか」

「……にゃが二回続いていてわからん」

「ここに在らずではにゃいか」

 

 わらしはくわしくしりもせんが、とアキラは胡乱なまま話を続けた。

 

「父を助けられなかったお前はきらいだぁ……。だが、鬱屈しているお前なぞもっときらいだ」

「……」

「父が上等捜査官から出世しんあ()かった理由をしっているか?

 わらしたちのためだ。わらしの世話と、母の復讐のためら」

 

 強い意思と確かな目標があれば、地位も階級も関係ない。

 心に灯すべきはその火だと、以前真戸さんから言われた事があった。

 

「だがきっと、わらしのためのほうがおっきぃ。わらしの世話が出来なくなるから、ちちは出世から外れた。しゅっせしてれば、それこそまた梟に迫れたかもしれないのに。

 だぁらわたしは――……うぇっぷ」

「お、おい、大丈夫か?」

 

 アラタを運転する関係上、俺だけ素面だったため、コップには水が入っている。それを奪い取り、アキラは一気に飲み干した。

 

「アカデミーでもさんざんいわれたのら……、ちちはボンクラだと……。だぁら私がはやく一人前になって、他を見返せば、父も早く出世できただろうと」

「アキラ……」

「それが今じゃ、ああしてくすぶっている……。知ってるか? 亜門鋼太朗。一人で居ると、時たま父は泣いているようなのだよ。あの父が。手足をもがれて這ってでも戦うことが出来ない今の自分を見て。

 私は――割り切れん」

 

 段々と口調が回復するアキラ。その視線が、俺に突き刺さる。

 

 

「話さなくても良い。だが、前に進め。

 悩んで止まってるなら、もっと悩んで答えを出せ。

 ひいてはそれが、父のためら」

 

 

 両手を合わせて額をそこに乗せて、アキラは再び押し黙った。

 前に進めか。俺は……。

 

 仮面ライダーが喰種だと聞いて、俺の中の喰種に対する価値観に、揺らぎが出てきているのは事実だろう。これが捜査官にあるまじき感情であることも……、真戸さんから引き継いだ「正義の火」が揺らいでいるということなのだから。

 

 だが、俺の本心は一辺たりとも揺らいで居ない。目の前で奪われる命を守ること。悲劇を繰り返させないこと。……篠原さんや、什造。政道、法寺さん、雨止。それにアキラも。

 

 例え嫌われても良い。疎まれても良い。俺がそう思っていれば、そうであるなら良いと。そう結論は出ているが――。

 

 

 そんなタイミングで、どしゃり、とアキラが酔い潰れた。

 

 

 

   ※

  

 

 

「……まったく、そんなに弱いならもう飲むな。

 ほら部屋の前に着いたぞ? 鍵はどこだ」

「うぅ……、おしりのポッケじゃ」

「……」

「とる、まってろ……」

 

 胡乱なアキラのナビゲートに従い、俺は彼女を自宅まで送っていた。アラタG3は仕方ないものの、CCGに置きっぱなしだ。流石に今のアキラを持って二人乗りはできるとは思えなかった。

 

 入り口では独特な顔の猫が出迎えてくれた。……微妙にかわいくないその顔は、なんとなくアキラが好みそうなセンスだ。

 室内は私物が少ない。目に付いたのはテーブルに広げられた料理本と、棚の上に置いてある入局時の写真だ。隣に真戸さんが映っている。

 

 ベッドに寝かせたアキラが未だ優れないので、仕方なく胃腸薬を買ってきた。

 されるがままのアキラだが、正直色々と気が気ではない。

 

 これでコイツも、色々と落ち込んでいたのかもしれない。……まだまだ俺達は未熟だ。反省会も考えないといけないか――。

 

 

 そして立ち去ろうとした俺の手を、アキラは掴んだ。

 

 

 

「……」

「に げ る な」

 

 何から逃げるなというだろうか、こいつは。

 反応に困っている俺だが、どうもアキラはアキラで寝ぼけて居るように見えた。

 

 もっとも、発言はその限りではなかったが。

 

「こわいのか? こたえが。もうみつかってるのだろう」

「……?」

「だいじょぶだ……私がついているぞ」

 

 ……意味はよくわからなかった。どんな夢を見ているのかも。だが自然と、俺はそれに微笑んだ。

 なんとなくだが、アキラのその物言いに「彼女」のデジャブを感じた。

 

「張間……」

 

 俺は……、これ以上迷って良いのだろうか。お前を殺した、お前の死体も残らず殺した奴らを、喰種達に対して。

 だが、どうやら足を止めているわけにはいかないらしい。コイツはどうやら、それを許してくれる部下という訳ではなさそうだ。

 

 一度深呼吸をして、俺は目を閉じて、開き、一つの決意を口にした。

 

 

「会いに行こう――金木研に」

 

 

 そこにどんな答えが待っているのかを、俺は知らない。答えはないのかもしれない。だが、それでもなお俺は知りたいと思った。

 奴の物語を――彼の物語を。

 

 

 

 




アキラ「あつい……」スカート脱ぎ脱ぎ
亜門「……ッ!」ベッドに背を向けて、腕を組んで目を閉じて険しい表情


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#066 線路/消灯/愚善

四方「……」

アラタ『……なら、守ってみせます。人間の矜持も――喰種の本能も!』
カネキ『……だったら、分からせます。人間として――喰種としてッ!』

四方「……」回想しながら血酒を一口


 

 

 

 

 

 深夜。僕のノックに、ウタさんは気軽に「開いてるよ」答えた。

 artマスクショップ「hysy」の扉を開けると、そこにはウタさんと、四方さんが居た。四方さんは机の上で、まるで酔い潰れたかのように突っ伏していた。足元を見れば、ウィスキーボトルのようなものが転がっている。

 

「……こんばんは、ウタさん」

「やぁカネキくん。……マスク壊れた?」

「少し、お時間良いですか?」

 

 いいよ、と言ってウタさんは、図面を引くのを中断した。

 

「机は蓮示くんが占領しちゃってるけど、大丈夫?」

「あ、はい。むしろ好都合と言えば好都合でした」

「ふぅん? まあいいよ。それで、どうしたのかな」

 

 すすめられた椅子に座り、僕はウタさんと対面に座る。

 微笑む彼に一瞬ためらいながらも、僕は口火を切った。

 

「……どうしたら良いのか、少し、考えてるところなんです」

「うん」

「僕が今の僕になるきっかけの、リゼさんを助けて。彼女を悪用されないようにして……。店長が、アオギリと浅からぬ関係にあることも知りました」

 

 嘉納先生は、クロナちゃん達にはその手の話を全然していなかったようだけれども。それでも、齎された情報は決して信じられないというものでもなく。以前タタラが言っていたように、店長が僕を拾ったのには、何か裏があったのではないかと思う。

 ただ、それでも店長を信頼したいのだと僕は思ったから。

 

「だから、僕は知りたい。『あんていく』のことも、四方さんのことも、店長のことも。

 本人から聞くだけではなくて」

「……ぼくはお店やってるから、お客さんの詳しいことは話せないよ。

 でも、何か力になってあげたって思うんだ」

 

 ウタさんはそう言いながら、手元で目玉をごろごろと転がした。

 

「安定しようとして、ふらふらと揺れて。だからみんな、ついつい目で追っちゃうんだよ。つまずかないよう願うヒトも、躓く瞬間を願うヒトも。

 ……芳村さんのことについては、あんまり知らないかな。10年くらい前に20区に来て『あんていく』を立ち上げて。それから20区を仕切ってるってことくらいだね。

 でも蓮示くんのことなら、いくらか話せるよ」

 

 そこで潰れてるところ悪いけれど、とウタさんは四方さんの方に言ってから、話し始めた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 ぼくは元々、今の芳村さんみたいに仕切りをやってたんだ。4区のね。

 進んで申し出た訳じゃなかったけど、他になれるようなヒト居なかったからね。戦うのも嫌いじゃなかったし、ぼくも今よりは荒れてたからね。

 

 で、そんな風に面倒なまとめ役なんかやってるときに、ふらりふらりと現れたのが蓮示くん。

 

 一人孤独な流れ喰種(ワタリガラス)。なんとなくマスクのイメージが思い浮かんだっけなぁ。

 ともかく、そんな蓮示くんが冷蔵庫漁っててさ。仲間たちが止めに入ると殴りかかったらしくって。たぶん言葉が上手に表現できなかったからなんだろうけど。当時から蓮示くん、そんな感じだったんだよね。 

 

 で、そんな蓮示くんとハジメテ話して……、嗚呼、サングラス馬鹿にされてケンカしたんだよ。懐かしいなぁ。蓮示くん、割と物知らなかったし。

 

 最初はそうだったんだけど、何度注意しても何もかも無視して喰場荒らして果ては「共喰い」。説き伏せようと出向いても、腕っ節強くってさ。

 本気でやると二人ともたぶん死んじゃうから、お互いそこそこのところで手を引いてたんだ。

 

 何度か顔を合わせてるうちに、僕の方が興味を持ったんだ。この相手は一体何を考えてるんだろうか、てさ。

 

 名前を知るのもちょっと一苦労だったんだけど、でもようやく教えてもらえてね。なんで暴れまわってたのかまでは教えてくれなかったけど、少しだけ、どこかの拳法家の元で修行したりして、合わなかったらしくて抜け出したりしたんだって。

 

 そんな風にテキトーな感じに、段々と僕らも打ち解けていったんだ。

 でも、四区に来てたのは彼だけじゃなかった。

 

 気が付くと、こっちを潰す勢いで白鳩が動き出していたんだ。被害も少なくなくて。しかもそれが、ほぼ一人の捜査官によって引き起こされてるって話でさ。びっくりしたよ。

 

 その名前を、蓮示くんが教えてくれた。――有馬貴将。当時は准特等捜査官。こっちでも結構名前の通ってる、CCGの「死神」。当時から今まで、引き分けこそ数件あるものの未だ無敵の喰種捜査官。

 

 すさまじく強いらしくて、実際強かったんだけど。彼を殺すから手を貸せって、珍しく蓮示くんから言ってきたんだよね。

 

 興味があったから話を聞いて、しばらく時間をかけて理由を聞いてね。

 ぼくらならよくある話だよ。家族が殺された。蓮示くんの場合、たった一人の姉が殺された。蓮示くんには、他に誰も居なかった。

 

 蓮示くんは、家族想いだった。

 だから、ぼくも手伝うことにした。ぼくは家族って居なかったけど、仲間とか、友達とかは大切にしたいから、そういう気持ちは分かったし。それに、蓮示くんも友達だったから。

 

 

『――俺は、貴様を赦さない……! 貴様が、死んでもッ!!!』

『……蒸着』

『――IXA! リンクアップ!』

 

 

 それにしても、死神は強かったよ。

 蓮示くんの攻撃なんてものともしなかったし。

 

『見覚えがあるね。その赫子……。

 復讐かな?』

『――ナルカミ・レールガン!』

 

 部下の教育まで一緒にしちゃうくらいには、余裕があったみたいでね。どうしようもなかったよ。

 僕らも下手に動けないで、助けに入れない状態だったんだけど。そこで現れたのが――芳村さんさ。お陰であいつらの目も4区から逸れて、手が緩まった。何を追うべきか話し合いでも始まったんだろうね。

 

 でも、有馬貴将のすごいところは。

 

『封じるよ』

『――羽・赫ッ!』

 

 持ってきていたクインケドライバーを、とっさに芳村さんの腰に取りつけたことだよ。お陰で最初は芳村さんが優勢だったのが、一気に引き分けに持ち込まれてね。

 

 まぁともかく、芳村さんは蓮示くんを保護して、色々鍛え上げたみたい。もともとお姉さんの復讐のためにがむしゃらだったんだろうけど、段々とそんな険もとれていって。

 実は一瞬だけど、あんていくのウェイターもやってたんだよ? 向いてないって言って止めたけど。信じられる――?

 

 

 ウタさんの話に、少しだけ僕は微笑んだ。前に一度、四方さんから珈琲を淹れてもらったことがあった。あの時の味は、なるほどその頃に培われたものだったか。

 

 ウタさんは自分の首元のタトゥーを少しだけなぞってから言った。

 

「みんな色々なこと考えて生きてるから、なかなか難しいよね。分かりあうって。

 じゃあ、ぼくの番は終わりかな」

 

 言われてふと見れば、四方さんがぐらぐらしながらも起き上がってこっちを見ていた。

 その表情はいつものような険しさはなく、寝ぼけているような独特な、薄目を開けたものだった。

 

「研……こうして顔を合わせて話すのも久しぶりな気がするけれど、しかし考えて見れば良い機会なのかもしれないな。

 俺はなんだかんだで口べたで頭がもじゃもじゃだから上手くは話せないけれども、それでも精一杯頑張ってるんだ。それはともかくとして最近トーカとはどうなんだ? 俺としてもお前達のことを見ていると、姉のことを思いだして少しほっこりと……違うそうじゃないな。

 そうじゃないな。リオの時もそうだったが、お前はやっぱり誰かの背中を押してる時が楽しそうに見える。あの拾ってきたクロナとかいうのをふまえてみても――」

 

「……」

 

 今日は、なんだかすっごいしゃべってた。

 どうしたのだろうか、という視線を振ると、ウタさんは足元を指差した。転がっていたボトルからは、ほのかに甘い血の匂い。以前、イトリさんにかけられた「腐った血」の匂いだった。

 

「蓮示くん、酔っ払うと口数が多くなるんだ。普段は胸の底に隠してるようなこともぽろぽろぽろぽろ出てくるから、見てて飽きないよ」

「ちょっとびっくりしました」

「慣れれば可愛いものだよ。例えば……、蓮示くん、トーカちゃんってお母さんに似てるよね」

「あの無鉄砲なところは確かに姉さん似だな。もっともああいうのっは本来、家族を守るために突っ走るってところから来ていると、守られていた俺からすれば思うんだけれど、そこのところどうだろう……」

「知らないよ」

「!」

 

  そして、放たれたその一言に僕は大きく驚かされた。

 四方さんの姉というのはちらっと以前聞いた事はあったけど、こうして言われた情報は、ハジメテ知るそれはかなり衝撃的な事実だった。

 

 つまりまとめると、四方さんはトーカちゃんの叔父にあたるということかだ。

 でもトーカちゃんが、それを知っている素振りはない。……ということは、四方さんが隠している情報ということなんだろうけど、僕なんかが知って良いものなのだろうか。

 

「それで、何か聞きたいことがあるのか? 普段あまり力になれていないから、とんと話してくれ……」

 

 そう語る四方さんは、ぐらぐらとしててはっきりしてるのかしていないのかもよく分からなかったけれど、でもそのうつらうつらした表情がなんとなく、ばつが悪くなったときのトーカちゃんの表情を思い起こさせた。

 

 ちょっと席を外すよと、ウタさんは店の奥に行った。

 

 店長について伺いたいと。さっきウタさんにしていたのと同様の話をすると、四方さんは少しだけ悩む素振りをした。

 

「芳村さんか……。研は、仮面ライダーを名乗っていたな……」

「あ、はい」

「なつかしいな……、仮面ライダー。アラタの奴がそう呼ばれて、自らもそう名乗ったのが切っ掛けだったが、気が付けば研で三人目か……。

 嗚呼違うな、この話じゃないか。まぁだから要するに、芳村さんについて色々話を聞きたい。聞いて芳村さんを自分が信頼できるか確認した意図いうことか。どこまで力になれるかわからないが……。

 芳村さんの変身した姿は、見たことがあるな?」

「あ、はい」

「あの姿は、CCGでは『隻眼の梟』と呼ばれている。隻眼の梟はかつてCCGで大きな被害を齎した喰種だ」

「隻眼の……」

 

 アオギリの主は隻眼の王である――。そんなことを聞いた事のある僕からすれば、その隻眼というフレーズは嫌でも、ニコから教えられたあの情報と混じり合ってしまう。

 隻眼の王。ひいては隻眼の梟。アオギリを作った存在であり、現在もアオギリで王として君臨していると。僕自身一度も見たことはなかったものの、その存在自体は知っていた。

 

 四方さんは一度咳払いをしてから続けた。

 

「芳村さんは梟を、本当の梟を庇っている。あのヒトは家族思いだ。あんていくの家族たちを大事にしているのは、お前も知っているはずだ。だから梟を庇う」

「……本物の梟を庇ってる?」

「お前は頭が良いから、すぐ分かるだろう。

 ……そもそも芳村さんは隻眼じゃない。その上で何故あのヒトが『隻眼の梟』を庇うのか。そしてなおかつ『変身した姿が梟に似ているのか』」

 

 そして僕自身、その答えに行きつくのに時間はそうかからなかった。

 

 ニコは言った。隻眼の王は、アオギリでドクターをしていたエトかもしれないと。

 そして覚えているエトの様子は、明らかにクインケドライバーの扱いに手馴れているそれであって。

 

 なおかつ二人の姿が似通っているのだとすれば……、導き出される結論は、そう多くない。

 

「リゼのことも多くは話せない。……ただ、『最後の切り札』らしい」

「切り札?」

「後は……、すまない思いつかない。適当に聞いてくれ……」

 

 項垂れる四方さん。かなり落ち込んでいるように見えて、なんだか申し訳なく思えた。ひょっとしたらあの無愛想の下では、こんな風な豊かな感情があるのかもしれないけれど、それだったら僕の仮面とかよりよっぽど四方さんの素面の方が仮面だ。

 

 だからふと、僕は四方さんに聞いた。

 

「……トーカちゃんの両親って、えっと、四方さんのお姉さんと、アラタさんって、どんなヒト達でしたか?」

 

 酔うと饒舌になっていた四方さんだったけど、この質問だけは一瞬答えが詰まった。

 

「……希望に添えるかわからないが、こう、何だろうな。俺は姉を取られたと言う感覚が結構強い。姉さんについては色々言えるが、アラタについては難しい。

 俺は……、最後の最後でアイツに当り散らしてしまったから」

「当り散らした……?」

「姉さんと俺は、ずっと二人で過ごしてきていた。性格は、トーカを少し丸くした感じか……。でも根は荒れてたか。

 一時期姉さんがCCGに捕まって、その時に助けたのがアラタとの出会いだったらしい。

 三年も経たずに『好きな奴できた』とか『子供できた』とか言われたときはびっくりした。アラタの性格じゃそういうことはしないだろうし、たぶん姉さんから攻めたんだろうな……。言い方は悪いがトーカもあれくらい攻められれば……」

「?」

「ともかく、夫婦としては良い夫婦だったんだと思う。アラタは……、少し、お前に似ている」

 

 トーカちゃんからも言われたようなことを、四方さんは僕に言った。

  

「色々話さないで抱え込みがちな奴だって、わかっていた。わかっていたが……、それでもあの時、俺は怒鳴ってしまた。姉さんを助けられなかったのは、お前のせいだって。姉さんが知ったら、間違いなくぶっ飛ばされるのに」

 

 後悔するように言う四方さんは、そこで区切って、僕の方を見た。

 

「時々、お前の言ってる事は本当にアラタと被ることがある。だから、どうしても遠くから見守ることしか出来ない。気を抜いたらきっと、またアラタの時の二の舞になってしまう気がする。多くを語って助言できるほど、俺は出来た奴じゃない。トーカたちも、遠くから見守ってるだけで精一杯だ」

「……」

「俺は古間のように気さくでも入見のように器用でもない。だから、変なコトを聞いたら済まない。

 ――研は、トーカのことが好きか?」

 

 瞬間、むせた自分に四方さんは何も言わなかった。

 

「えっと……」

「俺はトーカやアヤトに、姉さんの二の鉄を踏ませたくない。昔のツケを清算させられるような、そんな生き方はして欲しくない。だから、その上で聞く」

「……つまり、えっと、『そういう意味で』ってことですよね」

「……俺は、結構お似合いだと思ってる」

 

 参ったな、としか正直言いようがなかった。

 そこの整理は、正直言ってまだ付けてはいなかった。付けたらきっと、取り返しがつかないような気がして。きっとそういった理由を見つけてしまったら、「愛されたがり」の僕はきっと、躊躇いがなくなってしまうから。

 

 それは、嫌だ。

 トーカちゃんが不幸になるようなことは、例え一人にしないでくれと言われたのだとしても、僕は許容できない。

 

 質問に対して、僕は即答することが出来なかった。四方さんはそれでも待ってくれて、その上でこう言った。

 

「……言わなくても良い。ただ、できればアイツを笑顔でいさせてやってくれ」

 

 その言葉に、やっぱり僕は返事を返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 




二年後のヒナミ「解 せ ぬ」


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#067 絡鎖/審美

若干、時系列が入り乱れています


 

 

 

 

 

「上等はまた甘口か?」

「……辛いのはどうにも苦手なんだ。生来」

 

 黒ラビットの調査結果の資料をまとめた後、俺達はCCGで昼食をとっていた。食堂に入ると「カレーが一番速度が早い」とアキラが言ったので、結果的にそれになる。実際に定食メニューに比べカレーの速度は倍以上素早く皿に盛られた。

 

 座席に隣り合って座る俺達。ふと隣の席のアキラが、味について聞いた。

 

 実際問題、辛いのはどうにも苦手だった。甘口のコクの強さもくどいと言えばくどいのだが、状況的に仕方なしだ。

 

「何事も挑戦は大事だぞ。どれ、こっちも試してみると良い」

 

 そう思いながらスプーンを手に取ると、アキラは自分の分の皿から一口程度とり、俺の口に突っ込んできた。

 

「――!!?

 み、水ッ……! おっ、お前いつもこんな辛いの注文してるのか!!?」

「夏場は代謝が多くとも損にはならんぞ。涼しくもなる。まぁ程ほどの辛さだからだろうがな」

「ほど……!!」

 

 ほどほどの辛さ、だと? 一口目の時点で他のスパイスを差し置いて唐辛子の味がしたこれが!?

 時折真戸さんから「辛くないのを頼んでおいた」と言われて、甘口でなく中辛を提供されることはあるが、ああなるほど、確かにこういった面は親子なのかもしれん。

 

 舌を押さえて水に付ける俺を見て、アキラはくっくと肩を揺らして笑った。

 

「くく……。

 中々傑作だな、その状態は」

 

 ふと見れば、その彼女の笑い方は今まで見た事のないような満面の笑みで、どこか少女のようでさえある。

 そんな顔も出来るのかと、密かに俺は戸惑い驚いた。だが、いつまでも笑わせておくのも駄目だろう。もっとも注意して顔を背けても、しばらくアキラはくつくつと肩を震わせていた。

 

「なんだろうな、先日の朝方の顔に負けず劣らずひどい顔だ」

「……いきなり送り狼を疑われたこっちの身にもなれ」

「どっちかと言えば柴犬かポメラニアンだろうな」

「……ん?」

「妄言だ、忘れてくれ。

 その話題でいくと、鈴屋二等のように本当に動物園にでも行くか?」

「明らかに目的が捜査から外れてるだろ!」

 

 無駄話をしながら、アキラは不思議と楽しそうに見える。

 そんな彼女を見ていると、なんとなくだが張間を思いだす。あっちもこっちも俺を振り回して笑っているところは完全に一緒で、やや先が思いやられるところだったが……。

 

 食事も早々に、俺とアキラはエントランスを抜け、外に向かう。今日はこの後、地行博士の元でアラタの調整に向かうところだった。

 ただ移動中でも、アキラは仕事の話を続ける。

 

「黒ラビットだがな。段々と狙ってる捜査官の階級が上がっているらしい。

 ……不気味だ。目的がいまいちはっきりしない。まるで狩りでもしているようだ」

「篠原さんのしとめたオニヤマダのようにか?」

「私の直感で言えば、何か違うような気もするが……。まぁ赫子の一致度は90パーセントを超えている。判断が難しいところだな」

 

 雨止二等はこの手の話は全然だ、とアキラは肩をすくめる。「基本的に目的外のことが頭に入らない性質なのだろう」と言うその考えは、あながち間違っていないだろう。

 

 そうして歩いている時だ。RCゲートの向こう側が、何やら騒がしい。局員や捜査官たちが群れて、困惑しているような雰囲気が漂っている。

 どうしたのだろうというアキラ。前に進み、俺は顔見知りの受付に何があったのかを聞いた。

 

「どうされましたか?」

「アッ、亜門さん……。

 えっと、情報提供者の方がいらっしゃっていまして。その、ちょっとした著名人と言いますか、何と言いますか」

「?」

 

 アキラが近寄り、彼女の指し示す方角を俺と共に見て。

 そして、わずかに息を飲んだ。

 

「あれは……、誰だ?」

「知らんか、上等。彼女は――高槻泉だな」

 

 言われて気づく。俺も名前くらいは知っている。が詳細までは知らない。

 知っているのかとアキラに尋ねれば、当然のように返してきた。

 

「10代で書いた『拝啓カフカ』で、初登場わずか一週間で50万部達成した文壇のスタープレイヤーだ。最近でも時折話題に出てるだろ」

 

 アキラの指差した先、CCGの壁に貼り付けてある広告ポスターの中に、ちらりと高槻泉の名前があった。

 

「彼女の持ってきた情報とは?」

「えっと、東京郊外の地下施設の話だとか。ただ『情報が情報だからあんまり漏らしたくないナー?』とおっしゃっておりまして……。直接クインケ持ちの捜査官としか話さないよー、みたいなことも言われまして、その……」

 

 地下施設……? まさか嘉納のラボか?

 何故そのことを彼女が知っているのか。少なくとも俺やアキラは、その話について戯言だと素通りすることが出来ない。下手に対応できなくなっている受付とは事情が違ってきていた。何故彼女がその事実を知っているのかなど、問いただしたいことはいくらでもある。

 

 そう考えていると、アキラが唐突に俺の上着のポケットをまさぐった。驚いて身を引こうとする前に、彼女は目当てのものを――アラタの制御装置を手に取った。

 

「博士の元には私が行こう。これは預かるぞ、上等」

「あ、ああ。助かる」

 

 ともあれそうして、俺は待ち合いスペースで待機している小説家の元へと向かった。彼女は眼鏡をかけていて、髪をポニーテールに縛っていて、服は……な、何だ? オーバーオールのようだが微妙に違うような、説明が難しい服を着ていた。

 

「高槻泉さんですね?」

「およ?」

「亜門 鋼太朗 上等捜査官です」

「ああ、どもども、高槻でぇす。背でっかいねぇ素の状態でも」

「……?

 あの、詳しくお話を伺いたいので奥の応接室まで案内します。それと……、撮影は控えてください」

 

 カメラ小僧のごとく首からぶら下げたそれに、俺は当たり前の注意をした。

 高槻泉は「がーん!」という漫画の効果音のようなものを、自分の口で言った。

 

「さ、さきっちょだけ! さきっちょだけでいいから!」

「言ってることがよくわかりませんが、駄目です」

「ががーん! ぶぅ、しっかたないなぁ……。まぁお願いする立場というのもあるから、諦めますよん。

 ……ん、なんぞなむし? これ」

 

 俺の後を付いてきていた彼女だが、途中のゲートの前で、妙なことを呟いた。おそらく「なんですか?」みたいな意味合いなのだろうが、何だこの独特な言語は……。

 

「検査ゲートです。”喰種”の持つ細胞を計測して判別を行います」

「へぇ~。空港の金属探知機みたいなものか。喰種だったら音なるみたいな?」

「ええ。局内にサイレンが響き渡ります」

「ちなみに、CCGに乗り込む”喰種”って居るんですか?」

「可能性は……、0ではないので」

 

 世知辛いですなぁと呟きながら、彼女はポケットからメモとペンを手に取った。

 

 奥の方のソファに座り、対面になる形で彼女と向かう。

 途中、無料で飲めるインスタントコーヒーを手にし、彼女に差し出した。

 

「わぉありがたぁい。私、目がないんですよねぇインスタントに。ほら、仕事柄徹夜が続くこともあるしぃ?」

「そうですか。……それで、先ほど受付で確認をとらせて頂いた、施設の件ですが――」

「あー、ストップ。その前に。

 本日来たのは謝礼目的ではないので、情報提供の代わりに捜査官のお仕事についてインタビューできればと!」

 

 取材は受け付けないと言うと「捜査に関することとかじゃなくって、もっと日常的なことで良いんですよぉ」と笑った。

 

「じゃあ本題入りましょうか。

 貿易会社『スフィンクス』はご存知です?」

「……?」

「郊外のとある別荘にある地下施設。その屋敷の持ち主が経営していた会社なんですよね。あ、ちなみにその郊外の別荘っていうのが――」

 

 高槻の説明は、まさに安久邸を指し示していたのだが、何故それを彼女が知っているのか。

 

「その貿易会社――社長の名前は安久七生。

 まぁ海外の商品を買い付けて国内向けに売りさばいていたとこですけど、知人に貿易会社の社長が居るんですが、彼がここと交流が在りまして。

 話によれば、結構珍しいものを仕入れていたとか。

 

 ――喰種の」

 

 喰種の? と聞き返す俺に「イエッス」と彼女はサムズアップした。

 

「あ、ところでなんですけど今日のお昼は? さっき食堂の方から出てきたように思いましたけど」

「……そんな事より話の続きを」

「答えるまで言いませんゾ?」

 

 からかってるのか、この女。

 

「……か、カレーです」

「ほほぅ、甘口辛口?」

 

 流石にこの時点で埒が開かないと判断し、そのレベルの質問なら後でいくらでも聞くと約束した上で、彼女に話の続きを促した。

 

「スフィンクスが取り扱っていたのは――『Rc溶液』」

「溶液?」

「ええ。喰種をドロドロに溶かしてボトルに詰め込むやつ。何に使うのかまでは存じ上げませんけど、おぞましいッスよねぇ」

 

 所謂、Rc含有液のことだろうか。確かにクインケ製作や、Rc抑制剤を作るのには使われているが……いや、溶液といっている以上は似たようなものではあるのかもしれないが、別のものか、あるいは原料か。

 

「この商品、地味ぃに高く売れるんだそうですよ? CCGに。

 スフィンクスのしゃっちょさんはCCGと結構濃ゆい関係にあったとか何とか。

 そう思って色々と調べてみるとですね? 結構面白い事実に行きついたりしちゃったりなんかしたり」

 

 高槻泉はそこで声を潜め、さきほどまでとは違った、暗い目をして笑った。

 

「――そこの屋敷の地下室、所有は社長ではなくCCGだったそうですよ?」

 

 

 

 

 情報提供後、高槻泉のインタビューを終えて、俺はため息をついた。 

 

 急に午後の予定が開いたものの、一旦空気を入れ替えるため、俺は外に出て歩いていた。

 

 スフィンクス……、安久……。おそらく安久ナシロ、クロナ双方の父親だろう。喰種によって殺された、二人の親。

 

 地下施設がCCG所有だったとするのなら、当然彼女達の父親は、その事実を知っていたはずだ。あれほど広大で、かつ24区の技術を取り入れた研究施設の存在も。

 だとするなら、クロナたちの父親はCCGの協力者? いや、だとしたら何故、安久七生は殺された?

 

 ……いや、そもそも前提が違うのか?

 

 消された(ヽヽヽヽ)のか?

 

 ……嘉納一人で、あれほどの研究施設を用意できたとは思えなかった。建物の構造からして、24区のあの壁は元からあったものだろう。

 とするのなら――仮にあの施設が本当にCCGの所有物であったとするのなら、「CCGが」人間を喰種化させるような研究を行っていたと言うことになる。なんらかの理由でそれを外にリークしようとして、それをCCGが――。

 

 いかん、辻褄が合ってしまう。

 

 CCGが本気で手を回せば、喰種の一匹や二匹、特定の場所まで追い詰めるくらい無理ではない。だが……。いや、俺は何を考えているんだ。人々を喰種から守る組織が何故、人間を喰種に変える研究を行う必要があるというのだ。

 

 だが……不自然な点は多い。嘉納があの施設をわざわざ手に出来たことも。仮にあそこがCCGによって廃棄された施設であっても、内情に詳しければ手を出すこともできるだろう。

 

 しかし…………、この可能性が事実であったとしたら、CCGの存在意義を根底から覆しかねない。こんなことを、誰に打ち明ければ良いのか。先ほどアキラの電話でも誤魔化してしまったが……。

 

 この件は裏が取れるまで、誰かに話すべきではないか。

 俺の中で処理する案件だろう。

 

 そう思いながら歩いていると、不意にファンシーショップの入り口に、吊るしてあったキャラクター商品が目に付いた。猫のキャラクターで、目つきがどこかアキラの家にいたあの猫に似ているような……。

 

 「目的の場所」まで、ここからそう時間もかからない。俺はしばらくの間、そのキャラクターのストラップとにらめっこをしていた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

  

「それ、聞く相手俺で合ってるのか?」

 

 うん、と頷くヒナミちゃんは、西尾さんに真剣な顔で再度聞いた。

 

「ヒトを好きになるって、どういうことなのかな?」

「ぉ~……、アレだ。理屈じゃねぇし上手くは言えねぇけど、ただ」

 

 視線を逸らして微笑みながら言う西尾さんは、なんだか気のいいお兄さんという感じで、普段のうっとうしそうな目つきが嘘のようだった。

 

「――相手のために何かしてやりてぇとか、少しでも傍にいたいとか。そういうんじゃねぇの? まぁ」

「「……」」

「いや、なんでお前までそこで黙るんだよ黒いの」

 

 その言い方は黒い「ミスター」っぽいから止めて欲しい。

 

 でも、確かにそういうのはあるのかもしれない。……私はお兄ちゃん(カネキケン)と一緒に居たいし、できれば幸せになってもらいたい。私がこうして、自分が捨てたものの大きさを再認識させてくれた、なおかつ味あわせてくれた――決して埋まらない心の穴に、少しでも温かなものをくれた、お兄ちゃんの。

 

 押し黙るヒナミちゃんは、どうなんだろう。

 

 押し黙ったままのヒナミちゃんは、何かを堪えるような顔をしている。

 

「つか、俺よりあっちの図体デカいのとかに聞けば良いんじゃねぇの? きっと色々答えてくれんぞ」

「う、うぅうん! もう聞いた!」

「でかいの……?」

「お前は会ったコトねぇか。ま、そういうのが居るんだよここの地下に」

 

 いや、該当しそうな人物は一人だけ思い浮かぶんだけれども……、そうか、ここの地下に居るんだ。

 そういえばもう一人、一緒に「うるさいの」が居たような……?

 

 そんなことを思っていたせいか、店の扉がゆったりと開かれて――。

 

 

「――んん、グッドスマイル! いつ来てもここはすばらしいねぇ、あんていく諸君」

 

 

 うげ、という西尾さんの声が、その相手の厄介さを物語っているようにも思った。

 

「……あれ?」

 

 そして、相手の名前が全然わからなかった。

 でもヒナミちゃんが「月山さん!」と驚いたような声を上げたのが、ちょっとファインプレーだった。

 

「ふふん、芳村氏は居るかい? ……ん、(フロイライン)は――」

 

 そして彼は私の方を見て、少し顔を近づけて来た。微笑んでこそいるけれどその視線は明らかに何かを見定めるような、検分するような目の色で、思わず私はたじろいだ。

 

「何やってんだよ月山ァ」

「んん、なぁに、中々複雑なようだね! まぁそれは構わないさ。カネキくんの友として、せいぜい相談に乗らせてもらうだけさ」

 

 そんなことを言いながら店の奥に引っ込んでいく月山さん。彼が立ち去ったのを見て、西尾さんが「気を付けろよ」と言ってきた。

 

「あんま見た目からじゃわかんねーかもしれねぇけど、アイツかなりキチクなヤローだからな。気を付けろよ」

「きちく?」

 

 小首を傾げるヒナミちゃんが可愛いけど、実際のところどうなのだろう。奥に視線を送ると、猿みたいな……、名前が出てこない……、あのおじ、お兄さんはウィンクして肩をすくめた。

 

 トーカちゃんでも居ればもうちょっと詳しく話を聞いたりできたけれど、西尾さんは不機嫌そうにカウンターを磨き始めちゃって、とても声をかけられない。まぁわざわざ受験勉強疲れでうとうとしているところに確認をとるのも可愛そうだから、今はそっとしておいてあげようと思う。

 

「あれ、クロナお姉ちゃん。そういえばお兄ちゃんって?」

「今日は確か、学校でインターン探しに行くって言ってたような……」

「いんたーん?」

「うん。えっと、アルバイトのちょっとすごい版みたいなものかな?」

 

 私の説明に、ヒナミちゃんは「へぇ~」と目を輝かせた。何か説明を間違えた気がしないでもない。

 

 そして月山さんが階段を下りて外に出たのを、ヒナミちゃんが追いかけた。

 ちらりと西尾さんに視線を送ると「一応付いて行け」みたいにあごをしゃくられたので、私はモップを立てかけた。

 

 たぶん上手い事言っておいてくれるだろうと思いながら、ヒナミちゃんの後を追いかけるとー―。

 

 

「少し遊びに行かないかい? 以前、カネキくんと一緒に行った喫茶店があるんだ」

 

 

 そんなことを言いながら、月山さんはヒナミちゃんに手を差し伸べていた。

 

 

 

 

 




大学にて

ヒデ「カネキ、これなんて良いんじゃねぇの? ほら」
カネキ「……何でプールの監視員がインターンにあるんだろう」
ヒデ「そりゃお前、一応市営だし?」
カエキ「いやアルバイトじゃない」
ヒデ「お、マジだ!? 悪ぃ」


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#068 心路/危誘

なんとなくリオはキンセンカで、トーカちゃんはキキョウのイメージ。


 

 

 

 

 

 月山さんに連れられた店は、レンガ張りの壁面が眩しい、おしゃれな感じだった。あんていくとは少し毛色が違う感じの、女性が好きそうな感じの。私的には暖かさが足りないけど。

 

「ここさ!

 懐かしいねぇ。以前はカネキくんと二人で来たものさ……。今でも僕は、ホリとたまーに来るけれどね。エンカウント率が高いとも言う」

「えんか……?」

「よく会うって意味」

「へぇ~」

「あの時のカネキくんは、それはそれはモアモアソフトリィだった……。いと懐かしきかな、本当に。

 今は以前にも増して、ハードコーティングだからね!」

 

 とりあえず、このヒトの言語が高槻泉よりひどいってことは理解した。

 

「ところで、君の名前は何だっけ? 聞いた覚えがなかった」

「……クロナ」

「ほぅ! じゃあさしずめ、ノアールガールといったところかな?

 まぁ付いて来たまえ」

 

 慣れたように店内に入って、アイスコーヒーを注文する月山さん。ちらりと壁を見ると、見覚えのあるサイン色紙が一枚。高槻泉とあったそれには、なんだか小さく変なイラストが書いてあった。なんだろう、行きつけのお店か何かなのかな……?

 私と同じように視線が固定されてるヒナミちゃんに、月山さんはウィンクして話しかけた。

 

「さて、リトルヒナミ? カネキくんが一体何をしていたのか、だったかね?」

「う、うん。お姉ちゃんたち、全然教えてくれないし……」

 

 表情が暗くなるヒナミちゃん。不意に月山さんの視線が一瞬鋭くなりこちらを見たけど、肩をすくめて微笑んだ。まるで「カネキくんが何も言わないなら、僕も君には何も言うまい」とでもジェスチャーされてるようにさえ感じられた。

 

「カネキくんは……初恋の相手(ファーストラバー)を助けに行ったのだよ」

「ファースト? らぶって、えっと……」

 

 ヒナミちゃんがぱたぱたと、手で顔を仰ぐ。顔が赤いのが可愛い。おおむね意味合いは理解したみたいだけど、そんな月山さんの言葉に、それが違うんじゃないかなと思ってる私は、黙っている。

 

 お兄ちゃん(カネキケン)の初恋相手は、たぶん川上さんだ。

 

 考えてみれば、神代リゼと川上さんは、ちょっと似てるような気もする。そういう意味では、神代リゼはお兄ちゃんの好み度ストライクだった可能性は高い。

 ただ私がその話をしようとする前に、月山さんは話を続けていた。

 

「そぉう! 彼女を助け出すため、来る日も来る日も僕と彼と、バンジョイと愉快な仲間達は東へ西へ右往左往さ! カネキくんも大学があったから毎日という訳でもなかったが」

「じゃあ、いつだったの?」

「インミッドナイト」

 

 深夜……、そういえば再会したときもそうだったっけ。

 不意に胸に頭を埋められたのを思いだしたので、咳払いしてコーヒーを一口。ストローで飲むそれは、ちょっとドライというか辛口というか……、って、苦! ガムシロ入れるの忘れてた。

 

「だが、今や目的を達成したカネキくんは、どこか意気消沈しているようでね。僕のカンでは、どうも彼の思い描いた通りの再会とはいかなかったようだ。霧嶋さんや四方氏たち『あんていく』のメンバーで色々手を回しているようだが、僕やバンジョイくんも、何かしてあげられないものかと思ってね」

 

 ちなみに、ヒナミちゃんは「神代リゼ」という喰種を今かくまっている、ということは知っているけど、それがどんな喰種かまでは教えられてなかった。

 だから興味の主体は、月山さんの話どおりに「お兄ちゃんを元気付ける」方にシフトしていった。

 

「ボーイ・リオ……、リオくんのことを引きずったままこちらに臨んでいたのが、良くなかったのだと僕は思うのだよ」

 

 そして、ここでやっぱり私に聞き慣れない名前が出てきた。聞いた事は何度かあったけど、人柄も何も知らないその相手。

 

「それは、えっと……」

「uh , 君は知らないのかノアールガール。リオくんは、少しカネキくんに似た男の子さ。年は十五ほどで、霧嶋さんに色々教わっていたのが懐かしい」

「リオお兄ちゃんは、いいヒトだったよ?」

 

 ヒナミちゃんのそれは褒め言葉なのかどうか、一瞬判断に迷う私はちょっと薄汚れているのだろうか。

 

「だが最後には全て、自分の過去に飲まれてしまった。全く、惜しいボーイだったよ」

 

 肩をすくめる月山さん。言ってる事の意味はよくわからないけど、言葉にはこちらに納得を強要するだけの何かがあった。ヒナミちゃんが何も言わずうつむいているのは、きっとその言葉が大きく外れてはいないということなんだろう。

 

「『君は一人じゃない』と。せめてのも僕からのメッセージさ。彼は、あんていくを居場所と定めていたそうだからね」

「……ルピナス?」

「ほぅ、知ってるのかい?」

「『多くの仲間』『貴方は私の幸せ』とか。……窓際の花を選んだのって、月山さんだったんだ?」

「嗚呼。カネキくんの心情にあわせられればと思ってね。詳しいのだね君」

「そんなにはだけど、これは覚えてた」

「?」

 

 首を傾げるヒナミちゃんに、「花言葉さ」と月山さんは笑った。

 

「花には必ず、想いや願いが込められているのさ。一つだけではない。そういったものを花言葉と呼ぶのさ。

 例えば金木犀なら、『謙虚』『気高き人』とかね」

「……なんだか、お兄ちゃんみたい」

「ふふ、そうだね。それから――『初恋』?」

 

 その言葉に、私とヒナミちゃんは言葉に詰まった。

 

「『変わらぬ魅力』『思い出の輝き』それから……、『真実の愛』」

「「……」」

「ふふ、ちょっと失礼するよ二人とも。少々お花を摘みに行かせてもらうよ」

 

 私達の反応を楽しそうに見て、月山さんはその場から一旦立ち去った。

 私もヒナミちゃんも、少し顔を見合わせて、言葉が続かなかった。……なんとなくだけど、お互いがお互いに「嗚呼そうなんだ」みたいな、そんな空気が漂っていた。

 

「……クロナお姉ちゃんも、お兄ちゃんのこと、好き?」

 

 そしてこの空気の中で切りこんでくるヒナミちゃんは、かなり勇者だった。

 こっちの方が動揺する。基本、私はヘタレだからこういうストレートなのには弱い……。

 

「……ヒナミちゃんは、どうして?」

「うーん……。お兄ちゃんがね? 字、教えてくれたの」

 

 言いながら、ヒナミちゃんは楽しそうに私に言う。そこに他意はないのだけれど、どうしてか無邪気なその顔は、私にはまぶしかった。

 

「字が、読み方がきれいだって。そういうのって、ヒナミ、全然知らなかったから。そういうのを教えてもらって、それで……、お母さんが殺されて、お姉ちゃんと一緒に守ってくれて……」

「……そうなんだ」

「クロナお姉ちゃんは?」

「……思いださせてくれたからかな。自分が避けてたことを。逃げてたことを。捨てたものを。

 ちょっと、少し境遇に共感できるところがあったのが切っ掛けなんだけど」

 

 ヒナミちゃんとだと、不思議とすんなりと話すことができる。お互い恋バナみたいな感じになってるけど、険悪な感じにはならなかった。ここにトーカちゃんがいるだけでガラリと変わるのは仕方ないところなのかな、きっと。

 詳しくは知らないけど、でも――トーカちゃんはきっと、私より孤独に強い。だからこそ、逆に求めてしまうのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらコーヒーを飲んで話し合っていたら。

 

「……およ、クロナちゃんにヒナミちゃん?」

 

 名を呼ぶ声に聞き覚えがあって、振り返ったらまたびっくり。前より綺麗な格好をした、高槻泉がそこに居た。メガネをくいっと上げて、前より知的に見える。

 ヒナミちゃんは明らかに感激した声を上げた。

 

「なんで、なんでここに!?」

「なんでと聞かれたら答えざるをえないなぁ。お姉さんの行きつけなのだ。アイムヒア。

 今日は二人でティータムぞな?」

「お兄ちゃんのお友達に連れてきてもらった」

「へぇ、中々良い趣味していらっしゃるようじゃのぉご友人……。あ、すいませーん団子パフェ大盛りで!」

 

 当たり前のように月山さんの座っていた椅子に着席する高槻泉。パフェを待ちながら、私達を見回してにんまりと笑った。

 

「いやー、まさかまたちゃんヒナたちに会うとはねぇ。らっきぃだねぼかぁ」

「わ、わたしも嬉しいです」

「おう、光栄だねぇ。あれクロナちゃん、私の顔に何かついてる?」

「べ、別に……」

「さては甘いの苦手だねぇ? いやーごめんよ、私もたまーにしか食べないから、ついつい大きいの頼んじゃってねぇ」

 

 確かに、自分がもう食べられないようなものを頼まれるのがちょっと嫌だったというのはあるかもしれない(お団子は特に好きだったし)。でも謝りつつも、目の前の相手はあっけらかんとしていた。

 パフェの到着を余裕を持って待ちながら、彼女はヒナミちゃんをちらっと見て言った。

 

「何かお悩みかな?」

「へ? あ、いいえ――」

「ヒナちゃん、何か思い詰めるときに手を重ねるくせあるよねー。この間からちょっと引っかかってさ。

 少し専門書あさってきたテキトー知識だけど、それって防御姿勢らしいんよね。あの時も名前聞いたら視線泳いだりとかしてたから……、何か秘密というか、話せないことがあるんじゃないかなーと。

 これでもお姉さん、ヒナちゃんより一回りくらいは年上だから……、あれ? 一回りであってるかな? そこまでババァじゃないと思うんだけど……、と、とにかくお姉さん色々生きてきて、酸いも甘いも経験してるから、多少はお悩み相談できるよん?」

 

 新聞の投稿欄のところは編集から止めろって止められたけど、と高槻泉はけらけら笑った。

 

 ヒナミちゃんが何か悩んでる、というのは、私は言われてから初めて気づいた。否定せずうつむいて、何か思い詰めるようなその姿勢を見ると図星なんだろう。改めて、自分の察しの悪さと言うか、周囲をあまり見て居ないことを思い知らされる。

 ただ、ヒナミちゃんもすぐには口を開かなかった。

 

「……お姉さんじゃ、へなちょこさんかな?」

「……ヒナミが、へなちょこだなって思ってるの」

 

 そして、ヒナミちゃんは話し始めた。

 

「カネキお兄ちゃんが、辛そうな横顔してても、力になりたくても、ヒナミはなんにも出来ないから……。お姉ちゃんみたいに、何か言うことも思いつかない」

「……」

 

 奇しくもその悩みは、どこか私の抱いている思いと少し近い物があった。

 高槻泉は「ほむほむ」と頷きながら、届いたパフェの団子を一口。

 

「もちゃもちゃ……。お兄ちゃんのこと、好きなんだねぇヒナミちゃんは。やっぱりハーレムじゃないか(驚愕)」

「?」

「いや何でもないさ、忘れてくれぇ。んん……、でもそうだな。お姉さん、そういうのは相手を決して子ども扱いとかしないで言うから、ちょっとキツかったらごめんね。

 ヒナミちゃんには……、そっちのクロナちゃんなら、少しわかるんじゃないかな?

 たぶん、何もできないと思うよ?」

 

「…………」

 

 …………? 私ならわかるって、何が――。

 

「たった十何年の人生だけどさ。生き方って結構、差が出るのよ。ほんわかしてそうでも『どっかで抜け落ちてる』とか『何かがおかしい』っていうのはさ。大体そういうヒトって、ぼっちになりがちだったりするけど。

 でもヒナミちゃんは、そういうのがないと思うのよねん。ぽわぽわーっとしてて、ほんわかしてるヒナミちゃんだから。きっと周りからも、親からも、愛情たっぷりに育ったんだろうなーって。

 でも――カネキお兄ちゃんは違う」

 

 それは――。

 

 

「カネキさんは――カネキ()は、愛されなかった人間だと思うよ。ほとんど多くの周りから」

 

 

 その言葉を聞いて、私はふと、腑に落ちた感じがした。

 なんとなく抱いていた違和感の正体がわかったような、そんな感じが。

 

 私でも、トーカちゃんでも、それからヒナミちゃんでも。向けられてるだろう感情から身を引いているというか、そもそも「感知出来ていない」ような、それが。

 

 ……パフェを掻き込みながら言わなければ、もっとそれっぽく聞こえたかもしれないけど。

 

「んぐ……。うん。危ない危ない詰まるところだった。

 で、カネキお兄ちゃんの話しか。うん。なんとなくぴーんと来るものがあったかな? 強い目をしてるけど孤独に怯えてる。でもそれを埋める方法がさっぱりわからないって、そんな感じの目をしてるんだよね、彼。自分なりに折り合いをつけて、『こういうものだろう』って振る舞いをしてそれをした気になってるけど、どこかでズレが生じてるわけよん。

 だからどこかで『噛み合っていない』わけさ。ヒナちゃんとは、人種がちょっと違うんだよね」

「……」

「ちなみにクロナちゃんとも、ちょっと違いそうかな? それは。

 兄妹(きょうだい)なのにそこに違いが出てるって言うのが、ちょっと複雑な家庭事情っぽいけど、まぁあえては聞かぬさ」

「!」

 

 このヒト、本当何なんだろう。ずばずば物怖じせず言ってくる姿勢はどこか一度体験したことのある感覚だけど、そこじゃなくて洞察力というか……。何だろうこの観察力は。その言葉には、ある程度の自信がありそうだというのが、ちょっとすごい。

 

「傷ついたらごめんね。でも、お姉さんフェアプレイ精神だから。濁すのは駄目だと思うから」

「……ううん」

「今のままじゃ、きっとどうにも出来ないと思う。んま、そんな訳で。

 たったらたったったー! 激レア名刺(名刺自体滅多に作らない的な意味で)」

 

 服の前面のポケットから、すっと取り出した一枚の名刺。「高槻泉」と名前がかかれ、メールアドレスと電話番号、オフィスの住所が記載されていた。

 ヒナミちゃんはそれを驚いた顔で受け取った。

 

「クロナちゃんの分も用意できてれば良かったけど、ごめんね、持ち合わせなくって。二人で共有して……あ、でも不用意に撒き散らさないどいてね。色々面倒だから」

「こ、これ……」

「ま、さっきも言った通りお姉さんは年上だしぃ? 多少のことなら力になってあげるよん、的な感じで」

「……どうしてそこまで」

 

 私の言葉に、高槻泉は少し遠い目をした。

 

「――自分の力だけで解決できないような、そういう感じにぐるぐる落ち込んでる相手って見てると、助けてあげたくなっちゃうんだよねー。私にも昔、そういう時があったから。方法は別にして(ヽヽヽヽヽヽヽ)

 だから、何かあったら連絡してん? 打ち合わせとか原稿締め切り三日前とかじゃなければ、たぶん出れるから」

 

 にこにこわらって手を振って、そして1万円札を置いて、彼女はその場から離れた。肩に下げたバッグの中から何かを取り出して、確認しているように見える。

 

 私は――衝動的に、その後を追った。何故かそうしないといけないような、そんな直感があって。

 

 店を出て追ってきた私に気づいて、高槻泉は振り返った。

 

「およ? 何か忘れ物でもしたん?」

「……聞きたい事が、出来たから」

「何かなん? クロナお姉ちゃん(ヽヽヽヽヽ)

 

 高槻泉はそういって笑う。ヒナミちゃんからすればそうなる、みたいな言い回しなんだろうけど、何故か彼女の言い方は、酷く自分が「ナシロの姉」であると思いださせられるような、そんな錯覚があった。

 それを振り払い、私は勤めて真剣に質問した。

 

「さっき、あなたは言ってた。自分の力だけで解決できないような、そんな時が自分にもあったと」

「んー、まぁまとめるとそなるね。で、どないしたん?」

「そういう時――貴方はどうしてたの?」

 

 お兄ちゃんのおかしい所を見抜いたと。トーカちゃんでさえ理解してるか怪しいその部分を見抜いたのだとするのなら、答えは二つあるはず。このヒトの周りにそういう人間が居たか、もしくはこのヒト自身がそういった人間か、だ。

 

 だったら、この質問はかなり、今後の私の身の振り方において重要なそれになるかもしれない。

 

「クロナちゃんは、どしたいんだい?」

 

 でも、彼女は最初に質問に質問を返してきた。

 

「君が何を求めているのか、ちょっとわからないからね。それ次第で回答を変えるさ」

「私は……、お兄ちゃんのために、命を燃やす」

「……へヴぃ」

 

 うんでもわかった、とすぐに言うのが、やっぱりこのヒトは凄いと思わせられる。

 

「うん、なんか……(思ったより面白い感じの方向になっちゃったみたいだけどそれはそれとしてだ)。

 まぁ、そうだね。君は――行動に結果が伴わなくても、耐えられるかな?」

 

 ――お姉ちゃん、私を――。

 不意に、シロの最期の言葉が脳裏を過ぎる。

 

「命を燃やすっていうのは行動であって結果じゃない。そのことを忘れなければ、ひょっとしたらひょっとするかもね。私は、結局それが出来なかったから。

 だから今でももがいてるのさ――生き汚くもね」

 

 それだけ言って、高槻泉は今度こそ立ち去った。

 

 私は彼女の言葉を反芻して――。

 「私達」が今の身体になった理由を思いだして。

 お兄ちゃんのお陰で再認識した「自分たちのもう半分(人間)」の側のことを思い出して。

 

 どうすることも出来ず、その場でただ呆然としていた。

 

 

 

 

 




一方その頃、男子トイレでは・・・
 
月山「キンモクセイ、最後の花言葉は――陶・酔ッ!!!!!!!!!! むっはぁッ!」


そして外

高槻「……!?」行きつけの店なのに何か不自然な寒気を感じる


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#069 乾田/確認

今回尋常じゃないくらい描きやすかったです・・・これがヒロイン力というものかw


 

 

 

 

 

「うあ……」

 

 昨日の夜、模試の採点結果を見ながら復習(気持ち的には復讐)をして、気が付くと翌日、お昼回ってた。

 これは、やばい。あんてのシフトが思いっきり入ってるから、場合によってはヒナに起こしてって言ったと思うのだけれど、家の中を見てもヒナはいない。とすればあえて置いて行ったのかもしれないけど、それだってまずい。大慌てで着替えて、私は歩いて十分足らずの「あんていく」に走って向かった。

 

「あら、トーカ。いらっしゃい」

 

 ぜいぜい肩で息をする私を、カヤさんはにこにこと出迎えた。

 

「はぁ……、はぁ……、あの、私、今日の、シフト、は――」

「嗚呼、それなら私と古間くんからサービス。

 トーカちゃん頑張ってるみたいだし、今日は休みでもいいって店長にかけあったのよ」

 

 発起人はヒナミちゃんなんだけどね、と言ってカヤさんはウィンクした。古間さんがするやつより自然体というかサマになっていて、ちょっと見とれる。

 

「ヒナミは?」

「クロナとお出かけよ。だから、まぁ今日は気にしないで」

「い、いや、でもそゆ訳には……」

「聞いたわよ? カネキくんと一緒の大学に入ろうって頑張ってるって。まだまだ点数足りないってもね。だったら周りがサポートしてくれるうちは、それに頼っても良いのよ。落ちたらかなり落胆もするでしょうしね」

「は、はぁ……、って、へ? だ、誰から聞いたんです?」

「カネキくんから」

 

 言われて、私は思考が一瞬停止した。頭ん中、真っ白になった。

 そして次第に沸いてくる、この羞恥心は何だろう。顔が暑い。今まで徹底的にひた隠しにして、十二月くらいに暴露するつもりだったのに、なんでもう既にカネキが知ってる状態なんだっていうか、えっと……ってことは、あえて毎回模試の志望校をころころ変えて、前回ようやく上井を入れたってのも、そんな無駄なあがきもわかってたって? っていうか、全然そんなそぶり見せた覚えないのになんで知って――。

 

「ふふ、顔真っ赤ね」

「……ッ! べ、別に、何でもないですっ」

 

 思わず顔を背ける私を、カヤさんは楽しそうに見てくすくす笑った。

 

「トーカって、そういう防御力は全然ないからね。見てて結構微笑ましいわ。

 さて……、とはいえ全く仕事がないって訳でもなくってね? はいこれ。買う種類はこれに書いてあるから買出しお願いね?」

「買出し?」

「ちょっと豆が切れそうなのよ。で、せっかくだからニシキくんにも教えてあげてね。丁度上がりだし」

 

 お客さんの帰った後の机からカップを下げていたクソニシキが「あ゛あ゛!?」みたいな声を上げていたけど、カヤさんには無論逆らえなかった。

 

 道中、ニシキは面倒くさい面倒くさいと文句を垂れてた。

 

「人遣い荒ぇよなぁ。仕入れ先まで直接出向かせるなんてよ。送らせりゃ良いじゃねぇか」

「しょーがないでしょ。そこの豆じゃないと良い味出ないんだし、送ったら鮮度落ちるし」

 

 よくわかんねぇ、と言ってニシキは肩をすくめた。

 

「……場所教えたら、次アンタ一人で行ってよ。めんどくさい」

「はァ? クソだりぃ……。次お前行けよ。俺急がしぃんだよ」

「女と遊んでばっかで説得力ない」

「ああ? 試験とかレポートとか色々あンだよ。お前も来りゃわかんだろ」

「カネキ余裕そうだけど」

「専攻が違ぇんだよ、専攻が」

「それでも胡坐かいてんでしょ」

「うっせぇなぁ……。

 っていうか、お前どうなんだよ? 勉強」

「まぁまぁ。……順調って訳でもないけど」

「大丈夫かァ? 俺だって受験前、今の季節ごろにはA判定行ってたぞ。そんなんじゃカネキも苦労してんだろうなぁ、あー愛しのカレと同じガッコー行きたいオトメハツライネー」

「……っていうか、は? なんでアンタも知ってる訳?」

 

 適当な口調だったけど、ニシキのそれはある程度の確信のあるような、そんな言い回しだった。

 いぶかしがる私に、ニシキが「アホか」と半眼で振り返った。

 

「お前、貴未に頼んで問題集とか一緒に買いにいってたろ。そりゃ判るっての」

「いや、言わないでって頼んだし」

「いや確かに貴未は話しちゃいねぇよ。ただアイツの行動は俺が大体把握してるだけで」

「……キモい」

「あ゛あ゛ッ!?

 何言いやがる、また変なのに襲われねぇか心配なだけだっつーのッ」

 

 だったら堂々としてりゃ良いんだし、慌てるってことは自分でもキモい自覚はあるってことか。

 

 ともかく、私はニシキに店の場所を教える。たどり着いた先は20区から外れた輸入雑貨店。色々なものを取り扱ってる中に、さらりと珈琲豆がまじってる。

 決して専門店という訳ではないけど、あんていくの豆はここのものと、あと何店舗かの豆のブレンドで出来ている。

 

 白いちょびヒゲの、物腰が丁寧なおじいさん店主が「どうぞまたご贔屓に」と行って頭を下げるのを背中に受けながら、私達は店を出た。

 

「……しっかし豆の仕入先も思いっきり人間なんだな。ホントあの爺さん(店長)怖ェ」

「しっかも結構付き合い長いみたいだし。さすがっていうか、何て言うか……」

 

 何度かここのお店には来てるけど(カネキにも教えたし)、本当に深くは聞いて来なかったりするし、なんだかその表情からは色々、事情を知ってそうな気もしないではないけど……。改めて芳村さんの顔の広さを思い知らされる。

 そんなことを考えてると、ニシキが私に言った。

 

「そういやトーカ、俺これから大学の研究室寄っていくけど、お前も見てくか?」

 

 誘われた私は、そーいや今日カネキは学校だっけと、そんなことを思いだしていた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 夏休みだっていうのに、大学は学生がそこそこ居た。

 オープンキャンパスやってる訳でもないだろうに、こーゆーのはなんだか新鮮だった。

 

「――あっちはコンピュータとか譲歩受けの棟な。工学部も大体あっちにまとまってる。なんだか結構有名な教授が居るとか居ないとかで、たまーに聞かれることあるぞ」

「ふんふん」

「で、今歩いてる大通りがメインストリート。あっちに見えるのが本棟な。……って言っても俺は化学棟ばっかで立ち寄ることもあんまねーけど。教員棟の方が多いくらいだな」

「学部によって違うの?」

「そーゆー訳でもねぇけど、俺は実験設備必要な科目多いからなぁ。授業によって教室確保できるところが違う場合と、担当教員の研究室が近くにある場合がある感じだな。

 で、あっちが食堂。旧い方と新しい方あるけど、旧い方はおばちゃんがサービスしてくっから俺ら的にゃ地雷な。まぁ新しい方は新しい方で人間多いし、どっちもどっちか」

「こんだけ居れば食べなくても気づかれないんじゃない?」

「まーな。でも付き合いで食うこともあるしな」

 

 説明を受けながら、校舎を見渡して思わず私は呟いた。

 

「でっけぇ……」

 

 すごい頭の悪い感想だって自覚はあるけど、高校とは比べ物になんないくらいだ。

 

「まぁマンモス校だからな。学部も多いし――」

「西尾センパイ! お疲れ様です」

「よ、お疲れ。何だ掃除のバイトか? がんばれよー」

 

 そして時々、歩いてるとニシキが色々と声をかけられていた。

 

「ニッシー、掘北の授業ノートマジ助かったわ!」

「俺もベンキョーすっから、来週までにゃ返せよ」

「にしても隣の子可愛いッスねー」

「止めとけ止めとけこんなガキ」

「あ゛?」

 

 中央の、何か銅像みたいなのが立ってるところまで来て、ニシキは肩をすくめた。

 

「……アンタ、交友広いね」

「ん? そ? フツーにしてりゃ知り合いこんくらい増えるだろ。

 まぁお前みてぇな単細胞にゃ厳しいか。ハッ」

「あ゛?」

「まぁあれだ。フツーに勉強してフツーに就職してフツーに人間ごっこやって。

 ……大したことなんて別にしなくったって良いんだよ。フツーに生きられれば。それが一番大変だけれど」

「……」

 

 そう、確かにそれが一番大変なんだと思う。

 でも、ニシキはなんだかんだ言って、私みたいに助けてもらわないでも今までやって来たんだよな……。

 

 そんなことを考えてると、遠くからクソニシキの名前を呼ぶ声が。「貴未!」と手を振って、ニシキがそっちに走り出す。

 あっちはこっちを見て頭を下げた。私も反射的に返す。

 

「あとお前一人でぶらぶらしてろよな」

「はぁ!?」

「一応あっち優先なんでな」

 

 ごめんねと頭を下げられても、そーゆーのはアンタじゃなくてニシキがやれって感じだし。

 

 いやでも……、案内くらいしろよと思わなくもないというか。

 

 そしてニシキたちと別れてからようやく気づく。私、カネキからどこに研究室あるとか聞いてなかったっけ……。やばい、全然遭遇できる未来が見えない。

 

 まぁ最悪いいや。テキトーにぶらつこう……。たぶん受けるとしたら理工学系の方だし。

 

 あてもなく、テキトーにさまよう。食堂近くの自動販売機でコーヒーあるかチェックしたり、休日だっていうのに何か講義みたいなことやってる教室を覗いたり、ちらりと撮影みたいなことやってるところで「こっから先こないで」って言われたり。表のテラスの椅子とか見たり、木の生い茂った道を歩いたり――。

 

 なんとなく、そのどこもかしこも全てにカネキが居るようなイメージを思って、ちょっと楽しくなった。たぶん永近さんとかと一緒に居るんだろうけど、うん、なんとなくそれはそれで、平和な感じがして、悪くない。

 そこにちょこっと、おしゃれ決めた自分が背後からせっついたりしてるイメージを足して、自然、私は頬が緩んだ。ん、悪くない。超悪くない。

 

 あいつもココに居るんだよな。たぶんそこら辺とかで、いつもみたいにワケわかんない本読んだりして――。

 

「……あ、すみません。理学部の校舎ってどっちですか?」

「ん? 嗚呼、それならあっちを曲がって――」

 

 道中、泣き黒子のある髪型が片方に偏った感じの、なよっとしたヒトに聞いて、自分が通うかも知れない(通いたい)校舎へ向かう。

 

「やっぱ授業とか受けた方がいいかな。オープンキャンパスとかで。

 ……もうカネキも知ってるみたいだし、今更隠さなくっても――」

 

「ちょ、センパイ! 勝手に剥がしちゃ駄目ですよ企業説明会の!」

「バァロー、おま、天下の文化祭だぞッ!! いい場所にポスター張るべきだぜオイ!

 一応三晃サンにも意見聞いたし――」

「だから誰ですかその三晃さんって!」

「アドバイザー? デザイナー? まぁともかく、相談乗ってくれる経済学部の先輩だぜ。研究テーマ食品らしいけど。

 さて――って、あれ? トーカちゃん?」

 

 そして浮かれながら歩いていると、カネキの友達の、例の永近さんと遭遇した。

 

 

 

   ※

 

 

 

「おんまたせ、トーカちゃん。アイスコーヒー、アイスコーヒー」

「……ありがとございます」

 

 そこでお茶しない? と誘われて、そのままカフェテリアの外の椅子に座る私。永近さんは自販機のカップのやつから、アイスコーヒーを出して持ってきた。さらっと奢ってもらってるから、後でお金返さないと……。

 

「しっかしまさか、大学でトーカちゃんと会うとは……。

 なんでまた大学に? 夏休みだぜ?」

「あ、はい。西尾さんに連れられて……。一応、下見しておこうかと」

「おお! トーカちゃんも上井受けるのか! となると……あ、なるほどね」

「……今、何を納得しました?」

「いやいや、こっちの話だよ。

 しっかし、せっかく来てるならカネキ会ってく? 今たぶん教授と相談中だけれど」

「……相談?」

 

 そそ、と笑いながら永近さんは説明を続けた。

 

「ほら、先生今目指してるって話じゃん? でウチでもその手のやつは出来なくないけれど、ちょっと授業の取り方がアクロバットになんよ。衛星放送で単位をとるか、必須科目やってる大学まで足運んで授業やるかって。

 で今、そこのところどうやって取っていくのが良いか相談中って感じだな。インターン何があるか確認しに来たのもあるけど」

「へぇ……?」

「ま、そのうち判るぜ? 結構高校の時に頭使わなかった部分で苦しめられるから」

 

 へっへっへ、とちょっと遠い目をしながら言う永近さんは、なんだかちょっとヤバいヒトっぽかった。

 

「俺、英文科であいつ国文科だけど、教科的に似通ってるところあるから、何なら相談のるぜ? 今からでも」

「んん、とりあえず今は、思いつかないですね……。逆に、これやっとけとか、そういうのあります?」

「春休みの使い方は考えようぜ」

 

 だからその、ヤバそうなヒトみたいな目は何なんだろう。

 

「……っと、まぁ怖い話はさておき。何かあるか?」

「……大学の質問ってワケじゃないんですけど、いいですか?」

「お? いいぜ。ある程度ならなー」

 

 そう胸を叩く彼に、私はふと、昔のカネキのことを聞いた。一瞬目を真ん丸くした後、何故か何度も頷く永近さん。

 

「んー、昔のカネキねぇ……。昔っからあんなんだったよ。休み時間も放課後もずっと本読んでてさ。なんかいじめっ子とかに取り上げられそうになったのを、こう、俺が知恵と機転でのらりくらりとしてやったりな。

 なーにされてもやり返さなくって、困ったって感じでも笑ってやがって」

「……」

「で、小学校高学年くらいかな? 母ちゃん亡くなってから、ちょっと変わったなー。前より明るくなったって言うか、少しアクティブになったんだけど、時たまじっと寂しそうにしてて」

「……二人とも、亡くなってるんでしたっけ」

「お、知ってんの? 結構話してるな……。

 前に一回だけ言ってたっけなー。『お母さんみたいになりたくない』って。『僕は誰かにお返ししたいんだ』って。ちょっと意味わかんねーよな」

 

 笑う永近さんに、私も少し微笑み返す。なんとなく当時のカネキの言ってることは理解できないけど、その今回に在る部分は、今もあんまり変わってない気がした。

 

「あ、そーいえばさ! カネキ一回、劇で主役やったことあんのよ」

「……主役?」

「そ、学芸会で。半ば押し付けられた感じだったけど。でも意外に堂々としててさ。舞台上で結構すごかったんだよ」

「へぇ――」

 

 …… 一瞬、白雪姫の格好した私と王子様の格好したカネキが思い浮かんだのは、我ながらないと思った。

 私って、こんなぽんこつだったっけ……。そんなことを思いながらも、永近さんの話には真剣に耳を傾ける。

 

「何か演じるっていうか。仮面被ってるって言うか。……なんだかんだ全部、一人で抱え込んじまうところがあってさ。親友なんだから、俺にもなんか言えって感じなんだよなー。最近思うのは」

「……」

「で、トーカちゃんてところでカネキのこと好き?」

 

 瞬間、私は頭がバットで殴られたような衝撃と羞恥を味わった。

 

 呆然として思考停止すること二秒。言われた言葉の意味を租借するのにまた二秒。爆発するのに十秒くらいかけて、私は慌てふためいた。何か言葉を発しはしたけど、何を言ったか自分でもよくわかんない。

 そしてそんな私を見ながら、永近さんは「そっかそっかー」と勤めて明るく振舞っていた。

 

「いやー、残念だなぁ……。でもまぁ、仕方ない感じでもあっかな?

 おでこくっつけてたあたりから怪しいとも思ってたし」

「……!?」一体いつの話、それ……ッ!

「まぁだから、あれだ。俺が言うのも変かもしれないけど――何かあったらアイツのこと、頼むわ」

 

 ぐっと、永近さんは頭を下げた。

 

「たぶんトーカちゃん、アイツが何抱えてるかとか、なんとなく聞いてるんじゃない? あー、別に言わなくても良いから!

 でもそうして一人で抱えきれなくって、どっか行っちまいそうになったらさ。こう、チョークスリーパーとか決めて、連れ戻してやってくれよな」

「……私なんかで、いいの?」

「俺だけじゃ駄目なんだよ。たぶん。

 まぁトーカちゃんだけでも駄目だと思うけど」

 

 それくらいカネキとは友達やってるからな、と笑う永近さん。態度からは、そこはかとなく自信があふれていた。

 

「ま、そんな訳で……、ガンバな、トーカちゃん?」

「?」

 

 

「――ヒデ、バイトあるって言ってたんじゃ……、って、トーカちゃん?」

 

 

 サムズアップをかます永近さんに気を取られてて、私は後ろから近寄ってくるカネキの存在を完全に気づいていなかった。

 瞬間、ほてりまくるこの身体は何だというのだろうか……。

 

「なんでトーカちゃん、ここ来て――」

「まーまー! 西尾センパイに大学に連れてきてもらったんだってよ! せっかくだから、カネキ案内してやれって。俺バイトまだ残りあるし」

「いや、だったら何故トーカちゃんと――」

「ま、ファイトなー!」

 

 お気楽な調子でその場から去る永近さん。不思議そうな顔をするカネキは、こちらを見て――。

 

「どうしたの、トーカちゃん。熱?」

「ッ、べ、ベタベタすぎんだよ!」

「ええ!?」

 

 さっと手のひらを額に向けてくるカネキを、直視することが出来なかった。

 

 

 

 

 




状況:トーカ、ヒデから公認を得る

そして次回、ついにあのフラグ回収・・・!


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#070 直前/五度

今回ちょっと短めです


 

 

 

 

 

 単位の取り方の相談が終わった後、表に出ればヒデがアルバイトをサボっているのか、休憩しているのか椅子に座ってカップのコーヒーを飲んでいた。対面に座っている相手までは分からないけど、とりあえずそっちに向かう。 

 

 そして、ちょっと驚いた。

 

「――ヒデ、バイトあるって言ってたんじゃ……、って、トーカちゃん?」

 

 ばっ、とこちらを振り返ったトーカちゃん。ヒデいわく西尾先輩につれて来られたらしいけど、そんなトーカちゃんと何やら話し合っていたらしいヒデ。ひらひら手を振り、僕に案内してやれと言ってその場を去った。

 

 えーっと……。とりあえず、僕はトーカちゃんを見る。

 顔が赤い。

 

「どうしたの、トーカちゃん。熱?」

「――ッ! べ、ベタベタすぎんだよ!」

「ええ!?」

 

 額に手を伸ばせば、何故かこれは反射的に避けるトーカちゃん。時折、勝手に手をとられて握られる側としてはこれくらいの距離感だろうと思っていたのだけれど、彼女的にはどうやらちょっと違うらしかった。

 そわそわと伸ばした髪の毛先をいじるトーカちゃん。挙動不審っぽく視線が色々行ったり来たりしていて、こちらを見たかと思えば目が合うとさっとそらす。最近こういうのはなかった気がするから、ちょっと新鮮と言えば新鮮だけれど……。

 明らかに距離感が、普段のそれじゃない。というか、何か無駄に意識しすぎているような。

 

「……ヒデに何か言われた?」

「べ、べつに」

 

 顔を下にうつむかせて、ぱたぱたと自分の胸元を手のひらで仰ぐトーカちゃん。

 

「か、カネキの用事は終わったの?」

「あ、うん。そっちは一応大丈夫。三年生になってからの予定とバランスというか、妥協案がとれたし……。と、で、どっしようか。一応見学に来たんだよね」

「ん……、簡単には見て回ったけど、まぁ、うん」

 

 今日のトーカちゃんは、なんだろう、歯切れが悪かった。なんとなくアオギリから帰ってきてすぐの頃のトーカちゃんを思い出す。

 どこか行きたい所はあるか、と聞くと、トーカちゃんは少し悩んでからぶっきらぼうに言った。

 

「……カネキが」

「僕?」

「…………カネキが、よく行く所とか」

「……」

 

 わざわざそれを聞く理由を考えてしまうのは、ちょっと自意識が過剰だろうか。いや……、んー、どうなんだろう。正直僕側から見て「おや?」と思うところは多いには多いのだけれど、それがどういった感情に根ざした言動なのかまでは、読み切れないので判別が付かない。

 具体的に言えば、トーカちゃんの言ってるそれが「知り合いに会える場所を知りたい」と言っているのか、それとも「僕に会える場所を知りたい」と言っているのか、というような感じだ。微妙にニュアンスが違うし、結果ポイントも大きく違う。僕個人を指定している場合、何故僕なのか、というところにもなってくるわけで……。ちょっとこんがらがって来た。一旦、考えるのは止めた。

 

「普段利用してるところねぇ……。ここはよく使うけど、後は図書館と、本屋と、ネットカフェかな?」

「ネカフェ?」

「うん。去年に出来たらしくって。生協のすぐ近くにあるんだけど。ただあんまり面白くはないかなぁ……。

 じゃあ、とりあえず本屋行こうか」

 

 僕の言葉に首肯し、トーカちゃんはとてとてと、なんだか人見知りの小さい子みたいに周囲を見回して僕の後に続いた。

 本当にどうしたんだろう。何を言われたと言うのだろうか……。

 

 いや、まぁこう、照れてるトーカちゃんはトーカちゃんで、普段あんまり見る機会の少ないイメージがあって、これはこれで可愛いんだけれど。

 

 そんなことを考えていると、おずおずと、トーカちゃんが聞いてきた。

 

「……そいえばさ。その、いつから聞いてた訳?」

「聞いていたって、何を?」

「だから、その……。ガッコー」

 

 嗚呼、なるほど。上井に行きたいのを隠していた話か。

 

「割と最近だよ。最近っていっても、まぁ今月頭くらいだからそこそこ前かな。

 納得はしたけど」

「ん?」

「思い返して見れば、結構、隠しきれてなかったかなぁと。

 でも、ちょっと嬉しいかな。トーカちゃん上井志望してくれて」

「……嬉しいんだ」

「うん」

 

 何か理由があるか、と言われると上手くは言えない……というよりも「考えるべきではない」ので思考は停止しているのだけれども。それでも嬉しいというのは気分としてあるので、そこだけは不思議と口を突いて出てきた。

 トーカちゃんもトーカちゃんで、「嬉しい、そっか……」と反芻するように小さく繰り返して、ふふ、と微笑んだ。

 

「私も、ま……、行けたら嬉しい、けど……」

 

 照れたように顔を逸らすトーカちゃんに、思わず僕も釣られて笑った。

 

 

 

   ※

 

 

 

「これ、どう?」

「CDのジャケットとかの表紙、飾ってそうな感じだね」

「似合ってるかどーか聞いてるの」

「あ、ごめんごめん。可愛いと思うよ」

「……」

「?」

「キレーとかの方が良かった」

「そこは、意見が別れるところかな?」

「ん、じゃあカネキもほら」

「え? いや、僕は別に、あちょっと――」

 

「ほら、ほら、もうちょっともうちょっと――あー! 何失敗してんだよッ」

「いやいや、これ結構難しいんだって。それにトーカちゃんの方が先に千円札使っちゃった後だし」

「これで取れないとか、ちょっとない」

「基本的にこういうのって、相手側が儲かるように出来てるから仕方ないかな、それは……」

 

 大学を出た後、なんとなく僕とトーカちゃんは、一緒にぶらぶらと遊び歩いた。  

 

 駅ビルでウィンドウショッピングしたり、試着とかしたり(させられたり)。ゲームセンターでUFOキャッチャーでうさぎのぬいぐるみをとろうとして失敗して罵倒されたり、エアホッケーで思いの他盛り上がったり。

 特にすることもなく、なんとなく線路沿いのベンチに座って、じっと電車が行ったり来たりするのを見ていたり。

 

 何が楽しいという訳でもなく、同時に何が楽しくないという訳でもなく。ただ何となく、一緒に適当に時間を潰しているというのが、思いのほか心地良かった。不思議とトーカちゃんも、それに文句を付けたりはせず、ぼんやりとしている。

 

「……」

「……」

 

 ただ同時に、自分の中である程度の線引きはしておかないといけない。気を抜けばそれこそ簡単に、相手の好意に溺れてしまうだろうから――。

 

 そんなことを考えていると、不意にトーカちゃんの頭が、僕の肩の上に乗った。ちょっと目がとろんとしていて、こっちの眠気も誘ってくる。

 夏場だから密着するのはちょっと暑いんだけど、元々トーカちゃんの身体は少しひんやりしているので、そこまで苦にはならなかった。

 

「……ごめん、ちょっと肩かして」

「いや、いいけどさ。……えっと、他のヒトとかにこういうのってやってないよね」

「流石にないない。そんなに防御力低い女子じゃないし」

「……」

 

 僕には低くて良い理由があるのか、と勘ぐられて良いのだろうか、この()は。こっちの気を知ってか知らずか、トーカちゃんは少し自分の身体を僕の腕に絡めた。

 色々と当たる感触については、全力で無視する事にしよう。うん。

 

「……なんか、硬くなった。カネキの腕」

「そうかな」

「出会った頃はあんなに、ふにふにしてたのに。かじりがいがありそうだったのに」

「すごくコメントに困る感想どうも」

「なんかなまいき」

「いやいや、必要あってのことだし。ね?」

 

 それより本格的に眠いのか、彼女の言葉が段々ひらがなだけの発音っぽく聞こえてくる。

 

「……このまま、だっこでいえまで送ってって言ったら、おこる?」

「……あのー、怒りはしないけど、相当恥ずかしいというか。お姫様抱っこで運搬とか」

「じゃあ負んぶで。あ、それいいや。ほっぺたいじれる」

 

 と、トーカちゃん?

 

 何だか本当、眠気に汚染されてるのか色々と普段のトーカちゃんのイメージからかけ離れた発言連発だった。気のせいじゃなければ、適当な思考が垂れ流しになってるようにも思う。

 端的に言って、すごく心配だった。この幼児退行具合、「あんていく」に来た当初のクロナちゃんを思いださせる。

 ただ、それにしてはこう無駄にベタベタしてくるというか……。いや、夏場だし汗臭いでしょと言いたい所だったけど、気にせずトーカちゃんは腕を絡めてくる。

 

 周りから見たら現在の僕らがどう見えるのかとか、そいういうところに考えが及んで居ないような気がする。

 

 そんなことを考えてると、トーカちゃんは少し不安そうな声で聞いてきた。

 

「……カネキ、嫌?」

「……あー、嫌っていうより、何と言うか、ちょっと暑いかな」

「あ、ん、ごめん」

 

 すっと腕から手を離して、トーカちゃんは僕の顔を覗きこんだ。

 

 距離にして、十センチもない。

 自然と、僕はトーカちゃんの視線に吸い寄せられる。

 

 不思議な感覚だ。なんとなく吸い付けられて、目を離せない。

 

 出会った頃、リゼさんと話していた時のそれを思いだす。思えば彼女も距離感が近くて、でも不思議とあんまり違和感というか、嫌悪感みたいなものはなくて――。

 

 そして、その距離にトーカちゃんが居るというのが、なんだかとても不思議な感じだった。

 

「カネキさ――」

 

 トーカちゃんは、何らためらいなく言った。

 

「下の名前で、呼ばれたら嫌?」

「……恥ずかしいかな、少し」

 

 そう言う僕に、トーカちゃんは「じゃあ、ちょっと試していい?」と、楽しそうに聞いてくる。 

 なんだかくすぐったい感じがして、そして僕の「トーカちゃんに対する線引き」として、これは大丈夫なのか少し自問自答する。でもその答えが出る前に、トーカちゃんは少し照れながら、視線を逸らして言った。

 

「……け、研っ」

「――」

 

 いや、それは。

 それはちょっと、反則じゃないかな。

  

 どうしてこう、この子はこっちのボーダーラインをいともたやすく揺さぶってくるか。言語化さえしたくないこの高揚感を、言語化してはいけないこの胸の高鳴りを、どうして沈めさせてくれないのだろうか。

 僕はこの子を不幸にしたくない。ないから、ないからこそ自分に線引きを強いてるのに、そんな――。

 

「……ちょっと、コーヒー買ってくる。待ってて」

「あっ――」

 

 たまらずその場から離れて、近くの自動販売機に向かう。近くと言っても駅前通りの外れから大通り近くまで合流するので、結構距離は離れてる。頭を冷やすのには良いくらいだと、そう自分に言い聞かせながら僕は歩く。

 

 肩から下げたバッグの中。店長に修復してもらったアラタさんのドライバー。バッグの外側からそれに触りつつ、僕は思わず呟いた。

 

「……どうしたら、良いんでしょうか」

 

 問いかけても、誰の言葉も聞こえない。

 僕の中のリゼさんも、それを形成するに足る理由を失いもう存在しないのだから。未だ理性を取り戻せない彼女に、定期的に食事を与える事をし続けているからこそ、もう存在できなくなってしまっているのだから。

 だからこそ、答えは自分で見つけないといけない。

 

 見つけないといけないからこそ――未だ答えに至るまで、僕は揺れている。

 

 甘えなのだろう。きっとそれは、愛されたかった自分への。

 

 でも、どうにも僕は自分で自分を律し切れていないらしい。だからこそ、断じて、断じて僕は――を認める訳にいかないのだから。だから――。

 

 

 

「……少し、良いかな」

 

 自動販売機の手前で、不意に声をかけられた。どこかで聞いた覚えのある声だ。その方を振り向いて、僕より高い位置にある彼の顔を見て、僕は二の区が次げなかった。

 

「あなた、は――」

 

「上井大学の金木研君だね。少し、話をさせてくれ。

 俺は――亜門鋼太朗という」

 

 

 翻って、これが彼と――喰種捜査官の亜門さんとの、五度目の遭遇になった。

 

 

 

 

 



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#071 問答/覚悟

 

 

 

 

 

 全くの偶然だった。

 ストラップを買った後、俺は喫茶「あんていく」に向かうつもりだった。篠原さん達から聞いた通りなら、そこに彼がいるはずだと踏んで。

 

 その道中、明らかに元気のなさそうな青年を――金木研を見かけたのは、本当に全くの偶然だった。

 

 いや、彼自身生活圏がこの20区なのだ。活動範囲が似通えば、全く遭遇しないということもあるまい。だがだからこそ、このタイミングでの遭遇に俺は何か作為的なものを感じもした。

 もっとも、気のせいだと言われてしまえばそれまでなのだろうが。

 

「亜門、さん……?」

「嗚呼。喰種捜査官をしている者だ」

 

 俺の言葉に、彼は少し驚きながら首を傾げた。

 そんな彼を、俺は注意して観察する。髪の色は黒い。アオギリ以降は真っ白な頭をしている「奴」だが、しかし遭遇した当初は確かこんな黒髪だったはずだ。

 背はそこまで高くはない(俺を基準に考えれば)。

 

 そして目を引くのは、病院で付けているような眼帯――「奴」とは反対側につけられたその眼帯に、俺は違和感を覚えなかった。

 

「少し話を聞きたい。時間をもらえないだろうか」

 

 俺の言葉に、目の前の彼は少し逡巡してから、顎を触りながら言った。

 

「あまり長くなければ大丈夫です」

 

 頭を下げながら、俺は近くの自動販売機まで彼と一緒に歩いた。何か飲むか聞くと「缶コーヒーで」と笑って答えた。味の指定がなかったからかなり甘いものを落として渡す。

 

「……あ、あはは、どうもです」

 

 何故皆、俺が買った缶コーヒーに対してこんな反応をするのだろうか(アキラに至っては顔をしかめていたか)。

 どこか腰を落ち着けられるところを、と考えて、近場の公園のベンチに座った。母親に見守られながら、幼稚園児くらいだろうか、子供達が懸命にボールを蹴っている。

 

 隣に座った彼は、金木研は、どこかそれを眩しそうに、哀しそうに見ていた。

 

 嗚呼、そうだ。これだ。「君だ」。――物腰も、細かい所作も、何から何までもがそうだと意識すればする程、奴と、ハイセと被る。

 

「……あの、話って何でしょうか。前にも一度、捜査官の方と話しましたけど」

 

 だが、だからこそ、今の俺にそれを追及することは出来ない。

 仮面ライダーを名乗るハイセのことを。……仮面ライダーという存在について迷っているからこそ。

 

 俺は、君に話を聞きに来たのだから。

 

「嗚呼、済まない。取調べのようなものではないんだ。ここには俺は、あくまで俺個人として来ている」

「?」

 

 

「――怪物になった人間が、怪物の味方をする」

 

 

 その言葉に、金木研は少し目を開き、顎をさする。

 

 その様子を見なかったことにして、俺はふっと笑った。

 

「最近、似たような話に遭遇してな。まぁ本題はそこじゃない。

 ……少し、分からなくなってしまったんだ。俺は」

「分からなくなった?」

「嗚呼」

 

 喰種捜査官としての俺が戦ってこられたのは、ひとえに、根底に怒りがあったからだ。

 家族を騙り、家族を奪っていたあの男への。

 

 その後「仮面ライダー」に救われ、より本格的にヒトを守るため捜査官を志すようになり――そこでもまた、沢山の仲間を、ヒトを失った。

 

 決して晴れる事のないものだと思っていた。だからこそこの義憤は、正義でなくてはならないのだと。

 

 だからこそ――仮面ライダーが喰種だとなると、その決意に揺らぎが出てくる。

 

 駆除すべき悪としての、捕食者としての喰種である存在が、何のために同属と敵対して、俺たち人間を助けたのか。あの時――俺は彼を、決して喰種としては見れなかった。ついこの間、安浦特等に指摘されるまで、二つを結びつけて考えるなど全くなかったのだから――。

 

「怪物が……、そう、怪物だ。

 怪物が、ヒトを守るんだ。その理由が、俺には分からない。分からないんだ……。いや、認めたくないのかもしれないな」

「認めたくない?」

 

「俺は――愛するものの多くを、奴らから奪われ続けた」

 

 金木研は、何も言わずに俺を見ている。促しも、止めもしない。

 

「だからこそ、奴らを、俺は悪として見ることしか出来ない。そこは変わらない。変えてはいけない。

 だが……、もし人間を積極的に襲わない、そんな怪物が出てきたら、次に会ったら俺は、武器を持って、殺意を振り回せる自信がない」

「……」

「捜査官失格だな。だが、そういうような迷いが確かに俺の中にあるんだ。

 そんな時、君のことを思いだした。去年、臓器移植を受けてから生活に変化があったと聞いている。だが俺の予想だが――きっと、捜査官に話したものだけではないはずだろう。その変化は」

「……それは、」

「無理に聞こうとは思わない。だから、あくまで話をしに来たというだけなんだ」

 

 コーヒーを一口飲み、改めて、俺は彼の顔を見る。

 

 少し頼りなさげに見えるその表情だが。しかし、俺の話を彼は真摯に聞いてくれているようだ。まるで、こちらの事情を多少なりとも理解しているとでも言うかのように。

 それを見て、俺は確信する。だが、その確信は決して口には出さない。……全く、この姿勢こそ捜査官失格に違いない。だが今の俺が捜査官として再び立つためには、必要なことであった。

 

「状況が変わっても、立ち上がるために。立ち向かうために。

 それは、何が必要なのだろうか」

 

 ――例えば、(ハイセ)のように。

 

 人間から喰種のようになってしまって、それでもなお忌み嫌うべき相手のために立ち上がり、本来自分が居るべき場所に立ち塞がるというのは。一体何があって、そう変化してしまうのか。

 

 俺の言葉に、金木研はしばらく黙ってから、そして視線を逸らして、あごをさすりながら答えた。

 

「……大したものは、いらないんだと思います」

 

 彼は自嘲するように笑いながら、話しながら考えを整理しているようだった。

 

「誰かを助けたいって思うそれに、違いはないと思います。僕も小さい頃、そう思うことがありましたから。

 でも、それだけじゃたぶん駄目なんだろうなって、最近思ってるんです。だって――行きつくところまでいけばきっと、友達や、大事なヒトたちを泣かせてしまいます」

「……」

「本質的には守りたい人達が居る。守りたい場所がある。

 だから、そのために戦うって、それだけじゃないかって思うんです」

「守りたいもの、か」

「はい。でも、それを支える信念は必要だと思うんですけど。

 やっぱり――目の前で奪われたり、失われたりするから。だから、戦うんじゃないかと思います」

 

 みんなに笑顔で居て欲しいから――と。

 

 そう、だな……。考えてもみれば、簡単な話だった。俺は仲間を、守りたい人たちを守りたい。彼らが笑って暮らせるような、悲劇のない世界でありたい。

 

 だからこそ彼らが窮地に陥れば、問答無用でクインケを振りぬく。

 

 ……だったら君は、誰のために戦ったのかと。

 

 決してこの場で問うてはいけない言葉が、一瞬口から出かかる。それを俺は自制し、彼の横顔を見た。

 

 微笑みながら、どこか暗い瞳。しかし決して悲壮なものではない。言うなれば、覚悟の決まった目だ。後先を考えず、今、目の前にある苦難と立ち向かおうとするような――。

 

「あの、僕の相談にも少し乗ってもらえますか?」

「……ん、あ、ああ」

 

 唐突にふられ、俺は反射的にそう答える。「そんなに変なことは言いませんけど」と前置きして、金木研は言った。

 

「……女の子の振り方って、何かありませんかね」

「……む、むぅ?」

 

 そして、妙に反応に困るようなことを聞いてきた。

 

「それは、詳しく聞かせてもらって良いか? 判断材料が……」

「…………僕は、すごくその子に助けられたんです。だから、その子が『一人にしないで』って悲痛に叫んだのを聞いて、だから、一人にしないように努力して。でも――僕と一緒にいることで、その子が不幸になるのなら、僕は一緒に居る資格はないのだと思ってます」

「……だから、振ると?」

「結果的には、たぶん」

 

 難しい問題を、さらりと語る金木研は、やはりどこか寂しそうに笑っていた。

 

 これだ。何をしても、本音を語るような場面において彼は終始暗い。普段の物腰は永近から聞いていた通りだが、この部分は永近が語らなかったところか――。いや、ひょっとしてそうではないのか?

 永近が大事だから、彼はあえて、そういった面を見せようとしないのか?

 その可能性が高いように、俺には思えた。何故ならまさに今、彼が発言している内容が、文字通り答えだ。相手を不幸にしないために、悲しませないためなら喜んで身を引き、投げ打つような姿勢は、思考停止していると言われても言い返せないそれだろう。

 

 だからだろうか――永近のやきもきとした顔を思い出したからか、俺は彼に、普通にアドバイスをしていた。

 

「君は、どう思ってるんだ?」

「……僕?」

「嗚呼。そうすることは、辛くないのか?」

「それは……」

「俺は……、大切なヒトを守ることが出来なかった。その場に居合わせさえしなかった」

「……」

「だからだろうかな。そうやって、悩めることは十分贅沢なことなんじゃないかと思う」

「贅沢、ですか」

「言うまでもないとは思うが、失ったものは取り戻せない。……特に、自分がしたかったことは」

「自分が、したかったこと……」

 

 俺の言葉を繰り返し、金木研はうつむいて、握った己の拳を、じっと見た。

 

「……キツいな、これ」

 

 自嘲するように笑うその顔は、どうにも他人事のそれとは思えない感覚があった。

 

 

 

 

 

 お互い二、三言交して、俺は彼の元を離れた。

 話してみて、やはり良かったかもしれない。俺の中で疑惑が確信にまで変わったが、だからこそ確信できた。

 

 確かに彼は、人間だ。人間の領分で生きようとしている。

 

 だったらば……。だからこそ、何故彼がこうならなくてはいけなかったのかと、思ってしまう。何故彼が仮面ライダーを名乗るに至ったのかと。

 

 だが、それ以上の言葉は交せない。

 そうすれば、それは俺の「人間の領分」を超えてしまう――。

 

 

「あ――っ」

 

 

 耳に聞こえた声に、俺はふと顔を上げる。

 前方には、見覚えのある顔が居た。ある時は嘉納の地下研究所で。ある時は、CCGアカデミーで。

 

 片目は、眼帯で覆われている。彼のように。

 

「……安久か」

「……あ、もん、さ――」

 

 彼女の言葉を手で制し、俺は笑おうとし、出来なかった。

 

 安久……彼女が喰種になった理由までは分からないが。だが少なからず、CCGを離れただろう理由に心当たりがあった。俺自身が、確証にまで至れてはいない理由が。

 だからこそ、それを差し置いて俺は聞く。

 

「お前は、どっちだ?」

 

 人間か、喰種か。

 人間として生きているのか――喰種として生きているのか。

 

 俺の言葉に答えず、彼女は俯いた。その目は酷く憔悴しており、そして哀しげなものだった。

 

 彼女には確か、双子の妹が居たはずだ。

 今の彼女の傍には、それさえないー―。

 

「……俺は、お前たち姉妹に何があったのかは知らない」

「……」

「だが……、せめて人間らしく生きてくれ」

「!」

 

 安久は目を大きく見開いて、こちらを見た。

 俺は何も言わず、その場から立ち去る。

 

 

 ―― 一つだけ、俺の中で結論が出た。

 

 彼らが「人間の領分」で生きているのなら、俺は彼らを、駆逐することは出来ない。

 

 

 だが、もし「喰種の領分」で生きたのなら――。

 

 今度こそ迷いなく、戦おう。ハイセ(カネキケン)の言った通り。

 俺の大切な、愛すべき人達のために。

 

 

 

 

 




トーカ「・・・研、遅」


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#072 旧九/継承

終わりの足音が、聞こえる。

   ――高槻泉「王のビレイグ」より――

※原作ネタバレ注意回


 

 

 

 

 

 ようやく、と言うべきか。

 ようやく、店長に話を聞くタイミングが出来た。ここのところ忙しかったり、店長の都合が合わず中々話し合えなかったりといったことが続いて。

 

 それでも自分なりに整理をつけた上で、僕は店長に聞こうと決意した。

 

「手間をとらせてしまったね。私も中々忙しかったから」

 

 夏場だというのに黒いコート姿だった店長は、帽子も含めて脱いで、僕に珈琲を淹れてくれた。

 匂いも、味も、いつもと変わらず。

 それがもたらしてくれる安心感を胸に、僕は口火を切った。

 

「いくつか、聞きたい事があります。

 ……店長と『隻眼の梟』――いえ、エトさんは貴方の娘なのか。

 あるいは、どうしてアラタさんの名乗っていた『仮面ライダー』を店長が名乗っているのか」

「……そうか、会ったのかあの子に」

 

 聞いたのは本人からじゃありませんが、と僕はカップの中を見つめながら答えた。

 

「四方さんから示唆された、という程度です。でも、少なくとも一度はその姿をみたような覚えがあって……。だからこそ、導き出せる結論はそう多くない」

「子供だ、と考えたのは」

「……なんとなく、そうなのかなって。勘でしょうか」

 

 ふと僕は、店の表の方に思いをはせる。そこにはカップが三つ並んでいて、それぞれにK、U、Eとイニシャルのようにアルファベットが彫られていた。時折それを店長は、とても大切なもののように見つめていたのを、僕は見ていた。

 

「元気そう、だったかね?」

「ええ。あと……、包帯ぐるぐる巻きでした」

「…………」

 

 店長は一瞬押し黙った後「ノロイはちゃんと育ててくれたのだろうか」みたいな呟きをしていた。

 

「そう、だね。……話せることと、話せないことがあるが」

 

 ちらりと、店長は一瞬入り口の扉を一瞥した後、視線を逸らして、空を仰ぐように見た。

 

 

「――昔、功善(くぜん)という喰種が居た」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『ふっふ……』

『やばい、アイツらが追ってくるぞ――』

 

 三人の喰種が夜の街を駆ける。暗がり、路地裏は喰種が多く潜んでいるが、彼らもその例には漏れて居なかった。もっともそれが仇となり、喰種捜査官に目を付けられることになったのだが。

 追っ手は二人。それぞれがバレットを構え、三人を追い詰めている。

 

 やがて袋小路に行き詰ったとき、その運命は決したかのように見えた。

 

『お前たちには、吐いてもらわにゃならん情報がある。大人しく殺されると思――』

 

 だが――、捜査官の一人が、表情を歪める。

 見れば、己の腹を貫通する赤い刃――赫子。

 

『が――ッ』

『田井中!? お――』

 

 叫んだもう一人も、顔面が、鼻から上が消失した。

 

 倒れ付す捜査官たちを見下ろすのは、険しい表情をした大男。目には何ら感情も浮かんで居ないように見える。

 

『あ、あんた……助かったぜ。ありが――』

 

 その大男は、三人が礼を言うのを待つまでもなく襲い掛かった。

 肩を覆うような刃――顔の半分を覆う仮面。

 

 その仮面が赤く染まる頃には、地面には五つの肉の塊が転がっていた。

 

  

 ――多くの喰種がそうするように、その喰種も生きるために多くを奪った。

 

 

 人間の命であり、捜査官の命であり――時にそれは、同胞たる喰種の。 

 

 功善。

 善たれ、という名とは裏腹に、彼は何もわからず、何も見えていなかった。

 

 彼は、ただ生きながらえようとしていた。奪うだけの運命を呪いながら、しかしそれから逃げ死ぬ勇気さえなく。何も成さず、強く、孤独に。 

 

 ……やんちゃ(ヽヽヽヽ)の過ぎたその喰種の噂が広く聞こえるようになるのに、さほど時間はかからなかった。

 

 そして彼の存在は、「ある喰種」たちも知る所になる。

 

 

「『調停者』『法の王』、『ナインヘッド』。あるいは単に――『(ヴィー)』」

「V……?」

 

 

 功善は、彼らと手を組んだ。圧倒的に楽になれたからだ。

 組織に属した功善は、掃除屋として仕事をこなす事になる。彼は人間、敵対組織、喰種を屠り、喰らった。

 殺し、文字通り「掃除」したのだ。

 

 生活そのものにさほど変わりはなかった。だが衣食住、何一つ不自由することなくなったというのは、彼に多少の余裕を持たせるに至った。音楽を聞く趣味も得た。足しげく通う喫茶店も出来た。日曜大工だってするようになり、段々と、無意味だった彼の生に彩りが出てきた。

 

 何より「食」に関する問題の解決こそが、彼にとって最も安心できる材料だった。

 

 ただ……、生活が満たされたからといって。目的を与えられたからといって。彼の胸の穴は埋まることはなかった。

 

「……」

「組織は、彼の居場所に成りえなかった。

 ただ――」

 

 ただ、そんなある日。

 

 彼がよく通うようになった喫茶店「antique' an」と言ったかな。昭和期からありそうなその旧い喫茶店でのことだ。

 オーナーがいつものように常連の男性と、毎日のように競っている体脂肪率の話を聞きながら、小難しい本を片手に珈琲を飲んでいた。

 空になったカップを一瞥し、しかし何もせず、ただぼうっと空を見上げていた。

 

『お代わりはいりませんか?』

 

 無言でカップを差し出すと、彼女はふっと微笑んだ。

 

『いつも同じ席で、いつも同じ珈琲で……。ふふ、すっかり常連さんって感じですね』

『……?』

 

 今まで話しかけられることはなかった。振り返り、ここで私は初めて彼女の姿を見た。

 短い髪に、なんだか楽しそうに笑うその表情は今でも「覚えている」。

 

『砂糖なしで、ブレンドはいつも通り、ですよね?』

 

 誰かに覚えられる――組織や敵対者を除いて、誰かに初めて自分を覚えられた。功善は、どうしてかその事実に戸惑った。

 

 ――憂那(うきな)

 好奇心が強く、感性が独特で、喰種の彼から見ても変わった女性だった。

 

『いや、年齢もう十歳くらい年上だと思ってました! 結構若いんですね』

 

『ええ~!? クゼンさん、こんな字も分からないの?』

  

 ……後、言葉に割りと容赦がなかったかな。

 

 裏表がなかったということだったか、あれは。いやはや。

 

 本当に不思議なことに、彼と彼女とは気が付くと、よく一緒に出かける間柄になっていた。最初は、確か夜道でばったり会って、家まで送って行ったことだったか。

 ともあれ少し落ち込む私を笑って励ましながら、彼女はやはり楽しそうにしていた。

 

『名前難しいのに、難しい漢字苦手なの?』

『家庭が貧しく、すぐ働きに出ていたから……』

『知的な顔つきなのに。大変だったんだね。レコード聞くのも、目で文字追わなくていいからね。そっか……。

 

 ――じゃあ、私が教えてあげる』

 

『……え?』

『まずは鉛筆とノート買わないと。ほらほら』

『あ、ちょっと――』

 

 腕を掴んで引っぱる彼女は、やはり何故か楽しそうだった。

 

 

 功善にとって、彼女は分からないことだらけだった。

 それでも、孤独で、誰にも心開かなかった彼は、彼女には何故か心を許し始めていた。

 

 彼にとって、それは不思議な体験だった。

 

 ――だからこそ、好奇心旺盛な彼女が、それ(ヽヽ)を目撃するまで時間はかからなかった。

 

 元々勘も鋭かった。気が付けば彼女は私の後を付けており――決定的な瞬間をその目に収めていた。

 殺さなければと思った。赫子を振りかぶり、私は彼女に向けようとした。

 

 だが――彼女は抱擁を返すだけだった。

 

 彼女は泣いていた。ずっと一人で辛かったろうと、憂那は私に涙を流していた。

 

 ……彼女を殺すことは、出来なかった。

 

 

 憂那は、()を受け入れた。

 私もまた――憂那を受け入れた。

 

 

「『組織』も何故か祝福してくれた。一階にあるレコードの再生機は、実はその時のお祝いなんだ」

「……」

 

 

 満ち足りた生活だった。それは生来、彼が感じては来なかったものだったから。

 ある日、彼女に話があると言われた。膨らみ始めたお腹を見れば、何を言わんとしているかは鈍い私にもわかった。

 

 でもだからこそ、私は正直に伝えた。人間と喰種との間に子供は望めないと。栄養が足りず衰弱死するだろうし、万一生まれたとしても……。

 

「奇跡でも起こらない限り、普通に子は埋めないと。

 そして――彼女は奇跡を起こそうとした」

 

 ある時仕事から帰れば、彼女は私の食事に喰らいついていた。……泣き言も言わず、それでも堪え切れないのか涙が流れていた。血にまみれた顔を拭い、私を見て、それでも懸命に笑おうとした。

 私は、どうにも弱かった。何も言えなかった。抱きしめてやるくらいしか出来なかった。

 

 ……生まれてきたあの子と、母となった彼女とを抱きしめてやることしか。

 

 娘が……、愛支(エト)が生まれて、私はようやく、心の底から家族を得たと言うことが出来た。

 

 あれが幸せだと、今だから言える。今だから……。

 私も彼女も、親としてはまだまだ半人前で。苦労もしたし、工夫もしたし。そんな毎日が愛おしかった。

 

 私は、ようやっと愛するということを知った。

 

 

 ……ある時、一冊の手帳が目に止まった。

 娘の成長記録や、私の観察日記(?)じみたものの中にまぎれていたそれは、私の立場では到底許容すべきでないものがあった。

 

 彼女はジャーナリストだった。そして「V」の大きさと影響力に気づいた彼女は、独自に調査を進めていたらしい。そして――おいたを超えた彼女に、組織もどのタイミングでか気づいた。

 

 「V」は強大だった。いくら私が強かったと言えど、とても一人で太刀打ちできるものではなかった。

 

『けじめを付けろ、功善』

『芥子、私は……ッ』

 

 逃げ場は既に閉ざされていた。

 

『私、殺されちゃうんでしょ?

 わかってるから。ゼンが、そんな顔してるの見たら』

 

 彼女を囲い、赫子を向けた私に、憂那は微笑んだ。

 

 

『えっちゃんのこと、頼むね?

 ――ごめんね、また一人にしちゃって』

 

 

 震える拳を隠しながら、それでも彼女は最後まで、私に笑顔を向けていた。

 

 最後の最後で、私は彼女を理解することが出来なかった。だが、これだけは確かだった。憂那も功善も、家族を愛していたのだと――。

 

 私はもう、掃除屋として仕事はこなせなくなってしまった。組織もそれを理解したのか、彼にその仕事をふることはなかった。

 

 私は、結局それでも組織と縁を完全には切れなかった。

 

 いずれこのまま生きていれば、エトにも被害が及ぶだろう――。私は決断した。自らの手の内から、彼女を離さねばならないと。

 

 24区に居た信頼できる友人に、「家族の思い出」のノートと、「生きるための術」として、彼女がまとめた組織に関するノートを手渡して。

 

 

 

   ※

 

 

 

 店長の言葉は、途中から「彼」が「私」に置き換わっていた。

 

「その後、今に至る下地を作った。20区で争っていた古間くんとカヤちゃんを押さえて、説いて、あんていくを作って。鯱から色々教わりながら、店を運営して。

 ……今でも、わずかながらだが『組織』がここの運営に手を貸してくれている」

「……」

「十年ほど前だったか。……アラタくんが、言ったのだよ」

「!」

 

 芳村さんは、自分の手を見つめながら話を続けた。

 どこかそれは、自分を責めるような色を帯びた声音だった。

 

「アラタ君は、あんていくの理念をどこから聞きつけたのか知っていた。そしてこうも言った。彼は時折店にくるくらいの間柄だったのだが、こう言っていた。『僕には時間がない』と」

「時間が……?」

「彼はドライバーを使って『変身』していた。だが同時に、ドライバーの限界を超えようとしていた。

 ……クインケドライバーも万能ではない。彼のRc値は、狂気は、人工のそれを上回るだろう箇所まで来ていた」

 

 ぎりぎりを超えても人肉を拒否し続けたことも悪かったかもしれないと、芳村さんは言う。

 

「求めすぎた力の代償に、彼はいずれ、自分自身が――『仮面ライダー』を名乗るに足る存在でなくなると言った。そして、こう言った。自分の代わりに、仮面ライダーを続けてくれないかと」

「……」

「私は拒否できなかった。ただ、私自身はその名を名乗る資格はないと思っていた。彼の話を聞いて、彼がそれを名乗るに至る話を聞いて。人間と喰種との共存のためにと、戦っていた彼を見て。

 だから、私は思った。その呼び名を、いずれ次ぎの誰かに託すべきだと――」

 

 芳村さんは、こちらを見る。 

 

 薄く開かれた目は、全く笑ってなかった。

 

「それと前後して、隻眼の梟と呼ばれる喰種の存在が確認された。あの子は……、悲しいが、世界を憎んでいた」

「……それは、」

「彼女を託した相手、私の友人に、何かあったのかもしれない。だが現状、もはやそれを確かめる術もない。

 出来ることはと言えば、CCGにより致命傷を負っていたあの子から、目をそらさせることばかり。そして――私はあの子に成り代わった」

 

 だからおそらく、いずれこの身は滅ぼされるだろうと。

 

 芳村さんはそれでも、ふっと目を瞑り、微笑んだ。

 

「君は時折、仮面ライダーを名乗っていた。私は、そのことについて何も言わなかった。理由が、わかるかい?」

「……」

「私は以前言ったね。君は両方の世界に立てる、只一人なのだと。……だから、君だ。君になら、私はこの名を譲って良いと思っている」

 

 芳村さんは、それこそまるで僕を見ながら、「僕でない誰か」に語りかけるように、繰り返した。

 

「君になら――”仮面ライダー”の呼び名を譲って良いんだ」

「……僕は、」

「無理にとは言わない。だがもしそのつもりがあるのなら、お願いしたい。

 ヒトとして、人間と喰種の狭間で考えて、考え抜いて。

 時に戦い、時に守り。

 時に悩み、時に迷い。

 ――孤独なヒトビトを、救って欲しい。いずれ、私の子も」

 

 震える声の店長に。僕は、まだ迷いが拭いきれず――。でもそれでも、僕は頷いて。

 

 芳村さんは、一筋涙を流した。

 

 

 

  

 




クロナ「……V、の」カネキたちの話を、扉の向こうで聞きながら


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#073 花火/透過/正面

二年後のヒナミ「!?」


 

 

 

 

 丁度、クロナちゃんの研修バッジがとれた頃。早いもので、もう夏休みも後半。

 一度プールに行ったりしたくらいで、僕はと言えば勉強したり、勉強を見たり、あんていくで働いたりと、なんだか不自然なくらい平穏に過ごしていた。

 

 いや、実際に完璧に平穏という訳ではない。喰種に襲われるヒトの声も、捜査官に襲われるヒトの声も途絶える事はない。アオギリの活動が目立たなくなっても、そういう意味では僕らに暇が訪れることはないのだ。

 店長に修復してもらったドライバー。わずかに傷跡が残っているものの、動作的には安定していた。

 

 リゼさんは相変わらずだ。ただそれでも、最近はわずかに言葉に反応を示すようになってきた。もっとも何に反応してるかまでは、いまいち突き止められなかったけれど。

 

 そんな八月も残り何週間か。後半に入った頃。

 

「お兄ちゃん、花火大会あるんだって?」

「花火大会か。懐かしいなぁ」

 

 6区にある仮拠点。リゼさんを探していた時のそれは、未だそのまま。時折こうして集まったりして使っている。オルカの面々とも顔を合わせたりして調子を聞いたり、あるいは鯱さんについて聞いたりもした。「鯱さんから訓示をもらうなんて、羨ましい」とまで言われてしまったけど、それについては未だ解答が得られていない。

 

 それはともかく、月山さんが持ってきたチラシの中にあったそれに、ヒナミちゃんは目を輝かせた。

 東京在住なら年に一度は、テレビを付ければ確認できるような花火大会だ。昔一度だけ、ヒデと一緒に行ったっけ……。

 

「花火って、こう、棒みたいなの持って下に向けて、ちりちりするやつでしょ?」

「それは線香花火かな。打ち上げ花火って言って、もっとこう、空に向けて爆発するのがあるんだよ」

「爆発!?」

「綺麗だよ? 大きくて、キラキラしてて」

「へぇええええ!」

 

 興味津々といった風に、ヒナミちゃんの視線がチラシから離れなかった。

 

 そして颯爽と現れた月山さんが、とてもエレガントに言う。

 

「ご所望ならこの月山習、花火役をやってあげようかぃ? マドモアゼル」

「花火マンか! すごい!」

 

 きゃっきゃと喜ぶヒナミちゃんに、ぱぁ、と両腕を開くように花火が開く仕草をイメージした動きをする月山さん。喜んでるヒナミちゃんを見ていると、このヒトのサービス精神は凄いなぁと思う。

 

「さてリトルプリンセス? 花火大会に行きたいというのなら、僕がエスコートしてあげよう。

 カネキくんはどうするかい?」

「じゃあ、僕も行こうかなって思います。万丈さん達も誘いたいけど……」

「ふふん? では、あんていく側とは合流という形をとろうか。今頃バンジョイ君は、筋肉痛だろうしね」

「あはは……」

 

 遂に赫子が出せるようになった万丈さんだけど、そのお陰もあってか四方さんの特訓が最近更に激しくなっているらしい。実際その甲斐もあってか、身体能力事態はめきめきと伸びてきていたりもするのだけど、いかんせん赫子は攻撃に向いてはいなかった。

 

 とりあえず、その話をあんていくに。古間さんは入見さんや芳村さんと一緒に店を回るらしい。バンジョーさんに伝えて下さいと言うと、ふふんと笑いながら応じてくれた。

 西尾先輩は半笑いでデートと答えが返ってきた。

 

 そしてヒデは、

 

『あ、悪ぃ、その日バイトなんだわな。マジ悪い、給料その日良いんだよなぁー』

「そっか」

『悪い悪い、埋め合わせは今度な。あ、でもテレビは近いところだから、映像は一緒に見れるぜ!』

 

 とのこと。

 

 どうしたものかなと思ってトーカちゃんに連絡を入れると。

 

『……ちょー、ごめん。依子と一緒に回るって言ってあった……(アンタそういうの行く感じじゃなかったし)』

「?」

『い、いや、こっちの話』

「あー、うん。仕方ないよね。残念だけど、依子ちゃんと楽しんでいって」

『ん、わかった。……(私だって残念だし)』

 

 なんだか呟きレベルじゃないボリュームの独り言が聞こえてきたりもしたけど、そのことには触れないでおいてあげた。

 

 そして最後の最後に、一緒に付いてきて僕の教科書を読みながらうつらうつらしていたクロナちゃんは。

 

「い、行く! 浴衣、じゅんびしなきゃっ」

「浴衣?」

「ヒナミちゃんも、一緒に着よう。きっと可愛い」

「ふふん、ならばレディズ、ものはこちらで誂えようじゃないか! 存分に飾りたまえッ!」

 

 喰い気味に乗り気で、そして何故か月山さんもテンションが上がっていた。

 

 そして松前さんがクロナちゃん達の採寸をしている間……、採寸した覚えもないのに、何故か僕の分の浴衣を月山さんが持ってきたり。

 サイズがぴったりすぎてちょっと気持ち悪かったりもしたけど、それはさておき。

 

 ヒナミちゃんはクローバー柄の、パステルカラーの浴衣。 

 クロナちゃんは……リンネソウかな? 紫の花の描かれた紺の浴衣。いつかのように、あるいはあんていくの制服着用時のように、やっぱり片腕をまくっていた。

 

 仕立てに時間がかかったこともあって、一通り虫除けスプレーをかけるころには、もう夕暮れ。電車に乗ろうとすると、さっと月山さんが制して、松前さんが車を出してくれた。……なんかこう、経済面で頼りっぱなしというか、彼は彼で打算があってのことなんだろうけど、申し訳ない気分になってくるのは性分なんだろうか。

 

 ちなみに座席の配置は、助手席に月山さん。僕はクロナちゃんとヒナミちゃんに挟まれる形。

 

「似合う?」

「うん。二人とも可愛いと思う」

「えへへ~」

 

 照れるヒナミちゃんをほほえましそうに見つめるクロナちゃん。その横顔を見てるとなんとなく、時々トーカちゃんがしているような顔を思い出す。姉の顔、と言えば良いのだろうか。

 

 交通整備で車が封鎖されているところまで送ってもらい、後は徒歩で向かう。 

 

 そしてその道中、何やら酷く落ち込んだ様子のバンジョーさん達を発見した。イチミさん達が励ましているのは、一体……。

 

『あ、カネキさん』

「えっと……、どうしたんですか?」

『いえいえね? シュウとハルがデートしてるのを見て、ほほえましそうに付いて行ったら迷子になっちゃいまして……』

『バンジョーさんwww 入見さんちょー怒られてましたよねwww』

『その辺にしといてやれ』

『しばらく石みたいに固まって待っていろって言われて、結果こんなんです』

 

 ……怒られたのか、そっか……。あまりつつかない方が良いだろうと判断して、僕は万丈さんの肩を叩いた。

 

「お、カネキか。よし、……今日はばりばり遊ぶぞ! ヒナちゃんほーれ」

「うわああ! バンジョーさん高い!」

「……でか」

 

 立ち直りが早いわけでもなく、万丈さんは一旦忘れることにしたらしい。妙に張り切って、ヒナミちゃんを高い高いしたりしながら歩き始めた。

 

「あ、赤い魚?」

 

 金魚すくいに目を奪われたヒナミちゃん。お店のお爺ちゃんにちょっとおまけしてもらいながら、僕とバンジョーさんとヒナミちゃんで金魚すくいをした。クロナちゃんが入りたそうな顔をしていたけど、スペース的に諦めたらしい。

 ……そして中々上手く行かない。

 

「おお!? 穴ぁ……」

「あー、駄目か」

「難しいね」

 

「――カネキくん。僕が君の(タモ)となろう!」

 

 これが本物の金魚すくいッ! といつかの台詞を思わせるようなことを言いながら、月山さんは圧倒的な速度で金魚をとっていく。なんでも器用にこなすな、このヒト……。

 お店のおじいさんが目を見開いて「こいつぁ世界とれるぜ!」と呟いたのが、なんか印象的というか……って、あれ? この人、今朝の公共放送で映ってなかったっけ。何で見たかは覚えてなかったけど。

 

 盆踊りを鑑賞しながら道中、あんていくに豆を提供してくれている輸入雑貨屋さんが、ちゃっかり珈琲を売ってたりしたので、みんなで買って飲んだり。

 あるいはクロナちゃんがくじ引きで、綿菓子を引き当てたり。

 

「これがわたあめかぁ」

「見てるだけにしようなぁ、ヒナミちゃん」

「食べると、うぇってなるよ――」

 

 万丈さん達の忠告より先に、かじりついていたヒナミちゃん。変な味と言いながら、吐き出すに吐き出せないといった様子だった。

 

「やれやれいけないレディだねぇ」

「だって、食べてみたかったんだもん……」

「さ、これでそのチャーミンマウスをお拭き?」

「ありがとー」

 

 紳士だなぁ……。いつもこうだといいのに。

  

 そしてためしに千切って、僕も一口。口全体の水分という水分を奪っていくような、砂みたいなざらつきと、そのくせ喉にへばりつく様なネットリ感。記憶にあるわたあめとの味の齟齬に、ちょっと僕もこれには辟易した。

 

 そんな僕を見かねてか、クロナちゃんが珈琲のあまりを差し出してきた。

 

「ありがと」

「うん」

 

 受け取って一口もらうと、何故かガッツポーズを決めるクロナちゃん。首を傾げると「何でもない」と、何故か自信満々といった風に頷かれた。

 

「さて次は……って、あれ? 西尾先輩?」

「うぅ……、お、カネキじゃねぇか」

 

 ふらふらとしてる西尾先輩。貴未さんと一緒に、おそろいの浴衣姿でほほえましいけど、なんだろう表情が優れない。

 

「えっと、どうしたんですか? 大丈夫ですか? 珈琲いります?」

「あ゛? ……いらねぇよそんな執念じみた一杯。

 っていうかアレだ。カネキお前、トーカどうにかしやがれ。というか少しは年上敬うようにしやがれってんだあー、ったく」

「に、ニシキくん、どっかで休もうか」

 

 ……何があったというのだろうか。そしてトーカちゃんは一体何をやらかしたというのだろうか。

 二人に開いているベンチをすすめて、僕らはまた歩き出して――。

 

「……あれ?」

 

 そして、逸れた。

 一瞬の出来事だった。あれおかしいな、五秒も経たないうちに、完全に見失ってしまった。元の方向へ戻ろうにも、人並みに押し流されてあれよあれよと更に遠くに。

 どうしたものか……。とりあえず月山さんにメールだけ送っておいて、僕は周囲に視線を向ける。

 

 ――羽赫のベテランを連れてこいッ!

 ――クッ、有馬さんが居れば……!

 

 ……そして何だか、聞き覚えのあるような声が耳に入った。 

 ちらりと射的屋を見れば、亜門さんと後輩っぽい捜査官の二人が、店の前でうなり声を上げていた。

 

 …………生活圏が近いから十分にこういう遭遇もあり得はするのだけど、なんとなくその光景を僕は見なかったことにした。うん。っていうか、案外亜門さん子供っぽいところあるんだな。前に話した時は、かなり落ち着いていた印象だったけど。

 

 そして月山さんから連絡が入ったけど……、どうやらお互い距離が開いてしまったらしい。花火もそろそろ打ち上がるし、それが終わってから合流しようかという話をしていたら――。

 

 

 丁度、ひゅるると光が尾を引き、空を駆ける。

 

 弾ける振動と共に、光の帯が宙を散り始める。

 

 

「練習かな。うん、さて後何分くらいか……」

『カネキくん、リトルヒナミがどうやら見えないようだ。少し開けた場所に移らせてもらう』

「あ、はい。合流するときは、こっちから連絡入れます」

 

 電話を切って、僕は空を見上げた。

 

 

 次の一発が打ち上がるのに、多少の時間はかかったけど。それでも、雨あられのごとく打ち上げられるそれは、見ていて懐かしい気分になる。

 小さい頃、お母さんが肩車してくれたっけ。珍しく駄々をこねたのに「仕方ないわね」と笑って、お母さんが一緒に連れてきてくれて――。

 

 

「うわー、キレーだねトーカちゃん」

「……ん」

 

 そして、割と近くからした声に、思わず僕は周囲をきょろきょろ見回してしまった。

 すぐに見つかった。空を見上げながら、ぼうっとしている様子のトーカちゃん。髪をまとめて右側に流している。頭には貴未さんがくれた髪留め、浴衣はそれに合わせてか、赤い帯の映える青にウサギ柄。

 たんぽぽ柄の浴衣の依子ちゃんも、そろって似たようにぼうっとした顔で花火を見上げていた。

 

 なんとなく邪魔しちゃ悪いかなぁと思って、少しだけ距離をとろうと一歩足を進める。 

 

 と、何かを感知したのか依子ちゃんが視線を下ろし、僕と目と目が合った。……はっは~ん、と言いたげな表情を浮かべた。僕が止めるまもなく、そのままトーカちゃんに耳打ち。

 

 僕の顔を見るやいなや、猛烈に目を大きく見開くトーカちゃん。

 

 後ろから「そーれ」と押されて、こちらに倒れこむような形に。

 抱きとめて、見下ろす形になるトーカちゃん。驚いた表情のせいか、上目遣いは睨んでいる印象はなくって、素直に言えばかなりどきりとした。

 

「ちょ、なんで研が――って、依子!」

「ふっふっふ。いやいや、友情もいいけど、トーカちゃんは彼氏さんも優先してあげないとね! 後でまーた色々聞かせてね~。じゃ、また! えっと……、ケンさん?」

「だ、だから……、嗚呼、もうっ」

 

 頭を左右に振るトーカちゃん。依子ちゃんはその場から離れて、どこかに行ってしまった。

 

 奇しくも、二人で取り残される形に。

 

「「……」」

 

「「えっと――」」

 

「あ、トーカちゃんから」

「いや、カネキからでいいから……っ」

 

 何だこの、ぎこちないやりとり。というか、何故こんなに緊張しているのだろうか、我ながら……。

 一旦立たせてから、再度向き直る。

 

「えっと、奇遇だね」

「……アンタ、ヒナたちはどうしたの?」

「逸れた。僕が」

「あ゛? ……まぁ、ヒト多いし、仕方ないか」

「そういえば、西尾先輩に何したの? すごい顔色悪かったけど」

「……」

「うん、微妙に笑いながら顔逸らしても誤魔化せないからね」

「いや、ちょっと、依子の持ってくる食べ物、処理させた」

「……後で謝ろうね」

「え~ ……」

 

 西尾先輩に対しては、どうしてか扱いが雑なトーカちゃん。

 なんとなく花火を見上げながら、僕は確認をした。

 

「んー、せっかくだし、どこかお店寄る? 合流までに、少しくらいなら時間、融通効くと思うんだけど」

「どっかって言ったって……、ヨーヨーとか邪魔だし、金魚はどうせヒナが一匹くらいとってくるだろうし」

 

 トーカちゃん、大正解。

 

「食い物は結構アウトだし、あんまりないんだけど……。 

 ――あっ」

 

 ふと何かを思いだしたような声を上げて、トーカちゃんは僕の手を握って。

 

「少し寄りたい所あったから、付き合って」

 

 人ごみをかき分けるように、僕の手を引いた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 お祭りの屋台から少し離れて、いくらか人気が少なくなってきたあたり。

 トーカちゃんに連れられた先は、ちょっと古い神社だった。

 

「えっと、ここって?」

「おみくじやりに来た感じ。高校受験の時もこっちに来たし」

 

 慣れたように境内に入って、巫女さんからカラカラみたいなものを受け取るトーカちゃん。ぐるぐると回して出てきた弾に書かれた番号を、巫女さんが探す。

 

「ここ一番の勝負がある時は、なんとなく使ってる」

「へぇ~。……勝負? 模試って、もう終わったよね。試験も開いてるし」

「そっちじゃなくって。……ん」

 

 そしておみくじの内容を見て、トーカちゃんは微妙な顔になった。

 後ろから覗いて見る。中吉で、勉学方面に関しては中々悪くない感じの文面だった。

 

「……(なんで恋愛方面「待ち人来ず」なのよ)」

「?」

「(いや、でも努力次第でって書いてあるし。……)……ん」

 

 おみくじをまとめて、適当に木の幹に縛り付けるトーカちゃん。それ、お正月とかじゃなくて作法的に正しのかどうか、僕は知らないから何も言えないんだけど……。神社から何も言われないから、いいのだろうか。

 

「カネキ、こっち」

 

 僕の手を引くトーカちゃん。何故か神社の裏側に回りこむ。

 竹林は案外と低く切りそろえられていて、意外と花火の打ち上がる様がよく見えた。

 

 

「案外、ここ穴場」

「へぇ……。あ、ハート型」

「スペードに、ダイヤに……、何あれ?」

「クローバーは無理があったみたいだね、流石に」

 

 とりとめもない会話をしながら、トーカちゃんは段々と、指を絡めてくる。ちらりと横を伺うと、さっきと違って、トーカちゃんは下を俯いていた。

 心なし、少し耳が赤いような――。

 

「――研!」

「へ? あ、はい」

 

 唐突に顔を上げて、トーカちゃんがこっちに詰め寄った。いつかみたにガンを付けられるような勢いだったけど、彼女は明らかに焦っていた。てんぱっていた。

 

「好き!」

 

 それだけ言って、トーカちゃんは固まった。

 

 …………。

 いやいやてんぱりすぎでしょ、それは流石に。

 

「……な、何の前触れもなかったね、あはは……」

「……いや、えっと、だから……、うん、好きだから」

 

 どうしよう、完全にリアクションがとれない。

 

 明らかに空回りを起こしてるトーカちゃんと、なんだかしまりがなくなってしまった僕だ。状況的にこのまま流してしまいたいのが本心であったけど、でも、トーカちゃんは一度深呼吸して、僕に顔を向けた。

 

「……私は、研が好きです」

 

 突然丁寧語になって、僕はかなりうろたえた。

 

「え、えっと……」

「お父さんみたいなところも、お父さんみたいじゃないところも。

 一人でなんでも抱え込んじゃうところも、言われても中々直らないところも。

 嘘付いてそれを隠すのが下手なところも、こっちの強がりとか案外見抜いてくるところも。

 優しくて、本当はすごく寂しがり屋で……。そーゆーの、全部含めて好きです」

「……」

「で、きればその……。駄目?」

 

 小首を傾げないで下さい。

 ぐだぐだここに極まれりだけど、ころっといっちゃいそうです。

 

 僕も内心、大慌てなのか口調が統一されない。

 

 とりあえず、一旦落ち着こうか、うん。……。

 いやいや落ち着けないよ、これは。

 

 いや、だって、僕はトーカちゃんのことを好きになっちゃいけないんだよ。そうじゃないと、きっとトーカちゃんは不幸になるから。僕と君とじゃ、生きるベクトルがきっと違うんだよ。 

 そのことを言った所で、この子は分かってくれるだろうか――。

 

 顎を触りながら断るための言葉を考えていると、唐突に襟を掴まれ、押し倒された。頭の裏に鈍痛が走る。反射的に暴れたせいか、僕も彼女も服が乱れる。

 そして痛みに顔をしかめるよりも先に、トーカちゃんは僕の襟首を掴んで、ヘッドバッドをかました。

 

 そっちの方が痛かった。

 

 僕もトーカちゃんも、額を押さえてしばらく動けない。

 回復するまでに小一時間。

 

「……えっと、あの、トーカちゃん?」

「……あのさ。研。正直に答えて」

 

 また僕の襟を掴んで……、嗚呼もう着崩れってレベルじゃないよこれ。ともかくそうやって無理やり持ち上げて、トーカちゃんは僕の顔を見下ろす。

 

「私のこと、嫌い?」

 

 見下ろすトーカちゃんの目は、潤んでいる。

 

 嘘を付くことは出来た。自分にだって嘘を付いてきていたのだ、それくらいいくらだって可能だ。可能のはずだ。

 

 でも、僕はこのとき、自然と本心から彼女に答えていた。

 

「……好きになっちゃ、いけないと思ってる」

「な、んで?」

「トーカちゃんが……、大切だから」

「……意味わかんないし」

 

 目を拭うトーカちゃんに、僕は、やっぱりもう隠すこともせずに話した。

 

「トーカちゃんは……、お母さんにも、アラタさんにも、愛されて育ったんだと思う。

 僕は、トーカちゃんとは愛され方がきっと違った」

「?」

「……お母さんは、自分が一番大事だったから。

 だから、僕に注いだそれは、ひるがえって自分に注いでいたのと一緒だったから――」

 

 少しオブラートに包んで、僕の昔の話をした。お母さんにわがままを言えない環境で。お母さんの機嫌で左右された昔の僕のことを。

 それでも、なお僕はお母さんが好きだったと。どうしてか顎がかゆくなる。

 

「だからきっと、仮に僕らがそういう関係になってもさ。たぶん……それは、不幸なことなんじゃないかって、思うんだ。だから……」

 

 僕の言葉に少し押し黙ってから、トーカちゃんは僕の目を覗きこんで言った。

 

「じゃあ……、研は、それで幸せになれるの?」

「…………」

「研は、わかってるじゃん。そういうのが駄目だって。だったら……、たぶん大丈夫だと思う」

 

 だから、そんな風に言わないでと。

 僕の頭を、トーカちゃんは着崩れた浴衣の胸元に抱き寄せた。浴衣の感触と、胸の柔らかさと、下着のごつごつとした触覚と――不思議と、落ち着くような匂い。

 

「みんな……、勝手にいなくなっちゃうから。怖いのよ。研もいつか、どっか行っちゃうんじゃないかって」

「……」

「私は、アンタが居なくなった方がきっと、不幸だよ。だから……そんなこと言わないで」

 

 ――愛が欲しいっていうなら、私があげるから。

 ――人一倍、誰よりも、お母さんの分もあげるから。

 

「だから――自分から不幸になりに行かないでよ

 そんな風にならないでさ。アンタは、みんなの、私たちの居場所みたいなもんなんだから」

「……僕は――」

 

 気が付くと、僕の視界はにじんで、ぼやけていて――。

 

 

「――僕も、トーカちゃんが好きだよ」

 

 

 それだけ言うと、嗚咽が漏れた。

 トーカちゃんは何も言わず、少しだけ抱きしめる力を強くした。

 

 

 

 

 




トーカ「・・・(どうでもいいけど、浴衣、一人で着直せるかな?)」両肩が抜けて、足も片方思いっきり根元まで出てる状態


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#074 口外/天唾

アキラさん戦略勝ち


 

 

 

 

 

「はい、真戸ちゃんのクインケ。おおむね以前の状態に近いけど、少しだけレスポンスが上がってるから練習少しして試した方が良いと思うよ」

「感謝します」

「いやいや、常連さんだったし、インターン先だったし……、ねぇこっちにまた戻ってくる気ないかね?」

 

 1区にあるラボラトリ。広い廊下を歩きながら、俺は前方を歩く二人の会話を後ろから聞いていた。地行博士とアキラだ。珍しくスーツ姿ではなく白衣を纏い、髪を適当にまとめているのはここで働いていた時のそれだろうか。

 

「アカデミーでクインケオーダーしてきて、あまつさえ製造工程まで見ようって魂胆してたのは君だけだよ」

「父の影響で。大変ためになりました」

「その結果こっちまで手を出すんだから、頑張ってる頑張ってる。

 ……あ、そうそう。亜門上等。ドウジマの件なんだけど――」

 

 ドウジマ……、ハイセに折られた張間のクインケ。その改良案と時期について、博士は楽しそうに、そして真剣に話していた。

 途中、アキラは「確認するものがある」と離れたため、最終的に博士と二人きりとなった。

 

「尾赫の形状が形状だったから、分解してジャッキアップにして両手足に装着できないものかなーってちょっとたくらんでる」

「ジャッキアップ?」

「アンカージャッキというか、パイルというか。まぁそこは後で設計書というか、説明書に目を通して置いてください。

 そして肝心のドウジマ本体も――」

 

 そしてドウジマそのものの改良に、俺はかなり驚かされた。

 正直、そのアプローチは全く予想していなかったからだ。

 

「……そうですか」

「意外ですか?」

「はい、確かに驚かされましたが……」

「真戸しかり、なんだかんだ射撃は弱いからねぇ甲赫ばっかり使ってると。重量級が難しいこともあってってのもあるけど……。おっと話がそれましたね。

 とにかくギミックが凝る関係もあるから、しばらくお待ちください。『プロトアラタ』のアーマーで合体、リンクテストも兼ねる部分があるから」

 

 あと真戸上等から頼まれていたものもあるし、と博士は疲れた笑みを浮かべた。

 

「わかりました。しかし……、見事な構成案です」

 

 俺の戦闘スタイルは、基本的に重量に寄るところが大きい。必然それ以外の扱いに関して、甘くなりがちだ。実戦で使うものは、それゆえ甲赫が多い。

 そういったこともあって使いあぐねていた素材を、修復をかねて改良するのだから見事としか言いようがない。 

 手放しで博士のことを褒めると、彼は「おや?」という表情をしていた。

 

「僕が構成した?」

「はい。アキラからはそう伺いましたが――」

「案外テレやなんだねぇ彼女。

 ……実際、僕がしたことなんて制御系周りの調整だけだよ。アイデアから設計、回路、運用方式に作成依頼含めて、ぜんぶ真戸ちゃんの手腕だよ」

「!」

 

 確かにアキラはこちらに所属していた頃の話は、博士経由で聞いている。重要テスト物品であったはずのアラタを届けに来た事もあったくらいだから、派遣される形とはいえかなり重宝されていたと俺も思ってはいたが――。

  

「最近も、よく休日に足を運んでくるよ彼女。知ってると思うけど、アラタ含めて試運転とか協力してもらってるんだ。ちなみにバイクに変形するなんてエエェェェェエエエエエキサイティンッグ!!!! なアイデアも彼女から出たものだしね」何故その言い方に力を入れるのか。「予算次第だけど、レッドエッジドライバーの廉価版と、アラタG3の量産型『AG3-(マイルド)』計画案を出したのも彼女だしね。制御機構とRCタンクまわりのノウハウさえあれば量産できなくもないけど、実用化の案を出すのは彼女が初めてだと思うよ」

 

 ドライバーまた増えるのって局長に泣きつかれたりしたけど、と博士は楽しそうに笑っていた。

 

「研究者としてもすばらしいよ。あとたぶん捜査官と研究者と両方だっていうのも大きいのかもしれないねぇ。

 亜門上等はパートナーに恵まれてるよねー。仕事かなりやりやすいんじゃないかと思うよ」

 

 博士はそのまま「じゃあ僕は”アラタ”の様子を見に行くから」と、急ぎ足で俺から離れていく。手持ち無沙汰のまま、ラボの受付の椅子に座った。手にはキャップ付きの缶コーヒーが一つ。一口飲んで、ふと脳裏を過ぎるのはカネキケンの顔と……、あの日に買ったストラップ。

 そういえば……、まだアキラに手渡せていなかったな。

 

「待たせた。出ようか上等」

「! あ、そうだな」

 

 アキラに声をかけられ、思わず俺は動揺した。

 少し不可思議そうにしていたが、彼女は軽く流すことにしたらしい。

 

「さ、て。クインケの改良、『例の』出撃前に間に合うかどうか……」

「間に合わなければクラを使おう」

「ギミックが少々複雑すぎたか……? だがジャッキアップがあれば、リコンストラクションの効率が……。

 嗚呼、そういえば昼はどうするか」

 

 振り向き様にそんなことを聞いてくるアキラに、俺は「寄るところがある」と断った。

 

「珍しいな。どこに行くというのだろう?」

「色々だな。……主に、墓参りだが」

 

 俺の言葉に、アキラは少し上を向いて考える仕草をして、予想外のことを言ってきた。

 

 

「……せっかくだ、同行させてはもらえないだろうか」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 教会の周りをめぐり、数箇所にちらばったかつての家族の墓を参った。

 昼食はコンビニで買った菓子パンで済ませ、花束を数個買い、配りまわる。正直言って骨が折れるが、毎度のことなので特に違和感は抱かない。

 

 もっとも、だからこそアキラの方が気になっていたのだが……。

 

「……つまりドライバーの反復動作に応じての操作には限界があるとするのなら、逆に制御装置の機構を……、いや、そうするとRcバッテリーが……」

 

 俺が運転する車の横で、ぶつぶつと独り言を続けていた。

 独り言というよりも、明らかに技術系の話であり、気のせいでなければアラタG3の量産に関する話な気がしないでもない。

 

 やがて日が暮れる頃になり、ようやく最後の一件を残すばかりとなった。

 目的地の近くになったあたりで、アキラがこちらを向いた。

 

「君は……。毎年やっているのか?」

「一応はな。俺の原点であり、そして戒めだ」

「戒め?」

「嗚呼。……痛みを忘れないように」

「そうか。……どうでも良いが、今までずっとクリスチャン系が続いたのだが、突然寺に来たのは道を間違えたか?」

「いや、ここで合ってる」

 

 手前にある駐車場で降り、階段を上る。

 日も暮れかけた中、夕日に照らされる見覚えのある墓石。水をかけ、花を差し替え、俺は手を合わせた。無言ながら、アキラもそれに習う。

 

「……どうでも良いかもしれないが」

「何だ?」

「その、宗教的に構わないのか? こういうのは」

「……別に俺がそうだと言う訳ではないが、まぁ、祈る先に神を見るなら問題はないと言われた覚えはあるな」

 

 ただそれであっても、せめてわずかに見つかった破片しか残ってなかったとしても。安らかに眠っていて欲しいと思うのは、生きている人間の性だろうか。

  

 境内から頭を下げる住職に頭を下げつつ、石階段を降りる俺達。

 

「……今回の大規模作戦」

「?」

「相手が”隻眼の梟”であるのなら、おそらくは母の仇だ。一度だけ目にしたことがあったが、おそらくそれだ。

 ……両親はかつて二人とも、24区のチームに居たらしい。若かりし日の丸手特等も共にな。そしてF地点の深部に奴は居た」

「……」

「班員数名の首を、あっという間に切り取ったそうだ。最も実力があった母が殿を引き受け、わめく父を特等は無理に引っ張ったそうだ。

 ……後日戻れば、原型をとどめないほど食い荒らされた母の姿がそこにあったらしい。

 つまり今回の作戦、私にも父にも――私達『家族』にとって、大きな意味がある」

 

 今回の私の配置は、願ったりかなったりだ。

 そう言って、アキラは微笑んだ。

 

「運よくか悪くかはわからないが、少しでも息の根を止めるのに役立てれば良い」

「……お前は――」

 

 真戸さんの書いたというレポートを読んだのか、と確認をとろうとして、俺は、躊躇した。

 この期に及んで何を躊躇しているというのだろうか。俺は。

 

 アカデミーで教鞭を振るいながら、真戸さんの書いた「梟」に関するレポート。戦闘パターン、出現率、実際に交戦した篠原特等、黒磐特等らの証言。それらと合わせ、以前に20区で目撃されていた「仮面ライダー」のような存在と仮定した場合の集計を元にした、梟のレポート。……第二の梟のレポート。

 それを元に組まれた、今回の大規模襲撃作戦。それにはどうしても、きっと、彼が――ハイセが現れる。

 

 俺は決めた。喰種の側に居るというのなら、迷わず戦おうと。

 

 だがだからこそ……、第三者が事情を知らないからこそ、話せないからこそ、この内に未だくすぶるわだかまりが解けないのだろう。

 

「……今回、俺は別働隊だ。決して無茶はす――」

「君は、どういう気持ちなんだ」

 

 階段を降り、車の手前に立った時点で。

 アキラは振り返り、俺の顔を見上げた。

 

「気持ち?」

「信念や、父が言うところの『ともし火』はあるだろう。だが、それに向かう上等は、どこか変な感じがする。

 私の勘だがな」

「……疑問は、確かにある」

 

 俺の抱いている疑念全てではないが、その一部をアキラに打ち明ける。

 

 何故、このタイミングなのか。大規模戦をやるにしても、海外勢力やアオギリの警戒が解けた訳ではない。真戸さんのレポートが書きあがった、提出されたからといって、作戦が信託されるのも早すぎる気がする。下手に安定を崩すべからず、崩すならばそれ相応に準備を怠るべからずと閉められた内容に対して、こうもCCGは行動が早いものだろうかと。

 

 ジレンマではあるが、最終的な被害を減らすために、泳がせるということを真戸さんも時折していた。実際、半年以上時間が経過したとはいえ、いやに「対象に対する情報が」少なすぎるのではないかと。

 

 これは言わないが――まるで「あらかじめ、その情報をCCGが持っていた」かのように。

 

「だが、それでも戦うべきだ。その気持ちに、揺らぎはない」

「そうか」

「……だから、改めて言う。無茶はしてくれるな。例え――」

「例えば、ドウジマの元の持ち主のようにか?」

「――ッ」

 

 詳しくは知らんが調べはしたさ、とアキラは肩をすくめた。

 

「もっとも、知るのは名前と、公的記録の関係ばかりだ。君と交友があったという程度だ。

 ……まぁ、ライバルと言えばライバルではあるようだがな」

「ライバル?」

「こちらの立場からすれば、少々、嫌な気分だがな。――私が会った事もない相手に対する、うじうじした気持ちをぶつけるな。

 そーいうのは――」

  

 許さんと。

 アキラは俺の手を引き、足を払った。普段なら決してそんなことはないのだが、動揺が激しかったせいか気が抜けていたせいか、面白いように簡単に転ばされる。そんな俺を見て「高さが揃ったな」などと言って――。

 

 アキラが、俺の額に唇をぶつけた。

 

 俺の頭を押さえ、目を閉じ、案外と勢い良く。

 時間にして一秒にも満たないだろうが、そのまま口を話して、アキラは俺を、冷静に見下ろしていた。

 

 それを、俺は呆然とて見上げるしかなかった。

 

「……はぁ。まぁすぐに答えは聞かんさ。気が向いたら教えてくれ。

 『私は』まだ、生きているからな」

 

 時間はこれからたっぷりあると。

 

 いくら鈍い俺でも、その言葉が指し示しているニュアンスくらいは掴む事が出来てしまい……。差し出されたアキラの手を、掴む思考さえ働かず、ただただ唖然としていた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ――日は、沈んだ。

 1区に近づくのはいつ依頼か。こちらから寄る必要がある訳ではないが、しかし、確実さを喫するためにも、私にはあれが必要だった。

 

「――しばらくぶりだな、功善」

 

 駅を降り、巨大な川辺の上にかかる橋にてぼうっとしていると。私の黒装束に惹かれてか、目的の人物が来た。

 芥子――古い私の「友人」だ。私同様の服装をし、そしてその口はにちゃにちゃ、くちゃくちゃと何かを租借している。何を租借しているかは、もはや考えるまでもないだろう。

 

「自ら始末されに来たか? 功善」

「そのつもりはないが、どうしても、というのなら応じざるを得ないだろうな」

「全く面倒くさい。お前が欲しているのは――これだろう?」

 

 芥子が懐から取り出したそれは、手のひらに収まる程度の黒い装置だ。その中央には赤い結晶が埋め込まれており、わずかにだが、光っているようにも見える。

 

「わかっているのか」

「嗚呼。予想はつくさ。もっともお前は使えんだろう? 誰に手渡すつもりなのか……。まぁ関係あるまい。

 この程度で揺らぐこともない。せめてもの手向けだ」

 

 芥子は肩を振るわせ笑いながら、手に握っていたそれを地面に転がした。

 

「――ガキの居場所を、吐くつもりはないのだろう?」

「……」

「『隻眼の梟』についてだ。言うまでもなく、つながりは一目瞭然だろう。

 だというのに庇い続けるというのなら――それなりの覚悟はしておけ」

 

 お前は所詮、籠の中の鳥だと。 

 そう言い残し、芥子たちはこの場を去った。

 

 後に残ったのは、落とされた装置――本来ならクインケドライバーの、拡張スロットに差し込むその装置。

 

 それを拾い上げ、私は薄く目を開けた。

 

「……それでも、その選択肢だけはないさ芥子」

 

 あの子がああなってしまったのだとすれば。それは間違いなく妻を、あの子の母を殺した私のせいなのだから。

 あの子が大人になるまで一緒にいてやれなかった、私の責任であるのだ。

  

 

 

 咎を受けるべきは、私一人だ。それで構わないだろう。

 

 

 

 帽子を脱ぎ、そのまま投げ捨て。一歩一歩、力強く踏みしめながら私は歩き出した。

 

 

 

 



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#075 確認/確認

状況:

クロナ→レディゴー覚悟
カネキ→ドキドキゴースト


 

 

 

 

 

 キープスマイリングと、笑顔を絶やさないでとナシロは私によく言っていた。

 笑っていた方が、私達は可愛いんだって、そんなちょっとナルってるようなことを言ってた。

 

 だから、私は笑っていなくちゃいけない……、出来る限り。

 

 とても笑える気持ちじゃなくても、そのことはいつも頭のどこかに置いていた。

 

 だから――いや、だからこそ。ここ数日、私は無理にでもそれを意識して笑っていた。

 

 夕暮れ時のあんていく。トーカちゃんも、お兄ちゃん(カネキケン)も居ない。居るのは古間さんと、私だけ。入見さんは「墓参り」と言っていた。

 

「やぁクロナちゃん。研修バッジがとれても、何かこまったことがあったらこの魔猿に聞きたまえ」

 

 気取ったポーズでそんなことを言う彼に、少し反応に困りながらも私は仕事を続けていた。

 今日は珍しく、あんまりお客さんが居ない。

 

 珈琲のテーブルを磨きながら、私はぼうっと、この間の花火大会のことを思い出していた。

 

 

 ――僕も、トーカちゃんが好きだよ。

 

 

 お兄ちゃんは、トーカちゃんに対してそう言った。言いながら、まるでそれがいけないことのように泣いていた。トーカちゃんはそれを、いつくしむように抱きしめたままで。

 私達から逸れたお兄ちゃんを探して、ちょっとだけ別行動をとった私。途中、玲とすれ違いかけてひやひやしたけど、最終的にトーカちゃんに連れられるお兄ちゃんの姿を見て、その後を(喰種的にギリギリの基準で)追いかけて。神社の方に入ったのを確認した後、こっそりと、森の中に入って。 

 

 そして、そんな場面を目にしてしまった。

 

「……元々わかってたじゃん」

 

 うん、わかってはいた。わかっていたけど、でも可能性はあったような気がした。実際、最初お兄ちゃんは微妙な反応だった。でも、最後の最後でトーカちゃんの言葉に負けちゃったんだ。

 負けたのは、わかる。

 むしろ、お兄ちゃんが少しでも幸せになれるなら。そういう風に思っていけるのなら、私としては願ったりかなったりだ。

 

 だから、そのことを私は素直に祝福するべきなんだろう。トーカちゃんから奪おうと思えば奪えなくもないかもしれないけど、それでお兄ちゃんが幸せになるかは別なのだから。

 だから――落ち込む必要なんてないのだ。ないのに。ないのにさ。

 

 でも、そんな一言で割り切れるほどに、私はそこまでイカれてはいなかった。

 

 いや、ちょっと違うかもしれない。Vに対抗するため、力に飲み込まれないため、私達は私達を「殺した」。それを、そんな私の状態を、ひどく平凡な理由と方法でよみがえらせたのがお兄ちゃんだった。

 イカれていないんじゃない。

 イカれてないような状態に戻されたんだ。

 

 だからこそ、私は、落ち込んでいる。泣くことは出来ないけど、泣いたらそれこそ、もう立ち直れなくなってしまいそうだから。だから、出来る限り笑おうとしている。

 

 今日居ない芳村店長が、お兄ちゃんに言っていた。隻眼の梟を――娘を、エトを救ってくれと。

 

 扉の向こうから聞いていたからこそ、その事実に私は大きく驚かされた。あの、あの変な小さいのが、まさかアオギリの首領だったなんて思いもしなかった。

 だって、あんなの、そういうキャラじゃないじゃん。ああして組織的に動けていたんだから、もっとこう、インテリ的なのかと思っていたのに。それも、芳村店長とは全然違うタイプの。

 

 ただ言われれば、似てるところもあるかもしれない。あの、何だか色々と見透かしてるような、見据えて居るような目や物言いは。

 

 たぶん――お兄ちゃんはそれが出来てしまうような、そんな気がする。ほかならぬ私に対してそうだったように。

 

 だから私に対してお兄ちゃんがしたことも、別にお兄ちゃんにとって大したことではないんだろう。こう言っていたっけ。性分だと。放っておけないと。

 

 それが、なんだかたまらなく落ち込む。

 

 いや、助けてもらったことはありがたいし、私のこの感情も別にそれが理由で発露したものではないのだけれど。むしろ、そうであって助けてくれたのだとしたらむしろ願ったりかなったりなんだけど。

 

 でもただただ、私はお兄ちゃんにとって特別ではなかったのだという事実が、ちょっと寂しいし、落ち込む。

 

 ため息をつけば、古間さんが訳知り顔で「幸せが逃げるよ? クロナちゃん」と頷いてくる。なんとなくうっとうしいけど、リアクションを返すだけの余裕もない。

 

 そんなタイミングだった。

 

 からから、とお店の扉が開かれる。いらっしゃいませ、とつとめて笑顔で言いかけて、私の表情は固まった。

 

「た、たた、高槻先生!?」

「やっほー、クロナちゃんおっひさー」

 

 高槻泉だ。なぜか服装は秘書というか、OLというか、女教師というか、そんな感じ。眼鏡をくいっとあげる様が妙に似合っているような気がしないでもない。

 とことことテーブルに座ると、彼女は私に「ちゃんヒナ今日はいないの?」と聞いてきた。

 

「一応、時間が時間だし」

「ふぅん? 最近は普通じゃないこれくらいだと?」

「一応物騒になってきてるし」

「ふぅん」

 

 そしてじぃっと私を見てくる。何だろう、そのにんまりとしながら観察するような視線は。

 

「店長さんって、今日居たりする?」

「いないけど、です」

「ふむふむ(それは好都合……?)。 

 あそうだ、ねぇクロナちゃん。珈琲一杯もらえる?」

「う、はい」

 

 くるりと古間さんの方に顔を向けて頼もうとすると、ちっちっち、と彼女は指を立て左右に振った。

 

「クロナちゃん、いれてくれない?」

「……?」

「クロナちゃん()いれてくれない?」

「……へ?」

 

 い、いや、いれられなくはないけど、まだまだ全然というか。入見さんからまだ完全にはおっけーもらってないんだけど……。そんな私の表情を、高槻泉は軽く流す。

 

「いれてあげたら良いんじゃないかな? せっかくのリクエストなんだし」

「ええ!?」

「もしお口に合わなかったら、この古間円児が腕に寄りをかけて――」

「いらないですよ、それは」

 

 高槻泉は、古間さんの台詞をさえぎった。

 

「絶 対 に いらないから」

 

 なんで二度押ししたんだろう。

 妙に語調にとげを感じるけど、古間さんな慣れたように「それではごゆうくり」と言って店の外に、箒を持って出て行った。

 店内は、私達二人きりになってしまった。

 

「……」

「♪」

 

 じっと私の動きを見つめてくる高槻泉。やりにくい。やりにくいけど、なんとなく言うのは負けてるような気がして、そのまま続行した。香りは、まだよくわからないけど、それでも丁寧に、丁寧に。

 

「クロナちゃん、お兄ちゃんと何かあった?」

「――ッ!」

 

 盛大に噴出しかけた。

 

 高槻泉は、してやったりみたいな表情を浮かべて私を見ていた。思わず睨むような表情になってしまったけど、誰も攻められないと思う。

 

「……別に、何もない」

「そうかねぇ。私のカンだけど。お姉さんのカンはよく当たるのさ」

「……」

「おやおや黙秘権? ま別にいいけどね。

 でもこれだけは聞かせて? ――自分を信じること。それがまず第一歩だ。自分を信じて、自分の言葉を信じること。自分で決めた事を信じることが」

 

 その言葉に、不思議と私は、溜まっていた鬱屈が一瞬消し飛んだ。

 

 私はー―そうだ。考えてもみればそうなのだ。私が金木くん(お兄ちゃん)を好きなことと、お兄ちゃん(カネキケン)に人間の側を取り戻させてもらったこととは別に考えても良いのだ。別に考えなきゃいけないんだ。

 そもそも私に、特別だの何だの言う資格はない。ナシロに「あんなこと」をしてしまった私なんか、愛される資格なんてない、はずなのだから。

 それでも求めてしまうのは、やっぱり……、うらやましかったからだろう。

 

 誰かを思いやり、愛するお兄ちゃんがー―――――。

 誰かに思いやられ、愛されているお兄ちゃんが――。

 

 でもだから、それが残念だという感情とそれは、別なのだ。

 

「命、燃やせそう?」

「……燃やすよ、絶対」

 

 私は、「金木くん」が好きだ。

 

 いつか必要とされた時。この身に代えても彼を助けられるのなら。

 

 愛という面で例え求められることがなかったのだとしても、そう私は心に誓っていたのだから――改めて、今、誓い直そう。

 

 それでもし、何かの拍子にふと思いだしてくれれば、それで構わない。

 

 私の出した一杯を口にして、高槻泉はふふっと微笑んだ。

 

「そういう『綺麗な生き方』、お姉さんやっぱ好きだな~」

 

 楽しそうに、でも、何でだろう。

 ふとその目に、私はなぜか哀れみを向けられているような印象も、同時に受けた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ……自責の念がある。

 

 自分で決めたルールを、自分で守れなかった縛りが。

 トーカちゃんに幸せになって欲しいからと、決して意識しないようにと自分に設けた制限が。ふとした表紙で、彼女本人の手によって撤廃されるという。その程度で、ぽろりと口からこぼれてしまったというのが、僕はものすごく、鬱だ。

 

 そうか、僕はトーカちゃんが好きだったのか……? ヒデに何と言われるか。 

 

 というよりも、自分の女性の好みと照らし合わせて、いまいち首を傾げてしまうのは仕方ない。結局のところ、僕は「好き」だの「愛してる」だのといった言葉と態度で押し切られてしまったということだろうか。

 確かに……、色々な意味でトーカちゃんは、というかアラタさんも含めて、僕にとっては特別なのだ。意識が向くのは仕方ないとも思うけど。でもあの状況で告白を受け入れたっていう流れが、何だろう、こう、ものすごく性欲に負けたみたいな、そんな汚いニュアンスを感じて、僕は少しへこんでいた。 

 

 花火大会のあの後、トーカちゃんの着付けを直して。「ふぇへへ」みたいな、変な笑いを浮かべながら僕の腕を抱きしめるトーカちゃんにどうしたものかと頭を左右に振ったり。それでもみんなの前では恥ずかしいのかいつも通りの振る舞いに戻っていたりもしたけれど。

 

 ……ちらりと携帯端末を確認して、トーカちゃんからメールが入ってないか、神経質に見てしまう自分に、なんだか肩が落ちる。これ、完全に高校時代の、川上さん相手だったときと同じ状況だ……。メールのやりとりとか、トーカちゃん全然そっけないんだけど、ただ絵文字にウサギだけだったのが、たまにハートマークが入ったりして、それだけで少し動悸を覚える自分が、なんだかこう、単細胞というか単純というか、あんまり自分らしくなくって変な感覚があった。

 

 僕って、自分が思っていたよりトーカちゃんのこと好きだったのだろうか……?

 

 誰かに聞いて答えが返ってくるわけもないだろう。というより、返って来るはずもないし、返ってきたらその相手はきっと頭がおかしい。何がおかしいかといえば、その相手の頭の何がおかしいかを僕が説明できないくらいにはおかしいはずだ。

 そして、思考がゲシュタルト崩壊気味な自分が、もうなんだか盛大に空回りしてるというか、延々と悶々としているというか。

 

 ……状況的には、受験期の高校生に手を出してる形になる訳であって。

 

 トーカちゃん本人も、僕がそういうのを気にするのを理解してか、デートに行こうとか言ったりはしない(家に来い、は結構言われる)。二人きりになる機会が少ないので、あの時みたいな、こう、あんな感じになったりもしない。あんな感じってどんなんだ。

 ともかく勉強に力を入れてるのはいいことだと思う。うん。受かったら何をしてもらおっかなー、とか呟いていたのは、とりあえず聞かなかったことにしている。

 

 ヒナミちゃんには、たぶんそういう話があったことは気づかれていないだろう。

 クロナちゃんは……、どっちとも取れる反応が何回かあったから、そこは微妙だ。あんていくで休憩時間を、あえて僕とトーカちゃんを合わせるように調整したり。あるはヒナミちゃんの送迎を一人で買って出たり。

 

 現状、付き合ってると言って良いのかもわからない状態だけれど。それでも何かしらの形で、僕と彼女との距離は大きく縮まったらしい。縮められた、の間違いな気もするけど、それはともかく。

 

「……」

 

 うん、一人でくつろいでるときに、トーカちゃんとハグしたいと自然と考えるくらには、なんだか色々酷いと我ながら思った。

 以前月山さんに案内された喫茶店で、僕は珈琲を飲んでいた。味はあんていくのものより軽いというか、苦さに深みがない感じのもの。インスタントよりは辛く、それでも飲みやすいといった感じだった。

 

 落ち着かない……。久しぶりだな、こんなに内心、むずかゆく慌しいのも。 

 自分のことに一杯一杯というか、肩に力が入りすぎてるというか。慣れるものじゃないと思う、こういうのは。

 

 こういう時は、そうだ。もっと落ち着いて考えなきゃいけない話題を思い浮かべよう。トーカちゃん、トーカちゃん、トーカちゃん――アラタさん。

 

 店長は言った。僕になら、仮面ライダーの呼び名を渡しても良いと。

 僕は僕なりに、自分の戦いに覚悟を持って仮面ライダーを名乗っていたつもりだった。でもだからこそ、直接、自称ではなくその名を譲られるというのは、案外と大きく意識に圧し掛かっていた。

 

 改めて思い返してみると、あの時頷きはしたけれども、仮面ライダーという名前はかなり大きい。

 

 アラタさんが、人間と喰種の自由と共存のために戦うと言い。それでも妻を失い、子供達を守るためにその決まりから逸脱し、店長に後を託してCCGに捕まって。

 店長がその名前を引き継ぎ、娘さんを守りきれない自分と、奥さんを自分の手でかけざるをえなかった過去から、名前から逃げることも出来ず引き受けて。

 

 そんな二人の、苦悩とか、痛みとか。そういったものも一緒に背負っていくものなのだと、僕は認識した。改めて、そのこめられた感情を、具体的に理解したからだ。

 

 だからこそ、トーカちゃんのことに現実逃避してしまうくらいには、僕は僕で悩んでいた(あっちもあっちで現実逃避できればそれが良いのだけれど)。

 

 ぼうっとそんなことを考えていると、店の窓が叩かれる。外側からこちらに顔を近づけていた彼女は――。

 

「高槻先生!?」

 

 やっほー、と軽く口が動いたのがわかる。そのまま彼女は足早に入店して、僕の目の前に当たり前のように座った。

 

「いやぁ、奇遇奇遇、超奇遇だねェ。おひさ~」

「あ、えっと、お久しぶりです」

「もっとフランクでいいよん? 私と君との仲じゃないか」

「僕達、これで二度目ですよね。顔合わせるの」

「細けぇこたいいんだよ」

 

 大体わかったって言えば大体わかったことになるから、と何だか新手のパワハラみたいなことを言い出した。

 

「いやしっかし暑いねぇ。取材用とはいえスーツなんて着るんじゃなかった……」 

 

 そんなことを言いながら、高槻先生は当たり前のように、スーツの胸のボタンを二つ外して、仰ぎ始めた。風にあおられてゆれる襟と、そこから胸元にかけて伸びる影。うっすらと胸の肉の盛り上がりの起点みたいなものが見えて、僕は視線を逸らした。

 

「ブラ付けてこなくて正解だったわさ」

 

 やっぱり単に僕、性欲をもてあましているだけじゃないのだろうか。

 

 むせる僕に「大丈夫?」と先生は覗きこむように聞いてきた。大丈夫ですといいながらも、僕は彼女の胸元と目を合わせようとはしない。人間、確か目をあわせづらい時は胸元を見て会話するというから、ひょっとしたら高槻先生には苦手意識を持っているのだろうか、僕は。

 いや、でもだからといって視線を上げたのもまずかった。前とは違って整えられた髪に、きりっとした眼鏡。それに似合わないきょとんとした少女のような表情は、でもどこかに自分より年齢を重ねた人間の知性みたいなものが見える。

 

 う~ん……。川上さんとタイプは違うけど、このヒトもこのヒトで本来なら僕の好みのタイプのはずなんだけどなぁ……。

 不思議と性欲を除き、僕は彼女と対面しても、大きくは心を揺さぶられなかった。

 

「えっと、先生はどうしてこちらに?」

「ここ、私の縄張りの一つなんだよね」

「なわばり……」

「別名、生息領域とも言う。まぁ色々オフレコでね? まぁ本命の『場所は確認できた』し、ちょっと暇つぶし」

「は、はぁ……?」

  

 ちなみに僕は何故かと言われ、先生がたまに現れる喫茶だと紹介されたと言った。

 

「へぇ、じゃあ、金木くん私に会いに来たの?」

「いえ、そういう訳じゃ」

「(ちっ)。まぁともかく、ふむふむ……。なんか晴れやかな顔してるね。何かいいことあった?」

 

 晴れやか?

 

「うんうん。前の時より、表情の作り方が自然というかねぇ」

 

 さすが作家というべきなのか、なんだか色々とお見通しと言った感じだった。

 高槻先生は「いちご練乳カキ氷パフェ」を追加して、ふああとあくびをした。

 

「寝不足なんですか?」

「んー、まぁね。お姉さんは忙しいのだよぉ」

「お疲れ様です」

「いいってことよぉ。あ、ちなみにおごるけど何か食べる?」

「あー ……、大丈夫です」

「おっきーどーきー」

 

 机にひじをのせながら胸元をメニューで仰ぐたび、ちらちらと見えそうになる何かを僕はひたすらに無視していた。無視するしかなかった。……これは浮気とかに該当しないことを祈っておこう。

 

 

 そんな平和ボケしたことを考えていたにも関わらず――。

 

 

「しっかし、あの梟がまさか”20区”に居たとはなぁ」

  

  

 店内に居た捜査官と思われる二人の男性の会話は、きっちと耳が拾った。

 

 

 

 

 




「……ふぅん」
 
 金木が自分の背後の捜査官達を見ているのを、高槻泉はふりかえってちらりと一瞥し。
 一瞬だけだが、まるでどこか遠くに居る親の仇でも憎んでいるような、そんな険しい表情を浮かべた。
 
 
 


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#076 愁端/立場/哀悼

オワリ、ハジマル


 

 

 

 

 

「あ、見て見てトーカちゃん! ハシビロコウ!」

「いや、わかんねぇって……」

 

 妙にテンションの上がってる依子に、私はちょっとリアクションがとれないでいた。

 久々に依子と二人で、動物園に来てた。とりあえず模試だとか、夏期講習だとかが一段落して時間が開いて、少しくらいなら遊んでもと気が抜けはじめてるタイミング。依子から誘われて、自宅で勉強をカネキにみてもらっている間にそれを相談した。

 

 特にカネキは何を気にすることもなく「いいんじゃない? いっておいでよ」と笑った。

 

『……』

『どうしたの?』

『いや、別に……。アンタからデートとか、そういうのないんだなーって』

『嗚呼、まぁね……。本屋とかで大丈夫なら』

 

 却下。

 私から誘うならともかく、カネキから誘われるのでそれはちょっとない。

 

『まぁそうなるよね。だったらしばらくは勉強に身を入れた方が良いと思うし……。んー、少しいい?』

 

 へ? と何か私が言葉を返すよりも先に、カネキは机に向かっていた私の手を引いて、そのままベッドに倒れこんだ。正面から抱きしめられる形になって、距離が近くって、シチュエーションが色々やばくって、思わず縮こまる私。

 横になりながら私をハグするカネキの息遣いが、ほとんど差のない距離から聞こえてきて、私は一瞬思考が真っ白になった。

 

 っていうか、カネキの手が片方、地味に腰とか胸の端とかに当たっていて、妙な気分っていうか。

 

『……べんきょーどころじゃなくなったんですけど』

『まぁ、そういうのも含めて今、直接やるのは違うんじゃないかなーってのもあるし。

 とりあえず、そういうことで。しばらく進展するより勉強に集中しようか』

 

 文句も言えなかった。

 

 ただそのハグした姿勢のまま「合格発表まで、僕もお預けかな」とか言っていたのが、なんだかこう、申し訳ない感じがした。何が申し訳ないのかは知んない。

 

「トーカちゃん、どしたの?」

「……、な、なんでもない」

 

 そんなことを思いだしていたからか、依子に話しかけれてもぼーとしていたみたいで、少しだけ慌てて私は答えた。

 

「大丈夫? ここのところずっとお勉強続いたから、実は寝不足だったりするのかなーって。ほら、昨日ちょっと引越しするって言ってたし、疲れてたりする?」

「大丈夫、そういうのはきっちりとってるから」

 

 むしろ家事とかについてはクロナが増えたお陰で、なんだかんだ前より楽に回るようになってきていた。

 引越しについても、そんなに関係なかったり。別に高校とか、生活圏が極端に大きく変わるわけじゃないし。

 

「じゃあじゃあ、彼氏さんと何かあったとか?」

「か、彼氏じゃ……、いや彼氏か」

「へ? え!?」

 

 ぐいぐい、と依子が私に迫ってくる。

 思わず身じろぎをしても、あんまり関係ないって感じの距離のつめかただった。

 

 そんな、何か期待してるみたいなきらきらした目でみられたって困るっての。

 

「つまり、えっと、どういうことかなトーカちゃん?」

「……まぁ、そういうことです」

「彼氏さんになったんだ。へぇ……!」

 

 自分の口を両手で押さえて「あらまぁ」みたいな驚き方をして、そしてにまにま笑って「よかったねぇ~!」と私にハグしてくる依子。正直、リアクションにめっちゃ困ってる。

 

「っていうか、依子、今までのそれって、完全にネタでいじってただけ?」

「……ひゅ~」口笛ふけてない。

「ま別にいいけど。でもまぁ、そんな感じになりました……」

「よかったね!」

「うん、まぁ……、うん」

「照れてるトーカちゃん可愛いな~」

 

 視線を逸らす私をハグしたままの依子。全身で祝ってくれている感じはしてるけど、やっぱりリアクションはとりづらかった。

 

「あ、ほら、うさぎの方行きたい」

「いいよいいよ、今日はぱーっと遊ぼうね!

 そういえば、先週から確かうさぎの方でイベントやってたような……」

 

 ようやくハグを解除して、パンフレットを見ながら私に色々教えてくれる依子。そんな依子に、私は視線をちょっと逸らしながら言った。

 

「たぶん、そのうち紹介するから。研のこと」

「あの眼帯の、いいヒトな感じのヒトだよね~。うん、楽しみにしてる!」

 

 いいヒトな感じのヒトって何だよ、という私のツッコミに、いいヒトってことだよ~と依子は笑っていた。

 

「――卒業しても、また、遊ぼうね」

「……気が早いっての。私ら、まず受かんないと」

「うん、それもそうだね!」

「あと、当たり前」

 

 そんな会話をしながら、私達はうさぎのイベントがやってる方に走っていった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ったく、何でこんなクソ忙しいんだ?」

「あー、お客さんの前でうんことか言っちゃいけないんですよーだ!」

「お前の方がオブラートの欠片もねぇじゃねえかよ」

 

 西尾先輩とロマさんとのやりとりだ。本来なら古間さんとかが割って入って、気の効いたことを言って仲裁する形になるのだけれど、今日はその余裕もないくらいには忙しい。入見さんと共に、並んで黙々とカウンターを回している。

 僕も僕でカップを運んだり、とにかく忙しい。

 

「ヒナミ、どうせだからカウンター回れ。ホールはこっち任せとけ」

「う、うん!」

 

 夏休みもそろそろ終わりに近づいている頃。お盆は過ぎて、この時期に学生でもない人達で込み合うという情景が、中々珍しいものがあった。

 クロナちゃんがリストバンドを巻いた右手をさすりながら「なんか、すごく込んでるね」と僕に耳打ちしてきた。

 

「うん、そうだね。ただ――」

「二人ともいちゃいちゃしてねぇでとっとと給仕しとけ! あとロマは食器割るんじゃねぇぞ」

「ひぃいいいい!」

 

 いちゃいちゃ、のところで微妙な笑みを浮かべたクロナちゃんと、悲鳴に近い声を上げるロマさん。

 

 そうこうしているうちに、追加注文が入る。「姐さん、一杯追加で」と言ったのは、僕よりリオくんと縁があった喰種、ルチ。髪型が目立つからか、カツラをして頬の刺青はガーゼで隠している。そんな彼を一緒のテーブルに座っていた女性二人がいじっているようで、なんだか居心地が悪いらしい。

 

 別なテーブルからは、理髪店とかやってそうなヒトと、いかにも工事現場に居そうなツナギを着た男性たちから、古間さんに向けて「ブレンド四つ、ブラックで!」とリクエストが入ったり。とにかく皆珈琲ばかり飲むのは、当たり前のように彼らが喰種だからだ。

 

 古間さんと入見さんは、ヒナミちゃんを挟んでテキパキと作業をこなしている。

 

 

 やがて普段より早くお店を閉める時間になって、トーカちゃんが片付けの手伝いにやって来た。依子ちゃんと別れたままの足で着たので、ちょっと服装がおしゃれさんな感じだった。

 

「クソ忙しい一日だったなぁ、これ」

「なんか、数ヶ月分が一気に来たような……」

「ロマ、あんた食器割らなかった?」

 

 トーカちゃんの質問に、胸を張って指をピースサインで突き出すロマさん。

 

「2枚割りました」

「あの忙しさで2枚だってんなら上出来だよ」

「あはは……」

「ニシキ先輩が優しい……、だと? なんでです? ひょっとして私のこと狙ってたりします?」

「あ゛?」

 

 調子乗ってんじゃねぇぞ、という威圧にひぃいいと声を上げるロマさん。ここ数ヶ月は見慣れた光景だった。

 

「でも、忙しかったよね。あと二人ともすごかった」

「ヒナミちゃんに同意」

「あはは、何せ私達、年季が違うからね~」

「でも、もう少しで我らあんていく最終兵器を投入するところだったよ」

 

 最終兵器? と古間さんの言葉に、僕をはじめ古参の二人以外はみんな首を傾げた。

 

「そうそう。目撃者は数少なく、ほんの一部は好評で――お、噂をすればだね」

 

 がちゃりと奥の扉が開けられ、現れたのは四方さん。その後ろに店長が居る。

 それを見て、僕は「嗚呼」と納得した。

 

「へ、まさか四方さん……?」

「そうだよ。一時期、お店に立ってもらっていたんだ」

 

 店長の言葉に、多くのメンバーが意外そうな顔をする。僕は以前、一度四方さんから一杯もらったことがあったので、そこのところは納得できるところでもあった。あの味は、文字通り店長の一杯と同じ味がするのだから。

 

「でも接客がねぇ……。本人の希望で裏方ってところかしら」

「「「「「嗚呼~ ……」」」」」

 

 そして入見さんの一言で、全員の意見が完全に一致を見た。

 少しばつが悪そうな顔を一瞬浮かべた後、四方さんはトーカちゃんの方を見た。

 

「董香、ヒナミ。クロナもか。荷造りは済んだか?」

「あ、やっば! じゃあカネキとか、また。ヒナミ、クロナ、レッツゴー!」

「あ、待ってお姉ちゃん――」「ばいばい、みんな」

 

 店のバックヤードに急いで走るクロナちゃん。一人だけ着替え終わってないので、彼女だけヒナミちゃんやトーカちゃんより家に帰るのが遅くなる。

 

「四方さん、万丈さん達は――」

「……バックヤードと下の方の片付けを手伝ってもらっている。

 研も、錦も、遅くならないうちに帰れ」

「うっす」「はい」

 

 僕の確認に、四方さんは一瞬視線を地面に向けて、店長を一瞥してから答えた。たぶん、僕の言った情報はきちんと伝わったと見て良いだろう。

 

 つい先日――某所の喫茶店で高槻先生と遭遇した時、たまたま耳に入った捜査官たちの会話。20区に梟が潜んでいる。討伐隊が組まれるという雑談。誰が梟の首をとるかという話題に、亜門さんの名前が上がるくらい、それはとても身近なものだった。

 20区の梟――エトさんがここに居るはずはないと考えると、必然、その対象は大きく限定される。

 

 その情報を伝えた結果が、あんていく関係の一時的な退避だった。単純な話、襲われる前に消失してしまえば良いということだった。ほとぼりが冷めた時点で、またはじめれば良いと、四方さんは僕に言った。

 その言葉を信じて、皆色々と準備している。万丈さん達は肉の運搬とかがメインらしいというのを、この間息を切らしたところで聞いた。

 

『……なんだか、アオギリ居たときよりキツいかもしれねぇ』

『それはそれでどうなんでしょうかねぇ……』

『いや、食い物あるからいいんだけどよ』

『バンジョーさん、見た目の割に体力ないッスからね~』

 

 アオギリは食料こそ最低限で、作業の精神的な辛さはあったかもしれないけれど、ある意味完全分業化していたとも言えるので、一人ひとりの作業自体は、こう、工場勤めのサラリーマンのような匂いがなんとなくしていた。両者反対ではあるものの、なんとなく店長とエトさんが肉親であると思わされる部分だった。

 

 ヘタレを持って、走って店を出て行くクロナちゃん。去り際、一瞬こちらを見て頷くクロナちゃんがちょっと謎だった。

 

 僕や西尾先輩も、ほどなく店を出る。

 

「……」

 

 その時、何故だろう。店長もまた、僕に向けて微笑んで、一回深く頷いたのは。

 

 

 

   ※

  

 

 

 カネキくん達を見送り、ロマちゃんも早々に店を出た。残るは私や四方くんと、古参の二人。

 私は二階に上がり、窓際に飾ってあった花を見た。リオくんの私物だったものも、既に四方くんが別な場所に運んでいる。

 

「芳村さん――」

「……四方くん。後は頼むよ」

「……古間たちも、ですか」

「……」

 

 無言の私に、四方くんは頭を深く下げる。「お世話になりました」という一言は、そっけなく聞こえもするが、しかしそれこそ子供のような付き合いの長さがあるので、込められた感情の機微を感じ取ることも難しくはなかった。

 

 そんな彼に、私は選別とばかりに、アルバムから写真を一枚抜き出して、手渡した。

 

「これは……ッ!?」

 

 映っているのは、三人。生まれたばかりのトーカちゃんと、アラタくんと、ヒカリくん。四方くんは最後まで意地を張っていたらしく、写真の中に映ってはいなかった。

 

「以前、アラタくんから譲られたものだ。最期(ヽヽ)まであると、勿体無いとね。

 ……君が見守ることしか出来ないというのなら、無理に明かせと勧めはしない。でも、後悔はないようにね――お互いに」

「……最後まで、ありがとうございました」

 

 ――CCGの動きは、「あちら」からの情報で掴んでいる。

 

 だからこそ、私が、私達がもはや自由に出来る時間も多くない。

 四方くんはそのまま地下に回る。リゼちゃんを、鯱から任された彼女を安全に運ぶために。

 

 一階に降り、レコードを出し、久々に店内に曲をかける。私以外、誰も居ない室内に、鍵盤を叩く即興が響く。

 

 かかる古いジャズピアノは、録音状況も相まってあまり良いものには感じない。しかし、憂那はよく好んで聞いていた。何が楽しいのか、彼女は「苦しんで、苦しんで、それでも何かしなくちゃいけないって。そんな感じがして、すごく貴いと思う」と私にしきりにこれを薦めていた。

 

 今でも時折聞きはするが、あまりよくは分からない。

 

 元が粗野なこともあるのだろう。年季によって磨かれた機微を察する力も、こればかりは性に合わないのかもしれない。

 

 カップを磨いていると、店の戸がノックされる。

 

「いやぁ、まだ開いてますか?」

「……本当は閉まっているんですが、せっかくです。改装前に、最後の一杯」

 

 入ってきた男は、篠原。捜査官の中でも、それなりに見知った相手でもあった。無論、正体云々は別にしてだが。

 今日は一人ですか、と尋ねると、「子供は寝る時間ですよ」と肩を振るわせて笑った。

 

「……ジャズピアノですか」

「ええ。滅多にかけないのですが、なんとなく」

「んん……、私の上司が、こういうの好きでしてね。家にあるのを見せてもらったことがあります」

「さようですか。再生機は結婚祝いに、知人から送ってもらったものです」

 

 へぇ、と言いながら、篠原はレコードを見る。かかる音楽はヒトによっては不気味だとか不快だとか思うこともあるようだが、彼は何も言わず、一杯注文した。

 

 丁寧に、時間をかけて。

 憂那から教わり、一人で何度も何度も頭を悩ませ、そして積み重ねてきた味。

 

「……うまいです」

「そうですか」

 

 カップを磨く私に、篠原はふっと笑って言った。

 

「やはり、豆が違うんでしょうかね? 香りが少し独特といいますか」

「それもありますが……、やはり積み重ねですかね。これでも当初は味が安定しなくって、四苦八苦してたんですよ。

 例えば焙煎の加減。例えば水の種類。温度、湿度一つとっても、差分は大きいものです」

「……」

「これは持論なんですがね。一番重要なのは、どう向き合うか。どう相手のためにしてやるか、ではないかと思うのですよ。この年になって、ますます。

 高い豆だからといって、粗末に扱えば美味しくはならない。

 逆に安い豆だからといって、特性を理解し、どう引き出してやるかを考えてやれば、美味しくもなる。

 沢山失敗して、沢山後悔して。……それでも、何かしなければならないと」

「……奥が深い」

 

 ジャズピアノの即興部分が、途端、なりを潜める。しめやかに、しとやかに、ゆったりとすすんでいくそれは、まるで母親が我が子を寝かしつけるときの歌のようでもあった。

 

 店を立ち去る篠原に、私は御代は結構だと言った。

 少し逡巡したが、彼はこちらの言葉に甘えてくれた。

 

 おそらくもう、察してはいるのだろう。だが、それでも今は何も言わなかった。

 

「ご馳走さまでした。また――味わいたいものです」

「ええ。――お互いに」

 

 おそらく来るはずのない機会だろう。それを分かっていて、なお私達はそう言葉を交した。

 

 表に出ている看板を下げ、ランプを消す。

 店内に戻ると、店の奥から古間くんたちが帰ってきた。

 

「芳村さん、店、表も裏もぴっかぴかですよ! 魔猿スペシャルクリーニングサービ――」「書類、全部処分しておきました」「おい、お前被らせるなよ『最後』くらい」

 

「ふふ。……ありがとう」

 

 曲をかけながら、私はカップを三つ出す。

 それぞれに珈琲を淹れ、彼らと、私の前に置いた。

 

「さぁ、どうぞ」

「待ってました!」「……久しぶりな気がしますね、こう、三人でってなると」

 

 そう言うカヤちゃんと、喜んでくれている古間くん。

 程なくして、我々は黙って、それぞれカップを口につけた。

 

「……」

 

 

 

 ――任された。よろしくね、エト。

 

 ――貴様が店を開くとは、意外ッ!

 

 ――俺様を魔猿だと、知ってケンカ売ってるんだよな、ああ゛!?

 

 ――ジジィ、気安く話しかけるんじゃねぇ。殺すぞッ。

 

 ――僕と彼女と、想いを、引き継いでください。

 

 ――芳村さん。俺、やっぱり店向いてない。

 

 ――店長! もってきますね。

 

 ――僕は、一人じゃないんでしょうか。

 

 ――じーさん、これで良いかよ。

 

 ――本当、に、沢山、お世話になりました……ッ!

 

 ――店長ぉぉ、すみませんん~。

 

 ――特別に、なんか美味しい。

 

 

「……寂しくなるね」

 

 脳裏を過ぎる、この店の記憶。今のメンバーと、印象的だった言葉と。

 走馬灯とは言うまい。嗚呼、この日々のためならば、私は今一度、立ちあがれるだろう。

 

 そんな私に、二人は少し得意げに言ってくる。

 

「芳村さん。俺も、カヤも一緒に付いて行きますから」

「それじゃ、ご不満かしら?」

「……私は、君達もここを去るべきだと思っている」

「寂しいこと言わないでくださいよ。そっちの方が確実だって、わかったから四方くんも止めなかったわけですし」

「…………最後まで世話をかけるね」

 

 立ち上がる私の背中に、気にしないでくださいと二人の言葉がかかる。

 レコード盤の立てかけてある隣、挟まっている一枚の写真。

 

 私が撮影した、彼女と、娘の写真。

 

 

 ――ゼンちゃん♪

 

 

「憂那……」

 

 

 どうやら……、私の願いは叶わなかったようだ。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
「……何だ、この曲は」
「あれ、ゼンちゃん嫌い?」
 
 首を傾げる私に、憂那は楽しそうに聞いてきた。いつも聞いている、即興が少ない音で、まるで普通の、下手すればアマチュアが弾いているもののようにさえ聞こえる。
 しかし、それを彼女は愛しそうに聞きながら、自らの腹部を撫でる。
 
「嫌いという訳ではないが、何だろうな……」
「このヒト、前期はものすごくもてはやされて、でも後期は駄目駄目だって言われててさ。
 でも、私は違うって思うの。苦しんで、苦しんで、それでも何かしなくちゃいけないって。そんな感じがして、すごく貴いと思う。
 このヒトはきっと、何もかも変わってなくって。ただやりたいことが変わっただけで、でも限界があって。それでもなお必死だったんじゃないかなって、そう思うとなんだか、何度も聞きたくなるの」
「……よくわからない」
 
 仕方ないなぁ、と憂那は私をからかうように、笑った。
 
 
 


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#077 原罪/兼宴

 

 

 

 

 

 真戸さんのレポートに加え、黒磐特等の証言などから、梟が二体いるという推測は成り立った。

 それに加え民間からの証言をもとに、丸手特等が覆面面捜査官で調査を行った結果が、この20区大規模作戦――梟討伐につながった。

 

 指揮を取るのは、和修吉時局長。

 白服を身に纏い、ゆったりと右手を上げる。

 

 夜の20区、駅前周辺。通行止めにより換算とした光景は、嵐の前の静けさを予感させる。

 

 並ぶ捜査官の数は圧倒的。SSSレートを確実に処置するためには、万全を期する必要があるためだ。

 

 自然、俺も息を呑む。ちらりと視線がアキラの方を向いてしまうのは、否が応でも張間のことを思いだしてしまうからか。アキラ本人からは重ねるなと言われたが――いや、今は目の前のことに集中しよう。

 

「――」

 

 ハイセ(カネキ ケン)……。奴は(彼は)現れるのだろうか(来てしまうだろうか)

 

 できることならこの場で、会いたくはない。だがしかし――ジェイルの一軒のみならず、11区の目的状況を考えても、ほぼ間違いないだろう。

 その予感を胸にしながら、俺は、バイクモードのアラタを操作する。リンクアップ、と電子音が響き、それとほぼ同時に、局長の手が振り下ろされた。

 

 

『――これより、作戦を決行する』

 

 

 大勢の捜査官が走りだす。それぞれがそれぞれの持ち場に。俺は今回、一部の指揮官を任されていることもあり、通信は多く入ってくる。無論、アキラたちの状況も。

 そしてそれは当然、今回の作戦の執着地点――喫茶店「あんていく」の音も。

 

 

『『――いらっしゃいませ』』

 

 

 不気味に響く、くぐもった音。マスクの内側から聞こえるような男女のそれ。

 

 それが集音された直後、悲鳴と血しぶきとがマイクの向こう側で撒き散らされた。

 

 

『――第二、第三隊はそれぞれの喰種の追撃! 敵は複数、組織だって動いている!

 指揮系統は丸手特等に!

 第四以下で四方を封鎖、決して市民に被害を出すな!』

 

 

 局長の指示に合わせ、俺達もまた動き始めた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 古間くんとカヤちゃんは、私が逃げろと言っても、逃げるつもりはないようだった。

 なにせかつて率いていた魔猿や、ブラックドーベルが動き出しているのがその証拠だ。やっと、やっと人間の社会に溶け込み始めたと言うのに、それでも彼らは今一度、喰種として集った。

 

 ほかならぬ、私のために。

 

 それがたまらなく申し訳なく――そしてそれでも、この名(ヽヽヽ)を名乗る以上、態度を変える事の出来ない自身が歯がゆくもあった。

 

「ライダー ……変、身」

『――羽・赫ッ! 赫者(オーバー)!』

 

 フードを被り、彼らの前にこうして姿を現すのは幾度目か。願わくばこれで最後でありたいが、その最後が必ずしも「次」のある最後なのかは、はなはだ疑問だ。

 

 大通りの交差点を占有し、私と、彼らとは対面する。

 

 こちらに向けられる視線は、畏れか、あるいは興奮か。

 

 

『――正義とは、悪とは何か、誰が決めるのか。

 そんなもの、私は決まるまでもないと考える』

 

 

 ヒトとは――人間も、喰種も。

 等しく生れ落ちた時より、その命は奪うことを運命付けられている。

 

 己が周囲、その全て。生きるために何を奪い、何を失い、何を喰らうのか――。

 

『すなわち、命とは、度し難いほどに「悪」だ。

 命在る限り、戦い、奪い続けるのだから――その雄たけびに、正義はない。原罪は、消えることはあるまい』

 

 私の言葉に、近くの捜査官は数人、言葉を失っているようだった。この姿の威圧感に恐怖を抱いているのか。はたまた、私の言葉から何をしようとしているのかを考えているのか。 

 

 だがね……私は約束してしまったのだよ。

 

 その言葉に合わせて言うのなら――何があっても、私は悪であり、彼の人もまた悪なのだと。

 

 

『私は「悪」だと自覚する。君達も「悪」だと自覚する。

 ならば、答えは決まっているだろう?』

 

 

 

「、う、う、うああああああああああああ――ッ!」

 

 数人の捜査官が、勢いに任せて発砲した。だがそれに対して、私は特に態度を変えるつもりはない。否「代えてはいけない」。それは私に、この名を渡した彼に対する裏切りであり、また私が繋いだ次の彼に対して、背中から撃つことになりかねない。

 

 だから、嗚呼、私は名乗ろう。

 

人間(君たち)喰種(私たち)のため、私もまた戦おう。仮面ライダーとして(私なりの立場で)

 ……、ライダースパーク』

 

 赫子を展開し、放射状に射撃する。一撃一撃の威力は致命傷にはなりえないが、だからこそそれが、彼らの継戦力に打撃を与えうる。

 

 命までは奪うまい。

 腕や、足の一本や二本――意識の一つや二つ、覚悟こそしてもらうが。

 

 前線の捜査官たちは狂騒状態になる。その奥に佇む「嘘つき」を、私は遠くから睨んだ。

 

 

『……』

「そんな怖い顔しないでくれ。……仕事だ」

 

 

 いつかのように、彼はそう言って微笑むばかりだった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「っ――――」

 

 

『――緊急速報です! これより20区の××××区画には大規模な警戒網が張られ、立ち入り禁止区域に指定され――』

『――対象は、20区にある喫茶店で、喰種の巣窟である可能性が――』

 

 大丈夫なの?

 これやべぇんじゃねえか?

 俺、家、帰れねぇよ……。

 ここも危ないんじゃないの?

 マジかよ、立ち入り禁止って。

 

 

  

   ※

 

 

 

『――繰り返します! これより20区の××××区画には大規模な警戒網が張られ、立ち入り禁止区域に――』 

 

「嗚呼~ ……、感動の再会とはいかないか。『お父さん』」

 

 

   ※

 

 

「ぅ――――」

「へ、ヘタ、ヘタレックスッ」

 

『――対象は、20区にある喫茶店で、喰種の巣窟である可能性が――』

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 やれやれ全く、こちとら損な役周りが多いんじゃないですかねぇ、芳村さん。

 まぁ、それもこれもこの魔猿様を信頼してのご鞭撻なんでしょうけど。

 

『いくぜお前ら、腕訛ってねぇだろナ?』

『――あなた達、私のために死になさい』

 

 おぉ、怖ッ!

 

 俺の言葉に「(エン)」が応じるのはまだわかるけど、カヤの一言に応じるあっちも大分訓練されてるよなぁ、全く。言葉だけじゃどんなクラブだよって感じだぜ。

 しっかしあっちの中にはマスク越しとはいえ、懐かしい顔もちらほら居たりして不思議な感じだ。

 

 ほんの十年だかちょっとそこら前くらいまで殺しあっていた俺達が、今じゃ一緒に心中しようってんだから、世の中何がおこるかわかったもんじゃねぇけどな。

 

 さて、と。

 きっと芳村さんは、アラタの坊ちゃんのせいで「殺すことが出来ない」。だったらその負担を軽減してあげるのが、出来るお供ってものだぜ。そこのところはカヤもわかっているのか、俺と同様、全員、一切の躊躇なく「殺していた」。

 

 芳村さんのスタンスは、「助け合い」だけど、あくまで細かい裁量は「個人に任せる」ものだ。

 

 だから俺達が殺したって、特に何か言うこともない。強いて言えば、あのヒトもこの状況下であって、なお殺さないっていうスタンスを持ち続ける事の歪さを理解しちゃいるんだ。

 でも、それでも曲げないのはきっと信念か。あるいは矜持か。

 

 ま、俺もカヤも手下根性っていうか、お供みたいな気位が育つには十分な年数、あんていくに居た訳だ。今更そこに何か言うこともない。結構楽しかったからな。あれはあれで。

 

 いや、カヤに関しちゃ黒犬(狗だっけ?)「二代目」リーダーだし、元々そういうのはあったか。

 

 さて、お供としてやるからには、こちとらプロ根性見せないといけねぇよな――。

 

 

「16、17小隊全滅!?」

「相手は梟だけじゃなかったのか? 奴ら一体――」

 

 

 おいおい、なんだもう十年そこら顔見せしなかっただけで、俺らエテ公共の顔を忘れちまうってか、人間様たちは。

 

 仕方ない、こりゃ最後に伝説残すしかねぇかな?

 首もいで転がすだけの簡単なお仕事だ。じゃんじゃか逝こうじゃねぇか、てめぇら――!

 

 

『――ほいっと!

 さぁ、次――』

 

 

 

 ――ハイアー、

 

『――ハイアーマ』「マ――――――――――――――――――――――――――――――――――――インドッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」

『おわっと!』

 

 

 

 なんじゃこりゃ、ビーム? ビームなのかッ!?

 

 男心くすぐられる砲撃は、もちろんクインケから放たれたモンだ。それに巻き込まれて、どっかの料理店で副店長まで上り詰めた部下の一人が、粉々になって吹っ飛んだ。それだってぇのに仮面の下は笑ってて、口の端っこにケチャップの跡みたいなのがくっついてるのが今更ながら笑えるぜ。

 

 そうさな……。伝説残すんだ。涙なんざ、似合わねぇよな。

 

 気が付けば()の口調も少し昔に戻り始めていた。

 

『オイオイオイ、随分カッコイイんじゃねぇノ……?』

 

 俺の軽口に、当然と言わんばかりにヒゲの捜査官はのっそのっそと歩いてきた。しっかし何だろうねぇ、濃いぜオッサン。ちょっと髪型とかが自意識過剰な気もするが、あえて何も言うまい。

 

「近頃、害獣が多くて困るねぇ……」

 

 ごう、とでも鳴るようなものすんご鼻呼吸。

 

 

「――――とっととお山にお帰りなさい、お猿さん共(マカカ・フスカタ)ッ」

『――――生憎、コンクリートジャングルが故郷なもンでねぇ』

 

 こっちだと、俺は地下鉄の方に目の前の相手を誘導する。

 

 特に理由がある訳でもないが、単に長年の戦カンだ。

 まぁ強いて言えば、カヤとかの方に爆散しちまったら邪魔だろうとい、この魔猿様の配慮ってこともあるがな。

 

 おう褒めてくれ。褒めてくれても良いんだぜ?

 

 誰にともなく心中吐露せども、俺の頭は目の前の相手をどう仕留めるかに集中していた。

 

 

『――ハイアーマイン』「マ――――――――――――――――――――――――――――――――――インドッ!」

 

『おいおいオッサン、電子音に被らせるの止めてやれいや』

 

 

 何とかモードって言ってるのは聞きとれっけど、何モードなのかてんでわかんねぇよそれじゃ。

 っていうか前から思ってたけど、漫画か何かか? 武器どころか人間さえ、叫んで攻撃してるしねぇ。

 

 そんなことを言うと、ヒゲの捜査官はふふんと笑った。

 

「おおマンキー、これはコミックショーだ! 娯楽喜劇だ!

 我ら正義の人間様が、害獣共を圧倒的に蹴散らし、平和が戻ってハッピーエ――――――――――――――ンド!」

『もはやマインド関係ねぇじゃねえか』

 

 えーんど、とか言いながらまーたビーム撃ってきやがる捜査官。

 

 しっかし遠距離じゃらちがあかねぇな。そう考えて接近すれば、目の前で明らかに、真っ赤な光の膨張ときた。

 

 遠距離はマーインドビームに、近距離はマーインドグレネードってか?

 さっすが特等、伝説残すに不足ねぇな。

 

 だが! この魔猿、勝機見たり!

 

「なんと我が『ささやき』をかわすとは――」

『ささやきってレベルじゃねぇよ! かっけーけど!』

 

 しっかし問題はカヤだな。現状、俺は割と余裕っぽいが……、お前、俺より弱っちぃから心配だぜ、オイ。

 

 地下から心配を向けたところで、その先たる地上のことなんて、てんでわかりはしなかった。

 

 

 

 

 




 
 
 
「――君達は、無益に捜査官と争っている。何かしら因縁がある訳でもないそれは、きっと必ず、意図しない形で悲劇を生む。止めなさい」
「――俺様を魔猿だと、知ってケンカ売ってるんだよな、ああ゛!?」
 
 思えば、芳村さんと交した最初の会話なんて、こんな酷いモンだったように思う。
 この粋がったエテ公に用意されていたのは、あっけないくらい簡単な敗北だった。
 
 まぁ、こんなもんかとも思った。今まで所構わず、猿なのに狂犬みたいに牙向いて、襲いかかって。挙句の末路がこんなクッソ下らないオチっていうのも、まぁ俺らしいかねぇと思って、気取って。
 
 でも、いつまで経っても最後の一撃は振り下ろされなかった。
 
 ――少し、ゆっくり話をしてみないかい?
 
 そんな言葉で、俺は芳村さんの店……、まだ開店したばかりの頃の「あんていく」に連れて行かれた。中では「憤ッ!」とか言いながら和服の喰種が、家財道具なんかをトンカチで組み立てていたりもしたっけか。
 
「私は……、人間の世界で生きてみたいのだよ」
「人間の世界で……? そんなに、力があんのに」
「力はあるさ。だが力だけで守れないものもある。守れないものも、あった。
 ……だから、その術を知るべきだ。我々はきっと。そして初めて、君のその渇望するような戦いへの執着も、決着するのではないかと思う」
 
 特に理由はなかった。強いて言えば、長年の戦カンだ。
 このヒトの目指すものが見て見たいと、俺は直感的に感じた。だからこそ、芳村さんの差し伸べた手をあの日、俺はとった。
 
 
 
 ――楽しかったよな、あんていく。
 
 
 
 俺の言葉に、カヤは「ええ」と微笑んだ。
 
 
 


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#078 吐露/因果/執拗/到着

 

 

 

 

 

 ヒナミが寝静まっているのを確認して、私は部屋を出た。

 クロナはニュースが始まるより前に「珈琲買ってくる」と言って、一旦マンションを出ている。だから、私が気を遣うのはヒナミだけで十分だった。

 

 そして、外へ向けて家の扉を開ける。

 

 目の前には……、四方さんが立ちはだかっていた。

 

 

「どこへ行く」

「……ッ、四方さ――」

「荷物を詰めろ。出るぞ」

「……店長たちは?」

 

 私の言葉に、四方さんは首を左右に振った。

 

「……見殺しにするの?」

「……あのヒトたちが決めたことだ。元々、お前達には黙っているつもりだったから。

 不満か? だったら、あの数相手にお前は戦えるのか? そんな、喰種として弱った身体で――」

 

 いつか私がカネキに言ったような台詞であって、そしてそれはカネキなら絶対に言わないような台詞でもあった。元々、四方さんは依子と私の付き合いをあまり良く思ってはいなかった。

 わかってる、そんなこと。

 いったって力になれっこないなんて。

 

 でも……、でも。

 

「だからって、ただ逃げるなんて――!」

「死にたいのか? トーカ。せっかく、研と一緒になれたのに」

「それは……、でも、」

 

 なんで四方さんが知ってるのかなんて、気にならないくらいに私は焦っていた。死にたくなんてない。そんな訳ない。研と一緒に学校行って、勉強して、遊んで、ケンカして、依子とかとも紹介したりして、そして、いつか……!

 だけど、だけど、だけどそれじゃあ。

 

 

「でもそれじゃ、古間さんやカヤさんは、死にたがってるっていうの……ッ!?」

「……落とし所だ。あいつらは――」

 

 いつもそれを探していた。

 

 四方さんは、何一ついつもと変わらず続ける。

 

「あんていくで働きながら、時々、言っていた。多くの命を奪ったことが。犯した罪が。平穏な世界で生きれば生きるほど、自分を蝕んで行くと。

 芳村さんと出会って、その意味を理解したからこそ――消えない罪は、どこかで落とし所をつけなければいけないと」

「……ッ」

「罰を欲していた、と言えばいいか?」

「…………だったら、私たちだって――」

「そうじゃない。……考えろ」

 

 四方さんは、言いづらそうに、それでも必死に言葉を紡いでいた。

 その分、普段より饒舌に見えたけど、でも、だから四方さんもどこか無理をしてるように見えた。

 

「『あんていくは助け合い』。作ったのは芳村さんで、守ってきたのはあの二人だ。それこそ、俺なんかが拾われるまでもなく。アラタが店を尋ねにくるまでもなく」

「……! 四方さん、なんで、お父さんのこと――」

「だから、考えるんだ。……二人が、なんで引かないのかということを」

 

 そんなの、そんなの、状況からすれば考えるまでもない――。

 

 生きろっていうの? 私達に。

 

「みんな、みんな、場所も、ヒトも、犠牲にして」

「全てがなくなる訳じゃない」

「でも……、だって――」

 

 カヤさんも、古間さんも。

 

 店長も、みんな、みんな、家族みたいで――。

 

 

 ――お父さん、お母さん……ッ。

 

 

 なんで、なんで全部なくなっちゃうのよ。身を隠さなきゃいけないってことは、必死で覚えたことだって、友達だって、あの、大切な毎日だって、もう――。

 

 依子……。

 

 失いたくないよ。もう。

 

 空回りでも何でもいいから。なくさないように、なにかしなくちゃいけないって焦るしかないじゃないか、こんなの……。

 

 

 ……みんな、助けたいよ。

 もう、嫌だよ。

 

 

 ……いやなの――。

 

 

 

 泣き喚けない。そうするだけのこともできない。

 ただただ駄々をこねるように、私は泣いていた。

 

 

 そんな場に――カネキは現れた。

 

 

 

「――あ、良かった。まだ間に合った」

「……ッ」

 

 四方さんに頭を撫でられながら、私はカネキを見上げた。

 久々に見る、変身した後の姿。ただ仮面はつけてなくって――。

 

 久々に見るその頭頂部は、少し、黒くなりはじめているような気がした。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 アラタくんから作られたクインケを、容赦なく振るう特等捜査官。篠原と黒磐は、共にやはり厄介だった。 

 

 あの時とは違い、最初から何やらパワーアップする操作をしている。篠原は力押し、黒磐は速度が尋常ではなくなっている。

 対する私は、今の所は回復で対応できていはいるが、それもどれくらい続くかとうところか。

 

 対する私はと言えば、普段なら「バトルオウル」に装着させている分の赫子を背に纏い、空中へ飛び上がる。地上からはさぞ巨大な羽根が背中にあるように見えることだろう。

 が、真骨頂はそこではない。

 

『――赫者(オーバー)! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

「ライダーキック」

 

 ドライバーを操作し、両足に赫子を集中させながら、私はそのまま地面目掛けて急降下。

 

 交差点全体に「穿つ」ように、鳥の爪のような足で蹴りを叩き込む。

 ヒビの入ったコンクリート、直撃を受けて背骨が粉砕された捜査官たちや、衝撃波でまた身体の一部をやられた捜査官達。

 

 これだけで一網打尽に出来ないのだというのだから、全くアラタくんの赫子には恐れ入る。

 

 

「――ッ」

 

 

 こちらを見る篠原の視線が、尋常でないものになっている。嗚呼、そうだろうとも。間違いなく、私は君達にとって最大の敵だろう――。覆る事は、「CCGが存続している」以上は決してあり得まい。

 

「残念だね。……イワっちょにも美味しい珈琲、ご馳走してあげたかったんだけど――ッ!」

 

 嗚呼、それは適わぬ夢であるだろうよ。私が私の立場である限り。君達が君達の立場である限り。

 

 そうこうしていると、肩に一撃、鈍い衝撃が走る。

 と同時に、仕立ての良い、趣味の良いバイクが爆発四散した。……勿体ない。

 

 

「……かったぁッ」

「什造!?」

 

 速度もある。技術もある。だが力が足りない――。それさえ除けば、CCGの死神に匹敵しうる存在が、この場に現れた。 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 猿も犬も関係なく、地上も、壁も、天井も、どこだって闊歩する光景は中々に酷いものがあるわね。

 それを指揮している犬の頭でありながら、そんなことを思う程度には余裕があった。

 

『姐さん、音が何か変だ――』

 

 空を闊歩しながら、近くでルチがそう話しかけてくる。

 

 とほぼ同時に、数人が撃ち落とされる。 

 

 ビルの屋根の上を撥ねてる私達相手に、いや、私達の今の速度相手にこれだけ滅茶苦茶打ち込んでくるなんて、気が知れないわね。ホント。

 そんなことを思っていると、こっち目掛けてカッターナイフを大型にしたみたいなのが、とんでもない数飛んできた。

 

 避けるタイミングを失った私を、当たり前のようにルチが庇った。 

 

 舌打ちする暇もない。……死に際に「リオ」と言っていたのが聞こえて、なんだか私は複雑な心境になった。

 ただ、それでも優先事項は「できるだけ多く道連れに死ぬ」こと。

 

 ルチの死体を盾に使い、私は地面まで降り立った。

 

 欠けた仮面から見える視界。こちらを見下ろすように睨む男が一人。

 

「よ――う、(イヌ)

 

 見覚えのある顔。わんわん、とからかう様に言いはしたけど、ちょっと今相手するのはキツいかしら。

 鉢川忠。階級は、あの時からすれば大分あがったようね。

 

 蹴りを入れればクインケで防御するけど、胴体がら空きなのは相変わらず。

 それをサポートするみたいに髪のすさまじく長い女の子が懐でクインケを振り回してるけど、あれくらいなら余裕で抜けられるわね。

 

 こっちに勝機はあるけど、問題はあの猿ね。 

 円児はもう死んだかしら。アイツ、私より弱いから。

 

 赫子を大きく展開して、壁を中継して何度も何度も、執拗にクインケというか「間接」を狙う私に、ハチがキレた。

 

「……ッ、大人しく当たって死にやがれ、イヌッコロの分際でッ!」

『当てる気あったの? ハチィ。そんなんだから――私なんかに殺されるのよ!』

 

 このヒトっころが。

 畜生なめんじゃないわよ――?

 

 そう余裕ぶっこいて、意識が手先だけに集中していたのが悪かったのかもしれない。

 

 気が付くと――本当に気が付くと、全く目立たないような動きで、ごくごく当たり前のように、私の首筋ちょっと先くらいに「刃があった」。

 

 反射的に飛び退けたのは、長年の戦カンかしら。なんていうとお猿さんみたいで嫌だけれど。

 背後で肩を押さえながら「姐さん!」と言うのはルチね。まだ息があったの、アンタ……。良かったのか、悪かったのか。

 

 

 ――もう一歩踏み込めば、首、とられてた。

 

 

 

 村人その2、みたいな目立たないツラして、案外嫌な太刀筋してるじゃない。

 

 

「助かったぜ、平子」

「いえ」

 

 そう言いながら、村人2はクインケを構え直した。直したって言っても大したものじゃなく、動きはなんだか最小限って感じかしらね。

 

 追加で間に合ったイヌ達が、他の捜査官に襲いかかる。

 私は私で、まーたこれが地味なの相手に苦戦させられているという事実が、かなり意外だった。 

 

 ……っていうか、何よコイツ。

 

『――ッ!』

「ふっ」

 

 顔色一つ変えないで、かなり余裕そうじゃない。

 こっちなんて、ヘタに距離すらとらせてもらえないってのに。

  

 というよりも、何かしらコイツ。そこらの准特等なんかより、よっぽど出来るじゃない。

 

 後々まで残ってると、トーカたちが可愛そうよね……。

 

 一人きりで逝くってのも寂しいし――冥途の土産に、アンタの首を――。

 

 

『――ッ!?』

 

 途端、脚部に走る激痛。空中を舞う私相手に狙撃してくるような、空気が読めない輩は一人くらいしか知らない。

 

 邪魔なのよアンタと叫べば、局でも言われてらとハチは開き直って返してきた。

 

 ったく、地味に拙いわね。どっちの攻撃もバカに出来ないってなると、私の出力じゃとうてい射撃で押し勝てるかと言えば――。

 

 ったく面倒くさっ。 

 

 そう思って、団地っぽいところの柵に乗った瞬間。私は我が目を疑った。

 

 ババア。お婆ちゃんなんて綺麗に言ってられるだけの余裕はなかった。ババァがそこに居た。

 人間の。

 

 

 ……はァ?

 

 

 一瞬思考が消える。消し飛ぶ。

 

 ババァは困惑したように私を見て、悲鳴を上げる。 

 でも、そんなものハチには関係ない。アイツは撃つときは撃つ。

 

 ……嗚呼、ったく、何て一日かしら。

 

 

 死ぬまで、恨んでやンだから。クソババァ。

 

 庇って、飛び出て、転がって。 

 

 

 身体に結構被弾して、部下たちもあっという間に、気が付けば私一人だけって状態になっていて。

 

 ……まったくお笑い種ね。今まで正しい選択なんて、できた試しなんてありゃしない。

 

 

 こういう「人間らしい」思考が沸いてくるくらいに、あんていくの日常は平和で、楽しくって……。だから、それが私の首を絞めてるってだけの、そんな話だってのに。

 

 

「あ、アンタ、今、大丈夫かい? 私、庇ってくれたんだよね、ねぇ……」

 

 ババァの言葉なんて、いちいち答えられる余裕も、体力もない。

 再生するとは言ったって、補給する目処なんてないんだ。つまり私の今の状況は、全然芳しくない。

 

 ったく、もっと使う局面もあると思って温存してたのにさ。ババァ守るためにこの私がなんて……。

 

 

「……環境ってのは本当、怖いわねぇ。頭とろけちゃうみたいで」

 

 そのとろけていたのが、すごく幸せだったって。今でも、今だからこそそう思える。

 そんな自分が少し誇らしくて――でも、だからこそ今は歯がゆい。

 

「どいてな、ばあさん。危ないから。

 ……もういいかな。ここで最後みたいだから――」

 

 

 ――感覚を、研ぎ済ませろ。

 

 10秒を、100秒にするかのごとく。

 

 背中の赫子から蒸気が噴出し、私の体内の血流が沸騰するように熱くなる。それと同時に熱に浮かされた思考が、早く、速く、もっとはやくと加速する。

 

 

 時間が止まって見えるとか、そこまで珍妙なことはない。

 自分の中で暴れる力を押さえるだけでも、本当は手一杯手一杯。

 

 でも、だからこそやる意味がある。

 

 平子の部下だっていう糸目にも、ハチの部下だっていう小さいのにも、軽く攻撃しながらハチ目掛ける。

 ハチが攻撃するより先に顔面を蹴飛ばし、空中へ。

 

 加速する思考の中で、段々と、熱に浮かされた自分と分析する自分とが乖離していく。まるで高い所から今の自分を見下ろしているような、冷めた自分がどこかに居た。

 

 

 ――今まで、正しい選択なんてしてきただろうか。

 

 そんなもの、知ったこっちゃないわね。

 正しいとか、間違ってるとか。良いとか悪いとか。そういうの、心底どうでも良い。

 

 もともとそんなもの、あってないようなものなんだし。結局それに意味を付けるのは本人と、見ている誰かでしかないんだから。

 

 ただ、今まで踏みしめてきた選択の後は――それで気づいたことまでは。

 

 気づいた自分の罪までは――あの猿と、円児と一緒に「あんていく」に入った事は。きっとそれはあくびが出るくらいに退屈で、でも、だから。

 

 

 今日、誰かのために死ねるってことは。

 

 

 ……悪い気はしない。

 うん、良かったんじゃないかしらね。

 

 今なら、死んでもいいかもしれない。

 

  

 捜査官たちが何か会話を交わしてる。何言ってるか、あんまり聞き取れなくなっている。

 ちょっと気合入れすぎたわね、耳が遠いわ……。

 

 とりあえずあのバ……、おばあさんは避難させてもらえるらしいってのは、良かった。

 あの様子だと、耳、遠かったのかしらね。全く……。

 

 

「……イヌッコロは、野良犬みたいに野垂れ死ぬのがお似合いだ。

 あばよワン公」

 

 嗚呼、それにしても本当に終わりみたいね。

 仮面なんて完全にどっか行っちゃってるし。その眉間目掛けてクインケ構えてるし。

 

 この状況から自力で脱出できるだけのパワー、もう残っちゃいないわよ。

 

 

「……先、逝って待ってるわよ」

「『喰種(畜生)』にあの世はねェよ――」

 

 

 

 ――科学的には、どっちもどっちですけどね。

 

 

 

 そんな場違いな声が、場に響いた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 正直に言えば、私は円児に憧れた。
 もちろん、お山の大将をしていた頃の猿にじゃない。あんていくに入って、何事にも全力投球で当たる円児がだ。
 
 こんなこと、普段は絶対に言ってやらないけど。言えば調子乗って煩くなるし。
 
 実際、私があんていくに入ったのは円児よりも後だった。
 その頃には、あんていくの常連客の認識は「私」より先に「円児」が来ていた。そのうち私目当てのお客さんとかも出て来はしたけど、そんなお客さんでさえ円児のことは煙たがらず、むしろ元気を貰っていた。 
 
 はっきり言って、それは、ちょっと悔しかった。
 
 芳村さんが言っていた事を、きっちりと実践していたのだから。それでいて鼻を鳴らして笑う、あのひょうきんな顔が、まぁそれはそれは面白くもあったのだけど。
 
 でも、羨ましくもあった。
 
 お客さんから、人間からも信頼を勝ち得て、それこそ文字通り、普通の店員って感じになっていて。
 とてもじゃないけど、こうまで真っ直ぐには私は出来ないと思わされた。
 
 だから、ついつい張り合ったり嫌味言ったり、色々遊んだりして、早十年。……十年、か。
 
 思ったより、時間が過ぎるってはやいものよね。全く。
 
 今じゃ円児と二人で古参だもの。
 そんな私でも、芳村さんと円児には気を遣われていたし、今でも遣われていることが、結構ある。自分では気づかないところで、あの猿は進化しているらしい。
 
 ……全く、何というか。
 
 冷めてる自分が居る私と違って、きっと円児は、ずっと情熱を燃やし続けられるのだろう。だから、いつまでも全力で物事に当たれる。
 
 それが、やっぱり羨ましくって。
 
 
 
「――俺は、いい女だと思ってたぜ? 初めて会ったとき、俺様の顔面、鼻っ柱に蹴りを入れた時から」
 
 お陰で丸くなっちまったと笑う円児に、私は、今の状況であっても肩をすくめた。
 
 ……そうね。なんだか色々、言いたい事もあるけど。
 でも、アンタにそれを言われるのは、案外と、悪くないかもしれない。
 
 もちろん、そんなこと言ったら、そっけなく返すんだけど。
 
 
 
 
 


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#079 街臨/指限/道引

 ――同刻。
 

「……誰も来ないな」
 一人の”死神”が、東京の地下で少し寂しそうに呟いていた。


 

 

 

 

 

 高田、アクアビルディング。僕とヒデとがかつて喰種のニュースを見ながら会話を交した場所。

 大々的に破壊されて、まるで「内側から何かが膨張して破裂した」かのような破損は、一年近くたった今でも修復されきっていない。

 

 その止まった作業現場のクレーン、頂上から僕は20区の駅方面を見ていた。

 

「……」

 

 音が聞こえる。聞こえて欲しくない音が聞こえる。

 

 ヒデもちゃんと避難してるだろうか。こういう時にまで好奇心を優先しないとは思うけれど、そこまで確度がある訳でもない。今は……無事を願うしかないかな。

 

 ドライバーを取り出し、腰に当てる。

 赫子の”手”が腰に巻きついたのを感覚的に感じ取ったとき、背後から声をかけられた。

 

 

「――クソ冴えねぇツラしやがってよ。お前、そんな馬鹿だったっけ」

「……西尾先輩」

 

 よ、と言いながら、彼は僕に缶コーヒーを投げてきた。それを手に取ると、先輩は「ほら」と隣を指差す。

 何となしに隣にいって、僕と先輩は座った。

 

 ブロンディのカフェオレだった。確か、先輩のおすすめだったっけ。

 

「よく見えるよな。あんて、ってか駅前」

「はい」

「……四方からさっき連絡あった。ジィさん達みんなで、引きつけるって」

 

 見ろよあの数、と西尾先輩は笑う。「死んだのだけ集めて、ちょっと珈琲出してただけじゃねぇかよ。なぁ」

 

 笑う横顔はいつも通りのようにも見えたけど、でも、同時にどこか空虚なものにも感じられた。

 

「……こーして終わってくんだよな、日常って」

「…………」

「突然とかは言わねぇぜ? そんなもんだろ。

 当たり前だって思ってたものが、ある時急に崩れちまって。

 終わる時は、長く感じてもきっと一瞬だ。……一瞬だ」

「……」

「ったく、ムカつくジィさんとか、先輩(ヽヽ)たちだよなぁ。ああしてクソみてぇに大量に死体が転がりゃ、誰が死んだかなんざ分からないだろうし」

「……きっとこのまま、僕たち皆が姿をくらますのが、あのヒトたちの望みなんでしょうね」

「こちとら後味最悪だぜって。タク、クソみてぇだ」

「いつもより多いですね、それ」

 

 言いながらも、僕は、どこかやりきれない。芳村さん達らしいとも思う。それを受け入れるべきだという思考も、確かに存在している。

 でも――それじゃ嫌だという自分の声が、どうしても、どうしても押さえられない。

 

 四方さんはたぶん、トーカちゃんの方に回っていると西尾先輩。

 何をするかわからないからというのは、それなりに同意だった。

 

「……あんていくの戸棚の奥に、使われてないカップがあったんですよ」

「……?」

「あれはきっと、……生き別れになった娘さんのためのものだったんじゃないかなって。

 考えちゃうんですよ。店長は、きっと待ってたんだろうなって。人間も、喰種も関係なく。ただただ、ずっと――」

 

 爆発音が上がる。よく見れば白いフードに赤い仮面の喰種が、リーゼントっぽい髪型の捜査官を連れて地下に向かっていた。

 

「……西尾先輩は、どうするんですか?」

「バックれるに決まってんだろ? 今行ったらそれこそジィさん達、犬死だ。

 後、まぁ……、貴未に会い、行かねぇとな」

「……」

「そう簡単に頷いちゃくれねぇだろうが、ババァになるまで放っておく訳にもいかねぇしよ」

「……僕が、」

「何も言うなよ。今更グダグダ言うんじゃねぇ。誰も、後悔なんざしちゃいねぇよ。

 …………なぁ、カネキ?」

 

 本気で行くつもりなのか、と。西尾先輩の問いに答えず、僕は立ち上がる。

 

「……何も出来ないのは、もう、嫌なんだ」

「……」

 

 

 

「――行かせぬよ」

 

 

 

 背後からかけられた声は、月山さんのもの。

 

「あの数が、見えぬと言うか、君の目に? 君には……ッ! 君に、何かあったらどうするんだい……ッ!!」

「……でも、行きます」

 

「――だかああああああああら行かせまいでかああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!」

 

 月山さんの絶叫が、響く。

 

 一撃一撃を交しながらでも、僕は、月山さんの目から目を逸らさない。

 狂気に触れたようなその態度であっても……、月山さんの目は、潤んでいた。

 

「僕の、僕の家の力でも! 人脈でも! どうしようもないのだよッ! 家を買うのも違う、土地を転がすのも違う! 人間を食べるのでもない! 打つ手がないことくらい、考えればわかるだろおおおおッッ!!!」

「ただ、そうであっても――」

「僕がァ!!! 君を食べるのを邪魔するのは誰であっても許さない! 例えそれが君自身であったとしてもッ!!!

 許可、し、な――」

 

 カツラは飛び、マスクは転がり。

 

 距離的には、大分追い詰められつつある。

 

 そんな月山さんの最後の一撃を、僕はかわさず、そのまま正面から受け止めた。

 赫子の”手”は、リゼさんのそれは、何一つ態度を変えずに、月山さんのそれを受け止めた。

 

「……月山さんも、巻き込めません。貴方の家は、大きいのだから、きっと多くのヒトに慕われて、今の月山さんがあるんでしょうから。

 でも――止めてくれて、ありがとうございます」

「――ッ」

 

 止めていた”手”が、月山さんの赫子にヒビを入れ、彼の腕から引き剥がす。赫子が剥がされたという事実に大きく目を見開き、そして、そのまま彼は地面に倒れた。

 本当ならまだ戦えるだろうに。

 気づいてしまったのだろう。何をやっても、僕は折れないのだろうと。

 

「行かないでくれまいか――ッ」

 

 終始、目を合わせ続けたからこそ――。

 

「……少し、もらいます」

 

 月山さんの赫子を少しかじって、僕は背を向ける。

 そしてそのまま振り返らず、僕は西尾先輩に言った。

 

「――先輩、泣かせないように頑張ってください」

「……一字一句、そっくりそのまま返すぞ」

 

 少しだけ肩をすくめて、僕はビルを飛び降りた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 カネキが、研が、私の目の前に現れた。

 変身した姿は、少しだけ、以前のあいつを取り戻しかけてるようになっていて。

 

「――あ、良かった。まだ間に合った」

「……ッ」

 

 そんな研が変身解除して、浮かべる笑顔を見て、私の中の何かが、最大限の警告を発した。

 

 このまま行かせちゃいけないと。これは――お父さんの時と同じだと。

 

「研……」

「少し、時間を貰えますか? 四方さん。そんなにはかからないつもりなんで」

 

 そう言って研は、私の手をとって、軽くお姫様だっこ。いつかのようなその体勢のまま、軽々とマンションの壁に赫子を突き刺して、上って行った。

 屋上に着くと、私を隣に下ろして。そのまま研は、私の顔を見た。

 

「……何よ」

「いや、そう怖い顔しないでって。ほら」

 

 ぐい、と私の目元を軽く拭う研。涙が流れ落ちるそれをはらって、そのまま、見ていてすごく安心するような微笑を浮かべた。

 言葉とは、正反対のように。

 

「……行ってくるよ」

 

 たまらず、また私の視界は滲んだ。

 なんで、なんでアンタが行くっていうのよ。だったら、私が――。

 

「わがまま、言っていいかな」

「……?」

「帰り、待ってて欲しい」

 

 私の手をとって、両手で包むように握って。研は少しだけ目を伏せて、言った。

 

「分かってると思うけど、今回は、だいぶキツいと思う。それこそ、何かの拍子に『死んじゃう』くらいに」

「……わ、わかってんなら、何で私だけ――」

「だから、待ってて欲しいんだ」

 

 研は、手を離してそのまま、私を抱きしめた。今までのハグの中で、最も強い感じのハグだった。

 

「最後の最後で……、生きたいって思えないと、たぶん、駄目なんだ。だから、お願い」

「……」

「トーカちゃんが待ってるって思えば、たぶん、諦めない。

 トーカちゃんを一人に出来ないって思ったら、きっと、どんなにボロボロでも立ちあがれる――」

 

 気が付けば……、少し研の手が震えているがわかった。怖いのか、それとも、私にこんなこと言うのが辛いのかは知らないけど。

 

「――トーカちゃんに『お帰り』って言ってもらいたいから、それなら、きっと僕は生きて帰って来れる」

「――んなこと、言われたら、待つしかないじゃん……ッ」

 

 声も視界も、気が付けばぐしゃぐしゃになっていた。

 

 ハグを解いた研を見た。いつもみたいに笑っていた。それが、本当にいつも通りすぎて――逆にそれが、安心できなくって。

 

 もう、色々、かまいやしない――。

 

 研の顔を手でロックして、私は、いつか以来に口びるを重ねた。カネキの息が詰まる音が聞こえるのと一緒に、私は目を閉じた。

 

 時間にしてどれくらいかなんて、わかったもんじゃない。ただ自然と、自分で納得するまでその姿勢でいた。

 手を離して、顔を離して、少し上目遣いに研のことを見る。

 

「……て、照れてんじゃ、ねぇよ」

「……いや、ちょっと、うん。勿体なかったかなーって」

 

 寂しそうに照れながら笑う研に、私はつい、悪態を付こうとして。でも、それも泣きながらだから、震え声のまんまで、まともにしゃべれてなかった。

 

 私は……、小指を立てて言う。いつかリオとかにも言ったように。でも、それでもリオとかの時とは違うように。

 

 

「約束、は、しない主義なんだけど」

「うん」

「でも、絶対、帰って来て」

「うん」

「帰ってこなかったら、ぶ、ぶっ殺すから」

「う、うん」

「帰ってきたら――たたじゃ、おかないから」

「……どっちにしても大変そうだね。でも、うん」

 

 

 からめられる小指に、私は願掛け。どうか、どうか研が無事、帰ってこれますようにと。

 古間さんも、カヤさんも、店長も――例え誰一人助けられなかったとしても、せめて、せめて研だけでも帰ってこれますようにと。

 

 指切ったして、研は立ち上がり、ドライバーを腰に当てる。

 

「じゃあ、しばらくは四方さんによろしく」

「うん」

「――変身」

『――鱗・赫ゥ!』

 

 響く電子音と一緒に、研の全身は黒い、身体にフィットしたような格好に変化してく。胸元には肋骨を思わせるアーマー。背中は赫子で覆われて真っ赤なそれ。

 顔面は、女の手みたいな赫子が丁寧にマスクを装着して。

 

 姿勢を低くして、今にも飛び降りようと構える研。

 

 そんな研に声をかける。少し不思議そうに振り返るコイツに、私は、出来る限り笑顔を浮かべて、言った。

 

 

 

「――行ってらっしゃい、頑張ってね!」

「――頑張る。じゃあ、ね」

 

 

 

 そんな会話を交わして――私は、研の背中が見えなくなるまで、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 場違いな言葉を言いながら現れたのは、カネキくんだった。

 

『――甲・赫!』

「ぶ――」

 

 さも当たり前のようにドライバーをいじって、両腕を覆うように出現した巨大なガントレットみたいなのの片方を飛ばして、ハチをぶっ飛ばして。

 

 何というか、それでもわざわざクインケ越しに殴って、ハチよりもクインケの破壊をメインにするあたりは、カネキくんらしいのかしら。全く……。

 

 悪い子ね。お姉さん達の言いつけ、守らないで来ちゃって。

 

 

「何、しに来たのよ――」

「古間さんは、安全なところに先に退避させました」

 

 カネキくんは言う。あの猿が調子に乗って、特等相手に一人で立ちまわろうとしていた時に、トチって、腹に風穴開けられて。

 

『貴様ら猿ごときに、我々ホモサピエンスが負けるはずもないのだよ! ぬ? おお、制圧したのか、ナイスジョブ富良くん!

 さて、我々も第一フィナーレといこうか――』

 

 本当にギリギリのタイミングで乱入したらしくって、でもそれでも相手のクインケをバラバラにしたとか何とか。

 

『すみません。遅くなりました』

『カネキくん……、ふふ、君の腕が魔猿のゆりかごになるとはね』

 

 相変わらず、調子が変わらないわねあの猿も。

 

「状況的に、古間さんから『アイツ俺より弱いから』と言われたのもあって、急いでこっちに来ました」

 

 あの猿ッ!

 今度あったら、またぐ……、覚悟しておけこのヤロウ。

 

「聞いて。これは、逃げてどうにかなる戦いじゃないの。みんな覚悟して戦ってるの」

「わかってます」

「だったら――」

「わかってるから――死ぬなんて許しません」

 

 体勢を立て直して店長を助けに行くとか。もやしっこの文学青年だったのに、全く何を無茶言ってるのかしら。

 冗談でしょ、今の状況がわかっているの? そんな質問をすれば、

 

「――冗談なんかで来はしません」

 

 トーカちゃんの代わりにも、と小さく付け加えていたのは、思わず少し笑わせて貰った。

 全く……。仕方ないわね。ウチのお子様達は。

 

「……手前三人、近接タイプ。小さいのは動きが速いけど一撃が軽い。攻撃は正確だから致命傷はさけて。

 糸目はパワーが少しある感じ。手数も多いし機転も効くから。

 一番厄介なのは、あの地味顔。なんの特徴もないくせに、普通に強くなってきた奴よ。たぶん」

 

 奥で伸びてるのは流れで殺しちゃっても許すわ、と言うと、カネキくんは「何かあったんですか?」と少し困ったように聞いてきた。

 まぁ、昔ちょっとって感じよね。色々あって、熱いキッスかまして、そのままべりべりひっぺがすくらいには因縁があるけど、まぁ教えるような話でもないし。

 

「……気をつけて」

「ありがとうございます――」

 

 

『――羽・赫ッ!』

 

 

 カネキくんの首筋から、マフラーみたいに赫子が伸びる。

 それと同時に、気が付けば彼は敵の渦中に。

 

 ――ねぇ、カネキくん。

 

 一瞬気づくのが遅れて対応が間に合わない。そんな奴ら目掛けて、赫子を鱗赫に切り替えて凪ぐ。結構、面白いように一網打尽に出来そうなものだけど、そう簡単に行かないくらいには糸目の方は手馴れてるわね。

 

 ――あなた、可哀想よね。

 ――強くならなくっちゃ、いけなかったってことは、それだけ沢山傷つけられてきたってことだから。

 

 ――それでもなお諦めないで、強く在ろうとして。滑稽で、でも、それでもだからこそ今立っていられるんだから。

 

『――甲・赫!』

 

 さっきのグローブとは違う。赫子が右手に巻き付いて、先端が刃のように変化する。

 それを見て驚くこともなく、地味顔は対応する。

 

 でも、もう一方にまでは対応できていなくって。

 

 ――強いって、悲しいわよね。

 ――いつだって、誰かの代わりに。誰かの想いを背負わなきゃいけないんだから。

 

  

 二つの赫子に弾かれ、円運動するように、地味顔の持っていたクインケは空中に投げ捨てられた。

 

 

 

   ※

 

 

 

「……もう勝手になさい。あなたのせいで計画むちゃくちゃ」

「あ、じゃあみんなでまた新しい計画、立てないとですね!」

「なーに喜んじゃってるのかしら、この坊やは……」

 

 僕の反応に、入見さんは面倒そうに頭を左右に振って。そして、振り返りながら言った。

 

「ルート、V14。地下周り、少しくらいは四方くんから聞いてるわよね?」

「はい」

「じゃ、わかるわね。そこまで行けばたぶんもう来ないでしょ。そこで落ち合いましょう。

 ……芳村さんの居る本隊が、わかってると思うけど、一番危ないわ」

 

 入見さんは、忠告するように言う。喰種でも恐れおののくような、特等達がわんさかと居ると。

 

 それでも、僕は行くのだ。彼女の言葉に頷き返し、そして、再度ドライバーを操作する。

 

 

 距離事態は、もうそこまで離れていない。大通りの交差点を、三つ、四つまたぐ程度の距離だ。

 だからこそ短期決戦を見込み、僕は赫子を羽赫にあわせている。

 

 体感速度がそこまで上がるわけではないけれど、無力化するのには案外と使える。

 

 まだ完全に形成は出来て居ないらしいけど、この場においては最も重宝する赫子だった。

 

「クソ――」「足狙え! 動きを止めるんだ!」

「だ、駄目だ、早すぎる……!」

「なんなんだあの喰種は……ッ!!」

 

 クインケの弾丸を射出する銃を蹴り壊し、僕は倒れる彼を見上げた。……失禁されたのには目を瞑って、再び速度を上げ――。

 

 

 

『――リコンストラクション!

 アラタG3! フルアタック!』

「――ッ!」

 

 

 

 そんな僕の側面から、見覚えのあるバイクが突っ込んできた。見覚えのある大型のバイク。ただし下方から「クワガタの顎」でも連想させるマフラーが、いや、マフラーのような刃がこちら目掛けて突き出している。そんなものが高速で、空中のこちら目掛けて突進してきていた。

 

 とっさにベルトを操作して、甲赫で受け、弾き飛ばされる。

 

 その場で体勢を立て直し、ドライバーのレバーに指をかけ、その相手を見た。

 バイク型のクインケにまたがり、こちらを見る――亜門さんを。

 

 

「……通しては、くれませんよね」

「……嗚呼、駄目だ」

 

 

 僕と亜門さんは、静かに、微笑んで、言葉を交した。

 

 

 

 

 




 
 
 
 雨が降っていた。
 
 夜を通して降った雨が、朝日と共に上がった。
 口を半開きで倒れる月山。目の前に、西尾が缶コーヒーを置いた。
 
「涸れんぞ? って、聞いちゃいねぇか。
 ……どうしたもんかねぇ、こりゃ」
 
「――おっつおっつ、お疲れ~」
 
 唐突に、西尾に声がかけられた。億劫そうに振り返れば、己の腹よりちょっと上くらいの身長しかない、少女と形容すべき女性が現れた。髪は短く、どう見積もっても小学生にしか見えない容姿である。
 誰だと問いただすと、彼女は当たり前のように「そこで転がってる月山くんの、半分保護者」と言った。
 
「おお、大分重症だねぇ。もう終わっちゃったみたいだけど……、はいはい、どうどう。棒っきれみたいなのはガマンね~」
 
 倒れる月山の頭の近くに座り、投げ出した足の上に涸れの頭を乗せる。そのまま髪をすきながら、上る朝日を見つめていた。
 
「ホリよ……、何故、カネキくんは、いってしまったのかね」
「行きたかったからじゃないかな」
「何故、ああ無謀なことも、わかっていただろうに……」
「……それがもしわかるのだとしたら、私と月山くんの関係も、今とはちょっと違った感じになってたかな~。そこは、残念なところでもあり嬉しいところでもあるから、私の口からは言わないでおくよ」
 
 首からぶら下げたカメラのレンズを磨きながら、片手間に答える少女。
 そんな彼女――掘ちえに、月山は問うた。
 
「ホリ……、教えては、くれまいか。
 『美食』とは、何かね?」
「それ、私に聞く? 知らないよそんなの。自分で考えな? でも、そだね、ヒントはあげよっか――」
 
 
 ――君は、食材のために命を燃やせたのかい?
 
 
 彼女の言葉に、月山は目を閉じて、何も、言葉を返せなかった。
 西尾がそんな様子を見ながら、コーヒーに口を付ける。
 
 やがてビル街を照らす朝日へ、掘はファインダーを向けた。
 
 
 


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#080 沿夜/矜持/可門

地下――
 
「誰か来た、か。――蒸着」
『――ナルカミ! リンクアップ!』


 

 

 

 

 場所や、立場や、状況は大きく異なる。だがこうして、相見えることになると、否応にでも俺は真戸さんの元に向かった際、ハイセに止められたことの記憶が思い起こされた。

 もっとも、あの時とは立場は逆だ。

 ハイセが向かう側で、俺が止める側。

 

 皮肉な縁を感じ、思わず俺は苦笑いが浮かんだ。

 

 ――行かせてはくれませんよね。

 

 そう確認をとる彼に、俺は、当たり前のように答えた。だが、本来なら答えるまでもなかったろう。合い見え、こうして顔を合わせてよくわかる。俺達は、立つ立場が異なっている。だからこそ、その立場においての「矜持」で決して譲れないものがあるのだ。

 

 一定時間が経ち、アラタのリコンストラクションが解除され、バイク状態に戻る。

 

 対峙する俺とハイセ。背後の隊に「待て」と手で指示を出し、俺は彼と向かい合い続けた。

 

 

 言葉は、やはり交さない――。

 

 

「……行かせては、くれませんか」

「……出来ない相談だ」

 

 ハイセは、不意に口を開いた。だが、その望みをかなえてやる事は俺には決してできない。

 

「今、僕の周りから、奪われようとしています」

「……お前達を放置しておけば、俺も、そして誰かからも、また奪われる」

 

 俺は誓ったのだ。守るべきもののために、立ち上がり、力を振るうと。例え俺の中にどれだけ迷いが残っていたとしても、その根本が変わる事だけは決してないのだと。

 

 ハイセはしばらく押し黙り、すっと、左手に何かを持って、こちらを睨んだ。

 

「――――わかりました」

 

 そして取り出した、赤いダイヤルの付いた装置――以前俺が、暴走する奴に付けたその装置を、己のバックルの左サイドに接続した。

 ダイヤルのナンバーは、1。

 

 すかさず、俺もアラタのレバーを一度開き。

 

 

「「――ー―変身!」ッ!」

 

 

『――鱗・赫!』『ゲット1!』

『――アラタG3! リンクアップ』

 

 

 響く電子音に合わせ変化するハイセの姿は、いつか見た赤と紫のパーカーコートを羽織ったような姿に変貌した。

 対する俺は、もう着慣れはじめて来ているアラタを、いつものように身にまとう。

 

「アラタ……?」 

 

 一瞬、ハイセがこちらの電子音を聞いて、その目を大きくした。だが「……そっか」と呟いて、頭を左右に振ると、その驚いた様子がまるで嘘のように、恐ろしげな表情をしていた。

 走り出すハイセに、俺はクラを起動し、構える。

 

 片方のクラを投げると、ハイセはそれを腕で受け流す。赫子の相性のせいもあるだろうが、クラは刺さることもなくすんなりと彼にかわされた。

 そんな彼目掛けて、袈裟から切るようにもう片方のクラを振り下ろす。二段構えの一撃。

 ハイセは、これを正面から四つの赫子で受けた。背部から出現した、人間の手のようなそれが、クラの先端、俺の手元付近とを左右から白羽鳥する形で防ぐ。

 

 そのまま、ハイセのドロップキックが俺の脚に――ッ。

 

 ライドチャージを使用すれば、かわすことなど一瞬だ。だがそれをこの時点でして、もし時間が切れたらと考えれば、自ずと使う気にはならない。

 

 必然、見た目からは想像もつかない威力の蹴りであったとしても、俺は無理やり踏ん張る必要があった。この程度で折れるわけにはいかない。……痛覚からすれば、アラタを通じてこの威力なのだから、おそらく直撃すれば骨折は必須だろう。

 

 倒れなかった俺を見、少し驚いた様子のハイセ。

 そんな彼に、こちらも意図的に蹴りを、腹に見舞う。

 

「――ッ」

 

 弾き飛ばされたハイセは、空中で体勢を立て直すと上手いように着地し、俺から距離をとった。あちらもあちらで、全身に張りついたような赫子の上から更に赫子をまとっているせいか、手ごたえが薄かった。

 気を抜けばジリ貧になるな、これでは――。

 

『――羽・赫ッ!』

「ッ」

 

 分析をしていた俺目掛けて、ハイセはドライバーを操作して急接近してきた。その速度はさっきのようなものではなく、まるで俺がライドチャージしている時のような「不自然な」速さと言って良い。

 そしてそのまま、ハイセは俺の手首を狙い、赫子を――より正確には「クラを持っている手から落とそうと」、攻撃をしかけた。

 

 ……舐めるな!

 

 この期に及んで無力化が前提であるというのは、予想はしていた。だがだからこそ、本当に殺さないつもりなのだろうからこそ、俺も決して手は抜かない。

 ハイセに攻撃を受けた、腕を覆うアラタの装甲。あえてハイセの攻撃を受け俺はクラを手放し、奴の腕を掴む。

 

「な――っ」

『おおおおおおおッ!』

 

 この距離ならば、追加装備も関係あるまい。

 俺は今度こそハイセの腹部に、力強く一撃。握った拳で奴の腹を殴り、腰の筋肉の全運動で奴の身体を遠くに飛ばした。

 

 転がりかけたハイセ。そのまま落下するかと思われたところを、赫子を使って無理やりビルの壁でバランスをとり、こちらを見下ろしていた。

 

『行かせはしない』

 

 状況は互角。一見すれば俺の方が優勢に見えるかもしれないが、そもそも「アラタを使って互角」という時点で、底が知れている。間違いなく、ハイセのレートはA以上からSS並だろう。

 

 そんなコイツを、行かせるわけにはいかない。俺の後ろには、五里や、滝沢や、真戸さんも、アキラもいる。

 

 その奥に居るだろう梟の元へ行こうものなら……、おそらく戦局は変わる。変えられてしまう。たった一人の乱入によって。

 

『お前一人のせいで、多くの悲劇が見逃されることになるのだとすれば――』

 

 だからこそー―例え(カネキ君)が、守りたい物があったのだとしても。俺は、俺の守りたいもののために、矜持を貫く。

 

『例えそれを阻むものが――仮面ライダーであったとしても!』

『――リコンストラクション!

 アラタG3! フルスタンプ!』

 

 俺の身体から、アラタが一度剥離し、空中でガジェットモードになる。

 その途端、ガジェットモードの側面が烈火のごとく染まり――。アラタを地面に突き立て、輝く側面をハイセに向けた。

 

 ――途端、ガジェットモードのアラタの側面から、幾重にも、ワイヤーのような赫子が射出される。

 

「ッ!」

 

 相性的には鱗赫を出しているハイセに対し、こちらの方が優勢ではある。だがそれも、あくまで数の問題だ。

 

 突然の攻撃に、ハイセは対応が一瞬遅れる。赫子の手がアラタのワイヤーを打ち落としはするが、まだまだ時間が掛かっている。必然、数発はハイセの胴体を貫く。赫子の、しかも甲赫のワイヤーだ。もはや相性も関係ない常態において、いくら喰種といえど並大抵の腕力でそこから逃れるコトは適うまい。

 

 だが――。

 

「はああああああああああッ!」

『――鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 蹴りではなく。ハイセは己に刺さった胴体のアラタに対して、ベルトを操作した。

 その結果、傷口から赫子が爆発するように、アラタのワイヤーを分断する。無論、彼も無傷ではない。だが高速状態を解除したことが、彼にとっては重要であったようだ。

 

「強いな……、アラタさんは」

「……知り合い、だったのか?」

 

 少しだけですけど、とハイセは肩をすくめる。

 

 ハイセはそれ以降、黙ったまま、動かない。まるで俺がアラタを着るのを待っているかのように。

 

「……ッ、変身!」

 

 再度アラタを装着。装着中も、当たり前のようにハイセは動かなかった。

 クラの半分を手に取り、俺は、ハイセに向かい――。

 

「――ッ!?」

 

 そして、ハイセの赫子の手は、クラのもう片方を握っていた。俺の握っていたクラと奴が持つクラが、共にぶつかり合う。

  

 手に走る痺れに、一瞬俺の動きが鈍る。

 それを見越してか、ハイセは俺の右腕を蹴り上げた。空中を舞うクラに、ハイセの赫子が深々と刺さる――。

 

「……まだだ!」

 

 クラがなくなろうとも、例え手足をもがれたとしても。戦えと、俺は偉大なる先人に教わった。

 だが――体格の問題もあるだろう。ハイセは俺の腕の動きに合わせて背中をこちらに向け、左肘を「アラタの隙間」目掛けて叩きこんだ。

 

 アバラの折れる感覚は、久々に味わう――。

 

 それでも威力を調節されたのか、肺には刺さってないらしい。

 膝を付くと、いつの間にかハイセの赫子がドライバーをいじり、俺の変身を無理やり解除していた。

 

 痛みに呻く俺を、ハイセは振り返るように見下ろす。

 

「終わりです」

「……ッ」

 

 言いながら、次第に距離がとられていく。その遠ざかる背中に俺は無力だった記憶が思い起こされた。

 

 ――張間を、止めることができなかったこと。

 ――真戸さんの元へ、向かうことが出来なかったこと。

 ――ドナートの凶行に気づくことができなかったこと。

 

 ――仮面ライダーに、結局お礼を言えなかったこと。

 

 様々な感情が廻り、視界がにじむ。それでも

 

 

 

「――亜門、上等~~~~!!」

 

 

 

 そんな状況に、地行博士の声が響く。

 足を止めちらりとこちらを確認するハイセ。俺は、思わず博士の方を見た。

 

 車から投げられたのは、アタッシュが二つ。一つは白い、見覚えの在るアタッシュ。そしてもう一つは、青に銀で「X」と書かれたそれ。

 

「お待たせしました、前に言っていたドウジマの改良型と、アラタG3拡張ガジェット! その名もキメラ - X!

 付属の制御装置をアラタG3のものと交換して、さぁ変身だ!」

「!」

「戦局がヤバいっていうのはアキラちゃんから聞いた! 出来たてでテストもまだだが――使ってくれ!」

 

 とっさに俺は言われた通り、キメラXの制御装置とアラタG3の制御装置を付けかえ。展開されたレッドエッジドライバーに、キメラXの制御装置を装てん。

 

 立ち上がり、双方のハンドルを手で押さえ、勢い良く閉じた――!

 

 

「――変……、身ッ!」

『――アップグレード!

 アラタG3-X! リンクアップ!』

 

 

 瞬間、再度展開されたアラタに、キメラXが絡み付くように展開していく。通常のアラタの装備をより機能的に、スマートにしたような姿に変化したそれ。胸の中央にはアラタの制御装置と、肩にかけて縦横断する「X」の模様――。

 

「その姿……っ」 

『……これなら、いける!』

 

 ドウジマのアタッシュを拾い上げ、俺はハイセに向かって走る。 

 

 新しいドウジマに、制御装置はない。キメラXに使われている制御装置に組み込まれているからだ。

 だからこそこの変身した状態で、ドウジマのアタッシュについてるナンバースイッチを押す。

 

『――ドウジマ・ケルベロス!』

「おおおおお――――!」

 

 変形したドウジマの姿は、もはや以前のそれとは大きく異なる。展開時にランス状になったそれが、更に変化。途中で折れ、ランスの先端が分割。腰に抱えるガトリングのような形に変化。弾装は一つか。

 それを走りながら、俺は射撃――。

 

『――羽・赫ッ!』

 

 ハイセは赫を切り替えて、再び移動速度を上げようとした。だが、今回に限ってそれは下策だった。

 羽赫同士なら激突しようともある程度耐久できると考えたのだろうがー―だからこそ、ドウジマの一撃を喰らい、ハイセはその場で足を抱えた。

 

「……ッ、まさか、甲――」 

 

 その通りだ。射撃するクインケの大半が羽赫である中。ドウジマに追加された射撃モードの機能は、つまり甲赫の弾丸を射出する機能だった。

 

 弾切れだ。だが、それでも十分効果はあった。

 

『――リビルド! ドウジマ・ランス!』

 

 形状を変化させた上で、俺は再度、ドライバーのスイッチを押した上でハンドルを閉じなおす。 

 ハイセは、その状態でレバーを操作した。

 

「『おおおおおおおおおおおお――ッ!』」

 

『――ゲット1!『鱗・赫ゥ! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』シンクロライドッ!』

 

『――マキシマム・リコンストラクション!

 アラタG3-X! ドウジマ・ランス! ゼロスティング!』

 

 走る俺とハイセ。真っ向から対峙し、共に、攻撃の態勢をとる。

 両足に装着された独特な三角の装置が変形し、踏み込みの一歩が何倍にも強化されている。そのせいで、俺自身の認識よりも加速してハイセに接近する。

 対するハイセは、空中で飛び上がり、丁寧に回転。

 

 蹴りの体勢に入るハイセ。その両足めがけて、背部の赫子がドリルのように集まる。俺は先端が「渦を巻く」ように展開しているドウジマを、奴の身体から「少しだけ逸らして」――。

 

 ――ハイセの蹴りは、俺のドライバーに当たった。

 

 ――俺の突きは、そのままハイセの腹部を大きく抉った。

 

 

 ハイセの最後の動きは、どこか、躊躇したものであった。瞬間的に視線が交差したからこそ、俺には理解できた。

 戦っていた時の彼の視線は、おおむね鋭い状態で固定されたいた。だがしかし、蹴りをかまそうとしたその時だけは、どうしても、どうしてもというように、あの時、語り合った金木研そのものの目をしていた。

 

 

 ……嗚呼、やっぱり君は仮面ライダーということか。

 

 人間である俺を殺すのに、躊躇があったということか。

 

 

 そしてそれが、結果的に状況を大きく左右した。

 レッドエッジドライバーの破損で、アラタの変身が解除される。

 

 欠損した腹部を押さえながら、ハイセは這うように、歩こうとしていた。

 

 あの状態でも、まだ、まだ戦おうというのか、君は――。

 

 

「早く、行かないと――」

 

 

 勝敗で見るなら、大きく俺に傾いて決着がついたと言える。

 背後で部隊から、駆除するなら今だと声があがる程度には、今のハイセは満身創痍だった。だが――。

 

「僕が……、僕じゃなくても、いいから……。

 誰でもイイから……、店長を、古間さん達を――ッ」

 

 泣き声の混じったような。

 時折血反吐を吐くような。

 

 そんな声を上げながら、なお前進しようとしているハイセ――金木研。

 

「帰るんだ、みんなで――ッ!」

 

「君は……、強いな」

 

 この状況でも、なお。あの重症でもなお、彼は、彼自身を失ってはいなかった。その目は焦燥こそあれど、あくまでも、根底は正気を失ってはいないらしい。

 

 そんな彼に、俺は――。

 

「通すわけにはいかない」

 

 ハイセの隣に行き、そして、彼にだけ聞こえるように――。

 

 

「……金木君。君は――もう休んでくれ」

 

 

 ……見ていられなかった。

 思わず口から漏れた言葉に――破損したマスクから覗く顔に。今にもくしゃくしゃに、何もかも決壊していしまいそうなその顔に、俺は「人間として」、そんな言葉を投げかけていた。

 

 

 

  

 

 ――そして、俺の右腕が消し飛んだ。

 

 

 

 

  




 
 
 
 あんていくに入って、一月くらい。
 東洋史のレポートをかき終えた僕は、あんてくに向かっていた。シフトがある訳ではないのだけれど、強いて言えば何となく寄りたくなったからだ。
 
 そして、トーカちゃんがお皿を割る瞬間に遭遇した。
 
 ……気まずい。
 
「……何見てんだよ、帰れっ」
「ま、まぁまぁ……」
「…………何よその目。皿割った上に八つ当たりしてるんじゃねぇって感じの」
「い、いや、そう荒々しくはないと思うんだけどなぁ」
「あ゛? って、大体アンタだって割るときは割ってるでしょーがッ!」
「ごもっとも。あー、じゃあせっかくだし、片付け手伝うよ」
「へ? ……あ、うん」
 
 困惑したように、トーカちゃんは頷いた。
 この状況のままはお客さんの邪魔にもなるし、早いうちに片付けよう。
 
 奥から掃除用具を持ってくるトーカちゃん。それを受け取って、二人で皿とカップの破片をはいて集める。
 
 流石に二人でやったからか、そう時間はかからなかった。
 
「……よし、もう破片ないわよね!」
「たぶん」
「何で断定しないのよ」
「いや、僕、研修中だし」
「クソカネキ……。って、何しに来たわけ? そういえば」
「あーえっと……」
 
 そこでふと、僕はある約束を思いだした。
 
「……珈琲、一杯ご馳走してもらおうかなって思って」
「あ゛?」
「ほら、前に言ってたような……? 夜、家まで送って行ったとき」
「……嗚呼、」
 
 アンタがまだ人間の時にか、とトーカちゃんは納得したように頷いた。
 あの時のトーカちゃんは、敬語で礼儀正しくって、しっかりしていそうという印象が強かったっけ……。今はそれに加えて、ちょっと荒っぽくって意地っ張りというのが追加されているけど。
 
 しぶしぶという風ではあったけど、トーカちゃんは一杯いれてくれるらしい。
 
 そしてふと、僕は店内を見回して思った。トーカちゃんに、僕も時折お皿を割るけど、これって結構一枚あたり高い食器だったような記憶があるから……?
 あれ、あんていくってどのくらい儲かってるんだろう。
 お皿割っちゃって、お店の経営にダメージないのかな?
 
 そんな話を、珈琲を入れて来てくれたトーカちゃんにすると、彼女もまた首をかしげた。
 
「そーいえば確かに不思議っていうか……。ねー店長、あんてって黒字?」
「……ふふ。そうだね。まぁ皆が助けてくれるから、成り立ってるかな」
 
 ぼんやりとした回答に、僕もトーカちゃんも煙に巻かれたような感じがしていた。
 
「まぁ、難しいことはもう少し大きくなってから考えなさい。今は目の前のことに集中してよう。そうすれば、いつかそれが、次の何かにつながるさ」
 
 店長の言葉の意味は未だによくわかるような、わからないような。
 
 でも――沢山失敗しているらしいトーカちゃんが入れた一杯は、店長のとは味が違ったけど、美味しいコトに変わりはなかった。
 
 
 


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#081 死堪/終雨/溢渦

 
 
 
「ったく、眼帯の喰種だ? 梟に猿にイヌに。
 最終決戦かっての」
 
 そのうち怪獣でも出てくるんじゃねぇか? と丸手さんが悪態を付くのを聞きながら、俺は周辺の状況をまとめていた。
 眼帯の喰種――片方の目を、まるで「見られるとまずいから」隠しているような、そんな奴は。今丁度、亜門さんと戦ってる最中だ。
 状況は、亜門さん有利。
 
「喰種、こっちに来たりしませんよね」
「そん時は遺書の出番だな」
「マジっすか……。あ、ちょっと表の方に、確認行ってきます」
 
 すぐ戻れよ、と声をかけられた。
 それに軽く応じながら、俺は走る。
 
 
「怖ぇな――」
 
 
 正直にそう呟きながらも、それでも、俺は走った。
 走る以外に、もう、選択肢はなかった。
 
 
 


 

 

 

 

 

 亜門さんのランスと、僕のキックとがそれぞれ激突し。僕は亜門さんの変身を解除させるに至った。代償として、右のわき腹から胸に向けて、いくらか大きくえぐられるような――それこそ「リゼさんの赫胞」に大きくダメージが入るような、ダメージを受けながら。

 

 このまま、つかまるわけにはいかない。

 亜門さんの言葉からは、明確な敵意こそなかった。とすれば、おそらく僕は収容所につかまる事になるのだろうけれど――そんなもの、今、ここで殺されることと大きく違いはない。

 

 店長たちを助けに行き、また、みんなで帰る。

 そのために僕は、今ここまで来たのだ。

 

 一歩間違えれば、トーカちゃんを悲しませるかもしれなのに――。

 

 貫通した腹は、再生しない。原因には心当たりがあった。あの、ランス状のものから展開された、渦を巻くようなそれは、瓶兄弟の赫子。かなり強力な尾赫。

 相性的なこともあり、僕がこうむったダメージも大きかった。

 

 変身解除こそしていないものの――鯱さんによって入れられたヒビが、店長が修復したそれが、よみがえり悪化していた。

 

 

 店長は言った。この状態のベルトで変身するべきではないと。何がおこるか分からないと。

 

 ただ、そうであっても、今の僕に変身解除して、投降するという選択肢はない。

 

 

 歩けない。歩きたくても。

 それでも、歩かなきゃいけない。

 

 無様に這い蹲りながらも。滑稽だと笑われながらも。

 

「金木君。君は――もう休んでくれ」

 

 亜門さんの言葉が耳に聞こえる。

 やはりというべきか、あの時点で既に彼は察していたようだ。そこまで積極的に隠していたわけじゃない。アオギリ戦に加えてあんていくの情報を照らし合わせれば、ハイセ=僕であるという結論に至るのは、そう難しくもなかったはずだ。

 

 亜門さんは、悲痛な声を出して僕にそう声をかけた。

 

 それはきっと、捜査官として――人間として、彼が僕にかけてくれた気遣いだろう。

 

 

 それが、たまらなく嬉しく。そして今同時に、たまらなく悲しい。

 

 

 喰種全般に憎しみだけを向けていた彼が、対立しているはずの僕に向けてこんな感情を向けてくれることが嬉しくて。でも、それに身をゆだねることが、決してできないのが悲しい。

 

 無理やり立ち上がろうとして、僕は――。

 

 

 

 ――ののん、のん、

 

 

 

 そしてそんな声と共に、僕の目の前に太い腕が落下して来た。

 

 アーマーの所々装着されたそれは、はじけ飛んでなお握られていたクインケの制御装置の形状は、きっとアラタさんのに違いない。とすれば――その腕は、亜門さんのものだ。

 

 瞬間、焦燥で遠くなっていた感覚が、自分の身体に帰って来る。わき腹、内臓にかけて走る「致命的な」痛みと共に、はっとして、隣の、亜門さんの方を振り返った。 

 

 

 腕があった場所を呆然と見ながら、膝から崩れ落ちる亜門さん。

 

 

 そのはるか後方――捜査官たちから銃やクインケを向けられているのは、奇妙な喰種だった。

 

 

 

「――のん、のん、のん、ぎふてっと◎」

 

 

 奇妙な言葉遣い。言ってる言葉も、何ら要領を得ない。

 

 その相手は、喰種は。

 鎖の砕けた手錠をした長い両腕と。

 少しでも身をよじったりするごとに「にちゃ」とが「ぐちゃ」とか肉や血液が噴き出すような音を鳴らして。

 クインケドライバーに、背中にドクロと、木を模したマークの描かれたマントを身に纏って――。

 

 真っ黒な髪をした、「まぶたのない」少年の喰種だった。

  

 その喰種と、僕の目が合う。その瞬間、どうしてだろう。なぜか僕は、その顔に何かデジャブのようなものを感じた。

 そして、喰種は僕を見て叫んだ。

 

「たぬき!」

 

 ……意味がわからない。

 

「たはや~~~~~、()ッ! ()!――」

 

 長い腕で捜査官の持つ銃をへし折り引き寄せて首に喰らい付きながら、喰種はわけのわからないことを言う。

 

「――げた、たて↑」

 

「な、何だあいつは――」

 

 亜門さんの言葉に、彼は銃撃をものともせず、肉を引きちぎって死体を地面に転がせ。

 租借し、飲み込み、両手の指を自分の口に入れて、頬を左右に引っ張った。

 

 

「い、お、あ、え?」

 

 

 ……彼は、完全にこちらの理解を上回った行動をとっていた。

 

 転がっている腕から制御装置を手に取り、亜門さんは少年の喰種の方に歩こうとする。

 

 店長を助けに行きたい。でも――あの喰種は、放置しておいたらまずい。

 直感的にそう感じ取り、僕も立ち上がろうとして――。

 

「……君は来るなっ!」

 

 亜門さんが、こちらに怒鳴り散らした。

 

「な、何で――」

「君は来るべきじゃない。もう戦えないだろう」

「ッ! そんなこと言ったら、亜門さんだって……!」

「俺は……、ドライバーの予備が、まだアラタの中に一つ、あるっ」

 

 大きなケース状のクインケ――トランクを二つ積んだような大きさの「アラタG3」というらしいそれが、亜門さんの足元に、カートのように走行しながら移動してくる。

 その上部を開けると、中から確かに亜門さんは、もう一つ、変身するのに使っていたバックル状の装置を取り出した。

 

「だが『金木君』、君はもう戦えないだろう」

「でも――」

 

「俺は――君に人殺しをさせたくないんだ」

 

 今の状況。ドライバーの損壊状況まで亜門さんが把握しているかはしらないものの。確かにドライバーが欠損しかかって、満身創痍というこの状況は、あの時、ヤモリの声を聞いて暴走した時のそれに近いかもしれない。

 

  

「ててんのてんちょ~✄」

 

 

 長い腕を交差させ、鋏のようにして捜査官の首を撥ねる喰種。撥ねたそれを手に取り、かじがじと齧りつく様に、数人の捜査官は戦意喪失してしまったらしい。腰が抜けて、動けないヒトも――。

 

「君がもし、仮面ライダーを名乗るのなら……。本当に、人間と喰種の共存なんてものを願うのなら……」

 

 亜門さんはドライバーを装着し、制御装置を入れて。

 

「……最後まで、俺にそれを証明してみせてくれ」

『――アラタG3-X! リンクアップ!』

 

 再び変身した亜門さんのそれは、異様な光景だった。姿かたちはさっき、僕と最後に戦ったときのものに違いはない。だけど、本来なら欠損しているはずの右腕部分に、アラタさんの赫子に絡み突いていたそれが入り込み、あたかも腕の代理でもするように形成されていた。

 

『――そして、いつか聞かせてくれ。もっと、もっと、君の話を』

『――マキシマムリコンストラクション!

 アラタG3-X! ゼロジャンプ!――』

 

「……ッ」

 

 絶叫しながら、亜門さんはドライバーを操作した。

 赫子の両足の装甲が光り輝き、そのまま大きく飛び上がり――。

 

 

『――ゼロドライブ!』

『はああああああああああああああ――ッ』

 

 両足の独特の装置が変形しながら、少年の喰種めがけて片足蹴りを見舞った。

 対する少年の喰種も、ドライバーを操作して何か応戦しているらしい。

 

 僕は、一歩も動けない。

 身体の向きを変えることくらいなら出来たけど、未だ、下半身に力が入るくらいに回復さえしていない。

 

 そんな自分が、たまらなく悔しく――何をどうすることも出来ない状況に、僕は、声もなく叫びを上げた。

 

 

 ――辛ぇよな。

 

 

 そして、僕はこの場で絶対に聞かないはずの――ヒデの声を聞いた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

『……流石に、持久戦は応えるね』

 

 大体十分足らずで終わる事が多かった、と、私は思わず独り言を呟いた。

 

 私と、捜査官達との戦闘は、戦場を少しずつ移動しながら続いていた。どれくらい戦ったか、変身中は流石に腕時計を確認できないので、知るのは諦めるしかないだろう。

 バトルオウルでもあれば、あちらにもデジタル時計を取り付けていたから確認できるはずだが……、おそらく、もう既に四方くんが処分してくれているところだろう。あそこから下手に、バイクをゆずってくれた相手に足がつくと、相手に申し訳がないということもあり、私の一存でバトルオウルは処分することになった。

 

 まぁもともと、私の赫子がなければ只の二輪に違いはない。誰かがバラバラになったパーツを見つけて、上手く再利用してくれるはずだ。

 

 そんなことを考えていると、私に、白い髪の少年捜査官が切りかかって来た。マンションの天井目掛けて、軽々と登ってくるそれは本当に人間業かと目を見張るものがある。有馬くんともまた違う、まるでサーカスの曲芸師めいたそれだ。

 

「――左腕、逝っていいですよー!」

『――ジェ・イ・ソ・ン・13! フルスクラップ!』

 

 ――だが、まだまだ甘い。

 おそらく、彼は将来的に有馬君に匹敵する捜査官になるだろう。なればこそ、後に残した子らのため、私もまた「仮面ライダーの範囲」以上の手加減はしない。

 

『ライダー・スティング』

 

 左手に集中させた赫子をスクリュー状に回転させながら、彼の右ひざ目掛けて、私はそれをぶつけた。一撃で間接が消し飛び、彼の胴体も大きく上空に跳ね上がる。 

 

 不可思議そうな声を出しながら転がっていく彼に、篠原が「ジュウゾウ!」と、おそらく彼の名前を呼びながら駆けて行った。まるで、自分の子供に接しているようなものだと思い、ふと羨ましくもなる。

 

 まぁ、羨ましがっているどころではない。お陰で左肩のブレードは、根元からそぎ落とされてしまった。再生するだけのRC細胞も、補給すらできないので残ってはいまい。 

 後、どれだけ時間を稼げるか――。

 

 篠原に、黒磐に。他にも見覚えのあるのが数人。 

 黒磐の腕を切り飛ばしはしたが、それでもおそらく、ここで私は討ち果たされることだろう。

 

 おかっぱのような髪の捜査官により、ドライバー付近に一撃。

 ジュウゾウというらしい捜査官により、肩の刃は一つ。

 そして、腕を切り飛ばした直後の、黒磐の一撃――。 

 

 備蓄していたダメージと、戦闘で消費したRC細胞や体力が。ここに来て、徐々に徐々に私の首をしめている。

 

 そして篠原の一撃をしのいだ瞬間――まるで騎馬ごと騎手を叩き斬れるような巨大さのクインケが、ドライバーから肩にかけてを、一気に切り上げた。

 

 

 ……ここまで、か。

 

 

 変身が解け、倒れる私の耳に、わずかな歓声と「梟討伐」という通信のやりとりの音が聞こえる。

 何というべきか、既に死に体であることもあって、その聞き取った情報の精査さえすることは出来ない。

 

「篠原さ~ん、お疲れ様です~」

「ああ、待ってろよ、什造。すぐ下まで運んで――」

 

 

 

『――あ~あ、せっかく来たのにこんなタイミングっていうのは、ちょっと嫌だねぇ』

 

 

 

 瞬間、この場の捜査官たちの空気が、凍りついた。

 背を向けていることもあり、状況は詳しく確認できない。だが聞こえる少女のような声は、その悪戯っぽいような雰囲気には、私は覚えがあった。

 

『やっほ~。選手交代ってことで。ここからは、私のステージだ』

「……、君は――」

 

 

「ドライバーオン」

 

 

 彼女のものでない声が聞こえ。そして同時に周囲に、オペラのような音が響き渡る。

 無理に首をひねって確認すれば――フード姿の小柄なシルエットの、その腰に巻きついたクインケドライバーの帯から。帯に沢山存在している口のようなものが、混声合唱でもしているかのように声をあわせて、悲壮な曲を歌っていた。

 

 

「シャバドゥビ、スイッチオンで――レッツ変身」

『―ー羽・赫ッ! 赫者(オーバー)!』

 

 

 顔の横に向けた左手を、右側に運び。そのままドライバーのレバーを叩いて、左腕を横に伸ばすような体勢に。動きとしては腹部を払うような、そんな動作をして、「彼女」の姿は、めきめきと変わった。

 長い身長。黒いコート。私のものよりもいくらか鋭い仮面――。

 

『―ーさぁ、ショータイムだ』

 

 嫌でもひとっ走り付き合ってもらうよ、と。

 隻眼の梟――エトは、捜査官たちに向けて赫子を射撃した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 時間がない。体制を立て直して、入見さんや古間さんたちに相談して。

 店長を助けなきゃいけない。

 

 ――力が欲しい?

 

 守るための力が。一つを犠牲にして、一つを守るだけの力じゃない。両方とも守れるような、そんな力が。

 

 ――でも結局、どっちも守れなければ、どっちも見捨てているのと一緒よ?

 ――滑稽じゃない。結局、嫌がっても嫌がっても、お母さんと同じようなことやってるんだから。

 

 違う。僕は、僕は、大事なヒトを傷つけたりは――。

 

 ――研くんが帰ってこなかったら、トーカちゃんも、みんなも、きっと悲しむわよ?

 

 ――ほら、傷つけてるじゃない。

 

 

 気が付くと、僕はあんていくに居た。

 嗚呼、きっとこれは夢か、幻なんだろう。だってほら、僕の目の前には、高校時代に少しだけ付き合った川上さんが座っていて――僕も、以前の、地毛が黒かったころの自分に戻っている。

 

 彼女は、いたずらっぽく笑いながら。それでも、口調はいつもどおりに僕をなじっていた。

 

『それに、(わたし)だって、悲しいよ?』

 

 川上さんは、まるでその後、僕と同じように年齢を重ねたような姿になっていた。高校一年生の頃の姿でなく――。

 

 目の前に座る彼女は、まぎれもなく「リゼさんだった」。

 

「……状況が、よくわからないんですけど。えっと……、久々にリゼさんの声が聞けたのはいいんですけど、なんで川上さんの姿で?」

『あら、これでも気づかない?』

 

 そう言いながら、川上さんの姿をしたリゼさんは目を細めて、眼鏡をかけて――。そして、本当にそれをするだけで、彼女の見た目はリゼさんのそれになった。

 本当に、それだけしかしていないのに。

 

「いや……、だって、へ? 川上さんって、確か、どこかミッション系の――」

『うん。だから、アカデミーね。安久ちゃん達といちゃついてたみたいだから、気づくかなって思ってたけど。

 私は、元々、人間』

「……」

『聞いたんでしょ? 私が「リゼじゃない」って叫んでいたの。私は―ーリゼの代わりに、リゼに「仕立て上げられた」』

 

 でもまぁ、そんなことはどーでもいいから置いておいて、と。川上さん――いや、リゼさんは、身振り手振りで目の前の荷物をどけるような動きをした。

 

『どうするの? 消耗だってしてるし、私の赫胞もダメージ受けたから、あの赤い装置を使って変身は出来ないわよ? ドライバーくらいなら何とかなるかもしれないけど』

「……」

『誰かを殺して、その肉を喰らうとか。そんなことが出来るようなら、未だに私とこうして話し合ったりなんて出来ないはずだし……。つくづく、因果なものよね』

 

 てい、と。リゼさんは向かいに座る僕の頬を、指でぐいっと引っ張った。

 

『私と喰らいあう関係にならなかったのは、きっと良かったことなんだけど。でも、だからこそ今の状況なのよね。だからこそ、「ここ」でぐっすり休んでから行って欲しいと、私は思うわ』

「……僕は、いかないといけません」

『知ってる』

「だから……、力を、貸してください」

 

 僕は、頬を引っ張るリゼさんの手を、上から握った。

 リゼさんは、おかしそうにくつくつと笑った。疑問符を浮かべた僕に、彼女は、当たり前のように言う。

 

『――「私が」力を貸してなかったら、今頃研くん、拒絶反応(リジェクション)だらけでとっくに死んでるじゃない。私、最初から研くんには力貸してたのよ?

 それに――』

 

 力を貸してくれてるのは、私だけじゃないみたいだし、と――。

 

 

 そんなやりとりをして、僕は、目を覚ました。

 街頭も何もない。でも見覚えはある。東京の巨大な地下は、古い喰種が作ったとトーカちゃんに教わったそれで。四方さんと万丈さんたちの顔が浮かぶのは、こっちで会う回数が多かったせいか。

 

 地下水路とかでさえない。なんでこんな場所に、僕が居るのか――。

 

「――お、起きたか。カネキ。ほれ」

 

 そんなことを言いながら、ヒデは、僕の隣に缶コーヒーを置いた。

 ヒデは、まるで亜門さんたちが着ていたような、要所要所アーマーに包まれたような服装をしていた。まるで――喰種捜査官か、それに関係しているような。

 

「さすがにここまで来れば、捜査官もそうそう来はしないって『三晃さん』言ってたしなぁ。ま、正解っぽくて助かったぜ」

「ヒデ……?」

「時間も十分も経ってないから、そこは安心しろよ。

 ……あ、悪い。俺の缶開けてくれるか?」

 

 ほれ、と。思考の回ってない僕に向けて、左手に持った缶を差し出してくるヒデ。反射的に、僕は手を伸ばし、プルタップを開けてあげた。サンキューと笑いながら、ヒデは、僕の隣に腰を下ろした。

 

 

「ー―ッ!」

 

 

 そしてようやく思考が安定して、僕は飛び撥ねた。

 

 ヒデが、なんでこんなところに? なんで、こんな、ドライバーを付けた僕の目の前なんかに? 

 そして、なんでヒデが片手を差し出して僕に缶を開けてくれと言ったのか。ヒデの右腕は―ー肘から下が、なくなっていた。

 

 導き出せる結論は、多くない。なぜならば、僕の欠損したはずの腹部は回復していて――、この場に、その回復を促せるようなものは何一つ存在していなかったのだから。

 

 口の中に残る、肉のような甘い味の正体は、つまり。

 

「ひ、ヒデ、僕は……、」

「んな、声裏返らせんなってよ。食わせたの、俺なんだから」

「!」

「黙ってて悪かった。実は『知ってた』」

 

 言われてようやく気づく。僕の視界の片方が赤く染まっていることに。

 そんな僕を前に、何でもないようにヒデはいつも通り笑って言った。

 

「覚えてるか? 西尾先輩にボコボコにされた時。お前、あんとき無茶して助けてくれたじゃんか」

「……ッ」

「死んだ振りしてやりすごせなかったっぽくって。で最後はトーカちゃんが乱入してきて。

 ……まぁ、どんな感じの状態なのかって知ったのは、後になってからなんだけどな」

「僕は……、あの後、君を食べようとして、それで、」

「トーカちゃん止めてくれたから、良かったじゃねーの! さすがの女子力(嫁)だわな」

 

 ヒデはまるで、僕とトーカちゃんとの関係が大きく変化したのも、完全に理解してるような口ぶりだった。

 

「あん時、必死になって守ってくれて、あんがとな? いや、軽く言ってるけど割とマジで……ッ」

「……ヒデ?」

 

 腹部を押さえ、ヒデの笑顔が、少し引きつったものになった。

 

「あんていく、あって良かったな。ここじゃなきゃ、お前すーぐ俺の前から姿消してたろ」

「……たぶん」

「だよなー。ったく。

 トーカちゃんも、古間さんも、入見さんも、ヒナミちゃんだっけ? あと店長とか、ロマさんとか、それから、リオも。皆、皆生き生きしててさ。

 俺だけ取り残されたような感じだったけど、でも、楽しそうにしてるお前見てるのは、割と楽しかった」

「……」

「だぁからまぁ、俺は俺なりに出来る事しようって思ってさ。喰種の知り合い作って、何度も拝み倒して、メアドもらってデートして」

「その下り必要?」

「必要だろ! 新密度上げないと全く情報くれねぇんだからなあのヒト! 好感度からっきしだけどよ!

 で、まぁそれだけじゃ足りないってなって、いざって時に何かしてやれるよう、CCGの方の情報も中から集めてみたりよ」

「……っ!」

「と、いう訳でこんなカッコしてるワケよ。どーだ、恐れ入ったか!」

 

 ははは、と笑うヒデ。そういえば、新しく始めたアルバイトがどこでやっているものかなんて、全く聞いていなかったっけ。

 

「でもまぁ、ここまでエクストリーム状況なっちまうと、流石にどーにもできねぇよな」

「ヒデ……」

「あー、謝るなよ? こういうのは、背負い背負われでなんぼだろ。

 トーカちゃんにも言ったけど、どっちか片方からだけじゃ駄目なんだ。喰種側がトーカちゃんだって言うなら――人間側は、俺が立っといてやるよ」

 

 どうして、どうしてそこまで、ヒデは――。

 

「……なんか頭悪そうなこと考えていそうだから、一応言っておくぞ?

 友達のために命かけるやつが居るなら、こっちも同じようにしてやんなきゃ、人生、寂しいじゃねぇか」

「……」

「……ありがとう」

「おう、存分に感謝しやがれぃ」

 

 自然と。そんないつも通りなやりとりをして。僕は思わず顔がほころんだ。

 嗚呼――。僕は、両方の場所に立てている。喰種の側にも、人間の側にも。本当の意味で、ようやく――。

 

「――痛ッ」

「……ヒデ?」

 

 ただ、そんな充足感は、長く続かない。辺りに充満する血の匂いは、てっきりヒデの右手のものだと思っていた。

 でも違った。

 

 ヒデの腹部にも、さっきの僕ほどではないにしろ、風穴が開いていた。

 そこから、血が溢れていた。

 

「ちょっとドジっちまってな。こりゃ」

「ヒデ、あ、あ――!」

「支えるとかいった手前、いきなりで悪いけど、たぶん、俺、死ぬわ。流石にもうどーしょーもねぇだろ。病院も行ける状況じゃねーし」

 

 諦めないでくれと、安直に言うことさえ出来ない。

 僕は、だって、こんな――。

 

「――死のうなんて思うなよ、カネキ」

 

 震える僕の目を見て、ヒデは、いつになく真剣な声を出して言った。その目は、痛みを堪えながらも、明確な意思が宿っている。

 瞳が、燃えている――。

 

「俺は、お前に生きて欲しい。出来れば一緒に生きたかったけどよ」

「……」

「まぁ、リクエストとしちゃせめて、一通り終わったら上の方に死体上げてくれっと助かるかな? 流石に、そこら辺で美女でもない喰種に食われるのもなぁ……」

「……こだわるの、そこなんだ」

「重要だろ?」

 

 いつものように笑うヒデ。調子は本当にいつも通りで。だからこそ、僕に心配をかけないよにという意思がありありと感じ取れて。

 ……だから、僕も、笑った。笑って、頷いた。

 

「……ヒデ」

「何だ?」

「…………出来れば、死なないでね」

「……たぶん、長くても一時間くらいが限界じゃねーかな?」

 

 行って来い、と言うヒデの声を受けて。僕は……涙を拭い、地下を走り出した。

 

 ヒデが居た位置は、亜門さんと戦ったすぐ真下あたりの位置で。そこからV-14に入るまでのルート事態は、そこまで遠くはない。

 

 だからこそ、僕は走って行った。ヒデにもらった力を、出来る限り無駄遣いしないように。

 

 

 そして――。やがて開けた場所に出て。

 

 熟れた花か、果実のような匂いが辺りに充満している。その中心に、ヒトが一人。

 白い服を着た、髪の白い男性で。身体は引き締まっていて、眼鏡をかけていて。両手を背中に回し、腰には制御装置の入ってない、亜門さんが付けていたものと同様のバックル。

 

 顔は少しうつむいていて、表情までは確認できなかったけれど――でも。

 

 

 それでも、その姿に。まるで自分の中にある、パズルのピースが「無理やり嵌められる」ような感覚を抱いた。

 

 

 

 ――店長や、エトさんに傷を付けた存在。

 ――無敗の喰種捜査官。

 

 

「……次、か」

 

 顔を上げたその表情は、少し寝ぼけて居るようなもので。口の端から涎がちょっと垂れていて。

 

 それでも、そんな気の抜けた仕草の一つでさえ、僕は、死を連想させられた。

 

 

 有馬貴将――CCGの死神が、「死」が充満するその中心に居た。

 

 

 

 

 




 
 
 
「あー……、駄目だこりゃ」
「あら、お猿さん。もう充電切れかしら?」
「どうもそうみてぇだな。ったく、この魔猿がこうも一瞬とは」
「一瞬っていうか、気が付いたら終わってたわよね」
「なー。ったく……、カネキくんには、悪いことしたな」
「そうね」
「……芳村さん、大丈夫かね?」
「……」
 
 男と女の声が、薄暗がりに響く。
 
「あのヒト居なかったら、きっと今でも私達、殺し合いしてたのかしらね」
「かね。切っ掛けもなかったろうし。
 ……なぁ、お前、俺にホレてたりしなかったか?」
「……血が足りなくて頭おかしくなったかしら?」
「ハッハハ。俺は……、俺は、いい女だと思ってたぜ? 初めて会ったとき、俺様の顔面、鼻っ柱に蹴りを入れた時から。
 お陰で鼻、丸くなっちまったし」
「……丸かったのは元からじゃなかったかしら」
「うっせ。今だからいうけど、まぁ、そんでお前の男、半殺したりしたっけなー」
「それ言うな」
「……悪かった」
「……過ぎたことよ」
 
 しばらく、沈黙してから。再び声が響く。
 
「……沢山、殺してきたわ」
「……だな」
「芳村さんに、色々教えてもらって、罪を自覚するようになって……。人間がいとしくなればなるほど、どんどんここが、重くなっていって」
「……もっと、早く出会えてたらな。もっと早く、気づいていられれば」
「……」
「……あんていく、さ。楽しかったよな」
「……ええ」
「……最高だったよな、俺達、ザ・先輩コンビ」
「……かしらね、ふふ」
「…………」
「…………」
「ずっと、続いて欲しかったわよね」
「……」
 
 すっと。男が、女の手を握った。
 
「な、何よ?」
「……握っちゃくれねぇか? カヤ」
「…………」
「すっごい、怖いんだ」
「…………しょうがないわね」
 
 握り返す女の手に、男は、少し照れたように笑った。
 
「へへっ。この魔猿、最後は女の胸で死なねぇとカッコつかないからな」
「そこまで許可してない」
「ちょ、そりゃねーぜよオイ!」
「いっぺん死ね」
「どっちにしてもだな、そりゃ。……ったく、最後までキッツいぜ、お前は」
「そういうところが良いんでしょ?」
「否定はしないけどな」
 
 乾いた笑いが響く。段々と、力を失いながら。
 
「……珈琲」
「……もう一杯くらい、飲んでおけばよかったかしらね。せっかくだから」
 
 女の言葉に、男の声は返らない。
 女は首を振り、男の方を見た。
 
「……何、先、逝ってるのよ。ばか」
 
 ぐい、と。息のない男の身体を抱き寄せ、胸に抱えながら。少しだけ意地悪く、女は笑った。
 
「……そっち行ったら、もう少しくらい、優しくしてあげようかしら」
 
 
 それを最後に、声は、聞こえなくなった。
 
 
 
「……」
 
 
 聞こえなくなった声を確認して、死神は、二人の目を閉じた。
 空を見上げる。音も、何もない空間を見上げる。
 
 
「……また、一人か」
 
 
 そう言って、彼は手を後ろに組み、目を閉じて、寝息を立て始めた。
 
 
 
 
 


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#082 複楼/雷行/真化

 
 
 
「黒磐特等、お願いします」
「うむ。……私がついている。皆、暗い顔はするな」
「「「「「……!」」」」」
「特等」
「うむ」
 
 そんな会話を交しながら、黒磐は、部屋の隅に立てかけてある、写真を見た。
 彼と、彼の同期のような、疲れた顔をした捜査官が写真に映っていた。 
 
 写真は、色あせていた。
 
 
 


 

 

 

  

 

 足が、なくなったです。

 梟の左肩もらって、一緒に僕の右足が消し飛んだです。

 

 でも、痛いのはなれっこです。痛くはないです。だから――。

 

「スマン、私のせいだ……。スマン、スマン――」

「痛くないですから、泣いてないで戦ってくださいです。ホラ、だいじょぶですから」

「――止血だけするぞ。

 待ってろ……、すぐ治療連れて行ってやるからな……」

 

 ウイサンが驚いた顔で、取り乱してる篠原サンを見てるです。僕が負傷したって、本部に搬送の準備を依頼してるです。

 なんか、変なかんじです。

 篠原サンのせいじゃないのに、なんで、泣いてるです――?

 

 篠原サンは、すんごい怖い顔して梟に飛びかかっていったです。

 

 そして――法寺サンが最後、梟の身体を斬ったです。

 

 みんな、喜んでいたです。

 篠原サンに、僕も手を振ったです。

 

 そして――。

 

 

 

『――スラッシュ、パニッシュ』

 

 

 

 現れた「もう一人の梟」が、みんなに赫子を撃ったです。

 

 みんな、ぶっ飛んだです。液体みたいな、刃みたいな赫子でなぎ払われ、篠原サンもいわっちょサンも、みんなみんなぶっとんだです。ビルから落ちたりフェンスに激突したり、色々です。

 

 ウイさんだけはこっちに近かったから、あんまり被害はなかったです。

 

 

 なん、なんです? これ――。

  

 

「……隻眼の梟で、お間違えないですよねェ」

『違わないけど。……あんまり気分は良くないから、五手で詰みな?』

 

 

 ビッグ、と梟の肩あたりに付いてる口がしゃべって、赫子が集まって、梟の右手が大きくなったです。集まった赫子が、右手を大きくしたです。ウイさんが「ちょ!?」とか言いながら、タルヒで受け流すです。

 受け流しきれてないです。

 足元ミシって言ったです。顔、すんごいことになったです。

 

 それでも無理やり打ち返して、見た目の大きさ関係なく早い右手の攻撃をかわして、もう一人の梟めがけてタルヒを振るうです。

 

 

「でぃ」「フェンド」

 

 

 それも、どこからか出現した赫子の盾みたいなのに阻まれたです。

 

 これには顔びっくりさせてるです。そしてその盾に穴があいて、タルヒを途中まで通して、膝を使って無理やり叩き折ったです。折れたタルヒの制御装置が、変な音を鳴らしてるです。

 

「も~~~~、超ウケるしかないじゃん!」

 

 ウイさん、爆笑してるです。

 テンションおかしくなってるです?

 

「こ」「ねく」「ト」

 

 そんなウイさんの背後から、地面を貫通して赫子が現れたです。

 それを映画みたいにとんでもない姿勢で避けて、ウイサンはバク転しながら、法寺サンの「ベロさん」を手に取ったです。

 

赤舌(チーシャ)、お借りします――」

 

 

「オウルドラゴン」

『来い、ドラゴン――』

 

 

 どしんと。なんだか怪獣みたいなのが梟の後ろに降って来たです。

 頭がない、鳥の足みたいなのが四つある感じの。グリフォンとかです? そんなものの首のあたりに、梟は飛び乗ったです。 

 

 すると――梟の胸のあたりから、バケモノの顔みたいなのが出てきたです。

 

 それが丁度、首のないそれの頭になって――。梟は、怪獣と合体したです。

 

 

「情報公開して、わざわざ派手に宣伝して――これ釣り出すのが目的だったんでしょう? 局長――。

 バケモノ相手だけど、時間稼ぎますから、早く有馬さん頼みますよ――」

 

 私、これで怖がりなんですから! て、ウイさんは叫んでクインケ構えてるです。

 

 梟がお空に向けて、絶叫して――。

 

 

 

「――遂に、遂に来たか! 隻眼の梟ッ!」

 

 

 そんな風に、ガイコツみたいなヒトが、すごく嬉しそうな顔で叫んだです。

 

 

 

   ※

 

 

  

 端的に言えば、俺達は時間稼ぎだった。

 

「猿共を中央に寄せ付けるな――、ナイスフォローだ美郷!」

「うおおお!」

『――エメリオ!』

 

 キメラクインケのアマツを使って、真戸は俺達に指示を出している。そりゃ、班長補佐ともなればそうもなるだろうさ。確かに。

 でも、そんな後ろから「へばるにはまだ早い」なんていわれちゃ、こっちの立つ瀬はねぇよ。

 

 ただ、目的は一つ。特等方の戦いは、邪魔させねぇ――。

 

 戦闘中、段々と猿の数が減ってきたころ。什造が負傷したって連絡が入った。

 あのバカ……。悪態をつきながら、俺は周囲を見回して気づいた。

 

 真戸が、目を開いてぼうっとしてやがる。

 

 何やってんだって言って、俺らがここをきっちり守ると言ってやると。

 真戸は……、ただ、「嫌な感じがした」と言った。

 

 お決まりのカンか? なんて嫌味を言うような気に、どうしてか、俺はならなかった。

 

 眼帯の喰種と交戦。それ以降、亜門さんの情報は、俺らのほうに流れてはこなかったからだ。 

 そして、そんな中で入った情報。

 

 梟がもう一体――。

 

 梟討伐の情報が入った次の瞬間、そんな話が俺達に更に入ってきた。

 どこかの建物の上で、何か、得体の知れない何かの絶叫するような声が聞こえる。

 

「本部より通達だ。包囲を一旦解除。クインケを持っているものは上に向かえ。我々は、サポートに向かう……」

「……」

 

 真戸は……、何を考えてるんだろう。

 

 亜門さんと雰囲気が少し変わって。法寺さんから「鋼太朗くんも27ですか」とか言われて。そして今、立場のこともあるんだろうけど、真戸は自分の勘よりも命令を優先している。

 俺は……。

 

 

「――真戸、班長補佐!」

 

 

 振り返ったのを確認し、俺は、頭を下げた。

 

「自分は……、眼帯の喰種と対峙して負傷した可能性のある、亜門上等の捜索をしたいと思います――」

「滝沢、お前――!」

「亜門鋼太朗がどうした!?」

 

 五里二等や、真戸の言葉なんて、もう後は聞いてない。

 

 言い逃げするように、俺は亜門さんを探しに、全力で走った。

 

「お前のカンは、ムカツクほど当たるんだよ! 何年主席争ったって思ってんだ!」

「……ッ」

「喰種対策法ォ、序文、第二条!

 喰種対策局職員は! その職務遂行にあたり作戦上、上官もしくは上位者の命令を忠実に守らなくてはいけないィッ!」

 

 忠実に守らなきゃいけない、ってところがミソだ。

 

 真戸の不安は――つまり、俺達にとって大きな、大きな存在の危機を知らせるものだ。だったら、俺一人向かったところで、そりゃ誤差の範囲だ。

 

 

 なにせもし特等たちがやられでもしたら――きっと梟に立ち向かえるのなんて、亜門さんくらしかいないだろうから。

 

  

 亜門さん……。

 

 不意に脳裏を過ぎったのは、亜門さんと真戸が、そろって話している瞬間。真戸は、亜門さんをからかって楽しそうにしていて。

 あんな顔、俺だって滅多に見られないっていうのに――。俺になんか、そんな顔、正面から全然向けてくれなんか、しないってのに――。

 

 

「考えてみりゃ……横顔ばっかだな、俺」

 

 

 正面からの真戸の顔が、全然、思い起こせない。

 

 真戸は――俺の方を向いちゃくれなかった。

 完全、ピエロコースだな、俺は……。

 

 でも……、でも!

 

 亜門さん、亜門さん――死なないでくれ!

 

 

 鼻水も、涙も、拭う暇すら惜しんで。

 いつの間にか振っていた雨の中を、俺は全力疾走した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ただ、立つだけのその姿に、僕は不自然に視線を離せなかった。

 離せばそれだけで、死んでしまいそうだったから? いやそれもある。でも――なぜか僕は、死を連想させる彼の立ち姿を綺麗に思った。

 

 だからこそ、一瞬だけでも、眼下の景色から、意識をそらせた。

 

 

 そこにあったのは――充満する匂いの正体は。

 

 おびただしい数の、”死”。

 腕。足、首、胴体。潰れた顔。泣きそうな顔。笑った顔、痛みをこらえた顔――。

 

 ――目を閉じて、お互いいつくしみ合ってるような、「二人の顔」。

 

「古間さん……、入見、さん――」

 

 一人で、やったのか?

 

 アオギリにつかまっていたとき、少しだけ聞いた覚えがある。CCGの死神と戦う相手は、戦う前から既に敗北が決まっていると。

 冗談か何かだと思っていた。でも――この有様は、もはや、冗談でも何でもない。

 

 あの二人と別れてから、まだ一時間も経ってないんだぞ?

 

 ルート、V14。

 嘘だ、せっかくヒデが、身を犠牲にしてまで僕を奮い立たせてくれたのに。せっかく、二人とも助けられたっていうのに――。

 

 怒りや、戦意や。

 戦うだけの理由は多く合った。でも、それよりも何よりも一番最初に僕の胸に去来した感情は――絶望感ただ一つ。

 

 

「こんばんは」

 

 

 ハンカチを取り出して、ヨダレを拭い。

 死神は、僕に少し微笑んだ。

 

 嗚呼、それだけで理解させられる。次は――僕の番だと。

 

 でも、だからといって「殺される」わけにはいかない。トーカちゃんが待ってるのだから。トーカちゃんを、一人にするわけにはいかない――。

 

「――蒸着」

『――ナルカミ! リンクアップ!』

 

 ドライバーに制御装置を装する有馬貴将。それだけで、地面に突き刺さっていたクインケが分解されて、彼の右腕を覆うように変化する。黄金の鎧の、肩からはツノのようなものが二本。

 

 隣にあったもう一本を手に取り、軽く振るって、彼はこちらを一瞥。

 

 ――出方を見る? いや、後手に回って勝てる保障の方が少ない。仕掛けるなら先制で、奇襲。

 

「ッ――」

『――羽・赫ッ!』

 

 瞬間的にドライバーを操作し、僕は、僕に出せる最高速度で彼の懐めがけてせっきんをしかけようとして――。

 

 

 そして、僕は見た。

 ゆったりした動作で、彼の右手が、ドライバーの右腰に出現したスイッチのようなものを、叩くのを。

 

 

 

『――Hyper・Lightning(ハイパー・ライトニング)!!!』

 

 

 

 ――移動していた僕が、地面に串刺しにされた。

 

 

 

『――Hyper・Lightning・Over(ハイパー・ライトニング・オーバー)!』

 

「――ッ!?」

 

 一体、いつ? いや、何がおこった?

 目の前、僕の目指していた方向からは、既に彼は姿を消していた。まるで、古い映画のフィルムでも無理やりくっつけたような、いびつな合成のような、違和感のある状態だ。まるで、彼が動いた瞬間のフィルムだけが、誰かに切り捨てられたかのような――。

 

 こんなの、どうやって勝てば……!

 

『――Hyper・Lightning(ハイパー・ライトニング)!!!』

 

 身体から抜かれたクインケ。その痛みを押さえながら、僕は周囲を見る。

 

 一瞬だけ、右側の視界に彼の姿が映った。……見間違いでなければ、彼はごくごく自然に「歩いていた」。動きは歩きだった。ただ、その速度は、今の僕の倍とかで効かない。一体、何が――。

 

 何、が。

 

 な、い、あ――。

 

 

 

 左の、複眼におおわれてな、い、しかいが、うちがわかばくは――あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ああ

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

      あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアア嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――。

 

「――アアアアアアアアアアアアアアアアアアア嗚呼嗚呼あ嗚呼あああああああ亜アアアアアア

アアアアアアアアアアア

アアアアああ    ああアアああああああ亜アアアアあああああああああああああああああああ

     ああああ

あああああ ああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ あああ あ あ

ああああああああ あああああああああああああああああ――ッ!」

 

 

 みぎ、から見える。やりが、ひだりから出てるのが。

 ながれる、ながれでる。どろ、どろ、どろ――。

 

頭が内側、にめり込んでる頭が内側にめり込んで、る、頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内、側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側に、めり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる、頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる「あああああああああッ」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる「の、うが」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる、頭が内側にめり込ん、でる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内、側にめり込んでる「右が、ひだりみた」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる「ひだりなんて、」頭が内側にめり込んでる頭が内側、にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる「う、あ、おあ」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる、頭が内側にめり込んで、る「かんがえまと頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる」まらないどう「すれ」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる「ぬ」「抜けば、ぬかない徒」頭が内側にめり込んでる頭が内側にめり込んでる頭が頭、あたま、あたままままままままああああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼アアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッ!

 

「――あ、だ、ア゛リ゛マ゛き゛し゛ょ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!!!!」

『――鱗・赫ゥ! 赫者!』

 

「…………でかいね」

 

あたらないよけるのうまいはやいムカデみみそと頭なかそと出て眼窩ヤモリはやはやい赫子トーカちゃんより早い僕見えないみえてあおpどjbpmけかじゃどlkまぽうぃr93うぃえんfm-230ろんfdskおあえなそねこあまさんいえおあかいないおあsかえしてあぢおあめいおあndぼいあkだうれのえてなch9おあてjんdふぁえ――。

 

 

 ――カネキッ!

 

 

 どこからかひでんこえあきえこえたえ、あぼくはむらえいふぁmどかえるおうきみのあもどとた。

 

「もうむりだよこれいじょうたまあがところけてちあらがでないんど――」

 

 ――まず落ち着きなさい? 何ってるか全然わからないわよ?

 

 かわこみしずくちゃんのこてもあから、えいす、す、すー、すすつく? おすつく? おちつく?

 

 ――なんでもいいから、とにかく。

 

「か、か、か・・・、かれ、あいぬ――」

 

 

 彼は、ヒト(アイヌ)である。

 

 眉毛かがやき、白きひげが胸に垂れ。

 家の外に稲畳をしき、さやさやとしき、荘厳でいて弱っており。

 

 小刀を待ち、研ぎ、わたし深々と目を凝る。

 

 彼は、ヒト(アイヌ)。蝦夷の神、古き言い伝えの神、オキクルミの末裔。

 

 滅びゆく、古きヒト(しかばね)

 

 夏の光、白き日の光を受け。ただ、息をするだけ――――――――――。

 

 

 

「…… 綺麗、だな」

「……はくしゅう、です」

 

  

 

 ぼくのつぶやきに、めのまえのひとはすこしおどろいたように、いきをのんでなにかいった。

 

 そういえば、とーかちゃん、すすめてもよまなかったっけ。

 

 

「……雨、だね」

 

 てんじょうをすこしみ上げて、かれはぼくにいう。

 

「……長いことここに居ると、時感覚が狂う。空の天候もわからない。

 でも、水の音で雨がふったかだけは分かる」

「……」

「……ここは”V”。”V”-14。

 ここから先、『喰種』を通すことは出来ない。君は――どっちかな?」

『――ナルカミ・レールガン!』

 

 

 !

 

 彼の右腕のアーマーは、いつの間にか手持ちのクインケになっていた。武装の中央部分から、電気が放電するようにばちばちと赫子が音を散らす。

 

 瞬間、ドライバーのレバーを操作しようと――『甲・赫!』あれ? 何もしてないのに、ドライバーは音を鳴らして――。

 腹部を見た。

 ドライバーの中央部分は、背中から貫通した穴と一緒に砕かれていた。

 

 

 それでも機能しているらしく、両腕を覆うように赫子がまとわりつく。

 

 とろけてる場合じゃない――何がなんでも、一撃入れないと。

 なんで、あのヒトはさっきの高速移動を使わなかった? ――いや、使えなかったのか? そうだ、彼だって人間なんだ。人間なら、一発攻撃が入れば――。

 

『――IXA! リンクアップ!』

 

 そんな音と共に、彼の全身が黒と金の鎧のようなものに覆われる。頭には、ツノのような、前立てのような――。

 

 走り出す、死神。動きはさっきよりは遅いものの、人間基準で考えれば十分早い。そしてその早さと同時に、既にクインケを構えて、何かしようとしていた。

 

『――リビルド! ナルカミ・ロッド!』

 

 先端が収縮したクインケを、僕めがけて振るう。

 

 肩に一撃受け、そのままトリガーを引かれ。全身に電流じみたものが走り――。

 

 

 それでも、僕は。

 

 

『――鱗・赫ゥ!』

「はああああああああああああああああああああああ――ッ!」

 

 

 特別なことは、しなくていい。

 ただ、ありったけを――ありったけを、目の前の相手にぶつけられれば。

 

 でも、それさえ適わず、彼は右腕を払った。

 

「――自立起動」

 

 両肩のトゲのようなそれが――まるで生きた赫子のように伸び、僕の身体を貫いた。相性の差なんて関係ない。これは、根本的な馬力の違いだ――。

 

 

 

 投げ飛ばされて、壁に叩き付けられ。

 ドライバーのダメージが深刻になったのか、変身が、無理やり解除させられて。

 

 僕を見下ろす、彼は、再び手のクインケから電気を迸らせて、こちらに構える。

 

 

「……」

 

 逆光で、彼の表情は見えない。

 

 僕は朦朧とする意識の中で、その最後の一撃を――――。

 

 

 

 

 ――――カネキさんっ!

 

 

「……!?」 

 

 放たれた電撃は……、僕の目の前で、冷気の壁に阻まれ氷結していた。

 

 

 

   ※ 

 

 

 

『……だから言ったじゃないですか。兄さんのようにならないでくださいって』

 

 僕の頭の中で聞こえる声は、リオくんのもの。

 かすむ視界の中に、見上げる僕の視界に、リオくんが僕を庇うように立っている。

 

 リオくんだけじゃなかった。

 

『俺を倒したんだ。せっかくだしリベンジしてくれよ?』

「ヤモリさん……っ」

『ムッシュの言う通りさ! カネキくん、生きて帰ってきたまえよ』

 

 こういうのも、走馬灯って言うんだっけ……。次々と、僕の目の前に見知った顔が出てくる。

 

『ヒトに女泣かすなって言っておいて、お前その様はちょっとクソみてぇだぞ?』

『姉貴泣かしたら、承知しねぇからな』

(フン)ッ!』

『俺達、待ってるからよ!』

 

 万丈さんや西尾先輩や。月山さんはまだわかるかもしれないけれど。でもその中に鯱さんや、ヤモリが居るのが、不自然と言えば不自然か。

 

『全然不自然じゃないよ』『そうだよお兄ちゃん』

 

 クロナちゃん達まで、どうしてここに居るのか……。

 

『んなもん、考えりゃわかんだろ?』

『まあ、普通は自覚しないから霧嶋さん』

 

 川上さん――リゼさんが、トーカちゃんと一緒にやってきて、僕に肩を貸して、立ち上がらせた。

 

 いや、実際はたぶん赫子が無理やりバランスをとらせただけなんだろう。そんな気がする。でも、なんで、こんなに大勢――。

 

 

『アンタが、今まで喰ってきた奴らでしょ? 全員』

『僕は、飛沫したのがかかっちゃったみたいなんですけど……』

 

 トーカちゃんの言葉と、リオくんの言葉に、僕は確かに理解した。全員、ある一定以上僕の記憶に残っている相手であって、会話を交した相手であって――そして大なり小なり差はあれどたぶん、彼らの赫子を少しでも僕は、身体の中に取り込んでいたのだ。

 

『だから、ほら』

 

 そう言うトーカちゃんに手を引かれて、現れたのは――嗚呼、嗚呼……!

 

『……やあ、久しぶりだね。少年』

 

 アラタ、さん……?

 

 そんな、だって僕は、アラタさんの赫子を食べては――いや。いや? 可能性はある。あの時、地下研究所で戦っていた時。僕は鎧のようなクインケを付けた捜査官を、必死に食べまいと抗ってた。

 だから、もしそうなら――あれが亜門さんの付けていたクインケと同系統のものだったということか。

 

『正直に言って、状況は劣勢だけれど。さて、どうしたものかな?』

 

 アラタさん、僕は……。

 

『僕個人としては、彼が持ってる、電気っぽいのを放つやつは、あんまり相手にしたくはないけど……。トーカたちのためだ。ヒカリさんも、悪態付くくらいで済ませてくれるだろう』

 

 いくら幻影とは言え、こんな。こんな困ったように笑うところまで、一緒なんて――。

 震える僕に、涙を流す僕に、店長が深く頷いて言った。 

 

 

 

『……後、一回は戦えるだろう。私としては逃げて欲しかったところだが……。

 それでも、生き延びてくれ――』

 

 

『『仮面ライダー』』

 

 

 アラタさんが。

 店長が。

 声をそろえてそんなことを言って――。

 

 

 

 気が付くと、僕は立ち上がっていた。目の前の冷気の壁を前に、捜査官は意外そうな様子で僕を見ていた。

 腹部を見る。割れたドライバーの隙間を埋めるように、幾種類もの赫子が――リオくんだったりヤモリだったり、トーカちゃんだったり、本当に色々な色の赫子が、ドライバーを覆っていた。

 

 それを見て、少し苦笑いを浮かべて。

 

 

「――変身」

『――鱗・赫! 赫者!』

 

 

 僕は、ドライバーのスイッチを落とした。  

 

 

 

 

 




 
 
 法寺さんから、梟討伐戦への参加の話をされた。
 20区のメンバーは、全員借り出されるらしい。
 
 俺達全員が出払ってる間は、雨止が局の方に残る手はずになっているらしい。
 
 そして――遺書を手渡された。
  
 
 
 もう、何時間も何時間も考えてる。
 
 久々に自宅に帰って。休みに家に帰ると、母ちゃんが連絡くらい入れてから来いって笑って。愛犬のロッキーが飛びかかってきて。ちょっと大きくなったんじゃないかって笑って。
 
 メシ食べながら、CCGでのことを色々聞かれたりもした。彼女いないのかってのにはうっせとしか返せない。真戸のことは追求すんなって感じだ。そもそも……。

 聖奈……、妹はどうやら大学をエンジョイしてるらしい。一瞬顔見せた時のそれは、あかぬけてはいたけど髪染めて、大分ケバってた。本人は「もっと酷いのいるし」って言って、怒って上に行っちまったけど……。
 
 
 ……隻眼の、梟。特等捜査官をしのぐ戦力。最後に確認された時点で、赫胞はゆうに6、7を超えると予想されている。
 
 23区が襲撃された際、梟と思われる「顔のないバケモノ」が確認。その際、特等を含む編成チームが、有馬特等の到着を待つ間、一人を除いて全員戦闘不能――うち、八名が、死亡。
 
 ……。
 
「……書き直しだな、こりゃ」
 
 
 遺言状と、遺書と。
 昔、近所に住んでた佐藤のおばちゃんが、喰種に殺されてお母さん不安定になって。それで俺、捜査官を志したっていうような昔の話を書いて。
 戻ってこなくても、深く落ち込むなって書いて。久々に食べた手料理が美味かったって書いて――。
 
 
 一通り書き終った時点で――万年筆が折れて。
 
 
 はみ出したインクで、気が付いたら俺は、紙に、殴り書きしていた。
 
 
 
 
 死 に た く な い。
 
 
 
「……死にたく、ねぇよ」
 
 
 みじめって言われようが、何て言われようが。
 俺は……、机の前で、蹲って、気づかれないよう小さく泣いていた。
 
 
 


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#083 究極/生刃/取引

 

 

 

 

 

「――白いな」

 

 ベルトの帯は、黒。赤かった色は、ドライバーを覆うように集中している。

 そして、僕の全身は――真っ白な姿に変化していた。所々ジッパーのようなものが着いたような、そんな形に。そして首と口元を覆う、普段のマスクを白くしたような(クラッシャー)

 

 その代わり、目を覆うものは何もない。

 

 内側から破裂するかのごとく潰された側でなく、複眼に覆われていた「人間の目」が、目の前の死神を見据えた。

 

 目の前の、黒い鎧の死神に。

 彼は、有馬貴将もまた僕を見ていた。

 

「重そうだね」

 

 言葉があまりに日常的で、でも決して、警戒を怠ることは出来ない。

 

 そして彼の言う通りだ。僕は今、ちょっと重い。

 何せ背中からは、六つと一つ――合計で七つの赫子が出ているのだから。

 

 もう、誰の声も聞こえない。まるで全てが、僕の一部であると言わんばかりに――。

 

 尾赫を除き、上からそれぞれの箇所から、一対ずつ。全てがまるで昆虫の羽根を思わせるような形で、そしてその色は、トーカちゃんのそれを思わせるものだ。脈打つ血が、RC細胞が、この姿を維持することが無茶であることを僕に知らせる。

 

 ――きっとこの相手と戦うにしても、持ってあと、一、二撃。

 

 でも、ここで生き延びなければそもそも話にならないのだ。店長を助けに行くにしても、トーカちゃんの元に帰るにしても。

 

「……君は、”喰種”か”人間”か」

「僕は――名無し(ハイセ)だ」

 

 ドライバーに指を当て、レバーを二度、落とす。

 電子音は普段と変わらず――それでも、僕の身体は普段を超えた感覚と、力がみなぎった。

 

 

「ライダー ――――――――・キック!」

『――赫者(オーバー)! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 

 地下空間といえど、天井は高い。複数の柱によってささえられているせいもあるのだろうけど、そんな空間を僕は「飛んだ」。赫子が羽根のようにうなり、長い跳躍とか、そんなものではない力を僕に与える。

 巻き起こる風――小規模の嵐のようなその中で、有馬貴将は少しだけ足がとられ。でも、あちらもクインケを動作させて、こちらの動きを見据えていた。

 

『――リコンストラクション!

 ナルカミ・フルボルトブレイク!』

 

 

 吹き荒れる風の中で、彼は何一つ変わらず、放電するようなクインケを構えている。

 そんな彼目掛けて、僕は両足蹴りを、上空から叩きこんだ――。 

 

 瞬間、猛烈な速度で振られたクインケ。その先端から生成された「電気のような赫子の刃」と、僕の両足とが激突する。

 

 嵐のような風で乱れる放電と、徐々に徐々に勢いを殺される僕。

 

 このまま、せめてこのまま押し切ることが出来るのなら――。

 

『――リコンストラクション!

 IXA・フルプラズマ!』

 

 ――でも、そんな僕の考えはいとも簡単にねじ伏せられた。

 

 明らかに僕と彼とでは、年季が、戦力が違いすぎた。

 

 

 武器の方のクインケを下ろした途端、彼は猛烈な勢いで僕の足を掴んだ。それさえもこちらの勢いが勝ちそうなものだけれど――同時に、彼が握った瞬間、僕の両足が「燃えた」。

 見えるのは、猛烈に赤く光輝く手のひらのアーマー。何が起こっているというのか――まるで、自分の身体が内側から発火したような、そんないびつさだった。

 

「――ああああああああああああああああああああああッ!」

 

 それでも、なお、僕は羽根のような赫子を羽ばたかせる。無理やりにでも全身させようと、、猛烈な勢いで。

 

 押さえられてる状態でなお後方に風を押しやり、自分の推進力としたのが功を奏したのか。拮抗状態だった僕らの配置関係において、僕が相手側に前進した。

 みしり、と地面にヒビが入り――。

 

「やるね……」

 

 彼の肩の腕のアーマーが、こちらの威力に耐えられず弾け跳んだ。

 

 ヒビが入り、下に着込んでいた白いコートが見える。それが風の力でズタズタになろうとも、でも、捜査官は態度を変えない。痛みなど感じていないように、そのまま、僕を地面に叩きつけた。

 

 これでも、これでも勝てないのか?

 

『――リビルド!

 IXA・ランス!』

 

 そしてバックルから制御装置を抜き取り、それを宙に投げる有馬貴将。空中でバラバラとなり再形成されるクインケは、僕の攻撃のせいかパーツがいくらか欠損している。

 

 そして彼は、そのバックルの中央にあった、制御装置が収まっていた黒いものを取り出し――。

 

 

 僕の、アラタさんのドライバーの、左端に「接続した」。

 

 

 瞬間、僕は完全に変身できなくなった。体力的な問題とか、そんな次元ではなかった。突然、体中の力が抜けるような――まるではじめてクインケドライバーを装着したあの時のような、そんな倦怠感と痛みが、身体を襲う。

 

 死神は僕を見下ろして、言う。

 

「そのギアは、『クインケの認証』があってはじめて起動する。

 クインケドライバーに付けた場合、認証されていない限り『変身は出来ない』」

 

 言ってる意味が四割くらいわからなかったけど。でも、それでも確実にわかったことがあった。

 この状態で、僕は変身することが出来ない。

 レバーを落としても、何ら音声さえならない。まるで、電源から落とされてるような感じさえする。

 

 がしゃん! と中央の装置がなくなったドライバーを閉じて、彼はランス状になったクインケを持ち上げる。

  

 見下ろす顔は、逆行で確認できない。火こそ消えたものの足の感覚さえ、物理的にも既におぼつかない。

 

 その刃の先端は――僕の、右目を狙っている。

 

「あ――」

 

 刃はもう、数秒とたたず振り下ろされ、再び僕の脳髄をえぐることだろう。

 そしたらきっと……、もう、終わりだ。

 

 こんな形で終わるのかと、そういう気持ちもある。きっと悲しませてしまうだろうということも、深く思う。

 

 だけれど、こんなのどうしたらいいっていうんだよ――。

 

 やっと、やっと……、自分が守りたかったものが、自分だけじゃなくて。ちゃんと、ちゃんとまっとうに、「愛することが出来る」ようになったかもしれないのに――。

 

「――ごめん、トーカちゃん」

 

 

『――大丈夫よ、研くん。

 だってホラ――間に合ったから』

 

 

 

「――――お゛に゛い゛ち゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!!!!」

 

 

 

 

 そんなクロナちゃんの叫び声と共に、死神の身体が「ぶれた」。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「ぶるぅああああああああああч」

『――鱗・赫ゥ! 尾・赫!』

 

 目の前の、突如現れた謎の喰種。俺達の隊が襲われ、うちの何割かはコイツに喰われてしまった。他は気絶しているか腕がなくなってしまったかして、連絡をとる暇すらない。

 

『おおッ!』

 

 しかし、何だこの喰種は。アラタの攻撃に対してビクともせず、腰につけたクインケドライバーで自在に赫子を変化させている。

 そして同時にー―見間違えようもない。

 

 顔面に浮かび上がる、六本の痣。

 

 思い出すのは今年の初めの頃か。金木くん、ハイセと遭遇し、俺達はとある強大な喰種相手に共同戦をした。

 その時、ハイセが泣きながら戦い、そして決した相手こそが、おそらくこの眼前の喰種だ。バラバラに飛び散った肉片、そのうち一部はまとまっていたと思ったが――。

 

「お前は……、何をやっているんだッ!」

 

 知らず、俺は思わず叫んでいた。何の義理があってか? いや、きっとそれは、金木くんのあの、ボロボロになりながらもなお助けに行こうとしていた姿を見たからだろう。

 どうしても、目の前で暴走する喰種に、言わなければならないと感じた。

 

「ハイセは……、金木くんは、お前を助けようとしていたんだ! 人間と喰種と、その共存を望む彼が!

 なのにお前は、今――」

 

 何故今、彼の望まないようなことをしているのかと。彼が悲しむだろうことをしているのかと。

 

 そう問いただそうとした瞬間、目の前の喰種の焦点が、俺に合った。

 その瞬間だけ、喰種の目は完全に「正気」だった。

 

  

「だけど、それで僕はカネキさんを助けられますよね?」

 

 

「――君は……ッ」

「今の僕なら――みんな助ける! それが、できる、じゃΣ」

 

 

 篠原さんは以前言っていた。喰種は、哀れだと。

 嗚呼、今ならそれがよく理解できる。助けるために、ここまで己を壊すことが? 一瞬見えた、暴走していなかったはずだろう少年をここまで狂わせるほどのことが? 例え喰種とはいえ、彼に、金木くんを慕っていたような笑顔を浮かべて、みずから死を選んだ少年が――?

 

 理解……、したくない。

 

 背中から四つの赫子を排出し、もはや元が人間と同様の顔と思えないほど歪ませて笑い、目の前の喰種は俺を放り投げ、地面に叩きつけた。アラタの制御装置にダメージが入ったのか、変身が無理やり解除される。ドライバーこそ壊れてはいないが、再び変身できるかは怪しい。

 

 

 ――脳裏を過ぎる、両親の顔。

 ――思い出せない二人の顔に続く、あの男の顔。

 

 

 なぜ……、何故このごに及んでまで、お前なのだ。

 

 

「え、い、よ、う、ほ、きゅ????」

 

 首を傾げて、そのまま360度、奇怪な音を鳴らしながら回転させる喰種。

 

 そして奴は、俺に向かって口を開き――。

 

 

 

「じゃまああああッ!」

「!?」

 

 

 

 猛然とした勢いで、何かが喰種に激突した。バイクのように見えたそれは、そのまま喰種を引きずり、遠くで電柱に激突し、爆発。

 

「安、久……?」

 

 炎上するそこから立ち上がる人影に相対する。 

 かろうじて意識を失う直前。最後に見たのは――煤で顔の所々を黒く染めた、安久の横顔だった。

 

 

 

 

  

   ※

 

 

 

 

 

 絶叫するクロナちゃんは、とび蹴りを有馬貴将の肩に浴びせた。

 弾き飛ばされるように、宙を舞う有馬貴将。でも、それさえ空中に投げられたランスのクインケを使い、天井に突き刺し、こちらの様子を伺っていた。

 

 そんな彼と、僕との間に立ち、まるで僕を背に庇うようにしている彼女。声は、間違いなくクロナちゃんだった。だけれど――。

 

「大゛丈゛夫゛? お゛兄゛ち゛ゃ゛ん゛」

「……ッ」

 

 クロナちゃんの姿は、とてもじゃないけれど直視できなかった。

 

 眼帯は、とっくの昔に外れている。その顔がすすやオイルで汚れているのも、まだいい。

 

 問題は――口と、頭と、喉だ。

 返り血を浴びたのか、その頭は真っ赤に染まっている。そしてそれは口の、顎もまた同様。何かを食いちぎったような、そんな血の流れが彼女の下顎のそれだ。

 

 そして――何があったのか、クロナちゃんの喉は「潰れていた」。……物理的に。

 

「こ゛め゛ん゛ね゛、少゛し゛ト゛シ゛っ゛ち゛ゃ゛っ゛て゛。

 四゛方゛さ゛ん゛か゛捨゛て゛て゛た゛ハ゛イ゛ク゛て゛来゛て゛も゛、遅゛く゛な゛っ゛た゛」

「クロナちゃん、一体、何が――」

「て゛も゛ね゛?

 強゛そ゛う゛な゛の゛居゛た゛か゛ら゛、『食゛へ゛て゛き゛た゛』。全゛部゛は゛無゛理゛た゛っ゛た゛け゛と゛。反゛抗゛さ゛れ゛て゛、声゛、ひ゛と゛く゛な゛っ゛ち゛ゃ゛っ゛た゛」

 

 言ってる意味がわからない。

 

 でも、言葉から察するに……強そうな喰種が居たから、食べてきた、と言ってるのか? その時のせいで、居間みたいな状態に?

 ボロボロの複は、首から胸元にかけて傷が走った、痛々しい状態だ。治りが襲いということは、尾赫で付けられたものだろうか。

 

 ぐい、と口元をぬぐうクロナちゃん。彼女は、有馬貴将をじっと見る。

 

「……誰かな?」

「……同゛い゛年゛で゛、妹゛で゛――」

 

 言いながらクロナちゃんは、以前僕と戦っていた時に付けた量産型のドライバーを取り出し、腰に装着し――。

 

 

「――今゛は゛、恋゛す゛る゛乙゛女゛、た゛!」

『――ブレイドモード』

 

 背中から噴き出した赫子により、形成される姿は以前のものといくらか違う。ベースは相変わらず、剣道の胴衣のようなものだ。だけれど……。

 

「い゛く゛よ゛、シ゛ロ゛」

「う゛う゛う゛う゛う゛」

 

 大きく違う点が、三つ。

 

 一つは全体の服装が、異様にボロボロなこと。

 二つ目は身体の腹部が、ドクロのような赫子で覆われており、それがうなり声を上げていること。

 

 そして何より第三に――顔面さえ覆おうとしている「複数、目がある赫子の束」をまとう彼女の両目が、赤く、黒く染まっていたこと――。

 

 以前、クロナちゃんは言っていた。喰種になったから、ナシロちゃんと一緒にもういられなくなってしまったと。喰種なんかならなければ良かったと言って、そしてなぜか謝り続けていた。

 今の状況と、さっきの彼女の言葉で、僕はおおよその事情を察した。

 

 理由はわからない。でも――クロナちゃんは、ナシロちゃんを「食べた」のだろう。

 

 好き好んで、そんなことをするはずはない。とすれば僕らに拾われるまでの間に、何か大きくあったということだろうか。

 

 ばきばき、と。どうやらまだ変身は終わって居ないらしい。以前なら手に竹刀のような形で集まってきていたはずの、背部の赫子が――彼女の背中を貫き、腹部のドクロの額のあたりから、上方向に伸びた。

 

 前方と後方に、血が撥ねる。それが僕の顔面にもかかった。

 

 前傾姿勢で、クロナちゃんはうなり続け、天井にぶら下がる彼を見ている。

 

「……剣というより、サイみたいだね」

「「ああああああああああああ――っ!」」

 

 クロナちゃんと腹部のドクロは、同時にうなりながら「壁を駆けて登った」。そのまままさかと思えば、有馬貴将めがけて飛びかかり、突進をしかける。

 対する彼はもう片方のクインケでそれをいなし、再度電撃を放つ。

 クロナちゃんの、腹部から出ている剣が避雷針のようになり、彼女の身体に直撃する。

 

「~~~~~~~~ッ」

 

 白目を向き、絶叫するクロナちゃん。

 でも、それでも彼女は飛び上がり、空中の彼目掛けて腹から出た刃を向ける。

 

 何度も、何度も、何度やられても。

 

「や……止めて、クロナちゃん」

 

 僕の言葉さえ、彼女は聞く耳持たず、全身が痙攣しながらも立ち上がり、向かう――。

 

 やがて天井からクインケが抜け、地面に降りてきた彼は。満身創痍といった彼女に向けて言った。

 

 

「ひょっとして、――にそそのかされたかな?」

 

「……ッ!」

「うん。いいよ。来な」

 

 何を言ったのか、よくは聞こえなかった。

 それでも死神は、ただ漫然とこちらを見て、鎧に使っていた黒いクインケを構えるばかり。

 

 立ち上がろうとして、でも、クロナちゃんはバランスを崩して、僕の方に倒れた。

 無理やりに立ち上がろうとして――伸びた彼のクインケによって、足の先を切られて。

 

 それでもなお立ち上がろうという意思を見せる彼女に、僕は……。

 

 

「なんで……、なんで逃げないんだよ、君は!」

「……に゛げ゛た゛く゛な゛い゛か゛ら゛。も゛う゛」

 

 赤く染まった左目で僕を見て、少しだけ力なく笑うクロナちゃん。

 そして続く一言に、僕は言葉を失った。

 

 

「――私は、金木(ヽヽ)くん(ヽヽ)のことが大好きだから」

 

 衝撃的すぎて、いっそクリアに聞こえた、その言葉。

  

 冗談でも何でもなく、だったのか? それは。

 いや、でも、僕は――。

 

「知゛っ゛て゛る゛。全゛部゛知゛っ゛て゛る゛。と゛い゛う゛よ゛り゛見゛て゛た゛。た゛か゛ら゛、別゛に゛振゛り゛向い゛て゛く゛れ゛な゛く゛っ゛て゛も゛い゛い゛の゛」

 

 切れた足に赫子を纏わせ、足に見立てて立ち上がるクロナちゃん。

 

 ただ、ただ、言葉を続ける。

 

 ――人間を辞めた私に、人間のことを思いださせてくれた。

 ――他の幸せがあったかもしれないっていうのは、辛かったけど。

 

 ――でも、今、不思議とそう悪い気分じゃないの。

 

「金゛木゛く゛ん゛か゛、両゛方゛、大゛事゛に゛し゛て゛た゛か゛ら゛。た゛か゛ら゛――貴゛方゛か゛守゛り゛た゛い゛も゛の゛に゛な゛ら゛、私゛は゛命゛を゛か゛け゛ら゛れ゛る゛!」

『――バーストモード』

 

 ドライバーの右のダイヤルを真下まで落とすと、バックルからそんな電子音が響く。きっとブレイクバーストに準じる機能なのだろう、それは。

 

 思った通り、彼女の赫子の剣部分が真っ赤に発光し――そして、同時に彼女の身体を貫通する箇所から、血が、噴き出した。

 

 絶叫しながらも、クロナちゃんは走る。

 

 僕は……、片方のみの視界が、既にかすみ始めている。それでも、僕は目を離すことができないでいた。

 

 あんていくに入ってから、まだ日が浅い。彼女はきっと、僕らほど「あんていく」に対する思い入れは、少ないのかもしれない。でも――それをただ、僕のためだけにとして、自分の命を投げ出す姿は。

 どこかリオくんや……つい最近までの自分を見ているように思えて。

 

『――リビルド!

 IXA・ディフェンダー!』

 

 僕によって欠損させられた箇所があるものの、それでもクインケを楯状に変形させて、死神はクロナちゃんの攻撃を受け止める――。 

 

 分散されていない威力は、その一撃で、クインケを貫通して――それでも、クインケの破壊には、至らなかった。

 

 

「……二人とも、か」

 

 

 そんな言葉がわずかに聞こえて。

 

『――リコンストラクション!

 IXA・フルブレイク!』

 

 気が付けば、楯状だったクインケが姿を変え、クロナちゃんの腹部を貫通し。

 刃がまた真っ赤に染まり――クロナちゃんの身体を「焼いた」。

 

 呆然とそれを、横倒しになって見ることしかできなくて。

 

 そして彼は、彼女の顔面に二回。表から「突き刺した」。

 

 

 かつかつと歩きながら、彼は僕を見下ろし。

 

 

 

「……取引だ――」

 

 

 ――カネキケン。

 

 

 その言葉を聞いて、僕の視界は、痛みと共に消えた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
「……」
 
 モニターに映るカネキケンたちの姿に、私は、呆然としていた。
 
 あの小さいのは言った。彼は誰かに愛されてると言えるって。でも私達はどうかと、そういって嘲笑していた。
 そして今、彼は、彼の仲間たちから愛されているのを見た。……見てしまった。
 
「クロ……、お姉ちゃん……」
 
 ナシロは、動けなくなっている私に声をかけた。我に返り、私はナシロの顔を見た。
 
 
 ナシロは――どれくらいぶりに見るのかな――満面の笑みを浮かべていた。
 
 
 喰種の身体になってからは、きっとはじめてみる、やさしげな表情だった。
 
「どうしたの? シロ。痛いの?」
 
 私の言葉に首を左右に振り――ナシロは、涙ぐみながら言った。
 
 
「私を置いていけないんなら――私を、”食べて”」
 
 
 その言葉に、私はまた、頭を殴られるような衝撃を受けて、固まってしまった。
 そんなの、だめだよ。だって私達は双子で、ずっと、ずっとずっと一緒で――。
 
「気になるんだよね? あの、お兄ちゃんのこと」
 
 カネキケンをちらりと見て、少し苦笑いを浮かべるナシロ。
 
「だったら、行けばいいと思うよ。きっと、みんなと同じように『愛してくれる』から」
「何、言ってるの? ナシロ、だから――」
 
「私は、クロナの笑顔が見れないのが辛いの」
 
 ナシロは……、堪えるように、震える声で私に言う。まるで姉と妹が逆転したみたいに、私をなだめるように。
 
「このままだと、結局、約束は守れないから……。
 だったらせめて、私も、一緒に『連れて行って』? そして、お姉ちゃんの命を『つながせて?』」
「……、そんなの、嫌っ」
「ぜーたく言わないの。ほら、お姉ちゃん」
 
 くいっと、私の頬を両手の人差し指で、ぐいっと引っ張り上げて。
 
「――キープスマイリングよ♪」
 
 それもまた、いつ以来か久しく聞いてなかった言葉で。
 
 笑顔のまま、ナシロの両手がだらりと垂れて。
 
 
 
 
 
 私は……。ナシロに、何を、言わせてしまった?
 
 
 
 
 
 たった一人だけ、一人だけしか残ってなかった、本当の家族に。妹に。
 
 悔やんでも、何をしても、答えは出ない。
 段々と、私ももう立っていられなくなってきている。玲にやられた傷が、思ったよりも深かったのと。ここにたどり着くまでで無茶したせいだ。
 
 腕の中で横たわる、ナシロ。
 
 私は……。私は……、私は――――――ッ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 気が付くと、その場には私一人しかいなくて。
 前髪が、いくらか白く染まっていて。
 その場には、「人間の眼球」が転がっていて――。
 
 
 
 私の両目は、真っ赤に染まっていて。
 
 
 
 その目は……、ナシロの目は。私の気持ちに合わせたかのように、普通の色に、戻る事が出来た。
 
 
 
 
 


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#084 切声/流転/餌相

 
 
 
「……ッ」
 
 四方さんに担がれているリゼの身体が、一瞬、不自然に震えた。
 それを見た瞬間、私は、なんとなく嫌な焦燥感が胸を過ぎって。
 
「どうした? トーカ」
「……なんでも、ない」
 
 背負ったヒナミを起こさないように歩きながら、私は、一度「あんていく」の方を振り返った。
 
 クロナにも連絡は入れたから、たぶん戻ってくると思うけれど……。
 
 だっていうのに、私は、やっぱり何か違和感を拭いきれなかった。
 
 
 
 


 

 

 

 

 

 真っ暗になった視界の中。爆裂した視界の中。

 うすらぼんやりと聞こえる、死神の声。

 

「――『V』に対して、アオギリの樹は――」

 

 それを聞きながら、なんとなく――僕の脳裏にはあの日、あの時。最後に見聞きしたやりとりが、浮かんでいた。

 

  

『なんでッ……、あなた、がっ……』

 

 

 リゼさんに落とされた鉄骨の上方。

 

 その彼女の視線の先に立っていた――ピエロマスクの青年の姿を。

 

 彼は、店長に、仮面ライダーに、左手の甲を見せるようなVを示していた。侮辱のニュアンスがあるのか、それとも――その「V」そのものに、意味があるのか。

 

 今の僕には、それを考えることも出来ない。

 

 

 ……嗚呼。

 

 

 

 やっぱり、勿体無かったかな。

 

 ほんのり残った、トーカちゃんの唇の感触が……、トーカちゃんの堪えた顔が、浮かんで、流れて。

 

『帰ってこなかったら、ぶ、ぶっ殺すから――』

 

 ……後、追ったりしないよね。

 しないでほしいな。

 

 そんな心配をしながら――僕の思考は、床に、どろどろと、貫通してあふれ出した。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ウイさんが梟のバケモノにぶっとばされたです。

 ベロさんも梟も重いって言って、そのまま口から射撃されてぶっとばされたです。

 

 

 そしてそんな時、ビルの下から「巨人」が上ってきたです。大きさ、3メートルくらいです?

 

 赤と銀がすごく目立つ配色です。その色のおかげで、でもそれがクインケだってわかるです。 

 

 ……ホントにクインケです?

 それくらいに大きくて、とんでもない感じです。そしてその中央、胴体の中に、ガイコツみたいなヒトがいたです。腕と足が、それぞれ片方ずつなくって。亜門ジョウトーとか篠原サンがしてるような、そんなベルトを付けているです。

 

 

『――?』

 

 ぐるるるうなりながら、梟のバケモノがそのガイコツを見たです。

 

 ガイコツさんは、くっくっくって笑ったです。

 

「地行君に無茶を言って、『5年前』から作ってもらっていた甲斐はあったねぇ。確実に貴様を殺せるクインケ!

 貴様もまたそこまで大きくなっているとは想定していなかったが、これでようやく互角といったところだろう。なぁ――梟!」

『ぐるるるるるぅ……、ぐるぅ?』

 

 くてん、と、バケモノの頭が、漫画みたいに首傾げたです。

 

 お前誰、みたいな感じのニュアンスがひしひし伝わってくるです。

 

「そこで転がっている、貴様の『父親』に言われた。憎悪のみでは貴様にたどり着くことが出来ないとな。

 だから私なりに考えた。(かすか)を無残に食い荒らし、私とアキラから家族を奪った貴様と相対して、私がどう振舞うべきか――」

『――クラスタ・ザ・ダイザー!』

 

 クインケの起動音が鳴ると、上に開いていたカバーが閉じて、胴体がふさがったです。こうして見るとロボットみたいです。構造全部赫子だからグロいけど。

 ずちゃりずちゃりいいながら、警戒に上って、僕らの横に立つロボットです。見た目よりも軽いみたいです。

 

『覚えていようが、覚えていまいが関係あるまい。

 誰も撃ち果たせぬというのなら――誰が挑んだところで、結果は代わりない』

『ぐる……?』

『せめて――が来るまでの間、私が、相手をしよう――!』

 

 フットボールとかみたいなしゃがみ方をして、そのまま、3メートルのクインケロボットは、梟の怪獣に飛びかかったです。

 

 なんだかすごく、テレビとかでたまに見かける光景です。子供向けとかでありそうな感じの画です。やってることは、頭掴んで引っぺがそうとしたり、足に噛みつかれて転がされたり、格好良さなんて欠片もないですけど。

 あるのは、どっちも「相手を殺す」ってことだけです。 

 

 ロボットの方の動きは、なんだかちゃんと人間みたいです。攻撃が、僕から見てもえげつないの多いです。でも梟の怪獣は、結構余裕を持って応戦してるです。

 

『ぐるぅぅ――ハハハ! ナル、ホド。

 甲赫ヲ外装ト骨、鱗赫ヲ筋肉、尾赫ヲワイヤー、羽赫ヲ循環ニ回シテル、カ。

 オ前、ソレ、何人殺シタ?』

『材料のクズの数など、今更、数え切れるかあッ!』

『ナルホド』

 

 なぐるです、なぐるです。

 梟のお腹を容赦なく殴るです。大体おんなじくらいの身体の大きさで、動きとか、音がすごいです。

 

「什造……っ」

「篠原サン?」

 

 音がうるさくって起きたです? よろよろと歩いてきた篠原サンが、僕の隣に腰を下ろしたです。

 

「何がどうなってるんだ? こりゃ」

「さっき、ウイさんがぶっ飛ばされて、ガイコツみたいなヒトが来たです」

「嗚呼、真戸か」

「アキラちゃんです?」

「いや、あれアッキーラのお父さん」

 

 なるほどです。随分痩せたです。

 

 じっと、ロボットを見つめてる篠原サン。「ドライバー技術の応用とはいえ、身体にかかる負荷なんか酷いもんだろうに」とか言ってるです。

 

「でも、普通にしてたら戦えないです、あのヒト」

「嗚呼、そうだな。だから本来なら後方要員として、丸のところに居たはずなんだが――なんで飛び出して来た、アイツ」

 

 通信を試みる篠原サンです。でも、ノイズが聞こえるだけです。

 とても立ち入れる状況じゃなくって、疲れたみたいな篠原サンは、ぜいぜい言いながら見上げてるです。

 

 アキラちゃんのお父さんは、ロボットの中ですっごく笑ってるです。「ひははははは」みたいな声が、スピーカー越しに聞こえるです。

 

 攻撃の速度が、どんどん早くなっていくです。

 

 梟の怪獣が、押されてるです。

 ロボットが器用に、他のヒトが倒れてない方に誘導してるです。

 

『――終わりだ、梟!』

『――リコンストラクション!

 クラスタ・フル・ブラストオ――』

 

 

『ウルサイ』

 

 

 がきん、と。

 何か変形しはじめていたロボットの足を掴んで、梟の怪獣はそのまま、ロボットを「背負い投げ」したです。

 

『ヨテイヘンコウ』

 

 そんなことを言いながら、ロボットを掴みながら、空中に飛び上がる梟です。二つの巨体が、平然と空中に飛ぶです。すごい光景です。篠原サンあんぐりしてるです。

 

 そして、そこから更に適当にロボットを投げ捨て。

 

 

『――赫者(オーバー)! 崩壊撃破(ブレイクバースト)!』

 

 

 どこからかそんな音が鳴ると、怪獣の首のあたりが分離して、飛び上がったです。

 残った怪獣の胴体は、ものすごい勢いで「変形」して、鳥の足みたいな形になって。

 

 そこに、一番最初の小さい、僕らと同じサイズの梟が、右足を突っ込んで――まるで梟の足の先が、その巨大な鳥の足みたいな感じになるようにして。 

 

 

 そのまま落下して、地面に投げ捨てられたロボットをプレスしたです。

 

 

「な……、真――」

『呉緒ォオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』

 

 通信機に丸手さんの声が響くです。でも数秒経たずノイズになるです。

 もしかして、どこかで妨害でもされてるです?

 

 地面に抑え付けられた、ロボットみたいなクインケ。その周囲で、捜査官たちが銃構えて、梟の怪獣を取り囲み始めて。 

 

 丁度その時、変形した足が光ったです。

 

 

 次の瞬間――ロボットがバラバラに消し飛んでいて、そのパーツとかで、捜査官、いっぱい、いっぱい死んだです。

 

 

 篠原さんが、目を見開いて動きを止めていたです。

 僕は、つい疑問に思ったのを聞いたです。

 

「勝てるです? 僕達」

「……やるしかない、だろ。什造」

 

 拳を握りながら、涙を流しながら。篠原さんは、下で転がる捜査官たちと、骨みたいなヒトの死体を見ていたです。

 

 

 

『――――いい心がけだね』

 

 

 

 

 そして、突然下から上昇してきた梟が、篠原さんの顎を猛烈な勢いで蹴り飛ばしたです。

 

 下にある怪獣の身体は、周囲にある捜査官の身体を集めて……、何するです? 食べるです?

 でも、下を向いてられる状況じゃないです。

 

 篠原サンを飛ばした梟は、僕のことを一瞥して、一瞥するだけで、そのまま篠原サンのところまで歩いたです。

 

『変な髪型!』

 

 感想が僕と一緒だったです。

 篠原サンは、無理やり身体を起こして、梟を見たです。

 

 ドライバーの中央に手をやり、何か操作しようとして――。

 

「やっぱり……、お父さんを、助けに来たのかな? 君は――」

 

 

 篠原さんの右足が、ふくらはぎのあたりから輪切りにされたです。

 宙を舞う足に、篠原さんが絶叫するです。

 

 手がドライバーから離れたのを見て、梟は言ったです。

 

 

『そ う だ よ ?』

 

 

 梟の声は、怒っているみたいでした。

 

 そのまま、篠原さんの、足を、どんどん、どんどん――。 

 

 

 

『片方だけじゃ不公平だよね』

 

 

 

 最後に左足も、太ももの真ん中くらいから切り飛ばして――その時点で、篠原サンは白目向いたです。

 

 梟はそのうちの一つを拾い上げ、カステラでも食べるように、服を剥がして、齧りだして。

 

 

『――君も「おそろい」にする?』

 

 

 そんなことを、気楽な様子で聞いてくるです。

 

 僕は――。頭の奥で、何かが蠢きだしたような感覚があったです。

 

 ――善人ぶって、蔑むような目が僕は大ッ嫌いです。

 

 そういうヤツらは、みんな殺してやりたい。でも、篠原サンがいなくなったら、お菓子を買うのも、きっと一人じゃ出来ないような状態になるです。

 だから無理やりガマンして、それでも所々無理が出て。時々たしなめられて。 

 

 昇進の時にお勉強を見てもらったり。

 クインケの案を出すのに、最後まで付き合ってもらったり。

 

 そして――。

 

『――天使がみたいなのがもし、いきなりこの世界で生きるならさ。純粋すぎて、どんな色にでも染まっちまうんじゃないかって思うんだよ』

 

 どういうことです? と聞くと、篠原サンは「なんとなく」と笑うばかりで――。

 

 

 

 

『ウチのお尻が青い子が世話になったからね。

 ――返礼は、してあげないと』

 

 梟の赫子が、篠原サンに突き刺さって。そして、篠原サンのお腹の中を――。

 

 

 

 

 

 ――ホラ見ろ? 「オニヤマダ」討伐の時の祝賀会。

 ――師匠の伊庭さん、マルにいわっちょ。奥のが入局したての有馬で、こっちが有馬にクインケ教えてたアキラの親父さんだよ。

 

 ――功績なんかより、伊庭さんが自分のことのように喜んでくれたのが、嬉しかったな。

 

 ――いつか。

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――ッ!」

 

 

 

 

 ――お前ともいつか、ちゃんと呑みたいなぁ。

 

 

 

 篠原さんの言葉に、僕は、衝動的に、叫んだ。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 ――こらこら、こっちに来るのはまだ早いぞ? 鋼太朗っ。

 

 ……もはや階級など関係ないだろうに、張間の声はあの時の調子で俺に語りかける。

 

 ――死んだらいけないんでしょ? そしたら、悲しむヒトがいるから。

  

 嗚呼、もちろん悲しむヒトも居る。それに……、結果的に、人殺しにしてしまう者も。

 

 ――だったら起きる! 耳、聞こえてるでしょ?

 

 張間の調子は、本当に、最後に会話を交したときと何ら変わりなく。

 

 

 

 そして、俺の名前を呼びかける声を聞き、俺は意識を取り戻した。

 

 

 

「――亜門さん!」

「……政道か?」

「よかった! 意識が……、止血は、あのクインケが自動的にやったみたいだし、一安心じゃないけど、でも、嗚呼――」

 

 震えながら涙を流す政道。心配をかけてしまったようだが、そうも言っては居られない。

 

 周囲を見れば……俺以外に生き残っているのは気絶している二人くらいか。

 その他は惨憺たる様子だった。だが、その中にバイクの破片と思しきものが存在していうることが、意識を失う直前に俺が見たものの実在の証明になるだろう。

 

 あの喰種と……、安久が戦ったことの。

 

 彼女は、カネキくんを助けに来たのだろうか。この状況で、命がけで。

 

 

 ……カネキくんを助けるために狂った者と、彼を助けるために命がけでここにたどり着いた者と。

 

 捩れた、歪んだ結論だ。梟討伐というトリガー一つで、何故、何故こうも大きく結果が捩れてしまうのか――。

 

 

 政道が、千之准特等に叫ぶ。おそらくあちらで医療班の手配をしているのだろう。

 

 だが――。

 

 

  

「――必要ない。

 君達の生き死には、俺達が管理する」

 

 

「准特等――!」「あ、がッ……」「う、うあああああ!!!!!」 

 

 そんな言葉と同時に、第四隊が猛烈な勢いでバラバラにされていく。

 

 現れたのは、アオギリの喰種。

 地面に転がってる死体の一つ――あの少年の喰種のものを見て、その白装束の、赤い仮面の喰種、タタラは肩をすくめた。

 

「赫子が『足りなくなった』のか。だからあいつの改造は費用対効果が悪いと言ってるのに……。

 ノロ、死堪(シコラエ)に補給させてやれ」

 

 がちゃがちゃと音を立てながら、捜査官の死体をあさっていた長身の、口だけがついた仮面の喰種。それが痛々しい、肉が剥離するような音を立てながら、少年の喰種の死体の口に、赤黒い筋繊維めいたそれを――。

 

 

「αアイムヒアΩ」

「起きたら早くアヤトの方と合流しろ。そういう手はずだろ」

「ろん? のん? んー? ……うわあああああああああああああああああん!!!!! びぇええええええええええええええ!!!!!!!」

 

 

 数秒と立たず立ち上がった少年の喰種は。タタラの方を見て、自分の身体を見て、唐突に泣き出した。

 それを無視して、タタラは前進する。

 

「あ……、が、か……」

 

 震える政道。敵を前に、凄惨な光景を前に、死を意識しているのだろう。俺も、覚えがないとは言わない。前線に出る機会が少なければ、それだけつまり死から遠いということになる。生き死にの覚悟が鈍ることも、十分あるだろう。

 

 ドウジマは……、まだ使える、か。

 

「……死にたがりかな? 君」

 

 立ち上がり、政道をかばうよう前に出る俺に、アオギリの喰種は俺に言う。

 

 

「亜門さん、無理ですって……! そんな身体じゃ――」

「――それが、どうした!」

 

 

 手足をもがれてでも、戦う――守りたいもののために、愛すべきもののために。

 その中には、政道。お前も当然のように含まれている。コイツらが真戸さんや、篠原さん達や、アキラの方に向かわないとも限らない。

 

 だからこそ。

 

 

「ここは、俺が食い止める。退却して、お前は体制を立て直せ」

「あ、あ……」

「早く――ッ!」

 

「――できませぇんっ!」

 

 政道は、クインケを構えて射撃する。

 

「俺だって喰種捜査官なんだ! みんなを、貴方を、守りたいから捜査官やってるんだ――!」

 

 タタラは首の動きだけでかわし、他の喰種のように攻撃を受ける事はない。

 政道は、それでも叫びながら射撃を通ける。恐怖に震え、泣きながら、目を見開きながら、それでもなお。

 

 政道は以前言っていた。偉くなれば、より多くのヒトを守ることができるのではないかと。その根底にある切っ掛けを、俺は知らない。だからこそ、この場での彼の行動は、この状況でなお立ち向かおうとする意思を――。

 

 

「お前、法寺の部下か?」

  

 

 瞬間的に距離を詰め、タタラは政道を持ち上げる。

 首を締め上げながら、政道に、鬼気迫る様子で問い正す。

 

 早い、一体いつ――既に俺から、二人はかなりの距離が離れていた。

 

 眼前には、泣き喚き続ける少年の喰種。

 

「そのクインケ……、もう一つあるはずだ。中国で、手に入れたはずのものが。

 どこだ、どこにある――!」

「離、せ……、お前なんかに、法寺さんが負けるもんか――ッ!」

「会話はちゃんとしようか、君」

 

 ノロと呼ばれた長身の喰種の方に、政道を投げる。 

 

 次の瞬間、ヤツの胴体が膨らみ、腹部に「穴」が開き、政道の左肩を飲み込んだ。

 

「回収しておけ。『材料』だ」

「……」

「――なしけなあああああああああああああああああ――kШ」

「お前はいつまで泣いている。とっとと行け――」

 

 

 呆然とした顔で、涙を流す政道。

 

 俺は、瞬間的に激昂し、ドウジマを振りかぶり――。

 

 

 

「好……、我中意你這種人」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

  

 

「――つまり、君たちには……。あれ?」

 

 死神は、目の前で物言わなくなった二人の喰種を見て。

 手に持つ黒いクインケと、それが抉っている青年の片目を見て。

 

 

「……あ、深く抉りすぎた」

 

 

 そんなことを、小さく呟いた。

 

 

 

 

 




 
 
 
 気が付くと、ママと一緒にいたです。
 
 ママはたっくさん、手下を引き連れてたです。
 ママのために、僕はどんなことでもやったです。痛いコトも、痛くされることも――僕が僕として、不確かになるようなことも。
 
 僕は誰なのか――? 考える暇はたくさんあったです。 
 
 でも、だからこそ僕は僕でしかなかったです。
 
 
 ママから与えられた、什造という名前しかなかったです。
 鈴屋玲って名前は、意味がなかったです。
 
 
 そんなママが逃げて、僕が置き去りにされて。
 
 それでも僕は、ママのことが大好きで。
 
 アカデミーに引き取られて、友達がちょっと出来て。クロナとナシロはよく話し掛けてくれて――。
 
 でも、せんせいの一人が、男の子と一緒に、ねこさんバラバラにしてるところを見て。埋めてあげてたのに、なんでか、みんな僕をさけるようになって。さげすむようになって――。
 
 その目が、僕は、大ッ嫌いで。
 
 口で綺麗なこと言って、内心が汚いのがもう大ッ嫌いになって。
 
 
 篠原さんと会ったのは、そんな時でしたです。
 
 
 篠原さんは言ったです。みんなに混じって生きるためには、殺しかねないことはしちゃいけないって。だから怒りを押さえる方法を考えようって。
 僕は、よくわからないです。
 
 今でも、よくわからないです。 

 梟討伐に赴く前に、篠原さんは言ったです。僕が死んだら、悲しいって。
 
 
 でも――その意味だけは、今ではもう、わかるようになったです。
 
 
「なにやってるですか、はんべ~」
「先輩……」
 
 
 後輩の面倒見るのも大変です。
 
 でも、死なれて欲しくもないから、僕も頑張るです。
 
 
 篠原さんの分まで僕はやるです。
 
 あの時、そう約束したですから。
 
 
 


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#085 遺次/宴戯/支愛

  
 
 
「うぇい! うぇい!」
『ナキ、うるせぇ。……っていうか、あの変な新人ヤローどこいった?』
 
 白いスーツと、黒いウサギのマスクをした喰種たちが率いる部隊。全員がドクロを模した仮面を付けているそれは、喰種捜査官たちにとって馴染みのある敵だった。 

 アオギリの樹。
 
 国内でCCGに対立する喰種組織としては、最も警戒されているものだ。
 
 この「20区梟討伐」のための作戦において、この襲撃は予想されてはいたが、しかしこの、戦局が終盤に向かうタイミングでの襲撃は全く予想されていなかった。
 
「第四班の応援だったな。……局長も無理を言ってくれる」
 
 真戸アキラもまた、その違和感を敏感に感じ取っていた。
 本来ありえるならば、梟の救援に向かうだろうというのが当面の予想であった。予定外の「ブラックドーベル」や「猿」の介入こそあったが、それら妨害はある程度予想されていたものだった。
  
 それが、双方どちらもダメージを追ったこのタイミングでの襲撃だ。意図が読めない部分があるというのが、彼女の感覚だった。
 
 そんな彼女の耳に、両者の会話が聞こえる。
 
『ナキ、わかってんだろうなぁ』
「あぁ? メシ、集めれば良いんだろ?」
『メシじゃねぇ材料だ「実験の」。片っ端から「持って帰れ」』
「……!」
 
 アキラの脳裏に、電流が走る。材料? 実験の材料といったか?
 不意に思いだされるのは、医師の嘉納を追って訪れた、地下の研究所での出来事。あの場では、おそらく人間を喰種にする実験が行われていたと、結論づけられていた。
 
 嘉納はアオギリと組んだ可能性が高いという。ならば、この会話も十中八九それに当たるものだろう。
 
 とすれば。
 とすれば――彼らが材料にしようとしているものは、何だ?
 
 周囲の状況から、導き出せる答えは――。
 
 
「ハイアァ……、あ違った、グロ――――――――――ックス!」
 
 
 そんな叫び声と共に現れた乱入者。特徴的な声から、それがどの特等なのか一発で判断したアキラは、彼に黒ラビットの追撃を頼む。
 
 今の状況で、私怨を優先させるべきではないから?
 
 いや違う。胸に沸いた嫌な予感――脳裏を過ぎる、20区での捜査官としての毎日が。
 
 
「頼みます、田中丸特等!」
「ぬぅ?
 ふぅん。……任されてしまったが、ウサギちゃぁぁん? 君は知っているかね」
『あ゛?』
「ウサギとは愛玩されることもあるが、同時に我らに食べられることもあるのだよ。
 つまり――愛でるも喰らうも、我ら人間次第だッ!」
 
 
 アキラは走る。
 自分の焦燥感を、裏づけしたくなくて。
 
 その結果が、どんな形に収束するとも知らずに。
 
 
 


 

 

 

 

 

 意識を取り戻した私が最初に目にした光景は、捜査官の篠原が我が子に蹂躙される光景だった。

 

 足を切断しながら、絶叫する彼を前に、彼女は何ら感情の変化も浮かべず。強いて言えば、終始怒りに満ちているように感じた。

 私のために、などと自意識のあることは言わない。彼女は彼女なりの理由があって、この場に来たのだろうから。

 

『んん……? 嗚呼、せっかくだし胆嚢くらいは取ってあげようか。人体的にいらなかったはずだし――』

 

 ざくり、と。

 そんな彼女の肩に、刃が一つ刺さる。

 

『?』

「鈴屋くん……」

 

 こちらに近い所で倒れていたおかっぱの捜査官が、少年の名を呼ぶ。

 

 彼は大型の斧のようなクインケを持ちながら、腰からナイフ状のクインケを投擲していた。

 肩のソレを引き抜いて、じっと、刃を見る。

 

『このクインケって、サソリ……、あー、アレか、一番面倒な――』

 

「――ぅあああああああああああああああッ!!!!!!!」

『――リコンストラクション!

 サソリ・フルエンド!』

 

 彼は叫びながら、赤く輝いたナイフ状のそれを連続で投擲する。

 我が子は、それを見て肩をすくめる。

 

「でぃふぇ」「ン」「ど!」

 

 手を伸ばした先に形成される赫子の壁に、その全てが刺さり、爆発していく。どうやらあのクインケは、攻撃を与えた箇所に対して爆弾のように破壊していくものであるらしい。だが――無限のように生成される赫子の壁を、貫くのは難しいようだ。

 

 斧そのものも、片足がないせいか半分は杖代わりといったところだ。

 

「――待って、ろ、よ!」

『ー―リビルド!

 ジェ・イ・ソ・ン・13・ハンガード!』

 

 彼の持つ斧のクインケから、分散した赫子が伸び、彼女の壁に絡まりつく。 

 

 そしてそのまま、通常の状態に引き戻し、加速の勢いを付けたまま、彼は斧を振り回した。

 

 

『ー―リコンストラクション!

 ジェ・イ・ソ・ン・13・フルスクラップ!』

 

 

「えきさ」「イと」

 

 

 途端、彼女の体が倍ほどに膨れ上がり、振り下ろされているクインケを「殴って」地面に叩き伏せた。筋肉が集中してるように見えるそれは、やはり赫子で構成されたものなのだろう。

 

 それでもなお立ち上がり、片足で撥ねながら攻撃を仕掛けようとする少年。

 エトは嘲笑いもせず、ただ淡々と殴っては捨てていた。

 

『あんよが上手、あんよが上手と笑ってしまえもするけど……、嫌いじゃないんだよねぇ、そういうの』

 

「鈴屋くん……、やめるんだ、もう……。

 いいから、撤退するんだ。じゃないと……ッ」

 

 

「――いや、だ、です」

 

 

 その場で倒れる少年を、背後から現れた捜査官が支える。目立つ事はないだろうが、静かな闘志を目に宿す者と――白装束に、怒りを目に宿した男。

 

「丈さん、鉢川さん……? 持ち場は――」

「状況が変わった。『黒ラビット』率いるアオギリの部隊が攻めて来ている。

 本来なら追撃戦で望元さんも来れたはずだが、今そっちに向かってる」

「後、厄介なのが来たせいで、軒並みクインケは予備だ。こっちはこっちでヤバいみてぇだがな……、チッ、アバラが」

 

 単騎で誰かが手を出した、か。……あまり想像はしたくないが、おそらくあんていくの誰かだろう。

 可能性が高いのは、金木くんだろうか。

 ……せっかく名を譲ったというのに、あの子は。

 

「丈さん、ハイルは?」

「今、零番隊の方に合流して、有馬さんの確認に行ってる。

 ……しかし、通信状況が悪いな」

 

 嗚呼、多くの捜査官は気づいていないのだろうか。この場に彼女が現れた瞬間から、彼女の全身から電磁ノイズが放たれていることに。そのせいで、クインケの性能含め電子機器の動作が上手い事機能しなくなっていることに。

 

 ため息をついて、彼女は我が子は彼らを見た。

 

「行くぞ、倉元」「はい」

 

 彼女の肩から赫子が一つ分離し、短剣のような形状に。それを片手に持ち、彼女は襲いかかってくる捜査官たちを相手に、受け流し、蹴り飛ばし。

 

『こっちもあんまり消耗したくないんだよなぁ。『後』があるし。

 ……回収にドラゴン回したのミスったかな?』

 

 彼らには聞こえない程度の音量で、小さくそう呟く。

 だがそう言いながらも、的確に胸を突き、首を撥ね、数人のものは食いちぎるなり啜るなりして対応する様は、なるほど相手にするものを怯ませるだけの何かがあった。

 

 人間を、文字通り「おやつ」程度にしか扱って居ないような、そんな有様なのだから。

 

「穂木っちゃん!」

「倉本、かがめ」

 

『スラッシュパニッシュ』

 

 液体状に先端が広がった赫子による、横一文字。それを無理な体勢で交わす青年の捜査官と、静かな捜査官。空中を舞う少女の捜査官を見て、彼女は呟いた。

 

『うお! 超かわいい!』

「ッ!?」

 

 ……我が子ながら、この状況で正気なのか戯れているのか区別がつかない。

 

『シューティングパニッシュ』「うー」「こう」「りん」「ビィ」

 

 だが、その直後に手元のそれの構えを変えて、後方含めて攻撃をする。

 

 射撃のそれをほぼ同じように交わす彼らの中で、鉢川と呼ばれた男はあの少年を引っ張り上げ、自分の背後に庇った。……喰種に対する怒りこそあるものの、彼も見た目ほど荒れている訳ではないのかもしれない。 

 

「タケさん! 赤舌を――」

『――赤舌(シーシャ)・|サウトゥース』

 

 投げ渡された、私に最後の一撃を浴びせた捜査官が使っていたクインケ。目立つ事はないだろう彼は、それを受け取り、嗚呼、なつかしいかな。有馬くんを思いださせる動きをして、彼女に刃を向ける。

 

「りきっ」「ド」

 

 それに対して彼女は、赫子を液状化させて対応すると言う荒業に出た。攻撃が通った瞬間のみ外層をゆるやかにし貫通させ、その後再び甲化させて殴る。

 

 

「スペ」「し」「ゃ」「る」

『――羽・赫ッ! 崩壊撃破!』

 

 

 そして再び胸の中央から、あのバケモノのように大型化した時の頭部を出現させ、その口内から、猛烈な風と赫子を放った。

 

 これを器用にクインケで受けるも、流石に足などは回避が難しいらしい。そのまま続く彼女の回し蹴りに、成すすべなく彼は蹴り飛ばされた。 

 彼の部下の捜査官が駆けだす。だが――。

 

 

「……問題ない。もう――」

 

 

『――リコンストラクション!

 ナルカミ・フルボルトシュート!』

 

 

 電撃のような攻撃には、見覚えがある。「生前」も、「死後」も。

 その攻撃を、手元の刃を投げて、それを避雷針代わりにして後方に飛び上がる我が子。

 

 相対するは――、死神、有馬貴将。背後につれてきた部下達に「待機」と指示を出して、彼は眼前の敵を見据えながら。

  

「ハイル」

「はい、なんでぇすか? クインケなら私、いっくらでも貸しま――」

「傘」

「……かさぁ?」

  

 なまりのあるイントネーションで「かさぁ?」と声を上げた、部下と思われる一人の彼女だった。素っ頓狂な声を上げはしたものの、言われたからまぁ、という風に、手に持っていたものを手渡した。 

 

 あれは……、どうひいき目に見ても、大量に存在するビニール傘の一つにしか見えなかった。

 

 彼女たちが離れたのを見て、死神は、攻撃を開始する。

 

「お疲れ様です、こーりせんぱーい」

「ああ、来たね。……IXAじゃなくて、なんで傘?」

「知らないでぇすって。って、マジであれでやるみたいですよ、有馬さん」

「……とりあえず、第一隊の皆の方も」

「えぇ、それめんど、りょうかいで~す」

 

 恐ろしいコトに、閉じた傘で放たれた赫子を往なしながら、もう片方の手で電撃を放つ有馬くん。

 そのままドライバーを操作し、姿を変化させる。

 

『――リビルド!

 ナルカミ・ロッド!』

『おぅ、お初ぅ!』

 

 肉薄する距離で、両者の刃が交差する。

 

 その最中――おそらくこの場で、耳にできたのは私だけだろう。

 

 

 ――二人、××××――。

 ――△○! 計画?――。

 

 

 二人は、そろって何か会話を交わしているように聞こえる。

 

 私もまた全てを聞き取れていたわけではないが、一体――。

 

 

 刃を交えながらも、しかし両者は距離を保ち、近寄りを繰り返す。

 だがその途中、傘を開いた有馬くんが、彼女の一撃をそれで交し。クインケの形を変化させ、眼前に構えた。

 

「遅れて申し訳ない、ハチボォォォイ」

「あ、来たッスね。……なんかボロボロッスね」

「意外とやるウサギちゃんだった。

 さて――有馬ボォイは?」

 

『フィナーレだ。――スラッシュパニッシュ』

 

『――リコンストラクション!

 ナルカミ・フルボルトブレイク!』

 

 隻眼の梟の攻撃。それを上体ごとそらして無理にかわしながら、彼女の胴体に一閃――。

 

『……痛ぃな、全く』

 

 腹部を押さえながら周囲を見回す彼女に、有馬くんは何も言わず。

 周囲の捜査官も、手を出すべきか否かで迷っているように見える。

 

 そして――次の瞬間。

 

 

 

「て」「レぽー」「ト」

 

 

 

 ――彼女は彼らの眼前から離れ、私を抱えてビルを飛び降りていた。

 

 何があったのか。一瞬の光景の変化に、私の認識がついていかない。

 上の方で捜査官たちが反応しているのが聞こえる。

 

 が、敵も敵だった。

 

『――Hyper・Lightning・Over!!!』

 

 有馬くんは速度に対応したのか、落ちていく私達のおよそ五メートルほど先の位置にいる。

 その位置から右腕にまとう黄金の鎧を構え、拳を握り。

 

『――リコンストラクション!

 ナルカミ・フルビート!』

 

 わずかに拳を突き出すだけの動作で、放射状に電撃が放たれる。

 

 

 それを、地面から飛び上がった巨大な赫子の怪物を盾にし――同時にそれと合体し、飛び去った。

 

 離れていく最中、地面に向けて傘を開いた有馬くんが、それをクッション代わりにごろごろ転がり、衝撃を殺していた様が見えた。

 

 

 

 

 

 どれくらの距離を移動しただろうか。

 

 

 

 

 

 背に乗せた私を下ろし、彼女はドライバーを捜査した。

 瞬間、巨体が解け、マントのように変化し――。

 

 フードの上から更に被るようにまとった。

 

 その下は、どこか妻を思いださせるような、ワンピース姿。

 

「まったく、着替える余裕もなかったよ。せっかく『勝負服』とか選んでたところだったのになー。

 にしても、いくら赫子纏ってたからって、アイツも容赦しないし。……って、あー! 服切れちゃった!」

 

 軽い口調の彼女に、私は問いかける。

 

「エト、か……?」

 

 

「今は、死神ドクターだよ?

 ――おと~さん♡」

 

 

 ちっちっち、と人差し指をたて、左右に振り。彼女は私に笑いかけた。

 

 言葉が物理的に続けられない私に、しゃがみこんで、顔を覗きこむエト。

 

「本当は『全部』終わってから、最後に行きたかったんだけどねー。ごめんね? 変な形になっちゃって」

「ぅぅ……、」

「でも、流石に『嘘つき共』を片付けるのにも、色々手間がかかるっていうか……。んん、とにかく色々言いたい事とかもあるんだけど、でも――ごめんね?」

 

「す」「りぃ」「ぷ」 

 

 言いながら彼女は、どこからか取り出した小さい骨のようなものを、私の腹部に差込み――。

 瞬間、私の体の感覚が鈍くなっていく。

 

「親不孝、子不幸だけど……、でも、そうしないと私は、私の運命を認められないの。

 この、無意味に歪められた鎖を解きはなって――私達家族みたいなヒトを、生み出さないようにするまで」

 

 既に私の思考は、朦朧として、彼女の言葉の意味を捉え切れない。

 そんな私に、エトは笑いかけて。

 

「――おとーさんのお店の珈琲、美味しかったよ?」

 

 ……嗚呼。来るのを待ち、語らうことさえ適わなかったが。

 

 

 どうしても、その一言だけで、私は何か報われたような気がした。

 

 

 

 

 




 
 
 
 流石に俺も、死を覚悟している。
 
 丸手さん達のところを抜け出して、カネキを探しに行けたところまでは良かったけど。問題はむしろそっからで。
 
 眼帯したカネキがはいつくばってる様を見て。それに、休めって声をかける亜門さんを見て。
 
 
 ――次の瞬間、亜門さんの腕を刈り取った何かが、俺の横っ腹も「たまたま」ぶち抜いて。
 
 
 それでも、無理をしてカネキ引きずって、地下に入って。
 腕に齧りつくカネキに、まぁ、もういっかと色々俺自身覚悟を決めて。
 
 ただ、そんな状態でもカネキは、肘から上に行く前に泣き叫んで、食べるのを止めて。……嗚呼、やっぱコイツはカネキなんだなぁと。人間だろうが喰種だろうが、マジで関係ねぇんだなぁと、そんな感想を思って。
 
 ヘタれるカネキの、ケツ叩いて立ち上がらせて。
 
 
 ……どれくらい、経ったかな。
 
 
 左手の指の感覚が、なんだかミイラでも纏ってるみたいな、って言ったら変か? もう、意味わかんねぇくらい薄れていって。動かすだけでパキパキ言うような感じがしちまって。
 
 三晃さんは、確か言ってた。東京の地下には、古い喰種が作った逃げ道があるって。
 この先を走って行ったのだから、カネキもきっと、それを知ってるんだろうと思ったけど。
 
 流石に、遅い。
 
 戻ってくると言った以上は、アイツはきっと、最後に戻ってくるだろうと思っていたけど。こりゃ……、何かあったか?
 
 でも、悪ぃんだけど、俺ももう限界っぽいわ、こりゃ。
 
 歩けねぇって、ホント。
 
 まさか最後にした女の子とのデートが、三晃さんにひたすら駅前のルート分布を教え込まれるディナーだったとは、俺も思っちゃいなかったぜ。ホント。いやマジで。
 
 嗚呼……。しっかし何ていうかなぁ。
 
 こういうのも後悔っていうんかな? 俺も、カネキには色々言わなきゃいけないことが、まだ、沢山あるってのによ。
 
 
「……クソ、あの、リーゼント親父……ッ」
 
 
 そんな悪態が地下に響くのを、俺は聞いた。
 ふと、その方向を見る。腹を押さえた、少年の姿を。
 
「……トーカ、ちゃん?」
 
 似てる。思わず呟いたその言葉を、彼は耳ざとく聞いたらしい。こちらをキッと睨み、舌打ちをした。
 
「なんで捜査官が、アイツ知ってるんだ……?
 クソ、死んでりゃ補給できたってのに」
「な、何言ってるんだ?」
 
 俺の疑問に、彼は、鼻で笑って言った。
 
 
「お前――人間辞める気、ねぇか?」
 
 
 


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#086 後 /研 

 
 
 
「先日、『先輩』から最新の研究が回されてね。これで安定的な運用が可能になった。
 加えて君のお父様が持っていた装置に埋め込まれた――”レッドクラウン”。これで、計画が次に移せる」
 
 嘉納の言う事を話半分に聞きながら、私は、眼前に浮かぶお父さんを見上げる。
 
 「骨」の魔法で眠ってもらって、果たしてどれくらい時間が経ったか。それでもリゼちゃんと違って穏やかな眠りなのは……、考えるの止めた。
 
 私は、つとめて道化的に振舞うよう心がけた。
 
「CCGでのテストは終了しているらしいからね。ま、こっちもダイジョブっしょ」
「喰種捜査官での実験がまず先だが、さてどうなるか。一般人よりも強靭な肉体と精神だ。
 しかし……、カネキくんが、ああも育つとは。可愛そうなことをした。
 元々クロとシロの前段階の実験ではあったが……」
「今更善人ぶる必要あるか?」
「……この感傷を無くしては、立ち向かうべき敵を見失うからね」
 
 タタラの言葉に、嘉納は苦笑いを浮かべた。
 
 私は、お父さんの顔を見る。
 
 
『…………』
 
 
 やっぱり、お父さんは微笑んで、目を閉じていた。
 
 
 
 
 
 


 

 

 

 

 

 全部終わっても、篠原サンは眠ったままです。

 

 病室のベッドで、規則正しく呼吸機に息を吐いてるです。

 車椅子の僕を、いわっちょさんが後ろから押してくれてるです。いわっちょさんも片手だけど、でも、やっぱり力強いです。それに身を任せながら、僕は篠原サンの病室に入ったです。

 

 病室は、すごく静かで――壁には、小さい娘さんと、篠原サンと、奥サンとが、若い頃の写真があったです。篠原サンが、刑事みたいな格好してたです。

 

「……大量出血とショックにより、脳に深刻なダメージを負ってます。体内はむしろ『以前より』健康だったりしますが……、意識が戻ることは、おそらく」

「……」

 

 篠原サン、ずっと寝たままですか?

 

 廊下から「サイコふっかつじゃー! とっとと潜るじょー!」みたいな変な叫び声が聞こえるですけど、そんなの全然気にならないです。

 いわっちょさんも、僕も、じっと篠原さんのことを見ているです。

 

 そんな後ろから、おじさんが声をかけてきたです。髪が白くなっていて、右腕がなくなってるけど、見覚えが在る顔です。前に篠原さんに見せてもらった写真に居た――。

 

「利き腕じゃなくて良かったな、黒磐」

「……伊庭特等」

「元、だぜ? もう50も後半だ。

 たく……。真戸といいコイツといい、今回は上司不幸多すぎだろ、全く」

 

 バカヤロウが、と呟く声は、何か堪えるような感じで震えていたです。

 僕は……、何も、言うことが出来なかったです。

 

 失ってからはじめて気づくなんて、そんなことは言えないです。

 

 今までの僕の行動からして、それは、たぶん言っちゃいけないです。

 

 いわっちょさん達が立ち去るのを見て、まだ居させてくださいって言って。面会時間は大丈夫だって言われたので、もうしばらく、篠原サンを見てるです。

 本当に……、本当に静かです。

 でも呼吸の音が聞こえるのが、嗚呼、まだ生きてるんだと。それが、なんか、悲しいですけど、うれしいです。

 

 

「……什造くん、かしら?」

 

 奥さんが、僕に声をかけたです。

 前にお祭りの時に会って、その時以来です。

 

 僕は……、頭下げるしかできなかったです。

 

 足を切り飛ばされたのも、みんな到着するの待たないで勝手にやったからで。

 それも、篠原さんを鈍らせた理由の一つかもしれないと、今は思うです。

 警戒とか、全然してなかったです。クロナたちと戦った時みたいに、「お仕事」だけど「適当でいい」くらいに考えてたです。

 

 僕がもっとちゃんとしていればと。頭を下げるしかなかったです。 

 

 奥さんは悲しそうに笑って、僕に椅子にかけるように言ったです。

 

 食べられないですが、篠原さんの前に置いてあったりんごの皮を剥いて、僕に手渡してくれたです。

 

「捜査官の妻ですから、どんなことでも覚悟はしているものですよ。

 でも……、うん。私達、昔、喰種に子供を殺されてね? だからかしら。その子が生きてたら、丁度、あなたくらいの年なのよ」

「……」

「だから、このヒト、あなたのことね。

 自分の子供のように、大事に思ってたみたい」

 

 だから、そう泣かないでって。

 

 僕の頭をなでて。そのまま篠原さんの身体のお世話を少しして。

 奥さんは、そのまま病室から出てったです。

 

 僕は……。

 

 

「ゆっくり、お休みなさいです。

 僕があなたの分まで、しっかり働きますから。みんな、死なせないですから。

 

 ……見ててください、篠原特等」

 

 頭を撫でて。相変わらず変な髪形してるって思うですけど。でも、それさえ愛しく感じる。

 

 この感じは……ママのそれに、近いものがあったです。

 

 

 だから、そういう意味では、僕はもう、前の僕とは違うです。

 

 僕は……、喰種捜査官です。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 父の葬儀が終わった頃。私の元に、遺書が届けられた。 

 誰かと思って見れば……、亜門鋼太朗のものだった。手に取りはしたが、どうしても踏ん切りが付かず、それを開くのを私はためらった。

 

 先日の作戦。喰種の駆逐率は99パーセントだと発表された。……肝心の梟を逃して。

 

 父は、私にも内緒でとんでもないクインケを準備していたようだった。直にその設計書と、残骸とを見て、いかにその執念が深かったか、準備が長かったかをうかがい知ることが出来た。

 レッドエッジドライバーによる、意識のみのリンクアップ。

 文字通り、操縦者の手足がもがれようとも運転可能な、まさに巨大なアラタだ。

 

 それを、梟は一撃でバラバラにしたらしい。

 

 先日、五里美郷と話した。一緒に呑んだ。父も、亜門上等も、滝沢も、みんな一気に失ったこの状況で。女同士で話し合うにも、それくらいしかなかった。

 いつの間にか、そこには安浦特等も居た。母の同期であり、父の葬儀にも顔を出してもらっていたせいか。それともたまたま、1区で呑んでいたせいか。

 仕事中とは違い、オフの彼女はよく笑ってた。

 

「アキラちゃん残して逝くなんて……。クレオくんも、さぞびっちゃんに怒られてるんじゃないかしら」

 

 びっちゃん、というのは我が母、(かすか)のあだ名らしい。なお父によれば、母はその呼び名を、貞操観念が低そうという理由で嫌っていたそうだ。

 

「わらしは……、亜門こぉたろーを、尊敬していタッ!!!!!」

 

 酔いが回った美郷は、泣き上戸だった。

 おろおろと泣き出す彼女を、安浦特等がよしよしと宥めている。近々見合いの話が来ているらしいとも言っていた。好みのタイプが「自分を守ってくれるような男」であるからして、さぞ色々と辛いものがあるだろう。

 

 私は……、どうだろうな。

 

 言うだけは言った。やるだけ滅茶苦茶してやった。

 後は、あの男がどう返事をするかというところだった。

 

 それが……。嗚呼……。

 

 滝沢も滝沢だ。亜門鋼太朗を助けに行くと叫んで、走って。運が悪い事に、私の嫌な予感が当たってしまったらしい。現場には、ヤツの左手の平が食いちぎられて残っていたそうだ。

 死に物狂いでクインケを離さなかった左手が。

 

 ……実戦において、その姿勢は、我が父が語るまでもなく大きい。

 

 デスクワークばかりで実戦に出れなかったとしても、なお、その姿勢は貴い。そのことでずっとからかっていたことが、今は、悔やまれる。

 

「あの……、真戸さん」

「……? ああ、雨止か。準備は終わったか?」

「はい」

 

 ぼうっと色々と思いだしていた私に、雨止が声をかけた。軽く謝ってから、彼女のデスク周りに忘れ物、落とし物がないか一緒にチェックする。

 

 雨止は、どうやらまた別な区に配属になるらしい。今回の作戦で開いた穴を、無理やり埋めるために移動となるそうだ。終始、20区局内で待機状態だったからこそ、私達の現場に参加できなかったことに誰より悔しい思いをしてるのは、きっと彼女だろう。

 見送り際、彼女は私に言った。

 

「そういえば、亜門上等からもらってましたか? プレゼント」

「……?」

「なんだか前、篠原特等に教わりながらラッピングとかしていたので、もしかしたらと思っていたのですが」

 

 それは、初耳だった。

 そして不意に、脳裏を過ぎるのは亜門鋼太朗からの遺書だった。大きめの茶封筒で、その中には何か、箱のようなものが入っていたような……。

 

 不思議と気がすすまないが。

 

 それでも、自宅に帰ってから、私は封筒を開けた。

 マリステラ(飼い猫)が見守る中、一枚の便箋と一緒に出てきた包装された箱に、私はなぜか、いたたまれなくなった。

 

 便箋を開いて読もうとした。 

 ……どうしても、躊躇してしまった。

 

 視線を逸らした先に、父の遺影がある。不敵に微笑むそれが、まるで「怖がるようなものではないぞ? アキラ」と、さとされているようにさえ私には感じられた。

 

 深呼吸をして、マリステラを三十分くらいモフモフして、便箋を手に取り、また躊躇してマリステラと戯れて一時間。

 ようやく手に取り、私は目を通した。

 

 

 ――まず、これがお前のところに行っているだろうことを謝りたい。 

 

 

 そんな一文に、ばつの悪そうな表情をするあの男の顔が浮かんだ。

 どうやら遺書となるとあの男、渡せる相手がいないらしい。神父か我が父か、となるところだったそうだが、どうやら父が私に宛てるようにすすめたそうだ。

 

 ――書ける事もあまり多くなくて、すまない。

 

 だったら書くなと、思わず言いたくなって。そして、続く一文に、私は目を見開いた。

 

 

 ――俺はきっと、お前の想いに答えることが出来ない。

 

「何を馬鹿な」

 

 ――もし、俺がお前と「そういう関係」になった時。……何かの拍子でお前を失った時。俺はきっと、もう、俺を保つ事は出来なくなるだろう。

 

 ――自分の知らない奴のことを重ねるなと、お前は言った。だが、どうしても俺はお前に張間を重ねてしまう。

 

「……想像はつくが、説明を入れろ、説明を。関係がわからんぞ、お前と、そいつの」

 

 ――あいつが死んだとき。俺は、捜査官など度外視にして、喰種に憎悪を抱いた。それまで以上に。

 ――その感情は、決して間違いだとは思わない。だが……、きっとそれでは、俺には守れないものがあると思う。

 

「…………」

 

 ――だから……、これがもし君の元に行っているのなら。

 

 ――どうか、俺の事は忘れてくれ。

 

 

「……」

 

 

 ――追伸:以前、お前にプレゼントしようと買ったものを同封しておく。俺は、お前の飼い猫に似ていると思う。

 

 

 包装紙を破り、リボンをはがし。……挙動が乱雑になってしまうのは、仕方ないだろう。中にあった小さな箱を開けると、そこには、猫のようなキャラクターのストラップがあった。堂々とこちらを見てたたずむ様は、確かにマリステラの知的なおもさしを連想させる。

 

 だが……、なぁ、亜門鋼太朗。

 

 

「阿呆だな……。こんなもの、いつでも渡せたろうに……」

 

 

 自然と、あの男のマヌケさに私は笑みがこぼれて……、涙が止まらなかった。

 

 愚かだよ、お前は。亜門鋼太朗。

 そういうところがすごく良くって……。だから、私は。

 

 

「……」

 

 

 安浦特等が、独身を貫く理由が、なんとなく分かるような気がした。確かにこれは、重い。物心つく前になくした母のそれよりも、はるかに。

 

 私は、ストラップを握りながら……。

 堪えようとして、でも、結局、泣いた。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 建物が、建て替えられる。

 張り紙を見る限り、どうやらここにはケータイショップとかが立つらしい。 

 

 周りを見渡す。ほんの数ヶ月前に、ここで、多くの血が流れたのを思わせないくらいに。

 

 ――古間さんに以前、聞いた事があった。「あんて」の、あんていくの、意味について。

 

 カヤさんは「ステキな意味」だって言ってたけど、正直、よくわかんない。 

 

 告白して、一応付き合ってるってことになった後で研に聞くと、なんとなくわかってるような感じだったのがなんとなくイラっときた。

 

 私だけわかってない感じで、それはそれで、こう。

 でも単に教えてもらうだけっていうのも、癪だし。

 

 

 ――あの喫茶店、喰主がやってたらしいぜ?

 ――マジ? 入ったら食い殺されてたかもなぁ。

 

 

 野次馬の声が聞こえる。ふとそっちの方を見ると、白い服を着た黒い髪の、ヒゲを生やしたオッサンが、レコードを一枚置いてった。もしかしたら、店長の知り合いだったのかもしれないと、なんとなく私は思った。

 ぽん、と四方さんが私の肩を叩く。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 言いながら、私は四方さんの後に続いた。

 

 ……クロナに渡していたケータイは、四方さんのコンテナの中に置いてあったらしい。そこには一文「金木くん助けにいってくる」とだけ打ち込まれていた。

 

 研が、帰って来ない。研を助けに行ったクロナが、帰って来ない。

 

 …………。希望のあることを、抱けるような、私は子供じゃない。

 自ずと、それが示す答えは一つだった。

 

 歩く私に、四方さんは言った。後追いでもするんじゃないかと、心配していたらしい。

 それに対して、私は苦笑いして、首を左右に振った。

 

 

「約束したから。帰ってくるって」

「……」

「私にとって……、私達にとって、アイツも居場所みたいなものだけど。

 でも、だったらアイツの居場所が、ないとね」

 

 少しだけ微笑んで、ふと空を見上げる。依子にも、黙っていきなり出ていったから、もう、何も残ってはいないのだけれども。

 

 でも、それでも――。

 

 

 

「私は、信じることにしたから――」

 

 

 

 

 ――アイツは、私達のところに帰ってきてくれるって。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 次回、√B最終回


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#087  引/ 董

 

 

 

 

 

 流石に場所を移した。

 

 「あんて」があったところの近くで店をやるっていうのは、それなりにリスクがあった。豆を売ってくれているあのオッチャンは相変わらずだけど、だからといって危険性が高いことに違いはなかった。

 

 でも、それでも……、結局、20区は抜け出さなかった。

 

 芳村さん達が築いてきた下地があるからか、やっぱりここが、一番落ち着いてるような気がする。

 

 その「あんていく」もなくなって、今、一部はちょっとしたパニックになってる。今まで「あんて」で押さえられていた奴らが少し暴れだしてるらしくて、警戒しろって放送をよく聞くようになった。

 依子、大丈夫かな……。

 

 考えたところで、確認しに行く勇気もない。

 

 ただ、それでも心配に思うのは、たぶん研に毒されたからだと思う。ニシキあたりに言ったら、きっと鼻で笑われるんだろうけど、貴未さんあたりにシバいてもらうからそれはいいとして。

 

 店は、案外すぐ準備できた。芳村さんが元々、何かあったときのために別なロケーションの土地をとってあったらしい。四方さんがものすごくタイピングゆっくりに書類を作ってるのは中々見ごたえがあったけど、やっぱり色々と手を回してくれているのは、芳村さんらしいって思った。

 店長は……、行方知れず。

 古間さんや、カヤさんも情報は上がってこない。 

 

 当然、クロナや、研も。

 

 半年くらい経った頃だったっけ。ヒナミが、店を出て行くって言った。あの時、誰からも話されず、誰からも頼られなかったのが悔しいって。万丈が心配してるのに、サムズアップして、笑顔で「行って来ます」って言ったのを、今でも覚えている。

 

 ヒナミは……、アヤトと一緒に、マスクを付けて写真がとられていた。

 どういう経緯をたどったのか、いつの間にかヒナミは「アオギリ」に入っていた。

 

 アオギリはアオギリで、ますます勢力を拡大していっていた。なんかウチにも「月給一人分!(死体)」「ブラック企業じゃありません!」みたいな感じのアオギリのビラが入っていたりもした。これ考えた奴はきっと頭おかしい。

 

 店長たちみたいな立ち位置になって、すごくわかったことがある。

 

 店長は、きっと私達のことをよく見えたんだろうってことだ。お店で従業員として働いていたときは、よく色々気が付くなっておもってたけど。でも実際、立場が変わったせいか、お客さんの顔も、バイトの顔も、クソニシキがサボってるのも、よくわかるようになってきた。

 

 だから、なおのこと思う。

 

 喰種だって知らない人間のお客さんの笑顔が……、重い。

 

 三晃がふらりと店に来た時に言ってた。それは危ない兆候だって。気を抜いたらすぐバレてしまうって言って、なら口くらいは聞いてあげるとか言われた。まぁあっちはあっちで「私のエンタメ君が消息絶っちゃって、ちょっと寂しいのよね」とか愚痴をこぼしてたけど。

 

 そういえば……。小説家の、誰だっけ? 研が好きだった。あのヒトが何故か、私宛てにサイン本を一冊置いて行った。ウサギ二羽が小さいイラストで描かれていたのが、何を言いたいって感じだったけど。

 

 何だろう、そんな他人から見ても、私は寂しがってるように見えるんだろうか。

 

 

 ……まぁ、否定しねぇけど。 

 

 

 実際、寂しいとかそういうカテゴリーじゃない。私は待つって決めたんだ。研が帰ってくるのを。生きるために私に待っていてくれって言ったんだから――私が待つのをやめたら、アイツ、帰る場所がわかんなくなっちゃうんじゃないかって思う。

 

 ふと、カウンターの掃除を終えて視線をふると、「あんて」の跡地で拾った、割れたカップが一つ。

 

 なんとなくそれをじっと見てから、私は表に出た。

 

 裏口では、四方さんがなんか新しく買ったらしいバイクに、花みたいなペイントをしている。オレンジの感じの花は、ぱっと見て名前が思い浮かばないけど……。そういえば店長のバイクの改造をしていたのも、四方さんだったっけ。

 

「おはようございます」

「……おはよう」

「それ、何ですか?」

「(…………マシン・キンモクセー)」

「はい?」

 

 ぼそっとしていて聞こえなかったけど、四方さんはそれ以上話してくれないらしい。

 あれは、照れてるんだろうか……。不機嫌なときのアヤトよりも、考えてる事を予想するのが難しかった。

 

 そっちの方も軽く掃除して、改めて表通りの方、つまり正面へ。

 

 立て看板の「close」を「open」にして、私は伸びをした。

 

 

「よーし、やるか」

 

 

 風が私の頬をなでる。

 大通りを吹きぬける風の方角を見る。

 

 誰がいる訳でもない。ただ、まだ朝早くのがらんどうな道が、そこにあるだけ。

 

 ただ何となく、そこに誰かが居るような気がして――居ないはずの誰かをそこに求めて。

 

 

「……」

 

 

 少しだけ微笑んで、私は髪を流して。 

 

 

 

 

 

 ――トーカちゃん。

 

 

 

 

 

 嗚呼、そんな声を投げかけてほしくって。私は店の戸を――。

 

 

 

 

 

 ―― ……トーカちゃん?

 

 

 

 

 ……?

 

 

 

 ―― あれ、間違ってないよね、たぶん……? 聞こえてないのかな、おっかしぃなあ。

 

 

 ……?

 いや、ちょっと待って。

 

 

 へ――ッ!!!!!!!?!?!?!?!??????!!!!?

 

 

 私の感じた声は、研の声に他ならないけど。 

 てっきりそれは、私の願望が齎した頭の中だけに聞こえるものだと思っていたのだけれど。

 

 でも、そういう幻? にしては、なんか、こう……。あまりにも「らしすぎる」っていうか。

 

 

 恐る恐る。本当に恐る恐る、私は振り返って――。

 

 

 

 

 

「――あ、やっぱりトーカちゃんだ」

 

 

 

 

 

 そこに立っていた相手を、間違えるはずはなかった。

 

 頭はずいぶん根元を中心に黒くなって。服はスーツみたいな感じの格好で、でもネクタイ結ぶのがヘタな感じになっていて。

 眼帯も外していて、でも、それでも、私は、間違えるはずはなかった。私が間違えるはずはなかった――。

 

 

 気が付けば、全力で私は走りだして――。

 

 

「へぶっ!?」

 

 

 両手を広げた研の顔面に、一発、渾身のアッパーを喰らわせた。

 

 その場で転がる研に、真昼間だってのに関係なく馬乗りになって、何度も顔面をはたいて。 

 

「いや、あの、トーカちゃん痛い、痛いから、ちょ、待って――」

 

 

「――いち、ねん……っ」

 

 

 言葉が続かなかった。

 私の頬には、気が付けば涙が伝っていた。

 

「……待たせちゃって、ごめん」

「……っ、」

 

 研の胸を殴る力が、段々弱くなっていった。

 身体が、震えて仕方がなかった。

 

 ただあふれ出る衝動に動かされて、どうしてか私は研を殴っていた。 

 

 でも、研はそれには何も言わなかった。

 

 

 ただ私の頭を撫でて、そのまま抱き寄せた。

 

 

 私がこんなに、こんなに色々と、もう、感情が制御できないっていうのに、研はひどく落ち着いていて、そのまま私を優しく抱きしめていて……。

 それでふと、安心してしまう自分の単純さが、ちょっと複雑だった。

 

 

「……なんでこんな、遅いのよ、ばかッ!」

「……えっと、それはですね――」

「言い訳すんな。どーせまた死にそうになったり、変な感じだったんだろーけど。

 約束したから! 絶対、ただじゃ済まさないから――」

 

 今夜はもう、色々(ヽヽ)覚悟してもらうと決めた。今決めた。絶対、コイツが簡単に私たちから、主に私から離れらんないようにしてやると、今の感情のまま心に誓った。

 

 そして。

 

 

 

「でも……、――生きてて良かった」

 

  

 

 研は、何も言わないで、泣き続ける私をそっと抱えて、店の中に入った。

 

 

 ふと見上げると、研も泣いていた。泣きながら笑っていた。

 

 なんとなく私は、そんな研の鼻をつまんで。

 でも、逆襲に遭った。困惑してる研を見て笑っていると、今度は「研の方から」唇を重ねてきて。

 

 慌てるしかない私に、研は、抱きしめながら言った。

 

 

 

「ただいま、トーカちゃん」

「……ん、お帰り」

 

 

 

 

  失いながら生きていくしかないと、四方さんは私に言った。

 私も、それは思う。今まで生きてきた中で、ずっと失わないでいられたものの方が少ない。お父さんも、アヤトも、依子も、あんていくも。

 

 でも――それでも。

 

 少しくらいは、何か残ってくれるのなら。それは幸せなことなんだろうと、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――墓が、ある。

 

 私はその前で、ただ淡々と、最近のことを述べた。

 

「……今日付けで一等捜査官だ。

 キメラクインケおよび、AG3-M量産化計画の功績が認められた。それに伴い、これからは有馬特等率いる『アオギリならびに新種の喰種』対策チームに所属する」

 

 父の墓は、何も言わない。

 

 私はそれに、ただ淡々と述べるだけ。……出来る限り、感情が挟まらないように。

 

 亜門のことも、滝沢のことも、つとめて思いだして、泣き出しそうな顔を父に向けないように。

 

 

 

「……そういえば、特等からメンターをしてくれと任されてな。

 特等の話によれば、彼女(ヽヽ)は普通の捜査官とは違うらしいが――」

 

 

 話している最中、後ろから声をかけられた。

 私の名と階級を呼び、頭を下げる彼女。茶に黒と、白とが入り混じったような独特の髪をしている。

 

 頭を上げた彼女は、緊張したように言った。

 

 

 

「さっ……、佐々木琲久愛(はくあ)三等捜査官ですッ。

 特等のご指示で明日より、真戸一等の操作技術を学ばせて頂きます」

「嗚呼」

「よ……、よろしくお願いします」

 

 

 

 たどたどしく頭を下げる様に、聞いていた実年齢よりも幼い印象を私は受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 




TO 「仮面ライダーハイセ RE」

※ただし番外編→中間編を経由する  


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  おまビアン 設定資料集その2

前のおまビアンも含めてご参照いただけると、理解しやすいかと思います;


 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

4.ヴィクトリーシンクロユニット

 

 破棄確定となっていたクインケドライバーを何とかして再利用できないか、と元監獄長、故・御坂がラボラトリの地行博士に泣きついて完成した、クインケドライバー用拡張ユニット。開発者いわく「低予算で作った割に出来がエキサイティイイイイイイングッ!」な代物。

 基本的な仕様はクインケドライバーの拘束力の調整。ダイヤルを回すことでゲット1~ゲット5まで、ドライバーの拘束力を引き上げることが出来る。

 捜査官キジマ式をはじめ数人がテストをしていたが、アオギリの樹によるコクリア襲撃で量産化はお流れになった。

 なお命名はCCG現局長、和修吉時。

 

 

4-1.パウピッチ

 

 ドライバーによる拘束力の開放レベル設定用ダイヤル。しきい値が5つ設けられており、それぞれの値によって効果が異なる。

 なお基準はゲット2で、ゲット1だと逆に拘束力が低くなる。これは開発者いわく「弱い喰種から情報を聞きだす際、通常ドライバーでも会話が出来なくなる場合があるので安全性のため」とのこと。

 

4-2.データチップ

 

 クインケドライバーの機能拡張チップ。ダイヤルによる制御機構を搭載するため、起動中は拘束レベルの指令系統がこちらに遷移する。

 一晩で無理やり仕上げられたため、プログラム解析は困難(※まだ思索段階ということもあって、内部の量産化に向けては作られていなかった)。

 

4-3.ヴィクトリーゲート

 

 クインケドライバーとシンクロユニット本体との接続箇所および本体。

 内部にクインケドライバーのグリーンクラウンを半分に砕いたものが装てんされており、通常の喰種であれば破壊することも困難。

 

 

クインケパーカー

 

 キジマ式によって報告された、特定の喰種に対してドライバーを使った場合に起こる現象。背中から噴き出した赫子が中途半端に全身を覆う形が、ロングパーカー状に見えることから命名。

 これそのもので赫子と同等の性能を秘めており、いわば「変身」の一種。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

  

 

5.量産型クインケドライバー+(プラス)

 

 狂気の医師、嘉納明博が(おそらく)開発しただろう、クインケドライバーの量産型。基本的な用途は、どうやら実験体の拘束や、実験体の人体と赫胞のリジェクション(拒絶反応)防止であったらしい。

 最大の特徴としては、右側にもデータチップ装填口が設けられており、ここにアップライドダイヤルユニットを装填することで通常クインケドライバーと同性能を発揮することが出来るようになる。

 用途が用途なので装着時に痛みは極力押さえられており、通常の喰種でも気楽に装着できる(なおそんな喰種自体ほぼ存在しない)。

 なお、ラボラトリによる解析によると「クインケドライバーより低コストで作られている」らしい。

 

1-1.セントラルレンズ

 

 ドライバーの中心部分にあるレンズ。アップライドダイヤルのモードに対応し、内部にそれぞれの文様を浮かび上がらせる。

 

1-3.クロッシングネスト

 

 Rc抑制触媒「グリーンクラウン」を格納するドライバーの基部。全体の統制も果たす。機能拡張が確定しているため、入れられていたため、カバーで隠されているが正面左右端には拡張データチップの装填口が設けられている。

 

1-3.Rcバンド/Rcシェル

 

 赫子が変化したベルトの帯部分と、ベルトとの接続を仲介する接続用コネクタ。腹部に装着した瞬間、装着者の喰種の赫子の制御を強引に乗っ取り、Rcバンドに変化させる。 

 

1-4.アップライドダイヤル

 

 ドライバー正面の右側にとりつけるダイヤル型ユニット。データチップを含み、近距離モード、遠距離モード、騎乗モード、爆破モードの切り替えを行う。

 

 

クインケドライバー(Qドライバー)との性能比較

 

・拘束性: Qドライバー > 量産型ドライバー

・量産性: Qドライバー < 量産型ドライバー

・拡張性: Qドライバー ≒ 量産型ドライバー

・普遍性: Qドライバー < 量産型ドライバー

・経済性: Qドライバー < 量産型ドライバー

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

   

6.マシンバトルオウル

 

 分類

  大型自動二輪車

 ベース

  ※参考、トライゴウラム

 全長/全幅/全高

  通常時:2,500mm/880mm/1,230mm

  変身時:3,150mm/1225mm/1,753mm

 最高出力

  通常時:111kW/7,500rpm

  変身時:444.6kW/13,000rpm

 

 芳村功善専用の、白中心のトリコロールカラーのモーターサイクル。ベース車に外層を追加し梟めいた文様を描いたのは四方蓮示。

 多少の戦闘に耐える強度と、赫子をまとっても全体に動作不良を起こさないようある程度改造されている。

 元々芳村自身はバイクを必要としていなかったのだが、赫子が分離できることに目をつけた四方が「・・・乗らないのか?」と寂しそうにしたため、せっかくだからと免許取得して今に至る。

 変身時は赤い猛禽類のようなヘッドと、羽根のようなものが車輪から噴出し飛行する事も出来る。また普段からエンジン内部に赫子を内臓しているため、多少の自律走行が可能。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

  

7.アラタG3(ライドモード)

 

 分類

  大型自動二輪車

 ベース

  ※参考、ネオサイクロン

 全長/全幅/全高

  通常時:2,660mm/1020mm/1,110mm

  フルブレイク時:4,560mm/940mm/1,110mm

 最高出力

  通常時:117kW/5,500rpm

  フルブレイク時:計測不能(理論上はどこまでも加速する)

 

 アラタG3のモードの一種。

 基本仕様はクインケのアラタG3だが、移動しながら戦闘を可能にしたいという開発者の意向によりデザインされたバイクモード。青、黄色のボディに赤いランプが映える。

 なお車輪部分は変身時には丸ごと背面に一つ、残りは分割され両足に絡まる。マフラーになっているホーン部分は肩アーマーの裏側から背中に流れるように垂れる。

 

 

 

 

 



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  おまビアン ライナーノーツ

 

 仮面ライダーハイセ、お読み頂きありがとうございます。

 引き続き番外編、次の中間編(章タイトルはまだ明かせない)、RE編とお楽しみいただければ幸いです。

 

 さて、一旦無印が終了したので、あとがきではないですが、簡単な本作のライナーノーツ的なのを打ってみようかと思います。主にこういう意図で展開したんだよー、とか、後はちょっとした小ネタとか元ネタとか、色々打っていこうかなーと。まだ終わらないのであとがきにはならないのですが、とりあえず一つの区切りということで。

 

 当然ですが原作、本作、ライダー周り一部のネタバレオンパレードなので、要注意です。

 

 前置きはこれくらいにして、では内容どうぞ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.全体

 

 コンセプトとしては言わずもがな、あらすじの注意書きにあるように「喰種の設定をライダーっぽくしたら」というのがスタートです。本編を読んでいた時、種族間で悩んでいた初期の部分やら、あるいはそもそも「改造手術」で「怪人(喰種)と同じ力を得た」とか、亜門さんの変身が決定打として、そういう部分で脳裏に最初に浮かんだフレーズが、

 

「仮面ライダー=金木研は人造喰種である。 彼を改造したアオギリの樹は、世界制覇を企む悪の秘密結社である。 仮面ライダーは人間と喰種の共存のために、アオギリと闘うのだ!」

 

 というものでした。きっと当時の私は疲れてるのよ、モルダー。

 まぁ:re始まったりやっていくうちに、色々そのフレーズがおかしかったりすることに気づいて行ったわけですが・・・。ともあれ、その勢いで書き上げたのが本作でいう#001だったりします(なのでこのあたり、微妙にドライバー周りの設定とかが雑です)。

 

 続編を書けるかな? 程度の状態でとどめていた#001でしたが、アニメの√A終了に合わせ、自分の中で色々膨らんでいったものがありました。アニメラストカットのトーカちゃんです。あの瞬間、カネキの姿を確認できていなかった、その事実が、どうしてかクウガの桜子さんが青空を見上げるシーン→五代が微妙に曇った笑顔で子供たちに笑顔を与える、の流れを想起させ・・・。

 当時(クウガ放映当時)の自分は、五代雄介が帰って来ないことに一定の納得があったのですが、でも桜子さんたちに顔を出して欲しいという部分も残ってたのだろうかと、今更ながらにちょっと驚いた感じでした。

  

 その時点の動機をもとに、なんとなく、本当にゆるく#002以降もやってみようかと、そういう発想が出てきた感じでした(当時「死神教室」も複線周りの整理と再編集に手間取っていたので、軽い気分転換のつもりでした)。ここで決めた事は三つ。

 

 カネキがトーカ達の元に帰ってくること。

 世界観から極端に逸脱しない程度に設定を考えること。

 そして、亜門さんに面と向かって「金木研」と呼ばせることです。

 

 少なくとも無印をやるにあたって、この三つは絶対に外さないようにして作ろうと。ならばどうしたものかと考えた結果、行きついた答えの一つがカネトーでした(決して「私の趣味だ!」のみにあらず)。

 

 

 

2.カネトー 

 

 何故にこれが必要になったのかと言えば、まぁ半分は確かに「私の趣味だ! いいだろう?」もあるのですが、第一条件として「カネキがあんてくを去る」ことが、原作の一つのターニングポイントであるがゆえにです。

 

 あの時、トーカが欲していたものは「以前の日常」であり「優しいカネキ」であった。それに対して、カネキは「トーカを一人にしないように、居場所を守る」「そうすることで、本質的には自己満足を満たす」といったものでした。結果的にそれが最後の最後まで尾を引いていたのではないか。もっと早い時点で殴られずとも気づくことが出来れば、別な方法があったのではないかと。

 

 だからこそ、同じエゴ的な発想であっても、天秤にかける感情のウェイトを重くしてあげられれば、ひょっとしたらカネキが残留できるんではないかと。ならば何だろうとカネキのキャラクターを読み返せば、つまるところ「愛される」ことが必要なんだろうと。どうでもいい話ですが「心つなぐ愛」名曲ですよね。歌いやすいのは「誰かが君を愛してる」ですが。

 まぁともかく、実際彼の行動原理は、必要とされること、愛されたいという欲求が根底にあるのではないかというのが、一つの目安でした。そして同時に、カネキ自身が自分が一番だからこそ、欲しがって叫んでるだけになってるのだろうとも考えました。

 

 だったらば、あんていくを去る時点の天秤さえ傾けば、言うなればあんていくに残れれば、違ったルートが展開できるだろうと。そうするためには「愛される」ことが必要で、なおかつあの時点でカネキを引き止めうる人物として成立しえるのは誰か、と考えれば、そう多くはありませんでした。

 ヒナミちゃんだと、当時は何だかんだ相手に着いて行っちゃうタイプな気がするし・・・。カヤさんは古間さんとの因縁もあるから論外、バンジョー組も言わずもがな、メインに関わるオリキャラはルール2つ目に違反するので出す気はなく、そうなるとトーカちゃんしか当然残らず、これも何かの思し召しだろうと直感した次第であります。

 

 トーカがカネキの思考に対してめちゃめちゃ大きなブレーキになりえれば、と考えると、さてどうしたものかと。#001の時点で店長がライダーなことは確定でしたが、店長以前にライダーが居たかどうかについては未設定だったし・・・。

 とすれば、そこにアラタを捻じ込めるのではと考え、そして閃いたのが、両者の過去に関係を作ることでした。

 大きく関係を変えてしまわない程度に、しかしカネキとトーカが出あっていた事と、カネキとアラタが出会っていれば――ほんの少しでもカネキの思考が変化していれば。そしてトーカに対してのウェイトを重くする切っ掛けがあれば。

 そこを起点に#003以降のカネトーの流れをふんわり決め(下地が出来たので後はとんとん拍子でした)、あんていくを去らずという状態に出来るのではと考えました。

 

 そしてこれが、自分の中で色々カネトーが引き返せなくなる原因でもありましたが・・・(引き返すつもりもなかったけど)。

 

 

 

3.無印前半

 

 ライダーにすると決めた時点で、いくつかやりたいシーンがありました。前述のトーカちゃん周りのシーンは勿論ですが、アヤトくんに対して「人間で、喰種で、仮面ライダーだ」(エターナルリスペクト)と言うところだったり、ヒデと三晃さんがお互い正体をしっかり認識するところだったり、カネキが正気の時点でヒデが激励するところだったり、亜門とカネキが語り合ったり対面しながら「変身!」(紘汰さん戒斗さんリスペクト)だったり・・・。

 まぁ列挙するとキリがないんで止めますが、ともあれそういった部分を捻じ込むのはさほど難しくはないだろうとはぼんやりと考えていました。亜門さんの口から仮面ライダーというフレーズを出すのも、まぁギリギリのラインでセーフかな? とも考えて採用。

 リゼ周りの設定は、以前自分でも考えた部分を使い、無印後半でほぼ完全回収のつもりでした。

 

 ストーリーの流れとしては、無印前半の時点ではカネトーを原作よりすすめる事を中心に、無印後半はカネキが死なないように調整していこうと考えてました。ハイセ、というタイトルになったのは、無論叶クンのあれが理由でした。

 結果的にプロットとしても、前半はおおむね予定通りすすめることが出来ました。ただ後半に行く前に問題が少々発生。そう、あれを見るまでは・・・。

 

 

4.JAIL ~運命は一人、生贄が欲しい~

 

 丁度時期的に、JAILのシナリオブックが出るタイミングだったので、それを劇場版エピソードとして組み入れられないか(ライダー的にも一回そういう特別編があっても良いだろう)と考えて、空白期間でリオくん周りのコトを解決しようとぼんやり考えていました。

 実際シナリオブックの流れを見て、カネキに回収させたい部分やリオ周りで描写したいシーンも浮かび上がり、更には「彼」が本編でサイコちゃんをモグモグしてたりしたのを見て、「あ、これブレインギア首領や」と筆者に電流走る。ディレクターズカット版までの流れを含めて、ノブナガの欲望を下地に魔改造していきました(よく見ると名残はあります。サゴーゾインパクトとか)。

 

 ただ、本編と解説で巨大なひっかかりを覚えました。

 JAILにおけるトゥルーエンドである「リオがカネキの代わりになって、カネキが皆の元に返る」こと。

 

 どうあがいても、カネキの代わりになる誰かがいないと最終的にカネキはカネキのままで生き残ることが出来ないという、その事実。

 

 リオは・・・、後々の「彼」のことを考えれば、どうあがいても最終部分まであんていくに残留することは出来ない。なれば代役を立てる必要があると。

 後半の展開も、極端に変更せざるを得ませんでした。西尾パイセンやらトーカの戦闘場面がガリガリ削られる削られる・・・。リゼ周りも無印内で決着できないことが決定。

 

 Uc"J"においても、エト経由で「お前はカネキの代わりになれなかった、失敗した。でも心配はしなくていい」という旨のことをメッセージでメタ的に知らせたりもしましたが、このままだとさてどうしたものかと――いうところで、白羽の矢が立ったのがクロナでした。

 

 

5.√B ~Black、Block、あるいはBack to :re~

 

 たぶんクロナが本編に再登場するときは、それはそれは酷い状態になってるんだろうという予想がこの時点で立っていました。まぁあのタイミングの彼女の状況を見て明るい未来は想像できなかったですし・・・。

 だったらば、リオの代わりになりえるのなら、それなりに理由が必要だろうと。メタ的に自由に動かせるセンセー(センセー自身の目的も、原作の連載に合わせて段々と確定させられました)を使っても限度があるし、だったらどうすれば良いのか。

 

 クロナを正気に戻せれば、正気に戻した時点でカネキのためにという風になれれば、本来ならリオが受け持てる部分も踏襲できるのではないかと。

 

 そして・・・クロナの行動原理を見ても、根底にはやっぱり愛があるわけで。

 

 だったらフラグを立てねばと使命感にかられ、Uc"J"の時点でフラグを立てる流れに。それと同時に無印後半が√Bとすることが、自分の中で決定。

 

「クロナがカネキを守り、カネキがみんなの元に帰る」という風に、後半の主軸が確定しました。

 

 無論、クロナを投入するからにはきっちり正気にしてあげたいなと(クロナもクロナでお気に入りだったので)。まぁ彼女周りのフラグの立て方は何度見返しても雑なのですが(当初からその予定なら無印の時点で組み込んでますし)、流れとして好意と温情、そして同情となげやりな自分という部分を構成できれば、おそらくは上手い事進められるのではないかと。

 

 古間さんカヤさん周りの最期はシナリオブックを読んだ時点でほぼ現在の流れに決定していたので、そうなると終盤も大きく崩せない。崩せない状態でクロナを乱入させるなら、となり結果あの時点での乱入になりました。

 

 

 そして・・・。いよいよカネトー周りが引き返せない流れに。

 

 

 

6.カネトー過多→カネトー無限進化

 

 カネトーを決めた時点で、当初から「カネキとトーカが意識しはじめる」無印前半、「カネキとトーカがきっちり恋愛する」無印後半という流れで決めていたのですが、クロナが単なる恋愛感情だけで彼を助けないため、結果としてお祭りの時点でお互い告白と言う流れに。

 当初は帰ってきた時点で言わせる予定だったんだけどなぁ・・・。そしてそれはつまり、帰ってきた時点でまた一つステージがすすむという流れに。

 

 結果的に割を食ったのがヒナミちゃんでした。:reに残留できなくなってしまった・・・。元々カネトーの時点で割を食っていたというのに・・・。内心で土下座しつつ感想返信などで度々出ていたのは、主にここら辺が原因ですね;

 

 もっともカネトーが一段回進んだところで、RE時点での予定に支障がないのが救いなのかそうではないのか・・・。

 

 

7.今後のハイセについて

 

 番外編をあと何回か更新した後、予定ではUc"J"のごとく間に中間編が入ります。イメージとしてはVシネ的な扱いですね(亜門さんの番外編が映像特典だとすれば)。

 主役はカネキではありません。亜門さんでもありません。でも√Bで張った一部の複線回収にはなる予定ですので、お楽しみに・・・?(ヒントはオリジナルエピソード部分)

 REはそれが終わってからの予定となります。こちらも色々と・・・というか琲久愛がいる時点で大きく異なってますが、√B以上に外れていく予定ですので、こちらもお待ちください。

 

 

 

 

 それではまた、to be continued.

 

 

 

  



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番外編 幽泳

#072と#073の間くらいの話です


 

 

 

 

 

「――プール行きたい!」

 

 突然、ヒナミちゃんがそんなことを言い出した。

 八月に入ってまだ一週間経ったか経って居ないか。トーカちゃんの家で彼女に勉強を教えていると、突然、目をきらきらさせて、ヒナミちゃんは立ち上がって言った。

 

「……なんでプール?」

「これ!」

 

 トーカちゃんの疑問に、さっと、ヒナミちゃんはチラシを見せた……、ってこれ遊園地? 丁度20区にある大型の遊泳施設のチラシを指差し、妙に張り切ってヒナミちゃんは言った。

 

「ヒナミ、この長いウォータースライダー乗ってみたい!」

 

 そもそもウォータースライダーどころか市民プールみたいなのそのものが初体験だろうヒナミちゃん。未知のものに対する好奇心なのかそれ以外の理由かは定かではないけれど、兎に角ハイテンションだった。

 何せ頭に、前にウタさんが持ってきたヘタレを模したマスクを付けて、エッヘンと威張っているくらいだ。このわけのわからなさ、クロナちゃんの影響じゃないと思いたい。

 

「さんせー」

 

 そしてそんなことを言いながら、ソファーの上でテレビを見てだらしなくくつろいでいたクロナちゃんも同意する。……こっちはこっちでちょっと力仕事があった関係で、完全にぐだーっとして涼んでいた。涼むのは良いのだけれど、ぜひともタンクトップのようなその服装における下着の取り扱いには注意してもらいたい。角度的に微妙なので、僕はそっちの方をまともには見ない。

 

「大丈夫なわけねーだろ」

  

 さて、二人のリクエストに対してトーカちゃんは真正面から反対した。

 

「ヒナミの捜査網って、減ってはいるけど全くなくなった訳じゃねぇし」

「う、」

「捜査網?」

「クロナちゃんは知らないか。えっと、前にヒナミちゃんがCCGに目をつけられたことがあって――」

 

 本当にごくごく簡単に、ヒナミちゃんの周りにあったことを話した。途中、黙って聞いていたクロナちゃんは、一通り聞き終わるとヒナミちゃんをぎゅっと抱きしめた。

 

「く、クロナお姉ちゃん!」

「でも、プールなら行って大丈夫だと思う」

 

 なんで!? という僕の反応に、

 

「捜査官も、通報されるから水着を着た女の子はじっと注視しない」

 

 という、本当なのか判断に迷う回答が返ってきた。

 ……仮にも元CCG捜査官の卵だ。でも、その言葉の説得力がどれくらいなのかの判断はこれだけだと付かなかった。 

  

 でも、続けられたそれに僕もトーカちゃんも言葉を失った。

 

「もちろんそれもあるけど、でも第一に、事件が起きてから既に半年以上経過してる。捜査官の視点がトーカちゃんに移って、ヒナミちゃんの危険度が判定されてない状態なら、少し変装するくらいでたぶん対応可能だと思う。

 そもそもCCGの案件で言うなら、ヒナミちゃん達の顔が見られても未だに生活が送れてるのなら、それはたぶん何かの理由で『泳がされている』んだと思う。そうじゃないにしても、私の目から見ても『警戒心が薄すぎる』二人ともが、捕まらないだけの理由があるんだと思う。少なくとも、その戦った捜査官は二人のことを何も言ってないはず。

 だったら、多少目立たない程度の対応にすれば、さっき言った理由から『直接戦ったくらいの距離で目撃していない人間』が見た程度じゃ、わからない」

「「……」」

「……ど、どしたの?」

 

 首を傾げるクロナちゃんに、僕は反応に困った。何というか、普段以上に淡々と説明をする様子は、思いのほか様になっていたというか。敵対していた時のそれとはまた違った冷静さがあったように思った。

 

 トーカちゃんも、普段とは一味違っているその言いぶりに思うところはあったのか。頭を左右に振って「……じゃあ、仕方ないか」と諦めたようにため息を付いた。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、四人でプールに行く事になった。僕とトーカちゃんとクロナちゃんとで見張りをして、ヒナミちゃんがお望みのウォータースライダーに乗れるようにしようという話だった。

 だったのだけど……。

 

「……へ、風?」

『ぶぅ……、うん』

 

 当日、まさかのトーカちゃんが熱を出した。

 今更ながら喰種って風邪引いたりするのか、という疑問が沸いてきたりもするけど、元々トーカちゃんは依子ちゃんのお弁当を食べたりして体調は不良気味だし、こういうこともありえると言えばありえるのかもしれないと考え直した。

 

 そんなこんなで、某所遊園地。

 なんだかんだでプール以外にも、1つ2つアトラクションを遊んだ僕らだったけど、最後の難関たるウォータースライダーのそれは、流石に大きい。都内でも結構古めというか、ウォータースライダーとしては最大級のものらしい。

 

 そんなものを見上げながら、僕とクロナちゃんは息を呑んだ。

 反対に、何故かヒナミちゃんは上機嫌だった。

 

「どうしたの? お兄ちゃん、お姉ちゃん」

「いやー ……」

「……なんでもない」

 

 なお、僕らは既に水着に着替えている。

 ヒナミちゃんは黄色にふりふりの沢山ついたようなタンキニ。ふわふわとしたイメージがヒナミちゃんに似合っているけど、選んだのはどうやら松前さんらしい(何やってるんだろうあのヒト)。

 対してクロナちゃんは、黒いワンポイントが入った白いバンドゥ。パレオを腰に巻いていて、左右非対称に腹部が露出しているのが、なんとなく「あんていく」の制服を着ているとき、片手だけ袖をまくっているのを思いださせた。なお、こっちはいつのまにか準備してあったようだ。

 

 「似合う?」と聞かれたのには、とりあえず頷く。……前のトーカちゃんの水着より、いくらかコメントしやすいものであったのが救いだ。

 

「一緒に行こ!」

「わ、私も」

 

 そして、ヒナミちゃんとクロナちゃんが同時に僕の手を引く。

 いや、言われなくても滑るつもりではあったので問題はないのだけれど、二人そろって手を引かれると転ぶので、一旦二人の手を外してもらった。

 

 そして肝心のスライダーだったけど……。

 

「おお、こわかった!」

「「……」」

 

 具体的に言えば、ぐるぐると色々回転していた感じで、身体全体が揺さぶられるイメージだ。

 クロナちゃんは無言。その様子からすれば、僕同様に得意ではないのかもしれない。

 ヒナミちゃんとクロナちゃんはボードに乗っていたのもあって良かったかもしれないけど、生憎僕だけそういう装備はなかったので、直接鼻の中にダメージを食らったというのも会って、なかなかコメントが出来ない。

 

 根本的に「喰種」の肉体を獲得したとしても、平常時の感覚が人間のそれから抜けないのも大きいかもしれない。

 そういう意味では、ヒナミちゃんの感想は喰種らしい感想なのかもしれなかった。

 

 久々(?)に外で遊べるせいか、ヒナミちゃんはテンションが上がっていた。そのまま僕らの手を引きプールまで連れて行き、泳ぎを教えてくれと言う。

 

 教えてと言われても……。とりあえず平泳ぎくらいできる様になれば大丈夫かと思い、手足の動かし方の概念をビート板に乗った上で教えている。

 その横で、クロナちゃんは完全に脱力して水面に浮かんでいた。さっきので憔悴した分を回復でもしたいのだろうか。……えーっと、うん。水着のせいもあって「寄せて」「上げられて」いるせいもあるので、僕は彼女の方をあまり見ないことにした。

 

 最終的に自力で泳げるまではいかなかったけど、ヒナミちゃんはほぼ足の動きはマスターした。

 プールの端から端まで、ビート板を使って楽しそうなヒナミちゃん。他の子供のお客さんとぶつかりそうになったりもするけど、意外とうまいように動けているように見える。

 

 そんな様子をビーチで観察していると、クロナちゃんが隣に寄ってきて、そして何故か、僕のあぐらをかいていた膝の上に頭を乗せた。

 

「……ど、どうしたの?」

「眠い」

「いや、気が抜けすぎだからね? クロナちゃん。一応来た目的忘れないようにしないと」

「でも、ちょっと寝させて……。トーカちゃん来れなくて、本当残念」

 

 プールの端まで行ってこっちを見て手を振ったヒナミちゃんが、クロナちゃんの寝ている姿を見て「あー!」と指差して、勢い良くビーチに上がって、こっちに向かってきた。

 

「クロナお姉ちゃんずるい!」

「ず、ずるい?」

「ん……、お帰りヒナミちゃん」

「クロナお姉ちゃん、私泳いでたの見た?」

「全然」

「ぶぅ」

 

 珍しくヒナミちゃんはすねた様子で……そしてそのまま、クロナちゃんとは反対側の方の僕の膝に頭を乗せた。

 何だろう、この状況。両足をあわせて軽くストレッチしようかというタイミングでこの有様だ。具体的に言うと、股関節が外れそうになるのを無理やり力で押しとめている状態だ。

 痛くないわけがない。

 

 でも、すねた様子のヒナミちゃんと静かに寝息を立てるクロナちゃん(たぬき寝入り?)に、状況的に無理に振り払うのは気が引けた。

 

 結果的に周囲の視線が痛かったけど……、まぁ十分程度で何故か機嫌を直したようなので、それについては諦めた。

 

 

 

 その後、二人はどうしてか家に帰らなかった。「移すとまずいから」とトーカちゃんが判断したらしい。家にある肉のパックを一気に食べて体力とか免疫力とかを上げて寝ているとのことだが、どうにもちょっと心境は複雑だった。

 トーカちゃんも、彼女に限らずヒナミちゃんだって「喰種」だ。そのことは当然理解してる。

 ただ共存をうたう以上、例えそれが「殺された」ではなく「亡くなった」遺体であったとしても、無駄に量を消費するのはあまり良くないだろう。ましてやそれが、本来なら必要ない理由から発生したものなら――。

 でも、それを断ったら、依子ちゃんとのつながりを断れば、それはトーカちゃんが人間社会で生きられないと言う事にもなる訳で。

 

 お店に二人を送った後、僕は自宅に帰る前、ちょっとトーカちゃんの家に顔を出しに行った。

 

 インターフォンを押すと、胡乱な声と一緒にトーカちゃんの声がして。……ごめん、何て言ったか聞き取れなかった。

 そしてぐらぐらしながら扉を開けたトーカちゃ――。

 

 

「な、なんで今きたのよ……」

「ぶッ!?」

 

 

 トーカちゃんは……、例の水着姿だった。紐止めの、縞模様の。今年の二月だったっけに、一緒に遊びに行った時に買ったもの。

 上からバスタオルを羽織って、汗ばんでる身体を拭いている様子のトーカちゃんだったけど、それ以前に何故、風邪を引いているのにその格好なのかとか色々問い詰めたい。

 

「だ、だって、熱いし……」

 

 実際、自分で言うくらいにはトーカちゃんは熱かった。額に手を当てて(トーカちゃんの「あは」とかいう声は聞かなかったことにする)確認した段階でかなりだから、39度下手すると行ってるんじゃなかろうか……。

 っていうより、ひょっとしたら今まで風邪にかかったことなかったのだろうか、この子。部屋の中に入れば、明らかにエアコンが寒い温度に設定されていた。それでも毛布をかけているのが、不自然と言えば不自然というか。

 

「あー、とにかく色々間違ってるからさ。とりあえず、服はちゃんと着て?」

「せ、洗濯するのだるぃ……」

「それくらい僕がやっとくから」

「変態」

「な、なんで……? って、嗚呼。まぁ、嫌なら脱いでまとめておくだけで良いんじゃないかな」

「うぅ~~ ……」

 

 僕の言葉にしぶしぶという風に、トーカちゃんは箪笥を開けて、服を出して、そのまま自分の首の裏側の紐を外して――。

 

「って、僕まだ居るから! 着替えるのは出た後にして!?」

「ん? ……あ、そだった」

 

 もはや恥らうのも億劫なのか片手で両方の胸元を隠しつつ、胡乱な視線でそう返すトーカちゃん。いくらな何でも熱に浮かされすぎというか……。色々心配になるというか。

 

 以前までの僕相手ならそれでも大丈夫だったかもしれないけど、今の僕相手だと……。 

 何分、自分に課した「好きになっちゃいけない」というルールのせいで、逆に意識しすぎてしまっている感じがあった。

 

 極端な厚着まではさせない程度に服を着せて、熱を計りなおす。39までは言ってなかったけど、38度の後半くらいはあったので、エアコンの温度を上げて、そのまま寝かせた。「暑い~」とうなるトーカちゃんだったけど、さっきのは流石に温度が酷かったので、これくらいで常識的な範囲だろう。

 

「うぅ……バカネキ」

「あ、なんか久しぶりだねそれ」

 

 ふふ、と思わず笑う僕の手を、トーカちゃんはとった。

 

「何?」

「……指、なめさせて」

「……何でまた」

「その、なんか、舐めたい」

「…………体調不良だし、今日だけだよ?」

 

 水着の格好のせいか、なんとなく以前、無理にハグを要求したことを思い出し、むげに断ることができなかった。

 僕の手をとって、トーカちゃんは先の方を、ちゅう、とした。そのまま舌とかもからめていたりするけど、でも動きはこういやらしいものではなく、小さい子供がアイスでも舐めるような、そんなこう、子供っぽい動きだった。

 なんとなく普段のトーカちゃんとのギャップみたいなのを思って、力が抜けた笑みが浮かぶ。

 

 一通り満足したのか、アリガト、とトーカちゃんははにかんだように笑った。

 そして、何故か机の上を指差す。

 

「……何、鍵?」

「……スペア、一つ。あげるから」

「な、何で!?」

「ねーと思うけど、今日みたいに私、全然動けなかったとき用」

「いや、あの僕、一応男性な訳でしてね? えっと……」

「……どうせしねぇだろ。だって――研のそーゆー所が、私、好きだから」

 

 ふふ、と微笑んで、トーカちゃんは目を閉じた。

  

「……弱ったな」

 

 今の好きは、たぶん人格的な好きを言っていたのだろうけど。でも、その一言だけで猛烈に自分の羞恥真が煽られるというか。

 思わず誰か居るはずもないのに、周囲を見渡してしまうくらいに、僕は心臓の鼓動が早くなって。

 

 だから――だからこそ、なおのことトーカちゃんのことを好きになっちゃいけないんだろうと、改めてそう考えた。

 

 

 

 

 

 なお完全復活した後、三日くらいトーカちゃんは顔を赤くして、僕と顔を合わせてくれなかった。

 

 

 

 

 

 




in あんていく

カネキ「あ、トーカちゃん。おはよう」
トーカ「おは――」――脳裏を駆け巡る、完全に頭が回って居ない自分と、目の前で箪笥を開けて下着だの何だのをいじってた自分と、目の前で上の水着を脱いだ自分と、布団の中で彼の指をなめていた自分と、言葉の中の一つとはいえ「好き」と言ってしまった自分――「――ッ!?」
カネキ「な、なんで目をそらすの?」
トーカ「べ、別に・・・/////」
 
 
 次回はクロナのターン!


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番外編 不慣/望察

 

 

 

 

 【番外編 不慣】 

 

 

 

 

「……よしっ」

 

 意を決したように、彼女は両手を合わせて「いただきます」と呟いた。頭の黒髪(前髪の一部が白い)がさらりと垂れて、袖をまくった右腕に引っかかる。「あんていく」の制服を、あえて左右のバランスを崩して着用するのが彼女のスタイルだ。

 

 左目は眼帯で覆われていて、そこは少し僕のようでもある。

 

 そんな彼女は目を開け、眼前の「串」を手に取り――がぶり、と齧りついた。

 

 

「……!? うぇ、えっほえっほ――」

 

 

 そしてそのまま、彼女は口一杯に含んだ餡子団子を、むせるように吐き出した。両手で覆いはしていたけど、床にいくらか散乱する。バックヤードだから良いかもしれないけど……。いや、それより何をやっているんだろうという話か。

 

 そしてそんな僕の視線を感じ取ったのか、彼女は、クロナちゃんはこちらを見て大慌てした。

 

「何してるの?」

「れ? れ、れ、れんしゅ……」

 

 言われて概ね納得した。以前僕がやっていたような、サンドウィッチのようなそれだろう。それにしても、何故そんな喉に詰まりそうなものでやるのだろうか。

 

「……だって、オムライスじゃもっと残りそうだし」

「いや、何故それに限定されるのかっていう……。ひょっとして、好き『だった』の? 団子」

 

 僕の質問に、クロナちゃんは何も答えず、悲しそうな目をしてうつむいた。

 嗚呼、と僕は納得する。

 

 僕ら半喰種は、一応人間の食べ物でも消化不良は起こさないし、栄養素もちゃんと取れているようだ。もっとも味は不味いし、肝心のRc細胞を欠片も取り込めないので、そのことにあまり意味はない。ないものの、少なくとも一月くらいはそれで確実に生き延びることができることを、僕は身をもって証明していた。

 

「……なんとなく、食べられたらいいなーって」

 

 クロナちゃんは、うつむいたまま答える。ちょっとぼそぼそとしていたけど、そこに込められた「寂しさ」めいた感情は、なんとなく理解した。

 

 クロナちゃんは……、どういう事情か詳しくは聞いていないものの、それでも先日彼女自身の口から、ナシロちゃんが居なくなって、一人だ。

 

 彼女自身の背後関係を、ふんわりと知っている僕としては、たぶんだけれど、寂しいのだろう。

 死別は、そういうことだ。死んだ人間は蘇らないのだから――失われた家族は、戻らないのだから。

 

 だから彼女は、例え同い年であっても、今でも僕を「お兄ちゃん」と呼ぶのだろう。

 

 嘉納先生とのつながりが切れ、リゼさんが「あんていく」管理となった今となって。ナシロちゃんを除き、家族の記号に当てはめられるのは、僕しか残っていないのだから。

 

 ヒナミちゃんのそれとも近い、切実な代償行動だから――。

 

 彼女と一緒に後片付けをしながら、僕は、クロナちゃんに言った。

 

「……この後さ、ちょっと珈琲淹れる練習しない?」

「……? いいの? お勉強あるんじゃなかった?」

「んー、だけどたまには良いかなって。いっつもトーカちゃんにまかせっきりと言うのもね。

 一応、店長から面倒を見てあげてって言われたのは僕だったはずだし」

「だったら……、お願いします、お兄ちゃん」

 

 そう言って、彼女は頭を下げると、照れたように笑った。

 

 

 

 さて、あんていくの珈琲だけど、豆そのものについてはさほど考えなくても良い。というのも、大体朝方店長もしくは古間さん、入見さんの誰かしらが準備しておくからだ。それをベースに淹れていくことになるので、必然最初に覚えるのは淹れ方や、時間の計り方。

 

 「の」の字に回すようにお湯を注ぐ、というのがいまいちわからないのか、渦を巻くようにぐるぐる外側からやっているクロナちゃんの手を背後からとって、そのまま操り人形するように手を貸してあげた。

 

「……トーカちゃんって、今日、模試?」

「クロナちゃん、一緒に住んでるんだからそれくらい把握しておこうよ……。厳密には過去問やりに学校に行ってるかな? 確か」

「そう。なら、大丈夫」

 

 何が大丈夫なのだろう。しきりに何度も頷き、楽しそうに笑うクロナちゃん。つい先日まで敵対していた相手に向けるとは思えない、警戒心のない笑みだった。

 

「役得」

「何が?」

「なんでもない。

 でも、布を使ってるっていうのははじめて」

「こっちの方が味がマイルドになるらしいよ。四方さんはこれで淹れてくれてたし。ここでもお客さんのリクエスト次第ではやるらしいからね。

 そして店長は、紙で同じ味が出せるっていう」

「す、すごい……?」

「単純に年季が違いすぎるからね。あ、ちなみにこの布も単なる布ってわけじゃないから、終わったらきちんと元通りに洗わないと」

「わかった」

 

 カップ一杯に注ぎ終わった後、さっとメモ帳を取り出してクロナちゃんは今の話を書いた。

 

「……ありがと」

 

 そういってクロナちゃんは、また頭を下げた。気にする事じゃないよと言うと、彼女は首を左右に振る。

 

「そういう訳にはいかないから。結局、薬だってお兄ちゃんがいなかったら入手できなかったし。

 それに……そもそも『あんていく』でも働いてなかったろうから」

「……」

「あのまま一人だったら、たぶん、正気じゃいられなかったと思う。だから、今の私があるのはお兄ちゃんのお陰だから」

「……そんな大層なものじゃないよ。結局僕だって『あんていく』に頼りっぱなしだし。それに、単に性分ってだけだから」

「それでも、それを決めるのは貴方じゃないから」

 

 クロナちゃんは一歩、一歩とこちらに迫って来ていた。

 気が付けば、クロナちゃんは僕の顔を見上げる。

 

 心なしかその目は潤んでいて、そして頬はほんのり上気し、まるで何かを求めているような――。

 

 

「だから、私は――」

 

 

 その瞬間、クロナちゃんの顔面に「脈」が浮かび上がった。

 痛いとそこを押さえて、ドライバーを探すクロナちゃん。どうやらリジェクションが起こったらしい。さっきまで何ともなかったのに、どうしたものだろうか……。

 

 とりあえず更衣室に入るわけにもいかないので、アラタさんのドライバーを一旦装着させた。

 

 それに一瞬驚きながらも、クロナちゃんは少しいたずらっぽく笑って言った。

 

「……そういうところが、好き」

 

 タイミングの問題もあったろうけど、僕はこの台詞の意図を、色々と間違えて理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 【番外編 望察】

 

 

 

 

 ○月××日

 

 郡と富良君に言われたので、日記を付けてみようと思う。

 書けないことは書けない。

 

 

 

 ○月×4日

 

 地下から帰ってきた。相変わらずあそこは何もなかった。

 

 

 

 ○月△/日

 

 地下から帰ってきた。相変わらずあそこは何もなかった。

 

 

 

 ×月/4日

 

 ハイルがチョコレートをくれたらしい。

 食べる暇がないからどうにかしておいてくれと郡に渡しておいた。 

 

 

 

 ×月××日

 

 人間ドッグに行って来た。 

 

 

 △月 ×日

 

 日記とは毎日つけるものだと富良君に言われた。

 あまり書くことがないので、正直に言えば少し大変だった。

 郡は「人間性を磨く勉強ですよ」と言っていた。

 

 

 

 △月×○日

 

 やっぱり書く事がない。

 

 

 

 △月×△日

 

 眼科の帰り、亜門と話した。少し妙な喰種のことを確認した。

 眼帯。

 

 

 

 △月2☆日

 

 久々に帰ってこられた。

 眼科に行って来た。

 

 

 

 3月28日

 

 今日はすごく良い一日だった。

 

 

 

 △月2◆日

 

 昨日はハイルが勝手に日記を覗いて書いていた。郡から「交換日記じゃないんだぞ!」と少し怒られていた。

 ハイルは「有馬さんが何書くかわかんなかった」と言っていた。

 

 

 

 □月○/日

 

 アラタの量産型の計画書が特等会議に持ってこられたと郡から連絡を受けた。

 機能を大幅にグレードダウンするものの、生存率は格段に上がるらしい。

 なお、もって来たのは丸手さんだったらしい。 

 

 

 

 □月○×日

 

 書くことがないので、クインケの機能整理でもしておく。

 ナルカミはリンクアップ時、身体の表面に微細な赫子の膜を張っている。これにより、ライトニング発動時に外界と装着者との時間を断絶させ、高速で動かすことが出来るらしい。説明を受けたときは、207回くらい「エキサイティング」という言葉を聞いた。

 でも、あれは高速移動じゃないと思う。十秒くらい、時間が巻き戻ってるような気がする。 

 

 

 □月○▲日

 

 書くことがないので、クインケの機能整理でもしておく。

 IXAはリンクアップ時、形態変形の性能が羽赫並に爆発的に流動する。そうでもないと全身を覆うことは出来ないのはわかる。だから以前、明らかに無駄な体中のトゲについて質問したことがあった。エキサイティングしか答えらしい答えを返されなかった。

 

 

 

 ☆月/□日

 

 丈が誕生日だった。

 伊東倉元からもらった煎餅を食べて咽ていた。

 

 

 

 ☆月○●日

 

 郡にカラオケに誘われた。

 眼科に行くからと断った。

  

 

 

 ☆月×※日

 

 古い知り合いと会った。

 みんな変身だと言ってると言ったら、間違っていると何度も言われた。やはり彼女は、こだわっているところがおかしい。  

 

 

 

 ☆月/◆日

 

 アラタの新型の設計に意見を聞かせて欲しいと言われた。

 軽量化とより武装としての性能を引き上げるのは重要だろう。バイクに変形できるのも機動力を考えれば間違ってはいないかもしれないけど、あくまで鎧であるという前提で見ると、レッドエッジドライバーとの併用前提でなくとも在る程度プロテクターとして機能する必要が在ると思う。

 

 

 ●月 ●日

 

 真戸アキラが誕生日だった。

 亜門がドーナッツを買っているのを見かけた。

 

 

 

 ●月 ▲日

 

 鈴屋が誕生日だった。

 

 

 

 ●月○○日

 

 すばしっこい蝿だった。

 

 

  

 ※月 /日

 

 眼科に行って来た。(もう見込みはないらしい。)

 (そういえば最近量を食べられなくなって来ている。そろそろ無理が効かなくなってきているのかもしれない。

 でも、まだ後を見つけて居ない。もっと時間を稼ぐ必要が在る。)

 

 ※注:カッコ内は斜線が引かれていて読めない

 

 

  

 ▲月 /日

 

 富良君が誕生日だった。パーティーに呼ばれた。久々にゆっくりした気がする。

 富良君が日記を見て、まぁお前らしいと言った。

 

 

 

 ▲月○※日

 

 三波さんの墓参りに、富良君に誘われて行った。わざわざランタンを持って行っていた。

 手を合わせる富良君は何を考えているのだろうか。最近はもうクインケのノイローゼにも悩まなくなって来ているようだけど、少しだけ心配になる。

 帰る前に煙草を吸う彼に付き合って、はじめて吸った。盛大に咽て、心配された。

 

 

 

 ▲月○▲日

 

 日記が見つかったらしく、富良君が自宅にしばらく出入り禁止になった。

 どうやら禁煙中だったらしい。 

 

 

 ▲月××日

 

 遺書を準備した。

 書く事は、なかった。

 

 

 

 

 

 




宇井「・・・有馬さん、これ、海外勢力来た情報とか全然ありませんよね?」
有馬「食い止めはしたけど、後始末は郡に任せたから、こっちの管轄じゃないし」


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番外編 嶺除/娯楽

#026のあたりの時系列の話です

※独自設定、解釈注意


 

 

 

 

 

 人間とか喰種だとか、究極的にそれが問題になってくるのはお互いがお互いに、ある程度の極限状態になってからなんじゃないかって思う。

 

 喰種は人肉しか食べられないから、人間を殺す。でもそれだって、死体が保存してあればそれから拝借すれば良いだけらしい。まぁ相手もこっちと似たようなアイデンティティを持ってるから、食べたくない部位とかも当然あるだろうけど……。人間は雑食だ。でも状況によっては、共食いだってすることもある。喰種もそうだって話なんだから、それはつまり、問題なのは状況なんじゃないかと。

 

 まぁ……、自分の親友が「喰種」になってしまったから、そういう風に考えるようになったのかもしれないけれど。

 

「で、聞きたい事っていうのは何なのかしら」

 

 三晃さんは、そんなことを言いながら俺を見てため息をついた。

 三晃……、下の名前まではまだ聞き出せてない(「鳥」って字は入ってた気がする)。俺とカネキの大学の先輩にあたる女性で、印象は地味系だけどそこそこ美人っぽくて――喰種の一人。

 俺達人間を捕食する怪人とされている、亜人種。

 

 そして今、俺が最も欲している情報を持っているだろうヒトでもあった。

 

 俺達は今、20区駅前近くにあるカラオケボックスに入っていた。どっちもギリギリ場所がわかる場所がそこしかなかったっていうのと、カラオケボックスなら防音も万全であることが理由だった。

 ただ身体を洗った後だって聞いていた通り、ほんのりとシャンプーと水の匂いが、女の子の匂いと一緒に漂っていて、ちょっと緊張する……。

 なお怪しまれない程度にと、最初に二人して何曲か歌ったりして……、んー、なんか普通だ。

 

 そして本題に入ったわけだけど、その前に。

 

「いやその……、あ、その服気に入ってもらえましたか?」

「まぁまぁね。ちゃんと『地味っぽく』見えるのにおしゃれさがあるっていうのは、中々いいセンスしてるんじゃないかしら」

 

 肩をすくめて微笑む三晃さんは、少し自分のブラウスの襟元をつまんだ。

 そう、これ服この服。三晃さんから「情報が欲しかったら見返りを準備しろ」ということを言われて、俺がちょっとだけお金叩いて買った(一月くらい前に買っていた)一品だ。ちなみにこれを送ろうとした相手は……、まぁ、うん、そういう話は止めようぜ。

 

「でもなんとなく、もっとアクティブな子の方が似合いそうな気もしたけれど、要求してから短時間だったしそこは察しておいてあげるわ」

 

 っていうか、普通に見透かされてるっぽい。おかしいな、このヒトと話したのなんてまだ片手で数えられる回数くらいだっていうのに……。そんな旨のことを言ったら「生きるためには必要なものよ」と言い返された。

 

「短時間で相手のヒトとなりを見られるようにならないと、少なくとも危険性くらい判別できないといけないのよ。それは当たり前よ、女子として」

「……えっと、『種族的』な理由とかじゃないんスね」

「もちろんそれもあるけど、ほら、私、一応お金持ちだし」

 

 なんだか住む世界が違うようなことを言われた。

 いや、そういう話をしたんじゃなくって。

 

「……簡単に言うと、コレっす」

 

 俺の取り出した地図を見て、彼女は少し、微妙に嫌そうな顔をした。その反応からして、何か知ってるっぽいな、このヒト。

 

「……で、何が聞きたいのかしら。この地図、というか赤ペンで印がつけられているものから。

 逆に私も聞きたいのだけれど、貴方、この場所について何を知ってるのかしら」

「……んー、知ってるかって言うとアレですけど……。

 前にあんていく近くで、明らかにガラが悪そうな『喰種』見かけた時、ちょっとまぁ、発信機を」

「危ないことするわね」

「ちょっとした冒険ッスよ。で、そのGPSで割り出した座標っす。

 そしてここで座標が途切れた直後――カネキが大学に来なくなった」

「偶然じゃない? と、言うべくもないって顔よね。……誤魔化されるつもりもないと」

 

 俺の方を見て、三晃さんはやっぱりため息をついた。

 

「教えてあげなくもないけど、知って貴方はどうするの?」

「『あんていく』がここ数日、臨時休業してるってことは、たぶんカネキ助けに動いてるってことだと思うんスよ。でも……、それだけじゃ間に合わない気がする」

「間に合わないって?」

「勘です。知ってるでしょ?」

 

 俺はこの手の、嫌な予感ってものを外したことがない。

 前に三晃さんと知り合って、彼女が喰種だと俺が知るまでの一連の出来事も当然含んで。

 

 そういえばカインさんって、あの後どうなったんだろう……?

 

「死んだわよ?」

 

 平然と、三晃さんは俺のつぶやきに答えた。

 

「厳密には殺された、だけれど」

「…………」

「あら、怖くなった?」

 

 くすくすといじめっ子みたいに笑う三晃さん。話を聞いた俺の、ちょっとした身震いを見たからだろう。三晃さんはカインさんのことを、だいぶ疎ましがっていたし、()りかねなき気はしていたけど……。

 でも、見透かしたみたいに「安心なさい」と三晃さんは続けた。

 

「殺したのは、丁度貴方が発信機を付けた相手と同じところに属してる輩だから。よかったわね、私が地味で」

 

 地味、関係あるんスか? その話。

 

「……その相手は?」

「私の質問の途中だったわね。

 知って、貴方はどうするの? ――永近くん」

 

 俺は、それに即答した。

 

「助けます」

「……具体的には?」

「俺がなんとか出来そうなことなら、ちょっと手を出します。

 無理そうなら、通報します」

「CCGってことよね、それ。あんていくに迷惑がかかることにならないかしら?」

「カネキが無事なら、それで良いです」

 

 三晃さんは驚いたように、俺の方を見た。意外そうな顔をしてる。

 

「……貴方、あそこ行きつけなのよね。勿論『正体』を知った上で。

 なのに、それを簡単に切り捨てるの?」

「切り捨てるとは言わないですよ。ただ仮面ライダーも居るんだから、大惨事にはならないんじゃないかなーって」

「……無責任ではあるけど、まぁ、当たらずも遠からずなんじゃないかしら」

 

 賢いというか、優先順位が滅茶苦茶ね、思っていたより。

 そんな呟きをして、彼女はアイスコーヒーを飲んだ。何だろう、呆れられているのだろうか。

 

 ただその予想は違ったらしい。

 

 

「――私が高校生だった頃の話よ」

 

 

 おもむろに、三晃さんは俺に話し始めた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 私がまだ高校生だった頃。まぁ見た目は今同様に地味さ優先で組んでいたけど、そんな話はおいておいて。

 

 そこで無駄に目立つ男が居たのよ。容姿は良いし、成績優秀だし、スポーツ万能だしっていうのが。おまけに女子にも男子にも独特な、貴族的な視点で接するような、変な男がね。ピンク色のフィルターがかかった連中には、さぞ王子様めいて見えたことでしょうけど。 

 まぁ、喰種なんだけど。仮にMくんとでも呼びましょうか。

 

 そのMくんと私は、学内数少ない同種の仲間ってことでお互い情報交換したりとかして、色々波風立てずにやっていたのよ。

 

 そんなある時、現れたのが、Hさんって言って、まぁ、こっちは人間なんだけどすさまじい変わり者でね。

 

 色々あって意気投合して、MくんとHさんとは友達になったのよ。

 

 それを快く思わない連中も中には居て……、Mくんモテたからね。

 それに対してHさんは割合、上手く対応していたと思うけれど。でも、それでも駄目なのが居たのよ。一人。

 

 その一人が問題だったのよ。

 

 彼女は、Mくんのことが好きで。同時にHさんのことが、根っから嫌いで。なんで貴女がMくんの隣に立っているんだって、大きくつっかかって来て。

 Hさんは逆に、そんな彼女のことを気に入ってたみたいでね。何て言っていたかしら……。『自分の感情のために命かけるって、すごくキラキラしてるね~』だったかしら。口ぶりは完全に他人事だったけど、本人は応援しようとしていたみたいなのよ。あわよくば写真くらい撮れればって考えていたらしくて。

 

 だからまずかったのよ。

 

 学校には、Mくんの協力者がいて……、もちろんHさんじゃとか私じゃないわよ? その彼女がMくんに報告する程度は無問題だったのだけど、タイミングが悪すぎたのよ。

 

 Mくんは彼女のことを知ってしまった。

 

 Mくんは、彼女を観察するようになって……、Hさんが言っていたキラキラが、欲しくなった。

 つまり、目が「食べたくなった」のよ。 

 

 後はまぁ……、Hさんが自分から、私のことを誘って二人きりで遊びに出かけたのは、たぶん最初で最後だと思うわ。

 すごく残念そうな顔して「写真とれなかった~。先こされた~」ってやっぱり適当なこと言っていたけど……。たぶん分かってしまったのよ。だって普段の口ぶりと、明らかにニュアンスが違ったから。

 

 だってそれはある意味、Hさんが彼女とMくんとが二人きりになれる瞬間をセッティングしたことが原因だったんだから。

 そして、お互い似たような性質があっても、妥協点を探ることを――「共存させよう」って考え方が、きっと相手にないってことを。

 

 そしてその後、彼女が好きだった別な男の子が、そのことをどうやってか嗅ぎ付けて、数人で襲いかかって。当たり前のようにMくん歯牙にもかけなかったみたいだけど、そこに多少の感傷もなかったっていうのが決定打だったのかしら。たぶん。

 

 彼にとって、彼女は対等な存在足りえていなくって、たぶんペット扱いなんだろうって。本心からペット扱いでしかなかったんだろうって。

 

 だから、彼女は彼の友達なのよ。

 

 ひょっとしたら、Mくんがほんの少しでも別な形に傾いていれば、もしかしたら違った関係だったかもしれないけれど。

 それでも、今でも彼女、言うのよ。彼のことを一番分かってるのは私だーって。

 

  

 

   ※

  

 

 

「その後にもまた色々あったらしくって、そっちは教えてもらっていないわ。

 まぁ本題とずれたけど。

 端的に言ってこの関係で死んだ人間と喰種の数は、大体30人。関係者含めて肉体的なそれ以外でも、被害をこうむったのだったら100超えるんじゃないかしら」

 

 私の視点から見ても、明らかに普通じゃない数よ、と三晃さんはこっちを胡乱な目で見る。

 

「何で私がこの話をしたか、わかる?」

「……」

「貴方が今やろうとしていることは、これと同じよ? 当事者同士の結果がどうであれ、かならず大きな不幸が生まれる。わかる?」

 

 聡い人間は喰種に近寄るべきではない。

 嘘の付けない喰種は人間に近づべきではない。

 

 さもなくば――不幸が拡散する。

 

「そんなもの、結局当事者同士の考えてるような結末に収束するはずはないわ。その一つの選択で、貴方は未曾有の危機を引き起こすかもしれない。その結果、貴方も、カネキくんも、不幸になるかもしれない。

 それを分かって、聞きたいのよね」

 

「俺は……」

 

 少し逡巡する。

 でも、逡巡するまでもなく、答えはもう出ていた。

 

 だから、俺はあえて、彼女にならって少し昔話をした。

 

 

「……誰にも話したこと、ないんスけど」

「何かしら?」

「俺、カネキほどじゃないにしても、ちょっと家、複雑なんスよね。例えば今みたいに、こんな時間に出歩いたところで気にする人間もいないっていうか。

 だからか知らないんスけど、放っておけなかったんスよ。カネキが。丁度父親がいなくて、気が弱かったカネキ見てると、なんとなく自分を見てるみたいで。母親も亡くなった後の塞ぎ方みてたら、もっともっと」

 

 三晃さんは、何も言わず俺の方を見ていた。自分の小っ恥ずかしいところを明かしてるからか、少しその視線に照れそうになる。なるけど、ここはガマンガマン。

 

「だけど――カネキは、立つんですよ。それでなお」

「立つ?」

「俺みたいに道化して、誤魔化して、なぁなぁで済ましたりしないで、きっちり正面から当たって砕けて。

 でもその代わり、どんなにボロボロになっても立ち上がるんスよ。それが見ててすげーなって思って……、同時にすげー、励まされるんすよ」

 

 誰かを蹴散らしたり、威圧したりするんじゃなくって。見てるだけで励まさたり、そういう強さっていうのもあるんだなって。当時の俺は、そのことがほとほと衝撃的だった。

 

「内緒ッスよ? でも、だからカネキ見てると、こっちも元気もらえるんスよ。

 だから思った。コイツが俺を助けてくれてる分だけ、俺も助けようって。そういうのは理屈じゃなくって、思っちまったものは思っちまったもんだから」

「……だから?」

 

 

「――アイツが死にそうになってるかもしれない。そんな状況で何もしないなんて、俺には絶対できそうにないです」

 

 

 後のことを考える、考えないではない。

 そもそもそれを考えたら、全く身動きがとれなくなってしまう。

 

 身動きがとれなくなってる間に、カネキが死ぬのは――アイツに何かあるかもしれないっていうのは。

 

 そんなのは、嫌だ。

 

 俺の話を聞いて、三晃さんはしばらく目を閉じて、深く息を吸って、吐いた。

 

「貴方に連絡先を教えたときのこと、覚えてるかしら?」

「……えっと」

「忘れてるなら無理には聞かないわ。私は、貴方なら丁度良い距離で、お互い協力して、お互いの平和を守っていけるんじゃないかと。波風立てないのが私の主義だったし、私は『嘘が付けない喰種』じゃないから」

 

 でも、と。三晃さんは俺の目を見て、続ける。

 

「でも……、そうね。逆のパターンは見た事がなかったかも」

「?」

「『嘘を付ける喰種』と『愚かな人間』が関わった場合、何が起こるかっていうことかしら」

 

 貴方は賢しくとも愚かよと、三晃さんは俺に笑いかけた。

 

「……なんで俺、いきなりディスられたっスか?」

「今の話でむしろ馬鹿にしない要素はなかったと思うけれど? でも、まぁ及第点かしら。

 ……いいわ。少しだけなら力を貸してあげる」

「マジで!?」

 

 思わず身を乗り出すと、三晃さんは俺の脳天に軽くチョップを叩きこんだ。痛ぇ……。

 

「何するんスか!?」

「今の近さで危機感を覚えない程、女子力が低い女子はいないと思うけれど」

「?」

「性差というか、パーソナルスペースは大事って話よ。

 なら私から言うことはないわ。

 

 ――せいぜい足掻きなさい? 永近くん。

  

 貴方のその頑張りが、(ほり)さんのそれの二の前になるかならないか。『楽しみに』させてもらうから」

 

 

 微笑んだ三晃さんのその表情は、まるで出来の弟を見守る姉のような、そんな感じのもので。

 タイプじゃない上こんな時にも関わらず、ちょっと、どきりとした。

  

  

 

 

 




カネキが嫌なのと同じようなことが、ヒデも嫌だという、そういうお話


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番外編 様子/祭季

 

 

 

 

 

【番外編 様子】

 

 

 

 力が欲しい。守りたいものを守るための――。

 

 この間、人間の研究者を追って忍び込んだ研究所で、アイツとまた会った。眼帯。トーカの……、いや、まだそうなってはいねぇのか? 何にしても気になってる相手ではあるんだろう。変な意味じゃなく、俺もあいつのことは頭から離れない。

 

 一番最初に会った時。まだ頭が黒かったあいつは、表情とか物腰とか、そういうの全部含めて親父を思いださせた。無駄に人当たりがよさそうで、どこか困ったように笑ってるところとか。

 そしてそれは、トーカが惹かれるだろうのと同時に、俺に苛立ちを覚えさせた。 

 

 あいつの表情や仕草は、何もかも親父を思い出させる。

 いっつもヘラヘラ笑っていて、人間の輪の中に居て。それでいて結局、人間に殺されたはずの親父。

 だからアイツのことが嫌いで、でも心のどこかで憎しみ切れる程に嫌いきれもしなくて。

 

 アイツがヤモリの手にかかったと聞いたときは清々したと思っていた――はずだった。

 

 驚いたことに、アイツは、あの拷問魔から摺り抜け、生き延びていやがった。頭が白くなり、表情はどこか死んでいて後遺症めいたものもあったが。

 それ以上に、本当に親父みたいになっていやがった。

 

 元々、殴られようが何しようが揺るがない部分があった。それが無駄に強化されたようで――そして俺に向かって、あろうことかあの名を名乗った。

 仮面ライダー。

 一度だけ、本当に偶然に見た、親父の「強い在り方」。

 

 なんでそれを俺に向けて名乗るのかと、激昂するのは一瞬。

 

 気が付いたらあれよあれよと取り押さえられて、出て行った姉貴の家に押し込められる始末。

 挙句の果てに「回復しないうちに逃げ出そうとしたら、アヤトくんがトーカちゃんの元去った理由を教えるから」とか脅迫までしてきやがった。

 

 あのジジィは相変わらず何考えてるかわからないし、オッサンはでかいし、トーカは何か色ボケてるし。

 

 おまけにあの、ヒナとか言ってたか? 何で俺が、普通のアニキみたいな感じで気にかけてやんなきゃならんのか。

 

 体調の回復と同時に、脱兎のごとく逃げたのは当然の話。

 

 そしてアオギリに戻った時、一番驚いたのは特にお咎めが全然重くなかったことだ。今までより最前線に駆り出される頻度が増えただけ。

 そして――親父から生み出されたろう武器と再会したのが、ついこの間。

 

 あわや殺されかけるところまで行った時、俺を拾って帰って来たらしいのがエトだった。

 

 ただそのエトいわく。

 

『カネキくんに感謝しなよー? 彼が庇ってくれてなかったら、私間に合わなかったと思うし』

 

 それを聞いて、俺が不満に思わないわけはなかった。

 

 結局、その時のダメージが原因で、外から来た連中とごちゃごちゃやったりするのに参加することもできず(タタラいわく、ナキが大活躍だったらしい)、大人しくふてくされているしかなかった。

 エトの診療室、病室、研究室の混じったような部屋には、一応ベッドのようなものがある。奥にあるのはパソコンと原稿用紙? 何に使っていやがるのか。

 

 ベッドから億劫に起き上がり、ふらっと思いだす。そういえばエトのやつ、手前の冷蔵庫に血、保存してたっけか……。前に狸寝入りしていたとき、こっそり一人で晩酌しているのを覗いたコトがあった。腐ってないから酔わないという、俺としては結構良い情報があったりもする。

 

 思えば鯱に手合わせを頼んだりしている時も、眼帯ヤローの面倒見てた時も、いつもいつだってエトは俺を小馬鹿にしてきた。これくらいの意趣返しはしてもバチは当たらないだろう。

 

 そう思って起き上がり、冷蔵庫を開ける。戸を少しだけ開けた瞬間、妙にネットリとした空気が漂った。

 

 そういえば……、エトのやつが行く前に「何が合ってもベッドから出ないことをオススメしておくよ~」とか言っていたような、言ってなかったような……。

 

 だけど、そんなこと思い出しながらも俺の手は冷蔵庫を開けつつ――。

 

 

 

「――はぁい《●》《●》」

「――ッ!?」

 

  

 冷蔵庫の中に、喰種が一人入っていた。青白い顔にベロをんべ、とだし、瞼のない目でこっちを見てそんな一言を言う。ありていに言って、超キモい。

 

 でろんと出てきた奴はそのまま立ち上がり、唐突に俺の顔面に顔を近づけてきた。

 

「くんかくんか、くしくしくし……ワオ☟」

 

 キモすぎて思わず殴りつけるも、頭が360度回転してまた俺の方を見た。

 

「ぶるぅあっ!?」

 

 その様はもはや喰種だの何だのという次元じゃない。もっと別な、おどろおどろしい何かようだった。ゾンビとか、そういう感じだ。

 

 漂う腐臭は、どこかノロのそれも思いださせる。

 

「同じにおいはなんとかします?」

「お前、何だ……?」

「――檻」 

 

 訳がわからない。

 

 いや、でもおおよそ検討はついていた。またぞろエトが「改造」した喰種なんだろう。本当、ロクでもないことばっかりしやがる。

 

「私は、家族を保護することができませんでした。私は、それを壊しました」

 

 唐突に、檻を名乗った喰種が続ける。

 

「どのようにあなたのうち?あなたは、彼を保護することができますか?」

 

 だから言葉の意味が分からない。

 まるで再翻訳でもしてるような意味不明さだ。文章からして、家族を守れるかってことか……?

 

「言う必要性もないし、そもそも言うまでもねぇよ」

 

 力がないなら、いずれかならず殺される。お母さんと、親父とを見て俺が理解した一つの摂理だ。

 だから、俺はアオギリに入った。人間と馴れ合って、自分を殺す危険をトーカが冒すのなら――俺は、そんなトーカを守らないといけない。

 

 それが記憶にある仮面ライダーと……、親父との約束なのだから。

 

 小細工も沢山しているけど、それだっていつ功を奏するかはわからない。

 

 だからこそ、早いうちにアオギリの目標を――喰種による世界制覇を実現しなくては。

 

 

 

 そんな俺の様子を見ながら、瞼のない目の前の黒い喰種は、どこか懐かしげに微笑んでいた。その目は、焦点がぶれてはいたが「正気だった」。

 

  

 

「やっぱり似てるな、トーカさんと」

 

 

 

 もっとも、その呟きまでは聞き取れこそしなかったが。

 

  

 

 

 

【番外編 祭季】

 

 

 

 

 

 AG3-M。……アラタG3-マイルド、だそうだ。

 

 ネーミングが安直なことについては、アキラが「わかりやすさ優先だ」と断言していた。その名の通り、アラタG3の極端なダウングレード版だ。詳細については俺もまだ知らされていない。

 

 ともあれ本日は、そんなアラタの製作に口を出していたらしいアキラの付き添いでラボラトリに来ていた。

 

『落ち着け滝沢。それは貴様を食わん。1号2号と違って』

『う、うるせぇ、わかってるよそんな……、ん、違って?』

 

 ガラス張りの実験室で、政道がアキラの声にびくりと反応して声を上げていた。

 

 その全身には、アラタG3のパーソナルカラーたる赤とガンメタリックから大きく外れる、青と銀のアーマーが装着されていた。爽やかなカラーリンクはマイルドさを表すためだろうか。装甲の基本的な傾向はアラタそのものだが、さすがにダウングレード版といったところだろう。

 頭部を装甲が覆わないのは、本人の意思でオンオフができると言うのも大きな理由だろうが……、やはりこの時期、俺でさえ蒸し暑く感じるのだから、政道のその選択は正しいだろう。いくら空調が効いてるとは言え、気は引ける。

 

 腰を見れば、こちらもまた色合いの異なるレッドエッジドライバー。やはりどこかデザインが丸く、基本機能は同じように見えるがグレードは下がっているようだ。

 

 白衣を纏ったアキラが、キーボードを叩きながら政道に指示を出していた。レッドエッジドライバーの量産型のそれを使い、室内に入った時点で政道を「変身」させ、動作確認をしている。

 

 そう、今日アキラは、このAG3ーMの製作協力に来ていた。

 

 アラタG3事態は趣味に走りすぎて作られているが、元々はこの量産型を前提に作られたものであったらしい。……端的に言って、どこまで一般の捜査官が耐えられるかのテストも兼ねていたらしい。もっともその話だと俺は不適格なのではないかと確認をとれば、「通常運用している状態のもののデータが欲しかった」とのことだ。あらかた、既に一般人が使った場合のデータはとれていたらしい。

 今日政道がやっているようなことを、数人の捜査官に対して行っていたのだろう。

 

「いやぁ、悪いですねぇ亜門一等」

 

 わざわざご足労いただいて、と俺に声をかけてきたのは、ここの主任たる地行博士だった。研究詰めが続いているのか、ヒゲが伸ばし放題で以前見たときより珍妙な見た目になっていた。

 

「いえいえ。お久しぶりです。

 ……失礼ですが、ここのところ泊まり込みが続いていらっしゃるのでしょうか?」

「あー、ちょっと頼まれていた『超大型』が完成間近だっていうのが理由だから」

「?」

 

 微妙に何かずれた回答をされた気がする。

 

「あ、いやそれはこっちの話か。

 でも、一等申し訳ない。ちょっと気になることがあってね」

「気になること?」

「うん。一等の戦闘データをとっていたときに、不具合なのかな? 支給当初は確認できなかったラグみたいなのも確認できまして。

 後は、追加装備クインケ『キメラX』の取扱説明書もあるから、一応目を通して置いてください」

 

 渡された冊子を手に取り、俺は一度室外に出た。元々アキラも博士も、それなりに時間がかかると前置きされていたこともあり、一度空気の入れ替えもかねていた。

 西日が差し込むのに目を細める。夏も段々と終わりが近づいているはずだが、しかし暑い……。日中だから仕方がないと割り切るべきか。

 

 そしてそんな時だった。俺はロビーで、ありえざるものを目撃してしまった。

 

 白いスーツに長めの髪。たくわえたヒゲはしかしむさくるしさを感じさせない。白いスーツに身を包み、目を閉じて、イヤホンで音楽を聞いている男性。

 彼こそ和修。CCGのトップの一人――。

 

「局長!?」

「……」

 

 局長は目を閉じ、楽しそうに音楽を聞いているようだ。一体何をやっているのだ、このヒトは……。

 ふと、彼の目が開かれ、俺の方に軽く手を振った。胸元の携帯端末を操作して止め、こちらに声をかけてきた。

 

「やぁ亜門上等。昇任式以来かな?」

「お、お久しぶりです。局長は何故ここに……?」

「いや、レッドエッジドライバーの在庫が穿け、いや、保管庫にあるものを再利用できないかと相談に来ていてね。何でもドライバーの機構を簡略化したものを作っているらしいと聞いてね。

 まぁアポまでまだまだ時間はあるから、こうして時間を潰しているのさ」

 

 はぁ、と胡乱な答えになる俺に、彼は楽しそうに微笑んだ。

 

「上等は、ミュージックは聴かないのかな?」

 

 何故音楽でなくミュージックと言うのだろうか。

 

「混声合唱などは、幼少の折に」

「学校で、ということではないだろうから……、そういえば元々、クリスチャンの環境下だったか。

 いや、私は中々に好きなのだよ。ミュージックが。知り合いの結婚祝いにレコードの再生機を送るくらいには、ジャズとか、クラシックとかね。

 そういえばだけれど花火大会とかは行くのかな? 確か日程は明日だったと思ったけれど」

「花火大会?」

 

 局長に言われ、俺の脳裏にその話が過ぎる。仕事仕事と続いて、また私生活で極端に判断に困る事態が起こってしまったため、極力仕事以外のことを考えないようにしていたのが原因か。例年は普段通りに、真戸さんと共にパトロールに出向いていた。

 今年に関しては、確かに明日、俺は有給をとっていたが、決して遊びに行くつもりがあってということではなかったのだが……?

 

「たまには羽根を伸ばした方が良いよ。なんだか疲れてるような顔をしているから。

 丸手特等とかは新しいバイクを買いに行ったりしてストレス発散しているし」

 

 まぁ色々あって今のは中古らしいけど、と局長は朗らかに笑った。

 

 

 

 その話を聞いていたわけでは決してないだろうが。翌日、俺のケータイにアキラから通知が来ていた。

 

『――父から遊んで来いと言われた。花火大会で待つ。集合は6区の駅前』

 

 こちらの了承をとるという発想のない連絡通達だった。

 内心の困惑はともかく、アキラからの呼び出し、という部分に不思議と俺は緊張を覚える。いや、不思議とではない。張間の墓参りをした帰りに、アキラ本人から「明らかな」アプローチを受けた。決して自意識過剰なそれではなく、かなり、断定できるレベルで明確な。

 

 そのせいもあってか、俺はアキラに対して、少し苦手意識を持っている。

 アプローチが迷惑、ということではない。俺の中で、彼女との関係をどう捉えるべきかという結論が未だ出て居ないからだ。恩人の娘? 優秀な部下? それとも――。

 

 後悔のないような選択を、と()には言った覚えがある。だからこそ、俺自身の身に置き換えて困惑しているのだった。

 

 俺の中では、張間への未練が未だ残っている。

 そのままアキラを求めるということは、すなわち彼女を張間の代用品と捕らえている事になりはしないか。

 重ねるなと、アキラは言い切った。だがしかし、そう簡単にこの痛みを、己から切り捨てることは適わない。

 重ねるなということは、つまり彼女への想いとアキラへの感情とを重ねてはいけないということになり――。

 

 思考が酩酊し始めた折、アキラから再度連絡が入った。

 

『――追記:待ち合わせには鈴屋や滝沢も来る』

 

 これにはこう、精神的にすごく助かるものがあった。

 

 現地に行く前に、什造から「浴衣です!」と手渡された。どうやら篠原さんの若い頃のものをもらってきたらしい。何故にそんな準備を……、と思ったら、政道も無理やり着せられていた。

 謎の気の効かせようと言うべきだろうか……、まぁ確かに場にはそぐうかも知れない。

 

 しかし、こうして6区の大花火大会に来るのも初めてだ。普段はテレビの向こうで、川を見ながら上る花火に驚かされたりもしていたが。

 

 ……どうでも良いが、からあげの屋台なるものは初めて見たな。

 

「ほら上等、綿菓子だ。存分に喰らうと良い」

 

 そして「わたがし体験」なる屋台で、アキラが割り箸片手に二つ、大きめの綿菓子を作って持ってきた。片方を俺に手渡し、もう片方を政道の顔面に押し付ける。「俺の扱いどうなってんだよ!」と言う政道の気持ちはわかる。一応注意するも、何処吹く風という感じだった。

 

「まーまーですせいどー。たこ焼きの上に乗せられなかっただけマシです」

「火中の栗拾うような考え方嫌だぜ、おい……。あ、亜門さんりんごあめです」

「助かる」

 

 受け取ったりんごあめを食べながら、ちらりと視線を振ると、什造が者的の前で足を止めた。

 1等の……、何だあれは? 独特な形状の人形が欲しいらしい。

 

「亜門さんあれ欲しいです!」

「任せろ、銃器の扱いも訓練済みだ――」

 

 ……だと言ったのもつかの間。弾丸がコルクのためか軽く、また射撃の反動も低いせいか、三発全てを外すと言う失態!

 政道も挑戦するが、俺同様なれない扱いだ。

 

「誰か! 羽赫のベテランをつれて来い!!」

「クッ、こんな時有馬さんが居れば……!!」

 

 お前も羽赫だろう、というアキラの指摘は、政道には届いていなかった。

 

 その後、五里と偶然合流し、彼女に射的を代理してもらったりもした。結果的に慣れて居ないながらも確保した彼女を見るに、やはり普段から使っている武器の種類は大事なのだと実感する。

 そして道中、篠原さん一家ともすれ違う。娘さん二人に手を引かれる篠原さんは、本来ならそこに居たはずの、高校生くらいになる娘のことを感じさせない風だった。

 

 ガラにもなく何を考えているのだろうと、思わなくもないが。これもまた、例年なら決して行わなかったようなことをしているせいもあるだろう。

 どこかセンチメンタルな気分になっていると、空に花火が撃ち上がる。

 

「た~まや~、ですね」

「見事だな」

「嗚呼」

 

 言葉もなく、俺達は空を見上げる。

 

 誰かと一緒にいるせいか――守りたい仲間達と一緒にいるせいか。

 

 テレビで見ているそれよりもいっそう華々しく、俺の目には映った。

 

 

 

 

 




一方その頃 その1
 
法寺「そういえば、雨止さんは行かなかったんですか? 花火大会」
雨止「私行ったら、絶対雨天中止になりますから。雨女だし……、たーまやー!」
法寺「(やっぱり本当は行きたかったんじゃないでしょうかね)」
 
 
 
一方その頃 その2
 
芳村「うん……」
入見「綺麗ね……」
古間「俺の浴衣似合って――」
入見「黙れ」
古間「ッ!?」 猛烈な勢いですねを蹴られる
 
 


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番外編 執味

今回ちょっと短めです


 

 

 

  

 

「――はい、お釣りが千飛んで二円になります」

「ありがとうね。いやー、しっかしあんていくも可愛い子が増えてきたねぇ、トーカちゃんにヒナミちゃんにクロナちゃんに! お兄さん嬉しいところだよー。まぁトーカちゃん一番タイプだけど」

「その話、カヤさんに伝えておきますね」

「ちょ、それ止めて!? 色々怖いッ!!? 『私は可愛い子に入らないのね』とか色々怖いッ!?」

 

 最近になって、常連客にも私は顔を覚えてもらえるようになった。

 

 このヒトは人間のお客さん。どうも会社のお仕事が終わると来ているようで、来るのはいっつも夜型。なのになんでヒナミちゃんの存在まで知っているのかとか、色々謎のヒト。

 金髪をがりがりとかいて、「じゃ――にヨロシク!」と言い残して行った。誰によろしくなのか、ちょっと聞き取りづらかったけど、とりあえず手を振っておいた。

 

 普段こういう対応してると、西尾さんに「客に毒吐いてんじゃねぇよ」と言われるけど、彼もあの常連さんの扱いはどっこいどっこいなので、気にしないことにした。

 

 古間さん(流石に名前覚えた)と一緒に片付けてると、途中で「僕用事あるから、後任せられる?」とか聞いてきた。鍵とかは四方さん?(まだそんなに会ってない)がかけてくれるから、ちょっと居残ってくれていれば良いと言われたので、特に用事もなかったから大丈夫と言った。

 レジに鍵をかけると、なんかこう、すごいドギツイ色したMTBに乗って、古間さんは勢い良く走り出した。

 

「……一人か」

 

 うん、ガマンしないと。

 こうして夜一人で居ると、嫌な事をぽつぽつ思いだしてしまう。

 

 嘉納が泣きながら私達に手術を施したり、部屋に行ったら大量のプラモデルに埋もれていたり。それはまだ笑える範囲だけど、結局あいつにとって、私達も道具のようなものでしかなかったろうことが。

 そして、シロが――。

 

 頭を左右に振る。今は、明るいことを考えよう。麻薬みたいなものだ、テンションを快楽でずっとブーストしておけば、そうそう暗い考えにもならないだろう。

 

 お兄ちゃん(カネキケン)――。

 

 お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃぁぁああああああああああああああああああああああああん!!!

 あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんぅううぁわぁああああ!!!

 あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!あったかい匂いだなぁ…くんくん

 んはぁっ!お兄ちゃんの白い頭クンカクンカしたいよ!クンカクンカ!あぁあ!!

 間違えた!ぎゅってしたい!ふわふわ!ふわふわ!髪髪モフモフ!モフモフ…きゅんきゅんきゅい!!

 時々攻めたときの戸惑ってる顔かわいいよ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!

 あとたまーに視線がこっちの身体に来るのが意外と悪くない気も!あぁあああああ!かわいい!お兄ちゃん!照れてる!あっああぁ――痛いっ!

 

 ネットで見たコピペみたいなノリで居たら、不意にリジェクションが首に走った。脈を押さえながらシャツを出して、ドライバーを巻く。背中から出てきた赫子が赤い帯になって、ドライバーを固定した。

 ふぅ、と息を付きながら椅子に座る。

 

「……んー、なんだろう。時々、お兄ちゃんのこと考えてるとなるけど」

 

 ひょっとして、興奮のしすぎが原因だったりする? いや、私別にそこまで興奮してはいないと思うんだけど。

  

 私、そんな変態じゃないし。

 ……変態じゃないし。

 

 まぁ、少しくらいなら人格が以前より崩壊してる気がしないでもないけど、それだって今の私の状況からしたら、無理やりでもなんとか立て直した方だと思うし。きっちりとヒトと交流して、話したり、感謝されたり――そういう当たり前のことに、素直に喜べるように「戻ったのだし」――。

 

 そんなことを考えていると、店の裏口が開けられ、奥の方から誰か来た。

 

 まだ夏場だというのに真っ黒なスーツにコート。帽子は被ってないのが、どうしてか違和感があるような、そんな老人は、ここの店長の芳村さん。

 私を見ると、彼は不思議そうに頭を傾げた。

 

「やぁ、お疲れクロナちゃん。古間君は何処に行ったか知ってるかな?」

「用事があるとかで、ケッタマシーンで」

「蹴った……?」

「あ、自転車」

「そうか。となると、浴衣でも買いに行ったかな?」

「浴衣?」

「ほら、そろそろ花火大会もあるからね。毎年、古間君はカヤちゃんに一着送ってるんだよ」

 

 その意外な事実に、ちょっと驚いた。

 

「……付き合ってる?」

「本人達は腐れ縁と言うだろうが……、まぁ状況も、過去も、お互いがお互いにそれを許すことはないのだろう。素直でないとも、自罰的だとも言えるかもしれない」

 

 このヒトが言葉に含みを持たせると、何言ってるか全然わからない。

 

 私が理解していないのを察したのか、くつくつと笑って店長は壁からレコードをとりだし、音楽をかけた。ジャズ? なかなかノリノリの曲。

 

「クレオパトラの夢、というそうだ。妻が生前、よく聴いていた」

「……」

 

 その曲名に、なんだか嫌な符号というか、あてつけじみたものを感じて頬が引きつる。

 

 流石に意図的なものではないのか、彼は気にせずカウンターの内部の側に入って行った。

 

「一杯飲むかい?」

「……あ、もらいます」

 

 彼の言葉に頷いて、私は向き直った。

 

 以前、お兄ちゃんから珈琲の注ぎ方とかについて、教わったコトがあったけど。このヒトがやるとやっぱり年季が違うのか、ものすごくスピードが違った。

 置かれた一杯は、私のとも、お兄ちゃんのとも違う一杯。

 香る香ばしさからは、気のせいでなければ甘みさえ香って居るように感じる。

 

 ふと、それに手を伸ばそうとして――そして何故かカップに触れるのを躊躇してしまった。

 

「……店は、慣れたかな?」

「……ある程度」

「うん。カネキくんから色々、教わっているかな?」

「トーカちゃんとかも。皆、みんな、いいヒト」

 

 言いながらも、私の手は動かない。動けない。

 

 そんな私に、芳村さんは言った。

 

 

「君は――私とカネキくんの話を聞いていたかな?」

 

 

 ぞくり、と。背筋に悪寒が走る。

 目の前の老人は手を後ろに組み、ただ微笑んでいるだけだと言うのに。

 

 そんな私を安心させるように、彼は笑った。

 

「別に構わないよ。あまり聞かれたくない類の話ではあったが――君なら、ね」

 

 なにせもう知っていただろうから、と彼は言う。

 

 私は、震える左手を右手で覆いながら、恐る恐る口を開いた。

 目をあわせられない。

 

「……貴方は、全部はカネキくん(ヽヽヽヽヽ)に言わなかった。Vの本当の正体も」

「……」

「私が、私と妹が今の身体になったのは、奴らと正面から戦えるようになるため。だけど……、貴方は戦わなかった」

「……」

「ここが少なからず、奴らの手を借りて作られている場所だっていうのも聞いた。ということは――20区の管理みたいなことをやっているのも、ひょっとしてVの手のひらの上?」

 

 芳村さんは少し寂しそうにしながら。

 

「……彼らのやり口を知っているかな?」

「?」

「基本的には、囮に次ぐ囮だ。そしてそれは、いずれここも例外ではなくなるだろう。

 私とて万能ではない。例えトーカちゃんのお父さんから受け継いだ名があろうと、ここを守らなければならない」

「……」

「だから……、出来ることならば、カネキくんには『きれいごとだけ』で、己を押し通してもらいたいと思っている」

 

 ぶしつけな私の言葉にも、芳村さんは出来る限り答えてくれた。

 そこに伏せられた感情は、一言では表せなくて、やっぱり分からないけど。

 

 でも、珈琲を手に取る手は、もう震えて居なかった。

  

「……特別に、何かおいしい」

「それは良かった」 

「奥さんに、教えてもらったんです?」

「半分はそうだね。ものになったのは、店を始めて数年というところか。いつか、彼女にも飲んでもらいたかったなぁ……」

 

 曲が丁度、途切れる。店の中が少しの間、静寂に包まれる。

 

 私も芳村さんも、何も言わず、ただその無音の中に居る。

 やがて曲目が変わったのか、形容の難しい感じの曲が流れる。即興のようでいて、その割には旋律が不協和音になっていないっていう、不思議な感じ。

 なんとなく、ヨーロッパの夜明けのような映像が浮かんだ。

 

 芳村さんも自分用に一杯いれて、一口。目を閉じて、音楽を染み入るように聴いている。

 

「魂と身体。……どちらも自由になるには、しがらみの多い生だよ」

 

 疲れたように笑う彼は、やっぱりどこか寂しそうで。

 

 ふとその疲れた顔に、金木研の表情が重なった。

 

 

 

 

 




以上、無印後半番外編でした

次の話からは中間編「A ―― the Origin ――」をお楽しみに?


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特別編 聖夜/誠野

クリスマス・超・特別編!


 

 

 

 

 

「……デートには行かないのか?」

 

 そんなことを四方さんが言い出したのは、丁度クリスマスイブのその日。バイクの塗装、なんか四方さんの趣味で描かれたマークが剥げかけていたのを、補修している時だった。

 昼の一時。わずかに客足が遠のいたタイミングでのこの発言。

 

「いや、四方さんお店ありますし……」

「おじさんでいいと言っている」

「いや、こっちの方が慣れてるんでしばらく四方さんで……」

「そうか……」

 

 残念そうな顔をしたものの、しかし四方さんは同じ言葉を再度繰り返す。 

 

 ちらりと店の中を見る。カウンターではトーカちゃんが、丁度クリスマス限定メニューの準備をしているところだった。小さなお菓子の家みたいなケーキだ。

 そういえば、四方さんと一緒にホームページの編集もしていたりしたな。宣伝内容については、普段の四方さんらしからぬテンションのイメージな文章になってたけど。

 

「まぁ……今更っていうのもありますけど、普通に就業時間だし、かき入れ時じゃないですか? お客さん。

 ここ、駅からそこまで離れてませんし」

「でも、研の方は今、冬休みだろう。たまにはしてもいいんじゃないか?」

「花買って帰ったら『店に変な匂いうつるから嫌』って突き返されましたけどね」

「……アラタもそんなことをしていたな」

「あはは……」

 

 これは僕が彼女の父に似てるというべきか、結局だめって言ってるトーカちゃんと彼女の母が似ているだけだろうか。

 しかし、実際そういうことをしたいという気持ちもなくはない。

 

「んん……、出来ればお言葉に甘えたいですけど、その……」

「ニシキと相談して、話はつけてある」

「いつの間に……? っというより、今回妙に手際が良いような」

「手を回したからな。

 …………まぁ久々というか、初めてじゃないのか? 二人そろってクリスマス向かえるのは」

「それをつっつかれると痛いですね」

 

 トーカちゃんと出会った初年度は、アオギリに捕まって拷問されて。翌年に至っては言うまでもないので割愛。

 

「んー、じゃあ、お願いできますか?」

「まかせろ」

 

 うん、と頷く四方さんからは自信めいたものが溢れだしていたけれど。

 あんていく時代のことを考えると……、帰ったら西尾先輩にボトルコーヒー買ってこう。

 

 

 

「と、いうのが今回の経緯なんだけど」

「いや、そんな話バラされたって、私、リアクションとれねぇから」

 

 肩をすくめながら、トーカちゃんは僕にそう笑った。

 どうやらトーカちゃんはあらかじめ午後休めるようになっていたらしく、デートしよう、と行ったら二つ返事で了解がとれた。

 もっとも、いざデートするとしても何処に行くかとか、二人そろって全然考えておらず。今はとりあえず、喫茶店に近い大きな駅前をぶらぶらしているところだ。

 

「にしても、デパ地下とか行ってみたかったけど無理よね、研はともかく私だと。ほとんど食品じゃん、全然楽しめねーし」

「中々難しいところだね」

「っていっても、それはそれで私、研と行きたい所なんてぱっと思い浮かばないし」

「それは気にして欲しいかな」

「いや、だってアンタ、どんだけ間、開いてると思ってるのよ……」

 

 確かに事情が事情だったというのもあるのだけれど、それとこれとは別問題だ。

 ちょっとぐさっと来たので、トーカちゃんのほっぺを指でつついた。

 

「あん……っ」

 

 くすぐったそうに声を上げるトーカちゃん。

 ちなみにトーカちゃんの本日のお召し物は、全体的に最近のトーカちゃんらしくない。具体的に言うと足が出ている。なんとなくだけれど、あんていくに居た頃の服装のイメージに近くて、少し懐かしい。

 からめられた腕は服がもふもふしていて、肉体的な感触はないけど暖かい。

 

「む……。だって、急にデートっていったって、特に買いたい物もないし」

「すごく原始的なところに立ち返ったね」

「そりゃお店やってますからね。経済観も変わりましたよ色々。

 それに……、だって、研と一緒にいられればそれでいいし」

「それは……、ありがとう」

「ん。……っていうより、そこは研に引っ張ってもらいたかったんだけどー? どこか行きたい所って」

「んー、なくはないんだけど……」

「?」

 

 頭を傾げるトーカちゃんに、僕は言葉を選ぶ。

 トーカちゃん相手に、というよりも。あの時の関係者全員に、この発言をするときは気を遣うのだ。

 

 

「――あんていく、行かない?」

 

 

 その言葉が指す意味が、文字通りの意味でない事を彼女はよく知っている。

 だから一瞬、目を見開いて、足が止まる。

 

 でも、それでもトーカちゃんは何も聞かず、「いいよ」と言ってくれた。

 

 

 

   ※

  

 

 

 今の僕らが暮らしている駅前から、20区の駅前まではわずかに十分。電車にすればその程度の時間しかかからない。

 でもわずかなその時間が、今の僕らには長く感じられた。

 

 電車内で隣に座りながら、僕らはヒトがそこそこ多い電車内で会話をする。もちろん人数の関係もあるので、そこまで大きな声は出さない。

 ちなみに、トーカちゃんは花束を抱き枕でもかかえるように抱きしめていた。

 

「……研さ、会って都合が悪い相手とかいないの?」

「? 都合が……」

「まぁ、私だと依子とか、高校時代の連中は会わないけどさ」

 

 会っても分からない程度には、頭とか服装とかも変えてたんだけど、とトーカちゃんは前髪をいじりながら言う。

 

「だから今日は両目出してるんだね」

「そ」

「……ひょっとしてだけどそのヘアピンって、月山さんと戦った時の――」

「あ゛?」

「あー、はいはいごめん、当たり前だったよねごめんごめん」

「いや、だって、カチカチかわいいし」

 

 そんな会話をしていると、あっという間に20区駅前。

 駅を出て、旧あんていくだった、今はモバイルショップになっている場所を少しだけ見て通り過ぎる。

 

 道のところどころに花束が置かれていて、それがあの時の、一年前の決戦の時のことを僕らに思い出させた。

 

「で、行きたい所ってどこ?」

「んっと……、あ、ここここ」

 

 言いながら僕は、とあるマンホールの手前に。

 その付近にも花が置かれており、捜査官と喰種との戦いの痕跡を感じることが出来るのだけれど。

 

 でも、ここに来たのはそれ以上に、僕にとっては大きな意味があった。

 

 僕らにとって、大きな意味が。

 

 

 花を置き、両手を合わせる。

 トーカちゃんもそれに倣い、一緒に手を合わせてくれた。

 

「……夏場はまだ来れなかったし、時期は色々突っ込みどころもあるんだけど。

 でも仕事も一段落したって意味だと、丁度いいかなって思ってさ」

「……ここって、何なの?」

「一言では、説明できないかな……」

 

 親友を助けると言って、助けられなかった。

 大事な人達が、いつくしみあうよう殺されてしまった。

 

 それを救うことができなかった――入り口。

 

 周辺の経路から、おそらくここから中に入ったのだろうと僕は類推している。亜門さんと戦ったところからも、ここは中々に近い。あちらは不要なので、今日はここで手を合わせたかった。

 

「カヤさんも、古間さんも、なんでかなぁ」

「……あっ」

 

 言葉少なくとも、トーカちゃんもそれで察したらしい。

 手を下ろした僕のことを、心配そうに見上げる。

 

「……大丈夫だから。

 後悔がないとは言わないけどね」

「……その言い回し、完っ全に前のアンタでしょ」

 

 半眼でそう言って来るトーカちゃんには、苦笑いを返す他ない。言われてみれば、確かにそうかもしれなかったからだ。

 今の自分は、一人で出来る事と出来ない事を、少しは理解したつもりだ。

 だからこそ、本当の意味で、トーカちゃんには感謝している。

 

「ヒデがさ。言ったんだよ」

 

 ――喰種側がトーカちゃんだって言うなら、人間側は俺が立っといてやるよ。

 

「支えるって言われて……、まぁ、状況が状況だから仕方ないんだけどね」

「嬉しかったの?」

「うん。なんだろう……、報われたような気がしてさ」

 

 だから、僕はもう一度そちらを見て、今一度誓い直す。

 

 取引の猶予は、まだそれなりにある。

 だからこそ、だからこそより一層、気を引き締めていかないと。

 

「研」

 

 何? と言ってトーカちゃんの方を振り向こうとしたら、正面からぎゅっと、ハグされた。

 鼻腔をくすぐる匂いが、ちょっと甘い。肩のすぐ隣にある彼女の髪の毛が、少しだけ鼻に掛かった。

 

「よしよし」

「……トーカちゃん、お母さんみたいだね」

「じゃお父さんアンタね。決定」

「……! な、なんか本当、発言に躊躇なくなったよね、そういうの」

「一応、これでも社会の荒波にもまれてますから。役所とか国営放送とか」

 

 たとえが例えになってない。

 でもなんとなく、それに合わせて僕は彼女の背中に手を回した。

 

「トーカちゃんの方こそ、無理してない」

「……いうな」

 

 少しだけ僕の頬に自分の頬をくっつけるトーカちゃん。

 わずかに、そこに湿った線のようなものを感じて。僕はトーカちゃんにしてもらったように、背中を軽く叩きながら、よしよしとした。 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「あら、どうしたの? カラスくん」

 

 キャンピングカーめいたワゴンの中でうだっている俺に、イカルさんはにやりと笑った。どこか魔女めいた暗い雰囲気を浮かべる彼女だ。ちょっと怖い。

 何が悲しくてこんな笑顔を、花のクリスマスイブに見なきゃいけないのか。

 もっと着飾ってくれれば綺麗になるだろうに。化粧とかも。

 

「別にどうでもいいじゃない、そんなこと。会社もあるし、最低限で済ましてるから。

 それはともかく、何やらお疲れのようじゃない?」

「そりゃ疲れますよ。……『研究所』から奪ってきたコイツ、バラしてもいまいちどういうのかわからないし」

「専門分野でもないのによく頑張るとは思ったけど、仕方ないわね、そこは。

 ……はい、掘さんからの調査資料」

「いつもすみませんねぇ、イカルさん」

「それ、別に続く言葉は言わないから」

 

 相変わらず手厳しいお方だ、と俺は肩をすくめて、和服の肩を入れなおした。

 茶封筒を開けて中を確認し、ため息。

 

「よくも悪くも、ってヤツですかね」

「何が良くて何が悪いのか、判断基準を教えてもらいたいのだけれど」

「そりゃ、『人間』自由が一番でしょ!」

「そこはまぁ、個人の価値観もあると思うからあまり言わないであげるけれど……。

 はい、差し入れのショートケーキよ」

「おおおおお! あざーッス! いやー、大学の頃からホント、イカルさんは気が効くよな~。学園祭の企画でも――」

「それはいいから、『右手』でとるの止めなさい、気持ち悪い」

「おっと! すみません」

 

 がばり、と起き上がって、俺は彼女から受け取ったケーキを見る。いちごが少なく、クリームが上品な絶品だ。

 少なくとも、俺はそう「記憶している」。

 

「止めておけば、と思うのだけれど……、まぁ、止めはしないわ。掃除さえしてくれたら」

 

 それだけ言って立ち去るイカルさんの背を見て、俺は苦笑い。

 

「だから、人間自由が一番なんスよ。

 ――食べたいものを食べるなんて、その最たるものじゃないッスか」

 

 付属していたプラスチックのフォークを取り出し、カットして、一口頬張った。

 

 

 

 

「――まっず!」

 

 

 

 

 

 翌日、窓ガラスに残っていたクリームの跡を見つけられて、散々怒られた。

 

 

 

 

 



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VC版 アラタ ―― the Origin――
chap.01 流れ者 ―― age or Noman ――


新章突入!

※原作でこの時系列の話が入ると、後々いくらか改変される可能性もあります


 

 

 

 

 

 ぐしゃりぐしゃりと、血が滴り、肉が引きちぎられる音――。

 

 耳障りなその音を立てる存在は、俺の目の前に居る。

 白い髪をした女。背は高くも低くもなく、身体はやや華奢。

 

 背中からは短い触手じみたものを出しているが、それはあくまでブラフ、はったりだ。その本体は、小さな触手の内側に「電撃的に」収納されている。

 

 赤黒い両目で俺を見つめながら、そいつは俺の身体を引きちぎり、無感情に貪る。

 

 

 ――”喰種(グ-ル)”。

 

 

 この世に蔓延る、俺達人間の天敵。

 食性として人肉のみを喰らい、多くの人間を影で殺し続けるバケモノ。

 

 そんな存在が居ると知った時、幼少期の頃から俺は奴らを殺すための職業を探し始めていた。深い理由はない。武器を合法的に振るえるとか、そんな理由もあったかもしれない。まぁ、思い出せない理由は頭に血が行ってないからだと思うが、もうそんなことも大した話じゃない。

 

 こひゅー、こひゅーと息が続かない。

 血が肺に入ったのに対して咽る事さえ出来ないほど、俺は瀕死だった。

 

「……まず」

 

 人様の肉を食っていて、なんて言い様だこの女。

 

 思わず右手に力を込めようとしても、血が溢れるだけ。視線を右側に集中させると、そこには俺の方を向いて刃を握る右腕が転がっていた。

 

 嗚呼、流石はバケモノといったところか。

 

 どうやら俺は、自分が思っていた以上にバラバラにされちまっていたらしい。

 

 結構強いんだな、この女。自嘲げに笑おうとして、しかし力が上手く入らない。

 戦闘は一瞬だった。気が付けばあっという間に俺の身体はボロボロだった。

 電撃的な決着を齎した女は、文字通り餌でも見るような目で俺を見て、無感情に喰らい続ける。

 

 捜査官になって何年かわかったもんじゃないが、しかしここまであっけなく殺されるとも思ってなかった。

 

 上を向いていた視線を周囲に振りながら、ふと、俺の視界に人影が入る。

 

 黒い髪をした兄ちゃんだ。年は若い。服は二区が近いからか、魚屋みたいな格好をしている。

 俺を食べてるこの女を見て、どこか恐怖に震えているように見えた。

 

 こちらを視線が合ったので、少しだけ顎をしゃくる。逃げろ、と。気づかれる前にこんなところから立ち去っちまえと。

 

 だが、そこは流石に喰種の方がカンが良いらしい。

 

 俺の方から視線を上げると、その兄ちゃんの方を見た。

 慌てて逃げる兄ちゃんを鼻で笑って、俺の右腕を持ち上げ、間接のあたりを引きちぎる。

 

 租借しながら走る女に、発泡スチロールが摘んであるバイクを走らせる兄ちゃん。

 

 

 嗚呼、最後の最後で守る事が出来なかった。後味悪いなぁ……。

 

 

 そんな感想を抱きながら、俺の肺は仕事をしなくなり――。

 そう長く掛からず、何の音も聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 八区に流れ着いてから、どれくらい経ったかよくわからない。

 少なくともあの当時は二次成長途中だったと思ったから、まぁまぁ年月は経過してるんだろうけど。それでも自分の記憶が不確かなことは事実として受け止めている。なにせ当時は、時間に関する感覚というものがよくわからなかったのだから。

 

 だからこそ、今は逆にしっかりしている。……仕事をするようになったからこそしっかりしていると言い換えて良いかもしれないけど。

  

「おう、坊主。今日は買出しに付き合って見るか?」

「お、お願いします……ッ」

「がはは、酒臭いのは簡便だな。お前、鼻は良いから、慣れたら魚の匂いもよく区別できるようになんじゃねぇか?」

 

 アルバイトでお世話になっている魚屋の大将さんに荷物運びを頼まれて、二区の競り落としに同行したのが今日の朝。買い取った魚をバイクで往復して運んだ後、下宿で寝ていたら別な届け先を指示されたのが夕方。発泡スチロールと魚の山をバイクに固定して、また往復何度か。

 

「……バイク、返しにいかないとなぁ大将に」

 

 気が付けば時刻は夜。

 建造中の円筒型の巨大ビルが、やけに不安感を煽る。

 

 まぁたまにはこんな日もあるさと、僕は気にせず二区から八区へ向けて走っている途中だった。ゴルフ場の隣を抜けて向かいにあるチェーン店舗の和風レストランを見つつ走り、線路の近くを通過しようと言う按配の頃。食欲をそそる匂いを感じながらバイクのアクセルを吹かす。今月のバイト代でも中々満たすことの出来ないような、食欲をそそられる匂いを、僕は無視した。

 

「……うん、まだ大丈夫」

 

 最後に食べたのはいつだったか覚えてはいないけど、まぁ、まだ大丈夫だろう。食欲に理性が解かされるほど、僕は文明人から離れてはいない。そんな強盗じみたことが出来るまでにはなっていないはずだ。

 とにもかくにも、まずはお金が手に入らないと。

 人間社会で生きるために、必要な知恵だ。

 

 母さんは言っていた。周りに迷惑をかけないような生き方をしなさいと。

 父さんは言っていた。誰にでもなく、恥ずかしくない生き方をしなさいと。

 

 僕にとって二人の言葉は、二人が思っている以上に絶対だった。僕は、二人のことが大好きだったのだから……。

 

 道中にあったスーパーで足を止め、バイクを駐車。店内で缶コーヒーを買って、一口。

 しばらくこれで食い繋げる。……本当は食い繋いでいないし、いいかげん胃袋に何も入っていないせいか吐き気とかもこみ上げて来る頃だけど、金欠になってから二ヶ月は経っていない。大丈夫、大丈夫。大家さんの娘さんに話したら「全然大丈夫じゃないよ!?」と叫ばれる気もするけれど、気合だ。深く考えてはいけない。

 

 そして再びバイクを走らせる。そろそろ二区から抜けるか抜けないか、というところで、ふと、僕の鼻が妙な匂いを感じ取った。

 

 いい匂いのような、同時に不快な匂いのような。

 

 拳銃が狙撃される音が聞こえたのも、それに拍車をかけたかもしれない。

 

 民家の間に入る手前でバイクを停車し鍵を抜いて、邪魔にならない程度に道に寄せてから僕はその方向に走った。さほど離れてはいない。離れていないからこそ、この匂いの根源にちょっとした恐怖と、好奇心を抱きつつ。

 

 

 結果からすれば、失敗だった。

 

 

 塀の影に隠れながら、僕は見た。銃を切り裂く、稲妻のような一撃。羽根のように左右から伸びたそれから放たれた一撃で、銃を握っていた男性の右腕が撥ね飛ぶ。

 転がった男性になおも「彼女」は、攻撃を止めない。赤い羽根から電撃を伴いながら、男性の身体を焼いて、切断していく。

 

 

「ったく、レン追いかけてた白鳩(ハト)がどんなもんかと見て見れば……。大した事なさすぎだろ」

 

 

 ぶつくさ言いながら、彼女は捜査官のバラバラになった肉を齧る。背中しか見えないものの、なんとなく荒っぽい印象を抱いた。

 

 ぐしゃりぐしゃり、と血が巻き散る音。

 ぬちゅりぬちゅりと、組織が本体から引きちぎられる音。

 

 日常においては異様と言えるだろう。初めて見た光景に、僕は一歩も動くことが出来ない。

 

 そんな僕に、食われているスーツ姿の男性があごをしゃくった。状況からして意図は理解できる。逃げろと言っているのだろう。でもそれが僕には出来ない。

 

 彼女が男性をバラバラにする手を止める。

 横顔の鼻がひくりと動く。どうやら匂いで僕の存在を感知したようだ。

 

 ゆらりと顔を上げ、こちらを見る彼女。

 

 

 その両目は黒く染まり、瞳は真っ赤に輝いていてー―。

 

 不思議と僕は、そんな彼女を綺麗だと思った。

 

 

 ただ、そう思ったことでようやく身体に力が入った。鋭い視線を向けられた事で、危機感と緊張状態で膠着していた精神のバランスが上手い事崩れたのかもしれない。

 とにかく走った。背中を向けてでも急いで走る。振り返る余裕もなく、隙を見せないとかそんな達人めいた発想なんでいらない。元々素人なのだから、むしろ捕まらないことだけを意識して走るべきだ。

 

 あの状況がどういった理由から引き起こされたものかなんて知らない。どっちが正しい、間違っているだなんて発想することさえできない。する気もない。ただただ僕は、ここで死ぬわけにはいかない。母さんが身を挺して守って、父さんが身を削って繋げてくれたこの命なのだから。

 

 

 感覚としては、暗闇の中背後から「何か」に迫られるようなそれだ。

 誰かが付けてきているだろう背後。足音はしないが、決して追跡していないということはないだろう。

 

 暗闇が濃くなりつつある今、急いでバイクに乗り込み走り出す。アクセル全開とまではいえないけど(全開にしたらコントロールできないし)、それでも法定速度とかは気にせず走る。

 

 

 

 ――パリン、パリン、パリン、パリン、パリ、パリ、パリ、パリ――

 

 

 

 猛烈な速度で、僕の背後から照明の割れる音が聞こえる。

 

 それだけで命の危険を感じるには十分で。

 やがて放電するような音と共に、バイクの後輪がスリップ。タイヤに穴でも開けられたのか、勢い余って空転し、僕は投げ出された。

 

 ぎりぎりのところでバイクのエンジンを止められたのは僥倖だろう。

 それだけの余裕が自分にあったのも驚きだけど、まぁ、最悪クビにされる可能性もあったので何も言えない。そしてそういうことに気を回せるだけ、意外と余裕があったのか。

 

 いや、きっと現実逃避したいだけだろう。 

 

 目の前に立つ、白い髪の彼女に見下ろされながら、震えが全然止まらないのだから。

 

「あ゛~?」

「……ッ」

 

 年は僕より少し上か、同じくらいだろうか。

 血が目立たないようにか黒いロングコートを纏っている。こちらを見下ろす目は赤く光っており、とても胡乱だ。一触即発といった感じだ。

 

「お前、何だ?」

「な、何って……」

「何で逃げたんだよ。やましいコトでもあんのか、あ゛?」

 

 ばちり、と背中から紫電が迸り、僕のすぐ右のアスファルトを焼く。

 震え上がる暇もなく、彼女はしゃがんでこちらの顔を覗きこんだ。

 

「そういや見ない顔だな、お前。新入りか何か?」

「な、何を言って――」

 

 本気の本気でそう答えたにも関わらず、彼女は僕を蹴り飛ばした。

 

 ごろごろと弾け飛ぶ僕を追跡し、髪を掴んで顔を持ち上げる。

 

 

 

「知らないとは言わないよね?

 アンタ――”喰種”でしょ」

 

 

 

 言われずとも、だ。

 僕の両目の視界は、既に赤と黒に染まっている。

 

 だが、別に嘘を付いているわけじゃない。実際に「知らない」のだから。喰種の社会というものは、特に――。

 

「死ねよ」

「ッ」

 

 頭突きをされ、痛みに一瞬思考が真っ白になる。気を失う程ではないのだろうけど、痛いことに違いはない。

 

 止むを得ないか。

 腹をくくり、僕は彼女の腕を掴む。

 

 そのまま強引に引き離して、それこそ彼女の手首が内側で引き千切れるくらいに強引に引き離して、投げ飛ばした。

 

 痛みよりも好奇心が勝ったのか、それともすぐ再生するからか、自分の右手の有様を見て彼女は笑った。

 酷く楽しそうにして、僕の方を見る。

 

 力が入らない。それでも無理やりに立ち上がり、彼女を睨む――。

 

「へぇ、盾ね」

 

 赫子を出し、右腕に絡みつかせ整形。腕を覆う程度のサイズしかないものの、最低限殴るくらいは出来るものにした。

 

 これだけで、既に意識がぐらぐらしている。

 それでも、この場で倒れれば死あるのみだろう。

 それを認められないからこそ、僕はあがく。

 

 彼女は楽しそうに笑いながら両手を合わせた。

 

 すると、背中から更に赫子が噴出する。さっきまでのはあれでも、手を抜いていたということだろうか。ばちりばちりと、赫子の繊維と繊維の隙間で電気が迸る。

 

 

 ――まるで鳥のような雷だ。

 

 

 右手を上げ、その指先に電気を集中させる彼女の姿は、一目でそういう感想を抱かせた。

 

 

「――耐えてみな?」

 

 

 ぼそりと呟いた彼女は、そのまま右手を僕に向けた。

 先端で迸っていた電気が、僕目掛けて羽ばたく。気のせいでなければ、内側には赫子があった。

 

 電気を纏ったその弾丸は、こちらに近づけば近づくほど加速していく。

 

 とっさに右腕を構えても、全然、防御にならない。赫子にめり込み、電気を放ち、なお盾を突き破って僕を殺そうと襲いかかってくるこの攻撃力は、何と言ったら良いだろうか。

 

 一撃につき、一瞬。

 しかし、僕の体感はその100倍くらいの時間を耐えてる。

 

 これは、アレかな? いわゆる「死の直前は脳みそが素早く回転するから体感時間が加速する」とかいうやつかな。まずいな、これ。

 

 相性的には有利のはずの甲赫と羽赫のはずなのに、当たり前のように僕は死を覚悟していた。

 

 いや、当たり前と言えば当たり前でもあるのだけれど……。だって、そもそも僕は――。

 

 

「へぇ、マジで耐えた!」

 

 

 びっくりしたように、それでいて新しいおもちゃでも見つけたように、彼女は笑う。膝から崩れ落ちる僕を、むしろ褒めるように笑う。

 

 だけど、流石にもう限界。

 おなかが空いて、力が――。

 

 

 ぐらりと倒れる僕が最後に見たのは。こちらを見て、意外そうな表情をしている彼女の姿だった。

 

 

 

 

 




ヒカリ「・・・耐え切った割には弱っ」


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chap.02 生活 ――uS is teak――

いきなりピーンチ!


 

 

 

 

 

「……はい。……はい。私のパートナーもです。

 それで……、はい、わかりました」

 

 電話を切りながら、私は伸びをする。

 ビルから見下ろす湾岸は、1区の本部のそれを思いださせるけど、結構違う。ショッピングが出来たりと、全体的にもうちょっと軟派な印象だった。

 2区に来てまだ一月経っていないものの、私の抱いたのはそんな印象だった。

 

 旅行用アタッシュケースを開け、中に収納されている拘束具とかを追いやって取り出した拳銃を磨く。喰種捜査官の使う武器の主流が”レッドエッジ”に移行しつつある中、私の要求を満たせるようなものが出来上がってないので、使い慣れているこの拳銃二丁がまだ私の愛機だ。

 もっとも弾丸がクインケバレット――喰種用の弾丸であることに違いはないので、それもまたささいな違いかもしれないのだけれど。

 

 とりあえず電話が終わったので、眉間のあたりをつまんで伸ばす。

 

 仕事モードからオフのモードに切り替えて、私は立ち上がった。

 

「……まさかコンビを組んで、半年も経たずに殺されちゃうとはね」

 

 ここに派遣される前、私と一緒に来た彼のことを思う。今入った連絡で、喰種にバラバラにされていたことが明らかになった。失踪したのが昨日だと踏まえると、中々にハイペースなところなんじゃないかしら。

 1区でも、今追加で派遣する捜査官を選んでいるところらしいけど、まぁ決まるのは半月過ぎたあたりでしょうしね。

 

 1区の「完塞」が終わってまだ十年も経ってないし、気合を入れて2区の制圧に乗り出しているところなんだと思うのだけど、しかし何というか……。組織体制がちょっと変動しつつあるからといって、グダグダすぎじゃないかしら。

 第一、2区にいる上等捜査官が今私だけっていうのも、何か変な感じがするというか。

 

「色々ままならないものよね。

 ……あら? はい、安浦です」

 

 再びかかって来た電話をとり、私は苦笑いを浮かべた。「何、びっちゃん」

 

『何じゃないぞ、やす(ヽヽ)

「やすは止めなさい」

『びっちゃん止めてくれたら考えるさ』

 

 電話の相手は、同期の(かすか)。字面から「びっちゃん」と私は呼んでいる。

 

「で、何かしら? 丁度今、オフのモードになったところなんだけど」

『仕事終わりか。都合が良いのか悪いのか……』

「あら、何か相談?」

『……クレオくんが』

「あ、のろけは聞かないから」

 

 単に時間の無駄にしかならないと笑顔で圧力をかけると、びっちゃんは少し困ったように慌てた。

 

『そ、そうではなくてだな?』

「じゃあ何? この間アキラちゃんが泣き病んでくれないーって言って、その手の話と無縁の私に泣き付いてきたびっちゃん?」

『だから止めろと言ってるだろうに! ……嗚呼、簡単に言うと、ちょっと気がかりな話を噂に聞いたものでな』

「うわさ?」

 

 私の疑問に、彼女は真面目な声で答えてくれた。

 

「海外の喰種勢力が近づいているかもしれない……? それって8区の話よね」

『だが、一応隣だろうに』

「まぁ、それもそうかしら。ただどっちにしても抗争始まったら大勢の捜査官で片付けにかかるでしょうし、私もそれは例外ではないんでしょうけど。気にする必要はあんまりないんじゃないかしら」

『まぁ、昔から君は人間離れしてはいたけどな。……旧式クインケとはいえ二刀流なんて出来たのはそっちくらいなものだろうし』

「そこは、まぁ、ノリよ」

『ノリか』

「ノリの良い方が勝つって昔、教わったし」

 

 たまによくわからないことを言うな、というびっちゃんに微笑んで、私は窓の外を見た。

 

「……まぁ、多少義理もあるし、片付けてあげるわよ」

 

 窓にうっすら映った私は――微笑んでいたつもりだったけど、仕事モードの酷い仏頂面だった。

 

 

 

  

   ※

  

 

 

 

 

 ごうごうと、鉄の板に風が吹き付けるような音。

 規則的に響く共鳴音が、僕の寝ぼけた耳を打つ。

 

 ぼうっと空を見上げれば、薄い緑色の天井。ランプか何かに照らされた室内が、やけにこざっぱりとしたような感じで――。

 

「!?」

 

 反射的に飛び起きて、そして背面を襲った痛さに悶絶した。

  

 傷……ではないはずだ。血の匂いは感じられない。とすれば無理に赫子を出したのが影響しているということだろうか。

 不思議と空腹感こそなかったけれど、それでも普段使っていない筋肉を動かしたような、違和感のある痛みが背中を中心に全身に走る。少し声を上げながら床に転がり、その衝撃でまた背中に痛みが走る。悶絶しながらごろごろ転がりつつ、やがて停止した。

 

 痛みがなかなか引かない。

 

「な、何だこれ……?」

「……」

 

 そんな僕を、一人少年が見下ろしていた。

 

 白い髪に、無愛想な表情。顔立ちは整っているように思うけど、それ以上に面倒そうな表情が目立つ。手には……、何だろう? 何か、ジャンクパーツめいたものを持っていて、それをがちゃがちゃいじりながらこちらを見てきた。

 しばらく僕の酷い有様を見た後、彼はため息をついて腰を上げた。

 

 立ち上がり歩く音が、部屋全体に響く。よく見れば部屋の四隅が狭く、また壁も折り目がついた鉄の板だ。

 

 コンテナか倉庫か……。肉片が転がるそこは、僕の下宿よりも防音とかと無縁そうな場所だった。

 

「――生き返ったじゃねぇだろって。人聞きの悪い。私別に殺してねぇし」

「……」

「な、何よその目。

 ……あ、目が覚めた?」

 

 そして入り口から、マグカップを二つ手に取って入ってきたのは、僕を電撃で倒した彼女に他ならない。コートは脱いでいて、薄い黄色のツーピースの上から革ジャケットを羽織っていた。冗談のような取り合わせの悪さだ。

 ただ、それよりも僕の食欲は彼女の持つマグカップの湯気を嗅ぎ取っていた。

 

「のむ?」

「……も、もらえるとありがたいです」

「かしこまんなよ」

 

 へへへ、と何だか下っ端の悪党みたいな笑いを浮かべて僕にカップを差し出す彼女。受け取って一口。インスタントな味わいながら、缶の鉄くささがないのはヒトが淹れたからか。

 ふぅと一息ついて、そしてようやく頭が回ってきたようだった。

 

「……あれ、ここってどこです? どうして僕は」

「いや遅ぇから」

 

 半笑いの彼女は馬鹿にしているようだ。

 

「別に良いけど。……んー、まぁアレよ。アタシんち」

「倉庫か何かにしか見えないんだけど……?」

「そりゃ漁港のコンテナ間借りしてるだけだし」

 

 当然無断だろうそれを、けらけら(へへへと)笑い飛ばす彼女。結構便利だしコンテナとあまつさえ薦めてくる始末。

 反応が出来ないでいると、レンと呼ばれた少年の方がうろんな目を彼女に向けた。

 

「……起きたから、早く戻して来い」

「あ、こら。姉ちゃんにその態度は何だ?」

「……?」

「あ、悪い悪い。いやアレよ、甲赫の男だし本当は助けるつもりなかったんだけど、レンがバイク物欲しそうに眺めてたから、まぁついで」

「ながめてない」

「嘘おっしゃい。アンタしょっちゅうジャンクいじってるの知ってるんだから」

 

 話が見えない。というか既に家族の会話が始まっている。部外者たる僕には理解できない単語がいくらか飛び交い始めている。

 どうも本当に「ついで」で助けられたみたいで、二人ともあまりこちらに興味はないようだ。

 

「CBR……、バイクは?」

「…………表」

 

 よかった。アレ無くしたらきっと一発でクビが飛ぶ。

 いや無断欠勤に近い現状でも大分怪しいけど、一回くらいなら大丈夫と信じたい。……信じたい。楽観的になるしかない。なにせ取り戻しようがないのだから。

 

「……ちゃんと磨け」

 

 ただ、そんなこと言われましてもというところではあった。そこは大将に言っておくくらいしかないかな……?

 

「あ、でもそれは私も思った。アンタ妙にドブみたいな匂いがするっていうか、何それ? 服の匂い? 頭の匂い?」

「……魚くさいって意味ならたぶん合ってるよ。魚屋さんで仕事してるし」

「なんで仕事なんてしてんの? 襲った人間から金、奪えば良いじゃん」

 

 喰種らいし質問に、僕は首を左右に振って否と示す。「人間は襲わないよ。そんなことしたくない」

 

「なんで? 喰種のくせに」

「……別に、そういう喰種が居たって――」

「だってアンタ、私の『ばちばち』防いだんでしょ?」

 

 おそらくあの電撃のことを指し示してると思うんだけど、そのネーミングはいかがなものか。

 

「ロクに食べてないみたいで、それでも防ぐことができるんだから、きっと食べて鍛えれば強くなれんじゃないの? アンタが語ってる理屈は、弱いヤツのことよ」

「……」

「弱いヤツが言うことなら、私は別に否定はしない。誰だって出来る事できない事がある訳だし。レンだって愛想笑い全然できないし」

「……うるさい」

「怒っても迫力ないっつーの。照れんな照れんな」

 

 ばしばしと頭を叩かれる弟君は、僕と彼女から視線を逸らしてされるがままになっていた。

 

 あ、どうやら耐えられなくなったのか表に逃げた。

 

「だから物好きっていうか、何? 自殺志願者?」

「……そういうわけじゃない、かな」

「だよね。じゃなかったら寝てても、私が持ってきた肉、食うわけないし」

「……」

「何よその顔」

 

 今どんな顔をしているかわからないけど、きっと気分が良いような顔ではないだろう。このままだと文句の一つでも言ってしまいそうな気がしたので、僕は話題を変えた。

 

「それよりも、えっと、君は大丈夫なの?」

「何が?」

「あんなに目立つように戦って」

「んー?」

 

 頭を傾げる彼女は、僕が言わんとしているところをわかっていないらしい。

 

「僕追いかけてた時、路上の照明を沢山割ってたけど……、あれで正体特定されたりしないのかな?」

「あー? 何訳わかんねーこと言ってんの?」

「……?」

「私が犯人だって、割ったってどうやって特定すんのさ」

「監視カメラくらいはあるんじゃないの?」

「むしろ監視カメラ怖いから照明ぶっ壊したし。やりあってる映像映ってた方がヤバいだろ」

「そういえば、そもそもどうして僕を襲ったのかとか、色々聞きたいことは――」

「あー、うるせぇなエラそーに。……アンタ、いくつ?」

「19」

「私、21」

 

 年上だったのか、というのはさておき。剣呑な目でこちらを覗きこんでくる彼女。見た目が綺麗な分、視線の鋭さ恐ろしさが際立っているような気がしないでもない。思わずたじろぐ僕の額に、彼女は人差し指をつきつけた。

 

「自分の身一つ守れないようなヤツが、何いっちょまえに人様に口出ししてんだよ」

「それは――」

「何かあんのか、あ゛?」

 

 がん、と僕を蹴り飛ばす彼女。

 

「言ってやるよ。何で襲いかかったか。なんか近頃捜査官の気が立っていて、どんどん仲間たちが駆逐されてってるからよ。余所者が入り込むには格好のタイミングって訳。

 そんな中でアンタみたいなの、怪しすぎるだろ。アンタ――スパイか何か?」

 

 何の話だ、と言いたかったものの、動くことさえできない。

 無理やり食事をとらされはしたようだけれど、それはどうやら最小限で留められていたらしい。ただ僕が見上げたのを見て、彼女は少しニヤリとした。何故楽しそうにされたのか、理由がよくわからない。

 

「ま、違うのは分かってるわよ。アンタみたいなへなちょこ、雇ったところでどうしようもないだろうし」

「へ、へなちょ……?」

「じゃ、わかったら二度と私達に関わらないで?」

 

 じゃあね、と言いながら、彼女は僕に肩をかし、表に投げ捨てた。

 

 身を起こして彼女の方に向かおうとすると、猛烈な速度で蹴り上げるモーションが僕の眼前で止まる。ばちばちと電気を伴うそれは、命の危険を感じるのには十分なそれだった。

 

「……」

「とっとと消えろ。アンタみたいな匂いの薄いやつと一緒にいたら、私まで弱くなる。

 ……何赤くなってんのよ?」

「べ、別に」

 

 足を戻す彼女からおずおずと逃げる。鼓動の速度は上がり、手は震えていた。

 そんな僕を鼻で笑って、彼女はコンテナの扉を閉めた。

 

「……お前は何がいいんだ? 俺は、マルタイチがいいと思うんだ、うん」

 

 そして弟君は、大将の私物で僕が借りていたバイクに向かってそんなささやきかけをしながら、ぴっかぴかに磨いていた。姉や僕に向けていた仏頂面が嘘のように、まるでペットでも可愛がるかのようなその表情に僕は反応できない。

 

 と、僕の視線に気づいたのか、弟君がこちらを見て目を見開いて固まった。

 

 気まずい。

 

「……」

「……何だ、追い出されたのか」

 

 弟君は見られたのをなかったことにしたいらしい。僕も似たようなものなので、彼に同調させてもらった。

 

「お姉さん、強いね。色々」

「嗚呼」

「……」

「…………」

 

 ……会話が続かない!

 

「……」

「……バイク、好きなの?」

「……まぁ」

 

 そういって顔を逸らす弟君。確かレンと呼ばれていたか。

 どうやら相当に口下手なようだ。僕もそこまで得意というほどではないけど、それにしたってすさまじいくらいに苦手としているらしい。

 

「……これの持ち主、いいやつだ」

「……ん?」

「何度も修理した跡がある。無茶させてはいるけど、きちんと最期まで使ってやろうって思ってると思う。

 だから、お前もちゃんと磨け」

「……まぁ、心がけておくよ」

 

 彼からバイクを受け取り、僕は走らせた。道中、公衆電話で一度大将の方に連絡を入れる。言い訳としては微妙なところだけど「帰り道バイクのタイヤがパンクして、意識を失っていたところをヒトに拾われて介抱された」と当たらずも遠からずな話をした。大将には大層驚かれたけど、流石の人徳で「無理すんな」と豪快に笑われた。

 まぁそれと同時にバイクだけは返すように、二度三度念押しされたので、あの弟君の言っていたことは正しいのかもしれない。

 

 ともあれそんな訳で、今度は安全運転で8区に帰る僕。下宿先の風呂ナシ、共同洗濯機ありのアパートの部屋で、少し横になる。

 あの女性の喰種相手にしていたとき、腕は震えていた。でも落ち着いた今になっても、右腕のしびれと震えがとれない。これは恐怖心からか、それとも電気の後遺症と見るべきだろうか……?

 

「包丁握れないなこれじゃ……。まぁ『お前にはまだ早い!』って先輩は言っていたけど」

 

 まぁ簡単な雑用程度だったら大丈夫だろう。下手に病院とかに行けない身の上だし、栄養さえあれば回復するのだから何とかなるだろうという予感は、一応あった。

 そう、栄養だ。

 今の状況で「肉」を口にする生活を送ってこなかった僕が、それでもながりなりとも生きることが出来ているのには、理由がある。

 

 まぁその話は一旦置いておこう。もう少し休憩したら、アルバイト先までひとっ走り――。 

 

 そんなことを考えていると、インターフォンの呼び鈴がならされた。

 誰だろうかと思い、扉のレンズから向こうを見ながら、声だけで応答した。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

 扉の向こうには、オジサンって感じの男性と、とても綺麗な女性が一人ずつ。男性の方はにこにこ笑って人当たりがよさそうで、対して女性の方はこう、表情がものすごく硬い印象だった。

 二人は頭を下げて、僕に言った。

 

 

「どうも、喰種捜査官の阿藤と――」

「安浦です。ちょっとお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?

 ――霧嶋、アラタくん」

 

 

 ……嗚呼何というか。

 今日って厄日か何かだっけと、思わざるを得ない状況だった。

 

 




レンジ「……ところ、そのスカート姿で足振り回したら、中丸見えだったんじゃないのか?」
ヒカリ「あ? ……あっ」アラタが顔を赤くしていた理由に思い当たり、へたり込む


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chap.03 当たり前 ―― eAaa trim ――

 

 

 

 

 

 喰種捜査官が事情聴取、ということで一瞬身構えたものの、内容はごくごくシンプルなものだった。

 

「近隣で喰種が戦闘したと思われる跡が発見されたので、周辺住民で通報を受けた相手に訪問して……、えっと、」

「とりあえず生きていることを確認させていただきました。後は、昨晩どうしていたのかなどですね」

 

 話の要点をまとめると、そういうことらしい。

 ここの近隣で喰種の戦闘……、たぶん赫子の破片とかが見つかったということか。一瞬僕や彼女たちのことかと思ったけど、流石に警戒しすぎか。なにせ帰り道と自宅まではまだ距離があったし、彼女の一撃が僕のもとに直撃するころには、ほぼ電気しか残って居なかった。

 

 ここで問題になってくるのは、いかにして彼女たち姉弟の存在を隠すべきかじゃないだろうか。大将にはヒトに拾われて介抱された、という話をしてあるから、下手に話を誤魔化せない。ごまかし方を間違えれば彼女達の身に危険が迫るかも知れないし、第一僕の正体がバレる可能性も高い。

 近隣で戦闘をした喰種が何なのか知らないけど、面倒なことはやめてもらいたい。

 僕はただ、静かに生きていければ良いんだから。

 

「なるほど……。バイクのタイヤがねぇ。大丈夫だったの?」

「一応、歩ける程度ではあったし鞭打ちした訳でもないので、手当てはしました」

「ふぅん……?」

 

 阿藤というらしい捜査官が僕の話を聞きつつ、後方で安浦と名乗った彼女がじっと僕を見つめている。ちょっとその視線にやりづらさを感じながらも、僕は事情聴取を誤魔化す。

 誤魔化すといっても、全くの嘘を話すということじゃない。

 大将に話した部分を、少しちょろまかして話しているということだ。

 

「職場の大将、というより店長には、心配させないように親切なヒトに助けてもらったって言ってあるんですけど……」

「あー、最近何かと色々物騒だからねぇ。大した事ないんならいいだろうけど、でも病院行けるならいきなよ?」

 

 この程度で済ましてくれるのは、事前に大将とかから話を聞いていたせいか。そういえば通報を受けたとか言っていたっけ。警察あたりに店長が心配して確認の電話とかでも入れたと言うことだろうか。色々疑問はつきないけど、僕は僕で話題をそらすことに余念はない。

 

「僕、何かあってから一日しか経ってないと思うんですけど、それでも僕のところに来たってことは結構危なかったりするんですか?」

「んー、まぁねー。詳しくは話せないけど、物騒なことに違いはないかな」

 

 詳しくは話せないらしいけど、結構口調が軽い。このヒト、見た目よりひょっとしたら結構若いのかもしれない。

 

「そのうちニュースとかで出るかもしれないから、十分注意してね。じゃあ――」

「最後に一つ確認しても宜しいでしょうか」

 

 さっきまで黙っていた彼女が、手を上げて僕に確認をとる。

 

「破損したバイクのタイヤは直されたようですが、元々のそれはどこにありますか?」

 

 ……! しまった、それは完全に忘れていた。

 確かに大将のバイクに乗っている際、全くそのことは意識して居なかった。ということは、あのレンくんが直してくれたものとみるべきだ。考えてみれば、確かにそれはおかしい。

 いけない、回答に詰まっては。何か的確な理由を言わないと――。

 

「そりゃ上等、バイクなら誰でも換えのタイヤの一つや二つ持ってるものでしょ!」

「……そうなのかしら?」

「そういうもんですって! あとこの部屋の感じだと、ごみになりそうなのは捨てちゃってるかな? だよね?」

 

 動揺していた僕にそんなことを言った男性捜査官の彼に、ちょっとだけ感謝だった。内心はかなりビクビクしているものの、やっぱりノリが軽いなと愛想笑いの一つは浮かんだ。それより後ろの彼女が上等と呼ばれていたのがすごく気になる。見た目は彼より若そうなんだけど、一体どうなってるんだろう。

 

 彼女は一瞬目を細めて何か考えるような仕草をしたけど、特に何もいわずに頭を下げてその場を去った。

 

 最後の反応にちょっとした恐怖を覚えるも、なんとかごまかすことは出来たのかもしれないと胸を撫で下ろす。

 

「……とりあえず大将に電話しないと」

 

 家を出て公衆電話に向かい、十円玉を投入。

 今日のシフトについて確認をしようとしたのだけれど……。

 

『おうアラタ、お前今日来なくても良いぞ?』

「へ……?」

 

 え? それってつまり、僕クビってことですか!?

 確かに昨日、無断外泊な上にバイクのタイヤもやっちゃいましたし、とか色々理由じみたものが脳裏を過ぎって固まると、がははと大将は大笑いで否定した。

 

『いやそうじゃねぇよ。ケガは軽いみたいだけど、お前休みナシで働き詰めだったし、その上でトラブル起こしたんだろ? だったら二日三日は休んでから来い。

 あ、でもバイクは午後必要になるから、すぐに返しに来い。どっちも業務命令だ』

 

 じゃあな、と言って電話を切る大将の言葉に嘘はなさそうだ。よかった、と胸をなでおろすと同時に、相変わらずそういうところ適当だなーとも思った。一応アルバイト扱いなのでシフト自体は組んであるのだけど、大将の気分というか、状況に応じて結構いい加減なところもあった。

 毎日のように店に顔を出して手伝っているのにも理由はあったのだけど、今日は「ある事情」からその問題もないので、大将の話はありがたいところでもあった。

 

 バイクに乗って、ヘルメットを被りエンジンをふかす。ガソリンは十分、ブレーキランプも問題ないしグリップの感じも一応大丈夫。

 運転は、とにかく安全重視。大将から借り受けているものという理由も在るけど、それ以上にやっぱり体調の問題が大きい。

 

 最寄り駅の手前を過ぎて、駅反対側に。フライドチキンの匂いに顔をしかめながらも、その程度のことにはもう慣れっこ。大通りの前橋通りに入り、バイクで走れば10分足らず。

 

 そんないつも通りの感覚でアクセルに力を入れる。

 

 左折する産婦人科の手前のあたりで、信号待ちをしていると。川向こうの向かい側に、なんだか、見覚えのあるような人影を見かけた。

 頭の色は黒いけど、それに違和感を感じる。おでこがまぶしい。ちょっと鋭い目。可愛いというより格好良いという感じの容姿で、そんな彼女は地元のスーパーのエプロンを下げて、何やら手元の紙とにらめっこして右往左往しているようだ。

 足元にある袋の束が妙に生活感に溢れていると言うか。

 

 ……見覚えがある。あのレンくんのお姉さんのようだ。

 ようだと思うのだけど自信がない。なんだか昨日と違いすぎて、単なる他人の空似だろうかとも思う。

 

 ただどちらにしても、何か困っているように感じた。距離的にはさほど遠いという訳でもないので、左折するのを止めて直進。

 丁度彼女の隣のあたりに停車した時点で、僕の耳にはこんな言葉が聞こえた。

 

「くっそ、あの上司……。説明不足すぎんだろうが、今度ビリビリ言わせようか……」

 

 ……やっぱり彼女のようだ。

 バイクを路側帯に寄せて、ヘルメットを外す。「何やってるんですか?」と声をかけると、「にぎゃ!?」と到底女性らしさと無縁の悲鳴を上げた。

 

「な、な、な、な――」

 

 すごい顔してる。なんだかこう、漫画みたいなくらい嫌そうな、何でお前がここに居るんだ、みたいな感情がひしひし伝わってくるような、そんな表情だった。

 

「仕事途中というか、バイク返しにいくんですけど、えっと……。大丈夫です?」

「…………! べ、別に……」

 

 どうしたことだろう。今朝方の彼女と違って、ひたすら周囲をきょろきょろして、挙動不審の彼女。声もなんだか上ずってるみたいに聞こえるし……。

 ふと、彼女の手元のそれを見て見ると、地図ではなくメモ書きのようだ。スーパーのチラシの裏側に書かれていると、どこかの場所を指し示しているもののようだけど……、住所こそ書かれてはいるけど、そこに至る地図がテキトーというか、地元のヒトしかわからないような省略のされ方と目印の描き方をされていた。

 僕の視線に気づいたのか、彼女は慌ててメモを隠して睨む。そういう仕草をされると、それはそれで結構可愛らしく思えるから不思議だ。綺麗と思いはしたけど、それと同時に身の危険を感じていた昨日の夜からすると、随分印象が違うように思う。

 

「な、何よ……」

「えっと、困ってるなら力貸しますか?」

「別に……、って、ジロジロ見るなッ」

「いや、昨日とか今朝と同じくらいだと思うんですけど……。っていうより、えっと、お姉さん? の方が色々違いすぎるような気が……」

「う、うっさい黙れ」

 

 無理強いするのも良くないかなと思い、ヘルメットを被ろうとすると、それはそれで彼女の視線が鋭くなる。何だろう、その「お前このまま見捨てていくつもりか」みたいな目は。

 どうしたものかとしばらく動けないで居ると、彼女の方が折れたようだ。ためいきをついて、深呼吸して、ものすっごく言いづらそうに視線を逸らして、ぼそぼそと話し始めた。

 

「……あ、あのさ」

「……何でしょうか?」

「……場所、わかる?」

 

 手渡されたメモ書きの住所は、番号からしておおむね特定できそうな感じだった。ちょっと待っててくださいと断ってから、バイクの座席下にある収納スペースから地図を取り出して広げる。

 

「ここの先の交差点を曲がって、すぐ信号があると思うんで、そこで待っていて。そこから南東の方の道に曲がっていくとすぐみたいですけど……、だ、大丈夫ですか?」

「……」

 

 ものすごく困惑した表情で固まっている彼女。

 

「……えっと」

「わ、わかんない」

「えっと、つまりこっちの先を――」

「目印なきゃわかんないっつってるでしょーが!」

「い、いやいや……、この地図の拡大率だと、そこまで見えないと思うというか、ここの通りの先が――」

「通りの名前とか指差されてもわかんない」

 

 そんな、わかんないわかんない連呼されましても……。

 もっと地域を拡大して抽出したような地図でもあれば良いのかもしれないけど、生憎僕の手持ちにそんな気の効いたものはなかった。

 そして話している最中、気づいた。どうも彼女、方向を指差し続けているといつの間にか東西南北がごちゃごちゃになってしまうらしい。

 

 ひょっとして……。

 

「……方向お――」「ちがう」

 

 ぎろりろ睨まれた。

 

「これは、アレよ。バット地面につけて、ぐるぐる10回くらいその場で回って……、すると、どっちがどっちかわかんなくなるっていう、アレ」

「?」

「目印なきゃ、方角わかるわけないでしょ」

 

 それにしては随分と狂う速度が明らかに早すぎた気がしたけど、あえてそれ以上僕は追及するのを止めた。別に不快にしたいわけじゃないのだ。あくまで親切心からなのだから。

 

 なので、これも親切心で提案した。

 

「もしよければ、住所のところまで送りましょうか?」

「あ゛?」

「い、いや、なんかその調子だと、着くのに何時間かかかっちゃいそうな気がして……、見てられないと言いますか、」

「私がこんな子供のお使いみたいなの一つ果たせないって言いたいわけ!?」

「……」

「何か言えよ」

 

 言いながらも、彼女もばつが悪そうに視線を逸らしてる辺り、そこまで否定するのも無理らしい。本人も自覚があるんだろうか……。なのにプライドが邪魔で素直に言い出せないと。

 レンくんの前ではお姉さんらしさがあったけど、こうして見ると子供っぽい一面もあるんだ。僕よりは年上のはずだけど、そういう不慣れそうなところは人間社会においては、僕の方が先輩ってことだからか。

 

 いちいち僕に何か言おうとするのが本気で嫌そうなのも、まぁご愛嬌ととるべきか。

 とらないと落ち込んじゃいそうだっていうのはある。

 

 ともかくこのままじゃ会話にならないので、僕は彼女の手を引いた。

 

「あ゛?」

「一応、二人乗り大丈夫ですから。ほらヘルメット」

 

 差し出す僕の手と、自分の手を引く僕の手とを見て、彼女はやっぱりすごい表情のまま塊って。でも、しぶしぶというように、諦めたように僕の背後に回って、ヘルメットを手に取った。

 ……流石に手を軽く腰に回すだけで、密着とかはされなかった。まぁそれが普通だ。

 

 ヒトが背後に乗る以上、普段以上に安全運転を心がけて送る僕。ものの数分もかからないだろう道中で、彼女はとてもとても言いづらそうに口を開いた。

 

「……アンタ、何も言わないのね」

「?」

 

 本気で意味が分からない僕に、彼女はそれ以上何も続けなかった。

 

 数台の車の間を横切り、たどり着いた先は小さい集合住宅。

 僕の後ろから降りると、持ってきていた袋を手にして、こちらをじっと睨む。

 

「……絶対、ついてくんなよ」

 

 本当はこのまま帰ってもよかったのだけど、彼女のその反応を見てると、逆に興味が沸いた。一体何をそんなに恥らっているのだろうかと言う興味が、僕の中で勝ったのだ。意識的に耳をすませながら、集合住宅の階段を上っていく彼女の声を聞く。

 インターホンの音。

 扉がゆっくり開けられる音。

 「あらあら、いつもすみませんねぇ」という老婆の声。

 

「――いえいえ、お婆さんも元気なようで。あら、お肌この前より張りが出てきたんじゃありませんか?」

 

 ……!!!

 だ、誰っ!?

 

 思わずそう思ってしまうほどに、聞こえてくる愛想の良い声は元の彼女の声音に比べて別人のようなそれだった。

 

 絶句して立ち尽くす僕。しばらくその、別人のように愛想の良い(おそらく営業スマイルの一つでも浮かべて居るだろう)やりとりを終えて、彼女はばつが悪そうにこちらに帰って来た。

 

「……なんだよ」

「……配達?」あえて話題をそらした。

「ん、高齢者限定」

 

 へぇ、と普通に驚いてしまった。

 その僕の反応が意外なのか、彼女は少しだけ驚いたように目を大きくした。

 

「……アンタ、本当に何も言わないのね」

「何を言われると思ってたの?」

「いや、だから……、今朝方、あんなにエラソーにしといて、これじゃ、カッコワルイし……」

 

 嗚呼。

 

「まぁそんなものかなーって、僕は思ってるから」

「何でよ」

「だって明らかにレンくんの服も、お姉さんの服も、新品って感じだったし。部屋の感じからして奪ったりしてる訳でもない気がしたし、なんとなく部屋にあった『死体の量』が一人分くらいな気がしたから、そう考えるとお金もまかなえないだろうし。

 だったらまー、普通に働いているのかなーと」

「……案外見てるのね」

「まぁ、すごく嫌そうだけど」

「当たり前だし」

 

 何故かさっと、スカートの間を押さえる彼女。何の仕草なのかいまいちわからない。

 胡乱な目でこちらを見る彼女の表情からは、いくらか困惑が見て取れた。

 

「アンタ、本当何なの? 喰種の匂いも本当薄いし、全然ガツガツしてないし」

「いや、まぁ、僕も普通に働いてるし、そこはどうなんだろう……、ガツガツ?」

「なんでもない。

 じゃあ、馬鹿にしないのは働いてるからなわけ? 人間に優しくしてるの見てもさ」

「それは……、半々かな?

 逆に、お姉さんは――」

「ひかり」

「?」

「……四方(よも)、ヒカリ」

 

 しぶしぶというように名乗った。ヒカリさんというらしい彼女は、やっぱり僕を微妙な目で見ていた。

 

「ヒカリさんは、人間のことをどう考えているんですか?」

「どう考えてるって……」

「優しくしてるのを聞いた感じだと、あんまり演技っぽくなかったっていうか」

「……」

 

 少し逡巡してから、視線をそらして彼女は答えた。

 

「まぁ、おやつ?」

「……」

「好きでも嫌いでもないわよ。お金くれるっていうのはすごいし、色々、服とか乗り物とか住居とか、色々あるけど、そんだけ」

「……そっか」

 

 その回答に少しだけ寂しさを覚える僕の顔を、彼女は不思議そうに覗きこんだ。

 

 

 

 

 



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chap.04 動く ―― gok oU ――

レンジ「……………………(あいつ、姉さん狙ってるだろ絶対)」


 

 

 

 

 

「――聞き込み29件して、収穫が3つと。しかもどれも海外勢力……。こりゃ、やっぱり8区との連携捜査は必要ですかね?」

「若手にしては中々捜査()はあるみたいだけど、判断は時期尚早じゃないかしら。

 まぁ今日は終了としても、明日からは聞きこみは別れた方が良いかもしれないわね」

 

 阿藤三等捜査官にそう言いつつ、私たちは局を出た。建て直してからまだ十年は建っていない建物だけど、所々既にエレベータとか、古く感じるのは私が都会っ子になってきたってことかしら(まぁ子なんて年齢じゃ到底ないのだけれど)。終電を逃すと急いで走る彼に手を振り、私は今日調べた資料を手に取った。

 

 クロノテイル――時の尾。

 

 そう名付けたのは中国の方の支部だったかしら。それを聞いた彼ら自身が「上手い事言うな」という風に、自ら率先して名乗るようになっていったというのは、局長が前に愚痴で話してた。

 キツネの模様が目印で、時々尻尾が増えているのは勢力拡大に合わせたものだとか。

 

 まぁ、そういう生きていく上であんまりタメにならない類の知識はともかく。

 そんな彼らが何の因果か、近頃東京を中心に手を出し始めている。今の所私は遭遇したことはないんだけど、8区の方は段々とそういう動きがあるらしかった。本当ならびっちゃんが担当に向かったりするのが適切なのだけど、娘ちゃんが今手を離せない時期だと言う事もあって、色々大変みたい。

 

 みたい、と他人事なのは、あくまでまだ他人事だから。

 私の管轄になったら、それなりに調べて、戦えるように準備しないといけない。

 

 でも、今の所その心配はないと私は踏んでいる。

 

 私の前のパートナー ……。緊急で派遣された阿藤くんじゃない彼。電撃のようなもので焼かれた跡が身体の各所にあったそれは、おそらく海外の彼らのものじゃない。長年というほどまだ捜査官として活躍してきていはいないけど(それでも三十路は超えてるけど)、そういうアタリを付けるのは段々と上手くなって来ていた。

 

 根拠も一応ある。

 まず8区と2区が近いと言っても、彼らは率先して自分達の活動を公言しないし、捜査官の死体なんて「目立つ」ものを転がしたら、すぐさま足がつくことを理解しているはず。万一残したところで、別なチームに回収させればご飯も増えるし一石二鳥(西欧の方で、マフィアに雇われていた喰種がそんなことをしていたらしい)。そこまで頭が回らない以上、これは組織だった犯行じゃない。

 そして「電気に焼かれたような」という部分。こんな目立つ特徴、報告があったらいかに海外勢力に詳しくない私でも、少しは耳にしていると思う。

 第三に――元々この2区では、捜査官殺しが定期的にあったこと。

 

「プロファイリングなんて趣味じゃないんだけど、ちょっと想像してみようかしら――あら?」

 

 そんなことを考えていると、不意に、殺された彼の持っていたスクラップブックが落ちた。

 遺品ではあったものの、いまいち片付ける気が起きなくてそのまま放置していたデスク。その上の棚から落ちたそれを、私は興味本位からぱらぱらとめくった。

 

 私は基本的に、捜査官の仕事は仕事だと割り切ってる。彼もそんなに変わらないスタンスだったから、案外と仕事のウマは合ったのだけれど。でもスクラップブックの端々に走り書きされたそれは、意外とセンチメンタルな感じの感想があった。意外と詩人ぽいっというか、何というか。

 集められていたものは、喰種関連で家族ぐるみの事件が主立っていたものだった。

 

「あら、これって……」

 

 そんな中に、ふと目に留まったものがあった。たぶん偶然だと思うのだけど、それは、組織だった喰種によって、母親、父親が殺され、子供が行方不明になる事件だった。

 それだけなら目には留まらない。問題は、その一家の苗字が。

 

「霧嶋、ねぇ」

 

 そうある苗字ではないせいか、今朝方聞き込みに行った苦学生っぽい青年の顔を私は思いだした。

 

 

 

 

  

   ※

  

 

 

 

 

 インターフォンが鳴った。

 

 ヒカリさんを本人が分かるという道まで送った後、バイクを大将の元に返し、徒歩で帰宅。部屋でごろりと倒れて爆睡。昼間から寝れるというのは、非常に不真面目な「人間」らしくて、でもどうしようもなく抗いがたい魅力がある。つまり逃げられない。一度眠いと言う感覚にとりつかれてしまったが最後、そのままずるずると時間を浪費してしまうのだ。

 

 そのままもう、一日二日は倒れっぱなし。 

 いけない、駄目な大人になってしまう……。

 

 そんな他愛無いことを考えながら寝ぼけていたら、耳に起床を促すそんな音。畳の上の布団にそのまま転がっていた身を起こして、顔を軽く叩く。

 

 

「はい、どちら様で……、あれ、娘さん?」

『娘さんは止めてくださいよ。「大家の娘さん」って記号でしかヒトのこと認識してないってことじゃないですか』

「いえでも、娘さんは娘さんですし」

 

 僕の言葉に、少し怒ったように娘さんは覗き穴ごしに視線を向けてきた。

 

 娘さんは、何というか、娘さんだ。それ以外の表現方法が僕の中にはない。少し目が釣りあがっているくらいが特徴だと思っているけど、本人に言ったら怒られそうだ。年は僕より上なので、それでも敬語は崩さない。

 

「ちゃんと眞鍋小梢(こずえ)って名前あるんですからねー。あ、これ差し入れです」

「え!? あ、ありがとうございます」

「いいですって。霧嶋さん、苦労してそうですし」

 

 そう言って扉を開ける彼女は、こう、こちらのことを気にしてくれている恩義とかもあるかもしれないけど、普通に可愛らしい容姿をしている。きっと僕が普通に人間だったら、それだけでドギマギしていることだろう。いや、今もドギマギしてるけど、素直に綺麗な女性に対してのそれとちょっと趣が違う。

 彼女の手には、肉じゃがの入った鍋が握られていた。

 

「月々のガス代も全然ありませんし。ちゃんと食べないと駄目ですよ? コンビニとか便利ですけど、着色料とか色々問題ありますし」

「あ、ありがとうございます」

 

 いくらか慣れてきたけどこういう純粋な好意に対する対応は大変だ。無論、服とかの差し入れならまだ大丈夫だけど、こと「食物」に限っては。

 ここの下宿に来てから一年くらいは経ったけど、大家さんも娘さんもかなり僕を気にしてくれるので、恐縮しっぱなしだった。

 

「後で感想、聞かせてくださいねー」

 

 それじゃ、と手を振る彼女は鍋を僕に渡すと、ロングスカートのポケットから取り出した鉢巻を巻いて気合を入れた。「合格!」と書かれたそれは、何か試験を受けるんだろうか。このヒト一応大学生だし。

 

「ああ、教免とるつもりなんです」

 

 聞いてみると、特に何も言わずに答えてくれた。

 教員免許をとるつもりって……、このヒト、結構頭良いのかな? 今まであんまり気にしてこなかったけど。

 

「あー、今馬鹿にしましたね?」

「え? いや、えっと……」

「まぁあんまりそうは見えないかもですけど、一応特待生だったんですから、入学時はこれでも。

 いとこのちっちゃい女の子が『警察官か喰種捜査官になる!』ってなんか妙に張り切ってるの見て、私も気合いれないとなーと。……どうしました?」

「いえ、大丈夫です」

 

 一瞬、捜査官というフレーズに背筋に悪寒を感じたのはないしょだった。仲良くしてくれてるヒトだけど、僕に肉じゃがなんか持って来るのが、まさに僕らの関係性を示している。

 僕は、彼女に自分が「喰種」だということを知られてはいない。知られてはいけない。

 

 その後無難に会話して、彼女は一階の部屋に帰っていった。

 

 部屋の中に持って帰って、僕は両手を合わせる。

 滅多に使わないお皿に肉じゃがをよそって、箸で一口、がぶりと――。

 

「――ッ!? ……、……!」

 

 堪える。色々と堪える。声に出てしまいそうなこの名状しがたい、身体の中を駆け巡る不快感を押さえながら。

 きっと今すぐ全部は食べられないだろう。食べ切るにしても、もっと後まで……。だめだ、思考が安定しない……。食べ物によるダメージは、どうやらヒカリさんにやられたときのそれをはるかに上回る威力を誇っているらしい。

 

 そこまで考えた時、ふと気になることを思った。

 

「ヒカリさん達って……、友達とか、いるのかな?」

 

 

 

   ※

 

 

 

「……合ってた」

 

 大通りに出るまでの記憶を頼りに2区のコンテナ付近まで歩いてきた。夕日が差し込むのが目に眩しいけど、まぁ深くは考えない。衝動的に来た以上、その責任は自分で果たすべきだ。……バイクがないのに徒歩で結構な距離を歩いたこととか。

 見上げるコンテナ群は赤だったり青だったりする。どれも似たようなものに見えて判別は難しいけど、幸い人気はなく重機も動いてない。

 

 手提げ袋の中を確認する。僕が美味しいと思うインスタントコーヒーの詰め合わせだ(もちろんラッピングされるような高級店なんかでは買ってない)。とりあえずこれで文句は言われないと思いたい。 

 

 匂いを辿ろうとして、強烈なオイルの匂いに僕は転がった。

 

 なんだろう、この間とは全然違うというか、ここまで濃かったっけ、オイルの匂い……?

 

 首を傾げながら歩いていると、所々、車とかバイクのパーツのようなものが散乱している場所がある。それを辿って――たどってと言っても距離は離れているので、時々見失いながら――着いた先は、古そうな色のコンテナが積み重なった場所だった。

 なんとなくその一つ、ひしゃげた入り口に見覚えがある。声をかけるわけにもいかないので、そこをノックしようとした。

 

 

「……何やってる」

 

 

 丁度、そんなタイミングで、コンテナの中からひょっこりとレンくんが顔を出した。

 眠そうな目をこちらに向けながら、彼の手には……マフラー? バイクの、塗装が剥げたマフラーのようなものが握られていた。

 

 一瞬その胡乱な視線にたじろぎながらも、深呼吸して僕は彼に向く。

 

「えっと、久しぶり? 遊びに来たんだけど、お姉さんっている?」

「姉さんに何の用だ?」

「いや、遊びに来たって言っても、その……、何と言うか、えっと……」

「…………?」

「まぁレンくんでもいいんだけどね。はい、これお土産」

「………………」

 

 袋を手に取ると、やっぱり彼は何も言わずに部屋の置に入って行った。どうしたものだろうかと思っていると、しばらくしてから「入れ」と声をかけられた。どうやら彼なりに、色々妥協するところがあったみたいだ。

 

「お邪魔します……」

「姉さんは、用事がある」

「あー、そう。しばらく居てもいい?」

「………………………………………………………………」

「あ、嫌なら別にいいんだけどさ」

「姉さんに何の用だ」

「お姉さんに、というよりは、君達にってことなんだけど」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、……………………………………………?」

 

 沈黙が長い。

 

「えっとほら。単純に遊びに来たんだよ」

「…………………………………………なんでだ」

「えっと……、こう言うと変かもしれないけど、喰種の知り合いって少ないし。少しでも知り合いを増やしたいなー、なんて」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 すんごい警戒されてることだけは分かった。何をそんなに警戒しているのだろうか。

 

「……普通、そんなことはしない」

「しない?」

「……お前、変」

「…………」

 

 君も、とか言おうとしたのを飲み込んで、僕は少し困った表情を浮かべた。確かにその自覚はある。普通の喰種らしくないと言われるだけの行動をしている自覚もあるし、そうなるだけの理由も僕にはある。でもそれは、大多数の喰種には関係のないことだし、聞いたところで理解されないだろうから、僕は何も言わない。

 

 しばらく沈黙が続く。その間、レンくんはひたすらバイクのパーツをいじり続ける。何をやっているのか正直に言えばさっぱりだけど、なんとなく手馴れた様子なことは一目で分かる。さっきのマフラーに、何かの塗料なのか吹き付けて、乾かして磨く。それを何度かこなしていって、段々と光の照り返し方がまばゆくなっていくのが、素人目に見ても明らかになってきた。

 

「バイク、好きなの?」

 

 ためしに聞いて見た。返事は期待しなかったけど、とりあえず話題を作ろうと。

 

「……普通」

 

 ……反応が返って来た。

 

「えっと……」

「ブラシは、専門店の方でちょっといじらせてもらった。錆は一通りとった。後は塗料と、磨くだけ。磨くだけでぎんぎらしてくる。すばらしい。ぐへへへへ……」

 

 笑い方はなんだか姉弟共通して変な気がしたけど、そこにはあえて何も言わない。気になるのはむしろ、工具店でいじらせてもらったっていうところか。

 

「店って、喰種がやってるってこと?」

「いや、人間」

 

 そう言って、彼は僕の方を見る。

 

「人間、…………地味にすごい」

 

 言葉を選んだような沈黙があった末に、出てきた表現が地味とはこれいかに。

 そしてことの他、この類の話は意外と彼を饒舌にするらしい。

 

「きっと、かぐね(ヽヽヽ)がないからだ。だから人間は、地道に頑張る。頑張って、色々やる」

「まぁ、そうかもね」

「色々やって、こんな、かっくいぃもの作ったりする。地味に作る。いつの間にか作る。それが、すごい」

 

 どうやら地味に、というのは、レンくんなりに褒めているフレーズだったらしい。少し照れたように顔をうつむけ、またマフラー磨きを再開するレンくん。なんだかさっきまでの微妙さと違って、その様子はどこかほほえましく思った。

 

「……何だ」

「いや、何でも」

「うっとうしい」

「ごめんごめん。コーヒーいれようか?」

「姉さんの部屋には上がらせない」

 

 マフラー磨きを止めて、腕を広げて立ちはだかるレンくん。僕も今の会話の流れで馴れ馴れしい態度をとってしまった自覚はあるので謝る。

 でも、何故かレンくんは赫子を使おうとはしなかった。いくら自宅だからといえ、警戒している相手に対する態度なのだから、一瞬でもその素振りはあるものだと思ったのだけど……。

 

「何か事情があるのかな……?」

 

 腕を下げてマフラー磨きに戻るレンくん。と、ふとその視線が僕の方に鋭く向けられた。

 

「お前、帰れ」

「えっと……、時間的に、その」

「バイクどうした」

「返してきた」

「……どうせ俺達も、ここには長居しない。いつ出るかわからない。だから帰れ」

 

 長居しない、というのを聞いて、まぁそうだろうなと僕は一定の納得があった。コンテナをこんな風に改造して、無理やり住み着いていても、そう遠からず解体されてしまうことだろう。その時色々問題も出てくるはずだ。ひょっとしたらここを住処にしたのも、つい最近かもしれない。

 

 でも、残念ながら今日はちょっと、難しいところがあった。

 

「泊めてとは言わないけど、せめてお姉さん帰ってくるまで待ってていい?」

「……! ……」

「何をそんなに警戒してるか知らないけど、えっと、落ち着いて落ち着いて」

 

 視線がどんどん鋭くなって行くのに、どうしたものかと思案する。話題を変えようと、必死に乏しい「喰種らしい知識」の引き出しを開ける。

 

「横の繋がりとかは、あるの?」

「?」

 

 ところが、それには疑問符を返されてしまった。

 

 どうしよう、やっぱり会話にならない……。

 

 

 そんな風に思っている時。後方から足音と一緒に、血なまぐさい、食欲をそそる(ヽヽヽヽヽヽ)匂いがした。

 

 

 

 

 

 




小鳥「あたい、ぜったい悪いやつぶっつぶす!」
小梢「過激ねぇ小鳥ちゃん」


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chap.05 家族 ―― zakKou ――

仕事の都合で遅れまくりで済まない。だが私は謝(ry

久々に the next 見たら完全にホラーでお腹痛かったです。あれは12指定入るわ・・・


 

 

 

 

 

「そりゃお前、恋ってなもんだろ」

 

 大将は僕の話を聞いて、がははとやはり豪快に笑った。

 

「アラタが何悩んでるか気になって聞いて見れば、なんだそんなことか……。縁遠い感じだったのに、意外と青春してんのな」

「いやいや……。って、なんで恋なんて話に?」

 

 まかないのつみれを口に運びながら、大将はまるでそれが当然というように僕に言う。「そりゃお前、アレだ。味だよ」

 

 だから訳が分からない。

 

「客に出す料理は、まだだからな。だからまかないで少し腕を見ようとして、この間からやらせてるな?」

「はい」

「だからだよ」

「……?」

「貴方、それじゃ意味が伝わらないわよ?」

 

 ごめんなさいね、と断りを入れながら、僕と大将の前にお茶を入れてくれる奥さん。こちらもこちらで、ちょっと面白そうな表情をしながら僕を見ていた。

 

「でも、今のアラタくんのお話聞いてたら、のろけのように聞こえなくもないかしら」

 

 いやいやいやいや。

 何を話したのかと言っても、大したハナシじゃない。のろけの要素はどこにもないはずだ。「知り合いのお姉さんに言われた言葉で落ち込んでいる」類の事柄を、真実を交えずそれとなく話した程度なのだ。

 なのにこの言われようは何なんだろう。

 

「だってアラタくん、自分のことで手一杯でしょ?」

 

 皿洗いをする僕に、奥さんはやはりほほえましそうに、興味深そうに笑う。

 

「頑張ってるのはわかるわ。だから、そんな他に目を向ける余裕がない子が、言われた一言を気にしてちょっと仕事が手に付かなくなるって、それはもう相手のことが気になって気になって仕方がないってことじゃないかしら」

「付かなく?」

「アラタ、お前、つみれの汁の砂糖と塩の塩梅間違えてるからな」

 

 たぶん逆に入れちまってる、と大将は笑う。一瞬それに身体が固まった。厨房に立ってお客さんに料理を提供する機会が、遠のいたと言って良い。

 そんな僕に「傷は浅い方がいい」と、大将は笑いを崩さない。

 

「客に出さなかっただけマシだ。出したら客足が遠のいちまう」

「す、すみません……」

「気を付けろよ? ま、それはそれとしてーだ」

 

 大将の視線が痛い。とがめるものじゃなく、観察するようなその視線が。

 奥さんの言うことに、納得はできないまでも「そうなのかな?」と気になる部分はある。確かに気にはなっている。それは親以外で「初めて出来た」喰種の知り合いだからというのもあるかもしれない。今まで僕にとって、喰種という種は、家族間で閉じた存在だった。

 今もなんだかんだで、喰種の社会に入らず生活することが出来ている。いずれは限界が来るものの、まだ大丈夫なのだ。

 ということは必然、喰種の社会から縁は遠くなる。

 

 そんな中で、あれだけの衝撃的な出会いを果たしたのだから、相手のことが気にはなる。

 なるのだけど……、色恋とかそういう類のことじゃないと思う。第一、殺されかけた訳だし。

 

 あれ? でもそう考えると、なんだ遊びに行ったりする事に違和感を感じなかったのだろう。

 

 思考に埋没する僕を、やはり大将は笑い飛ばす。

 

「まぁ、得意じゃないだろうからな、そういうの。

 俺だって似たようなものだったし」

「……。

 あの、つかぬこと伺いますけど、大将たちってどんな感じだったんです?」

 

 僕の質問に、奥さんと大将は顔を見合わせて、微妙に苦笑いを浮かべた。

 

「梅森君……っていうか、ウチのヒトだけど。

 なんかこう、アプローチからして変だったかしら」

「見合い婚ではあるんだが、まぁ、な……」

「最初の逢引で2区の卸売りに連れて行かれたときは衝撃を受けたわよ……」

 

 なにやらそっちもそっちで、色々と業が深いらしい。

 困惑する僕に「ともかく」と、一度咳払いしてから大将は続けた。

 

「あんまり深く考えないことだ。俺から言えるのはそれだけだ」

「深く考えない……?」

「当たって砕けろ」

 

 その砕けろって言うのが、恋心的な意味なのか命的な意味なのかちょっと気になるところだった。

 まぁ当然後者の意味は含んでいないのだろうけど。

 

 ただ……とにかく僕の中で、彼女の言葉は重くのしかかっていた。

 

 

 

   ※

 

 

 

 その匂いは酷く粘ついていて、かぐわしくて、それでいて懐かしく。

 気が付くと垂れそうになっていた涎を、僕は意識的にすすって拭いた。

 

 がらりと乱暴に足元に転がっていたパイプを蹴り飛ばすと、彼女は、ヒカリさんは半眼でレンくんの方を見た。服装はパンクな感じになっていて、でも髪の色は黒いままなのが不思議な感じだった。

 

「ただいまー。

 おいレン、足元転がしておくと危ないって何度も言ったでしょーが……げ」

 

 びくり、とヒカリさんが僕の姿を見て動きを止めた。

 

「な、何しに来たのよ」

「いえ、遊びに来たんですけど……、駄目でした?」

「いや駄目かどうかって……、っていうか、それ以前にウチに何の用なのよってハナシ」

 

 具体的に説明できるような用事はないので、これにはちょっと困った。

 

 それよりも気になるのは、彼女が肩から下げているものの方。

 

 ヒカリさんは旅行バッグのような、大型のドラムのようなものを持ってきていた。ちらりとそれを見た瞬間、僕の口の中が唾液で満たされた。鼻腔をくすぐり、暴力的なまでに喰種に食欲を帯びさせるものは、言うまでもなく心当たりは一つしかない。

 でもだからこそ、それを認めたくなくて、僕は目をとじ口を押さえて顔を逸らした。「体調でも悪いのか?」というヒカリさんの視線が、少しだけ痛い。

 

「ま、別にいいけど。

 食べる? レン」

 

 バッグから取り出される「何か」の音と、無造作にそれを受け取る音。床にぼとりぼとりと落ちる粘性のある液体。その音が、不快であり、でもことさらに食欲を呼び覚ます。

 少しだけ視線を開いて、やっぱり後悔した。

 

 レンくんがぼりぼりとお菓子でも齧るように食べているのは、指。

 ヒカリさんが飴玉でも舐めるように口の中で転がすのは、目玉。

 

「……何、どうしたの?」

 

 それを「おいしそう」と感じる本能と――「気持ちが悪い」と感じる感性とが僕の中を行き来し、ぐらりと身体が揺れる。

 いぶかしげに顔を覗きこんでくるヒカリさん。僕はその顔を見ることが難しかった。

 

 だって見れば、あんなに「おいしそうな」赤が、顎を染めているのだから。

 あんなに「見たくもない」「気持ちの悪い」赤が、顎を染めているのだから。

 

「何、吐きそうなの? エチケット袋ならあるけど、使う?」

 

 不思議とヒカリさんは優しく対応してくる。ポケットからスーパーのレジ袋を取り出して、僕にさっと差し出した。大丈夫ですと断り、僕は一旦外に出た。

 

 コンテナから少しはなれて深呼吸。空を見上げて、顔をしかめる。

 

 天気もなんだか曇っていて、日のかげり具合がわからない。それがなんだか、なおさら僕の感じる微妙な気持ちの悪さを助長しているように感じられて、元気がなくなる。遊びに来はしたけど、これなら自宅で倒れていた方がよかったかもしれない。

 

  

 いや、そうも言えないのか。だった僕のあの部屋には――。

 

 

「……どうした」

 

 そう言いながら、ヒカリさんはコンテナの方から出てきた。頭の色は所々黒が残っているけど、色が抜け落ちている。どうやら仕事をしている時は染めているようだ。

 ただ、手に千切ったと思われる皮膚を持っているのが色々といただけない。

 

「何、本当顔色悪いよ? どしたの?」

「いや、何でも……」

「人様の家に遊びに来て、突然体調崩されたら、流石に黙っていられないだろ」

 

 沽券に関わると言って、食えと、僕に彼女は差し出した。

 

「一応食べれば少しの体調不良くらい回復するから。あげる」

「……」

「前も思ったけどさ。アンタ……喰種としての匂いが薄いってだけじゃない。

 『全然血の匂いがしない』のよね。

 何、全然食べてないんじゃないの? 結構戦えそうなくせに」

 

 半眼でそういう彼女に、僕は答えることが出来ない。

 

 父さんの顔。母さんの顔。

 不意に頭の中に過ぎった映像を無視して、僕は彼女に笑った。

 

「……変かもしれないけど、苦手なんだよね。人間の肉って」

「は?」

「んー、わかんないかな」

 

 言葉を選びながら、僕は肩をすくめる。

 

「なんかさ。こう、同じようなものじゃないかな? 人間も、僕らも」

「赫子ないけど」

「逆に言うと、それくらいしか違いがないじゃん。

 だから。その……、そんな程度の違いしかない相手を食べるって言うのに、ものすごい抵抗があるっていうか……」

「……なんか、こう、女々しい」

 

 ばっさりいきますねヒカリさん。

 思わず頬が引きつる僕に、彼女は「いや違うか」と、何か納得できないように頭を傾げた。

 

「なんでガマンしてんの? アンタ」

「?」

「目、赤い」

「…………」

「口で何て言ったって、身体は正直なくせに、それでも拒否するって……、何か病気じゃない?」

 

 罵倒されていたかと思いきや、むしろ一気に心配されてしまっているらしい。悪いこと言わないから食べな、と言わんばかりに肉片を突きつけて来るのに、反応に困る。

 

「病気、ね……」

「『食べ物』」

「食べ物……、んー ……」

「……いいから」

 

 ヒカリさんは、ずい、と僕に急接近してきて、そのまま足を引っ掛けて転がした。喰種の腕力で思いっきりやられたので、軽く背中と頭を打って痛い。

 悶絶する僕にしゃがみながら、彼女は「ん」と肉を再度差し向けた。

 

「いいから、食え」

「……」

「私が気に入らないって言ってんの。

 拾って助けたの、私。だから、食え」

「……追い詰めて殺しかけたのも、四方さんだったような」「殺されたい?」「い、いや・・・」 

 

 有無を言わせぬその圧力に、割と僕は簡単に屈した。

 実際、食べられないわけじゃない。定期的に嫌な思いをしながらも、食べてはいるのだ。ただ……一度食べれば、もうそれはただの「食料」としか見れない。

 

 そして食べ終わった時点で、食べてしまった自分に……食べざるを得ない自分に、落ち込む。

 

「そんなに人間が好きなのか知らないけどさ」

 

 僕の内心を知るわけもないだろうけど。でも、それでも彼女の言葉は、僕には重くのしかかる。 

 

「受け入れろよ、私らは――バケモンだ」

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 家族三人住まいにはちょっと小さめな一軒家、というか自宅の扉を開けると、今日も今日とて母と親父との会話が聞こえる。

 

「カレ……、んー、ルーからやるのはやっぱり難しかったと思うんだ」

「でもこうした方が、美味しいって……」

「そりゃ出来合いのものよりは美味しくなるだろうけど、前提として『美味しく作れる』っていうのがあると思うんだよ。

 ……あ、お帰り? シン(ヽヽ)

 

 母は俺の名を、楽しげに呼ぶ。実際楽しいのだろう。物腰がぶっきらぼうな親父相手に、やっぱり楽しそうに料理のレクチャーをしていた。

 

「私レベルになると味見しなくてもわかるから。

 ほら。でもご飯は上手になったんじゃないの? 明日は早く作ろうね」

 

 そんなハナシを親父としているのを聞きながら、俺は階段を上る。元倉庫、現在は自分の部屋になったそこを開いて、ベッドの上に転がる。

 家が狭く壁とかが薄く、そして階段の方から音が反響するので、母と親父のやりとりがまだ聞こえる。

 毎度飽きもせず、よくやると思う。

 

 中学から帰ってきて、食事を早いところ済ませて自室に引きこもる。

 何をするでもなく、ぼんやりと天井を見上げてながら、理由もなく父親と母親とのやりとりに耳を傾けていた。

 なんとなくだが、両親のやりとりは興味深い。

 

 父は味音痴だ。ニンゲンらしく、そのことを気にしている。

 母はそんな父の料理に付き合う。

 

 本当、飽きもせず毎日毎日よくやると思う。食事のことだけじゃなく、色々と。

 

「まったく、こんなんじゃ貴方の亡くなった前の奥さんに、顔向けできないじゃない」

「……面目ない」

「ちゃんと美味しいの、お供えして上げなきゃ。ね?」

 

 そうやって笑う声が俺の耳に聞こえるのが、なんだか、重い。

 母や親父のことが好きなのだろうけど、俺は、そんな二人のやりとりがあまり好きじゃない。

 

 なんだかまるで――無理やりに「らしい」振る舞いを強要されているようで。

 

「……」

 

 深夜を回って二人が完全に寝静まった頃。

 階段を降りて冷蔵庫を開ける。そこに入っている小ぶりな鍋の蓋を開け、スプーンを差し込む。

 

「…………まずい」

 

 そんな感想を抱いて、俺はため息を付いた。

 

 

  

 

 

   ※

 

 

 

 

 

「……何年ぶりだ? ここは」

 

 11区の空港にて。

 エアポートから出てきた青年が、サングラスを直す。スーツは臙脂色でどこか赤ワインを思わせる。身に纏う体躯は大きく、長く、肌は白い。だが不思議と浮いている訳でもなく、やや派手な装いであるにも関わらず呼び止められることはなかった。

 ビジネスバッグを軽く担ぎ、男は歩く。

 

 サングラスを一度直し、ショッピングコーナーの下にある喫茶店に入る。

 

 珈琲を注文した男は、そのまま椅子に座ったまま。出された一杯を適当に口に含みながら、バッグの中に入っている本を手に取り、目を通す。ブックカバーの下には、英文で「グリム童話全集 3」と書かれている。

 

 ヒトの行き来が多い空港であるがゆえに、一見して目立つ格好である青年であっても、さほど時間がかからず。

 

 そして――やがてその中から、一人の男が現れた。西洋人のようだ。シルクハットを被り、飄々とした足取り。オールバックの髪型に、にこやかな微笑み。首からはロザリオをぶら下げているが、まとう雰囲気はどこか道化師のようである。

 

「やぁ、どうも」

 

 そんな男を見て、青年は顔を顰めた。

 

「なんだそのふざけた格好は」

「いえいえ、今日は会合がありまして……。しかし貴方も大変ですねぇ。やることが一杯だぁ」

「俺とて好きであの小娘に従っている訳ではない」

「おやおや? 本当にそうですかな……?」

「……チッ。

 だから貴様ら『道化』は好かんのだ。早くモノを出せ。既に金は渡っているはずだ」

 

 青年の言葉に微笑みながら、どこからともなく茶封筒を取り出す男。それを受け渡すと、彼はそのまま足を前方の広いスペースに進めた。見ればそこには彼のように道化師然とした格好の一段がおり、何かのイベントなのかモノを配ったりしている。

 それを見てまた一段と顔を顰めて、青年は封筒の中身を取り出した。

 

「この国の組織の管理下にある、か。……また面倒なことを。

 単純にこの国で活動するために、兵士を増やす必要があるな」

 

 そんなことを言いながら珈琲を音を立てて啜る青年は、サングラスを少しずらして、喫茶店の外側の光景を見た。

 

 

 その両目は、赤黒く、鈍く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




※本作ではcarnaval系は設定からして別物になってると考えていただけるとありがたいです


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chap.06 渡し舟 ―― Was he tan tui ?――

清子さん強すぎ問題


 

 

 

 

 3区、駅北方の歓楽街。

 夜、ネオンが乱反射するそんな空間を、安浦清子は歩いていた。

 片手にアタッシュケース、もう片方の手に旅行用キャリーバッグを引きずり、規則正しく歩く姿はキャリアウーマン然としている。一際目を引く容姿をしているが、その表情は端的に言って無そのものである。何一つ考えが読めない。

 

 大通りと裏路地の手前で、彼女は足を止めて左右を見回す。人通りのある中で立ち止まるが、周囲の人間は意識を向けない――いやむしろ「意識を向けることが出来ない」のだろうか。明らかに不自然に、彼女を避けるように人並みが動いているように見えなくもない。

 

 やがて何か目的のものを発見したのか、彼女は足を進める。

  

 色合いは目に痛い。にもかかわらず、何も立て札さえないビルだ。入り口には黒塗りのワゴン。

 彼女の隣を、酔ったサラリーマンが若干片言な女性の客引きに引かれて連れられて行く。丁度それを見終わった後、視線を横に振り見れば、地面に転がった上着のない顔の青い別なサラリーマンの姿があった。

 特にそれを助けるでもなく。背後から声をかけてくるホストクラブの客引きすらひらりと交わして、彼女はその建物、というか店の中に入って行った。

 

 入ってすぐ事務所のような場所を無視し、下に行く階段に向かう(先ほどの男性は上の方に引き連れられて行ったようだ)。

 

 地下に入ると、頭を染めた、ボーイのような糸目の青年が彼女を呼び止める。が、彼女が出した名刺を見て頭を下げた。特に笑うこともなく、彼女は少しだけ会釈をして、奥の扉を開ける。一瞬その顔をいぶかしげに一瞥してから、彼女は中に入った。

 カラオケボックスのようになっている複数の個室が並ぶその道を抜け、奥の広いエリアへ向かう。

 

 紫色の光に照らされて、そこでは多くの人間が踊っていた。若者もいればビジネスマンもいる。明らかにチンピラや()も居る。ミラーボールに照らされて踊る様は、当時の風景として珍しいものではなかったが、しかし問題はそこにない。女性も男性も、何割かが白目を向くなり泡を吐くなりしている。中には服を脱ぎだして踊るような女性や、複数人で集まって何やら「コト」に及んでいるような音さえ聞こえる。

 部屋の中央ではストリップにポールダンス。

 明らかに正規のディスコでも風俗でもない。

 

 だがそれを特に気にした様子もなく、彼女は周囲を見回す。誰かを探しているような様子に声をかけてくる男が数人。やはり目は正気ではなかったが、彼女は自分の胸を掴もうとするその手をとり、足を払い、その場に転がしヒールのつま先で蹴り飛ばした。「ひゅー!」と声が上がったところを見るに、周囲数人の酔っ払った男達に見られていたようだ。

 一瞬そちらに視線を向け、しかしすぐ興味を無くしたように彼女は奥へと足を進める。

 バーテンが酒を提供する中、一人無表情で酒を飲みながら、ストリップを見る強面の男。わずかに首から刺青のようなものが見える彼の隣に、彼女は堂々と座りこんだ。キャリーバッグの上にアタッシュを置き、軽くあくびをする。

 突然現れた彼女に気づき、男は一瞬驚くも、その目の鋭さは変わらず。

 

「頼んでおらへんが」

 

 そう言われ、無表情のまま彼女は一瞬ストリップの方に視線を向け、嗚呼と納得する。

 

「悪いけれど別件よ」

「誰や、お前」

「初対面のはずよ。それにしても……、中々綱渡りのようね。これから取り締まりも厳しくなるでしょうし」

「そないなもん、状況次第だ」

 

 無表情に言ってのける彼女を、今にも殺してしまいそうな視線で睨む男。そんな男の様子を気にせず、彼女は酒をバーテンに頼む。出されたそれに、赤い錠剤のようなものを落として溶かし、男の方を見た。

 

「まぁ、始末人みたいなものかしら」

「……どこのモンや?」

「始末人と言っても『こっちの』方のではないから、そこはお気になさらず。ただ目当ての相手が貴方のところの関係者だって、友人に言われたから、顔を合わせに」

「何や?」

「文字通りの意味よ。ガサ入れとかじゃないから、そこはお気になさらず」

おでこ(ヽヽヽ)か?」

「ワッパ持ってたらここに入れないことくらい察してもらいたいかしら」

 

 いまいち正体を掴みかねているようだが、彼女は特に気にせず、さくらんぼで酒と解け始めた赤いそれを混ぜる。

 

「インベーダゲーム、分かるかしら」

「?」

「ああいう感じの人間よ」

 

 ますます訳がわからないと眉間に皺を寄せる男。既に片手が懐に伸びかけているが、それさえ気にせず彼女は肩をすくめた。そして先ほど見せた名刺を見せる。

 

「これ、なんだけど。貴方のところのよね」

「……それが?」

「引き渡してくれないかしら。そうすれば、たぶん『騒がないで』済むと思うのよ」

 

 空気を悪くするつもりもない、と彼女は笑う。「本当なら今は二区でお魚でも探して居なければいけないのを押して、必要だからここに居る。今、東京はとてもとても大事な時。どんな意味でも『外』から来るのに乱されるわけにもいかないらしいのよ」

「……意味わからん。ガイジン(ヽヽヽヽ)の話か?」

「外、というのは合ってるかしらね。だから、頼めないかしら?」

 

 十数年後、住み易い東京のために。彼女の言葉の意味を計りかねているらしく、男は彼女の冷めた目を睨み続ける。お互いに視線を逸らさず、じっと固まる。

 

 ことここに至って、明らかに彼女の態度に男は疑問を抱く。言葉に熱はなく、淡々と話すその様はやる気のないOLのようにも見えなくもない。しかし今の自分を目の前に、何一つ臆することなく躊躇することなく言葉を話す彼女に、男は興味を抱いた。

 

「ウチのこれが何したか、言うてみ?」

 

 名刺を指差しながら話す彼に、彼女は「人喰いよ」と無感情に言った。

 だが、それに男は息を呑んだ。ここに来てようやく彼女の正体に思い至ったらしい。見ればスーツの襟元に白い鳩を象ったエンブレムがついていた。

 

「だから、渡してもらえないかしら」

「……証拠は」

「?」

 

 少し頭を傾げる彼女に、男は言う。

 

「確か、しょっ引かれる話やったっけな。でも、証拠は。これがバケモンっちゅう証拠あるんか」

「ない訳じゃないわ」

「でも、今出しとらんってことは、つまり、ないんやろ」

「……まぁ、写真でもあれば楽だったのかもしれないわね」

「コイツはな、俺が看板持ちだった頃から居た奴や。今でも大事にしてくれちょる。

 シャブ取り締まる言うた時も、なんやかんや手貸してくれたんは、こいつや。そう易々とって訳にはいかんの」

 

「……何やってんスか、兄キ」

 

 話していると、男の後ろからもう一人、男が現れる。オールバックの髪に、強面の男と同年代だろうに若く甘い顔をしている。さぞ女性に声をかけられるだろうという雰囲気で、ぱっと見ればホストか何かだと感じるだろう。だが右の頬がやや引きつったような形で固まっており、何かしらやはり堅気のソレではない。

 

 その現れた男に強面の男が何か言おうと口を開いた瞬間、彼女はその男の顔面に酒をかけた。「何するんや!」と掴みかかる強面の男だが、それを左手で強引に引き剥がし、彼女は顎をしゃくる。終始丁寧だっただけに「らしくない」その仕草に、強面の男も視線を動かす。

 見た先、酒を浴びた男は顔を押さえていた。おさえていたが――しかし嗚呼、その両目は、明らかに違う色をしている。うすらぼんやりとした光であっても、少なからず白目でないことくらいははっきりと理解できるし、何より、変色した瞳孔の色の反射までは誤魔化し様はなかった。

 

「血を入れたのよ。あんまり使わない手なんだけど」

 

 淡々と言ってのける彼女に、強面の男は驚いた表情で目の前を見ていた。男は、喰種は、少しだけ悲しそうな表情をし――そして、拳銃を取り出して狙撃した。

 

「――!?」

「?」

 

 男はさも当然のように、強面の男の腹部を狙撃した。驚愕の表情を浮かべる男。そして安浦も疑問を浮かべる。何故自分を撃たなかったのかと。

 だが理由はすぐわかる。拳銃を投げつけ、強面の男ともども彼女を壁に突き飛ばしたのだ――ご丁寧に拳銃まで彼女に投げて。

 

 銃声に視線が男達に集中するが、人間らしからぬ身体能力で距離をとった男と、その場に倒れこんだ彼女とでは、状況の読めない周囲からすれば明らかに脅威度合いが違う。一部の、正気がトんでしまった者達を除き、悲鳴とパニックがホールを支配した。

 

「兄貴が撃たれた!」「何だ、何があった!?」「変な女だ!」「奪われた!?」「何だこりゃ――」

 

「……やってくれるじゃない」

 

 ことここに至っても、彼女は無表情を崩さず立ち上がる。朦朧とした意識で呻く男を転がし、後ろで蹲るバーテンに「諦めて呼ぶべきよ。あ、証言よろしく」と言って、アタッシュケースを手に持った。

 そして下に置いてあったキャリーバッグを横倒しにし、ヒールの踵で一気に泊め具を蹴り上げる――! タイトスカート、照明が薄いためか中は見えなかったが、そこは大した問題ではない。中に収められていたのは、二丁の自動拳銃と革のベルト。ホルスターには弾倉が複数つけられており、それを彼女は左肩にたすきがけ。両手に拳銃を持ち、手元でくるくると西部劇のごとく回転させる。

 

「死ね――!」

 

 青龍刀を中腰に構え襲いかかってくる男のそれを、ピンヒールのつま先で回し蹴りし銃の底面でこめかみを抉る。

 一撃でその場に倒れる男の後ろからの狙撃は、狙い済ましたように蹴り上げた刀に当てて交わす。パニック状態で銃声が響く場内、いち早く逃げようという人間も多く、入り口は酷く混雑している。それを一瞥しながらミラーボール目掛けて、彼女は躊躇いなく発砲。

 

 爆発したミラーボール。その大部分の底面が、彼女を撃った男の頭に落ちる。ミラーが刺さっているのを歩きながら抜いてあげつつ、彼女は人ごみの方にはいかない。アタッシュケースを手に取り、奥にある室内の階段を上り、南京錠がかけられている部屋のそれを破壊。扉の中に入れば、半裸でヨダレを垂らす、明らかに手遅れの人間たち。それを気にせず、彼女はアタッシュケースについているボタンを押した。

 

 

 地上の事務所の床の一部が抜けた。

 

 

 突然の爆音に、書類整理をしていた男が腰を抜かす。水の漏れる音と電線がばちばちという音と共に、先ほどまでかかっていた地下の音楽と照明が消えて、更にパニックが起こる。

 彼女は気にせず、アタッシュケースを元に戻し、ベルトから取り出したアンカーのついたワイヤーを一階に突き刺した。ボタンを押して一気に地上に上る様は、それこそ映画か何かだ。

 

 突然現れた美女に混乱したままの事務の男。見たところ堅気ではなさそうだが、身分は低そうである。

 

「今さっき上ってきた男、喰種。

 私、喰種捜査官」

「は、は、はぁ!?」

「どこに言ったか教えてもらえるといいんだけど、駄目かし――ら?」

 

 倒れた男が何か言う前に、彼女の甲頭部に銃口が突きつけられた。

 背後を振り返ろうとすると、当然だが「動くな」と引き金に力が込められる。

 

「どこの者だ、お前。ともかく武器を捨てろ」

「……」

 

 言われるまま、足元にアタッシュケースと拳銃を捨て、両手を挙げる彼女。いわゆる降参のポーズだ。

 背後の男は舌打ちをする。ほんのり紫煙の煙が彼女の目の前を過ぎった。

 

「ダイナマイトでも使ったか、お前。あ? お前、ここを兄貴がどれだけの時間かけて準備したと思ってるんだ。あ?」

「兄貴さんのことが心配なら、今すぐ救急車でも呼んだ方がいいと思うけれど」

「は?」

 

 疑問符を浮かべた男に、油断も慢心もありはしなかった。が、しかし顔をしかめたそのほんの一瞬、呼吸が乱れたそれに合わせ彼女は身体を傾けた。身体の前面を倒し、その勢いで上げた左足で、ピンヒールの踵で金的を蹴り上げる。男が悶絶する間もなく、そのまま彼女は更に身体を倒し、柔軟体操もかくやと180度。顔の横に上げていた両手で地面の拳銃を手に取り、自分の前方に投げ出されて気絶した男に両手を合わせた。

 

「喰種に撃たれたのよ。ちなみに拳銃だった理由だけど、私を犯人に偽装するため。

 わかったら警察でも救急車でも連絡なさい? 早いうちなら死にはしないでしょうから」

 

 混乱する若い男を無視し、彼女は表に出る。と、突然背後から、というよりも屋上から腰を巻き取られ、上に引きずり上げられた。ちょっとした逆バンジーである。これには驚かされたのか目を見開いた。

 

 そして排ガスで曇った空に投げられるものの、やはり映画か何かのように空中で回転し、華麗に屋上に着地。拳銃はホルスターに、片手にはアタッシュケースといういでたちは色々と現実感がなくなる。

 そんな彼女を前に、喰種の男は、己の尾てい骨近くから伸びた赤い触手の先端を、ドリルのように回転させた。

 

「一応聞いておくけど、何で撃ったのかしら」

 

 唐突に安浦が会話を始めたせいだろう。男は眉間に皺を寄せる。表情に浮かぶ疑問符に対して、彼女は当たり前のように続けた。やはり、淡々と。

 

「彼、貴方を庇おうとしてたわよ?」

「――いや、善意からじゃねぇさ。せいぜい強請るタネ持ったくらいに考えるだろうよ」

 

 引きつった形で固まった右頬を更に引きつらせて、彼は自分の手を見つめ、そして彼女の方を見た。

 彼女は彼女でアタッシュケースを置き、再び拳銃を両手に構える。

 

「そう」

 

 それ以上言わず、彼女は両手の拳銃を乱射した。

 放たれた弾丸が、単なる鉛球であるはずはない。おそらく己の触手を――赫子を傷つけられる系統のものだろうと判断し、彼は身を屈め、赫子を彼女目掛けて伸ばした。

 

 それに対し、安浦はアタッシュケースを蹴り上げ、それを盾のようにする。ガワを貫通し反対側まで赫子の先端が出るが、しかし、嗚呼、どうしたことだろう。抜けない。それどころか、急速に先端の赤い色が黒ずんでいく。

 

 己の異変にいち早く築いた彼は顔をしかめるが、しかしそれに説明してくれるような安浦清子ではない。

 

 拳で殴るようにホルスターを叩き、空中に放り出された弾倉。それをノールック、そして勢いに任せて両方の銃底に叩きこみながら、男めがけて走る。さながらやはり映画か何かのような光景に、男は戦慄した。

 

 二連射。狙撃の勢いで上が大きく上に跳ね上がるくせに、距離がせばまったせいか、その射撃は正確に男の両腿を狙ってくる。

 無理によけようと動きはしたが、一発は当たりその場で膝を付く。

 

 

 そんな彼の顔面めがけ、彼女は走ってきた勢いそのままにシャイニングウィザード――飛び膝蹴りッ!!!

 

 

 いかに喰種といえど、多少消耗した上でこの一撃は痛かった。ぐらりと倒れ、息絶え絶え。

 そんな彼の腹部に、彼女はホルスターについていた、幅の広い独特な装置を――まるでベルトのバックルか何かのように、男の腹に落とした。

 

 途端、自動的に帯のように、赤いそれが出現する。そして男は呻き、意識を失った。

 さっと取り出した緑色の薬を、男に無理やり飲ませる。

 

 

「とりあえず、重要参考人……人? 確保ぉ。

 あら、丁度弾切れね」

 

 ふぅ、と息を吐き、冷徹そうだった表情をほがらかなものに変える。印象があまりに変わりすぎており、やわらかなそれは酷く惹かれるものがあるだろう。先ほどまで男から伸びていた赫子は、ぼろぼろと崩れ去り、アタッシュケースを貫通していたそれもなくなる。

 

 ふぃ、と息を吐きながらそれをとりに向かう彼女。

 

 

 その背後から、赫子の弾丸が彼女めがけて撃たれた。

 

 

 いかにして気づいたかは定かではないが、それさえ彼女はその場で回転し、拳銃を使って「叩き落とす」。もっとも全く全てを交わしきれた訳でもなく、ベルトが切れ、弾き飛ばされた。地面に弾倉から弾がいくつか落ちる。

 

 軽く人間業を超えたそれを前に、拍手をする――髪を染めたボーイ姿の男。

 

「……やっぱり二人居たわね」

「へぇ、気づいていたか。

 ……って、俺としては貴女、さっきみたいな表情の方が『そそる』から、そっちの方がいいけど」

 

 細められていた目は、ばっちりと開かれている。赤く鈍く光る目を前に、彼女は再び表情を引き締めた。

 

「別に好かれようとしてる訳でもないし。それに、仕事だから」

「連れないねぇ」

「どちらにせよ、そこの彼はともかく貴方は『殺す』わよ。明確に」

 

 せっかく仕事終わったと思ったのに、とつぶやく声は本気なのか冗談なのか。真顔で無感情に言われると、こう、本気度合いしか伝わってこないものの、台詞自体は色々と場にそぐいはしていなかった。

 

 男は笑う。何が出来るのかと。先ほど弾切れだと、彼女自身が呟いたのを聞いたばかりだ。それが嘘だという可能性もなくはないが、話しながら銃底から空になったそれを二つ落としているところを見るに、どうも本当であるらしい。

 

 クインケ――武器もなしに人間が喰種に勝てる道理はない。

 

 一部例外こそあるものの、大半の喰種にとってそれは常識的な認識であり。

 だからこそ、彼女のとった行動に反応が遅れた。

 

 

 眼前に突如、投げられ迫る拳銃。

 

 

 驚いてそれをしゃがみかわすと、途端、自分の眉間のあたりにふと迫るそれは、赤い銃弾。火薬がついたままであるそれは、弾倉からこぼれたものそのままである。

 

 

 それを、彼女は男の動きに合わせて投げ――それこどろか、今倒れている男が「最初に使った銃」を使い、狙撃した。

 

 爆裂する火薬と、その勢いではじけ飛ぶ、整形された赫子の弾丸。

 

 ものの見事に男の脳天を射抜き、絶叫が響く。そのまま膝をついて倒れる男。

 

 拳銃を再び使えるように整え、ホルスターに引っ掛ける安浦。そのまま視線を男に向ける。一見すれば意識はなさそうだ。だがそんな彼の足を、死んだかどうか確認するまでもなく掴み、引きずる安浦清子。

 

「よく、バレットで喰種を殺すことは出来ないっていうけど、あれ、間違いなのよ」

 

 男が聞いている聞いていないを問わず、彼女は何故か話し始める。

 

「死ぬほど撃ち込めば、それは殺せるのよ。普通そこまでする人間はいないけど。

 だから、私はあえてそうしようと思ったのよ。だって――」

 

 行きついた先は、屋上のフェンス。先ほど彼女を一階から持ち上げた喰種が破壊したその場所まで来て下を見れば、地上6階分の距離感がある。

 

 

 安浦はそのまま男の足を猛烈な速度で振り上げ、空中に投げ。

 

 

「――だってそっちの方が、ノリがよさそうだし」

 

 

 ノリが良い方が戦いって勝つらしいわよ? と言いつつ、彼女も落ちる男の上方をとった。

  

 そして二人して落下していきつつも、しこたま、本当にしこたま、男めがけて乱射した。一撃一撃で血を吹き上げる男。絶叫しながらも驚愕の表情で彼女を見る目は、やはり気絶はしていなかったと見える。

 が、もう既に色々と遅すぎた。

 

 ある程度狙撃し終わると、そのまま彼女は自由落下に身を任せる。もっともピンヒールを下に向けた状態で。

 

 男の真下にはワゴンがあり、それにまず男が添乗に打ちつけられる。

 そして落下して来た彼女が、男に着地。スカート関係なくおもいっきり膝を曲げ、そして男の心臓部にトドメとばかりに弾丸二つ。

 

 落下と、銃弾の威力とに天井が異様なほどへこむ。

 

 そして殺しきらなかった勢いを利用し、彼女は飛び上がり、何度か空中を回転。

 

 

 新体操のごとく、綺麗に着地を決めた瞬間――背後のワゴンが、爆発した。

 

 

 

 立ち上がる彼女。背後の炎が陽炎のように彼女を照らし――。

 

「……あら、やりすぎたかしら?」

 

 そんなことを言う表情は、さきほどまでの冷徹さとは無縁の、困ったような、ちょっと可愛らしいものだった。

  

  

 

 

 




暁「ははよ、どうした?」
微「……」警察から報告を聞き、自分のもたらした情報でここまでやらかされると思ってなかったため頭を抱える
 
 


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chap.07 遺恨 ―― icon ――

ヒカリ「なぁレン、あいつずっと来ないな?」
レンジ「……何か、傷つけたんじゃないか?」
ヒカリ「いや知らないし、そんなの。んー ……」
レンジ「……さみしいのか?」
ヒカリ「だ、誰が!?」
レンジ「はい」さっと、アラタの住所が書かれたメモを手渡して、別なコンテナに移動
ヒカリ「……私、あんまり道を歩くの、とくいじゃないわよ?」方向音痴にどうしろと、という目でレンジの去ったコンテナ接続部分を見る


 

 

 

 

 

 眠気でぼうっとする頭の中。そんな状態でも、なんだかんだで置きあがれてしまうのは週間の問題だろうか。

 うん、まぁ働かなければ死んでしまうのだから、そこは当然と考えるべきなんだろうか。あいにく、僕にはよくわからない。

 

 自宅というか自室で、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。朝日が僕の顔を焼く。ちりちりと焼かれる痛覚。現実感がそれに合わせて段々と戻って行った。

 

 ただあまりに気が滅入りすぎていて、このままだと仕事にいくどころじゃなさそうだ。少なくとも向こうに行くのに余裕があるこの時間帯でこれなんだから、日中の仕事とか考えたくない。出来る限り早めにブーストをかけないといけないだろう。

 

 そう思って、ちらりと冷蔵庫を見る。起き上がり、手を伸ばし、扉に手をかけた。

 でも、一瞬躊躇する。

 どうしても躊躇してしまう。だけど……、頭に両親の顔を思い浮かべて、僕は扉を開けた。

 

 中には加工された「食料」が入っていた。ぱっと見ればおつまみとかにしか見えないような風に整形された肉。万が一のために塩など調味料も刷りこまれている。

 

 それを一切れ手に取り、僕はそれを見る。

 

「…………」

 

 冷蔵庫の扉を閉め、しばらく動くことができない。

 

 ただそれでも、それでも僕は口に入れる。

 手を合わせ租借し、沸きあがる高揚感と「もっと食べたい」というその感覚を押さえる。

 

「……バケモノか」

 

 

 ――受け入れろよ、私らは……バケモンだ。

 

 

 ヒカリさんの言葉が、頭の中でリフレインする。

 彼女自身、悪気も何もあったものではなかったろう。気に入らないと言いながら、彼女の目はどこかこちらを気遣うような、そんな感じがした。なにせ釣り目気味のはずなのに、表情が少し不安そうだったのだ。言葉に反して、案外あのヒトは感情を隠すのが下手だ。

 

「……はぁ」

 

 あのヒトはきっと、弟のレンくんと二人で、それなりに大変な生活を送ってきたのだろう。きっと僕が想像できないようなそれを。

 僕が生きてきた「平和な」十数年間と、彼女らが生きてきた「バケモノの」十数年間は、きっと、一言では言い表せないくらい隔たりがあるはずだ。

 

 それでも何というか……、怖かったり痛かったりする割に、彼女たちにふと会いたいと思う自分がいるのは、なんだろう。

 

「ヒト(?)恋しいだけなのかな、う~ん」

 

 まさか大将たちが言ったように、本当に恋愛感情を抱いているわけでもないだろうし。

 流石に「いじめられるのが好き」みたいな倒錯的な趣味はない。

 

 確かに綺麗だったと思う。綺麗なヒトだと思うけど。だからといって何でもかんでもそれに結びつけるのは、こう、小学生とか中学生とかみたいで何か嫌だった。

 

 考えても仕方ない。食べ物のお陰か、気合が入った。今にもだらけてしまいたい足に力を入れて立ち上がる。

 

 時刻は六時半を回る前。周囲を散歩してから大将たちのところに向かっても、余裕ありまくりだった。

 

「気分転換、気分転換……」

 

 なのでせっかくだから、普段しないようなことをしてみようという気になった。

 服の中から黒いライダースーツ(レーシング用とかじゃなくて普通のジャケット系)を着用して、表に出る。

 

 時期的にまだ朝はちょっと寒いので、汗はかかないで済むのが救いだ。このまま箪笥の肥やしになっているのも悲しいので、着用。そのまま近場のコンビニまで行こうと下宿を出て――。

 

  

「……よっ」

 

 

 そして突然、ヒカリさんと遭遇した。

 

「……」

「……」

「……へ?」

 

 いやいやいや。

 一瞬意味が分からなくて頭がぱーん! ちょっとフリーズした僕をいぶかしげに見るヒカリさんという構図は、ちょっとないと思う。ヒカリさんは、頭はまーた黒くなっていた。ただ服装はロングスカートにふんわりしたブラウスと、ちょっとおしゃれさんだ。

 

 問題なのは、なんでこのヒトがそんな格好でここに居るのかということだ。

 仕事着じゃない時点で業務中でもない。かといって黒いコートも纏っていないとなると、喰種として活動中という訳でもない。

 

 なんだなんだ? と思いながらも咳払いをして、内心を隠しつつ尋ねた。

「えっと……、おはようございます」

「なんで敬語? この間、唐突に砕けてたけど」

「い、いや、なんとなく……」

「意味わかんねー」

 

 半眼でにやりと笑う彼女の方が僕からすれば意味が分からない。

 

「えっと、何で四方さんここに居るんですか?」

「別に? まぁ、たまたまうろついてたらアンタの匂いがしたし、様子見」

「鼻、良いんですね……?」

「いや、何で疑問系なのよ」

 

 残念ながら僕は「一般的な喰種の嗅覚」がどれくらいかとか、よく分からない。そもそも一般的な喰種という考え方が出来るほど『喰種社会に染まっていない』のだ。

 事情が事情なので簡単にも説明できないのだけれど、幸いにも、ヒカリさんはくすくす笑っていた。

 

「やっぱ変よアンタ。あー、おかしい……、」

「……ちょっと笑いすぎじゃないですかねぇ、ええ」

 

 言葉の端々から噴き出すのをこらえてるのがひしひしと伝わってくる。何がツボだったのかは知らないけど笑いすぎだ。調子が崩れる。

 

「あれ、怒った? じゃあまた()る? どうせ私勝つけど」

「なんでもかんでも暴力に結び付けないでくださいって。

 あー ……、用がないなら、いいですか? 僕、少し散歩したいんで」

 

 なんだか段々と面倒になってきて、切り上げようと強引に話を展開した。

 想定外だったのは、この後の彼女の反応だった。

 

「いやいや、用はあるのよ。散歩? 一緒に行ってあげようじゃない」

 

 なんだろうこのリアクションは。ことごとく調子が崩れ去る。

 まぁ断る理由も(というか断れる理由も)思い付かなかったので、仕方なしに一緒に歩くことにした。

 

 近所の本屋の横を通り過ぎて、まだ開店前の菓子屋の手前を歩く。ふとヒカリさんがそちらを向いて「可愛い」とか呟いていたのが聞こえた。

 そのまま足を進めながら、駅前に向かう。 

 

「アンタ、えっと……、アラタだったっけ?」

「……あれ? 名乗りましたっけそういえば」

「免許にそう書いてあった」

 

 言われて見れば、彼女がそれを確認する機会はあったなぁと納得。

 

 無言が続くかと思いきや、何故か今日はヒカリさんが話題を振りまくってきてた。

 

「アンタ、どこで働いてるの?」

「……えーっと、二区の――」

「いやいや住所じゃねーから。仕事の話」

「嗚呼。って、見ませんでした? あの時」

「発泡スチロールだし、くせーし魚運んでたんだろうなーってのは思ったけど、だからって知らないし」

「料亭です。魚貝と山菜専門の」

「……それよく働けるわね、アンタ」

 

 確かに料理なんて、普通に考えて喰種の鬼門だろう。

 僕が働いてるのは、ちょっと別な事情からだったりもする。

 

「僕だけなら働けないと思いますけど、まぁ、その……」

「何よ、歯切れ悪いわね」

「昔は22区の上井大学の近くにあったところらしいってのは聞くんですけど、まぁ、ヒトが良かったって言うのが一つですかね。ぶっ倒れてた僕、介抱してもらったので」

「かみい?」

「……? 結構有名だと思いましたけど。ほら、この間ラジオのニュースで――」

「知らない」

「へ?」

「そーゆーの、わかんない」

 

 きょとん、とした表情のヒカリさん。物騒な発言もなく会話をしていたせいか、一瞬「可愛い」と錯覚した。

 

「えっと、レンくんとかはそういうのはやらないんですか?」

「レンジ……、レンは、アレよ。バイクいじる様になったのは、昔レーシングクラブのおっちゃんに感化されたからってだけで、本来得意じゃないはずだし」

「へぇ……」

「……なんか、馬鹿にした?」

「し、してないしてない……」

 

 そんなことでむっと睨まれても困る。実際馬鹿にしてないので冤罪もいいところだ。

 でも何が気に入らないのか、彼女は半眼のまま僕の顔をじぃっと見つめてきた。たじろぐ僕の様子を見て、彼女は「あ」と手をポンと叩いた。

 

「そっか。わかった。なんか変だと思ったら」

「?」

「アンタ、『人間』なんだわ」

 

 いや喰種だけれども、という言葉が頭の中で浮かぶ。

 

 もっとも彼女のその言葉は、修辞表現だったようだ。

 

「こう、本当に喰種って感じじゃないのよ。メシのこと全然考えてなさそうだし、機械とか扱いなれてそうだし、スゲー逃げ腰だし」

「逃げ腰関係あります?」

「あるある。大体私がこうやって寄って行くと、人間は逃げる」

 

 それはヒカリさんの表情が怖いからじゃないだろうか。

 

「やっぱり馬鹿にした? なんか」

「だ、だからしてないですって」

「怪しい……。ま、いいけど。

 うん。納得。全然『アイツら』と違うみたいだし、フツーに話せる理由、わかった」

「あいつら……?」

 

 今度は僕が疑問符を浮かべる番だったけど、彼女はそれに答えるつもりはないのか、んん、と伸びをして笑った。

 

「あー、すっきり」

「……」

 

 そしてその、妙に晴れやかな笑顔は、さっきのきょとんとした表情とは別の方向に綺麗というか、可愛らしく感じられた。

 

 思わず言葉を失う僕に、「何?」とヒカリさん。

 

「な、なんでもないです」

「ふーん。変なの。ま、良かった良かった」

 

 そう言って、彼女は僕の方から離れる。もう終わりなのだろうか。というかいまいち目撃が判然としない。まさか今の話がその理由だったのだろうか、と考え始めたあたりで。

 

 

「アンタの事情、知らないけどさ。この間、ごめんね。

 今日なんか、元気そうで良かったわ」

 

 

 服、悪くないわよ、と言い残して彼女は何処かへと走っていく。

 僕はそれを、呆然と見送っていた。

 

「……様子、見に来てくれたってこと?」

 

 よくは分からないけど、前後の文脈から判断するとそういうことらしい。

 この間とは、おそらく「バケモノ」とか、そういうことを言ったあの日のことだろう。とするならば、それが悪かったと思ってわざわざこっちに来たのだろうか。

 あれから一週間以上経っている。その間、僕も確かに落ち込んでいたし、彼女の家に向かうこともなかったのだけれど――。

 

 

「……あれ?」

 

 

 なんだか理由は分からないけど。

 それでも、動悸か何かのように、脈拍が上がっているのか、首から上が暑かった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 学校は退屈だ。

 いや、退屈というと正確じゃない。退屈にならざるを得ない。

 特に俺の場合は、下手に友人も作れない。学校の外での知り合いはともかく、学校内で友達とかになれば、必然、プライベートまで踏み込まれる事になる。それは、出来れば逃げたかった。

 

 だから声をかけてくるクラスメイトにも適当にあしらいつつ、本でも読んでればすぐ一人になることが出来た。基本的にそれでバリケードを張ってるように錯覚してくれるから、楽といえば楽だった。

 プラスワンで、周囲が距離を置くような事件を一つ二つ起こせば、もう誰もタッチしてこない。絶対安全領域と言いかえることも出来る。

 

 もっとも、だからといって周囲に気を配ってないわけじゃない。むしろ周囲以上に気を配っていると言えるかもしれない。情報収集は酷く重要だ。

 

 

 ねぇねぇ、聞いた? この前の夜、喰種が襲ってるところ見たんだって――。

 返り血を顔面に浴びてさ――。

 

 

 嗚呼、阿呆だなぁと思わなくもない。本当に人食いの怪物が出たのなら、目撃証言なんて残っているはずはないだろう。喰種は基本的に人間より五感が優れている。異常なほどに。それはつまり、周囲で目撃している相手が居た場合、ほぼほぼ確実に捕捉することができると言うことだ。もちろん距離感とかもあるだろうが、返り血を顔面に浴びる距離で居て、生き残れるものか。

 理屈で考えれば丸分かりだ。そんなの。想像力が足りないんじゃないだろうか。

 まぁ関係ないから、思ったところで口には出さない。口裂け女とか、せいぜいその程度の扱いなのだろうから。

 

 話題はめまぐるしい。テレビ番組も世界の終わりとか音楽とかドラマとか。とにかく話題がざっくりしすぎていて笑えて来る。大体、中学生だからというのもあるかもしれないけど、話してる内容が「背伸びしている感じ」がして、ちょっと馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 

 ヒトは、身の丈にあった生活が一番――。

 

 母さんと親父のやりとりを見てると、そう思う。

 

 人間なんて、所詮うすっぺらいもの。慎重に慎重にという精神を忘れてはいけない。

 もっともこうして生きていれば、そういう相手を見つけることもないのだろうけど。それが良いか悪いかは別にして。

 

 だから、昼休みの教室に入った放送に驚かされた。

 

 

『――先ほど警察より、××町の通りで喰種が目撃されたと情報が入りました。それを受け、本日は午後の授業を取りやめます。担任の先生の指示に従って、体育館まで――』

 

「え、何?」「ひょっとして集団下校?」「やりぃ!」「お、後で家遊び行くから――」

 

 危機感のないクラスメイトたちの歓声が響く。大方午後の授業を中断して家に帰れる、あるいは友達と遊べると踏んでいるのだろう。本当、危機感がない。喰種に対する認識が甘い。

 

「まずいな」

 

 ただそんな理由とは別に、思わず呟いてしまった。そんな目撃情報があれば、間違いなくCCG――喰種捜査官たちが周囲を徘徊することになる。

 場合によっては、聞き込みに来られるかもしれない。

 

 それは、大変に良くない。

 

 その喰種とやら、余計なことをしてくれた。集団下校の最中、そんなことを考えながら自宅へ向かう。既にほとんど散り散りになって、残りは俺を含めて三人だ。

 

「――の家はここだな。……結構でかいな」

「家庭訪問来ましたよね先生」

「あの時も言ったさ。それにサングラス外せぃこの似非不良生徒が。

 何というかアレだよな。お前……、誰に対して警戒してんだ?」

 

 男の、体育教師なのだが、俺の担任のその先生は、肩をすくめながらそう言った。言わんとしている意味がよくわからない。

 

「アレだよ。要するにお前、ずっとそうやって警戒してる感じだろ」

「警戒してる……?」

「違ったのか? まー経験則だけど、荒れてるように見せてるって事は、見せてるなりの理由があるってことだろ。

 ただ、お前親御さんしっかりしてんだから、素行だけで心配させんじゃねえっての」

「ケンカも何もしてないですが」

「そゆこと言ってるんじゃねぇっての」

 

 そう言って肩をすくめながら、先生は他の生徒を送りに向かった。

 

 家の鍵を開けて中に入ると、親父がソファーで寝ていた。

 

「……」

 

 母さんが看護()で仕事に行ってる間、親父はこうして寝ている。色々と事情があって普通に働けなくなってしまったらしいけど、そんなこと俺は知ったこっちゃない。俺から見れば、時々しか仕事に行ってないようなのにしか見えない。

 たとえどれだけ付き合いが長くても、そんな認識にならざるを得ない。

 

 まぁ、好きか嫌いかで言えば嫌いだ。でも一応は親だ。親だっていうことでありがたがる風潮は嫌いだし、この親父のことをありがたがるコトはたぶん、ない。

 

 そんなことを思いながら、俺は冷蔵庫から水を出して一口。

 

「……死ねばいいのに」

 

 今思えば、そんな言葉は平和だから出てきた言葉だったんだろう。

 文字通り、俺はそう述懐する。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 あくびを噛み殺しながら、私は歩く。

 時間は既に深夜。警察署から開放されてコクリアから帰ってくるまでにちょっと時間はかかったけど、最終的にあのバーテンの子の証言と監視カメラが決定打になってくれたらしくて、ちょっと嬉しい。自分の予定した通りに動いてくれて、あたしとしてはご満悦。

 若干拘留期間が長かった気もするけど、この案件で頭を悩ませるのは半年以上後になってからのはず。一旦は捜査に戻れるし、貴重な情報も得られたし。

 

 11区の空港から、どうも直接来てるらしいというのが大きい。

 

 びっちゃんから得た情報を元にするなら、一部の海外勢力の喰種が東京に進出し始めている事。2区の捜査官殺しを追っている私とは無関係に見えなくもない事柄だけど、でも、びっちゃんから得られた情報を元にすると、あながち無関係とも言えなくなってきていた。

 

「待ってくださいよ、安浦さん……ッ」

 

 阿藤くんが、そんな私の後をついてくる。あんまり早足だったつもりもないのだけれど、ぱっと見て結構疲れてるように見えるわね。なぜかしら。

 

「そりゃ、上等の動きがめまぐるしすぎるからですよ! まさか釈放された即日でコクリア行ってってなると尾持てませんでしたよ、どれくらい距離あると思ってるんですか! しかも内部で行ったり来たりするし!」

「そりゃ、捜査ってそういうものよ。黄色い球体が行ったり来たりするゲームあるんだけど、あれみたいなものよ」

「意味わかんないですって!」

「まぁ、その話はともかく。概ね必要な情報は得られたから」

 

 思ったより阿藤くんは、元気が良かった。良かったと言うより私が振り回しすぎてストレスが限界みたいな感じに思えなくもないけど、それは考えないことにして。……局長直々に「君を准特等に出来ないのは、その問題行動が多すぎるところが原因だからね?」とか言われてしまったけど、そこも一旦は気にしない。

 

 タクシーを呼びとめて乗り込む私に、彼も転びそうになりながら隣に座る。

 

「疲れてるのかしら」

「誰のせいですか!」

「それはごめんなさい」

「で、説明してくれるんですよね上等?」

 

 もちろん、と言いながら私は指を立てた。

 

「捜査官殺しだけど、実はある法則性があったことに気づいたの」

「法則性?」

「ええ。ここのところ2区の情報しか集めてなかったからすぐわからなかったけど、取り寄せたらビンゴよ。

 ……周辺の区でも、同様の捜査官殺しが何件か」

「何件かって……」

「そしていずれも、殺された捜査官は『クインケを携帯していた』」

「……それが何か、関係あるんですか?」

 

 大有りよ、と私は彼に言う。

 

「形態していたクインケは、いずれも『レッドエッジ』。つまりネオクインケよ?」

「……?」

「嗚呼、あなた一応新人だったかしら。忘れてたわ。

 クインケは現在、全部が全部とまでは言わないけどバージョンアップを計ってるところなの。喰種の脳波なのか何なのか知らないけど、そういうのを利用する形式のものに」

「何が違うんでしょうか?」

「まず生態認証の必要がなくなるそうよ。制御装置に喰種が出す特定の波形みたいなものが記録されていて、それを再現するらしいの。問題は、仮に喰種がそれを持ったところでその波形同士がぶつかり合って扱えない。扱える可能性も、小数点以下らしいわ」

「人間相手の場合は……」

「まぁだから多少はチューニングとかは必要なんでしょうけど。

 で、そのネオクインケ持ちの捜査官を狙っているらしいのよ。捜査官殺しの多くは」

「じゃあ、我々が追っている『カミナリ』も――」

「いえ、違うわ」

「はい?」

 

 私の言い方も悪かったのか、阿藤くんは意味が分からず困惑してしまった。

 

「正確には、一つ前、つまり一番新しい捜査官殺しのやつだけ別なのよ。そしてそれが、相手を特定するヒントに繋がるの」

 

 そして問題は――問題は只一つ。「半年前」にここに来たと言う、海外喰種組織の男。彼が持っている情報が鍵になる。

 

 タクシーで23区を抜けて8区にたどり着き。本来なら情報屋たるあのヤクザの喰種と待ち合わせていた、ホテルのバーに入る。阿藤くんに待機してるようにと言うと「安浦上等、何するかわからないから駄目です!」と着いてきそうだったので、ドンパチはしないということでアタッシュケースとキャリーバッグを預けた。

 

 エレベータを上り、ちょっとお高そうな扉を開ける。

  

 そこには、一人の青年が居た。結構若いけど、サングラス姿は威圧感あるわね。服は臙脂色のスーツに、不揃いなヒゲはちょっと大人ぶろうとして失敗してるようにも見えなくはない。酒を飲みはしないものの、カウンターに肘を着いて鬱屈とした表情で眠っている。

 

 私は彼の隣に座り肩を叩いた。

 

「キュウさん、かしら」

 

 私の言葉に、億劫そうに彼は目を見開いた。半透明なサングラスから、睨むような視線が私の顔を射抜く。

 

「……今、懐かしい夢を見ていた。気分が悪い。だから『知らない人間』に話しかけられるのはもっと嫌いだ」

「あら、随分な話ね。こっちはビジネスに来たと言うのに」

 

 ビジネス? と首を傾げる彼に、私は微笑んだ。

 

 

 

「取引しないかしら。そっちにとっても、決して損ではないはずよ?」

 

 

 

 

 




吉時「効率優先もいいけど、法律とか人間性も守ってくれ』
清子『守りましたよ。だから釈放されたんじゃないですか』
吉時「……わかったから、今後はあまり手荒にならないように」打つ手ナシとばかりに電話を切って、レコードを再生する


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chap.08 掠り傷 ―― ui ask iru Cz ――

 

 

 

 

 

「で、結局何を確認されたのですか? 一等」

「『彼女』の身内について少し」

 

 そう言いながら、安浦清子はキャリーバッグを開け、中に入っている二丁拳銃を取り出す。それを自分のデスクの上に置き、分解する。手入れ油を使い、取り外したスライドに慎重に流す。

 それを見ながら、阿藤は頭をかいた。弱ったな、という意思が垣間見える。未だ二十代だというのに既に下が見え初めている後頭部を一瞬なぞり、彼女の次の言葉を待った。

 

 もっとも待つが、安浦はすぐに答えない。

 

 手元の赤い弾丸が転がりそうになるのを押さえて、また作業を続ける。

 

「……それを準備している時点で全くもって、物騒な話になりそうなのは理解できるんですけど、だからこそ説明をですね?」

「しないわよ。だって――したら貴方も始末書を書かなきゃいけなくなるわよ?」

 

 そう涼しい顔をして言う、無表情な彼女。何を考えているか一目で理解することは難しい。

 

 実際、彼女の捜査にグレーラインが多い事も阿藤は聞いていた。定時で帰ったかと思えばいきなり刑務所の中に入れられていると連絡を受けたときには唖然とし、わざわざ休日だったにも関わらず急いで駆けつけるも、結局会えずじまい。しまいには彼女の同期の夫らしい男性から「まぁ心配はするな。彼女はいつものことだそうだ」と電話がかかってくる始末。

 出所したら出所したで、その足ですぐさま向かった先でなんとまたドンパチ! 武器を持って居なかったにも関わらず、喰種と戦うという。しかもその、明らかに強そうな喰種は取り逃がすという状況が、あまりにもあんまりだった。

 

 要するに、阿藤置いてけぼりである。

 仕事の面でも、そしてやってることに対する理解の面でも。

 

 だからこそ説明を求めたのだが、しかし彼女はどうやら、以前した以上の説明をするつもりはないらしい。むしろ以前説明されたことの方が珍しかったのか? と疑うレベルだ。

 

「まぁ、捜査官でもこういう仕事をしてるのは私くらいだろうし、あまり気にしなくていいわよ?」

 

 笑いもせずそう言う彼女に、阿藤は何も言えない。

 

 そして何故か――その背中から普段よりも、鬼気迫るものを感じてしまった。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 橘レーシング、と名の付けられたレーシング場から、一人の少年が出てきた。

 色が抜けつつある髪をした、目つきが悪い少年だ。服装は無駄にシンプルで灰色。上下共にそんな色をしているから、逆に作業着のように見えなくもない。

 

 聞いていた通りだ。

 

 そんな彼は、しかしその目つきの悪さに反して少し浮き足立っているようだった。手に持つ大きめのバッグに時々視線をずらして、にやけるのを押さえている、ように見えなくもない(実際は口の端がぴくぴく不気味に動いているだけなのだが)。

 店を出た彼は、その足で東京メトロの駅方面に向かう。ただし電車には乗らず、遠回りをして日本橋を過ぎる。

 

 そしてそのまま首都高の下を歩きだした。深夜はまだ回ってないけど夜で、誰も居ない。人気がなくなった時、彼は足を止めて口を開いた。

 

「………………………………誰だ」

 

 

「――誰かしらね」

 

 

 そう言いながら、彼女――というより、私は柱の影から姿を現した。

 既にガンベルトを腰に装着してる(ちょっとこれってワイルドガンマンイメージ)。もちろんそんな格好をしている私を前に、彼は明らかに警戒した。まぁ、逃げないだけ状況を把握しているということなのだから、間違ってはいないかしら。

 

「あー、でも安心して? すぐ殺すつもりはないから」

「……?」

「元々用事がるのは、たぶん、貴方の『姉』の方なのよ」

 

 そう私が言った瞬間、彼の体がぶれて目の前まで迫ってきていた。

 すかさずそれを、上体だけ逸らして回避。振り抜いた腕が空振りして、空中で彼の体制が崩れる。それを見越して私は彼の腕を持ち、強引に振り回して地面に叩きつけた。

 

 流石に喰種の耐久力なのかしら。――いや、喰種にしてもちょっと打たれ強いみたい。

 

 痛みを感じさせることもなく、叩きつけた後の私の蹴りを、バク転しながら回避した。その後、ちょっとだけ「……初めて成功した!」という呟きは、聞かなかったことにしてあげる。

 

「……」

「?」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

「何かしゃべってくれないと、何も答えられないわよ?」

「目的」

「だから……、まぁ良いわ。でも、残念ながらそれは『貴方を拘束してから』かしらね」

 

 言いながら、私は左手の「砂漠の鷲」の引き金を引いた。

 肩が外れんばかりの威力に身を任せ、私は後方に自分の身体をひねる。それにあわせて右側の方も引き、威力を増して空中で回転する。

 回転する視界の中、少年の喰種の目の色が変わったのが見えた。

 

「――おおおおおおおおおッ!」

 

 叫ぶ彼に向けて、回転しながら照準を合わせ――。

 

 

 

 事の発端は、どうも半年以上前。私が「彼」と組んでいた時。 

 その時も私は、ちょっとまたポカをやらかして自宅謹慎を命じられている時で、暇だったから買って放置していたスーファミを動かして「超R-型」をやって軽く宇宙戦争していたのだけれど。その裏側では、やっぱり当時私のパートナーだった彼は真面目に仕事をしていた訳で。

 まぁ年代も近い事もあって、彼も彼で結構、武器持つと人格が……。まぁそれはいいとして。

 

 無茶をやらかす性質だった彼は、こともあろうに横浜から密入航して来た、軍隊のような喰種に戦いを挑んだ。つい先日読んだ資料と照らし合わせるに、それが海外勢力の喰種のものであることに違いはない。

 

 そんな相手に対して、彼は旧型クインケ四つで挑んだらしい。剣、槍、銃、斧、四タイプをとっかえひっかえしながら戦って、結局残ったのは剣のだったりもしたそう。で、その戦いの最中――彼はあの、キュウというらしい青年の喰種と遭遇した。

 

 そして戦ったどうもその時。

 たまたま、本当にたまたま、とある喰種が巻き込まれていたらしい。

 

 その「少年の喰種」は、その場からあるものを盗んだ。それに激昂したキュウが彼目掛けて赫子の斬撃を放ち、でもそれに失敗した。少年もまた赫子を放って、戦場をかき乱して逃げて行った。

 

 そしてその時の特徴と――何より彼が盗んでいたものこそが、問題だったらしい。

 

 まぁ、そこは細かくは読み飛ばしていたからさほど興味はない。重要なのはそこから。

 盗んだ少年のことを、彼は調べていた。それこそ私が何をトチ狂ったのかスーファミでウォーリー探し始めたあたりの頃も、きちんと職務熱心に。赫子のタイプが以前CCGに登録されていたものと、精度的に7割くらいで一致した。そこからかつて、その赫子痕が発見された2区を中心に捜査を続けていた。

 丁度、捜査官殺しも再び始まっていたそのタイミング。

 そして、彼は殺された。――ほかならぬ、7割同一のRcタイプの喰種に。

 

 

 

「でも、気になっていたのよね。私」

 

 

 

 こちらの懐に潜り込んでくる彼に、拳銃を撃った反動でぐるりと腕を回して、頭に一発。嫌な感触が腕に伝わるのと一緒に、無口な少年喰種は血を吐き出した。

 彼の足を一発打ち抜きながら、距離をとり、弾丸を補充。両方ともなので、ちょっと時間がかかる。その隙に襲われない程度に距離をとったけど、まぁ、彼も彼で簡単に立ち上がれなさそうね。

 

 ま、構わないわ。私は話を続ける。

 

「普通に気にはなるけど。だって、いくら何でも半年だし、そこでいくら『彼』が貴方の手がかりを掴んだからと言っても、そう簡単に殺される? もっと言うなら、殺されるようなシチュエーションが出てくる? 逃げたい上、貴方は簡単に彼を殺すことは出来なかったとみるべきだし、それ以上にここに生活拠点があるなら、目立つことは避けたいはず。だったらば、何故?

 だから私の結論はこう。――誰かが貴方の代わりに彼を殺した。

 そして状況証拠から、身内であることに違いはない」

「……ッ」

「姉っていうのはカンだったけど、どうやら正解みたいね」

 

 いつの間にか、彼の持っていたバッグはどこかに行っていた。まぁ邪魔だしどっかに転がしたのかしら。

 

 銃弾を装填し終えて、私は彼にそれを向ける。

 

「さて、大丈夫かしら?」

「――ッ、お、おああああああああああああ!」

 

 気合を入れるよう叫んで、彼は背中から赫子を出した。羽赫ね。それも、やっぱり大きいというか何というか。

 でも、その使い方に私は目を見張った。

 

 彼は、赫子を自分の背後に射出した。

 

 射出すると同時に、まるで火でも吹いているかのように霧散する赫子。そしてそれを見た瞬間、私は生命の危機を感じとった。

 

 

 まさに逆転の発想。

 赫子を攻撃でなく、ジェット噴射のように使うというその発想は、クインケ加工が前提の捜査官にはない類のもの。

 

 でも残念なことに。今回私が一人だったら、今ので充分、不意打ちには成功したでしょう。

 

 なにせ相手は喰種で、私は人間。いかに立ち回りを上手くしたところで、基礎的な耐久力まではかわりない。

 

 

 

 だからこそ、そんな私の横から現れた、刀のようなクインケ「ツナギ」を持った彼に、少年は目を見開いた。

 もう既に動きは止められない。彼は刀の先端を彼に向ける。振りかぶって蹴りを叩きこもうとしていた彼は、ぎりぎりで足こそ逸らせたものの。その胴体かた肩にかけて、猛烈な勢いで刀がめり込み、貫通する。

 

 

「――!?」

 

 

 突撃の衝撃で阿藤くんごと跳ね飛ばされる。一緒にクインケが抜けたのが、彼にとって救いか否か。猛烈に血を噴き出し、顔を土色にして、彼は地面に転がった。

 

 後方を振り返りながら、私は阿藤君に講評。

 

「だから、ツナギくらい二本同時に使うようにしなさいって言ってるでしょ」

「無理ですって、これ一つでどれくらい重いと思ってるんですか!?」

 

 それを毎回二丁の銃撃で肩を外しかけてる私に言うのかしら。

 結果、力を確実に後方とかに受け流すって言う無駄な技術を覚えたりしたけど。

 

「ま、必要は発明の母よ。貴方もきっと使っていたら、そのうち変な悟りを開くわ」

「いや、俺、凡人ですからね? 無理ですよそんな、天才みたいなの……」

「本当の天才っていうのはそういうことを言うんじゃないのだけれど……。まぁ良いわ」

 

 ちらりと見れば、既に彼は息絶え絶え。そんな彼に、私はガンベルトにぶら下げていたもう一つの道具を向ける。

 

「俺を……拘束して、どうする?」

「貴方のお姉さんに分かりやすいメッセージを残すわ? 例えば……、さっき貴方が寄っていたレーシングショップ、お姉さん知ってるわね?」

 

 そこに張り紙でもして、連絡先を書いておく。それとなく弟くんを押さえていることを示せば、きっと彼女は私の方にくるはずだ。

 当然だ。だって――自分が討伐されるリスクをおして、弟の身を守る事を選んだ姉なのだから。

 

 目の前の弟くんの表情が歪む。

 

 まぁ、そんなこと関係なく私は、手に持った「喰種専用の拘束具」を彼の腰に――。

 

 

 

 丁度そんなタイミングで、私目掛けて発炎筒が投げられた。

 

 

 不意打ちだった。今度こそ気づかず、その煙をもろに顔面に食らってしまう。げほげほと咽て転がって、そして同時に爆竹の炸裂する音。とっさに反応してバク転して(私は余裕で成功できる)距離をとる。そっちではそっちで阿藤くんが伸びていた。どうも締め落とされたらしい。っていうか、まぁ、打たれ弱いのは仕方ないかしら。

 

 さて、問題はそんなことをやってくれた相手かしら。「無理やり」涙を流して目を洗い、前方を見る。

 

『……』

「あら、貴方もだんまり?」

 

 そこに居た彼を、何と形容……するまでもないわね。ヘルメットをした、ライダースーツ姿の男。ヘルメットのゴーグル部分は赤くなっていて色がメタルっぽく反射して、下側の顔が見えない。

 彼は倒れた少年を持ち上げて、こちらを睨んでいた。

 

「状況から見て、何かしら貴方? 人間?」

『……』

 

 何も言わない彼だったけど、でも、その左腕には赫子が纏われた。嗚呼、一応喰種なのね。

 なのに何で、

 

「まぁ、いいわ。とにかく捕らえさせてもらうわ。『二人とも』――」

 

 そう私が言った瞬間、彼がとったのは「逃げ」だった。

 

「って、ちょっと!?」

 

 思わず銃撃するけど、でも彼の腕に巻きついた盾のような赫子に阻まれ弾かれる。バレットそのものもラボに無理言ってちょっとだけ火薬量を大目に改造してもらった代物だから、それを刺さらず弾くってことは、結構強い喰種ということかしら。

 

 そして私も、足元の阿藤くんを放置するわけにもいかず、その場から動くことができない。彼が一人であるという保障もなく、結局そのまま、私は彼が逃げる背後に銃撃を続けることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 




そういえばですが本作は一応フィクションですが、時間軸と年代と地理だけは割と真面目に考えてます。
つまり過去編の時間軸は・・・?


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chap.09 大嫌い ―― Dark aii i ――

※キャラ崩壊注意


 

 

 

 

 

「あ、気が付いた?」

 

 うめき声が聞こえて、僕は背負った彼にそう話しかけた。レンくんは唸りながら首を上げて、周囲を見回す。

 光の完全に消えた夜の東京湾は静かで、どこか物寂しい。昼間の明るさや働いている人達の光が閉ざされた時間ゆえにか、とても寂しい光景だ。

 

 そんな光景を見て、レンくんはがばりと跳ね起きようとした。おっとっととバランスをとり、転ばないように彼を下ろす。

 コンテナに囲まれた中で、僕らは向かい合った。こうして見ると、レンくん結構背が高い。

 

 彼は、困惑しているようだった。

 

「……? 何が、一体……?」

「何が、と言われると、助けたとしか答えようがないかな……?」

「助けた? お前が?」

 

 レンくんは頭を傾げる。

 うん、と首肯して、僕は発炎筒を取り出す。

 

「いくら喰種捜査官といえど、ガスマスクとかなしにこれを顔面一発っていうのは、避けようが無いからね」

「…………」

 

 目を半眼にするレンくん。もっともそのまま何もいわず、ため息をついた。

 

「助けてもらったことに礼は言う」

「うん、どうも。じゃあ一つ聞いていい?」

「?」

「ひょっとしてレンくんたち、引っ越した?」

「……嗚呼」

 

 そう、これが僕がこんな場所でうろうろしていた理由。以前ヒカリさん達の家があったコンテナの場所に来たものの、既に何も無く途方に暮れていたのだった。

 レンくんは無言のまま僕をじっと見て、そのまましばらくしてから口を開く。

 

「知りたいのか?」

「うん」

「なんでだ?」

「それは、まぁ、このままだと送って行けないし」

「どうでもいいが何でライダースーツなんだ?」

 

 それはたまたまだよ、と言うと何故かレンくんは残念そうに「そうか」と言った。何が残念なんだろう。よくわからない。

 

「……」

 

 ただ彼は無視して歩き出すこともせず、何か考えているようだった。

 しばらく待つと、レンくんは「こっちだ」と言って、僕に先導した。

 

 電車代あるか? と聞かれたので、それくらいはおごれると答える。

 

 レンくんに主導されながら、山の手線。乗り換えてメトロ。雷門にはまだ遠いけれど、以前とかなり離れた場所で……。つまりは6区。

 そして、そこの駅近くにあるとある貸しコンテナの手前にレンくんは足を止めた。

 

「……またコンテナ?」

「……文句あるのか?」

「いや、まぁ予算的には安いだろうけど……」

「2区の方は、監視カメラがあの位置にも設置されるって聞いた。ここのところはまだない」

 

 まぁ妥当な理由なのだろうけど、色々と世知辛い……。

 

 奥の方に歩いて、ノックを三回。中から「は~い」とヒカリさんの声が聞こえて、不思議と安心する。

 

「おっかえりー、レンと……? あれ、なんでアラタ?」

「まぁその、成り行きで?」

 

 まぁ上がってけよ、とヒカリさんは手招きした。

 コンテナ事態は以前のように繋がってはおらず、前後の出入り口で往復するような形になっていた。物自体は少なく、以前レンくんがいじっていたジャンクパーツらしきものも見当たらない。

 

「で、どしたの? レン、あんた引っ越すからってレーシングのところのおっちゃんに挨拶行くって言ってたと思ったけど」

「言ってきた……、…………」

「いや、それだけじゃわかんねぇよ」

 

 言いづらそうにレンくんはうつむいて、そのまま奥の方の扉を開けていってしまう。「あ、ちょっと待て」というヒカリさんの静止で止まらない。僕も彼女も何も言わず、そのまま数秒。

 こちらを見たヒカリさんから「説明してくれる?」と確認が来た。

 

「えーっと、僕も途中からだったんで全然なんですけど……」

 

 僕の視点から見た話としては――。

 

 

 まず大前提として、僕が仕事帰りだったこと。珍しく荷物を届ける往復作業が多く(なんでも付き合いのあるお店とのやりとりだったとか)、その帰り道。

 ふと二区を抜ける直前、見覚えの在る捜査官二人の姿を見かけた。それだけならまだ逃げるだけで良かったけれど……。でも、その時ふと嗅いだ匂いが問題だった。

 

 レンくんの、というよりヒカリさんの匂いだった。

 

 たぶん選択物か何かの匂いだったと思うのだけれど、その匂いのせいで僕は彼女たち捜査官二人の後を付けることになった。……店の手前にバイクを置いたまま。

 まぁそれは大した話じゃない。盗まれてなかったし、ヘルメットも店に返せたので問題じゃない。

 

 それよりも問題なのは、捜査官二人にレンくんが追い詰められていたこと。

 

 すぐさま手を出しても良かったけど、それをするには僕自身、力が足りない。だから色々小細工をして、からがら逃げてきたといのが現状だった。

 その後自宅までレンくんを運び、保存していた肉を分け与え。バイクをお店に返して帰ってきてから、ヒカリさんたちのかつて住んでたコンテナの方に行ったというのが経緯。

 

 

 そしてその話をし終えた時点で。

 

 

 

「そんなの、助けたことになんないでしょ」

 

 

 

 ヒカリさんはそう言って、僕の頬を叩いた。

 頬に走る痛みに、僕は目を見開く。頭が一瞬真っ白になった。

 

「殺しておけよ。それは」

 

 そんな僕に、ヒカリさんは続ける。

 

「……殺せって、それは――」

「当たり前だろ。アンタ何したか、わかってんのか?」

 

 ヒカリさんは僕の足を払い、地面に叩き付けると馬乗りになり、襟を締め上げる。

 

「確かに一瞬助かったろうけどさ。でもそれって、某か痕跡を残したってことじゃないの?」

「それは……ッ」

 

 より強く締められて、反論することさえ許されない。

 それだけ彼女の顔は、怖いものだった。

 

「なめんなよ。CCGを。私達なんか気づいていないものを理由に、どんどんどんどん特定してきて、気が付いたら何もなくなってたなんて、ザラなんだから」

「……」

「なんでアンタ、戦わなかったのよ。そりゃ、正面から行ったら勝てなかったろうケドさ。

 でも、アンタ絶対、殺せるタイミングがあったろ」

「…………」

 

 

 

「――アンタみたいなの、大っ嫌い」

 

 

 

 自分から戦おうともしないで。結局、全てを失うようなことしやがって。

 

「……」

 

 ヒカリさんの言葉に、僕は二の句がつげなかった。

 全てを失うようなこと、という言葉に、不意に母さんの顔が脳裏を過ぎった。

 

「そんなもの、助けたことになんてなんない。

 アンタも、レンも、目ぇつけられただけだろ」

「……」

「わかってんのか、あ゛?」

 

 拳を握り、振り上げ。しかしヒカリさんは手を下ろした。ぎりぎりと握っていた拳から力が抜ける。

 僕から離れて、ヒカリさんは背を向け言い放つ。

 

「……アンタのことなんて知らない。キョーミもない。

 アンタがなんで反論しないのかも。アンタがなんで殺さなかったのかも。アンタがなんで、自分が喰種であるっていうことを『毛嫌いしている』のかも」

「……」

「だけどさ」

 

 ヒカリさんは、少しだけ振り向いて言う。

 その視線には、怒りが。

 

 

 

「そんなものは、生きてこそだろ」

 

 

 

 それだけ言って、彼女は起き上がった僕を蹴り飛ばした。コンテナの扉に背中から激突し、悶絶する僕。それを見下し、ゴミでも掴むようなノリで外に放り出した。

 

 ばたん、と扉が閉められる。

 

「……」

 

 ヒカリさんの視線には怒りが。殺意が満ちていた。

 だけれど、その言葉はそれに反して、怒りだけではない感情が乗っているようにも思えた。

 

 だからこそ。彼女の言葉が何度も、何度も、繰り返すように耳から離れない。

 

「大ッ嫌い、か……」

 

 生きてこそだと。僕のその行動は生きてこそという前提から外れていると。

 生きるために戦えと。直接でこそないものの言外に言われてるような気がして。

 

「……でも、嫌だな」

 

 だかれども、それを直接肯定することが、僕には出来そうになかった。

 

 だって、ほら。生きるために。捜査官を――「人間」を殺すなんて。喰らうなんて。

 

 

 

 そんなことをしてしまったら、僕は本当に「バケモノ」みたいじゃないか。

 そんなことをしたら、もう、後に戻れないじゃないか。

 

 

 

 震える拳を握り。しばらく僕は、その場で蹲っていた。

 

 

 

 

 

   ※

  

 

 

 

 

 前日、夜遅くまで仕事に出ていたので今日は代休となった。

 それは正直助かった。昨日の夜のテンションを引きずったままだと、流石に何もできそうにない。

 

「なんかここのところ、落ち込んでばっかりだなぁ……」

 

 上手い事気分転換することもできない。友達も居ないし、お金もそんなにないし、遊ぶことさえロクに出来そうに無い。

 

 だから気分転換といえば散歩しかないのだけれど……。流石に今日はライダースーツじゃなく、普通に私服だ。

  

 家を出て歩いて歩いて2区を過ぎ、気が付けば1区近くに来ていて、急いで外に回る。ぎりぎり駅をはさむ形になり、ゲームセンターとかパチンコとか、ショッピングビルが複数見えるところに来た。って、こんなところに来てもやることないし、遊ぶものもないし……。

 

 ふと匂いを嗅ぐと、少し食欲をそそられるような……。

 

 そして気付いた。丁度目の前の駅の中で、事故が起きていたようだ。スピーカーの案内音声が聞こえる。

 電車は滅多に利用しないので(お金もそんなにないので)、こういう「トラブル」は珍しい。急いでショッピングビルに駆け込む。男子トイレが二階というのを見て急いでエスカレータを駆け上り、入る。

 周囲に人がいないのを確認してから、僕は深呼吸し、ガラスを見た。

 

 緊張状態を解いたせいか、少しずつ目が赤黒く染まる。

 

 流石にあの大人数の中で、こんな状態になってしまったら命はないだろう。

 深呼吸をして落ち着くのを待ち、目の色が白く戻ってから僕はビルを出て歩き出した。

 

 

 

「――あら、霧嶋君だったかしら」

 

 

 

 丁度、そんな時だった。背後から声をかけられ、振り返る。

 

 そこに居たのは、昨日戦った――僕の家に聞きこみに来た、あの女捜査官だった。

 一瞬顔面が引きつるのを押さえる。彼女はスーツ姿ではなかった。黒いシャツとズボンは薄手で身体のラインを意識させる。肩からかけたショルダーバッグの紐が胸の谷間を意識させ、どぎまぎしないこともない。捜査官と遭遇したという事実を差し引いても、美人の顔見知りに声をかけられたという意識が勝る。

 

「覚えているかしら? 捜査官の、安浦」

「あー、えっと……」

「ませっかくだし、一緒に遊びましょ?」

「は、はぁ!?」

 

 唐突にそんなことを言って笑う彼女。ばっと僕の腕をロックしたと思ったら、そのまま「れっつごー!」と言って、走り出した。

 な、何がいきなりどうしたんだ!?

 動揺する僕を無視して、彼女はゲームセンターに駆け込んだ。

 

 ……何でゲーセン?

 

 動揺する僕を引きつれ、彼女は「おごるわ?」と言ってなれた手つきで1万円を崩す。……崩すことに躊躇の欠片も無い。じゃらじゃらとお金を手に取って、僕をロボットが浮かぶ画面のゲームの手前に引き連れて行った、

 

「ほらほら、じゃあやるわよウルフ」

「え? え?」

「横スクロールでやるのよ、こんな風に」

 

 言いながら彼女は隣り合った筐体二つにコインを入れて、そして、それぞれの台を「片手で」操り始めた。さらり、とあまりに普通に捜査する彼女に僕は困惑する。宇宙空間でロボットが射撃をしているそれは、恐ろしい事に一発の打ち洩らしもなく進んで行った。

 

「ほら、じゃあここから。やってみて?」

「え? えっと……、こ、こう?」

「違う違う、それじゃ……、あー死んじゃった。上の方にアイテムあるから、それに当たりなさい?」

「アイテム……? あ、復活した」

「ここのボス、一気にライフ削りに来るから注意よ。本体にぶち当たるとその時点でゲームオーバーだから」

 

 あ、あれ?

 

 なんかしらないけど饒舌で、そしてものすごく楽しそうな笑顔を浮かべながら解説する捜査官。いや休日のせいなのだろうか、以前と昨日と、受ける印象がまるで違う。

 

「ほらほら、死ぬが良いわ!」

 

 まるで違うっていうか、違いすぎる。

 

 何と言うか、ものすごくはっちゃけていた。

 

「しょーりゅーけん!」

「ぷよ癒されるわー」

「やった! ノーミスで撃墜ぃ!!!」

「やっぱこの『村』だけは難しいわね……」

「チャンバラはお好き?」

 

 その後も何度も何度も、複数のゲームの間を行ったり来たり。時には明らかに不良っぽい学生っぽい人達に混じってゲームしたりして(しかもそれでそこそこ相手と仲良くなってる)、正直言うとかなり、唖然とさせられた。

 

「あー、面白かった」

 

 そんな小学生並の感想を吐き出す彼女だったけど、一部のゲームスコアが最高得点になっていたりと、もうなんだか、色々おかしい。奢ってもらったとかそれ以前の問題として、僕はただただ何も言えなかった。

 「ん?」と振り返る彼女。

 

「あれ、霧嶋君。面白くなかった?」

「えっと……」

「あー、ならごめんなさい。若い人はほら、ゲーム好きだと思って……」

「僕、お金あまりないんで……。 

 えーっと、ゲーム、お上手なんですね?」

「そりゃまぁ、たしなみ程度には」

 

 明らかに嗜みの域を超えていました。

 

「ちなみに、どれくらい行ってるんですか? ゲームセンター」

「え、え、そ、そんなに行って無いわよ? 仕事もあるし」

「……えーっと、ん? つまり、仕事がない日は毎日行ってると?」

「だから、そうでもないって」

 

 言いながら彼女は「いやいや~」と困ったように微笑んでいた。

 

「家に積んであるソフトも結構余ってるし」

 

 積んであるって、つまりプレイしていないソフトということか?

 それを休日にプレイするから、そんなにゲームセンターに顔を出していないってことか?

 

 う~ん、何だろう、今まで出会った事のない人種だなぁ……。明らかに捜査官の仕事をしている時の、何十倍も楽しそうな笑顔を浮かべていて。容姿が美人だからか、不覚にも何度もどきりとさせられたりもしたのだけれど。なんだかそれ以上に困惑が……。

 

「あら、どうしたのかしら? 熱?」

「い、いえ、そういう訳では……。

 えーっと、あの、なんで僕を連れていったんでしょうか?」

「?」

 

 何を言ってるかわからない、という顔をされた。そこでそんな顔をされても困る。

 

「えっと……、僕ら、顔合わせるの二回目ですよね? 特に知り合いというほどの接触というか、私的なつながrがある訳でもなく。

 なのに、どうしてなのかなーって」

「あー、それはアレね……」

 

 少しばつが悪そうに、彼女は肩をすくめた。

 

「…… 一緒にゲームセンターに行ってくれるような、知り合いがいなかったし」

「……」

「べ、別に友達がいない訳じゃないのよ? びっちゃん今、子育て中なだけだからね? なんか、前に八区のところの記録荒らしに行ったときも、終始笑顔でいてくれたし。一緒にやってくれなかったけど」

 

 それは、なんだろう。普通に引かれただけなんじゃないだろうか。そう勘ぐってしまう僕は心が汚れているのだろうか。

 

 っていうか子育て?

 ひょっとしてだけどこのヒト、見た目ほど若くない……?

 

「あー、なんかごめんなさいね? 良かったらえっと、そこの喫茶店で何かおごるわ」

 

 本当ならこのまますぐ帰ってしまうのが正解なのだろうけど、流石に僕も喉が渇いて来ているし、ちょっと疲れた。休憩させてもらえるのなら是非もないところだけど……果たしてどうするべきか。

 そう思っていたのだけれど、何も言わない僕を見て少し涙目というか、悲しそうな表情を浮かべた彼女を見て根負けした。……なんなんだろうこのヒト。調子が狂うというか何というか。

 

 店に入る。シックな店内には、何だろう、古いアイドルグループの歌がかかっていた。そしてそれを聞きながら、常連客っぽい男性とマスターの男性とが「10%!」「8%!」とか言い合って、一喜一憂している。何なんだろうこのお店。

 

「はいは~い、こちらになりま~す」

 

 テンションの高めな女性店員が、僕と彼女を誘導する。

 そして案内されたテーブルに対面で着いた時。

 

「あー、そういえばだけど霧嶋くん?」

「何です?」

 

 

 

「貴方――限りなく黒に近いグレイ、よ」

 

 

 そんなことを、先ほどまでのほがらかな表情から想像も出来ないような、冷徹な顔で言われた。

 

 

 

 

 

 

 




常連「マスター、今日の体脂肪率は?」
店主「10%!」
常連「ふふ・・・、8%」
店主「負けたぁ!」

功善「・・・相変わらずだな、あの二人は」


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chap.10 転機と決断 ―― u eden to kniT task ――

すまない、先週思い切り二日でEXTELLAのメインシナリオ四つ全て終了させてしまって、時間がなくって本当にすまない・・・

ネタバレ注意


 

 

 

 

 

 限りなく黒に近いグレイ――。

 彼女の言った言葉の意味を、僕は正確に捉えることができなかった。

 

「えっと……?」

「霧嶋……、霧嶋アラタくん。

 名前を聞いた時に少しだけぴんと来て、調べなおしたのよ。そしたら、過去の都内の喰種関係の事件で数件引っかかった。そのうち――私のかつてのパートナー。私が今追っている喰種に殺された(ヽヽヽヽ)捜査官が、個人的に調べていた事件の一つに」

 

 4区のとある一家の事件をね。

 

 その言い回しをされた途端、僕は寒気を覚えた。

 直接言及された訳じゃないけれど、その言葉に該当する「霧嶋」と名のついた喰種の事件と言えば、もはや一軒しかない。それが文字通り、クリティカルに僕のことを指しているのは、想像だに難くない。

 

 無表情にこちらを見る彼女の様子は、まるでこちらの反応を観察するようなそれだった。

 だからこそ表情を変えてはいけない。いけないのだが――。

 

 

――――アラタ。お前は生きなさい。

――――例え何を犠牲にしても。

 

 

 不意に脳裏を過ぎる、父親の最後の瞬間。

 

「といっても、彼も私も多くは知らないわ。公式発表によれば『喰種に襲われた一家』となっていたってことと。そのうち、子供が行方知れずになっていたということ」

「……」

「こう言っては変かもしれないけど。いえ、きっと貴方はそうであっても認めることはないんでしょうけど。

 一体何があったのかしら?」

 

 その質問に、答える事はできない。

 

 押し黙る僕を見て、彼女は肩をすくめた。

 

「びっちゃん……、(かすか)っていう私の同期がね。さっき言っていた、結婚した友達。

 よく言うじゃない? ほら。守るものが出来ると人間、強くなるって。だけれどそれって、決して『守らなきゃならない』っていう一方的な感覚だけで強くなってるわけじゃ、ないと思うのよ」

「?」

「何かしらそれを守る事が、本人にとってプラスになるんじゃないかしら。守る事が、本人にとってプラスになるってこと。事実、微は『寄り添って』もらいたかったみたいだから――」

 

 私と違って、と。安浦というらしい彼女は、寂しげに微笑んだ。

 

 運ばれてきた珈琲に、僕と彼女は口を付ける。

 

「こうして美味しいって思ったって。やっぱり一人は堪えるものがあるのよ。感想を共有する相手がいなければ。話を聞いてもらえる相手がいないっていうのは」

「……?」

「アラサーの変な話を聞かせて、ごめんなさいね?

 でも、言いたかったのはそういうことじゃないの。つまりね――生きる上でほとんど『どうでも良い』と切り捨てたところで。自分自身にしか心を許さなかったとしても。それでも辛いときっていうのは、あるものよ?

 そんな顔してるわよ? 君」

 

 彼女は気付いていないはずだ。僕が喰種であるという事実に。

 ただ、そうであるにも関わらず――いやそうであるからだろうか。その言葉は、的確に僕の心臓を抉りに来ていた。

 

 一人は、……やっぱり、一人で立つことは難しいんだろう。

 

 こんなにも僕自身が、しょっちゅう心がプラスとマイナスの方向に触れ動き続けているということは。それだけ自分が自分として立つ為の、確固とした安心感がないということなのだから。

 

「詳しい事情は、聞かない。正直そこまで『興味は無い』からね。人が隠したがっている事柄って。仕事なら別だけど」

「……」

「だけど、どうしても辛かったら話してくれていいのよって、まぁ、そんなことを思ってた感じからしら」

 

 彼女はそれこそ人間に。人間相手に向けるような笑顔で、僕にそう語りかけてくれた。

 それが、その懐かしいような表情がたまらなく嬉しく、そしてたまらなく辛い。

 

 表情に、そんな僕の内心が出ていたわけではないだろう。でも彼女は、それ以上この話を続けはしなかった。

 

「で、この間スーファミの――」

「す、すーふぁ?」

 

 ただし、気が付けば夜になるくらいの時間、一方的に家庭用ゲームの話をされたことは、少し恨んだ。

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 雨に濡れながら、都内を走る彼女。ビル街を抜け、何処とも知れず足取りは忙しない。首都高の下を抜け、港を超え。彼女の後を誰かが着けていたとしても、その足取りは何処へ向くかは知らない。分からない。理解できない。そういった、複雑な足取りだ。

  

 太陽は既に傾き、昼間はまもなく終わりを向かえる。

 

 時にもつれながらも、背負った弟を気遣いながら、彼女は何処かを目指す。急ぎながらも息は上がらず。そこまでの速度は出すことは出来ない。背負った弟の顔色は白。力無くだらりと垂れた腕から彼の現在の状態が理解できるだろう。だから、姉は焦っていた。

 

 昨日はそうではなかった。そして、今日突然そうなった。

 彼を助けた誰かは、自分が怒りに任せて追い返してしまった。言いすぎた自覚はあった。あの時の、唖然としていた彼の顔を覚えていた。だから、彼女は彼から事情を聞けない。彼が来る事に期待は出来ないし、そもそも合わせる顔が無い。彼女自身、自覚が薄いことであったが、今の生活において、彼女は意外と俗世に染まって居た。つまり、世間一般の人間的な情緒という概念が、本人が自覚する程度には生まれていた。

 

 悪い事をしたら、悪い事をした自覚があり。

 謝るべきという感覚はあっても、それでも謝ることが難しい。

 

 そういった子供っぽい意地は、文字通り現在の彼女の状況に直結しているところであったが。

 

 でも、そんな意地を通さなければ今日まで彼女達は生きられはせず。それもまた事実だった。

 

「嗚呼……、死ぬなよ、レン……ッ」

 

 そしてやがて、彼女は辿り付く。電車を使えず、張りし続けた先。「20区」。その一角にある、中華風の町並みの一軒。周囲に比べれば背の高めな建築物の中に、彼女は足を踏み入れる。

 

「――!」「――――、――――!」

「悪い、何を言ってっかわかんね」

 

 中ではスーツ姿の男達が、唖然としながらも彼女目掛けて襲いかかる。警棒だったり、刀だったり。拳銃がないのは、何か理由があるかは定かでは無い。

 それらに対して凡庸な口ぶりで言いながら、「ばちばち」と指先から「電気のような何か」を放つ彼女。直撃を受けた真正面の男は壁まで弾き飛ばされ、周囲の椅子だの何だのを巻き込みながら壁に激突した。

 

 血を噴き出す男。周囲が見れば、彼女の目は「緑色に」輝いていた。が、それも数秒。わずかな時間をおいて、その色は赤黒く――喰種らしく変色した。

 

 それを見るやいなや、全員が全員、背部から触手のようなそれを出し、目を彼女と同様に光らせる。それを見てにやりと彼女は笑う。

 

 瞬間、その目が緑に輝き――、彼らの視界から消えた。

 

 何が起こったか理解できない数人は周囲を見回そうとしたが、その暇もなく体の体幹が「左側に」傾いた。何事かと足元を見れば。自分の前方、空中に舞う「左の膝から下」。それを認識した瞬間、痛みが走った。 

 悲鳴が全員から上がる。そしてそれをした張本人は、ばちばちと音を立てながら「ブレーキでもかけるように」踵を立て、いつの間にか階段の踊り場に立っていた。足元の赤い絨毯には黒い焦げ跡。

 

「遅い。私とやりあうってんなら、あと『五秒は』早く動かないと」

 

 鼻で笑いながら、彼女は階段を更に上る。その先には、六つの尾を持つキツネの紋章の描かれた扉。

 それを蹴り飛ばし、彼女は睨むように前方を見た。

 

 そこには数人の男達が折り――その中でも奥に居た、赤いスーツの青年が彼女を見て、にやりとした。

 

「どうした? そんな顔をして」

話が違う(ヽヽヽヽ)

 

 睨みながら言う彼女に、青年はにやりと笑う。「まぁ座れ。おい、そこ退け」

「ー―――?」

「何者ですか、じゃねぇんだよ。郷に入っては郷に従えだ。日本語でしゃべれ」

「し、しかし……」

「気をつけろよ。そこの姉ちゃん、お前ら全員が束になってかかっても『五秒前には』やられたことにされちまう」

「は」「は?」

「それくらい強いってことだ。わかったら誰か椅子持ってくるかどくかしろ」

 

 青年の言葉に従い、男達はおずおずを席を譲る。彼女は背負った弟を、ソファの上に寝かせた。

 サングラスを少し下ろし、青年は赫眼を向ける。

 

「私がアンタらに従ってるのは、安定して食料をもらうためと、何かあった時にアンタらが手を貸してくれるから」

「何が違う? お前が前に、そこの弟が白鳩に目をつけられたと言った時点で、俺達は捜査官を殺せるだけ手を貸したはずだが」

「ならなんでレンがまた襲われてんだ!」

「そこまで面倒見切れねぇよ。……見せてみろ」

 

 席を立ち、弟の方に近寄る男。一瞬それに姉たる彼女は睨みをかけるが、止める事はしなかった。

 男の顔色を見て、彼はため息をついた。

 

「……栄養不足だな」

「んな訳ねぇだろ、きっちり食ってるぞ」

「だったら抑制剤でも打ち込まれたんだろう。心当たりはあるだろ? その可能性を」

「……否定は、できないけど」

 

 彼女は知る良しも無い。弟本人も気付いてはいない。しかし確実に戦闘中、少年と対した捜査官の弾丸は、彼の赫子をかすめ――うち一発は、赫子の中に弾丸の「半分が」めり込んでいた。

 それが彼の体内で、時間をかけて炸裂したのだろうということを彼女は理解できていない。青年もそれを理解はしていないが、しかしにやりと笑った。

 

「強いて言えばお前は今、せいぜいアルバイトだ。俺相手に直接乗り込んで来て、生活の頼みを言ってきた相手は前にも後にもお前だけだ。気質さえ合えば『お嬢』相手にもやりあうだろう相手だ。

 そこが使えると判断して、俺はお前を雇ってる」

「……」

「だから、それ以上の待遇を望むなら、それ相応に面倒は負ってもらう。

 コイツの治療を、我々の組織で受け持てというのなら、な?」

「…………」

 

 彼女は何も言わず、男を睨み続ける。一触即発という状態。 

 

 そして、瞬間彼女が消え――。

 

 

「――!?」

 

 室内一帯に、これまた一瞬で「有刺鉄線」のような何かが張り巡らされ。

 それにからめとられたように、彼女は地面に転がった。腕を、足を押さえる。からみついた、己の肉を抉らんとするその赫子を相手に。

 

「他の奴はともかく、俺はお前に対して『致命的に相性が悪い』。そのことは理解しておけ」

「……ッ」

「どれだけ早く動けようが、そもそも『お前の認識以上』に動かれればそれで終わりだ。

 こういうようにな」

 

 背中から羽根のような赫子が。羽根のようでいて、しかしトゲのある、鉄のような重量を感じさせるそれが展開される。青年は見下すように彼女を見て、そしてその眼前に赫子を振り下ろす。

 

「気が長い方じゃない。短い訳では無いが、何度も聞きはしない。

 取引だ――ナルカミ(ヽヽヽヽ)よ」

「……ッ」

 

 現在の選択肢において。彼女が――四方ヒカリがとれる選択は、そう多くは存在しなかった。

 

 

 

 

 

 



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chap.11 いい ―― I i ――

:re ノベライズのハイルが本編より可愛い気がするです。あとちえちゃんメイド服カワイイヤッター!

※カネトーしたくなったので、√B最後にクリスマス特別編投稿しました


 

 

 

 

 

 ついに包丁を握らせてもらえることになった。

 正直に言えば、自分なんてまだまだというか、入ってからの年数も下の方。上にヒトはそれなりにいて、まともに厨房に入る機会もそうそうなく、まだ見極めというか、そういうところからだったのに。どういう風の吹き回しか、気が付けば大将から包丁を手渡されていた。

 

「やってみろ」

「へ? えっと……」

 

 視線を周囲に漂わせても、周囲の先輩たちからも何故か意味ありげに頷かれる。今日は僕以外の、アルバイトの女の子たちはいない。完全に料理人たちで職場が満ち満ちている。

 

 自分はその空気に押し負けて、魚に包丁を入れた。

 正直、味については全く理解できない世界であるものの、匂いに関してだけは理解が深くなった。人間とは違い、不快感でものを知覚するため、その精度は高いようだ。

 

 事実、血線もすぐにいくつか見つけ、ピンセットを使わせてもらっている。

 握らせてはもらったもののお客様に出すように、ということではなく、どれくらい技術を吸収してるかの確認ということなのだろう。

 実際、まだまだお店の受付とか会計とか、そこの周りの事が店内では中心の作業だ。その合間合間、見れるタイミングで料理の仕方を見たり聞いたりといったところなので、技術的には推して知るべし。

 

 ただ、それでも切り分けて、飾り付けた刺身の赤身をとって、大将は面白そうに頷いた。

 

「やっぱこう、着眼点が悪くないよな」

 

 次々に数人、先輩達が似たような意見を出す。どうも、意外と上手くいっていたらしい。

 まだ客に出せるレベルじゃないと前置きこそされたものの、今後本格的に調理を仕込んでもらえることになった。

 

「たぶんお前、その気になったらあっという間に上達するぞ」

「そうそう」「なんだかんだ失敗もないしな、あんまり」

 

 今後、とはいったものの具体的なタイミングまではまだ決まっていないらしい。基本的に料亭は椅子のとりあいというか、役割というものがかなり厳格に決まっている。正式に修行する段階にない自分だったが、色々あって末席くらいに数えられてもらえたらしい。それはありがたい。ありがたいのだけれど……。

 

 こればっかりは、ちょっとガマンしないといけない。

 大将が「まかない」をふるまってくれることになった。切り落とした魚の頭とアラを使った、簡単な汁物。この形容詞がたい、痛みこそ無い拷問を何と表現すべきか。

 

 いや、そうじゃないのだ。本当の意味での拷問というのは、そういうことじゃない。

 

 周囲の誰しもが美味しいといっている最中、一人だけその喜びや感動を共有できない。この現状こそが、自分にとっては拷問なのだ。

 

 ありありと。自分自身の体感と、周囲との関係とに根ざして思い知らされる。

 それこそ日ごろから何度も何度も体感するその感覚は、ことここに来てより一層強く自分を蝕む。

 

 

 自分は人間じゃないのだと。

 

 どんなに焦がれ、望んだところで人間ではないのだと。

 

 

 営業時間というか、雇用契約の周期の関係で自分はまだ早上がりだ。だからまかないを食べ終わると、自分は店を出る。他の人達は、食べた後にもう一仕事と張り切るのだけれど、それを遠目から見るのが、今の心境とに密接に絡んで、痛い。

 

 でも、自分は今の生活を離れるつもりはない。

 

 色々な理由から、今の生活を離れる理由がないのも大きいけれど――やっぱり、慣れ親しんでくれる、自分を受け入れてくれるというのが、ありがたいのだ。

 

 食事関係の事情からも、今の立地がかなり理想的だというのもある。

 

 自宅からここまでの距離は、最悪、食欲が暴走しかけても、「全力で」走れば五分とかからない距離だ。

 

 実際、アルバイトまがいの状態から少し進歩するので、そこも色々考えないといけなくなるだろうけれども。

 

 

 だからこそ。そんなことを考えながら歩こうとしたとき。

 店のすぐ近くで、自分のことを見ていたヒカリさんに、言葉を失った。

 

「……」

 

 ヒカリさんは何も言わず、じっと自分の方を見ている。

 服装は黒い、いつか見た外套。頭は今日は染めてなくて、これではまるで初めて自分が襲われたときのそれだ。

 

 そんな服装のまま、ヒカリさんは僕を観察するように、遠目で見ている。

 

 思わず、自分は立ちすくんでしまった。何故かといえば、漂わせている雰囲気の問題だ。時刻は既に夕暮れを過ぎ、日の光がない。まだぼんやりと青みの残った夜空に、人影が段々と少なくなっていく、そんな最中、以前見た殺気を漂わせて居るような彼女の姿。嫌でもあの時、初めて彼女に会った時に襲われたときのことを思い出す。

 

 そして彼女は、自分の姿を見ても、態度を変えなかった。

 固まる自分に向けて、彼女が足を踏み出してくる。

 

 一歩、一歩と距離が縮まるそれに、どうしてか自分は恐怖心を抱いた。

 

「――! あ、ちょ……ッ」

 

 何も言わず、ヒカリさんは自分の腕を掴み、歩き出す。どこへとも、何をとも言わず、ただただ無理やり自分の腕を引く。

 

 ここまで物騒な雰囲気を漂わせていないのなら、自分は色々と大歓迎だったのだけれど。とてもじゃないけれど、そんな平和ボケした感覚で居られるほど、穏やかじゃないことくらいわかる。

 

 ヒカリさんは本当に、うんともすんとも言わない。

 

 困惑を通り越して、僕は不気味にさえ思った。

 

「あの、ヒカリさん?」

「……」

 

 剣呑な声も。睨み返すことさえしない。

 

 こちらとのコミュニケーションを放棄しているようなその様子に、自分は不安感を抱く。

 

 

 そしてそうこうしているうちに、自分の家に。

  

 そしてヒカリさんは、爆弾発言をした。

 

 

「――」

「……へ?」

「いいから」

 

 いやいや。

 

 何を言ったか聞き取れなかったが、彼女はさも当たり前のように「文句あるの?」と追求を許さない態度。 

 

 固まる自分を前に「事情話すから」とだけ言って、彼女は階段を上って行く。

 

 あっけにとられながらも、確かに事情は知りたいので自分も後を追った。 

 

 

 

「せま」

 

 部屋の中に入るなり、ヒカリさんはそう言って、少しだけ笑った。

 少しだけむっとなり、自分の反論もとげっぽくなる。

 

「そりゃ、贅沢も何も言ってられませんからねぇ」

「コンテナいいよ、おすすめ。応用けっこう利くし」

「あいにくと法令順守の姿勢なもので。

 ……それに、なんだかんだでここも短いようで長いし」

 

 そう言った自分に、彼女は振り返って。

  

 

「……今日さ。アンタが包丁使ってるの、見た」

 

 

 ヒカリさんは、そんなところから話を始めた。

 何を言いたいのだろうといぶかしがる自分のことなど、彼女は気にも留めず進める。

 

「お店のヒト相手に、料理してるの」

「ああ、はい、どうも」

「楽しそうだったわね、アンタ」

 

 そりゃ、まぁ……。 

 

「なんで?」

「……なんで、とは?」

 

 質問の意図がつかめない。

 自分の反応に、彼女は肩をすくめた。

 

「大嫌いって言った手前さ、変に感じるかもしれないけど。

 なんとなく通りがかり、目に入ったからさ。知りたくなった」

「8区に用事が?」

「食いつくところおかしいから」

 

 へへ、と力無く笑うヒカリさん。その様子を見ると、ひょっとしたら怖い顔をしているのではなく、単に疲れているだけなのかもしれない。

 愚痴の相手を頼まれていたのだろうか。そう考え直し、自分は冷蔵庫から水を入れて、彼女と自分の手前に置いた。

 

「楽しいかどうかと、言われても……。んー、強いて言うと、普通?」

「普通?」

「そうあるものだ、っていうのが、まぁ、普通かなーっていう認識です」

「じゃあ、なんで普通なの?」

「なんでって……」

「私達、喰種じゃん。そういう意味からすると、アンタ喰種っぽくない、喰種っぽくないと思っているけどさ。本当に喰種なのか心配になってくるような気がしてくる」

「いやいやいや、それは流石に……」

 

 確かに、そうあって欲しいと思った事は何度もあるけれど。

 でも、それこそ誰に言われるまでもなく、自分が何なのかは充分理解している。

 

「ちゃっかり普通に、住居借りて住んでるし」

「まぁ、そこは……。お陰で貯蓄あんまりないんですが」

「まぁ貯蓄したところで、使い道もそんなないってのはわかる。わかるけど、でも、あえて人間の中で生きるって言うのが、私はよくわからない」

 

 この時の僕もよくは理解していなかったのだけれど、喰種の中のも一定数、人間に興味をもつ割合があるらしい。自分は純粋に、その話を聞いて「へぇ」と思った。

 

「……って、いや、反応それだけ?」

 

 文字通り「へぇ」としか言わなかった自分に、ヒカリさんはがっくりしている。

 

「いや、だってその……」

「まぁ、ある意味アンタに近いわけでしょ? そういう趣味趣向というか」

「でも――」

 

 

「――ヒト、食べるんでしょ?」

 

 

 自分の続けた一言に、ヒカリさんは目を見開いて固まった。

 

「死なないために、喜んで食べるんでしょ? 自分が『喰種である』っていう前提を崩さない範囲で、人間に興味があるってことでしょ?

 だったら、僕とはちょっと違うかな」

「……じゃあ、アンタは何なの?」

 

 当然の疑問だろう。今の話の流れからすれば。

 だから僕は、不自然にならない範囲で彼女の質問に答えた。

 

「死にたいよ」

 

 ヒカリさんは、一瞬何を言われてるかわからないって顔をしていた。

 

「ヒトを殺さないと生きられないくらいなら、死にたいよ。本当は。

 でも、死んだらいけない。それだけは守らないといけない」

「……なんで?」

「父さんと、約束したから。一方的にだったけれども」

 

 思わず苦笑いがこぼれるのも、仕方がない。数年前。家族三人でひっそりと暮らしていて。ある日突然その全てが覆されて。今際の一言として、父親は自分にこう残した。

 生きろと。何があっても生きろと。

 

「僕の人生はまぁ……、それを言われる前と後とだと、状況が大きく違いすぎちゃっていてさ。

 まぁ色々理由つけて死なないことにしてるけど、でも、死にたいっていうのは本当」

「……それ言って、ヒトが嫌な思いするの、見てて楽しい?」

「楽しくはないよ。でも、誠実に答えたいから」

 

 僕はヒカリさんの顔を見る。

 怒っているような、困惑しているような。それでいてやっぱり疲れた表情をするヒカリさんに、自分は笑いかけた。

 

「本当はさ。人間だったら良かったって思うんだ」

「?」

「そうすれば、みんな、あんなことにならなかったのに」

 

 あんなことって何よ、とヒカリさんの目は語るけど。悪いけれど、詳細までは話す気にはとてもなれない。

 ただただ、それまでの人生全てが消えてしまって。放浪し、今に行きつくまでに迷いに迷い続けたなんて話は、語るものでもないし、語りたくもない。

 

 ただ一つ言えるのは、今の自分を形成するのにその出来事は不可欠で――それを経験してしまったという事実だけで、思わず死にたくなってしまう自分がいるということだ。

 身投げとかはしたところで、決して死ねはしないのだけれど。

 

「……やっぱ、わかんね」

 

 ヒカリさんはしばらく沈黙した後、恐る恐る続ける。

 

「じゃあ、さ。アンタ、それ、許されるの?」

「……許されるとは?」

「もし……、人間みたいに生きられたとして。今まで殺してきた奴らのこととか、さ」

「それは、許されないんじゃないかな」

 

 少しだけ嫌な想いをしながら。

 でもヒカリさんの言葉から真摯な何かを感じ取り、僕は続けた。

 

「少なくとも僕は、そう思う」

「……」

「と、いうのもさ。本当なら、許す許さないの問題じゃないと思うんだ」

「どゆこと?」

「結局のところさ。喰種自体、対策法なんてものがあるくらいだし、そういう意味じゃ僕らは、存在自体を人間社会から許されてはいない。

 でも……、それでもなお生きようとしている時点で、『そういう』社会的な、許す、許さないという次元じゃなくなってると思うんだ」

 

 つまりは、気持ちの問題なのだ。

 

「……許されないと、自分が思うから、許されないってこと?」

「例えば、自分が殺した相手の、家族とかがさ。自分のことを恨んでいたら。それは、その恨みは甘んじて受けなきゃいけないんだと思う」

「自分だけじゃないってこと、か……」

「ヒカリさんは、どんな言葉を投げかけて欲しい?」

 

 僕の質問に、彼女は身体をびくり、と震わせる。

 でも、動揺みたいなものは見せず、悲しげな表情を浮かべた。

 

 それを見て嗚呼、いつだったか彼女が言っていた言い回しを思い出した。

 

「何があったのか知らないけれどさ。でも、僕は、そういうの察することは出来ないから。

 だって、僕とヒカリさんは、別なヒトだし」

「……そりゃ、そーだろけどさ」

「そもそも、察することが出来るほど人間関係多くもなかったし」

「そりゃ知らねーけど」

「だから、どうしたい?」

 

 ヒカリさんは膝を抱えて、そこに頭を乗せる。額をひざに乗せているので、表情は窺えない。

 僕も彼女も、しばらく沈黙する。やがて顔を上げたヒカリさんは、無表情だった。

 

「……ない、な」

「?」

「いや、その、別に投げかけて欲しい言葉はないっていうか……。

 単純に、アンタならどう考えるか聞いてみたかっただけだし。そういう意味じゃ期待外れだったけど」

 

 勝手に期待されて、勝手に期待外れ呼ばわりされても困る。

 

「それは、ごめん」

 

 思いのほか、ヒカリさんは素直に謝った。笑うとかすることもなく、元気なく言うその様は、やっぱり何か変だ。まだまだ少ない期間の付き合いだけど、明らかに様子がおかしい。

 でも、それを追求してもこの様子だと何も言わないだろう。それくらいは、自分にも覚えがある。

 

 とりあえず冷蔵庫から水をすすめつつ、冷蔵庫から「ジャーキー」もどきをとってきて、皿の上に何枚か乗せた。

 

「……アンタ、ちゃんと肉あるじゃん」

「一応は。あんまり無駄遣いできないんだけど」

「どういうこと?」

 

 僕は自嘲げに笑った。

 

「―― 一人」

 

 何を言われてるか、ヒカリさんは理解できていない顔をしていた。

 

「一人だけだから。僕が、この六年で殺したヒトは」

「……は、はァ? いや、そんなもの持つ訳が――」

「それは、赫子を出すからだと思ってます」

 

 喰種が人間を食べるのは、RC細胞を補給するためだと言われている。

 人間よりも効率的な肉体を持つ喰種が、何故何人も人間を殺すのか。大量に殺して自己顕示欲を満たしたいというのもあるかもいしれない。けれどやっぱり理由としては、お腹が空くからだろう。

 

 でも、僕はこれがおかしいと思っている。

 

 本来なら、それこそヒトを食べて一月くらいは持つのが喰種なのだ。

 だったらば――バイトの子が慣れずに指先を切った時の血を舐める程度で。それに加えて一人の肉をほんの少しずつ食べ続けることで。それこそ六年くらいは、普通に持つはずだ。

 実際、最近まで持ってはいたのだ。ここ最近までは。

 

「だったら私なんかに出すなよ。大事にとっとけよ」

「それは、そうなんですけど。でも、なんとなく出さないといけないかなーって」

「なんとなくで出すなよ。自分の首、しめてどーすんのさ」

 

「――友達を慰める手段がないんなら、これくらいはしないと。

 人間関係は、支えあいが基本でしょ」

 

 僕の言葉に、彼女は顔をこわばらせて。

 

「そりゃ、そうかもしんないけど……。

 アンタこう、結婚とかしたらいい主夫なれそうね」

 

 でもここで、ヒカリさんはようやく楽しげに笑った。力無く、でも少しだけ喜色のにじむそれに、自分もつられて口元が緩む。

 

「よくわかんないけど、アンタはアンタなりに向き合ってるのね。自分に。

 って、そりゃそうか。そうじゃなきゃ、一人では生きられないし」

「そこまで向き合ってるとか、いう感じでもないかなーと。

 ヒカリさんの方が、そういうのは――」

「あー、アタシは駄目」

 

 ヒカリさんは、今度は自嘲するように笑った。

 

「色々エラソーなこと言ってるけど、結局、その場その場に流されてるだけだから。

 今だって……」

 

 いただきます、と、ヒカリさんはジャーキーもどきを口に入れた。

 

 結局それから、僕らは会話することはなかった。すこしだけヒカリさんは、膝を抱えたまま僕の部屋に居て。包丁を研いで魚の三枚下ろしを練習している僕を、ちょっとだけ興味ありそうに見て。

 

 対した会話もなく、彼女は帰って行って。

 

 

 

 翌日、店内のテレビ放送で、8区の捜査官が大量に殺されたという報道を聞いた。

 大勢、一般人が巻き込まれたと報道されていた。

 

 

 

 



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chap.12 存在の証明 ―― is no aziS no homes u ――

安浦さん強すぎ問題再び


 

 

 

 

 

 簡単に言えば、結果が出た。 

 

 阿藤くんは早々に負傷し、入院している。望願くんを呼ぼうかと思いもしたけど、あちらもあちらで色々大変らしく、後任が来るまで待機しているようにと言われてしまった。

 冗談じゃない。

 

 せっかく相手が何者か特定できたというのに。まだ足跡を残している段階だというのに。わざわざ手をこまねいて逃がしてしまうなど、もってのほか。

 お役所的体質を、戦闘屋が持ってはいけないでしょ。例え球切れになっても現地補給はシューティングの基本だし。まぁ横スクロールだから、どこに残弾があるのかわかりやすいけど。

 

 だからこそ、私は迷わない。

 まぁ、あんまりやんちゃしすぎるといよいよもってクビになっちゃうから、そこはちょっと気を付ける。具体的に言えば、ちゃんと手順を踏んで、戦えるような準備を伴って。

 

 びっちゃんと愚痴っていたことも幸いしてか、動けるようになるのに三日。

 

 場所は2区の、某大型市場近くのコンテナ。現在改修作業に入るか入らないかというところ。

 

 元々の状況が状況だったからこそここを選んだ、という側面もある。

 けれど、本丸というか、主目的はそこじゃない――。

 

 

 

「……やって来たわね」

 

 

 コンテナの向こうから現れた、黒いコートの喰種。白い髪、顔の前半部を覆うドクロのようなウサギの仮面。

 聞いていた「ナルカミ」の情報と一致していることから、阿藤くんが上手い事やってくれたという確信を私は得た。

 

 ナルカミによる襲撃は、既に三回行われた。

  

 一回は局。一回は町中。

 そして一回は、海外勢力との戦闘中。

 

 彼女が相手に味方するようにいたせいで、局での方針が「ナルカミ」単体の駆逐でなく、クロノテイルを含めた駆逐、もしくは捕獲して情報を引き出すって形になっちゃって、ちょっと面倒だったけど。

 でも、二回目で仕込みは出来ているはず。

 

「……」

「初めまして、でいいのかしら。こうして顔を合わせるのは初めてのはずよね」

 

 

 答えない彼女に、私は少しだけ肩をすくめた。顔が無表情になるのは、仕事だから、という以上の感情はない。感情はないけど、相手はおそらく、それどころではないはずかしら。

 

「ヒカリちゃん、で良いかしら?」

「――ッ」

 

 私の言葉に、明らかに彼女は動揺した。

 それは、本来なら彼女が私に知られていないと思っているだろうものだから。私も偶然当たりをつけただけなので、あんまり偉そうなことは言えないけど。 

 ただ残念なことに、何故私が知っているのか、といえば、ひとえに彼女が勤勉だったから、と言わざるを得ない。

 

 そういう意味では、「社会人として」の彼女はごくごく当たり前の女性であったのだろう。

 

「人間の記憶って、馬鹿にならないものよ?

 これ――」

 

 私がビニールから取り出したのは、とあるレーシングクラブのダンボール。

 そこの経営者の方と、懇意にしていた少年の喰種――つまるところ「彼女の弟」。

 

「たまーに貴女、迎えにいっていたんでしょ? 弟君」

「……」

「なんで名前がわかったのかって言えば、世間は狭いというか、そこのオーナーの奥さんが、貴女の上司なのよ」

「――!? いや、だって別姓……」

「珍しいとえいば珍しいけど、まぁ、職場とかだとあるのよね。苗字が変わって担当者が変わると面倒だから、そのまま前の姓で通すって」

 

 そういう意味では、びっちゃんと結婚した呉緒君なんかは、そんなに影響がなかったと言えなくもないかしら。まだそんなに名前が通っているわけじゃないし。斎君あたりは、もう真戸呼びしはじめてるし。

 彼女にとって不幸だったのは、そういう風習みたいなのがあるっていうのを知らなかったこと。確認が足りなかったということと、まぁ、せいぜい区を一つまたいだ程度の範囲で活動していたっていうことかしら。

 

「貴女が誰か特定するのは、そんなに難しくはなかった。

 問題はまぁ、アレよね。どうして今になって、あんなに慎重だった貴女が、大勢殺すような真似をしたのかってところかしら。

 貴女別に、捜査官だけ集中的に殺すつもりなんてないでしょ?」

「……黙れ」

「目立つことはしてなかった。というより、自分たちがやったって情報もほとんど残さないよう殺すのが基本だった。

 例外的に何件かはあるけど、まぁそれは本意ではなかったんでしょう?

 なのに真昼間から局に襲撃をしかけて、あまつさえ映像に残りながらね。

 それでも私の後輩を殺さなかったのは、手紙のお陰なんでしょうけど」

 

 そう、手紙。

 私は彼女に宛てて手紙を書いた。日時と場所と、ここに来ないと何が起こってもしらないという文章を。

 

 手紙を出す以前に、一度私は彼女達が住んでいると住所に書いてあった物件に行った。そこで、借りられてはいるものの、電気、水道ともに全く支払っておらず、倉庫のように使っていることを聞いた。

 後は、その周辺に拠点を構えて、倉庫のように使っている相手を張っていれば、おのずと結論は見える。まさかコンテナというか倉庫というか、間借りして暮らしているとは思わなかったけど。

 

「社会人的に、普通逆じゃない? って思わなくもないけど、まぁお金もないんでしょうし、仕方ないかしら」

「……」

「じゃあ、取引をしましょう」

「?」

 

 ヒカリちゃんは、私の言葉に疑問を抱いたらしい。

 私は表情を崩さず、右手の人差し指を立てた。

 

「――私の要求は一つ。

 貴女、私達に捕まってくれないかしら」

「……取引って言ったな。見返り何よ」

「その代わり、弟君には手を出さないわ」

「信じられるか……ッ」

「あら、これでも私、喰種相手には約束守る方よ?」

 

 まぁ100パーセント守るとは言い切れないけど、履行率は80パーセントを超えてると自負している。さすがに取引直後に同僚とか他の捜査官が来ちゃったら、クビになりたくないからそういうことがなければケースバイケースかしらね。

 ……そう考えると、阿藤くんの前の彼。ヒカリちゃんに殺されちゃった彼は黙認してくれていて、かなり都合の良いパートナーだったんだけど。

 

「私に下されている指令は、貴女を殺すか、捕まえる事。貴女の弟君までは目標になっていないの」

「……」

「元々、私が貴女の弟君を狙ったのも、貴女を捕まえるため。

 そういう訳で、良いかしら?」

「――駄目」

 

 言いながら、彼女は体を傾けて、こちらを睨むように見る。

 

「アンタが言ってるのは、『今は』ってことだろ?

 それに――今、弟は手が離せない状態。アンタらのせいで、治療してもらってる」

「……あらあら、廻り合わせが悪いわね?」

 

 私の立場からすれば、ヒカリちゃんさえとっとと捕まえられれば弟君の方はどうでも良かった。でもいざ彼女を捕まえられるタイミングになったら、彼女が自由に離れられない状態。

 まぁ、どちらにせよ交渉は決裂したんでしょうけど。 

 それがちょっと残念で、ちょっと面倒。

 

 まぁ、仕方ないかしら。知的生命体同士といえど、立場は立場よね――。

 

 

 私が構えた瞬間、ヒカリちゃん――ナルカミは距離を詰めた。

 気が付けば鼻先にはスニーカーの靴裏。瞬間的に上体を逸らしながら、手に持っていたダンボールで彼女の胴体を殴る。

 

 うめき声一つ上げず、逆にそれを利用して上空に飛び上がる彼女。そのまま右手を振り被るように構えて――。

 

 瞬間的に赫子を使われると判断し、私は地面に置いてあった旅行カバンを振り被り、盾のように構えた。案の定、空から赤い弾丸が降り注ぐ。一つ一つはダイアモンドというか宝石みたな感じで、結晶みたいになっていた。

 

 それを掻い潜れば、落ちる彼女の片足蹴りがキャリーバッグに激突。

 反動でぶっ飛ばされるそれを一瞥して、私は足元のアタッシュケースを開けながら、蹴り終わり空中を舞う彼女目掛けて投げつけた。

 驚いたような顔をしながら蹴り飛ばす彼女。と、空中を舞っていた二丁拳銃とポーチを手に、眼前の彼女の胴体目掛けて乱射。 

 

 流石にたまらないと見えて、彼女は赫子を盾みたいにしながら、地面を蹴りこちらと距離をとった。

 

「……、アンタ本当に人間?」

「ええ。まぁ、ちょっと仕事が嫌いな」

「嫌いって割に強すぎるんだけど」

「練習してるからかしらねー。まぁ、書類整備やってるよりは銃握ってる方が楽ではあるけど」

 

 あんまり頭使わなくて良いし、と愚痴をこぼしつつ、私は銃の弾装をポーチから取り出す。銃底で叩いて、とりつけてあるそれを空中に投げ出す。回転するそれ目掛けて、空の弾装を捨てた拳銃の底をぶつけるようにして装填した。

 一片たりとも彼女から目を離さない。そんな私の様子に、いえ、どちらかといえば「それが実現できてしまう私に」、彼女は形容しづらい、微妙な表情になった。

 

「――ジョーダンッ」

 

 笑えない冗談だ、といったところかしら? その言葉の意図は。

 まぁ確かに、後輩に教えていてあんぐりされることもあるけど、斎くんとかちゃんと着いて来てくれてるし、たぶん大丈夫大丈夫。生身で大気圏突入とか出来ない、普通のヒトですからねーっと。

 

 そんなことを考えながらも乱射する私に、彼女は彼女で反応できないように見える。厳密には防戦に集中していて、攻撃の準備にかかれないといったところかしら。

 

 まぁ、私も私でそんな隙はあたえない。片方が切れるタイミングで弾装を叩いて取り替えてを繰り返してるので、そうそう切れる事はないだろうと。

 でも弾丸も有限だし、いつまでも乱射していてはいつか切れるから――。

 

 視線をわずかに、キャリーバッグの方にふる。 

 すると、その一瞬目掛けて彼女が急接近してきた。

 

 その、私から隠れていた右手に、ほとばしる閃光を隠しながら。 

 

 ばちり、ばちりと。電気が放電するような、そんな音。アーケードの格闘系でよく聞くような、そんな感じの音に、私はためらわず拳銃を投げた。

 マスク越しだけど、驚いたのがわかるうめき声。咄嗟に相手も隠していた右手を、反射的に突き出してしまったみたいね。

 

 

 手元から放たれる、電気を帯びた赫子の結晶。

 拳銃目掛けて放たれたそれは、正直に言って目で追えない程度には速かった。

 

 

 そしてまた、激突した瞬間に周囲に電気がほとばしること、ほとばしること。

 

 一応対策として、胴体に「それ用の」チョッキをまとっているから良いものの、ちょっと、久々に命の危機を感じた。 

 ただ、同時に連発は出来ないみたいだというのも察知した。この一撃を放った彼女の構えが、明らかに慣れてないように見えたから。

 

 この様子だと、足を止めて射程に相手を収めた上で放つのが、本来の使い方といったところかしら。

 

 まぁ、大人しく待ってあげる通りはないけれども。

 残った方の拳銃の銃底で、彼女の左頬をぶん殴る。この距離だと銃を構えてから撃つ動作より、腕を振り回すだけの方が速いからだ。

 

 マスクが砕ける感触とともに、彼女の移動ベクトルが横にそれる。それでも赫子を展開して、こちらに射撃しながら飛び上がった。

 負けじと私も乱射。かわしながらなものの、今度は何発か当たった手ごたえが在る。

 

 ……ちょっと、ストッキングが切られた。足にダメージがないのが幸いだけど、やってくれるじゃない。これ地味に高いのに。

 いえ、ひょっとしたらわざとかしら? 見れば彼女のコート、中々良いものだし。

 

 ぐらりと、体を少し傾けながら立つ彼女。破損した仮面右半分から覗く顔は、まぁ、何というか、そこそこ綺麗な顔立ちをしていた。

 

 その目に映るのは、強い意思。何としても勝たなければならないという、確固たる意思。こう、RPGとかで魔王相手に剣を構える勇者とかって、こういう顔してるんじゃないかしら。

 ってことは、私、魔王ポジション?

 あら嫌だ、プライベートの時間に仕事が食い込んでくるのが悪いんだわ。はやく帰って続きやらないと。

 

「……アンタは、なんで戦うんだ」

「仕事だからに決まってるじゃない」

「…………言葉が、軽い」

「それは、まぁ、仕方ないんじゃなかしら」

  

 肩をすくめると、思わず無表情だった頬が、苦笑いを形作った。

 

「私にとって、CCGはあくまで仕事。仕事だから、それ以上の私情は挟まないようにしているつもり」

「?」

「例え『貴女に殺された』私の前のパートナーについて、私が何を考えていたのかとか。その相手が、付き合いが短いわりに結構付き合いやすかったとか。意外と休日、ゲーセン廻りに付き合ってくれたしたとか。色々理屈っぽく言う割には結構テキトーだったりしたところか――そういうところをひっくるめて、『私達が将来的に何か別な関係になっていた』かとか。そういうことは、貴女にも、この戦いにも関係ないことよ」

 

 私の言葉に、彼女は目を大きく見開いた。気のせいか、戦意が揺らいでいるように感じる。

 

「貴女に対して、私がどんな感情を抱いているかとか、そんなことは関係ないの」

 

 拳銃を上に向け、私は一発、空に打ち鳴らす。

 

「だから――仕事なのよ。仕事でしかないの。

 それ以上の理由は、貴女と戦うのに持って来てはいないのよ? 私は、プライベートと仕事は完全に分けて考える性質だから」

 

 だから、本当に関係ないのだ。

 どれくらい、仕事人としての私が彼の死に落胆したかとか。私人としての私が、どれほど彼を殺した相手に感情を抱いているかとか。

 

 それを、クールな女気取って受け流して切り分けて考えるようなスタンスで私が臨んでいるっていうことを含めて。

 

 ただ――思ったより動揺してくれたみたい。事前に聞いていた、彼女の人柄と合致するところだった。

 

  

 

 瞬間、駆け出した私に彼女は一瞬、反応が遅れる。

 私はキャリーバッグを手に取り、スイッチを入れる。起動するクインケ。いわゆる「旧式」のそれは、ケースから解き放たれると、巨大な「顎」を展開し――。

   

 

 

 

 

  

 

「……」

「貴女には貴女の事情があったんでしょう? だったら、そこにあんまり意味はないわ。

 そこは、問う問わないじゃないのよ」

 

 

 倒れ付す彼女。既にクインケも片付け終わり、憔悴し動けない彼女の腹部に、私は拘束道具を置く。

 と、彼女の背部から赫子が、まるでベルトの帯みたいに変化し、両端に接続された。一瞬うめき声を上げる彼女。その両手に手錠をかける。

 

「でも、約束は守るわ?

 追加で仕事が来ない限り、私は貴女の弟さんを追いはしない。その代わり――キビキビ吐いて頂戴ね」

 

 

 私の言葉に、ヒカリちゃんは、すごく悲しそうな表情を浮かべた。

 

 

 

 

 



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chap.13 運命はない ―― i a men i a hUn ――

 

  

 

 

 

 いつかのコンテナの山の中に、僕は様子を見に行った。

 

「……? よし、ヒトはいなさそうかな」

 

 周囲を見回して中に入る。一応、近隣に集合住宅があることもあって、流石にそこから覗かれたらわからないけれど、でも少なからず周辺にヒトがいないだろうことだけ確認はした。

 確かこの先をいったところに、ヒカリさんたちがいるはずだ。

 

 とりあえず、お土産の珈琲は持った。

 

 なんでわざわざ来たのかと言えば、まぁ、様子見だ。ただ単に遊びにいったという感じではない。

 

 この間、僕の家に来たヒカリさんが、不思議と落ち込んだ様子だったことが気に掛かる。

 昨今、喰種が暴れたというニュースがこの界隈をにぎわせている。タイミング的にヒカリさんが落ち込んだ時期と近い事もあってか、何故か妙に気になった。

 

 仕事の合間を縫って動いているのでそこまで自由はないのだけれど、それでも気にはなる。ちょっと時間が開いてしまったのだけれど、そういう理由から元気かどうか確認しに行きたかった。

 

 だからこそ、扉を開けた瞬間の衝撃といったらない。

 

「……え?」

 

 膝から力が抜ける。

 

 一目で分かる。もぬけの空だった。

 コンテナに入っていた荷物は綺麗さっぱり姿形を消し、まるで何事もなかったかのように生活臭がない。いや、そもそもヒトが住んでいた痕跡を探すことすら困難なほどだ。

 

「いやいやいや、まぁ、うん……」

 

 よくよく考えてみれば、ヒカリさん達が僕を気にする必要がないとも言えなくもないわけで。あの時のヒカリさんの様子はおかしかったけど、まぁ、元々大嫌いだーとか言われていたわけで、だから再びの引越しについて、僕に連絡がないのも仕方ないかなと思えなくも無いけど。

 でも、いきなりここまで情報が断たれると、流石にちょっと堪えた。

 

「あー ……どうしようか」

 

 誰ともなく呟くも、当然答えはどこからも返って来ない。

 

 諦めてコンテナの外に出ても、当然そこに人影はない。 

 

 

 仕方ないと頭をふり、僕はとりあえず駅に向かおうと――。

 

 

「……?」

 

 と、そこで僕は違和感を覚えた。何か、鼻に「嫌な」匂いを思い出す。

 振り返り、再びコンテナハウスの方に足を進める。

 

 

 この匂いは、覚えがある。

 

 

 脳裏を一瞬ちらつく、腹部を押さえた父親の、血の気がうせた顔。

 人間とか喰種とか、そういったカテゴリーじゃない匂い。いや、どちらかと言えば喰種の匂い。

 

 強いて言えば、赫子の匂い。 

 

 赫子が活動している時の、通常、喰種なら気にするはずのない匂い。

 

 自分だからこそ、嫌に鼻につく匂い。

 

 

「……」

 

 コンテナハウスの入り口。その看板の裏側。

 そこには、破片のような赫子がついていた。付着してからまだ新しいのは、なんとなくわかる。少なくとも形状が崩壊していないということは、そういうことだ。

 

 でも何で? ヒカリさんのそれでないのは、以前戦ったからわかる。

 なんでそんなものが、忽然と彼女たちが姿を消した後のこんな場所に――。

 

「違う」

 

 そうじゃない。

 僕はこれに「見覚えがある」。

 

 だからこそ、頭の中で想起するものが、あの日の最悪の出来事なのだろう。

 

 こんな有刺鉄線のような、ワイヤーのような赫子を使う喰種なんてものが、そう多数存在するとは思えない。

 

 とするのなら――どこかにいるのだ。「両親の仇」が。

 

 

 そしてそれが、ヒカリさん達と関係している……? いや、ひょっとしたら襲われたりしたのか?

 何か、こう、苦いものを噛み潰したような感覚が、じんわりと胸の内から広がっていく。

 

 嫌な予感を胸に抱きながら、看板の表に書いてある住所に向かう。ここの管理人の事務所だ。

 当たり前といえば当たり前だけれど、距離としてはそこまで離れてはいない。そちらもコンテナハウスの延長上みたいな形状をしていて、僕はその階段を上る。

 

 扉に手をかけると――嫌になるくらい、血のこびりついた匂いがした。

 

 人間の、血の匂い。

 

 手が、震える。

 ノブから思わず手を離し、がたがたと言う事をきかない右手を見つめる。

 

 それでも、ためらいながらでも、僕は扉を開けた。

 

 

 

 部屋は、バラバラになっていた。

 バラバラになった人体が、そこかしこに散らばっていた。

 

 事務所のデスクまわりとか、地面とか、壁とか一帯が真っ赤に染まっていて、それでも時間が経過してるのか色が赤黒くなっている。 

 

 そんな中に、男はいた。

 

 直感的に理解した。この場をこんな光景に変えた相手が、目の前の彼であると。

 

 サングラスをかけた青年。僕よりは年上のようだが、そんな彼がこちらをちらりと見る。その目は喰種らしく赤黒く染まっていて、更には背中から、明るい紫の赫子を出している。

 

 彼は扉を開けたこちらを一瞥すると、面白くなさそうな表情のまま、背後のそれを振るった。 

 

 

「――ッ!」

  

 

 体を守る余裕がない。

 赫子を出すよりも早く、僕はその一撃で腹部に穴を開けられた。そのまま投げ飛ばされ、地面に叩き付けられる。

 

 落下で受けたダメージが、栄養の足りていない強度の体に響く。

 反射的に背中から赫子が這い出るのと同時に、全身から力が抜けていく。本来回復に回す分の力も、戦闘に回す分の力もないのを、無理やり動かしているのだ。これくらいは当たり前だろう。

 

 痛みにかすれる視界と意識を、それでもなお集中させて、事務所の方からこちらを覗きこんでくるシルエットを見る。

 

「ほう、人間かと思ったら喰種か」

 

 見下ろす彼は、にやりと笑う。

 そのままこちらに降りてきて、持っていた「右腕」を噛み千切る。

 

 そのまま、赫子をしならせた。

 

 かろうじて僕の右腕には、赫子が巻き付き盾のような形状になっていた。それを前方に構えて、ぎりぎり弾く。激突と同時に火花が飛び散り、相手は不思議そうな表情を浮かべた。半透明のサングラス越しに、驚いたように見開いた目が見える。

 

「硬いな。強さ弱さで言えばひたすらに弱いくせに、妙に硬い」

「……ッ」

「エサを探しに来た喰種という訳でもないだろうな、お前。とすると……、ひょっとしたらナルカミ共の縁者か?」

「!」

 

 ナルカミ……、雷?

 やはり知っているのか、この男は。

 

「二人は一体――」

「なぁに、本当に縁者だというのなら『人質』として使えなくもないだろうが……。

 んー、そうだな。これを受けたら考えてやろうか」

 

 言いながら、彼は再び赫子を構える。僕もそれに応じるように腕を上げた。

 でも、今度はさっきまでとは根本的に違った。 

 

 伸びてきたそれは、単なる赫子ではなく――まるで有刺鉄線のようなそれが、幾重にも束ねられたようなものだった。赫子の先端で分岐したそれが、猛烈な勢いでこちらにぶつかってきた。

 

 単なる打撃ではない。刺さるという属性を帯びた攻撃が連続する。連続し、僕の赫子と腕を抉っていく。

 

 耐えられたのは何撃だろう――元々、赫子の密度自体そこまでないのを、無理やり出しているようなものなのだ。簡単に弾き飛ばされ、転がってしまう。

 そんなこちらを見て、彼は「使えん」と笑った。

 

「あれの弟と違って、根本的に戦うという思考回路がないと見える。

 ……駄目だな、これは持って帰れん」

「……何を、」

「知る必要はない。いずれここも、我らが尾に巻かれる運命にある」

 

 再び彼は、有刺鉄線のような赫子をこちらに放ってきた。

 

 

 嗚呼、駄目だこれは。何か行動を起こす起こさないということさえ、よくわからない。体感時間が延びて、一瞬だというのにとてつもない速度で頭が回っている。

 

 だからこそ、その放たれる一撃が自分の頭を狙っていることとか。それを避けることが今の自分に出来ないとか。そういったことが全部わかってしまう。

 

 嗚呼、何とかしないと。

 僕は生き延びなきゃならないのに。

 

 生き延びなきゃ――父さんや、母さんたちに合わせる顔がないというのに。

 

 

 

 

 

「――全く、不幸中の幸いかしら? いや、不幸ねどっちにしても」

 

 

  

 

  

 そんな声と同時に、僕の目の前にキャリーバッグが降って来た。

 

 

 

   ※

  

 

 

 落下したキャリーバッグが赫子の直撃を弾き、あまつさえ弾丸が雨あられのように注がれる。さしものサングラスの男も一瞬怯み、事務所の屋根に退避した。

 

 攻撃をした彼女が、タイトスカートであることを無視するように膝を曲げてケースの上に下り立つ。

 

 その女性は、既に何度か会っていた。そして、その攻撃法方も一度見た事があった。

 

 両手に拳銃を引っさげて、腰にポーチをぶら下げ。キャリーバッグを引きずる彼女は。

 

「安浦……、さ……ッ」

「奇遇ね? 霧嶋君。いえ、まぁ、奇遇ではないんだけれど」

 

 よくわからない言い回しをしながら、彼女はこちらを一瞥して、苦笑いを浮かべた。

 

「……どういうことだ、取引に違反するぞ?」

 

 そんなことを、サングラスの男はいぶかしげな表情で彼女に言う。もっとも、彼女は何処吹く風だ。

 

「貴方、やらせすぎたのよ彼女に。お陰でこっちも、おいそれと取引を履行できなくなっちゃったのよ。

 あの娘だけの命で、収まるには収まりきらなくなってしまった。少なくともコクリア送りが決まったわ」

「フン。これだから人間は信用ならん」

「ま、そっちも最初からある程度裏切られることを想定していたんでしょうから無問題なのかもしれないけれど。

 でも――CCG、甘く見ない方が良いわよ? なんだかんだ、手ごわいから。

 それに貴方、もう一度ちゃんと『ぎらが』を使った私と戦うつもり?」

 

 かつん、と足元のキャリーバッグをつま先で蹴る彼女。

 

 それを見て、サングラスの男は嫌そうな顔をした。

 

「……ここは引かせてもらう。相性が悪い」

「懸命ね。とはいえ、本当ならここで私を殺しておくのが正解だと思うけれど」

「ほざけ、どう考えても殺される人間の顔じゃない」

「まぁ、人生ノーコンテニューがモットーだし」

 

 ちょっとちょっと会話にゲーム風な言い回しを入れるな、このヒト。

 この間付き合わされたお陰か、僕もなんだかんだ分かるようになってきてる気がするような、しないような。

 

 そして宣言どおり、サングラスの男は事務所の屋根からどこかへと飛び移り、姿を消した。

 

 ふぅ、とため息を付くと、彼女はこちらの方を見た。

 転がっている僕を、冷静に、冷徹に見下ろしていた。

 

「……ッ」

 

 状況は、最悪と言っていい。

 

 彼女は喰種捜査官。そして今の僕は、どう頑張っても言い訳が出来ないレベルの有様。

 身動きできない僕に対して、彼女は拳銃を構え――。

 

 

 思わず目を閉じると、響く発砲音。

 

 

 ……不思議と痛みはない。

 嗚呼、なるほど。死ぬってこういうことなのかと。意外と何もないものだなと考えつつ、鼻に香る硝煙の匂いに、僕は苦笑いを浮かべる。

 

 ……いや、待て。匂いがする? それは流石におかしいんじゃないだろうか。

 

「良かったわね、貴方。今ここ、監視カメラ撤去されてるから」

 

 そんな彼女ののんきな言葉に、僕は恐る恐る目を開ける。

 と、こっちの方に向けて、サングラスの男が齧っていた腕が投げ飛ばされた。思わず受け止めると、彼女は肩をすくめて視線をこちらから外した。

 

「私の指紋が残らないくらい、全部食べちゃってくれないかしら」

「……? え? えっと……」

「私はたまたま今日、ここに寄った。血の匂いをかぎつけて、あの喰種と交戦した。そんなところかしら、筋書きとしては。それで良い?」

 

 いや、良いとか良くないとかじゃない。何を言ってるんだ、この捜査官は。

 意味がわからないというこちらの反応を察してか、彼女はこちらを向いて、あっけらかんとして言った。

 

「だって私、今日、オフだし」

 

 ……へ? それが理由?

 

「それが理由よ。仕事とオフは完全に分ける事にしてるから。私。

 まぁ今みたいに襲われてるヒトを助けるくらいはするけれど」

 

 いやいやいやいや、と。僕の中の人間的な感性が、彼女の言葉に突っ込みを入れる。

 

「哲学的ゾンビとかみたいな振る舞いを心がけた事はないけど、仕事で命を奪うのなら、それくらいの線引きはしてもいいと思ってるわ?」

 

 どうやら言葉からにじみでている雰囲気からして、本気で彼女はそういっているらしい。冗談でもなんでもなく、僕をこの場から見逃すと言っているのだ。

 腕を投げてよこしたあたり、僕の消耗度合いを隠そうと言う意図もあるのかもしれない。

 それどころか。

 

「あ、その格好じゃ目立つわよね。私のコート着る?」

「い、いえ、あの……」

 

 なんだ、この対応は。

 

 いくら見逃すといったところで、その相手に対する接し方じゃない。

 訝しがる僕に、彼女は少しだけ微笑んだ。

 

「何かしら。対応が手厚すぎて気持ち悪い?」

「……」

「まぁ、それはね。当たり前の感情じゃないかしら。

 でも、私としても貴方は目立たなければ見逃しても良いんじゃないかと思ってはいるのよね」

「え?」

「だって、私、貴方のこと調べ回ったし」

 

 それは、一体……。

 

「まかない料理とかも食べているけど、基本的には下宿先の生活状況を見るに、ヒトを襲うタイミングもない。典型的な、金銭的に苦労しているフリーターって感じね。

 休日の行動までは把握しきれないけど、大型の荷物を持ち込む様子もなかったそうじゃない」

 

 ぐらぐらと安定していない思考の僕に、彼女は必要最小限の情報を告げる。

 

「だから、私が仕事中に目立つようなことをしていないなら、霧嶋君はそういう意味では『どうでもいい』のよ。『どうでも良くない相手』はもう捕らえたし」

 

 例えそれが、グレイを通り越してブラックになったとしても――。

 

 そんな言い回しをしながら、彼女は僕にどこかに逃げろと言う。

 

 

 

「……一つだけ、聞かせてください」

「何かしら?」

「ナルカミ……、貴方は、彼女を知っているんですか? ヒカリさんは、今――」 

 

 おそらくその呼び名は、ヒカリさんの別名だろう。雰囲気からして簡単に予想が成り立つ。

 それに対して、彼女は視線を合わせず答えた。

 

 

「知りたいならニュースを辿りなさい。まぁ、辿るまでもないんだけれどね」

 

 

 その一言で、僕の脳裏には、別な意味で最悪の筋道が立った。

 

 

 

 

 




レンジ「・・・俺の出番は?」(ボソッ)


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